死の王と蠅の王 (マイクロブタ)
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1話 ユグドラシルしゅーりょー

完全に思い付きです。駄文はご容赦下さい。


 どういうわけか、自分が仰向けに地面に転がっていることに気付くまでかなり時間を要した気がする。

 寝落ちした……つもりはない。

 およそ2年半も遊んだユグドラシルの最終日の最後の時間をどう過ごすか散々考えた末、結局は「いつも通りだろ」と結論に至った。

 今日は職場から真っ直ぐ帰宅して、夕飯を済ませて即ログインした。

 

 残りは約5時間……ソロプレイヤーでも馴染みはいる。挨拶と雑談だけでも3時間以上は経過してしまった。

 花火とバカ騒ぎとアイテムが捨て値のバーゲンセールを冷やかしつつ、未だ出会わない馴染みを探して歩く。つい「もう散財しても構わない」と色々と買ってしまったが売主も儲ける気が無いのでほとんど金は減らない。

 さすがに最終日の残り時間1時間半……価格破壊の極みだった。「ひょっとして」との思いが捨てきれず少し真剣に見て回ってしまった。ワールドアイテムこそ手に入らなかったが神器級から希少素材まで一山いくら状態で手に入った。消耗品に至っては完全に捨て値だ。

 街の外には行く気にはなれない。もはやPKの暴風状態なのは簡単に想像が出来る。そんなところを大量のアイテムを抱えて歩くほどヤケにはなれない。

 

 残り1時間を切った……出会ってない知り合いも残りは2人だ。

 『えんじょい子』さんと『モモンガ』さんを探して歩く。2人共メッセージに反応は無い。

 かつては有名だったPKギルドのギルド長である『モモンガ』さんは「ナザリック地下大墳墓」とかいうけったいな名前の巨大な本拠地にいるのかも知れないけど……現実にはソロプレイヤーみたいなものだし、巨額維持費の捻出に狩三昧の人だから街に来る可能性も高いと思っているのだけど……終わったギルドに思い入れの強い人だからなぁ。

 逆に『えんじょい子』さんは街にいないなら間違いなくPKの大波に乗っているだろうな、と想像してしまう。俺との出会いもPKだし……返り討ちにしたら、何故か懐かれてしまったのも良い思い出だ。

 

 残り15分を切った……悪い癖で「ひょっとして」と思いセール会場に戻ってしまった。

 で、見つけてしまいました……ワールドアイテム。改めて鑑定しても間違いなくワールドアイテムですよ。使い方は不明ですが間違いなくワールドアイテムですって!

 しかも入札の対抗馬は0人……この時間までセール会場にいるのは売主か変わり者だけですし……こんなの即入札ですわ。

 残り5分だけの為に代金1億支払って、ストレージにブチ込みました。これで俺もワールドアイテム所持プレイヤーの仲間入りですわ!

 

 残り時間3分……『えんじょい子』さんからメッセージが入る。予想通りにPKしまくりだったようです。この無法ガチビルド女子!

 街の入り口で待ち合わせして、ユグドラシル最後の瞬間は『えんじょい子』さんと肩を並べて思い出に浸る……時間もなく、最後のPVPだったはず?

 

 ……で、煩わしさに目を覚ますと泥の臭いがしました。

 

 臭い……?

 

 たしか法規制で臭いの再現は不可だったような?

 

 ……スケルトン?

 

 ……んんっ?

 

 無数のスケルトンと……深い霧の向こうには無数のゾンビに、あれはスケルトンメイジじゃなくエルダーリッチかな。なんにせよ、低位のアンデッドがワラワラと俺に迫って来ていた。俺は錆びた剣で顔を突かれて、散々蹴られていたようですね。間違いなくプレイヤーじゃなくてポップモンスターでしょう。だから倒しても問題無し!

 

 激闘3秒の末、アンデッドの大群を一掃しました……と思ってみてもまだまだ大量のアンデッド軍団が迫って来る。

 いくらなんでも煩わしい。

 カンストプレイヤーに対して路傍の石ににもならないような低レベルモンスターの群れとはいえ、あまりにも数が多過ぎる。ドロップも今更なものしか期待できない。それに加えて臭い。焼いても臭い……とにかくゾンビの臭いがたまらなく臭いのですよ!

 

「フライ!」

 

 仰向けのまま上空300メートルまで一気に上昇した。

 

 ……えっ?

 

 深い霧を抜ける……空が、星が落ちてきそうなほど美しかった。しばらく見惚れてしまった。

 

 まあそれは良いとして……ココはどこ?

 

 間違いなくユグドラシルで最後を迎えたヘルヘイムではない。ヘルヘイムほど見知っているわけではないけど他のエリアにも思えない。

 強制ログアウトもしていない。

 よく考えたらコンソールもでない……でも魔法は問題無く使えた。

 『えんじょい子』さんは……どこに行った?

 景色も凄まじい解像度だ。いくらなんでもゲーム程度でコレを再現するのは資金的に厳しくないだろうか?

 

「ユグドラシル第二弾……知らないうちにアップデートしてましたー……なわけないよなぁ」

 

 第二弾であろうと法規制は変わらないはず……つまり臭いの再現は不可だ。

 

 GMコールしても反応無し。

 

 コッソリとBANされそうな言葉を言ってみて……最終的には大声で叫んでみました。やっぱり反応無し。

 

「さて……どうしよう?」

 

 眼下の霧の向こうに小さな灯りが見えた。おそらく小さな一軒家みたいなものだろう。逆方向のかなり遠くにも街らしき灯りが見える。とりあえずどちらかに行くしか選択肢はない。飛行速度を考えたらどちらを選んでも到着時間に大差はないだろう。

 

「どちらにするか……まあ、街の方が無難かな。他のプレイヤーもいるかもしれないし……」

 

 ……『えんじょい子』さんもいるかもしれない。

 

 方角も判然としない中、俺は街らしき場所に向かって飛んだ。

 

 

 

**************************

 

 

 

 三重城壁に囲まれた街……どこかのギルドの拠点ではなさそうで、拠点防衛用NPCは存在していない……と思う。この距離で攻撃されないのだから、たとえ存在していても対侵入者用の近接戦闘専門なのだろう。遠距離攻撃できない拠点防衛用NPCに価値など無いとは思うけど……まあコダワリで無駄なNPCを配置しているギルドも多いと思うし、実例も良く知っている。

 『モモンガ』さんが孤独にギルド長を務める「アインズ・ウール・ゴウン」もそんな凝りに凝ったギルドだと何回も聞かされていた。伝説の「1500人プレイヤー撃退」の映像を見せられた時は不覚にも笑ってしまった……アレは嫌がらせの集合体以外の何ものでもない。

 

 夜間なので眼下の街には人影は少なかった。しかし問題なのは人影の数が少ないではなく人間種しか見当たらないことだった。

 

 保有スキルの『人化』程度で誤魔化せるのか……むしろ『完全不可知化』で潜入した方が良いのか?

 

 考えても結論など出るわけがない。

 

 しばらく迷っていると城壁内の共同墓地のような場所に単独で素早く動く人影を発見した。あの動きの速さはポップモンスターのゾンビではないだろう……高位のアンデッドであれば他のプレイヤーの可能性まである。ゾンビのプレイヤーの可能性もあるが、異形種プレイヤーであればPKについてはそれ程有名でない俺は恨みを買っている可能性は低い。つまりあの人影はリスクはそれなりに高いものの、現状の俺にとって非常に都合の良い存在だ。

 だから『次元の移動』でいきなり前に出て、驚かせて遭遇戦は避けたい。

 そうでなくとも人間種の異形種キルマンセーな連中の可能性もある。

 

 とりあえず『人化』して接近してみるか……プレイヤーだった場合、『完全不可知化』で接近したら街中でも戦闘に突入する可能性があるだろうし、ワールドアイテムまで持ったアイテム山盛りの状態で知り合いじゃないプレイヤーとPVPは絶対に避けたい。

 

 『人化』して、異形の姿から人間に化ける。金髪碧眼の日本人が考える典型的な白人男性の姿だ。ユグドラシルのテンプレートから選択しただけの姿なので個性もクソもないが、この際人間種の姿であればどうでもいい。普段は異形の魔神の姿なのだから……そちらはデザインに自信のある知り合いに頼んで作ってもらった力作だ。

 スキルで地味なデザインの黒いコート姿に速着替えした。コレも神器級だが手持ちの神器級の中では特に地味なデザインだ。データ量を確認されたら意味ないけど、人間種の街に入る時には常用している物だった。

 

「……さて逃げる準備だけして、やってみますか!」

 

 ゆっくりと、静かに、驚かせないように……人影の真上まで移動して、降下を開始した。

 

 人間種の女性だな……時折、外套の下から覗く脚が細い。

 

 10メートル……9、8、残り7メートル……そろそろ良いか?

 

「だーれーかーなー?」

 

 その女性は後ろを振り向いた。

 

 やばいやばい……どうやら接近は気付かれていたようだ。

 

「このクレマンティーヌ様に仕掛けるつもりなら……相手になるけどー」

 

 どうやら真上とまでは気付いていないようでわざわざクレマンティーヌと名乗った女性は明後日の方向に嘲笑するような口調で問い掛けていた。しかし彼女の強気な口調とは裏腹にどうにもレベルは低いように感じる。50どころか完全にそれ以下にしか思えない。喋りはプレイヤーに思えるが、どうにも行動とレベルが釣り合わないような気がする。

 

「えーっと……こんばんは、クレマンティーヌさん」

 

 俺の声の方向からようやくクレマンティーヌさんは上を見た。顔の造作はそれなりに美形な方だ。だが美女の癖に妙に口がデカイ……それが彼女の個性だろう。受けて立つ的な言い回しの割に魔法で仕掛けてこないところを見ると戦士系なのかもしれない。

 

 俺はソロプレイありきのオールラウンダー的なビルドなので、確実に先手が取れるならまだしも正直PKガチ勢の方々とは殺り合いたくはない……が、眼下のクレマンティーヌさん程度ならば問題無く無力化出来るだろう。少し強気になって、4メートルを切るぐらいまで近付いてみた。

 

 ……『支配の呪言』でも通用するかもな……まあギリっぽいから、先手が取れても一回攻撃が無駄になる可能性もあるか……だったら、いざとなったら『眷属召喚』で確実に支配下に置いちゃう方が早いか……何にせよ、友好的に終われば良いけどね……

 

 クレマンティーヌさんは俺を見て、外套の下で腰に手を回した。おそらく武器が腰にあるのだろうが、正面から相対しているのならばまだしも、上からだと動きがまるっと分かる……敵対する気はありませんて!

 

「いや、あのー、ですね……質問良いですか?」

「なんだー、てめー」

「あっ、俺はゼブルという者なんですけど……ココはどこなんですかね?」

「……あんっ?」

 

 クレマンティーヌさんの表情から敵対的なものが抜け、奇妙な……いや哀れなモノを見る目付きに変わった。

 ちょっとイラッとする。こんな弱っちいヤツにナメられるなんて……以前からは考えられないほど短気で傲慢な自分に気付き、慌てて否定した。

 

 落ち着け、俺……相手は勘違いした低レベルだ。現状の確認が最優先。あえて敵対するメリットは皆無だろ。

 

「……えーっと、教えてくれませんか?」

「エ・ランテル」

「……はぁ?」

「エ・ランテル……リ・エスティーゼ王国の城塞都市でバハルス帝国とスレイン法国との交易の要衝……これでいいかなー?」

 

 りえすてぃーぜ?

 ばはるす……帝国?

 すれいんほーこく?

 国家だよね……なにそれ?

 ユグドラシルでも無きゃ、リアルでも無い……別ゲー……なわけがない。俺はあえて考えないようにしていた可能性を考慮しなければならないと感じ始めていた……即ち別の現実世界に飛ばされた可能性だ。しかも何故かユグドラシルの魔法やスキルは健在で、普通に行使可能なのは確認済みだ。

 異世界転移……ってヤツだ。いまや1ジャンルとなった小説や漫画やアニメで良くある設定だ。

 最大の問題は俺の本体がユグドラシルのアバターである異形種の魔神のままってことだ。露見すれば迫害や差別を受ける可能性がある。戦闘能力は劣化するが人化状態で情報収集した方が無難との結論に至った。

 

「ねー、考え込んでいるところ悪いんだけどー……お礼は無いのかなー?」

 

 刺々しさが抜けたクレマンティーヌの間延びした声に無理矢理現実に引き戻された。俺を見上げる大きく裂けたような口を持つ美女。外套が大きく開き、かなり破廉恥な格好をしているのが見えた。大きく胸を強調している。いわゆるビキニアーマーってヤツだ。防御力を得る為なのか様々な金属片を鱗のように貼り付けている……が、意味があるようには思えなかった。

 

「……何か欲しいモノでもあるんですか?」

「んー……遊ぶ相手かなー」

 

 クレマンティーヌの表情が不穏なモノに変化した。

 

「遊ぶ相手?」

「そーそー、ちょーど第三位階魔法詠唱者が目の前にいるんだよねー。私はさー、本当はカジッちゃんを殺りたんだけど移籍先のシガラミで我慢しているのー。で、その代わりが欲しいかなー」

 

 ……第三位階?

 

 クレマンティーヌの言葉の意味を理解するまでかなり時間を要した。

 俺は自分のことを魔法詠唱者と思ってもいなかった。ざっくり300種位は魔法を使えるし、超位魔法も3種持っているが、どちらかと言えば専用スキル特化の奇襲攻撃専門だ。圧倒的に少ない異形種の中でもかなりレアなビルドに至った結果、おそらく全現役ユグドラシルプレイヤーの中でも俺ぐらいしか使用出来ないスキルを持っている。ソロPK専門ガチ勢の『えんじょい子』さんを初見で返り討ちに出来たのもそのスキルのお陰だ。

 

 フライ……だから第三位階か。

 

 そこに思い至り、同時に苛立ちが頂点に達した。

 

「ムシケラ風情が……調子に乗るなよ」

 

 気が付けば眼下のクレマンティーヌに自分が発したとは思えない台詞を吐いていた。人間ごときが魔の神である俺に対して不敬であろう、と……抑えきれない激情が脳裏を支配していく。温和だと思い込んでいた自分の変化に戸惑いながらも同時にそれが本来あるべき姿だと納得もしていた。

 僅かに残った理性が懸命に『人化』を維持していた。本来の魔神の姿に戻れば『絶望のオーラⅤ』で瞬殺してしまうかもしれない……本当にその程度で死ぬレベルにしか感じないのだ。

 憤怒と冷静さが交互に入れ替わりながらもクレマンティーヌの手の内を考えていた。これまでの行動と破廉恥なビキニアーマーから察するに戦士職で紙装甲だろう。つまりスピードと正確性特化に違いない。本来ならば得意なタイプではないが同系統ビルドの『えんじょい子』さんと比較すれば話にならないぐらい弱く感じる。

 

 ……捻り潰してやろうか?

 

 最後に残った理性がどうしようもない破壊欲求を完全否定する。無駄に殺すぐらいならば支配して情報収集に利用しろ、と……この異常事態の中で俺には手札が無いだろ、と。

 

 俺が地面に降り立つのをクレマンティーヌの亀裂のような笑顔が迎えた。

 

 

 

**************************

 

 

 

 戦闘は始まる前に終わっていた。戦闘と呼ぶのも痴がましいかもしれない。

 

「眷属召喚……肉腫蠅」

 

 無から生み出された1匹の蠅……一見弱々しく見えるが単体でもLV60で腐食の力と不可知化を操り、中々の戦力になる……が、コイツの真骨頂は戦闘能力でなく、超速成長と繁殖力と寄生のよる対象支配だ。フレーバーテキスト上は無秩序に繁殖を許せば世界が終わるとなっていた。もちろん許す気は無いが。

 

 小さな蠅がクレマンティーヌの頸に触れた瞬間、戦闘は終わっていた。卵が植え付けられ、超速成長した蛆虫が彼女の体内に潜り込む。役目を終えた蠅は消えている。

 違和感を感じたのか、クレマンティーヌは慌てて頸を押さえていたが時既に遅しだ。

 それで支配完了だ……クレマンティーヌレベルでは俺に逆らうことは出来ないし、仮にレベルが叛逆可能域まで上がっても肉腫状態から復活した蛆虫に脳の中枢を破壊される覚悟が必要だ。簡単に言えば「逆らえば死」だ。

 想像の域を出ないがココが別の現実世界だとしたら、全幅の信頼を寄せられる復活魔法の使い手を別に用意しなければ死ぬ覚悟も出来ないだろう。

 

「ゼブル……様、お許しを……まだ死にたくありません」

 

 クレマンティーヌは跪き、首を垂れた。既に彼女の脳を支配し、逆らえばどうなるのかは伝わっている。

 

「情報が欲しい。あと『様』じゃなく『さん』付けにしよう……なんか気持ち悪いし、落ち着かない。俺もクレマンティーヌさんと呼ぶから」

「……ゼブルさんは……その……『ぷれいやー』なのですか?」

「俺のことをプレイヤーって確認する以上は、クレマンティーヌさんはプレイヤーではないのかな?」

 

 そして他のプレイヤーを知っているということだ。俺以外のプレイヤーの存在を確認できれば、たとえ結果として敵対されるとしても当該プレイヤー以外のプレイヤーが存在する可能性が残る。激情に流されてクレマンティーヌを殺さなくて良かったと心の底から自分の理性に感謝した。

 

「もちろんです……私ごときがあり得ません!」

 

 クレマンティーヌは慌てて否定し、スレイン法国に深く関わる600年前に降臨したプレイヤーである『六大神』の説明を始めた。加えて自分がスレイン法国の特殊部隊である元漆黒聖典第九席次『疾風走破』であり、近隣諸国でも並び立つ者がほぼいない戦士であるとの熱烈なアピールも欠かさなかった。それはもう必死な自己PR演説だった。

 

 どうやら彼女は「俺に用済みと思われたら死ぬ」と考えているようだ。それは確たる事実でもあるが、当面殺すつもりはない。対プレイヤーの戦力としてはハッキリ言って肉の壁以外は無価値に等しいが、まだ彼女から引き出すべき情報はあるだろう。潜入工作までこなすような元特殊部隊の知識は貴重に違いない。

 それよりもクレマンティーヌの言葉が誇張なく真実であれば、彼女はこの世界の強者ということになる。彼女程度が強者とされるのであれば当然プレイヤーの数はかなり少ないということになる。それ以外にもクレマンティーヌの故国には『神人』と呼ばれる先祖返りしたプレイヤーの子孫なんていう、ややこしい存在もいるらしい。バハルス帝国には第六位階を行使するバケモノ(?)魔法詠唱者が皇帝の側に侍り、リ・エスティーゼ王国の王国戦士長ガゼフ=ストロノーフは周辺国最強の戦士と呼ばれているようだ……が、少なくともクレマンティーヌはガゼフであれば対等に戦えると誇らし気に語った。

 

 ……まあ要するにどいつもこいつも弱いって事だ。第六位階程度でバケモノ扱いであり、クレマンティーヌと同程度で周辺国最強の戦士と称されている……クレマンティーヌを物差しに単純比較すれば「弱い」の一言だ。

 現状把握できる限りで確実に注意すべきはスレイン法国の2人の『神人』と彼等を牽制するアーグランド評議国のプラチナムドラゴンロードとか言うヤツを筆頭にしたドラゴン達だろう。生きていれば俺と同種族《?》の魔神を200年前に滅ぼしたと説明された『十三英雄』とか言うざっくりした括りの集団もヤバい。さらに加えてプレイヤーだ。説明された『口だけ賢者』さんみたいのが生き残っていれば上手く付き合える気がするけど……『六大神』とか『八欲王』みたいにギルド単位の連中とは確実に敵対する自信がある。

 

 ……『ギルドクラッシャー』……ユグドラシル最後の一年間で俺と『えんじょい子』さんと『バンバン』さんを中心とする『人化』できる異形種集団に付けられた汚名だ。クランではなくただの有志連合……過疎化して維持が困難な人間種ギルドから実質死蔵に近いようなアイテムを市場に戻していただけなのだが……まあ略奪者であり強盗なのは認めるけど……現に頑張って巨大ギルドを単独維持していた『モモンガ』さんとは良い関係だったし……

 

 クレマンティーヌの生死を賭した説明は続いていた。

 

「もういいよ、クレマンティーヌさん……とりあえずは殺さないことに決めたから」

「とりあえず……なんですか?」

 

 ガックリと肩を落とした彼女……先程までとは一転、いじましい目で俺を見返してくる。ちょっと二重人格入っているのか?

 

「だって裏切るかもしれないでしょ……最初は殺そうとしていたわけだし」

「滅相もありません!……もし最初からゼブルさんがぷれいやー(=神)と認識していたら、喜んで私の全てを捧げました……てゆーか……その……こんなキズモノでよろしければ捧げさせてください!」

 

 さらに一転、今度は全身全霊で女性を強調しだした。媚びたオンナの顔になり、さらに胸を強調している。

 

「そーゆーのはお断りします……情が湧いたら、捨て駒にする時に躊躇してしまう可能性もあるし」

「……捨て駒……確定なんですか?」

「あくまでももしもの時ですよ……クレマンティーヌさんが有能であることを示してくれれば、たとえ死んでも復活させます」

 

 ……つまり大幅に成長しない限り肉壁確定ってことだけどね……

 

「私、頑張ります!」

 

 俺の内心とは裏腹にクレマンティーヌさんは凄く喜んでいた。あまりに歓喜に満ち溢れているのでツッコミが入れられない。初対面で殺しにきてからの、このパターンは『えんじょい子』さんの時と全く同じだった。

 

 やたらテンションの高いクレマンティーヌに引き連れられる形で、俺は彼女の同僚の隠れ家たる、この共同墓地の片隅にある地下神殿へと向かった。

 

 

 

**************************

 

 

 

 眉毛まで失った禿頭が茶のローブから飛び出ているような印象の男が険しい目付きでクレマンティーヌを睨んでいた。経緯を考えれば仕方ないと思えるが、対するクレマンティーヌの緊張感の無さが間違いなく状況の悪化に拍車を掛けていた。

 

 ゾンビがうじゃうじゃ湧いて、悪臭渦巻く地下神殿に入った瞬間からクレマンティーヌは躊躇なく言った。

 

「ごめーん、カジッちゃん……私、ズーラーノーン辞めっからねー。よろしく言っといてー」

 

 神殿内の大量のゾンビを掌握しているらしい「カジッちゃん」はおそらくアンデッド共の創造主なのだろう。乏しいながらも確実にウンザリしたような表情で振り向いた瞬間、掌握が緩んだように感じた。

 

「……おぬしは何を言っておるのだ」

「だーかーらー、ズーラーノーン辞めます、って……どーしょもない事情なので勘弁!」

 

 また気紛れのお遊びか……禿頭の「カジッちゃん」の目は憎悪と諦観が入り混じり、なんとも言えない複雑さ光を帯びていた。元々死人のような顔色がさらにドス黒く変わっている。

 

「……おぬしが協力を持ち掛けてきたのだろう。計画はどうなるのだ?」

「私の担当部分は中止……ごめーん、カジッちゃん! 私は素晴らしいお方に仕える事にしたからさー……もう付き合ってらんないやー」

「……素晴らしいお方、だと?」

 

 クレマンティーヌの表情がうっとりしたものに変わる。あの、笑いながらいきなり殺し合いを仕掛けてきたヤバめの女がまるで恋する乙女だ。

 

「……そー、素晴らしいお方だよー……私の全てを捧げる事にしたから『叡者の額冠』もそのお方に捧げるんだ……だからカジッちゃんには一言断っておこうと思って……本当にごめんね」

「……儂らが数年費やした計画は、おぬしにとっては逃亡ついでの行きがけの駄賃程度のもの……それは解っておったつもりだが、いざ離反されてみればおぬしが信用できぬ……つまり殺した方が不安は解消される……」

 

 瞬間、クレマンティーヌの表情からヤンデレ乙女が消え、殺気が爆発した。

 踏み込む。

 距離を潰す。

 鋭利な刺突武器を抜く。

 直後クレマンティーヌのスティレットが「カジッちゃん」の眼窩を狙った。

 

 対する「カジッちゃん」は防御姿勢を取らない。ただ佇んでいた。

 しかし何もしないのは「カジッちゃん」本体だけで支配下のアンデッドは違った。地面から巨大な鉤爪が迫り上がる。

 

 必殺の一撃を巨大な鉤爪が受け止めた。

 

「くだらぬことを……」

 

 ゾンビを中心とするアンデッド軍団がクレマンティーヌを取り囲む。コイツらは明らかに肉の……いや腐肉の壁だ。ただクレマンティーヌの行動を阻害すれば良い。主力は地中の鉤爪……おそらくスケリトルドラゴン。

 「カジッちゃん」が手に持つ珠が力を発動しているのが確認できる。

 

 刺突が主武器のクレマンティーヌにとって、痛覚も生命も無い相手は決して得意とは言えないだろう。

 

「おぬしを『死の螺旋』の礎にしてやろう、クインティアの片割れ……続きはおぬしから『叡者の額冠』を奪い、『生まれながらの異能』持ちのバレアレの餓鬼を使って……儂らだけで行う」

 

 地下神殿の方々に黒いローブの男達が陣取る。間違いなく「カジッちゃん」の手下たちだろう。

 

「魔法詠唱者なんざ、何人居ようが『スッと行って、ドスッ』ってわけにはいかせてくれないわけねー……でも、私がお役に立てるところを披露する機会としてはむしろ申し分無し!」

 

 「カジッちゃん」が訝し気な顔付きになった。

 

「……披露だと?」

 

 クレマンティーヌの可愛らしい顔が幸せそうに歪んだ。

 

「……披露だよー。ココに下りてくる時、気配も消えちゃったけど……ゼブルさんは間違いなく私の戦いを見ていてくれる……」

 

 天にも昇るような恍惚の表情でクレマンティーヌは暗い天井を眺めていた。

 そして彼女の期待通り、俺は『完全不可知化』で地下神殿の片隅に隠れていた。

 

 介入すべきか悩む。本気を出して介入すれば1秒もいらない。クレマンティーヌ諸共吹き飛ばしてしまえば良い。だがこの世界に来たばかりの俺にとって彼女の知識は貴重だ。しかも支配したばかりで殺すのは勿体無い気もする。

 

 だったら「カジッちゃん」も支配するか……思い立ったが吉日って言うし。

 

「眷属召喚……肉腫蠅」

 

 今度は10匹の蠅を生み出す。完全にオーバーキルにも思えるが「カジッちゃん」以下彼の手下まで支配する予定だ。

 

 突然爆散するアンデッド軍団……指先の半分程度の大きさとはいえ、LV60の体当たりだ。低位アンデッドなんぞが耐えられるわけがない。

 理屈は良く解らんが現状腐っているのに腐り落ちる腐肉。

 肉は無いのに風化して崩れ落ちる骨。

 ものの数秒で「カジッちゃん」のアンデッド軍団は壊滅した。

 ユグドラシルでは見慣れた光景だが、リアルになると残骸は消えてくれないのでちょっと嫌悪を感じる。

 

 「カジッちゃん」は驚愕に顔を歪めていた。彼の配下は恐慌状態になり、オロオロとしながら「カジッちゃん」の下に参集し始めていた。まさか自分達が生死の決定権すら失っているとも思わずに……

 

「……ゼブルさーん。どうして……?」

 

 姿を現すと見せ場を失ったクレマンティーヌが恨めし気に睨む……といっても茶目っ気たっぷりで本気では無いようだが。

 

「コイツらも俺の配下に加えることにした……どうせ表に出れない連中なんだろ?」

「……カジッちゃんは兎も角、他は有象無象ですよー」

「だから壁にしても惜しくは無い。もし壁としても役に立たないようでなら眷属の苗床にしても良い……かなって」

 

 自然に漏れ出た自身の言葉に愕然しながら、瞬時に納得した。

 人間を人間と思えない。

 利用価値の有無……それが全てだった。

 まるで異形種カルマ値−500の設定が俺の精神に反映したかのようだ。

 クレマンティーヌの知識は役立ちそうだ。俺に全てを捧げると言う覚悟も実践してみせた。だから飼う。どのみち魔神である俺がアンダーカバーを介さず世の表に出ることは叶わないだろう。だから闇の中でこそ輝く頭のネジが緩んだ外道が下僕に相応しいのだ。

 「カジッちゃん」以下はいかがなものか……?

 

「だから失望させないでください」

 

 呟きながら振り返って彼等を見ると「カジッちゃん」以下が腐敗したアンデッドの残骸に覆われた地面に跪いていた。そして中心の「カジッちゃん」が再び立ち上がり、発言の許可を求めた。

 

「……許しましょう」

 

 カジット・デイル・バダンテールと言う名……デイルは捨てた名だ、と。

 ズーラーノーンとか言う秘密結社について。

 知る限りの盟主の情報について。

 邪法『死の螺旋』について。

 カジットの目的について。

 さらにエ・ランテルやリ・エスティーゼ王国の情勢について。

 各神殿や冒険者組合や魔術師組合なる組織について。

 エ・ランテル所属のミスリル級冒険者チームについて。

 秋の収穫期を狙ったバハルス帝国との戦争について。

 様々な情報を語り、最後に『死の宝珠』を俺に差し出し、カジット以下一同の忠誠を誓った。

 

 『道具上位鑑定』を使用し、『死の宝珠』とやらをカジットに持たせたまま確認する。大した能力を秘めたアイテムでもなければ用途も俺に合うようなモノでもない。

 ただ『インテリジェンス・アイテム』という鑑定結果だけがレアだった。要は喋るのだが、言い換えればそれだけだ。やたら煩く、俺を「真なる魔の神」と散々持ち上げるのも気持ち悪い。

 

「わかった、わかった……仕えることを許しましょう。だから俺の言うことを聞いて……」

(……ありがたき幸せで御座います、真なる魔の神よ。私は世に遍く死を与える為に生み出されてきたと思っておりました。ですが、貴方様という世の厄災を統べるお方を前にして、私が生まれた理由を悟りました。私は貴方様に仕える為に生み出されたのです……私の持てる力の全てを捧げてお仕えします。なんなりとお申し付け下さい)

「……ではコイツらを支え、カジットの計画を進行しろ。準備が整っても勝手に事を起こすなよ……俺は時折ココに帰ってくる。その際に進捗を確認する。お前達が役立つことを示せ……良いな?」

 

 ハハーッ、と大袈裟な声を上げ、カジットの配下は平伏した。『死の宝珠』も頭があれば平伏する勢いだった。

 

「クレマンティーヌさんとカジットさんは私と一緒に来てください」

「はい、はーい」

 

 陽気に応じるクレマンティーヌ。

 一方、対照的に陰鬱な表情のカジットは問い返した。

 

「儂も……ですか?」

「もちろん……もう予定は決めてあるんですよ。我々3人は金を稼ぎます。だってクレマンティーヌさんもカジットさんもココに残る連中を養えるほどお金持って無いですよね?」

 

「「……はい……」」

 

 答えた2人の声は沈鬱だった。

 



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2話 冒険者、始めました。

遅筆はご容赦ください。


 朝を待ち、早速冒険者登録しようと冒険者組合まで出向いた。

 他に金を稼ぐ良いプランが思い付かなかったのだ。冒険者で元手を稼いで、バハルス帝国の帝都にあると聞いた闘技場に出場……そこでは各種対戦が賭博として成立しているという。だから計画としては我々の初登場時の大穴オッズに全額ブチ込む……他のプレイヤーさえ絡まなければこれで完璧ですわ!

 なーのーで……大前提として武器さえ手元にあれば元手0から稼げる冒険者にならなければ話にならない。さらに良い事に聞いた話では自己申告で身分を捏造できるらしい。俺達にとっては渡りに船のような夢のザルシステムだ。

 なんせ連続快楽殺人犯兼国家反逆者と騒乱予備犯罪者と魔神の組合せだ。とりあえず新しい身分を作り上げ、自由にバハルス帝国に移動出来るようにならなければ闘技場出場でウハウハの夢は果てしなく遠い。

 よってアンダーカバーが必要だった。

 俺の場合は正体……いや本来の姿を明かせないだけなので『人化』で人間種の姿を維持するだけで良かった。見破られる心配をすればキリがない。完璧な偽装など出来るわけが無いのだ。それこそプレイヤーならば簡単に見破れるだろう。こちらの人間種も戦闘能力では劣っていても思考能力が劣っているわけではない。全身『神器級』で身を固めた人間など見るものが見れば疑惑の塊以外の何物でもない。周囲を行き交う冒険者達を見てもゴミ屑装備で身を固めた者しか確認できなかった。

 問題は残りの2人……クレマンティーヌとカジットだ。

 まずクレマンティーヌはティーヌ、カジットはジットと名乗らせた。そしてティーヌには髪を白銀に染めさせ、ジットには俺がユグドラシル時代に温め続けた秘蔵の逸品……『神器級』のヅラを被せた。装着者の魔力と集中力をを高め、単なる精神疲労まで含めた精神攻撃を完全に無効化し、睡眠も不要になる優れ物だ。その名も「ヅラではない、カツラだ」と言う……但し黒髪のオカッパだけど。加えて装備も俺の手持ちを貸し与え、2人共全身『神器級』で身を固めている。武装だけでなくアクセサリー類からヅラに至るまでだ。

 マジでどうしようも無かったのですよ……俺の『無限の背負い袋』には『伝説級』以下の装備は無い。ストレージ内を確認しても一切無い。もっと言えば金が一銭も無い。辛うじて待っているのはユグドラシル金貨のみ。「足がつくから絶対に使わない方が良い」との元法国特殊部隊員の助言に従った結果、ティーヌとジットから供出させた銀貨30枚が俺たちの全財産だ。通称『ギルドクラッシャー』のポリシーに従って、ユグドラシル時代に全ての『伝説級』以下は売り払ってしまっていたのだ……今更後悔してもどうしようもない。

 かなり目立つがティーヌにハンティングトロフィーの冒険者プレートを無数に貼り付けたビキニアーマーを纏って冒険者登録させるわけにはいかないし、ジットのローブに至ってはなんとも言えない腐肉の臭いが染み付いていたので人前に出せるような代物ではなかったのだ。

 結果として冒険者組合の入り口に凄まじく怪しい3人組が立っていた。

 黒いコートは冒険者の装備としてはかなり異質だが旅人のような存在であれば許容範囲内だろう。問題は燦然と光輝く純白の軽鎧姿と、有り得ないぐらい派手で後光の幻視すら見えかねないような法服だった。まるで神の御使と何処ぞの慈愛に満ちた教皇のように見える。中身は快楽殺人犯と死霊術師だけど。

 

 ……流石に目立つな。

 

 心ココに在らず……ティーヌは天の果てまで舞い上がり、ジットは地獄の淵で諦観しているような有様だった。

 組合に足を踏み入れた途端、周囲の冒険者達が騒めいた。

 

「……最近、どんなことになってやがるんだ?」

「この前の2人組も凄かったけどなぁ……」

「あー、あの黒いフルプレートに大剣2本持ちの奴な……知ってるか?」

「知ってる、知ってる……なんでも親父さんの宿で大暴れしたらしいぜ。ブリタがポーションの瓶を壊されて、その場でポンっと代わりの貰ったってよ」

「マジか……そんなに金持ってんのに、なんで冒険者?」

「さあな……本当に剣の英才教育受けた貴族か金持ちの放蕩息子とか?」

「相方の物凄い美女も……恋人ってよりは従者みたいな雰囲気だったしな」

「……ルクルットの軽薄野郎が絡んでたな」

「ゴミムシ扱いだったけどな……俺もナーベ様に蔑まれたいぜ」

「早速、バレアレの坊ちゃんから名指しの依頼を受けたらしいぜ」

「たしか『漆黒の剣』の連中がおこぼれに預かってたな……いや連中の方が格上なんだけど、よ」

「仕方ねーさ、どう見てもフルプレート野郎の方が格上に見える」

「俺らもすぐ抜かれるな……」

「……コイツらもかな……」

「またイグヴァルジさんが荒れるな……やだなぁ……俺らさ、ほんとによく絡まれるんだよ……割とマジで」

「いやいや、お前らだけじゃねーよ……ここにいる全員さ。ホントにあの人はなぁ……良い人は良い人なんだけどよ……なーんか小ちゃいんだよな」

「分かるわー、マジ分かる!」

「お前ら……イグヴァルジさんの前じゃ禁句だぜ」

「フルプレート野郎もそうだが……アイツらも、な」

「で、アイツらは……やっぱり?」

「あーあー、依頼主じゃねーや……登録の方に行きやがった」

 

 ……なるほど……超大物ルーキーがいたわけか……にしても大剣二本持ちは尋常な膂力じゃないな。プレイヤーの可能性も考慮して、それなりに警戒した方が良いか……てか、イグヴァルジって奴がちょー気になるぞ!

 

 入口から受付まで大して距離があるわけでもないので、考える時間もなく到達した。

 唖然とする受付嬢の前に立つ。

ニコリと微笑むと彼女は赤面したが、頭を振って瞬時に元に戻った。正しくプロの技だ。

 

「冒険者組合にようこそ……本日の御用件はどのようなものでしょうか?」

「我々3人共に冒険者登録をしたいのだが……」

 

 言葉については問題無く通じていた。これについてはユグドラシルの位階魔法が何故か使えるので疑問にすら思っていなかった。問題は文字の読み書きだが、ジットに代筆を頼み、俺達は闇の住人から3人組冒険者パーティーへとクラスチェンジした。3人共に証明である『銅』のプレートを首から下げている。ティーヌはどんな気持ちなんだろう……ちょっと聞いてみたい。

 当のティーヌは俺達が受けられる依頼で報酬が最高額のものを探していた。

 

「コレか、コレですよー、ゼブルさん」

 

 2枚の依頼書を見せられたが、さっぱり理解出来ない。

 

「コッチはモンスターの討伐依頼ですね……エ・ランテル周辺なんでそれほど難度は高くないかなー……でも数で稼げます。てゆーか、依頼主から指定されたモンスターの討伐以外、わざわざで依頼を受けなくても討伐証明の部位だけ持ち帰れば報酬は貰えますよ。だから私のオススメはコッチです。複数の女の誘拐が疑われている傭兵団つーか、大規模盗賊団本拠地か在るんじゃないかって言われている近辺の街道警備。他のチームと連携しなきゃならないのが難ですけど……」

 

 ティーヌは声を絞った。盗聴しない限り、俺以外には聞き取れない程度に。

 

「……でも遭遇戦って何時でも何処でも有り得ますよね?」

「……なるほど」

 

 ティーヌの言いたいことは理解した。他のチームに失敗させて、遭遇戦を引き起こす……後は流れに任せて殲滅する。警備依頼は失敗になるが、討伐の報酬を俺達で丸取りしようって算段か……失敗させるのは俺の眷属スキルがあれば簡単だ。

 

「ちょっと!」

 

 そう女の声で呼び掛けられ、ゆっくりと振り向く……そこに人間がいるのは把握していたが、まさか声を掛けてくるとは思わなかった。それほど今の俺達に声を掛けるのは度胸がいる……と思う。

 見れば、赤毛のボサボサ頭の女が苛立ちを隠さずに俺を睨みつけていた。褐色の健康そうな顔面に化粧っ気はゼロ。腰に手を当て、筋肉質な腕を見せつけつつ、頭一つ分背の高い俺を見上げている。

 

「ねえ、あんた達……その依頼受けるの? 最後の一枠なんだよ……考えているだけなら、依頼書を渡してくれない?」

「……それは残念だったな……俺達が…………いや譲ろう」

 

 ティーヌに依頼書を赤毛女に渡すように促す。

 

「……よろしいのですか?」

 

 不承不承ティーヌは依頼書を赤毛女に差し出した。

 赤毛女は余程慌てていたのか、ティーヌから依頼書を毟り取ると、礼もなく足早に受付へと向かった。

 

「……ゼブルさん、あの女、殺っちゃっていいかなー」

「まあ、待て、ティーヌさん……良く考えたら失敗させる依頼をわざわざ俺達が受ける必要も無いだろ……世の中、遭遇戦ってモノがあるならば、たまたま現場を通ることだってあるだろ……赤毛女には既に眷属が張り付いている。支配こそしてないけど、監視は完璧だ。それに殺すのも支配するのも、そして依頼を失敗させるのも自由自在だ」

 

 純白の戦士ティーヌの顔が狂気に歪んだ。

 絢爛な法服に身を包んだジットは無表情のまま深く頷く。

 

「さて、俺達はフリーのモンスター討伐に出かけようか……たまたま何かに出会すことを期待して」

 

 

 

**************************

 

 

 

 ゴブリンにオーガ……元々周辺国一帯のモンスターの間引きも任務の一部としていただけの事はあり、ティーヌの助言は的確だった。バーゲストも含めれば既に討伐数は3桁を軽く突破している。この近辺では討伐最高難度を誇るギガントバジリスクこそ住処が遠いので討伐できなかったが、まあまあ満足すべき成果だろう……エ・ランテルに戻ったら『飲食不要』の指輪を外して、ちょっとした打ち上げでもやろうか……本命は街道警備部隊の監視なので、戦闘に参加していない俺の気は緩みっ放しだった。

 俺は巣穴に眷属を飛ばし、一体を支配してモンスター共を煽動する。後は2人の体調管理をしてやるだけ……バフは不要だ。

 ティーヌとジットが煽られて飛び出して来たモンスター共を迎撃し、装備の感覚を馴染ませつつ、同時にレベリングを施す。掃討するモンスター共は雑魚ばかりなので、有り得ないぐらいのミスを犯さなければ『神器級』の防御を抜かれる心配は無い。2人共『疲労無効』の指輪装備のお陰でジットの魔力量だけ回復させてやれば延々と継戦可能だった。

 

 只管戦いと討伐証明部位回収を繰り返す2人を横目に、のんびりと欠伸をする。

 

「……警備隊は……大した動き無し、か……いや、動いているかな」

 

 対象の本拠が近いと感じたのだろう……一箇所に固まった冒険者達がジリジリと動いていた。先遣隊か何かの帰還を待っているのか、緊迫感を漂わせながら少しづつ移動こそしているが、それだけだった。

 

「……ツマンネ……待ってるのも疲れた。このまま出し抜くか……?」

 

 所詮はゲームのユグドラシルと違い、現実の索敵は慎重だった。なにしろ生き死にを賭けて仕事をしているのだ。娯楽とは違う。逆に遭遇してしまえばゲームよりも緊張の密度が高く、通常は有り得ないハプニングが起きやすいことも想像出来る……そのハプニングを故意に起こさせる瞬間をひたすらつけ狙っているのだが、現実はゲーム脳の俺には考えられないほど事態の進展が緩慢なのだ。それは理解している。しかし理解しているからといって我慢出来るわけではない。

 

 俺達のいる狩場から直線距離で2キロ程離れた街道沿いの森……先遣隊にいる赤毛女から別れ、本隊に『完全不可知化』を使いながら張り付いていた眷属が飛び立った。もちろん赤毛女の脳内には第二世代が肉腫と化し寄生している。現状支配はしていないが、いつでも支配可能な状態は維持したままだ。

 

 ティーヌとジットが討伐部位を回収し終えるのを待つ。

 待っている間にも眷属が索敵を行う。と言っても子の苗床である赤毛女を探すだけなのだ。一直線に飛ぶ。

 500メートル程先で先遣隊の赤毛女を確認……さらに40メートル程先に薄汚れた印象の2人組の男を見つけた。

 眷属が男達に近付く。

 青髪のボサボサロン毛の体格の良い男と赤鼻の貧相な小男の2人組だった。見た目通り、どうも力関係は青髪の方が上らしい。会話から察するにどうやら青髪は腕利き用心棒的な立ち位置のようだ。それらしく刀を腰に差している。

 この世界で初見の刀……一瞬、プレイヤーを疑った……が、すぐに杞憂と知れた……確定ではないが少なくとも高レベルプレイヤーではない。男の刀は冒険者達が持っているような物とは比較にならないが『聖遺物級』にすら達していないだろう。防具は無いに等しい。それに加えて無警戒だ。

 それなりにプレイ時間を積んだユグドラシルプレイヤーであれば、自身がPKの標的になる可能性を常に考慮するはずだ……この青髪は常に迎撃の態勢を整えているつもりかもしれないが、プレイヤーであるのならば低レベル過ぎる冒険者達に近付かれ過ぎていた。つまり40メートル先からの魔法爆撃等の遠距離攻撃に対して後手を踏むことが確定している……これは致命的瑕疵だ。

 つまりプレイヤーだと仮定するならばほぼ低レベルな上に初心者としか考えられない。しかしユグドラシル末期には低レベル初心者プレイヤーなどワールドアイテムよりもレアな存在だった。わざわざ終了が決定したゲームに自ら進んで参戦する変わり者は非常に少ない。サービス終了決定後ではそれこそプレイヤーのリアルの知人ぐらいしか考えられない。終わりまで短期間あえてお迎えする以上、最低でもLV70超ぐらいまでのパワーレベリングは必須であるし、余剰アイテムも贈与して然るべきだし、キャラビルドのノウハウもある程度は伝えるはずだ。初心者であるか否かは別にして、少なくとも低レベルである期間は非常に短いはずなのだ。

 勝手な予測だがユグドラシルのサービス終了の瞬間にログインしていたプレイヤー以外がこの世界にいるとはどうしても思えない。今のところ存在が確定しているプレイヤーも飛ばされた年代がズレているので自己完結の雑な考察しか出来ないが、『六大神』にしても『八欲王』にしても『十三英雄』にしてもこれだけの人数がユグドラシルプレイ中に集団失踪すればニュースになるはずだ。仮に地上波のニュースにならなくてもゲーム内やSNSや掲示板では話題になると思う。そんな話は聞いたことがない……俺が知らないだけかもしれないが……逆にギルド単位で転移した連中でなく、俺のようなソロプレイヤーの失踪ではニュースにも話題にもならないのか……?

 

 思わぬ自爆的な気付きに愕然としてしまった。

 

 なんかちょっと寂しい気持ちを味わいながら、ほぼプレイヤーでないのにユグドラシルのゴミアイテムっぽい刀を持つ青髪に眷属を寄生させた。次いで赤鼻にも蛆虫を潜り込ませる。青髪は頸を触ったが、赤鼻は違和感すら感じていないようだった。

 

「ティーヌさん、ジットさん……行きますよ」

「始まりましたか?」

「殺っちゃうんですねー?」

 

 討伐証明部位を各々の雑嚢に収め、ティーヌとジットは温度差のある笑顔を見せた。妄執と狂気……2人の病根だ。2人共に他者を殺し続けて、後戻りの効かない場所に到達していた。計画と快楽……生来のものか、2人の壊れた部分は発現する方向性が真逆だった。

 

「本拠を眷属に探らせました。冒険者達にミスさせる必要すらありません。直接乗り込みましょう……冒険者達には我々が盗賊団を討伐したことを証明させれば良いかな、って」

「……なるほど」

 

 ジットは唐突な計画変更に即同意したが、ティーヌが疑問を挟む。

 

「たしかに同じ冒険者が証言してくれれば報酬は簡単に丸取り出来ると思いますど……それだと必要以上に名声が上がっちゃうような……名声、私達に必要ですか?」

 

 要は闘技場賭博の大穴狙いって計画が怪しくなるって言いたいのか……?

 

「おぬしはそう言うが……何事にも元手が必要なのだ。多少掛け率が下がっても元手は多い方が良い。仮に儂、おぬし、ゼブルさんが順々に出場すれば全て2倍の掛け率でも一挙に8倍に増える。ゼブルさんはそこまで考えて計画を変更されたのだ……と儂は理解しておる」

「だったら……強盗でも追い剥ぎでもすれば良いんじゃないかなー?」

「おぬしは……風花に追われておる身で何を」

「アハハ、それはクレマンティーヌの話だねー……私はティーヌだよ。ゼブルさんに頂いた名が全てだよー」

「……儂もジットだ!」

 

 いや、別に張り合わなくても……いいんじゃないかな?

 

「……だから心機一転、真っ当に稼ぐわけじゃん……ゼブルさんの真意は少なくとも国に追われるような真似をせず、大金を得るわけだよねー?」

「……その通りだ。であればこそ、儂らのような愚物にこのような神器を託されたのであろう……忠実な下僕たろうとする儂らが法を犯して、どうする?」

「……そーそー、最後の最後にカタルシスが無くなっちゃうねー」

「それこそが厄災の真骨頂である、と儂はゼブルさんから教えて頂いたのだ」

「だったら……むしろ名声上げまくった方が良いね」

「ふんっ……ようやく理解に至ったか……おぬしは儂以下の愚物よ」

 

 なんか不穏な会話が続き、2人は勝手に俺の「真意」とやらを理解したようだ。しかもどーゆー訳か納得されちゃっているし……

 

 性格破綻者2人の合意も気になるところだが、現状は冒険者達と無法者達の距離の短縮が問題だった。それほど時間があるわけではない。

 

「時間が無い。移動するぞ……ゲート!」

 

 蠢く虹色の闇……眼前に『転移門』のエフェクトが生み出された。

 初見の魔法にジットの顔が引き攣っていた。第三位階程度が限界とされる世界ならば仕方の無い反応だ。逆にティーヌは妙にテンションが高い、

 

「はいはい、早く行きましょう!」

 

 眷属の待機する盗賊団本拠の洞窟前に『転移門』を開く。

 ティーヌが『神器級』のレイピア『戦闘妖精』を抜き放ちながら勢いよく飛び出した。残念ながらマニアック過ぎるスティレットは俺の手持ち武器の中に無く、同じ刺突系の炎を風の力を宿したレイピアで我慢してもらっている。

 ジットはよくよく『転移門』の観察を続けている。死霊術師とはいえ魔法詠唱者としては当然の反応だろう。

 

「あんれー、なんで反応しないのですか?」

 

 洞窟の前に立つ4人の薄汚い男達はいずれも虚空を見つめていた。

 

「ああ、そいつら……騒ぐと面倒だから脳を少しだけ眷属に食わせた。放っときゃ、その内死ぬさ………さあ、ティーヌさんとジットさんは侵入、侵入」

 

 俺の言葉にティーヌは息を飲み、ジットは大きく目を剥いた。

 アンデッド化するでもなく、即死するわけでもなく、単に死んでいないだけの状態……運が良ければすぐに死んで朽ちる。運が悪ければただ無意味な生が死ぬまで続く。その現実が眼前にあった。戦うことも恨むことも後悔することも死ぬことも出来ない。それについて俺は何も感じない。目の前にいれば「苦しめてやろうか」ぐらいは考えたかもしれない。殺人を好み、厭わない性格破綻者達が……もちろん自分の頭の中身を考えてのことだろうが……何かを感じる状態を、自ら作り上げたものとはいえ俺は平然と受け入れていた。

 

 それもほんの一瞬のこと。

 ティーヌは欲求を埋めるべく突入し、ジットは侵入するも警戒を怠らない。

 先行する眷属に監視を任せ、俺は悠々と進んだ。

 

 汚ねえ悲鳴がアジトの洞窟内に反響する。

 狂乱の笑い。

 貶める言葉。

 狂騒の応酬。

 陰惨な結果を招く魔法の詠唱。

 一方的な殺戮が音だけで知らされる。もはや眷属から送られてくる映像も必要無かった。

 夥しい量の流血が大地を黒々と染めていた。

 しかし屍は無く……アンデッドの気配が流れ伝わる。そして次々に増えていることも認識できる。ジットは『不死者創造』を使い、片っ端からアンデッド化させているようだ。もはや数的優位すらコチラに傾いているらしい。

 眷属からの情報によれば、どうやらコイツらは『死を撒く剣団』と言う傭兵団らしい。傭兵団とは名ばかりで実質的に無法者集団だ。街道を通る馬車を襲い、次の戦争まで食い繋いでいるのが実情だ。そのついでに数名の女性を誘拐したらしい。欲望を満たす為か、身代金目的か……その両方か。

 

 『死を撒かれる剣団』と化した傭兵団の半数以上は不死兵団となり、元仲間を襲い、さらに仲間を増やし続けていた。

 

 半ば地獄と化した洞窟を悠々と歩き続ける。

 ティーヌもジットも身体的な異常は無い。見た目でなく彼らの脳内の肉腫から送られてくる情報だから間違えるはずはない。だが何かがおかしい。

 悲鳴が明確に少なくなった。

 断末魔の絶叫も消えた。

 剣撃の音が響く。

 数的にも優勢になったコチラが押し返されているのか?

 眷属を飛ばし、確認する。

 

 そして唐突に事態は膠着していた。

 

 

 

**************************

 

 

 

「ブレイン・アングラウスだ」

 

 膠着を作り上げた元凶が通路で立ち塞がっていた……青髪だ。彼の周囲には元同僚のアンデッドが切り刻まれて転がっている。

 

「……そっちの名前は?」

 

 大きく裂けたような笑顔が応えた。

 

「おんやー、聞いたことのある大物のご登場ですか? ホンモノかなー……もしホンモノだったら手を出さないでくれるかなー、ジッちゃん」

「……おぬしという奴は……ゼブルさんが見ておられるのだぞ」

「だからこそだよー、ジッちゃん……私がゼブルさんのお役に立てることを証明するの!」

「……好きにしろ……但し、危なければ加勢するぞ。いちおう儂でも聞いたことのある名だ。流石にナメるわけにはいかぬ」

 

 ジットの妥協に満足したのか、ティーヌは左手をヒラヒラと振った。

 

「……んで、私の名前だっけ?」

 

 ティーヌは誇らし気に笑い、対するブレインは少し照れを感じさせる素振りを見せた。

 

「余裕だな?」

「んー、余裕じゃないんじゃないかなー? どっちかって言うとホンモノのブレイン・アングラウスが噂通りの剣士ならば相性悪いって感じ?」

「……噂通りの?」

「そーそー、たしか……迎撃屋さんでしょ?」

「そうか、俺ごときでも噂になっているのか?」

「私が元居た界隈じゃ、それなりに有名かな……リグリット・ベルスー・カウラウとガゼフ・ストロノーフに敗れて一皮剥けたらしい、って」

「安い挑発に乗る程、やわな精神を持ってないぞ」

 

 ブレインが淡々と返した。

 ふーん、と相槌を打ち、ティーヌは面白そうに目を細めた。ただでさえ大きな口がさらに広がる。

 

「私はティーヌ……素晴らしいお方から頂戴した名だよ。そして天才剣士ブレイン・アングラウスに3度目にして最期の敗北を与える者の名……いんやー、なんか名乗りって恥ずかしいー!」

 

 ケラケラ笑いながらティーヌは深く沈んだ。

 ブレインが刀の柄に手を掛け、浅く迎撃態勢をとる。

 

「うんじゃ、いっきまっすよー!」

 

 間延びした声と共に白い残像が美しい軌道を作り上げた。

 

「ちぇすと!」

 

 ブレインの気合いが走る。

 直後、銀光が交差し、火花が散った。

 

「やっるー……ホンモノのブレインちゃん、確定!」

 

 心底楽しそうなティーヌ。

 自身の手を一瞥し、明確に一段階ギアを上げたのか、ブレインの表情が引き締まった。

 

「次は本気でやろうよー……なんか楽しくなってきちゃった」

「やるな、おまえ……」

 

 明確な差は互いの姿勢だった……お互いに本気の証だ。

 ティーヌは地面にほとんど這いつくばるようなクラウチングスタート態勢。右手にレイピアを持ち、左腕を大きく前に突き出していた。まるで肉食獣が獲物を捕らえようと全身を引き絞ったようなイメージだ。

 対するブレインは昔の映像で見た居合い抜きのような体勢を見せる。それ自体は別段珍しくも無い構えだ。しかし妙な雰囲気がブレインを中心に広がっていた……魔法詠唱者でいえば結界のような感じか?

 

 全力の合意は成った。

 

「準備はオッケー?」

「……全力で来い」

 

 直後ティーヌが加速した。低く、速く、頭から突っ込む。そしてさらに空中で加速した。

 ブレインの刀が水平に走る。ティーヌの頸部を狙っていた。正確無比な一閃の速度はティーヌの突進の速さを凌駕していた……が、ティーヌはさらにもう一段加速し、レイピア『戦闘妖精』で刀を受け流した……「あっぶなーい……けど、大丈夫!」とティーヌの声が届いた瞬間、刀とレイピアが鍔迫り合いを始めた。

 

「ふん。甘いな」

 

 柄頭が変則的な動きをした。

 ほんの一瞬ティーヌの注意を引く。僅かに視線がズレた瞬間、ティーヌの脇腹にブレインの蹴りが入った。

 ティーヌの胴体が僅かにズレたものの、笑顔を保っていた。この戦いが面白くてたまらない……彼女の表情だけを見ただけで誰もが理解してしまう。

 むしろ顔を顰めたのは蹴りが決まったブレインの方だ。

 

「甘いのはどっちかなー?」

「……固いな。とてもそんな代物には見えないが」

 

 ブレインが蹴りつけたティーヌの『神器級』の鎧が低レベル人間種の蹴り技程度でダメージを通すはずもない。物理特化でなければ高レベルプレイヤーの攻撃すら弾きかねないモノだった。なんせ元々の持ち主は高起動紙装甲PKガチ勢である『えんじょい子』さんなのだ……PKで返り討ちにした後、妙に接近してきた彼女が「彼女を倒した俺のスキルを教える」のと引き換えに受け取った物だ。その後、彼女は俺達異形種ソロプレイヤーの有志連合に加わるようになった。全員がソロプレイに拘りを持ち、決してクランやギルドには発展しない集団……言うなれば互いに殺し合いもする遊び仲間になったのだ。

 ティーヌはブレインに自慢するように白銀に輝く鎧を見せつけている。独特のテンションの高さもそうだが、中身が人間でなく堕天使ならば本当に『えんじょい子』さんそっくりな奴だと思う……比較にならないぐらい弱いけど。

 

「おいおい、楽しそうだな」

 

 ボヤきながらもブレインは破格の鎧には拘らず、あっさりと距離を取り、構え直す……ティーヌの突撃に対して徹底して迎撃方針のようだ。そして攻撃の精密性にも自信があるのだろう。

 ティーヌは独特のクラウチングスタート体勢から、三段構えの加速を駆使して距離を潰しに掛かり、トドメの一撃を狙う。しかし楽しんでいるのか、一撃が決まらなければブレインの距離に付き合っていた。

 

 そんな激突を2回3回と繰り返し、互いに決め手を欠いたまま10回目の攻防に至った。

 

 

 

**************************

 

 

 

 悠々と洞窟内を歩いていた俺が対決の現場に到着し、気付いたジットが黙礼する。この場にいなくても状況は把握していたが、前情報が無くとも均衡が崩れつつあるのは一目瞭然だった。原因を端的に言えば「装備品の差」だ。

 本来の力量で言えばティーヌとブレインはほぼ互角かほんの僅かにティーヌが勝る程度の差しかない……ように思える。

 本当になんとなくだが、この世界に来てから前衛近接職の力量差をザックリと理解してしまうのだ。ティーヌのレベルが40にも達していないだろう、とか……ブレインとティーヌの差は微々たるものだが、同じ戦士系の赤毛女はクソ雑魚だ、とか。

 

 とにかく決定的なのは力量の問題でなく、装備品の性能差が隔絶し過ぎなのだ。

 ティーヌは疲労しない。

 ティーヌの集中力は途切れない。

 ティーヌは状態異常にならない。

 これらは全てブレインに無い。彼が持っているのはポーションに低位の防御魔法が付与されたアクセサリーが数点程度だろう……本来ならばこの時点で負け確定なのだ。少なくとも俺ならば脱兎の如く逃亡するぐらいに、2人の装備品は隔絶していた。

 そして決定的なのがティーヌの鎧はブレインの攻撃を通さない点だ。ティーヌの回避技量とブレインの攻撃正確性の相乗効果でこれまでのところ鎧に攻撃は当たっていない為にブレインもティーヌも気付いていないのだ。ブレインが物理特化であっても90レベルを超えない限り、単なる物理攻撃などあの鎧には通用しない。逆にブレインのチェインシャツでは『戦闘妖精』の攻撃を防御出来ない……身軽さと疲労を考えれば着用しない方が良いぐらいだ。

 武器も『神器級』のレイピア『戦闘妖精』とゴミアイテムの刀では比較にならない。ティーヌが刺突に拘らず、斬撃を織り交ぜていれば既に対決が終わっていてもおかしくない……おそらくブレインの刀は砕かれるか、断切されるかしたはずなのだ。

 

 このままではジリ貧なのはブレインも理解したようだ。

 ティーヌは余裕を感じさせる満面の笑み。

 ブレインは肩で息をし始めている。

 ティーヌの独壇場と化すまで残り僅か……逃げるならば今しかないだろ。

 

 だがブレインは引き下がらなかった。

 ひたすら距離を取り、11、12、13回と攻防を重ねた。そして遂に攻防は22回目を終えた。

 余裕綽々のティーヌに対し、ブレインは疲労困ぱいを極めていた。

 

「はぁー……私、疲れちゃったなー」

 

 誰が見ても嘘だ。偽装ですらない。ティーヌの壊れた部分がブレインを茶化しているだけの言葉だった。見下すような笑いがブレインに向けられていた。

 対するブレインに言葉は無い。反応も出来ない。

 

「化け物……」

「女性に対して化け物は失礼なんじゃないかなー?」

 

 ティーヌは頬を膨らませた……が、演技だ。ティーヌの本質はサディストの快楽殺人者だ。その自覚もあるはずだ。俺の見立てでは陰惨な喜びに絶頂するような真性のド変態だ。そんなひとでなしのゴミ屑と見込んだからこそ、俺は配下に加えたのだ。今の俺に相応しい、と。

 

 とうとうブレインが膝を着いた。刀に寄り掛かり、なんとかティーヌを見上げているが、疲労の極地に立っているのだろう。朦朧としながら何かを呟いている。

 

「おかしいだろ……今までどんな舐めたモンスターも、自分の方が肉体能力が上だと嘲笑する化け物も、屠ってきた俺が……」

「……何を言ってるのー? 諦めちゃった?」

 

 ティーヌが茶々を入れたが、ブレインは反応しない。もはや彼の前に立つ者はいないのだ。

 

「……俺は……努力して……」

「アハハ、努力はみんなするねー……私もさ、弱っちかった頃はグルグル回されたり、目の前で友達が死んだり、何日間も拷問受けたりねー……洋梨って知ってるかなー? アレ痛いんだー。でもいろんなモノを乗り越えて……ゼブルさんに拾われて……幸せ、かな?」

 

 唐突に始まったティーヌのアッケラカンとした痛々しい告白も今のブレインには届かなかった。

 

「俺は馬鹿だ……」

 

 ブレインの独白は続いた。

 金になる貴族の誘いを断り、ひたすら力を求めた。モンスターを斬れば名声を得られる冒険者にもならず、人間を斬る実戦に拘り、傭兵団に所属した。名声も金も地位も求めず、ただ只管に努力を続けた。全てはガゼフ・ストロノーフに雪辱する為……人生の全てを剣に捧げた。

 しかし現実は残酷だ……自分よりも若い女に技量で並ばれるだけでなく、装備品の差で全力で戦っても敵わなかった。人間のちっぽけな努力よりも資金力で装備を整えた方が勝る事実……本来の技量差は僅かなはずだ。

 

 ティーヌが戸惑いを見せた。不意に振り向き、俺を確認するとすがるような表情を見せる……このまま殺して良いのかとサディストが迷っていた。途中から一方的に嬲っていたとはいえ、この微妙な決着ではなんとなく釈然としないのかもしれない。

 俺としてもティーヌに並ぶ戦力は惜しくなっていた。『死を撒く剣団』の不甲斐なさを考えれば、ティーヌレベルの戦力でもこの世界では貴重だ……と確信を得ていた。ならばさっさと支配すれば良い……のかも知れない。

 

「ブレイン・アングラウス!」

 

 俺の強い呼び掛けに俯いていたブレインが顔を上げた。

 

「……力が欲しいですか?」

 

 俺は耳元で囁いた。

 客観的に見れば悪魔の囁きならぬ、魔神の囁きだ。決して乗ってはいけない誘いだ。弱った心を狙い、大きな代償を伴うものだ。しかもそれが真面な取引とは限らない……だがブレインは深く頷いた。虚だった目に強い意志が戻っていた。つまり取引は成立したのだ。

 

「そうですか……では」

 

 ブレインの脳内の肉腫が代償を伝える。

 そしてブレイン不敵に笑った。

 

「俺の全てか……そんなチンケなモノで強くなれるならば、俺は喜んでお前の下僕になろう。既に剣の代償として人生の全てを支払っているんだ。支払い先が俺の知らない何かからお前に代わるだけのことだ」

「取引は成立しました。裏切りは死ですよ」

「問題無い……俺が強くなれるならば……」

 

 ブレイン・アングラウスも完全にぶっ壊れていた。真面目な求道者として行き過ぎていた。もはや感性が狂っているレベルだ……剣の為に、宿敵に勝利する為だけにあえて人斬りの道を選択しただけのことはある。

 

 ブレインを回復する……体力はもちろん精神的にも完全に回復させた。

 ブレインは跪いた。

 俺はストレージから『神器級』の一振りを取り出し、差し出した。

 剣の狂人は命と引き換えに受け取った……あっさりと、躊躇なく……笑いながら。

 

「首領と幹部を数名残して下さい……3〜4人もいれば充分でしょう。残りは任せます」

 

 ブレイン・アングラウスは力強く立ち上がった。これまでの仲間を屠る為に……

 

 




読んで頂きありがとうございます。


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3話 逃げるって、基本だと思うんです。

感想を頂いた方、本当にありがとうございます。
もっと早いペースで書ければと思いますが、中々スケジュールが厳しいです。


 暗い森を男が走っていた。足場が悪い為か躓いては地面に転がり、慌てて立ち上がりを繰り返している。

 全身泥だらけ。

 中でも掌は傷だらけ。

 でも男は止まらない。息が上がり、意識は朦朧としているようだが、絶対に止まらなかった。それは命懸けと言うよりも緩慢な自殺のような行為だった。

 自身の武力は最底辺……男にはその自覚があった。だから取るものもとりあえず逃げた。逃げる以外の選択肢など無かった。

 本来ならば街道を進みたかった。己の武力を考えれば夕暮れの森を抜けるなど考えられない。しかし状況が許してくれなかった。街道を進めば必ず追い付かれる……それは確信だった。

 

 最強の男が寝返った。

 最強の男を従えた最凶の存在を目にした。

 最凶に付き従う最狂の女が笑っていた。

 最恐の者に表情は無かった。奴は淡々と不死の軍団を生み出していた。

 戦争でも経験したことの無い恐怖が男の脚を突き動かしていた。

 自らの死への恐怖では無かった。

 頭の奥底にある芯から感じる……この恐怖の正体はいったい何なのか……

 とにかく逃げなければならなかったのだ。

 

 この国で生まれた。

 恵まれない村だ……ろくでもない人生だった。

 極貧の生活……どんなに懸命に働いてもまともに食えなかった。

 妹は売られたのだろう……本当にどうしようもない現実だ。両親を罵りながらも食い扶持の減った現実は受け入れた。

 3度徴兵され、運良く生き残った。3度目に生き残った時、決して改善しない現状から逃げた……死の逃避行……3度の戦を生き抜いたとはいえ、国家というシステムから逃げるのは単なる農民の男には至難の業だった。後盾も無ければ土地勘すら無かった。

 だが3度の戦争でも男を生き残らせた幸運の女神は再度微笑んでくれた。

 傭兵団の手引きで男は辛うじて安住の場を得た……助けてくれた傭兵団にそのまま所属したのだ。

 

 傭兵団『死を撒く剣団』に所属したからといって男自身の武力が上がるわけではない。人生の辛酸を舐め尽くした男はよく自覚していた。だから傭兵団でも下働きを受け入れていた。戦時こそ傭兵団だが男が所属したのは平時は野盗集団に豹変する組織だった……結局、ろくでもない人生に変化は無かった。

 変化と言えば奪われる側から奪う側に回ったこと……泣かされる側から泣かす側に堕ちたこと。

 

 そんなろくでもない集団の中で男は最強の男を知った。

 少しづつ馴染む内に彼も自分と同じ元農夫だと知った。

 御前試合で王国戦士長と戦ったことがある、と聞いた。

 王都には女だけで構成された凄腕冒険者チームがいる、とも聞いた。

 世の中知らない事だらけだ、と気付かされた。

 最強の男が語る世界は男にとってとても新鮮だった。

 ろくでもない男達の中で最強の男は孤高を保っていた。

 奪わず、犯さず……ただ淡々と剣を振っていた。

 その在り方に憧れを感じた。

 男は彼から自分の知らない世界の話を聞くのが好きだった。

 ろくでもない集団の下働きと、ろくでもない集団から一目置かれる男。

 自分が男の眼中に無いことは知っていた。

 でも届かない世界の話はろくでもない生活に潤いを与えてくれたのだ。

 

 孤高が籠絡され、仲間を裏切った

 仲間は蹂躙された。

 自分にも死が迫っていた。

 幹部の幾人かは拘束されていたが、自分は拘束される側でなく、死ぬ側に立っているのを理解させられた。

 

 もう奪われるのは御免だった……塵芥のような命だが彼奴等に差し出すわけにはいかない。

 

 だから逃げた……脱兎の如く、なりふり構わず。

 死が怖いわけではない……幾度も死を覚悟し、死んだ方がマシな状況にも慣れていた。男の人生で生きていて良かったと感じた時期など無かったのだ。

 でも彼奴等に殺されるのだけは勘弁だ……そう感じた。

 いても立ってもいられなくなった。

 気付いたらアジトを飛び出し、森の中を走っていた。走って、走って、走り続けた。

 彼奴等に殺されるぐらいならばモンスターの餌になった方がマシだ。そう真剣に考えていた。息が上がり、喉はカラカラだ。傷だらけの身体が悲鳴を上げていた。でも走るのを止められなかった。このまま死んでもいい。立ち止まるぐらいならば死んだ方がマシだ。

 

 どれだけ走り続けたのか……半日は走ったような気がする。

 

 空は闇色に染まり、星々が足下を照らしていた。

 気付けば森を抜けていた。でも不思議なことに森でモンスターに出会うことは無かった。夜の森でモンスターに遭遇しないことなどあり得るだろうか?

 

 男は脚を止めた。

 水場を探し、辺りを見回す。小川のせせらぎが聞こえた。その音を頼りに男は歩き始めた。脚を上げるのも辛い。

 でも一息着いたら再度歩き始めるつもりだった。

 同じ場所には居られない。そう切実に感じていた。

 

 水は美味かった……生まれて初めて「生きていて良かった」と感じた。

 両手で顔を洗った。魂が浄化されたような気がした。

 男は自身を守護する幸運の女神に感謝した。ゴミ屑のような戦力しか持たない自分が3度の戦争を潜り抜け、歴戦の古兵が為す術無く滅んだ戦争以上の厄災をやり過ごした……全ては幸運の女神のお陰だ。超常的な何かの助力がなければ有り得ないだろう。

 

 街道をそのものを歩くことは出来ない。

 

 男は街道沿いをゆっくりと進むことに決めた。

 とりあえず逃げ切った……そう確信すると自然に鼻唄が漏れた。

 

 小さな蠅が男の前を横切る。

 

 男は気にもせず、所々音程の狂った鼻唄を口遊み続けた。

 

 北へ向かう……男はそう決めていた。最弱の剣と強大な幸運を頼りに。

 

 

 

**************************

 

 

 

 エ・ランテルの朝の喧騒の中を歩く。

 頭の中には後悔しかなかった。

 

 証言者である街道警備を請け負った冒険者達と共に冒険者組合に報告を済ませ、拘束した『死を撒く剣団』首領と幹部3名に加え、救出した女達を引き渡した。もちろんブレイン・アングラウスについて余計なことを喋らせないように処理はしてある……全員の脳内に眷属が寄生済みだ。ブレインは捕らえられていた女達には手を出したことはないと主張したが念の為に女達の脳内にも寄生させた。

 

 組合の建物内は大騒ぎになった。

 冒険者達の証言聴取は既に始まっていた。

 次いでティーヌとジットが討伐したモンスターの討伐証明部位の山を組合窓口に渡し、蜂の巣を突いたような騒ぎになった。

 冒険者になった初日の成果がモンスター討伐数327……これだけでも大騒ぎになって然るべきなのに、加えて『死を撒く剣団』70名超の潰滅と首領を含む幹部の拘束。そして捕らえられていた女達の救出。

 

 要するにやり過ぎだったのだ。

 

 時間帯も拙かった。冒険者の人数が一番揃う朝一だったのだ。

 しかし報告してしまったものは撤回できない。

 とりあえず報酬を得るまでと我慢して待ち続けた。

 だが冒険者が増えるに連れ、組合内はカオスの大渦と化し、混乱はさらに拡散する一方だった。仕舞いには冒険者組合長のプルトン・アインザックまでが顔を出す面倒な事態にまで発展した。

 

「また報酬を受け取りに来ます!」

 

 俺達は報酬すら受け取れず組合から逃げるように立ち去ったのだ。

 面倒くさいのは御免だった。

 しかし手持ちの資金はほぼ増えていないのに、新たな仲間としてブレイン・アングラウスが増えていた。ブレインの所持金と言うか強制持参金は銀貨が2枚に銅貨が12枚……所持金総額は微増したものの、均等割で一人頭銀貨10枚が銀貨8枚と銅貨3枚となったのだ。本当はどうしても報酬が欲しかった……でも算定後に俺達に支給されるまでの間、あのバカ騒ぎに耐えるのは苦痛以外の何物でもなかった。

 

 とりあえずブレインにも『飲食不要』に加え『睡眠不要』と『全状態異常耐性向上』の効果を持つ腕輪やアンクレットを装備させた。ブレインは装備品の効果を説明されてビックリし、それは有難がっていたが、現実には単なる貧困対策だった。飲食と睡眠が不要であれば宿代と食費が浮くのだ。

 

「で、どうするんですか?」

 

 先頭を軽やかに歩いていたティーヌが振り返った。器用にも後ろ向きに歩きながら行き交う通行人をまるで見えているかのように的確に避けている。

 問われても当ても無ければ目的も無い。いや、金を稼ぐという大きな目的はあるし、その為の当てはバハルス帝国の帝都に在る。だがその前に今回の報酬が受け取りたかった。だから正確には「本日の」と言った方が良いだろう。

 考えながら歩いているとティーヌが顔を歪めた。

 

「どうかしたんですか?」

「……いえ、風花っぽいのが……連中、病的に気配を完全に断とうとするので逆に一般人の集団の中だとポッカリ穴が空いたように感じるんです。連中も頭で理解はしているでしょうが……幼少期からの厳しい訓練で深く身に染み付いたものは中々消せません」

「風花って……要は追手ですか?」

「……申し訳ございません」

 

 ティーヌは頭を下げた。そして前に向き直る。目立つことを避けたのかもしれない。しかし器用なものだ。一連の動作中でも歩く速度は一定に保っているのだ。喧騒の中でも会話可能なギリギリの声量も保っている。

 

「それにしても念入りに追われているんですね……?」

「……国から離反するだけじゃなく、行き掛けの駄賃に国宝、強奪してしまいました……テヘ」

 

 うん……そりゃーテヘペロじゃ済まないね。

 

「……捕縛されたら、極刑確実ですね」

「はい、単なる死刑で済めば御の字だと思います。国宝奪う際に巫女姫を発狂させてしまいましたし、護衛もかなりの数を殺しました……我ながらやり過ぎだったかなー、って思います。捕まったら、それはそれはエグーい実験の材料にされるんじゃないかなぁ……って……」

「……うん、救いようが無いね」

「そこを何とかゼブルさんに救っていただきたいなぁー、って思ってます」

 

 再び振り向いた上目遣いのティーヌに嘆息が漏れた。

 

「まあ、いちおう頑張りますけどね……でも捕まったら自己責任という事でお願いします」

「えーっ! ゼブルさん、酷い!冷たい! 私の大事な部分にあんなエグいモノを入れたクセに、ヒドイ!」

 

 ……あのなー、一気に馴染み過ぎだ……何、その下ネタ……

 

「……ご不満でしたら、離反して頂いても結構ですよ? それでしたら自動的に人体実験よりは真面な最期を迎えるんじゃないですかね」

「離反なんてするわけないじゃないですかー……私、ゼブルさんに全てを捧げるって決めたんですー」

 

 ティーヌはニヤニヤとした笑いを返してきた。懲りない女だ……まあ、でも暗いよりはマシだ。どうせひとでなしの団体なのだ。今更罪の一つや二つ、増えたところで何かが変わるものでもない。

 

 それにしても……ティーヌの追手は何故手を出してこない……髪を染めて衣装替えした程度で誤魔化せるものでもないだろう?

 

 当然と言えば当然な疑問が頭を過ぎった。

 

 風花聖典だっけか……諜報専門の特殊部隊だけでなく、中低位の悪魔であるシャドウ・デーモンまでそこら中に配置しているのに……俺は別にして、ティーヌやジットやブレインを相手にする程度ならば充分な戦力だろうに……俺にしてもシャドウ・デーモン程度の探知では能力看破は絶対に看破不能なはずだ。俺の能力が読めるまで手を出すことを我慢しているのならば随分と用心深い連中だ。

 

「……連中、なんで仕掛けて来ないんでしょうかね?」

「風花だけじゃ戦力不足って考えているんじゃないですかねー?」

「戦力不足……? 充分だろ」

「えーっと……自分で言うのも何ですけど、風花は諜報が専門分野ですから元漆黒聖典の戦士相手だと何人いても辛いと思いますよ」

「……んんっ?」

 

 じゃあ、あのシャドウ・デーモンさん達は……?

 

「なあ、ティーヌさん……シャドウ・デーモンって知ってる?」

「……そりゃー、まあ、戦士職とは言っても元漆黒聖典第九席次ですから、危険な悪魔の基礎知識程度はありますよ」

「風花聖典ってシャドウ・デーモンを使役したりするのかな?」

「アハハッ! そんな超一流の腕があったら上が強制的に風花から漆黒に鞍替えさせますよー……やだなぁ、ゼブルさん」

 

 当然じゃないですかー、とティーヌは笑い……直後真顔になった。どうやら俺の言葉の意味を理解したようだ。

 

「……全員、振り向くな……このままエ・ランテルから脱出する」

 

 プレイヤー……もしくはそれに準ずる高レベルが背後にいるのは確実だ。シャドウ・デーモンごときなら何匹いようが俺だけならば無傷で逃げ切る自信はある。でもティーヌ以下を護りながらは流石にキツい。

 

「おぬしが何かやらかしたのか、ティーヌ?」

「信用ないなー、ジッちゃん……それより無茶苦茶ヤバい感じ?」

「なんだよ、それ?」

「あー、まー、俺達、基本的にひとでなしの臆病者なんですよ……シャドウ・デーモン程度なら何匹いようが俺だけならば殺り合ってから逃げてもいいんだけど……流石にお荷物抱えたままじゃ、無理ゲー過ぎる……敵の総数を把握出来ない以上、逃げの一手がベストだろ、と」

 

 ブレインは淡々と状況を把握したようだ。

 

「要するに……ここには俺ら程度じゃキツい相手が無数にいるのか?」

「……ご名答……能力比較でも確実に劣るけど、単純に相性が悪い。だから逃げます。無報酬はキツいけど、しばらくはエ・ランテルには戻りません。転移魔法も感知されるかもしれない。幸いにして冒険者稼業は移動が楽らしい……どこか別の街で軍資金を稼ぎましょう」

「……まっ、俺は構わない……冒険者になる気は無いが、強くなれるなら旅暮らしも悪くない」

 

 ブレインはそう言うが、無制限に旅暮らしを続けられる程の資金が無い。

 

「……どこが稼ぎ易い街かな?」

「可能ならば帝都アーウィンタールから遠い方がよろしいかと……」

 

 確かに帝国内で評判になったらオッズが低くなるな……それは避けたいところだ。

 

「ジットさん、どこか当てがある?」

 

 ジットはニヤリと笑った。

 

「儂ら……いや元所属していたズーラーノーンは方々に深く根を張っておりました。だからこそ断言します……三つの利点がある王都リ・エスティーゼがよろしいかと……都合の良い事に、この度配下に加えられたブレイン・アングラウスは王国では相当に名が通っております。だから通行税さえ用立てできれば移動に支障はございません。それに加えて王都は腐敗の温床……『八本指』とか言う地下組織が強大な力を有しております。故に儂らが潜む場所には困りますまい。さらに人口も多く、冒険者の仕事も豊富であり、資金を稼ぐ術も豊富かと……」

 

 流石、闇の住人ネットワーク……困った時は頼りになる(棒)

 

「まっ、資金は乏しいけど……通行税の心配は要らない。では、王都リ・エスティーゼに向けて出発しますか!」

 

 ブレインが少し遠い目をしていた。

 

「……ガゼフ・ストロノーフか……」

 

 そしてひっそりと呟いた。

 

「アハハ、ガゼフ・ストロノーフかー」

 

 ティーヌはアッケラカンと言った。

 

「王国戦士長ガゼフ・ストロノーフね……大人気だな」

 

 俺自身はガゼフ・ストロノーフに興味は無いが、この2人は勝手に殺りかねないので2人の脳内肉腫に命ずる。念の為だ。気付いたら窮地に立っていたって状況は避けたいのだ。

 

 ユグドラシルでは諜報用の使い魔的な立ち位置のシャドウ・デーモン達を都市のあちこちに配置できるぐらいの数を使役する者は誰か?

 

 これだけでも大問題なのだ……まだ敵対していないとは思いたいが、自覚が無くとも既に不利益を与えている可能性がある。そこまで神経質に考えず、俺達が中立的な立ち位置にいるにしても、何が切っ掛けで敵対するかを実際に敵対して反応を見るまで知る術は無いのだ。

 

 昔から「さわらぬ神に祟り無し」って言うしな……ここは逃げの一手だ。

 

 格好が目立つのは仕方ない。1秒でも早くエ・ランテルから脱出する……共同墓地の地下神殿居残り組に現時点から業務を完全休止し、徹底した隠密行動を命じた。要するに普通に食い扶持を稼いで普通に生活すれば良いのだ。彼奴らのレベルと装備で一市民に化けてしまえば、最初から俺達もしくはズーラーノーンが標的でない限り少なくともシャドウ・デーモン達の注意を引く事は無いだろう。

 

 風花聖典については別途処理せざるを得ない可能性もあるか……仮にエ・ランテルの外まで追ってくるようであれば始末する必要も生じるかもしれない。

 

 殺すか、支配するか……その場で決めれば良いか……

 

 足早に進み、普通に検問を受ける。ここで目立つ必要は無い。淡々と順番を待ち、正規の手続きを踏む。おそらく風花聖典とやらはティーヌを監視しているのだろう。

 複数の複雑な視線に見守られながら、俺達は堂々とエ・ランテルの城門を後にした。

 

 

 

**************************

 

 

 

 エ・ランテルの夜は長い。 

 陸路の要衝であるのだ。自然と人が集まる。

 戦時は戦時で兵士に加えて軍事物資を扱えるような大商人が集まるが、今は平時だ。有象無象の異国人だけでなく、王国の民も集まって来た。そして物も金も集まるのだ。

 

 凱旋する英雄がいた。

 威風堂々たる勇姿で大魔獣『森の賢王』に跨り、息を飲む群衆に雄々しく手を振っていた。

 絶世の美女を相方に連れ、本来ならば格上の冒険者集団を従者の如く従えている。英雄はそれを当然のものと受け入れていた。周囲もそれを自然に受け入れていた。圧倒的な自負と風格が漆黒の全身鎧から滲み出ている。ただ在るだけで周囲が跪かざる得ない……凄まじい存在感だった。

 その名も冒険者モモン……二本の大剣でオーガを次々と一刀両断する戦士だと言う。彼を知る者は近い将来アダマンタイト級を確実視していた。実力も人柄もそれに相応しい存在だ、と。

 衆目の中を堂々と進む彼を民衆は口々に讃えた……彼こそが「漆黒の英雄」である、と。

 歓声は彼らが冒険者組合に姿を消すまで続いた。

 

 荒れる男がいた。

 名をイグヴァルジと言う。

 酒場の奥のテーブルに陣取り、決して一緒になって騒いでいるように思えない取り巻きの冒険者達に同調を求めている……が、取り巻き達はイグヴァルジの方を向いている時こそ満面の笑みで彼好みの回答を口にするが、苛立ち、荒れる彼の視野から外れた瞬間、端的に迷惑そうな顔付きに変わった。器用と言うよりも慣れているのだろう。再びイグヴァルジの視野に入るタイミングを把握しているとしか思えない。

 

「……あー、胸糞悪いなぁ……おい、聞いてんのか、てめえら」

 

 虚勢……と言うのも違う。イグヴァルジには実力もあれば相応の地位もあった。『クラルグラ』という結成以来誰一人欠けたことの無い有能な冒険者仲間もいる。その上彼等はイグヴァルジをリーダーとして盛り立てていた。資金力もミスリル級冒険者なりにある……即ちエ・ランテルの冒険者の中では1・2を争う存在なのだ。客観的に見て恵まれている。それが証拠にここは中々の高級店だが、飲み代は彼持ちだ。大半の貧乏な冒険者にはとても真似出来ない。

 

 いったい何がそんなに不満なのか……今朝から冒険者組合でイグヴァルジに散々絡まれた格下冒険者達にはまるで理解できなかった。

 

 今夜、イグヴァルジと同卓する被災メンバーは3人……いわゆるイグヴァルジ派の彼等は彼の性格も把握してるし、不満や不安の根源も頭では理解している……だからと言って心の底から同意出来るものでもなかったが。彼等は終始厄介な災難をやり過ごす為の最善手を探っているのだ。

 

「クソが! いったい何なんだ、今朝といい、今晩といい……」

 

 既に5回……否、6回目の同じ台詞だった。

 

「イグヴァルジさん……あんな連中じゃ、このエ・ランテル随一のミスリル級冒険者チーム、天下の『クラルグラ』のイグヴァルジさんの足元にも及びませんて。俺が思うに……そうだなぁ……イグヴァルジさんが負けるわけがねぇ。なにしろこれまでの実績が違いますわぁ」

 

 年の頃は20代半ばの厳ついスキンヘッドの冒険者が言った。名をディンゴと言う。彼は金のプレートを胸元に下げている。巨体と言って差し支えない体躯はイグヴァルジよりも一回り以上大きい。

 ディンゴは辟易していた。普段は面倒見の良い先輩冒険者のイグヴァルジだが、才能を感じさせる後輩が現れる度にこんな状態になるのだ。しかも彼もしくは彼等がイグヴァルジが築いた地位を脅かすような存在でないと確認できるまで延々と続くのである。

 ミスリル級冒険者を凌ぎかねないと危惧させるような新人や流れ者がそれほどいるわけではない。しかし今回ばかりは「ヤバいな」とディンゴ自身が思っていた。しかもそんな連中が立て続けに2組も……しばらくの間、『クラルグラ』派閥の冒険者チームが持ち回りでイグヴァルジの飲み相手という貧乏くじを引くしかない……今晩は彼等『豪剣』の番だった。彼等は特にイグヴァルジには世話になっているので一番最初に災難に遭って、情報を他のチームに渡す役割を期待されていた。

 モモンとナーベの2人組……既に『漆黒』やら『漆黒の英雄』とふたつ名が付けられているようだが……については伝聞しか知らないが、噂だけで十二分に超大物ルーキーと知れた。しかも新人御用達の親父さんの宿屋で大暴れしたとはいえ、モモンについては人格的にも素晴らしいと聞く。ナーベという名の非常に美しい黒髪美女は違う意味で話題になっていたが、モモンを尊敬……いや崇拝しているような雰囲気だった、と聞いている。怖いと言う者も少数存在していたが総じて評判は良かった。そして彼等自身が評判を高めようと行動しているように思えた。確かに「オーガを一刀で斬り伏せる」と評判の実力も凄まじいが、それをあのお人好し集団の『漆黒の剣』にわざわざ見せつけたという事実。それに加えて、あのトブの大森林の大魔獣『森の賢王』を討伐するのでなく、あえて使役したというのも、その証左ではないか?

 

 そして見るからに不穏な雰囲気を感じさせる、あの連中……彼奴等については自分もこの目で見ていた。異様に整った顔立ちだが酷く印象の薄い男(おそらく彼奴がリーダーだろう)こそ多少は真面な印象があるが正面から見るとどこか不安にさせられた。残りの2人については装備品こそ過去に見たことも無いような超級の逸品と嫌でも理解させられる代物だったが、その事は別にして身に付ける本人達は街ですれ違ったら視線を落とすような連中だった。金級冒険者の戦士職として一般人とは桁違いの戦力を保有する自分が、である。

 さらに連中が1日で作り上げた実績もヤバかった。

 連中はとにかく殺すのだ……人間にしろモンスターにしろ。人質となり悲惨な境遇にあった女達を救出したという事実を前に、誰もが忘れている……いや目を背けているが僅か1日で殺した数が尋常では無い。モンスターの殺害数は300を軽く超え、人間も60を超える。しかも対象は『死を撒く剣団』と言う傭兵団だ。つまり戦争屋……対人集団戦闘のプロだ。個々の能力は冒険者程高くないとはいえ、首領と幹部数名を捕らえたと言う情報からも連中の余裕を感じるし、おそらく連中が殺し過ぎた事が原因でアンデッド化が1日で進行していたとの情報もある。

 単純に自然災害ような連中だ、とディンゴは想像していた。人間にもモンスターにも平等に禍をもたらすという意味において……

 

「そうですよ、イグヴァルジさん……せっかくの美味しいお店なんですから美味しいお酒を飲みましょうよ」

 

 次いでディンゴの横に座る切れ長の大きな目が特徴的な年齢不詳の女が続いた。非常に小柄な彼女の名はシトリ……立ち振る舞いや醸す雰囲気は老成しているようにも見えるが、顔立ちだけを切り取れば恐ろしく幼い。10代前半と言っても十分に通用するが、彼女は第二位階までマスターした信仰系魔法詠唱者であり、ちょっとした戦士職では相手にならない熟練した殴打武器の取り扱いを考えれば、絶対に顔立ち通りの年齢とは思えなかった。そして同性同士が推奨される冒険者チームの世界で、彼女の幼さだけが突出して女性を感じさせない雰囲気は、男女混合の『豪剣』が上手く機能する大きな要因だった。

 この飲みが始まった当初からシトリはイグヴァルジが気にする新人冒険者の話題に触れなかった。表情にこそ出さないが、昔から直感が鋭い彼女はディンゴが危惧するあの3人組はもちろんのこと、『漆黒』の2人組も触れてはいけない存在だと確信していた。可能ならば口の端にも載せたくない……彼女はその思いを実践していたのだ。

 シトリはモモンの凱旋の様子も見ていた為に2組とも目にしていた。

 これまでの人生で何度も危機を回避させてくれた直感が囁く。

 あの3人組の印象についてはディンゴの見解に異論は無い。単純にヤバい。そして怖い。近寄りたくない。視線が交差するのも嫌だった。だから話題としても絶対に触れない。イグヴァルジにどう思われようが、そこについては曲げられなかった。

 そして真に問題なのは『漆黒』だ。アレは非常に厄介な連中だ、と確信していた。彼等については周囲の同意を得ることも難しかった。お人好しの『漆黒の剣』のように半ば信者と化したマヌケもいる。エ・ランテルの名士であるバレアレの孫の信頼……結果的に市民だけでなく冒険者に絶大な影響力を誇るリイジー・バレアレの信頼を得たに等しい。

 だがシトリの直感が断言する……アレらは間違いなく邪な存在……

 何故、モモンは顔を隠す……実直な紳士であり、英雄級の力を持つ男が、である。誰も疑問に思わないのだろうか?

 ナーベという絶世の美女と軽薄なことこの上無いルクルットの組み合わせだから、誰も気にしないのだろうが……あの罵詈雑言は本当に単なる虫除けなのだろうか?

 皆がモモンを主一筋に、密かに慕うナーベを夢想しているが、あの関係性は明確に絶対的かつ単純な主従ではないのか? 

 『豪剣』のチームメイト2人からも全く同意されない。彼等の中では3人組は「悪」であり、『漆黒』は「善」なのだ。シトリからすれば3人組は「分かり易い悪」であり、『漆黒』は「巧妙な悪」にしか感じられない。

 疑えばキリがないのは理解している。しかし絶対的に信頼を寄せる直感の囁きを無視出来る程、シトリは『漆黒』に思い入れが無かった。

 だからこそイグヴァルジに思う……『漆黒』に執着すべきでない、と。

 

「どうですか、イグヴァルジさん……シトリもこう言ってるし、せっかく良い店に連れて来てもらっていることです。楽しく飲みましょう!」

 

 金級冒険者チーム『豪剣』のリーダーであるカドランはイグヴァルジの隣に座っていた。優男の彼はその容姿に似合わずシーフである。身なりも良く、身のこなしも上品かつ優雅、その上礼儀正しいので、一見して見破るのは相当に難しい。

 

「煩えな、カドラン! お前はあんなポッと出の連中に負けても悔しくねえのか! どうなんだ、言ってみろ!」

「やだなぁ、イグヴァルジさん……僕らは金級ですよ。新人に負ける負けないじゃなくて、むしろイグヴァルジさんに追い付けって、僕らの方こそ頑張るべきだと思いますけど……違いますか?」

 

 ニコリと笑うカドラン……他の者が口にすれば「そういうことじゃねー!」とイグヴァルジの激怒を買う正論がカドランにはさらりと言えてしまう。そして恨みも買わない。もちろん限界のラインも心得ているし、タイミングも測っている。こんなド正論を最初からブチかましたら、流石のカドランでもイグヴァルジを黙らせることは出来ても恨みを買う。むしろ完全に場がしらけてしまった結果、2、3の白金級チームを差し置いて『豪剣』がイグヴァルジ派の筆頭と考えられている地位を失うだろう……周囲が勝手に『豪剣』にイグヴァルジ派筆頭の地位を与える原因こそがカドランなのだ。

 単純な阿りがイグヴァルジのような無駄に思慮深く、かつ異様に嫉妬深い努力家タイプには通用しないことをカドランは熟知しているのだ。とにかく場を盛り上げようというお調子も厳禁……イグヴァルジの機嫌を宥めるには逆効果しか生まない。話の流れの的確なタイミングでイグヴァルジの毒を少しづつ抜く会話が必要なのだ。他のチームはこれで苦戦する。どうしてもディンゴのようにお調子を言ってしまう。場の空気を盛り上げようとしてしまう。

 イグヴァルジには面倒くさいことを言っている自覚があるのだ。だからお調子も盛り上げも最初からやると逆効果になる……コイツらは俺の話を聞きたくねーのか、となってしまう。毒に染まったイグヴァルジ対策という点で、空気は読まないが決して無礼ではないシトリの存在が大きかった。単に自分の信念に従っているだけのシトリに関しては流石のイグヴァルジも言葉の裏まで読まない。

 

「……まあ、お前らは頑張らないとな」

 

 イグヴァルジの毒気が僅かに抜ける。だが油断は出来ない。

 

「頑張って、いつかイグヴァルジさんと肩を並べられればいいなぁ、って思いますよ。なかなか険しい道のりですけどね」

「そうだな、まず白金級にならねえとな」

 

 上手くイグヴァルジの「良き先輩でいたい」部分が引き出せたようだ、とカドランは脳内だけでほくそ笑む。その点で昇級してもミスリル級には並ばない金級の地位は都合が良かった。白金級の連中にはこの手が使えないのだ。

 

「……昇級ですか……次は本当に頑張らないと」

 

 イグヴァルジに都合の良い存在とは自分が現役中に追いつかれない程度の実力を持ちながら、有能もしくは将来的に有望な冒険者なのだ。金級ぐらいまでは一気に駆け抜けて、白金級で足踏みする程度が丁度良い。まさに『豪剣』が可愛がられる理由そのものだ。

 今回の新人チーム2組はこの点がイグヴァルジの琴線に触れるのだろう。登録時から一目で素人にも理解出来る程の装備品を身に付け、嫌でも一目置かざる得ない突き抜けた実力を示した。ミスリルどころかアダマンタイトまで突き抜けてもおかしくない。その上『漆黒』のモモンに至っては人格的にも素晴らしいと評判なのだ。カドラン自身、噂話を聞いただけだが確実にアダマンタイト級の器に思っていた。

 

「……早くイグヴァルジさんのようになれるよう、頑張りますよ」

 

 謙るタイミングも上手く運んだ。話題の中心を確実に格下である『豪剣』に移すことに成功したのだ……後はイグヴァルジの気分が悪化しないように飲ませ続けて、飲みを打ち切るキリの良いタイミングだけを探せば良い。もちろん話題の方向性はコントロールしなくてはならないが……

 

「おう、精進しろや……まあ俺達のところに上がって来るまで、俺がお前らの面倒見てやるからよ」

 

 イグヴァルジがジョッキを持ち、グイッと一気に飲み干す。

 

「美味しく頂戴しますよ。僕らには敷居が高い店なんで楽しみにしていたんです」

 

 カドランは爽やかに微笑んだ。このままイグヴァルジの「格好を付けたい」部分に触れ続ければ、今夜は上手く乗り切れるだろう、と計算しながら。

 

 隠滅としたものは去り、酒場には明るさが戻る。

 笑いと喧騒が空気の支配を取り戻したのだ。

 

 エ・ランテルの夜は長い。

 冒険者達の話題の中心にいた超大物新人チームの一つが完全に姿を消してしまう程度には……

 

 




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4話 強者の中の弱者

時間が欲しいです。感想を頂いた方に感謝します。


 当初こそ街道を徒歩でゆっくり進んでいたんですよ。

 いわゆる観光気分を満喫すべく、都市だけでなく自然や地形を眺めて楽しんでいました……が、そこは現代人……すっかりキッチリ飽きてしまいました。元々自然そのものに興味が薄く、アーコロジー内とネット空間で生きてきた人間ですから……自然の素晴らしさは理解出来ても、自然や地形の差なんて漠然としか伝わりません。

 まあ、人間だった頃にもっと勉強しておけば良かったなんて感慨には浸れるものの、それ以上の感想はありません……どうしても視覚的な刺激だけでは飽きてしまうのですよ!

