アクセル・ワールド・アナザー 無法者のヴォカリーズ (クリアウォーター)
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邂逅篇
第一話


 第一話 出会いはカツアゲの最中(さなか)

 

 

 西暦二〇四六年四月。御堂剛(みどうごう)は己の不運を呪っていた。

 小学校を卒業した彼はこの春、父親の仕事の都合で、それまで生活していた神奈川県から、東京都の世田谷区へと引っ越してきた。

 生まれ育った土地から離れ、六年間を小学校で共に過ごしてきた友人達と同じ中学校へ行けないことには、当然ながら寂しさはあった。しかし、親友と呼べるほどの友達がいなかったゴウは、引越しの話を両親から聞かされても正直なところ、そこまでショックは感じていなかった。どころか、中途半端な時期に転校するよりはいいかという考えが頭に浮かび、そんな感想を抱いた自分の薄情さの方がショックだった。

 引越しから一ヶ月、中学校入学から約半月。新しい環境にも、徐々に慣れ始めたある日の放課後。

 ゴウは家の門限にはやや早い、手持ち無沙汰な時間を使って、学校から自宅までの道を気まぐれに散策していた。これから起こることも知らずに。

 一通りの散策後、偶然見つけた公園のトイレで用を済ませた後、そろそろ家に帰ろうかと出入り口まで歩いていたその時、知らない男に通路を阻まれた。

 制服を着ているので、学生だということはすぐに分かった。だが、自分より背は高く、染めた髪に耳にはピアスと、とてもガラが悪い。少なくとも同い年ではなさそうだ。

 学生はにやにや笑いながら、無言でゴウに近付いてくる。

 後ずさりするゴウは自ずとトイレ内へと戻され、しかも学生の後ろからは仲間らしき男達が三人、ゾロゾロと付いてきていた。

 

「な、何ですか……?」

 

 震える声でどうにか質問するゴウに、不良学生達は馴れ馴れしい口調で話しながら、ゴウを壁際へと追い詰め、扇状に取り囲んだ。

 

「そんなビビンないでよ~、ちょっと頼み事聞いてほしくてさぁ」

「俺達いま金欠でさぁ~」

「ちょっと貸してくんない?」

「とりあえず今ある分だけでいいからさ。ね?」

 

 

 

 こうしてゴウは、寄り道なんてしなければよかったと嘆く、今の状況に至る。

 ──最悪だ。こんな状況、漫画やドラマでしか見たことないのに実在するのか……。どうしよう……。

 中学生にもなると、こんなことは日常茶飯事なのか。それとも、やはり東京は怖い所なのかと思っていると、被ったニット帽から金髪の前髪と襟足を覗かせている、リーダー格らしき不良がゴウを急かす。

 

「ほら、ぱぱっと操作すりゃすぐだろ」

 

 何も言わないゴウに苛立ち始めたのか、すでに口調が荒くなり始めている。

 今やほぼ全ての日本国民が所持している、《ニューロリンカー》と呼ばれる脳と量子無線接続している携帯端末には、大した金額の電子マネーがチャージされているわけではないが、『とりあえず』ということはこれからもカモにされるのでは? と考えると、声が出てこない。

 治安維持を目的とした《ソーシャルカメラ》が、そこかしこに設置されている現代でも、さすがにトイレ内にまでカメラを設置するわけにはいかない。おそらくはそれを承知で、目の前の彼らは、ここに入った自分をターゲットにしたのだ。

 カメラはトイレの入口は映しているのだろうが、このトイレは入口を入って、すぐに曲がるL字型の構造をしているので、自分がトイレに戻されている姿は映っていないだろう。

 

「これ以上粘っても意味ないよ、痛い思いすんのヤでしょ?」

 

 そうそう、と他の不良達が続く。

 外に聞かれるのを避けているからか、不良達の声量は抑えられているものの、先程よりも更に剣呑なものへと変わっていく。

 しかし、ゴウは早鐘のように打つ心臓の鼓動を感じつつも、金を差し出す気は全くなかった。ゴウ自身がニューロリンカーを操作しない限り、不良達がゴウをいくら殴ろうが金を巻き上げることはできない。

 ──怖い、足の震えが止まんない、でも絶対嫌だ、ここでどんな目にあっても絶対に金を渡すもんか……。だって、そんなことは間違って──。

 

「……? おい、何見てんだよ!」

 

 不良の一人がいきなり怒鳴り声を出した。

 ビクッと飛び上がり、声も出せずに背筋を伸ばすゴウだったが、不良達はこちらではなくトイレの入口側に注目している。

 

「ふざけやがって……」

「こっち来いよ!」

「逃げたら許さねぇぞ!」

 

 不良達の声を受けて、入口から学生鞄を肩に掛けた学生服の男がのっそりと姿を現した。その姿を見た不良達は、わずかに戸惑いを見せる。

 現れたのは、少なくとも百八十センチはある背丈にがっしりとした体格、切れ長の鋭い目付きをした短髪の男だった。

 信じられないことに制服のデザインはゴウと同じのものだ。つまりは、ゴウと同じ学校に通う中学生ということになるのだが、その風貌はゴウにはどう見積もっても、高校生以上の年齢にしか見えない。

 最初ゴウは、不良達のボスでも来たのかと思ったが、不良達の困惑したような様子から、それは違うらしい。

 男のニューロリンカーには赤い光点が灯り、録画機能の起動を証明している。彼はゴウをじっと見つめると、次に不良達をじろりと一瞥してから口を開いた。

 

「……四人もいるのに、外に一人も見張りをつけないなんて、お粗末なカツアゲだ。……帰りな。警察に映像の提出なんかされたくないだろ?」

 

 完全に声変わりを終えている低い声で、諭すように男はそう言った。

 何故かは分からないが、男が自分を助けてくれているのではないかとゴウが思い始めていると、不良達は顔を見合わせ、さすがに四対一で負けはしないと判断したらしく、薄笑いを浮かべ始める。

 

「録画止めてデータ消せ。それともボコられてぇかよ」

 

 ポキポキと拳を鳴らして威嚇する不良達に、今までゴウがされていたように扇状に囲まれても、男は無表情のままだ。

 

「…………」

 

 男が無言のまま、何も無い宙に手を伸ばして動かし始めた。ニューロリンカーの仮想デスクを操作し、録画を止めたのだろう。その証拠に、赤く点灯していたランプが消える。

 状況が元に戻り、再び焦るゴウの心境をよそに、男は更にデータ消去の操作を──せずに、自分の首に装着されているニューロリンカーを首から外した。

 ゴウも不良達も男の意図が分からずに、黙って男の動きを見ていると──。

 

 ……ばきり。

 

 何かが割れる音。

 男が持っているニューロリンカーの一部を、片手で握り潰したのだ。外装が割れて内部の電子機器が少しだけ飛び出た、どう見ても壊れたニューロリンカーを、ゴウは目を丸くして凝視する。

 

「録画は止めた。……消去はしないが。コアチップは無事だから、ショップで買い替えりゃデータも問題ないな」

 

 うんうんと一人で勝手に納得している男は、にやりと口角を吊り上げる。

 

「ここまでしたんだから帰ってくれるよなぁ? それと、次にそいつ含めて同じようなことしているなんてのが、ちらりとでも俺の耳に届いたら……映像は提出する。納得できないのなら──」

 

 ニューロリンカーを壊そうがデータは残ったままだというのに、男はこれで手打ちにしたと言わんばかりの口振りでニューロリンカーを離し、バキバキと両手の指を鳴らすと、不良達に向かって、ドスを効かせた低い声を出す。

 

「相手をしてやる。でも『痛い思いすんのヤでしょ?』」

 

 威圧的な笑みを浮かべる男は、不良の一人がゴウに言っていた台詞を、そっくりそのまま返した。

 

 

 

「大丈夫か?」

 

 男が近付き、先程よりは若干穏やかな声をゴウにかける。

 結局、不良四人組はそそくさとトイレから出ていった。ゴウも恐怖で足が竦んでいなかったら、彼らに続いて、この場を離れたかったのが本音だ。

 

「あ、ありがとうございました。その、じゃあこれで……」

 

 もうとにかく早く帰りたい一心のゴウは、なんとかお礼の言葉を絞り出し、トイレから出ようとするが、男にがしりと肩を掴まれた。

 

「あーあー、ちょっと待った」

「は、はい……?」

 

 ──ははぁ、そうか分かったぞ。この人はあいつらから獲物(僕)を横取りしたかったんだ。あれ? でもニューロリンカー壊れてんだから、電子マネーの移動もできないんじゃ──あぁ……そうかサンドバッグ(これも僕)が欲しかったのか……。

 高速回転させた脳内で出した推測に納得し、観念するゴウ。

 

最初(ハナ)からあいつらに金を渡す気なんかなかっただろ?」

「えっ……」

 

 唐突に、男はゴウが不良達に囲まれながら思っていたことを、ピタリと言い当てた。

 ──何で分かったの? というかこの人、何が目的? 

 困惑するゴウは男の顔を見る。

 

「最初は犯行現場録画して、さっさと交番にでも連絡しようと思っていたんだが……。お前さんの眼がな、あいつらを怖がってはいても、絶対に言う通りにしない。屈しない、の方が正しいか? そんな感じの眼をしていた。それがどうにも気になってな、何か理由があるのか?」

 

 男はまるで、ゴウの心の奥を覗き込もうとしているような眼差しを向ける。

 何かを見極めようとしている、試そうとしているような眼差しを受けながら、ゴウは口を開いた。

 

「──その、僕、昔から臆病なんですけど、これは絶対にしたらいけないとか、逆に絶対にやるって自分の中で線引きをしたら、意地でも実行してやるって思っちゃうんです。それが友達の頼みでも……だからかな、仲間外れとかにされるわけじゃないんですけど、一定以上に人と親密になれなくて、親友と呼べるような友達もいなくて……って興味ないですよね? あはは……」

 

 話してから、どうして初対面の相手にこんなこと言っているのかとゴウが後悔していると──。

 

「……もしも、お前さんが自分を変えたいと思っているなら、明日……はさすがに無理か。明後日の十六時にこの公園の入口に来てほしい。三十分待って来ないなら俺も帰る。どうだ? 予定があるなら日を変えるが……」

 

 自ら壊したニューロリンカーを回収した鞄に一度目線を移してから、男がゴウに問うた。

 この時のゴウの本心は、この男に二度と関わらずにさっさと家に帰り、今日の出来事は忘れたかった。だが──。

 

「……分かりました、十六時ですね。明後日で大丈夫です」

 

 内心で大いに戸惑いながらも、この見た目は怖いが害意を感じさせない不思議な男が、何故自分にここまで関心を抱くのだろうか。一体何をさせたいのか。気になったゴウは気付けば約束をしていた。

 その言葉を受け、男は頷くと「じゃあ、明後日に」とだけ言って、すぐにトイレから出ていく。

 この日の出会いが、これまでの自分を一変させることを、トイレに一人残されたゴウは知る由もなかった。

 これから幾度となく訪れることになる『もう一つの世界』についても。

 



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第二話

 第二話 別世界への鍵

 

 

 二日後。

 ゴウは一昨日の学校帰りに男と出会った公園入口に向かっていた。

 この二日間の記憶は振り返ろうとすると曖昧で、頭の中には男との会話がずっと居座っている。

 一体彼は何をしたいのか、自分なんかの何に興味を持ったのか、いくら考えても答えは出ず、思考は何度も堂々巡りを繰り返していた。

 やがて公園の入口が見えてくると、すでにあの男が入口に立っていた。二日前と同じ制服姿で、首には真新しい、しかし色は以前と同じネイビーブルーのニューロリンカーも装着されている。何やら仮想のデスクトップをいじっているらしく、宙に指を走らせていて、こちらにはまだ気付いていない。

 やはり帰ろうか。向こうも来なかったら帰ると言っていたし、二日前のことは忘れていつもの日常に戻って……と今更ながらにゴウは怖気付く。

 

「よぉ、悪いな。わざわざ来てもらって」

「ひっ!?」

 

 どうしたものかとその場をウロウロしていると、いつの間にかゴウの目の前にいた男に挨拶をされる。ゴウは硬直してしまうが、小さく「いいえ……」とだけ答えた。

 あまりに萎縮するゴウを見て、苦笑する男。

 

「そう構えるない。ちょっと腰を落ち着けて話したいんだが、どうだ?」

「えっ……? は、はい、だ、大丈夫です」

 

 じゃあこっちに、と男に促され、ゴウは男の後ろを付いていく。

 しばらく歩いた二人は、駅前の喫茶店へと入った。席に着いたゴウは店内を見渡す。

 平日だが放課後で駅前ということもあってか、スーツ姿で何やら仮想デスクを操作している大人以外にも、自分達のように学校帰りの学生客の姿もちらほらと見える。

 

「何を頼む? わざわざ来てもらったし奢るぞ」

「いっ、いえ、大丈夫です。自分の分は自分で払いますから」

 

 ゴウなりの丁重な断りに、男は特に気にもせずに「そうか?」とだけ言うと、素早く店のホロメニューを開いて注文をする。

 それに続きゴウも注文を終えてから間を置いて、男が口を開く。

 

「そういや、お互い名前も知らないんだったな。これ、ネームタグ。ほれ、お前さんも」

 

 男が指を動かすと、ゴウの目の前に簡単な名刺の代わりとなるネームタグが表示された。

如月(きさらぎ) 大悟(だいご)】と名前に続き、顔写真、生年月日と学校名が表示されていく。住基ネットの認証マークが輝いている以上、偽造の可能性は限りなく低い。

 つまり、如月という名前のこの男は制服の通り、やはりゴウと同じ学校に所属する生徒で、現在中学三年生だと証明されたということだ。

 ゴウも同様にネームタグを如月へと送る。

 

「ミドウ ゴウか……。苗字も名前も中々に渋いな。まぁ、それはいいか。ところで、会った時に聞くべきだったんだがゴウ君よ。お前さん、ニューロリンカーを生まれてすぐに装着して生活していたか?」

 

 予想もしていなかった質問をされたゴウは、如月の意図がさっぱり分からなかった。そんなこと聞いて一体何になるというのか。

 如月はゴウの答えを待つようにこちらをじっと見つめている。その表情はどこか切迫しているようだった。

 

「えーと、確か生後三ヶ月にはもう着けていたとか親が言っていたような……。でもそれがどうかしたんですか?」

 

 ゴウの両親は乳児の頃からゴウにニューロリンカーを装着させ、知育ソフトによる早期教育を施していた。そのおかげかはともかく、成績が少なくとも平均を下回ることは今までなかったが、ゴウのように乳児時代からニューロリンカーを装着する家庭は、特別珍しくもない。

 そんなゴウの答えに、如月はほっとしたような安堵の表情を見せた。

 

「そうかよかった……いやぁ、ほぼ無駄足になるとこだった。ニューロリンカー壊した意味も一応あったな」

「あっ、あの、聞きたかったんですけど、どうしてあの時その……あの人達に見つかってからすぐにあそこから離れなかったんですか? い、いえ、もちろん助けてもらって感謝しているんですけど……。そもそもどうして僕を助けてくれたんですか? 自分のニューロリンカーを……その……」

 

 壊してまで、とゴウが言おうとすると、丁度注文した飲み物が運ばれてきた。

 テーブルに飲み物を置いた店員が離れてから、如月が苦笑する。

 

「質問だらけだな……それもそうか。それじゃ飲みながら順に答えていこうか」

 

 如月は自分の注文したクリームソーダを一度ストローですすると、アイスをスプーンですくい、ちびちびと食べ始めた。

 その風貌とかけ離れた様子を見て、ゴウは似合わないと思ってしまうが、もちろん口には出せないので、自分も注文したアイスコーヒーにミルクとガムシロップを混ぜてから、ストローで一口飲むと、如月が話を切り出した。

 

「俺だって別にな、目に付いた人間を誰彼構わず助けはしない。聖人でもあるまいし。でもあいつら──お前さんに絡んでいた奴らな、最近あの辺で年下とかをカモにして、たかっている学生達がいるって聞いたもんだから……。全く、ソーシャルカメラがそこら中にあるのによくやるよな」

 

 十数年前から普及し始めた《ソーシャルセキュリティ・サーベイランス・カメラ》。通称ソーシャルカメラとは、十数年前から日本全国に取り付けられ始め、今では屋内外問わず設置されている監視カメラのことだ。これの普及により犯罪率の激減、治安の向上につながったと、ゴウも小さい頃から学校の授業やテレビなど、様々なもので目に耳にしてきた。

 それでも犯罪自体が消えたわけではなく、カメラの死角や抜け道を探す者も存在する。あの不良達も何らかの違法アプリを使って穴場を探していたかもしれないと、あの後ゴウ自身も推測していた。

 

「それでここ何日か、あの辺りで人気の少ない場所をしらみ潰しに回っていたら、それっぽい集団を見つけてよ。様子を見ていたら一人がトイレに入って、残りもゾロゾロ入っていったから確信した。あぁこいつらだなって。そしたら案の定だ」

「なるほど……。で、でも何でニューロリンカーを壊したんですか? そんなことまでしなくても……」

 

 そこだけはいくら考えても分からなかった。ニューロリンカーのコアチップの移植は、役所か政府公認のショップに限られる。仮に予備の端末を所持していたとしても、コアチップが無ければ起動もできないし、一日でもグローバルネットどころか、ローカルネットに接続ができない環境というのは、幼児でさえニューロリンカーを所持している現代社会においてかなり不便だろう。

 戸惑うゴウに対し、如月はさして気にしてもいない様子で、アイスとソーダを混ぜながら続ける。

 

「そうだな、あいつらがもっとガタイが良い奴らだったら、お前さんの言う通り証拠を撮ってすぐにその場を離れていたかもしれない。ただ、あんなイキがっているだけのヒョロっちい四人程度なら、ぶん殴って言うこと聞かせることもできた。でも暴力はなぁ……殴ったら逆に俺が警察の世話になるかもしれないし、そんなの釈然としないだろ? だから脅しも意味も込めて、ニューロリンカーをこう……めきっとしたわけよ。あの手合いはな、自分が危険に晒されるかもって思うとすぐに弱腰になる。自分達は簡単に人を傷付けようとするくせにだぜ?」

 

 小馬鹿にしたように言いながら、ストローに口をつける如月。

 確かに不良達は自分達より体格が良く、怖そうな(ゴウ主観)如月が現れて、明らかに怯んでいたし、トイレから出ていく時はわずかに手が震えていたのを、ゴウは見逃さなかった。

 結果的にカツアゲも喧嘩も起きず、一応は穏便に解決したことになると言えばなる。とんでもない力技だったが。

 対して、ゴウにはそんなことを考える頭も行動力もなかった。二年後に現在の如月と同じ年齢になったとしても、自分にできるとはとてもじゃないが考えられない。

 

「凄いですね、如月さんは……。僕にはとても真似できないです……」

 

 ゴウはその声に自分でも分かるくらい、卑屈さが混じっていたことに気付いて俯いた。

 

「自分が嫌いか? 会った時にも言ったが、あの時のお前さんは良い眼をしていた。理不尽に対して屈しない、負けたくないという強い意志、大げさに言えば闘志を俺は感じたんだ。……と急に言われても分からないか」

 

 またもゴウの心を見透かしているかのような口振りの如月。

 

「さて、ここからが本題。お前さんが望むなら『別の世界へ行ける鍵』を渡すことが俺にはできるかもしれない、と言ったらどうする?」

「別の……世界?」

 

 ゴウが首を傾げていると、如月は若干小声になりながら、一本のXSBケーブルを鞄から取り出した。

 

「そうだ。俺がとあるアプリをお前さんに送れば、お前さんは別の世界に行けるようになる……かもしれない。ただし、直結で渡さないといけなくてな。本当は会った時に渡したかったんだが、ニューロリンカー壊しちまったし」

 

《優先直結通信》。略して直結は基本的に、家族等の親しい者、信頼する者としか行うことはない。直結によってネットワークの何重ものセキュリティ、そのおよそ九割は突破できてしまうからだ。やろうと思えば、直結相手のニューロリンカーに、悪意あるプログラムやハッキングを仕掛けることさえも可能になる上に、如月は正体不明のアプリを送るとまで明言している。

 断って当然の場面だが、ゴウは迷っていた。未だに如月の目的は分からないが、彼から悪意を一切感じられないのが理由の一つ。もう一つは《別の世界》という言葉に何故だか強く惹かれるからだ。今を逃せばそこにはもう行くことができなくなってしまうような、そんな予感がした。

 

「……もしもそのアプリをインストールしたら、僕も強くなれますか? あなたみたいに」

「御堂ゴウは御堂ゴウでしかないし、如月大悟は如月大悟だ。ある意味強くなれば弱くもなる、とだけ言っておく。さぁ、どうする?」

 

 如月はゴウの質問を意味深かつ、にべも無く返してから、ケーブルの片方の端子を自分のニューロリンカーに挿し、もう片方をゴウ側のテーブルに置いた。

 置かれたケーブルを、ゴウはじっと見ながら考える。

 やせぎすな体、大して印象に残らない冴えない容姿、おまけに妙に頑固で、自分からはほとんど人に歩み寄らず、そんな自分を変える力も無ければ努力もしない。考えれば考えるほどに、自分のことが嫌になっていく。しかし、それでも。

 ──これが何か自分が変わるきっかけになるのなら、リスクを侵す価値がきっとある。

 迷いを振り払い、ゴウはケーブルの端子を自分のニューロリンカーへと挿入した。

 目の前に直結についての仮想の警告文が発生し、すぐに消滅する。

 

『思考発声はできるか? これからの話を口に出すのはあまりよろしくない』

『はい、できま──話を聞かれたらまずいんですか?』

 

 如月の台詞に、覚悟を決めたはずのゴウは体が固まる。

 ──やっぱりヤバいものなのかな、というか『別の世界』って元の生活には戻れない的なことなんじゃ……。

 早くもゴウが尻込みしていると、視界に【BB2039.Exe.を実行しますか? YES/NO】というアプリダウンロード確認のメッセージが表示された。

 如月は何も言わず、じっとこちらを見ている。

 そんな視線に急かされるように、ゴウはほんの一瞬だけためらってから、聞いたこともないアプリのダウンロードのYESボタンにそっと触れた。

 すると、視界一面が巨大な炎に包まれた。炎のあまりのリアリティに、ゴウは驚いて仰け反ってしまう。

 やがて炎が密集し、作り出されたタイトルロゴはこう読めた。

 

BRAIN(ブレイン) BURST(バースト)

 

 こうしてゴウはもう一つの世界、《加速世界》への最初の一歩を踏み出したのだった。

 



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第三話

 第三話 もう一人の自分

 

 

 真っ暗闇の中で、自分の姿だけがはっきりと見えている。

 ここはどこなのか、出口はどこにあるのかとゴウは首を動かすも、周囲は闇に満たされたままだ。

 すると、いきなり地面全体から炎が噴き出し、辺りに陽炎が揺らめいた。

 呆気に取られるゴウだが、炎からは熱を全く感じない。それよりも陽炎によって揺れる周りの景色の方がひどく不気味だった。

 ふと前を見ると、こちらに背を向けて男が立っている。その薄汚れた服装にゴウは見覚えがあったが、どこで見たのかが思い出せない。

 ゴウの視線に気付いたのか、男が振り向いた。顔の上半分は暗くてよく見えないが、口元がニヤリと吊り上がると、背を向けて一目散に走り出した。

 その逃げる後ろ姿を見て、ゴウの奥底に眠る一つの記憶がたちまち(よみがえ)る。

 ──あいつだ。あの時の……。

 あの時もこちらを見てから馬鹿にしたように笑い、逃げ出したのだ。

 ゴウは頭に血を上らせて、男に向かって走り出した。あいつを捕まえなければいけない。あの時はできなかった自分が、今度こそ。

 しかし、いくら走っても距離は縮まらず、それどころか男との差は開く一方だった。やがて男は見えなくなり、ゴウは力尽きて両手を地面に着く。荒く呼吸をする間も、炎も陽炎も消えず、視界は薄暗く歪んだままだ。

 息を切らすゴウの周りを人影が囲む。顔も性別も分からない影達が、責めるようにこちらを見ている。

 

 ──お前のせいだ……。 ──どうして、何であいつを……。 ──すぐにお前が動いていれば……。 ──お前が強ければ……。 ――臆病者め。

 

 恨むような、責めるような声が耳の鼓膜を通さず、頭に直接入ってくる。

 ──そんなこと、自分が一番分かってる! 

 そう叫ぼうとしても声が出ない。あまりの悔しさに涙が出そうになりながら、拳を握り締める。

 ──強くなりたい。何者にも負けない強さが、自分の意志を貫き通し、勝ち取れる。そんな強さが欲しい!! 

 ゴウが強く念じたその時、薄暗い空間全体を揺るがすような咆哮が轟いた。

 ゴウは手を着いたまま、はっとして顔を上げると、少し離れた所に巨大な鬼がいつの間にか出現していた。

 周囲は薄暗いのに、自分の体と同様、鬼の全身ははっきりと見えている。鬼の右手には逃げた男が掴まれ、男がその手から逃げ出そうともがいていた。

 鬼がもがく男を掴んでいる右手で無造作に握り潰すと、男は溶けるように消えてしまった。

 気が付くと、ゴウを責めていた周りの影は消え、炎が小さくなって陽炎も弱まる。鬼だけは一向に消えない。

 鬼はこちらに向かって地響きを立てながら歩き始め、ゴウの目の前で立ち止まると、恐ろしい形相でゴウを見下ろした。

 額には天を突くかのように大きな双角、裂けた口から突き出た牙、筋骨隆々の太い四肢と鋭い爪、そして近くにいるだけで蒸発しそうになる威圧感。そのどれもが、ゴウが持っていないものだ。

 ──あぁ、僕は……僕もそんな力が……。

 自然と手を伸ばしているゴウを、見下ろす鬼が顔を歪めて(わら)う。

 そして、地の底から響いてくるような声が聞こえた。

 

 ──それが……お前の望みか……? 

 

 

 

 がばっ! とゴウがベッドから飛び起きると、そこは自分の部屋だった。

 ひどい悪夢を見た、ということだけは憶えているが、その内容は全く思い出せない。

 まだ春なのに夏の熱帯夜ばりに体は汗だくになっている。時計を見ると、いつも起きる時間より三十分近く早い。

 まだ覚醒しきっていない頭で、昨日駅前の喫茶店にて、如月から謎のアプリ、《ブレイン・バーストプログラム》をコピーインストールされてからのことを思い出す。

《加速》という見たことも聞いたこともない技術についての解説。時が止まったような青い世界。ネットアバターの姿で見た生身の自分。一般人が干渉な不可能なソーシャルカメラの映像を利用しているという事実。

 実演を含めた一通りの説明の後に(理解できない内容ばかりだったが)、最後に如月から忠告をされた。

 

 ──『明日の朝までニューロリンカーは外すなよ。それとグローバル接続もするな。今のお前さんは、いわば仮登録の状態だ。その状態でニューロリンカーを外すと、そのアプリは消えると思え』

 

 やや語気を強めてそう言いながらゴウに連絡先を教えると、「明日の昼休みにでも連絡をくれ」と言い残し、如月は帰っていった。

 それから帰宅したゴウは、夕飯と風呂を済ませた後、どっと疲れが出て、すぐに眠ってしまったのだ。

 そんなことをぼんやりと頭で反芻している内に、いつもの起床時間が近付き、ゴウはもそもそとベッドから出て仕度と朝食を済ませると、学校へと向かう。

 この時、ゴウは一つの誤解をしていた。

 如月は今日の朝までニューロリンカーを外すなと言っていた。つまりグローバル接続の切断も今日の朝までと判断し、接続してしまったのだ。これが間違いであったと、ゴウはすぐに、身を以って知ることとなる。

 

 

 

 ゴウの自宅から徒歩で約二十分の登校路。その約半分まで差しかかった頃に、突然その現象は起きた。

 バシィィィッ!! という昨日初めて耳にした、加速を知らせるあの音が聞こえると同時に、一瞬にして視界が暗転した。昨日体感した青く停止した景色ではないので、理解が追いつかないゴウの前に、【HERE COMES A NEW CHARENGER!!】の文字が浮かび上がる。

 視界が回復すると、さっきまで朝日が眩しかった登校路は、巨大な月が辺りを照らす夜道となっていた。

 地面は微細な白い砂に覆われ、建物は西洋風のデザインに変貌し、そのどれもが乾いた骨のように白い。

 そして、視界の上部には【1800】の数字と共に左右へ二段のバーが両端にまで伸びると、視界の中央に【FIGHT!!】の文字が出て、消えた。1800の数字が1799、1788、とカウントダウンしていく。

 ──ここどこ? 学校に向かってたのに何でこんな所に……。さっきの音は昨日加速した時と同じ音だよな? でもコマンドなんて言ってないのに……。それにさっきから変な感じが……。

 ゴウは訳の分からないまま歩き回って周りをよく見ると、周囲の町並みは変わっているが、建物の配置自体は変わっていないことに気付く。さっきまでビルがあった場所には、代わりに白亜の塔がまるで昔からそこに存在していたようにそびえ立っているし、車の通っていた道路は障害物の無い大きな道となっている。

 そして、街灯のガラス部分に映る自分の姿を見たゴウは、いま動かしている体が自分の肉体でないことに、今更ながらに気付いた。

 

「何だこれ……!?」

 

 顔は額の両端から二本の角が伸びている鬼のお面のような物で覆われ、素顔が見えない。また、全身の各所には顔面と同じように、月明かりに反射して輝く白みの入った透明な装甲に覆われている。背丈もゴウ本来の百五十センチ弱から、二十センチ近くも伸びていた。角も含めれば更に高いのだろう。先程からの違和感の正体が、いつもより高い目線から景色を見ているからだと、遅まきながらに気付く。

 慌てて周りを見渡していると、周囲の建物の上から人影がこちらを眺めていた。そのどれもが、今のゴウのような人間の姿ではない。それぞれが色の異なるロボットのような、鎧のような姿達が何やら話し込んでいる。

 

「……見たことない奴だなー。お前知ってる?」

「ううん。聞かない名前だし、初心者(ニュービー)じゃない?」

「あの装甲見ろよ。特性は何だ?」

「《親》は見に来てないの?」

 

 ──会話している。あれはアバターか? じゃあここはフルダイブゲームの中で……それも今は加速中……如月さんの言っていた『別の世界』? 

 ゴウが何となくこの状況を理解し始めた時、視界上部の左右に伸びているバーの下に小さなアルファベットが並んでいるのに気付く。目を凝らしてみると左端には《Diamond Ogre》レベル1、右端には《Moon Fox》レベル2と表示されている。

 自分の英語の知識が正しければ右の文字は《ダイヤモンド・オーガー》、左の文字は《ムーン・フォックス》と読める。

 オーガー=鬼、おそらく今の自分のアバターネームだ。ならばもう一つの名前は──。

 

「……もういい? 色々と慣れていない初心者(ニュービー)みたいだけど、これ以上はもう待てないかな。時間も勿体ないし」

 

 横に建つ建物の陰から、いかにも待ちくたびれて退屈しているような声が聞こえると、声の主がするりと姿を見せた。

 狐に似たマスクをしたアバターだ。体付きはほっそりとしているが、両足は体の割に太くて逞しい。糸目をした細いアイレンズは赤く、全身はまるで月を削って滑らかに加工したような艶のある白色で、アルビノの動物を髣髴(ほうふつ)とさせる。同色のふさふさとした尻尾も相まって白狐(しろきつね)の化身のようだ。

 

「あのー、これってあなたと対戦するって──」

 

 ゴウがおずおずと質問を言い終える前に、狐頭のアバター、ムーン・フォックスが駆け出す。驚きの声を上げる前に顎に衝撃が走り、左の自分側の青いバーがぐっと削れたのが見えた後に世界が回転し、ゴウは頭から勢いよく倒れ落ちた。

 

 

 

「そうか、そりゃ悪かったな。もっと詳しく言っとくんだったか」

「聞いてないですよ! いきなり加速したと思ったら、何が何だか分からない内にボコボコにされたんですよ! しかも相手の方がレベル? も上だったし……」

 

 昼休みにゴウは如月に全感覚通話(ダイブコール)で、今朝の出来事について報告していた。

 ブレイン・バーストについて関わることは、人のいる場所では音声通話(ボイスコール)映像通話(ビデオコール)で話すなと如月に言われていたので、フルダイブによる仮想空間でアバターの姿になって会話をしているのだ。

 同じ学校なのだから直接話すなり、グローバルネットで会話なりすれば良いとゴウは思ったのだが、学校は人の目があるから直接話すのは避けたいと如月が譲らないので、このクローズド空間を使用することになった。

 ちなみにゴウのアバターは甚平(じんべい)を着た自分似た少年の姿、如月は頭の部分が球体(如月曰く数珠の珠らしい)でスーツ姿という珍妙なアバターだ。

 

「まぁ、実際に体験してブレイン・バーストがどんなものか分かっただろ? 簡単に言うと現実の地形をベースにした対戦格闘ゲーム。平たく言えば『格ゲー』だな」

「あんな凄い技術で、どうして無駄にクオリティの高い格闘ゲームなんですか? もう意味が分かりませんよ……」

 

 如月の説明中でもゴウの頭には今朝の出来事が思い出され、拗ねたような口調になってしまう。

 期せずして起きたデビュー戦で、ゴウは顎に一撃食らってからは、頭がぐらんぐらんに揺れた状態で続けざまに相手から攻撃を受け、やがて【YOU LOSE】の文字が目の前に現れてしばらくすると、意識は現実の登校路に戻っていた。ゴウは数秒間放心してからはっと我に返り、そこでようやくグローバル接続を切ったのだった。

 

「無駄にね……ちょっと違うな。加速の為に対戦をしていると言うか、あるいはその逆か。人によって受け取り方は違うが、対戦こそがミソなんだよ。詳しくは直接会って加速した方がよさそうだ」

 

 昼休みの残り時間も少なく、如月が会話を締めようとしているのを察したゴウは、気になっていた質問をする。

 

「とりあえず一つだけ聞きたいんですけど、これアバターのデザインとかってどう変えるんですか? コンソール開いてもできないみたいで……」

 

 ダイブコール前に、昨日までデスクトップに存在しなかったアイコン、ブレイン・バーストのコンソール画面を開いてみたものの、アバターのステータス、対戦履歴、バーストポイントなる数字などは見られるが、どうやってもアバターのカスタム画面が出てこないのだ。

 ゴウに訊ねられた如月は、数珠頭が乗った首を傾げる。

 

「ん? あぁ。いや無理。デュエルアバターは変えられない。それはお前さんの分身だからな」

「えぇっ!?」

「昨日の晩、悪夢を見ただろ? あの時、プログラムがお前さんの深層イメージにアクセスして、お前さんの抱く願望、恐怖、強迫観念、劣等感なんかの諸々を基にして、デュエルアバターを創り出したんだよ。一人一人の感情や感性が素材だから、一つとして同じものはない」

 

 ──じゃあ、ずっとあの鬼型アバターを使わないといけないってこと? カッコ悪いとまでは言わないけど……。

 人並み程度しかゲーム経験のないゴウだったが、今まであらかじめキャラクターが決まっているわけでもないのに、アバター変更が不可能なゲームなど聞いたことがないので、一層落ち込む。

 

「そうしょげるな、その内に愛着が沸くもんだ。じゃ、後は放課後、昨日と同じ喫茶店の同じ時間に。無理ならメールくれ。それと、対戦を避けたい場合はグローバル接続を念の為切っておくように」

 

 如月は素早く要点だけ言うと、クローズド空間からゴウより一足早く消えてしまう。

 フルダイブから戻って目を開けたゴウは、めまぐるしい出来事の連続に大きく息を吐いてから、午後の授業の準備をし始めた。

 



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第四話

 第四話 対戦について学べ

 

 

 放課後。ゴウと如月は昨日と同じ喫茶店で、直結状態の思考発声で会話をしていた。

 中高生の世代では、直結ケーブルの長さが男女の親密度を表すなどという俗説まで流れる昨今において、会って五日も経っていない人間と直結をするなど、ゴウはこれまで想像もしていなかった出来事だ。もっとも相手は異性ではないが。

 人生は分からないものだと、ブレイン・バーストにおける加速と対戦の関係について如月から聞きながら、ゴウはしみじみと思う。

 如月はキャラメルフラペチーノを片手に説明を続けている。その容姿からは、どうにも似合わない光景だ。

 

『──というわけでバーストポイントが無くなれば、ブレイン・バーストは自動アンインストールされる上に二度と加速はできなくなる。それを防ぐ為にバーストリンカー、つまりブレイン・バーストプログラム所有者は戦っている……って聞いてるか?』

『は、はい! 聞いてます聞いてます! でも……その条件って厳しすぎませんか? 第一にアプリのインストールも、プログラムを持つ《親》がコピーインストールして《子》にできる一回に限られるなんて……。アンインストールされた人達が運営にクレーム入れて修正、とか今まで起きなかったんですか?』

 

 独特なルールだらけのブレイン・バーストだが、その中でも再インストール不可能については、あまりにもシビアだ。そんな状態でどうして運営はやっていけるのか、そもそもCMや宣伝すら聞いたこともないのに儲けがあるのか、と俗っぽい邪推までしているゴウに対し、如月はうむ、とだけ頷く。

 

『もっともな意見だな。だが運営に関して考えてもあまり意味はない。プレイヤーにほぼ干渉してこない上に、ゲーム内に広告は出ない、課金システム諸々の代金の請求も無い、謎だらけだ。もしかしたらこのゲームをしている時点で……話が逸れたな。とにかく、アンインストール後に《加速》なんて技術を周りに話しても信じやしない。……そいつには証明するプログラムもすでに無いわけだしな』

『えーと……じゃあ、ポイントがゼロになる寸前で教えたら……』

『有り得ないとは言わないが、やっぱり考え辛いな。バーストリンカーの条件の一つはニューロリンカーを生まれて間もなくから常時装着し続けた人間、要は子供しか存在しない。そして子供は自分が特権を持っている限り、それを必死で隠す。手放さない為にな。ブレイン・バーストの配布から約七年、今日まで世間に噂さえ流れなかったことが、それを証明している』

 

 ニューロリンカー第一世代の販売が十五年前、つまり最年長でも十五歳の人間しかバーストリンカーにはなれないのは分かるが、一体運営が何を考えているのかますます気になるゴウは、アイスコーヒーをストローでかき回しながらうーん、と唸る。

 

『それじゃ、とりあえずそのあたりの話は置いといて、これからポイントを得るために戦い続けないといけないんですよね。でも僕そんな自信は……』

『大丈夫だ。まさか最低限の指導もしないままで対戦になるとは思わなんだが、それも良い経験としておこう。さて、続きはお前さんのデュエルアバターを見てからだな。それじゃ加速してから俺のアバターの名前を選んで対戦してみな』

 

 再び朝の初戦闘を思い出して意気消沈するゴウは、如月に苦笑しながら励まされ、頷いた。

 

『はい、それじゃ……「《バースト・リンク》」

 

 コマンドは肉声で唱える必要がある為、思考発声から肉声に切り替えて、ゴウは周りに聞こえない程度の小声でコマンドを唱えた。

 途端に加速を知らせる音と衝撃が意識を叩き、景色が一面青に染まった《ブルー・ワールド》とも呼ばれているらしい《初期加速空間》から、グローバル接続をしていない状態での直結通信により、一つだけ表示されているアバター名に対戦を申し込む。

 その瞬間、世界が変わり始めた。

 

 

 

 本日二度目の加速世界の風景は、月が輝いていた一度目と異なり、真っ赤な紅葉がはらはらと散る、純和風といった白塗りの壁が立ち並ぶ景色となっていた。

 鬼のような姿のデュエルアバター《ダイヤモンド・オーガー》の姿になったゴウは、石敷きの小道をしばらく歩いていると、対戦相手の如月と思わしきアバターを見つけた。

 一言で表すと、歴史の授業で目にしたことのある僧兵。

 上半身には袖と丈がやや短い薄手の着物を、下半身は裾を括った厚手の袴を思わせる装甲をそれぞれ纏い、頭は布を巻いた頭巾に包まれ、目元以外はほとんど見えない。足と一体化している下駄の分を差し引いても、現実の如月と背丈はほぼ同じの長身だ。

 アバターの色は全体的に沈んだ色調の青色で、和服めいた装甲から覗く手首や足首、帯代わりに腰元と、各所に巻かれている数珠らしき装飾とアイレンズだけは、青みの強い(すみれ)色をしていて他の部分よりも際立っている。

 

「ここは《平安》ステージって呼ばれているフィールドだ。この姿とマッチしているから俺は割と好き。っと、改めてよろしく《アイオライト・ボンズ》だ。加速世界ではそうだな……『師匠』とでも呼んでくれると嬉しい」

 

 ゴウに気付いた如月が、わずかにエフェクトのかかった声で、アバターネームでの自己紹介をする。

 現実でもどこか只者ではない印象の人物だったが、デュエルアバター姿の如月は独特な威圧感を放っていた。長い年月を積み重ねた老僧の質素かつ厳かな雰囲気とでもいうのか……どうも上手く表現できないが、そんな気配を醸し出しているようにゴウには感じた。

 

「よ、よろしくお願いします、如……師匠」

 

 ゴウがぎこちない挨拶を返すと、如月はやけにじっと見てくる。

 ──そんなに僕の姿、変かな? 確かに身長からして現実とは違うけど……。

 ゴウが困惑する中、如月は何やら静かに呟いていた。

 

「……透明な装甲。でもあいつはもっと……」

「師匠? ……如月さん?」

「あぁ悪い、ちょっとな……。しかし金剛石、ダイヤモンドの鬼か、良いじゃんか。ハイカラだし、それだけで通り名になりそうだ」

 

 どうにもごまかされたように感じたが、とにかく今は当面の問題の解決をしなければならない。ゴウは気持ちを切り替えて、頭を下げる。

 

「それじゃ、えっと、ご指導お願いします!」

「そう硬くなるなって。さて、三十分って結構早いからな。まずは──」

 

 

 

 始めに《対戦》についての基本的なレクチャーを終え、続けて如月はアバターの特色について話し始める。

 

「アバターの色ってのは、それだけで大まかな戦闘スタイルが分かってくる。赤は遠隔系、青は近接系、緑は防御、黄色は間接って具合でな。もちろん例外だっていくらでもあるし、経験者であるほど、自分の一長一短を理解してカバーしようとする。俺も近接系で格闘タイプのアバターだが、遠距離タイプへの対抗策だって一応持ってはいる。それにステージや相手との相性によってはレベル差があっても、勝利は十分に有り得るもんだ」

「あの、このゲームのレベル上限ってどうなっているんです? 僕はレベル1、師匠はレベル8だから、単純に八倍のレベル差があるってことですか?」

「いや違う。現在バーストリンカーの最大レベルは9。ちなみに到達者は今までに八人存在していて、それぞれが巨大な《レギオン》──ネットゲームでのギルドだと思っとけばいい、そこのマスターを務めている。所属人数と治めている《領地》の規模から《王》なんて呼ばれていてな、仮に今のお前さんが二十人いたとして、この王一人を相手に一斉に迫ったところで勝機はゼロだ」

 

 如月は軽い口調だったが、アイレンズの奥は真剣で、とても冗談を言っているようには見えない。どうやらこのブレイン・バーストでは、レベルが1つ上がることはプレーヤーにとって、とても重要であるとゴウは理解する。

 

「そんなに凄い人達が……。じゃあ、師匠もどこかのレギオンに所属していたりするんですか?」

「いや、俺はどのレギオンにも所属していない。現在およそ千人いるバーストリンカーの中で、王達のレギオンに所属しているのはおよそ過半数を少し超える程度。残りはそれ以外の中小レギオンやソロで活動している。その中で俺はソロだが、一応つるんでいる奴らはいる。そのあたりは追々説明するがその前に……」

 

 如月はゴウの目の前に、びしっと指を二本立てる。

 

「差し迫った課題が二つある。まず一つはお前さんのアバター、ダイヤモンド・オーガーの性能の把握。次に今日対戦したムーン・フォックスと再戦して勝利する。できたら明日には」

「明日ぁ!?」

 

 あまりに急な話に、声が上擦るゴウ。

 

「今日こてんぱんにされた相手に、たった一日で勝てるわけがないじゃないですか! それにレベルだって──」

「さっきのは初心者と王の話であって、レベル1でもレベル2に勝てる可能性は十分ある。何よりもよ、悔しくはなかったか? 手も足も出ないまま一方的に負けてよ」

「っ……!?」

 

 如月にそう言われ、ゴウは言葉に詰まる。

 相手は格上、自分は対戦経験ゼロ、負けたのは当然だったし仕方がなかっただろう。だが本当は、いくら不意打ち(厳密には今回のは正面からだったが)を食らったとはいえ、相手に反撃一つできずに敗北したことに対して何も感じないほど、ゴウは達観も諦観もできていなかった。納得ができる落としどころを探し、心のどこかで言い訳をしていたのだ。

 そんなゴウの心境を如月は見抜いていたのだろうか。それとも目の前の僧兵にもかつてそんな経験があったのだろうか。

 

「……負け癖が付くと立ち直るのに時間がかかる。バーストリンカーってのは誰であれ、大なり小なり闘争心を持つものだ。その闘争心がデュエルアバターを動かす動力源になる。ダイヤモンド・オーガーを信じろ。自分の心が作ったアバターを」

「……僕は、勝てますか?」

「勝てる。もし自分を信じられないなら、俺を信じろ」

「僕が勝つ為に協力してくれますか?」

「もちろんだ。色々教えるのも《親》の務めの一つだからな」

 

 ──そうだ、まだたった一回負けただけじゃないか。僕自身、このアバターのことをまだ何も知らない。きっと自分だけの力が必ずあるはずなんだ。

 如月に心の本音を引き出され、ゴウはデュエルアバターの体に力が宿った気がした。

 

「僕……勝ちたいです。もう一度戦って、今度は勝ちたいです!」

 

 本心を吐露するゴウに、如月が微笑むようにアイレンズを細める。

 

「よく言った、それでこそ男だ。よし、まずは自分のアバターの特性を知らないと話にならん。インストメニューを開いて──」

 

 

 

 対戦の残り時間をアバターの性能の確認と相手への対策の考案に費やしたゴウは、その後にもう一度如月と対戦した。デュエルアバターでの体の動かし方を覚える為、如月に模擬戦と称してボコボコにされながらも(最後は《ドロー》にしてもらったが)、対戦を経験したことで、一応の自信は付いた気がする。

 対戦終了後、元の喫茶店に戻った時にはゴウの意志は固まっていた。

 

「ありがとうございました。明日の朝は必ず勝ちます!」

 

 帰り際に如月に礼を言うゴウは、対戦時間中に把握したダイヤモンド・オーガーの力なら、きっとムーン・フォックスに勝てるはずだと確信する。

 

「頑張れよ。まぁ、さんざん勝てと言っといて何だがな、本当に重要なのは楽しむことだ。月並みだがゲームは楽しくやらなきゃ意味ないだろ?」

 

 そう言って去る如月の後ろ姿を少し眺めてから、ゴウも自宅に向かう。

 帰りの道中、ゴウは自分でも不思議なほどにやる気に満ちていた。今まで周囲で喧嘩などの争いごとが起きたとき、『自分の決めたことは何があっても譲らない』という自分の悪癖(少なくともゴウ自身はそう思っている)が出ない限りは、波風立てないように事態を収めようとしていた。にもかかわらずゲームとはいえ、今は相手と闘うことをためらわずに倒そうとしている。

 自分は一体どうしてしまったのだろうか。結局ベッドに潜って眠る時になっても、ゴウにはその答えが出ることはなかった。

 



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第五話

 第五話 再戦と名前

 

 

「《バースト・リンク》」

 

 翌日ゴウは昨日と同じ時間に、朝の登校路を半分ほど歩いてからグローバル接続を行い、加速コマンドを唱えた。

 現実の土地をシステムが分割している《戦域(エリア)》。そんなエリア内で自分と同じくグローバル接続をしているバーストリンカーを表示するマッチングリストを確認すると、数人の名前が表示される。数が少ないこともあって、探していた名前はすぐに見つかった。

 ──よし。

 一度大きく深呼吸した後、昨日の雪辱を晴らす為にゴウは標的であるムーン・フォックスの名前を押した。

 

 

 

 対戦フィールドに降り立った瞬間、ゴウは全身に冷気を感じ、視界は一面が真っ白に包まれていた。空を覆うミルク色の雲からは細かい雪が降り、分厚い氷に変貌した建物を薄く覆う景色となっている。

 これは多分《氷雪》ステージというやつだ。如月が話していたステージの例にも当てはまる。

 ──あんまり良くないな……。

 雪は視界を阻害するほどの勢いではないが、ムーン・フォックスの装甲は白いので、この純白の世界では景色に溶け込んでしまうのだ。こういったフィールドによる補助的効果も対戦を左右する重要な要素の一つだと、ゴウは如月に教わった。

 幸い相手が十メートル以上離れていることを知らせる《ガイドカーソル》が出現しているので、少なくとも今は近くにはいないということだけは分かっている。カーソルは特に左右には動かず、真っ直ぐにこちらの正面を向いていた。

 向こうは正面から一直線に向かってきているのか、はたまた動いていないのか。ならば、とこちらもカーソルの指す方向へと歩き出す。

 しばらくして、表示され続けていたガイドカーソルが視界から消える。十メートル圏内のどこかにいるはずだが、フォックスの姿は見えない。氷の陰に隠れているのだろうか、とゴウが辺りを見渡していると──直後、後ろからこちらを刺すような気配を感じた。

 

「はっ!?」

 

 飛び出したフォックスの拳がゴウの左肩に当たる。わずかにダメージを受けるが、とっさに体を捻ったことで、装甲の薄い部分を狙ったであろう一撃のクリーンヒットは避けることができた。

 真後ろからの奇襲を防がれたことで、フォックスがわずかに感心したような声を上げる。

 

「へぇ、やるね。《氷雪》ステージでの初撃が決まらなかったのは久々だな。《親》からアドバイスでも貰ったの?」

「ま、まぁね。さすがに真後ろから来るなんて思わなかったけど」

 

 実際、如月に「敵の姿が確認できないときは必ず全方位を警戒しろ」と助言がなければ、今の一撃をまともに食らっていただろう。やはりフォックスにとってこのフィールドは得意な場所であるようだ。しかし、今のゴウには真っ向勝負なら勝てる自信は充分あった。

 

「……いくぞ!」

 

 今度はこちらの番とばかりに意気込むゴウは、フォックスに向かって突撃し、正拳突きを放つ。真正面からの馬鹿正直な一撃は当然避けられるが、それは想定内。狙いはフォックスではなく、後ろの氷塊だ。

 拳が直撃した氷塊を粉々に砕く。ゴウは砕けて手頃なサイズになった氷塊の一つを掴むと、フォックスに向けて勢いよく振りかぶって投げつけた。

 

「痛っ!」

 

 投げた氷は見事にフォックスの顔面へ当たり、小さな悲鳴を上げる相手の足を止めることに成功した。

 フォックスの体力が少しだけ削れたのを、ちらりと確認したゴウは距離を詰め、フォックスの左足を両手で掴んだ。

 

「ちょっ、何!?」

 

 むんずと(くるぶし)を掴まれ、驚きの声を上げるフォックスを無視し、ゴウはフォックスの左足を両手で思い切り引き上げ、フォックスの体を浮き上がらせる。

 

「う、おおおおおおっ!!」

 

 全身に力を込め、気合と共にフォックスをそのまま地面に叩き付けた。地面には雪が積もっているものの、大してクッションにはならずに、一割以上フォックスの体力ケージを削る。そのまま両手を離さず、もう一度フォックスを持ち上げ、再度地面に叩き付ける。

 レベル的に格下であるゴウが序盤から一気に優勢になったことで、周囲の《観戦者(ギャラリー)》からどよめく声が上がった。

 

「うおぉ、あいつすげーな。昨日と全然動きが違うじゃん」

「いや、足持ってガンガン地面にぶつけるってエグくね?」

「見てくれはそんなパワータイプには見えないけどな。何かタネでもあるのかな?」

 

 これこそ、昨日ゴウが如月と共に考え出した作戦だった。

 

 

 

「話を聞く限り、相手は近接戦闘主体のスピードタイプだな」

 

 昨日の対戦中にゴウがムーン・フォックスの特徴について伝えると、如月はそう言った。

 

「そうすると、どうやって相手の動きを止めるかが肝だが……そこは自分で考えな」

「えっ、自分でですか!?」

「そりゃそうだ、一から十まで俺が教えてどうする。戦うのはお前さんだろ。それに自分で考えて戦えないなら今回勝ったとしても先はない」

 

 ぐうの音も出ない正論だった。確かにこれから逐一如月のアドバイスに頼りきりになるわけにはいかない。それでもヒントくらいは……と思っていると、如月から助け舟が出された。

 

「……まぁ、実質初対戦みたいなもんだし、今回は俺の落ち度もあったから大サービス。一つお前さんに合った戦法を教えよう」

「ほ、本当ですか!? お願いします!」

「おう、勿体ぶってもしょうがないからな。いいか──」

 

 

 

 ──捕まえてぶん回す。成功しましたよ、如月さん! 

 荒っぽいの一言に尽きるが、これがダイヤモンド・オーガーにとって、有効な戦法であることは間違いなかった。

 対戦時に一通りの身体能力を見た如月が言うには、オーガーは一般的な近接系アバターだが、一つのアドバンテージである《アビリティ》を持っていた。

剛力(ヘラクリアン・ストレングス)》。それがダイヤモンド・オーガーに備わっていた《常時発動型アビリティ》だった。

 デュエルアバターは生身の人間の体より運動能力は遥かに上だが、《剛力》アビリティを持つオーガーの単純な膂力は、レベルが数段上の大型アバターにも引けを取らない、と如月は言っていた。

 ならば、同程度の体格であるフォックスなら、こんな芸当も可能だと考えたのだ。

 ──このまま一気に決める! 

 更に何度かフォックスを地面に叩き付け、勝利を確信し始めた直後。何か硬いものが凄まじい勢いでゴウの横っ面を叩いた。

 

「ぶっ!?」

 

 予想外の出来事に、ゴウは思わずフォックスの足を掴んでいた両手を離してしまう。

 左足は掴んでいたし、あの体勢では右足で蹴りを入れたとしても、そこまでの威力は出ないはずなのにどうして、と吹き飛ばされてから立ち上がるゴウは驚愕の光景を目にした。

 フォックスの尾が何倍にも膨れ上がっている。《氷雪》ステージに気温によって凍りついたかのように毛並みが逆立ち、硬質化していた。

 掴まれていた左足を軽くさすりながら、フォックスはこちらを睨み付けている。

 

「やってくれたね……。だいぶ食らったけどもう捕まらない。一気に決めるよ」

 

 声には戦闘当初まで見せていた余裕が完全に消えていた。膨らんでいた尻尾が元の大きさに戻り、ゴウに対して体を半身にして構える。

 現在フォックスの体力は残り五割、ゴウは八割強。

 ゴウも構えながら、こうなったら今度はあの尻尾を掴んで逃がさない、と考えながら相手の動きに備えた。

 今度はフォックスが先に真正面から突進してくる。視界から逃がさないように注視するが、フォックスはダッシュから一転、スライディングでゴウの足を蹴り飛ばした。

 そのままフォックスは再び巨大化させた尻尾を利用して、手も足も使わず体を起こすと同時に、驚く暇もなく前のめりに倒れるゴウの鳩尾へと、カウンター気味に抜き手を放つ。

 ゴウが後ずさりしながら痛みに呻いていると、再びフォックスに尻尾で吹っ飛ばされ、その先の氷壁にぶつかりようやく止まる。

 

「《ハント・ダイブ》!」

 

 フォックスの声がかすかに聞こえた。

 ――《必殺技》!? 

 仰向けに倒れるゴウがそう思った瞬間、フォックスは尋常でない跳躍をしていた。通常の垂直跳びとは比べ物にならない高さから、全体重をかけた拳が降ってきてゴウの腹へと直撃する。

 

「ごほぉっ!!」

 

 フォックスは拳をゴウから離し、素早く距離を取る。

 この一連の攻撃で、ゴウの残っている体力はあっという間に残り三割を下回っていた。一気に逆転されて心は焦るも、連続攻撃の痛みのせいか、体が動かない。

 気付くとフォックスの必殺技ゲージは、ほとんど無くなっている。どうやらあの尻尾の巨大化の仕組みは、《限定発動型アビリティ》によるものらしい。必殺技ゲージを消費することで武器に変貌し、強力な一撃を放つのだと遅まきながらに分析するゴウ。

 考えてみれば、散々こちらがダメージを与えたのだから、それに応じて必殺技ゲージが溜まるのは当然で、フォックスは脱出からの連続攻撃に使用する分のゲージを溜めるのに、敢えて自分の攻撃を受けていたのだ。

 逆の立場であったのなら、自分はそんなことにまで頭が回らないだろう。レベルが一つしか違わなくても経験が圧倒的に違う。いや、それ以前に相手の必殺技ゲージを意識するという基本さえできていないから、こうして倒れているのか。

 やはり無理なのか。如月からアドバイスを受けて、その作戦が成功したことで、どこか油断していたのだ。現実の自分にはない腕力を得て有頂天になっていただけ。

 どんどん思考が諦めに向かう中で、ゴウの脳裏に突如如月の言葉が響いた。

 

 ──『立ち上がって相手を見ろ』

 

 昨日二回目の対戦中、ゴウは如月にそんな台詞を投げかけられた。

 

 ──『対戦で相手は、予想外の動きと力でお前さんを倒しにかかるだろう。そのまま逆転できずに負けることも、これから何度だってあるだろう。だがな、体力ゲージがゼロになるまで、倒れたまま諦めることだけはするな。勝負の終わる最後の最後まで頭働かせて勝機を見出せ。忘れるな、それができたとき、お前さんは一つ強くなれる』

 

 はっと目を見開く。

 言われた直後、模擬戦で手も足も出なかったゴウはあまり真摯に受け止めてはいなかった。そんなものは何度か対戦を経験してから、段々と出てくるのだろうと思っていたからだ。しかし、今の状況がまさにこれだ。

 まだ体力は残っている。ここで諦めたらただ負けるだけで、自分は何も変わりはしない。ブレイン・バーストのインストールを決めた時、今の自分から変わりたいと思ったから、あの時YESボタンを押したのだ。

 ──だったら、ここでただ負けを待っているわけにはいかない!! 

 ゴウは意志の力で無理やり体を起き上がらせて立ち上がる。己の中の闘志はまだ残っている。この一戦を勝利する為に、再び頭を巡らせ始めた。

 残り時間は半分を切り、自分の必殺技ゲージはこれまでの戦闘でほぼ満タンだ。

 一方の姿の見えないフォックスは、必殺技ゲージが少し増えると同時に、どこからか何かが砕ける音がする。フィールドのオブジェクトを壊してゲージをチャージしているのだろう。

 何故動けなかった自分を無視してゲージを溜めているのか。そのまま止めを刺すこともできたはずだ。それをしなかったのは理由があるからではないか。

 昨日の初対戦ではフォックスは、尻尾も必殺技も使わなかった。顎に一撃入れた後、ふらつくだけのゴウが、徒手空拳だけで倒せると判断したからだ。しかし今回、満身創痍の状態のゴウを放置しているのは、おそらく自分を力任せに散々地面に叩き付けたゴウを警戒しているから。これは万全の状態で反撃を許さずに一気に止めを刺そうと準備しているということ。ゲージを溜めているのは、尻尾や必殺技以外では決定打に欠けると判断したということに他ならない。

 ──だったら勝機はある。まずは……。

 

「……ぉ、ぉおおおおおおっ!!」

 

 フォックスの注意を引く為に、雄叫びを上げたゴウにギャラリー達は注目し、フォックスもすぐに姿を見せた。

 

「まだやれるの? あれだけ食らったのにタフだね。まぁ、これで終わりだけど」

 

 フォックスは口調こそ普通だが、立ち上がるとは思っていなかったのか、驚きを隠し切れていない。

 そんな相手に、ゴウは敢えて挑発的な発言をする。

 

「相手に背を向けて離れるなんて余裕だな。それとも尻尾が膨らまないと不安でしょうがないのか?」

「……万全を期す為だったけど、そんなことも理解してないなら不要だったかもね」

 

 険の含んだ声でフォックスが答える。

 少しでも挑発の効果があることを祈りながら、ゴウは突撃していった。勢いを付けた拳はフォックスに避けられ、逆にカウンター気味にパンチを放たれる。ゴウはこれを腕の装甲で防ぐと同時に後退すると、眼前に迫っている巨大化した尻尾を、敢えて顔面から食らった。

 

「っぶ!」

 

 頭が衝撃で揺れる中、なんとか意識を保って片膝を着いた状態になる。これで体力ケージは残り二割弱。

 

「《ハント・ダイブ》!」

 

 ──来た! ここからは一か八か……決めるしかない! 

 一気に勝負を決めようと飛び上がるフォックス。この超高度からの落下の勢いに、全体重が乗った一撃を受けたら自分の負けだ。

 

「はああああああっ!!」

 

 気合と共に拳を振り下ろしながら落下してくるフォックスを、ゴウはぎりぎりまで引き付けると、タイミングを見極めて立ち上がると同時に、両腕を腰に構えた状態で迎撃体制を取った。そして、己の持つ唯一の必殺技を叫ぶ。

 

「《アダマント・ナックル》!」

 

 ゴウの上方に向けて放った左腕の正拳突きと、フォックスの右ストレートがぶつかり合う。一瞬の静止後、フォックスの右腕が凄まじい勢いで弾かれた。

 拳を一時的に硬化させて放つ正拳突き。それがダイヤモンド・オーガーのレベル1の必殺技だった。単純な上に、範囲は狭く派手ではないが、オーガーの《剛力》アビリティと高硬度のダイヤモンド装甲が組み合わさった一撃は絶大な威力を生み出す。

 満身創痍だったゴウに必殺技を迎撃されて理解が追い付かないのか、一瞬呆けた表情を見せて体勢を崩すフォックスの隙を見逃さずに、もう一度ゴウは叫んだ。

 

「《アダマント・ナックル》!!」

 

 ゴウはフォックスの顔面に、渾身の力で右の拳を叩き込む。

 二連続の必殺技によってフォックスは、体力が一気に減少しゼロになった瞬間、無数の破片になって爆散した。

 視界中央に【YOU WIN!!】と炎が文字を形作った後に、バーストポイント変動のリザルトが表示される。

 しばらくしてからゴウはようやく勝利を実感し、歓喜の雄叫びを上げるのだった。

 

 

 

「初勝利おめでとう、よくやったな。いやぁー、正直コンボ食らってた時は逆転負けすると思ったわ」

「ええぇっ!? そりゃないでしょう! 諦めるなって教えたのは如月さんじゃないですか! だからあんな必死に……」

「冗談だよ。あれは凄かったぞ、実際。ちゃんと自分で勝機を見出したのも良かった。対戦二回目で見事に成長したな」

 

 如月が対戦を観戦していたことは事前に知らされて分かってはいたが、それでも初勝利の興奮を伝えたくて、ゴウは朝のホームルームが始まる前に、如月にダイブコールで連絡を取っていた。結果的に会話開始数秒で気持ちが落ち着いてしまったが、それでも褒められたのは嬉しかった。

 

「でも、今朝みたいな対戦を何度も続けていくことになるんですよね……先は長いなぁ」

「まだまだこれから、始まったばかりだからな。お前さんはもっと強くなれるはずだ」

「強く……」

 

 たった一度の勝利。だがこの一戦は絶対に忘れることはないだろう。ゴウは如月に向かってもう一度頭を下げた。

 

「ありがとうございました、如月さん。僕、少し自分が強くなれたような、変われた気がします」

 

 ──なんか恥ずかしいな、これは言わなくてもよかったか……。

 ゴウがそう思っていると、数珠頭のアバターなので表情は分からないが、如月が居心地悪そうに、もぞもぞと体を動かしていた。

 

「あー……まぁ、そんな面と向かって礼を言われるとさすがに照れるな。あっ、それとな。今更だけど俺のことは名前で呼んでくれ。如月はなんか女っぽいからどうも好かん」

「別にそんなことはないと思いますけど……」

弥生(やよい)卯月(うづき)皐月(さつき)葉月(はづき)……。旧暦の月の名前は女子に付ける名前だろ?」

 

 照れ隠しなのか若干早口な如月に、ゴウは苦笑しながら頷いた。

 

「分かりました。これからもよろしくお願いしますね、大悟さん」

「おう、こちらこそよろしくな、ゴウ」

 

 こうして御堂ゴウは己の心が生み出した分身、ダイヤモンド・オーガーとして加速世界を歩み始めた。

 その名が《金剛鬼(アダマスキュラ)》の二つ名で知られるようになるのは、これよりまだまだ先の話となる。

 



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BG篇
第六話


 第六話 真夏の遭遇

 

 

 御堂ゴウが如月大悟と出会い、ブレイン・バーストを知ってから、もうすぐ四ヶ月が経とうとしていた。

 現在は八月上旬。夏真っ盛りの夏休み。学校から出た宿題は夏休み最初の頃にすでに終わらせ、ゴウはのんびりとした日々を過ごしていた。

 しかし、それは現実世界での話であり、ゴウは加速世界へ足繁く通っていた。もっとも夏休みに限っての話ではないが。

 ゴウのデュエルアバター、ダイヤモンド・オーガーは対戦を重ね、現在はレベル3にまで成長していた。バーストリンカーとなった当初のゴウの見立てでは、夏にはレベル5、6にはなっているだろうと踏んだが、それを大悟に話すと大爆笑をされてしまった。

 聞けば現在およそ千人いるとされるバーストリンカーにとって、レベル4は登竜門。レベル5、6でもソロプレイでは膨大な時間がかかり、レベル7、8ともなれば、大レギオンの幹部クラスに限られてくるそうだ。その先は現在のリンカーの上限、レベル9の王達しか存在しない。

 レベル上げの困難な理由の一つに、王達こと《純色の六王》による《領土不可侵条約》が原因となっている、と大悟はどこかつまならそうに話していた。

 大悟曰く、レベル9に到達した王達はこの条約により、『加速世界に安寧をもたらし、存続をさせる』というお題目の元、実質的に加速世界を停滞させてしまっているらしい。確かにレギオン下位のリンカー達の早期ポイント全損は少なくなり、勝率も安定するが、レベルを上げようとすればするほどに困難になってしまったのだという。

 当然ながらレギオン未所属の者にはそのメリットは存在しない上に、六大レギオンに所属するハイランカーはほとんど領土外から出てこず、獲得している領土内では《マッチングリスト遮断特権》の恩恵を得て、対戦の乱入を拒否できる。これにより多少の例外はあるものの、基本的には同レベル帯でせこせこ戦っていくしかないのだと大悟は締めくくった。

 だが、これとは別にゴウは現在、若干の伸び悩みを見せ始めていたのだった。

 ダイヤモンド・オーガーは、強固なダイヤモンドの装甲と見た目にそぐわない膂力を誇る《剛力》アビリティで、初戦以外は負けなしでレベル2となった。ブレイン・バーストプログラムのコピーインストール元の《親》にして師匠である大悟にも「大したもんだ」と褒められたこともあり、ゴウは今まで経験してきたどんな物事よりブレイン・バーストに熱中していった。

 しかし喜びは長くは続かなかった。レベル2になってしばらくすると、徐々に黒星が増えていったのだ。理由は単純で、要は他のバーストリンカーがゴウに対して攻略法を編み出し、弱点を突き始めたから。

 一つは遠距離攻撃に対応しきれていないこと。距離を詰めようにも肉弾戦が主体のオーガーは、特に遮蔽物の多い対戦ステージでは、相手に隠れられると探すのも一苦労で、その間に更に距離を取られて良い的になってしまう。

 もう一つは、オーガーの持つダイヤモンド装甲は絶対に砕けないわけではないということ。自身で調べてみたところ、ダイヤモンドというのは確かに存在する天然鉱石の中で最高レベルの硬度を誇るが、一定以上の衝撃には割りと脆く、角度や勢いによっては現実のダイヤモンドも、金槌を上から振り下ろされるだけで砕けてしまうこともあるそうだ。

 ダイヤモンド・オーガーの体もまた、ダイヤモンドの特性を多く有している為、切断、貫通系の攻撃に比較すると、打撃系の攻撃に弱い。相手のレベルが一つだけ上であっても、腕力特化の近接系の拳や防御重視の緑系の装甲、打撃系の武器に対して打ち負けることが増えていった。

 もちろんただ負けっぱなしではないのだが、中々連勝とはいかず未だレベル4には進めずにいる。

 大悟とはメールや通話で話すことはあっても、実際に会うのは週の休日に一回会うかどうかの頻度だった。同じ学校に通う生徒同士なのに、校内で直接話したことは未だに一度もない。

 これは基本的に、互いに他人として学校では過ごすと決め合ったからだ。厳密には、大悟によって半ば強制的に決められたと言った方が正しい。理由としては接点のない自分達が話しているところを、他の人間に見られるのは好ましくないとのことだった。

《リアル割れ》を防ぐ一環だとしてもやり過ぎのような気もするが、ゴウとしてはこういった秘密の共有や特別な関係などは新鮮で、嫌いどころか満更でもなかった。

 大悟と会う際には直結対戦(ゴウはこれを対戦のカテゴリには含めず、《稽古》と称している)もしているが、大悟はいつも具体的なアドバイスはせずに、「自分で知恵を絞れ」としか言わない。

 大悟のデュエルアバター、アイオライト・ボンズには一度として勝利することはおろか、ダメージも碌に与えることはできずに、敗北記録は毎回更新され続けている。いかにレベル差があっても、体力の半分も削れず、必殺技は避けられ、掴みかかっても手技で捌かれ、装甲で防いでも拳や蹴りで割り砕かれる。それが毎回というのは、やはりそれなりに応えた。

 もっと強くなりたい。

 今まで『自分自身を高める』などという行動はおろか、考えもしなかったゴウの中に、そんな思いが胸の中心に居座り続けたのはいつ頃からだっただろうか。

 ──今日はどうしようか……気分転換がてら他のエリアにでも行って……。

 今日の予定を考えていたゴウは、母親に呼ばれて思考が中断される。一度大きく伸びをすると、何かしらのお使いかなと思いながら、気だるく自室から出ていった。

 

 

 

「あっつい……」

 

 昼前でも夏の陽射しは容赦なく地上を照らす。四方八方から聞こえるセミの鳴き声と汗によって体に貼り付くシャツが、より一層に暑さを際立たせているようにゴウは感じた。

 帽子を被っていなければ、熱中症になってその辺でぶっ倒れるんじゃないかと思いつつ、ゴウは母からの頼み事を終えて、本日の予定を木陰のベンチで休みながら考えていた。わざわざ冷房の効いた家から暑い外に出ているので、さっさと帰るのも勿体ない気がして、何回か対戦でもしてから帰るかと思っていた矢先──。

 

「あれ? やっぱ御堂君だ。久しぶりー……って、夏休みなんだから久しぶりに決まってるよね」

 

 ゴウの通う中学校の制服を着た、ショートカットに茶色気味のやや明るめな髪色をした女子に声をかけられた。剣道の竹刀入れを肩に掛けているところから部活帰りのようだ。だが問題はそこではなく──。

 

「や、やぁ、久し振り。部活帰り? 大変だね」

「うん。もぉー、午前中なのに道場の中が蒸し風呂みたいでさー。今時エアコンも無いんだよ? 信じられる? 部活終わりにシャワー浴びたのにもう汗ばんじゃって。……それで御堂君は何してるの?」

「親のお使い。いま終わって休憩してたんだ」

 

 何気なく会話が始まってしまったが実はゴウ、この女子の名前を憶えていなかった。

 体育の時に合同クラスで同じ時間に受けているので、隣のクラスであることと、授業で班を組んだこともあったので、一応何度か会話はしているのだが、夏休み前にようやく自分のクラスメイト全員の顔と名前を憶えられたゴウにとって、他クラスの人の名前まで憶える余裕はなかったのだ。

 確か彼女の友人達に『ハスミ』とかなんとか呼ばれていた気がするが、おそらくは名前だろうし、あまり面識の無い女子にいきなり名前で呼べるほど、ゴウは社交的な性格ではない。

 どうにか相槌を打ちながら、会話もそこそこにして、さりげなく別れようとゴウは立ち上がった。

 

「じゃ、じゃあまた学校で……」

「あっ、ちょっと待って、御堂君も汗だくじゃん。あたしの家すぐそこだから麦茶でも飲んできなよ。水分摂らなきゃ熱中症で倒れちゃうよ?」

「……へっ?」

 

 

 

 ゴウは今の中学校生活に特段不満を抱いてはいなかった。

 クラスメイトの男子にはつるむ相手も何人かいるので、授業での組分けにあぶれもせず、女子とは友達とまではいかなくても普通に会話もできる。

 

 ──『ブレイン・バーストにのめり込み過ぎて現実を疎かにはするなよ?』

 

 大悟からそう忠告されたのは、知り合ってから割とすぐのことだった。

 現実世界にせよ加速世界にせよ、どちらも自分の人生であり、片方だけあれば良いというわけではない。要はいわゆる『ゲーム廃人』になるなと言いたかったのだろう。

 考えたくはないが、万が一バースト・ポイントがゼロになりバーストリンカーでなくなったとき、それまで進路を始めとした現実世界の生活を疎かにして、ブレイン・バーストに全てを費やしていたら、残りの人生は無残なものとなるのだろう。果てはひきこもりとして親に寄生しながら生きていき、親も亡くなれば最期は孤独死まっしぐら……。基本的に生真面目な性格のゴウはそんな想像してしまい、背筋が凍る思いに駆られた。

 だからとは言わないが、ゴウは勉強も友達付き合いもブレイン・バーストの為に蔑ろにしようとは全く思わなかった。むしろしっかり両立してやる、と意気込んでいたぐらいだったのだが──。

 

「さぁ、上がって上がって、そこ右入って座ってて。すぐに荷物部屋に置いてタオル持ってくるから」

「お、お邪魔します……」

 

 まさか、名前も碌に憶えていない女子の家に上がることになるとは思わなかった。

 玄関には他に靴が無く、家族は出払っているようだ。つまり二人きり、小学生時代でも女子の家に遊びに行ったことのないゴウはガチガチに緊張していた。

 ──落ち着け、何を変に意識しているんだ。別に女子の部屋にいるわけじゃない、家族が食事をするテーブルの席に座っているだけだ、こんなの対戦の緊迫感に比べれば何てこと──うん、やっぱダメだ。大体飲み物なんかその辺の自販機で買えば済むことじゃないか。よし、ここまで来てアレだけど……帰ろう! 

 ゴウは頭の中で何とも情けない決意表明をして、立ち上がろうと──。

 

「はい、タオル」

「ぅえぃっ!?」

 

 いきなり声をかけられて奇声を発してしまったゴウに、「変な声ー」とくすくす笑いながら女子は汗を拭く為のタオルを渡すと、手早く冷えた麦茶とお茶請けの煎餅を用意した。受け取った麦茶は火照った体を冷やし、醤油味の煎餅のしょっぱさも良い具合だ。二杯目の麦茶を貰ってからゴウは一息ついてお礼を言った。

 

「ありがとう。飲み物にお菓子までご馳走になっちゃって……」

「いいのいいの、貰い物だし、たくさんあるから気にしないで。夏は年々気温が上がってるから、昔の感覚でいるとすぐに熱中症で倒れちゃうって前に聞いてさ。なーんか心配になって家に上げちゃったけど、おせっかいだったかな?」

「そんなことないよ! すごく助かったよ、本当ありがとう」

「そう? よかったー」

 

 女子の屈託ない笑顔に、顔が赤くなるのを感じるゴウ。顔から目を逸らすと制服のワイシャツが汗ばんでうっすら下着が──この馬鹿野郎、と頭を振ってゴウは立ち上がる。

 

「ご、ご馳走様でした。じゃあ僕はこれで。今度何かしらお礼はするから……」

 

 その時、玄関からガチャリと音がした。どうやら家族の人が帰ってきたようだ。

 丁度良い、軽く挨拶とお礼をしていこうとゴウが台所の入口に視線を向けていると、買い物袋を両手に持った、汗だくの背の高い男性が入ってきた。鍔の付いた帽子に半袖Tシャツ、ジーパンのラフな格好。どこか見覚えが──。

 

「ふぅー、ったく暑いったらねえな。あぁハスミ、ちょっと麦、茶、を……?」

 

 被っていた帽子を取ってこちらを見た男性は、ゴウを見て言葉が途切れ途切れになる。

 

「はいはい、麦茶ね。はいどーぞ。あっ大兄(だいに)ぃ、こちら隣のクラスの御堂君。御堂君、こちらあたしの兄。こんなナリして中三なんだよ。しかもうちの中学の」

 

 素早く用意したコップに麦茶を注ぎながら笑う女子こと如月さん。

 ゴウと大悟は数秒間お互いを見詰めてから、何とも言えない表情で挨拶をした。

 

「「……どうも」」

 



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第七話

 第七話 師弟でお出かけ

 

 

「……世間は狭いな」

「ですね……」

 

 ゴウは大悟と、彼の自室で向かい合って座っていた。

 大悟との予想外の対面後、驚きのあまり呆然とする二人を見て、初対面ではないと察したらしい大悟の妹、蓮美(はすみ)に「せっかくだしお昼食べていかない?」と勧められ、蓮美が茹でた山盛りのそうめんを三人で食べることになった。

 食事中にゴウと大悟の関係を知りたがる蓮美に対し、大悟が「ゲーム仲間だ」という一応嘘ではない説明をすると、幸いにもゲームにあまり興味のないらしい蓮美はそれだけで納得したようで、それ以上深く質問されることはなかった。

 ほとんど兄妹の会話を聞きながら、振られた質問にゴウが答える形で昼食は終了。ちなみに六人前はあった、薬味を揃えたそうめんは十分もしない内に食べ終えた。大柄な大悟は元より、蓮美も部活動後だったこともあってか、ゴウよりもずっと多くそうめんを食べていた。兄妹揃って健啖家なのだろうか。

 そうして、大悟の自室に連れられ今に至る。ちなみに蓮美は、そうめんを茹でたのと部活からの帰宅でまた汗をかいたから、と言ってシャワーを浴びている。

 

「しっかし、妹と同学年なのは分かっていたけど、まさかの知り合いとは……。いや、知り合いなら如月なんて苗字そうそう聞かないし、妹いますか? とか質問されるもんとばかり思っていたからなぁ。てっきり面識は無いと……」

「はぁ……でも隣のクラスで、合同授業で会う程度ですし。さっきまで、あー……蓮美さんの苗字も思い出せなくて」

 

 大悟の言うように確認も兼ねてそれくらいの質問はするべきだったし、家に案内された時に表札を見るべきだったのだろうが、あいにく苗字も憶えていなかった今のゴウが、大悟と蓮美が兄妹と結び付けるのは、今回の遭遇がなければまず不可能だったろう。

 

「まぁ、現実(リアル)の情報は漏らすなと教えたのも俺だしな。しっかし、特に友人でもない奴を家に連れてくるかね、あのバカ。……しかも男子を」

「あ、あははは……。そ、そう言えば蓮美さんはバーストリンカーじゃないんですよね? ブレイン・バーストの存在自体知らなそうでしたし」

「まぁ親兄弟でも教えてもしょうがないし、どこから他のバーストリンカーにリアル割れするか分かったもんじゃないからな。それにあいつ、ニューロリンカー着け始めたのが遅いんだ。だから最初から適正がないのは分かっていた。ゲームアプリに興味ないし、普通に体を動かす方が好きらしい。そもそもうちの学校、他にバーストリンカーいないだろ?」

「えぇ、そうなんですけど……」

 

 バーストリンカーのほとんどは東京の、それも二十三区にほぼ密集している。それでも二十三区に存在する同年代の子供と相対すれば、一つの学校に一人いることさえ何百分の一の確率、つまり絶対ではないにしても、そうそう出遭うことはないのだ。

 ゴウもバーストリンカーになった当初はマッチングリストを確認することで、学校には自分と大悟しかバーストリンカーが在籍していないことは把握していた。

 ──にしても、僕と蓮美さんが同学年だと知ってたって……。それこそ言ってくれればいいのに。

 あまりに驚かされてばかりなので、若干の卑屈気味なことを大悟に対して思ってしまうゴウ。

 そんなゴウの心境も露知らずといった様子の大悟はちなみに、と付け加える。

 

「分かっているだろうが、確かに今の俺らの学校には、俺とお前さんの二人しかバーストリンカーがいない。だが転校生や来年に新一年生が入学したら、そいつらがバーストリンカーの可能性がなくもない」

「もし学校が他のバーストリンカーと同じだったらどうするんですか?」

「んー、お互いのリアルが割れちまうからなぁ。互いに不干渉を貫くか、形だけでも同盟を結ぶか……。最悪、ポイント枯渇しかけの片方か、あるいは両方がリアルアタックする可能性もありはするな。まっ、少なくとも当面は問題ないだろ」

 

 さらっと恐ろしい事実を教えられ、血の気が引くゴウ。どうも自分が知る以上に綱渡り気味の状況を歩んでいるらしい。

 ──というか、この数十分で知らなかった情報が増え過ぎてちょっと処理しきれない……。

 

「ところでどうだ戦績の方は。ぼちぼちやってるか?」

「あ、はい。大体の勝率は五、六割くらいです。でも相性が悪いとどうも……」

 

 ゴウの勝率を聞いてから、うーむと唸って黙り込む大悟。

 早くも成長が停滞気味の自分に失望してしまったのかと心配するゴウだったが、大悟はすぐに両手でぱしんと自分の両膝を叩いた。

 

「よし。ゴウ、この後予定あるか?」

「え? いや、特にないですけど」

「じゃあ出かけよう。ちょいと早いかもしれんが、まぁ良い経験になるだろ」

「えっと、どこに行くんですか?」

「良いとこ」

 

 予想外の展開に戸惑うゴウをよそに、身支度を始める大悟。

 仮想デスクから蓮美にメッセージを残したらしい大悟は、そのまま部屋を出て、ゴウに付いてくるよう促してくる。

 蓮美に一言挨拶をしたかったが、まだ浴室から出ていなかったようなので断念。仕方がないので、彼女には夏休み明けにもう一度お礼を言うことにした。

 

 

 

 昼を過ぎ、より気温が上がった歩道を黙々と歩き続ける大悟とゴウの二人はやがて、駅に到着してそのまま電車に乗る。

 行き先を訊ねるゴウに、大悟は「着いてからのお楽しみ」とはぐらかすだけだった。

 大悟の意図がさっぱり分からず、一度乗り換えも挟み、電車に揺られること数十分。降りた駅は秋葉原だった。台東区なので確か黄色のレギオンの領土に含まれていると、ゴウは記憶している。

 ゴウは加速世界の対戦エリアの内、自宅がその範囲内に含まれる、どのレギオンの領土でもない《中立エリア》、又はバーストリンカーの人口が少ない為に《過疎エリア》とも呼ばれている世田谷区の他には、隣接する世田谷同様の中立エリアの大田区、緑のレギオンの領土である渋谷区、目黒区での対戦が主だった。それらよりも遠い台東区に来たのはこれが初めてだ。

 駅からメインストリートに入ると、人の海と無数の小規模ショップにゴウは圧倒された。夜になればネオンライトよって、更にカオスな光景になるのだろう。人にぶつからないよう必死に大悟の後ろをしばらく歩いていると、大通りから少し裏に入った所でようやく大悟の足が止まった。

 

「お疲れ、ここが目的地だ。中をもう少し歩くが」

「ここが……?」

 

 足を止めたのは大音量の電子音が内部から漏れている、一際うるさいビルだった。入口には《QUADTOWER》と今は点灯していないネオン照明で表示されている。

 

「ゲームセンター、いわゆるゲーセンだな。もっとも目的地はゲーセンじゃないが。薄暗いからはぐれるなよ」

 

 大悟と共に店内に入ったゴウは、一瞬であらゆる音に聴覚を刺激された。巨大な筐体、一昔前のゲームマシンが立ち並び、あらゆるBGM、効果音が大音量で流れる中、プレーヤー達が夢中で筐体を操作している。長時間いると耳がおかしくなりそうな空間で、初めて見る光景に圧倒されながら、一番奥の壁面に設置されたエレベータへと辿り着いた。

 大悟と共に入り上昇。エレベータの扉が開くとこれまでとは打って変わり、フロアは静まり返っていた。パネルで仕切られた狭い個室、これと似た光景にはゴウも見覚えがあった。小学生時代に数回だけ入ったこともある《ダイブカフェ》だ。

 フルダイブ用の個室を提供する店だが、世田谷にもダイブカフェは探せばすぐに見つかるだろう。わざわざ秋葉原にまで行く理由は何なのか。

 大悟は無人カウンターで受付を済ませ、壁際のドリンクバーで飲み物を入れたコップを二つ持つと、「こっちだ」と案内する。終着点はペアシートの個室だった。

 机に飲み物を置き、リクライニングチェアに体重を預けた大悟に、再度ここに来た理由をゴウに訊ねる。

 

「それで……ここで何をするんですか?」

「ここでしかできないこと。今からフルダイブするからアバターを適当な、現実のお前さんとかけ離れた姿のやつに設定してくれ」

 

 大悟に言われるままに、隣の椅子に座るゴウは現在のアバターを、別の適当なアバターへと変更する。

 

「えーっと……できました」

「よし。フルダイブしたら《アキハバラBG》ってタグのアクセスゲートに潜ってくれ。目立たないから見落とさないようにな。いくぞ」

「え? あ、はい」

「三、二、一……」

「「《ダイレクト・リンク》」」

 

 フルダイブ後、重力が消失する感覚の中で、ゴウは暗闇で派手な広告が並ぶ片隅に《アキハバラBG》とぽつんと表示された目立たないタグを見つけた。確かに大悟に言われなければ見落としていたかもしれない。

 円形ゲートに吸い込まれ、再び重力が戻ると、硬質な床に足が着いたのを感じた。

 周りを見渡すと、RPGの酒場のような場所にいた。ただし床や壁、テーブルなどの内部や調度品が鉄板や金網、赤錆気味の金属類で構成された、少しばかりダーティーな雰囲気の漂う場所だった。その中でちらほらと自分以外のアバター達の影が見える。

 一番特徴的だったのは、中央の四角い吹き抜けの空間に天井から鎖にぶら下げられた巨大四面モニター。薄暗い酒場内なので目立つディスプレイを、ゴウは普段のアバターから変更した、全身が角張ったロボット型アバターの姿で目を凝らす。

 

「名前に……時間? それに……」

「この時間に対戦するアバターの名前とレベル、その後ろについている数字はオッズだ」

 

 大悟が後ろから声をかけてきた。振り返ると、アバターはいつものスーツ姿だが、数珠の珠になっているはずの頭には何故か虚無僧(こむそう)のような深編み笠を被っている。変装のつもりなのかとゴウはツッコミたくなるのを堪え、どうも加速世界に関係していることだけは理解できる空間を再度見渡した。

 

「ここ、加速空間じゃないですよね? でも他のアバターも僕らと同じバーストリンカー……?」

「その通り。そもそもこのローカルネット内は、このビル内でバーストリンカーだけが接続できる空間だ。それ以外の人間はタグすら認識できないようになっている。最初にブレイン・バーストをインストール成功した場合に見える炎の文字と同じ技術らしいが……そのあたりの原理は俺もよく知らん」

「えーと、結局ここは何をする場所なんですか?」

「ここは《アキハバラBG(バトル・グラウンド)》。王達さえ介入できない絶対中立エリア、バーストリンカー達の《対戦の聖地》だ」

 

 ゴウは大悟が顔の見えない編み笠の中で、口角を吊り上げて笑ったような気がした。

 



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第八話

 第八話 アキハバラBG

 

 

「アキハバラBG……。対戦の……聖地?」

 

 ゴウの疑問しかない呟きに、大悟が頷いた。

 

「そう、ここはこのゲームセンター《カドタワー》内で接続したバーストリンカーが訪れ、賭け試合をする場所だ。まずここのカウンターで選手登録をして──」

 

 大悟の『賭け試合』というワードに、以前見たことがあるローマの闘技場(コロッセオ)の映像をゴウは思い出していた。遠い昔には闘技場で戦士が他の剣士や猛獣と戦い、貴族達はどちらが勝つか賭けをしていたという。貴族の奴隷でもある戦士達に拒否権などなく、死ぬまで戦わされていた……と解説があったような──。

 

「──おい、何で青ざめてんだ? 続き、説明するぞ。確かにここじゃリアルマネーを賭ける奴もいるが、ファイトマネーは勝てば五百円。賭ける側は三百円が上限だ。子供の小遣いじゃその程度、可愛いもんだろ?」

 

 ゴウとしては金額はともかくとしても、リアルマネー賭けているだけでも随分アンダーグラウンドな感じがする。

 

「じゃあ、ここでマッチングリストを開いて対戦をするんですか?」

「少し違うな。ここでは選手登録をしたバーストリンカーを、ここのシステムがレベルや相性を選んで、試合時間とオッズがあのでかいモニターに表示される。それで賭けたい奴は時間までにベットする。選手は時間直前に、どちらかが加速して対戦をする。基本ルールはそんなとこだが、マッチメイクされた選手以外の奴が他の奴に対戦挑むのはアウト。それをした奴はここの用心棒に対戦で叩きのめされて、ネットからも追い出されて出禁を食らう」

「なるほど、一応厳正なルールがあるから《聖地》なんですね?」

「そうだ。ここの対戦は自分も相手も対戦相手を選べないのが醍醐味(だいごみ)でな。お前さんが少しばかり煮詰まってるみたいだから、違う環境で気分転換でもと思ってな」

 

 どうやら大悟は自分の為に、はるばる秋葉原まで連れてきてくれたらしい。

 そんな心遣いにゴウは胸にじんと熱いものを感じた。大悟は具体的な成長方法を教えずとも、決して蔑ろにしているわけではなく、しっかり目をかけてくれているのだ。

 ゴウはほんの一瞬でも中世の戦士よろしく、ここに売り飛ばされるんじゃないか、と思ったことは胸の内にしまっておくことにした。

 

「じゃあ、まずは登録からだ。運が良けりゃ三試合はできるぞ」

 

 大悟に連れられ酒場の奥のカウンターに辿り着くと、ゴウはカウンター前に並ぶ椅子へ腰かける大悟に(なら)って座る。大悟が鉄板のカウンターに軽くノックをすると、カウンターの向こうから鉄縁(てつぶち)眼鏡をかけ、大きな蝶ネクタイを締めた髭もじゃのドワーフが顔を覗かせた。

 ドワーフのアバターは座っている二人を順に見ると、胡乱気(うろんげ)な声を出す。

 

「……見ない顔じゃな。アバターを変えた誰かか、それとも誰かからここを教えられたか……どっちかね?」

「久し振りだな、《マッチメーカー》。ここには随分前からとんと来てなかったが、俺の声まで忘れてるなんて冷たいじゃねえか。えぇ? ……これで思い出すか?」

 

 大悟は被っていた深編笠を、マッチメーカーなるドワーフにだけ見えるように、前方をくいと上げた。ゴウのいる角度からはほぼ見えない、笠の中の数珠頭をマッチメーカーは目にした瞬間、眼鏡の奥の目を見開いて、口をあんぐりと開けた。

 

「ぼ、ボンズの旦那……ど、どうしてここに? いや、別に悪かないんじゃが、あんた何年もここには来なかったから、その、予想外での……」

 

 傍から見たゴウでも分かるくらいに、マッチメーカーは明らかに動揺していた。それでも中身が自分と同年代のはずなのに、キャラクターの口調が変わらないのはさすがというべきか。

 

「あの、師匠。こちらの人は……?」

「こいつはマッチメーカー。あぁ、アバターネームじゃないぞ。ここの事務作業をやっている奴だ」

「なんかちょっと、困っているように見えるんですけど……」

 

 最後の方は大悟にだけ聞こえるように、小さな声で質問するゴウ。互いに顔見知りのようだが、どうもマッチメーカーだけが慌てているというか、浮ついているというか、しどろもどろとして落ち着かない様子だ。

 

「昔いろいろやってな。それでも別に出禁食らうような真似はしちゃいない」

 

 大悟が肩をすくめると、ややぎこちない様子でマッチメーカーが、ゴウと大悟に仮想のカクテルを差し出した。自分はタンブラーを傾け、中の液体を気付け薬のようにぐびりと呷る。

 

「せっかく来てくれてなんだがね、今日いる連中じゃあ、あんたと試合できるくらいの腕っぷしの立つ奴はいないよ。二人がかりでもどうか……それともこちらの舎弟を連れて賭けに来たのかね?」

「安心しな、俺は闘わねえよ。それとこいつは舎弟じゃない、そもそもそんなのいたことないしな。こいつは俺の《子》さ。こいつの選手登録をしてほしいんだ」

 

 そう聞いたマッチメーカーは呷っていたタンブラーの中身を噴き出した。周りが何事かと視線を向けたが、咳き込むマッチメーカーは手を振るジェスチャーで大丈夫、と知らせる。

 大悟は気にした様子もなく平然と笠を口元まで上げ、鮮やかな水色のカクテルに口をつけていた。

 ──頭が数珠なのに飲めてるのかな? 口元濡らしてるだけなんじゃ……。

 そう思いつつ、ゴウも初めて見る仮想カクテルを飲みながら(カクテルは今まで口にしたことのない奇妙な味がした)、二人のやり取りを見ている。

 どうやらマッチメーカーは、大悟が《子》を作ったことにひどく驚いているらしい。

 以前からゴウは大悟に、自分が《親》であることを周りに明かさないように言われていた。故に自分の対戦時や他のバーストリンカー達の対戦のギャラリーとして観戦している時にも、《親》が誰かを聞かれても教えることはなかった。大悟に理由を聞いてもはぐらかすだけだったので、そこまで言いたくないことならと、それ以上の追及はしなかったのだ。

 ようやくむせていたマッチメーカーが呼吸を落ち着かせ、ゴウを見てから周りに聞こえないように声のトーンを落とす。

 

「すまんね、ゴホッ……ちと驚いての……。いやぁ、まさか旦那が《子》を持つとはのぅ。それでこのロボットはどこの誰かね? あんたの拠点が世田谷方面だから、その辺りの奴か?」

「こいつはダイヤモンド・オーガー、レベルは3だ。聞いたことは?」

「ほぉー……! 世田谷に出る《鬼》かね、何度か耳にしたがあるよ。なんでも見た目にそぐわない怪力だとか、遠隔系なら近寄らなきゃ怖くないとか、ダイヤモンドなのに案外簡単に装甲が砕ける、とかの」

 

 前半はともかく、後半のマッチメーカーの言葉がグサグサとゴウに刺さる。自分が気にしている点は、情報として周りには駄々漏れらしい。

 

「選手登録はしておくよ。まぁ、すぐ決まるじゃろ。しかし《荒法師(あらほうし)》の《子》が鬼とは……」

「《荒法師》?」

「聞いたことないんか? この旦那はな、昔はその暴れっぷりから他のバーストリンカーからそりゃあ恐れられて──」

「要らんこと言うんじゃねえよ」

 

 マッチメーカーの口元をがっちり掴んで黙らせる大悟。むぐぐと唸るマッチメーカーをすぐに離し、溜め息交じりにそのままゴウの方に向き直った。

 

「……これまで俺が自分について話さなかったのが何となく分かっただろ? 今の中堅以上のバーストリンカーは大概俺のことを知っていてな。お前さんが変な色眼鏡で見られるのを避ける為に一応隠しといたんだ」

「そこまでしなくても……」

「何もずっと隠し続けるつもりじゃなかった。ただ、レベル4になるくらいまではと思ってな」

 

 普段より少し穏やかな口調で大悟が語る。必要以上に情報を漏らさないのは、自分をちゃんと思ってくれてのことだと理解はしても、ゴウは嬉しさと同時にどこか寂しさも感じていた。

 ──この人に守られるだけじゃない、一緒に肩を並べられるくらいに強くなりたい。その為にはまず──。

 

「良い関係じゃな、お二人さん。どうやらワシの知る昔のあんたとはちと違うみたいだの、旦那」

 

 二杯目のカクテルを差し出すマッチメーカーに、大悟は「登録よろしく」とだけ言うと、カクテル片手に向こうのテーブルに歩いていってしまった。

 追いかけようとしたゴウは、マッチメーカーに「ちょいと」と声をかけられて立ち止まる。

 

「いいファイトを期待しとるよ、若いの」

 

 そうしてぐっと親指を立てた後、ドワーフはカウンターの奥に引っ込んだ。

 

 

 

 テーブル席に移動したゴウと大悟が巨大な四面モニターをしばらく眺めていると、ダイヤモンド・オーガーの名前が表示された。

 対する相手は《グレープ・アンカー》。聞いたことのない名前だが、レベルは4で数値的には格上となる相手だ。色からして《近接の青》と《遠隔の赤》の中間色。中距離型なら一気に距離を詰めれば、レベルは上でも勝機はあるはずだが──。

 

「オーガー」

 

 ゴウがまだ見ぬ対戦相手を分析していると、不意に大悟から声をかけられる。

 

「はい?」

「せっかくだから、特別にアドバイス。お前さんはもうレベル4並の実力はあるはずだ。いま必要なのは『力』じゃない、『見極める』ことだ」

「見極める……?」

「せっかくの違う環境での対戦、あまり固くならずに楽しんでな。そろそろだぞ」

 

 大悟のアドバイスについて考える内に試合開始時刻が一分前になった瞬間、加速開始の電子音がゴウの頭の中いっぱいに広がった。

 



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第九話

 第九話 楽しむこと

 

 

 試合が始まりゴウが降り立った場所は、硬質で青黒いタイルが敷き詰められた歩道だった。建物群の合間には濃い霧が流れていて、怪しくも荘厳な雰囲気を醸し出している。ここは《魔都》ステージ、建物が非常に硬いのが特徴のステージだ。

 対戦相手の姿は見えず、水色のガイドカーソルの方向にゴウは向き直る。相手の動向に気を張りつつ、大悟の言葉を反芻していたが、やはりピンと来ない。

『見極める』

 言われなくても、戦闘中はもちろん相手の動きに逐一対応できるように気を配っているつもりだ。一体自分には何が見えていないというのだろうか。

 そうこうしている内にカツン、カツンと足音が響き渡り、対戦相手が真正面から姿を見せた。

 今回の対戦相手であるグレープ・アンカーの第一印象は、昔絵本アプリで見たことがある海賊船の船長のようなM型アバターだった。アバターカラーは名前の通り、葡萄(ぶどう)色を基調にした色合いで、頭に被った海賊帽型のヘッドアーマー、右目には眼帯、襟を立てた外套に磨かれた長靴(ちょうか)。左腕には鉤型のフックよろしく、船の錨らしき物が装着されている。《アンカー》の名の通り、あれがメインウェポンなのだろう。

 不意打ちもせずに堂々と姿を見せたのは作戦か、はたまた余裕からか。そんな海賊アバターはゴウをじっと見ると、唐突に口を開いた。

 

「宝……」

「……?」

「宝だ! 目の前にはダイヤモンドを纏うアバター! 海賊である俺様と宝そのものである貴様が出会ったのは偶然か? 否! 必然であるぅ!!」

 

 ──()っ! キャラが滅茶苦茶に濃い! 

 バーストリンカーにはリアル割れを防ぐ一環として、又は現実の自分とは違う面を出す為の娯楽として性格(キャラクター)を作る者もいるが、アンカーは今まで出会った対戦相手の中でもぶっちぎりのインパクトだった。

 初対面で呆気に取られてしまったゴウだが、頭を戦闘状態に切り替える。

《魔都》ステージはオブジェクトも硬いので、壊して必殺技ゲージを溜めるにはかなり骨が折れる。加えて音が響くので、敵に位置を知らせやすい。

 アンカーのゲージは自分同様に空だ。見るからに武器である左腕の錨に注意を払いつつ、ショートレンジで一気に決める。

 そんな作戦方針を固めたゴウは、アンカーめがけて一気に走り出した。

 

「挨拶もなしに突撃か。よろしい!」

 

 声を張り上げるアンカーの左腕がゴウの前に出された瞬間、装着されている錨が勢いよく発射された。錨の尻にはアンカーの左手首と繋がる鎖が伸びている。

 ゴウは左前方に跳んで避けつつ、勢いを殺さずに突進を続行。眼帯を付けて死角になっているはずのアンカーの右側から拳を突き出す。

 

「──ふっ!」

「なんのぉっ!」

 

 アンカーは右腕でゴウの拳をガードしてきた。

 それでもアンカーの体力はわずかに削れたが、ジャストタイミングでガードされたことにゴウは驚く。視界の死角から狙ったはずだが、自分の動きを読んでいたのだろうか。ふざけた言動をしていてもさすがにレベル4、そう簡単には──。

 

「んん、良い拳だ、さすがはダイヤの腕。しかし、この眼帯による死角から攻めてくるのは読めていたぞ。だぁが残念! この眼帯はな、ちゃあんと周りが見えているのよぉ! これを《ショップ》で見つけた時、それはもうある種の運命かと──」

 

 ──声がでかい! この距離だと尚更……しかも聞いてもいないことまでベラベラ喋るなこの人! 

 それでもガードされた理由も勝手に話してくれるので、まぁ良しとしようと思った矢先、背後からじゃらりと音がした。ゴウは後ろから迫る錨をとっさに避けようとするが、脇腹を尖った錨の端が削る。

 

「うぐっ……」

 

 バックステップで距離を取るゴウは、アンカーの追撃を警戒し、いつでも防御態勢を取れるように腕を上げる。

 ところが、錨を左手に戻したアンカーは追撃もせずに、ゴウからわずかに削れたダイヤモンド装甲を拾って眺めているだけだった。しげしげと装甲の欠片を眺めていたアンカーだったが、やがて欠片はオブジェクトとしての寿命を失い、ポリゴン片となって消える。それを見ていたアンカーは、がっくりと肩を落として消沈した。

 まさか拾ったダイヤが消えたことに嘆いているのか。そんな様子を見ていたゴウはとうとう耐え切れず、アンカーに向かって叫んだ。

 

「あんた、一体何がしたいんだ!? アバターの装甲の破片を拾ったって、自分の物になるわけがないだろ! なのに宝だとか何とか……」

 

 自分でも驚くほど感情的な口調で問い詰めるゴウをじっと見つめるアンカーは、呆れたように鼻を鳴らすだけだった。

 

「分かっていないな、そんなことは百も承知だ。だが海賊である俺様が宝石に魅かれ、失われた宝石に落胆するのは、ごく自然のことだろうが。俺様はな、このブレイン・バーストにおいては『海賊』として楽しもうと決めているのだ。それよりも貴様、何故そんな追い詰められているように闘う? ポイントに余裕が無いのなら、地元で相性の良い相手を狙って稼げば良いだろう。どんな相手と当たるかも分からない、このアキハバラBGにわざわざ来る必要もないはずだ」

「楽しむ……」

 

 アンカーの自論はゴウには理解し難いが、確かに彼は生き生きとして戦っているように見える。

 勝つ為だけに戦うのとは違う、これが大悟のよく言っている『楽しむ』ということなのか。それをこの一戦で見極めようとゴウは決めた。

 

「よくは分からないけど……でも動きが固くなっていたのは認める。頭を冷やしてくれたのには礼を言うよ」

「ん? どうも勝手に納得したようだが……まぁ良い。かかって来ぉい!」

「言われなくても!」

 

 今度はゴウが接近する前にアンカーが錨を発射した。かかって来いと言っておきながら、自分から攻撃してくることに対して文句の一つでも言いたくなるが、ゴウは錨を回避して、錨に繋がっている鎖を右手でがしりと握った。だが、発射された錨の勢いは止まらずに、引っ張られて足が地面から浮き上がってしまう。

 ダイヤモンド・オーガー自慢の《剛力》アビリティも、力を込める前に腕が伸びきり、両足が地面から離れては発揮のしようがない。アバター一体分の体重が加わっても勢いが止まらない錨は、かなりの威力を持つことが窺えるが、それでもゴウは鎖を離さなかった。

 やがて錨は硬質な建物群の一つに直撃した。錨本体は頑丈な《魔都》ステージの建物の壁に、硬質な物体同士がぶつかる耳障りな音を立てながら半分ほど突き刺さる。

 ゴウはようやく停止した錨の鎖を、綱引きの綱のように思いきり引っ張った。

 

「おぉ……らぁっ!」

「ぬおぅ!?」

 

 さすがに驚いた様子のアンカーが鎖と繋がっている左手を前に、地面に平行の状態ですっ飛んでくる。

 ゴウはそのまま飛んできた無防備なアンカーの腹に蹴りを入れた。見事にクリーンヒットし、アンカーの体力を一気に二割削ることに成功する。

 腹を蹴られたアンカーは呻き声を上げながら錨を左手に戻すと、そのまま錨をゴウめがけて振り下ろすが、この時をゴウは待っていたのだ。

 

「《アダマント・ナックル》!」

 

 先の攻防で溜まった必殺技ケージが消費され、ゴウは硬質化した拳を振り下ろされる錨にぶつける。

 二つの硬い物体がぶつかったことで高音が周りに反響する。音が鳴り止むと、ゴウの必殺技を受けたアンカーの錨が砕け散り、アンカーの体力が更に削れた。

 ──やっぱり、予想通りだ……! 

 錨がデュエルアバターが装備する武器である《強化外装》ならば、独立した体力ゲージを持つのでアバター自身にダメージは無い。ゴウはアンカーの左腕と一体化している錨を、アバター自身の純粋な腕だと推測していたのだ。そうして、攻撃の基点となっている錨を破壊したこの隙を逃さず、ここで一気に攻めに入ろうと意気込んだその時。

 アンカーが右腕を素早く自身の外套の中に入れ、素早く取り出した。この間わずか一秒。外套に手を入れた前と後では大きく違う点が一つ。

 手にピストルが握られていた。それも現代の黒光りするオートマチックではなく、リボルバー式の古めかしい拳銃だ。どちらかというと海賊よりも、西部劇のガンマンが所持していそうな代物である。

 アンカーが銃の引き金を引くと、パンと冗談のように軽い音が続けざまに六回鳴った。

 

「ぐっ……!?」

 

 放たれた六発の弾丸の内、三発はゴウの腰から伸びる装甲が防ぐも、残りの三発がアーマーの合間を抜けて、左の大腿部を撃ち抜いた。ダメージ自体は大したことはないが、それでも鋭い痛みに隙が生じる。

 

「《リボーン・シンボル》!」

 

 その隙にやや距離を取ったアンカーが、間髪入れずに必殺技を叫んだ。すると、アンカーの左手に葡萄色の光が集まり、たった今ゴウが破壊した錨が復元した。

 一度破壊されたアバターの体や、強化外装が対戦中に復元する様を見たことのないゴウは、驚愕に目を剥く。

 続けてアンカーは復元された錨の鎖を腕一本分の長さまで伸ばし、左手を上に掲げてぶんぶんと振り回す。ゴウは回避しようとするも、足のダメージがそれを許さなかった。

 

「そぉれぇい!!」

 

 振り回された遠心力によって、たっぷりと威力の乗った錨が、ゴウめがけて振り下ろされた。

 ガードしようととっさに右腕を構えようとするも間に合わない。ゴウの右肩を直撃した錨の一撃は先程の比ではなく、肩の装甲を破壊し、アバター本体まで到達した。

 

「ぐああああっっ!!」

 

 ピストルの弾丸とは比べ物にならない痛みがゴウを襲う。体力が一気に削られ、更にまずいことに激痛を感じる右肩から下の感覚が無い。右腕が全く動かないのだ。近接攻撃しか攻撃手段を持たない今のダイヤモンド・オーガーにとっては、メインウェポンの一つを失ったに等しい。

 

「我が錨を砕いたばかりか、とっておきの銃を使わせるとは見事……。しかぁし! 船乗りにとって魂の象徴でもある錨は、俺様自身が砕け散るまで何度でも蘇るのだ!! ……まぁ、この銃はショップで買ったものだし、弾にスペアが無いから対戦では一度しか使えんが。ただその分、安かった! なんとポイントたったの──」

 

 銃を外套内に戻し、聞いてもいないことを誇らしげに語るアンカーは、先程よりも距離を取り、ゴウから反撃を受けないように警戒している。錨自体の復元はできても、さすがに失った体力ゲージまでは回復しないらしい。

 勝機が皆無なわけではないが、それでも左脚は撃たれ、右肩を砕かれたゴウには、ここから逆転するビジョンが浮かばない。

 ──……もういいんじゃないか? レベル的には格上の相手に、良い勝負をしたじゃないか。この経験を生かして次なら勝てる。今回負けても力を積んで次に──。

 

「──駄目だ!」

 

 自分の弱気な、妥協する考え方に思わず声を出すゴウ。喋っていたアンカーも口を閉じ、怪訝そうにこちらを見ている。

 ──まだ体力が残っているのに諦めてどうする。この逆境を越えていかなきゃ、最初の壁のレベル4にすら辿り着けない。頭を働かせて体力がゼロになるまで……諦めるわけにはいかない! 

 自分自身を奮い立たせるゴウ。以前の自分ならそんな発想に自力で考え付くことさえしなかった。知らず知らずの内に前を向くようになったのは、間違いなく大悟と、そしてブレイン・バーストに出会ったことによるものだ。

 今の自分にできることを考える。左腕は問題なく使える。銃弾を食らった足は痛むが、全く動けないわけではない。もう一度だけ近付ければ、中距離型のアンカーに近接型の自分が地力で負けることはないだろう。

 ただし、相手の振り回される錨の一撃は強力で、ガードしても装甲は破壊される。回避すればするほどダメージを受けている左脚は動きが鈍くなり、その内に動けなくなる。では近付くには──。

 その時、素早く分析をするゴウは試合前に大悟に言われたことを思い出し、体に稲妻が走ったかのような衝撃を受けた。

 

「まさか、そんな簡単な……? でも確かにやったことはなかった……。実際そんなに上手くいくのかどうか……」

「……いきなり叫んだり、ぶつぶつ言ったりと変な奴だ。まぁ、それなりに楽しめたぞ。そろそろ終わらせようかぁ!」

 

 勝負を決めようと錨を放つアンカー。迫りくる一撃をゴウは回避しなかった。

 攻撃をよく見る。見る。見る──見極める。

 さして力は込めずに握った自分の左手を、錨と直線上に重なるように構える。直撃の寸前、ゴウは錨に拳ではなく、手の甲部分を当てた。それも真っ向からではなく、拳を傾け逸らすような角度で当てる。続いて左腕を拳の角度に沿うようにして上に押し上げると、まるで電車の通る線路のように錨を導いた。結果的にゴウは腕全体を使い、錨を受け流したのだ。

 左腕のダイヤモンド装甲はほぼ無傷だった。強い衝撃には弱いダイヤモンドだが、表面を擦る力にはかなり強い。異なる二種類の物質を擦り合わせることでできる引っかき傷によって計測するモース硬度では、ダイヤモンドは最高値の基準である10となっているのだ。通常状態で正面から拳をぶつけても相討ちか押し負けるだけだろうが、このやり方なら最小限のダメージで対処することができる。

 つまり『受ける』のではなく『受け流す』。おそらくはそれを見極めろと、大悟はゴウに言っていたのだ。これまでのショートレンジで殴り合ってきた経験とアバターの反射神経があれば、可能であることを見抜いていたのかもしれない。

 自分の放った一撃が防がれ、隻眼のアイレンズを見開いて驚愕するアンカーだったが、放たれた錨をすぐに左手に戻す。

 ゴウはその際に後ろから迫ってきた錨を避けつつ、左脚の痛みに耐えながら後を追うように駆け出した。

 

「ぬうぅ、俺様の錨を腕一本で捌くとは……。やるな、実に面白いぞダイヤモンド・オーガー! だったらこれはどうだ!? 《バトルシップ・アンカー》!!」

 

 アンカーの左腕全体が輝き出した次の瞬間、左腕がアンカー自身よりも大きい錨に変貌し、錨の両端がロケットのように炎を噴射しながら、こちらに飛来してきた。

 そんな状況でもゴウには不安はない。走りながら左手を腰元まで引き、無傷の右足で強く地面を踏み締めると、幅跳びの要領で前方に飛ぶ。

 

「《アダマント・ナックル》!!」

 

 錨と自分が一メートルも空いていない距離に近付いてから、ゴウは必殺技を発動させた。互いの技はぶつかり合うのではなく、互いに擦れ合いながらもすれ違う形となる。さすがにかすり傷とはいかず、硬質化している拳以外の腕の装甲が一気に削られたものの、ゴウは跳躍状態のままアンカーに迫る。

 対するアンカーは自身の必殺技が受け流され、敵が接近しているのにもかかわらず、まさに拳大のダイヤモンドの塊となったゴウの左拳を、避けようとも防ごうともせず、ゴウには聞き取れない声量で呟いていた。

 

「おぉ……俺様渾身の必殺技とぶつかっても砕けぬか。なんと硬く、そして美し──」

 

 言い終える前に鬼の拳が顔面に直撃した海賊は、錐揉み状に吹き飛びながら頑丈な建物の壁面に激突していった。

 

 

 

「ふぅー……」

「さすがに疲れたか?」

「はい……。インターバルがあっても三連戦はしんどいですね」

 

 世田谷の歩道。昼よりいくらか気温が下がった夕方でも、まだ外は明るい。帰り道でゴウはアキハバラBGについて思い出していた。

 グレープ・アンカーに辛勝した後に二回対戦を行い、一回目は勝利したが、二回目ではタイムアップ判定で惜しくも敗北してしまった。

 しかし大きな経験を得られた、充実した一日だったと言えるだろう。ゴウはアドバイスをしてくれた、隣を歩く大悟に質問する。

 

「……大悟さんはいつから分かっていたんですか? 僕が相手の攻撃に対して受け止めるか回避しかしていなかったって」

「そりゃとっくの昔に。お前さんみたいに、なまじ強い体と装甲がある奴はどうしても力押しになりがちになる。序盤ならともかく、レベルが上がるごとに力押し一辺倒じゃ通用しなくなってくるんだが、それに自力で気付かなきゃ、やっていけないしな」

「うっ……」

 

 暗に「それくらいすぐに気付け」と言われている気がして落ち込むゴウ。

 

「そうしょげるない。攻撃を受け流すなんて口で言うのは簡単だけどな。実際にやるとなったら中々に難しいのは事実。気付いてからぶっつけで成功させたのは大したもんだ」

「そ、そうですか? ……あ、そうだ、大悟さんに聞きたいことがあったんです」

 

 急な質問に「何だ?」と不思議そうな顔する大悟にゴウは、周囲に人がいないことを確認してから、以前から気になっていたことを聞いた。

 

「僕は今、対戦してレベルアップして、最近は少し足踏みしてましたけど……ブレイン・バーストをしていて楽しいです。それでその、大悟さんはブレイン・バーストを楽しんでいますか?」

 

 グレープ・アンカーとの対戦の際に彼は「《海賊》として楽しんでいる」と言っていた。大悟も対戦開始前に自分に「楽しめ」と言った。

 では、大悟自身はどうのなだろうか。少なくともゴウは、大悟が自分以外と対戦している姿を一度として見たことはない。レベルアップにしても現在レベル8である大悟がレベルを上げたら、それは加速世界の支配者達、純色の六王と数値の上では同等ということになる。

 しかし大悟はどこかのレギオンマスターでもないし、それに以前レベル9にはさして興味がないと言っていた。では大悟は一体、何の為にブレイン・バーストをやっているのだろうか。

 ゴウの質問にしばらく黙っていた大悟はやがて口を開いた。

 

「……確かにお前さんからしてみればもっともな疑問だな。率直に言えば、楽しんでいるよ。このゲームを長くやっている奴ほど、いろんな楽しみ方を知っているものさ」

「でも大悟さんが対戦しているところとか見たことないんですけど……」

「んー、そうだな。答えはレベル4になれば分かる。今の調子なら夏休み中にはレベルも上がるだろ。後は念の為、安全マージン用のポイントを多めに確保しときな」

 

 質問をしたのに、ゴウには更に疑問が増えてしまったが、これ以上聞いても大悟は答えてくれなさそうなので諦める。そうこうしている間に別れ道に差しかかった。

 

「さて、じゃあここで。盆になると忙しいからしばらく会えないが、頑張れよ。それと蓮美に会ったら仲良くしてやってくれ。少しアホなところもあるが悪い奴じゃないんだ」

「は、はい、それはもちろん。あ、お菓子とお茶、お昼のお礼もその内しますね。そうだ、今日の交通費も奢りますよ。あそこに連れていってもらったお礼として」

「あー、いやいや、いいんだ。今回賭けでいくらか──」

「賭け?」

「…………」

 

 大悟は突然口を閉じると、こちらに目を合わさずに微動だにしなくなった。

 ──今、賭けって言ったよな……? 

 

「……ゴウ。一つ言っておく」

「……何ですか?」

「あそこに行くのは精々、月に一回か二回にしておけ。頻繁に行き来しているとリアル割れしやすくなるからな。それとファイトマネーはともかく、賭けは嵌まると面倒だからあまりオススメしないぞ。じゃあな。暑いからってクーラーつけっぱなしながら腹出して寝るなよ」

 

 早口にまくし立てると、大悟はダッシュで帰っていった。後にはゴウだけが、道にぽつんと取り残される形となる。

 

「僕に賭けていたのかな、それとも……」

 

 ──それはともかくとして……まずはレベル4目指して頑張ろう。大悟さんの言っていたことも分かるだろうし。その中で目いっぱい楽しみながら、対戦をして強くなるんだ。

 太陽が沈み始め、ヒグラシの鳴き声が響く中、ゴウは決意を胸に帰り道を歩き出した。

 



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アウトロー篇
第十話


 第十話 無制限中立フィールド

 

 

 夏休みが終わり九月に入っても、気温はそうすぐには下がってはくれない。

 新学期が始まってから最初の土曜日。半日授業の学校が終わってから一度自宅に戻り、私服に着替えて大悟との待ち合わせ場所に着く頃には、すでにゴウの額には汗が浮かんでいた。

 いつも直結対戦をするときには喫茶店やファストフード店、あるいは図書館などで行うのだが、何故か今回は駅前にあるビルのテナントの一つである、ダイブカフェを待ち合わせ場所に指定された。

 ビル入口にすでに到着していた大悟との挨拶もそこそこに、ゴウは地下二階のダイブカフェに入店する。店内入口の無人の受付で大悟が手早く手続きを済ませ、二人してフロアの奥へと入っていった。

 ゴウは少し前に訪れたカドタワーなる秋葉原のビルに、密かに存在するバーストリンカー対戦の聖地、《アキハバラBG》のことを思い出していた。あの日以来まだ一度も訪れていないが、レベル4になった今、もう少し経ったら暇なときにでも足を向けようかとも考えている。

 通路にある自動販売機で飲み物を買ってから、やがて四角形のテーブルと四つの椅子が置いてある一室に二人は入る。カドタワーのダイブカフェは仕切りのあるブースだったが、ここは一つ一つが壁と扉でしっかりと区切られた個室となっていた。互いに飲み物を開け、一息ついた後に大悟が話を切り出し始める。

 

「このダイブカフェは全部屋が完全防音かつ電磁遮蔽材(しゃへいざい)入りでな。ニューロリンカーをグローバル接続するにも──ほれ、このテーブル下のルータにケーブルで接続しなきゃできない仕様だ」

「あ、本当だ。でも今時ワイヤレスが使えないダイブカフェなんてあるんですね」

「まぁ珍しいよな。大概の人は不便に思うんだろうが、企業間の相談なんかにも使われているらしいし、一定の需要はあるんだろ。それに俺達が今から行く場所には都合が良い」

「行く場所?」

「そう、バーストリンカーがレベル4になって初めて行ける場所、そこを加速世界の本質とも呼んでいる奴もいる」

 

 大悟はケーブルとルータを繋げ、何やら仮想デスクトップで操作を行っていると、ゴウのニューロリンカーにメールが届いた。宛先は目の前にいる大悟からだった。

 

「あるコマンドを唱えることでそこに行ける。今お前さんに送ったメールにコマンド名を載せたから確認してくれ」

「えーっと……はい、確認しました」

「じゃあ、まずニューロリンカーとケーブルを繋げて、はいこれ……よし。保険も一応かけておいたし、大丈夫だろ。カウント後にコマンドを唱えろ。用意はいいか? いくぞ。三、二、一……」

「「《アンリミテッド・バースト》」」

 

 初めての唱えるコマンドのせいか、ゴウは自分のコマンドが大悟より若干遅れた気がするも、耳を叩く加速世界に入る音を聞きながら、視界が暗転していった。

 

 

 

《アンリミテッド・バースト》なるコマンドを復唱したゴウは、暗転が終わってから周りを見渡した。

 薄黄色の空の下、赤茶けた岩が立ち並ぶ平野。乱入をされたわけでもないのに、もう対戦フィールドに移動していることに首を傾げながら、ここは確か《荒野》ステージだったかと、ゴウは記憶の引き出しを開けて思い出していた。これまで数回しか遭遇したことがないが、特別珍しいステージとは聞かない。

 大悟が近くにおらず、ガイドカーソルも──そこでようやくゴウはここが通常の対戦フィールドではないことを実感した。対戦時は常に視界上部に表示されている、自分と相手の体力と必殺技のゲージバーが、自分の分しか表示されておらず、中央のカウントを刻んでいた場所には『∞』と表示されているからだ。

 

「よしよし、無事に来たな。コマンドは一秒以下でもズレると、ダイブに少し間が空くんだよなコレが」

 

 いよいよ本格的に困惑し始めるゴウの前に、大悟がデュエルアバター、アイオライト・ボンズの姿で現れた。僧兵に似たアバターを前にしても、やはり自分の分の名前やバーしか表示されないので、ゴウは大悟に訊ねる。

 

「ここは、というか……これは何なんです? さっきのコマンドが何か関係しているんですか?」

「ここは《無制限中立フィールド》。知っている奴になら《無制限フィールド》、《上》とかでも通じる。その名の通り、ここでは《通常対戦》のように三十分の制限時間が存在しない、永続的に加速をし続けている空間だ。ちなみにさっき言った通りレベル4以上じゃないとコマンドを使えないし、ポイントを十ポイント消費する」

「へぇ、十ポイント……ん? それって、いつまでもここにいられるってことですか!?」

 

 それが本当なら現実で十分間加速し続ければ、加速世界で約七日間もいられることになるではないか。そんなことができるとは、にわかには信じ難いゴウに大悟が首肯する。

 

「いようと思えばな。ただし、ずっと居続ければいいってものでもない。とりあえず連れていきたい所があるから、歩きながらここについて説明しよう」

 

 不毛の大地を進む道中、ゴウは大悟による無制限中立フィールドについてのレクチャーを受けた。

 エリア制限が無いこのフィールドは、ブレイン・バーストを形作るソーシャルカメラが映している日本全土が一つのフィールドであること。《バースト・アウト》による任意の加速停止ができず、各所に設置されている《ポータル》なる出口に入らない限り、基本的に現実世界には戻れないこと。フィールドの属性は《混沌》で、内部で数日経つ毎にステージが変化すること、痛覚が通常の対戦フィールドの二倍に引き上げられていることなど、ゴウにとっては一つ一つが驚くものだった。

 ダイブした地点から数十分歩き続けていると、隣を歩く大悟が急に立ち止まった。

 

「どうしたんですか?」

 

 ゴウが聞いても、大悟はキョロキョロと周りを見渡している。景色はダイブしてから、大して代わり映えのしない岩だらけの荒地だ。ここが目的地だとはとても思えない。

 

「せっかくだからこのフィールドならではの体験をさせようと思ってな。多分この辺りに──こっちだ」

 

 今まで真っ直ぐに歩き続けていた大悟が進路を変更してからしばらくすると、一帯が干ばつで凹んだ窪地のような場所に出た。大悟が唐突に窪地を指差す。

 

「あそこ、見えるか?」

 

 大悟が指を指した場所にゴウは目を凝らしてみると、距離にして三十メートル程度離れた場所に何かがいた。

 それは焦げ茶色をしたトカゲのような生き物だった。しかし、現実に存在するトカゲよりも遥かに大きい。体高だけで一.五メートル、体長は長い尻尾を含めれば優に四メートルは越えていると、この距離でも分かる。

 

「あれは《エネミー》。このフィールドに存在する、システムが作った生き物達だ」

「達、ってことはあんなのがたくさんいるんですか?」

「そりゃもう、大小様々いるぞ。今この辺りにはあいつだけみたいだな。ちなみに《原生林》ステージの動物型のオブジェクトなんかと違って、あれを倒すとバーストポイントが手に入る」

「えっ! ポイントを得るにはバーストリンカーと対戦するしかないんじゃないじゃ──! じゃあ、もしかして師匠はアレを?」

「まぁ、そういうことだな」

 

 大悟が自分以外と対戦をしているところを見たことがなかったのを、ずっと疑問に思っていたゴウだったがようやく謎が解けた。大悟はこのフィールドでエネミーを狩ることでポイントを稼いでいたのだ。

 

「あのサイズは《小獣(レッサー)級》、一番の小物だ。オーガー、良い機会だからちょっと戦ってみな」

 

 普段ならあれだけ巨大なトカゲを見れば、少なからず躊躇するゴウだが、この時は初めて降り立った無制限中立フィールドに、少し浮き足立っていた。更に勝てばポイントも得られる存在となれば、ゴウでなくてもバーストリンカーなら興味を示すだろう。

 

「分かりました。じゃあ、行ってきます!」

 

 二つ返事でゴウは意気揚々とエネミーに近付き始めた。もちろん相手に気付かれないように足音は極力立てない。トカゲ型のエネミーは岩に寝そべり、呑気に日光浴でもしているのか、瞼を閉じたまま動かない。昼寝中に襲うのもやや気が引けるが、心を鬼にしてエネミーの頭上の段差から一気に跳躍した。

 

「──そらぁっ!」

 

 その勢いのままゴウは、エネミーの脳天へと渾身の踵落としを繰り出した。充分に手応えのある一撃を決め、そのままエネミーの眼前に着地する。

 しかし、エネミーの前に立つゴウは違和感を覚えた。まともに食らえば、同レベル帯の大抵のデュエルアバターなら体力ゲージがフルの状態であっても、半分以上は体力を削るであろうクリティカルヒットだったのに、エネミーはぎょろりと眼を開いて、こちらを見るだけだった。

 嫌な予感がしたゴウに大悟が向こうから声をかけてきた。

 

「オーガー、一応言っとくぞー。エネミーはどんなに弱い奴でも、大抵はレベル7のバーストリンカーが一人でなんとか勝てるくらいの強さだから油断するなよー」

「…………え?」

 

 ゴウは真正面のエネミーを見据えると、いつの間にか表示されているエネミーのものらしき体力ゲージが一割弱程度、減少していた。

 エネミーはようやくダメージを受けたことに気付いたのか、ぼんやりとした寝ぼけまなこから、敵意むき出しの眼に変わり、ゴウを睨み始める。ゴウが一度距離を取ろうとする前に、エネミーは綱引きの綱ほどの太さをした尻尾を、鞭のようにしならせて繰り出した。

 とっさに両腕でガードするゴウだったが、尾の一撃が当たった瞬間に岩壁へと叩き付けられる。

 

「……は、早く言って……ほしかっ……たで、す」

 

 岸壁にめり込んだゴウは、大悟には聞こえていないであろう掠れ声で、途切れ途切れにそう呟くのがやっとだった。

 



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第十一話

 第十一話 荒野に佇む一軒家

 

 

「そう落ち込むなよ、何とか倒せたじゃねえか」

「それは師匠が手伝ってくれたからじゃないですか……」

 

 トカゲ型エネミーとの戦闘開始からおよそ一時間後。再びゴウと大悟は荒野を進んでいた。

 強烈な尾の一撃をガードしたゴウの両腕の装甲は、尾の当たった箇所がべこりと凹んで痕になっている。レベルが上がるごとに装甲の耐久性も上がり、最近では攻撃を受け流す技術も向上し、装甲に大きな傷が付かなくなったことが密かな自慢だったのだが、そんな自信も見事に打ち砕かれた。しかも攻撃されたことを、いかに寝起きだったとはいえ三十秒かけて気付いた鈍いトカゲに。

 ゴウにとって更にショックだったのは、大悟の援護を受けて三十分以上かけた戦闘の末、ようやくエネミーを倒した後に表示されたポイント加算メッセージを確認した時だった。

 バーストリンカーになってから最も長い戦闘の末に倒したのだから、さぞポイントを得られるものと思っていたのに、加算されたポイントはなんとたったの二ポイント。このあんまりな成果を、落ち込むなというのは無理な話だった。

 

「二ポイントですよ……あんなに必死で、一撃食らえばごっそり体力持っていかれるのに、こっちの一撃でも碌にダメージ受けない相手倒して二って……」

「まぁ、割には合わないわな。あくまでブレイン・バーストは対戦格闘ゲームであって、エネミー狩りによるポイントは救済措置の一環でオマケに過ぎない。それでも今の加速世界じゃ、ミドルランカー以上がレベルに上げるには、ほとんどがこうしてエネミーを狩っていくしかない。どうしてだか分かるか?」

「それは……レギオン間の相互不可侵条約のせいですか?」

 

 現在の高レベルのバーストリンカーは、ほとんどが六大レギオンの幹部格達。彼らと戦おうにも、彼らの治めている領土内ではリスト遮断特権によって、それも簡単には適わないのが現状だ。

 

「名を上げてからどこかのレギオンの領土をうろついていたら、そこの幹部に乱入されるかもしれんがな。ただ、無制限中立フィールドじゃ領土は関係ないから、上手いことやればエネミーを狩っている奴らを狙うなんてこともできる。──それはともかく、あの強化外装、だいぶ扱えるようになっていたな。最初に比べればめざましい進歩だ」

「あはは……最初に手に入れた時はどうしようかと思いましたけどね……」

 

 大悟と話しながら歩き続け、気持ちが立ち直り始めた頃に川が見えてきた。おそらく現実世界では東京と神奈川の県境となる多摩川に当たるのだろう。何となく現実よりも川の水深が浅く感じるのは、空気の乾燥した《荒野》ステージだからだろうか。

 川に沿ってしばらく南下して開けた場所を抜け、それから川に背を向けて歩いていると、どこからか規則的な音がかすかに聞こえてきた。まるで金槌が何かを打ち付けているような。

 ゴウが一体どこから、と周りを見ていると、少し遠くに(もや)のようなものが空へと立ち昇っている。

 

「煙……?」

「近いぞ、今日の目的地」

 

 大悟と共に煙の出ている方向に歩いていくと、金属音は進む度に大きくなり、やがて自然の物ではない物体を見つけた。

 木造らしき建造物が一軒だけぽつんと建っている。荒野に佇むその建物は、まるで西部劇に出てくる酒場のようだ。奇妙なことに家の煙突からではなく、その裏手からモクモクと煙が立ち昇っている。

 

「あそこには誰か住んでいるんですか?」

「住んでいる……か、当たらずも遠からずだな。あれは《プレイヤーホーム》。無制限中立フィールドに点在するショップからバーストポイントを消費して買える……んだが、これがべらぼうに高い。初めて必要なポイント見た時には、目玉が飛び出るかと思った。それに、ショップ帰りのバーストリンカーがエネミーに襲われて全損、なんてことも間々ある。いやぁ、節度は大切だよなぁ」

 

 他人事のようにケラケラ笑う大悟の説明を聞きながら、ゴウはショップという単語を以前聞いていたことを思い出していた。

 アキハバラBGで戦ったバーストリンカー、グレープ・アンカーは右目のアイレンズに眼帯を装着しており、それは外からは目を塞いでいるように見えるが、実は本人からはしっかり見えているという戦闘には関係ない、言うなればファッションアイテムだった。

 更には弾が六発入ったピストルまで所持していて、対戦に必死でうろ覚えだったが、アンカーはそれを無制限中立フィールドのショップで買っているとか喋っていた気がする。彼があれらのアイテムを何ポイント消費して買っていたのかはともかく、買い物をする余裕があるくらいにポイントを蓄えていた、つまりそれだけ対戦に勝ってきたということになる。

 ──無茶苦茶な人だったけど、あれで実力者だったんだなぁ……。

 

「ほれ、行くぞ」

「あそこに入るんですか? 師匠、家主と知り合いなんですか?」

「というかあのホームは俺が家主の一人だぞ」

「ええっ!? い、いくらで買ったんですか?」

「内緒。まずは裏に回るぞ。多分もう皆揃っているはずだが……」

 

 ずんずんと進む大悟と一緒に家に近付いていくと、建物は幅の広い平屋であることが分かった。木造の壁は年季が入っているが、ついさっき磨き上げたようにも見える不思議な色合いをしている。

 入口が付いている正面から裏手に回り込むと、川の辺りからずっと見えていた煙と、聞こえてきた音の正体がようやく分かった。

 まず視界に入ったのは、赤茶けた土でできた大きな(かま)。かまくらじみたドーム状をしており、上部に空いている複数の穴から煙が出ていた。窯の内部に発生する炎の熱気をここからでも感じられる。

 そんな窯の前に岩を椅子代わりにして、金鎚を打つ何者かがいた。

 

「キルン、来たぞ! みんなは中にいるのか!?」

「あぁ!?」

 

 打ち鳴らす金鎚の音に負けないように、大声で大悟が後ろを向いた人物に声をかける。

 大悟の声が届いたらしく、金鎚を打つのを止め、こちらを向いて立ち上がったのは、窯と同じ色をしたデュエルアバターだった。

 レンガを積み重ねてできたような装甲に、小柄ながらもがっしりとした体格。手には分厚い作業手袋、足にはこれまた分厚い長靴を履き、顔についた装飾は、まるで立派な口髭をたくわえているかのようだ。

 

(あん)だって? ボンズ」

「みんないるのかって」

「あー、そいつか? おめえの《子》ってのは。皆待ちくたびれてんじゃないかね。ってかよ、時間指定しておいて一時間以上過ぎてんじゃねえか」

「悪い。エネミーがいたから、ちょっとこいつと戦わせてたんだ」

「ほぉー……とりあえず入るか。自己紹介はそん時に」

 

 やや訛りの入った、ぶっきらぼうな調子で話す小柄な職人アバターは、ゴウに向かって軽く手を振ると、玄関ポーチ前の段差を上がって正面の扉へと向かう。

 その後を大悟と追い、キルンが丈夫そうな木の扉が開くと、ゴウはプレイヤーホームの中へと足を踏み入れた。

 内部は思った以上に広い。入口から見て左奥にはカウンターバーが備え付けられ、右奥には壁に沿って大きなソファーが二つ。正面奥には、今は使われていない暖炉が備え付けられている。更に丸テーブルと椅子のセットが、いくつかまばらに置かれていた。

 天井から吊り下げられ、等間隔に並んでいる白熱電球は古びてはいるが、屋内全体を照らすのに充分な明るさで、そんな空間に数体のデュエルアバター達がいた。

 談笑していた者、何やら作業をしていた者、それぞれがこちらに気付いて一斉に振り向くと、歓声を上げながら集まってくる。

 

「待ってたわぁ! さぁさぁ上がって上が──ちょっと、ケガしてるじゃない! ボンズちゃん!! どういうこと!?」

「ずいぶん遅かったね。エネミーにでもつかまったの?」

「透明な装甲だー、珍しいねー。近接系? 遠隔系? 間接系?」

「あっ、あの、何か飲みますか?」

 

 いきなりの歓迎ムードに圧倒されるゴウと迫るアバター達の間に、大悟がまあまあと両手を上げながら割って入った。

 

「とりあえずは自己紹介をしよう。はい座った座った……ん? コングはどうした」

「まだよ。多分こっちに向かっていると思うんだけど……」

「ったく、あいつは……遅れたこっちが言えた義理じゃないか。とりあえずは今いる奴だけでいいな。じゃあ順番に、メディックから」

「はいはーい」

 

 大悟に呼ばれた明るい声のF型アバターが手を上げ、その他のアバター達はソファーや椅子に座り始める。

 

「あたしは《エッグ・メディック》、レベルは7よ。一応、ここのマスターキーを持つ管理人をやっているわ。あなたがオーガーちゃんね? ボンズちゃんたら、あたし達にあなたのことを初めて話したのが、ほんの一週間前なのよ。信じられる? 四ヶ月近くも、そこの彼が《子》を作ったことをあたし達全員知らなかったの。もぉー! もっと早く知っていたら皆で色々教えてあげて、もっと早くここに来られたかもなのに!」

 

 なんとも世話好きなお姉さん、といった印象の人物だ。頭に被った縁がギザギザとしたヘルメットパーツと、同じく縁がギザギザの腰周りを丸ごと覆う、半円形のアーマーは薄い赤みが入った黄色、たとえるなら赤玉の鶏卵といったところか。他の部位はより黄色の割合が多く、まるで卵の殻を半分に割って、そのまま出てきたかのようなデザインだ。

 放って置いたら延々と喋っていそうなメディックを、一人のアバターがパンパンと手を叩いて止める。

 

「はいはい一旦ストップ。ここじゃ時間はほぼ無限だけど、僕らも早く彼に挨拶したいんだ」

 

 万年筆の意匠が施されている、黒っぽい装甲を着けたM型アバターだ。ちなみに万年筆を含めた筆記用具類は、ニューロリンカーによる仮想デスクトップやホロキーボードの普及によって、現代では見かける機会が非常に少ない。アイレンズは四角型のデザインと周りの太い縁によって、まるで眼鏡を掛けているかのよう。

 

「《インク・メモリー》だ、よろしくね。レベルは7。ダイヤモンド・オーガー、君の対戦は何度かギャラリーで見たことがあるよ。もっともボンズが《親》とは思わなかったけどね。じゃあ次、リキュール」

 

 手早く挨拶を済ませたメモリーが座り、代わりに名前通りの鮮やかなワインレッドを基調とした、バーテンダーのような格好のF型アバターが立ち上がった。

 

「は、初めまして、レベル6の《ワイン・リキュール》です。新しい人が来るのはキューブ君以来だからちょっと緊張しちゃうな……。ええっと、よろしくね」

 

 リキュールはやや緊張気味な高い声で、こちらを向いてぺこりと頭を下げ、後頭部に付いた葡萄型の球体はシニョンを結っているようにも見える。

 

「じゃー、次俺ねー」

 

 続いて立ち上がったのは、青緑色をしたM型アバター。

 一見これといった特徴が見られないが、頭部が透明な立方体状の氷に覆われていて、体のデザインがシンプルな分、非常に際立っている。

 緊張気味だったリキュールとは正反対に、気の抜けたのんびりとした声でゴウに挨拶をしてきた。

 

「俺は《アイス・キューブ》だよ、よろしく~。ここじゃ一番の若手だから、初めての後輩だねー。あ、レベルは6ね」

 

 最後に奥のバーカウンターでごついコップから何かを飲んでいる、先程の土色アバターが座ったまま名乗る。

 

「レベル7の《クレイ・キルン》だ。さっきみてえに外でガンガンやってることが多いが、まぁ勘弁な」

 

 一気に知り合いが増えたゴウだったが、幸い現実の人間と違い、一人一人の姿がまるで違うアバターの姿や名前を覚えるのはそう難しいことではなかった。次に自分が名乗ろうとすると、入口の扉が大きな音を立てて開いた。

 

「すまん、遅れた!」

 

 野太い声に何事かと振り向くゴウだったが、他の面々はさして驚く様子もない。

 ホーム内に入ってきたのは、丸太のように太い手足と、バイザーゴーグルを装着し、苔むした岩にも似た頭部をした、百九十センチを超えるM型アバターだった。

 大悟が巨漢のアバターに向かって声をかける。

 

「コング、いま自己紹介中でな。丁度良いからお前さんも挨拶しとけ」

「ん? おぉー! 俺は《フォレスト・ゴリラ》。コングと呼んでくれ。いやぁー、ボンズの《子》が来るってんで、楽しみすぎて昨日の夜は眠れなくてさ。案の定、昼過ぎに眠くなっちまったから、ちょっと昼寝して起きたらもう集合時間。慌ててコマンド唱えて今に至るってとこよ」

 

 早口にまくし立てて説明したコングは、がっしりとした大きい手で、力強くゴウと握手をした。

 コングが離れると、大悟がゴウの方を向いて立ち上がる。

 

「さて、これで全員だ。オーガー、皆に軽く自己紹介してやってくれ」

「は、はい。初めまして、ダイヤモンド・オーガーです。えっとレベル4になって初めて無制限中立フィールドに来ました──」

 

 そこまで言ってピタリと口を(つぐ)むゴウ。成り行きでここの面々と挨拶をしているが、根本的なことをまだ知らない。リキュールやキューブが何やら「新しい人」だとか「後輩」がどうとか言っていたことを、今更ながらに疑問に思った。

 

「えっと、その、ここは一体何をしている場所なんですか? 師匠に、ボンズさんに何も知らされずにここまで連れて来てもらったんですけど……」

 

 ゴウの質問に酒場中がしん、と静まり返った後、間を置いて大悟を除く全員がはぁー、と溜め息を吐く。

 

「ボンズちゃん、この子にこの場所のこと、何も教えていないの?」

「ボンズはいつも説明しないよねー」

「秘密主義も程々にしておかないと、いつか愛想つかされるよ」

 

 やれやれと、どこか呆れたような空気が漂う中、当事者である大悟はさすがにバツの悪そうな調子で弁明する。

 

「いやいや、着くまでの楽しみとしてとっておこうとサプライズのつもりでな。それに皆もいろいろと言いたいだろうと思ってだな……あー、分かった分かった。確かに俺の説明不足もあったよ、今から伝えるから勘弁してくれ」

 

 最初のブレイン・バーストのインストールといい、アキハバラBGの時といい、どうも事前に大悟が人にものを教えないのは、今に始まったことではないらしい。

 そんな大悟はゴウの方に向き直ると、少し芝居がかった調子で両腕を広げた。

 

「改めて、ようこそオーガー。流れ者達の溜まり場、《アウトロー》へ」

 



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第十二話

 第十二話 アウトロー

 

 

「アウトロー……?」

 

 以前大悟は、レギオンには所属していないが、つるんでいる仲間がいると言っていた。つまりはここにいる彼らが──。

 ゴウから向けられた視線の意図を察して、大悟が頷く。

 

「気付いたみたいだな。アウトローとはこのプレイヤーホームの名前であり、ここに集まるバーストリンカー達の暫定的な所属でもある。レギオンじゃないから、システム的にはソロと同じだ。レギオンってのは、四人以上のバーストリンカーが《レギオンマスター・クエスト》をクリアすることで結成される。レギオンに加入するには、レギオンマスターが認証することで、志願者がレギオンへの加入が可能となる。これは前に話したことがあったな? 俺達がそのクエストをやらないでレギオンを結成しない理由はいくつかあるが、要はこの加速世界を自由に、ついでに楽しく生きたいからさ」

「自由?」

「……このプレイヤーホームは、ずっと昔に五人のバーストリンカーがポイントを出し合って手に入れた。俺、コング、メディック、そして今はもういない、二人のバーストリンカーでな」

 

 懐かしむ中に、わずかな悲しみが大悟の声に含まれていたのをゴウは感じ取ったが、黙って話を聞き続ける。

 

「加速世界の東京二十三区は、約六十のエリアで区切られている。そのエリアを巡ってレギオンは《領土戦》を繰り広げているわけだが、そのエリアに分けると、この世田谷第四エリアは二十三区の端、過疎エリアと呼ばれる中立地帯の一つだ。それでも無制限フィールドにはエネミー狩りや、現実で世田谷に住んでいるバーストリンカーがちらほら訪れる。そんな奴らがエネミーに襲われていたところを俺達が助けたり、はたまた偶然出会うことでここに集っていったんだ。もっとも、ここにいる中で世田谷住まいは俺とお前さんしかいないが」

「でも、ここを知っている人がこれだけしかいないんですか? もっといても……」

「いるにはいる。……無制限フィールドじゃ、知らないバーストリンカーと偶然出会うなんてことは、ほぼ起こらないんだ。ただでさえ一秒ダイブする時間がズレただけで、十六分近くも差ができるからな。それに、どこかのレギオンに所属しているバーストリンカーは、こんな僻地にはそう何度も来ない。自分の居場所がある奴が、わざわざ寄り付く必要がないからだ」

「つまり……レギオン未所属のバーストリンカーで、たまたまこの場所を知った人だけが集まっている、ってことですか?」

「その通り」

 

 ゴウと大悟の会話に、テーブルに紙を敷いて、ペンを走らせるメモリーが加わる。現実では紙製品は高価な代物で、今や日常生活の中で見ることはほとんど皆無だ。そういえば、と加速世界で記録媒体の類を見たことがないことにゴウは気付いた。

 

「ここじゃ、リアルを詮索する以外の大概のことは何をやってもいい。他愛のない話をするも良し、個人的にやりたい作業をするも良し……。例えば僕にとってここは、加速世界で集めた情報を記録する作業場でもあるんだ──こんな風に」

 

 メモリーがそう言うと、眼鏡型のアイレンズから横に伸ばした糸のように細い、赤い光線が放たれ、テーブルに置かれた紙に当たると、上部から下部へとスキャンするように移動していく。

 すると、光線が通過した箇所から、紙に書かれた文字が消えていくではないか。光が紙を完全に通り過ぎると、紙は何も書かれていない、まっさらな白紙へと戻っていた。

 

「こうすることで僕は書き記した出来事を記録しているんだ。対戦の分析とかにも使えるけど、それはまた機会があったら見せるよ」

「要するに、だ」

 

 再び大悟が説明を続ける。

 

「このアウトローは、六大レギオン達にも干渉されないこの場所で、加速世界を自由に楽しむ、言わば《サークル》ってとこだな。オーガー、俺は何も、お前さんをここの仲間にする為に連れてきたわけじゃない。だが、知ってほしかったんだ。この──」

「「ええー!!」」

 

 大悟の台詞をコングとメディックが大声で遮った。

 

「仲間に入らないか、でいいじゃない。ボンズちゃんてば、まーわーりーくーどーいー」

「そうだぜ! どっかのレギオンに入っちゃいないんだろ?」

 

 うんうん、と残りの面々もメディック達の意見に首肯すると、大悟は顔をしかめながら、頭巾を被った頭をガリガリと掻いた。

 

「えぇい、お前らはそう言うと思ったよ。だが、この子の意思が重要なんだ。無理に入らせてもしょうがないだろうが──あぁもう、分かったよ! 分かったってば。ったく……」

 

 ブーイングを黙らせた大悟が、咳払いをしてゴウに訊ねる。

 

「ダイヤモンド・オーガー。お前さんは、このアウトローメンバーの一人になりたいか?」

 

 大悟の声は以前、ブレイン・バーストをインストールするか確認した時と同様の、真剣な口調でゴウに問う。

 だが、ゴウの答えは確認されるまでもなく、すでに決まっていた。

 

「はい、よろしくお願いします!」

 

 軽く頭を下げてゴウは即座に同意した。反対する理由は何もない。ゴウにとって、加速世界を過ごすのに仲間の存在は密かな憧れだったのだ。師である大悟に不満があるわけではないが、多くの仲間との共闘もまた、ゲームの醍醐味の一つだろう。その中でまた一つ成長することができるはずだとゴウには確信があった。

 ゴウの答えを聞いた一同からは、やんやと歓声が上がり、何故かゴウは胴上げまでされてしまう。胴上げをされて目を白黒させていると、大悟が満更でもなさそうに軽く溜め息を吐きながら、こちらを眺めているのが見えた。

 

 

 

 ゴウの初めての無制限中立フィールドダイブから、およそ三時間近く経過した。

 アウトローの面々からの質問攻めが一旦落ち着き、渡された飲み物でゴウは喉を潤す。派手な色合いの割に、スポーツドリンクに近い味がした。

 本来、デュエルアバターに生理的欲求は無視できるものなのだが、それでもしゃべり通しでは喉の渇きを感じてしまう。これもショップで買ったものなのかな、とゴウは漠然と考えていると、大悟が椅子から立ち上がった。

 

「さて、そろそろ行こうか」

 

 他のメンバーも「うーす」や「はーい」と返事をしながら、ホームの出入り口へと向かっていく。ゴウも皆の後を追いながら、たまたま隣にいたキューブに訊ねた。

 

「どこかに行くんですか?」

「うん、エネミー狩りに行くんだー。基本的にここへダイブして消費した十ポイント分は稼ぐのが定番になってるんだよー。あんま人数がいないとやらないときもあるけど」

 

 ゴウの脳裏にほんの数時間前の記憶が甦る。

 トカゲエネミーの太く強靭な尾。腕の装甲に残る傷跡。ようやく手に入れた雀の涙程度のポイント。

 硬直するゴウを見て、キューブが垂れ目がちなアイレンズで心配そうに覗き込む。

 

「オーガー? オ~ガ~~? ボンズー、ちょっとー。オーガーが動かないんだけどー」

「どうした? ──んん? あぁ、さっきエネミーと初めて戦ったからな。オーガー、しっかりしろ。大丈夫だ、この全員でかかればさっきみたいに大変じゃない」

 

 ぺしぺしと頬を軽く叩く大悟の呼びかけに現実に引き戻され、はっとして周りを見るゴウ。言われてみればハイランカーを含むこの八人でかかれば、そう苦労はしないだろう。

 ゴウは自分でも頬を叩いてから意識を切り替え、皆に付いていった。

 アウトローを出た後、乾いたあぜ道を特に隊列を作るわけでもなく、一同は三々五々に進んでいく。

 そんな中でゴウは、メディックからエネミーについて解説を受けていた。

 

「エネミーは大まかに四段階に分かれていてね。一番弱いのが小獣(レッサー)級、オーガーちゃんがホームに来る前に戦ったってヤツね。弱いって言っても、ホントはレベル4がソロで戦うなんて無茶なのよ」

「あー……師匠がレベル7のバーストリンカー並だって言ってました。僕がエネミーにファーストアタック食らわせた後に」

「ホントにボンズちゃんはもう……。まぁ今はいいわ、次に《野獣(ワイルド)級》。一般的なエネミー狩りって言ったら、このタイプが該当するわね。ただ小獣(レッサー)級もそうだけど、群れを作っていることがあるの。一体に夢中になって戦っていたら、他の個体に囲まれていたなんてことも有り得るのよ。大きさは平均で五メートルくらいかしら」

 

 あのトカゲ型エネミー以上の大きさが、群れを成して襲ってくるなど考えたくもないゴウだが、いつか遭遇するのかもしれないのだと、どうにか腹を括る。

 

「三番目が《巨獣(ビースト)級》で三、四階建てのビルくらい大きいの。大体二十人のパーティーを組んで戦うのが妥当で、あんまり大きいから幹線道路とか開けた場所で見かけることが多いわね。その上が《神獣(レジェンド)級》。このクラスまでいくと偶然遭遇した、なんてことはまずないわ。ダンジョンの最深部のボスだったり、有名なランドマークを縄張りにしていたりするのがほとんど。中にはダンジョンのギミックで弱体化とか、特定の弱点を持っていたりとかで、強さに割と幅があるけど、ほとんどは数十人規模のパーティーが何度か全滅するのを覚悟して、何とか倒せるかどうかっていう怪物達よ」

 

『神獣』の単語にゴウは以前、大悟が純色の六王について話してくれた時のことをふと思い出した。

 

「……確か青の王《ブルー・ナイト》の通り名の一つに《神獣殺し(レジェンド・スレイヤー)》があったような……」

「あら、知っているのね? 彼がソロで神獣(レジェンド)級を倒したことからそう呼ばれているの。他に神獣(レジェンド)級をソロで倒したってバーストリンカーは聞いたことないわねぇ」

 

 確かに何人も他に同じことができる者がいれば、そんな大仰な通り名で呼ばれることはないだろう。未だ直接目にしたことのない、王に対する畏怖の念がさらに強まる中、後ろからメモリーがひょっこりと顔を出す。

 

「そんな神獣(レジェンド)級エネミーが、相手にならない最高位のエネミーも存在する」

「えっ? 今メディックさんがエネミーは四段階に分かれるって……」

「大まかに、ね。ていうかメモリーちゃん、何もこれからエネミー狩りって時に《超級》の話までしなくてもいいじゃない。最初の無制限フィールドのダイブで、あんまり怖がらせちゃ可哀想じゃないの」

 

 どうやらメディックは自分を気遣って超級エネミーなるものの存在を伏せてくれていたらしい。しかし、加速世界についてより深く知りたいと思うのは、ゴウでなくてもバーストリンカーだったら当然だろう。

 

「大丈夫です、メディックさん。メモリーさん、その超級エネミーって?」

「うん。超級エネミーは《帝城》と呼ばれるダンジョン、現実では千代田区の《皇居》に当たる場所で、そこに繋がる四方向の門を守護する《四神》とも呼ばれている存在達のことだ」

「帝城……四神……」

 

 ゴウは加速世界では元より、現実でも皇居を直接見たことはない。まさか現実における重要な場所が同じく加速世界でも、神と呼ばれる存在に守護される高難易度ダンジョンだとは夢にも思っていなかった。同時に国の重要機関の一角にも、加速世界がソーシャルカメラによって再現されているという事実に戦慄する。

 このゲームが一体どういう目的で作られたのか俄然気になるゴウだったが、今はメモリーの説明に集中する。

 

「この四神達は加速世界誕生以来、一度も倒されたことがないらしい。過去に数多のバーストリンカー達が、神獣(レジェンド)級エネミーのように大人数でパーティーを組んでもついに倒せなかった。まさに《神》だよ。一体だけを相手にしても、正面突破じゃ王全員が束になっても勝てないだろうな」

「王が……!? じゃ、じゃあそんなの誰にも倒せないじゃないですか。ゲームってどんなに難しくてもクリアできるものじゃないんですか?」

「オーガーちゃんの意見はもっともよ。ほとんどのバーストリンカーもそう思うはずでしょう。でもその答えはブレイン・バーストの『開発者』に会って聞くしかないわね」

 

 理不尽なゲーム難易度に不満を漏らすゴウに対し、メディックからの返答は驚くべきものだった。ゴウは今までブレイン・バーストの運営に関係するものに遭遇したことはない。

 一体どうすればコンタクトが取れるのか気になって、前のめりになるゴウに対してメモリーが苦笑気味に答える。

 

「その条件は『レベル10になること』──らしい。噂レベルの話だから、あんまり期待しないほうがいいよ」

「そう……ですか……」

 

 ゴウの膨らんだ期待が急激に萎む。結局何も分からず終いで落胆していると、一行の先頭を歩いていた大悟が全員に呼びかけた。

 

「見つけた。幹線道路に巨獣(ビースト)級エネミー発見。全員、戦闘準備ー」

 

 それを合図に緩んでいた空気が、何となく張り詰めた。今まで話していたメディックとメモリーの雰囲気も、若干引き締まったものへと変わる。

《荒野》ステージでは現実のビル群が岸壁となっている。そんな岸壁の陰から、かなり離れたここからでも巨大であることが分かる、何かがゴウにも見えた。

 無数の大岩が集まってできた四足獣のような姿だ。牛とも犬ともつかない長い口吻部のついた頭部。柱のように太い四肢の先には、尖った爪の形をした岩が三つ付いている。肢よりもいくらか細い、地面に付きそうな長い尾を揺らしながら、エネミーは悠然と歩いていた。

 

「よし、じゃあ前衛は俺、コング、キューブ。後衛はキルン、メモリー、リキュール、メディック。気ぃ引き締めていくぞー」

 

 おおー、と返す一同。いきなり野獣(ワイルド)級をすっ飛ばして巨獣(ビースト)級エネミーとの戦闘になることも予想外だったが、自分の名前が呼ばれなかったゴウは、おそるおそる大悟に質問する。

 

「あのー、師匠? その、僕の役割は……」

「うん? おぉ、もちろん忘れていないぞ。初めての集団戦闘だからな。きちんと指示を出す」

「あぁ、よかった。それでは初めに何をしたらいいんですか?」

「おう。まずは──死ね」

 

 ゴウは頭の中が真っ白になった。

 



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第十三話

 第十三話 仲間と共に

 

 

 無制限中立フィールドでの《死亡》については、アウトローに向かう道すがら、大悟から簡単に説明を受けていた。

 死亡した座標に己のデュエルアバターと同じ色をした《死亡マーカー》が回転し、六十分のカウントが刻まれる。死亡した当人はカウントがゼロになるまでは、自分自身だけにしか見えない半透明の幽霊状態になり、死亡地点より半径十メートル以内の移動と、白黒のモノトーンになった周りを眺めることしかできない。

 つまり、今のゴウの状態を指している。

 

 

 

 遡ること数十分前。大悟に「死ね」と指示され、しばし思考停止するゴウ。どうも自分は理解できないことに直面すると固まるな、と自己分析しつつ、軽く深呼吸してから大悟に確認をする。

 

「……つまり、あのエネミーに突進して死ねってことですか?」

「おっ、よく分かったな。別に意地悪で言ってんじゃないぞ。体力が削れた今のお前さんじゃ、どっちにしろ戦闘中に死んじまうからな。体力が心許ないとどうしても動きが萎縮気味になるから、まずはあのエネミーの動き、そして俺達の立ち回りを見ておくんだ」

 

 確かに今のゴウの体力ゲージは、先の小獣(レッサー)級エネミーとの戦闘で半分を下回っている。ゴウにとっては、この辺りの主と言っても過言ではない迫力の巨獣(ビースト)級エネミー相手に、そのまま戦闘しても早い内に体力がゼロになるのは目に見えているだろう。

 どうやら大悟はダメージを受けることがない、ある意味では安全とも言える死亡状態で集団戦闘のやり方を見せることが目的らしい。

 

「オーガー、ファイトー!」

「当たって砕けろー」

「最初はぶつかって、後は流れでー」

 

 他のメンバーの励まし(?)も受け、覚悟を決めたゴウはエネミーに見つからないように近くまで接近すると、エネミーの注意を引くことも兼ねて、大声で叫びながら岩石の巨獣に立ち向かっていった。

 

「うおおおおおおっ!!」

 

 ゴウは気合と共に、拳をエネミーの肢の一本に打ち込んだ。すると、エネミーの肢を構成する無数の岩の二、三個が瓦解し、エネミーの三段ある体力ゲージの一段目がわずかに削れる。

 それを確認したところでエネミーの肢が重々しく持ち上がり、ゴウは一瞬で踏み潰された。

 

 

 

 こうして今の待機状態に至る。幸いだったのかは不明だが、一瞬で踏み潰されて爆散したことで、痛みは全くといっていいほど感じなかった。体力が半減した状態での即死だったが、おそらく無傷の状態でも、一割でも体力が残れば良い方だろう。

 いずれにせよ、あの巨体からの攻撃を一撃でもまともに受ければ死に繋がるということを学んだゴウは、事前に言われていた大悟達の戦闘を幽霊状態でじっと見守っている。

 率直に言って、アウトローの面々の戦いぶりは見事なものだった。前衛メンバーがエネミーを撹乱しつつ、ヒット&アウェイで少しずつ体力を削る。後衛メンバーは前衛の補助や隙を見せたエネミーに攻撃し、ダメージを与えていく。それぞれが自分の力を最大限に活かし、連携していることが集団戦の経験が無いゴウでも分かるくらいだ。

 だが、エネミーの方も、メンバー達の動きを捕らえ切れてこそいないものの、岩石で構成された体と、その巨体によるタフネスは相当なもので、アウトローメンバーの幾度もの攻撃を受けて、ようやく一本目の体力バーが消えたところだった。

 この間約三十分、エネミーの攻撃パターンはある程度読めた。巨体を生かした超重量の頭突きや踏み付け、岩の爪による引っ掻きの他、一つがアバター一体分の大きさはありそうな体を構成している岩を、体を震わせることでばら撒いたり、口からは塵旋風(じんせんぷう)のようなブレス攻撃まで放ってくる。

 そんな猛攻を時には受け流し、時には紙一重で躱すメンバー達を、ゴウは凄いと思うと同時に、もどかしい気持ちを感じていた。自分もあの中で戦いたい、協力してエネミーを倒したいと思っていたのだ。

 戦闘に入る前は気後れしてしまうゴウだが、一度戦端が開けば体が勝手に反応するようにいつしかなっていた。それは、ゴウ自身でさえ自覚しきれていない、闘争を求めるバーストリンカーとしての本能の一つでもあった。

 目の前の戦闘に注視しつつ、じりじりと近付く待機時間のカウンターにも気を配る。やがてカウントがゼロになるとデュエルアバターの姿が再構成され、視界にも色が戻った。

 体力が全快したことで死亡前よりも体が軽くなった気がしていると、自分を呼ぶ声がする。

 

「オーガー君!」

 

 リキュールだ。こちらに向かって走ってくる。

 両腕で抱えているのは、酒瓶にグリップやトリガーを取り付けたような珍妙なデザインをした銃。《遠隔の赤》に属するリキュールの強化外装だ。先程から後衛担当として弾丸を撃ち出しては、前衛を援護していたのをゴウは待機状態で確認している。

 

「今からボンズさんの所に向かってください。詳しい指示はそこでするそうです。今のエネミーのヘイトは前衛の人達に向いているけど、踏み潰されないように注意してね。念の為、私が援護します」

「はい!」

 

 リキュールの伝達を受けたゴウがボンズの元へと走っていると、エネミーが奇怪な雄叫びを上げながら、前肢を上げて後肢だけで立ち上がった。

 今までの戦闘では見られなかった行動は、後肢で立ちながら(いなな)く馬のようにも思える。エネミーはそのまま、全体重をかけた前肢で一息に地面を踏み付けた。

 直後、エネミーが踏んだ周辺の地面が波打ち、衝撃が地面を通ってゴウを硬直させる。他の前衛メンバーも、エネミーの踏み付けのショックで、ゴウと同様のスタン状態に陥っていた。

 その隙を逃さず、エネミーが大きく息を吸い込み、胸腔部分がみるみる内に膨らんでいく。

 あの予備動作は死亡状態でも見た、砂塵ブレスの前兆だ。照準はエネミーの真下にいる前衛メンバー達に向けられ、まともに受けたら大ダメージは免れないだろう。だが、ブレス攻撃が来る直前にゴウの後方から声が上がった。

 

「《イグナイト・バズーカ》!」

 

 凛とした声の後にドガァン!! と派手な音を立てて発射された砲弾が、エネミーの顔面に直撃した。

 着弾箇所から炎が上がり、エネミーがたまらず攻撃を止め、激しく頭を振り乱す。炎はエネミーの顔に纏わり付き、少しずつではあるがエネミーの体力を削っていった。

 

「行って!」

 

 声に振り返ると、リキュールが片膝を着いた状態で、先端が蝶番(ちょうつがい)のように開き、銃の口径が大きくなった、バズーカ砲に変じた強化外装を担いでいた。砲口からは薄く硝煙が棚引いている。

 援護を受けたゴウは、リキュールへ軽く頭を下げてから再び走り出し、一気に大悟の元に到着した。

 すでに踏み付けの衝撃から立ち直っている大悟がこちらを向き、軽く片手を上げる。

 

「よう、来たな。早速働いてもらうぞ」

「まずは何をしますか?」

「あいつの動きを封じる。今までの戦闘で右の前後肢に集中してダメージを均等に与えているから、もう少しすれば体を支えきれなくなるはずだ。そうなったら倒れたところを反撃に注意しつつタコ殴りにする。しばらくはお前さんも俺達と一緒に攻撃に加われ。合図を出したら、強化外装で一気に決めろ。いいな?」

「はい!」

 

 大悟の指示を受け、エネミーの足元に向かうゴウ。エネミーの顔に纏わり付いていた炎はすでに消え、岩の奥に埋まった眼球からは強い敵意が感じられる。

 そんな視線にも構わず、ゴウはエネミーの右前肢部分にある、間接らしき部分に蹴りを繰り出した。体力をほんの少しだけ削ってから、踏み潰されず、離れすぎない程度に距離を取る。

 するとエネミーは前肢を上げ、踏み付けるのではなく横薙ぎに肢を振るった。重量級アバターの体当たりの、軽く五倍は威力がありそうな岩の肢が迫る中、突如エネミーが咆哮を上げ、狙いを外した肢がゴウの頭上を掠めていった。

 見るとエネミーの右後肢を、コングとキューブが攻撃して態勢を崩していた。こちらへの攻撃から逸らしてくれたらしい。更に後衛の援護攻撃がエネミーの背中やら肩やらに当たり、エネミーの体力がじわじわと削れていく。

 ゴウは時に他のメンバーからフォローされつつも繰り返し攻撃を続けていき、ついにエネミーの二本目の体力バーが消えた。

 続けてコングの拳による一撃を受け、エネミーの右前肢の足首に当たる部分が砕け散った瞬間、大悟から鋭い声が飛ぶ。

 

「オーガー! 今だ、肢を砕け!」

「はい!」

 

 指示を受けて走り出したゴウは右手を掲げ、己の武器の名前を叫んだ。

 

「着装──《アンブレイカブル》!」

 

 走るゴウの右手に白い光が結集し、とある武器を形作る。光が消え切る前に両手で強化外装を握り締めたゴウは大上段から袈裟切り気味に、今までの戦闘ダメージによってできた、いくつもの傷とひび割れの跡が残るエネミーの肢へと、強化外装を振り下ろした。

 

「はあああああああっっ!!」

 

 バギャァアア!! と耳障りな音を立てながら、エネミーの右後肢の足首が粉々に砕け散る。

 ぐらつくエネミーが、今まででの比ではない大音量の咆哮を上げながら、右向きに倒れていった。

 

「うわ、わわわわわわ……」

 

 轟音を上げながら真上から降ってくる巨体に慌てながら、ゴウは強化外装を肩に担ぐと、今いる場所から全速力で逃げ出した。なんとかエネミーの下敷きになるのを回避すると、やや遠くから大悟の声が届く。

 

「そのまま腹の周辺を攻撃し続けろ! 体を震わせ始めたら、岩が発射されるから注意しろよ!」

 

 

 

 それから約十分後。誰が止めを刺したかゴウには分からなかったが、横臥状態で尚も暴れ続けた岩石の巨獣は、体力を全て削られたことで、いくつもの光の粒となって宙に消えていった。

 エネミーを倒したことによるポイント加算メッセージが表示されていると、ゴウはいきなり誰かに肩をバシバシと叩かれる。驚きつつ振り返ると、背後にいたコングが声を弾ませた。

 

「やるじゃんか、オーガー! い~い戦いっぷりだったぜ。その強化外装も凄え威力だしよ。何てったっけ? それ」

「あ、ありがとうございます。これは《アンブレイカブル》です。レベル2のレベルアップ・ボーナスで手に入れたんですけど……」

 

 ゴウは先端を地面に着けていた自分の強化外装を見つめる。

 それは、丸い(びょう)のように盛り上がった部分が規則的に並んだ、持ち手まで含めれば百五十センチ近い長さになる金棒だ。色はオーガー自身のダイヤモンド装甲と同じく白っぽい透明。

 正確には金砕棒と呼ばれるらしい形状をしたこの武器を、レベルアップ・ボーナスで確認した時、ほとんど一目惚れだった。他のボーナスを確認しても気持ちは変わらず、正に『鬼に金棒』状態になることを期待して取得したゴウだったが、実際はそう上手くはいかなかった。

 いざ取得して手に取った《アンブレイカブル》は非常に重く、レベル2だったオーガーの《剛力》アビリティをして、両腕で持ち上げるのが精々というとんでもない代物だったのだ。  