 

 で、現在では森の中を突き進んでいます。

 ティーヌについた追手を振り切るついでに、彼女の案内で3人のレベリングも兼ねてモンスター狩もやってます……レベリングも兼ねちゃうと俺は突っ立っているだけになるんですけどね。

 しかし実際のところはあくまで移動がメインなので念の入った狩などしませんし、王都に着くまでに少しでも軍資金を作ろう程度の考えなので俺達に向かってこないモンスターまで狩りません。

 強敵と言ってもギガントバジリスクとトロル程度なので『神器級』装備を纏った3人に敵はいません……ギガントバジリスク程度では石化も毒も一切通用しませんから、ただのデカいトカゲです。トロルについては再生能力が只管面倒くさいだけの存在に過ぎません。再生出来なくなるまで細切れにしてしまえばそれでお終いです。それでも再生してくるような個体には俺が出張って即死させれば良いのですが……ただギガントバジリスクにしてもトロルにしてもやたらと図体がデカいのが難でした。討伐証明部位がティーヌとジットが持つ雑嚢には入り切らない為に、ギガントバジリスクについては俺の『無限の背負い袋』に入れることに……協議の結果「素材として売れるかもしれない」との意見が採用され、部位だけでなく死骸まるまるを入れるハメに……いや、腐敗もしないから便利な上に他のアイテムに影響無いのは理解しているのですが、なんか気分が良くありません。ユグドラシル内では何も感じなかったのに、この世界ではグロい死骸も残骸も消えないので……全く持って困ったものです。

 

 そんなこんなで1週間程森の中を進んだ頃、決して静かになることのなかった森が完全なる死の静寂に覆われている光景に出会しました。荒れ果てているのではなく、それこそ森が死に絶えているのです。森の残滓と呼ぶべきような惨状が同心円状に広がっているのを無視するには、俺達のこの森に対する知識は少な過ぎました。だから興味を持ってしまった。ただの薄気味悪い自然現象を物見遊山気分で確認すべく、破壊の同心円の中心に向かって進んでしまったのです。

 眷属がクソデカい……数十メートル規模の何かを探知したのと、先頭のティーヌが立ち止まったのはほぼ同時でした。

 

「……カスタトロフ・ドラゴンロード……」

 

 ティーヌがボソリと呟きました。

 

 ……『破滅の竜王』? 何ソレ、コワイ……

 

「……あの予言、的中……したの? 確かにこの辺り……」

 

 振り返るとジットとブレインは「よくわからない」と表情で伝えてきた。

 

「えーっと、説明してくれる?」

 

 ティーヌが振り返る。珍しく神妙な顔付きだった。基本的に普段の彼女は作り上げた享楽的な表情を見せているが、ドS殺人鬼の完全にイっちゃった顔まで知っている身としては、これまで見せたことのない彼女の表情に事態の深刻さが嫌でも伝わってきます。だが詳細を知らねば対処しようがない。

 プラチナム・ドラゴンロードって奴よりも怖そうな名だが、果たしてどの程度なのか?

 

「予言です……法国にいた時、聞いたことがあります……」

 

 ティーヌの語る情報はとにかく「恐ろしい奴」であり、法国はこれを六大神の秘宝である『ケイ・セケ・コゥク』とかいうマジックアイテムを用いて、使役しようと計画しているらしいことまでは理解した。

 で、その話を書いた途端、俺の興味は『破滅の竜王』から『ケイ・セケ・コゥク』に移ってしまった。

 

 そりゃー、そーなりますって……俗称『ギルドクラッシャー』の血が騒ぎますよ。だって『六大神』ってヤツは潰れたギルドみたいなもんでしょ?

 メンバーは全滅してます。

 『八欲王』っていう他のギルドと戦って敗北しました。

 集団として明確な人間種養護を掲げてます。

 なんか物凄いマジックアイテムを残してます。

 

 ……物凄いマジックアイテムって………ワールドアイテムじゃね?

 

 当然、そう考えますよ……ってことは『ケイ・セケ・コゥク』って、ユグドラシル攻略Wikiにも名を連ねるワールドアイテム……あの有名な『傾城傾国』じゃねーのって想像出来ちゃうわけですよ、見ず知らずのギルドから死蔵アイテムを強奪していた身としては!

 当然、強奪を考えました…………が、クリアしなきゃならない問題が厳然と思考の前に立ちはだかります。

 とりあえず『神人』とか言うカンストプレイヤー並みの能力……『武技』やら『生まれながらの異能』を考慮すればそれ以上も考えられる連中が、六大神の後継たる法国には2人もいる事実です。

 本来であればもう一つの難題の方がキツいのですが……都合の良い事にワールドアイテム『傾城傾国』の効果自体は今の俺なら無効化できる……ユグドラシル終了間際も間際に何だかよく分からないワールドアイテムを手に入れたわけですし……何もしなくても『傾城傾国』の精神攻撃は無効化出来ます。ならば……残る問題は『神人』だけ……

 

 1人づつなら……殺れるか?

 

 ティーヌが話した情報から推察すれば、ここで張り込んでいれば、いずれ法国の部隊、おそらく漆黒聖典の連中がわざわざ「傾城傾国』を持参して出張ってくると予想するのが自然な流れ……まさに鴨ネギ的な状況が目の前にやって来ることが予想されるわけです。ティーヌの話によれば『神人』の内の1人である『番外席次』とか言う奴は法国外には出られない事情があるらしい……となれば『神人』が2人でやって来る可能性よりも『第一席次』とか言う奴だけが現れる可能性が高い……最悪2人揃っていたら逃げればよろしい。これがリスクと言えば最大のリスクです。

 ヘッジの手段は早期警戒と広域探知しかありません。

 『神人』達の顔はティーヌが知っている。

 警戒や探知は眷属を飛ばせばなんとかなる。

 となると喫緊の問題は『破滅の竜王』だ……結局、そこに立ち戻りました。

 

「……俺達、困るかな?」

 

 ティーヌへの問いの真意は言うまでもありません。

 

「早く逃げないとヤバい……かなーって」

 

 顔面蒼白のティーヌが答えた瞬間、大地が震えた。

 

 あーあー、聞こえない……聞きたくない!

 

 所詮絵に描いた餅は絵に描いた餅でしかなかった……世の中、たとえ異世界でもそんなに甘くありませんでしたー!

 

 溜息が漏れた。

 俺の鴨ネギ計画がぁあああ!

 完全崩壊した瞬間でした……

 

 

 

 

***************************

 

 

 

 

 轟音と破裂音が耳をつんざく。

 そして咆哮。

 無駄にデカい樹が現れた……うーん、デカい……デカ過ぎー!

 どういうわけか、既にヘイトはこちらに向いてました。立っていた位置でも悪かったのか?

 全高は100メートルってところです。やたらデカいトレント……一言で巨大樹と言った方がしっくりきます。それこそ全高より長い触手が6本……ウネウネとくねってました。アレが主武器でしょう。

 ただ大して強くは無い……気がする。少なくともカンストプレイヤーとのPVPに比べればハードルは低い。しかし3人のレベリングに使うには明らかに強力過ぎて不向きなヤツだ。

 だとすれば俺が対処するしかない……と言うより俺が対処したい。

 

 このデカブツには俺の鴨ネギ計画を潰してくれた報いをくれてやらねば気が済まない……是非、積極的に完全無欠にぶち殺したい!

 

 流石に『人化』を維持したままでは絶対に太刀打ちできないが、『人化』を解いて本来の50レベル分の異形種ステータスを取り戻せば……楽勝……とまでは言わないけど得意な系統の相手だ。なにしろ樹だ、生物だ……大きさはレイドボスクラスだろうけど、生物ならば絶対に死ぬし、腐る。腐るのならば先手さえ取れれば勝てる可能性は高い。レベルも100超えのボスではないと感じる……しょぼいイベントボス程度を想定すれば問題無いだろう。プレイヤー相手でないのだから、想定外の行動に出られる可能性も極めて低い。

 

「ちょっと本気だすから……引かないで下さい……『人化』解除」

 

 まあ、無理だろうけど……いちおう言っておいた。

 

 人の姿を失い、暗黒色の肌が現れる。深紅の眼に金色の輝く瞳。肩まである黄金の髪と眩い金色の6枚の翼を持つ異形の姿……全身の所々がランダムに紅く蠢き脈動している。漆黒の全身の表面をグルグルと落ち着きなく動き回り続ける、深紅と深緑の2匹の蛇の痣が二つに割れた舌先をチラつかせる。

 荘厳に輝く闇にして、這い寄る不穏……それが俺の魔神アバターをデザインしてくれた知り合いプレイヤーの掲げたテーマだった。一目惚れしたアバターですが、まさか俺の本体になるなんて、あまりに想像の斜め下過ぎる。

 ……愚痴はともかく……

 装備もユグドラシルプレイ中のメイン装備に変えた……脈動するように蠢く暗紅色の槍と意味有り気に魔法文字らしきものがランダムエフェクトする暗黒のローブ。頭部に防具は見えないが、敵の攻撃を感知すると発生する黄金の輪が体の周りを旋回して防御する仕様だ……これが形式上は頭部の防具扱いだったりする。漆黒の隼をモチーフにした具足の防御力は無きに等しいが、速度上昇に全振りしたものだ。アクセサリーも戦闘用フル装備で、各種耐性マシマシ状態……この姿こそがユグドラシルアバターでの完全武装だった。

 

「全員、退避して……俺の後方に最低でも300メートルは後退!」

 

 翼はあるけどフライで飛び立つ。

 上空500メートルで滞空し、空からデカブツを見下ろす。

 敵の攻撃範囲を想定して、こちらの攻撃圏ギリのラインを保った結果だ。

 ティーヌ、ジット、ブレインの3人がスキルの効果が及ぶ範囲外に退避したことを確認する。

 

 巨大樹は戸惑っているのか……溜めているのか……?

 

 正直に言えば、カンストプレイヤー達の中で俺はかなり弱い。何しろ突出したステータスを何一つ持っていない。一点突破出来る武力も魔力もスピードも防御力も無い……なんでそんなビルドにしたかと言えば、それはもう一人で色々やって全てを楽しむ為だ。死に戻りを繰り返し、様々な職と種族を組み合わせた。とにかく試行錯誤の連続だった。で、たどり着いたのが……現在のビルドだ。

 俺がユグドラシルを始めた頃は既に末期も末期……キャラビルドは成長させる方向性別にマニュアル化され、強キャラを目指す場合、誰がキャラを作成しても最効率化された同じようなものしか作成されなくなっていた……生産職系にしても同様だ。少しひねくれていた俺は、プレイヤー数の少なさからマニュアル化の甘い異形種キャラの選択に至り、だからこそマニュアル化なんて不可能なマイナーな異形種専用レア職に激レア種族を追求したのだった。

 効率なんざ知ったことではない。

 俺が楽しめればそれで良いのだ。

 当然大なり小なり個々の役割を与えられる為に、役割別の効率を求められるギルドやクランにも参加しなかった。

 

 ……ゲームの中ぐらい自由気ままにやりたい……所詮はゲームだ。仮に死んだとしても中の人が死ぬわけではない。それが偽らざる本音だった……そりゃ、今となっては後悔してますよ。ユグドラシルの能力依存のまま、死んだら現実に死ぬのですから……こんな事態に陥ると知っていれば、せめて物理攻撃力を削って、スピードか物理防御にもっと振れば良かったと思います。完全無欠の「後の祭り」ってヤツですけど。

 

 それはそれとして……完全にロールプレイ用のネタビルドなのにPVPに滅法強い『モモンガ』さんの薫陶を受け、俺と同じくソロプレイ大好きな『バンバン』さんに無償で協力してもらい、『ギルドクラッシャー』の汚名を一緒に被った面々と神器級の武具やデータクリスタルや希少素材を集め続け、PKガチ勢の女傑『えんじょい子』さんと幾度となくじゃれ合い(=戦い)続けた結果、今の俺になった。

 マイナー異形種専用レア職と激レア種族を組み合わせ続けた果てに、専用スキル特化の変則的なビルドが出来上がったのだ。お互いに初見同士ならば、あくまでスピード依存だが情報が極めて少ないスキル持ちの俺はそれなりに強い。先手さえ取れれば、敵はほぼ対処出来なくなる。相手が生命体もしくは疑似生命体であれば俺の優位が固まり、さらに鈍重な相手であれば絶対的な優位性が確立される。

 そして眼下にいるのは生物な上に、あのデカさに見合ったノロマだ。

 

 カンストプレイヤー中、ほぼ最弱の力……見せてやろう!

 

 先手必勝だ。後手を踏むと俺の負ける確率が極端に跳ね上がるのだ。卑怯と謗られても先手に拘り、最速でスキルを行使する。それが俺の必勝パターンだ。

 俺は3枚の切り札の内、この巨大樹相手に最適と思えるスキルを使うことにした。流石に奥の手までは使う必要性を感じない。

 

「眷属召喚……腐食蠅」

 

 地獄の蠅の召喚陣がアチコチに現れた。今回は出し惜しみせず一気に100匹の蠅を生み出した。再入手が難しいだろう課金アイテムも使い、タイムロスも極限まで減らす。この世に蠅が現出した瞬間から周囲の空気が腐っていく。異様な腐食のオーラがLV80の艶の無い闇色の蠅の群れによって撒き散らされた。

 

 超速腐敗地獄の始まりだ。

 

 空気が腐り、水が腐り、大地が汚れに覆われる。

 木々は倒れ、瞬間的に腐敗し、跡形も残さず汚れた泥と化した。

 おそらく巨大樹に狩り尽くされ、視認可能な生物は生き残っていなかったにしても、地中の虫も死に絶え、地中そのものも死んでいった。全てが汚泥となり、大地が死に絶えていく。そこに一切の慈悲は無い。

 

 巨大樹が咆哮する。奴も生物だ。全身を汚され、自身の再生能力を大きく超えた腐食の浸透速度に次々と枝葉を落としていく。散弾のように巨大な種子を飛ばして抵抗するが、所詮は生命体だ……眷属の作り上げた腐食の防御壁を抜くことは出来なかった。無数の種子は空中で腐り、崩壊し、四散して地に堕ちた。そして長大な、でも俺の位置までは届かない触手攻撃も所詮は生命体のものだった。腐り落ち、大地を覆う汚泥の一部となった。

 

 もはや戦闘でなく一方的な虐殺だった。嬲り殺しである。

 

 巨大樹は攻撃手段のことごとくを失い、悲鳴を上げ、地を逃げ惑う矮小な存在と化した。

 悶え苦しむ巨大樹の姿を睥睨しながら、完全に滅す決心をする。こんな化け物じみた巨大樹に子孫を残され、俺との戦闘経験を受け継がれてはたまったものではない。次は間違いなく奇襲されるだろう。遠距離攻撃可能な個体に経験など残させない。だから個としてのコイツの後継を断絶させる。経験を積んだ個の遺伝子は絶対に残させない。それがユグドラシル由来と思われる生物ならば尚更だ。

 最強の肉体を誇るドラゴンだろうが、巨人だろうが、半神半魔であろうが生命を持つ者がこのスキルに初見で対応するのは難しい。生命体でなくとも……例えば金属製ゴーレムやオートマタという疑似生命体だろうと確実に死に絶える。超速腐食の連鎖に絡め取られたが最後、その部分を即断即決で切り落として圏外まで逃げる以外に道は無いのだ。一瞬の躊躇で命の源まで腐食の波に飲み込まれる。

 つまり逆に考えれば……初見でなければ俺のスキルにいくらでも対処可能になるということだ……遠距離からの奇襲の一撃は誰でも思い付く。『えんじょい子』さんに至っては「スキルを使った俺に正面から勝つ」という一心でデータ量を腐食耐性に完全に振り切った『神器級』の鎧を作り上げたぐらいだ……彼女の場合は元が紙装甲過ぎてあまり意味を為さなかったけどね。その俺にとってはあまりに危険な鎧もPVPの戦果として俺が預かっている。

 そもそも普通に殺り合ったら俺が彼女に勝てる道理が無い。腐れ外道な彼女はPVPの勝率がアベレージで9割5分を軽く超える怪物だった……『モモンガ』さんのギルド「アインズ・ウール・ゴウン」が大活躍していたユグドラシル全盛期ならば間違いなくワールドチャンピオンにチャレンジしただろう。でも何故か俺を正面攻略することに異様に執着していたのは不思議だけど……俺なんか彼女の実績を考えればゴミみたいなものだし、プレイスタイルも完全に畑違いだ。

 

 思い出に浸る間に巨大樹が中央部から大きく崩落した。

 断末魔の咆哮が虚しく響き、地に崩れ落ちる前に空中に四散していく。ただの汚泥と化した『破滅の竜王』はこの世から消え去ったのだ。

 

 命じた役目を終えた眷属も消えた。つまり『破滅の竜王』は残りカスすら残せず汚泥と化した、ということだ。

 

 最後には全てが無に帰り、完璧な静寂の中で一切の生命の営みを失った汚泥の大地だけが残されていた。

 

 

 

 

***************************

 

 

 

 

 予想通りと言えば予想通りな展開で、3人は完全にドン引きしていた……かと言えばそうでもなく、様々な反応で迎えてくれた。

 俺は俺で「もういいや」とばかりに異形種の魔神の姿のまま3人の前に降り立ち、それぞれをジーっと凝視した。

 

「はい、はい、はーい!」

 

 3人の中でも興奮の方向に感情が突出しているティーヌが手を挙げた。

 

「はい、ティーヌさん……どうぞ」

「……えーっと、あのー……ゼブルさんは『ぷれいやー』様ですよね?」

「はい、プレイヤーです」

「……やっぱ、『ぷれいやー』様って、スゴイ!」

 

 んっ……? えーっと、それだけ?

 

 まるで純真無垢な子供のようなキラキラした瞳で俺を見詰めてくる。ちょっと痛いからやめて欲しい。

 ティーヌ曰く、『ぷれいやー』の力を初めて視認した。感動した。もう一生ついて行くことに決めた……ですって。いや正体不明の不思議パワーで偶然得た力でそこまで感動されてもねー……なんかむず痒い。

 

 次いで平伏するジットさん……物言いた気な目で俺を見上げている。

 

「……どうぞ」

「ゼブルさんに申し上げます」

 

 ジットはさらに深々と頭を下げた。

 

「だから、どうぞ、と!」

「……愚物である儂を高みに導いて下され……貴方様の、神のいと高き御力をこの愚かな目に焼き付けた後ではズーラーノーンなどと言う低級な輩では満足出来ませぬ。僅かでも構いませぬ……貴方様の御力の一端をこの矮小で愚鈍な儂に授けて下され」

 

 …………そう言われてもこっちの人がどうやって魔法やスキルを獲得するのか知らないし……まあ、俺の為でもあるからレベリングはしますよ。ゲーム内のようにパワーレベリングが通用するならば、それも良いけどね……

 

「……では精進して下さい。いずれなんとかなりますよ……それに! 俺はプレイヤーではありますが、神では有りません(真逆の魔神なんですよ!)。ソコは非常に重要なコトなんで忘れないで下さい」

 

 気休めにもならないような言葉だが、ジットは「ハハーッ」と時代劇のように平伏した。

 

 で、最後に残ったのがブレイン・アングラウス。俺達の中では唯一の一般社会に通用する壊れ方をした奴だ。

 他のメンバーは存在自体が社会と相容れない。

 魔神。

 ドS連続快楽殺人者。

 都市破壊まで目論んだ、自身のアンデッド化を目指す死霊術師。

 もう考えるまでもなく完全アウトですわ……あらん限りの罵詈雑言を浴びせられて、有無言わさず極刑に処されても文句は言えないような連中です。

 その点ブレインは愚直な職人的壊れ方とでも言えば良いのか……? 

 要するに剣技オタクだ。突き抜けているのは剣の為にあえて人斬りの道を選んだ点で、それ以外は俺達の中では比較的真面だ。だから俺達と社会の窓口として期待している。だが一点突破で完全に拗らした強さ馬鹿であることを忘れてはいけない。

 

「ゼブル……今のお前は人間の姿のお前よりどれぐらい強いんだ?」

 

 いちおう全員「さん」付けしようと注意しているんですが、ブレインだけは頑なに呼び捨てで通してます。俺の支配から脱しようとするわけでもなく、むしろ好んで仲間を続けているんですが、一々拘りが強いらしく、俺の課した支配の制約下で好き勝手やっているのもブレインの特徴です。

 

「……コレがいちおう本体なんでね……レベルで倍……ステータスだと3倍以上かな……4倍まではいかないけど」

 

 そうなんです……異形種は職業選択の幅が狭い代わりにステータスの伸び代が相当に大きいんです。特に俺の場合はレア種族2つで10レベル分と上級種族2つで10レベル分で極端にへこむので『人化』によるステータス劣化具合はめちゃくちゃ激しくなります。中級種族以下は人間種よりもステータスがかなり伸びる程度ですが、上級種族以上は下手すれば1レベルにつき4倍以上の伸びるステータスもざらにありますから……だから『人化』した俺はメッチャ弱いです。それでもティーヌやブレイン程度なら完封できますけど。

 ティーヌと共にブレインの剣の稽古に付き合ってやった時の印象が強いのでしょう……ブレインはあからさまに落胆してました。確かにLV50の魔力系+信仰系魔法詠唱者兼暗黒騎士(と似たような職)の人間種マルチファイターがLV30ぐらいの純剣士と剣のみで戦えば、永久に手が届かない差とは思えないでしょうね。20レベル分の身体能力の差が大きいだけで剣技のみで比較すれば確実に勝っている部分もある……むしろ多いわけです。さらにブレインやティーヌにはこっちの世界特有の『武技』とかいう戦士版魔法みたいなものもありますから……俺には使えないので絶対的な差とは言い切れません。

 

「れべるやらすてーたすやらは俺にはよく分からんが……本物のゼブルは遥か高みにいるわけだ……少しは最強に近付けるかと思ったんだが、な」

「最強ね……期待に添えなくて悪いが、俺はプレイヤーの中ではほぼほぼ最弱なんだ。生産系に振り切っているような連中は別にしてだけど。プレイヤーの中では俺は先手必須の奇襲専門……なのに確実に先手を取れるほどスピードがあるわけじゃない。能力を秘匿できなければ、まあ弱いもんだ……ハマれば強いだけ……俺はその程度だよ。お前達は俺を裏切ることが出来ないから言うけどな」

 

 ブレインは薄く笑い……大笑いした。

 

「あの『破滅の竜王』とか言うのを一方的に塵も残さず殲滅したのに、最弱なのか……?」

「だーかーら、あの手の化け物相手は得意なんですって……生き物であれだけデカければ少なくとも俺より鈍重なのは確定だろ……むしろあの図体で俺より早く動けるのなら、お前達を盾にしてトンズラしてたわ」

 

 ブレインは釈然としない表情を見せる。

 確かにミリ単位の技術的精度の為に剣の研鑽を欠かさないブレインにはカンストプレイヤー同士のPVPのざっくりした相性の問題は理解し難いのかもしれない。

 『モモンガ』さんのように自身の戦力把握と観察と交渉や情報戦まで含めた臨機応変な戦術での強者は非常にレアだ。『モモンガ』さんだって完全にネタビルドなのだから、本来ならば弱者に分類されて然るべきだ……でも厳然と数値で示された実績は強者であることを示している。

 まあ、いろいろレジェンドであるあの人は特別だとしても……例えば『えんじょい子』さんなどは装備は別にして、ビルド自体は普通だ。スピードと手数と正確性に徹底して振り切って物理防御を完全に捨て、魔法防御も半ば捨てている。一撃の攻撃力も強力という程ではない。では何故怪物じみた異様な強さを誇っているのかと言えば、それはもう中の人の差だ。フルダイブ型ゲーム特有の現象で、完全に同一性能同一装備のキャラでもダイブしている人によって明確な差が生じる。要するに『えんじょい子』さん自身がキャラとの相性が完璧な上にPVPに必要な能力が他者よりも突出している結果だ。その相乗効果でユグドラシルのPK界隈にアバター通りの怪物が生まれたのだ。

 そして『えんじょい子』さんレベルのバケモノは別にしても同じタイプの強者は少ないとは言え、それなりに存在していた。

 

 ……嫌な考えが浮かぶ。一度浮かんだら、二度と消えてくれないタイプの嫌なヤツだ。

 

 ユグドラシル内では『バンバン』さんに並ぶ友人筆頭に挙げられる『えんじょい子』さん以外、そんなPVP強者の連中がこの世界に転移していたら……俺にはとりあえず逃げるしか選択肢がない。逃げて、逃げて、とにかく逃げて、隙を探る。逆撃を加えられるか……それとも友好的な関係を結べるか……どちらにしてもお互いに信用できない状況が続くだろう。

 

 腹芸は得意では無い。好き勝手にやりたいからこそ、職場から帰宅後はゲームなんぞに没頭していたのだ。

 

 ……急に寒気を感じた。

 

 己の立場を思い知った。

 俺は急いで『人化』し、ゆるゆると遊んでいる場合でない現実を直視することにした。エ・ランテルのシャドウ・デーモン達を使役する高レベルは確実に存在しているのだ。対策を考えねば……とりあえずは配下の強化。死角からの超位魔法爆撃を防げ、とは言わないし、期待もしない。但し最低限一人につき敵対するカンストプレイヤーの物理攻撃一回ぐらいは凌いでもらわねば話にならない。今のままでは紙装甲のプレイヤー以下だ。難なく貫通されてしまうだろう。

 当然、配下も増やした方が良い。

 

「さあ、王都に向かいましょう!」

 

 突然の変化に驚く3人を尻目に、俺は先行して歩き始めた。

 慌ててティーヌが俺を追い越して行く。この道中、彼女は先頭を切るのが役目だと思っているかのようだった。

 ジットが俺に並び、ブレインが殿だ。

 

 ワイワイと騒ぎながら森の獣道を突き進む。

 

 再度1週間進んだところで、唐突に森が開けた。開拓村の開墾地のように見えるが全く人影が無かった。かなり森の浅い部分なので開けていても異常とは思わなかったが、ティーヌは2年前に通過した時には無かったと言った。

 

 ……となると直近2年以内に開拓して、誰もいないのは確かに不自然だ。

 

 ティーヌが先行して周囲を探る間、俺は偵察用の眷属を2匹飛ばした。

 

 そして眷属はそいつらを発見した。

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 いかにもゴロツキという外見の男が一人、木造の小屋としてはかなり大きな建物の窓辺の椅子に腰掛けていた。欠伸をしながら、椅子から立ち上がり、再び椅子に腰掛ける。何をしているのか、何もしていないのか……いずれにしてもやる気は感じられない。

 男が小屋の窓を開けた。

 挿し込む陽光に白い陰が昇っていく……煙だった。

 男は窓から顔を出し、大きく呼吸した。

 

「……うぇ……もう勘弁してくんねぇーかな。ヤク中共の管理とか、ホント、クソ過ぎる……」

 

 吐き出す言葉と共に男が腕を振る。

 銀光一閃。窓の外に弾け飛んだ銀弾は畑道の脇……断末魔すら上げられず果てた野鼠の頸部を両断していた。

 

「ちょいと神経質が過ぎるかもしれねぇーが……まあ御命令だしなぁ」

 

 魔法詠唱者の使い魔まで想定した命令に、首領の想定した事態対処の抜け目の無さに感心しつつも、実際に命令をこなす男としては馬鹿馬鹿しさを感じずにはいられなかった。鼠やら烏やら犬猫に至るまで、この開拓村に近付く全てを排除しろ、とのことだ……その内、上空を飛び去る野鳥から地を這う虫ケラまで殺せ、って言い出すに決まってやがる……ヤク中共の管理だけでも辟易しているのに、害虫駆除までやらされるのはたまったもんじゃない。せめて外敵の排除ぐらいは警備部門の連中を使ってくれ、と思う。俺達は『八本指』で最大の資金力を誇っているのだ。少しぐらい他部門に分け前をくれてやった方が妬まれない、と思うが……我らが敬愛する首領様は他部門の連中をビタイチ信用してしない。その結果が慢性人員不足による手薄な警備だ。さらに警備ついでにヤク中の人足共まで管理しろ、ときた。しかも黒粉の生産拠点数が年々拡大の一途だった。

 

「ハァ……どっか今の稼ぎで雇ってくれねーかな……無理だなぁ」

 

 所属部門は圧倒的な資金力を誇るだけに報酬額も金払いも良かった。それについては一切文句は無いどころか、ありがたい。ただ秘密主義が過ぎて、人員数が事業拡大に追い付かないのだ。改善の見込みも無い。とにかくひたすら忙しいのだ。そんな中で生産拠点の警備やら管理監督という仕事は所属部門内でも格別に暇な仕事の代表格だった。

 

 ……まあ、だから文句も言えねーんだな、これが……

 

 だが命懸けなのだ。特に最近では各地で生産拠点が潰されていると聞く。国軍やどこかの領主の私兵ではなく、どうやら冒険者の仕業のようだ……との噂話が部門内を巡っている。官憲や軍の仕業ならば発表があるはずだし、極秘で動いていても痕跡が残る。仮に完全に隠蔽されていても『八本指』のネットワークが貴族や高官達から話を拾ってくるはずだ。冒険者にしても同様……だが現実には痕跡は残されておらず、内情も伝わってくることは無かった。その後も着々と各地の生産拠点が潰されていた。

 

 ……でも、だからこそ予測可能なんだよなぁ……

 

 敵の戦闘能力は極めて高く、比較的王都に近い拠点が標的にされるケースが多い。荒事専門の警備部門に比べればそれなりな連中ばかりとはいえ、いちおうは秘匿事項かつ資金源の警備を任されている連中が手も足も出せずに全滅しているのだ。つまり王都で登録している冒険者の中でも極めて能力が高い冒険者チームの仕業……の可能性が大だ。

 だとすれば『朱の雫』か『青の薔薇』……拠点が潰された当日に両アダマンタイト級チームがどこにいたのか……所在が判明しない方が敵だ。どちらのチームにしても有名なのが仇になる。

 ここまでの推理は簡単だ……だから報告もしていない。既に敬愛する首領さまも同じ理屈で同じ結論に辿り着き、手を打っているに違いない。そして真に問題なのはアダマンタイト級ではなく、その背後にいる依頼者だ。我が部門の固有武力が劣る分、首領は情報の重要性を熟知していた。当然、情報秘匿についても重要視している。

 

 ったく……だからいつまで経っても人が増えないんだよ。ほんの少しで良いから改善して欲しいもんだ。

 

 再度、男は大きく息を吐いた。

 換気は済んだ、と判断したのか男は窓を閉めた。

 

 小さな蠅が一匹……窓から小屋の中に入り込んだことを男は大して気にしなかった。

 




お読み頂きありがとうございます。


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5話 王都にやってまいりました!

頑張っていますが、どうしても遅筆です。


 こちらの武力を見せつけた結果が目の前に広がっていた。男の心を折る為とはいえ、悲惨な光景だった……だが今の俺は何も感じない……いや、汚いとだけ感じる。だから悲惨というよりも正しくは不愉快と表現するべきだろう。

 屋内に散乱する数多の死体……と言うか元死体達は次々と立ち上がり、不死の軍団を形成していた。元ジャンキー共のゾンビだ。ティーヌによって生ける屍から本物の屍に変えられた彼等は、ジットによって全員漏れなく動く死体にクラスチェンジしていた。

 その中央で男はガタガタと震え、腰が抜けたようにしゃがみ込み、床に黒い染みを作り上げていた。小便……だけでなく多量の血液。男の四肢は傷痕だらけ……何かの刺し傷だった。

 その何かを持つティーヌはケラケラと笑いながら、さらに嗜虐趣味を満足させるべく刺突を加えても死に至らない部分を探していた。裂け目のような口が広がり、一層細まった目の奥が男に絶望を感じさせた。

 

「……なんで……俺達は『八本指』……」

「なんでとか、『八本指』でーす、とか、本当にどーでもいいからー……血が無くならない内にゼブルさんの質問に答えないと……死んじゃうんじゃないかなー?」

 

 んー?、と言いながら男に顔を寄せて視界を潰しながら、ティーヌは男の左耳の上半分を切り飛ばした。室内に響き渡る絶叫に彼女は至福の表情を浮かべている。

 

 本当にもう……嫌になるぐらい生き生きしてますな!

 

「……なんでこんな……」

 

 男の呟きに答えるとすれば、なんでも何もお前自身が扉を開いて、俺達を招き入れた……単純な種明かしをすれば、男自身に自覚がないだけで、既に肉腫の支配が及んでいるだけのことだ。入り口ごと破壊して侵入しても良かったのだが、ここに王国最大の裏組織『八本指』の有用な情報があると踏んだ以上、必要以上に目立ちたくなかった。加えて支配対象が強固な組織に所属している場合、完全に支配してしまうと課した制約から外れて予想外に死に至る可能性も考えられる。ティーヌやジットのように自己中なら良いんだけどね。コイツには組織への忠誠心があるかもしれない。だから心をへし折るまで男を完全には支配しない……情報を握っていそうなコイツが自発的に喋るまで、この拷問は延々と続く。

 

「しぶといなー……頑張り過ぎると死んじゃいますよー」

 

 言葉と裏腹にティーヌの笑顔が亀裂のように広がった。サディストの本領全開だ。男の右鼻腔に逆刃に剣先を突き入れて、躊躇いなく引き上げた。

 

 絶叫が響く。顔面が血塗れになり、男は倒れ込もうとしたが、それは眷属が許さなかった。

 

「アハハッ! 私、テンション上がってきたー! もう本音でいいやー……もっと頑張ってよー、ねー!」

 

 それは……もうメチャクチャな顔だった。半分絶頂に達しているのではなかろうか? 流石に引きます。

 

 しかしティーヌのその言葉と顔付きが切っ掛けだった。この地獄は永遠に終わらない……頑張れば頑張るほど苦痛を与えられる……それで性的絶頂に達するド変態が担当拷問官なのだ……男に無限地獄を悟らせるには充分だったようだ。

 

「わっ、分かった……分かりました……喋るので、いえ、喋らせて下さい!」

「えー、もっと頑張ろうーよー……ねっ?」

「嫌だ! 喋ります!」

「あー、いーこと思い付いたー……私、頭冴えてるー! 口を潰しちゃえばいいんだよねー?」

 

 ティーヌが『戦闘妖精』でなく、打撃用の予備武器である小振りなメイスを取り出した……流石に精密な刺突や斬撃と違って、『神器級』の打撃を顔面に喰らったら、この不運な男は死ぬ……俺としてもそろそろティーヌが芝居でない可能性が心配になってきた。マジで介入すべきタイミングかもしれない。

 

「……ティー……」

「ちょっと待て! ……お前らは青薔薇かっ!」

 

 不意に小屋の外で立番をしていたブレインの大声が響いた。

 

「私達の接近に気付いた……」

「完全に気配は絶っていた……」

「よく見なくても凄い刀」

「よく見なくても凄い鎖帷子」

「……どこかで見た顔」

「私もどこかで見たような気がする……」

「残念……年齢が対象外」

「私も性別が対象外……」

「いいから、ちょっと待て! ここには俺の仲間が攻め込んでいるんだ!」

 

 扉の向こうで珍妙な会話が続く……これは良くない状況だ。俺達とこの哀れな男はともかく、30体近いゾンビ軍団は流石に不自然だろう。だから慌ててジットに目配せした。

 ジットが俺とティーヌがいる壁際に退避する。

 逆サイドにアンデッド達が一ヶ所に固まった。

 直後、ゾンビ共を焼き払おうとして、第三位階の制約を思い出した。この世界では第三位階でも一流扱いなのだった。見ず知らずの輩の前で第四位階以上は使えない。

 

「トリプレットマキシマイズマジック……ファイアーボール!」

 

 巨大な火球が3つ、宙に現出した。ほとんど距離は無いが証拠を残さない為には仕方ない。ファイアボール程度の炎熱ならば最強化してもティーヌとジットには影響ないだろう。火球はゾンビ軍団を消し炭に変え、そのまま突き抜けた先の壁面も爆散させた。木の壁に炭化した大穴が空いている。

 

「……なんだ! いったい……何があった?」

 

 崩壊した壁の向こうに妙な仮面を被った子供のように小さな女が忽然と姿を現した。仮面女の向こう側では麻薬畑が燃えている……作為的な燃え方からして、仮面女の一党の仕業に違いない。

 

 魔法詠唱者なのは間違いないでしょうが……こっちの世界で初めて感覚的にティーヌよりも強いと感じる存在を確認しました。恐ろしいことに『人化』した俺と同レベルぐらいの力の持ち主かもしれない。

 

 ファイアーボールの爆音に紛れて、ティーヌが殺ったのだろう……焼け焦げた不運な男の眼窩に『戦闘妖精』の刺突痕……男は既に絶命していた。ファイアボールの余波で焼け死ぬよりは真面な最期だっただろう。少なくとも苦しむ期間は短くて済む。

 証拠隠滅に抜かりはない。『八本指』の情報入手は失敗したが、俺達が疑われるよりは面倒臭くないだろう。『八本指』関係は王都に到着したら改めて裏を探れば良い。

 

「お前達は何者だ……何故、こんな場所にいる?」

 

 仮面女が言った。

 

「……怪しい」

「確かにもの凄く怪しい……けど、こっちの男は……どこかで見覚えがある。私達が『青の薔薇』とも知っている」

 

 爆風に弾け飛んだ扉の向こうからブレインに加えて同じ顔の小柄な女が2人……抜け目無く安全確認しながら乗り込んできた。

 そしてどうやらこいつらは『青の薔薇』と言うらしい……そんな酔狂なチーム名を付ける連中はこの王国内では冒険者と相場が決まっていた。

 似たような厨二チックなチーム名を付ける連中では、王国ではほとんど見掛けないが、帝国にワーカーとかいう冒険者モドキがいるらしい。法国にはそもそも冒険者がいないとも聞きたが、特殊部隊の名称が厨二病全開だ……全部ティーヌの受け売りだけど。

 

「それに装備が規格外」

「しかも全員……私達でも見たことが無いレベル」

「でもカッパー」

「確かにカッパー」

「なのに……強い」

「だから……疑わしい」

 

 仮面女が一歩前に進んだ。

 

「ティナ! リーダーとガガーランに急いで伝えてくれ。ちょっと……な」

 

 双子にしか思えない女の内、1人が消えた。

 

 ……忍術……忍者……あんな低レベルでか?

 

 ユグドラシルで忍者と言えば60レベルからだ。でも消えたティナという女も残った片割れもジットと同等かそれ以下ぐらいにしか感じない。ティーヌやブレインよりは確実に格下……だと思う。

 

「……お前達は冒険者なのか? 私はアダマンタイト級冒険者チーム『青の薔薇』のイビルアイ……彼奴は仲間のティア、連絡に行った方がティナだ」

 

 仮面の女……イビルアイはかなり慎重に言葉を選んでいるようだ。臨戦態勢は崩さないものの、短剣に手を添えたティアに対しては仮面越しに目配せするという、ある意味離れ業を見せた。つまりチームとしての連携は相当なレベルにあるということだ。流石はアダマンタイト級……現状確認した戦力はイビルアイ以外は低レベルでも歴戦の猛者と言ったところか?

 

 俺達には肉腫という便利な意思伝達装置があるが、それはあくまで俺から一方的な指示を伝えるだけだ。宿主の身体情報を取るだけならば肉腫だけでも可能だが、双方向の連絡にはどうしても言葉が必要だった。

 

 改めてイビルアイを見る。

 

 現実の問題として、アダマンタイト級冒険者チームが森の中の辺鄙な開拓村に何の用か……それが問題だった。『八本指』絡みなのは間違いないだろう。麻薬畑を燃やすのが目的ならば話は早い。燃やしたのだから帰れ、である。

 

 しかし、まだ敵対を表明するには早い。

 

 殺すのは論外……コイツらは相当な有名人に違いない。仮面の魔法詠唱者というだけでもメチャクチャ目立つのに双子らしき女忍者は美女だ。リーダーとガガーランという連中の容姿情報は無いが、双子の美女を含む実力派冒険者チームというだけでも人気者に違いない。こちらに転移する前の世界でも優れた女子アスリートは多少の難には目を瞑って、漏れなく美女扱いだった。その辺りの感性はこちらの世界でも大差無いと思う。

 そうでなくとも……特にイビルアイは『人化』したままではちょっと厄介なレベルの相手だろう。リーダーとガガーランについても戦力は不明だ。その上『青の薔薇』が単独で村に乗り込んで来たという確証は無い……開拓村の周辺にバックアッパーとして別の冒険者チームが待機しているかもしれない……である以上、迂闊に『人化』解除は出来ない。

 支配も厳しい……『青の薔薇』が予想通りかなりの有名人だった場合、俺の都合で動かすのは色々と無駄なリスクを考慮せねばならなくなる。この開拓村に単純に依頼として乗り込んで来たのならば、まだ良い。しかし『青の薔薇』のこの行動の根本に義侠心のようなものがあった場合、今後の行動に齟齬をきたす可能性が極めて高くなる。そんなものを一々考慮していられない……要するに面倒臭い。

 では、逃げるか……逃げるだけならばそれほど難しくはない。しかしその場合、俺達が王都に行けなくなる。それだけは有り得ない。簡単にエ・ランテルに戻れない以上、絶対にそれは避けたい。

 

 ……となると、話を大筋だけでも齟齬なくでっち上げるしかないな。

 

「俺はゼブルと言います。こっちの女性戦士はティーヌで、魔法詠唱者はジットと言います。この3人でエ・ランテルで冒険者チームを結成しました。チーム名は特にありません。入り口を守っていた剣士がブレインと言います……彼は冒険者ではありませんが我々の仲間です」

「ブレイン! あのブレイン・アングラウスか!」

 

 ……「あの」とイビルアイは言った。つまり顔は知らずともブレイン・アングラウスを知っているということだ……ジットの言う通り、王国内では相当に名が通っているらしい。これは……めっちゃラッキー、かもしれない。

 

「ああ……確かに俺はブレイン・アングラウスだ。故あって、コイツらと共に武者修行の旅をしている。俺の仲間だから信用しろ、とは言わないが……コイツらは凄まじく腕も立つし、戦闘以外の能力も高い。俺達がここにいたのは偶然だが……この村が麻薬の生産拠点と知って放置することが出来なかった、というのが真相だ。だから怪しいと踏んだ小屋に乗り込み、そこの死んでいる男を拘束……尋問では口を割らなかったので、拷問に掛けていた……掴んでいた情報とこの惨状から察するに、麻薬中毒の人足集団に襲われたようだ」

 

 ブレインは丸々指示通りの内容を話した。話に無理は生じるが、とりあえず敵対を避けて、この場さえ乗り切れれば良いのだ。

 

 イビルアイの仮面が邪魔だった。表情が読めないと、いまいち雰囲気が把握できない……が、ティアという女は警戒を続けてはいるものの「ブレイン・アングラウス」と言う名を信頼したのが、レベルは一気に落ちた。それに同意していることから考えれば、イビルアイの警戒レベルも下がったと考えて良いのかもしれない。

 

 これ以上の問答は続かず、沈黙が緩い緊張と対立の中で揺蕩っていた……リーダーとガガーランの到着まで。

 

 

 

 

**************************

 

 

 

 

 アダマンタイト級冒険者チーム『青の薔薇』が本拠地である王都の定宿としている高級宿の一階の酒場のほぼ彼女達の専用スペースと化した席に巨体を誇る女戦士ガガーランとまるで子供のように小柄な仮面の魔法詠唱者イビルアイが相対で座っていた。

 今回の異常な緊張を伴った遠征が終わり、一刻も早く一息入れたかった2人としては、リーダーであるラキュースに王城への報告を放り投げたのは当然の行動だったかもしれない。

 何はなくともとりあえず一杯……ガガーランはジョッキを煽った。

 対するイビルアイは特に何かを手に付ける訳でもなく、極度の緊張が抜け、弛緩しつつある身体を確かめるようにアチコチをを触って、何かを確認していた。

 

「しかし……なんなんだ、アイツらは? あんな凄え装備のみで身を固めた連中……しかも全員が、だぜ……下手すりゃ、戦士長の五宝物なんかよりも凄えんじゃねーか?」

 

 一息入れた途端、ガガーランが捲し立てた。

 イビルアイは腕を組み、軽く頷く。

 

「……しかも連中は銅級だが……それにはカラクリがあった。組合で噂になっていたのでそれとなく聞いてきた……エ・ランテルでは途轍も無い大物ルーキーが立て続けに大活躍しているそうだ。登録してから僅か3週間でオリハルコンに昇格した『漆黒』……『漆黒の英雄』モモンと言う戦士と『美姫』ナーベと言う魔法詠唱者の2人組のチーム……偉業としてはまずゴブリン部族連合の殲滅。トブの大森林の南方を支配していた、あの『森の賢王』を使役し、続け様に『東の巨人』を討伐……『西の魔蛇』も屈服させ、トブの大森林の平穏を守る為に統治させている、と聞いた。加えてギガントバジリスクを次々に討伐していると噂だ……それもたった2人で、だ」

 

 ガガーランは息を飲み、それを隠すようにジョッキを煽った。

 

「……そりゃ、確かに凄えが、アイツらは3人組チームで、あのブレイン・アングラウスはあくまで冒険者じゃねー、って言ってたろ。3人組の特徴とも合致しねえ……なにより2人組なんだろ?」

「……立て続け、と言ったのは1組のルーキーが大活躍しているという意味ではない。もう1組……たった1日だけ活動して、報酬も受け取らずに忽然と行方を晦ましたチームがいたそうだ……チーム名も不明……エ・ランテルの連中は『3人組』と呼んでいるらしい。通称『3人組』は恐ろしく整った容姿の黒コートの男……武装が不明なので、おそらく魔法詠唱者。純白に輝く鎧を纏った銀髪の女軽戦士に、目が眩むような法服姿の魔法詠唱者の3人で構成されていた。そしてたった1日で300を超えるモンスターを討伐し、同じ日に『死を撒く剣団』という無法者と化した70人超で構成された傭兵団を皆殺しにして壊滅させ、誘拐されていた女性達を救出……団長と幹部3名を拘束して、組合に突き出したらしい……そのままその足でエ・ランテルから消えてしまったようだが……奴らがエ・ランテルから出立する際、目撃した者の証言によれば新たに青い髪の剣士が加わっていた……との噂もあるようだ」

「ドンピシャじゃねえか!」

「十中八九……否、間違いなく連中のことだろう。だから連中は登録した時のまま、銅級のプレートなんだ……エ・ランテルの冒険者組合では少なくとも白金級にして、形式的に審査をした後、最低でもミスリル級にはしたいとの意向があるそうだ」

 

 ガガーランは深く頷いたものの、それでも疑わし気な視線をイビルアイに向け続けた……納得いかない……と無言ながら雄弁に語っている。

 イビルアイはただ頷いた。

 

「んじゃ……正直に言うぞ、イビルアイ……俺はアイツらが信用出来ねえ」

「まぁな、だがリーダーは連中を使う……否、協力を要請するつもりだろう。そう言いたくなるほど強力な戦力なのは間違いない。作戦期間中だけで良いから、連中の装備だけでも貸して欲しいぐらいだ……私が言いたいのは、確かにお前の言う通り連中は信用出来ない。だが連中の能力も装備一式も強力なのは事実だ。我々アダマンタイト級冒険者でも手に出来ないレベル……リーダーの魔剣キリネイラムと同等……或いはそれ以上の代物だ。ガゼフ・ストロノーフが王から貸与されている王国の至宝レイザーエッジすら凌ぐ逸品……と私は考えている。だからある程度の付き合いは考えるべきだろうな」

「だがよぉ……連中は明白に嘘を吐いているんだぜ。あのティーヌとか言ういけ好かねぇ女戦士……強えのは認める。だが、ありゃー間違いなく人殺しだ。ブレイン・アングラウスのように戦いの末に斬る、ってえなら認めねえことはねーがアイツは楽しんで人を殺すヤツだ」

 

 あの村からの帰りの道中、『青の薔薇』は『3人組』とブレインに同道した……理由は様々だがチーム全員がどうしても放置しては危険な気がしていたのだ。少しでも会話を増やして、相互理解を深めようとも目論んでもいた……その為の軽い手合せのつもりだった。あくまで親睦とお互いの力量を確かめて、打ち解け……あわよくば銅級が保有するには有り得ないレベルの装備の秘密を知ろうとしたのだ。

 結果しとてガガーランはブレイン・アングラウスとの模擬戦で完膚無きまでに叩きのめされた。それはもう一方的だった。迎撃を本領とするブレインに能動的に動かれて一方的に追い詰められた。すっかり余裕を失ったガガーランは全力戦闘に踏み切った。しかし模擬戦用の木製戦鎚とはいえガガーランの15連撃を全て捌かれ、喉元に木刀の切先が突き付けられたのだ。王国有数の戦士としての誇りはものの3分も掛からずに打ち砕かれたのだ……しかし清々しいまでの敗戦であり、自身の未熟を自覚するには良い機会だったと思うことにしたのだ。

 ……そこまで良かった。

 問題はティーヌという女戦士だった。確かに相当な力量の持ち主だとは感じられた。最初は戦士同士ということでガガーランとの一対一……結果は対ブレイン以上に圧倒された。スピードの絶対値が隔絶していたのだ。そうなると戦闘にすらならなかった。ティーヌは木の棒切れで次々にガガーランの急所を的確に突いていく。対するガガーランは空振りするばかり。

 

「なんかさー……私、テンションダダ下がりなんですけど……まあ、ブレインちゃんに完封されていた時点で、ねー……戦士ナメてんのか、って感じ? もういいからさー、そっちの双子ちゃんとか仮面ちゃんとかリーダーちゃんとかも一緒にやろーよー」

 

 そうティーヌに宣言される事態に至り、ガガーランのアダマンタイトの誇りは砕け散った。屈辱に塗れて膝を着いたガガーランはティーヌを見上げ、その顔に気付いたのだった。ティーヌはガガーランを貶めて楽しんでいた。間延びした口調と笑顔に隠された目の奥に愉悦が浮かんでいたのだ。

 

 思い返せば、出会いも不自然だったのだ。

 ガガーランはティーヌの足下に転がる焼け焦げた死体の四肢に無数の刺突痕があるのを見逃さなかった。それはガガーランに限らず、他のメンバーも確認しただろう。中でも眼窩の一撃が致命傷なのは明らかだ。つまりゼブルの説明通りに拷問したのは間違いないだろう。だが何故「ファイアボールの余波で死んだ」と説明したのかが理解できない……ゼブルがそう説明する理由は確実にあるのだ。しかし判然としなかった。

 

 だがティーヌの目の奥にあるモノを見た瞬間、ガガーランは天啓を得たのだ。

 

 ガガーランがジョッキを強くデーブルに置いた。大きな音を伴って卓上が激しく揺れたが、周囲は反応しない。このテーブルは半ば彼女達の専用スペースと化している為、店の承諾を得て盗聴防止の魔道具が設置されているのだ。

 

「だがお前よりも強い……あの装備込みならば私にも届きかねない器だ。ジットという魔法詠唱者は信仰系も魔力系も使える為、信仰系のみで比べればリーダーに劣るかもしれないが、マジックキャスターとしての絶対的な難度はリーダーよりも上。加えてブレイン・アングラウス……ティーヌとほぼ同等か若干劣る程度の難度だろう。つまり剣士としては私に届き得る存在だ。そして最後にゼブル……アレは確実に私よりも強い……難度で200近い、と私は踏んでいる」

「にっ、200!」

「……初めて、あの村でアレを見た時……私は危険な連中だと分かっていながら仕掛けられなかった。ティアとティナの身の安全を優先する……そう言い訳して、なんとかこのバケモノと交渉しようと取り繕った」

「……そんなにか……」

「ああ、アレはヤバい……『十三英雄』が滅した魔神の中でも相当に高位の存在と同等だ。そんなバケモノの中のバケモノが単なる人間の姿をして、目の前にいたのだ……簡単に飲み込める状況ではなかった」

 

 ガガーランの唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえた。

 

「ゼブルが難度200として……他の連中は……?」

 

 イビルアイは仮面の下でどのような顔で応えたのか……大きく、ゆっくりと頷き、一呼吸置いて、かなり深刻な内容を告げた。

 

「私の見立て……あくまで装備込みの難度だが……ジットがおおよそ130超えたと言ったところ……ブレイン・アングラウスは140……否、それ以上も十二分に有り得る。そしてお前を完封したあの女……ティーヌは150前後で純粋な戦士職だ。つまりティーヌの領分で戦った場合、私は確実に敗れる。もちろん本当に殺り合うことになったら、戦士の領分なんぞに付き合ってやる気は無いが……まずはその状況に陥るのを避けるべき、と言うのが私の考えだ」

「さらにその上にゼブルか……イビルアイを除けば、俺達全員難度90ぐらいだろ? アイツらは俺らよりも圧倒的に強い……それを受け入れねえと、か」

「ああ、連中の銅級プレートにこそ、何の冗談か、と言うべきだな。まずはあの連中は強い、という事実を認めるところから始めるべきだ……そして協力関係を築かなくては……ブレイン・アングラウスの言葉が真実ならば、少なくともあの連中は麻薬の蔓延を良しとはしていないようだ。対『八本指』にあれだけの戦力が増強されれば、アダマンタイト級の器と評判の『六腕』すら問題にならないだろう」

「……ブレイン・アングラウスの言葉が真実なら、な……俺らが背中を任せる根拠しては弱かねえか?」

「信用出来ないか、ガガーラン? 実を言えば私も信用出来ない。甘い考えだと思う。だがリーダーはもう決めているぞ……彼奴にとっての優先事項は王国内の麻薬の撲滅……あのお花畑の姫様も同じ考えだろう……政治的力関係の問題だろうが、意外に清濁合わせ飲む面もあるからな」

「ラキュースかぁ……それだけだと思うか、イビルアイ? 初めてゼブルを見た時のあの顔……どう思う?」

 

 これまでの真剣な表情から一転、ガガーランは人の悪い顔を作った。

 

「私には解らん……だが一番付き合いの古いお前がそう思うのならば、そういうことも……否、彼奴だぞ」

「まぁな、確かにラキュースだ……一生『無垢なる白雪』を手放さそうな気はするなぁ……」

 

 今度はイビルアイが仮面の下でクツクツと笑った。

 

「彼奴は……貴族の御令嬢で美人なのに色々と残念なところが……それにお前が気にしていた顔の原因もなんとなくだが想像がつく。アレはゼブル本人でなく、あのコートに視線を奪われた感じがする。なんとなく魔剣キリネイラムの刀身と似た光沢が有ると思うぞ」

「確かに……その解釈の方がしっくりくるのがラキュースだ」

 

 ガガーランは豪快に笑い、残った酒を飲み干した。

 そして目をやった入口に手を掲げ、大きな声でこう言った。

 

「よお! 童貞っ!」

 

 

 

 

**************************

 

 

 

 

 王都リ・エスティーゼの古びた街並みを眺めながら、久々に1人で目抜き通りを歩く。料理店以外にも屋台が軒を連ね、通りは猥雑さに満ちていた。アーコロジー内の病的に清潔さが保たれた、異様に整然とした街並みしか知らないで育った俺としては滅茶苦茶にハイテンションだったが、とりあえず食事の前にやる事をやらねばならない……ひたすら街を歩き回るのだ。

 ティーヌとジットとブレインも単独行動だ。王都の冒険者組合に持ち込んだ討伐証明部位を換金した金でなんとか極貧生活から抜け出し、3人に外套を買い与えた……俺についてはユグドラシルの装備規制が働くらしく、どうしてもコートの上に外套を着用出来なかったので諦めた。なので3人分、どうにか無駄に悪目立ちはしない格好を手に入れ……と言っても地味な外套を上から羽織っただけだが……分散して仕事に取り組めるようになったのだ。

 

 俺は地形と地理を覚える為に王都を歩き回っていた。いざという時、目立たないように『転移門』を使う為である。逃げるなり奪うなりを考えた場合、どうしても必要な作業だった。これが終わったら冒険者組合か冒険者の集まる酒場で情報収集の予定だ。

 その前に色々な屋台で「金の心配をせずに色々な物を買い食いがしたい」という細やかな夢も叶えるつもりだが……アーコロジーで生まれ育った俺が、せっかく異世界に転移したのだ。このチャンスを活かさない手は無いだろう。

 ティーヌは『八本指』の情報収集兼裏のありそうな商店からの買い出し。ついでにギガントバジリスクの死骸を素材として買い取る商店を探して繋がりを作る。

 ジットは王都で活動するズーラーノーン構成員達と接触して、やはり『八本指』絡みの情報収集。

 ブレインは歓楽街や飲み屋を回って『八本指』関連の噂の収集。可能ならばガゼフ・ストロノーフ宅を訪ねてアポイント取得だ。

 

 ポイントは全員が飲食不要の効果を持つ装備を外していることだ。つまり各自に割り当てた金貨3枚まで自由に飲み食いなり買い物なりして良い……むしろ「しろ」と言うことだ。

 俺達が旅を続けるだけならば蓄えは十二分に出来ていた。だがエ・ランテルに残留してジットの計画を進める連中は、現在任務を進められず、慣れない表社会で食いつなぐ為の仕事に奔走しているはず……彼奴等になんとかして確実に送金できないものか……?

 まあ、自分達の骨休めも必要だが、裏方スタッフの生活にも気を配らねばならない……ということだ。彼奴等を支配した以上、それは俺に課せられた責務だろう。

 しかし、やはりどう考えても異世界転移物のテンプレ通りの中世から近世風の異世界では、どうしても他人を介しての送金になってしまう……全国に支店網を待つ銀行もネットバンクも仮想通貨も無い。手数料も凄まじく高額な上に信用も出来ない……いや、割とマジにどうしろと……

 

 そんな事を考えながら街並みを歩いていると、街の雰囲気が唐突に断絶したかのように違和感を感じる路地に入り込んでいることに気付いた。あれほど溢れていた歩行者が全くいないのだ。

 

 んっ……あれ、気付かない内に住宅街に迷い込んだか?

 

 と思ったが、住宅街にしても人影が無い。時間は夕刻……もう少し生活感があって然るべきだ。およそ50メートル先に黒い人影が1つ……足下にかなりデカい袋とそこから伸びる腕……………うで?

 

 うーん……トラブルの臭いがプンプンしますな!

 

 そのまま30メートル進む間に左手の建物からゴロツキ風の大男が飛び出してきた。そして黒いスーツ姿……いや、執事のような格好の老紳士と揉め出した。

 慌てて眷属を飛ばす……どちらに取り付くか……『八本指』絡みの可能性があるのは大男だろう。老紳士は姿勢が良過ぎて、たとえ繋がりがあっても主人の方だろう、と判断した。

 

「えーっと……お困りですか?」

 

 老紳士に問い掛ける。すると大男も振り向いた。

 

「うるせえっ! 関係無え奴はすっこんでろ!」

 

 早速大男が噛み付いてきたので、黙らせる。既に身体は支配していた……大男は何も自覚できないまま黙り込んだ。黙っていることに疑問すら感じていないだろう。

 

「あー、お前じゃ無くて、俺はこちらの紳士に尋ねているの……で、俺はゼブルと言います。銅級の冒険者です。全くの偶然とはいえ、ここに通り掛かったのも何かの縁です……お困りですか?」

 

 上品ながらも厳つい顔に、素晴らしい姿勢を支える鍛え上げた身体……かなりの猛者なのかもしれないが、どうにも違和感を感じる……こちらに転移してから感じるようになった、ざっくりとしたレベル読みが通用しない……ということはアイテムなり魔法なりスキルなりで阻害しているということだ。

 

 隠す以上、この老紳士が強いのは間違いないだろう……だが不思議とプレイヤーとは思えなかった。もちろん外見では判断出来ない。人間種のプレイヤーであればあえて老人アバターを使う者はいた。いわゆる中世ファンタジー世界の魔法使いロールプレイヤーであれば男女問わずいる。俺のように『人化』可能な異形種プレイヤーで『人化』後のアバターに老人を使用する者は寡聞にして知らないが、いてもおかしくない。しかしこの老紳士の場合はユグドラシルのテンプレートに無い設定だった。だから『人化』可能な異形種プレイヤーとも思えない。あくまで知る範囲だが『人化』後の人間アバターに僅かでも課金するぐらいならば本体のアバターに更に課金するのが一般的だ。そもそも老執事と言う設定をプレイヤーが選択するシーンが無い……とは言わないが貴族ロールプレイの家人設定って面白いか?

 

 まあ、そんなアバターの分析よりも、この老紳士の雰囲気がどうしてもプレイヤーっぽくない、というのが一番大きな根拠なんですけどね。

 

 老紳士は足下に視線を落とした。

 ズボンの裾を傷だらけかつ痣だらけの手が掴んでいる……女の手だ。

 

「助けて欲しいそうです……わたくしは彼女を庇護すると決めました」

「分かりました……俺が彼女を治癒すればよろしいでしょうか?」

「失礼ですが、貴方は治癒の魔法が使えるのですか?」

「その程度の傷でしたら問題無く……いけるでしょう」

「精神の方は……?」

 

 精神の傷ねぇ……そんなモノを気にする以上、やはり老紳士はプレイヤーでないことは俺の中で確定となった。

 

「記憶操作ですか……彼女を預けて頂ければ、知り合いに第五位階まで使える神官がいますが……それ以上の位階が必要な場合は難しいかと」

「……なるほど」

 

 老紳士は顎に手を当て、考え込んだ。

 どうにも重い……こっちも彼の雰囲気に引っ張られてしまう。

 

「分かりました……ゼブル様に彼女を預けましょう。必要な経費と報酬はわたくしがお支払いいたします……とりあえずはこれで……不足でしたら、後日彼女を渡していただく際に請求して下さい。申し遅れましたが、わたくしはセバスと申します」

 

 セバスさんは上着の懐から革袋を取り出し、中身を取り出そうとして、手を止めた。そして革袋をそのまま俺に手渡した。

 受け取るとズシリと重い……こりゃー、凄い金額だ。この金額の裁量権を持つということは、この人は執事と言うよりも主人……いや服装が完全に違う。やはり王族や相当な大貴族の家令なのだろうか?

 

「口止め料も兼ねて、全額お渡しします……これで追加分は無し、ということにしていただけますか?」

「分かりました……それで構いません」

「中身を確認しなくてよろしいのですか?」

「貴方を信用しますよ、セバスさん」

「では、彼女の治療が済みましたら……そうですね……こちらにわたくし宛の伝言をお願いします」

 

 セバスさんは懐からスクロールを取り出し、魔術師組合の蜜蝋の封印を指し示した……つまり魔術師組合では相当な上顧客なのだろう。

 

「では……よろしくお願いします、ゼブル様」

 

 と言い残し、セバスさんは後ろ手に手を組み、颯爽と立ち去った。彼自身もかなりの戦力も資金力も保有していそうだが、どちらかと言えば彼が忠節を尽くす主人の方に興味が惹かれた。

 金持ちや権力者と知り合いになって、絶対に損は無い。それはこれから俺達が王都でやろうとしている計画が有うと無かろうと変わらない。

 

 改めて女を見た。正しくゴミのような扱いだった。捨てられる時も袋入りとは……若い、とだけは判断できるが、美醜は全く判らない。顔面も全身もボロボロだった。しかも半裸に近い。つまり彼女はそういう扱いをされる女だったのだろう……変態相手の娼婦か、性奴隷と言ったところか?

 しかし女の素性がなんであろうとセバスさんから依頼として治癒を引き受けたのだ。彼の主人に近付く為にも完璧に治療してやる。

 

「ミドル・キュアウーンズ!」

 

 ゴミのようだった女が表面上は可愛らしい顔を取り戻した。これで少なくとも女の命だけは助かける事が出来たわけだが……残りの処置はここじゃあまりに目立ち過ぎる。

 

 俺は大男に命じて傷だらけの女を袋のまま抱き上げさせた。

 

 この大男は死んでも構わないので完全に支配する。ただコイツの出て来た建物の鉄の扉だけは徹底的に記憶に焼き付けることにした。直に『八本指』でなくとも、必ず王都の暗部に繋がる扉に違いないから……

 

 




お読み頂きありがとうございます。


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6話 蝕まれる6本の腕

評価を頂いた方ありがとうございます。ノープランの遅筆ですが、なんとか投降を続けます。


 ボロボロだった娼婦をとりあえず見れる格好にしてラキュースさんの所に届けた翌日……ツアレニーニャ・ベイロンと言う名だった彼女を身柄をセバスさんから預かって2日目の午後……身なりの良いデブと痩せこけたゴロツキが宿屋の部屋に乗り込んできた。

 その時、俺はちょうど屋台で買った豚肉の串焼きを頬張っていた。同室のジットはズーラーノーン絡みで出掛けていて、たまたま日課の稽古から帰って来ていたブレインは部屋の片隅で刀の手入れをしていた。元々別室のティーヌは彼女の部屋にいないらしい。近くにいるならばまだしも肉腫の情報からは現在位置までは把握出来ない。

 廊下から馬鹿みたいな大声が聞こえたかと思った瞬間、ドアが乱暴に押し開けられた。入ってくるなり連中はブレインの持つ刀の輝き目を奪われたようだが、それも一瞬……俺を睨み付け、こう言った。

 

「貴様が匿った女を出せ!」

 

 デブが真っ赤になっていた。とにかくキレて、勢いでなんとかするつもりなのか……まあ、ツアレの事で間違いないだろうが……俺は匿っているわけではない。

 確かに外傷の治療はした……あの後『大治癒』を使ったのは秘密だ。

 その対価はセバスと言う名の老紳士が支払った。

 悲惨な娼婦ツアレは王国貴族であるラキュースが一時的に保護した。

 その全ての過程でツアレを運んでいたのは、あの鉄の扉の建物も従業員である大男だ。俺に完全支配された大男は今もアインドラ邸か『青の薔薇』の定宿の周辺でツアレの護衛をしている。ツアレに害が及ぶ何かが迫った場合、ヤツは身を挺してツアレを守る。逃げようとしたり、制約を破ろうとしたり、命令に背こうとしたら……ヤツの脳内から第二世代が生まれる。

 この世界で生まれた第二世代は親の召喚主である俺の支配下にはあるが、第一世代と違って役目を終えても消えない。現存する成虫の第二世代は『死を撒く剣団』から生まれた1匹だけだ。この王国のどこかにいる。

 

「隠しても無駄だ! 貴様らの行動はすぐに判明する!」

 

 デブはとにかく怒鳴り続けていた。

 隣に控える痩せこけた傷面の男は抜け目なく室内をチェックしていたが、そもそもこの安宿の客室にはチェックする場所自体が少ない。女性とはいえ大人が身を隠せる家具は寝台しかなかった。設えの寝台が2つと運び込んだ簡易ベッドが1つ……その影響で小振りなテーブルセットは撤去されていたのだ。

 傷面の男の視線は天井を走り、床板を舐め、部屋の隅にある荷袋を確認してから、再び俺に戻った。

 コイツらがどこまで把握しているのか……最低限それは確認する必要があった。実力に訴えるのはその後で良い。

 

 傷面と俺の視線が絡み合う。その静かな激闘を阻むように刀を鞘に収めたブレインが俺の前に立った。俺が命じたわけではないが、いちおう主人の俺を守るつもりなの……それともブレインなりの思惑があるのか?

 

「お前達は何者だ……まず名乗ったらどうだ?」

 

 ブレインの鋭い視線に気圧される形で、デブは「王都の治安を守る」巡回使のスタッファン・へーウィッシュ、痩せこけた唇に傷のあるゴロツキは「俺の愚かな行動の被害者」であるサキュロントと名乗った。

 

「……誰?」

 

 俺の問いにブレインは首を振った。どうやら王都を離れていたブレインでも知っているような有名人というわけではないらしい。

 

「貴様が拐った女だ。女は彼の店の従業員だ!」

 

 状況に苛立ったスタッファンが怒鳴り付けた。その内、本当に血管が切れるのではないか……どんなに血色が良くてもデブはデブ。不摂生の塊なのだから過度のストレスは良くない。

 対して俺はほぼノーストレスだった。普通ならば官憲に踏み込まれた厄介な状況だが、スタッファンがそれほど有名でもないのならば対処は簡単だ。むしろ状況としては願ったり叶ったりだ。「彼の店」と間違いなくスタッファンは言ったのだ。サキュロントはあの鉄の扉の建物と関係があるらしい……つまり見た目と違わず裏社会の人間だ。俺としては希望通りである。

 完全に鴨ネギな状況だった。

 思わずニヤついてしまう。ニヤつきついでに口の中の串焼きを嚥下する。見ようによってはナメた仕草に見えるだろう……挑発に乗ってくれれば良し。とりあえず黙っているサキュロントに喋らせたい。

 

「貴様ぁあああ! 何を笑っておるのだ!」

「まあまあ、落ち着いて下さい……へーウィッシュ様。このような卑しい冒険者ごとき、それも最底辺の銅級なんぞに天下の巡回使様が熱くなる必要はございません」

 

 まるで芝居だな……と言うか完全に芝居だ。

 

 サキュロントが身を乗り出し、俺に向けていた推し量るような視線を、見下して睨み付けるものへと変化させた。恫喝か挑発のつもりなのか?

 

「法的に不味いことになる……その認識はあるのか? 冒険者ごときが触れて良い問題じゃないんだがな」

「何が、どう問題なんだ?」

「お前が拐ったのだろう……立派な犯罪だ」

「拐ってはいないが……俺は彼女の傷の治療しただけだ。彼女を運んだのはお前のところのデカい男の従業員だろう? 俺に噛み付くのは完全にお門違いってヤツだ」

 

 サキュロントはグッと息を飲んだ。

 あの従業員の大男は俺の完全に掌中にある。どんなに証言者をでっち上げようと、運んだ本人の自白以上の効果は望めない。奴の自白には俺の思惑を自由自在に反映させることが可能だ。今すぐに出頭させることも出来る……完全に証拠を隠滅させるのならば、出頭させて自白させた後、脳内の肉腫を眷属にすれば良い。死人に口無し、だ。

 それを匂わせたのは伝わったようだ。

 

「……奴をどこにやった?」

「さあ、知らないねぇ……その内、ひょっこり現れるんじゃないか?」

「貴様……」

 

 サキュロントも一筋縄ではいかない輩であることは間違いない。俺が期待したような言葉の読み合いで尻尾をだすような低能ではないようだ。せめて『八本指』と関わりが有るのか無いのか程度は知りたかったが……どのみちゴロツキだろう……このまま支配してしまうか?

 

「……俺達が法に則って動いている内に……」

「サキュロント………思い出した……確か『六腕』の『幻魔』か?」

 

 もう一押し……そう思った時、それまで俺の指示通りに黙っていたブレインが呟いた。ろくうでのげんま……ブレインは確かにそう言った。

 

 ろくうで……『青の薔薇』の連中が言っていたような……アダマンタイト級の力を持った『八本指』の最大戦力だったか……? だとしたら……鴨ネギどころじゃなく、完全無欠の大当り……ビンゴだっ!

 

 『六腕』の1人と、犯罪組織と繋がりのある汚職官吏……この世から消え失せてもほぼ問題は生じない。

 もはや様子見の必要は無い。むしろ即決速攻だ。

 俺が決断すると同時に、ブレインの鞘に収めたままの刀が一閃した。

 鳩尾を打たれたスタッファンの巨体が崩れ落ちる。口から泡を吹いて、完全に気絶していた。

 

「……お前達は何をしたのか、理解しているのか?」

「お前こそ誰を相手にしているのか、理解した方がいいな」

 

 ブレインの警告にサキュロントは警戒したのか、完全に体勢をブレインに向け、そちらに気を取られていた。

 

 そうですか……俺を無視とは都合が良い。

 

「眷属召喚……肉腫蠅」

 

 青白く輝く、直径30センチ程の魔法陣が2つ……俺の左右に浮かび上がった。その中心の小さな歪みから蠅が生み出される。

 

 サキュロントは腰の剣を抜いた。直後「マルチプルビジョン」と呟く。

 陰気なゴロツキ顔が5つに増えた。突如出現した魔法陣を警戒したのか、全方位を向いている。

 低位の幻術だ……残念ながら地獄の蠅である眷属の複眼にも嗅覚にも通用しない。あっさりと不可視の本体に取り付き、警戒心全開のサキュロントの頸から蛆虫が入り込み、脳内で肉腫となった……そして即支配を完了させる。スタッファンも同様に支配を完成させ、2匹の眷属は消え去った。

 サキュロントが跪いた。剣を床に落とし、呻きながら頭を抱えている。

 肉腫が脳内で強烈な死のイメージを展開し、抵抗する気力を奪う。

 泣き喚き、頭を抱える悪漢の姿を眺めながら、さらに念入りに頭の中から破壊されるイメージを刷り込むと決断した。サキュロントは掟の厳しいだろう犯罪組織に属しているのだ。このまま再起不能になっても構わないぐらいの勢いで念入りに恐怖を刷り込む。

 気絶しているスタッファンは後回しで問題無い。

 

「さあ、サキュロントさん……お前の主人は誰かな?」

 

 明確な恐れを感じさせながらもサキュロントは頑張っていた。まだ一歩だけ『六腕』側に踏み止まり続けていた。冷や汗を滲ませ、呻きながらも、笑顔で歩み寄る俺から、跪いたまま少しづつ遠ざかろうと足掻いていた。

 さらに強烈なイメージをサキュロントの脳にブチ込む……イメージは悪夢だが悪夢ではない。俺が肉腫に命じた瞬間、現実になる未来図だ。サキュロントよりも高レベルの快楽殺人鬼も死霊術師も剣鬼も屈服させたものだ。

 再びサキュロントは頭を抱えた。

 

「……ヤダ……やっ、止めてくれ……助け……ヒッ!」

 

 一切の容赦無く、精神を揺さぶる。

 時間にして約30秒、俺はサキュロントに微笑み続けた。そして女性に接する時のように優しく耳元で囁く。

 

「受け入れれば……楽になれますよ。素直になるだけ……簡単なことです」

 

 痩せこけた凶悪な傷面のおっさんが俺を見上げた。涙目の上目遣いで……かなり不気味で気持ち悪い。

 

「……ゼブル様……どうか助けて下さい。あんな死に方は嫌です……どうか助けて下さい。何でもします…………貴方様の忠実な下僕である、この『幻魔』のサキュロントに御慈悲を……」

「慈悲ね……まずは『様』を止めて、『さん』付けにしましょうか……そしてお前の知る情報を全て吐け……話はそれからです」

 

 サキュロントは野太い声で訥々と語り始めた。

 『六腕』のこと。

 『八本指』最強戦力である『六腕』最強の男にして警備部門の長である『闘鬼』ゼロについて。

 『踊る三日月刀』ことエドストレームについて。

 正体はアンデッドの魔法詠唱者である『不死王』デイバーノックについて。

 『空間斬』ペシュリアンについて。

 『千殺』マルムヴィストについて。

 それぞれの使う技の詳細。

 鉄の扉の建物のこと……奴隷売買部門の王都最後の裏の娼館である、と。

 奴隷売買部門の長コッコドールの依頼でサキュロントが派遣されたこと。

 巡回使スタッファンは常連客であり、性交する前に女を殴るのが趣味であること。

 あの強奪された処分予定の女(=ツアレ)はスタッファンの歪んだ性癖の犠牲者であること。

 それ以外にも知りうる限りの『八本指』の情報……それなりに高位に位置しているとはいえ、所詮は有能な尖兵という扱いでしかないサキュロントの持つ情報は断片的であり、まとまりがなかった。

 

 全てを語り終えたサキュロントは床に額を擦り付け、ひたすら命乞いを繰り返している。手持ちの情報の全てを語らなければ無残な死……話さないという選択肢は存在しない。しかし知りうる限りの情報を引き出されたら、用済みと判断されるのではないか……頭の内側を蛆虫に食われ、徐々に自分を失いながら死ぬ未来……幾重にも入念に刷り込まれた死の恐怖がサキュロントを襲うのだ。

 

 いつでも身体の自由は奪える。

 いつでも肉壁に出来る。

 既に眷属の苗床である。

 すぐに殺す必要性がない。他のメンバーと同じく利用価値は有る……サキュロントは『八本指』に入り込むにはちょうど良い駒なのだ。

 

「とりあえずは殺しませんが……俺は貴方をいつでも殺せます。俺の命令に従うのか、従わされるのか、はお任せしますよ……殺すのも殺されるように仕向けるのも脳ミソの中の肉腫に命じるだけだ。俺はどちらでも構わない……が、どちらにチャンスが残されているのか、良く考える事です……さて、まずはサキュロントさんの忠誠心を試しましょうか?」

 

 僅かな沈黙。

 

 サキュロントは自分の意志で部屋を出た。彼の悲壮な表情には壮絶な決意が宿っている。これから行わなくてはならない命令……命の代価……サキュロントが二度と『八本指』には戻らない程度では済まない。

 気絶したままのスタッファンがよろよろと後に続く。

 

「ブレイン、一緒に見物に行くか?」

 

 ブレインは何かを諦めたような口振りで言った。

 

「ああ……ゼブルだけに任せるわけにはいかないだろうな。あの力を見た後でお前を放置できる奴は、ある意味人間辞めてるな……ティーヌやジットならばそうするのか?」

「信用無いのか、俺?」

「俺は結構お前を信用してるんだぜ……間違いなく酷いことになるってな」

「それは……信用していないって言うんだ、世間じゃ」

「そうなのか……それは知らなかった」

 

 減らず口を……俺は少し楽しい気分を噛みしめながら、ブレインを伴って安宿を後にした。

 

 

 

 

**************************

 

 

 

 

 ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラは悩んでいた。こんな非常時になんて非常識な……彼女を良く知らない者であればそう断ずるに違いない。

 様々な意味で非常時なのは間違いない……ティアからの報告では『八本指』の裏の娼館で惨事が起きたらしい。『六腕』の1人である『幻魔』のサキュロントが娼館内で乱心(と言うより、突如として正義に目覚めたと言った方が正しいのか?)し、娼館の従業員を鏖殺したらしい。その際に奴隷売買部門の長コッコドールを拘束し、解放した娼婦達と共に評判のすこぶる良くない巡回使のスタッファン・へーウィッシュに引き渡したと言うのだ。

 これだけでも衝撃的な大問題なのだが、さらに問題なのは「何故、ティアが現場に居合わせたのか?」である……答えはティナとイビルアイと手分けしてゼブル達を見張っていたからであり、ティアが娼館の向かいの建物の屋根の上からことの経緯を眺めていたゼブルとブレイン・アングラウスを監視していたからである。

 偶然……なはずはない。

 王都中、上も下も表も裏も蜂の巣を突いたような騒ぎになる大事件だ。たまたま一番良く事態の推移を確認できる場所に居合わせたのがあのイビルアイが交戦もせずに自分よりも強いと認めた男と周辺国最強の戦士と紙一重の男なんて都合の良い偶然を信じられるわけがない。しかもブレイン・アングラウスはともかく、どうにもゼブルという男は信用出来ない。

 見目は麗しく、身なりも良い。

 武装は目を奪われるレベル。

 実力もイビルアイの御墨付き。

 あの4人の中では人柄も特に気にならないが、他の3人が飛び抜けて癖が強い、とも言える。何と言うか……軽い、というのも違う……飄々とした雰囲気だが、表面に現れるものとは違う何かを心の奥底に抱えている……上手く表現出来ないが、そんな感じがしていた。

 

 そんなゼブルが女を連れて現れたのは昨日のこと……元娼婦……それは悲惨を絵に描いたような境遇の女だった。

 領主に強制的に召し上げられ、性的玩具にされた。

 飽きれたら売られて娼婦へと転落した。

 堕ちた先は『八本指』の裏の娼館……死ぬ寸前まで殴られて、犯された。

 そしてゴミ同然に廃棄処分にされるところを運良く拾われた。

 拾い主は治癒魔法を使ってくれた為に外傷こそ快癒したが、彼の魔法では心に刻まれた恐怖を克服出来なかった。

 何の因果か、何一つ関わりの無い女性……ラキュースに引き渡された。

 そして彼女の体調を気遣う内にラキュースは知ってしまったのだ。外傷が治癒したツアレの内側の変化を……

 

 ラキュースは困惑していた。

 確かに水神の神官ではある。アダマンタイト級冒険者として他者よりは遥かに波乱万丈な人生を送ってきたとの自負もある。正義を志し、国を愛し、弱者の味方たらんとしてきた。

 

「だからって……私にどうしろって言うのよっ!」

 

 思わず1人で叫んでしまったが、それは仕方のないことだった。他者から見れば考えられないようなラキュースの刺激的な人生でも、ほぼ初めてと言っていいレベルの孤独感を味わっているのだ。『青の薔薇』の仲間達にはこの問題についてだけはそっぽを向かれている。戦闘では遥かに強く、人生経験豊富なイビルアイも全く役に立たない。特殊な環境で過酷な訓練を積んだティアとティナも役に立たない。処女であるラキュースよりは人生経験も性的経験も豊富なガガーランが唯一の希望であったが、彼女も今回ばかりは女の境遇の悲惨さに優しく勇気付ける以上のことは出来なかった。

 要するに仲間達はラキュース1人に全てを押し付けて、本来の仕事に専念してしまったのである。

 結果としてラキュースはツアレニーニャと単独で向き合わねばならなくなってしまったのだ。現状はガガーランに見張りを頼み、ラキュースは生家の邸宅に戻っているのだが……

 

 一時的な逃避こそしているものの、ゼブルからの依頼を安請け合いしたラキュースには逃げ道が無かった。彼女なりに思惑があった。強大な力を持つゼブル達を対『八本指』に協力してもらいたい……そう思っての行動だ。間違いなく……決して……そう決して買収されたわけではない……ただゼブルからの条件提示を聞いて、快諾しただけの話だ。

 

 ……これは協力関係を作り上げる為の作戦なのよ!

 

「……やっぱり女性のことは女性の方が理解できると思うんですよ。その上ラキュースさんは神官でもあるわけですし、是非協力をお願いしたい。もちろん……無料で、とは言いません……」

 

 今思い返しても悔まれるわ……

 

 あっさりと頷いてしまった自分。

 ラキュースがそうすることをまるで予測していたようなゼブル。

 

 今が非常時と認識していた。でもラキュースは頬を緩ませながら自分専用のクローゼットの扉を開けた。とても宿屋には置けない。だからアインドラ邸の自室のクローゼットに保管している。そして視界に入れるとどうしても触れずにはいられなかった。

 指先で触れる……衝撃が身体を貫き、頭の芯まで痺れたような気がする。

 うっとりとそれらを眺めてしまう……白銀の輝きを放射する甲冑には胸部中央に拳大の緑玉がはめ込まれている。深い紅玉と淡い緑玉の配置が美しい白銀の額冠。裏地が赤い薔薇の花弁を敷き詰めたような色合いの黄金のマント。白銀の地に黄金の獅子をレリーフが施された丸盾。黄金の翼を持つ白銀の具足。そして一際凄まじい光を放つ、刀身が透明な細身の片手剣……魔剣キリネイラムはと対極に位置する神々の剣だ。

 まるで神話の英雄が持つべき武具だった……ラキュースの理解を遥かに超越したそれらが手元にある。幼少期からの自分が詰め込まれたクローゼットにある。どうしても見てしまうのを止められない。

 

 もう駄目……終わりにしなきゃ……

 

 無理矢理頭を振って、ラキュースはクローゼットから飛び出し、息も絶え絶えになってクローゼットのドアに背を押し付けた。

 

 ……借り物だし……1秒でも長く眺めていたい。触りたい……身につけて、姿見を見たい……ああ、どうして……

 

 様々な設定が頭の中を駆け巡る。

 魔剣の力を抑える神官設定も絶妙だったが……今回は間違いなく神々の作りし神器だ。神話の英雄の血脈なんて、どうだろう? 細々と続く忘れられた血脈に生まれた乙女が秘密裏に受け継がれた神器を発見し、数々の困難を克服しながら神器に秘められた真の力を解放していくストーリー……一度思い付いたら恐ろしい勢いで物語が肉付けされていった……

 

 ドアのノック音。

 超特急で意識が現実に戻ってきた。

 頰が紅潮していた。

 

「……誰、どうしたの?」

「大丈夫か、ラキュース?」

「……ガガーラン?」

「入って良いか?」

「どっ……どーにょ!」

 

 声が裏返っていた。ついでに噛んだ。

 ドアに開き、見慣れた巨体が心配そうに覗き込んでくる。

 そのままガガーランが入室し、空気は一気に現実に変化した。

 

「……また魔剣キリネイラムの力を抑えているのかと思ったけどよ……どうにもラキュースの喋っている内容が妙でな……」

「えっ……えっーと、声が出てた?」

 

 ガガーランが大きく頷いた。

 

「割とハッキリな……大丈夫か?」

「だっ、大丈夫よ……心配なんて必要ないから……」

「その、まあ、なんだ……辛かったら……イビルアイなり、俺なりにいつでも相談してくれよ……国が滅ぶような力なんだろ? 間違っても力を解放させようなんて思わねえでくれよ」

「力の……解放?」

 

 思い当たる節が多過ぎた。なんせ秘められた真の力を解放するストーリーなのだ。キリネイラムとは真逆だった。

 

「……そうだぜ。思わず、ラキュースが魔剣キリネイラムに乗っ取られちまったのかと思ったぜ。慌ててノックしたらよ……いつものラキュースの声がしたから、そりゃー安心したぜ」

「だっ、大丈夫だから、本当に……」

「……そうか……ラキュースがそう言うなら、信用するけどよ……とにかく助けが必要だったら、いつでも頼ってくれよ」

 

 ガガーランの真摯な視線が痛かった。話題を……

 

「で、どうしたの?」

「おう、そうだった……大変な事が判明したんで、ティアもティナもイビルアイもアイツらを張ってるからよ。俺が連絡しに来たんだ。ツアレも宿屋に1人にするのは心配だったから、この屋敷に移ってもらったからよ……その辺の手配は頼む……」

「了解したわ……で、大変な事って?」

 

 ガガーランが言う「アイツら」とはゼブル一党だ。エ・ランテルの冒険者達が言うところの『3人組』+ブレイン・アングラウスで間違いないだろう。今更、連中が何かをしでかしたところで何だと言うのか……ラキュースにとってはゼブルに借り受けた武具一式の方が余程一大事だ。

 

「……それがよぉ……実は……」

 

 と思ってはいたが、ガガーランの語る内容があまりに突拍子も無いので、ラキュースは天井を見上げた。いったい何なのだ、あの連中は!

 

「で、『幻魔』のサキュロントは何なのよ?」

「完全に降ったんだろうな、ゼブルに……汚職官吏のスタッファン・へーウィッシュも右に同じくだと思うぜ……あのイビルアイもビックリだったぜ。2人共にゼブルに跪いてやがったらしい。『八本指』奴隷売買部門の長のコッコドールを官憲に突き出す前に、ゼブルの前に引っ立ててやがった。そしたら今度はコッコドールの野郎までがゼブルに跪いてやがった……そのまま大人しく連行されたらしいが……いったいどんなカラクリがあるんだ?」

「……イビルアイは何て?」

「おそらくは強力なマジックアイテムを使って『魅了』を仕掛けたんじゃないか、って……アイツらの意味不明に強力な装備品を考えたら、俺もそれが妥当な考えじゃねぇかって気はするが……」

「何にしても……」

 

 ラキュースとガガーランの視線が絡み合った。

 

「……そうだ。アイツらが勝手に『八本指』とおっ始めたってことだ」

「どうしてなのよ、いったい!」

「理由までは……いや……サキュロントが『八本指』を裏切る直前、スタッファンを伴ってアイツらの宿に乗り込んだようだ……理由があるとすればツアレ絡みじゃねえか?」

 

 ガガーランの考えが正しいとするならば、ゼブル達というか、ゼブルは悲惨な娼婦1人を救う為に巨大犯罪結社である『八本指』と戦うことを決めた、ということになる。そんなタイプにはとても見えないが義侠心溢れる行動だ。

 彼等の戦法もラキュース好みとは言えないが、敵の情報を取りながら、極力味方のリスクを抑えた方法だとは思う。特に首領の1人であるコッコドールを抑えたのは大きい。

 

「……私達も動くべきね」

「いや、まだだ、ラキュース。いつでも動けるようにするべきだが、アイツらに前の遠征で得た『八本指』の拠点の情報を上手く流して……後はお姫様を使って『八本指』に繋がる貴族の蠢動を抑えるべきだろうな……そっちは完全にラキュースしか出来ねえ事だ」

「そうね……了解したわ。ラナーと会って、可能な限りの協力を取り付けてくるわ」

 

 王城の前で待ち合わせ、ラキュースは急いで礼装な着替え、ガガーランはイビルアイ達に激変した状況を伝えに行った。

 

 ラキュースは家令に屋敷の警備を強化するように伝えつつ、心の中でほんのちょっとだけゼブル達を見直していた。

 

 

 

 

**************************

 

 

 

 

 いかにも洒落者といった格好の優男……『千殺』マルムヴィストは呼び出された拠点へ向かう途中、その気配に気付いた。付かず離れず淡々と追ってくる影のような気配。目の端で姿を確認しようにも、どうにも姿を見せるような輩ではなかった。

 このまま追いつ追われつをやっていても仕方ないので、マルムヴィストは歩みを止めた。月明かりが差し込む路地を探す……そしてベストのロケーションを見つけた。

 愛用のレイピアである『薔薇の棘』の柄に手をかける。

 油断はしない。背を取られぬように、あえて袋小路に陣取る。遅れを取る気など微塵も無いし、敵に追い込まれることなど想定もしていなかった。それは彼の自負では致し方のないことだろう……アダマンタイト級の実力を誇る『六腕』の一員なのだから。

 

「……お互い、名乗らないのも不健全だと思わないか?」

 

 マルムヴィストは闇の奥に佇む気配に問い掛けた。

 そして闇の奥から深くフードを被った厚手の外套姿が現れた。隙が無い立ち姿だ。そして女だ。

 

「どうしよっか? ゼブルさんには殺さないように、って言われちゃったんだよねー……あー、名乗りだっけ……ティーヌでーす! んで、お兄さんは?」

 

 フードの奥で大きく口が裂けた……笑顔だ……が圧倒的な狂気を感じた。マルムヴィストは恐怖を感じてしまった。理屈でない恐怖……理屈を無視した単なる理不尽。慌てて打ち消し、余裕の笑顔を取り戻す。

 

「……『六腕』……『千殺』マルムヴィストだ。お前も知っているんじゃないか? 俺達はアダマンタイト級の戦力を持っている」

「だからー、なに? あと『千殺』って自分で言うの、どーなのかなー?」

 

 やはり理屈は通じない。ティーヌのそれはアダマンタイト級の力を持つ者に対する態度ではなかった。マルムヴィストはこの世界の強者なのだ。確かに上には上がいる。例えばゼロの圧倒的なパワーとスピードであり、デイバーノックの『火球』連射である。剣の腕ということであればもっともっと上がいることを知っている。しかし相手を殺すという土俵では、マルムヴィストは確実に強者なのだ。

 

「アダマンタイトとかさー、正直言って弱いんだよねー……『青薔薇』とか大したことなかったしさー……まあ、1人はそれなりだったけど、ゼブルさんの力を見た後だと拍子抜けもいいとこだよ」

 

 ティーヌという女の間延びした言葉はよく飲み込めなかった。「アダマンタイトは弱い」だとか「青薔薇は大したことがない」だとか……言葉の字面は解るが完全に世迷言だ。

 

「誇大妄想狂か、お前」

「アハハッ……お兄さんがそう思うのなら、そうなんじゃないかなー……てめえの中ではなっ!」

 

 ティーヌが沈んだ。

 そのまま外套が地に落ちる。白銀が煌めいた。

 『薔薇の棘』が迎撃する。致死の猛毒が塗られ、2つの魔法が付与された剣自体が必殺の存在だった。少しでも擦れば確実に死に至る。

 マルムヴィストも刺突技には自信があった。だから余裕でティーヌの動きを観察していた。

 

 確かに速い……が、それだけだ。

 

「死ね!」

「残念でしたー!」

 

 加速した銀髪が紙一重で『薔薇の棘』を避けた……と思った瞬間、右肩に凄まじい激痛が走り、マルムヴィストは『薔薇の棘』を落とした。反射的に左手に取ろうとしたが……ティーヌに蹴り飛ばされた。どちらにしても激痛で屈むことは出来なかったのだが……

 

「アハハッ……いい顔するねー、お兄さん」

「なんなんだ、お前はっ!」

 

 ジンジンする右肩の激痛を堪え、マルムヴィストは抵抗を試みたが……鳩尾に鈍痛を感じた瞬間、意識が反転した。

 

 

 

 

 

 同時刻。

 無骨な全身鎧を中心に無数の屍が取り囲み、迫っていた。死を恐れぬ屍人の群れは中心の鎧に近付くと斬り飛ばされ、散乱していく。

 月夜に煌く光の残像が美しい……ここが墓地でなければ、だが……そして墓地は屍人に満たされていた。

 『八本指』最強の『六腕』の1人……『空間斬』ペシュリアンは絶望的なまでに孤独な戦いを強いられていた。淡々と忍び寄る無数の死……死を斬り刻んでも死が増えるだけ。屍人達は既に死んでいるのだから死を恐れない。生者を憎み続ける屍人の群れは唯一の生者であるペシュリアンに手を伸ばし続けていた。

 

 屍人の群れの向こうの闇にソレがいるのは察知していた。だが無数の屍人に阻まれ、どうしても斬糸剣が届かない。敵はペシュリアンの攻撃方法を知っているとしか思えなかった。まんまと敵の思惑通りに誘導されたマヌケ……それが今のペシュリアンだった。

 

「ちっ!」

 

 ゾンビ自体はペシュリアンの敵にもならない。スケルトンも同様だ。だがその異様な数自体が脅威だった。敵は防御壁であり、体力を奪うツールでもあった。状況は孤立無援だ……王都の古い墓地に屍がどれほど埋まっているかは想像も出来ない。少なくともこの墓地に埋葬された数を倒しきらなければ……さらに背後に佇む死霊術師を斬り伏せねば、ペシュリアンはいずれ力尽き、必ず倒れる。つまり体力が尽きる前にアレを斬ることのみが活路だった。

 

「……意外に頑張るではないか……儂の研究素材に欲しいところだが……ゼブルさんに殺すなと釘を刺されてしまったからのう……せめて新たに習得した魔法の実験台になってもらうとするか……」

 

 敵の首領の名はゼブル……この情報だけでも持ち帰る。

 

 壁に囲まれた中で魔法が飛んでくると甚だ拙い。ペシュリアンは残された体力を全て投入する決意をした。集中力を高め、斬糸剣を旋回性と軌道の精度を高める。一刀一殺どころではない。一刀十殺だ。

 

「サモン・アンデッド4th」

 

 黒フードの奥から詠唱が聞こえた。

 それまでのゾンビやスケルトンとは明らかに動きの違う武装したアンデッドが4体、現出した。

 

「やれ」

 

 スケルトン・ウォリアーが前に進んだ。片手剣と丸盾の装備の2体は問題ないが、後衛の弓を装備している2体が問題だった。既に矢をつがえ、弓を引き絞っている。

 極限まで高めたペシュリアンの集中はどうしても弓矢装備のスケルトン・ウォリアーに向いてしまう。迫り来る剣の攻撃を捌きつつ、なんとしてでも後衛2体を攻撃圏内に収めようと、どうしても動いてしまうのだ。それが罠だと解っていても……

 

 スケルトン・ウォリアーの矢が放たれたの同時だった。

 

「デハイドレーション」

 

 ペシュリアンの意識が飛びそうになった。スケルトン・ウォリアーの剣が斬糸剣を握る右手の甲を襲う。そして2本の矢が飛来した。さらにもう一体スケルトン・ウォリアーの剣が右手の指を直撃した。

 

 ……マズい……

 

 斬糸剣が地に落ちた……それは敗北を意味していた。

 気付けばフードが目の前にあった。

 

「チャームスピーシーズ」

 

 薄れゆく意識の中で、ペシュリアンは懐かしいオカッパ頭の友人に会ったような気がしていた。

 

 

 

 

 

 王都リ・エスティーゼではどうしても褐色の肌は目立ってしまう。褐色の肌の人種がいないわけではないが、どうしても無闇に注目を集めてしまうのだ。それに加えて異国風美女……さらに犯罪者……だからエドストレームは移動の際には気を使っていた。常に全身を隠すように外套で身を包み、フードも目深に被っていた。夏場はかなりキツいが、王都の裏社会で生き抜く為には我慢も必要だ、と無理くり納得していた。だからその反動と言うわけではないが、隠す必要の無い場ではほぼ露出狂のような、薄絹一枚の格好で過ごしていた。

 とても屋敷と呼べるような物ではないが、警備部門から支給された戸建ての部屋の中でエドストレームはその知らせを聞いた。

 

「……何がどうなっているの?」

「さあ、俺もそう伝えるように命じられただけなので……」

 

 伝令役の男は首を振った。地味な外套姿でフードで顔を隠しているが、随分と体格の良い男だった。しかし警備部門ではそれほど珍しいわけではない。だから特に気にも掛けなかった。

 

「……サキュロントが裏切った……それだけじゃなくて、マルムヴィストとペシュリアンも行方不明に……」

「……のようですね。なんにせよ、警戒して下さい」

 

 エドストレームは慌てて着替えようとして、ふと伝令役が出ていかないことが気になった。破廉恥な踊り子風の格好を好むとはいえ、女である。そして自他共に認める美女で、鍛え上げられたスタイルにも自信があった。

 だから時折こんなこともある。

 

「貴方さぁ……いちおう確認するけど、私が誰だか知っているの?」

「もちろん……『踊る三日月刀』だろ?」

 

 返答する男の声音は明確にに楽しんでいた……が、それは性的なものではなく、もっと硬質な何かだった。

 

「貴方……誰? 目的は何?」

 

 男がフードを脱いだ。青い髪と無精髭が現れる。

 

「ブレイン・アングラウス。目的というか使命はお前の拉致だが……その前に是非お前の技を味わいたい」

「……ブレイン・アングラウス……あのブレイン・アングラウス」

「あのか、そのかは知らんが俺は間違いなくブレイン・アングラウスだ……話によれば、お前は6本の三日月刀を同時に操るのだろう? 室内が不利ならば屋外でも良いが……どうする?」

 

 周辺国最強の戦士ガゼフ・ストロノーフと同格の剣士……明確に格上との対戦。相手にとって不足はない……戦士としての血が疼く。もし倒せばエドストレームの名は確実にゼロを凌ぐだろう。

 しかし勝てない……否、負けると悟らされてしまった。近寄れないのだ。シミターを飛ばしたところで全て落されるだろう。誰よりも優れた空間認識能力を持つ故に、ブレイン・アングラウスの攻撃圏を把握できてしまうのだ。もし戦うのであれば至近距離で一対一の今ではない。さらに言えば戦士の矜恃としては不本意だが相手はブレイン・アングラウスである必要がない。口振りから上位者の存在は確認できる。しかしブレインクラスが末端なわけがない……敵は仮にも『八本指』にケンカを売っている連中だ……エドストレームでも確実に勝てる下位者もしくは弱兵がいるはずだ。ブレインが今後も直接監視するなどと言うバカバカしい事態があるわけがない……腹は決まった。

 

「……投降するわ」

「フンッ……つまらない女だな。だがゼブルの命令を無視するわけにもいかないか……良いだろう」

 

 エドストレームは目隠しされ、ブレイン・アングラウスの指示するがままに歩かされた。目隠しそのものは人間を超越した空間認識能力を持つエドストレームにとって大した意味のある行為でない。歩数と方向で本拠を探り当てることなど朝飯前だ。

 

 道中、ほんの一瞬だけ何かが頸に触れた。

 直後、エドストレームは敵本拠を探るのを諦めてしまったのだが……当の本人はそのことに自覚がなかった。

 

 

 

 

 

 エドストレームがブレインに投降したのとほぼ時を同じくして、隠れ拠点としている廃屋地下の隠し部屋で『不死王』デイバーノックは特異な存在と対峙していた。これまでの長いアンデッドとしての生……偽りの生命だが、デイバーノックはそう認識していた……その中でも見たことが無い存在が闇の中で佇んでいた。

 

「お前は自我を持つエルダーリッチか?」

 

 その問いにどう答えるべきか……デイバーノックは迷ったていた。不死者として生者と比べれば様々なモノが麻痺しているが、今現在自身が窮地に立たされていることは理解できた。この問いに対する答えは重要だ。糸よりも細い生還への道が隠されているのだ。

 

「……その通りだ」

「なるほど……では低レベルプレイヤーか?」

 

 どうやら1問目は通過したらしい。しかし2問目は難解を極めていた。なにしろ意味が解らない。低レベルは言葉通りだろう。問題は「プレイヤー」の意味だ……祈る者?……遊ぶ者?

 嘘は通用しないだろう。あやふやな誤魔化しも下策だ。

 実力行使は論外。

 時間は……無い。

 

「……意味が解らない」

「そうか……それは残念だ。お前がロールプレイヤーならば最上級かと思ったのだが……雰囲気といい、声音といい」

 

 なんとか2問目も通過したらしい。

 

「では最後の質問だ……降る気はあるか?」

「……新しい魔法知識は得られるのか?」

 

 思わず漏れた言葉……それがデイバーノックが『八本指』に尽くす理由……裏切ることを許容する理由でもあった。

 

 同時に自身への死刑宣告。

 

「そうか……では、教えてやろう」

「本当か!」

「喜べ……第十位階だ」

「なっ……」

 

 闇の向こうに黄金の輝きが2つ現れた。

 直後の巨大な青白い魔法陣が出現する。

 

「インプロージョン」

 

 完全に未知の領域の魔法に歓喜しながら、デイバーノックは膨張し、粉微塵に吹き飛んだ。

 

 しばらくして廃屋から悠々と立ち去る黒いコート姿を『青の薔薇』のティナは認識できなかった。

 




お読みいただきありがとうございます。


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7話 忠誠のカタチは人それぞれ

感想いただいた方ありがとうございます。ご指摘いただいた点はいずれ修正できればと思っています。原作を読んで気になった部分を調べている程度の知識なので、設定が無茶苦茶になりがちなのは素直にゴメンなさいです。
とりあえず続けられるように遅筆ですが頑張ります。



 このままでは何事も無く……つまり何一つ成果無く任務を終えてしまう、でありんす……

 

 シャルティア・ブラッドフォールンは焦っていた。

 アインズ様の留守中の全てを任されるアルベドはもちろん、誰が見てもアルベド以上の功績があるデミウルゴス……百歩譲ってこの2人よりも評価が落ちるのは仕方がない。悔しいが諦める……なにしろ頭の出来が違うのだ。戦力として単に強いだけではアインズ様のお役に立てるシーンは少ない。そう痛感していた。

 

 噛み締めた歯がギリリッと音を立てた。しかし現実を受け入れなくては大きな功績で一発逆転もできない。最終的に正妻の座を手に入れてアルベドに勝てばよいのだ。

 

 今は我慢でありんす……と自分に言い聞かせた。

 

 他の守護者は……

 一度のあってはならない敗戦から汚名返上し、リザードマン集落を統治するコキュートスにも……まあ、その後は良くやっているようなので、評価で負けるのも我慢するべきなのだろう。最近では本来シャルティアの担当である武技の収集でも成果を出しているようなのだ。流石にシャルティアの立場で敗戦批判するのはみっともない。

 ナザリックの隠蔽工作を任され、完成させたマーレの功績も大きい。これも認めなくてはならない。

 セバスは着実に王都で活動している。丁寧な情報収集と物資の確保と評判の確立……全てそつなくこなしていると聞く。成果無しのシャルティアが小さい仕事などと言ったら失笑を買ってしまうだろう。

 一番負けたくないはおチビ……アウラだが、偽ナザリックを見事に作り上げた上に、トブの大森林の統治も新たに配下に加えたナーガを使って上手くやっているようなので認めないわけにはいかない。

 特別な任務を与えられていないヴィクティムにすら勝つ要素は無かった。むしろ任務に対して成果の無いシャルティアの方が低評価だろう。

 

 守護者や同格のセバスだけならばまだしも……

 

 羨ましくも冒険者に偽装したアインズ様のお供を命じられたナーベラルの功績は凄まじく大だ。人間との間に軋轢も起こしていると聞くが功績に比すれば些細な問題だ……そうでなくともとにかく羨ましい、でありんす。

 カルネ村とか言うアインズ様が戯れで助けた人間の村で重要人物と言われているエンリ・エモットと友好関係を築き、守護しているルプスレギナもなかなかの高評価だろう。

 セバスのフォローと主人役を完璧に演じきっているソリュシャンにすら、シャルティアは敵わない。

 

 プレアデスの3名……これも認めざる得ない。

 

 それどころか捕らえた人間達を片っ端から拷問に掛け、情報収集に力を発揮しているニューロニストにすら純粋に功績を比較した場合、シャルティアは足元にも及ばない。

 

 新たに任務を与えられた守護者の中で唯一、功績のないゴミ守護者……守護者どころか、見下すわけではないがレベルの低い戦闘メイドにすら劣る存在。それがシャルティア・ブラッドフォールンなのだ。

 

 シャルティアの苛立ちを感じたのか、馬車に同乗するヴァンパイア・ブライド達が目に見えて狼狽していた。

 

「あの……シャルティア様! シャルティア様が……」

「……黙れっ!」

 

 シモベのフォローなど要らない……ヴァンパイア・ブライド達がシャルティアから視線を落としていた……怒りを通り越して、哀しくなる。

 散々寄り道はしたのだが、何故か武技を持つ者に遭遇することはなかった。餌としてのヴァンパイア・ブライド達に食い付いた中には冒険者もならず者も腕自慢もいたはず……だが捕らえて、いざ武技を使わせようとしても真面に使える者は皆無だった。あまりに成果無しの結果が続くのに苛立ったシャルティアが自ら出張って魅了しても、その状況に変化は無かった。

 

 そもそも『武技』とは何なのか……?

 

 当初は気楽に考えていた。捕らえた者から聞き出していれば、いずれ正解に辿り着くのだと……しかしここまで成果が無いと逆に不安に駆られた。捕らえた人間は尽く殺してしまったのだが、もしかしたら殺した者の中にシャルティアが認識出来ないだけで、武技を使える者が混ざっていたのかもしれない……

 

 密かにペストーニャ・S・ワンコに連絡を取ってみた。

 

 道中、気分のままに作り上げた無数の死体の中でもナザリックに送ったものは、復活に問題の無い程度に原形を留めた状態にしたつもりだったが、ペストーニャからの返答では「そもそも復活に耐えられない者が大半なので、情報を引き出すつもりならば、なるべく生かしたまま送って欲しい……ワン」とのことだった。

 後悔先に立たず……シャルティア達は王都にてセバス達と合流し次第、とりあえずの任務期間を終えてしまう。その後の段取りも決まっているので王都へ到着した後に挽回のチャンスは無い。しかしこのまま成果ゼロではあまりに情けない……藁にもすがる気持ちでさらに寄り道に寄り道を重ねたが、王都に近付くに連れて、怪談じみた評判が広まっていた。もはやシャルティア達の馬車に近付こういう猛者も激減していたのだ。

 

 シャルティアは自身の浅薄さを「こうあれ」と創造したペロロンチーノ様に少しだけ恨みがましく思い、慌てて思いを否定した。かと言って、自分の頭脳では打開策を思い付かないのも自覚していた。

 だから相談してみることを思い付いたのだが、アルベドだけにはどうしても頭を下げたくない。一番頼りになりそうなデミウルゴスはあまり多忙を極めている。おチビもコキュートスも最近では忙しくしている。マーレ……相談する相手としてはあまりに魅力が無い……魅力……みりょく?

 

 シャルティアに天啓が降りた。

 

 ……餌としての魅力がコイツらでは足りんせん。

 

 突如機嫌の回復したシャルティアの視線にヴァンパイア・ブライド達は肩を竦めた。

 

 ……このわたし……可憐な化物である、わたし自らが餌になるでありんす!

 

 根本的な何かを取り違えた決意を固め、ボールガウン姿のシャルティア・ブラッドフォールンが王都近郊の村の前に降り立った。

 

 

 

 

 

**************************

 

 

 

 

 

 王都の冒険者組合に緊急の案件が舞い込んだ。

 討伐対象……推定ヴァンパイア。

 報告……今夜半、突如村落に現れたボールガウン姿の少女ヴァンパイアと思われるモンスターが村のほぼ全ての住民を魅了し、何処かに連れ去ってしまった。偶然村外に出ていた為に違反に気付き、生き残った村人3名が王都に駆け込み、衛兵に通報。

 通報により、即時結成された衛兵8名から成る偵察隊も帰還せず。

 当直の兵80余名がかき集められた第一次討伐隊が派遣されるも、ただの1名すらも帰還せず。

 ここに至り、王国軍上層部は面子を捨て、対モンスター戦の専門家である冒険者組合に協力を要請。

 リ・エスティーゼ冒険者組合は即時受諾。

 金級冒険者1チームと銀級2チームの計14名の冒険者を偵察隊して派遣。

 バックアップ担当の銀級の1チーム4名のみが帰還。

 対象は強大な力を有するヴァンパイアと断定。

 冒険者組合は緊急召集を発令……王都内に在る白金級以上の全冒険者が対象とされた。特に最高位のアダマンタイト級の内、『朱の雫』が遠征中の為に即時帰還が不能である為、『青の薔薇』の召集は必須とされた。

 

 早速、冒険者組合の会議室にガガーランとイビルアイの姿があった。メッセージをいち早く受けたイビルアイが拠点である高級宿にいたガガーランを伴ってやってきたのだ。

 

「ったく……この非常時に緊急召集が重なるなんてなぁ」

「仕方あるまい……モンスターが相手とあっては冒険者の領分だろう」

「……『八本指』……『六腕』の方はどうすんだ?」

「……この件が終わるまで放置するしかないだろう。どちらも戦力を分散して良いような甘い相手ではない……それにゼブル達を味方と考えるのならば、幸にしてアレらは銅級……今回の召集対象外だ」

「それもどうだかなぁ……?」

 

 ガガーランの嘆きと共に双子が入室してきた。

 

「すまない……ゼブル達を見失った」

「すまない……六腕の所在もロストした」

 

 はぁ……ガガーランが溜息を吐く。

 イビルアイも仮面越しに落胆しているのが見て取れた。

 

「マルムヴィストはティーヌに襲われ、敗れた。その後、繁華街の廃屋に連行された所までは確認した……廃屋の内部には痕跡すら無かった」

「エドストレームはブレイン・アングラウスに投降した……と思う。戦闘の気配は感じなかった。その後、郊外の廃屋に連れ込まれて……そこで2人ともロストした」

 

 ティアもティナも淡々と報告を続けた。次いでイビルアイが喋り始める。

 

「……ペシュリアンはジットに完封された。ジットの作り上げたアンデッドに囲まれ、手も足も封じられたところを魔法でやられた。アレは魔力系第四位階まで使うぞ。その後、墓地の片隅の小屋の中から2人とも消えた」

「イビルアイもロストした」

「私達だけではなかった」

「うるさい!……で、アンデッドと噂のあるデイバーノックは?」

「ゼブルが隠れ家に乗り込んだところまでは確認した……いつまで経っても出てこないので様子を確認に忍び込んだ……これと黒いローブの残骸だけが残されていた」

 

 ティナが取り出したのはマジックアイテムのオーブ……それ自体は非常に立派なマジックアイテムだが、ゼブル達の装備品とは比較にもならない。つまりデイバーノックの持ち物だろう。

 拉致された他の『六腕』と違い、殺されたと考えて間違いないか……?

 

「残る『六腕』は首魁の『闘鬼』ゼロ……」

 

 イビルアイの呟き、ティアが首を振る。

 

「……ゼロはサキュロントとコッコドールに壊滅した元裏の娼館に呼び出されたのだと思う……」

 

 

 

 

 

 ティアが語るには、コッコドールが見守る中、ゼロは幻術を駆使して戦うサキュロントをほぼ一方的に追い詰めた。ゼロの正体はガガーランとも良い勝負が出来る器のモンクで間違いない。

 しかしサキュロントが倒れ伏す直前におそらく『次元の移動』の魔法を使って上空から現れたゼブルと数分間に渡って会話になった。残念ながら内容までは確認できなかったが、その後ゼブルが小さな魔法陣を作り、遠目からは効果の良く分からない魔法を行使した。そのままゼロ構えを解き、ゼブルを前に立ち尽くしてしまった。

 ゼブルがゼロの耳元で何事かを囁き、直後「ふざけるなっ!」と大きな声がした。

 

「かぁぁぁぁあああああああ!!!」

 

 とんでもない気合が爆発し、監視するティアの周囲の空気まで振るわせた。

 それは速過ぎて、暗殺者として厳しい訓練を積んだティアの目でも捕捉するのが難しかった……が、単なる正拳突きだった。その威力とスピードを考慮しなければ、の話だが……それが一直線にゼブルを抉った。

 確実にゼブルの胴体の一部が吹き飛ぶ……そうならなくても内臓はスープ状になってしまう……そんな未来しか見えない。

 

「低レベルが……まあ、その割には良くやった方か」

 

 ティアの未来視は裏切られ、確かにゼブルはそう言った。そして何事も無かったかのように黒いコートの襟元を直していた。

 

「なんだと……」

 

 ゼロは愕然していた。少し惚けた表情のままゼブルの行動を眺めていた。

 ティアは会話を確認しようと安全を切り捨て、さらに近寄った。

 

「もう気は済みましたか? チャンスは一度与えました。これ以上は有りませんよ……さて、お前の主人は誰だ?」

「……なんなんだ、お前は」

「カッパーの冒険者ですかね……つまりお前はカッパー以下なんですよ。アダマンタイト級とか、恥ずかしいので口が裂けても言っちゃいけません。お前は非力なモンクなんですよ……即ち無能だ。これまで偶々恐ろしく弱い相手とだけ戦ってきたラッキーボーイ……あっ、運だけは良いのかもな?」

「……嘘を言うな」

「結果が全てです……ほら、この通り」

 

 ゼブルが胸元の『銅級』プレートを見せつける。

 ゼロは苦々しい顔をした後、フーッと息を吐いた。

 

「ハッ、バカバカしい……だが貴様が強いのは理解した。俺は俺以上の強さに従う。今日から貴様の狗になろう」

「素直でよろしい……まあ、裏切れば死……これだけは真実です。よく覚えておいて下さい」

「……で、どうするんだ?」

「分かり切った事を……『八本指』を掌握して、表の存在に変えますよ」

 

 ようやくゼロは合点がいったとばかりにコッコドールを見た。

 線の細いコッコドールが力強く頷いた。先の無い奴隷売買部門としては強大な力の後押しによる反旗は渡りに船だったのかもしれない。

 

「奴隷売買と警備を手に入れて……次は?」

「残り全部……と言いたいところですが、人手が限られます。とりあえず非合法の本丸である麻薬売買を早期に陥落させて、早急に資金を合法なものと換えます」

「ヒルマのところか……」

「ヒルマだか何だが知りませんが、お二人で麻薬部門の本丸に当たる拠点を炙り出して下さい……後は俺達がやります。その後も順次、金融、密輸、賭博を順に陥落させます……はっきり言って窃盗やら暗殺やらは不要です。戦力として有用であれば継続雇用はしても良いですが、そんな表に出られない部門を独立させておく必要はありません。全て警備部門として再編しても良いかな? 何だったら、お二人で幹部会を緊急召集して下さい……そこで一気に各部門の長を支配下に置いた方が楽かもしれません……」

 

 ゼブルが語る『八本指』の未来像は実にシンプルだった。

 金融と賭博を統合する……そこで一般にも合理的な金利で金を貸す。融資先は貴族から一般市民まで広く薄く……やがては王国全土へと進出する。

 麻薬と密輸と奴隷売買も集約し、合法的な大規模輸出入で稼ぐ。今のところ最も潤沢な資金を持つ麻薬部門と現存する密輸ルートを持つ点は大きい。稼いだ資金を新たな合法的金融部門に融資する。輸出入に伴う認可・裁可の類はそれこそ『八本指』の本領発揮だろう。王国貴族のかなり上層まで食い込んでいるのだ。わざわざ少額のアングラマネーに執着する必要性を感じない。

 窃盗と暗殺の警備への統合……それがゼロへの人参だった。融資金の回収と合法的な輸出入の警備を請け負い、冒険者並みの報酬を組合の仲介無しで得るだけで十分に稼げるだろう。

 加えて現『八本指』の濃密な暗部だけを切り取って残す。これを宮廷や貴族に働きかけて徐々に合法と認めさせる。合法化が無理そうな麻薬や奴隷売買などはノウハウを持って違法で無い他国へ移設を模索する。窃盗や暗殺などリスクが高いだけで大して儲けを生み出さない部門は完全に転換する。ここの長か幹部としてコッコドールは期待されている。彼の貴族達への人脈は捨てたものではないのだ。

 

 

 

 

 

「……つまりゼブル達は『八本指』の潰滅を目指しているわけではなく、合法的組織への転換を目指していると言うのか?」

 

 イビルアイの言葉には複雑な響きがあった。王国の裏社会を牛耳る組織を表に出す。現在の裏も絶対に合法化不能な部分は切り捨て、いずれ合法化を目指す……口にするのは簡単だが果てしなく遠い道程だ。

 ティアが頷いた。

 

「……難しいことは解らない。でも戦うよりは血が流れない」

「……良い事なのか判らない。でも確実に楽……ゼブルの持つ支配か魅了の力が発揮されれば不可能とは言えない」

「現に各部門長の内、既に4分の1を抑えているわけだ……でもよぉ、疑問なのはアイツら自身が新『八本指』の頭になるつもりなのか?」

「確かに釈然とはしないな……だがゼブル達を止める手段を持っていないのも事実だぞ、ガガーラン。ティアの持ち帰った情報もあえて見せつけたような気がしないか? それまでは綺麗に痕跡を消していた連中にしては、漏れた情報が多過ぎる上に重要過ぎやしないか?」

 

 その場の全員が押し黙った。深刻な不安が脳裏を過ったのだ。

 

 『青の薔薇』を上回るゼブル達の装備と戦力。

 組織として合法化した『八本指』……看板だけで中身は一緒だ。

 圧倒的な資金力を誇り、大手を振って太陽の下を歩く元犯罪結社。

 王国の中枢にも食い込む人脈。

 これらの要素が混ざり合い、非合法でなくなった組織が誕生する。

 つまり、これまで敵対出来た根拠が無くなるのだ。

 

 ……それは取り返しのつかないバケモノの誕生を意味するのではないか?

 

「……逆に考える。ゼブル達は任せろと言っている」

「……そう考えれば情報を見せた意味は理解できる」

「楽観的過ぎやしねえか……でも目の前の化け物……ヴァンパイアに集中するには良い理由だぜ」

 

 ガガーランが立ち上がった。連れてティアとティナの目付きも変わる。

 

「もっと慎重であるべきだが……しかしラキュースが遅いな。ヴァンパイア相手ではラキュースの力が要だろうに」

 

 イビルアイも立ち上がった。

 

「ああ、そういや、かなり時間が掛かってるな……俺が頼んだんだ。姫様絡めて『八本指』に繋がる腐敗貴族共の封じ込めを……でも、こうなっちゃ要らん世話だったなぁ」

「脳筋にしては考えたな……確かに要らん世話だが」

「うるせえ」

 

 会議室に向かってくるバタバタと慌ただしい足音がした。

 『青の薔薇』4人の表情が引き締まった。

 

 

 

 

 

**************************

 

 

 

 

 

「妊娠ですか……?」

 

 セバスさんの渋い表情が更に渋くなった。

 

「……どうやら、そうらしいです」

「誰の子……いや愚問でした」

「その通りです」

「……知っているのですか?」

「いいえ、知らないでしょうね……自覚があるわけではないようです。本人が望むような状況ではないので、まだ伏せてはいますが……とりあえずのツアレニーニャ・ベイロン……あの娘の名前ですが……に及ぶ身の危険は排除しました。もちろん身体的な健康状態は万全です。なのでセバスさんにお知らせだけはしようかと……」

「……精神の傷はどうなりましたか?」

「残念ながら……知り合いの神官では手に負えないらしいです」

 

 セバスさんが顎に手を当てる。

 

「……そうですか。では、こちらの伝を当たってみましょう。で、ツアレニーニャ・ベイロン嬢の身柄はどちらでしょうか?」

「それはもう少しだけお待ちください……現在、身柄を託した知り合いが緊急召集で冒険者組合に呼ばれていますので、そちらが片付くまで少々お時間を頂戴致します」

「ほう……貴方のお知り合いの第五位階に到達された神官とは、有名な『青の薔薇』のリーダーでしたか?」

 

 一見、冒険者などに縁のなさそうなセバスさんがピタリと言い当てた。

 

「……お詳しいのですね」

「街を歩いて、噂を集めるのが趣味なのです……お恥ずかしい話ですがお仕えするお嬢様が極度の人嫌いで屋敷に籠りがちなもので……わたくしの集めた噂話程度でも喜んでいただけます」

「それは……また、何と言うか……」

「その辺りの詮索はご容赦ください」

「……失礼しました」

 

 俺は当てが外れて少々落胆していた。人嫌いのお嬢様に合わせろ、と言うのものなんだか図々しいだろう……今回は望外に多額だった報酬と『八本指』の乗っ取り程度で満足するしかないようだ。

 

「では、改めて噂の収集ついでにお聞きしたいのですが……今回の冒険者組合の緊急召集とはどういった内容なのでしょうか?」

 

 ほぼ何も考えずに知る限りの事情を伝えた。

 王都近郊の村に現れたとされるヴァンパイアも『神祖カインアベル』のような化け物染みた外見でなく、ボールガウン姿の美しい少女だと言う。つまり真祖以上不気味な外見を持つの存在でなく、せいぜいヴァンパイア・ブライド程度のモンスターだ。被害はかなり大きいらしいので白金級以上が召集対象であるが、その程度の相手であれば『青の薔薇』だけでも楽に討伐出来るだろう。

 しかし話を終える遥か前にセバスさんの表情が険しくなっていた。襲われた村落に知り合いでもいたのか?

 眉間に深い皺を寄せ、セバスさんは「なんということだ」と呟いた。

 

「……大丈夫ですか? お知り合いが被害に遭われたとか……」

「ええ、そのようなものです……急ぎ、状況を確認せねばなりません。申し訳ありませんが、ツアレニーニャ・ベイロン嬢の身柄をもうしばらく預かっていただけないでしょうか? 報酬は別途お支払いしますので……」

「いや、既に頂き過ぎですから、預かる程度ならばいくらでも預かりますよ」

「ありがとうございます、ゼブル様……では、わたくしは急ぎますので」

 

 恭しく一礼した後、セバスさんはいきなり走り出した。余程余裕が無かったらしい。素晴らしいフォームの走りだった。

 しかし問題はそこでなく、セバスさんのなりふり構わぬ走りが叩き出した異様な速度だろう。年齢や外見に似合わ無い云々ではなく、人間のそれを遥かに超越した身体能力だ……一度消えた疑念が再燃した。

 慌てて眷属を召喚し、セバスさんを追わせる……が、あっさりと振り切られたようだ。小さいとはいえ、60レベルの飛翔速度を、である。

 

 疑念はほぼ確信へと姿を変えた……しかしプレイヤーだとしたらこだわり過ぎもいいところだ。家令・執事ロールプレイの楽しさが理解出来ない以上に主人が引きこもり設定の意味が解らない。やはりロールプレイの真骨頂は理解し易い格好良さを持つ存在を演じ切る所だろう。

 例えば最も身近なロールプレイヤーだった『モモンガ』さんならば死の王もしくは魔王のロールプレイに凝っていた。しかし普段はちょっと寂し気な普通に優しい先輩プレイヤーだ。常に魔王ロールをしているわけでない。むしろロールプレイ中の『モモンガ』さんなんて、こちらが頼んだ時ぐらいしか見たことがない。俺のような異形種後輩プレイヤーに対してアドバイスするのが大好きだけど孤独な狩人……あくまで俺のイメージですか……それが『モモンガ』さんだ。決して四六時中ロールプレイに没頭しているわけではない。

 セバスさんの場合は非常に理解し難いロールプレイだ。まず何が楽しいのか門外漢であるおれには全く理解出来ない。つまり格好良さが非常に解りにくいのだ。ロールが自己完結というか、自己満足というか……観衆の反応が無くて楽しいものなのだろうか? まあ、何をやろうが自由と言えば自由なので、百歩譲って有りだとしても徹底振りが尋常ではない。少なくとも俺の知るプレイヤーの中に……単に知っているというだけの連中を含めても……あんなに隙なく徹底したロールプレイヤーはいない。

 要はどうにもプレイヤーっぽくないのだ。

 あるいは俺がアバターのまま異世界転移した以上、NPCやイベントボスが転移していないとは言い切れない。もちろん勘弁してほしいが100レベルプレイヤーが複数チームで当たっても厳しいような、100レベルを遥かに超越したレイドボスやワールドエネミーが転移していないとも言い切れない。しかし今はセバスさんについてだけ考えるべきなので、考慮すべきはイベントボス止まりで構わない……と思う。

 あくまで俺のユグドラシル経験内での知識だが、人間種のイベントボスで執事設定はいなかったはず……実は『人化』している設定でも将軍やら騎士やら王侯貴族やら……変わり種では悲劇のヒロイン設定が実は男の娘なんてキワモノはいたが、攻略wikiにも執事設定のイベントボスは記載されていなかったと記憶している。しかし「頭おかしい」で有名なユグドラシル運営の考えることなので、過去に遡っても全プレイヤーがイベント発生条件を満たせなかったなんていうイベントが無いとも言えないのがもどかしい。全プレイヤーが思っていたことだろうけど、最後まで未発見のイベントなんざ山程あったと思うのですよ。

 愚痴はさて置き……

 王都リ・エスティーゼがどこかのギルドの拠点というのならば、プレイヤーの自作プログラムをぶち込んだ拠点防衛用高レベルNPCを疑うところだが、ここが人間種ギルドの拠点とは到底思えない。それに加えて拠点防衛用NPCが独自の判断で拠点外の村に移動するはずがない。つまり拠点防衛用NPCの線は考えられない。

 では傭兵NPCかと言えば、テンプレートに従った反応しか出来ない連中があそこまで複雑な反応をするはずがない。

 POPモンスターについては言うに及ばず。

 

 では現地出身の高レベルか……法国の『神人』とかいう存在がいる以上、あり得ない話ではなさそうだ。

 

 断定は出来ないが、とりあえずのセバスさんの正体は予想してみた。

 一に現地出身の高レベル。

 二に俺の想定以上に凝り性のロールプレイヤー。

 三に未発見イベントの人間種か『人化』設定持ちのボスで、運営の悪ノリで高度な会話と自律のプログラムがぶち込まれた存在……これはヴァンパイアが現れた村落に移動した事実から考えてもほぼ有り得ないが、イベントボスでなくレイドボスであればかなりの広範囲を転々と徘徊するヤツもいたので無いとは言い切れないのだ。

 

 何にせよ、セバスさんの動向を探る必要があった。少なくとも問答無用で襲い掛かってくるタイプではないので、それなりに情報を得れば対処法を考えることができるだろう……『八本指』の件が無ければとっくに逃げを決め込んでいただろうけど……捨てるにはあまりに惜しい案件なのだ。

 

 セバスさんをロストした眷属に再度命令を下した。冒険者組合に向い、『青の薔薇』の行先の村でセバスさんを監視しろ、と。

 

 

 

 

 

**************************

 

 

 

 

 

 城壁を飛び越える。

 一直線に疾走する。

 木々を薙ぎ倒し、川面を走り、田畑を飛び越え、岩を砕く。

 彼が通り過ぎたのを視認できた者はいない。

 黒い暴風……ただそう感じた。

 純粋に最短時間で到達した。常人の歩きで2時間以上の道程を5分余りで走破したのだ。

 快挙と言えば快挙だった……それを確認する者は無かったが。

 村落の入口で立ち止まった老執事は息一つ乱さず、着衣の乱れを直した。

 そのまま厳しい表情で村の中心へと向かう。威厳溢れる姿だった。

 

 村人の姿は無い。

 たとえ村人が健在であっても寂しい、小さな村だ。

 村の中心の集会場のような広場に辿り着くまで、5分も要らなかった。

 そこに1台の馬車が停車していた。乗車口の左右に病的に白い肌の美女が控えている。夜の闇の中で爛々と輝く赤い瞳……彼女達はヴァンパイア・ブライドだった。

 

「失礼します……シャルティア様はこちらでしょうか?」

 

 セバスの重厚極まる問い掛けに、ヴァンパイア・ブライド達は圧倒され、ただ頷いた。何よりも主人の機嫌を損ねる事を恐れているのに問い返すことも許されなかった。

 

「わたくしはシャルティア様と話があります……下がっていてください」

 

 主人に来訪者がある事も告げられず、ヴァンパイア・ブライド達は言われるがままに退いた。単に逆らえなかったのだ。

 

「シャルティア様、セバスで御座います……」

「……あんっ?」

 

 馬車の中から間の抜けた声が返ってくる。

 

「確認したいことが御座います……入ってもよろしいでしょうか?」

「……セバスかぇ?」

「はい、セバスで御座います」

「……少し待ちんなし……」

 

 2〜3分の間を空けて、馬車から頬を赤らめたシャルティアが出てきた。

 

「……あまりに上手くイったので、ついついアインズ様からお褒めに預かるのを想像して、興奮したでありんす」

 

 セバスは眉一つ動かさず、シャルティアの紅潮が引くのを待った。

 

「……シャルティア様、今回のこの行動はアインズ様のご指示なのですか?」

「何を……セバスも知っていんしょう?」

「わたくしはこのような事態をアインズ様が望まれるとは思っていません」

「このような、とは、随分な言われようでありんしょう……セバス、このわたしの成果に難癖付けに来やがったのかっ!」

 

 それまでと別種の興奮がシャルティアの両眼を赤色に染め上げる。

 

「……その姿でわたしと殺り合うか?」

 

 一気に膨張する殺意……しかしセバスも一歩も引かない。

 

「難癖では御座いません……もしアインズ様からのご指示があると言うのであれば、わたくしの失言……浅慮、お許しください。しかしながら、もしそうで無いと言うのであれば、わたくしの理解している、アインズ様のご希望とはかけ離れた事態である、と申し上げます」

 

 シャルティアは明らかに狼狽した。決して侮るわけではないが、セバスが知恵者であるとは思っていない……が、こと知力に関しては確実に自分の方が劣る自信があるのだ。こう言い切られては不安になる。ましてアインズへの忠誠に関しては役目上下位者のセバスであっても守護者と同等なのは間違いないのだ。ナザリックの利益の為、至高の御方の為に働くことこそ至上……仮に仲間を嫌う事はあっても、絶対に陥れる事などあり得ない。

 

 そのセバスが断言する「アインズ様のご希望と乖離した事態」とは何か?

 

 シャルティアには想像も出来なかった。

 『武技』の使い手を集める……当初全く理解出来ず、成果も皆無だった。あまりに成果が無いので、知らぬうちに殺してしまったのではないか、と思い当たり、ナザリックに送った100を超える死体を復活させるように頼み込んだが、そもそも復活に耐えられる者が少なく、耐えられても復活に伴うレベルダウンが激しく、以前は『武技』が使えたと主張する者まで使えなくなっていたという……自身の浅慮を後悔もしたが、根本的な発想の転換に至ったのは王都の直前まで到達した時であったのだ。

 つまり自身の役目を集める事に定めたのである。『武技』の判定はコキュートスなどの『武技』が理解出来る者に任せ、とりあえず使えそうな人間……兵士や冒険者を集めれば良いではないか、との境地に至ったのだ。

 その結果が現在である。

 村一つを壊滅させ、あえて情報漏洩させる。生き残りが助けを求める先は軍であり、当然の帰結として派兵される。

 接敵した全てを魅了してナザリックに送った。

 その先はより多くの兵が派兵されても良し、強力なヴァンパイア相手と認定されて、対モンスターの専門家である冒険者が派遣されても良し、であった。全てを魅了して、殺すことなくナザリックに送るだけ……我ながらすばらしい作戦だと自画自賛して……興奮ついでにイタしてしまったぐらいだ。

 

 それを否定するセバスに腹が立ったが、自分と同じく至高の御方に忠誠を違う者が、至高の御方々のまとめ役である「アインズ様の御意に反する」と断言したのだ。憤怒を打ち消すには十分な言葉であった。

 

「……どういうことでありんしょう?」

「よろしいでしょうか……アインズ様は守護者の方々に、殊更人間を相手にする際は目立つ事を望んでおりません。アインズ様ご自身ですら正体を隠し、ナーベラルはもちろん、わたくしとソリュシャンにもアンダーカバーを用いることを厳命なさいました。アインズ様は仰いました。人間の個々は弱くとも危機を感じ、まとまられると侮れない、と。つまりアインズ様がデミウルゴス様に仰った『世界征服』計画に支障が生じる、と考えておられるのでしょう。至高の御方々のまとめ役であられたアインズ様の神算鬼謀を、我々のような非才な身が全貌を把握するなど不可能でしょう。しかし全身全霊を持って行動するのは当然として……アインズ様の深謀に気付かぬことは許されても、決して障害となってはなりません!」

 

 シャルティアの表情が凍てついた……アインズ様の御意に反する……確かに納得の出来る説明だった。何故ならセバスの説明は理路整然として齟齬は皆無であり、事実としてそこまで考えが及んでいなかったシャルティアは手柄欲しさに目立つ事を選択したからだ。アインズ様がデミウルゴスには世界征服の意を漏らしてもシャルティアに漏らさないわけだ。この程度が理解出来ない相手に……

 

「……セバス、わら……わたしはどうすれば良い?」

 

 シャルティアは何も考えられなかった。あまりに酷い失態だった。

 恥も外聞もなく、思わずセバスを頼ってしまう。確かにセバスはアルベドやデミウルゴスのような知恵者ではないが、外界の常識的な対応をさせたらナザリック随一の人材だとも知っていたのだ……いと深き智謀の持ち主であるアインズ様も最初に外界に向かわせたのはセバスではないか……情報収集以前に彼の能力を信頼して命じたに違いないのだ。

 

「……ここは正体不明のヴァンパイアの仕業として、即時完全撤収されるがよろしいか、と……目撃された衣装や容姿の問題があるので、シャルティア様の身代わりを立てるのも様々な無理が生じます。アルベド様に状況を報告し、ご一緒にアインズ様に作戦中断を進言してはいかがでしょうか……わたくしも定時報告で事の経緯を説明します。わたくしの証言が必要であれば、いついかなる時も出頭いたします」

「……ぜばずぅううう……」

 

 シャルティアが縋り付こうとしたが、セバスは彼女の細い両肩を掴み、覗き込むようにして力強く言い聞かせた。

 

「急がれた方がよろしいでしょう。既に人間達が冒険者を集めております。当初の目的には則すのでしょうが、これ以上の情報漏洩は回避すべきです」

「…………解りんした」

「冒険者達は空振り……それで諦めれば良し。もし冒険者の中にシャルティア様の痕跡を辿れる者が存在するのならば、その時はわたくしが……」

「人間の冒険者ごとき……警戒し過ぎてはありんせんか?」

「実は……王都で知り合ったゼブルと言う銅級冒険者がおります。巧妙に隠蔽しているようですが、我々でも警戒すべきレベルの能力の持ち主と確信しております。とりあえず敵対は避け、素性をシャドウ・デーモンに探らせようとも考えましたが、こちらの動きを察知されて無用な敵対を招く可能性も考慮し、個人的に友好関係を築く方向で行動しております。もし彼以外にも同様に高い能力を秘匿している存在がいると仮定した場合……人間の冒険者も決して侮って良いとは言えません」

「……わたしがナザリックに送ったような有象無象ばかりとは限らないでありんすか?」

「コキュートス様がリザードマン達に将来性を感じた、と聞き及びました。そうであるのならば現状で我々を凌ぎかねない人間が存在しても、あり得ないとまでは言い切れないと思いますが?」

 

 シャルティアは考え込んだ。

 ……ならば迂遠な事をせずにその者を捕らえてしまえば良いのではないか? 高レベルの人間など……何にしてもナザリックにとって危険過ぎる存在ではないのか?

 プレイヤー1500人に攻め込まれ、撃破された記憶が疼く。

 

「……その者を捕らえてしまえば良いでありんしょう?」

「おそらく……簡単な相手ではありません。これは感覚的なものでしかありませんが彼との会話の端々で感じる齟齬と彼自身から感じる能力の低さに相当な解離があります。つまり至高の御方々と同じようなアイテムで自身の能力を隠蔽しているのはないかと……であるのならば友好関係を築き、ナザリックに危険が及ぶ可能性そのものを回避した方が得策かと考えました……今はそんなことよりも撤収の一手です」

 

 セバスにピシャリと言い切られ、シャルティアは食い下がることを諦めた。『転移門』を開き、馬車とヴァンパイア・ブライド達と共にアッと言う間に立ち去ってしまう。一度行動を起こせば、迅速だった。

 

 セバスは直前まで在った人々の暮らしの痕跡に思いを馳せながら、完全に無人化した村を眺め回した。そして大きく息を吐く。

 

「……なんということか」

 

 呟きを残して執事は走り去った。

 




お読みいただきありがとうございます。


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8話 そうだ、帝都へ行こう

どうしても遅筆です。申し訳ありません。評価を頂いた方、ありがとうございます。


 彼女は持ち前の用心深い周到さと意志の強さと行動力で生き抜いてきた。いつの間にか高級娼婦上がりが『八本指』の大幹部……麻薬部門の長になっていた……なんて思うわけがなく、そうなる為に多くの者を利用し、潰し、必要とあらば殺し、捨てた。つまり無数の敗者の屍を踏み付け、その膨大な怨念を背負って、今を生きているのだ。

 今の地位には立つべくして立っている。

 だから正確に理解していた。情報を取り扱う能力と圧倒的資金力が自身と自身の率いる麻薬部門の強みであり、固有の武力は扱う資金量に対しては極めて脆弱である、と。

 そして彼女は情報以上に自身の直感を信じていた。だからこそ王都の拠点である館に留まっていた。どうにも今回の緊急幹部会は胡散臭いのだ。

 実質的に壊滅した奴隷売買部門のコッコドール……しれっと表社会に舞い戻っているが実質的に死に体だろう。

 想定外の離反者を生み、奴隷売買部門を壊滅させた張本人である警備部門の首魁ゼロ……麻薬部門と正反対で資金力は低いが極めて高い武力を誇っていたのが売りだった……が、こちらも虎の子である『六腕』から離反者を生んだのがいただけない。信用失墜などというレベルの失態ではないのだ。当然、他部門の幹部達から管理者としてのゼロの資質が疑われる……交代論が出てもおかしくない状況に追い込まれているだろう。

 事実上、ほぼ失脚した2人が連名で開く緊急幹部会……理由は離反者にして叛逆者『幻魔』サキュロントの公開処刑と、サキュロントの叛逆に加担した汚職官吏スタッファン・へーウィッシュに対する報復、及び警備部門から奴隷売買部門へ支払うべき賠償金額の決議……とある。

 一見、筋は通っている。確かに『八本指』内部の疑心暗鬼状態を緩和させるには必要な内容だが……直感が「なんとも怪しい」と囁き続けるのだ。

 既に遅れる旨は伝えてある。あくまで「緊急の」幹部会なので、欠席でなく正当な理由がある遅刻であればそれほど疑念は生じないだろう。相互に監視し合う組織とはとにかく面倒臭いものなのだ。

 

 窓の外を眺める……異様に明るい月明かりが忌々しい。

 

 情報を集めるように指示してから既に6時間……つまり幹部会の開催を知った直後からだが……経過していた。部下の誰一人として情報を持ち帰った者がいない。否、誰一人として帰還した者がいなかった。だから彼女の疑念は一層深まり、館から一歩として動けなくなってもいた。最低限信頼出来る手勢に館の警備は任せているものの、保有する武力の脆弱さを改めて思い知らされてもいた。やはりもう少し人員を増やす必要がある。無用に情報を与えないで済むような戦闘専門要員などという都合の良い存在がいるのならば、だが。

 

「……ヒルマ・シュグネウスさん?」

「ヒッ!」

 

 慌ててヒルマは振り返り、寝室の中を見回す……誰もいない。見慣れたドアに鏡台にクローゼットのドアに至るまで、どこからどう見てもいつも通り、異常など欠片も無い。

 

 まさか……実態の無いアンデッド?

 

 恐ろしいレイスの類を想像して、ヒルマは天井から壁へと視線を走らせる。さらに目を細めて空中を凝視した。しかし何も無い……ホッと息を吐く。

 

 このところ栽培拠点の襲撃が続き、サキュロントの叛逆にコッコドールの拘束と続いたから、疲れているのかねぇ……

 

 疲れからくる幻聴……そう自己診断して、無理矢理心を静めた。普段の彼女からは考えられない行動だが、焦りと緊迫感と疲労が彼女を追い込んでいた。直感に従う事を信条としているのに、脳内の警告を無理な理屈付けで無視したのだ。

 腰掛けていたキングサイズのベッドから立ち上がろとした瞬間……

 

「遅刻ですよ」

「なっ!」

 

 慌てて向き直るとベッドと窓の間に男が立っていた。金髪碧眼の異様に整った容姿の黒いコート姿。凄まじく整った容姿なのに印象が薄く、やたらに高価そうなコートだけが印象に残る。そんな目立つコート姿がヒルマの視界を迂回して、絶対に回り込めるはずがない位置に立っていた……もはやヒルマの理解を超えた存在だった。

 

 魔法詠唱者……? 

 

 ヒルマには判断出来なかった。たとえ断定出来たとしても対処法は全く捻り出せないだろう。こう言った輩の対処は最高幹部である自分の領分ではない。そもそも近付かせないように護衛を雇っているのだ。

 

 状況の報告も無く、不審者まで素通し……あれら何をやっているのか!

 

 場違いな怒りが湧き上がったが、それに身を委ねるほど愚かではない。きっちりと頭の片隅に追いやり、目の前の現実を直視した。

 正体不明の男……理解を超えた存在であり、おそらく魔法詠唱者。対処法を考えようにも、男の要求すら不明だった。戦闘能力では敵うはずもない。唯一の活路は男がオトコと言うことだ。しかしそれは最後の手段……切り札中の切り札『毒蛇の刺青』が必中の状況を作らねばならない。それ以前に金銭で打開可能ならば、その方が安全で確実だ。まずは男の目的を知らねば……

 

「……誰だい?」

「あー、俺はゼブルと言います」

 

 ゼブルと名乗った男の声音は酷く場違いに暢気だった。

 ヒルマは一言一言が命懸け。一方ゼブルは気楽なパーティーで初対面の誰かに名乗るような雰囲気だ。自分からは最も縁遠い「不平等」という言葉が無性に頭に浮かんでしまう。もっと、こう……切迫して欲しい……頭の中で連呼される「ヤバい」というフレーズを押し退けて、奇妙な怒りが明滅していた。

 

「お兄さんはゼブルさんって言うんだ……目的は……何だい?」

「目的……ですか? うーん……ザックリ一言で簡単に言えば『八本指』の乗っ取り……なのかなぁ? あっ、ここに来たのは貴女の主人になる為です」

「……主人?」

 

 狂人なのか……それとも脅しているつもりなのか? 

 

 ヒルマは反応に迷った。

 

「あっ、支配者って意味ですよ」

「……何をバ……いや、何でそんなことを考えるんだい?」

「そりゃ、貴女が用心深くて、情報の重要性を知っているからですよ……ゼロさんやコッコドールさんはシンプルで扱い易いけど……俺の代役を任せるにはちょっとだけ自分の力を過信し過ぎなところがあるんで……まあ、全体の統括を任せるには厳しいかなぁ、と」

 

 コイツは何を言っているのか……難解な回答だった。

 

「……これでも優しく接しているつもりなんです。ゼロさんやコッコドールさんからの情報通りならば、貴女は非常に役立つと思うんですよ」

「……でも支配するんだろう?」

「まあ、もちろん」

「私が警備を呼ぶって言ったら……?」

 

 ほんの少しだけ……と言っても糸の上の綱渡りみたいなものだが、ヒルマは自分を必要とするゼブルにブラフを提示した。殺されはしない……少なくとも即座に殺す気は無いらしい……ならば交渉の余地と言うか、ゼブルにとってのヒルマの価値が知りたかったのだ。

 

「呼んでみれば……己の立場が理解出来るのなら、呼べばいい」

 

 一転、突き放すようなゼブルの口振りにヒルマは心臓を掴まれたような気持ちに支配された。そしてそれは徐々に這い上がり、背骨を伝って、首から頭部へと至った。

 

「……ん…んっ!」

 

 喋れなかった。助けを呼ぶどころの話ではなく、完全に言葉を封じられていた。叫ぶことも出来ない。パニックになりかけたが、それすら潮が引くように頭が冴えていった。

 身体のコントロールを奪われる……単純にそう思った。

 反撃しなければ……殺される。それは確信だった。

 頼みの綱である『毒蛇の刺青』……マジックアイテムを起動させた。

 両腕の蛇の刺青が立体化した瞬間、ゼブルは右腕を突き出した。まるでわざと噛ませるかのように……いや起動させたことすらゼブルのコントロールなのかも……

 毒蛇の牙は黒いコートの袖を貫けなかった。牙が刺さり、もがく蛇の頭をゼブルは左手で掴み……そのまま潰した。

 ヒルマは全ての終わりを悟った……いや悟らされたのか?

 絶望を見せつけても、極めて細緻だが有名人形作家の失敗作の様な顔は僅かに崩れることすら無かった。

 

「……んっ! んんっ!」

 

 直前までの暢気さは消え失せ、冷えた碧眼がヒルマを見据える。

 

「ヒルマさんは優秀らしいけど、空いた口が塞がらないレベルの低レベルだから、いちおう気を遣っていたんだけどねぇ……やはり壊れても構わないレベルで支配するしかないか……まあ、優秀なゴミ屑と言っても所詮ゴミ屑だ……たとえ死んでも誰も困らない」

 

 頭の中の「ヤバい」というアラートが限界に達するレベルで明滅していた。直感に従おうにも動けない。どんなにピンチと理解出来ても行動そのものが完全に封じられていた。涙が溢れて止まらない。化粧はボロボロになっているだろう。それを直すことも拭うことも出来ない。

 「助けて!」と叫びたいのに叫べない。

 出来るのは目の前のゼブルに哀願の視線を向けるだけ……ひたすら伝わるように祈りつつ、心の底から念じる……神様、助けて下さい、と。奇妙なまでに冷静な心の一部が「バカバカしい」と吐き捨てながらも、どうしてもやめられなかった。

 

「大丈夫ですよ……これまで試した酷い低レベルでも、コッコドールさんの命だけは助かってます」

 

 何の保障にもならない虚な言葉に、ヒルマは太腿を伝う熱い液体が止まらないのを自覚していた。臭う。そしてみっともない。でも、ひょっとしたら……ゼブルが嗜虐的な変態性癖の持ち主であれば……

 一縷の望みはあっさりと砕かれた。

 ゼブルはただヒルマを見据え続けていた。熟練の屠殺人はこんな顔で家畜の命を断つのではないか……そんな感想が頭から離れない。

 

「あー、ちなみに神に助けを求めても無駄です。だって……」

 

 それは唐突に現れた……漆黒の肌に赤い眼に黄金の瞳と髪と6枚の翼……蠢く二匹の蛇……理解を超越した異形……そしてゼブルと同じ口調と声音。

 

「……自分に祈った方が良いんじゃないですか? 俺は神とは正反対の存在ですから……」

 

 失神してしまえばどれほど楽なのだろう……ヒルマは「後悔」という言葉を生まれて初めて真の意味で噛み締めていた……が、それも一瞬、強烈に具体性と感触を伴う死の映像が、頭の全てを占領した。

 

 滂沱の涙……失禁し、脱糞し、嘔吐し……体中から全てが噴き出すような感覚……でも叫べもしなければ、姿勢も崩せない。それどころ視線も眼前の具現化した「魔」から動かせない。漆黒の闇の中で永遠の闘争を繰り返す二匹の蛇の姿……紅の蛇が緑の蛇を喰らい、緑の蛇は紅の蛇の腹を食い破っているのが見えた。

 

 永遠の20秒……ヒルマには時間の感覚が薄れる程の長時間に感じた。

 

 解放された時、そのまま自分の吐瀉物と排泄物の上に蹲み込んでしまった。頭の中で何かが蠢いているような気がして……どんなに掻き毟っても二度と自分の脳が元に戻らない……そう実感させられるだけだった。

 叫んだ。

 救い……救いが欲しくて欲しくてたまらない。

 蝕まれた自分を救ってくれる存在。

 

 とても男性のモノとは思えない美しい手が差し伸べられた。

 

 ああ……この手を掴めば……

 

 汚物に塗れた手で握り返す。

 

 見上げれば慈悲に溢れる微笑みがあった……邪悪と理解しているソレに微笑み返し、救いを求めた。

 

 自分と自分の持つ全てを捧げよう……もう、二度とこんなものは味わいたくない……頭の中を蛆虫に喰われる感覚も激痛も……徐々に死に続ける感覚も、望んでも延々と死ねない感覚も……自分という存在が奪われ、喪失していく感覚……魂の奥底を侵食され、もう二度と元には戻らない。死を迎えるだけでもありがたい。あっさりと死を迎えられるのは最上の慈悲だ。それだけでもありがたいのに……自分の全てを捧げるだけで苦痛無く生かしてもらえるのだ。

 

「……受け入れて下さい……さあ、お前の主人は誰だ?」

 

 

 

 

 

**************************

 

 

 

 

 

「アングラウス……やはりブレイン・アングラウスか?」

 

 宿屋の所在地としては辺鄙といってもいいような街外れの安宿の厩の前でひたすら剣を振る男の姿……青い髪に無精髭……忘れるはずもない好敵手……間違いなくブレイン・アングラウスの姿だった。

 

「……強いな……凄まじい成長だ」

 

 王国戦士長ガゼフ・ストロノーフは好敵手の自分を上回りかねない成長に思わず破顔していた。

 

 一昨晩、自宅を訪ねて来た客の名を年老いた召使いから聞いた時、久々に踊った胸の内を思い返す。自分よりも遥か高みに在る強者……ゴウン殿とは知り合ったが、残念ながら彼は魔法詠唱者だった。友邦としては非常に心強い存在だが、剣の腕を試すような相手ではない。戦士団の部下も目を掛けているクライムも剣の好敵手とは言えない。冒険者の中の強者ルイセンベルグやガガーランは忙しい上に高額な費用が必要であり、剣の鍛錬だけの為に気楽に呼べるような存在ではない……ブレイン・アングラウスが気楽に対戦に応じるとも思えないが、わざわざ自分を訪ねて来た以上、一度ぐらいは手合せしたいものだ、と思ってしまう。

 

 下馬し、愛馬を部下に預け、ガゼフはブレインの逗留する安宿へと足を向けた。

 

「アングラウス!」

 

 白刃が空中でピタリと停止した。ブレインの所作も素晴らしいが、それは思わず目を奪われるような刀身だった。陽光の中でも反射でなく刀そのものの精緻な輝きが失われていない……銘を『斬魂刀』と言う。ただ敵の斬るだけで無く、僅かな接触でも敵の精神力と魔力を奪い、自身のものへと転換する……別名『魔法詠唱者殺し』の神器級だ。

 

「……久しぶりだな、ストロノーフ」

 

 装飾過剰とも思える鞘に刀身を収めながら、ブレイン・アングラウスはニヤリと笑った。そのまま歩を進め、宿屋の入口前でガゼフに拳を突き出す。

 対するガゼフ・ストロノーフの不敵な笑顔を浮かべた。そしてブレインよりも遥かに分厚い拳で突き合わせた。

 

「どうだ……やるか?」

 

 ブレインが誘うのは酒でなく、もちろん剣だ。

 

「腕を上げたな、アングラウス。残念だが……まだ仕事の最中だ」

「そうか……宮仕えも大変だな。俺はいつでもいいぞ。だが俺より先に俺と同宿の連中と絡むなよ……お前に自信を失くされても面白くない」

「……どういう意味だ?」

「過去の俺はストロノーフ……お前に勝つ為に鍛錬を重ねてきた。現在の俺は同宿の連中……ティーヌを凌ぎ、ゼブルに追い付く為に日々鍛錬している」

「強いのか?」

「ゼブルは強いなんてもんじゃない。口じゃ表現出来ない高みに在る。ティーヌは俺よりも若いが、ストロノーフが一歩先だとすれば、常に二歩先にいる感じだな」

 

 自他共に認める自身と同格のブレイン・アングラウスが遥か高みに在る目標と定める強者と、ガゼフよりも強いと認める強者の存在を聞き及び、ガゼフの目が輝く。剣の腕が知りたいというよりも戦士の血が騒ぐのだ。

 

「世の中、上には上がいる、か……」

「上と言うか……下と言うか」

「なんだ、それは?」

「強さと品性は別……そう言うことだ。絶対に剣を交える価値はあるが、ストロノーフの期待通りではない……そう思ってくれ」

「……微妙な言い回しだな」

「風来坊の俺から見ても立派に王国戦士長を務めているストロノーフに、あまり期待させても悪いからな……予防線ってヤツだ」

「余計に気になるが……」

「……ゼブルはどうか知らんが、ティーヌと言う女戦士はお前が手合せを申し込めば必ず受ける……『青薔薇』のガガーラン相手では物足りなかったらしいしな。実際、木製戦鎚と木の枝の手合せだったが、一方的過ぎて模擬戦と呼べるような代物じゃなかったのは間違いのない事実だ」

「ガガーラン……あのガガーランが?」

 

 ブレインの首肯にガゼフの笑顔は微妙に色合いを変えた。

 

「だからこそだ……今、ストロノーフは血が騒いでいるだろう? その期待を俺は理解できるが、同時に手合せした後のティーヌの態度も予測できる。あの女に戦士としての力量以上のものを求めるのは間違いなんだ……ただ、あの剣力は確実に抜けている。俺の知る限り純粋な戦士としては最強だ……ゼブルの奴は魔法やら色々と使うからな」

 

 ガゼフ・ストロノーフは想像以上に飢えている自分に気付いた。

 敵……対戦相手と言った方が正しいか?

 いや、正確には自分を高める為の相手だ。

 

 背後から部下の呼ぶ声がする……どうやらこれ以上時間を潰しては今日の予定を消化できなくなるようだ。

 

「今日は会えて楽しかった、アングラウス……王都にはまだ滞在するのか? 是非、出立する前に一度でいいから手合せ願いたい……その前に積もる話も聞きたいところだな……今度は我が家で飲み明かそうじゃないか。王都で手に入る一番良い酒を用意させておこう」

「……俺の方はいつでもいいぞ。酒でも剣でも……まあ、忙しいのはストロノーフ、お前だ。時間ができたら使いを寄越してくれ」

 

 おう、と答えながらガゼフ・ストロノーフは分厚い背を見せた。

 詮索するようなガゼフの部下の視線を無視して、ブレイン・アングラウスはボソリと呟いた。

 

「……けじめはつけるが、もはや俺の敵じゃないな。王国の五宝物でも装備してもらわないと相手にならん」

 

 柄頭をいじるブレインはガゼフの背を眺めながら、寂しそうに笑い、再び刀を振る為に厩の前に戻った。

 

 

 

 

 

 王城まで続く目抜き通り。

 先導するのは王国戦士団……その先頭には周辺国最強の戦士であるガゼフ・ストロノーフの姿があった。

 勇ましい戦士団の姿が通り過ぎた後、その異様な光景が現れる。

 荷車に高い台を設えた上に6つの生首が載っていた。おどろおどろしい光景だが、自分の実績を誇示する為に手柄を立て続ける巡回使スタッファン・へーウィッシュが必死に考えた方法だった。豚のような彼の横には誠実さが表情からも伝わる小柄なミスリル鎧姿が目に入る。

 台の上にあるのは最前列の『八本指』の議長をはじめ、暗殺部門と窃盗部門と賭博部門の長の首が続く。その後列に密輸部門と金融部門の縦に割られた首が、見守る群衆に悲惨な現場の想像をかき立てさせていた。

 荷車と最後衛の衛兵団の間で、その巨悪の首領達の首を刎ねた「王国の正義を一身に背負った英雄」が群衆に手を振って応えている。彼の名はサキュロント……『幻魔』改め『英雄』サキュロントだ。

 痩身の傷面だが馬子にも衣装……金色に輝く鎖着と真紅のマントがゴロツキの男を大英雄へと見違えさせている。腰の細身の剣の柄頭には大粒の紅玉が輝いていた。過剰な演出もここまでくると生来のガラの悪さが歴戦の証に見えるから不思議なものだ。

 

「茶番……いや、芸人も真っ青の喜劇だな」

 

 一行を見物する群衆を睥睨しつつ、目抜き通り沿いの建物の屋根の上でイビルアイは呟いた。

 通りを挟んで向かいの建物の屋根の上には、この悲惨かつ珍妙な行列の演出家であるゼブルの姿があった。

 ゼブルを囲むようにティアとティナも監視の網を掛けている。むしろわざと目立つように立つイビルアイは揺動で本命はティアとティナだ。

 ゼブルの傍に立つ紫のドレス姿の年増女……ヒルマ・シュグネウスと言うらしいが、この女が事実上旧『八本指』を掌握したらしい、と盛んに噂されていた。組織名は定かでないが仮に新『八本指』とするならばその金融部門を統括していると言う。発足した翌日から地方貴族を中心に大量の資金を貸し込んでいるらしい。一夜にして王都の一等地に出来上がった店舗には商人を中心とする民衆が長蛇の列を作っているようだ……年利15%という比較的良心的な基本金利を設定しており、事業計画書を提出し、審査をパスすると特別な優遇金利でも融資を受けられるという……噂だ。同業組合の無尽講などと違い、妙な組織内の力関係も顔の広さも順番待ちなどということもない。

 ただし回収は『闘鬼』ゼロを首魁とする警備部門が担当することから「ヌルい」と言う言葉からは程遠いものになることは予測できた。旧暗殺部門と旧窃盗部門の大半の構成員もこの新警備部門に転属している。そして金融部門長ヒルマを警護するのは『千殺』と『空間斬』と『踊る三日月刀』の3名という気合の入れ方から、ヒルマが実質的な首領と考えられているのだ。

 仮称新『八本指』の議長はザックと言う名の赤鼻の小男だった。唐突に現れた正体不明の男で経歴も一切不明……その主席補佐官としてコッコドールが名を連ねている。こちらも実質的にコッコドールが取り仕切っているのはないかと噂されている。

 全く新たな存在として商業部門があった。まだ何をやるのかも誰が統括しているのかも不明であるが、旧麻薬部門と旧密輸部門の構成員のほとんどが集められていた。ゼブルの言葉通りであれば大規模かつ正規の輸出入ということになるが、はたして……

 

「暗殺を捨て、窃盗を捨て、密輸を捨て、奴隷も捨て、賭博も半ば切り捨て、表面上は麻薬も捨てた……アイツの言葉通り、表の『八本指』じゃねえか?」

 

 イビルアイに続き、やはりゼブルに監視の目をこれ見よがしに姿を見せ付ける為にわざわざ巨体のガガーランまで屋根の上に上がってきた。彼女は身軽なわけでもなく、『飛行』の魔法も使えないので、梯子を掛けて上がってきたのである。

 

「……中身は前と一緒だ。早速、貴族達を取り込み始めたのもきな臭いが……貴族でない奴らが堂々と私兵を集めているのがな……しかもその深刻な事実に気付いていながら、指摘する貴族は皆無だ。元々浸透されているとはいえ、あまりに情けない現状じゃあないか……これではラキュースのアインドラ家のような良心的貴族がいかに抵抗しても、王国の末路は決まったようなものだ」

「確かにな……私兵に関して言えば、以前は裏社会の存在だからこそ許すもクソもなかったわけだ。今度は堂々と表に出て納税もする代わりに、貴族達の弱味と醜聞に加えて財布事情を握りにきたわけだ。俺達は勝手に兵を持つが、異論はゆるさねえ、ってな」

 

 イビルアイは考え込んだ……新『八本指』とは厄介過ぎる存在だった。王国内の単一勢力としては資金力も武力も政治力も突き抜けている。

 資金力に加えて人員も旧『八本指』の全てを奪った。

 武力は旧『八本指』の戦力を引き継ぎ、その背後にはゼブル達がいる。『六腕』を軽く一蹴してみせた戦力だ。一軍と戦っても対等……いや、最悪の想定では王国内の全正規軍と全諸侯の私兵を凌ぐ可能性すら捨てられない。

 政治力については持てる資金力を金融に集中投入し、一層高まったと言えるだろう。イビルアイの視点からすれば積極的に貴族階級に浸透工作を行っているようにしか見えないが、その実、真っ当な若手の商工業者を育てようともしている感じもする。

 そして過去はともかく現在では現行法に違反するような後ろ暗い事業は捨ててしまった。過去の悪行の精算として6つの首を王国に差し出したのだ。許しがたい事実として、現在の世間の認識ではヒルマ・シュグネウス、ゼロ、コッコドールの生き残った首魁3名は正義の人扱いなのである。

 存在も情報も隠さない。むしろ積極的に広報している……その極みとも言える茶番が目の前のパレードだった。

 『八本指』は生まれ変わった。

 正義の英雄を擁している。

 戦士団の存在は王家との繋がりを示している。

 有力貴族とも強く結びついている。

 その耳障りの良い、危険な事実を明確に誇示しているのだ。

 

 たった1日……『青の薔薇』がヴァンパイア騒動に振り回された、僅か1日の隙がこのような異常事態を成立させたのだ。他の冒険者ではゼブル達に辿り着けない……アレらが暗躍していることを知りながら、こうまで簡単に出し抜かれてしまったのだ……口惜しい。

 もはや全貌が把握できない……どんなカラクリが隠されているのか?

 ゼブル達が背後にいるのだけは確実だが、この事態の仕込みがいつから始まって、いつ終わったのか……巨大犯罪結社が一夜にして真っ当な貸金業者に早変わり……あまりに手際が良過ぎる。客まで用意したのかように集まっているのだ。しかもスジ悪の客でなく、真っ当な事業者が多いと聞く。

 要所を制圧し、排除すべきは排除する。言葉にすれば簡単だが、部外者が無法者集団を完全に従わせるだけでも至難の業なのは想像に難くない。

 

 黒コートの演出家はニコニコと笑いながら、イビルアイとガガーランに手を振っていた。

 

「なあ、イビルアイよぉ……これで良かったのか?」

「……分からん。でも、だからこそ腹が立つんだ……ここまでコケにされて、ニコニコと笑っていられるものか!」

 

 怒りを殺し過ぎたイビルアイが屋根を踏み抜きかねない勢いで踏みしめた。

 

「でもよぉ……こうなっちまったら手が出せねえだろ? 王直属の戦士団やら姫様直属のクライムやら衛兵団やらと連んで、裏じゃ……いや正々堂々と貴族共の財布まで掴みにいってやがるし、仲間の首を切ってまで正義の英雄を仕立て上げられちまったらよぉ……ここまで状況を作られた上で手を出したら、完全に俺らが悪役になっちまうぜ」

「くっ……脳筋にしては解っているじゃあないか……だからこそ性に合わんが相手の失策待ちなんだ。こうやって監視しているぞ、とプレッシャーを掛けるしか手がない……」

「アイツらがプレッシャー感じるタマか?」

 

 俯いていたイビルアイの仮面が僅かに上を向く。

 内心どう思っているかはともかく、ガガーランはゼブルに手を振り返した。あまりにアクションが大きかった為か、ゼブルの隣のヒルマ・シュグネウスまでが会釈を返した。

 ヒルマの腰を抱きながら、ゼブルはヒラヒラと手を振り、その場から一緒に消えた。おそらく転移の魔法だろう。

 

「……なんかよぉ、イビルアイの言う『コケにされて』ってえのが凄え身に染みたんだけどよお!」

「そうか……意見が合ったな……私も……もし今も動いていたら、臓腑がひっくり返るところだ!」

 

 ガガーランの握り締めた右拳は真っ白くなっていた。

 イビルアイの仮面の奥からはギリギリと歯噛みの音がする。

 

 気付けば眼下のパレードは遥かに彼方に通り過ぎ、いつの間にか沿道の群衆も離散していた。

 

「せめてラキュースがしっかりしていてくれればなぁ……」

 

 ガガーランが呟いた。

 

「……彼奴に何があった?」

「……普段は変わらないんだ。ただゼブル絡みはダメだ……何も決められなくなっちまってる」

「なんだと!」

「ツアレ……ツアレニーニャ・ベイロン絡みで何回か単独でヤツと会ってる。それからだ……ラキュースがゼブル絡みに限って、妙に優柔不断になっちまった。それに様子もかなりおかしい……ラキュース1人の時、何回か、力を解放させる、みたいな事を口走っているのを聞いたぜ……魔剣キリネイラム関連だとは思うが、方針が決められなくなったのはゼブル絡みに限るってわけだ」

 

 ……怪しい……

 

 筋肉の塊と仮面の視線が複雑に絡み合った。

 

 

 

 

 

**************************

 

 

 

 

 

 やはり絶対君主はここに在るべきだ。

 

 玉座に腰掛ける超越者……アインズ・ウール・ゴウンの麗しき姿を見つめ、アルベドの腰の羽は落ち着かなく動いている。

 シャルティアは平伏し、謝罪の言葉を述べ、罰を求めていた。

 セバスの進言によるシャルティアの作戦行動中止と完全撤退……確かに主人の意を考え抜いた末のセバスの進言であり、シャルティアを納得させただけの説得力はあった。状況を聞いた限りでは作戦は破綻はせずともシャルティアが失策を犯す可能性は少なからず在ったと思う……アルベドもアインズ様の真意を考慮した場合、撤退は妥当だろうと同意した。だからシャルティアと共に作戦中止を進言し、アインズ様に謝罪したのである。

 

「……シャルティア、お前の全てを許そう……セバスの報告書に少し気になることがある。二人共下がれ」

 

 罰を求めて食い下がるシャルティアを玉座の間から下がらせ、アルベドはアインズ様が気にならないような立ち位置に退いた。

 再び玉座に腰掛けた後、アインズ様はセバスの報告書を熱心に読み込み続けていた。時折、考え込みながら、何やら呟きを漏らすこと数度……

 

「……アルベドよ、話がある……」

 

 常になく重々しい……否、アインズ様は常に重厚なのだが、普段のアインズ様を遥かに超越した重々しい口調だった。魔王……神……そんな軽々しい輩とは桁外れの、全てを圧し潰すオーラが玉座から感じられた。

 アルベドは天にも昇る気持ちで玉座の前に跪いた。

 

 いよいよ……遂に……

 

「……セバスの報告にあるゼブルという冒険者をナザリックに招きたい。決して敵対することなく、最高の礼節を持って、招待しろ……この命は全ては優先する……良いな!」

 

 有無を言わせない……一切の質問も許さない……生易しいレベルでない……これまでの慈悲深いアインズ様からは想像出来ないレベルの厳命だった。アルベドの期待は見事に裏切られたが、至高の御方の意思を実現する為に存在する守護者統括としてのスイッチには確実に火が着いた。

 

「御身の命ずるままに……その者を歓迎するということであればソリュシャンに加え、プレアデスのユリとエントマをセバスの下に送ってもよろしいでしょうか?」

「任せる……しかし失敗は許さぬ。絶対に俺の前に連れて来い……良いな!」

 

 アルベドは平伏した。アインズ様かっけー、と感動に震えながら……

 アインズ様は鷹揚に頷いたが、途端にアルベドに興味を失ったのか……それほどまでに心を鷲掴みにされたのか、セバスの報告書に再び視線を落とした。

 

「……もしかしたら……本当に……『ばある・ぜぶる』さん……」

 

 まるでアルベドの存在など忘れたかのような素のアインズ様の呟きに、激しい嫉妬を覚えながらもアルベドの頭脳は高速回転を始めていた。

 

 

 

 

 

「嫌な予感がします」

 

 とヒルマが言った。

 

「そりゃ、そうでしょう」

 

 と俺は返した。予感とか言っている時点でマジじゃないし……

 

「……ナメてんのか、おばさん?」

 

 相当にガラの悪い感じだが、口よりも先に刺していないだけにこっちもマジじゃない。場末の不良丸出しで脅しに掛かるティーヌだが、ぶっ飛んでいる時のヤバい感じも亀裂のような笑みもない……ヒルマが弱過ぎなだけかも知れないが……まあ、単純に気に入らないだけだろう。

 

「……嫌な予感って、この戯れている小娘じゃありませんよ」

 

 ヒルマの言葉にティーヌが飛び掛からんばかりに身を沈めたが、ヒルマは眉一つ動かさない。

 

「殺ちゃおっかなー、このババア」

「フフッ……あら、怖いわ」

 

 ヒルマは俺の背に隠れるように立ち回る。

 ティーヌの視線が険しくなった。

 このままやりたいようにやらせると収拾が付かなくなる。

 

「……悪いけど、俺は出掛けたいんですよ……少しは仲良くしください。ブレインとジットさんが警護の3人と『英雄』とゼロさんを鍛えに連れて行きましたから、俺を除くとティーヌさんが適任なんです……最低限、無駄な揉め事は起こさないこと……いいですね!」

 

 ちょっと前に「鍛錬に行く」と言うブレインとジットと旧『六腕』の生き残り5人をトブの大森林の奥に『転移門』で送り出していた。旧『八本指』の拠点が使い放題なのがありがたい。念の為に旧『八本指』の首領達6人から生まれた第二世代6匹の内、5匹を警護に付けている。残り1匹はヒルマのいるこの建物の監視に残してある。ジットに各種ポーションも山程持たせている。あくまでパワーレベリング実験のついでだが、眷属が成長するのかも確認したいところだ。もしパワーレベリングが可能ならば、いずれヒルマ自身も強化する予定だった。

 要するに先程からティーヌは拗ねているのだ……ワイワイと楽しそうなレベリングチームから自分だけ外されたのが気に入らないのだろう。

 

「りょーかーい!」

 

 ティーヌはジャンプし、執務室の応接セットのソファの上で横臥した。

 

「ゼブルさんのご命令は守りますよー、だから、おばさん、ヨロシク……許可無く入ったヤツ、全部殺せばいいのかなー?」

「いちおう眷属にも監視させてるんだけど……まあ、取次無しの奴は殺しても問題無し、かな」

「んじゃ、そーゆーことで……死体の始末は後でジッちゃんに任せるから」

 

 ティーヌはフテ寝を決め込んだのか、そのまま目を閉じた。

 それを確認して、ヒルマを見るとクスクスと笑っていた。

 

「……確認しますけど、嫌な予感って?」

 

 ヒルマは首を振った。

 

「……嫌な予感はします。でも何かはわかりません。私の予感……直感は何よりも信頼できます。そういう技でもなければ単なる娼婦が『八本指』の最高幹部に成り上がれません」

 

 そうですか……なんという嫌な言い方……信頼と実績の「嫌な予感」ですか……

 

 この後セバスさんと落ち合って、ラキュースさんのところにツアレの回収に向かう予定だった。対外的な嫌な事態にはセバスさんと一緒であればほぼ問題無く対処できると思うが、嫌な事態の原因がセバスさんの場合には、彼の力量が推し量れないだけに不安が残る。何があっても都市内でまともに戦闘するつもりはないので『人化』解除した程度で逃げ切れるのかが問題だった……眷属の飛行速度をあっさり振り切る老執事のスピード能力は脅威そのものだ。

 で、あるとすればツアレの引き渡しはラキュースさんに全部任せた方が無難だ、との結論に即行き着いた。

 

 ヒルマの肉腫に今後の指示を送り、ティーヌにヒルマの警護を中断して、ラキュースさんにツアレの移送してほしい旨の言伝を頼んだ。

 ヒルマは考え込み、外に出られるのが嬉しいのか、ティーヌはあっという間に出て行ってしまった。

 

 ……まあ、かなり大袈裟なことにはなってしまったが、少なくとも俺が信頼出来る送金システムは作り上げられたと思う。エ・ランテルで苦労しているジットの部下達に定期的にそれなりの金額は送れるだろう。エ・ランテルの城壁内のどこかに『転移門』を使うのは、多数のシャドウ・デーモンを使役する正体不明の高レベルに感知されるリスクが高い以上、正規の送金網の確保が急務だったのだ。そこに渡りに船的存在だったのが『八本指』の金融部門だ。俺が乗っ取っても誰も困らない。表の存在にしてしまえば簡単には潰せない。『八本指』は王国内で必要なコネを最初から持ち合わせてもいた。その上、莫大な資金も手に入る。

 つまり『八本指』を裏から動かせる立場を手に入れた以上、王都リ・エスティーゼに無理に留まる理由も無くなったに等しい。

 

「……帝国に行こうかな……」

 

 冒険者としては特に稼げてもいないが、とりあえず資金的な余裕は以前の食うや食わずの極貧状態とは桁違いだった。むしろ銅級のままのほうが闘技場で稼げるような気がする。突っ込める莫大な資金も確保した。

 

 王国内でやり残したこと……ツアレの身柄引き渡しを済ませば、うちのぶっ壊れメンバーに大人気のガゼフ・ストロノーフと、美女のラキュースさんが美しさを絶賛する『黄金』ってふたつ名のラナー姫に一度会ってみたかったぐらいしか残っていない。ガゼフ・ストロノーフについてはほとんどアポが取れたに等しい状態だったが……

 『八本指』の拠点が使い放題な以上、王都へはいつでも『転移門』で帰還可能だ。で、あるとすれば別に今じゃなくてもいい。ならば冒険者として無名である間に帝都アーウィンタールへ向かうべきだ。

 

 請け負った仕事の完了……ツアレの引き渡しの確認を済ませたら、帝都に移動を開始する……そう決心して、現在では王都内に無数に存在する肉腫で支配された配下に意思を伝えた。

 




お読みいただきありがとうございます。


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9話 立場を知るって重要です!

いろいろとご指摘を頂いた方、ありがとうございます。完全に言い訳になりますが、仕事の合間になんとか書き続けているので、不備の対応が後回しになり申し訳ありません。


 特に持って行くべき荷物があるわけでわけではなく、特に寄りたい場所があるわけでもない。だからこそ早く移動を開始するべきだった……が、タイミングというものは大抵悪いもので、早く出ようという時に限って、来客があったりするのだ。

 で、今回の忌々しい来客はVIP中のVIPであるラナー姫の使い、兼みんな大好きガゼフ・ストロノーフの使いでもある派手なミスリル鎧姿の小柄な青年だった。過去に何回か、『青の薔薇』の定宿でお互いに顔を見たことがある程度の知り合いだが、『青の薔薇』の面々にもある意味では非常に可愛がられている青年が真っ直ぐ俺を見上げていた……別名「童貞」こと、元々孤児ながらも姫様直属の護衛であるクライム青年だ。

 

 ラキュースさんを交えてのラナー姫主催のお茶会やら、ガゼフ・ストロノーフ邸開催の飲み会のお誘いやら、色々とご招待いただきましたが……まあ、ヒルマさんの「嫌な予感」という漠然としたトラブル予告が俺の顔を露骨に顰めさせていた……VIPと知り合いになるのはむしろ望むところなのだが、とにかくこの世界には高レベルが所々に紛れ込んでいるのが厄介だった。しかも闘争と死が身近過ぎる。その上、セバスさんというかなり近しい間柄になったとは言え、明確に高レベルの存在がいるのだ。どんなに警戒しても警戒し過ぎということはないだろう。

 

「……ゼブル様はあまり乗り気ではないのですか?」

 

 懇願というか、理解不能な反応を確認しているというか……クライム青年があまりと言えばあまりな俺の反応に疑問を抱いたらしい。

 

「まず、様付けはやめて下さい……さん付けにしましょう。実は急遽帝都に行く用事ができまして、スケジュール的にキツい、というか……まあ、ぶっちゃけ、一刻も早く王都から発ちたい、っていう感じですね」

 

 クライム青年の理解不能顔はさらに深まった。

 

「私がラナー様の直属だから意見するわけではありませんが、多少の事でしたら、無理をされてでも御二方共に面識を持たれた方がよろしいかと思われますが……」

「いや、それは十二分に承知しているんですよ」

「でしたら、是非!」

 

 正に忠犬だった……主人の下に俺のコートの裾を咥えて、なんとか引っ張って行こうとしている。

 

「……それに……」

 

 今度は一転、遠慮がちに俺を見た……捨て犬のような視線で、これがまた無碍にし難い。こういう感情を俺はとっくに失くしたと思っていたが……

 

「それに……?」

「ゼブル様は相当に強いと聞きました。あのイビルアイ様が……アレがカッパーとはどんな冗談だ? アダマンタイトよりも遥かに強い……とガガーラン様と話されているのが聞こえたのです」

「へー、そんなことを言ってたんですか?」

 

 と答えながらも、クライム青年が「様」付けを改める気が無いどころか、徹底した「様」付け主義者なのを知り、諦めることにした。呼び捨て主義者のブレインみたいなものだ。

 

「なので……ゼブル様の事が知りたいのです」

「なので、って繋がってませんけど?」

 

 クライム青年は俺の返しを無視して続けた。

 

「私はラナー様に救われた恩に報いる為、強くなりたいのです。色々と鍛えてはいるのですが、イビルアイ様曰く、私には魔法も剣も才能が無いらしいので、知識を得て対処法を学ぶべきだ、との事でした。ですから、そのイビルアイ様が強者と認めるゼブル様の事が知りたいのです」

 

 なかなか好みの答えが返ってきた。つまりクライム青年は『えんじょい子』さん風の圧倒的強さでなく、『モモンガ』さん式の緻密な強さを欲しているわけだ。で、あるならば……

 

「強さねぇ……そもそも剣やら魔法やらで強くなるって、本当に意味があると思いますか?」

 

 唐突な質問にクライム青年は面食らった顔付きで俺を見返してきた。その上で何かを感じたのか、真剣に考え込んだ。

 

「……いざという時に大切なモノを護る力は必要だと思います」

「であるならば、大切なモノを護れれば剣やら魔法やらである必要はない、ということで良いのかな……?」

 

 クライム青年は一層考え込んだ。真剣過ぎて寝込むのではないか、と心配になるレベルで考え込んでいる。

 少し誘導してやらないと思い付かないだろう。

 

「……たとえば、いざという時、って?」

「ラナー様が窮地に陥られた時です!」

 

 そこは即答ですか……そーですか。

 

「では、ラナー様の窮地って?」

「それは……ラナー様に生命の危機が迫った時です」

 

 様付けで呼ばれる以上、クライム「様」……なんかしっくりこない……ここはクライム「君」だな。

 

「そこでクライム君が助けに入って、ラナー様は救えるのかな?」

「……救います……絶対に救います!」

「たとえば……襲撃犯が俺でも?」

「……どういう意味ですか?」

 

 うん、ちょっと理解しにくかったか……

 

「俺は銅級冒険者だ……クライム君はラナー様に接近できる立場の銅級冒険者の武力に警戒できるのか?」

「誰であれ、ラナー様に害を成そうという奴は許しません」

「いや、そーゆーことでなく……害を成す者か完全に見極められるか、と聞いているんだけど」

 

 クライム青年は散々悩んだ末に首を左右に振った。

 

「では、自分以外の全ての接近する者を排除できない限り、ラナー様に不逞な輩の接近を許してしまうかもしれないわけだ……ところでラナー様は単独で銅級冒険者を撃退できるのか?……無理だろうな」

「……はい」

「で、あるならば……クライム君が剣やら魔法やらで強くなることは、最大の目的と合致しないことになる……そこで改めてクライム君に問う……自身の戦闘能力を高めることが無駄とは言わないが、本当の目的を達成する為に意味があることだと思いますか?」

「……では! では、私はどうすれば良いのでしょうか?」

 

 やっとクライム青年はこの会話の意味するところに辿り着いたようだ。

 

「1人の人間に出来ることなど限られています。ですから、同じ努力をするのであれば目的と合致する方向で物事を考えれば良い、と思いますよ」

 

 ユグドラシルではソロプレイ大好きだったが、だからといって自分で全てを解決しようなんて……凄く面白いとは思うが、同時に傲慢な考えだと思う。だから目的によって仲間を集い、金を払い、同好の士と知恵を出し合って、必死に努力した。リアルでは本当にどーでも良いゲーム程度でもそうなのだ。だから大恩ある主人を命を張って護るのであれば、クライム青年は努力の方向性を間違ってはいけない。

 

「……最優先はラナー様の安全なんですよね? だったらクライム君が少なくともラナー様の安全を保証できるようにならなければ……話にならない。つまり少なくとも警備に関する権限を掌握しなければ、ラナー様の危機を完全に救うなんてことはできません……自分が強くなることは決して無駄ではありませんが、それだけでは目的を果たせません」

「私が権限を掌握する……ですか?」

「そうです……宮廷内では警備関連部署だけでも権力闘争がありますよね? ソイツを暗闘に長けた貴族連中相手に勝ち抜き、権限を握る。部下の生殺与奪を含めて掌握するべきだ。それが出来なければ話にならない……自分磨きで満足している場合ではない」

「……はい」

「つまり俺の強さを知る以上に、クライム君の目的に対する敵を知るべきだ。もちろん敵とは直接ラナー様に害を成す奴だけじゃない」

「……それが私の役目である、と」

「そうです……それを踏まえた上で俺達のことを招待するか決めれば良い。主人の意をただ聞くだけでは警護を全うするは無理なんでね……姫様については俺達が王都に戻った際に再考願いますよ。ガゼフ・ストロノーフ氏についても伝言願います。再度、王都に戻った時に伺います、と」

 

 間違ったことを言っているつもりはないが、招待を断るにはかなり無理がある理屈なのも確かだ……しかしバカが付くぐらい真面目なクライム青年相手であれば、これでなんとか逃げ切れるか……

 クライム青年はさらに深く考え込みながら、礼まで述べて去って行った。

 

 さーて、一刻も早く帝都に向けて出発しない、と……

 

 眷属を2匹づつヒルマとゼロとコッコドールの警護と監視に残し、『六腕』ならぬ『五腕』には大量の消耗品と神器級の装備を一揃えを残し、日々の鍛錬を命じる。そしてくれぐれも『セバス』と言う名の老執事の関係者とは敵対しないように厳命する。何があっても友好的な対応で接するように、と。

 事業の方はヒルマに伝えてあるので、彼女の才覚と食い込んだ貴族共のコネでなんとかなるだろう。とりあえず緩やかな拡大路線を維持すれば問題無い。商業部門は現状無駄飯喰らいであるが、そこは他国に食い込んでからが本番なので先行投資と割り切った。残念ながら構成員の全てを支配などしてしまったら、何かの拍子にこの世が第二世代で溢れ、世界を破滅させてしまうかもしれない。たとえ俺の生命の危機に陥っても、蠅しか存在しない世界を生きるのは遠慮したい。ユグドラシルの設定通りならば、俺のアバターというか、本体である魔神という存在は滅ぼされない限り永遠を生きるのだ。そして異世界転移してからこれまでのところ、ユグドラシルの設定は厳然と存在していた……だから今後も眷属の第三世代を生み出す実験をするつもりはなかった。

 

 館を見張る眷属から映像通信が入った。

 館に戻る地味な外套姿のティーヌを確認した……ついでに何故かティーヌに感知させないレベルで気配を絶ってティーヌの後を追う者の姿も……それはメガネを掛けたメイドだった。何故か両腕に刺だらけのガントレットを装備しているし……

 

 ……えーっと、どこからツッコめばいいのかな?