 レベル8の大悟でさえ、わずかにふらつきながら取り回し、「こりゃ少なくとも今のお前さんじゃ、実戦じゃ使えんな」とだけ言って、すぐに返されてしまった。

 レベルアップ・ボーナスの内容は簡単なモーションや形状しか表示されず、詳細が分からないという落とし穴をレベル2にしてゴウは身を以って学んだ。だが、止むなく必殺技ゲージチャージの為にステージのオブジェクトの破壊に使用していた際に、この強化外装の長所に気付いた。

 一度確認にと、大悟との《稽古》で大悟の蹴りが迫る中、とっさに盾代わりに召喚して柱のように立てたところ、強い衝撃こそ走ったが、《アンブレイカブル》は無傷。その上、蹴りを繰り出した大悟の方がダメージを受けるという結果を引き起こしたのだ。

『壊れない』の意味を持つ《アンブレイカブル》はその名の通り非常に頑丈で、色合いこそ同じでも、オーガー自身の装甲よりも強度が高いことが、この時に分かった。

 その重量故に移動も困難になり、素早い相手には対応しきれなくなるという欠点も、レベル3と4のボーナスを《剛力》アビリティの強化に費やし、加えてレベルアップによって基礎能力が上がった現在は克服しつつある。

 

「ちょっと貸してみせてくれよ──おおぅ、重いな。これ振り回すなんてやるなぁ」

 

 そう言いながらもゴウの差し出した金棒を、大柄のコングはふらつく様子もなく逞しい腕で振るっていた。

 やがて他のメンバーも全員集まり、ハイタッチや握手をしてエネミーに勝利した喜びを分かち合っていると、ゴウは胸の中に何か温かい物を感じた。

 思えば今までも学校の運動会や文化祭で、友達と協力して何かを成し遂げることは多々あったが、それでも今ほど充実した気持ちを抱いたことはなかった。きっと、ほんの数時間前に初めて会った人達でも、心の底から必死に打ち込んで、協力した出来事は心が共感し、繋がるものなのだ。仮想の世界とはいえ、命がけで怪物と戦ったとなれば尚更だと、ゴウはそんな自分なりの結論を出した。

 ──それにもっと早く気付いていれば、今までも親友になれた人がいたのかな……。

 ゴウは引越しによって離れることになった小学生時代の友人達を思い、憂いの表情を浮かべる。そんなゴウの感情はデュエルアバターの姿だったのが幸いしたのか、周りのメンバー達は気付かなかったようで、ゴウはすぐに頭を切り替え、喜びの輪に再び混ざっていった。

 

 

 

 エネミーを倒してから、再びプレイヤーホーム《アウトロー》に戻って祝杯を挙げた後にゴウは戦闘の疲れから眠ってしまった。次に目を覚ますと誰かが運んでくれていたのか、ソファーの上に寝そべっていた。

 起き上がると、それに気付いた大悟に声をかけられる。

 

「起きたな、そろそろログアウトするぞ。もうすぐ設定したタイマーが作動する頃だ」

「タイマー……?」

「あぁ、詳しくは歩きながら話すよ。ほら、しゃきっとしな」

 

 覚醒しきっていない頭で、ゴウはソファーからのそのそと立ち上がった。

 メンバーからは「お疲れ様! また来週ね」「これからもよろしく頼むよ」と暖かい言葉を受けながら、ゴウはアウトローの面々と挨拶してホームを後にする。裏に回って再び何やら作業をしていたキルンにも挨拶すると、彼は振り返って片手を挙げた後、すぐに作業へ戻っていった。

 

「──初めに無制限中立フィールドでログアウトするには各所の離脱(リーブ)ポイント、ポータルを利用するしかないと言ったが、単純にログアウトするだけなら方法はいくつかある。その一つはタイマーを利用したグローバル切断だ」

 

 ポータルに向かう道中、大悟による本日何回目かのレクチャーを受けるゴウ。寝起きから完全に目覚め、大悟がダイブ前にしていたことを思い出す。

 

「もしかして、ダイブカフェで師匠が最初にやっていた──」

「そう。メールを送った時に平行して、タイマーをセットしていた。今回あそこを選んだのは、有線接続が可能だったからだ。ここにダイブする時はホームサーバーとか、据え置きPCとかで有線経由でグローバル接続をしたほうが良い。何でだと思う?」

「……エネミーの襲われた時の為の保険ですか?」

 

 ゴウは巨獣(ビースト)級エネミーとの戦闘前に、メディックがエネミーについての解説で、群れに襲われることもあると話してくれた。つまり、それは予想外の強襲に直面する可能性もあるということ。

 これは正解だったようで、大悟は軽く首肯する。

 

「他のバーストリンカーに狙われることもあるが、『連続で倒され続ける』なんてことはそうは起こらない。それでも何が起こるか分からないのがこのフィールドの怖さでな。悪意を持ったフィジカル・ノッカー、《PK集団》。後は縄張りを持ったエネミーの縄張り深くで、死んでは生き返ってを繰り返す《無限EK(エネミー・キル)》。もっとも、後者は蘇生してすぐに逃げれば、縄張りから出られるケースがほとんどだが……」

 

 物騒な名称をちらほら出しながら、大悟が続ける。

 

「ただし、回線の自動切断でログアウトした場合、次にここにダイブした時には、ログアウトした地点に自動出現しちまうんだ。だから基本はその場しのぎの緊急避難にしかならない」

「基本的に、ポータルを利用する必要はあるんですね?」

「まぁな。これを利用して再ダイブ時に、現実のどこにいてもその場所にすぐ出現することをメリットにしたりする奴もいる。そこは使いようだな」

 

 歩きながら話している内に二子玉川駅へと辿り着くと、構内に入ってすぐに、ゆっくり回転する楕円形の青い光が見えた。揺らめく光はどこか神秘的な雰囲気を醸し出している。

 

「あれがポータル。あの中に入った瞬間にログアウトして現実世界に戻れる。さぁ、帰るか」

 

 

 

 現実世界のダイブカフェに戻ったゴウは現在の時刻を確認する。

 分かってはいたが、向こうにダイブして約半日。しかし、現実では一分も経っていないという事実。自分としては大冒険と言っても差し支えないあの濃密な時間は、現実では一瞬の出来事に過ぎないとは、すぐには受け入れ難かった。

 対面して座っている大悟はあくびをしながら、ケーブルをルータから引き抜いて片付けを始めている。

 

「初ダイブお疲れ。こっちで一分そこらなのに向こうで半日も過ごしていたなんて信じられないだろ?」

 

 まさに考えていたことを見抜かれ、頷くゴウ。そんなに顔に出ていたのかと顔に軽く手で触れているのを見て、大悟は小さく笑いながら、部屋に入る前に買っていた飲み物の蓋を開ける。

 

「気にすんな、誰もが思うことだよ。んー……一応、一時間分の料金を払ったわけだし、少し話すか」

 

 それからは、大悟にアウトローでの毎週の集まりについて、プレイヤーホームの仕組み、ホームまでの道のりに関して、エネミーとの戦い方などを、質問を交えながらゴウは聞いていた。

 

「──ってことだな。今日は最初だから万全を期したやり方を教えたが、戦闘が目的じゃないなら、律儀に毎回タイマーの準備までしなくてもいい。それと集まりは強制じゃないから、無理に毎週行くことはないぞ」

「大悟さんは毎回行っているわけじゃないんですか?」

「月の内の一回か二回は行かない週もある。あんまり人数が揃わないとエネミー狩りもしないし、そんなときはその場にいる奴の話を聞くのも勉強になるぞ。連中、お前さんよりもずっと長いことバーストリンカーやっているからな。……さて、そろそろお開きにするか」

 

 部屋のレンタル時間が近付き、帰り支度をし始めていると、ふとゴウの頭に大悟が少し前に言っていた台詞がよぎる。

 通常対戦では加速して三十分、現実ではわずか一.八秒。だが、無制限中立フィールドで一週間過ごしたとしても、現実世界では約十分しか経過しない。ただし加速世界で過ごした記憶は、現実世界に戻ってもそのまま残っている。つまり──。

 

「……大悟さん」

「ん? どうした」

「大悟さんは今までどれくらいの時間、向こうで過ごしてきたんですか? ……一体、何歳からバーストリンカーだったんですか?」

「………………」

 

 今までブレイン・バーストに対するゴウの質問に答えないことはあっても、すぐにレスポンスがあった大悟が初めて沈黙し、下を向いた。その姿にゴウは確信を得る。

 バーストリンカーである期間が長ければ長いほど、加速世界で過ごす時間が長くなる。しかし、加速状態になっていても、肉体はその時間の分だけ成長することはない。つまり、精神のみが過ごしてきた時間の分だけ、肉体とのズレが生じるのだ。

 確かに大悟の見た目は体格や顔立ちによって大人びて見えるが、それにしたところで中学三年生にしては、精神的にあまりにも成長し過ぎているように感じられる。仮に加速世界で長く過ごすことによって、精神的に成長していたとしたら辻褄は一応合う。一体彼は何年の時を加速世界で過ごしてきたのだろうか。いや、もしかして何年どころか何十年──。

 

「その疑問に行き着くのは当然だな。思っていたより随分と早いが」

 

 大悟が観念したように口を開き、ゴウの方へ向き直る。

 

「まず俺のブレイン・バーストの累計プレイ時間……そうだな、少なくとも現実世界で生きた時間よりずっと長い時間を過ごしている、と言っておこうか。ははは、ゲーム廃人も真っ青だ」

 

 どこか自嘲気味で笑う大悟。累計ではあるが、実年齢以上の時間を加速世界で過ごしていると自ら認めたのだ。

 

「それと、いつからバーストリンカーだったのかって質問だが、これは教えられないな。少なくとも今は」

「ど、どうしてですか? 何か問題があるんですか?」

「その知りたがる姿勢は悪くないけどな、俺にも言い辛いことの一つや二つはあるんだよ」

「あ……」

 

 綿で覆われた鉄の扉のように、大悟は口調こそやんわりとして穏やかだったが、はっきりとした拒絶の意志が感じられた。

 それに対してゴウは押し黙り、さすがに詮索をしすぎてしまったと反省をする。

 

「……ブレイン・バーストは決して、その人間にとって全てがプラスに働くものじゃない。長くやればやるほど『思考を加速する』という性質上、現実を果てしなく薄めていく。他のゲームの比じゃないほどにな」

 

 かつて大悟は、「現実を疎かにするな」とゴウに忠告していた。

 ゴウはバースト・ポイントを勉強やスポーツ等、実生活に利用したことはない。理由の一つに、加速の力を使う内に依存してしまうのに懸念があったからだ。大悟の言葉はその考え方と同様のものと考えていたのだが、それだけではなく、ブレイン・バーストというゲームの性質についても含まれていたのだ。

 確かにそれは、肉体も精神も成長途中である子供にとって、手放しに良いことだとはいえないのかもしれない。しかし──。

 

「でも……それでも僕は大悟さんに、ブレイン・バーストに出会えて良かったと思っています」

 

 もし、ブレイン・バーストを知る前に時間を戻せたとしても、そうしようとはゴウは思わない。大悟との出会いを、逆境から立ち上がって勝ち取った勝利を、アウトローの仲間達との共闘を、そして以前より前を向けるようになった自分をなかったことにはしたくない、してはいけないと思えるからだ。

 大悟はゴウの言葉を聞いてしばらく黙っていたが、やがて少しだけ笑みを見せた。

 

「俺も……お前さんを《子》にして良かったと思っている。それにさっきはああ言ったが、いずれ話す時だって来るだろうよ」

 

 こうして二人は、ダイブカフェを後にしてその日は別れた。

 大悟の言っていた通り、後にゴウは大悟への質問の答えを知ることになる。それがさして遠くない未来のことであるとは、この時のゴウはもちろん、大悟でさえ予想すらしていなかった。

 



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災禍の鎧篇
第十四話


 第十四話 ミステリアス師匠

 

 

 夏の後の過ごしやすい秋はすぐに終わり、寒い冬になったかと思えば、あっという間に新年、西暦二〇四七年を迎えていた。

 振り返る度に年々一年が過ぎるのを早く感じてしまうゴウとしては、十三歳の現在でこれでは、二十歳になる頃には、赤系のレーザー攻撃のように一年があっという間に過ぎてしまうのではないかと冗談交じりに考えてしまう。

 ただし、思考が千倍に加速しているブレイン・バースト中はそんなことは微塵も考えない。たとえ自分が戦っていなかったとしても。

 現在ゴウは、特定のデュエルアバターを登録することでそのアバターの対戦を観戦することができる《自動観戦予約》によって、自動的に加速した観戦者、つまりギャラリーとなっていた。

 ギャラリーになれるのは、対戦開始場所のエリアが自分の現実にいる位置に含まれている場合に限られ、もちろん自分は戦えないものの、他のバーストリンカー達の戦いを見るのは楽しいし、勉強になるものだ。

 今回のステージは《原始林》。植物群が生い茂るジャングルで、視界は木々によってかなり悪く、大小多くの動物型オブジェクトが徘徊する、いろんな意味で退屈しないステージだ。

 戦況としては小柄で身軽な緑系のアバターを、大柄な赤系アバターがごついマシンガン片手に追いかけるという構図になっていた。現在、緑系アバターの方が体力は多く残っていて、このまま制限時間まで逃げ切ろうという魂胆らしい。

 片や赤系アバターはそれを許すまいと、時折銃撃を逃げるアバターに浴びせながら追跡するも、植物達が障害となって中々当たらない。すでに対戦時間は終了まで数分を切っていた。

 

「これは勝負が見えたかもね」

 

 対戦を見守るゴウの隣にと同じくギャラリーである、アバターの一人が並んだ。夜空の月のような白い装甲にほっそりとした体つき。狐のデザインをした頭部を持つアバターは、ゴウのよく知る人物だ。

 

「フォックスさん、こんにちは。それってフロッグが逃げ切るってことですか?」

「そ、これだけ障害物が多いと、銃持ちの方は厳しいでしょ。……それにしてもオーガー、最近リアクション薄くない? ちょっと前までいきなり声かけたらビクッってなってたのに。つまんないの」

「えぇ……? そ、そんなこと言われても……」

 

 ゴウがブレイン・バーストを始めて最初に対戦したムーン・フォックスは、現在のレベルはゴウと同じ4。今でも週に一度はほぼ対戦しては、勝ったり負けたりを繰り返している、ライバルの一人と言っても過言ではない存在だ。

 当時はF型、つまり女性とは知らず(そもそもそんなことを考えている余裕がなかった)、完敗のデビュー戦の翌日にこちらから乱入した再戦時には、散々地面に叩き付けた挙句、必殺技の正拳突きで顔面を殴り飛ばして勝利するという、男性としてはあまりにいただけない方法で勝利した。

 ところが、負けた当人はちっとも気にしておらず、次回の対戦時にはF型と知り萎縮してしまうゴウは、彼女の尻尾でぶっ飛ばされてしまった。

 これにより活を入れられたゴウは、フォックスがバーストリンカーに男女の差などないと教えてくれたことを密かに感謝している。さすがに気恥ずかしいので、本人には軽く礼を言うだけだったが。

 ちなみにフォックスのメインウェポンでもある尻尾は、戦闘中に三本まで増やせるという、対戦相手としては全くありがたくない成長を遂げていた。

 そんなフォックスは対戦時以外では、比較的気さくで人当たりが良いので、ギャラリーで会うと、このように度々ゴウに声をかけてくれている。

 

「冗談だよ。まぁ、《親》があのアイオライト・ボンズなら嫌でも度胸が付くか」

「あははは……」

 

 フォックスに対して曖昧に笑うゴウ。

 実はレベル4になるまでゴウは、対戦終わりなどに聞いたこともない中小レギオンから、果ては六大レギオンの一角に至るまで、何度かスカウトを受けたことがある。さすがにその場で即決はせずに大悟に相談すると、「レベル4になるまではとりあえず無所属でいてくれ」と言われ、返事を保留していた。

 当時は大悟の真意は分からなかったが、レベル4になって無制限中立フィールドに存在するプレイヤーホーム《アウトロー》に連れて行かれたことで、その疑問は晴れた。

 アウトローは厳密にはレギオンではないただの集まり、サークルのような存在なのだが、それでもゴウは居心地の良いあの場所以外に腰を落ち着けようとは思わなかった。訪れた当日から巨大なエネミーとの戦闘、祝杯と称しての宴会、個性的なメンバー達、それら全てに戸惑いながらも楽しいと心の底から思えたからだ。それ以来ゴウは週に一度の集まりにも、ほとんど欠かさずに出席している。

 それ以降、レギオンの勧誘もすっぱり断ったのだが、それでも食い下がる者は何人かいた。困ったゴウははっと閃き、「どうしてもと言うなら自分の《親》に相談してほしい」と言って大悟の名前を出すと、それ以降ぱったりと勧誘は来なくなった。

 以前に聞いたように、どうもミドルレベル以上のバーストリンカーのほとんどは、アイオライト・ボンズの存在を知っており、その上かなり恐れているようだった。

 ──《荒法師》って呼ばれてんだっけ。今度アウトローの皆にその理由を聞いてみよう。……本人がいないときに。

 

「ところでオーガーは杉並には行かないの? 世田谷辺りに住んでいたら気になるでしょ。《ネガ・ネビュラス》のこと」

「んー、まぁ興味がないわけじゃないんですけど、今のところ特別気になったりは……」

 

 約三ヶ月前、加速世界に激震が走った。かつて《純色の七王》の一人として数えられていた《黒の王》が約二年の時を経て、再び表舞台に舞い戻ってきたのだ。

 ゴウ自身はそれがどれだけ凄いことなのかほとんど分からなかったが、他のアウトローの面々は、それぞれがかなりの驚きを見せていた。聞くと、約二年前に黒の王は、ほぼ同時期にレベル9となった他の王達が停戦協定である、相互不可侵条約を提案する中で唯一人、異を唱えていたらしい。

 何故そんな論争が起きたかというと、レベル10に至るには同レベルのバーストリンカー、つまりはレベル9の王であるバーストリンカーを五人倒す必要があるからだ。しかも、レベル9同士の対戦は負けた方がポイント全損をするという、強制的なサドンデス・マッチになってしまう特殊ルールが存在しているのだという。

 そして、王同士の会合の最中、黒の王は停戦を強く唱える《赤の王》を討ち取り、他の王達との戦闘の末に逃亡。それ以来、加速世界最大の賞金首として、多額のポイントがその首に懸けられ続けていた。

 会合での謀反以降、黒の王の名はどのエリアのマッチングリストにも一度として表示されず、一部ではすでにポイント全損したという噂まで流れていたという。そんな中での復活は一般のバーストリンカーはもちろん、六大レギオンをさぞ驚愕させただろう。

 だが、黒の王が再び姿を見せたことだけが驚きの原因ではなかった。黒の王は自身の《子》を作っていたのだ。

 その名は《シルバー・クロウ》。加速世界始まって以来初の《飛行》アビリティ持ち、翼を持つデュエルアバター。

 こうして黒のレギオンは再び動き出しはしたものの、現在所属メンバーが三人ということもあってか、三ヶ月経った現在でも領土は杉並に留まっている。

 それでも六大レギオン改め、七大レギオンの残り六つは、黒のレギオンの動向一つを取っても気が気じゃないのだろうと、ゴウは漠然と思っていた。

 そんなゴウの返答に、フォックスは対戦を眺めつつ、ふーんと返す。

 

「そんなものなのかな。まぁ、シルバー・クロウも最近は攻略され始めて、最初よりも勢いは落ち始めたらしいけどね」

「やっぱり、誰でも一度は壁にぶつかるんじゃないですか? 僕もそうだったし……」

 

 最初は《飛行》によるアドバンテージで凄まじい勢いで成長していたシルバー・クロウも、以前のゴウと同様に攻略法が見つかり始め、現在のレベルで足踏みしているようだった。

 かつて遠距離攻撃と強力な打撃攻撃に苦しんでいたゴウも、現在では少なくとも一方的な負けはなくなり、勝率も増えてきた。彼も自分の壁を乗り越えて、いや飛び越えていくのだろうか、とギャラリーで数回だけ見たことのある、空を舞う鴉について考えていると、フォックスが呟いた。

 

「あ、時間だ。やっぱり逃げ切ったか。じゃ、またね」

「え? あ、ああ、じゃあ、ま──」

 

 ゴウがフォックスへ別れの挨拶を言い終える前に、長い鬼ごっこを逃げ通した緑アバターの判定勝ちによって対戦フィールドが消滅した。

 

 

 

「ボンズについてぇ?」

「はい。教えてくれませんか?」

 

 無制限中立フィールド、世田谷エリアに佇む一軒の平屋型プレイヤーホーム、アウトローは数人のバーストリンカー達の集会所として存在している。

 数日前のフォックスとの会話で大悟について気になったゴウは、珍しく大悟だけがまだ来ていないのを良い機会と思い、ホームに備え付けられたカウンターバーでフォレスト・ゴリラことコングに質問をした。

 

「そんなん《子》のお前が聞けば答えてくれんじゃねえの?」

「いや、師匠って全然自分のこと話してくれないんですよ。聞いてもはぐらかしてばかりだし」

 

 深皿に盛られた豆のようなものをポリポリ食べているコングに、ゴウは頭を掻きながら説明する。

 大悟はゴウと出会う前について殆ど教えてくれないのだ。分かっているのはレベル8のハイランカーで接近戦の達人であること。このプレイヤーホームを当時の仲間と購入したこと。《荒法師》の二つ名で知られ、かつてはかなり暴れていたらしいということくらいだった。

 現実では同じ中学校に通う中学三年生で(風貌はそれ以上の年齢に見えるが)、偶然とはいえ妹の蓮美と去年の夏休みに出会い、自宅の場所まで知ってはいるが、それ以上のプロフィールはゴウには分からない。ちなみに夏休みに成り行きで入った大悟の部屋は殺風景とまでは言わないが、趣味に関わりそうな物も特に見られなかった。

 

「師匠の名前を出したら、レギオンの勧誘もぱったりなくなるし──いや別にそこに入りたかったわけじゃないんですけど……あの人って昔、何をしたんですか?」

「そういうことなら、ちょっとだけ教えちゃおうかな、ボンズちゃんのこと」

 

 バーカウンターから、ぬっと顔を出したエッグ・メディックがそう言うと、他のメンバーもどうしたどうしたとぞろぞろ集まってきて、椅子やらソファーやらを動かしてゴウの周りに座り始める。

 

「ボンズちゃんはね、今でこそ結構落ち着いているけど、初めて出会った頃はもう血気盛んって言うのかな、ガンガン対戦していたのよ。相手との相性なんて関係なくね。負けることも多かったけど、それでも戦う内に成長していって、レベルも上がって有名になっていったの」

「誰彼構わず対戦申し込んでは暴れ回る僧兵アバター、だから《荒法師》。俺との出会いも対戦がきっかけだったなぁ」

 

 メディックの説明に、コングが懐かしそうに頷いた。

 やはり大悟は戦いの中で成長していき、二つ名が付くほど有名になったようだ。

 それからメディックは声のトーンを落とし、少し悲しげに話を続けた。

 

「そんなボンズちゃんには常に行動を共にしていたバーストリンカーが二人いたの。二人共このホームをあたし達と一緒に買った大切な仲間……」

 

 以前大悟はコング、メディック、その他二人の仲間と一緒にアウトローと名付けた、このプレイヤーホームを購入したと言っていた。今はもういない、とも。

 気にはなるが、沈んだ口調のメディックを見るにさすがにずけずけと聞いてはいけないことだと察し、ゴウは自重して黙って話を聞いていた。

 今度はコングが説明を引き継ぐ。

 

「その二人が去って、ボンズはここに来なくなった。その間、二十三区中で対戦したり、無制限フィールドを巡っているって噂を聞いた。欠けた何かを埋めようと、以前より苛烈に戦っていると。そこで付いた二つ名が──」

「《暴虐の僧兵(タイラント・モンク)》だな」

 

 椅子に座って腕を組んでいた小柄なアバター、クレイ・キルンが口を開いた。

 

「ワシがここに加入する前にゃ、あいつは一部でそう呼ばれてた。当時の《純粋色(ピュア・カラーズ)》、現在の王の一人に挑もうと、それを邪魔しようとする取り巻き連中も巻き込んで、連続で十人と対戦をしたって聞くぜ。直接は見てねえけどな」

「じゅ──」

「十人!? そんな《連続対戦》した人なんて聞いたことないですよ!」

 

 ゴウよりも先にワイン・リキュールが驚きのあまり大声を出すが、それも無理からぬことだった。

 通常対戦は勝者が加速停止をするか、三十分の制限時間を終えることで対戦ステージは消滅するのだが、勝者が望むなら対戦終了後にギャラリーに対戦を申し込んで、その相手の同意を得られさえすれば、連続で戦える仕様がある。これが連続対戦。

 体力と制限時間は戻り、ステージも変更されるが、それでも一回対戦してから間を空けずに再度対戦をするのは想像以上に難しい。

 ゴウも駆け出しの頃に一度だけやったが、二回戦目は一回戦目の精神的疲労からか、動きに精彩を欠き、結局負けてしまった。

 ましてやその数が十人ともなれば、当時の大悟のレベルも、その対戦相手のレベルも知らないゴウでも、その凄さだけは充分に理解できた。

 

「やっぱ、ボンズって凄いんだねぇー。でも俺は二年前の件で有名になったと思ってたんだけど」

 

 のんびりした口調で感想を漏らすアイス・キューブに対し、インク・メモリーが補足を始める。

 

「まぁ、《十人切り》は直接見た人が少ないし、かなり昔の話だからね。与太話と思われても不思議じゃない。今のミドルランカーじゃ二年前にボンズのことを知った、って奴がほとんどだろうな」

「その『二年前』って何があったんですか?」

 

 またまた新たな情報が出てきて、ゴウはメモリーに訊ねた。

 

「約二年半前に黒の王が赤の王を全損に追い込んだのは知っているだろう? それによって赤のレギオン《プロミネンス》は恐慌状態に陥った。なにせ、いきなりトップが退場してしまったんだからね。そんなプロミネンスの領土を他のレギオン達が狙うのは当然。マスター喪失で意思がバラバラのプロミネンスはメンバーが抜けるは、領土戦では敗北が続くはで、結果的に領土もメンバーも半減して、このまま大レギオンの一つが崩壊するのかと思っていたんだけどね」

「その前に二代目赤の王が混乱を収めたんですよね。でも、それと師匠に何の関係が……?」

 

 中野や練馬を領土としている赤のレギオンと、世田谷を拠点にしている大悟との関係が想像できないゴウに、メモリーがピッと人差し指を立てた。

 

「ここからが本題。そんな戦乱の中にボンズは自ら飛び込んで、赤のレギオンを狙う連中と戦っていったんだよ。一時的にプロミネンスに加入してまで。それから戦況が落ち着き始めたら、レギオンマスターから《断罪》を食らわないように一ヶ月の雲隠れを経て、ここに戻って来たんだ」

 

 断罪とは、レギオンマスターが所属するバーストリンカーにのみ行使できる、《断罪の一撃(ジャッジメント・ブロー)》という名の特別な必殺技を指していて、ほぼゼロ距離でないと当てられないが、当たれば相手を一撃でポイント全損の永久退場にするという凄まじい特権だった。レギオン所属中から脱退後の一ヶ月間まで行使可能なそれを逃れるのに、大悟が逃げ回っていたというのはゴウにも分かる。だが──。

 

「でも、どうしてそんな全損のリスクを背負ってまで、師匠はプロミネンスを助けようとしたんですか? 師匠は今の停戦状態を良く思っていないみたいなのに、それを肯定していた人のレギオンを建て直そうとしたのがよく分からないんですけど──」

「それはそれ、これはこれだ」

 

 扉が開くと同時に入口からした声に、全員が振り向いた。立っていたのは、話の中心であるアイオライト・ボンズ、大悟だった。腕を組んで憮然とした様子で、こちらに向かって歩き始める。

 

「ったく、ちょっと遅れて来たら何か盛り上がってるし、何を話してるかと思えば俺のことだし、黙って様子見てたら人の身の上ペラペラ喋りまくるし、どういう了見だ」

 

 不満を漏らしながら近くの椅子を引っ掴んで座り込む大悟は、背もたれに寄りかかってフーッ、と大きく息を吐いた。

 ゴウはそんなあからさまに機嫌の悪そうな大悟におそるおそる話しかける。

 

「えぇっと、師匠? せっかくだから教えてくれませんか? 何で当時の赤のレギオンに手を貸したのかを」

「うん、僕も気になるな」

「そうそう、良い機会だしよー、俺らにも聞かせてくれよ」

 

 メモリーとコングもここぞとばかりにゴウの味方をする。他のメンバーも知らない秘密を果たして答えるのかと身構えるゴウに対して、しばらくして大悟がようやく口を開いた。

 

「…………まぁ、言ったところで減るものでも困るものでもないが……。──個人で付き合う分にはともかく、組織が絡むと面倒なしがらみができる」

 

 ふんぞり返っていた状態から座り直した大悟が、いかにも気が乗らなさそうに話し始めた。

 

「初代赤の王《レッドライダー》とは古くからの知り合いの一人でな。昔はよく対戦したもんだ。確かにあいつの肯定する停戦協定に関しては気に入らなかったが、それでも戦友の大切にしていたレギオンがあっさりと消えていくのはあまりに忍びなかった。そこで俺は、崩れかけのレギオンを建て直す手助けでもしようと、分裂したプロミネンスの一団に加わって戦っていた、ってわけだな」

「水くせえなぁ。そんなんだったら俺らだって力を貸したってのによ」

 

 文句を言うコングに対し、大悟は首を横に振った。

 

「領土戦をするにはレギオンに一時的にでも加入する必要があった。もちろんずっと籍を置く気なんざさらさらなかったし、一番酷かった混乱状態が落ち着くと他の奴らも戦いの中で勝率を安定させていったから、さっさと抜けたんだ。プロミネンスの全員が俺の加入に納得していたわけじゃなかったし、さすがに全損は勘弁だったから、戦況が完全に落ち着く前に抜けた方が良いと思ってな。それにお前さん達まで巻き込んで、同じように抜けようとした誰かが万が一にも断罪された日にゃ、俺は手を貸したプロミネンスを、今度は潰す為に動かなきゃいけなくなる」

 

 最後にさらっと恐ろしいこと言いながら、大悟は話を締めくくったが、話を聞き終えたゴウは大悟の行いに鳥肌が立つほどに感動していた。友の大事にしていた場所を、危険を冒してまで守る。これを漢と言わず何と言うのか。

 

「凄く良い話じゃないですか! 何で他の皆にまで言わなかったんですか? 全然後ろめたいことでもないのに」

「あのなぁオーガー、後ろめたかろうがなかろうが、俺は言いたくなかったの! 自慢話みたいになるだろが。大体、動機の半分は派手に暴れられる良い機会だったからであってだな……」

 

 喚き散らして顔を背ける大悟。そんな意外な一面が可笑しくて、ついゴウは笑ってしまう。

《親》である大悟をまだまだ知らないゴウだが、こうして少しずつ知っていけばいいのだ。以前のようにいきなり深く踏み入ろうとしなくても、きっと時を経て分かることも増えていくのだから。

 

「さぁ、さっさとエネミー狩りに行くぞ。──お前らもいつまでニヤニヤしてんだ! 張り倒すぞ……ったく……」

 

 くるりと背を向け、足早にホームを出る大悟。彼の取り乱す姿が珍しいのか、面白そうににやけていた他のメンバーも、あまりからかうと後が怖いと思ったようで、続々と外に向かっていく。

 ゴウもそんな皆の背中を追って、エネミー狩りへと繰り出していった。

 



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第十五話

 第十五話 災禍の鎧

 

 

 大悟が身の上を勝手に語られた鬱憤をエネミー狩りで大いに晴らした、その翌週の金曜日の昼休み。

 ゴウは更衣室で次の授業である体育に備え、体操着に着替えていると、メールの通知に気付いた。

 差出人は大悟からだった。明日にはアウトローの集まりがあるのに一体何の用かと、着替え終えた友達にすぐに追い付くと伝えてから、メールの内容を確認する。

 

『今日の放課後、真っ直ぐ家に帰って、上にダイブをしてほしい。準備ができたらダイブ前にこっちにメールしてくれ。ダイブのタイミングはこちらで知らせる。もしも都合が悪ければ早めの連絡をくれ』

 

 それだけだった。

 上、とは無制限中立フィールドのことだろう。今日は特に予定もないので問題はないのだが、大悟の意図はさっぱり読めない。

 ともかく昼休みももうすぐ終わるので、今は体育館に向かうことにした。

 

「おーい、御堂くーん」

 

 体育館に向かう道中、名前を呼ばれて振り返ると、体操着姿の蓮美がこちらに向かって歩いてきた。

 大悟の妹である蓮美は隣のクラスだが、合同授業で体育を一緒に行っている。夏休みに偶然出会って以来、兄と面識があるゴウに授業以外でも声をかけてくれるようになっていた。

 蓮美が自分のクラスメイトらしき女子二人に「先に行ってて」と言うと、女子達は体育館に向かっていった。

 女子達はすれ違いざまにちらりとこちらを見ると、互いに顔を見合わせてゴニョゴニョと何やら話しながら歩いていったので、ゴウは話の内容が気にはなったが、とりあえず蓮美に向かって挨拶をする。

 

「やぁ、如月さん。どうしたの?」

「いや、大したことじゃないんだけどね。えっと、御堂君って最近、大兄ぃに会ったりする?」

「えっ? ん、えっと……」

 

 大兄ぃ、つまり大悟と会っているかと訊ねる蓮美に対し、ゴウはどう答えるか少しだけ迷う。加速世界では毎週のように会っているが、バーストリンカーでない蓮美に適当な言い訳をして話が矛盾しても困るので、結局現実で最後に会った時のことを話すことにした。

 

「正月が終わってからすぐに一度だけ会ったかな……」

「そっか、だったら別にいいんだ。ごめんね、呼び止めちゃって」

「それはいいけど……大悟さんがどうかしたの? あ、言いにくいなら聞かないけど──」

「あー、ホントに大したことじゃないんだ。ただ大兄ぃ、ここ一週間くらいちょっと様子が変でさ。ご飯食べてる時も上の空だったり、なんだか落ち着かなさそうだったりして、聞いても『何でもない』しか言わないの。もしかしたら御堂君は何か知ってるかなって思ったんだけど……」

 

 心配そうな様子の蓮美の話を聞いてから、ゴウはふーむと考え込む。

 先週も先々週もゴウがアウトローで見た限りは、大悟に不審な様子は見られなかったのだが……。

 ──加速世界でだけど今日会う予定もできたし、ついでにそれとなく聞いてみるか……。

 

「ごめん、力になれなくて」

「いいのいいの、御堂君が謝ることじゃないでしょ。ほら行こ。授業始まっちゃう」

 

 ゴウは心の中で蓮美に対してもう一度だけ、ごめんと謝った。

 バーストリンカーでない蓮美に、「今日加速世界で聞いてみる」などとは当然言えない。大悟の様子がいつもと違う理由が、加速世界に関することだとは限らないが、それでも顔を曇らせる蓮美を見て、何か力になりたいと思わずにはいられなかった。

 否が応でも伝えられない秘密ができてしまうのもブレイン・バーストの弊害だな、と思いつつ、ゴウは蓮美と一緒に体育館へと向かった。

 

 

 

「《アンリミテッド・バースト》」

 

 学校が終わり、家に帰って諸々の準備を済ませ、大悟にメールで指示を受けた後、ゴウは無制限中立フィールドにダイブした。

 目を開くと現実では自分の部屋だった場所は、青黒い鋼板で構成された牢屋のような一室になっていた。外に出たゴウは大悟に待ち合わせに指定された場所へ向かうべく、霧が薄く立ちこめる《魔都》ステージの街並みを駆け出す。

 無人の道路を走り抜けて、待ち合わせに指定された駅に辿り着くと、大悟の分身であるアバター、アイオライト・ボンズが俯きながら、腕組みをして立っていた。西洋風の青黒い建物群の中で微動だにしない僧兵の姿は、まるで場違いな彫像のようにも見える。

 足音が聞こえたのだろう、大悟は顔を上げ、組んでいた両腕を解いた。

 

「おう、急に悪かったな」

「いえ……それよりどうしたんですか?」

「詳しいことは後で話す。早速だが、今から池袋に向かうぞ」

 

 すぐに走り始めた大悟に追従する形で、ゴウは北東へと黙って進むこと数十分。エネミーとの遭遇を回避しつつ、池袋駅付近まで辿り着く。

 池袋は新宿エリア、青のレギオン《レオニーズ》の領土だ。ゴウは月に大体一度か二度のペースで訪れている。有名なランドマークも多い為か対戦のメッカになっているので、少し名の通ったバーストリンカーの対戦なら、平日の夕方でもギャラリーが二十~三十人付くケースもザラだ。

 もっとも、それは通常対戦の話であって、無制限中立フィールドではそれも関係ない。現にゴウはダイブしてから、大悟以外のデュエルアバターの姿を見ていなかった。

 現実と千倍も時間の流れが異なる加速世界では、有名なエネミーの狩場やショップ、ポータルのある場所くらいでしか、偶然バーストリンカーに出会うことは、ほぼ有り得ないと言っても過言ではない。ちなみに、アウトローでの活動の中心である、過疎エリアとも呼ばれている世田谷エリアでは尚更である。

 一体大悟は何の目的で、ゴウをここに来させたかったのだろうか。昼休み終わりに、蓮美が大悟の様子が最近変だと言っていたのも気になるゴウは、前を走る大悟に遠慮がちに訊ねることにした。

 

「──師匠。蓮……妹さんが師匠の様子がおかしいって心配してましたけど、今こうして池袋に向かっているのに何か関係あるんですか?」

 

 一瞬だけ体を硬直させた大悟は足を止めて、ゴウの方を振り向いた。

 

「気ぃ遣わせちまってたか……まぁいいや。池袋には入ったし、ちょっと休憩しよう」

 

 近くの建物の壁に背中を当て、ずるずると座り込む大悟の隣に座ったゴウは大悟の方を向く。前を向く大悟の視線はどこか遠くを見ているようだった。実際に目に映る景色ではなく、まるで過去を眺めているような。

 

「……実は先週あたりから《災禍の鎧》が再び出現したって聞いてな。その動向を俺なりに探っていた」

「《災禍の鎧》?」

 

 大悟の口から出た聞いたことのない名前に、ゴウは首を傾げた。聞くからにしてあまり穏やかなものではないようだが、それが何かはさっぱり分からない。

 

「アウトローでも話題に出なかったはずだし、知らないのも無理はない。俺だってまた名前を聞くとは思わなかった」

「バーストリンカーの通り名ですか? それとも鎧ってことは、強化外装かアイテム? もしかしてエネミーですか?」

「どれもある意味正解で、ある意味不正解。《災禍の鎧》は加速世界の黎明期に存在したバーストリンカーのことだ……一応な」

 

 それから大悟は一人のバーストリンカーについて話し始めた。

 

 ──名前は……《クロム・ディザスター》。黒銀の鎧を装着したデュエルアバターで、凄まじい戦闘能力で目に付く相手は無差別に襲っていた。手足を()ぐなんて当たり前、削れた体力は《体力吸収(ドレイン)》アビリティで相手の体を貪り食って回復する。その姿はほとんどエネミー、というか獣と変わらなかった。

 奴が全損させたバーストリンカーは数知れず。一日一回の乱入制限さえ解除して、時にはバトルロイヤルモードで一対多の対戦することもあった。

 当然そんな無茶はずっと続きはしない。最期は当時のハイランカー達の総攻撃でとうとうポイント全損して、加速世界から永久退場した。

 だが全損による死の間際、奴は笑いながら叫んだ。恨み言の後に『俺は何度でも甦る』と言い遺して。

 問題はここから。奴はその宣言通り、加速世界に甦った。デュエルアバターは消滅したが、奴の《鎧》、強化外装が討伐に参加した者の一人のストレージに移動して、それを装備したバーストリンカーが黒銀の鎧を纏った《二代目》になっちまった。

 そこからは初代の再現だ。同じことが合わせて三回、同じように起こった。どいつも性格が豹変して、暴れに暴れた末に他のリンカー達に倒された。最後の《四代目》が二年半前に王達に倒されて、《鎧》は加速世界から永久に消えた、そう思われていたんだが──。

 

 最近になって《災禍の鎧》が再び現れた。そこまで話して大悟はそのまま黙ってしまった。

 聞いていたゴウとしては、半ば信じられない内容だった。

 強化外装の所有者が全損した際に、倒した相手に所有権が移動するという話は聞いたことがある。ただし、それは非常に確率が低く、実際噂レベルのもので具体的な前例は聞かない。ましてや同じ強化外装でそれが三回、今回を合わせて四回も起きているともなれば、もはや異常事態と言っていいだろう。

 

「それはもうシステムのバグか何かじゃないんですか? しかもゲームが人格にまで影響するなんて、とても信じられないんですけど……」

「そう思うのは当然だな。だが強い意志が、度を越えた強い思念が、強化外装に染み付くことがあるのかもしれない。オカルト臭いけどな、そんなことがこのブレイン・バーストでは全く有り得ない、と断言はできないんだよ」

 

 確信があるような口調で話す大悟に、ゴウは押し黙るしかなかった。

 確かに『加速』という未知のテクノロジーを有するブレイン・バーストは、『普通』ではない。そもそもデュエルアバターの構成要素は、個人の持つ強迫観念や劣等感なのだという。

 プログラムがニューロリンカーを介して脳にアクセスし、記憶や思考を司っている場所を覗き込むイメージが頭に浮かんでしまい、ゴウは背筋にぞわりと悪寒が走る。

 

「まぁ、今はそういった原理を解明することは置いといて、だ」

 

 大悟の言葉が、思考中のゴウの頭を一気に現実へと引き戻した。

 

「さっきも言ったが俺はここ数日、《鎧》を装着している奴についての情報をいろんな所からかき集めていた。その中で確かな情報筋から情報を貰ってな、やっとこさ居場所にアテができたんだよ。ただ、時間に関しては山勘の要素も強いから絶対じゃないが」

「それで池袋……今の所有者は誰──いや、ちょっと待ってください……もしかして、王の誰かが?」

 

 先程の大悟の話によれば、《四代目》は王達によって倒された。そして《鎧》は所有者が全損すると、他のバーストリンカーのストレージに移動するとも。つまりは討伐した王の誰かが新たな所有者となったと考えるのが自然だ。

 ところが、大悟は首を横に振った。

 

「違う、王じゃない。最近になって再び加速世界で暴れている《災禍の鎧》、《五代目クロム・ディザスター》になった奴の名前は《チェリー・ルーク》。赤のレギオン、プロミネンスに所属しているバーストリンカーだ」

 

 ズドォン!! 

 

 突如として重い音を立てながら、数メートル前方に何かが降ってきた。

 慌てて立ち上がったゴウは最初、それが金属の塊に見えた。しかしよく見ると、それがオブジェクトではないことはすぐに理解できた。

 

「……噂をすればだな」

「ま、まさか、あれが……?」

 

 落下物、ではなく落下してきた何者かは(うずくま)った状態から立ち上がり、こちらに頭を向けた。

 今まで見たことのないアバターだったが、一目見ただけでゴウは誰だか分かった。何故なら、たった今そのバーストリンカーの話をしていたのだから。

 

「ルルゥ……ルルルオオオオオオオオオオオオ!!」

 

 自ら名乗り上げるように、クロム・ディザスターは高らかに咆哮を上げた。

 



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第十六話

 第十六話 恐怖を乗り越えて

 

 

 ゴウが今まで生きてきた中で、聞いたことのない鳴き声で吠えるクロム・ディザスターは大悟が言っていた通り、全身が黒ずんだ銀色の鎧に覆われた、重装甲の騎士型アバターだった。

 肩や胸の装甲は非常に分厚く、指先や肩先、体の端々は鋭く尖っていて、それだけでも充分に凶器となり得る。加えて両腕には巨大な篭手が装着されており、右手には身の丈ほどの長さをした銀灰色の両刃の大剣を握っていた。

 咆哮が出ているはずの左右両端に後方へ伸びた角を着けたヘルメット、その面頬の中は真っ暗で口も見えないのに、何かが蠢いていることだけは分かる。

 ──アレはもう、人の意思で動いていない。

 ゴウは直感的にそう確信した。

 チェリー・ルークというバーストリンカーの、本来の人格はあそこにはもういない、アバターは《鎧》を形成する媒体でしかないのだ。それを動かしているのは、おそらく《鎧》本来の所有者の思念──。

 

「あの鎧は、装備するアバターによって姿を変えるんだ。……凶暴性だけは誰が着けても全く衰えないが」

 

 ゴウの前に進んだ大悟が補足するように説明した。

 だが、ゴウにはそんなことは今どうでもよかった。アレと戦うなら、巨獣(ビースト)級エネミーに一人で立ち向かった方がマシだ。アレには対戦をする気などない。こちらを『餌』としか認識していないからだ。

 

「オーガー、俺がお前さんを連れてきたのはどうしてだと思う?」

「ぼ、僕……僕はあんな化け物と戦うなんて、とても──」

「いや、戦うのは俺だ。よく見ていろ、これが今回の『稽古』だ。ただし、もしもあいつに標的にされたら、そのときは全力で迎え撃て」

 

 どうやら今回の大悟の目的は、目の前の加速世界最悪の存在と戦う姿を見せることだったらしい。しかし、ディザスターがこちらを襲ってくるなら自分で何とかしろと言う。

 ゴウには弱々しく抗議をすることしかできなかった。

 

「そんな、そんなの無理ですよ……」

「落ち着けよ、ビビリすぎだ。あれが怖いのはよく分かるし、それは正常な反応だ。だが、その恐怖を乗り越えて立ち向かうことに意味があるんだ。そうすればたとえ負けたとしても、また一つ強くなれる。お前さんがバーストリンカーに成り立ての頃に、似たようなことを言ったのを憶えているか?」

 

 ──『立ち上がって相手を見ろ』

 

 対戦の最中にどんな窮地でも諦めることはするなという、大悟の教えをゴウはもちろん忘れてはいなかった。

 しかし、大悟はその相手が目の前の《災禍の鎧》でも、例外ではないと言うのか。

 

「よう」

 

 大悟は手を振って気軽に話かけながら、ディザスターに向かって歩いていってしまった。

 

「俺を憶えているか? チェリー・ルークよ。昔、お前さんや嬢ちゃん達と一緒にチーム組んでただろ?」

「…………」

 

 対するディザスターは返事をせず、近付く大悟をじっと見つめている。自分を前にして、逃げも攻撃もしない存在に困惑でもしているのだろうか。

 

「真面目でいつも一生懸命だったお前さんが、何だって《鎧》なんて物に手を出した? 一体誰から受け取った? 言葉はまだ話せるか? それとももう──」

「ルルゥアアアッ!」

 

 ディザスターはやはり、大悟の言葉に全く耳を貸す気はないらしく、足裏が爆発したかのような勢いの踏み込みで、たった一歩で大悟の目の前に移動していた。片手だけで握った分厚い刀身の大剣を掲げると、そのまま大上段から一気に振り下ろす。

 迫る刃を前にした大悟は両腕を自分の頭上で交差させ、防御体勢を取った。大剣と交差した両手首の数珠型の装甲がぶつかり合う。しかし、それはほんの一瞬の出来事で、大悟は大剣が当たった瞬間、交差した腕を一気に下ろすと同時に後退した。大剣がそのまま地面にぶつかり、刃が硬い《魔都》ステージの道路を叩き割る。

 

「──そうかい」

 

 隙を逃さず大悟はディザスターの右側に回り込み、その右脚に鋭いローキックを叩き込んだ。

 

「ルオッ!」

 

 ディザスターは怯みもせずに、地面から引き抜いた大剣を大きく横に薙ぐ。あまりの速さに、ゴウには剣が巨大な銀の扇に変貌したかのように見えた。

 その動きを読んでいたのか、大悟は体をかがめて回避。そのまま立ち上がる勢いを利用してディザスターの脇に肘打ちを決める。

 

「ルヴヴッ……!」

 

 体当たりとほとんど変わらない勢いで放たれた肘打ちはさすがに効いたのか、ディザスターが小さく唸り声を上げた。

 そこからはディザスターも剣の大振りは危険と判断したようで、剣での刺突を攻撃の主体に切り替え、剣を握っていない片腕の鋭く尖る爪による引っ掻きや、太い腕での打撃、他にも剥き出した鋭利な牙による噛み付きまで繰り出してくる。

 大悟はそれらを回避し、受け止め、受け流し、捌く。さすがに無傷とはいかないが、一度もクリーンヒットは受けない。その上、隙を見てはディザスターの装甲が薄いであろう関節部分を攻撃し、火花を散らせる。

 ところが、信じられないことに大悟が攻撃した箇所に赤黒い光が一瞬輝くと、ディザスターの鎧から打撃痕が消え、装甲が新品のように戻ったのをゴウは見た。

《鎧》特有のアビリティなのかは分からないが、このままでは大悟の方が先に力尽きるのは明らかだった。にもかかわらず。

 

「はは、ははははぁ!!」

 

 そんな不利な状況、攻撃の嵐の中で大悟は笑っていた。

 

「どうしたぁ!? その程度ではあるまい、元《神器》の力は! 《貪食者(デバウアー)》も! 《剣鬼(ルースレス)》も! 歴代の所有者はお前さんよりもずっと強かったぞ!」

 

 まるで相手を焚き付けるかのように、大悟は挑発をする。本来、破壊不可能なはずのフィールドの地面さえ叩き割る力を持つ、ディザスターと戦えることが嬉しいとでもいうように。

 ゴウは先程まで抱いていた恐怖も忘れ、目の前の攻防に自然と意識を集中させていた。それでも、両者のスピードにとても目が追い付かない。

 振るう腕が大気を焼く。踏み込んだ足が地面にヒビを入れる。互いのどこかがぶつかる度に衝撃が周りに拡散する。

 この戦いは間違いなく、ゴウが今までギャラリーで見たどの対戦よりも凄まじいものだった。それでも頭の隅に疑問を持たずにはいられない。

 どうして大悟は、あの暴威の塊に臆せずに立ち向かっていけるのだろうか。ディザスターを恐ろしいとは思わないのだろうか。

 

「ふっ!」

「グルッ……」

 

 連撃の間を縫って大悟がディザスターの鳩尾部分に一撃を入れ、ほとんど密着状態だった二人が互いに距離を取った、その時だった。

 

「何だ……?」

 

 何かの音を聞き取ったゴウは東の方角に首を向けた。あれは──爆発だ。寒色で彩られた《魔都》ステージの空を、断続的な紅い光が染め上げている。

 自分達以外にも無制限中立フィールドの池袋で戦っているのだろうかと、ゴウはほんの一瞬、大悟達との戦いを視界から外してしまった。

 その一瞬の間を、貪欲な獣が見逃すはずがないのに。

 

「オーガー!」

 

 大悟の声にはっとして振り向いた時には、戦況は変わっていた。

 ディザスターが五指を広げた片手をこちらにかざし、もう片方の腕で大剣を振りかぶり、足を地面に着けていない状態で地面と平行に、まるで飛ぶように急接近してくる。

 

「う、うわぁっ!」

 

 とっさに横へと飛んだゴウは、ディザスターの突進を間一髪で避けることに成功した。

 硬い《魔都》ステージの建物に激突し、簡単に大穴を開けたディザスターは、こちらへ走ってくる大悟へ向けて、さっと左腕を振るう。

 すると、その動きに従うように、たった今できた瓦礫群が大悟めがけて飛んでいき、直撃した。砕けた瓦礫で、大悟の姿は見えなくなってしまう。

 すぐにディザスターはゴウに向き直り、牙をガチガチと鳴らしながら近付いてくる。

 

「あ、ああ……」

 

 大悟を瓦礫で足止めしている間に、こちらを先に仕留めようという魂胆はゴウの怯えた思考でも理解できた。

 

 ──怖い。

 そんなゴウの心境などお構いなしに、歩みを進めるディザスター。

 段々と近付くことで、ヘルメット奥の闇の中から爛々と輝く眼がはっきりと見えてくる。ゴウを食物としか見ていない捕食者の眼だ。

 ──怖い。食べられたくない。

 腰から下が石になってしまったかのように動かないゴウの目の前で、立ち止まったディザスターが大剣を真上に掲げる。その動きがゴウにはやけに緩慢に感じられた。

 ──怖い。怖い。怖い。でも……。

 さっきまで戦っていた大悟のように、戦いの中で声を上げて笑うことなどできない。それでも、狂戦士に臆せずに立ち向かっていった師匠の姿を見て、逃げるという選択肢はゴウの頭にはなかった。

 

「着装! 《アンブレイカブル》ッ!!」

「ルオオォッ!」

 

 ゴウが叫ぶのとほぼ同時に、ディザスターがゴウを両断しようと大剣を振り下ろす。振るった腕がブレるほどの速度で放たれた斬撃がゴウの体に届く寸前、ゴウの握る輝く光が大剣を阻んだ。

 光が消えた後には、長く透明な金棒が、銀灰色の大剣を受け止めていた。

 

「ヴヴヴゥゥ……」

「うう、ううううあぁっ!」

 

 奥歯を噛み砕く勢いで歯を食いしばり、ゴウは全身に力を込めてディザスターを押し返した。そのままディザスターに向けて、金棒を振るう。

 ディザスターも剣を両手で持ち直し、ゴウめがけて再度斬りかかってきた。

 互いの武器が何合も打ち合って火花を散らす。その度に衝撃がゴウを襲うが、自分の得物を離さないように強く握り込んだ。

 ゴウ自身の装甲以上の強度を誇る《アンブレイカブル》と五回もまともにぶつかり合えば、ほとんどの強化外装は砕けるのだが、ディザスターの大剣はおそらく高位の強化外装なのだろう、何度打ち合っても刃毀(はこぼ)れ一つしていない。

 成長したとはいえ、非常に重い《アンブレイカブル》を振り回しての戦闘は長期戦には向かない。対するディザスターは先程まで大悟と高速の接近戦をしていたのにもかかわらず、まるで疲れを見せずに剣を振り続けている。

 一度でも武器の打ち合いを止めれば、一気に攻められて反撃に移る隙もなく倒されることをゴウは分かっていた。故に腕を止めることはできない。

 伝説の怪物との打ち合いは、いつしかゴウの意識を一点へと集中させていく。

 ──もっと……もっと速く。もっと強く。

 両腕は限界を迎えていたが、それでもかまわずに腕を振るう。

 この時、ゴウ自身気付いていなかったが、打ち合いを始めた時よりも繰り出す攻撃の回転数が上がっていた。他の思考を全て追いやり、ただ武器を振ることのみを考える。

 何十回目の打ち合いになったのか、とうとうディザスターの剣の動きがわずかに鈍った。

 ──ここだ! 

 

「はあっ!」

 

 大剣をすり抜けた金棒の打突が、ディザスターの胸部を大きく凹ませる。

 ディザスターが攻撃された箇所を手で押えながら、短く唸って大きく後ろに跳んだ。

 そこで一気に体へ負荷が押し寄せ、ゴウは片膝を着いてしまう。

 

「はっ、はぁっ、はぁはぁ……!」

 

 立ち上がろうとするゴウだったが、無理をした反動からか、体がいうことを聞かない。

 

「ルル……」

 

 ディザスターが一気に距離を詰めようと身構えたその瞬間、青い影がディザスターの側面に躍り出た。

 

「喝!」

 

 大悟が左手を添えた右腕を捻りながら、発した運動エネルギー全てをねじ込むようにディザスターの左脇腹へと掌底を打ち込んだ。

 叫ぶ間もなくディザスターは何メートルも吹っ飛ばされ、その先で激突した建物の壁面が、轟音を上げながら崩れていく。

 上半身の着物型装甲が所々破損し、アバターの素体が一部露出している大悟が駆け寄り、手を差し出して起き上がらせてくれた後も、ゴウは顔を上げられなかった。

 

「すみません、師匠……。僕が隙を見せたからクロム・ディザスターがこっちに……。油断するなって言われていたのに、僕は……」

「何も謝ることはない。あの怪物相手によく戦った。お前さんは俺の予想以上に成長していたんだな」

 

 大悟に褒められたことにどうしたことか感極まって、ゴウは涙が出そうになっていると──。

 

 ドゴォン!! 

 

 崩れた建物の中から、瓦礫を吹き飛ばしてディザスターが這い出してきた。

 体の各所から発せられている傷を、再び赤黒い光が修復しようとしているが、ダメージが深いせいか、先程大悟と戦っていた時のようにすぐには消えない。

 しばし睨み合う、ディザスターと師弟。

 そんな緊張状態を破ったのは、再び東の方から聞こえてきた爆発音だった。聞き耳を立てると爆発音に混じって、かすかに叫び声や怒号が耳に届く。

 

「ユルルルルルルッ……!」

 

 唸りを上げるディザスターが東の空に向かって五指を開き、腕を伸ばした数秒後。重力を無視するように手を伸ばした方向へと高速で舞い上がった。

 先程同様の、まるで空を飛ぶような動きに目を見張るゴウをよそに、ディザスターの姿はあっという間に見えなくなってしまう。

 

「あの爆発……。オーガー、追いかけるぞ」

 

 どこか切迫した声を出す大悟に頷き、ゴウは大悟と共にディザスターの後を追い始めた。

 



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第十七話

 第十七話 暗黙のルール

 

 

 クロム・ディザスターを追って、池袋の東方面に向かって走る大悟とゴウ。

 先程までの爆発音は止んでいたが、悲鳴のような叫び声がゴウの耳に届いた。おそらくディザスターが移動した先で、バーストリンカーを襲っているのだろう。

 しばらくすると、前方で真紅の光が発生した直後に、北側の建物が一直線に軒並み倒れていくのが見えた。

 

「やっぱりな……自分で引導を渡す気か。オーガー、少し急ぐぞ」

「は、はい……!」

 

 光を目にした大悟に急かされるゴウだが、先程までの戦闘で体力ゲージこそほとんど削れていないものの、精神をひどく磨り減らしたからか、走る速度がどうも上がらない。それでも懸命に足を動かして走っていると、街道を抜けて開けた場所に出た。

 

「な、なんだこれ……」

 

 道の先の開けた空間はクレーターのような窪地だったが、その光景を見たゴウは呆然としてしまう。

 クレーターは内側も外縁も焼け焦げた跡だらけで、更に北側の外縁には小型のクレーターと、そこから一直線に(わだち)が地面に刻まれ、炎がちらちらと燃えている。その先の建物群は無残に倒壊していた。

 極め付けに周辺には、バーストリンカーの死亡を表示するマーカーがいくつも回転していて、凄まじい戦闘があったことを物語っている。

 建物群を倒壊させた張本人がどこかにいるはずだとゴウが辺りを見渡していると、大悟が外縁に沿って駆け出した。

 

「ロータス! こっちだ!」

 

 大声を出しながら誰かに呼びかける大悟の後を付いていくと、その先に人影が見えた。

 こちらに気付いて接近するデュエルアバターが、はっきり視認できる距離まで近付くと、ゴウは息を呑んだ。

 漆黒のF型アバターだ。

 四肢には手足の代わりに長大な剣が付いているが、今は左手足の剣は半ばから折れ、顔の覆う鏡面ゴーグルはクモの巣状のクラック痕が走っている。アーマースカートは所々が欠けていて、黒い装甲で目立たないが、ひび割れた全身は炎で焼かれたような焦げ跡だらけだった。

 それでも、ゴウは仮にベストコンディションの自分が、この傷だらけの状態であるアバターと対戦しても、絶対に負けるという確信があった。

 アウトローのメモリーのように、黒っぽい装甲を持つデュエルアバターを何人か見たことはあっても、このアバターの装甲色は他と一線を画するものだった。それに大悟が呼んでいたアバター名。つまり──。

 

「やはり貴様……アイオライト・ボンズ、この場所で何をしている?」

 

 大悟がロータスと呼んだアバターは対面するや否や、折れていない右腕の剣をこちらに向ける。同時に発せられた威圧感は、手負いであってもゴウを圧倒するには充分だった。

 一方の大悟は、向けられた殺気をまるで気にしていない様子で右手を上げて挨拶する。

 

「よぉ、二年半と少し振りか? 黒の王よ。そう構えるない、俺の連れが怯えちまう」

 

 やはりそうだ、と思うゴウ。目の前の漆黒アバターは黒の王《ブラック・ロータス》。三ヶ月前に復活したレギオン、ネガ・ネビュラスの頭首であり、レベル10を目指して先代赤の王を討ち取った叛逆の王。

 数秒間黙ってゴウと大悟を見ていたロータスは、はぁ、と肩を落としてから向けていた剣を降ろした。

 

「相変わらずだな。生憎(あいにく)だが急いでいるんだ。わざわざ呼び止めた理由は何だ?」

「こっちに《災禍の鎧》が来ただろ。どこに行った? それと《スカーレット・レイン》がここにいたはずだ。ディザスターを追っている時に主砲の光が見えた」

 

 また凄い名前が出てきて、ゴウの情報処理能力は限界を迎えそうだった。

 スカーレット・レインとは、二代目赤の王その人の名前だ。レベルアップ・ボーナスの全てを遠距離火力の強化に費やし、出現座標から一歩も動かずに三十人もの敵を倒したという逸話から、《不動要塞(イモービル・フォートレス)》の二つ名を持つ、加速世界最強の遠距離攻撃を持つバーストリンカーである。

 

「……ディザスターは、あの小娘の砲撃を受けて逃走しているよ。私まで巻き込んだ一撃をまともに食らったからな。今、レインと……シルバー・クロウが追っている」

「おぉ、お前さんの《子》か。確かにあのディザスターの動きには《飛行》アビリティくらいでしか追いつけないな。──そうか。レインの嬢ちゃんから協力の依頼を受けたのか」

「その通りだ。我々ネガ・ネビュラスと赤の王は、《災禍の鎧》を手に入れ、不可侵協定を破って暴れるチェリー・ルークを断罪するべくここに来た。初めはディザスターを待ち伏せする為に《池袋サンシャインシティ》に向かっていたのだが、ここで《イエロー・レディオ》率いる黄のレギオンに奇襲を受けてな」

 

 不機嫌そうに事情を説明するロータスの口から更なる王の名が出てきて、大悟が怪訝そうに口を挟んだ。

 

「レディオだぁ? なんであの道化野郎がここに来る?」

「四代目ディザスター討伐の際、《鎧》を密かに手に入れていた彼奴(きゃつ)は、最近になってプロミネンスに属するチェリー・ルークに譲渡した。結果、停戦協定を破ったという名目で赤の王であるレインの首を狙ったのさ。それを阻止すべく戦う我々の元に、ディザスターがいきなり現れた。予定では無制限中立フィールドで二日は余裕があったのに、どうやら池袋駅に向かう電車の中でダイブしたらしい。レディオはディザスターに腹を貫かれてレギオンの連中と一緒に逃げていったよ、いい気味だ」

 

 ふん、と鼻を鳴らしてロータスは話を締めくくった。どうやら、ディザスターはここでの戦闘を嗅ぎ付けて、散々暴れていったようだ。

 そんなディザスターを断罪する為にレギオンマスターである赤の王と、三次元の機動力を持つシルバー・クロウが追跡している、とゴウは頭の中で情報を整理する。

 

「さて、こちらの事情は話したぞ。今度はそっちが話す番だ」

「あぁ、俺は《災禍の鎧》の復活を聞いてな。ヤマ張ってここにダイブしたらドンピシャ、戦闘の途中でこっちからの爆発音に惹きつけられたディザスターを追ってここに来たってわけよ」

 

 簡潔かつ軽い口調で話す大悟に、ロータスが呆れた様子で嘆息した。

 

「自分から《鎧》に近付くとは……それでそんなにボロボロなのか。……その連れはアウトローの新入りか?」

「あぁ俺の《子》、ダイヤモンド・オーガー。もうそろそろレベル5になるかならないかってとこだな。さっきは短時間だが、ディザスターとも真っ向からやり合ったんだぞ」

 

 大悟の言葉を受け、「ほう?」とロータスが観察するようにゴウへと視線を向ける。

 黒の王の視線を受けたゴウは、口内の水分が空になって舌が貼り付いてしまったかのように声が出ず、ロータスに向けて軽く会釈するのが精一杯だった。

 

「あのディザスターと正面切って戦える戦闘力が……さすがは《荒法師》の《子》だな」

「最初は俺がディザスターとの戦闘を見せる稽古のつもりだったんだが、不意を突かれてこいつが狙われてな。いやぁ、一時はどうなることかと──」

 

 その時、北の方角から大爆発が起き、三人は一斉に振り向いた。

 崩れゆく塔の中で、闇色の粒子が空に舞い上がるのがゴウにはかすかに見えた。あれは間違いなく《災禍の鎧》のものだ。

 

「……どうやら決着したようだ。私は向こうに行くが、お前達はどうする?」

「そうだな……帰るとしようかな。嬢ちゃんによろしく言っといてくれ」

「会わないのか? 以前プロミネンスの建て直しに手を貸していたそうじゃないか」

「久々に顔でも見ようかとも思ったが、やめだ。《親》を断罪する場に向かうのも野暮だろ。またな、《絶対切断(ワールド・エンド)》」

 

 くるりと(きびす)を返した大悟はひらひらとロータスに後ろ向きに手を振って、その場を離れ始めた。ゴウもロータスに一礼し、大悟の後に続いて歩き出す。

 すると、クレーターの方から、濃紺の装甲に大柄な体格のデュエルアバターが向かってくるのが見えた。

 確かネガ・ネビュラスの一員、《シアン・パイル》だとゴウは記憶している。どうやらクレーターで回っていた死亡マーカーの一つから復活したようだ。

 こちらを発見したパイルは身構えたが、大悟が親指をロータスの方に示すと、向こうとこちらを交互に見てから、警戒しながらもロータスの方へ向かっていった。

 

「黄色の連中も復活し始めているな……ここからさっさと離れるぞ。ここからだと池袋駅のポータルが近い。……いやぁ、しかし今日は疲れた」

 

 そう言いながら、大悟はぐっと腕と背筋を伸ばした。

 

 

 

 ポータルに向かう道中、ゴウは頭の中を整理するのに忙しく、無言で歩いていた。

 大悟にいきなり無制限中立フィールドへダイブするよう呼び出されたと思ったら、加速世界初期から存在する伝説の存在、クロム・ディザスターとの戦闘。

 その後、別の場所で黒のレギオンと赤の王が、黄色のレギオンに待ち伏せを受けて戦闘中に、ディザスターが襲来。

 そして、消耗から逃走を図ったディザスターを追跡の末、赤の王とシルバー・クロウが倒したらしいこと。

 この短時間で目まぐるしく状況が変わって困惑だらけのゴウであった。

 特に王と呼ばれる存在に対面したのは一番の衝撃だ。加速世界で数人しかいないレベル9のバーストリンカー。手負いであっても『全てを切り伏せる』と言わんばかりの威圧感を放っていた、黒の王ことブラック・ロータス。

 そして、そんな王とも平然と受け答えをしていた大悟。

 

「──あれこれ聞いてくると思ったのに、随分と静かだな」

「へっ? い、いえ、いろいろありすぎて軽くパニック状態ですよ」

 

 そんな自分を見て、大悟が肩を揺らして笑うので、ゴウは少しむくれる。

 

「笑わないでくださいよ……。だったら聞きますけど、師匠は王達と知り合いなんですか? 黒の王にも随分と親しい口振りでしたけど」

「んー? そうだなぁ、王なんて呼称も、奴らがレベル9になってからだしな。数度対面しただけの奴から、昔から対戦していた奴までいろいろだ。お前さんは随分ビビってたが、そう構えなくてもよかったんだぞ」

「そんな軽く言いますけど、黒の王に剣を……腕を? ともかく向けられた時のプレッシャーったら凄かったですよ」

「今でこそロータスも凄い奴だが、新米(ニュービー)時代は四肢の剣に攻撃力全振り状態で、とんでもなく打たれ弱かったんだ。昔は剣の腹を殴ったら簡単に砕けてな。ちょっと硬い板チョコみたいなもんだったな」

「板チョコって……」

 

 大悟のあんまりな例えに、ゴウは引きつった笑いしか出てこなかった。

 

「何が言いたいかってぇとな、今は王と呼ばれるようになったバーストリンカーだって、初めから敵無し、なんてことはまずない。スタートラインは俺もお前さんも王連中も、皆同じってことさ」

 

 さり気なく励ましてくれたらしい大悟の言葉に少し自信が出たゴウは、更に質問を続けた。

 

「師匠、さっき言っていた《親》を断罪って……ディザスター、いやチェリー・ルークは赤の王の……?」

「そうだ。チェリーは現赤の王スカーレット・レインの《親》だ。先週アウトローで俺がプロミネンスに一時加入した話を聞いただろ? その時のチームメンバーとしてレインとチェリーに初めて出会った。レインなんか、レベル3のヒヨコもいいとこだったな。原石みたいな素質は感じていたが、まさかとんとん拍子でそのままレベル9にまでなるなんて思いもしなかったなぁ」

 

 懐かしむ大悟の言葉に、どこか悲壮感が混じっているのは当然だろう。短期間とはいえ、共闘した仲間が加速世界から消えるのに思うところがないわけがない。

 身近なバーストリンカーで全損した者がいないゴウは、大悟にどんな言葉をかけていいか分からなかった。

 

「……チェリーが《鎧》に頼った理由はおおよその見当が付く。ハイレベルの壁にぶつかったんだろう」

「壁?」

「停戦協定の影響で、通常対戦で他レギオンのハイランカーと戦うのはほぼ無理。ここでエネミー狩りをするにしても、リスクの方がでかすぎる。そんな中で《鎧》の力に魅力を感じてもおかしくはない」

「じゃあ師匠は今回、チェリー・ルークは被害者だと──」

「いや、それは違う」

 

 大悟はぴしゃりと断言した。そこに議論の余地はないと言わんばかりの強い口調で。

 

「確かに奴の境遇にはある程度の同情の余地はあったし、動機も理解できなくはない。だとしても、《鎧》を装備することを選んだのは他ならぬチェリー自身。今回の騒動で全損した者、無残な倒され方をしてブレイン・バースト自体にトラウマを持った者もいるかもしれん。そいつらに対しての行いの責任もまた、チェリー自身に向けられる。良い機会だから覚えておけ。加速世界では閉鎖された空間故の弊害はあっても、逸脱して歪んだ力を許しはしない。その対象には、仮にも無法者(アウトロー)を名乗る俺達でさえも例外ではないと知れ」

 

 大悟の言っていることは、ゴウにも一応の理解はできた。ゲームとしてのルールを破っていなくても、マナーやモラル、暗黙の了解といったものは、このブレイン・バーストに限らずとも存在するということだ。

 だからこそ、ケジメをつける意味でも赤の王は、チェリー・ルークを加速世界から永久退場させるべく、断罪の実行に至ったのだろう。

 それを頭では分かっていても、ゴウは中々気持ちを飲み込むことはできなかった。《子》が《親》に引導を渡す。あるいは逆であっても、そんな結末はあんまりではないか。

 ゴウが顔を曇らせていると、大悟に背中を優しく叩かれた。

 

「……そう暗い顔をするな。さっき《鎧》のオーラが噴き出していたのが見えたろ? 多分、一時的にでもチェリーは正気に戻っただろうし、二人は最後の瞬間に話す時間も作れただろうよ」

「……はい。あ、そういえば、今度こそ《鎧》は消滅したんでしょうか?」

「多分な。今回の面子で隠し持とうなんて奴がいるとも考え辛い。まぁ、もしまた出てきたら今度は倒せるといいな」

「二度とごめんですよ! もう無我夢中だったんですからね!」

「はっはっはっ。そら、駅が見えたぞ」

 

 

 

 現実世界に戻ると、ゴウは制服姿のままベットに倒れこんだ。

 無制限中立フィールドにダイブしてここまで消耗したのは、初めてのダイブ以来だ。

 しばらく何も考えずにぼーっとしていると、大悟からのメールが届いた。内容は労いの言葉と明日のアウトローでの集まりで、今回《災禍の鎧》に関わったことは黙っておいてほしいという懇願だった。

 大悟は単独で《鎧》について調べていたと話していたし、アウトローの面々には何も言っていないのだろう。ゴウはメディックあたりに怒られるのを避けようと、コソコソする大悟の姿を想像して小さく噴き出してから、了解したことを大悟に返信した。

 ──それにしても、あの感覚は何だったんだろ……。

 ゴウはディザスターとの打ち合いでの集中力を思い出す。

 戦闘中はほとんど無意識だったが、いま思い出すとほとんど限界を超えて動いていた。あれだけ一つのことに意識を向けたのはブレイン・バーストでも現実でも初めてかもしれない。

 多分あれが実力以上の力を引き出せた状態なのだろうか、とゴウは漠然と考えていた。

 より実力が上の相手との戦いは、自分も一つ上のステージに引き上げられる。それが極限状態に近ければ近いほどになりやすいのではないかと。

 それを教える為に、大悟はディザスターの戦闘を自分に見せようとしたのだろうか。結局は自分自身が戦う羽目になったが、何かが掴めた気がするので結果的に良かった……のかも知れない。

 ──まだまだ僕は強くなれる、もっと上へと行けるんだ。

 随分前向きに考えるようになったな、とゴウは自分自身の考え方の変化に驚きつつも、それを嫌とは思わない。

 それからゴウは疲れを癒すように、母親に夕飯の時間だと叩き起こされるまで眠り続けた。

 余談になるが、翌日のアウトローの集まりでは案の定、《災禍の鎧》の話題が挙がった。

 事前に大悟に釘を刺された通りに黙っていたゴウだったが、その振る舞いを不振に思ったメンバー達にカマをかけられ、口を滑らしてしまう。

 問い詰められたゴウは口を止めるわけにはいかず、洗いざらい全てを話した後。

「また勝手に危ないことして!!」と怒り心頭のメディック渾身の右ストレートが、見事に大悟の顔面へと決まったのだった。

 

 

 

《災禍の鎧》騒動の数日後。

 大悟は地上より遥かに高い場所にいた。現実世界の高層ビルではない。無制限中立フィールドのとある場所にそびえ立つ、巨大な鉄柱とも、塔ともつかない物体をよじ登っているのだ。手足を掛ける所はあるにはあるが、非常に少ないスペースなので、いつ落下してもおかしくはない。

 遥か下方に存在する《繁華街》ステージの地上は、夜の闇を照らす無数のネオンやイルミネーションに彩られた光の海と化していた。大悟が今いる約三百メートルの高さであっても、同様の高度の高層ビルが空を照らし、自身の手元が充分に見えるほどの明るさだ。

《繁華街》ステージは建物内侵入禁止となっているが、この塔は現実世界では二〇三〇年代に観光スポットの役割を終えた、歴史的建造物として保存されている元電波塔、通称《旧東京タワー》に当たる。内部は立ち入り禁止でソーシャルカメラも設置されていないので、ソーシャルカメラの映像を基に形作られるブレイン・バーストでは、内部構造は元々生成されていないのだ。

 

「ふぅ……さて今日は──いたいた、ラッキー」

 

 三三三メートルの塔を登り切った大悟は少し息を整えてから、嬉しそうにひとりごちた。

 塔の天辺は人工物一色の《繁華街》ステージとは思えない空間が広がっている。

 直径二十メートルほどの円内には青々とした芝生が広がり、中央には小さな泉が水を(たた)えていて、さながら都会のビオトープといったところか。

 そんな庭園には一軒の小さな家が建っていた。真っ白な壁にはツタが這い、尖がった屋根は深緑色。草花に囲まれたメルヘンチックなコテージはお伽話に出てきてもおかしくはないデザインだ。

 芝生を歩く大悟は迷いのない足取りで家へと直行し、ドアを二回軽くノックした。

 すると、音もなくドアが開く。室内の明かりが大悟の目に入るが、扉の前には誰もいない。毎回のことなので気にも留めずに大悟はそのまま入ると、この家の家主へと挨拶をする。

 

「夜分に失礼。半年振りになるな、レイカー。いきなりで悪いが、茶の一杯でも貰えるかね?」

「あらこんばんは、法師さん。ちょっと待っていてくださいね」

 

 穏やかな声で応対した人物は、華奢な車椅子に乗ったF型のデュエルアバターだった。純白のワンピースと鍔広帽子を纏い、流体金属のような腰まで伸びた髪パーツは空色。

 水色の肌をした手を宙で動かすと、テーブルにティーセットが現れ、慣れた手つきでカップに紅茶を注ぐ。

「どうぞ」と差し出されたカップを、大悟は椅子に座ってから手に取った。

 

「今日は景色を見てなかったんだな。百万ドルの夜景を独り占めしないのか?」

 

 顔を覆う頭巾の口元部分を下に引っ張り、湯気の立つ紅茶を一口飲んだ大悟の軽口に、車椅子の麗人はくすくすと笑った。

 

「さっきまで眺めていましたよ。《繁華街》ステージは久々でしたけど、長く見続けていると光で目がチカチカして疲れちゃうんですよね」

 

 大悟がこのプレイヤーホームを初めて訪れたのは二年ほど前。以前から大悟は、無制限中立フィールドにダイブしては東京中を巡り、高い塔や建造物を登るのがマイブームだった。その中でも景色をしばらく楽しんだ後、すぐにポータルからログアウトできる旧東京タワーはお気に入りで、発見してから大体一ヶ月に一回の頻度で今も訪れている。

 そんなある日、天辺まで登ると見慣れぬプレイヤーホームが出現していた。その所有者こそが、現在より二年半前に崩壊した黒のレギオン、ネガ・ネビュラスのサブマスターにして、《鉄腕》や《ICBM》などの通り名を持つ《スカイ・レイカー》その人だった。

 それまで対戦したことは何度もあったが、まさかこんな場所で再会するとは思いもよらず、この場所で初めて対面した時はお互いに面食らってしまったものだ。

 それから度々会っては話す仲になったものの、十回にも満たない回数しか会っていない。大悟は月に一回行くか行かないかくらいの頻度でしか訪れないし、特に再会の約束をしているわけでもないので、ダイブする時間がズレれば当然会えない。故にこうして会って話すことは、ほとんど偶然の産物だ。

 

「それにしても……毎回無茶をしますね。ほとんど壁と変わらないこの塔を身一つで登るなんて」

「僧だからな。修行の一環だよ。ここでお前さんと出会う前からの習慣みたいなもんだ」

「あなたみたいなハイランカーなら、どこのレギオンも欲しがるでしょうに」

「俺の居場所はもうある。仲間も《子》もいるしな」

「ダイヤモンド・オーガーだったかしら? うちのアッシュが褒めていたわ。『ブリリアントでストロングな奴だ』って」

「ほぉ、渋谷の髑髏(どくろ)ライダーが? そういえば少し前に対戦したとか言っていたか。それにしたってそのまんまな感想だな……。稽古の相手とかしてやっているのかい?」

「ここだとちょっと狭いから、通常対戦で何度か。まだまだ一本取られたりはしないわ。そっちは?」

「うちのもまだ負けはしないが、それでも着々と成長している。もっと伸びるよ、あいつは。……《子》の成長ってのに、こうも感慨深いものがあるなんて、《親》になるまで知らなかったよ」

「そうね。同感だわ」

 

 お茶請けに出されたクッキーをつまみながら、和装の法師と洋装の麗人という正反対な組み合わせの二人は雑談をしながら、ゆったりと時を過ごしていった。

 

「……何日か前、無制限フィールド(こっち)でロータスに会ったよ」

 

 やがて、大悟は黒の王と再会したことを切り出した。

 カップに口をつけていたレイカーは一瞬だけ停止してから、テーブルにカップを置く。

 

「そう……元気にしていましたか?」

「少しだけ印象が変わっていたな。昔はもっと尖っていたというか、生き急いでいるようだった。《子》を持って落ち着いたのかね」

 

 大悟はレイカーからわずかな動揺の気配を感じ取っていた。かつて仕えていた主であり友人ともいえる存在が、話に出てきたことだけが理由ではないことは分かっている。

 

「シルバー・クロウ。加速世界始まって以来初の完全飛行型アバターにして、黒の王ブラック・ロータスの《子》」

「……何が言いたいの?」

「二年半前に黒のレギオンは崩壊した。メモリーの情報じゃ、かの《帝城》に挑んだとか。──あぁ、否定も肯定もしなくていい。真相はともあれ、メンバーを新たに……とはいっても三人だけだが、再度レギオンが復活したのにお前さんは戻らないのか? ロータスにも、お前さんが求めて止まなかったものを持つシルバー・クロウにも会いたいだろうに」

「今更……どう戻れと言うんですか。加速世界で育んだ絆も、サブマスターの責任も放棄してまで空に近付くことを渇望し、それ以外を捨てたこの私に」

 

 レイカーは車椅子を操作し、自分の足元が大悟に見える位置に移動してから、ドレスの裾を(まく)り上げる。傷一つ無い滑らかな大腿部には、膝の球体関節から下が存在していなかった。

 大悟はその理由を知っている。彼女が加速世界の重力を断ち切るべく、強力な武器でもあった両脚さえも捨てることを望み、それを己の主に無理に頼んで切断してもらったことを。

 

「当事者でもない俺がこんなことを言うのも筋違いだろうが、お前さんもロータスも、己を責め過ぎている。二人とも本当はとっくの昔に相手を許していると、お互いが一番よく分かっているだろうに」

「仮に……仮に彼女が私を許していたとしても、私は許せない……自分を。今も両脚が戻らないのは、私の中に未だ空を求めた狂気が残っている証である他ありません」

 

 レイカーは茜色のアイレンズを潤ませながら、両手でドレスの裾を強く握り締める。そうしていないと、堰き止めている物が溢れてしまうと言わんばかりに。

 

「……過ぎたことを忘れろとは言わない。ただしそれを飲み込んで消化するにせよ、抱え続けるにせよ、前を向ける奴が本当に強い奴だと俺は思っている」

 

 現実世界の如月大悟よりも、遥かに長い時をアイオライト・ボンズとして加速世界で生きてきた男は、その重ねてきた時を感じさせる口調で言い放った。

 両手をドレスから離して俯くレイカーを横目に、大悟は椅子から立ち上がる。

 

「今は無理でも、少しのきっかけや誰かに手を借りて乗り越えられることもある。もっとも、その役目は俺じゃないがね。お茶と茶菓子、ご馳走さん。縁があったらまた会おう」

 

 そのまま家から出た大悟は扉を閉め、泉の中央部に存在するポータルへと向かいながら、夜空を見上げる。やや上方には謎の文字を表示した電光板を付けた飛行船が飛んでいた。

 ──もうちっと他に言い方があったかもな。……どうも俺は説教じみていけない。

 大悟は少し唸って頭を掻いた。友人の悲しむ姿を見るのは胸が痛むが、ここで燻り続けるには惜しい存在だ。ただし今回はそれを差し引いても、彼女の過去に無作法に踏み込んでしまったことは否めないが。レギオンについての話を持ち出したのも、今日が初めてのことだ。

 振り返って家の方を向くと、この位置からは窓が見えないので、当然レイカーの姿も見えなかった。

 

「《超空の流星(ストラト・シューター)》……お前さんなら、きっと飛び越えられるさ」

 

 大悟は自分にだけ聞こえる声量で呟いてから、ポータルへと足を踏み入れた。

 

 

 

 これ以降、大悟とスカイ・レイカーがこの場所で出会う機会は二度と訪れなかった。

 やがて一羽の鴉がこの庭園に導かれ、下界を見晴らしていた彼女を連れ出すのは、これより数ヶ月先の話である。

 



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ヘルメス・コード篇
第十八話


 第十八話 雨降り帰り道

 

 

 六月に入ってから連日続きの雨に、傘を差すゴウはうんざりしながら帰宅路を歩いていた。靴の中にじんわりと沁みてきている水が、不快なことこの上ない。しかも、最近になってゴウは成長痛が始まっていて、雨の日はいっそうに関節がシクシクと痛むのだ。雨の日に傷が疼くというのは本当らしい(この痛みは古傷ではないが)。

 梅雨前線も毎年じゃなくて、何年かに一度の頻度で発生すればいいのに、という益体のない思考をかき消して、ゴウは四季よりも更に多種多様な景色を見せる加速世界について考える。

 木々生い茂る原始林、巨岩立ち並ぶ荒野、しんしんと降り積もる氷雪、機械群が稼動し続ける工場、静寂の夜に浮かぶ月光──。

 それ以外にも様々な景色を加速世界で見てきたゴウがバーストリンカーとなってから、早くも一年以上経過していた。生活サイクルにもブレイン・バーストが組み込まれて久しい。

 大悟が今年の三月に中学校を卒業し、高校一年生になったことで、通っている中学校に所属するバーストリンカーは、進級して中学二年生のゴウ一人となった。

 新一年生にもバーストリンカーはおらず、安堵したような残念なような奇妙な気分ではあったが、進級前と変わらないものの、平日の登下校には通常フィールドでの対戦、休日は無制限中立フィールドでアウトローの仲間とエネミー狩りやホームでの談話など、自分としては中々に充実した日々を過ごしていると思っている。

 だが、もしもバーストポイントがゼロになって、加速世界から永久退場した場合、自分は一体どうなってしまうのだろうか。

 ゴウは以前レベル4になってしばらく経ってから、大悟にブレイン・バーストを全損したプレイヤーが一体どう生活しているのか、質問をしたことがあった。日常の一部、ともすれば生き甲斐にまでなっていたものが喪失した場合、どうなるのかが想像できなかったからだ。

 しばらく迷っていた大悟が語って聞かせた内容は、衝撃的かつ信じられないものだった。

 

 ──『ポイントを全損したバーストリンカーは、ブレイン・バーストをアンインストールされる。……そして、同時に加速世界にまつわる記憶を全て失う』

 

 始めは冗談かと思ってしまったが、大悟の神妙な面持ちが嘘ではないと証明していた。

 現実で面識のある全損したバーストリンカーと話したことで実際に分かった事実、と大悟は話してくれた。それまでも『記憶を消される』という噂事体は聞いていたものの、いざ直面したら頭の中が真っ白になったとも。

 この話を聞いてしばらく悩んだゴウだったが、ブレイン・バーストを行う上でのリスクの一つとして、半ば無理やり納得することにした。《加速》という常軌を逸した技術の恩恵を受けている代償なのだと。

 それでもレベル5になった今でも頭の片隅に、ふと浮かんでしまう時がある。ブレイン・バーストを失った自分は、以前の自分に逆戻りしてしまうのではないかと。

 ゴウはそんな考えを追い払うように、ぶんぶんと首を振る。たらればの話をしていても仕方ない。そのプレッシャーで負けが込んだら、それこそ本末転倒だ。 

 ゴウは気持ちを切り替える為に、一丁対戦でもしようと思い立ち、グローバル接続を開始した数秒後。

 バシイイイッ! と加速を知らせる効果音が耳を叩く。どうもリストに出た自分を見た誰かが、いきなり対戦を申し込んできたようだ。

 暗闇に浮かび上がる【HERE COME NEW CHALLENGER!!】の文字を見て、ゴウはすぐに戦闘態勢へと意識を切り替えた。

 

 

 

 視界が戻り、足が地面に着いたことを感じたゴウは、まず《乱入》した相手を確認すると《Citron Frog》の文字が目に付いた。

《シトロン・フロッグ》。最近レベル4になったバーストリンカーで、何度か対戦したこともあるし、ギャラリー登録をしている者の一人だ。そして、ゴウにとっては中々戦い辛い戦法をする相手でもある。

 ガイドカーソルが消えるまで警戒しながら歩いていたが、フロッグの姿は見えない。おそらくは建物の陰に身を隠しているのだろう。更に慎重に歩を進めていると、突如横から緑色をした蔓のような触手が一本、ゴウの首へと巻き付いた。

 

「ぐっ……」

 

 この触手が何なのかゴウは知っている。いや、そもそもこれは──。

 急いで首に手を近付けるが、その前に巻き付いた触手がグンッとゴウを引っ張り、金属パイプを組み合わせた建物へぶつかる直前に離れる。引っ張られたゴウは慣性の法則には逆らえず、そのまま建物に頭から突っ込んだ。衝撃で頭にちかちかと星が光るが、頭を振って緑色の触手の方へと振り向く。

 しゅるしゅると縮んでいく触手の根元は宙に浮かんでいて、根元に戻りきるとパクンと音を立てると同時に、対戦相手の顔が宙に浮かび上がった。

 

「ケホッ……それは新しいアビリティ?」

「へへ、そうだよ。奇襲にはもってこいだろ?」

 

 咳き込むゴウの質問に、対戦相手のシトロン・フロッグが姿を現しながら答えた。

 彼はフロッグ、つまりはカエルがモチーフの黄緑色を基調としたM型アバターだ。額の両端に当たる部分には大きなアイレンズが二つ、頬までぱっくり広がるこれまた大きな口をした、愛嬌のあるアマガエルのような頭部が特徴的だ。そして、触手の正体はフロッグの口から伸びる舌である。

 それはもちろんゴウも知っていたが、襲撃時に視界には舌だけしか見えず、そこに繋がっているはずの頭が確認できなかった。おそらくは新たに取得した保護色の類のアビリティで、動くと姿が見えてしまうのだろうとゴウは推測する。

 自由に透明になれるのなら、後ろから迫った方が有効なのに、わざわざ歩いていた自分を待ち伏せ、攻撃範囲に入ってから仕掛けたのがいい証拠だ。ファーストアタック、又は本体が完全に視界から外れなければ問題はない、とゴウは判断付けた。

 

「伸びる舌に、保護色。カメレオンに改名した方が良いんじゃない──のっ」

 

 ゴウは距離を詰めようと、フロッグめがけて走り出した。

 

「いやいや、カメレオンにはこんなのできないだろ!」

 

 迫るゴウに対して、フロッグはぐっと両足を曲げると、前方へ一気に跳躍してゴウへと飛びかかった。カエルならではのジャンプ力は、格闘戦では強力な武器となる。

 飛び蹴りを浴びせにかかるフロッグの右足を、ゴウは左腕の上段受けで防いだ。右足を引いて地面を強く踏むことで蹴りの衝撃を受け切ったゴウは、空いた右手でフロッグの足を掴みにかかる。

 それを読んでいたフロッグは、足を受け止めているゴウの左腕を足場にして跳躍、宙返りを決めて地面へと着地した。

 単純な格闘戦ならゴウに軍配が上がるものの、跳躍による立体的な戦法を得意とするフロッグはかなり戦い辛い。しかも以前の対戦で、ゴウに掴まれてからの密着状態で一気に勝負を着けられたことで警戒しているらしく、接近するのを極力避けるようになっていた。更にまずいのは、フロッグは不利な相手との対戦の際、自分の体力が相手より残っていた場合、ある程度対戦時間が経過すると逃げの一手を決め込むのだ。

 こういった戦法には正々堂々と戦えと野次を飛ばす者もいるが、ゴウとしては真正面から戦って敵わない相手に突撃するよりも、よっぽど有効な戦略だと思っている。そもそも口で言うほど簡単な戦法でもない。邪魔をされずにオブジェクトを破壊した相手がゲージを溜めた後に必殺技を放つ可能性も、時間がかかる戦法を使わせるリスクも充分にあるからだ。

 それからはフロッグから攻撃を仕掛け、ゴウがそれに対応するという地味な展開が続き、その中で少しずつ両者の必殺技ゲージも溜まっていく。

 残り時間が十五分を切り、先に均衡を崩したのはフロッグだった。

 

「《ジェリーズ・ボム》!」

 

 その場で真上に高く跳んだフロッグの両手に一つずつ、水風船のような丸い物体が召喚され、二つの球体を素早くゴウの足元へと放つ。ゴウが避ける間もなく地面にぶつかった球体は一気に弾け、着弾範囲の地面五メートル近くを黄緑の液体が広がった。

 この支援、妨害系の必殺技は直接的な攻撃力がないものの、とても滑りやすい潤滑液で非常に厄介な代物だった。走ろうものなら足が滑って一歩目で転ぶのは確実で、ゆっくりと歩くか、四つん這いで移動して水溜りから離れなければならないのだが、当然ながらフロッグがそれを簡単に許しはしない。

 フロッグが素早く舌を伸ばして、ゴウの踝へと鞭のようにしならせて打つと、ゴウは踏ん張りも効かず、前に出した手も水溜りに着いた瞬間に滑って、顔面から前方に思いきり倒れ転んだ。

 

「うぶっ! ──ぐあっ!?」

 

 ゴウの顔に潤滑液がまとわり付く中、フロッグがゴウの背中に舌を打ち付ける。装甲が衝撃を防ぐも、ダメージはゼロではない。

 じわじわと体力が削れていく中、これ以上やられっ放しになるものかと、ゴウは転げながら水溜りから脱出した。幸いこの液体は水気が強いので、払い落とすこと自体は比較的容易だ。

 

「はぁ、はぁ……。今度はこっちの──あれ?」

 

 立ち上がると、フロッグの姿が見えない。ゴウが慌てて周りを見渡すと、フロッグが建物の角へと消える姿が見えた。

 

「逃げろ逃げろー」

「追っかけないと、負けちまうぞー!」

 

 屋上に立つギャラリー達が笑いながら(はや)し立てる。

 こちらの体力は先の戦闘と今の攻撃で残り六割。対してフロッグの体力は七割強を残している。このまま時間一杯まで逃げ通す気らしいが、そうはいかない。

 

「このぉ……待て!」

 

 ゴウはフロッグの逃げた方へと駆け出し、しばらくするとフロッグの走る姿が見えた。

 彼は先程の保護色や舌を伸ばす他にも、手足の先を壁に張り付かせる《壁面移動》系アビリティを持っている。それを使わないのは、必殺技の使用によってゲージが残り少ないからだ。ゴウの知る限り、フロッグの持つアビリティは全て限定発動型なので、多用すれば当然必殺技ゲージの消費が激しく、ここぞというときの為に温存しているのだろう。

 この機を逃すまいとゴウは必殺技を発動した。

 

「《ランブル・ホーン》!」

 

 途端にゴウの両足が一回りほど逞しくなり、走る速度が一気に上がる。更に頭の角が五十センチ近くも伸びた。

《ランブル・ホーン》はレベル5のレベルアップ・ボーナスで取得した必殺技で、一時的な脚力強化と角の伸張によって行う突進技だ。直撃すればレベル1の必殺技である《アダマント・ナックル》よりも威力は遥かに高い。

 牡牛のように角を突き出して追いかけるゴウにフロッグは気付くと、跳躍と同時に建物の壁に貼り付いた。

 

「逃がす……かぁ!」

 

 ゴウは進路を変更して、フロッグの張り付いている建物にそのまま激突した。建物は支柱をゴウにぶち抜かれたことで、全体が震えて倒壊を始める。

 

「はぁ!? わっわっわっ、あ~~~!」

「よし、これで──ふっ!」

 

 驚きと共に足場を失い落下していくフロッグ。ゴウは崩壊した建物から、金属パイプを拾い上げると、落下してきたフロッグに──ではなく、真上の黒雲広がる空へと投げつけた。

 今回のステージは《轟雷》。黒雲の中では縦横無尽に雷が飛び交っている。この雷雲を利用する方法をゴウはアウトローから聞いたことがあった。それは金属オブジェクトを空に放り上げることで落雷を意図的に引き起こし、誘導させるというものだ。

 ゴウの《剛力》アビリティの膂力によって空高く投げられた金属パイプめがけ、稲妻が獲物を狙う蛇のように、雷鳴と共に空から地面に何本も降り注いだ。

 

「あばばばばばばばばばば!!」

 

 稲妻の直撃を受けたフロッグは悲鳴を上げると同時に、体力が一気に削れる。落雷が収まると、ゴウは感電によるスタン状態のフロッグの下へと歩いていき、目の前で立ち止まった。

 

「お、おまへ、なんれ、うおけんら?」

「ダイヤモンドは電気を通さないんだ。一応ね」

 

 落雷を受けてろれつの回らないフロッグの質問にゴウは答えた。

 詳しい原理はゴウにも理解できていないが、ダイヤモンドは結晶中に不対電子なるものが存在しないので、電気を通さない絶縁体らしい。その特性はダイヤモンド・オーガーにも適応されているようで、電撃系統の技にはめっぽう強いのだ。さすがに規模の大きくなるほど無傷とはいかなくなるが、今のフロッグのようなスタン状態にはそうそうならない。

 ようやく捕えたカエルアバターを見ながら、ポキポキと指を鳴らすゴウ。

 逃げ回る戦法を卑怯とは言わない。だが、やられるこちらとしてはフラストレーションが溜まるのが否めないのも、また事実なのだ。

 

「ま、まへ……」

「待つかぁ!」

 

 ゴウの目の前に【YOU WIN!!】の文字が出たのは、わずか十数秒後のことだった。

 

 

 

「ふー、勝った勝った」

 

 とりあえず一勝したのに満足したゴウは、今までいた《轟雷》ステージの黒雲よりは色の薄い雨雲を眺めながら、足を進める。

 もう五分もすれば自宅に着く距離まで歩いていると、メールが一件届いた。宛先は《outlaw IM》と表示されている。

 

「メモリーさん? なんだろ……」

 

 IMとはアウトローのメンバー、インク・メモリーのイニシャルだ。アウトローではメンバー間でアドレスを交換しているので、時々こうして連絡が来ることがある。

 基本的にリアルを知らないバーストリンカーに連絡先を教えるのはリアル割れのリスクに繋がる為、極力避けるのがセオリーとなっているが、アウトローではそこは各々を信頼することにして、アドレスを教え合っている。

 ちなみに、今まで他のバーストリンカーに情報が流出したことはないが、万が一情報を売るような裏切り者がいた場合は、メンバーの総力を挙げてその者を全損に追い込むことになっている──らしい。

 ともかくゴウは送られてきたメールの内容を確認すべく、仮想デスクをタップする。

 

【《メンバー全員に通達》

 六月九日(日)より《ヘルメス・コード》よりレースイベントが開催される模様。

 選手枠は全て埋まったらしいが、観戦用のトランスポーターを入手。

 詳細は土曜日に説明する。来られない者にはその日の夜にメールにて説明する。 以上】

 

 簡素な箇条書きでまとめたメール文には、聞き慣れない単語がちらほら見られた。とりあえず土曜日の集会までに、いくらか自習しておこうと思ったゴウだったが──。

 

 バシャァン! 

 

 メールの内容に気を取られ、足元にまで注意が向かなかったゴウは、歩道端の水溜りに右足を思い切り突っ込んでしまった。

 

「あーあー……。とりあえず風呂に入ってから考えるか……」

 

 さっきの対戦でもネトネトした潤滑液まみれになるし、今日は水難の相でも出ているのだろうかと考えつつ、ゴウは自宅へと急いだ。

 



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第十九話

 第十九話 レース開幕

 

 

「──それじゃ全員集まったし、始めようか」

 

 六月八日、土曜日。毎週土曜日の十五時に行われている定例集会に、アウトローメンバーの全員集まり、各々が席に着いたところでメモリーが話を切り出した。

 

「多分、この数日でもう直接耳にした人もいるかもしれないけど、明日の正午に低軌道型宇宙エレベータ《ヘルメス・コード》でレースイベントが開催されることになった。それで……」

 

 メモリーの腹部に扁平な長方形の穴が開き、ウイーンと機動音を立てながら紙の束が吐き出され、メンバー全員に一枚の用紙が配られる。配られた用紙には、【ヘルメス・コード縦走レース】と大きく書かれていた。

 このメモリー独自のアビリティ《手記記録(メモランダム・ライター)》は、メモリー自身が紙と万年筆を生成し、紙に記入した内容をアイレンズから放つレーザーでスキャンすることで、自身へのインプットが可能になる。反対に、インプットした情報を紙に印字したものを、自由にアウトプットできるというものだ(その際は今のように、文字のプリントされた紙が排出される)。

 一見して対戦を目的とするブレイン・バーストで何の役に立つのか、と思う者も多いが、これはあくまでアビリティの副産物。以前メモリーと手合わせしたゴウは、対戦の中盤までは優位に進めていたのだが、最終的にこのアビリティの真の効果によって、敗北した苦い記憶がある。

 ともかく戦闘以外でも、記録媒体が基本的に存在しない無制限中立フィールドでは今回のような使い方も可能な、かなり便利なアビリティだ。

 

「宇宙エレベータの詳細も記しといたから、良かったら目を通してね。小難しい説明は省くけど、まず今週の水曜日の夕方に現実のヘルメス・コードが日本に最接近することで、《東京スカイツリー》に『ある種のポータルが出現する』って情報がショップに売られた。聞いた話によると四人から五人乗りのシャトルに乗り込んで、ヘルメス・コードを模した柱の天辺を目指すレースをするそうだ」

「あのー……」

 

 メモリーが話す中、ゴウはおそるおそる挙手をした。

 

「ん? 何だい、オーガー」

「これってブレイン・バーストの管理者とかが用意したイベントですよね? 僕、今までこういったイベントとか聞いたことないんですけど……」

「だろうね、最近はなかったから。ブレイン・バーストでは、こういった加速世界に影響のある出来事が現実で起きた場合にアップデートをすることがある。その際に運営主催のイベントが行われることがあるんだ。今回はヘルメス・コードにソーシャルカメラが導入されたから、イベントが発生したんだと思う」

「一昨年には《東京グランキャッスル》のイベントがあったっけな」

 

 ゴウの質問にメモリーが答えると、ソファーにどっかりと体を沈めたコングが補足を始めた。

 

「あのテーマパークが開業した時には、チームでダンジョン内の玉座を目指すっていう内容のイベントが開催されてよ。その一ヵ月後くらいに初めて《古城》ステージが実装されたっけなぁ」

 

 ブレイン・バーストのフィールドは、現実のソーシャルカメラの映像を基にして構成される。つまり、こういった《新ステージ接続記念イベント》が時たま発生するということなのだとゴウは理解する。

 

「今回のイベントの参加枠の定員、合計十組はすぐに埋まったらしい。中には自力で推測して到達した人もいたらしいけど……まぁ、僕らは観客として楽しもう」

 

 メモリーの手に薄い板のような物が出現すると、おぉーと一同から歓声が上がる。

 

「これが観戦用の《トランスポーター・カード》。ここ数日間の内にあちこちで配布されているみたいでね。当日に使えば会場のヘルメス・コードに自動で連れていってくれる」

 

 メモリーが解説をしながらカードを全員へと配っていく。

 ゴウは青く透き通ったカードを一枚受け取ってしげしげと眺めた。表示されている数字は刻一刻と減っていて、当日までのカウントダウンを示しているようだ。確かに、当日に現実のスカイツリーにバーストリンカーが大勢集まったら、そこかしこでリアル割れが起きてしまう。ゴウにはそんな配慮を運営側がするのが、何だか意外に感じた。

 

「それにしても宇宙かぁ、このイベントの後に《宇宙》ステージとかが実装されるのかなー?」

「あ、私もその噂聞きました。まだ確証はないみたいだけど」

「でも酸素が無いならさー、息できなくて対戦どころじゃなくない?」

「キ、キューブ君……。デュエルアバターには呼吸している感覚はあるけど、実際に酸素を取り込んで呼吸をしているわけじゃないよ。そもそもキューブ君の頭、氷に丸ごと覆われているじゃない……」

「あー……確かに」

 

 キューブとリキュールの掛け合いに、当事者二人を含めた全員がどっと笑った。

 ともあれ、実際に《宇宙》ステージが実装されるとなれば、他のステージとは一線を画すものになるだろうと、ゴウは推測する。

 例えば常時無重力状態なら、遠距離攻撃を持つアバターが圧倒的に有利だし、純粋な近接タイプのゴウでは、相手に接近することさえ難しいかもしれない。

 ──でも無重力の世界って楽しそうだな。ふわーっと浮かび上がるのってどんな気分なんだろ……。

 それからゴウはメンバー達と共に実装さえ未定のステージについて、しばらくあれこれ推測し合いながら、恒例のエネミー狩りへと出かけていった。

 

 

 

 翌日の六月九日、日曜日。時刻は午前十一時五十五分。イベント開催まで残り五分を切る中、ゴウは家の自室で今か今かと待ちわびていた。

 昨日アウトローでは、現実で残り十秒になったらダイブをして現地集合すると事前に決めていた。つまり加速世界では十二時まで残り二時間半と少しになる。

 普段の待ち合わせには最低でも五分前には到着しているゴウにとって、未だに自宅にいるというのは中々にもどかしい時間だ。

 現在自宅には休日ということもあってゴウの両親もいるが、昼食はすでに済ませてあるので呼び出される心配はないはずだ。たとえ加速世界で一日過ごそうと現実では一分半にも満たないので、レース観戦中に親がいきなりフルダイブ中の息子のニューロリンカーを引っこ抜くという事態にはなるまい。

 とうとう十二時まで残り一分を切ると、ゴウはニューロリンカーを装着したままベッドに横たわり、仮想デスクトップのデジタル時計を見つめる。とうとう残り時間が十秒になった時、ゴウは目を閉じてコマンドを唱えた。

 

「《バースト・リンク》」

 

 初期加速空間(ブルー・ワールド)に入ったゴウは、インストメニューからトランスポーター・カード使用すると、一瞬の暗転の後に光の中を駆け上っていた。その間に体がフルダイブ用のアバターからデュエルアバターへと変わり、眩しいリングを通り抜けて足が地面に着くと、音の奔流が一気に耳へと入り込んだ。

 

「──うわっ!」

 

 驚きながら自分の周りを見渡すと、自分が巨大な観客用のスタンドの通路にいることが分かった。幅はおおよそ五十メートルで構造は横長の階段型、自分のいるスタンドの他にも同じ形をしたスタンドが二つ存在している。

 一番の衝撃は合わせて三つの巨大スタンドが、平面リング状のステージから天へと伸びる鋼鉄のタワーを正面にして、濃紺の空を浮遊していることだった。どのスタンドにも大小様々なアバターが所狭しにひしめき合っており、これだけの数のバーストリンカーを一度に見たことなど当然ないゴウが呆然としていると──。

 

「オーガーちゃん! こっちこっち!」

 

 声のした方を向くと、メディックがぶんぶんとこちらに向かって手を振っていた。多種多様なアバターの中でも、卵を割って出てきたようなメディックの容姿はかなり目を引くので、周りのアバターがじろじろと見ているが、当のメディックは全く気にしていない。

 

「メディックさん、ここが──」

「待って待って。この道をまっすぐ行って最初の階段を降りていくと、もう何人か座っているから詳しくはそこで聞いてちょうだい。あたしは残っているメンバーをここで案内してるの」

「あ、そうなんですね。ありがとうございます」

 

 どうやらここはこの会場の出現地点らしく、どんどんアバターが出現していた。確かにここで立ち話は迷惑になる。

 ゴウはメディックにお礼を言ってから、指示された通りに通路を歩いていると、大悟の他に、メモリー、リキュール、キルンが座っているのが見えた。

 

「おー、来たな。ほれ、ここ座りな」

「あ、はい、失礼します」

 

 メンバーへの挨拶もそこそこに、ゴウは大悟の左隣に座ると、あることに気付いて、あっと声を上げた。

 

「師匠、ここの他にもスタンドがありますけど、僕ら全員このスタンドに集まれるんですか?」

「あぁ、そこは心配しなくていいぞ。俺も気になったんだが、メモリーが言うには俺らは自動でこのスタンドに送られるらしい。だよな、メモリー」

「うん。トランスポーターはまとめて手に入れたからね。一つのスタンドの収容人数からして別のスタンドに移動することはないはずだ。…………多分」

 

 メモリーがボソッと呟いた最後の一言で不安になるゴウだったが、しばらくしてメディックがコングとキューブを連れてきたので杞憂に終わった。

 そうして八人のアウトローメンバーは四人ずつ前後二列に並んで座ると、周りのアバターに混ざって、タワー根元のステージに参加チームが出現する度に声援を送る。

 他のメンバーと出場チームについて話していると、より一層大きな歓声が会場中に響き渡った。

 

「見ろよ! 黒のレギオンが来た!!」

「黒の王もいるぜ! もう待ちきれねえよ!」

 

 観客達が興奮する中でゴウがタワーに目を凝らすと、ネガ・ネビュラスの面々が先程までのゴウと同様に、辺りを見渡しているのが見えた。中でもレギオンマスターであるブラック・ロータスの姿はここからでも圧倒的な迫力を感じる。

 以前に無制限中立フィールドで対面した時には、彼女は戦闘によって傷だらけだったが、今は黒水晶から切り出したような装甲が陽光に照らされ、長大な四肢の剣は息を飲むほどに鋭い。

 更に加速世界で唯一《飛行》アビリティを持つシルバー・クロウ。

 以前、ロータス同様に無制限中立フィールドで会ったシアン・パイル。

 今年の四月にデビューした、非常に希少な《回復能力》を持つということで、注目度はクロウにも引けを取らない《ライム・ベル》。

 最後にゴウの知らない、車椅子に乗るワンピース姿のF型アバターが並ぶ。

 なにやらステージで別のチームと会話をした後に、ネガ・ネビュラスはタワーに並ぶ十台の流線型シャトルの内の一つに向かっていった。シャトルはタワー根元の傾斜台に載せられていて、レース開始と共にタワーの天辺を目指すのだろう。

 ついに残り時間が一分を切ると、シャトルの機関部が唸りを上げ、観客達が更に沸いた。レッドシグナルが点灯し、ゴウ達もボルテージマックス状態の観客達の大合唱に加わる。

 

「ゴー! ゴー! ゴー! ゴー! ゴー!」

 

 そしてカウントがゼロになり、光点が青に変わった瞬間、シャトルが一斉に動き始めた。

 



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第二十話

 第二十話 未知なる力

 

 

 ついに始まった《ヘルメス・コード縦走レース》。

 発車したシャトル群は傾斜台を一気に駆け上り、緩やかに湾曲したタワーの表面をぐんぐんと速度を上げて垂直に走る。その姿はまるで空を目指すロケットのようだった。

 そんなシャトルに平行し、自動追尾して上昇する機能があるらしい巨大な観客スタンドから、ゴウは思わず感嘆の声を上げる。

 

「わぁー……!」

 

 時折雲を見かけるが、あっという間に上昇するスタンドの下へと見えなくなってしまう。しばらくすると、加速を続けていたシャトル群はどうやら最高速度に到達したらしく、更なる加速は見られなくなった。

 

「ふうむ、大体時速五百キロってとこだな」

「ご、五百キロって、とんでもないスピードですね」

 

 自分の左隣に座るキルンの言葉に驚くゴウだったが、キルンはふるふると首を横に振った。

 

「んでも、ヘルメス・コードは全長四千キロメートル。今の速度のままじゃ、ゴールまで八時間近くかかることになっちまう。さすがに何かしらの仕掛けがあるはずだが──おっ、始めたな」

 

 ゴウがタワーに視線を戻すと、赤いシャトルの運転手以外の四体が、右隣を走る青いシャトルに銃撃と砲撃の雨を浴びせ始めていた。

 スタート前にメンバー達から聞いた話によると、今回デュエルアバターの体力ゲージは固定されていて、シャトルに耐久値が設定されているらしい。このシャトルの耐久値が限界を迎えたら、おそらく走行不可能になって失格だ。ちなみに、ゴウは今回出場しているチームについてもアバターの名前などの簡単なプロフィールをメンバー達から教えてもらっている。

 現在攻撃をしている赤いシャトルに乗車するのは赤のレギオン、プロミネンスのメンバー達。レギオンの色同様に赤系のアバターを揃えてきたようだ。

 対して青いシャトルに乗車するのは青のレギオン、レオニーズのメンバーだ。こちらもレギオンカラーの青系で人員が固められ、襲い来る弾幕に二体のアバターが身を乗り出して防いでいる。

 それでもさすがに全てはカバーしきれず、青いシャトルの側面に弾丸が当たっては凹んでいく。すると、青いシャトルは左方向へハンドルを切り、赤いシャトルへと急接近を始めた。どうやら、肉弾戦に持ち込もうという魂胆らしい。

 観客達の応援と悲鳴の飛び交う中、両肩と額に角を生やした大柄なM型アバターが立ち上がる。『当たって砕けろ(ゴー・フォー・ブロークン)』を信条とする《フロスト・ホーン》だ。彼が立ち上がり、赤いシャトルに向けて拳を振りかぶった、その瞬間──。

 赤いシャトルが猛烈な勢いでスピンをし、駒のような勢いで青いシャトルへとぶつかる。立っていたホーンは衝撃に足元を(すく)われ、悲鳴と共にシャトルから転がり落ちていった。

 高速で移動しているシャトルから落ちたホーンはタワーに接触した瞬間、ボールのようにバウンドを繰り返しながら、あっという間に豆粒ほどの小ささになって見えなくなってしまった。

 スピンからすぐに体勢を安定させた赤いシャトルは再び射撃を開始し、とうとう青いシャトルはリニアホイールから火を噴きながら制御不能の回転を始める。

 この距離からは何を言っているかは聞き取れないが、ドライバーの《トルマリン・シェル》を始めとした、散々喚き散らすレオニーズのメンバー達は、やがてシャトルの爆発に吹き飛ばされ、先程のホーン同様に真っ逆さまに落ちていった。

 ──体力が減らないから死ねずに地上まで落ちていくのかな……。

 脱落者が出たことで観客達が更に盛り上がる中、ゴウはぞっとしながら首を縮めた。

 

「あ~あ、ホーン負けちゃったよー……。せっかく賭けてたのになー」

 

 左後方に座るキューブの落胆の声が聞こえた。周りをよく見るとガッツポーズをしていたり、がっくりと肩を落とす者がちらほら見える。どうやら観客の中には賭けをしている者が少なからずいるようだ。確かにレースは、賭けをするのにうってつけなのかもしれない。

 そういえば、と以前始めてアキハバラBGへ連れていってもらった際に、どうも大悟はゴウの対戦に、賭けをしていたことを漏らしていたのを思い出す。問い詰めると大悟は露骨に話を逸らして帰ってしまい、以降度々聞いてもシラを切るので、その内に問い質すのも諦めたが。

 今度は赤いシャトルが、左隣のシルバー・クロウが運転するネガ・ネビュラスの鏡面シルバーのシャトルに狙いを定めたようだ。慌てて左に逃げようとする銀のシャトルを、赤いシャトルはぴったりと追随して逃がさない。

 これまでの動きから赤いシャトルの運転手、プロミネンスの副長を務める《血塗れ仔猫(ブラッディ・キティー)》の通り名を持つ《ブラッド・レパード》は相当の運転技術を持っていることが窺える。二年半前にプロミネンスの建て直しに力を貸した大悟は、彼女とも知り合いなのだろうかとゴウは気になったが、再度射撃が開始され、すぐにレースへ意識を引き戻される。

 ネガ・ネビュラスもやられっ放しにはならず、右舷に座っていたロータスとパイルが身を乗り出して、各々の方法でシャトルを防御している。今のところはほとんどシャトルに損傷はないが、それでも先程のレオニーズ同様、やはり全ての攻撃は防ぐことはできず、このままではジリ貧になるのは目に見えていた。ネガ・ネビュラスには遠隔系のアバターはおらず、接近して乗り込もうにも、レパードの運転テクニックの前ではレオニーズの二の舞にしかならないだろう。

 銀のシャトルのリタイアも時間の問題かとゴウがはらはらと戦況を見守っていると、弾幕を防いでいたロータスがシャトル内へ向き直り、チームメイトと何かを話し始めていた、というより訴えかけているのが見えた。その間にも赤いシャトルからの射撃は容赦なく撃ち込まれ、シャトル側面を穿っていく。その時、銃弾がロータスに当たり、よろめいたところを車椅子に乗っていたアバター――スカイ・レイカーが支え、ゆっくりと抱き締めた。

 それから間もなくしてレイカーが意を決したように高らかに何かを叫ぶと、群青色の空の彼方から明るい水色の流星が尾を引いて銀のシャトルへと接近するのを、ゴウは観客達と共に一体何事かと目を丸くする。

 時速五百キロ近いスピードで駆けるシャトルを寸分違わず狙ったかのような光は、レイカーの体に当たると消え、代わりにその背中にはブースターのような強化外装が装着されていた。強化外装着装の影響か、アバター本体が露わになったレイカーは両膝から下が欠損した体で、仲間の手を借りながら車体の後部へ移動を始める。そのままブースターが下に向くような体勢を取ると、銀のシャトルは左にハンドルを切っていた車体をまっすぐに安定させた。そして──。

 

 ドドドドドドドドドド!! 

 

 轟音と共にブースターから青い噴射炎が噴き出し、限界速度で走っているはずの銀のシャトルが一気に速度を上げ、スタンド中が一斉にどよめいた。

 凄まじい馬力のブースターによって赤いシャトルからの弾幕からも逃れ、トップに躍り出た銀のシャトルの頭上に、虹色に輝くリングが間隔を空けていくつも出現する。

 ブースターのエネルギーが切れたらしい銀のシャトルは、レイカーを座席に戻してから速度を落とさずにそのままリングへと突っ込んでいくと、通り抜けたリングと共にふっと消えてしまった。

 一体どうしたと観客達がざわめく中、誰かが上空を指差して叫ぶ。

 ゴウもつられて上を見上げると、三つの観客スタンドの頭上にも大きさこそ段違いだが、同様の光を帯びたリングが出現していた。

 シャトルとは異なり、誰も操作などしていないスタンドは一気にリングへと突っ込んでいく。そうして突入した先は、巨大なタワーも濃紺の空も見えない、虹色の光に満たされた空間だった。

 

「やっぱりワープゾーンだったか」

「ワープ?」

 

 納得したようなキルンに途惑うゴウに、大悟が解説をする。

 

「さっきお前さんとキルンが話していた通り、全長四千キロのコースは長すぎる。どこかでショートカットする地点があるのは何ら不思議じゃない」

「じゃあここはショートカットのコースか……。ところで師匠、さっきのスカイ・レイカーの強化外装は一体何です? シャトルの速度を一気に上げるなんて、とんでもない馬力でしたよ」

「あれは《ゲイル・スラスター》。レイカーの強化外装で厳密にはブーストジャンプと言った方が正しい。多分レベルアップ・ボーナスを全てか、あるいはほとんどをあれの強化に費やしているな。あのブースター故にあいつは《ICBM》、《超空の流星(ストラト・シューター)》と呼ばれていたんだ」

 

 レース開始前の話によると、スカイ・レイカーのレベルは8。それまでのボーナスを性能強化に注いでいるのなら、確かにあのスペックも頷ける。だが、ゴウにはもう一つ気になることがあった。

 

「あの、師匠。もう一ついいですか?」

「ん? どうした」

「彼女の両脚……えっと、あれは元から無いんですか? その、体が元から欠損しているアバターって見たことなかったから気になって……」

 

 そう問いながらも、言うんじゃなかったかとゴウは少し後悔した。何か事情があるかもしれないのに、いくらなんでも踏み込みすぎたように感じたからだ。その上、大悟が知っているとも限らないのに。

 

「…………いや、あいつには本来、ちゃんと両脚があったんだ。ある時、より空に近付こうとして自分から捨てたんだと。──俺に言わせりゃ馬鹿なことをしたもんだよ、本当に」

 

 かなり間を置いたが、まるで当事者から聞いたような口振りの大悟は、若干の憐憫を含んだ声でゴウの質問に答えた。

 だがゴウには更に疑問を一つ持った。対戦中の損傷はバースト・アウト後に再加速をすれば消える。加速の度に脚を失うなんてことはまず有り得ないだろうし、一体どういうことなのだろうか。

 

「お、出口が見えてきたぞ」

 

 疑問を抱いたままのゴウは、大悟に呼びかけられて上を向くと、虹色の景色に青い光を見た。スタンドが光に近付くに連れ、それがワープゾーンの出口だと理解する。

 スタンドの天辺が青い光の輪に触れた瞬間、再び光に呑み込まれた。

 

 

 

 光が消えてしばらくすると、今日一番の大歓声が響き渡った。

 濃紺の空は漆黒の夜──ではなく、宇宙が広がっていた。無数のきらめく星々は銀河を形作り、鋼鉄のタワーであるヘルメス・コードの左側からは、生命の源でもある太陽の光が、タワーを走るシャトルを照らし出している。

 ソーシャルカメラからの映像を使用しているらしいリアルな光景を見て、アウトローの面々も思い思いの反応を示していた。

 リキュールとメディックは目に映る景色に拍手をし、コングはそのスケールの大きさに他のギャラリー同様、両腕を上にして歓声を上げ、キルンとキューブは景色に釘付けになっていた。メモリーに至っては目にした情報を一つも逃すまいと、紙に素早くペンを走らせて何やら書き込んでいる。大悟は何も言わずに、静かに輝く星空を眺めていた。

 ゴウは空間一面に広がる世界の無限の広さに、しばしの間、名前の分からない感情を胸に抱きながらこの光景を眺めていた。自分達はこの世界では砂粒一つにも満たない小さな存在で、しかしそれらが合わさることで、こうして一つの広大な世界を創り出しているような──。

 そんな不思議な感傷も長くは続かなかった。何といっても今はレースの真っ最中なのだから。

 現在、スタンド同様にワープゾーンを通ってきたシャトルは六台。

 ネガ・ネビュラスのシャトル。

 プロミネンスのシャトル。

 緑のレギオン《グレート・ウォール》に所属する渋谷のガイコツライダー、《アッシュ・ローラー》の操縦するシャトル。普段の対戦から前時代的なアメリカンバイクを駆る彼なら、ドライバー役は適任だろう。

 そして、黄色のレギオン《クリプト・コズミック・サーカス》のシャトルと、七大レギオンではない中堅レギオンのシャトルが二台。

 これで今までのレースで、レオニーズの他にも二つのチームが脱落したことになるが、ゴウはレース開始から一つだけ気になっていたことがある。

 スタート前に傾斜台に並んでいた十台のシャトル、その右端に停まっていた十番目のシャトルは、全体が赤錆に覆われたスクラップのような有様になっていた。運転手の姿はスタート時刻になっても見当たらず、メンバー達にも質問をしたが、彼らも分からないようで首を傾げていた。

 自動追尾で上昇してしまったスタンドの視界からすぐに外れてしまったし、今現在もいないことから、何らかの要因で選手は不参加だったのだろう。

 それでもゴウはあのシャトルのことを考えると、何故だか言い表せない胸騒ぎがする。何か大きなことが起きようとする前触れ、それも悪い方向に向いているような気がしてならない。

 その予感が的中したのか、予想外の出来事が発生した。

 太陽に照らされているネガ・ネビュラスのシャトルの影から静かに何かが浮き上がっている。

 長方形の黒い板だ。シャトルと同じくらいの大きさで、どういった仕組みかぴったりと銀のシャトルと間隔を空けて並走をしている。黒の王の輝く黒水晶(モリオン)のような装甲色ではなく、逆に光を飲み込んでしまうような艶消しの黒色。そんな板は左右に分かれたと思うと、すぐに消滅してしまった。

 板の中から出てきたのは、あの錆だらけのシャトルだ。廃車同然の見た目とは裏腹に、速度は他のシャトルと何ら遜色はない。そんなシャトルの操縦席にはシャトル同様の色合いをしたデュエルアバターと、後部のシートには数十枚の板を人型に並べたような奇怪なデュエルアバターが一体。色はたったいま消滅した長方形の板と同じ質感の黒。

 

「おい、あのシャトルどこから出てきた?」

「ドライバーもいなかったし、リタイアじゃなかったの!?」

「なぁ、あれが優勝したら、賭けはどうすんだ?」

「あのデュエルアバター、知ってる奴は? 誰かいないのか!?」

 

 観客達も、錆びたシャトルの突然の登場に戸惑いを見せる。

 

「師匠、あいつらは一体……」

「……あの黒いのは知らん。あんな姿のアバター、見たことがない……。運転手も初見だが、前にアキハバラBGのマッチメーカーから聞いた奴の特徴にそっくりだ。確か、《ラスト・ジグソー》だったか」

「それって……!」

 

 不審そうに錆びたシャトルを睨む大悟の口から出たデュエルアバターの名前には、ゴウにも聞き覚えがあった。

 ゴウは時々アキハバラBGに足を向けていた。無論、賭けが目的ではなく、あらゆるタイプの相手と対戦する良い機会だからだ。そんな折、今年の四月頃に《ローカルネット荒らし》の噂を耳にした。

 聞けば選手登録もせずに、試合の直前で片方の対戦相手に乱入を仕掛ける者が連日で現れているという。結局ゴウはそのアバターに乱入される機会はなかったが、敗北したバーストリンカー達から名前だけは聞いていた。それがラスト・ジグソーである。当時この出来事はアウトロー内でもちょっとした話題にもなったものだ。

 

「でも結局、それからあいつは現れなくなったんですよね?」

「あぁ。どんなカラクリを使っていたか知らんが、まっとうな奴とはとても──ん? 落ちたぞ、あいつ」

 

 黒い板で形成されたアバターが自らシャトルから舞い上がったかと思うと、漆黒の背景に溶け込んで、すぐに見えなくなってしまった。まるで自分の役割は終わったとでもいうように。

 シャトルを運転するジグソーは時折左側、ネガ・ネビュラスの銀のシャトルに顔を向けて何やら会話をしていたようだったが、やがてジグソーの全身から、くすんだ赤い光の柱が発生し始めた。

 光の柱は更に増え、うねりながら合わさって渦を巻き始める。すると、今度は高周波の振動がスタンドどころか、巨大なタワー全体を震わせていく。

 異変を察知した銀のシャトルが一気に左方向へと舵を取ってジグソーから離れ始める中、ジグソーはハンドルを手放して運転席から立ち上がり、両腕を高々と掲げて会場中に響き渡るように吼えた。

 

「《錆びる秩序(ラスト・オーダー)》!!」

 



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第二十一話

 第二十一話 レース閉幕

 

 

 今やレースイベントは、阿鼻叫喚の地獄のような有様になっていた。ジグソーから発された赤い光が爆発的に膨らみ、その領域に入ったあらゆる物体を錆び付かせ、破壊していったからだ。

 光の範囲内に入ったスチールグレーのタワーが、赤錆に包まれながら亀裂が走り、所々に巨大なクレーターのような陥没を作り出す。

 タワーを走っていたシャトルも影響を免れず、三台のシャトルが光の中に入ってしまい、あっという間に錆びだらけになる。だが、事態はそれだけでは済まなかった。

 光は体力ゲージが固定されているはずの乗員達にまで影響を及ぼし、乗員達の体をボロボロと朽ちさせていく。崩壊するシャトルと共に悲鳴を上げて落下していく彼らの姿を、しっかりと見てしまったゴウはあまりに残酷な光景に吐き気を催しそうになる。

 更に破滅の光はゴウ達の隣に浮いていた観客スタンドへと伸びて、呑み込んでいった。底部にヒビがいくつも走り、外板が剥がれていく。やがて、百人を超える観客の乗ったスタンドが呆気なく崩壊した。観客達はレース参加者同様に、なすすべもなく全身を崩壊させながら落下し、姿が見えなくなっていく。

 幸いゴウ達のスタンドは光の範囲内には入っていないが、それでも隣のスタンドの末路を目の当たりにした観客達は集団パニックに陥った。

 言葉にならない悲鳴を上げてスタンドを走る者、顔を覆って何かを呟く者、リアクションは様々だが恐怖が伝染し、そのほとんどが我を忘れているようだった。

 

「《空間侵食》……とんでもないことしやがる。──コング、使うなよ?」

「でもよ! このままじゃ、このスタンドまでアレの範囲に入るのは時間の問題だぜ!?」

 

 事の有様を目の当たりにして低く唸った大悟が、コングの方へ振り向いて何やら諭しているが、ゴウには何の話なのか分からない。

 

「いいか、全員よく聞けよ。たとえこのままスタンドと一緒に崩壊していっても《心意システム》は使うな。パニック起こしている奴らが勘違いして、襲いかかってってくるとも分からん」

「師匠、心意システムって……?」

 

 ゴウの問いに何故だか躊躇を見せる大悟は、未だに猛威を振るう赤い光を一瞥すると、大きく深呼吸してからゴウの方へと向き直った。

 

「詳しい話は今度教える。まず赤錆野郎が発動しているのは空間侵食の心意技と言ってな。心意技の中でも最悪の部類に入る。だがここまでの広範囲、高威力で長時間発動させ続けるなんて──」

「皆、あれ見て!」

 

 メディックが指差すタワーの方を見ると、ジグソーの発する赤い光の中に別の色の光が発生していた。

 それは空色の光を帯びた旋風。渦巻く風がネガ・ネビュラスのシャトルを包み込み、その影響なのかシャトルは崩壊せずに未だに走り続けているのだ。

 それでも徐々に減速していく銀のシャトルを、ジグソーの乗る錆びたシャトルが追い越していった。前方には障害物となるアンテナが立ち並んでいるが、ジグソーは錆びていくそれらを意にも介さず直進し、砕き散らしていく。

 観客スタンドは先頭のシャトルと同期しているので、どんどん銀のシャトルから離れ、錆びたシャトルがゴールへと突き進んでいく光景を見せつけられる形になっていた。

 

「このまま、何もできないのか……」

 

 ゴウは思わず呟いていた。

 ──いきなりレースを滅茶苦茶にした奴が優勝して、優勝賞品もかっさらっていく。それは『正しい』のか? いや、そんなことは間違っている。許されることじゃない……絶対に──。

 

「──ガー! おい、オーガー!!」

 

 はっと我に返ると、ゴウは大悟に肩を揺さぶられていた。大悟の手に込めている力は強く、食い入るようにこちらを見ていて、そのアイレンズにはどこか警戒の色を感じる。他のメンバー達も心配そうにゴウを見つめていた。

 

「し、師匠? 何ですか?」

「お前さん、何をした? いや、何をしようとした?」

「え? ぼ、僕は何も……」

 

 ほとんど睨むような視線をゴウに向けていた大悟は、やがて表情を少し和らげ、肩を掴んでいた手も離した。

 

「……そうか、ならいい。いきなり悪かったな」

「皆さん、あれを! シルバー・クロウが……」

 

 リキュールの声にゴウを含めたメンバーが、ジグソーのシャトルに追い縋ろうと飛翔しているシルバー・クロウへ視線を向ける。

 銀色に輝いていたはずの金属フィンで構成されていた翼は、赤い光の中を突き進んでいることで、根元から剥離して今やほとんど残っていなかった。それでも何とかシャトルのリアを掴み、力づくで後席に飛び込む。

 ここでクロウに気付いたジグソーが振り向くも、クロウの右手が銀色の光を帯びて剣の形を取り、ジグソーの胸部装甲の中央を狙った。だが──。

 

「ああっ……!」

 

 ゴウには今の悲鳴が自分から出たのか、他の誰かから出たのか分からなかった。全身を錆びに侵されていたクロウの右手が、肘からあっけなく砕け落ちたのだ。

 ジグソーが右腕から伸びる突起を、倒れ込むクロウの左脇に引っ掛けて支える形となるが、どう考えてもクロウを労わっての行為とは思えない。

 ジグソーがアクセルから足を離したことでシャトルは減速し、同時に赤い光が収まっていく。シャトルは垂直状態で完全に停止していても、タワーとの間に引力が働いているようで落下はしなかった。

 やがて、クロウの左腕がジグソーの右腕の突起によって切断された。

 

糸鋸(いとのこ)……ひでえことをしやがる」

 

 キルンが呻く中、ジグソーは両腕を失ってぐったりしているクロウを、糸鋸が付いた両腕の突起を首にクロスさせて吊り上げていた。そのまま首を切断するつもりなのだろう。

 

「ひどい……こんなのもう嬲り殺しじゃないか」

 

 悲痛な声を上げるゴウだったが、空間侵食なる光が消え、パニックの収まり始めた観客の中にはゴウとは異なる意見を持つ者もいた。

 

「あいつ、何しに来たんだ?」

「期待させといてこれかよ……」

「結局あれじゃ犬死じゃない……」

 

 失望の混じった嘆息は、ゴウを激しく動揺させた。

 ──どうして皆、クロウのことを責めているんだ? 必死にジグソーの横暴を食い止めようとしているのに、そんなのあんまりじゃないか。

 先程ジグソーの行動に感じた怒りと同じものが湧き上がり、ギャラリー達を(とが)めようとしたゴウだったが、そんなゴウの憤りさえも吹き飛ばすような事態が起こった。

 最初に感じたのは悪寒。もう死を待つだけのクロウの体からオーラが滲み出ている。それは先程の銀色ではなく黒銀、ともすれば闇の波動。

 あの色と限りなく近いものをゴウは知っていた。忘れるはずがない。あれを最後に見てから、まだ半年も経っていない。もう二度と見ることはないと思っていたのに──。

 

「まさかあれは……」

 

 大悟もオーラの正体に感づいたのか、警戒をして事の成り行きを見ているようだった。

 

「お前を……お前らを……オレは、絶対に……許す、ものか────ッ!!」

 

 瀕死のクロウの咆哮がスタンドにも届いたその直後、クロウの背中を突き破って出た何かがジグソーの糸鋸を叩き折った。

 両者はシャトルの外に出て距離を取り、クロウはたったいま背中から出てきた触手のような尾のような、環状パーツを繋げた黒銀の物体をタワーに突き刺した。それを支えに大きく上体を仰け反らせて更なる咆哮を上げる。

 全身からはより濃いオーラが放射され、観客達が一斉にどよめく。皆も確信せざるを得なかった。あれは加速世界の黎明期より存在した伝説の存在──。

 

「クロム……ディザスタ──────ッ!!」

 

 吼え猛るクロウが、《災禍の鎧》の名を呼んだ。

 

 

 

 ほんの数分の間に、一切合切を破壊しながらヘルメス・コードのゴールに突き進んでいたジグソーはバラバラにされ、残っていた頭部がたった今クロウに握り潰された。

 しかしもうジグソーを倒したデュエルアバターは、シルバー・クロウとは呼べないのかも知れない。

 タワーに足の爪を食い込ませて体を保持し、闇色のオーラを纏う黒銀の装甲をしたデュエルアバターは、《六代目クロム・ディザスター》と呼んだ方がゴウには適切に思えた。

 以前大悟が説明したように《鎧》は形態が変化していて、《五代目》だったチェリー・ルークの重装甲騎士のデザインとは異なっている。

 始めに背中から生えた尾に加え、全身を包む鎧はよりシャープだが、強靭さと禍々しさにはそれ以上のものを感じた。鎧の構成時に一緒に復元された両腕の先には鋭い十本の鉤爪、足先に三本の太い爪が生えている。

 クロウの最大かつ唯一無二の特徴である両翼は、金属フィンの一つ一つが武器のように鋭く尖り、全体的に西洋の悪魔を思わせる風貌となっていた。

 無傷でジグソーを倒したクロウが観客スタンドへ向けた視線と、ゴウは目が合ったように感じた。チェリー・ルークは以前、無制限中立フィールドでゴウと大悟に対面した際に、こちらを『餌』と認識しているようだったが、バイザーに隠れたクロウの表情は何も窺い知れない。

 大半は唖然呆然としている観客の中にも、不審そうに話し合う者が何人かいた。先程クロウが強化外装の名前を呼んでいたが、目の前のアバターが本当にあのクロム・ディザスターなのか半信半疑のようだ。おそらく七大レギオンに所属する者は、上位ランカーから《鎧》が完全消滅したと通達があったのかもしれない。

 

「オーガー、下がれ。状況が変わった。もしもあいつがここに乗り込んでくるようなら、そのときは……」

 

 大悟が左腕をゴウの前に出し、こちらを見て沈黙している黒銀のアバターの一挙手一投足も逃すまいと見つめている。

 とうとう両翼をゆっくりと展開させていくクロウが体を沈め、離陸しようとしたその瞬間──何故か両足の爪を立てて急停止した。

 ややあって、突然自分の名前を叫ぶクロウの纏っていた黒銀の鎧が、液体のように足元まで一気に滴り落ちた。しかし、クロウ本来の姿が露出をしたのも束の間、剥がれた鎧が意思を持っているかのように、再び戻ろうと体の先端から再装着されていく。絶叫しながら鎧の侵食に必死で抗うクロウだったが、それも時間の問題に見えたその時。

 

「──────っ」

 

 タワーの下方から、誰かが誰かを呼ぶ声が響いた。

 大悟を先頭にアウトローの面々がギャラリーを押しのけて、スタンドの(へり)を覗き込む。ゴウもそれに倣うと、新緑色のデュエルアバターとそれを運ぶ空色のアバターが背中のブースターを噴射させ、クロウへと近付いていた。

 ネガ・ネビュラスのライム・ベルとスカイ・レイカーだ。更にその後ろを彼女達の乗っていた半壊状態のシャトルが追っている。

 一体何をしようというのだろうかと、迫る二人を目を見開いてゴウが見つめていると、彼女達を遠ざけようと叫んだクロウから一気に闇のオーラが噴き出し、次々に鎧が装着されていった。

 残るは頭部のバイザーが装着されるのみとなると、ライム・ベルが左腕に装着された巨大なハンドベルを反時計回りに回転させ始める。続けて回していた巨大ベルをクロウへ向けると、この空間にいる全てのバーストリンカーに聞こえる声で必殺技名を発した。

 

「《シトロン・コ────────ル》!!」

 

 透き通った鐘の音と共に鮮やかな緑色の光が放たれ、クロウを包み込んだ。光は闇のオーラと黒銀の装甲を引き裂き、再び液体のようになった鎧がクロウの背中のへと戻っていく。

 

「あれがライム・ベルの《時間遡行》……。なんて凄い、《災禍の鎧》にまで作用するのか……!」

 

 メモリーが紙に叩き付けるように文字を書き込みながら、放たれた光を食い入るように見つめている。

 ライム・ベルの能力についてはゴウも知っていたが、直接見るのとではまるで違った。

 彼女の必殺技《シトロン・コール》は、放たれた光に浴びた対象のステータスを巻き戻すという稀有な力を持っている。燃費は悪く、放つ光も直線的だが、対戦格闘ゲームであるブレイン・バーストでは反則に近い体力回復(あくまで擬似的なものではあるが)の他に、強化外装の強制解除まで可能な、破格の能力を誇る必殺技だった。彼女のデビュー時には数多くのレギオンから勧誘が殺到したという。

 そんな強力な必殺技を受けても尚、魔性の鎧は完全には剥がれず、尾部だけが未だに残されていた。

 しかし、鎧から開放されたクロウが自由になった両腕で尾を掴み、両手を銀色に輝かせて叫んだ。

 

「《光……線……剣(レーザー・ソード)》!!」

 

 先程ジグソーに放ったものと同じく、剣の形をした光は十字に交差して、伸びていた尻尾を断ち切った。残っていた尾も、根元から崩れるように消滅していく。

 全精力を使い果たして落下を始めるクロウを、ベルとレイカーが優しく受け止めた。

 

「《災禍の鎧》を……押し戻した?」

「仲間の助けがあったとはいえ…………シルバー・クロウ、大した奴だ」

 

 ギャラリーが静まり返る中でゴウが呆然と呟くと、張り詰めていた緊張を解いた大悟が、驚嘆を含ませた声でクロウを褒め称えた。

 

 

 

 三つあった観客スタンドの内、ジグソーの攻撃から逃れた残りの一つは、大音響の声援で溢れ返っていた。

 応援の対象はバイクを操縦するアッシュ・ローラーとそのバイク後部に座るクロウ、四足歩行の獣に変身したブラッド・レパードと彼女の背中に乗るレイカーの四人だ。

 あれからネガ・ネビュラスの他に、他のチームメイトを乗せていない半壊したシャトルでアッシュとレパードが合流したものの、シャトルは完全にクラッシュしてしまった。

 そこで提案されたのは、まず《壁面走行》アビリティを持つアッシュとレパードが空中を移動できる二人を乗せて限界までタワーを上り、その後にクロウがレイカーを抱えて飛行、最後にレイカーがジェットパックである《ゲイル・スラスター》のエネルギーを全て消費してゴールを目指す、というものだった。

 それでゴールに到達するかは賭けだが、ごくわずかにでも可能性が出たことで、再びギャラリー達も惜しみない応援でゴールを目指す彼らを鼓舞している。

 そんな中、仲間と共に元の席に戻っていたゴウは、複雑な心境でそびえ立つ塔を眺めていた。

 あの日《災禍の鎧》の持ち主だったチェリー・ルークは、赤の王スカーレット・レインの《断罪の一撃(ジャッジメント・ブロー)》によって全損し、《鎧》も加速世界から完全消滅したはずだった。たとえ《鎧》が討伐に向かった彼らのストレージに移動したとしても、残しては置かないだろうと大悟も言っていた。

 ところが、その現場にいた者の一人であるシルバー・クロウは《鎧》を呼び出し、着装さえしてみせた。彼はストレージに移動した《鎧》をあの騒動以降ずっと所持していたのだろうか。

 だが、《鎧》の支配から懸命に抗ったクロウの姿を目の当たりにして、そんなことをするとは考え辛い。

 そして、もう一つ気がかりなのは一連の戦闘で幾度も見られた、眩い光を発しながら放たれた技の数々だ。クロウの銀色の剣、レイカーの空色の旋風、そしてジグソーの全てを錆びさせ、崩壊させた赤錆色の嵐。

 あれらが幻惑系や光線系の必殺技から発せられる光とは、一線を画した何かであることはゴウにも分かる。しかし、システムで保護されていた体力ゲージはおろか、巨大なオブジェクトである観客スタンドにまで影響を及ぼすほどの力が一朝一夕で身に付くはずがないし、対戦ゲームであるブレイン・バーストで、あの力はルールバランスを崩壊するに余りあるものだ。

 ──つまり運営側は、あの力を知りながらも黙認している? 

 

「お前さんが何を考えているか、おおよその見当は付く」

 

 シャトルに同期している為、タワーを駆け上る彼らを追うことはできないスタンドで、ゴウは唐突に大悟に声をかけられた。

 

「こうなった以上は致し方ない、あの力についても教えざるを得なくなっちまったが……今はレースを見届けな」

「でも……もう何も見えませんよ。そもそも辿り着けるかどうかだって──ん……?」

 

 上空でオレンジの光がぱっと輝いて、消えた。景色を彩る星とは違う、何かが燃え尽きたような光だ。

 

「あれは、大気の摩擦熱? この高さじゃ酸素は無いはずなのに……アバターがずっと漂っていない為の配慮か?」

 

 メモリーがブツブツと呟きながら、未だに情報を紙に書き込んでいる。隣で呆れたような表情を向けるメディックにもお構いなしだ。

 

「もしも、ゴールまで誰も行けなかったらどうなるんでしょう?」

「そうだな、選手が全員リタイアであることを確認した運営側が、この空間ごと消してログアウト、なんてのも有り得るがそうはならないだろ」

「どうしてそう言いきれるんですか?」

 

 大悟の確信したような言い方が気になるゴウをよそに、当の本人はずっと宙を見続けている。その姿は何かを見逃さないようにしているようだった。

 

「多分一瞬だ。お前さんもよく目を凝らして見ていな」

「は、はぁ。………………あっ!」

 

 じっとタワーの上を見続けていたその時、一瞬だけ遙か上空で青い光が(またた)いた。ゴウには何故かは分からないが、その儚い光がとても尊い何かに感じられた。

 

「……もう《イカロス》なんて呼べないな。レイカー」

「師匠、あれはスカイ・レイカーの……?」

「ああ。やっと自分(てめえ)で雁字搦めにしていた呪縛を解いて、探していたものを見つけたみたいだ」

 

 満足げに頷く大悟。気が付くとアウトローだけでなく、スタンドのギャラリー全員が青い光を眺めていた。

 

「オーガー、少しガラにもないことを言うけどな。たとえどんなハイランカーでも悩み、目の前の壁に立ち止まることもある。でもそれを乗り越えて成長する姿は誰であれ、とても尊いものだと、俺は心底そう思うんだ」

 

 大悟の唐突で予想だにしなかった言葉に、ゴウは冗談気味に「本当にガラにもないですね」と茶化そうとしたが、真剣な横顔を見た途端にその考えも失せた。

 静かに天を仰ぐギャラリー達の視線の先でとても小さく、されど先程の比にならないほどに強く輝く青い光が十字にきらめいた。

 



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心意篇
第二十二話


 第二十二話 拭えぬ記憶

 

 

 懐かしくも見知った、最近ではほとんど見られなくなった木造建築の建物の中に、ゴウは立っている。目の前では土で汚れた作業着姿をした老齢の女性と、女性に抱かれている半袖短パン姿をした幼い男の子が二人揃って泣いていた。

 ゴウは目の前の二人が誰だか知っている。何故なら女性は自分の祖母で、男の子は当時の自分だからだ。

 ここは祖母の部屋だ。最後に訪れてからもう八年近く経つのに、この家の間取りも、どこに何が置いてあるのかまで鮮明に憶えている。

 祖母は幼いゴウを強く抱き締め、しきりにゴウに対して謝っている。一方の幼いゴウは顔を鼻水と涙でぐしゃぐしゃにしていた。

 祖母はこの時、ゴウが怖い目に遭ったから泣いていると思っていたのだろうが、そうではない。

 ──違う。違うんだよ、おばあちゃん。僕が泣いているのは怖かったからじゃない。おばあちゃんは悪くなんかない。悪いのはあの男と、あの時何もできなかった僕で…………。だから、だから謝ったりなんかしないで、もう泣かないで──。

 そう思っているのに声が出ない。幼い自分も、今の自分も。

 結局ゴウは祖母に、自分の涙の理由を話すことはできなかった。その後悔の棘は心の奥深くに刺さったまま、今も抜けてはいない。

 

 

 

 目を覚ますと、自室の天井がかすかに滲んでいた。目尻に溜まっている涙をゴウは指で拭う。

 あの時のことを夢で見るのは久々だった。時が経つに連れ段々と見なくなっていたし、中学に上がってからは────見ていないはずだ。少なくとも記憶にはない。

 六月十五日、土曜日。今日は《ヘルメス・コード縦走レース》から最初のアウトローの集会日だ。そして大悟に《インカーネイト・システム》、通称《心意システム》なる謎の力について教えてもらうことになっている。

 ゴウは当日のレースイベント終了後、すぐに大悟へ連絡を取ったが、大悟は次の集会日に詳しく話すと言って譲らなかった。

 理由としては三十分の対戦では説明しきれないこと、現実で直接会ったり、通話やメールを介して話すのは控えたいこと。この二点から無制限中立フィールドで、アウトローの全員と意見を共有しながら教えるのが最良だと判断したからだそうだ。

 仕方なくこの一週間がのろのろと過ぎるのを待ちながら生活していたのだが、ふとゴウは大悟についてほとんど知らないことに思い至る。

 以前他のメンバーから『アイオライト・ボンズ』として名を上げていった経緯は聞いたものの、『如月大悟』という人間がどういう経緯でブレイン・バーストプログラムを手に入れたのかは謎のままだ。アウトローでは現実のプライバシーの詮索をしないという暗黙のルールがあるので、そこまで踏み込むことはできなかった。

 一体いつからバーストリンカーだったのか。《親》は誰なのか。そして、常に一緒に行動していたという二人のバーストリンカーのこと。

 ブレイン・バーストでは《親》と《子》の関係が、他のバーストリンカーとは一線を画す強い結び付きがあることは、ゴウも一年以上バーストリンカーとして活動してきたことで分かっている。ブレイン・バーストをニューロリンカーにインストールするには、現実で直接対面して優先直結通信で譲渡するしかない、つまり互いのリアル情報を否が応でも知ることになるからだ。それは特別強い絆であり、しがらみにもなり得る。

 実際のところ、大悟も一見放任しているようでゴウに目をかけ、具体的なアドバイスをすることは少なくても、あれこれ口を出して世話を焼くことが多い。

 彼なりに大切に思ってくれているのだろう。それを嫌とは思わないし、感謝もしている。いきなり賭け試合の場に連れ出したり、《災禍の鎧》と遭遇させたりと無茶をさせることもあるが、それらの経験を糧に、ゴウは自らが成長できている自覚もある。

 それでも、彼が意図的に自身の素性を隠しているのは度々感じていた。一線までゴウに踏み込もうとしないし、大悟も自身の深い場所にまでは踏み込ませないようにしている。

 気にならないと言えば嘘になるが、『親しき仲にも礼儀あり』と言うように、深く踏み込みすぎてはいけないような気がした。たとえ知り合いであっても、自分について根掘り葉掘り聞かれるのは誰でも気分が良くないだろう。故にこれらに関しては、ゴウも大悟自身が話を切り出さない限りは聞かないことにしていた。

 そんなことをベッドの中で考えている内に、セットされた目覚ましのアラームが鳴り出した。心にかかった靄はどうにも晴れないが、今日も半日とはいえ学校があるので、ゴウは(やかま)しいアラームを止めると、登校の準備を始めるのだった。

 

 

 

「ふー…………」

 

 半日の授業を終えた放課後。午後の集会の前に一度通常対戦でもしておこうと、少し寄り道をして対戦相手を探していたゴウは現在、乱入を受けて対戦の真っ最中。

 相手は最近レベル6になったばかりのムーン・フォックス。彼女との対戦回数はかなり多いが、どちらかが一方的に勝つという展開はほとんどなかった。

 フォックスのアバターカラーは薄く青みがかった白色(厳密には月白というらしい)で、カラーサークル上では《近接の青》と《特色の白》を合わせた、《わずかに近接寄りの特色型》ということになるのだろう。白や黒の特色に関してはまだまだ謎が多く、赤や青、緑等と違い未だに明確な定義が付けられていないらしい。

 ともかく現在のフォックスの戦法は、素早い動きで相手を翻弄してから一撃を加えるヒット&アウェイスタイルを基本に、相手の攻撃を緊急回避する必殺技や、動物型アバター特有の技《シェイプ・チェンジ》を織り交ぜてくるというもの。

 パワーでは勝るゴウでも、その時々のフィールド効果を利用しない限りは、動きを捉えるだけでもかなり骨が折れる相手だ。そして、この《草原》ステージはフォックスにとってかなり有利なステージだった。

 夕日によって金色に照らされた草の海は、膝上ほどの高さまで伸びており、ゆっくりと吹き抜ける涼風によって絶え間なくさらさらと音を奏でている。

 そのせいでフォックスの足音は非常に聞き取り辛く、すでに獣形態になった彼女は一撃離脱を繰り返し、ゴウの体力を着実に削っていた。今も姿を見せずに草原に潜伏し、こちらの様子を窺っているのだろう。

 遠隔系統のデュエルアバターが相手の場合なら、平地な上に草以外にはほとんど障害物の無い立地であるこのステージは、ゴウにとって戦いやすい場所なのだが、フォックス相手ではそうもいかない。

 ──考えてばかりでも仕方がないか。

 ゴウは敢えて目を閉じ、意識を耳に集中させた。止まない風で草の擦れる音の中でも、遠隔攻撃手段を持たないフォックスは必ず接近をしなければならない。

 その時の足音を聞き取ろうと、ゴウは意識を更に深く集中させる。

 

 サ────────…………ザザッ! 

 

 ──左後ろ! 

 静かに流れる草の中で何かが動く音とは、対戦相手に他ならない。ゴウが体をかがめて振り向いた瞬間に、一頭の白狐が草原から躍り出た。

 美しくも神秘的な雰囲気を醸し出す白狐に変身しているフォックスの牙を、ゴウは屈んで避け、頭上を通過する前に下からフォックスの腰元を両手でむんずと掴むと、頭から地面に思いきり叩き付ける。

 

「ギャンッ!」

 

 片膝を着いた状態だったのでやや力が乗らなかったものの、それでも顔面からいきなり地面に激突することになったフォックスが、まさに傷を負った獣そのもののように叫ぶ。

 もう一年以上前となった、最初に勝利した対戦時に使った『捕まえて何度も地面に叩き付ける』作戦も、フォックスの必殺技ゲージが溜まると手痛い反撃を受けるので、そう簡単には使えない。

 それを踏まえ、ゴウは反撃から未だに体勢を整えていない相手を蹴り飛ばした。一旦距離を置くことで、攻撃中のカウンターを受けずに済む算段だ。

 一方のフォックスは蹴り飛ばされて体力を削られながらも、空中で何回か回転しながら着地を決めることで落下ダメージを回避する。

 

「ヴゥー……いたいけな狐を蹴り飛ばすなんてひどい……。動物虐待で訴えてやる……」

 

 攻撃を受けた直後でさすがに苦しそうに唸るフォックスだったが、冗談を飛ばす元気はまだまだ残っているらしい。

 

「いたいけって……そっちから襲ってきたじゃないですか。それに加速世界じゃ法律は適用されないからノーカン、ノーカンです!」

「開き、直るな!」

 

 ゴウの言い訳に律儀に返すと、フォックスは再び姿を隠した。今のダメージの衝撃に完全には立ち直っていない状態で、真正面からゴウと向かい合っても勝ち目がないと判断したのだろう。拮抗した状況でも焦って攻めに走らず、冷静な判断を下すのもバーストリンカーには必要な能力の一つだ。考えなしに突撃して勝てるのなら苦労はない。

 現在ゴウの体力はこれまでの戦闘で少しずつ削られ、約八割弱。対するフォックスは先のダメージも含めて約七割。単純な体力差はこちらが上回っているが、この程度の僅差はどうとでも覆る。ゴウも消えたフォックスの方に躍起になって接近しようとは思わず、その場に留まった。

 再び静寂。数十秒後、ゴウは左斜め前方から地を這うようにこちらへ迫るフォックスの背中を視界に捉えた。

 ──最高速度で脚に接触して、こっちの体勢を崩す。そのまま走り抜けた後、折り返して無防備な背中に攻撃と見た! 

 瞬時にフォックスのプランを推測したゴウはフェイントに警戒しつつ、足元が草に隠れてフォックスからも見えないことを利用して、体勢を崩されないように足を大きく開いて力を込めつつ、右腕を腰元に構える。

 予想通りフォックスが左脚に突撃しようとする直前に、ゴウは必殺技を叫んだ。

 

「《アダマント・ナックル》!」

 

 右腕からライフル弾のような勢いで放たれたゴウの正拳突きが、フォックスの無防備な背中を貫──。

 

「《べウィッチド・バイ・フォックス》」

 

 ぼそりと囁くような声を聞いた時、ゴウは自分の失敗を悟ったが、必殺技を発動させた体はもう止まらない。

 

 ボフン! 

 

 ゴウの必殺技がフォックスに触れた瞬間、フォックスの体が破裂し、白煙が発生してゴウの視界を眩ませた。拳が激突したのはフォックスの背中ではなく、草の生えた地面。

 前のめり状態になってしまったゴウは後ろから衝撃を受け、倒れ込むと同時に両腕を掴まれていた。可能な限り首を捻って背後を確認すると、人型に戻ったフォックスの両膝が背中にめり込み、更にフォックスが口を開けてゴウの首筋に牙を突き立てる。

 

「ぐっ……!」

 

 両肘が完全に伸び切った状態で関節を抑えられては、ゴウの力でも即座には振り払えない。その間にもフォックスに噛まれ続け、体力ゲージの減少は微々たるものだが、代わりに必殺技ゲージがみるみる減少していく。

 通常の人型状態で発動するフォックスのアビリティ《奪活咬(メンタル・バイト)》の効果だ。動物型アバターにはこのような対象に咬み付くことで効果を発揮するアビリティを持つ者も少なくない。

 ゴウが腕を無理やり捻ってフォックスのホールドを解き、両手を地面に叩き付けて弾けるように立ち上がった時には、既にフォックスは牙を外して離れていた。たっぷり残っていた必殺技ゲージはこの数秒間で三割にまで減少し、減少した分だけフォックスのゲージが増えている。

 

「くそ、やられた……」

「ふふ、ごちそうさま。見事にひっかかったね」

 

 先程のフォックスの必殺技は分身を作って回避する、いわゆる『変わり身の術』だ。おまけに変わり身は触れた瞬間に破裂して、煙幕を発生させる厄介な効果も備えている。

 この対戦中のフォックスはほとんどの時間を獣状態でいたので、ゴウは彼女の人型時のアビリティを失念してしまっていた。フォックスはこの一合でこちらの必殺技ゲージを奪うことを目的としていたのだ。

 

「《シェイプ・チェンジ》」

「くっ……この!」

 

 フォックスの体が夜を照らす月のように白く輝きながら、みるみる狐の姿に変身していく。わざわざ変身シーンを待つ義理もないゴウはフォックスに向かって走り出すが、すでに変身を終えたフォックスは横に跳んで、再び草の海に姿を消してしまった。

 ゴウは奇襲と潜伏を繰り返す作戦を選んだ相手を打破する為に、知恵を絞ろうとする。素早さでは敵わない。カウンターを狙おうにも姿が見えないこのステージでは、それさえも苦労する。動かなくても危険だが、無駄に動いたところでこちらが消耗するだけ────!! 

 そこでゴウの頭に一つの作戦が浮かんだ。失敗すれば徒労にしかならず、必殺技ゲージも底を尽きるが、やる価値はある……と思うことにする。そうと決まれば善は急げだ。

 

「着装、《アンブレイカブル》」

 

 ゴウは召喚した愛用の金棒の握り柄を両腕でしっかりと握り締めたまま、下段に構えて先端を自分の右側の地面へと着ける。体を丸めてぐっと前傾し、続けて脳天が地面に向くようにさせた。後は上手くいくかは運次第。

 

「《ランブル・ホーン》!」

 

 ゴウが走り出すと同時に、額の両角が一気に伸長する。下を向いているので地面に突き立った角にも構わずに、草の生えた地面を抉りながら突き進んだ。同じく地面に着けていた《アンブレイカブル》も同様だった。すぐに体を左に倒しながら、反時計回りで周囲をぐるぐると走り回る形となる。

 傍から見れば間抜けな光景なのは承知の上だ。事実、ギャラリーの笑い声が小さくではあるが聞こえてくる。当然こんな動きはフォックスに当たりはしないだろうが、ゴウの狙いは攻撃ではない。

 やがて必殺技ゲージが底を尽きると、必殺技によって強化された脚力と角の長さが元に戻り、立ち止まる。

 

「ふぅ……」

 

 一息ついて周りを見渡すと予想通り、草原の一角に土が掘り返され、地面がむき出しの円状をした荒地ができていた。そのまま半径十メートルほどの円の中心に移動し、金棒を突き立てたゴウは、姿を隠しているフォックスにも聞こえるように大声を出した。

 

「これならいつまでも隠れられないでしょう! 出てきたらどうですか!」

 

 ゴウの作戦とは必殺技をフォックスに食らわせるのではなく、身を隠す草を無くすことだった。

 各ステージの地面は原則破壊不可能だが、その表面を削る程度なら、今のゴウにでも問題なく行える。結果、《ランブル・ホーン》で伸びた角と金棒で、対戦フィールドの一角に草地が引っくり返された荒地を作り上げたのだ。

 体力が僅差でゴウが上回っているこの状況でここに陣取っていれば、フォックスは出て来ざるを得ないし、いつまでも獣形態でいたところでゲージの無駄遣いにしかならない。

 周囲を見渡していると、やがて草の中から人型に戻ったフォックスが姿を現す。どこか悔しそうにゴウを睨んでから、一気にこちらに向かって走り出した。

 それからはフォックスの三本に増えた尻尾に対して、ゴウが金棒で応戦する接近戦が続いた。硬質化したかと思えばふんわりとした毛並みに戻り、ゴウの一撃を軽減するクッションとなる尻尾を相手取るのは骨が折れたが、次第にゴウが優勢となり勝機が見えたその時。

 フォックスが距離を取り、両手を突き出した。

 

「待った!」

「うぇ!?」

 

 今まで幾度も戦ってきた彼女が、対戦中に『待った』をかけたのは初めてだったので、ゴウは思わず硬直してしまう。

 

「少し話したいことがあるの。二人だけで」

「えーっと、今からですか?」

「今からじゃなきゃ、待ったなんて言わないでしょ」

 

 戸惑っている内にゴウの目の前に《クローズド・モード》を認証するかという旨の選択画面が現れた。数人だけだが観戦していたギャラリーに向かって、フォックスは軽く謝罪すると、「早く押せ」というようにゴウを見る。

 オロオロしたところでどうしようもないので、ゴウは腹を括ってイエスを選択すると、ギャラリー達が一斉に消え、辺りが静寂に包まれた。

 

 

 

 クローズド・モードは対戦をする双方が合意することで、ギャラリーを排除した状態で自分と相手しかいない空間で対戦する方法だが、当然ながらギャラリーからの受けが悪い。そんな利用者がほとんどいないシステムではあるが、第三者に聞かれたくない話をするにはうってつけである。

 フォックスはゴウの作り出した、草を掘り返した場所に腰を下ろすと、ゴウにも座るように促す。

 

「座りなよ。別に油断させといてガッ! なんてしないから。この勝負もそっちの勝ちでいいからさ」

 

 残りの体力はこちらが上回っているので、残り十分ほどの時間が過ぎれば判定勝ちでゴウの勝利となる。未だにフォックスの真意は読めないが、わざわざクローズドにしてまで不意打ちはしないだろうと判断し、言われたようにその場に座り込んだ。

 

「それで、どうしたんですか? 話をするなら最初からクローズドにすれば良かったんじゃ……」

「それもそうなんだけど、君と対戦するのも久々だったし、少し手合わせしたかったんだ。思いの外ヒートアップしちゃったけど──っと、時間切れになる前に話さないとね。実はね、えーっと……頼みがあるの」

 

 言い辛そうにその場でもじもじとするフォックスの姿は、ゴウにとって不可解かつ新鮮だった。

 

「頼み? 僕にできることなら構いませんけど……」

「ホント? 実は、アウトローに連れていってほしいの」

「………………うん?」

 

 ゴウは「はぁ!?」と口から出そうになるのを飲み込み、フォックスの言葉を反芻する。

 アウトローは東京二十三区エリアの端に位置する、世田谷第四エリアに存在する一軒のプレイヤーホームを拠点(溜まり場といっても間違っていない)に、レギオンではなくサークルとして、バーストリンカー達の集会所となっている。現在メンバーとして活動しているのは、ゴウを含めて八人。

 ゴウは今まで皆とのエネミー狩りの最中に、エネミーに襲われていたバーストリンカーを二度ほど助けたことがあったが、それからバーストポイントが安定したのか、あるいはその逆かは不明だが、助けた二人とはそれきりの出会いだった。

 ゴウの加入以降メンバーが増えたことはないが、フォックスはアウトローに加入したいのだろうか。だが『連れていってほしい』であって、『仲間に入れて』とは言っていない。つまり、大悟を始めとした他のメンバーに頼み事があるということになるが……。

 

「えっと……確かにアウトローは来るもの拒まずのスタンスだし、連れていっても問題はないはずですけど、またどうして急に?」

「悪いけど今は言えない。ただ、どんな場所か確かめたいの。それが私の大切な人の助けになるかもしれないから……」

 

 フォックスの回答は、なんとも要領を得ない答えだった。困っているのはフォックスの言う『大切な人』となるのだろうが、その本人ではなくフォックスをアウトローに連れていくことが何に繋がるのかが想像がつかない。とはいえ、ゴウにとってはメンバー達の次に親しいと言っても過言ではない、フォックスの頼みを邪険にすることは忍びなく思った。

 

「んー……分かりました。丁度今日の午後に集まりがあるんで、一緒に来ますか?」

 

 それを聞いたフォックスは地面に着けていた尻尾をぴんと立たせると、ずいっとゴウの目の前に顔を突き出した。

 

「いいの!? 正直ダメ元だったんだけど……っていうか今日? 急だなー……でもいっか、早いに越したことはないし。ありがとう、オーガー!」

「ど、どういたしまして。それじゃあ、待ち合わせ場所なんですけど──」

 

 顔を輝かせて喜ぶフォックスにどぎまぎしながら、ゴウは対戦の残り時間でアウトローへ案内する為の待ち合わせなどの諸々をフォックスと決め始めた。

 



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第二十三話

 第二十三話 動き始める悪意

 

 

 フォックスとの対戦終了後。ゴウは学校から帰宅して制服から私服に着替えると、すぐに駅前へと向かった。

 大悟にフォックスを連れていくことをメールで報告すると、了承に加えて他のメンバーに伝えておくとの返信が来た。正直、少しは驚くと思っていたので拍子抜けだったが、万が一にもフォックスを門前払いすることはなさそうなので一安心だ。

 フォックスとの待ち合わせ場所は、十五時までに無制限中立フィールドの二子玉川駅と決まった。アウトローに比較的近く、駅というのはどのステージであっても目印にしやすいからだ。アウトローに着くのは若干遅れるが、ある程度時間が経っていた方がメンバーも集まっているので、かえって都合も良いだろう。

 自宅から最寄りの駅に程近いダイブカフェに入って受付を済ませると、ドリンクバーから飲み物を注いでから個室のブースへ入り、ロックをしてから備え付きのロッキングチェアに深く腰かける。

 駅に沿って移動をすると、やはり基本的にどんなステージでもアウトローへ行きやすいので、ゴウはこのダイブカフェをよく利用していた。さすがにリアル割れは避けたいので、二子玉川駅の敷地内でダイブはできないが、フォックスをそう待たせることはないだろう。

 ゴウは加速世界の時間の流れも計算に入れたダイブ予定の時間になるまで、コップに注いだジュースをすすりながら、最初にアウトローへ訪れた時を思い出していた。約九ヶ月前に大悟に何も知らされずに連れていかれ、ホームに入っていきなりの歓迎に戸惑ったものだ。

 自分と同じようにメンバーらに質問攻めにされ、困惑するフォックスの姿を想像したゴウは声を出さずに笑うと、時計の秒数を確認し始め、予定時間になって無制限中立フィールドへとダイブを開始した。

 

 

 

 無制限中立フィールドに降り立った瞬間に、ゴウは全身がしっとりと濡れるのを感じた。

 雨だ。空一面を覆う雲からは細かな雨が降り注いでいる。

 水属性ステージの一種、《霧雨》ステージ。雨は遠くの視界を妨げるのと同時に、光線系統の技はマイナス補正がかかるが、遠距離技を持たないゴウにとってさしたる影響はない。

 通りに出ると、すぐに線路が見えた。線路はステージによっては電車が運行しており、ポイントを払えば乗れるらしいが、ゴウは未だに利用したことはない。今回も利用する気はないので、線路に沿って待ち合わせ場所の二子玉川駅へと向かう。

 鼠色の街並みをマラソン並みのペースで走ること十数分。エネミーや他のバーストリンカーに出くわすこともなく、やがて駅へと辿り着いた。

 

「フォックスさん、まだ来てないのかな……」

 

 駅のホームから外周までぐるりと歩いてみたが、フォックスの姿は見当たらない。三十分も待っていれば来るかな、と雨を凌ぐのにホームでのんびり待とうとしていたゴウだったが、突如として雨音に混じって何かが聞こえた。

 音のした方へ振り向いても、雨に濡れる街に変化は見えない。だというのに、ゴウの胸中には不安が渦巻き始めていた。

 ──何だ? 凄く嫌な感じが……。

 逡巡もわずかに、ゴウはほとんど衝動的に音のした方角へと駆け出した。何かが起きている、そこに行かなければいけないと、頭の中で理由も分からない警鐘が鳴り響いていた。

 どれだけ走っただろうか。どこからか断続的な破壊音が聞こえ始める。戦闘が行われているのは明白で、胸騒ぎは収まるどころか強くなる一方だ。

 すると目の前の道路に、何かの破片らしき白い物体が降ってきた。何だろうかと立ち止まって上を向いたゴウは目を剥く。

 

「フォックスさん!?」

 

 ビルの屋上からフォックスが真っ逆様に落ちてくる。破片の正体はフォックスの装甲の欠片だったのだ。

 ゴウはとっさに駆け出してスライディング、間一髪でフォックスを受け止めた。

 

「フォックスさん! しっかり! 一体どうしたんですか!?」

「……オ、オーガー……?」

 

 フォックスが真紅で糸目のアイレンズを点滅させて、首をこちらに向ける。改めてフォックスの姿を確認すると酷い有様だった。体の至る所が欠けて、傷口から小さくスパークが走っている。左手は手首から先が欠損し、同様にメインウェポンである尻尾も根元をわずかに残して無くなっていた。

 ただ奇妙なことに傷口や欠損部分は、元々そこが存在していないかのように滑らかで、何らかの攻撃で破壊されたというよりも、消失させられたという印象をゴウは受けた。

 

「フォックスさん。相手はエネミーですか? バーストリンカーですか? 何をされたらこんな……」

「待ち合わせに……駅に向かっていたら、突然襲われて……。あんな攻撃、見たことない……。大丈夫、立てるから……ありがとう」

 

 ゴウに抱えられていたフォックスが立ち上がった。痛覚が通常対戦の二倍になる無制限中立フィールドで全身が傷付いた今の状態は、想像を絶する痛みが走っているはずなのに、精神力で耐えているのか、足取りはしっかりとしている。

 

「オーガー。せっかく段取りをつけてくれたのに悪いけど、アウトローに行くのは今度にして今は逃げるよ……。今のあいつには二人がかりでも勝てない……」

「あいつって、バーストリンカーですか? 一体誰──」

「あれ? オーガーもいたのか」

 

 上からの声に顔を上げると、ビルの屋上に何者かが立っている。目を凝らすと、それはゴウもよく知るバーストリンカーの姿だった。

 

「…………フロッグ?」

 

 遠目なのでやや見え辛いものの、濃い黄緑色をした装甲とカエルのような特徴的な顔立ちのデュエルアバターは、シトロン・フロッグに間違いない。

 しかしゴウの知る限りで、フロッグはレベル6であるフォックスを、ここまで傷付けるほど攻撃力のある技を持っていなかったはずだ。最後に対戦したのは一週間と少し前だが、その間にレベルアップによって必殺技、アビリティを取得したとしても腑に落ちない。

 フロッグはビルから飛び降りると、危なげなく着地を決めてゴウとフォックスの前に降り立つ。そこでゴウはようやくフロッグの大きな変化に気付いた。

 フロッグの胸部装甲の中心にピンポン玉ほどの大きさをした、眼球のような物体が貼り付いていた。もっと厳密に言えば、埋め込まれているようだった。

 ブレイン・バーストには比較的珍しい生物型のオブジェクトである眼球は、血のように深い赤色を宿している。フォックスのアイレンズも赤色ではあるが、毛色がまるで違う。

 

「俺、すげえ力を貰ったんだよ。オーガー、もうお前にも負けない。いや誰にも負けたりしないんだ」

 

 フロッグは虚ろかつ、熱に浮かされているような目付きで、誇らしげに胸を反らした。眼球はフロッグの動きに呼応して、ぎらぎらと光を放っている。普段と様子が違うのは明らかだ。

 ゴウはちらりと隣に立つフォックスを見る。損傷具合からしてまともに戦うのは難しそうだ。しかし、今のフロッグが見逃してくれるとは思えない。ならば──。

 

「……フォックスさん、よく聞いて。ここから多摩川に沿って南下して、開けた場所……公園を抜けてから川に背を向けてしばらく走った所に木造の平屋が見えてくるはずです。このステージにある他の建物と明らかに違うから、見間違えたりはしないと思います」

「オーガー? 何言って──」

「雨じゃなければ、煙が立ってもっと分かりやすかったけど……。この時間なら多分、もう何人かは集まっていますから、アウトローのメンバーをここまで先導してください。それまでは僕が時間を稼ぎます」

 

 一歩踏み出し、フォックスの前に立つ。二人で背を向けて逃げるよりも、ここでフロッグを足止めして、応援に来たメンバー達と協力をするべきだとゴウは考えたのだ。

 フロッグには聞こえない程度に声量の絞った小声で素早く行った指示に、フォックスは首を縦には振らなかった。

 

「君一人じゃ無理だよ。まともに戦っても勝てないって言ったでしょ……」

「僕の装甲なら、防御に徹すればそうそう負けることはありません。それに……今のフロッグがおかしいのは僕にも分かる。あんな状態の彼を放って置けない」

 

 フロッグとは今まで何度も対戦で鎬を削り合った仲だ。ゴウには何かに取り憑かれたような彼をこのままにしておけば、何か取り返しの付かないことになる気がした。

 ──逃げることはできない。ここでフロッグを救ってみせる。……絶対に。

 

「行ってください。早く!」

「……無茶しないでよ」

 

 振り向いたゴウの剣幕に圧倒されたのか、フォックスは一瞬だけ驚いた表情をしたが、すぐに後ろに(ひるがえ)って走り始める。角を曲がると、やがて足音も雨に紛れて消えていった。

 

「あーあ、逃げたか」

「……追いかけようとはしないんだ?」

「ん? だってお前を倒してからの方が、邪魔が入らなくていいだろ? ポータルからログアウトされる前に追いつくさ」

 

 フォックスとの会話は聞かれていなかったようだが、フロッグはまるでゴウが障害にはならないと言わんばかりの口振りだ。

 

「さぁ、そろそろ始めるか。オーガーもきっと驚くぜ。生まれ変わった俺の力にな!」

 

 フロッグの胸元の眼球がカッ! と見開くと、フロッグの全身から影のようなオーラが噴き出し、周囲の雨が放射状に弾け飛んだ。

 ゴウはフロッグから噴き出し続けるオーラに驚愕する。

 

「フ、フロッグ……」

「構えろよ。せっかくだから瞬殺なんかされちゃ、つまんないからな」

 

 フロッグは右腕を真っ直ぐに持ち上げ、掌を大きく開いた。その中央に黒いオーラが凝集し始める。どす黒いオーラが玉のようになった直後、フロッグが技名を発した。

 

「《ダーク・ショット》!」

 

 フロッグの掌から漆黒のビームが放たれ、迫り来る脅威にゴウはほとんど反射的に横に跳んだ。受身も取れず顔から地面に転げた直後に轟音が響き、その方向を振り向くと声も出せなかった。

 ゴウのいた場所の先、突き当りのビルに大穴が開いていた。ぽっかりと開いた穴の周りに亀裂が走り、ビル一棟が軋みながら倒壊していく。

 ──距離を開けたらまずい! 

 ゴウはフロッグの新たな力を見てそう判断すると、素早く立ち上がりフロッグめがけて走り出した。

 フォックスとの待ち合わせに向かう道中で、すでに必殺技ゲージはチャージしてある。エネミーとの突発的な遭遇など、何が起こるか分からない無制限中立フィールドでは、破壊可能なオブジェクトを発見したらそれでゲージを溜めるのが常識だ。

 一気に距離を詰め、右腕を腰元に構える。

 フロッグはその場から動かない。それどころか足を開き、右腕を大きく振りかぶった迎撃体勢を取り始めている。

 今までフロッグはダイヤモンド・オーガーの得意分野である接近戦に、真っ向から挑むことなどなかった。相手の真意が読めないゴウだったが、構わずにフロッグへと必殺技を放つ。

 

「《アダマント・ナックル》!」

「《ダーク・ブロウ》!」

 

 ──違う技!? 

 フロッグの右拳に先程のビームと同様の色をしたオーラが纏わり付き、闇の塊となったフロッグの拳が真っ向からゴウの拳とぶつかり合う。一瞬の静止の後、膨張した闇のオーラが勢いを増し、ゴウの右手どころか右腕ごと削り取った。とっさに体を捻っていなければ、体の右半分ごと巻き込まれていたかもしれない。

 

「っあ……!? ぐああああああ!!」

 

 一瞬の冷たさ、それを感じた直後に激烈な痛みが走り、ゴウは絶叫した。見ると右肩からほとんど先の無い腕の断面は、まるで引き千切られたような痛みが走っているのに、とても滑らかだった。フォックスの傷跡と同じ、始めからその場所には何も無かったかのように。

 

「《ダーク・ブロウ》ッ!」

 

 今度は左拳から放たれたフロッグの闇の拳に、ゴウはとっさに後退する。胸を掠めただけなのに一文字の傷が作られ、痛みと同時に氷結系の攻撃を食らったかのような冷たさが走る。

 

「《ダーク・ブロウ》!!」

 

 跳び上がったフロッグが間髪入れずにゴウへと迫る。辛くも避け切ると、フロッグの拳が道路に深々と刺さり、そこを中心にクモの巣状の亀裂が走った。

 さすがにおかしいとゴウは思った。いくらなんでも技が強力すぎる。

 シトロン・フロッグはカラーサークル的に防御、支援系に属するデュエルアバターだ。レベル4になって間もない上に、仮にレベルアップして攻撃系の技を会得したとしても、すぐに地形破壊に至るほどのスペックにはなるとは思えないし、何よりここまで強力な必殺技を何度も発動することなど不可能だ。そこまで考えてゴウははっとした。

 ──これは必殺技じゃない。あの黒い光……これも心意システムの力の……。

 

「フロッグ。その力、どこで手に入れた? いや、誰から教わった?」

「あぁ? なんだか知ってるような口振りだな」

 

 フロッグから発せられた声には、歪んだようなエフェクトが混じっていた。更に胸の眼球から発せられている光も生き物のように脈打ち、纏っているオーラがより濃くなっている。

 

「うーん……よし、俺とお前の仲だ。せっかくだから少し教えてやるよ。これこそが《ISモード》の力さ」

「ISモード?」

「起動コマンドの名前だよ。正式名称は確か……《インカーネイト・システム・スタディ・キット》だったかな。略して《ISSキット》。おっと、出所までは教えねえぞ。せっかくお前を圧倒する力を手に入れたのに、教えるもんか。しっかし、凄いぜ。お前の《アダマント・ナックル》に打ち勝つどころか、腕まで消滅させられた! 今までの俺じゃ、まず無理だったろうになぁ!」

 

 話すに連れてフロッグのアイレンズが、ぎらぎらと一層の赤黒い輝きを帯びる。対戦を楽しむと言うよりも、相手を叩きのめすことに興奮を覚えているようだった。

 

「フロッグ、その力はもう使わない方がいい! よく分からないけど、その力は使う毎に君から何かを奪っている。使い続けていたら取り返しの付かないことになる気がするんだ」

 

 言い知れぬ危機感を覚えたゴウの説得に、フロッグは動きを止めて、うなだれて黙り込んだ。

 分かってくれたのかとゴウは思ったが、それはとんでもない思い違いだった。

 

「…………何だそりゃ。使うな? 何かを奪ってるって? 何様のつもりだ!!」

 

 怒号と共にフロッグの全身から更にオーラが噴き出した。胸の眼球は血走り、眼球を中心に周囲の装甲からも血管が浮き出たかのように、赤い線が広がっていく。

 

「先週のレースイベント……お前も実際に見たり、話を聞いたりしてるだろ? あの時乱入してきた奴が使った、何もかも錆びさせて壊した光をさ。俺はあの光を浴びた観客スタンドにいたんだよ。周りの連中と一緒に全身ボロボロになりながら落ちていって、気付いたらログアウトしてた。最初は意味が分からなかったけど、昨日この力を貰ってから確信した。あの力は誰でも使うことができるんだってな!」

「だったら分かるだろ! 僕だってあの場所にいた。あの力は凶悪すぎる。何のリスクも無しに、やたらと使えるような物じゃない!」

「リスクなんか知るか! お前には分かんないだろうよ。凄い腕力に堅い装甲持って、どんな奴にも真っ向から対戦していけるお前なんかじゃな! 俺はちびちび地味に体力減らすことしかできなくて、不利な相手には体力に差ができたらひたすら逃げる。そんなやり方でなんとか勝っても、『臆病者』だの、『逃げてばかり』だの言う奴らが出る始末。俺だって好きでそんな戦法してるんじゃない!!」

 

 叫ぶフロッグに、ゴウは反論できなかった。フロッグは陽気な性格で、対戦で勝敗に関係なく、楽しんでいるとしか思っていなかったからだ。そんな苦悩を抱えていたなんて、一度だって考えもしなかった。

 

「昨日何回か対戦してみたけど、ISモードを発動したらもう一方的だ。どいつも反撃もできずに負けていった。おまけに使う毎にこの力が強くなっていくのが分かる。奪うどころか、力を得られるのさ。だから、エネミーにも通じるか試しに来たら、丁度フォックスに会って…………フォックス……そうだ。あいつを仕留めなきゃ、ポイントが手に入らない。勝たなくちゃ。それでもっと強くなるんだ……」

 

 フロッグはだんだんと独り言のように呟き始める。

 確かに強くなりたいという気持ちはゴウにもよく分かる。しかも今日まさに、大悟に心意システムについて聞こうとしていた自分が、フロッグに『使うな』なんて言う資格はないのかもしれない。

 それでも、今のフロッグは間違っている。禍々しい闇の力で勝利を得たところで、対戦して負けた相手はまた勝負したい、次は勝ちたいという気持ちなど湧くはずもない。

 対戦を通して新しく知り、交友を結んできたバーストリンカーはゴウにも大勢いる。フロッグだってその一人だ。これまで紡いできた絆を断ち切るわけにはいかない。

 ああは言っても、やはりフロッグだって、対戦には楽しいことだってあったはずなのだ。そうでなければ、レベル4になるまでブレイン・バーストを続けてはいまい。今のフロッグは辛い部分しか思い出せないのだ。その原因は、やはりはっきりとしている。

 改めてゴウは前を向くと、残っている左腕を伸ばしてフロッグを阻む。フォックスが救援を呼ぶのにも、まだまだ時間がかかる。それまではここで食い止めるしかない。

 

「フロッグ……ここを通りたかったら僕を倒してから行け」

「は? 何をカッコつけて……」

「その力は間違っている。だから僕が今ここで君に勝って、それを証明してみせる!!」

 

 かくしてゴウはバーストリンカーとなってから初めて、相手の為にも絶対に負けられない戦いに挑む。その眼差しには微塵も迷いは映っていなかった。

 



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第二十四話

 第二十四話 慮外の決着

 

 

「……へぇー。それじゃ、やってみろよ。そんな……片腕の無い状態でよぉ!」

 

 啖呵を切って道を阻む目の前のゴウに、フロッグは再度右腕を振りかぶって距離を詰める。すでに右手には黒いオーラが凝集し始めていた。

 

「《ダーク・ブロウ》!」

 

 迫る闇の拳をゴウは素早く躱す。先程のように掠めることもなく、ノーダメージで回避を決めるも、すでにフロッグは左手を強く握り締め、拳を作っている。

 

「《ダーク・ブロウ》!」

 

 しかし、今度もゴウはバックステップで攻撃を回避してみせた。防御不可能の拳は受け止めることはおろか、受け流して軌道を逸らしたりすることも不可能なのだろうが、避けることならオーラで攻撃範囲が広くなったパンチであっても可能だ。

 理由は二つ。一つはゴウが今まで培ってきたショートレンジでの戦闘経験。もう一つは推測だが、フロッグ自身が近接での殴り合いの経験がほとんどないからだ。

 ゴウが対戦やギャラリーで知る本来フロッグの戦闘スタイルは、身軽さと跳躍力をウリにした撹乱からの伸びる舌による強襲で、真っ向勝負をするケースが少ない。フロッグは安易に強力な攻撃を選択することで、自身の不得手なスタイルで戦っていることにさえ気付いていないのだ。

 ブレイン・バーストでは己の持ち味を活かして戦闘をすることで、数々の戦法やその対策が生まれる。そういった意味でもISSキットにより得た力は、使用者にとって害を及ぼしているようにゴウには感じられた。

 何度目かの《ダーク・ブロウ》を躱した後、振り抜いた拳によって現れた隙を逃さず、ゴウはフロッグの脇腹へと蹴りを入れた。

 

「ぐふっ……!」

 

 痛みに顔をしかめるフロッグは、後方へと跳躍し一気に距離を取ると、掌を広げた右腕を持ち上げる。

 

「《ダーク・ショット》!」

 

 放たれた漆黒のビームを前にしても、ゴウは冷静だった。威力こそ凄まじいが、直線的な遠距離攻撃。デュエルアバターの反射神経を以ってすれば、回避不可能というわけでもない。

 右斜め前方へと跳ぶと、フロッグめがけて走り出す。背後で《ダーク・ショット》が建物を破壊する音を無視して、ゴウは頭をフロッグへと向けた。

 

「《ランブル・ホーン》!」

 

 いきなり加速したゴウに不意を突かれたのか、フロッグは前回の対戦で初めて見た、猛牛の突進の如き必殺技を避け切れずに、回転しながら宙に飛ばされる。

 

「ぐおおおお!! っくぅ……!」

 

 装甲の一部が砕け、破片を撒き散らすフロッグは、ゴウの突進によって飛ばされた先、建物の壁に両手足を貼り付けることでその場に留まった。フロッグの持つ、一種の《壁面移動》アビリティだ。

 フロッグは体勢を安定させると、建物に貼り付けている両手両足の指先の内、右手だけを離して、ゴウへと照準を向けた。

 

「《ダーク・ショット》!」

 

 上方から迫るビームにゴウは一歩反応が遅れてしまった。避け切れなかった左足の爪先が、放たれたビームに消し飛ばされた。それでも怯むことなく、地面を踏む度に走る激痛に歯を食いしばって耐えつつ、フロッグの貼り付いている建物の元へと辿り着く。

 

「着……装、《アンブレイカブル》!!」

 

 ゴウは残っている左腕を掲げ、透明の金棒が実体化すると同時に、建物へ向かって思いきり叩き付けた。持ち前の腕力を活かして遮二無二(しゃにむに)金棒を建物にぶつけ続けると、次第に建物の表面に亀裂が走り、いくつもの陥没跡が作られていく。

 激しく揺れる建物からフロッグは落ちまいと、離していた右手を慌てて建物に貼り付けた。

 

「らああああああああああああっ!!」

 

 やたらめったらに金棒を叩き付けられた建物はとうとう倒壊を始め、フロッグがたまらず建物から離れて着地する。

 そんなフロッグの背後に、すでにゴウは迫っていた。振り向くフロッグの頭上へと金棒が振り下ろされる。

 

「このぉっ……《ダーク・ブロウ》!!」

 

 苛立ちと焦りが混じった表情で放たれたフロッグの拳は、レベル8のアイオライト・ボンズの蹴りさえ受け止める、図抜けて頑丈な《アンブレイカブル》を簡単に砕いた。

 その様を見てにやりと笑うフロッグを気にも留めず、ゴウは《アンブレイカブル》の柄を握り締めたまま、素早く左腕を腰に構える。

 

「《アダマント……ナックル》ッ!!」

「ぐっ!? ギャアアアアアアッ!!」

 

 ゴウの正拳突きが、フロッグの胸元に巣食った邪悪な眼球に直撃した。

 たまらずに叫ぶフロッグは受身も取れず、雨に濡れた道路を滑りながら転がっていく。

 ゴウは肩を上下させて息を吐きながら、握っていた金棒の柄を離すと、柄は地面を何度か跳ねた後、ポリゴン片となって砕け散った。心意による攻撃を受ければ、《アンブレイカブル》でも耐え切れないかもしれないとは推測していたが、これまで対戦中においてはどんな攻撃にも壊れなかった、愛用の武器が砕けたのはやはりショックだった。しかし、今は落胆している場合ではない。

 必殺技を食らった胸の中心を、両手で抑えてのたうち回るフロッグの元へと近付くと、気付いたフロッグは急いで立ち上がり、片手で胸を押さえたまま後ずさりする。

 

「くそ、来るな……来るなぁ!」

 

 ゴウの迫力に圧倒されたフロッグはほとんど戦意を失っていた。未だに発生している影のオーラも戦闘開始時より、勢いも色の濃さも衰えている。そのまま後ずさりをするが、目の前のゴウしか視界に入っていないのか、後ろのフェンスにぶつかってしまう。

 

「っ!? くそぉ……」

「……フロッグ。どうも君は、僕を強いバーストリンカーだと思っているみたいだけど、そんなことはないんだ」

「…………?」

 

 異常な興奮状態から数段落ち着いた、今しか耳を傾けてはくれないだろうとゴウは判断し、フロッグに語りかける。

 

新米(ニュービー)の頃はちょっと強めの打撃にはてんで弱くてさ、この装甲も何度も砕かれたよ。確かに《剛力》アビリティのおかげで力だけは昔から強かったけど、距離を離されたらただの的。『力任せの脳筋』なんて何度言われたか分からない」

「…………」

 

 フロッグは感情を窺わせないまま黙って話を聞いている。

 ゴウがかつて負けが込んでいた時期よりも、後にバーストリンカーとなったフロッグは話でしか聞いたことがないはずだ。

 

「──それでもあんまりない知恵を絞って、少しずつ対策を考えて、レベルをコツコツ上げていって……。成長している自覚はあるけど、それでも未だに遠距離技は鬼門で、負けることも多い」

「……何が言いたいんだよ」

「僕も君もまだまだ強くなれるってこと。フロッグよりバーストリンカーとしての経歴がほんのちょっと長い程度の僕でも、それは保証できる。レベル4、5なんていくらでも伸び代はある、お互いもっと先がある。さっき自分の戦法を馬鹿にされてるとか言ってたけど、そんなのことを言う奴には勝手に言わせておけばいいんだ」

「黙って言わせておけって?」

「うん。大体バーストリンカーなんて、十人いたら十の戦い方があって当たり前だろ? それに僕は、そんな力を使う前のフロッグの方が強かったと思う」

 

 そう聞いた途端、フロッグのアイレンズに再び暗い光が灯り始める。せっかく手に入れた力を使う前の方が強かったというのは、侮辱に近いものなのだろうが、構わずゴウは続ける。

 

「確かに攻撃力は上がったよ。でもそれに頼りっ放しで、本来の持ち味が全然生きていない。身軽さ、素早さが君の長所なのに、ただ技をぶっ放すだけじゃ勝ち続けてなんていけない。だから今、そんなにやられているんだろ? 以前の君ならもっとダメージを与えるのも大変だった」

「そ、それは……」

「僕の師匠が言っていた。勝つには自分で考えていかなきゃいけない、人に頼っているだけの奴に先はないって。……そのISSキットをどう手に入れたとかはもう聞かない。でも一度考えてほしい。今のままでいいのかって」

 

 こんな説得じみたことを人にするのは初めてのゴウだが、自分の本音を言ったことに対する後悔はなかった。

 心意を用いたISSキットという仮初めの力では、本来のデュエルアバターの特色を殺すだけだ。

《練習キット》というからには、信じたくはないが量産されている可能性もある。仮にキットの使用者が増え続けてしまっては、もう《対戦》する意味がなくなってしまうかもしれない。ゴウは目の前のフロッグを、その加担者かつ犠牲者の一人にしたくはなかった。

 そんなゴウの言葉を受けて、フロッグにはためらいが見え始める。胸の眼球も半分以上が黒い瞼に閉じられ、纏うオーラも消えていった。どうやらISSキットとは、使用者の感情に強く結び付いているようだ。

 フロッグにこのまま着装した眼球を解除させて、ポータルまで連れて一度ログアウトさせれば、考えを変える時間も出てくるだろうとゴウは期待していた。

 とうとう眼球が完全に閉じられ、赤黒く光っていたアイレンズが本来の色を取り戻したフロッグが、言い辛そうに口を開いた。

 

「……オーガー、俺──」

 

 ドッ。

 

「「……………………え?」」

 

 不意に発生した鈍い音に、ゴウとフロッグは間も完璧にシンクロした呟き声を上げる。

 眼球型のISSキットが付いていたフロッグの胸の中心に、鮮やかな紫色をした何かが突き刺さっていた。

 ゴウはそれが自分の右肩越しから伸びていることに気付いたが、考えがまるでまとまらない。

 ごぼっ、と音を立ててそれが引き抜かれると、フロッグの胸には装甲どころか背中まで貫通した風穴ができていた。

 フロッグは何が起きたか理解できないといった様子のまま、声も出さずに目の前のゴウに向かって倒れ始める。その頭がゴウに届くか届かないかの距離で爆散し、後には黄緑色の死亡マーカーだけが残された。

 

 

 

「いやぁ、危なかったですねぇ」

 

 ゴウは背後からの声に反応して振り向くのに体が思うように動かず、随分と時間がかかった。

 振り向いた先には細身のデュエルアバターが一体。装甲色は紫色だが、ダイヤモンド・オーガーのダイヤモンド装甲と同様に透過していて、《霧雨》ステージの雨雲の下でも、鮮やかに輝いている。両腕には先が鋭く二つに分かれた形状の篭手が装着され、胴体部の装甲は節足動物の脚が絡み付いたような意匠をしていた。

 何より特徴的なのは、後頭部より伸びている、何個もの関節が連なった長い物体だ。その先端には根元が膨れた鉤爪状の針が付いていて、それがたった今フロッグを刺し貫いたことは疑いようもない。

 

「なんで……」

「うん? あぁ、まだ名前も名乗っていませんでしたね。私は《アメジスト・スコーピオン》です。以後お見知りおきを」

 

 ゴウの掠れ声に首を傾げて反応するアバターは、細身なので性別が判り辛いが、声からして男性のようだった。

 スコーピオンは丁寧な口調ではあるものの、縦線のスリットが何本も入ったフェイスマスクの中から覗く細長いアイレンズには、こちらを値踏みするような視線が含まれている。

 直感的に好きになれないと感じたが、そんなことは今のゴウにはどうでもよかった。

 

「なんで、フロッグを……」

「はい? ──あぁ、確かに貴方が追い詰めていたところに横槍を入れる形になったのは申し訳ありませんでした。しかしですね、彼は負の心意技をやたらと使う危険な相手だったのですよ? ここに駆けつける前、心意技に反応して寄って来たエネミーの群れに出くわしたのですが、私の、あー……仲間が引き受けている間に、私はその元凶がいるここに辿り着いたというわけですね。自分で言うのもなんですが、感謝の一つぐらいはしてもらいたいものです」

「フロッグはもう少しで正気を取り戻すところだった! なのに、どうして……!」

 

 ゴウの出した大声に、一瞬目を丸くしたスコーピオンだったが、すぐに表情は戻り、鬱陶しげに溜め息を吐くだけだった。

 

「……心意と聞いても疑問を持っていないようなので、分かっているものだと思いましたがね。いいですか? あの眼球のような強化外装はここ数日、過疎エリアでちらほら見られるようになっています。危険な代物ですよ、ばら撒いている犯人が何者かは分かりませんが。……まぁ、私に言わせれば、渡されて使用する者の器などタカが知れます」

「なんだと……?」

 

 あからさまな嘲りを含んだ口調に対し、明確な怒りを持ち始めるゴウだったが、スコーピオンはそんなゴウの感情など意にも介していないようだった。

 

「装着すれば心意技を簡単に使えるようになるらしいですが、そんな付け焼き刃に頼る時点で愚か者です。大方、対戦に行き詰って安易な誘惑に飛び付いた、といったところでしょうね」

「────まれ」

「貴方だってその傷は彼に付けられたのでしょう? それにこの辺りの荒れようときたら! 散々暴れた挙句、それでも結局勝てないなんて、もはや哀れとしか──」

「黙れぇ!!」

 

 未だかつて経験したことのない怒りが、ゴウの思考を支配する。

 目の前で倒されたのがフロッグだったから、という話ではない。他の誰であっても関係ない。

 自らに誓ったのだ、必ず救うのだと。救わなければいけないのだと。にもかかわらず守れなかった。

 結局のところ、自分の本質はブレイン・バーストと出会う前と何ら変わってはいないのだと。そう、思い知らされているようで。

 溢れ出て尽きそうもないゴウの怒りと後悔が、アバターの姿さえ変容させ始めていく。

 全身のダイヤモンド装甲の各所が、二回り以上厚くなると同時に端々は鋭く尖り、装甲の芯から徐々に色が変わってゆく。やがて透明だった装甲は全て漆黒に染まり、同色の光が体から漏れ出始めている。またゴウ本人には見えないが、アイレンズの色も本来の黄色から、鮮血のような赤に変わっていた。

 

「許さない…………絶対に……!!」

 

 己の口から漏れ出た声に、歪んだエフェクトが混じっていることさえも、ゴウは気付いていなかった。

 



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第二十五話

 第二十五話 ブラック・ダイヤモンド

 

 

 幼少期の御堂ゴウが活発な男の子だったとは、現在の彼を知る者ならイメージするのは難しいだろう。

 転機があったのは五歳の夏。

 ゴウは毎年盆の時期には両親に連れられて、秋田にある母方の祖母の家へと二、三日滞在するのが、生まれてからの慣習だった。

 ゴウは優しい祖母も、祖母の住む家の雰囲気も大好きで、物心付く頃には二〇四七年の現在よりも自然に満ちた外に出ては、ひたすら遊んでいた。同年代の子供が周りにいなくても、全く気にならないほどに。

 そんなある日の夕方も近い昼下がり。この日もゴウは午前中から遊び回り、前日の到着からはしゃいでいたこともあってか、昼過ぎには疲れて眠ってしまった。

 当時は無理に起こすと寝起きが悪かったゴウを寝かせたまま、両親は買い出しに、祖母は畑の農作業へと向かい、ゴウは一人で家の中で眠り続けていた。

 こういったケースは初めてではなく、戸締りはもちろんしっかりしていたし、本州の最北端に近い地域であっても夏は当然暑いので、ゴウの眠る部屋は熱中症にならないように空調が効き、起きた際にすぐ飲める飲料もしっかり用意されていた。

 夕方になり、ゴウは目を覚ました。物音が聞こえたのだ。最初は家族の誰かが何かをしていると思ったが、物が割れる音して気になったゴウは部屋を出て、音の原因を突き止めようとした。

 家の中を進むと、物音は祖母の自室から聞こえてくる。五歳のゴウは祖母が『お片づけ』をしていると思い、手伝いをしようと考えた。手伝った自分を祖母はきっと褒めてくれると期待しながら。

 部屋の襖を開けると、予想もしない光景が飛び込んできた。

 部屋にいたのは祖母でも両親でもなかった。ゴウの知らない男が一人、土足で祖母の部屋を漁っていたのだ。

 箪笥や化粧台、机の引き出しは軒並み開けられ、収納されていた物があちこちに散らばっている。ガラス細工の置物が砕けて畳に落ちていて、先程聞こえた音の原因だとゴウは何となく理解した。

 薄汚れたタンクトップを着て、脂ぎった汗をかいている四十代半ばの外見をした男は、部屋の前にいるゴウに気付いて、ぎょっとした表情でゴウを見た。

 里帰りに来た娘夫婦が出かけ、家主も外出しているこの時を見計らい、空き巣に及んでいたからだ。まさか子供が残っていたとは予想外だったのだろう。

 ところが、一向に動きもしなければ声も出さないゴウに、男は次第に落ち着きを取り戻す。めぼしい金目の物を詰めたバッグを持ち、こちらを見ているゴウに向かってにやりと笑うと、口元に人差し指当てて『静かに』とジェスチャーをする。そうしてそのまま悠々と、入ってきたガラス戸から逃げていった。

 男が去った後の数分間も、ゴウはどうしたらいいのか全く分からず、ただその場で呆然とすることしかできなかった。

 しばらくすると、息を切らした祖母が、男が出ていったガラス戸から現れた。外から窓が割れていることに気付き、一人残していた孫の身を案じて走ってきたらしい。

 農作業着の祖母に抱きつかれたゴウは、祖母が泣いていることに気付いた。

 

 ──『ごめんね……。怖かったねぇゴウ君、ごめんね。ごめんねぇ……!』

 

 声を震わせて謝る祖母に、ゴウはようやくあの男が『悪い人』だと理解した。そして自分が何もできず、そのせいで祖母がこうして悲しんでいるのだと思い、大声を上げて泣き始めた。

 もちろんゴウの祖母は、空き巣の入った家にゴウを一人残すことになってしまったことに対して、自らの危機感の欠如により、危険な目に遭わせてしまったことを涙ながらに謝っていたのだが、当時の幼いゴウが気付くことはできなかった。

 間もなく両親も帰宅し、すぐに警察へと連絡。犯人の捜索と事情聴取が行われた。

 犯人を実際に目撃したのはゴウだけだったので、母親に抱かれながら記憶しているだけの情報を、(つたな)いながらも警官に伝えている時も、ゴウは自責の念に駆られていた。

 実際に五歳の子供が成人男性相手に、何ができたわけでもない。第一に、眠っている五歳の子供一人を家に残したままということが、そもそもあまり褒められたものではないだろう。

 だが、呆然と立ち尽くすだけだった己の不甲斐なさ、自分の前ではいつも笑顔だった祖母の悲嘆に暮れた表情を見ると、ゴウは自分のせいだと思わずにはいられなかったのだ。

 翌日、ゴウは両親に連れられ自宅へと帰っていった。

 この半年後の冬。祖母は病気で亡くなった。

 当時のゴウは知らなかったが、祖母は以前から体調を崩していて、この事件の心労が体調を更に悪化させたのではないか、というのが周囲の見解だった。

 祖母の亡くなった数ヵ月後に、捜査中だった犯人は逮捕された。犯人はセキュリティの低い祖母の家に、以前から目を付けていた地元の人間だったそうだ。

 当時からすでに、全国にソーシャルカメラは配備されていたが、その数は今よりも遥かに少なく、都市部から離れれば離れるほど、死角は多く存在していた。加えて祖母はいわゆるアナログ人間で、普通なら窓が割れた際にはアラームを鳴らし、警備会社に知らせる警報装置を始めとした機器類も嫌って、家には取り付けてはいなかったのだ。

 そんな犯人が盗んだ品物はすでに売り飛ばされており、その後の行方は掴めず、家族の元へ戻ってくることはなかった。その中には、ゴウが生まれてすぐに亡くなった祖父から貰ったのだと、以前に見せてもらったダイヤモンドの婚約指輪も含まれていたという。

 この出来事はゴウに『自分が心から決めた物事を、必ず守らなければならない』という解釈、ある種の強迫観念を植え付けることとなった。更にはこれによる『心の傷』が、ダイヤモンド・オーガーというデュエルアバターを構成する要因の一つであることを、今はまだ知らない。

 

 

 全身が黒に染まった、隻腕の鬼の一撃が周囲を破壊していった。

 オブジェクトを拳や蹴りで粉砕し、破壊がほぼ不可能な地面でさえ踏み込むだけで亀裂が走る。

 標的は怒りに満ちた攻撃をのらりくらりと避けては、隙を見て後頭部から伸ばした毒針をゴウに突き刺す。だが──。

 

「ガアッ!」

「むぅ、装甲が薄い部分を狙っているというのに、こうも弾きますか。大した硬さだ」

 

 ゴウの怒りの心意によって増強された装甲がほとんど無い箇所を狙うスコーピオンだったが、その部分も薄い膜のように黒いダイヤモンドで覆われており、毒々しい紫の光を発する毒針はアバターの素体にまで到達しない。

 一方のゴウは、自分を近付けさせようとしないスコーピオンに対して、更なる苛立ちを募らせていく。普段なら確実に攻撃を当てる為の策を考えるのだが、今はただ衝動のままに拳を振るうだけだ。

 ──許さない。ゆるさない。ユルさない。ユルサナイ。

 

「────おやっ?」

 

 そんな鬼ごっこ状態が続く中、建物から道路に着地したスコーピオンが、《霧雨》ステージの絶え間なく降り続ける雨に濡れた道路に足を滑らせ、体勢を崩した。

 間抜けなサソリを捻り潰そうと、ゴウは一層足に力を込め、一気に距離を詰めようとする。先程のフロッグとの戦闘で消失した、左足の爪先や右腕の断面からの痛みは微塵も感じていない。

 左腕を振りかぶり、スコーピオンの顔面に狙いを付け、周囲の雨さえも蒸発させる勢いで拳を打ち出し──。

 

 ギャァアアン!! 

 

 金属が擦れるような、耳障りな音が周囲に響き渡った。

 ゴウの左腕は、銀灰色の掌に受け止められている。前方にはゴウの見知らぬ、身長二メートルを超える大柄なM型アバターが立ちはだかっていた。

 まるでボディビルダーのような筋骨隆々の体は全身がメタリックなシルバーグレーで、更に両腕は(にび)色の光に包まれている。

 ──仲間か。こいつも心意を……。でも、関係ない。

 

「邪魔だ……!」

 

 ゴウは左腕を勢い付けて引きながら、そのまま半身になると、今度は左足で回し蹴りを繰り出す。

 ところが、現れたM型アバターは迫る蹴りにも動じることなく、逞しい腕で難なくこれを受け止めてみせた。

 これには怒りに満ちていたゴウも素早く足を引くと、距離を離して警戒する。両腕を包んでいる心意の力を差し引いても、自分の一撃をまともに受け止めるデュエルアバターはそう多くはなかったからだ。

 大柄なM型アバターの後方から、ぬっとスコーピオンが現れ、かいた汗を拭くような仕草で額の雨水を拭う。

 

「ふぅ……助かりましたよ、コロッサルさん。どうもそこの彼とは相性が悪いようでね。──ま、滑った振りをすれば、隙の一つでもできるかと思っていたんですが」

「スコーピオン。どういう状況だ、これは。例の心意使いは倒したのか。こやつは一体……」

「倒した心意使いの友人らしいのですがね。対戦中に後一歩のところを私に仕留められて何と言いましょうか、うーん……キレてしまったようでして……」

「………………」

 

 (いかめ)しく低い声で質問した、コロッサルと呼ばれたM型アバターは、何の悪びれもなく説明するスコーピオンから視線を逸らし、ゴウを睨む。

 

「心意を暴走に近い形で発動させている。貴様が余計なことを口にしたのだとしても、ここまでになるのは異常だな」

「ひどい言い草ですねぇ。……ところで我らが主はどうしたのです? まさかエネミーにやられてしまったわけではないでしょう?」

「当然のことを聞くな。貴様を気遣って、先に自分をここへ寄越したのだ。──ああ、いらっしゃった」

 

 こちらに向かって誰かが歩いてくる。

 人影はどんどん近付き、やがて霧雨の向こうから、今回のダイブで三人目になる見知らぬデュエルアバターが、ゴウの前に姿を見せた。

 まず印象的なのは頭部。顔にはアイレンズもゴーグルもバイザーも付いてはいない。代わりに、何も凹凸の無いのっぺりとした仮面が装着され、その縁にはリング状のピアスがいくつも付いていて仮面と顔面を固定している。

 ボディには牧師の法衣とも、拳法家の道着ともつかない、流体金属で形作られた、不思議な服を着込んでいた。このアバターの装甲に当たるのであろう。

 そんな仮面も服も含めた全身が青みがかった灰色で、コロッサルと同様に金属特有の光沢を帯びている。

 急ぐこともなく悠然と歩みを進める仮面のアバターは、スコーピオンの隣に立ち止まると、コロッサルと対峙するゴウへと、その仮面の付いた顔を向けた。

 

「────ッ!?」

 

 それだけでゴウは全身が強張り、身の危険を感じる。ゴウにはこれと似たような感覚を、以前経験した憶えがあった。

 今年の頭頃にクロム・ディザスターとの戦闘後、逃走したディザスターを追跡した際に出会ったデュエルアバター、黒の王ブラック・ロータス。《絶対切断(ワールド・エンド)》の二つ名を持つ彼女に、剣そのものである腕を向けられた時の感覚とどこか似ているのだ。

 だが、ロータスの触れるもの全てを切り裂くような威圧感に対し、顔を向ける仮面アバターから発せられているのは、こちらを否定し押し潰すような重圧とでも言おうか。それがロータスのものよりも、より冷たくゴウには感じられた。

 

「心意使いはいたのか?」

「はい、問題なく倒しました」

 

 ゴウから視線を外した仮面アバターは、青年と壮年の声が入り混じったような、どこか(いびつ)で軋むような声音(こわね)で訊ねると、スコーピオンが(うやうや)しく頭を下げて報告をする。

 

「そうか……行くぞ」

「もうよろしいので?」

「元々、現状を直接目で見るのが今回の目的だった。あれは装着者を一人ずつ倒したところで意味はない。直に過疎エリアだけでなく、王達のレギオンにまで拡がってゆくだろう。……とうとう心意技を乱用するアイテムまで横行するようになるとはな」

「嘆かわしい限りですね」

「ああ、やはり我々がこの歪みを正さなくてはならない。その実現の日が近付いている。それまでに万全の用意をしておかなければ」

 

 コロッサルもすぐに仮面アバターの元へと向かい、三人はそのままゴウに背を向けて歩き出す。

 まるで自分が存在していないかのような扱いに、ゴウは再び怒りが湧き始めた。

 

「待て……待てよ!」

 

 ゴウの怒声を受けて三人は立ち止まったが、首をこちらに向けるだけで構えもしない。その態度に余計苛立ちが募るゴウは拳を握り締め、三人めがけて走り出した。

 

「──愚か」

 

 仮面アバターの冷たい声が耳に届いた直後。

 力を込めていたゴウの左腕が肩の根元から砕け、地面へと落ちた。いきなり腕を失ったことで、バランスを崩しながら頭から転ぶと、その衝撃で今度は額の両角が折れ、フェイスマスクにまでヒビが入る。

 

「な、なんで……」

「貴様の心意の力に、貴様自身が耐え切れなかったのだ」

 

 足にも力が入らず、痛みよりも驚きの方が勝るゴウの耳に、蔑むような仮面のアバターの声が届く。

 

「未熟者が。そこで這い(つくば)っていろ。貴様のような者も加速世界からすぐに消えることに──」

 

 仮面のアバターが言い切る前に、何者かの足が地面に突っ伏すゴウの目の前に着地した。

 沈んだ青色の袴に足首には数珠。そして、下駄。

 

「師匠……」

「オーガー! しっかり!」

「こりゃひどいな……」

 

 うつ伏せに倒れているゴウは、誰かに持ち上げられているのを感じて首を動かすと、フォックスとアウトローメンバーのコングが、こちらを心配そうに覗き込んでいた。

 二人に体を支えられながら、地面に座る形になったゴウはふと自分の体を見ると、装甲はすでに漆黒から、普段の透明なダイヤモンド装甲に戻っていたことに気付いた。

 

「とりあえず……俺はアイオライト・ボンズ。お前さん達、ここらじゃ見ない顔だが何者だ? 俺の《子》がこんなボロボロなのはどういう了見だ?」

 

 名乗る大悟が、仮面アバターに負けず劣らずの威圧感を放ち、仁王立ちで目の前の三人を見据えた。

 その迫力を感じ取ったのか、仮面のアバターを守るようにコロッサルが一歩前に踏み出す。

 

「コロッサル、下がれ」

 

 ところが、仮面アバターが即座にコロッサルを下がらせ、自ら前に出た。

 

「……私はレギオン《エピュラシオン》頭目、《プランバム・ウェイト》。この二人は私の同胞、《チタン・コロッサル》とアメジスト・スコーピオン。我々はISSキットなる、心意技を扱えるようになる強化外装が出回っていると聞いて、各地を巡り様子を見て回っていたのだ」

 

 淀みなく大悟の質問に答えるプランバムに、大悟が訝しんだ様子で訊ねる。

 

「ISSキット……。そんな物見てどうする。何が目的で──」

「加速世界に必要なことだ。それ以上を会ったばかりの貴様に話す義理はあるまい、アイオライト・ボンズ。《荒法師》と言ったか、その名は耳にしたことがある。……そこの未熟者がそうなった理由は分かっているだろう。詳しくはそやつ自身に聞け。最後に一つ。《親》ならば《子》に対して最低限の手綱は握っておくことだ」

 

 プランバムはそう言い放つと、今度こそ付き従う二人を連れ、雨の中へと消えていった。

 

 

 

 予期せぬ連戦と謎のレギオンとの邂逅を経たゴウは少しその場に留まってから、大悟に付き添われてポータルへと向かっていた。

 暴走の後、全身に痛みが走り、とても動ける状態ではなかったからだ。もっとも、ブレイン・バースト内では回復の手段はほぼ皆無に等しく、安静にしたところで傷が癒えはしないが、時間を置くことでどうにか動ける程度には痛みにも慣れた。

 フォックスはゴウ達に礼を言うと、すぐにポータルへと向かっていった。

 その際にゴウは何か声をかけるべきかと、口を開きかけたが、『あいつの気持ちを察してやれ』と大悟に制されてしまった。

 コングも他の皆に事の顛末を伝える為、アウトローへと戻っていった。聞いた話では、今回はホームに到着していたメンバーの中から、機動力を優先してコングと大悟がフォックスと現場に向かい、他のメンバーが残る形になったそうだ。

 ゴウは大悟にポータルに向かう道中で、フロッグとの戦闘の最中にスコーピオンに乱入されフロッグが死亡状態にされたこと。その後自分の装甲が黒くなり、辺り一帯を破壊しながらスコーピオンと戦闘をしていたこと。そして、コロッサルとプランバムの登場後に、大悟達が到着したことを伝えた。

 それから大悟は、ゴウの隣をずっと無言で歩き続けている。未だに《変遷》は起きず、《霧雨》ステージの道中には空から落ちる雨音だけが微かに聞こえていた。

 ゴウも今はとても口を開く気にはなれず、この沈黙はむしろありがたかった。胸の中には今もいくつもの感情が渦巻いて、考えがまとまらない。ようやく口を開いたのは、ポータルのある二子玉川駅の入口に辿り着いてからだった。

 

「……ありがとうございました。ここからはもう一人で大丈夫です」

「あぁ……じゃあ俺はアウトローに戻る。……今は色々あって混乱しているだろうから、ゆっくり休め」

 

 軽く頭を下げるゴウに、大悟は労わりの言葉をかけると、それ以上は何も言わずすぐに去っていった。

 ゴウはしばらく上を向いて、雨を浴びながら曇天の空を眺めていたが、意味もない行為を馬鹿らしく感じて、ログアウトをする為にポータルのある駅構内へと進んだ。

 

 

 

「嘘だろ……」

 

 ダイブカフェから出て家への帰宅中、晴れていた空はみるみる雲に覆われていき、すぐに雨が降り出した。加速世界でも雨に打たれていたというのに、現実に戻っても雨とはツイていない。梅雨明け自体はまだ先だが、今日は梅雨前線が小休止して夜まで降らないという予報は見事に外れたようだ。

 傘は持っていないが小雨だったので、結局ゴウは雨に打たれながら帰ることにした。普段なら慌てて走るなり、安物の傘を買うなりするのだが、今はその気も起きない。

 

「ちくしょう……」

 

 自然と口から言葉が零れていた。

 別にフロッグに対して『助ける』と約束したわけではないし、ISSキットを一時的に解除させたとしても、フロッグが再度着装すればそれまでだ。そもそも最初は、フォックスにアウトローメンバーの応援を連れてきてもらうまでの、足止めをするのが目的のはずだった。

 それでも自分はISSキットによって暴走していたフロッグを必ず救うと決めたのだ。だというのにそれは叶わず、最後は怒りのままに暴れるだけ。

 

「ちくしょう……ッ!」

 

 何もできなかった己の不甲斐なさを嘆くゴウの頬を伝うのは、空から降る雨粒だけではなかった。

 



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第二十六話

 第二十六話 (よど)む心

 

 

 傘もささずに雨に打たれながら帰宅したゴウは、案の定風邪を引いた。ただし、翌日の日曜日は母親に「自業自得!」と怒られながら、薬を飲んで安静にしていたので、体調は万全ではなかったが、月曜日には問題なく登校していた。

 その翌日、六月十八日、火曜日の放課後。ゴウは土曜日から今日に至るまで、一度も加速していない。こんなことはバーストリンカーになってから初めてだ。

 体調を崩して寝込むなど年に一度あるかないかのことなので、初めはそのせいだと思ったが、ほぼ全快となった今でも何故か対戦をする気が起きない。

 土曜日の一件を、未だに自分が引き摺っている事実を認めざるを得なかったが、どう切り替えていいのかは全く分からない。しかし、大悟やアウトローのメンバー達に相談する気にもなれなかった。

 フロッグはまだISSキットを使用して対戦しているのか。エピュラシオンという聞いたことのないレギオンのバーストリンカー達は、何の目的でISSキットの使用者を探していたのか。フォックスはあんな目に遭ったが、もう立ち直っているのだろうか。一連の話を聞いたアウトローの皆はこのことをどう考え、どう捉えているのか。

 疑問は尽きないが、それでも行動する気は湧かない。

 

「──御堂君、帰るの?」

 

 部活動にも委員会にも所属していないゴウが帰り支度を済ませて教室から出ようとすると、後ろから蓮美に呼び止められた。

 進級に伴うクラス替えによって同じクラスになった大悟の妹、蓮美は一年生の頃から剣道部に所属している。今日も部活のようで、竹刀の入ったバッグを肩に掛けていた。

 

「うん。如月さんは部活? 頑張ってね」

「う、うん……」

 

 ここでゴウは、蓮美の様子がいつもと違うことに気が付いた。普段は元気一杯といった調子の明るい彼女が、今はどこか大人しいというか歯切れが悪い。

 気にはなるが、心当たりのない自分にできることもないだろうと考えて、ゴウはそこには触れずに教室を後にしようと──。

 

「あの……御堂君、週明けから元気ないけど何かあった?」

「えっ……?」

 

 予想外だった。蓮美はどうやら自分を心配してくれているらしい。そんなに態度に出ていたのだろうか。この二日間、クラスの友達にもそんな指摘はされなかったので、ゴウはまるで不意討ちを食らったように感じた。

 

「い、いや? そんなことないよ」

「そう? なら良いんだけど……。なんだか、たまに大兄ぃが上の空になる時と同じ感じがしたから、気になっちゃって。本当に大丈夫?」

 

 ──大悟さんと同じ? ……僕が? 

 その部分がゴウ自身でも分からないが、何故だか無性に(かん)(さわ)った。

 大悟なら自分みたいに、こんなことでいちいち落ち込んだり、立ち止まったりはしないだろう。そもそも、自分は大悟のように強くなどない。

 もしもあの時、あの場所にいたのが自分ではなく大悟だったら、フロッグ相手に傷だらけにならずとも説得できたし、横槍を入れようとするスコーピオンだって返り討ちにできたはずだ。

 

「……実は休みに風邪を引いて、今も少し喉が痛いんだ。悪いけど、今日はもう家に帰って休むよ」

 

 口調こそ穏やかだが、自分でも分かるくらい冷たい声が、ゴウの口から出た。

 風邪気味であることは本当なので、全くの嘘ではないのだが、本当の理由をバーストリンカーではない蓮美には詳しく話せないし、彼女が今のゴウの心境を知る由もない。それでも、ゴウは理由の分からない機嫌の悪さを隠しきれなかった。

 

「あっ……そうだったんだ。呼び止めちゃってごめん……。じゃあ、その、お大事にね」

 

 蓮美の申し訳なさそうに謝る姿に少し心が痛んだが、ゴウは「じゃあ……」と彼女の耳に届いたのか、自分でも分からないほどに小さい声で挨拶をして教室を後にする。

 結局、この日もゴウはグローバル接続、ひいては対戦をすることはなかった。

 

 

 

 翌日もゴウは授業を受けていても碌に身に入らず、重い気分は一向に晴れない。むしろ悪化したかもしれない。

 蓮美は昨日のことでゴウに気を遣っているのか、ゴウの言葉を拒絶と受け取ったのか、話しかけてはこなかった。

 ゴウも自分に落ち度があるのは分かっているものの、気まずさから声をかけられずに今に至る。

 昨日同様、授業が終わり放課後になると、ゴウはすぐに帰宅の用意を始めた。

 教室を後にし、校門を抜けて今日もやはり対戦をする気が起きず、昨日同様にニューロリンカーのグローバル接続を切ったままにして歩いていると、曲がり角で出会い頭に誰かとぶつかってしまった。

 

「あっ、すみませ──」

 

 反射的に謝りながら前を見ると、ゴウはぶつかった人物に目を丸くする。

 目の前に立っていたのは大悟だった。

 今年の四月に高校生になった大悟の、真新しい学生服を着込んだ姿はまだ数回しか見ていない。加速世界ではアウトローや対戦のギャラリーで顔を合わせることはあっても、今や生身で会う機会はほとんどなく、会ってもほぼ私服姿だからだ。

 

「よぉ、直接会うのは久々だな。早速だがちょっと来てくれ。どうせ暇だろ?」

「へっ?」

 

 そう言うと、大悟はくるりと背を向けて歩き始めた。その場で棒立ちになっているゴウを見ると、早く来いと言わんばかりに手招きをする。

 ゴウは訳の分からないまま大悟に付いていくことしかできなかったが、こうして理由も分からずに連れ回される状況に少し懐かしさも感じていた。この場合の大悟は基本的に目的地に着くまで理由を教えてくれないので、観念して黙って付いていく。

 やがて二人が到着したマンションの一室は、ゴウが一度だけ来たことのある場所だった。

 去年の夏に偶然蓮美と出会い、連れてこられた、如月兄妹の自宅だ。ここでゴウは何となく大悟の意図が分かってきた。

 

「まぁ上がりな」

「お邪魔します……」

 

 扉を開けた大悟に続いて玄関に進むゴウ。去年訪れた時と同様、玄関に自分達以外の靴がなかった。蓮美は現在部活中のはずだが、共働きなのだろうか、両親も不在のようだ。

 大悟は手早くキッチンで飲み物の麦茶の入った容器とグラス二つを盆に載せてから、ゴウを自室に案内した。

 

「あれから加速してないんだろ?」

 

 部屋のテーブルに盆を置いて、ゴウの対面に座った大悟は注いだ自分の麦茶を一気に飲み干すと、何の気負いもなく核心を突いた。

 麦茶を一口飲んでゴウは首肯する。帰り道に大悟が待ち伏せのようにあの場所にいた時点で、ある程度の予想はしていたので、見抜かれていてもそれほど驚きはなかった。

 

「昨日、蓮美が珍しく落ち込んでてよ。聞いてみたらお前さんに余計なこと言って怒らせたかもって。それで気になったが……まぁ、直接顔を見て確信した」

 

 ──如月さん、やっぱり気にしてたんだ……。悪いことしたな……。

 

「まぁ、そんな経緯はどうでもいい──ええと、どこだったか……」

 

 ゴウが蓮美に対して再び罪悪感を募らせる中、大悟は机の引き出しを開けて何かを探している。やがて目当ての物を見つけたらしく、再びゴウに向き直った大悟の手に握られていたのは一本の黒いXSBケーブルだった。

 

「朝起きて学校に行くのがかったるい日ってないか? 特に休み明けとか」

「え? はぁ、割とありますね」

「それでなんだかんだ学校に着いて授業が始まると、起きた時の倦怠感って気付くと消えているだろ?」

「んー……確かに。あるあるですね」

「そういうことだ」

 

 どういうことだ? とゴウが思っていると、脈絡のない話を切り出した大悟は、自分のニューロリンカーにケーブルを挿入して、片側の先端を持ってゴウに向けた。

 

「要はやる気がなくても、一度やっちまえば案外すんなりいくってこと。久々に『稽古』といこうや」

 

 

 

 唐突な直結対戦の舞台は、紅葉が舞い散る《平安》ステージ。大悟と初めて対戦した時と同じだった。

 思えばレベルの低い時期にはほぼ毎週、対戦という名の稽古をしていたが、《平安》ステージになったのは最初だけだった気がする。

 直結対戦では現実で相手が目の前にいても、自動的に相手と距離が離され、場所も戦域内のランダムな位置に出現させられる。

 ゴウはガイドカーソルを確認し、大悟のいる大まかな方向へと向かった。移動中にオブジェクトを破壊しながら、大悟側の必殺技ゲージを確認するが、向こうは増えていない。ガイドカーソルにも動きがないことから、どうも大悟は出現座標から動いていないらしい。

 余裕の表れか、侮っているのか、それとも他に意図があるのか。大悟の考えを読めないまま進んでいると、やがて石畳の道の中央に腕を組んで仁王立ちする僧兵アバターの姿が見えた。

 裳付衣(もつけごろも)と括り袴を象った装甲。厳密には裹頭(かとう)と呼ばれるらしい、頭部を覆う布でできた頭巾。石帯(せきたい)代わりに腰に巻かれた数珠、手首足首にも同じく数珠。

 紅葉舞い散る空を眺めていた、おそらく今までで一番多く姿を見たであろうデュエルアバター、アイオライト・ボンズは、すぐにゴウへと向き直った。

 

「よし、来い」

「…………」

 

 構える大悟に向かって、ゴウは何も言わずに突進した。ほぼ純粋な近接型同士の対戦では、まずは牽制を入れつつ、隙を見出して一撃を入れるのが基本だ。

 ゴウもまずは様子見、とはいっても体重を十分に乗せた重い拳を突き出す。

 対する大悟は自身の腕に捻りを加えることで、ゴウの突きを簡単に受け流してみせた。

 続いてゴウの出した膝蹴りに、すでに大悟は対応しようと腕を構えている。これは想定内。膝蹴りを素早く上段蹴りに切り替えて、ガードされていないこめかみを──。

 

「くっ……」

 

 声を漏らしたのはゴウの方だった。

 大悟は素早く頭下げて、こちらの蹴りをあっさりと避けてみせる。

 

 ──いま攻撃されたら躱し切れない……。

 一撃食らうのを覚悟するゴウ。ところが大悟は追撃してこなかった。

 

「……?」

 

 ゴウは違和感を覚えながらも頭を切り替え、今度は五指を真っ直ぐに伸ばした抜き手を放つ。ダイヤモンド・オーガーの両手は指先までダイヤモンド装甲に覆われているので、貫通力は中々のものだ。

 ところが、これにも大悟は動じずにゴウの抜き手を避けつつ、突き出された腕を両手で掴むと、背を向けて一本背負いの要領でゴウを投げ飛ばした。

 

「せい!」

「かはっ……!」

 

 硬い石敷きの道に背中から叩き付けられ、一瞬息が詰まる。その隙を大悟は見逃さない──はずなのだが。

 普段の大悟ならこんな隙を見せたら、「甘い!」とゴウを一喝しながら一撃を入れるのに、大悟は少し後退するだけで、やはり追撃はしてこなかった。

 

「なんで……手を抜いているんですか?」

「それはどちらかと言えばお前さんの方だろう」

「え……?」

 

 立ち上がるゴウに大悟はぴしゃりと言い放った。

 ゴウはもちろん全力で挑んでいるつもりだし、そもそも大悟相手に加減する余裕などない。相手は加速世界でも最高峰に近いレベル8のハイランカーなのだから。

 

「普段と比べて動きは単純、精彩さも欠けている。読み易いから捌くのも容易い。自覚がないのか? だとしたら思ったより重症だな。これじゃあアビリティを使う必要もない」

 

 大悟の批評にゴウは反論できなかった。このままでは対戦結果が惨敗で終わってしまう。そこでゴウはふと、あの力を思い出した。

 あの状態の最後は自爆してしまったが、短時間で勝負を決めれば、大悟に対しても勝ち目があるかもしれない。

 ゴウは目を閉じてあの時の心境を思い出そうとする。

 嘲るアメジスト・スコーピオンには攻撃はまともに当たらず、チタン・コロッサルには攻撃を難なく受け止められ、プランバム・ウェイトに至っては、路傍に落ちた石でも見るかのような視線を向けるだけで構えることさえしなかった。そして何より、無力な自分。

 それら全てが混ぜ合わさって、強くゴウ自身を責め立てる。

 

「──ぐ……うっ……ヴヴ」

 

 ゴウは胸の中心から熱が込み上げてくるのを感じた。熱は次第に全身に駆け巡り、ダイヤモンド・オーガーの姿を変えていく。額の両角は大きく湾曲し、装甲が隆起しながら、徐々に黒く染まっていく。指の先端は鉤爪のように、肩は触れたものを傷付けることのみを目的としたような、尖ったスパイクが生えていく。

 目を開いて確認すると、全身の装甲が濡れたような漆黒に輝いていた。炭のように薄黒いオーラが全身から立ち昇り、あの時と同じく全身に力がみなぎっている。これこそが、心意システムと呼ばれる未知なる力。

 

「これなら……どうですか?」

「………………」

 

 大悟は変貌したゴウの姿を見ても何も言わなかったが、雰囲気はより真剣味を帯びたものへと変わる。必殺技でもアビリティでもない、ゴウの心意システムによる力を警戒しているのは明らかだった。

 ゴウは自分の内から感じる力の奔流に、わずかながらの全能感が芽生え始めていた。長時間は使えなくとも、今の自分なら格上の大悟にも負けない、と自信さえ出てくる。

 ──これなら、いける……! 

 そう確信したゴウに、今度は大悟から接近してきた。腕がブレるほどの速度でゴウの胸部装甲を狙った掌底が放たれる。まともに受ければ装甲は陥没し、大ダメージを免れない。

 しかし、ゴウは慌てることなく右腕を胸の前に持ってきて、これに備える。強化された装甲は、大悟の掌底を難なく防ぎ切った。それどころか攻撃を仕掛けた大悟の方が、一割にも満たないものの体力ゲージが削れていた。

 

「オオッ!」

 

 ゴウは大悟の掌を払いのけると同時に、足を強く踏み込んでタックルを大悟に食らわせる。

 

「むぅ……!」

 

 ゴウの肩装甲のスパイクが、大悟の比較的装甲が薄い上半身に浅くない深さで突き刺さり、小さく呻く大悟の体力ゲージが一割削れる。

 ゴウは体勢を崩した今が好機と感じ、前傾姿勢を取ると同時に必殺技を呟いた。

 

「《ランブル・ホーン》」

 

 黒い角は普段よりも大きく、そして鋭くなり、突進速度も段違いだった。心意の力が必殺技の威力を底上げしているのだ。

 狂った猛牛の如き突進に気付いた大悟は、すぐに体勢を立て直すと跳躍し、石敷き道の横にそびえる白塗りの塀の上に着地する。

 そんな大悟を、ゴウは逃がす気などなかった。

 

「ラアアアアッ!!」

 

 体を傾けて無理やり進路を変えると、その勢いのまま塀に突撃、破壊していく。そのまま一直線に進んで塀の一角を突き抜けたところで、ようやくゴウは立ち止まり、振り向いた。

 必殺技によって、塀は重機で崩されたかのような有様になっていた。対してゴウの体力は全く減っておらず、オブジェクトの破壊によって必殺技ゲージも再び溜まっている。

 

「──随分と無茶をするじゃねえか」

 

 塀の破壊によって発生した土煙の中から大悟が現れた。ダメージはなかったようだが、見ると頭巾の下から、黄色い光が漏れ出ている。あの光が何なのかをゴウは知っていた。

 

「《天眼》を使ったってことは、本気になったと見ていいんですね?」

 

 あの光こそが、アイオライト・ボンズの持つアビリティ、《天眼(サード・アイ)》を発動している証拠だ。

 ボンズの額には両目のアイレンズとは別に、枯草色をしたアイレンズが一つ備わっている。普段から被っている布の頭巾で隠された形になっているが、発動時に支障はない。何故ならこのアビリティは発動することで障害物に関係なく、自身を中心に全周囲一定の範囲内のものを全て見通すことができるのだ。大悟曰く、通常の目で物を見るのとは違う感覚だが、感知する範囲内の物体の『流れ』を感じ取れるらしい。

 これによって大悟は対戦での相手の動きの先読みをしたり、幻覚系の技にも惑わされずに相手の姿を捉えることができるのだという。

 このアビリティの存在をゴウはアウトローで、ある日のエネミー狩りの際に素早く逃げ回るエネミーの捕捉に大悟が発動したことで初めて知った。そして、ゴウがレベル5になる寸前あたりの手合わせで初めて使用したのだ。

 

 ──『これを使わせるまでになったか。成長したな』

 

 以前、そう大悟に褒められたことに対して、ゴウは嬉しさと同時に悔しさを覚えた。つまり大悟はこれまで、まだまだ本気を出していなかったことになるのだから当然だ。

 大悟に勝利する道のりは遠いと思いながらこれまで腕を磨いてきたが、今の自分は初めてアビリティを使わせたあの時よりも強くなれたはずだ。

 ところが大悟は何も語らず、ただ黙して構えるだけだった。《天眼》アビリティは燃費が良いので、ゲージはすぐには尽きない。こちらも時間はロスできないと、ゴウは再び大悟に向かって走り出す。

 それからは接近状態での乱打戦が続いた。今の状態では攻撃力も防御力もゴウの方が上であるものの、大悟も凄まじい技術で捌いていく。避ける以外でも、真っ向からゴウの手足に衝突せずに攻撃の角度をずらしたり、自身の腕に捻りを加えることで軌道を逸らしてしまう。いかに《天眼》アビリティによる補助があるとはいえ、それを実行できるのはアバターの性能の他、大悟の経験があってこそのものだ。

 ゴウはこの膠着した状況に、次第に苛立ちを覚え始めていた。いかに大悟の卓越した手捌きでも、心意発動状態のゴウの攻撃に触れている以上、無傷ではない。じわじわと大悟の体力ゲージは削れている。

 それでも、クリーンヒットは未だに決まらないのだ。このままの状況が続けば、大悟の体力を削り切るまで心意の鎧は保てない。そうすれば一気に勝利は遠のくだろう。

 ──もっと。もっと強く……。

 間を置くことなく腕を、脚を、肩を、頭を繰り出していく。戦闘の中でゴウの集中力は増し、ついに大悟のガードの意識がわずかに薄れたことを感じた。

 ──ここだ! 

 

「《アダマント・ナックル》!!」

「…………っ!!」

 

 

 黒い火花を散らしながら放たれた右拳を、触れられないと判断した大悟が左へ跳ぶ。

 ──強く。つよく。ツヨク。

 ゴウはほとんど無意識の内に、回避行動をする大悟に向けて左腕を伸ばす。すると、ゴウの前腕の装甲が手の甲側に沿って隆起し、一瞬で刃を作り出した。黒い刃はとっさの回避で体勢を崩した大悟の顔に迫り──。

 

 ザン! 

 

 繊維質の裂ける音。

 大悟の頭巾の一部が切り裂かれたことで垂れ下がり、元々覆っている顔面を更に隠している。素早く後退して距離を取った大悟は、視界を遮っている頭巾を引っ掴むと、鬱陶しそうに一息で剥ぎ取った。

 ゴウが初めて見る頭巾の無いボンズの頭部はシンプルなデザインで、額の中心に位置する天眼以外に装飾や装甲の(たぐい)は無く、剃髪をした仏僧そのものだ。また、首にも数珠型の装甲が巻かれている。

 ただし、今はゴウの腕の刃によって、左目のアイレンズから顎下近くまで斜めに伸びる、深い傷跡が新たに作られていた。

 ゴウは左腕のみならず、右腕にも刃が形成された両腕をしばし見てから、視界の上部を確認する。時間はまだ十五分以上あるが、大悟の体力は残り四割強。対してゴウの体力は残り八割近くも残されていた。

 今までの対戦では、半分になんとか達する程度のダメージしか大悟に与えられなかったゴウは、この成果に笑みを浮かべた。

 ──よし、まだ体に違和感はない。このまま一気に勝負を決めるのも夢じゃ──。

 

「何を優越感に浸っている」

「────ッ!!」

 

 突如心臓を鷲掴みにされたような悪寒が走る。

 その発生源である目の前の僧兵から発せられている殺気は、ゴウがかつて経験したブラック・ロータスやプランバムの威圧感よりもゴウの奥底に深く突き刺さった。

《親》から向けられる本気の殺意がゴウの足を無意識に一歩下がらせる。

 

「……理屈も知らずにそこまで心意を扱うか。だが、負の心意に酔いしれ始めているのなら話は別」

 

 大悟は頭巾だった布を放り捨て、五指を広げた右腕を前へと伸ばすと、ゴウの予想もしていなかった言葉を発した。

 

「着装、《インディケイト》」

 



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第二十七話

 第二十七話 金剛石と菫青石(きんせいせき)

 

 

 ブレイン・バーストプログラムが創造するデュエルアバターには、カラーサークル上の色の名が冠されており、一人として同色の者はいないとゴウは聞いている。

 また、《メタルカラー》という金属の名が冠された希少なデュエルアバター達は、カラーサークルとはまた異なるカラーチャートでカテゴライズされ、その他にもアバターの中には色ではなく、鉱石や植物、果ては食べ物の名を持つ者が存在する。ゴウの分身であるダイヤモンド・オーガーや大悟のアバター、アイオライト・ボンズも、これらの一例として挙げられる。

 これら鉱石系のアバターにはそれぞれの鉱石に由来する色に加え、その性質を持つ場合があり、ゴウの場合なら硬く透明な(厳密には一点の曇りも無い透明ではないのだが)ダイヤモンドの装甲だ。

 では大悟の場合はどうなのかを、ゴウは新米(ニュービー)の頃に聞いたことがある。渋々ながら教えてくれた大悟が言うには、アイオライトとは流通する宝石としての名称で、和名を菫青石、英名をコーディエライト(発見した学者の名が由来)と呼ぶ、多色性の性質を持つ鉱石だそうだ。

 光に透かして見る角度によって、沈んだ青、鮮やかな紫、暗い黄色など様々な色に変化し、これをカラーサークルに当てはめると、《近接の青》、《中距離の紫》、《間接の黄》の三色の特性を備えていると考えられるが、そう推測したゴウに大悟は明確な肯定はしなかった。

 

 ──『ゴウよ、これは俺の持論だけどな。人間ってのは、そう簡単に人に自分の底を見せるものじゃない。要は奥の手はとっておくものだってこと。もしも俺のアバターについて知りたいなら、対戦の中で暴いていくんだな』

 

 これに対して、バーストリンカーとしてまだまだ駆け出しだったゴウは威勢良く、すぐに引き出してみせると返した。

 

 ──『そうかい。期待しないで待っているよ』

 

 そんな自分を見て、大悟がどこか嬉しそうに笑っていたのをゴウは憶えている。

 

 

 

「着装、《インディケイト》」

 

 そう唱えた大悟の右手に青紫色の光が集まり、一つの武器を形成していく。強化外装の召喚コマンドで現れたそれは、柄だけでアイオライト・ボンズの背丈と変わらない、長大な薙刀だった。

 ボンズのアイレンズや各所に巻かれた、数珠型の装甲と同様の青みの強い菫色に、柄の両端にはこちらもアバターと同じく数珠が巻かれたような装飾が施されている。八十センチ近い刀身は、いかにも断ち切ることを目的としている、大きく反り返った段平(だんびら)

 よくよく考えれば、ゴウが様々な媒体で目にしたことのある僧兵も、当然のように槍や薙刀、刀を装備していた。それに則れば、アイオライト・ボンズが何らかの強化外装を所持しているのは、別段おかしなことでもないのだが、それを不思議に思わなかったのは、無手でも十二分に大悟が強かったからで──。

 

「……強化外装、持っていたんですか? なんで今まで使わなかったんですか。僕との対戦だけでなく、他のメンバーとの手合わせでもエネミー狩りでも」

「武器とは必要なときにのみ振るうものだからだ」

 

 顔左半分をゴウに斬り付けられて、左目のアイレンズが潰れた大悟が、中段に構えた薙刀の切っ先を向ける。自身の身長を優に越す長物を持っているにもかかわらず、腕は小揺るぎもしない。

 ゴウも心意の装甲から形成された両腕の刃を構える。強化外装の出現には確かに驚いたが、心意による攻撃に勝りはしないと確信があった。以前ISSキットを使用したシトロン・フロッグの《ダーク・ブロウ》は、ゴウの持つ強度が自慢の金砕棒型強化外装、《アンブレイカブル》でさえ一撃で砕いてみせたからだ。

 ──こっちが片腕でも受け止めれば、向こうの刀身の方が砕ける、それからもう片方の腕で柄を断つ。そうすれば使い物にはならないはずだ。何も焦る必要なんてない……。

 そう判断した直後。大悟が前方へと踏み込み、薙刀を突き出した。体幹部分を狙った閃光のような一撃を、ゴウは漆黒の刃で防ぐ。

 

 キィ──────ン!! 

 

 互いの刃がぶつかり合い、高音を周囲に響かせる。薙刀の刀身はゴウの刃に阻まれたが、砕けることはなく、驚愕がゴウの口から漏れ出す。

 

「なっ……!?」

「……砕けるとでも思ったか?」

 

 困惑するゴウの隙を大悟は逃さず、薙刀の切っ先を軽く下げてから、刃を上に向けて斬り上げることで、あっさりとゴウの片腕を頭上へ上げた。そして間髪入れずに持ち手を変えて横に薙いだ石突(いしづき)の部分を、無防備なゴウの脇腹へと打ち込む。

 

「ぐおぁっ……!」

 

 遠心力を利用した長い柄の、見た目を遥かに超える威力の一撃に、たまらずゴウは息を詰まらせながら吹き飛ばされた。先程自らが破壊した白塗りの壁の反対側に激突させられ、視界に星がちかちかと飛び散る。

 瓦礫の中から立ち上がったゴウは、右脇腹に鈍い痛みを感じて目を向けると、薄く覆われていた黒い装甲が砕かれ、アバターの素体部分が露出していた。

 目を見開いて自分の装甲を砕いた大悟とその武器を見据えると、大悟の全身から薄く輝く青紫の光が放出されていることに気が付いた。光は大悟の握る薙刀にも伝導するように届いている。

 

「その光は……」

「ようやく気付いたか。装甲が黒くなってからの打ち合いでも、ずっと発していたというのに。腕が砕かれない程度の最低限ものだったが。やはり目が曇りすぎている」

「そ、そんなこと……」

「いずれにせよ、制御し切れていない暴走と変わらぬ力など、恐れるに足らんと知れ」

 

 常よりも厳格な声が、ゴウに一切の言い訳を許さないとばかりに浴びせられた。

 再び大悟が迫り来る中、ゴウは悔しさと怒りから思い切り奥歯を噛み締める。

 一時は勝てるとさえ確信した相手が、更なる力で自分を圧倒してくる。成長したはずなのに、まるで追い付いていない。差が縮まらない。自分は弱い。また譲れない戦いがあったとき、敗北してしまうのか。

 ──いやだ……。そんなの、認めない。認められるか! 

 

「グ……ウオオオオオオオオァ──────ッ!!」

 

 獣のような雄叫びを上げて、ゴウは大悟に迫る。黒い火花を全身に散らせるその姿は悪鬼か、はたまた羅刹か夜叉か。

 先の乱打戦よりも、激しい勢いで剣戟を開始する両者。体力が減るのはゴウだけだった。

 小回りが利いて手数に勝るゴウの両腕から伸びた刃を、大悟の薙刀はリーチで勝る分、手数で劣るはずなのに寄せ付けない。そうして、確実に体力を削らせていく。

 打ち合いの中で石突の打突が、突き刺し振るわれる刃が、ゴウの装甲を削り取って、黒く染まったダイヤを辺りに散らせては、欠片がポリゴン片となって消失する。

 ゴウは今までも長物を武器としたバーストリンカーと対戦した経験は幾度もあったが、この一連の動きだけでも、大悟の薙刀捌きがその中でも群を抜いているのが分かった。

 刃を持った強化外装は、扱う技術が打撃武器に比べて数段難しい。また、大きくなればなるに連れ、その分取り回しも困難になる。遥か昔から数多くのバーストリンカーがショップやボーナスで取得しては、扱い切れずに消えていったと聞く。それは逆に言えば、使いこなせればこの上ない戦力になるということだ。

 それでもゴウは目の前の相手を倒すことしか頭にはなく、一切退くことはなかった。ついに左手で薙刀の刀身を握り締め、傷付きながらも大悟の眼前に迫り、刃を形成した右腕を振るう。

 

「オオ……オオオオオオオオォォ────ッ!!」

 

 そんな鬼気迫る鬼を前にして尚、歴戦の僧兵は一切の動揺を見せなかった。

 

「~~~~──喝!!」

 

 聞き取れない呟きの後、大悟は握っていた薙刀をあっさり手放し、右手に眩い光を一瞬で凝集させる。そして裂帛の気合と共に、石畳の地面を陥没させるほどに踏み込み、ゴウに向けて右腕を突き出すと、青紫の光が巨大な掌を形作った。

 

「ッグ……!? グアアアアアア────ァァッ!!」

 

 心意の掌底は向こう側が透けて見えるにもかかわらず、ゴウは食らった瞬間、まるで鋼鉄の柱にぶつかったような錯覚を抱きながら宙を舞う。

 吹き飛びながら目に映る、澄み切った青空がやけに印象的に感じられた。

 

 

 

 気付くとゴウの視界には、再び《平安》ステージの爽やかな秋空が広がっていた。数秒間気絶していたらしい。

 体は動かない。感覚的にだが、腕の刃を含めた体の前面の装甲が砕け散り、残った背面の装甲も心意で形作った黒い鎧ではなく、元の透明なダイヤモンド装甲に戻っていることを悟った。残っている体力は数ドット、敗北はほぼ確定したと言っていい。

 足音が聞こえ、誰かが近付いているのが分かった。該当する者は一人しかいない。

 

「……頭は冷えたか?」

「…………」

 

 こちらを覗き込む隻眼状態の大悟からは、突き刺すような威圧感も、心意の光もすでに消えていた。

 

「……とどめを刺さないんですか?」

「それでも構わないが、お前さんが俺に何か言いたいことがあると思ってな」

 

 こちらへの気遣いとも勝者の余裕とも取れる態度に、ゴウは渋面を作る。

 

「…………どうして」

「ん?」

「どうして師匠は……大悟さんは……僕を《子》に選んだんですか?」

 

 間違っても口を滑らせないように、ブレイン・バーストのプレイ中は直結対戦であってもリアルネームで呼ばないように教えられていたゴウは、敢えて大悟を本名で呼んだ。どうしてそうしたのか、ゴウ自身にも理解できなかった。

 答えてはくれないと思ったが、しばし間を空けてから、大悟は口を開いた。

 

「…………バーストリンカーがブレイン・バーストプログラムをコピー・インストールして、《子》を作ろうとする場合──前提条件は省くとして、基本的に自分と親しい者が対象になるが……その他に自分と同じ雰囲気、匂いと表現してもいい。何かを感じ取って選ぶことがある」

「それが、僕だったんですか?」

 

 大悟が首肯する。

 ゴウは昨日蓮美に、大悟と同じ感じがした、と言われたことを思い出す。だが、やはりそうとは思えなかった。この程度で大悟が、自分と同じように落ち込むなどとは、とても考えられない。

 

「……僕は、僕は大悟さんとは違う」

 

 気付けば、言葉は口を突いて出ていた。

 

「僕は大悟さんみたいに強くない。……だって救えなかった。勝てなかった。何もできなかった。あの時いたのが僕じゃなくて大悟さんだったら、フロッグは説得できていた。いきなり現れたあの三人だって倒せた。でも僕は弱くて……」

 

 歯止めが利かないまま、ほとんど涙声で内心を吐露するゴウを、大悟は止めずに黙って聞いていた。

 

「さっきもあの時のことを思い出して……心意システムで装甲を強化したのに、それでも結局勝てなくて……。変われたと思った。ブレイン・バーストと出会って、少しずつ良い方向に変わっていたと思っていたのに。やっぱり僕は、昔と何も変わってなんかいなかった。大切な時に誰も守れない……」

「ゴウ」

 

 大悟がゴウに向かって右手を伸ばす。やがてゴウの額の上で指を動かし──。

 

 びしっ。

 

「うっ!?」

 

 フェイスマスクが砕かれている、むき出しのゴウの頭部にデコピンを食らわせた。体力ゲージが更に数ドット削れるが、それよりも困惑の方が遥かに勝る。

 

「だ、大悟さん? 何を……」

「どうもお前さんは俺を過大評価しているな」

 

 目を白黒させるゴウに、大悟は呆れるように溜め息を吐いた。

 

「まずフロッグについてだが、半分正気を失った状態じゃ、対戦をしたことのない俺が説得してISSキットを解除させるなんてのは土台無理な話だ。何度も戦ったお前さんだからこそ、耳を傾けたんだろうよ」

「そ、それは……」

「次にあの三人について。見ない顔だったが、全員ハイランカーなのは一目で分かった。特にあの──のっぺら坊マスクのメタルカラーは、一対一でも絶対に勝てるとは断言できない。まして三人相手じゃあな。こっちにもコングがいたが、それでも分が悪すぎた。一当てして撤退するつもりだったし、あの場じゃ向こうから退いて助かったくらいだ」

「……!!」

 

 確かに仮面アバター、プランバム・ウェイトからは凄まじい威圧感を感じていたものの、大悟がここまで言うとは思わず、ゴウは息を呑む。

 

「最後に……少なくとも俺から見てゴウ、お前さんは変わったよ。成長した。デュエルアバターだけの話じゃない。もう最初に出会った時のカツアゲに怯える中学一年生じゃないはずだ。別にお前さんが学生生活をどう送っているかをよく見たわけじゃない。それでも対戦を重ね、アウトローでも過ごしたお前さんは、実際に対面する度に少しずつ顔つきが精悍に、逞しくなっていた。──最初に会った時、金をせびっていた不良共相手に、どうしてすぐ金を渡さなかったのか。俺がお前さんにそう聞いたのを憶えているか?」

 

 忘れるはずがない。あの時の偶然の遭遇を自分は一生忘れない、とゴウは今でも確信している。

 自分より年上であろう不良学生四人に絡まれていたゴウを、大悟はカツアゲ現場の録画に加え、自分のニューロリンカーを握り潰すことで脅し、追い払った。その後に退散しようとするゴウに声をかけ質問をした。

 その時にゴウは自分の変なところで頑固になる性格を、初対面の大悟に語った。

 

「……自分が絶対にしてはいけないと決めたこと、絶対にやると決めたこと、それらを自分の中で線引きして意地でも実行する──だったか」

「はい……。あの時ISSキットを使うフロッグの姿を見て、思ったんです。あの力は間違っている。使い続けていたら、使用者は取り返しが付かない目に遭うって。だから必ず目を覚まさせるって決めたんです。必死で戦って、言葉で伝えて、フロッグにも迷いが出ていた。でももう少しで説得できるってところでアメジスト・スコーピオンが現れて、フロッグが倒されて……。結局、僕はフロッグも自分の決めたことも守れなかった」

 

 そんな自分に対する強い怒りが、心意システムで自身を強化させたのだと、大悟に話したゴウは迷ってから一度目を閉じる。それから深呼吸をし、誰にも話さなかった過去について語った。

 今は亡き祖母の家で窃盗事件に居合わせ、対面した犯人をみすみす逃がしたこと、そして祖母の心を、意図せずとも傷付けてしまったことを。

 

「──まだ五歳だったし、大人の犯人に対してできることなんてなかった、むしろ変に刺激しなくて正解だったと、警察も両親もそんなようなことを言ってくれました。そもそも僕の家族が無用心だったことも、頭では分かっているんです。他にどうしようもなかったって。それでも僕は……おばあちゃんに謝りたかった……。でも事件の半年後には死んじゃって、最期まで僕を危ない目に遭わせたのを気に病んでいたって聞いて……。連絡手段はいくらでもあったのに……そうしなかった。僕は……僕は自分が許せない。どうしても。だから、決めることにしたんです。自分の中でこうするって誓えば、それを実行し通せば、今度はきっと間違えないんだって」

「……そして今回それを守れず、自分は変わっていなかったと、そう実感したと……」

 

 ゴウは今日に至るまで、ずっと抱えていたものを聞かせた大悟に頷いた。

 こんな訳の分からない理屈を、いきなり聞かされた大悟はどう思ったのだろうか。ゴウの過去に同情し哀れむのか、くだらない出来事をずっと引き摺っていると呆れるのか。

 勢いで話し始めたことを後悔し始めたゴウに対する大悟の第一声は、まるで予想しないものだった。

 

「……それがお前さんの《心の傷》か」

「傷……?」

「そう。それこそが、自身の分身たるデュエルアバターの鋳型(いがた)であり、心意システムを扱う為に向き合うものでもある」

 

 その時、【TIME UP!!】の文字が視界の中央に表示され、対戦時間の終了を告げた。

 《平安》ステージの紅葉散る青空が消え、リザルト画面の表示後、ゴウは環状の放射光をくぐりながら現実世界へと帰還していった。

 



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第二十八話

 第二十八話 修行開始

 

 

 大悟の部屋で目を開けたゴウは、真正面にいる有線ケーブルで繋がった大悟と目が合った。今まで他人に明かしたことない過去まで話した手前、なんとなく気まずくなって目を逸らす。

 一方の大悟はケーブルを引き抜いて立ち上がり、先程ケーブルを取り出した時のように、机の引き出しを開けると、何かを探し始めた。目当ての物はすぐに見つかったらしく、片手に何かを持ちながらゴウの正面に座り直す。

 

「これ、見てみ」

「これは……写真? なんだか……」

「ニューロリンカーじゃなくて古いデジタルカメラで撮ったものだからな、画質の粗さはしょうがない」

 

 大悟がゴウに見せた物は写真スタンドだった。写真は現在の撮影機器に比べると画質は悪いものの、ピントはしっかり合っているので、見るのに支障はない。

 写真には瓜二つの容姿をした細身の男の子が二人、笑顔で並んでいる姿が撮られていた。同じおかっぱの髪型に、シャツの色以外は同じ服装。一目見ただけのゴウでも双子だと分かる。

 

「この子達は……大悟さんの親戚ですか?」

「親戚っていうか右側に写っているのは俺だぞ。六歳の時だ」

「あぁ、それもそうですよね。自分の部屋にあるんだし……ってはぁ!?」

 

 今年一番の衝撃を受けたゴウは光の速さで首を動かして、写真の中で愛嬌のある可愛らしい笑みを浮かべる男の子と、成人男性と言っても通じる長身強面(こわもて)(ゴウ主観)の目の前に座る大悟を見比べる。

 ──コレがアレに!? 似てない!! 共通点が男ってとこぐらいしか──いや、言われて見比べると目の形が似てるような……? 

 強いて言うなら、切れ長で吊り目の方は大悟に似ていなくもない、と失礼なことを考えつつもゴウは無理やり納得した。

 そうして写真の大悟と見比べると、隣にいるそっくりの男の子は、垂れ目気味の柔和そうな目付きをしているようにも見えた。大悟に兄弟は妹の蓮美しかいないとばかり思っていたのだが──。

 

「俺の隣にいるのが如月経典(つねのり)。亡くなった双子の弟だ」

「あっ……」

 

 それを聞いて数秒前までのゴウの驚愕は、発生と同じ速度で終息してしまった。同時に一つ納得したこともある。

 蓮美は大悟のことを『大兄ぃ』と呼ぶが、普通は二人兄弟の家庭で名前を付けて呼ぶ必要はないのではないだろうか。例えば二人以上兄弟がいて、呼び分ける必要がある場合でもなければ。

 ゴウは何を言えばいいのか分からず、俯くことしかできない。

 

「……俺と弟は産まれた当時、未熟児ってやつでな。成長しても体が弱くて……。九歳の時だった。春になる前、新学期を迎える前に逝っちまったよ……。──どうしていきなりこんな話をしたかって言うとな……」

 

 大悟は一度深呼吸してから話を続ける。

 

「全てとはもちろん言わないが、俺も身内を亡くした身だから少しはお前さんの気持ちを理解できるつもりだ。弟に言い遺した言葉は十や二十じゃきかない」

「…………」

「これは少し冷たい考え方かもしれないだろうが、俺は死んだ人間に対して生きている人間ができることなんて、ほぼ無いと思っている」

「……だから後悔なんて抱えていても仕方ないと、そう言いたいんですか?」

「違う。どんなに後悔していても、それでも人は前を向いて生きなきゃいけないってことだ。立ち止まったところで何の、誰の為にもなりはしない」

「だったらどうしたら良いんですか!!」

 

 ゴウは思わず声を荒げ、大悟に向かって怒鳴り付けた。

 そんなゴウを、大悟は慌てる様子もなく冷静に見つめている。

 

「忘れることなんて、できるわけがないじゃないですか。死んだ人間に対して気に病んでもしょうがないなんて、思えるわけがないじゃないですか。だから僕は……」

「誰がそんなこと言ったよ。いいか、落ち着いて聞けよ? つまりお前さんは昔の出来事を経て今の価値観と矜持を持つに至った。だが今回それを守れなかった。ならずっと俯いているのか? 違うだろ!!」

 

 今度は大悟の方が声を荒げて、更には立ち上がる。初めて見る、ここまで感情的な大悟の姿に、ゴウは驚いた。

 

「たとえ他人に理解されない考えでも、今までのお前さんを形成してきた要素であることは揺るがない。手放せないのなら、今度こそはその矜持を守る為に成長するしかない。違うか? 破れかぶれの暴走に頼ってどうするよ?」

「で、でも、僕だけじゃそんなこと……」

「だから俺がいる! アウトローの奴らだっている! 御堂ゴウ、お前さんはまだまだ強くなれると俺達が保証する。ブレイン・バーストに限った話じゃない。人間としてもだ。……俺達だけじゃ、足りないか?」

「!!」

 

 大悟の目は真っ直ぐにゴウの目を見据え、言葉がその場凌ぎで言っているわけではないことが伝わってくる。伝わってきてしまう。

 ──あぁ、そうか。僕はきっと……。

 ゴウはもう、込み上げてくる熱いものを抑えることはできなかった。

 ――ずっと前から誰かにこう言ってほしくて……。

 顔を片手で覆って俯くと、立ち上がっていた大悟が部屋の入口に足を進める。

 

「……少し腹の具合が悪くてな。十分もしたら戻るだろうから、悪いが少し待っていてくれ」

「はい…………。ありがとう……ございます……」

 

 大悟の気遣いに、ゴウはそんな礼の言葉を搾り出すのが精一杯だった。

 結局大悟が戻ってきたのは、それから十五分後。

 嗚咽が完全に収まったのがおよそ二分前だったので、ゴウとしてはありがたかった(おそらくはまだ目は赤いままなのだろうが)。

 そんなゴウに大悟が唐突に訊ねる。

 

「ゴウ。今日は夜まで時間あるか?」

「え? ええと……一応大丈夫です。門限は夜の九時までですけど……」

「よし、じゃあ親御さんに門限までに帰ると連絡しておきな。今から心意システムの修行に入る」

「い、今から?」

「おう。まずは場所を移す──あ、いきなりごめん。今日ってそっち行っていいかな?」

 

 いきなり話が進み困惑するゴウをよそに、大悟は誰かとボイスコールで連絡を取り始めていた。その口調はやけに砕けている。

 心意システムはアウトローで説明を行うと決まっていたが、急遽予定を変更したのはどういうわけだろうか。

 大悟は話し続けているので、その間にゴウは母親に帰りが遅くなる旨をメールで伝える。度々学校の友達らと夕飯を食べて帰ることはあるので、この時間に伝えていれば問題はないだろう。

 

「じゃあ、今から向かうわ。はーい、後でー。……よし、行くか」

「えっと、どこへ?」

「修行だからな。寺に行く。話は通してあるから大丈夫だ」

 

 ──いや、その発想はおかしいんじゃ……? 

 あまりに大悟が軽い調子で言うので、ゴウは抱いた感想を口に出すか迷ってしまった。

 

 

 

 バスに乗って目的地に向かっている間に、ゴウは大悟に今回の目的地について聞かされていた。大悟の言う『寺』とは、大悟の父親の生家のことらしく、つまり大悟は寺の家系ということになる。

 

 ──『もっとも、後継は俺の伯父が継いでいるんだけどな』

 

 大悟は特に気にしない様子でそう説明した。ちなみに大悟のいとこに当たる伯父の息子が後を継ぐ為に、今年から仏教系の大学に入って勉強中なのだそうだ。

 バスを降りて数分後。目的地の寺へと辿り着いた。

 ゴウは神社には初詣で最低でも年に一度は赴くが、寺に入ったことは人生においてほぼ記憶にない。神社と寺の違いはなんだったか、と敷地内に入っても記憶から掘り起こそうとしていると、大悟に案内されて瓦屋根に木造建築の母屋らしき建物が見えてくる。現在は取り壊されてしまった祖母の家も木造だったので、ゴウは少しだけ郷愁らしき感覚に胸がちくりと痛んだ。

 

「さて、──どうもー!」

 

 大悟が仮想デスクトップを操作し、引き戸の入口を開錠してから大声で挨拶をした。築年数は長そうでも、さすがにセキュリティは電子化しているらしい。

 

「はいはーい、いらっしゃい!」

 

 少し待つと、和風家屋の中から四十代くらいの女性が現れ、人好きそうな笑顔で大悟とゴウを出迎える。その声は、先程ボイスコールで大悟と会話していたものと同じ声だ。

 

「お友達もこんにちは! 大悟の伯母です。今日はゆっくりしていってね」

「ど、どうも、お邪魔します……」

「伯母さん、早速なんだけど……」

「はいコレ、今は使っていないから好きにしていいよ」

 

 ゴウが伯母さんへ会釈をすると、大悟が伯母さんから金属製の小さな鍵を受け取る。

 

「ありがとう。じゃあ、一時間ばかし使わせてもらうから」

「はい、どうぞ。ご飯作っておくから。食べてくでしょ?」

「うん。蓮美にも連絡しといたから、部活帰りにこっちに来ると思う。予定があるなら伯母さんの方に連絡するように伝えてっから。んじゃゴウ、こっちだ」

 

 そう言って大悟はゴウを連れて、本堂に繋がっている建物へと案内した。貰った鍵で入口に掛かっていた古めかしい南京錠を開けると、木製の引き戸が重々しい音を立てる。

 靴を脱いでから入った先は、半分が板張り、半分が畳となっている道場だった。

 

「ここは期間限定で事前予約をした参拝者が修行体験をする場所なんだが、平日は使ってないからたまに俺が使わせてもらってんだ。じゃあ、畳の方に」

 

 大悟に促され畳に座ると、イグサの香りがほのかに感じられる。ここで瞑想でもするのだろうかと考えているゴウは、大悟が正座で向き合ったので、慌てて正座に座り直した。

 

「別にあぐらかいていいぞ、痺れちまうからな。じゃあ上にダイブするか」

「はい! ……えっと、それだけですか?」

「それだけって?」

「いや、だって……ダイブするならわざわざここに来る必要なかったじゃないですか。てっきりこう、精神統一的なのをするのかなーって、その、思ったんですけど……」

「はぁ? そんなわけないだろ、念仏唱えて問題解決できたら苦労しないわ」

 

 仮にも寺の家系として、それはどうなのかという返答をする大悟に、ゴウは肩透かしを食らったように感じた。

 

「まぁ、それっぽいだろ。気分気分」

「えぇ……?」

「それじゃ、いよいよ心意システム修得の為の修行を始める。──だがその前に、だ」

「な、なんです?」

「これから心意を実戦で使えるようにする為に、無制限中立フィールドで一ヶ月間の修行に入る。仮にそれ以上かかるのなら、俺はお前さんには心意システムの修得は不可能と判断する」

「一ヶ月……」

 

 つまり一ヶ月経って心意を覚えることができなければ、『見込みなし』ということだ。この期を逃せば、おそらく心意システムを修得する機会は二度とないだろう。だが、聞かれるまでもなく、ゴウにはとうに覚悟はできている。

 

「分かりました」

「よろしい。時間が勿体ないからレクチャーは向こうでするぞ。んじゃスリーカウント。三、二、一……」

「「《アンリミテッド・バースト》」」

 

 果たして心意システムを修得することができるのか、一体何をするのか。ゴウは不安を抱きつつも、意気込んでコマンドを唱えた。

 

 

 

「────……? うわっ!」

 

 無制限中立フィールドへとダイブした瞬間、足に何かが這い回る感覚が走り、ゴウは思わず声を上げてしまった。

 足に触れたのは気持ち悪いデザインの金属虫。ゴウの声に反応すると、ギチギチと不気味な音を出しながら、そそくさと逃げ出していった。

 周りを見渡すと道場の壁や床には、金属光沢を帯びた棘だの(ひだ)だのが飛び出していて、生物と金属が融合したかのような不気味なデザインに変貌している。有機的なデザインが特徴の暗黒属性のステージ、《煉獄》ステージだ。

 

「はっはっはっ。(しょ)(ぱな)のステージとしちゃ、幸先が悪いな」

 

 金属虫に驚くゴウの姿を見て、アイオライト・ボンズとなった大悟は笑っている。

 

「いきなり足に虫が纏わり付いたら誰でもびっくりしますよ……。ところで初っ端ってどういうことですか?」

「とりあえずは道場を出てから話す。ほれ、こっちだ」

 

 大悟に促されてゴウが道場の外に出ると、黄色や緑に変わる毒々しい空模様が広がり、建物群は道場同様に変貌していた。厳かな雰囲気が広がっていた寺院が、まるで伏魔殿(ふくまでん)のような有様だ。

 二人は現実では石畳と玉砂利で構成されていた、今や浮き出た血管や触手が走る怪物の肌のような地面に立つと、大悟が咳払いをする。

 

「まずは心意システムとは何ぞや、ってとこからだ。長くなるぞ。ブレイン・バーストプログラムにはデュエルアバターを操作する為の補助回路、《イマジネーション回路》が存在しているのは知っているか?」

「イマジネーション……回路?」

 

 早速聞き覚えのない単語が出てきて、クエスチョンマークがゴウの頭を占め始める。

 

「《イメージ制御系》とも言う。まぁ、アウトローのメンバーは基本人型の原型を留めている奴しかいないから想像しにくいか。そうだな……例えばお前さんのライバル達、ムーン・フォックスの尻尾やシトロン・フロッグの伸びる舌なんかは、本来人間の肉体には備わっていないだろ? 尻尾は元より、舌はあっても何メートルも伸びるわけじゃないし」

「あーなるほど、確かに人間としては有り得ないものですよね」

「そういったアバターの機能を十全に使う為の補助装置だと思うといい。それでだ、バーストリンカーの強い意識、己のイメージがこのイマジネーション回路を通して《事象の上書き(オーバーライド)》をしてしまう現象、これをいわゆる《心意システム》と俺達は呼ぶ」

「オーバーライド……」

「心意技を発動させると自身の想像力、イマジネーションがイメージ制御系を通る。この時、システム外の力故にイレギュラーな信号が粒子状のエフェクト、つまりは光として発生する。これを《過剰光(オーバーレイ)》と呼ぶ」

 

 説明する大悟が右腕を平手で突き出し、先程の直結対戦でも見せた、青紫の光を掌に灯す。このオーラのような光を、ゴウはこの数日で自分の発現させたものも含めて、幾度も目にしてきた。

 

「実戦で扱うとなると、ある程度の過剰光(オーバーレイ)が見えるくらいのイマジネーションが必要になってくるが──」

 

 大悟は少し歩いて眼球の意匠をした灯篭に近付くと、光る右手で灯篭に触れた。

 

「口で言うほど簡単じゃないぞ。発動にはもはや『想像』の域を超えた、『確信』をさせる意志の力が必須だからな。──だからこそあのISSキットとかいう代物は異常だ」

 

 大悟が右手に軽く力を込めただけで、眼球型の灯篭は卵の殻のようにあっさりと握り潰された。《煉獄》ステージのオブジェクトは特別強固ではないが、それでも軽く握るだけでこうも簡単に砕ける物ではない。

 

「……心意技は基本的に、そのデュエルアバターの性質に合致したものしか扱えないからだ。だから心意は決して万能じゃないし、ましてやアバターに関係なく遠近両方の強力な心意技を使えるようになるなんて聞いたこともない。修得に時間もかけないなんて尚更な。おまけにアバターの《同レベル同ポテンシャル》の原則からも逸脱している。何よりも、心意技を扱うには己の《心の傷》と向き合う必要がある」

「その《心の傷》ってさっきの対戦でも言ってましたよね? でも僕は一応ですけど心意技らしきものを使えましたけど……」

 

 これまでの話で、装甲が強化され、黒く染まった現象が心意のよるものだと確定した。強く一心に念じたことで、発動できた原理も何となくだが理解できる。だが、それを傷と言われてもゴウにはピンとは来ない。

 そんなゴウを見て、大悟がうんうんと頷く。

 

「お前さんは心意システムの原理も知らないで、発動自体はできちまったからなぁ。いいか? 《心の傷》とはデュエルアバターを創り上げる核とも、願望から生まれた穴とも言えるものだ。最初にブレイン・バーストプログラムをインストールした晩に、プログラムがお前さんのトラウマや渇望を濾しとってアバターを創り出したと説明をしただろ? つまりはそのトラウマ、欠落こそが《心の傷》だ」

心的外傷(トラウマ)……」

 

 その説明にゴウは少し得心がいった。ゴウのトラウマとは間違いなく祖母の家での窃盗事件で『無力だった自分』。そして渇望したのは、強盗を懲らしめる為の『強い力』だった。

 ダイヤモンド・オーガーが《剛力》アビリティを初めから取得していたのは、それ故だったのかもしれないと、ゴウは推測をする。

 

「じゃあ僕は、もう《心の傷》を自覚したってことですか?」

「一応はな。ただし心意を発動する際に、使用者は必ず心の暗黒面に引き込まれる」

「暗黒、面……?」

「ここが重要なんだが、心意を発動させればその欠落、つまりは穴に引き込まれていく。人によって大小や質は違えど、自身のトラウマと向き合う必要があるからだ。穴に完全に嵌れば最後、お前さんの魂は引き返せない修羅道へと堕ちる。……実際そうなったバーストリンカーを、俺は今までに何人か見たよ」

 

 大悟の声はいつしか暗く沈んでいたが、ゴウはその説明によって確信したことが一つあった。

 ゲームでしかないはずのブレイン・バーストにおいて、まるで所有者の怨念が乗り移ったようになってしまうという、魔性の存在について。

 

「師匠、もしかしてその中には、あの《災禍の鎧》も……?」

「……そうだ。アレは《初代クロム・ディザスター》の暴走した心意によって生まれた呪いだ。だからこそ、この危険な技術は秘匿され続けてきた。何故そんなものをお前さんに教えようとしているのか。それも分かっているか?」

「心意技に対抗できるのは心意技しかない……からですか?」

「正解。心意技自体にはシステムが規定した必殺技やアビリティは通じない。それらをイメージから成る心意技の方が上書きするからだ。──元々はリキュールやキューブのように、お前さんが最低でもレベル6になってから教えるつもりだった。二人に教えたのは去年の夏前だったな……」

 

 これでゴウは、大悟がすぐに心意の修得をさせようとする理由がようやく分かった。

 一つはいま言ったように、ISSキット等からの自衛手段として。もう一つの理由は感情の暴走から心意を発動させたゴウのやり方を矯正する必要があるからだ。どちらにしても、それはゴウを思ってのことなのだろう。

 

「──とまぁ、若干話が逸れたが、ともかく心意技を振りまく輩が現れたとなれば、自衛の術を教えないわけにはいかん。後は実際に体で覚えていくしかない。どうだ? これまでの話を聞いた上でも尚、心意を修得する覚悟はあるか?」

 

 大悟の真剣な表情でゴウを問い詰めるが、ゴウの心はすでに大悟の部屋でのやり取りで決まっていて、揺るぎはしない。

 

「はい!」

 

 ゴウの即答に大悟はわずかに驚いたようだったが、すぐに嬉しそうに笑った。

 

「──悪い、そうだよな。今のは俺が野暮だったな。よし! 始めるか」

「はい! ……それで何をすればいいんですか?」

「おう。まずはあの黒い装甲を発動させる」

「えぇ!? いやでも、あれは暴走なんですよね……? 長く発動すれば体が保たないですし」

「それは負の感情から発動させたからだ。以前にお前さんのアバターの体が崩壊したのは、心意に耐えられなかったというよりも、お前さんが心意によって、自身の体を痛めつけていたと表現した方が正しい。そもそもの着眼点は悪くない。強固な装甲こそ、お前さんの強みの一つだからな。それを正の感情から引き出せれば良いんだ。そのあたりもやりながら解説する。まずは──」

 

 大悟がゴウに対して半身に構えた。体からはすでに心意発動を証明する光、過剰光(オーバーレイ)が放たれている。

 

「この状態で今から俺が攻撃していく。ただし実際に当てるのは十回に一度の頻度。お前さんは強いイメージでこれを防ぐ。そうやって段々と心意を引き出していくぞ。これが第一段階だ。さぁ、構えろ」

 

 大悟に促されゴウも全身に力を込める。ゴウはここまで真摯に修行へと臨んでくれる大悟に内心感謝していた。

 ──ありがとうございます、大悟さん。必ず心意システムを修得してみせます。一ヶ月とは言わず半月、いや一週

 

「ぐぼぉっ!?」

 

 顔面に大悟の拳が直撃し、ゴウは吹き飛ばされた。大悟の動きを見逃してはいない。ただ、フェイントを交えて攻撃すると宣言され、初撃から打ち込まれるとは考えていなかった。

 ──ホントに心意システム、修得できるかなぁ……? 

 早速フェイスマスクが砕けたのを感じる中、かくしてゴウの修行が始まった。

 



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第二十九話

 第二十九話 力を求めるその理由

 

 

 ゴウが心意修得の修行を無制限中立フィールドで開始してから、変化が起きたのは一週間後のことだった。

 大悟の心意システムを付与された殴る蹴るを食らいながらも、ゴウは『何物にも砕けない自分』を強くイメージし続けていた。そして何度かの死亡を経て、薄く瞬く程度だが、ついに全身から白い光を発し始めることに成功した。

 以前のように装甲が黒くなったり、増大したわけでもないものの、大悟の蹴りを受け止めた腕の装甲はヒビさえ入りはしなかった。

 そんなゴウの姿に大悟が頷く。

 

「キリも良いし、一息入れるか」

 

 数日前に無制限中立フィールドが《煉獄》ステージから、雪や霰がしんしんと降り積もる《氷雪》ステージに変わったことで、現在寺院は雪と氷で形作った一つの巨大な作品のようになっている。

《氷雪》ステージは建物内には侵入できないので、雪を凌げる屋根がある本堂の入口で二人は腰を降ろした。

 

「ほれ、飯だ。それと茶」

「ありがとうございます」

 

 デュエルアバターは食事や排泄といった生理活動を必要としない。それでも加速世界で長時間活動していれば、精神が磨り減ることは否めなかった。

 それもあってかゴウは、一日の内に数度の休憩と数時間の睡眠、そして一回の食事としてオニギリ一個(具はランダム)と緑茶を与えられていた。大悟が長期の修行を見越して、事前に《ショップ》から購入していたらしい。こういった飲食物はブレイン・バーストでは嗜好品に過ぎないと分かっていても、それでもゴウにとっては腹が満たされることで、今回の修行でのモチベーションを維持するのに一役買っていた。

 

「ん、おかかだ。お前さんの具は何だった?」

「梅干です。あの師匠、もう一週間経ってようやく過剰光(オーバーレイ)が出た程度ですけど、本当に一ヶ月で心意技を覚えられるんでしょうか?」

「ふぅー……大丈夫。今のところ予定通りだ。さっきの過剰光(オーバーレイ)からしても正の心意技であることは間違いないしな」

 

 オニギリを食べつつ、胸中の不安を打ち明けたゴウに対し、急須から湯呑みに注いだ緑茶を流し込んだ大悟は、間を置いてからのんびりと答える。ほとんど進歩が見られなかった為にゴウは今まで話題に出さなかったのだが、どうやら大悟の予定する進行具合としては、支障なく進んでいるらしい。

 

「始めに言っただろ? 心意技なんてそんなホイホイと覚えられるものじゃないんだって」

「それは確かに言ってましたけど。ちなみにリキュールさんとキューブさんはどうだったんですか? そもそも、アウトローでは僕以外は全員心意使いだってことですよね?」

「あくまで自衛の手段としてだが、まぁそうなるな。リキュールとキューブは原理を説明してから大体一週間で基本技を発動させて、後は自身で鍛錬するように言った。今なら実戦に使える程度にはなっているかもな──そうしょげるない、レベルも経験も当時のあいつらの方が上なんだから。大体、今回みたいな状況じゃなけりゃ、まだ教えてもいなかったはずなんだ」

「それも最初に聞きましたけど……」

 

 分かってはいるのだが、理由はどうあれゴウには、かれこれアウトローのメンバーになってから九ヶ月近くなっているというのに、自分だけが蚊帳の外だった秘密があったというのはやはり寂しいものがあった。

 

「それよりも勢いで心意を発動させるお前さんの方が凄いと思うがね。よほどの感情の爆発だったんだろうよ。──褒められはしないが」

「はい……最初の時はスコーピオンに煽られたことだけが理由じゃなくて、何もできなかった自分に対して怒りが湧いてどうしようもなくて……」

 

 怒りや絶望などのマイナスの感情から発動されたものを《負の心意》。勇気、希望などのプラスの感情からなる《正の心意》と呼ぶと、修行の中でゴウは大悟に教えられていた。

 正の心意と比較すると負の心意は発動しやすいらしく、その理由は正の心意のように《心の傷》に対して克服したり、受け入れたりするプロセスが必要ないからだそうだ。

 

「偶発的に発動させた最初はともかくとしてだ。俺との対戦で使ったのは焦っていたからだろ?」

「…………そうです」

 

 大悟の言う通り、ゴウも感覚的にあれが危険だとは理解していた。それでも大悟との直結対戦で意図的に発動させたのは、その力が手の届く所にあったからだ。

 そこでゴウはダイブ初日に、《災禍の鎧》が負の心意によって誕生したと説明されたことを思い出した。

 

「師匠は……初代クロム・ディザスターとは面識があったんですか? なんだか師匠は《災禍の鎧》の話が出ると悲しそうな顔をするから……何となくそう思ったんですけど」

「また随分と唐突だな。ただ……まぁ、そうだ、一応はな。そこまで親しくはなかった。奴の……いや、奴らが拠点にしていたのはお台場辺りだったし、当時の俺はあまり世田谷から出なかったしな」

「奴ら?」

「クロム・ディザスターの本来の名前は《黒銀の(はやぶさ)》と呼ばれたメタルカラーのデュエルアバター、《クロム・ファルコン》。ファルコンはパートナーである《咲耶姫(サクヤヒメ)》こと《サフラン・ブロッサム》と行動していたんだ。コンビネーションは元より、そりゃあ仲睦まじくてなぁ。見ているこっちが微笑ましくなるくらいだった」

 

 ゴウはディザスターの真の名前やそのパートナーの存在に驚きつつ、大悟の懐かしむ声が印象に残った。それでも古い友を思い出す表情には、やはり(かげ)りが見える。

 

「だが、ファルコンはある一件で友人と信じていたリンカー達に嵌められてサフランを失い、その憤怒から《災禍の鎧》を創り出してクロム・ディザスターと呼ばれるようになった。俺はその現場にいなかったし、いろいろと聞き回ってようやく事情を知ったのは、随分後になってからのことだった。詳しい経緯は機会があればその内に話すが、ともかく俺が危惧したのは、お前さんがファルコンとはケースは違えど、負の心意によってバーストリンカーとしても、人としても間違った道に進むことだった」

 

 どうやら先程(体感では一週間を越えてはいるが)の対戦で、大悟が今まで見せなかった強化外装を出してまでゴウを叩き潰したのは、ゴウが負の心意使いとなって暗黒面に堕ちるのを阻止する為でもあったらしい。

 

「──さて、休憩は終わりだ。次は実戦の中で心意技を鍛えていく。まずは移動だ」

 

 話をかなり雑に締めた大悟が、残っていたオニギリと緑茶を口の中に詰めて立ち上がったので、ゴウも急いで食事を済ませ、二人は氷の寺院を後にするのだった。

 

 

 

 寺を出てから約一週間後。

 

「ゴルルルルアアッ!」

「ぐっ!」

 

 ゴウは野獣(ワイルド)級に分類される雪男型エネミーと戦闘を繰り広げていた。

 体躯は四メートル近く、《氷雪》ステージに適応した剛毛がびっしりと生えた太い腕には、氷塊を削り出して作ったような棍棒を握り締め、容赦なくゴウに叩き付けてくる。

 

「気合入れろ! 真っ向からじゃ、心意技を維持しないと潰されるぞ!」

 

 大悟がゴウに向かって声を張る。

 そもそも最弱の小獣(レッサー)級に分類されるエネミーでさえ、レベル7のバーストリンカーと同等の力を持つといわれているのに、一段上の野獣(ワイルド)級に現在レベル5のゴウが単体で挑むこと自体が、かなり無茶な話だ。

 ちなみに大悟はもう一体の雪男の攻撃をいなしつつ、ゴウの方へと向かわないように、度々心意攻撃を繰り出していた。

 心意技は強力になればなるほど、周囲のエネミーを引き寄せてしまうと、ゴウは以前にスコーピオンからも、今回の修行で大悟からも聞いていた。

 今のゴウが薄く発動している心意技はかなり弱い部類であるものの、それでも近くにいればエネミーは心意技使用者を優先して襲おうとする。

 つまり大悟はゴウの援護をしてくれている形になるのだが、それでも目の前の雪男は一体だけでもゴウの手に余る存在だった。

 

「ゴオオオオッ!」

 

 鬱陶しい光を放ちながら、尚も目の前に立つゴウが目障りなのか、エネミーは苛立たしげに棍棒をぶつけ続ける。

 ゴウはこの数日フィールドを歩き回っては、エネミーを見つけて心意技を用いて戦うという修行をし続けることで、始めの頃は十秒そこそこしか持たなかったが心意技も、今ではかなり長く維持し続けられるようになっていた。

 しかし、雪男型エネミーはゴウが今まで相手にしていた小獣(レッサー)級よりも格上で、加えてその腕力から振るわれる打撃技は、強い衝撃が加わる角度如何(いかん)によっては、割と簡単に砕けてしまうダイヤモンド装甲を持つゴウにとっては鬼門の存在だった。

 

「く……そ……っ」

 

 とうとう心意技を発動しているのにもかかわらず、腕の装甲にヒビが入り始める。ダイヤモンドの特性上、断面に衝撃が加えられると裂け目に沿って砕けやすくなるので、状況は非常にまずい。

 このまま死亡してしまうかもしれないと、片膝を着いたゴウの頭に弱気な考えがよぎった、その時だった。

 

「限界の中でもイメージを絶やすな! 見えてくるものを逃さずに掴め!」

 

 大悟の一喝が耳を打ち、満身創痍のゴウははっとする。

 ゴウがイメージしているものは『硬さ』。何物にも砕けない鎧だ。しかし、それとは少し違う別の考えがふと頭に浮かぶ。

 そもそも心意を修得する理由は何なのか。

 強くなる為。間違ってはいないが、それは過程だ。では何故強くなりたいのか。

 眼前の雪男がゴウにとどめを刺そうと棍棒を両手で握って、大きく腕を振り上げる。その動作がゴウには随分と緩慢に見えた。

 ──イメージするものは……『硬さ』。でもそれだけじゃ足りない。

 ゴウの頭を粉々にすると言わんばかりの勢いで棍棒が迫る。そして──。

 

「──イメージするものは、『硬さ』。それは……自分の意志を貫き通し、守る為!!」

 

 宣言するように言い放ち、ゴウはヒビの入った両腕の装甲を頭上に交差させた。先程まで発していた過剰光(オーバーレイ)よりも更に強い純白の光がゴウの全身から放たれる。

 

 バッギャアアアアン!! 

 

 音を立てて砕け散ったのは、ゴウの装甲──ではなく、エネミーの振り下ろした氷の棍棒の方だった。

 棍棒を砕いた張本人であるゴウの姿は、白い光を放ちながらも装甲は漆黒という、何とも矛盾した状態になっていた。腕のヒビは消えていて、装甲の形態も以前の暴走状態とは異なっている。

 装甲の厚みが増大したのは変わらないが、以前は鋭利だった装甲の端々は丸みを帯びた流線型のフォルムで輝いていた。よく目を凝らすと細かくカットされたような処理が施されていて、ダイヤを宝石としてより際立たせる、ブリリアントカットを彷彿とさせる。

 ゴウは両手を見つめながら強く握り締め、全身に満ちている力をゆっくりと感じ取った。その心は以前のように力に酔うこともない。

 

「これが、僕の心意技……」

「グルル……グルアアアアッ!!」

 

 エネミーの雄叫びにゴウは前を向いた。

 棍棒を失った雪男は状況が飲み込めずにしばらく呆然としていたが、今や自身の得物を破壊した相手に怒り狂い、その豪腕でゴウを殴りにかかる。

 そんなエネミーの雄叫びも大きな拳も、今のゴウの心を揺らすことはできない。エネミーの拳を左腕だけで真っ向から受け止めても、装甲はビクともしなかった。それどころかダメージを受けたのはエネミーの方。骨より硬い岩を拳骨で殴れば、傷付くのは拳の方であるのが道理だ。

 エネミーが怯んでいる間に、ゴウはすでに右腕を腰元まで引いていた。

 

「《アダマント・ナックル》!」

 

 黒い弾丸となった拳がエネミーの腹に直撃する。一瞬の静止の後、ゴウの三倍以上あるエネミーの巨体が、雪が降り続ける空に向かって飛んでいった。

 エネミーは運悪くも、そのままクレバスのような割れ目の奥底にでも落ちてしまったのか、ゴウの元へ戻ることはなかった。

 

「──その感覚を忘れるなよ」

 

 エネミーの体力ゲージがゼロになる前に視界の表示から消えたゴウの元へ、大悟が駆け寄る。

 返事をしようとしたゴウだったが、大悟が相手をしていたエネミーはどうなったのかと大悟が来た方向を見やると、もう一体の雪男は傷付いてはいるものの未だ健在で、こちらに向かってきている。

 

「師匠、ここは僕に……」

「いや、それには及ばない。すぐに済ませるからその状態を維持し続けていろ」

 

 この事態にも慌てずに対応しようとするゴウの前に、大悟が一歩前に進んでから大きく深呼吸をする。

 

「──《天部(デーヴァ)火天(アグニ)》」

 

 

 聞き慣れない単語を大悟が唱えた瞬間、大悟の全身からは以前見せた青紫の光ではなく、深い青色を揺らめかせる炎が噴き出した。

 これにはゴウも、さすがに驚いて後ろに退く。

 大悟から放たれている炎はこの距離でも熱を感じない上に、よく見ると周りの雪や氷も溶けてはいない。どうやらこれは炎のように見える過剰光(オーバーレイ)のようだ。

 それから大悟は心意システムによって威力の増大した連撃で、エネミーを一分足らずで倒してしまった。

 

「これが俺の《攻撃威力拡張》の心意技だ。──第二段階は終了した、仕上げに入るぞ。これからお前さんの心意技の威力を確かめる為に、お互いの心意技を発動したまま拳をぶつけ合う。構えろ」

「……はい」

 

 ゴウは質問せずに大悟の意を汲んで、右腕に力を込めた。大悟も同様に右拳を握り締める。

 両者が対峙したまま動きを止めてから数秒後。

 降り続いていた雪が一時(いっとき)止んだ。それを合図に、両者が弾かれたように走り出す。

 白い光を放つ黒の拳と蒼い炎を纏う拳がぶつかり合い、その余波が轟音と衝撃を、周囲へと一気に拡散させた。

 周囲のオブジェクトを破壊し尽くした衝撃が収まっても、二体のデュエルアバターは拳を合わせた状態で静止し続けていたが、その静寂も長くは続かなかった。

 

「ぅあっ……」

 

 先に動いたのはゴウ。黒い装甲が通常の透明な装甲に戻り、右腕から右胸部にかけての装甲が一気に砕け散った。

 

「やっぱり……師匠は強いですね」

 

 両膝を着き、右半身を左腕で押さえながら、ゴウは心意の炎を放ち続ける師に対して、潔く己の敗北を認めた。

 

「まぁな。だがお前さんも──」

 

 大悟から心意の炎が消え、始めに着物型の装甲の袖が、続けて右腕全体が粉々に砕けて氷の地面へと落ちた。

 今まで大悟に対して部位欠損ダメージを与えたことのなかったゴウは、光を散らして消えていく大悟の右腕だった破片に目を剥く。

 

「見事だ。お前さんの魂の一撃、しかと届いたぞ」

 

 

 

「────ぁぁぁぁああああああああ!!」

 

 数分後。ゴウは風になっていた。

 

「しっ、しょっ、師匠! もういいです! もう充分に分かりましたから!」

 

 現在ゴウは猛スピードで走る大悟におぶさっている状態なのだが、その理由は心意技の打ち合いから間もなくに時間が巻き戻る。

 互いの心意技をぶつけ合ってからしばらくして。

 鳴り響く鐘のような、はたまた砕け散る薄い硝子(ガラス)のような音を響かせながら、七色に揺らめくオーロラが猛スピードでこちらに近付いてきていた。《変遷》だ。

 変遷は無制限中立フィールドの内部時間でおおよそ三日から十日の内に発生し、ステージ属性を変えていく現象である。つまり現在の《氷雪》ステージから異なるステージに変更されるのだが、変遷の効果はそれだけではない。

 

「おっ、丁度良い。着装、《インディケイト》。──オーガー、動くなよ?」

「師匠、何で強化が──」

 

 変遷の光を視認した大悟がいきなり薙刀型の強化外装を実体化させる。全長二メートルを優に超す武器を、大悟は残った左腕だけで軽々振るうと、質問を言い終えていないゴウの首を刎ねた。

 まるで最初から打ち合わせをしていたかのような自然な動作に、気を抜いていたゴウは避けることも受け止めることもできなかった。

 ゴウが混乱からすぐに我に返ると、幽霊状態特有のモノクロの視界の中、大悟が自身の持っている薙刀で、今度は己の首を何の躊躇もなく切断していた。

 初めて見る師の死亡が『自殺』という全く理解が追いつかない状況で、すぐに変遷の光がステージと一緒に、幽霊状態のゴウと大悟も包み込む。

 すると、たったいま死亡したばかりなのに、ゴウは体力が全快の状態で、木々生い茂る《原始林》ステージに立っていた。

 これも変遷による影響の一つで、変遷は変わる前のステージで破壊されたオブジェクトの完全修復や倒されたエネミーの再湧出(リポップ)の他に、幽霊状態のバーストリンカーを六十分の死亡待機時間を待たずして、蘇生させる効果があるのだ。

 

「いやぁ、ベストタイミングだったな」

「……ベストタイミング、じゃないでしょう。いきなり斬首って……」

「そう怒るな。わざわざポータルからダイブしないで体力を全回復させる小技の一つだよ。当然ポイントは減るが。こういったテクニックも覚えておくといい。それにあんまりここでチンタラはしていられないぞ?」

 

 何もなかったかのように平然とした様子の大悟を、じろりと睨むゴウだったが、大悟が指差した方向から唸り声が聞こえ、振り向くと先程倒したエネミーもゴウ達と同様に復活していた。ステージが変わったからなのか、雪男は茶色い毛皮の大猿へと変化している。

 

「心意技も無事修得できたことだし、ここのエネミーにはもう用はない。逃げるぞ、ほれ」

「いや、ほれって……」

 

 大悟がその場にしゃがみ込み、背中をポンポンと叩いている。どうやら自分の背中に乗れと言っているらしい。

 エネミーが迫っているのに、大悟はしゃがんだ体勢のまま起き上がらないので、ゴウは止むを得ず大悟の背中におぶさった。

 

「よっこいしょ、っとと……。お前さん、意外と重いな。さて、せっかくだからもう一つの心意技を見せてやろう。しっかり掴まっていろよ。──《天部(デーヴァ)風天(ヴァーユ)》」

 

 立ち上がった大悟が先程とはまた違った技名を発すると、大悟の足下から蒼い光を放たれ、風が吹き上がった。同時に、地面に接地している大悟の下駄の歯が、通常の二本のものから、やや高くなった一本下駄へと変わる。次の瞬間、大悟が疾風のようなスピードで急発進からのダッシュを開始した。

 こうして今の状況に至るのだが、あまりの走る速度に再び首が取れそうなゴウの必死の嘆願に、大悟はようやく足を止めてくれた。当然エネミーなど全く追いつかず、影も形も見えない。

 

「ふぅ。ここまで走ればあのエネミーの縄張りからも抜けただろ」

「は──っ、は──っ……」

 

 全く走っていない自分の方が疲れた気がするゴウは何とか息を整えようとしていた。

 

「これが《移動能力拡張》の心意技だ。中々のもんだろ?」

「ええ……充分体感しました。じゃあ……僕のあの心意技は《装甲強度拡張》に分類されるんですかね?」

 

 ゴウは心意技が《攻撃威力拡張》、《装甲強度拡張》、《移動能力拡張》、《射程距離拡張》の四種類の基本技術に分けられると、修行の合間に大悟から説明を受けていたので、自分が発動した心意技の分類を推測すると、大悟が首肯する。

 

「ダイヤモンド・オーガーの性質にも合致しているし、間違いないだろうな。攻撃にも利用できる良い技だと思うぞ。それで名前はどうするんだ?」

「名前?」

「技名だよ。心意技はイメージが(キモ)だから、技名を発声することでイメージを練り上げる速度が上がるんだ。黙って発動することもできなくはないが、発動速度が少し遅れるし。どうだ? 何かないか?」

 

 大悟に促され、ゴウは頭を捻る。

 ――ダイヤモンド……黒い……硬い……。

 特徴を連想する中で、以前ダイヤモンドについて調べた中で見つけた単語を思い出した。

 

「……カーボナード、《黒金剛(カーボナード)》にします」

「ふーん。しかし思ったより会得が早かったな。もっとかかると踏んでいたが」

「…………」

 

 即興にしてはなかなか良いんじゃないかと思った技名は、大悟にあっさりと流されてしまう。

 それはともかくと気持ちを切り替え、ゴウは一ヶ月の設定期限にかなり猶予を残した今、何をするのかが気になった。

 

「これからどうするんですか? まだ半月近くリミットを残していますけど」

「それならそれで都合が良い。これからはあちこちに移動しつつ、心意技の発動スピードと維持時間を上げていく。一つの所で完全な心意技を出し続けていると、すぐにエネミーが寄ってくるからな。その他にも諸々教えようと思う。渡したい物もあるし……」

 

 どうやら大悟は状況に応じて対応できるように、いくつかプランを考えていたようだ。

 

「それと……ログアウトしたら、お前さんに俺のバーストリンカーとしての成り立ちを話そうと思う」

「………………え?」

 

 大悟の唐突な一言は、いきなり首を刎ね飛ばされた時よりもゴウを驚愕させた。

 ゴウは今から体感時間でおおよそ半月後、現実の時間で約二十分後。出会ってから一年と二ヶ月の間、謎に包まれていた如月大悟の過去。そして、バーストリンカーとしての正体を知ることになる。

 



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第三十話

 第三十話 仲直りの条件

 

 ──……まずは一ヶ月間のダイブ、お疲れさん。きっとお前さんにとって実のあるものになったと俺は思う。

 ──あぁ、そうだな。分かっているよ、ちゃんと話す。

 何で急にって? いや、お前さんが自分の過去まで打ち明けてくれたのに、こっちは何も教えないなんてフェアじゃないだろ? だから……腹を割って話そうと思う。まだ時間もあるしな。

 まず初めに俺は《親》を持たないバーストリンカー、最初に謎のアプリ《ブレイン・バースト2039》を入手した最初の百人、《オリジネーター》の一人だ。

 ──おかしいって? まぁそうだよな。アウトローでオリジネーターの話も出たこともあったしそう思うだろうが、順に話していく。

 俺と弟の経典が未熟児だったって話はしただろ? 俺が生まれた当時二〇三二年の二月には、すでに乳幼児対応型のニューロリンカーが発売されていたから、生まれた直後からバイタルチェックの為に、俺達はニューロリンカーを装着させられていたんだ。

 それから七年後の二〇三九年四月、ブレイン・バーストプログラムが都内の小学一年生百人に追跡不能の発信元からクライアント・パッケージで配布された──つまりこれには二〇三二年四月から二〇三三年三月生まれの子供、今の中学三年生が該当するわけだ。

 オリジネーターの年齢が最高齢のバーストリンカーと何故一致しないのか。それは乳幼児対応型ニューロリンカーの発売日が二〇三一年の九月だから、今の高校一年生だと九月以前に生まれた子供がバーストリンカーの資格を持たないから……って説が有力だ。該当者が少なすぎたのかもしれないな。

 ──そう、だから今が高一の俺はオリジネーターには含まれないはずだよな? ここがややこしくなるんだが、当時の俺は入退院を繰り返していた虚弱体質、おまけにひどい喘息(ぜんそく)持ちでな、幼稚園にもまともに通えていなかった。

 小学校に上がって、俺は同年齢の子供達と一緒の教室では授業を受けられずに、《特殊学級》の枠でクラスには籍だけ置いて自宅学習をしていた。それまで以前にも急な発作が起きて、大事になりかけたこともあったからな。

 特殊学級は超の付く現代の少子高齢化社会の中、子供は宝ってことで色んな配慮だの政策だのから、院内学級や特別支援学校の制度を参考に作られた政策の一つらしい。そういうの聞いたことないか? 

 ──そう、それは弟も同じだった。体が弱い子供を二人も養ってくれていた父には心底感謝しているよ。母も蓮美が小学校に上がる頃には元々勤めていた会社に戻った。二人ともバリバリのやり手でな。それからは伯母や祖母が、俺達の面倒をほとんど見てくれていた。

 ……っと、話が大分逸れたな。そんな小学一年生とも二年生とも少し違う七歳の時、俺と弟にブレイン・バーストプログラムがニューロリンカー経由で送られてきた。適正が他の子供よりあったのか、他に理由があるのか、それは今でも分からない。

 ──おいおい、驚きすぎだろ……。まぁ、無理もないか、双子でしかも年齢のズレたオリジネーターなんて多分俺達しかいなかっただろうしな。自分で言うのも何だが、俺達は相当に特殊な存在だった。……そう言うとオリジネーターは凄い存在に聞こえるが、結局は次世代の《子》達と権限において何も変わりはなかったんだけどな。

 当然、通院以外で外出なんぞほとんどしなかった俺達は夢中になったよ。英語を辞書アプリとにらめっこしながら翻訳して、週末には大人達に適当な理由と無理を言って対戦が盛んな地区に連れていってもらって……。──もちろん体調が悪い時は無理だったが、それでも割と順調にバーストリンカーとして成長していった。

 当時のバーストリンカー、昔は《BBプレイヤー》なんて呼ばれていたんだが、俺達にとってこのゲームは未開拓で、教えてくれる存在もいなくて、自力で解明していくしかない、先は全く見えない状態だった。レベル2になれたオリジネーターは三割、配布から一年後には二割もいなかったと聞く。今はどれだけ残っているのやら……。

 それでもバーストリンカーの数は、コピーインストールの回数に制限が存在しなかったり、インストール可能かを調べられる適性チェッカーなんかが搭載されていて、配布開始から一年で五百人を超えていた。それらも配布から二年も経つと、仕様が変更されて今と同様にインストール権は一回、それに確証がない中でやる形になったけどな。

 ──そうだな。バーストリンカーの数を運営が制御できる約千人に達したからだとも言われているが、これも推測でしかない。性根の悪い奴が事情の知らない適正のある相手に好き勝手にコピーしてから、初期ポイントを根こそぎ奪っていたなんて噂も聞いたから、その配慮もあったかもしれないな。

 当時の俺は正直なところ《子》を作る気なんぞ、さらさらなかった。現実で弟以外の知り合いの子供はほぼいなかったし、友達なんて作れる環境じゃなかったからだ。それよりもレベルを上げて、もっと強くなりたかった。

 だが、弟は俺とは違う考えでな、配布から大体一年が経ったある日、一人の《子》を作った。俺達が通う病院に、長期入院している父親のお見舞いに来ていた子供だ。

 ──もう分かったんじゃないか? そう、俺と弟とそいつ、そしてコングとメディックを加えた五人が《アウトロー》と名付けたホームを手に入れて、そこを拠点としたんだ。

 エネミー狩りの他にもあちこちを巡ったり、内部時間で何日もダイブし続けたりしてな、楽しかった。毎日が黄金のような日々だった。──誤解するなよ? 今のアウトローだってもちろん好きだ。…………だが、それも長くは続かなかった。少なくとも俺にとっては短すぎた。

 弟が八歳の秋に肺ガンを患った。医療は日々進歩していても万能じゃない、ガンが発見された頃には体力の少ない弟じゃ、もう進行を遅らせるぐらいしか手がなかった。

 もちろん本人に直接は言えない。でも……何となく分かっちまうんだろうな。とうとう病院でずっと入院するようになって……。加速世界の関係者でこの事情を知っていたのは、弟と現実で面識がある俺と弟の《子》だけだった。

 ──そうだ。コングもメディックも知らなかった。俺達が弟に口止めされていたからだ。余計な気遣いをしないで対等に扱ってほしかったんだろうよ。

 年が明けて、その年の誕生日まで持ち堪えた。それで……翌月には咽頭ガンまで併発して、もうほとんど肉声を発することもできなくなった。

 そんなある日、親が席を外していて、部屋には見舞い中の俺しかいなかった時だった。直結で思考発声の会話をしていた弟が、無制限フィールドに行きたいと言い出したんだ。そして、ダイブしてすぐにこう言った。『サドンデス・ルールで対戦をしてほしい』と。

 いつ手に入れていたのかも知らない、一度の対戦で互いのポイントを全て賭ける《サドンデス・デュエル・カード》を手にして立つ弟に、俺は首を横に振った。でも本当は、その時にはもう分かっていた。あいつに……経典にもう時間がないことが……。だから、もう一度同じ台詞を言う弟に今度は頷いた。

 ──サドンデスを申し込んだのはきっと、俺に本気で戦ってほしかったんだと思う。今までにない気迫を見せる弟を、俺は全力で迎え撃った。

 レベルは同じでも近接型の俺と間接型の弟、真っ向勝負じゃ、紙一重で俺の方が上だった。残り体力を一割以下まで削られた俺の目の前で、体力がゼロになった弟はサドンデス・デュエルのルールによってポイント全損し、ブレイン・バーストから永久退場した。

 ──……ポータルから現実に戻ると、弟はもうブレイン・バーストに関する記憶が消えていた。当時からそのことを噂で聞いてはいても半信半疑だったんだが、実際に目の当たりにしたら事実を受け入れるしかなかった。

 ──前にそんな話をしたっけか。で、この時に間が悪いことに弟の《子》が、弟の見舞いに部屋に来たんだ。そいつは自分を不思議そうに眺める弟から何か違和感を覚えたのか、すぐにマッチングリストを確認した。

 それから……治療の関係で病院のローカルネットに、必ず接続しているはずの弟のアバターネームが載っていないことから、弟の永久退場を理解したらしいあいつは部屋を飛び出していった。

 連絡も繋がらなくなって……後に分かったことだが、入院していたそいつの父親が同じ日に亡くなって、すぐに引越ししたらしい。結局あいつとはそれ以来、現実でも加速世界でも会うことはなかった。

 そして、最後の対戦から数日後に弟が……亡くなった…………。

 ──……いや、大丈夫だ。当時は胸にぽっかりと穴が空いた気がしてな……。俺は常に何かをせずにはいられなくて、現実じゃ勉強の他にも、体力づくりの運動や可能な限りの療法をがむしゃらに試した。その内のどれかに効果があったのか分からなかったな、半年もすると喘息は軽い発作も出なくなって、医者からも普通の学級に入って通学して良いと許可も下りた。今じゃ見ての通り、健康赤マル優良児だよ。

 ──いいや。転校生ともまた違う俺の存在を、クラスメイトはほとんど腫れ物扱いして、あんまり受け入られなかった。俺自身、生身で家族以外の人間と関わることがほぼなかったから、どうしていいか分からずに最後までギクシャクした感じが拭えないまま、小学校は卒業した。環境が変わって、中学じゃ友達もできたけどな。

 一方、バーストリンカーとしては──お前さんは前に聞いたんだったか、二人がいなくなった俺はアウトローに寄り付かずに、二十三区中を巡って対戦と、無制限フィールドでの修行に明け暮れていた。なんせ時間は有り余るほどにあったからな。随分と無茶もやった。

 それから半年後、とうとうコングとメディックに捕まっちまって、物凄い剣幕で迫られながらアウトローに帰ってこいと言われて、戻ることになった。

 ──ん? どうしてすんなり帰ったのかって? それはだな……その……そうだよ。本当は嬉しかったんだよ。碌に説明もしないで消えたのに、二人が俺をずっと捜してくれていたことが。放ったらかしにした分、ボコボコにされたけどな。特にメディックに。

 ──ともかく事情を打ち明けた俺はアウトローに戻り、それから仲間が少しずつ増えていった。キルン、メモリー、ちなみにこの二人とは以前から面識だけはあった。それからリキュール、キューブ。そしてゴウ、お前さんだ。……あれからもう一年以上経つなんて、時が経つのは早いな。

 ──そうそう、実は例の不良共について教えてくれたのは蓮美でな。何とかしてくれないかって頼まれたんだが、何とかって……無茶を言う。

 そして、俺は不良共のカモになっていた、自分と同じ学校の制服を着た男子中学生の眼を見た時、直感的に《子》にしようと、そう思った。月並みに言えば……そう、あの時に運命を感じたんだ。

 

 

 

 話し疲れたのか、一際大きな息を吐いてから大悟が黙る。

 太陽がほとんど沈み、薄暗くなった道場をしばしの静寂が包んだ。

 

「大悟さんは……過去のいろんな出来事を、その……乗り越えたんですか?」

 

 ゴウは壮絶な過去を過ごしてきた大悟に失礼かと思いながらも、この状況を良い機会と判断して質問した。これを逃せば次に聞く機会がいつあるか分からなかったからだ。

 

「乗り越えたと言うよりは、時の流れが緩やかに受け入れさせたって表現の方が正しい。……向こうで累計五十年を過ごしたあたりでログインの年数を数えるのを止めた。小学生の頃は精神年齢と実年齢の差に苦労したもんだ」

 

 大悟はかなり軽く言っているが、ゴウにはそれが並大抵の苦しさにはとても思えなかった。

 生まれた時から一緒だった双子の弟と、現実で対面した唯一の友人をほぼ同時に失い、病弱な自分を必死の努力で変えても、当時のクラスメイトには受け入れてもらえなかったのだから。

 

「いずれにせよ、過去については俺の中でそれなりに決着している。お前さんはどうだ? 一ヶ月間だけでも、加速世界で過ごして現実の、生身の肉体を懐かしく感じているはずだ。今回体感したものを踏まえて、ブレイン・バーストにまだ関わりたいと思えるか?」

 

 確かにゴウはログアウト直後、ほんの一瞬だったがデュエルアバターではない生身の体に違和感を覚えるほどだった。

 ブレイン・バーストがゲームの領分を大きく超えていることを改めて実感する。大悟のように更に長期間過ごしたら、と考えて恐怖しないと言えば嘘になる。だが──。

 

「……僕は、今回のダイブに後悔はありません。多分これからも後悔はしないと思います」

 

 大きく息を吸ってからゴウは続けた。

 

「僕はまだ大悟さんみたいに、実年齢より長く加速世界で過ごしてはいません。でも大悟さんが教えてくれたように、それによって発生する弊害もまた一つ自分の糧にしていけると、そう考えています。……それにアウトローの皆もいますし、一人じゃ無理でも、皆となら何だって乗り越えていけると信じていますから」

 

 幼い頃の出来事をずっと引き摺り、それが無意識に今の自分の性格まで作り上げていた。そんな抱え込んでいたものを成り行きとは言え、今日初めて他人に明かした。

 目の前にいる別の世界で数十年以上を生きた少年が、『それさえも己の一部』と受け入れる方法を教えてくれた。ならば自分はこれからも生きていけると、この一ヶ月間の修行の末にゴウは自分なりの答えを見つけたのだ。

 

「……………………」

 

 ゴウの答えを受け、大悟が沈黙したことで道場内を再び静寂が包もうとしたその時。

 

「……っく、ははっ、はははははははははは!! ──そうか。いやぁ……なんだか今日はお前さんに驚かされっぱなしだな」

「えぇーっと……それって褒めてますか?」

 

 今まで思い詰めていた雰囲気だった大悟が、手を叩きながら爆笑した。

 呆気に取られていたゴウはあまりにも大悟が笑うので、少しむくれたような口調で問う。

 

「もちろんだ。バーストリンカー歴一年少しで、そこまでの考えに実際に至れる奴はそうはいないだろうよ。……俺、昔は自分のアバターが嫌いでな。さすがに愛着が湧いたから、とっくにそんなことないが」

「? アイオライト・ボンズがですか?」

 

 急な話題の変化に何事かと思うゴウだったが、初耳の話に食いついた。

 

「そうだ。お前さんも知っての通り、アイオライト・ボンズは必殺技を持たず、新米(ニュービー)時代は特に決定打や劣勢から逆転する為の一打がなかった。俺の内面を読み取ったシステムが、坊さんが『必殺』の技を持っちゃいけない、とでも判断したのか知らんが迷惑な話だ、なんて昔はよく思ったもんだ」

 

 アウトロー内では周知の事実だが、大悟はレベル8にまで上り詰めたにもかかわらず、必殺技を一つとして持っていなかった。

 レベル1の時点ならデュエルアバターが必殺技を持たないことは珍しい話ではない。その分のポテンシャルを強化外装やアビリティに割り振られていることで《同レベル同ポテンシャル》の原則は、俗説としてある程度成り立ち、周知されているのだ。

 だが、大悟曰く、今までのレベルアップ・ボーナスの際にも、一度として必殺技の選択肢が出現しなかったそうだ。もっとも《天眼》を始めとした、相手による妨害に影響されない為の複数の補助的なアビリティや、薙刀の強化外装である《インディケイト》を所持している大悟は、レベル8に恥じない実力を持っている。

 

「ただ、最近はこうも考えるようになった。──名前に冠されているアイオライトは、パワーストーンとしては将来を指し示す石なんだそうだ」

「将来を……?」

「昔、航海中のバイキングがアイオライトを太陽にかざしては、青色が鮮明に輝く方向に進路を進めたとかいう逸話もあるらしい……そんな迷信めいた話はともかくとしてだ。アイオライトのように道を指し示す存在になる為に、このデュエルアバターは生み出されたんじゃないかと……そう考えるようになったんだよ」

 

 ゴウは大悟が『誰の』道を指し示す存在になると考えたのかは、敢えて追求しなかった。言葉にしなくても言わんとしていることは分かったからだ。

 

「……なんだか大悟さんってたまに詩的と言うか、ロマンチックなこと言いますよね。ヘルメス・コードの時とか、今とか」

「な、何ぃ!? いや、別にそんなんじゃ……む、むぅ……」

 

 珍しく困惑する大悟を見て、今度はゴウが笑う方に立場が逆転した。

 

「──さて、もう時間だ。そろそろ出るか」

 

 ひとしきりゴウが笑った後に、壁掛けのアナログ時計が六時を指しているのを確認した大悟が立ち上がり、付け足すように言った。

 

「それと最後に一つ。いま話した弟とその《子》、二人のバーストリンカーがアウトローに存在していたってことを、頭の隅にでも憶えておいてくれ。弟のアバターネームは──」

 

 

 

「あっ……」

「よぉ、お帰り」

「え? なんで……」

 

『夕飯食ってけよ。腹減っただろ? 伯母さんもお前さんの分まで用意しているし』とゴウは大悟に夕食に誘われた。

 遠慮しようとするゴウだったが、自分の分まで用意されている上に、駄目押しで胃が空腹を訴えたことで、結局ご相伴に預かることになり、大悟に連れられ母屋に向かっていた、その道中。

 部活帰りの蓮美にばったり出会ってしまった。もっとも、大悟がここに来るように連絡していたのだから、当然と言えば当然だ。

 昨日の放課後に意気消沈の自分を心配してくれた蓮美を邪険に扱ってしまったことは、ゴウにとっては体感的には一ヶ月前であっても、すぐに記憶が鮮明に甦った。謝らなければとは思っていても、さすがに急すぎて心の準備ができていない。

 

「道で久々にゴウと会ってな。成り行きで一緒に飯を食うことになったんだ」

「へ、へぇー……そうなの……」

 

 元々は通学路で待ち伏せしていたのに、さも偶然会ったかのように話す大悟。

 蓮美はゴウをちらちらと見ながら、ぎこちなく返事をする。

 謝ろうとするゴウだったが、上手く言葉が出てこない。

 

「如月さん、あの、ええと、その──いっ!? っとと……」

 

 見かねた大悟に後ろから背中をバンと叩かれ、ゴウは勢いで前につんのめりながら蓮美の前に立つ。後ろを振り向くと、大悟が早くわだかまりを解けと訴えるように顎をクイと突き出している。やり方は荒くとも、助け舟を出されたことでゴウは腹を括った。

 

「如月さん、昨日はごめん。せっかく心配してくれたのにあんな態度取っちゃって……。今日も学校で謝らなくちゃ、って思ってたんだけどその……中々言い出せなくて、本当にごめんなさい」

「……!! ううん。あれはあたしの方が──本当に悪いと思ってる?」

 

 一瞬顔を明るくさせた蓮美は急に口を噤み、そっぽを向いてしまった。その態度にゴウはどうしていいか分からず、再び困惑してしまう。

 

「え? う、うん、もちろん」

「じゃあ……許してあげるからこれからは名字じゃなくて名前で呼んで? あたしも御堂君のこと名前で呼ぶから」

 

 突拍子もないことを言う蓮美に、ゴウはポカンと口を開けてしまう。

 再び助け舟を求めて大悟の方に首を動かすが、当の大悟は明後日の方向を向いて、口に手を当てながら必死で笑いを堪えていた。

 ──完全に面白がってるな、この人……。

 

「えーっと……。なんでまた急にそんな……」

「だって大兄ぃのことは大悟さんって名前で呼んでるでしょ? じゃああたしも友達なんだから名前で呼んでよ。じゃなきゃ、えっと……うん、許してあげない」

 

 見る限り蓮美は怒ってはいないようだし、ゴウには正直なところ意味不明な理屈だが、それで許してくれるというなら安いものだ。

 

「じゃあ、蓮美……さん、昨日のことは許してくれる?」

 

「そこは呼び捨てで良いだろ」と後ろから聞こえた小声をゴウは無視した。

 

「さん付け……。うーん、まぁ、いっか。許したげる。じゃあ早く家に入ろうよ。はぁー、もうお腹ペコペコ!」

 

 ゴウが如月兄妹と一緒に母屋の食卓へと向かうと、そこは広い畳部屋だった。左右五人分は余裕で座れるスペースがある長いテーブルは、所狭しと和洋様々な料理が置かれ、加速世界で一ヶ月間オニギリ生活だったゴウの食欲を掻き立てる。

 それからゴウは大悟、蓮美、大悟達の伯母さんの他にも大悟達の祖父母と共に食事をした。

 伯母さんと共に料理を作ったというお祖母さんは、ゴウに「二人とこれからも仲良くしてあげてね」と笑顔を見せてくれた。

 この寺の前住職であるお祖父さんも、お祖母さん同様に気の良い人物で、あれこれゴウに話しかけてくれるのだが、その合間にも大皿から料理を、次々と自分の皿によそっては口に運んでいた。

 そのペースは部活帰りの蓮美と変わらない。一体あの細い体のどこに入っているのだろうか、とゴウは不思議でしょうがなかった。しかも、普通に唐揚げなどの肉料理もガツガツ食べていた。

 食事の最中に、僧服を着た大悟達の伯父さんも仕事の合間に一度だけ顔を見せてくれた。現住職と数人の門下生は、基本的に別棟で食事を摂る決まりらしいので、テーブルの料理を少し羨ましそうに見ていたが。

 一時間経つと綺麗に料理は平らげられ、いつも以上に食べたことで満腹の胃が少し苦しいゴウは、二十時前には大悟の家族達にお礼を言って、大悟と蓮美と共に寺を後にした。

 

「じゃあゴウ君、また明日ねー!」

「また今度な」

 

 バスを降りてからしばらく歩いた分かれ道で、すっかり普段のように明るい笑顔を見せる蓮美と軽く挨拶する大悟に手を振ってから、ゴウは兄妹達と別れる。

 帰り道をゴウは、何か重いものを抱えていた朝の登校時と違い、晴々とした心境で歩いていた。

 ISSキットもエピュラシオンについても何が解決したわけではない。だが、それらもきっと何とかなると、今のゴウには確かな自信が満ちている。

 心意の修行と、大悟と互いに過去を打ち明けたことは、自分をまた一つ成長させてくれていた。たとえどんな困難も、仲間と一緒なら乗り越えられるのだと。

 何となく夜空を見上げると頭上に雲は無く、かすかに星が輝いている。

 どうやら明日はよく晴れそうだ。

 



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第三十一話

 第三十一話 幕間(まくあい)加速世界

 

 

 ゴウが大悟と心意修得の修行をした翌日。六月二十日、木曜日の夜。

 

「くそっ……なんでこんな、こんなはずじゃ……!」

 

 くすんだオレンジ色の装甲をしたデュエルアバターが、《魔都》ステージの街を駆ける。これは彼の本意ではない。彼はいま追われているのだ。この無制限中立フィールドで遭遇した、一人のバーストリンカーに。

 共に行動していた二人の仲間はすでに倒され、自身も右腕を失っていた。間違いなく敗走と捉えていいだろう。

 まさか今の自分達が負けるとは、戦闘直前までは露ほども思ってはいなかった。何故なら数日前に自分達は、途轍もない力を持った強化外装を手に入れたからだ。

 ISSキット。自分に譲渡した、知り合いのバーストリンカーはそう呼んでいた。

 これを着装すると凄まじい威力を誇る二つの攻撃技を、しかも必殺技ゲージを消費せずに使用することができるのだが、それだけではない。

 この装備は使うほど、日に日に時間が経つほど威力が高まり、更には装備自体が自己増殖する機能を持っているのだ。手に入れてまだ数日だが、初日と比較すると技の威力の増大は明らかだったし、気付くと自分のストレージ内に二つ目のキットがカード状態で入っていた。それを自分も仲間に譲渡し、その仲間もまた別の仲間に渡して今に至る。

 その原理はさっぱり分からず、装備を手に入れた当初は疑問に思っていたのだが、使う内にそれもどうでも良くなった。そんなことが気にならなくなるくらいにキットの力が強大だったからだ。

 

「はぁ、はぁ……あっ! ──ッグアァ!?」

 

 前方に人影が見えて急停止した直後。脚に激痛が走り、オレンジアバターは硬質な地面を転げる。すぐに立ち上がろうとするが、不可能だった。右脚の膝から下が無くなっていたからだ。厳密には斬り落とされていた、と言った方が正しい。

 

「──よう。随分走ったなぁ」

 

 前方に立っているのは、先程まで戦闘をしていた僧兵のような出で立ちのデュエルアバター。その手にはたった今、自分の右脚を斬り落とした薙刀が握られている。

 

「あ、ああ……」

 

 親しげな口調で話しかけてくる僧兵アバターは、オレンジアバターにとっては恐怖の対象でしかなかった。そもそも完全に撒いたつもりだったのに、目の前に現れていること自体が意味不明だ。

 その時、弱気になる自分の胸に付いている眼球型のオブジェクトが、かっと見開いた。同時にゴーグル奥のアイレンズが、本来の色とは異なる赤色に輝く。

 すると、目の前の僧兵アバターに対する憎悪などの負の感情が一気に爆発し、数秒前までの恐れの感情は霧散していた。

 

「俺の腕と脚をよくも……殺す。絶対許さねえ! 《ダーク・ショット》!!」

 

 オレンジアバターは片膝立ちになり、残された左腕の掌から(ほとばし)った暗黒のビームが、一直線に僧兵アバターへと迫り──僧兵アバターは持っていた薙刀を高速で回転させることで、盾のようにこれを弾いた。

 棒状の物体を回転させただけで、どうして光線が弾かれるのか。第一、盾の強化外装も簡単に破壊する技なのに。

 

「はぁ!? どういう──がっ……!?」

「……手間ぁ取らせるな。用があるのはお前さん自体じゃないんだよ」

 

 思わず叫ぶオレンジアバターの体は、気付くと鳩尾を境に両断されていた。何が起きたか分からない内に仰向けに倒れると、近付いてきた僧兵アバターが青紫の輝きを帯びた手で、胸に埋め込まれた眼球を鷲掴みにする。

 

「ひっ!? や、やめ……ギャアアアアァァ!!」

 

 絶叫するオレンジアバターに呼応するように、握られている血走った目玉が飛び出さんばかりに、更に大きく見開かれる。

 そんな叫びを意にも介さない僧兵アバターの握り込んだ手が、より深く装甲にめり込み、ついに目玉がオレンジアバターから完全に離れる。その時にはすでに、結果的に胸を抉られる形となったオレンジアバターの体力はゼロになり、幽霊状態であることを示す死亡マーカーだけが残された。

 

 

 

「──おいおい……」

 

 オレンジアバターから眼球型の強化外装を抉り取った大悟は、嫌悪に満ちた独り言を呟いた。

 所有者から離れた眼球から、血管のような部分が伸びて寄り合わさり、その鋭く尖った先端で大悟の胸部を突き刺そうとしたのだ。

 その寸前、大悟は心意システムを発生させている手で眼球を握り潰した。気持ちの悪い感触に加え、見たところ発声器官など無いのにもかかわらず、眼球が金属音のような断末魔を発する。

 顔をしかめるが、不快な思いをした成果はあったらしく、眼球が破壊されると、そこから赤い光が空へと打ち上がり、南西の方角へと飛んでいった。

 

「よしよし……」

 

 大悟は見失わないように、全速力で赤い光を追いかけ始める。

 この数日間、大悟は個人でISSキットについて調べ回っていた。

 前の土曜日に《子》であるゴウと、ISSキット所有者から被害を受けたムーン・フォックスから話を聞いて、その存在を警戒したからだ。

 システム外の力である心意技を使用可能にさせる強化外装など、今まで聞いたこともなかったし、ゴウの話やフォックスの傷跡を見なければ、到底信じられるものではなかった。

 そこで仲間であるメモリーを始めとした、他の情報屋達から聞いて回っていると、似たようなケースは自分が主立って活動している世田谷エリアの他にも、隣接する大田、同じく二十三区の端に位置する江戸川、足立、江東などのエリアでも見られ、その範囲は徐々に拡大しているという。

 その動きに、大悟は何らかの策謀めいたものを感じ取った。

 明らかに月初めに起きた《ヘルメス・コード縦走レース》において、大衆の面前で心意技を発生させたラスト・ジグソーの一件を皮切りに、心意技の存在が急速に露見し始めている。

 それによって利を得る誰かが、というよりも規模からして集団がいると、大悟は勘ぐった。

 そんな中、今日は江東エリアの一角で、情報収集中に大悟は三人のISS キット所有者を発見。体のいずこかに眼球オブジェクトを付け、虚ろながら血走ったアイレンズがその証拠であった。

 一体の小獣(レッサー)級エネミーを負の心意技であっという間に倒した三人の前に、大悟は自ら姿を見せた。三人は、そんな大悟を格好の獲物としか見ていなかったようだ。むしろ、自分達の方が標的であるとも知らずに。

 結果的には一時的にオレンジ色のアバターに逃走を許したものの、その後は事も無げに倒すことができた。安易な力に溺れる者達に、始めから負ける気など微塵もなかったが。

 大悟はキットを所有者本体から分離させて破壊した場合は、どうなるかと推測しながら戦闘をしていた。単純に所有者を倒しても、そのままキットも諸共に幽霊状態になるだけだろうが、寄生先がいなくなった場合は違った反応があるかもしれないと考えたのだ。

 先の二人は分離する前に倒してしまったが、最後の一人で上手く(力技で)分離させ、キットに直接ダメージを与え続けることに成功した。

 こうしてキットから発生した光を追っている現在に至る。

 高速で飛び続ける光を万が一にも逃さないように、大悟は心意技《天部(デーヴァ)風天(ヴァーユ)》を発動させ、ビル群に視界を遮られないように、屋上や傾斜のある壁などを足場にしながら、一陣の風のように疾走と跳躍を繰り返していた。

 真紅の光が進む先には、何かがあると大悟は確信する。そうでなければこうして追いかけているキットから発生した光が、意思を持っているかのように飛ぶことはないはずだ。

 やがて現実の江東区から中央区を抜け、とうとう港区へと入る。一体どこまで進むのかと思い始めたその時。

 前方の空に緑色に輝き、上空の一角を覆い隠す長大な光の壁が出現した。

 

「あれは……! まさか、奴が来ているのか?」

 

 驚く大悟には光の壁に、厳密にはその色に見覚えがあった。鮮やかなエメラルドを思わせる緑色をした防御系の心意技。それはとあるバーストリンカーのものだ。

 意図せぬ状況ではあったが、大悟は追っていた赤い光を見失うことはしなかった。

 赤い光は、どうも減速をし始めている。目的地が近いのだろうか。

 高層ビルの屋上で足を止めた大悟は、深呼吸をしてから両のアイレンズを閉じる。

 

「──《天部(デーヴァ)水天(ヴァルナ)》」

 

 アイオライト・ボンズの額に位置する《天眼》が通常の発動時よりも、一層強く輝いた。

 これは《射程距離拡張》の心意技だが攻撃技ではなく、自身も持つ《天眼》アビリティよりも広範囲を見通す為のものだ。

 大悟は無制限中立フィールドでの気が遠くなるような長い修行の末に、四種の基本心意技を全て修得するに至った。中でもこの《水天》は特別、修得に苦労したものだ。

 自身を中心とし、存在する物体を円状に感知していく。ビル群を始めとしたオブジェクト、開けた場所に位置するエネミー。これらは今の大悟には必要のない情報だ。

 感知範囲を前方にのみ伸ばしていく。

 赤い光の軌跡を辿っていくと、光は無数に存在するビルの中でも一際大きい建造物に降下していった。

 

「あそこか……────!? 何だこれは……!」

 

 光の降下したビルは位置と大きさからして、おそらく現実での複合商業施設《東京ミッドタウン・タワー》だろう。そこまではいい。だが、ビルの方へ意識を集中させた大悟は、信じられないものを感知していた。

 屋上に『何か』がいる。透明で巨大な『何か』が、じっとしているのだ。最古参のバーストリンカーである大悟でも、その正体が何であるのか判別しかねた。直接近付けばもっと分かることが出てくるのだろうが、大悟の第六感が警告している。これ以上近付けば死ぬと。

 ともかく、赤い光がミッドタウン・タワー内に入ったことが分かっただけでも収穫としようと、己を納得させる。深入りしすぎて、《無限EK》の類になっては元も子もない。

 続けて、もうすでに消えてしまった、緑の巨壁が発生していた方角へと意識を集中させていく。

 やがて、ミッドタウン・タワーよりおよそ五百メートル離れた高層ビル、《六本木ヒルズ》のメインタワービルに三体のデュエルアバターを感知した。

 

「やっぱりあいつか。それに……」

 

 大悟はそれ以上何も言わずに心意技を止めると、タワービルの方へと移動し始めた。

 

 

 

 しばらくして、大悟はヒルズ・タワービルの内部に存在するポータルのある階層に辿り着いていた。

 変遷によってステージは現在、《魔都》から上位暗黒系の《大罪》ステージへと変貌している。灰色のタイル張りをした建物内部には、濃い赤色をした血液のような液体がそこかしこから滲み出ていて、《煉獄》ステージばりに不気味だ。

 ──推測が正しけりゃ、ここに来るはずだが……。

 やがて、何かが這うようなずるずるという音が聞こえ、遠ざかっていく。先程大悟も使用した、汚れたタイル張りのエレベータが動く音だ。

 しばらくして今度はエレベータの移動音が近付き、止まる。続いて複数、少なくとも二人以上の足音がこちらに向かってくる。

 扉から現れた二つの人影の内の一つが大悟に気付いた瞬間、弾かれたようにもう片方の前へと躍り出て、臨戦態勢を取った。

 そんな顔馴染み達に、大悟は気負いのない調子で挨拶をする。

 

「よぉ、久し振りだな、グランデ。それにパウンド。そう構えるない、何もしやしないよ。知りたいことがいくつかあるだけだ」

「どうして貴様がここにいる、《荒法師》!」

 

 グローブを嵌めたような拳を構えながら大悟を警戒するのは、金属質な装甲のM型アバター、《鉄拳》こと《アイアン・パウンド》。

 緑のレギオン、グレート・ウォールの幹部の一人であり、加速世界でも数少ない、現実でのスキルがデュエルアバターに反映されているバーストリンカー、《完全一致(パーフェクト・マッチ)》として名高いボクサーである。

 現在は右腕の肘から先が失われており、欠損していない左半身を前方に向け、いつでも左の拳を打てるように構えている。

 そんなパウンドの後ろに堂々と立ち、重厚な存在感を醸し出すM型アバターは、グレート・ウォールのレギオンマスターである緑の王《グリーン・グランデ》。

 体の各所に見られる純粋な緑をした装甲は大変に分厚く、それでいて本体が引き締まっている為に鈍重さは全く感じられない。

 何よりの特徴は左手に持った、グランデ当人の装甲に勝るとも劣らない輝きを放つ十字型の大盾、加速世界最高峰の強化外装である《神器》の一つ《ザ・ストライフ》。おそらく彼以上の防御力を持つデュエルアバターは、現在の加速世界には存在しないだろう。

 それ故に《絶対防御(インバルナラブル)》の二つ名を持つ男だった。

 

「だから、構えるなってば。調べ物の最中にお前さん達を見かけたから、ついでに質問をと思って、ここで待っていたんだよ。──ったく、どいつもこいつもどうして俺を見たら、ここにいるのかと聞くのかね。俺がどこにいようと、俺の勝手だろうが。レイカーはそんなこと言わなかったのに……」

「何故レイカーの名が出てくるかはともかく……質問とは何だ?」

 

 パウンドのアイレンズには警戒の色が宿ったままだが、ひとまず問題ないと判断したのか拳を下ろした。

 それを見てから、大悟はいきさつと、ISSキットについて調べていることを簡潔に説明した。

 更にはパウンドが、とあるバーストリンカーとの戦闘の末に死亡したことを示す光の柱となったのを見たこと。

 そのバーストリンカーとグランデの激突で、ビルが文字通り半壊したが、その後の変遷によって修復。

 そして、変遷によって復活したパウンドのロケットのように放たれた右腕が、東京ミッドタウン・タワーへと向かう中、タワー屋上から発生した光の柱とも形容できる極大のレーザーに消滅させられたのを見届けてから、このビルのポータル前で二人を待っていたことを、洗いざらい話した。

 

「いやぁ、お前さんのロケットパンチはいつ見てもカッコイイよなぁ。浪漫があって良い。うちのキルンもあれを元に考案した──」

「《爆推拳(ロケット・ストレート)》だ、覚えておけ。アンタがここに来た理由は一応分かった。それで結局何が知りたい?」

 

 パウンドは世間話をするつもりは全くないようで、大悟の雑談をにべも無く遮った。

 ちなみにこの間、グランデは一言も喋らず、身じろぎさえしていない。そういう男であることは大悟も知っているので、特に気にはしていない。

 

「それじゃあ、まずはお前さん達が戦闘していたデュエルアバター、あれはクロム──シルバー・クロウなのか?」

 

 大悟は先程までこのビルの屋上に、三人のバーストリンカーがいたことを確認している。

 ここにいるパウンドとグランデ。そして黒のレギオンに属するシルバー・クロウだ。

 そのクロウの姿は、本来の銀の光沢を帯びた流線型の細身である体型とは大きく異なっていた。

 ヘルメス・コードの一件で《災禍の鎧》を着装した時よりも、更に禍々しいフォルムの黒銀の鎧を纏う姿に変貌していたのだ。

 ヘルメス・コードでのレース終了後、ログアウトする前に残ったギャラリー達は『今回《鎧》を装備したシルバー・クロウを責めない』というある種の協定を結んだ。

 方法はどうあれ、クロウがレースイベントを破壊しようとしたラスト・ジグソーを倒して、これを阻止してくれた事実は変わらないからだ。誰が言い出したかも分からないこの協定は満場一致で決定し、自分達アウトローもこれに同意した。

 だがしかし、クロウは再び《鎧》を纏っていた。これを放っておいて良いものだろうかと大悟は迷っている。

 

「ああ、間違いなくシルバー・クロウは《鎧》と融合して、クロム・ディザスターとなっている。俺も最初はここで消してしまおうと考えた。だが奴は……これまでの歴代ディザスターのような、ただの狂戦士じゃなかった。一応はまだ自我を保っていた」

「自我を……? なるほどな。レースでも侵食に抗っていたし、やはり只者じゃなかったわけか」

「いずれにせよ、日曜日の午後一時までに《鎧》を消さなければ賞金首さ。そうなったら真っ先に俺が奴の首を獲りにいく。やられた借りもあることだしな」

 

 パウンドの言葉にはクロウに対する敵意はあったが、同時にどこか彼を認めているような感情が含まれていた。屋上の一戦で何か思うところがあったのだろうか。

 なるほど、と大悟は頷くと同時に納得する。

 

「まぁ、そういうことなら黒のレギオンが、クロウをみすみすディザスターにはしないだろ。……もしかしたら《巫女》の嬢ちゃんを呼び戻すつもりかもな」

「《緋色弾頭(テスタロッサ)》を? 二年半前のレギオン崩壊で《四元素(エレメンツ)》も解散したはずだろ?」

「俺も直接は見ていないが、噂じゃたまに世田谷エリアで対戦をしているとか。副長だったレイカーも復帰したわけだし、全く有り得ない話じゃない」

 

 大悟にも定かではないのだが、旧ネガ・ネビュラスは加速世界の開闢(かいびゃく)から攻略した者はいないと言われる、現実世界における皇居《帝城》に挑んだらしい。

 結局は門を守る《四神》に敵わず、メンバーは散り散りになったが、約二ヶ月前に復帰した《鉄腕》スカイ・レイカーのように、今もポイント全損による退場をせずに、バーストリンカーとして生きているレギオンメンバーもいる。

 そのレイカーのプレイヤーホームで時々ご相伴に預かっていたことは、ここで言い出しても話が脱線しそうなので、さすがに空気を読んで大悟は黙っておくことにした。

 

「まぁ、それはともかく……次。あのミッドタウン・タワーの屋上……あそこにいるのは、あのメタトロンで間違いないな? それとタワー内部にISSキットに関する『何か』がある」

 

 当初、《水天》で感知した時は何なのか分からなかったが、透明な体からかすかに見られた翼を広げた巨体、その中心部分から放たれた、パウンドの飛来する拳を蒸発させた超強力レーザーから、大悟は一つの存在を導き出していた。

 神獣(レジェンド)級エネミー《大天使メタトロン》。四大ダンジョンが一つ《芝公園地下大迷宮》、通称《コントラリー・カセドラル》のラスボスだ。だが、何故それがあんな所に陣取っているのかまでは分からなかった。

 

「……そうだ。俺達はあそこにISSキットの本体、もしくはそれに関する重要なものがあると睨んでいる。ところが、攻略しようにも今から現実時間で約一週間前に、誰かが調教(テイム)したであろうメタトロンがあの塔にいるのが発見された。おかげで誰一人として近付くことのできない不可侵領域になっちまったってわけだ。おそらくは今ISSキットをばら撒いている集団……《加速研究会》の仕業だ」

 

 苦々しげに言い放つパウンド。

 メタトロンを番人にしたという、信じられないことを成し遂げた集団の名前に大悟は聞き覚えがなかったが、推測通りISSキットに関する場所であることは正しかったようだ。

 

「加速研究会ね……。神獣(レジェンド)級を調教(テイム)できる奴らか……。それで、アテはあるのか?」

「フィールドがメタトロンの力が弱まり、攻撃も当てられるようになる《地獄》ステージになるまで三ヶ月間待ったが……この《大罪》ステージ以上のものにはならなかった。今日はログアウトして策を練り直す。今週末の《七王会議》でも議題に挙げるつもりだ」

 

 本来、基本属性が最高峰の神聖属性である、《天界》ステージに固定されているコントラリー・カセドラル内では、ギミックによって最上級の暗黒属性である《地獄》ステージに反転させられるので、ダンジョンのボスであるメタトロン攻略は不可能ではないらしいのだが、それ以外のステージでのメタトロンは、不可視、即死攻撃、全属性ダメージ透過の三拍子が揃った、全く手の付けられない存在なのだという。

 それ故にこのビルの屋上でパウンド達は、こちらの攻撃が通るステージになるまで、ひたすら待ち続けたということになる。

 何とも大変な作業だと、大悟も内心同情をしていた。

 