 

 ヒルマさんの「嫌な予感」という言葉が頭に浮かんだ。

 

 

 

 

 

**************************

 

 

 

 

 

 夜会巻きのメガネ美女……ツンとした雰囲気がどこか教師っぽい。やたらと巨乳……というか爆乳……が印象的だ。そしてメイド服に刺だらけのガントレット……しょーじき、こんな意味不明な格好で街中を歩くとは、マジのガチでユグドラシルプレイヤーですわ……問題はネカマか否か……でなく魔法詠唱者か否か、だ。正真正銘の「一難去ってまた一難」てヤツですわ。どこからどう見てもセバスさんのロールプレイ仲間としか考えられない。セバスさん本人がツアレの引き取りにいっているのだから、お仲間登場なんでしょう。

 

「もう逃げるしかないな……流石にセバスさんレベルのプレイヤー2人相手は無理だ。問題はティーヌを拾えるか、だな」

 

 最悪の場合、ティーヌは捨て駒だ……そう思って、眷属による監視を継続していたが、ティーヌは当然のように門を通過したが、意外にも爆乳メガネメイドは館の前で立ち止まった。さらに意表を突かれのたことに、館の門番に丁寧に挨拶し、取次を願い出ていた。

 

 わざわざ猶予をくれたのだ……急ぎティーヌの肉腫に命じて、そのまま地下の隠し倉庫に向かわせた。次いでヒルマに爆乳メガネメイドの対応を一任し、俺達が「急用でエ・ランテルに向かった」と伝えるように命じた。ヒルマは部屋の外に出ると即座に自身の秘書のような部下に命じる。

 本当はもっと違う方面に誘導したかったが、この世界の都市は王都と帝都と神都とエ・ランテルしか知らないのだ……が、ヒルマは俺の意図を完全に把握していたようで、虚偽の目的地をエ・ランテルからリ・ボウロロールとか言う都市に変更して伝えたようだ。

 最敬礼する秘書を尻目に、ヒルマを抱き上げ、一気に階下へ……走り、飛び降り、さらに飛び降りて、隠し扉を潜り、館の図面上は存在しない秘密の方の地下室へ向かった。とりあえず処分し切れなかったヤバい系のブツを集積してあるかなり大きめの地下倉庫だ。スペースは広大だ。

 積み上げられた木箱の陰から現れたティーヌに目配せする。それだけで俺の意図は伝わったのか、ティーヌが軽やかな足取りで後に続く。

 

「ゲート!」

 

 『転移門』のエフェクトが現れ、俺達はそのまま飛び込んだ。

 

「ふうーっ」

 

 追手の能力が不明な以上、一息吐く間も無いが、とりあえず警備部門の拠点にヒルマを残す。建物内にいた幾人かの護衛を付けて、とりあえず気休め程度だが、ヒルマの安全を確保し、俺とティーヌはそこからさらにジットとブレインに加えて『五腕』のいるトブの大森林の奥地に『転移門』で移動した。

 

「全員、鍛錬中止! 急いで集合!」

 

 声にする必要はないが、どうしても声が出てしまう。

 同時に館の眷属からの映像情報をその場の全員の肉腫に送った。俺の前に帰還しようがしまいが関係ない。

 3分もしない内に鍛錬組が顔を揃えた。

 

「この映像にあるメイドとセバスと言う名の老執事……及びその関係者と思しき者とは絶対に敵対するな! はっきり言って、ゼロさんレベルが何人いても太刀打ち出来ない! ジットさんとブレインは俺とティーヌさんと一緒に帝都に向かう。それ以外は急ぎ拠点に戻り、ヒルマさんの警護だ! くれぐれもこちらから敵対するような真似は避けること! いいな!」

 

 騒めく『五腕』に対して妙に落ち着いたジットとブレイン。『破滅の竜王』戦を知っているからか……もし俺の戦力を過剰評価しているのならば、それは良くない傾向だ。

 皆を代表してブレインが前に進み出た。

 

「そんなにヤバい連中なのか?」

「俺と同等……最悪の場合、俺を超える可能性まである。特に俺が実際に会ったセバスさんは眷属の飛行速度を楽に振り切る身体能力を有し、かつ自身の能力を隠蔽している。そしてセバスさんはともかく連れの爆乳メガネメイドの奇抜な格好は、もはやプレイヤーで間違いないだろう。今までの経緯から察するに問答無用で襲ってくるような連中ではないが、警戒を怠って良いレベルの存在ではない。とにかく敵対を避け、情報収集を徹底してくれ……どんなに些細な情報でも良い。漏れなく報告して欲しい」

「……ゼブルを超える可能性……想像出来ないな」

「だーかーらー、俺は弱いの……能力的に俺より強いヤツなんて一山いくらで数える程いたし、その強いヤツも局面局面で簡単に弱者になるもんなの……情報が重要ってそういうことな……突き抜けた能力を持ったヤツが十分な準備をして戦闘に挑んだとしても、能力なり準備の内容なりが漏洩した瞬間に負ける可能性が確実に拡大する。全能力が中途半端な俺は確実に弱いけど、その事実さえ秘匿出来れば案外勝てるもんなんだ……だから敵になる可能性が僅かでも存在するならば情報が欲しい。俺の知り合いには敵の情報を得る為にわざわざ一回負ける奴までいた。それぐらい重要なんだよ……最悪、敵わないと判断するか、情報が全く得られない場合には戦わない……逃げるってわけだ。だから俺達はエ・ランテルから逃げ、今回は王都から逃げる。この世界で信頼できるのはお前達だけなんだ」

 

 ブレインは微妙な顔をしている……どうしても俺の言葉が飲み込めないようだ。自身の強さを得る為に全てを犠牲にするような奴だ。強さが相対的なもので、状況に依存するなんてことは理解出来ない……いや、理解したくないのかもしれない。

 あのPVPのバケモノだった『えんじょい子』さんだって、対ワールドエネミー戦じゃ完全に足手まといだ。別に弱体化するわけじゃないが、彼女の技術を持ってしても回避しきれない理不尽な全体攻撃の嵐の中だとあまりに紙装甲過ぎるのだ。正面から当たると俺の3段構えの眷属召喚スキルに対して脆いのも紙装甲過ぎるのが原因だ。逆に彼女の振り切ったステータスはPK界隈だとバケモノじみた強者になる。

 俺のスキルにしたってリキャストタイムが知られれば弱点だらけだし、『えんじょい子』さんならば楽に対応する超長距離からの爆撃には、俺はスピード負けでヤバいことになった経験は数知れずだ。

 

「いずれにせよ、俺は逃げる……後は王都に詳しく、人脈もある『八本指』に任せるぞ。お前達だけが頼みだ」

 

 ゼロが先頭に立ち、跪いた。

 次いでエドストレームが……マルムヴィストが……ペシュリアンが……サキュロントが跪く。

 

「お前達に渡す武装はヒルマさんに預けてある……普段使いは避けろ。プレイヤー相手にはあまりに目立ち過ぎる。頼んだぞ」

 

 『五腕』はさらに深く頭を下げた。

 

 単純な連中だ、と跪く配下を見て思う。つい先刻、クライム青年に感じたような感情は無く、ただの駒にしか感じない。その駒を対プレイヤー戦で盾に使える程度に育てなくてはならないのが、今の俺の立場だった。

 セバスさんには爆乳メガネメイドという仲間がいる……他にいてもおかしくない。

 『六大神』にも……『八欲王』にも……『十三英雄』にも仲間はいた。

 俺にはいない……元々ソロプレイヤーだし、都合良く『えんじょい子』さんや『バンバン』さんか転移している可能性は限りなく低いだろう。遊び仲間とまでは言えないまでも、友好的な知り合いのプレイヤーがいる可能性も凄まじく低いに違いない。たとえこの世界に転移していたとしても同時期にいる可能性は極限に低いとしか考えられない。

 

 ……まあ、滅ぼされなければ、人間種と違い寿命などないからなぁ……遠い未来に堕天使の『えんじょい子』さんや暗黒精霊の『バンバン』さんや超越者の『モモンガ』さんなら再会することもあるかもしれないなぁ……

 

 しかし再会出来る可能性が限りなく低い知り合いとの再会に期待するのも愚かしい。

 だったら現地調達するだけだ。

 今のところ数だけはそれなりに確保した。さらに数を増やし、レベリングの実験を重ね、戦力化せねばならない。俺が優位なのは『神器級』の装備と消耗品や素材・データクリスタルだけは無数に持っている点だ……可能ならば生産職の仲間も沢山欲しいところだ。さらに使用方法不明のワールドアイテムもある……つまり敵のワールドアイテムによる攻撃には対抗出来る。

 

 開いたままの『転移門』で『五腕』は王都に帰還させた。

 

 またエ・ランテルで知り合った4人に戻ったわけだ。

 

 俺以外は地味な外套を手に入れた。

 王都でまともな食事もした。

 戦力化は出来ていないが、配下も大幅に増えた。

 手に入れた資金は莫大だ。以前とは比較にならない。

 近々『八本指』の送金システムも稼働するだろう。

 

 とりあえずの目的は達成した。

 

「さあ、帝都で稼ぐぞ……有名人のブレインはともかく、俺達のオッズは高配当のままだろう?」

 

 『転移門』を閉じ、再度開く。

 

 輝き、蠢く闇のエフェクトの先は、異世界転移した時に俺が寝転がっていた低位アンデッドだらけの場所だ……あそこならば目立たないし、確実に王国外だろう。上手くすれば帝国領内かもしれない。

 

「さあ、行くぞ」

 

 『転移門』に笑顔のティーヌが飛び込み、無表情のジットが続いた。そして憮然としたブレインの背中を押し、俺達は王国から逃げ去った。

 

 

 

 

 

**************************

 

 

 

 

 

 アンデッド、アンデッド、アンデッド……そこかしこアンデッドだらけ。

 

 アンデッド天国というか、アンデッド地獄のカッツェ平野でアンデッド退治を請け負っていたワーカーチーム『フォーサイト』のリーダーである双剣戦士ヘッケラン・ターマイトは奇妙なモノを見た。

 

 スケルトンを2体、同時に両手の剣で砕いた。

 スケルトン・メイジを仲間である神官ロバーデイク・ゴルトロンのモーニング・スターが砕いた。魔法は奥の手だ。なるべく温存したい。

 後方ではハーフエルフのイミーナが弓を構え、魔力系魔法詠唱者であるアルシェ・イーブ・リイル・フルトが魔法支援の準備をしていた。

 

 そんな時だった……深い霧の向こうから、唐突にソレが目の前に現れたのは全くの偶然だったろう。

 

「ヤバいっ! 後退っ!」

 

 明らかにレベルの違うアンデッドが咆哮していた。凄まじい巨体だった。ビンビンに感じる能力は強大であり、巨大な盾とフランベルジュを構えていた。

 

「アレは……なんですかっ! 逃げないと!」

 

 死の騎士……ロバーデイクの脳裏にその言葉が浮かんだ。

 

 依頼放棄するべきだ……しかしその考えに至った時は時既に遅し……ソレはこちらをターゲットしていた。

 

 イミーナが矢を放つ……が、ダメージは無いように感じられた。ただソレのターゲットはロバーデイクからイミーナに移った。

 

「ちょっ、ちょっと待ってっ!」

 

 走り出したソレの速度はその巨体からは想像を絶する速度だった。

 

「イミーナっ!」

 

 ヘッケランが叫んだ。と、同時に火球がソレを襲う……若くして第三位階まで到達したアルシェの魔法だ。

 爆散する炎の塊。

 しかしソレは痛痒も感じないらしく、ターゲットがイミーナからアルシェに切り替わっただけだった。

 

「……たっ、たっ……」

 

 アルシェは立ち尽くしてしまった。自分の終りを悟り、愕然と走り寄るソレと、間に割って入ろうとするヘッケランを眺めていた。

 

 と、その時……

 

「おっ、ちょうど良いのがいたぞ」

 

 知らぬ男の暢気な声がした。

 

「いっただきー!」

 

 地味な外套姿が走り抜けた。凄まじいスピードだった。アルシェがそう思った時にはソレに向けて銀光が走っていた。

 直後、ソレの持つ巨大な盾の下半分が地に落ちた。

 

「アハハッ……コイツは私のねー」

「ちっ……まあ、次は俺だぞ……約束しろ」

「はいはーい、ブレインちゃんは次ね、次!」

 

 あまりに場違いな、陽気な言葉の掛け合いが続く。

 その様子を生命の危機を脱したアルシェも、アルシェを抱き寄せたヘッケランも呆然と眺めていた。

 

 銀色の女戦士……凄まじい速さだった。ヘッケランが想像可能な人間の到達出来る速さを遥かに超越していた。ここまで速さが違うと圧倒的だったソレをさらに完全に圧倒していた。戦いとして成立していない。走力も剣速も……おそらく反応速度も目の速さも……直前まで化け物だったソレが脆い木偶人形としか感じられなかった。

 

 あっという間にソレの右腕がフランベルジュごと地に落ちた。それで勝敗は決した……かに思えた。

 

「ティーヌさん! デスナイトは必ず一回耐えるぞ。トドメを刺したと思って油断するなよ……シールドバッシュ有るぞ!」

「りょーかーい!」

 

 さらに銀光が3回……デスナイトと言うアンデッドを襲った。左腕と盾の上半分が地に落ち、首が落ち、上半身が落下した。そしてティーヌと言う名の銀色の女戦士が下半身を蹴り倒し、あの圧倒的に恐ろしかったデスナイトの姿はこの世から消え去った。

 

 ティーヌが余裕の笑顔で戻ってきた。とても死線を潜り抜けたようには思えない。こちらに向かう最中にもヘラヘラと笑いながら、横から襲ってくるスケルトンやゾンビと言ったアンデッドを次から次へと斬り飛ばしている。

 

「……ブレインちゃんは走力鍛えた方がいいんじゃないかなー?」

「煩いぞ! 俺が遅いんじゃなく、お前が速過ぎなんだ」

「それで獲物取られてりゃ世話ないねー」

 

 女戦士ティーヌと剣士らしきブレインは、お互いに周囲の有象無象のアンデッドを殲滅しながら掛け合いを続けていた。

 その向こうに魔法詠唱者らしいオカッパ頭と、目に焼き付いて離れない黒いコート姿の男がいた。オカッパ頭は凄まじいマジックアイテムと思しき杖で、黒コートは黒く輝く片手剣で、それぞれ煩しそうにアンデッドの群れを殲滅していた。

 いずれも冒険者で言えばミスリル級の力を持つ『フォーサイト』の面々を遥かに凌駕する力を持っているのは明らかだ……しかし黒コートの胸に見えるのは銅級冒険者のプレートで間違いない。ヘッケランは何回も確認したが、間違いなく銅級だ。

 

 女戦士……ティーヌにアドバイスしていたのは黒コートだったような……

 

 ヘッケランは全滅の危機を救ってもらった礼を言うべく、リーダーらしき黒コートに歩み寄った。そして初めて黒コートが恐ろしいと感じるぐらい整った面立ちをしていることに気付いた。

 

「……助かったよ。俺達は『フォーサイト』……帝都のワーカーチームだ。俺はリーダーのヘッケラン。にしても、あんたら凄く強いな」

「えーっと、俺達はエ・ランテルの冒険者チームだけど、チーム名は決めていません。俺はゼブル……こっちはジットで……あっちの女戦士がティーヌで男の剣士はブレインと言います。ちなみにブレインは仲間だが冒険者じゃない。それに俺達は鍛えているだけだから……特に礼は不要です。ただ約束していただきたいのは、俺達のことは口外不要でお願いします」

 

 ゼブル達の作り上げた安全圏内にアルシェもイミーナもロバーデイクも集まっていた。

 

「そうはいかない。俺達の気が済まない……そうだ! ゼブルさん達は帝都に来る予定は無いのか?」

「帝都……いずれ行きますよ。ここだけの話、帝都に行くのが目的なんでね」

「そうかい! だったらちょうどいい……俺達で帝都を案内するぜ」

 

 ゼブルは近寄るアンデッドを撫で斬りにしながら、少し考えるように視線を僅かに上方に向けた。

 礼金を請求されたら、4人分の命の代価だけに相当な高額になり、かなり痛いが、これまでの会話から察するにゼブル達は金には全く執着していないようだった。だから改めてゼブルに考えさせるような真似はしたくなかったが、ヘッケランとしては今後の損得も考えて、金を渡すのも吝かではない、と結論付けていた。むしろ強固な関係性を築く為には金を渡した方が良いぐらいに、頭の片隅では算段していたほどだが……

 

「……飯……帝都で1番美味い飯屋を教えて下さい。それを確約してくれるのならば『フォーサイト』さんの提案に乗りましょう」

 

 ゼブルはなんとも小さな要求を口にした。

 ヘッケランはゼブルの言葉の裏を考えたが、どうにも言葉通りの内容にしか思えなかった。

 

「そんな事で良ければ、各地方や他国の名物料理毎に1番美味い店に案内するからよ……是非、帝都まで同道しようじゃないか?」

 

 交渉ついでに同道して、ゼブル一党と協調しようと目論んだ。そんな事はお見通しだろうが、ゼブル側に断る理由さえ無ければ、勝手にするまでだ。

 

「……まっ、良いでしょう……条件としては、我々の討伐実績を『フォーサイト』さんの実績に上乗せして、申告してください。半金は差し上げますから、半金をこちらに下さい……我々は不法入国なんでね」

 

 バハルス帝国において法を犯すのはそれなりに度胸が要るが、ヘッケランはあっさりと決断した。どう考えてもメリットがデメリットを上回る。ゼブル達の不法入国を黙っているだけで、圧倒的な強者と知り合いになれ、その上報酬までくれると言うのだ。

 

「よし、交渉成立だ」

 

 ヘッケランはゼブルと握手した。その瞬間……得体の知れない恐怖が首筋を這い上がったが、ヘッケランは笑顔を崩さなかった。

 

 イミーナも……ロバーデイクも……アルシェも同時に形容し難い恐怖感に包まれたが、これだけ美味しい交渉内容に不満や不安を呈するわけにはいかず、無言を貫き、笑顔を保っていた。

 

 

 

 

 

**************************

 

 

 

 

 

 偶然、前を通り掛かった。

 10メートル程先で耳の先端を切除されたエルフ女性が3人、不安が漏れ溢れる視線を送ってくるが、そんなものは無視した。奴隷……所有物の感情などどうでもよいのだ。そんなものを考慮する必要はなく、より大きな関心を乗せて、視線は安宿の中庭に向かっていた。

 普段はワーカーとしても活動している『天武』のリーダー、エルヤー・ウズルスは切れ長の目でその得物を眺めていた。

 刀……過去に見たこともないほどの業物だった。それもこれまで最上と信じていた自身が所有する神刀がゴミ屑に見える程の……

 確かに帝都アーウィンタール北部の安宿の中庭で、上半身を裸て、その業物を振る青髪に無精髭の男の所作は見事なものだった。

 

 天啓が降りた。一眼で自分にこそ相応しい刀だと確信した。

 

 エルヤーの視線の先で青髪の男が凄まじい刀を装飾過多な鞘に納刀し、振り向いた。そして歩み寄ってきた。

 

「……何か用か?」

 

 男の視線がエルヤーの爪先から頭頂まで一舐めした……そして薄く笑う。予想よりも愛嬌があった。もっと偏屈な奴かと思ったが、案外話になるのかもしれない。

 

「素晴らしい業物ですね」

「ああ、確かにな」

「どこで手に入れたのですか?」

 

 エルヤーの問いに青髪の男は首を捻った。

 

「……もらい物だが……くれた奴が何処で手に入れたかまでは知らんな」

「もらい物……」

 

 刀は決して安いものではない……まして青髪の刀は……エルヤーには流通価格の予想すら出来なかった。冗談か、と思ったが青髪の男の口調も表情も至って真面目……単なる事実を話しているようにしか思えなかった。

 

「その業物をくれたのですか?」

 

 別に疑っているわけでもないのに問い返してしまった。

 

「気前の良い奴であるのは間違いないな……代価は必要だが」

「代価……もらい物なのに、ですか?」

「金じゃないからな……」

「ちなみに……」

「いや、それは言えない……お前も下手に興味は持たない方が身の為だ。俺にとっては大した代価じゃないが、お前というか……大半の者には厳しい条件には違いない」

 

 思わせぶりな言葉だった……青髪の男にその気は無いのだろうが、エルヤーの興味は募る一方だった。もう止められない。どうしても秘密が知りたくなってしまった。元々我慢するのは性分に合わない。

 

 エルヤーの視線が青髪の視線と絡まった。

 青髪はニヤリと笑った。

 

「どうだ……やるか?」

 

 青髪の男は厩の脇に置いた雑嚢まで戻り、その脇に立て掛けてあった木剣を2本手に取り、1本を差し出した。

 

「……私と剣の腕比べですか……失礼ですが、私がエルヤー・ウズルスと知っての挑戦でしょうか?」

「エルヤー・ウズルス……? 帝国では有名なのか。俺は王国の片田舎にいたからな……悪いが知らん」

 

 淡々と事実を述べているだろう青髪の男の言葉に、エルヤーは内心苛立ったが、ここで感情任せに衝突しても利が無い程度のことは理解できた。何としても青髪の男に業物をくれた者と知り合いたい……もしくは目の前の業物を奪うにはどうするべきか……?

 

「王国最強……ガセフ・ストロノーフならば御存知か? 私はかの御仁に匹敵する剣の天才と評されています」

「ストロノーフに匹敵する……か? ならば、やらない手は無いないな」

 

 青髪の男はエルヤー評を知り、むしろ乗り気になったようだ。加えて言うのならば、ガセフ・ストロノーフを知っているような口振りだった。そして自信過剰なのか、臆する風もない。

 エルヤーはぐいっと差し出された木剣を手拍子で受け取ってしまった。

 

「さあ、やろうぜ……天才」

「いいでしょう……ですが、一本勝負で私が勝ったら、その業物をポンとくれた御仁を紹介願います」

「……勝てたらな」

「了承された、と思うとしましょう」

 

 青髪の男が構える。木剣を抜刀前の刀と見立てたか、左腰に当てるような奇妙な構えだった。

 対してエルヤーは正眼に構えた。

 

「来いよ」

「遠慮なく」

 

 武技は使わない……それで圧倒してやる。

 

 エルヤーがそう考えた瞬間、青髪の男も構えを正眼に戻した。

 

「……なるほど、武技は無しか……いいだろう」

 

 トンっと青髪が軽く踏み込んだ。次の瞬間、青髪の顔が顔面スレスレに迫っていた。今にも接吻せんばかりの距離で剣を振る間が無い。青髪はニヤリと笑い、スッとバックステップで引いた。

 

「いや、真似事だと距離の感覚が掴めんな」

 

 バカな……私が反応できなかっただと……あれは『縮地改』と同じような武技ではないのか? いずれにせよ……少し考えを改めるべきだ。どうやら、青髪はとてもナメて勝てるような相手ではない。

 

 エルヤーは認識を改め、青髪を見た。

 

「……真似事ですか……やはり貴方は私を知っているのでは?」

「ハッ……お前も同じような技を使うのか? 俺のは知り合いの技だ。そいつのは俺より圧倒的に速く、さらに2段、加速するぞ。そいつに倣って、密かに踏み込みを鍛えているのだかな……どうにも本人を前にやるのは、恥ずかしさで気が引けて、な」

「……で、私で試した、と……」

「まあ、何事も鍛錬だ。お前が武技を使わないならば、俺も使わない」

「……何故……どうやって私の考えを知ったのですか?」

「なんとなく……だな。お前が武技を使わずに俺を圧倒するつもりだなんだ、と伝わった。最近、対峙すると相手の強さだけでなく、思惑が伝わるようになった……剣と向き合い続けた結果なのか……妙な病か……俺にも判らん」

 

 冗談なのか……しかし青髪は至極真面目な顔で答えていた。

 

「では、貴方のその……超感覚のようなものでは、私のどの程度の強さなのですか?」

「……惜しい……かな? 今の俺よりも強くなれる才能は持っているが、まだまだ道半ばだ、と言った感じだが……つまり現状では俺に届かない、ってことだ」

 

 侮辱……エルヤーのプライドを刺激するには充分な言葉だった。元々我慢が効くわけではないが、特に剣の優劣については許せない。

 

「……この私が弱い、と……」

「そうだ……少し前の俺ならば互角か、やや俺の優勢程度だが、今の俺には到底届かない」

「……言いますね」

「納得し難いか……ならば、お互いに全力を出せる場でやらないか?」

「全力を出せる場……?」

「ああ、俺は名高い帝都の闘技場に出場する為に遥々王国から来たんだ。そこで納得する形でやろうじゃないか?」

「観衆の見守る中……いいでしょう」

 

 むしろエルヤーの望むところだった。貶められたプライドを再び満たすには必要な作業だ。

 

「先刻の紹介の約束……あれも継続して下さい。そうであれば腕の一本程度で許してあげましょう」

「ああ……では、1週間後でどうだ? それぐらいの余裕があれば、俺の仲間が興行主に話を通すだろう。お前も鍛え直せる」

「その余裕……後悔させてあげましょう」

「おう、楽しみにしているぞ」

 

 青髪が拳を突き出した。

 ガラではないが、エルヤーも拳を突き合わせた。

 

 ただ凄まじい刀を見かけただけなのだ……それが奇妙な展開で、しばらく離れていた闘技場に舞い戻ることになり……妙にハメられたような気分になっていた。

 

 エルヤーは怯えた目を向けるエルフ達に忌々しさを感じながら、連絡先を教え損ねたことに気付いたが、あの青髪が「エルヤー・ウズルス」の名を訪ね歩く度に自身の奢りに気付くだろうと、笑った。

 

 歩み去る『天武』の背が曲がり角で見えなくなるまで見送り終えると、ブレインは宿屋の二階の窓を見た。

 暢気に手を振るゼブルの姿が見えた。

 

「ったく、ガラにもない台詞ばかり言わせやがって……」

 

 毒を吐きながらも、ブレインはそれなりに強い対戦相手を得た充実感で、笑顔になっている自分の顔に気付き、久々に大声で笑った。




お読みいただきありがとうございます。


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10話 帝都の狂った人々

感想を頂いた方ありがとうございます。評価や指摘を含めて励みになります。遅筆かつ不規則生活なので、とにかく先に進める事を優先しています。色々と後回しですみません。


 帝都アーウィンタールの帝城の最奥……鮮血帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは腹心であり、親同然の教師であり、主席宮廷魔術師であるフールーダ・パラダインの長い白髭を眺めていた。

 特に暇というわけでない。むしろ暇な時間など即位してから一度として味わったこともない。後宮で寵姫と交わる時すら仕事なのだ。

 今はただ興奮の向こう側からフールーダが戻って来るのをひたすら待っているのだ。

 

 デスナイト……魔法省の地下の最奥に、一体だけ厳重に秘匿される国家の存続を揺るがしかねないアンデッドの名称だと説明された。その帝国軍の一軍と対峙しても壊滅的な被害が予想される化け物の中の化け物を討伐したと申告したワーカーチームの存在が確認されたのが事の発端だった。

 

 『フォーサイト』というそのワーカーチームの情報があらゆる方面から集められ、精査された。ワーカーにありがちな犯罪者スレスレの集団というわけでもなく、各所の評判も腕も良い。純粋に金の為に集まったチームだった。特筆すべき点はフールーダが目を掛けていた、かつての帝国魔法学院生が在籍している程度で、他に見るべき点は無い。

 当然の帰結として「本当に彼等がデスナイトを討伐したのか?」という疑問に辿り着いた。

 急造の調査チームが結成され、デスナイトの装備を彷彿させるフランベルジュと大楯の残骸を『フォーサイト』が報告した地点で確認した。

 次いで新たな疑問が生じた……『フォーサイト』の戦力でデスナイトを討伐する事は可能なのか、と。

 

 国庫から大量の資金と追加で大量の人員が投入され、『フォーサイト』の戦闘能力を丸裸にする作業が行われた。そして「想定外に難度の低い特異個体であるデスナイトと遭遇したのでない限り、いかなる幸運に恵まれても不可能」という結論に至るまで、1日を要しなかった。

 

 念には念を入れて、実際に彼等の手に余らない程度のアンデッドを帝都近郊に用意した上で、実在の貴族経由での討伐依頼を、かなり割の良い報酬を提示して『フォーサイト』と貴族の家臣を名乗らせた密偵チームに受けさせ、その様子を監視までしたが、情報以上のマジックアイテムや魔法の武器を秘匿している事実は確認できなかった。

 

 つまり新たな結論として「実際にデスナイトを討伐したのは別の誰かとしか考えられない」となった。

 

 当然の疑問が生じた……「では、誰が討伐したのか?」と。

 

 カッツェ平野でのアンデッド討伐依頼を受けてからの『フォーサイト』の全行動が洗われた。それはもう徹底的に……偏執的に……

 

 そこで浮かび上がったのが王国のエ・ランテル所属である銅級冒険者の存在である……が、銅級だった。あくまでも念の為、彼等の存在を調査することになった程度の扱いだった。『フォーサイト』のリーダーであるヘッケラン・ターマイトはかなり顔か広く、カッツェ平野への旅程でかなりの数のワーカーチームや冒険者チームと顔を合わせていた。その全ての構成員の一人一人を丹念に調査したのである。作業の都合上、無名の銅級冒険者チームは最も優先順位が低く設定されてしまったのは仕方ないと言えるだろう。

 

 一般的には信用されていないメッセージまで駆使され、次々と候補者は丸裸にされた。優先順位最下位の銅級冒険者チームに至るまであっという間だった。彼等が違えば調査はリスタートとなる。

 

 結果として、ほぼ全てが不明だった。

 即ち「違う」と断定出来なかったのである。

 銅級冒険者チームは帝国に入国した痕跡が無かった。

 リーダーはゼブルと名乗っている。他にティーヌという女戦士とジットという魔法詠唱者の3人構成……情報では4人組とあったが、どうやらブレインという剣士は冒険者でないらしい。

 確実に判明した情報はこれぐらいだった。

 そこで一躍脚光を浴びたのがブレインという剣士だ……剣士でブレインと言えばブレイン・アングラウスである。この名は周辺国で戦士職を志す者であれば誰でも思い浮かべる。王国の傭兵団に所属して、いまや年次行事となったカッツェ平野の会戦にも顔を出していたはずだ。

 

 ブレイン・アングラウス……誰もがそのビッグネームに期待した。気が早いことに剣士ブレインがブレイン・アングラウス本人と確認された際にはジルクニフ自らが乗り出し、帝国へのスカウトを打診することまでが確認された。

 

 調査担当達の焦りが生み出した穏やかな暴走の中で、公然と異論を唱えたのがフールーダ・パラダインである。

 

「仮に高名なガゼフ・ストロノーフ戦士長が王国の秘宝を携えて、デスナイト退治に乗り出したとして……もちろん討ち果たすかもしれません……しかし武人と呼ばれる方々が他者に誇るべき実績を譲るものでしょうか?」

 

 発言者本人の影響力もあったが、調査に行き詰まりかけ、ブレイン・アングラウス説に沸き立っていた宮廷内に冷水をぶっ掛けるには十二分な重みを持つ言葉だった。

 

「まあ、俺だったら譲らないね」

 

 帝国四騎士筆頭である『雷光』バウジット・ペシュメルの一言がトドメを刺した。

 

 宮廷内は冷静さを取り戻し、仮定に仮定を積み重ねた妄想のような構想は全て白紙に戻された。

 

 ジルクニフは臣下の働きと冷静さに満足し、結論を急いでいた自身を深く戒めた。

 

 しかし剣士ブレインがデスナイト討伐の真の実行者という線が最も濃厚なのは間違いなく……彼の調査はそのまま進められた。

 次いで名無しの銅級冒険者チームの実態解明……こちらは最悪の場合、不法入国を問い、出頭させても良い。仮に彼等がデスナイトを屠った力の持ち主であれば今後の関係性に問題が生じる為、あくまでも最後の手段であるが……

 

 定められた方針に沿って調査は続行された。

 件の銅級冒険者チームと剣士ブレインの宿は一日中絶え間なく監視された。その行動は完全に追跡され、記録された。『フォーサイト』の面々が最も多かったが、彼等と会った者も調査された。

 その中で剣士ブレインは宿の中庭で淡々と鍛錬に勤しみ、仲間と『フォーサイト』のヘッケラン・ターマイトと宿の主人以外に会話を持った者はワーカーチーム『天武』のエルヤー・ウズルスのみという、監視者が呆れんばかりのストイックさだった。外出も仲間と共に料理店廻りをする程度で、この際も『フォーサイト』が案内していた。しかし成果無しというわけでもなく、剣士ブレインの外見的特徴がほぼブレイン・アングラウスと一致していることも確認された……門外漢に理解出来る程の刀の素晴らしさも考慮すれば、ブレイン実行者説が一層の真実味を得たのである。

 

 一方、銅級冒険者チームの3人は闘技場の興行主の1人であるオスクという男と面会を重ねていた。現武王を擁することで有名な大手の興行主である。

 初の面会ではオスク邸の門の前で、ほぼ門前払い同然の扱いを受けていた。

 翌日はオスク自らが出迎え、周囲に響き渡る程の賛辞を述べていた。

 その翌日にはオスクは門の前で平伏して出迎えた。そしてゼブルという男の許しがあるまで頭を地面に擦り付けていた程の出迎えだった。もはや絶対君主と忠節を尽くす臣下……否、邪な神と狂信者のごとき関係性が出来上がっていたのである。

 

 この報告が上がった途端、宮廷内の注目はブレイン・アングラウスから一気に銅級冒険者チームに移ったのであった。

 

 そして徹底調査が命じられて間も無く、闘技場の興行にひっそりと追加された対戦があった。

 

 「天才」エルヤー・ウズルス対「剣鬼」ブレイン・アングラウス

 

 急遽、挟み込まれたかのようで大した宣伝もなかったが、当日は現武王ゴ・ギンの出場以外大したカードもなかった為、第9試合が発表した瞬間に入場券は即完売の運びとなった。

 

 宮廷内でも大いに注目を集めたが、それ以上に調査関係者の間で注目を集めた試合があった。しかも3試合も……

 

 第1試合……「孤高の魔法詠唱者」ジット対ゴブリン10匹の魔法使用禁止条件試合

 第3試合……「女戦士」ティーヌ対オーガ5匹の防具無し条件試合

 そして第8試合まで変更は無かったが、第9試合の注目の一戦後……

 メイン……現武王ゴ・ギン対「銅級冒険者」ゼブル

 

 まるで負けることを前提としたような組合せ……あまりに不自然だった。興行主に影響力を行使可能な立場のゼブル一党がわざわざ負ける為に仕組んだような対戦だった。ここまで不利を強調されると、内実を知る者はどうしても穿った見方をしてしまう。

 

 ……八百長ではないのか?

 

 しかし武王の名誉を捨ててまで、強さに誇りを持つゴ・ギンが八百長に加担するとは思えない。

 組合せを眺めていた秘書官の1人が呟いた。

 

「これ……オッズはどうなるんでしょう?」

 

 皆が釈然としない何かを感じていたが、勝敗でなく配当率に注目すれば、ゼブル一党の意図は明白だった。つまり全試合で勝つつもりなのだ。そして自らに賭けるつもりなのだろう。加えてエルヤー・ウズルス対ブレイン・アングラウスという話題性のあるカードで客寄せを目論み、相当な大金を突っ込んでも配当率の低下を抑える腹積りだ……

 

 不正ではないが、真っ当とも言えない……そんなギリギリの狙いが透けて見える。

 

 興行主の裁量内から逸脱しない範囲をよく知る必要がある。つまりオスクに対して周囲からは異様に感じられる影響力を行使可能なゼブル一党だからこその不正とも言えない不正。

 

「……良いではないか……お手並み拝見といこう。いずれにせよ、能力の一端程度は見せてくれるだろう?」

 

 この時はまだ甘く見積もっていた……鮮血帝ジルクニフは目の前で完全にイッてしまっているフールーダの醜悪な表情を眺めながら、ひっそりと嘆息するしかなかった。

 

 

 

 

 

**************************

 

 

 

 

 

 ゴブリンの頭を殴る。

 続けざまに2匹のゴブリンの頭が弾け飛ぶ。

 脳漿が飛散し……使い古された表現だが……周辺の地面に赤い花が咲き乱れた。

 

「……これが……儂の……?」

 

 ジットが呆然と呟いた。血に染まる杖を見て……あまりに滑らかに動く身体に戸惑っているのだろう……が、実際は違うわけだ。

 

「いや、いや、いや……違うからね。タイミングは制御中だから」

 

 とりあえず呟いてみたが、ジットに届くわけがない……声を届ける必要もないので。

 俺の使命はこの試合を成立させて、ジットを完勝させることだ。放置しておいても安心して見てはいられるが、高配当を作る為の条件付けは試合を不成立にさせるリスクを伴っていた。だから攻撃のタイミングをジットの肉腫に送ることにしたのだ。

 神器級の防御をゴブリンごときが抜けるわけがない。だからジットが傷付く心配はないのだが、それでは延々と決着がつかない。最悪、膠着状態が続けばドロー扱いになってしまう。低位アンデッドのように連携の無い単純な攻撃ならばジットでも捌けるが、単体では弱いとはいえ、知能が低いなりに考えて連携するゴブリンの攻撃を捌くのは純後衛職にとっては至難の業だ。本来、打撃攻撃向きの杖でないとはいえ、神器級の打撃であればゴブリンなどものの数ではない……但しどんなに強力な攻撃でも当てなくては話にならない。もちろん魔法を使えれば瞬殺だろうが……それでは1対31のオッズは成立しない。俺達の資金が全額投入されなければ1対114のオッズだったのだが。

 

 ジットが杖を振る。

 ゴブリンの頭が吹き飛ぶ。

 さらに杖を振る。

 ゴブリンの顎が無くなり、右の眼窩を杖の先が貫く。

 そのままの勢いで後方にいたゴブリンの腹も貫く。

 

 残りは5匹。

 観客席から悲鳴が上がる。闘技場は落胆の声に包まれた。誰もがジットの敗戦を予想していたのだ……が、あまりに危なげなくジットはゴブリンを攻略し続けていた……観客諸兄も戦闘の趨勢が読めたわけだ。自分達の想像した場面は生まれない、と。ジットが敗れた場合に不足分を補填する興行主と賭博参加者の0.1%にも満たない大穴狙いだけが儲けるのがほぼ確定したのだ、と。

 

 杖が頸部に直撃し、ゴブリンの頭部が落ちた。

 血が噴き上がる。

 そのままの軌道で左にいたゴブリンの右肩を襲う。

 右半身を失ったゴブリンが地に伏した。

 

 残り3匹。

 生き残っているゴブリン達戦意を失ったようだ。

 しかし逃げ場が無い。

 そして逃亡は闘技場と観客席を隔てる壁が許さない。

 捕獲された時点でいずれ死ぬ運命だったのだが……ここで死ぬ事が確定しただけなのだが……恐慌状態の彼等はこの場を逃げることしか考えられなくなってしまったようだ。

 ゴブリン達はジットに背を向けたが、モンスターに人権は無かった。

 試合は止められない。

 そこから逃げられると勘違いしたのか、ゴブリン達は入場門に走った。

 当然、扉は閉ざされていた。 

 なんとかこじ開けようと暴れるゴブリンの1匹に狙いを定め、その後頭部に杖を振り下ろす。

 頭蓋が陥没し、杖は首まで達した。

 

 残り2匹。

 戦意は失せたものの、死に抗おうという気になったのか、2匹は顔を見合わせ、刃の欠けたボロボロの短剣を振り上げ、一斉にジットに襲い掛かった。

 1匹の心臓を杖の尖端が貫く。

 その隙にもう1匹がジットの腰に短剣を突き立てたが……ボロボロの短剣は折れた。

 絶望……絶叫……命乞い。

 平伏すゴブリンの後頭部を杖が貫く。

 

 ジットの勝利が確定した。

 

 勝ち名乗りを受け、ジットは悠々と手を振る。

 あまりに一方的な展開だった為に疎だった拍手が、徐々に大波となり、観客席を埋め尽くした。

 

 賭けも重要だが、闘技場の本来の目的は強者の闘いを見ることにある。本職は魔法詠唱者なのに、杖術で10体のゴブリンを完封するジット……その限界はどれほどの高みにあるのか……観衆に未知の強さを期待させる。

 

 拍手の大渦はジットが退場してからもしばらく続いた。

 

 

 

 

 

 第一試合の圧倒的な強さの誇示に比べ、第二試合は一進一退ではあったもののレベルそのものが低く、第一試合を目撃した観衆には物足らない結果となった。勝利した剣士も敗退した槍使いもズタボロになっていた。

 

 そして第三試合……ティーヌの登場で観客席は異様な雰囲気に包まれた。

 

 まあ、主な原因はマントを投げ捨てたティーヌの格好にあるのだが……

 

 オーガ5匹相手に防具無し……つまり一撃入れば試合終了の条件だ。

 闘技場の中心に現れたのは黒いマントを纏った銀髪の美女。

 競技者の紹介の後、ティーヌはマントを脱ぎ捨てた。

 

 そこには白い紐ビキニを着たティーヌがいた。手にする武器は俺と会う前に愛用していたスティレットが二本……剣帯も無いので、抜身で手にしている。

 

 圧倒的多数を占める男性客の興奮した声援と僅かな女性客の悲鳴の中、ティーヌはヘラヘラと笑いながら、ユグドラシルのジョークアイテムである純白紐ビキニ(物理防御力0魔法防御力0)で観衆にスティレットごと手を振り返していた。

 

 ……すげぇ、喜んでるし……完全に露出狂の変態だ。

 

「……想像以上に破壊力があるな」

 

 あのジョークアイテムで特殊な性癖を満たす……新たな使用法に感心するしかなかった。500円ガチャのハズレの中でも、ほとんど異形種プレイヤーしか知り合いがいなかったせいでメチャクチャ使い道が無かったヤツだ。PKが横行する中で、たとえ悪ノリでもあんなモノを装備するプレイヤーはいなかった……いや、唯一の例外は『えんじょい子』さんぐらいだが……ダブりを欲しがったのでプレゼントしたら、堕天使の黒肌に白ビキニで約24時間ぐらいはご満悦だった記憶はある。彼女の場合は元々物理防御は完全に捨ててたから、ぐらいに考えていたが、今こうして本物の変態性癖を見せつけられると、ちょっとティーヌと同系統の趣味だったのかもしれない……と疑ってしまう。

 俺にしても課金してなきゃ、とっくに捨てていただろう。単なるドロップアイテムだったら、鑑定後に売る気すら起きない。

 

「彼奴は……性格だけでなく、性癖も歪んでおったか……」

 

 ジットが何を今更な事を呟いた。

 

 ……他人を拷問して、イッちゃうようなヤツですよ。

 

「既にジットの完封試合は忘れられたな……」

 

 ブレインが刀の手入れをしながら、ボソリと言った。

 

 ……ごもっともでございます。

 

 結果として、顔見せが終わった時には配当率が想定外に下がるという副次効果をもたらしたのは痛かった。俺達が総資金を31倍にして、再度全額突っ込んだせいもあるが、顔見せの段階でティーヌ人気がマニアックな殿方に爆発したようだ。配当率は1対95が1対19まで下がり、俺がティーヌの勝ちに全額ブチ込んだ時には1対4まで下がってしまった。それでも元金の124倍になるのだから文句は言えない……が、ティーヌにあの紐ビキニを貸し与えなければ、との後悔が消えるわけではない。

 

 悔やむ間にも容赦なく試合は始まった。

 そして容赦のない殺戮ショーは瞬く間に欲望を煽っていた女を恐怖の象徴へと変えた。

 

「アハハッー!」

 

 理屈もない……正気もない……躊躇もない。

 5体の内、1体のオーガが徹底的に狙われていた。開始直後から右膝を潰されて、直立出来なくされていた。次々と増える刺突痕……しかしどれも致命傷になっていない。つまり生かし、痛ぶっていた。嬲っていた。笑っていた。

 残りの4体は巨大な棍棒を振る。ティーヌを狙って振る。結果的に倒れている仲間のオーガに当たろうとも、致命傷にならなければ良い程度に考えているのか、容赦なく振り続けた。

 しかし当たらない。擦りもしない。棍棒の大質量が擦れば終わるのに、このほぼ全裸の人間の女は全ての攻撃をギリギリ避けていた。

 果てしなく遠い1ミリ。

 四方向からの同時攻撃をやはりギリギリの距離で躱す。

 フルスイングも躱す。

 当てる事を意識した最小の動きの一撃も躱す。

 全ての攻撃をギリギリ躱し続けた……そして人間の表情は読めないが、この女の場合は違った。笑っている。亀裂のような口で、三日月のような目で。

 

 余裕なのか……ティーヌは攻撃を続けるオーガ達を無視して、ひたすら地面に仰臥するオーガにスティレットを突き刺す。そのオーガの四肢は穴だらけだ。もはや刺す場所すら見当たらない。だから脇腹、そして肩口に下腹部とさらに凄惨な光景が広がる。オーガが怒りに叫び、恐怖に泣いた。

 

「うーん、人間と比べると、なーんかイマイチなんだよねー」

 

 台詞とは裏腹にティーヌの表情は歓喜に満ちていた。

 

 同時に無事なオーガ達に異変が生じていた。

 最初、それは僅かな変化だった……無力感……モンスターが感じるのかは不明だが、棍棒の振りが鈍り始めた。それとも諦めなのか……

 ティーヌが1体だけに絞った攻撃対象のオーガだけが動かない身体で必死に抗っていた。

 そのオーガを足蹴にし、ほぼ全裸のティーヌが宙を舞う。

 

「……なんか、つまんないよ、お前ら……」

 

 無事な4体の内の1体……向かって1番左のオーガの左右の眼窩を2本のスティレットが貫き、脳を損傷したソイツはそのまま崩れた。

 

「ほら、もっと必死になんないとコイツみたいに死んじゃうぞー」

 

 笑い、飛んだ。

 2本の棍棒をかい潜り、抜けたところを襲った棍棒の持ち主は左右から襲うスティレットに耳を貫かれ、大量の血液を噴出しながら崩れ落ちた。

 

 ティーヌが笑う。

 根本的な彼女の違和感に大観衆が気付き始めた。3体のモンスターが大量にブチ撒けた血の一滴すら、ティーヌに触れることが叶わないのだ。鍛え上げられたティーヌの美しい肢体は、この凄惨な闘争が開始される前の美しさを維持しているのだ。

 歓声と拍手の意味合いが徐々に変化していた。

 驚きと期待。

 性的な興奮と健闘への称賛。

 技術とスピードへの絶賛。

 そこに少しづつ未知へのふわっとした恐怖が混ざり始めた。

 何かとんでもないことが目の前で展開しているのだ。

 美しさが性的なものから異質なものへと変質していた。

 気付いたら、そこに死神がいたのだ。

 

 観衆が感じ始めたぐらいだ……オーガ達はとっくに自分達の処刑人が見た目と違う、もっと恐ろしいナニかだと気付いていた。ほぼ全裸のソレは見た目通りの人間の女ではなく、1ミリの距離を数メートル先にも感じさせる圧倒的なバケモノだ。人間よりもはるかに本能に忠実なモンスターに僅かながらも生存を諦めさせるような未知の生き物だった。

 

 そして俺も装備によるバフ無しのティーヌが、初めて会った時よりもほんの僅かながらも成長したことに満足しつつも、あれだけ頑張っても10レベルに届かない程度の成長しか得られないことに……道程の先が果てしなく長いことに気付かされ、少し気を引き締めた。この世界の人間では圧倒的な強者となったティーヌだが、所詮は人間なのだ。この世界風に言えば「英雄級」だか「逸脱者」だかではあるのだろうけど、所詮は単なる人間種なのだ。ドラゴンロードでもなければ、『神人』でもない。まして100レベルのフル神器級プレイヤーの相手には程遠い。現実にフルで神器級を揃えたプレイヤーはかなり少数だったが、それでも1点ぐらい神器級を持つ者はそれなりに多かったし、伝説級で身を固めるプレイヤーは珍しくもなかった。

 

 それにしても人間種にレベルキャップでもあるのか? この世界では経験値が得難いのか?

 

 確かに全般的に低レベルではある。しかしゲームではないのだから、低レベルが圧倒的多数を占めるのはおかしなことではない。で、ある以上高レベルが少ないのも理解出来る。しかし鍛えてもレベル的な成長が厳しいのは……ユグドラシルの設定が現実になかり反映されているのにレベルに関してだけは厳しいのか……俺のゲーム脳が苛立っていた。

 とにかく低レベルなのにレベルが伸びにくい事実が、俺の目的の前にそびえ立っていた。とにかく把握できていない部分は実験を繰り返さなくてはならない。人間の駒はどんどんレベリングを試せば良いのだが……こうなっては『八本指』を表の存在へ転換する際に、どうせ表に出せない存在だからと始末してしまった、『不死王』デイバーノックの処分は愚策……完全に早計だったと悔やまれた。

 とにかく亜人種や異形種に加えてモンスターの配下も増やさないと、全体の傾向が掴めない。手っ取り早い方法はあるのだが……

 

 眷属だらけの世界を想像して、ちょっとゲンナリした。流石にその未来図には耐えられない。

 

 人間だけでなく、知恵と理性を持つのならば、亜人種も異形種もモンスターも配下に加えるべきだ、と新たに方針を固めながら、ティーヌの試合……嬲り殺しに再度注目した。

 

 ティーヌの胴体を狙い時間差で棍棒が交差した。

 もはやオーガ達を突き動かすのは種の優越でも生への渇望でもなく、死に対する拒絶だった。連携は怪しくなり、全攻撃がフルスイングになっていた。

 フルスイングを軽くかい潜り、ティーヌは健在なオーガの両肩の上に立つ。もう1体の棍棒がそこを襲うが、ティーヌは飛翔し、棍棒は仲間の頭部を破壊した。仲間を即死させたオーガは驚愕する間もなく、左の眼窩と右の耳にスティレットを突き入れられ、夥しい鮮血を噴き上げながらしばらく暴れ回っていたが、やがて糸が切れた操り人形のように地に崩れた。

 

「勝者……ティー……」

 

 ティーヌはバック宙の要領で宙を舞うと、そのまま最後まで息のあった穴だらけのオーガの頭部に着地し、頭蓋を砕いてトドメを刺した。

 

「……ヌ!」

 

 ティーヌの勝ち名乗りと同時に大観衆に手を振ったが、彼女に送られたのは試合開始前とは全く別種の歓声と拍手だった。

 

 

 

 

 

**************************

 

 

 

 

 

 ジットの完封試合もティーヌの虐殺ショーも全ては余興。本日に限れば、見る前から勝敗の決しているメインも、現武王ゴ・ギンの熱烈なファンでもないかぎり大した注目を集めていない。

 

 「天才」エルヤー・ウズルス対「剣鬼」ブレイン・アングラウス

 

 満員に埋め尽くされた観衆のほぼ全てがこの試合を観戦に来たのだ。

 さらに……

 

「この大試合から、エル=ニクス皇帝陛下もご観戦です。皆様、上にある貴賓室をご覧ください!」

 

 観衆に応える鮮血帝と彼の近習に加え、最側近であるフールーダ・パラダインの姿までが見えた。近習の中にも出会った時のジット程度のレベルに感じる者が2人いた。残りは有象無象だ。

 

「あれが皇帝……にバケモノマジックキャスターか……」

 

 一眼でそれと判る、いわゆる絵に描いたような美男子というか貴公子……しかも俺のような無個性のアバターじゃないから存在感が凄まじい。カリスマに裏打ちされた自信に満ち溢れた双眸が群としての民衆を睥睨していた。

 皇帝のやや後方に異世界ファンタジー風の魔法詠唱者というには少々派手な格好のジジイがいた。全体的に白っぽいイメージで老身を固めている。しかし残念ながらレベル的には装備無しのティーヌと同じかやや上程度の存在にしか感じられない。

 

 年齢的に伸び代があるのか……? 

 

 現在、第六位階なのだから第八位階を使えるぐらいまで成長させれば、対プレイヤーの盾としてそれなりに使える駒にはなるのだが……支配するには主席宮廷魔術師という立場が厄介だった。流石に国政のど真ん中にいる有力者の中の有力者に過去と齟齬のある言動をとらせるのは拙い。せっかく支配しても即失脚で処刑されては苗床と大差ない。

 

 その派手派手ジジイと目が合った。と言うよりもジジイは最初から俺しか見ていなかった……そう感じた。

 

 なんで……?

 

 特別に目立つ格好はしていない。装備は……まあ、いつもの黒コートだから目立つって言えば目立つ。剣はブレインのお下がりの屑刀だ。残りは装備にカウントされない(はず?)防御力0のズボンにシャツにサンダル。アクセサリーの類も一切装備していない……つまり目立つのはいつも通りコートだけで、相対的に俺の印象は極めて薄いはずなんだが……

 まあ、改めて冷静に考えればブレインの『斬魂刀』に目を奪われていない以上、装備に目を奪われているわけではなさそうだ。

 そして再度目が合った。

 派手ジジイは薄気味悪い笑顔を見せ、何やら大声で叫び始めた。

 呆れ顔になり、背後を向いた皇帝陛下が嗜めている……のか?

 その直後、突然ジジイが暴れ出して、皇帝陛下を除く近習全員で取り押さえ始めた。大混乱に陥った貴賓席から……それは恥晒しな狂乱の怒声が大観衆に埋め尽くされた観客席に撒き散らされていた。

 

 …………何が何やら……?

 

 視線を闘技場に戻すと対戦者2人は既に入場を終え、それぞれの立ち位置に立っていた。

 普通にやればブレインが負けるはずはない。相変わらずのぼんやりとした強さの把握だか、今回は確信できた。ブレインはフル装備だ。装備込みならばレベルにして10をはるかに越えた開きがある……感じがする。つまり同条件下の一対一ではひっくり返しようのない差だ。楽しむか……終わらせるか……全てはブレイン次第だ。

 介入する気はない。

 実はエルヤー・ウズルスも肉腫が寄生済みだったりする。彼に自覚は無いだろうし、実際に服従を強要しているわけではない。

 しかし今のエルヤーと同じ状態だった頃の『フォーサイト』メンバーの話によれば、彼は屑の中の屑だ。たとえ死んでも誰も誰も悲しまない。仲間のエルフ達すら歓喜に染まる……いや、彼女達が誰よりも喜ぶ……と念入りにイミーナが教えてくれた。つまり存在が消え去っても問題ない。むしろ消え去った方が世の為だ。もちろんエルヤーの奴隷というか性奴隷というかチームメイトのエルフ娘3人衆も遠慮なく頂戴して、こちらは既に転向させていた。餌はエルヤー自身だ。現時点ではエルヤーの方が役立ちそうだが、将来的に逆転するならばエルヤーを彼女達にくれてやっても良い……彼女達の未来は人間よりも長いから。

 

 まあ、肉腫が寄生しているのはエルヤー・ウズルスの『天武』に限った話じゃないんだけどね。

 

 ワーカーと言う存在自体が俺にとって非常に都合が良い存在だった。ワーカーとはいつ死んでもおかしくない生業であり、素性のよろしくない連中の吹き溜りだった。一般人には冒険者でも似たような認識なのに、組合というバックの無いワーカーは半ば裏社会の住人と言っても過言ではないのだ。加えて彼等自身の個々の行状に関係なく、富裕層や貴族階級に依頼者として以外にもそれなりに食い込んでいるのもありがたかった。そして自身とチームの安全確保の為にそれぞれ情報網を持ち、情報の重要性をよく理解していた。

 この各チーム毎に独立した情報網やワーカー個人の人脈が俺が帝都に食い込むのに、この上なく有益だった。しかも情報網自体が喪失しても誰も問題にしないのが良い。ワーカー達の人脈に至っては、相手方が対等と見做していないのが更に良い。依頼以外では誰も彼等を必要としないのだ。つまり相互の情報交換か必要とされていないのだ。俺が奪ったところで齟齬の生じる可能性など皆無だ。

 

 闘技場の興行主の中では最大手の一角であるオスクもワーカー人脈から辿り着いたものだった。彼の場合は有力者といっても所詮は商売人であり、言動が影響を与える範囲は極めて限定的だった。丸1日かけて無意識のオスクに告白させたのだが、問題が生じても影響は低いと判断できた。その場で即支配を完了させ、闘技場のマッチメイクは俺達の思いのままになった。

 ついでに屋敷にいた「首狩り兎」という呼称のラビットマンの傭兵兼暗殺者にも肉腫を寄生させた。この世界ではそれなりに強い部類の亜人種らしく、今は装備を与えて鍛錬させている。

 

 現在『フォーサイト』のメンバーに「首狩り兎」と耳の欠損部分を治癒させた『天武』のエルフ娘3人衆を加えた急造チームに、第二世代の眷属2匹を護衛につけて、カッツェ平野で強化合宿中だ。準備資金は金持ちのオスクに出させて、装備はそれぞれ神器級を1点づつ与えた。

 

 冷静に考えるまでもなく、現在の俺達には闘技場に出場する必要性はない。

 

 『八本指』を支配してから、資金は極めて潤沢なのだ。帝都でもオスクを中心に興行主達を支配するつもりだ。全部抑えてしまえば、資金の問題とは別に、強者を集めるのに非常に役立つだろう。闘技場の興行主という生業は恒常的に他国や他種族の強者の情報を集めるのも仕事の一環なのだ。『八本指』と貿易させる商人に接触する際にも都合が良い隠蓑になる。結果として、興行主の支配の方が主目的に成り代わっていたりするのだ。

 つまり現在の俺にとって闘技場出場は単なるケジメだった。

 この世界で最初の目標を果たす為だけに出場する。

 ブレインは言葉通りに同調してくれた。

 ジットはジット自身が勝手に思い描いた「俺の深遠なる策謀」とやらの一環と思い込んでいた。

 ティーヌに至ってはもっとシンプルで「理由はどーでもいいから、とにかく一生ついて行く」だった。

 こうやって改めて並べてみるとスレイン法国人はヤバめだ。

 

 まあ、それはそれとして……

 

 帝都に到着してから、それはもう遠慮なく美味い料理店廻りのついでに顔の広い『フォーサイト』のヘッケランが紹介してくれたワーカー全員の脳に片っ端から肉腫を寄生させたのだ。お陰で情報も人脈も資金も容易く獲得出来るようになった。ヘッケランには感謝している。

 

 そして集まった有象無象の情報の中でも一際評価が高いのに、格別に評判が悪いのがエルヤー・ウズルス率いる『天武』だった……というかエルヤー・ウズルス本人だ。

 剣の腕は「天才」の看板に偽り無し。

 しかし色々な意味で救えない男……人格は最悪だ。周囲からも仲間からもヘイトを集めまくっていた。チームワークもクソもない。なにしろチームメイトからの憎悪が最も激しいのだ。

 

 自ら無自覚に生み出した無数の憎悪を積み上げた山の頂上に、刀一本で挑む巨大なクソ……それこそがエルヤー・ウズルスという男だった。

 

 まあ、だからこそなのだ。

 だからこそ俺の配下に相応しい。

 人生がソロプレイなのだろう。

 強さに貪欲なのも良い。

 だからブレインには命じてある。

 絶対に殺すな、と。




お読みいただきありがとうございます。


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11話 悩む理由は人それぞれ

感想を頂いた方、ありがとうございます。励みになります。
年末になり、仕事もかなり多忙かつ不規則になりますが、少しでも早く更新できるように頑張ります。



 衆目の中、無様にも尻餅を着いた。

 これで3度目……

 

 大観衆の期待は裏切られた。 

 武技の応酬にもならず、剣技の競い合いにもならない。

 ただただ圧倒的な差を感じていた。

 確かに互いの装備には圧倒的な差があった。

 初めて膝を着いた時、それを心中で言い訳にした。

 しかし満員の大観衆には通用しなかった。

 

 場内を埋め尽くす失望。

 

 エルヤーは失望されることに慣れていなかった。

 見下すことは日常。

 恨まれることも数知れず。

 周囲の有象無象よりも圧倒的に優れたエルヤーであれば仕方のないことだと思い込んでいた。

 強者の特権。

 肉体的能力差はともかく、技量では現武王ゴ・ギンに勝っている。

 周辺国最強の戦士と万人に評価されるガゼフ・ストロノーフ……その評価にはエルヤー・ウズルスを除く、と条件付けが隠されている事実を知っていた。

 剣の技量に劣る武王など、どうでも良い。

 エルヤーの確信と周囲の評価を同一にすべく、実績を示す機会を狙っていたのだが、王国で宮仕えのガゼフ・ストロノーフと一対一で直接戦う機会などそうそう転がっているものではない……が、評価を覆せる機会が思わぬ形で転がり込んできたのだ。

 実際にガゼフ・ストロノーフとほぼ互角の戦いを繰り広げたブレイン・アングラウスと一対一で、しかも大観衆の見守る中で戦う機会が舞い込んできた。直接対決とはいかないとはいえ、エルヤーの力を示す良い機会……ほぼ望み通りだった。あの安宿でひたすら凄まじい刀を振っていた男がブレイン・アングラウス本人だったと言う。加えて個人的な因縁もあり、勝てば特典まであった……実のところ、あの男の正体がブレイン・アングラウスである時点で特典などはどうでも良くなったのだが……紹介してもらえるものは、もらえば良いのだ。

 

 勝つ……ただ勝つのでなく、圧勝でなくてはならない。

 

 この対戦の意味はそこにこそあるのだ。

 ブレイン・アングラウスに圧勝すれば、エルヤー・ウズルスの勇名は天下に響き渡るだろう。ガゼフ・ストロノーフの評価を超え、周辺国最強の戦士とはエルヤー・ウズルスの称号となるはずだった……

 

 だが予定は予定であり、現実はエルヤーに厳しかった。

 ブレイン・アングラウスが、跪き、肩で息をするエルヤーを飄々と眺めていた。時折浮かべる薄笑いは余裕の表情か……相手を侮る嘲笑でなく、自身の技の出来を確かめ、満足するような表情だ……と感じた。いずれにしてもブレイン・アングラウスの相手はエルヤーでなく、自分自身であることは間違いなかった。眼中に無い、というやつだ。

 

 再度立ち上がったエルヤーは歯噛みし、周囲を確認した。

 何かが足りない……そう感じた。

 いつもある何か……戦闘時に使う? 頼る? 

 所持品なのか……何なのか……エルヤーは疑念を感じつつ、己が唯一頼る神刀を構え直した。

 

 そうだ……この神刀以外に仲間などいない。

 

 仲間……?

 

 ワーカーチーム『天武』とはエルヤー・ウズルスだ。

 

 ワーカーチーム……チーム?

 

 エルヤーは酷く混乱した。チームとは何だ……『天武』とはエルヤー・ウズルスを指す。なのにチームとは何なのだ。

 この違和感の原因なのか?

 表現しようがない苛立ちがエルヤーの頭蓋の内で膨らみ始めていた。

 喪失感……焦燥感……認めたくはないが、敗北感……

 

 まだ試合は終わっていない。終わっていない以上、負けてはいない。

 

 だから……前を見た。

 ブレイン・アングラウスは本気を出していない……その証拠に彼の額に汗の一滴すら浮いていない。つまり全く集中していない。

 自身の洞察力は常人の域を遥かに超え、数多の戦士達の中でも優れているはずだ。自身の放った武技『空斬』を見切り、武技『縮地改』の最中にも敵の動きを視認しているのだから……しかし、そのエルヤーの目でもブレイン・アングラウスの観察が難しい。どうしても続かない。

 ブレイン・アングラウスが持つ至高の刀……この窮状でもエルヤーの視線を奪い続ける刀身が、魔性の美しい輝きを放射しているのだ。決して陽光を反射しているのではない。それは自身を誇っていた。見せつけ、魅了せんとしていた。エルヤーの網膜は意思と裏腹に刀身を追いかけてしまう。

 

「……さて、まだやるか?」

 

 余裕というのと違う……無感情な響きが声音から感じられた。

 ブレイン・アングラウスは既に興味を無くしているのだ……エルヤーの底を見切った……落ち着き払った視線が雄弁に語っていた。新たな何かを見せないかぎり、試合開始直後の眼光には戻らないだろう。

 『能力超向上』まで使い、攻防一体の『縮地改』で翻弄し、『空斬』を乱れ撃つ……既に攻略されたエルヤーの黄金パターンを超えるもの……それを見せなければならない。

 悔しいが……悔しいが認めざる得ない。

 ブレイン・アングラウスは強い。

 エルヤー・ウズルスよりも強い。

 つまりガゼフ・ストロノーフも強いのだろう。

 だが……エルヤー・ウズルスも強いのだ……たとえ及ばなくとも、それをブレイン・アングラウスに認めさせなくては、剣士の自負が許さない。

 しかしこれまでの戦闘で実力差は明白だった。いかに自信過剰なエルヤーでも剣に関しては冷静な分析が……少しは出来る。装備品の差……素の力量はこの試合で示されたものほど差は無いはずだ。

 

「……私に……私にその刀が……」

「……そうか、確かに装備の差もあるな……納得できないのか?」

「出来るわけがありませんね」

 

 ブレイン・アングラウスが面白そうな顔を見せた。瞳の奥の輝きが変わり、エルヤーの言い訳がましい本音を真剣に考慮していた。

 沈黙。

 ブレイン・アングラウスは周囲を見回した。

 そして入場門に歩み寄り、門の開閉を担当する係に何やら話しかけた。

 1分も経たず、門の上から刀の鞘が差し出された……丁寧に手入れされているものの、使い込まれた古い鞘だ。それとあの凄まじい刀を交換する。

 

「さて、始めようか? お前の望み通り、刀の格を落とした……もっと面白いものを見せてくれ」

 

 ナメられた……いや、狂気の沙汰だ。闘技場で求められるのは技の競い合いだ。戦場のような命の潰し合いではない。とはいえ、刀による殺傷は十二分に考えられる。エルヤー自身、過去の出場の際に殺してしまった経験は一度や二度ではない。勝てる時には勝利を確定させるべきなのだ。

 ……が、ブレイン・アングラウスはそうしない。

 普段の自分であれば激昂しただろう。しかし今感じているのは寒さだ。初めてブレイン・アングラウスの本質を見た気がした。人としての本質が狂っているのだ……エルヤーとの決定的な相違と言っても良い。

 エルヤーにとって強さとは誇るものだ。強さが全てだ。強者が弱者を蹂躙すべきなのだ。全てが許される免罪符……だから強さを求める。つまりエルヤーが権力者の家系に生を受けたのならば、ここまで剣の才能は開花しなかったはずだ。

 対してブレイン・アングラウスとは強さを求める者だ。強さが全てなのは一緒だが、誇らない……そして永遠に満足しない。強さの頂に立っても、さらに石を積み上げる。狭い足場が崩れ落ちて、転落死するまで続ける。はっきり言ってしまえば狂人の類だ。求道者と言えば求道者だが、完全に常軌を逸している。自身の生命の重さがとにかく軽いのだ。

 つまりエルヤーにとっての手段が、ブレイン・アングラウスにとっての目的なのである。狂気すら内包する求道者と、現在の自分に優越を感じていた者の決定的な差だった。

 

 ……怖い。

 

 これまでの人生の数多の生命の削り合いの中で、初めてそう感じた。その感情を握り潰し、エルヤーは構えた。

 ブレイン・アングラウスは抜かず、奇妙な体勢に構えた。

 

「武技『縮地改』!」

 

 翻弄し、遠距離から削る……基本的な攻めは変わらない。いや、変えられなかった。迂闊にもブレイン・アングラウスという人間の奥底の暗い輝きを覗き見てしまったのだ……そこから感じた漠とした恐怖が、絶対的に自信を持つパターン以外を選択させてくれなかった。

 しかし工夫は必要だ。

 だから遠距離からの攻撃はオトリ……いや、盾だ。

 

「武技『能力向上』……『能力超向上』!」

 

 加速する……さらに加速する。

 ブレイン・アングラウスは動かない。

 

「武技『空斬』……『空斬』『空斬』!」

 

 『能力超向上』を使用したままの『空斬』の三連撃……エルヤーの体力をかなり削るが、もはや全行動に『能力超向上』は欠かせない。これまで以上の能力を見せるには体力を削らなくては話にならない。つまり戦闘継続能力は著しく短くなるのだが、それは覚悟の上だ。

 

「武技『縮地改』!」

 

 三つの『空斬』を盾にブレイン・アングラウスの懐に飛び込む。おそらくなんらかの武技なのだろうが、これまでのところブレイン・アングラウスに全ての攻撃は捌かれていた。

 単発の『空斬』では単純に見切られる。

 工夫の無い『縮地改』による飛び込みも捌かれていた。

 

 ……ならば能力を最大限に発揮して、力と手数で通すまで……

 

 こんな事は初めてだ。一撃を入れる為だけに、その後を捨てる。この一撃に全てを賭ける……なんと愚かしい戦法だ。だがそうしなければブレイン・アングラウスに届かない。いや、これでも届かないかもしれない。だがこのまま折れるなどエルヤーのプライドが許さない。

 

 眼前に迫るブレイン・アングラウスが目を閉じていた。

 

 ……バカな!

 

 三つの『空斬』の壁を潜り抜け、目を閉じたままブレイン・アングラウスが踏み込んだ……小さく、鋭く……一切のブレが無い、洗練された動きだった。

 

「ナメるなよっ、ブレイン・アングラウス!」

 

 右に踏み込んだブレイン・アングラウスをエルヤーは横薙ぎで追った。

 

 ……神刀!

 

 届く……そう確信した。

 

「秘剣『虎落笛』……」

 

 エルヤーの『能力超向上』を圧倒的に上回る剣速……

 

 右肩に激痛が走り、神刀が地に転がる様が見えた。

 痺れと熱さがゆっくりと脳を焼く……地面が近い……受け身が取れず、エルヤーは完全に地に伏した。無様だ……慌てて立とうとしたが、脳が激しく揺らされたのか、平衡感覚が戻らない。

 

 ……右肩……右腕!

 

 あまりの熱さに右肩を確認したが、砕けてはいるようだが、断切されたわけではない……峰打ちだったようだ。

 

 眼前に爪先が見えた。

 ブレイン・アングラウスのものだ。

 激烈な痛みを我慢し、なんとか仰向けに寝返る。

 切先が喉に突き付けられていた。

 

「勝負有り、だ……最後の攻防はなかなか楽しめた」

「私の……負け……」

「ああ、お前の負けだ……ゼブルに殺すな、と厳命されたからな。お前の提案に乗らねば、技を出せなかった」

 

 ……殺すな……殺すな、だと……厳命、だと……

 

「……ああ、そうだ……礼と言ってはなんだが、俺にあの刀をくれた奴を紹介してやるよ……ちょうど、そいつは治癒魔法を使える」

 

 ブレイン・アングラウスが薄く笑った。その笑みは……

 

 遥か遠くにブレイン・アングラウスの勝ち名乗りが聞こえた。

 

 ……これまでになく酷薄な笑みだった。

 

 

 

 

 

**************************

 

 

 

 

 

 少し前までは毎朝のように冒険者チーム『漆黒』のモモンとナーベの姿を見掛けた依頼書の集まった掲示板の前……およそ2週間に渡り、彼等の姿を見ることは叶わなくなっていた。

 王国3番目のアダマンタイト級に昇格した途端、冒険者チーム『漆黒』の姿はエ・ランテルから消えてしまった。掲示板には、これまで王都へと依頼を回していたアダマンタイト級の力を必要とする依頼書が貼り付けられたまま放置されている。組合内部には『漆黒』を指名した依頼書も溜まっていた。

 つまりエ・ランテル冒険者組合は大混乱に陥っていた……およそ2週間前に『美姫』ナーベが組合に現れ、「モモンさーーーんは、しばらくの間冒険者の活動を休みます」と宣言して以来……

 『漆黒』の依頼達成率は100%……それまでの依頼達成が尋常でないペースだったこともあり、組合は収益に目が眩み、ホイホイと高難度の依頼を安請け合いしていたのだ。

 

 組合長プルトン・アインザックは、文字通り頭を抱えていた。落ち着きなく、組合長室の中をぐるぐると歩き回っている。

 応接セットのソファには深い緑色のローブを着た神経質そうな男が腰掛けていた。名をテオ・ラシケルと言う。エ・ランテル魔術師組合の組合長だ。そして現役時代はアインザックと冒険者チームを組んでいたチームメイトであり、古くからの友人でもある。

 

「……プルトン、いい加減落ち着いたらどうだ?」

 

 テオ・ラシケルの言葉にアインザックの歩みはより一層忙しなくなった。

 

「これが落ち着いていられるかっ! ああっ……モモンくん、いや、モモン殿はどうしたと言うんだっ!」

「……休むと言われたんだろう? 消息不明とかならまだしも……」

「あのモモンくん……いや、モモン様が……1日も休まず、最高難度の依頼を達成し続けた……あの『漆黒』のモモンくんがっ!」

「プルトンよ……組合の運営が厳しくなるのは理解するが、モモンくん達の依頼消化がハイペースなのを良いことに、高額の依頼を安請け合いしたのは組合の落ち度……つまり君の落ち度だ。モモンくんの休養を責めるのは完全に御門違いだと思うが。彼は組合の……いや、エ・ランテルの……王国南半分の絶対エースなのだ。当然、組合長自らが彼の体調や予定を把握すべき、だと思うが……どう思う?」

「確かに休むと聞いた……が、あのモモンくんが2週間を経過しても、まだ復帰しないのだぞ……冒険者登録して以来、1日たりとも休まなかった彼が!」

「だからこそ、落ち着いて待とうじゃないか……また凄いマジックアイテムを拝ませてくれるかもしれない……」

 

 ラシケルの頬が緩み、皮肉を帯びていた視線がトロンと蕩ける。以前に依頼絡みの会話の流れでモモンから見せてもらった第八位階の魔法を封じた『魔封じの水晶』が忘れられないのだろう。正気を失って、ペロペロと舐め回していたほどだ。

 

「……彼はどれほどのアイテムを手に入れているのだろうなぁ?」

「そんなことはどうでもいいっ!」

 

 アインザックは腹立ち紛れにラシケルを怒鳴りつけた。どちらかと言えばアインザックの方が正気を失っている証左だ。

 指名でない高難度の依頼はミスリル級3チームをフル稼働させて、どうにかこうにか対処している。各ミスリル級チーム毎に組合の補助金で雇った白金級チームを数チームづつ付け、これまでのところなんとか人的被害を出さずに処理しているが、かなりリスキーな綱渡りだった。しかもその結果として冒険者組合の収支は完全に大幅赤字なのだ。

 しかし、それはまだ大した問題ではない。

 真の問題は積み上がったままで徐々に期限の猶予を失いつつある指名依頼の山だ。『漆黒』が依頼を受ける受けないの問題はともかく、このまま放置すればエ・ランテル冒険者組合は信用を失う。その対象がアダマンタイト級冒険者チームに指名依頼を出せるような貴族や富裕層だという事実が問題なのだ。冒険者組合の規定に則った報酬を用意できるだけでも相当に限られた層の上顧客であるのに、実際に問題が解決した際には、彼等は高額報酬を正当な代価として支払うつもりなのだ……王国内の全ての貴族や富裕層が顧客になり得ない以上、彼等は冒険者組合にとって最も重要な生命線なのだ。冒険者組合が頭脳であるとするならば、アダマンタイト級冒険者は利腕であり、重要顧客は心臓なのだ。たとえ一時的なものだとしても、その心臓の信頼を失うということは、組合が仮死状態になることまで覚悟せねばならない……最悪のケースを想定すれば、そのまま死ぬことまで考えられる。

 当然、冒険者達は逃げ出すだろう。資金、つまり顧客を失った組合と心中する筋合いが無い。しかも他所でも引き合いのある者から逃げるのだ。

 腕利きの冒険者がいなくなれば、優良な顧客から他所の組合を贔屓にしだすのが目に見えている。

 資金源を失えば職員も雇えない。下級の冒険者は育たなくなる。

 これは冒険者組合に限った話ではなく、一度負のスパイラルに陥ったら、組織を立て直すのは至難の業なのだ。

 

 アインザックは立ち止まり、頭を掻き毟った。

 

「……王都のアダマンタイト級2チームに応援要請したが、果たして……」

 

 王都の冒険者組合もエ・ランテルに貸しを作るのは吝かでないはずだが、その為に王都の陣容を薄くするとは思えない。交易の要衝とはいえ、戦時には最前線の要塞と化すエ・ランテルに犯罪組織は成立しにくい。逆に王都は古くから利権の巣窟であり、犯罪組織として『八本指』のような巨大組織まで跋扈している。つまり王都の冒険者は対モンスターや対野盗集団の対策要員という面以外に、私的な犯罪対策エージェントの側面も担っているのだ。『八本指』の『六腕』などはアダマンタイト級の力を持つとさえ噂されている。

 しかし王都だからといって、アダマンタイト級の力が必須とされる依頼が多いのかといえば、そんなことはないはずなのだ。報酬に必要とされる資金的にも多いはずがない。現にエ・ランテルでは単なる高難度の依頼はミスリル級と白金級数チームの混成チームでなんとかこなしている。となると、やはり問題は組合が安請け合いした『漆黒』の指名依頼の山なのだ。

 

 このまま座して死を待つわけにはいかない……

 

 アインザックは冒険者の神に祈り……モモンに祈った。

 『漆黒』に復帰してもらうのが最上の結果なのだが、その消息について一切の情報が入らない現状では同じアダマンタイト級冒険者チームを誘致する以外に解決法が見出せなかった。アインザックはこれまでの『漆黒』の想定外の活躍で得た望外の利益を全て突っ込むつもりで、この窮状の打開を目指したのである。

 

 応援要請を打診して1週間が経過しようとしていた。断るにしてもそろそろ返答があって良いはずだった。

 

 再びプルトン・アインザック組合長は部屋の中を忙しなく歩き回り始めた。

 気が気でないのだろうが、テオ・ラシケル魔術師組合長に対して対応は疎かの一言に尽きた。

 ラシケルはラシケルでひょっこり入手した、消えた『3人組』の情報を切り出すタイミングを完全に見失い、とりあえずアインザックが正気を取り戻すのを待つことにした。あの暴風のようだった『3人組』と思しき銅級冒険者チームに関する情報の引き合いが王都の魔術師組合からに加えて、バハルス帝国のエージェントらしき人物からもあったのだが……

 

 この6時間後……『青の薔薇』から応援要請受諾の返答を得るまで、アインザック組合長は部屋の中を忙しなく歩き続け、一歩も外出しないのに緩んだ腹回りが一回り絞れたのは彼だけの秘密だ。

 

 

 

 

 

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 エ・ランテル冒険者組合でプルトン・アインザックが頭を抱えていた頃、その原因を作った冒険者モモンこと、アインズ・ウール・ゴウンも本拠であるナザリック地下大墳墓の執務室に篭り、やはり頭を抱えていた。支配者としての執務の合間、絶対入室禁止を配下に厳命して、既に魔王ロールは放棄している。つまり「鈴木悟」だった。

 

「はぁ……なんでそんなことになるかなぁ……」

 

 朗報のみを期待していたセバスの報告こそが苦悩の原因だった。

 失敗……敵対とは言い切れないが、完全に警戒されたのは間違いなかった。「アインズ」こと、ユグドラシルプレイヤー「モモンガ」の良く知る『ばある・ぜぶる』ならば、警戒を要するようなケースでは、初手は完全に逃げの一手で間違いない。つまり冒険者ゼブルはより一層『ばある・ぜぶる』本人である色合いを濃くしたのだ。そしてユグドラシル当時の彼ならば、まず自身の安全を確保し、その後に情報収集と地の利を考えて動く。加えて可能ならば数的優勢も確保するだろう。

 

 彼自身は「ソロプレイ大好き」を標榜していたとはいえ、実質的にプレイの相棒だった『バンバン』の統率力と『ばある・ぜぶる』自身のコミュニケーション能力は、有事に際して異形種ソロプレイヤー数十名の動員を可能にしていたのだ。そして彼等が助力を求める先のプレイヤーの一群に『モモンガ』も名を連ねていたのである。

 彼等2人は、仲間内ではそれぞれのキャラビルドとは真逆の存在で『バンバン』がリーダーで『ばある・ぜぶる』が参謀だった。キャラとしては『バンバン』はガチビルドの魔力系魔法詠唱者であり、『ばある・ぜぶる』は『地獄の君主』という完全なレア職ネタキャラだった……つまり魔術師がリーダーで王が参謀だったのである。

 『ばある・ぜぶる』の激レア職は『モモンガ』の『エクリプス』と同じように、到達するには凄まじい紆余曲折が必要らしく、鈴木悟は『モモンガ』として『ばある・ぜぶる』よりも9年以上長くプレイしていたが、彼以外に『地獄の君主』などというレア職を極めるどころか、到達したものすら知らない。しかも彼はそれ以外にも激レア職を極めているらしく、その結果として凄まじく強力なスキル持ちだった。

 

 その2人に加えて『えんじょい子』というPKガチ勢異形種プレイヤーを中心に悪名高い『ギルドクラッシャー』という集団が形成されていた。『人化』スキルを使って人間種プレイヤーの街に侵入して、情報を採取し、過疎化したギルドを襲って、実質的に死蔵しているアイテムやデータクリスタルや素材を異形種の街で売り捌く……そして神器級アイテムと神器級になりうる素材やデータクリスタルだけは手元に残すという手口だった。しかし彼等に強襲された過疎ギルドはあくまでも過疎化しているだけであり、しかも人間種のプレイヤーは異形種プレイヤーとは比較にならない数が存在していたのだから、遭遇戦や殲滅戦は日常茶飯事……彼等『ギルドクラッシャー』がユグドラシルサービス終了まで存在していたのだから、結果はお察しだ……当時の『モモンガ』の心境からすれば決して許容することの出来ない極悪非道な無法者集団だった。だからこそ、暴走した彼等が異形種ギルドとはいえ過疎化してしまったナザリックを襲撃する最悪の可能性も想定して彼等に近付いた……ら、意外にも気が合ってしまった。

 

 一気に資金を稼げるような大物の狩に何度も付き合ってもらった。しかも彼等は「圧倒的に少数派である異形種プレイヤーには共助の精神が必要だ」と考えていた。つまりナザリックを襲撃するつもりなどさらさら無かっただけでなく、ナザリックの維持費に困窮している伝説的プレイヤー『モモンガ』を囲む狩猟会で得た資金は全て無償提供してくれた。

 孤独だった『モモンガ』はそんなことを積み重ねている内に人寂しくなると『ギルドクラッシャー』の溜り場へと出かけるようになってしまった。ユグドラシル最後期プレイヤーである彼等は『モモンガ』の語るユグドラシル全盛期の話やナザリックの逸話や『アインズ・ウール・ゴウン』ギルドメンバーのバカ話を喜んで聴いてくれた。差手口にならないように配慮しながらも、何度もプレイに関するアドバイスをした……PVPやPK対策やPKKや知る限りのワールドエネミーやレイドボス戦の情報などの一般的なものから、情報戦や対諜報の攻勢防壁の効果的な組み方等のマニアックな独自情報まで……おそらく年下だろう彼等は『モモンガ』のアドバイスに感動したり、実践して感想を話してくれたり……職場で素直な後輩の世話を焼いているいような気分にさせられたものだ。

 リアルで一緒に遊ぶような関係にこそ、鈴木悟自身の気後れや仕事の都合でならなかったが、オフ会に誘われた回数も1度や2度では効かない。

 

「……楽しかったな……」

 

 かつてのギルドメンバーと一緒に騒いだ輝かしい記憶が人生の栄光だとすれば、『ばある・ぜぶる』達と一緒にプレイした記憶は一時の癒しだった。

 

 まず本当に『ばある・ぜぶる』さん本人なのか、確認しないと……な。

 

 ゼブルと名乗る人間の銅級冒険者……見た目は金髪碧眼の青年のようだ。つまり『ばある・ぜぶる』が『人化』スキルを使った際のユグドラシルのアバターと相違無い。そしてセバスの報告では会話の内容と実際に感じる実力に大きな乖離が在ると言う……実力を隠蔽しているのだけは間違いないだろう。だが『ばある・ぜぶる』にしてはかなり迂闊だ、とも思う。こっちの世界があまりに低レベルなので油断したのか……

 

 ……とにかく情報が足りない……

 

 王都のセバスの下にユリとエントマに加えてシャドウ・デーモンを増派したが……本来ならば守護者クラスを向かわせたいところだが……ユリの存在を確認されただけで、おそらく逃亡されたのだ。つまり100レベルの守護者を増援に送った場合、王都から完全撤退されてしまう可能性が高い。

 試しに送ってみたメッセージに反応は無いのだから、仮に銅級冒険者ゼブルが『ばある・ぜぶる』本人だとしたら、彼が普段からメッセージを必要としていない状況下に在ることだけは推測できる。つまり『バンバン』や『えんじょい子』や他の『ギルドクラッシャー』の面々はこの世界に来ていない可能性が高い。

 しかしセバスの報告によればティーヌという女戦士とジットという魔法詠唱者が冒険者としてのチームメイトとして確認されている。その後に収集された情報ではブレインと言う名の剣士も仲間と判明している。それに加えて、未確認情報だが王都で『八本指』という現地の地下組織を丸ごと配下にしたらしいともあった。

 つまり人間を劣等種と見下しているナザリックの者を派遣するのは事態を混乱させるどころか激烈に悪化させる可能性が高い。だからセバスは窓口として王都から動かせないし、とりあえずカルマ値の高いユリも外せない。状況によっては現状では単なる予備戦力でしかないエントマを帰還させ、カルネ村で比較的人間達と友好的に接している実績を買って、ルプスレギナを派遣した方が良いかもしれない。

 

 最悪の場合、属性中立だから……アイツか……能力的に役立つとは思うが。

 

 宝物殿の領域守護者のつるんとした顔を頭に浮かび、慌てて否定した。アレを作成したのが自分と知られてたら……ただでさえ『ばある・ぜぶる』はアバターの外装にやたらと課金するようなタイプのプレイヤーだったのだ。あの皮膚の表面をグルグル這い回る2匹の蛇なんて、何の役にも立たないのに、結構な金額をぶっ込んでいたような……ちょっと厨二を感じさせる為人だった。

 アレを絶賛しかねない……が、アレだけは触れて欲しくないのだ。

 とにかく配下の守護者にアレの立ち振る舞いを見られるのも恥ずかしいのに、ギルドメンバー以外の知り合いに見られるとか羞恥地獄に他ならない。

 

 無いはずの胃がキリキリと痛む……仕組みは理解できないが現実だった。

 

 ……やっぱり俺自身が行かないとダメか……?

 

 冒険者の活動をアレとナーベラルに任せ、自身で冒険者ゼブルのナザリック招聘作戦の指揮を執る……やはり超越者の外装が厳しい。この際、仮にゼブルが『ばある・ぜぶる』本人と確定しなくとも、超越者のアバターを見せるのは仕方ない……最悪、人間違いならば記憶を消して、放り出せば良い。

 が、それ以前に接近するまでが問題なのだ。

 人間達の中を闊歩出来るモモンのフルプレート姿では『モモンガ』のアバターを連想させるのに必ず会話が必要だ。会話が必要とはならないだろうが、フル神器級のいわゆる『ばある・ぜぶる』が見知った『モモンガ』の超越者アバターに嫉妬マスクで顔を隠した姿は王都のような大都市内では余計な問題が生じてしまう可能性が大だろう……あの姿を見知った存在として、少なくともガゼフ・ストロノーフは確実にいるのだ。彼が王国上層部にカルネ村の一件の経緯を報告する際、凄まじい力を持つ魔法詠唱者「アインズ・ウール・ゴウン」の存在を俎上に載せないわけがない。

 その上『ばある・ぜぶる』ならば王都にそれなりの情報網を構築していることが想定される。情報を探ってくれることは渡りに船だ。しかし既にセバスとユリを警戒している彼の行動を想定した場合、単に逃亡用の警戒網として機能する可能性が高い。即ち必要以上に目立つことは、彼の王都からの撤退を助長するだけだ。

 会話が必須であることを想定するとハードルはひたすら高くなる。

 こちらが先に捕捉しても『ばある・ぜぶる』相手では『時間停止』も役には立たない。むしろ警戒が強化されるだけだ。せめて彼がセバスやユリを警戒する前に再会していれば話は簡単だったのだが……後の祭りだ。アルベドに「友好的」と命じた結果として、実行者のユリは律儀に礼節を保った行動を実践したのだ……原因は迂闊に命令を下した自身にある。

 

 ……状況をシンプルに考えるべきだな……

 

 追い込まれた場合の『ばある・ぜぶる』さんの基本戦略は逃げからの、情報収集……そこからリスクと利益と勝算を考えた上で撤退か、反転攻勢か、友好関係の構築に移行するか、だ。つまり簡単に撤退を選択させない為の餌が必要だ。

 彼は何を必要としているか?

 ナザリックという存在は餌として機能するか?

 冒険者という職を選択した以上、身分は手に入れたようだ。

 ただ銅級から昇級していないのだから、名声は不要と考えているのだろう。

 王都が本拠なのか……『八本指』とかいう組織を乗っ取ったらしい。

 組織を得たのならば資金力も得た……と考えた方が無難だ。

 

 思い出せ……『ばある・ぜぶる』は何を欲していた。

 

 ……アイテム……アイテムだ。あの悪名高い『ギルドクラッシャー』の中心人物なのだ。アレも結局はワールドアイテム入手が最終目的だったような話を聞いたことがあるような……無いような……

 

 ワールドアイテム……か? 

 

 流石に独断で譲渡できるような代物ではないが、プレイヤー釣り大会の撒き餌としては破格……コレクター気質のプレイヤー相手には絶大な効果が期待できる。仕上げはその情報を上手く『ばある・ぜぶる』と思しき冒険者ゼブルの構築した情報網にさりげなく引っ掛けるだけだ。

 

 だが、それだけでは弱いな……撒き餌があからさま過ぎて、俺ならばむしろ警戒する……その辺りの思考の方向性はかなり似ていた……かな? 

 

 その一方であえて罠にハマるぐらいはやる連中だったのも間違いない。

 だから二方面で作戦を考えた方がベターだ。

 とにかく所在さえ把握してしまえば、直接前に転移してしまえば良い。

 結局のところ、直接対面するのが一番なのだ。アインズが……いや、モモンガが『ばある・ぜぶる』を必要とする明確な理由など無い。単に会いたいだけだ。会って、話したいだけ……別に『アインズ・ウール・ゴウン』に迎え入れたいわけではなく、敵対しなければ良いだけだ。その辺りの微妙な肌感覚は直接対面して、話すのが一番伝わるのだ。撒き餌で釣るのは、あくまでも会う為であり、利害関係など無ければ無い方が良いのだ。だから直接会う方法を考えるべきなのだ。

 

 せっかく地道に苦労して得たアダマンタイト級の称号を利用して、なんとかモモンのフルプレート姿のままでゼブルと会話する機会を作れないものだろうか……?

 

 同じ冒険者なのだ……どうにかアダマンタイト級というブランドを活かしたい……思考がグルグルと巡る……デミウルゴスのような知力……いや、対プレイヤーなのだから『ぷにっと萌え』のような知謀が必要だ。

 

 ナザリックの子供達の親に対して感じるものとは別種の、「会いたい」という切実な想いが鈴木悟の脳内を駆け巡っていた。

 

 気付けば執務室のドアがノックされていた。外が少し慌ただしかった。

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

「アインズ様! アインズ様!」

 

 慌てて魔王ロールを開始する。

 

「……騒々しい……デミウルゴスか?」

「失礼いたしました、アインズ様……入室してもよろしいでしょうか?」

 

 声が弛緩した……ドアの向こうのデミウルゴスは落ち着いたようだ。どうやら約束の時間を過ぎていたらしい。

 

 たしか……ナザリックを最終目的に関連する進言だったか? 

 最終目的……そんなものがあったのか?

 

 単なる営業リーマンだった鈴木悟にはさっぱり理解しかねる……が、最上の忠誠と最高の知謀の持ち主であり、現実に予測を遥かに超えた実績を残しているデミウルゴスの進言を無視するほど、絶対支配者としてのアインズは傲慢になってはならない……その戒めの気持ちだけで『ばある・ぜぶる』のことを未練たらたらながらも頭の片隅に追いやった。

 ただでさえ冒険者稼業を勝手に休んでいるのだ。

 支配者の責務まで放棄して、私事だけに集中することは許されない。

 

 ……そう、あくまでも私事なんだよな……

 

 これほどまでに……これまでコツコツと築き上げた冒険者としての実績を投げ捨てても良いと思うほどに『ばある・ぜぶる』に執着するのは、かつてのギルドメンバーの「代用」と言っては失礼だが、思い出に浸りたいだけのような気がする。

 

 頭を切り替えないと……さあ、仕事だ。

 

 入室したデミウルゴスがドアの前で控えていた。インテリヤクザのような風貌に丸メガネ……執務机の前まで進み、恭しく頭を下げた後、面を上げ、丸メガネの縁をクイッと指先で上げた。

 

「至高の御方々のまとめ役にして、いと深き知謀の持ち主であられるアインズ様におかれましては、未熟な私ごときの愚かな私案の為にお時間を割かせてしまい、大変申し訳なく思う一方、御寛容に感謝いたします」

「良い……進言を許す、デミウルゴスよ。お前以上にナザリックの為に忠義を尽くしている者はいない……そのデミウルゴスがナザリックの為に考え上げた進言を聞く時間は黄金よりも貴重だ」

「おおっ……ありがたき幸せ……では、早速進言させていただきます……」

 

 デミウルゴスが語り始めた。しかし進言の内容はともかく、決定的に何かがズレていた。その何かが互いの認識であることに気付くまで、しばらく時間を要した。

 

 ……世界征服…………? ええっー!

 

 決定的なズレに気付いた時には事態は致命的に進行していた。既に外堀を埋められ、天守を攻め落とす準備も万端……しかし……それでもこの状況下で王都攻めだけは拙いだろ、と存在しない冷や汗をデミウルゴスに気付かれないように拭う。

 必死に存在しない脳味噌を回転させる。

 なんとか言い訳を考えなくては、と……何も出てこない。

 先程から何回も精神が沈静化され、薄緑の発光を繰り返していた。その影響で、なんとなく自分を客観視出来てしまうのがキツかった。

 

 ……どうして……どうしてこうなった?

 『ばある・ぜぶる』か確定していない存在にかまけ過ぎた罰か?

 

 最上位悪魔の満面の笑顔がさらにアインズを追い詰めた。

 

「……王都なのか?」

 

 なんとか振り絞った一言で、今度はデミウルゴスが大仰に天を仰いだ。

 

「……やはり未熟な私の愚かな考察では、アインズ様のいと深きお考えに到達することは叶いませんでしたか……では帝国か、法国……評議国は戦力的にも後回しとなると愚考しておりましたが……ひょっとして……初手で最大戦力を擁する評議国を……いや、得られる利益は莫大ですが、リスクはかなり高まります。可能であればアインズ様の御親征は避けるべきと愚考します。もし御許可いただけるのであれば、ナザリックの軍勢を動員せず、私がアベリオン丘陵で支配した亜人種の手勢のみを率いて一国陥落させて、アインズ様に献上させていただきたいと考えております。で、あるならば竜王国か、聖王国……しかしアインズ様の意中に最も陥落させやすい王国がない以上、同様に困窮する竜王国ではないと推察いたします。となると私の手勢を動かすのであれば、聖王国一択となりますが……」

 

 いや……話が全く見えないんですけど……

 

 しかしデミウルゴスは饒舌に語り続けた。至高の41人のまとめ役が理解できないどころか、完全に置いてきぼりなどとは思いも寄らないらしい。聞き手が自分だけなので「皆に説明することを許す」戦法は使えない。

 仕方ないのでデミウルゴスの発した文字列だけを飲み込む。

 結果……とりあえず王都侵攻という『ばある・ぜぶる』が完全に敵対行動と判断するだろう、現状のアインズにとっての最悪手だけは回避できたような気がしないでもない……が、この会話の行方は完全に見失っていた。

 アルベドとデミウルゴスと3人だけシュチュエーションで完全に置いてきぼりになるよりも厳しいシュチュエーションがあったとは……とにかくデミウルゴスの信じる完全無欠の支配者ロール(?)で事態を打開できないまでも、せめて理解できるようにせねばならない。

 

「……デミウルゴスよ」

 

 最上位悪魔の口から溢れて止まらなかった、数え切れないほどの戦略・戦術がピタリと止まった。

 巨大な爬虫類を彷彿させる尻尾の先が揺れている。

 テンションマックスなのか、金剛石の瞳もキラキラと輝いていた。

 

「ナザリックが動けば周辺国家を圧倒することなど、自明の理……問題はいかに戦力を消費せずだが……そこも現地の手勢を用いることでクリアはしているようだな……」

「ハッ……どこか至らぬ点が……?」

 

 ……あるのでしょうか? 俺が聞きたいわ!

 

「私はな……守護者自身が現状に満足せず、成長することを望んでいる。それはコキュートスやシャルティアに限った話ではない……アルベドにも、デミウルゴスにも成長して欲しいのだ」

 

 尻尾の先端が力無く床を叩いた。

 

「……まだまだ……と仰られるのですね?」

 

 力を失った言葉とは裏腹に、金剛石の瞳は燃えているように見えた。

 

「私が民の上に立つのならば、私の民は他のいかなる民よりも幸せでなければならん……もちろん堕落した楽園を作り上げる気など無いが……平等は必要ないが、公正でなくてはならん……解るか?」

「戦後を見据えよ、と……」

「奴隷の上に立つなど、アインズ・ウール・ゴウンの名折れよ……自立し、幸せを謳歌する民が、自らの意思で私を戴く……そうでなくてはならんのだ。つまりそう仕向ける必要がある……犠牲無く、などと子供のような理想論は語らん。憎まれるのは構わんが、それも数年後には絶対的な感謝と幸福感に変わらねばならないのだ。力で支配するだけでは芸が無かろう?」

 

 よし!……乗り切ったぁ!!

 

 過去に聞いたような台詞をそれらしく重々しく語るロール……中身ついては理解しているが、実感など絶無だった。デミウルゴスに任せて効率的な侵略など開始したら、あっという間に大魔王の誕生となる未来が見える……それだけは回避できたような気がしていた……手応えというヤツだ。大きなプレゼンの後、取引先の決定権者の笑顔を見た時のような充実感……完全な思い付きにしては上々の手応えだった。

 そして前を見ると最上位悪魔の肩が震えていた。

 

 ショックなわけがない……喜び……笑いが漏れ聞こえるような……?

 

「流石はアインズ様! 感動いたしました!」

 

 ちょっと引くぐらいの満面の笑顔の奥で、最上位悪魔の野心が燃え盛っていた。

 

「……このデミウルゴス! アインズ様の為にお望み通りの世界を手に入れることをお約束いたします!」

 

 ……ひょっとして、悪化した……のか?

 

 では失礼いたします、と言い残し、デミウルゴスは入室した時よりも一層意気揚々と去っていった。

 

 ……うん、よく考えたら「世界征服」完全に事後承認してたね。

 

 支配者の悩みは尽きない。




お読みいただきありがとうございます。


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12話 策謀とゲーム脳

年末の無茶苦茶なスケジュールが終わり、気付けば年が明けていました。
ただでさえ遅筆なのにかなり間隔が空いて、申し訳ありません。
どうにか更新していきますので、よろしくお願いします。



 微妙に痛い……これがダメージってヤツですか?

 

 こっちに転移して以来、初めて肉体的な痛みを感じた。無邪気な子供が加減知らずに繰り出した張り手をもらった程度の痛みだが、新鮮と言えば新鮮な感覚だった。こちらに来てからは痛み知らず……即ち、獲得している様々な防御系スキルや、身に付けている防具の機能が正しく機能している証だった。

 だから逆を実験する。

 この痛みは実験の結果だ。

 ほぼダメージは無い……ユグドラシルであれば1やら2程度の数値かもしれない。パッシブスキルの『上位物理無効Ⅲ』を解除し、回避可能な攻撃をあえて受けたのだが、実験対象が武王ゴ・ギンでなければ結果が得られなかったかも、だ。神器級の黒コートを装備している状態とはいえ、逆に言えばそれだけだった。

 武王ゴ・ギンの『剛撃』と『神技一閃』に加えて『流水加速』という、効果はなんとなく理解している3つの武技の合わせた一撃をもらった。あくまでも実験として直撃を受けたわけだけど……打撃耐性はそれほどでもない黒コートだが、それでも神器級なのだ。こっちの世界の30レベルにも達していないようにしか感じないトロールの打撃が通るとは……僅かなダメージであっても驚きですわ。

 俺は『人化』したままであり、種族レベルの50レベル分のステータスは失ったままた。『人化』を解除しない以上、種族に紐付けされた激レア職のスキルや特性も半分以上制限されたままだった。つまり今の俺は単なる50レベルの人間種であり、『地獄の君主』や『蝿の王』としては出来損ないなのだ……ちょっとだけエグいスキルと、それなりに魔法が使える50レベルの『暗黒騎士』が近いかな、と思っている。

 結果として3つの武技でブーストした武王の一撃はほんのちょっとだけ痛かった。この上黒コートも脱いでいたら、と考えると少し憂鬱になる。つまりこっちの世界の種としても大した強さでもないトロールごときが、ほぼダメージは0とはいえ、武技を重ねると神器級の防御を貫くのだ。武技が使えない身としてはそれなりに脅威を感じる……そして可能性も感じる。

 

「舐めプしてたわけじゃないけど……ちょっとだけ見直したかな」

 

 舐めプと言えば舐めプだが、あくまで実験のつもりだ。人間種以外と一対一で分析しながら戦闘するとか……『人化』した姿では、こっちの世界に転移してから初めての機会だ。そしてスキルを解除すれば『神器級』の防御を通す攻撃が可能な存在と出会ったわけだ。

 殴打痕でボコボコになり不格好な甲冑姿を見る。

 

「やっと、少しは本気を出してもらえるのか?」

 

 ボロッカスの武王が立ち上がり、こちらに向き直った。しかし姿とは裏腹にスリットの奥に赤々と燃え上がる瞳がある……と感じる。

 

 場内に歓声は無く、ただ緊迫感だけが濃度を増していく。

 武王の応援が無くなり、悲鳴も無くなり、驚愕も失せた。

 看板に偽り有り……だ。こんな桁外れの銅級冒険者を「銅級冒険者」と紹介する時点で騙す気満々ではないか……こういった観衆や賭け客の憤りまでもがキレイさっぱり失せていた。

 

 配当率1対980が、誰も気付かぬ内に僅か1対5まで急騰した背景には俺達が勝ち続けて膨らんだ資金以外に、帝室から莫大な資金が流れ込んだことに原因があったのだが、誰も気付かなかった。なにしろ帝室の資金を除けば唯一の賭け主が対戦する本人なのだ。配当率の最終更新時には試合の控室に籠もっていた。

 

 そして蓋を開けてみたら……

 

 誰もがただ唖然と目の前で繰り広げられる超高速戦闘を観察していた。もはや注視程度では追いつかない。神経がイカレるほど凝視し、一瞬たりとも見逃さないよう、瞬きすら躊躇する有様だった……それほど「銅級冒険者」ゼブルとしての俺の動きは、武王ゴ・ギンよりも圧倒的に速かった。

 しかも単純にぶん殴っているだけ……いや、掌底で小突いているだけで、武王の防具は破壊され、直視するのが辛いような有様だった。

 

 ……あまりに余裕過ぎて、実験してみようと思い立ち、一発もらったわけですよ。結果的に打撃が通って、逆にびっくり……と言うか、ゴ・ギンを見直したわけですわ。

 

「……刀、抜いて欲しいのかな?」

「そんなことではない。ただ俺は圧倒的な高み……全力のゼブル殿のほんの一部でも感じたいだけだ」

「……死ぬぞ」

「覚悟の上だ……俺は強さにのみ敬意を払う」

「では、本気の一刀……見せてやろう。ただしそこでお前は降参しろ。右腕を斬り落とす。いかにトロールの再生能力があろうとも、そこでこの試合は終了だ。お前の負けが確定する」

「では、俺の右腕を斬り落すことを阻止すれ……」

「無理だ」

 

 断言するまでもなく、武王のステータスや技量では話にならない。ただ伸び代だけは認める程度だ。武王の職業レベルはまだまだ伸びるはずだ。種族レベルによるステータスの伸びと、保有する武技だけでこれまでは連戦連勝だったのだろうが……職業レベルを伸ばせれば、かなりの駒になるかも、だ。

 幸いなことにゴ・ギンの契約者であるオスクは既に俺の完全支配下にある。俺の配下に加えたところで闘技場のスターがスターでなくなるだけの話だ。実害は限り無く少ないし、俺としてもトロールの配下が増えるのはレベリング実験の対象の幅が広がり、方針に沿う。さらに言えば、今後オスク以外の闘技場の興行主も順次支配していく計画なのだから、いずれマッチメイクは思いのままだ……つまりレベリングの実験を経た配下を戦わせる場を得たわけだ。俺のざっくりした強さの把握よりもかなり詳細なデータが採取可能になる。新たなスターはデータ採取ついでに、その中から輩出させれば良いのだ。

 

「……俺の勝ちは動かきません」

「……俺は武王……この闘技場の王だ。それでも戦い続ける!」

 

 武王が巨大な棍棒を振り上げた。

 

「……『剛撃』『神技一閃』……」

「そのパターンは見たよ」

「……『流水加速』……」

 

 前回あえて受けた一撃を大幅に超えられるのか……武王も手応えは感じていないだろうが、僅かでも通用した攻撃パターンに頼るしかないのか?