「もしも、《理論鏡面(セオレティカル・ミラー)》アビリティなら、あるいは……とも考えたんがな」

「理論────おいおい、そりゃちょっと虫の良すぎる話だな。シルバー・クロウが《鎧》を解呪できたら頼むつもりか? 賞金首にするとまで言っておいてよ」

 

 パウンドの言う《理論鏡面(セオレティカル・ミラー)》とは、光線系の技を無効にするという破格のアビリティのことだ。使い手であるデュエルアバターはもう何年も姿を見せず、加速世界を去ったとされているが、それを会得する可能性のある者が一人だけいる。

 それが金属の中で最大の光反射率を誇る、銀の装甲の性質を持ったデュエルアバター、現在クロム・ディザスター状態のシルバー・クロウを指しているのだと、大悟は悟った。

 

「そんなことは分かっている! だが、今の加速世界を蝕んでいる、ISSキットなんてふざけた物をばら撒いた加速研究会の奴らを追い詰める手がかりがそこにあるのに、手をこまねいているわけにはいかないんだ!」

 

 大悟の批判に、パウンドが苛立たしげに声を荒げた。それでもさすがに図々しいことを言っている自覚はあるようで、大悟から顔を背ける。

 

「加速世界の為ってか? あんまり好きじゃないな、そういう考え」

「…………貴様みたいな根無し草に分かってたまるか。我々、いや、我が王がどれだけ身を粉にしてこの世界を維持してきたのかを……」

 

 大悟の言葉が逆鱗に触れ、パウンドから剣呑な雰囲気が醸し出される。

 それでも大悟は構わずに続けた。

 

「そこにいる、お前さんの大将がリスクを犯して、単身エネミー狩りを頑張っているのは知っている。ずっと昔に一度だけ付き合ったこともあるからな。だが、それがどうした」

「どうした、だと? この──」

「いいから聞け。確かにお前さん達が加速世界のことを考えて行動しているのは分かる。だがな、少なくともグランデはそれに対して見返りなんざ、求めちゃいないだろうよ。結果的に他のバーストリンカーの利益になっているだけであって、グランデ自身の目的の副産物でしかないからだ」

「…………」

 

 大悟の言葉を受けて、パウンドは押し黙る。

 今にも戦闘が始まりそうなほどの緊迫した雰囲気の中で、尚もグランデは沈黙を保ったままだ。

 大悟は知っている。彼は単独でエネミーを狩り続け、得たポイントをカードアイテムに変換し、そのカードを更に低レベルのエネミーに喰わせることを、遥か昔から続けていた。

 これによりカードを喰った比較的弱いエネミーを倒した中小パーティーが、通常よりも高いポイントを得ることが可能になる。つまりグランデは、見ず知らずのバーストリンカー達に無償の奉仕をしていることになるのだ。

 この一見して意味の分からない行為に、かつて一度だけ成り行きで付き合うことになった大悟は、狩りの終了後に何故こんなことをしているのかを聞いたことがある。

 だんまりを決め込まれると思ったが、口を開いたグランデはこのブレイン・バーストという、一つの世界の可能性が発現する日を待ち望み、維持しているのだという。

 正直なところ、完璧に理解したわけではなかったが、この寡黙な男が自分の信念によって活動をしているのであれば、大悟には止める理由も否定する理由もなかった。

 

「……まぁ、好き勝手言ったが、立場が変われば都合も変わるわな。別にお前さん達の行動を邪魔したりするつもりはない。だから拳を下げな、《鉄拳》の。こんな所で戦っても不毛でしかないことは分かっているだろ」

 

 この《大罪》ステージは特性として、直接物理攻撃で敵に与えたダメージの半分が自分に返ってくるという、近接主体の大悟にもパウンドにも最悪に近い相性のステージである。

 何よりポータルの目の前で戦闘をしたところで、不利になればポータルに飛び込めば済む話だということは、パウンドとて当然承知の上だろう。

 大悟の言葉を受けた鉄の拳士は、それでもしばらく握った拳を構えたままだったが、やがて不服そうに腕を下ろした。

 

「……フン。説教めいたことを言うのは変わらないな、《首刈り坊主》」

 

 その後。この際だから聞けるだけ聞いておこうと、更にISSキットについての情報をあれこれパウンドから聞き出してから、大悟は話題を変えた。

 

「──それじゃあ最後に。お前さん達、エピュラシオンってレギオンを聞いたことはないか? それか、プランバム・ウェイトってデュエルアバターは?」

 

 これこそが大悟がいま一番情報を欲している懸念事項の一つだった。

 先週末に遭遇したプランバム・ウェイトがその頭目、つまりレギオンマスターと名乗った、大悟も知らなかったレギオン、エピュラシオン。

 構成員も不明なところから、徹底して極秘に活動しているのか、それともレギオン自体が本当は存在しないのか。何人かの情報屋をあたってみても、結果は全て空振りに終わった。

 

「エピュラシオン……プランバム……知らないな。ボス、聞いたことは?」

「………………」

 

 パウンドの問いかけに、グランデはしばらくしてから小さく首を横に振り、否定の意を示した。

 

「……だそうだ。そいつがどうかしたのか?」

「先週末に無制限フィールド(こっち)で初めて見た奴だ。ISSキットの噂を聞いて、見て回っているとかなんとか……。ただ引っかかるのは、それが加速世界の為と言っていたことだ」

「何だそりゃ? 夢想家気取りの物好きか?」

 

 呆れたようなパウンドと同様に、大悟も普通なら、そんなことをのたまう者がいても気にも止めないだろう。

 だが、直接目にしたプランバムからは口では言い表せない、何かを感じ取った。

 

「それならそれでも良いんだが……俺の見立てじゃ、おそらくはレベル8、間違いなくハイランカークラスの力量はあったし、一緒にいた二人の付き人も相当の手練だった。ISSキットにも、それ自体に興味を示している感じじゃなかった。何というか、今の加速世界の現状を確認しているような……。どうも不気味だ、引っかかってしょうがない」

「アンタがそこまで言う奴なのか……」

「ともかく、アウトローの連中にも相談しながら、もう少し調べてみるつもりだ。──さて、帰るとしようかね。邪魔したな」

 

 大悟は二人に背を向けてポータルへと向かい始める。

 ISSキットについては、現状メタトロンを突破する手立てを持たないので、七王達に任せることにした。

 それよりもエピュラシオンだ。ゴウが言うには『歪みを正す』とも話していたらしい。大悟の勘が、あのまま放っておくと、何か取り返しの付かないことになると警告している。ISSキットとはまた違う脅威になるような──。

 

「《荒法師》」

 

 フロア全体に朗々と響き渡る声に、後一歩でポータルに入るところだった大悟は足を止めて振り向いた。

 

「……………………武運を祈る」

 

 

 数年振りに聞く同期(オリジネーター)である男の声に少しだけ驚いてから、大悟はひらひらと片手を振った。

 

「お前さんもな、《絶対防御(インバルナラブル)》。偶然だったが、古い馴染みに会えて良かった。それと、背中で語るのがお前さんのスタンスなんだろうが、たまには五層(ファイブ)──じゃない、今は《六層装甲(シックス・アーマー)》だったか。側近の面々ぐらいには、たまにでも良いから言葉で(ねぎら)ってやりな。俺も人のことは言えないが、お前さんは言葉が足りん、昔からな」

 

 そう言ってからポータルに足を踏み入れ、今度こそ大悟は現実世界へと帰還した。

 

 

 

「相変わらず、好き放題言いやがる……。ボス、我々も帰りましょうか。…………ボス?」

 

 去ったボンズに悪態をつきながらポータルへと向かうパウンドは、後ろに控えていたグランデが動いていないことに気付いて足を止めた。

 

「……………………………………常日頃、苦労をかける」

「ボス!?」

 

 いつも以上に間を空けてから発せられたグランデの言葉に、パウンドは思わず声を上げる。

 驚く側近をよそに、大樹の化身のような王はそれ以上何も言わずに、堂々とした歩みでポータルへと入っていくのだった。

 



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再会篇
第三十二話


 第三十二話 一名様ご案内

 

 

「この前は本当にごめんなさい!」

「ちょっ……待っ……!」

 

 六月二十二日、土曜日。開口一番、謝罪と共に頭を下げるムーン・フォックスに、ゴウは困惑してしまう。

 先週のアクシデントでふいになってしまった、『アウトローに連れていく』という約束を果たす為に、ゴウは無制限中立フィールドにダイブし、再度フォックスと待ち合わせをしていた。

 フォックスはもうアウトローの場所は知っているので、本来こうしてゴウが案内する必要はないのだが、大悟との心意修行の翌日に、久々に登校中にグローバル接続をすると、ゴウはすぐにフォックスから乱入をされた。

 対戦ステージでフォックスはゴウを発見してから、「土曜日、先週と同じ時間、同じ場所に待ち合わせ」とだけ言ってから、すぐにドロー申請をすると、それ以上は何も言わずに腕組みをして立つだけだった。

 その有無を言わせない迫力にゴウはドローに同意し、数日振りの街中での対戦は、わずか数分で終わってしまった。

 その後、大悟に相談のメールを送ると、返信には【いいからエスコートしてやれ】とだけ書かれていた。

 そうして、エスコートも何もないだろうと、ゴウが若干腑に落ちないまま無制限中立フィールドの二子玉川駅に辿り着くと、すでにフォックスは到着していて、ゴウを見つけるや否や、いきなり謝ってきたのだった。

 

「フォ、フォックスさん、頭を上げてください。どうしたんですか、いきなり……」

「……だって、オーガーがあんなにボロボロになっていたのに、私、あの後すぐに帰っちゃって……」

 

 ──あぁ、そういうことか……。

 頭を上げて遠慮がちに説明するフォックスに、ゴウはようやく合点がいった。

 フォックスはISSキットなる装備をしたシトロン・フロッグとの戦いに巻き込み、デュエルアバターとはいえ重傷の身にさせてしまったことを悔いているのだろう。

 それをアウトローの皆の前で謝罪するのが気恥ずかしかったから、わざわざ二人になれるように待ち合わせを指定したのだ。

 

「そんなに気に病まないでくださいよ。確かに大変だったけど、あの経験から学ぶこともありましたし、むしろ……良かった気がするんです」

 

 結果的に心意システム修得のきっかけにもなったあの出来事は、間違いなく自分を成長させたのだと、今のゴウには胸を張って答えられる自信があった。

 

「……なんだかオーガー、雰囲気変わった? ちょっと大きくなったというか、頼もしくなった気がする」

「え? そ、そうですか?」

 

 不思議そうにこちらを眺めるフォックスの視線に、ゴウは何ともむず痒い気持ちが湧き上がる。

 

「じゃ、じゃあ歩きながら話しますから、そろそろ行きましょうか」

 

 

 

 岩々が立ち並ぶ《荒野》ステージをフォックスと一緒にゴウは歩いていく。大きな幹線道路には巨大なエネミーが出るので注意を払いつつも、遠回りにならないようにアウトローへと向かいながら、ゴウはフォックスに心意システム修得の経緯について説明をしていた。

 大悟には心意システムは秘匿される存在なので、他のバーストリンカーに気軽に話さないように言われていたが、すでに身を以ってその一端を知ってしまったフォックスに隠しておいても仕方ないだろうと、ゴウは判断したのだ。

 

「そんな力がね……。実際に技を受けた身としては信じるしかないけどさ。オーガーはその心意技を、これからの対戦で使っていくの?」

「まさか、使いませんよ。心意技は相手が使用した場合の自衛手段として以外は、使わないように師匠から言われていますから」

 

 心意システムが《心の傷》、そこから発生する穴に引き込まれてしまうという特性がある以上、無闇に使うものではないと、ゴウは一ヶ月間に渡る無制限中立フィールドでの修行生活の最後に、大悟からきつく教えられていた。

 実際、ゴウ自身も暴走を引き起こした身である為、原理について教えられた今、それに対して否定することはない。

 

「自衛ね……。でも、その手段を持たない私は、あのISSキットの所有者からは逃げることしかできないんだよね……」

「フォックスさん……」

「オーガーが気にすることじゃないよ。私の《親》もしばらくは過疎エリアでの対戦は控えた方がいいって言っていたし、自分の実力は分かっているつもりだから」

 

 何気なさそうに言いながらも、どこか沈んだ調子で答えるフォックス。

 着装すれば負の心意技を使えるようになる、ISSキットをゴウが確認して一週間。その所有者は続々と増えている。

 生物のような質感を持つ眼球型のキットは、一定の条件下でコピーを増やすことができるらしく、過疎エリアとも呼ばれている各エリアで、その所有者が増加しているそうだ。それはこの世田谷エリアも例外ではなかった。

 新宿や渋谷と比較してメジャースポットがほとんど存在しない世田谷は、昔からバーストリンカーが他のエリアと比べて増え辛く、土地面積は他のエリアよりも広大であるにもかかわらず、過疎エリアと呼ばれるようになったそうだ。

 当の大悟もバーストリンカーになりたての頃から色んな対戦相手を求め、理由をつけては大人達に対戦のメッカである場所に連れていってもらっていたのだという。

 今はそんな過疎エリアでさえ、ISSキットの増加速度がこの調子なのだとすると、一定の閾値に到達すれば、あたかも感染爆発(パンデミック)のようにISSキットが東京中に広まってしまうおそれもあるかもしれないと、そう大悟は懸念していた。

 ゴウも何かできることはないかと考えてはみたものの、仮にキット所有者を全損に追い込んだとしても、コピーが増え続けるのであればキリが無い。

 ゴウもこれまで一度だけ、世田谷エリアでの通常対戦でISSキット所有者に遭遇した。開始早々から逃げ回り、何とか引き分けに持ち込んだが、以来世田谷での対戦を避けるようにしている。

 

「……ISSキットについては今日のアウトローの集会でも話に挙がるだろうし、きっと何とかなりますよ。それにフォックスさんは強いです。僕が保証します」

 

 ──って……何言ってんだ、僕は。それこそ要らない気遣いだろうに、ええっと、どうしよう……。

 根拠もない慰めをしてしまったと、すぐに内心で慌て始めるゴウだったが、フォックスからの反論はなかった。ちらりと隣を歩くフォックスの方を見やる。

 

「……そう。ありがと」

 

 前を向く狐型の頭部をしたフォックスの口元は、口角が少しだけ上がっていて、ゴウには薄くだが微笑んでいるようにも見えた。

 それから更に歩くこと十数分。木造建築の平屋が見えてきた。プレイヤーホーム《アウトロー》である。

 

「前回はゆっくり見られるような状況じゃなかったけど、こうして見ると、何だか西部劇に出てくる酒場みたいだね」

「あはは、ですよね。僕も最初はそう思いました」

 

 フォックスの感想に同意するゴウが初めてここに来た時も、今と同じく《荒野》ステージだった。

 赤茶けた風景に溶け込むようにして、ぽつんと建つ一軒の平屋は煙突からではなく、その裏手から煙が──。

 そこでゴウは幾度も訪れたこの場所の、普段と違う所に気が付いた。

 煙も、金属を叩く規則的な音もしない。これはメンバーの一人であるクレイ・キルンが作業をしていないということになる。

《暴風雨》や《霧雨》などの雨が降るステージ以外では、キルンはいつもホームの裏手にアビリティによって窯を生成し、そこで鍛冶師のように金槌を振るって、とあるものを製造していた。

 恒例のエネミー狩りの際に調整も兼ねて、それを用いて戦闘をすることが稀にあるが、その姿は圧巻の一言に尽きる。

 ゴウの記憶でこれまで彼が集会に参加しなかった日はほとんどなかったが、今回の集会には参加しないのだろうか。

 

「おう? よぉ、オーガー、元気そうだな」

「キ、キルンさん!」

 

 声をかけられ振り向いたゴウの後ろには、レンガを重ねて作り出されたかのような、小柄な体格のデュエルアバター、クレイ・キルンその人が立っていた。

 

「め、珍しいですね。いつもは僕が来る頃には煙が上がっているから、てっきり今日は来ないのかと……」

「あぁ、そのことか……」

 

 途端にキルンが不機嫌そうに声のトーンを落とす。

 

「例のISSキット所有者共がよ、狩場を求めて通常対戦フィールドからこっちに移動してるらしくてよ。いくらここが過疎エリアつっても、窯の煙も金槌の音も周りから注目されるからな。今日は自重したんだ。……ったく迷惑な話だよ」

 

 フンと鼻を鳴らすキルン。

 どうやらISSキット勢力拡大は、すでにアウトローメンバーそれぞれの耳にも届いているようだ。

 

「んで、その連れは先週来たムーン・フォックス……だったか? まだ名乗ってもいなかったな、ワシはクレイ・キルン。よろしくな」

「ええ、よろしく。こちらこそ、前はろくに挨拶もできずにごめんなさい」

 

 フォックスとの挨拶を済ませたキルンから「早く入ろうぜ」と促されて、ゴウ達はホームへと入っていった。

 バーが備え付けられた屋内は、ゴウにはたった一週間来ないだけでも、随分懐かしく感じられた。もっとも、それまでに一ヶ月間加速世界で過ごしているので当然といえば当然だが。

 入口の扉が開いたことで、すでに到着していた面々が顔を一斉にこちらに向ける。

 

「オーガーちゃん!」

 

 その内の一人、エッグ・メディックが声を上げると、急いでゴウの元へと駆け寄ってきた。このアウトローのマスターキーを持つ、言わば管理人とも言える存在である世話焼きな彼女は、ゴウの両手をがっしり掴みながら、心配そうに見つめる。

 

「事のあらましはボンズちゃんから聞いたわ。大変だったわねえ……。でも無事に心意技をマスターできたんですってね。良かった……ううん、生半可なことじゃなかったと思うわ。でも、心なしか雰囲気が頼もしくなった気がする。男の子って少し見ない内に成長しちゃうのよねぇ。ええと、それから……」

「メディック、息くらいつかせてやんなよー」

 

 間延びした口調でアイス・キューブがメディックを宥めながら、立方体の氷に包まれた頭部をゴウに向けた。

 

「やっほー、オーガー。元気だったー?」

「心意を暴走させたって聞いた時はさすがにヒヤヒヤしたけど、大丈夫そうだね」

「でもオーガー君、レベル5で心意技を発動させるなんて凄いですね!」

 

 キューブに続き、万年筆を片手に持ったインク・メモリー、バーテンダーのような格好が特徴のワイン・リキュールもゴウの元へと集まってくる。

 

「いやいや、俺はオーガーはやる奴だと思ってたよ」

 

 一同の中でも一際大柄なアバター、フォレスト・ゴリラことコングが、自信たっぷりに頷いた。

 

「普段俺達と一緒にいて、道を踏み外すわけないだろ?」

「よく言うわよー! コングちゃんだって、先週ここに戻ってきた時は『オーガーの奴、大丈夫かな……』なんて不安そうにしてたくせに」

「ちょっ、それ言うなよメディック!」

 

 ホーム内に暖かな笑い声が響き、ゴウも皆と一緒に笑った。

 ──ああ、ここに帰って来られたんだな……。

 自分のことを案じて、仲間と認めてくれている人達がこんなにもいる。それがとても幸福なことだとゴウは思わずにはいられなかった。

 

「はいはい、皆。オーガーも問題なかったわけだし、そろそろお客さんの方も放ったらかしてないで挨拶してやりな」

 

 バーカウンターのスツールから立ち上がった大悟が、パンパンと手を打って皆を注目させると、ゴウを取り囲むように集まっていたメンバー達が、入口でやり取りを眺めていたフォックスの方を向く。

 

「おお、そりゃそうだ」

「改めてアウトローにようこそ! 先週はそれどころじゃなかったものね」

 

 メンバー達が今度はフォックスを取り囲み、挨拶を始める。

 注目の矛先が自分に変わり、目を白黒させるフォックスを見て、いつぞやの想像と一致している光景にゴウは密かに笑うのだった。

 



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第三十三話

 第三十三話 時計の針が再び進む

 

 

「──始めに皆も知っているだろうが、巷を騒がしているISSキットとかいう感染型強化外装について、俺から話しておきたいことがある」

 

 フォックスへの挨拶も終え、各々がソファーや椅子に腰かけると、カウンターのスツールに座る大悟が話を切り出した。

 

「ゲストを待たせるのも悪いんだが、喫緊(きっきん)の事情だから先にこの件に関して話しておきたい。フォックス、構わないか?」

「もちろん。この場に招いてくれただけでも感謝しているし、キットについては私だっていろいろと知っておきたいもの」

 

 ゴウの隣の椅子に座るフォックスが頷くと、大悟がカウンターに置かれたドリンクを一口飲んでから口を開いた。

 

「ヘルメス・コードの一件を皮切りに、心意システムの存在が明るみに出始めている。とはいえ、それを隠蔽するのか、公表するのか、なんてことは俺らにゃ関係のない話。──それに関して頭を働かすのは王共の仕事だからな。ただ、ゲームバランスを崩壊させる力のある心意システムをそこかしこにばら撒かれたとあっちゃ、無視はできない。俺はそう考えて、あちこちで情報を集めていた」

 

 負の心意技使用者が大量に発生するという異例の事例は、メンバー達の表情からゴウにも事態の重さが窺えた。

 

「で、調べ回った結果、港区エリアの東京ミッドタウン・タワーの上層階にキットの本体に関する何かがある、とまでは掴めた。ただし……タワーの屋上には調教(テイム)された神獣(レジェンド)級エネミー、大天使メタトロンが見張っていて、二百メートル圏内に入るとレーザーで蒸発させられることが分かった。メタトロンを調教(テイム)した奴らは《加速研究会》と名乗る集団でレギオンじゃなく、あくまで俺達のようにサークルとして活動しているらしい。ヘルメス・コードに乱入した奴らがそうだ」

 

「何だそりゃ!?」

「ダンジョンのラスボスを調教(テイム)だぁ?」

「研究会……聞いたことがないな」

 

 一同がどよめき始める。

 

「ねぇ、メタトロンって?」

「いや、僕も知らないです……」

「あぁ、メタトロンは──」

 

 ゴウはフォックスと一緒に、近くに座っていたメモリーからメタトロンについて簡単に解説され、相当に有り得ない話なのだと理解する。

 

「俺だって信じられなかった。でも実際に見たからには信じないわけにはいかない。見たっつうか、感知したってのが正しいか。ほぼ透明だったし」

「君のアビリティか心意技で、タワー内部は見られなかったのかい?」

 

 メモリーが訊ねると、大悟は首を振った。

 

「遠すぎたし、俺の《天眼》は一定範囲内の物体の動きの流れを読み取るものだからな、若干の透視はあくまで副産物。ただ、心意技で感知して、何か嫌なものをタワーの内部から感じ取れたのは確かだ。それが何なのかまでは結局分からなんだが」

「でもさ、無限EKにならなくて良かったよねー。メタトロンって透明で見えないんでしょ? 攻撃範囲に入ったらレーザーで即死なんて、どうにもならないじゃん」

 

 キューブの率直な意見に大悟が苦笑する。

 

「まぁな。実際手詰まりだったし、どうしようかと思っていたらとある奴らを見つけてな。諸々の詳細はそいつらから聞いた。誰だったと思う? ──グレート・ウォールの幹部、アイアン・パウンドと緑の王その人だよ」

 

 これにはゴウだけでなく、大悟以外の全員が驚きの声を上げた。

 無制限中立フィールドで示し合わせてもいないのに、他のバーストリンカーに出遭うこと自体が稀、まして王ともなれば尚更だ。

 

「無敵状態のメタトロンに攻撃できるようになる《地獄》ステージに変化するのを待っていたらしい」

「でも師匠。《地獄》って、凄くレアなステージですよね? そうそう巡り合えるものじゃ……」

 

 ゴウはかつて《地獄》ステージについて耳にしたことがある。

 元々妨害ギミックの多い暗黒系ステージの極致である《地獄》ステージは、数多くの妨害ギミックが存在し、例としては屋外が鋼鉄の棘を始めとした、毒沼や溶岩などのダメージ地帯で埋め尽くされているので、歩くどころかそこに立っているだけでダメージを受けるという。

 

「その通り。俺だって《地獄》ステージに出くわした回数なんて指の数で足りる。しかも、巨獣(ビースト)級エネミーが《邪神(デビル)級》に変わるんだから、もう手に負えん。まぁ、グランデ達は三ヶ月内部で待ち続けて、結局全部ハズレだったそうだ」

 

 メディックを始めとしたコングやメモリー、キルンらベテラン勢が同情するように、そうだろうなと頷いている。

 

「じゃ、じゃあ、どうやってメタトロンを突破してミッドタウン・タワーに入るんですか? 現状どうしようもないんじゃ……」

「……そのあたりは七大レギオンの連中に頑張ってもらう。もっと言うと、俺達にはISSキットに関しては現状、様子見しかできないと考えている」

「そんな! どうしてですか!?」

 

 リキュールの遠慮がちの発言に対する大悟の返答に、ゴウは真っ先に反応し、勢い良く座っていた椅子から立ち上がる。

 

「こうしている間にも、その研究会とかいう奴らのせいでISSキットの使用者が、フロッグと同じようになった人達が増え続けているのに、それに対して何もしないで見ているだけなんですか!?」

 

 ゴウが初めて確認したISSキット所有者であるシトロン・フロッグ。彼は先週以来、今も行方が分からないままだ。

 時折マッチングリストを確認しても名前は見られず、グローバル接続をしていないのか、あるいは別のエリアで、他のバーストリンカーを狩っているのかもしれない。

 そう考えると、いてもたってもいられなくなるが、二十三区中を闇雲に探すには広すぎるので、止む無く断念した。仮に見つけたとしても、キットを解除させる術をゴウは持っていないし、対戦で勝ったとしても、やはりキット自体が消えるわけではないからだ。

 熱くなるゴウを、大悟が片手を向けて制する。

 

「気持ちは分かるが、落ち着け。ここにいる全員が束になっても、今の状態のメタトロンには手も足も出ないし、加速研究会については目的も拠点も正体も不明だ。それにパウンドの話じゃ今週末、明日には七王や幹部格達が集まって会議をするそうだ。その時に議題に挙げるつもりらしいし、わざわざ会議をするってことは多分……対抗策もいくつか考えているんだろうよ」

「う……。すみません、大きい声出して……」

 

 大悟のもっともな言い分に、ゴウは反論できずに椅子へ座り直す。

 加速世界の最大勢力達が出張っている時点で、もう自分達がどうこうできる問題ではないのだろう。それでも内心で己の無力さに歯噛みすることは止められない。そんな時だった。

 

「──だから俺はもう一つの問題を解決していきたいと考えている。正体不明のレギオン、エピュラシオンについてだ」

「エピュラシオン……!!」

 ゴウにとって忘れようもない名称は一瞬だけだが、ISSキットのこと頭の隅に追いやった。

 大悟が話を進める中、ゴウは先週の無制限中立フィールドに突如として現れた、アメジスト・スコーピオン、チタン・コロッサル、そしてプランバム・ウェイトを思い出す。プランバムは自身をエピュラシオンの頭目、つまりはレギオンマスターだと名乗っていた。

 彼らはISSキットの存在を聞きつけ、各エリアを巡っているという。そして、こんなことを言っていたのを、ゴウは満身創痍の状態で耳にした。

 

 ──『やはり我々がこの歪みを正さねばならない』

 

「──どうも奴らには目的があって、キット自体というよりも、キットによる加速世界に対する影響力を見ているような感じがした。オーガーの話じゃ、その現状を憂いていたらしい。そうだろ、オーガー? ……オーガー?」

「え? はっ、はい……」

 

 大悟に呼びかけられて現実に引き戻される。

 確かに彼らが何者なのかは気にはなるが、すでに実害が出ているISSキットよりも優先度が高いものかは、ゴウには微妙なところだった。

 

「そのエピュラシオンについては僕もボンズに聞いてから調べてみたけど、今のところそれに関する情報が掴めないね。本当にレギオンとして存在しているのかも怪しい」

「相当秘密裏に活動しているってことなのかしら?」

 

 メモリーが口を開き、メディックが首を捻る。

 ブレイン・バーストは閉鎖的な環境であるが故に、噂や伝聞が非常に伝わりやすい一面がある。どこかのエリアで何か大きな出来事があれば、翌日にはそのエリアのほぼ全てのバーストリンカーが知っていても不思議ではない。

 プランバム達は噂にもならないほどに、水面下で活動しているということになるのだろうか。

 

「そいつら、ただの変人なんじゃねえのか? 千人のバーストリンカーがいりゃあ、訳の分からん奴らもいるだろ?」

「いや……ただの変人で済むような奴らには見えなかったぜ」

 

 キルンの意見にコングが口を挟む。直接彼らと対面したからか、その口調はいつもよりも真剣味を帯びていた。

 

「無制限フィールド内じゃ名前もレベルも表示されないから確信はねえけど、俺が直に見た限りじゃ、あいつら相当のハイランカーに見えた。今まで噂にも聞かなかったのが不思議なくらいのな」

「コングの言う通り、まさにそこだ。ただ革命家を気取っている、口だけの奴らだったらまだ良い。そうじゃなくて実力がハイランカークラス、その上パウンドやグランデが……王やその幹部さえ知らないとなれば話は違ってくる。……ここからは俺の勘になるんだが、奴らを野放しにしておくと、ISSキットとはまた別の脅威になりそうな気がしてならない」

 

 最古参のバーストリンカー、オリジネーターである大悟がここまで懸念を示したことで、ホーム内が水を打ったかのように静まり返る。

 これらは以前に大悟から聞かされていたことではあったが、ゴウも一度ISSキットのことは念頭から外し、脳内でエピュラシオンの優先順位を繰り上げた。

 

「話を纏めるとISSキットについては七王達に任せて──任せるなんて偉そうなこと言える立場でもないが。俺達はエピュラシオンについての調査をしていきたい……んだが、今更説明するまでもなく、このアウトローは『自由』がモットー。俺個人の、しかも曖昧な判断を皆に強制はできない。だから無理に手伝えとは言わん」

 

 ゴウは当然、大悟と共にエピュラシオンについて調べるつもりだ。

 しかし、他の皆はどうなのだろうか。

 アウトローはレギオンではないし、大悟がレギオンマスターなわけでもない。敢えて冷たい言い方をするなら、何の手がかりもないレギオンを探す義理はどこにも──。

 

「……ボンズよぉ。お前って奴は、昔からいつまで経っても水くせえよなー」

 

 始めに口を開いたのはコングだった。これ見よがしに露骨な溜め息を吐いて首を振る。

 

「普段は一番好き勝手やってるくせに、根っこの部分は生真面目というか……。何年もここを拠点にして一緒にいるってのに、『そうか頑張れ、応援してるぜ』なんて言うとでも思ってんのか? まぁ、昔は相談もしなかったから、少しはマシにはなったけど。なぁ、メディック」

「本当にそうよ! 今の話を聞かされたら尚更放っておけるわけないじゃない! 大体ボンズちゃんはいつもいつも──」

 

 この中でも大悟との付き合いが長い二人を皮切りに他のメンバーが続く。

 

「『俺達』とまで言っといて、そりゃあねえよな。何よりおめえの勘はよく当たる」

「もちろん協力しますよ、ボンズさん!」

「王クラスが知らないハイランカーの情報が知れる機会なんて、こっちから協力したいくらいだよ」

「皆でやれば、すぐに解決するよ、オーガーもそう思うでしょー?」

 

 キューブに促され、ゴウも同意を口にする。

 

「はい! 師匠、アウトローの皆でやりましょうよ。エピュラシオンを放置していたら良くないことが起こるかもしれないのなら、それは皆にとっても看過できない、僕達は自分の為に動くんです。それなら師匠が気兼ねする必要もないでしょう?」

 

 皆の総意を聞いた大悟はそっぽを向いてから、ガリガリと頭を掻いた。明らかに照れ隠しだ。

 

「随分と口がまわるようになったもんだな……」

 

 ──大悟さんもだけど、僕は馬鹿だな。ここにいる皆、レギオンみたいにシステム的な繋がりが無くても仲間だっていうのに、協力を渋るはずがないじゃないか。

 ゴウは自分の愚かさを反省しつつ、改めて仲間達の大切さを噛み締めた。

 

「……あのー。話が纏まってキリの良いところで、そろそろ私の用件を話し始めてもいい?」

 

 これまで事の成り行きを黙って見ていた(ほとんど蚊帳の外だったと言ってもいい)、ゴウの隣に座るフォックスが挙手をすることで注目を集めた。

 確かにここで口を開かないと更に話が進んでしまうので、フォックスとしては先に自分の要件を済ませおきたいのだろう、とゴウは立ち上がったフォックスを見やる。

 フォックスは先週のゴウとの対戦で、クローズド・モードにしてまでアウトローに連れていってほしい、と頼み込んできた。それがフォックスの大切な人の助けになるかもしれないとのことだったが、今日フォックスとこのホームに向かっている時に訊ねても、「後で話す」の一点張りだった。

 ──フォックスさんといい大悟さんといい、何だってこう、話を勿体つけるのかなー……。

 

「お、おお、悪かったな。オーガーの話じゃ、ここがどういう場所なのか見たかったらしいな。それで? 腹は決まったか?」

「ええ。オーガーが話していたように、あなた達がとても良い人達なのが、ほとんど初対面であっても実際に会話を聞いて、直接目にして分かった」

 

 いやいや、それほどでも、と褒められたメンバー達が嬉しそうに謙遜し、ゴウも顔が熱くなる。身内を褒めたことを当人達の目の前で話される、というより晒されるのはかなり気恥ずかしい。

 

「──それじゃあ単刀直入に聞くけど、この中で《クリスタル・ジャッジ》ってバーストリンカーについて誰か知っている人はいる?」

 

 その名前を聞いて、ゴウの感情が羞恥から驚愕に変わる。

 つい数日前の大悟との心意修行後、大悟の父方の実家に当たる寺の敷地内にある道場で、大悟に聞かされたことがフラッシュバックする。

 

 ──『それと最後に一つ。今話した弟とその《子》、二人のバーストリンカーがアウトローに存在していたってことを、頭の隅にでも憶えておいてくれ。弟のアバターネームは《カナリア・コンダクター》。そして、《子》の名前は……《クリスタル・ジャッジ》だ』

 

 ゴウは停止していた一つ物事の時間が動き出すような、そんな予兆を感じ取った。

 



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第三十四話

 第三十四話 フール・オア・ピュア

 

 

 ガタァン!! 

 

 突然大きな物音がしたかと思うと、自分の隣にいるフォックスの前に、三メートルは離れていたカウンターのスツールに座っていた大悟が立っていることに、ゴウは気付いた。いかに戦闘時ではないとはいえ、まるで反応できなかった。

 

「……お前さん、ジャッジの何だ?」

「え……? いまそこに……え?」

 

 フォックスもゴウ同様に、大悟の動きに対する驚きのあまり、混乱しているようだった。

 

「あいつはまだバーストリンカーで……東京に戻っているのか? ここに来たのはあいつの差し金か?」

「ち、違……私は……」

「答えろ!!」

「師匠! 落ち着いてください!!」

 

 迫る大悟の姿に困惑しながらも、ゴウはフォックスを庇うように間に割って入ると、コングとメディックが大悟を押さえた。

 

「オーガーちゃんの言う通りよ。あたし達だって驚いているけど、まずは彼女の話を聞くべきだわ」

「座れって。そんな風に怒鳴られたら、話すものも話せないだろ?」

 

 メディックが宙で手を動かしてホームの設定を操作し、背もたれの付いた簡素な椅子を一脚、大悟の後ろに出現させた。

 残りのメンバー達も見守る中、やがて大悟が椅子に座る。

 

「…………悪かった。まさか……自分でもここまで動揺するとは思わなかった……。こんな恫喝じみた真似をする気はなかったんだ。本当にすまない」

 

 鬼気迫る勢いが消え、両膝に手を置いた大悟が申し訳なさそうにフォックスに向けて頭を下げた。

 

「そ、そこはもういいんだけど、ともかく……その様子からして、ジャッジを知っているのね? 私との会話で、ごくたまにだけどアウトローについて触れると、ジャッジはすぐに話を畳もうとするから、もしかしてと思ってオーガーにここを紹介してもらったの」

「そういうことだったのか……。あぁ、よく知っている……つもりだ。少なくても六年前までは。──オーガーに話して間もない内にこんな機会が訪れるとは思わなかったが、これも何かの巡り合わせか。……他の皆にも話しておかないといけないことがある。フォックス、お前さんにもな」

 

 

 

 大悟が自身の過去をゴウに語ったのはたった三日前のことだ。

 大悟はその時のように、リアルに関わる詳細な生い立ちまでは話さなかったが、自分の弟とその弟がブレイン・バーストをコピーインストールしたバーストリンカーについて、メンバー達とフォックスに説明した。すでに弟がこの世を去っていること、その《子》にあたるクリスタル・ジャッジとは仲違いに近い形で別れたまま、ジャッジが引っ越してしまい、東京を離れたことも。

 

「なるほどな、そういうことだったか」

 

 大悟が説明し終えた後、納得するようにキルンが口を開いた。

 

「カナリア・コンダクター、クリスタル・ジャッジ。ボンズ達と一緒に活動していたことは知っちゃいたが、どっちもワシがアウトローに入った時にゃ、もういなかった。話題に出りゃ、露骨に空気が重くなるから深くは聞かなんだったが、話を聞いた今ならそれも納得いくわな」

「でも私、ここ以外でジャッジさんの名前を聞いたことがないです……」

 

 リキュールもぽつりと呟く。

 この件を知っていたのは、アウトロー結成時のメンバーであるコングとメディック、そして大悟から直接聞かされた自分だけだとゴウは思っていた。

 しかし、カナリアとジャッジがアウトローを離れた後に加入する形となった、当時すでにバーストリンカーだったというキルンとメモリーは元より、ゴウがバーストリンカーとなる二年ほど前にアウトローのメンバーとなった、リキュールとキューブもある程度の事情は知っている様子だ。

 

「ジャッジは……私と一番年の近いいとこで、去年の新年度が始まる少し前に私にブレイン・バーストをコピーしてくれた。でも、私はジャッジが他の誰かと対戦している姿を見たことがないの」

「対戦をしていない……? エネミー狩りでポイントを賄っているってことですか?」

 

 ゴウはその行動には覚えがあった。

《親》である大悟は自分以外と対戦している姿を見せず、最初の頃はどうやってポイントを得ているのか謎だったが、その答えは無制限中立フィールドでアウトローのメンバーと共にエネミー狩りを行っていたからだった。

 理由としては、どちらかと言えば周囲に恐れられている自分が《親》であることで、ゴウが周りから色眼鏡で見られないようにした配慮であり、ゴウがアウトローに入った後はそれも不要と判断したようで、通常対戦を解禁していた。

 それでも基本的には乱入待ちがスタンスな上に、過疎エリアである世田谷ではハイランカーはほとんど現れないので、名を上げようとする挑戦者(命知らずとも取れる)と対戦するのをごく稀に見る程度だった。

 ところが、フォックスは首を横に振った。

 

「分からない。ジャッジはバーストリンカーとして、今までどうやって過ごしていたのかをほとんど話してくれないし、そもそも東京には住んでいない。週末に横浜からこっちに来て直結対戦をするのが恒例になっているの。向こうでエネミー狩りをしているかもしれないけど、私がレベル4になって以降、一月に一度くらいの頻度でエネミー狩りに行くぐらいで……」

「横浜……」

 

 ゴウが思わず声を漏らす。

 東京には全バーストリンカーの九割以上が存在している。ブレイン・バーストを配布されたのが東京在住の小学生達だった為に当然なのだが、どんなハイランカーであっても、そこはまだ保護者の庇護下にある子供。基本的に親の転勤などの事情があれば、引っ越しで東京を離れざるを得ない。

 そして、引っ越し先で他のバーストリンカーに遭遇する可能性は皆無に等しい。さりとてエネミーを単身で狩り続けるのもジリ貧だ。故にほとんどの場合は、東京を離れたバーストリンカーは緩やかにポイント全損による永久退場へと向かうはずなのだが、東京都と隣接する千葉県や神奈川県、特に都市としても比較的大きい横浜市は数十人規模のレギオンが存在するという噂を聞いたこともある。

 ジャッジも他のバーストリンカーに出会ってポイント全損を免れたのかもしれない。

 ──それにしても過去を明かさなかったり、大悟さんと似たような人なのかな……。

 ゴウの中でクリスタル・ジャッジの現実での人物像が、大悟に似た学生離れした青年のようなイメージで勝手に固まり始める。

 

「まさか横浜か……盲点だったな。それでフォックス。話を聞くにあいつは……ジャッジは何らかの悩みを抱えているんだな?」

 

 大悟の言葉が図星だったらしく、フォックスがビクリと反応してから、ゆっくりと頷いた。

 

「…………私が新米(ニュービー)の頃から対戦をしていると上の空というか、思い詰めたような顔をする時が何度かあった。それとなく探っていると、どうもリアルじゃなくてブレイン・バーストに関することみたいなんだけど、これは自分の問題だから私には関係ないの一点張りで……。つい最近、私もレベル6になって、改めて悩んでいることがあるなら話してほしいと頼んではみたけど返答は変わらなくて……。それが私を気遣っての行動なんだってことは分かってる……。でも、それでも私は……」

 

 それ以上は言葉が詰まってしまい、うなだれるフォックスを見て、ゴウはフォックスが意を決す形で自分に相談を持ちかけたのだと、ようやく実感した。

 しかし、フォックスの為に何をしてあげればいいのか分からずに、ゴウが悩み始めたその時。

 

「──直接話すしかないな。それもリアルで」

 

 そう発言する大悟に、全員の視線が注がれた。

 

「多分、ジャッジは自分でもどうにもならない袋小路に陥っているんだろ。そうなったらもう外部の人間が介入、崩さない限り状況は変わらない。フォックス、ジャッジは週末に東京に来るとか言っていたな? 来週……いや、できたら明日にでもお前さんから呼び出すことはできないか?」

「それは……向こうに予定がない限りは多分できるけど、リアルじゃなくて加速世界じゃ駄目なの?」

「会う度に毎回ダイブしているわけじゃないなら確実性がないし、無理に誘ったらすぐに怪しまれる。現実で会って一度席を設けちまえば、あの堅物の性格上、終わるまで退席はしないはずだ」

「そ、そうかもしれないけど……」

 

 フォックスが困惑するのも無理はないと、ゴウは思った。

 現実世界で引き合わせるということは、バーストリンカーにとって禁忌の一つである《リアル割れ》をするよう、暗に言っているからだ。この場合はほぼ明言しているが。

 ジャッジと大悟はすでにリアルで面識があるとはいえ、それは小学生時代の話だし、その場にフォックスも同席していなければ、ジャッジは姿を見せはしないだろう。

 

「……確かにお前さんのリアルを明かしてもらわないといけないことになる。それにアウトローじゃ、本来はリアルの詮索は御法度だ。白状すれば正直な話、これは俺自身の私情も入っている。それでも頼みたい。……どうか俺を信じてもらえないか」

 

 大悟が居住まいを正してから、深く頭を下げた。

 

「とっくに加速世界を去っていると、俺達と過ごした過去を忘れて生きているものとばかり思っていた。あいつがまだバーストリンカーとして生きているのなら、会って伝えなきゃならないんだ、あの時のことを」

 

 六年前、病気で余命が幾ばくもないことを悟った弟の経典にサドンデス・デュエルを申し込まれた末、ポイント全損させたことを大悟が指しているのが、ゴウにはすぐに分かった。

 

「あいつの赦しが欲しいわけじゃない、ただ事実を知ってほしい。そして、あいつが何かに苦しんでいるのなら助けてやらなきゃいけない。それが俺の義務でもある」

 

 本日何度目かの静寂の中、メンバーの視線がフォックスに注がれるが、当のフォックスの表情は明らかに迷っている。

 ゴウが見るにフォックスはまだ決心をするに足る、理由が足りていないように思えた。

 大悟の懇願は確かに叶えてあげたいと思うのが人情だろう。しかし、まともに会話をしたのが数度しかない者を信頼しろというのは、存外に難しい話だ。それこそ何度も交流を交えた親しい者でなければ──。

 そこまで考えた途端、ゴウは体に電流が走ったような気がした。そして、とっさに立ち上がると、ホーム中の視線が一気に自分に移るのを感じつつ、隣に座るフォックスの方を向いて、閃いたことをそのまま言葉に乗せた。

 

「──だったら、僕もその場に同席してリアルで会うのはどうですか?」

 

 シ────────ン………………。

 

 一瞬でそれまで場を満たしていた静寂の質が変わった。

 この状況を固唾を呑んで見守っていた緊迫した空気が、その場の誰もの思考が全て吹き飛び、ポカーンとなってしまったような間の抜けた空気に。

 一応ゴウにも理由はあった。

 フォックスが自分のリアルと引き換えに、バーストリンカー二人分のリアル情報を得られるという打算的なものや、これまで一年以上の年月を対戦やギャラリー観戦などで交流を深めた相手が同席するのなら、多少の不安も軽減されるのではないか、という自分なりの気遣いなどその他諸々の理由を、脳内でほぼ一瞬で考え付いてから提案したのだが、ほんの数秒後の自分でさえも、こいつは何を言っているんだと思えるほど、滅茶苦茶な理由だ。

 ゴウは今ほど、熟慮という行為の大切さを感じずにはいられなかった。

 ──あぁ、終わった。やっちまった……。

 今すぐにこの場から消えてしまいたい衝動に駆られながら、「何でもないです」と言って座ろうとしたその時──。

 

「ぷっ、くっ……」

 

 最初にフォックスが小さく噴き出した。それを皮切りにメンバー達が、そして大悟も、やがて耐え切れなくなったようにホームに笑い声が響き渡る。

 その理由が分からないゴウはデュエルアバターの体じゃなければ、顔が本当に発火するのではないかと思うほどの羞恥の中で一人戸惑っていた。

 

「わ、分かった……! いいよ、リアルで会おう」

 

 数十秒かけて、ようやく笑いが収まりつつある中でのフォックスの第一声はそれだった。

 

「はい、すいませんでした……。──って、へえぇっ? 良いんですか!?」

 

 もはや了承を得られると思っていなかったゴウは素っ頓狂な声を上げてしまう。

 

「はー、おかしかった。別にオーガーの言ったことがじゃないよ、だって言い方が……何の迷いもなく言うんだもん。迷っていたこっちが馬鹿みたいで、なんだかおかしくなっちゃって……」

「まったくだ。レベル5まで上り詰めて、リアル晒しますなんてあっさり言える奴なんかいないんだぞ」

 

 コングが同意すると、残りのメンバー達も頷く。

 

「それじゃあ、後で連絡先を伝えるとして……場所はそっちで決めてもらっていいか? その方がジャッジの警戒心も薄れるだろうし」

「分かった、そこは任せて。もし明日が無理ならその時も連絡するから」

 

 大悟と話を纏めるフォックスに、先程までの思い詰めた雰囲気は消えているようなので、恥をかいた甲斐はあったとゴウは納得することにした。

 

「エピュラシオンの方はどうする? ジャッジの件が片付くまでは保留?」

「いや、そっちも平行して進めよう。各々で情報収集ってことで。いずれにせよどっちも早々に解決した方が良さそうだしな」

 

 メモリーの質問に返答した大悟が立ち上がる。

 

「それじゃあ、ぼちぼちエネミー狩りといこうか。フォックスも良い機会だから来な。モヤモヤしたのなら、体を動かして発散するのが一番だ」

 



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第三十五話

 第三十五話 出会いに感謝を

 

 

「──いつもあんな感じなの?」

 

 エネミー狩りを終え、これからの動きを改めてアウトローで整理してから、共にポータルへと向かうフォックスに、ゴウはそう訊ねられた。

 

「何の話ですか?」

 

 大悟に「送ってやれ、ゲストだからな」と言われて、行きと同様にフォックスの隣を歩くゴウは首を傾げる。

 

「アウトローのこと。皆で集まってワイワイ話したり、エネミー狩りをしたり、その……新鮮で楽しかったから」

「えーと……フォックスさんはジャッジさんと、ここにダイブしているんですよね? いつもとは違うんですか?」

「どちらかというと私の為に付き合ってくれているような感じ。──別に嫌々付き合ってもらってはいないからね、誤解しないように」

「そ、それはもちろん、分かっていますよ。でも、他のレギオンに入ろうとか思ったことはないんですか?」

「んー……? レギオンって存在を知った時は少し興味があったけど、今は特に。ソロでもジャッジにいろいろ教わりながらここまで強くなれたし」

 

 そのジャッジの教えが相当に上手いのか、はたまたフォックスのセンスが良いのか、現在フォックスはレベル6。本来ソロでレベル4以上になるのはかなり厳しいので、これはかなり凄いことだ。

 ゴウも厳密にはソロだが、アウトローでは仲間達から様々な対戦でのコツなども教えられているし、週に一度は高確率でエネミー狩りをしている。

 エネミー狩りに関しては、ほとんどポイントの実入りが無いが、ごく稀にやたらに大量のポイントを得られるエネミーを倒すこともあった。しかし別の日に同種を倒しても、再び大量のポイントは得られなかったので、これに関しては何かしらのボーナス程度にゴウは捉えている。

 

「……今だから言うけど私ね、実はオーガーには結構、感謝してるんだ」

「か、感謝? 僕、別にお礼を言われるようなことは何もしてませんけど……?」

 

 全く身に覚えがないゴウは戸惑いながらも否定しようとすると、フォックスが首を横に振る。

 

「ううん。バーストリンカーとして早い時期から会えて良かったと思えるもの。今回だってアウトローを紹介してくれたし。まさかジャッジと昔一緒に活動していた仲間だったなんてね」

「それは僕も驚きましたけど……。でも僕はあなたをアウトローに連れていっただけですよ。僕自身、ジャッジさんについては何日か前に師匠から名前を聞かされた程度ですし──痛てっ」

 

 ぺしっと頭を(はた)かれたゴウが振り向くと、フォックスがどこかむっとした様子でこちらを睨んでいた。

 

「そこはどういたしましてーって言っておけばいいの! 謙遜もあんまりすると嫌味っぽく聞こえるよ。……まぁ、オーガーらしいと言えばらしいけど」

「は、はぁ……すみません」

 

 ──そう言われても事実だしなぁ……。

 ゴウからすれば他に言いようがなかったのだが、フォックスは結局勝手に納得してしまう。

 こうなると叩かれ損のような気がしていると、フォックスが再び訊ねる。

 

「……オーガーは最初に私と対戦した時のこと、憶えてる?」

 

 ゴウには忘れようはずがなかった。

 大悟からブレイン・バーストをコピーインストールされた翌日のことだ。どういったアプリなのかさえ知らなかったのに、突如対戦を申し込まれ、気付けば自分の体がデュエルアバターになっていたのだから。

 

「訳の分からない内に知らない場所に知らない姿でいたら、いきなり知らない誰かにボコボコにされたんですよ? 忘れられるわけないです……」

「あはは、ゴメンゴメン。さすがにそんな事情までは知らなかったもの。──あの頃はレベル2になったばかりだったんだけど、ジャッジが何かを抱えていることに初めて気付いてね。問い詰めても教えてくれなくて、しばらくの間は少し喧嘩気味になった。その鬱憤晴らしも兼ねてやたらに対戦していてさ」

 

 ゴウは思い返すと、こうして話す仲になったことを差し引いても、確かに今に比べるとフォックスは当初もっと刺々しかったような気がする。

 

「次の日に乱入された時は、昨日の今日で挑んでくるなんて身のほど知らずだな、とか思ってた。レベルも1のままだったから軽く捻るつもりでいたんだけどね」

 

 大悟から対戦について教えられたゴウはリターンマッチを仕掛けて、苦闘の末にフォックスに逆転勝利を決めることができた。あの対戦での勝利によって、ゴウはブレイン・バーストに強く惹きつけられたと言っても過言ではない。

 

「いきなり劣勢にされて、今度は優勢になって、お互いに死力を尽くして。最終的には負けたし悔しかったけど、不思議と充足感もあったんだよね」

「充足感?」

「そ。あの頃の対戦は負けた時はもちろん、勝っても何だかスッキリしなかった。でも、あの対戦は自分の全力を出し切ったからかな、久々に燃えた、やり切ったって感じがしたんだ。多分、オーガーが他の対戦相手の誰よりも、心の底から真剣に私とぶつかってくれたからだと思う」

「真剣に……」

 

 あの対戦中、ゴウはフォックスから反撃を受けて一気に不利になり、もう負けたと諦めかけていた。しかし弱い自分を変えようと、今までに無いほどに気力を振り絞って立ち上がったのだ。

 あれが以前までの自分とは、少し違う考えを持つようになったきっかけの一つだと、ゴウは今でも思い返すことがある。だが、どうやら影響を受けたのは自分だけではなかったらしい。

 人の行いは他人に何かしらの影響を与える。

 そんな当たり前のことをゴウは今更ながらに実感した。

 

「その後でジャッジとも仲直りできたし、先週だってフロッグにやられそうだった時に助けてくれたし、だから、その、何て言うか……いろいろありがとう」

 

《荒野》ステージの乾いた風に乗った声が耳に届く。

 もじもじと恥ずかしそうに両手をいじるフォックスの姿が何だか新鮮で、ゴウは言葉が出てこない。どことなく気まずい沈黙が辺りを包み始める。

 ──なんだろうこの不思議な感じ……。こんなの今まで──。

 

「…………なんか言ってよ!」

「痛だだだだ!?」

 

 フォックスがいきなりゴウの首筋にかぶりついた。

 すると、先程のエネミー狩りで残っていた必殺技ゲージが少しずつ減少していく。フォックスのアビリティ《奪活咬(メンタル・バイト)》の効果だ。

 

「《シェイプ・チェンジ》!」

 

 必殺技ゲージを吸い取ったフォックスは完全な四足形態に変わると、キッとゴウを睨んだ。

 

「じゃあね! 連絡は今日の、なるべく早い内にするからよろしく。それと今の会話は誰にも言わないように。絶対だからね!」

 

 そう早口にまくし立ててから、尻尾を一振りしたフォックスは、ポータルのある方向へ脱兎の如く駆け出す。あっという間に姿が小さくなり、やがて岩が陰となって姿は見えなくなってしまった。

 

「いきなりどうしたんだろ……?」

 

 残されたゴウはフォックスの行動理由がさっぱり分からず、しばらく呆けたまま立ち尽くすのだった。

 

 

 

 ほぼ同時刻、アウトローにて。

 

「しっかし、驚いたよなぁ」

 

 今日の集会を終えて解散となった後も、このホームにはアウトローと名乗る集団の創設メンバー達であるコング、メディック、そして大悟の三人だけが残っていた。

 ちなみに残りのメンバーは、ジャッジと付き合いの長かった彼らだけで話すこともあるだろうと、気遣って先に帰っていった。

 

「漠然としすぎよぉ。ジャッジちゃんがまだバーストリンカーだったこと? 《子》であるフォックスちゃんがここに来たこと? それともフォックスちゃんがリアルで会うのを了承したこと?」

「全部だよ。だって六年以上音沙汰なかったんだぜ? さすがに全損なりアンインストールなりしたかと思う方が普通だろ」

「それはまぁ……そうねぇ。フォックスちゃんは去年の四月よりちょっと前にブレイン・バーストをコピーして貰ったって言っていたし、それまではともかくとしても、今は少なくとも東京に来ているんだから、私達に会いに来てくれれば良いのに」

「──そりゃ、《親》を全損させた奴がいる場所に来たいとは思わんだろうよ」

 

 コングとメディックの会話に、大悟がやや暗い声で口を挟んだ。

 ジャッジは経典が同意の上の対戦の末に、大悟に討たれた事実を知る由もないだろう。最後に自分を見るジャッジの表情を、大悟は今でも憶えている。口を引き結んで、今までに見たことがないぐらいにこちらを強く睨んでいたあの顔を。

 コングとメディックは顔を見合わせてから、大悟を励まし始めた。

 

「げ、元気出せよ、ボンズ。リアルで会えることになったんだし、あの時の事情を知ればきっとジャッジだって許してくれるって」

「そうよぉ! そうしたらここに戻って来てくれるわよ。そうなったらフォックスちゃんも一緒にメンバーになってくれるかも──」

「事実を伝えるだけだ、許してもらう為じゃないってさっきも言ったろ。それに今回はあいつの抱えているトラブルなり懸念事項なりを解決する為に会うんだ」

「でもよぉ……」

「くどい。本当なら向こうから来ない限り介入するべきじゃないんだ。それでも会おうとしているのは、自己満足と思われても仕方がない」

 

 一度は決裂してしまった間柄、向こうからしてみれば、余計なお世話であることを大悟は重々承知している。だが事情は知らなくとも、苦悩しているというかつての仲間を放ってはおけなかった。現実世界で対面している数少ないバーストリンカーの一人であるなら尚更だ。

 

「……分かった、それについてはもう言わないわ。──それにしてもオーガーちゃんてば、凄いこと言うわね。自分もリアルで会うだなんて」

 

 一転、クスクスとメディックが楽しそうに笑う。

 

「あぁ……あれはさすがに予想外だった」

 

 大悟としても、まさかこんな展開になるとは思いもしなかった。

 そもそもバーストリンカーにとって、リアル情報の流出は何よりも避けなければならない最優先事項である。それは普段から大悟もゴウへ耳にタコができるほどに常々言っていることだ。

 これは昔が現在よりも、リアルアタックが横行していたことも理由の一つである。なにせ加速世界では百戦錬磨の強者であっても、現実では小学校低学年の子供、複数人でかかれば物理的に抑えることは容易いし、その現場を大人に見つかったところで、ほんの悪ふざけ程度にしか見られないからだ。

 やがて時が経つに連れ、ソーシャルカメラの更なる普及、年齢層が自然と引き上がることによる社会的なペナルティに対する意識、大レギオンの監視の目などでフィジカル・ノッカー、つまりPK行為を行う者は大幅に減少した。

 しかし同時に、年齢層が上がることは車両や凶器の使用、違法アプリを作成するプログラミング技術、リアルマネーでPK行為を引き受ける集団まで現われることにも繋がり、より凶悪な存在になっていることも問題だった。

 それほどに学業や部活動のスポーツを始めとする事柄に、加速が与える恩恵は強力で魅力的なのである。とはいえ純粋にゲームとして楽しむ者が多いことには変わりなく、アウトローメンバーも大悟が知る限りでは、加速を勉強やスポーツに積極的に利用する者はいないはずだ。

 

「古くからバーストリンカーだった俺達とはまた考え方が違うのかもしれないな。それでもオーガーも馬鹿じゃない。デビュー当時から対戦をしているフォックスだからこそ、あんな申し出をしたんだ」

「フォックスの方もオーガーを信頼しているみたいだったよな。先週ここに来た時も、あんな傷だらけで第一声が『オーガーを助けて!』だったしよ。多分ボンズの言い分だけじゃ、うんとは言わなかったろ」

「まぁな。そこはオーガーに感謝だ」

 

 コングに言われるまでもなく、それは大悟にも分かっていた。

 当然ながら何事にも馬鹿正直に従うわけではないが、基本的に人の言葉を素直に受け止め、信じられるのはゴウの持つ美点の一つである。

 会ったばかりの自分からブレイン・バーストのコピーインストールを了承した時から、数日前に助言を受けつつも心意システムの修得するに至るまで、その性根は変わっていない。

《親》としても、そして友人としても、これからもその根幹が変わらないでいてほしいと密かに願っていた。そんな自身の性分を本人が自覚しているのかはともかく。

 

「加速世界も時代の節目に向かっているのかもな。新しい存在がどんどん古い存在を追い越そうと、前に前にと近付いてきている気がするよ」

 

 座っていたソファーに深く腰かけ、大悟はそんなことを呟いた。

 それを聞いたコングが、メディックに小声で感想を漏らす。

 

「なぁメディック、ボンズってたまーに爺さんみたいなこと言うよな……」

「シーッ。本人も無自覚みたいだからそういうこと言わないの」

「…………聞こえてんぞ」

 



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第三十六話

 第三十六話 再会と初対面

 

 

 翌日の日曜日、六月二十三日。

 ゴウは大悟と共に、目黒区にある全国チェーンのファミリーレストランに足を運んでいた。この場所こそが、今回リアルでクリスタル・ジャッジに会う為に、昨晩フォックスからメールで指定された会場であった。

 確かに大悟がなるべく早くとは言ったものの、ゴウとしては心の準備ができていないまま今に至る。

 

「──よし。メールは送ったし、入るとするか。もう店の中にいるらしいし」

「あの……大悟さんはこうしてバーストリンカーとリアルで会ったことってあるんですか?」

「うん? 弟と今から会う奴以外にはないな」

 

 あっけらかんとした態度で答えながら、まるで緊張していない様子で歩き始める大悟の姿は、今の自分の心境に対してまるで参考にならず、ゴウは肩を落として付いていった。

 何と言っても大悟以外のバーストリンカーに生身で対面するのは初めてのことなのだ。それも今まで何度も鎬を削り合ったライバルと、大悟達と共にアウトローを立ち上げた、言わば先輩に当たる人物とである。

 

「緊張しないんですか? 僕なんて昨日は気になって中々寝付けなかったのに……」

「大げさな……同年代だぞ。別に外国人に会うわけでもあるまいし、そう気負うなって。会っちまえば問題ないない……多分な」

「いや、多分って──」

 

 店の自動扉が開くと、すぐにウェイトレスが出迎えた。大悟が待ち合わせであることを伝え、ゴウは辺りを見渡す。

 時刻は十時過ぎ。休日であっても昼にはまだ早いことから、さほど客は多くはいない。

 すると、同年代に見える女子がこちらを見ながら近付いてきた。

 女子はゴウと大悟の前で立ち止まると、ややためらいがちに質問を投げかける。

 

「……誰かと待ち合わせていますか?」

 

 服装はロゴの入ったTシャツに、丈の短いデニムパンツ。ヒールが高めなサンダルを差し引いても、背はゴウよりもやや高く、首にはライトブルーのニューロリンカーを装着している。しかし、ゴウの目を引いたのは女子の服装ではなかった。

 金髪のポニーテールに、眉毛と睫毛も同じく金色。鼻が高く、目の色はヘーゼル。有り体に言えば外国人だった。

 ──もしかして、この人がフォックスさん……? 

 予想外の姿にゴウは言葉が出てこない。

 

「……古い知り合いと会うのに、ここを指定された」

 

 さすがの大悟も面食らったようで、少し間を置いてから答える。仮にこの女子がフォックスでなければ、この一言だけでは意味が分からないだろう。

 

「…………こっちに」

 

 女子はゴウと大悟を眺めてから、付いてくるように促した。

 そんな後ろ姿を追いながら、一歩引いたままゴウは隣の大悟だけに聞こえる声量で話しかける。

 

「大悟さん……」

「あー……さっき言ったことは忘れろ。まぁ日本語流暢に喋ってるし、問題ないって」

 

 やがて、店の奥に位置するテーブル席で女子が立ち止まる。

 

「お待たせー」

 

 席に座っているもう一人に声をかけているが、仕切りの曇りガラスでゴウ達の角度からは見えない。

 女子に手招きをされてテーブルの前に出たゴウは、またしても予想を裏切られることになった。

 

「遅かったです……ね……?」

 

 テーブルに座っていたのは、伸ばした髪を一つに束ねた、黒髪の女子だった。

 服装はブラウスに薄い桃色のカーディガン、淡い色合いのロングスカート、首元にはシンプルなホワイトカラーのニューロリンカー。こちらは純和風といった顔立ちをしている。

 見知らぬ二人が現れたからだろう、黒髪女子の表情がたちまち怪訝なものへと変わる。

 

「こちらの方達は……?」

「……その堅苦しい言葉遣い。お前さんは相変わらずだな」

 

 そう言った大悟を、黒髪女子はじっと見つめてから、すぐに大きく目を見開いた。

 

「だい──如月君?」

「…………あぁ、久し振りだな、岩戸(いわと)

 

 

 

「お待たせしました。チョコレートパフェと白玉ぜんざいになります」

 

 数分後。テーブル席には奥側に大悟、その隣に座るゴウの前に注文したデザートが置かれた。「ごゆっくりどうぞー」とデザートを運んだウェイトレスが軽くお辞儀をして去ると、大悟は手を合わせてから、早速パフェを口に運び始める。

 

「えー……それじゃあ自己紹介からしていっていいかな?」

 

 ゴウの対面に座る金髪女子が、遠慮がちに話を切り出す。

 先程、大悟との六年振りの再会を果たした、岩戸と呼ばれた黒髪女子がすぐに席を立とうとした直後、すでに注文していたらしいケーキセットが運ばれてきた。

 その際に「せっかくの料理を無駄にするのか?」と大悟が半笑いで訊ねると、岩戸は少しだけ迷ってから、やがて悔しそうな顔して再び席に座った(ゴウは大悟に「こういう奴なんだよ」と、素早く耳打ちをされた)。

 金髪女子は隣に座る、不機嫌そうに黙り続ける岩戸をちらりと見てから、肩をすくめてこちらを向いた。ちなみに岩戸はこの時点ですでにケーキを完食している。

 

「私は早稲倉(わせくら)宇美(うみ)、中三ね。えっと……《狐》です。先に言っておくけど祖母がイギリス人のクォーターで、見た目以外は日本人だからあしからず。英語話せないし」

 

 ムーン・フォックス改め宇美は、ブレイン・バーストに関する単語をややぼかして自己紹介を済ませると、目で「次はそっち」と訴えかける。

 

「じゃ、じゃあ次は僕が。御堂剛、中二です。向こうでは《鬼》です……」

「如月大悟、高一。《坊さん》だ」

 

 ゴウに続いて大悟が簡単に自己紹介を済ませると、三人の視線は残った一人に向けられる。

 

「……それで、彼女が──」

「いいです、宇美。自分で言いますよ。……とはいっても私を知らないのは貴方だけですね」

 

 岩戸が観念したように、代わりに紹介しようとした宇美を遮ってから、ゴウに向き直る。

 

「岩戸晶音(あきね)と申します。高校一年生です。ここにいる宇美と同じクォーターですが、見ての通り日本人の血の方がずっと濃いです。というよりも、クォーターでここまで海外の血が容姿に反映されたこの()の方が珍しいのですが……。そうですね……《裁判官》と言えば、私のことは分かりますか?」

 

 丁寧な口調で名乗る晶音に、未だに困惑しているゴウはコクコクと頷くことしかできなかった。

 彼女こそがクリスタル・ジャッジということになるのだが、当時の大悟ら兄弟の友人ということで、てっきり男性だとばかり思っていたからだ。

 よくよく思い返すと、大悟も他のアウトローメンバー達も性別に関しては言及していなかったので、早合点と言われればそれまでなのだが、大悟が敢えて言わなかったという確信がゴウにはあった。

 ──絶対こっちのリアクション見たさに黙ってたな、この人……。

 隣の大悟を見ると、案の定こちらを見ずに肩を震わし、スプーン片手に笑いを堪えている。

 

「……それで宇美。これはどういうことですか? 何故この人達をここに呼び出したのです。リアル割れの危うさについてはしっかり説明していたはずですよ?」

 

 すでに自分のケーキを食べ終えている晶音がコーヒーの入ったカップを持ちながら、宇美を責めるように問い詰める。

 

「そりゃ、お前さんがずっと思い詰めているのを心配していたからだよ。自分のリアルを晒してまでな」

 

 宇美よりも先に大悟があっさりと事情を伝えると、晶音の表情がすぐに曇る。

 

「まだそんなことを……」

「そこの彼女から大まかな事情は聞いた。まだるっこしく言っても時間の無駄だからな、単刀直入に聞く。何があったんだよ。俺はてっきり、お前さんはとっくの昔に退場したものとばかり思っていたぞ」

「……ですからこれは私の問題であって、他人には関係が──」

「他人?」

 

 宇美が険の込められた声を上げ、晶音をキッと睨む。それから周りに同年代の人間がいないことを確認してから、若干声のトーンを落として話し始める。

 

「私は他人なの? いとこで《子》でもある私は晶音にとって、その辺りにいる人と一緒?」

「こ、言葉の綾です。私が一人で解決しないといけないということであってですね……」

「一年以上もそんなにずっと悩んでいることって何なの? 私はね、そうやって晶音が教えてくれないから、この人達に相談したの。そりゃ……まさか昔の仲間だったなんて思わなかったけどさ」

「……そういうことですか。つまり如月君、この状況は貴方の差し金ですね? ──そもそも宇美が私の《子》だと知ったとはいえ、今更になってよく私に会おうと考えたものです」

 

 何かを察したように晶音は、空恐ろしいほどに冷ややかな声で大悟に向かって問い質す。

 そこで大悟がようやくパフェを食べる手を止めて、容器を横にずらした。

 

「そう睨むな……って言っても無理ないか。先に頼まれた件の方を解決しようと思っていたが……それはただの逃げだ。本当は会ってすぐに伝えるべきだよな」

 

 大悟が背筋を伸ばしてから、晶音を見つめる。

 

「──六年前、確かに俺は弟とのサドンデスに勝利した末にポイントを全損させて、弟を強制アンインストールに追い込んだ。だがそれは……もう時間の残されていない弟が、経典が最後に俺と全身全霊の真剣勝負をする為だったと、俺は思っている。俺に手加減をしてほしくなくてな。信じ難いだろうし……お前さんからすれば都合の良いようにしか聞こえないだろうが、生まれてからずっと一緒だった俺には分かるんだ」

 

 一度大悟から聞いているとはいえ、その過去はゴウにはやはり胸に重くのしかかるように感じられた。

 

「お前さんには事情を説明する間もなくて……ってのは言い訳だな、とにかく──すまなかった」

 

 大悟はほとんどテーブルに付かんばかりに頭を下げる。

 ゴウには最後の一言に、大悟がずっと晶音に対して言いたかったことを集約させたように思えた。

 

「……頭を上げてください。そういったような事情だろうとは推測していました」

 

 思わぬ晶音の返答に、大悟が素早く前を向く。

 すると、今度は晶音が大悟に対して頭を下げた。ゴウも宇美も、大悟ですら驚いて目を丸くする。

 

「けれど貴方の口から直接真実を聞きたかったのです。責めるような言い方をしてしまって申し訳ありません。私は貴方が……経典君を永久退場させたことについて恨んではいません」

「じゃ、じゃあ……どうしてアウトローに戻ろうとしなかったんだ?」

 

 てっきりゴウも晶音は大悟が話した内容に基づく確執から、大悟やそれに関わるアウトローを避けていたものとばかり思っていた。

 しかし、実際は明確ではなくとも、ある程度の事情は推測していたという。では何故今まで顔を見せることもなかったのだろうか。

 

「それは…………」

 

 そこで晶音は口を噤んでしまう。

 ゴウには彼女が何をそこまで話したくないのかは分からなかったが、アウトローで大悟が言ったように、自分でもどうしたら良いのか分かっていない、迷いのようなものが感じ取れた。

 不意にその姿が、数日前まで先週の出来事から対戦を避けていた、ゴウ自身と重なった。

 

「あの……岩戸さん」

 

 これまでずっと黙っていたゴウが口を開いたことで、呼ばれた晶音はもちろん、大悟と宇美も注目する。

 

「岩戸さんが何を悩んでいるのか、僕には分からないですけど……。それは一度置いて僕と対戦してもらえませんか?」

「えっ……?」

 

 晶音は突然の申し出に意表を突かれ、困惑しているようだった。

 ゴウは昨日アウトローで自分が素っ頓狂なことを言い出した直後、皆に爆笑されたことが頭によぎったが、今回は後悔していなかった。今の彼女の状況を変えるには変化と勢いが必要だ。停滞した現状を動かすものが。

 しかし、これは自分一人の力でどうにかなるものではないと、ゴウは理解していた。そこでちらりと大悟に目線を送ると、それだけでゴウの意を汲み取ったのか、大悟の口元がわずかにニヤリと動いた。

 

「そうだな、せっかく四人いることだし、タッグ戦でやるか」

「あ、貴方まで何を……そもそも何故今そんなことを──」

バーストリンカー(おれたち)が白黒つけるには対戦って相場が決まっているだろ? それに迷っている時こそ頭より体を動かす方が良い時もある。もっとも今回は生身じゃないが」

 

 大悟の提案に晶音はますます動揺する。

 後もう一押しと見たゴウは真正面にいる宇美にも目配せをすると、それを受けた宇美が小さく頷く。

 

「晶音、せっかくだからやろうよ。私、タッグ戦って初めてだし興味あるな」

「宇美まで……」

「おーおー。《子》はやる気なのに、その《親》は負けるのが嫌でやろうとしないってか?」

「……何ですって?」

 

 大悟のあからさまな挑発に、晶音の眉がみるみる吊り上がっていく。

 ゴウとしてはもっと穏やかな形を想像していたのだが、少しおかしな方向に動き始めているような気がしてきた。

 

「負けるのがこちらだと、どうしてもう決め付けているのですか?」

「そりゃ、お前さんとの今までの対戦戦績は俺の方が勝ち越してるしなぁ、しかもブランクがある今のお前さんじゃあ、俺が勝つのが当然だろうよ」

「心外ですね。確かに宇美以外と長らく対戦をしていませんが、私だって東京を離れてから成長しています。それに貴方、さっきから俺が俺がと言っていますが、タッグなら宇美から聞いた話ではこちらとそちら、レベル合計が同じで対等だと思いますが?」

 

 声こそ荒らげないが大悟と晶音、両者はバチバチと見えない火花を飛ばしながら、言い合っている。

 ──あれー……? おかしいな。もっとこう平和的な感じになると思ったのに……。

 宇美も晶音にどう声をかけるべきか決めかねているようだった。

 

「大体ですね、貴方は昔から何でも力押しで解決しようとする傾向にあります。そのせいで私も経典君もどれだけ振り回されたか、忘れたとは言わせませんよ」

「あの頃は皆そうやって強くなっていったんだ。何より、戦ってナンボの世界だろうが」

「限度があるでしょう。いつぞやの時だってもっと綿密に作戦を考えていれば、あそこまで苦労せずに済んだはずです」

「まぁだその話を引き合いに出すか……。そもそもあの時に泣きついてきたのは誰だったっけか?」

「な、泣いてなんかいませんでした!」

 

 両者共ここまでヒートアップしていても、周りに注目されないように声を抑えているのはさすがと言うべきだが、明らかに話が逸れ始めている。

 見かねたゴウは渦中に割り込んだ。

 

「あ、あの二人共、それで対戦の方は……」

「んん? おう、そうだな。俺達の実力をあの石頭に見せつけてやるとしようか」

「誰が石頭ですか。宇美、タッグチームの登録を。返り討ちにしますよ。特にあの高慢ちきの鼻柱をへし折ります」

「う、うん。いや鼻柱って……」

 

 想定よりも敵意むき出しの状態にはなったが、一応は対戦に漕ぎ着けることができたので、ゴウはひとまず良しとする。この状況が変わるかどうかはこれから次第だ。

 全員がタッグの設定を済ませると、大悟がXSBケーブルを二本取り出した。

 

「ギャラリーを気にするのも面倒だしな。そっちも一本は持ってんだろ?」

「ええ、もちろ──貴方もしかしてこの状況を見越して……」

 

 晶音が睨むと、大悟はわざとらしく口笛を吹いて、目を合わせようとはしなかった。ゴウと大悟、宇美と晶音が互いにケーブルをニューロリンカーに挿入し直結する。

 そこでゴウはあることに気付いた。ゴウのニューロリンカーは外部接続端子が二つあるタイプだ。そして──。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 

 宇美が慌てて口を挟む。彼女の首元のニューロリンカーには端子が二つ付いていた。

 

「な、何もこんな人目のある場所でやらなくてもいいでしょ、場所を変えれば……」

「そ、そうですよ。近くにネットカフェとかもあるでしょうし……」

 

 ゴウも顔を赤くしてもごもごと同意する。ここにいる全員が数珠繋ぎになるには、ニューロリンカーの外部接続端子が二つある者が間に二人必要になる。つまりはゴウと宇美が直結する必要があるのだ。

 

「何を照れてんだ。すぐ済むだろ、早くしろって」

「そうですよ。直結についてのおかしな俗説なんて気にする必要はありません」

 

 大悟がゴウの前にケーブルを置いた。

 直結とはセキュリティレベルを大きく下げることから本来親しい、又は信頼できる存在にしか行うことはない。例えば家族、親友、恋人などがそれに該当する。

 ゴウにとって宇美は、つまりムーン・フォックスはバーストリンカーとしてアウトローメンバーを除けば、かなり親しい間柄と言って良い。それでも、こうして現実で対面してまだ三十分も経っていないのに直結をできるかと言われたら、さすがに即答はできなかった。

 ゴウは自分の顔が熱くなっていたが、目の前の宇美もまた顔がみるみる内に紅潮していく。

 

「直結なんて意識する必要はないでしょうに。……もしかして二人共、何か見られると都合の悪いファイルでもあるのですか?」

「まったくだ。ゴウ、お前さんは俺と散々直結で対戦してきただろうが」

 

 ベテラン二人はこちらの気も知らずに平然としていた。もしかしたら、過去に散々直結対戦を行っていたのかもしれない。

 ──そりゃ、小学校低学年なら気にしなかったかもしれないけど……。大体、同性と異性じゃ勝手が──。

 ゴウが未だに躊躇していると、宇美がいきなりテーブルに置かれたグラスを引っ掴み、入っている水を一気に飲み干した。ぶんぶんと頭を振り、金髪のポニーテールが揺れる。そして、ゴウに向かって手を差し出した。

 

「……早くして」

「え?」

「ケーブルの端を早くよこして!」

「は、はいぃ!」

 

 覚悟を決めた宇美の剣幕に押されたゴウはケーブルの片端を渡し、ニューロリンカーにケーブルのプラグを挿した。宇美が同じくケーブルを挿すと、先程大悟と直結した時と同様に警告の表示が現れ、すぐに消える。

 数珠繋ぎで直結している男女四人、端から見た人がどう思うかを頭の隅に追いやって、ゴウは対戦に意識を集中し始めた。

 

『スターターは俺がやろう。念の為、次に客が入って来た時にコマンドを唱える。全員、準備は良いな?』

 

 思考発声で大悟に訊ねられ、残りの三人が頷く。

 その後、一分もしない内に新しい客が入ってきたらしく、入口の方でウェイトレスが「いらっしゃいませー!」と出迎える声がした。それと同時に、大悟が静かにコマンドを唱える。

 

「《バースト・リンク》」

 

 かくして二組の《親子》の直結によるタッグ対戦、その火蓋が切って落とされた。

 



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第三十七話

 第三十七話 僧と狐 鬼と司直

 

 

 暗転から視界が回復して始めに目に映ったのは、神殿を思わせる純白の建物群だった。

《月光》ステージに似ているが、見上げた空は夜空ではなく、光沢のある乳白色に染まっている。神聖系の上位に位置する《霊域》ステージだ。フィールド全体の景観は数あるステージの中でもかなり美しい部類に入る。

 ゴウは自分の現在位置が五、六階建ての建物の屋上にいることを把握してから、視界上部に表示されている相手の名前を改めて確認する。

Crystal(クリスタル) Judge(ジャッジ)》レベル7、その下に《Moon(ムーン) Fox(フォックス)》レベル6。ジャッジは元より、最近まで同レベルだったフォックスもレベルが一つ上になり、数字の上ではどちらもゴウより格上である。

 

「よくやってくれた」

 

 隣に立つ、アイオライト・ボンズとなった大悟に、ゴウはいきなり褒められた。

 通常の直結対戦では現実でどんなに密着していても、対戦相手と最低十メートルは離れるが、タッグパートナーは同じ座標に出現する。

 

「いきなりどうしたんですか?」

「対戦の提案をしてくれてさ。俺から言い出したところであいつは……ジャッジは受けてはくれなかっただろうから」

「えっ? でも、だってケーブルまで用意していたじゃないですか。てっきり僕は、師匠がこの状況になることを想定していたと思っていたんですけど……」

 

 ゴウも大悟も直結対戦によるこの空間には自分達の他には晶音と宇美しかいないので、本名で呼び合ってもリアル割れが起きたりはしないのだが、常の習慣によってアバターの呼び名に切り替えていた。

 

「ケーブルは思考発声が必要な時に備えて一応用意していただけだよ。……アウトローでも話したが、俺はずっとジャッジに恨まれているとばかり思っていた。でもそんなことはなくて、それでいてあいつは別の何かを抱えて苦しんでいる」

「師匠……」

「直接見て確信した。傍から見ればエゴでしかないだろうが、それでも今回は無理にでもこちらが踏み込んで、あいつがひた隠しにしているものを暴いてやらなきゃならないってな」

 

 確かにそれは晶音本人には喜ばれないだろう。

 だが、ゴウは数日前に対戦自体を避けていた時、大悟に半ば強制的に対戦をされた末、己の本音を吐露するに至った。おそらくあの過程がなかったら、心意技を制御することは今でもできていないだろうと断言できる。

 だからこそ先程ゴウは、初対面の晶音に対戦を申し込んだのだ。きっと拳を交えれば分かり合えるものがあると信じて。

 

「……しっかし、昔から変わらない奴だよ。あのカッチリした話し方、初めて会った時からあれだぜ? つくづく堅物で頑固──」

 

 話していた大悟がいきなり口を閉じた。相手二人の必殺技ケージが上昇を始めたのだ。

《霊域》ステージ最大の特徴である、至る所に存在する正八面体のクリスタルを破壊したのだろう。あらゆるオブジェクトの中でも非常にゲージのチャージ率が高く、聞いた話では無制限中立フィールドで破壊すると、稀にアイテムカードが出てくることもあるらしい。

 

「動き始めたな。降りるぞ、開けた場所の方がこっちに有利だ」

 

 大悟はそう言うと、屋上から一気に地上へと飛び降りた。生身なら投身自殺でしかないが、そこはレベル8のデュエルアバター。見事に受身を取り、着地を決める。

 

「よーし……」

 

 ゴウもそれに倣い颯爽と飛び降り、着地の勢いで地面に敷き詰められたアラベスク模様のタイルを踏み砕く。さすがに無傷とはいかないが、ダメージは数ドットの減少で留めた。今回は壁を伝って降りるよりも、大幅に時間を短縮する為に落下を選択したのだ。

 

「まずは簡単にジャッジの戦闘スタイルを説明する。ただ俺の知っている情報じゃ、レベル4の時点での話だから、それよりもずっと成長していると思え。とりあえず移動を──俺から離れろ!」

 

 ガイドカーソルが消えた次の瞬間、大悟が叫んだ。

 ゴウが即座に指示に従うと、突如として目の前に白い壁が地面から出現し、同じく距離を取った大悟と分断される形となる。それだけに留まらず、壁からは大小無数の突起が飛び出し、ゴウは壁から更に大きく後退することを余儀なくされた。

 道の端から端までを隙間なく塞いでしまった障壁は、ステージの建物とはまた違う素材で形成されているようだが、そもそもこんなギミックは《霊域》ステージには存在しない。

 よく見てみると壁から突き出た突起は大きさこそまばらだが、結晶状の多角形で構成されていた。

 

「これは……水晶?」

 

 ほとんど直感的にゴウは呟いていた。ステージギミックでなければ、相手チームの仕業であり、ムーン・フォックスはこんな技を持っていなかったはずだ。つまり──。

 

「厳密には石英です」

 

 声のした方を振り向くと、すでに四足獣形態の宇美とその背中に乗っている初めて見るデュエルアバター、クリスタル・ジャッジが脇道から姿を現した。

 裁判官(ジャッジ)の名が示す通り、ゆったりとした法服を身に着けているが、胸の部分にあるスカーフも含めてシースルーのように透けていて、光の加減で輪郭が薄く見える装甲を装備した華奢な体が露わになっていた。

 頭に被った角柱形の帽子も、曇りガラスのように後ろがかすかに透けて見えている。極め付けに右手には、先端に拳大のクリスタルが嵌め込まれた杖を持っていて、この杖もガラスから加工したかのように透明。何から何まで透明尽くしのアバターだ。

 ダイヤモンド・オーガーの装甲も、目を凝らせばアバターの素体が見えるほどに色のないクリアパーツであるが、透明度という点においてはジャッジに比べれば見劣りしてしまう。

 

「一般的には、石英の中でも透明なものを水晶と呼ぶことが多いのですよ。成分的には同じものと思っていただいて結構です。──フォックス、後は手筈通りにお願いしますね」

 

 楚々とした動作で晶音が宇美から降りると、宇美は小さく頷いてから、石英の壁と少しだけ距離を取り、助走を付けてから駆け出した。突起にぶつかる寸前で必殺技を叫ぶ。

 

「《ハント・ダイブ》!」

 

 ビルの三階分の高さがありそうな石英の壁を、宇美は軽々と飛び越えて、大悟のいる向こう側へと行ってしまった。

 ここでようやく二人の作戦の意図がゴウにも読めた。

 

「……フォックスさんの機動力で一気に接近してから壁を作ってタッグを分断、弱い方を先に倒してから後は二対一で仕留める、ってところですか?」

「作戦はその通りですが、卑屈な言い方をしますね。別に貴方を弱いなどと思ってはいませんよ、ダイヤモンド・オーガー」

 

 晶音が杖の先端をゴウに向ける。

 おおよそ戦闘には不向きな見た目からは想像できないプレッシャーが放たれ、ゴウの気をより一層引き締めた。

 

「貴方についてはフォックスからよく聞いています。その戦い方もね。少しフェアではありませんが、それもまたブレイン・バーストの醍醐味。対戦の中で私を知り、対応してみせなさい」

「望むところです。この対戦、勝ってみせます!」

「よく言いました。それでこそアイオライト・ボンズの《子》──いきますよ!」

 

 晶音が高らかに叫んで杖を振るうと、石英群が前方の地面から突き出し、ゴウに向かって殺到した。

 

 

 

 ゴウと晶音が戦闘を開始した一方で、壁を挟んだ向こう側では、すでに大悟と人型形態に戻った宇美が拳を交えていた。

 ──中々の動きをする。《親》のあいつは近接格闘タイプじゃないし、本人のセンスが良いのか……。

 大悟は初めて対戦する宇美の攻撃を捌きつつ、動きをつぶさに観察していた。ギャラリーでゴウとの対戦を何度か観たことはあったが、やはり実際に体感しないことには完全な力量は推し量れないものだ。

 一つ一つの攻撃力はダイヤモンド・オーガーには及ばないものの、隙を見ては尻尾も含めた強力な攻撃を狙ってくる。全身を余すことなく使う動きは、実際に攻撃を繰り出されるまで見極めるのにもかなり手間取る(これに比べると大悟にとって、ゴウの動きは正直な分、割と読みやすい)。

 

「体の動かし方をよく知っているな、何かのスポーツ経験者か?」

「……小学三年生まで器械体操を少し」

 

 打ち合いの中で意外にも宇美は返答してくれた。ある程度は信頼してくれているということだろうか。

 そう思ったのも束の間、今度は宇美がサマーソルトキックの要領で後方宙返り、いわゆるバク宙をして蹴りの代わりに硬質化させた尾による一撃を放ってきた。

 今の体勢では避けられないと判断した大悟は息を深く吸いながら、体の前で両肘を曲げて肩より少し高い位置で静止させる。

 

「──フッ!」

 

 そして、宇美の尾が当たるより一瞬早く、大悟は両腕に捻りを加えながらほとんど真下に掌底を打ち込んだ。両者の攻撃がぶつかり合い、互いが弾かれたように後方へと吹き飛ぶ。

 力が乗り切らない体勢だった故に型が完全ではなく、大悟は無傷とはいかなかったが、直撃よりも遥かに受けるダメージは少なかっただろう。

 本命の一撃に対応された宇美の小さな舌打ちが聞こえた。

 

「今の動きは何? そっちこそ何か格闘技をやっているの?」

「現実で格闘技の心得はないが、長いことバーストリンカーやってるもんでな。今のは発勁(はっけい)の真似事だ。モノにするには時間とコツが要るんだが……まぁ、そこは年の功ってやつだわな」

 

 バーストリンカーが古参であるほど、強者の傾向にある理由の一つは経験値の量にある。無数の対戦をこなし、膨大な時間を加速世界で過ごしてきたことで、自分のデュエルアバターの最善の戦法をより熟知し、扱えるようになるからだ。

 その中で必殺技やアビリティとは別に、現実の子供では肉体的にも時間的にもまず不可能であろう、現実の格闘技を含めた『技術』をデュエルアバターの身で修得する者がいる。大悟もその内の一人であった。

 また、そういった者の中には相手の放った攻撃に体の一部分を沿わせて無力化、攻撃で発生した運動エネルギーをあらぬ方向へ転換してしまう、《柔法》なる技術を体得した黒の師弟が加速世界に存在することを大悟は知っている。

 

「……お前さん達の狙いは分かっている。こっちとしては向こうを加勢したいが、目の前の相手に背を向けるのも失礼な話だよな」

 

 大悟が宇美の後ろで道を塞ぐ巨大な壁を感慨深げに見やる。当時の彼女ではゲージがフルチャージであっても、ここまで巨大な石英を発生させることはできなかった。東京を離れてレベル4から、三つもレベルを上げるのには並々ならぬ苦労があったのだろう。

 それに、これまでの攻防から宇美が本気で戦っているのは充分に分かった。

 それで良い。この対戦で大悟達は厳密には、晶音と宇美に勝利することが目的ではない。対戦を通して晶音の本音を引き出すことこそが真の目的である。

 もしもパートナーである自分が手加減をすれば、晶音がそれを見抜いてしまう。そうなればこの対戦自体、無意味なものになることを宇美は理解しているのだ。

 ──お前さんも、良い《子》を持ったんだな……。

 感傷から意識をすぐさま対戦に引き戻し、大悟はどうしたものかと頭を働かせ始める。

 

 壁の向こうに行く方法がないわけではない。そもそも遠回りしてでも別の道から行けば済む話だが、目の前の宇美が簡単に行かせてくれはしないだろうし、いかにレベルが自分より下であっても、無防備に背中を向けることは敗北に繋がる。

 

「なら、どうする気?」

「そうだな……せっかくの《霊域》ステージ、クリスタルをどんどん破壊して派手にいこうか!」

 

 宇美の質問を返した大悟は言うが早いか宇美に背中を向け、壁とは逆方向に駆け出した。

 事前にゲージを溜めている宇美と違い、今の打ち合いでようやく二割溜まるかといった程度の必殺技ゲージ量の大悟は、ひとまずその場を後にすることを選んだ。必殺技を持たずとも、ゲージが溜まればやれることがあるからだ。

 

「あっ! このっ……言ってるそばから背中向けてるじゃない!!」

「わはははははははは!! 戦略的撤退と言え!」

 

 喚く宇美に一応反論しておく大悟は、その間にも猛ダッシュで距離を離していく。

 

「させるか、《シェイプ・チェンジ》!」

 

 このまま自分を放って晶音に加勢しても、後で横槍を入れられて戦況を覆されることを宇美が懸念することは大悟の読み通り。

 再び狐の姿になった宇美が、大悟の思惑を阻止するべく追いかけ始めた。

 

 

 

「──もう終わりですか?」

 

 開戦時より大分距離が離れた晶音の声が、片膝を着いたゴウの耳に届いた。

 ──さすがにレベル7……強い。

 最初に晶音に言われた通り、ゴウは対戦の中でクリスタル・ジャッジについて分析し、いくつか分かったことがある。

 まず彼女の戦闘スタイルは、石英を出現させて攻撃や防御を行うものであり、石英は発生から一定時間が経つと消え、これには必殺技ゲージを消費しない。

 だが、最初に発生させた壁は未だに道を塞いだままだ。これには必殺技ゲージを消費していたことから、ゲージを消費して発生させた場合の石英は、おそらく破壊しない限り対戦終了までオブジェクトとして残り続けるのだろうと判断する。

 近接系アバターにとっては天敵のような存在だ。向こうは距離が離れていても一方的に攻撃を繰り出し続けられる上、おまけにこちらが石英を破壊しても、《焦土》ステージのオブジェクト並みに必殺技ゲージはほとんど溜まらない。

 しかし欠点も確かに存在する。まずゴウにとって、破壊すること自体はあまり難しくはないこと。

 一度に発生させられる石英の量には限りがある上に(なければ手が付けられない)足場が必要らしく、何も無い宙から出現することはないこと。

 発生スピードは遠隔系アバターの銃火器に比べれば遥かに遅いこと。加えて石英を発生させる際には、晶音が持っている杖の先端にあるクリスタルが一瞬だけ光るので、回避のタイミングを図るのは容易いことなどが挙げられる。

 ここからは推測になるが、ゴウを壁から離しつつも、晶音自身もそれに続いて少しだけ前進している。このことから、自分を中心とした一定の距離までしか石英を発生させられないなどの制限があるのだろう。

 そして、この手の特殊な攻撃方法を持つデュエルアバターは、身体能力がかなり低いパターンが多い。ポテンシャルのほとんどが強化外装、ないしアビリティにほとんど割り振られているからだ。

 問題はこれらの欠点を踏まえても、晶音は強敵だということだ。意識を前方の石英に向けざるを得ない状況を作り、その際に横や背後から別の石英で攻撃してくる。そうして着々とこちらにダメージを蓄積させていく。実に堅実な手だ。

 ゴウも必殺技の《アダマント・ナックル》や《ランブル・ホーン》で突破口を開こうとしてはみたものの、石英で幾層も壁を作られ、晶音に触れることさえできなかった。

 現在のゴウの体力は残り七割強。対して晶音は未だに無傷である。

 ゴウはアウトローでの手合わせを除くと、今までレベル7以上のバーストリンカーとの対戦数は数えるほどしかなく、また半分以上体力を削ったことも何度かあったが、その全ての対戦で一度とて勝利したことはない。ゴウがレベル5になってから数ヶ月経つが、ハイランカー達の壁はまだまだ相当に厚いものなのだ。

 目の前の晶音もまた、そんなハイランカーの一人である。

 それでもゴウは弱気になるわけにはいかなかった。この一戦はただの対戦ではない。頑な晶音の心の内を、対戦を通して引き出すことが目的なのだ。このまま一方的な展開で負けてしまえば、何も晶音に伝えられはしない。

 今と同じく負けられないと誓った、先週のフロッグとの無制限中立フィールドでの戦闘を思い出す。あの時は結局、自身の矜持を守れずに終わった。

 しかし、今回は二の徹は踏めない。あの時の苦い経験さえも糧として、強くなると決めたのだから。

 

「────まだだ」

 

 立ち上がったゴウは右手を空に向けて掲げた。

 

「着装、《アンブレイカブル》」

 

 頑丈さとその重量から強力な一撃を誇る金棒を召喚し、両手に持ち替えて握り締める。

 ──機動力は落ちるけど、もう出し惜しみはしていられない。石英をいくら出されようが、破壊しながら距離を詰める…………我ながら脳筋じみてんな。

 力押しの、作戦と言えるかも分からない考えに、ゴウは内心自嘲気味に笑っていた。だがそれで良い。

 硬い装甲とその身の剛力を以って、対戦相手と真っ向から立ち向かう。それこそが、このダイヤモンド・オーガーの持ち味だ。

 

「まだ終われないんです!」

 

 距離の離れた晶音にも届くように声を張り上げて前進していくと、すぐさま晶音の杖の先が光る。目の前には石英の塊、先程までの石英よりもやや大きい。

 それでもゴウは避けずに金棒を大きく振りかぶってから、石英に向けて思いきり打ち据えた。

 衝突した場所から一気にヒビが広がり、石英が砕け散る。そのまま突き進むゴウを見て、晶音がわずかにたじろいだ。

 

「うおおおおおおおおおお!!」

 

 ゴウは大きく吼えながら、あくまで晶音に向かって最短の距離で突き進んでいく。道を塞ぐ石英も、足を絡め取ろうと足元から発生する石英も、背後から迫る石英も、その全てをただひたすらに粉砕した。

 取得当時はまともに持ち上げられもしなかった《アンブレイカブル》は、今や自在に扱えるようになっていた。ボーナスの選択を間違えたかと当時は嘆いたものだが、あの時の選択は正しかったのだと、今なら胸を張って答えられる。

 とうとう晶音との距離が五メートルを切った。この距離なら石英発生のスピードよりも、走っているこちらの攻撃の方が早い。まずは攻撃の基点であろう杖の破壊を狙う。あれが《アンブレイカブル》より強固であることはまずないはずだ。

 金棒を腰元に構え、横薙ぎに振るおうとしたその寸前。

 晶音が杖の先端をゴウに向けた。先端は尖っているが、それ自体に貫通力があるとは思えない。ではその意味は──。

 

「《パーフォレイト・パニッシュメント》!」

 

 晶音の杖から直径二十センチ近い、真紅に輝くレーザーが発射される。

 必殺技を晶音が言い終える前に、すでにゴウは《アンブレイカブル》をとっさに手放し、杖の延長線から体を無理やり捻って避けていた。それだけでは甘かったと気付くのは、体を捻ったまま後ろを向いた時だった。

 最初はもう一人の自分が、そっくり同じ態勢で動いているのが見えた。次にそれが鏡のように磨き上げられた水晶の塊に映った己自身だと気付いた。最後にその水晶へ一度は避けたレーザーがぶつかると反射し、ゴウの左側の横腹を貫いた。

 

「ぁぐぅっ……!」

 

 たまらずゴウは蹲る形になる。

 水晶の鏡はそのまま真っ直ぐに反射されれば、技を放った晶音自身に戻ってきてしまうからか、レーザーの発射角度から垂直よりやや傾いていたことがゴウにも幸いした。そうでなければ腹に風穴が開いていただろう。それでも今の攻撃で三割以上も体力が削られてしまったが。

 

「……大したものですね。レベルが下の相手に、ここまで力押しで距離を詰められるのは久々でした」

 

 晶音がゴウに対してそんな感想を漏らした。ゴウが怯んでいた隙に素早く後退し、すでに攻撃の届く範囲から逃れている。

 

「せっかくだから問いましょう。ダイヤモンド・オーガー、貴方は先程『まだ終われない』と言っていましたね?」

「それが……どうかしましたか?」

「対戦に勝利したいと思うことはバーストリンカーなら当然です。けれど、貴方からはそれ以外の理由があるように感じられます。ただ、いきなり対戦を申し込んできたりと、考えまでは読めません。そこまで粘るのは……必死になるのは何故ですか?」

「…………」

 

 確かに晶音から見たら、こちらの行動は不可解に映るのだろう。しかし、ゴウにしてみれば、それは特別おかしいことではなかった。

 

「……僕は師匠に恩返しがしたいんです」

「恩返し? いかに彼が《親》であってもそこまでする義理はないでしょうに」

 

 傷口を手で押さえながら立ち上がるゴウを見ながら、ますます分からないというように晶音が眉をひそめる。

 

「それだけとは言いませんけどね……。でも義理はありますよ。僕は出会った頃から、あの人に助けられてばかりなんです」

 

 レーザーに貫かれた横腹を押さえていた手を離し、ゴウはしっかりと晶音のアイレンズを見据えた。

 

「傍から見たら何てことのない、ちっぽけなことかもしれない。師匠自身、気にも留めていないのかもしれない。でも──僕は救われたんですよ」

 

 たった一度しか渡せないブレイン・バーストプログラムを授けてくれた。自分が無意識に生み出していた《心の傷》に対して、対戦を通じて真っ向から向き合い、受け入れる術を教えてくれた。加速世界では師として、そして現実では友人として、いつしか大悟はゴウにとってかけがえのない存在の一人になっていた。

 

「……少し前にお互いの身の上を話す機会がありました。その時にあなたや弟さんのことも聞いています。師匠にとってあなたは大切な存在で、たとえ望まれていなくても助けになりたいと考えているみたいなんです」

 

 思えば最初に大悟がこのダイヤモンド・オーガーの姿を見た時に、誰かと見比べているようなことを呟いていた。おそらくオーガーの透明なダイヤモンド装甲に、クリスタル・ジャッジの水晶装甲を重ねていたのだ。

 

「それに相談をしに来たフォックスさん、あなたと一緒に活動していたコングさんとメディックさん、他のアウトローメンバーだって、あなたを心配している、もちろん僕も。僕が体を張る理由としては充分すぎますよ」

「……そうですか」

 

 ほんの一瞬だけ、ゴウには晶音の表情が柔らかくなったような気がした。見間違いかと思い目を凝らそうとするも、晶音は杖をゴウへと向け、すでに先程同様の明確な戦意を感じさせる視線を放つ。

 

「では、それが口だけではないと、この対戦を通じて証明して見せなさい。貴方やボンズ風に言うなら……それがバーストリンカーなのでしょう?」

 

 晶音はゴウが手から離した《アンブレイカブル》を石英で包み、ゴウが簡単に回収できないようにする。

 対戦が再開されて早々に手札の一つを使えなくされたゴウだったが、これまでただ晶音と話していただけでなく、その間にも頭では勝利する為にはどうしたら良いかをずっと考えていた。

 そして一つの案が浮かんだ。何一つ確実性もない賭けだが、このまま戦っていても負けは見えている。

 腹を括ったゴウはいきなり走り出し、その場を離れた。

 

「!? 何を……」

 

 敵前逃亡するゴウの進路を、石英で塞ごうとする晶音だったが、今まで自分に攻撃しようと接近していた相手が、突如逃げを決め込んだことでわずかに反応が遅れたのか、すでにゴウは一番近くの神殿風の建物に入り込んでいた。

 追撃はない。やはり姿が見えない相手には、石英での攻撃のしようがないようだ。入口を事前に塞がなかったのは必殺技ゲージの節約と、接近しなければゴウは攻撃の手段を持たないと事前に宇美から聞いていたからだろう。

 そんなゴウには今、晶音の攻撃されない時間が何より必要だった。そうして晶音が追って来ない内に階段を昇りながら、ある選択をする為に指を動かし始めた。

 



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第三十八話

 第三十八話 逆転の大博打

 

 

「そーら、一個見つけた!」

 

 ゴウが晶音との交戦中に建物に入ったその頃。大悟は宇美と戦いながら、絶えず移動をしていた。すでに《天眼》アビリティを発動して宇美の動きを把握しつつ、攻撃して動きを止めてはステージ中に浮遊するクリスタルを破壊する。これで壊したクリスタルの数は総計五個。

 単純な敏捷性では、獣形態となっている宇美の方が上なので、少し開けた場所にあるクリスタルは宇美が破壊するのだが、大悟は建造物で入り組んだ地形にばかり入るので、それを追う宇美が破壊したクリスタルの数は二個と、数の上では大悟に劣る。

 

「ちょっと……! 残り時間をずっと走り回るつもりなの!?」

 

 建物の屋上に四足で立つ宇美が、大悟に向かって苛立たしげに文句を言い放つ。いきなり背を向けて走り出してから今まで、大悟はほとんどまともに宇美を相手にせず、クリスタルを破壊していくばかりなので当然だろう。

 現在の大悟の体力は九割近く、宇美は残り七割となっていた。

 更に大悟が視界上部のゲージ群を確認すると、ゴウは先程一気に体力が削られて残り四割。晶音は未だに無傷となっている。近接の物理攻撃しか持たないゴウは、やはり晶音に苦戦を強いられているようだ。

 タッグ戦は時間切れになった場合、チームの体力合計の多い方が勝利する。たとえこのまま逃げ続けたところで、負けるのは自分達であることは大悟も百も承知だ。

 

「まぁ、待ってな。そろそろ向こうも──これは……?」

「何を──えっ……!?」

 

 大悟が怪訝な声を上げると、少し遅れて宇美も驚愕してゴウと晶音がいるであろう、石英の壁がある方向を振り向いた。

 

「嘘……有り得ない! 対戦中になんてそんな……」

「できないわけじゃないけどな。とはいえ、さすがに俺もこれは予想外だ」

 

 宇美が慌てるのも当然だ。大悟とて遭遇したことのない事例である。しかし、これを大悟は彼の覚悟の表れと見ていた。

 すると突然、轟音と共に晶音の体力が二割減少する。これまで無傷だった晶音に、ゴウがとうとうダメージを与えたのだ。

 

「くっ……!」

 

 宇美がすぐにゴウ達のいる方向へと駆けていく。

 それを追いかけるように大悟も同じ方向へ走り出した。

 決着の時は近い。

 

 

 

「や、やった……!」

 

 ゴウは思わず歓喜の声を上げた。

 道を塞いでいた石英の大壁、その一ヵ所に乗用車も余裕で通れるくらいの大穴が開いている。たった今ゴウが破壊してできたものだ。

 その近くには膝を着く晶音の姿があった。透明な法服が引き千切られたように破け、その間からはまるで芸術品のような装飾が成された美しい装甲が剥き出しになっている。

 

「これが、狙いだったのですね……」

「何の確証もありませんでしたけどね。師匠なら『結果オーライ』って言うかもしれません」

 

 晶音が立ち上がる中、ゴウは改めて視界上部に存在する自分の名前を確認する。そこには残りおよそ十分の対戦時間を表示しているカウント、この対戦フィールドに存在する四人のデュエルアバターの名前、それぞれの体力、必殺技ゲージが表示されている。

 その内の一人、ゴウの分身であるデュエルアバター、ダイヤモンド・オーガーの後ろに表示されていたレベルは対戦開始と異なり、レベル5から6となっていた。

 ブレイン・バーストには《インストラクション・カード》、通称《インスト》と呼ばれる、対戦中であっても開くことが可能ないわゆるメインメニュー、ステータス画面が存在する。その機能の一つには自分のバーストポイントを操作する項目があり、必要ポイントを消費さえすれば、対戦中であってもレベルアップが可能だ。

 ゴウはたった今そのレベルアップを行い、レベルアップ・ボーナスによって取得した必殺技で石英の壁を砕いてみせたのだ。その威力は凄まじく、必殺技に直撃していない晶音にもダメージを与える結果となった。

 

「レベルを上げて基礎能力の底上げ、加えてボーナスまで取得……保有ポイントは大丈夫なのですか?」

 

 晶音の疑問は至極真っ当なものだ。

 本来レベルが高くなるほどに、大量の所持ポイントを消費させる必要があるレベルアップという行為は、基本的に安全マージンが充分であることを前提に、対戦の開始前や終了後などにするものであって、間違っても慌ただしい対戦の最中にするものではない。

 ましてやレベルアップ・ボーナスはレベルが一つ上がるごとに一回分のみ発生し、一度選んだボーナスをキャンセルさせることは原則不可能である。個人差はあれ、吟味して取得するのがセオリーだ。

 

「まぁ、なんとか……。ごっそり持っていかれましたけど、悔いはありません」

「……本当ですか?」

「…………もちろん」

「ボーナスをこんな短時間で選んで、本当に後悔はありませんか?」

「………………全然?」

 

 半分嘘である。本当は強がりも入っていた。

 レベル5になって随分経ったゴウは、ポイントがもう少し貯まったらレベル6に上がろうかと確かに考えてはいた。次はどんなボーナスがあるのかと、楽しみにしながら。

 数分前に選んだ必殺技のモーションを見て、この対戦に勝つにはこれがベストだと、選択した時は直感的に選んだ。実際に予想以上の威力を持った一撃を自ら放ち、目にしたことで間違っていなかったとも断言できる。だが──。

 ──あっちの必殺技もカッコ良かったなぁ……。あっ! あのアビリティを選んでいたら、これからの戦略の幅が広がっただろうなぁ……。

 内心かなり引き摺っていたが、おくびにも出さない(ように努める)ゴウだった。

 

「ジャッジ!」

 

 壁に開けた大穴から飛び出してきた宇美が、ゴウから庇うように素早く晶音の前に移動した。やや遅れて大悟も姿を現し、ゴウの隣に立つ。

 

「よう、斬新な呼び出しだったな」

「師匠、さっき笑いながら逃げてましたよね? もしかして遊んでいたんじゃ……」

 

 晶音との戦闘中に、壁の向こうの二人が移動していたのは、大悟の遠ざかる高笑いが聞こえていたので分かっていた。

 そんな別の場所にいた彼らがすぐに戻って来たのは、ゴウのレベルの変化を見たからだろう。レベルアップは図らずも、再合流する為の合図としても一役買ってくれていたのだ。

 

「馬鹿言え。かなりのやり手だぞ、お前さんのライバル。それよりも……さっきの必殺技、今は打てないよな?」

「あ、ゲージを見たら分かりますもんね。はい、強力ですけどその分ゲージ消費は激しいみたいです」

 

 向こうに聞かれないように、ゴウと大悟は小声で素早く情報の共有を始める。同時に張り詰めていた緊張も少し和らいだようにゴウには感じられた。これは隣に一緒に戦う仲間がいることで得られる、頼もしさと安心感によるものだ。

 

「よし、俺に考えがある。ちょっと耳貸してみな。いいか──」

 

 大悟が更に声を小さくし、ゴウに作戦概要を耳打ちして伝えていく。

 その間に向こうのチームも、この対戦で始めて姿を見せた時と同じように宇美が晶音を背に乗せ、何やら話し合っているようだ。

 ここに来てようやくこの対戦が、タッグの様相を見せ始めていた。勝利するのは連携がより密に取れた方だと、この場にいる誰もが確信している。

 

「えっ、そんなことができたんですか? いや、それよりも上手くいきますか? それ……」

「これはジャッジも知らないから確実に不意を突ける。まぁ、息が合えば上手いこといくさ。こういうチームワークこそがタッグ戦の真髄だ」

 

 大悟から聞かされた新たな事実と作戦に驚きつつも、妙に自信ありげな大悟にゴウは従うことにした。

 

「分かりました、信じますよ」

「よく言った、それでこそ我が弟子。始めるぞ──着装、《インディケイト》」

 

 大悟の右手に長大な薙刀が召喚された。大悟は強化外装を晶音達に向けるのではなく、長い柄を自分の右肩で担ぎ、刀身近くの柄を両手で握ってから、石突側を背後に移動したゴウへと向ける。

 事前に決めていた通り、差し出された柄をゴウは大悟と同じく両腕でしっかりと握り締めた。

 

「持ちました」

「よーし。一気にいくから離すなよ」

 

 妙な動きをするゴウ達を見て、宇美は体をかがめながら全身に力を込め、晶音は杖をこちらに向けて構えている。こちらがどう動いても対応できるように身構えているが、これからすることを予想できる者はおそらくいないだろう。

 大悟が大きく足を開くと腕に力を込め、少しだけ前傾姿勢になる。大悟の肩を支点に梃子の原理で薙刀の石突側が上へと傾き、それに連動してゴウの腕が上がったその時。

 

「《(シン)》ッ!」

 

 大悟が鋭い声でそう唱えるなり、突然薙刀の柄が勢い良く伸張した。まるで西遊記に登場する孫悟空の如意棒のように。

 

「わわっ……!」

 

 一気に地面から足が離れ、高くなっていく視点にゴウは思わず声が漏れた。伸びた薙刀を担ぐ大悟、驚いてこちらを見ている晶音と宇美、そして神秘的な《霊域》ステージの一角がよく見える高さで薙刀は伸張を止め、ゴウの重さでたわみ始める。

 

「コォ────……喝!」

 

 大きく息を吸い込んだ大悟が掛け声と共に、一本背負いの要領で体を沈めながら、力一杯腕を引いた。すると、たわんだ柄に運動エネルギーが伝わり、一瞬の浮遊感の後、薙刀の先端にぶら下がるゴウが吹き飛んだ。その姿は投石器から発射された石そのものだ。

 

「わああああああ!?」

 

 想定以上の勢いで空を飛んでいくゴウの視界の端に、晶音と宇美が唖然とした表情でこちらを見る姿が一瞬だけ映った。その勢いのままゴウは目的の場所へと向かっていく。

 ──これ思ったより……でもさすが大悟さん、目標ドンピシャ、後は──あれ? この勢いだと着地

 

 ボッゴォォン!! 

 

 考えが纏まらない内に、人間ミサイルと化したゴウは建物の屋根に激突した。

 

 

 

「やべ……」

 

 大悟が呟く中、ゴウが着地、というより着弾した場所から薄い粉塵が舞い上がっていた。

 さすがに悪いことをしたかと反省するが、派手な動きに相手チームが気を取られている今を大悟は好機と見た。

 

「《(シュク)》」

 

 伸びていた薙刀がコマンドを唱えることで、元の長さへと素早く戻っていく。

 これこそがアイオライト・ボンズの持つ強化外装、インディケイトの能力だった。

 必殺技ゲージを消費することで、その柄を大悟の思いのままに伸縮させることが可能になる。ただし伸ばせる範囲はおよそ十メートルまで。その真価は今のような似非(エセ)投石器ではなく、離れた場所の相手に攻撃可能なことにある。

 

「《紳》」

 

 薙刀を中段に構えて狙いを定めると、その刀身がゴウに気を取られ隙を見せていた晶音達へ向かって、閃光の如き勢いで伸びた。

 晶音がこちらに気付いたが、もう間に合わない。幅広い刀身が一撃で仕留めるべく晶音の心臓部分へと突き立つ──かに見えたのだが。

 

「あっ……!」

 

 声を上げたのは晶音。ただし刃は晶音ではなく、宇美の腹へと突き刺さっていた。

 晶音よりわずかに早く大悟の攻撃に気付いた宇美が《シェイプ・チェンジ》を解除し、人型に戻ったことで背中に乗っていた晶音を後ろに落としたのだ。結果、晶音の心臓部分があった場所に移動した宇美の腹部に薙刀は刺さった。

 

「──《プリズム・ジャッジメント》!!」

 

 大悟の知らない必殺技名を、晶音が明らかに怒りを含んだ声で叫んだ。

 狙いを外した大悟は薙刀をすぐに元の長さに戻し、いつでも必殺技に対処できるように《天眼》を発動させる。

 薙刀が体から抜けた宇美が片膝を着くと、天に掲げた晶音の持つ杖が眩しく輝いた。

 宙にはその光を浴びる七つの六角錐の形をした水晶が出現し、頂点がこちらを向いている。すると、いきなり水晶の一つから虹色をした太い光線が発射された。

 大悟は光線を避けつつ、避けた場所を振り向くと、大悟の立っていた場所の後ろにあった建物の壁に光線が放たれ、未だに光線を放ち続けている。

《天眼》と自身の観察眼から、大悟はこの必殺技は水晶が晶音の杖から放たれる光を動力源としたプリズム光線を発射させるものだと分析した。当然ながら現実に存在するプリズムにはない出力量だ。

 すると、光線を放つクリスタルが傾きだし、つられて光線も大悟めがけて動き出す。

 

「まずいな……」

 

 そう呟いて別の二つの水晶から逃げる大悟へと、左右の逃げ場を封じるように光線が発射され、一本目の光線も背後から合流しようとしていた。大悟にとっては良くないことに、光線を発射する水晶はまだ四つも残っている。

 大悟が《天眼》で先読みがしようが、避けようがないように計算して晶音は水晶を操作しているのだ。

 止む無く足を止めた大悟に、間髪入れずに残りの四つの水晶から放たれた光線が直撃した。

 

「ぐおおっ……!」

 

 移動しようにも、二つの水晶から細く収束した光線に両足を射抜かれ、すぐには動けない。厄介な追尾機能と引き換えにひとつひとつの威力はやや控えめだが、それでも七本全てに直撃している今、体力ゲージが急激に減少していく。

 七本全ての光線を浴び続け、デュエルアバターの身が赤熱していく中、大悟はその先にいる今は亡き弟が選んだ《子》の姿を見る。

 かつて共に加速世界で行動した仲間、同い年ながらバーストリンカーでは後輩である彼女がここまで成長したことが、どこか感慨深かった。

 ──経典。お前さんの《子》は東京を離れても腕を磨き続けて、こんなにも強くなったよ。……でもな、俺の《子》だって負けちゃいないぞ。

 光を灯した杖を持つ晶音の頭上から急接近する、一つの影が大悟からは見えていた。

 

 

 

 ゴウは眩い光に向かって、建物の屋上から身を投げ出していた。

 建物の屋根に激突して頭にチカチカと星が瞬いた時は、さすがに大悟に文句の一つでも言おうと思ったが、これだけ派手なアクションなら陽動の役割を果たせたし、必殺技ゲージの足しにもなったので、ひとまず良しとする。

 

 ──『いいか、体力的にこのまま向こうに粘られたらこっちが負ける。勝つ為には不意を突いて高威力の一撃を与えるしかない』

 

 数分前の打ち合わせで、大悟にそう耳打ちをされた。

 そこでまずは大悟がゴウを、陽動も兼ねて移動をさせる。その先の地点にあるのは正八面体のクリスタルオブジェクト、大悟が事前に《天眼》アビリティによって見つけていた物だ。クリスタルは回転運動をしているので、なんとか感知できたらしい。

 その間に隙を付いた晶音達を大悟が攻撃する。不意打ちは一定の効果はあるだろうが、決め手にはならないだろうと大悟は言っていた。

 つまり真の決め手はゴウの役目だ。クリスタルを破壊してゲージをチャージし、準備は整った。

 晶音は必殺技を発動し、その必殺技でダメージを受け続ける大悟が屋上からも見える。宇美は晶音の横で、腹部を押さえながら立ち上がろうとしていた。もしかしたらすでにこちらの必殺技ゲージの上昇を確認して、行動を開始するのかもしれない。ここを逃せばチャンスは訪れない。

 即座に助走を付けて屋上から飛び出し、戦場に向かって落下する中、ゴウは右腕を肩の位置まで大きく引き、左腕を右肩に添える。これこそがゴウが先程取得したばかりの必殺技の発動モーションだった。

 

「《モンストロ・アーム》!」

 

 ゴウの右腕が輝き出し、内側から膨張するように大きく膨れ上がり始めた。地上にいる三人の注目を浴びる中、尚も右腕は巨大化を続ける。ようやく巨大化が止まる頃には右腕の長さはダイヤモンド・オーガーの身長と同程度、太さに至っては胴体の三倍近くになっていた。

 

「いっけええええええええ!!」

 

 ゴウは大きく叫びながら右腕を振るった。大きくなった腕を伸ばしても、晶音達には到底届かないが問題ない。

 

「しまった……フォックス! 貴女だけでも回避を──」

 

 すでに一度この必殺技を見ていた晶音が指示を飛ばすが、もう遅かった。晶音と宇美がいきなりその場に倒れ込み、同時にその周りの地面が陥没する。

 ゴウの新必殺技《モンストロ・アーム》は巨大化した腕で殴るというシンプルなものだが、そこには取得前にモーションを見た時には分からなかった、一つの副次効果があった。パンチを放つ勢いが強力な風圧による空気砲となり、相手へダメージを与えることができるのだ。

 必殺技ケージの大量消費、腕が巨大化するまでに隙ができる上に取り回しが難しいが、一撃の破壊力もさることながら、これまで持たなかった距離の離れた相手にも有効な攻撃というのは、ゴウの新しい武器となってくれるだろう。

 空気砲に遅れて、異形と化したゴウの右腕が晶音と宇美へと直撃し、二人の体力がゼロになると共にステージ全体を揺るがした。

 

 

 

『……都合が良いので、このままで話しましょうか』

 

 対戦終了後。ファミレスのテーブル席で意識が戻り、ケーブルに繋がったままの四人の中で、始めに思考発声で発言したのは晶音だった。

 

『……やられましたね。私の記憶では、貴方の強化外装が伸びるなんて記憶はありませんでしたよ』

『とっておきの一つだったからな。そもそもお前さんにあの武器自体、ほとんど見せる機会がなかったし』

 

 じろりと見る晶音に対し、大悟は悪戯っぽい笑みを作りながら答える。

 

『お前さんの方こそ、随分と派手な必殺技を取得したな。アレは堪えた……。それに石英の発生量も昔の比にならないほどになっていたな』

『レベルは見たでしょう? 私だって成長したのです』

 

 むくれた表情の晶音が、ゴウの方へ首を動かす。

 

『しかし御堂君。貴方も無茶をしましたね。対戦中にレベルアップをしたバーストリンカーなんて、初めて見ましたよ』

 

 呆れと感心が入り混じりながらも、晶音はどこか楽しそうにそう言った。改めて晶音の顔を見ると目立たない服装と髪型をしながらも、端正な顔立ちをしていることに気付く。

 今まで出会った同年代の中でも間違いなく美人に入る彼女に見られていることを意識してしまい、ゴウは慌てて目を逸らした。

 

「え、あ、あの時はああでもしないと勝てないと思って……あ。でもレベルの合計が一緒だったのに対戦中に僕が上げたら、こちらが勝ったと言って良いのかどうか……」

 

 今になって思い出し、赤くなっていたゴウの顔が急激に青ざめ始めた。

 そこまで考えてはいなかったのだ。もしかしたらこの対戦自体、無効試合になるのではないかとゴウが思い始めていると、晶音が手を口に押さえて肩を震わせていた。何事かと思ったが、どうやら笑っているらしい。

 

『──ごめんなさい。でもそんなこと言うなんて思わなかったものですから……。気にする必要はありませんよ、ルール違反をしたわけでもなし。今回は間違いなくこちらの完敗です』

『……晶音、ごめんね』

 

 これまでずっと黙っていた宇美が俯きながら、口を開いた。

 

『私がもっと上手くやっていたら、勝負は分からなかったのに……。最後のオーガーの必殺技だって私がすぐに気付いていたら──』

『そんなに気に病まないでください。貴女が庇われなければ、私はあの薙刀の一撃で死んでしまっていた。貴女に落ち度はありませんよ』

『そうとも。落ち度って言うなら、それは対戦の勘が鈍っていた晶音にあって、お前さんが気にする必要はない』

 

 晶音の助け舟に加え、意外にも大悟がフォローを入れる。ゴウはその時の状況を見てはいないものの、晶音が大悟に反論しないことから、概ね正しいことを言っているようだ(晶音は睨んではいるが)。

 

『それに動物型アバターらしい、躍動感のある良い動きだった。ほぼソロ状態の活動であそこまでできる奴はそういまい』

『私の自慢の《子》ですからね。人型と動物型、二つの形態でスムーズに動けるように、さんざん鍛えたものです』

 

 二人に褒められて宇美もいくらか元気が出たのか、金髪を揺らして顔を上げると、少しだけはにかんだ表情を見せた。

 そこでふと気付いたゴウが質問をする。

 

『でも、ジャッジさんは肉弾戦をするタイプのアバターじゃないですよね? どうやってフォックスさんを鍛えたんですか?』

『あぁ、それね……。対戦ステージで石英にあちこちから攻撃されながら、動きを体に叩き込まれたの。何とか砕いても、いくら避けても、休む暇なく石英が襲ってきて……キツかったなぁ』

『そ、そうですか』

 

 遠い目をする宇美にゴウはそれ以上踏み込んで聞けなかった。現実でも加速世界でも穏やかそうな容姿に見えて、晶音はかなりスパルタな性格をしているようだ。

 

『──それでよ。対戦の後でも気持ちは変わらないか?』

 

 大悟が改めて核心を突くと、それまで話していたゴウと宇美も晶音の方を向いた。

 

『俺が思うに、この場の全員が死力を尽くした対戦だった。それはお前さんだって分かっているはずだ、いい加減何があったか話してくれても良いだろ』

 

 これにはゴウも同意だった。元々は想定外の対戦だったが、どちらが勝ってもおかしくない切迫した内容だったと思う。根拠はなくとも、いくらか晶音の心にも届いたものがあったとゴウは信じたかった。

 

『はぁー…………我ながら単純な性格だと、貴方は私を笑うでしょうね』

 

 やがて大きく溜息を吐いてから、晶音は大悟に向かって少しだけ恨めしそうな顔を向ける。

 

『ああも真剣に向き合わられて、関係ないと言えはしないでしょう』

『それって……!』

 

 一瞬だけゴウを見てから晶音が言い辛そうに頬を掻き、宇美が期待を込めた顔を見せる。

 

『──順を追って話しましょう。先に言っておきますが、気分の良い話ではありませんよ?』

 



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第三十九話

 第三十九話 一人よりも、二人よりも

 

 

 晶音はコーヒーの入ったカップに一度口をつけてから話を切り出した。

 

『──今から約六年前……。父が亡くなってから私と母は、横浜にある母の生家へと引っ越すことになりました。当然ですが、家の近所や通学する学校に他のバーストリンカーはいませんでした。それは今も同じです。しかし東京都と神奈川県が隣接している以上、東京在住のバーストリンカーが足を踏み入れる可能性は十分にありましたから、私は人の多い場所へ用事があるときはグローバル接続を切って出かけていました』

 

 六年前ならば当時のバーストリンカー人口は、ようやく千人に到達したところか。しかし、やはり東京二十三区以外でバーストリンカーに遭遇する確率はほぼないようだとゴウは思った。

 

『それから一年半近く経った頃のある日。出かけた先で私はグローバル接続をしていました。それまでもグローバル接続自体は度々していて、目的が済んだら接続を切っていましたけれども、この日は接続をしたままでした。白状すると、偶然バーストリンカーに会うことなんてないだろうと油断していたのです。けれど、グローバル接続をしてから数分後。世界が止まり、耳を叩くあの独特な音が聞こえ、気付けば私は懐かしい対戦ステージにクリスタル・ジャッジとして立っていました』

 

 数珠繋ぎで直結する四人組という光景が異様だからか、周りの人達の視線を時折感じるが、ゴウは晶音の話に聞き入り、ほとんど気にならない。それは大悟も宇美も同じようだ。

 

『この出会いが、私が再び加速世界に関わるきっかけとなりました。この対戦で知り合ったバーストリンカーは、横浜在住のバーストリンカー数人で結成したコミュニティの一つで活動していたのです。私は時折彼らの集まりに顔を出し、時には無制限中立フィールドでエネミー狩りの手伝いをすることもありました。時が経つに連れて少しずつコミュニティのメンバーは増え、後にレギオンクエストに挑戦、見事達成してレギオンを結成するに至ります』

『それじゃあ、晶音はそのレギオンに所属していたの?』

 

 宇美の問いに晶音は首を横に振る。

 

『そのレギオンのメンバー達にも誘われました。しかし私はレギオンには入らなかった。それ以上親密になると、いざ別れた時に辛くなりますから……』

 

 ゴウが目だけを動かして大悟の様子を窺うと、大悟は少しだけ悲痛そうな表情を作っていた。

 

『それでも彼らは変わらずに交流を続けてくれましたけれどね。彼らはレギオンをイタリア語で探索を意味する《リチェルカ》と名付けました。レギオン結成以前より、加速世界にあるダンジョンの探索を主として活動していたからです』

『ダンジョンの探索?』

『そういう集団は東京にもいるな。単純に冒険を楽しんだり、ダンジョン内に存在するレアアイテムの捜索をしたりしている』

 

 ゴウに大悟が解説をする。

 確かにレギオンは必ずしも領土拡大だけを目的としているわけではないし、日本全土が舞台となる無制限中立フィールドをオープンワールドとして楽しむことも、一つの道だろうとゴウは得心した。

 

『そして今から約一年半前。私とリチェルカの面々は、とあるダンジョンの最深部で一つのアイテムを発見しました。それは別のダンジョンについての情報が記載されていたペーパーブック型のアイテムで、メンバー達はそれはもう喜び合いました。おそらく何かしらの条件を満たして、初めて訪れることができる特殊なダンジョンだろう、とね。ところが、アイテム入手から数日後……。メンバーの一人が……レギオンマスターを含めた他のリチェルカのメンバー全員を、ポイント全損による永久退場に追い込む事態が起きたのです』

『『『!?』』』

 

 そう言うと晶音は何かに耐えるように唇を固く引き結び、場が重苦しい空気に包まれる。

 

『……アイテムを求めての内乱は全く聞かない話じゃない。複数人に対してアイテムがたった一つ。苦労したのに自分が入手できないとなれば、争いの種になるもんだ。ただし、仲間全員で共有できる情報であるなら話は違う。その裏切り者の真意が読めないな』

『ちょっと待って、それよりも……一人で他の全員を全損なんてできるものなの?』

 

 大悟と宇美がそれぞれの意見を言う中で、ゴウには直感的に一つの思い当たるものを呟いていた。

 

『もしかして、《断罪の一撃(ジャッジメント・ブロー)》を……? いや、でもレギオンマスターじゃないと──』

『はい。ですから、その者は始めにレギオンマスターを標的にし、おそらくは何らかの脅迫手段を用いてシステム的マスター権を自分へと譲渡させたのでしょう。その後にポイントを全損させ、残るメンバーは十人にも満たない少人数……。人数が少ない分、互いに信頼し合っていました──いえ、そう思っていました、あの時までは。当時レギオンメンバー間で使用していたアドレスを私も共有させてもらっていて、私にしかできない相談があるから無制限中立フィールドへ来てほしいとの呼び出しを受けました』

 

 晶音がテーブルの上に置かれた両手を強く握り締め、更に続けた。

 

『待ち合わせ場所で会話の最中に、裏切り者は私にいきなり襲いかかりました。それまで一度も見せたことがなかった心意技を使用して……。心意システムについてはISSキットなどという物が広まっている以上、二人共もう知っていますね?』

 

 宇美と共に頷きながら、ゴウは驚いていた。

 意志によって発現するシステム外の力、心意システムはゲームバランスを崩しかねない危うさから王やその側近、その他にはわずかな古参のバーストリンカーしか知らない秘匿されたものだと、心意修得の修行中に大悟は言っていた。東京から離れた横浜で活動していた、その裏切り者が使えていたというのは信じ難い話だ。

 ゴウは大悟の方を向いてみたが、大悟は思案顔をしたまま何も言わない。

 

『私は心意システムについては原理を知るだけで修得自体はしていませんでしたし、横浜ではそれまで一度もその名称を聞くことはなかった。応戦はしましたが、結局は逃げ回ることしかできず、何度か死亡し……。運良く変遷が発生してエネミーがすぐ近くに現れなかったら、あの時に私はポイントを全損させられていたでしょう』

『そいつが心意技を使ったことについてはひとまず置いておいて、お前さんを含めた仲間達を襲った理由に心当たりはあるのか?』

『……口封じだと、彼自身がそう言っていました。残るは私だけだと。どうやら彼はダンジョンの情報を知るリチェルカのメンバー、そして一緒にいた私も含めた全員を消すつもりだったようです』

『なんで! 仲間だったんでしょう!? どうしてそんなこと……』

 

 あまりの救われない話に耐えかねたように、宇美が晶音と大悟の会話に割って入った。

 

『ありがとう、宇美……。でもまずは話を進めましょう。……逃げ切ってログアウトをしてから、整理のつかない頭で他の皆にメールを送っても、誰からも返信は来ませんでした。彼の言葉が真実だったと理解してから、しばらくはショックで何も手につかなかった……』

 

 自分のことのように怒りを見せる宇美に、晶音は一度諭すような微笑を向けてから説明していく。

 

『その日以降、仲間を失った私は再びブレイン・バーストから距離を置きました。それでもブレイン・バーストを自らアンインストールしなかったのは……きっと未練でしょうね。しばらくしてこのまま消えてしまえば、後には何も残らないと考えました。そこで私は父の命日に、東京へ毎年お墓参りに行く時に必ず寄る父方の実家、そこで会ういとこを《子》にしようと思い立ちました。一種の賭けでしたが結果は……見ての通りです。この選択には間違いはなかったと断言できます』

 

 隣に座る宇美を見る晶音が、少しだけ誇らしげな表情を見せる。

 

『自分が一人ではないというのはそれだけで救いになるもので、私は少しずつ立ち直り、やがて仲間を裏切った彼を裁くと心に決めました。唯一生き残った私にはそれをしなければならない義務があるからです。そうして宇美を指導する傍ら、心意技を身に付けながら力を蓄え、その時を待つ今に至ります』

 

 そう話を締めくくった晶音に、ゴウは何も言うことができなかった。彼女は同情を求めてはいないし、簡単に気持ちが分かる気になってはいけないような気がしたからだ。

 

『──なるほどな。落とし前をつけたいというのは分かった。それでその裏切り者のアバターネームは? ここまで言ったんだから、全部吐いちまえよ。もしかしたら名前ぐらいは聞いたことがあるかもしれない』

 

 大悟はあくまで冷静に晶音に質問をする。彼がいま何を思っているのかは、ゴウには分からなかった。

 晶音は少しだけ迷う素振りを見せたが、すぐに頷いた。

 

『そう、ですね……。今更隠し立てても仕方ないですものね。裏切り者の名前は《アメジスト・スコーピオン》。名前の通りアメジストのような紫の装甲をしていて、レベルは──』

「なっ……!? 今なんて!?」

 

 気付けばゴウは肉声を出して驚きながら、前のめりになって晶音に迫っていた。迫られた晶音が驚いて口を閉じる。

 アメジスト・スコーピオン。ISSキットを装備したシトロン・フロッグと闘っていた際に突然現れてフロッグを倒し、それが引き金となって暴走したゴウに対して、最後まで慇懃無礼な態度を崩さなかったデュエルアバター。そして、アウトローが調査しているエピュラシオンメンバーの一人。

 ここでその名前を聞くとは、ゴウは夢にも思っていなかった。

 

「まさか、彼を知っているのですか? 一体どこで──」

『気持ちは分かるが二人共落ち着け。話すなら思考発声にしろ』

 

 大悟に(たしな)められて晶音は黙り、ゴウも慌てて座り直した。

 

『す、すみません……。えっと僕は──いや、アウトローはそのスコーピオンが所属するレギオンについて調べようと動いていたんです』

『そこからは俺が話そう』

 

 ゴウに代わって大悟が先週から今まで起きた経緯を、簡潔にまとめて晶音に説明した。説明を聞き終えると、晶音はソファー椅子の背もたれに寄りかかって、大きく深呼吸をする。

 

『何と言うか……世間は狭いですね。先週に宇美がISSキットの使用者に襲われた話はメールで知っていましたが、その時にスコーピオンにも出会っていたなんて』

『いや、私は正直あの時エピュラシオンの三人よりも、キットの方が印象に残っていてあまり重要に思ってなかったんだよね……。奴らもすぐにその場から離れていったし』

 

 宇美が済まなそうに事情を話す。しかし、偶然出会ったバーストリンカーが自分の《親》の因縁の相手と考えるのは無理な話だろう。

 

『まぁ、これは好都合だよな。──よし、岩戸。お前さん、手を組まないか?』

『はい?』

 

 パンと小さく両手を打ち、唐突な提案を持ちかける大悟に晶音が首を傾げる。

 

『いきなり何を……?』

『お前さんはスコーピオンと因縁がある。俺達はスコーピオンのいるエピュラシオンを追っている。目的は一致しているはずだ』

 

 右手と左手を広げ、両手を合わせながら話す大悟に、晶音が明らかに動揺を見せ始めた。

 

『な、何を勝手に……。大体手がかりもないのでしょう? だったら私が一人増えたところで──』

『手がかりね……。さっきお前さん、力を蓄えているとか言っていたよな? それは探し回っているというよりも、アテがあって機を待っているように聞こえたぞ』

「あっ……」

 

 晶音が慌てて口を覆う。その反応が肯定であると言っているようなものだと、ゴウにも理解できた。

 

『やっぱり何か知っているな? 昔からお前さんは嘘が下手だよな。腹芸ができないというか……』

『お、大きなお世話です……』

 

 晶音は大悟にそう返してから顔を背けた。

 そんな晶音の手を宇美が握る。

 

『聞いて晶音……。私はね、この二人の、アウトローの力になりたいと思っているの。助けられた借りもあるし……。でもそれ以上に晶音の力になりたい。晶音の話を聞いても、それは変わっていないよ』

 

 宇美は穏やかに、そして強い決心を感じさせる声音で晶音に語りかける。

 晶音は顔を上げるが、目は下を向いたまま、宇美に合わせようとはしない。

 

『……分かっていました。貴女はきっと、そう言ってくれるだろうと』

『だったら──』

『でも駄目です! だって……もし、もしも貴女まで失うことになったら? それでこれまでの記憶を忘れられたら私は……きっと立ち直れなくなってしまう。私はもう、大切な人を失いたくない……!』

 

 駄々をこねる子供のように目をつぶって首を横に振る晶音の目尻には、薄く涙が滲んでいた。『大切な人』がリチェルカのメンバー達、そしてブレイン・バーストを授けられた経典のことを指しているのは明らかだった。

 しかし、宇美はしっかりと晶音を見据え、握っていた晶音の手をより一層強く握り締める。

 

『それは私だって同じ。もしも晶音が全損してブレイン・バーストの記憶が消えるなんて、私は考えたくもない。晶音が東京を離れてから年に何度か会ってもほとんど話さなかった私達が、こうして一緒にブレイン・バーストをやるようになって小さい時みたいにまた仲良くなれた……。困っていることがあるなら頼ってよ。一人より二人の方が、やれることは絶対に多いでしょ?』

『宇、美……わ、わたし……』

 

 それ以上は思考発声をできなくなった晶音の目から大粒の涙が溢れ出した。宇美が優しく腕で晶音の頭を包むと、晶音は顔を宇美の胸にうずめて小さく嗚咽を漏らし始める。

 その光景にもらい泣きをしてしまいそうになったゴウは、目を逸らそうと大悟の方を向く。

 大悟は何か思うところがあるように晶音達を見ていたが、視線に気付いて一瞬だけゴウを見ると、晶音達からもゴウからも目線を外して、何かをごまかすように目を閉じた。

 

 

 

 一度心配そうに声をかけてきたウェイトレスに、大悟が身振りで大丈夫だと伝えてから数分後。

 周囲がちらちらと目を向ける中、目を腫らした晶音はまだ鼻を小さく鳴らしていたが、涙は止まっていた。

 

『──落ち着いたか?』

 

 大悟の問いに、晶音は一度だけ鼻を鳴らしてから頷く。

 

『俺もな、エピュラシオンを調べるのに、無理に付き合う必要はないってアウトローの奴らに言ったら、何を水臭いこと言っているのかと怒られたよ。……アウトローに戻れとは言わない。ただ今回に限って共闘する、それでどうだ?』

『……分かりました。それで手を打ちましょう。半ば意地になっていましたが、私一人では手に余るのも確か。ただし、あくまで今回だけの共闘です』

『それで構わない。コングとメディックも喜ぶだろうよ』

 

 条件付きではあるものの、大悟の提案に納得する晶音。

 ゴウは宇美と目が合い笑顔を見せると、宇美も嬉しそうに笑い返した。

 

『では早速、私の知る情報を教えましょう。スコーピオン、ひいてはエピュラシオンは私とリチェルカが知った幻のダンジョン、《アトランティス》の元に現れると考えられます』

『『アトランティス?』』

 

 ゴウと宇美の思考発声が重なる。

 

『アトランティス……。古代ギリシャの哲学者だかの著書に出てくる、神の怒りで海底に沈んだとされる島、そこで栄えたという帝国の名前だな』

『あ、そう言われると聞いたことあるかも……。大悟さん、詳しいですね』

『長いことバーストリンカーやっていると、いろいろな雑学が身に付くもんでな。ブレイン・バーストじゃ、固有名のある神獣(レジェンド)級エネミーとか高位ダンジョンには、神話や伝説からそれっぽい名前を当てはめている場合が多い。それで、そのアトランティスとかいうダンジョンはどこにある?』

 

 大悟がゴウに解説をしてから、晶音に訊ねる。

 

『アトランティスについて記されていた本にはいくつかの図と、残りは英語の文章が記されていて、リチェルカの皆と数日かけて読み解いていきました。その結果、アトランティスが出現するのは半年に一度。六月三十日と十二月三十一日、その正午から現実時間で約三十分間のみということが分かりました』

 

 ゴウは晶音が言ったことを反芻しながら、頭の中で自分の知っている加速世界のダンジョンの知識と擦り合わせる。

 そもそもダンジョンとは、現実の有名な建造物やメジャースポットなどの、いわゆるランドマークと呼ばれる場所に位置しているものだ。例えば現実の皇居に当たる《帝城》、その帝城を四方に囲む形で位置する四つのランドマークは、東京の《四大ダンジョン》と呼ばれている。

 だが、たったいま晶音が言ったように、限定的な時間にだけ出現するダンジョンなど聞いたことがない。

 

『そんなダンジョンが本当に──って……六月三十日って、丁度来週じゃないですか!』

『おいおい……。お前さん、そんなギリギリまで一人でどうにかしようと思っていたのか?』

『それは、その……』

 

 ゴウと大悟に追及された晶音は、バツが悪そうに顔を背けた。どうやら様子を見るに具体的な計画を立ててはいなかったらしい。

 

『ねえその前にさ、エピュラシオンがもうアトランティスを攻略したって可能性はないの? スコーピオンがそのアイテムを盗ってから一年半経つんでしょ?』

『あ……』

 

 宇美の発言にゴウは固まる。言われてみれば、元リチェルカのメンバーだったスコーピオンは晶音と同じことを知っているだろう。それどころかアトランティスについて記された書物アイテムを持っているなら、それ以上の情報を知っていてもおかしくはない。

 だが、晶音に慌てる様子はなかった。

 

『それに関しては問題ありません。スコーピオンが裏切りを起こしたのは去年の一月中旬。それから今日に至るまでアトランティスは二回出現していますが、私はその際に無制限中立フィールドへダイブし、アトランティスが出現している間ずっと見張りをしていたのです。その間、スコーピオンが現れることはありませんでした』

 

 晶音は軽く言っているが、アトランティスが出現するという時間は現実世界の三十分間、加速世界では約三週間になる。

 ゴウは加速世界で大悟と一ヶ月間の心意の修行を行ったが、一人でいつ来るかもしれない者をひたすら待ち続けるというのは、相当に神経を使う作業だろう。

 

『それに、先程エピュラシオンのマスターは何かを企んでいるようだと言っていましたね? だとするのなら、今回のアトランティスの出現時間にエピュラシオンが姿を見せる可能性は高いと思われます』

『なるほど……。そのあたりは他のメンバー達とも考えるとして……。先に知っておきたいのはアトランティスには一体何があるのかってことだ。それなりの代物があるからスコーピオンは自分のいたレギオンの仲間達を全損させたんだろ?』

 

 大悟の言葉に、晶音は少しだけためらいを見せたが、それ以上の動揺は見せずに頷いた。

 

『ええ。それを手に入れたものは、絶大な力を得ると本には書かれていました。それがアイテムなのか強化外装なのか、名称も記されていませんでしたが、それはダンジョンの最奥に《秘宝》として安置されているそうです』

 

 幻のダンジョンとそこに眠る《秘宝》。それを巡る戦いが始まるまでの時間は静かに、しかし確実に刻一刻と迫っていた。

 



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決戦篇 壱
第四十話


 第四十話 決戦前日

 

 

 わいわいと賑やかな喧騒がゴウの耳に入ってくる。目を開くと暖かな木漏れ日が薄く降り注いでいて、未だに梅雨の時期であることを忘れそうになってしまう。

 

「お疲れ。ちょっと休憩しようか」

 

 そう声をかけてきたのは、テーブルを挟んでゴウの対面に座る、金色の長髪をポニーテールに結った少女、早稲倉宇美だった。

 その容姿はゴウからすると、中学三年生にしては大人びていて、また日本人には見えない。彼女はイギリス人の祖母を持つクォーターであるが、イギリス人の血が容姿に濃く出ているからだ。

 そんな宇美は、ここに来る前にハンバーガーショップで買っていた、少し遅めの昼食を取り出し始めた。

 ゴウも宇美に倣い、自分の買った分のハンバーガーや飲み物を袋から取り出し、テーブルへ順に置いていく。

 今日は六月二十九日、土曜日。ゴウは半日授業の後、私服に着替えてから宇美と共に、《新宿中央公園》に赴いていた。

 何故ゴウが学校のクラスメイトでも同級生でもない宇美と、自分の住む世田谷ではなく、新宿で共に行動しているのかというと、その理由は先週の日曜日にまで遡る。

 先週の二十三日、日曜日。ゴウは大悟と一緒に、かつてアウトローのメンバーだった、クリスタル・ジャッジこと岩戸晶音と、目黒区にあるファミレスで対面することになった。

 その際に横浜に住んでいる晶音を、東京在住で晶音のいとこかつ《子》であり、そしてゴウのライバルでもある、ムーン・フォックスこと宇美が引き合わせる役を買ったことで、ゴウは宇美ともリアルで対面することになったのだった。

 紆余曲折の末、宇美がバーストリンカーになる以前から、晶音が一人で抱え込んでいた苦悩を聞き出すことに成功。その内容が今現在アウトローの調査対象であるレギオン、エピュラシオンに関わるものである可能性が非常に高い為に、一時的に手を組むことで話がついた。

 ゴウはこの際に行ったタッグ対戦中に、レベルアップとそれに伴うボーナスの必殺技を取得することで勝利を掴んだものの、バーストリンカーの生命線であるバーストポイントを、大量に消費することになってしまった。

 そんなゴウに、宇美がバーストポイントの提供を買って出たのだ。

 半ば勢いではあったものの、自分の判断でポイントを消費したのに思い最初は断ったのだが、宇美があまりにも強く頼み込むので、落とし所として今日の午後をタッグとして宇美と組むことで、ポイント回復の手伝いをしてもらうことになり今に至る。

 新宿は対戦のメッカとして名高いので、休日の昼過ぎともなるとタッグであっても、それなりの人数がマッチングリストに載っていた。

 これまでのゴウと宇美で結成したタッグチームの戦績は、三戦二勝一敗。即席チームとしては中々に好調である。

 

「──やっぱり大レギオンの幹部は格が違ったなぁ、体力も半分までしか削れなかったし」

「ですよね、何よりコンビネーションが抜群に上手い。お互いを見ていなくても、何をしているのか分かっているみたいでした」

 

 フライドポテトを片手に先程の対戦について話す宇美に、ゴウは相槌を打つ。

 三回目の対戦チームは、なんと新宿に拠点を置く青のレギオン《レオニーズ》の副官的存在である《二剣(デュアリス)》の二人、《コバルト・ブレード》と《マンガン・ブレード》だった。しかも、向こうから乱入を仕掛けてきたのである。

 少しだけ会話をしたところによると、どうやら見慣れないコンビである自分達、それも二人共ミドルランカーに該当するレベル6だったので、警戒の意も含めての乱入だったらしい。もっとも、ゴウ達が単純に対戦をしにこのエリアに来たことをすぐに見抜いたようだったが。

 リアルでも姉妹なのか、女武者達の完璧にシンクロしたコンビネーションは圧巻の一言で、結果としてレベル7の相手二人に奮闘はしたものの、最後は相手の必殺技でゴウは首を両断、宇美は胴切りされて敗北したのだった。

 

「僕、切断攻撃には耐性があるんですけど、まさか装甲の薄い首元をあんな距離からピンポイントで狙われるなんて……。戦闘スタイルから、てっきり近接系の技しかないと油断しました」

「あー、分かる。彼女達メタルカラーだけど、両方青っぽい色合いで青のレギオン所属でしょ? それでいて刀を使っていたら、初見であれは避けられないよね。だからあの状況だと──」

 

 昼食兼、対戦の反省会を始める二人。

 こうしたオープンスペースでブレイン・バーストに関して話すのはリアル割れの危険性があるのだが、案外全てがそうとは限らない。

 グローバル接続は切ってあるのはもちろんのこと、公園内には老若男女、数多くの人で賑わっている。それに加えて、見晴らしの良い屋外では盗み聞きをされる心配はないので(していればすぐに気付く)、少しトーンを落とせば肉声で話したところで特定される可能性はかえって低いのだ。

 

「──やっぱり機動力があると攻撃の当てやすさが段違いですね」

「上で狩りをするときは、晶音を乗せて動くことが多いんだ。それにしても、あの必殺技もサマになってきたんじゃない? 一度見た相手もあれを見たら警戒せざるを得ないし、ハッタリにもなる。ただ、私に乗った状態だと重すぎて潰れちゃうのがね……」

「あはは……それはすみません……」

 

 これまでのタッグ戦では、宇美が必殺技ゲージを溜めて《シェイプ・チェンジ》を発動したらゴウがその背に乗り、一気に距離を詰める作戦をメインにしていて、これはどのチームが相手でもかなり有効な手だった。

 ただし、ゴウが強化外装の《アンブレイカブル》を召喚したり、先週取得した必殺技の《モンストロ・アーム》を発動すると、《アンブレイカブル》は武器本体の重量で、《モンストロ・アーム》は巨大化した腕の重みで、ゴウを背に乗せる宇美が動けなくなってしまうのが難点である。

 

「ところで、ポイントの方はどう?」

「はい、もう問題はありません。予定より早くなっちゃいましたけど、元々レベルアップに備えて貯めていたし、平日の対戦でも少しは補填できましたから」

「え? あ、そう……」

 

 ゴウの何気ない返答に、宇美は急にしょんぼりとしてしまい、もそもそとハンバーガーを口にしだした。

 

「……どうしました?」

 

 今まで楽しそうだった宇美の変化にゴウがやや戸惑いつつ訊ねると、ハンバーガーを咀嚼した宇美が答える。

 

「ムグ……いや、自分から提案しておいてなんだけど、なんだかお節介だったかなって……」

「んー……? あぁ! そういうことですか」

 

 気まずそうに説明する宇美を見て、ゴウは少しだけ考えてからその理由を察した。

 どうも宇美は、自分が余計なことをしているのかもしれないと思っているようだ。無論、ゴウはそんなことは微塵も思ってはいない。

 

「お節介だなんてそんな……。早稲倉さんとこうして──」

「ゴホンッ!」

「じゃなかった……宇美さんとこうしてタッグを組んで対戦するの、楽しいですよ。戦略が広がって勉強にもなりますし」

 

 わざとらしく咳払いをする宇美に促され、慌てて言い直すゴウ。

 先週の最後にゴウは宇美に、「こうしてリアルで会ったことだし、私のことは名前で呼んでよ」と軽い調子で言われた。

 蓮美といい宇美といい、何故自分の周りの女子は名前で呼ばせたがるのかと、疑問に思うゴウだったが、さりとて気恥ずかしいと伝えるのも、何だかむず痒く感じたので了承したのだ。

 ちなみにその時の大悟は、「んじゃ、よろしくな。宇美」と全く気負わずに、あっさりと名前で呼んでいた。

 

「そ、そう? だったら良いけど……」

 

 努めて落ち着いて話している宇美だったが、口元はかすかに笑っている。

 そんな表情が大人びた顔付きなのに実年齢よりもどこか子供っぽく見えて、ゴウは内心微笑ましく思ってしまう。

 

「──ゴウはこうして直接私と対面した後でも、同じように接してくれるんだね」

「へ?」

「私はぱっと見て、その……外国人みたいでしょ? 実際四分の一はイギリス人だけど、それでも晶音や他の年の近い親戚達は、日本人の顔というか……」

 

 飲み物の容器の縁を指でつつとなぞる宇美。

 

「小さい頃は気にしていなかったんだけど、学年が上がっていく度に周りの目や声が気になり始めてね。中学生になると周りから敬遠されがちになって、一時期は学校の先輩に目を付けられたりもしてたんだ」

「そんな……」

 

 確かに子供は『異物』の存在に対して、過敏に反応するものだ。とりわけ人の容姿というのは、その人物を印象付けやすい。成長期の多感な時期にはそれを受け入れようとしない、排除しようとする者がいるのも不思議ではない。

 それでもゴウには、何をしたわけでもない宇美が理不尽に不当な目に合うのは納得し難かった。

 

「そのあたりが私の……フォックスを形成した《心の傷》なのかもしれない。そんな中一の終わり頃に、晶音が私にブレイン・バーストをくれた。誰一人同じじゃないデュエルアバター達を見ていると、文字通り世界が変わった気がしてね。そしたら私を気に食わない連中がいたって、私がそいつらの顔色窺うのが馬鹿みたいだって、思うようになったの。それで堂々としていたら、段々とクラスにも馴染めるようになった。すぐに二年生になって進級でクラス替えしたけど、また同じクラスだった子もいたから、不安もなかったし」

 

 ブレイン・バーストがきっかけで、良い方向を向けるようになったという宇美の話は、ゴウには非常に共感できるものがあった。きっと悪いところだけを見ていると視野が狭くなって、自分の周りには味方がいないように感じてしまうのだろう。

 だが、そんなことはないのだ。確かに出会う人間全てが自分を肯定などしない。

 それでも、自分を認めてくれる人達が確かにいる。それならば自分は多少迷いながらでも、前を向いて生きていけるのだから。

 

「ま、私を見たら、初対面の人は大概驚くけど。日曜日に会った時、ゴウも大悟さんも目ぇ丸くしてたの、すぐに分かったからね?」

「あー、あはは……」

 

 どうやら初対面の衝撃は露骨に顔に出ていたらしく、ゴウはごまかすように笑った。

 

「た、確かに驚きましたけど、それでも少し話を聞くだけでこの人はフォックスさんなんだなって、受け入れられましたよ」

「……そこだよ」

「え?」

 

 宇美は唐突にゴウを指差した。

 

「なんて言うのかな、素直? 純朴? ゴウって、人を変に疑ったりしないよね。ギャラリーで話をするようになってから何となく思っていたけど」

「素直……? まさかぁ、そんなことないです。どちらかと言ったら頑固な方ですよ、僕」

 

 宇美の指摘はゴウにしてみれば、まるでしっくり来なかった。自分の決めたことを譲らないところは小学生時代、友達にも一定の壁を作っていたからだ。

 ところが、宇美は首を横に振った。

 

「別に疑うことを知らないって言っているんじゃないよ。それに何でもかんでも受け入れていたら、ただの八方美人じゃない。そうじゃなくてさ、相手に対して真摯に対応しているの。だから晶音も初対面だったゴウの提案した対戦を承諾したんだよ」

「いや、だって、あの時は大悟さんがタッグを提案したし、宇美さんだって同意したからじゃないですか。別に僕はにゃにも──」

 

 なおも食い下がるゴウに業を煮やしたのか、宇美がゴウの両頬を摘んで、ぐにーっと引っ張った。

 当然、訳の分からないゴウは抗議の声を上げる。

 

「い、いひゃいれひゅ、なにひゅるんれひゅか!」

「確かに頑固なところはあるみたいね。でも人が褒めてんだから、そこは素直に受け取っておけば、い・い・のっ!」

「うっ!」

 

 宇美は語尾を強調して、ようやく頬を離した。

 両頬をさすりながら、ゴウは何故いきなり頬を引っ張られたのかと考えるが、追求しようとして同じことをされても敵わないので、それ以上食い下がらないようにした。

 

「痛たた……。話を戻しますけど、宇美さんは僕がそれまで知っていたままだったし、僕は別に変わりませんよ。それにブレイン・バーストを抜きにしても、宇美さんとこうしてリアルで友達になれて良かったと僕は思っています」

「…………!!」

 

 そう締めくくったゴウを、宇美は見つめたまま何も言わない。

 ──どうしよう、宇美さん黙っちゃったよ……。もしかして、会って一週間で友達呼ばわりは馴れ馴れしかった? でもブレイン・バーストじゃ、そこそこ長い付き合いだと思うんだけどな……。

 

「そう……」

 

 何を言えばいいのかゴウが焦って考えていると、先に宇美が口を開いた。ただその声はか細く、顔も赤い。しかも俯いてしまい、ゴウに顔を見せなくなってしまった。

 

「だ、大丈夫ですか!? もしかして体調が良くないですか?」

「違うの、平気。大丈夫だから……」

「だって顔が赤いですし、熱があるんじゃ……」

「大丈夫だったら! 今日はちょっと暖かいから暑いの! それよりほら、これ食べたらまた対戦始めるよ。明日に備えてパフォーマンスを最高にしておかなくちゃね……」

 

 そう言うと、宇美は残っているハンバーガーを一心不乱に食べ始めた。

 明日に備えるなら、程々にして切り上げるべきではないかと思うゴウだったが、宇美の迫力に圧倒されてしまい、黙って昼食を口に詰め込んでいった。

 その後ゴウと宇美は度々移動しつつ、レオニーズの名物コンビ、フロスト・ホーン&トルマリン・シェルを始めとしたいくつかのタッグチームと対戦し、度々負けもしたものの、全体的に見てかなりの良好な戦績を叩き出したのだった。

 

 

 

 数日前。加速世界、無制限中立フィールド某所。

 夜空には、怪物の耳元まで裂けた口のような三日月が浮かんでいる。

 周囲の建物は軒並み骨組みだけの廃墟。木々は真っ黒い枯れ木。どの方位を見渡しても十字架や碑石群、墓碑が連なっている。

 この陰気極まる《墓地》ステージの一角に存在する廃墟の陰に、二体のデュエルアバターの姿があった。

 

「──では、これを」

「どうも。わざわざありがとうございます」

「しかし、本当に良いのかい? あまりお薦めできるものじゃないよ」

 

 一枚の艶消しの黒色をしたカードアイテムを手にするデュエルアバターは、どこか青年教師のような印象をした、穏やかかつのんびりとした口調で訊ねる。

 その姿は何枚もの板を等間隔に並べて、人型に構成したような奇妙な姿で、色は二枚の指で挟んでいるカードとよく似た艶消しの黒。まるで影を立体化して、切り絵細工で作り出したかのようなデュエルアバターだった。

 

「ご心配なく。私はそこらの凡人達のように、力に溺れて自我を支配されたりなどしませんよ」

 

 積層アバターからカードアイテムを受け取るのは、丁寧な物言いにもかかわらず、相手を小さく嘲っているような、ほっそりとしたデュエルアバター。

 その姿は薄い月明かりの下にできた、廃墟の影の中に立っているので、体の輪郭しか見て取れない。

 

「まぁ、使わないに越したことはないのは確かでしょうが、あくまで保険です。この私が何年もかけた計画ですからね。万が一にも失敗などしませんよ。……貴方達の様にはねぇ」

 

 細身のアバターが嫌味をたっぷりと乗せた笑みを積層アバターに向ける。

 

「……ラスト・ジグソーはヘルメスコードのレースイベントで、目的だった心意システムの暴露こそしたものの、その後はレースイベントの賞品であるポイントを得られず、《災禍の鎧》になすすべもなく死亡。《サルファ・ポット》は《辺境農地化(ファーミング)実験》に失敗し、調教(テイム)したエネミーにも逃げられる始末。《ダスク・テイカー》に至っては、強奪した《飛行》アビリティに浮かれて悪目立ちした挙句、どこぞでポイントを全損したそうじゃないですか。いかに我々にはいくつもの計画があるとはいえ、こうも燦々(さんさん)たる結果とは──嘆かわしい」

 

 最近の表立った、自分達の所属する《サークル》メンバーの行動について、指を折りながらつらつらと並べていく細身のアバター。

 対する積層アバターの板で構成されている顔には文字通り表情がないので、いかなる感情も読み取れない。

 

「相変わらず手厳しいなあ」

「何を他人事のように言っているのです? 聞けば貴方、《災禍の鎧》の回収を失敗したらしいじゃないですか。おまけに《鎧》は加速世界のどこかに封印されてしまったとか……」

「いやいや耳が痛い。さては『彼女』に聞いたんだね?」

「知りたい情報を聞き出すついでですがね。相変わらずがめつい人ですよ。しかも対価に値するかは微妙な情報ばかりでした……やれやれ」

 

 自分の失態を持ち出されても飄々としている積層アバターの態度に細身のアバターは文句を言いつつ、受け取ったカードをストレージに収納した。

 

「さて、それじゃあお(いとま)しようかな。最後に忠告はしておくけれど、ソレは並列処理を重ねてだいぶ強化されているから、あまり侮らない方が良いよ。それでももう少しばかり負の心意を収集する必要はあるがね。《器》は相応しいものを確認しているし、上手くいけばそちらは明日にでも手に入るかもしれない」

「ほぉー、それは朗報ですね。健闘をお祈りしますよ」

 

 細身のアバターからの言葉だけの薄っぺらなエールを受けながら、背を向けた積層アバターは墓石の方へと歩き出した。

 そうして墓石の一つの影に足を踏み入れた途端、そこがまるで黒い底なし沼のように、積層アバターが影の中に身を沈めていく。

 細身のアバターはその現象が彼の能力によるものと知っているので、その様を見ても驚きはしない。

 そんな下半身までを影に沈めた積層アバターが、ひょいと細身のアバターの方を振り向いた。

 

「私も君の健闘を祈っているよ。君は確かにスパイとして優秀みたいだが、自分を過信しすぎるところがある。足元を掬われないように、最低限の注意はしておきたまえよ」

 

 振り向きながらそう言った積層アバターは、細身のアバターの返事を待たずに影の中へと完全に潜ってしまった。

 積層アバターが墓石の影を伝って別の影へと渡り、完全に気配が消えたことを感じ取ってから、細身のアバターは大きく鼻を鳴らした。

 

「……『自分を過信しすぎる』? 『足元を掬われないように』? お優しいですねぇ、副会長殿は」

 

 一人呟く彼の声には、明らかな侮蔑が含まれている。

 彼からしてみれば積層アバターの忠告など、煩わしい以外の何ものでもなかったからだ。失敗を責めてみてもどこ吹く風といった、あの態度も気に食わない。

 

 ──その言葉、そっくりそのままお返ししますよ。もう数日もすれば、寝首を掻かれるのは貴方の方かもしれないのですから。そして、ゆくゆくは姿も見せやしない会長も……。

 

 アイレンズを野心でぎらつかせながら内心で独りごちる細身のアバターも、積層アバターに続いてその場を後にする。

 そうして誰もいなくなった廃墟には、時折墓石の群れを通り抜ける、物悲しそうな風の音だけが空ろに響き渡っていた。

 



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第四十一話

 第四十一話 思い出の場所

 

「──それで距離を離して態勢を立て直そうとしたら、相手の刀のリーチが一気に伸びて首を落とされました……」

「そうかそうか《二剣(デュアリス)》と……。まぁ、レギオンの幹部クラスと戦えるなんて滅多にないことだし、良い経験ができたと思っときな」

 

 六月三十日、日曜日。

 昨日の新宿での対戦について話すゴウと大悟は、過去にゴウが初めて無制限中立フィールドにダイブした、駅前のダイブカフェの一室にいた。

 半年に一度のみ現れるという幻のダンジョン、アトランティスの内部に存在する謎のアイテムを狙うと思われるレギオン、エピュラシオンの企みを阻止する為に、ダンジョン出現の時間に合わせて待機しているのだ。

 今日び珍しいワイヤレス対応不可、グローバル接続をするのにもテーブル下部に位置するルータにケーブルを接続する必要があるダイブカフェを選んだのには、一応の理由があった。

 バーストリンカーの間では無制限中立フィールドへダイブする際、ルータやハブなどを介した有線接続状態による、自動切断タイマーを用いたセーフティが推奨されている。

 万が一、フィールド内部でその場で身動きが取れなくなったり、何らかの理由により連続で死亡する事態になった場合に、緊急回避として現実世界へ帰還できる数少ない手段だからだ。

 今回の設定したタイマーによる切断の時間は十二時三十分。

 加速世界では三十分は現実時間での約三週間にもなってしまうので、本来はここまでタイマーの時間を長く設定することはそうそうないのだが、ダンジョン内でタイマー切断による強制ログアウトした場合、そのデュエルアバターの無制限中立フィールドでの次の出現座標が、ダンジョン内のログアウトした位置になってしまう。

 今回、目的地のダンジョンであるアトランティスは、今日の十二時より三十分間のみ出現するらしいので、最悪の場合アトランティスの出現時間を過ぎてしまったら、次回アトランティスが出現する半年後まで、アトランティス内に取り残されるか、無制限中立フィールドにダイブすることさえできないのかもしれない。

 加えて、アトランティスの内部がどういった構造や仕様をしているのかが全く分からないので、下手をすれば何日もダンジョン内を進まなければならない可能性も有り得ると、晶音は懸念していた。

 仮に誰かがログアウトした際に、現実世界に意識が戻って再度タイマーを設定し、再度ログインするのに十秒かからなかったとしても、残りのメンバーがその場で待ち続けるのも、ログアウトした者を残して先に進んで一人にしてしまうのもリスクが大きすぎるのだ。

 それらの事態への考慮を含めた上で、長時間空けてのタイマー設定を行ったのである。

 もっとも、タイマーをセットしての加速は他のダイブスペースでもできるのだが、今回ここを選んだのはセキュリティに重点を置いたことと、完全防音の部屋なので気兼ねなくブレイン・バーストについて話せることからだ。

 

「──それで今でこそ、あの二人は加速世界でも指折りの剣士だけどな、昔は小獣(レッサー)級エネミー相手に泣きベソかいたり、《鉄腕》に都庁ビルの天辺から吊るされたり、二人がかりで斬りかかっても《矛盾存在(アノマリー)》に軽くあしらわれていたんだぞ」

「《鉄腕》に《矛盾存在(アノマリー)》……。ネガ・ネビュラスの幹部格じゃ、あんまり参考にならなそうですね……」

「……ちょっと晶音。さっきからほとんど話さないけど大丈夫なの?」

 

 そんなダイブカフェの同じ室内には、会話するゴウと大悟の他に女子二人の姿があった。

 一人は宇美、もう一人は今回ダンジョンまでの案内人でもある晶音である。

 晶音はダイブの時間が迫るにつれ、段々と口数が少なくなっていた。現在は表情が強張り、明らかに緊張しているのが見て取れる。

 

「別に、何の問題もありませんよ」

「そんな顔じゃ、宇美も心配するだろうよ。腹は決めたんだろ?」

 

 心配そうに話しかける宇美に対して、努めて落ち着いたように振る舞う晶音の強がりを見抜き、問いかける大悟。

 

「……簡単に言いますけれどね、六年振りにあそこに行くのですから、多少の緊張くらいはします。それに、二人にも最初に何と言おうかと思うと……」

「多少ってお前さん、ガッチガチじゃねえか。大体、俺と先週会った時だって驚いたのは最初だけだったし、それにあいつらとももうチャットで少し話しただろ?」

「あ、貴方はコングやメディックとは違いますし、チャットは文章だけで、直接顔を合わせるのとでは勝手が違います。たとえ相手がデュエルアバターの姿であっても」

「……中々に失礼なこと言われた気がしたが、今は聞き流してやる。さぁ、そろそろ時間だ。覚悟決めろよ」

 

 すでに今回の作戦行動の説明については、先週のファミレスでのタッグ対戦後にアウトローメンバーを交え、テキスト形式のチャットミーティングを行うことで済ませていた。

 まずは一度ホームであるアウトローに全員集合してから、晶音が事前に用意している《トランスポーター・カード》によって、ダンジョン出現地点の近くまで転移する手筈となっている。

 この場にいる四人が決めたダイブ開始時間は、十二時の十秒前。すでにその時まで一分を切っていた。

 ダイブまでのリミットが迫る中で、ゴウはこれから行くことになるダンジョンへの期待や、再び合間見えるであろうエピュラシオンへの不安などを始めとした、様々な感情が渦巻いていた。

 ただし恐れはない。隣には大悟や宇美に晶音、アウトローの仲間達がいるからだ。

 そうして、ついにその時が訪れる。

 

「……カウント始める。五、四、三、二、一」

「《アンリミテッド・バースト》!」

 

 大悟によるカウントダウンの後、ゴウは加速世界への扉を開く鍵となるコマンドを唱え、千倍に加速された時が流れる世界への扉を開いた。

 

 

 

 幾度も体感した、光の中を上昇してから闇の中を下降して足が地面に着く感覚の後、ゴウは己のデュエルアバター、ダイヤモンド・オーガーとなった姿で目を開いた。

 一定期間内にステージ属性が変化する無制限中立フィールドは現在《水域》ステージ。

 視界が暗転から回復する前に、足首のあたりまでが水に沈む感覚があった為、ゴウの頭の中ですぐに候補に挙がったステージの一つだった。

 屋内であるダイブカフェにいたものの、強い陽光が降り注がれている。このステージでは建物が全て、白く日焼けしたコンクリートの骨組みへと変化するからだ。ダイブカフェはビル内の地下にあったので、まるで陥没した穴の中にいるかのよう。壁面を伝い、地上から地下へと水が静かに流れ落ちている。

 

「移動するには少し不便なステージだね」

 

 ゴウのすぐ近くに立つムーン・フォックスとなった宇美が見渡しながら、開口一番にそんな感想を漏らした。

 このステージの特徴は地面が一面の澄んだ水に覆われているところで、とても見晴らしが良いのだが、慣れていないと急な動きをした際に、水に足を取られて転倒しやすいという地味に厄介な一面がある。

 

「今から十二時になるまで約二時間四十分。余裕はあるけど、アウトローに着くのがちょっと遅れるかもよ?」

「その点なら心配要りませんよ、フォックス。まずはここから出ましょう」

 

 宇美の疑問にクリスタル・ジャッジとなった晶音が答えた。水晶から作り出されたような姿が、日差しを受けて以前に見た時よりも輝いている。

 地下にあったダイブカフェから階段を一行が上ると、青空をそのまま鏡で反射したような水面が広がっていた。立ち並ぶ建物は全てが同一の骨組みだけとなっているので、爽やかながらもどこかうら寂しい光景だ。

 晶音が右手に握る杖を小さく前にかざすと、先端に付いている水晶が輝いた。すると、晶音の能力によって前方に白い石英が水面から突き出し、幅が二メートル程の通路が作り出されていく。

 

「ほぉー、こりゃ良いや」

「これで水に足を取られることはありません。この足場もしばらくすると消えますから、早く進みましょう」

 

 アイオライト・ボンズとなった大悟の感心したような声を受けた晶音は、ゴウが見るに心なしか少しだけ得意げな様子で先頭を歩き始めた。

 晶音が生み出す石英の即席の橋を渡り、度々オブジェクトを壊しつつ、必殺技ゲージを溜めながら一行が進むこと数十分。

 

「あっ……」

 

 不意に晶音があらゆる感情をない交ぜにしたような、短い声を上げて立ち止まる。

 周りの骨組みだけの建物群から、明らかに浮いている木造建築の平屋が、晶音の後ろに続くゴウにもよく見えた。

 

「懐かしいだろ? 内装は家具とかが少し増えたが、外装は昔と変わっていないからな」

「そうですね……。懐かしい、それなのに昨日も見たばかりのような、不思議な気持ちがします……」

 

 大悟に同意しながら、アイレンズを細める晶音が再び歩を進め始めた。

 すでにプレイヤーホーム《アウトロー》が目視できる地点まで来たからか、晶音はもう石英の通路を出現させず、細波(さざなみ)を立てながらゴウ達は進む。

 とうとうアウトローの目の前に辿り着くと何故か大悟が足を止めるので、ゴウは不思議に思って大悟の顔を見た。

 

「師匠?」

「ジャッジよ、せっかくだからお前さん、先に入りな」

「わ、私からですか? でも……」

 

 ホームの前に手を向けて促す大悟に、晶音は躊躇しているようだった。

 おそらく中にいるメンバーにどう接すれば良いのか分からないのだろう。プレイヤーホームであるアウトローが出現しているということは、鍵を持つ誰かがすでに到着しているということなのだから。

 そんな晶音の背中を、宇美が優しく押した。

 

「大丈夫だよ」

 

 宇美はそれ以上何も言わずに、見守るように晶音を見つめる。

 それだけで《親子》に通じるものがあったのか、意を決したように晶音が玄関ポーチ前の段差を上り扉の前に立つと、一度だけ深呼吸をしてからドアノブを回して扉を開けた。

 扉が開くと聞こえてきた複数の声が、水を打ったかのように静まり返る。

 

「ええっと……その……お待──」

「「ジャッジ!!」ちゃん!!」

「きゃあ!?」

 

 お待たせしましたと言おうとしたのだろうか。到着の挨拶を晶音が言い終える前に、二つの人影が声を上げながら晶音に突進してきた。

 人影達は驚きの悲鳴を上げる晶音と一緒に玄関を超え、冠水した地面に勢い良く転がり落ちる。

 ちなみにこの時、段差の下にいたゴウ、大悟、宇美は素早く横に避け、巻き込まれるのを回避していた。

 

 バシャアアァァン! 

 

 水飛沫が派手に飛び散る落下地点に、二体のデュエルアバターが晶音の上と下からそれぞれ抱き合い、サンドイッチ状態になって転がっていた。

 

「よぉジャッジ! ひっさびさだなぁ、おい! ──っぶぶ、水が……あ、どっかぶつけてないか?」

「こうしてまた会えるなんて夢みたいだわ! テキストチャット越しじゃ、どうも実感が湧かなかったけど……昔のままね美人さん! あっ、昔のままなのは当たり前よね、デュエルアバターだもの。とにかく……また会えて嬉しいわ!!」

 

 落下時の衝撃を防ぐ為か、クッションのように晶音の下にいるコングと、晶音の上に覆いかぶさる形となっているメディックは、晶音に息もつかせぬまま喋り出す。

 どちらもアウトロー結成前から晶音や大悟と共に過ごしていたバーストリンカー、この喜びようも無理はない。

 

「ひ、久し振りなのは分かりましたから……まずは二人とも離してください……」

 

 強烈なハグに喘ぎながら訴える晶音によって、ようやく二人が離れる。

 

「熱烈な歓迎だな。俺の時は対面した直後にぶん殴ってきたってのに」

 

 過去にアウトローとの関わりを絶って、単独での活動をしていた際に再会した時のことを言っているらしい大悟が三人の元へと近付くと、コングとメディックが口を揃えて反論をした。

 

「ボンズにはあれが熱烈な歓迎だっただろ?」

「そうよ、それにジャッジちゃんにはまた今度よ。今回はダンジョンのこともあるから、そっちを優先しないとね」

「え……?」

「──そろそろ良いかな?」

 

『また今度』の部分に反応する晶音をよそに、思い出話に花が咲きそうな大悟達を呼び止める声がホームから聞こえてきた。

 ゴウが振り返ると、声の主であるメモリーの他に、キューブ、リキュール、キルンと、残りのメンバー達が入口から姿を現している。

 

「皆さん、もう着いていたんですね」

「僕らも着いてから、そこまで時間は経っていないけどね。メディックとコングは何時間も前からいたらしいけど」

 

 メモリーがゴウに答えながら、残りのメンバー共々こちらへと集まってくる。

 

「《石英鉱脈(クォーツ・ヴェイン)》か。また顔を見られるたぁ驚きだな」

「わぁ、綺麗な装甲……」

「本当だ、やっぱ俺の氷よりもずっと透明だねー」

 

 思い思いに感想を述べるメンバー達に、晶音が向き直ってお辞儀をした。

 

「かつて見た方も、お初にお目にかかる方もいらっしゃいますので改めて名乗りましょう。クリスタル・ジャッジです。今回は皆さんの御助力を(いただ)けることに感謝を──」

 

 (かしこ)まりながら挨拶を始める晶音に対して「固い固い!」と一斉に制止が入り、メンバー達が順に簡単な挨拶をし始めていく。

 そんな様子を眺めていたゴウの隣に並ぶ、宇美が嬉しそうに呟いた。

 

「あんなに慌てて……。それなのに彼女、何だか楽しそう」

「濃い人達ばかりですからね。でも、先週のフォックスさんもあんな感じでしたよ?」

「本当? そうだったかなぁ……」

 

 ゴウがフォックスと話している内に自己紹介が終わり、コング達に連れられた晶音がアウトローの中へと引っ張られていくので、ゴウも続いて入っていく。

 アウトローに入った晶音が内部を見渡していると、マスターキーを持つメディックがホームストレージを操作し、ゴウには見覚えのない一人がけ用の白いソファーを出現させた。

 

「これは……ずっと取って置いていたのですか?」

「ジャッジちゃんのお気に入りなんだから、捨てられるわけないじゃない。ほらほら座って」

 

 メディックに背を押された晶音がソファーへ腰かける。感触を思い出しているのか、ソファーの肘掛けを撫でながら、晶音はアイレンズを静かに閉じた。

 

「…………またここに来ることができて、本当に良かった」

 

 しばしの沈黙の後に噛み締めるように呟いた晶音の声は、かすかに濡れているようだった。

 



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第四十二話

 第四十二話 出現、アトランティス

 

 

「それでは行きましょうか」

 

 ホーム内で確認を兼ねた約十五分間の最終ミーティングを行ってから、晶音がソファーから立ち上がると、一枚のアイテムカードを出現させた。今回ダンジョン近くの場所へ転移させるトランスポーター・カードである。

 ゴウが以前に一度だけ見たことがあるトランスポーター・カードは、《ヘルメス・コード縦走レース》の観戦用スタジアムへ移動する為のもので、青く透き通った大空を思わせる色だったのだが──。

 

「何だか……派手ですね、そのカード」

 

 晶音が指で挟んでいる、ギラギラとした原色で配色された背景に二頭の金色の龍が絡み合っているという、ずっと見ていると目がチカチカしそうなデザインのカードに、ゴウが率直な感想を述べた。

 

「トランスポーター・カードは転移先によって、デザインが異なりますからね。これは中華街エリア入口にある門の一つに転移するようになっています。最大転移人数はこの場にいるメンバーと同じ十人です。一枚で事足りたのは幸運でした」

「大丈夫なのか? 団体用のトランスポーターなんて、随分ポイントを使ったんじゃ……」

「安い物ではないですが、バーストポイントに影響するほどではありませんよ。では、外へ」

 

 気遣うような調子で訊ねる大悟に、晶音がどうということでもなさそうに答えてから、やがて全員がホームから出た。

 最後にメディックがホームの鍵を閉めると、晶音がカードをタッチして、しばし何らかの操作を行った後に一同に向き直った。

 

「それでは、これから転移を開始します。準備は良いですね?」

 

 全員が頷いたのを確認した晶音が最後に大きく頷き、「いきます」とだけ言ってタッチしたカードが輝き始める。

 

「わ……!」

 

 自分の体も同じく発光していることにゴウが声を漏らすと、光は更に輝きを増していった。

 突然の眩い光、仲間のどよめき、足首まで浸かった水の感触などが全て消え、視界が暗転する。

 やがて再び足が水に入る感覚と同時に視界が回復すると、転移前と変わらず《水域》ステージのままではあるが、景色は異なり、目の前には白く乾いた柱がそびえ立っていた。数歩下がって見上げると、それが左右の道路を跨ぐ門であることに気付く。

 

「ここは現実の《横浜中華街》の東門、《朝陽門(ちょうようもん)》に当たる門です。このステージでは少し味気ないですが──」

「なんだか地味ねぇ」

「《水域》ステージじゃしょうがねえさ。《繁華街》や《奇祭》だったら、もうちょい派手だっただろうになぁ……」

「ねーねー、あの遠くに見えるちゃんとした建物ってショップかなー?」

「横浜と東京とだと、ショップの品揃えも違うんでしょうか?」

「せっかくだし、中華まんとか売ってたら土産に買いたいよな」

 

 やや味気ない白い門を眺めるメディックとキルンに、無制限中立フィールドに点在するショップを見つけたのか、今にも買い物に赴きそうなキューブ、リキュール、コング。

 晶音の説明を聞いているのかいないのか、メンバー達は思い思いに意見を言い合っていた。

 メモリーに至っては、普段足を踏み入れる場所ではないからか、生成した紙にペンで何やら熱心に書き込んでいる。

 

「まー、マイペースな奴らだよ、ホントに」

「はいはい! 今回は観光に来たのではありませんよ。こちらに付いてきてください」

 

 他人事のように苦笑する大悟をよそに、パンパンと手を叩いて皆を注目させた晶音が先頭を歩き、ようやく一同は移動を開始する。

 朝陽門に背を向けてほんの二百メートルほど歩くと、オブジェを囲む噴水のある、海沿いの空き地へと出た。

 この場所にゴウは見覚えがあった。小学生の時に遠足や家族との旅行で、何度か訪れたことのある場所だったからだ。

 

「ここは……《山下公園》? ここにアトランティスが現れるんですか?」

 

 かつての大震災の瓦礫を埋め立てて作られたという海浜公園に、海に沈んだとされる土地の名を冠したダンジョンが現れるのかと、何となく作為的なものを感じたゴウだったが、晶音は小さく首を横に振った。

 

「正確にはここに隣接する場所に現れるのです」

「隣接……?」

 

 晶音はゴウにそう言いながらも、更に公園内部に進んでいく。

 その先にあるのは深い青色をした海に浮かぶ、貨客船だった。ゴウは頭の中の記憶を漁り、確か名前は《氷川丸(ひかわまる)》だったか、とうろ覚えながらに思い出す。

《水域》ステージに存在する他の建造物のように骨組みだけではないものの、全体が日焼けした白い船は長年放置され続けて静かに朽ち果てているようにも見えて、やはりどこか物悲しい雰囲気を感じた。

 他のメンバー達も似たような気持ちを抱いているのか、静かに船を眺めながら進み続ける。

 やがて海に突き出ている桟橋の先端、小さな灯台のオブジェクトの前で、晶音はようやく足を止めた。

 

「……雰囲気は少し寂しいですが、エネミーが少なくて都合が良かった。スムーズにこの目的地まで着けたのは良い調子です」

「ジャッジ、この船が目的地なの? いい加減、教えてくれても良いんじゃない?」

 

 宇美が焦れたように晶音に問うのも、至極当然である。

 先日のテキストチャットでも、転移前のアウトロー内のミーティングでも、晶音はダンジョン自体についての具体的なことは口に出さなかったのだ。

 ダンジョン内に入った場合の動き、戦闘が発生した際の対応などは全員で取り決めたものの、現実のどこに位置するランドマークなのか、または入口はどこなのか、といったことを誰かが訊ねると、「それは直接、自分の目で確かめた方が良いでしょう」と言うだけだった。

 そんな晶音が首を振る。

 

「いいえ、この船は関係ありません。もう少しすれば自ずと分かりますよ。きっと物珍しいと思いますので、期待して待っていてください。それよりも……エピュラシオンのバーストリンカー達がこれから現れるかもしれません。もしかしたらもうすでに──」

「いや、この公園の敷地内には俺らしかいなさそうだ。少なくとも今は」

 

 晶音の話を遮った声に反応した全員が振り向くと、一行の最後尾に立つ大悟の頭巾を被った額から、枯れ草色の光が漏れ出している。

 アイオライト・ボンズの持つアビリティ、《天眼》を発動した時に似ているが、光の量も質も、ゴウの知るものとは異なる。

 更に目を凝らしていると、ゴウはその光があるものだと気付いた。

 

過剰光(オーバーレイ)……心意技ですか?」

「これをお前さんに見せるのは初めてだったな。《天眼》の心意技版だと思ってくれれば良い。ジャッジ、ここの他にダンジョンの入り口は存在しないんだな?」

 

 バーストリンカーの持つイメージによって、ブレイン・バースト内のシステムに干渉して事象の上書き(オーバーライド)をさせる現象を見ているゴウに、大悟は首肯してから晶音へと確認した。

 

「ええ、その筈です」

「だったらここで張っていれば、奴らも来るだろ。開けた場所だから奇襲の心配もなさそうだし、ダンジョンが現れる残り時間まで待つとしようや。なに、皆でだべっていたらあっという間だろうよ」

 

 

 

 皆で山下公園内とその周囲を警戒しつつ、雑談しながら待つことおよそ一時間半。ついにその時が訪れた。

 

「────!! 来ましたね……。皆さん! 桟橋へ行きます、付いてきてください!」

 

 鋭い声を飛ばす晶音に全員が注目し、桟橋へ視線を向けると明らかな異変が起きていた。

 

 ドドドドドドドドドドドドドドドド────。

 

 桟橋自体ではなく、桟橋の先の海面が音を立てて、真っ二つに割れ始めていたのだ。

 ゴウ達が桟橋の先まで辿り着いても、なおも海面は緩いカーブを描きながら沖へ向かって割れ続け、更には桟橋の先からは海水が固形化し、なだらかな階段を形作った。

 

「これこそが幻のダンジョン、アトランティスへと続く道です。ここから少し歩きますよ」

 

 呆気に取られるメンバー達をよそに、晶音はためらうことなく足を踏み出し、水の階段を下り始めた。

 なるほど、と晶音が勿体ぶっていた理由をゴウは理解する。

 これは確かに滅多に見られない光景だろう。実際にハイランカー達も唖然としている。

 他のメンバー達がおそるおそる階段を下りていく中、ゴウも桟橋の先に繋がる、潮の香りが漂う海水が作り出した階段に足を踏み入れた。

 足の裏から数センチだけ沈み込んだものの、海水でできた揺らめく階段はそれでも確かな安定感があり、その形を維持し続けている。

 晶音を先頭に数名ずつ横並びになって、長い階段を降り続けていると、海が割れてむき出しになった海底へ到達。そこが到着地点ではなく、やがて歩いていく内に、一行はいつしかマンション四階分に到達しそうな高さになっていた、海水の渓谷の底を進んでいた。

 

「…………ランドマークじゃなくて、海の中とは一本取られた。これは知らなきゃ、見つけられるわけがないわな」

「でも、ソーシャルカメラって海中にまで入っているんですか?」

 

 殿(しんがり)を歩き、脱帽したように呟く大悟に、隣を歩くゴウは質問した。

 ブレイン・バーストは現実のソーシャルカメラの映像を基にフィールドが再現されていて、ソーシャルカメラの死角はある程度の補完によって補われている。カメラの設置されていない屋内の場合はステージに問わず、その建物内への進入不可能になるケースも多い。

 では海中の場合はどうなるのかと、ゴウは疑問に思ったのだ。

 

「うーむ、そうだな……まず見たところ、海中にはエネミーは居なさそうだよな」

 

 大悟が会話をしながら、海水の壁に腕を突っ込んだ。

 大悟の腕はほとんど抵抗なく海中に入っていき、大悟の歩みを止めることもなければ、腕を引き抜いても壁には穴が開くことも、そこから水が溢れ出すこともない。

 今回ダイブしてからまだ一度も遭遇していなかったので意識から外れていたが、透明度の高い海の中をゴウが見渡しても、エネミーどころか魚型のオブジェクトすら見当たらなかった。

 

「じゃあ……いま歩いているこの場所は、カメラの補完されている空間なんでしょうか?」

「そうとも断言はできないな。ここは《横浜港》、外海に位置しているわけじゃないから、海上は陸地からソーシャルカメラが映しているのかもしれない。ただ、さすがに海中まで監視の目を用意する意味はなさそうだから、この海底は補完されたものかもな」

「なるほど……」

 

 大悟の仮説を交えた説明に頷くゴウ。

 

「そういや水中繋がりの話なんだが、上野エリアの《不忍池(しのばずいけ)》には主である巨大エネミーがいるって噂が──」

「ああ、そんな……!?」

 

 前方からの驚愕した声が、大悟の話を遮った。

 ゴウが振り向くと、先頭を歩いていた晶音が慌てたように駆け出す。

 大悟との会話に意識が向いていて気付かなかったが、前方にはいつの間にか《黄昏》ステージに存在するような、白い石灰岩からなるギリシャ風の遺跡らしき建物の姿があった。

 

「待ってジャッジ!」

 

 宇美が晶音を呼び止めながら追いかけ、ゴウ達他のメンバーもそれに続く。

 この遺跡が海底の道の最奥のようで、遺跡の後ろも左右と同じように海水の断崖に囲まれた、袋小路の形となっていた。

 遺跡は横幅と高さ、奥行きが全て十メートル程度。形状的には立方体の箱に近い。

 

「そんな……これは……」

 

 そんな遺跡の前で、ようやく立ち止まった晶音が信じられないように呟いた。

 ここが行き止まりである以上、この遺跡がアトランティスへの入口に当たるのだろう。

 だが、遺跡正面の縦長の扉は閉ざされている。黒ずんだ物体が、白灰色の両扉を塞いでいるのだ。

 扉の中程から下に向けて、扉と一体化したように固着している塊を、前に出たキルンが軽く叩く。

 

「こりゃあ……岩みてえだな。それも内側から塞いだようにも見える」

「以前にこれが出現した時には、こんなものはありませんでした。つまり……」

 

 晶音がその先を言わなくても、この場の誰もが理解できた。

 誰かが内側から意図的に扉を塞いだのだ。

 普通に活動をしていたら、偶然見つけることはほぼ有り得ないであろうこの場所に、今日訪れる可能性がある存在は一つしかない。

 

「すでにエピュラシオンの奴らは、ダンジョン内にいるってことだな」

 

 大悟の言葉に晶音が首肯する。

 

「で、でも……それじゃあエピュラシオンの人達は、この道ができる前にこの場所に来ていたことになりますよね? どうしてわざわざそんなことを……」

「おそらくですが……スコーピオンは私がここに来ることを予期していたのかもしれません。ダンジョン攻略前に無駄な戦いをすることを避ける為、私達が公園に到着する前に、別の場所から泳いでこの入口に辿り着いたと考えるのが一番自然です。そうでなければ、この通り道を知っているスコーピオンが使わないはずがない」

 

 困惑するリキュールに対して、晶音がうなだれながら答えた。

 いつからエピュラシオンがアトランティスに入っているのかは不明だが、どうやら相手は相当に用心深いようだ。

 

「でもさー……そうやって泳いでここまで行けるならさ、今日でなくてもこのダンジョンの中に入れるんじゃないのー?」

「それはないかな。それこそ彼らが今日ここに来る理由がない。どうしても推測になるけど、この建物自体が現実時間の今日の日付か、加速世界での数日から数時間前にかけてしか現れないんだと思う。仮に道が作られると同時に現れたとしたら、扉を破壊した音とかに僕らが気付いただろうしね」

 

 キューブの質問にメモリーが異義を唱えて推論を立てると、晶音が賛同する。

 

「私もそう思います。ただ……こうして扉が修復されていない以上、彼らがダンジョンに入ってから変遷は起きていないようですが、それでもいつ入ったのかまでは特定できません。今から数時間前、数日前なのかもしれない。こうしている間に、すでに目的を達成する寸前だとしたら──」

「少し落ち着け、ジャッジ」

 

 晶音の前に立った大悟が、両手を晶音の両肩に置いてから軽く叩いた。

 

「悲観しすぎだ。確かにスタートは向こうが一枚上手だったみたいだが、これから追いかけていけば問題ない」

「もう全て無駄足になるのかもしれないのですよ? どうしてそう楽観的になれるのですか!」

「落ち着けと言うに……。仮にな? 仮にエピュラシオンがダンジョンの《秘宝》とやらを手に入れて、俺達が間に合わなかったとしよう。だとしても、それはそれで良いんだ。明日以降に連中を見つけて戦うなり、話し合うなりすればいい」

 

 あっさり言ってのける大悟に晶音が何か言おうとしたが、それを制して大悟が続ける。

 

「それよりもだ。お前さんはテンションが上がらないのか? ただ向かうだけでもこんなに手間取るダンジョンがそこにあってよ、一体何が待ち受けているのかと思うとワクワクしないか? アウトローは加速世界を自由に生き、そして楽しむ為に集まった集団だ。それはカナリアの奴が何よりも重きに置いていたことでもある。あいつの《子》であるお前さんが一番分かっていることだろう」

 

 大悟の言葉に、ゴウは大悟に初めてアウトローへ連れられ、どういった場所なのかを説明された時の記憶が甦った。

 

 ──『六大レギオン達にも干渉されないこの場所で、加速世界を自由に楽しむ、言わば《サークル》ってとこだな』

 

 かつてアウトローに所属していたバーストリンカー、カナリア・コンダクター。

 病によってこの世を去っている、大悟と血を分けた双子の弟である彼について、ゴウはほとんど知らない。

 しかし、彼の存在は今も尚、大悟を始めとした初期のメンバー達に強く影響を残していることを改めて確信する。それはアウトローを離れた晶音も例外ではない。

 大悟の言葉を受けた晶音はカナリアの名を聞くと、じっと大悟を見つめ、大きく深呼吸した。

 

「…………ずるい人ですね、貴方は。彼の名前を出されたら、私が耳を傾けざるを得ないと知っていて、そういう言い方をしたでしょう?」

 

 ふてくされたように言う晶音だったが、先程までの焦燥感は消えているようだった。

 

「否定はしないが、酷い言い草だな。ただ、連中にみすみす《秘宝》とやらを手に入れさせる気もない。それに……いくつか因縁もできた相手だしな」

 

 晶音の言葉を受けて、肩をすくめた大悟が一瞬だけゴウを見てから、ゆらりと闘気を立ち昇らせる。

 

「第三者の邪魔も入らないこの場所は都合が良いとも言える。向こうの構成人数までは知らんが、ダンジョン攻略に出し惜しみをするとは思えないし、ここは一丁派手に全面戦争といこうや。──皆はどう思う?」

「そりゃいいや! 無制限フィールド(こっち)でエネミー以外を相手取るのなんて久々だ。腕が鳴るぜ」

「そんじゃ、今日までの成果を試すとするかね」

「よぉーし、俺もやるぞー。あー、何だかウズウズしてきた!」

「え、援護は任せてください!」

「そうだね、たまにはこんなのも悪くないかな」

「ふふ、ウチのジャッジちゃんとオーガーちゃんにちょっかいを出してくれた相手なら、遠慮は要らないわよねぇ……」

 

 いかにも楽しそうな声で語りかける大悟に、メンバー達が次々に賛同の声を上げた。

 晶音は「このやり取りも懐かしいですね……」と観念したように呟き、宇美に至っては、見事に好戦的な意見しか出てこない彼らの様を見て、小さく笑いつつも口元が引きつっていた。

 ──そういえば、初めてのエネミー狩りでいきなり『死ね』って指示を出すぐらい、無茶苦茶な人達だったな……。

 あれも一応は理由があっての指示だったが、当時のゴウに思考がフリーズするほどの衝撃を与えたものだ。

 約十ヶ月前の出来事を思い出していたゴウも、皆に遅れて同意の声を上げた。

 

「僕も全力を尽くします!」

「決まりだな。それじゃあオーガー、よろしく頼む」

「え? 何をですか?」

「殴り込みをかけようと思う。──文字通りな」

 

 大悟が塞がれた扉を指差す。

 それだけで、大悟の言わんとしていることを理解したゴウは大きく頷いた。

 

「あぁそういう……えっと、じゃあ……全員少し下がってください。危ないので」

 

 ゴウは自分より後ろに皆を下がらせると、塞がれている扉の前で右腕を肩まで大きく引いて、左腕を右肩に添えた。そして右腕を勢いよく突き出して、必殺技を叫ぶ。

 

「《モンストロ・アーム》!」

 

 ゴウの右腕が大きく膨れ上がり、巨大化した腕は遺跡の扉を塞いでいた岩と扉を諸共にぶち抜いた。

 轟音を立てた後に、ゴウの右腕が元のサイズに戻ると、ぽっかりと空いた大穴が作られ、大悟と晶音と宇美を除く、このゴウの必殺技を初めて見たメンバー達がやんやと喝采を上げる。

 それから遺跡のできた穴を通り抜けると、そこは壁に埋め込まれたいくつもの明かりが空間を照らし、奥に入口の扉と同じくらいの大きさをした扉が一つ備え付けられているだけの、ひどく殺風景な場所だった。

 ただし、扉からはゴウが感じたことのない、漠然とした威圧感が放たれていて、まるでこれから通る者を値踏みしているかのように感じられる。

 

「……どうやらこの遺跡は外周部で、あれが本当のアトランティスの入口のようですね」

 

 晶音がつかつかと内部の扉に歩み寄った。幸い、外の扉のように塞がれてはいない。

 

「ここから先はどうなっているのかは、私も知りません。皆さん、覚悟はできていますね?」

 

 晶音の問いに対して首を横に振る者は、誰一人としていなかった。

 



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第四十三話

 第四十三話 待ち受ける罠

 

 

 ブレイン・バーストにおけるダンジョンとは、システム上では地上とは別空間に設定されている場所だと、あらかじめ聞かされていたゴウは──自分だけではないのだろうが、このアトランティスの名称を持つダンジョンはもしかすると加速世界の開闢以来、初めて攻略する者が現れたのではないかと考えていた。

 知らなければ、まず見つけられないであろう入口が現れるのは、半年に一度だけ。現在より約八年前にブレイン・バーストプログラムが配布されているので、つまりは今日を含めてたったの十七回しか攻略の機会が訪れなかったことになる。更には東京二十三区にバーストリンカーが密集している現状も加味すれば、可能性は十二分に有り得るだろう。

 そんなアトランティスは、入り組んでいて人が入るのも困難な地形が多い現実の洞窟とは異なり、ただの通路でさえも複数人が横並びで歩ける幅広さと、大柄なデュエルアバター三人が肩車をして腕を伸ばしても、天井には届かない高さを兼ね備えていた。

 また、足場が舗装され、壁面からはランプの明かりが備え付けられている通路を歩いていたかと思えば、発光する岩や鍾乳石がそこかしこに伸び、脇道には干潮によって姿を見せる潮溜まりや海面から突き出たサンゴ礁が見られる岩場へと道が変わる。

 更には潮の香りが立ち込める飛沫を散らす、海水の滝が流れ落ち続けている開けた大空間、謎のモニュメントが立ち並ぶ庭園が現れたりもした。天然の洞窟と人口の遺跡を融合した、広大な内部構造だ。

 そんな観光としては非常に見応えのあるアトランティスだったが、いくら進んでもエピュラシオンどころか、エネミーや仕掛けられた罠さえも出てこなかった。

 ゴウもダンジョン進入当初は全神経を集中させて警戒していたのだが、いくら歩いても脅威になるものが出てこないので、最低限の警戒心は残してはいるものの、他のメンバー達と一緒にダンジョンの多種多様な風景を見ては、感想を言い合っていた。

 そうした手放しには喜んでいられない進軍から三十分近く経とうとした頃、とうとう状況に変化が発生する。

 

「あれ? 行き止まり……?」

 

 ゴウは辺りを見渡してから、声を上げる。

 床や壁、天井さえもが、線のように細い継ぎ目しかない大理石で組み上げられた部屋へと辿り着いたのだが、出口が見当たらないのだ。

 部屋はゴウの通う中学校の教室と同じくらいの面積、対して天井までの高さは二十メートル近くと、やけに高い。部屋の中にはオブジェクトどころか、小石一つ落ちておらず、そのまっさらな空間がゴウにはかえって不気味に感じられた。

 他の皆もさすがに悠長には構えずに、部屋の中に何かしらの奥に続く何かしらの仕掛けがないだろうかと調べて回る。

 

「……あ~、駄目だな。どうも隠し扉の類も無さそうだ」

 

 壁のあちこちを叩きながら部屋を調べていた大悟が、神経を尖らせていたからか、腰を反らせながら伸びをする。

 

「もしかしたら、ここまでの道中に本当の道が隠されていたのかもしれないね」

「どうするジャッジちゃん。来た道を戻りながら調べてみる?」

 

 メモリーの意見やメディックの提案を受け、考え込んでいた晶音が口を開いた。

 

「そうですね……確かに見逃した抜け道があるのかもしれません。一度引き返して──」

 

 ガシャン! 

 

 まるでこちらの会話を聞いていたのかと思わせるタイミングで、入口の扉が音を立てて閉ざされた。

 ──閉じ込められた……!? 

 ゴウは入口があった場所に蹴りを放ったが、傷一つ付かない。

 ここまでの道中で、強度を調べる為に破壊したオブジェクトや壁はさして頑丈なものではなかったのだが、どうやらこの部屋は特別らしい。どうしたものかと考えていると──。

 

「上、気を付けて!」

 

 宇美が慌てたように叫び、その数秒後に何かが空を切る音がした。

 部屋の高い天井が、いくつもの大理石のブロック塊として降ってきたのだ。

 一つ一つは片手で掴める程度の大きさではあるものの、あまりにも数が多すぎる。当たり所が悪ければ、思わぬダメージを受けるだろう。

 

「皆さん、こちらへ!」

 

 部屋の隅に、四隅を柱が支える石英の屋根を作り出した晶音に呼び寄せられ、一同は大理石の雨から免れる。

 しばらくすると、石英に大理石がぶつかり続ける喧しい音が止まり、部屋の中が静まり返った。

 ゴウがおそるおそる石英の屋根から顔を出して上を覗き込むと、天井の大理石が落ちてきたことで、床の面積とほとんど変わらない大穴が空いている。

 まるで上下を反転させた、奈落の底を覗き込んでいるような感覚が湧き上がり、漠然とした不安を感じていると、リキュールが遠慮がちに皆に訊ねた。

 

「あの……何か聞こえてきませんか?」

 

 耳をすませてみると、確かに何かが聞こえる。これはまるで──。

 

「…………やべえな、こりゃ」

 

 コングが呻くように呟いた直後。

 天井の大穴から先程までの道中でも目にした、滝さながらの勢いで大量の海水が降り注いだ。

 

 ドッパァアアアアアアアアン!! 

 

 部屋中に一気に拡がる海水の怒涛に、ゴウ達は一瞬で呑み込まれてしまった。

 デュエルアバターは呼吸によって酸素を取り込む必要がないので、水中に放り込まれたところで溺れる心配はない。

 だが、海水で満たされた部屋はいかなる仕掛けか、身動きが取れないほどの勢いの激流が発生し、ゴウ達はまるで洗濯機に入れられた衣服のように流れに翻弄されていた。

 

 ──『もしもダンジョン内で、不測の事態で単独になりそうな時には誰でもいい、近くにいる奴にくっつけ。複数人でいるだけでも、一人より生存率はぐんと上がる』

 

 ホームでのミーティングで、大悟はそう言っていたが、これはさすがに『不測の事態』すぎた。

 

「っく……!」

 

 ゴウは何とか皆の状況を把握しようと、周りに目を向けようとする。

 激流と共に無数の泡が発生する中で、宇美が晶音を抱きしめながら流されている姿が、一瞬だけ見えたその時、不意に水の流れが変化した。それによって、部屋の内部をグルグルと回っていた体が壁際に引き寄せられていく。

 一体何事かとゴウが壁面に向けて首を捻ると、壁には大型のデュエルアバターでも簡単に通れる幅をした四角い穴が開いていて、海水ごと自分を吸い込もうとしている。しかも穴は一つではなく、高い天井まで伸びている四方の壁のそこかしこに開いていた。

 ゴウは吸い込まれまいと、その内の一つの穴の淵を掴んで堪えようとしたが──。

 

「わわっ……うわぁああああああああああ!!」

 

 そんな抵抗もむなしく、突起も存在しない淵から手はすぐに滑ってしまい、ゴウは一人穴の奥へと吸い込まれていった。

 水道の配管に詰められ、無理やり押し流される錯覚を抱きながら水流に流され続けていたゴウは、やがて開けた場所へと吐き出された。

 未だに水中だったが、ようやく体が自由に動くようになったことを確認し、上を見上げるとうっすらと光が見え、ゴウは上方へと泳いでいく。

 

「──ぷはぁっ……! ここは……」

 

 体が空気に触れたことを感じながら辺りを見渡すと、どうやら洞窟内に湧き出ている泉のような場所に出たらしい。

 岸に辿り着いたゴウは泉から這い出ると、深呼吸をしながら状況を整理し始めた。

 ──さっき歩いていた時には見覚えのない場所だ。何人か別の穴に吸い込まれたのが見えたけど、大丈夫かな。……ここにいても合流できるとは思えないし、今はとにかく進まないと……。

 

 体力がほとんど満タンに近いことだけは、幸運と言ってもいいだろう。

 皆の無事を祈りつつ、ゴウはこっちがダンジョンの奥だろうかと、勘で選んだ方へと歩き出した。

 

 

 

「他の人達は無事なんでしょうか……?」

「そんなに心配しなくても大丈夫よ、リキュールちゃん。皆、きっとうまくやっているはずだわ」

「ごめんよー……。俺、近くにいた二人と離れないようにするだけで精一杯でさー」

 

 リキュールとメディック、それにキューブの三人が、会話しながらダンジョンを進む。

 

「キューブちゃんもそんなにしょげないの。むしろグッジョブよ。おかげで十人中三人は、こうして固まって行動できているんだから」

 

 閉じ込められた部屋の天井から海水が降り注いだ時、キューブはとっさに両隣にいたリキュールとメディックの腕を掴むと、自らのアビリティによって両手に立方体の氷を纏わせることで、そのまま二人の腕ごと固定したのだ。

 激流に散々こねくり回されたものの、この行動によって三人は離れることなく同じ穴に引き込まれて今に至る。

 

「気持ちを切り替えて今は進みましょ。奥を目指しているのは全員同じだから、その内に合流もできるわよ」

 

 不安そうなリキュールと落ち込む自分を励ますメディック。

 当然、メディックも離ればなれになってしまった仲間達の身を案じているのだろう。

 しかし、状況がすでに変化している中で、いつまでも不安に駆られているわけにもいかない。この場所がどれ程に危険な所なのかは未知数だからだ。

 今のところは体力が大きく減少する場面はないが、次の罠で思わぬダメージを受ける可能性も充分に有り得る。

 そうならない為には過ぎたことを引き摺っていないで、前を向かなければならないのだ。

 今ここでは、頭では分かっているリキュールと自分、行動で実践するメディックとの経験の差が如実に出ていることをキューブは感じ取っていた。

 

「……んー? 何だろ、アレ」

 

 何度かの分かれ道を勘を頼りに進む中、キューブは道の先の曲がり角を指差した。

 このアトランティスに入ってから、通路を灯す明かりや光る岩々によって、暗さによる不便はなかったのだが、前方には一際明るい、一条の光が差し込んでいるのだ。

 光は不規則に動いていて、時折消えてもすぐに現われて道を照らしたりと、その謎の動きにメディックも首を傾げる。

 

「何かしら。先に開けた場所があるみたいだけど……」

 

 光を浴びながら更に近付いていくと、洞窟の先の地面が舗装された通路に変わっていた。

 この先がゴールとは思えないが、これまで目立つものも見られなかったので、三人は前へと進む。

 その先にあったのは、幾本もの柱が立ち並んでいるのが印象的な、所々が崩れた遺跡群だった。

 これまでの道中でも、似たようなものを何度か見ているキューブ達だが、異なる点が二つ。

 一つは、ここがかなりの広さをした空間であること。もう一つは建物の一角の屋根の上で、日光の如き光を放つ──何者かが立っていることだ。

 

「……敵でしょうか?」

 

 リキュールが己の強化外装である、酒瓶型の大型銃を召喚し、素早く構える。

 このダンジョン内で自分達の知らない人影があれば、それは少なくとも味方ではないだろう。

 メディックとキューブも油断なく身構えた。

 その気配に気付いたのか、かなり距離の離れた所にいた人影がこちらを向いて、今まで立っていた建物の屋根から飛び降り、軽やかに着地を決めると三人の元へと歩いて近付いてくる。

 

 近付くにつれて全貌が露になっていく人影の正体、それは白みが含まれた、明るい黄色のF型デュエルアバターだった。

 中肉中背をした体の各所にある装甲はそれ自体が光源らしく、歩く度に部屋のあちこちをサーチライトのように照らしている。つまり通路で見た光の正体は、このF型アバターの装甲から発せられるもので、彼女が動くことでこの場所に繋がる洞窟の通路に光が入り込んだり、抜けたりしていたのだ。

 透過処理のされたサンバイザーのような(ひさし)がついた頭部には、真っ黒なサングラスを装着していて、明るい色で構成されたカラーリングの中で、非常に際立っている。

 そんなF型アバターはメディック達と多少の距離を取りつつも、真正面で立ち止まった。

 そして大きく息を吸うと──。

 

「────おっっっっそ──────いっ!!!」

 

 少女特有の甲高い声で、思いきり不満をぶちまけるように叫んだ。

 

「アンタ達、どんっだけ待たせんのよ! もっとちゃっちゃと来なさいよ、もう!」

 

 キンキンと耳に響く声で、地団太を踏みながら文句を口にするF型アバターの態度に、身構えていた三人は一瞬だけ呆然となってしまった。

 

「……なぁなぁー、自分が光ってるのにサンバイザーとグラサンって意味あるのかなー?」

「う、うーん……。アバターのデザイン以上の意味はないんじゃないかな……」

「ちょっとちょっと、今はそこじゃないでしょ」

 

 小声で話すキューブとリキュールのやや的外れな会話を打ち切って、メディックが確認を兼ねて、F型アバターに訊ねた。

 

「えっと……あなたはエピュラシオンに所属するバーストリンカーよね?」

「はぁ、大きい声出したらちょっと落ち着いた……そうだけど? アンタ達こそアウトローのバーストリンカーでしょ? えー……ワイン・リキュール、アイス・キューブ、それにエッグ・メディック……だったかな。事前に聞いていた通りの姿だもんね」

「「「!!」」」

 

 F型アバターの言葉に、キューブ達は驚愕した。

 山下公園の桟橋から海の通路が現れる前に、エピュラシオンがアトランティスへ入ったことから、アトランティスの場所を知るクリスタル・ジャッジが来ることを、彼らが察知していたのは分かっていた。

 だが、目の前のF型アバターの言葉から察するに、彼らは自分達アウトローが来ることも事前に予測していたらしい。その上、構成するメンバー達についても知っているような口振りだ。

 

「三人揃ってびっくりした顔ね。ま、アタシ達もマスターから、こういう奴らが現れるかもしれないから頭の隅に入れといてー、みたいなことを昨日通達されたばかりなんだけどさ」

「その割には、そっちは驚かないのね?」

「マスターの指示は的確だもの。こうして待機していたのも指示されたから。待ちぼうけ食らったけどちゃんと来たことだし、それは良しとしましょ」

 

 ここでお喋りはおしまいとばかりに、F型アバターの気配が変わった。

 それを受けてリキュールが大きく後退し、キューブはメディックの前に立つ。

 

「そっちの強さは知らないけどさー、一人で三人を相手する気?」

 

 キューブは握り締めた両手に、ボクサーグローブのように立方体の氷を纏わせた。奇しくも近接系、間接系、遠隔系が揃ったパーティーなので、相手がどんなタイプであっても対応できる自信はある。

 

「そう言えば名乗ってなかったね。アタシは《サンシャイン・ソーラー》、レベルは7。確かに同レベル帯のアンタ達を相手するのは大変だけど……。──勝負はやってみなくちゃ分からないかもよ?」

 

 圧倒的に不利な形勢であるにもかかわらず、ソーラーは不敵な態度でそう言うと、その身に纏う装甲が一層の輝きを帯び始めた。

 



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第四十四話

 第四十四話 敵! 敵! 敵! 

 

 

「セイ!」

 

 一拍の気合と共に横薙ぎに振るった薙刀が、敵の胴を両断する。

 その上半身が落ちる頃には、大悟はもう相手を見ていなかった。

 薙刀型強化外装《インディケイト》の刃を上向きにして次の標的の顔面に突き刺すと、そのまま斬り上げて頭を真っ二つにする。

 現在の大悟の相手はバーストリンカーではなかった。

 今より少し前。

 仲間達と引き離された大悟が流された先は、学校のグラウンドのように平坦かつ、だだっ広い大部屋だった。

 そんな部屋は無人ではなく、すでに先客がいた。

 甲冑を身に着けて魚の頭をした、半魚人の彫像が片膝を着いた状態で、規則正しく整列していたのである。

 その光景に嫌な予感を覚えた大悟は、ともかく部屋から出ようと歩き始めると、不意に彫像達の目がビカァッ! と赤く輝いた。

 彫像だった半魚人達の体はみるみる色付き始め、甲冑が金属質に、頭は生物のような質感を持ち始めていく。

 そして一斉に立ち上がると、剣や槍といった各々の武器を手にして、大悟に向かって襲いかかって来たのだ。

 その数、およそ四十体。

 あまりの多勢に無勢の状況に、大悟はすぐに脱出しようとしたのだが、奥にあった扉は固く閉ざされていて、簡単には開きそうもない。かといって、背を向けていれば半魚人達に串刺しにされてしまう。

 そうして止むを得ずに、半魚人達の相手をする羽目になったのである。

 

「さて……」

 

 軽く息を整えつつ、大悟は薙刀を中段に構える。

 今の半魚人で倒した数は六体目。

 怯むことなく向かってくる半魚人達を、大悟は冷静に観察していた。

 分かったことは、体力ゲージが表示されないことから、彼らはバーストリンカーどころか、エネミーですらないということ。おそらくは、このダンジョンが備える罠の一つに分類されるのだろう。

 幸いなことに大悟の見立てでの半魚人一体の単純なスペックは、およそレベル3から4のバーストリンカー程度のものだった。エネミーでも最弱に分類される小獣(レッサー)級であっても、レベル7のバーストリンカーに近い強さを持っているので、そこには内心で胸を撫で下ろす。

 ただし、動きの精彩さは人間が操るデュエルアバターよりも大きく劣るとはいえ、システムで動く半魚人達は怯むことを知らないようだ。油断すれば数に押され、一気にやられてしまう可能性もあるのは事実。

 だからこそ、それを理解している大悟はそのリーチ故に、多数相手に有効的な薙刀を早々に使用していた。

 ──いきなり一人になるとは思わなかったな……。エピュラシオンの奴らも俺達と同じようにバラバラに分散されているのか? それとも──。

 大悟は考えつつ、背後から剣を振り上げる敵の一体を《天眼》で捕捉して、裏拳を顔面に叩き込む。そうして一瞬硬直した半魚人の首を、勢い付けての振り向きざまに切断した。

 どうやら半魚人は致命的なダメージを受けると、元の彫像に戻るらしい。首から上を失った半魚人は倒れたまま色を失い、今まで動いていたのが嘘のように微動だにしない。

 ──まぁ、幸か不幸かは考え様。これはこれで体を動かすのに都合が良い。せっかくだからこいつらを相手に準備運動といくか。

 

「……どうしたぁ、魚ヅラ共。刺身されたくなけりゃ、かかって来い」

 

 大悟の挑発を理解しているのかいないのか、大悟を取り囲む半魚人の集団は声も上げずに(そもそも発声器官があるのかも不明だ)、大悟へと襲いかかる。

 大悟は今の状況を静かに楽しみつつ、自らの得物を握り直した。

 

 

 

「──てめえ、名前とレベルは?」

 

 流されてから当てつっぽうに進み続け、地面が水没している場所に辿り着いたコングは、着いて早々に唸るような声を聞いた。

 声のした方向を見ると、水面からいくつも突き出ている岩の一つに、体が藍色の鱗に覆われ、ワニの頭をしたM型アバターが片膝を立てて座り、こちらを睥睨(へいげい)している。

 

「……レベル8のフォレスト・ゴリラだ、コングでいいぜ?」

「レベル8……」

 

 オレンジ色をした丸いアイレンズでコングを捉えながら、臆せずに答えるコングの言葉を反芻して呟くワニ頭のアバター。

 

「そうか……。ククク……ハハハハハハァ!!」

 

 突然ワニ頭のアバターが口吻の長い口を大きく開き、太く尖った牙をむき出しにして呵々大笑する。

 

「コング……《野生の咆哮(ワイルド・ロアー)》か! レベル8を引き当てるとは俺も運が良い。気に入らねえ命令に従った甲斐もあったわけだ」

「命令……?」

 

 こちらについて知っているような相手の物言いに、コングは眉をひそめた。

 状況からして目の前のデュエルアバターは、自分達よりも先にこのアトランティスに入ったエピュラシオンメンバーの一人なのだろうが、彼らは一度しか対面していない自分達について、二つ名に至るまで調べたのだろうか。

 

「レベル7の《インディゴ・クロコダイル》だ。互いに名乗ったことだし、早速始めんぞ」

「おいおい待て待て。その前にお前にいろいろと聞きたいことが──」

「あぁ? 何を眠たいこと言ってやがんだ。バーストリンカー同士が出会ったら、まずは戦うのが当然だろうが」

 

 取り付く島もなくクロコダイルは腰から伸びる逞しい尻尾を揺らし、岩から立ち上がる。

 

「俺に聞きたいことがあるなら、力尽くで聞くんだな。それとな、確かにレベルはてめえの方が上だが、油断してっと足元掬われんぞ」

「ほー……そうかよ」

 

 クロコダイルの粗暴かつ好戦的な物言いに、コングも思考が戦闘時のものに切り替わっていく。

 素直に通してくれそうにはないし、どちらにせよ倒さなければならない相手であることには変わりない。彼らの戦力を削っておくことのも間違いではないと考え、拳を構える。

 見境がないわけではないが、コングも元来は拳を用いた肉体言語を好む性質(タチ)である。

 

「よぉし来な、ワニ野郎。相手してやろうじゃんか」

「おお、良い顔付きになったじゃねえか。やっぱりてめえは当たりだ。さぁ、どっちが喰ってどっちが喰われるかなぁ!」

 

 歓喜の声を上げて岩から跳躍したクロコダイルが、水没した地面を滑るようにしてコングへと迫り、その大きな口を開いた。

 

 

 

 通路に二人分の足音の他にペンが紙の上を走る音と、ブツブツと呟かれる独り言が静かに響く。

 

「……おい」

 

 その音を出す人物の隣を歩き、呼びかける男が一人。

 

「──さっきの罠はともかくとして、エネミーが一向に出て来ない……。ダンジョンは基本、十人単位のパーティーを組んで挑戦するけど、地方になると難易度が変わるのか? もしかしてダンジョンの広大さにリソースを割いているのかも……。いや、でも……」

「よぉってば」

「加速世界で五百年に一度の頻度で出現するなら、その間ここは加速世界に存在していない? その特異性に《秘宝》の正体は釣り合う存在なのかな……。だとしたら──」

「聞けってんだ」

「うぐっ!?」

 

 呼びかけに応じずに隣を歩くメモリーに耐え兼ねたキルンが、メモリーの脇腹を少し強めに小突いた。

 そこでようやくメモリーはペンを走らせるのを止め、キルンの方を向く。

 

「痛たた……何するんだよ、キルン」

「おめえが聞かねえからだろが。記録するのも結構だけどよ、今は皆との合流に集中した方が良いんじゃねえか?」

 

 水流によって一行が引き離された部屋で、メモリーとキルンは偶然にも同じ穴に同時に吸い込まれていた。ちなみにキルンは穴に吸い込まれて間もなく、穴の入口に非常に細かい格子が出現し、他の誰かが同じ場所に入るのを防いでいたのを確認している。

 それからメモリーと二人でダンジョン内を当てもなく進み続けているのだが、隣を歩くメモリーが思考を垂れ流しにして呟く独り言に、キルンもいい加減にうんざりしていた。

 

「そうは言ってももうずっと一本道じゃないか。情報は一つの力だよ。こうして記録することが、いつか思わぬ形で役に立つことだってあるかもしれない」

「いつかね……今であってほしいもんだ。それも分からんでもねえが、隣の奴の声かけにも気付いてないようじゃあ、もしも奇襲に遭ったら情報が役立つ間もなくお陀仏になっちまうぞ」

「うっ……中々痛い所を突くね……」

 

 意見を主張したが、キルンの反論に唸るメモリー。

 こうして気軽に言い合いをしている二人だったが、彼らがアウトローでほぼ同時期に活動をし始めた頃は、しょっちゅう取っ組み合いを始めるほどに仲が悪かった。

 どちらも長らくソロで活動していた上に、取り組んでいたものはそれぞれ違えども職人気質の性格だったので、自分の我を通そうとして譲らなかったからだ。

 ホームでデータの読み込みを一度でまとめようと、メモリーが紙をそこら中に散らかしてペンを走らせていれば、いの一番にキルンが文句を言う。

 ホームの暖炉の近くでキルンが金槌をガンガンと振るえば、メモリーが真っ先に不満を口にする。

 いかにアウトローが各々の自由を尊重しているとはいえ限度はあるので、あまりにヒートアップしすぎると、初期メンバー達が仲裁に入ったり、時には二人揃って表に放り投げられたりしていた。

 メモリーもキルンも性能が癖の強いデュエルアバター故に、真っ向勝負ではボンズやコングには数歩及ばず、間接系統のメディックはこういった状況に限っては、異常な剣幕(近接系アバター顔負けのボディーブローを決めるなど)を見せるので、渋々従う他なかったのだ。

 それでも二人がアウトローを離れなかったのは、無制限中立フィールドでエネミーや他のバーストリンカーの襲撃を受けず、どのステージにもあまり影響されない等のプレイヤーホームの存在が、作業場として非常に魅力的だったことが大きい。

 ただし、そうして角を突き合わせている内に、二人の心境にも変化が現れていく。

 エネミー狩りでの共闘や、無制限中立フィールドで活動するバーストリンカーのポイントを狙う者達との戦闘で、なし崩しに相手を助けることが徐々に増え、段々と仲間意識が芽生えてきたのである。

 現在よりもバーストリンカーのポイント全損による永久退場が、遥かに多かった時代。《親》を早くに失い、長らく一人だった彼らも心の奥底では、無意識に仲間の存在を求めていたのかもしれない。

 いつしか周りに対しても多少の気遣いを見せるようになり、根本は変わらずとも、幾分か性格も丸くなっていった。

 そうして数年をかけ、今では互いに突き詰めるものがある者同士として認めるようになったのである。とはいえ、今のように相手に非があると思えば、それを平気で口にすることには変わりないが。

 

「確かにね……ゴホン、でも仮にエピュラシオンと交戦するとしても、彼らは広い場所のどこかで待っているんじゃないかな。闇雲に歩いていたところで、僕らと出会うよりも罠にかかる可能性の方が高いわけだし」

「む、それもそうか……。しっかし、エピュラシオンの奴らはいつからこのダンジョンに入ったんだか……。ワシはこうして進んでいる間に鉢合わせると踏んでたが」

 

 メモリーの推測に納得しつつ、キルンは未だに接触していない、まだ見ぬエピュラシオンのメンバー達に疑問を抱いていた。自分達がアトランティスに入ってから一時間近く経過しているが、彼らは姿を一向に見せない。

 ジャッジの話では、向こうはこのダンジョンについて記された書籍型のアイテムを持っているという。そのアイテムにはゴールのまでのルートなり、ヒントなりが記入されていたのだろうか。しかし、ブレイン・バーストでそんな親切な案内があるなど、一度限りのイベントの通知などの特殊な事例を除けば、キルンは聞いたこともない。

 ──おっといけねえ……。こりゃあ、メモリーに文句は言えねえやな。

 窘めたばかりのメモリーと同じように、思考に没頭し始めていた自分を戒めようと(かぶり)を振るキルンは──いきなりメモリーに抱き付かれ、その勢いで地面に後頭部からヘッドスライディングする羽目になった。

 

「ぐっ……!? おめえ、いきなり──」

 

 ズズゥン! 

 

 キルンはメモリーに怒鳴ろうとしたが、突然の地響きと数秒前に自分がいた場所に、何かが落下したのを目にして口を噤んだ。メモリーがいなければ、敵の下敷きになっていたかもしれない。

 

「くっそー、外した。上手くいくと思ったんだけどなぁ」

 

 キルンを踏み潰し損ね、悔しそうに低い声を上げたのは、二メートルを優に超える巨漢のデュエルアバターだった。

 横幅も広いその全身は淡い茶色のアースカラーで、岩石を削り出して作られたかのような輪郭。体型は上半身に比べると下半身がより肉厚で、まるで力士のようだ。

 

「キルン、ひとまず逃げるよ。この通路じゃ、あの図体に潰される」

「応よ」

 

 キルンとメモリーの二人は、素早く立ち上がって逃走を開始する。予想外の襲撃を食らったものの、ベテランの域にある彼らの頭はすでに冷静な判断を働かせていた。不利な状況でいきなり戦闘を始めたりはしない。

 

「あっ、待て! 逃がさねーぞ!」

 

 ズシンズシンと重い足音を響かせて追いかける巨漢アバター。

 追いかけっこから数十秒後。

 キルン達は広い空間内に建てられている楕円形をした闘技場、コロッセオのような場所へと出た。周囲は高い観客席らしき壁に取り囲まれ、中心には戦闘場と思われる平坦かつ広大な台座が据えられている。

 そんなコロッセオ入口の反対側の壁面には、アトランティスの入口の扉を塞いでいた、あの黒ずんだ岩のような質感をした不定形の物体がへばり付いていた。

 

「こりゃあ……」

「うん。どうもここに誘い込まれたらしい」

 

 敵の意図を理解した二人の後ろから、のっそりと巨漢アバターがコロッセオの入口から姿を現す。

 

「ワッハッハッハッ! お前ら、逃げ切れたと思っただろ? ところがどっこい、初めからこの場所で倒そうとしていたんだな、これが」

「そんなこたぁ、ここに着いた直後に分かってんだ、でかいの」

「えっ? そうなのか? なんだぁ……」

 

 勝ち誇るように笑いながら胸を張る巨漢アバターだったが、キルンにバッサリと切り捨てた対応されて、肩を落として落ち込む。

 そんな彼の広い肩には、華奢で小柄なF型デュエルアバターがちょこんと腰かけていた。

 F型アバターは頭部の燃えるように赤く長いヘアパーツと、夕暮れ空のような茜色に染まったワンピースドレスを揺らして地面に降りると、うなだれる巨漢アバターを慌てて励ます。

 

「ク、クエイ君……! ちゃんと作戦は成功したんだから、そんなに落ち込まないで」

「ボルちゃん……。うん、そうだな。その通りだ。オイラ達に落ち度はなかった、オッケーオッケー」

 

 自分と六倍近い体格差のパートナーのフォローを受けて、立ち直ったらしい巨漢アバターが前を向く。

 

「挨拶が遅れたな。オイラは《カーキ・クエイク》、レベルは6だ。そしてこっちが同じくレベル6の……」

「《マダー・ボルケーノ》です。あの……アウトローに所属している、《記録屋(アーカイブ)》と《職人(アルチザン)》の二人で間違いありませんか?」

 

 可愛らしい声でおずおずと窺ってくるボルケーノに、キルンはメモリーと頷き合いつつ、仲間内ではほとんど使わない二つ名で呼ばれたことで、警戒のレベルを引き上げていた。

 向こうは自分達を敵と認識している上に(この襲撃で明らかだが)、思う以上にこちらについて調べて上げているようだ。

 

「メモリー、あいつら知ってっか?」

「カーキ・クエイクに、マダー・ボルケーノ……確か何年か前に、過疎エリアの葛飾エリアで活動していたコンビにそんな名前を聞いたことがあったような……。いや今はそれよりも──」

 

 小声で訊ねるキルンに答えると、今度はメモリーが欠片の動揺も見せずに、エピュラシオンのメンバー達に質問をした。

 

「こっちの自己紹介は要らないみたいだね。君らはエピュラシオンのメンバーだろ? さっきから話している口振りからして、君達は随分このダンジョンを把握しているみたいだけど、他の仲間はどうしているんだい?」

「うん? そりゃあ散らばって、オイラ達みたいにお前らを待ち構えてるよ。ダンナの指示だからな」

「ダンナ?」

「そう、ウチのレギマス。苦労したんだぜ? いちいち罠を避けて進むもんだから、長いこと時間かけて、やっとこさ一番奥に辿り着いてよ。それからこうしてダンナが──」

「クエイ君! 話しすぎだよ、マスターに怒られちゃうよ……」

「あっ、いけね……」

 

 キルンもこれにはさすがに驚きを完全には隠せなかった。

 ボルケーノに遮られたものの、クエイクの話ではエピュラシオンはすでに、ダンジョンの奥まで辿り着いているらしい。

 その上でレギオンマスターはメンバー達を散らばらせて、自分達を奥へ進ませるのを阻んでいるという。

 気になるのはそれだけではない。ダンジョンの奥がゴールだとすれば、何故彼らはこんなことをしているのか。奥にあるという《秘宝》を見つけているのだとしたら、撤退しないのは何故か。

 それに向こうの言っていることが真実と仮定して、ゴール到達から人員の配置までがいくらなんでも早すぎる。

 隣に立つメモリーは聞き取れない声量で、何やらブツブツと呟きながら考えている様子だが、ひとまずは考えるよりも行動だ。

 

「メモリー、考えんのは後にした方がいい。向こうもこれ以上喋るつもりはなさそうだしよ」

 

 メモリーを思考の海から呼び戻すと、キルンは腰から愛用の強化外装である金槌《メイド・ブレイカー》をその手に取った。

 

「……そうだね、仕方ない。作戦はどうしようか?」

「始めはワシが前に出るから、向こうの動きに注意しつつ少し『観察』しときな。さすがに二人相手じゃ長くは()たねえが……。そんで今度はおめえが前に出て、時間を稼いでくれ。その間にワシが準備をして一気に決めてやらぁ」

「一刻も早く進まなくちゃならないみたいだし、それでいこう。……僕らが二人して始めから前線に出るのなんて、いつ以来かな」

「はて、どうだったか……。ま、たまにはこんなのも良いだろ」

「自分から言い出したんだから、袋叩きに遭っていきなり死ぬとかはやめてよ?」

「へへ……そん時ゃ勘弁な」

 

 軽口を交えつつ、柄が伸びてゲートボールのスティックのようになった金槌を両手で持って構えるキルン。

 一方でメモリーは紙とペンを手にすると、その場から台座の端まで大きく下がる。

 こうして古代のコロッセオさながらの場所では、二組のバーストリンカーが剣闘士の如く対峙するのだった。

 



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第四十五話

 第四十五話 両営激突

 

 

 思えば、『彼』の第一印象はほとんど最悪だったと、晶音はあの頃を振り返れば、今でも断言できる自信がある。

 現在より七年以上前。

 当時、世田谷区の病院に入院していた父親のお見舞いに、母に連れられ通っていた晶音は同い年の男の子に出会った。

 その日の父は眠っていて、父の容態についての母と医師との難しい話に手持ち無沙汰だった晶音が、病院内にある児童用の待機スペースで母親を待っていた時のこと。知らない少年に声をかけられた。

 

 ──『君、よくこの病院に来ているよね。でも……君は元気そうだし、誰かのお見舞いなのかな?』

 

 それがブレイン・バーストプログラムを晶音にコピーインストールした《親》、如月経典との出会いだ。

 経典は不思議な雰囲気を持つ男の子だった。

 当時、どちらかと言えば引っ込み思案だった晶音は、もう少しで小学三年生に進級する時期にもかかわらず、クラスどころか学年でも友達と呼べる子はほとんどいなかった。この時も初対面ということもあって、ほとんどまともに受け答えできず、短い相槌を返すのが精一杯だった晶音に、経典は怪訝な顔一つせずに、人懐っこい笑顔でうんうんと頷きながら、晶音と何気ない会話を続けてくれた。

 そんな取るに足らない世間話に加え、ニューロリンカーを生まれてすぐから着けていたか、運動やゲームは得意かなど、よく分からない質問をいくつかされた。それこそがブレイン・バーストを得る資格があるかを確かめるものだったのだが、無論、当時の晶音は知る由もない。

 後に現在は使用不可能になっている、プログラム適正の有無を調べられるツールの存在を、バーストリンカーになってしばらくしてから知った晶音は、どうして自分にそれを試さなかったのかを経典に訊ねた。すると彼は、「そんなものに頼るよりも、自分の目で見出した人を《子》に選びたかったんだよ」と答えた。この妙なこだわりに関しては、晶音は今でもよく理解できていない。

 初対面の日はただ話しただけで終わった。

 それからまた何度か経典と会う機会があり、何度目かの対面で、ブレイン・バーストプログラムについて教えられた。更に、望むならアプリをニューロリンカーにコピーをするとも。

 しかし、よく分からないプログラムを貰うのは、そのあたりのことを厳しく躾けられていたことを別にしても、さすがに抵抗があったので晶音は断った。

 経典は残念そうに顔を曇らせたが、それでも気が向いたら言ってほしいと、無理強いまではしなかった。

 経典と初めて話した日から、約一ヶ月後。

 気付けば病院に行くと、晶音は自分から経典を探すようになっていた。

 いつも会えるわけではなかったし、会っても数分しか話せない日もあったが、経典は身内を除いて、面と向かっていてもスムーズに会話ができる数少ない存在になっていたのである。

 そんな経典は病院の通院と入退院を繰り返していて小学校には通えず、特別な措置で籍だけ置いて自宅学習をしていると聞いた晶音は、あまり良いことではないと分かっていても、憐憫(れんびん)の情も含めて、経典の要望を聞き入れることにした。ブレイン・バーストのコピーを了承したのだ。

 経典はそれを聞くと輝くような笑顔を見せ、改めて覚悟があるかを聞いた後に、ポケットから取り出したXSBケーブルで直結通信を開始した(直結の俗説に関しては疎かった当時の晶音は、セキュリティの面を別として、行為自体には抵抗がまるでなかった)。

 コピーに成功すると、経典にこの日の夜はニューロリンカーを外さないこと、翌日にまた会うことを約束し、それまではグローバル接続は控えるようにと念押しをされた。

 晶音はその日の夜に悪夢を見たが、憶えているのは悪夢を見たということだけで、内容は全く憶えていない。もしやインストールされたプログラムが、何らかの悪質な悪戯だったのかと疑いはしたものの、経典がそんなことはしないだろうと、その考えをすぐに振り払った。

 翌日。放課後のお見舞いで病院に赴き、経典との待ち合わせ場所へと向かうと、そこには経典の他にもう一人の男の子、『彼』がいた。

 如月大悟。経典の双子の兄である彼は、顔も体つきも経典と瓜二つなのに、目つきだけはやや吊り目気味で、柔和な印象を与える垂れ目がちな経典とは正反対。

 晶音が挨拶をしても大悟の態度はどこか素っ気ないもので、聞けば大悟は経典が《子》として晶音を選んだのも、晶音の存在も含めてこの日に初めて知ったらしい。

 それを踏まえても、「何でこんな奴を選んだのか」とつまならそうに言われれば、いかに晶音でも自分は元より、経典まで(けな)されたような気がして、腹に据えかねるものがあった。

 余談になるが、この時に晶音は自分が本当に譲れないことは、周りに意思をちゃんと伝えられるのだと初めて自覚をした。

 大悟との言い合いに発展する前に経典が仲裁に入り、ブレイン・バーストについて簡単な説明を受けた晶音は、当初の目的である《加速》を初めて体感することになる。

 全ての感覚が一瞬消え去り、再び戻る。暗闇が消えると、晶音はその光景に目を奪われた。

 病院内にいたはずなのに、和風の建物の内部に立っている。窓を覗くと、季節はもう春になるというのに木々の葉は真っ赤な紅葉をつけていて、まるで秋の景色だ。

 景色に気を取られていたが、自分の姿形はそれ以上に衝撃的だった。普段使用するフルダイブ用のアバターはなく、体がガラス細工のように光に反射して輝く、透明な人型アバターになっていたのだ。

 うろたえていると、何者かに声をかけられる。

 肩章(けんしょう)を着けた華美な礼服型の装甲に、頭部に鳥の嘴を思わせる突起が付いた、明るい黄色をしたアバター。アバターは自分は経典だと名乗る。

 そんな経典が「君の対戦相手だ」と指差す方向、十メートル近く離れた場所には、沈んだ青色をした体の各所に数珠を巻いた、僧兵を思わせる出で立ちのデュエルアバターが腕を組んで仁王立ちしている。

 これが如月兄弟の分身である、カナリア・コンダクターとアイオライト・ボンズとの出会いだった。

 その後、晶音は彼らと共に長い時を過ごすことになる。

 充実した輝かしい日々。

 いつまでも続くと心から信じていた時間が、最悪のタイミングが重なって終わりを迎えることになるのは、晶音がバーストリンカーになってからほぼ一年後のことだった。

 

 

 

「──ッジ。ジャッジ!」

 

 自分を呼ぶ声に、はっとして我に返った。隣を歩く宇美が心配そうにこちらを覗き込んでいて、晶音は返事もしなかったことを謝罪する。

 

「あ、あぁ……ごめんなさい。少し昔のことを思い出していました」

「昔のことって……もう、しっかりしてよ? 油断していたら、さっきみたいに罠にかかるかもしれないんだからね」

 

 閉鎖された部屋での水責めによるパーティーの分散から、晶音は宇美に強く抱きしめられていたことで、こうして宇美と離れることなく行動することができている。

 水中には石英を発生させられないし、いずれにせよ上下左右も分からずに水流にかき回されていたことで、あの時の晶音にはなすすべがなかった。

 レベルが上がるにつれて目をかける機会が少なくなっていたが、自分を助けるくらいに成長した《子》の誇らしさと、《親》なのに緊急時に何もできなかった自分自身の不甲斐なさが、晶音の心の内を半々に占める。

 今はそんな場合ではないと分かっていても、自分は《親》だった経典のように、宇美を導けているのだろうかと思わずにはいられない。

 そんなことを考えている内に、ダンジョンの景色が固い岩盤に囲まれた洞窟から、異なるものへと様相を変えていた。

 

「わぁ……!」

 

 広大な地底湖を湛えた砂浜の空間に出たことで、宇美が歓声を上げる。

 水底に発光性の岩か微生物を模したオブジェクトでもあるのか、湖全体がエメラルドグリーンに染まり、どういう原理か砂浜はきらめく星のように輝いていて、とても幻想的な風景を魅せていた。

 

「すごい……。ダンジョンって、こんな場所まであるんだね」

「そうですね。こんな状況でなければ、ゆっくり景色を楽しむこともできたのですが……」

 

 晶音も宇美に同意しながら、美しい光景をのんびり眺めてもいられないことを残念に思う。

 踏みしめた足の重みを優しく吸収する砂浜を歩きながら、宇美が何気ない調子で晶音に訊ねた。

 

「でも一体何なんだろうね、その《秘宝》ってさ。これだけ手間暇かけていても下手したらこのダンジョン、誰も挑戦しないかもしれないでしょ? このダンジョンを考案した人は本当に何を考えているんだろ」

「ブレイン・バースト製作者の意図は私にも全く分かりませんが、もしかしすると当初の予定では、もっとバーストリンカーが地方に散らばることを想定していたのかもしれませんね」

「地方に……?」

「仮に現在東京にいるバーストリンカーの三割の人口が、昔から横浜に在住していたのであれば、我々よりも早くこのアトランティスの行き方を知る者が現れていたはずです。ですが、バーストリンカーの九割が東京に密集している現状ではそれも叶わなかったのでしょう」

 

 晶音は自らが口にした『我々』の中に、かつて共に行動をしていた、今は存在しないレギオン《リチェルカ》のメンバー達を無意識に含めていたことを自覚したが、動揺を宇美に悟られまいとする。

 

「……ともかく、苦労に見合う『何か』があるのは間違いないでしょうね。『ここに辿り着くまでの、仲間と協力した道のりが宝だ』なんて陳腐なものとは考えにくい。ブレイン・バーストも一応ゲームですからね」

「陳腐って……。アンタって大人しそうなのに、案外そういうことズバッと言うよね、昔から」

 

 宇美が半笑いで返し、場の雰囲気が少しだけ緩む。

 それでも、晶音も宇美も決して油断していたわけではない。ダンジョン内のどこに危険が潜んでいるか分からないことは、先刻に身を持って体感したことで重々承知していたからだ。

 にもかかわらず、その一撃を躱すのはおろか、気付くことさえできなかった。

 

「──!? っぅあ……」

 

 突如として宇美が奇妙な吐息を漏らし、砂浜に倒れこんだ。

 

「フォックス!? しっかり! どうしました!?」

 

 晶音が膝を着いて宇美に声をかけるが、倒れ伏す宇美は苦しそうに喘ぎ、小さく痙攣(けいれん)するばかり。こちらの声も聞こえていないようだ。

 一体何が起きたのかと辺りを見渡すと、すぐにあるものに気が付いた。

 宇美の足元の砂浜、その砂の中から毒々しい紫の光が漏れている。

 晶音はその光を見た瞬間に過去の記憶が甦った。心意技の発動により溢れ出る過剰光(オーバーレイ)。その色を忘れはしない、忘れることなどできない。晶音が知る一人のバーストリンカーが発していたもの。

 

「っ……出て来なさい!!」

 

 怒気を込めた叫びと共に、晶音が強く握る杖型強化外装《クォーツ・ルーラー》の先端が輝く。その感情に呼応したかのように、常よりも鋭く尖った石英が砂中から突き出るが、石英は砂を撒くだけに終わった。

 

「おぉ、怖い怖い……」

 

 隠そうともしない嘲り声と共に、砂煙の中から一体のデュエルアバターが姿を現す。

 細い体型に両手には鋏の形をした二又の手甲、弁髪のように後頭部から垂れ下がったパーツの先端に揺れる鉤爪型の針、そして紫色に輝く透過装甲はクリスタル・ジャッジの水晶装甲と非常に似通っていた。

 

「やあどうも。お久し振りですね、ジャッジさん」

 

 晶音にとってただ一人の仇敵ならぬ怨敵であるアメジスト・スコーピオンは、まるで気負いもせずに片手を挙げて挨拶をしてきた。

 

「いやはや……私も運が良い。こうして自分のミスを修正する機会が巡ってきたのですからね。日頃の行いのおかげでしょうか?」

 

 癇に障る物言いをするスコーピオンが続ける。

 

「困るんですよねぇ、このアトランティスの存在を知る者が、我々エピュラシオン以外にいられると。案の定、あの時取り逃がしてしまった貴女は前回、前々回とアトランティスが出現する度に入口を張り込んでいた」

「……見ていたのですか。一体どこから──」

「今となっては、どうでもいいことでしょう? もっとも、張り込む貴女を一時間も監視したら、早々に帰りましたが。融通の利かない貴女のことだ、大方アトランティスの道が消えるまで、何週間も張り込んでいたのでしょうがね」

 

 晶音は気付かれずに様子を見られていたことや、図星を突かれたことよりも、さも気心が知れた仲間であるかのようなスコーピオンの口調がとにかく不愉快だった。

 大悟から似たようにからかわれる時は、口では即座に否定しても内心はさほど嫌ではないし、どこかの温かみも(不本意ながら)感じられた。

 だが、スコーピオンからはこちらへの侮蔑、嘲弄(ちょうろう)の感情しか伝わってこない。

 

「おかげでわざわざ我が主に邪魔者が来る可能性を考慮して、すぐにダンジョンへの突入するよう進言し、海の中を泳いでダンジョンの入口まで行く羽目になってしまいましたしね。入口までの道が作られる数時間前から、ダンジョン自体は出現する仕様で良かったですよ。もう主に渡してしまいましたが、ここに暗記されているくらいにあの本を塾読した甲斐もありました」

 

 そう言ってトントンと自分の頭を指でつつくスコーピオン。

 晶音は『あの本』という単語に心がざわめき立つも、歯を食いしばってこれに耐える。

 

「それにしても、主の慧眼には恐れ入りますよ。一度だけ、それも偶然出会っただけの彼らを見て、ここに来るであろうと予期していたのですからね。私がそれとなく情報を掴んだ(てい)で詳細を伝える前にですよ? 実際その予想は正しかったし、話も早かった」

「彼ら……?」

「とぼけることはないでしょう、情報は掴んでいます。貴女の古巣だったアウトローのことですよ」

「!?」

 

 これには晶音もさすがに予想外だった。

 晶音がアウトローに所属していたのは六年以上も前のことだ。こうなると情報元の存在が気にかかる。

 

「ここに貴女がいることが何よりの証拠です。貴女はかつての仲間達に援軍を要請して、ここに乗り込んで来たのでしょう? さすがに一人でダンジョンに乗り込むなどという愚考を犯すとは考えられない。それに、東京を離れていたという貴女に彼らの他に手を貸す存在が他にいるとも、また考え辛い」

 

 先週にアウトローと再会しなければ、一人で乗り込むことも考えていた晶音はそのことについては触れずに押し黙り、倒れている宇美を横目に見る。

 スコーピオンと話している間も宇美の状態は一向に回復せず、苦しんでいるようだった。

 

「そこのお嬢さんでしたら、ご心配なく」

 

 晶音に先んじてスコーピオンが答えた。

 

「心意の毒ですがダメージはわずかですし、体力が徐々に減少しているわけでもありません。──ただ、痛みは別です。全身が焼けるように熱く、まともに立ち上がることもできないでしょうねぇ」

 

 嗜虐的なスコーピオンの口調が、どこまでも晶音の心を逆立たせていく。

 ──大丈夫、まだ大丈夫。あれは挑発。そんなことは分かりきっているのだから。

 必死に自分へ言い聞かせる晶音に、スコーピオンは後頭部から伸びる毒針を揺らしながら言葉を付け足した。

 

「彼女を殺すのはジャッジさん、貴女をまず殺してからです。そうして交互に、互いの死ぬ姿を見せてあげましょう。──運が良ければ全損に立ち会えるかもしれませんよ? ほら、リチェルカのメンバー達の死に目には遭えなかったでしょう? 私はきっと貴女がさぞ心残りだったと──」

 

 リチェルカという単語が出た瞬間。晶音がどうにか形を留めていた思考が決壊した。

 折れんばかりに握り締めた杖が空気を切り裂いて振るわれ、裏切り者の(さそり)に鋭く尖った石英が四方八方から殺到した。

 

 

 

 ゴウがひたすらに進み続けた末に辿り着いた先は、天井が半球形のドーム状の構造をした場所だった。

 壁面を支える無数の柱は、一本一本が大木の幹のように太く、そして高い。

 そんなドームの中心には、一体の俯いているデュエルアバターが腕組みをして立っており、ゴウに苦い記憶を甦らせる。

 全身がシルバーグレーに輝く、屈強な体格をしたメタルカラーのエピュラシオンメンバー、チタン・コロッサルはゴウの気配に反応したのか、閉じていたアイレンズを開き、真正面からゴウを見据えた。

 

「貴様はあの時の…………聞くが、ここへ来るまでに誰とも出会わなかったのか?」

「誰とも? あ、ああ……。会わなかったけど、それがどうした。いや、それよりも……僕がこの場にいることに驚かないんだな」

「貴様らアウトローがここに来る可能性は、主が懸念されていたことだ」

 

 感情がほとんど窺えないコロッサルの返答に、ゴウは内心で動揺しながらも、コロッサルが主と呼ぶエピュラシオンのレギオンマスター、プランバム・ウェイトがアウトローのアトランティスへの進入を予期していたということを受け入れる。

 

「だったら今の言い方からして、エピュラシオンのメンバー達はあんたみたいに、奥に僕らが進むことを妨害しているんだな? わざわざメンバーが散開してまだダンジョンに留まっているってことは、プランバムは奥で何かをしているのか?」

「ほう……」

 

 ゴウの推測に、コロッサルはわずかに感心したような声を漏らした。

 

「中々どうして……。以前会った時は暴れ回るしか能がない印象しか持たなかったが、存外に頭も多少は回るようだな」

「その態度は正解ってことか」

「如何にも。この場所の先に主はおられる。無論、貴様を通す気はないが」

 

 余裕の表れなのか、ゴウの質問に対して淀みなく答えるコロッサルが首だけを動かして示した先、その壁面には一ヶ所だけ通り道になっている所があった。どうやらあそこが奥へと繋がっているらしい。

 

「ここには貴様が一番乗りになるが、このダンジョンの入口へと続く正規の道が現れてからここへ入ったのならば、この場所へ辿り着くまでの時間が妙に早い。その上、見たところダメージもほとんどないようだ……。よもや、罠が無い道を通ってきたとでもいうのか?」

「まさか……罠ならあった。そりゃあもう、いろいろと」

 

 訝しげに疑問を放つコロッサルの迫力に飲まれないように、敢えて強がりを含んだ何気ない調子でゴウは答えた。

 ゴウはここまで、ただひたすらに迂回せずに、道なりに沿って進んできたのだ。

 持ち前の《剛力》アビリティと必殺技を駆使して、押し潰そうと転がり迫る大岩を粉砕し、鍵の付いた大扉をぶち抜き、壁の左右から突き出される槍を回避し、落とし穴の壁に指をめり込ませてよじ登った。

 とはいえ、それを加味しても仲間達がまだ来ていないことから、どうやら最初に激流に流されて、割とダンジョンの奥の方まで流されていたらしい。

 

「……でも、まっすぐ進んでここまで来た。そして、やることは変わらない」

 

 ゴウは体を半身にして構えた。

 これまでの罠など比べ物にならないほどに、手強い障害が目の前にいる。

 約二週間前に暴走状態で心意システムを発動して放ったゴウの攻撃を、コロッサルは同じく心意を用いていたとはいえ、難なく受け止めてみせたのだ。

 大悟との修行により心意技を修得したゴウだが、基本的に心意技は相手が使用しない限り、使わないように言いつけられている。

 心意技なしでどこまで通じるかは分からないが、ここまで来て戦闘を回避するなどという選択肢はゴウにはなかった。

 

「──成程。どうやら、前回と同じと判断して良い相手ではないようだ」

 

 構えを取ったゴウを見て、問答は終いとばかりにコロッサルは組んでいる腕を解いた。

 

「以前は自ら名乗らなかったが、改めて名乗らせてもらおう。エピュラシオン副長、レベル8のチタン・コロッサルだ。主の宿願へと続く道の先に進ませはしない」

「……アウトロー所属、レベル6のダイヤモンド・オーガー。──押し通る」

 

 コロッサルに倣って名乗りを上げたゴウは、最後に自分を鼓舞させる意味合いを持った言葉を発してから駆け出す。同時に引いていた右腕を振り抜き、格上相手に先制の正拳突きを放った。

 対するコロッサルも、子供の胴回りほどの太さをした腕による右ストレートで、ゴウを迎え撃つ。

 ダイヤモンドとチタン。二つの拳の衝突音が、まるで戦闘開始のゴングのように、ドーム全体に響き渡った。

 こうして、アトランティス各所でほぼ同時にアウトローとエピュラシオン、両メンバーによる戦闘が開始したのだった。

 



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決戦篇 弐
第四十六話


 第四十六話 プロフェッショナル 彼らの流儀

 

 

 コロッセオを思わせる闘技場の広い台座の上で、キルンとエピュラシオン所属の巨漢アバター、カーキ・クエイクが古代の剣闘士のように戦闘を繰り広げていた。

 キルンの両手持ちの金槌に対し、クエイクが張り手でこれに応戦する中、その相棒であるマダー・ボルケーノが突き出した右腕をキルンに向けて、静かに照準を合わせている。

 現在彼女の右手は、少女型アバターらしい細い指の付いた小さな手とは異なり、頂点に穴の開いた三角錐型に変形していた。その穴である銃口からは火山よろしく、直径七センチ近いサイズの赤熱した火山弾が、先程から隙を見計らってはキルンへと放たれている。

 

「そぉらぁ!」

 

 再び標的となったキルンはこれを見越して金槌を構えると、気合の入った声を上げ、見事なジャストミートで火山弾を打ち返した。

 

「ボルちゃん、危ねえ!」

 

 打ち返された火山弾がボルケーノに迫ると、その間に割り込んだクエイクが左腕に装備した円形の盾で間一髪のタイミングで防ぐ。クエイクはそのまま怯むことなくキルンに向かって突進し、盾で殴りにかかった。

 その様子をメモリーは遠巻きに眺めつつペンを紙に走らせ、これまで得た情報を書き込んでいく。

 ──ボルケーノは割とスタンダードな《遠隔の赤》。一発の威力は強力だけど、連発はできないみたいだね。体格からして素の身体能力も低そうだ。クエイクは茶色……赤と黄色の中間に位置するのに、戦闘スタイルは青系ばりの近接戦闘。あの盾型強化外装が、クエイクのアビリティに応じた補助効果をもっているのだとしたら……。

 そんなことを考えながらも、手を止めずに文字を書き込んでいくメモリーは、びっしりと書き記した紙にアイレンズから放たれるレーザーを当てて文字をスキャン、己の内へと記憶していく。

 デュエルアバターはそれぞれが持つ色の名前から、赤は遠距離タイプ、青は近距離タイプという具合に、ある程度の属性や傾向を把握することができる。

 これをカラーサークル上の中間色や彩度などに当てはめることで、より詳細に分類することができるのだが、これはあくまで基準の一つで例外も多々ある。

 例えば赤のレギオン、プロミネンスの副長を務めるブラッド・レパード。

 彼女のアバター色はその名が示すダークレッド、遠隔攻撃を得意とする赤系に属するが、彼女の基本戦法は動物形態になることでの、機動力を持ち味とした接近戦としている。もっとも、メモリーはレパードがその二つ名の由来となった、遠距離必殺技を持っていることも知っているが。

 例えばレオニーズ所属のバーストリンカー、フロスト・ホーン。

 薄青色の装甲を持ち、戦闘スタイルも大柄な体格に、額と両肩から伸びる角を用いた突進を得意とする、青系らしい肉弾戦を得意とするデュエルアバターだ。

 そんな彼は《フロステッド・サークル》という、自身を中心とした霜が発生する低温の空間を作り出し、アバターの体に纏わり付いた霜は出の早い連続技を阻害、逆に霜の重みで一撃に威力を込めた攻撃を増加させるという、補助系統の必殺技を持ってもいる。

 このように、各々の心を核にして生み出されたデュエルアバターは、まさに千差万別と言っても過言ではなく、必ずしも法則に全てが当てはまるとは限らない。

 更にはレベルが上がることで取得する必殺技やアビリティによって、デュエルアバターの成長結果は分岐していくので、より多様性と複雑さを生み出しているのだ。

 メモリーには自身の二つ名の《記録屋(アーカイブ)》が示す通り、そういったバーストリンカー達のプロファイリングをすることもブレイン・バースト内における楽しみの一つでもあった。

 

「──とりあえずこんなところかな」

 

 何度目かのスキャンを終えると、メモリーは持っていた万年筆と記入用紙をストレージにしまい込み、一人で二人を相手にするキルンの元へと駆け寄った。

 

「キルン、交代するよ!」

 

 メモリーの呼びかけに応じたキルンはクエイクの足元に金槌を振るい、クエイクが下がった瞬間に合わせて自身も大きく飛び退いた。

 

「もういいのか?」

「本音を言えば、もう少し引き出しを見ておきたかったけど、今回はあまり悠長に時間をかけてはいられないからね。この対戦の決め手は君だし、頼りにしてるよ?」

「応よ。ただ、ちょいとばかり時間がかかる。火山娘の攻撃は自力で避けるから、こっちは気にしなくていいぜ」

 

 クエイクとボルケーノの攻撃によって、キルンはレンガ状の赤茶けた装甲の数ヶ所にヒビや焼け焦げができていたが、声の調子はさほど変わってはいない。

 

「奴らもそろそろでかい攻撃を出してくんだろうから、気ぃ付けろよ」

「あぁ、でも心配しなくていい。これでも一応、近接型なんでね」

 

 キルンの忠告を受け取りながら、シャキンと小気味良い音を出して、手甲を伸張させるメモリー。その先端には、鉤爪の代わりに万年筆の意匠をした突起が伸びていた。

 本人が口にしたようにメモリーはカラーサークル上、《限りなく黒に近い青》である墨色なので、厳密には《近接の青》に分類されている。

 

「何だ? やっと二対二でやると思ったら、今度は金槌の方が下がるのかよ。ははーん、さてはオイラ達のこと、舐めてかかってるな? なぁ、ボルちゃん!」

「で、でも、クエイ君、油断しない方が良いかも……。あの人、ずっと私達が戦っているのを見ながら……紙? みたいなものに何か書いていたから」

 

 一人ずつでしか相手をしようとしないメモリー達の行為を侮辱と受け取ったのか、憤るクエイクをボルケーノが宥めると同時に注意を促す。

 しかし、具体的にそれにどういう意味があるのかまでは知らなそうな様子からして、メモリーは彼らエピュラシオンが、少なくとも自分達二人については、表面的かつ大まかなことしか知らないのだろうと判断した。

 もっとも、それも無理からぬことでもある。

 アウトロー内では比較的若輩である、ワイン・リキュールやアイス・キューブ、それにダイヤモンド・オーガーといった、現在でも地元で盛んに対戦を行っている者。逆に古参のハイランカーでも、これまでにも目立つ活動を多々していたアイオライト・ボンズなどは情報が集まりやすいのだろう。

 だが、メモリーとキルンの両名は、数年前から一ヶ月の通常対戦回数は片手で足りる程度か、そもそも通常対戦をしない月まであるくらいだった。また、その数少ない対戦内容も比較的地味なので、ギャラリーの記憶にも残りにくい為に情報が集まらないだろう(二人をギャラリー登録しているバーストリンカー自体少ない)。

 彼らのブレイン・バーストでの活動は、もっぱらアウトロー内で行われている。そして、今やごく少数の者達が彼らなりの流儀と強さを知っているのだ。

 

「別に侮ってはいないんだけどね……。さぁ、いくよ」

 

 メモリーが走り出すと、クエイクはすぐにボルケーノを自分の後ろへと下がらせる。

 右腕の手甲による刺突を繰り出したメモリーの一撃を、クエイクは前方に出した盾で難なく防いだ。

 

「侮ってない? ふん、真っ向から突撃してきてよく言うぜ」

 

 クエイクはメモリーの右腕を、空いている右腕で無造作に掴んだ。

 すると、メモリーの体に異変が起きる。

 

「っ!?」

 

 全身が小刻みに揺れ始め、痺れたように身動きが取れないのだ。

 そんな格好の的を、少し離れた距離からボルケーノが銃口を向ける。

 ──やっぱりだ、これは『振動』……。実際に食らうと中々効く……。

 おそらくは先程のキルンとの戦闘でも、クエイクは自分の攻撃に振動を加えることで威力を底上げし、キルンの金槌とも素手で渡り合っていたのだろう。こうして直接接触した相手の動きを阻害することもできるらしい。

 そこまで推測していたメモリーが、どうしてむざむざとクエイクの間合いに入ったのか。 

 それはひとえに、知らない技は間近で観察する、又は身を以って体感することでこそ真に相手の力量を測れるという、メモリー独自の考えに基づいての行動だった。

 当然、馬鹿正直に相手の攻撃や技を逐一受けるわけではないし、まともに攻撃を受ければそのほとんどが即死に繋がるエネミーは対象外だ。

 彼は勝算をきちんと考慮した上で、行動する頭を備えている。それは今この時でも。

 

「ブ、《ブラインド・スパート》……!」

「きゃあっ!?」

 

 振動の影響で少しどもり気味になりながら、メモリーが震える左腕をボルケーノへと向けると、万年筆の形をした手甲の先端から真っ黒なインク噴射され、ボルケーノの顔面に直撃した。

 

「ボルちゃん!? ──ぬおっ!?」

 

 続けて、パートナーの悲鳴に一瞬気を取られたクエイクの顔にも、メモリーは震え続ける体を無理やり捻って、右手から噴き出すインクをぶちまけた。

 メモリーの必殺技《ブラインド・スパート》は、発射したインクによってダメージを与えるのではなく、相手の視力を一時的に奪う技だ。相手の顔に当てなければ効果はないが、一度ヒットすれば水を用いても洗い落とせないインクが対象の表面に浸透し、確実に視界をゼロにすることができる。その効果は時間にして三十秒。

 用途としてはこの隙に相手の情報を記録、又は一方的に攻撃を加えることができるという補助系統の技に分類される。

 インクを浴びせられた拍子にクエイクが手を離したことで、メモリーは振動から開放された。そうして先に遠距離攻撃を潰すべく、視界が真っ暗になって戸惑うボルケーノの元へとひた走る。

 

「ぐっ……!? ボルちゃん! オイラに構わずやれ!」

 

 そんなメモリーが自分から離れたことを足音で理解したのか、クエイクが焦ったようにボルケーノに何かを促した瞬間。目が見えていないはずのボルケーノは素早く行動に移っていた。

 

「《ラヴァ・カーペット》!」

 

 ボルケーノが叫んだ途端、身に着けているワンピースドレスの裾が地面へと伸び出す。すると、滑らかそうなドレスの裾が、ドロドロとした粘りを含んだ溶岩流へと一瞬で姿を変えた。

 

「うわああああっ!?」

「ぐおおおお!」

 

 溶岩の波はボルケーノの元へ向かっていたメモリーのみならず、味方であるクエイクさえ巻き込んで、コロッセオの台座に広がっていく。この場で逃れられたのは、元々後方で待機していたキルンだけだった。

 足を焼かれながら溶岩から逃れたメモリーが振り返ると、ボルケーノの中心から半径十五メートルを超える範囲に、溶岩の絨毯が広がっていた。

 これを見たメモリーは、アトランティスの入口の扉や、このコロッセオの出口を塞ぐ黒い塊の正体を確信する。あれはボルケーノがいずれかの技によって生み出した、冷えて固まった溶岩なのだ。

 休む間もなく、同じく溶岩から逃れたクエイクが追撃を加えようとメモリーに迫っていた。その両足はメモリーと異なり、すでに溶岩が付着していない。おそらくは振動を駆使して、一気に払い落としたのだろう。

 しかし、痛みを堪えつつも、メモリーは迫るクエイクをしっかりと見据えていた。すでに発動しているアビリティを十全に発揮する為に。

 ──《振りかぶった左腕による横薙ぎの一撃》。

 脳裏にそんな言語化されたビジョンがよぎったメモリーが素早く膝を落とすと、ビジョン通りにクエイクが盾の付いた左腕を横薙ぎに振るった。

 メモリーはその隙を突いて、下段蹴りをクエイクの脛に見舞うと、クエイクが呻きながら膝を着く。

 立ち上がったメモリーは、続けて溶岩の中心にいるボルケーノを見ると、右手の銃口がこちらのやや上方に向けられていた。

 ──《頭部を狙った、落下を利用した火山弾を一秒後に発射》。

 再びのビジョンの後、メモリーは素早くクエイクの背後に回り込むと、やや助走を付けてクエイクの広い背中にドロップキックを食らわせた。すると、本来メモリーを狙っていた火山弾は、前方に蹴り飛ばされたクエイクの肩甲骨に着弾する。

 

「痛でえ!?」

「あっ、クエイ君!」

 

 援護のつもりが、味方に攻撃を当ててしまったボルケーノの慌てた声が響く。

 この勘以上の精度で行われる先読みこそが、メモリーのアビリティ《手記記録(メモランダム・ライター)》の本来の効果である。

 正確には対戦中に観察した相手の動き、必殺技、アビリティなどの情報を書き記して読み込むことで、相手の行動に対し、ある程度の予測を可能にするというもの。

 この『予測』を発動した際には必殺技ゲージを必要とせず、効力はブレイン・バーストから一度ログアウトするまで残り続けるという、破格の効果時間を備えている。

 しかし、この一見して万能にも思えるアビリティは、数多くの欠点も備えていた。

 第一に、通常対戦のように一対一の戦闘中に記録をすることは至難であること。

 情報を書き起こしてスキャンをするというプロセスが、言わばゲージ消費の代わりとなっているのだが、それを悠長に待ってくれる相手などいるはずもない。

 また、一度『予測』を発動させた相手に次回の対戦で再度『予測』を発動させるには、もう一度相手の行動を観察しなければならないのだ。

 次に、『予測』の精度は読み込んだ情報の量に応じて変化すること。

 情報をより多く読み込めば相手の行動を逐一に、それこそ未来予知に近いレベルにまで読めるようになるのだが、それには数十分かけて観察をする必要がある為、通常対戦でそこまで至るのはまず不可能だ(これは無制限中立フィールド内で、仲間に試したことによって判明した事実)。

 そして何より重要なのは、『予測』する際には相手の動きを視界に留めていなければならないこと。

 その上、仮に相手の動きが把握できたとしても、実際に対応できるかどうかは別の話である。つまりは死角からの狙撃や避けえない広範囲攻撃、目で追えない速度には基本的に無力なのだ。

 これらのことからメモリーはこのアビリティの副産物である、加速世界で自分が目にしたものを文字に起こして記録することのできる、記録能力のみをもっぱら使っている。『予測』に関しては戦闘の補助程度にしか使用していなかった。

 そんなメモリーに翻弄されてしばらく悶絶していたクエイクは、怒りを隠さずにメモリーを睨み付けながら立ち上がった。

 

「うう……もう許さねえぞ。よく分からないけどお前、オイラ達の動きを読んでるだろ。違うか?」

「さて、どうかな。それだけ君達の動きが分かりやすいのかもしれないよ?」

「言ってろ。いくら動きが読めたって、それに対応できない範囲で攻撃されたらどうしようもないんだろ」

 

 怒りで頭に血が上ってはいても状況を把握できる冷静さを持つ、クエイクの見た目や話し方にそぐわない対応に、メモリーは内心で意外に思いながらも同時に感心する。

 

「それは良い考えだけど……ちょっと遅かった。もう時間稼ぎは上手くいったからね」

「ん? どういう──」

「ク、クエイ君!!」

 

 後方に控えていたボルケーノがクエイクに大声で呼びかけたのとほぼ同時に、メモリーの背後にいつの間にかもうもうと立ち込めている、熱気を含んだ蒸気がメモリーの背中を撫でた。

 

 ズゥン……ズゥン……。

 

 蒸気の向こうから、重々しい音を立てながら何かが近付いてくるのを、クエイクとボルケーノが訝しげに眺めている。

 メモリーは近づいているモノの正体を知っていた。

 やがて蒸気のカーテンを突き破り、全長八メートルまで到達しそうな、巨大な人型の物体が姿を現す。

 柱のような両腕の先、右手は五指だが、左手は尖塔の屋根に似た杭状。超重量の上半身を支えるのは、体の割に短くも、腕よりも更に太い両足。首は無く、肩から直接頭が生えていて、顔の目、鼻、口、耳に当たる穴という穴から、白い蒸気がゆらゆらと噴出している。

 キルンの装甲と同様、全身が土色のレンガ状の装甲をした、土の巨人(ゴーレム)と呼ぶべき存在だ。

 

『待たせたな、メモリー』

 

 ゴーレムの腹部の隙間から頭を半分覗かせたキルンが、スピーカー越しに声を周囲に響かせた。

 

 

 

鍛造錬金(フォージング・アルケミー)》。

 クレイ・キルンが最初から取得していたアビリティの名称である。

 その効果を発揮するには段階があり、始めに必殺技ゲージを消費して窯を召喚し、ステージ内の固形オブジェクトを窯で熱する。

 次に、初期装備の金槌型強化外装である《メイド・ブレイカー》で、熱したオブジェクトを窯とセットで召喚される金床に打ち付けていく。そうして一定の回数を叩いたオブジェクトは、キルンが望んだ形状の物体に変化するというものだ。

 オブジェクトは物体に関係なく、キルンの装甲と同じ質感の武具に変化するので、その行為はまさに錬金術である。

 ただし、それらはストレージにこそ入れられるものの強化外装ではなく、厳密にはインスタントアイテムに分類される。つまりは破壊されても再度加速さえすれば、デュエルアバターの体力同様に修復される強化外装とは違い、一度破壊されてしまえばそれまでなのだ。

 ちなみに、キルンが知る中で強化外装を創り出せるデュエルアバターは、《銃匠(マスター・ガンスミス)》と呼ばれた先代赤の王レッド・ライダー以外には存在しない。彼の生み出す銃の質たるや、それを目にしたキルンを唸らせる逸品ばかりだった。

 新米(ニュービー)時代のキルンは剣や盾などの武器を作り出していたのだが、そもそもこのアビリティは基本的に対戦格闘のカテゴリーに含まれる、ブレイン・バーストとのかみ合わせが非常に悪かった。

 対戦相手を目の前にして、腰を降ろして悠長に武器を作る時間などない。だが、クレイ・キルンというデュエルアバターのポテンシャル、そのほとんどがこのアビリティに注ぎ込まれている以上、対戦に勝利するには使わざるを得ない。それ故にキルンにとっては、対戦開始からいかに早く武器を作り出せるかが勝敗を分けていた(当然、武器さえ作れば絶対に勝てるという話ではないが)。

 そんな彼に転機が訪れたのは、何度もポイント全損に陥りかけながらレベル4になり、無制限中立フィールドに赴くことが可能になった時のこと。

 ほぼ無限の時間が流れるこの場所でこそ、自分の真価を発揮できるのだと理解し、キルンの頭にとある構想が浮かんだ。

 それを作り出すのに、一回の鍛造では不可能だろう。ではパーツごとに分けて、一つずつ作っていけばどうか。

 キルンにも確証はなかったが、時間だけはいくらでもあった。

 無制限中立フィールド内を巡り、ひたすらオブジェクトを破壊してはその欠片を回収し、それらを金槌で打ち続け、手探りで試行錯誤しながら成型すること累計で数週間。簡素で粗雑ながら、巨大な右腕が完成した。

 自らの手で一から作り出した右腕に触れながら、手を握りこむイメージをする。すると、右腕がイメージ通りに動き、握り拳を作ったのだ。

 この理屈はキルン自身、今でもよく分かっていない。おそらくはイメージ制御系を基にした作用が働いているのだろうが、正直なところ理屈などはどうでもよかった。

 半ば意地になってまで、レベルアップ・ボーナスの全てをこのアビリティの強化に費やした甲斐もあったというものだ。

 自らが乗り込み、操ることのできる人型兵器を作り出せる。その事実こそが重要だった。男であれば一度は夢見るものだろう。少なくともキルンはそう思っている。

 アウトローに加入し、ホーム裏を工房として構えるようになってから幾星霜。

職人(アルチザン)》の成果、その(すい)を結集した奥の手が今、動き出そうとしていた。

 



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第四十七話

 第四十七話 敵も()る者

 

 

 キルン操るゴーレムの突き出した左手、破城槌と言っても過言ではない勢いとサイズをした杭がクエイクに迫る。

 

「ぐぬっ……おおおおおおおおおお!!!!」

 

 クエイクはこれを左腕に装備された丸盾で防ぎ、野太い声を張り上げて耐えようとする。

 ぶつかった直後に吹き飛ばされなかっただけでも賞賛に値するものだが、それでも盾は威力に耐えられず、ヒビが入り始めている。盾が貫かれるのは時間の問題だと、メモリーが見抜いたその時だった。

 

「おおおお──《解放(リベレイション)》!!」

 

 クエイクが叫んだ直後。クエイクの盾から衝撃波が発生し、杭の先端が砕かれ、杭に繋がるゴーレムの左腕が勢いよく弾かれた。

 

『何だぁ!?』

 

 キルンが驚きの声を上げると、クエイクは衝撃に巻き込まれて立っていた場所から、先程ボルケーノが作り出し、すでに固まり始めている溶岩の端まで吹き飛ばされ、仰向けに倒れていた。左腕の盾は砕け、残骸が光の欠片になって消滅していく。

 

「今のは必殺技じゃないね。おそらくはあの盾で受け止めた運動エネルギー、それらを溜め込んで衝撃に変換して放つことができるんだろう。さすがに許容限界を超えたみたいだけど」

『なるほどな。まさか初撃から壊されるたぁ思わなんだが……まぁいいさ。破損は元々覚悟の上よ。──《換装(コンバート)》』

 

 メモリーが再びペンと紙を手にしながら、ゴーレムの隣に立って推測を話すと、早速装備の一部を破壊されたキルンが落ち着いた様子でコマンドを唱える。

 すると、ゴーレムの先端が折れた左手が光に包まれ、数秒後には右手同様に五本の指が付いた、無傷の左手に変化していた。

 

「それくらい早く本体も召喚できれば良いのにね」

『アビリティ本来の、正規の使い方じゃねえからな。こんだけでかいとどうしても召喚(ロード)に時間を食っちまう。だからこうして各所のスペアパーツまで備えてんだ。……あん時それを考慮していりゃあよぉ、《史上最強(ストロンゲスト)》の火力馬鹿にだって──』

 

 また始まったと嘆息するメモリーにも気付かずに、過去の出来事を思い出すキルンが恨めしそうに独り言を呟き始めた。

 キルン曰く、《鍛造錬金(フォージング・アルケミー)》で生み出した大量のパーツを組み合わせることで、一つの巨大なゴーレムを召喚するにあたり、ある程度の時間と集中が必要で、これを心意技とはまた違ったいわゆる『裏技』を用いた代償と捉えているらしい。

 今回、キルンとメモリーが二人で一度に相手と応戦しなかったのも、それが理由だった。

 ちなみにこのゴーレム、実は二代目である。初代は現在の赤の王が登場するまで、加速世界最大の遠距離火力を誇ったバーストリンカーとの対戦の末に、惜しくも破壊されたのだ。

 相手もまた、通常対戦では基本的にほぼ不可能である、厳しい条件をクリアして巨大ロボットを作り出すという似通った点があったからか、時間と労力、そして心血を注いだゴーレムを破壊されたのは、キルンにとってはかなり悔しかったことらしい。

 尚も恨み節とも反省ともつかない独り言を続けるキルンを見て、メモリーも他人のことは言えないと自覚しているが、キルンも大概一つのことに熱中しすぎると周りが見えなくなるタイプだと思い、頭を掻いた。

 

「キルン、反省はそのへんにしておいてそろそろ……」

『あん? おお、そうだな』

 

 相手の方へ向き直ると、倒れたクエイクを庇うように彼の前に立つボルケーノの姿があった。銃身になっていた右腕も、すでに元の手に戻っている。

 

「す、すまねえ、ボルちゃん、このままじゃ……」

「クエイ君、大丈夫だよ。私が守るからね」

 

 呻きながら体を起こそうとするクエイクに、優しく声をかけるボルケーノ。パートナーとの絆が窺える光景だった。

 

「……端から見たら、僕ら悪役だよね」

『言うなよ。やり辛くなるだろうが』

 

 そう言いながらも、キルンはゴーレムの足を動かし始める。向こうが勝負を諦めていない以上、こちらも手を止めるわけにはいかない。

 とはいえ、遠隔系のボルケーノ一人で何をするのかとメモリーが思っていると、ボルケーノがクエイクから離れ、更にこちらに歩み寄り、凛とした声で叫んだ。

 

「ここからは私が相手になります。──《イラプション・オブ・ライフ》!」

 

 突如としてボルケーノのワンピースドレスが横断幕のように伸び上がり、硬質化。四メートル近い高さをした三角錐へと変化する。その天辺に位置するボルケーノの胸部からは赤く輝く大砲が出現し、噴火そのものの勢いで灼熱の溶岩が発射された。

 

『メモリー、下がれ!』

 

 ゴーレムを操って前進したキルンが、一身に溶岩を受け止める。

 鍛冶作業を行うデュエルアバター故に、炎熱耐性を持つキルン。その装甲と同様の性質を持つゴーレムも、溶岩自体にダメージはあまり受けていないようだが、噴き出し続ける溶岩の勢いによって、それ以上進めずにいる。やがて辺りにはゴーレムにぶつかり、そこら中に飛び散った溶岩が薄く煙を上げていた。

 ゴーレムの後ろでその様子を観察し続けるメモリーは、ボルケーノの必殺技の威力に驚きながらも、同時に疑問も覚え始めた。

 これだけの高出力の攻撃を、すでに一分近く放ち続けているのにもかかわらず、まるで勢いが衰えていない。必殺技ゲージがフルチャージの状態だったとしても、これは異常だ。

 心意技の可能性も考えたが、過剰光(オーバーレイ)も見られず、心意技に対して耐性のないゴーレムが即座に破壊されていない以上、それも考えにくい。

 周辺に飛び散る溶岩に当たらないようにボルケーノの様子を窺うと、火山と化したボルケーノの全体が真っ赤に染まり、ここからでも感じる熱気によって陽炎が揺らめいている。その表情は判別し辛いが、苦しんでいるようにも見えた。

 その光景と必殺技のニュアンスから察するに、どうやらボルケーノは必殺技ゲージの他に体力ゲージを削って、技を放ち続けているのだとメモリーは推測した。

 だが、キルンが耐えている以上、いたずらに体力を削る意味はないはずだ。にもかかわらず必殺技を発動し続けているのは、必殺技の仕様なのか、それとも他に理由があるのか──。

 

「どちらにせよ、すぐに決着を着けるしかないか……」

 

 相手の思惑が図れない以上、この状況を一気に打破するしかない。そう考えたメモリーはゴーレムの背後から飛び出し、静かに走り出した。

 真っ赤な溶岩の飛沫が、体の至るところに当たるが、歯を食いしばってこれに耐える。

 ボルケーノに気付かれて溶岩の矛先をこちらに向けられでもしたら、耐えられる自信はないので声を出すわけにはいかない。

 自分の必殺技の射程圏内に入ったことを確認し、ボルケーノの斜め前方の位置から、メモリーは両腕をボルケーノへと向けた。

 

「《ウィーケン・インク・フォッグ》!」

 

 万年筆型をした両腕の手甲の先端から、霧状に噴き出したインクがボルケーノを包み込む。ある程度はボルケーノに付着する前に蒸発していくが、濃霧に近い密度の霧は完全には蒸発しきらずに、ボルケーノに触れた箇所からぽつぽつと黒い染みとなって広がっていった。

 

「何、これ……!?」

 

 ボルケーノが墨色に染まり始める己の身に気が付くが、もう遅い。放出される溶岩の勢いが徐々に減衰を始めた。

 この必殺技は触れた相手を墨色に染め、ステータスを一定時間減少させる霧を放つことで、一種の弱体化(デバフ)状態にさせるものである。その効果は相手が彩度の明るい装甲であるほどによく効き、逆に彩度が低いと半減する。比較的鮮やかな赤系統である、茜色の装甲を持つボルケーノにはかなりの効果があった。

 そして噴火の勢いが弱まった今、キルンも攻撃に移行できる。

 

「キルン、決めろ!!」

 

 メモリーの援護により、赤熱したゴーレムが左手だけで溶岩を受け止め、右手を握りこんで構える。そして、突き出した右腕の手首から爆発が発生すると、そのまま爆炎を噴射させながら右手が飛んでいった。

 土の巨人の拳が、荒ぶる火山となったボルケーノめがけて飛来する。すぐに三角錐の小山となっているその体の中腹に着弾し、押し砕き──。

 

「──《大地崩割(グラウンド・フィッシャー)》!!」

 

 メモリーが勝利を確信した直後。大震動がコロッセオ中を揺るがした。地割れが発生し、フィールドであるコロッセオの台座どころか、地面を通してコロッセオの壁面、洞窟の天井にまで幾条もの亀裂が伸びていく。

 あまりの震動に立っていられず、膝を着いたメモリーは見た。ボルケーノを貫通したロケットパンチの先、黄土色の過剰光(オーバーレイ)を発生させた両足を地面にめり込ませたクエイクの姿を。その表情は死亡する直前だというのに勝ち誇っている。

 ──ここで心意技か! 

 ボルケーノと同じく、ロケットパンチの直撃を受けて爆散するクエイクを見て、ようやくメモリーは相手の思惑を理解した。

 彼らは侵入者を倒すことから、是が非でもこの先へ通さないことに戦法を切り替えたのだ。ボルケーノの必殺技は、こちらのクエイクへの意識を逸らす意味もあり、おそらくクエイクは心意技発動までの集中力を高めていたのだろう。

 

『メモリー!』

 

 ゴーレムの巨大な手にメモリーはむんずと掴まれ、広がった腹部のコックピットに放り込まれた。溶岩を受け止め続けていたゴーレムの内部は蒸し風呂のような温度になっていたが、今はそんなことを気にしては入られない。

 

「完全にしてやられたね……。心意技を使う可能性はあったけど、ここまで真っ当に戦っていたからてっきり僕ら同様、迎撃にしか使わないスタンスなのかと……。対戦に勝って勝負に負けた気分だ」

「そうまでしてワシらを止めるたぁ、そんだけボスを慕ってやがんのか……ともかく、もう間に合わねえ。今は頭を守ってじっとしてな、考えんのは落ちてからだ」

 

 ゴーレムが落下に備えて身を丸める。その内部にいるキルンとメモリーは崩落する地面と共に奈落の底へと落ちていった。

 

 

 

 キルンとメモリーが大崩落に巻き込まれている頃より、時間は遡る。

 ドーム型の広間でゴウは、エピュラシオンの副長であるチタン・コロッサルと遭遇し、交戦していた。

 レベル8。王を例外としても到達した人数は数少ない、バーストリンカーとしては最強クラスの存在。そのほとんどが、ベテランとして長きに渡り加速世界で生きてきた猛者達。

《親》であり師である大悟と、数字の上では同等の存在であるコロッサルを倒せるのだろうかと不安になる気持ちを振り払って、ゴウは拳を振るう。

 分かりきっていたことではあるが、非常に手強い相手だ。近接戦での単純な力比べでは、同レベル帯においてほぼ敵無しだと自負しているゴウでも決定打は与えられず、少しでも気を抜けば、重い一撃を食らうだろうと確信できた。

 コロッサルの動きは大柄な体格に似合わず、機敏かつ洗練されていて、ゴウの攻撃を単に受け止めるよりも、いなしながら受け流し、そのまま攻撃に転じてくる。クリーンヒットはせずともごくわずかに、しかし確実にゴウは体力ゲージを削られていた。

 そんなゴウは以前エピュラシオンと遭遇したことで、彼らについて少し調べていた。

 情報通であるメモリーでさえ、具体的なプロフィールはついに分からなかったが、そうではなく『名は体を表す』と言うように、アバターネームから相手について知ろうと試みたのだ。デュエルアバターのカラーネームは元より、それに続く固有名からでもいくらか知れる、あるいは推測できることはある。

 特にチタン・コロッサルのようなメタルカラーの場合では、否が応でも名に冠された金属の特徴が、その身に少なからず反映される。そうして調べて分かったチタンの特徴とは、加工は難しいものの、優れた耐食、耐熱性を備え、鋼鉄よりも頑丈な上に軽いということだ。

 現に近接戦では、その特性が遺憾なく発揮されている。格闘技術は本人の鍛錬によるものとしても、敏捷性と防御力のステータスに、確実に影響を及ぼしているだろう。

 そんなコロッサルの繰り出した前蹴りを両手で受け止めたゴウは、両手を素早く相手の足首とふくらはぎに持ち直した。

 

「う……──らあっ!」

「…………!」

 一度横に振って勢いを付けてから、コロッサルの足を掴む腕を上に掲げ、地面へと叩き付けた。大柄で重量級のメタルカラーでさえ、今のゴウには振り回すことは容易い。

 そうして右手を腰元まで引くと、顔をしかめても呻き声一つあげないコロッサルに向けて狙いを定めた。

 

「《アダマント・ナッ──ぐぼっ!?」

 

 ところが、必殺技の正拳突きが届く前に、仰向けの状態のコロッサルに両足で蹴りを入れられた。たまらず吹き飛ばされたゴウが向き直る頃には、すでにコロッサルは立ち上がって体勢を立て直している。

 

「ゲホッ……! ゴホッゴホッ!」

 

 拳の勢いが乗る前だったので、完全なカウンターにまでは至らなかったが、それでも一割近く体力が削れていた。やはり、必殺技一つ当てるのも一筋縄ではいかない。

 

「……焦燥が感じ取れる」

「何だって……?」

 

 この場で戦闘を開始してから、コロッサルが初めて言葉を発した。

 

「貴様が焦っている、と言ったのだ。時間が経つ程に顕著になっている」

「そんなこと──」

(たが)わぬ。自分がこの先が最深部だと、この先に主がいると口にしたことで、貴様は己がどうにかしなければならないと考え、繰り出す拳がどこか浮ついている」

 

 そう断言するコロッサルに、ゴウは返す言葉が見つからなかった。たったいま言われて初めて、自分でも無意識だった行動を自覚したからだ。

 

「どうして……どうしてそれを僕に言うんだ? 敵である僕のコンディションが良くないなら、そこに付け込んで黙って倒せばいいだろ」

「何も貴様の為ではない。ただ、思い違いを正しておかねばならぬと判断しただけのこと」

 

 戸惑うゴウに対するコロッサルの無機質な返答には、間違ってもゴウを(おもんぱか)っての行動ではないことがありありと窺える。

 

「仮に貴様がこの先に進んだところで、我が主を倒せるものか。だが、下らぬ些事に主を煩わせる訳にもいかない。故に自分は貴様を通さないし、ここで死亡してもらう」

 

 暗に「いてもいなくても大差ない」と言っているらしい。

 これには比較的温厚なゴウも腹に据えかねるものがあったが、目の前の鉄人が会話に応じている今を好機と見て、努めて冷静に質問をぶつける。

 

「……そうまでして、このアトランティスの《秘宝》を求める目的は何だ? エピュラシオンは、プランバムは何をしようとしているんだ?」

「目的か……話す義理は無いと言えばそれまでだが……。──我が主、プランバム・ウェイトはこの加速世界の有り様を正す為に動いているのだ」

 

 ゴウの頭に、以前プランバムが口にしていた『歪みを正す』という言葉が再び響く中、コロッサルは続ける。

 

「貴様は知らぬかもしれぬが、この加速世界では周りから不当な扱いを受けている者も少なからず存在する。エピュラシオンはそのような境遇にいた者、主の考えに共感した者達によって構成されたレギオンなのだ。……自分も主によって救われた者の一人。その恩義に報いる為に自分はここにいる」

「恩義……?」

「そうだ。他のメンバー達の胸中までは知らぬがな。だが、たとえ他の者がレギオンを去ったとしても、自分だけはブレイン・バーストを永久退場するその日まで、主と共に闘うと誓ったのだ」

 

 コロッサルの言葉には、一切の迷いも引け目も感じられなかった。だからなのか、以前の怒りに囚われて暴れていた時は別として、今のゴウは敵であるはずのコロッサルを憎むような感情が湧いてこない。

 

「……そろそろ終わらせるとしよう。貴様以外の者が、ここにいつ来るかも分からぬ」

「いやいやそう言わずに、俺としてはもう少しいろいろと聞きたいな」

「「!?」」

 

 ゴウとコロッサル、そのどちらでもない人物の声が会話に割り込んだ。ゴウ達が振り返った先、このドームに通じる入り口に立っていたのは、一体の僧兵アバター。

 

「師匠! 良かった、無事だったんですね」

「おう。ちょっと半魚人達と戦う羽目になったけどな」

「はい? いや、それはいいか──」

 

 仲間に再会したことでゴウが大きな安堵感に包まれる中、大悟が近付いてくる。体にはいくらか傷はあったが、かすり傷程度で別段大きなダメージは見られない。

 

「話を聞いていたんですか?」

「話というか……その前にお前さんが、そいつの足を掴んで床に叩き付けた時から」

「そこそこ時間経ってるじゃないですか!」

「いや、すぐ出て行こうと思ったら、話し始めるもんだから……。ともかく、おおよその事情は分かった」

 

 隣に並んだ大悟との若干気の抜けた掛け合いの中であっても、ゴウは油断なくコロッサルから注意を向けていたが、当のコロッサルは大悟の姿を見るなり、気配がより剣呑なものに変わっていた。文字通りの鉄面皮にも緊張が走っているようだ。

 そんな登場しただけで敵を警戒させている大悟は、ゴウに向かって驚くべき言葉を投げかけた。

 

「オーガー、お前さんは先に行け。こいつの相手は俺がやる」

「えっ!? いや、でも……あいつはここを通さないって──」

「……良いだろう」

「!?」

 

 信じられないことに、先程まで絶対に通さないとゴウを阻んでいたコロッサルが、何の迷いもなく道を開け、戦闘前と同じく腕組みまでしていた。

 

「ほれ、門番の許可が降りたぞ」

「…………」

 

 大悟が促すが、言われたゴウにとっては、当然素直に喜べる心情であるわけがない。

 これでは本当に、自分の存在が眼中に無いようではないか。レベル8のハイランカー達にとって、自分はそれほどまでに取るに足らない存在なのだろうか。

 

「いいか誤解するなよ?」

 

 大悟がゴウの右肩に手を置いた。いつものようにゴウの心境を見抜いて諭すような声は、コロッサルには聞こえない程度に声量を絞っている。

 

「あいつだって、好き好んでお前さんを先に通したいわけじゃない。俺達二人を相手にするのは厳しいからこその、それなりに苦渋の決断なんだろうよ」

「だ、だったら尚更、二人であいつを倒せばいいじゃないですか」

「あの奥でプランバムが何かをしているなら……肝心な何をしているかは知らんが、それを妨害する奴が必要だ。それをお前さんに任せたい」

「でも……師匠が先に進んで、僕がこのままコロッサルの相手をするのは駄目なんですか?」

「そうなると、コロッサルは是が非でも俺を追いかけてくるだろうな。そして俺達はタッグで戦うことになる。その事態を避けたいのは分かっているだろ?」

 

 ここまで言われれば、ゴウも納得せざるを得なかった。

 コロッサルが主と呼ぶプランバムも、おそらくはレベル8なのだろう(根拠はないが、レベル9にまで到達しているとはさすがに考えにくい)。そんなレベル8のタッグと戦うには、一人だけレベル6の自分がいるこちらがやはり不利だ。

 故にゴウがプランバムの足止めをしている間に、コロッサルを倒した大悟が加勢に来るという構図がベスト。もっとも、ゴウや大悟が合流する前に、互いの相手に倒されるという懸念事項を除いた場合の話だが。

 ──他の皆がいつ来るか分からない以上、こちらが勝利する確率が一番高いやり方だけど……。やっぱり悔し──。

 

「うっ!?」

 

 ゴウの額に軽い衝撃が走る。大悟がゴウにデコピンを食らわせたのだ。

 

「はぁー、お前さんはつくづく分かりやすいな。大方、二対二になれば自分が足手まといになるとでも思ったんだろ」

「うっ……。でも事実じゃないですか」

「まぁな」

 

 ストレートすぎる物言いに、デコピン以上のショックを受けるゴウ。

 しかし、大悟がすぐに言葉を付け加える。

 

「確かに俺はあいつらを初めて見た時に、只者じゃないと感じ取った。その中でもプランバムは殊更な。でも今のお前さんの力量なら、奴の相手でも通じると俺は信頼している。だから先に行けと言ったんだ」

「師匠……」

「それにな、目の前にいるコロッサルだって、俺がここの入口で隠れていても気付かないくらい、お前さんとの対戦に集中していたんだ。お前さんは強いよ、自信を持ちな」

 

 バシッと大悟に背中を叩かれると、不思議と胸に詰まったわだかまりのようなものが、氷のように溶けていくのをゴウは感じた。何だか勝手に独り相撲をしていたようで、可笑しくなってしまう。

 大悟が人を乗せるのが上手いのか、自分が単純なのか。どちらにせよ今は、そんなことを考えている場合ではない。

 

「分かりました……勝ってくださいよ?」

「任せとけ。それといつも言っているが、まずは楽しめよ。格上の相手と戦うという、この状況さえもな」

「はい!」

「よし、良い返事だ」

 

 大悟が広げた手に応えるように、師弟はハイタッチを交わした。

 

 

 

 ゴウが奥へ通じる道へ進むのを、腕を組んだまま見届けるコロッサルに、部屋に残った大悟は声をかける。

 

「いや悪いな、律儀に待ってもらって」

「──《荒法師》アイライト・ボンズ……。その名、以前に直接対面するより前から耳にはしていた。《首刈り坊主》とも呼ばれていたと聞く」

「俺らについて調べたのか……。二つ目の呼ばれ方は新手の妖怪みたいであんまり好きじゃない。海坊主じゃあるまいし」

 

 どうやら以前、無制限中立フィールドで出会ってから自分を、ひいてはアウトローについて調べていたらしいコロッサルから、かつての悪名を持ち出されたことに大悟は辟易する。

 今より三年近く前。

 レギオンマスターが討たれたことで崩壊の一途を辿っていたプロミネンスが、その領土を数多くのレギオンに奪われる中、大悟は崩れかけたプロミネンスに加入し、結果的にレギオンの建て直しに貢献した。

 その際に付いた二つ名が《首刈り坊主》。

 強化外装の薙刀を振るっては、数多の敵チームの首を斬り落としていたことが由来だと大多数から思われているのだが、事実はやや異なる。

 実際には強化外装を持ち出すのは、大悟が多数から一度に囲まれた状況下に限った話で、基本的に徒手空拳で戦うことがほとんどだった。それが噂に尾ひれが付いて、まるで敵の首を求めて戦場を駆ける悪鬼のように広まったのだ。

 挙句、「その名前を言ったら首を刈られるぞ」と周りに冗談を吹聴していた者が対戦相手の中にいたらしく、知らずにその者の首を落としたことで一気に広まってしまった。

 ただし、元々《荒法師》で通っていたこともあって、知っている者は知っているが、かつて十人連続対戦に挑んだことに由来する《暴虐の僧兵(タイラント・モンク)》のように、さして定着はしなかったことが不幸中の幸いだった。

 そんな余談めいた経緯など、おそらく知る由もないのだろうと大悟が考えていると、コロッサルが組んでいた腕を解いた。

 

「……貴様を初めて目にした時に直感で分かった、この男は危険だと。同胞によるアウトローの構成員についての調査結果を聞いて、それも確信に変わった。世田谷を拠点に活動するレギオンではない集団──《万年氷室(フローズン・オーバー)》、《スピリタス》、《職人(アルチザン)》、《記録屋(アーカイブ)》。《野生の咆哮(ワイルド・ロアー)》に《天使と悪魔(ダブル・フェイス)》……。先のダイヤモンド・オーガーにしてもそうだ。それらを従わせる度量と実力を併せ持つ貴様を野放しにはできない」

「さすがに過大評価が過ぎるな。情報も少し違う。俺はアウトローのリーダーじゃないし、そもそもアウトロー内に上も下もない。従わせている? 心外極まる」

 

 どうも向こうからは、レギオンにおけるレギオンマスターに相当する存在だと思われていたようだ。大悟にしてみれば、見当違いもいいところである。

 

「アウトローは自由に加速世界を過ごす連中の集まり、来る者拒まず去る者追わず。存在を知っている者は知っているし、知らない者は知らなかったところで何の問題もない。──まぁ、確かに全員、腕に多少の覚えはあるがね」

「事実がどうあれ、貴様が脅威であることに変わりはない。たった今、奥に進んだダイヤモンド・オーガーなど及ぶべくもない程に。貴様をこれより先に進ませてしまえば、主にとって好ましくないことになるだろう。故に今ここで憂いの芽は摘み取らねばならぬ」

 

 今にも飛び出しそうな臨戦態勢となるコロッサル。

 対するを大悟も構える。ここに来るより前、ダンジョンに設置された罠の一つである、半魚人のデザインをした動く彫像の大群を全滅させた大悟もまた、普段以上に気持ちが(たかぶ)っていた。

 

「おぉ、やる気だな、そうこなくちゃ。聞きたいことはお前さんの主に聞くことにして、今は楽しむとしよう。──お互いに体も温まっていることだしな!」

 

 敵はハイランカークラスのメタルカラー。相手にとって不足はない。

 大悟は歓喜の声を上げながら、突風のようにコロッサルへと向かっていった。

 



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第四十八話

 第四十八話 無敵の正体

 

 

 幾本もの柱と崩れた建物が立ち並ぶ空間。

 部屋の上部には、直径一メートル近い大きさをした光る球体が浮かび、部屋中を太陽のように煌々(こうこう)と照らしている。

 そんな擬似太陽に負けず劣らずの光を装甲の各所から放っているのは、透過したサンバイザーと黒いサングラスが印象的なエピュラシオンのメンバー、サンシャイン・ソーラー。彼女はこの場を訪れた三人の敵を相手取り、未だに傷一つ付いていなかった。

 

「どうしたの? 三人がかりでもう終わり?」

 

 体の所々が黒く焦げているメディックとキューブを前にして、ソーラーの表情は余裕に満ちている。

 

「さてさて……どうしたものかしらね」

 

 メディックが静かに呟く中、キューブはこれまでの戦闘を頭の中で反芻していた。

 ソーラーの戦法は対戦開始当初に召喚した強化外装である、今は部屋の上部に浮かぶ光る球体から熱線を照射して攻撃、自らは目が眩むほどの光を装甲から放ち、その隙にこちらの攻撃を回避するというものだった。

 そこまでは良い。自身は眩惑、攻撃は強化外装に頼るというのは、《間接の黄色》に属するデュエルアバターの典型的な戦い方だからだ。

 問題はこちらの攻撃が確実にソーラーの体にヒットしたのにもかかわらず、まるで効いていないのだ。

 リキュールの撃った弾丸や、己の氷を纏ったパンチが確かに当たったのをキューブは確認したのだが、ソーラーは平然としていて、装甲には跡すら残っていない。

 相手とのレベルがあまりにもかけ離れ、高い防御力を持っているのなら話はまだ分かる。しかし、自分とリキュールとのレベル差は1つだけで、メディックとは同じレベル。その上、黄色系アバターの防御力は近接型のデュエルアバターに比べれば幾分劣る。

 必殺技は発動しておらず、アビリティにしても長時間相手の攻撃を受け付けないなんて話は聞いたこともない。

 メディックが真っ先に状態異常を回復させる必殺技を発動したのに効果がなかったことから、残る可能性は心意技だが、技名を発声しないで発動したとしても、肝心の過剰光(オーバーレイ)が見られなかった。

 分からないことだらけだが、いずれにせよ無敵の秘密を解かない限り、こちらに勝機は訪れない。

 ──どーすりゃ、いいんだよー……。

 氷に包まれた頭を捻るキューブは、メディックに声をかけられた。

 

「キューブちゃん、彼女に攻撃が当たった時の感じをもう一度教えてちょうだい」

「うん? 俺の攻撃のいくつかは確実にあいつに当たってるよー。ただ手応えを感じないんだ。上手く言えないけどー、どこか中身が詰まっていないみたいでさ。でもー……装甲から出ている光で目は眩むし、あの太陽からの熱線も本物。おかげで氷がまー、溶ーける溶ける」

 

 キューブが全身のあちこちに身に着けているブロックアイスは、ソーラーの熱線を掠めた箇所が溶けて、まるで汗をかいているような様になっていた。これは体の至る所に立方体の氷を発生させ、装甲として用いるキューブのアビリティ《純氷鎧(アイス・エンフォールド)》によるものである。

 冷気を発生させて物体を凍結させたり、氷を作り出す氷結系統の技は数あれど、無色透明な純氷そのものをほぼノータイムで召喚する形態を取るのはかなり珍しいタイプで、キューブは氷を召喚する座標に存在する物体ごと氷で包んで固定するといった応用も編み出していた。

 氷は必ず己の体の一部に触れている状態でないと召喚できないものの、必殺技ゲージの消費量は少なく、ゲージの消費で何度でも召喚できる。ただし氷の性質上、炎熱系統の攻撃には滅法弱いのが難点であった。

 

「手応えを感じない……か。もっと調べようにもあの光る球が邪魔よね。でもあの高さじゃ、リキュールちゃんの攻撃しか当たらな──」

 

 メディックが間一髪で熱戦から避けると、今まで立っていた地面に新たな焦げ目が付けられていた。当然ながら、相手はのんびり作戦会議をさせるつもりはなさそうだ。

 ちなみにリキュールは、メディックとキューブとは離れた場所に身を隠している。柱や建物の陰を移動しては、ソーラーの攻撃の要である、光る球体を狙っているのだ。

 だが、球体はソーラーの意思で動かせるらしく、加えてそれ自体が時折強く発光することで狙撃を阻害、銃弾の連射をしようものなら、そこをめがけて熱線を撃ってくる。銃口に当たって熱で融けてしまえば、リキュールは攻撃手段をほぼ失うので、無闇に弾幕を張ることも難しい状況だった。

 八方塞に近付いているこの状況下、メディックが決意したように口を開く。

 

「……キューブちゃん、少し下がっていてくれる? あたしがやるわ」

 

 前に出るメディックに、キューブはすぐには頷けなかった。

 

「私が、ってメディック一人じゃ無茶だよー……。あいつに確実に攻撃当てようとするなら、メディック自身も巻き込まれるじゃんかー、だったら俺が──」

「キューブちゃんの氷は、あの子の熱線と相性が悪いでしょ」

「そりゃそうだけどー……」

「それより、リキュールちゃんのカバーに回ってちょうだい。一つ試してみたいことがあるの。……好きじゃないけど、リスクを負わなくちゃならないときもあるわ」

 

 今この場にいる仲間の三人の中で、戦闘経験が一番豊富なのはメディックだ。故に彼女の指示に従うのは的確なのだろうが、メディックの攻撃方法を知るキューブとしては、目論見(もくろみ)が外れたときのリスクが高すぎる気がしてならない。それに──。

 

「大丈夫よ、伊達に修羅場はくぐっていないわ。それに知ってるでしょ? あたし、サポートだけが能じゃないんだから」

 

 キューブの返答を待たずにウインクをしてから、メディックはソーラーに向かって駆け出していった。

 

「うーん……。その感じが死亡フラグっぽいって言おうとしたんだけどなー…………」

 

 語尾が間延びしながらも切迫感を声に混ぜるキューブは、不本意ながらメディックを見守りつつ、言われた通りに姿を隠しているリキュールを探しに向かった。

 

 

 

 ブレイン・バーストにおける《親子》とは、初期の無制限にコピー可能だった時代を除けば、互いに一人だけの唯一無二の存在だ。それは必ずお互いの現実の素性を知っていることを差し引いても、特別な間柄であることはバーストリンカーであれば誰もが理解している。

 アウトローメンバーの中で《親子》揃って在籍している者は、過去に在籍した者を含めても、アイオライト・ボンズとダイヤモンド・オーガー、カナリア・コンダクターとクリスタル・ジャッジの二組だけである。

 残りのメンバーには《親》がすでにおらず、また、身近に適正がある存在がいないのか、《子》を作らない者がほとんどだ。

 そんな中で《親》どころか《子》さえも失ったバーストリンカー、それがエッグ・メディックだった。

 今日出会った者が数日後には永久退場している。そんなケースもザラにあった加速世界の黎明期。生き残ることさえも厳しい時代。

 オリジネーターの一人だった《親》は、ブレイン・バーストをメディックに与えた二ヵ月後に、ポイント全損によって加速世界を去り、当時の現実でも親友だった《子》は、無制限中立フィールドへ行くことができるレベル4になる前に、通常対戦のギャラリーとして見守っていたメディックの前で消えた。

 もしもこの数日後に、後にアウトローを結成することになる仲間達と出会わなければ、メディックは失意の底に沈んだまま加速世界から消えていただろう。

 そんな過去も手伝って、メディックはアウトローという居場所を非常に大切に想っており、新たに加入するメンバーも我が子のように可愛がろうとするあまり、やや過保護になることもしばしばある。

 戦闘時には味方を支援系統の必殺技を用いて助け、立ちはだかる敵には一転して苛烈に攻め倒す。その両極端な二つの顔を見せるところから、いつしか彼女は《天使と悪魔(ダブル・フェイス)》と呼ばれるようになっていた。

 

 

 

 わざわざ上を向かずとも上方から降り注ぐ光が、自分が狙われていることを知らせてくれている。

 メディックは光る球体から放たれる熱線を、不規則なジグザグを描いて走ることで回避しながら、ソーラーの元へと走っていた。

 直接攻撃が不得手であるはずの間接型が、全く怯まずに自分との距離を詰めることが理解できないのか、ソーラーが小さく舌打ちをしながら、装甲を発光させてメディックの目を眩ませようとする。

 メディックはこれを見越し、顔を俯かせて強い光を直視せずに突き進み、そのまま体当たりをソーラーに食らわせた。

 ──……? 何かしら、この感じ……。

 攻撃が成功してソーラーがその勢いで下がっても、メディックは釈然としない違和感を覚えた。キューブの言っていた通り、確かに感触があるのに手応えがない。

 その時、真上から光が差し込んだ。光る球体が熱線を発射しようとしていること、もう回避はできないことも、メディックには理解できた。

 だが、そんなことは予想の範疇だ。ダメージを覚悟の上で特攻を仕掛けたのだから。

 メディックは素早く右手を真上に掲げると、その手に己と同色の鶏卵型をした物体を一つ出現させた。一瞬遅れて熱線がメディックの右手に直撃する。

 それと同時に、メディックの右手に乗った鶏卵より一回り大きい卵が、破裂音を響かせて爆発した。

 

「ああっ……!」

「なっ!?」

 

 右手が焼ける痛みに声を漏らすメディックをよそに、ソーラーが初めて驚きの声を上げた。それもそのはず、爆発した卵の殻が勢い良く四方八方に飛び散ったのだ。

 これこそがメディックのメインの攻撃手段、鶏卵型の手榴弾である。

 手榴弾は爆風よりも、爆発の勢いで炸裂させた外装を周囲に撒き散らすことで、対象にダメージを与えるものなので、一歩間違えると自らもダメージを負う代物だった。本来、自分の至近距離で使うものではない。

 メディックは痛む右手を押さえながらソーラーの方を向くと、手榴弾の破片を至近距離で正面からまともに受けたはずの彼女の体にはやはり傷一つ無い。だが──。

 

「この……!」

 

 無傷のソーラーは明らかに怒りを含んだ表情でメディックを睨み付けている。

 その様子を見たメディックは、続けて迫る熱線を避けながらまたも疑問を覚えた。

 あれは間違いなく、対戦相手からの攻撃を受けたり、相手の作戦にしてやられた者の表情だ。これまで攻撃を受けても平然としていたのに、今回に限ってどうして表情に変化があったのか。それにソーラーへぶつかった時の違和感。本当に、本当に自分は、彼女にぶつかっていたのだろうか。

 メディックは脳内で料理をするかのように、可能性を包丁で切り刻み、これまで確認した事実と一緒に鍋へ放り込んで煮詰めていく。

 敵の持ち味は『光』。光を戦闘に用いている。装甲から常に光を放っていて、敵の目を眩ませるほどに輝かせることができる。攻撃は太陽を模した球体を高所に浮かせて、収束させた光、熱線を放つ。発射速度は速いが、軌道は直線的で連発はできない。そして、彼女にこちらの攻撃が当たっても、体にダメージは見られない。その理由は──。

 そして数秒の内に考えを纏め上げ、ついにメディックは一つの仮定に至った。証明するには実践あるのみだ。

 

「リキュールちゃん!! この場所で一番高い建物を大至急で破壊して!」

「なぁっ!?」

 

 息を大きく吸ってから、この場のどこにいても聞こえるであろう声量でメディックがリキュールに指示を飛ばすと、手榴弾が爆発した時とは比較にならないほどにソーラーが動揺を見せた。

 

「アンタまさか……させるか!」

「こっちの台詞よ」

 

 メディックは両手に一つずつ手榴弾を出現させると、ソーラーの足下に叩き付けた。

 直後に周囲に破片が散らばっても、やはり傷付かないのにもかかわらずソーラーは怯み、上方に浮かんだ球体からの熱線の発射は阻止される。

 

「《イグナイト・バズーカ》!」

 

 どこからか、リキュールの声と砲撃音が響いた。

 弾丸は明確な場所を教えていなくとも、メディックの指示と相違ない、ここを見渡せるのに最適な場所へと飛来し着弾、大爆発を引き起こす。

 すると、リキュールの必殺技の追加効果で火の手が上がり始める建物から、人影が一つ飛び降りたのが見えた。他の建物が邪魔でメディックの立っている場所からは見えないが、人影は受身が上手く取れなかったらしく、鈍い落下音と痛みに呻く声がかすかに聞こえてきた。

 

「ミラ!!」

 

 人影の飛び降りた方向に向かって叫ぶソーラーにメディックが目を向けると、予想はしていたとはいえ、それでも充分に驚くべき光景がそこにはあった。

 今まで無傷だったソーラーの体が、傷だらけになっていたのだ。損傷具合から原因は明らかにメディックの手榴弾の欠片。一部の破片は深く突き刺さっているのか、常に輝きを放っていた装甲の数カ所からは光が消えていた。そんな明かりの切れた照明のような装甲には、ふわふわとした白い綿毛が貼り付いている。

 

「なるほどね。その綿毛が、あなたを無敵に見せていたカラクリなのね。もっと厳密に言えば、いま落っこちた人の心意技であたし達に存在を誤認させていたってとこかしら?」

「アンタいつから……いつから気付いていたの?」

 

 見破られない自信があったのだろう、ソーラーは信じられないものを見るようにメディックを睨み、全ての装甲から眩い光が消えた。どうやら装甲の光は自由に明滅できるらしい。

 光を消した装甲の全てに貼り付いていた綿毛も、少し間を置いてから溶けるように消えていく。

 その様子を見ながら、メディックは自分の推理を淡々と口に出していった。

 

「……攻撃が当たったのに跡も残っていない。この時点で有り得ない話よね。幻惑系統の技を気付かない内に受けていたにしても、触れた感覚は一応ある……。それなのにあなたが必殺技、アビリティ、心意技のいずれも発動した様子が見られない。だったら他に仲間がいる可能性を考えるべきなんだけど、あなたの派手な見た目と存在感が、それを頭の隅に追いやってしまう」

 

 それは手品師のやり口にも近い手法だ。動きが大きい片手の動作に目を引かれている間に、空いている片手で素早く仕込みを終えている。

 自らが堂々と姿を見せ、あまつさえ光まで放っていれば、嫌でも目に付いてしまうのだ。

 

「強化外装が直接自分で持つ必要のないタイプなのも、都合が良いわよね。これが銃だったら、攻撃の方向が見えているあなたの姿とズレて、もっと分かりやすかったんでしょうけど……」

 

 どうやらソーラーと仲間の心意使いは、メディック達に技を仕掛けていること自体を気付かせないことに重きを置いていたらしい。実際それは上手くいっていた。

 メディックの攻撃が指向性を持たない、周囲に破片を撒き散らす手榴弾でなければ。それがソーラーの本当に立っていたであろう位置まで攻撃範囲に入っていなければ。見破ることはできなかったのかもしれない。

 

「おまけにあなたの戦闘スタイルなら、万が一隠れている仲間の存在を考慮されても複数人を相手取れるわよね。強化外装は相手との距離に関係なく攻撃できるし、自分が狙われても光で目眩ましをして逃げられる。でも一番のポイントは、装甲が常に光を発していることで心意技の過剰光(オーバーレイ)を隠していたこと。……木を隠すなら森の中、なんてよく言ったものだわ。装甲の光を過剰光(オーバーレイ)のカムフラージュにしていたなんて。違うかしら?」

「……正解」

 

 思いの外、興が乗って探偵ばりの推理を披露したメディックに返事をしたのは、ソーラーではなく、ひどく沈んだ調子をした女性のか細い声。

 声のした方向にメディックが振り向くと、今まで身を隠し続けていた、この場に存在する五人目のデュエルアバターがメディックの前に姿を現していた。

 明るい黄緑色のカラーリング、いかにも魔術師といった様子のローブ。F型アバターにしてはかなり背が高い反面、体つきは枝のように細く猫背気味で、顎下まで伸びる(すだれ)のような前髪のパーツが顔を覆い、歩く度に前髪が揺れることで顔をわずかに覗かせる。その姿は、メディックに一つの植物を連想させた。

 

「柳……。そう、じゃあ……綿毛は柳絮(りゅうじょ)ね?」

「それも、正解……。私、《ウィロー・ミラージュ》……レベルは……7」

 

 柳絮とはタンポポと同様に種子を包み、風に遠くまで運ばせる役割がある柳の綿毛のことだ。無論、実際の柳絮に幻覚を見せる効果などないが。

 ソーラーの隣に並んだウィロー・ミラージュは意外にも律儀に名乗り、レベルまで教えてくれた。依然として声は暗いが、それはデフォルトで性格は友好的なのだろうか。

 

「ミラ、アンタ大丈夫なの?」

「一応平気……痛いけど……。ありがとう、ソラ……」

「おーい、メディック~」

 

 隣に並び立ったミラージュの身をソーラーが案じる中、メディックにキューブが駆け寄ってきた。

 

「上手くいったねー。あ、リキュールは後ろでスタンバってるよー」

 

 振り向くと、やや離れた柱の上で銃を構えるリキュールが立っていたので、メディックは先の攻撃に対する賞賛の意を込めて手を振った。

 だが、まだ勝負は終わってはいない。メディックはすぐに敵である二人組みに向き直って問い詰める。

 

「さてと……第二ラウンドを始める前に一つ聞きたいんだけど、あなた達エピュラシオンは、心意技を普段の対戦でも使っているの?」

 

 ミラージュの発動し続けていた心意技は、基本である四種のいずれかを機能拡張させる、《第一段階》を明らかに上回る、独自の形態に発展させた《第二段階》に到達していた。

 つまりは相応の修行や経験を積んだことになるのだが、心意技は大なり小なり使用者を心の暗黒面に引き寄せる危険性を孕んだ、負の一面がある。

 そのことを知らずにいるのか、それとも承知の上で使用しているかで、メディックの彼女達への対応が変わってくるのだが、訊ねられたソーラーはこいつは何を言っているのかと言わんばかりに、大きく鼻を鳴らした。

 

「あのねぇ……バッカじゃないの? アタシらが心意技をホイホイ使うような間抜けに見えてんの? そんなことしてたらマスターに《断罪》されるっつーの」

 

 同意するように頷いてから、ミラージュも続く。

 

「うん、心外……。でも、今日は特別……。マスターの悲願が……叶う日だから……」

「悲願?」

「マスターは……今の加速世界を……良く思って……いない」

「最近の加速世界は乱れに乱れているでしょ。特にあのISSキットとかいう、きっもち悪い目ん玉。あれをばら撒いている奴らなんかがいい例よ」

 

 彼女達が心意システムに関する、一応の節度を持っているらしいことを理解したメディックだったが、また気になる単語が飛び出した。

 ISSキット。最近加速世界を騒がせている、着装すれば誰でも心意技の使用をできるようになるという量産された強化外装。使用者の心を蝕む危険な代物。

 使用者が増え続けている事態を重く見た王達が会合を開いたことを、ボンズから知らされたアウトローメンバーは、同時にISSキットを配布している集団の名前を知ることとなった。

 

「加速研究会……」

「へぇ、よく知ってるじゃん。でもね、キットのことを差し引いても、昔から加速世界は歪みを抱えているんだよ」

 

 ソーラーはメディックに感心しつつ、これまでより真剣味を深めた調子で話していく。

 

「いわれのない差別を受ける人間がいるのは、ここでも現実でも変わらない。理不尽な迫害を受けた人の大多数は泣き寝入りするしかないこともね。アタシ自身はそんな経験ないけど、大半のエピュラシオンのメンバーは、マスターに救われた形でレギオンに加わったんだ。このミラージュもそう」

 

 ソーラーが隣に立つミラージュを親指でクイと示す。

 

「この子はね、《親》を失ってから仲間を作ろうとしたけど、どのレギオンもこの子を気味悪がって相手にしなかったらしいの。そうして最後に行き着いた集団からは、エネミーの囮役をさせられていたのよ。ひどい話でしょ? アタシらが偶然見つけていなかったら、今この場にこうして立っていないでしょうよ」

 

 ミラージュは何も言わないが、ソーラーが作り話をしているようには、メディックには思えなかった。実際、似たような話を時たま耳にすることがあるからだ。

 デュエルアバターのビジュアルは、その人物の心を鋳型にしているので千差万別、当然ながら容姿にも差が付く部分はある。人間は視覚が五感の主体である以上、そうなってしまうのは無理からぬことでもあった。

 

「どうしてこんな話をしたのかって言うとね……」

 

 敵意はないことを示すように両手を挙げたソーラーが、数歩だけ前進する。

 

「──不意を突く為かな」

 

 瞬間、ソーラーの装甲各所から今までの比ではない輝きをした閃光が放たれた。

 



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第四十九話

 第四十九話 エッグノッグをロックで一つ

 

 

 広い空間に一瞬で拡がった閃光は、メディックとキューブはもちろん、後方の柱の上に控えていたリキュールの目も眩ませていた。

 視界はある程度はすぐに回復したが、それでもリキュールには前方にいる者達を輪郭しか判別できず、味方に誤射する可能性から射撃ができない。

 続けて、ガシャンと何かが合体したような音がした直後に、誰かが前方へ跳んでいた。

 

「《エッグ・シェルター》!」

「《マキシマム・ソーラー・レイ》」

 

 必殺技を叫んだことで、リキュールは飛び出した人影がメディックであると気付いた。メディックが必殺技を唱えるのとほぼ同時に、ソーラーの必殺技を唱えた声も耳に届く。

 ようやく視界が鮮明になると、二つに割れた巨大な卵の殻がメディックの頭上と足下から出現して噛み合わさり、メディックをすっぽりと収納する。

 その先には、先程まで宙に浮いて熱線を放っていた、光る球体を背中に装備したソーラー。祈るように組んだ両手が突き出され、そこから今までの十倍近い出力の熱線が発射された。

 

 本来なら力自慢の近接型数体がかりで袋叩きにされても、一分近くは持ち堪えるメディックの《エッグ・シェルター》。その卵殻の表面が、直撃した熱線によって数秒で赤熱し、砕け散った。即座に熱線がメディックの身を焦がし始め──。

 

「《立方氷片(キューブロックス)(ウォール)》!!」

 

 不意に途切れた。

 アイスグリーンの過剰光(オーバーレイ)を放つ氷の壁がメディックの前方にそびえ立ち、熱線を遮断しているのだ。壁は一辺が五十センチほどの立方体でできた無数の氷で構成され、隙間なく組み合わさっている。

 

「リキュ────ル!」

「《モロゾフ・カクテル》!」

 

 心意技の防壁を作り、メディックに肩を貸しながら後退し始めるキューブの大声を受け、柱の上に立つリキュールは愛銃《デカンター・ショット》を肩に掛けると同時に必殺技を発動し、その両手に酒瓶が一本ずつ生成される。

 酒瓶を逆さに、先端近くの細い部分に握り直してから、右腕を振りかぶって一本目を投げる。回転する酒瓶は放物線を描き、キューブの発生させた氷の壁を越えると、そのまま必殺技を発動し終えたソーラーの足元近くに落下し、中身が割れると同時に火の手が上がった。

 

「チッ……!」

 

 追撃を阻まれて舌打ちするソーラーをよそに、リキュールは間髪入れずに二本目の酒瓶を、一本目と同じ場所に投げ込んだ。

 

「そういうことか……! ミラ、下がって!」

 

 絶妙なコントロールで飛来する酒瓶に気付いたソーラーが、目の色を変えてミラージュに退避を促し、自身も逃走を開始する。

 すぐに二本目が燃えている地面に投げ込まれると、炎は爆発的に勢いを増し、周囲を赤く染め上げた。

 リキュールの必殺技《モロゾフ・カクテル》は、簡潔に言うと火炎瓶のことである。酒瓶が割れると直後に発火し、二本を別の敵にぶつける、同じ場所に投げて炎の勢いを増加させるなどで、攻撃だけでなく陽動や進路の妨害にも使用できるのが利点だ。

 先程ミラージュの隠れていた建物に向けて撃った《イグナイト・バズーカ》のように、蒸留酒(リキュール)の名を冠する彼女は射撃の他、アルコールによる引火を用いて戦うバーストリンカーである。バーテンダーじみたその軽装故に自身の耐久力こそ低いものの、一撃の瞬間的な攻撃力はアウトローの中でも上位に食い込む。

 そんなリキュールは二本目の火炎瓶を投げてすぐにキューブ達と合流し、手頃な場所にあった建物の一つに入り込んだ。

 

「ふぅー……助かったわ、キューブちゃん、リキュールちゃん」

「メディック、残りの体力はどうなってんのー……?」

「うーん……四割を切ってる。さっきの技で一気に半分持ってかれちゃったわ。多分だけど、あの太陽モドキの強化外装がブースターかバッテリーの役割もしているみたいね。いま思えばあたし達との戦闘の合間に、自分の装甲の光を当てていたし」

 

 キューブが心配そうに状態を窺う中、極大の熱線によって全身が黒く焦げ、装甲の一部はひび割れや融解さえしているメディックは座り込んではいるが、相手の分析をできる余裕は残っているようだ。

 

「あれだけの威力はそう連続には出せないはずだけど、体に直接装備し始めたから、それだけでエネルギーをリチャージしているかもしれないわね。もうネタが割れた以上、こっちを撹乱する以上に幻覚系の技は使わないでしょうけど……いずれにせよ短期で決着を着けなくちゃだわ。はぁ……あそこで不意打ち食らっちゃうなんて、あたしもまだまだねぇ」

 

 反省気味に首を振るメディックを、リキュールには責めることなどできなかった。リキュールもまた、あの時構えた銃の引き金を引くのに、少なからず躊躇を覚えたからだ。

 本来ならソーラーが動いた時点で、脚を撃ち抜くべきだった。相手は自分の体の動きに関係なく攻撃可能で、そもそも幾度も光を発していたのだから、両手を挙げていたところで不意打ちを仕掛けるにあたって支障はないのだ。それが分かっていて、それでも撃てなかったのは、彼女らの境遇に少なからず同情してしまったからに他ならない。

 

「あの人達も、必死なんですよね……」

 

 口に出さずにはいられず、自分に言い聞かせるように呟くリキュール。だが、すでに腹の内は決まっていた。

 

「……まぁね。あちらさんにも事情はあるみたいだけど、それでもあたし達が負ける理由にはならないわ」

「難しいとこだよねー……。でもそのへんは倒してから考えるしかないでしょ」

 

 メディックもキューブも同様の考えらしい。

 相手が負けられない戦いに挑んでいるとはいえ、それで手心を加えることは相手にも、何よりこれまで戦ってきた自分の積み重ねたものに対する侮辱でしかない。

 違う考えを持つ者はいくらでもいるのだろうが、この加速世界で生きる為に少なからず他のバーストリンカーを蹴落としている以上、リキュールはそう考えることは間違いではないと信じていた。

 メディックが場の空気を切り替えるように、パンと音を立てて両手を軽く合わせる。

 

「それじゃ、モタモタしている暇もないことだし、作戦会議といきましょ。目には目を、心意には心意を。二人共、どんな技が使えるのかしら?」

 

 

 

 手早く済ませた話し合いの末、作戦は決まった。後は実行あるのみ。

 この作戦が成功するか否かの大役を担うことになったリキュールは、緊張しつつも迷うことなく足取りを進めていた。おそらくは、この心意技が当たりさえすれば勝敗は決する。

 問題は相手の片割れであるミラージュの幻覚技によって、回避されてしまうかもしれないことだ。

 心意技を初めに教えられた者は、ほとんどがその威力を目の当たりにすることで、使えばその時点で勝敗が決すると思ってしまうが、それは大きな間違いである。

 心意技は《心の傷》から生み出され、絶望などの負の感情を基にした負の心意は、使用者の精神に悪影響(実際に使用者がどう捉えるかはともかく)を及ぼす。

 傷を受け入れたり乗り越えることで発生する、希望などの正の感情を基にした正の心意でも、技の威力、発動速度、射程範囲、命中精度、持続時間のいずれかに偏りが見られる。それは人間の心が明確な形を持たない、不安定で不定形なものである以上、当然のことでもあった。

 要するに心意技はブレイン・バーストにおいて、事象の上書きというシステムの領域に足を踏み入れた強力な力であっても、万能ではないのだ。

 先程までミラージュが発動させ続けていた幻覚の心意技にしてもそうだ。持続時間とこちらの五感のほとんどを欺いていたことこそ驚嘆すべきものだったが、結果だけで言えば、ソーラーの立ち位置を誤認させていただけに過ぎない。

 こちらの(あずか)り知らない意図があったのかまではリキュールには分からなかったが、例えば周りの建物が迫ってきて、自分達を押し潰そうとする幻覚を見せれば、ソーラーを攻撃するどころではなかっただろう。

 リキュールの心意技は弾丸として形作られるものなので、発射した弾丸を回避されればそれまでだ。今回確実に当てる為には、標的が本物であるかを確認する役目が必要になる。今回その役目を務めるのはキューブだ。

 炎に遮られ一度は退いたソーラーとミラージュはすぐに見つかり、キューブとの交戦に入ったのを、リキュールはそれが見える建物の二階の陰から見守っていた。

 

「そーらっ!」

 

 キューブが再び両手を立方体の氷で包み、ソーラーの前に出たミラージュにラッシュを仕掛けていく。

 だが、強く押されればそのまま折れてしまいそうなほどに細く、おおよそ物理戦闘が不向きな見た目とは裏腹に、ミラージュはキューブのパンチを両腕でのガード体勢を取りながら、これに耐えていた。緑系なので防御力が高いということもあるのだろうが、上手く体を揺らすことで衝撃を逃がしているらしく、その様子は積雪の重量にも耐えうる、柳の柔軟なしなりを思わせた。

 

「シィッ……!」

 

 ミラージュも受けに徹するだけでなく、鋭く尖った指の付いた細長い腕を伸ばしては、鞭のように振るってキューブへの応戦を開始する。

 そんな中でソーラーは二人の戦いを見ながらも、あちこちに目を向けてリキュールとメディックの不意打ちを警戒しているようだった。

 メディックの言っていたように強力な熱線を撃たないのは、エネルギーのチャージする関係もあるのだろうが、キューブと接近戦をしているミラージュを巻き込んでしまうからだろう。

 今ならソーラーを狙えるだろうかと、リキュールが考える中、戦況が変化を見せ始めた。

 

「《ファントム・ミラージュ・スクリーン》……」

 

 ミラージュのローブの袖口から薄い緑に色づいた靄が噴き出し、ミラージュの輪郭が揺らめき始める。靄が周囲へと一気に拡散すると、キューブの目の前にいたミラージュが消えていた。それだけでは終わらない。

 

「おぉ~……」

 

 周りを見渡して驚くキューブを中心に、何人ものミラージュがどこからともなく出現しては、キューブを取り囲んでいく。明らかに幻覚系の必殺技。効果がすぐ近くにいたキューブ一人ではなく、身を隠して距離を取っているリキュールにも及ぼしていることから、景色自体を欺いていると考えられる。

 ミラージュ、つまり蜃気楼とは本来、大気中に二つの異なる温度の層が形成され、空気密度に極端な差が生まれた結果、光が屈折することでその場にある物体が浮き上がったり、逆さまになって見える自然現象の一つである。

 しかし、あの靄程度で光が捻じ曲がるほどの異なる温度層を作られているとは思えないので、この必殺技は蜃気楼の語源となる『大蛤(おおはまぐり)が吐き出す息によって楼閣を作り出した』という逸話を基にしているらしい。

 要は現実の自然法則を無視して生み出された幻影で、おそらくは効果時間の終了までは、仮に《モロゾフ・カクテル》を投げ込んだとしても、幻影が消えることはないのだろう。

 何よりキューブの援護をしてしまえば、自分の居場所が割れる可能性が高くなるので、心苦しいが助けには入れない。

 キューブを取り囲んだミラージュの群れが、一斉に腕を振るってキューブへと殺到していく。

 正体を見極めようとキューブが氷を右足に纏い、その場を一回転して下段蹴りを繰り出したが、蹴り足はミラージュ達をすり抜けるだけだった。

 にもかかわらず、再び振り回され始めたミラージュの腕の鞭は、互いに絡み合ってキューブの体のあちこちに当ると、キューブを傷付けていく。どうやら実体も混じっているらしい。

 そんな戦況の中、ソーラーが腕を前方に突き出して両手を組み、背部に付いた球体が再び光を放ち始めていた。

 ミラージュ諸共にキューブを攻撃するのかとも考えたが、先のパートナーの身を案じていた様子から、リキュールはすぐに思い直す。おそらくタイミングを見計らって必殺技を発射する算段なのだろう。ならば、こちらが狙う相手はソーラーだ。

 ──タイミングは彼女が発声を開始した直後。大丈夫、決められる。一人じゃないんだから……。

 リキュールは一度だけ深呼吸をして、銃を構え直す。

 その時は十秒も満たない内に訪れた。

 

「《マキシマム──」

 

 ──今! 

 全神経を集中させたリキュールの耳にソーラーの声が届くと、リキュールは建物の陰から出て狙いを定め、心意技を放とうとする銃が淡い光に包まれ始めた、その瞬間。

 ソーラーが体を方向転換させて、伸ばした腕をこちらへと向ける。その顔がにやりと笑ったのを、リキュールは確かに見た。

 ──ブラフ……!? 

 自分達のことが見えるどこかに、こちらがスタンバイしているのを見抜いていたソーラーは、炙り出す為に必殺技を発動するように見せかけたのだ。事前にこちらがその威力を見ている以上、何かしらの動きがあると踏んでいたのだろう。その読みは見事に当たっていた。

 

「《マキシマム・ソーラー・レイ》!!」

 

 勝ち誇るように高らかに必殺技を叫ぶソーラー。

 建物ごと破壊できる威力のある熱線を受ければ、脆弱な耐久性の自分が数秒で蒸発することはリキュールには分かっていた。──そして、メディックがこの状況を読んでいたことも。

 

「《ファーストエイド・バンデージ》!」

 

 どこからともなく伸びてきた真っ白な包帯が、ソーラーの頭部に巻き付いた。

 

「ムグゥ!?」

 

 驚くソーラーをよそに、包帯の伸びた先を握るメディックがぐいと引っ張ると、繋がっているソーラーの狙いは外れ、見当違いの方向に発射された熱線は遠くの岩壁を削っただけで終わる。

 

「散々惑わせてくれたお返しよ」

「《千鳥足(ハング・オーバー)》!」

 

 メディックが得意げに言い放つと同時に、リキュールの発射したワイン色に輝く弾丸が、ミイラよろしく包帯で頭をぐるぐる巻きにされたソーラーの腹部に命中した。

 

「ソラ……!?」

「おーっとっとっとー、油断しちゃ駄目だよー」

 

 すでに必殺技の効果が消え、窮地のパートナーに気を取られたミラージュの隙を、キューブは見逃さない。

 

「《コメット・ストライク》!」

「がっ……!」

 

 必殺技によってキューブは氷の塊と化すと、彗星の如き速度でミラージュに突撃し、()ね飛ばされたミラージュは錐揉み状に回転しながら地面に落下する。

 倒れ伏すミラージュに、リキュールはソーラーと同じように心意の弾丸を撃ち込んだ。

 

「何を……した、の……?」

 

 訊ねるミラージュの声に力がなくなっているのは、キューブの必殺技と銃弾に撃たれたダメージよるものだけではない。

 

「ウ~……(ふぁな)せ~~……」

「よいしょ、よいしょ……。お客さん飲み過ぎよ~……なんて。ホントはこういう風に使う技じゃないんだけどね」

 

 包帯の端を握るメディックが、その先に繋がるソーラーをずるずると引き摺って移動する中、包帯頭のソーラーが呂律の回らない舌で喚いている。

 それもそのはず、ソーラーは、そしてミラージュも現在、リキュールの心意技によって酩酊状態に陥っているからだ。

千鳥足(ハング・オーバー)》は、平たく言うと撃たれた相手を泥酔させてしまう心意技で、未成年であるバーストリンカーに、アルコールに対する耐性はほぼ皆無といっていい。体力を削る毒とも、体を痺れさせる電撃とも違う未知の状態異常に、彼女達が抗うすべはなかった。

 

「さぁ、畳みかけるわよ」

 

 メディックがぐったりとしたまま立ち上がれないミラージュの元までソーラーを運ぶと、握っていた包帯を手から離す。そうして、黒焦げになっている腰周りのアーマーにセットしてある、卵型の手榴弾を引っ張り出しては並べ始めた。

 キューブとミラージュの交戦中に、生成した手榴弾をストックとして保管していたのだ。この状態で反撃を食らうと場合によっては、その拍子に誤爆するおそれがあるので滅多に使わない手だと、リキュールは以前にメディックから聞いたことがある。

 やがて、全ての手榴弾を並べ終えたらしいメディックがその場から離れていく。

 後はリキュールが最後の役目を果たすだけだ。

 メディックのゴーサインを確認したリキュールは、地面に転がる手榴弾の一つに向けて発砲した。すぐに身を翻して建物の奥へ跳ぶと、連続した爆発音が響き渡る。

 音が止んでから、建物の床に突っ伏したままリキュールが振り向くと、サンシャインイエローと柳色、二種類の光の柱が屹立し、二人のバーストリンカーが死亡したことを知らせていた。

 



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第五十話

 第五十話 玉座の間

 

 

「……ごめんなさいね」

 

 メディックは少しだけ申し訳なさそうに、目の前の寄り添い合っているようにも見える、二つの死亡マーカーに向けて謝った。

 

「ちょっと小ずるい戦い方になっちゃったけど……でもそこはお互い様。もし今度会った時は、心意技なしでやりましょう」

 

 きっとソーラーとミラージュにとっては、開戦当初から心意技を使うほどに重い一戦だったのだろう。だが、だとしても負けてあげるという選択肢がない以上、こちらとしても勝利する為に心意技を用いて対抗したのだ。

 

「今回は二人にかなり助けられちゃったわね」

「そんな! メディックさんがあの人達の策を見抜いていなかったら、勝てませんでしたよ」

「そーそー、三人いたから勝てたんだよー」

 

 ダンジョンの奥へと歩き出したメディックが隣を歩くリキュールとキューブ、ブレイン・バーストにおける後輩達を褒めると、それぞれが謙遜を見せる。

 

「何言ってるのよ、もー。心意技だって、しっかりと実戦で使えていたじゃない。二人共、自分のデュエルアバターの特色を活かした良い技だったわ。もっと胸を張りなさいな」

 

 オーガーがアウトローに加入する少し前にレベル6になった二人に、メディック達は心意システムの存在を教えた。

 心意システムについて知る者は極々少数ながらも存在している為、その相手と対戦ないし、無制限中立フィールドで交戦した際に使われた時の自衛手段として授けたのだ。

 

「そー言えばさ、オーガーの心意技はどんなものなんだろうねー? 結局バタバタして聞けずじまいだったけどさ」

 

 そう言ってキューブが首を傾げる。

 本来はヘルメス・コードでの一件で心意システム暴露を受け、止む無くその翌週のアウトローの集会で、オーガーに心意システムについて教える予定になっていた。

 これは憶測の流布や情報の錯綜などで、オーガーが混乱してしまう可能性を防ぐ為でもあったのだが、それよりも前にオーガーは自力で心意技を発動し、暴走まで引き起こしてしまっていた。

 それを聞いた時はメディックを始めとした数人は、すぐにでも心意技を制御するようにさせるべきだと主張したが、オーガーの《親》であるボンズはそれに待ったをかけ、自分に任せてほしいと懇願をしてきた。

 その後、無事に心意技を修得したという、オーガーの変わらぬ雰囲気と振る舞いに、仲間達は大いに胸を撫で下ろしたのだった。

 

「そうねぇ、ボンズちゃんが付きっきりで指導したらしいし、それなりのものでしょうね。もしかすると、今回それを見る機会もあるかもしれないわ。それにしても……オーガーちゃんもそうだけど、他の皆は無事なのかしら……?」

 

 おそらくは自分達と同様に、エピュラシオンのバーストリンカーと接触しているであろう仲間達のことを心配しつつ、メディックは胸の内で静かに無事を祈った。

 

 

 

 時はゴウがコロッサルの相手を大悟に任せ、奥へと進んだ頃。

 長い階段を下った先にあったのは、天井まで届く巨大な両扉だった。ゴウがここまでこのアトランティスを進んできた中で、一番大きな扉だ。

 見た目に違わない威圧感が発せられているその扉に、ゴウはためらわずに手を当てる。すると、扉は完全には開き切らないものの、どんな巨漢のアバターでも入れるであろう幅まで、音もなく開いた。

 扉をくぐったその先は、広大かつ豪奢な大広間だった。

 高い天井に吊り下げられた大小様々のシャンデリアを始め、壁面はきらびやかな柱や芸術的な装飾が施されていて、複雑怪奇な模様の刺繍がされたタペストリーが等間隔に並んでいる。大理石の床は鏡のように磨き抜かれ、極め付けには部屋の入口から奥までの一直線にレッドカーペットが敷かれていた。

 何から何まで豪華絢爛な空間に息を呑むゴウだったが、一つだけ不釣合いな物があることにすぐに気付いた。それはレッドカーペットの先、数段の段差を挟んで据え付けられている古ぼけた玉座だ。全体は長い年月をそのまま放置され続けた末に、くすんだ青銅を思わせる。

 そんな高い背もたれの玉座に腰かけているのは、金属質の光沢を帯びた青灰色をした、一体のデュエルアバター。真正面の扉が開かれているというのに、うなだれたまま微動だにしないその者に向かって、ゴウは歩みを進めていく。

 ゴウが玉座の前の段差で足を止めると、玉座に座るデュエルアバターがようやく顔を上げた。縁をいくつものリングによって顔面に固定している、何の装飾も模様も施されていない無貌の仮面。だが、その仮面の下からは確かな視線が感じ取れる。

 

「…………貴様か」

 

 ゴウを見るや、前と変わらない青年とも壮年男性ともつかない軋んだ声で迎える、エピュラシオンの首魁であるプランバム・ウェイトに、ゴウは怯まずに問い詰めた。

 

「プランバム・ウェイト……。ここで何をしているんだ? このダンジョンの《秘宝》は一体──」

「それならば、既に手に入れた」

 

 ──やっぱり……! 