 

 たとえばティーヌが使う『能力向上』と『能力超向上』があれば、もう2段加速するんだがなぁ……

 

 仮に使えたしても目で追える程度のスピードでは話にならないが、執拗に同じパターンを繰り返せば意表は突けるかもしれない。しかし使えない以上、もはや武王の攻撃が俺に届くことはない。

 ブレインから預かっている屑刀を抜く。

 場内が緊迫する。

 所々で悲鳴が上がっていた。

 武王の棍棒はまだ頭上だ……これ以上の加速もない……やはり遅い。

 棍棒が振り下ろされ始めた。

 踏み込む……もう武王の攻撃はクリーンヒットどころか、擦りもしない。

 スリットの奥から「クソッ!」と聞こえた。

 普通に動いて『後の先』が可能なのだ。やはりレベル差が大き過ぎる。

 

「……支配は受け入れてください」

 

 俺の小声が届いたか、どうか……武王の棍棒が地を抉った。

 鈍い音が響く。

 土煙が上がる。

 そして……圧し殺した苦悶の声がした。もちろん武王のものだ。

 血飛沫が噴き上がり、太い右腕が鎧ごと転がっていた。

 右腕の手前に転がる棍棒を俺は蹴り転がした。

 

 トロールの再生能力の影響か、武王がこちらに向き直り、左腕一本でファイティングポーズをとった。そのまま殴り掛かる……ことはせず、武王は膝を着いた。

 

 大きな溜息の渦が生まれ、やがて大歓声に変わった。

 

 快晴の青空に下、豆粒大の蠅が接近してくる様に気付いた者はいなかった。

 

 

 

 

 

**************************

 

 

 

 

 

 状況が激変し、方針は定めなくてならなくなった。

 

 正体不明のデスナイト討伐者はエ・ランテルの銅級冒険者チーム『3人組』とブレイン・アングラウスのいずれかで間違いない……監視の目は大幅に強化され、僅か4人に200名を優に超える人員が投入されていた。魔法的な監視は敵対行動と誤解される可能性も鑑み、偽装も変装もせず、堂々と闘技場の英雄を護衛する兵士の姿を見せていた。監視というよりも行動確認であり、24時間体制で8時間置きに報告がもたらされていた。

 

 全員、帝国に迎え入れなくてはならない……ジルクニフの中で方針は確定していた。

 

 むしろ問題はアプローチの方法だ。

 

 『3人組』は力を隠しているわけでもないのに、銅級のまま昇級していない事実をどう考えるのか?

 ブレイン・アングラウスも宮仕えや貴族のお抱えになる機会は腐る程あっただろうが、現状は傭兵稼業も放棄し、冒険者ですらない。

 

 名声や地位に興味がない?

 力でない何かを隠している?

 特殊な目的があり、むしろ名声は邪魔になる……それでは力を隠さない理由が理解不能になる。

 王国を見切り、帝国に売り込みに来た……そんな帝国にとって都合の良い現実はそうそう転がっていないだろう。

 

 魔法詠唱者ジットはゴブリン10匹を一方的に撲殺。

 女戦士ティーヌはほぼ全裸に近い半裸でオーガ5匹を鏖殺した際に驚異的な身体能力を披露。

 ブレイン・アングラウスは周辺国最強の戦士ガゼフ・ストロノーフを凌駕する才能の持ち主と噂されていたエルヤー・ウズルスに何もさせず完封。

 リーダーであるゼブルは個として保有する武力は帝国最強の武王ゴ・ギンを赤子扱いした上に、世界有数の魔法詠唱者であるフールーダ・パラダインが自身の『生まれながらの異能』で確認した途端、狂乱の彼方から帰還できなくなるほどの魔法の力も持つことが予想される。

 

 この世界では、身体能力的には劣等種でしかない人間が示した圧倒的な存在感……

 

 鮮血帝ジルクニフは延々と閉じていた目蓋を開いた。

 豪奢な執務室内で視線を走らせ、いまだ心ここに有らずのフールーダの姿を発見し、秀麗な顔を顰める。

 

 ……いい加減にして欲しいものだな……

 

「爺っ!」

 

 凛とした声が響く。

 

 意外なことに、フールーダはあっさりとジルクニフに向き直った。涎塗れの長い白髭がキラキラと嫌な光を反射しているが、目の輝きは狂気の向こう側から帰還したことを示している。ジルクニフに向ける慈愛と狂喜の間に仄暗い欲望が見え隠れしていたが、その更に奥底に沈着さは確かに戻っていた。

 

「……爺……どうなのだ?」

「一切の企みは無用……あの御方の逆鱗に触れれば、帝国どころか……世界が終わるでしょうなぁ……私共はただ平伏し、教えを乞い、持てる全てを差し出し、震えながら許しを待つべきでしょうな……陛下……私個人であれば間違いなくそうします。可能であれば、今すぐにでも全ての職で暇をいただき、あの御方の下に馳せ参じ、地面に額を擦り付け、教えを乞いたい。それほどの深淵の奥底……神々の高みに立つ御方ですな……さて、どうするね、私の可愛いジルよ」

 

 狂気の狭間から戻ったフールーダの狂気的な発言は……つまり冒険者ゼブルの存在そのものが周辺国家どころか、世界を揺るがすような事態である、との断言。

 冗談のようだが、全く笑い飛ばせない事態を唐突に突き付けられ、ジルクニフは既に定めた方針……用意してあった言葉を飲み込んでしまった。

 それを察したかのように、僅かな沈黙を挟んでフールーダが続けた。

 

「……臣下として迎え入れるなど、不遜……論外……私見はともかく、帝国の臣、陛下の臣下として考えるのならば、対等で友好的な関係を築くことに専念し……それが難しそうであれば私や帝国四騎士のような陛下と近い臣下が個人的友好関係を築き、陛下が上位者として紹介を受ける形にすれば、対外的には帝国が無名の個人に風下に立つような事態と受け取られることにはならないでしょうな」

 

 ジルクニフは考える。

 フールーダの目を見れば本音は丸分かりだが、その発言内容には一理も二理もあった。

 強力な存在が現れたからといって、主権を投げ出すような君主はいない。当然、国を売り渡すことなどあり得ない。これまで苦労して作り上げた中央集権的で強力な官僚機構で、周辺国を圧倒する強国とならねばならない。流した血に見合うものを得なければ、たとえ無能とは言え粛清された貴族や土豪の怨嗟の声に耐えられなくなってしまう。真に無能はジルクニフとなり、単なる大量虐殺者と成り下がるだろう……後世の歴史家の評価などどうでも良いが、目の前の現実として、ジルクニフは常に有能さを示さねばならないのだ。それがジルクニフの寄って立つところであり、気付いているかどうかはともかく、帝国の民衆が鮮血帝ジルクニフを支持する最大の理由なのである。なにしろ根拠が血統だけの血統支配を壊したのは自分自身なのだ。

 暗愚は論外だが、平凡でも無能と同義なのだ。王国の「黄金」ラナーのように解る者だけに解るような優秀さでも駄目なのだ。

 人柄だけでは話にならない。

 能力の隠蔽などあり得ない。

 誰にでも理解できる優秀さを示し続ける必要がある。

 そうでなくては国家改革の旗手にはなれない。

 だから一介の冒険者ゼブルの風下などに立てるわけがないのだ。アレの姿が竜王であれば話が違うのかもしない……しかしジルクニフは逃げも隠れもしないだろう。そんな臆病者が頂点では国家が傾くのは必然。

 

 使えるものは使う……か……しかし……

 

「……では四騎士に接触を図らせる。爺は控えよ……」

「なっ……!」

「フールーダ・パラダイン……何か、異論があるのか?」

「わた、私は別に……たっ、ただ四騎士の皆様では魔法談義に花は咲きますまい……あれほどの力を持つ御方……魔法談義が嫌いなはずがありませぬ。で、あるのならば、私こそが適任……」

「もう、よい……爺。とにかく控えよ」

 

 フールーダは国を売りかねない……否、売る。ほぼ確実に大安売りだ。魔法の力が一位階でも上昇する……確証どころか、その可能性を示されただけでも売りかねない。危険なのだ。可能であれば幽閉しておきたいところだが、残念ながら無理だ。可能なのにしないのではなく、不可能なのだ。能力的なものはもちろん、帝国最強……世界有数の魔法詠唱者が国と袂を分かつことなどあってはならない。それだけで帝国は他国に与し易しと侮られてしまう。

 

 フールーダは目を剥いて、抗議の意思を示す。

 ジルクニフはそれを受け止めながらも「NO」の意思表示を態度で見せた。

 

「バウジット!」

 

 入り口付近に控えていた帝国四騎士筆頭「雷光」がジルクニフの前に進み出た。軽く頭を下げ、跪きこそしないが、いちおうの臣下の礼をとる。

 

「お呼びですかい、陛下」

「武王を圧倒し、子供扱いする武力を持ち、かつ爺よりも上位の魔法詠唱者……そう聞いてどう思う?」

「……バケモノ……としか、表現できませんぜ。あるいは神か、魔か……」

 

 ジルクニフは満足そうに笑った。

 

「正しい認識だ……だからこそ、お前達四騎士に命ずる。費用も情報も人員もいくら使っても構わない……方法は任せる。冒険者ゼブル一党と友誼を結べ。その後にお前達の上位者として私に紹介してもらう。私は用意できる最高のもてなしで迎えよう。ただ良い印象を残す……それだけの為に予備費を空にしても良いと考えている」

 

 バウジットは不適に笑い返した。

 

「流石は陛下……太っ腹ですな。しかしある程度は予想していたとはいえ、それほどですかい……あの連中は?」

「それほど、だ……特に冒険者ゼブルの魔力系魔法の力は爺がタレントを使って鑑定した結果なのだ。爺の不穏な様子から察するに間違いなく神の領域に在るのだろうな……第八位階……いや、第十位階の可能性すらある、と私は考えている」

「そんな物騒な連中が帝都で遊び呆けてやがるんですかい?」

「ああ……ある程度正体が知れれば迷惑この上ない連中だな。デスナイトとやらを倒せる程度ならば歓迎したいところだが……強大過ぎて、こちらで制御できないだけでなく、迂闊に手も回せない。そして絶対に敵対するわけにはいかない」

「……責任重大ってやつですな」

「しかしっ!……バハルス帝国皇帝として、いかなる強者にも屈するわけにはいかんのだ。だからこそ内実はともかく、対外的に格好を付けねばならない。アレらは力を隠していない。つまりどこに行っても目立つのだ。もし他国に奪われたらと思うと…‥帝国を攻める尖兵などになられたら……そうならない為の投資だ。いくら出しても惜しくはない。帝国は非常に良いところであり、友人でもあり、最上の歓待を受けた……そう強く印象付けたい」

 

 バウジットは一礼した。

 

「了解ですぜ、陛下……帝国から、陛下から受けた恩義をここで少しでも返せるよう、全力で取り組みますわ。他の四騎士には……?」

「ナザミはここに残せ……口が重過ぎる。ニンブルとレイナースにはお前から指示を頼む。後ほど勅命文を渡す」

「ハッ!」

 

 彼としては珍しい最敬礼の後、バウジット・ペシュメルは退室した。

 

 鮮血帝は大きく溜息を吐いた。

 そして立ち上がる。

 一難去ってまた一難……後宮の自室に戻らねばならない。

 招かれざる客を待たせているのだ。防諜的に不安は残るが、ロクシーに命じて、人払いはさせてある……あそこならばフールーダも易々とは入って来れないはずだ。

 

 秘密……定めた方針を強引に押し切れない理由だった。

 

 昨晩、アレは現れた。

 礼節も無く、敬意も無い。

 バハルス帝国皇帝に対し、アレは語って聞かせた。

 言い方の問題ではあるが、それの中身は命令だった。

 ジルクニフはアレの纒う空気だけで理解した。そして精神防御のネックレスを手放さなかった自身を褒めた。

 当然、バハルス帝国の頂点に拒否権など無い。

 これ以上、話を拗らせたくはない。

 早々にゼブル達を取り込む算段がついたのならば、アレに対しての対抗手段となったかもしれないが……どうやら友好的関係を築くのが関の山のようだ。

 とりあえずは話に乗るしか選択肢がなかった。

 アレの持つ力の詳細など知る由も無いが、ゼブルと同じ領域に立っているのは間違いないだろう。いずれがどれだけジルクニフの常識からかけ離れた存在なのかは不明だが、どちらも外側に立っているのは間違いない。

 だからアレとの密談はフールーダ・パラダインに露見してはならないのだ。

 

 後宮に向かう途中、ジルクニフは精神防御のネックレスを握りしめた。

 再び溜息が漏れた。

 

 

 

 

 

 

**************************

 

 

 

 

 

 その日「歌う林檎亭」では朝からドンチャン騒ぎが強行されていた。

 満室で得る収入の3倍の金額……しかも前金で借り切り、十数名の様々な種族の男女が酒を酌み交わしていた。

 代金の支払い主はゼブルと名乗る銅級冒険者だ。どうやら王国から流れてきたらしいが、どうにも印象が残らない。凄まじく整った容姿なのに、どうしても彼の身に着けるコートばかりが印象に残ってしまう……なんとも捉え所の無い男だ……と店主は思っていたが、当然口には出さない。ゼブルに言われるがまま、夜半まで外出していた。料理は近所の料理店から次々と運び込まれる算段らしい。ついでに言えば宿の食堂の日持ちしなそうな食材には『保存』の魔法まで施され、正に至れり尽くせりであった。

 

 宴会はメンバーを入れ替えながら延々と続いていた。

 

 今現在、食堂の奥では豚肉の串焼きを頬張る俺の前で、ジットとこの宿の常連客であるロバーデイクとアルシェで話し込んでいる。

 中央ではティーヌとイミーナと3人のエルフが酒瓶を手に持ちながら、奇妙なリズムで踊り狂っていた。

 一番入り口に近い席の周りでは、昨日の試合で帝国一高名な剣士となったブレインとエルヤー・ウズルスに加え、ヘッケランが飲み比べをしている。

 それ以外にもメンバーは激しく入れ替わっているが、それなりに有名なワーカーチームの面々が顔を出し、話し込んでは去り、軽く飲んでは去りを繰り返していた。

 あまりに忙しない為、入り口の扉が開いても誰も気にしていない。

 

「こんにちはぁ……フルトさんはいらっしゃる?」

 

 そんな中、あえて空気を読まない感じの太い声が響いた。

 一見すると平身低頭……しかし暴力の気配を消すつもりがないのか、凶暴な光が瞳の奥に明確にあった。金が絡めば躊躇なく暴力を振るう……覚悟など不要……それが自然なのだ。

 

「おーっ、やっと来た。待ってたんだぜ」

 

 まるで旧友と待ち合わせていたかのようにヘッケランが近付いた。これまでに潜り抜けてきた生き死にの場数が違う腕利きワーカーにとって、男から漂う暴力の臭いなど脅しにもならない。ヘッケランは極めて気楽に男の肩を抱き寄せた。

 いきなりな展開に事態が飲み込めず、男が面食らって振り向くと、入り口を塞ぐように立つブレインとエルヤーがニヤニヤと笑いながら男を眺めていた。

 

 ……ハメられた……か?

 

 なんて男が思う間もなく、ヘッケランに右手首を捻り上げられる。

 

「今日は良い話があるんだ……喜べよ」

「痛っ……あんたは?」

「俺のことなんざどうでもいいだろ……これまでのお前の人生からじゃ、考えられないような幸運が転がり込んで来たんだぜ。喜べよ」

 

 ヘッケランが力任せに男を誘導する。

 全ては俺の思惑通りに展開していた。台詞回しまで指示通りだ。

 アルシェが椅子を動かす。

 ヘッケランが男を連れ、移動を開始する。

 そして男はアルシェとロバーデイクの間に作られた席……つまり俺の正面の椅子に座らされた。

 両肩をヘッケランに掴まれたまま男が俺を睨みつける。

 

「いったい、何だってんだ!」

 

 ヘッケラン達が俺の指示に従っているのならば、コイツは回収担当でなく、貸金業者本人なんだろうが……まあ、そんなことはどうでもいい。

 俺は男の前に革袋を置いた。

 

「……何だ、こりゃ?」

「何だって、金ですよ……フルト家のこれまでの借金を全額返済します」

「はぁ?」

「要らないのかな?」

 

 男はヘッケランから解放された腕を伸ばし、恐る恐る革袋を手に取った。重さを確認し、次いで中身を確認する。

 

「こりゃ……全部白金貨?」

「足りるだろ?」

「……足りるどころか、多過ぎ……」

「全部やるよ」

「……なっ!」

 

 訝し気な男の視線が俺に刺さる。

 そりゃ、そうだろう……金貨300枚程度の借金返済に白金貨100枚を渡したのだから。

 

「……目的は何だ? いや、目的は何ですか?」

「お前のところの事業を買いたい……」

「……へっ?」

 

 言葉の内容がよく飲み込めないのか、男は周囲に視線を泳がせた末に、やっと俺を見返した。

 

「俺達は王国で貸金業を展開している。事業拡大の一環として、お前のところの事業を買い取りたい。顧客も名簿も債権も……店舗も従業員も全てだ。それで足りないなら、言い値で払うが……どうする?」

 

 男は暴力の気配を消し去り、必死に笑顔を作った。ニコニコと笑う間にも抜け目なく算段を続けているのだろうが、俺達の予算の上限を予想出来るはずもなく、生来持ち合わせの乏しい愛想を搾り出しながら、なんとか返答までの時間を引き延ばそうとしているようだった。

 

 俺の立場ではどうでも良んだけど……新たに『八本指』の拠点を作るのが面倒臭いから既存の貸金業者を買うことを思い付いただけ……コイツに目を付けた切っ掛けはアルシェの実家の借金があり得ないぐらい頭の悪い理由で膨らみ続けている事実を知ったからなんですけどね。

 帝都に広がった支配下のワーカーネットワークに貸金業者の情報を要求したら、いの一番にアルシェが持ち込んだ業者がコイツでした。アルシェは相当に恥じていたのですが、俺の要求に対して支配下に在る者が身内の恥だからと隠すことは出来ない……さすがにちょっと申し訳ない気がしたので、借金返済ついでにこの買収を計画したわけですよ。

 ついでにフルト家のご両親も支配しておこうかと思いましたが、どちらにしても新たな債権者は俺だし、フルト家に新たに融資しようという貸金業者も現れない予定なので……放置です。

 

「……で、どうする?」

 

 俺の問いに男は明確に揺れていた。

 俺としてはここで得られる金を得て、俺達とは無関係な人生を送ることをオススメしたいところだが、アドバイスはしない。する必要も無い。なぜなら俺はどちらでも構わないから……だ。

 

「……腹を割ってもらえませんかね……?」

「言い値でかまいませんよ……ただし相応の代価をいただきすが……」

「代価……?」

「これは取引なんです……俺の値付けでは債権込みで白金貨100枚(が限界なん)です。それ以上を望むならばお支払いはしますが、相応の代価も頂戴するということです」

 

 男は考え込み始めた。

 

 これまでの人生において金を借りる為に必死に芝居をする嘘吐き共と渡り合ってきた男だ。当然俺の言葉を疑うはずだし、その結果として嘘が無いことも見抜いているだろう。

 問題は言葉の意味だ。

 俺には丁寧に説明する気は無いし、男もそれを踏まえているだろう。場合によってはアルシェの実家の借金分だけ受け取って帰ることも可能だが、それを実行するには「やるよ」と提示された金額があまりに多額なのだ。身の安全を確保しつつ、事業を継続する為には元手だけでなくそれなりに日々の経費が必要だ。目の前に確実に支払われる莫大な利益がある。ここで事業を清算して利益確定させるのは、男にとって決して悪くない選択なのだ。

 

「……ちなみに代価って……?」

「差額相応のモノです……決断を」

 

 欲張らない方が身の為だ……代価は自分自身なのだ。しかも俺としては大して評価はしていない。代わりの人材は王都の『八本指』から連れて来れば事足りる。その方が事業拡大にとっても、情報管理の面でも、武力面でも役に立つ。そしてそれは『転移門』を使えばものの数分で完了だ……つまり代価としての男の価値は使い潰すことにしかない。武力として期待できない以上、実務や人脈で使えなければ眷属の苗床確定なのだ。

 

 だが男は迷う。

 その気持ちは理解できる。これまでの人生、独立独歩でどうにか凌いできたのだろう。突然、見ず知らずの俺に「生業を売り渡せ」と言われて簡単に納得できるはずがない。怒り狂って、席を立っても良い状況だ。でも男はそうしなかった。つまり悪くない話なのだ。

 さらに言えば、俺は目の前に現金をかなり多めに積んだ。男の迷いなど軽く吹き飛ばす程度には多いはずだ。俺の感覚では凄く良い話だ……泣きながら握手されてもおかしくない程度には。

 それでも男は即答しない。

 突き詰めれば、男が迷っているのは「この金額が綿密な調査の結果なのか、否か」だ。妥当な金額の倍近い額を提示されれば迷うだろう。こうして買収を持ち掛ける俺がどこまで把握しているのか……現実には丸裸なのだが……少しでも欲張りたくなるのは人情だ。

 

 男が俺をチラチラと見ていた。

 

 だーかーら、凶悪面のおっさんの上目遣いは勘弁してくださいなっ!

 

 支配してしまえば楽なのかもしれない……けど、王都と違って帝都で支配している連中は一枚岩じゃないのが問題なんですよ。配下同士で揉め事が起こるのは避けたい。既にワーカー達に深く根を張り、闘技場の興行主達にも触手を伸ばしている現状、貸金業ぐらいは現行の配下で手当てしたい。配下同士が勝手に衝突して眷属で溢れる未来は遠慮したいんです。眷属は絶対に俺を裏切らないし、ものすごく便利なんですけど、見た目が完全に蠅なのがねぇ……しかもユグドラシルと違って、この世界では能力が強大過ぎる上に、第二世代は消えてくれない。肉腫だって消えません……それは都合が良い反面、漠然と恐ろしくもあるわけです。いずれは実験しなければならないのですけど、第三世代が俺の統制下に在るかも不明なんです。既に第三世代の肉腫までは存在しています。肉腫としての機能は存分に発揮していますが、肉腫を植え付けた第二世代の眷属は消えませんでした。つまり仮に統制下から外れるような個体が生まれたら、それはこの世界の終焉かもしれない……となるわけですよ。

 ジレンマですわ。

 なまじユグドラシルなんていうクソ運営の許容した範囲ならば何をやってもOK……PKやPKKまでもが常態化したゲームにどっぷり浸かっていただけに、その影響が色濃いこの世界では警戒心が緩めることができないのです。

 例えば、かなりの低確率ながらもユグドラシルでは特定のモンスターから特異個体が発生するイベントなんてものが在ったわけですよ。さらに進んで、特異個体をあえて発生させて、討伐ドロップのレア素材とイベント報酬のレアな素材をゲットしないと作成不可能な超レア素材なんてものまでありました。

 つまり何が言いたいのかと言えば、特定のモンスターでは特異個体は発生する危険性があるということです。そして少なくとも俺の保有スキルでしか召喚できない眷属から特異個体が生まれない可能性は、サンプル数があまりに少な過ぎて否定できないということです。そしてユグドラシルの設定から外れた存在である勝手に消えてくれない第二世代以下がどうなるのかなど、俺ごときに予測できるわけがありません。

 

 とはいえ、他の高レベルに対して俺の優位性を担保するはスキルに関する情報の少なさなわけですよ。だからリスクを理由にスキルを封印するわけにもいきません。

 

 他の高レベルから逃げ回っている身にしては、資金難の極貧生活からは脱出しました。ハッキリ言って、資金面だけ切り取れば今は超セレブのスーパー金持ちです。しかもこの世界は食い物が美味い。リアルがクソ過ぎた影響なのでしょうけど、何を食べても泣けるぐらい美味い。食生活に関しては「異世界万歳!」ですわ。

 しかし戦力不足で一ヶ所に落ち着けない。セバスさん達や過去に転移したプレイヤー連中のように仲間がいない。仲間がいても『八欲王』のように内輪揉めで自滅ってケースも考えられますが、俺には内輪揉めする相手すら無い。だからこちらの貧弱な戦力の中で見込みのあるヤツを育てるしかない。でも同時に無制限に肉腫を植え付ける怖さがジワジワと忍び寄ってくる。そんな状況下で様々な実験も必要となると、眷属による支配も万能ではないと思い知らされるわけです。むしろ肉腫で配下を増やせば正比例でリスクは上昇する……と感じるわけですよ。

 

 他の高レベルから自身を護る為に配下を増やし、育成する。

 まあ、ここまでは問題ない……既に馴染んでしまいましたが、転移後の精神的な変化が利己的冷酷さを許容しています。

 

 配下が増えたら、彼等の生活を支えなければならない。

 凄く不思議なのですが、これが強烈に気になるわけです。単なる想像で言えば、転移後の精神的変化の一環かなぁ、と考えています。種族的には魔神ですし、カルマ値-500の極悪なんですけど、この2つは確実に転移後の俺の精神に影響を与えていると思うのです。だから支配者系の職業レベルを極めている影響かなぁ、と……まあ、単なる想像なのでビタイチ根拠はありません。

 

 勢力の拡大欲求が強いのも困りものなんです。

 これも取得している職業の影響かなぁ、なんて思いますが、確証はありません。現に俺にしか理解できない肉腫による支配のリスクを承知しているのに、この目の前で凶悪な愛想笑いを浮かべるおっさんを「どうでも良い」と突き放しつつも「どう料理してやろうか」と考えることが止められません。

 目的を達成しつつリスクを回避するのであれば、この男を殺せば良い。もしくは殺さないまでも『八本指』の警備部門を前面に立たせ、恐怖による支配を実行すれば良いと解っているのに、それでは面白くないと思う自分もいる。なんでも自分でやりたい、というか仕切りたいと思うのはユグドラシル時代からの悪癖というか、プレイスタイルなので。そもそも目的が勢力拡大そのものなんですよ。

 

 だから、リスクは承知……でも、止められない……か。

 

 さて……

 

 結局、上目遣いの男は空気を読まなかった。読めなかったのでなく、読まなかった。これも生業の悪癖なんでしょうが……

 

 目の前に糞を漏らしながら泣き喚き、床に額を擦り付けるおっさんがいた。

 

 せっかくの美味い食い物が……

 

 

 

 

 

**************************

 

 

 

 

 

「墳墓……?」

「ああ、帝国貴族のフェメール伯爵から王国内の遺跡調査の依頼なんだ。トブの大森林付近に存在する未踏の墳墓って話なんだが……ゼブルさん達はエ・ランテルから来たんだろう? で、何か知らないかと思ってな」

 

 宴席に『ヘビーマッシャー』のグリンガムが顔を出し、俺に挨拶をした後、ヘッケランと何やら話し込んでいた。そして話終えたのか、ヘッケランが俺のテーブルに来るなり依頼の話を切り出した。

 

 ……マジか……俺も依頼に混ざれないものか……楽しそうだし!

 

「……ちなみに冒険者は不可なんだ。道中の護衛や連絡役には雇われるようだけど……墳墓内に侵入するってことは、王国内で暴れるわけだし……」

 

 俺の心中を察したか、ヘッケランが言った。

 

「ちっ、ツマンネ!」

「そう言うなって……俺達とグリンガムのところと、『天武』に老公の『竜狩り』に依頼があって、今のところ全チーム受ける方向で動いているんだが……調査では依頼主の素性も報酬もしっかりしているんだが、どうにも肝心の墳墓の情報が掴めない」

「……情報が掴めないのに未踏の墳墓か……確かに妙だな」

「だから、エ・ランテルから来たゼブルさん達なら何か知らないかと思ったんだが、その様子じゃ……」

 

 半ば諦め顔のヘッケランを見て、ティーヌとジットに加えてブレインまで呼んだが、「未踏の墳墓」なんて情報は誰も知らなかった。

 トブの大森林の地理に詳しい元法国特殊部隊員ティーヌ。

 人間種以外の駆除のエキスパート集団が認識すらしていない墳墓ねぇ……アンデッドは駆除対象から除外とか、あるわけがないだろうし。

 ズーラーノーンの情報網を使える立場あったジット。

 死霊術に特化した秘密結社が遺跡と呼ばれる規模の墳墓の情報を知らないとか……ありえない。

 王国出身で、エ・ランテル周辺で傭兵業というか盗賊紛いだったブレイン。

 洞窟を隠れ家にして盗賊稼業に勤しむような連中なら、未踏の墳墓なんて垂涎の情報だろう。

 この全員が噂すら聞いたことが無いのはおかしい……が、それだけにゲームのイベントチックで楽しそうではある。状況だけで判断すれば罠の可能性は高いが、帝国のワーカーチームをハメて、得する奴なんているのか?

 依頼主はフェメール伯爵とかいう奴だ。

 フェメール伯爵がどんな奴かは知らないが、ヘッケラン達の調査では宮廷内では立場を失いつつあるものの、金銭的には困っていない……らしい。そんな状況の貴族がわざわざ莫大な資金を投じてまで複数のワーカーチームをハメる真意は何か?

 ワーカーでなく、宮廷内で敵対する貴族や高位官僚ならば理解できるが……ワーカーなどという冒険者以下の社会の最底辺をハメることに、どう考えてもメリットは見出せない。

 

 と、いうことはフェメール伯爵の方が罠にハマっている可能性が高い。

 

 これはついてはほぼ確実だろうと思う。となると、どのようなハマり方をしているかが問題になる。

 

 フェメール伯爵は名を勝手に使用されたのか?

 それとも本人が罠にハメられたのか?

 

 前者であれば、さすがにヘッケラン達の調査である程度の疑問が生じるはずだ。しかも投入された資金は本物だし、おまけに前渡分の報酬についても帝国が運営する銀行でいつでも現金化が可能だと言う……つまりある程度はフェメール伯爵本人が介在してなければ手配できない。もしくはフェメール伯爵や国営銀行を強引に捻じ伏せられるだけの権力者が背後に存在することになる。つまりより高位の大貴族や皇族だが、さすがにそれなりの権力者であればもっと上手いやり方があるはずだ。

 よって後者である可能性が高い。友好的に振る舞いつつも、実際には悪辣な罠を仕掛けられているようなケースはリアルの社会でも度々目にした。こちらの世界でも梯子を外すパターンというものはあるだろう。美味しい餌に食いつこうとした瞬間、後戻りをできないようにハメる……当然、ハメた側は失敗前提で物事を想定しているが、仮に上手くいっても良いような状況を設定しておけば、どちらに転んでも損は無い。権力者が自己保身兼敵対者の排除で仕掛ける黄金パターンと言っても過言ではない。

 

 では、何の為にフェメール伯爵に罠を仕掛けるのか?

 

 フェメール伯爵自身を失脚させる為……とも言えないこともないが、フェメール伯爵を釣る餌を用意する手前、彼より高位の存在が仕掛けた罠である可能性が高いのだから、失脚の名分作りとは考えにくい。もっと資金も手間も要らない方法はいくらでも思い付く。

 伯爵が周囲に担ぎ上げられた線も考えられなくもないが、そういう類の話であればヘッケラン達の調査でいくらでも情報が入ってくるはずだ。

 となると、簡単に思い付くのは捨て駒だ。あくまでもヘッケラン達の調査が正しいことが前提となるが、フェメール伯爵の宮廷内の立場を考えれば、それほど有用でない人材として認識されている可能性が高い。経済的に困窮していない相手を釣るのだから、餌は確実に地位や権力だろう。それらを用意さえ出来れば、事を成功させてフェメール伯爵が地位や権力を手に入れようと、失敗して切り捨てることになろうと、どちらでも良いのだ。それ故に魅力的な罠となるとも言える。つまりかなりの実力者がフェメール伯爵の背後に存在することになる。貴族を釣る餌を用意可能な人物……つまり皇帝、もしくは皇帝の側近だ。どちらにしてもバハルス帝国の体制を考慮すれば、必ず鮮血帝の影がチラついて見える。

 

 では、捨て駒だとしたら、鮮血帝は何に対して捨て駒を用意したのか?

 

 王国?

 毎年のように戦争を仕掛ける相手に捨て駒など必要か?

 外交的には必要なのかもしれないが、普通に考えた場合、どのみち戦争するのであれば噂の未踏墳墓の領有権を主張した方が早い。

 

 法国や他の周辺国?

 王国と揉めさせる為に仕掛けられた罠を回避する為とも考えられないこともないが、やはり毎年王国に戦争を仕掛けている以上、捨て駒が必要とは思えない。資金や手間を費やすだけ無駄というものだろう。企ての裏側に何者が潜んでいようが、当面の相手が王国であれば、とにかく突っぱねるだけで話は終わるのだ。

 

 捨て駒の可能性は低い……か?

 

 で、あるならば……隠蔽工作しか考えられない。

 なんらかの企てに帝室が絡んでいないと言い張る為か……同じ捨て駒には違いないが、このケースではフェメール伯爵という存在を完全に捨てている点が違う。成功の可能性など一切考慮していない。事の成否に関係なく、最初から完全に葬るつもりなのだろう。責任の全てを押し付けて、いわゆる「死人に口無し」的な扱いになるだろう。つまり鮮血帝にとってフェメール伯爵は俺の想像以上に無能かつ無用な存在に違いない。むしろこのような用途の為に飼い続けていた、と想像できる。

 

 その企てが王国内の未踏遺跡の調査なのか?

 だから背景に強固な組織を持つ冒険者を雇わず、切り捨て要員としてのワーカーチームなのか?

 

 確かに……そう考えた方がスッと腑に落ちる。

 

 では、何に対しての責任を押し付けるのだろう?

 

 この際、王国は無視してよい。理屈で考えても帝国が王国の主権を尊重するはずがない。感覚的にも「王国組し易し」と思っているから、毎年のように収穫期を狙って戦争を仕掛けているのだ。戦争の時期設定の意図など容易く見破れるはずなのに対応できない王国は、帝国に侮られて当然とも言える。どうしても墳墓が欲しければ戦勝時に講和の対価として受け取れば良いのだ。

 王国でない以上、普通に考えれば墳墓の主となるのだが、遺跡のモンスターに対して貴族の首一つで回避できる責任というのも凄く違和感を感じる。未踏墳墓の主が人間種というのも奇妙だし……やはり高位アンデッドか、そこを住処にしているモンスターの長というのが普通な気がする。

 モンスターに対して、

「フェメール伯爵が勝手にやらかしたことです。帝国は関係ありません」

 て、主張する事に意味などあるのだろうか?

 

 あるはずが無い……よな、絶対。

 

 フェメール伯爵の首なり骸なりを差し出しても、人間種以外が納得するとも思えない。仮に帝国がそう考えているのだとすれば、帝国上層部は墳墓の主を知っていることになる。そして墳墓の侵入に対しての報復が帝国上層部に向かうことも予測しているのだ。「未踏墳墓」という触れ込みとは大きくかけ離れている。

 

 最悪、ワーカーチーム込みで生贄……邪教集団ならばともかく、国家が生贄を捧げるとか、ありえない……理解できない……というよりも、この依頼は全体的に歪というか、狂っている……と思う。

 

 まあ、ありえないとは思うが、生贄よりは未踏墳墓サイドの搦手に帝国上層部が乗せられてしまったと考えた方が、まだしっくりくる。

 

 けど、だからこそ面白そうなんだよなぁ……ゲーム的なイベントの臭いがプンプン漂ってくるし……その上、情報が無い「未踏の墳墓」などという、いかにも思わせ振りな矛盾が依頼の段階で判明しているのもイイ……依頼自体のとち狂った感じも凄くイイですよ!

 

 ユグドラシルから連想するならば、無数に存在した墳墓の中でも、俺にとっては『ナザリック地下大墳墓』だ。中に入ったことはないが、伝説の「1500人プレイヤー撃退」の映像は何回も見せられた。

 

「墳墓と言えば『モモンガ』さんか……なんか懐かしいなぁ」

 

 散々真剣に考え込んだ末にそう呟いた俺を見て、ヘッケランが半ば呆れるような顔付きになった。

 

「遺跡の情報が欲しいんだ……意見でもいい……コイツは違和感を感じる依頼なのは確かだろ?」

「まあ、俺が現在のヘッケランさんレベルなら、仲間の安全も考慮してお断りするかなぁ……でも、俺個人としては凄く好みの依頼だね……十中八九罠だけど」

「……やっぱ罠なのか?」

「不自然すぎて罠じゃなきゃ逆にビックリって感じ、だね。それでも受けたい理由があるのかな?」

 

 微妙に視線を外したヘッケランが指先で額を掻いた。

 

「もはや報酬は理由にならないんじゃないかな? フルト家の債権は既に俺のものだし……」

「……ゼブルさんには助けられたし、戦力強化もしてもらったし、すげえ剣ももらったけど……約束があってな」

「約束?」

 

 ヘッケランの顔が少し赤らむ。その視線の先には完全に酔っ払いと化した、踊るイミーナがいた。

 

「結婚資金ねぇ……(正気かよ?)でも、死んだら元も子もないですよ」

「……この前の訓練つーか、合宿? アレで多少は強くなったと思うんだけどなぁ……ダメ?」

 

 あくまでもユグドラシルの経験で言えば、だけど……

 

「……遺跡と呼ばれるような墳墓を支配しているバケモノに届くとでも?」

 

 イベントボスだろうが、そのボスを討伐して墳墓の支配権を握ったプレイヤーだろうが、どちらにしても現状のヘッケランレベルが何人集まったところで相手にならないだろう。現に『モモンガ』さんのアインズ・ウール・ゴウンはほぼ100レベルで占められた1500人のプレイヤー集団のほぼ全てを、NPCと反則的ギミックと『モモンガ』さんのスキルで撃退した……侵攻サイドが数任せの力押しだったとはいえ、である。つまり俺でも単独じゃ無理。地の利を得るのが敵である以上、上手いこと情報が集まったところで単独じゃ絶対的に無理ですわ……逆に攻略の欲求やワクワクは高まるけど。

 

「……でもなぁ……なんか心躍るんだよなぁ」

 

 ヘッケランのその気持ちは理解できるが、成長したといってもせいぜい20台半ばに達しないレベル程度にしか感じない『フォーサイト』の面々では絶対に不可能。20台後半になったか、ならないか程度エルヤーでも無理。メンバー全員が前武王ゴ・ギン並みのステータスでも荷が重い。

 敵は高レベル……そう想定すべきだ。100レベルならば帝都のワーカーが1万人……いや10万人集まっても可能性は0だ。せいぜい相手が人間種ならば、相手の継戦能力を超えたゾンビアタックで一発入れられればいい程度……まあ、その前に撤退されて、体勢を立て直されて、あっさりしゅーりょーだろう。それ以前に相手の初手の一撃で全滅の可能性が高いし。

 

 要するに無駄だ。そんなことに配下を投入したくはない。

 

「金……いくら積んだら諦められますか?」

「金?……諦める?……ンなことしなくても、命じてくれれば俺らはこの依頼を断るぜ。でも、国家が仕掛けた罠ならば何人かのワーカーは差し出すようだろ? しかもそれなりに腕利きじゃなきゃならないぜ」

 

 ……だったら、俺らに任せろ、とヘッケランは言っているのだ。この帝都のワーカーでヘッケランレベルは何人もいない。俺にとっても貴重だが、帝国にとってもある程度の能力を持つ、後腐れのない捨て駒として貴重なのだ。

 だが捨て駒もしくは生贄が必要な理由が不明だ。

 ならば、話をするしかない……聞き出すしかない。

 

「……回答期限は何時ですか?」

「明後日の正午……きっかりだ」

「では、そこまで誰も回答させないでください」

 

 ヘッケランはキョトンと俺を見返したが、そのまま頷いた……それは命令なのだから、彼に逆らう術はなかった。ざっくりとした感覚で、配下では一番レベルの高いティーヌですら叛逆可能域に達していないのだから、ヘッケランには頷くしか選択肢が無いのだ。

 

「ちょっと今から話をしてくる」

「……誰と?」

「鮮血帝……かな?」

 

 一気に空気が凍りつく中、テーブルに並ぶ料理の中から、こちらの世界でお気に入りの豚肉の串焼きを掴み上げ、頬張る。

 

「1人で行くから、お供は要らないですよ……それにすぐに戻ります」

 

 そう言い残して、俺は「歌う林檎亭」を後にした。

 




お読みいただきありがとうございます。


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13話 魔王じゃなくて、魔皇だそうです!

久しぶりの投稿になります。
投稿は14巻を読み終えてからと考えていたら、コロナで破滅的に仕事が忙しくなってしまいました。かなり間隔が空きましたが遅筆なりに着地点まで頑張りますので、よろしくお願いします。


 

 宿を出て、周囲を見回せば、そこかしこに帝国兵の姿が見えました。あれだけ堂々と監視されていれば、もはや驚くような話でもないよなぁ。

 単純に兵の中でも偉そうな奴を探します。

 それにしても帝国兵って連中は装備もレベルも均一化されていて、非常に見分けが難しい……だから、ってわけでもないけど、今回は簡単に偉そうというか、強そうな奴がすぐに発見できました。

 黒い鎧に黒い槍……単純に装備が違うだけでも目立つのに、ソイツはレベルも高く、かつ女性です。

 目が合いました。

 表情が固まっています。

 彼女の周囲を固めていた兵士達の動きも止まりました。

 通りの向かいに立つ彼女のところまで真っ直ぐ進みます。

 少しギョッとした表情を見せた後、彼女は無理矢理とも思える強引な笑顔を見せてくれました。ただし顔の半分は前髪で隠していましたが……

 

 せっかくの美人さんなのにもったいない……けど、ちょっとこちら側に足を踏み入れているのかも、などと期待もしてしまいます。今までのところ、こっちの世界で明確に同好の士はラキュースさんだけだし……彼女はちょっと重症過ぎてビックリですけど……それっぽいのは沢山いるけど、普通にマジックアイテムが流通している世界だから格好だけの奴が多いのです。だから見極めが難しいのですよ。

 

「えーっと、貴女は偉いのかな?」

「……偉いかどうかは判りかねますが、帝国四騎士という職位には就かせていただいておりますわ。レイナース・ロックブルズと申します」

 

 半ばこわばっているような笑顔だったが、レイナースは堂々とした仕草で優雅に一礼しました。確かに兵士というよりは騎士のような気品を持っているような気がします。職業ではなく、階級としてですけど。

 

「これは丁寧に、どうも……俺はゼブルと言います。ちなみに作法とかには全く疎いので、気に障ったらごめんなさい」

「貴方様が誰かは当然存じておりますわ。もちろん作法など気にしなくて結構です……今回はどのような御用件で?」

「付き合って欲しいんですけど……いいですか?」

「……なっ!」

 

 レイナースさんは真っ赤になりました。慌ただしく視線を泳がせ、オロオロと取り乱し、何度も咳払いをしています。

 

「……私などでよろしいのでしょうか?」

 

 ……ん?

 

「よろしいも何も、貴女じゃないとダメなんです」

「私……じゃないとダメ?」

「もちろんですよ!」

「………強引なお誘いですわね……?」

「強引も何も、緊急です……だから無理も通しますよ」

「緊急?」

「だから急ぎます」

 

 レイナースの手を取ると、案外とうぶなのか、彼女の身体は強張りました。

 

「グレーター・テレポーテーション!」

 

 

 

 

 

 

 

「……たのもー……」

 

 自分でも情けなくなるぐらい声が小さかった。

 でも悔しいので、テンションだけは上げていく……つもりだ。

 ユグドラシル以外でこんな場所に来るのも初めてなら、支配階級の偉い人と会うのにどうすれば良いのか全く知識も無い。リアルならばそれなりに上手く乗り切る自信はあるが、このファンタジー封建階級社会での手続きなど知っているはずもない……その事実にここまで来てやっと気付くとは……ティーヌでも連れてくれば良かったのだろうか?

 

 とにかくレイナースさんにまるっと任せるしかない!

 

 夕暮れの帝城の城門前は凄まじくバタバタしていた。衛兵が駆け回り、物陰では礼服を着た連中が怒声で何かを罵っている。

 

「……只今、陛下は身支度中のとこと。ゼブル様にはしばらくお待ちいただきたいとのことですわ」

「了解です」

 

 どういうわけか、レイナースさんがギュと手を握り返した……というよりも「歌う林檎亭」の前からズッと握っている。

 

「全てお任せください、ゼブル様……私が先導いたします」

 

 なんと力強い御言葉いただきました!

 ……では、遠慮なく丸投げさせてもらいますわ。

 

 手続き等は丸投げ。

 帝城内の建物や人の流れを観察する。

 上空にはヒポグリフに跨った衛兵。

 城内の兵の役割分担も機能的。

 文官は文官の……武官は武官の……それぞれの役割を良く認識して、全うするように努めていた。

 現状では兵士のレベルが低い為、この城を落とすこと自体は簡単だ。しかし帝城の守備が高レベルプレイヤーとNPCで構成されていた場合、それなりに落とし難い。

 

 ……なーんて、考えている内にロウネ・ヴァミリネンと名乗る鮮血帝の秘書官が姿を現し、俺の手を握り続けるレイナースさんに不審な眼差しを向けながらも、複雑な順路を踏んで、いわゆる一般的な謁見の間と違う、皇帝の私的な執務室に案内してくれた。

 丸投げした手前、俺はレイナースさんに手を引かれる子供のような有様を許容し続けた。

 

 すれ違う文官武官達の視線が痛い……が、我慢我慢。

 

 いつでも『転移門』が開けるように、帝城内の作りを記憶する……が、似たような光景の連続でなかなか難しい。

 

 まあ、転移阻害は無さそうなので、最悪でも逃げるだけは問題ないか……

 

 王都でも散々疑ったが、帝国内にも高レベルの存在が隠れていないとは言い切れない。プレイヤーの誰もが『六大神』やら『八欲王』ではないだろう。隠遁とまでは言わないが、国を作ったり、非道の限りを尽くしたりしたいわけではない……と思う。ただプレイヤーであれば間違いなく防衛には気を配っているに違いないのだ。支配も闘争も十二分に考えられるだろうが、逃走も浸透も転移後の選択肢として有力だと思う。

 たかがゲームとはいえ、ユグドラシルのPKの嵐の中を生き抜いてきたプレイヤーならば、ユグドラシルの影響が極めて色濃いの世界では確実に生き残ることを選択する。

 

 ただ淡々と城内を案内されているようだった。

 ボディチェックもなく、身体検査もなかった。

 影武者でもなく、厳重な警備もなく、その扉の前に盾二枚持ちのゴツいおっさんと「正統派」と顔面に書いているような青年騎士が立っていた。そこらの衛兵とは比べものにならない戦力だが、せいぜいレイナースさんと同程度……つまり帝国四騎士とかいう奴らだろう。

 

「……」

 

 盾二枚持ちのおっさんは黙って一礼した。

 

「私はニンブル・アーク・デイル・アノックと申します。彼はナザミ・エネック……共に帝国四騎士の役目を務めております」

 

 和やかに青年騎士ニンブルが挨拶した直後、レイナースが俺の手を引いている様を見て、少し顔を顰めた。

 

「無口なのが『不動』、スカしているのが『激風』、これら以外に『雷光』という下品な男がいて、そして私は『重爆』と呼ばれていますわ……ゼブル様」

 

 レイナースさんは他の同僚に対して含むところでもあるのか、少し刺々しい言葉を吐いた。

 対してニンブルはレイナースさんを無視し、俺を室内に促す。

 

「ゼブル様のみ、御入室下さい。中で陛下がお待ちです」

「レイナースさんは?」

「陛下もお一人でお待ちです……是非、お二人でお話になりたいと……」

「……と、いうわけらしいよ、レイナースさん」

 

 じーっと俺を見つめ……見つめ、いや、見つめ……ちょっと長いです……そしてようやっと、レイナースさんが手を離した。

 

「……儀礼的なアドバイスをする約束ですわ」

「そうは言ってもねぇ……さすがに皇帝陛下のご意向を無視しちゃマズいよ」

 

 レイナースさんがニンブルを見る。

 ニンブルは難しい表情を作り、首を左右に振った。

 

「……ゼブル様……私はここでお待ちしております」

 

 ようやっとレイナースさんは諦めたのか、盾二枚持ちおじさんの横に控えてくれた……うーん、世話好きなのはありがたいけど、なかなかに面倒くさい女性だ。

 

「では、どうぞ」

 

 ニンブルが扉を開く。

 

 やたら豪華な内装……仮にも皇帝の執務室だ。当然と言えば当然……シックな赤茶色のソファで寝そべるカリスマがいた。

 鮮血帝が立ち上がり、大きく両腕を広げた。

 

「まさかまさかゼブル殿の方から面会にいらしてくれるとはな……私がバハルス帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスだ」

 

 武力は大したことはない。はっきり言って有象無象だ。簡単に捻り潰せるような矮小な存在……でも、俺は単純に圧倒されていました。

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

「そう緊張しないでくれ、ゼブル殿……この状況下、生殺与奪は貴殿の手に握られている。本来、私の方が緊張すべき立場だと思うのだかな」

 

 皇帝が自らの手で飲み物を注ぎ、グラスを俺に手渡す。絵に描いたようなざっくばらんだが、相手が相手だった。

 そして皇帝自ら同じ飲み物をグラスに注ぎ、先に一口飲んだ。毒味もクソもない……信頼しろ、ということか?

 

 しかしこの状況を緊張せずにやり過ごせる日本人っているのだろうか?

 

「……私はゼブル殿と友人になりたいと思っているのだ。今後とも貴殿が帝国に来訪された際には、是非とも私を頼って欲しい」

 

 言葉は甘い。

 声音も甘い。

 ついでに容姿も甘く、笑顔は更に甘い。

 そして心は冷え切った鋼なのだろう。国政改革や国家運営には熱いのかもれしない。しかし市井の一個人に甘いわけがないのだ。皇帝にとって俺は不法入国の犯罪者……しかし「使える」ということだ。ソコを忘れちゃあ、俺は俺を保てないだろ、と……俺は皇帝に聴取する為に来たのだ。そして俺に対する鮮血帝の反応は、これまでの推測が大筋間違っていない証だ……と考えて間違いない。

 気を引き締め、向き直る。

 

「ありがたいお言葉です……が、本日、こうして突然お邪魔したのには理由があります……話してもよろしいでしょうか?」

「なんなりと……ゼブル殿の頼みであれば、余程の無茶でない限り聞き届けよう。国を譲れと言うような……ものでない限り……まあ、貴殿がその気になれば国の一つや二つ、簡単に手に入れるのだろうが、このバハルス帝国だけはやるわけにはいかない。他国を手に入れるから協力してくれ、と言うのであれば喜んで助力しよう」

 

 皇帝ジルクニフはニヤリと笑った。

 良くも悪くもざっくばらんだ。そのフランクさも計算されたものなのだろうが、俺としても悪い気がしない。この世界の人間種におけるVIP中のVIPの一人が俺に手を差し伸べているのだ。わざわざ拒絶するアホはいない。

 そのまま奥のテーブルにある果物と菓子の盛られたワゴンまで歩き、今度は皇帝自らがワゴンを押して、俺の前のローテーブルの上に果物と菓子を給仕する。

 この「皇帝自ら」というやつが厄介というか、どうにも俺以外の他者には与えられない栄誉に感じさせられるし、実際のところも皇帝の狙い通りなのだろう。俺の武力が背景にあると理解していても、一国を動かす本物のカリスマからの歓待は心地よく自尊心を刺激してくる。

 

「最高の逸品を揃えさせたつもりだ……さて小腹を満たした後でも、話が先でも良い。是非、ゼブル殿の願いを聞かせてくれ」

「じゃあ、遠慮なく話させてもらいましょう……」

 

 正直、果物も菓子も非常に美味そうだったが、なんとか眼前の誘惑を断ち切り、握られたままの主導権を揺さぶらねばならない。

 まず俺はフェメール伯爵からのワーカー達への依頼の不自然さを語った。

 

 さすがは皇帝……気配も表情も変わらなかった。

 

 さらに背後に皇帝陛下周辺の影が感じられる点も直球で言った。

 

 ジルクニフは揺れない……薄く笑ったまま、俺の話に頷いていた。

 

 そして「罠」と断言するに至った。

 ワーカーは捨て駒……というか生贄。

 フェメール伯爵は犠牲の羊……つまり殺される。殺される為に生かされている、とも。

 

 それでも鮮血帝の鉄面皮は1ミリも揺れないのだ。

 

「今、帝都のワーカー達は俺の……」

「理解はしているつもりだ、ゼブル殿……しかし、こちらにも事情がある」

「事情とは?」

「……言う必要は無い……と言いたいところだが、それでは事前の約束を違えてしまうかな、ゼブル殿?」

「持って回った言い回しはやめて欲しい、陛下」

 

 ジルクニフがこちらを見上げていた。

 全く思い通りにならない流れに、思わずソファから立ち上がっていたようだ……冷静になれ、俺……いいようにやられっぱなしじゃないか。

 

「……魔皇ヤルダバオト……ご存知か、ゼブル殿?」

「ヤルダバオト……?」

 

 全く思い当たらない……俺の様子を見て、ジルクニフは大きく嘆息した。

 

「やはり知らないか……」

 

 はい、知りません……が、ソイツが元凶なわけね。

 

「そのヤルダバオトがどうしたのですか?」

「……そのヤルダバオトの使者が私の前に現れたのだ……それも後宮の私の寝室に。そして帝国に対して要求があった。要求は一つだけだが状況を報告せねばならない。私以外は後宮を監督する者しか知らないことだが、魔皇の使者は一日置きに後宮の寝室を来訪する……そして進捗を求められるのだ。無視はできない。当然、ペナルティーもあると想定している」

「つまり魔皇の使者の要求に従う為にワーカー達とフェメール伯爵を犠牲にする、と……?」

 

 ジルクニフは少し渋い表情を見せ、深く頷いた。皇帝の鉄面皮も完璧ではないのようで、僅かに精神が揺れたのが視認できた。

 お陰でこちらに余裕ができた。

 

 ユグドラシルのイベントであればなかなか面白そうな案件だが、問題なのはこれがこちらの世界では紛れのない現実である事と、魔皇ヤルダバオトが何者なのか、という2点だ。こちらの世界では強いのか……そりゃ、こっちの世界の連中を基準にすれば「魔皇」を名乗るぐらいだ……当然強いのだろう。

 ではユグドラシル基準だとそのレベルは?

 種族は?……「真なる竜王」や「神人」ほどに強いのか?

 現地勢でも油断は出来ない……が、それならば情報収集は簡単だ。

 プレイヤーである俺には使えない『武技』やら『生まれながらの異能』やらも脅威ではあるが絶望的ではない。

 最悪のケースは魔皇ヤルダバオトがカンストプレイヤーのギルドやクランを率いている場合だ。

 俺のようなソロプレイヤーであれば、やりようはある。

 仮にギルドやクラン相手であっても相手がマヌケ揃いならば十二分に勝機はある。しかしメンバーの中にPKガチ勢のプレイヤーが一人でもいるとかなり厳しさが増す。

 加えて策略や諜報に長けた奴もいた場合、ほぼ無理ゲーと化してしまう。そんな連中を相手にすると全ての局面で先回りされ、こちらは後手の踏みっぱなしになってしまうのだ。

 

 普通に考えれば「ヤルダバオト」などと名乗る以上、プレイヤーで間違いない。グノなんとか主義でいうところの『偽の神』だったか……キャラの名称として使用されることも多かったから、こっちサイドの病を患った連中ならば重症でなくとも確実に知っている。

 ギルドやクランの名称が「ヤルダバオト」であり、ギルマスを「魔皇」とでも呼んでいるのだろうか?

 それならば異形種ギルドの可能性が高い……ような気がする。

 だが俺も異形種プレイヤーの間ではそれなりに顔は広いほうだった。主にやたら行動的な『バンバン』さん人脈の影響だが、そうでなくとも異形種ギルドの情報はかなり集めていたとの自負がある。

 

 まあ、主に通称『ギルドクラッシャー』の活動で、誤爆して襲わない為ではあったけど……

 

 少なくともそんな名称のギルドは知らない。ヘルヘイムに本拠を構える異形種ギルドの中には絶対に無いと断言できる。クランについては知り合い中にいない程度なので否定する根拠は0に等しい。ちなみにソロプレイヤーで「ヤルダバオト」を名乗っている奴も知らない。こちらはいくら数が少ない異形種プレイヤーとはいえ、とても把握できるような数ではないから、存在を否定できる要素は皆無だ。人間種ギルドの中にも異形種プレイヤーは腐るほどいたわけですし……人間至上主義の『六大神』の中にオーバーロードっぽいアバターのスルシャーナってプレイヤーがいたもの、この証左だろう。

 

 要するに現時点で名称以外の情報は0ってことですよ……

 

「……まず情報が欲しいですね。出せるものは全部教えてください」

 

 俺の訪問は皇帝ジルクニフにとって渡りに船だったのか、それとも「魔皇ヤルダバオト」という存在を話した以上、俺を取り込むべきと腹を括ったのか、この質問にはすんなりと答えてくれた。当然、秘匿されている部分はあるのだろうけども、名称以外0に比べれば情報収集の取っ掛かりとしてはかなり上等だ。

 まず「魔皇ヤルダバオト」の容姿は不明。使者が本人の偽装でない限り、ジルクニフの前に現れたこともない。

 魔皇の使者との会話から、ジルクニフは王国内に本拠が在る可能性が高いと予測している、と言う。

 魔皇ヤルダバオトからの「お願い」は「遺跡調査」であり、目的は遺跡の中にあるモノだと言う。調査によって得た遺物や宝も、一通りの調査の後、目的のモノ以外は帝国に引き渡す条件だ。

 耳障りの良い好条件に聞こえるが「嘘だろう」とジルクニフは言った。

 

 完全に同意だ……悪辣なのは条件の真偽ではない。

 嘘が見抜かれようと見抜かれまいと、ヤルダバオトにはどうでも良いのだ。帝国側に拒否権が無いことこそが大問題なのだ。行為を行わせることに主眼が置かれているのは間違いない……つまり目的のモノが手に入ろうが入るまいがどうでも良いのだ。そもそも目的のモノなんてあるのか自体が疑わしい。バハルス帝国に墳墓を調査させることそのものが目的なのだろう。

 俺の想像と同じようなものをジルクニフは確実に認識している。

 だから墳墓に対して関与の事実を少しでも薄める為にフェメール伯爵を全面に押し出し、さらに後腐れのないワーカーを使うわけだ。魔皇ヤルダバオトへ提案する手前、それなりに腕利きのワーカーでないと拙いのも理解できる。

 

 だからといって、俺の配下を情報すら無い死地に送るわけにはいかない。

 

 俺にとって、この時点で「未踏の墳墓」なる情報は完全に虚報と確認できたのが収穫だった。配下のワーカー達、特に結婚資金を欲しがっているヘッケランに手を引かせるには良い口実というか、理由を得たのだ。要するにこの未踏墳墓が実在するのならば「現地人にとって」と頭に付くのだ……まず満足すべき成果だろう。

 

 魔皇の使者は進捗の報告も求めると言う。現在までのところ、一日置きの深夜帯にジルクニフの寝所を魔皇の使者か訪れるらしい。その際に提案された計画に対する修正後、予測される結果と時間的な揺らぎの幅まで詳細な報告を求められたと言うのだ。徹底した管理だ。誤魔化しようのない極限の厳密さを求めらるらしい。

 

 しかし裏返せば「交渉可能」ということだ。

 

 魔皇の使者はこの件について全権を任されているように感じるが、メッセージを使っている可能性もあり、ただの使い走りの可能性も捨てられない……とジルクニフは語っていた。加えて魔皇の使者の見た目はともかく会話自体は極めて理性的であり、対応は極めて柔軟だったらしいのだ。

 

 ただし拒否だけは出来ない、と。

 

 明確な脅迫があったわけではない。しかし現実に厳重な警戒の中を誰にも気付かれずに後宮のジルクニフの寝所に入り込まれた。つまり説明する必要もないぐらい「殺すのは簡単だ」ということだ。

 

 ジルクニフの話を聞く限り、未踏墳墓は魔皇ヤルダバオトの敵対勢力の本拠の可能性が高い。単純に墳墓の危険性を考慮して、内部調査に自身の配下を使いたくないだけ……普通に考えればその結論に行き着く。しかし連中のやり口は周到なだけでなく、極めて暗示的なのだ。直接手を下さないだけでなく、目的の説明すら無い。つまり「ことの成否」に無関心と感じてしまう。バハルス帝国を墳墓に接触させた先に、魔皇ヤルダバオトが何を考えているかまでは予測不能だが、帝国に難癖をつける為に目的でない難題を吹っ掛けた可能性も捨てられないのだ。ちょっと穿ち過ぎな気もするけど……

 

 だが以上の推論に推論を重ねて補正しなければ使えないようなあやふやな情報の断片は、この最大の情報の前では霞んでしまう。

 

 魔皇の使者は異形種のメイド。

 

 メイドと言えば、セバスさんのところの爆乳メガネメイドがすぐに思い出されたが、ジルクニフの話では使者の容姿は完全に別人だ。しかしジルクニフの予想通り王国内に本拠が在るのだとすればセバスさんのところとの繋がりも大いに考えられる。セバスさんのところのギルマスが魔皇ヤルダバオトまで考慮すべきだと思う。

 魔皇の使者は人間の姿ではないらしい。美しくはあるものの明らかに人間を模した仮面を被り、手足や髪まで人間を模しているものの奇妙な印象は拭えないらしい。おまけに高度な符術を使い、情報を映像で見せると言う。

 モンスターの類とは思えないし、傭兵NPCでもない。

 つまりプレイヤーだ。

 そしてまだ推測の域を出ないが、件の墳墓が実在し、魔皇ヤルダバオトと敵対しているという前提に立つのならば、おそらくプレイヤー集団の侵入すら阻む戦力を有しているに違いない。つまり帝国のワーカーごときが何人集まろうと攻略不可能なのだ。

 

 では何の為に帝国にやらせるのか……それが最大の謎だった。

 

 はたして未知の現地勢力か、それともプレイヤーの拠点か?

 プレイヤーは魔皇か、墳墓か……それとも両方か?

 

 なんともキナ臭い展開ですやん!

  

「陛下、次にヤルダバオトの使者が現れる予測日時は?」

「今夜だ……いつも通りであれば深夜、後宮の私の寝所に現れるはず……捕縛でもするつもりか?」

 

 即答するジルクニフの表情がこれまでよりも大きく揺らいだ。明確に不安が漏れている。

 

「いいえ、少し本気を出すだけですよ」

「では、どうするというのだ……私の寝所で戦闘は困る。それに魔皇ヤルダバオトと敵対するのも困る。もしゼブル殿が魔皇ヤルダバオトと敵対するのであれば、帝国に味方する確約が欲しいのだが……」

「……パーフェクト・アンノウアブルって魔法を使い、寝所の片隅で陛下と魔皇の使いの会話を盗み聞きしています。そして追尾可能ならば魔皇の使いの侵入経路を探ります。俺だって無駄に敵を作りたいわけじゃない」

「……パーフェクト・アンノウアブル……?」

「第九位階の魔法です……魔法詠唱者でない陛下がご存知ないのは当然と言えば当然ですね」

「第九位階!」

「その通りです。本来第三位階以上が使えるということは隠したいところですが、隠したところで、後で陛下の側近であられるフールーダ・パラダインに確認されれば使用した魔法の位階程度の情報はバレてしまうでしょう? どうせ陛下の御前で使うのです。だったら事前に話しておいた方が問題が生じないかと考えました」

 

 会話の主導権を握り返し、やっと眼前のローテーブルの盆に盛られた、美味そうな菓子を摘めた……うーまーいー!

 

 かなり狼狽た皇帝ジルクニフだったが、瞬時に表情を戻した。

 だが、もはや俺の精神的な優位は動かない。元々「魔皇ヤルダバオト」以前に、滅ぼそうと思えば帝都アーウィンタール程度の規模であれば簡単に死の都にできるのだ……などと思える程度には余裕ができた。

 ジルクニフは魔皇避けに魔神を引き込もうとしたのだ……俺の配下であるワーカー達を巻き込んだのが、魔皇の使いに提示された案に従ったからなのか、俺を自陣営に引き込む為の策略か……今となってはどれでも一緒だ。帝国を潰すつもりはないが、魔神に借りを作った結果が人間にとって良いものであってはならない。絞れるだけ絞ってやる。

 

 魔皇ヤルダバオト……十中八九はプレイヤー集団の一員だろう。

 連中がギルドにしろクランにしろ、俺に敵対するつもりはない……が、探るべきだろう。

 

 ジルクニフの笑顔を見る。口角が上がり、深く笑った。

 笑い返すと、手を差し出された。

 握手。

 ジルクニフは上手く俺を取り込んだと思い、俺は誘導に乗ってやったと思っている。お互いの打算による一時的な同盟結成だ。

 

「では、ワーカー達を犠牲に差し出す件を人員が集まらないことにして、最低でも期限を引き伸ばして欲しいのだけど、陛下」

「……その辺りは上手くやる」

 

 細かな打ち合わせの後、真夜中にこの執務室を再び訪れると約束し、俺は王都への『転移門』を開いた。

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 『転移門』を抜けると、そこには無数の木箱が積まれていた。

 ここは王都にある『八本指』の拠点の一つ。

 遥々戻ってきましたよ、王都……などと感慨に浸る間もなく、俺は倉庫を出てヒルマを探った。拠点内にいる全ての肉腫に命じ、即座に駆けつけた大男がヒルマの居場所を告げた。

 再度『転移門』を開き、別拠点まで移動する。

 

 オープン前に顔出しといて良かった……

 

 金融部門の店舗の執務室というか、社長室。

 部屋の中で跪くエドストレーム、ペシュリアン、マルムヴィストのヒルマの護衛三人衆に「お疲れ様です」と労い、大きなデスクの向こうで立ち上がり、深々と頭を下げるヒルマに問い掛けた。

 

「あまり時間がない。だから現状把握している限りで答えて下さい。魔皇ヤルダバオト……王国内に本拠があるとの噂がある。どんな些細な噂でもいい」

 

 まず三人衆が顔を見合わせ、迷ったふうに視線を交差させた。

 ヒルマは困ったような表情で見返してくる。

 

「……何か知っているのか?」

 

 代表してヒルマが口を開いた。

 

「何も知りませんが……噂は王都に遍く蔓延しています。老若男女、貴族から貧民まで……兵士も、ならず者も、娼婦も、貴婦人も、商人も、金貸しも、誰もが噂を知っていますが、それだけです」

「……どんな?」

「魔皇ヤルダバオトが現れた……というものです。既に現れている、というものですが、誰も正体を知らない……てっきり、私共は……」

 

 ヒルマは口ごもり、俺を見た。

 続いて護衛三人衆も俺を見た。

 

 俺かと思った、か……

 

「残念ながら、俺は違うぞ」

「でも……」

 

 疑惑の視線が8つ、俺に直撃するが気にしない……気にしないったら、絶対にしませんよ!

 

「なんで、そう思う……の、か……」

 

 ヒルマが不本意そうな顔を見せる。エドストレームもマルムヴィストも……ちなみにフルフェイスのペシュリアンは雰囲気だけで伝えてきやがった。

 

 あー、そうか……そうでしたね。

 

「ゼブルさんの真のお姿を拝見しました……私のように直接にしろ、他の幹部のように頭の中でのみにしろ、見た者は全てゼブルさんが魔皇ヤルダバオトだと思っています」

「でも、俺じゃない」

「……否定なさるのでしたら、もう遅いかもしれませんが……早く情報統制しないと、思わぬ方向に噂が転がっているかもしれません」

 

 遅い……って?

 

「……全員、ご指示は厳守していますが、それ以外は各自の判断ということです。魔皇ヤルダバオト……ここに籠っている私が初めて耳にしたのが既に一週間前……事の始まりはもっと早い時期ということでしょう?」

 

 淡々とヒルマは語った。

 ぐうの音もでないほど真っ当な予想だ。

 

 要するに配下が噂を広めている、ってことか……? 

 そりゃ、俺の魔神アバターを見たことがある連中であれば、勘違いしても仕方ない……なんて思うか!

 

「……中には、我々に浸透を企てる者まで現れる始末。現状、監視は施していますが、処分するなり……逆に取り込むなり、お決めいただいた方がよろしいかと思いますが?」

 

 媚びた笑顔に浮き上がる冷徹な女の眼。組織の切り盛りを任され、ヒルマなりに真剣に考えているのだろう。でなければ、あれだけの恐怖を与えた俺に意見などできるものではない、と思う。

 

「誰が?」

「我々に複数の貴族が接触を試みています。上は六大貴族から下は地方貴族の三男四男のような、貴族とは名ばかりのような連中まで……時期から考えて、魔皇ヤルダバオトの正体がゼブルさんではないか、という噂が独り歩きした結果だと思われます。王国を取り仕切る連中が、莫大な資金力に加え、強大な武力を持つ者を自陣営に加えようと躍起になるのも仕方ないかと……末端の貴族共は我々に寄生するだけでは飽き足らず、元々が血統保持の為の予備でしかない身でありながら、我々と接点があるのを良い事に、身の丈に合わぬ野心を抱いた結果かと……」

「……欲しい奴は?」

「自陣営に加えたい、という意味ではいません。影響力で言えば六大貴族ですが、六大貴族内のバランスが崩れるのも好ましくありません。彼等が永遠にお互いを牽制し合ってくれるのがベストでしょう。現在は間接的にそれなりに良好な関係を築いていると言っても良い程度です」

「……つまり?」

「六大貴族の周辺や縁戚には相当の影響力を保持している、ということです。しかし六大貴族に必要以上に直接関わるのは避けたいのも事実……どこかの時点で我々とは決定的に反目するでしょう。間にワンクッションあると、その辺りはお互いに暗黙の了解が出来上がります」

「引くに引けない、を避けるわけか?」

「そういうことです。なので、我々は一見役立たずの、弱小地方貴族の三男四男にまで触手を伸ばしているのです。恒久的にお家の財政が厳しい彼等は分家を出せません。つまり三男以下は予備の予備……血統保持の為以外は単なる穀潰しなのです。当然、三男以下の教育には資金も投じなければ、手も抜かれます。無事長男もしくは次男が家督を継いだ時点で、完全に彼等の存在価値も失せます。仕官して、自力で立つ者であればまだしも、我々に接触してくるような連中は大抵特権意識だけ持った屑共です。その屑を我々が支えています……地方貴族は我々に依存し、頭が上がらなくなります。特権意識だけが肥大化し、放蕩で粗暴で無教養で自制心の欠落した直系血縁者……彼等にとっては悪夢のような存在でしかありません」

「処分まで請け負っていたのか?」

「戦死される方が非常に多いかと……それ以外は不幸な事故に遭われる方も多いです」

 

 ……なるほど……暗殺部門なんて無用かつ物騒なものが存在した理由が確認できましたわ。

 

「体裁に重きを置けば戦死……戦場に出られない事情があるか、家族が帝国に人質を取られるリスクすら嫌うのであれば事故死か?」

「我々としては恩を売れる上に……それまでに投資した資金の、ごく一部ですが回収にもなります」

 

 で、絶対的な秘密も握る、と……まあ、たとえ一部だとしても反吐が出る仕組みだな。

 

 帝国との定期的な戦争を利用した虫唾が走るような仕組みだが、確かに階級を超えての逆支配を確立するのであれば有効だと認めざる得ない。こうやって『八本指』は派閥に関係なく、貴族階級全体に浸透したわけだ。貴族としての体裁を第一に考える連中に金で恩を売り、厄介者の面倒を見て、後始末で逆らえなくする、と。遠縁から始まり、徐々に有力貴族に近付く。最後は六大貴族の周辺を固め、真に国政を動かす連中とは直接関わらず、決定的な反目を避ける。六大貴族とはせいぜい賄賂で絡めとる程度の関係までだ。それ以上には踏み込まない。有力貴族にしても犯罪結社からの頼みを直接依頼されるよりも、縁戚や同派閥も貴族から頼まれた方が心理的抵抗もなく、顔が立つ。そして栄誉などに興味のない『八本指』は実質的な旨味だけを享受できれば良い。

 

 連中の財布を握るだけでも効果は十二分だろうけど、醜聞も握れば徒党を組まれる心配も少ない、と……さすがに諸悪の根源と認定されれば、一つにまとまった王国相手に、俺抜きで戦って勝つ術は無いか……

 

「で、そのゴミ屑共が逆に浸透工作を仕掛けてきた、と」

「いいえ、浸透工作などと呼べるような代物ではござませんが、いち早く魔皇ヤルダバオトのシンパとなって、自身の立場を強化したい程度には考えているようです」

「意味が解らないが……」

「彼等の立場で考えてください……貴族である自分が後援してやる程度の考えですが……その実、我々に支援される側である現実から逃げたいのです。要するに立場表明するだけで、金銭的な負担無く恩を売りたいのです。そのついでに社会的に浮かび目の無い自分の立場を変えたいぐらいの程度の浅薄な考えです……ですが、問題はその浅い考えが爆発的に広がっている可能性です。私まで報告が届いているものだけでも複数。戯言で片付けられているものは、おそらく無数でしょう」

「……俺のアバターを知る配下が、噂の広まりを助長している、と……」

「あばたー、ですか? それが何かは存じませんが、おそらく真のお姿のことと仮定すれば……把握できる限りの状況も併せて考えると、手遅れかもしれませんが早急な情報統制は必須でしょう。もちろんゼブルさんが魔皇ヤルダバオトであるとの誤解を受け入れるのであれば、話は別ですが……」

 

 対象が俺であるかどうかは不明だが、魔皇ヤルダバオトって奴が仕掛けた情報戦……て、ところかな。

 しかしこのままじゃ拙い。魔皇ヤルダバオト本人でなくとも、配下を名乗って悪さをされれば、真っ先に俺が疑われるわけだ……ごく近い将来に王都から完全排除される未来しか見えない……

 さらに言えば、魔皇ヤルダバオトなんて存在はいないのかもしれない。

 となると、メイド繋がりでセバスさんのところもかなり怪しいな。

 

 見えない敵(プレイヤー)に、既にハメられ、完全に出遅れた情報戦か……お先真っ暗だけど……そこがイイ。

 

 まずは想定……

 敵は俺の存在は知っているが、俺の正体を知らない。だから炙り出すような情報戦を仕掛けてきた可能性が高い。

 狙いは……王都の『八本指』の利権なのか?

 いや……違うな。

 帝都にも手を広げてやがります……むしろ動きとしては帝都がメイン。だから『八本指』の利権どころか、単純に俺を狙ったものとも言い難いか……つまり『八本指』の裏に俺という存在を認識しているが、炙り出しは「二の次」であり、帝国の体制に何某かの影響を行使したい、のが連中の思惑の本線でしょう。

 で、アンダーカバーを作ったついで的な犯人候補としての俺ですか……それならばスッキリと腑に落ちる。更に本来の敵対勢力である墳墓と俺を対峙させれば一挙両得どころか、多方面で完全勝利を狙った布石とも考えられます。

 まず情報として、俺という存在を特定させてはいないまでも、捕捉しているのまでは確定。

 そしてなんらかの目的に対して邪魔と判断した。

 王都での動きを阻害する為に「魔皇ヤルダバオト」の噂を流す……これについてはコチラが反応しようがしまいが、敵にとってはどちらでも良いわけですよ。

 こちらがどう対応しようが「魔皇ヤルダバオト」として仕立て上げ、最低でも王都での俺の動きの足枷にはなるでしょう。

 当然、対応すれば帝国は手薄になる。

 仮にしなければ「させる」ぐらいのことは考えているでしょう。

 さらに一歩進んで「魔皇ヤルダバオト」の既成事実化を図っても良いわけですよ。将来的に王都から俺の締め出しを狙う布石にもなるし、俺に対する脅しにもなる。

 より悪辣な手段として「魔皇ヤルダバオト」の代役を投入して、王国の体制破壊工作でも仕掛ければ、『八本指』という結社排除の機運が高まるかもしれない。当然、俺は王都での莫大な資金源を失いかけるので慌てるから、結果的に帝国からは手を引く方向で動くように誘導も可能なわけです。

 

 俺を動きを王都に封じ込めて、帝国に対しての何某かの工作を邪魔させず、さらに俺を炙り出す、と……その結果、俺と『八本指』の関係を断つ、ぐらいまでは想定しているような感じかなぁ……というよりも、俺がどう対応しようと、あるいは全く対応しなくても敵の優位が動かない……感じか?

 

 いずれにせよ、魔皇ヤルダバオトの噂を王都で流した連中は明確に敵だ。

 そして明らかにプレイヤーだ。

 セバスさんのところは……魔皇の使いのメイド繋がりで怪しいが、コチラでも遠回しの監視は継続しているから、現状以上の対応は必要ない。

 逆探知を仕掛けても藪蛇になる可能性が高い。

 出遅れた感は否めない。

 コチラは戦力不足な上に、敵勢力の情報は手探りに等しい。

 

 敵が掴んでいない情報……眷属の存在ぐらいか? 俺の『人化』スキル程度は想定されてると考えた方が無難だよなぁ……

 

 何もしないのは悪手だけど……打つ手はかなり限定されている。

 

 ジルクニフが監視されていた可能性はかなり低い。

 『モモンガ』さん直伝の対情報系魔法の攻性防壁は発動しなかった。もちろん敵が情報系魔法やスキルに特化したプレイヤーならば出し抜かれる可能性も捨て切れないが、その可能性を想定して対応するのがバカバカしいぐらいに低いはず……

 だからコチラから仕掛けるのならば必然的に帝国だ。

 「魔皇の使者」って奴を足掛かりにするしか、糸口が見えない。

 無用な戦闘は避け、多少なりとも情報を得る。

 可能ならは追尾する。

 眷属による支配は、露見した場合に俺のスキルの情報も同時に露見する可能性があるから避ける。そうでなくとも敵戦力が不明な状況で、コチラから明白な敵対行動は避けたい。

 

 ……本当に、嫌になるぐらい打つ手が無いけど………かなり楽しい。

 

 とりあえず職務的に正当な役目であるスタッファンと英雄であるサキュロントには大っぴらに噂の発生源を探らせよう。そしてヒルマ以下には「下手に探る必要はないから、魔皇ヤルダバオトを名乗る奴が現れたら、厳重に監視してくれ」と伝え、俺は『転移門』で即座に帝都に舞い戻った。

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

「アルベド、アインズ様はご在室ですか?」

 

 ドアを開けると、まず守護者統括が視界に入った……だからこその問い掛けだったが……

 結果的に豪奢な寝台の上で全裸で寝転がる守護者統括の姿を、丸メガネの最上位悪魔は呆れるように見下していた。

 数回に渡る悪魔のノックと問い掛けを完全に無視して、守護者統括は絶対支配者のシーツ一面に自身の温もりと匂いを染み込ませようと努力を続けているのである……この行為こそが至上……ナザリック有数の知恵者の来訪など、彼女にとってはどうでもよかったのだ。

 

「……問うまでもありませんが……いったい何をしているのですか?」

「アインズ様が心地良くおやすみになる為の、正妻としての当然の努力よ」

「アインズ様はお眠りになられないと思いますが」

「それでもお一人で伏されることはあります。その事実を確認したからには、こうすることが妻としての日々の務め!」

「どうやって、その事実を確認したのかはこの際問わないでおきましょう」

 

 さらに呆れる悪魔を尻目に、アルベドは「考え込むアインズ様、カッケー」などと呟きながら、己の豊満な肢体をシーツに擦り付ける。

 

「……アインズ様は冒険者としての仕事に復帰なさいました。これ以上、空白期間を作るわけにはいかない、と……どうやらエ・ランテルの冒険者ギルドで長期間の休みが問題になっている、とナーベラルが報告したのをいたく気になさっていたようです」

「なるほど……では、アインズ様はエ・ランテルへ向かわれたのですか?」

「いいえ、4つ5つの指名依頼を2日間で消化された後、ナーベラルと共にバハルス帝国のアーウィンタールに向ったはずです。たしかデミウルゴスの献策に従ったものかと……」

「……少し気が早いかとは思いますが、人智を超越した知謀の持ち主であられるアインズ様のことです……私などでは思いもよらない策を……」

 

 デミウルゴスはメガネの縁を指先で持ち上げた。金剛石の瞳が輝きを増していた。

 対するアルベドは見事な肢体にシーツを巻きつけて、身をおこした。

 

「デミウルゴス……例の件は?」

「アインズ様がアルベドに歓迎するよう命じた人間ですか? たしかセバスの報告書にも記載があった……ゼブルという名でしたね」

「そう……その人間の報告書に目を通された時から、アインズ様が考え込まれることが多くなったわ」

「情報によればエ・ランテルの銅級冒険者であり、つい先日まで王都の犯罪結社だった『八本指』を金融業者に転換した、裏の中心人物……加えて帝都では闘技場の興行利権に深く根を張り、ワーカー達を取りまとめている。行動範囲が非常に広く、上位の転移魔法を使えるのは確実ですね。人間にしては戦闘能力も高く、それなりに頭も切れる。若干臆病とも考えられる思考をしがちですが、欺瞞を見抜き、自身も虚報を使いこなす。何よりも様々なタイプの人間をまとめ上げて、破綻させない力量は評価すべきでしょう……しかし裏返せばそれなりに能力が高いだけの単なる人間です……至高の存在であられるアインズ様が直々に気にかけられる原因はもっと他の部分にあるのでしょう」

 

 アルベドの美しい眼がスーッと細まった。

 

「……で、アインズ様の御希望は叶うのかしら?」

 

 デミウルゴスの口元がつり上がる。

 

「……対応可能な戦力を投入する許可をいただければ、すぐにでも……アインズ様が望むかたちとはいきませんが、連行するだけならば簡単です。しかしアルベドが許可してもアインズ様の御許可がいただけるとは思えない」

「私も許可するつもりはないわ……貴方もそんなつもりはないのでしょう、デミウルゴス?」

 

 普段であれば、お互いに阿吽の呼吸で話が進む。ナザリック有数の知恵者同士のプライドと能力が暗黙の了解を積み上げ、事後報告のみで状況を修正していくのだが、2度目の失敗が許されないこの件についてはお互いに口頭で状況確認をしなければならなかった。

 

「……現在、帝国に対する仕掛けと同時並行して、ゼブルを釣り上げる餌を撒いているところです……皇帝にしても自身の生命が危ういとなれば、本来は無視して問題の無い要求が無視できないはず……ゼブルにしても王都の利権を捨てるとは到底思えません。彼の帝都の配下であるワーカー数名を差し出せば終わる話なのですが……いずれにしても餌を完全に無視できない状況は作り上げたと言えるでしょう。どういう形にしろ、こちらに接触を試みるのは確実……何も手を打たない、という手を打たれてもナザリックに侵入したワーカー達を人質に交渉の余地が生じるでしょう。アインズ様の御指示通りとは言えませんが、ゼブルが長距離転移魔法を行使することが予測される以上、逃げられないように縛りつけなければ、歓迎することもできません」

「帝国侵攻作戦も兼ねて、どう転んでもナザリックの利益は損ねない。さすがはデミウルゴスね……でもゼブルの行動は本当に制約できるのかしら?」

「少なくとも自由に逃げ回られるようはマシでしょう……前回のアルベドの失敗の原因はセバスの報告書に基づき、歓待することに主眼を置いたまま、ゼブルの情報を把握せずに行動に移行したことによるものです」

「なっ……!」

 

 豪速球のアルベド批判ともとれる言葉だが、当のデミウルゴスは単に事実を述べているだけだった……と無理にでも思い込み、アルベドは言葉を飲み込んだ。丸メガネの向こう側の金剛石の瞳には批判も揶揄も浮かんでいないのだ。もちろんこの最上位悪魔がナザリックの仲間を何よりも大切にしていることも重々承知している。しかし……

 

「……アインズ様の御指示に従うことと、己の裁量の範囲でアインズ様の最終的な御希望を達成することには大きな違いがあると判断しますが……」

「くっ!」

「我々守護者はアインズ様のお役に立つこと証明し続けなければならない。アインズ様が直接指揮されるまでもないと、我々に命じた案件は全て確実に遂行し、目的を達成せねばならないのです!」

 

 アルベドは睨みつけ、デミウルゴスは単純に見下ろしていた。

 

「アルベド……ゼブル確保の報告は、直接アインズ様にさせていただきたいものです。アインズ様から直接労いのお言葉をいただき、ゼブルを取り込むことによるナザリックのメリットをアインズ様に説明する許可をいただきたい」

「……成功が大前提よ」

「当然、成功させます……というよりも、私の策であればどの段階に至っても対応が可能……つまり一度接触が成れば失敗の可能性は極めて低い。想定されるゼブル自身の戦闘能力は魔皇の使者役のエントマと同程度……バックアップのルプスレギナとソリュシャンの戦力も含めれば、少なくとも逃走は可能でしょう。しかしセバスの報告書の記載によれば、私の想定を超えた能力の隠蔽も考えられます。さらなるバックアップとして帝都郊外にアウラとマーレをぶくぶく茶釜様のドラゴンと共に配置します。加えて監視体制については、エ・ランテルから逃走した事実から、シャドウ・デーモンの存在を探知することが予測されるゼブル対策として、既に恐怖公の眷属を数千匹単位で帝城に送り込んであり、加えてニグレドにも依頼済……万全です……本日のゼブルと皇帝の密談内容まで把握済み……ゼブルは今夜、皇帝の寝所に確実に現れます」

 

 現状把握しているゼブルの能力情報の一端から最悪を想定して予測された能力対策までデミウルゴスから示され、思わずアルベドは微笑んでしまった。

 

「まさに万全というわけね」

 

 デミウルゴスは恭しく頭を下げた。

 

「……帝国侵攻の正面戦力として、アベリオン丘陵の亜人軍10万は牧場に集結を完了。シャルティアが帝都アーウィンタール西方にゲートで転送する手筈で待機中です。帝国は専業兵士から成る八軍団を擁し、総戦力こそ聖王国に比べて強大ですが、亜人対策は遅れています。この強襲作戦で追い詰めれば、早期にナザリック優位の講和がなるでしょう。もしくは開戦初期に亜人軍と帝国軍の間に入り、仲裁しても良いわけです。生産性に優れた帝国の国力を温存したまま、実質的にナザリックの支配下に置くのが狙いです。アインズ様の御裁可がいただければ、すぐにでも実行可能な状態……アインズ様には御心を煩わせず、一日も早く真の目的である世界征服に邁進していただきたい……なのでゼブルの件は早急に片付けたい、というのが本音です」

「帝国の生産性は温存させるのね?」

「むしろ官僚機構を乗っとり、社会基盤を徹底強化するつもりです。生産性は大幅に向上させます。アインズ様の統治下に入る幸せを、富という形で示すべきと考えたわけです。アインズ様は民に望まれ、上に立つべき、と考えていらっしゃいます。巨大な富と絶対の安全を与え、身分に関係無く公正な税制と裁判を施せば帝国民はいずれ納得します。むしろアインズ様に庇護される幸せを民に実感させるまでの期間こそが重要でしょう」

 

 デミウルゴスはさらに一礼し、踵を返した。

 

「アインズ様に直接報告させていただく件、頼みましたよ」

 

 その背を見送りながらアルベドは歯噛みし、強くシーツを握りしめた。

 

 守護者統括として気合を入れ直さねば……

 

 そしてシーツを肢体に巻き付けたまま立ち上がり、アインズ様のしつむ机に近寄ると、ゼブルについてのセバスの報告書を改めて手に取った。既に何度も読み込んで、一字一句違わず内容は頭に入っている。

 劣等種に過ぎない単なる人間……されど最愛の主人の心を掴み続ける人間の報告書……これが女のものであればゼブルを滅ぼすことを誓っただろう。しかし男であり、主人が示した激情に情愛は感じられなかった。つまりシャルティアの企みなどには過敏に反応するアルベド嫉妬センサーが完璧にスルーしたのである。

 

「もう一度、洗い直してみる必要があるかしら……デミウルゴスが切れるといっても所詮は男の視点でしかないわ」

 

 その直後から仕事モードに戻った守護者統括の奇抜な格好にツッコミを入れた者はいない。




お読みいただきありがとうございます。


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14話 それを捨てるなんてとんでもない!

感想やご指摘をいただいた方、本当にありがとうございます。
かなりあやふやな知識なのでご不快な点もありますでしょうが、とりあえずはご容赦ください。遅筆かつ仕事のスケジュールが厳しい瞬間がまたいつ来てもおかしくないので、とりあえず進めることを優先しています。



 帝城の皇帝の私的執務室に逆戻り。そこに多忙を極める主人の姿は無く、即座に歌う林檎亭に『転移門』を開く。

 歌う林檎亭に戻ると同時に、ワーカー達を緊急招集した。

 

 気づいた時には想定を遥かに超えた窮地……だがそれがイイ。

 

 それは俺の偽らざる気持ちだが、現実の問題として、俺の気持ち程度のことで無駄に配下を失うわけにはいかない。ヘッケランにエルヤーにグリンガムに老公……墳墓侵入の依頼を受けようとしていたワーカーグループのリーダー達が眼前に跪いている。

 肉腫入りの連中が支配者モード全開の俺の指示に逆らえるわけもなく、彼らは不平の一言も発せぬまま、ただ首を垂れるだけだ。

 あまり好みじゃないが「有無言わさず」ってヤツです。

 

 最悪の想定では魔皇(という噂を流した)サイドも墳墓サイドもプレイヤーなんですから、もう現地調達の配下達に入り込む余地なんざありません。今回の敵は漏れなく100レベル……最低でもそこまでは想定すべきでしょう。100レベルプレイヤーが全身神器級装備かつ課金でアクセサリー装備全開でざっくり115レベルぐらいまでは考えに含まなきゃなりません。しかも複数名なのは確実。双方共に十三英雄並みの大所帯だった場合は即決で撤退です。仮に2〜3名でも厳しいけど、状況によっては殺って殺れないことは……ないかなぁ……否、その人数ならば経験が有ると言った方が良いかな。

 

 あれは通称『ギルドクラッシャー』の活動を始めた当初、過疎化したギルドの巨大なホームに潜入した時……まだ俺達も少数でガチビルドの戦闘系メンバーは『バンバン』さんと『えんじょい子』さん程度で、残りは生産や鑑定や探査に極振りしたメンバーと俺のような中途半端色物系ネタビルドのメンバーが5〜6名だったかなぁ?

 まだまだ情報収集も甘く、そのホームは想定を超えて巨大だったんですよ。

 現役ギルメンは3名……連中はホームの維持費捻出に追われ、狩三昧という情報でした。そして現役連中は社会人だけなので、特に火曜の0時以降は空き家も同然だ、と。

 役8年前のギルド最盛期は100人超えの純人間種のギルド……中堅とはいえ老舗中の老舗ギルドです。だからこそ「いろいろ溜め込んでいるんじゃねーの?」となったわけですが……野良ソロプレイヤーである俺達からしたら、そりゃー見た目以上にデカい城タイプのホームでしたね。

 当然、探索に手間が掛かり、手分けしようという話になりました。引退したギルメンの遺した物質を溜め込んだ倉庫の特定とギルド武器の破壊が急務でしたから……運転資金に余裕は無いことは現役ギルメンが狩三昧であることから明白です。当然、資金捻出の方策として物資を売り払っている可能性もあります。しかし仮に売り払うにしても価値のないものからでしょう。俺達の標的である神器級のアイテムや素材は最後まで残すはず……たとえ倉庫が空に近くてもやる価値はあるのです。

 現役ギルメンの手持ち分については戦闘しなきゃならないので放置です。運悪く遭遇したら殲滅すればいいや程度の考えでした。

 で、とりあえず目立つ拠点防衛用NPC4体は殲滅しました、と……防衛用NPCの復活に関しては、連中の資金繰りの厳しさを考慮すれば、ほぼ有り得ません。

 しかし時間は残されていないと考えた方がベターです。ギルメン共が気付いてログインしてきたら非常に面倒ですからね。

 そこで俺の悪い癖が出ちゃったんです。

 俺のビルドは他のメンバーと比較して、それなりにどんな分野でも処理できちゃうわけですよ……だから何にも極めちゃいないわけですけど……戦闘に関しても他のオーソドックスなビルドのメンバーと比較して、先手さえ取れればそれなりの勝率はあるわけです。その上、敵の探知やダンジョン探索もそれなりにこなします。

 

 まあ「ソロプレイこそ至高」と考えていたわけですからね。

 

 俺は「一人でやる」と言い張りました。

 他のチーム……殲滅力の高い『バンバン』さんチームとPVPならば無敵の『えんじょい子』さんチームはそれぞれ盾職と回復役が必要で、鑑定と探索に優れた者も必要でした。その点、俺は全て自前で賄えます。

 だからそっちはそっちでやってくれ……その方が楽しめる。

 

 今考えれば「そりゃ、自前でフラグ立ててるわ」と思いますよ。

 

 結果、ピンチは戦力的に劣る俺だけに訪れるものです。

 探索した末にギルド武器破壊の為に侵入した部屋に彼等はいました。防衛行動として当然といえば当然ですが、火曜の0時以降は空き家も同然じゃなかったのか、と……そこで初めて敵も欺瞞情報を使うと実感したわけですよ。

 人数はプレイヤーが3人+100レベルの防衛用NPCが3体に加えて高レベルの熾天使傭兵NPCが1体……よりによって全員以上かい!

 

 ……絶対絶命ですやん、こんなん……

 

 しかし俺の心のツッコミとは裏腹にそいつらは妙に動きが緩慢でした。

 ギルドホールらしいその部屋の入口を閉鎖し、俺は増援を絶たれた形です。

 俺は死を覚悟し、どれだけ道連れにできるかだけを算段していました。

 でも楽勝だと思ったのか、そいつらは俺に寄って集って詰問し、罵倒し始めたんですよ……全く理解できない行動ですが……余裕がそうさせるのか、アバターの向こう側に連中のゲス顔が見えました。もちろん連中のリアルの顔面なんざ知りませんが。

 

 暢気にも程がある……バカなの?

 

 そう思いつつも全く余裕の無い俺は密かにキャストタイムスキップの課金アイテムを端折りました。当然、目の前のピンチに見合った最大火力です……俺の場合、眷属召喚スキルの最大威力のものになります。5レベル分の経験値を消費し、それはタイムロス無く発動しました。

 

「眷属召喚……蠅騎士団!」

 

 切札の中の奥の手……『蝿の王』の眷属召喚スキルの中でも奥の手は3段階に分かれています。それぞれ100レベルの経験値が1レベル分、3レベル分、5レベル分と消費され、当然のように5レベル分を消費するスキルが最大最強にして最凶です……召喚可能時間いっぱいの30分間、連中にとって理不尽な地獄は続きました。リスポーン地点がギルドホールだったのも連中にとっては不運でしたね。

 

 容赦無く先制攻撃をされたら、俺はあそこで敗退し、死んでいたでしょう。

 ユグドラシルはリアルじゃないんです。ゲームに没頭しているとよく逆の表現は聞きますが「逆も真なり」なんですよ。相手が数的有利と地の利を得た程度で油断するマヌケ揃いでつくづく良かった……そう思います。

 

 まあ、思い出語りはここまでにして……

 あの程度のプレイヤーが2〜3人程度で一ヶ所で動かないのならば、敵の耐性の設定によっては俺のMP消費だけ済む眷属召喚スキルでも奇襲によって殲滅することも可能ですが……いくらなんでも揃いも揃ってそこまでマヌケってことはないでしょう。さすがに経験値消費のスキルは本当の生死の境まで使う覚悟を決められませんし……スキルの情報は漏れていないと思いますが、魔皇サイドのプレイヤーには見事に先手を取られ続けています。少なくともマヌケじゃないのは確定です。ユグドラシル時代の俺を知っている可能性まで考えるべきでしょうか……?

 そうでなくとも敵総数が不明なのがひじょーに辛いわけです。

 

 ……なので、とりあえず「王都に魔皇ヤルダバオト現る」という情報戦を仕掛けてきた連中……こいつらぐらいは詳細情報を得たいわけですよ。最低でも構成員数ぐらいは知りたい。そして肝心の取っ掛かりは、今夜、帝城の後宮に現れるのまでは判明しているんです。

 当然、罠の可能性はあります。

 ありますが帝城には転移阻害は施されていなかったわけですから、最悪でも逃げ切ることは可能なんです。だから逃げ切る能力を持つ俺が踏み込まねばならないわけで……そこまで含めて罠という可能性すらあるわけですけど。

 

 ……墳墓サイドについてはまた後日ということで……しょーじき、単独で二正面作戦なんて無理ですから!

 

 まあ、いずれにせよ、2つのプレイヤー勢力が争っている可能性が高く、その一方は明確に俺を敵視というか邪魔者扱いしている以上、嫌でも紛争に巻き込まれる可能性は高くなります。

 当然どちらも調査する必要はあるんですが……

 で、可能であれば両方と戦闘を回避し、それが無理ならば弱い方に加勢したい。圧倒的な戦力的格差が存在するならばまだしも、そこそこの戦力差の場合は単純に勝ちそうな方に乗るのは愚策でしょう……俺としては最終的に弱い方に生き残って欲しいわけですから。どちらか一方に潜り込めば、正確な情報が手に入ります。その時点で勝馬に乗るのは簡単です。しかし勝馬に襲われる可能性も考慮しないわけにはいかないわけで……弱い方が生き残れば、勝利の時点で弱っている可能性も高いのです。少なくとも逃げ切る可能性は格段に高まります。

 仮に単純に加勢したとして、それによって勝利した連中がユグドラシルの感覚を残していた場合、俺は勝利を迎える前に(後ではないのがミソです)PKされる可能性が消せない、どころか高いわけです。そして独自の拠点を持たないソロプレイヤーである俺はリスポーンできずにそのまま死滅する可能性が高いのです。なんとか生き返る伝手として、青薔薇のラキュースさんに神器級装備一式を彼女の存命期間分前払いの形で預けてはありますが、めちゃくちゃ運良く復活できたとしても、彼女の『死者復活』では当然レベルダウンは免れないわけでして……ジットに預けてある『蘇生の短杖』でなんとかなってもレベルダウンは免れないわけですけど……まあ、ジットの場合は俺と一緒に殲滅される可能性が高いので保険と言うよりも気休め程度ですけどね。

 

 いや、もしかしたら課金で奥の手用に貯めてある5レベル分の経験値でなんとかなるのかも知れませんが……実験なんざとても怖くてできません。死んだら自分に『真なる蘇生』が行使できないのが、なんと恨めしいことか……よく考えたら『真なる蘇生』も実験していないんですけど……

 

 この世界の歴史がプレイヤーの思考を証明していると思っています。

 『八欲王』が『六大神』と共生できなかったのが良い例です。『六大神』の200年後に転移してきた『八欲王』は人間種のメンバーを失って既に弱体化していた『六大神』を滅ぼす決断をしたわけですが、それは単に『八欲王』がヒャッハー集団だったからでしょうか?

 ユグドラシルプレイヤーならば他ギルド殲滅の選択は常識外れとは言えません。ギルメン以外は信用できない……ユグドラシル内では常識です。ユグドラシルではPKが放置というか、半ば推奨されていたような環境でしたから、下手をすればギルメン同士ですら完全には信用できないわけです。

 当然『八欲王』としてはこの世界の覇権を完全に握る為という理由が大きいのでしょうけど……死亡によるレベルダウンがユグドラシルよりもかなり深刻な事態であるのは彼等も認識していたと思うのですよ。だからわざわざ自陣営の損耗を覚悟してまで潰すのであれば、法国一国で人間種を擁護して満足している『六大神』をあえて潰した理由が別にあるのかなぁ、なんて邪推してしまいます。略奪目的ならば、他のアイテムはまだしも『ケイ・セケ・コゥク』だけは確実に法国から無くなっていたでしょうし……

 

 通称『ギルドクラッシャー』が頻繁にオフ会を開催していたのは単なる飲み会好きの集団ってわけじゃありません。ただでさえ繋がりの弱いソロプレイヤー集団なんですから、放置すれば裏切り者だらけですわ。俺達の襲撃予定を売るだけで、低リスクでそれなりの収入になるんですから……だから襲撃メンバーはリアルの知り合いである必要があったんです。理屈は別にして、全メンバーが肌感覚で理解していたからこそ、俺達のオフ会の出席率は異様に高かったのでしょう。

 

 まっ、それはそれとして……今回、リスクに踏み込めるのは俺だけ……鮮血帝との約束の時間までは歌う林檎亭でB級グルメを満喫したわけです。自力で大金を得る当てを失ったヘッケランなんぞは恨みたらたらでしたけど……結婚を考えているのならば、この案件にはノータッチが正解ですわ。

 

 そして他の面々は俺のお達しを大人しく聞いていたわけですよ。

 それは肉腫が正しく機能している証でした。

 

 しかし俺のゲーム脳はこの世界でのリアルを見誤っていたわけです。言い換えれば、俺がこの世界を生き抜く為の主武器である肉腫の突き詰めた実験を怠っていたってことでしょう。

 よく考えれば当たり前なんですが「忠誠=絶対服従」ではないのです……この世界はユグドラシルじゃないんですから……

 肉腫を埋め込んだ相手のほとんどは人間種でした。

 もちろん肉腫はゲームのテキストに則り、常に正しく機能しています。

 俺が求めたのは支配……命令に対して忠実な下僕。

 肉腫の機能は叛逆可能域に達するまでの絶対的な忠誠の強制。そして叛逆が発生した際の眷属の孵化……つまり宿主の死です。

 よくよく考えれば、俺の指示を受けて単に頷くだけでないヒルマやブレインの例やらあったんですがね……「そんなこともありますよね」ぐらいで済ましていた俺がマヌケなんでしょう。つまり俺にとって、どこまでもユグドラシルの延長線上にこの世界はあると思っていたんですね。疑いすらしていなかったわけです。

 

 はぁ……煩わしいような……楽しいような……

 

 純粋な忠誠心は命令を無視する形で発露することもあるんです。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 後宮でも最奥の寝室……皇帝の血筋を繋げる為の豪奢な部屋の片隅で、俺はボケーっと突っ立っていました。男子禁制の部屋……それだけ聞くとなかなか興味深い部屋なんですけど……現在の俺は既に緊張感の欠片すら維持するのが難しいのです。

 

 ザ・拍子抜け……そんな感じでした。

 

 そりゃー、たしかに皇帝陛下にとっては脅威でしょうよ……でもなぁ……いいところ青薔薇のイビルアイさんと同等程度の雑魚に対して、最低でも伝説級装備の100レベルプレイヤーを想定していた俺からすると、まあ緊張感を保つのが難しい。しかも見た目が愛らしいというか、アホっぽいというか……何にせよ、人化したままの俺でも優位を保ったまま戦えるのは確実です。人化を解除すれば瞬時に無力化できる程度のヤツに対して、なりふり構わず逃げ切るつもりでやってきた俺の覚悟は……

 

 まあ、確かに魔皇の使者とやらが傭兵NPCってことはないので、低レベルのプレイヤーか、それなりに強い現地勢力ってところでしょう。和服をアレンジしたようなメイドの衣装は完璧にプレイヤーの証拠なんですけどね。

 そうは言っても連中は情報戦を仕掛けてくるぐらいなので、脳筋集団ってことはないでしょうから、相当な警戒は必要なんです……なんですけれども、よりもよってユグドラシルで選択できる種族の中で、最も俺と相性の悪い(俺にとっては良い)蟲系の種族なのは間違いありません。細かい種族までは人面を模した仮面で不明ですが、伊達に『蠅の王』なんていう超激レア種族のレベルを極めているわけでないのです。ハッキリ言って、魔皇の使者程度の低レベル蟲系種族であれば、人化を解除するだけで何もしなくても無力化可能です。これで蟲使いだったりしたら、むしろ魔皇の使者が哀れ過ぎて、泣けるぐらいです。その場合は人化したままでも蟲使いの技は完全に無効化されてしまうのですから……この状況下で緊張感を維持するのは至難の業ですわ。

 

 そんな心境の俺を尻目に皇帝と魔皇の使者の会話は続いていました。

 

 たしかに『魔皇ヤルダバオト』はやたらと緻密な計画を好むようです。この低レベルな蟲系種族の魔皇の使者改蟲メイドは見た目からしてどうしても緻密とは思えないので、裏で糸を引いている奴が緻密なのでしょう。つまり蟲メイドが通信している先にいる奴ですが……部下を通した会話だけで、周到なジルクニフの言い訳を簡単に突き崩し、それだけでなく瞬時に修正案を突き付けてきます。俺の目からは明らかにメッセージの符術は使用しているけど、どうもそれだけじゃ足りないような気がします。それぐらい蟲メイドの向こう側から漏れ伝わる魔皇ヤルダバオトの能力の一端は凄まじいものがありました。

 

 ……もしかして、蟲メイド以外に諜報系プレイヤーが侵入しているのか?

 

 そう思い当たり、改めて気を引き締めました。

 たしかにあまりにも蟲メイドは低レベル過ぎます。

 知力が高いようにも感じない。

 隠蔽しているようにも思えない。

 単なる使いっ走り……少なくとも俺の中では確定事項になっています。

 蟲メイド……俺というか、カンストプレイヤーを相手にするには肉の壁レベルです。俺がこの世界で拾い集めた配下達に感じるような不安をこの魔皇ヤルダバオトが感じないわけない。

 もちろんジルクニフに対する脅しであれば充分に役目を果たします。

 つまり俺の関与を想定していなのか?

 そんなわけがない。

 俺を邪魔と判断したとしか思えないやり口で連中は仕掛けてきたんです。

 今の状況が仕掛けでなく、単なる偶然なんてことがあるわけがない!

 

 そして会談はあっさりと終了しました。

 ジルクニフはぐったりと項垂れています。防戦一方の完全敗北じゃ、まあ仕方ない結果でしょう。プライドはズタズタにされ、どうにか期日こそ延長できたものの、今回約束された期日までにワーカーによる墳墓潜入が実行されなかった場合のペナルティーを通告され、もはや風前の灯火いったところです。

 

「亜人軍10万による帝国侵攻」

 

 魔皇ヤルダバオトはそう宣言しました。

 既に集結は完了し、進軍を待つ状態である、と。

 つまり魔皇による帝国への処刑予告です。

 

 そんな手があるのか……思わず感心してしまいました。自陣営の戦力を損耗せず、この世界においての人間種よりも強力な種族を取り込み、戦力化する。数から考えても単一の種族でなく種族連合軍なのでしょうから、プレイヤー自身が指揮官か軍監として力で管理すると思われます。ものの見事に恐怖政治ですが、元々好かれようなんて発想がないのでしょう。現地勢を利用するのであれば実に効率的です。たしかにカンストプレイヤーと比べれば現地産の亜人なんぞ塵芥でしょう。しかしこの世界の人間種に比べれば圧倒的な戦力なのも確実です。労せず、損耗も考慮せず、お手軽に戦争を仕掛けられます。

 これは俺の発想と少し似ていますが、完全に非なるものです……規模も違えば方向性も違います。

 俺のは苦肉の策とも言える防衛手段の育成であり、情報網の構築であり、資金源確保の方法でした……主たる目的は生き残りですからね。

 対して魔皇サイドのものはシンプルに侵攻手段であり、その戦力も使い捨てでしょう。だから人間種国家に対して亜人種の軍勢……指揮系統さえ構築してしまえば、なるほど育成する手間が不要です。元から人間よりも強いのですから……よくよく考えたら竜王国の惨状を参考にすれば結構簡単に思いつきそうなものですが、俺からその発想は生まれませんでした。俺と同様に現地勢の育成に苦労した結果なのか……いずれにせよ、凄い割り切りと強靭なメンタルです。当然、連中の主目的は侵攻からの征服なんでしょう。

 

 ハッキリ言って蟲メイドは有象無象以下の低レベルプレイヤーてした。

 しかし姿を見なくても嫌って言うほど理解させられました。その背後にいる魔皇ヤルダバオトって奴は緻密で頭脳明晰かつ冷酷……敵に回すにはカンストプレイヤーである俺でもヤバい奴です。

 要するにとんでもない連中に狙われちゃったんですね、バハルス帝国。

 

 ……ご愁傷様。

 

 そんな状況で疲労困憊のジルクニフを放置するのは気が引けましたが、蟲メイドは既に寝室から退出してしまっていました。

 慌てて追跡に入ります。しかし退出した瞬間に転移されるという最悪の想定からはほど遠く、蟲メイドは暢気に後宮の廊下を歩いていました。とても警戒心があるようにも見えず、本当にあの「魔皇ヤルダバオト」と同じチームに属しているのか疑ってしまうようなお気楽さです。

 

「お腹、減ったぁ」

 

 蟲メイドがヒョイっと何かを掴み上げ、仮面の下に手を突っ込みました。それが何度も繰り返されます。

 

「お肉ぅ……お肉、食べたいぃ」

 

 シニョンって言うんだっけか……お団子付けた髪型の向こうで、とにかく緊張感を感じさせない発言を連発する蟲メイド。

 

「人間のぉ、お肉ぅ、食べたいぃ」

 

 途端に物騒なことを仰る!

 そして違和感バリバリでした……プレイヤーが人肉を食いたいって……凝ったロールプレイにしても、その発想に至るか?それとも転移の影響か?

 

「でもぉ、摘み食いぃ……したら怒られるかなぁ?」

 

 散々物騒な発言を大声で連発しながら……どんなカラクリなのか……警備が厳重なはずの後宮の廊下を誰一人遭遇せず、ついでに複雑な構造の廊下を迷いもせず、帝城の中庭に出てしまいました。

 

 月明かりの中、蟲メイドは空に向かい何やら呼びかけています。

 

 何度も見たことのある巨大な蟲が唐突に上空に現れました。

 蟲使いが呼び出せる飛行用の蟲です。

 変なところはユグドラシルに忠実だなぁ……しかし都合が良い。

 蟲を使役して移動するなら、俺にとって追跡は容易極まります。

 

 完全にマーキングした蟲メイドの飛行蟲を待ち受けるように、フライでさらに上空に飛び立った瞬間……激しい金属音と聞き覚えるのある声が耳に入ったんです。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 理由は判らない。

 何でこんなところにいるのか……こんなことをしているのか?

 いわゆる「いてもたっても」ってヤツ?

 城壁の向こうに、もう二度と覆らない忠誠を誓うゼブルがいる。

 状況は極めて危険だ、と聞いた。

 その危険を回避可能なのはゼブルだけだ、とも……

 だから「来るな」と厳命された。

 

 悔しい……とも違う。

 護る……必要なはずがない。神の力を持つぷれいやーなのだ。

 役に立ちたい……不要と言われた。その判断に間違いなどあるはずがない。

 寂しい……というよりは……何だろう?

 

 とにかく言葉で表現し難い何かに突き動かされ、ティーヌはフル装備の上に外套を羽織り、主催者不在の宴会の続く歌う林檎亭を飛び出していた。

 目的地は帝城。

 最短距離を進む。

 真夜中だ。帝都アーウィンタールと言えど人影は少ない。

 時々監視の帝国兵が振り返る……単純に走り抜けているだけになのに反応できない兵士も多数。能力全開のティーヌのスピードを視認できる帝国兵は少なかった。戦闘状態と等しいスピードでティーヌは夜中の帝都を走り抜けた。

 

 そしてアッという間に到着した……が、どうしたら良いのだろう?

 

 正門前……真夜中といえど、さすがに衛兵も多い。

 後宮の位置さえ把握すれば、この程度の警備ならば、侵入など元漆黒聖典第九席次には児戯に等しい。

 しかし正規兵が後宮の位置など上の許可無く部外者に教えるわけがない。

 その程度はティーヌにも判る……が、試さずにはいられなかった。

 正門の衛兵に声を掛け、追い払われた。

 次に巡回の衛兵を捕まえてみたが、瞬時に取り囲まれ、逃げ出した。

 ついには色仕掛けまで試すも、さすがに正規兵相手では……

 

「うーん……厳しいなぁ、もう」

 

 捕まえての拷問は不可……この状況下ではさすがにゼブルの命令は必要無い。

 法国では無法者扱いではあったが、無能者であったつもりはない。クレマンティーヌだった頃の実兄と比較して……という意味ではそうかもしれないが、真に無能者であれば漆黒聖典に在籍していた過去は無かっただろう。

 

 でも、諦められなかった。

 

 城外から判断できないか……一縷の望みをかけて、気配を消しながら城壁の周りを歩く。動きながらでは風花のレベルまでには至らないが、帝国の一般的な兵士相手であればティーヌの隠密でも通用するだろう。自身の行動によって警戒レベルを上げてしまった衛兵の目を誤魔化さなければならないのだ。

 

 あの頃……力に奢っていた……否、悪酔していた頃であれば、今の状況にキレていたかもしれない。なんでも力でねじ伏せた。ついでに趣味も満足させていた。力に溺れ……その内により大きな力によって屠られただろう。道徳的な例えでなく、正に文字通りに。

 今となってはなんとなく予想できる……思い上がりと悪逆の果てにいずれ殺された自身の骸。

 吹っ掛けた殺し合いの末に斬殺なのか。

 罠にハマり、拘束され、凌辱された末の撲殺なのか。

 はたまた獄中で吊るされたのか、火刑にでも処されたか。

 最悪、本国で凄まじくエグい実験の素材にでもなっていただろうか。

 いずれにしても遠くない未来だっただろう。現実に神であるぷれいやーに挑んだのだ。死んで当然の行いだったし、今こうしてぷれいやーの側に立っているのは奇跡に違いないのだ。

 あの時にゼブルに殺されなかったのは僥倖、というか単なる気まぐれなのだろう、とティーヌは考えていた……実際にこれまで目にしたゼブルによる生死の選別は気まぐれの要素が大きいとしか思えなかったのだ。

 強さ……そう思える節がないこともない……が、だとすればティーヌの目から見て、最も重用されたお色気ババアは何なのだ、となる。あんな色気だけのババア……でもゼブルの御手付きというわけでもない。

 というか、ゼブルは女に一切手を出さないのだ。まず間違いなく熟女趣味ではない。あのお色気全開ババアには手を出していないので……あのゼブルに媚びる感じがとにかくムカつくのだが……しかし求められれば「いつでもどこでも即OK」のティーヌも完全スルー。少し良い感じに見えた青薔薇で貴族のお嬢のラキュースも完全スルーだし、年下趣味や幼女趣味ならば大胸筋ガガーラン以外の青薔薇やアルシェでも良いはずだが……かと言って、元「天武」のエルフ三人娘もイミーナのような人間種以外もスルーだし、かといって男色とも思えない。本当にあの時の言葉通り「捨て駒」やら「肉の壁」としか思われていないのかもしれない……なんだろう、この気持ちは……?

 

 軽く頭を振った。

 

 今は……そんなことはどうでもいい……ゼブルの命の選定基準だ。

 組織の運営力……だとすれば『八本指』の幹部を丸ごと残した方が無難ではないか、などと考えてしまう。ババアとオカマとゼロだけを残して、残りは首チョンパして晒し首……なんの力も無いジジイ共だ……ぷれいやーであるゼブルでも殺して復活なんて手の込んだ手段は使えない……と思う。つまりティーヌには理解できないなんらかの理由で選別したのだ。

 学が無い風を好んで装っているが、こんなでも法国では最高レベルの教育を受けているのだ。現代だけでなく古文字の読み書きなんかは当然だし、初等の数学のような基本はもちろん、およそ『六大神』が持ち込んだ知識体系は修了していた。それ以外にも潜入工作も実行する特殊部隊員として必要な知識も最高レベルで習得している。でなければ漆黒聖典には推薦されない。だから出会ってから許す限りの時間を割いて、ゼブルを観察し続けていた。

 ゼブルにとって強さはそれなりに重要な指標なのだろう。

 しかしそれは以上ではない。

 

「なーんか、フワッとした……うーん、なんなんだろうねー?」

 

 フードの中で染めた銀髪をクルクルと指に巻く。

 何かが頭蓋の下で蹲っていた。

 間違いなく正答ではない。

 でも、何かに少しだけ近付いたような気がしていた。

 とにかく見てしまう。

 とにかく役に立ちたいのだ。

 自身の持つ全てを捧げたいのだ。

 なんでこんなに惹かれるのだろう?

 ぷれいやーだから……違う気がする。もしゼブルよりも強大な力を持つぷれいやーが目の前に現れて、頭の中のアレを取り除いてくれる、と言われてもティーヌは拒絶するだろう。それで敵に殺されるならばそれまでだ。全てを捧げる前にゼブルの肉腫に脳を食われるよりははるかにマシだ。

 恋……ではない……と思う。好きとか嫌いとか、そんな人間的な感情をぷれいやーであるゼブルに期待などしていない。全てを捧げた後、残りカスの自分を捨てられても構わないのだ。役に立たないのならば自身に価値など無い。だが全てを捧げ尽くすまでは絶対に離れない。

 死んでも復活して……くれるのだろうか?

 自信はある……あるけど少し不安になった……やっぱり命の選定基準が判らないのが原因だ。結局、頭に居座る答えのような何かに辿り着けない。

 

「どーどー巡りだね、こりゃ……やっぱお役に立つところを見せないと……」

 

 月明かりを避けて、物陰が極端に少ない帝城の周りを見て歩く。かなりの難度だが、ティーヌにとってはやってやれないような技でなく、片手間でも可能な程度だった。現に考え事は続行中だし、緊張の欠片すら感じない。単純に自身の気配を絶ち、同時に他者の気配を探り、避け、視界に漠と捉えた全体像から茫とした違和感を探る……それだけのことだった。

 

 脚が止まった。

 集中しないからこそ全体像から捕捉できる僅かな違和感が視界のはるか先にあった。

 

 なんだぁ……?

 

 スーッと目が細まる。何かがおかしい。でも改めて意識して見ると、それが何だか判然としない。

 視界に入るのは何の変哲もない、ただの城壁と街路樹と路面……時刻は深夜だが恥知らずなほど明るい。その奥に月明かりに照らされたアーウィンタールの整然とした建築群があった。

 特別な気配は感じない。

 だが直感は明確にアラートを発している。

 

 近付くべきか……どうする?

 

 まずは直感に従った……立ち止まり、完全に気配を断つ。街路樹の小さな木陰の中に同化した。こうなったら風花ですら探知は難しいはずだ。

 

 目の前を巡回の衛兵の小隊が通り過ぎた……でも気付かれない。

 彼等は躊躇なく違和感の中に突入して……行かなかった。

 30メートル程前方で唐突に反転し、再度ティーヌの前を通り過ぎた。先頭の兵士も、最後尾の兵士も、隊長らしき大柄な兵士も極めて自然に反転……ティーヌの目からは違和感バリバリの動きだが……誰も違和感を感じていないようだった。別段指示も無く、まるでそこで引き返すのが予定通りの行動だったかのように。

 

 はぁ?

 

 異様な光景だった。

 どんなに眺め続けていても違和感の正体は判らない。

 だが明らかに異常なのだ。

 

 ティーヌは進む決断を下した。

 木陰から出て、ゆっくりと一歩目を踏み出す。

 2歩、3歩とスピードを上げる。

 ヤバさの濃度が跳ね上がる。

 小隊が折り返した地点を過ぎる。

 もう戻ることは出来ない。

 戦士としての直感が囁いてくる……逃げろ、と。

 こんな事はゼブルが真の姿で破滅の竜王と戦った時以来だった。あの時は破滅の竜王にビビり、味方であるゼブルから畏怖と安心感を感じたのだ。

 そのゼブルは城壁の向こうのどこかにいる。

 だから……腹を括った。

 ゼブルの為に役に立つのだ。

 今ではその為にこの世に在ると思っている。

 クレマンティーヌを辞め、ティーヌと言う名を授かったのはその証だ。

 

 それらはそこにいた。

 最初からいたような……唐突に現れたような……?

 

「……誰だぁ、お前ら?」

 

 ヤバいのは伝わる……伝わらない奴は既に死んでいるレベルのヤツが……しかしゼブルや破滅の竜王に感じたような畏怖や絶望感には程遠い。

 

 届くか……否、厳しい。

 

 一人でも辛いのに、そいつらは二人いた。

 

 ニコニコと笑う赤髪で褐色肌の女が立っていた。

 冷たい笑いの縦ロール巨乳が振り向いた。

 

「ちわーっす、ルプスレギナっす……こっちはソーちゃんっす」

 

 赤髪のルプスレギナが商店の店頭に立つ看板娘の明るさで笑っていた。

 

 二人ともに絶世の美女……しかしヤバい。

 

「……自己紹介はしてくれないのかしら?」

 

 まるで避暑地で散策中に知り合いの連れにでも会ったかのような雰囲気で、縦ロール巨乳ことソーちゃんは優雅に、冷たく笑いかけてきた。

 

 ……こいつらどこにいた?

 

 否応無く高まる緊張……心音が煩い……下がることもできず、前に出ることも躊躇われた。

 

「……ティーヌ」

 

 腹の奥からなんとか呟きを捻り出した。

 

 クレマンティーヌだった頃、他者は痛ぶるものだった。世の中に絶対の強者は神人とドラゴンロードとぷれいやーのみ……同格は漆黒の同僚であり、表で有名なガゼフ・ストロノーフやフールーダ・パラダインは絵空事だった。彼等とは生涯接点など無いと思い込んでいたのだ。

 危険な者には近づかなければ良い。

 手を出してもヤバければ逃げれば良い。

 弱者からは命を含めて全てを奪って良い。

 そして英雄の領域に立つクレマンティーヌにとって、世の中のほぼ全ては弱者だった。

 実に単純な世界だった。

 そしてゼブルと出会う。

 あの夜……ティーヌとなった日……世界は果てしなく高く、とてつもなく広いものだと知った。

 絶望的な差を知った。圧倒された。畏怖した。

 時折、ゼブルが話してくれる強者だけの世界……そこではぷれいやーであるゼブルですら弱者だと言う。そして強さは定まったものでなく、状況で入れ替わるものだとも言った。

 何度聞いても……どうしても理解できなかった。

 強者は強者ではないか……これからティーヌの生涯を全て費やしても『番外席次』や『隊長』に勝てるとは思えない。

 努力ではどうにもならない理不尽さ。

 それこそが序列というものではないか?

 しかしティーヌの心中でどう思おうが、絶対的強者の一角であるゼブルは逃げの決断が早かった。

 ゼブルはその判断も含めて「強さ」だと言う。

 言っていることの意味は理解できる。

 ……できるが釈然としない。

 運良く同道を許され続けた。

 だから常にゼブルを見続けているのだ。

 その中でこの世界にティーヌと同格の者は無数に存在することも知った。

 まだまだ他にもいるのだろう。

 

 そして目の前にもいた……名も知らぬ魔人が2名。

 

「ティーヌ……?」

「なんか聞いたことあるっすねー……ソーちゃん、知ってるっすか?」

「デミウルゴス様が仰っていた中にいたと思うわ」

「あー、アレっすね……御招待リストっすか?」

 

 ルプスレギナが巨大な聖印を象った聖杖を構えた。

 一方、ソーちゃんは構すらしない。

 でも同等に恐ろしい……ティーヌは外套の下で『戦闘妖精』の柄を握った。

 さらに「デミウルゴス様」という上位者らしき名を深く記憶に刻み込む。きっと有用な情報に違いないのだ。

 

「つーわけで、一緒に来てくれると助かるっす、ティーちゃん」

 

 天真爛漫な明るい笑顔と妖艶な冷たい笑顔……対象的な二つの笑顔がティーヌの一挙手一投足を凝視していた。

 ジリっと半歩下がる。

 いや下がらされたのだ。

 隔絶したスピードで間合いを潰すのがティーヌの流儀……対してルプスレギナの主武器である聖杖は長得物だ。直感によれば力の総量はルプスレギナの方がやや上。意味無く下がってもティーヌに得は無い。さらに自然体で立つだけのソーちゃんとやらは何を仕掛けてくるのか……

 

 状況が一触即発なのは確実。

 ティーヌは視線だけを走らせ、逃走経路を探した。

 捕まるわけにはいかない。それだけは拙い。

 単純に後方……距離を広げるか?

 そう思った瞬間、視野を細長い何かが走る。

 全力で跳躍し、思惑通り距離を作り……着地の瞬間、猛然と迫る赤髪を確認した。さらに飛び、もう一度飛ぶ。その度に破砕音が追ってきた。

 

 ヤバいなぁ……こりゃ。

 

 石畳の路面が大きく抉れていた……一ヶ所、いや二ヶ所。さらに何かが貫いたような穴も……やはり二つ。打撃がルプスレギナで穴がソーちゃんで間違いないだろう。だがソーちゃんが何を仕掛けているのか確認できていない。

 

「手荒な事は禁じられてるっす……でも逃げないようにしないと捕まえられないっすね」

 

 相変わらず口調に緊張感は無いが、ルプスレギナの笑顔が明確に変わった。

 

「そうね、あまり手間をかけさせないでくれると助かるわ……御招待することはアインズ様の御意ですもの」

 

 アインズ様……こいつらの上位者の名か……さらに記憶に刻み込む。

 

「脚一本ってとこっすね」

「まあ、それぐらいなら……問題ないと思うわ」

 

 お気楽に恐ろしいことを言う……脚一本……大問題だ。

 

 抗議する間も無く、ルプスレギナの姿が完全に消えた。

 同時にソーちゃんの巨乳が迫る。彼女は単純に、そして優雅に迫っていた。

 

「ちっ!」

 

 パニックで心が沸騰した……瞬時に戦闘モードに切り替え、半ば強引に不安を圧し殺す。同時に頭脳は冴え渡った。

 闘争は不可避だ……戦え!

 後ろに下がる……ダメだ。

 ルプスレギナは捕まえると言った。前からソーちゃんが迫る以上、背後に罠がある可能性が高い。加えてルプスレギナは向かって右に立っていた……だから左に大きく飛ぶ。

 念には念を入れて、同時に『戦闘妖精』で左の空間をなぎ払う……見た目はマヌケだが簡単な牽制だ。

 

 ガキンッ!

 

 姿を現したルプスレギナの聖杖に『戦闘妖精』に刃が食い込んでいた。

 

 ……ヤバいどころじゃなよ、ね。

 

 ティーヌは自身の思考を全て読み切られたことを悟った。たまたま逃走を諦め、戦闘を決意し、念の為の牽制した……その結果、望外の幸運に恵まれ、どうにか捕捉を免れ、探知できないルプスレギナを炙り出したのだ。

 

 ティーヌは囲まれないように注意しつつ、大きく後退しながら抜身の『戦闘妖精』を構えた。

 虚空から現れたルプスレギナは笑顔だった。

 だが明らかにこれまでと違う。

 凶悪なのだ。

 

「ソーちゃん、ティーちゃんが悪いと思うっすよ」

「そうね、同意するわ」

「獣王メコン川様から頂いた聖杖を傷付けたっす……マジ頭きたっす!」

 

 法服ベースのメイド服がゆらりと前に踏み込んだ。

 

「あまりやりすぎちゃダメよ……アインズ様の御意ですもの」

「りょーかいっす! でも許さないっす!」

 

 怒涛の連撃が始まった。

 一歩目で距離を潰されて、同時に聖杖が振り下ろされた。

 初撃は受け流すのが精一杯。

 ルプスレギナの攻撃は大雑把だった。

 杖術は二流……下手すりゃ三流……少なくとも純戦士のティーヌならば捌くのに苦労はない。しかし回避だけでは難しい。だから受け流すのだが、その度にかなり精神を削られてしまう。明らかに身体能力のスペックが違うのだ。

 眼前の笑顔魔人はとても同じ人間、同じ女とは思えない。

 一撃一撃が凄まじく重かった。

 さらに唐突に姿を消すことができる……さらに精神を削られてしまう。

 加えて移動速度はスピード自慢のティーヌと互角……こちらは既に『能力向上』まで使用してだから、とても互角とは言えないかもしれない。

 いつまでも終わらない連撃。

 だから『能力超向上』まで使って良いのか……迷ってしまう。

 今のところ、スタミナや集中力はゼブルに貰った指輪のお陰でなんとかなっているが、この先はどうなのか……

 かつて愛用していたスティレットだったらとっくに終わっていただろう。

 かつての冒険者プレートを貼り付けたビキニアーマーだったら既に死んでいただろう。

 武器……いや武装全般のスペックは明らかにこちらが優位。ルプスレギナの聖杖は受け流す度に傷付いていった。

 どうにか互角……ゼブル様様だった。

 

 ウンザリするほど、絶え間無く続く連撃。

 捌き自体は難しくない。怒りによるものなのか、それとも戦士職ではないからか……短調なフルスイングが多く、軌道の予測も極めて簡単だ。

 しかし重い。流す為の軽い接触だけで骨まで響く。さらに精神力を大きく削られる。人間の姿のゼブルと剣の稽古をした時と同等の衝撃なのだ。

 

 ここまでの攻防は互角と言えば互角……だがルプスレギナの向こうには全く疲労していないソーちゃんがいた。その事実がティーヌの精神をさらにジリジリと削る。たとえこの猛攻を切り抜けたとしても消耗0かつ攻撃方法すら不明の敵がいるのだ。しかもソーちゃんの動きはルプスレギナと違って目で追い切れていない。

 

 そのまま撃ち合いが100合を超えた頃……

 

「魔法使ったら?……それとも手伝った方が良い?」

 

 興味なさそうにソーちゃんが言った。

 

「これはお仕置きっす。ティーちゃんをブン殴らないとダメっすよ」

 

 答える間に僅かにルプスレギナの動きが鈍る。

 

 空かさずバックステップで後退した。

 そこで大きく息を吐く。

 信じられないことに、かなりの長時間無呼吸だったらしい。

 生き返った……脳が冴える。

 

 しかし隙が生じた。

 

 ルプスレギナが鋭く踏み込んだ。

 これまでと距離感が違う……そう思った時は遅かった。

 聖杖が無造作に地に投げ捨てられているのが見えた。

 右腕が掴まれた……『戦闘妖精』が振れない……絶望的だった。

 同時にルプスレギナの右手が強引に外套の中に押し込まれる。

 目の前に笑顔があった。

 ニッと笑っていた。

 犬歯が剥き出しの凶悪な笑顔……だが場違いに美しい。

 強烈な衝撃が下半身を襲う。

 

 痛ぅ……立て……ない……何っ?

 

 視界が下がった。

 見上げれば見下す笑顔があった。

 鈍痛が響いてきた。

 思わず痛みの発生源を見てしまう。

 気付けば尻餅をついていた。

 激痛が襲う。左大腿部だ。

 剥き出しの腿を拳で殴打されたのだ……折れているかもしれない。

 反射的に下賜されたポーションを探り……それが目の前の褐色の手の中に赤い小瓶が二本……つまり全て握られていることに気付いた。

 

「勝ちっすね」

 

 お気楽な勝利宣言。

 

「ちくしょーがっ!」

 

 そのまま路面に仰向けに寝転がり、叫んだ。それが最後の抵抗だった。城壁の向こうに届け、と思いを込めた。

 

「脚一本……これで勘弁してやるっす」

 

 月明かりの中、満足気なルプスレギナの笑顔は元の天真爛漫なものに戻っていた。

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 完全不可知化を維持したまま滞空し、どうするべきか考えました。

 金属同士の激突音が続き、最後にティーヌの絶叫。

 何かしらの異変があったのは間違いないでしょう。

 一方、追跡中の蟲メイドは優雅に遊覧飛行を続けていやがります。

 

 咄嗟に思い浮かんだ選択肢は二つ。

 蟲メイドに眷属を付けるか?

 近くに感知できるティーヌの肉腫の位置に眷属を飛ばすか?

 

 俺から離れすぎると眷属は与えられた役目を果たそうと勝手に頑張り続けますが、正確な位置情報を見失ってしまいます。これまでの実験によればおよそざっくりと2〜3キロメートルぐらいまでが全てを有効に把握できる範囲でしょう。また距離はともかく、時間については第一世代のままでは規定時間を超えられず、そこで消滅してしまいます。

 では、どこまで時間が経過しても把握できるように蟲メイドの脳で肉腫にしても、生死や個体情報は感知できても遠距離での位置情報はロストしてしまいます。何よりメッセージであの『魔皇ヤルダバオト』と意思疎通可能な状態の蟲メイドを肉腫で支配するのが得策か……どう考えても悪手。

 魔皇ヤルダバオトが仕切るなり属するなりしているプレイヤー集団にあの蟲メイドが所属しているのは確実です。問題はあの冷徹な魔皇ヤルダバオトがどう見てもお気楽かつ低レベルの蟲メイドをそれなりに信頼し、重用していることです。お気に入りなのかもしれない……それこそリアルの知り合いの可能性まであります。で、あるとすれば肉腫で完全支配しないまでも言動に違和感を感じさせれば、状態異常を気付かれてしまう可能性が高い……つまり肉腫が解析される可能性が生じてしまうのです。

 たとえ低レベルとはいえ、ジルクニフが直接プレイヤーをどうこうするは不可能です。つまり皇帝以外の関与は間違いない、となるのです。

 誰でも辿り着く結論は、俺による敵対行動なんです。

 いずれそうなるにせよ、現時点で旗色を鮮明にするのは最悪手に近いでしょう。

 

 ではティーヌを見捨てるのか……少しもったいない気がします。

 全ての配下はいざとなれば捨て駒とはいえ、彼女は1番の成長株であり、現状では最も強い駒なのも間違いのない事実なのです。

 ティーヌが外傷を受けたと肉腫は報告してきます。

 現在も外傷は治療されていないようです。

 ポーションを使用できない状況が続いているのでしょう。

 既に敗退して拘束されたか、防戦一方の最中か?

 つまりティーヌをに与えた神器級の鎧の防御を抜くヤツが相手ということを示しています。単純に物理的な打撃や斬撃ならば、鎧で受ければ90レベルまでは対応できるはずなのです。高レベル、もしくはティーヌの動きを封じる手段を持つ輩なのは間違いありません。何が問題なのかと言えば、殺されていないことなのです。つまり拉致されれば肉腫の解析にまで到達してしまう可能性が消せないのです。

 

 ティーヌの肉腫を眷属化するか……しょーじき、それが一番手っ取り早い解決法な気がしないでもないのですが、その後ティーヌの死体を拉致されると彼女の復活できなくなるのが問題でした。『真なる蘇生』であればデスペナであるレベルダウンは最小限にすることが可能ですが、それも死体が無いと不可能なのです。

 そして現在の神器級フル装備のティーヌは第二世代眷属と強さにおいては大差がないのも事実でした。単純な肉弾戦においてはティーヌの方が強いと考えて間違いないでしょう。要するに敵が眷属を蠅でなく、眷属と正しく認識した場合、眷属が逃げ切れる可能性も大して高いものではないと予想できます。

 加えてティーヌが対峙する敵は彼女よりも強いのに、現状は殺されもせず、手持ちのポーションによる治癒もできていないのですから、ティーヌを生かして捕らえることに意味があるのかもしれません。

 魔皇ヤルダバオトとジルクニフの間接的なやりとりを確認しただけでも理解させられる冷徹さ……人質による脅迫が有効であれば、誘拐を躊躇無く実行するタイプであると確信させます。

 そして敵がプレイヤー集団である可能性が極めて高いと半ば確信している以上、蘇生魔法を持っていないと考えるのは無理があります。つまり拉致が目的であっても死体は有用なのです。

 死体を誘拐する……この世界において情報収集目的でも脅迫目的でも蘇生に伴うレベルダウンさえ考慮しなければ極めて有効な手段でしょう。

 

 ティーヌを見捨てるのも悪手になるな、こりゃ……

 

 で、あるならば召喚する眷属の数を一気に増やし、蟲メイドの追跡とティーヌの救出を同時にやるとして、どちらに比重を置くか……つまり俺がどちらに向かうかの選択でした。

 

 蟲メイドか?

 ティーヌか?

 

 治癒魔法を持つのは俺だけ……だからティーヌに向かうべきか……

 

 時間は無い。

 決して最善ではない。

 まだ情報も得ていない。

 敵対の表明に等しい。

 しかし決断せざるえなかった。

 

「眷属召喚……肉腫蠅!」

 

 スキルの発動と同時に俺の周囲に現れた30の魔法陣から同時に30の蠅が生み出された。眷属達は20と10の群れに別れ、即座に蟲メイドとティーヌに向かう。

 かなりの量のMPと課金アイテムを消費した。

 これだけでは厳しいか……さらに念には念を、だ。

 

 『人化』を解除する。

 

 帝都の空に邪悪な神が降臨した。

 




お読みいただきありがとうございます。


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15話 どうやら追い込まれているみたいです!

自分の筆の遅さが恨めしいです。
時間の無さだけでなく、単純に遅い。
もう少しだけでもペースアップしたいところ……



 

 『水晶の画面』にその姿が浮かび上がっていた。

 

 一見すると真っ黒な天使……というか堕天使のように見えるが、かなり奇妙な姿をしていた。6枚の翼と肩まである髪は黄金であり、深紅の目に浮かぶ瞳も黄金だった。皮膚は黒なのだろうが、赤黒い脈の紋様が激しく脈打っている。手にしている暗黒の槍も同じく脈打っていた。何よりも魔法文字のエフェクトするローブから外れた身体の部位では赤と緑の2匹の蛇が激しい闘争を繰り返していた……なんとも不穏な姿が唐突に帝城の上に現れたのである。

 

「ニグレド、あれはゼブルですか?」

 

 丸メガネの最上位悪魔が顔面の皮膚を失った女に問う。

 面倒な手順を踏んでまで情報魔法特化のアルベドの姉に会いに来たのだ。

 彼女の特別な能力を無駄なく使い切る。

 だから予断は挟まない。

 視覚から得た情報も鵜呑みにせず、逐一ニグレドに確認する。

 

「左様です。直前まで確かに監視していた人間でした」

「あれがゼブルですか……ふむ、面白いですね。『人化』のスキルですか?」

「……おそらくは……詳細な情報を探るとなると、対象の攻性防壁への対処も必要になります。その対処で監視そのものを気付かれる可能性もあり、このレベルの相手には仕掛けない方がよろしいでしょう」

「このレベル?」

「はい、アインズ様のものと同等の攻性防壁を展開しています。非常に恐ろしい相手です。私でも気を抜けば強か逆撃を受けるでしょう」

 

 ニグレドは深々と一礼した。

 デミウルゴスは額に手を当て、大きく嘆息した……が、その口角は吊り上がっている。

 

 ……さすがは比類なき知謀の主、アインズ様のいと深きお考えは私などの及ぶところではありませんね。ナザリックの最終目的にとって有用と、セバスの報告書を読んだだけで看破されるとは……「アインズ様と同等」は言い過ぎなのでしょうが……我々と同等の存在ですか……たしかに最高の礼節をもってナザリックに招くべきですね。既に能力の一端は確認しました。人間共への尖兵として、これ以上の存在は考えらません。

 

「……と、なると……」

「と、なると?」

 

 デミウルゴスと話すのは最高レベルに近いニグレドをもってしても難しい。アインズ様や可愛い方の妹などはいちいち確認などせずにデミウルゴスと会話を続けているのを見たことがあるが、ニグレドだけでは唐突に話が飛んでしまったように感じてしまう。だから確認しながらでなければ「何故この段階に事態が至ったのか」が全く見えなくなってしまうのだ。

 ニグレドの問いに第七階層を守護する大悪魔は優しく微笑み、アインズ様の偉大さと神々を軽く凌駕する知謀を語ったが、ニグレドには何故その回答を得たのかも理解できなかった。言っている内容は理解できるし、納得もする。しかしそこに至る過程が全くもって見えないのだ……やはり難しい。

 

「……とにかくプレアデスでは3人でも手に余ると言うことです。アウラとマーレに連絡を……即時撤退です。捕獲した人間の女も治療し、本来劣等種たる人間には与えられないような礼節をもって、最上級の歓待で迎えるように厳命を……アインズ様の御意であると……その女は本命を釣る為の餌です。シャルティアには予定地点Bの方に『転移門』を開くように言ってください」

 

 臨時指揮所となっていた『氷結牢獄』の中が一瞬騒めいた。

 やはり人間などに「最上級の歓待を」と言うと、どうしても反発してしまうらしい。それを無理矢理抑え込む為の「アインズ様の御意」発言ではあるが、デミウルゴスは正確に至高の主の意図を見抜いている……つもりだった。

 

「ゼブルを配下に加え、世界征服の尖兵とする」

 

 その為にはゼブルの配下を厚遇するのは悪い手ではない。心情は別にして、実質的なコストは極めて軽微だ。さらに単に人質としても有効だが、一時的な敵対関係も歓待の実績を持って解消できる可能性がある。加えて為人を知ることもできる。ゼブルの対応によって人質が効果的であると知れれば、彼の配下をさらに拉致して、歓待すれば良いのだ。

 

「脅迫……いや、本人の御招待の手筈も整えなければなりませんね」

 

 絶対者アインズ様の全権委任たるデミウルゴスの号令をもって、彼の指揮下にあるナザリック全勢力は、全能力を「即時撤退」に振り向けた。

 

 

 

 

 

 

 帝都でも最高級とされる宿屋の最上階の特別室のドアの横で、二人組のアダマンタイト級冒険者『漆黒』の一人、『美姫』ナーベことナーベラル・ガンマは控えていた。二本の大剣を抱えたまま、微動だにしない。

 豪華な……いや、ナーベラルからしてみれば粗末なことこの上ない寝台に腰掛けるのは冒険者としての相棒である『漆黒』のモモンこと、絶対支配者アインズ・ウール・ゴウン様である。

 異名通りの漆黒のフルプレートに身を包んだまま寝台に腰掛けている姿は何もしていないように見えるが、フルフェイスの下の頭脳はナーベラルでは想像もできないような速度でフル稼働しているに違いない。

 なにしろ先程から繰り返し「終わった」と呟き続けているのだ。

 きっとナーベラルでは想像もできない速度で物事が処理され続けているに違いない。ナーベラルは無表情ながらも、心情的にはうっとりと至高の支配者たるアインズ様の至高の処理能力に感心していた。

 

「……せっかく……せっかく、ここまで来たのに……」

 

 終わった、と呟き続けて1時間も経過した頃、信じ難いことにアインズ様は嘆かれるような口調で、確かにそう言った……考えるのも不敬なことだが、どうやら何かを失敗したのかもしれない。常日頃、アインズ様から「指示に従うだけでなく、ほんの少しでも良いから考えよ」と言われ続けた成果だが、ナーベラルは「不敬な考えだ」と自省し、大きく頭を振った。

 

「ここまで来て、どうしてこうなった……」

 

 ここまで……とは帝都なのだろうか?

 どうしても、こうなったも、全く理解ができないが……アインズ様の御言葉に従い、よく考えるべきなのだろう。

 

 ここに至る過程……反芻する。

 

 ナーベラルがナーベとして、アインズ様のアンダーカバーである「モモンさーーーん」と明日の訪問先の打ち合わせしていた時である。

 切っ掛けはデミウルゴス様から直接アインズ様に届いた報告だった。

 その直後からアインズ様は繰り返し緑に発光されていた。

 少し遅れてナーベラルにもアルベド様からメッセージが入る。

 曰く、帝都での作戦に従事していたデミウルゴス指揮下のナザリック全勢力は即時撤退に移行した、と。アインズ様とナーベラルの冒険者チーム『漆黒』についてはアインズ様の御判断で独自に動くことは変わりないが、現時点での状況を説明する。

 以下はナザリック総員に向けたものと同内容である。

 帝国を圧迫し、関係者をナザリックに侵入させる侵攻一次作戦Aプランについては順調。

 一次作戦Bプラン(亜人軍による即時帝都侵攻)については明示するに留めたが、その効果は極めて大……皇帝はAプランに否が応でも誘導されることが予測される。

 皇帝との会談の際、アインズ様が招待の意を示された人間の冒険者ゼブルの介入を確認した……『完全不可知化』の使用は確実であり、セバスの報告に記載されていた通り、能力の隠蔽も確実であることが確認された。

 皇帝との会談終了と同時刻、ゼブル配下のティーヌという人間の女戦士とエントマのバックアップで城外に待機していたプレアデスのルプスレギナ及びソリュシャンが交戦状態に突入……人間種としてはかなりの手練れだったがルプスレギナが勝利し、負傷を負わせるに留めたことにも成功する……現在は武装解除し、ソリュシャンが飲み込み、ナザリックへ移送中……移送完了後、完璧な治療を施し、本来ならば人間種などに与えるのが躊躇われるような歓待で迎える予定。

 その後、エントマを追って帝城上空に現れた強大な力を持つ異形種をニグレドによる超長距離監視で確認。ニグレドによればアインズ様と同等の攻性防壁が周辺に探知された。それ以上の接近も探査も極めて危険であるとのこと。

 おそらく異形種によって召喚された複数の羽虫に追い詰められエントマはかなり危険な状態に陥っていたが、アウラと魔獣軍団により救出され、撤退に成功。

 同様にルプスレギナとソリュシャンもかなりの近距離まで異形種に接近されたが、帝都外周に展開されたマーレの魔法により、追跡を振り切ることに成功した。その際、当該異形種の能力の一端としてマーレの魔法により成長速度を加速させた植物を、遥かに凌駕するスピードで腐食、枯死させることも確認。

 最後に異形種はゼブルと推定される。対象は『人化』スキルを習得していることも確認……超望遠ながら真の姿を確認したので映像を送る……各自クリスタル・モニターで確認願う。

 なお、ゼブルはナザリックに誘導し、アインズ様の御意に従い配下に加える予定である。

 ナザリックの絶対支配者たるアインズ様の厳命である故、総員は名と姿を確実に記憶するよう、守護者統括として注意喚起する。

 

 アルベド様の通信から察するに、この内容はアインズ様以外に向けられたものなのは間違いないだろう。守護者統括が至高の御方に注意喚起などするわけがないのだ。つまりアインズ様の御意の徹底といったところが狙いであるに違いあるまい。特に人間の名を覚えるのが苦手であると自覚しているナーベラルにとっては実にありがたい配慮だ。ゼブルがどのような地位や立場でナザリックに迎えられるかは判らないが、本来の職務であるメイドとして失礼があってはならない。

 

 早速、アルベド様に命じられた通り、『水晶の画面』のスクロールを使用し、アインズ様が「ナザリックに招く」と決した者の姿を見た。

 

 人間の冒険者と聞いていたが、たしかに『人化』スキル持ちの異形種で間違いないようだった。それまでナーベラルの心中で騒ついて治らなかった波が引き、穏やかなものに変わる。人間と思っていると覚え難かった「ゼブル」という名もすんなりと脳裏に刻まれた。お姿も麗しいと思う。

 

 それからアインズ様のご様子が……

 

 しかし、それにしても何よりもプレアデスの姉妹全員が無事であったのは実に喜ばしいことだ。

 

 少し微笑みながら、改めてアインズ様を見ると、茫として宙空を眺めていらっしゃるような雰囲気を醸していた……フルプレート着用のままなので御尊顔を拝見できない故に、その真意の所在は判断できなかったが……

 

「……終わった……終わったよな、これは……」

 

 アインズ様は呟き続けた。

 

 この状況をさらに深く考えるべきなのだろうか……アインズ様のお考えを分析するなど不敬にあたるのではないか?

 しかしアインズ様御自身が仰っている以上、状況を考えるのは御意に従うことではないのか?

  

 ナーベラルは決断した。

 そして状況を反芻した結果、延々と続くこれは「何某かの業務終了を示す」御発言ではないと仮定すべきだ、と想定した。

 では何が終わったのか……ナーベラルには想像することも不可能だった。帝都侵攻作戦は始まったばかりである。まだ一次作戦も終わっていない。

 帝都侵攻作戦ではない……それは確実だろう。

 では何か……やはり判らない。

 慣れない思考という作業をさらに続ける。

 その結果として命令に忠実に従う方が遥かに楽だと知った。

 自然と表情が険しくなっていたらしい。

 戦闘メイドとしてはあってはならないことだが、照明から遮られていることにも気付かなかった。

 肩に異変を感じ、ふと前を見る。

 

「……アインズ様っ!……いえ、モモンさーーーーーん」

 

 漆黒のフルプレートが立ち塞がっていた。いつもと様子が違い、言い間違えも訂正されなかった。漆黒のフルプレートに包まれた両手がナーベラルの両肩をしっかりと掴んでいる。真正面に立たされ、ナーベラルはフェイスガードの奥の支配者の真意を推し量りかねた。

 

 重い……圧し潰されそうな沈黙が続く。

 

 気まずい沈黙を破ったのはアインズ様の方が早かった……何事かと問い返すのも不敬ではないか、と不安が募っていたところなのでホッとする。

 

「ナーベラル……いやナーベよ。アダマンタイト級冒険者『漆黒』の『美姫』ナーベに頼みがあるのだ……」

 

 いつになく深刻な声音であり……不敬かも知れぬが……常になく自信が無さそうに感じられる声音であった。

 

 悩み抜いた末……そんな感じではないだろうか?

 

 アインズ様に掴まれたままの肩が少し痛む。

 

「ナーベとして、私を助けてくれ……頼む」

 

 頭を下げるアインズ様。

 その間にも緑色の発光を繰り返していた。

 あまりと言えばあまりな状況にナーベラルは恐慌し、無礼やら不敬やらの考えなど放棄して叫び返す。

 

「頭をお上げください、アインズ様!」

「頼む!……ナーベよ、もはやお前だけが頼りなのだ!」

「おやめください、アインズ様! 命じていただければ……命じていただければ私は従います。いかなる命令……たとえ死を賜っても!」

 

 明滅していた緑色の光が失せた。

 漆黒のフルプレートが大きくのけ反っていた。

 超越者は呼吸などしないだろうが、一呼吸の間を置き、いつもとは程遠いものの辛うじて威厳らしき気配を取り戻している。

 アインズ様がナーベラルに向き直った。

 

「そっ、そうか……では、ナーベとしてのお前に命ずる。冒険者として、何も詮索せずに冒険者ゼブルをここに連れて来て欲しいのだ……理由は言えないが極めて重要な任務だ。他言は無用……誰にも……アルベドにもデミウルゴスにも他の姉妹達にも……他の誰にも絶対に喋ってはいけない。言わば密命だ」

 

 ナーベラルは恭しく一礼するしかなかった。

 他に選択肢などない。

 考えることも放棄した。

 同時にリラックスしていた。

 考えない方が楽なのだ、と痛感していた。

 

「モモンさーーーーーんの命ずるままに」

 

 ナーベラルはモモンの大剣を丁寧に壁に立て掛け、改めて深々と一礼した。

 

「一命に変えましても、必ずや命を果たしてみせます」

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 こいつが……?

 

 憮然とした表情で黒コートの男が皇帝陛下の私的執務室を忙しなく歩き回っていた。男に遠慮する気配は無く、臣民には見せられないような落胆ぶりを執務室の片隅で見せている皇帝ジルクニフよりも、よほど部屋の主人のように振る舞っている。

 秘書官に直接命じ、菓子と飲み物を持ってこさせるだけでなく、礼も無く、勝手に飲み食いしていた。

 臣下として許容できないだけでなく、人として許し難い……が、なんとなく荒れているのだけは理解できた。感情のやり場に困っているというか、イラ立ちを無理矢理捻じ伏せているというか……

 

 帝国四騎士筆頭である『雷光』バウジット・ペシュメルは同僚達から入手していた前評判とあまりに違うゼブルの様子に困惑しながらも、どう話し掛けるタイミングを見計らっていた。

 

 現在、真夜中にもかかわらず帝城内は蜂の巣を突いたような大騒ぎになっている……誰もが正確な状況を把握しないまま、全員が慌てふためき、焦りに焦っているのだ……そして全体を掌握する者はいないも同然だった。

 現在では秘書官達の中で筆頭と目されるロウネ・ヴァミリネンが辛うじて全体が崩壊しない程度に指示を飛ばしている。

 即応可能だった第一軍が総動員された。

 第二軍も臨戦状態を維持したまま総員待機。

 ニンブルとレイナースに加えナザミまで、突如として帝都アーウィンタールのすぐ西側で展開された大規模魔法戦の痕跡の偵察に駆り出されているのが現状だった。さらにフールーダ・パラダインを筆頭とする魔法省の連中まで調査の為の準備に全員が駆け回っているという中では、真夜中に4番目の妻と同衾していた最中に呼び出されたバウジットがジルクニフの護衛をやらねばならなかったのだ。

 

 陛下はフヌケて、何故かバケモノも一緒……さて、どうしたもんかね?

 

 ゼブルは食っては飲み、飲みは食ってを繰り返しながらも、ウロウロと歩き回るのをやめない。当然バウジットの姿を確認してはいるのだろうが、一切無視していた。

 対してジルクニフは呆然と宙を眺めている。

 こんな陛下を見るのは初めての経験だった。バウジットが入室した際に力無く笑い掛けられたのが最後に見せた反応であり、いつもの覇気の塊のような様子は消え失せていた。

 

 ……まあ、だからフォローはねーわな……

 

 改めてゼブルを観察する。

 不躾だが仕方ない。

 元々儀礼的なやりとりは苦手だ……やらなくて良いならば、やらない。

 騎士と名ばかり……ニンブルとは違う。

 路地裏上がりだしなぁ……まあ、こいつも気にするタマじゃねえだろ。

 

 武力では武王を赤子扱いし、魔法ではフールーダを軽く凌駕する、か……

 

 目の前の若僧……イラ立ち全開の優男はとてもバケモノには見えないが、武力に関しては闘技場の実績が示す通りであり、魔法に関しては本来バケモノとされていたフールーダの『生まれながらの異能』を疑う余地など無かった。

 

 文字通り不躾に眺め続けた結果、当然目が合った。

 碧い瞳がバウジットを射抜く……唐突に笑った。

 精緻な微笑みだが、何故か不穏に感じた。

 そしてバウジットは初めて気付いた。

 それまで観察を続けていたのに、だ。

 ゼブルはやたら整った面立ちなのに、美男と言って間違いないそれが全く印象に残らないのだ。ジルクニフを凌ぐような凄まじい美形なのに顔立ちが記憶に残らない。むしろ妙な違和感すら感じてしまう。

 気付けば、その違和感の主が前に立ち、右手を差し出していた。

 

「俺はゼブルと言います……貴方は?」

 

 バウジットは反射的にゼブルの右手を握り返した……渡りに船なのか?

 何故か嫌な感じが消えない……理由は判然としない。

 しかしもう後戻りはできなかった。

 

 ……ままよっ!

 

 本来の目的はゼブルと友誼を結ぶことにあった……そう自分に言い聞かせ、バウジットは会話を始めた。

 

「バウジット・ペシュメル……ガラじゃねえが、帝国四騎士筆頭のらしいぜ」

「そうですか……では、宮廷内で発言権はある方なのかな?」

「発言権はそれなりにはあるだろうよ……でも帝国は皇帝陛下があって、初めて帝国だと思うぜ。陛下に影響を与えられる……かも知れねえ程度……そう思ってもらえば間違いねえかな」

 

 ゼブルの視線が値踏みするように、バウジットを頭頂から爪先まできっちりと舐め回す。

 

「……まあ、いいか……現在、ジルクニフ陛下が追い込まれている状況はご存知ですか?」

 

 追い込まれているのは様子を見れば直ぐに判るが、さすがに手が足りない結果、護衛として深夜に駆り出されたばかりで、前後の事情までは聞いていなかかった。大規模魔法戦……絡んでいるのだろうが、それだけで鮮血帝と呼ばれるジルクニフが茫然自失となるわけがない。だから……判らない。

 要するに過程の情報がキレイにすっ飛んでいるわけだ。

 流されたままの結果として私的執務室を徘徊しているゼブルを発見したわけで、どんな理由で真夜中に陛下とゼブルが一緒に在室しているのかも不明だった。加えてゼブルが我が物顔で皇帝秘書官達を使っている理由に至っては、おそらく生涯理解できないに違いない。

 

 ……ろくでもない理由なのは間違いねぇだろうけど、よ。

 

 バウジットは素直に「知らねえ」と言った。

 

「……知りたいですか? おそらく正確な状況を知るのは、敵以外では俺だけです」

「……敵?」

 

 騎士として「敵」と聞いては黙っていられない。

 しかしゼブルを信頼して良いものか?

 そもそも味方なのか?

 誘うよな物言いも気に入らないが、とにかくゼブルから漠然と感じる違和感が警戒心を呼び起こすのだ。

 

「……何故、秘書官達に告げねえ」

「問われないので……としか答えられません。ここに戻って、初めて正気を保っていそうなバウジットさんが現れたから、確認しています」

 

 ……胡散臭い。

 

 胡散臭いが、ゼブルの言葉には納得せざるえない。

 なにしろ居宅から呼び出されてから皇帝の私的執務室までの道中、すれ違った数々の宮廷関係者や軍関係者の中で真面な精神状態の者を見た記憶がない。全員漏れなく恐慌状態であり、怒鳴り散らしていない者の方が遥かに少なかったのだ。

 

 やはり陛下が陣頭に立てないのが大きいか……

 

 比較的真面な精神状態の者は馬車馬のように仕事や差配に追われ、そうでない者は辛うじて邪魔にならないように精神状態を抑え込み、上の指示を待っているのが現状だろう。

 

 ちくしょうが……こいつが語る内容の虚実を俺が見極めなきゃならねえってことか……どうすりゃ?

 

 陛下の精神防御のマジックアイテム……ネックレスは?

 

 思い当たり、見ればジルクニフはそれを手で弄んでいた。つまり精神防御が正常に働いている状態でアレなのだ……と、なると精神的な再建はまだまだ先と予測された。

 ゼブルがいつまでここにいるか判らない。最悪、バウジットが責務を放棄した瞬間に出て行ってしまうかもしれないのだ。とてもそうは思えないが、好意的に考えれば情報伝達の為に待っていてくれた可能性すらある。そうでなくともフールーダよりも上位の魔法詠唱者とされるヤツの追跡は一介の武辺者でしかないバウジットにはどう考えても不可能だった。

 つまりゼブルの思惑がどの辺りにあろうと、選択肢が無いのだ。

 

「わかった、ゼブル殿……帝国の置かれた状況を教えてくれや」

 

 ゼブルがバウジットに何を期待しているのか?

 陛下に対しての影響力なのは間違いない。

 問題は……それの中身が見えないことだ。

 

 ゼブルは大袈裟な仕草で頷き、歩き去ると、ジルクニフの背後に立った。そして小声で何事かを問い掛ける。

 ジルクニフはバウジットを見て、小さく頷いた。

 

 ……何のつもりだ?

 

「陛下の了解を得ないと拙い内容も含んでいるんでね……」

 

 ゼブルは語った。

 内容が真実かは判断できなかった。

 だが筋は通っていた。

 

 王国の王都リ・エスティーゼでの情報。

 魔皇ヤルダバオト。

 その敵対勢力であろう未踏墳墓。

 魔皇の使者である蟲メイド。

 帝国への要求……フェメール伯爵を使った偽装工作……犠牲の羊であるワーカー達……ワーカー達の背後にゼブル。

 真偽定かなる亜人軍10万による侵攻作戦。

 そして各陣営の利害が衝突した結果……ゼブルの配下の一人が拉致された。

 魔皇陣営と思しき二人のダークエルフ。

 ゼブルの配下を拉致した2人のメイド。

 

 つまり帝国を舞台に超級のバケモノ同士が三つ巴で対立したってことか?

 そしてこいつは配下を拉致され、出し抜かれたことにご立腹だ、と……

 

「中立はあり得ないし、放置もできません。そして……させません。俺が帝国側に立つことを決めた以上、帝国にはいかなる犠牲を払おうとやるべきはやってもらう」

「あんたが帝国側に……」

 

 少し前ならこの上なくありがたい話だったが、今は迷惑にしか感じない。

 

「そうです。帝国の窮状は理解しましたか?」

 

 帝国の窮状……そりゃ、今がそうだろう。

 

 咄嗟にそう思ったが、口に出すのは憚られた。この混乱の最中、無駄な対立や諍いは避けたい。内心はどうであれ、この奇妙にムカつく男は帝国に味方することを表明したのだ。

 

 ならば……この騒動の間だけでも頭痛の種は減らしたい。

 

 陛下なら、そう判断するはずだ。後々を考えても共闘するのは少なくとも悪い話ではないはず……どのみち、どちらに転んでもバケモノの中のバケモノみたいな連中が帝国にちょっかいを出してくるのだ。同等のバケモノの味方は多い方が良いに決まっている。だがどうしても胸を奥で何かが疼く。神の如き人間とはいえ、こいつはあまりに不遜じゃねーのか、と……吐き出すべき思いを飲み込み、バウジットはジルクニフを見た。そこに尊敬すべき皇帝陛下の姿はなく、呆けた美男子が宙空を眺めていた。

 

「あんたが亜人の軍勢を排除するのか?」

 

 国軍全軍を投入しても、野戦じゃ厳しいだろう。

 フールーダの弟子である魔法詠唱者達の次第のところもあるが、正規兵だけでは難しい。まず敵よりも兵数が少ない。そして亜人種と人間じゃ単純に個々のスペックが違う。仮に敵が統率されていなければ善戦も可能だし、地の利を得れば殲滅は無理にしても撃退することは可能かもしれない。

 しかし亜人「軍」なのだ。

 これが極めて厳しい。敵が軍であれば指揮官がいるし、兵であれば統率されている。極論すれば10万の武王ゴ・ギンの軍団に軍師がいるようなものだ。総数と個の能力に勝る軍勢であれば単純に力押しの正攻法で良い。むしろ下手な戦術など不要だ……そして何より敵の将帥は魔皇を名乗るバケモノなのだろう。

 対して帝国は魔法詠唱者ありきの戦術に頼らざる得ない。逆撃を加える為には相当な工夫が必要だ……しかしそれは亜人共に通用したところでバケモノに通用するとは到底考えられない。

 要は「お先真っ暗」と言うヤツである。

 しかしこのバケモノ(=ゼブル)が帝国の戦列に加わるならば……一筋の希望が見えなくもないのだ。

 

「……いや、まだその段階じゃないと思う。俺の配下を殺さずに捕縛した理由があるはずだ。まずは時間稼ぎに罠に嵌る……俺はワーカーとして未踏墳墓とやらに侵入する。魔皇ヤルダバオトの目的が本当に墳墓内のモノであるのならば、おそらく具体的な要求があるはずだ。配下……ティーヌを拐ったのは俺にやらせたいんじゃないないかと疑っているわけだが、真偽は不明だ。そして陛下には連中への対応をお願いしたい。連中が単に墳墓に敵対行動させたいだけならば、このまま突っ込めば解決だ。それで約束通りならば亜人軍の帝都侵攻は無くなるだろう……まあ、信用はできないがな。バウジットさんには陛下のゴ・エ・イを確実にやって欲しい。以上だ」

 

 勝手に方針を言い放つ……しかし帝国に選択肢が無いのも事実だった。

 

 ゼブルはなんらかの手段によってワーカー達の黒幕となっている。よってゼブルがワーカー達を差し出さなければ、フェメール伯爵を前面に押し出した偽装工作が使えなくなってしまう……少なくとも魔皇側と対立する未踏墳墓側に対しては、表面上突っ撥ねることが可能なのだ。明白に帝国の人間が潜り込むのに比べれば、その後の立ち回り方の幅に格段の差がある。加えて墳墓に魔皇側と対立するゼブルを潜り込ませるのは悪手かもしれないが、その責をゼブルは自ら担うと言っているのだろう。

 リスクは自ら背負う。

 そして皇帝への念押し。

 さらにバウジットへの妙な言い回し。

 つまり「ジルクニフの裏切りを監視せよ」と言っているのだ。

 

 ゼブルを墳墓に売る……確かにその選択肢もなくはない。しかし実態の知れない墳墓とゼブルを、冷静に天秤に掛ければ、ゼブルを選ぶしかないのだ。最悪の場合、全てのバケモノ達から帝国は睨まれてしまう。ならばゼブルだけでも味方とするのが、とりあえずは良策ではないか……中立はあり得ない……正しくゼブルの言う通りだった。

 

 バウジットはニヤリと笑った。

 己の肩にバハルス帝国の存亡がのし掛かっているのを、あえて無視した。

 全面的に信用はできないが現状については納得した……それで納得してくれや、という表情を作ったつもりだ。

 

「了解を得た、と考えて良いのかな?」

「まあ、なんだ……俺は俺のやるべきことは心得たぜ。あくまで陛下の判断だが、俺はそれが捻じ曲がらないようにする。これより陛下を全力で警護する。以上だ」

 

 ゼブルはジルクニフを見て、バウジットに向き直った。

 

「では、フェメール伯爵に手配を通達してくれ。集合場所と日時は明け前に帝都の北門で頼む。人選はこちらでやる」

 

 と言い残し、ゼブルは堂々とその場から消えた。

 

「ぐれーたーてれぽーてーしょん?」

 

 なるほど魔法詠唱者の追跡なんざ不可能だ、とバウジットは深く頷いた。

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 覚えられていないのは、まあ仕方のないことだろう。

 

 同じ王国の農夫の出自でありながら、片や闘技場で「天才」エルヤー・ウズルスを完封した剣鬼であり、片やチームのマネジメントや統率には自信が持てるようになったものの、武力そのものはあの頃から大して成長もしていない自覚があるのだ。

 

 ステージが違う……あの試合を観た時、そう実感させられた。しかし過去には同じ舞台に立ったこともあったのだ……立っただけではあったが。

 御前試合……ガゼフ・ストロノーフが周辺国に名を馳せた一方、ブレイン・アングラウスも確実に観衆の記憶に名を刻んだあの歴史的なトーナメント……そこでグリンガムは出会っていたのだ。

 準々決勝……対戦相手は若きブレイン・アングラウス。

 とにかく一方的であり、情けないほど手も足も出なかった。

 

 ワーカーチーム『ヘビーマッシャー』のリーダーであるグリンガムはあの頃を思い出しながら、ブレイン・アングラウスの背を見送った……といっても彼等は歌う林檎亭の2階に上がっただけなのだが……今は誰もいない。首領であるゼブルの理解し難い魔法によって、帝都の北門に移動したのだ。

 墳墓に同行したのはゼブルにジットにブレイン・アングラウスのエ・ランテル組に加え、『天武』でなく単身で「クソ野郎」ことエルヤー・ウズルス。バックアッパーとしてやる気満々だった『フォーサイト』の4人だけだった。

 『ヘビーマッシャー』も『竜狩り』も落選したのは悲しいが……ゼブルが武王を赤子扱いした闘技場の試合を観た後では納得はせざる得なかった。単純にあのレベルには程遠いのだ。ヘッケランはまだしもあのエルヤーが虫ケラのような領域では、さすがにグリンガムが踏み込めるものではない自覚はあった。

 しかし不思議なのはティーヌと言う名の女戦士が同行しないことだった。あのブレインが「アレは俺よりも強いぞ」と言う程の腕を持ち、実際に観戦した試合は「空いた口が塞がらない」としか表現しようのないモノだった。そして本人の態度や立ち振る舞いもあるが、どう見てもゼブルの配下の中では腹心と目されていたのに、である。

 

 目の前のテーブルでは『緑葉』パラパトラ・オグリオンが完全に酔い潰れていた。歴戦の勇士もよる年並みには勝てないのか……はたまた今回の仕事から外された憂さ晴らしでもあるのか、ジョッキを飲み干すピッチはかなりのハイペースだったように感じる。老公のチームメイトも同様であり、また全てタダ酒というのもあるのか、漏れなく前後不覚である。

 

 周囲を見れば我がチーム『ヘビーマッシャー』も同じ有様だ。他の有力チームも同じようなもの……やはりワーカーを生業としている者達の出自はほとんど下層であり、タダ酒には極めて弱い。グリンガムにしても妙に「他者にナメられてはいけない」と意識しなければ同じような状態になっていただろう。そういう意味では仕事中の悪癖が年々抜けなくなってきていた。

 

 汝やら我やら……時折、オフで仲間内だけの時にも自分が使っていることに気付くと、少しゾッとする。

 

 周囲のほぼ全てが酔い潰れている中、グリンガムはぼんやりと入口を眺めていた。なんとなく酩酊手前の意識がただそちらの方向に向いていただけと言えば良いのかもしれない。

 

 月明かりが薄れ、明けの気配が徐々に強まっていた。

 気付けば、その女が入口扉のこちら側に立っていた。

 酩酊寸前だった意識が現実に引き戻される。

 恐ろしい勢いで感覚が冷えていった。

 朧げだった視界が明確な輪郭を取り戻す。

 知らない女だ……美女……一度でも見掛ければ忘れることはないだろう。そういうレベルの美しさだった。顔立ちの整い方だけでなく、パーツの配置も個々のパーツそのものも完璧だ。情欲の対象でなく、鑑賞すべき美……そんな女が明け方の泥酔ワーカーの吹き溜りに何の用か?

 誰も気付かない。

 いびきや寝言だけが耳をつく。

 そもそもの疑問として……いつ入った?

 酔い覚ましにただ漠然と眺めていただけとは言え、それなりに腕利きのワーカーと自負するグリンガムの視線を掻い潜って、である。

 

 女がこちらを向く。

 美しい顔立ちに対して、やたらと地味な装束だった。

 冒険者…………アダマンタイト!?

 確かに女の胸元にはアダマンタイトのプレートがあった。

 

 漣八連……いや、見覚えがない。

 銀糸鳥……なわけがない。

 

 ワーカーという仕事柄、強者の情報には常時気を配っているつもりだが、ここまで顔立ちだけで印象に残る美女であれば、たとえアダマンタイト級でなくとも覚えているはずだが、少なくとも帝都のオリハルコン以下の冒険者でこんな美女は知らない。直近で昇格したということもないだろう。

 

 では、王国の冒険者か?

 

 王国のアダマンタイトと言えば『朱の雫』に『青の薔薇』だ……それに最近エ・ランテルでアダマンタイトに昇格した『漆黒』という男女2人組チームもいるが、漠然とした情報しか把握していなかった。

 青の薔薇……王国時代から、これまでのワーカーとしての活動を通して接点は無かったが、女性だけで構成された5人組チームだ。内、顔立ちの情報があるのは4人……さらに一般的に美女と言われているのが3人。

 漆黒の1人も相当な美女と評判だ……通り名もそのまま『美姫』と言った。

 

 可能性としては青薔薇の3人と漆黒の美姫が候補として濃厚……

 

 考察する間にも進み続けた女はテーブルを挟んで向かい側に立っていた。

 向かい合い、明確に視線が絡む。

 空気が急速に冷える。

 酒は抜けていないが、脳は完全に覚醒していた。

 女の視線は完全に蔑んでいるように感じる。

 

「話しなさい……冒険者ゼブルはどこですか?」

「汝は青の薔薇か?」

「なんじ? アオノバラ?……フンコロガシの考えることは全く理解できませんね……そんなことはどうでもいい。質問しているのはこちらです。直ぐに答えなさい」

 

 女の口振りから察すれば「漆黒の美姫」の線が濃厚と容易に判断できる。

 

 ……に、してもフンコロガシ?

 

 確かに仕事中は甲虫の王を意識した甲冑を着用しているが、あそこまで明確な主張を間違われるとは思わなかった。

 

「そこはカブトムシと言って欲しいところだが……」

「黙れ、マイマイカブリ……耳の穴の通りを、そこのアイスピックで良くしますよ。余計な発言をせずに素直に答えなさい。さあ、冒険者ゼブルはどこに行ったのですか?……ここで酒宴を開いているいう情報を得るまでにかなり無駄な時間を費やしてしまったのです。私は急いでいます。だから直ぐに答えなさい」

 

 美女は苦々しく吐き捨てながらも、口調そのものは明瞭かつ平坦だった。

 しかし……まあ、この調子で訪ね歩いたら揉めるかもしれない。

 そうでなくとも彼女の美しさに、ダメ元で言い寄る若い男達も多そうだ。

 グリンガムも男が枯れたわけではないが、ここまで美しい女性だと鑑賞専用だと割り切ってしまう。チャレンジするにはほろ苦い経験が多過ぎた。

 ……にしても口が悪い……しかし何故か憎めなかった。初対面と考えたら無礼千万な物言いだが、なんとなく許せてしまう。どうしても口ほどに性悪とは思えない……そう、自然なのだ……この女は罵倒するのが似合い過ぎる。

 

 話しても良いかもしない……そう思うが、どうしてもゼブルの情報管理に関する命令が邪魔をする。

 

 現時点で帝都のワーカーや裏稼業の連中や武の力で食い凌ぐ者達でゼブルの事を知らない者はいないだろう。なにしろ武王ゴ・ギンを赤子扱いで圧倒したのだ。これ以上ないような大胆なことをやらかしたのに、実際のゼブルは神経質に思えるぐらい些細な情報も隠蔽したがるのだ。あれだけの巨大な力の持ち主であれば、もっと力を誇示しても良いような気がするが……

 

 グリンガムはしばらく考え、折衷案を提示した。

 

「……所在というか、目的地は知っている。しかしゼブル殿の許可無く、明かすことは許されない。だから汝の名を伝えてみよう……伝のある『伝言』の魔法を使う魔法詠唱者に頼んでみてもいい……もちろん費用はそちらで持ってもらうが……いかがかな?」

 

 こちらの事情を踏まえ、女の要求を通す為の最大限の譲歩。

 依頼人と交渉する際の真剣な表情も加える。

 これで無理ならば決断せねばならない……

 

 スッと何かが煌く。

 喉元が冷えた。

 気付けば美女は抜剣し、その切先はグリンガムの喉元に当てられていた。

 いかにアダマンタイトとはいえ、グリンガムは全く反応できなかった。

 反射的に視線が上がる。

 女が見下ろしていた。

 冷たく笑っている。

 美しく、そして怖かった。

 この女と会話を始めてから初めて怖いと感じた。

 

 何の痛痒も感じず、この女は刺す……そう痛感させられた。

 

「このゴミムシダマシが……こちらが大人しくしている内に答えなさい。耳が不要であれば耳を、喉が不要であれば喉を抉りますよ」

 

 息を飲む。

 口の中がカラカラだった。

 目の前に酒のグラスはあるが、僅かな身動きすらできない。

 

 本気なのだ……これは拙いな……

 

 ゼブルからの2つの指示が脳内でグルグル回っていた。

 

「秘密を漏らすな」

「見知らぬ強そうなヤツと敵対するな」

 

 どうすれば良い……ジリジリと何かが蠢く。

 

 この場ではどちらか一方を守るともう片方が破綻する。

 女を見る。

 相変わらず涼しげな印象だが、どことなく焦れていた。

 グッと切先が喉に当たる。

 通っと何かが皮膚の上を滑り落ちた。

 

 グリンガムは決心した。

 

 死……後はゼブルと仲間が上手くやってくれる事を祈る。

 

「ゼブル殿はトブ……」

 

 実行は極めて簡単……事実を話せば良い。

 

 ぐらりと視界が揺れた。

 

 テーブルに血痕が見えた。

 

 刺されたのかも……?

 

 可能ならば五体は繋がってままが良い……特に理由は無いが。

 

 慌てて喉に手を当てる。同時に視野が赤黒く染まる。

 

 後は……頼む。

 

 派手な音が響く。

 陶器の砕ける音。

 何がが落下する音。

 そして悲鳴。

 

 テーブルの裏越しにチラリと見えた女の冷たい表情に初めて狼狽の色が浮いていた。

 自身の耳、目、鼻、口から溢れ出た血溜まりの中でグリンガムが見た、それが最期の光景だった……奇妙な満足感に満たされつつ、そのまま闇に意識が同化する。

 

 悲鳴と怒声が飛び交い、大混乱する店内から女は走り去った。

 

 後を追うように飛び去った蠅は、女と逆方向……北へ向かった。

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 柔らかな覚醒だった。

 微睡んでいる、と自覚していた。

 心地の良い肌触りが全身を包み込んでいたる。

 ゆっくりと意識が這い上がってくる。表面に近づくにつれ、そのスピードが加速する。 

 2度、瞬きを繰り返す。

 

 ……眠い……

 

 戦士失格だ……と自省する。

 

 そもそもこんなに深い眠りはいつ以来だろう?

 

 自問しながら右手を胸に当てた……薄絹?……無い?

 

 喪失感が一気に覚醒を促し、ティーヌは飛び起きた。

 そのまま寝台の横に着地し、慌てて周囲を確認する。

 

 ……部屋? 

 

 それもとんでもなく豪華な部屋だった。有り体に言えば「これまで見たことがない」レベルの突き抜けた豪華さだった。

 質素と献身を至上とする法国では考えられない。

 王国ではヒルマの居館が最高レベルだと思っていたが、ここと比較すればバラックも同然だった。王城や帝城の内部までは知らないが、もしここと同等であれば、革命が必要だと感じる。国家の威信云々ではなく、単純に無駄と断罪されても文句は言えまい。ここまでの豪華さは王侯貴族にも不必要だ。

 

 ……どこ?

 

 部屋の奥にティーヌの武装一式が安置されていた。ゼブルから下賜された武器防具は一目でしょうしつと理解させられる黒い光沢を放つ布の上に丁寧に置かれ、多種多様なアクセサリーの類や消耗品の一つ一つに至るまで同じ布が敷かれた小振りのテーブルに綺麗に並べられていた。

 

 ひとまずホッと息を吐く……あれらを失くしたら、自死するしかない。

 

 部屋の中を改めて見回す。右手に姿見があり、自分が上等ではあるものの、身体の線がハッキリと透けるような薄絹の衣ひとつで寝かされていたことが確認できた。

 

 途端、記憶がフラッシュバックした。

 意識が飛ぶ前までが思い返される。

 敗北だった。

 そして捕縛された……苦い。

 立てなくなった切っ掛け。

 右脚……確実に骨折していたはず……だが綺麗に治療されていた。治癒のポーションなのか魔法なのかまでは不明だが、不都合は感じない。

 

 軽くジャンプし、さらに歩き、そのまま戦闘時のように踏み込んでみる……それ以外にも身体の具合を確認したが、全く問題は感じない……むしろ極めて調子が良い。絶好調と言っても過言ではない。

 

 ……どーゆーこと?

 

 あの赤髪……ルプスレギナに敗北し、拉致されたのは間違いない。

 そして武装解除されたが、装備一式は奪われなかった。

 折れた右大腿部も治療された。

 その上、監禁(?)された先が文字通り「想像を絶する」豪華な部屋。

 

 ……なんで?

 

 理由は想像もつかないが、とにかくティーヌ自身を生かしておくことに意味があるのは間違いなさそうだ。

 このままでは……魔皇とかいうヤツに利用され、ゼブルに不利益をもたらすわけにはいかない。

 

 とにかく、逃げないと……

 

 そう決心し、装備の元へと駆け寄ろうとした瞬間、

 

「お食事の準備ができたっすよ、ティーちゃん!」

 

 背後から底抜けに明るい声がした。

 慌てて振り返ると、ルプスレギナがそれは楽しそうに笑っている。

 

「なっ……なん……」

 

 問おうとして、ルプスレギナが気配ごと姿を消せる事実を思い出した。

 それにしても人懐こい……のか?

 

「いやー、良い顔するっすね……お気に入りランキング急上昇っす」

「……ルプスレギナ……」

「あの武装無しじゃ、私を出し抜くのは難しいっすね……諦めて、楽しく食事をするっすよ」

 

 ……楽しく……食事ぃ?

 

 どうにもしっくりこないティーヌの思いを無視して、ルプスレギナはさらに説明を続けた。

 

「基本的に許可を得ないとティーちゃんはこの部屋からは出られないっす。でも私とソーちゃんで完璧にお世話するっす……なので心配無用っすね。後でデミウルゴス様がいらっしゃるっす。詳しい説明があると思うっす」

「許可?」

「許可制っす……入浴、トイレなどなどっすね。それ以外はデミウルゴス様に確認してみる事をお勧めするっすよ」

 

 その際に逃げる隙は生じるか?……厳しいとは思うが、最低でもここの生活導線は確認できるかもしれない。脱出の際は極めて重要な情報になる。

 

「……ここは?」

「私達の拠点で、地下っす……それ以上の説明は許されてないっす」

「じゃあ、デミウルゴス様って?」

「それはご本人に聞けば良いと思うっすね」

 

 結局、ルプスレギナからの収穫は「ここが地下」というだけだった。それすら真実かは判断できなかったが、何もないよりは遥かマシだろう……脱出の際はひたすら上に進むだけだ。

 

 ドアが開き、食欲をそそる香りが室内に充満する。

 ソーちゃんがワゴンを運び込む。

 ドアの向こうに何人か存在しているのは気配で判るが、姿を確認することはかなわなかった。

 

 グゥと腹の虫が鳴く。

 

 まずは腹ごしらえ……そう割り切って、一つ一つが一財産に違いないような凄まじい食器の並べられたテーブルの席に向かい、ルプスレギナが引いた椅子に座る。

 

 それからは至福の時間だった。

 

 料理の一つ一つに様々な説明があったが、正直なところ何一つ記憶に無い。

 

 美味い……ただそれだけだった。堪能などいう生易しいものではない。食事に没入させられたことなど、人生において初めての経験だ。慣習として腹を満たすことなどあり得なかったのに……前菜からデザートに至るまで、無言で食べ続けた。ひたすら美味く、とにかく止められなかった。

 

 空になった皿が運び出され、食後のコーヒーが差し出される。

 それすらもほぼ二口で飲み干す。

 

「……私が言うのもおかしいけど……人を堕落させる味だわ、これ」

 

 空のカップを見つめ、感慨に浸るティーヌの前で気配が入れ替わる。

 

「ご満足していただき、何より……料理長も喜ぶでしょう」

 

 見上げるとソーちゃんの姿は無く、ルプスレギナの姿も消えていた。

 

 代わりに立っていたのは南方由来のスーツ姿に丸メガネの男……男?

 尻尾があった。

 人ではない。では……?

 視認した途端、爆発的に存在感が増す。

 圧倒された。

 普段のゼブル以上……『番外席次』並み……つまり破滅の竜王を滅ぼした時のゼブルと同等ぐらいか?

 

 おそらくデミウルゴス……こいつも「ぷれいやー」なのか?

 

 いずれにしても理解を超越した存在だった。

 

 コレから逃げ切る……果たして可能なのか?

 

 その穏やかな笑顔をティーヌは見上げ続けることしかできなかった。

 




お読みいただきありがとうございます。


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16話 そこに主人はいなかった……

なんとか週一のペースを守りたいのですが、少し遅れました。


 

 丘の上に立つ。

 『次元の目』は通用しなかった。

 つまりなんらかの魔法的な防御が施されているようだ。

 代替として『遠隔視』を使用する。

 

 なーんとなく、見覚えがあるような……ないような?

 

 既視感が強い。

 でも明確に思い出せない。

 だが予想はできる……こりゃ墳墓そのものがユグドラシル産ですよねー!

 まあ、だから「既視感は当然」ってところでしょーよ。

 

 ユグドラシル時代は人間種のギルド拠点を攻略していたが、墳墓タイプの拠点には縁遠かった。攻略候補にないことはなかったが、ギルドホームになり得るようなダンジョンは元々が難攻不落だ。加えてそれを陥落させた連中だって当然手強い。他に城タイプの簡単に攻略可能なギルドホームは山程存在しているのだ。だから実際に仕掛けるに至ったことはない。

 

 どう見ても、何度も映像を見せられた「ナザリック地下大墳墓」には思えないしねぇ……あそこは蛙人間の住み着いた毒沼……グランデラ沼地の奥にあったからなぁ……行ったこと無いけど。

 

 簡単に言えば、墳墓の見分けなんざできないわけですよ。

 まあ、本当に『モモンガ』さんがいたら、そりゃー笑うけどね。

 

 そこはかなり特徴的な墳墓だった。

 外周は丘陵の稜線の中に埋没している。

 現実の地形の差異など知識に無いけど、そんなものは不必要であるほどに極めて不自然に感じる……なにしろ壁の内側が綺麗に埋もれていない。

 外壁は風化もなく、鮮やかな白亜の威容を誇っている。

 手入れも完璧……どう考えても「未発見」やら「未踏」は考え難い。

 むしろ「侵入して、生還した者がいない」が正解ではないだろうか?

 

 丘陵の麓でヘッケランを除いたフォーサイトの3人に、フェメール伯爵への報告役も兼ねているだろう金級冒険者4人が野営の準備を進めている。

 

 拠点作成用のグリーンシークレットハウスを供出しても構わなかったけど、どうにもフェメール伯爵への報告されるのが気になって、やめておいた。

 

 こういう時に悪目立ちするか否かの判断ができるティーヌは本当に貴重な存在でした。しかし、いない者を悔いても仕方ない……のは理解している。

 が、無性に腹が立つのも事実です。

 

 実際に潜入する予定のジットとブレインとエルヤーの3人に加えてヘッケランが「外周部を実際に確認しておきたい」ということなので偵察に出したが、現実には全く意味がないだろう。あくまで程よい緊張感を醸成して欲しいが為に許可したに過ぎない。

 

 ここがユグドラシルから転移してきた拠点……なのは俺の中ではほぼ確定している。『八欲王』の空中都市と30人の都市守護者の実例から考えても、まず間違いないだろう。

 

 『八欲王』の前例を考えれば、問題なのは住人の方だ。

 プレイヤーなのか?

 あるいは拠点防衛用NPCなのか?

 はたまた転移後に支配した現地産高レベルか?

 いずれにしろ突入せざる得ない現状では、現地産高レベルが支配者ならばたとえ何人いても御の字だ。アリアドネを理解しているとは思えないし、100レベルが多数存在というのも考え難い。それに墳墓の規模から考えてギミックやトラップも多いだろう。だから現地産高レベルの場合は表層付近にいるに違いないのだ……即ち運良く生物で一ヶ所にまとまっていれば、スキルによる奇襲で一網打尽まで考えられる。

 次に防衛用NPCであれば機能的(こちらが嫌がるよう)に配置されている可能性は高いが、100レベルがワラワラ密集している可能性は低い為、相当にランキング上位の老舗ギルドでもない限り、各個撃破でなんとか対処可能だろう……まっ、時間は掛かるけどね。

 最悪はプレイヤーだ。カンストなのは確実だし、複数存在している可能性も極めて高い。加えてNPCの戦力と拠点機能を完全に把握し、トラップも自身で仕掛けた可能性が極めて大だろうし、ホーム内の監視機能も怖い。しょーじき厳しいので、この場合はユグドラシル金貨を消費させてホーム維持費を圧迫する戦術まで有りだと思う。なにしろユグドラシル金貨の補充は極めて難しいのだ。商人スキル持ちがエクスチェンジボックスでどんなに頑張っても、こちらの世界じゃ厳しいのは目に見えている……もの凄く気長な戦術だけど比較的リスクは低い。しかし最大の問題なのは俺もそれなりにユグドラシル金貨を持っていることなんですよ……つまり絶対に死ねないってことなんです。

 だからって誘き出して野戦に持ち込むなんざ愚策中の愚策……もう単純に戦力差が許してくれない。

 

 しっかし……魔皇ヤルダバオトに踊らされている感がハンパねぇ……

 

 それにしてもあの魔皇ヤルダバオトはヤバい。

 この世界では蘇生魔法があるとはいえ、死は現実だ。こうしてヤバさの塊に違いないユグドラシル産だろう墳墓を目の前にしても、まだ「魔皇ヤルダバオトよりは組し易し」としか思えない。普通に考えれば拠点ごと転移してきたプレイヤー集団と単身敵対する方が遥かに恐ろしいが……この期に及んでもジルクニフと魔皇ヤルダバオトの会話から感じた恐ろしさが俺を突き動かす。

 

 アレは知力のバケモノだな……勝てるイメージが全く湧かないし、ティーヌ拉致後の動きの無さも見事なものだ……つまり俺と帝国が協力して事に当たることを望んでいるとしか思えなかったんですよ。それならば既に要求は伝えてあるわけだし、新たな要求を提示しない事で明確にしている、と考えるべきでしょう。

 

 その程度の事はわざわざ伝えなくても読み取れるだろう、か……

 

 随分と過大評価されたものだが、そうとしか考えられなかった。

 

 まあ、とは言ってもねぇ……

 

 改めて見ても巨大な墳墓だ。外装も綺麗な状態を保っている以上、維持費が尽き果てたということはない。規模から考えればNPCの作成ポイントは2000以上あるかもしれない……たとえプレイヤーがいなくても、最悪のケースでは高度なAIを搭載した100レベルNPCが20体以上……維持用のユグドラシル金貨に余裕があれば100レベルのゾンビアタックを受け切らないといけないわけか……ちょっとうんざりする。

 さらにあの魔皇ヤルダバオトが自身で攻め込むのを躊躇している以上、額面上の戦力は連中よりも強力なのでしょう。

 たしかにヤツの配下ではダークエルフの子供2人はともかく、他のメイドスタイルの3人はかなりの低レベルだった。だから窮余の策として現地の亜人をまとめて軍を作り上げたりしているに違いないだろうし……ねぇ。

 

 うーん……でも、こう言っちゃなんだけど、楽しいね。

 

 墳墓タイプである以上、地下に向かうしかない。気長に1層づつ丁寧にマッピングして、安全に行きたいわけですよ。一緒に潜る面子のことを考えても力押しができるわけがないので……5〜6層ぐらいで最下層に到達できればラッキーなんでしょう。『モモンガ』さんのところみたいに10層もあったら泣きを入れさせて欲しいぐらいだ。

 

 散々考えた末、気が付けばかなり日が傾いていた。

 嫌々とはいえ、好きな事を考えていると興が乗ってしまう。

 

 背後からヘッケランの声がした。

 丘を駆け上って来たのか、多少息が荒い。

 

「ゼブルさん、飯にしようぜ!」

 

 そう促され、ヘッケランと共に丘を下る。

 ちょっとした気分だ……転移せず、歩いて下った。

 眼下の野営地ではブレインとエルヤーが模擬戦を始めている。

 

「ヘッケランさん」

「なんだよ、ゼブルさん……妙に改まって」

「いや、バックアップですまんねって思って」

「よしてくれよ、俺達は命令してくれればそれに従うぜ……グリンガムは命令を守る為に、自ら死を選んだぐらいだしよ」

「……だよなぁ……まあ、復活はさせるけど」

「それは俺達にも頼むよ」

「今回に限っちゃ、死体の確保さえできれば必ず……約束しますよ」

「なんだよ、今回だけなのかよ」

「その前に俺が生き残らないと話にならないから……」

「やっぱ、そのレベルのヤバさなのかよ?」

「そりゃ、間違いないね……後は目的のブツが何なのか、だけど……」

「当たりはついてるのか?」

「まあ、おそらくは……」

 

 ……ギルド武器でしょうよ、多分。

 

 墳墓と魔皇が対立しているのならば十中八九間違いないでしょう。

 ワールドアイテム所持の情報でもあるならば話は別ですが、一般的にギルド同士の抗争であれば狙うはギルド武器と相場が決まっています。まあ、この世界において『敗者の烙印』が頭上に浮かぶなんてことはないでしょうけど、対ギルド戦であればギルド武器破壊を考えるはず……と思う。

 

 しかしこの世界には思っていたよりもプレイヤー集団が多い。俺の認知できる範囲内だけでも王都のセバスさんのところに、墳墓に、魔皇ヤルダバオトですよ。エ・ランテルの高レベルは墳墓か魔皇の可能性が高いと思うけど……別のプレイヤー集団であれば最悪だ。ただでさえ墳墓と魔皇ヤルダバオトとは敵対する可能性が極めて高いのだ。この上エ・ランテルの高レベルが別勢力だった場合、もはや完全に俺の手に余る……3正面作戦なんざ、今の手勢じゃ完全に無理ゲーですわ。

 

 で、あれば手勢を増やす……それは誰もが到達する良案だけど、決して妙案にはなり得ない。なにしろこれだけのプレイヤー集団に通用するレベルとなると真なる竜王やら神人やらを糾合……し……なければ……んっ……んん?