 ゴウは内心で大きく動揺しても、それをおくびにも態度には出さなかった。プランバムが玉座に座っているのを見た時点で、そのくらいの推測は立つ。だが、想定されていた一つのケースとはいえ、こうなってしまえば事態は今日一日での解決は望めないだろう。

 

「……だったら、仲間をダンジョンのあちこちに散らばらせて、自分はふんぞり返っている理由は何だ。目的を達成したなら、ここにはもう用はないだろう?」

「…………今の私は意識を強く集中することで、このアトランティス内にいる全てのバーストリンカーの存在を、おぼろげながらに感じ取ることができる。方々へ配置した同胞達が、貴様らアウトローと同じ空間に今もいることもだ」

「……?」

 

 ゴウの話を取り合う気がないのか、プランバムは脈絡なく話を始める。

 アウトローの仲間達が先程までの自分と同様に、エピュラシオンのメンバーと交戦状態になっているというのは、コロッサルとの会話で分かっていた。しかし、プランバムがその様子をこの場で感じ取っているというのは、にわかには信じ難い話だ。そんなずば抜けた範囲の感知能力を持つバーストリンカーの存在を、ゴウは聞いたことがない。

 

「もっとも、これはあくまで《秘宝》の副産物に過ぎない上に精度も然程(さほど)高くはない。先程までコロッサルと交戦し、それからここに辿り着いた者が誰かであるかも、知ったのは直接貴様を目にした今のことだ。……貴様の代わりにコロッサルと交戦しているのは何者だ?」

「……アイオライト・ボンズ」

「ふむ……そういうことか」

 

 ゴウの答えにプランバムは自らの顎下に手を当てると、得心したように呟いた。

 

「それで貴様がここに来たという訳か。コロッサルであればそう判断するだろう。ならば、私も応えなければなるまい。我が大願の成就にも未だ、時が必要だ」

 

 時……つまり、まだここにいなければならない理由があるということだろうか。

 ゴウを前にして尚も座り続けていたプランバムが、ここでようやく玉座から立ち上がった。流体金属で形作られた服の袖が、動きに合わせてひらひらと揺れる。

 そんなゆったりとした動きをするプランバムは以前と同様に、プレッシャーを発し始めていた。

 

「お前は……。お前達は一体何を企んでいるんだ」

 

 否定と冷たさの混じる威圧感を受けても、一歩も引かずにゴウはプランバムを問い詰める。ここまで来ても、未だにエピュラシオンの具体的な目的が一向に分からないからだ。

 加速世界の歪み、有り様を正すとプランバムとコロッサルも口を揃えて話すが、そもそもそんなことが一つのレギオンだけで可能なのだろうか。

 かつて東京の四大ダンジョンには、《七の神器(セブン・アークス)》と呼ばれる強力な強化外装がダンジョンごとに一つ安置されていて、現在はその内の三つを七王の一部が所持していると聞く(残りの一つの在り処は不明らしい)。神器の力が所持者を王たらしめているのか、王と呼ばれる者だからこそ、神器を手に入れることができたのかまではゴウには分からないが。

 加えて晶音からは、アトランティスについて記されたアイテムを仲間と読み解く中で、アトランティスの《秘宝》を手に入れた者は絶大な力を手に入れるらしいと説明を受けたが、正直に言ってしまうとたかだか一つのアイテムによって、そんな大それた力が手に入るとはゴウには到底思えなかった。

 仮に神器級の強化外装やアイテムだったとしても、加速世界そのものをどうこうできる力があるとは考えられないのだ。もしもそんなものがあるとしたら、一人のバーストリンカーが得られる力の領分を越えている。

 

「改めて聞く。僕らがこのダンジョンに来ることを想定して、仲間達に門番をさせて、目当ての物を手に入れて、エピュラシオンはその先に何をしようとしている?」

「…………」

 

 立ち上がった場所から一歩も動かず沈黙するプランバムに、ゴウは畳みかけるように問い詰め続けた。

 

「コロッサルから少しだけ聞いた。加速世界で不当な扱いを受けている人の為に活動していると。でも、それがどうしてこのダンジョン攻略に繋がるんだ。アイテム一つで何が──」

「知りたければ」

 

 問い詰めるゴウを、何の感情も窺わせない声でプランバムは遮った。

 

「知りたければ、私に貴様の実力を見せてみろ、ダイヤモンド・オーガー。知っているだろう。このブレイン・バーストにおいて、力無き者に成し得ることなど何一つありはしないと」

 

 そう断言すると、プランバムはゴウに向けて右腕を伸ばし──。

 アトランティスにおける、新たな戦いが始まった。

 

 

 

 水没した地面から突き出ている岩が点在している場所で、コングは苦戦を強いられていた。その理由の一つは、目下交戦中の敵にとって、ここが有利な場所であることだ。

 ここは地面が平坦ではなく、あちこちが緩やかに隆起と陥没をした構造になっているので、場所によって浅くは膝下、深くは胸に届くまで水深が変化する。この《水域》ステージをより厄介にしたようなフィールドでは、ほとんどのデュエルアバターは万全の動きができないだろうが、コングの相手には関係なかった。

 

「──シャアアッ!」

 

 水面が揺らめいた数秒後にコングの左後方から、ワニの頭をしたデュエルアバター、インディゴ・クロコダイルが大口を開けたまま、水中から襲いかかる。

 

「うおっとぉ!」

 

 おそらくこの場所で水深が一番低いであろう、膝下まで水が浸かった場所で奇襲に備えていたコングは、どうにかこちらを狙う牙から逃れた。

 クロコダイルはガチンと空を咬むと水飛沫を立てて入水し、再び姿を消す。戦況はこの繰り返しが続いていた。

 最初は突き出た岩に登って、水中から襲撃を逃れようとしたコングだったが、迎撃の足場としてはかなり不安定な上に、クロコダイルの攻撃は岩を砕くのに十分な威力を持っているので、かえって隙ができて危険になるだけだった。

 しかも、潜水したクロコダイルの藍色のボディカラーは水の色に溶け込んでしまい、移動することで発生する水面の動きによって居場所を判断するしかない。完全に地の利は向こうにある状態だ。

 レベル差はコングがクロコダイルより一つ上だが、加速世界における対戦フィールドというのは、時としてその差を容易く埋めてしまうものだ。

 低温下の《氷雪》ステージは火属性の攻撃を薄めてしまうし、《暴風雨》や《霧雨》ステージはその視界の悪さから、レーザー系統の技に若干のマイナス補正がかかる。

 逆に金属に囲まれた《鉄鋼》ステージでは電撃や磁力を利用した技は強化され、《草原》ステージで使用する火を用いた技は、延焼することで本来以上の効果を発揮する(自分が巻き込まれる可能性もあるが)。

 補助効果や妨害効果のギミックを含めた、自らにとって利となるフィールド、不利になるフィールドを把握することは、バーストリンカーが勝利するのに欠かせないものなのだ。

 そういった意味で、クロコダイルがこの場所で敵を待ち受けていたのは、非常に理に適っていると言えよう。

 ただ分からないことに、クロコダイルは未だに人型のままで一向に動物形態になろうとしなかった。動物系のデュエルアバターは一定のレベルにまでなれば、大抵が《シェイプ・チェンジ》を取得する。レベル7まで上り詰めたクロコダイルが取得していないというのも考えにくい話だ。

 必殺技ゲージを温存する理由があるのか、他に作戦があるのか、いずれにせよ『今のまま』では窮地を脱することができないコングが頭を悩ませていると──。

 ザバァ、と水を滴らせながら、何故かクロコダイルが立ち上がった。水に腰元まで浸かっているクロコダイルを見てコングは首を傾げる。

 

「どうした、休憩か?」

「…………」

 

 クロコダイルは対面しているコングを睨んだまま何も言わず、長い口吻をした顔は心なしか不機嫌そうにも見える。

 

「おーい、聞いてんのかー? ……ワニさんやーい」

「………………のか」

「あん?」

 

 ぼそりと唸るような声がかすかに聞こえた。

 何を言っているのかは分からずにコングが聞き返すと、それが引き金になった。

 

「てめえは……俺を……舐めてんのかああああ!!」

 

 いきなりクロコダイルが激昂し、尾を持ち上げてから水面に勢い良く叩き付け、水柱を立たせた。

 

「うおー……おいおい、何キレてんだよ」

「うるせえ! これがキレずにいられっか!! 威勢の良いこと言っといて逃げの一手じゃねえか、ああ!?」

 

 八つ当たり気味に尻尾で水面をバンバンと叩くクロコダイルに、少し圧倒されてしまうコングは落ち着かせようと声をかけるが、どうにも火に油を注いでいるようだった。

 

「そうは言うけどよ、ここはお前のホームグラウンドだろ? こっちだって大変なんだぞ。有利な場所陣取っておいて、そりゃないだろ」

「この場所に来たのは指示されたからだ、俺の意思じゃねえ。それに俺が気に入らねえのは別にあんだよ」

 

 そう言うと、水面を叩くのを止めたクロコダイルが、短くも尖った爪の生えた指をコングに突きつけた。

 

「俺には分かるぞ。てめえが手ぇ抜いてやがることがなぁ」

「……別にそんなつもりはねえよ。ただ、ここが俺にとってのゴールじゃないってだけのことさ」

 

 クロコダイルの指摘にコングははぐらかすように頭を掻いた。どうやらこの男は粗暴な性格に見えて、きちんと観察眼も備えているらしい。

 そう、何もコングはクロコダイルを侮ってなどいないし、手を抜いてもいない。気を抜けば、大ダメージを食らうことは充分に理解しているし、苦戦しているのは本当のことだ。

 ただ、この先も戦闘があることは目に見えている。仲間の状況が分からない以上、ここで全力を出し切ってしまうわけにもいかなかった。

 だが、それこそがクロコダイルにとって逆鱗に触れたようだ。

 

「そこだよ。てめえはダメージを極力受けないようにして、俺に勝とうとしてやがる。温存してんじゃねえよ。今この瞬間、先のことも互いの立場も関係ねえ。俺とてめえ、真剣勝負をする為にここにいるんだろうが」

「…………!」

 

 その主張には、激情の中にどこか悲痛さが込められていた。まるで自分がいないように、避けられているように扱われることを、何よりも恐れている子供のような──。

 コングとしてはそれに応える義務など本来ありはしないのだが、クロコダイルの戦いにかける真摯さに対し、打算的な行動をしていたことを少しだけ恥じた。

 ──……皆、悪いな。もし勝っても、その後に役に立てないかもしれねえ……。でも、ここまで対戦に真剣な奴相手に死ぬ気でやらないなんてよ、間違いだと思うんだ。

 コングはここにはいない仲間達へ胸の内で謝罪をすると、両頬をぴしゃりと叩いて自分に活を入れる。そして改めてクロコダイルへと向き直った。

 

「俺としたことがゴチャゴチャと考えすぎてたな……。ろくにリスクも背負わないで勝とうなんてのは、虫の良い話だった。──よっしゃ、仕切り直しだ。ここからはマジでいくぜ、クロコダイル」

「……フン、良い目付きになったじゃねえか。今度は嘘じゃなさそうだ。さっきまでのことはチャラにしてやるよ、コング」

 

 コングの言葉を受けて機嫌が治ったらしく、クロコダイルはアイレンズをギラギラと輝かせていた。その随分と単純な性格にコングは苦笑する。

 そのまま向き合って動かない両者。しばしの間、その場を静寂が包む。

 そして、何を合図にすることもなく二人は同時に叫んだ。

 

「「──《シェイプ・チェンジ》!!」」

 



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第五十一話

 第五十一話 男二人、(けだもの)二匹

 

 

 それぞれが異なる色の光に包まれながら、コングとクロコダイルは人ならざる姿へと変化していく。

 水に浸かるコングの両脚が少しだけ短く、されどより太く。がっちりとしたブーツ状の足の爪先が五本指に分かれ、接地面積が更に広がる。両肩が盛り上がり、元々逞しかった二の腕が二回り以上大きくなる。胴体も腕と同様、全体的に肉厚になり、骨格が人間とはやや異なる類人猿のそれと化した。

 対するクロコダイルはそれ以上の変貌を遂げていた。

 水中に体を半分近く沈め、頭部がより大きくなると同時に、首は頭と肩との境界が曖昧になるほどに肥大化していく。胴体と尻尾がより太く、長く伸びて、鱗状の装甲が隆起したその風貌は、知らぬ者から見ればエネミーと見間違えるかもしれない。

 

 ──トプン。

 

 先に仕掛けたのはクロコダイルだった。ほとんど音を立てずに潜水すると、水面を波立たせてコングへと直進する。

 襲撃のタイミングを寸前まで確定させない行動であることは承知の上であるコングは、全感覚を研ぎ澄ませてこれに備えた。

 水面から大顎が飛び出すコンマ数秒前に、先読みしたコングは水の抵抗を受けながらも、クロコダイルの左側面へと素早く回り込む。

 

「──フゥンッ!」

 

 コングは振り上げた両腕を、クロコダイルの無防備な首元へと思いきり叩き込んだ。だが──。

 

「グル……!」

 

 並みのデュエルアバターの装甲なら、容易く陥没させるコングの豪腕による一撃を受けたのにもかかわらず、小さく唸るクロコダイルの装甲には、わずかな凹みができただけだった。

 ──硬ってえ……! 

 むしろコングの方が打ち付けた両手に若干の痺れを覚える中、Uターンをしたクロコダイルが再度迫る。とっさに体を捻らせたコングだったが、今度は回避し切れなかった。

 

「グアッ……!」

 

 体に牙が突き立ったことを感じた瞬間に、コングに激痛が走る。クロコダイルがそのまま通り過ぎてから傷の具合を確認すると、左側の横腹の一部が無残に抉り取られていた。

 

「この状態の初撃を躱されたのは久々だったぜ」

「そりゃどうも……──!?」

 

 体の半身を水面に覗かせたクロコダイルからの賞賛に、軽口で返そうとしたコングだったが、目を見開いた。自分が一撃を与えたクロコダイルの首元の傷が、ゆっくりと修復していくのだ。その様を見たコングは、すぐにその答えに辿り着いた。

 

体力吸収(ドレイン)系のアビリティ……。そうかお前、俺の……」

「察しが良いな。そうとも、敵の体を噛み千切り、喰らうことで体力を回復するアビリティ、《捕食咬(プレデター・バイト)》だ」

 

 ブレイン・バーストにおいて、体力回復という行為は非常に希少なもので、故にそのアドバンテージは対戦相手にとって大きな脅威となる。何せ向こうは傷付いても回復できるのだから、痛み分けになっても最終的なダメージの比率は、基本的にはこちらの方が高くなるのだ(互いに与えるダメージの差もあるが)。

 頑丈な装甲と相まって、かなり厄介な相手にコングは歯噛みする。

 ──噛み付き以外の攻撃なら回復しないのは幸いなんだが、長期戦はヤバいな……。

 

「まさか、エネミーでもない奴に食われるなんて思いもしなかったぜ」

「そら、休んでる暇なんかねえぞ!」

 

 戦略を立てる間を与えまいと、クロコダイルが再び突進してくる。愚直に噛み付きを行うことこそが、自分にとってベストな戦法だと分かっているようだ。

 だが、コングとて幾度も死線や窮地を超えてきたハイランカー、やられっ放しになる気など毛頭ない。

 回避後に急いで近くにあった岩に登り、コングはすぐに水中へと飛び込んだ。クロコダイルを視界に捉えると、飛び込みの勢いも利用して、力強く水を掻く。そのままクロコダイルの下へと潜り込むと、そのままクロコダイルを真下から一気に持ち上げた。

 ゴリラ形態になったことで大きくなった手で、がっちりとクロコダイルを掴んでいるコングはそのまま岩に叩き付けようと試みるが、これが結果的には悪手だった。

 

「《スケイル・ツイスター》!」

 

 やや短くなった手足をぴったりと体に付け、口吻から尾の先端までがピンと直線になったクロコダイルが、瞬時に高速回転を始めたのだ。その勢いにコングは掴んでいた手をあっさりと引き剥がされる。

 それだけに留まらず、藍色の竜巻と化したクロコダイルは、その鱗状の装甲でコングに接触した部分を容赦なく削り取り、縦向きになりながら水を巻き込み、膨れ上がっていく。

 装甲と体力が削られたコングは水と共に巻き込まれ、最後にはあらぬ方向へと放り出された。

 

「くあ~……。今のは効いた──あ?」

 

 水面に叩き付けられて呻くコングは、クロコダイルの姿が見当たらないことに気付いた。先の必殺技で見渡す限り水面はひどく波立ち、視覚での居場所の判別は不可能だと判断した次の瞬間。

 

「──シャアアアアアアアア!!」

 

 コングが背後を振り返ると、大口を開けて水中から飛び出したクロコダイルが避ける間もなく右肩にがっちりと噛み付き、その勢いのまま水中へと押し倒された。

 コングは自身が動物型のアバターであることもあって、己のアバターのモデルであるゴリラを始めとした、動物の生態についてある程度の関心と知識を持っている。その中にはワニも含まれ、この体勢が非常にまずいことも十分に理解していた。

 強力な咬合力を備えた大きな頭部を持つワニはその体の形態上、捕らえた獲物を前肢で押さえることができない。その為、一口で収まらない獲物は自らが回転することで、その体をバラバラに引き千切るのだ。この習性はワニのツイスト、あるいは死の回転(デスロール)と呼ばれて恐れられている。

 クロコダイルがそれを実行するであろうことを、瞬時に悟ったコングの取った行動は、耐えるのでも顎をこじ開けるのでもなく、反撃だった。

 

「《ドラミング・ビート》!」

 

 水の抵抗も、食らい付いたクロコダイルも関係なく、コングが胸を両手で叩き始めると、ポコポコポコポコ! と軽快な太鼓のリズムが水中に鳴り響いた。

 同時にコングを中心に、全方位に発生した音の衝撃波がクロコダイルを襲う。

 

「ゴッ、ゴゴッ、ゴゴゴゴゴゴゴアアッ!?」

 

 堪えていたクロコダイルだったが、衝撃波の発生源であるコングに直接触れていることで全身を振動にめった打ちにされ、ついに牙を離して周囲の水より少し遅れて吹き飛ばされていく。

 その後も、周りの全てを弾く衝撃波を発する陽気な音をしばらく奏でていたコングは、ようやく手を止めて起き上がった。元の場所に戻ろうとする水が体にぶつかる中、確認した右肩の装甲には痛ましいヒビが走っている。もう数秒遅かったら、あの万力のような顎に装甲を噛み砕かれ、右腕ごと()じ切られていたかもしれないと、コングは肝を冷やした。

 

「へへ……。ざまあ見やがれ、ワニ公」

「──やるじゃねえか」

 

 コングの声に反応して、ぷかりとクロコダイルが水面から顔を出す。

 

「普通の奴は俺に噛み付かれたら、必死に引き剥がそうとするんだがな」

「そしたら肩ごと持ってかれるだろ? あれだけ深く噛まれたら、こっちからじゃ外せねえよ」

「正解だ。だが、まだまだ俺が有利だぜ。衝撃に吹っ飛ばされはしたが、ダメージは大したことねえ」

「だろうな」

「あ?」

 

 コングは強気な姿勢のクロコダイルに向けて頷いてみせると、クロコダイルが不可解そうな声を出す。

 

「俺はもうノッてるからな、覚悟しやがれよ。今度はこっちの番だ」

 

 そう言うとコングは思いきり息を吸い、胸を張る。数秒の溜めの後、顎が外れんばかりに大きく口を開けると、この場所全体を揺るがす大音量の咆哮を轟かせた。

 

「──ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 誰よりも近い場所で《野生の咆哮(ワイルド・ロアー)》の由縁を目の当たりにしたクロコダイルは、大音量が体にビリビリと当たる中、歓喜に身を震わせていた。

 

「おぉ……! おお!! 何だよ、オイ……(たぎ)るじゃねえか!! ──シィィィィャャアアアアアアアアアア!!!」

 

 負けじと空気を切り裂く叫びを発するクロコダイル。

 吼える二匹の獣の内の片方、先に動いたクロコダイルがジェットスキーさながらの速度でコングに襲いかかった。

 幾度目かの大顎が迫る中、コングは肩の痛みを無視して両腕を高く持ち上げると、自分の鳩尾まで届いている水に向けて、渾身の力を叩き付ける。すると、半径数メートルの範囲の水面が大きくたわんだ後、水飛沫に変じて全方位に弾け飛んだ。明らかに、先程クロコダイルに打ち込んだ一撃よりも威力が増しているその理由は、先の《ドラミング・ビート》によるものである。

 至近距離に存在する、全てのものを吹き飛ばすほどの音の衝撃は、あくまで副次効果に過ぎない。本来の効果は自身に向けての支援効果、身体ステータスの一時的な強化である。

 水による移動の阻害も解消したコングは、拳を地に着けたナックルウォークで走り出した。水飛沫のカーテンを突き破るクロコダイルの元まで、その見た目からは想像もできない速度で一気に到達すると、拳を地面から離して立ち上がり、下から掬い上げるようなアッパーカットを放つ。

 

「ムン!」

「なっ──ゴオッ!?」

 

 

 今まで突き進んでいた水が途切れていること、コングが自分の目の前にいることにようやく気付いたクロコダイルは、下から襲来する拳が下顎にクリーンヒットし、地面と平行状態だった体を大きく仰け反らせた。

 仰け反ったことで露わになった無防備なクロコダイルの腹部に向けて、コングは腕力だけでない、腰の捻りも用いたラッシュを何発も打ち込んでいく。当然ながらクロコダイルの腹部にも装甲はあるものの、異常に硬い体の上半分に比べれば幾分か薄い。

 

「ゴボボ──ゴォ……オォアッ!!」

 

 藍色の装甲を散らばらせながら、苦悶の呻き声を上げていたクロコダイルが、弾かれていた水が戻り始める中で体勢を立て直すと、長い尻尾を鞭のようにしならせ、お返しとばかりにコングの頬を張った。

 鞭どころか、丸太がぶつかったのではないかと錯覚するほどの衝撃に、首が折れそうになるのを歯を食いしばらせて耐えたコングはクロコダイルの尻尾を掴み、力任せにぶん投げた。ここで《ドラミング・ビート》の効力が消えたが、そのまま休むことなく投げた方向へと泳いでいくと、すぐに水深が下がっていく。

 そこは先程までコングが陣取っていた、この場所で一番水深の浅い所だ。変身によって足が少し短くなった分、水は膝上よりやや高めの位置にまで届いているが、この程度の深さなら存分に動くことができる。

 

「《マッドネス・ダンス》!!」

 

 コングは先とは異なる必殺技を口にするとクロコダイルに迫り、水面を撫でるように振るわれる尾の一撃を跳躍で避けると、前蹴りをクロコダイルの背中に当てる。

 

「シャッ!」

 

 そんな蹴りなど効かないとばかりに身を翻したクロコダイルの牙を避け、コングは更に両腕でエルボードロップをクロコダイルの背中に落とす。

 ──まだまだ、もっと……。

 それからしばらく、回避しながら攻撃を当てるコングに、クロコダイルが苛立たしげに反撃するという構図が続いた。だが、コングの攻撃はほとんど効いていない。頭部から背中にかけての、クロコダイルの装甲が特に頑丈な部分にしか攻撃していないからだ。

 その癖、その場から逃さないようにどこか大げさに動き続け、必殺技を口にしたのに何も起きない状況を、クロコダイルはどう対応するか図りかねているようだった。そして、戦況は再び動き出す。

 ──そろそろいくぜ。

 必殺技を叫んでから数十秒後。コングが踵落としをクロコダイルの背中に入れると、踵が当たった箇所が大きく凹んだ。

 

「ゴオッ!?」

 

 それまでものともしなかった箇所へ、看過できないダメージを与えられたことに驚愕するクロコダイルは、すでに素早く攻撃範囲から下がったコングを睨み付けた。

 

「てめえ何を──」

「へへ、種も仕掛けもありまくりってな!」

 

《マッドネス・ダンス》の効果、それは発動することで必殺技ゲージが徐々に減少し、絶え間なく動きながら攻撃を当てていくことで、繰り出す攻撃の威力が増していくというもの。

 欠点としては、発動中は他の必殺技との併用ができないこと、攻撃力は体力ゲージを持つ存在、つまりはデュエルアバターやエネミーに当てなければ上昇しないこと、ある程度の動きがある動作をし続けなければ、効果が消えてしまうことが挙げられる。それ故にコングは発動後、常に踊るように動いているのだ。

 クロコダイルの装甲が強固な部分、逆の見方ではダメージに鈍いとも取れる部分を敢えて攻撃し、加えて攻撃威力の上昇を勘付かれないよう、これもまた敢えて加減をしてコングは攻撃を続けていた。そして何度目かの攻撃で再び全力を出し始めたことで、クロコダイルにはいきなり攻撃の威力が跳ね上がったように感じられたのである。

 そのまま一気に攻勢に転じるコングの攻撃は、ヒットするごとに威力を増して、クロコダイルの体にダメージを与えていく。

 突き、蹴り、肘打ち、膝蹴り、体当たり、頭突き。あらゆる攻撃を繰り出す大猿の戦舞に、水辺において食物連鎖の頂点に位置する鰐が圧倒されていくという、自然界ではまず有り得ない光景が広がっていた。

 水の深い場所に移動さえもさせないコングの連撃を受けるクロコダイルが、怒りにアイレンズを大きく見開き、牙を剥いた。

 

「《スケイル──ぐぶぉ!」

 

 必殺技の発動を許さずに、コングはクロコダイルの腹を蹴り上げる。

 その威力に息を詰まらせたクロコダイルは必殺技の口上が止まり、くの字に折り曲がりながら宙高く舞った。

 それでも尚、獰猛な捕食者の眼は死んでいなかった。重力によって落下が始まる前に、大きく口を開けて吼える。

 

「《ハングリー・クラッシュ》!!」

 

 クロコダイルの大きく開かれた上顎と下顎、その延長線上に半透明の藍色をした光が広がり、巨大な(あぎと)が形成されていく。コング諸共、周囲を丸ごと呑み込もうとクロコダイルが下を向き、牙がずらりと並んだ口を一息に閉じようとした──その時。

 クロコダイルのアイレンズに今日一番の動揺が浮かんだ。自分を蹴り上げ、真下にいたはずのコングがいないのだ。クロコダイルが何故だと戸惑う前に、すぐに答えの方からやってきた。

 

「──ァァァァアアアアアアアアアア!!」

 

 地上から離れているクロコダイルより更に上、落下するコングが声を張り上げながら、クロコダイルへぶつかった。この拍子にクロコダイルの必殺技はキャンセルされる。

 コングはクロコダイルを蹴り上げた時、すぐに近くにあった岩の一つによじ登ると、一息に跳躍したのだ。その理由はクロコダイルの必殺技を回避ではなく、とどめの一撃を決める為。

 コングは落下によりクロコダイルの体を水平の状態にすると、硬い鱗が並ぶ長い背中に両膝を乗せ、左手で尾の中程を、右手で口吻をがっちりと掴んだ。

 

「グウウウウウウ……!!」

「お前のアゴの力は半端じゃないけどな、俺の握力だって中々のもんだろ!」

 

 コングは自慢げに叫ぶと、更に両腕を曲げて力を込めていく。

 これにより、掴まれているクロコダイルの体がエビ反り状態になっていった。口を閉じられ、唸り声しか出せないクロコダイルに必殺技は出せず、人型に戻ったところで、完璧にホールドされているこの状態ではどうすることもできない。

 

「これぞ名付けて……えーと……そうだ! コング・バスタ────ッ!!」

 

 即興で技を名付けたコングは、尚も手足をばたつかせて抵抗するクロコダイルを下敷きにして地面へと着地した。あまりの落下の勢いに水はほとんどクッションにならず、飛沫と水柱に変じる。

 衝撃がクロコダイルの腹を打ち、その背骨を砕いたのをコングは感触で確信した。口吻を掴んでいた右手を離した瞬間──。

 

「ぐっ!?」

 

 クロコダイルが、それまで掴まれていたコングの右手に向かって首を捻った。

 とっさに背中から降りて避けようとしたコングだったが、完全には避け切れずにバチンと音を立ててクロコダイルの口が閉じられ、右の掌の半分が食い千切られる。

 自分の一部を飲み込まれたコングは、クロコダイルが《捕食咬(プレデター・バイト)》による回復をする前に、落下時に膝を立てていた背中の中心部分、装甲に真一文字の深いヒビが入った場所に向けて左腕を振り下ろす。

 すでに限界だったのだろう、装甲は追撃を加えられたことで簡単に砕け散り、衝撃が素体部分まで到達すると、クロコダイルは爆散した。

 その寸前、コングは確かに見た。クロコダイルかすかに口を開いたのを。確証はないのだが、コングには何故だかその横顔が、どこか満足げに微笑んでいた気がした。

 

「……大した執念だよ」

 

 人型に戻り、半分呆れ気味の賞賛の言葉を藍色の死亡マーカーに向けて送ったコングは、自分の状態を確認していく。一部が食い千切られた左の横腹と右手、砕かれかけた右肩の装甲に、体の至る所が荒いやすりがけをされたように削られている。左手を見やると、どうやらクロコダイルの尾を掴んでいだ時に尖った部分が食い込んだらしく、掌にはラインを描いた傷が付いていた。今更ながらに痛みを感じ、それだけ無我夢中だったことに苦笑する。

 

「とにもかくにも……相手のホームグラウンドで倒せたわけだし、生きてるだけでも良しとするか。──ちょっと休憩っと」

 

 コングは後ろに倒れ込み、仰向けの大の字になって「は~……」と息を吐くと、ぷかぷかと水に浮きながら束の間の休息を取り始めた。

 



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第五十二話

 第五十二話 エピュラシオンの目的

 

 

 アトランティス最深部である、きらびやかな調度品で構成された玉座の間。

 その所々が、ゴウとプランバムの戦闘に巻き込まれ、現実であれば相当な値打ちが付きそうな品々が破壊されていくが、ゴウにはそんなことに気を配っている余裕は欠片もない。

 ──また来る! 

 古ぼけた玉座から立ち上がり、それから未だに一歩たりとも移動していないプランバムが、再度ライフルの照準を合わせるように右腕を突き出したのを見たゴウは、その場で立ち止まって目を凝らす。それから間を空けずにプランバムの袖口から、鉛色の鎖分銅が発射された。

 この鎖分銅をプランバムは発射時のみに限り、その軌道をコントロールできるらしく、こちらを追尾しながら単純な投擲では有り得ない複雑な軌道を描くので、動き回る方がかえって危険だった。すでに何度か食らってしまっているゴウは、被ダメージを最小限にするには寸前で避けるか、受け流すしかないと判断していた。

 蛇のようにうねりながらこちらを狙う鎖分銅が鳩尾にぶつかる寸前、ゴウは分銅に角度を付けた左腕を接触させると同時に腕を上げ、体は反対方向にしゃがみ込んだ。

 すると、軌道を逸らされた分銅が後方の大理石の床を削る音が耳に届く。

 実のところ、ゴウは鎖を用いる攻撃には割と覚えがあった。

 秋葉原のとあるビルに存在するローカルネット、アキハバラBG。このバーストリンカーの対戦の聖地と呼ばれる場所にゴウは時たま訪れては、普段ほとんど対戦する機会のない対戦相手達と戦っていた。

 その中で初めて訪れた際に対戦したデュエルアバター、グレープ・アンカーは鎖の付いた錨をメインウェポンに戦うバーストリンカーで、今でもゴウは度々対戦相手に当たることがあるのだ。

 そこそこ付き合いが長く、ライバルの一人と数えて差し支えない相手なのだが、『海賊として加速世界を生きる』ことを信条としている彼は、ダイヤモンド装甲を持つゴウを一方的に気に入り、どうもアンカーの中でゴウはライバルを通り越して『心の友』に認定されているらしい。

 ただ、そんなアンカー以上にプランバムの繰り出してくる攻撃は、レベル差を差し引いたとしても、その一撃一撃が精密かつ強力だった。

 

「くっ……!?」

 

 休む間もなく、プランバムの左腕の袖口から放たれた二本目の鎖分銅がゴウへと迫っている。一本目を受け流した不自然な体勢の状態で、回避は望めない。

 ──迎撃するしか……! 

 ほとんど反射的に判断を下したゴウは左腕を引くと、こちらに迫る鎖分銅の先端、握り拳大の分銅に意識を集中させた。狙いは一本目と同じ鳩尾か、それとも頭か、はたまた別のどこかか。

 集中は更に高まり、分銅を焦点に周りの景色がぼやけ、時間の感覚が緩慢に感じられていく。やがて、小さな螺旋を描いていた鎖分銅の軌道が直線的に変化し、その先に向けてゴウは拳を伸ばした。

 

「はあっ!」

 

 拳が分銅の真芯を捉えて勢いよく吹き飛ばすと、そのまま分銅はタペストリーの垂れ下がった壁面へとめり込んだ。

 

「──ぶはっ……!」

 

 時間の感覚が通常のものに戻ると、ゴウは大きく息を吐いた。向こうにとっての通常の一撃に、自分は全神経を集中させてようやくカウンターが取れる。相対する相手との実力差はやはりというべきか相当なものだが、それはゴウも覚悟の上であるし、体力も気力もまだまだ残っている。

 そんな格上の相手、プランバムはゴウによって受け流された一つ目と、跳ね返された二つ目。左右それぞれの腕から伸びる鎖を見やってから、両腕を軽く動かした。すると、鎖が彼の袖口へと吸い込まれるように戻っていく。

 

「……不自然な体勢での迎撃、見事」

「えっ?」

「こうもすぐに対応されるとは思っていなかった。以前遭った時には心意に溺れた者の典型としか印象を持たなかったが、改める必要がありそうだ」

「それは……どうも」

 

 分銅を完全に収納したプランバムの口から出たのは、意外なことにゴウへの賞賛だった。

 あまりにも想定外だったので、立ち上がったゴウは返事がぎこちないものとなってしまう。コロッサルといい、前回遭遇した時のこちらに対する印象が最低だったからか、逆に評価が上がっていくだけなのかもしれない。

 

「仮に必殺技を用いたとしても、私の分銅はああも簡単に吹き飛ぶような代物ではない。それを可能とする膂力。加えて、摩擦への耐性が高いダイヤモンドの装甲で受け流す技術。己の長所をよく理解し、それに見合う鍛錬もしているようだ。賞賛に値する」

「い、いやそれほどでも……」

 

 あまりに褒められるので、少しこそばゆくなるゴウをよそに、プランバムがわずかにプレッシャーを和げて、再び玉座へと座った。

 

「……私の、エピュラシオンの目的について知りたがっていたな。良いだろう、確かに貴様は実力を示した」

「!!」

 

 偶発的に遭遇した謎のレギオン。大悟を始めとしたアウトローのベテラン達でさえその存在を知らなかった、彼らの目的がようやく分かる。

 そのことにゴウは心臓の鼓動が刻むペースが速くなるのを感じながら、たとえ不意打ちを出されても対応できる距離で立ち止まると、プランバムが口を開いた。

 

「始めに問おう、ダイヤモンド・オーガー。貴様は加速世界の現状をどう思う?」

「どう思うって……」

迂遠(うえん)過ぎたか。では質問を変える。現在、東京各地に蔓延しているISSキットについてどう思っている?」

 

 ISSキットと耳にして、ゴウはすぐさま体が熱くなる。今も尚、その使用者が増え続けているであろう、使用者に負の心意発動を可能にする感染型の強化外装。それを蔓延させる加速研究会なる存在は、ゴウにとって許せるものではなかった。

 先週に七王会議が開催され、現在は王達がキットの本体に関わる何かがあるとされる東京ミッドタウン・タワーと、そこを守護する大天使メタトロンの攻略に向けて動いているらしいが、その進展の程はゴウには分からない。

 

「……加速研究会とかいう集団がその元凶で、キットをばら撒いているって聞いた。目的は知らないけど、やっていることは許されないことだと思っている」

「その名を知っているのなら話は早い。では、そういった者達は報いを受けなければならないと思わないか?」

「報い?」

「現実で犯罪行為をすれば、それに見合ったペナルティが課せられる。加速世界であっても、悪事を働く者は相応の罰を受けるべきだと、私はそう考えている」

 

 仮面を着けているプランバムの表情を窺うことはできないが、これまで冷淡なだけだった声が、どこか熱を帯び始めていた。

 

「このブレイン・バーストをインストールすることができた我々バーストリンカーは、誰もが一定以上の深さをした心の傷(トラウマ)を持っている。そうでなければ、それを核にしたデュエルアバターが生み出されることはないからだ。だからこそ、現実で少なからず周囲から異物扱いされていた我々にとって、加速世界はかけがえのない拠り所なのだ。加速研究会はその拠り所を脅かす、紛れもない『悪』でしかない。だが──」

 

 プランバムは一度言葉を途切らせると、玉座の肘掛けに置いた右手にやや力を込めてから続けた。

 

「それは奴らに限った話ではない。加速研究会は表立って活動を始めたことで、周知されたに過ぎぬ。……キットが広まる速度から見ても、おそらくは以前から何かを目論んで暗躍をしていたのだろうがな。しかし、その他にも人知れず悪事を働く者は、黎明期から存在していた筈。リアルアタック、フィジカル・ノッカー、PK行為。言い方は違えど、今日(こんにち)に至るまでそういった行為をする輩が蔓延(はびこ)っていることが最たる例だ」

 

 ゴウも大悟にリアル情報の漏洩がもたらす危険については、耳にタコができるほどに注意されていた。

 加速のもたらす恩恵を維持したいが為にバーストポイントを狙う者の他にも、リアルマネーで対象のバーストリンカーの全損を依頼として請け負う集団までいるらしい。そういった者達は凶器を用いての恐喝や、車に閉じ込めるといった監禁まがいの犯罪行為に手を染めることさえ平然と行うというのであれば、過度の警戒も無理からぬことではある。

 

「更に言えば、そこまでいかずとも見えない悪意は常に潜んでいる。それは──集団による迫害」

 

 ──『貴様は知らぬかもしれぬが、この加速世界では周りから不当な扱いを受けている者も少なからず存在する──』

 

 先のコロッサルの言葉がゴウの脳裏に響く中、プランバムの声がより強く軋んだように聞こえた。

 

「……その者に非があるならまだいい。だが、優れたアバターの力量や容姿に対する一方的な妬み(そね)み、その逆に劣る者への蔑み。それらを理由に非のない者に数を(かさ)にして迫害しようとする。自分達とて異物扱いされる孤独感を知らぬ訳でもないだろうに、それを他人に対して行う醜悪さよ。これが悪意でなくて何だというのか」

「じゃあ、エピュラシオンはそういった人物に対して、その……制裁を加えることを目的にしているってことなのか? でもそういうのって王達が目を光らせているんじゃ……」

「王? 王だと?」

 

 プランバムの声が不快げに、より一層低くなる。

 

「貴様の属するアウトローは世田谷エリアを拠点にしているそうだな。聞くが王や王の率いるレギオンが過疎エリアで活動する貴様らに、一度でも何かをしてくれたことがあったか?」

「い、いや……」

「奴らが後生大事にしているものなど、自分の治める領土と自分を敬う部下ぐらいだ。相互不可侵条約とて、我が身の可愛さに掲げただけの題目に過ぎぬ。条約に加入していない黒の王とて大差は無い、いずれもレベル9同士のサドンデス・マッチを恐れてのことだ。むしろその所為で、過疎エリアで活動するバーストリンカーが煽りを受けている場所さえ存在している現実を、私は各地を巡って実際に目の当たりにしてきた」

 

 強固な意志が窺える口調で断言するプランバム。

 ゴウ自身は王達に含むところはないのだが、大悟も六人の王による条約をよく思っていないと度々口にしていたことを思い出す。

 

「私は長年、この加速世界の歪みを解消しようと活動を続けていた。力を蓄え、活動する中で遭遇したPK集団を始めとする害悪共を潰し、その中で少数ながら私の考えに賛同し、共に歩む者達もできた。だがISSキットが蔓延しているように、問題は未だ解決に至っていない」

 

 再び声に熱が入るプランバムが玉座から立ち上がった。

 

「ブレイン・バーストが対戦格闘ゲームの形態を取っている以上、負けが込んだ結果、加速世界を去ることになってしまうのは致し方ないことだ。──だからこそバーストリンカーは正しくあらねばならない。他人に陥れられて退場することなど、あってはならない。故に我らエピュラシオンが秩序となる。悪事を働く者はエピュラシオンに裁かれると知らしめるのだ。そして、このアトランティスと《秘宝》の存在を知った時、私は確信した。これで私の望みを現実にできると。たとえ七大レギオンが阻もうが、返り討ちにできる力を得られるとな」

 

 プランバムは大仰に右手を掲げてから握り締めると、ゴウに向かって一歩、足を進めた。

 

「加速世界に潜む悪の一掃と秩序の維持。これこそがエピュラシオンの目的。ダイヤモンド・オーガー、今一度聞く。貴様はこの加速世界の現状をどう思っている? 私の考えは間違っているか?」

 

 問いかけるプランバムに対し、ゴウは即答することができなかった。

 プランバムが語り聞かせた加速世界の負の面が嘘偽りではないことは、一年以上バーストリンカーとして過ごしてきたことで、ある程度は理解しているつもりだ。また、彼がある種の信念を持ってこの場にいることも感じ取れた。

 だが、どうしてだろうか。

 

「……僕は、あんたが間違っているとは思わない」

 

 ゴウには何故だか──。

 

「──でも、正しいとも思えない」

 

 プランバムの考えを受け入れることができなかった。

 否定の言葉を受けて沈黙するプランバムから、先程と同等かそれ以上に重苦しい威圧感が放たれ始めるが、ゴウは臆さず、まだ明確になっていない自身の気持ちを言葉に変換していく。

 

「きっと、その考えは間違っていないだろうし、賛同する人もいると思う。でも何でかな、僕は嫌だ。そう……嫌なんだ」

 

 理屈も何もない、たどたどしく稚拙な言い分だと自覚したままゴウは続ける。

 

「仮に七大レギオンを退けられるような力があったとしても、それは新しい(いさか)いの種にしかならないだろうし……その秩序ある世界っていうのは、何だか窮屈そうで、楽しくない気がする」

 

 結局はそこに帰結する。この加速世界においてゴウは、誰かに縛られたくはないのだ。

 それは『加速世界を楽しむ』ことを重んじるアウトローの一員として活動していく中で、知らずに芽生えていた考えだった。

 

「それにきっと、自分の身に降りかかる困難は自分で乗り越えていかないと、意味はないんだと思う。誰かに背中を押されることはあっても、任せきりにしていたら何の為にもならない」

「……それが貴様の意思だと、自分の周りの者達の考えに流されているのではないと、断言できるのか?」

 

 そう訊ねるプランバムの言葉を受け、ゴウはこれまでの記憶を振り返る。

 予期せぬ如月大悟との出会い。漠然と変わりたいと願い、受け取ったブレイン・バーストプログラム。訳が分からないまま開始したムーン・フォックスとのデビュー戦と、レクチャーを受けて望んだ再戦。

 伸び悩む中、大悟に連れていかれた対戦の聖地。無制限中立フィールドで人知れず活動していた、アウトローメンバーとのエネミー狩り。最凶の存在《災禍の鎧》クロム・ディザスターとの戦闘。

 心意システムと呼ばれる未知なる力。ISSキットに冒されたシトロン・フロッグ、エピュラシオンとの遭遇、引き起こされた心意の暴走。大悟から叱咤を受け望んだ、心意修得の修行と打ち明けられた過去。

 かつてアウトローに所属していたクリスタル・ジャッジから告げられた幻のダンジョン、アトランティス。

 その他にも数々の思い出が甦る中で、ふと気付いたことがある。

 思えば、ブレイン・バーストのコピーインストールも、アウトローへの加入も、心意の修行も、重要なことを最後に決めたのは自分だった。

 大悟は大事な選択がある時に道こそ示していたが、一度だって強制はしなかったのだ。──選択の余地がなかったディザスターとの戦闘や、心意の修行でエネミーをけしかけられることもあったが、それはともかくとして。

 

「──できる。僕は一人のバーストリンカーとして、エピュラシオンの考えを受け入れることはできない。だから今ここでお前を倒す」

 

 そうきっぱりとゴウは言い放つと、絢爛な大広間に静寂が満ちた。一応は言いたいことを言ったゴウは、分かり合えない敵の反応を待つ。

 

「──若造が、一端の口を叩いたものだ。結局……貴様は愚か者だったということか」

 

 やがて苛立ちと哀れみ、失望。それらの感情をない交ぜにしたような暗い声が、突き刺すようにゴウに向けられた。

 それでも考えはもう曲がらない。

 

「どう思われようが関係ない。そう決めたから」

 

 そうしなければならないと、一度決めたことを意地でも実行する。

 一度は守ることができなかった矜持を今度こそ貫き通す為、ゴウはプランバムに、そして他ならない自分に対して告げるのだった。

 



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決戦篇 参
第五十三話


 第五十三話 蠍の(サガ)

 

 

 エメラルドグリーンの湖に隣接する、星のようにきらめく砂浜が広がる空間には、先程まで存在しなかった石英の塊が、至る所から突き出ていた。かつて《石英鉱脈(クォーツ・ヴェイン)》と呼ばれたクリスタル・ジャッジこと晶音によるものである。

 今より六年前に横浜へ引っ越した晶音には、そこで友情を育んだバーストリンカー達がいた。彼らが結成したレギオンの名はリチェルカ。一年半前に壊滅した今は無きレギオン。

 その原因は、とあるダンジョンで発見したアトランティスについて記された本型のアイテムを、メンバーの一人だったアメジスト・スコーピオンが奪い、レギオンメンバーを全滅させたことによるものだった。

 更にスコーピオンは、リチェルカがアイテム入手時に行動を共にし、アトランティスの存在を知る晶音のことも、ポイント全損による加速世界の永久退場を目論んだ。

 そして、心意技を用いるスコーピオンから、命からがら逃げ延びた晶音は、一度は失意の底に沈みながらも、彼を裁く為に今日まで力を蓄えてきたのだった。

 現在、晶音は爆発した感情のままに杖を振るい、発生させた石英でスコーピオンを執拗に攻撃し続けている。

 先刻のスコーピオンの発言が挑発だと理解していても、晶音には聞き流すことはできなかった。あんなに善良な仲間達を裏切ったのにもかかわらず、彼らのことを平然と口にするスコーピオンを、許すことなどできようはずもない。

 クリスタル・ジャッジが発生させる石英には、必殺技ゲージを消費しないタイプと消費するタイプの二種類が存在する。前者はゲージの消費を気にせずに出せる分、石英の強度と発生の速度がやや劣り、一定時間経つと消えてしまう。後者はゲージこそ消費するものの、強度と発生速度が上昇するだけでなく、破壊されない限りその場に存在し続ける(例外として変遷が発生した場合は消えてしまうが)。

 これらを使い分けて戦っている晶音だったが、スコーピオンはどこ吹く風と言わんばかりにのらりくらりと躱し続けていた。結果的に掠りもしない石英のいくつかがそのまま残る形となり、それが晶音の苛立ちに拍車をかける。

 リチェルカが結成されてしばらく経ってから加入したスコーピオンを、晶音は初めて会った時からあまり好きにはなれなかった。口調や態度こそ丁寧かつ慇懃なものの、自分のことは些細なことさえ全く話そうとしないのに(ブレイン・バーストにおいて、リアル情報を秘匿するのが当然であることを差し引いても)、あらゆる情報に耳聡く、どこか煙に巻くような態度に不信感を覚えたからだ。

 しかし、エネミー狩りやダンジョン捜索時の作戦や指示は的確なことから、彼が参謀的な立ち位置に納まるのにそう時間はかからなかった。リチェルカメンバーからも一定以上の信頼を得ていたし、行動こそ共にしていてもレギオンに加入していない自分が波風を立てるのも筋違いだろうと、晶音は誰にも心中を話すことはなかった。今にしてみれば後悔しかない。

 無言で、しかし強く念を込めて晶音は必殺技ゲージを消費して、スコーピオンの背後に横に広がった壁を発生させた。壁は津波を凍らせたかのように、スコーピオンに向かって覆い被さる形で広がり、飛び越えることを阻止する。

 ──これなら回避は不可能……! 

 晶音が横薙ぎに杖を振るうと、先端のクリスタルの輝きに呼応し、何本もの鋭く尖った石英が横並びになって前方のスコーピオンを襲った。

 星屑のように輝く砂が巻き上がり、石英の槍と壁の衝突音が響く。だが、その間に挟まれて串刺しになっているはずのスコーピオンの悲鳴が聞こえてこない。

 やがて、石英からやや離れた位置の砂が盛り上がり、何食わぬ顔をした無傷のスコーピオンが這い出てきた。

 

「ふぅ……今のは少しばかりヒヤリとしましたよ。ここが砂地じゃなかったら、危なかったかもしれませんねぇ。しかし──」

 

 砂を払い落としながら、アイレンズを細めてスコーピオンが溜め息を吐いた。

 

「話の途中で問答無用で攻撃なんて……ひどい人だ。昔は行動を共にした仲間の一人だったというのに」

「貴方は……最低の裏切り者です。その口でリチェルカについて語らないでください」

「おっと、これは手厳しい。でもまぁ、いいでしょう。そろそろ貴女の必殺技ゲージも底を尽きたでしょうから」

「っ……!?」

 

 そこで晶音はアトランティスに入る前にフルチャージしていた必殺技ゲージが、もう二割も残っていないことにようやく気付いた。

 

「気付きもしなかった、という顔ですね。その様子では無駄打ちさせる為に私が逃げ回っていたことも理解していなかったようだ」

 

 そう言いながら晶音に近付くスコーピオン。

 晶音はスコーピオンの足元から石英を発生させるが、またも容易に躱すスコーピオンを見て、はっとなった。

 

「いつもより遅い……。まさか、それで……」

「貴女の石英はしっかりとした足場でなければ出せない。そしてこの砂浜……」

 

 スコーピオンが爪先で足元の砂をほじくると、さらさらと砂が流動する。

 

「貴女の石英が砂の上に発生するのではなく、砂の中から飛び出すのは、ある程度砂の自重で固められた足場が作られる必要があるから。その分、発生速度にタイムロスが発生し、その杖の発光を確認しなくても、出現のタイミングと位置が把握できるというわけです。──もっとも、石英の重みで砂によって構成された不安定な足場が崩れないあたり、そこはゲーム的補正があるようですがね。リアルなのだか大雑把なのだか……。ブレイン・バーストは本当によく分からないゲームだ。ククク……」

 

 喉を鳴らして近付いてくるスコーピオンに、晶音は反論できなかった。新米(ニュービー)でもあるまいし、自分の基本戦術と地形状況の組み合わせを考慮しないなど、愚の骨頂だ。

 

「しかし、つくづく貴女という人は冷静に見えてその実、とても直情的だ。昔もそうです。エネミー狩りの時などで仲間が窮地に陥ると、動揺を隠し切れていなかった。他の方が気付いていたかは知りませんが、私は見抜いていましたよ」

「……黙りなさい」

 

 動揺を堪える晶音を、スコーピオンは更に揺さぶろうとする。

 

「その癖、皆が何度もレギオンの加入を進めても首を縦に振ろうとしない。そう言えば貴女、東京に住んでいたこと以外に昔のことは全く語ろうとしませんでしたね。籍を置いていたアウトローで喧嘩別れでもしましたか? それとも他に気まずい理由でも?」

「いい加減にしなさい、魂胆は分かっています。無駄なことです」

「図星でしたか? ──あぁ! もしかすると、一定以上踏み込んだ関係になると、皆が永久退場した時に辛いから、あえて一線を引いていたと。いやいや何とも意地らしい──」

「黙って!!」

 

 晶音の叫びと共に杖頭のクリスタルが輝くと、石英がスコーピオンを取り囲む形で発生し、全方位から突起が迫る。

 だが、スコーピオンは両足に加え、後頭部から垂れ下がるサソリの尾を地面に押し付け、力を込めることで跳躍の補助とし、紙一重でこれを避ける。そして、着地と同時に駆け出すと晶音ではなく、心意技の毒を受けて倒れ伏す宇美の元で立ち止まった。

 

「ほぅら、やはり周りが見えなくなる」

 

 どこか呆れているような、それでいて冷たい声で言い放つと、スコーピオンは尾を宇美の胴体に巻き付けて、ぶんと一周回してから晶音めがけて放り投げた。

 晶音は慌てて宇美を受け止めようとするが、非力な体は衝撃を吸収しきれずに宇美諸共倒れ込むと、右腕に何かが巻き付いた感覚が走る。その途端に右腕が引っ張られて宇美から引き剥がされ、先程自らが作り出した石英の塊の一つに叩き付けられた。衝撃に息が詰まる。

 

「あうっ……!」

 

 紫水晶(アメジスト)の装甲に包まれた尾状パーツが晶音の右腕から離れると、スコーピオンが両腕から伸びる鋏型の手甲で晶音の両手首を挟み込んだ。そのまま後方の石英に突き刺し、晶音の両腕を(はりつけ)にして自由を奪う。

 

「どうやらあれからレベルも上げたようですが、それも大して活かせませんでしたね」

「──どうして……」

「はい?」

「どうして貴方は……リチェルカを裏切ることができたのですか……。一緒に過ごしてきた彼らを、どうして全損にまで追い込むなんて真似ができたのですか」

 

 意地でも聞くまいと思っていたが、晶音はついに堪えることができなかった。アトランティスの存在を知った(今となっては、知ってしまったと言った方が適切かもしれない)リチェルカメンバーを、加速世界から追いやった理由はまだ分かる。そちらではなく、数年の付き合いがあった仲間達に手をかけられる、その精神が晶音には理解できなかった。

 本当は理解もしたくなかったが、それでも訊ねたのは、この状況ではスコーピオンと会話をする以外にできることがない晶音が何かしらを得ようという、言ってしまえば悪足掻きだった。

 そんな晶音を、じいっと無言で見つめていたスコーピオンは、やがてやれやれと首を横に振る。

 

「……私もね、彼らには悪いことをしたと思っていますよ、本当に。でも、仕方なかったのですよ。口封じという意味だけでなく、私自身のどうしようもない問題でもあります」

「……?」

「全く分からないといった顔だ。そうですね……こんな話を知っていますか?」

 

 そう言うと、スコーピオンは話を切り出した。

 

「ある所に流れる川の向こう側へ行きたい、一匹のサソリがいました。川は見渡す限り伸びていて、地続きになっている場所も渡り橋も見当たりません。移動手段がなく困ったサソリは、そこに通りかかった一匹のカエルを見つけて頼みました。『どうか自分を背に乗せて、向こう岸まで運んでほしい』と。ところが、『君を背中に乗せたら、刺されるかもしれないじゃないか』とカエルは嫌がります。そんなカエルにサソリは、『川を渡っているのに君を刺したら、自分まで溺れてしまう』と言って諭しました。これに納得したカエルは、サソリを背に乗せて泳ぎ出します。ですが、川の中間まで進むと、結局サソリはカエルを毒針のある尾で刺してしまいした。カエルは苦しみながらサソリに言います。『嘘つき。刺さないと言ったのに、君を信じたのに、どうして刺したんだ』。一緒に川底へと沈みながらサソリが言います『仕方がない。それがサソリのサガなのだから』とね」

 

 少しだけ間を置いてから、スコーピオンが口を開いた。

 

「……この寓話(ぐうわ)は作者不明らしいのですが、かつてのベトナム戦争を象徴しているようでしてね。植民地側の不当な痛み、侵略者側のどうにもならない性分が描かれたもので、映画や小説にも度々引用されています。もっとも、私としてはそのあたりの解釈など、さして興味もありませんが」

「それなら……その話は何だと言うのですか」

「まぁまぁ、最後まで聞いてください。バーストリンカーになる少し前にこの話を聞いた私はね、後に《親》を全損させた時に、こう思ったのですよ。『あぁ何だ、あの話はデュエルアバターをサソリのモチーフにするほどに、私の心に響いていたんだなぁ』とね」

「っ!?」

 

 自らの《親》を全損させたという衝撃的な事実を、まるで世間話でもするかのように平然と語るスコーピオンに、晶音はただ絶句することしかできなかった。

 

「エピュラシオンメンバーの内、何人かは《親》からひどい扱いを受けていたらしいのですが、私の場合は別に虐げられていたわけではありませんでした。むしろ、あれやこれやと親切にしてもらっていたくらいです。でもね、己のリアル情報を知っている人物がいると、後々衝突でもしたら不便なことになるかもしれないでしょう? リチェルカの仲間達にしてもそう。皆さん、私を信頼してくれていたようですが、あちこち嗅ぎ回ってダンジョンを徘徊する彼らが、いずれ東京にも進出するであろう面倒な存在になるのは目に見えていました。要するに、私にはどうしようもなく我慢ならないのですよ、私を脅かすであろう存在がいることがね。それが私の性分、サガなのです」

「そんな……そんな身勝手な理由で貴方は、罪のない彼らに手をかけたと……?」

 

 声が震えている晶音に対し、スコーピオンは、はてと首を傾げるだけだった。

 

「もしや、他に何か止むを得ない理由があったとでも? 自分の身に降りかかる火の粉を事前に払おうと行動することは、人間として至極真っ当な行動でしょうに。あぁ、それとですね。寓話と違って、私は話の中のサソリのように共倒れになるような真似はしません。周到に準備して望みます。ほら、これもまた人間的でしょう?」

 

 無感情にそう言ってのけるスコーピオンが晶音には、かつて心意技でなすすべもなく連続で死亡させられた時の何倍にも恐ろしく見えた。

 悪いと思っているなど大嘘だと分かってはいたが、欠片さえも罪悪感を抱いていないとまでは完全に想定外だ。聞くべきではなかったと、後悔してももう遅い。何かを得ようと話を切り出したが、得るものどころか、何か失ったような気さえする。唯一晶音が得た情報は、自分がスコーピオンを理解することなど永遠にできないということだけだった。

 対するスコーピオンは、そんな晶音の心を見透かすような口振りで、思いもよらないことを口にし出した。

 

「別に理解してほしいとは思いませんが、貴女も同類みたいなものでしょう? ジャッジさん」

「……何の話ですか? 私は貴方のように──」

「身勝手ではないと? では聞きますがね。貴女は先程私に攻撃をしていた時、そちらのお嬢さんのことを頭に入れていましたか?」

「え……?」

 

 首だけどうにか動かした晶音は、離れた場所で倒れ伏す宇美を見てから、記憶を振り返った。そして愕然とする。スコーピオンに挑発を受けてから宇美を投げられるまで、スコーピオンを倒すことしか頭になかったからだ。宇美がどこにいるか把握し、巻き込まないように配慮した憶えはない。

 

「頭の隅にでも置いていましたか?」

「私は……そんな……」

 

 スコーピオンの念を押すような確認に息が詰まる晶音。どうにか声を搾り出すが、会話になっていない。

 

「貴女の出した石英が、ともすれば彼女に当たっていたかもしれないのですよ? それを考慮して私に攻撃していたと、胸を張って言えますか?」

「ち、違う、違います……」

 

 両手首を押さえられていなければ、晶音はその場にへたり込んでいただろう。すでに両脚に力は入っていなかった。

 追い討ちをかけるように、スコーピオンの言葉が毒のように晶音に染み込んでいく。

 

「私のことを憎く思うあまり、貴女は他人を利用していたのではないですか?」

「利、用……?」

「ええ。ここは現実の時間で半年に一度だけ出現する幻のダンジョン、アトランティス。例えばここで死亡状態になっている時に、時間になってここが消えたとしましょう。その時、そのバーストリンカーは最低でも半年間は、いわゆる《封印》状態にされてしまうかもしれない。無制限中立フィールドに訪れることができなくなる可能性は充分に有り得ます」

 

 それは大悟も、晶音自身も考慮していたことだ。だからこそダイブ前には保険となる、タイマーによる自動切断セーフティの準備もしていたし問題はない。

 だが、極寒の吹雪に晒されて全身が凍えてしまったかのように、小刻みに震える晶音が声を出せずにいると、スコーピオンが畳みかける。

 

「その他にもイレギュラーが起こり得るのが、加速世界というものです。何年もバーストリンカーをやっている貴女なら理解しているでしょう。貴女はそれらを踏まえた上で、アウトローをここまで導いた。それは何故か……」

「違……や、やめ──」

「それは貴女が、彼らを自分の目的達成に必要な駒として利用する為に他ならない」

 

 まるで一昔前のサスペンスドラマで見られる、追い詰められた犯人へと投げかけられるようなスコーピオンの宣告受けた途端、晶音の全身を苛む悪寒が消えた。しかし、それは厳密には間違いである。

 悪寒どころか、全身の感覚がない。視界が徐々に数字のゼロに埋め尽くされ、それ以外に何も見えなくなっていく。

 聴覚より伝わる音さえも段々と遠くなっていく中、くぐもったようなスコーピオンの声がかすかに聞こえてきた。

 

「おや、やり過ぎましたか。《零化現象(ゼロフィル)》にまで追い込む気はありませんでしたが……。こう──と──応が──なって面────…………」

 

 やがて晶音は何も聞こなくなり、ゼロに埋め尽くされた視界も完全に真っ暗になり、そして体は全く動かなくなった。

 まるで、無機質な石英にでもなってしまったかのように。

 



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第五十四話

 第五十四話 正しさとは何か

 

 

 バーストリンカーとなった者が、加速世界で活動する際のもう一人の自分、分身であるデュエルアバター。このデュエルアバターとは、バーストリンカーの《心の傷》を鋳型にして生み出されたものであり、その体を動かす動力源はその人間の魂、心の熱に他ならない。

 しかし、時として無力感、諦めなどの負のイメージがアバターに搭載されている補助回路である、イマジネーション回路へと溢れてしまうことがある。こうなるとバーストリンカーは魂からアバターへと伝わる信号がゼロに埋め尽くされた状態となってしまい、その結果、デュエルアバターがその者の意思に反して動かせなくなってしまうのだ。

 石炭と水の無い蒸気機関車が動かないように、闘志無きバーストリンカーにデュエルアバターは動かせない。この現象をバーストリンカーは零化現象(ゼロフィル)と呼ぶ。

 

 

 

 零化現象(ゼロフィル)に陥った晶音には、意識だけはあった。だが、それだけだ。五感は全く機能していないし、指一本動かすどころか、声さえも出せない。

 ──噂では人によって、目だけは見えていたり、耳だけは聞こえていることがあるらしいですが……。

 半ば虚ろな意識の中で、晶名は零化現象(ゼロフィル)について聞いたことのある情報を思い出していた。おそらくは負の感情を受け止める人物のメンタルによって、その症状の具合が異なるのだろう。つまりはそれだけ自分の心は弱いのだと、晶音は判断を下す。

 ──あれだけ息巻いて、その結果がこれですか……。

 一人で抱え込んで、促されてようやく助けを乞い、思わぬ状況で因縁の相手との再戦が叶ったというのにこの(てい)たらくかと、晶音は己の不甲斐なさに自嘲せざるを得なかった。

 次に《親》であるのに、倒れた《子》の身を案じることなく私情を優先した姿を見たら、経典はどう思うかだろうかと、自らの《親》について思い出す。

 カナリア・コンダクターこと経典が怒ったところを、現実世界でも加速世界でも晶音は見たことがなかった。かつて大悟に訊ねた時も――。

 

 ──『あいつが怒ったこと? んー……あっ、三歳の時に俺があいつのプリンを間違えて食っちまった時は怒ったなぁ……。あれは悪いことした』

 

 碌に参考にならない答えが返ってきたが、敢えて深読みすれば、そんな昔に遡らなければならないほどだとも取れる。

 ──さすがに怒ったでしょうか? それとも悲しそうに失望したのでしょうか? もしかすると黙って見放されていたかもしれませんね……。

 思考が知らず知らずの内に悪い方へと向いていることさえ、晶名は気付いていない。

 それにしても、零化現象(ゼロフィル)になってから結構な時間が経った気もするが、未だに死亡状態になっていないのはどういうことかと、ようやく現在の状況に晶名が意識を向けた、その瞬間だった。

 

「──なさいって……言ってんでしょうがぁ!!」

 

 いきなり右頬に強い衝撃を受けた晶音は、意識が光の届かない深海から一気に海上まで引き上げられたかのように感じられた。体が水に濡れていることに気付き、音が甦り、鼻腔には潮の香りが広がり、そして視界が色を取り戻すと、眼前には宇美が立っている。

 混乱する頭で周りを見渡しながら状況を確認する晶音は、自分が地底湖の浅瀬に移動していること、体力ゲージが一割ほど削れていることに、遅まきながらに気が付いた。

 ムーン・フォックスの特徴である、艶やかな毛並みの膨れ上がった尻尾が、徐々に元のサイズに縮んでいる様子から、頬を叩いた衝撃の正体を察する。

 おそらく手加減はしてくれていたのだろう、そうでなければこの程度のダメージでは済まなかったはずだ。

 

「宇……フォックス? 貴女、毒は……?」

「やっと……反応した……」

 

 宇美は回収してくれていたらしい、晶音の杖を放って寄越した。

 よく見ると、宇美はアイレンズが不規則に点滅し、苦しそうに息を荒げている。信じ難いが、スコーピオンの心意技による毒に冒されている中で、気力を振り絞って動いているようだ。心意技の修得をしていないはずだが、その存在を知ったことでイマジネーション回路に働きかけ、毒に抗っているのだろうか。

 

「そうです……スコーピオンは? まさか貴女が……」

「倒してはいないよ。倒れたアンタにあいつがとどめを刺そうとしたところを……横から思いきり吹っ飛ばしただけ。すぐに起き上がってくるだろうから、こっちも迎え撃たないと……。ほら、手ぇ貸すから……立って」

 

 肩を上下させながら、手を差し伸べる宇美。

 彼女がスコーピオンに一撃を見舞ったのも驚いたが、それ以上に晶音が驚いたのは、零化現象(ゼロフィル)になってからさほど時間が経過していなかったということだ。体感的には何十分と経っていた気がしたのに。

 晶音は水に浸っている右腕を動かそうとして──止めた。それから、首を傾げる宇美に指示を出す。

 

「……貴女は今の内に先に行きなさい。スコーピオンは性格的に障害を一つずつ潰していくタイプですから、ここに私がいる限り、貴女を追うことはありません」

「ジャッジ……? 何言ってんの、二人であいつを倒すんでしょうが」

「遠くに離れても毒が消えないなら、ここから充分離れた所で一度死亡しなさい。さすがに心意技であっても大抵は死んで復活すれば影響を及ぼしはしないでしょうから」

「ジャッジ、私の話聞いてる……?」

「いえ、それよりも……。もしかしたらメディックなら、状態異常を回復する心意技を会得しているかもしれません。いっそ彼女と合流できることに賭けた方が良策かも──」

「ジャッジ、しっかりして!! もう零化現象(ゼロフィル)とかいうのから抜け出したんでしょ!?」

 

 晶音は宇美に肩を揺さぶられるが、全く抵抗せずにされるがままとなっていた。闘志は湧いてこず、再び視界の端に数字のゼロがちらついたような気がして、掠れた声を出す。

 

「私は……駄目な人間です。貴女の《親》としても、人としても……」

 

 うなだれる晶音が観念して内心を打ち明け始めると、宇美が肩から手を離す。

 

「水流に流された時も、何もできずに貴女に助けられて……。先程もそうです。貴女が倒れているのに、スコーピオンしか見ていなかった。……カナリアであれば、まずそんな真似はしなかったでしょう。スコーピオンを卑下する資格は私にはありません。彼と同類の、自分のことしか考えていない、身勝手で利己的な人間なのです。──分かったでしょう。さぁ、もう行きな──」

 

 パァン! 

 

 乾いた音が響き、晶音の左頬に痛みが走った。

 それまで口を挟まず、黙って晶音の話を聞いていた宇美が引っ(ぱた)いたのだ。

 

「……ジャッジ」

 

 目を白黒させる晶音に、ぐいと顔を近付けて膝を着くと、宇美が普段よりやや強めに、改めて名前を呼んだ。

 

「よく聞いて。私は……カナリアとは直接会ったことはないけど、ジャッジに同じようになってほしいとは思わない。それに、スコーピオン(アイツ)みたいなゲス野郎とジャッジが同じだなんて絶対違う……それだけは確か」

「成程、そういうことでしたか」

 

 晶音との間に割って入る声を聞いた瞬間、宇美が素早く振り返り、立ち上がった。

 その前方には、コキコキと首を鳴らすスコーピオン。宇美に不意打ちを受けたらしいが、さほど傷らしいものは見られない。

 

「アウトローについて調べましたが、道理で貴女の情報だけがない訳だ。まさかジャッジさんの《子》とはね。《悪夢(フィバー・ヴェノム)》を受けて、動ける者はそうはいないのですが……」

「虫ケラの毒なんて……、どうってこと……ないわよ」

「クク、威勢の良いお嬢さんだ。まぁ、それが少し不愉快でもありますし? 先に貴女から片付けましょうか」

 

 スコーピオンに標的として定められた宇美が歩き出す。

 

「フォ、フォックス……」

 

 晶音が呼びかけるが、言うべきことは言ったのか、宇美は振り返りもしない。

 その足取りはふらつき、明らかに本調子とは程遠い状態で、宇美はスコーピオンに向かって駆け出していった。

 

 

 

 宇美がスコーピオンとの戦闘を開始する中、どうしたらいいのか分からなくなってしまった晶音の脳裏に、亡き父の顔が思い浮かんだ。

 父は優しかったが、正しき心を持って生きるよう晶音に常々言い聞かせ、病によって骨と皮だけの体となった最期の時までそれは変わらなかった。

 だから、自らのデュエルアバターの名前に裁判官(ジャッジ)と冠されていたことを確認した時、晶音は少し嬉しかった。裁判官とは公明正大で正邪を判断する人間、つまりは正しい存在だと、当時の晶音は思ったからだ。

 そんな価値観を持つ晶音にとって、穏やかかつ聡明な経典は、理想に近い人物だった。今でも尊敬しているし、自分がそうしてくれたように、彼のように正しき心を持って宇美を導きたいと思っている。だが、そんな晶音に良い顔をしない者がいた。

 

 ──『いや、お前さんとカナリアは違うだろ』

 

 いつかのプレイヤーホームでの雑談の最中に、話し相手の大悟はきっぱりと断言した。それが癇に障って、食ってかかったのを憶えている。

 そんな晶音に、大悟は面倒臭そうに口を開いた。

 

 ──『別に見習うのは悪いことじゃない。ただ、やり方全部を同じようにするのは、いかがなもんかって話。誰一人として同じ姿、同じ能力じゃないのがブレイン・バーストで、人間ってやつなんだからよ』

 

 遥か昔の他愛のない話。今の今まで忘れていたのに、思い出そうとすると驚くほどに鮮明に記憶は甦っていく。しばらく話した後に、大悟はこう締めくくった。

 

 ──『ジャッジよ、お前さんは何事にも完璧であろうとする節がある。いいか、完璧さに囚われるな。どんな天才だって人間である以上、間違えることはあるんだ。そうでなけりゃ、そいつは機械か何かだよ。もっと肩の力を抜けよ、カナリアだってミスることくらいあるさ。例えば? ……いや、すぐには出ないな……ゴホン、ともかくだ。そんな考え方もあると、頭の片隅にでも入れておけ』

 

 それから晶音にとって、大きな出来事をいくつか経験した数年後。

 父方のいとこである、宇美と久々に話す機会があった。それまで亡くなった父の墓参りや回忌で顔を合わせても、東京を離れてからはどこかよそよそしくなってしまっていた。東京に住んでいた頃は、最低でも月に一度は顔を合わせていたのに不思議なものだ。

 親類の中でも宇美は、イギリス人である祖母の血を色濃く継いだのか、同じクォーターであっても日本人と変わらない容姿の晶音とは違い、目や髪の色といった容姿が日本人離れしていた。

 それ故か、宇美が学校のクラスで浮いた立ち位置になっているらしいことが、向こうが明言しなくとも話していく内に窺い知れた。晶音は直感的に、宇美にバーストリンカーの素質を感じ取り、ニューロリンカー装着の期間などを確認してからブレイン・バーストの存在を明かし、コピーインストールをしたいかを問うた。

 初めは半信半疑だった宇美も、こちらを信頼してくれたのか、あるいは他に思うところがあったのか、最終的に了承した。

 インストールが無事成功し、最低限のルールを教えたその翌日。ダイブコールを用いた報告で、デビュー戦を勝利で飾ったと報告する宇美の声は弾んでいた。聞けばその理由は勝利だけでなく、自分も対戦相手も、少数いたギャラリーさえも、誰一人として違う姿であったかららしい。

 宇美曰く、自ら選んだり、カスタマイズができるフルダイブ用のアバターではなく、その人間の心を基に創造された、唯一無二の存在であるデュエルアバターであることが重要なのだという。

 その時の晶音にはどうもピンと来ず、変わっているな、程度の感想しか抱かなかった。

 零化現象(ゼロフィル)を経て、平常より精神状態が乱れたからだろうか。今になって、いろいろな思い出が晶音の頭に浮かび上がっていく。

 人として正しくあること。他人と自分との違い。そこに先程宇美に言われたことが、晶音の中に混ざり合っていった、その時だった。

 今まで及びもつかなかった一つの考えが導き出され、稲妻に打たれたかのような衝撃が晶音に走る。

 

「……そうか。そういう、ことだったのですね」

 

 劇的に何かが変わったわけではない。ただ、それまでの価値観を違う角度から見ただけだ。しかし、それだけで千々に乱れていた晶音の心中は、今や明鏡止水の域に至ったと錯覚させるほどに落ち着いていた。

 首だけを動かした晶音が目を向けた先には、砂浜に倒れ伏す宇美と、少し間隔を空けて立つ、許せない敵の姿。やることは誰に言われずとも分かりきっている。

 

「中々に粘りましたが、そろそろ終わりにしましょう。その頑張りに敬意を表して、今回は一撃で仕留めて差し上げますよ」

 

 宇美の生殺与奪権を握るスコーピオンが、後頭部に繋がる尾状パーツを高々と掲げた。

 

「《スティング・デスストーカー》!」

 

 鎌首をもたげた蛇のように一度たわめられた、サソリの尾が一気に伸張する。鉤状の毒針が直線に形態が変わり、一本の槍と化した一撃が動けない宇美に──。

 

 バシィッ!! 

 

 刺さることはなかった。左右から傾いて砂浜から出現した二つ石英の柱が、白刃取りのようにスコーピオンの必殺技を食い止めていたからだ。

 

「なっ……」

「《パーフォレイト・パニッシュメント》」

 

 スコーピオンが目を剥いて驚愕する中、晶音の杖から真紅の光線が放たれた。

 光線の向かう先はスコーピオン──ではなく、砂浜に突き出ている、表面が鏡のように磨かれた二つの水晶の塊。

 光線は一つ目の水晶にぶつかると反射により角度が変化し、二本目の水晶の元へと進んでいく。二度の反射を経た直径二十センチ近い光線は、真っ直ぐに伸びた無防備なスコーピオンの尾の真芯へと垂直にぶつかり、焼き切った。

《パーフォレイト・パニッシュメント》。光線を反射する水晶の鏡を必殺技ゲージの消費量に伴い、任意で複数発生させることで軌道を撹乱させた光線で対象を射抜く、クリスタル・ジャッジの必殺技。残り少ない必殺技ゲージでも、発生させる水晶の鏡が二つ程度なら、問題なく発動できる燃費の良さも利点の一つである。

 

「ギッ……!? ギャアアアアアアアアアア!!」

 

 切断面から血飛沫のように紫の光を噴き出しながら、たまらずスコーピオンが絶叫する。その様子を晶音は一瞥しただけで、すぐに倒れている宇美の元へと向かった。

 

「ジャッジ……」

「遅くなってすみません。頑張りましたね、フォックス。そして、ありがとう。貴女のおかげで大事なことに気付くことができました」

 

 掠れ声で顔を上げる宇美を、晶音は優しく労い、感謝を述べた。

 

「私は……正しい人間とは、正しい行動だけを取らなければならないものだと思っていました。そこをスコーピオンに否定され、揺るがされたことで零化現象(ゼロフィル)を起こしてしまった。本当に、情けない話です」

 

 それこそが、四角四面に物事を捉えてしまう性根を持つ、晶音が陥ってしまった袋小路だった。

「正しい心を持つように」という父の言葉を鵜呑みにしてはいけなかったのだ。おそらく父はその先まで伝えたかったが、十歳にも満たない子供には難しいだろうと、そこまでは踏み込んで教えなかったのだと晶音は推測した。

 

「しかし、ボンズや貴女の言葉を思い出すことで気付かされたのです。人は誰しもが外面も内面も違い、正解は一つではないのなど。だからこそ、時に道を誤ってしまったとしても、手探りで正解を見つけていけば良いのだと」

 

 過ぎた出来事は元には戻らない。それがどんなに辛いものだとしても。それを受け入れることで、心を曇らせる霧が晴れた。

 確かに再び迷うこともあるだろう。しかし、その時はまた自分が進む道を、自ら見つけていくことこそが大事なのだと、晶音はそう結論付けたのだった。

 

「本当に強い人間は、他人の道を辿るのではなく、自分だけの信念を持つ者なのだと。貴女はそれを私に伝えたかったのですね」

「ジャッジ……。──いや……マジメか」

「えっ!?」

 

 宇美から返ってきたのは、衰弱気味の声であっても分かる呆れ声だった。

 予想外だった晶音は、先の閃きに負けず劣らずの衝撃が走り、うろたえながら宇美に確認する。

 

「え……? だ、だって、そういうことを目が曇っていた私に教えたかったのでは……」

「そんなん知らないし……アンタ、いちいち難しく……考えすぎ」

「わ、私を叩いたのは、活を入れようとしたとか、そういうのではなく?」

「あんまり……ウジウジしてたから……シャンとしなさい……って意味ならあったわね」

 

 話せば話すほど、葛藤していた自分が独り相撲をしていたように思えてきて、晶音は顔が熱くなっていく。

 

「でも、まぁ……何だか吹っ切れたみたいだし、いいんじゃない? 今も助けて……くれたしね。そろそろ……話すのもしんどいから……後、任せるね」

「……ええ、休んでいてください。ここからは私がやります」

 

 それでも最後にフォローを入れてくれた宇美に、ふっと笑顔を見せると、晶音は意識を戦いへと向ける。仇敵との決着を着ける為に。

 

「──不愉快極まりますね」

 

 手痛い反撃を受け、余裕が完全に剥がれ去った様子のスコーピオンは、隠すことない苛立ちを晶音達へと向けていた。

 

「私の予測を逸脱する存在……。もちろん悪い意味でのケースですが、それは私が何より嫌いなものです。それが二人も目の前にいるとは、全く度し難い」

「自慢の毒針を切り落とされてご立腹のようですね。フォックスをわざといたぶるように攻撃していた、貴方の過信が招いた結果だと知りなさい」

零化現象(ゼロフィル)にまで陥っていた分際で……。何があったのやら、この短時間で一皮剥けたようだ。こうなれば致し方ありませんね」

 

 悪態を付くスコーピオンはインストメニューを開いたらしく、宙で指を動かして一つのアイテムを出現させる。その手に持ったのは、艶消しの黒色をした一枚のカード。

 

「保険程度にしか考えていませんでしたが……。これ以上要らない抵抗をされて、不快な思いをしたくはないのでね。──《ISモード、起動》」

 



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第五十五話

 第五十五話 ジャッジメント・タイム

 

 

 スコーピオンの手にするカードに、何故だか言いようもない不安を感じ取った晶音は、そのボイスコマンドを耳にして驚愕する。

 カードが溶けるように宙に消えると、節足動物の脚が絡み付いたような意匠をしたスコーピオンの胸部装甲、その左胸に黒色の半球が浮かび上がった。直径五センチ程度の大きさだが、半透明な紫色の装甲に浮かんだその一点の黒は異様すぎる存在感を放っている。

 そう晶音が思ったのも束の間、球体の中央に一筋の線が走ると上下に分かれ、生物的質感の眼球が現れた。眼球は血を思わせる深い赤色の輝きを放っている。

 

「ISSキット……! どうして!?」

 

 事前に聞いていた名前を晶音が口にした直後。スコーピオンの足下から、粘ついた闇色のオーラが噴出した。

 闇のオーラは輝く砂浜に触れた途端に、砂粒を消し炭のような黒ずんだ色へと変えていく。

 ──宇美から聞いた話では、影のような過剰光(オーバーレイ)だと聞いていましたが……。これではもう、完全な闇ではないですか……! 

 情報以上の力の奔流を前に戦慄する晶音をよそに、スコーピオンは自身の周囲に渦巻いている、禍々しい闇のオーラをしげしげと眺めていた。すると、オーラは徐々に範囲を狭め、まるで染み込むようにスコーピオンへと吸い込まれていき、体の表面に薄く纏わり付く形態へと変化していく。

 

「ふむ……」

 

 何かを確認するかのように両手を見つめながら、握り締めては開いてを繰り返すこと数回。スコーピオンは右手を握ると、ちらりとこちらを見てから、笑うようにアイレンズを細めた。

 

「《ダーク・ブロウ》」

 

 一瞬で闇のオーラがスコーピオンの右手に凝集し、無造作に振り下ろされる。それだけで、砂浜に地雷でも埋まっていたのかと錯覚させるほどの爆発が起きた。

 

「っ……!? フォックス、ごめんなさい!」

 

 闇のオーラと砂が混ざり合い、舞い上がってできた柱に晶音は一瞬だけ目を奪われるも、すぐに我に返った。心意の毒に加え、目の前のオーラに圧倒されて声も出せずに倒れている宇美に石英をぶつけ、その場から無理やり離脱させる。

 

「《ダーク・ショット》」

 

 続いて、降り注ぐ砂のベールの向こうから声が届き、晶音はとっさに右方向へ跳躍した。それでも完全には回避できず、左腕の肘から先が漆黒のビームに巻き込まれる。

 氷を当てられたように感じられた後、ビームに呑まれた左腕部分の感覚はすでになく、断面を焼け付くような痛みが晶音を襲う。それでも、おそらく回避していなければ、脆弱な装甲の自分では即死していたであろうことを考えれば、安いものだ。

 痛みに歯を食いしばりながら、晶音はすぐに宇美の元に駆け寄り、闇の心意技の発生源に向けて杖を構える。

 

「ジャッジ、その腕……」

「心配ありません……。片腕あれば杖は振れますし、仮に両腕が無くても石英は発生させられます……」

「ク、ククク……素晴らしい……」

 

 ようやく前方の景色が晴れると、スコーピオンが笑い声を漏らしていた。その前方には《ダーク・ブロウ》によって作られた黒ずんだ大穴ができていて、砂浜に巨大なアリ地獄が発生したかのようだ。

 

「実に素晴らしい……ここまでの威力とは! 奴め、『何が侮らない方がいい』だ。これならば策を巡らせる必要もない。すぐにでもナンバーツーに……いえ、それどころか……トップに立つことさえ夢ではない!」

「……?」

 

 溢れ出る力に、普段冷静なスコーピオンも興奮しているのか、独り言の範疇を超えた声量の台詞に、晶音はどこか引っかかりを覚えた。

 大悟達から聞いた話では、プランバム率いるエピュラシオンは、加速世界にISSキットが広まっていることを知り、実態を探っていたところでアウトローと出会ったという。その際にプランバムはキットを蔑むような様子だったとも聞いている。そうなるとエピュラシオンの方針として、キットを入手しようとするとは考えにくい。

 つまり、スコーピオンは他のメンバーに無断でキットを手に入れたと考えられるのだが……。

 

「……貴方は、エピュラシオンのトップに立つ為に、下克上を考えているのですか?」

 

 晶音が訊ねると、ピタリと動きを止めたスコーピオンがこちらを向いた。

 

「んん? あぁ、まだ生きていましたね。あー……これから加速世界から消える貴女達には関係のない話ですよ」

 

 すでに晶音達に興味を失ったかのような露骨にぞんざいな口振りが、晶音には余計に気にかかる。それ以上の企てがあるのだろうか。

 ──彼には後ろ盾か何かが……? 

 

「貴方は一体……。まさか……加速研究会に……?」

「……さぁて、何のことやら。お喋りは終わりにしましょう。今度は試し撃ちではありませんよ」

 

 はぐらかすスコーピオンが、晶音によって中程まで切り落とされた尾状パーツを頭上に掲げると、切断部からオーラが噴き出され、自切したトカゲの尻尾が再生するかのように、鉤状の毒針を含めた尻尾を形作った。言葉通り、本当に勝負を決めようとしているらしい。

 こうなれば晶音ができることは受けて立つことだけだった。機動力では最初から勝ち目はないし、宇美を置いて逃げるなどという選択肢は最初からありはしない。

 晶音は一度深呼吸をすると、精神を集中させ、迎撃の心意技の発動を準備する。その体からは白色の過剰光(オーバーレイ)が放たれ始めていた。

 黒と白。二つのオーラが膨れ上がっていく。そして、スコーピオンの左胸に寄生する血走った眼球が、かっと見開くと同時に二つの声が響いた。

 

「《玻璃晶壁(クリスタル・プロテクション)》!!」

「《ダーク・ヴェノム・デスストーカー》!!」

 

 晶音と宇美を六角柱の水晶が包み込み、結界のような防御壁を展開する。

 対するスコーピオンの毒針の先端からは、毒々しい紫色の濁りが混ざった黒い大槍が発射され、一秒にも満たない速度で巨大な水晶に到達した。

 スコーピオンの攻撃心意技と晶音の防御心意技。互いの技同士が激しく衝突し、相手の心意技を上書きしようと削り合う。

 

「ぐっ……くうっ……!」

 

 砂浜に突き立てた杖を残った右手で固く握り締め、晶音は全力で精神を集中させて防御壁を維持しようとする。

 それでも猛毒の大槍が水晶の結界との衝突面から、じわりじわりと水晶を削り取っているのが感じ取れた。黒と紫で構成されたマーブル模様のスパークが飛び散る様は、どこか粘ついた毒液を連想させる。

 おそらくは、本来必殺技だったものをベースに自身の心意技と融合させ、更にキットの力を掛け合わせて増幅しているのだ。スコーピオンの毒と、キットによる虚無属性の心意は対象を害するという点において、すこぶる相性が良いのかもしれない。

 

「そんなガラス板が、いつまで保つでしょうかねぇ!」

 

 いつの間にか通常とは異なる、歪んだ金属質なエフェクトがかかっているスコーピオンの声には余裕さえ感じられた。

 ──こちらはもう限界が近いのに……! 

 とうとう水晶の表面に、微小ながらも亀裂が入り始める。

 二十秒はとうに経過しているのに、スコーピオンから放たれている技の勢いは全く衰えていない。それどころか、まるでエネルギーが尽きないとでも言わんばかりに、更に勢いが増したようにも晶音には感じられた。

 以前は心意技を修得していなかったことで敗北を喫した。ほとんど独力で心意技を会得した今度は違うと思って望んだが、また負けてしまうのか。

 より集中しようと閉じた晶音の瞼に、傷心のまま横浜で暮らしていた自分へ手を差し伸べてくれた、かつての仲間達の姿が浮かぶ。

 お調子者ながら、締める時は締めるレギオンマスター。そんなマスターに小言を言いつつも、誰より彼を信頼していたサブマスター。その他にも個性豊かなバーストリンカー達が少しずつ集まって、遂にはリチェルカというレギオンを結成するに至った。

 晶音がレギオンへの勧誘を頑なに拒んでも、いつもエネミー狩りやダンジョン攻略へと誘ってくれた、アウトローとはまた違う大切な居場所であり、友人達。

 本当は、スコーピオンを倒したところで大きな意味はないのだと、とっくの昔から分かっていた。それでリチェルカの皆が帰ってくるわけではないのだから。この場でスコーピオンを倒したとしても、全損に至らしめるまでの時間は割いていられないし、スコーピオンは対戦一回分のポイントを失うだけに過ぎない。

 では、何故自分はここまで必死になっているのか。それも晶音には分かっていた。

 ──何ということはない、只の私情です。皆を全損に追い込んだあの男に、一泡吹かせてやりたいだけです。でも、それは間違っていないのだと、私は自信を持って言い張ります。何故なら私も……この心だけは加速世界を自由に生きる、アウトローの一員なのだから!! 

 

 己の我を通す為の意地を原動力として、晶音は心意の水晶を展開し続けた。

 いつまで経っても破壊されない晶壁に、とうとうスコーピオンの方が耐えかねたかのような怒声を飛ばす。

 

「何故……何なのだ、お前は!? どうしてまだ消し飛ばない! 脆弱なガラス人形如きが作り上げた、叩けば砕け散る筈のガラスの壁が! あの日、偶然生き残っただけの、悪運が強かっただけの女が! 私に利用される多くの駒、その内の一つに過ぎない存在がぁ!!」

「ガラス人形じゃない……私はクリスタル・ジャッジ! 貴方に裁きを以って、報いを与える者です!!」

 

 スコーピオンに負けじと、晶音も声を張り上げる。

 そうして、闇の心意技はとうとう威力が減衰し始め、やがて途絶えた。

 役目を果たした水晶の結界もやや遅れて、音もなく消えていく。消耗はひどいが、晶音は膝を着くこともなく真っ直ぐにスコーピオンを見据えた。

 

「今度はこちらの──」

「舐めるな……」

 

 すぐに心意攻撃を発動しようとする晶音だったが、それよりも早く、スコーピオンが右手をこちらに向けて突き出していた。いつの間にかそのアイレンズは、左胸のキット同様の深紅に染まっている。  

 晶音は今の衝突の反動から、次の心意技発動まで至っていない。

 宇美も今の状態では動くことはできないだろう。

 ──間に合わない! そんな、ここまできて……。

 

「ハハァ! 私の勝ちだ……! 《ダーク・ショ──」

 

 高らかに勝利宣言をするスコーピオンの右手から、闇の力が今まさに発射されようとした、その瞬間だった。

 

 ガシャッ! 

 

 何かが施錠されたような金属音が響き、スコーピオンの右手に凝集していた闇のオーラが、ふっと消えた。

 同時に左胸に貼り付いているキットから、血の色を湛えた虹彩から光が失われていく。続けて、眼球は瞼を閉じていき、黒い瞼が生気の抜けたような灰色に変わると、音も立てずにスコーピオンの胸から転がり落ちた。

 

「………………はい?」

 

 あまりに想定外の出来事にスコーピオンは間抜けな声を上げ、それまで埋め込まれていたキットが抜け落ちたことでできた半球型の穴を、呆然とした面持ちで凝視している。

 事情は分からなかったが、晶音は千載一遇のチャンスを見逃しはしなかった。体から過剰光(オーバーレイ)を輝かせ、杖を掲げて叫ぶ。

 

「は、話が違──」

「《玻璃印晶(クリスタル・シール)》!!」

 

 何かを呟くスコーピオンの頭上へと出現したのは、全長十二メートル、直径三メートル近い幅をした、一点の曇りも無い水晶の円柱。見ようによっては巨大な印鑑を思わせる物体が、晶音の杖を真下へと振り下ろす動きに連動すると、有無を言わさずにスコーピオンを押し潰し、その身を粉砕した。

 

 

 

「──《禁固刑(インプリズンメント)》」

 

 出現したのは、二メートル四方の水晶の檻。四方は格子、天井と床が平面の独房の中には、鮮やかな紫色の死亡マーカーが回転している。

 檻の前に立ち、囚われのマーカーを晶音はしばらく睨み付けていたが、やがて目を離して宇美に声をかけた。

 

「行きましょう」

「うん」

 

 それからしばらく無言で歩き、地底湖と砂浜の空間が完全に見えなくなった所で、宇美が晶音に訊ねた。

 

「……アレ、意味あるの?」

「ないといえばないです。せめてもの意趣返しですよ」

 

 死亡中のバーストリンカーには、基本的に必殺技やアビリティ、心意技でさえ干渉することはできない。しかも、死亡によって一時間の待機を課せられているバーストリンカーには、死亡した場所を中心に十メートルの範囲に限られるが、幽霊のように周囲の者には見えずとも、物体をすり抜けて動き回ることは可能である。

 つまり、幽霊状態のスコーピオンが律儀に檻の中で復活を待っているとは限らないのだが、それは晶音も承知の上だった。

 

「あの牢獄は、あれ以上意志を込めても強化できませんが、半オブジェクト化しているので私が死亡かログアウトをする、もしくは心意技を使用して破壊しない限り、永続的にあの場に存在し続けます。後は……変遷が起きるかですね。ですが、復活したスコーピオンが自力で破壊するか、仲間に破壊してもらう可能性の方が高いでしょう。ともかく、しばらくは囚われの身というわけです。プライドの高いあの男には、あの状態は屈辱でしょうね」

「ふーん、なるほどね。ま、確かにいい気味か」

 

 スコーピオンが死亡状態になったことで、宇美の体を苦しめていた心意の毒は消え去ったようだ。今は足取りも軽やかに、同情の余地のない相手の処遇について納得すると、宇美は別の話題を持ち出した。

 

「でも……どうしてアイツのISSキットが急に取れたのかな? 解除もしていないのにさ」

 

 宇美の疑問はもっともだ。あの時、自分達は元より、スコーピオンさえも明らかに動揺していた。あれほどに大きな隙ができなければ、さすがにあの晶音の一撃だけで勝負が着くことはなかったのかもしれない。

 ちなみにスコーピオンから分離したキットは、戦いが終わってすぐに跡形もなく崩れ去ってしまい、調べようもなかった。

 

「私にも分かりません。……もしかすると、キット本体に何らかの影響があったのかもしれませんね」

「本体って、ミッドタウンタワーにあるかもってあの? でも凄いエネミーが守護しているんじゃ……」

「ええ。七大レギオンが策を講じたのか、あるいは加速研究会にも不足の事態が起きたのか……。いずれにせよ予測の範疇を超えません」

 

 スコーピオンを倒した晶音には、新たな懸念事項ができていた。

 それはスコーピオンが正体も目的も不明の集団、加速研究会との何らかの関わりがあるということ。構成員からキットを譲り受けたのか、あるいはスコーピオン自身が構成員の一人なのか。

 キット装着者はキットによって、精神を蝕まれていると聞いていたが、スコーピオンには多少の(そう)状態は見られたものの、必殺技と混合させるほどに使いこなしていた。

 それに下克上をするのかと問い詰めた時のあの態度。明らかに何かを企んでいた様子がどうにも気にかかる。そもそもナンバーツーやトップがどうというのは、エピュラシオンについて指していたのかどうかも分からない。

 そして、一応は(おそらく忠誠心は皆無であろうが)彼のマスターに当たるプランバム・ウェイトは、この件に関与しているのか。スコーピオンの背信に気付いておらず、密かに操られているのか、それとも──。

 事実が何であれ、今は考えるよりも足を動かすしかない。晶音は懸念を頭の隅に置いて、隣を歩く宇美に首を向けた。

 

「……今回は貴女に借りができてしまいましたね。貴女がいなければ、私はスコーピオンを倒すことができなかったでしょうから」

「そんな、やめてよ。私、不意打ちくらいしかダメージ与えていないし……。それよりもジャッジ、凄かった! 心意技を三つも出してさ! ……私もあんな風に心意技を使えるようになれるかな?」

 

 感謝する晶音に照れ臭そうに返す宇美は、一転して尊敬の眼差しを向けてきた。普段は大人びているのに彼女は時折、実年齢より幼い子供のような仕草を見せる。

 ──意志の力でスコーピオンの心意技に抵抗していましたし、頃合いでしょう……。

 

「……今度、教えましょう。まずはどの系統を使えるのか、見極めることから始めないといけませんね。ただし、貴女は貴女の道を行きなさい。私の後を追う必要はないのですから」

 

 ついつい小言気味な言い方になってしまったが、それでも顔を輝かせて頷く宇美に、晶音は柔らかな笑みを返すのだった。

 



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第五十六話

 第五十六話 見下ろす鉄人は忠義の胸に

 

 

 かつて、チタン・コロッサルはPK集団に所属していた。より厳密には、所属させられていたと言った方が正しい。

 数年前。PK集団の一員であったコロッサルの《親》は、同じ小学校に通っていたコロッサルに、ブレイン・バーストをコピーインストールした。その理由は、小学生離れした大柄な体格にもかかわらず、少し脅すだけですぐに言うことを聞く、非常に気弱な性格だったコロッサルを利用する為だ。

 コロッサルの役目は、《親》やその仲間達によってソーシャルカメラが未設置ないし、死角となる人目につかない場所に連れて来られた、リアル割れしたバーストリンカーを羽交い絞めにして身動きを取れなくすること。

 その間に《親》達が標的に無理やり直結をすることで、対戦を強要してポイントを奪う、個人情報を盗み見て弱みを握るなど、そのやり口は悪辣極まりないものだった。

 当然コロッサルは嫌がったが、断っても暴力を振るわれるので泣く泣く従う他ない。コロッサルにとって《親》は恐怖の権化で、親愛の情を向けられることなど皆無。時には抵抗して標的を逃がしかけても手を上げられ、毎日が地獄だった。

 そんなある日のこと。

 今回の《親》達の手法は、標的を無制限中立フィールドに連れ出し、更には最近手に入れたサドンデス・デュエル・カードによるサドンデス方式を強要し、複数人がかりでポイント全てを一回で奪うというもの。標的にリアルアタックを仕掛け、残るはコマンドを唱えるだけとなったその時、邪魔が入った。

 おそらくは自分達と同じ小学生であろう、一人の少年が現れたのだ。どういうことか、少年はバーストリンカーであることを名乗ると、自分が身代わりになる代わりに、捕まえている本来の標的を放すように要求した。

《親》達は始めこそ戸惑っていたものの、少年の正義漢ぶった態度が癇に触ったらしく、標的を少年へと切り換え、コロッサルに捕まえるように命令をする。

 いくらリアルを割っているとはいえ、元々の標的だったバーストリンカーを何の処置もせずに放置するあたり、当時は絶対的だった彼らは、PK集団としては五流以下だったと今のコロッサルは判断付ける。

 そうして、言われるがまま少年を押さえ付けたコロッサルは、触れている彼が震えるどころか、息さえ荒くなっていない様子を見て、どこか不審に思った。この異様なまでの冷静さは何なのかと。

 そうして無制限中立フィールドに降り立った一行は、すぐにカードへポイントのチャージを開始する。──コロッサルを除いて。

 これはコロッサルにとって、いつものことだった。PK集団は、自分たちが飼っている奴隷にポイントという分け前を与えることを、一度としてしなかったからだ(無制限中立フィールドに行けるレベル4になるまでのポイントは、自分でかき集めるように強いられていた)。

 この後の役割は盾や捨石として呼ばれるまでは、一番近くのポータルがある方角に突っ立って、逃走を図る標的の道を阻むというもの。

 コロッサルは位置に着くと、やはり知らないデュエルアバターだった少年が、己の《親》を含めた四人のPK集団になすすべもなく倒されるのだろうと諦観していた。

 その想定通り、戦闘は数分足らずで終了することになる。ただし、PK集団が獲物としか見ていなかった一人の少年、一体のデュエルアバターに全滅させられる形で。

 戦闘が開始されるなり、そのデュエルアバターは体から謎の光を放ち始めると、コロッサルの《親》やその仲間達を瞬く間に倒していき、泣いて命乞いをする最後の一人も、欠片の慈悲も見せずにとどめを刺した。自分達の仕掛けたサドンデス方式が完全に裏目に出たのだ。

 一体何が起きたのか。理解が追い付かないコロッサルはデュエルアバターがこちらに向かって歩いてくる中、呆然と立ち尽くすと同時に、どこか安堵もしていた。

 バーストポイントを全て失ったバーストリンカーは、ブレイン・バーストに関わる記憶を失う。コロッサルはその光景を幾度も目にしてきた。

 自分を虐げてきた《親》を含めたPK集団は、たったいま自分を除いて全滅した。自分がブレイン・バーストをアンインストールしたところで、責める者はもういないのだ。

 ところが、デュエルアバターはコロッサルの前で立ち止まると、どうして逃げないのかと訊ねてきた。

 その行動に少し訝しんだコロッサルだったが、どうせ最後だと簡単に自分の立場について説明し、自分をPK集団から解放してくれたせめてもの礼として、倒されることで保有ポイントを渡す旨を伝えた。

 それでもデュエルアバターは、いつまで経ってもコロッサルに手をかけようとはせず、その場を動かない。しばらくしてデュエルアバターはようやく口を開いた。

 

 ──『共に来るか?』

 

 現実の姿である少年とかけ離れた、青年と壮年が入り混じったような声。何も描かれていない無貌の仮面に覆われた頭部。得体の知れない、初めて出会った自分以外のメタルカラー。

 その声には所属させられていたPK集団とは違う、自分を思いやるような何かが確かに感じられ、コロッサルの心を大きく揺さぶった。

 その一言が、差し伸べられた手が、地獄に垂れ下がった蜘蛛の糸のように見えて。

 以来コロッサルは、震える両手を今の主へと伸ばしたあの瞬間を、一日たりとも忘れたことはない。

 

 

 

 ダイヤモンド・オーガーがアトランティス最深部へ進んでから数分後。

 ドーム型の大部屋に残った、二体のデュエルアバターの戦いは熾烈を極めていた。

 互いに繰り出すのは己の五体。飛び道具も強化外装も使用しない肉弾戦。だというのに、大部屋の床や壁は彼らの戦いの余波によって、大きくヒビ割れした跡や陥没した箇所が多く見られる。

 コロッサルは一対一の純粋な接近戦においては、ミドルランカーになって以降、これまで負けなしの戦績を誇っていた。

 そんな自分を前にして、目の前の敵はまるで怯まずに立ち向かってくる。

 

「カッハァッ!」

 

 気合とも笑いともつかない、一拍の呼吸と共に突き出されたアイオライト・ボンズの拳を危うく避けるも、コロッサルの顔をわずかに掠める。

 だが、ボンズはそれだけで終わらせず、突き出した右腕を引き戻してコロッサルの首筋を掴むと、勢い付けて膝蹴りを繰り出してきた。

 コロッサルがとっさにこれを両手で防ぐと、その衝突を利用して膝を引き戻したボンズはその場で一回転。勢いのままに、コロッサルの右脛へと下段蹴りを決める。

 

「……!」

 

 衝撃が脳へと信号を送って痛みとなるが、コロッサルはこれに耐え、並みのアバターなら首がへし折れるであろう、横薙ぎの裏拳をボンズの首に向けて振るう。

 しかし、ボンズはすくめた肩で裏拳を受け、首を守ると同時に威力を軽減させた。更には自ら攻撃の進行方向に跳ぶことで、よりダメージの軽減を行いつつ、コロッサルの間合いから離れていく。

 ──強い……。

 コロッサルとて、ただ力任せに手足を振り回すだけではなく、自分の攻撃を的確に当て、相手の攻撃を捌く技術を兼ね備えている。現に先の相手だったオーガーとの戦闘でも、戦闘は中断する形になってしまったが、九割を少し下回る程度までしか体力を削らせなかった。

 しかし、ボンズとの交戦時間はオーガーと比較すれば、四分の一にも満たないのにもかかわらず、己の体力はすでに六割を切っている。

 アバター本体の力と耐久性では勝るが、格闘技術では向こうに軍配が上がることを、コロッサルは認めざるを得なかった。

 

「ははは! 今のは危うかった!」

 

 接近しては離れる幾度もの拳戟の中で、ボンズは笑う。しかも、時間が経つ毎にその動きのキレは増していた。

 被ダメージの総量はこちらが上ではあっても、ボンズも無傷なわけではない。クリーンヒットには至らずとも、メタルカラーの特徴である強固な体から繰り出す攻撃は、確実に彼の体力を削っていた。自分以外の体力ゲージが見えない無制限中立フィールドでもそれぐらいは分かる。

 それでも尚、楽しそうなボンズの心情を、コロッサルはまるで理解ができない。

 今日この日はエピュラシオンを率いる己が主にとって、加速世界に変革をもたらす足がかりを得る為の重要なもの。万が一にも失敗はできなかった。

 

「……どうして笑っていられる。この状況下で」

 

 普段は比較的寡黙なコロッサルではあるが、ボンズの態度が気に入らずに口を開いた。

 ボンズ当人は「うん?」と首を傾げるとすぐに、まるでコロッサルが冗談でも言ったかのように噴き出す。

 

「可笑しなことを言うな。小手先の飛び道具もない五体のぶつかり合い、これが喜ばずにいられようか。武器も良いが、やはり一番は素手……これぞ正に対戦よ!」

 

 そう声高に、嬉しくてしょうがないといった様子のボンズは、口調まで少し変化している。

 

「いやはや、それにしても……メタルカラーの中でもお前さんは硬いな。アバターの性能に頼りきりでないところが尚良い。……まぁ、そうでなければレベル8にはなれはしないか」

「……自分は貴様に、レベルを教えた覚えはないが」

「合っているだろう? これだけ拳を交わしていれば自ずと推測も立つ。伊達に長くバーストリンカーとして生きちゃいない」

 

 どうもカマをかけられたらしく、コロッサルは顔をしかめた。

 

「貴様の《子》は我が主の下へと進んだ。奴では主には勝てぬ。ここで悠長に戦っていていいのか?」

「ふぅん、悠長……? お前さんにはそう見えるか」

 

 コロッサルの言葉を受けると、ボンズの声から笑いが消える。

 

「良かろう、ならば会話はここまで。お前さん、必殺技なりアビリティなり、出し惜しんでくれるなよ?」

 

 言うが早いか、ボンズは勢いよく駆け出した。そのままコロッサルの間合いへ入る前に跳躍、胸元めがけて飛び蹴りを見舞おうとする。

 ──今更そんな大振りな攻撃が……。

 コロッサルは、矢のように迫るボンズをブリッジで回避した後に、素早く倒立から後転。更にその場で百八十度回転した。

 正面には無防備な背中を晒した着地寸前のボンズ。コロッサルはクラウチング・スタートの要領で立ち上がりながら駆け出し、そのままタックルを食らわせようと突進する。

 ボンズにはもう振り向く暇さえない。いかに《荒法師》であれ、全体重を乗せた金属塊の突進を間合いも測らずに対処することは──。

 ──間合いも測れずに……見ずに……? しまっ──。

 

 己の失敗を悟ったコロッサルだったが、速度の乗った体はもう止められない。がっちりと全身に込めた力を抜くこともまた、すぐにはできない。

 

「喝!!」

 

 大きな掛け声を発するボンズは全く後ろを見ていない。にもかかわらず、右脚を大きく伸ばし、少し背を丸めた状態から左腕を引いた肘打ちが、前傾姿勢のコロッサルの右脇腹へと突き刺さった。

 

「ごっ……!? ごぼぁっ……!!」

 

 コロッサルの突進を受ける形になったはずのボンズは、両足に根を張ったのかと錯覚させるほどにその場から微動だにせず、接触の衝撃で足元の床に新たな陥没跡が作られる。

 肘打ちの衝撃が一気にコロッサルの内部にまで浸透し、体力が二割以上削られ、たまらずコロッサルはぐらりと右に傾いて倒れ込んだ。

 どうしてこうなったのかをコロッサルは理解していた。ボンズの肘打ちだけでは、ここまでのダメージを食らわなかっただろう。

 ──こちらの突進を……利用、された……! 

 ボンズは全体重を乗せたコロッサルの一撃の勢いを利用し、カウンターでコロッサルを迎撃したのだ。

 大きく伸ばした右脚はつかえ棒の役割を果たし、ボンズを押し留めて運動エネルギーをより発散させないように。背を丸めたのは、前傾になり肩から当たりにいったこちらの一撃を受けないと同時に、体を小さくまとめることで力が一点に集中するようにしたのだろう。

 そして、真後ろからの攻撃であったにもかかわらず、右腕に自然と守られる形になっていたコロッサルの脇腹へと、的確なタイミングで隙間へ肘を打ち出せた理由こそが──。

 

「……少しは効いたか? タフガイ」

「ぐぅっ……!」

 

 振り返るボンズの追撃から逃れようと、勢い付けた腕で床を打ち砕きながら、コロッサルは一気に立ち上がって退いた。

 

「それが……《天眼(サード・アイ)》アビリティか……」

「正解」

 

 コロッサルが息を荒げて脇腹を抑えながらボンズを見据えると、布で形作られた頭巾の下から、黄色い光が漏れ出ている。

 数日前よりコロッサル達エピュラシオンメンバーは、暫定的に参謀役を務めるスコーピオンが収集したという、アウトロー構成員であるバーストリンカー達の情報を事前に共有していた。

 これはプランバムが偶然の邂逅を果たした彼らを、懸念要素として警戒してのことである(実際、それは的中してしまった)。

 しかし、スコーピオンの情報元が何処であるかは分からないが、ほとんどのアウトローメンバーについては名前、デュエルアバターの身体的特徴、レベルぐらいしか判明しなかった。

 何しろ対象は過疎エリアで細々と活動をする、レギオンでもない単なる集まり。ほぼ全員が二つ名までついているものの、長く表舞台に顔を出していない彼らについて、詳細なデータはさほど得られなかったらしく、「情報不足は致し方ない」とスコーピオンは弁明していた。

 その中でアイオライト・ボンズは、先の崩壊しかけたプロミネンスの領土を巡る集団戦に出没していたことから、アウトローメンバーの中では比較的メジャーな存在であった。

 曰く、《荒法師》は全てを見通す千里眼を持つという。全てを見通すとはさすがに誇張しすぎであっても、《天眼》アビリティの脅威はコロッサルも理解していたのだが……。

 ──ぬかった……。警戒をしていたつもりが、いつの間にやら意識の外へ抜け落ちていたとは……。

 背を向ける形を取ったのも、発光という視覚的に発動が明確なアビリティであることからなのだろう。

 分かりやすい正面突破がブラフであることを見抜けず、勝負を急いてしまったことが自分の失敗であると、コロッサルがしてやられた結果を甘んじて受け入れていると、ボンズが口を開いた。

 

「『焦燥が見て取れる』……だったか?」

「何……?」

「さっきお前さんがオーガーにそう言ったことだ。今のお前さんにそっくりそのまま返そう」

 

 ボンズはコロッサルにじいっと視線を向けながら、光が消えた額を親指で軽く突いて示した。

 

「周囲を『観る』ように感じ、先読みし、見通すこの《天眼》。知っている奴は何より警戒する。近接系アバターなら尚更な」

「何が言いたいのだ」

「多分だが、普段のお前さんなら今の攻撃をみすみす食らうことはなかったはずだ。──本当は俺よりも、お前さんの方が奥の様子が気になっているんだろ?」

「…………!」

 

 自分でも意識していなかった図星を突かれたことで、コロッサルは驚きを隠しつつ、ボンズを睨み付ける。

 

「……ならば何だと言うのだ。こちらの動揺でも誘うつもりか? それとも、自分との戦いだけに集中しろとでも言いたいのか?」

「そう怒るなよ。俺だって先に行かせたオーガーも、行方知れずの仲間達も心配さ。だからこそ、お前さんを倒す為に最良の選択を取っているつもりだ。……お前さんにどう見えているかはともかくな。己にとって味方であれ敵であれ、誰かを想うことは力になる。だが──」

 

 人差し指を向けてくるボンズは、すでに《天眼》は発動していないのにもかかわらず、まるでこちらの心を覗き込んでいるかのようだ。

 

「時には逆に、弱くすることもある。さっきまでのオーガーや今のお前さんがいい例だ。結果、目の前の敵に集中しきれていない。それじゃあ元も子もないだろうに」

「……解せぬな。ならばその最良の選択とやらで、貴様は早急にこの自分を倒せば良いだろう。自分に要らぬ指摘をする必要もない筈だ」

 

 コロッサルにはボンズの行動が腑に落ちず、反発するように応じると、ボンズは緩やかに首を左右に振った。

 

「それは最適解であったとしても、俺にとって最良じゃない。俺の考える最良とは、全力のお前さんと戦った上で勝利することだ」

「……?」

 

 今度こそコロッサルはボンズの主張が全く理解できず、何も言えなくなってしまった。

 ──この男は一体……? 

 

「何の因果かこうして敵同士になってはいるが、お前さんみたいな一本気の通った性格の奴は嫌いじゃない。そういう奴とは全身全霊で戦いたいもんだ」

「全身全霊……」

「あぁ、会話は終わりだとさっき自分で言ったんだったか。まぁ、お前さんが俺に合わせる義理もないのも事実。──隠し玉を使う気がないのなら、それもまた良し。その命を貰い受ける」

 

 そうして会話を一方的に打ち切るボンズからは、見えない何かが滲み出していた。それは闘気と呼ぶのも生ぬるい、殺気とも感じられるものだ。頭巾の下からも再び光が漏れ始め、戦闘の構えを取る。

 体力がゼロになっても一時間で復活するというのに、明確な死さえ感じさせる威圧感を前にして、コロッサルは思わず身じろいだ。

 ──こやつ、主よりも……? いや、それこそ有り得ぬ。有り得ぬが……。

 オーガーとボンズの他にも、残りのアウトローメンバーがまだここに到達する可能性は充分に考えられる。それ故にたった一人に全力を出し切るわけにはいかなかったのだが、それでは目の前の男は倒せないとコロッサルは判断した。

 ──ここで倒せば、こやつは復活待機状態で一時間動けない。そして一時間も経過すれば、もう主に敵はいないだろう。ならば今の自分にできることは──。

 コロッサルは覚悟を決めると、片膝を着いて(ひざまず)くような体勢を取った。そのまま顔を上げ、目の前の強敵を見据える。

 

「……良いだろう、アイオライト・ボンズ。ならば貴様の望み通り、自分は全力を以って貴様を倒す。──《バルクアップ・ヒュージ》」

 

 コロッサルが必殺技を口にした瞬間、全身からメタリックグレーの光が放たれ、すぐに変化が訪れた。

 背中から肩が大きく盛り上がり、二の腕から手が肥大化する。同時に腰から大腿部、足と膨張していき、体全体がみるみると大きくなっていく。

 数秒後。そこには跪いた体勢のまま巨人と化したコロッサルの姿があった。

 コロッサルはゆっくりと立ち上がってから下方を向き、こちらを見上げて何やら小声で呟くボンズを一瞥する。

 

「……終わりだ」

 

 巨人が動いた。

 



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第五十七話

 第五十七話 見上げる僧兵は矜持を胸に

 

 

 戦闘行為において体の大きさとは、言うまでもないアドバンテージだ。

 ライト級ボクサーとヘビー級ボクサーがひたすらに殴り合っていれば、おそらく先に沈むのは前者だろう。

 窮鼠(きゅうそ)が猫を噛めば、一度は猫も怯むだろうが、その後の猫の反撃でネズミは死ぬだろう。

 それは基本として、大きいものは小さいものに比べ体力的に、そして筋力的に優れているからだ。

 では今のコロッサルにとって、ウサギほどの大きさしかない自分は勝利することはできるのだろうか。

 巨大化していくコロッサルに押し潰されないように大悟はそう考えながら後退しつつ、その様子を《天眼》を発動しながら観察していた。あまりの信じ難い状況に幻覚系の必殺技の可能性も考慮したが、《天眼》で見る限りは間違いなく実体のようだ。

 やがて巨大化が止まったコロッサルが立ち上がる。大悟の目算で十五メートルに到達しそうな巨体だ。これは必殺技によるものとはいえ、デュエルアバターとしては規格外の大きさである。

 

「『巨大なもの(コロッサル)』とは言ったもんだ。まさか《ハボクック》よりでかいデュエルアバターを見ることになるなんてな……」

「……終わりだ」

 

 思わず感嘆の声を漏らす大悟をよそに、コロッサルは跳躍。

 大悟を軽々飛び越え、震動を響かせ着地したコロッサルは床にクレーターを作り、部屋の入口に向けて、無造作に蹴りを入れた。それだけで入口は壁諸共にあっさりと崩れ、入口は瓦礫の山に埋もれてしまう。

 更にコロッサルは瓦礫をいくつも掴み上げ、奥の出口に向かって放り投げていく。こうして、あっという間に出入口は塞がれてしまった。

 

「逃がさないってわけだ」

 

 これだけの体格差となれば、始めから勝負を諦めるであろう、相手の逃走を阻止するのは実に合理的だ。もっとも、大悟としては逃げる気など始めからないが。

 

「……三分だ。この必殺技は三分間だけこの身を巨大化させ、その後三十分間は使用できない。自分が持つ唯一の必殺技だ」

 

 巨大化の影響か、くぐもったコロッサルの声がドーム中に響く。

 

「そんな技を俺だけに使ってよかったのか? ここに他の奴らが来るかもしれないのに」

「貴様を確実に倒す為ならば──惜しくはない!」

 

 コロッサルが脚をぐっと折り曲げ、溜めを作った後に再び跳躍した。

 頭上めがけて落雷のように降ってきた足に踏み潰されまいと、大悟は全速力で走り出す。

 直後に莫大な質量を持つ物体が地面に落下したことによる、先の比ではない震動が部屋中を駆け巡る。

 

「チッ……!」

 

 床に突き刺さったコロッサルの足を中心に、部屋の床全体に放射状の亀裂が広がるのを、直接視認せずとも《天眼》によって把握した大悟だったが、震動に足を取られることを強いられ、転げながら前進していく。

 重量級アバターの踏み付けは、軽量級アバターの移動を阻害させる震動波を起こすことも可能ではあるが、これではもう災害の規模だ。

 ──野獣(ワイルド)級通り越して、下手すりゃ巨獣(ビースト)級エネミー以上だな。一撃でもまともに受けたら即死か……。

 すぐに体勢を立て直し、大悟はコロッサルを見やる。

 現在の大悟の体力は残り七割弱だが、今のコロッサルでは無傷の状態であっても大差はないだろう。

 ──ともかく動かないことには話にならないか……! 

 数秒前より格段に悪くなった足場を引き返し、大悟はコロッサルの背後に回り込む。そのまま助走距離を取って右腕に力を込めたまま跳躍し、コロッサルの右脚の膝裏へと掌底を打ち出した。

 

「──カァッ!」

「ムウゥッ……!?」

 

 読み通りコロッサルの巨体を支える関節部分に強い力が加わることで右膝、続けて少し遅れて右手を床に着き、前のめりに体勢を崩した。

 大悟はその震動に足を取られないように気を付けつつ、今度はコロッサルの左側に回り込み、彼の膝を立てた左脚を一息で登ると、全身のバネを利用して再度跳躍。コロッサルの顎めがけて、先よりも力を込めた掌底を叩き込んだ。

 

「喝!!」

 

 顎へ強い衝撃を受けたことで巨人がぐらつく。

 ところが、そんな中でもこちらにしっかりと向けられた視線に射抜かれ、大悟の全身が警報を発するかのように総毛立つが、もう遅かった。

 

「ごぉっ……!!」

 

 ハエでも払うような動きで振るわれた、大樹の幹ほどの太さをした腕によって、大悟はくの字に折れ曲がって吹き飛ばされた。《天眼》によって攻撃を読めても、空中で攻撃は避けようがない。

 

 ──受け身……! 受け身を取らないと死ぬ……!! 

 

 部屋の壁に猛スピードで迫る中、大悟は思考よりも先に反射的に両腕が動き、どうにか壁へぶつかった衝撃を減少させた。それでも体の半分がめり込み、意識が飛びかける。体力ゲージが一気に三割減少し、イエローゾーンへと到達していた。

 特別に力の込められていない、腕で払うだけでこの威力。大悟は自分の見立てが甘かったことを思い知らされた。もう二回も同じような動作に当たるだけで、この身は確実に砕け散るだろう。

 しかし、それでも大悟は絶望していなかった。

 

「あぁ……これ……だ。こうでなけりゃ……いけない」

 

 むしろその逆に、喜びが混じった掠れ声で大悟は呟くと、体を壁から引き剥がして両の足で立った。

 

 

 

 真剣勝負における強者との一騎打ち。

 つまりは対戦こそが、かつての大悟にとって、ブレイン・バーストにおける本懐だった。

 全力で走ることは最悪、死にさえ繋がるほど虚弱だった幼少時代。

 近接戦闘主体の僧兵を模した、自らの分身であるアイオライト・ボンズは健全な肉体に対する憧憬、体感し得なかった未知なるもの故の恐れに加えて、宗家ではなくとも仏門の家系に生まれたという、幼いながらの自覚が混ざり合って生まれたデュエルアバターだと、大悟は推測している。

 ある日突然送られてきた、思考の加速を可能にする送信元不明の対戦格闘ゲームアプリ。

 初めての対戦相手は弟の経典。対戦フィールドは《草原》ステージだった。

 無論、現実で広大な草原を訪れたことなど一度としてなかったが、他のフルダイブ空間とは段違いのクオリティーに、七歳の大悟は感動を覚えたものだ。きっと経典も同じように感じていたと思う。

 戦いもせずに経典と一緒に夕焼け空の下、金色をした草の海をひたすらに走り回った。本当に自分の脚を動かしているような感覚にはしゃぎすぎて転び、地面に擦った膝の痛みさえも嬉しくて、たっぷり対戦時間終了まで動き回り現実世界に帰還すると、経典と二人で泣いた。辛く苦しく、悲しい時以外にも涙は流れるのだと、この時に初めて知った。

 当然と言うべきか、大悟がブレイン・バーストにのめり込むのに時間はそうかからなかった。

 しかし、レベルが一つ、また一つと上がるにつれて対戦相手が新たな必殺技を取得していくのに対し、大悟のボーナス選択項目に必殺技が表示されることは一度としてなかった。大悟が知る中で同様のケースの人物は一人もいない。

 

 ──『大悟は優しいから、必殺技が覚えられないのかもしれないね。ほら、必ず殺す技なんて、大悟らしくないもの』

 

 何の根拠もない意味不明な理論を、自分よりも遥かに温和な性格の経典に言われても釈然としなかったが、無いものねだりはできないのも事実。勝利を得る為に、大悟にはアイオライト・ボンズの動きを洗練させていくしか道はなかった。

 あらゆる武術の技、体運び、呼吸法に至るまでネットで貪欲に漁っては、試行錯誤しながらアバターの動きに組み込んでいく。当然ながらそう簡単に身に付くわけもないので、モノにするには反復と実戦あるのみ。多種多様な対戦相手が必要だった。

 こちらの身を案じる大人達に経典と一緒にせがんでは、住んでいる世田谷の外にもできる限り足を運び、誰彼構わずに対戦をしていく。そうして戦っている内に、いつしか《荒法師》と呼ばれるようになっていた。

 そんな大悟は、最初から宿していた《天眼》アビリティの強化や、様々なタイプの相手に対応する為、薙刀型の強化外装である《インディケイト》をレベルアップ・ボーナスで取得などもしたが、無手での勝負を何より好んだ。相手が同様に徒手空拳を用いるデュエルアバターであれば、尚更に燃えた。

 修行の成果を魂の分身であるデュエルアバターの体を駆使しての肉弾戦は、己が生きていることをより強く実感させてくれるからだ。

 やがて、対戦を交えてできた幾人もの戦友、共に加速世界を過ごすかけがえのない仲間達。そして、偶然ながらも運命的な直感を信じて選んだ《子》であり弟子となった少年に出会った。

 己の研鑽する中で、ブレイン・バーストに秘められた心意システムの存在を知り、体得していった。

 加速世界の東京の様々な場所を巡り、時には東京に隣接する他県のエリアまで足を運び、そうして長い時を経て精神年齢と肉体年齢に大きな差が開いた現在。大切なものは初めの頃より遥かに増えた。

 昔より落ち着きこそすれ、それでも死線の境での強者との闘いに気持ちは昂ぶり、血が騒ぐ点は変わらない。

 それが如月大悟という男の魂の形である。

 

 

 

 コロッサルはこの事態を半ば信じられなかった。

 必殺技《バルクアップ・ヒュージ》の発動条件は、体力ゲージが半分以下まで減少した状態で、必殺技ゲージがフルチャージ状態であること。加えて発動後の三十分間は使用不可能な為、通常対戦では実質一度しか使用できない、非常にシビアなものである。

 しかし、それらデメリットを補って余りあるほどに巨大化は絶大で、これまでにこの状態のコロッサルを倒したバーストリンカーは、心意技の使用を除けばプランバム・ウェイトただ一人だけだ。

 これまで相対してきた敵は、その誰もが発動時間終了までひたすら逃げ回るか、勝負を諦めていたというのに、この男は違う。

 

「はは、ははは、ははははははははははぁ!!」

 

 何倍もの体格差がある相手にまるで臆さず、先のコロッサルの一撃によって、上半身に纏っていた着物型の装甲は砕け散り、ボロボロになった頭巾も自ら剥ぎ取った半裸の僧兵は、哄笑(こうしょう)しながら立ち向ってくる。

 その姿がコロッサルの目には、戦いに喜びを見出す修羅や羅刹の類に映った。

 ──鬼の《親》はやはり鬼か……! 

 仲間であるインディゴ・クロコダイルも非常に好戦的な男ではあるが、それよりもボンズは数段階深い地点にいるようにコロッサルは感じ、戦慄さえ覚える。

 ボンズは合間に《天眼》を発動して先読みしているのか、こちらのパンチや踏み付けは当たらず、同時に発生する巨体が動く震動や、床が砕けることでできる大小の瓦礫にもほとんど影響を受けないように立ち回る上に、こちらの隙を見逃さずに攻撃まで入れてくる。

 一度に受けるダメージは微々たるものだが、それでも何度も食らっては無視できないし、必殺技の制限時間はすでに半分を切っている。このまま倒しきれずに元の大きさに戻ってしまえば敗色は濃厚だ。

 ──駄目だ……それだけはできない。この男を主の元へ行かせては……! 

 プランバムを除くコロッサル達エピュラシオンメンバーは、万が一にも計画を妨げる可能性を排除する為に、こうしてダンジョン各所に分散している。

 止むを得なかったとはいえ、すでに一人通してしまっている今、これ以上何人たりとも進ませるわけにはいかないのだ。

 

「潰れて……消えろ!」

 

 コロッサルは右手に意識を集中しつつ、その場で大きく跳躍してから、勢いよく床を踏み付ける。すぐに大震動が部屋中を駆け巡り、ボンズの足をその場に留めた。

 

「《鋼墜星(ティタン・フォール)》!!」

 

 コロッサルは高く掲げた右手に鈍色の過剰光(オーバーレイ)を発動させると、右手が更に十倍近く巨大化した。

 どんなに強力であっても、存在が広まれば加速世界に混乱を招くことが明白な心意技の使用は、基本的にエピュラシオンメンバーは禁じられている。ただし、今回は特例として目的達成の為に、レギオンマスターであるプランバムから使用の許可が出ていた。

 とはいえ、あまり融通の利かない性格のコロッサルには、普段使うことのない力を無闇に使用することには(いささ)かの抵抗があり、必殺技を使用すれば片はすぐに着くとも思っていた。それもこの状況では、己の驕りであったと認める他ないが。

 しかし、この攻撃範囲ならば動きの止まったボンズを確実に、かつ一撃で倒すことができるだろう。

 ──これが我が全力。さらばだ、強敵よ……!! 

 

「オオオオオオオオオオォォ!!!!」

 

 もはや隕石といっても過言ではないチタンの拳が、部屋諸共にボンズを破壊せんとばかりに振り下ろされた。

 

 

 

 大きいものは小さいものよりも強い。それは純然たる事実である。──少なくとも現実では。

 では加速世界ではどうなのだろうか。答えは──。

 

「《天部(デーヴァ)風天(ヴァーユ)》……!」

 

 心意技による巨大な拳が迫る中、大悟もまた心意技を発動する。足下を蒼い風が包み込み、一本下駄に足部の形状が変化すると、初動から通常の全速力を遥かに越える速度で前へと駆け出した。

 

「な──!?」

 

 過剰光(オーバーレイ)の残像を線のように引く、ほとんど瞬間移動と変わらない動きにコロッサルが驚愕の声を上げる。

 コロッサルの心意技は見るからに強力だ。しかし、どれだけ大きくてもそれはあくまで手。腕の先に付いている以上、コロッサルの体に近付いてしまえば、攻撃の範囲からは外れる。ましてや、すでに振り下ろした状態で、自分の体の三分の二に近くまで拳が巨大になったのならば、肘を曲げるなどの軌道を修正する動作はもうできない。

 

 ドゴォォォォォォォォォォ!! 

 

 コロッサルの打ち下ろした拳によって床に大穴が開くと同時に、伝う衝撃が全周囲に亀裂となって走った。ドーム状の部屋を支える柱の何本かが崩壊していく。

 そんな大規模な破壊に巻き込まれず、コロッサルの懐に入り込んだ大悟は強化された脚力で垂直跳びをした。

 

「喝!!」

 

 そのまま百八十度真上に蹴り上げた右足が、コロッサルの顎へと打ち込まれる。

 顎への強い衝撃は脳震盪を引き起こす。人の形を取っている以上、大きさが異なっても例外ではない。巨大化状態のコロッサルに大悟が最初に顎へ掌底を放ったのも、これが狙いであった。

 先程はぐらつかせこそしたものの、威力が足りずに手痛い反撃を受けてしまったが、今度の心意技で強化された蹴りは威力が数段違う。

 

「グゴッ!? オオォ……!!」

 

 威力と範囲故に持続時間が短かったのか、右手が体相応の大きさに戻ったコロッサルは、呻きながら緩慢に後ろへと仰け反っていく。

 地面に着地した大悟は急いでコロッサルの背後に回り込むと、《天眼》を発動させながら立ち位置を調整して待ち構える。他でもない、この巨人を倒す為に。

 脳が揺れ、足下が覚束(おぼつか)なくなったコロッサルが、とうとう真後ろに倒れ込んできた。

 

「《天部(デーヴァ)地天(プリティヴィー)》」

 

 囁くように発声する大悟の手首足首、首に腰と、体の各所に巻かれた数珠型の装甲が一斉に輝き出し、回転を始めた。すると、数珠は回転しながら体に纏わり付くように増殖していき、目元と足裏を除いた全身を包み込んだ数珠の鎧が完成する。

 集中力を研ぎ澄ませ、大きく息を吸い込む中、コロッサルの広大な背中が迫る。そうして大悟は右足を力強く踏み締めると、両腕で掌底を打ち出した。

 

「────喝!!!」

 

 全身の力を練りに練り上げて放った渾身の掌底が、大木の切り株のように太い巨人の首に直撃する。

天部(デーヴァ)地天(プリティヴィー)》は《装甲強度拡張》の心意技で、全身に纏り付いている数珠は様々な攻撃、衝撃を回転することで周囲へ受け流して無効化する。

 今回使用した理由は、《攻撃威力拡張》の心意技《天部(デーヴァ)火天(アグニ)》では、現在のコロッサルの質量に耐え切れずに潰れてしまうからだ。

 それに向こうの残り体力の状態が確実には把握できない以上、隙ができてしまう威力の高い攻撃をしても、反撃を受ける可能性がある。故に大悟はコロッサルの倒れた勢いも利用して、一撃必殺の攻撃(これまで与えたダメージも加味しての話だが)を放ったのだ。コロッサルの首──すなわち延髄に。

 

「カ……ガハッ……!!」

 

 己の全体重と大悟の攻撃が一点に急所へと集中し、頭部のみが接地していない状態で仰向けに倒れて動かなくなったコロッサルが、やがて口を開いた。

 

「ひ、一つ……聞く。何故……自分がひ、必殺技を使ってからすぐ…………心意……使わなかった……か」

「……相手が心意技を使わない限り、俺は心意技を使わない。対戦において、裏技に頼る気はないからだ」

「その、まま…………は、敗北したとしても……か?」

「使わない。理由は何てことない、ただの意地だよ」

 

 コロッサルの頭部を支える形になり、途轍もない重量を逃がす為に、全身の輝く数珠が高速で回転している大悟は、息も絶え絶えなコロッサルの問いに対して淀みなく答える。

 リキュールやキューブ、それにゴウにも、大悟は相手が心意技を使用した時の迎撃にのみ、心意技を使うように教えていた。《心の傷》に引き込まれてしまうという理由もあるが、ゲームバランスを崩しかねない上に、それを運営が意図的に容認している心意技を、大悟は純粋な対戦で使うのを好ましく思っていないからだ。

 たとえ、心意技の修得が並々ならぬ努力の上で行われたものだとしても、ルール外の力を片方が一方的に使える展開の何が面白いというのか。

 

「…………そう、か」

 

 コロッサルは大悟の返答に納得したように短くそう返事をすると、吐息混じりのかすかな声を出す。

 

「主よ……。もうし、わけ──」

 

 首の表面が砕け、大悟の手がより深く食い込むと、コロッサルは言葉を言い終える前に体力が底を尽きて爆散する。

 それから大悟は心意技を解除すると、鈍色をした死亡マーカーの前で、しばし手を合わせて黙祷(もくとう)をしてから口を開いた。

 

「……全霊で応えてくれたことを感謝する、チタン・コロッサル。この戦い、俺は忘れはしない」

 

 大悟はそれだけ言うと、一つの決着を着けるべく、塞がれた奥に繋がる道の開通を始めた。

 



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第五十八話

 第五十八話 秘宝の名

 

 

 ある時を境に断続的に続いていた地響きが、完全に止んでからしばらく経った。

 ゴウは意識をわずかにそちらへと向ける。

 この最深部へ続く部屋で戦っていた、コロッサルと大悟の決着が着いたのだろうか。だとしたら大悟は勝ったのか、それとも──。

 

「余所に気を向ける余裕があるのか?」

 

 冷徹な声と共に鉛色の鎖分銅が飛来し、ゴウの右腕に巻き付いた。

 プランバムが左腕をクイと引くと、袖口から伸びている鎖が凄まじい勢いで引き戻され、鎖に巻き付かれているゴウも引っ張られていく。

 これまでプランバムは近接戦闘主体のゴウを近付かせないようになのか、鎖分銅による中距離攻撃を続けていた。

 しかし、ここに来て自ら引き寄せるのはどういうことかと、ゴウは引き摺られながら疑問を覚えたが、ともあれこれはゴウにとっては好都合でもある。

 ──まずはこのまま近付いて……。分銅を腕から外そうとしても、逆にこっちが掴んでもう逃がさない! 

 両足で大理石の床を削り、まるで全力で抵抗しているような素振りを見せるゴウは、プランバムに充分に近付いたところで、鎖の絡んだ右腕に力を込めて左下方に引っ張った。これによりプランバムも連動して鎖を伸ばしていた左腕が下げられ、体勢がやや崩れる。

 

「はっ!」

 

 その隙を逃さずにゴウは接近し、右脚での回し蹴りをプランバムへと繰り出した。当然、蹴りの軌道上に鎖があるなどというミスはしない。ガードしようにも左腕はすぐには上げられないはずだ。

 攻撃のヒットを確信したゴウだったが、脚は空を切るだけだった。プランバムが前に倒れるようにして避けたからだ。

 プランバムはゴウが強く引っ張ったことで、ピンと張り詰めた鎖を手繰りつつ、ワイヤーアクションさながらに、床を滑るような動きでゴウの後ろへと素早く回り込んだ。鎖分銅がするりと緩んでゴウの右腕から離れると同時に、蹴りの軸足となっていたゴウの左脚を取って転ばせる。

 そのままゴウはうつ伏せに地面へと叩き付けられ、更には背中に強い衝撃を受けた。

 

「ぐあっ!」

 

 ──動きが読み辛い……。それに中距離特化のアバターの動きじゃない……! 

 メタルカラーアバターの厄介な点の一つは、色によるアバターの特性が判断できないということだ。見た目の色はそれぞれが名前に冠する金属によるものなので、例えば青い色合いをしているからといって、近接系のデュエルアバターとは限らない。

 今回の戦闘でプランバムは鎖分銅による攻撃しかしてこなかった上に、ゴウにとってはそれが高い水準のものだったので、近接戦闘が不得手の典型的な中距離タイプだと思ってしまったのである。

 

「相手の体勢を崩して攻撃を仕掛ける……。狙いは悪くないが、正直過ぎる」

「この──!?」

 

 上にのしかかったプランバムを振り払うべく、立ち上がろうとするゴウだったが、どうしたことか全身が急に重くなり、腕さえも上がらなくなってしまった。

 プランバムはゴウの背中にのしかかってこそいるものの、関節を取ったり、押さえ込んでいるわけではない。にもかかわらず、ゴウはまるで体の隅々に鉛を流し込まれたかのように感じていた。

 ゴウは首が横に向いた状態のまま、目線の端に服の裾しか映らないプランバムを睨み付けた。

 

「な、何をした……?」

「《重圧付加(プレス・アディション)》。対象の重量を増加させるアビリティだ。燃費は悪く、手で触れ続けている必要があるが──」

 

 じゃらり、と鎖の鳴る音に続き、背中の上でヒュンヒュンと風切り音が唸る。

 

「無防備かつ身動きが取れないこの状況が、どれ程に致命的か理解できない訳ではあるまい?」

 

 遠心力を利用して威力の増した鎖分銅を、この至近距離から食らってはただでは済まない。

 ゴウが必死の思いで全身に力を込めると、ようやく体が動き始める。だが、その動きはリクガメ並みに緩慢だ。

 

「ほう……動くか。やはり筋力値には目を見張るものがあるな。だが──」

 

 珍しいものを見るようにプランバムが感心の声を上げ、とうとう刺すような攻撃の意思がゴウの背中に走った瞬間──プランバムが突如として飛び退いた。

 ゴウはたちまち体が軽くなり、訳の分からないまま転がって仰向けになると、自分の数十センチ上にある物体を見た。

 それは青みの強い菫色をした、反り返った段平の刃。ゴウがよく知る人物の強化外装の一部だ。

 

「《縮》!」

「《ランブル・ホーン》!」

 

 入口の方から届いた声に振り向くこともなく、持ち主の下へと縮んでいく刃を一つの合図のようにして、立ち上がったゴウは正面に据えたプランバムへ向かって、必殺技を発動した。

 

「うおおおおおお!!」

「ぬ……!」

 

 さしものプランバムがわずかに焦りを見せながら、必殺技によって伸張したゴウの両角を両手で握り締める。再びアビリティを発動したらしく、すぐに体が重くなっていくが、脚力が強化されているゴウの突進は完全には止まらない。そのまま幾何学模様の刺繍が施されたタペストリーの垂れ下がる壁へとぶつかった。

 プランバムが角を離した瞬間にゴウは素早く後退すると、窮地を助けてくれた人物のいる後方を振り向いた。

 

「師──!?」

 

 入口に立ち、柄を伸縮させることができる薙刀、《インディケイト》を持つ大悟の姿を見るなり、ゴウは絶句してしまった。

 大悟は普段身に着けている頭巾も、着物を模した装甲も身に着けておらず、袴一丁の状態で全身が傷だらけだ。ここまで傷付いた大悟をゴウは見たことがない。

 

「ど、どうしたんですか、その格好……」

「ちょっと巨人とやり合ってな。おかげで一張羅が台無しだ」

 

 大悟は薙刀の柄を肩に当てながら軽い調子で話すが、それでも声には隠しきれていない消耗具合が窺えた。ダメージが見た目だけではない証拠だ。

 

「それで……。奴がいるってことは、ここが最深部で間違いなさそうだが……《秘宝》ってのはどこにある?」

「あの、それなんですが──」

「既に我が手の内だ」

 

 ゴウが説明する前に、歩み寄ってくるプランバムが自ら明かした。やはり《ランブル・ホーン》の威力はかなり減衰していたようで、食らった直後なのに足取りはしっかりとしている。

 

「コロッサルは敗れたか……。しかも同胞を配置した場所にバーストリンカーの存在を感じない上に、ここへ繋がる道から配置した数とは異なるバーストリンカー達がこちらに近付いているのを感じる。これでは全員敗北したと見るか……」

「何の話だ?」

「プランバムは手に入れた《秘宝》の副次効果で、このダンジョン内にいるバーストリンカーの位置を把握しているらしいんです。それが誰かまでは特定できないらしいですけど……」

 

 事情を知らない大悟にゴウが耳打ちをすると、大悟は顎に手を当てて、訝しげに唸った。

 

「このだだっ広いダンジョンにいる奴らの位置を把握……? そんなことできるアイテムなんぞ、聞いたことないな……」

「信じるも信じないも自由だが、私は事実を述べたに過ぎない」

 

 半信半疑といった様子で呟く大悟に、プランバムが割って入る。

 

「ダンジョン内でアイテムを手に入れるという当初の目的は達成した。だが、これからだ。エピュラシオンによって、やがて加速世界は正しき道を歩んでいく。──アイオライト・ボンズ。コロッサルを打ち負かした強者よ。我々はこうして争っているが、これより先にエピュラシオンが成すことは貴様らにとっても悪い話ではない」

「ダンジョンに続く正規の道も使わないで先回りしていた上に、こっちの情報まで調べておいて、どの口が言ってんだ。今度は懐柔でもしようってか?」

 

 大悟は素っ気ない態度で応対するが、プランバムは特に気にした様子もない。

 

「我々とて必死なのだ。貴様の隣に立つダイヤモンド・オーガーは何となく気に入らないという、理由にもなっていない答えで私の考えを否定した。故に戦わざるを得なくなってしまったが、古くから名の通った、加速世界で長く生きてきた貴様なら理解できる筈だ」

 

 それからプランバムはゴウに話したように、大悟にエピュラシオンの目的について話していく。

 自分にはプランバムの考えが受け入れ難かったが、大悟もそうとは限らない。ゴウはプランバムの話に口を挟むことなく、黙って聞き続ける大悟の様子を不安な心境で見守っていた。

 

「──何も我らの仲間になれと言っているのではない。同盟関係を組む必要も無い。互いに不干渉であれば、いずれ七大レギオンさえ絶対ではなくなり、不可侵条約も消える。過疎エリアで細々と活動する貴様らにとっても都合の良い展開だろう?」

 

 そう言って話を締めるプランバム。

 話を聞き終えた大悟の答えは──。

 

「駄目だな、全然分かっちゃいない。論外すぎて話にならん」

 

 百パーセントの否定だった。

 あまりにもバッサリと切り捨てるので、耳打ちするゴウは図らずも、硬直するプランバムを気遣うような形になってしまう。

 

「し、師匠……。そこまで言わなくても……」

「うん? お前さんだって否定したんだろ?」

「いや、そうですけど、それでも言っていることの全てが間違っているとまでは……」

「まぁ、そうだな。でも今は黙ってろ。プランバム、お前さんにいくつか言いたいことがある」

 

 大悟はゴウとの会話を一方的に打ち切ると、プランバムに向き直った。

 

「第一に、俺は今の加速世界がそこまで嫌いじゃない。第二に、少なくとも俺からすれば、お前さんの考えは独りよがりだ」

「……不遇を強いられる者達を救済しようとすることが、間違っているとでも言うのか」

「乱暴に言えばそうだな」

 

 大悟はあっさりと断言して続ける。

 

「プレイヤーとして、このブレイン・バーストを最初から見てきた。何もかも手探りの中でレベル2に上がり、コピーインストールによって新たなプレイヤーが増え、やがて一人、また一人と無制限中立フィールドへ。昨日存在したレギオンがエネミーに全滅させられるか、他のレギオンに吸収合併されるかで次の日に消えては、新しい勢力が台頭。新ステージが出現しては、そのステージでの立ち回り方を見つけていく。そうして世代を重ね、今の環境が作られていった。現実で八年。千倍すれば八千年の積み重ねだ」

 

 八千年といっても、もちろん常時ダイブしているバーストリンカーなど存在しないので、やや大仰ではある。それでも最初の百人(オリジネーター)の一人の言葉は、ゴウには言い表せない重みがあった。

 

「その中で生き残るには戦っていかなければならない。対戦相手は元より、己の取り巻く現実世界と加速世界、双方の環境ともだ。そうして生き残れた者だけがバーストリンカーとして加速世界に留まり続けることができる」

「本人の意思に関係無く、どうにもならない八方塞の状況下に置かれ……。彼らは運が悪かったから諦めろと? 何とも傲慢な考えだ、恵まれた者は対岸の火事には興味すら抱かない……貴様もその典型だ。私は違う。正義の為に行動しているのだから」

「まさにそこだよ。お前さんが独りよがりだってのは」

 

 反論するプランバムに大悟がぴしゃりと言い返す。その声にはやはり欠片も迷いはなかった。

 

「善悪の観念に明確な答えなんざ出ない。己にとっての最善が、他者にとってもそうとは限らないからだ。人は全員が平等に、開始地点が一緒の状態で走れるわけじゃない。だが、それをいくら嘆こうが現状は変わらないし、それでも世の中は回っていく。革命起こしたいのなら自分の中だけでしろ。少なくとも俺は自由に過ごせる加速世界が好きなのであって、お前さんの匙加減で決定付けられる加速世界なんざ、まっぴら御免だ」

「…………」

 

 プランバムが押し黙っても、大悟は止まらない。

 

「それにお前さん、加速世界の現状を目にしてきたとか言っていたが、お前さん達について俺達が調べようにも名前さえ出てこなかったぞ。百聞は一見に如かずなんて言っても、遠目から見ただけでその対象を理解したつもりだとしたら、ちゃんちゃらおかしい」

「…………では、貴様は王共が作り出した歪な箱庭を受け入れ続けるのか。奴らの不可侵条約こそ、貴様の言う自由とやらを妨げているのではないのか」

「不可侵条約ね……」

 

 そうきたかと言ってから大悟は腰に手を当て、溜め息を吐く。

 

「確かに個人的には、しょうもないことをしているなとは思っているよ。ただ、それだけで全否定する気もない。奴らが少なからず加速世界の為に尽力してきたこともまた事実だし、そうでなくとも何人かとは知らない仲じゃないからな。──もっとも、お前さんは何も知らないだろうが」

 

 ゴウは心意修得に一ヶ月間無制限中立フィールドで修行していた合間、大悟が休憩がてら話して聞かせてくれたことを思い出す。

 加速世界を支え続けようとしている大樹の男。

《災禍の鎧》に冒され、加速世界を脅かす存在になってしまった己の好敵手を、泣く泣く切り捨てたという剣聖。

 敵味方問わず、誰からも慕われたガンマンと彼の亡き後、作り上げた場所と仲間を繋ぎ止めた二代目。

 裏切り者の汚名を着せられ、一度は穴倉に篭って尚も、レベル10とその先を求め、仲間と共に突き進む黒睡蓮。

 それらを話す大悟の声には、こちらの気のせいでなければ、わずかに敬意のようなものも含まれているようにゴウは感じたものだ。

 

「さてと。何だかんだと言ったが、結局はお前さんの作る秩序とやらが、俺にとっては気に食わないってこと。オーガーと同意見だ。まぁ、俺らだけじゃなく、他のアウトローの連中も似たような答えだと思うがね。……多分あの石頭も」

 

 ゴウの肩に手を置き、最後だけは隣に立つゴウにもどうにか聞き取れた程度の声量で呟く大悟。彼がプランバムの考えに同意するかもしれないという心配は杞憂だったようだ。

 

「………………所詮は破落戸(ごろつき)か。《子》が《子》なら、《親》も《親》だ」

 

 真っ向からの拒絶に補足まで添えられたものを受け、やや間を置いてからプランバムは吐き捨てるように言った。

 それを見てから、大悟はゴウへと向き直って声をかける。

 

「オーガー、あいつの戦法を教えてくれ」

「は、はい。両腕の袖から鎖分銅を一本ずつ発射してきます。回収時はともかく、発射する時は軌道を操れるみたいで……。鎖を利用しながら近接戦にも対応できる万能型です。それとアビリティを発動して触られると、体が重くなって動けなくなります」

「さっきお前さんが馬乗りにされていたのはそれか」

「はい。でも、触られてから発動までに何秒かインターバルがあるみたいで、触れてすぐには発動しませんでした。組まれたり、掴まれたりしなければどうにもならないわけでもなさそうです」

 

 ゴウはプランバムとの戦闘から判明した情報を、簡潔に大悟へと伝えていく。

 こちらは二人がかりになるが、ゴウの体力は残り六割近く、大悟も見たところ半分以上は確実に削れているだろう。

 対するプランバムは先程の《ランブル・ホーン》が今回最初にヒットした攻撃で、見た目に大きな傷も見られないことから、九割近く残っているはずだ。決して油断できる相手ではない。

 ゴウがそんなことを考えていると、不意にプランバムの醸し出す気配が変わった。重苦しい威圧感に、何やらプランバム本来のものではない異物が混じったような違和感だ。

 

「何だ……?」

 

 大悟もプランバムの気配の変化を感じ取ったらしく、怪訝そうにプランバムを見つめている。

 

「おぉ、時が満ちた……! 長かった……。不愉快な時間も無駄にはならなかったようだ」

「一体、何をした……!?」

 

 噛み締めるように言うプランバムの声には、これまでにない興奮の色が含まれていた。

 その様子に嫌な予感を覚え、半ば推測が立ちつつも訊ねるゴウにプランバムが答える。

 

「分かっているのだろう? これが《秘宝》によるものだと。だが、これは手に入れた直後から十全に使用ができる代物ではなかった。己に装備して力を発揮するまでには長い時間が必要だったのだ」

「やられたな。他の奴らを散らばらせて配置させたのは時間稼ぎか……」

 

 苦虫を噛み潰したように呻く大悟に、プランバムが勝ち誇るように頷いた。

 

「その通り……。いずれもこの場所に繋がる道を守護するように命じた。本来ならば禁止している心意技の使用を解禁してでも止めるようにと。敗れはしても意味はあったようだ。──見るがいい」

 

 そう言うと、プランバムが流体金属でできた鉛色の服の襟元を下方へ引っ張った。服は飴細工のように簡単に引き伸ばされ、アバターの素体部分が露出する。

 

「「!!」」

 

 その光景にゴウは、そして大悟でさえ息を呑んだ。

 露出したプランバムの左胸、心臓にあたる部分に何やら黄金の物体が埋め込まれている。

 それこそが違和感かつ、プランバムとは異なる気配の正体であることは明確だった。これまで感じなかったのは、装備として不完全な状態だったからだろうか。

 

「これこそが、このアトランティスの《秘宝》。その名を《オリハルコン》という」

 

 ──『それを手に入れたものは、絶大な力を得ると本には書かれていました──』

 

 晶音の言葉がゴウの脳裏に響く。

 プランバムの左胸に位置する《オリハルコン》が、まるで自らの存在を知らしめるように黄金色の光を放ち始めた。

 

「《オリハルコン》……?」

 

 自然と口を突いて出たその名をゴウは聞いたことがある。ゴウでなくとも、おそらく少しRPGゲームをした経験がある人間ならば、知る機会があるであろう、最上級の金属系アイテム。伝説の武器やその素材に使われる、といったゲームをプレイしたことはゴウにもあった。

 プランバムの左胸の物体は球形が崩れた勾玉、あるいは心臓に近い形をしていて、これまでゴウが見てきた強化外装の何にも似つかない。かなり曲解すれば胸当てとも取れなくもないが、それよりも使用者と融合したかのような物体は、否が応にもゴウにとあるものを連想させた。

 ──まさか、ISSキットに何か関係があるんじゃ……? 

 しかし、そう考えてゴウはすぐに首を振った。目の前で輝く黄金の物体は、血に飢えた眼球とは似ても似つかない、何やら神聖じみたものを感じるし、あの光自体は過剰光(オーバーレイ)ではないからだ。

 それにISSキット製造者が、キットのモデルやヒントにしたとも考え辛い。何故ならこうしてアトランティス内に《オリハルコン》は残っていたのだから。訪れるのも大変なこの場所に手ぶらで帰るとは思えない。

 

「アレは……まずいな」

 

 いつになく緊張した調子で呟く大悟の方へゴウは振り向く。

 

「師匠、アレが何だか分かるんですか?」

「いや、見たこともない。だが、プランバムの感じが明らかに変わったのはお前さんも分かるだろ?」

「それは見るからに分かりますけど……」

「さっきまでのあいつは前に会った時と同じ雰囲気だった。でも今は違う。……どうにもレベル9の王連中に似たオーラを感じる」

「レベル、9……!?」

 

 レベル9。ブレイン・バーストの歴史上八人しか到達していないとされる、現在のバーストリンカーの頂点たる存在達と同等かもしれないと言う大悟に驚き、プランバムを改めてまじまじと見つめるゴウ。

 ゴウがこれまで直接目にしたことのあるレベル9er(ナイナー)は、黒の王ブラック・ロータス一人だけだ。

 対戦でもなく、遠く離れた観客スタンドから見たヘルメス・コードは別として、ゴウは大悟と共に《五代目クロム・ディザスター》ことチェリー・ルークとの交戦後、成り行きで彼女と出会い、対面した。

 その時のロータスは出会う前の戦闘によってひどく傷付いていたが、それでもゴウはその触れるもの全てを切り捨てるような威圧感をよく憶えている。

 

「それじゃあ……プランバムはレベルアップしたってことですか? でもファンファーレは鳴らなかったし……。《オリハルコン》は装備したバーストリンカーのパラメーターを上げる……? そんなアイテムがあるんですか?」

「いや、レベル9云々はあくまで比喩だ。俺が感覚的にそう思っただけのこと。ただ、お前さんの言うように、それこそレベルが上がって基礎能力が底上げされた時のそれと似ている……」

 

 どうにも大悟もプランバムの変化を計りかねているようだ。それだけ今の事態が異常だということなのだろう。

 

「……ともかく、俺らとあいつは言葉を交わし、お互いに分かり合えないことを知った。しかも《親子》揃って否定されてだ。もう実力行使でどちらかが我を通す以外に道は無い」

 

 そう言うと、大悟は薙刀を構えた臨戦体勢を取り、手早く指示を出し始めた。

 

「俺が右、お前さんが左、左右同時に攻め立てる。それでも反対側の腕から鎖分銅が来る可能性もあるから注意しろ。俺がお前さんに合わせるから、特にこっちに気を遣わなくて良い。身動き取れなくさせるアビリティを使われないように、一撃入れたら少し距離取れ。準備は良いか?」

「はい!」

 

 頷くと同時に大悟がプランバムめがけて駆け出し、やや遅れてゴウも追うように走り出した。

 そんなゴウ達を前にプランバムは一言も発しなければ、その場から一歩も動きもせず、ただ服の襟元を上に引っ張り、元に戻しただけだった。再び《オリハルコン》の姿と光は見えなくなるが、それでも威圧感はまるで衰えない。

 相手が二人がかり、しかもその内の一人は自分と同レベルだというのに、全く動じないプランバムに一抹の不安を覚えながらも、ゴウはプランバムへと接近していく。そして、いつ鎖分銅が襲ってきても対応できるように注意を払いつつ、拳を突き出した。

 反対側からは大悟が薙刀を横薙ぎに振るう。

 すると、プランバムはようやく腕を上げた。だが、ゴウと大悟のどちらにも首を向けず、鎖分銅などでの反撃をすることもなく──。

 

 ガァアアン! ギィイイン! 

 

 結果だけ言えばゴウの拳も、それに大悟の刃も、プランバムに当たりはした。

 ただし、伸び広がって盾と化した、プランバムの二つの腕へと。

 



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第五十九話

 第五十九話 考える(あし)

 

 

「なっ……!?」

 

 盾に変化したプランバムの右腕に攻撃を阻まれ、言葉を失うゴウ。

 大悟も同じように攻撃を防がれているのが、プランバムの変化した左腕の向こうからどうにか見える。

 続いて、盾の中心がまるで小石を投げ入れられ、波紋を描く水面のように波打ったような気がした。それが何なのか理解する前に、ゴウは反射的に飛び退く。

 直後、青灰色をした太い槍状の物体が、ゴウの立っていた場所へと突き出され、続いて角度を変えた二本目、三本目が襲いかかる。

 

「くそ……!」

 

 たまらず距離を取るゴウに、同じく下がった大悟が合流するなり質問してきた。

 

「確認するが、あれはさっきまでお前さんが戦っていた時には見せなかった技だよな?」

「さっき説明したので全部です。確かに手の内全部を見せたとは思っていませんでしたけど……。でも、あんなの無茶苦茶ですよ! 水銀みたいに流動的で、でも硬さはある。大体、プランバムって鉛のことでしょう? どうしてあんなアビリティが……」

 

 取り乱しまではしなくとも、ゴウは少なからず困惑する。

 ゴウはチタン・コロッサル同様に、プランバム・ウェイトについてもその名前から戦闘スタイルなどが分からないかと、事前に調べていた。

 プランバムとは元素記号でPbと記され、ラテン語で鉛を指す。

 ブレイン・バーストではシステムが表示する言語はほぼ全てが英語なので、プランバム・ウェイトとは偽名なのではないかという意見もアウトローで挙がりはした。実際、無制限中立フィールドでは自分以外の名前が表示されないので、プランバムが適当に名乗っている可能性も有り得なくはない。しかし、そう名乗る以上は少なくとも、何かしらの関連性はあるのだろうとゴウは考えていた。

 鉛は用途として、その比重の大きさから放射線の遮蔽材。そして、釣りに使うおもりなどが主に挙げられる。

 加えてプランバムの固有名であるウェイトとは、おもり、体重、重さなど質量に関わる単語である。

 これらのことから、プランバムが先端におもりである分銅が付いた鎖分銅を使用したり、触れた対象を重くする《重圧付加(プレス・アディション)》なるアビリティを持っていることは、何らおかしくはないとゴウは思っていた。

 だが、あのようにスライムよろしく体が変形するのは、明らかに鉛の特徴から外れている。

 

「ちょっと待ってろ。少し視てみる」

 

 再び正面に対峙する形になったプランバムの両腕が元の形に戻っていく中、大悟の額のアイレンズが輝きを放つ。《天眼》アビリティを発動したのだ。

《天眼》は戦闘中の相手の動きを先読みするのに加え、ある程度の透視に近い能力もあるらしいが、プランバムの変化まで読み取ることはできるのだろうか。

 

「これは……」

「何か分かったんですか……?」

 

 発動してすぐに反応を見せる大悟にゴウは訊ねる。

 

「上手く説明し辛いが、あいつの体の隅々に何かが駆け巡っている……。発生源は左胸。つまり、あの金色の塊が『絶大な力』とやらを与えているってことだ」

「正解だ」

 

 大悟の推測に対して答えたのは、他でもないプランバムだった。

 

「そのアビリティ……《天眼》と言ったか。こちらの内部まで視認しているのなら、恐るべきものだな」

「そんなに都合の良いものじゃない。それだけお前さんの変化が分かりやすかっただけの話だ。それかアイテム自体が体から露出しているからか……。効果は何だ? 腕を変化させる、それだけじゃないだろ」

 

 大悟の追求に、プランバムは少し考えるような仕草をしてから頷いた。

 

「……良かろう。ここまで来た貴様らにも知る権利はある。《オリハルコン》の力、その一つ……それは、デュエルアバターのポテンシャルを最大限に引き上げることだ」

「ポテンシャル……?」

「最大限……」

「文献となったアイテムに記されていたことを、私はそう判断した」

 

 ゴウと大悟が首を傾げていると、プランバムは腕を宙に伸ばしてインストを操作したらしく、右手にハードカバーの外装をした古ぼけた本が出現した。

 

「これを読み解きこそしたものの、私も半信半疑だった。このブレイン・バーストというゲームのバランスを著しく崩す存在だ、かの《七の神器(セブン・アークス)》以上に。だが、こうして身に宿した以上、それは本物だったと認める他ない。──これはもう不要か」

 

 そう言ってプランバムは本を放り投げると、右手の五指が細く鋭い剣状に変化し、指を軽く動かすだけで、本を切り刻んだ。何の感慨もなさそうに足元に散らばった残骸を眺め、それがすぐに消滅したのを確認してから、プランバムはこちらを見据える。

 

「ダイヤモンド・オーガー、貴様の言う通り、私は鉛のメタルカラーアバター。鉛の特徴はかいつまんで言うと重さ、そして軟らかさだ。もっとも、鉛以上に比重の大きい金属も軟らかい金属も存在するが。ともかく、私は《オリハルコン》をこの身に宿らせたことで、それらの特徴が最大限に増幅され、このようなことができるようになったということだ」

 

 剣と化していたプランバムの五本の指が徐々に縮み、元の指の形に戻っていく中、ゴウは内心戦慄していた。話が本当なら、とんでもないチートツールだし、プランバムは文献で予想はしていても、実際に使用したのはついさっきということだ。ゴウの目にはすでに使いこなしているように見えるというのに。

 

「師匠……」

 

 ゴウは隣に立つ、ブレイン・バーストにおいて最も信頼する存在に小声で語りかける。この状況下でも歴戦の猛者はきっと対抗策を編み出してくれると信じて。

 

「オーガー……。お前さん、残りの体力は?」

「六割そこそこです。師匠は?」

「四割を切っている。それと、さっきまでのコロッサルの戦いで、両腕と右脚があまり思うように動かん。……控えめに言ってピンチだな」

「なるほど……って、ええぇ!?」

 

 何気ない調子で深刻なことを伝える大悟に、ゴウは大声を出してしまう。

 

「いや、だって……さっき走ってたじゃないですか!」

「腕を振る度、足が地面に着く度に痛むけどな。だからって手の抜ける相手じゃないし……ピンチと言うか、大ピンチだな」

「別に言い直さなくて良いです……。あの、対抗策とか、何か案があったりしますか?」

「さっきと変わらん、尋常に勝負するだけだ」

 

 あっけらかんと答える大悟に、たまらずゴウは喚く。

 

「そ、そんなの無理ですよ! だって相手は王クラスなんでしょう!?」

「あぁ、少なくとも今の奴は万全の俺よりも強い」

「だったら尚更です! こっちは二人揃って体力がほぼ半分しか残っていない、おまけに師匠は両手と片足を痛めて本調子じゃない、これじゃもう勝て──」

 

 勝てるわけないとゴウが口にする前に、スカーンと音を立てて顎に衝撃が走った。

 大悟が薙刀を回して石突を当てたのだ。

 

「な、何するんですか!」

 

 手加減はしているのだろうが、貴重な体力をわずかながらに削られ、ゴウは思わず大悟に食ってかかる。

 

「落ち着け。ケリも着いていないのに負けを認めるなと教えたはずだ。常に万全の状態で敵と戦えるとは限らないともな」

「う……」

 

 諭されてゴウが口ごもると、その様子を見た大悟が軽く息を吐く。

 

「いいか、勝負は強い方が常に勝つとは限らない。そんな単純な話じゃ──」

「話し合いはそこまでだ」

 

 さすがにこれ以上待つ気はないのか、プランバムが会話に割り込んだ。

 

「貴様らには、私がこの力を完全に修得する為の(にえ)になってもらう。直にここへ到着するだろう残りの者達も含めて、バーストポイントが全て消えるまで」

 

 プランバムが右腕を肉厚の大剣に、左腕は先端が膨れた鈍器に変貌させると、それらは着いただけで簡単に床を削る。

 それを見た大悟が一歩、ゴウの前へと出た。

 

「頭が冷えるまで、少し俺が戦っているのを見ていろ」

「え? い、いや、一人じゃ無茶ですよ! 僕も──」

「今のお前さんが前に出ても、すぐに死ぬ。いいから見ていろ」

 

 大悟は前を向いたまま、有無を言わせない調子でゴウに言い聞かせる。

 今のプランバムに単身で挑むのは、あまりに無謀だ。体力が心許ない状態なら尚のこと。

 それが分からない大悟ではないはずなのに、どうしてなのかとゴウが思っていると、大悟は時折見せる、やや古めかしい口調で話し出した。

 

「ダイヤモンド・オーガー、我が唯一の《子》であり弟子よ。お前さんはレベルを上げ、ミドルランカーの域に到達しただけでなく、《心の傷》と向き合うことで心意技を修得し、実戦で使用できる段階まで鍛錬した。強くなった、本当に。故に今一度、初心に立ち返れ。そして、これまで得た経験を思い出せ。さすれば今この時でさえ、お前さんは一つ強くなれると俺は信じている」

「その根拠は……? どうして断言できるんですか!?」

 

 駄々をこねる子供のようだと自覚しながら叫ぶゴウに、大悟はようやく振り向いた。いつになく温かみが感じられる眼差しを向けて。

 

「《親》が《子》を信じられないでどうするか。いつの日か、お前さんも《子》を持てば分かる時が来る。決心しても再度迷い、揺らぐことは恥ではない。また前を進めば良い、それだけのこと」

 

 そう言って、正面に向き直った傷だらけの僧兵は、足も含めた全身の負傷もまるで感じさせない速度で、自らが格上と認めた相手へと挑んでいった。

 

 

 

 今と似たような光景をゴウは見たことがある。

 半年近く前。五度目の出現となった、新たな《災禍の鎧》との見稽古をさせる為に、大悟がゴウを無制限中立フィールドに連れ出し、《災禍の鎧》ことクロム・ディザスターと交戦した、あの時に似ている。

 

「っははははははぁ!!」

 

 以前同様に嬉しそうに笑う大悟だが、状況は些か以上に異なっている。

 まず、大悟が頭巾も上半身の着物型装甲も身に纏っておらず、素手ではなく強化外装である薙刀を手にしていること。そして、相手であるプランバムが、あの時のディザスターよりも強いということ。

 菫青と鉛色。二色の刃が幾度もぶつかり合い、火花を散らす。鍔迫り合いにならないのは、大剣と化したプランバムの腕の膂力に敵わないことを、大悟が理解しているからだろう。

 大悟は絶えず動くことでプランバムの攻撃を避け、薙刀で受け流し、合間を縫ってはプランバムに攻撃を繰り出していく。しかし、力を込めた攻撃は武器に変化した腕に受け止められ、隙が少ないが浅い攻撃は、伸縮と硬質化をする流体金属の服に弾かれてしまう。

 それでも《天眼》を発動し、プランバムの動きを先読みしながら果敢に攻め立てることで攻勢に出させない大悟は凄まじいが、常よりもわずかに動きが鈍いことがゴウには分かっていた。

 今にしてみれば、この場所に来た大悟がすでに《インディケイト》を手にしていたこともおかしかった。確かに柄が伸ばせるあの薙刀によってゴウは助けられたが、大悟は強化外装の使用に何やらこだわりがあるらしく、普段は軽々に使わないのだ。

 推測の域を出ないが、大悟はコロッサルとの戦闘で全身を酷使したことで、戦力カバーの意味も兼ねて、すでに強化外装を召喚した状態でこの場所に来たのではないだろうか。離れたこの場所からも地響きが聞こえたほどだ、戦いは熾烈なものだったのだろう。

 それにゴウと戦っていた時のコロッサルは、必殺技もアビリティらしきものも使っていなかったし、あれが全力だったとはとても思えない。

 大悟が奮闘する中、ゴウはその場から動けずにいた。ただし、勝負を諦めたのではなく、大悟に言われたことを反芻しているからだ。

 プランバムはどの道全員を手にかけようと考えているからなのか、棒立ちのゴウよりも先に、厄介な大悟を倒そうとしているらしく、こちらには目も暮れない。

 ──初心に立ち返れ……。これまでの経験を思い出せ……。

 大悟に言われた言葉を声に出さずに、頭に浮かべる。

 これまでも大悟はブレイン・バーストに関して助言、もしくはヒントを出してくれていたが、ゴウ自身が導き出すまでは基本的に明確な答えを教えてくれはしない。今回も同じだとしたら……。

 ──ブレイン・バーストにお手軽なパワーアップは基本存在しない。レベルアップにしても対戦で積み重ねたポイントを消費しているんだし……。

 原点、すなわちゴウが強くなりたいと思ったのは、一つの事件を経た幼い自分が無力だと実感したからである。ただ、体を鍛えたりすることが先決とは思わなかった。自分が間違いだと思うことには反対し、正しくあることこそが大事だと自分なりに考え、実行して生きてきたつもりだ。

 ──それが知らず知らずの内に《心の傷》になっちゃったけど、結果的にブレイン・バーストに巡り会えたんだし、それは結果オーライにしよう。

 今回もそう。プランバムが力で今の加速世界を矯正しようとする考えを、正しいと思えなかったからゴウは否定して挑んだ。傍から見てどう思われるかではなく、ゴウが自分の心に従った結果だ。

 ──でも、《オリハルコン》を装備したプランバムに怖気付いた……。僕も大悟さんも体力が削れていて、相手の力が数段上だって分かったから…………ん? 

 何やら引っかかりを覚え、ゴウは思考の焦点をそこに当てる。

 これまでも強敵とは幾度も戦いはした。エネミーも含めて、中には対峙しただけで、漠然と勝てないと悟った相手もいた。だが、これまで相手が格上だと分かりはしても、自分は明確に実力差を推し量れていただろうか。

 ──そう考えられたのは、これまでの経験で僕の観察眼が鍛えられたから……? 

 その考えに至ると、ゴウの脳が急速に回転し始める。

 そもそも対戦において、レベルが一つや二つ上だからといって、それで勝利が確定するとは限らない。ステージやデュエルアバターの相性、何よりも相手との動きの読み合いに制することが勝利に繋がる。

 ブレイン・バーストを始めてから数ヶ月後。しばらくゴウは負けが続いた。それは対戦相手達がゴウの動きに対策を立てるようになったから。つまりは分析、パターンを読み始めたからだ。

 大悟に連れられたアキハバラBGでの経験を経て、それからは力押し一辺倒から、相手の攻撃を見切り、受け流すことも覚え始めて勝ち星を増やしていった。

 そうして今、ミドルランカーと呼ばれるレベル6にまで至る。

 大悟とプランバムは未だにどちらの攻撃もクリーンヒットはしないが、大悟もいよいよ捌き切れなくなっていて、体の端々に新しい傷が作られ始めている。戦況が不利なのは明らかだ。

 それでもゴウはすぐには飛び出さずに、二人の戦いを見ながら考え続ける。

 ──プランバムの言葉を信じれば、他の皆もここに向かってきている。だったら、皆が合流するまで退くべきだけど、大悟さんはそうしていない……。それは……勝算があると見抜いたから? 

 ゴウから見て、大悟は割と……ではなくかなり好戦的だが、全くの向こう見ずではない。

 エピュラシオンのメンバーと初めて邂逅した時は、状況と戦力差から撤退を考えていたと話していたし、ISSキットをばら撒いている加速研究会の拠点と思われる、東京ミッドタウン・タワーにも大天使メタトロンが守護していることから、殴り込みをかけようとはしなかった。

 ──自分一人じゃ勝てないことを、大悟さんは分かっているんだ。それでも退かないで出張った理由……。それは、取り乱した僕を落ち着かせることと、僕にプランバムの動きを見せること……? 

 確証はない。しかし、大悟は自分を信じると言ってくれた。ならばその信頼には、《子》であり弟子であり、そして現実の友達として応えるべきだ。

 ゴウが一つの結論に至ると、プランバムが右腕で薙刀を受けると同時に、元の腕の形に戻した左腕で、大悟の腕を掴んでいた。

 

「ぐっ……!」

 

 舌打ちする大悟が、すぐにその場に両膝を着いて倒れ込む。プランバムのアビリティ《重圧付加(プレス・アディション)》によるものだ。腕を元に戻したことから、どうやら本来の手でなければ、アビリティは発動しないらしい。

 腹は決まった。今動かなければ、いつ動くというのか。

 プランバムが右腕の刃を掲げる中、ゴウは走り出した。

 



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決戦篇 肆
第六十話


 第六十話 師弟連携

 

 

「う……らあっ!」

 

 走るゴウは落ちていた瓦礫の一つを拾い上げて鷲掴みにすると、足を止めずに振りかぶり、プランバムに向かって投げつける。

 プランバムは自分の頭と同じくらいの大きさをした、瓦礫の剛速球が迫っていることに気付くと、大悟に振り下ろそうとしていた刃を一度止め、刃の腹で瓦礫をあっさりと防いだ。

 ガン、と音を立てて瓦礫が砕け散る間に、ゴウは一気に距離を詰めていく。

 仲間の窮地を前に、考えなしに飛び出した愚か者。プランバムにはそう見えたのだろう。参戦したゴウに驚きもせずに大剣の腕を再び掲げると、丸腰で突っ込んできたゴウを両断すべく振り下ろす。

 だが、ゴウは犬死にする気など毛頭ない。

 

「舐めるなあっ!」

 

 ゴウはスナップを利かせた右手で宙を叩くと、一瞬で実体化した物体を握り締める。

 それはガラスのように透明な、しかし見た目にそぐわない頑丈さと重量を兼ね備えた金砕棒。ダイヤモンド・オーガーの強化外装《アンブレイカブル》。

 

「何……!?」

 

 突然の強化外装の出現に、プランバムが驚きの声を上げた。

 

 ギャリリリリィ!! 

 

 ゴウは金棒で迫る刃を受け止めると、そのまま傾けて軌道を逸らし、巨大な刃は床を割り砕くだけで終わる。

 

「はあっ!」

「ぐ……!」

 

 続けてゴウはプランバムめがけて、気合と共に袈裟切り気味に金棒を振り下ろした。

 もはや躱せないと判断していたのか、プランバムは服の表面を硬質化させたらしく、硬い感触が武器を通じてゴウの腕へと伝わっていく。だが、只でさえ重量のある金棒はゴウの《剛力》アビリティも加わり、鉛の服をひしゃげさせてプランバムの体に深く食い込んでいった。

 

「お、のれぇ……!」

 

 ゴウの一撃を受けたプランバムは呻きながら悪態をつくと、その背中が盛り上がり、先が尖った太い槍が発射された。槍は後方の壁に刺さると素早く縮み始め、プランバムを引き寄せるようにその場から離脱させていく。

 ゴウはプランバムを深追いせずに、プランバムのアビリティから解放された大悟に手を差し伸べた。

 

「動けますか?」

「おう……助かった」

 

 大悟はゴウの手を取って立ち上がると、ゴウの持つ《アンブレイカブル》を見やる。

 

「上手く虚を突いたな。インストを操作して出したのか」

「はい。ボイスコマンドで出したんじゃ、多分防がれると思ったんです」

 

《アンブレイカブル》が突然現れた理由。それは、ゴウがプランバムと大悟の下へ走っていた時、インストメニューを操作しながら接近していたからだ。そして、タイミングを合わせて強化外装の召喚を選択した。

 強化外装を常時装備状態にしているデュエルアバターも多く存在するが、強化外装の召喚は基本的に登録したボイスコマンドによって行われる。そのためインストを操作することでの召喚は、声を発することで居場所を知らせたくないなどの限定的な状況下ぐらいでしか使われない。だからこそ、ゴウは確実にプランバムの不意を突けると確信し、この方法を取ったのだ。

 

「……目付きが変わったな。力、貸してくれるか?」

「はい、もう大丈夫です」

 

 交わす言葉はそれだけ。それでも満足そうに頷く大悟を見て、確かに通じ合えているようにゴウには思えた。

 

「さてと、それじゃあ……お前さんから見て、どうしたら良いと思う?」

「体は変化できても膨張には限界はあるみたいですね。今もすぐに回避しないで右腕が元に戻ってから背中から、えっと……槍? を伸ばしたのがその証拠です」

「確かに。あの鉛の服が奴にとっての主立った装甲なんだろう。多分、変化できるのはあくまで鉛の装甲部分だけで、体の原型は留めたままだ。そうでなけりゃ今の一撃だって、体そのものを捻じ曲げて避けられただろうしな」

 

 これまでの動きからプランバムの手の内を紐解いていくゴウと大悟。

 ただし、法服と中華道着をミックスしたような流体金属の服はほぼ全身を覆い、手足にも装甲は付いているので、脅威であることに変わりはないことも二人は承知している。

 少し離れた場所に立つプランバムの右肩の凹みが、みるみる内に元の状態に戻っていく。

 その様子を観察していた大悟は、確信するような口振りで言った。

 

「あの様子じゃ、治っているのはガワだけだ。ダメージは確実に与えている。少しは勝ちが見えてきたと思わないか?」

「それでも強敵ですけどね……。多分これまで以上に隙がなくなるんじゃ──うっ!?」

「隙は作るもんだよ。今回の決め手はお前さんだ。ここが正念場、準備は良いな?」

 

 活を入れるように大悟にバシンと背中を叩かれてから、ゴウは金棒を握り直す。

 

「痛てて……はい!」

 

 ゴウは返事をすると同時に、上から降ってくる鎖の付いた鉄球を弾き返した。

 小気味良い音を立てて飛んでいく鉄球は溶けるように形を崩し、元のプランバムの左手に戻っていく。その間にプランバムは右腕を槍状に変化させ、伸張する先端がゴウ達に迫る。

 ゴウと大悟がこれを避けると、鉛の槍は壁に突き刺さり、先程の回避と同様に縮みながらプランバムがこちらに向かってきた。

 

「そっち行ったぞ!」

 

 大悟が大声で知らせる間に、すでにプランバムはゴウとの間合いを詰めていた。右手を先端が球状に膨れた棍棒に変えて、ゴウめがけて叩き付けようと振り回す。

 

「おおっ……!」

 

 ゴウは《アンブレイカブル》でこれを受け止めたが、対する相手は変化しているとはいえ、片手であるのに押し返せない。やはりプランバムは単純な腕力や耐久力も《オリハルコン》によって底上げされているようだ。

 

「先程は後れを取ったが、今度はそうはいかぬ……!」

 

 プランバムがそう言うと、棍棒の球体の表面部分が震えるように波立つ。

 何かが来るとは分かっていても、両腕が塞がっているゴウには避けられない。

 だが、今のゴウは一人ではなかった。

 

「《紳》!」

 

 ゴウとプランバムの間に薙刀の厚い刀身が割り込み、無数に突き出た棘が伸び切る前にゴウを守る。

 この隙にゴウはすぐに棍棒を払って、プランバムの脛に金棒をぶつけようとする。

 ところが、プランバムは左脚を上げると、足裏をスプリングの付いた円盾に変えた。プランバムは円盾でゴウの攻撃を防ぐと同時に、反発を利用した跳躍で一気に距離を取る。

 

「くそっ、何でも有りか!」

 

 普通なら有り得ない防御方法に、ゴウがたまらず文句を言うと、次にプランバムは鞭に変化させた右腕を《アンブレイカブル》の先端に絡み付けた。

 

「それは没収させてもらう」

 

 たちまちプランバムが、凄まじい力でゴウから武器を奪い取ろうとする。

 

「ぐっ! う、おおおお……!」

 

 そうはさせまいとゴウは両足を強く踏み締めて抵抗し、半ば綱引きのような状況になる。それでも徐々にゴウの方が引っ張られ、両足が床に轍を刻みながらプランバムの元へと引き寄せられていく。

 大悟はプランバムの剣に変化した左腕と再び切り結んでいて、こちらを助けられる状態ではない。この状況を一人でどうにか切り抜けなければと、ゴウは頭を働かせる。

 ──なんて力だ。僕が力比べで押されるなんて……いや、引っ張られてんだけど……って馬鹿なこと考えてる場合か! ん……? 引っ張られる…………そうだ! 

 ふと閃いたゴウは、プランバムと綱引き状態になっていた金棒を唐突に手放した。

 すると、ゴウの《剛力》アビリティにも勝るとも劣らない力で引っ張られていた金棒が、ミサイルさながらに勢い付いてプランバムの元へ飛んでいった。

 迫る金棒を避けるプランバムだったが、その隙を大悟は逃さない。

 

「カアッ!」

「……!!」

 

 先程ゴウが打ち付けた部位をなぞるように、大悟が薙刀でプランバムの右肩を斬り付けた。

 

「はっはぁ! 今の良かったぞ、オーガー!」

「あはは……」

 

 それからはゴウと大悟は連携して攻撃を繰り返し、プランバムを追い詰めていった。常に付かず離れずの間を保ち続け、距離を取らせるなどの仕切り直しはさせない。

 度々反撃を食らっても、互いが相方の動きを助け、敵の攻撃は妨害することで、大きなダメージを受けないように立ち回っていく。ここにきて、二対一のアドバンテージの差が如実に出始めていた。

 ゴウが大悟と息の合う連携を可能にしているのは、ゴウが新米(ニュービー)の頃や心意の修行の他、手合わせという名のしごきを散々受けていたことも理由の一つである。

 大悟はもちろん加減はしていただろうが、それで立ち回りも含めて、殴る蹴る、薙刀を振り回すなどの動作をデュエルアバターの体に(物理的に)叩き込まれたのだから。

 そうして、この戦況を維持したまま勝利することが現実味を帯び始めた頃。

 

「調、子に……乗るな……!」

 

 体を丸めたプランバムが体中から棘を突き出して、ゴウと大悟を強制的に下がらせた。ハリネズミかヤマアラシか、あるいは剣山のようになったプランバムからは、これまで以上に明確な憤怒が感じられる。

 

「もはやこれまで……潰れて消えろ」

 

 より一層と軋んだ声を響かせて元の姿に戻ったプランバムの周囲が、ゴウにはどこか歪んだように見えた、その瞬間だった。

 

「《鈍重地帯(ヘヴィー・ベルト)》!!」

 

 ぎらついたメタリックブルーの過剰光(オーバーレイ)がプランバムから屹立すると一気に広がり、ゴウと大悟を呑み込まんと迫る。

 ゴウは何をすべきかを直感で判断していた。心意技を防ぐには心意技しかない、と。

 

「《黒金剛(カーボナード)》!」

 

 ゴウの体に純白の光が灯ると、透明なダイヤモンド装甲が二回り以上厚みを増し、表面には細かいカット処理が成されていく。また、白い過剰光(オーバーレイ)を乱反射させているにもかかわらず、装甲の色は無骨な黒色へと変わっていった。

 

「《天部(デーヴァ)地天(プリティヴィー)》!」

 

 ゴウの隣でも光が発生する。それはプランバムの発している過剰光(オーバーレイ)のような暴力的な輝きではなく、しかし存在を確かに主張する蒼。

 大悟の各所に巻かれた数珠が回転しながら増殖し、全身に纏う鎧に早変わりした。

 心意の修行では見せなかった技だが、この状況下で発動したということは、自分の《黒金剛(カーボナード)》と同様、《装甲強度拡張》に分類されるものなのだろうとゴウが判断した直後。

 

「──うっ!?」

「──む……!」

 

 円柱型をした銀青色の結界に包まれると、見えない巨人の手に上から押し潰されているような重力にゴウは襲われた。よく見ると自分とプランバムから発せられる、二色の光の境がちりちりと細かなスパークを発生させている。互いの心意技が相手の心意技を上書きしようとせめぎ合っているのだ。

 わずかでも気を抜けば、今にも膝を着いてしまいそうになるところを耐えるが、影響を受けているのはゴウと大悟だけではなかった。

 

 ガシャャアン! 

 

 突然の何かが割れた音がした方向にゴウが首を向けると、少し離れた場所の天井に備え付けられていた特大のシャンデリアが落下して、粉々になっていた。それだけに留まらず、落ちたシャンデリアの細い装飾部分が下に向かって、飴細工のようにぐにゃりと折れ曲がっていく。

 数える程度しか心意技の種類を見ていないゴウに、この現象は以前目にした広範囲の心意技を思い起こさせた。

 

「これはまさか、空間侵食……?」

 

 空間侵食。心意技を正と負、個人と範囲に分けた際に《第四象限》に分類される《範囲を対象にした負の心意》。使用者の憎悪を発生源とした、負の心意の究極系だという。

《ヘルメス・コード縦走レース》に乱入したラスト・ジグソーが発動させた、範囲内の全てを朽ち果てさせる《錆びる秩序(ラスト・オーダー)》はこれに属し、レース会場に阿鼻叫喚の地獄を作り出した。

 しかし、ゴウの推論を耳にした大悟は首を振った。

 

「いや、違うな。これは正の心意技だ」

「こ、これがですか? でもシャンデリアとか、いろいろ壊れていってますけど……」

「おそらく原理は第一段階の射程と威力の拡張を組み上げた、第二段階の心意技だな。この空間に闇を感じない」

 

 そう言われて、ゴウは改めて周囲を見渡す。確かにこの空間は何度か目の当たりにした、負の心意技が放つ暗い過剰光(オーバーレイ)ではなく、鮮やかに輝く青みがかった銀色ではあるが……。

 

「ただ、奴の怒りはお前さんも感じるだろ? 逆に言うとだ……。怒りの中にあっても、自分を見失っているわけじゃない。願いか信念か、そういった正の感情がこの心意技を生み出している」

「願い……信念……」

「それでもひどく危ういことは確かだ。強い意志によって制御しているが、何かの拍子に負の面へ転がる危うさを秘めている。あるいは、元々は負の心意だったものを無理やり作り変えたのか……ともかくこれはそういう技だ。……奴自身、それも承知の上なんだろうが」

 

 どこかやるせなさそうに説明する大悟。

 仮に大悟の見立てが事実であるならば、プランバムは己の行動を、『正しい』と信じて行動しているということだ。加速世界を良い方向に導こうとしているのも、嘘偽りではないという証明であり、覚悟でもある。たとえ、《心の傷》に引き寄せられた末に堕ちたとしても本望なのだと。

 改めて分かり合えない事実を突きつけられた気がして、ゴウにはひどく悲しくなるが、そうなる前に倒さなければならない。──きっとプランバム自身の為にも。

 ただのエゴでしかないと理解していても、ゴウはそう思わずにはいられなかった。

 

「さて、感傷に浸っているだけの猶予はない。この手の心意技は強力な反面、集中力が途切れたら維持し続けられないのが常だ。耳を貸せ、作戦を伝える」

 

 大悟はもう、ゴウに覚悟を確かめることはしなかった。とうにゴウは戦う意志を示したからだ。

 故にゴウもまた、頷いて耳を大悟に近付けるのだった。

 



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第六十一話

 第六十一話 顕現するは激情

 

 

 超重力の空間をゴウは大悟と共に走る。

 通常ならば、その場で指一本動かせなくなり、やがて圧殺されるだろうプランバムの《鈍重地帯(ヘヴィー・ベルト)》なる広範囲心意技から身を守るべく、ゴウは《黒金剛(カーボナード)》を発動させて抵抗していた。

 だが、この空間内では水中に入っているかのように、動きが普段よりも遥かに鈍い。それは大悟も同じだ。

 使用者であるプランバムだけは影響を受けていないらしく、両腕を大剣に変えると、凄まじい速度でゴウ達へ真っ向から突進してくる。あっという間に互いの距離は詰められ、心意の光に包まれた鉛の刃が二つ、ゴウと大悟にそれぞれ振り下ろされた。

 即座に二つの音が響く。一つは大悟が数珠の鎧を纏った右腕で、プランバムの右腕だった大剣を受け流し、大剣が床を叩き割る音。そしてもう一つは──。

 

「おおおおおおっ!!」

 

 バシィィッ! と何かが叩き付けられるような音。

 肘から先が長さ一メートル、幅は五十センチを優に超える刃に変じたプランバムの左腕を、ゴウが両手で挟み込んで止めたのだ。いわゆる白刃取りである。

 

「今です!」

 

 叩き斬られないように、止めた大剣を左肩の装甲にあてがうゴウが叫んだ時には、大悟が薙刀を握る左腕をプランバムの首へと突き出していた。

 プランバムの両腕の大剣同様に、心意システムの効果が付与されている薙刀は、心意による重力に押し潰されることはない。しかし薙刀はプランバムの喉元、わずか数センチ前で止まっていた。

 

「ぐぅっ……!」

 

 呻き声にゴウが首を向けると、プランバムの右膝から槍が飛び出し、大悟に突き刺さることでつかえ棒の役割をして薙刀を体から遠ざけていた。

 幸い心意の鎧に守られている上に、空いている右腕で槍を掴んでいる為に大悟の本体に届いてはいなかったが、槍は柄の部分が更に伸び、そのまま派手な装飾が施されている壁へと大悟を激突させる。

 

「師匠!」

「この期に及んで、未だに他人の心配をするか」

 

 呆れ交じりの冷たい声と共に、大槌(おおつち)に変化したプランバムの右腕が、白刃取りで両腕が塞がっているゴウへと迫る。

 

「うう……らああああああ!!」

 

 ゴウは無理やり伸ばした右腕で大剣を肩に当てたまま押さえ込むと、自由にした左腕で乱暴に大鎚を殴り付ける。通常時よりも別次元に強度を増した黒いダイヤモンド装甲は、砕けることなく大槌を吹っ飛ばした。

 すぐに肩に乗せていた刃も払い落とし、単身でプランバムに挑むゴウはとにかく相手に息を吐かせる間もなく攻め立てていく。

 

「うおおおおっ!」

 

 絶えず降り注いでいる重力によって体は十全には動いてくれないが、そこは気合と集中力でカバーする。最初は腕を大型の武器に変化させていたプランバムも、徐々に打撃の回転数が上がっていくゴウに対応するべく、いつしか純粋な徒手空拳で対応するようになっていた。

 互いの拳が、脚が何度ぶつかっただろうか。時間の感覚がおぼろげになっていくが、自分が思うほどに時間は経っていないことはゴウには分かっていた。何故なら《黒金剛(カーボナード)》は強力な分、長時間維持し続けられる技ではないからだ。心意修得の修行で始めは数十秒だった持続時間を数分にまで伸ばしていなかったら、とっくに両足で立ってはいないだろう。

 

「……いつぞやの暴走など見る影も無い、見事に精錬された心意技だ」

 

 拳戟の中で、プランバムがゴウに賞賛の言葉を向ける。

 

「だが、やはり単純だ。読み易い」

 

 見透かしたような口振りのプランバムがゴウのガードをすり抜け、左フックと右ストレートのコンボが顔面に叩き込まれた。

 

「ぐ、はぁっ……!」

 

 殴り飛ばされ、床を削りながら滑るゴウがようやく止まると、やがて装甲の色が黒から透明へと戻ってしまう。

 心意技が解けたのを待ち構えていたかのように、心意の重力が容赦なくゴウを押し潰していった。

 

 

 

「《紳》」

 

 ゴウが殴り飛ばされ、プランバムから離れた瞬間を見計らい、壁に激突させられていた大悟は静かにコマンドを唱える。すると、薙刀は必殺技ゲージを消費することで、その柄が勢いよく伸張していく。

 しかし、ゴウとの肉弾戦から間髪入れずに放たれた大悟の一撃を、プランバムは見逃さなかった。再び首を狙った刀身を掴んだだけで、薙刀を止めてしまう。

 

「見抜いていたぞ。貴様が不意を突いてくるであろうとな」

 

 引き抜かれるのを防ごうとしているのか、プランバムの右手が形を変えていく。五指が溶けるように一つに結合し、螺旋状に渦巻きながら刃に絡み付いてがっちりと固定した。

 

「そうかい、これもか?」

 

 強化外装を無力化された大悟は、まるで動じずにその場で軽く跳ぶと、コマンドを呟いた。

 

「《縮》」

「……!!」

 

 薙刀の柄が猛烈な勢いで縮み、握っている大悟はプランバムの元へ急接近していく。

 迫る大悟を見て、プランバムはすぐに絡めていた右手に力を込め、薙刀の刀身の根元をへし折った。

 だが、その時にはすでに大悟はプランバムを攻撃射程圏内に収めていた。役目を果たしてくれた愛用の薙刀に、内心で礼を言いつつ握っていた柄を手放し、心意技を唱える。

 

「《天部(デーヴァ)火天(アグニ)》……」

 

 全身に纏う数珠が本来のものに戻ると、代わるように蒼い炎が大悟の体から噴き出した。防御用の《地天》から、攻撃用の《火天》へと心意技を切り替えたのだ。

 大悟は基本となる四種類の心意技を、長い年月をかけて全て修得したが、これらを同時に発動することはできない。これまで重力から身を守っていた数珠の鎧が消えたことで、これまで以上に不可視の力が体へ降りかかるが、大悟は歯を食いしばって堪える。勝負を決めるには、威力と速度を兼ね備えた一撃を繰り出さなければならないからだ。

 

「コォォォォ……──」

 

 一息で全身へと一気に意識を張り巡らせていく。コロッサルとの戦闘で手足に負担をかけすぎた今の自分では、普段のパフォーマンスで繰り出せる攻撃はおそらくあと一度が限度であると大悟は悟っていた。

 

「──喝!!」

 

 体全体を駆動させて運動エネルギーを生み出し、それら全てを右足に伝達させた蹴りを放つ。同時に炎を象る過剰光(オーバーレイ)が更に燃え上がるように噴き出した。

 迫る一撃に危険を感じ取ったのか、左脚を引いたプランバムから対抗するようにメタリックブルーの過剰光(オーバーレイ)が溢れ出し、交差させたプランバムの両腕と大悟の右足がぶつかり合った。

 衝突から一秒後、大悟の足裏、下駄の二つの歯がプランバムの腕に食い込む。

 衝突から二秒後、地に着くプランバムの両足が後ろへ下がった。

 衝突から三秒後、蹴りのエネルギーがプランバムの両腕を通して、炸裂すると大悟が確信した直後──。

 

「《カウンター・ウェイト》!!」

 

 プランバムの足が床にめり込んで後退は止まり、食い込んだ下駄の歯が進まなくなった。

 ──手応えが急に変わった! こいつ……! 

 大悟は内心で舌打ちをする。

 心意技か、心意を付与した必殺技か。どちらにせよおそらくは、体を高密度化して敵の攻撃を受け止める技なのだろう。腕を交差させて微動だにしないプランバムは蹴り飛ばされることなく、彫像のようにその場に留まり続けた。

 とうとうプランバムが蹴りを受け切ったことで、蹴りの反動によるダメージが大悟を襲う。

 

「があぁっ……! ──うっ!?」

 

 仰向けに倒れ込んだ大悟の腹を、プランバムが容赦なく踏み付ける。

 

「よもや、あのように間合いの詰められるとは露にも思わなかった。《鈍重地帯(ヘヴィー・ベルト)》も維持し切れなくなるとは。だが、ここまでだ」

「うぐ……く、くくくく……」

「……?」

 

 呻き声が忍び笑いに変わる大悟を見て、不可解そうにプランバムが首を傾げる。

 

「何が可笑しい」

「くくく……思った通りだ。いやね、やっぱり強すぎる力ってのは……持ちたくはないもんだなって──ぐぉっ!」

「それは負け惜しみか?」

 

 プランバムが大悟を踏み付ける右足の力を強めたが、それでも大悟は肩を震わせて笑う。やはりプランバムは勘付いていない。

 

「へ、へへ……だってそうだろ? 残心もしなくなっちまうんだからな。──敵から完全に意識を外すなら、死亡したかくらいは確認しろよ」

「な──!?」

「《モンストロ・アーム》!!」

 

 はっとして気付いたようにプランバムが左側を向くと、すでに重力に押し潰されていたはずのゴウがこちらに向かって走る姿があった。その右腕は体以上の大きさに肥大化している。

 その場から逃がさないよう、大悟は自分の上に乗るプランバムの右足をがっしりと掴んだ。

 

「重力も消えた今なら、よく吹っ飛ぶだろうよ」

 

 

 

 プランバムに殴り飛ばされ、心意技が解けたゴウだったが、降り注ぐ重力に圧殺されてはいなかった。確かに《黒金剛(カーボナード)》は消えてしまったが、プランバムが大悟との戦闘に移ると、微弱ながらも再度心意システムを発動し、機を待ち続けていたのだ。

 体の自由を奪おうとしてくる《鈍重地帯(ヘヴィー・ベルト)》の重力は、すでに大悟との衝突中に消えている。動くのは今をおいて他にない。

 弾けるように起き上がったゴウは駆け出して、肩より上に上げた右腕を引き絞って叫んだ。

 

「《モンストロ・アーム》!!」

 

 膨れ上がる右腕を左腕で支えつつ走っていると、振り向いたプランバムは右足を大悟に掴まれて逃げ切れないと悟ったのか、すぐさま流体金属の服が左半身を覆う大盾に変じて展開し、更には盾がメタリックブルーの光を纏う。

 心意システムを発動されてしまえば、必殺技であってもダメージを与えることはできない。必殺技という事象を心意システムは上書きしてしまうからだ。

 ゴウは巨大化した拳に、強く意識を集中させる。全身の装甲を強化する《黒金剛(カーボナード)》では間に合わないが、一部分だけならこちらも心意システムを発動可能かもしれない。

 ──いや、かもしれないじゃない、やるんだ。失敗すれば次はない。大悟さんが囮になって作ってくれたこのチャンスを、勝機を無駄にするな! 

 自分自身を叱咤し、ゴウは何者にも負けない『硬さ』をイメージしていく。己とアウトローの矜持を『守る』為に。

 

「おおおおおおっ!!」

 

 強い想いを込めて突き出した腕の内、拳にのみ眩い白い光が迸り、再び黒く染まる。心意の力を付与されたゴウの必殺技《モンストロ・アーム》は鉛の大盾を突き破り──。

 

「……莫迦な────」

 

 信じられないとばかりに呟くプランバムを、先程の意趣返しとばかりに殴り飛ばした。

 拳圧で空気砲さえ生み出すほどのパンチに、砲弾のような勢いで飛ばされたプランバムは、ゴウがこの大広間に訪れた時に座っていた古びた玉座へと衝突する。それでも尚も止まらず、玉座の背もたれを粉砕して奥の壁に激突。大穴を作り出すと壁が崩れ、瓦礫に埋もれていった。

 

「師匠!」

 

 右腕が元の大きさに戻ったゴウは、急いで大悟に駆け寄る。《モンストロ・アーム》によって発生する拳圧は放射状に広がっていくので、直に拳で殴られたプランバムに接触していた大悟の受けた余波は最低限のものだったが、それでも巻き込まれた大悟は床に突っ伏していた。

 

「師匠、無事ですか!?」

「……ぶっ倒れている奴が無事なわけあるか」

 

 ゴウの呼びかけに文句で応える大悟だが、声に剣呑さはなく、冗談であることは明白だった。少しよろめきつつも、それでもゴウの手を借りずに大悟は立ち上がる。

 

「よっ、とと……。裏の裏の裏をかいて、やっと決まったな。お前さんありきの策だったが……」

 

 大悟がゴウに決め手を任せて、プランバムに意識を向ける為に囮役を買った理由の一つは、ゴウの持つダイヤモンド装甲にある。

 ダイヤモンドとは本来、地中深くの高温高圧の地中で生まれる鉱石。その為、緩やかに加えられる圧力には非常に高い耐性を持つ(逆に強い衝撃を急に与えられると、衝撃を与えられる面にもよるが、簡単に砕けてしまう)。

 その一点だけを見れば、重力の心意技を扱うプランバムにとって、ゴウは天敵に近い存在なのだ。事実、ゴウがしばらく発動していた心意システムが微弱なものであっても、降りかかる重力に耐えられた要因の一つであったのは間違いない。

 

「それでもあの土壇場で心意を発動したのは、ひとえにお前さんの力量あってのものだ。修行の成果が出たな」

「あ……ありがとうございます……」

「オーガーちゃん! ボンズちゃん!」

 

 手放しで褒められることに未だに慣れず、ゴウがモゴモゴと返事をしていると、入り口から聞こえた自分を呼ぶ声に振り向いた。

 

「ちょっと、二人してボロボロじゃない! ボンズちゃんたら、服まで脱げちゃって……」

「わぁ、ゴージャスな場所だなぁー。あちこち壊れてるけど」

「わ、わ、大変……」

 

 ダンジョンの仕掛けによって離散していたメディック、キューブ、リキュールと口々に感想を出しながら大広間に入ってきた。続けて二体のデュエルアバターが姿を見せる。

 

「ここは……」

「あ、オーガー!」

「フォックスさん、ジャッジさんも……!」

 

 晶音と宇美も、ゴウと大悟の元へ寄ってきた。皆、傷だらけだ。

 フォックスとリキュールには目立った傷はなくとも無傷ではなく、キューブにはリキュールよりも焦げ跡が目立つ。メディックは体の前面が火あぶりにされたように黒ずんでいて、卵殻型の装甲も、焦げ跡の他にもヒビや融解している箇所さえ見られる。ジャッジに至っては左腕が欠損していた。

 

「皆さんもボロボロですね……」

「これが強敵だったのよー。何とか勝ったけどね」

 

 それでも行方が分からなかった仲間達を見てゴウは一瞬安堵したが、現れたのは五人だけ。これではまだ全員揃ってはいない。

 

「これで全員ですか……? キルンさん、メモリーさん、それにコングさんは……」

「それが分からなくて……。私とメディックさん、キューブ君は一緒に行動していて、ジャッジさんとフォックスさんと合流したのも、ついさっきで……」

「多分、大丈夫だよー。そんな簡単にやられる奴らじゃないし、きっと今頃ここに向かってるってー」

 

 リキュールが申し訳なさそうに事情を説明し、続けて励ますようにフォローを入れるキューブの言葉に、ゴウは頷いた。

 

「まだ集合していない方の安否も確かに心配ですが……。ボンズ、この場所がダンジョンの最奥でいいのでしょうか? ここでの戦いには勝利したのですか? それに《秘宝》は……」

「今は親玉との戦いの真っ最中でな。丁度オーガーが良いのを決めて、そこの壁……瓦礫になっている所だ、殴り飛ばしたんだ。でも多分、まだ死んではいないから、すぐ出てくるぞ。それと《秘宝》な……実はもう奴が手に入れていて──」

 

 大悟が晶音に説明しているそばから、大広間の一角を占める瓦礫が内側から音を立てて蹴散らされた。大穴からは鉛色、どころか鉛そのものであるデュエルアバターが姿を現す。

 

「……噂をすればだな。あいつがエピュラシオンのレギオンマスター、プランバム・ウェイト。あの左胸に付いている金ピカがこのダンジョンの秘宝、《オリハルコン》。装着者のポテンシャルを最大限に高めるそうだ。今の奴は王並みに強いぞ。それと、集中するとダンジョン内のバーストリンカーがいる場所を把握できるようになるらしい」

 

 大悟の簡潔な説明に一同がどよめくが、この破格の効果を聞けば無理はない。

 プランバムは服が破けて、上半身の左側が露出していた。肩から二の腕にかけての部分には、アバターと同色の長方形をした筒状の物体が取り付けられている。おそらくは、あれが鎖分銅の収納機構なのだとゴウは推測する。そして、露わになっている左胸に埋まる《オリハルコン》。今は発光していないようだが……。

 ゴウ達とプランバムが、無言で睨み合うしばしの膠着状態になると、やがて大悟が口を開いた。

 

「潮時だな……。プランバム、今日のところはここでお開きといかないか?」

「はい?」

 

 応えたのはプランバムではなく晶音だった。

 

「何を言っているのですか! 今の今まで戦っていた敵を前に! それに勝負を放棄するなんて貴方らしくもない……」

「……お前さん、ちょっと見ない内に何か吹っ切れたか? まぁ、今はいいか……ともかく聞け」

 

 見るからに納得していない晶音を、不思議そうに眺めてから宥める大悟は、プランバムに向き直って話を続けた。

 

「そもそも、俺達より先に《オリハルコン》をお前さんが手に入れた時点で、ここでの決着は着いていたも同然だった。こっちも挑みはしたし、お前さんは俺達を逃がさないと言っていた。だが、俺とオーガーだけでそこまで負傷した身で、加えて五人も相手が増えたこの状況、勝てるなんて思ってないだろ? ただ、もうしばらくすれば倒した奴らも復活するだろうから、そうなったらもう泥沼だ。さすがにそれは避けたい」

 

 要するに大悟は時間切れだと言っているらしい。

 大悟の言うように、ゴウ達がこのアトランティスで戦う理由はすでになくなっていた。一回プランバムを倒しても《オリハルコン》を奪取できるわけではないし、ひたすら連続で倒すのも現実的ではない。もしかすると大悟は最初から、仲間達とこうして合流した時点を戦闘のリミットとして考えていたのかもしれない。

 ゴウとしても引き際を(わきま)えられないような真似はしたくなかった。……不完全燃焼感は否めないが

 

「どうだ? お前さんにしても、ここでこれ以上の戦いは不毛でしか──」

 

 ピシッ。

 

 不意にそんな音が響いた。

 先のゴウの一撃によるものなのか、プランバムの仮面に一筋の亀裂ができた音だ。左頬から口元にかけて斜めに走った亀裂は、無貌の仮面が笑っているようで、ひどく不気味に見える。

 プランバムは仮面にできたばかりの亀裂を指で無言でなぞり──。

 

「……フフ、ハハ……ハハハハハハハハハハ!!」

 

 瓦礫の中から出てきて以降、沈黙を保っていたプランバムは唐突に声を上げて笑い出した。

 だが、乾いた笑いと言うのだろうか。ゴウはここまで喜びや楽しいといった感情とかけ離れた笑い声を聞いたのは初めてだった。軋むような調子の声と仮面の傷も相まって、より恐ろしく感じられる。

 

「……何度も言わせるな。ここから始めるのだ、加速世界の秩序を正す為に。貴様らもまた、その対象の一つ。誰一人として逃がしはしない」

 

 足元の瓦礫を踏み砕いて歩き出したプランバムは、先程自身がぶつけられたことで背もたれが砕かれた玉座の前で止まった。

 

「……やっぱり、そのアイテムはあまり良い物じゃなさそうだな。この人数差じゃ、それは叶わないと分からないほどに頭が回らなくなったか」

「貴様の言う通り、貴様ら全員を相手取るのは不可能だ。……私ではな」

「…………!? 全員、入口の──」

「もう遅い」

 

 何かを察したらしい大悟の指示よりも早く、妙な気配を感じてゴウが入口の方を振り向くと、扉を覆い隠す真っ黒な穴が出現していた。

 天井から床、壁の端から端とほとんど同じ高さと幅をした楕円形のそれは、SFを題材にした作品に登場するような、別の次元に繋がる空間の扉を思い起こさせる。

 

「……リキュールちゃん、ちょっとあそこ撃ってみて」

「は、はい……」

 

 メディックに頼まれたリキュールが肩に掛けていた銃を構え、黒穴へ向けて数発の弾丸を撃つ。

 弾丸は波紋を立てて黒穴に当たっても、止まることなくそのまま直進していき、やがて見えなくなってしまった。その様子に一同は唖然とする。

 

「……海?」

 

 ゴウは自然と言葉が口を突いて出ていた。このアトランティスに訪れてから、ずっと潮風の匂いを感じてはいたが、黒穴からはこれまで以上に潮の香りが漂ってくる。

 

「……貴様らにとっての唯一の出口は封じた。この《オリハルコン》を身に宿した者は、アトランティスを手中に収めたのと同義。そして──」

 

 謎の空間への入口を発生させた張本人、プランバムの左胸の《オリハルコン》が再び輝き出す。それも、輝きは規則的なリズムで波状に広がっている。かすかに、りん、りん、と鈴が鳴るような音を立てて。

 その光景にゴウは嫌な予感がした。何かとんでもないことが起きるような、胸騒ぎがして収まらない。

 他の皆も何やら只事ではないとは理解しているようだが、あまりに異様な状況に下手には動けずにプランバムと黒穴、自分達を挟む形になっている二つへ交互に注意を向けている。

 

「今、何か光らなかった……?」

 

 そんな中、宇美が黒穴を指差した。

 ゴウもよく目を凝らしてみると、確かに奥で何かが光っている。途端に黒穴が水面のように波打ち、震えた。

 大広間を満たす《オリハルコン》の輝きが強く、りん、りん、と鈴鳴りの間隔が段々と速くなっていく。まるで、『何か』を呼んでいるような──。

 これに連動するかのように黒穴の震えが激しさを増し、黒穴の向こうから見える光もみるみる大きくなっていく。まるで、呼ばれた『何か』がこちら側に近付いているような──。

 

「さぁ、現れろ。アトランティスに封印されし守護獣──《リヴァイアサン》よ!!」

 

 黄金の光、鳴り響く鈴の音、黒穴の震動。それら全てが最高潮に達し、プランバムが高らかに叫ぶと、黒穴の表面が爆発したように弾けた。

 ゴウが感じたように穴の向こうは海水で満たされていたようで、大量の飛沫がかなり距離の開いたゴウ達にもわずかに降りかかるが、そんなことは瑣末な問題でしかない。

 撒き散らされる海水と共に黒穴から現れ出たのは、全身が鉛色の鱗で覆われた、途轍もなく巨大な怪物、海竜型のエネミーだった。

 長い体の背中には、ヨットの帆のように広がる背(びれ)が何枚も突き出ていて、左右側面には背鰭より二回り近く大きい一対の胸鰭と、規則正しく小さな棘が並んでいる。棘を境にして腹部は蛇腹状で、背面部よりも鱗の厚さが幾分薄くても、脆弱さなどまるで感じさせない。

 頭頂部には後ろに向いた二本の大角。両頬には体同様の鋭い棘条(きょくじょう)を軸に皮膜が付いた鰭。鋭い牙がずらりと並んだワニにも似た長い口吻からは、ざあざあと海水が流れ落ちている。

 そして、光が一切見えなかった漆黒の空間内で光っていたものの正体である、《オリハルコン》同様の金色をした双眸が爛々と輝いていた。

 

「────────────────────ッッッ!!!!」 

 

 頭を天井に向ける海竜が空気を嗅ぐように何度か首を左右に振ると、ぐばっと顎を大きく開いて、鼓膜を突き破らんばかりの耳を(つんざ)く大音響で吼える。

 悠久の昔より、光の届かない深海に閉じ込められ続けていたことに対し、抑えることなく憤怒しているかのように。

 



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第六十二話

 第六十二話 それぞれのできること

 

 

 リヴァイアサンの咆哮による音圧にビリビリと体を震わせられる中、四段に並ぶ膨大な体力ゲージが視界の端に表示された。間違いなくあれは神獣(レジェンド)級に分類されるエネミーだろう。

 ゴウがこれまで倒したエネミーの等級は、単独では心意技を用いて野獣(ワイルド)級まで。アウトローの仲間達と協力して倒したもので、巨獣(ビースト)級までだ。

 基本的に決められたテリトリーに存在している神獣(レジェンド)級エネミーには、ゴウは一度も遭遇する機会がなかった。アウトローメンバーの中には居場所を知っている者もいるにもかかわらず、エネミー狩りでも対象になったことはない。

 その理由は単純、神獣(レジェンド)級エネミーが恐ろしく強いからだ。倒せば膨大なポイントの他にレアアイテムが手に入る可能性もあるが、それ以上に全滅のリスクが高すぎて、気軽に挑める存在ではないと説明されていた。

 実際に目の当たりにしてゴウは皆の言っていたことを痛感する。目の前の海竜に比べれば、初めて見た時には《荒野》ステージの主に思えた、岩石で構成された四足型の巨獣(ビースト)級など、柴犬がいいところだ。

 

「……鎮まれ」

 

 プランバムの一言に、吼え続けていリヴァイアサンが口を閉じ、鎌首をもたげて離れた位置に立つプランバムをじっと見つめる。まるで次の指示を待つように。

 

神獣(レジェンド)級エネミーが……まさか調教(テイム)されているのですか……?」

「そうだ」

 

 信じられないように呟く晶音に、プランバムが無慈悲に断言した。

 

「リヴァイアサンは《オリハルコン》を持つ者のみを主として呼びかけに応じる。これぞ七大レギオンにさえ対抗し得る究極の切り札。──そして、貴様らの処刑人だ」

 

 プランバムが崩れた玉座に手を当てると、玉座と玉座が据え付けられている床がひび割れ始め、やがて陥没する。玉座のあった場所には、幅二メートルほどの正方形の穴が空いていた。

 自然にできたにしてはあまりにきれいな形からして、どうやら元々空いていた穴を塞ぐ形で玉座が設置されていたらしい。それをプランバムはアビリティで押し潰し、開通したのだ。

 

「さらばだ、アウトローのバーストリンカー達よ。精々足掻くがいい、最期の時まで」

 

 それだけ言うと、プランバムは躊躇なく穴へと落下していった。

 

「……あの穴、出口じゃないよねー?」

「でしょうね。出口封じたって言ったそばから、抜け道作ってたらマヌケもいいとこ──」

 

 キューブと宇美が話していると、再びリヴァイアサンが空気を引き裂くように、甲高く吼えてから動き出した。すでに見えているだけで体長は二十メートルに届こうかという長さなのに、尾の先は未だに見えず、黒穴から太く長い体が這い出てくる。

 

「全員、下がってください!」

 

 晶音が前に立ち、隻腕で杖を振るうと、リヴァイアサンを阻む石英の壁が広がった。ゴウと大悟を相手にしたタッグ戦で、ステージの大通りを塞いだ時と同様の規模だ。だが──。

 

「──!? 直線上から離れて!」

 

 晶音が即座に叫ぶ。

 リヴァイアサンの頭突きを受けて、石英の壁は一瞬で亀裂が全体に走り、わずか二秒で砕けてしまった。しかも、強固な壁に激突したリヴァイアサンの体力ゲージは一段目の二、三パーセント分が削れただけだ。

 

「まずいな……どう見積もっても、今の俺達に倒せる相手じゃない」

 

 幸いにも瞬時に保たないと悟った晶音の指示と、ほぼ同時に左右に散開したことで全員が無傷だったが、大悟の声には、プランバムが《オリハルコン》の力を開放した時以上に焦燥感が込められていた。

 おそるおそるゴウが確認する。

 

「し、心意技を使ってもですか?」

「エネミーは高位になればなるほど、心意技の効きが悪くなる。バーストリンカーに向ければ一撃必殺の技でさえ、良くて通常の必殺技レベルだ。……それにしたって何で下手すりゃ《四神》にまで届きそうな奴がこんな所に……。その上、制御下に置くなんざ──」

 

 後半になるにつれ、ぶつぶつと独り言になり始めた大悟が急に口を閉じた。

 リヴァイアサンの体が後方へずるずると下がっているのだ。しかし、リヴァイアサン自身はそれに抵抗していて、唸りながらのた打ち回っている。

 一体どうしたのだろうかと、暴れる巨体に巻き込まれないようにゴウが注視していると、その理由が分かった。

 

「引き寄せられてる……?」

 

 黒穴の入口が激しく渦巻き、繋がるリヴァイアサンの体を吸い込もうとするかのように引き戻しているのだ。その様子を見てゴウにはある考えが浮かび始めた。

 

「どうやら、凄まじい強さの代わりに行動を制限されているようですね」

「完全にはあの穴から出られない……? 条件付きの相手なら、いくらか勝機も見えるかしら?」

 

 晶音、メディックと、合流した仲間達が意見を言っている中、徐々に渦が収まっていく。

 もう熟考している時間はないと、ゴウは自分の考えを皆へ打ち明けた。

 

「皆さん。僕は……プランバムを追いかけます」

 

 案の定一同がどよめき出すと、大悟に訊ねられる。

 

「……勝算はあるのか?」

「あの空間への入口は、《オリハルコン》の力でプランバムが作り出したものです。だったらプランバムを倒せば、消えるかもしれない。その時はあのリヴァイアサンも一緒に」

「今の体力の消耗している奴になら、勝機があると?」

「きっと奴がこの場から離れた理由は、リヴァイアサンの攻撃に自分が巻き込まれないように。それに、僕達の誰かから攻撃されるのを避ける為だと思うんです。そうして、万が一にも自分が死亡している間に、僕らに逃げられる事態を避けようとしている」

「ちょっと待って」

 

 あくまで推測の域を出ない考えをゴウが淀みなく答えていくと、大悟との会話に宇美が割って入った。

 

「プランバムだってとんでもなく強いんでしょう? だったら全員か……少なくとも半数で挑むべきじゃない。一人で行くなんて無茶だよ」

「プランバムは強い重力空間を発生させる心意技を使うんです。耐えるだけなら、全身に心意システムを発動すればしばらくは何とかなります。でも、戦うとなると装甲強度拡張……それも鎧みたいに纏うタイプで対応するしかないんです」

「周りにも気を配れ。次来るぞ」

 

 大悟の声にはっとすると、黒穴の渦巻きは完全に収まっている。

 体勢を立て直したリヴァイアサンが大きく顎を開けると、螺旋状の水流を勢いよく吐き出した。床を抉りながら迫る激流に、ゴウ達は散開して回避する。

 床に敷かれていたレッドカーペットが水流に巻き込まれ、引き千切られていく様を目にしながら、隣に並び立つ大悟が言う。

 

「確かに全員が向かったところで、奴がリスク承知で再度コイツを召喚したら意味がない。だが、お前さんの考えが正しいとも限らない。どう転ぶかは賭けだぞ?」

「承知の上です」

 

 リヴァイアサンが口を開けたまま、こちらに直進してくる。

 一口で呑み込まれかねない大口と、そこに生える無数の牙を避け、ゴウはまず大きく息を吸った。そして、少し離れた仲間達にも伝わるように、声を張り上げて思いの丈を吐き出す。

 

「僕は……僕は今よりももっと強くなりたい! たくさんのデュエルアバターと対戦したい! そして……まだまだ皆と一緒に、この先も加速世界を生きていきたい!! だから、この場所を墓場にする気はありません!!」

 

 どんな物事にも終わりは来る。今日この時、この場所で自分がバーストリンカーでなくなるのかもしれないし、それに対して全く覚悟をしていないわけではない。

 だが、ゴウはかつてない窮地に置かれていても、ブレイン・バーストの永久退場をあっさり受け入れられるほど、潔い性格ではなかった。自分ができることをやりきらずに死ねるものか。

 それにやはり、プランバムとの決着が着いていない。数週間前に偶然に出会い、このダンジョンでも、言うなれば成り行きで交戦に至った相手。深い因縁などありはしないが、何故か彼とは白黒つけなければならない気がするのだ。

 

「……嬉しいこと言ってくれるじゃねえか」

 

 大悟が突然、明後日の方向に走り出した。そして、ある物を手に取るとリヴァイアサンを避けつつ、ゴウの前で立ち止まる。大悟が両腕で握っている物、それはプランバムとの戦いの最中に壁にめり込んだまま、そのままにしていたゴウの強化外装、《アンブレイカブル》だった。

 

「ふぅ、重てえ……。ほれ、忘れ物だ」

「師匠……」

「ここは俺達に任せて、自分の成すべきことを成せ」

 

 早く取れと言わんばかりに腕を突き出す大悟。

 

「行ってこい。勝てよ」

「はい!!」

 

 そんな短い言葉とのやり取りが、自分の勝利を確信してくれているようで、ゴウには何よりも嬉しく、心強かった。返事をして金棒を受け取ると、大悟に背を向けて駆け出す。

 

「皆、オーガーの援護を頼む!」

「はい!」

「りょうかーい!」

「まっかせてちょうだい!」

 

 酒瓶を模した銃の弾丸が、立方体の氷塊を纏った拳が、掌から生成された卵型の手榴弾が、リヴァイアサンの注意を引く。

 道を拓いてくれる仲間達に感謝しながら、ゴウは倒すべき相手を追うべく、奈落の底へとその身を躍らせるのだった。

 

 

 

「……何か言いたげだな。お二人さんよ」

「あなたは行かないの? さっきまで一緒に戦っていたのなら、プランバムの心意技とかいうのにも対抗していたんでしょ?」

 

 横からの二人の視線を受けて振り向く大悟に、視線を向ける内の一人である宇美が不安そうに、ともすれば若干非難しているようにも聞こえる口調で訊ねてきた。

 

「そうだが、今の俺が付いていってもあまり力にはなってやれそうにない。それは多分、あいつも分かっている。一緒に来てくれとは言わなかったからな」

 

 すでに大悟の体力は三割にまで減少している。加えて酷使しすぎた四肢の動作は、常よりも数段鈍い。大悟は自分がゴウの足手纏いになってしまうのは御免だった。

 

「ですが、オーガー単独で勝てるのですか? プランバム・ウェイトも見たところ消耗していましたが、それはオーガーも同じです。その上、今のプランバムは王並に強いと、貴方も言っていたではないですか。それに……オーガーの推測にも確証はないでしょう?」

 

 まだ何か言いたげだが引き下がる宇美に代わって、晶音が口を開く。ゴウを信頼していないわけではなく、プランバムの底知れない気配から脅威を感じ取っているから故の発言なのだろう。

 確かに今の二人の地力を比較するなら、軍配はプランバムに上がるだろう。しかし、大悟とて勝機もなしにゴウを送り出しはしない。

 

「……プランバムを倒してあの穴が閉じるかもしれないってのは、そうなればいいな程度の考え。だが、違ったとしてもプランバムが俺達に横槍を入れてくる可能性もあるから、抑える役は必要だ。ダイヤモンドの特性を持つあいつはきっと俺達の中で一番、『重さ』を武器にするプランバムに対してアドバンテージを持っている。適役だ。それに……隠し玉も託してある」

「隠し玉?」

「使うかどうかはオーガー次第だがな。……さぁ、メディック達に任せきりにはしておけない。そろそろ俺達も加わるぞ」

 

 半ば無理やりに話を打ち切った大悟は、密かに晶音が不審に思っていないか気にしていたが、幸い晶音は『隠し玉』に関しては追求してこなかった。

 

「ところで貴方、その……戦えるのですか? あのエネミーはプランバムよりも強いのですよ?」

「心配御無用。全く身動き取れないわけじゃないからな。得物は破壊されて、全身ガタガタのこの体でも、まだやれることはある。だからここに残ったんだ」

 

 殊更弱みを見せたくない存在の一人の質問に、大悟は努めて平静そうに答える。

 ──とはいえ、この人数じゃさすがに厳しいのも事実。さて、どうしたもんだか……。

 暴れ回る海竜を前に、大悟が立ち回りを考えていたその時、突如として大広間の天井の一部が崩れ落ちた。

 

『『『うおおおおおおああああああああ!!!』』』

 

 更には巨大な物体が落下してくると同時に複数人の叫び声。

 下敷きにならないように逃げるメディックやキューブをよそに、巨大な物体──肩に直接生えた頭のあちこちから、蒸気を噴出する赤茶色の巨人が、リヴァイアサンの長大な胴体にボディプレスをする形で着地した。

 これにはさすがの神獣も仰け反り、悲鳴を上げるようにけたたましく吼える。

 

『うおおおお!? 何だ何だぁ!? めっちゃうるせえ!!』

『エネミーの上に落ちたみたいだ! キルン、早く!!』

『分かってっから、じっとしてろ! ええい暑苦しい、三人は定員オーバーだ……!』

『地割れから生き延びられたのはコレのおかげだったけど、やっぱりコングと合流した時に一度降りるべきだったかな……』

『メモリー、今更言うんじゃねえよ。他の奴らがどうなってっか分かんねえから、壁ぶち抜いてでもショートカットするコングの案におめえも賛成したんだろうが』

『いででで! おいキルン、右肩に当たんなよ! こっちの装甲砕けかけてんだから』

 

 全長八メートル近いずんぐりとした体型のゴーレムから、男達のスピーカー越しでの言い合いが聞こえてくる。

 

「な、何なの……!?」

「あれはキルンのアビリティの集大成だ。……それにしても派手な登場だなぁ、おい」

 

 とんでもない闖入者に慌てふためく宇美に、大悟が最低限の説明だけをしてから、この上なく心強い援軍の登場に笑みを作る。

 ようやくリヴァイアサンから離れた、キルンがアビリティにより創造し、操るゴーレムの腹部の穴が拡がると、そこに太い腕がおもむろに突っ込まれた。腕はすぐに引き抜かれ、墨色と森色のデュエルアバターを二体纏めてポイと床に落とす(無造作な割に、さして床と離れていない高さだったが)。

 

『さて……。何だか知らねえが、とんでもねえのがいるじゃねえか。こいつがどこまでやれるか、テストといくかぁ?』

 

 下敷きにされて怒り心頭といった様子のリヴァイアサンに、キルンはゴーレムを駆って、臆することなく立ち向かっていった。

 

「っぷはぁ! ん? 尻に何か……」

「僕だよ……早く降りて」

「おぉ、わりい……皆ぁ! ほらメモリー、ドンピシャの場所に出たみたいだぞ!」

 

 コングが一緒にもみくちゃになっていたメモリーに手を差し伸べて立ち上がらせると、大悟達に駆け寄る。

 

「まぁ、コングちゃん! ひどい怪我じゃない。ほら、腕と肩出して……《ファーストエイド・バンテージ》」

 

 合流するなりコングを見たメディックが真っ白な包帯を出現させて、コングのヒビだらけの右肩装甲と掌の半分が痛ましく千切れた右手に巻かれていく。

 

「サンキュー、メディック。えっと、ひぃふぅみぃ……ボンズ重傷だな……。向こうにキューブと……あれ、オーガーは?」

「それと、あのエネミーについても教えてよ。何なんだい、あれは」

「それがいろいろあってな……」

 

 大悟が簡潔にコングとメモリーに説明していく。状況が状況なだけに、二人はすぐに事態を飲み込んでくれたようだ。

 

「《オリハルコン》にリヴァイアサンか。とんでもないことになっているね……」

「それでどうする? 策があるなら聞くぜ」

「兎にも角にも出し惜しみはできない。こっちも全力でいく。まずはあのエネミーを完全に穴から出さないようにしてほしい」

 

 いつの頃からかアウトローの司令塔の役割に納まっていた大悟は、いつものエネミー狩りのように仲間達に指示をしていく。

 

「コング、攻撃を一手に引き受けているキルンをメインに互いをフォローしつつ、リヴァイアサンに攻撃。キルンと一緒に戦っているキューブにも伝えてやってくれ。メモリー、お前さんも前衛だ。ただし、最初は記録をしながら立ち回ってくれれば良い。奴の攻撃パターンを把握する必要があるからな。リキュール、メディック、近接チームの援護を。メディックは負傷者が出たら応急処置だ。自分自身にも気を配れよ? リキュールは隙を見て、奴の顔面にでも強烈なのをお見舞いしてやれ。炎熱属性の攻撃はいくらか効くはずだ」

「私は? 何をすれば良い?」

「フォックスも前衛を頼む。ただし敵だけじゃなく、仲間の技にも巻き込まれないようにな。もっとも、お前さんの身のこなしなら大丈夫だろうが。じゃあ行ってくれ」

 

 指示を受けた面々が動き出し、この場に残っているのが大悟と晶音のみとなる。

 

「では私は、石英でリヴァイアサンの動きの妨害をすれば良いのですね?」

「いや、それよりもジャッジ。お前さんには……しばらく俺を守ってほしい」

 

 ──まさか、こいつにこんなこと言う日が来るとはな……。

 共に行動していた時代に援護を任せたことはあっても、明確に口に出して頼んだことのなかった大悟の申し出に、晶音は面食らいながら確認する。

 

「わ、私が貴方を? ですが……貴方も見たようにゲージを消費した晶壁でもリヴァイアサンの突進は防げません。役には立てないかと……」

「心意を付与すればいくらか保つだろ? それに範囲が広い分、威力が数段落ちる飛び道具も使ってくるだろうし、役立たずなんかにはならない」

「それは……確かにそうですが……。では、私が守っている間に貴方は何を?」

「決まっている。このアイオライト・ボンズの奥義を、あの馬鹿でかいウナギに見せてやるのさ。ただし時間がかかるし、ほぼ無防備になるんでな。単独じゃまず使えないが──」

 

 大悟が合掌して強く念じると、青紫色をした過剰光(オーバーレイ)を放つ数珠が宙に現れる。

 

「《子》が命賭けて戦っているのなら、《親》が応えないわけにはいかない。お前さんに俺の命、預けるぞ」

「…………分かりました。貴方を信じましょう。貴方は技に集中してください」

 

 晶音が覚悟を決めたのを見届けてから、大悟は合掌した両手に心意によって生み出された数珠を絡み付かせ、経を唱え始めた。

 

「……世尊妙装具 我今重問被 佛子何因縁──」

 



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第六十三話

 第六十三話 粛清者の仮面

 

 

 その少年はどこにでもいる普通の子供だった。

 彼が他の子供に比べて普通でないことを強いて挙げるのなら、三歳の頃にとある事故に巻き込まれた両親と死別していることだろうか。

 もちろん胸が引き裂かれるほどに悲しく、立ち直るのには相応の時間がかかったが、事故の後に親戚の元に引き取られた彼は、それでも心身共に(おおむ)ね健やかに成長していった。

 小学五年生になると、少年は当時の親友と呼べる友人からブレイン・バーストプログラムを受け取り、バーストリンカーとなる。ほとんどの子供の例に漏れず、少年がブレイン・バーストに夢中なるのに、そう時間はかからなった。

《親》である少年の友人は、とても小規模ではあるものの、レギオンのマスターを務めており、少年は《親》である友人に誘われるがままレギオンに加入した。特段、迷う理由もなかったからだ。

 少年にとってレギオンはすぐに居心地の良い場所となった。メンバー達は気さくで、彼らによる少年のデュエルアバターに合った戦略の提案やアドバイスなどもあって、少年は着実にレベルを上げていく。

 ある日、少年はクラスメイトのとある女子を《子》に選んだ。適正条件については元より、異性と直結してプログラムをコピーインストールすること、それを自分の口から話さなければならないのは、当時の少年にとって一世一代の大勝負だった。

 彼女が一昔前のジャンルである、対戦格闘ゲームを受け入れてくれるのだろうか。もしも拒絶された上に、これから距離を置かれたらどうしよう。それらの不安を振り払い、最大限に勇気を振り絞った結果、コピーインストールは無事に成功した。

 少女のデュエルバター名は《シルク・ピエリス》。

 その名の通り、滑らかな絹色をしたボディカラーと、背中には蝶の(はね)に似たパーツが付いた小柄なF型アバターで、対象に支援や妨害の効果を及ぼす鱗粉(りんぷん)を翅パーツから放出する、サポートタイプのアバターだ。

 快活な性格の少女にとって、当初は直接戦闘に不向きな支援型のアバターであることは不本意らしかったが、地面よりアバターの身長と同じ、およそ一メートル弱の高さまで浮遊可能な一種のホバー移動はすぐに気に入ったようだった。

《親》としての自覚も手伝い、少年は可憐な妖精のような容姿のピエリスを守り、導こうと意気込んだ。幸いにも比較的防御力の高いメタルカラーである少年は、華奢なピエリスの盾となるにはうってつけで、癖のないピエリスの支援効果も上手く噛み合い、タッグ戦での勝率は上々の戦果を挙げていく。

 毎日が楽しかった。頼れる《親》に仲間達、そして《子》がいる。そんな皆に囲まれた自分より幸福な人間はそうはいないであろうと、この頃の少年は本気で思っていた。

 だから、ピエリスがレベルアップ・ボーナスで得たとあるアビリティが、レギオンにとってもっとより良いことに繋がるのだと信じていた。

 それがレギオンの崩壊に繋がるなど、夢にも思わなかったのだ。

 

 

 

《ヒーラー》、回復術師。

 二〇四七年現在、ブレイン・バーストの歴史上で他者を回復させる能力を持ったバーストリンカーは、三人しかいないとされている。

 しかし実は、二〇四七年の四月にデビューしたライム・ベルより数年前に、三人目のヒーラーは存在した。それこそが、シルク・ピエリスだ。

 彼女がレベル3のレベルアップ・ボーナスで取得した必殺技の効果を確かめるべく、少年はピエリスと通常対戦を行った。

 ギャラリーとして観戦していた少年の《親》は、ピエリスが振り撒いた必殺技の鱗粉が、少年の体力を回復させたのを見るや血相を変え、その日の放課後にはレギオンの全員を招集した。

 そうして少年は話を聞いていく内に、ようやく事の重大さを理解し始める。

 体力吸収(ドレイン)系アビリティなどの一部の例外を除いて、基本的に通常対戦中でも無制限中立フィールド内でも、デュエルバターの体力を回復する手段は存在しない。

 これが領土戦において、途轍もないアドバンテージになることは言うまでもなかった。ヒーラーの存在はダメージの回復は元より、敵チームにとっては絶対に潰さなければならない対象として、こちらが敵の行動を読むことも、それを見越して罠を仕掛けることも容易くなるからだ。

 大げさではなくレギオンとしての飛躍的な戦力になり、東京の全領土を治めることも全くの絵空事ではなくなる。だが、当然このことが知られれば、大小様々なレギオンが黙ってはいないだろう。

 しかも、少年がバーストリンカーになるよりも前に、史上二人目のヒーラーとなったバーストリンカーは己を巡る争いに耐えかねて、自らブレイン・バーストをアンインストールし、永久退場してしまったという。これでは手放しに喜べるはずもない。

 当人であるピエリスは回復技を使わずに隠すことを望み、少年も賛同した。レギオンマスターである少年の《親》が、ひとまずはレギオン内でこの件には戒厳令を敷くように決め、この日は解散となる。

 この時の少年は、大変な騒ぎになってしまったが、すぐにほとぼりも冷めるだろうと楽観視していた。それがひどく甘い見積もりであるとも知らず。

 この日を境にレギオン内には、徐々に言いようも知れない空気が漂い始め、それは日に日に重苦しいものになっていった。重大な秘密を抱え続けることは、殊の外ストレスが溜まるものなのだ。

 ある日挑戦した領土戦の燦々たる結果により、再度レギオン内での話し合いが開かれた。議論は過熱し、いっそ強力なレギオンとの合併をするべきではないか、という意見まで出る始末。

 近隣レギオンとの合併や分裂は、当時はそこまで珍しくもなかったのだが、それでは構成員が十人にも満たないこちらが吸収される形になるのは目に見えている。少年は元より、ほとんどのメンバーがこの意見を望まなかった。

 結局、この日も答えは保留となり、次第にレギオンは回復能力の秘匿派と開示派の二つに分かれていく。

 問題はどちらもこのレギオンの為を思って考えていることだ。秘匿派である少年は、どうにか開示派を納得させられないものかと考え続けていた。

 だからこの時、当人であるピエリスの心境を、本当の意味で理解できてはいなかったのかもしれない。以前と変わらずに現実ではクラスメイトとして、加速世界では少年とタッグを組んで対戦をする彼女が、明るく振る舞うその裏で何を思っていたのかを。

 

 

 

 ある晩、ピエリスが少年にボイス・コールをかけてきた。

 会話の内容は、今度の授業での課題がどうとか、最近友達の何某(なにがし)が誰々と付き合い始めたかもしれないなどの学校について。今度の対戦では、こんなコンビネーションをしてみたいといったブレイン・バーストについて。

 他愛のない、しかし久々に穏やかで安らげる時間がしばらく続き、やがて「また明日ね」と彼女が。少年も「また明日」と返して通話は終了した。

 翌日。登校して教室で少女を目にした少年は、虫の知らせというか、ふと違和感を抱いた。

 まさかと思い、マッチングリストを確認した少年の背中を、滝のような冷や汗が流れ出す。シルク・ピエリスの名前がマッチングリストに載っていなかった。

 生徒は学校の敷地内に入ると、学業や体調把握などの為に、学内ローカルネットに強制接続される。グローバルネットをオフラインにしていても。

 現実のピエリスである少女が教室にいる以上、少年と同じローカルネット接続されていることは確実で、同ネット内のマッチングリストには必ず載っているはずなのだ。──ブレイン・バーストプログラムを彼女のニューロリンカーがインストールしている限りは。

 少年はクラスメイトと談笑していた少女を半ば強引に教室から連れ出し、人気のない所まで引っ張っていくと、動揺から震える声でブレイン・バーストに関する質問をしていく。

 こちらの剣幕に戸惑う少女の答えに、少年は愕然とした。彼女はブレイン・バーストについて憶えていなかったのだ。

 正確には、少年とネットゲームをしていた記憶はおぼろげながらにあるらしいが、ブレイン・バーストの名前さえ思い出せない様子だった。懸命に記憶を引っ張り出そうとしている表情は真剣そのもので、嘘を言っているようにはとても見えない。

 もう認めるしかなかった。目の前の少女の中に、シルク・ピエリスの魂は存在しないのだと。少女は昨晩の少年との会話の後、ブレイン・バーストを自らアンインストールしたのだと。ブレイン・バーストをアンインストールした者は、ブレイン・バーストに関わる記憶を失うという噂は正しかった。

《子》を失った《親》である少年はひどく落ち込んだ。実の両親を失った時と同じかそれ以上に。

 両親の件は自分にはどうにもならない不慮の事故だった。しかし、今回は違う。

《親》である自分が何かしらの決断を下せば、《子》であるピエリスを守ることができたはずだ。この事態に至るまでピエリスを追い詰めた原因の一つに、間違いなく自分も含まれている。

 現実の少女は生きていても、加速世界の彼女は死んだ。自分とこの数ヶ月間に加速世界で育んだ《親子》の絆は、もうどこにも残ってはいない。

 その事実は少年に対する罰だとしても、あまりにも重すぎるものだった。

 

 

 

 少年のあまりの落胆ぶりに、少年の《親》は立ち直らせようと様々な手を尽くしたが、どれも成果はなく、ついには荒療治にと、少年とレギオンメンバーを引き連れて無制限中立フィールドへエネミー狩りに繰り出した。

 こちらの事情など関係なく、目にしたバーストリンカーを無差別に襲うエネミーは、一時的にでも少年の気を紛らわせることには成功した。問題はその後に起こる。

 今回エネミー狩りに参加したメンバーのレベルは4と5で構成されていた(そもそもレベル6以上のバーストリンカーは、このレギオンには在籍していない)。その為、ターゲットは精々が小獣(レッサー)級か野獣(ワイルド)級、それも単独でいるものだけだ。

 元より少年の気分転換に少し足を運ぶ程度のもの。長居する気は最初からなかった。

 故に誰もがタイマーによる自動切断などの保険さえかけていなかった浅はかさが、文字通り致命的になる。

 少年達のレギオンはエネミーを深追いしすぎて、群れを呼び寄せてしまった。相手は野獣(ワイルド)級、それも自分達の数よりも多い。

 一行はとっさに目に付いた岸壁の裂け目に逃げ込んだ。

 入口は非常に狭く、岩盤が硬かった為にエネミーの大きさでは入って来られなかったが、エネミー達は執念深く、入口の周囲に居座ってしまったらしい。唸り声は一向に鳴り止まなかった。

 裂け目の奥は空洞になっていたが、どこかに繋がってもいない、完全なる袋小路。

 それでも、少年達に全く生き残る道が残されていないわけではなかった。例えば、敢えて一度エネミーの群れに殺され、幽霊状態から一時間後に復活する。この場所は本来、エネミー達の縄張りではないのだから、標的であるバーストリンカーがいなくなれば、エネミー達が留まる理由もない。

 だが、窮地らしい窮地を経験したこともなく、エネミー狩りの最中で負傷と疲弊をしていた彼らには、冷静に状況を判断することはできなかった。

 数時間経って、誰かが言った。「こんな時に回復技があれば……」と。少年の心臓が、跳ねるようにドクンと嫌な鼓動を刻んだ。

 実際、体力ゲージを回復しようとも、それで必ずしもこの窮地を脱せられるとは限らない。しかしそれでも、思ったことをそのまま口に出した発言は、今のレギオンにとって充分な着火剤となった。

 仲間達による言い合いが始まった。議論などではない、ただただ自分の身を案じているだけの感情の吐露。

 少年はどうにか皆を宥めようとするが、誰かが少年に言った。「こうなったのは、いつまでも落ち込んでいたお前のせいだ」と。心をナイフで刺されたような気がした。

 数名がこの発言に賛同すると、他の数名が彼らを責め立てた。この場を収めるべきレギオンマスターである、少年の《親》はただうろたえるばかり。

 段々とヒートアップしていく仲間達を目にする内に、少年の中で何かが生まれ始めていた。

 そして、誰かが言った。「もしもピエリスがいなければ、レギオンの雰囲気が変になったりしなかった。こんな目に遭ってはいなかった」と。

 その発言が出る前に、誰が何を言っていたのかを少年は憶えていない。重要なのは、それが本心から出たということだ。

 聞いたことがある。極限下の状況でこそ、人の本性が浮かび上がるのだと。

 少女は──ピエリスはお転婆ではあったが、身勝手ではなかった。仲間を想う気持ちは誰よりも強かった。

 少年は知っている。ピエリスが回復技をボーナスで選択したのは、必殺技のモーションから、対象への支援効果がある技だと判断したからだ。彼女は自分一人の強化よりも、仲間達に力を与えることを望んだのだ。

 それに比べて目の前の彼らはどうか。

 ピエリスの気持ちを考えもせずに、自分のことしか考えていない。《加速》の恩恵を日常生活でどれだけ利用していたのか知らないが、ブレイン・バーストを失う恐怖しか頭にない。

 ピエリスがブレイン・バーストを捨てたのは、間違っても答えの見えない泥沼の話し合いに嫌気が差したからなどではない。レギオンメンバー間の仲違いを、原因である自分が永久退場することで解消しようと考えたからだ。

 同じ選択を、この愚か者共の中で一人でもできる者がいるだろうか。

 そう考えると、彼女が自らを犠牲にしてまで守ろうとしていたレギオンが、仲間の皆が、少年にはひどく醜悪な存在に見えた。怒りが血潮のように全身を駆け巡っていく。

 罪なき者が責められ、何もしなかった者達が異を唱えて、さも被害者のように振る舞っている。間違っている。歪んでいる。誰かが正さなければならない。誰が。──自分が。

 少年は温和な性格だった。協調性を重んじ、波風を立てることを避ける。それは長所にも短所にも成り得るものだ。

 ただし、そんな人間にも許容できない一線は存在する。今回、仲間達は本人さえ無自覚だった虎の尾を踏み抜き、龍の逆鱗に触れることとなった。

 少年は喉が潰れんばかりの大声で叫んだ。

 皆がこちらを向いて驚愕する。少年の絶叫にではなく、少年のデュエルアバターの身から立ち昇る、暗く沈んだ色調の、重苦しい印象を与える鉛色のオーラに。

 周囲を暗色で照らす光は、必殺技のエフェクトではない。ただ、漠然と力が漲るのを感じた少年が一歩進むと、足が地面にめり込んだ。

 ただならぬ少年の様子に恐れを抱いたのか、メンバーの一人が飛びかかる。

 倒そうとしたのか、抑えようとしたのか。少年には分からなかったが、飛びかかった仲間に片手で触れた。それだけで事足りると悟ったから。

 少年が触れた瞬間に、仲間は地面に叩き付けられた。というよりも重力に負けて、自重で倒れたようだった。少年はほとんど力を入れていない。持っているアビリティに似ているが、ここまでの効果はない。それも今はどうでも良かった。

 少年が掌を押し当てると、仲間は全身がみるみる内に地面にめり込み、やがて潰れたカエルのような呻きと悲鳴を上げて死亡した。死亡マーカーが出現する。

 仲間達が怯える中、少年は岸壁の入口に続く場所に陣取ると、仲間達めがけて両腕に備わるメインウェポンの鎖分銅を発射した。これもいつもより遥かに威力が増していて、分銅は仲間達の装甲を砕き、絡んだ鎖は手足や首をへし折る。

 一分も経たない内に少年の仲間──だったバーストリンカー達は全員が死亡マーカーになっていた。

 少年がオーラを纏ったまま岸壁の裂け目から出ると、やはりエネミー達が待ち構えていた。

 それぞれが象並みに大きい狼型エネミーの群れは、少年から立ち昇るオーラを目にすると、より剣呑な雰囲気を醸し出し始める。

 傍から見て絶体絶命の状況に置かれている少年が、構うことなく胸に渦巻く感情を一気に解放すると、纏うオーラが拡がっていく。エネミーの群れも、今まで内部に避難していた崖も、少年を除く光の結界内に存在する全てを不可視の力が押し潰した。

 

 

 

 エネミーの群れが全滅し、瓦礫の山と化した崖を少年が登っていくと、天辺には回転する複数の死亡マーカーがあった。どうやら死亡地点に障害物があると、マーカーはその上に移動するらしい。

 それから少年は、仲間だった者達が復活しては殺すことをひたすら続けた。逃亡とレギオンマスターの《断罪》にだけは注意を払い、彼らが復活する度に謎のオーラを発動する。自分よりレベルが同じだろうが上だろうが、倒すのは容易かった。

 時折現れるエネミーも、片っ端から仕留めていった。どうもこのオーラはエネミーを引き寄せる効果があるらしい。

 仲間だった者達はいつしか一人、また一人と死亡マーカーではなく、リボン状の光のコードになって宙へと消えていった。バーストリンカーの《最終消滅現象》だ。

 少年に対して恨み言を吐いていた者も、説得を試みようとする者も、ポイントが残りわずかになると等しく命乞いをし始めた。それでも少年は手を休めない。

 とうとう最後の一人が光になって消えていったのを見届けたところで、少年は自分の顔に異変を感じた。いつの間にか、何かが顔面を覆っている。

 手で触れてから、メタルカラー特有の光沢ある流体金属の服を鏡代わりに顔に向けると、外縁をリング状の固定具で留めた、何の装飾も柄も無いのっぺりとした仮面を着けている自分の顔が映った。同色だからか、まるで元々装着していたかのように見た目に違和感はない。

 精神的なショックなどの影響によって、デュエルアバターの外見や装甲色が変化することがあるという噂を聞いたことはあったが、まさか自分が体感するとは思わず、少年はさすがに驚いた。

 しかし、これは結果的に良かったのかもしれない。これで今この瞬間を、決して忘れることはないだろうから。

 

 

 

 これより先、居場所も仲間も自らの手で壊した少年は一人で活動していくこととなる。

 仲間とエネミーから得た莫大なバーストポイントは、自分の強化と情報収集に費やした。

 情報を得てPK集団を潰していく内に、謎のオーラの正体が心意システムという名の、ブレイン・バースト内の事象を上書きする現象であることも知る。デュエルアバターを創造した《心の傷》を源泉にしていることや、トリガーとなる感情の種類により正と負の二つの面があることも。

 そうして表舞台から姿を消して加速世界を巡っていく内に、PK集団に限らず、至る所に悪意が存在することが分かった。同時にそれらによって虐げられる者達が存在することも。

 

 ──『助けられた恩として、この身を貴方に』

 

 PK集団の一員として奴隷扱いをさせられていた、鋼の巨人がいた。

 

 ──『ふーん、物好きね。でもまぁ……嫌いじゃないかな、そういうの』

 

 諍いの絶えない周囲に()み疲れ、隠遁生活をしていた、輝く太陽がいた。

 

 ──『てめえに付いていけば、もっと戦えんのか?』

 

 粗暴さ故に《親》から理解されずに愛想を尽かされたが、ひたすら対戦に真摯で実直な、獰猛なる鰐がいた。

 

 ──『私も一緒に……いて……いいの……?』

 

 その容姿と仕草から周囲に疎まれ、エネミーの釣り餌にさせられていた、幻術使いの柳がいた。

 

 ──『あんた、凄えなぁ! オイラ達も連れてってくれよ! なっ、ボルちゃん?』

 ──『う、うん。そうだね、クエイ君。えっとあの……よろしくお願いします』

 

 周りを巻き込んでしまう戦い方から煙たがられていたことに共感し、二人寄り添って行動していた、地震引き起こす(いわお)と小さな火山がいた。

 

 ──『貴方の理念、とても共感しました。どうぞ私にも、お力添えさせていただけませんでしょうか?』

 

 どこで自分達の存在を聞き付けたのか、自ら近付き己を売り込み尽力を尽くす、抜け目のない蠍がいた。

 いつの間にか歩く道の後ろに付いてくる者達が増え、やがて人知れず加速世界を生きる少年の中に、一つの使命が生まれる。

 それは、『加速世界に潜む悪の一掃と秩序の維持』。

 自分達の領土の保全と拡大しか頭にない、大レギオンのハイランカー達など当てにはならない。他ならぬ己が正しき加速世界を作らなければ。

 少年は同じ道を歩む同志達との結束の形として、レギオンを結成した。

 レギオンの名前は《エピュラシオン》。その意味はフランス語で『粛清』である。

 



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第六十四話

 第六十四話 死は常にあなたの隣に

 

 

 プランバムを追って、玉座の下に隠されていた穴に落ちていったゴウは、落下してすぐに仲間達の戦いの喧騒が耳から消え、体が不思議な感覚に包まれた。

 ──これは……ワープしている? 

 単なる光の届かない場所とは異なる暗闇の中。視覚は元より、聴覚と嗅覚も感じられず、何かに引き寄せられる感覚だけがある。

 数秒経つと光が見え、ゴウの意思とは関係なく、そこに向かって押し出された。

 闇を抜けた先は、先程までいた大広間の半分程度の広さをした、岩盤に囲まれただけの殺風景な場所だった。不思議なことに、ダンジョンの至る所にあった発光する岩や松明などの光源は見当たらないのに、部屋の隅々までよく見渡せる。

 そんな障害物も全く無い、空間の中心にプランバムは立っていた。

 

「……やはり貴様が来たか。私の心意技との相性を考慮すれば妥当だが」

「この場所は……隠し部屋なのか?」

「終着駅だ。貴様にとっての。言っておくが、そこから戻ることはできぬ」

 

 プランバムに指を差され、ゴウが後ろを向くと、そこにあったのは輪郭のぼやけた闇。手を入れようと試すが、空を切るだけだった。どうやらプランバムの言う通り、この穴は一方通行のワープゲートで、こちらからは向こうには行けないらしい。

 

「ここもまた、ダンジョンの内部ということだけは教えておこう。それで? 貴様一人で何ができる。よもや、私に勝てるとでも?」

 

 装甲代わりに身に着けている服の一部が破れたことで、左胸から左腕にかけて露出し、顔を覆う仮面に一条の亀裂が走っていても、プランバムは弱々しさをまるで感じさせない。それを証明するように左胸の《オリハルコン》の輝きも健在だった。

 未だに難敵である相手を前に、ゴウは右肩に金棒を担いで、臆さずに一歩踏み出す。

 

「僕はお前に勝つ為にここに来た。明日からも僕はバーストリンカーで在り続ける」

「《親》から激励の言葉でも受け取ったか。その度胸は認めよう。だが──」

 

 プランバムの右腕が、先端に鉄球が付いた棒状の武器に変化した。

 切断、貫通攻撃に耐性のあるこちらに対応する為のものだろう。先程までの闘いでも度々見せていたそれを、確か(すい)という中国の打撃武器だったかと、ゴウは頭の中の知識を引っ張り出す。

 

「貴様達はこのアトランティスで消える。その事実は変わらない」

「負けないさ。だって今この瞬間、お前は一人で戦っているけど、僕は皆と一緒に戦っている」

「離れていても心は傍にいると? 青臭い、聞くに堪えない戯言だ。貴様は独りだ。そして今、最期の時を迎える」

 

 そう断言するプランバムが駆け出した。正面から最短距離でゴウに到達し、錘を振るう。

 

「ふっ!」

 

 呼吸一拍、迫る錘の鉄球部分との衝突を避け、ゴウは金棒で錘の柄の部分を弾いた。

 それからも立て続けに、錘と金棒が打ち合う。やはり、プランバムは左上半身の服が千切れ飛んだことで、左腕に変化を回すまでの余力がないのか、左腕は元の形を保ったままだった。

 それでも武器そのものになった右腕は強力で、加えて隙あらば肘や膝からは(こん)を伸ばし、爪先や踵を金槌に変えた蹴りでゴウを襲う。

 あらゆる手段で攻撃してくるプランバム。しかし、ゴウはいつも以上に体がよく動いていた。

 自分でも驚くほどに動きに固さはなく、超重量の《アンブレイカブル》もいつも以上に体の一部であるかのように扱えている。

 何より、プランバムの動きをわずかながらに先読みできていた。打ち合いの中で牽制を見抜き、避け切れない攻撃はわざと当たりにいくことで、受けるダメージは最小減に。同時に、着実にプランバムへ反撃をしていく。

 仲間達に道を拓かれ、大悟からは彼なりのエールを受け取ったことによる心の支え。長時間の戦闘による、精神的疲弊から来る適度な脱力。己の矜持を貫き通すべく、プランバムを倒すのだという決意。

 これら複数の要因が上手く合致し、ゴウ自身はほとんど無自覚だが、スポーツ選手のいわゆるゾーン状態にも似た良質なパフォーマンスを発揮していたのだ。

 ──ここだ! 

 ゴウはプランバムの錘となっている右腕を地面に向けて叩き落すと、そこへ金棒を交差するように突き立てた。これですぐには錘を持ち上げることはできない。

 

「く……」

 

 即座にプランバムは右腕を元に戻していくが、それも見越していたゴウは《アンブレイカブル》を手放し、自由になった両手でプランバムの両腕を掴む。

 

「せぇのっ!」

「っ……!?」

 

 ゴウは一歩踏み込ながら首を反らせると、頭突きをプランバムに勢いよく食らわした。ダイヤモンドの角と鉛の仮面がぶつかり合い、カァァン! と高音と響かせ、小さな火花を散らせる。

 更にゴウは体を半身にすると、仰け反るプランバムに追い討ちを食らわせるべく、左腕を腰まで引いて拳を握った。

 

「《アダマント・ナックル》!」

 

 右足を軸に、左足で地面を蹴って勢いづいた正拳突きが、プランバムの顔面の中心に直撃した。

 完璧なクリーンヒットを決めると同時に、ゴウは一つの確信をする。

 いかに自分の動きのキレが増しているとはいえ、プランバムがこうも一方的に押されるのは、それだけが理由ではないはず。やはりプランバムは、先程までの自分と大悟の連携攻撃によって、相当に消耗しているのだ。この空間での戦闘前に見せた余裕には少なくない虚勢、ハッタリが含まれていたのだろう。

 

 ──『覚えておけよ。ブレイン・バーストじゃ、自分が体を動かす感覚でデュエルアバターを動かしている以上、精神的な駆け引きの要素も出てくるもんだとな』

 

 自分の劣勢を悟らせない仕草だけでも、勝因の一つに成り得る。そんなことを以前、ゴウは大悟に教えられていた。

 ──いずれにせよ、このチャンスは逃せない……! 

 ゴウが追撃しようとすると、殴り飛ばしたことで仰向けだったプランバムが弾けるように起き上がった。仮面には頭突きに必殺技と立て続けに攻撃を受けたことで、亀裂が更に増えている。

 

「やってくれる……」

 

 プランバムがそう言うと、両腕から鎖分銅を発射した。それもゴウに直接向けるのではなく、ゴウの頭上に。

 一体何をする気なのかとゴウが上に注意を向けると、それを見計らったようにゴウの足下の地面が割れ、鉛色の槍が数本飛び出した。

 

「うわっ!?」

「《プラミッツ・インゴット》!」

 

 地中からの完全な不意打ちにゴウの体勢が崩れた瞬間を逃さず、プランバムが叫ぶ。

 二つの鎖分銅が溶けるように空中で混ざり合い、巨大な一つの分銅となってゴウめがけて落下してきた。

 ──地面からの奇襲は囮……! この必殺技は食らっちゃいけない。僕が優勢になっている流れを崩しちゃ駄目だ……。

 分銅が押し潰さんと迫る中、ゴウはすぐに体勢を立て直し、全身に力を込める。

 

「《黒金剛(カーボナード)》!」

 

 再び心意技を発動し、黒い鎧を纏ったゴウは両腕を上に掲げ、真上から落下する巨大分銅を受け止める。あまりの重量に触れた瞬間、片膝が地面に着いた。心意技を発動していなければ、触れた瞬間に衝撃で腕が両方砕けていただろうが──。

 

「おお……おおおおおおっ!!」

 

 ゴウは分銅を受け止め、堪えていた。今こそ《剛力》アビリティの見せ所である。

 

「ぅ……らああああああぁぁっ!!」

 

 分銅に十の指を食い込ませ、歯を食いしばってそのまま立ち上がると、プランバムめがけて分銅を投げ返した。

 巨大分銅が地面に落ちて、激しい地響きを立てる。投げ返されたプランバムは、下敷きになってしまったのか姿を見せない。

 緊迫した時間が流れる、しばしの静寂。それを破ったのは、プランバムの一言と不気味な音だった。

 

「──《重力特異点(グラヴィショナル・シンギュラリティー)》」

 

 ベキ……ピキピキ、ビギバギ…………べゴン!! バギィィン! ガゴゴン! 

 

 巨大分銅が、悲鳴のように甲高い音を立てながら潰れていく。

 やがてオブジェクトとしての寿命が尽きたのか、分銅だった金属塊は光の粒子となって消え、分銅のあった場所にはプランバムが立っていた。全身から重苦しい鉛色の過剰光(オーバーレイ)を揺らめかせて。

 先程見せていたメタリックブルーの過剰光(オーバーレイ)をより暗く濃くしたそれは、今度こそ間違いなく負の心意によるものだと、ゴウには確信できた。

 

「……よもや、耐えるどころか投げ返すか。呆れた馬力だ」

 

 静かな口調で話すプランバムが、ゴウに向けて右腕を伸ばす。当然伸ばした腕が届くような距離ではない。

 

「しかし、この技を使わせた以上、万が一にも貴様に勝利は無い」

「──なっ……!? うぐぁっ……!?」

 

 突如としてゴウの体が意思に反し、プランバムの元へと引き寄せられ始めた。抵抗するも、プランバムに近付くほどに、全身を全方位から圧迫されるような力に襲われて体が動かなくなっていく。

 数メートル離れていたプランバムに首を掴まれて宙吊りにされる頃には、圧迫どころか押し潰されそうになるほどに、見えない力の威力は増していた。

 

「……一瞬で圧砕されないか。心意システムを付与されたダイヤモンド装甲、凄まじいものだな。だが──」

 

 何が起きたのか理解できないゴウが、どうにか相手を見ようと目線を下に向けると、淡々と事実を確認しているようなプランバムが、空いている左手で拳を握るのがわずかに見え──。

 

「心意による身体強化は、何も貴様の専売特許ではないぞ」

 

 プランバムの拳が、ゴウの胸部を貫くように打ち出された。

 

「かっ……!? がふっ……!!」

 

 肋骨が砕けたのかと錯覚する衝撃を受けて殴り飛ばされる中、舞い散る黒い欠片がゴウの目に映った。それは紛れもなく、《黒金剛(カーボナード)》によって強化された装甲の破片だ。

 ──な、何がどうなって……あれ? おかしいな、何だか……暗く……。

 岩の壁に背中から激突したゴウは、残りの体力が二割を切り、胸部の装甲が無残に砕かれているのを確認したところで意識が途切れた。

 

 

 

「呪詛諸毒薬 所欲害身者 念彼観音力 還着於本人──」

 

 玉座の大広間。数珠を両手に絡ませ、合掌する大悟は経を唱え続けていた。仲間達を相手に暴れ回る海竜に、遠い記憶を思い起こさせられながら。

《帝城》。現実では皇居に位置する難攻不落のダンジョン。周囲は幅五百メートルの外堀に囲まれており、入るには東西南北に繋がる大橋を渡って、その先にそびえる四方の門のいずれかを通る以外に選択肢はないとされる。ちなみに、大橋を除く外堀の全周囲にダメージ判定のある超重力が発生していて、何らかの方法で渡ろうとしても奈落の底に落とされてしまう。

 この四方の門と門に繋がる大橋には、一体ずつエネミーが配置されていて、バーストリンカーの進入を許さないようになっているのだが、このエネミー達が尋常ではなかった。

 ブレイン・バースト黎明期にレベル4に達し、無制限中立フィールドの存在が知られるようになると、《帝城》に挑戦しようとする、当時はBBプレイヤーの名称で呼ばれていたバーストリンカー達が多く存在した。

 そんな彼らが門番である超級エネミー達に敗れ、時には奥深くまで進んで戻れなくなり、時には全損に至ったケースを大悟は密かに目にしてきた。門を守護し、神の名を冠する《四神》の恐ろしさも。

 東には、特殊効果を含む技の数々を持ち、成長の糧さえ喰らう流水の鱗。

 西には、瞬間移動と見紛う速度で駆け巡り、侵入者を切り裂く疾風の爪牙。

 南には、目に付くもの全てを焼き尽くし、灰に帰させる火炎の翼。

 北には、不動のままに吸い寄せ押し潰す、何者も通さない頑健な大地の甲羅。

 五段分の体力ゲージに加えて、相互リンクしている《四神》はいずれか一体が戦闘を開始すると、残りの三体が支援と回復の援護まで行ってくる。それ故に倒そうとするなら、パーティーを四等分して戦いに望まなければならない。

 その難易度が広まると、すぐに誰も挑戦しなくなり、《帝城》は《絶対不可侵領域》として扱われるようになった。そうして今日まで、誰一人として《四神》を打倒したパーティーは現れていないとされる。

 ──ロータス、それに《四元素(エレメンツ)》よ、お前さん達は本当に《四神》に挑んだのか? だったら奴らは、こいつの何倍強かったんだ? 

 一応は友人と呼べる程度には、気心の知れているつもりの黒の王やその幹部勢のことを思い浮かべ、経を紡ぐ口は止めないまま大悟は胸の内で訊ねる。

 

「──────────ッッ!!」

 

 文字に表せない、音そのものを吐き出しているかのような金切り声で吼えるリヴァイアサン。その体は、大広間の入口に覆い被さるように存在している、異空間へと繋がっている黒い穴に度々引き戻され、未だに全貌を見せていない。それでも直線に伸ばせば、少なくとも体長三十メートルはあろうかという全身の鉛色の鱗を逆立だせた。

 

「全方位攻撃、来るよ!!」

 

 その仕草を見る前にメモリーが前衛で動く他のメンバー達に聞こえるように、ほとんど怒鳴り声に近い声量で知らせる。

 

『全員、ワシの後ろへ! キューブ頼む!』

「《立方氷片(キューブロックス)(ウォール)》!!」

 

 キューブが無数の氷の立方体で組み合わされた心意の壁を作り出し、すぐ後ろをキルンの搭乗するゴーレムが片膝を着いて防御体勢を取ると、二重の防御壁の陰に前衛メンバー達が一時避難する。

 直後にリヴァイアサンが波打つ長大な体を震わせ、全身を覆う鱗が一斉に撃ち出された。

 一枚の幅が三十センチ近い鋭く尖った鱗は、氷の壁へ立て続けに突き刺さっていく。連続で刺さったことで氷壁を貫通したいくつかの鱗は、すでに所々がひび割れて蒸気が漏れ出しているゴーレムの分厚い外装でどうにか阻められた。

 

「キューブ、大丈夫か?」

「うん大丈夫……。まだまだ、いけるよー……」

 

 心配するコングにキューブが頷く。

 これまで、避け切れない攻撃はキルンのゴーレムが盾になるか、防御の心意技を持つキューブとコングによって防がれている。

 おそらくキューブが心意技を実戦で発動するのは今日が初めてか、数える程度しかないだろう。音を上げることはせずにリヴァイアサンに果敢に立ち向かっているが、精神を集中させて発動する心意技の断続的な使用により、表情には疲労の色が浮かび始めている。

 一方で大悟は、ある程度距離を離していることもあるが、護衛役に就いた晶音の作り出す心意システムが付与された晶壁によって、しっかりと守られていた。

 鱗の嵐が収まり、鱗が再び生え揃うわずかな時間を狙い目とばかりに、仲間達が一斉に攻撃へ転じていく。その光景を歯痒い気持ちで見ながら。

 大悟の心意技発動の準備は半分程度進んでいる。他の皆も連携し合って、未だに重傷者は出ていない。しかしそれでも、圧倒的に不利なのはこちらの方だった。

 リヴァイアサンの体力を表示する四段のゲージは、一段目の四割も削れていない。それはまだ良い。こんな短時間に神獣(レジェンド)級エネミーの体力ゲージを一段だって削れるとは、最初から思ってはいない。

 問題はここに来るまでに、大悟も含めて全員がエピュラシオンのメンバー達と交戦したことで、大なり小なり消耗していることだ。

 デュエルアバターの体は生身のように、肉体的な疲労が蓄積されたりはしないが、長く戦っていればそれだけ精神的な疲労は出てくる。激戦であれば尚のこと。

 ただでさえ九人という、最高クラスのエネミーを相手取るには少ない人数。一度のミスが文字通りの命取りになってしまい、一人減ればそれこそ全滅の可能性も充分に有り得る。そうなれば出口が無いこの大広間で死亡しては復活し、再度死亡させられることを繰り返す、無限EKに陥ってしまうだろう。

 厳密には今すぐにでも、ここからの脱出できる道が一つだけ存在する。玉座が鎮座してあった場所に空いた穴だ。しかし、ここに飛び込むのは最後の手段である。

 理由はいくつかあるが、まずはこの穴にプランバムとゴウが落ちていったのに、下から戦闘音らしきものが一切聞こえてこない。

 ダンジョンという場所において最もレアなアイテムとは、基本的にダンジョンの最深部にあることから、《オリハルコン》があったらしいこの大広間が最深部でないとは考え難い。

 つまりあの穴は、このダンジョンの別の場所に繋がるワープゾーンである可能性が高いのだ。そこがここより安全であるとは限らないし、そこでプランバムに再びリヴァイアサンを召喚されれば、元の木阿弥である。

 もう一つに、プランバムの相手はゴウに任せているからだ。

 最初に出会った頃はオドオドするばかりだったあの少年が、自ら格上の相手との戦いを希望したのだ。私情が多分に含まれているが、彼の意思を尊重してやりたいという、ある種の親心が大悟にはあった。

 それにゴウはプランバム相手に思うところがあるらしい。何となく察しは付くが、それも野暮だと思い、大悟は敢えて確認はしなかった。

 そうやって信じて送り出したはしたものの、それでもゴウの身を案じてしまうのは別の話だし、目の前の仲間達に任せきりになっているこの状況が焦燥に拍車をかける。

 

「焦れているようですね」

 

 そんな大悟の心境を見抜いたように、晶音が前を向いたまま口を開いた。

 

「返答はしないで、そのままお経を。大丈夫ですよ。オーガーも私達も、貴方に常に守られなければいけないほどに弱くはありません。それに、私に肩の力を抜けと常々言っていたのは貴方でしょう? だったら貴方も気負いすぎないで、私達をもっと頼ってください」

 

 大悟は思わずポカンと呆けてしまった。まさか晶音にそんな言葉をかけられる日が来るとは思わなかったからだ。ただ、良い気付けになったことは確かだった。

 ──全くその通りだな。全員が最善を尽くして戦っている。だったら俺も俺のできることをするしかないだろうに。……分かっていたつもりで、実際は俺が一番分かっていなかったわけだ。それをこいつに教えられるとは……。本当、ダンジョンで離れてから何があったのやら……。

 晶音の華奢な背中がやけに頼もしく見えて、人知れず小さく微笑んだ大悟が、一層の集中力を込めて心意技の準備に望もうとしたその時。

 大悟はリヴァイアサンと目が合った、気がした。

 

「これは……。皆、チャージ攻撃が来る! 防御じゃ駄目だ、回避──」

 

手記記録(メモランダム・ライター)》によって、リヴァイアサンの行動を予測したメモリーが切羽詰った様子で指示を出すも、リヴァイアサンはすでに行動に移っていた。

 一声吼えると、黒穴から噴き出した海流を身に纏わせ、突進を開始する。距離的にコングとキューブの防御心意技はもう間に合わない。

 

『あぁ、くそったれ……!』

 

 ゴーレムに乗ったキルンが悪態をつきながら、リヴァイアサンの直進上に躍り出た。皆の回避に移る時間を稼ぐ為に両腕を前に突き出し、リヴァイアサンを押し留めようとする。

 だが、渦巻く激流を纏った海竜は、土巨人の両腕を粉砕し、押し倒し、ものともせずに進んでいった。そうして進撃を続ける先に立つのは晶音、その更に後方には大悟。

 

「《玻璃晶壁(クリスタル・プロテクション)》!!」

 

 前に出た晶音が発動した、純白の光を放つ水晶の結界がリヴァイアサンと衝突する。

 

「逃げて!!」

 

 晶音が叫ぶ。

 ほんの数秒間の拮抗の後、水晶の防御壁が無残に砕け散った。

 



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第六十五話

 第六十五話 無法者のヴォカリーズ

 

 

 曇天の空に、かっ! と稲妻が走り、やや間を置いて雷鳴が轟いた次の瞬間には、水の入ったバケツをひっくり返したような雨が降り始める。

 夏の午後の夕立。里帰りで赴いた祖母の家の居間で、ゴウは窓の外を眺めながら、隣に座る祖母にぴったりとくっついていた。

「大丈夫?」と優しく声をかけてくれる祖母に、ゴウは平気だと強がる。しかし、再び雷が落ちるとゴウは固く目を閉じて、首を縮めていた。怖いのなら最初から窓の傍から離れていれば良いのに、それでまた目を開けて空を眺めているのは怖いもの見たさからか。自分でもよく分かっていない。

 そんなゴウに、祖母は「おばあちゃん怖いから、ゴウ君もっとくっついてくれる?」と助け舟を出してくれた。ゴウは祖母のフォローにも気付かず、これ幸いと密着を続ける。

 しばらくすると、かなり近くに落ちたのか、ピシャーン! どころか、バキバキバキィ!! と一際大きな落雷が轟いた。人智を超えた自然の力を目の当たりにして、ゴウは飛び上がって祖母の腕にしがみ付く。

 ゴウは震えながら、どうして雷は起こるのかと祖母に質問した。

 すると、祖母は「雷はね、お空の上に棲む雷神様が落とすの。雷はすごく危ないけど、雷が沢山落ちると、その分だけお米が沢山とれるようになるんだよ」とゴウを宥めながら答えた。

 それを聞いたゴウは、雷神がどうして危険な雷を落とすのか、どうして雷が落ちたら米が沢山とれるのかと次々に祖母に質問していき、最後に聞いたのは「雷神には名前があるのか」というものだった。

 祖母はきょとんとした表情の後に、にこりと笑みを作って頷いた。

 祖母曰く、雷神の中でもすごく偉くて、すごく力持ちの神様がいるという。その神様の名前は──。

 その名前を祖母が口にすると、まるで名乗りを上げるように、また一つ雷が落ちる。

 この雷を最後に、やがて空は晴れ始め、曇天は夕焼け空へと変わっていった。

 そんな、夏の思い出。

 

 

 

 意識を取り戻した直後に走った胸の痛みに、ゴウは顔をしかめた。

 ──今のは三歳か四歳だった時の……これが走馬灯ってやつなのかな……。

 加速世界では睡眠も可能だが、ダメージによって長時間失神することはほぼ有り得ない。今回も気絶してから数秒しか経っていなかったらしく、プランバムは立っている場所から動いておらず、暗い鉛色のオーラを漲らせたままだ。

 ──……引力か何かを発生させて、僕を引き寄せたのか? 体の自由が奪われるくらい強力なやつで……。あの重いパンチは実際に体の密度を上げて重くなっているからだな……。重力の発生源になる心意技か? 何であれ、無茶苦茶もいいとこだ……。

 いつまでも痛みを堪えているだけでは、事態は絶対に好転しない。ゴウはどうにか頭を巡らせて、自分が何をされたのかを推測し、対策を立てようとする。

 

「しぶとい……」

 

 ゴウが死亡していないことを確認したプランバムが、再び腕を上げようとしている。今度同じことをされれば、心意技も解けているゴウに耐える術はないだろう。良案は浮かびそうになかった。

 ──くそ……、これで終わりか? ここまでなのか? そんなの……嫌だ。だって……だって僕は目の前の男に何も……何一つ、伝えられていないじゃないか……! 

 ゴウにはプランバムについて、一つ分かっていることがある。

 それは、こちらの行動に対して感想を口に出しこそすれ、プランバムは一貫してゴウ達をバーストリンカーではなく、己の悲願を妨げる障害の一つとしか思っていないということ。

 これではゴウにとっての、真の意味での対戦ではない。勝負でもない。ゴウはそれがたまらなく悔しかった。

 プランバムの腕がこちらに伸ばされ、ゴウが不可視の力を感じると、まず先にゴウが激突したことで砕けた壁の欠片が、プランバムの元へと飛んでいった。

 どうやら引力の対象は個人などの限定されたものではなく、ある程度の決められた範囲内になっているらしい。自分だけではなく、より軽い物体である壁の欠片が先に飛んでいったことから、そう判断付けるゴウ。しかし、自分もプランバムの発生する引力の餌食になるもの時間の問題だ。

 ──本当に、もう何も打つ手はないのか? 何か……何か……! 何か!! ……そうだ。

 はっと閃いたゴウは引き寄せられないように、壁にできた突起を左手で掴むと、右手でインストメニューを開いて操作を始めた。

 

「無駄な足掻きだ」

 

 プランバムが腕を伸ばしたまま近付いてくる。

 強まる引力に両足を踏ん張り、左手で壁の突起を強く握り締めてどうにか耐えるゴウは、アイテムストレージの項目を開いた。

 

「どこに、どこに……あった……!」

 

 目当ての物を探し出したゴウの手に、一枚のカードが実体化した。それはトランプのカードと同じようなサイズをした、濃い灰色のアイテムカード。

 ゴウが一ヶ月間に及ぶ、無制限中立フィールドでの心意技修得の修行の最後に、大悟から渡されたものだ。

 大悟は「何が何でも負けられない時に、駄目元で使ってみろ」と言うだけで、どういったものなのかは教えてくれなかった。

 ──今がその時……頼む……!! 

 ゴウは藁にも縋る思いで、カードの中心をタップした。

 タップしたカードに、真紅の三角形をしたマークが浮かび上がると、眩い光がカードから溢れ出す。その色は派手な黄色。

 

「う──」

 

 訳も分からずにカードを凝視しているゴウを、光が意思を持っているかのように包み込んだ。

 

 

 

 ──ああああっ!? …………あれ? 声が……。

 謎の光が自分に殺到し、叫ぼうとしたゴウだったが、声というより音が出ていない。思考として頭に浮かぶだけだった。

 ──……って体も無い! それに、ここは……。

 まるでずっと昔の一人称視点のゲームのように、どんなに首を動かしても自分の体が見えないのでゴウが困惑していると、ここが今までいた場所ではないことに遅まきながらに気が付いた。

 ここは、たった今までプランバムと戦っていた、アトランティスのどこかではない。

 夜空に浮かんだ大きく美しい満月が地上を薄く照らす、神殿風の建物の屋上。これは間違いなく、ブレイン・バーストの対戦フィールドの一つ、《月光》ステージだ。

 ──どうしてこんな所に……。もう何が何だか──。

 

「──録れてるよね……。さてと、上手くいくかな?」

 

 益々混乱していくゴウの耳に、少年特有の高い声が届いた。声に反応してゴウが目線を上げると、いつの間にか前方には一体のデュエルアバターが立っている。

 肩章を着けた、華美な礼服を思わせる装甲だ。頭部には鳥の嘴のような突起が付いていて、黒く小さめなアイレンズはくりっとした円形。

 ボディーカラーは明るく派手な色合いをした、黄色いM型アバターだ。背丈はダイヤモンド・オーガーとさして変わらない。

 ゴウの知らないアバターであったが、そのボディーカラーには見覚えがある。というよりも、先程の光と全く同じ色だ。

 

「……えーと、始めましてか、そうじゃないかは知らないけど、最初に名乗らせてもらうね。僕はカナリア・コンダクター。よろしくー……で良いのかな?」

 

 ゴウは小さく手を振っているアバターの名前を耳にした瞬間、心臓が飛び出そうになった。

 カナリア・コンダクター。大悟の弟、如月経典の分身であるデュエルアバターで、晶音の《親》である彼が、どうしてこの場所に現れているのか。

 全く理解が追い付かないゴウに頓着することなく、カナリア──経典は話し続けている。

 

「このリプレイ・カードを起動した君が何者なのか、周りに誰かいるのかは分からない。けど十中八九、僕が渡した人から貰っているだろうから、君がこのカードを託した彼とそれなりに関わりがあると仮定して話を進めよう。一応、固有名詞はぼかすけどね。……って、そもそも簡単な説明くらいは受けているのかな? いや、あいつは言葉足らずだからなー……。まぁいいや、あまりお喋りもしていられないから手短に話そう」

 

 初めてゴウが聞く経典の声は、当時の年齢である一桁とは思えないくらい落ち着きを払っていて、耳に心地よい穏やかなものだった。

 そんな経典が生まれた直後から虚弱で、今より六年以上前に病によってこの世を去っていることをゴウは知っている。他でもない双子の兄である大悟から、話を打ち明けられていたからだ。

 

「えー、最初に一つ。君がこの映像を見ている頃には、僕はこの世にはいないでしょう。加速世界にも、現実世界にも。未練はもちろんあるけど、幸福だったと胸を張って言える。このブレイン・バーストに出会って、加速世界で何十年分も人生を過ごせたからね。──でも、せっかくだから、何かを遺しておきたかったんだ。誰かの役に立てるような何かを。そこで一つ、僕は運試しをすることにしたのさ」

 

 どこか悪戯っぽい表情で、ぴしっと人差し指を立てる経典。

 

「君は知っているかな? このブレイン・バーストには人の意志が生み出す力があることを。僕はこのカードにその力を込めた……つもりだ。いやぁ、何てったってぶっつけ本番の思い付きだからさー。ただ力を発動しているところを記録するだけの可能性の方が、断然高いんだよね。それにアイテムカードって高いから、そんなにホイホイ買えないし、他の高い買い物もしちゃったし。……あいつ、怒るだろうなぁ」

 

 少し茶化すように話す経典の最後の呟きには、悲壮感とも取れるものが含まれていた。

 ゴウが話で聞いたことのあるリプレイ・カードとは、カードで記録した光景を立体映像で映し出すものだ。しかし、カードを起動したゴウはプランバムの心意技に抵抗している最中だったのに、今は引力も感じないし、何よりプランバムの姿も見当たらない。まるで別の次元に移動してしまったかのように。

 この信じられない現象を経典は人の意志が生み出す力、心意システムの力をアイテムカードに付与したからだと言う。実際に体感していても、半ば信じ難い話であるが。

 

「──ただし、この力は万能じゃない。あくまで僕は君の背中を、ほんの少し押すだけだ。何を成すのかは、全て君次第ってことを覚えておいてね。……まだ少し時間はあるか」

 

 経典は顎に手を当て、ふーむ……と悩むような素振りを見せたが、すぐに意を決したように頷いた。

 

「……もしもこれを見ている君が、僕について何か知っている人であるなら、少し伝言を頼みたい。あぁ、心当たりがないのなら、聞き流してくれて構わないよ。──まずは加速世界で出会い、長く一緒に過ごした二人へ。何も言わずにいなくなったこと、どうか許してもらいたい。リアルの素性も知らなかったけど、君達以上に頼れる存在はいなかったから甘えてしまった……。次にちょっと欲張って、増えているかもしれない仲間達に。僕らの作った居場所が、君らにとってかけがえのない止まり木になっていると嬉しいな」

 

 いつしかゴウは疑問も忘れて、経典が語る想いを一言一句逃さないように耳を傾けていた。

 

「──それから、僕の《子》へ。君にも何も伝えないで、勝手に加速世界を去ってしまってすまない……。君が僕の現状を知っていることを差し引いても、あまりに身勝手だよね。でもこれだけは知っていてほしい。不甲斐ない《親》だった僕だけど、君という《子》を持てたことを誇りに思っていたということを。あ、あと皆とも仲良くね。後輩や《子》ができたら優しくするんだよ。……そこは心配要らないか。それじゃあ、最後にカードを起動した君へ。んー……これは僕の勘だけど、もしかしたら君は、あいつの《子》なんじゃないかって思うんだよね。確率的には五割くらいかな。そうだとしたら、君からも言ってやってほしいんだけど──」

 

 本当は現在のゴウやアウトローのことを把握しているのではないかと思えるほどに、様々なことを的確に言い当てながら経典は続ける。できる限りの言葉を詰め込もうとするかのように。

 

「──っとごめんごめん。君へのメッセージなのに、何だか伝言役の割合が多くなっちゃってるね。コホン……願わくば……僕という存在がこの世にいたことを憶えていてくれますように。僕は君に直接会うことはできなかったけど、君が君の信じた道を進んでいけることを祈っているよ」

 

 やがて、経典の体が眩い輝きを放ち始める。

 

「さてと! それじゃあ一丁、君と君の大切な人達の為に歌うとしよう! 結構頑張るからね、時間にして何分くらいいけるかな? 僕の力が保つといいんだけど……。タイトルはそうだな、んー……よし、決めた。何者にも縛られない、無限の自由と可能性を君に。──《自由に生きる者(アウトロー)》」

 

《月光》ステージの満月の月明かりよりも遥かに強く、そして暖かな光にゴウは包まれていった。

 

 

 

 気が付くと晶音は、大広間の床に倒れていた。それだけではなく、誰かの腕が胴と頭に回され、抱き込まれている。まるで、守られているかのように。

 

「う……どうなって……」

「よぉ、無事か?」

「ボンズ……? ……ボンズ!? ちょ、ちょっと離してください!」

 

 やけに大悟の声が近くに聞こえ、晶音は自分が大悟に抱き込まれて倒れている状態になっていることを理解した。じたばたともがくと大悟はすぐに晶音を放し、のっそりと立ち上がる。

 

「まさか、一度も攻撃していないこっちに来るとはな……。油断していたつもりはなかったが、予想外だった。……抱き付く形になったのは悪かったが、緊急事態だったんだ。分かるだろ? さすがにそこまで拒絶されると傷付く」

「そ、そうではありません! いえ、それもありますけれど……とにかく! 戦況は一体──」

 

 晶音も立ち上がって辺りを見渡すと、リヴァイアサンが再び黒い穴に引き摺り込まれる状態になっていて、仲間達が攻撃に移っていた。

 

「キルンはゴーレムが大破したが、本人はすぐに脱出して無事だ。残骸もストレージに回収していたし、そのへんは抜け目のない奴だな、まったく」

「……そうです。どうして──」

「あ?」

「どうして逃げなかったのですか!! 私が盾になった時に!」

 

 事の顛末を思い出した晶音は、烈火の如き勢いで大悟を問い詰める。

 先程の海流を纏わせたリヴァイアサンの強力無比な突進に、晶音は防御心意技で対抗した。

 受け切れるとは思っていなかった。それでも発動したのは、無防備な大悟が回避できるように時間を稼ぐ為だ。だからこそ、水晶の結界内に大悟を入れないように、大きさを調節して発動したのだ。

 だというのに、大悟は準備に時間がかかるらしい大技の『溜め』である読経を中断し、合掌していた両手に絡み付かせていた数珠も引き千切った。そして移動能力拡張の心意技で、作り出した晶壁が破壊された晶音を抱きかかえ、間一髪のところでリヴァイアサンの突進を回避したのだ。

 

「言いましたよね、逃げてと。心意技はまだ発動できないのでしょう? 中断してしまってどうするのです! 私は貴方を逃がす為に、貴方に託す為に身を挺したつもりでした。護衛役が守られてしまっては、本末転倒ではないですか!!」

 

 晶音は自分が勝ち筋を潰してしまったような気がして、加えて大悟に信頼されていないような気がして、自分でも分からないが、ひどく悲しかった。

 そんな晶音の両肩に、大悟の両手がいつになく優しく置かれた。

 

「少し落ち着け。いいか? 確かに心意技の溜めは中断した。最初からやり直しだ」

 

 いつもよりも少し穏やかに、諭すように話す大悟が、右手を晶音の肩から離して掌を向けると青紫の光が輝き、再び数珠を形作った。

 

「……俺は確かに、お前さんに護衛役を任せたが、俺の為に死ねとなんざ、一言も言っていない。たとえお前さんが犠牲になって一撃を凌いだところで、お前さんが欠けた後、必ず均衡は崩れる。そうしたら、結局俺は心意技を発動する前に殺されるだろう。お前さんの力がまだまだ必要なんだよ、ジャッジ」

 

 痛手ではあったが、致命的ではないと言う大悟の手が肩から離れる頃には、晶音の心は平静を取り戻していた。

 先のスコーピオンとの戦いで一皮剥けたつもりでも、その実まだまだのようだと反省する晶音だったが、自分よりも戦況が見えている大悟と比較して、卑屈めいた気持ちにはならない。むしろ必要だと言われたことで、不思議と胸に暖かいものを感じていた。

 

「……そう、ですね。貴方が正しいのは認めます。──ですが、それならそうと先に言っておいてくれても良かったではないですか。大体、貴方は昔から大事なところで言葉が足りません」

 

 この男は普段は口うるさいことばかり言う癖に、こういう時に限って自分の言ってもらいたい言葉をかけてくる。それが少し気に食わず、晶音は若干の意趣返しも含めて反論する。

 

「あぁー……そこは俺にも非があったな。それじゃここは一つ、どちらも落ち度があったってことで……。まぁ……それに何だ、お前さんをだな、見殺しにでもしたら、その、俺はカナリアの奴に顔向けが──」

 

 すると、ややバツが悪そうに返す大悟の声が、何故だか段々と小さく聞き取り辛いものになっていく。らしくないその姿に、晶音は眉をひそませた。

 

「……何をゴニョゴニョと言っているのですか?」

「何でもないから気にするな。……よし。せっかくだから技の準備に入る前に、一丁ハッパをかけるとするか。──全員、耳だけ貸せ!!」

 

 大悟は切り替えるようにいきなり大きく息を吸うと、大広間全体に聞こえる声量を張り上げて仲間達に呼びかけた。

 

「今、俺達とは別の場所でオーガーが戦っている! きっとあいつは、まだ生きている。生きて、自分よりも強い敵を相手に闘っているはずだ。だったら! 俺達もエネミー一匹に負けていてはいられないよな! 俺もオーガーが言っていたように、ここを墓場にするつもりは毛頭ない! 全員生きて、ここから帰るぞ!!」

 

 …………オオ──────────!!!! 

 

 大悟の鼓舞に返事をした仲間達が活を入れられたように、リヴァイアサンへの攻撃の手を強めていった。その中には晶音の知る限り、エネミーとの交戦自体ほとんど経験がないはずのフォックスも加わり、果敢に立ち向かっている。

 これと似た状況を、かつて晶音は経験したことがあった。それはまだアウトローの一員だった頃のこと。

 自分の他に大悟、コング、メディック、そして経典とのエネミー狩りの帰り。偶然にも大型エネミーと鉢合わせてしまい、退路も防がれて、止む無く戦闘になってしまった。体力もかなり削れていたので、あわや全滅かという考えが晶音の頭をよぎったが、この時に経典は仲間に激励の言葉をかけて奮い立たせたのだ。

 ちなみにその後、経典は後方支援型であるのにもかかわらず、自ら囮役まで買って前衛に出るものだから、もう全員が消耗どころではなく、てんやわんやの状態だった。

 必死で弱らせたエネミーから、命からがら逃げ延びて安全な場所まで辿り着くと、「無茶しすぎよ、おバカ!」とメディックが経典の頭に拳骨を浴びせたのもよく憶えている。

 性格は違えど、やはり根本は双子なのかと、晶音は隣に立つ僧兵をちらりと見る。

 

「うんうん、何だかんだ言っても仲間想いの連中を持ってオーガーの奴は幸せ者だな。さて、俺も続きを──……?」

 

 満足げに頷く大悟は再び両手を合わせようとしていると、急に口を噤んで辺りを見渡し始めた。

 先程とはまた毛色の違う不審な様子の大悟に、晶音は少し心配になって訊ねる。

 

「どうかしましたか?」

「……何でもない。引き続き護衛役、頼んだ」

 

 首を振った大悟の口から出るのはもう、最初の節から始まった読経だけだった。

 

「世尊妙装具 我今重問被 佛子何因縁──」

 

 

 

 歌が聞こえる。

 歌詞はない。発声そのものが曲となり、歌を形作っている。

 ゴウは気付くと、再びアトランティスに戻っていた。プランバムの発する強い引力にも晒されていて、左手は壁にしがみ付いて抵抗している。

 右手に目を向けると、持っているカードが砕け散った。しかし歌声は消えず、光も未だに消えず、ゴウを薄く包んだままだ。

 

「貴様……何をした。いま砕けたアイテムカードは何だ。何故、心意の過剰光(オーバーレイ)を放ち、貴様に纏わり付いている。何故、カードが砕けたというのに光が一向に消えない。……? 何だ、この歌は」

 

 ゴウはわずかに困惑した様子のプランバムを無視して、歌声に耳を傾けていた。

 不思議な歌だ。特別に上手いとは思えないのに胸に刺さる。

 いや、刺さるのではない。じんわりと沁みていくような、自分のものではないのに全く調和を乱さずに受け入れられて、混ざり合っていくような。何よりも、声を大にして発せられることが、嬉しくてしょうがないという気持ちが伝わってくる。

 心意システムを付与するなどという、正規のものとは大きく逸脱した使用方法をした結果、経典の残した遺物は跡形も無く消え去り、この歌もたった一度しか聴くことはできない。しかし、カードは消えても、彼の遺した思いはゴウの中に受け継がれた。

 今こうして自分に力を貸してくれている、この奇跡を無駄にしてはいけない。

 そう思うゴウの口からは、この歌の力も借りて、心の中のイメージを実現させる為の言葉が自然と出ていた。

 それはかつて祖母から聞いた、雷神であり剣神。相撲の祖とも言われている、神の一柱の名前。

 

「────《建御雷(タケミカヅチ)》」

 

 呼応するように金糸雀(カナリア)色の光がゴウの中に入り込んだ次の瞬間、爆発的な勢いで純白の光がゴウから溢れ出した。

 

「ぐ……!?」

 

 プランバムもその凄まじい過剰光(オーバーレイ)の奔流に、向けていた腕を下げて様子を窺う。

 光の勢いが収まるとそこには、姿が少しだけ変わっているゴウが立っていた。

 胸部の傷こそ消えていないが、全身は《黒金剛(カーボナード)》にも見られたカット処理がより多く施され、どの角度からも光を反射して輝く、一点の曇りもないダイヤモンド装甲。透明度は通常の状態よりも遥かに高い。

 左右の肩甲骨からはアーチを描くパーツが伸びていて、アーチ上には太鼓型の物体が八つ並んでいる。

 そして、全身に纏う白く熱されているようなオーラが、エネルギーを発散させるように火花を走らせていた。

 元より額から伸びている両角も合わせて、その姿は正に──。

 

「雷神……!?」

 

 危機感を多分に声に含ませたプランバムが、鉛色のオーラを強めた両腕をゴウに向けた。すぐさま引力がゴウをプランバムの元に引き寄せ、同時に全方位からの圧力がゴウを押し潰しにかかる。

 だが、今のゴウを縛ることはできない。むしろ、ゴウの方からプランバムへと接近する。プランバムの力を意にも介さず、電光にも似たオーラを引きながら、これまでとは段違いの速さで。

 

「はっ!」

 

 一息でプランバムの間合いに入ったゴウは拳を突き出した。

 心意技で全身を高密度に強化させているプランバムが、反射的に右手で受け止めようとするも、ゴウの拳の勢いは止まらない。

黒金剛(カーボナード)》は防御力と耐久力の強化のみだったが、《建御雷(タケミカヅチ)》はそれに加えて攻撃力や敏捷性と、あらゆる数値が底上げされている。そういうものだと、ゴウは知っている。何故ならイメージし、生み出したのは他ならぬゴウ自身なのだから。

 

「ぬうう……!」

 

 左手も重ねたプランバムがようやくゴウの上段突きを止めると、ゴウはあっさりと引き下がり、プランバムの横をすり抜ける。その先にあるのは、己で選択し手に入れた愛用の金棒。狙いは元より攻撃ではなかったのだ。

 ゴウが強く念じると、血液が循環するように《アンブレイカブル》にも雷めいたオーラが伝わっていく。

 ゴウが自身の装甲のように、強化外装へ心意技の効果を付与するのに成功したのは、これが初めてだった。

 大悟が自身の強化外装に心意システムを付与することで、心意技に対抗しているのを目にしていたゴウは、心意の修行の際に同じように《アンブレイカブル》へ心意技の《黒金剛(カーボナード)》による強化を試みた。しかし、これが簡単そうに見えて難しく、結局最後まで金棒が黒く染まることは一度としてなかった。

「強化外装がデュエルアバターの腕の延長、己の一部であることをイメージするといい」と大悟の説明を受けた時には、どうにもピンと来なかった。だが、今は大悟が言わんとしていたことが胸にすとんと納まり、可能だという確信がゴウにはあったのだ。

 もしかすると今も部屋中に響き渡る歌声が、ゴウの背中を後押ししてくれているのかもしれない。

 

「よし……!」

 

 ゴウは透き通った金棒を下段に構えたまま、その重量も無視した速度でプランバムへと迫る。

 尚も鉛色のオーラの形をした負の心意技を発動しているプランバムは、下から斬り上げるようにゴウが振るった金棒に、盾に変化させた右腕で防御した。

 

「ぐおっ…………!」

 

 小さく呻くプランバムが体をくの字に折り曲げたことで、重心の下に入り込む形になったゴウは金棒を振り抜く。

 そうして真上に飛ばされたプランバムは落ちて──こなかった。どうしたことか、宙に不自然に止まっている。

 手応えを感じたゴウだったが、ここでプランバムにわざと上に打ち上げられる形に誘い込まれたことにようやく気が付いた。やはり、一筋縄ではいかない相手だ。

 今の自分なら十メートル上空にいるプランバムにも、跳躍して攻撃が届くだろうが、ゴウは下手に追撃をかけようとはせずに、警戒してプランバムを睨む。

 

「……いつぞやのように、力に任せて飛びかかりはしないか。その心意技、長く発動していれば、アバター本体の方が耐え切れずに、崩壊する類のものだな……」

「お互いにな。そっちこそ、そんなとんでもない力をずっと使い続けてはいられないだろう」

 

 ゴウの強化された膂力による衝撃は、完全には吸収しきれていなかったようで、プランバムは大きく凹んだ盾を元に戻した右腕を押さえ、声には明らかに苦悶の色が含まれている。

 一方のゴウも今は体に痛みもなく、力が溢れ出てくるのを感じてコンディション的には最高潮ではあるが、これが一時的なものであることは誰に言われるでもなく直感で感じ取っていた。おそらくは心意技を解除した瞬間に、まともに動けなくなるだろう。その前に決着を着けなければならない。

 

「然り。だが、それも力の代償。その代償を払ってでも成さねばならないことがある」

 

 プランバムはゴウの指摘に臆面も見せずに頷く。その姿には後ろめたさは欠片も見られない。

 

「加速世界を導いていく力を、ようやく手に入れたのだ。今も苦しんでいるバーストリンカー達を救わなければならないのだ。故に私は…………私は負けられないのだ!!」

 

 ヒビだらけの仮面をした鉛の男が、どこか悲痛ささえ感じさせる叫びを上げると、左胸に埋め込まれた《オリハルコン》がより強く黄金色の光を放ち始めた。光に呼応するかのように、プランバムが発している鉛色の過剰光(オーバーレイ)もまた色濃いものになり、今も感じている物理的な重圧がより強まったように思える。

 一体、何が彼をそこまで突き動かしているのか。過去に何があったのか、ゴウには分からない。かける言葉は見つからない。きっと何を言ったところで、自分の言葉は彼の心には届きはしないのだろう。

 ただ、ここで自分が彼を倒さなければ、彼はバーストリンカーではなく、悪と定めた者を滅ぼすだけの機械のような存在になってしまう気がするのだ。

 ゴウは思い上がりであることは承知の上で、そうなる前に倒してやらなければならないと、改めてそう結論付けた。

 ──……一撃に持てる力の全てを込める。それしか勝機はない。

 今も力を貸してくれている経典の歌がいつ終わるのかが分からない以上、ゴウに他の選択肢はなかった。しかし、明確な一つの道ができたことで、迷いもまた微塵もなくなり、金棒を握る両腕に意識を集中させていく。

 対するプランバムは宙に立ったまま右腕を左手で押さえると、五指をいっぱいに伸ばした右手の掌から、少し離れた所に球体が作り出された。サイズとしては砲丸投げに用いる砲丸に近い。球体はすぐに乱回転を開始し、白銀から青みがかった灰色へと色が黒ずんでいく。

 ──…………今!! 

 集中を極限まで高め、気力を全身へ張り巡らせたゴウは、構えた体勢のまま一息に跳躍した。

 地面を陥没させ、ロケットのような勢いでプランバムに接近し、金棒を上段から振りかぶる。

 プランバムもゴウが動くと同時に、凄まじい乱回転の末に漆黒となった球体を撃ち出して叫ぶ。

 

「《崩壊する星の終末(アルマゲドン・オブ・コラプサー)》!!」

 

 二つの力の激突が、アトランティス全体を揺るがせた。

 



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第六十六話

 第六十六話 (あまね)く衆生を救う掌 剣携えし剛力の雷神

 

 

「悲體戒雷震 慈意妙大雲 澍甘露法雨 滅除煩悩燄──」

 

 ──もう少し……。

 心意技の準備に、大悟が数分かけて唱えている読経も残りわずかとなった一方で、仲間達が一歩も退かずに海竜へ立ち向かい続けている。

 

「《樹海隆盛(ジャングル・パーティー)》!」

「《縛粘埋土(マッド・デイモン)》!」

 

 コングが組んだ両手に、キルンが金槌に、それぞれ過剰光(オーバーレイ)を宿らせて大広間の床に叩き付ける。すると、深緑色の光に輝く樹木や蔦、赤茶色の光を放つ泥の濁流が床から発生し、リヴァイアサンに絡み付いてその場に押し止めた。

 

「よし……キューブ、頼んだよ。《推墨進(ブラック・スラスター)》!」

 

 続いてメモリーが両腕に薄墨色の過剰光(オーバーレイ)を発生させると、万年筆の意匠をした手甲の先端から勢いよくインクが噴き出していく。本来、機動力を上げる移動拡張の心意技なのだが、インクの高圧噴射を利用したハイジャンプは、メモリーを天井に手が届く高さまで飛翔させた。

 

「いっくよー、《立方氷片(キューブロックス)(モニュメント)》!」

 

 メモリーの跳躍のタイミングを見計らって、キューブが心意技を発動する。

立方氷片(キューブロックス)》は無数の立方体型の氷を発生させ、キューブの意思により様々な形態を取ることが可能な心意技である。

 木々と固まった泥に縛られて動けないリヴァイアサンの真上に、大型トラックが牽引するコンテナ並みの大きさをした直方体の氷塊が発生した。

 

「せああああああああ!!」

 

 メモリーが両腕を上に向け、再度インクを噴射させながら落下していく。氷塊めがけて両足で蹴りを入れると、両腕の手甲から噴射しているインクの推進力によって、落下速度の跳ね上がった氷塊がリヴァイアサンに直撃する。

 

「──────────ッッッ!!」

 

 氷塊は巨体に垂直に伸びる背鰭の一つを押し潰し、リヴァイアサンが顎を外れんばかりに開いて絶叫した。

 その大口に狙いを定める銃口が一つ。

 

「《イグナイト・バズーカ》!」

 

 ライフル銃からバズーカ砲に形態が変わった強化外装《デカンター・ショット》を肩に担ぎ、リキュールが必殺技の弾丸を発射した。弾丸は狙い通りにリヴァイアサンの口内へと着弾すると、たちまち炎が上がり、リヴァイアサンが頭を振りかざして暴れ回る。

 

「メディック! 《卵》だぁ!!」

「はいはーい! いくわよぉ、《栄養満点活力源(エクストラ・エナジー・エッグ)》!」

 

 メディックの両手に薄く黄色みがかった過剰光(オーバーレイ)が灯ると、金色の鶏卵にも似た物体が一つ生成される。

 

「コングちゃん!」

「あー……んぐっ」

 

 メディックの投げた卵を、駆け寄るコングがキャッチし、ためらいもせずに飲み込む。

 そうしている内にリヴァイアサンが木々と粘土の束縛を蹴散らし、煙がくすぶっている口から怒りの咆哮を上げると、コングがこれに負けない大きさで吼えた。

 

「《シェイプ・チェンジ》! ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」

 

 二つの咆哮が大広間に響き渡る。

 完全なゴリラの体型になったコングは、今までの比ではない速度でリヴァイアサンに接近すると、手負いで包帯を肩や手に巻いているのにもかかわらず、樹上で過ごす猿も顔負けの動きで巨体を駆け登っていく。あっという間に頭部にまで移動すると、片手でリヴァイアサンの後頭部に伸びる角を握り、空いている片手でやたらめったらに顔面を殴り始めた。

 

「オオオオオオオオオオ!!」

 

 大猿が繰り出す殴打の一つ一つの威力は尋常ではなく、海竜の鋭く尖った歯の数本をへし折り、頑丈で厚い鱗さえ砕いていく。

 リヴァイアサンもたまらずに頭を振り乱してコングを払い落とそうとするが、万力のように握り締めたコングの手は角から離れようとしない。

 この異常なまでのコングの攻撃力の増大と高揚状態の原因は飲み込んだ卵、メディックの心意技によるものだ。

 続けてコングはリヴァイアサンの左右の角の根元に移動すると、今度は獣形態になったことで指が生えた両足で、角をがっしりと掴んで体を安定させてから必殺技を発動した。

 

「《ドラミングぅぅ・ビートぉおお》!!」

 

 胸を叩くことで響く軽快で陽気な音とは裏腹な、強烈な衝撃波の後、心意技に続き必殺技で強化が重ねがけされた体で、コングはリヴァイアサンの脳天に向けて連続で殴打をしていく。

 

「ララララララララララララララララララララ!! ゴリラァァァァッシュ!!!」

 

 立て続けに頭部への膨大な衝撃を受け続けたことで、とうとうリヴァイアサンはスタン状態に陥り、長大な体が地響きを立てながら倒れ伏した。

 

「それ、畳みかけろぉ!!」

 

 コングのかけ声に応じて、暴れていたリヴァイアサンに巻き込まれないよう、遠巻きになっていた他のメンバー達が次々と追撃をしていった。すでにリヴァイアサンの体力ゲージの一段目は削り切り、二段目もみるみる目減りさせていく。

 

「──具一切功徳 慈眼視衆生 福聚皆無量 是故応頂禮」

 

 そして、とうとう大悟の心意技発動の準備が完了した。

 

「ボンズ、終わり──あ……」

 

 大悟の手に絡めた数珠が放つ過剰光(オーバーレイ)が群青から青紫、枯草色と絶えず変化し続けている。それは光の当たる角度によって様々な色を見せる、菫青石(アイオライト)そのものだった。

 

「綺麗……──!?」

 

 振り返った晶音が感嘆の声を漏らしたその時、突如として途轍もない震動が発生した。激闘に巻き込まれ、壊れていない調度品が見当たらない大広間全体を揺らしている。

 

「……向こうも、良い具合に盛り上がっているみたいだ」

 

 ゴウとプランバム、互いの全力を込めた一撃のぶつかり合いによるものだと、大悟には直感的に分かっていた。

 

「ありがとうよ、ジャッジ。さぁて、散々待たせた分の働きはしなくちゃな」

 

 護衛に就いていてくれた晶音に礼を言うと、大悟は合掌した両手はそのままに、リヴァイアサンめがけて一直線に駆け出した。

 仲間達が、この場にはいないゴウが、こうして共に戦っている。これに報いずにいることなどできるものか。

 スタン状態から回復したリヴァイアサンが、黄金の両眼に憤怒の炎を宿して起き上がり、集中攻撃をしていた仲間達を八つ裂きにしてやると言わんばかりに、体中の鰭から真空の刃を発生させた。

 当たれば欠損は免れない鎌風を、《天眼》で先読みして回避しながら、大悟は逃げ回る仲間達に向かって声を張り上げる。

 

「全員、俺より後ろに!」

 

 今や数珠どころか、全身から様々な色に変化する過剰光(オーバーレイ)を迸らせて向かってくる大悟を目にして、仲間達は軽口も叩かずに一斉に退散した。

 そうして前方にいるのは、神獣の名を持つ荒ぶる海竜のみ。ならばこちらも、神に連なる存在の名を冠した技で対抗しようではないか。

 

「《菩薩(ボーディ・サットヴァ)千手観音(サハスラブジャ)》!!!!」

 

 足を止め、大股を開いて技名を発する大悟の背後に、三重の巨大なリングが出現した。まるで神仏から発せられる後光、光背(こうはい)にも見えるものの正体は、大悟が心意で形作った腕の肘から先、その集合体である。

 その数、しめて千本。

 

「喝」

 

 大悟の一言を合図に、千の腕がリヴァイアサンへと怒涛の勢いで押し寄せていった。

 

 

 

 稲妻を思わせる過剰光(オーバーレイ)を纏ったゴウの《アンブレイカブル》による一撃と、プランバムの心意技である乱回転する黒い球体が空中で衝突している。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

「がああああああああああああああああああああ!!」

 

 ゴウは球体を破壊し、その先のプランバムを攻撃しようと。

 プランバムはこのままゴウを球体によって押し潰そうと。

 両者共に血を吐くように叫んでいた。

 ──重い……! 見た目よりもずっと高密度だ、こんなに小さいのに……。

 金棒と衝突している球体はその場に留まり続け、びくともしない。その上、どうやら引力を持っているらしく、空中で衝突しているというのにゴウの体は一向に地面へと落ちず、角度をずらそうとするも、金棒は球体に吸い付いて離れなかった。

 まるで超圧縮した星の地表に打ち込んだかのようだが、ここで退くこともできない。向こうが引き寄せているのなら、裏を返せばエネルギーが分散しないということだ。それを逆手にしようとゴウは両腕に一層の力を込める。

 

「ぐ……ぐ、おお……おおおおおお……!」

 

 ゴウが力を込めれば込めるほどに、互いの過剰光(オーバーレイ)の境界面から激しい火花が散る。数秒か、数十秒か、衝突から時間の感覚が曖昧になり始めてきたその時、わずかに球体が奥へと動いた。

 ──よし……! このまま──。

 これに希望を持ち、ゴウが押し勝とうとした瞬間、プランバムの鋭い声が飛んできた。

 

「我々は加速世界を正す者……。そう、我らは《粛清者(エピュラシオン)》なり!!」

 

 プランバムが開いていた右手を握り締めると、唐突に球体の表面が全方位から潰れた。ゴウの攻撃によってではなく、プランバム自らの意思によるものなのは明白だ。

 理屈よりも先にゴウの頭に警鐘が鳴り──。

 

 カッ!!!! 

 

 潰れた球体が目を焼かれそうになるほどの強い閃光を伴う、凄まじい衝撃波を発生させた。

 

「…………ぅあ?」

 

 視界が元に戻ったゴウは、宙にいた自分が岩壁にめり込んでいることを理解した。

 体力は残り一割弱。なんと、あの炸裂したエネルギーの塊を至近距離から受けて、一割程度しか体力が削れていない。通常の状態であれば即死していただろう。

 それだけこの《建御雷(タケミカヅチ)》を発動している状態が、破格の防御力を持っているのだということにも驚きつつ、埋まっている岩壁から這い出てゴウは上を向く。

 プランバムは未だに健在だった。指向性のない衝撃波の爆発はプランバムにも牙を剥いたはずだ。しかし、先程まで宙に立っていた場所から、より岩の天井に近い場所へ移動している以外には変化が見られない。閃光で一時的に視力を失っていたゴウには分からないが、何かしらの防御手段で対応していたのだろうか。

 ──心意技は決して万能じゃないって大悟さんは言ってたけど、あそこまでいけば充分万能だな……空中に立ってるし。

 戦慄を通り越して、もはや笑えてきそうなゴウは、ふと宙の一点を視界に捉えた。

 プランバムの作り出した球体があった場所に、その残骸らしき小さな塊が漂っている。すでに技は終了したのではないかとゴウが訝しんでいると、残骸と共に周囲の空間がぐにゃりと捻じ曲がった。

 空間の(ひずみ)はみるみる内にひどくなり、中心に黒い穴が形成された瞬間、ゴウは体が穴へ強く引き寄せられるのを感じた。先程プランバムに腕を向けられた時の比ではない引力だ。

 ゴウが衝撃波を受けても離さなかった《アンブレイカブル》を地面に突き立ててしがみ付いていると、先の衝撃波により地面や壁が砕けてできた、部屋中の大小様々な瓦礫が黒い穴へと吸い込まれていく。その様子を見て、ゴウは黒い穴の正体を半信半疑で口にした。

 

「まさか、ブラックホール……!?」

 

 その強大すぎる重力は時空を捻じ曲げ、光さえ逃れられないという宇宙の墓場。膨大なエネルギーの塊である星が寿命を迎えた後に発生するといわれているのが、ブラックホールだ。

 つまり、プランバムの心意技は高密度の球体を星に見立てたものだったのだ。敵が引力を発生させる星で潰れなければ、至近距離で星を爆発させて吹き飛ばす。それでも生きているのなら、爆発した星である球体の存在した場所に発生する、究極の重力を以って跡形も無く消滅させる三段階の攻撃。間違いなく、プランバムの奥の手だろう。

 

「我が道を阻むもの、すべからく死すべし!!」

 

 宙で仁王立ちになり、両腕を掲げて高らかにプランバムは叫ぶ。左胸の《オリハルコン》から黄金色の輝きを放ち、全身から発生する鉛色の過剰光(オーバーレイ)をより黒ずませながら。

 とうとう瓦礫だけではなく、壁や地面、天井さえも剥がれるように崩れ、ブラックホールに吸い込まれ始めていった。

 ──どうする、ブラックホールなんかにどうやって対抗する……! 

建御雷(タケミカヅチ)》で強化した体であっても、あの黒穴に吸い寄せられれば、耐え切れる保証はない。プランバムの限界を待つにしても、《アンブレイカブル》を突き立たせている地面の方が、先に剥がれて吸い寄せられてしまいそうだ。現に細かい亀裂が徐々に広がっている。圧倒的に時間が足りない。焦燥がゴウの胸中を埋め始め──。

 

 ──「……落ち着いて」

 

 不意にゴウの耳元で穏やかに囁きかける声がした。

 それは最初よりもかなり小さくなってきた、しかし未だにこの部屋中に流れ続けている歌声と同じ、経典の声。

 誰もいない背後を振り向くゴウに、経典の声が告げる。

 

 ──「いいかい? 心意システムとは、発動した人間の強固なイメージによって、ブレイン・バースト内で引き起こされる事象を上書きする現象なんだ。発動するのに尋常でない経験や願望に基づく確信が必要になるけど、もう実際に発動させている今はそれらを置いておいて……。要はあの黒い穴は、彼のイメージによってブレイン・バースト内に生み出されたブラックホールもどきであって、現実に存在するとされるブラックホールではないのさ」

 

 すらすらと淀みのない経典の声による説明は、ゴウには目から鱗だった。

 言われてみれば、本物のブラックホールなど誰にも体験できるわけがなく、より近い場所にいるプランバムは影響を受けていない(ゴウの知らない何らかの対策を施しているのかもしれないが)。何より、あのサイズではどうなのかは知らないが、ブラックホールが発生した時点で目に見える距離にいては、何が起きたのか理解する前に即死してしまうのではないか、といった様々な疑問が湧いてくる。

 そして、第一にブレイン・バーストはディティールやダメージ判定などにリアリティーを追求している反面、仮に心意システムを抜きにしても、物理法則を案外無視している面が多々見られる。それらはプレイヤーが己の意思で、己の体としてアバターを操作する際に対戦が成り立たなくなる部分の辻褄を合わせているという、ブレイン・バーストがあくまで仮想空間であり、ゲームなのだという事実でもあった。

 しかし、それでもどうやって突破すればいいのかは、ゴウには見当も付かない。

 

 ──「おいおい、君は無意識だったかもしれないけど、その姿は君のイメージした『強い自分』だろう? これまでの君の人生経験と憧れ、もっと言えば渇望したものの集大成だ。それらの核として、神様にあやかってつけた名前の心意技はそんなチャチな代物じゃないはずだよ」

 

 経典の声が、ゴウの背中を押すようにそう言うと──。

 

 ドドン! 

 

 突然、大きな音が響いた。

 ゴウが首を向けると、肩から伸びるアーチに並んだ太鼓型のパーツの一つが、まるで帯電しているかのように激しいスパークを発生させて全身に流れていく。それからもドドン!! ドドン!!! と立て続けに太鼓は鳴り響き、鳴る度に音は大きくなり、過剰光(オーバーレイ)は強くなっていく。

 しめて八度、全ての太鼓が鳴る頃には、ゴウの放つ過剰光(オーバーレイ)は屹立する光の柱と化していた。

 ──何だろう……この胸に火が灯る感じ……。

 金剛石の雷鼓(らいこ)から流れる力と打ち鳴らされた音が、恐怖や不安といった負の感情を払い退け、勇気付けてくれているかのようにゴウには感じられた。

 

 ──「その太鼓はただの飾りじゃないみたいだね。これで準備は整った。君の希望から生まれた力を、彼の絶望から生まれた力にぶつけてやるんだ。念の為言っておくけど、チャンスは一度きりだよ」

 

 経典の声に言われるまでもなく、ゴウには分かっていた。地面に突き立てていた《アンブレイカブル》へ過剰光(オーバーレイ)をより纏わせていくと、ついに地面が崩壊し、体が浮き上がる。

 

 ──「……今はまだ、背中を押されてようやく発動できるそれも、いつかきっと自分だけでできるようになるさ。忘れないで、何よりも自分自身が己の可能性を信じることが大事だってことを……」

 

 その言葉を最後に、ゴウの耳へ届いていた経典の声は聞こえなくなった。それとは別に、流れ続ける歌声も効果が終わりに近付いているのか、徐々にか細いものになっていく。

 経典の声とのやり取りに、何故かゴウはさほどの違和感を抱いていなかったのだが、心意のブラックホールに吸い寄せられている今、その理由について考えている暇はない。プランバムのブラックホールを突破する為の、一つのイメージを練り上げていく。

 

「──っ!? うっ! ぐっ!」

 

 重量ある金棒を再び大上段に構えると、ゴウは体が上下逆さの状態になってしまった。更にはブラックホールに吸い寄せられた岩がいくつも体にぶつかる。声を上げるが、逆さになった状態で、それでもイメージを絶やすことはしない。

 ──体勢は関係ない……! 集中しろ……。今の僕ならこれくらいダメージにはならない。この状態でも反動をつければ当てられる。タイミングを見誤らないようにして……。

 やがて、この速度なら爪先が数秒後にはブラックホールに触れるであろう所まで吸い寄せられると、ゴウは背中を仰け反らせて全身に力を込め、腹筋運動の要領で体を起こして金棒を振り下ろす。

 

「はああああああああああ!!」

 

 ゴウの振り下ろした《アンブレイカブル》はいつの間にか金棒ではなく、柄頭(つかがしら)に環状の飾りの付いた、内反りで片刃の大太刀へと変化していた。

 

「《布都御魂(フツノミタマ)》!!!!」

 

 それはゴウがかつて祖母から聞いた、雷神・武御雷神(タケミカヅチノカミ)。かの雷神が地上に授けたという魔を払う神剣。

 その数年後に、何のきっかけだったか自分でも憶えてもいないが、調べて知った剣の形を頭に思い浮かべ、強化外装を触媒に心意の力を流し込んだ、今のゴウがイメージできる究極の一撃。

 

 ──ふつ。

 

 渾身の力を込めて放ったゴウの一太刀から発生したのは、溢れんばかりの過剰光(オーバーレイ)と裂帛の気合にまるでそぐわない、そんな小さな風切り音。しかし、引き起こされた事象は途轍もないものだった。

 振るった刃の軌道は、延長線上に位置する天井から壁面を通り、地面の一部までが両断されて谷底のように裂けている。その裂け目は深く、奥まで見えない。

 この大規模な斬撃は、もののついでとばかりにブラックホール、そしてプランバムの右腕と右脚を両断していた。

 

「ば……莫迦な…………何が……」

 

 呆然とした声を上げ、宙に立っていたプランバムの体がぐらりと傾く。

 そうしてほんの一瞬、前後不覚に陥ったプランバムの隙をゴウは見逃さなかった。ブラックホールが両断されたことで引力が消え、地面に落下していく岩塊を足場に次々と飛び乗り、稲妻の如き速度で上へ上へと駆け上がっていく。

 技を終えると、大太刀は役目を終えたかのように消滅してしまい、もう手には残っていなかった。おそらく技の威力に耐えるのには一撃が限度だったのだろう。

 

「《アダマント──」

 

 ゴウが右腕を腰に当てて引き絞ると、プランバムが気付いて左腕を動かすが、それでもゴウの攻撃に対する防御は間に合わない。

 

「──ナックル》!!」

 

 ゴウの輝く正拳突きが、プランバムの左胸に埋め込まれた《オリハルコン》に直撃し、そのまま両者は天井の裂け目の奥へと上昇していく。まるで天地が逆転し、雷が天に昇っていくかのように。

 

「ぐおおおおおおおおおお!! ……あ、ああ……ああああああああああ!!」

 

 拳を受けた《オリハルコン》を激しく明滅させて叫ぶプランバムは、それでもまだ生きていた。左腕を痙攣させながらもゴウの腕を掴むと、がくんと上昇の勢いが急激に減速していく。

 

「わ、私の心意……破られる、とは……。だ、だが、勝つのは──私、だああああぁっ……!」

「ぐっ……!?」

 

 絞り出すようにプランバムが叫ぶと、一瞬だけ離した左手でゴウの首を掴み、二人は凄まじい速度で落下していった。明らかにアバター二体分の重量の落下速度ではない。プランバムの持つアビリティ《重圧付加(プレス・アディション)》によるものだ。

 ──そうか、もう……。

 心意の鎧を纏う自分に何故アビリティが効果を及ぼしているのかと考えていると、ゴウはようやく装甲が通常のダイヤモンド装甲に戻っていることに気が付いた。心意技が解けているのなら、アビリティの影響も受けるのは当然だ。

 力を貸してくれていた経典の歌声も、もう完全に消えている。

 

「諦めろ……。貴様の、負けだ……。とうに……限界を超えている、だろう……」

 

 プランバムの仮面は左上半分が砕け散り、アバターの素顔の四分の一が露わとなっていた。楕円形をしたアイレンズは弱まった声に反して爛々と黄金色に輝き、眼差しに狂気と妄執を湛えている。

 

「…………」

 

 プランバムによって鉛のように重くなったゴウの体は、無茶な心意技を発動し続けていた反動で激痛が苛み、それ以上に精神が、魂が消耗したことで意識が遠のきそうになる。しかし、それでも。

 ──負けたくない……。僕は──この男に、勝ちたい!! 

 ゴウは諦めていなかった。満身創痍であるはずなのにゴウの胸には熱いものが宿り、全く冷めようとしない。

 この高度から地面に落下している時点で、ゴウの死亡は確定している。たとえ必殺技で落下の衝撃を和らげようが、一割を切ったゴウの体力では耐え切ることなどできないし、尋常ならざる執念を見せるプランバムがどう着地しようとしているのかは知らない(すでに正常な判断ができていない可能性も有り得る)。

 にもかかわらず、ゴウは何が何でもプランバムに勝利したかった。このまま共倒れになることはどうしても認められない。

 それはバーストリンカーがデュエルアバターを動かすのに必須な動力源、胸を熱く焦がし、滾らせる闘争心によるものだった。

 ──動いてくれダイヤモンド・オーガー、加速世界の僕……。お前の……僕の力は、今こそ必要なんだ! 

 他ならぬ己の心から創り出された、己の分身たる金剛石の鬼に、ゴウは強く念じながら全精力をかき集め、全身に力を込めて抗い続ける。

 その願いがデュエルアバターか、はたまたブレイン・バーストのシステムか、一体何に通じたのか。ゴウは胸に感じていた熱が、血管を通るように体全体へ流れていくのを感じ取った。

 すると、始めに肩がぴくりと動いた。順に肘、手首、指が、股関節、膝、足首と体の各所が動いていく。

 ふと見ると、視界の必殺技ケージが徐々に減少をしていたが、ゴウが理由を考えるよりも先に熱を持った体で両腕を動かしていくと、信じられないというようにプランバムのアイレンズに困惑の色が宿る。

 

「莫迦な…………何故……動ける? 心意システムも発動していない……瀕死の体で……!」

「……い、言いたいことはいろいろあるけど、一つだけ言っておく……。僕の……限界を──」

 

 そうして、ゴウはプランバムの左肩口と肘から先の無い右腕を、万力の如き力を込めて掴み──。

 

「お前が────決めるなああああっ!!」

 

 血を吐くように叫びながら左腕で引き込んで、プランバム諸共に空中で百八十度回転した。これによりプランバムが下側、ゴウが上側に位置が逆転する。

 露出した左目のアイレンズを見開くプランバムをよそに、ゴウは首を掴んでいるプランバムの左腕を引き剥がすと、重量の呪縛が解けた体が一気に軽くなった。同時に下方からは見える光がどんどん大きくなっている。地面が近いのだ。

 ──もう時間が……一撃で決めるしか……。

 時間的にも、それに精神的にも、ゴウには残り一発しか攻撃できる猶予は残されていなかった。ゲージが消費し続けている代わりに膂力が上昇しているとはいえ、適当に殴ってもプランバムの体力を削り切れる保証はない。

 ──狙うのなら確実な急所だ。頭……は首を曲げて避けられるか? なら体幹、心臓部分を……。

 脳は高速で回転させ、左手で握り拳を作り、右手はプランバムの左手首を掴んだまま離さず、ゴウは彼の左胸に埋め込まれている《オリハルコン》を凝視する。

 プランバムが心意を発動していたとはいえ、同じく心意発動状態だったゴウの《アダマント・ナックル》をまともに受けて、尚も破壊されずに存在感を示しているアトランティスの《秘宝》。それでもさすがに無傷ではなく、黄金色に発光している為に分かり辛いが、表面に亀裂が走っている。これに追い討ちをかければ破壊し、プランバム本人にダメージを与えるのも不可能ではないだろう。

 ──思い出せ。師匠の、大悟さんの動きを……。

 

 ──『単純な力比べなら、今のお前さんはアウトローじゃ一番だろうな』

 

 レベル6になったゴウは大悟にそう言われた。レベル8の自分やコングよりも上だとはっきりと明言した。

 とはいえ、実力的にアウトロー最強だというわけではない。これは当然ゴウも理解している。戦闘技術の面では大悟よりも大きく劣ることも。

 掌底の打ち方一つでも大悟のそれは無駄がなく、発した力のほぼ全てを対象へ伝えているような印象を何となく受ける。新米(ニュービー)の頃、漫画に登場する武道の達人のようだとゴウが言うと、大悟は豪快に笑った。

 

 ──『ありがとよ。でも俺のやり方はあくまで我流だ。そう言うと何だか凄いものみたいに聞こえるだろうがな。実際のところは素人が独学で効率悪く時間をかけて、試行錯誤した末にどうにか実戦で使えるようにしたに過ぎない。しかも現実で同じようにはできないときている。だって俺はその手の達人じゃない、一学生だからな』

 

 謙遜とも自嘲とも取れる物言いの大悟に、それでもその技術を自分にも教えてもらえないかとゴウが食い下がると、返ってきたのはデコピンだった。

 

 ──『模倣から始めることを間違いとは言わんが、初めから教わるよりも目で見て、体に受けていった方がより強く身に着くものだぞ。脳は考える為にあるんだからな』

 

 それからゴウは実際に、幾度もの手合わせでアバターの体に叩き込まれていくことになるだが、今でも大悟の動きを完全に理解できているとはお世辞にも言えない。ただし全くの成果ゼロというわけでもなく、感覚的に自分なりに学んだ部分もある。

 ──無駄を削ぎ落とせば、残るのは純粋なものだけ。動作の最適化をすれば、大きく動かなくても、生み出した力は攻撃する場所の一点に通っていく……。

 千倍に思考が加速された世界で、より早く脳内処理速度を加速させるゴウは、これもまた心意システムと同じ、イメージの力と似通っていると思った。不定形の物体を狭い筒から押し出し、それまで押し込められていたエネルギーが爆発的な勢いを発生させるような一撃。それでいて、対象にそのエネルギーが伝播していくイメージを浮かべていく。

 

「────喝!」

 

 肘を曲げて脇を締め、狙いへと集中して見つめ、師のかけ声を借りて正拳を打ち出した瞬間、ゴウはいつもの突きとは少し質が違うと気付く。

 そうしてプランバムに接触した拳は、一瞬の抵抗感の後に《オリハルコン》を割り砕き、プランバムの左胸から背中までを貫通していた。

 爆発するプランバム、ポイント加算のメッセージ、急速に近付く地面、そして──。

 



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決戦篇 伍
第六十七話


 第六十七話 力の代償

 

 

 ゴウとプランバムの最後の攻防より、わずかに時間を遡った玉座の大広間。

 大悟は自身が奥義と呼ぶ心意技《菩薩(ボーディ・サットヴァ)千手観音(サハスラブジャ)》を発動し、アイオライト・ボンズの上背ほどの大きさをした数多の掌が、間断なくリヴァイアサンめがけて掌底として打ち出され、光の届かない深海を思わせる黒穴へとリヴァイアサンを押し戻していく。これには理由があった。

 アウトローメンバーとの戦いの最中、リヴァイアサンはある程度時間経つ毎に、黒い穴に引き戻されるかのように吸い込まれていた。この間は仲間達の攻撃もほぼ無視してこれに抵抗している。

 この動きから、二つの仮説が大悟の頭に浮かんだ。リヴァイアサンは出て来た黒穴に一度戻ると、少なくとも自らの意思では再度出て来られないのではないかというもの。あるいは、元いた場所と繋がる扉である黒穴が閉じてしまうのではないかというものだ。

 実際、掌打の連撃を浴びる今の状況下においても、リヴァイアサンは一向に退こうとはしない。大悟は重点的に、リヴァイアサンの頭部と地面に着いた正面の胴体部分を狙って押し戻し、横に逸れようとすれば左右の側面どちらからでも掌底の方向を変えて放ち、これを阻んでいる。それでもリヴァイアサンは莫大な体力を持っているのだから、攻撃を食らいながらでも一旦退き下がることくらいはできるだろう。

 ──そうしないってことは、可能性は高い。いずれにせよ、これではっきりする……! 

 大悟の背後に浮かぶ三重だった光の輪は残り一重となり、一つの輪を構成している数百本の腕がリヴァイアサンへ一本、また一本と攻撃に向かっていく度に光輪は小さくなっていく。神獣(レジェンド)級並みのエネミーにも反撃を許さず、二分を過ぎても止まない心意技を大悟は放ち続け、リヴァイアサンの体力ゲージのほぼ一段分を一方的に削っていた。

 下手に介入して邪魔にならないよう、仲間達が固唾を呑んで見守る中、とうとうリヴァイアサンの体が約五メートルを残して黒穴に押し込められた形となる。

 このまま押し切ろうと、張り詰めた集中の糸を途切らせることのないように大悟が意識していた、その時。

 リヴァイアサンの閉じた口元から濛々(もうもう)とした蒸気が漏れ出し始めた。大悟の攻撃を受け続けても蒸気は止まらず、それどころか勢いが増していく。

 ──大技を出す気か! こうなったら賭けだ、頼むぞ神様仏様よ……! 

 リヴァイアサンが攻撃を放つよりも先に勝負を決めようと、大悟は残る心意の腕を一気に打ち出し、その半数をリヴァイアサンの顎下に向けてぶつけていく。

 じりじりと後ろに下がる巨体。こちらに照準を向かせないように、次々と怪物の顎に決まる掌底。あと少し、もう少し──。

 

「────────────────────ッッッ!!!!」

 

 上を向いて仰け反る海竜が超高音域の怒号を響かせると、噴煙らしきものが混じる大口径の水柱を吐き出した。噴火した海底火山のような一撃は、真上に位置する天井の一部分を一瞬で吹き飛ばして尚も放たれ続けている。

 

「さ、せる……かああああああああああっっ!!!!」

 

 憤怒を帯びた黄金色の両眼に睨まれた気がした大悟は、とにかく直撃すれば即死するであろう一撃を自分や後ろの仲間達に向かせることだけはさせまいと、リヴァイアサンの顎下に残る心意の腕全てを打ち込む。

 一分近く膠着状態の末、とうとう最後の腕の掌底が決まり、大悟の体から出ていた多色の過剰光(オーバーレイ)が消え去る。

 同時に、妨害のなくなったリヴァイアサンの頭が徐々に下へ向き、天井を破壊しながら高熱を帯びる水流が傾くも、大悟達に届く寸前に途切れた。

 

「はぁ……はぁ、どうにか──かっ、があっ……!」

 

 安堵する大悟の両腕が、絡んだ数珠と共に肩の付け根部分まで砕け散り、床に着く手も無く大悟は顔面から倒れ込む。強力な心意技の反動だ。それでもコロッサルとの戦闘がなければ、砕け散ることはなかっただろうが。

 仲間達が自分の名を呼ぶ声と駆け寄る足音が聞こえてくる。

 次の手を考えなければと思う大悟の横を何かが通り過ぎた。首だけを真正面に向けると、砕けた鱗を散らせるリヴァイアサンへと疾走していく白狐の姿が目に映る。

 

「《ハント・ダイブ》!」

 

《シェイプ・チェンジ》で完全な狐形態になった宇美が、あっという間にリヴァイアサンの元に辿り着き、必殺技であるロングジャンプでリヴァイアサンの目線まで迫っていた。

 

「はっ!」

 

 そして、三つに分裂した白い毛並みの尻尾を硬質化させると、その全てをリヴァイアサンの右眼へと突き刺した。

 さすがに眼球までは鱗のように鋼並みとはいかないらしく、リヴァイアサンがけたたましい金切り声を上げて、激しく首を振り乱す。その勢いで眼から尻尾が抜けて宙を舞う宇美を、隻眼で捉えたリヴァイアサンが大口を開けて襲いかかった。取り分けて長い牙が宇美に──。

 

「《べウィッチド・バイ・フォックス》!」

 

 触れる直前の技名発声。がちぃん! と牙が噛み合わさると白煙が発生し、立ち込める煙幕にリヴァイアサンが小さく唸る。

 

「ジャァァッジ!!」

「《玻璃印晶(クリスタル・シール)》!!」

 

 いつの間にか床に着地していた宇美が叫ぶと、間髪入れずに晶音が技名を発した。巨大な円柱型をした透き通る水晶が出現すると、水晶は釣鐘を突いて鳴らす撞木(しゅもく)のように一直線に飛来していく。

 煙に気を取られていたリヴァイアサンは避けるのが遅れて水晶に直撃し、喉元の真芯を捉えた水晶に押されて、頭から黒穴へと突っ込んでいった。胴体もつられて奥へと引き込まれて全身が黒穴に入ったその途端、何と飛沫を飛び散らせながら、ギュルン! と黒穴の縁が回転して小さく縮んでいくではないか。

 

「やった……」

 

 周りに集まった仲間か、あるいは自分が無意識に言ったのか、誰かが呟いた。

 

「────ッ! ────ッッ!!」

 

 あっという間に縮小していく黒穴から、リヴァイアサンが長く伸びた口吻をねじ込み、わずかに開いた口からさかんに吼え猛る。

 仲間達が身構えるが、心配は杞憂だった。

 穴の縮小は止まらず、ずるずると口吻は向こう側へと下がっていき、恨み言を吐いているかのような叫びも小さくなっていく。最後には、とぷん……という小さな音が波紋と共に発生した後に完全に黒穴は消え去った。

 大悟はうつ伏せから転がり、仰向けになると腰を曲げ、反動で一気に立ち上がって息を吐く。

 

「……よっと、はぁー……。あいつ、無事でいるだろうな──……?」

 

 ──ドドドドドド……。

 

 大きく息を吐いてからゴウの身を案じたのも束の間、何か音が聞こえてくるので大悟は耳を澄ませた。

 

「おいおい、お次は何だってんだよ」

「上からだ……」

「ねー……この音、聞き覚えがあるんだけどー……?」

「キューブ君も? わ、私も……」

 

 もう勘弁してくれといった様子のキルン。上に開いた、というよりも吹き飛んだ天井を見上げるメモリー。最後に不安そうにキューブがリキュールに確認していると、答えは上から降ってきた。

 

 ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド!!!! 