 

 脳味噌を何かが掠めた……確信はできない……できないが、凄く魅力的だ。

 それには代価の巨大さに決断できずにいた実験が必要だった。

 しかし最適な実験場の候補は知っている。

 最大戦力を得る為に、試せるのは一回限り。

 だが成功すれば決定的な戦力増強になる。それこそ「圧倒的」と言い換えても良い……たとえランキング上位ギルド相手でも、彼等が拠点ごとフルメンバーで転移でもしていない限り互角に持ち込める可能性すらある。

 

 絶対的な忠誠。

 100レベルプレイヤーと同等の戦闘力……中にはレイドボスクラスまで。

 完全無欠の統制。

 そして……圧倒的な数。

 

 魔皇ヤルダバオトの戦略の延長線上に過ぎないが、こうなってはかなり魅力的ではある。成功すれば巨大過ぎるリスクに対するリターンは十二分に期待できる。ここまで来て方針を変えることに対する嫌気は感じるが、一度でも考えが生まれてしまったら、それは蠱惑的な魅力を放ち続けて、俺を思考に居座り続けた。

 

 でも、ジルクニフとの約束もあるしなぁ……

 

 こちらから一方的に約束を反故にするのは気が引ける。今後の帝国との関係性を考えた場合、自分で穴に嵌るのはよろしくない。王国に加えて帝国にも大きな影響力を持てば、少なくとも両国が同時に滅びない限り、居場所に困るような事態は生じないだろう。やがては竜王国にカルサナス都市国家連合にローブル聖王国へと……要するにリスクの高い法国と評議国の軍事的な二強国以外に食い込んでしまえば、低リスクで際限なく稼ぐことが可能になる。

 当然、影響力の拡大に連れて俺の自由圏も広がり続けるわけだ。

 

 資金的には余裕だから……安住できる居場所を確保したら全世界を観光するのもありかな。

 

 麓に辿り着く。

 牛腿肉一本の丸焼きか……香ばしい香りが鼻腔を撫でた。

 炊煙の向こうではブレインとエルヤーが模擬戦を続けていた。二人共にやる気満々だが、明日以降しばらく活躍してもらう予定は無い。

 

 簡易テーブルに並ぶのは肉と野菜の具沢山のスープに焼き立てパン。

 メインを載せる予定の巨大な銀皿を金級冒険者達が馬車から運んでいた。

 

 なんにせよ、とりあえずは墳墓のギルド武器だ。

 

 破壊に成功すれば、ユグドラシル時代から通算15個目になる。

 ギルド武器の破壊はその度に俺に変化を与えてくれた。

 ステータスやスキルの強化なり、選択可能な種族や職業の変質なり、だ。

 

 『バンバン』さんと色々と試行錯誤した頃が懐かしい。あれだけ破滅的思考の持ち主がリアルでは最高学府出身のキャリア官僚なのがマジで笑える……いや、あの人が近い将来に国の中枢に入り込むって考えるともの凄く怖いモノを感じるなぁ……良い人ではあるんだけどね。むしろあの行動力と統率力は官僚ってよりも政治家向きじゃないかなぁ……面倒見も良いし……

 

「無ければ、奪えば良いじゃない」

「殺したって、死ぬわけじゃない」

「死んだって、失うわけじゃない」

「異形種が人間種を狩ったって、問題無い」

「戦争上等……返り討ちにしてやろうぜ」

「だから必死にやろうぜ……隅々まで楽しもうぜ。でも所詮はゲームだ。ユグドラシルごときが滅んでも別にかまわないだろ?」

 

 当時の『バンバン』さんの言葉が脳裏に蘇る。クトゥルフ神話のナイアルラトホテップをモチーフにしたアバターがそう熱く語っていた。

 そう言えばユグドラシル最終日でゲームは卒業するって言ってたなぁ……

 

 ……あのさー、『バンバン』さんは信じられないかもしれないけど、俺、殺されたら本当に死ぬようになっちゃったんだよね……

 

 唐突に薄く笑った俺を見て、ヘッケランも笑った。

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 小霊廟なんざ無視ですよ、無視!

 いくら課金でアイテムボックスを最大限に拡張しているとはいえ、今更単なる財宝なんざ欲しくもありません!

 だから直行!

 入口と思しき霊廟へ直行!

 

 突入ーっ!!

 

 俺達、というか俺を迎撃する為に大量のスケルトン系アンデッド軍団がワラワラと迫ってきました。

 

 スケルトンを殴り壊す!

 スケルトンメイジをぶっ飛ばす!

 スケルトンウォリアーに回し蹴り!

 スケルトンアーチャーなんざ掴み砕く!

 オールドガーダーは踏み潰す!

 亜種のオールドガーダーは撫で斬る!

 エルダーリッチは叩き潰す!

 

 残骸である骨粉を踏付け、俺達は前進し続けた。

 

 と、まあ低位のスケルトン系POPモンスター軍団がワラワラと駆け寄ってくるのを全て1人で処理しました。こちとら疲労無効なもんで……手の内を見せないのも兼ねて、全て単純な物理力押しです。

 低レベル一掃用の無双系のスキルを使用するとフレンドリーファイアで背後の3人にも被害を与えかねない……まあ、痛し痒しですが、情報秘匿ついでなので頑張りました。エルダーリッチの大群の『火球』の連射は単純に受け切ってしまったので『魔法無効化』系のパッシブスキル持ちなのは確認されてしまったでしょうが、後続3人を護る為には仕方ないでしょう……

 しかし大量にPOPモンスターを潰したところでギルドの維持費を圧迫できるとは思えません。やはり防衛用の100レベルNPCを探して、そいつらを撃破しないと難しいでしょう。可能ならばトラップもガンガン発動だけはさせたいところですが、さすがに命がいくつあっても足りません。後続3人だけでなく、俺でも無理です。

 だから少なくとも防衛用NPC発見まではこちらの手の内を把握されるのは最低限したい。エルダーリッチとスケルトンメイジがいなければ後続3人組に処理を任せたいところなんですが、それも現実が許してくれない。

 なので、俺が力技で無双しなきゃならないわけです。

 

「なあ……俺達、必要か?」

「少し、こちらに回してもらってもかまいませんが……」

「……アンデッドの持っていた魔法の武具も捨て置かれますか?」

 

 ジットと実質ジット(=蘇生の短杖)の護衛担当と化している2人のボヤきが聞こえましたが無視です。低位アンデッドのドロップアイテムなんざゴミ屑同然……もう少し強いPOPモンスターでも出現すればレベリングも兼ねて少しは回しても良い気がしますけど……万が一にも失敗は許されません。

 墳墓を支配する連中がプレイヤーだった場合、こちらを観察している可能が極めて高いわけです。である以上、急遽防衛用100レベルNPCを複数体、同時投入される可能性が常にあるわけです。その時にブレイン以下を護り通せるかと言われれば、かなり不安を感じます。果たして逃げ切るまでの時間的な余裕を与えてくれるものか?

 

 ……俺ならば与えません。

 

 仮に俺が進攻される側だった場合、最優先課題とするのは侵入者の戦闘能力の解析です。それさえある程度把握してしまえば、せっかく戦場設定の選択権を有しているのですから、最適な戦場を選択し、戦力の逐次投入などせず、殲滅可能な戦力を一挙投入します。

 まあ、あくまでソロプレイヤーとしての俺の考えですけど……

 私見ですが『モモンガ』さんのところでは第八階層がそれに該当するんだろうな、と思っています。何回も見せられた……何回見ても面白く、その度に何かしらの参考になった例のプレイヤー1500人撃退映像……アレの内容から察するに「ナザリック地下大墳墓」の構造は第七階層までは敵に足る敵の選別と戦闘能力の観察の為に機能し、第八階層が殲滅場なのでしょう。第九階層より先に進攻されたらプレイヤー同士の乱戦となるわけですから、ワールドチャンピオンクラスが能力を隠蔽して紛れ込んでいた場合、いかにPKで名を馳せた『アインズ・ウール・ゴウン』でもどちらに転ぶか……先行きは予測不能となるでしょう。だからこそ第八階層のNPCが引き起こす階層全体ギミックであり、それに続く無茶苦茶な仕掛けなんだと思います。それに加えて『モモンガ』さんの腹に収まる例のアレも存分に力を発揮すれば、敵勢力のほとんどを一掃することが可能……現に1500人を第八階層までで一掃してしまったんですけらね。逆に言えばどんなに大仰な仕掛けであっても第七階層までは敵の能力を丸裸にする為の嫌がらせの集合体に過ぎないわけです。情報さえ入手してしまえば、第八階層でどうにでも料理することは可能……まあ、アレはやり過ぎなんでしょうけど……今思い返しても良く考えられた仕組みには違いないと思います。

 なので、この墳墓の支配者連中がプレイヤーだった場合、大なり小なり同じ方向性の発想に至ると考えて間違いないでしょう。

 つまり重要施設は必ず最下層であり、その前にはかなり高難度の罠が仕掛けられている可能性が高い……と考えられます。つまり決戦場はその罠がある場所である可能性が高いのです。過去に侵入したギルドホームも構造の差はあれど感覚的には7割超の確率で同じ発想でした。

 

 ……だからなるべく情報を隠したまま、少しでも先に進みたいんです。

 

 多少の経費は発生するとは言え、基本的にPOPモンスターは無限湧きですから際限なく襲ってきます。しかしカンストプレイヤーにとってPOPモンスターという存在は基本的に無双系スキルで一掃するものなので、ユグドラシルならば煩わしいとすら感じません……フレンドリーファイアが解禁され、臭いを感じ、死骸が残るこの世界では精神的に中々厳しいものがありますが、基本的な対処は一緒です。

 本来の魔神アバターの俺で言えば、生物であれば『絶望のオーラⅤ』で対処し、生命の無い敵やアストラル系アンデッド等の場合は『支配の呪言』で対処します。それで対処できなければ、初めて対応可能な魔法やスキルを考えて使用するわけです。

 

 でも、今回はそうしない……肉弾戦に徹します。

 

 フレンドリーファイアを考えると無双系スキルは使用不可。

 もしもの時のバックアップはジットの持つ『蘇生の短杖』のみ。

 俺達の行動を確認すれば後方の3人が比較的低レベルなのは一目瞭然。

 俺のみが100レベルなのもいずれ露見するでしょう。

 各人の装備が全身『神器級』なのは、プレイヤーであれば見当はつく。

 今更完全にやり過ごせるとは思いませんが、できればの決戦場に至る直前までは可能な限り戦闘系に限らず能力は秘匿したい。

 

 味気ない石壁に囲まれた通路をどんどん進みます。

 同じような光景ばかりでいい加減飽きますが、徐々にPOPモンスターも強くなり、オールドガーダーの上位亜種とエルダーリッチぐらいしか出現しなくなっていました。

 そしていつの間にかPOPモンスターは姿を消しました。

 

 おっ……いよいよ防衛用NPCのお出ましか?

 

 通路の奥から薄明かりが差しています。

 

 それでも構わず進みます。

 

 剣撃の音が響いてきました。

 

 あの角を曲がれば……

 

 

 

 

 

 

 どう見ても訓練場……なので、そこにいるのは訓練生のはず。

 

「よく来たでござる、侵入者殿」

 

 喋る魔獣……にしても低レベル過ぎないか?

 どう見ても……どういうわけか直立して、律儀に前脚(?)を揃えて丁寧に頭を下げたハムスターだよね?

 

 NPCの作成ポイント割り振りの余剰分で作成された……みたいな奴か?

 それとも実物には訪問したことはないけど噂に名高い『ネコさま大王国』のNPC……みたいな奴かいな?

 たしかにNPCは戦闘だけを考えて作成されるわけじゃない……とは良く聞いた。しかし実物を見た経験はほぼ無い。戦闘用ではないから戦闘に参加しない為か、実数が少ないからか……俺の中では防衛用NPCといえば100レベルが通常であり、戦闘補助用途限定の70レベルぐらいが下限なんですよ。だから目の前のハムスターみたいな奴に出会った経験は皆無ですわ。

 

 ソイツは巨大ハムスターにだい蛇のようなシッポをくっつけたようなミテクレでした。

 そもそもこっちの世界にハムスターがいるのか?

 これだけ見た目がハムスターだと、どうしても現地産には思えません。

 しかも魔獣扱いで……なのに弱い……ブレインやジットどころか、1段落ちるエルヤーですら良い勝負ができそうだ。

 

 見た目の癖はスゴい。

 でもかなり高度な会話も可能……って奴です。

 

 どう考えてもNPCなのに通常の防衛用NPCのように侵入者を確認した途端、問答無用に戦闘開始ではない。

 背後に並んでいるリザードマンとデスナイトの集団も漏れなく弱い。

 それにこんな脈絡のない組み合わせは単なるPOPモンスターとも思えないし、デスナイト以外は妙に緊張しているようにも感じる……蜥蜴なのに。

 

「えーっと、貴方達はこちらのNPCさんかな?」

「某はえぬぴーしーとやらではごさらん。殿からハムスケという名を頂いたでござる」

 

 ……意外にも名持ちらしい。「ハムスケ」だけど……ゴリゴリに凝ったロールプレイギルドだと全NPCに名付けたりするらしい、とは何度も聞いたことがあるけど、30レベルそこそこな程度にしか見えないヤツにまで律儀に名付けるかね?

 

「ハムスケさんはNPCではない?」

「そうでごさる……某はハムスケ・ウォリアーを目指しているでごさる」

「後ろのリザードマンさんやらデスナイトさんは?」

「後ろの者達はあくまで某の歓迎を応援するだけでごさる。えぬぴーしーとやらでもないでござる」

「歓迎する……?」

 

 門番的な「歓迎」ならば……ここにいる連中じゃ、どう考えても手に余らないかな。『人化』したままでも2秒も要らないぞ、殲滅するの。

 

「そうでごさる。殿から全員にお達しされているでごさる」

「なんて?」

「身の程知らずの人間共を歓迎するように……でござる」

 

 うーん……全く理解できない。

 

「殿って、誰?」

「殿は殿でござる……真っ黒な甲冑を着た凄腕の戦士でござる」

「戦士?」

「凄い化け物でもあるでござるよ」

「凄い……バケモノ?」

「そして冒険者でござる」

「……冒険者?」

 

 うーん、ますます謎が深まる……殿って?

 まあ、異形種の戦士職なのは理解したけど……真っ黒な甲冑ねぇ……前衛で地味目の格好を好むヤツは知り合いにいないことはないけど、真っ黒っていうのはあんまり印象にないなぁ……冒険者については俺と一緒の発想に至っただけだろうな。

 

「その殿様は、俺達を知っているのかな?」

「よくわからないでござるよ。とーかつ殿から全員に、今回の侵入者殿には礼を尽くして歓迎するように、と言われたでござる」

 

 なのにPOPモンスターの雨霰でお出迎えですか……だけど、こいつらはやたら丁寧だし、戦闘に発展する気配も感じない、と……

 

 敵が「殿」を中心とする集団なのは理解した。ユグドラシルプレイヤーのギルドならば「殿」がギルマスなんでしょう。ハムスケはNPCと認識しないようにプログラムされたマスコット的低レベルNPCか、それとも現地調達した愛玩魔獣(?)と言った感じかな……後者はかなり確率低めですけど。

 

 で、こちらが観察されているのは確実ですわ。

 つまり「殿」集団はこの墳墓をギルドホームとしての機能を使いこなしているわけで……墳墓が現地勢の支配下にある可能性は否定された、と。

 ある程度の情報も既に取得された……と考えて間違いないな。

 それを踏まえた上でこの対応……

 俺に利用価値ありと考えたか?

 それとも油断させようという狙いか?

 なのに「殿」本人なり幹部なりは俺の前に出てこない。

 いまいち連中の意図は掴みかねる。

 

 たしかにハムスケにはなんとも言えない愛嬌がある。後ろのリザードマンやデスナイトからは愛嬌など一切感じないので、適材適所と言えば適材適所なのかもしれない。しかし肝心の俺達を歓迎する意図が全く読めない。

 

 どうするべきか?

 

 「殿」の思惑が読めなさ過ぎて、対応に窮していた。連中が敵対を覚悟していたような集団でなければ、もう少しとりあえず誘いに乗ってみるみたいな対応も有りだとは思うが……

 

「おい、こいつらは敵じゃないのか?」

 

 ブレインがもっともな疑問を口にした。

 

「もちろんでござるよ。歓迎しろ、と厳命されているでござる。それに侵入者殿は見た感じが強すぎるでござる。命のやりとりは某も嫌いじゃないでござるが、殿の御命令で武技を習得して戦士としてれべるあっぷしなければならないでござるから、簡単には死ねないでごさる」

 

 なるほど……「殿」とやらはハムスケにレベリングを施しているわけだ。いかにもユグドラシルプレイヤーの発想だし、俺や魔皇ヤルダバオトよりもさらに一歩進んで魔獣とアンデッドとどう見ても現地調達のリザードマン達でレベリングしているのは、リザードマン達の『首輪』を見れば一目瞭然だ。この組合せでレベリングさせてみようと思うこと自体が面白い……これで仮にハムスケが低レベルNPCだとしたら「殿」はかなり柔軟な発想の持ち主だろう。

 

 ハッキリ言って、魔皇ヤルダバオトの現地勢に対するスパッとした割り切りよりもかなり好感が持てる……発想が俺に近いってだけですけど。

 

「どうやら即敵対ってわけじゃないらしい」

 

 ブレインが一歩進み出た。

 

「どいつもこいつもそれなりには強いって感じか?」

 

 ブレインは壁際に立つリザードマンとデスナイトを眺めている。ティーヌにこそ一歩及ばないが、今の装備かつ油断しないで一対一という複数の条件付きだけど、デスナイトなんぞ滅ぼせるぐらいには成長しているのだ。居並ぶリザードマン軍団程度の戦力であれば数の不利すらも覆せるかもしれない。

 

「かつてカッツェ平野で葬ったアンデッドの同種もいるようですな」

 

 ジットはどうしてもアンデッドに注目してしまうようだ。たとえ野良のデスナイトでもまだ支配するには厳しだろうけど、とりあえずの目標としては良いかもしれない。

 

「喋る魔獣は厄介なものが多いとは言いますが……獣ごときが戦士とは」

 

 一度はブレインに端折られたとはいえ、元々プライドが異様に高いエルヤーが余計な感想を漏らした。しかもブレインとの試合後に与えた武装で丁度ハムスケと五分五分か、ちょい強い程度の強さになっているから、余計にハムスケを意識してしまうのかもしれない。自称「真の周辺国最強の戦士」だったつい先日からランキングが怒涛の自由落下中なんですから、ね。

 

「侵入者殿のお供殿も見た感じそこそこ強いでござるな」

 

 ハムスケも余計な一言を述べ、さらりとエルヤーの心中を抉ります。

 

 醸成されつつある不穏な雰囲気を鑑み、即座にエルヤーの肉腫に勝手な行動を阻止するように命じた。肉腫の制約から外れて、ここでいきなり死なれても困るし、死にはしないまでもこんな微妙な状況で揉め事も困る。

 

 ……で、どうするべきか?

 

 「殿」の誘いに乗る。

 メリットは……

 単純明快に同盟による戦力増強。

 今の俺には手に入れる手段が無いユグドラシル由来の施設の利用。

 その他諸々あるが、大きなものはこの2点。

 対してデメリットは……

 まず第一に信用できない……仮に本当に敵意が無くとも精神的にキツい。

 第二に墳墓よりもヤバいと感じる魔皇ヤルダバオトとの敵対が確定する。

 第三にバハルス帝国を切り捨てるのと同義である。

 そしてティーヌを見捨てる必要が生じる。

 

 ……どうにもモヤっとするな。

 

「……なあ、ハムスケさん……殿と連絡するのは可能なのか?」

「某には無理でござる……殿は留守なので、とーかつ殿に聞くとよろしいでござるよ」

 

 ……さっきは流したけど、改めて新キャラ「とーかつ殿」ですか……マジで戦力増強が急務だな。

 

「とーかつ殿?」

「とーかつ殿が殿の留守を仕切っているでござるよ」

 

 妙な名……いや役職で「統括」ね……ならば仕切っているのも理解できる。

 

「じゃあ、統括殿に会えるかな?」

「とーかつ殿は忙しいでこざるから、迎えの者が来ると思うでごさるよ」

「俺達はここで待っていれば良いのかな?」

「そうしてくれると嬉しいでごさる……某達は訓練に戻るでござるよ」

 

 ハムスケがそう宣言するとデスナイトとリザードマン軍団も一斉に訓練に戻った。各自が剣を振り、ハムスケは爪で応戦する。

 

 所在の無い俺達は奇妙な取り合わせの訓練を眺め続けるしかなかった。

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 最初の指示から4日が経過していた。

 ナーベラルの報告を聞き終えたアインズは思わず激怒し、激しく叱責してしまった。

 激昂するも直ぐに沈静化され、今度は激しく後悔し、再度沈静化された。

 結果、通算3回目の自害を企てるナーベラルを宥め賺して、通算4度目の厳命を下し、部屋から送り出した……呼吸はしていないのに、心中で何度も何度もため息が漏れる。

 

 4度目の厳命って……もはや厳命って言わないよなぁ……

 

 室内に静寂が戻る。

 

 状況は絶妙に期待と正反対の方向へと転がり、その上加速しながら落下を続けていた。

 もはや敵対する、しないの問題でなく、全身全霊で謝罪するレベルだ。

 立場が許してくれれば土下座……いや五体投地したい気分……しかしナザリックの絶対支配者としての立場は、アインズの独りよがりな感情任せの行動を絶対に許してくれないのも理解している。

 状況の悪化に歯止めが効かないのに、頼れる部下は状況を悪化させ続けたナーベラル一人だけ……既に15人のワーカーが頭蓋の穴という穴から血液を噴出させ、死んでいると言う。

 ナーベラルの報告にあるような効果を持つ制約の魔法は、ユグドラシルの位階魔法やスキルの知識には相当に自信があるアインズでも知らないので、十中八九『ばある・ぜぶる』の持つレアスキルの効果なのは予測できる。しかし予測ができるからと言って、対処ができるわけではない。

 『ばある・ぜぶる』の配下であるワーカーを15人も殺して(と、いうわけではないようだが、結果的には死んだ)得た、有益と思える情報は「トブ」というワード一つだけ……トブの大森林を指すのはどんなに無能でも理解できるだろうが、あまりに対象となる範囲が広大だった……つまりゼブルとの会談を設定するどころか、現実的にゼブルの向かった先を特定する情報としても全く役に立たない。

 それを理解しているからこそ、ナーベラルもひたすら情報を掘り下げようとしたのだろう。

 結果として、彼女は同じ行動を繰り返したのだ。

 

 ナーベラルは人間を見下す悪癖を持っている。

 そんなことは元より重々承知だった。

 ナーベラルだけでなく、ごく僅かな例外を除くナザリックの者達のほぼ全てが同様だった。

 だから、その点でナーベラルを責めるわけにはいかないのだが……

 人間が自身の詰問により死んでも何も感じかった。唐突な変化に危機感を感じ、進展しない状況に焦燥しただけ……そんなものだろうと思う。

 だからと言って、ワーカー達が不自然に自爆的な死を選択していることに疑問すら感じなかったのか、と落胆せざるえない。

 そして何よりも問題なのはそれを15回も繰り返したことだ。

 ナーベラルに限らずナザリックの者達は人間の死に極めて鈍感だ。

 アインズ自身も人間だった頃の経験を覚えていなければ、同じように感じるのかもしれない……しかし嘘偽り無く人間だったのだ。リアルでは圧倒的な戦力を保持する組織の絶対支配者などではなく、しがない小卒営業職サラリーマンだった。故に同じく人間だった『ばある・ぜぶる』がどう感じるかも経験から予測できる。

 彼は悲しむのだろうか……?

 いや、怒るだろう……間違いなく。

 この期に及んでは、怒りの大きさこそが問題なのだ。

 

 こうなってはデミウルゴスはよくやったとしか言いようがない。

 もちろんデミウルゴスにも人間に対する情みたいなものは無いだろう。むしろ極めて打算的で冷徹な行動の結果かもしれないが、徹底的に考え抜いたのだけは間違いない。

 感情に流されまくったアインズの行動と比して、結果の差は明白だ。

 アインズには『ばある・ぜぶる』の配下を拉致する策など愚策も愚策……単に彼の怒りを買う行動にしか思えなかった。

 しかし現実には明確に彼の注意を引き、その後の行動を制限し、こちらの思惑通りに誘導しただけでなく、後の交渉の余地すら残した。

 対してアインズは……

 

 自身が本来の『超越者』アバターで行動できないもどかしさと『ばある・ぜぶる』の配下達の徹底した情報秘匿に急に怒りが湧き上がった。

 

「ああっ、なんで、どうしてこうなるっ!」

 

 クソがっ、と吐き捨てながらアインズ・ウール・ゴウンのアンダーカバーであるアダマンタイト級冒険者『漆黒』のモモンの中の人である鈴木悟はうろうろと部屋の中を歩き回った。感情が抑制されながらも、次々に怒りの感情が湧き上がり、自分ではどうにもできなかった。

 ナーベラルが悪いわけではないことは理解している。

 彼女は命令に忠実に従っただけた。

 理性は了解している。

 しかし……瞬間的に湧き上がる感情は悪感情ばかりだった。

 

 勝手な言い分だが……最初の一人、いや最初に情報を得た段階までは許容範囲……だと信じたい。『ばある・ぜぶる』にしたって、自身が仕込んだスキルが正当に効果を発揮しただけのことと解ってくれるはず……彼は高位の蘇生魔法を持っていたはずなので、亡骸を奪取するようなことさえしなければ、感情はともかく理性では理解してくれるはずなのだ……全力で謝罪すれば、の話ではあるが。

 しかしその後がいただけない。

 失敗した行動を繰り返し続け、それこそ無駄な死を積み上げ続けた。どうにも監視や盗聴等への発想の転換ができないらしく、ナーベラルはあくまで対象を絞り込むと白状させるように行動してしまうのだ。

 幾度も再チャレンジした理由は理解できる……劣等種である人間の死など、ただ「死んだ」という情報にすぎないからだ。リアルの鈴木悟が蚊の殺害に躊躇が無く、何も感じないのと一緒だ。むしろ「見かけたら殺せ」である。

 問題なのは、ナーベラルに殺す意志が無いのにワーカー達が連続して脈絡無く死亡した事実に対して、何の疑問も抱かなかったことである。当然、自身に下された命令に対して忠実であることが優先され、結果として異常の報告が決定的に遅れたのである。

 気づいた時には致命傷。

 将来的にナザリックの致命的な欠点になりかねない。

 

「クソがっ…………いや………クソなのは俺か……」

 

 断続していた怒りがようやく失せ、自虐がとって変わった。

 

「……だいたいがそもそも無理なんだよなぁ……部下が優秀なのは良いにしても、なんで俺がそれよりも優秀って信じて疑わないかなぁ……」

 

 存在しない脳裏に丸メガネの悪魔と角の生えた絶世の美女と軍服姿のツルッとした埴輪フェイスの笑顔が浮かんだ……どんなにアインズ・ウール・ゴウンの頭脳が人並みの能力しか持ち合わせないと力説しても、彼等はあっという間に事実を否定する完璧な理屈を構築してしまうだろう。何を言っても「またまたご冗談を」と否定されるみたいなものだ。彼等が望むアインズ以下のアインズを、彼等は決して許してはくれないのだ。

 

 よく言って「誉め殺し」だし……有り体に言えば「生き地獄」だよなぁ、アンデッドだけど……こんなのが半永久的に続くって……

 

 まあ、だからこそギルメンですらなく、極めて良好な関係だったが単なる知人にすぎない『ばある・ぜぶる』に強烈に執着してしまうのだろう、と思う。率直に愚痴を言える程度には友好的関係を構築していたと信じている。もちろんギルメンの誰かがこの世界に一緒に転移していたら、ここまで足掻いたかは不明だ。例えば『ヘロヘロ』があの時……ユグドラシル最期の瞬間まで一緒にいてくれたならば……とは思う。逆にデミウルゴスから送られた映像で『ばある・ぜぶる』のよく見知った姿を見ていなければ……もう少し冷静でいられたのかもしれない、とも思う。

 だが『ヘロヘロ』はログアウトしてしまった。

 そして『ばある・ぜぶる』を本人と認識してしまった。

 しかも『ばある・ぜぶる』とは敵対しかねない危うさが感じられた。たしかに策士的な行動を好む側面はあったかもしれないが、彼も鈴木悟と同じ元人間なのだ。どうしても感情に引っ張られて暴走しかねない。

 ソロプレイこそ至高……そう嘯いていたが、彼には仲間が沢山いた。『モモンガ』もその一人ではあったと自負している。だから断言できるのだ。彼は仲間を見捨てない、と……こちらの世界の配下を仲間と見なしていない、とは言い切れないのだ。だからこそデミウルゴスの策は理解はできても絶望的に思えたのだ。

 

 会いたい。

 ただ会って、馬鹿話をして、笑い合いたいだけなのだ。

 存在を確信しなければ、ここまで切実ではなかったのかもしれない。

 だが知ってしまった……もう手遅れだ。

 

 ナザリックの子供達は大切だ……それこそ我が子も同然だ。

 だから柄ではない支配者の立場を甘んじて演じ続けようと思う。

 しかしそうでない瞬間も欲しい……ただそれだけのことなのに……

 

「……我がまま……か」

 

 もっと上手いやり方があるのかもしれない。

 それこそ、この誉め殺し地獄の渦中にいなければデミウルゴス辺りに相談して、劇的な再会を演出してもらいたいぐらいなのだ。

 

 メッセージが入る……アルベドからだ。

 

 急いでモードを『鈴木悟』から『アインズ・ウール・ゴウン』へと切り替える。

 

「……どうした、アルベド……」

「アインズ様、ご報告です……ゼブルをナザリック内に招き入れること成功しました」

「……なっ、なんだと……いや、よくやった」

 

 極力重厚であることを意識しながらも、どうしても声が上ずってしまった。

 どうやらナーベラルの入手した「トブ」と言うワードはナザリックだったらしいと合点がいった。しかも『ばある・ぜぶる』はデミウルゴスの策にまんまハマるように墳墓勢力と魔皇勢力が敵対していると信じたようだ。

 しかし朗報であるにもかかわらずアルベドの声音は浮かない。

 しかも直々にアインズが褒めているのに、である。

 ……嫌な予感が過ぎる。

 

「どうした、アルベド?」

「…………クッ……取り逃がして……しまいました……申し訳ございません、アインズ様……一度ならず二度までも……ナザリックの守護者統括として万死に値します……」

「どういうことだ? 何があった? 『ばある・ぜぶる』さんはどこへ行ったんだ?」

「…………『ばある・ぜぶる』ですか?」

「いっ、いや……冒険者ゼブルだ」

「行き先は姉に追跡を依頼していますが、現状では不明です」

「……何が……いったい何が起こったんだ?」

 

 アルベドの説明によれば……

 本日午前6時にゼブル達のナザリック侵入確認。

 彼等は回り道を一切しなかった為、予想以上に時間が無かった。

 しかしハムスケ以下がゼブル達と接触後、その場にとどめ置くことに成功。

 本来ならばアルベド自身が迎に行きたかったが、どうしても歓迎式典の準備から手が離せず、第九階層までの案内役の代理として失礼がないよう階層守護者であり、かつゼブルと面識がないシャルティアを派遣……そこまでは極めて順調だった、と言う。

 シャルティアも丁寧に自己紹介し、軽く会話も交わし、いざ第九階層へご案内致します、となった時……ゼブルがこう言った。

 

「せっかく御足労いただいたところ大変申し訳ないが、実は墳墓の外にも配下が待っている。ついては彼等も御招待に与りたいのだが……連れてきても良いだろうか?」

 

 シャルティアも迷ったが、あくまで歓迎が目的なので拘束するわけにも拒否するわけにもいかず、結果として許可した。

 ゼブルもいったん外に戻る故に「再来訪時にはPOPモンスターが出現しないように願います」などといかにも直ぐに戻るような口振りで退去した。

 

 ……それから2時間が経過し、シャルティアが異常を訴えた。

 

 ナザリックに近い丘の向こうにある、探知していた彼等のキャンプ地はカマドの跡が残るのみで、それ以外の痕跡は綺麗さっぱり消えていた。

 

「……アインズ様……度重なる失態、いかなる罰も受け入れます。しかし、いったい何が悪かったのでしょうか?」

 

 珍しく弱々しいアルベドの声音が響く。

 

 何が悪いか……アインズは即座に理解……いや思い当たった。

 

 ……シャルティアだ……『ばある・ぜぶる』さん、覚えていたんだ。

 

 少し嬉しく、少し悲しかった。

 この世界に転移する以前……ユグドラシル時代に何回か『ばある・ぜぶる』に見せたナザリックの1500人プレイヤー撃退映像の中で、第三階層でプレイヤー相手に奮戦したNPCについて聞かれた経験があった。

 それまで拠点防衛用NPCに関して「ギルド潰し」で有名な彼は多少は厄介な障害物程度にしか感じていなかったのは間違いない。ソロプレイヤーである彼にとって拠点防衛用NPCに思い入れを詰め込むなんて、完全に理解の外側だろう。だからスポイトランスを手にしたシャルティアがプレイヤーを相手にしての獅子奮迅の活躍をしたのはいたく印象に残ったらしい。

 その上、親友である『ペロロンチーノ』が作成し、彼のこだわりを耳タコ状態で語り尽くされた経緯もあり、当時の『モモンガ』は『ばある・ぜぶる』に力説した記憶があった。

 

 ……でも、なんで逃げたんだよ……墳墓をナザリック地下大墳墓だって認識したんなら、残ってくれたって……

 

 まだギリギリ完全敵対に至ってはいないはず……だった。

 

 『ばある・ぜぶる』にとってはそうではないのか?

 

 お互いを認識したはずなのに……

 

 鈴木悟の悩みは尽きない。

 




お読みいただきありがとうございます。


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17話 遥々来たぜ、竜王国!

1週間で1話ペースをどこまで守れるか……とにかく頑張ります。


 

 いやいやいや……なんなのいったい!?

 

 とりあえず帝都へ……『転移門』に大混乱したフェメール伯爵の雇った金級冒険者達を半ば強引に城門付近で放り出し、そのまま帝城内の皇帝執務室に転移した。

 ジルクニフを呼び出し、勝手にソファに座る。

 立ち尽くすフォーサイトの面々やエルヤーはもとより、さすがのブレインすらも俺の態度に顔を顰めた。どこ吹く風なのはジットだけ……まあ、彼はエ・ランテルという都市すらも理解不能な理由で滅ぼそうとしたのだ。いまさら皇帝に阿るつもりもないだろう。

 

 が、そんなことに気を回すような余裕は一切無かった。

 完全にパニくっていた。

 

 ……なんなんだ、いったい……

 

 あの墳墓が「ナザリック地下大墳墓」なのは理解した……だって以前に『モモンガ』さんからすごーく力強く説明されたNPCのシャルティア・ブラッドフォールンがいたし……だから間違いない……と思う。『モモンガ』さんの親友で「イエス・ロリータ、ノー・タッチ」のエロゲの人……実姉が人気声優でお姉さん自身もプレイヤーと言う情報でよく覚えている……たしか『ペロロンチーノ』さんとか言った人が作成者……のはず?

 

 そこまでは良い。

 そんな偶然……むしろ大歓迎だ。

 俺と『モモンガ』さんならば絶対に上手くやれるし、お互いに足りない部分を補完すれば、魔皇ヤルダバオトすら問題なく粉砕可能……だと思う。

 

 でもさぁ……墳墓の支配者が違うってさぁ……ショック過ぎて、思わず考え無しに逃げちゃいましたよ。

 

 誰だよ、「殿」って……?

 

 ハムスケが言うには……

 異形種なのは良い……『モモンガ』さんだって完全無欠の異形種だ。

 冒険者なのも理解できる……俺が思い付く程度の身分捏造法だし。

 でも戦士なんだよなぁ……そりゃ間違いなく『モモンガ』さんじゃない。

 仮に魔法でアンダーカバーを作ったにしても、明らかに戦力的大幅レベルダウンする戦士職……そんなアホな選択を、PVPでは想像を絶する程の緻密な戦術を駆使するあの『モモンガ』さんがするわけがない。

 ただでさえ見知らぬ土地。

 明らかにユグドラシルの影響はある。

 そこらに潜む他のカンストプレイヤー達に加え、現地産高レベルの存在。

 つまり情報も少なければ、地の利を得るのすらも難しいのだ。

 認知外の高レベルからの不意打ちを完全に回避できる自信が無ければ、この世界で身分を取得する為のアンダーカバーだとしても、魔法詠唱者である『モモンガ』さんの戦士職の選択は俺の『人化』以上にリスキーな選択だ。

 だから「殿」=『モモンガ』さんとはどうしても思えない。

 そして『モモンガ』さんが孤独になってもあれだけ入れ込んでいた「ナザリック地下大墳墓」を手放すはずがない。

 ユグドラシル最期の日に俺は『モモンガ』さんと出会うことは無かった。しかし会わなくても『モモンガ』さんならば最期の瞬間までナザリック内にいたと想像できる。それはもはや確信に近い。だから「ナザリック地下大墳墓」が厳然と存在する以上、『モモンガ』さんがこの世界に転移した可能性は決して無いとは言えない。むしろ『モモンガ』さん抜きで「ナザリック地下大墳墓」だけが転移している方が不自然だ。

 それでも偶然に俺と同時期というのは話が出来過ぎな気はするけど……

 たしか「100年の揺り返し」とかティーヌは言っていたような……

 つまり寿命の無い異形種であれば、100年毎に出会う可能性は有る、ということだろうか?

 

 しかし、それは……「殿」を筆頭とするプレイヤー集団に『モモンガ』さんが敗退した……ってことと同義だよなぁ……

 多勢に無勢か……あの伝説的プレイヤーであり、非公式ラスボスとまで称された『モモンガ』さんが……

 

 要するに「殿」って奴の集団は1500人プレイヤー軍団でも陥落させられなかったナザリックを攻略したわけだ……いや、むしろ第八階層がある以上、ナザリックを攻略したっていうよりも、単純に『モモンガ』さんをナザリック外でPKしたって方が正しいのかも……いずれにしても魔皇ヤルダバオト並みか、それ以上に恐ろしい難敵なのは間違いない。

 

 何にせよ……落ち着け、俺。

 

 情報と予測で大混乱する頭を無理矢理落ち着けた。

 まずは……整理だ。

 墳墓はナザリック地下大墳墓で確定。

 しかしそこに『モモンガ』さんはいない……いや、少なくとも支配していない。代わりに「殿」って奴が支配している。

 つまり『モモンガ』さんは敗退した可能性が高い。

 そして転移している可能性が高い以上、まずは『モモンガ』さんをどうにかして奪還、もしくは復活させたい。

 リスポーンキルを食らって、完全に消滅した可能性まであるが……その場合はナザリックの最奥まで攻略されたに等しいわけだから、かなり絶望的な状況ではある……が、俺自身で復活を試せない以上、確定的な判断は下せない。

 

 希望は残されているはず……

 

 その為には本人もしくは遺体が必要だが……連中が隠すのであれはナザリックの最奥が一番怪しい……というよりも最も安心できるはずだ。『モモンガ』さんの例のアレ無しでも第八階層のギミックを抜けるのは相当なレベルの猛者である必要がある。しかし相当な猛者であっても第七階層までに保有する能力を丸裸にすることは可能だし、能力さえ把握してしまえば、大した脅威にもならない。その先には『モモンガ』さんすら屠った真の強者集団……これ以上、安心できる場所はないだろう。

 加えてナザリック地下大墳墓の機能を完全に活かすのであればギルマスである『モモンガ』さんが必要なのは明白……つまりナザリックの現支配者である「殿」にとっても『モモンガ』さんの存在は絶対的なキーだ……遺体ならば勝手に復活されても困るし、どんなに弱体化していても強奪されたら目も当てられない。だから自分の手元であり、難攻不落であるナザリックの最奥に隠す可能性が高い……少なくとも俺ならば絶対にそうする。

 そこから『モモンガ』さんを奪還するか、復活するかさせる。

 そして『モモンガ』さんと共闘すれば、ナザリック奪還もなるはずだ。

 

 では……その為にどうするべきか?

 

 真っ先に思い付くのは魔皇ヤルダバオトを中心とするプレイヤー集団の存在だ。連中をどうにかして「殿」が率いる集団と激突させたい。

 

 その為には……連中にとって美味しい餌が必要だ。

 

 しかし連中が望むとしているモノはナザリックが所持している。

 それはおそらくギルド武器だろう、と考えていたが違うかもしれない。

 「アインズ・ウール・ゴウン」のギルド武器を失ったところで「殿」の率いる集団が困るだろうか?

 困ると言えば困るが、それだけだ。決定的な痛手ではない。

 もっと別の何か……それを知る必要がある。

 

 あるいは帝国の支配権……かもしれない。

 王都の旧『八本指』利権……であれば『モモンガ』さん奪還の協力を得られるのならば譲ってやっても良い。

 単なる破壊っていうのは、俺の知る限りの魔皇ヤルダバオトの性格を考えてもありえない……と思う。

 意表を突いて弱体化した『モモンガ』さんそのものか、遺体……あるかもしれないが、ないかもしれない。その場合、魔皇ヤルダバオトが『モモンガ』さんと繋がっていることになるが……ユグドラシル最末期の『モモンガ』さんは孤独だったはず……俺達とはかなり接点があったものの、それ以外は寡聞にして知らない。つまりこちらの世界での知り合い……ならば可能性がないこともない。

 

 そして連中はティーヌを生かして捕縛している。

 

 ジルクニフルートに加え、俺との接点は充分だろう。

 

 改めて皇帝執務室の中の面々を眺めた。

 この中で一番強いのは間違いなくブレインだ……しかし一対一ならばともかく、軍としての亜人相手に勝てるわけがない。

 つまり連中との交渉材料としての戦力しては貧弱だ。

 

 ……やはり実験が必要か……

 

 力技で強引に『モモンガ』さんを奪還するにしても、魔皇ヤルダバオトと共闘交渉するにしても、だ。

 

 ソファから立ち上がると一斉に視線が集まった。

 ジルクニフの姿はまだ見えないが、こちらにも時間の余裕があるわけではない。

 

「さて……皇帝陛下に伝えてくれ。とりあえず連中の要求は果たした。その事実をもって交渉時に事態の遅滞を図って欲しい。それと……もう晩夏だから、例年通り仕掛けるべきだとも……」

 

 秘書官の1人が必死に頷く。

 

「それと俺はしばらく留守にする……そうだな、行きの道程がどの程度掛かるかによるが、秋口にまでには戻る……そう伝えてくれ」

 

 『転移門』のエフェクトが現れる。

 

 俺達は帝城を後にした。

 

 

 

 

 

 

************************

 

 

 

 

 

 

 ゴブリン部族連合の再北上か始まった……と一報が入ったのは昨夜。

 ちょうどエ・ランテルでの最後の夜を最高級とされる宿「黄金の輝き亭」で楽しんでいた時だった。

 夜間とはいえ比較的早晩であった為、冒険者組合は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。何よりもエ・ランテルの英雄である『漆黒』のモモンがバハルス帝国の帝都へと向かい不在だった為、皆一様に慌てたのである。

 だから、というわけではないだろうが直ちに依頼が舞い込んだ。

 その事実は癪だったが、エ・ランテルでの評価は圧倒的な『漆黒』贔屓であり、王都のアダマンタイト級である『青の薔薇』や『朱の雫』なんぞは彼等と比較すれば三下扱いであると、この遠征期間中で痛感していた。

 とはいえ……対モンスターであれば冒険者の領分であり、現時点でエ・ランテルに滞在している最高位の冒険者チームである『青の薔薇』が契約期限の超過を理由に断るわけにはいかなかった。面白い、面白くないの問題でなく、それは最高位冒険者としての最低限の責務と言っても過言ではない。

 

 だからそれぞれが愚痴を言いつつも『青の薔薇』の面々は先を急いでいた。

 先行偵察として派遣されたのはミスリル級チームの『クラルグラ』であり、主力として『青の薔薇』と白金級2チームが続いている。後続のミスリル級チームである『虹』がバックアップ担当という陣容だった。

 

 誰も口に出さないが誰もが過剰戦力と感じていた。

 しかしエ・ランテル冒険者組合の言い分として、本来の貸し出し契約期間を終了した『青の薔薇』に想定外の怪我でもされては王都の組合に顔負けができないと説明していたが……まあ、本音では『漆黒』ほどに信用できない、と言う辺りが正解だろうと予想された。

 そしてそれは厳然たる事実でもあった。悔しいことに『漆黒』の実力は本物であり、今回の遠征期間中で『青の薔薇』との力量差も痛感させられたのである。

 

 本来は『漆黒』の休養期間が組合の想定外に長期間に渡った為、彼等の復帰まで代打として相当な割増報酬を約束されてのエ・ランテル遠征だった。

 『青の薔薇』が代打を快諾した裏事情として王都の治安が急激に改善された為にアダマンタイト級の依頼が激減したこともある。王都はどちらか1チームのみで余裕を持って回せるところまで高難度の依頼が減ったのだ……いや、本当のところは王都の組合に所属する冒険者を食わせられるだけの依頼が集まらなくなっていた。依頼を奪い合う状況が続いている。当然アダマンタイト級が下位の依頼を奪うわけにはいかない……

 治安は極めて良い。

 景気は急速に回復しつつある。

 本来は王国民として喜ぶべきことなのだろうが……経済的に背に腹は変えられぬし、何故そのような状況が生み出されたか知るだけに、メンバーそれぞれが釈然としないものを感じていた。そこに渡りに船とばかりにエ・ランテルからの協力要請が届いたのである。

 異論を唱える者などなく、直ぐに快諾した……否、せざる得なかった。

 加えて、3番目のアダマンタイト級である『漆黒』の姿でも拝んでやろうという野次馬根性もあったのだが……

 

 エ・ランテルに『青の薔薇』が到着し、組合と正式契約を交わした直後、それを見計ったかのように『漆黒』が電撃的に活動再開したのだ。

 当然『青の薔薇』としてはエ・ランテルくんだりまで来て何もせずに中途解約など許容できないし、噂の『漆黒」と張り合ってやろうという気概にも満ち溢れた。で、自然と『青の薔薇』は高難度依頼で『漆黒』は名指しの依頼という棲み分けになった。

 

 『漆黒』は唖然とするようなスピードで超高難度の名指しの依頼を消化し続けた。僅か2日間で山積みになっていた名指しの依頼を完璧に消化し、3日目以降には本来であれば『青の薔薇』が請負うつもりだった高難度依頼にも手を出したかと思えば、凄まじい速さで処理していた。

 文字通りあっと言う間に報酬ベースで『漆黒』は『青の薔薇』を10倍以上の差をつけて圧倒したのだ……件数ベースは悲しくなるので途中から比較するのをやめてしまったぐらいだ。

 『漆黒』復帰から5日を待たず、危くアダマンタイト級としての立場を失いかけた『青の薔薇』だったが、『漆黒』は唐突に再度エ・ランテルから姿を消したのである。今回は休養でなく、帝国の帝都アーウィンタールへと遠征するという。本末転倒だが『青の薔薇』の滞在期間中は戻らないとの説明もあった……それもあって『青の薔薇』は辛うじて面目を保てるような成果を残せたのである。組合の補填する割増分の報酬で経済的にもかなり潤った。

 

 が……『青の薔薇』ブランドの失墜は明白だった。

 

 『漆黒』が不在でなければ、本来は彼等2人が単独で受けただろう案件。

 それを同格の『青の薔薇』はミスリル級2チームと白金級2チームのバックアップを受けていた……やはり釈然としない。

 

 今回の遠征で最後の依頼……是が非でも達成させるつもりだった。

 

 いまだ索敵に先行する『クラルグラ』からの報告はない。

 ひたすら南下を続ける彼女達を強烈な晩夏の日差しが容赦無く照りつける。

 そんな中でも左手に見えるカッツェ平野の深い霧は晴れていなかった。

 

「……にしても、凄え連中だったな」

 

 と、ガガーランが呟いた。

 誰も足を止めない。

 止めないどころかティアとティナはかなり先行している。『クラルグラ』からの定時連絡が遅れ気味なのをフォローしているのだ。

 ガガーランの隣には小柄な仮面姿……イビルアイがいた。

 やや遅れてフル装備のラキュースが続く。

 

「……認めざる得ないだろうな。ほとんど接点は無かったが、『漆黒』は本物だ。連中とは違う」

 

 イビルアイの言う「連中」とは王都で散々煮湯を飲まされ続けた紛い物の銅級冒険者チームだ。

 エ・ランテルの組合で探ったところ、いまだ銅級のままらしい。

 それどころか本当に1日だけしか活動していないらしい。

 組合にたむろする冒険者達の噂話では「目を合わせるのも恐ろしかった」という感想が多かった。「あんなのはたいしたことねえ」と言い切ったのは先行する『クラルグラ』のリーダーぐらいのもので、他の有象無象の冒険者達は漏れなくネガティブな感想を、誰かの目を避けるかのように語った。

 

「本物かぁ……? まあ、たしかに紳士って感じだったぜ、モモンは……相方の『美姫』ナーベってえのは一際強烈な奴だったがな。『漆黒』の取り巻き共も罵倒されるのを期待しているみたいで、なかなかカオスな光景だったぜ」

「あー、アレは……まあ、アレだな……見た目は本物ってヤツだ」

 

 普段は辛辣なイビルアイが珍しく口籠った。

 

「なんだよ、何か含むことでもあるのかよ?」

「……アレは……いや、何でもない」

 

 仮面なのにそっぽを向く。

 

「随分と思わせぶりじゃねーか?」

「そっ、そっ、そっ……そんなことはにゃい」

 

 ガガーランがニヤニヤと笑う。

 空気が弛緩した。

 が、瞬時に引き締まった。

 ティアが姿を現したのだ。

 白金級チームに声を掛けていたラキュースもティアの姿を確認して瞬時に追い付く。

 

「ここから南に約10キロの街道から外れた地点で既に交戦中」

 

 ティアの報告内容は予測通りであり、驚くようなものではない。

 先行する『クラルグラ』とてミスリル級なのだ。殲滅ならば手に余るかもしれないが、どんなに数が多かろうがゴブリンやオーガ程度が相手であれば後続が到着するまでの遅滞戦闘であれば難なくこなすはずだ。

 しかし平坦なティアの声音に仲間ならば即座に判る緊張感が含まれていた。

 

「なにか、異変があったの?」

 

 緊迫感に包まれた一同を代表してリーダーであるラキュースが発言した。

 

「戦闘は順調……と言うより、もう殲滅完了しているかもしれない」

「はぁ?」

「何があった!」

 

 ここまで来て、遠征最後の活躍の場が消失する……あまりと言えばあまりに急激な事態の進展にガガーランとイビルアイが堪らず口を挟む。

 

「……で、妙な事態になりつつある」

 

 ティアの言葉に全員が息を飲んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「やあ、『青の薔薇』の皆さん……お久しぶり、なのかな?」

 

 ティナの隣でひらひらと手を振る男の姿……忘れたくても絶対に忘れられない……しかし反応は様々だった。

 イビルアイは歯噛みし、拳を握り締めた。

 ガガーランはとりあえず、といった感じで笑い返した。

 ティアは淡々と頷いた。

 そしてラキュースは大袈裟に頭を下げた……王国貴族のご令嬢なのに、どこぞの馬の骨に平身低頭とは珍しい光景だ。

 

 ゼブルの背後にはブレイン・アングラウスにジットという見慣れた姿。ガガーランが嫌悪しているティーヌの姿は無く、代わりに切れ長の目が涼しげな剣士が立っていた。彼については初見だが、ゼブルの仲間なのは確実だろう。なにしろ装備品の質が飛び抜けていた。

 

 彼等の背後に茫然自失の体で『クラルグラ』の面々が天を仰いでいる。

 

 さらにその向こうは死屍累々……赤黒く血に塗れた荒野に元ゴブリンと元オーガを中心とした無数の肉片と、おそらくジットの統制下にあっただろうアンデッド軍団の成れの果てが転がっていた。

 

「じゃあ、ここから引き継ぎますから……俺達はいなかった、ということでお願いします。別に手柄を横取りするつもりはないんでね」

 

 行くぞ、とゼブルが号令を発する。

 まるで殺戮以外に興味がないかのごとく、4人は南に歩き始めた。

 

「待て、待て、待ってくれ!」

 

 イビルアイが叫ぶ。

 

「……どーなってんだ、こりゃ?」

「説明が必要」

「……なので、もう少し時間をもらえないかしら?」

 

 3人が続く間に、ティナが彼等の進路に立ち塞がった。まるで決死の覚悟を決めたかのような表情で、両手を広げている。彼女は目の前の連中が繰り広げた殺戮劇を至近距離で観察していたのだ……あの『3人組』を絶対に認めなかった『クラルグラ』のリーダーが呆けてしまうような惨劇を。

 

 ゼブルが振り返り、薄く笑った。

 背景の屍の山と隔絶しているようで、妙にしっくりとハマっている。

 

「状況の説明ならば彼女……えーっと、ティナさんの方からで充分でしょ?」

「そうではない! 何故、お前達がこんなところにいる!」

 

 イビルアイはいろいろとすっ飛ばして直球を投げた。

 初見の男については不明だが、あのティーヌの代わりなのだ……かなりのレベルに達しているのは間違いないだろう。

 となると実力的には王都の時と大差ないはずだ。

 だからゴブリン部族連合程度が相手であれば、連中ならば片手間で殲滅してしまうのも納得できる……それについては、もはやどうでもいい。

 問題は帝都にいるとされていたゼブル一党が、何故こんな王国の辺境にいるのかである。もう少し進めば法国であり、東に向かえば竜王国の位置だ。

 

「……答えなきゃ、いけませんかね?」

「いけないということはない……だが真実を答えて欲しい」

「答えて欲しい。そうでないと、ウチの鬼ボスが困る」

「鬼ボスが困ると、私達も困る」

「私達が困るのは、困る」

 

 ティアとティナの前後からの挟撃にもゼブルは揺れない。

 薄く笑ったまま、ラキュースを見る。

 ラキュースは少し困ったように笑い返した。

 ガガーランとイビルアイの視線が仮面越しに絡み合う。

 

 ……やはり……何かがおかしい……色恋とかじゃ、説明がつかねぇ……

 

 鋭い眼光でガガーランが伝える。

 イビルアイも瞬時に理解した。

 

「……ああっ、もう煩い、黙れ!」

 

 イビルアイが進み出て、ゼブルの前に立った。

 そして仮面が見上げる……まるで睨むように。

 

「……お前達には貸しがあるはずだ」

「貸し……ですか? 借りでなく?」

「ああ、貸しだ……お前達のお陰で王都で依頼が激減した。だから私達がこんな所にいる……その私達が説明を求めているんだ」

 

 ゼブルの表情は揺れなかった。

 やはり薄く笑っていたが……やがて口元が緩んだ。

 

「……まあ、別に隠すようなことじゃないし……いいでしょう」

 

 ゼブルは語った。

 旅の途中であり、たまたま劣勢に立つ冒険者の戦闘を見かけて、加勢しただけであり、他意は無い。言葉通り勝手に加勢しただけなので、事後はそちらで処理して欲しい。

 時間に余裕のある旅ではないので、先を急ぐ、と。

 

 聞くまでもない、状況をなぞっただけの虚な言葉の羅列が続く。

 

 ゼブルの言葉に嘘は無いが『青の薔薇』として聞きたいのはそんなことではない。しかし、これ以上の一切語る気は無いのだろう……王都で散々経験したのと同様、のらりくらりとはぐらかされるのがオチだ。

 

「……解った……もう行っていいぞ」

 

 イビルアイの言葉にゼブルは笑い返した。

 そしてあっさりと踵を返し、ただの一度も振り返らず、3人の仲間と共に街道を歩み去って行った。

 イビルアイとガガーランとラキュースは無言で見送り続けた。

 

 気が付けば、双子の姉妹の姿は消えていた。

 

 

 

 

 

 

************************

 

 

 

 

 

 

 薄暮に包まれたエ・ランテルの街の雑踏の波の向こうに、徐々に闇夜を迎える為の明かりが灯始めていた。

 高級な酒場にはそれなりの人々が社交の為に集い始める。

 そして安酒場にはその日暮らしの冒険者達が1日の癒しを求めて吹き溜まりつつあった。

 

 その日、エ・ランテルでは「ちょっとした」と言うには大き過ぎる騒ぎが生じていた。

 騒ぎの中心は冒険者組合の組合長室。

 その騒めきは次第に伝播し、現在では街の安酒場がその中心となっていた。

 それぞれのテーブルで様々な憶測が語られている。

 憶測の中身は大きく分けて3つ。

 一つ目は昨日でエ・ランテルへの応援の契約期間を終えたアダマンタイト級チームである『青の薔薇』が行方不明になったということ。これについては一緒に派遣されていたミスリル級チーム『虹』の報告もあり、組合長としては責任まで問われかねない大問題なのだろうが、末端の冒険者達には全く関係なかった。故に各人が膨らませた想像を酒の肴に面白おかしく語られてるにとどまっていた。エ・ランテルでの評価は『漆黒』よりも落ちるとはいえ、王国にとどまらず周辺諸国内で勇名を轟かすアダマンタイト級なのである……彼女達の身の安全を心配する者などは皆無と言っていい。

 

 二つ目は「あの『3人組』が目撃された」という少し薄寒いものを冒険者各位に感じさせるものである。こちらは逆に他の二つがある為に組合長などは完全に優先順位を後回しにしていた。しかし末端の冒険者で彼等の姿を目撃した者達や、その所業を知る者達は皆一様に首を竦めた。

 彼等の中には『3人組』を危険視した『青の薔薇』が追うに至ったと噂する者もチラホラいた。当たらずも遠からず……彼等は『3人組』と『青の薔薇』に既に因縁がある事を知らなかった。危険視などという漠然とした感情ではなく、もっと複雑なものが絡み合っているのだが……当事者と関係者以外に知る者は無かった。

 

 そして三つ目……先月の昇級試験で念願の白金級に昇級した『豪剣』にとってはそれこそが喫緊の大問題だった……ミスリル級冒険者チームである『クラルグラ』の引退の申し出……つまりイグヴァルジの引退である。

 そしてエ・ランテルの冒険者達の最大の話題でもあった。現在の実力的な中心は『漆黒』であっても、良くも悪くも彼こそがエ・ランテルの冒険者達の心情的な中心だった。

 

 安酒場の最奥のテーブルに陣取るスキンヘッドの巨体が大きく天を仰いだ。片手には空いたジョッキが握られている。白金級に昇級し、直近はイグヴァルジの推薦もあって『青の薔薇』のゴブリン部族連合討伐の補助でそれなりに高額報酬を得た彼等であったが、なかなか身に付いた慣習は抜けず、安酒場に集まっていた。

 

「……しっかしよぉ……イグヴァルジの旦那も何なんだよ、突然!」

 

 戦士ディンゴはそう大声で喚きながら、酒のおかわりを注文した。

 

「3人組……のせいでしょう? 2人しか見なかったけど……」

 

 信仰系魔法詠唱者であり、打撃武器の手練れであるが、全くそうは見えない小柄な女性……シトリが自分の両肩を抱いた。彼女は当初から『3人組』に関わるのを嫌悪していた。同時に『漆黒』も嫌悪している彼女は今回の仕事も同行するのが『青の薔薇』だからこそ依頼を受けることに賛成したのだが……まさか「単なる偶然の通りすがり」などという理由で『3人組』と関わってしまうなどと思いもしなかった。連中は最底辺の銅級のくせにアダマンタイト級の『青の薔薇』を見下すような様子だった。過去に因縁があるらしいことは様子から直ぐに理解できたが、どうにも不愉快な連中だ。

 

「でもよう、シトリ……突然引退ってなぁ……」

「あんたも見たでしょ……あの惨状……無数のアンデッドの残骸と大量の肉片と血液に覆われた一面の荒野……思い出すと吐き気がするし、しばらく眠れそうにないわ。アレ、連中がたった4人でやらかしたのよ」

 

 涼しげに『青の薔薇』の面々に笑い返す『3人組』のリーダーの顔が忘れられない。たしかに恐ろしく整っていたが、まるで魂の無い仮面のような印象だった。ぺらぺらと流れるように紡ぐ言葉も虚……見た目から言葉の一片に至るまでの全てが禍々しく、気持ち悪かった。

 

 ……はたして自分と同じ人間なのか……?

 

 シトリはかなり深刻に考えていた……だからイグヴァルジの気持ちも想像できた。あんなのが自分の身近……同業の冒険者として堂々と同じ生活圏に紛れ込んでいるのかと思うと、どうにも耐えられそうにない。殺戮の現場を見ていないシトリですら、そう思うのだ……それをまざまざと見せつけられたイグヴァルジの心中も察しがつく。現に『クラルグラ』のメンバー全員が同時に引退を申し出でいるのだ。帰りの道中、『虹』の面々に保護される中で、呆然と空を眺め続け、話し合ってもいない『クラルグラ』の全員がエ・ランテルに到着と同時に引退を決断する理由について思い当たるのは『3人組』しかない。

 

 彼等について一瞬たりとも考えたくないのに……あの気持ち悪く、怖気立つ程に美しい笑顔が脳裏から消えてくれないのだ。

 

 シトリは目の前のグラスを眺めたまま、自身の両肩を抱える指先に強く力を込めた。

 

「大丈夫か、お前?」

 

 心配そうに覗き込むディンゴをシトリは睨み返した。

 

「鈍感なのが羨ましいわ」

「へっ、ありがとよ」

 

 ディンゴは二杯目も一気に飲み干した。

 

「……だがよぉ、連中に問答を吹っかけた『青の薔薇』の仮面……イビルアイさんは何も感じてないどころか、えらく敵意丸出しだったじゃねーの。俺はあの反応こそが普通だと思うぜ。たしかに『3人組』は邪悪だと、鈍感な俺ですら思う。でも……」

「あんたには解らないんだよ……一言で言えば怖いんだ」

「怖い?」

「……あんたには、アレが同じ人間に見えてるんだろ?」

「アレ……?」

「黒コートのアレだよ」

「……えっ?」

 

 ディンゴは意表を突かれた。てっきりオカッパ頭の眉なし魔法詠唱者の事だと思っていた。2人の剣士は強いと確信できるが「怖い」と言うのとは少しだけ違う。以前見かけた銀髪の女戦士とオカッパ頭はたしかに怖い。夜の裏路地で出会ったら、間違いなく視線は逸らすし、道も譲る。カドランやシトリと出会う前……粋がっていた10代の頃でも無理だ。ケンカ自慢の街の不良と本物の裏社会の住人……いや、それ以上の大きな差があった。

 しかし黒コートのリーダーらしき男は強烈なインパクトを放つ連中の中では一際普通に見えた。たしかに装備する黒コートは魔法の武具に大した知識を持たないディンゴでも「凄まじい」の一言に尽きるが逆に言えばそれだけだ。一見した感じ「爽やか」にすら感じる……まあ、比較対象が悪過ぎとも言えないこともないが、それでもシトリの言うような「怖さ」は感じない。

 

「あんたは幸せだよ……『3人組』の黒コートも『漆黒』のモモンも、私にとっちゃ、ただただ怖いんだ。あんな連中が同業だなんて……『クラルグラ』の皆さんもそう感じたんだよ。普段はなんとか抑えていたモノがあの虐殺を直に見せつけられて……もう抑えられなくなっちまったんだ……と私は思う」

 

 常々シトリは『3人組』も『漆黒』も「悪だ」と密かに主張していた。

 たしかにシトリの直感は鋭い。

 彼女の直感の囁きに従って依頼の最中に危機を回避した経験も多い。

 しかし、それでもディンゴは毛嫌いの類だと思っていた。

 それに『3人組』で言えば銀髪女と眉無しオカッパを極悪と言われれば納得もする。『漆黒』で言えば『美姫』ナーベの方が悪と言われれば……まあ、たしかに口が悪い。

 だが実際にシトリが恐れるのは見目麗しい黒コートであり、言行は実直な紳士であるモモンだった。

 意外としか言いようがない。

 ディンゴは改めてどう見ても10代前半にしか見えない小柄な姿を見た。

 肩を抑える彼女の指先は白くなっていた……相当力を込めているのだろう。

 そして、その状態でも彼女の細い肩は小刻みに震えていた。

 

「……なんか、すまん」

「別にあんたが悪いわけじゃない……私だって言っていることを信じて欲しいわけじゃない。ただ私は実際に連中の所業の痕跡を見てしまった。そしてイグヴァルジさん達は所業そのものを見てしまった……結果として数々の死線を潜り抜けてきた、甘さなんてとうの昔に捨て去っていたはずの『クラルグラ』の皆さんは引退を決断した。因果関係なんて知る由もないけど、直感の裏付けとしては充分……少なくとも私にとってはね……」

 

 シトリはようやく細い左肩を解放し、全面に水滴が浮いた琥珀色のグラスを握った。

 かなり強い酒だ。

 そのまま一気に飲み干す。

 少し日焼けした頬が一気に朱に染まる。

 一息ついたのか、右肩も解放された。

 少しだけ纏う空気が弛緩する。

 

「俺はバカだからよ……お前やカドランの言うことがよく解らねえ時がある」

 

 自嘲するディンゴに、シトリの乾いた笑いが応えた。

 

「私はともかく、みんながみんなカドランみたいだったら、世の中はもっと息が詰まるだろうね……年がら年中、探り合い……今だって表向きは満面の笑みを浮かべながら、必死にイグヴァルジさんや『クラルグラ』の皆さんの引退阻止しようと組合長と一緒に立ち回っているつもりなんだと思うよ。私は大の大人の決断に他人が口を挟むべきじゃないと思うけど、同時にカドランみたいな奴だって必要だと思う……あいつがあんなだから、私達は割りの悪い仕事で苦労しないで、それなりに食べていけるわけだしね……それに必死なのを周囲に気取らせるようなマヌケでもない」

「そうは言ってもよぉ……なんか俺だけ頭悪いだろ?」

「あんたも必要なの……それで良いじゃない?」

「やっぱ、お前……頭も良いけど、普通に良いヤツだよな」

 

 ディンゴはさらにジョッキを空け、同時に天も仰いだ。

 そして真顔で向き直る。

 シトリはあまりの豹変に咳き込む……同時に脳裏に鮮明に焼き付いていたあの笑顔がフワッとしたものへと変化した……が、この時は気付かなかった。

 

「……なあ、俺達でやらないか?」

 

 何を……いや、シトリはそこまで察しが悪いわけではない。

 カドランはあれで義理人情を大切する……というよりも人脈を非常に重要視する。だから……この無謀な提案に乗るかもしれない。

 

「……あんたねえ……自分が何を言っているか、解っているの?」

「解ってるさ……だから相談しているんだ」

 

 相談……とは言うもののディンゴは既に決断しているのだろう。このまま放置すれば、暴走する可能性まである。

 資金は……残念ながら『青の薔薇』に同行したことで大幅に余裕があった。

 時間は……冒険者稼業に時間が無いなんて事態はほとんど無い。

 戦力は……お話にならないレベルで隔絶しているだろうが、今回に関しては格差を埋める当てがある……『青の薔薇』だ。特にイビルアイは黒コートに対抗心を燃やしていると言うか、敵意すら感じさせるほどだった。そして『青の薔薇』の向かった先に連中はいる……はず。

 おそらくディンゴもそれを当てにしているのだろう。自覚があるのか無自覚なのかは別にして……そうでなければあの『3人組』に対抗しようなんて発想に至るわけがない。連中の姿を見掛けた瞬間から避けていたシトリに限らず、それほどエ・ランテルの冒険者にとって『3人組』のインパクトは強烈だったのだ。

 

 正直なところ『3人組』に関わるなんて、一も二もなく遠慮したい。

 それを理由に見捨てるのは簡単だ……しかし長年チームを組んできた情もあるし、今回に関しては心強い味方もいる。

 散々世話になった先輩を危機から救う……理由も充分だ。

 

「……カドランが賛成すれば、だよ……あくまでも」

 

 ディンゴは破顔し、さらにジョッキを空けた。

 

 シトリは微笑んだ。

 気付けば脳裏の笑顔が気にならなくなっていた。

 それが良いことなのか、悪いことなのか……少なくとも今日の安眠は確保できたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

************************

 

 

 

 

 

 

「なあ、あいつらは何をやらかすつもりなんだ?」

 

 愛用の戦鎚『鉄砕き』を肩に掛け、朽ちた砦の城壁の上に立つガガーランは隣に立つリーダーのラキュースに、それとはなしに問い掛けた。

 

「……さあ、予測もできないわね……でも、ここはもう竜王国内でしょう。わざわざやって来たってことは……まず最初にやることは一つだと思うわ」

 

 廃墟と荒野……高台に立つ砦の上からでも陰気な風景しか視界に入らない。

 戦乱と言うよりは大規模な狩猟の爪痕と言った方が良いのかもしれない。

 もちろん狩る側の立場なら、の話だが……

 竜王国の首都まで半日もないこの砦が放棄されているのだ。ビーストマンの侵攻がいかに深刻な状況か、否が応でも理解させられる。

 

 昼夜休まず移動するゼブル一党を追跡し始めてから2日が経過していた。

 現在、イビルアイとティアとティナはゼブル一党を包囲監視している。

 ラキュースとガガーランも休むわけにはいかず、延々と進み続けた結果、この朽ちた砦に辿り着いたのだ。この城壁の直下では初めてゼブル達がキャンプを張っていた。どこから取り出したのか豪華な食事と酒でささやかな宴を開催しているようだった。状況を考慮すれば暢気とも思えるが、彼等の戦力が尋常でないことは嫌と言うほど思い知らされていた。だから苦々しく思うと同時に少しだけ羨ましくも感じる。この竜王国という死地も連中にとってはピクニックに赴く景勝地も同然なのだ……その戦力的な余裕が羨ましい。

 

 それにしても竜王国の惨状は筆舌に尽くし難かった。

 この朽ち果てた砦。

 見渡す限りの荒れ果てた農地。

 滅ぼされた都市……は既に3つと聞く。

 戦死でなく、餓死でもなく、捕食される国民。

 遺骸もなく、ビーストマン共の腹の中だ。

 だから途中通過した廃村でも、新しい墓は見なかった。

 この国土に渡る全ての惨状が、竜王国の窮状と言っても過言ではない。

 

「連中……竜王国の国庫の枯渇を知って、遥々戦費の貸付にやってきたわけじゃねえよな?」

 

 皮肉の一つも言ってやろうと思い、何気なく口を吐いた言葉だが、それぐらいの事はゼブルや新『八本指』の連中ならばやりかねない、と思うに至り、ガガーランは薄寒いモノを感じた。

 

「……さすがに、そんなことはない………とまでは言えないわね」

 

 ラキュースも苦笑いで応える。

 やりかねない……でも、それは悪なのか、と問われれば悪とまでは言い切れない。相手の窮状につけ込むような手口は気に入らないが、生きるか死ぬかの狭間にいる者にとっては救済ではないのか?

 

「……でも、そうだとしたら、やっぱり竜王国を救う為?」

 

 義侠心があるのか、ないのか……『八本指』の時もやり方はエグいが、結果として王都の治安は劇的に改善したのだ。その煽りで『青の薔薇』はエ・ランテルに遠征する羽目に陥ったが、王国貴族としては文句は言えない。それどころか感謝すべきだった。

 

「だが連中が儲ける為でもあるんじゃねえか?」

「それはそうね……でも竜王国では歓迎されるんじゃない?」

「騙されている……いや、喜んで騙されるか……国家レベルで宵越しの金が無えんじゃ、悪魔の誘いにでも乗るな」

「……そこまで信用できないかしら?」

 

 イビルアイほどではないが、ガガーランもゼブルに良い印象はない。あくまでも気に入らないのはティーヌだが、他者を出し抜くようなゼブルのやり口で煮湯を飲まされたのは忘れられない。

 一方、ラキュースは妙にゼブルに甘い……ように感じて、どうにも不安になってしまう。

 それを直接確認してしまうと決定的な何かが壊れてしまうかも……そんな思いからガガーランは変化球を繰り出した。

 

「魔皇ヤルダバオト、知ってるか?」

「魔皇……ああっ、あの王都で噂なっていた……あまりに暇過ぎて、イビルアイだけじゃなくて、ティアとティナまで調べていたとか……でも、正体どころか、噂の出所まで不明だった、って聞いたけど……」

「気になる話……まあ、与太話の類なのは間違いねえけどよ……魔皇ヤルダバオトの噂が王都を駆け巡っていた頃、地方領主のどうしようもないドラ息子達の集団や雑多な貴族達に混ざって、ある大貴族が新『八本指』の実質的な首領であるヒルマ・シュグネウスに接触しようとした……ある大貴族って誰だと思う?」

 

 いつになく真剣なガガーランの眼差し。

 ラキュースは唾を飲み込み、この質問の真意を考えたがどうしても解らなかった。なので、字面通りに答を考える。

 一口に大貴族というが、この場合は「六大貴族の内の誰か」という意味で間違いないだろう。単純に爵位だけの問題ならば『八本指』はほとんどの貴族に浸透していると考えて間違いない。だから、この場面であえて「接触を図る」ような大貴族は六大貴族で間違いないだろう。

 まずウロヴァーナ辺境伯の可能性は伯の人柄も考えても無いと断言できる。

 次にボウロロープ侯も第一王子を擁し、この微妙な時期に元々犯罪結社にすぎない『八本指』にあえて接触するとは思えない。そうでなくとも武断的な侯の性格では「密かに接触は図る」ことは考え難い。

 さらにペスペア侯も王の長女の夫でもあり、今のところ次期国王の候補でもある。故に無駄な醜聞は避けるはずだ。

 残るは……実力者ではあるが「蝙蝠」と揶揄されるレエブン侯に、財力は王国随一だが信用できないブルムラシュー侯、そして格落ち感が否めず、なりふり構わない強烈な上昇志向の持ち主であるリットン伯……正直なところ、誰もに可能性を感じる。

 しかしあえて選別するならばブルムラシュー侯の線は薄いような気がする。侯の財力や性格を考えれば『八本指』の方から接触を図ったのならば最有力と思えるが、財力に胡座をかいて積極的な行動を起こさない侯の方から接触を試みるようなことはしないように思える。

 残るは候補は2人……性格だけ考えた場合はリットン伯の方が怪しい気がするが、なりふり構わないとはいえ、あの強烈なプライドの持ち主は『八本指』などに頭を下げることなど許容できない……と思える。

 最後に残ったのはレエブン侯……第二王子に接近しているにもかかわらず、貴族派閥に所属し、その実力は言うに及ばず……何を考えているか、最も理解し難い存在だった。逆に言えば目的を達する為に「何でも有り」のようにも感じる。つまり『八本指』であろうと使えるものは使う……そういう人物だ。

 

「おそらく……レエブン侯ね……で、あるならばザナック第二王子も密かに関わっている……かしら?」

 

 ラキュースの答えにガガーランは目を剥いた。

 

「よく言い当てたな……ラキュースの貴族人脈か?」

「人脈って言うよりも性格判断ね……いちおう全員、直接御目通りした経験はあるもの。でも、それと魔皇の噂と何の関係が?」

「魔皇ヤルダバオトとはゼブルじゃないか……『八本指』でも比較的上位の連中の何人かが話していたっていう情報がある。イビルアイはゼブルを難度200に迫るって評していた。まあ、ゼブルはどう見ても人間だから、魔皇ヤルダバオトっていう悪魔の親玉とは無関係だと思う……けどよ、単なる人間ごときが、あのティーヌやイビルアイですら問題にしない戦闘能力を持つ事実は確かに異常だぜ。ゼブルの身内でもそう思う奴等がいるってことだ。それと魔皇ヤルダバオトの噂が重なった……だから噂に尾鰭が付いた……そしてその尾鰭に六大貴族の蝙蝠が食いついた。蝙蝠の背後には王族の中の王族である第二王子がいるわけだ。見た目はアレだが、第二王子はかなりの切れ者なんだろ?」

「そうね……第一王子であられるバルブロ殿下のような偉丈夫ではないけど、ラナーの話によればザナック殿下の方が天下国家を考えていらっしゃる印象ではあるわね」

「その切れ者王子とゼブルが結託していたら……その結果としてゼブル一党が竜王国に現れたとしたら……そもそも連中は本当に帝都に行ったのか? かなりキナ臭え話じゃねえか?」

 

 ラキュースは考え込み、しばらく間を置いて、顔を上げた。

 

「……考え過ぎかもしれないけど、良からぬ企てが進行中……って可能性は捨てきれないわね」

「だろ?……もちろんそうじゃねえかもしれねえ……だが、もし俺達の想像が的外れじゃなかったら……」

「……その時は妨害……いいえ、阻止しなきゃ……」

 

 ラキュースのその言葉を聞いて、ガガーランは内心胸……もとい大胸筋を撫で下ろした。

 自然と笑みが溢れ……なかった。

 大きく目を見張る。

 連れてラキュースが背後を振り向いた。

 

「……なかなか信用されていませんね?」

 

 城壁の上、ラキュース達と並び立つようにひらひらと手を振る黒コート姿が忽然と現れていた。追跡に気付いているとは思っていたが、こうも大胆に会いに来るとは思いもしなかったのだ。しかも会話の内容がどこまで聞かれていたのかも不明……

 

「てめえ!」

 

 激昂し、愛用の戦鎚『鉄砕き』を構えるガガーランを左手で制しながら遮るようにラキュースが立ちはだかった。

 だがゼブルは落ち着いたまま、ニコリと笑うにとどまった。

 ガガーランなど相手にならない。

 それどころかラキュースとガガーランの2人に囲まれても余裕なのだろう。

 もっと言えば『青の薔薇』のフルメンバー相手でも余裕なのかもしれない。

 

「……食事のお誘いに来たのですが……一緒にどうです?」

 

 どうにも含意ばかりが気になり、ゼブルの言葉は信用できなかった。

 しかし彼が手に持つ牛肉の串焼きの説得力は強烈に鼻腔をくすぐる。

 急な追跡行で糧食は量も質も心許なかった……つまりラキュースもガガーランも空腹を堪えていたのだ。この誘惑を断ち切るのは厳しい。

 

「パンも具沢山スープも魚の燻製も腸詰も果実も酒も山程有りますよ……大量に持参してますから、ご遠慮なさらず、どうぞ」

 

 ゼブルが串焼きを頬張る。

 ガガーランの戦意も食欲が凌駕した……生唾を飲み込む。

 ラキュースの腹が可愛い悲鳴を上げる。

 しかし2人とも言葉が出なかった。

 

 これは悪魔の誘惑……誘いには裏が……また……

 

 ラキュースがそう念じた瞬間……

 

「……単なる食事の誘いなのですが……断られるのは寂しいものですね」

 

 まるで心中を読み取ったかのようにゼブルが俯いた。

 

「まっ! 待って!」

「待てやっ!」

 

 誘惑に陥落したのは2人同時だった。

 




お読みいただきありがとうございます。


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18話 救う者と救われる者

1週間って早いですね。


 

「どう思う?」

 

 あまりに美味しい話だった。

 『黒鱗の竜王』もしくは「真にして偽りの竜王」と呼ばれる少女は隣に控える宰相に意見を求めた。

 濃密な会談だったが、いつものような疲れはない。むしろ高揚している。セラブレイトと面談するときのような嫌気も感じなかった。

 そして、この上なく酒が旨い。

 少女は品無く並々と酒が注がれたグラスを一気に飲み干した。

 

「戦費の借款……戦力の提供……条件によっては返済も不要……まあ、美味しすぎる話ではございますが、彼等の背後に控えていた『青の薔薇』は高名な王国のアダマンタイト級冒険者チームなのは確かでございます」

「……その『青の薔薇』が自分達よりも戦力的に上回ると紹介する銅級冒険者チーム……チーム名は無いらしいが確かに装備は凄まじかったな……お試し期間有りで、持参金付き、かつ場合によっては無報酬……そしてビックリするような美男子で、何よりもロリコンじゃないのが素晴らしい」

 

 機嫌良く少女が2杯目の酒杯を満たそうとするのを宰相は酒瓶をがっちり掴むことで諫めた。法国基準では竜王であるが、その血は8分の1しか持ち合わせていなかった。故に少女は一般人と同等の力しか持ち合わせていない。

 グッと宰相を睨み、その鉄面皮が崩れないのを確認するとフーッと息を吐いた。不思議と怒りは湧き上がらず、どうしてもニヤついてしまう。

 少女の視線の先……ローテーブルには積み上げられた100個の皮袋……白金貨で1万枚が眼前に転がっていた。しかも必要であればこれの10倍までは即日で用意すると言う。時間の猶予をもらえれば100倍まで……それ以上の話は一度持ち帰ると言っていたが、それでも断るわけではなさそうだった。

 

「……決めるのは、彼等の言う、お試し期間後でよろしいでしょう」

「そうは言うが、正式契約してしまった方が逃げられる心配はないと思うぞ。戦力は戦果を見るまで当てにならんが、この金は本物だ。真っ暗すぎたお先に白金貨の輝きが見えた!」

「しかし、これだけの好条件……裏は当然有ると思った方が良いでしょう」

「裏とは言うが、条件は提示されておるではないか?」

「そのさらに裏です」

「何だと言うのだ?」

「領土を売り渡すようなものです……少しは警戒してください」

「だがビーストマンの国と接しなくなるのだ。反対する要素など無いぞ」

「ですが、広大過ぎます……領土の南半分です。それに先方が防衛を担当するとは一言もありません」

 

 宰相は一枚の羊皮紙を突き付けた。

 やたらと目立つ法服を着たオカッパ頭が、話し合いの中で提示された様々な条件を書き付け、一枚にまとめたものだ。

 

「もはや死の荒野だろう……何を躊躇する?」

「では、連中はなんでそんな場所の権利を欲しがるのですか?」

「…………わからん」

「それにこの金も、仮に連中がビーストマン共を国内から本当に駆逐してしまった場合、我が国はこの内容と同条件では一銭も手に入れることは出来ないのです。戦後から融資開始の場合は条件再設定としっかりと記入されています。しかし設定された領土の恒久的最優先使用権については修正しない旨も記入されてございますな」

「それでもビーストマン共がいなくなれば、我が国は……国民は救われるぞ」

「その代価として、国土の南半分に実質的な治外法権を認めるのですか?」

「最も優先されるべきは国民の命だ……領土についても連中に最優先の使用権を認めるのみ。後はせいぜい竜王国内での恒久的な無税通行権と商業権の恒久的な保証程度だろう。どちらも現状では無きに等しいのだ。くれてやればよかろう……国家としては致命傷となる自治権を与える必要も無ければ、様子がおかしければ取り締まれる警察権も我が国が保有したままだ」

「その最優先使用権が曲者なのです。警察権にしてもビーストマンを追い払える者達相手では失ったも同然です……だから彼等の実力がこちらの想定以上だった場合、普通に雇うのがよろしいと申し上げているのです」

「肝心の金が無いではないか?……宰相が自腹を切ってくれるのか?」

「切れる自腹がございません……ビーストマンの侵攻が始まってから歳費が8割カット……この3ヶ月程は一銭もいただいておりませんが?」

 

 辛過ぎる事実を容赦なく開示する宰相に、少女は返す言葉を吐き出せなかった……宰相の冷え切った笑顔を見詰める。

 

「首都に国民を集め、防衛に徹し、敵の兵糧が尽きるのを待つ……作戦としては正しいのでしょうが、こちらの財政問題や食料問題がもはや耐えきれないところまで来ております。経済が止まり、税率を戦時税率からどんなに引き上げても税収は加速度を増して減る一方。だからこの融資の話そのものは即受けるべきですが……返済免除の条件はどうにも胡散臭いと思われます」

「しかしなぁ……実際問題、遥々王国の王都くんだりからやって来たあの連中の歓迎すらできんのだぞ……では、この話は無かったことに……などと言われたら、それこそ泣いてしまうわ!」

「年利15%で返済開始はビーストマンを撤退もしくは殲滅させた翌月まで据え置き……我が国の窮状及び財政状況を考慮すれば、これだけでも十二分に好条件でしょう。普通に考えて、今の竜王国に金を貸すのは、金を溝に投げ捨てるのに等しい行為ですからな。しかも仮に我が国から本当にビーストマン共の駆逐させることが達成された場合、法国への寄進を3分の1以下に減額と、軍事費の大幅削減と、徹底した財政的緊縮で捻出可能と思われる金額です。10年もあれば完済可能……欲張らず最低限の額ならば、計算上ギリギリですが、現時点でも現実的ラインは保たれてございます。現状以上に増税する必要もございません。まあ、国民には完済まで戦時税率で我慢してもらう必要がございますが……経済が動き出せば痛みも多少は和らぐかと。痛みはかなり厳しいものですが、それでも彼等を単なる金貸し兼冒険者と考えた方が無難と申し上げます。あくまで担保として領土内で好き勝手やられる期間は期限があった方が望ましく、そしてそれは短ければ短い方が無難でございましょう」

 

 暗く重い現実が、白金色に輝いていた少女の頭脳を蹴り上げた……宰相は美味し過ぎる部分だけを捨てろ、と言っているのだ。普通に利用し、相応の対価を支払う。であれば冒険者ゼブルの話は尋常でない篤志家の話となんら変わらない……そんな存在がいれば、であるが……少しは相手の思惑に乗ってやらねば逃げられてしまうのではないか……そう滅亡寸前の国家の君主としては考えてしまうのだ。

 要するに冒険者ゼブルの立場としては、竜王国の南半分がどうしても欲しければ「竜王国が滅ぶに任せ、一切助力しない」という選択肢も間違いなくあるのだ。むしろビーストマン共を煽り、竜王国の滅亡を助長するという悪辣な手段さえ想像してしまう。彼等の保有する戦闘能力が口ほどのものであれば竜王国の滅亡を待って、ビーストマン共を駆逐すれば良いのである。

 宰相の言う「無難」は果たして「本当に無難」なのだろうか……どうしても不安を感じてしまう。

 

 少女は考え込み、そのまま酒杯に残っていた酒を飲み干した。

 軍事的な優勢がいかに大切か……実質的な集団自殺に等しい最終手段を想像し、顔を覆い……やがて顔を上げた。

 

 ……やはり、どうしても金が必要だ……

 

 その明快な結論に至る。

 金さえあれば……

 軍事費を増額して、長期的に国軍の増強も可能だ。

 オプティクスの『豪炎紅蓮』をフルで雇う事もできる。

 法国にもっと寄進できれば漆黒聖典の招聘すら可能かもしれない。

 何より、ねっとりとした視線が気持ち悪いことこの上無い『クリスタル・ティア』のセラブレイトをこれ以上重用しなくても済む……これまで以上に無理を要求して、金銭的な負担無しに期待できるのが彼のみという、少女にとってはこの上なく気が滅入る現実が重くのし掛かる……あのロリコン野郎の欲望を満たしてやるなど……想像するだけで鳥肌が立った。

 

 さて、少し話を逸らさないと……

 

「金と言えば……寄進……そう言えば法国は何故助けに来ない?」

「さて、とんと分かりかねますな」

「漆黒聖典とは言わんが陽光聖典ぐらいは派遣してくれても良さそうなものだが……例年通りの寄進はしたのだろう?……まさか切られたのか?」

「……それこそ自国防衛を他国に委ねていた罰ですな……非常に悲しいことですが、そうでないとは言い切れません」

 

 やはり金だ……目の前の白金貨の山こそが事態の打開を可能にする……

 

 女王とはいえ、帳簿上でしか見たこともないような金額が現金として目の前に積まれているのだ……事実上、ビーストマンの国が滅びない限り再利用できない土地の権利などで手に入れることが可能……長年補佐してもらった宰相には悪いが、将来よりも目の前……少女は密かに、そして強く決意を固めた。

 

「帝国に救援要請の使者を送るのはどうだ?……うちの後は帝国……現状はうちとカッツェ平野と防壁が2枚だが、1枚減るのは帝国としても痛いのではないか?」

「もう1枚が食人の亜人相手では強力過ぎるとは思いますが……それよりも例年通りでしたらそろそろ恒例の嫌がらせの時期でございますな……其方で忙しい状況でしょうが、全くの無駄にはなりますまい。法国に援軍要請すると同時に帝国にも使者を送ってみましょう。しかし王国も分かっていて対応できないのですから……まあ、分かっていて対応できないのは我が国も同じでございますが」

「対応できないと言うが、今回のビーストマン共の侵攻はいつもと違うぞ」

「我が国の財政では現状以上の軍事費増額は不可能……即効性のない軍事費の圧迫で財政破綻し、その為に国が滅びますな……であるがこその法国への寄進なのですから、念入りに援軍要請してみましょう」

「うむ、頼んだ!」

 

 少女の声音に宰相の冷ややかな視線が突き刺さる。

 

「激励の手紙……各所に50通はいけそうですね。その形態に相応しい筆跡と内容でお願いします」

「形態言うな!」

「これは失礼しました、陛下」

 

 お互いにやるべき事を定め、仕事に取り掛かる。

 普段は手紙を書く際には酒を所望するところだが、今日はしない。

 

 明日の為……国民の為……滅びぬ為……

 

 少女は女王として独断専行を決意していた。

 

 

 

 

 

 

**********************

 

 

 

 

 

 

 漆黒の剣が一振りされる度に理不尽としか思えない数のビーストマンが千切れ飛んだ。

 ブレイン・アングラウスの刃は一刀一殺を誇り、確実にビーストマンの首塚を築いていた。

 エルヤー・ウズルスは飛ぶ斬撃でビーストマンを断ち割り、魚の開きのような死骸がそこらじゅうに転がっていた。

 そしてジットが魔法を発動させる度に不死の兵士が立ち上がり、それまでの仲間に襲い掛かっていた。

 

 血と死が幾重にも大地を覆い尽くす。

 

 4対3000が100対2000ほどに……やがて150対1500ほどになった頃にはビーストマン達の認識に変化が生じていた。

 ポツリポツリと戦場……いや食堂から処刑場へと変化した荒野からビーストマン達が逃げ出し始めた。

 やがてそれは敗走となり、戦意の喪失が全体に伝播した。

 一度崩れ始めたら、秩序の維持は難しく、戦線は瞬く間に完全崩壊した。

 

 舐め切っていた人間……体躯も小さく、力も弱い。

 ごく稀に強い個体もいるが、圧倒的多数は単なる生き餌だ。

 しかし目の前のこいつらは……理不尽だった。

 人間の姿をした死神……死んだ仲間の骸すら許してはもらえないのだ。

 

 いったい何なのか?

 

 無茶苦茶な敗走から秩序を保った撤退に……必死に努力する幾人かのビーストマンを狙い撃ちし、黒衣の人間が彼等の右脚を切断して回った。

 倒れ伏したビーストマン達をかつてのビーストマンの同胞が一ヶ所に引き摺っていく。

 

 絶叫と絶望が処刑場を覆い尽くす。

 

 集められたビーストマンの男も女も老も若きも冷たく睥睨する黒衣の人間を見て、震え、絶望した。

 

「……お前達に仕事を与える」

 

 青髪の人間が捕えたであろう五体満足なビーストマンの青年を、切れ長の目の人間の前に蹴り転がした。

 震え、土下座し、壮絶な命乞いするビーストマン青年の右耳を切れ長の目の人間が一刀で斬り飛ばす。返す刀で左耳も断切された。

 

「繰り返す……お前達に仕事を与える……代表者は前に出ろ」

 

 青年の絶叫を無視して、黒衣の人間が言った。

 その言葉を聞き終えると同時に、青年の絶叫も終わった。

 まだまだ将来があっただろう青年の首が転がっていた。

 

 普段ならば同胞の死には復讐を誓う。

 餌でしかない人間相手ならば確実に食ってやるだろう。

 しかし誰もがその餌に怯えていた。もう少しだけ命が長らえることになった自身の幸運に感謝しつつ、誰も言葉を吐けなかった。

 

 もしあの哀れな青年のように前に引き摺り出されたら……

 

 壊走を撤退に立て直そうと目立った結果、この濃密な地獄にいるのだ。

 誰もが目立つことを忌避していた。

 しかしそのことによって、ビーストマン達は刻一刻と血液を失っていた。

 沈黙が続く間に一人また一人と倒れ伏し、絶命していく。

 その度に派手な衣装を着た魔法詠唱者が呪文を唱え、絶命した仲間はアンデッドと化していった。

 

 圧倒的な恐怖……時間も無く、死後の尊厳すらない。

 

 ビーストマン達の視線が一際大きな体躯の、獅子のような立派な鬣を誇るビーストマンに集まった。彼等の部族長の息子……次期族長であった。狩場に同道していない子供や老人を含めれば総勢15000を誇る「東の獅子の部族」の現族長の長子であるが、失血で虫の息であり、普段の雄々しさは完全に失われていた。

 黒衣の人間は無造作に次期族長の鬣を掴み上げる。頭部だけで黒衣の人間の4分の1以上の大きさはある。しかし彼は自力で立ち上がることも難しいようで意志の光を失った眼球だけが、グルリと上に向くにとどまった。

 黒衣の人間はなにやら魔法を行使する。

 瞬く間に次期族長の右脚が生えた。

 次期族長の表情に生気が戻る。

 そして黒衣の人間は自身の倍近い身長はあろうかという次期族長の鬣をさらに掴み上げ、無理矢理立ち上がらせた。

 

「おい……仕事を与える、と言ったんだ」

 

 黒衣の人間は次期族長の右腕を斬り飛ばした。

 次期族長は呆然と失った腕を見て………絶叫した。

 そして明確な怯えが表情に浮かび、一歩後退する。

 

 黒衣の人間は全くの無表情だった。

 そこには殺意も愉悦も無い……単なる無。

 狩る者でも虐げる者でもなく、作業する者だった。

 

 弱っているとはいえ、周囲のビーストマンの誰も黒衣の人間の抜剣を視認できず、圧倒的な恐怖すら忘れ、息を飲んでいた。

 

「次は無いぞ」

 

 再度見えない抜剣で左腕が吹き飛んだ。

 

 一際大きな絶叫が響く。

 そして静寂……恐怖……やがて絶望……次期族長の心は完全に折れた。

 

 餌では無い人間。

 抗えない人間。

 恐ろしい人間。

 圧倒的な格差を自覚せざるえない能力……だが真に恐ろしいのは違う。

 何よりも人間の表情にいかなる感情も浮かばないことだ。

 自尊心などどうでもいい……黒衣の人間に感情の乗らない視線で見詰められるのがとにかく恐ろしいのだ。

 

 プライドの堤防は決壊した。

 涙が止まらない。

 吐き気も、行動も……もう自分ではどうにもできなかった。

 

 跪き、命乞いし、絶対の忠誠を誓う……最後に仰向けに寝転り、腹を見せ、首を捻ると、ありえないことに人間の靴の爪先を舐めた。

 

 次期族長は安らぎを得た。

 それは摂理と悟った。

 世界のピラミッドだ。

 黒衣の人間と自分……そこにはビーストマンと餌である人間以上の隔絶した差があった。世界の頂点と地を這うムシケラ……自身がムシケラと認めてしまえば、心は安寧に満たされた。

 

 「東の獅子の部族」の僅かな生き残りは、獅子にもかかわらず、獅子身中の虫となった。

 

 

 

 

 

 

 

 効率良く前衛の敵を排除し、あわよくば指揮系統を撃滅する。

 

 自分達『青の薔薇』より個々ははるかに弱いとはいえ、数の差はやはり脅威だったが、なんとか上手く状況は推移していた……が、隣の戦場で獅子のような鬣を持つ部族と対峙するゼブル一党の戦況を覗き見るまでの余裕はなく、自分達の持ち場である前線を死守する為に全力を投入せざるえなかった。

 

 ティアとティナが全体を撹乱し、ガガーランとリーダーが前衛を撃滅する。

 イビルアイは継戦を考慮し、『飛行』で戦場を舞い飛びながら、『水晶の短刀』で効率良く指揮官らしき豹頭のビーストマンの急所を狙い撃ちしていた。

 指揮官の命だけは確実に奪う。

 地味で堅実な戦術だ。

 しかし確実に戦況を掌握しつつあった。

 徐々に敵の戦意は低下し、やがて敵の戦線は崩壊に至った。

 敗走するビーストマンがチラホラ見え始める。

 戦列は機能を失い、場当たり的な混乱が目立ち始めた。

 

 そして魔法の武具と派手な羽飾りを身につけた豹頭のビーストマンの頭部をイビルアイの放った『水晶騎士槍』が吹き飛ばす。

 

 決定打だった。

 

 全面的な敗走が始まった。

 追撃はチームメイトに任せれば良い。

 

 イビルアイは『飛行』を解除し、城壁の前に降り立ち、深呼吸した。

 

 開戦以来初めてできた余裕だった……もはや心配無用だろう。

 

 そしてゼブル達の戦場に目を向ける。

 静かなものだ……既に戦局は決していた。

 城壁の上を見れば竜王国軍の兵士達が歓喜の声を上げていた。

 『青の薔薇』の持ち場の勝利をもって、全面勝利が確定するようだ。

 既に優勢は覆せないところにある……時間の問題だろう。

 

 僅かに緊張が緩む。

 否応無しに思考が巡り始めた。

 

 何でこんな事態に陥ってしまったのか?

 

 正に「気付いたら」という状態だった。

 最初にガガーランとラキュースが陥落した。

 次いでティアとティナが……もう後戻りはできなくなっていた。

 

 食料……イビルアイが警戒できない類の罠だった。

 

 やはり行き当たりばったりで行動するものではない、と切実に思う。

 

 疲労と空腹ならば我慢もできよう。

 元々長期の遠征など考慮もしていなかった。

 ゴブリン部族連合の撃滅程度の依頼で、殲滅対象の位置情報があれば、単独でも往復の移動分+1週間程度の糧食しか用意しない。それでもかなり余裕があると感じるほどだ。

 今回はバックアップにミスリル級2チームに白金級2チームを組合が用意してくれた為、糧食そのものは大量に用意してあったのだが、運搬は白金級チームに任せていた為、自分達で携行している分は各自2日分程度だった。

 そこにゼブル一党が現れ、心情的に追跡する以外に選択肢の無い状況が生み出された……選択そのものは全くの感情任せではあったが、ある情報から辿り着いた推測から、発見した以上ゼブルについては無視できない状況でもあったことも大きい。

 

 それでも迂闊なのは間違いなかったが……

 

 エ・ランテルで思い知らされた『漆黒』との実力差。

 王都で見事に出し抜かれたゼブル一党への意趣返し。

 王都の冒険者達の窮状。

 収集した情報と、そこから導かれた推測。

 帝都でなく、王国の辺境にいたゼブル。

 様々な要素がラキュース以外の『青の薔薇』を突き動かしたのだ。

 だから残り少ない糧食を少しづつ分け合い、励まし合い、我慢を重ねた。

 

 追い討ちをかけたのは睡眠不足。

 

 これもイビルアイはとうに忘れてしまった感覚だが、他のメンバーには必須であることも理解していた。しかし追跡対象であるゼブル一党は休まず、眠らず、まるで嫌がらせのように移動を続けた。

 

 ……乗せられたのか……いや、少なくともあそこで出会ったのは純粋に偶然なのは間違いない。こちらの追跡を確認して、状況を作られたのではないか……?