 

「ちょっと、またなのぉー!?」

「あぁ駄目だ……。お、俺もう動けねぇ……」

 

 メディックは喚き、メディックの心意技《栄養満点活力源(エクストラ・エナジー・エッグ)》の副作用によって、一時のパワーアップの効果が切れ、副作用で極度の倦怠感を引き起こしたコングがばったりと倒れる。

 そして、ほんの数時間前に一同が閉じ込められ、水責めによって散り散りにされた部屋の罠の比ではない量の海水が、大悟達の頭上へと一気に降り注いだ。

 

 

 

 プランバムを倒した後に、すぐに地面へ叩き付けられたことで案の定ゴウは死亡していた。

 幽霊状態で己とプランバムの心意技によって完膚なきまでに荒れ果てた部屋を、死亡マーカーからの移動限界である半径十メートルまでの範囲をうろつき回る。

 ひたすらに大悟達の安否が気にかかる。

 プランバムを倒せばリヴァイアサンも消えるかもしれないとあの場を離れはしたが、あれも今になってよくよく考えれば方便だった。思い返せば思い返すほどに本心ではゴウは、プランバムとの決着に比重が傾いていたことが明確になっていく。

 自分の考えが間違っていたとして、もう仲間達は一度リヴァイアサン相手に全滅してしまったのではないか。そうなったとすれば、自分が残っていても事態は変わらないだろうが、一人で勝手に突っ走って私情を優先させただけではないのだろうか。

 あの場から離れた時にいなかったメンバーが駆けつけたとしても、状況は好転するのか。そもそも部屋の入口を占拠したように黒穴が出現していたのに、外から入れるのか。

 などと、こうして他に何もできない手持ち無沙汰の状態だと頭だけがやけに働く。それも悪い方向に。

 死亡から悶々と悩むこと数分、変化は唐突に訪れた。

 

「うわぁ! ……な、何だ!?」

 

 地面を突き破って謎の柱が出現し、ゴウは実体の無い身であっても反射的に飛び退いた。部屋の天井にも穴を開けてそびえる柱をよく見ると、柱ではなく水流のようだ。ただし、その威力は間欠泉を数倍から数十倍にしたもので、太さは半径数メートルにも及んでいる。

 そんな中、ゴウは半透明の体が地面へと沈み始めたことでぎょっとしてしまう。一体何なのかと慌てていると、答えはすぐに分かった。

 水流が噴き出た場所に位置する死亡マーカーが、足場が失われたことにより、下へ下へと下降し始めているのだ。こうなれば当然、ゴウも強制的に下の地面へと沈んでいく。

 地面に完全に沈むと真っ暗で何も見えないので、仕方なく水流の柱の中に移動するも、こちらはほとんど真っ白で大差はなかった。

 しばらくすると、水流は傾きながら厚い岩盤を穿っていった後に消え去り、入れ替わるように真上から滝よろしく大量の水が降ってきた。幽霊状態のモノクロにしか映らない目には泡立つ白水(しらみず)しか見えず、耳からは轟々とした水の流れる音しか入ってこない。

 それらがようやく収まると、ゴウは水中に沈む瓦礫の上に降り立っていた。一体ここはどこなのかと確認しようにも、水が濁っていて先はほとんど見えない。

 実体の無い身でも動ける範囲で探ろうとすると、またしても変化が起きた。

 遠くから無数の鐘の音が鳴り響くような音が聞こえたかと思うと、水で満たされた空間の大穴、というより天井の一部が吹き飛んでいる場所から、白と黒のグラデーションで彩られた光が降り注いだのだ。モノクロでしか光は見えないが、聞き覚えのある音もあって、ゴウはこの現象が何なのか瞬時に理解し、同時に青ざめる。

 

「変遷……!? よりにもよって今……」

 

 まさかこのタイミングなのかと驚く間もなく、変遷の影響で周囲の水は消え去り、足元の瓦礫は大理石の床に変わり、一時間の待機時間をショートカットして、ゴウは回転するマーカーからダイヤモンド・オーガーとして復活する。

 それはゴウの隣に並ぶもう一つのマーカーも同様だった。大悟と連携しダメージを与えていき、経典の一度限りの心意技が込められた奇跡のリプレイ・カードの力も借りて、ようやく勝利したプランバムが正面に現れる。

 互いに同じ場所で死亡した以上、再戦の覚悟はもちろんあったが、さすがにこうも早いとはゴウは夢にも思わなかった。反射的に距離を取ろうと足に力を込めたが、後ろに倒れ込んでしまう。

 

「うっ!?」

 

 緊張で足がもつれたのではない。体力は全快、意識もはっきりしているのに体がいうことをきかない。力が入らない。

 ──やっぱり……さっきの心意技の影響か……。

 強大すぎる力の反動が、復活したアバターの体の基本制御にさえ影響を及ぼしているのだろうかと推測するゴウ。どうにか首を傾けると、あれだけ強力な心意技を発動したプランバムの方は、ゴウのように倒れたりはせず、仮面に覆われた顔をこちらに向けて立っている。

 

「──オーガー……? オーガー!」

 

 後方で誰かの声がする。知っている人の切羽詰った声。他にもゴウに逃げるよう促したり、誰かが誰かにプランバムを攻撃するように指示を出す声が聞こえてくる。

 

「…………」

 

 プランバムは何も言わずにゴウの後方に顔を向けると、すぐにゴウへと戻し、右腕を動かした。

 万事休すかと観念するゴウは、せめてうろたえるような真似は見せまいとプランバムから顔を逸らさずにじっと見据え──。

 

 がしゃん。

 

 何の前触れもなくプランバムの右腕が音を立てて床に落ちた。誰も何もしていない。それなのに右腕が取れたプランバムはゆっくりと後ろへと傾くと、ゴウと同様に仰向けに倒れていった。

 

「オーガー! しっかり!」

 

 呆然としてプランバムを見ていたゴウに、最初に駆け寄ったのは宇美だった。状況はかなり違うが、初めて心意技を発動し暴走した結果、力尽きた時も同じ台詞を宇美に言われていたことを思い出す。

 そうしている内に両腕の無い大悟を始めとした、メディックにリキュール、キルン、そしてキューブとメモリーに左右から支えられているコング。傷だらけの仲間達がゴウの元に集まってきて、ようやくゴウは自分がどこに落下したのかを理解した。

 

「ここは……さっきまでいた……」

 

 宇美とメディックに上半身を起こされ、ゴウは支えられながら辺りを見渡す。プランバムに意識を割きすぎていて気が付かなかったが、ここはダンジョン最深部。玉座の大広間は変遷によって修復され、ゴウが最初に見た時のように絢爛豪華な様相を取り戻していた。

 前方にある入口の扉と十メートルも離れていない場所にいるゴウは、入口を覆っていた黒穴とそこから出現したリヴァイアサンも消えていることを確認し、顔がぱっと明るくなる。

 

「じゃあ……皆さん、勝ったんですね……!」

「勝ったと言うか、押し返したと言うか……何とかね。その後に瓦礫と海水に押し潰されかけもしたけど、こうして生きてるよ」

「お互い、かなり無茶をしたみたいだな」

 

 宇美は頷き、大悟がゴウの体を観察するようにじっと覗き込む。

 

「はは……両腕無くした師匠なんて初めて見ました……。良かった、キルンさん、メモリーさん、コングさんも合流できて──そうだ、プランバムは……!」

 

 傷だらけであっても仲間が全員合流して生きている嬉しさから、つい意識から離れていたプランバムを見ると、その有様はひどいものだった。

 プランバムは右腕の他に右脚も取れ、ポリゴン片となって散っている。流体金属の服は左上半身が破れ、むき出しの左胸に埋まる《オリハルコン》が弱々しく瞬く。顔を覆っていた仮面は完全に砕け散っていて、仮面を固定していたリングを残して顔面が露わになっていた。

 これらプランバムの負傷している部分のほとんどは、先程までの自分達との戦いによるものだ。だが、死亡から変遷を経て復活したのに、どうして再び同じように傷付いているのかがゴウには分からない。

 

「師匠、これは……心意技の反動なんですか?」

「……分からん。仮にそうだとしても、ここまでひどくなるとは考え辛いな……」

 

 ゴウは大悟に訊ねるも、彼にも明確には分からないらしい。

 仲間達もこうではないかとあれこれ推察を口に出し始めると、プランバム当人がアイレンズを明滅させながら呟く。

 

「……成程、な。これが……そうなのか……」

 

 声には軋み上げるような歪んだエフェクトと、少し(しゃが)れた壮年じみた部分が消えていて、弱々しくも落ち着いた青年の声となっている。ゴウと戦っていた時には《オリハルコン》同様の黄金色だったアイレンズは、今は紺色だ。これが元のアイレンズの色なのだろうか。

 

 ──ええ、その通りです。

 

 すると、何かに納得しているような様子のプランバムに応える声が響いた。

 プランバムの頭のすぐ近く、大理石の床から水が(にじ)み出したかと思うと、ごぼごぼと音を立てながら隆起していく。水は不定形の塊となって屹立するといきなり弾け、そこには一人の女性が立っていた。

 薄絹の衣に、両腕には真珠の埋め込まれた腕輪。足首からふくらはぎにかけて白波を思わせるデザインをした装飾具。ウェーブのかかった栗毛の長髪に、珊瑚で作られた冠をのせた美貌は瞳を閉じている。

 人間ではない。ゴウは女性を一目見てそう思った。

 加速世界に生身の人間がいるはずがないだとか、いきなり水の柱から現れたからとかではなく、目の前にいる女性からは生命を感じられないのだ。それでいて、どこか神聖ささえ感じさせる底知れない気配を醸し出している。

 そんな謎の女性が登場して、最初に口を開いたのは晶音だった。

 

「ダンジョンの管理AI……?」

「正解です。私はこの《アトランティス》管理用システムAI《テティス》と申します」

 

 瞳を閉じたままのテティスと名乗るAIの落ち着いた声は間違いなく、たった今プランバムに応えたものだ。こんなに近くにいるのに、どこか遠い潮騒(しおさい)の彼方から聞こえてくるような印象を受ける、不思議な声音でテティスは続ける。

 

「……悠久なる時が過ぎ、とうとう現れたこのダンジョンの《主》となる戦士。しかし、こんなにも早く敗北してしまうとは想定外でした」

「《主》……?」

 

 わずかに憂いを帯びたテティスの台詞に違和感を持つゴウ。ダンジョンは攻略する、制覇する場所であって、《主》という言い方ではまるで、ダンジョンを治める領主のようではないか。

 大悟もゴウと同じように感じたらしく、テティスを問い詰める。

 

「詳しく聞かせてもらおうか。このダンジョンは何なんだ? 出現条件といい、どうにも謎が多すぎる……っと、それよりもまずは《オリハルコン》についてだ。その男の有様は左胸に融合したアイテムが原因なのか?」

「お答えしましょう。戦士の質問には知る限りを答えるのが私の義務です」

 

 両腕が無い大悟が顎を動かしてプランバムを示すと、バーストリンカーを戦士と呼ぶテティスは二つ返事で頷いた。

 

「この場所……最深部に納められた《オリハルコン》を手に入れた者は、アトランティス内のシステムへの干渉、封印された高位《ビーイング》の召喚と制御に加えて、戦士として破格の力を得ます。……ただし、メリットばかりではありません」

 

 テティスが倒れたまま沈黙するプランバムに顔を向ける。

 

「《オリハルコン》は身に宿すのに数時間に及ぶ時を要し、宿した《主》である戦士は、権限と潜在能力の引き上げを引き替えに一度でも体力を全て失えば、受けた傷は二度と回復することはありません。たとえこの世界から一度離れたとしても、再び降り立った瞬間にその身は傷付き、かろうじて《オリハルコン》によって生を繋ぎ止められている状態となります。今の彼のように」

 

 明かされた力の代償は、ゴウの予想を遥かに超える重いものだった。王並みの力と調教(テイム)されたエネミー(話の流れからして、ビーイングとはエネミーを指すものなのだろう)が手に入るのを差し引いたとしても、デメリットは余りあるものだ。

 

「《オリハルコン》は一度装備してしまえば装着者の一部として取り込まれ、破棄は不可能。強大な力を得る代わりに呪いを受けると言っても過言ではないでしょう。これらのことを《オリハルコン》が完全に融合する前に私は彼に説明し、彼は了承しました」

「当然だ」

 

 彼と指されたプランバムは、声を掠れさせながらも断言する。

 

「不退転の覚悟も無く……世界の何が変えられるのか。迷う理由にもならない」

 

 それだけの覚悟だった、と捉えていいのだろうか。

 自分だけが一撃を受けただけでほぼ死亡する、常に一方的なサドンデス状態に近い。そんなプレッシャーには自分はとても耐えられそうにないとゴウは戦慄する。

 

「……《オリハルコン》については分かった。だが、リスクは一度置いておいてだ。それだけの能力を得られるアイテムのあるダンジョンにしては、防御機構が手緩(てぬる)すぎる。凄さのベクトルは違えど《神器》に匹敵するアイテムが安置された場所を、十人そこそこのパーティーで一人も一度も死亡することなく最深部まで到達なんざ、普通は有り得ない。それに……誰かここに来るまで、あのリヴァイアサン以外のエネミーに遭遇した奴はいるか?」

 

 難しそうな顔を作る大悟に、ゴウも含めた全員が首を横に振る。

 大悟の疑問はもっともで、後半は罠があったが即死するような凶悪なものはなく、前半など罠すら存在しなかった。ダンジョンに必ずといっていいレベルで棲息しているらしいエネミーも、影も形も現れなかった。

 エピュラシオンメンバーがダンジョン各所に配置されていなければ、他の皆ももっと早くここまで辿り着けただろうし、その分のダメージも負わなかったはずだ。

 それでいて知らなければまず発見されないであろう場所に、決められた日の時間にしか現れず、他に類を見ないアイテムが眠っていたダンジョン、アトランティス。

 一言で表せば、不自然。そう、何もかもがちぐはぐなのだ。

 

「……もっともな疑問でしょう。その問いの答えとしましては、このダンジョンが未完成だからです」

「未完成……?」

 

 かすかに顔を伏せるテティスの答えは、ゴウにはよく分からないものだった。今まさに自分達はアトランティスというダンジョンの内部にいるというのに、何が未完成だというのか。

 

「このアトランティスとは元来、創造主によって創り出された三つの《移動式ダンジョン兼エリア》の一つなのです。私に組み込まれたデータベースには《BB(ブレイン・バースト)・ムーブメントエリア・プロトコル》と記録されています」

 

 移動式ダンジョン、という単語を聞いて全員が目を剥いた。このダンジョンごと動くというのはさすがに信じられない。

 それに創造主という存在。つまりはブレイン・バーストの製作者ないし製作に関わる人間の存在であることは、テティスの話から明白だ。

 

「動く要塞をコンセプトにした、移動可能な土地。制御キーにして、迷宮の《主》の証たる秘宝。高位ビーイングでありながら《主》に導かれ、従うことを課せられた神獣。これら三つが備わり、陸海空のそれぞれをテーマとした三つの試作ダンジョン。それが《BB・ムーブメントエリア・プロトコル》。……ところが、最終調整の段階で計画は停止。平行して創られていた、管理AI同士のリンク切断と同時に残り二つのダンジョンの消去を確認。以降、創造主からの介入は今日(こんにち)まで一度としてありません」

「ゲームバランスの崩壊……かな。実現したら他のプレイヤーとの格差が大きくなりすぎる。レベル1とレベル9の差なんて目じゃないほどに」

 

 ブレイン・バーストというアプリケーションそのものに関わる情報を聞いたメモリーがそう言うと、やはりどこか悲しげにテティスは頷く。

 

「おそらくは。それ故にこの場所はあらゆるバグが修正もされずに、放置されたままとなっているのです。閉鎖空間と言ってもいいでしょう。本来ならば外部の変遷(トランジション)現象の影響も受けないのですが──」

 

 そこでテティスはゴウの方へと手を向けた。変わらずに瞳を閉じたままに。

 

「《世界の理へ干渉する力》……貴方がたはシンイと呼んでいましたね? 私のデータベースには記載されていない現象ですが、そちらの戦士のシンイによってダンジョン外壁が激しく損傷しました。そこにビーイング・リヴァイアサンの攻撃が追い討ちをかける形になり、外壁が完全に破損。海水の大量流入による異常事態に、ダンジョンに備わっている変遷現象のリカバリー機能を応用した保全プログラムが自動発動して、今回は内部修復が行われたのです」

「と、トランジション……? つ、つまり今回発生したのは本物の変遷じゃない……? それじゃあ、僕らの戦いをずっと見ていたってこと?」

「当然です、管理AIなので」

 

 つらつらと聞いたこともないシステムの名称を交えて説明するテティスは、ゴウの質問に対してきっぱりと断言した。AIがダンジョン全体の状況を把握しているのは、当然と言えば当然か。

 

「しかし、一方で創造主は未完成なこの場所を、他の二つのダンジョンのように消去することもまたしませんでした。その上、外部に情報を記したアイテムオブジェクトを遺していた。そうして貴方がたはここに訪れることができたのでしょう?」

 

 テティスの話を聞くに、どうして製作者はこのダンジョンを残したままにしているのか。確かにそこは一番不可解ではある。

 

「……創造主の真意は私には図りかねます。計画は頓挫させたというのに、三つのダンジョンの内、何故ここだけを消去しなかったのか。私はそれを知る手段を持ち合わせていません。しかし私は思うのです。何らかの事情があって調整もできず、止む無く完成させることができなかったのだと……。それでも、このダンジョンを戦士達が挑戦するのを望んだのではないかと……」

 

 ここにきてテティスの言葉にプログラムとは思えない、非常に繊細な感情の機微らしきものをゴウは強く感じ取り、それはテティス自身がそうであってほしいと切実に望んでいるようにも見えた。

 

「私はAIとして、必要な知識を全て組み込まれた状態でこの世界に誕生しました。そうして永遠にも思える数千年の時間を、戦士達が訪れるのをひたすら待ち続ける内に……いつしか『自ら思考する』という行動を取るようになりました。そうした中で、私が作り出された意味があるのではないかと思考し始めたのです。──電子記号で作り出されたAIが何をと思うでしょう?」

「……そんなことはない」

 

 意外なことに口を挟んだのはプランバムだった。微動だにせず、テティスを見ることもしていないが、その口調には確固たる意志が込められている。

 

「己に存在意義を見出そうとすることは、知能ある存在であれば当然のこと。それは決して間違いなどではない」

 

 プランバムがそう言うと、テティスはかすかに口元を綻ばせてから、小さく会釈する。

 

「……貴方の発言には少し胸を打つものがありました。感謝します」

「口を開いたついでに、私の話も聞いてくれますか? プランバム・ウェイト」

 

 晶音がずいと前に出て、プランバムの真横に立った。

 プランバムは首を動かさないまま、晶音を横目で見やる。

 

「……貴様がクリスタル・ジャッジか。スコーピオンがやたらと警戒をしていた。アトランティスについて記された、あの本の存在を知っていると……」

「そのスコーピオンをここに来る道中、倒してきました。貴方は彼がどうやってあの本型アイテムを手にしたかを知って──いえ……それよりも彼についてどこまで知っていますか?」

「……? どういう意味だ?」

「その様子、(シラ)を切っているようには見えませんね。……皆さんにも聞いてほしいことがあります」

 

 不可解そうな様子のプランバムを見た晶音が、ゴウ達にも話を聞くように促してから語り出す。

 始めにスコーピオンが横浜エリアで活動していたレギオン、リチェルカ崩壊させたこととその経緯。そこまではアウトローでも周知のことだったが、続いて晶音から明かされた内容は、晶音と宇美が交戦したスコーピオンが、加速世界を騒がせている闇の心意技を使わせる強化外装、ISSキットを使用したという衝撃的な内容だった。

 プランバムと現場に居合わせた宇美を除く全員が驚き、話を聞き終えた後にプランバムが静かに呟く。

 

「……奴がエピュラシオンに加入したのはおよそ一年半前。貴様の話と時間軸は一致する」

「では、貴方はリチェルカのことを何も知らないのですか?」

「知らぬ。横浜エリアでスコーピオンが活動していたことも、ISSキットを所持していたことも初耳だ。ISSキットか……使いこなしていた上に、加速研究会との繋がりまであるやもしれぬとはな。……まさに獅子身中の虫だったという訳だ、あの蠍めが。必ず報いを受けさせてくれる。しかし──」

 

 バタァン! 

 

 プランバムが苦々しげに顔をしかめていると、大広間の入口の扉が音を立てて勢いよく開き、一斉に皆がそちらに引き付けられた。

 

「主!」

 

 大広間に飛び込んできたのは、この大広間の前に位置する部屋で大悟に倒され、変遷(厳密には違うらしいが)の影響で復活したエピュラシオン副長、チタン・コロッサルだった。

 瀕死の状態である、自らが主と呼ぶプランバム。静かながらに存在感を示すテティス。そして、プランバムの元に集まっているゴウ達を順に見回すと、コロッサルは肩を怒らせながらずんずんと近付いてくる。

 

「おのれ……貴様ら……!」

「よせ、コロッサル」

 

 宥めるようなプランバムの一言に、コロッサルからすぐに怒気が消えるも、その表情は複雑そうで、納得はしていないのが見て取れる。

 

「しかし、主……」

「貴様にだけは《オリハルコン》の代償を、配備する前に伝えただろう。勝敗は決したのだ。我らの……敗北という形でな」

「ぐ…………」

 

 コロッサルが駆け寄って食い下がるも、とうとう口に出してプランバムは戦いの決着を認めると、静かに言い放つ。

 

「……最後にこの戦いの幕を閉じるとしよう。私の……永久退場によって」

 



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第六十八話

 第六十八話 因果応報の末路

 

 

 ブレイン・バーストにおいて何よりも重要になってくるのが、バーストポイントの存在である。

 加速コマンドを始めとした各種コマンドの起動、デュエルアバターのレベルアップ、果てはショップでのアイテム購入など、ポイントは様々な用途で消費されていく。

 主に対戦によって補充ができ、勝者はレベル差に応じた相手のポイントを手に入れ、敗者はポイントが減る分だけ、バーストリンカーとしての死期が早まる。

 それは、ポイントがゼロになってしまえば、ブレイン・バーストがニューロリンカーから強制アンインストールされてしまうからだ。

 一度強制アンインストールされてしまえば、ニューロリンカーを変更しようが、再インストールは不可能。加速という技術の恩恵に与ることもできなくなり、今まで時間をかけて成長させてきた己の分身、デュエルアバターも消滅してしまう。

 そして、ブレイン・バーストに関わる記憶を全て失うことになる。自分がバーストリンカーとして、人によっては何十年と過ごした時間、加速世界での思い出や経験が消えてしまうのだ。

 このことは、ポイント全損をしたバーストリンカーと現実で関わりのある者、その者から話を聞かされた者しか知る由もないが、後者は記憶が消えるという信じ難い話から、半信半疑に捉える者も少なくない。その為、噂としてしか認識されていない面も多々見られている。

 しかし、噂は事実である。故にバーストポイントは、バーストリンカーとしての生命線に他ならない。

 また、ブレイン・バースト永久退場の要因は、ポイント全損の他にもう一つ存在する。

 それは何ということのない、バーストリンカーが自らブレイン・バーストプログラムをアンインストールすること。当然、その際も再度インストールすることは不可能である。

 ポイント全損と違うところを強いて挙げるとするならば、己の死期を自らの意思で選択するということだろうか。

 

 

 

「あ、主……。何を……言うのです」

「ど、どうして……」

 

 ブレイン・バーストを捨てるという旨の発言をするプランバムに、信じられない様子のコロッサル。

 バーストリンカーが何よりも忌避する事柄に、ゴウも思わず困惑をそのまま口に出してしまう。

 

「……今となっては全て遅いが、私は選択を誤ったのだ。故にこうして無様な姿を晒している」

 

《オリハルコン》を宿したプランバムは大理石の床に横たわったまま話す。

 アトランティスの管理AIを名乗る存在、テティスの話では、数々の特権と引き替えに一度死亡してしまえば、もう回復のしない瀕死の体となってしまい、しかし命を繋ぎ止めているのもまた、瀕死状態の原因である《オリハルコン》だという。

 

「虐げられる存在のいない加速世界を作り……正しく導いていく。そう考え、長く加速世界を巡った。共感する同志も集っていったが、それでも目の前の悪しき存在を潰していくことしかできず、根本的な解決手段は見つけることができなかった……。だからであろうな、スコーピオンから差し出されたこの場所の存在を記した本の内容を目にし、ようやく天啓を得たと錯覚したのは。……罪無き者達が犠牲になっていたことも知らずに」

「で、ですが、それについては貴方が気に病むことではないでしょう? スコーピオンがリチェルカを裏切った時、まだ貴方と接点はなかったと言っていたではないですか……」

 

 悔恨の念が窺えるプランバムの言う『犠牲』になりかけた晶音が、フォローする形で否定するも、プランバムはゆっくりと首を横に振る。

 

「……奴が曲者であることは初めて出会った時から分かっていた。レギオンに向かい入れこそしたが、油断ならぬ存在であると。本を手に入れた経緯も、PK行為をしていたバーストリンカーを始末した際に命乞いで差し出されたという説明に、それが真実ではないだろうと理解した上で私はそれ以上追及しなかった。その時点でスコーピオンを責める資格を私は持たず、同罪だ。──テティス、一つ確認したい」

如何(いかが)なされましたか?」

「私の一部となったこの《オリハルコン》……。私が消滅すれば《オリハルコン》も消える……相違無いか?」

「……知っていたのですか? そのことに関しては説明をしていませんでしたが……」

「生身の肉体より長く動かしてきたこの体に、もはや違和感無く融け合っているのが感じられる。なればこそ、おおよその察しも付くものだ」

「……その通りです。ただし、それには条件が一つ。《オリハルコン》には自己保存のプログラムが備わっています。現在の状況で仮に貴方が消滅した場合、アトランティス内に存在する戦士のどなたかに強制的に《オリハルコン》は宿るでしょう」

 

 プランバムとテティスのやり取りで、全損によって退場するバーストリンカーの強化外装が、低確率で倒したバーストリンカーのストレージへ移動するという話をゴウは思い出す。加えて、百パーセント移動をするという、かの《災禍の鎧》の存在も。

 

「なるほどな。お前さん、それで……」

「察したか。然り、実際にここに至って実感する。万が一にもこれが有象無象の手に連鎖的に渡っていくようなことになれば、加速世界は秩序を正すどころか、修復不可能なまでに崩壊していくだろう……。故に今ここで完全に消滅させなければならぬ」

 

 納得した様子の大悟に続き、ゴウもようやくプランバムの行動に合点がいった。

 プランバムは永久退場によって、己の身に宿る《オリハルコン》を自分諸共に消滅させるつもりなのだ。

 しかし、コロッサルがこれに異を唱える。

 

「でしたら主、自分が《オリハルコン》を引継ぎます。そして主の宿願を叶え──」

「ならぬ。言った筈だ、我らはこのアウトローという集団に敗北した。わずか十人のバーストリンカー達に敗北した以上、《オリハルコン》を用いたところで七大レギオンを相手取ることは不可能だと証明されたのも同じ。いたずらに戦火を撒き散らすだけだ」

「ですが! それでは貴方が犬死にではないですか! そんな事実、自分には……自分には耐えられません……!」

 

 主に否定され、血を吐くように反論してから俯くコロッサル。

 そんなコロッサルを見て、プランバムは静かに言い聞かせる。

 

「……ならば、犬死にではなく、せめてもの教訓と捉えろ。私とは違う道を見つけるのだ」

「違う……道……?」

「そうだ。……情けない話、私には見当も付かぬ。そんなものが存在するという保障さえもできぬ。それでも、私にここまで付いてきてくれた、貴様らには生きていてほしい。そうして、私とは違う答えを導き出してはもらえないだろうか……」

 

 厳格な口調こそ変わらないものの、ゴウが聞いたプランバムの声には優しさが込められていた。自分には与り知らないことではあるが、少なくともこの二人の間には、確かな絆があったと思わずにはいられない。

 少し間を置いてから、更に頭を下げてコロッサルが口を開く。

 

「…………承知、しました……主」

「最後に……貴様に託したいものがある」

 

 プランバムは鉛の服が破れた左腕を動かし始めた。その動きからしてインストメニューを開いているようだが、これは本人の他には基本的にタッグパートナー、又はレギオンメンバーに登録された者にしか可視化されないので、コロッサルを除くゴウ達には見えない。

 

「主……これは……」

「貴様ならば……今これを託す理由は分かるだろう。……少し耳を貸せ」

 

 コロッサルが頭を上げ、目線が宙に釘付けになるも、すぐに手を伸ばす。動きからして、どうやらプランバムからの何かを承認したらしい。それから何やらプランバムに耳打ちを受けると、少しだけ眉をひそめてから、頷いて立ち上がった。そのままコロッサルは踵を返し、大広間の入口へと向かう。

 

「──チタン・コロッサル」

 

 プランバムが唐突に呼びかけると、コロッサルは入口の大扉の前で振り返らずに立ち止まった。

 

「これまで私と同じ道を進んでもらえたこと、万感の意を込めて感謝する。……皆にもそう伝えてもらいたい」

「…………」

 

 コロッサルからの返事はない。

 しばしの沈黙を経て、扉を開いたコロッサルがようやく口を開いた。

 

「少なくとも自分は……貴方によって地獄から救われた。自らの選択が全て間違いだったとは、ゆめゆめ思われませんように。──最後の言葉、他の者にも……必ず、伝えます……」

 

 そうしてコロッサルは肩と声を震わせ、振り返らずに出ていった。扉が閉まり足音が遠ざかっていく。

 

「……次は貴様らだ。速やかにこのダンジョンから退去しろ。テティス」

「はい」

 

 プランバムが命じると、テティスが閉じていた瞼を開けた。瞳の色はやはりというべきなのか、ゴウが何となく予想していた通り、リヴァイアサンの眼の色や《オリハルコン》と同様の黄金色。

 開眼したテティスが腕を伸ばすと、その先の数メートル離れた床に鮮やかなサファイアブルーの円が発生する。

 

「ポータル……じゃないね。アレは」

 

 メモリーが発生した円を興味深げにしげしげと眺める

 確かに無制限中立フィールドからバーストリンカーを現実へ帰還させるポータルを思わせるが、快晴の青空を映し出す海原のような色合いと揺らめきは、ポータルのそれよりも動きがやや激しく、若干色も濃い。

 

「これはアトランティス外部に転移させるワープゲートです。円の中に足を踏み入れるだけで対象を転移させます」

「話は聞いていただろう。内部にバーストリンカーがいれば《オリハルコン》が転移してしまう。まずは貴様らを、次にエピュラシオンメンバーを退去させ、それからアンインストールを開始する」

「貴方がたの脱出後、転移先の座標は変更します。先程まで対立していた存在同士が顔を合わせるのは、気まずいものがあるでしょう?」

「そ、それはまぁ、そうだけど……。ワープまでできるなんて無茶苦茶ね。しかも、そんな気遣いまでしてくれるなんて……」

 

 テティスのAIらしからぬ対応に苦笑いを浮かべるメディックに、長い年月の末に自我を獲得するに至ったというテティスは無言のまま、ややはにかむような表情で返す。

 

「オーガー、立てる?」

「あ、はい……。さっきよりは体が動かせそうです……」

 

 心意の反動が原因と思われる麻痺から、いくらか体が回復したゴウは宇美の手を借りながら、よろめきつつも立ち上がった。ふと、プランバムと目が合い、少し迷ってからゴウは口を開く。

 

「あんたは……本当にそれで──」

「勝者が敗者に哀れみなど向けるものではない」

 

 ゴウの言葉は言い終える前に、プランバムにぴしゃりと遮られた。

 

「私は自らの選択自体に後悔はしていない。この思想が間違っていたとも思わない。この世には戦争や飢餓、災害以外にも……平穏な日常の中でも地獄は確実に存在している。当事者以外には取るに足らない事柄も、当事者が地獄だと思えば、そこは間違いなく地獄なのだ。誰が何と言おうがな」

 

 ゴウ以外にも誰も反論はできなかった。プランバムの言い分が事実であることを、《心の傷》からデュエルアバターが形成された、ここにいる誰もが知っているからだ。

 ただし、プランバムはこう付け加えた。

 

「しかし私は、間違っていはいなくとも……正しくはなかったのだろう。……貴様の言っていたように」

「……!!」

 

 ──『……僕は、あんたが間違っているとは思わない。──でも、正しいとも思えない』

 

 戦闘の最中、プランバムとの問答でゴウが出した答え。

 ある側面では正論ではあるプランバムの言い分に対して、感情をそのままに乗せたゴウの反論……というよりもわがままを、プランバムが認めたことを明言する形になる。

 

「貴様に譲れない信念があるのなら、精々その我を貫き通すことだ」

「プランバム……」

「…………」

 

 助言とも忠告とも捨て台詞とも取れる発言をした鉛のデュエルアバターは、それ以上は何も口に出さなかった。

 ゴウは宇美の肩を借りて、仲間達と共にワープゲートだという海色の円へと向かう。

 順番に円の中に入った仲間の姿が次々と消えていく中、自分の番になったゴウが円の一歩手前で振り返ると、倒れたプランバムと寄り添うように立つテティスが目に映った。

 ──……さよなら。

 ゴウはもう二度と会うことはない男に、心の中で別れの言葉を口にしてから、円へと足を踏み入れた。

 

 

 

「おのれ、おのれおのれおのれ……」

 

 アトランティス内部。美しい地底湖を湛えた、星屑のように輝く砂浜に怨嗟の声が響き続けている。

 

「おのれおのれおのれ────がああああっ!!」

 

 砂を蹴り上げ、尾状パーツの毒針と鋏状の手甲を岩壁に突き刺す。

 アメジスト・スコーピオンは、ダンジョン全体に広がった擬似変遷現象からの復活直後、恨み言を呟き続けては暴れるという行為を繰り返していた。

 

「ジャッジめ、忌々しい……。よくもくだらない牢獄など作ってくれたものだ。あんな無意味で、屈辱を与えるだけの……」

 

 確かに当初スコーピオンは、プランバムに命じられて配備されたこの場所で遭遇をした二人を侮っていた。ジャッジは心の隙を突けば手玉に取れる確信があったし、フォックスと呼ばれていた名前も知らなかった同行者は早々に心意の毒で動きを封じたからだ。

 ところが、フォックスは毒に冒されながらも反撃をしてきた上に、一度は零化現象(ゼロフィル)に陥ったジャッジは、フォックスの叱咤されたのをきっかけに立ち直ってしまった。

 それからは手痛いしっぺ返しを食らったとスコーピオンは認め、手に入れたISSキットを起動。想定以上に自分とキットとの親和性は高く、数段階に増した力で勝利を収める……はずだった。

 何故か心意技の撃ち合いの最中、突然ISSキットは停止。厳密に言えば、その力を失ったようにスコーピオンの体から剥がれ落ちた。

 その隙を突かれて死亡。意趣返しのつもりか、死亡マーカーを囲むようにジャッジは心意の檻を作り上げて閉じ込めると、フォックスと共にその場を後にしたのだ。

 これは晶音の思惑通り、スコーピオンにとって相当に屈辱極まるものだった。幽霊状態になったスコーピオンには無意味だったことを差し引いても。

 ──復活すれば容易に破壊されると知っていながら……本当に忌々しい。予定通りなら勝利は目前だった。だというのに……! 

 剥がれ落ちたISSキットは崩れ去って塵になり、今やストレージにさえ存在していない。

 苛立ちを解消するように、スコーピオンは尾状パーツを壁に叩き付けた。何度か繰り返すと多少は気が紛れ、キットの異常事態の理由を本格的に考え始める。

 ──まさか……不良品を渡していたのではないだろうな……。

 息を荒げるスコーピオンの怒りの矛先が、ISSキットを渡した『副会長』、己が密かに籍を置く組織が言うところの《加速利用者》(頑なにこの呼び方を使用する者も組織には多いが、スコーピオンはそこにこだわりはない)の一人である積層アバターに向けられ、根拠のない邪推までする。

 しかし、キット一つをわざわざ細工して渡すような手間をかけるのは、あまりにも非効率だろうと首を振った。

 信頼に基づくものではない。彼は利益にならない行動をする人間ではないと、事実として知っているからだ。

 ──停止直前まで問題なく起動していた……。戦闘中、キットの寄生を引き剥がすような浄化系統の技を奴らが使用したようにも見られなかった。となると……やはり《本体》に何かが起きたと考えるのが妥当。しかしあのメタトロンが突破されるともまた考え難い……。

 予想を提案しては否定していくスコーピオンは、自問自答して頭を働かせている内に、徐々に冷静さを取り戻していく。

 ──過剰な負の心意エネルギーの収集で本体に動作不良が起きた……? それがまだ解決していないということですかね。しかしそれならば、キットがストレージからも完全に消えていることについての説明がつかない。……いずれにせよ、この場では推測にも限界がありますか……。

 現在、組織の最重要の案件であるISSキットを用いる計画に深く関わっているだろう、疎ましい積層アバターを糾弾する要素の一つとしてスコーピオンはこのことを胸にしまい込み、現在の状況に意識を向け始める。

 幽霊状態であっても、戦いによってダンジョン全体が鳴動していたことは把握している。それだけ戦いは白熱していたのだろうが、《オリハルコン》を手にしたプランバムが負けるとはスコーピオンは毛頭思っていなかった。

 きらびやかな大広間に設置された古びた玉座に置かれていた、輝く黄金の塊を目にした瞬間、スコーピオンは直感的に確信したのだ。あれさえ手にできれば、本に記されていたように絶大な力が得られると。

 とはいえ、プランバムの眼前で掠め取るというのはあまりに愚かだ。だからこそ今回は、指示を受けてから速やかにこの場所でアウトローメンバーを待ち構えた。

 結果的に敗北こそしたものの、いずれ訪れるであろう寝首を掻ける機会を待つ。エピュラシオンから離反し、手土産を片手に大手を振って古巣に戻るのはその時と決めている。

 その為に時には己が身を投げうってまで、時間をかけて最低限の信頼と発言の信憑性を育んできたのだから。この執念深さと辛抱強さこそが、スコーピオンの持つ長所でもあった。

 

「さぁて……そろそろ行きますか」

 

 荒ぶる気持ちが落ち着いたところで、最深部に戻ろうと歩を進め始めるスコーピオン。

 ──何も、何も問題ない。多少の予定外の事柄はあっても、最終的に全ては私の思うがままに……。

 先に進んだ晶音達に少し口を滑らせはしたが、組織について明言したわけでもないので、仮に彼女らがプランバムに問い詰める機会があろうが、後に追求されても言いくるめる自信がスコーピオンにはあった。

 そうして砂浜の出口に近付いていると、誰かの足音が聞こえてきた。後頭部から伸びる尾状パーツを構えるも、すぐに杞憂だったと下げる。

 

「おや、これはどうもコロッサルさん」

「……無事だったか」

 

 現れたチタン・コロッサルに軽く挨拶するスコーピオンの声には、先程まで胸の内で猛り狂っていた怒りは欠片も含まれていない。

 

「無事とは言えば無事ではありますがね、遭遇した敵には負けてしまいました。いやぁ、不甲斐なくて面目次第もありません……。もっとも、貴方も無傷なところを見るに、私同様に死亡してから復活したようですが。最深部に続く場所に割り当てられていた貴方が、敵と交戦していないはずがありませんものね?」

「……その通りだ」

 

 スコーピオンの嫌味を含ませた言いように、コロッサルはいつものように無愛想に返す。

 内心でつまらない男だと思いながらも、とりあえずは状況の把握をしようとスコーピオンはコロッサルとの話を進めっていった。

 

「ところで……我らが主はどうなりましたか? まだ見ていない《オリハルコン》の力、ものにすることはできたのですか? 奥に進んだ不届き者達は一掃したのでしょうか? 幽霊状態でもダンジョンを揺るがす震動は感じていましたが……」

 

 コロッサルが付き従うプランバムの現状把握に、一度最深部に戻らずにこちらに来るわけがないので、前提として省いた質問にコロッサルは重々しく頷く。

 

「……心配は無用だ」

「そうですか。それは重畳(ちょうじょう)で……?」

 

 直後、コロッサルが密着寸前まで近付いてきた。

 握り締めた右手を軽く胸に当てられ、スコーピオンはコロッサルの意図が分からずにいると、コロッサルが小さく呟く。

 

「……《断罪の一撃(ジャッジメント・ブロー)》」

「──ッ!?」

 

断罪の一撃(ジャッジメント・ブロー)》。レギオンマスターがそのレギオンに属するメンバーに限り、一撃でポイント全損にさせることができる特権、文字通りの必殺技。

 その技名を聞いた瞬間、戦慄が走ったスコーピオンは素早くバックステップで後退したが、もう遅かった。すでにコロッサルの右手からささやかな音と光が発生し終え、胸を見えない何かが貫いた衝撃が走っていたからだ。

 

「おっ、お前……! どうしてお前が《断罪》を使える!? プランバムはどうした!!」

「主は……敗北した」

「はぁっ!? は、敗北……? たった今、お前は勝ったと言っていただろうが!」

「心配するなと言っただけだ。勝ったなど一言も口にしてはいない。主は融合した《オリハルコン》諸共、このダンジョンで永久退場されることを望み、エピュラシオンのレギオンマスター権を自分に譲渡したのだ。そして、貴様についても話を聞いている。同時に処罰を一任されたが……貴様は生かしていたところで、碌に情報は話すまい。雲隠れでもされれば、何処かで被害は増える。ならば、貴様を生かしておく選択肢は……無い」

「こっ、この木偶(でく)が──ひっ!?」

 

 慇懃さをかなぐり捨てたスコーピオンから再度怒りが湧き上がるも、体から伸び始めた紫色に発光するリボンを目にしたことで、すぐに怒りを恐怖が上回った。

 それは通常の死亡とは異なる、デュエルアバターの最終消滅現象。デュエルアバターの体が光るリボンに見える、微細なバイナリコードの連なりに変換されているのだ。

 かつて自分がそうやって手にかけた《親》が、リチェルカのメンバー達が、その他のデュエルアバター達の最期が、スコーピオンの脳裏に浮かび上がる。

 

「うああ……う、うわああああぁぁ!!」

 

 絶叫し、コロッサルから逃げるように駆け出すスコーピオン。すでに《断罪》は執行された以上、この場を離れたところでどうにもならないのだが、もはや冷静さなど頭から失われていた。

 

「はっ、はっ、はっ、はっ、──うぅっ!?」

 

 息が小刻みに漏れ、何か大切なものが体から抜けていくのを感じる。それでも尚、現実に目を背けて走っていると、何に足を取られてもいないのにいきなり転んでしまう。首を曲げて振り向くと、もう両脚の膝から下が無かった。

 

「ぐぅ……っはぁーっ、はぁーっ、はぁーっ……!」

「一つ言い忘れていた。貴様のような、全ての物事に裏で糸を引いているつもりの黒幕ぶる人間が、自分は何よりも嫌いだ……もう聞こえてはいないか」

 

 必死に這って進むスコーピオンは、後方から歩いてくるコロッサルに目も暮れずに進む。分解は止まることなく進行し、両腕と腰から下が完全に消失してその場から動けなくなった。

 

「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ……これからなんだ。私はこんなところで消えないぞ、死ぬものか、全て私の計画通りに動くんだ……。ああそうだとも、偉そうにしている馬鹿共に見せつけてやるんだ、私の優秀さを……駒は逆らわずに動いていればいいんだ……嫌だ嫌だ嫌だ、消え、ない、消えないぃ……」

 

 ブレイン・バーストを失う恐怖で支離滅裂に喚き散らしながら、後頭部から伸びる尾状パーツを動かし、尚も移動しようとするスコーピオン。

 しかし、砂浜をほじくる以上の動きはできず、追いついたコロッサルが右腕を掲げる。

 

「……《鋼星墜(ティタン・フォール)》」

「使い捨て……じゃない。不可欠なんだ、利用する側だ……誰よりも……私を誰だと思っている……。私はサソリだ、カエルじゃない。カエル諸共沈んだりしない……まして……カエルに食われるなんて──」

 

 こうして、他者を欺き続けた蠍は、鋼の巨人の拳に押し潰されるという悲惨な最期を遂げる。

 毒々しくも鮮やかで一種の美しささえ感じさせる紫色のリボンが、コロッサルの巨大化した拳と砂浜の間から天へと昇っていき、やがて光の粒子の一粒に至るまで、跡形も無く消えていった。

 



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第六十九話

 第六十九話 それはまるで、胡蝶の夢のように

 

 

「──全ての戦士の転移、無事完了しました」

「…………」

 

 再び瞳を閉じたテティスに言われずとも、プランバムは《オリハルコン》を通し、感覚で理解していた。

 アウトロー達がワープゲートに入ってからしばらくすると、ダンジョン内のある場所で二つの存在が接触、すぐに片方の存在が消えた。どうやらコロッサルは《断罪》を選んだらしい(結果は半ば分かってはいたが)。

 それからダンジョン内に残っているバーストリンカー、エピュラシオンメンバー達の存在を感知し、すぐ近くにワープゲートをテティスに作らせた。いきなり見知らぬ物体が現れて戸惑っただろうが、それでもしばらくすると、全員が足を踏み入れたようだ。

 今はもうこのアトランティスには、自分しかバーストリンカーはいない。その自分もこれから消える。

 

「……貴様はこれで良かったのか?」

「良かったとは?」

「ここはほぼ全ての者が存在さえ知らない場所……。《オリハルコン》が消えれば、このダンジョンの意義は完全に失われる。つまりは今日来た我々が、最初で最後の挑戦者達だ。それで良かったのかと聞いている」

 

 秘宝である《オリハルコン》も、道を示す本も失われれば、いよいよこの場所に存在意義が本当に消え去ってしまうとプランバムは考えていた。

 にもかかわらずテティスは、《オリハルコン》共々消えようとしている自分を制止しようともせず、それどころか、言われるがままにダンジョン外部と繋がるワープゲートまで作成した。

 ブレイン・バースト内の時間で数千年という途方もない時を過ごし、思考することを覚えたという、海の女神の名を与えられた管理AI。

 そんな彼女に、プランバムは問わずにはいられなかった。

 

「……半ば諦めていました。この世界の終わりまで、この場所に戦士が訪れることはないのだろうと」

 

 そう言うとテティスはその場でくるくると回り始めた。豊かな栗毛の髪が、薄絹の服の袖や裾がふわりと浮き上がり、回転に合わせてゆらゆらと水面(みなも)が揺らめいているかのように見える。

 

「戦士が挑戦する場所であるのに、その戦士が一向に訪れない。どうして私はここにいるのかと幾度も考えました」

 

 どんどん回転は早まっていき、やがて細波の音がどこからか響いてくる。

 

「しかし今日、とうとう挑戦者が現れた。これだけで私の存在意義は確立されたのです。私の存在は無駄ではなかった。残る永遠に等しい時間も、私はこの事実さえあれば苦にはならないでしょう」

 

 パシャァン! 

 

 回転速度が最高潮にまで達すると、テティスは水に変じてその場から消えた。立っていた場所には小さな水溜まりだけが残っている。

 

 ──さようなら、最初で最後のアトランティスの《主》よ。せめて貴方の最期が安らかなものでありますように……。

 

 その声を最後に、やがてテティスの気配は完全に消えた。

 それでもAIである彼女はこの場の様子も把握しているのだろうが、姿を消したのは気遣いからか。アウトローとエピュラシオンの両陣営の転移座標も変更していたと言っていたし、AIだというのに思考回路が妙に人間じみたところがある。

 ひとり大広間に残されたプランバムは、シャンデリアの吊り下がった天井をじっと見つめる。

 仮面が砕かれたことで、時間にして数十年振りにアイレンズから直接見る景色。もっとも仮面を着けていても、こちらからは向こう側の景色が普通に見えるので支障は全くなかったのだが、それでも常に圧迫感を抱き続けてはいた。

 ──これからバーストリンカーとしての人生が終わるにしては、存外気持ちは穏やかだ。もっと切迫したものが湧き上がると思っていたが……。

 プランバムは思いの外に落ち着いている自分に小さく驚きつつも、仮に王達の勢力に敗北を喫してこの状況になっていたのだとすれば、止めどなく無念が渦巻き、こうして落ち着いてはいられなかったのだろうと予想する。

 平静な心境の原因には推測が付いていた。おそらくは、戦いの余韻をまだ引き摺っているのだろう。アウトローの《荒法師》、そして何より、その《子》との激突が。

 ──ダイヤモンド・オーガー、か……。

 金剛石の装甲を纏う、鬼の意匠をしたバーストリンカーが脳裏をよぎる。

 確か聞いた話では、レベルの上では5、6あたりの中堅に差しかかる程度のはずだ。彼が単独であったら百回戦ったところで、《オリハルコン》の力を宿した自分は一度だって負けなかっただろう。

 しかし、プランバムと同じレベル8のハイランカー、アイオライト・ボンズの参戦。召喚した高位エネミー、リヴァイアサンを食い止めたアウトローの面々。

 更には、一人で追ってきた後に瀕死になりながらオーガーが使用した、心意システムの込められた謎の歌。あの歌が聞こえている間、プランバムはオーガーの背後にもう一人のバーストリンカーの存在をおぼろげながらに感じていた。

 これら数々の要因で勝敗を覆されたが、それでもオーガーの迷いつつも、何度も立ち上がった不屈の闘志が決め手であったことは否めない。実際、最後の落下で左胸を貫かれた一撃と重力の束縛への抵抗は、何らかのアビリティの効果もあったかもしれないが、彼の土壇場での根性によるものだ。

 また、戦いの終局でプランバムは怒りを糧に、負の心意まで発動したが、これに対しオーガーは、最後まで正の心意技を発動してこちらを打ち破った。あの心意の歌声がオーガーに力を与えていたのだとしても、敗北を夢にも思わなかったのがプランバムの本音である。

 これはオーガーの心意技にそれほどまでに想いを込められ、なおかつ敵である自分へ少なからず抱いているはずの悪感情を力に変えずに放たれたという証明に他ならない。

 ──奴は心意技を用いても、あくまで対戦の延長として私と戦っていた。こちらは存在そのものを消そうとしていたというのに……。これではどちらが悪なのやら……。

 それでも負の心意技までも含め、持てる全てを出し尽くして戦ったことによる、充足感にも似た感情をプランバムはかみ締める。

 今にして思えば、わざわざオーガーにエピュラシオンの目的について話したのも、重ねたからかもしれない。純粋に対戦を楽しんでいた、かつての自分と……。

 そこまで考えて我に返り、さすがに買い被りすぎだとプランバムはわずかに首を横に振った。

 ──有り得ない、何を感傷に浸っている。何のことはない。様々な要素が絡み合い、結果的にこちらが負けた。ただ、それだけのこと……。

 間違っても彼らに感謝などしない。互いの考えは決定的に相容れないものだったのだから。

 プランバムは思考を打ち切ると、残った左腕を動かしてインストメニューを開く。すぐにアンインストールの項目を選択、確認を促す文章が開かれ、アンインストールを了承するイエスの項目を迷わずに押した。

 動かしていた左腕から力を抜き、腕がどさりと音を立てて床に落ちると、最終消滅現象である、デュエルアバターの情報コードへの変換と分解が始まった。体から伸びる青灰色に光るリボンに混じり、左胸の《オリハルコン》もプランバムの一部と化したことで、同様に黄金色のリボンとなって共に消滅していく。

 己の分身が消失し、加速世界に関わる記憶も失われる寸前だというのに、当のプランバムには恐怖はなかった。数十年間の歩んだ時間があっけなく無に帰り、消えていく儚さを静かに受け入れる。

 きっと、とうに自分は死んでいたのだ。守ると決めていた《子》が、どれだけ思い詰めていたのかも知らず、むざむざとバーストリンカーとしての命を絶たせてしまったことを知った、あの日から。

 心が作り出した仮面で顔を覆おうが、それまでの名前を捨てようが、虐げられていた者に手を差し伸べようが、埒外の力を得ようが、後悔が心の片隅から一度として消えることはなく。

 せめて同じ境遇を辿る者が現れないようにと、エピュラシオンとして目指した道は一種の(あがな)いで。

 強いて心残りがあるとすれば、彼女は自分を恨みながら消えていったのだろうかという、その疑問さえも忘れてこれから生きていくことだけが、プランバムには少し未練だった。

 とうとう消滅まで残りわずかとなったその時。そんなプランバムの目に信じられないものが映った。

 

「あ……」

 

 蝶が飛んでいる。

 

「ああ……」

 

 白く光り輝く一匹の蝶が舞うように飛んでいる姿が、プランバムの目に飛び込む。

 

「迎えに来て……くれたのか?」

 

 プランバムはすでに密度がほとんどない左腕を上げると、腕がばらりと光となって解け、漂う光の帯が撫でるように蝶へと触れる。

 

「何だ……随分と都合の良い奴だったんだな、僕は……」

 

 散り際に見る、現実か夢かも定かでない蝶によって、プランバムは許されたかのように、抱え続けていた重りが消えてしまったかのように感じられた。

 

「……繋ぎ留め続けた絆も……無駄じゃ……なかったのかな……。ねぇ、次会う時……お互いブレイン……バーストを失っているなら…………君と…………もう………………一度……」

 

 そして、玉座の大広間には誰もいなくなる。

 粛清者であることを己に課した男。彼の最期に抱いた感情は、ブレイン・バーストを喪失する直前のバーストリンカーとしては極めて少ない、幸福と希望に満たされたものであった。

 

 

 

 暗転から回復したゴウの視界に、茜色に染まった夕焼け空と水平線が飛び込む。

 宇美に肩を貸されたまま、ぐるりと周りの景色を見渡すと、ギリシャ風の建築物や地面に茂る丈の短い草花を見て、現在の無制限中立フィールドがダンジョンに入る前の《水域》ステージから、《黄昏》ステージになっていることを理解した。

 アトランティスに入っていた数時間の間に、こちらでも変遷が起きていたようだ。

 

「山下公園……。本当にワープしたんだ……。あ、フォックスさん、そろそろ自分で立てそうなので大丈──」

「はあ!?」

 

 大声に驚いて振り向くと、メモリーがコングに肩を貸しまま右手を上げて、目線が宙に釘付けになっている。

 

「おい、メモリ~……。耳元ででかい声出すなよ……いや支えてくれるのはありがたいけど」

「ぜ、全員インストからログイン時間を確認してみて! 大変なことになってる!」

 

 コングの抗議も届いていないのか、普段冷静なメモリーらしからぬ慌てように、仲間達が言われた通りにしていると、続々と驚きの声が上がる。

 ゴウも宇美の肩から離れ、インストのメニューウィンドウを開くとその理由が分かった。

 無制限中立フィールドに入ってからまだ数時間しか経っていないはずなのに、表示されたログイン時間はなんと三百時間を優に越え、二週間以上が経過しているではないか。

 ダイブカフェで設定した自動切断までにはまだ余裕があるものの、ゴウは驚きを隠せないでいた。

 

「……こりゃあ信じられねえが、あのダンジョンの内部は時間の流れが外より遅いって証明だな。テティスとかいうAIが言ってた調整ができていないってのは、こういうことも含まれていたんじゃねえのか?」

「で、でもさー……エピュラシオンの奴ら、俺らを待ち構えてたよねー? 時間の流れが遅いなら、あいつらが奥を目指してる時に鉢合わせてたんじゃないのー?」

「多分、アトランティスの内部は時間の流れが早くなったり遅くなったりと不安定なんだと思う。ついでに言うと、僕が一度ダンジョン内で時間を確認した時は感覚相応の時間経過だったから、外部に出ると調整されるのかも。でも、どういうタイミングで時間の流れが切り替わっているのかまでは──」

 

 ──ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…………。

 

 キルンとキューブの意見からメモリーが推測を立てていると、突如として地面が音を立てて揺れ始めた。

 立っていられないほどではないが、《黄昏》ステージで地震が発生するなどゴウは聞いたこともない異常事態だ。

 

「み、皆さん! 海を見てください……!」

 

 リキュールが指差す先に一同が注目すると、ここからおよそ一、二キロ近く離れた海面から、何かが突き出しているのが見えた。どんどん海面から浮上していくそれは、建物であることがここからでも分かる。

 というよりもあの場所は、アトランティスの入口があった辺りではないかとゴウは目を凝らした。

 

「《天部(デーヴァ)水天(ヴァルナ)》。──これは……この形、まさか……」

「師匠、何か分かったんですか?」

「あぁ。とんでもないものがな。ここより高い場所に移動した方がよく見えるはずだ……。そうだな……全員、あそこの建物の上に移動しよう」

 

 額のアイレンズから過剰光(オーバーレイ)を放つ大悟は心意技によって何を見たのか、近くにある一つの建物の上に登るように促し、皆は協力し合いながら平坦な屋根を上っていく。

 ゴウが改めて海を振り返ると、離れた海上に砦を思わせる建築物が浮かんでいた。かなりの大きさで、ちょっとした天守閣に相当するぐらいだろうか。しかしそれだけでは終わらない。

 建物は更に上昇し、その下から『とんでもないもの』が姿を現した。

 

「「「クジラ……!?」」」

 

 ゴウを含めた何人かが意図せず声を揃えると、砦を背負っている途方もなく巨大なクジラの頭部を露わとなった。

 夕日に照らされた白っぽい色合いの尖った頭部はシロナガスクジラに似ているが、大きさは実物を遥かに超えている。頭頂部の鼻から噴出する潮は、砦全体が一瞬ながら靄に隠されるほどだ。大きさからして、腹から背中にかけての体高は水深よりもずっと高いはずだが、この地震といい、海底の地下から這い出てでもいるのだろうか。

 ──そもそもクジラって肺呼吸じゃ……? 

 そんな的外れなゴウの疑問をよそに、小島ばりの巨体を持つクジラは頭部から胸鰭、流線型の胴体、最後は幅広い尾に至るまで、その全貌が見える大ジャンプ──どころか飛行をし、着水せずに海面と平行に浮いている。

 

「ジャ、ジャッジ……。あれ……」

「知りません……。あんな、あんなものは私が以前張り込んでいた時には現れませんでした……」

 

 晶音はクジラに釘付けになりながら、呆然とした様子で宇美の呼びかけに首を振る。

 そんな物理法則を完全に無視している白鯨が、体を右に傾けてゆっくりと旋回を始めた数秒後。

 

「うわっ……!」

「きゃあっ!!」

「うおおっ!? 何だ何だぁ!?」

 

 目に見えない何かがゴウ達にぶつかり、肌をびりびりと震わせる。

 ダメージはなく、音も聞こえないが、ゴウはアトランティスでリヴァイアサンの咆哮を聞いた時に近い感覚から、これがクジラの鳴き声だと分かった。おそらく人の可聴域に届かない低音な上に、規格外の巨体からくる声量は、遠くからでも空気の振動が衝撃に感じるのだろう。

 クジラは傾いた体のあちこちから滝のように海水が流れ落ちているのを気にも留めず、頭がゴウ達の方を向いてもそのまま旋回を続け、ぐるりとその場で一周すると響かせていた鳴き声を止めた。そして沖合へと進み出した、アトランティスそのものである空飛ぶ白鯨の姿は小さくなっていき、やがて建物群が陰になり見えなくなった。

 あまりに壮大かつ奇妙な光景に全員がしばらく押し黙る。

 

「……移動式ダンジョンとか言っていたか。正体はクジラの背中に乗った宝島……いや、竜宮城だったわけだ」

 

 そう言って心意技を解除した大悟が建物の屋根に寝転んだ。

 疲労困憊の全員が同意を口にしながら、大悟に続いて倒れ込む。

 最後のクジラの旋回と鳴き声は、もしかしたら一人ダンジョン内に残ったテティスなりの別れの挨拶だったのかもしれないと、寝転がったまま考えるゴウは、あることを思い出してがばっと跳ね起きた。

 

「どうしたオーガーいきなり……って大丈夫か?」

「は、はいぃ……」

 

 急な動きに心意技の反動が残る体が軋みを上げたことで悶絶するゴウは、大悟に心配されてから、改まってここにいる全員に伝えなければならないことを切り出した。

 

「実は、皆さんへの伝言を預かっているんです。最初のアウトローメンバーの一人、カナリア・コンダクターさんから……」

 



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第七十話

 第七十話 自由を求めた小鳥

 

 

 線香皿に置かれている火の付いた線香の先から、薄く立ち込める煙が空へと昇っていく。

 ゴウは大悟、宇美、そして晶音共に水で清め、花を添えた墓石の前に立っていた。

 今は晶音が手を合わせて静かに黙祷している墓石には、『如月家之墓』と彫られている。

 現在より数十分前。

 ログアウトをして現実のダイブカフェで意識が戻ったゴウはすぐに時間を確認すると、十二時になる十秒前にダイブしたのに、時刻は十二時二十五分に差しかかろうとしていた。

 これで本当にアトランティス内部の時間流はおかしかったのだと、納得せざるを得なくなると同時に、ここが施錠された空間であったことにもほっとした。二十分以上フルダイブ状態で肉体が無防備なままというのは今時珍しくもないが、知らない内にそうなっていたとなれば話は別。かなりぞっとする話だ。

 そんな中、晶音が開口一番に行きたい場所があると言い出した。

 それは経典の墓参り。

 だったら私服ではなく、それなりに身なりを整えた方がいいのではないかとゴウと宇美は言ったのだが、晶音はどうしても今すぐしたいと引き下がらなかった。

 その理由は明らかで、アトランティスの移動を期せずして見届けた後に、ゴウが伝えた経典からのメッセージを聞いたからだろう。

 ちなみにコングとメディックは、経典からの謝罪と感謝の言葉を伝えると感極まり、二人して泣き崩れてしまったので、ポータルに移動できるようになるまで少し時間がかかった。

 結果として、身内である大悟が別に構わないと了承したので、大悟の父親の実家でもある寺、その敷地内の寺院墓地へと赴くことになったのである。

 母屋へ挨拶しにいくと、大悟の伯母さんは通院時代の大悟達の保護者として付き添っていた際に、何度か晶音と対面もしていたらしく、突然の来訪に目を丸くしつつも、墓参りの申し出を快諾してくれた。

 それからは、手入れがしっかりされているようで、軽い土埃程度の汚れしか付いていない墓石を水で洗い、道中で購入したお供え用の花を飾り、線香を焚いてから順に手を合わせて今に至る。

 晶音は順番の最後を希望し、かれこれ一分以上手を合わせて黙祷したままだ。それだけ伝えたいことがあるのだろう、当然誰も止めたりはしない。

 

「……先に道具を片付けるか。ゴウ、手伝ってくれ。宇美は岩戸と一緒にいてやりな」

 

 水の入った桶と柄杓を持つ大悟に、ゴウは残りの小物を持って付いていく。日曜日でも昼飯時ということもあってか、墓参りに訪れている人は自分達の他にはいない。

 天気予報だと梅雨明けまで今しばらくかかるそうだが、今日は晴れで空も青い。しかし、ゴウの心境は空と同様の快晴とはいかなかった。

 

「大金星をあげたにしちゃ、浮かない顔だな」

「あ……また顔に出てましたか」

 

 洗い場に着いて桶の水を流す大悟に唐突に指摘されるも、ゴウは大悟に割とよく心境を見抜かれるので、最近はあまり驚かなくなっていた。

 

「もしかして、僕に気を遣って二人から離してくれたんですか?」

「両方だ。お前さんと岩戸と。できる男は気遣いができるもんさ」

 

 桶と柄杓を逆さ干しにしながら、大悟はけらけらと笑うとゴウの方を向き、一転して表情が真面目なものになる。

 

「冗談はさておき……奴のことか?」

「……はい。本当に、あの結末で正しかったのかって思うんです」

 

 線香や花の包装をゴミ箱に捨てるゴウの頭に、現在の加速世界が抱える歪みを《オリハルコン》の力を用いて正そうとした、エピュラシオンの首魁であるプランバム・ウェイトの姿が浮かぶ。

 

「手段はともかくとして、あいつの、いや……あの人の掲げた信念が私利私欲の混じったものじゃない、本当に加速世界のことを想っての行動だったことが、戦い終えた今なら分かるんです。だからあんなふうにじゃなくて、もっと他の分かり合える道もあったような気がして……。それにあの人は何だか……少し似ている気がしました。その……」

「自分自身に、か?」

 

 歯切れの悪くなる言葉を引き継ぐ大悟に、ゴウは小さく頷く。

 プランバムを倒したのは他でもない自分で、それ自体に後悔はしていないが、何も血を血で洗うような闘争がしたかったのでも、ポイント全損に追い込みたかったのでもないゴウにとって、今回の決着は大団円とは言い難いものだった。

 またそれとは別に、窮地に追い込まれても勝利を得ようと執念を見せるプランバムの姿に、ゴウはどこか自分の姿を重ねていたのである。

 

「なるほどな、戦いを通じて意図せず心が通じたのか。極限まで精神が研ぎ澄まされると稀に起こり得る現象、あるいは錯覚……そういうものには俺も覚えがある。まぁ何にせよ、自分の行いが正しかったかどうかだなんて、答えの出ない問題だ」

 

 大悟は洗い場から少し離れた縁石に移動すると、どっかりと腰を降ろした。

 

「少なくとも俺は、今回の自分達のした行動が──エピュラシオンとの衝突が間違っていたとは思っていない。確かに極端な話、これから何年か先の未来には、奴らの考えが正しかったと証明される時が来るかもしれない。そうなれば結果的に、俺達のやったことは間違いだったってことになる。とはいえ、それに一喜一憂したところでやっぱり詮のないことだ」

「たらればの話をしたらキリがないからですか? でも僕は……」

 

 大悟の言っていることは理解できる。完璧な人間なんていないのだから、人は直面した問題に対して、その時の最善を尽くすしかない。

 だが、ゴウにはプランバムにとっての希望を、自分が受け入れられないからという、自分の身勝手さによって潰してしまったように思えてしまう。

 アトランティスで戦っている時には、自分の選択に間違いがないという自信があった。しかし、こうして現実世界に帰還してから改めて考える時間ができてしまって、どうしても不安になるのだ。これで良かったのかと。

 大悟は苦悩しているゴウの表情を見ると、頭を掻いて口を開く。

 

「……別に俺もな、プランバムの言っていたことが理解できないわけでもない」

「えっ? でも論外だとか、話にならないって言っていたじゃないですか」

「そりゃあ敵だった奴の手前、散々に否定はしたが、現状で不憫な思いをしているバーストリンカーだって存在しているのも事実。それでも……あんな力を使ったところで、根本的な解決ができていたとは到底思えない。仮に解決しても、プランバム自身は絶対に救われたりはしないな」

「……!!」

 

 そう強く断言する大悟に、ゴウは目を見開いて訊ねる。

 

「それはどうしてそう思うんですか……?」

「おそらく奴は《親》か《子》か、ないしは親しいバーストリンカーとひどい別れ方をしたんだと思う。俺には奴が加速世界の秩序だ何だと固執していたのと同時に、喪失感を埋めようとしているようにも見えた」

「喪失感……」

 

 喪失。心に穴が空いたような傷。《心の傷》がデュエルアバターの、更には心意システムの核であるという事実を、ゴウはもう知ってしまっている。

 

「性根が真面目なんだろうな、そういう奴であるほど、袋小路に陥った時には抜け出せなくなる。精神的にどん底に沈んだ時に、手を差し伸べてくれる仲間もいなかったんだと思う。あるいはいたのに気付かなかったのか……。何にせよ、奴にとってはもうブレイン・バーストはある種の呪い、己を縛る鎖になっていたことだけは確かだ。救われないってのは、そういう意味。本人が自覚していたのかまでは知らんが。多分、お前さんが奴に共感したのも、似たようなタイプだったから思うところが──おい、そう心配そうな顔をするなって」

 

 顔が曇っていくゴウを見て、大悟は真剣味を帯びた表情をふっと和らげた。

 

「お前さんなら、プランバムと同じ道を辿ったりはしないだろうよ。お前さんは何だかんだと悩んだり落ち込んだりはしても、最後には乗り越える根性がある奴だ。それに神経細そうに見えて、案外図太いからな」

「それ……単純ってことですか?」

「良い意味でな。お前さん、腹が膨れたり一晩寝たりすれば、大抵のことはあまり気にならなくなるクチだろう?」

「うっ……」

 

 大悟に心の内をお見通しにされている気がして、ゴウは少しふて腐れたような口調になってしまう。

 

「大悟さんはどうしてそんなに僕といい、プランバムのことといい、ズバズバ言い当てられるんですか……? アレですか、心理学か何か勉強してるんですか? メンタリストなんですか?」

「メン……? いやなに、ただの経験則。ともかく、今回の件でお前さんが気に病む必要はない。第一、ブレイン・バーストはゲームだぞ? 楽しまなけりゃウソだってこと。真剣に打ち込みこそすれ、使命だの義務だの考えながらゲームする奴があるかよ」

 

 ──楽しむ……。

 それはゴウが大悟に常々言われていることだ。対戦でもエネミー狩りでも楽しむようにと。

 

「そういった意味でも、俺達はエピュラシオンとは相容れなかっただろうよ。……どうだ? こうして話すだけでも肩の荷が少し降りた気がしてこないか?」

「それは……。まぁ、確かにそうですけど……」

「ゆっくり自分の中で消化していけばいい。焦る必要もない」

 

 一人で抱え込まないで相談するだけでも、幾分楽になるというカウンセラーの常套句を認めざるを得ないようだが、すぐに納得すると、また自分が単純だと証明しているようで癪なゴウは一つ気になっていたことを、話題を変える意味も含めて大悟に聞いてみる。

 

「大悟さん。あの、さっきは話さなかったんですけど、プランバムとの戦闘で経典さんのカードを使った時に──」

 

 アトランティスで経典のリプレイ・カードを使用した際に、心意システムが付与された歌により、支援効果を受けてプランバムへの勝因に繋がったこと。その前に経典が録画をしたと思われる、無制限中立フィールドの《月光》ステージに意識ごと移動し、そこで経典のデュエルアバター、カナリア・コンダクターから伝言を頼まれたこと。この二点だけは、もう仲間達に説明したが、まだ簡潔にしか話していない。

 いろいろと、というよりも仕組みの全てが何となくにしかゴウには理解できなかったが、取り分け不思議だったのは、プランバムの作り出した心意のブラックホールを前にして諦めかけた時に、歌声とは別の経典の声がゴウに助言をしたことだった。

 姿は見えずとも背後に立って、耳元で話しかけていたような経典の声について、ゴウは大悟に説明していく。

 

「そりゃ……お前さんの作り出した幻聴だな」

「ええっ!?」

 

 何度か質問をした後に、大悟はあっさりとそう結論付けた。

 

「それっぽくこじつけると、長時間維持していた心意技で精神を磨り減らしたお前さんの脳が、その場に響いていた経典の歌声を基盤に、イマジナリーフレンドもどきを作り出したってところか」

「そ、それじゃ僕は、頭の中で自問自答していただけってことですか?」

「平たく言えばそうだ。お前さんが元々持っていた知識とそこから考え出した発想が、経典の声って形態を取っただけのこと。いや、だけって言うのもおかしいか……。大体よ、話を聞くにお前さん、経典と会話してないじゃんか」

「あ……」

 

 あの時は必死すぎて気に留めていなかったが、言われてみるとゴウは自分の思ったことを、経典に一方的に返された憶えしかない。

 確かに心意システムの特性なども、既存の知識以上のことを経典は話していなかったし、ゴウの発動した《武御雷(タケミカヅチ)》の形態も、ゴウの持つ理想と雷神のイメージが混じり合って生み出されたものであって、そこに経典の意思が介在したわけではない。経典の口調にしても、事前にリプレイ・カードの録画映像で知っていたから再現されたとしたら、一応の辻褄は合う。

 言われてみればというよりも、普通は言われる前に気付くであろう、至極当然の指摘を受けて、さすがにゴウは自分の間抜け具合に顔が赤くなった。

 

「皆の前で話さなくて良かったです……」

「……それでも理屈はどうあれ、経典がお前さんを助けた。俺はそう思いたいね。その方が浪漫があって良い。……お前さんにカードを託したのも間違いじゃなかった」

「大悟さんは……あのカードを自分で使おうとはしなかったんですか? カードがどういうものであるかは知っていましたよね」

 

 要らない恥をかいてまだ少し顔が熱いゴウは、しみじみと微笑む大悟に、気になっていた質問をする。

 よくよく思い出すと記録の中の経典も、最初から大悟が誰かにカードを渡す前提で話を進めていた。血を分けた兄弟である大悟に使ってもらった方が、貴重な品を顔も知らない誰かに託されるよりも、ずっと良いのではないだろうか。

 

「あのカードを渡されたのは、経典とのサドンデスをした時だ。体力が尽きかけていたあいつから押し付けられる形でな」

「あっ……す、すみません……。僕、その、そんなつもりじゃ……」

「いいんだ、気にするな。……あいつは俺が使わないことを、最初から見抜いていた。昔からそういう奴だった」

 

 失言だったと慌てるゴウを大悟は制して、どこか遠くを見るような眼差しで経典について話し出した。

 

「俺達のプレイヤーホームに《アウトロー》と名付けたのは経典でな。アウトローってのは、法の保護を受けられない無法者、ならず者が本来の意味だが、そうじゃなく経典は何者にも阻まれることのない、自由な存在として捉えた。だから《断罪》の権利や、上下の序列を含むレギオンという枠組みについては良い顔をしなかった。あいつの意志を汲むってわけでもないが、アウトローがレギオンを結成しないのはそういう理由もある」

 

 明かされるゴウにとって大事な場所の名前の由来。そこがレギオンとしての形態を取っていない理由だと語る大悟。

 

「……実はあのホーム、経典が一目惚れしてな。決め手は備え付きのバーカウンターがあったから。その分、必要ポイントも割高だったんで俺達が渋っても、どうしてもと経典が譲らなかった。普段は調和と協調性の塊みたいな奴なのに、妙なところでこだわりがあってよ。折れないんだこれが。あんまり頼み込むから結局、俺達の方が根負けして……。もちろん気に入っているし、不満はない。ただ今にしてみれば……あいつは自分が酒の味を知るまで生きられないと、悟っていたのかもしれない。病気がひどくなる前から……。だから形だけでも、雰囲気だけでも大人っぽい体験しておきたかったんじゃないかって、最近になってそう思うようになった」

 

 徐々に伏し目がちになっていく大悟の口元は、懐かしむように苦笑している。振り返った過去の思い出と、もう戻らない現実に対する感情が複雑に入り混じったようだった。

 

「カードを遺したことといい、先のこと、将来のことを案じている奴だったよ。何だかんだ、てめえ自身も楽しみつつ……。──いきなり悪いな。湿っぽくなるのは分かっていたが、良い機会だからお前さんにも知っておいてもらおうかと思ってよ。まぁ……そんな感じだ。さて、そろそろ戻ろう。いい加減、岩戸の方も終わっただろう」

「……はい」

 

 パンと音を立てて、両膝に手を置いてから縁石から立ち上がり、晶音と宇美がいる経典の墓に向かって歩き出す大悟。

 どこか寂しげな背中の後ろを、ゴウはとある考えごとをしながら付いていく。

 

 

 

 ゴウと大悟が墓前に戻ると、話しながら待っていた晶音と宇美はこちらにすぐに気付いて向き直った。

 

「片付け、ありがとうございました。それにしても随分と遅かったですね」

「まぁな。少し弟子と話し込んでいたもんで」

 

 ぺしぺしとゴウの肩を軽く叩く大悟に、晶音は「そうですか」としか言わず、わざわざ内容の追求まではしなかった。

 

「無理を言ってすみませんでした。でも、一度手を合わせておきたくて……」

「……別に一度と言わず、好きに来ればいい。その方がきっと経典の奴も喜ぶ」

 

 大悟がそう言うと、晶音はごまかすかのように話題を変える。

 

「……今回の一件ですが、私一人ではどうにもならなかったでしょう。宇美、御堂君、それに如月君。先程も無制限中立フィールドで言いましたが、改めて本当にありがとうございました」

「ちょっと、やめてよ晶音。そんな大げさな……」

 

 深々と頭を下げる晶音に、宇美が照れ臭そうにそう言うと、晶音はどこか悲しげにふっと微笑んだ。

 

「……アウトローの皆にも、よろしく伝えておいてください。一度限りとはいえ昔に戻れた気がして、楽しかったと」

「……? 一度限りってどういう意味?」

 

 晶音の言葉に宇美の表情が戸惑いに変わる中、ゴウは口を出さずに事の成り行きを見守る。

 

「今回に限っての共闘だと先週に言った筈です。目的も果たされ、手を組む約束もこれで解消されました。そうでしょう? 如月君」

「……あぁ、そうだな。確かにそう言った」

「いや、待って待って。どうして話がそんなにスムーズに進んでるの? ていうか、もしかして晶音、バーストリンカー辞めるの?」

「まさか。バーストリンカーは辞めませんよ。エネミー狩りや過疎エリアでの対戦で度々ポイントを補填する、そんな隠居生活でもしようかと思っています。そうだ、宇美。良い機会ですから貴女はアウトローに入ってはどうですか? いつまでもソロで活動するよりも、その方が良いと私は思います」

 

 晶音と大悟のやり取りに不安を抱いたような宇美に、晶音は自分の今後の進退を伝え、アウトローへの加入を宇美に勧めるも、当然ながら宇美が納得するはずもない。

 

「宇美はアウトローに戻るんじゃないの?」

「…………今日は疲れたので、ここで失礼します。如月君、申し訳ありませんが、伯母様によろしくお伝えください。では」

「ちょっと! ねぇ、宇美待って!」

 

 言うが早いか、晶音はそそくさと墓地の出口の方へと歩いていってしまい、宇美が呼び止めながら晶音を追いかけていった。

 

「……大悟さん」

「良いんだよ。アウトローは来る者拒まず、去る者追わず。あいつが選んだ道ならそれを止めることはしない」

 

 そう言いながらも大悟はゴウの方を見ておらず、ゴウにというよりも、まるで自分に言い聞かせているようだった。

 ──経典さん、あなたの言う通りですね……。

 ゴウは意を決すると、大悟の背後にさりげなく回り込み──。

 

「──痛ってえ!?」

 

 五指をいっぱいに広げた右手で大悟の背中にバッチン! と音がする強さで思いきり引っ叩いた。

 

「おんまえ……! いきなり何す──」

「大悟さん、実は経典さんからの伝言、大悟さんに宛てたものもあったんです。それを今から伝えます」

 

 完全な不意打ちに悶絶する大悟に、ゴウは経典から託された伝言を口にする。

 一応気を遣って、他に誰もいない時に伝えようと考えていた、経典の大悟に対する言葉。先程は機会を逃してしまったが、今こそ伝えるべきだとゴウは判断したのだ。

 

「……『少しは素直になるように』。だそうです」

「!!」

 

 はっと目を見開いて、大悟はゴウの方へと振り向いた。

 

 ──『もしかしたら君は、あいつの《子》なんじゃないかって思うんだよね。確率的には五割くらいかな。そうだとしたら、君からも言ってやってほしいんだけど……少しは素直になるようにって伝えてもらいたいな。あいつってば、僕の《子》とすーぐ言い合いをするからさ……。どっちも本当はとっくに信頼している癖にね』

 

 記録の中の経典は、呆れ半分にそんなことを言っていた。

 

「アウトローがどうとかじゃなくて、大悟さん自身がどうしたいのかを優先するべきだと僕は思います。少なくとも今回は」

「お前さん……まさか気付いていたのか?」

「え? あ、はい。経典さんに聞かされる前から薄々は。大悟さん、何だかんだ言っても晶音さんと話している時は、すごく楽しそうに見えました。本当は行ってほしくなんてないんでしょう?」

 

 今の自分にできることは、これまで自分が迷った時にしてもらったように、今度は大悟の背中を押してやることだけだとゴウは考えたのだ。

 

「……よくもまぁ、念を入れたもんだ、あいつめ……」

「大悟さん?」

「いや……何でもない。ゴウ、ありがとよ」

 

 ゴウなりのエールが通じたのか、大悟は短くゴウに礼を言うと晶音を追いかけ始める。

 その背中にはもう、先程までのどこか寂しげな雰囲気は消えていた。

 



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第七十一話

 第七十一話 菫青石と水晶

 

 

 思えば、『彼女』から見た自分の第一印象はほとんど最悪だったろうと、大悟はあの頃を振り返れば、今でも断言できる自信がある。

 現在より七年以上前のある日、弟の経典がブレイン・バーストにおける《子》を作ったと、本人から聞かされた時は耳を疑ったものだ。

 当時病院に通っていると、経典の姿が何度か見えなくなる時が度々あった。気になりはしたが、戻る前と後で特に変わった様子のない経典に、大悟は追いかけて様子を見ようという考え、ひいては体力も無かった。この頃の大悟は、経典よりも輪をかけて虚弱だったからだ。

 経典から《子》の存在を知らされ、更には紹介したいと言われたその日。

 病院で経典としばらく待っていると、『彼女』が来たことに気付いた経典が手を振って呼ぶ。

 岩戸晶音。自分達兄弟より少しだけ背の高い同い年で、自分達が順当に小学校に通っていたら同学年だという少女。

 正直なところ、大悟は晶音に良い印象を持たなかった。晶音がどうという話ではない。もっと根本的に、経典が《子》を作っていたことが面白くなかったのだ。実際に対面したことでようやく実感が湧き、理不尽にも怒りさえ湧いてくる。

 体が弱く、学校にも通えていなかった大悟に友人はおらず、故に《子》を作ろうとは考えもしていなかった。そもそも加速世界に友人でありライバルでもある人物は何人かいたし、現実でも経典が、家族がいることで寂しさとも無縁である。

 対して経典は自分と同じ立場にありながら、ブレイン・バーストのコピー資格がある人間を探し出し、実際にコピーインストールを成功させている。

 簡単に言えば加速世界を除き、身内以外で人との繋がりがほとんどなかった大悟は、新たに人と繋がりを作った経典が抜け駆けをしたように感じ、ある種の嫉妬を覚えたのだ。

 そんな自分の内心など知るわけがない晶音への態度は、現在ではさすがに大悟も反省している。実年齢は同い年でも、加速世界で過ごした時間を加算すれば十三、四歳になっていたであろう当時、小学三年生の少女への態度としては、あまりにも褒められたものではなかった。

 すると、おどおどしていた晶音は精一杯の勇気を振り絞るように、声を震わせながらも大悟に食ってかかった。驚くことに腹を立てた理由は、自分ではなく、経典が貶されたように感じたかららしい。

 大悟は内心たじろぎながらも、自分から仕掛けた手前、情けない姿は見せるまいと虚勢を張っていると、経典が言い合う自分達の仲裁に入り、大悟は頼まれて晶音の初対戦の相手をすることになる。

 しぶしぶ対戦を了承し、チュートリアルも兼ねた乱入をした大悟が対戦フィールドに降り立つと、対戦相手であるデュエルアバターの姿に目を奪われた。

 見たことのない……のは当然だが、何から何まで透明に透き通っている、美しく儚げなF型アバター。デュエルアバターを綺麗だと思い、見惚れたのは初めてだった。

 しかし、今の今まで口喧嘩していた相手を、ここで掌を返すように褒めるのは面子的に憚られる大悟は、まるでガラス人形だ、それで戦闘ができるのか、と本音とは少し異なる感想をクリスタル・ジャッジこと晶音に言い放った。

 この日から大悟は、経典の他に晶音ともブレイン・バーストにおいて行動を共にするようになる。当初は紆余曲折ありながらも、自身の初対面での振る舞いを大悟が謝罪したことで、しばらく続いた晶音との剣呑な関係は一応解消された。

 初めてできた後輩とも言える存在。弟の《子》という近いようで遠い、遠いようで近い不思議な間柄。

 その性格は生真面目すぎるきらいがあり、デュエルアバターの体同様、何かの拍子で砕けてしまいそうな脆さを持っていることに、大悟は割と早い段階で気付いた。その為、向こうからしてみればお節介だろうと分かってはいたが、度々忠告もしていた。

 これに一応自覚はあるらしい晶音が軽く言い返し、経典は時折仲裁しつつも、兄と《子》の言い合いを楽しそうに眺めているのが、当時のワンセット。

 終わりは、その足音が聞こえるどころか、まだ存在さえもしていなかった。

 

 

 

 この日は四月まで残り数日。大悟が晶音と出会ってもうすぐ一年になる頃だった。

 

 ──『ありがとう……戦ってくれて。これを……』

 

 瀕死の経典から一枚のカードを押し付けられる形で大悟が受け取ると、経典の右腕がだらりと下がる。

 初めてのサドンデス・マッチ。相手はブレイン・バーストを同時に始めた、実の弟。

 心意技は使わなかった。純粋な対戦をするのに、システム外の力などお呼びではない。

 

 ──『リプレイ・カードに心意システムを組み込んだ……つもりだ……。運が良ければ……力になってくれる。……使う気がないなら、いずれ……出会うかもしれない誰かに渡して……』

 

 息も絶え絶えにカードについて説明する経典。無制限中立フィールドでは自分以外の体力は見えないが、残り数ドット程度だろう。

 振るう指揮棒(タクト)と奏でる歌で仲間を導き、支えることから、《指輝官(マエストロ)》と呼ばれたバーストリンカー、カナリア・コンダクター──経典の礼服型の装甲は亀裂だらけで左腕は肩口から無く、腹にはアイオライト・ボンズ──大悟の右腕が貫通している。

 一方の大悟も損傷具合は負けず劣らずで、加えて一つのアビリティの発生源である、額に位置するアイレンズは砕かれていた。

 

 ──『アウトローを……頼んだよ。それに……あの子のことも……』

 

 経典は満足そうにそう言うと、大悟に向かって倒れ込んだ。その拍子に刺さった腕がより深く腹部に食い込んだことで、体力の限界を迎えたデュエルアバターの体が砕け散る。

 屹立する金糸雀色の柱が大悟の体の一部に触れていたが、すぐに細くなって消え、散らばっていた黄色い欠片もリボンになって宙に消え去った。

 しばらく呆然と空を眺めてから、その後どこのポータルから現実世界に戻ったのか、大悟は憶えていない。

 視界が回復すると、目の前には互いのニューロリンカーをケーブルで繋いだ、痩せ細った弟。

 大悟が思考発声で経典に「ブレイン・バースト」と伝えると、経典は首を傾げる。その所作だけで記憶が消えていることは充分に理解できた。

 それからすぐに晶音が部屋を訪れ──ものの一分もしない内に飛び出していった。

 彼女が自分の選んだ《子》である記憶さえも失った経典が、難しそうな顔で記憶を辿ろうとしている。

 

 ──『あの子……泣いてたよね。どこかで会ったかな? 他人とは思えないのに、全然思い出せない……。ねぇ大悟、あの子は誰だっけ……?』

 

 そんな経典の思考発声に自分が何と答えたのか。やはり大悟は憶えていない。

 

 

 

 墓の並ぶ道を大悟は走る。角を曲がるとすぐに、前を歩く晶音と呼び止めようとしている宇美の姿を捉えた。

 

「岩戸!」

 

 この距離なら間違いなく聞こえているはずなのに返事はない。宇美がこちらを指で差し示して晶音に止まるように言っても、晶音は構わずに進み続けている。

 ──あんの頑固者が……。

 頑なな晶音の態度に、さすがに苛立ち始める大悟。追いかけて物理的に止めることもできなくはないが、こうなると意地でも彼女自身の意思で足を止めさせたくなる。

 そこで、一つ案が浮かんだ大悟は軽く息を吸うと、先程よりも大きな声で彼女を呼ぶ。

 

「────晶音!!」

 

 すると、晶音がようやく立ち止まり、こちらを振り返った。

 思っていた以上に声が大きく出てしまい、周りに人がいなくてよかったと内心で胸を撫で下ろしながら、大悟は小走りで晶音に近付いていく。

 

「やぁっと、こっちを向いたか」

「……どうして今更名前で呼ぶのですか。再会してからずっと苗字で呼んでいたのに……」

「普通に呼んでいるのにお前さんが反応しないからだろうが。大体、先週会った時にお前さんが先に俺を苗字で呼ぶもんだから、こっちも同じように返しただけのこと。経典はそのままなのに……ってそこは今どうでもいい」

 

 空気を呼んだように黙って下がる宇美に小さく会釈してから、大悟は本題に入る。

 

「……アウトローに戻ってこいよ。その……メディックもコングもお前さんが帰ってきて、また一緒にやっていくものだと思っているぞ。あいつら、『またね』って言っていただろ?」

 

 ──いや、そうじゃないだろう。

 つい仲間達を引き合いに出してしまったことに、内心で歯噛みしながら大悟が詰め寄ると、やや迷ってから晶音は首を振る。

 

「…………私は戻りません。その資格がありませんから」

「何を分からんことを……。資格なんか要らない。ゴウの預かった経典の伝言を聞いただろ? 経典だってお前さんがまだアウトローにいるって──」

 

 ──だから……そうじゃないだろうって。

 間違ってはいないが、本当に伝えたいことではない言葉が大悟の口を突いて出る。すると──。

 

「でも私は、ずっと貴方達から逃げていた」

 

 晶音がそれを遮るように言い放った。

 

「経典君は自分がいなくなっても私があの場所で貴方達と……それに新しく増えた仲間と一緒にいると想定していました。けれど実際は違う。私は貴方達から離れていってしまった」

「それは……引越しをしたからだろ。仕方がない、子供にはどうにもならない事情だ」

「電車を使えば一時間もせずに東京に行ける距離です。会おうと思えばいつでも会えるのに、私はそうはしませんでした。それはあの日……経典君がブレイン・バーストを失った姿を見て──今日まで私は経典君のことを心のどこかで恨んでいたからです」

「……!!」

 

 俯いたまま、辛そうに白状する晶音がどんな表情をしているのか、大悟には見えなかった。

 

「あの時……経典君が永久退場して、私を忘れてしまった。そのことがとても悲しくて、耐え切れなくなって病室から飛び出しました。その時、《子》である私に何も言わずに加速世界を去った彼に対する怒りも、私の胸の中にあったのだと後で確信しました。考えれば考えるほどに、本当は私のことなんてどうでも良かったのではないかと、悪い方向に思考が進んでしまうのです。もしかすると、それは他の皆も同じだったのではないかと……そう思うと怖くて、足が竦んで動けなくなってしまう。それがアウトローに戻らなかった理由です」

「…………」

「馬鹿な話だと思うでしょう? 足の届く深さの泥沼で、一人で勝手にもがいているようなものなのですから。実際はコングもメディックも飛びついて迎え入れてくれて……。それに経典君は、ちゃんと私のことを想ってくれていた。……彼の遺していた言葉を聞いて、私は自分が恥ずかしいのです。経典君が仲間を蔑ろにするはずがないのに、私は彼を信じきれていなかった……。そんな人間が今更になって戻ろうなどという虫の良い話が、許されるわけがないでしょう」

「…………」

「これがアウトローに戻らない理由です。分かったでしょう、だから──!?」

 

 黙って話を聞いていた大悟は、両手で晶音の頭をおもむろに掴み、俯いている顔を上げさせた。

 

「俺の目を見ろ」

「な、なにを……」

「いいから見ろ」

 

 目を白黒させる晶音にそう言い聞かせ、目が合ったところで大悟は話を切り出した。

 

「……まず大前提として、お前さんが負い目を感じる必要は全くない。悪いのは……俺と経典だった」

「え……?」

 

 困惑する晶音。

 彼女は先の見えない迷路の中を一人で彷徨(さまよ)っている。ならば、その迷路を作り出させてしまった一人である、自分が助けなければならないと大悟は思った。

 

「経典がお前さんに何も言わなかったのは、自分のバーストリンカーとしての死に様を見せたくなかったと同時に、お前さんの悲しむ姿を見たくなかったんだと俺は思う。でも、それは間違いだった」

 

 病気が進行して残された時間が限りなく少ないと悟った経典が、最期に全身全霊で自分との対戦をしたかったというのは本心だと、大悟には間違いないと断言できた。しかし、それだけではないことも、本当は大悟も知っていた。

 どんなに性格が大人びて見えても、やはり彼は十歳にも満たない少年だったのだ。

 

「それじゃ駄目だったんだよ。遺していたカードだって、必ず発動するのかさえも不確定な物だ。どんなに辛くても、経典はしっかりとお前さんに別れを告げるべきだった」

 

 実際のところ、経典も晶音がこの日はショックを受けて、落ち込むことは予想していたのだろう。ただ、数日の時間をかけて気持ちが整理されれば、きっと晶音は立ち直ってくれると経典は信じていたのだ。

 ところが、この日に晶音の父親が亡くなってしまっていた。晶音は実際の親と加速世界の《親》の二人を同日に失ったのだ。

 もちろん血の繋がった肉親と、ゲームをコピーインストールしたという意味での《親》を比較すれば、その重さは圧倒的に前者が勝るだろうが、それでも間を置かずに精神的ショックを受けたことで、晶音の心にトラウマに近いものを与えてしまった。

 

「そして、経典に非があるなら俺もまた同様だ。サドンデスはお互いの合意がなければ受理されない。俺はお前さんにも相談するか、その場に立ち会わせるべきだったんだ。でも結果的に俺達はお前さんの気持ちを汲まず、それどころか裏切りに近い行為をしたことになる。申し訳ないことをした。──本当に……すまなかった」

 

 大悟は両手を晶音の頭から離してから姿勢を正し、頭を下げると改まって謝罪する。

 少し間を空けてから、晶音が口を開いた。

 

「……完璧さに囚われるな。どんな天才でも人間である以上、間違えることはあるのだから」

「……!?」

 

 それはかつて、自分が彼女に向けた言葉。ずっと昔に雑談の中で言ったら、不満げな様子になったそれを晶音が憶えていたことに、大悟は驚きと共に顔を上げる。

 

「経典君もやはりミスをするということが……証明されたのですね」

「晶音、お前さん憶えて……」

「ですが、もう昔のようには……」

 

 未だに罪悪感に囚われているのか、晶音は再び大悟から目を背けてしまう。

 しかし、この場で退くことはできない。大悟にはきっとこの機会を逃せば、晶音とは永久に会えなくなるという予感があった。

 晶音は自分の抱えていたものを話してくれた。だったら、今度はこっちが腹を割って話すべきだと、大悟は腹を括る。

 

「──くな……」

 

 口から発せられたのは、自分でも驚くくらいにか細い声だった。

 晶音が首を傾げている。当然だ、大悟本人も聞き取れないのだから。

 咳払いをしてから、大悟は改めて本心を言葉に乗せて伝える。

 

「……行かないでくれ、晶音。俺は……俺はアウトローにお前さんがいないのは寂しい」

 

 コングやメディックを始めとした仲間達が、そして経典がどうという話ではない。誰よりも晶音に去ってほしくないのは、他ならぬ──。

 

「昔とは違う。経典はもういない。俺達も小学生から高校生に成長して、取り巻く環境も変わった。昔と全く同じようになんかならないだろう。それでも……俺は晶音と隣を並んで、同じ道を歩いていきたい」

 

 自分は今、どんな顔をしているのだろうか。普段から鏡を持ち歩かない大悟に、すぐに確認するすべはない。

 きっと他人には見せられないような、情けない表情を浮かべているのだろうな、と大悟は思った。

 

「傷を舐め合うような、互いに体重を預け合うような共依存は趣味じゃない。自分の両の足で立って進んで、片方が(つまず)いた時には、もう片方が立ち上がるのを手伝うのに手を差し伸べる、そうやって支え合っていきたいんだ」

 

 声が震わせまいと注意しながら、大悟は秘めていた心の内を打ち明けると──。

 

「………………どうして、貴方はいつも……」

 

 声を震わせる晶音の目から、つうと一筋の涙が流れ落ちた。

 

「い、いつも……小言めいたこと……ばかり言うのに……」

 

 ぽろぽろと零れ出す大粒の涙を拭う晶音を目の当たりにして、また泣かせてしまったと、大悟の脳裏に後悔の記憶が甦る。

 

「こういう時に限って……そうやって……いつもそうやって……」

 

 あの日、病室を飛び出した彼女を追いかけることができなかった。呼び止めることもしなかった。

 彼女の涙を目にして言葉が詰まり、胸が刃物を突き立てられたかのように痛んだのだ。

 彼女の存在が自分の中で、どれほどまでに大きくなっていたのかを大悟が自覚した時には、彼女はもう傍にはいなかった。

 

「……大悟、君」

 

 二度と会えないものだと思っていた。それが覆ったのは、今日よりたった七日前のこと。

 今回も彼女が去るのを望むのならば、それを止めはすまいと本心に蓋をしたことを、《子》である年下の少年に見抜かれ、後押しをされ、大悟は今ここに立っている。

 

「も、もどり……たい……。わた、わたし……みんなとい、いっしょにいたい、よぉ……!」

 

 親とはぐれた迷子のように泣きじゃくる晶音を前にして、大悟の体は勝手に動いていた。

 

「ぁ……」

 

 一歩踏み出し、包むように晶音を(やわ)く抱き寄せる。

 小さく声を漏らす晶音の体は細く、暖かい。

 以前は彼女より背丈が少し低かったのに、今では頭一つ分以上こちらの背丈が高くなっていた。ちょうど晶音の頭が大悟の胸元の高さに位置し、心臓がその存在を知らせるかのように大きく鼓動を刻み始める。

 自分はとんでもないことをしているのではないかと、我に返った大悟が晶音から離れようとすると、晶音は何も言わずに大悟の背中へと腕を回し、顔を大悟の胸に(うず)めた。

 それだけでもう、互いに言葉は不要で。

 視界が滲む大悟は静かに目を閉じた。

 

 

 

 一方で大悟に発破をかけたゴウは、追い着いて事の成り行きを宇美と共に見守っていたのだが──。

 ──あわ、あわわわわわわわわわわ……。

 抱擁し合う大悟と晶音を目の当たりにして、軽いパニックを引き起こしていた。

 

「う、宇美さん……」

 

 衝撃が一向に冷めやらぬ中、ゴウは隣に立つ宇美を呼びかけるも、宇美からは返事がない。

 隣を向くと、宇美は目の前の二人に釘付けになりながら、両手を握り締めてガッツポーズを決めていた。

 

「……宇美さん?」

「ちょっと良いところだから静かに」

「えぇ……? いや、いやいやいやいや、宇美さんってば……」

 

 何だか自分がこの状況にひどく置いてけぼりにされている気がして、ゴウは宇美の肩を揺すって再度呼びかけると、宇美はいかにもしょうがないといった具合で振り向いた。

 

「どうかしたの?」

「いや、どうかしたというか、僕はどうもしてませんけど……あの二人ってその……。あー、何というか…………そういう関係だったんですか?」

「……今更?」

 

 しどろもどろに言葉を濁すゴウに、宇美がすぐさま怪訝な表情を作る。

 

「デュエルアバターならともかく、生身で見てれば表情で分かるでしょ」

「そ、そんなの分かんないですよ……。僕はてっきり、大悟さんは晶音さんとまた仲間としてやっていきたんだとばかり……。だから追いかけて止めるべきだって、背中を押したんですよ?」

「良い仕事したじゃない」

 

 ゴウの葛藤を、一言であっさりと済ました宇美は、サムズアップを作ってゴウへと向ける。

 大悟は何だかんだ言っても、晶音のことを大切に想っていることは知っていた。ただしそれはアウトローで共に過ごしてきた仲間として、友人としてであり、まさかそれ以上に踏み込んだ感情を抱いているとは、ゴウは露にも思っていなかったのである。

 後押した時に大悟に問われた、『知っていたのか』とは、そういうことだったのかと一人納得するゴウ。勘違いしながらも上手く噛み合ってしまったことで、その場では気付けなかった。

 ──主語って大切だなぁ……。

 

「それにしても……あれだともう、告白通り越してプロポーズね。受け入れる宇美も大分アレだけど」

「あ、それは僕も思いました……」

 

 宇美とゴウはこの場に漂う、えも言われぬ空気を感じ取って、自然と小声で会話をしていた。

 完全に二人の世界に入っている《親》達を見て、宇美が唸る。

 

「これはキスまでいく流れね。間違いなく」

「キ……!?」

 

 自分のことでもないのに、ゴウはかあっと顔が熱くなる。段階が早くないかとも思うが、加速世界の時間で換算すれば、二人は数年単位の交流があるのだろうから、そうでもないのかと、対処できない事態に困惑するばかり。

 

「事件が解決した男女二人が向き合えば、そうなると相場は決まっているもの。ハリウッド万歳ね」

「ハ、ハリウッド……? と、ともかくそうだとしたら、ここから離れましょうよ。僕ら完全にお邪魔じゃないですか」

「待って」

 

 そっとこの場から移動しようとするゴウだったが、宇美にがっしりと腕を掴まれて、これを阻まれてしまう。

 

「ここは《親》の記念すべき瞬間に立ち会うべきだと思う。いや、《子》としての義務と言っても過言じゃ……」

「さっきからテンションおかしくないですか!? ほら行きましょうって……!」

 

 そうこうしている内に、こちらに一度も振り向かない大悟と晶音は抱擁を止め、晶音が大悟から差し出されたハンカチで涙や鼻水を拭うと、二人はじっと見つめ合う。

 

「あわわ……」

 

 まさかこんな事態になるとはと再度思いつつ、結局宇美と一緒に見てしまっているゴウ。

 大悟と晶音の顔の距離が互いに近付いていき──。

 

 ゴトン! カラァン! 

 

 突如として起きた大きな物音に、全員が一斉に音のした方向を振り返る。

 そこに立っていたのは大悟の妹、蓮美だった。その横には手から落とした拍子に水が跳ねる桶と、地面に転がった柄杓が落ちている。

 

「……だ、大兄ぃ……?」

 

 剣道部の練習の帰りなのか、学生服姿の蓮美は全く状況が掴めないといった様子で兄の名を呼ぶ。

 

「よぉ蓮美。どうしたこんなところで」

 

 一方の大悟はいつの間にか晶音と離れていて、さも何もなかったかのように、平然と蓮美に話しかけている。

 このあたりの胆力は歴戦のオリジネーターたる所以か、はたまた兄の威厳を取り繕っているだけか。

 ちなみに、晶音は後ろを向いてしまって表情は窺えない。

 

「え? あー、うん、何だか急に経兄ぃに会いたくなって……。それで伯母さんが大兄ぃも来てるって……。それで……えっと──あ、ゴウ君!」

 

 微妙に気まずい空気に耐えられなくなったのか、目を泳がせる蓮美はゴウに気付くと、ぱっと表情が明るくなり、こちらに向かって小走りで歩いてきた。

 

「ゴウ君も経兄ぃのお墓参りに来てくれたの? そ、れに……」

 

 そう言いかけて蓮美は、ゴウの隣に並ぶ宇美を見るや、硬直してしまった。

 

「は、はろー……。まいねーむ いず は、はすみ きさらぎ。えっと、えっと……」

 

 流暢さの欠片もない英語で、蓮美は宇美に挨拶を始めた。遠目ではただの金髪の女子かと思っていたようだが、その顔立ちから宇美を外国人だと判断したらしい。

 

「大丈夫だよ、蓮美さん。この人は……」

 

 初対面では無理もないかとゴウが助け舟を出そうとすると、宇美に腕を引かれる。

 

「……この子は?」

「大悟さんの妹の蓮美さんです。学校のクラスメイトなんですよ」

「へぇ……。下の名前で呼び合ってるの?」

「え? はい、まぁ。ちょっと前までは苗字呼びでしたけど」

「ふーん……そう……」

 

 何故か耳打ちで訊ねてくる宇美にゴウが何気なく答えると、宇美は何かを含んだような笑みを浮かべ、ずいと蓮美の前に出た。

 

「Hi, My name is Umi Wasekura. How do you do?」

「へぇっ!? あ、あいあむ じゅにあ はいすくーる……?」

 

 いきなり蓮美の手を取り、握手をしながら英語で挨拶をする宇美。

 言っていることは中学生どころか、小学生でも習う簡単なものなのだが、本当の外国人のような流暢な発音に宇美の容姿と身振りが相まって、完全に迫力に呑まれてしまっている蓮美は片言かつ、ちんぷんかんぷんな英語で返している。

 宇美の意図が分からないゴウは、大悟と晶音に助けを求めようとするも、隣に並んだまま互いに目も合わせようとせず、こちらにも二人揃って上の空だった。

 ──あぁ、もう何が何だか……。

 ゴウは一度だけ空を仰ぐと、まずは蓮美と宇美の方から対処しようと一歩足を踏み出すのだった。

 加速世界から帰還し、ここを訪れる前まで胸の内で凝り固まっていた何かが、いつも間にやら消えていたことをゴウが自覚するのは、自宅に帰ってからのことである。

 

 

 

 こうしてゴウの体感で数時間、ログでは数週間に及ぶ幻のダンジョン、アトランティスでのアウトローとエピュラシオンの戦いは幕を閉じた。

 一歩間違えれば加速世界のパワーバランスの崩壊、かつての瓦解しかけた赤のレギオンによる領土周辺の戦国時代化など比ではない、大混乱の発生も起きかねなかった事態。

 その全容はこれから先も、当事者達の他にごくわずかな数人を除き、公に知られることはない。

 



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後日談
第七十二話


 第七十二話 豹と久闊(きゅうかつ)を叙する

 

 

 アウトローとエピュラシオンの衝突から数日後の夜。無制限中立フィールド某所。

 大通りを歩く大悟の頭上では、そこかしこに張り巡らされている電線に、一昔前に普及していた大型白熱電球が、無数かつ無秩序にぶら下がっている。

 道には輪になって踊ったり、列を作って歩いたりしている、一メートル程度の背丈しかない棒のように細い人型シルエットの群衆達。

 どこからともなく流れてくるアコーディオン主体の音楽が、陽気ながらたまに音程が外れ、少し不安な気持ちを煽らせてくる、現在のフィールドは《奇祭》。中位の暗黒系のステージで、ブレイン・バーストでは珍しい、常時BGMが流れているステージだ。

 道沿いにぎっしりと並ぶ、何だかよく分からない物を売っている露店から手招きをする、歩行者同様の黒子の店主も全く相手にはせず、大悟はずんずんと足を進めていた。

 

「えーと、確かここの…………あった」

 

 聞いていた情報を頼りに横道に入って少し歩くと、ようやく目的地に辿り着いた。

 そこは薄ぼんやりと灯っているネオン管で、謎の文字を形作った看板の掲げる小さな建物。

 大悟が建物の扉を開けると、やや薄暗い照明に照らされる内装はバーカウンターが備え付けられていて、自らの拠点であるプレイヤーホームよりも一回り以上小さく、こじんまりとした場末の酒場という印象を受ける。

 そんな店内には、カウンターのスツールに座る先客がいて、扉に付いている呼び鈴に反応してこちらを確認するなり、片手を挙げて挨拶をしてきた。

 

「Hi、ボンズ」

「よぉ、待たせたか? 約束の時間まではギリギリまだのはずだが」

「NP。まだ一杯しか飲んでいない」

「もう一杯やってんじゃねえか」

 

 抑揚の低いハスキーボイスで話すのは、艶の無いダークレッドの装甲を基調とした、赤系のF型アバター。その頭部は口元が尖り、後頭部の左右両端も耳のように尖っていて、砲弾とネコ科の猛獣をかけ合わせたようにも見える。

 大悟は英語の略称を用いて話す、相変わらずせっかちなF型アバターの隣に座ると、カウンターの向こう側に向かって、自分とF型アバターの飲み物を注文する。

 しばらくすると、ガチャガチャとやかましい音を立てて歩く、全身金属製のロボットが奥から現れ、左右の手に液体の入ったグラスをカウンターに置いた。同時に、空になっているF型アバターの飲み干したグラスの回収も忘れない。

 彼(?)はブレイン・バーストのシステムが動かすNPC、通称《ドローン》の一人。そして、ここはバーの形態をした、無制限中立フィールドに点在するショップの一つ。つまり、このドローンはこのショップの店主なのだ。

 実在するどの言語にも当てはまらない、機械音めいた謎の言葉を発しながら、お辞儀のような動作をすると、ドローンはまた店の奥へと戻っていった。

 

「それにしてもキティー、お前さんから呼び出しを受けるとは思わなかったよ」

「まだその呼び方……パドでいい」

「別に良いだろ。二つ名なんだし」

「あなただって《首刈り坊主》と呼ばれるのは好きじゃないはず」

「まぁな。だが、もう俺の中で定着した呼び方だ。諦めろ、キティー」

 

 悪びれない大悟は昔よく交わしたやり取りの後、七大レギオンが一つ、プロミネンスの副長、キティーことブラッド・レパードとグラスを合わせて乾杯する。ちなみにキティーとは彼女が《血塗れ仔猫(ブラッディ・キティー)》という二つ名で呼ばれることから、大悟がレパードに使っている愛称である。

 彼女と知り合ったのはもう三年近く前のこと。レギオンマスター、レッド・ライダーを失ったプロミネンスが崩壊の危機に瀕していた時だった。

 大悟にはライダーという昔馴染みにとっての、大切な場所が消え去るのは忍びないという考えの他に、集団を相手に気兼ねなく暴れられそうだという思惑も持ち、プロミネンスに一時的ながら半ば無理やり加入をした。その際に組んでいたチームの一人がレパード。加えて後に王となる、当時はまだレベルの若いスカーレット・レインもいた。

 レギオン内部には、いきなり現れるなり好き勝手に動く大悟に対して、良い印象を持たない者達も当然存在し、それは大悟も承知の上だった。故に混乱が収まり始めると、大悟は面倒事を回避しようとさっさと雲隠れしてしまったのだが、そんな短期間ではあっても、レインやレパードを始めとしたチームメイト達のことは今でも憎からず思っている。最後のチーム戦の終わりに、別れの言葉一つで去ってしまった大悟を、本人達が同じように考えているのかどうかはともかくとして。

 グラスを乾杯。大悟がグラスに入った派手な原色をした仮想カクテルの三割を飲んで一度テーブルに置くと、レパードが口を開く。

 

「……《災禍の鎧》の件、改めてお礼を言う。ありがとう」

「前にもメールで返したが、礼を言うのは情報を貰ったこっちの方だよ。それに結局取り逃がしたし、俺達があの場にいてもいなくても変わらなかった」

 

 普段は礼をTHX(サンクス)の一言で済ませる彼女にとって、同年代に対して相当に(かしこ)まった部類に入る言葉を受け、大悟は肩をすくめて謙遜した。

 今年の頭に発生した五度目となる《災禍の鎧》が出現した事件で、大悟がゴウを連れて《五代目クロム・ディザスター》と化したプロミネンス所属のバーストリンカー、チェリー・ルークと遭遇できたのは、当日の数日前にレパードから接触があり、情報提供を受けたことによる要因が大きい。

 レギオンマスターのレインは《鋼線鉤(ワイヤー・フック)》アビリティを用いて三次元的移動を行うディザスターの動きを止める為に、加速世界唯一の《飛行》アビリティの持ち主であるシルバー・クロウと、彼を擁するネガ・ネビュラスに協力を仰いでいた。

 この時に現実世界でのディザスターの行動を追跡し、レインへ伝えていたのがレパードで、レパードは保険の一つとして、大悟にも同様の情報を伝えていたのである。

 ゴウの稽古も兼ねていたことは別として、結果としてはディザスターに多少のダメージを与えただけで逃走を許してしまっているので、援護射撃の役割があったかどうかも微妙なところだったと、大悟は認識している。

 

「それで今日はどうした? ただのお喋りに呼び出したわけじゃないだろ?」

 

 当の事件は数ヶ月も前のことだし、レパードがわざわざ世間話をするだけの場を設けるような性格ではないことを知っている大悟は、早速本題に入ろうとレパードに訊ねる。

 

「メールやクローズド対戦じゃ伝えられない、伝えきれないことなのか?」

「……少し長い話になるけど、K?」

 

 自分の知る限り、物事を簡潔に伝えるタイプのレパードの、やや迷いがある口振りを珍しく思いながらも大悟は頷いた。

 

「Kだ。なに、夜はまだまだ長い。じっくり聞こうじゃないか」

 

 

 

 そうして、レパードの口から明かされた内容は、大悟達のアトランティスでの一件と同日に、レパードとレインを加えたネガ・ネビュラス総員が、ISSキット本体の破壊作戦を実行していたという、大悟にとって予想外かつ、驚愕の内容だった。

《四神》の一角を相手取り、封印状態に陥っていたバーストリンカー《アクア・カレント》を救出。

 東京ミッドタウン・タワーへ向かう一行を待ち伏せていたISSキット所持者集団、加えて大天使メタトロンとの連戦。

 その後、加速研究会に拉致されたレインの追跡と、キット本体の破壊に二手に分かれての激戦。

 そして、判明した加速研究会会長の正体。

 

「……何とも、とんでもなく過密なスケジュールだったな」

 

 ISSキットを派手にばら撒いていた者の一人、世田谷エリアではかなり名の知れたバーストリンカー《マゼンタ・シザー》の行動。

 その対戦成績から最近巷を騒がせていた《ウルフラム・サーベラス》と、彼と深い関わりを持っているらしいブレイン・バースト古参の一人である、《四眼(クアッドアイズ)》の裏の顔。

 それぞれについて思うところがあったが、レパードの話を聞き終えた大悟の第一声はそれだった。

 

「電撃作戦もいいとこだ。よくもまぁ、誰も全損やトラウマを負わずに済んだもんだな。……それに、あの女が会長ね……確かなのか?」

「ダミーアバターの姿だったけど、間違いない。本人が否定しなかった。ボンズは彼女について何か知っている?」

「……あそこの幹部連中の何人かとは知らない仲じゃないが、本人と今まで話したのは数える程度だ。それに、もう何年も会っていない」

 

 加速研究会会長だという、かの純色の七王の一人でもあるバーストリンカー。

 ブレイン・バースト古参の一人であり、加速世界初の《回復能力者》とされる彼女は、大悟にとって最も得体の知れない王でもある。

 数少ない会話を交えた中で聞いた甘く清んだ声は、無垢な少女か聖女のよう。澄み渡りつつもどこか蠱惑的(こわくてき)。そして──心の内をまるで見せようとしない。

 そんな彼女に対し、大悟は理屈ではなく直感で、漠然とした不信感を抱いていた。

 彼女は光を放って自身の姿を覆い隠す。また、その真意も周りに掴ませようとしない。そうした清廉な光の陰で、ISSキットより蓄積した負の感情を利用し、《災禍の鎧マークⅡ》などという、醜悪な存在を作り出そうと計画していたというのが事実ならば、それは恐るべき胆力と狡猾さだ。

 ──ネガ・ネビュラスが解呪したっていう《鎧》が回収できなくなったから、別プランに移ったってところなんだろうが……十重二十重(とえはたえ)の策の巡らし具合が気持ち悪い。やはり、万が一に備えて限定的にでも《第三段階》心意の修得と、『あの領域』に自由に行けるようになるべきか……。

 

「……ボンズ?」

 

 レパードに肩を叩かれながら呼びかけられて、考え事をしていた大悟ははっとなる。

 

「ん? おぉ、悪い。続けて」

「分かっているだろうけど、このことは誰にも他言無用。仲間達にも話さないで。あなたにだから話した」

「おっ、信頼してくれて嬉しいね」

 

 大悟はからかような口調で言ったが、真剣な様子のレパードの眼差しを、手を上げて制した。

 

「……そんな目で見なくても分かっている。心配するな、口は堅い。ただ、キットの無力化と《純粋無色(アクアマティック)》の復帰についてはその内に分かることだし、別に先駆けて伝えても良いだろ?」

「それはK」

「うん、メモリーが喜びそうだ。彼女が《レベル(ワン)》として用心棒(バウンサー)になってから、心配していたみたいだしな。……ところで、嬢ちゃんは大丈夫なのか? 一つとはいえパーツを盗られたままってのは……」

「本人は大丈夫だと言っているけど、それでも不安はあると思う。でもあの子はもう大丈夫」

「ふぅん? 妙に自信がありげだな。どういうこった?」

「先代からレギオンを託されたから」

 

 それを聞いて大悟は、レパードの確信に納得がいった。

 レパードの話では、ISSキット端末の大量製造の仕組みは、ライダーのコピーデータをキットに無理やり寄生させ、彼の強化外装を生み出すアビリティ《銃器創造(アームズ・クリエイション)》を利用していたものだという。

 キット本体の内部から出現したライダーのコピーが、ブラック・ロータスと《四元素(エレメンツ)》の内の三人と遭遇した際に、彼女らに伝言を預けていたのだろう。

 また、ライダーのアビリティに備わる《遠隔セーフティ》が何らかの形で発動され、キットに影響を及ぼしたとなれば、晶音が話していたスコーピオンが発動したキットが突然停止した理由についても合点がいく。

 つくづく《BBK》と呼ばれていたあの男は大した奴だと、大悟は脱帽せざるを得ない。

 

「……そういうことか。あの子は本当の《赤の王》になったんだな」

「イエス。今のレインと対戦して、勝てる自信はある?」

「どうかな。相手が王じゃ、十回やって三回勝てたら良い方だろ。消し炭にされることの方が多そうだ。さっさとトンズラした恨みも込められていそうだしな」

 

 苦笑しつつも、自分としては多少なり面倒を見ていたつもりの少女の成長を、大悟が嬉しく思っていると、レパードが微笑むようにアイレンズを細めた。

 

「前にメールでも伝えたように、口では色々言うけど、レインはボンズを恨んだりしていない。本当は感謝している。……だから、もし良ければ、加速研究会との戦いも──」

「キティー」

 

 レパードの話を聞いて、呼び出した本当の理由を何となく察していた大悟は、話を切り出そうとするレパードを、一転して声の調子を下げて遮る。

 

「悪いが、協力する気はない」

「…………」

「今回のお前さん達の行動を聞いた以上、本来なら全面的に協力するべきなんだろうが、俺もアウトローの奴らも、加速世界の脅威に対して立ち上がるような殊勝な心がけを持った義賊集団じゃないんでな」

 

 レパードはアウトローを戦力として協力を要請することも、今回呼び出した目的の一つ、というよりも主たるものなのだろうが、大悟はこれをきっぱりと断った。

 キットが消滅しても、それを生み出した加速研究会が消えたわけではない。本来なら、一刻も早く研究会を潰すべきなのだろう。

 しかし、相手の組織の構成人数やこれからの目的はいまだ不明で、頭の正体が分かったとはいえ、その証拠さえもやすやすと掴ませはしないだろう、一筋縄ではいかない相手だ。実際、大悟達にできることは以前同様に現状では皆無である。

 その上、仲間とならともかく、その他の大人数と足並み揃えて行動することは大悟を始めとする、特に古株のアウトローメンバー達の性格上、どうにも合わないのだ。

 ──結局のところ、脳筋集団と言われればそれまでだしな……。

 大悟が内心でそんなことを思っていると、レパードは大悟の返事を予想していたのか、「……そう」とだけ言って、それ以上食い下がったりはしてこなかった。

 普段のレパードならこの件に関しては、話したりはしなかっただろう。第三者である大悟に本来、協力の確証もなしに話すべき内容ではなかった。

 しかしそれでも、おそらくは主であるレインにも事前に相談せずに、レパードが今回大悟に接触したのは、先程は大丈夫だろうと言っていたが、やはり一つとはいえ強化外装群の一部が奪われたレインの身を案じてのことだ。

 レインを信頼していないからというのではなく、とても大切に想っているからこその行動。それを知っている大悟には責めることはできない。

 ──まぁ、迂闊って言えばそれまでだが。こいつらしくもない。せっかちであっても短慮じゃないのに。……ばっさりと切り捨てるのも後味が悪いか。

 

「ただ……協力しないってのは、表立ってお前さん達や他の王連中と行動はしないって意味だ。研究会の奴らが脅威なのは、もちろん認識している。同じ道を一緒に歩く気はなくても、進行方向はお前さん達と同じつもりだ。場合によっちゃ、なし崩しで共闘するかもしれない。その時はよろしくな。そう嬢ちゃんにも伝えといてくれ──ってどうした?」

 

 補足するように大悟がそう付け加えていると、レパードが不思議そうにこちらを見てくるので、大悟は首を傾げた。

 

「ボンズ、変わっていないようで、少し優しく……というより丸くなった。昔ならそんな気遣いまでしなかったと思う」

「……馬鹿言え。昔からお釈迦様の次くらいに優しいし、気遣いの塊だぞ俺は」

 

 口に出して認めるのは癪なので、大悟はごまかすようにグラスを呷った。

 

「……別の角度から見れば、違うものも見えてくるだろうよ。何か分かれば連絡する。貴重で極秘な情報を聞かせてもらった代わりと言っちゃ何だが、こうして会うこともそうないだろうし、一つ幻のダンジョンの話でもしようと思う。お前さんが良ければだが。どうだい? 飲み物奢るぞ」

「K。夜はまだ長い。せっかくだから、それをレインへの土産話にする」

「よしきた。マスター、お代わり頼む。あ、これあんまり他言するなよ? ……これはお前さん達が先週末にドンパチやっていた日の話なんだが──」

 

 大悟は新たな飲み物の注文をすると、レパード達のISSキット破壊作戦とは別に、あの日起きていた出来事について語り始めた。

 こうして、ある日の加速世界の一夜は、現実の千分の一の速度で静かに更けていく。

 



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第七十三話

 第七十三話 昨日の敵は今日の客

 

 

 一つの直面していた問題が解決し、ゴウは中々に晴れやかな気持ちと軽やかな足取りで、これまで何度も通ってきた無制限中立フィールドの道を歩いていく。

 今日は七月六日、土曜日。

 アトランティスでの激闘から約一週間が経った、アウトロー定例集会の日である。今日からは新たに一人と、戻ってきた一人がアウトローに加わることになっていた。

 目的地であるホームに近付いているのを知らせるように、前方の空に薄く煙が立ち昇っている。

 これはアウトローメンバーの一人であるキルンが、ホーム裏で鍛冶作業をしているということ。先週は、ISSキット装着者を呼び寄せてしまう可能性があるということで自重していたが、もう再開をしたようだ。

 それもそのはず、この一週間でISSキットを装着したバーストリンカーをゴウは目にしていない。

 アトランティスで晶音達と対峙をした、アメジスト・スコーピオンの装着していたキットが突然その機能を停止したというし、やはりキット本体に何か異常があったのは間違いないだろう。

 この推測を肯定するように、数日前にゴウは以前キットに精神を汚染されていたバーストリンカー、シトロン・フロッグから乱入され、対戦が始まるや否や、土下座を決め込まれるという出来事があった。

 あちこちでマッチングリストを確認してゴウを探し回っていたらしいフロッグの話では、熱に浮かされた状態のように多少ぼやけてはいるものの、キットを装着してからの記憶はしっかりとあったという。フロッグは散々ひどい言葉を吐いたことを謝罪し、アメジスト・スコーピオンに倒された後、ゴウがスコーピオン相手に立ち向かっていったことへの感謝と、これからも対戦をしてくれないかと懇願された。

 もちろん、ゴウにフロッグの頼みを断る理由などあるはずもない。

 また、もう一つのご機嫌な理由として、アトランティスでの戦いを経たゴウは、新たに一つのアビリティを取得していた。

 デュエルアバターに備わるアビリティは始めから所持しているか、レベルアップ・ボーナスで取得するしかない必殺技とは異なり、この他に何らかのトリガーによって、ごく稀に発現することがある。

 アトランティスにて、触れた対象の身動きを取れなくするプランバム・ウェイトのアビリティ《重圧付加(プレス・アディション)》の効果を受けて、なすすべもなく地面に落下していた際にゴウが体を動かし、体勢を逆転できた理由が、このアビリティによるものだった。

 後に確認したアビリティの名称は《限界突破(エクシーズ・リミット)》。

 効果は必殺技ゲージの減少と引き換えに、筋力値が増大するというもの。要は、元より備わっていた《剛力》アビリティをアクティブスキル化した強化版である。

 シンプルだが、接近戦ではより優位になるのは元より、自分の身の丈と同じくらいの岩を、まるでハンドボールのように投擲可能なまでの膂力が得られるので、遠隔系アバターへの対応策の一つとしても有効だ。

 欠点は一度発動すると、必殺技ゲージ量に関系なくゲージが空になるまで解除不能になることと、アビリティ発動中は必殺技が発動不可能になること。効果終了直後から発動していた時間の分だけ再発動が不可能になるので、連続での使用ができないこと等々。

 それでもゴウはこの一週間に行った対戦で使い方とタイミングを把握していき、良好な戦果を挙げている。

 そんなことを思い出している内にゴウはホームへ辿り着くと、始めに裏側へと回る。

 

「キルンさぁん! こんにちはぁ!」

 

 金槌を打ち付ける音に負けないようにゴウが大声で挨拶すると、いつものように窯の前で作業をするキルンが、その手を止めて振り返った。

 

「おう、オーガーか」

「もう作業を再開したんですね」

「あたぼうよ。前の戦いでゴーレムの腕のストックは全部オシャカ、胴体もほぼ大破しちまったからな」

「えっ!? 被害甚大じゃないですか!」

「だからこそ、こうして金槌振ってるってわけよ。まぁノウハウは分かってっから、前よか早くできそうだ。今度はもっと装甲を厚くしてよ、新しくドリルの腕も──」

 

 自らの手で生み出す、ゴーレムのバージョンアップに思いを馳せるキルンと話していると、いきなりホーム内部から黄色い歓声が上がり、ゴウは驚いてホームの方を振り向いた。

 

「な、なんだ?」

「あぁ……。ワシもキリの良いところで入っから、先に行ってな。ボンズの奴がいつ来るか分からねえぞ」

「へ?」

 

 キルンは何故か半笑いでそう言うなり作業に戻ってしまったので、仕方なくゴウは正面入口に戻って、扉を開けた。

 

「──そこでボンズが一歩踏み出して、ジャッジをこう、ぎゅっと抱き締めたの」

「「キャア────!!」」

「よっしゃあー!」

 

 扉を開けると、再び歓声。

 ホーム内は宇美を中心に据える形で残りの皆が座り、宇美の話に耳を傾けている状態だった。

 ゴウは会話の断片から、先週の大悟と晶音のやり取りについてだと、瞬時に理解する。

 

「な、な……」

「あっ、オーガーだー。やっほー」

「おーっ、キューピッドの登場だ。ほら、来い来い!」

 

 最初にゴウに気付いたキューブに続いて、コングがしきりに手招きをする。

 

「あのー、キューピッドって……?」

「オーガーちゃんがボンズちゃんの背中を押してくれたんでしょ? それでやーっと二人の仲が進展したんだもの!」

 

 自分のことのように喜ぶメディックに、ゴウははたと一つの事実に気付く。

 

「それって……じゃあ、皆も知っていたんですか? その……」

「あたしもコングちゃんも、当然カナリアちゃんも。当時のメンバーは全員ね。カナリアちゃんが、どうしたらお互い素直になるんだろうって、よく悩んでいたわ」

「二人きりにして陰から見守ろうにも、ボンズは勘が働くからすぐ気付かれるんだよなぁ」

 

 懐かしむように語るメディックとコング。

 しかし、この場にその当事者の一人の姿が見えない。

 

「あの、師匠はまだ来ていないんですよね? ジャッジさんもですか?」

「彼女なら、そっちにいるよ」

 

 ゴウの問いに、常のように紙にペンを走らせているメモリーがバーカウンターを指差したが、その先には誰も見当たらない。

 そこでカウンターの方へ歩いていくと、何やら声が聞こえ、ゴウはカウンターの向こうを覗き込んだ。

 

「──聞こえません聞こえません何も聞こえません私は何も知りませんあー何も知りません何のことやらさっぱりです──」

 

 そこには体育座りの状態で耳を塞ぎ、小声でぶつぶつと呟いている晶音の姿が。

 

「躍起になって否定すると、かえって肯定しているみたいだと考えたらしくてね。フォックスの話が始まってから、ずっとあの調子なんだよ」

 

 やや苦笑気味にメモリーがゴウに解説をする。

 

「そ、それでフォックスちゃん。それからどうなったんですか?」

 

 普段控えめなリキュールが、意外にも興味津々な様子で前のめりになり、宇美に話の続きをせがんでいる。やはり女子であるなら、この手の話題は気になるのだろうか。

 

「それから一度離れて、ボンズがジャッジの涙を拭いて……」

「いや、フォックスさんストップストップ。師匠が来たらまずいですって」

「それは大丈夫よ。もしボンズちゃんが来たら、キルンちゃんが合図出してくれる手筈になっているから。さすがにボンズちゃんのいる場所じゃ話せないわよぉ。先に手が出てきそうだしね」

 

 話を再開するフォックスを慌てて制止しようとするゴウに、余裕たっぷりのメディックが冗談を飛ばしながら笑っていると──。

 

 ──コンコン。

 

 ノックするような音に全員が振り向くと、窓の外に大悟が顔を覗かせていた。額の《天眼》を煌々と輝かせて。

 

「あちゃー……」

 

 一同が凍り付いていると、キューブがその一言の後にアビリティ《純氷鎧(アイス・エンフォールド)》を発動し、座っている椅子ごと己の全身を氷塊で包み込み、文字通り凍り付いてしまった。

 

「あっ、キューブ、おまっ、一人だけずる──」

 

 鉄拳制裁を予期して防御行動を取るキューブに、コングが文句を言おうとする間もなく、入口の扉が開く。

 

「……内緒話をするんなら、もう少し声のトーンを落とすべきだな。外から丸聞こえだぞ」

 

 のっそりとホームへ入って来た大悟は、一見冷静な様子でカウンターの方へと歩いていくと、腕をカウンターの向こうに伸ばした。

 

「あうっ……?」

 

 ぺしりと軽い音の後に、晶音が小さく声を上げる。と、

 

「そんでもってお前さんは何をやってんだ。ほれ、そこから出ろ。堂々としてれば良いんだよ」

「うぅ……確かに取り乱しすぎましたね。お恥ずかしい……」

 

 もぞもぞと立ち上がって晶音が姿を見せると、大悟はそのままカウンターのスツールに腰かけ、これ見よがしに大きく溜め息を吐く。

 

「……先週はアウトロー結成以来、三本の指に入るでかい出来事だった。それを乗り越えたとなると、やっぱりその余韻というか……平時よりも気分は高揚するよな。だから結果として、俺もついオーバーなアクションをした。うん、それは認めるとも。ジャッジのことは……大切な友人の一人として情を持っているわけだからな。はい、この話は以上。それとフォックス──フォックス? 取って食ったりしないからこっち向け」

 

 大悟に呼びかけられ、イタズラをして叱られる飼い犬のように顔を横に向けていた宇美が、渋々と大悟の方を向いた。

 

「いいか? お前さんがアウトローの一員として活動するのであれば、仲間のリアルを詮索したり、言いふらしたりしないこと。仲間とはいえ、リアルの行動を暴露するような真似はいただけないな。これら最低限のルールは守らなきゃならない。できるか?」

「……うん」

「そうか。分かってくれれば良いんだ」

 

 うんうんと満足げに頷く大悟。

 ──おぉ、さすが大悟さん。上手いこと話を終わらせた。しかもこんな時でも冷静だ。

 諭すように言い聞かせる大人な対応をする大悟に、ゴウは内心で拍手を送る。

 そうして大悟は、しゅんとなって軽くうなだれている宇美に穏やかに呼びかけた。

 

「別に怒っちゃいないから、そうしょげるなって。なーに、いちいちこの程度のことに目くじらを立てるような狭い器量の──」

「でも間が悪くなかったらあの時、絶対キスまでいってたと思う」

 

 ──ぴしっ。

 

 何も割れていないのに、何かに亀裂が走ったような音をゴウは聞いた……気がした。

 

「こ…………」

 

 下を向いた大悟は、わななくように全身を震わせると──。

 

「こんのコンコンチキぃ! その尻尾捥ぎ取って襟巻きにしてやらぁ!!」

 

 先程までの態度はどこへやら。瞬間湯沸かし器を超える早さで激昂し、物騒なことを喚きながら、座っていたスツールから立ち上がった。

 

「やべ……ボンズがキレた、押さえろ!」

 

 そう言うなり、コングがアメフト選手ばりのタックルで、大悟をその場に押し倒す。

 続いて、ゴウも考えるより早く体が動き、倒れた大悟の両腕を取って抑えた。

 緊急時に即座に動けることこそ、ブレイン・バーストにおいて求められる資質の一つである。まさかこの状況で活かされるとは思わなかったが。

 

「ま、まぁ師匠、落ち着きましょう。ね? ほら、減るものでもないじゃないですか……」

「離せぇ、てめえらぁぁ……! オォォガァァァ……仮にも師匠を羽交い絞めたぁ、良い度胸だなぁぁぁ……。てか確実に俺の何かが減っただろうがぁぁ……」

「ひぃぃぃ……!」

 

 ゴウとコングに押さえられたまま、地獄の底から響くような低音で唸り、体を捩じらせる大悟。

 白い毛並みをした尾を守るように両手を後ろに当て、姿勢を低くして状況を見守る宇美。

 顔を覆って悶絶する晶音を、左右から質問攻めにするメディックとリキュール。

 巻き込まれてはたまらないと、書き記した紙束を回収し、その場を離れようとするメモリー。

 そして、全身に氷を纏ったまま微動だにしないキューブ。

 場がそんなカオスな状況に包まれる中、ホーム入口の扉が開いた。

 

「……何やってんだ、おめえら」

 

 扉の向こうに立つキルンが、呆れた様子で感想を漏らした。

 

「あの、取り込んでいるなら日を改めますよ……?」

 

 すると、キルンの他に入口に誰かいるのか、遠慮がちな声がゴウの耳に届いた。聞き覚えのない、少女の声だ。

 

「いや、気にすんない。いつものこと……ってわけじゃねえが、こんな日もあらぁな。──おい、客が来たぞ!」

 

 ガンガンと入口の縁を叩いて、キルンが全員を注目させて中に入ると、二体のデュエルアバターが後に続いてホームへと足を踏み入れ、大悟もひとまず暴れるのをやめた。

 一体は今キルンと話していた声の主と思われる、小柄なキルンより更に背の低い赤系のF型アバター。流れるような赤色のロングヘアーパーツに、アバターの体色同様の茜色をしたワンピースドレスを身に着けている。

 もう一体は力士のような体型をした、大柄な茶色系統のM型アバター。縦にも横にも広い体で少し窮屈そうに扉をくぐってから、ぶはーと大きく息を吐いた。

 

「お邪魔しまーすっと。ここがアウトローのホームかぁ……おっ、バーだ! バーがあるぜボルちゃん!」

「うん、クエイ君。わぁ……凄い。私達にはプレイヤーホームは無かったもんね。ちょっと憧れちゃうなぁ」

 

 見た目も性格も正反対そうな二人は、物珍しそうにホーム内を見渡している。

 

「……キルン、どうして彼らがここにいるんだい?」

「そんなのこいつらに聞いてくれ。ワシがホームに入ろうとしたら、声かけてきたんだ」

 

 やや強張った様子でメモリーが訊ねると、キルンが立てた親指で二人を指した。

 ゴウ同様に、この二人と面識が無いらしいリキュールがおずおずと質問する。

 

「あの、メモリーさん。そちらの人達は知り合いですか?」

「知り合いと言えるほどに親しくはないかな。そこの二人はマダー・ボルケーノとカーキ・クエイク。僕とキルンがアトランティスで戦った、エピュラシオンのメンバーさ」

 

 メモリーがそう答えると、さっきまでとは別の種類の緊張がホーム内に広がり、ゴウも大悟から離れて身構えた。

 晶音に至っては、即座に召喚した杖をボルケーノとクエイクに向け、臨戦態勢を取っている。

 

「……貴方達のリーダーを倒したことへの(あだ)討ちですか? だとしたら、受けて立ちますよ」

 

 今の今までうろたえていたことが嘘のような鋭い声に、エピュラシオン所属の二人が慌てた様子で両手を頭の上まで上げた。

 

「うおお!? おいおい待ってくれよ。オイラ達、そんなつもりないって!」

「ご、誤解です。私達はあれからのことを伝えようと思って来ただけなんです……」

 

 ボルケーノの言う『あれから』とは、アトランティスでの戦いの後のことを指しているのだろう。

 ゴウとコングの拘束から解放され、すでに立ち上がっている大悟が、落ち着きを取り戻した様子で口を開いた。

 

「確かに戦う気があるなら、とっくにキルンを攻撃しているわな。ジャッジ、大丈夫だよ」

 

 大悟に言われて、晶音は警戒心をアイレンズに宿らせたままだが、しぶしぶと杖を降ろした。

 それを見たクエイクが、ほっと息を吐いてから上げていた手を下ろす。

 

「だろだろ? ほら、手土産も持ってきたんだぜ。ボルちゃん」

「う、うん……」

 

 クエイクに促されたボルケーノが、一枚のアイテムカードを実体化させると、カードは持ち手の付いた二つの白い箱に変化した。箱の側面には英語で何やら文字が書かれている。

 

「まぁ!」

 

 箱を見るや、メディックが喜色を含ませた声を上げて、手を合わせた。

 

「それって、もしかして《ブルローネ》の……?」

「ご存知でしたか。はい、《ペルルジェラード》です。皆さんでどうぞ」

 

 ブルローネとは、無制限中立フィールドを徘徊する生物型(ムービング)オブジェクトの一つである、超巨大なリクガメの甲羅の上に建つ、ショップの中でも珍しい《移動式ショップ》であると、ゴウは以前アウトローで聞いたことを記憶の片隅から掘り起こす。

 何でも、女性バーストリンカーが好むアクセサリーや服などのファッションアイテムを揃えている、隠れ家的スポットだとか。

 ボルケーノからメディックが箱を受け取って丸テーブルに置くと、仲間達がぞろぞろと集まりだしたので、ゴウも後へ続く。

 ただし、晶音だけは未だに警戒を解かずに、凛とした声で言い放った。

 

「ジェラードだか何か知りませんが、物で簡単に信頼を得られるほど、我々はそう甘くありませんよ」

 

 

 

 数分後。

 

「──それでオイラが必死こいてあのカメを引き付けてる間に、ボルちゃんが甲羅の上にある店まで辿り着いたまでは良かったんだけど、オイラは追い詰められてもう少しで踏み潰されちまうところだったんだ。文字通り命懸けだったよ」

 

 どっと男性陣が笑い、話しているクエイク自身も豪快に笑いながら、片手に持った三杯目のドリンクを呷る。

 

「ボルケーノさんはあそこで何か買ったんですか?」

「今回の目的とは違ったので、ジェラードを買ってすぐに撤収しました。囮役になってくれたクエイ君にも悪いですし。それに一度中に入ったら、何時間もいちゃいそうで……」

「分かるわぁ……。見ているだけで時間を忘れちゃうものね。上手く条件が揃わないと行けないから、あたしも数えるくらいしか入ったことないんだけど、どれもこれも可愛くて目移りしちゃうわよ」

「へぇー……。私もいつか行ってみたいなぁ」

 

 片や女性陣も、ボルケーノと会話に花を咲かせている。

 

「──って馴染みすぎです!!」

 

 そんな和気藹々とした空気に耐えかねたように、晶音が叫びながら立ち上がった。

 実は会話に混ざっていたゴウも、内心では晶音と同意見ではあった。クエイクもボルケーノも、ゴウ自身が戦った相手ではないが、それにしたってさすがに仲良くなるのが早すぎるのではなかろうか(コングに至っては、クエイクと肩まで組んでいる)。

 

「おう、やっと食べ終わったか。美味そうに食ってたな」

 

 大悟が可笑しそうに肩を震わせる。

 クエイクとボルケーノの持ってきたぺルルジェラードは、コーンカップに乗ったジェラードアイスに色鮮やかな粒々がトッピングされていて、ゴウの食べたものはバニラ風味に果実と潮風が混ぜ合ったような不思議な味がした。

 ちなみに晶音は受け取った分を口にした瞬間、アイレンズを輝かせながら、ちびちびと味わうように今まで黙々と食べていた。

 

「確かに美味しかったです……。ご馳走様でした、また食べた──ではなく! 結局、貴方達は何をしに来たのです!」

 

 クエイク達を問い詰める晶音は夢中でジェラードを食べていた手前、少しバツが悪いからか、ゴウには何となく勢いに任せている気がした。

 それでも晶音の剣幕に、巨漢のクエイクが居住まいを正す。

 

「お、おう、悪い……。つい楽しくて元々の目的を忘れてた。えー……オイラとボルちゃんはお前らにも伝えておこうって思ったんだ。オイラ達のレギオン、エピュラシオンが一時的に解散したことを」

 

 一同が真面目な状態に切り替わる中、クエイクとボルケーノから、エピュラシオンのその後の顛末を教えられた。

 アウトローメンバーを相手に死亡してから一時間も経たない内に復活し、ダンジョンの外へワープすることになり、建造物を背負った途轍もなく巨大な空飛ぶクジラ(管理AIテティスの話から推測するに、元々移動式に設計されていたという《アトランティス》そのもの)が沖合に向かうのを呆然と見送るという、訳の分からない状況下のこと。

 エピュラシオンメンバー達は副長のチタン・コロッサルから、レギオンマスターであるプランバム・ウェイトが敗北し、《オリハルコン》のデメリットと第三者の手に渡った際のリスク故に、自らアンインストールをすることで《オリハルコン》諸共消滅したことを聞かされたという。加えてエピュラシオンが掲げていた、加速世界の秩序を正すという目的を、プランバムが自分とは違う方法で探すように言い残したことも。

 話し合い結果、ひとまず考える時間と違う視点が必要だという結論に至り、エピュラシオンメンバーは籍を残して一時解散をするという話にまとまったそうだ。

 曰く、コロッサル、それにコングと戦ったインディゴ・クロコダイルはソロ活動を(本人は腕を上げてコングに再挑戦しようと息巻いているらしい)。メディック、リキュール、キューブの三人と交戦したサンシャイン・ソーラーとウィロー・ミラージュの二人、クエイクとボルケーノの二人はそれぞれコンビで活動していくことになったという。

 そして残るアメジスト・スコーピオンだが、アトランティス内でプランバムからマスター権を継いだコロッサルが《断罪》、全損に追いやったらしい。

 アトランティス最深部でプランバムが晶音から、ISSキットを所持し、使いこなしていたスコーピオンが加速研究会自体との繋がりを仄めかしていた事実を聞き、『報いを受けさせる』と言っていたのをゴウは耳にしていた。それは確かに果たされたようだ。

 己にとっての宿敵が永久退場したと聞いた晶音は驚きこそしたが、仮にスコーピオンが本当に加速研究会との関わりがあったとしても、研究会についての情報を吐くとは考え辛い上に、遁走する可能性が高かったことから、またどこかで誰かを不幸にする前に、コロッサルがスコーピオンへ《断罪》を下したことについては概ね肯定的だった。

 

「……お前らがこの世田谷第四エリアに拠点構えて、土曜の昼から夕方にかけて活動している可能性が高いって情報は知らされていたから、ダメ元で探し回ることにしてよ。何度か間を空けてダイブしてたら、煙が昇っているのが見えたから、それを辿ってここに着いたんだ」

 

 ラッキーだった、とクエイクが付け加えて話を締めくくる。

 アウトローは活動事体を取り立てて隠しているわけでもない。おそらくはプランバム、ないし参謀役を務めていたらしいスコーピオンが、どこかの情報屋からアウトローの構成員に加えて、この場所の情報も入手していたのだろう。

 二人の話を聞き終え、ゴウは改めて途轍もない体験をしたのだと感慨深く思うと同時に、彼らのマスターであるプランバムの瀕死の姿が脳裏をよぎり、少しだけ胸が痛んだ。

 

「あの……あなた達は僕らが憎くはないんですか?」

 

 自分達のレギオンマスターが永久退場した元凶といっても差し支えない集団を前に、敵意は湧かないものなのだろうかと、ゴウはクエイクとボルケーノに聞かずにはいられなかった。

 すると、ボルケーノがクエイクとじっと顔を見合わせた後に、頷き合ってからゴウへと向き直る。

 

「……確かに思うところはあります。私達は多少経緯に違いはあっても、皆マスターに救われましたから。でもコロッサルさんから、マスターは敗北を納得した上でアンインストールを決断したと聞いています。だったら、私達があなた達を恨んだりするのは筋違いだと思うんです」

「そうとも」

 

 頷きながらクエイクが続く。

 

「『過ぎたことは変えられない、だからこそ前を向いて進め』ってプランバムのダンナはよく言ってた。オイラ達がいつまでも下を向いてちゃ、オイラ達に後を託したダンナが浮かばれねえよ」

「過ぎたことは変えられない、だからこそ前を向いて進め……」

 

 無意識に復唱するゴウには、プランバムの言っていたというその言葉が、以前精神的に自縄自縛に陥り、心意の暴走を引き起こした際に大悟から言われた言葉と重なった。

 

 ──『どんなに後悔していても、それでも人は前を向いて生きなきゃいけないってことだ。立ち止まったところで何の、誰の為にもなりはしない』

 

 そんなゴウは胸の内で、自分以外にとってはおそらく何てことのない、しかし本人にとっては重要な、とある一つのことを決意するのだった。

 



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最終話

 最終話 星を(しるべ)に千里を歩む

 

 

 クエイクとボルケーノが去った後に情報を共有する意味合いも含めて、先週のアトランティスでの体験を各々話し合った、この度のアウトロー定例集会。

 その日の夜、すでに来週に迫った期末テストの本日分の勉強ノルマを済ませ、自室のベッドで寝転がるゴウは、装着しているニューロリンカーを何気なく指で撫でた。

 バーストリンカーとなってから一年以上経っても、ブレイン・バーストそのものについて、ゴウはほとんど分かっていないままだ。

 約二十年前までは、道路や道路に隣接する建物の風景をネットで確認できたらしいが、現在ではそれらの情報は、安全保障や治安維持の関係で《ソーシャルセキュリティ・サーベイランスセンター》略称SSSCに集約されている。

 そんなSSSCは住所さえも一般人には秘匿されているというのに、ブレイン・バーストプログラムはソーシャルカメラからの映像をハッキングし、地形情報を基に通常対戦フィールドや無制限中立フィールドを作り出している。

 更にはつい先週に目にした、高度な人工知能を持ったAIの存在。

 AI技術自体は現代の生活と密接に融合し、現代人にとって切っても切れない存在になっている。しかし、人間レベルの会話が可能なほどに高度な模擬人格を持つAIは、国際条約の厳しい規制により、一般人が見かける機会はほぼ皆無といっていい。

 アトランティスのダンジョン管理AIを名乗ったテティスは、間違いなくその『高度な模擬人格を持つAI』に該当し、まるで感情があるかのような振る舞いをゴウ達に見せていた。

 ソーシャルカメラをハッキングしている時点で今更ではあるが、その違法性といい、公に知られていない加速の技術といい、改めて考えるとブレイン・バーストの謎の多さに頭を捻ってしまう。

 心臓から発せられる量子信号をオーバークロックさせ、脳の処理速度を千倍に加速させる。

 ブレイン・バーストをコピーインストールされた日に、そんな説明をゴウは大悟から受けたが、大悟自身もあくまでそういう定説として受け止めているだけで、実際に真実かどうかの確証はないそうだ。

 そもそも、加速中の人間の意識はどこに存在しているのだろうか。ゴウはふとそんなことを考えた。

 加速世界で長く過ごしていると、その分だけ肉体と精神にズレが生じてしまうという。ようやく累計で一年は加速世界で過ごしたかという程度のゴウには、当然ながらその実感はまだない。

 では仮に、累計で数百年を加速世界で過ごし、しかし肉体はまだ十代半ばとする。その場合、ヒトという生物の寿命を超えてしまった人間の意識、精神、あるいは魂。名前はどうあれ、『それ』は磨耗してしまわないのだろうか。意識が脳にあるのなら、加速世界で思考した分だけのエネルギーを消費して脳に負担が、もっと端的に言えば脳が老化してしまうのではないか。

 もしも、この魂の磨耗を防ぐ為に、ニューロリンカーを介して量子回路で脳の一部分と接続された、ブレイン・バーストの中枢……中央サーバーなどに魂が複写され、その魂が加速世界で経験した物事を加速終了時に記憶が脳と同期されるのだとしたら……。

 そこまで考えると、ぶはっ! とゴウは可笑しくなって噴き出してしまった。あまりにも発想が飛躍しすぎて、SFもいいところだ。

 ──下手の考え何とやらだ。最古参の大悟さんだって分からないのに、僕がそんなの分かるもんか。大体、魂って……どうしてそんなふうに考えたんだろ……。あ、魂がデュエルアバターを動かすって……いやでも、うーん……。

 アウトローの面々は、このあたりの話にあまり興味を持たないので、ほとんど話題に挙がらない。憶えていたら、今度メモリーあたりに与太話として持ち出してみてもいいかもしれないとゴウが思っていると──。

 

「ん……?」

 

 視界の中央に小さく、ボイスコールの着信アイコンが表示された。連絡先を確認すると、つい最近番号を登録した人物、宇美だった。何の用かと思いながら、ゴウはアイコンをタップして応じる。

 

「はい」

『あっ、もう夜なのにごめん。今って大丈夫?』

「はい、全然構いませんよ。どうしたんですか?」

『うん。急で悪いんだけど、明日って予定空いてる?』

「え? はい、まぁ……特に予定はありませんけど……」

『ホントに? あぁ良かった。じゃあ今から言う場所に明日来てほしいんだけど──』

 

 素早く場所と時間を指定してきた宇美にゴウが了承すると、宇美はこれからどこか出かけるらしく、『じゃあ明日』とだけ言って、すぐに通話を切ってしまった。

 結局用件は聞けずじまいだったが、どうせ明日になれば分かることだし、出かけている宇美にわざわざ連絡を取らなくても良いだろうと、ゴウは特に追及はしなかった。

 時刻はまだ二十一時にもなっていない、さすがに寝るには早い時間。

 明日は予定もできたので、億劫だが明日のテスト勉強のノルマをなるべく済ませようと、ぐっと伸びをしてベッドから降りたゴウは、教材アプリを立ち上げながら学習机の椅子を引いた。

 

 

 

 翌日の七月七日、日曜日。多少の風はあるが、雨の心配はなさそうだ。

 宇美に指定された九時三十分より少し前。指定場所の上野駅に着いたゴウは、駅構内の宇美との合流地点に向かっていた。観光地最寄りの駅は休日ということもあって、すでに人で溢れている。

 合流地点に着いたものの宇美の姿は見えず、ゴウはあちこちを見渡しながら、まだ来ていないのかと考えていると、背後から声がした。

 

「おはよう」

「あっ、おはようござ──あー……?」

 

 宇美の声に反応して振り返るゴウは、その格好から人違いかと一瞬錯覚しまった。

 動きやすそうなスニーカーに、グレーのパーカーとデニムジーンズ。頭に被った鍔付きキャップが、宇美の特徴的な金髪の大部分を隠し、おまけに髪型はいつものポニーテールではなく、お団子にして一つに纏めていた。

 ゴウが宇美と現実世界で会うのは今回でまだ四度目だが、帽子を被るだけで随分と印象が違う。一番目立つ髪が隠れているからだろうか。

 

「どうしたの? あぁこの格好、変?」

「い、いや、そんなことないです。ちょっと、一瞬誰かと思っちゃって……」

「なら良かった」

「良かった? それはどういう──」

「ここにずっといるのはまずい。付いてきて」

 

 言われるままにゴウは宇美の後を追っていると、待ち合わせによく使われるであろう、上野公園改札口前の太い柱が見える位置で宇美は止まり、指で柱を指し示した。

 

「晶音と大悟さんがあそこに十時に待ち合わせているの」

「……はい? えー……どうしてそれを宇美さんが知っているんですか?」

「蓮美が教えてくれた」

 

 どうも状況が掴めないゴウの問いに、宇美は平然と答える。

 確かに先週、蓮美と初対面である宇美は外国人であるという誤解を解いた後に、連絡先を交換し合っていた。すでに名前で呼ぶほどに親しくなっているとは思わなかったが。

 

「前に親戚の人から、博物館の特別展示のチケットデータを兄妹揃って貰っていたらしいんだけど、昨日の夜に大悟さんが誰かを誘っているのが聞こえたんだって。声からして、いつもと様子が違かったらしくてね。それを蓮美から聞いてカマかけてみようと思って、晶音に連絡して明日会えないかって聞いたら、物凄く不審に断られた。それで、これは十中八九デートだなって確信したの」

「蓮美さんもグルなのか……。つまり……その跡を尾けようってことですか?」

「有り体に言えばね。正直、初デートに博物館? って思いもしたけど、あの二人ならまぁそれっぽいかなって──ストップ、どこ行くの」

 

 出歯亀の共犯なんて御免こうむるゴウはさりげなく距離を取ろうとするが、宇美にがしっと肩を掴まれてしまった。

 

「ちょ……離してくださいよ、嫌ですよ僕。見つかったらタダじゃ済まないじゃないですか」

「他に頼める人いないの。蓮美は用事があるって言うし、私一人だと目立つからすぐにバレちゃう。少しでも目立たなくするのに、この帽子と上着も昨日わざわざ買ったんだから。ほら、ゴウの分の帽子も」

「いや、帽子被ろうが顔見られたら一発でバレますって……」

「深く被ればそうでもないって。それにゴウって見た目の印象薄いから、人ごみに紛れればまず気付かれないし」

「帰ります」

「あっ、ウソウソ! 冗談だから。ホントに待って、今のは悪かったからぁ!」

 

 歩くゴウを掴んだまま、尚も食い下がってずるずると引き摺られる宇美。

 後が怖いというのもあるが、プライベートを侵害するというのはいかがなものか。ここは野暮な真似はすまいとゴウが思っていると──。

 

「ねえ、お願いゴウ」

 

 振り返って見た宇美の表情は切羽詰った中に、どこか真摯さを帯びていた。

 

「何も毎回くっついていこうなんて思ってない。ただ心配なの。せっかく二人が素直になったのに、つまらないことで喧嘩別れしたらって思うと。……他の皆にも言いふらしたりしない。今回限りだから手を貸して。ね?」

 

 この通り、と手を合わせる宇美を、ゴウがじっと見るという時間がしばし続いた後。

 

「……帽子、貸してもらっていいですか」

「……! ありがとう! じゃあこれ」

「今回だけですよ……ホントに」

「うん!」

 

 仕方なく折れたゴウは、ぱあっと表情を明るくする宇美にそれ以上何も言えず、受け取った帽子を目深に被った。別に上目遣いにグッとくるものがあったのが理由ではない。

 それから宇美と待つこと約十五分。

 先に待ち合わせ場所に現れたのは大悟。服装はTシャツにジーパンといつもと同じだが、新品なのだろうか。何となく真新しく見える。

 それから五分もしない内に晶音も到着。淡い色合いのワンピースに身を包み、小物入れの鞄を両手に、楚々とした様子で大悟と合流した。

 ゴウと宇美は、傍から見れば何気なくホロウインドウを操作しているような素振りをしながら、二人を横目で観察する。この距離と人混みの喧騒では向こうも気付かないだろうが、こちらも向こうの会話は全く聞き取れないので、表情と仕草から状況を判断するしかない。

 

「二人共、やっぱり余裕を持って集合時間よりも早く来ましたね」

「……移動し始めた。よし、じゃあこのまま距離を保っていこう」

「はい、了解──でっ!?」

「きゃっ!?」

 

 改札から出る二人を追おうと、ゴウが動き始めた直後。柱の陰から急に出たので、ゴウは人と鉢合わせ、ぶつかってしまった。

 

「痛てて……」

「あぅ……鼻打った……」

 

 ゴウとぶつかり、小さい悲鳴を上げた声の主は、カチューシャを付けた小柄な女子で、尻餅をつきながら鼻をさすっている。

 

「ゴウ、大丈夫?」

「は、はい。僕よりも……」

「あぁ、だから走ったら危ないって言ったのに……」

 

 ゴウが宇美に心配されていると、一人の男性が小走りで駆け寄ってきた。

 男性──というよりも、顔立ちからして中高生だろう少年は、どうやら少女の連れのようで、少女に手を貸して起き上がらせると、ゴウに向かって軽く頭を下げる。

 

「連れが失礼しました。怪我はありませんか? ほら、君も」

「ごめんなさい。私が走ってたから……」

 

 大人びた雰囲気を感じさせる、理知的な瞳をした少年に促されて、ぺこりと頭を下げる少女に、ゴウは慌ててぶんぶんと手を振る。

 

「い、いえいえそんな! 謝るのはこっちです。僕がいきなり飛び出したから……」

 

 はっとして改札出口を振り返ると、大悟と晶音はすでに姿が見えなくなっていた。

 

「お、お互い怪我も無いことですし……、先を急いでいるので失礼します。本当にすみませんでした。宇美さん行きましょう」

 

 二人の目的地は分かっているが、こうしてずっと謝り合っているわけにもいかない。ゴウは一度頭を下げると、宇美と一緒に大悟達を追いかけ始め、その場を後にした。

 

 

 

「……あの人達、知り合いなの?」

 

 未だに鼻をさすりながら呼びかける少女の声に、少年ははっとなる。

 

「いや……。でもどこかで会ったような気がして……」

 

 今さっき少女とぶつかった帽子を被った少年も、一緒にいた帽子から金髪を覗かせていた少女も、初対面の相手のはずだ。何故こうも引っかかるのか、少年にもよく分からない。

 

「まぁ、いいさ。向こうも僕のことを知っている様子じゃなかったし──どうしたの?」

 

 未だにこちらをじっと見ている少女に、少年は首を傾げた。

 

「やっぱり先週の休み明けから、急に雰囲気変わったよね。憑き物が落ちたって言うの?」

「またそれ? この一週間に何度も聞いたよ」

 

 このやり取りももう何回目になるかと、ややうんざりした調子で言う少年だったが、少年自身も自分の心境の変化を明確に説明できずにいた。

 今年の六月最後の日だった先週の日曜日、その正午過ぎ。

 少年はその日、ふと気付くと自宅から最寄りのダイブカフェの一室にいたのだが、どうして自分がそこにいたのかを思い出せなかった。直前までフルダイブをしていたような気もするが記憶はおぼろげで、それまでずっと何かに対して必死になっていたのに、それが失われてしまったかのような虚無感、虚脱感が胸の内にあった。しかも、肝心な『何か』については、どれだけ考えても思い当たる節がない。

 しかし同時に、何より不思議だったのは、いつもより心が軽くなったようにも感じたこと。まるで今までずっと着込んでいた、重い鉛の鎧を脱ぎ捨てたかのような。

 そんなことを思い出していると、少女が口を尖らせて反論する。

 

「えー、でもさ、本当に急にどういう風の吹き回しなの? こっちがいくら遊びに誘っても何かと理由つけて断ってたくせに」

「う、それを言われると弱いな……。動物園は嫌だった?」

「別に嫌じゃないよ、動物好きだし。ただ、どこに行くとか以前に、何でだろうなーって思っただけ。誘われた時は驚いて、理由聞きそびれちゃったけど」

「ん……僕ら今年、受験生だろ? 夏休みには僕、塾の夏期講習に入るから、羽を伸ばすなら今かと思ってね」

 

 平静を装ってはいるが、自分から少女を遊びに誘うのは、少年にとってかなり高いハードルだった。

 小学校高学年から今まで、ずっとクラスメイトである彼女とは学校では比較的よく話すが、一緒に出かけたことは一度としてない。先週まではどうしてか、自分にはそうすることが許されない気がしていたからなのだが、それを抜きにしたとしても、今回自分なりに勇気を振り絞って彼女に声をかけたのは──。

 

「羽を伸ばす、ねぇ……。ふーん、二人きりで? ふぅーん……」

 

 からかうような笑みを浮かべる少女の視線を受け、少年は顔を逸らす。

 

「……何だよ」

「べっつにー? さ、そろそろ行こ」

 

 その様子を見て楽しそうにくすくすと声に出して笑い、歩き始めようとする少女の手を、少年は反射的に掴んでいた。何故だか彼女が蝶のようにどこかへ飛んでいってしまいそうな気がして。

 

「え……?」

「あ……その、また人にぶつかったりしたら大変だから……」

 

 少女は驚いて目を丸くしていたが、苦しげな言い訳をする少年の手を払うことはせずに「ん……」とだけ言って、少年の手を握り返す。

 

「……それで、最初に何を見たい? パンダ?」

「パンダもいいけど、最初はゾウかな。動物園に来たって感じがするから。あとシロクマでしょ、カバでしょ、それと……」

「分かった分かった。順番にね」

 

 二人は手を繋いだまま歩き出す。人知れず存在する、もう一つの世界でかつて共に過ごしていたことは、今となっては本人達さえ知る由もない。

 

 

 

 上野にある《国立科学博物館》は現在、《日本館》と日本館よりも後に建てられた《地球館》の二つの棟に分かれていて、地球館では基本的に、期間限定の特別展示が何かしら行われている。

 展示会場はやはりというべきか、勉強的な側面が強いこともあって、小学生や幼稚園児の家族連れが多く、また観光地でもあることから、外国人の姿もちらほらと見られる。

 しかし、社会科見学でもなく、休日に中高生が来ることはそうないのだろう。実際にゴウと宇美、大悟と晶音以外に、友人同士で来るような子供の姿はゼロではないものの、全体の割合としては非常に少ない。

 ただ幸いだったのは、今回大悟が晶音を誘った特別展示が、宇宙の天体にまつわるものだったことだ。宇宙の歴史から始まり、宇宙での現象、星の構造や星座などが紹介されている展示会場内は全体的に薄暗く、更にAR技術を用いたプロジェクションマッピングにより、星々が散りばめられた夜空が天井部に映し出され、自然と目がそちらに向く。

 これならそう気付かれはしないだろうと、安堵したゴウは大悟達に注意を向けつつも、学生料金で安いとはいえ、せっかく料金も払っているのだからと、展示にもしっかり目を向けていた。

 現在いる所では、七夕の時期であることも関係しているからか、今回の展示のメインでもある、天の川についてピックアップされている。ARによって作り出された天の川は、個人毎のニューロリンカーを介して出力されているので、指での操作で自由に角度の変更や、拡大と縮小が可能。加えて星をタップすると、その星についての知られている情報が視界に表示されるという、かなり手が込んでいて、かつ大がかりな仕掛けだ。

 ゴウが肉眼でまともに星空を見たのは、秋田の祖母の家に泊まり、夜空を眺めた幼少の頃までだった。東京に越してからはもちろん、神奈川に住んでいた頃も、夜は人工の明かりが眩しすぎて、現代では星というものはほとんど見えない。精々が比較的空気が澄んだ冬にぽつぽつと点在しているのを目にする程度だ。

 だからこそ、新米(ニュービー)の頃にブレイン・バーストで初めて意識して眺めた星空は、ゴウにとって懐かしくも新鮮なものだった。

 加速世界の星空は現実とリンクして配置されているだけでなく、季節毎の星座の移り変わりまで緻密に再現されている。鮮明に美しくきらめく星々は、ゴウだけでなく大悟を始めとした、初期のバーストリンカー達も一様に感じるものがあったという。アウトローで聞いた話では、七王のレギオン名に宇宙関連の単語が用いられているのも、それが理由の一つらしい。

 天の川が見える地球もまた、天の川銀河と呼ばれる星の集団の一員であるというアナウンスが耳に入り、ゴウは宇宙の広大さを漠然と感じながら、映し出された雲状の光の帯が広がる満点の星空を眺めていた。

 特別展示を見終えると、大悟達はそのまま通常展示まで見て回り始めたので、それを尾行するゴウ達も博物館の出口に着いたのは、もう十二時前の昼食時だった。

 ゴウの隣で宇美が大きく伸びをする。

 

「それなりに楽しめたね。星座の形とか、どうしてそうなるのとか、よく分からないままだけど」

「まぁ、実際に線が引かれているわけじゃないですからね。僕も授業で聞いたもの以外だとあんまりピンとは……」

「だよね。まぁ、二人は楽しそうだったから良しとしましょう」

 

 展示を見て回っていた大悟と晶音には、宇美が懸念したようなトラブルも起こらず、それどころか見ていた限りでは和やかに会話を交え、両者共に時々笑みまで見せていた。今は屋外に設置された、笹に飾る短冊へ願いごとを書いている。

 そんな仲睦まじい光景を、微笑んで眺めている宇美がふいに口を開いた。

 

「要らない心配だったと思っているでしょ?」

「まぁ……そうですね」

「晶音ってね、結構いいとこのお嬢さまなんだよ。友達と遊びに出かけるなんて話はほとんど聞かないし、九分九厘デートなんてしたこともなかったと思う」

「へぇー……」

 

 あの随分と丁寧な話し方や仕草から、確かに何となく育ちが良さそうな印象はゴウも受けていた。

 

「あれ? じゃあ、いとこの宇美さんも……?」

「ううん。叔母さん、つまり晶音のお母さんの実家が会社経営しているからであって、うちは普通」

「あ、そうなんですか。……ところで、もし実際に二人が喧嘩になったらどうするつもりだったんですか?」

「え? ……そこはほら、偶然を装って仲裁……かな」

 

 ──なんも考えてなかったのか……。それじゃ尾行していたのもバレるし。

 穴だらけのプランに呆れた表情をするゴウに、目を泳がせながら顔を背ける宇美。その仕草は、以前に実質ノープランでアトランティスに赴こうとした、晶音が見せたものとよく似ていた。やはりいとこ同士、血の繋がりを感じる。

 

「け、結局何も起きなかったからいいでしょ。あの様子なら多分もう大丈夫そうだし、尾行はここまでにしよ。せっかくだから、二人が離れたら私達も短冊に──わっ……!」

 

 宇美が苦し紛れに話を逸らそうとしていると突然、ぶわっと強い風が吹いた。

 ゴウは反射的に目を瞑り、腕を顔の前にかざして風を遮ると、手に何かが当たる。

 

「ん? 短冊……?」

 

 土壌に分解可能な特殊ポリエステル製の短冊には、綺麗な筆跡で『細くも長かれ』と書かれていた。どういう意味なのかゴウには分からない。

 

「あぁ、すみません! 取っていただいてありがとうございます」

「いえいえそんな……はい、これ──あ」

「あ」

 

 女性の声に反応し、短冊を返そうとゴウが顔を上げると、目の前にいたのは晶音だった。

 目の前のゴウに気付いた晶音は短冊を受け取ったまま、目を丸くして固まっている。ここまで近付けば、申し訳程度の変装要素である帽子は役には立たない。

 

「よぉ、どうし……た……」

 

 晶音が戻ってこないのでこちらに歩いてきた大悟も、晶音と対面しているゴウ、その隣にいる宇美を前にして固まり、四人の間に形容し難い微妙に気まずい空気が流れ出す。

 これはあらゆる意味で終わったと感じたゴウは観念しかけたが、加速状態顔負けの速度で脳をフル回転させ、一つの案を思いついた。

 

「あー……こ、こんにちは、晶音さん、大悟さん。こんな所で会うなんて奇遇ですね。驚いて固まっちゃいましたよ」

 

 ゴウの言葉を受け、大悟は一瞬だけ困惑した表情を見せたが、すぐに素知らぬ態度へと戻った。

 

「お、おぉ、そりゃこっちの台詞だ」

 

 ──よし……! 

 ゴウは内心でガッツポーズを作る。

 この状況を切り抜ける妙案、それは────シラを切ること。

 大悟や晶音の性格上、デートしていたなど口が裂けても明言しないだろう。ならば、こちらが下手に追求さえしなければ、向こうは怒るに怒れない。何故なら彼らと自分達は休日に偶然、ばったりと会っただけなのだから。

 

「僕と宇美さんは、今日はこの辺りでタッグ組んで対戦をする予定だったんですけど、駅で博物館の告知内容を見て、せっかくだから観ようかって話になったんです。ね、宇美さん」

「う、うん。そうだよ。晶音の用事ってここに来ることだったんだね。誘ってくれればよかったのに」

「そ、それは……ほら、こういった場所は貴女にはつまらないかと思ったので……」

「ほぉーなるほどね。そうかそうか」

 

 何とも白々しい会話が続く。だが、これでこの場はどうにかやり過ごせたかとゴウが安堵していると──。

 

「ならここで会ったのも何かの縁。お二人さん、俺と晶音のチームとタッグ対戦といこうや」

 

 大悟が唐突にそんなことを言い出した。

 

「え゛?」

「何だその声。だってお前さん達、タッグ対戦しに来たんだろ? レベルが上がってからゴウと手合わせしていなかったし、良い機会だと思う。晶音も構わないか?」

「……そうですね。タッグでの状態で宇美と対戦するのは初めてですし、面白いかもしれません」

「晶音、やっぱり怒ってない?」

「何の話かさっぱりです」

 

 あれよあれよと、《荒法師》と《石英鉱脈(クォーツ・ヴェイン)》の鬼教官チームと対戦する運びになってしまった。しかも向こうは戦意に溢れている。

 

「それじゃあ早速──と言いたいところだが……」

 

 ひらひらと持っている短冊を揺らす大悟。

 

「まずはこれを飾らにゃいかん。お前さん達も書け書け。年に一度のイベントだからな。それからどこかで飯にしよう。その後でも勝負は遅くない」

 

 笹の元へ踵を返す大悟に、晶音と宇美が続く。

 そんな三人にゴウはすぐには付いていかず、その後ろ姿を眺めながら、昨晩の夕食の席でのことを思い出していた。

 

 ──『今年のお盆は、僕も秋田のおばあちゃんのお墓参りに行きたい』

 

 御堂家では極力話題に挙がらない(ように両親がゴウに気遣っていた)ことを、ゴウ自身が口にしたことで、両親は揃って目を丸くしていた。例の事件以来、毎年のお盆の時期には、母親だけが秋田に住む親戚の家に一泊する形で帰省し、墓参りを行っていたのだ。

 確かに昔のゴウのままなら、ずっと避けたままのことだったろうから、両親が驚くのは無理もない。

 急にどうしたのと不思議そうに、かつ心配そうに訊ねる母親に、ゴウは明確な理由は口に出さず、心境の変化だとか何とか言ってはぐらかした。嘘ではないが、思考を一千倍に加速させるゲームアプリのおかげとは、正直に言えるはずもない。

 それに、厳密にはブレイン・バーストプログラムそのものではなく、ブレイン・バーストを通して経験した様々な事柄こそが、ゴウに新しい考え方を与えてくれた。少なくとも、ゴウの主観では良い方に。

 バーストリンカーとなって、およそ一年と三ヶ月。十二年間生まれ育った土地を離れ、新たに越した新天地では、想像もしていない出会いがあった。

 自分の前を歩く三人を始めとした、アウトローの仲間達。時に勝ち、時に負けを繰り返す対戦相手。中には互いの譲れないものを懸けてぶつかり合った者も。

 あの日の自分の選択は、きっと間違いではなかった。今回の選択もまた、自分を前に一歩進ませるものだと、ゴウは信じている。

 ──少しずつでも一歩、また一歩と進んでいけば良いんだ。そうすれば下を向いていた頃には見えなかった、違う景色が見えてくる。そうしていけば、きっと今よりも僕は……自分のことをちょっとだけ誇れるようになれるはずだから。

 宇美が振り向いて、自分を呼びながら手招きをしている。

 後ろから吹いた風に背中を押されながら、ゴウは仲間達の元へと歩いていった。

 

 

 

 足を止め、迷い、傷付き、倒れることがあっても、立ち上がり成長していく。時には仲間の手を借りて。

 これは西暦二〇四七年、VR・AR技術が発達した世界のどこにでもいる、しかし他の誰でもない、一人の少年の物語。

 その断篇である。

 



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