 

 食料提供のタイミングから考えても、完全にこちらの動向及び内情は把握されていたように感じる。

 大昔から在る見えすいた手だが、その効果は抜群だった……自分以外のメンバーが食べ物を貪り食う様子を照らし出す焚火の向こうから、イビルアイに笑顔で手を振るゼブルを絞め殺してやりたくなった記憶は、まだ鮮明に脳裏に焼き付いている。

 

「……ところで、一つだけお願いがあるのですか……」

 

 そのゼブルの言葉を腹の満たされたラキュース達が拒否できるはずもなかった。

 

 その結果、アダマンタイト級であることそのものを利用された。

 竜王国の女王ドラウディロン・オーリウクルスとの面談は、会談の申し込みから1時間も待たずにセッティングされ、あっさりと実現したのだ。

 

 ……後はゼブルの独壇場だったな……

 

 いかに新『八本指』の実質的な支配者とはいえ、白金貨100枚を一単位とするような理解不能なレベルの圧倒的資金力を背景に、ゼブルは終始交渉を支配していた。

 『青の薔薇』は傍観者……いや保証人だった。彼等の面談を後押ししてしまった手前、本来銅級でしかないゼブル達の戦力を事実とはいえ「自分達以上」と説明せざるえなかったのである……危惧していたザナック王子やレエブン侯との繋がりをゼブルは否定していたが、それすらもラキュースとガガーランの会話を聞かれていたらしいので信じてよいものか……

 

 そして何の因果か、この戦場に立っていた。

 報酬は竜王国でなく、ゼブルが支払うと言う。

 白金貨100枚……悪くない……悔しいが、悪くないどころか、この上なく美味しい。しかも本来全冒険者の規範であるべきアダマンタイト級として許されることではないが、組合を通さない契約だったりする。つまり100%手取りだ。エ・ランテルで一息つけたとはいえ、『青の薔薇』の苦しい台所事情まで見透かされているのはないのか……?

 

 直近の財布の中身は改善されたものの、『青の薔薇』……いや王都の組合所属の冒険者達の将来の見通しは極めて厳しいのだ。

 

 現在の王都では治安が劇的に改善されただけでなく、新『八本指』の警備部門がかなり幅を利かせていた。なにしろ資金の貸主からの斡旋は極めて強力な効果を発揮するのだ。これまで冒険者組合に警護依頼を発注していた依頼主は依頼の発注先を軒並み警備部門に変更している。加えて将来の依頼主候補もほぼ奪われたに等しいだろう。

 その結果、王都の正規冒険者達はモンスター駆除のみで生計を立てているも同然の有様だった。トブの大森林に遠征可能な強者はまだ少し余裕があるものの、街道沿いでは仕事の激減に窮した冒険者達がゴブリン1匹を奪い合うような状況が続いている。

 その最後の砦であるモンスター駆除すらも本来は組合への依頼となるようなものは組合が介在しない為に安価に請負う新『八本指』に奪われつつあった。

 現時点では公的援助の窓口こそ冒険者組合が独占しているものの、それすらも近い将来に失わないまでも、組合による独占の維持は難しいことが予測されているのだ。既に実質的新『八本指』首領と目されるヒルマ・シュグネウスの周辺が王国上層部や有力貴族に働きかけているという噂もある。

 正真正銘の「お先真っ暗」だった。

 加えて「目敏い一部の冒険者達が他都市の組合ならばまだしも新『八本指』警備部門に移籍した」などという笑えない話まで、公然と酒場での話題に上がる始末……近い将来、酒の入らない場所で、深刻な表情の冒険者達が語り合う姿を散見するようになるのだろう……

 

 イビルアイは必要もないのに大きく息を吐き、状況を確定しつつある仲間達の様子を仮面越しに茫洋と眺めた。

 

 何もかも誘導されていく……ヤツの思い通りに……

 

 気に入らない……気に入らないが、状況は作られ、『青の薔薇』は絡め取られてしまった。もはや雁字搦めだ。しかし「竜王国の窮状を救う」という御題目には逆らい難いのも事実だった。そして現実に竜王国にやって来てしまった以上、ゼブルのやり口が気に入らないでは済まされなかった。

 食人の亜人から多くの人命を救う……この一言でラキュースなどは思考停止してしまう。ガガーランも内心はともかく表向反対はできまい。ティアもティナも組合を通さないまでも正式に依頼され、報酬も約束され、前金を受け取った以上、全力で任務に取り組むだろう。いや、こうして考えることさえなければ、イビルアイとしても久々に心の底から納得のいく仕事ではあるのだ。

 

 世の役に立ち、大きな報酬を得る……これこそ冒険者稼業の醍醐味。

 

 組合を通さない理由も竜王国の悲惨な状況を鑑みれば「これ以上の負担を避ける」と言うゼブルの理屈にも反論できなかった……

 

 しかしどうしても素直に充実感を噛み締めることはできない。

 

 あの時、イビルアイは終始無言を通した……納得などできるわけがない。

 

 追跡を始めたのは確かに自発的だったはずなのだ。

 その結果……

 自分以外は疲労させられ、絶妙に睡眠も奪われた。

 ついに食料も枯渇した。

 そこに古典的な救いの手が差し伸べられた。

 つまり大きな恩が生じた。

 その結果、アダマンタイト級冒険者『青の薔薇』として竜王国の女王ドラウディロン・オーリウクルスに面会を申し込まざるえない状況になった。

 半ば強制的に紹介させられた。

 会談の主役だったのは開始1分間も無かった。

 紹介が済むと全てをゼブルが主導した……話が大きすぎて口を挟めるような状況ではなかった、とはいえ……情けない。

 

「こいつは平気で他者を陥れ、自分がのし上がるヤツだ」

 

 どうしても言えなかった……何度もその言葉を飲み込んだ。

 

 毎度のことだが、ゼブルのやり方は気に入らない。他者を利用することを厭わない上に、敵対者には容赦しない……ように思えるが、その実態を理解しているわけではない。敵と思しき者がいつの間にか手下になっていたりもすることも多々ある。結果から逆算で考えれば必要なのかもしれないが、表層に浮かび上がるゼブルの行動や意思決定の断片に、いちいち神経を逆撫でされてるかのように感じてしまう。

 

 王都の例で言えば……

 あれほど蔓延していた黒粉は周辺からきれいに消えた。

 治安は劇的に改善した。

 景気は良くなったように思える……残念ながら冒険者以外だが。

 ラキュースによれば、国庫も右肩上がりと言う。

 その影響は周辺都市にも波及しつつあるらしい。

 

 ゼブルの新『八本指』掌握による結果が産み落とした事実だけを並べれば素晴らしいと言わざるえない……だが、どうしても素直に評価できない。

 

 たしかに目的には賛同させられてしまう。

 今回もそうだ。

 王都で得ただろう莫大な資金……何に使うのかと思えば、限りなく絶望的に見える竜王国を窮状から救うつもりらしい。そして今度は竜王国の領土の半分を獲得しようと言うのだ。しかも恒常的にビーストマンの脅威にさらされている南側だ。

 

 ……ヤツは何を考えている?

 

 問い詰めても無駄なのか……?

 あのイライラする笑顔が思い出された。

 

 残敵掃討を終えた仲間達のゆっくりと戻る姿が見えた。

 熱狂する城壁上からの歓声に、四人が手を振り応えている。

 仲間も、兵士も、民衆も、良い笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

**********************

 

 

 

 

 

 

 3日前までは暗く沈んだ雰囲気に包まれ、なんとも耐えがたい空気に支配されていた安酒場に笑い声と張りのある笑顔が戻りつつあった。

 威勢の良い話と笑い声が響く店内は活況と言っても差し支えない。

 テーブルは埋まり、カウンター付近では立ち飲みする者もチラホラ見える。

 笑いと武勇伝……その向こう側には「希望」の2文字が見えていた。

 

 話題の中心は先陣に立つ冒険者やワーカーの活躍。

 以前は『閃烈』セラブレイトに加え、たまに参戦する『真紅』オプティクスの活躍に僅かな希望を無理くり乗せた話を語ることはあっても、一瞬で雰囲気は沈んでしまった。どんなに酒の勢いを借りても、戦力不足は誰の目にも明らかだったのだ。

 今は違う。

 王国からやってきた『青の薔薇』が話題の中心だ。

 『クリスタル・ティア』や『豪炎紅蓮』のように点が面を蹂躙する戦い方と違い、『青の薔薇』は線を押し上げて、面を制圧する。主戦力である魔法詠唱者が次々と指揮官クラスを潰していく為、敵は崩れ始めると反転攻勢が難しいらしい……などと兵士でもない者達が訳知り顔で熱弁を奮っていた。加えて女性だけのチーム……見目の麗しさも民衆の熱狂を煽っていた。

 

 そして誰も語らない……いや、語ろうとすると各々の視線の色が複雑に変化してしまい、早々に話を切り上げざるえない冒険者チームがあった。

 

 或る者は言った。

 黒コートの男が振るう黒い刀身が一閃する度に、無数のビーストマンが弾けん飛び、両断された死骸が転がる、と。

 或る者は見たと言う。

 黒コートの男が単騎でゆっくりと歩くと、ビーストマン達が一斉に平伏し、首を差し出した、と……後続の剣士2人が首を落として回った、と。

 また或る者は声を絞り出した。

 黒コートの男が歩みを進めただけで、ビーストマン達は恐慌状態に陥り、同士討ちを始めた、と。

 別の者は震えながら言った。

 黒コートの男が進んだだけでビーストマンの一軍はバタバタと倒れ伏し、二度と起き上がらなかった、と。

 

 いずれも信じられないような話だが、残された無数の死骸は嘘を吐かない。

 

 語る者全てが伏し目がちであること……彼等の声音に勇しさは感じず、僅かに震えが混ざっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 やたら騒がしい店内。

 次々と客が入れ替わり立ち替わりしていた。

 注文が飛び交い、笑い声が湧き上がる。

 連日の勝利に……今日の戦果に「乾杯!」の声が上がる。

 竜王国の首都中、1週間前のどんよりとした空気が嘘のように消えていた。

 ただ一ヶ所を除いて……そこは大柄な禿頭の青年と少女のように小柄な妙齢の女性が差し向かいで座るテーブルだった。

 

「いったい、どうなってやがるんだ?」

 

 酒場の最奥の角のテーブルに陣取った白金級冒険者チーム『豪剣』の禿頭戦士ディンゴが飲み干したジョッキを叩きつけるように置いた。

 

「……どうもこうも当てが外れた……それだけよ」

 

 シトリはグラスを手に取り、つまらなそうに口をつける。

 

 カドランの話術……そこに期待していたのだ。大抵の女であれば落としてしまう話術と立ち振る舞いと顔立ち。そして標的である青薔薇は全員女性の冒険者チームである。落とす落とさないはともかく、顔見知りである彼女達の輪の中に入り込むの程度の技は持ち合わせている……と信じていた。

 本音を聞き出し、共闘を持ち掛ける。

 現実の問題として『3人組』の完全排除は無理にしても、青薔薇との繋がりは示したい。王国有数のアダマンタイト級冒険者チームとの強固な関係はイグヴァルジ達の心にも大きな力を与えるに違いない、と考えていたのだ。最良は『3人組』が二度とエ・ランテルに近づかない状況を作り上げることだが、最低でも彼等と敵対する青薔薇との強固な繋がりを作りたかったのだ。

 しかし問題はそれ以前だった。

 『3人組』を竜王国の女王ドラウディロン・オーリウクルスに引き合わせたのが青薔薇だともっぱらの評判だった……つまり敵対などしていないのだ。むしろ強固な関係を築いているのは『3人組』なのである。

 

「……少なくとも青薔薇を味方に引き入れて、『3人組』をエ・ランテルから排除するっていう目論見はおじゃんね……だからイグヴァルジさんの冒険者人生もお終い。私達が手を出せる領域の話じゃないわ。あの黒コートが噂通りならバケモノなんてヌルい言葉じゃとても言い表せない……手を引くしかないでしょ、残念だけど……」

 

 カドランが方々の酒場でかき集めてきた情報を精査するまでもなく、『3人組』……特にリーダーの異常さは際立っていた。

 

「ただ歩くだけでビーストマンの軍勢がバタバタと死んでいく」

 

 こんな無茶苦茶なヤツにどう対応すれば良いのか、全く想像もできない。情報源は竜王国軍の物見の兵士だ……泥酔した一般人ではない。しかも一人ではなく、複数。

 話を聞く限り、神か魔か……そうとしか思えない。

 だが連中だって人間だ……人間にできることなのは間違いない。

 どんなトリックが隠されているのか?

 しかしトリックのタネを明かしたところで、黒コートがそれを使えることだけは間違いないし、『豪剣』が彼の技を破れる保証も無い。まして戦って勝てるようなレベルの相手ではない。

 噂は現実だ……信じたくはないが、信じるしかない。そう思って対処するしかないのに、対処法が無い。

 

「でもよぉ、なんか……なんとかならねえのかよ」

「あんたねぇ……無理なものは無理……近付いたら死ぬのよ。そんなの見せられたら、いくらイグヴァルジさんだって心を折られるわ。私達はイグヴァルジさんのレベルにないわけだし……たとえ青薔薇が協力してくれたって、どうにもならないわ」

 

 ディンゴに約束した手前、シトリも竜王国の首都くんだりまで付き合ってはいたが、もはや心は折れていた。残りの冒険者人生、あの『3人組』がエ・ランテルに戻ってこないように祈るのみ……そう思っていた。

 

「なぁ、シトリよぉ……おまえ、頭良いんだからさ……頼むぜ」

「あんた、最近そう言ってればなんとかなるって勘違いしてない?」

 

 ディンゴを罵りながら、シトリはちびちびと舐めていたグラスから顔を上げた。

 

 ……ん?

 

 何かがおかしい……直感が囁く。

 

 最奥の角のテーブルに陣取っている以上、店内の全てがほぼ一目で確認できた。

 雑多な客層の店だ……そして広い。

 冒険者にワーカーに行商人……不思議と兵士の姿を見ない。竜王国の首都に到着してからこれまで立ち寄った6軒の酒場では最も盛り上がっていた客層だが、この店にはいないようだ。

 

 だか、それだけ……いや、違う。

 

 店内の全て……客も店員もカウンター奥のマスターに至るまで、先程から誰一人視線をこちらに向けない。客だけならば……まあ、たまたまということもあるかもしれない。しかし給仕を担当する幾人かの女中達まで誰もこのテーブルを見ないのだ。あまりに不自然……ディンゴが空のジョッキを掲げると即座に反応するのに、である。

 

「……ねえ、出るよ」

 

 シトリは小声で囁いた。

 

「あんっ?」

 

 シトリの唐突な切り出しにディンゴは顔を顰めたが、彼女の仕事中のような真剣な眼差しに、いつもの直感の囁きと気付き、慌てて財布を取り出した。シトリの直感には従った方が無難……ディンゴもカドランも無理は承知が身に付いてしまっていた。疑問はこの場を切り抜けてから……だから異論を挟むどころか、説明すら求めない。

 

「勘定……置いとくぜ!」

 

 ディンゴの大声に店内が静まった。

 誰一人喋らない。

 だが店内に存在する数百の視線が向いた。

 ある程度予測していたシトリはともかく、ディンゴはギョッとした。

 

「………なっ、なんだよ……」

「いいから、早く行くよ!」

 

 小柄なシトリが大柄なディンゴの手を引く。

 その途端、客が一斉に立ち上がり、女中も一緒に2人を見詰めた。

 それまで一般的な酔客と思っていたが、彼等はそれまで隠していた暴の気配を発していた。冒険者というよりもワーカー……いや裏社会の住人達かもしれない。

 

 戦力は……?

 考えるまでもなく、数が厳しい。

 

 とにかく逃げなければ……

 

 無言の悪意が2人を包む。

 シトリも一瞬躊躇したが、必死に一歩踏み出した。

 出口までが果てしなく遠い。

 苦痛の行軍……勇気を振り縛って、テーブルの間を進む。

 残り2つのテーブルの間を抜ければ……

 

「……どこかで見た顔だな?」

 

 いつの間にか最後のテーブルの間に男が立っていた。

 青髪に無精髭……派手な鞘に収まった刀を腰から下げている。

 身体の大きさこそディンゴよりも一回り小さいが、醸し出される力に明確に二人掛かりでも軽く打ちのめされるのが理解させられた。

 

「相変わらず、おぬしは物覚えが良くないのう……ここに向かう途中、ゴブリン共を嬲った時に青薔薇と一緒にいた冒険者達の中の2人だ」

 

 禿頭に眉無し……恐ろしく悪い顔色。

 

 シトリは目を剥いた。

 何故、ここまで気付かなかった……オカッパ頭でなく、馬鹿みたいに派手な法服こそ脱いでいるが間違いなく『3人組』の一人だ。

 

 ヤバい……ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい………

 

 直感どころではない……脳内がパニックに陥っている。

 真面に思考できない。

 嫌気ではない。恐怖……圧倒的な恐怖が身体を竦ませた。

 それはシトリだけでなく、握っているディンゴの手も小刻みに震えている。

 

「そんなことまでいちいち覚えている貴方がおかしいのですよ」

 

 背後から声がした。

 慌てて振り向くと切れ長の目にホーステールの男が立っていた。

 

「はいはい、皆さん、楽にして下さい……ネズミ共は捕らえました。後はゼブルさんの指示通りに待機していて下さい」

 

 切れ長の目の男の指示に凍っていた店内が再び動き始めた。

 空々しい笑い声と虚な武勇伝が一斉に響き始める。

 

「さて、おまえらは俺達と一緒に来い」

 

 死刑宣告に等しい言葉が、青髪から2人に下された。

 

 

 

 

 

 

**********************

 

 

 

 

 

 

 知らない。

 見ていない。

 誰だ、それ?

 

 2人目が同じ答えを返した瞬間、カドランは異変に気付き、情報収集の方針を変えた。聴取は止め、監視に切り替える。

 連日の戦勝に沸騰する街中を歩き回り、ディンゴの巨体を探している。それ以外にパッと方法が思い付かなかったのが真実であるが……

 これ以上は危険……いや、既に危険地帯に踏み込んでしまったのだろう。

 シトリはともかく、ディンゴの禿頭と巨体を見て、見ていないと答える時点で異常事態なのだ。それが緊急性を伴うと示唆しているのも間違いない。

 2人の消息は不明……つい1時間前、この店の奥のテーブルに一緒にいたのだ。シトリがいる以上、勝手に店を変える可能性はなくはないが、その際だって店主や女中まで知らないなんてことがあるわけがない。

 

 ……拉致か?

 

 専業戦士であるディンゴがいる以上、相当な猛者でなければ戦闘の痕跡を残さず2人を拉致できるはずもない。つまりカドラン個人の戦力では抗えない敵なのは確定している……が、同時に容疑者も絞られる。

 

 ……『3人組』か?

 

 わざわざ敵対する道を選択したのだ。

 そして探りを入れている。

 戦力的にも疑いは濃厚。

 

 ……で、あれば……

 

 カドランは方針を決めた。

 正面から当たってどうにかできるレベルの相手ではない。

 

 人波を抜け、王城へ。

 

 『青の薔薇』に助力を求めることも考えたが、まずやっておくべきは自身の安全の確保だ。敵は闇中を好む……裏の活動では一枚上。ならば表に名を連ねるべきだ。

 

 衛兵詰所で訪問理由を告げ、城門を潜り、王城の中へ。

 

 竜王国は広く傭兵や冒険者やワーカー……戦力となる者達を求めていた。

 だから常に門戸は開いている。

 女王に謁見できるような極一部の例外は別にしても、一般冒険者であれば王城で登録ができる。登録すれば期間中は情報や医療面のバックアップや消耗品の補充でも国軍兵士並みの優遇を受けられる。

 

 本宮殿でなく、登録所に向かう。

 さすがに夜も更けると衛兵以外の人影は疎らだった。

 しかし油断は禁物だ……敵は大盛況の酒場から誰にも気付かせず、白金級の冒険者2人を拉致できるのだ。あそこで可能ならば、衛兵に囲まれた王城の中でも可能かもしれない。

 

 カドランは淡々と歩くように見せながら、抜け目なく周囲を警戒する。隠密とは違い、ある程度は衛兵から注目を頭なければならない。注目の度合が違う奴を探すのだ。

 

「お疲れ様です」

 

 衛兵の横を通り過ぎる度に会釈する。

 不自然でないように少しでも印象を残す。

 登録所の手前にある物質補給所の前を通り過ぎる。ここはさすがに人影も多く、衛兵に加えて数名の冒険者らしき姿もあった。

 油断はしないが、少しホッとする。

 一番厳しいと想定していたエリアは無事抜けることができたのだ。

 

「おっ、おい、君……ちょっと待て!」

 

 物資補給所の前にいた衛兵の1人が慌てたような声を発した。

 

 敵……か?

 

 早計は拙い、と判断し、顔を作り上げた。

 

「どうかしましたか?」

 

 万人相手に通用する爽やかな笑顔と、ほんの少しだけ意外さを含ませた声音で対応する……振り向いた先には、取り立てて特徴のない壮年の衛兵が立っていた。その背後にも3人の衛兵が立っている。戦力的には「戦わず、逃げるだけならばなんとか……」と言ったところだ。

 

「どうもこもう……君、大丈夫か?」

「……はい?」

「背中……妙な書き付けが貼ってあるが……取っても?」

「いえ、自分で……」

 

 内心慌てたが、身に覚えはない。

 やり口は迂遠……だが警告ならば、有りだ……そして効果も絶大。

 しかし書き付けが本物ならば殺すつもりがないのだけは理解できる。

 貼る代わりに刺せば良いのだ。

 さすがにこうも身に覚えのない奇妙な状況で初見の他人に背中を触らせるわけにはいかない……カドランは油断なく背中に手を回した。

 

 ……無い……やられた!?

 

 ほんの一瞬視線を外した隙に、声を掛けた衛兵が抜剣していた。連れて背後の3人も……

 

「悪いな、君……付き合ってもらうで」

 

 彼等の纏う雰囲気が正規兵のものから僅かに変化した。ついでに戦力も偽装を解消したようだ……逃げるのも厳しいか?

 

 ……暗殺者?……何故、城内に……

 

 囲まれる前に大きく後方に飛ぶ。

 白金級のシーフに対して、手練れの暗殺者が4人……明確に過剰戦力だが、生かしたままの捕縛が目的ならばこの数はむしろ妥当と言える。

 

 考える間も無く、さらに飛ぶ。

 対して4人はフォーメーションを崩さず、包囲を完成させようと動く。

 想像以上の連携だ。プロの中でもかなりの手練れだろう。

 

 ……少し厳しいか?

 

「抵抗せんほうが楽やで、お互い」

「こう見えても苦労は買ってでもしろ、って考えるほうなんで、ね!」

 

 スマートを絵に描いたようなカドランが言い放つ。

 同時に敵に背を見せぬよう警戒しつつ、記憶に従って後方に飛び続ける。早く本物の衛兵に見つかるべきだが、それが本物なのかカドランには判断ができない。

 単なるスピード勝負であれば圧倒できるはずなのだが、状況に確信が持てぬ以上、防御と包囲阻止に徹する……が、もう少しでジリ貧なのが自覚できる程度には追い込まれていた。

 

 そろそろ……マジで……ヤバい、かな……

 

 そう思った瞬間……

 

「よぉ、何、追っかけっこしてんだ?」

 

 聞き覚えのある声がした。

 カドランは立ち止まり、暗殺者達は気配を戻した……そして消える。

 

「……助かった……ありがとうございます、ガガーランさん」

「なかなかハードな状況だな……えーっと……あんたは、カドラン?」

「覚えていただいていて、なによりです」

「こう見えても記憶力は良いんだ……には負けるけどよぉ」

 

 ガガーランが上を指差した。

 連れて見上げると、月明かりに小さな影が浮いている。

 

「……イビルアイさん?」

「おう、ウチのマジックキャスターさ……んで、どういうわけで、あんたがここにいて……どういうわけで、旧『八本指』の暗殺者チームなんぞとやり合っていたんたい?」

 

 ……『八本指』?……旧?

 

「……どうやらやり合っていた連中のことは知らねえ、って顔だな」

「……仰る通りです」

「んな、敬語じゃなくていいさ……それに連中を呼び寄せたに違いねぇヤツについては、むしろ俺達の方が因縁があるんだ」

 

 ガガーランはニヤリと笑った。

 

「まあ、お互いに状況報告会と洒落込もうじゃねぇか?」

 

 ドンっと叩かれた肩が痛んだが、とても温かい痛みだった。




お読みいただきありがとうございます。


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19話 裏読みする者達

週1話ペースでもギリギリです。
筆が早い方の凄さを改めて実感しています。


 

 目的の為には仕方ないこととはいえ、少々やりすぎたのは自覚していた。

 日を追う毎に賞賛は恐怖と入れ替わり、いまや完全に恐れられている。

 気軽に声を掛けられることはほぼ無くなり、少し困ったような笑顔を向けられる毎日。

 ジットやブレインはどこ吹く風でいつも通り過ごしているが、さすがにエルヤーは面白くないようで仏頂面を見せることも多々あった。

 

 しかしそんな状況下でも日増しに笑顔と賞賛が増す者が一人だけいた。

 

 ドラウディロン・オーリウクルス……竜王国の女王である少女だ。

 

 お陰様で王城に日参し、会談を繰り返す羽目に……なので、それまで女王に格別に重用されていた『クリスタル・ティア』のセラブレイトとか言うアダマンタイト級冒険者からはリアルの頃だったらドン引きするようなヘイトを集めているらしい……と、女王から密かに警告されていた。

 

 竜王国に来てから7日目……到着した当日以外は日々2〜3回は対ビーストマン戦に参戦している為、勝利を重ねること14回……そこで女王はかなり無理やりな理由で宰相を応接室から追い出した隙に、電撃的に俺と正式な契約を交わした……対価は白金貨30万枚……必要経費のつもりで準備してあった額の半分以下で満足しているようだが、少し遠慮もあるのかもしれない。俺達に逃げられるのを心配した節も感じられた。こちらとしても白金貨30万枚程度で広大な領土を得られるのであればかなり得な取引だ。なにしろ竜王国と違ってビーストマン共は俺の脅威となりえないのだから。

 竜王国にとっても実質的に死んでいる土地を白金貨30万枚で売り渡したのも同然なのだから、お互いにWin-Winな取引だろう……ここまでは。

 

 ……これで竜王国は半ば俺の支配下に入った同然……残りは恐怖による支配の実験をしている隣のビーストマンの国で支配を確立すれば、最終的な両国の支配が確立できる……そして真の目的である実験が人目を気にせず行えるようになる。その後の利用法も考えてあるので、上手くいけば相当な儲けを生み出す土地になる。

 

 その為に日々食べ歩きしたい欲求を抑えて、こうして女王と会談を重ね、ある種の信頼を勝ち取ろうとしているわけですよ。

 

「では、ゼブル殿……頑張ってくれ!」

 

 女王陛下直々に部屋から送り出されたので、最敬礼(正式な作法は知らないけどね)らしき礼を返し、そのまま階下の待合で待つ3人のところへ向かおうとした。

 

 視線を感じた。

 恐ろしく強い嫉妬だった。

 俺は嫉妬することも、されることにも慣れていない。

 そんな俺でも瞬時に理解した。

 異様な視線……その先にいかにもな聖騎士の姿があった。

 行く手を塞ぐように廊下の中央に立っている。

 まあ、どんなに頑張ったところで『人化』したままの俺にすら届くことがない程度のレベルだが、柔らかな表情に似つかわしくない激しい視線にはちょっと驚かされた。

 

 ……噂のセラブレイトとか言うロリコンか……

 

 なるほど、中々に気持ち悪い。

 良い歳した大人の男が自分の子供ぐらいの年嵩の少女に御執心というだけでも相当に気持ち悪いが、そいつは個人の趣味なんで俺が口出しするようなモノじゃない。しかし嫉妬丸出しで全く関係無い俺を憎めるのが……もう理解の範疇の外側……無理ですわ。

 

 そんな気持ち悪い聖騎士だったが、力量の差は把握しているのか、俺の進路を邪魔するようなことはなかった。

 真っ直ぐ進む俺に道を譲る。

 ただ嫉妬の込められた視線は俺を向けたままだが。

 

「セラブレイト……『閃烈』と呼ばれている」

「あっ、そうですか……俺はゼブル……ふたつ名は有りません」

「御活躍のようだな、ゼブル殿」

「それほどでも……2回に1回は歩いているだけですし」

「なるほど……しかしビーストマン共は駆逐されているな」

「勝手に死んでますね」

「……勝手に、か?」

「ええ、勝手に、です」

 

 すれ違い様に始まった、全く弾まない会話はそこで止まった。

 手の内は教えられないし、教えたとしてもプレイヤー以外は理解できないだろう。現地勢にユグドラシルのスキルが使えるとは思えないし、たとえ使えたとしても正確に理解しているとは思えない。テキストを読み込まねば、自分が何をしているのか、理解できるはずもないのだ。なにしろ、そうでなければプレイヤーである俺ですら「なんじゃ、こりゃ?」なのだろうから。

 

「ゼブル殿は女王陛下をどう思われるか?」

 

 セラブレイトが唐突に切り出した。

 流れぶった斬りもいいところ……本命はこちらですよ、と宣言しているようなものだ。

 

「どうもこうも……女王陛下は頑張ってらっしゃる、って感じですかね」

「頑張っている姿を見て、どう思われるのか、と聞いているのだが」

「頑張ってください……ですかね」

 

 セラブレイトの表情が一層穏やかなものに変わり、同時に視線に込められた嫉妬は憎悪と言っても良いような激しさが加わった。すげー器用!

 

「では!……では、何故、謁見の間でなく、応接室でもなく、百歩譲って執務室でもなく、陛下の私室に毎日のように通われるのか?」

「陛下の御召しです。それ以上でもそれ以下でもありませんよ」

「陛下の御召しです、と」

「その通りです」

 

 セラブレイトの表情が激変した。まるで「憤怒」と絵に描いたような顔が突然この世に現出した。

 

「私は!……私は呼ばれたことなど無い!」

「知りませんよ、そんな事情まで」

 

 ……アダマンタイト級のヤバいヤツ確定だ、コイツ……

 

 会話は終了……一刻も早くこの場から去る為に歩き始める。

 

「待て!……待て、待て!……まだ話は終わっていない!」

「挨拶はしゅーりょーです。二度と会話することもないでしょう」

 

 後ろ手に手を振る俺の背中に、王城を出るまでの間、ロリコン聖騎士の罵詈雑言が浴びせられ続けた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

「どうだい、落ち着いたか?」

 

 テーブルの上にはホットミルクの入っていた空のカップ。

 その向こうに仮面の魔法詠唱者。

 声を掛けたのは部屋のど真ん中に立つ女戦士。

 双子の忍者は建物の周囲で警戒中……アダマンタイト級冒険者チーム『青の薔薇』の投宿先と知って、仕掛けてくるような阿呆ではないだろうが、どこの世界にも、どんな組織にも跳ねっ返りはいる。だから警戒を怠るわけにはいかなかった。

 そしてリーダーである神官は王城へと出向いている。

 

「ええ……ありがとうございます」

 

 カドランは深く息を吐き、正面の仮面を見詰めた。

 異変を察知してくれた命の恩人だ。

 

「本当にありがとうございます」

「そんなにかしこまらなくてもいい、カドラン」

 

 イビルアイは重い雰囲気のまま仮面越しにカドランを見た。

 

「……つまりお前の仲間が消えた……おそらく拉致された。拉致した連中に指示したのはゼブルではないか、と疑っているわけだな?」

「大筋は仰る通りです」

「お前達は何故ここに来た?」

 

 もはや隠す必要もない……カドランは淡々と事実を並べた。

 

 エ・ランテルで『クラルグラ』が突然引退を申し出たこと。

 リーダーのイグヴァルジに『豪剣』は散々世話になっていたこと。

 思い当たる異変は一つだけ……『3人組』との遭遇。

 イグヴァルジを救おうとしたこと。

 その為に『3人組』と敵対していると感じられた『青の薔薇』のネームヴァリューを利用しようとしたこと。

 竜王国まで後を追った。

 そして2人は行方不明……今の状況に至った。

 

 イビルアイは頷き、深くため息を吐いた。

 ガガーランは大きく笑い、カドランの左肩に右手を置いた。

 

「……状況は理解した。だがお前達は大きな勘違いをしている」

「そうだな……俺もそう思うぜ」

 

 カドランも頷いた。

 思い当たる……集めた情報からおおよそ推測できた。

 

「敵対はしていない、と言うことですよね……?」

「正確には違うな……過去にいろいろあり過ぎてメンバーそれぞれが連中に抱く感情が違い過ぎる。そして私はあの連中に……ムカついている。だからと言って連中を……ゼブルを全否定するものではない。しかしお前達の勘違いはそんなことじゃあ、ない……連中は私達『青の薔薇』と敵対することをそもそも恐れていない。連中と言うよりもゼブルだが……」

「まあ、そうだな……概ね俺も同意見だ」

 

 イビルアイの意見表明にガガーランも大きく頷いた。

 

「本来ならば知らなくていいことだが、お前達は既に危険な領域まで踏み込んでしまった。実際に仲間は拉致されたか……既に殺されたまである。だから警告として言っておく……連中は強い……それに『八本指』を実質的に支配している以上、ゼブルの闇は恐ろしく深い。加えてお前達が思っているよりも『青の薔薇』と連中では大きな戦力差がある。そして私達はそれを自覚しているし、連中も理解しているのは間違いない。つまり『青の薔薇』が全面的に連中と敵対したところで、痛痒すら感じさせることはできない」

 

 カドランは息を飲んだ。

 ホットミルクを飲んだばかりの喉がカラカラだった。

 掌に汗が浮いていた。

 背中を冷たいものが伝う。

 脳裏にディンゴとシトリの顔が浮かび……消えた。

 

「2人は……絶望的なんですか?」

 

 左肩のガガーランの右手にグッと力が込められた。

 

「そうとも言い切れねえんだ、これが……どういうわけか、ゼブルってぇヤツは邪魔者だからって、あっさり殺すような真似はしねぇことが多い。俺達の知る限りじゃ、どちらかってぇ言えば殺さずに利用するってえケースが多い気がするぜ……必ず生かすってわけじゃねえから、なんとも言えねぇが……諦めるのはまだまだ先の話だ」

「現在、私達は連中に雇われているが、契約した参戦回数は7回……今日で6回参戦した。つまり残り1回だ。その後は竜王国と契約する可能性が高いが、基本的には連中が雇用主ではなくなるだろう……つまり自由だ……カドラン達をバックアップしても、契約上雇用主との利益相反には当たらなくなる、ということだ」

 

 カドランはイビルアイの淡々とした言葉を飲み込み、その裏側の暖かさに思わず涙した。スマートを信条としていたが、もはやそんなことはどうでもよかった。仲間を救いたい……イグヴァルジの引退など頭から消えていた。とにかく仲間の命だけは……生きていてくれさえすれば充分だった。

 

「ありがとうございます」

 

 深々と頭を下げた。

 

「良いってことよ……ただ問題がまだ残っているぜ、イビルアイ」

「ああ、かなりの難題だな」

「……ラキュースはなんとか説得できると思うぜ。問題は……」

「残り1回の参戦の間……カドランにどこに隠れてもらうか、か?」

「そういうこった……今、手を出してこない理由は、俺らがいるから、で間違いねえと思うぜ。所在も状況も把握されてるだろうよ。この状況からゼブルを出し抜くのは容易じゃねえ」

「だが、それだけに……痛快だな」

「いつもいつもやられっぱなしじゃ、カッコつかねえだろ?」

 

 2人は考え込んだ。

 力技では質も量も負ける。

 魔法的な手段はゼブルが一枚どころか二枚も三枚も上だ。

 小賢しいと思えるような策謀でも敵う気がしない。

 先読みを含めた情報戦もヤツは強い……竜王国に何人の配下が潜り込んでいるか、その情報すらこちらは持ち合わせていない。

 もっと大局的にものを見なければ、出し抜けない。

 

「……連中が表立って手出しできないところと言えば王城だが、そこにも配下が潜り込んでいるような状況だ……」

 

 実際にカドランが襲撃されたのは王城だった。

 しかもカドランの話からはわざわざ王城で仕掛けたように思える。

 既に勢力下の可能性もなくはない……どころか、高い。

 

 焦れる沈黙が続いた。

 時間があるわけではない。

 今、この瞬間にも強襲されるかもしれないのだ。

 

「……女王陛下に保護を頼むってえのはどうだ?」

 

 指を鳴らしてガガーランが言った。

 悪くはない。王城の中が信用できないと言っても、さすがに女王周辺で拉致騒ぎなど起こせるはずもない。王城内を掌握しているつもりならば、ゼブルにとっても盲点だろう。

 

「……だが、女王が最終的にどちらに味方するかは明白だぞ。資金の貸主と雇われ者では比較するのもバカバカしい」

 

 イビルアイの言葉に理解し難い単語が混ざっていた。

 思わずカドランも口を挟んでしまう。

 

「貸主……ですか?」

「おう、アイツらはビーストマンに襲われて財政的に困っている竜王国に金を貸しにやって来た、ってえのが真相だ。やってるこたぁ滅茶苦茶に見えるが、それなりに真っ当な正義だから困る連中なんだよ。王都でもそうだった。結果だけ切り取れば冒険者と最底辺のチンピラ以外は万々歳だぜ。力や学が無くたって真っ当に働いてりゃあ、安心してそれなりに食っていける。今の王都は治安が過去になく良好で、次第に景気が良くなってやがるからよぉ……」

 

 複雑な心情が伝わる言葉だった。

 認めつつも認めきれない……そういうことだろう、とカドランは納得した。

 

「弱者を助けたり、助けなかったり、切り捨てたり……悪党でも殺したり、利用したり、配下に加えたり……これは私の想像に過ぎないが、ゼブルの中では最終目的が明確なのだろうな。それはゼブル以外には誰も知らないし、目的に対しての取捨選択がドライすぎて、他者には全く理解できない……しかし、だからといって私は認めんぞ!……散々コケにしてくれた報いはどこかで必ずくれてやる!」

 

 イビルアイの拳がギリギリと音を立てて真っ白になった。

 荒い息が仮面の奥から漏れ聞こえるように感じた。

 

「熱くなりすぎだぜ、イビルアイ」

「……ああ、すまない」

「それよりも、だ……話はラキュースに通してもらうにしても、実際に少女である女王陛下に、男で……まあ、見映えの良い男であるカドランをどれだけお側に置いてもらえるかが全てだな。宰相閣下にも協力を仰ぐか?」

「それが今やれる最善か……脳筋にしては考えたな。女王に保護してもらうのであればゼブルとの契約も関係無い」

「いちおう、俺達だって竜王国の味方だぜ。しかも兵士達の士気高揚にゃ最も貢献しているんだ。それぐらいの小さな無理は通せるだろ」

 

 ラキュースの帰還を待つ。

 とりあえずの方針は決まった。

 室内の空気が弛緩する。

 

 そして、それは長く続かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ドアがノックされた。

 符丁は無い。

 だからティアでもティナでもラキュースでもないのは明白だった。

 

 イビルアイが無言でハンドサインを出す。

 ガガーランが無言で頷き、『鉄砕き』を後ろ手に構えながら、素早くドアに向かった。

 

「誰だ?」

「ゼブルです」

 

 なっ……ガガーランの表情が大きく歪んだ。

 よりによって、な来訪者だ。

 イビルアイは新たに「引き伸ばせ」とハンドサインを送りながら、急いで窓の外を確認する。

 外には見慣れた3人の姿があった。

 ティアとティナはなんとか侵入を阻止しようと入口前で奮戦していた。

 

 ……では、ゼブルはどこから?

 

 疑問が脳裏を過ったが、考えている暇はない。

 部屋の出入口は抑えられ、窓の外には手練れが3人……内1人はイビルアイに届き得る剣士ブレイン・アングラウスだ。単独ならばともかく、全員での突破は厳しい。

 状況は極まった。

 カドランを見る……意外に落ち着いた表情で、イビルアイの指示を待っていた。その信頼が痛い……しかし切羽詰まった中でも信頼されるとはこういうことだ。

 

「どうかしましたか?……契約延長のお願いと交渉に来ました。どうかドアを開けて下さい」

「……おう、すまねえな。今着替え中なんだよ。もう少し待ってくれや」

 

 ガガーランが苦しい言い訳を捻り出したが、稼いだ時間は僅かなものだ。

 その間にカドランを安全圏に移さねばならない。

 が、何も思い浮かばない。

 

 カドランを見る。

 この窮状にも落ち着いたまま、彼は上を指差した。

 屋根……はダメだ。外にいる3人はそんな小細工に気付かないような手合いではない。むしろその為にいる、と考えるべきだ。当然、警戒されているに違いない。

 

 続けてカドランは「天井裏」と小声で言った。

 パニックですっかり忘れていたが、カドランはシーフだった。

 イビルアイは即座に頷き、カドランを促す。

 

 カドランは見事な動きで天板を外し、音も立たず天井裏の闇の中に消えた。痕跡も一切遺していない。

 彼の身なりや見た目からは想像するのも難しかった。革鎧を脱いでいると、どう見てもどこぞの良家の出来の良い息子にしか見えないのだ。

 

 イビルアイは頷き、ガガーランがドアを開けた。

 

「よぉ、契約更新してくれるってか?」

 

 ゼブルは室内に入ると「座っても?」と直前までカドランが座っていた席を指差した。

 イビルアイは内心の動揺隠す仮面に感謝しつつ、大きく頷いた。

 ゼブルは当然のように椅子に座り、室内を見回す。

 

「ラキュースさんは?……リーダー不在だと決められないのでは?」

 

 2人とも反応に困った。

 ゼブルがどこまで知った上で話しているのか……?

 先程からの行動も妙に思わせ振りに感じてしまう。

 全てを知った上で、警告なりおちょくるなりしている可能性が排除しきれないのだ。

 ゼブルの言葉を言った通りに受け取っても、たしかに契約となるとリーダー不在では決定できない。

 だがラキュースが戻るまで待たれるのは困る。

 かと言って、今日再訪問されても困る。

 

「明日じゃ、拙いのかよ?」

「いちおう『青の薔薇』の皆さんにはお世話になったので、乗り遅れないように配慮したのですが……」

「乗り遅れるだぁ?」

 

 ゼブルの説明では「終局が見えた」と言う……それも残り1〜2戦で。

 現状でもゼブルとの契約では竜王国と契約するよりもおよそ4倍の金額を得ているのだ。そしてゼブルの契約の特徴は勝敗を問わないのである。つまり単純に契約期間中規定回数参戦すること自体の報酬が白金貨100枚なのだ。敗退や撤退が依頼失敗と見做されず、それによる減額がない。

 同じ命懸けの仕事であれば、減額規定が無いのはこの上なく美味しい。

 

「今夜……俺達は夜襲を仕掛けます。ビーストマン共の族長会議がある、との情報を得ました。それで大勢は決します。頭を失えば、後は残敵掃討だけ。大規模戦闘の機会は残されていても1回といったとこでしょう」

「それで、わざわざ俺達に高額報酬を恵んでくださるってか?」

「気に入りませんか……王都でご迷惑をかけているようなので、これでも償いのつもりなんですがね」

「随分と安く見られたもんだな」

 

 安くはないな、決して……等分割りしてもアダマンタイト級冒険者の体裁を保ったまま1年以上、遊んで暮らせる……それが増えるのならば、かなり美味しい話だ。

 

 いつもと違い先にガガーランかキレた為、イビルアイは妙な冷静さを保ったまま、心の中でツッコミを入れた。珍しくガガーランが熱くなっているのは果たして芝居なのか……イビルアイには判断がつきかねた……が、期待されている役割は明確に理解した。

 

 キレて、とにかく一度追い出す。

 その後、こちらの都合の良い時に謝罪でもなんでも出向く。

 不思議と逆鱗に触れる気はしない……なんだかんだゼブルはアダマンタイト級冒険者チーム『青の薔薇』のブランド価値を理解している。あくまで利用できる駒として、であるが重要な駒程度には考えているのだろう。決して扱いが良いわけではないが、積極的排除に動くとは思えない……まあ、だからこそここまでムカつくのではあるが……

 重要なのは時間をコントロールする側に回ることだ。

 その間にカドラン保護の約束を女王から取り付ける。

 ……そんなところだろう。

 

 とにかくゼブルのペースに乗せられたら、居座られる可能性もあるし、なによりも保護すると約束したカドランを引きずり出されるかもしれない。

 

「落ち着け、ガガーランっ!」

 

 イビルアイは怒りに任せて身を乗り出すガガーランとテーブルの間に割って入った。

 

「……済まないが、ゼブル……どの道、契約となったらリーダー不在では決められない。良い話を持ってきてくれたのは感謝するが、恥ずかしい話だが見ての通りだ……いま暫くすればガガーランも落ち着く。今度は私達から出向くので、ここは引き上げてくれないだろうか?」

 

 深く頭を下げた……こんな役回りはもう二度とやらん、と心に刻む。

 ガガーランの荒い鼻息が背に当たっていた。

 ゼブルは薄く笑い、椅子から立ち上がった。

 

「……了解しました」

 

 そのままドアに向かい、ドアノブを握る。

 イビルアイがホッと胸を撫で下ろした瞬間、振り返った。

 

「では、1時間後に……宿で待っています」

 

 動いていない心臓が止まりかけたが、大した内容ではなかった。

 1時間であれば様々な問題が処理できる。

 

「ですが、それ以上は待てませんよ……さっき言いましたよね。俺達は夜襲を仕掛ける予定なんで……」

「ああ……必ず間に合わせる」

 

 早く出て行け!……イライラしながら仮面に感謝した。

 

 ゼブルがドアを開けた。

 そして再度振り返った。

 

 やっぱりコイツとは完全にウマが合わない……そう確信した。

 

「あー、そう言えば、廊下にネズミがいたので捕らえました……」

 

 黒コートのポケットから小さなネズミを2匹取り出し、見せる。2匹共に眠っているのか、ゼブルの左手の人差し指と中指と薬指に首を挟まれ、だらんと弛緩した身体が垂れ下がっていた。

 

 イビルアイの動きが完全停止した。

 ガガーランは叫ぶのを必死に堪えているのか、左手で口元を覆った。眼球の毛細血管が破裂せんばかりに浮き立っている。『鉄砕き』を握り締める右手は壊れんばかりにギリギリと音を立てていた。

 

「……1匹だけ逃げられたんですよ。捕まえた2匹はまだ生きています。残る1匹も捕まえなきゃなりません。見付けたら……このまま仲間を置いて逃げるならば、仲間は処分すると教えてあげて下さい」

「ゼブル……てめえ!」

「待て、ガガーラン!……アイツはまだ雇用主だ!」

 

 今にも振りかぶられようとしていた『鉄砕き』が止まった。

 それを見たゼブルは再度ネズミをポケットにしまう。

 

「このタイミングで、わざわざ俺がここに来た意味を考えて下さい……余程のバカじゃなければ、どうすれば良いか判断できるはず……ですよね?」

 

 ニコリと笑いを見せ、ゼブルは振り返った。

 同時にガガーランの限界が訪れた。

 威嚇もなく、警告もなかった。

 室内なので全力でもない。

 しかし最速の一撃がゼブルの後頭部を襲う。

 

「……がっ、ガガー!」

 

 イビルアイの全力の制止を振り切り、『鉄砕き』が打ち据えられた。

 ゼブルの後頭部は潰れ、崩れ落ちる……はずだった。

 左手が後頭部に添えられている。

 滴り落ちる赤黒い血……しかしゼブルは微動だにせず、何事も無かったかのように振り返った。

 そのまま何が面白いのか、大声で笑い続けた。

 

 ダメージで気でも狂ったのか……?

 

 肩で荒い息を続けるガガーランを抱きとめたまま、イビルアイはどう声を掛けるべきか考え続けた……が、的確な言葉が浮かばない。本来は怪我の具合を気遣い、とにかく謝罪するべきなのだろうが、あまりな急展開であり、どんな言葉もゼブルの左手を染め上げた血液を前にしては無意味に思えたのだ。

 

 やがてゼブルは真顔に戻り、いつも通りの薄い笑いを浮かべる。

 

「だ、大丈夫なのか……?」

 

 戸惑うイビルアイに、ゼブルは左手を差し出し、五指を広げた。

 

 ……圧し潰れ、真っ赤に染まったネズミの死骸が2つ。

 

「もう一度だけ言いますよ……感情に流された結果がこれです……ネズミの仲間は死にました。そして殺したのはネズミを匿おうとした貴女達です。俺は安全が確保されるならば別に殺すつもりはない。ネズミ共がどういうつもりで嗅ぎ回っていたのか……それが確認できればどうこうするつもりはありません」

 

 ゼブルの表情が消えた……いかなる感情も感じ取れない。

 

「……思い上がるなよ、ニンゲン……」

 

 一瞬にして空気が凍った……が、次の瞬間にはいつもの薄笑いが恐ろしく整った顔に浮いていた。

 

 ゼブルが立ち去った。

 廊下に打ち捨てられたネズミの死骸。

 

 イビルアイはその場に呆然としゃがみ込んでいた。

 ガガーランは『鉄砕き』を支えに辛うじて立ってはいたが、心は砕かれていた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 夜の闇よりもさらに深い闇色のドームが荒野に出現していた。

 部外者の接近が想定外の被害を生む可能性があるので、ドームの外周からさらに500メートル離れた地点を囲むように王都から呼び寄せた肉腫持ちの配下達とが警戒線を作り上げていた。それをジット、ブレイン、エルヤーの3人が仕切っている。

 この時点で夜襲は完了であり、竜王国の大局的勝利が確定していた。

 夜襲とは言うものの、これは戦闘と呼んでよいものか?

 むしろ現出した地獄と呼んだ方が良いのかもしれない……ビーストマンという種に限定されたものではあるが……真っ黒な霧の結界に包まれた阿鼻叫喚の地獄絵図の中、正体を晒した俺は逃げ惑うビーストマン共の中を悠々と進んでいた。

 

 腐食の霧の結界に触れれば、死……そして無。

 腐り落ち、朽ち果て、文字通り汚れた土に還っていく。

 俺は奴らの知らない姿だ。歩くだけでビーストマンを死滅させた人間の姿でなく、本体である魔神だ。

 力の差は歴然。

 しかし確実に死滅する黒い霧よりはマシ……もしくは霧を発現させた張本人と理解したのかもしれない。

 侵攻当初は俺に立ち向かう者もチラホラいた。

 しかし一人また一人と死骸すら遺さずにあっと言う間に汚泥と化して崩れ落ちる光景が、同時に敵に抵抗する気力も崩壊させたのだろう。

 逃げ惑うだけのビーストマンが勝手に混乱し、活路を求めて次々と腐食の霧に飛び込み、汚泥と化す。

 それが知れ渡るとビーストマン共は死のドームの中心に殺到して行った。

 

 悲鳴と絶叫と恐慌の中、魔神アバターの俺は無人の野を進むが如く、ただ真っ直ぐ進んだ。

 

 目的地は族長会議が行われる予定だった大天幕。

 俺の配下と成り果てた「東の獅子の部族」の次期族長以下32名が扇動工作した結果、総族長に加え50を超える部族の全族長と次期族長及び各部族の筆頭戦士が参集しているはずだった。

 そいつらをまとめて服従させる……それが真の目的だ。

 

 天幕の前に立つ。

 特攻する白い虎のビーストマンが俺に触れることも叶わず崩れ落ちる。

 そしてビーストマンの抵抗が止まった。

 

 ビーストマンの群衆……と言っても、総族長の出身である「平原の白虎の部族」がほとんどであるが……各部族の有力者達が顔を揃えていた。

 その雑多な顔ぶれを見ればすぐにでも理解できるが、ビーストマンは家格や知恵や年齢でなく、強者にしか従わない。

 屈強な戦士や族長が俺の前に並びたち、逃げ場を失った恐慌状態の群衆がその背後から怯え切った視線を投げかけていた、もはや族長達や戦士達にも期待を抱くことはできないようだ。

 

 一際巨大な白虎のビーストマンが、2人のビーストマン戦士に守られながら一歩進み出た。

 

「ぬしは何者だ?……この霧を仕掛けたのはぬしか、小さく黒き者?」

 

 初めて見る生き物……強いのか?……食えるのか?……そんな目だった。

 

「選べ……服従か、全滅か……どちらがいい?」

「言葉は通じる……しかし答えぬか」

「お前は俺の問いに答えるべきだ……お前に問答を許可した覚えはない」

「言うではないか、小さく黒き者」

 

 巨大白虎の表情が明確に変わった……凶相……破壊衝動が伝わる。それはそのまま周囲のビーストマンに伝播したようだ。肉食獣の反応丸出しの顔が居並んだ。ただ一人、一番右端にいる獅子のビーストマンを除いて。

 

 しかし、まあ、どいつもこいつも弱い。デカブツの総族長ですら40レベルにも達していないだろう。しかも亜人種の中では比較的伸びるビーストマンの種族ステータスとはいえ、本来の異形種ステータスを取り戻した俺とは比較にもならない。元々が爪や牙を重視して戦う連中だから、武器も大した物は持っていない。それ以前に上位物理無効化Ⅲで低レベル亜人種の攻撃なんぞ一切通るわけがない。

 

 ビーストマンの最精鋭……数はおよそ200といったところか?

 

 コイツらを肉腫蠅抜きで生かしたまま屈服させる。

 生かしたまま、と言うのが難題だ。

 精鋭中の精鋭なのだから当然プライドは高いだろう。

 普通に考えれば「勝てない」と思わせる必要があるが、数が多過ぎる。つまり時間が掛かりすぎる。逃亡を許さない為には腐食蠅の召喚限界時間以内に終わらせる必要があった。

 「東の獅子の部族」に使った方法は、心を折る役目は充分に果たすが死ぬ奴があまりに多過ぎた……可能であればレベルダウンはさせたくない。

 腐食蝿は既に結界と護衛で使用しているが、そもそもオーバーキルだ。

 魔法も魔神のステータスが反映されたら、第一位階の『魔法の矢』すら低レベル亜人種相手では必中必殺の性能に化けてしまう。

 今の姿では単に殴るのも厳しいか……一撃死させるつもりがなくとも、連中の身体が耐えられるわけがない。

 かと言って『人化』すると腐食蠅が制御から離れてしまう。

 魔法やスキルで精神支配するのも違う……効果を維持できる時間が短過ぎる。

 と、なれば……

 

 よく考えてみれば、思っていたよりも面倒だな……

 

 手にしたのはティーヌのスティレット。

 他の武器では攻撃力が高すぎる。

 それでも単なる拳の殴打よりはどうしても攻撃力は上がってしまうが、突きのみであれば攻撃面積は遥かに小さくなる。

 俺はゆっくりと総族長に向かって進んだ。

 

 俺の身長と比べて3倍……体積は10倍近いかもしれない筋肉ダルマ。

 獰猛さの象徴である牙が剥き出しの凶悪な笑顔。

 

「ぬしは強いのだろうな……だがこの数を相手に勝てるものかよ!」

 

 筋肉ダルマが号令した。

 同時にビーストマン達も動く。

 ただ一人、獅子のビーストマンは右端で目を閉じていた……それで良い。

 

 乱戦が始まった。

 と言っても一方的な蹂躙には変わらないが……上位物理無効化Ⅲが効果を発揮し、連中の攻撃は何一つ通らない。

 一人づつ両腕の付け根と両の膝に正確にスティレットを通していく。

 一人また一人と悲鳴上げながら倒れ伏し、俺の攻撃から逃れようと転がり、這い出していた。

 「東の獅子の部族」はの次期族長指示の下に自分達がやられた通り、負傷者を一ヶ所に集めていった。当然治療はしない。

 

 そして50名ほど仕留めた後、総族長は戦闘停止を命じた。

 

 まあ、そりゃ、気付くわな……余程のアホじゃなきゃ。

 

 誰も死んでいない。

 そして攻撃は当たるのに俺には傷一つない。

 戦力差は圧倒的……である以上、殺す以外の目的がある。

 

「ぬしは何者だ?……目的はなんだ?」

「まーた、最初から、かよ……服従しろ、って言ってるんだ」

「我らにどうしろと?」

「お前らの命と引き換えに、ビーストマンという種を存続させてやろう」

 

 種の存続……ビーストマンは他にも大陸中央に大きな国家を築いていると聞いた。だからこの国……いや部族単位でもいい。俺と敵対すれば簡単に滅ぶのは理解できた……はず。

 

「……我らの命?」

「そうだ。族長会議に参集した者達全ての命と引き換えだ……まあ、足りなければ多少は他の者の命も頂戴するが」

「我らの命をぬしに捧げれば、この霧は無くなるのか?」

「この霧に限らず、竜王国から撤退すれば残りの者を助命するだけでなく、その後の存続にも手を貸してやろう」

「……ぬしは人間に見えぬ。人間よりも遥かに強い。我らよりもだ。それでも人間に味方するのか?」

「人間の味方ではないかな……俺は利用できるものは全て使う。だから人間も使うし、お前らも使う。そして降れば報いてやろう」

「儂を含め、族長達の命ならばくれてやらんこともない。たとえ国を挙げて、ぬしと戦っても勝てないことは理解した。だから潰しても構わんし、如何様にも使い倒しても構わん。しかし我らは大きな狩場を失う……それではぬしが約束するというビーストマンの存続も怪しかろう?」

「……つまりお前らが満足する量の食料を用意すれば、問題無いわけだ」

「可能なのか?」

「人間しか食えないというわけではないのだろう?」

「まあな……しかし人間の肉は美味い」

「滅ぶ瀬戸際で味の要求か?」

「……いや、失言だった……では、我らは降ろう。反対する者はあるか?」

 

 ビーストマン最強である総族長の言葉に誰も逆らえない。

 そして総族長がビーストマンが挙国体制で臨んでも勝てないと判断した俺に逆らう者など現れるはずもなかった。内心はともかく、少なくとも今は従うべきと判断したのだろう。

 強い者に従うという性向は実に都合が良い。

 なんとなく魔皇ヤルダバオトの気持ちが想像できた。

 頭を制御すれば種族丸ごと配下となるのだ。

 実に効率的で都合の良い駒だと確認できた。

 

「では、全軍撤退しろ……国境の向こうまでな」

 

 腐食の結界が消えた。

 同時に結界を維持していた腐食蠅が消えた。

 

 ビーストマン達が総族長の号令で撤退を開始した。

 精神的な敗者の群れがトボトボと南に向かって歩き始めている。

 

 護衛の腐食蠅2匹も消えた。

 

 汚泥に塗れた大地を見て、俺は笑顔を作った。

 

「どうか無事でいてくださいよ……『モモンガ』さん」

 

 心の奥で僅かに灯っていた種火がほんの少しだけ大きくなっていた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 結局、カドランを止めることはできなかった。

 暗示的と言うよりも、ほぼ直球の脅しを聞かされていたのだ。言葉の裏読みが上手いカドランだけに「お前が出頭しなければ仲間を殺す」と面と向かって言われたに等しい効果があった。

 ゼブルが帰った後、カドランは極度に思い詰めた表情で天井裏から降りてきた。普段は柔和なカドランの表情だが、まるで緊迫感を周囲にぶち撒けているようだった。頬から血の気が失せ、逆に白目は血走っていた。

 

「本当にありがとうございました……でも、行きます」

 

 言葉が出なかった。

 脳裏に「思い上がるなよ、ニンゲン」と言う冷たい響きが繰り返されていたのもあるが、それ以前にカドランの強烈な意志が伝わっていた。生存していると示唆された仲間を救う気持ちをどうしても否定できなかったのだ。

 

 同じ状況であれば自分達も同じ道を歩むかもしれない……その思いが言葉を吐かせなかった。

 

 呆然とカドランの背を見送ること5分……開け放たれたままのドアから飛び込んできたのはティナだった。

 

「カドランを鬼ボスとティアが追って行った……何があった?」

 

 そこでようやくイビルアイもガガーランも気付いた。

 顔を見合わせる。

 

「「行こう!」」

 

 イビルアイ、ガガーラン、ティナの3人は走った。

 

 簡単なことだった……何故、こんな単純な事に気付かなかったのか?

 

 ゼブルは『青の薔薇』を排除するつもりがない。

 だから何度も何度も警告したのだ。

 その気ならば、とっくに殺られている……否、少なくともその兆候は伝わるし、時間の猶予など与えるはずがない……そういう奴だ。

 脅しにも示威行動にも思えたが、最後の一言を除いて彼の言葉の本質は「匿うな」であった。一緒に出頭することは拒絶していない。

 つまりカドランの身の安全を確保する為には立ち合えば良いのだ。

 

 イビルアイとティナはガガーランを置き去りにして、竜王国の街路を疾走する。冒険者の慣習として大雑把な街路と建物は把握していた。ガガーランもいずれ追い付くだろう。だから置いて行く。

 

 間に合え!……無事でいろ!

 

 もはや街路は使っていない。

 イビルアイは飛び、ティナは屋根の上を疾走している。

 

 目的の建物……ゼブル一党の逗留する安宿が見えた。

 

 理由は判らないが、ゼブルは安宿を好む。王都でも安宿に逗留していた。ここ竜王国の首都でも『青の薔薇』が定宿とした高級宿などには見向きもしなかった。竜王国の用意したかなりマシな宿舎も断っている。

 

 結果、金満雇用主の方が安宿にいるという不自然な状況か生まれたのだ。

 

 イビルアイとティナは宿の一階の飯屋兼酒場に飛び込み、カウンター奥の赤ら顔の店主にゼブルの部屋を確認した。

 店主は部屋の位置については躊躇なく教えてくれた。

 

「すまんが、先を急ぐ」

 

 一言礼を言い、イビルアイはティナを伴って二階へと続く階段へ向かう。

 

「あー、待ちな……旦那達はいないぜ。なんでも予定が早まったとかで、みんなで出て行ったぜ」

「なんだと!……ではカドランは……身なりの良い白金級冒険者の青年はどこに行った?」

「少し前に必死の形相で駆け込んで来た奴か?」

「ああ、多分そいつで間違いない」

「旦那達と一緒に出て行ったぜ」

「本当だろうな?」

「あんたに嘘言っても、俺に得は無えな……別に信じなくてもかまわねえよ」

 

 自身の無礼を指摘され、イビルアイは素直に謝罪した。

 たしかに店主の言う通りだった。

 焦りで状況が見えなくなっている事実を反省する。

 

「ゼブル達は何処に向かった?」

「さあな……旦那の部屋を見てみりゃ、なんか手掛かりでもあるんじゃねえかな……もし『青の薔薇』が来たら、入室を許可してくれ、と……サイドテーブルに契約書を残しておくから、それを持ち帰って、同意するならサインして持って来てくれ、と……伝えてくれ、だとよ。ついでに誰もいねえから、勝手に探ってみりゃいいんじゃねえか?」

 

 さすが安宿と言うか……高級宿ではとてもありえない案内を店主は他の客でそれなりに混雑する店内で堂々と言った。

 だが、この際はありがたい……店主公認の家探しだ。

 

「了解した。すまないな……でも、私達が『青の薔薇』を騙る窃盗犯ならば責任問題になるんじゃないか?」

 

 店主は初めてイビルアイの方を向き、一瞬意外そうな顔を見せた後、ゲラゲラと笑い始めた。

 

「んな、アホウがいるか!……あの旦那の荷物に手を出そうってだけで相当な馬鹿モンなのによぉ……よりによって最悪に目立つ『青の薔薇』を騙るとか、本当なら正気を疑うぜ。その上で俺に案内求めたんなら、逆に褒め称えなきゃならねえよ……コソ泥風情がアンタらの真似なんかするわけねえだろ」

 

 言われてみれば「ごもっとも」だった。

 

「改めて、すまないな……では、部屋を見させてもらうぞ」

「おう、勝手にやってくんな」

「待って、イビルアイ……鬼ボスとティアが来たはず」

 

 それまで黙っていたティナが口を挟む。

 

「綺麗なねーちゃんとアンタのそっくりさんなら、さっき旦那達を追って一緒に出て行ったぜ」

 

 ……そちらを追うべきか?

 

 考えたのも一瞬、イビルアイはティナに追うように指示し、自身は二階へと向かった。ガガーランの到着までの間、店主の言葉に従うつもりだった。

 ドアが開け放たれたままの角部屋に侵入し、サイドテーブルに契約書の束を発見した。店主の言う通り、この部屋がゼブルの投宿先で間違いない。

 

 寝台が2つ……つまり2人部屋……しかし荷物は背負い袋が1つだけ。

 背負い袋を手に取る。

 荷はそれなりに詰まっているが、軽い。

 分厚い布製の、よく旅人が持つタイプだ。

 一瞬の躊躇の後、開口部の皮紐を解く。

 

 下着、下着……これも下着、あれも下着、やっぱり下着……

 

 荷を全部取り出しても全て下着だった。

 再び丁寧に元に戻す。

 

 何も無い部屋……で、済まして良いものか?

 

 改めて見回しても何も無い。

 諦めて、契約書の束を手に取る。

 契約書……そう言えばゼブルの文字を見た記憶が無い。

 女王との会談時も契約条件をメモしていたのはジットだった。宰相に手渡した最終的な書面もジットが仕上げたものだった。サインすらしていない。

 

 ……ひょっとしてヤツは文字が書けないのか?

 

 いや、ありえないだろう……女王との会談内容から考えてもかなり高度な教育を受けているように感じられた。計算も早い……そこらの商人や役人では敵わないほどだ。

 

 しかし……念の為、か……

 

 部屋を出て、隣室を覗く。

 同様に施錠されてはいなかった。

 やはり寝台は2つ……2人部屋……窓の位置以外、全く同じ作りの部屋だ。

 この部屋には同じような背負い袋が2つ転がっていた。

 中身を探っても、やはり男物の下着だけ。

 

 ……無駄足か?

 

 下着を元に戻す。

 そして何気なく寝台の間のサイドテーブルを見る……こちらの部屋には何も無かった。

 

 フンっ、無駄足か……宿の外でガガーランを待つ……急いで出なければ。

 

 そのまま部屋を後にしようとした……その時、寝台とドアの間にあるソレを見つけた。あまりにそこにあるのが自然だった為に、隣室に無いソレをスルーしてしまったらしい。

 

 屑カゴだった。

 

 イビルアイは慌てて手に取り、中身を確認する。

 香ばしい残り香のする串が数本……おそらく屋台で売られている何かの串焼きのものだろう。

 汚れた布が数枚……身体を拭いたものか、非常に汗臭い。

 そして丸めた羊皮紙……本命だ。

 全部で2枚……内1枚はなぐり書きで内容は理解できなかった。そしてもう1枚はインクが大量に滲んで、それこそ読めたものではない。

 

 イビルアイはなぐり書きの1枚を取り出し、上下左右にグルグルと方向を変えた……文字に見覚えがあった。ジットの文字なのは間違いない。しかしあくまでメモなのだろう。単語は理解できても意味を成していない。

 

「……これはビーストマン……眷属……か?……結界から、なのか?……後は支配……目的……秘匿……実験……成功……交渉……戦力……互角か……それに戦争……救出……いったいなんなのだ、これは?……裏でヤツは何を企んでいる?」

 

 そこにはかなり物騒な単語が羅列されていた。

 ゼブルが何をやろうとしているのか……いずれにせよ、良からぬ事には違いない。探らねば、追求せねばならないことが無数に思い浮かぶ。

 しかし時間が無い……まずカドランの無事を確かめねばならない。

 

 イビルアイは羊皮紙を元通り丸め、屑カゴに戻した。可能ならば持ち出したいが、あまりに危険過ぎる……知らぬ間に深入りし過ぎたカドラン達と同じ轍は踏めない。

 

 メモの全単語を脳裏に焼き付け、部屋を立ち去った。

 

 ただ一点……全く理解できない単語『モモンガ』の取扱をどうするべきか、ガガーランが到着しても決めかねていた。

 




お読みいただきありがとうございます。


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20話 戦闘を取り巻く様々な気持ち

スケジュールがちょっと押すだけでピンチになります。
泣き言ばかり言っても仕方ないので、もう少し1日の文章量を増やそうと頑張っています。
感想くれた方ありがとうございます。
励みになります。
ご指摘をいただいた方もありがとうございます。
全体の修正まで手が回りませんので、とりあえず先に進めまていますが、いずれ修正したいと考えています。


 

 兵の士気は開戦以来最も高い。

 数的優位も確保した。

 地の利もある。

 城壁を背に、高台を確保しているのは竜王国軍だ。

 弓兵隊の援護もある。

 その上、半包囲も実現させていた。

 だが、それでも足りないのか……?

 

 ビーストマン共の跳ねっ返り……まだ若いビーストマン達による族長達からの命令無視が生み出した、連携も機能もない不満だけでまとまった集団……いわば暴徒の群れが竜王国軍の戦列を粉砕しつつあった。

 

 ビーストマンが人間の10倍の身体能力を誇るとは言え、あまりに脆い。

 

 連中には指揮官もなく、作戦もなく、連携すらない。

 軍勢として明らかに欠陥を抱えた連中に人間の正規軍が簡単に防戦一方に追い込まれ、敗走とは言えないものの、後退に次ぐ後退を繰り返していた。

 

 その様を上空から眺めていた。

 

 正面から対峙する正規軍に対して、冒険者とワーカーの独立部隊が敵の左右後方から突入し、蹂躙するが、今回はいつものようにビーストマンは崩れなかった。

 なにしろ最初から指揮官がいないのだ。

 統括する者が存在しない以上、連中の心が折れるか、熱狂から醒めるまで駆逐し続ける以外の方策がない。軍と民衆ならば直ぐにも決着となろうが、暴れ回っているのは個々の力が兵士より上の亜人……戦局は予断を許さない。

 

 冒険者とワーカー達……特にアダマンタイト級チームはビーストマンなど全く問題にしていないがとにかく数が違う。今回は全部族の跳ねっ返りの集合体が相手だ。各部族毎に統制された戦闘集団よりも機能は劣るが、無秩序とはいえ、数は統制された集団の10倍を超える。多勢に無勢とは言わないまでも、アダマンタイト級チームの継戦能力を凌駕する可能性も捨てられない。

 

 今回は可能なら手出ししない……まあ、完全に敗走するようならば、その前に介入すれば良いだろう。

 

 これは竜王国との契約を今以上に厳しいものにしない為には必要な措置だ。

 厳しくなり過ぎて、最初から投げやりになられても困る。

 忘恩どころか、敵対される可能性も生じる。

 最後の戦いの主役は竜王国軍でなくてはならない。

 だから予備兵力として上空で待機しているのだ。

 

 条件を現状以上厳しくさせたくはない。

 かと言って、緩和も望ましくない。

 程々が望ましいのだ。条件が緩くては領土放棄の方向に転がる可能性が低くなってしまう。

 竜王国民には労働力として大きな利用価値があるし、政府には程よい感じのキツさで領土を放棄してもらわねばならない。既に女王陛下は領土を放棄するつもりだろうが、宰相以下の首脳陣の中には反対する者もいるだろう。どれだけ女王の署名が入った契約書を見せびらかしても、竜王国が反故にするつもりならば意味がない。俺は一個人でしかないのだから、国家が黙殺するつもりならば黙殺可能。既に黙殺不可能レベルのインパクトは与えたつもりだが、将来については予測不能だ……状況が変化すれば掌返しは「ある」と考えなければならない。

 

 そうは言っても現状は竜王国の勝利を確定させる必要があるのだが……

 

 眼下でブレインを先頭に3人が突入を開始した。

 ビーストマンごときが障害になるはずもなく、一方的に蹂躙している。

 だが多勢に無勢はアダマンタイト級チームと同じだった。

 そもそも敵には陣形も戦列もなく、作戦すらないのだ。熱狂が支配し、突撃しては後退するをひたすら繰り返しているだけだ。仲間の死が新たな熱狂を生み出し、攻勢の燃料となっていた。

 連中は気に入らないだけだ。

 餌である人間ごときに屈するのを拒んでいるのだ。

 

 そして『青の薔薇』も突入を開始した。

 ラキュースとガガーランが横並びで道を開き、押し出されたビーストマンを双子の低レベル忍者が始末していく。さすがに手際が良い。彼女達が道を開いた後を冒険者やワーカーの小集団が続き、ビーストマンの分断を図るつもりのようだ。

 前衛を竜王国軍が引き付け、後方集団を冒険者やワーカーや傭兵で包囲殲滅する、という感じかな……その最も危険な分断を担当するのが『青の薔薇』なのだろう。

 

 軍の後退がピタリと止まった。

 竜王国軍の後退は偽装だったようだ。

 ビーストマンの前衛を城壁手前までの誘引したのだ。

 そこで反転し攻勢に転じる。

 最前線が後退していた部隊と入れ替わり、歩兵が長槍で槍衾を形成した。

 ビーストマンの突撃を押し返す。

 城壁からの矢が雨霰とビーストマンの前衛に降り注ぐ。

 後方集団を包囲しようと小集団も徐々に戦列を形成し始めた。

 このまま上手く運べば完勝だ。

 

 対するビーストマン側も主力は撤退した為に増援は望めないが、それだけに背水の陣だった。分断の危機を察知し、前衛後方集団が反転し、先頭の『青の薔薇』に続く比較的弱い集団を襲撃し始めた。作戦は無いが、本能が敵の弱点を明敏に察知しているようだ。それなりの冒険者であれば低レベルのビーストマンなど問題にしないのだろうが、彼等はそれを数で圧殺した。

 

 竜王国側が分断を意図した冒険者の列が激戦区となった。

 お互いが挟撃を意図して、潰し合う。

 

 一度は巻き返した竜王国側が再度ビーストマン側に押し返された。

 戦況は膠着とまでは言わないが、激しさの割に局面が停滞していた。

 

「まだまだか……どう思います?」

 

 俺の横に滞空してるイビルアイに問う。彼女も眼下で繰り広げられる軍勢同士の闘争を眺めていた。戦局を判断し、自ら決定打となるべく待機している。

 

「お前はどう思うのだ……そもそもお前が待機する意味などあるのか?」

「意味……ですか?」

「そうだ。お前は歩くだけでビーストマン共を鏖殺可能なのだろう?……だったら遠慮せずに歩けば良いではないか?」

 

 想定内……だが、ご本人同様なかなか面倒くさい指摘だ。

 

「ビーストマンに限らず、ですけどね」

「では、わざわざ軍など動かさず、お前が単独でやれば良いだろう?」

「俺が完全に排除すると、未来の竜王国が悲惨な状況になるんですけど……」

「だから今は兵の死を厭わずに頑張れ、か?」

「そういうことです……そもそも国防は自前が基本ですよ」

「だから死ね、と兵達に発令する竜王国も見下げたものだが……その状況を利用するお前はもっと気に入らんな」

「ビーストマンを排除して捕食される心配が無くなっても、国民が餓死するような状況に陥ったら、それこそ意味がないと思いませんか?」

 

 イビルアイは言葉を詰まらせた。

 

「経済的な死は別の意味で悲惨ですよ……第三者は惨たらしさを感じないで済むでしょうけど、ほとんどの当事者は希望の無い中で緩慢な死を待つか、命を絶つかの2択を迫られます……生き残るには本当の生地獄ってヤツに耐えなきゃなりません」

「……知ったような口を」

「国家レベルの経済的死なんて大規模なものはさすがに知りませんが、愚民政策の末に計画的に国家から徐々に死ぬしかない地獄に落とされた人々ならばかなりの数を知っています。国策ですから、そりゃー規模もそれなりです」

 

 淡々とリアルを語ると、イビルアイはこちらに仮面を向けた。

 

「現状の竜王国は国民を捨てていない……むしろ必死に救おうと足掻いています。それだけでも俺が知る国に棄民とされた人々よりも相当に幸せだと思いますけどね」

 

 ようやく俺に噛みつくのをやめてくれたのか、イビルアイは話の方向性を変えた。

 

「お前は……本当は何なんだ?……人間ではないのか?」

 

 あー、怒りで思わず口を吐いた言葉を気にしてたのか?……まあ、こちらに都合良く忘れてくれるわけはないと思っていたけど……

 

「何だと思います?」

「……悪魔か?」

「ハッ……悪魔……この俺が?」

 

 惜しいけど、違う。

 

「以前、王都で魔皇ヤルダバオトの噂が広まった……お前に近い『八本指』の幹部ですらお前ではないか、と噂していた……お前ではないのかっ!」

「悪魔の王ですか?……この俺がそんな御大層なものに見えますか?」

 

 仮面がこちらを見詰める……そして首を振った。

 

「……見た目も気配も人間だ……だが人間には過ぎた力を持っている」

「では、見たまま人間ですよ」

 

 笑って見せたが、どうにも納得してくれないようだ。

 イビルアイはさらに食い下がった。

 

「今の話にしてもそうだ……お前は将来を見通す……ここでも、王都でも。そして犠牲を厭わない……私達には理解できない選択を理解できない理由で決定する……それは悪魔的と言うべきじゃないのか?」

「買い被りですよ。俺は徹底的に俺の都合で動きます。他人を思いやる余裕も世界や社会の構造に想いを馳せる余裕もありません。結果として利益を得る者も失う者もいるでしょう。本来ならば失う命を繋いだ者も、不本意な死を迎えた者もいるはずです。でも……ただそれだけです」

「口の割には竜王国の将来などを気にするではないか?」

「竜王国の国民が生き延びた方が、俺にとって都合が良い……そう考えることはできませんかね?……同じく都合が良いなら、彼等の境遇が少しでも良い方が俺にとってより都合が良くなる……ってことですよ」

「……お前の考えが理解できない」

「理解する必要はありません。理解してもらうつもりもありません。あくまで俺の都合です……それとも『青の薔薇』を抜けて、俺に鞍替えしますか?」

 

 いい加減黙らせるつもりで言った言葉にイビルアイは沈黙で応えた。

 

 何故、即座に否定しない……?

 

 加熱する決戦場の上空で、微妙な空気が流れ始めた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

「カドランか……それに2人も……無事だったか!」

 

 もはや消耗戦の様相を呈してきた大乱戦を抜けた先の廃屋の陰に『豪剣』の3人が佇んでいた。彼等もビーストマンを中を抜けてきたようで、激しく肩を上下させながら、それぞれの水袋を咥え、中身を流し込んでいる。

 

「ガガーランさん……それに皆さんも……この前は勝手に出て行ってすみませんでした。でもお陰様で、2人とも無事で……ゼブルさんの誤解もなんとか解けたので、我々も参戦して、少しでも役に立とうかと……」

 

 カドランの肩をガガーランがバシッと叩く。

 

「心配したぜ……まあ、何にせよ、良かった……良かったなぁ……」

 

 涙ぐむガガーランを見て、ディンゴとシトリも頭を下げる。

 

「本当にお世話になりました……また改めて御礼させて下さい。では戦場で立ち話もなんですので、作戦通り我々は再突入して、抜けた後は敵後方の包囲陣に加わる予定です」

 

 『豪剣』の3人は改めて頭を下げると「では!」と言い残して、その場から乱戦の続く戦場に再突入していった。

 

「頑張れよ! 無理すんな!」

 

 ガガーランは大きく手を振り、『豪剣』を見送った。

 『豪剣』の姿が消えた途端……

 

「……違和感」

「たしかにおかしい」

 

 ティアとティナが淡々と言った。

 ガガーランが真顔で振り返る。

 

「……だよな」

「そうね……さすがにゼブル『さん』はないわね」

 

 ラキュースも水袋に口をつけながら言った。

 

「誤解って言い方もおかしい」

「言い掛かりとか難癖って言うべき」

「……だな。またゼブルにやられた……か?」

 

 『青の薔薇』の脳裏に王都での記憶が蘇っていた。

 警備部門の首魁ゼロや奴隷売買部門のコッコドールだけでなく、汚職官吏のスタッファンに、今や『幻魔』から『英雄』となったサキュロントが次々にゼブルに膝を屈していた光景……ゼブルの持つ何某かの力によって、今度は『豪剣』の3人が配下に加わった可能性が極めて高い。

 

「カドラン達も……か……」

「そう思って行動した方が確実でしょうね……残念だけど、彼等に情報は渡せない。いわゆる『3人組』にこちらの内情が流出する可能性が極めて高い……そう考えざるえないわ」

 

 ガガーランが戦鎚の柄をギリギリと握り締めた。

 

「なんかよぉ……やるせねえなぁ……無事が確認できた途端、今度は俺達が疑わなきゃならねえなんてな」

「なるべく接触は避けるべき」

「不穏な動きがあったら、逆に監視すべき」

「……まあ、そういうの全部込みで王都じゃ見事に出し抜かれたけどな」

 

 ティアとティナがそれ以上の言葉を飲み込んだ。

 

「何を仕掛けてくるか……それがどういう意味を持つか……どうしてその選択に至ったのか……まあ、イビルアイの言う通り全てはゼブルの掌の上ってことか……今回もこのままならゼブルは竜王国を救うことになるわけだ。そして俺達はゼブルの尖兵でしかねえ。報酬としてゼブルは広大な領土を得る。俺達も野郎からオコボレを頂戴するわけさ……なんか虚しくならねえか?」

「でも今回はイビルアイが大きな情報を得たわ……これは今までにない大きな一歩よ。次に彼が何を仕掛けるつもりなのか……さらに情報を補足できれば、先行することも可能……立場は逆転するわ」

「逆転した結果……俺達が悪の親玉ってこともあるぜ」

「本当に悪の親玉なのかしら……私達は悪の親玉と契約して、ここで戦っているの?……違うでしょ。食人のビーストマンから民を救う為よ……『八本指』の一件で一方的にやり込められたから、そう感じているだけ……竜王国に来てから確信を得たけど……たしかに手段は褒められたものではない。理解も許容もできないことが多い。でも目的は共有できるわ」

 

 そうラキュースが言い放ち、ティアとティナも大きく首を縦に振った。

 

「たしかに仕事らしい仕事をしている」

「右に同じ……報酬も満足」

「待て、待て、違うだろ!……ラキュース、そいつは冒険者の考え方じゃねえぞ!……いったいどうしちまったんだ?……多数の為に少数の犠牲は厭わないってんなら……ラキュース、お前は貴族に戻れ!」

 

 堪えきれずにガガーランが叫んだ。

 今度はラキュースが黙り込む。

 

「俺達は冒険者だ。巷で揶揄される通り対モンスター専門の傭兵稼業かもしれねえ……たしかに全てを救えるわけでもねえ……守らなきゃならねえルールもある。選択しなきゃならねえ時もある……だがよ、アダマンタイトの仕事に慣れ過ぎて、忘れてねえか? 俺達は効率良く切り捨てるなんて発想で動かねえだろ……どっちが良いとは言わねえ……だがそれは絶対に冒険者じゃねえぞ」

「……そうね。ごめん、どうかしていたわ……でも……」

「でももクソもねえぞ……もちろん俺が絶対的に正しいわけじゃねえ。大局的には愚かしいこともあんだろ。いつも以上に熱くなってんのは認める。だけどよ、違うモノは絶対に違うんだ……なんで女王はこのタイミングで突如として軍を動かした?……今、女王に一番に近いのは誰だ?……答えは言うまでもねえだろ」

 

 双子が同じタイミングで指を鳴らした。

 

「イビルアイの情報」

「……戦争」

 

 ガガーランは重い雰囲気を変えるべくニヤリと笑った。

 

「この戦いがゼブルの思惑よるものなのか……断定はできねえが、アイツの考えの延長線上に戦争があるのは間違いねえだろ」

「たしかに……」

「ガガーランの言う通り」

「ラキュース、そういうことだ」

 

 ガガーランがラキュースの肩に手を置いた。

 

「そうね……少なくとも無くてもいい戦争を企てるのは絶対悪……それは間違いないわ」

 

 ラキュースの目に力が宿る。

 それ様を見てガガーランは大きく破顔したが、内心はホッと胸を撫で下ろしていた……熱くなっていたのは確かだが、それは不安を打ち消す為……あえて演じていた側面が大きい。やはりどうにもラキュースの様子がおかしい、と感じてしまうのだ。

 

「でも、そう判断するのなら……やはり放置することはできない、ってならないかしら?」

「もちろん放置はしねえさ……ヤロウの企みはぶっ潰す。幸いにして、仕事は全く無えし、金も山程ある」

「監視も必要」

「諜報も必要」

「私達の出番」

「……でも、難しい」

 

 双子忍者が大袈裟に項垂れた。

 

「でも、戦力も資金力も人員もさすがに直接交戦しても勝てる要素は一切無いわね……であれば、やはり情報で先行するしかないわ」

 

 ラキュースが上空を見上げた。

 連れてガガーランもティアもティナも見上げる。

 

 ちょうど急降下するイビルアイの姿が見えた。

 その向こうに豆粒大の影も見える。

 どういうわけか、その姿は影から逃げるよう感じた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 強くなりたい。

 切実に願った。

 望む通り、強くなった。

 でも届かない……足下にも及ばない。

 

 適度な睡眠。

 快適な環境。

 素晴らしい食事。

 管理された栄養。

 適度な運動……でなく、激しい訓練。

 装備に頼らず、素の能力を上げる。

 だから受ける傷も多い。

 しかし訓練を終えれば一切の怪我は回復される。

 希望した全てが想定を遥かに上回る最高水準で叶えられる。

 正に「至れり尽くせり」だった。

 

 ただし脱出はできないし、外出も許されない。

 

 だから訓練を続けた。

 低位のアンデッドから始まり、もはやデスナイトは敵ではなくなった。目下の目標は赤い帽子を被ったゴブリン……レッドキャップを倒すこと。現状はほぼ互角かやや劣る程度……もう少しで完全に凌駕できる気がするが……階段を登れば登るほど、その遥か先……デミウルゴスへの道程は果てしないと実感させられる。少なくともあの丸メガネの大悪魔を凌駕しなければ、ここから逃げ出すことは不可能なのだ。

 

 囚われの身に堕ちてから何日経過したのか……?

 

 当初は深刻に考えていたが、彼等の「歓迎する」という言葉に嘘は無いようだった。彼等は外出と装備着用以外の望んだ全てを叶えてくれる。だから迂遠ながらも強くなることを望んだ。もちろん「自分達を凌駕できるわけがない」という侮りもあるのだろうが、彼等は倒しても問題とならない訓練相手をいくつも用意してくれた。

 

 今日も訓練を終え、治療を済ますと巨大な浴場に向かった。

 ここでも至れり尽くせりだ。

 浴槽に身を沈める以外にやることがない。

 栄養状態が改善し、艶やかさの増した肌をメイド達が磨き上げる。

 頭髪のケアもしてくれる。

 それだけでなく銀色に染め上げた髪を、さらに美しい銀色に染めてくれた。

 程よく火照った身体をメイド達が柔らかなタオルで拭き上げる。

 冷風を送り、心地良く冷やしてくれる。

 

「はぁ……堕落だわ……」

 

 世の王侯貴族とはこんな生活をしているのか……だったら殺し尽くした方が世の為だ、などと物騒なことを考えながら、ここに来た当初は豪華すぎてビビった記憶も忘れ、もはや慣れてしまった廊下を歩く。

 すれ違うのは圧倒的にメイドが多いが、何故か覆面をした集団に抱えられた鳥のような外見の執事助手もよく見かける。ルプスレギナとソーちゃんことソリュシャンは格好こそメイドだが、どうにも役割が違うようで初日の食事以外はメイドらしい行動を見た記憶がない。

 

 与えられた部屋に到着すると、ドアまでメイド達が開ける。

 そして音もなくドアが閉じた。

 

「割とマジでヤバいかも……」

 

 日々切実にそう思う……快適すぎてバカになる。

 やりたいことだけに専念できる。

 最適で着実な訓練を受け、完璧な治療を受ける。

 これまで食べたことのない美味に珍味を味わう。

 恐ろしく美味い酒も飲める。

 贅を尽くした部屋に寝台に浴場。

 

「……でも、このままじゃ拙いねー」

 

 目蓋を閉じ、主人の顔を思い出す。

 ココは打倒すべき敵の本拠……脱出すべき場所。

 その為に強くなる……でも強くなるほど、敵が遠のく。

 

 壁際の『戦闘妖精』を手に取ろうと近寄る。

 

「それは許可無しじゃ許されないっすねー、ティーちゃん」

 

 身体が強張る。

 何処かに潜んでいるとは思っていたが、やはり慣れない。

 隠密などという生易しいレベルでなく、完全に断たれた気配を相手にするとどうしても身体がびくりと反応してしまうのだ。

 

「……ルプスレギナ」

「驚いたっすね? またまた好感度急上昇っす」

 

 笑顔魔人が姿を現し、ケラケラと笑った。

 法服のようなメイド姿が無遠慮に顔を覗き込む。

 

 ……コイツにもまだまだ届かないか……

 

 拘束される以前よりも一段上のスデージに登った自負を得たが故に遠さを理解してしまう。2人の間にはまだまだ飛び越えられない大きな溝が横たわっていた。

 

「お食事の時間っす、ティーちゃん」

「あっ、そ」

「なんかつれないっすねー……でも、そんなティーちゃんに朗報っす。デミウルゴス様が訪問なさるっすよ」

「デミウルゴスが?」

 

 外出と装備着用以外のティーヌが望む全てを許可した者の到来をルプスレギナは告げた……また何か頼むチャンスであると言外に告げているのだ。

 

「デミウルゴス様っす……賓客でも礼儀は大事っす」

 

 親しくもないのにティーちゃん呼ばわりのお前に言われたくないと思った途端、ドアが開け放たれ、給仕担当のメイド達によってワゴンが運び込まれた。

 ちょうど腹が悲鳴を上げる。

 食事となれば思考は後回し……もはや条件反射と言っても過言ではない。

 とにかく食欲を満たすべく、ティーヌは席に着いた。

 食前酒から始まり、フルコースが次々に提供され、瞬く間に貪り尽くす。

 計算し尽くされたかのように満腹になった絶妙のタイミングで、食後のコーヒーが提供される。

 

 ……完全に餌付けされたな、こりゃ……

 

 コーヒーを味わいながら、そう自嘲気味に思ってみても、食欲という3大欲求の代表選手にはどうしても逆らえない。過激な運動による空腹のせいでもあるだろうが、それほど疲労を感じない時でも結果は一緒だ。ココで提供される食事の圧倒的誘惑には逆らえるはずもない。何も考えず、頭の中を空っぽにして貪ってしまう。そもそも満腹まで食べるなど以前では戦士として考えられなかったのに、今では満腹まで食べないと気がすまないのだ。

 

 ココの連中に下品と思われても構わない。

 ティーヌは満足感で膨れた腹を摩りながら、コーヒーの残りを一気に飲み干した。

 

「ご満足いただけたかな?」

 

 ……まあ、そんな頃合だろうね。

 

 室内の気配がガラッと変わり、どれだけ穏やか雰囲気であろうとルプスレギナやソリュシャンなどとは比較にならない圧倒的な気配が支配する。既にルプスレギナや給仕のメイド達の姿は消え、丸メガネの奥に巨大な金剛石の輝きを見せるバケモノの中のバケモノが立っていた。

 

「……さすがの美味しさです。日々三食、驚きと満足の連続です」

「おおっ、その言葉は必ず料理長に伝えましょう!……彼も感動するに違いない」

「是非伝えて下さい……可能ならば直接礼を述べる機会を」

「それも考慮しましょう。ですが彼も多忙な身……タイミングはこちらに一任してもらいましょうか」

「是非、お願いします」

 

 2、3の他愛のない会話が続く。

 しかしそれで打ち解けるはずもない。

 お互いにそんな事を望んでいないのも明らかだった。

 単なるタイミングの探り合いであり、言葉の読み合いですらない。

 だから「ところで」とデミウルゴスが言ったところで本題となった。

 

「ひとつ仕事を依頼したいのですが……」

「仕事……ですか?」

「そう、仕事です……依頼する以上、報酬もご用意します」

「……報酬?」

「私が貴女の為に考え得る最高の報酬です」

「最高の……外出許可でしょうか?」

 

 乗せられているのは理解しているが、どうしても「最高の」に反応してしまう。この狂気じみた贅沢を拉致された虜囚に過ぎない自分に与えてくれる連中の考えるティーヌにとっての最高の報酬とは何か?……外出許可とは言ってみたものの、そんな単純なモノであるはずがない、とは思う。

 多少は成長し、強くなった今ならば理解できる。

 連中はティーヌに逃げられるなどと微塵も警戒していない。

 彼等が警戒しているのはゼブルによるティーヌ奪還だ。そうでなければティーヌの要望を受け入れ、強化トレーニングなど施すわけがない。

 

 では、報酬とは何か?……ティーヌには想像もできなかった。

 

「外出許可など報酬に値しないでしょう。この報酬……私の予想では貴女は必ず気に入るはずです。むしろ現段階で提示すれば、貴女は動揺してしまうかもしれない。さらに依頼する仕事の意欲にも影響を与えるかもしれない……それほどのモノであると確信しています」

 

 嘘ではないだろう。

 ティーヌの待遇について、デミウルゴスが嘘を言うとは思えなかった。

 

「では、仕事とは?」

「使いを頼みたいのです」

「使い、ですか?」

「はい……私はゼブル殿と会談を希望します。彼は墳墓勢力への対応に悪戦苦闘しているようなのでね……我々と共闘可能な部分も多いかと考えました」

 

 ……ゼブルに会わせる……そしてココに戻らせる。

 

 なるほど、だから考え得る最高の報酬が必要なのか……しかしナメてもらっては困る。この忠誠が報酬など言うモノで揺らぐはずもない。どんなに監視の目が厳しかろうと、ゼブルに辿り着ければ逃げ切る。ゼブルの庇護下にさえ戻ってしまえば、たとえデミウルゴス自身が追って来ても逃げられるだろう。

 

 即ちチャンスだ……今後二度と無いレベルの絶好の機会だ。

 

 ティーヌは表情を消しながらも、内心ほくそ笑んだ。

 そしてマヌケなバケモノを見る。

 口角が限界まで上がった笑顔がそこにあった。

 思わずビクッとしてしまったが、動揺は最低限に抑え切った……つもりだ。

 

「現在ゼブル殿は竜王国です。墳墓勢力に対抗する為にビーストマン共を使って何事かを企んでいるようですね。貴女は密使として赴き、我々は会談の希望があることを伝えて下さい。日時と場所はそちらにお任せするとも……そして帰還した際には報酬をお渡ししましょう」

「……謹んでお受けします」

 

 ティーヌはデミウルゴスの愚かさに脳内で祝杯を掲げた……後ほどそれを実行に移すことも決めた。

 

「無粋なことは申しません……が、貴女は必ず戻りますよ。これから提示する報酬の詳細を知れば、絶対に戻ります」

 

 断言と共に悪魔の指先が一枚の書面をテーブルに置いた。

 それは目録というよりも説明書だった。

 受け取る気のない報酬……だが散々煽られた結果、ティーヌは手拍子で書面を手に取った。

 書面に目を通し、思わず二度見する。

 そしてデミウルゴスを見た。

 

 悪魔は悪魔的な微笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 最後まで抵抗の激しかった中央を分断する包囲網が降下したイビルアイの活躍により完成した。空中を自在に移動する彼女は戦列の先頭でなく、二列目以降の目立つビーストマンを狙い撃ちしていった。結果として余力のある後続が先に殲滅され、最前列は余力を残しての後退が難しくなり、徐々に追い込まれていった。

 城壁上の弓箭兵による矢の大安売りによって、ビーストマン前方集団の前半分は甚大な被害を受けていた。さらに抵抗が弱まったところを前方と左右から長槍兵に押し込まれ、前方集団は半壊状態に陥っていた。

 戦局が完全に傾き始めれば、統制も対策もない集団は脆い。

 既に包囲網は完成し、逃げ道も無い。

 恐慌状態の一部のビーストマンが無意味な特攻を始める。

 前方集団の戦力は徐々に圧力を失い、確実に骸の山と化していく。

 

 戦場に死体が目立つようになるとジットの独壇場となった。

 ブレインとエルヤーが道を切り開き、その後をジットが悠々と進む。

 彼が戦場を移動する度に元ビーストマンだった肉塊は偽りの生を受け、アンデッドと化して、それまでの同胞を襲う。ビーストマンが多数健在だった頃はそれもすぐに打ち倒されたが、戦場に骸が目立つようになるとその凶悪さがもろに発揮された。

 死者の群れが次々と立ち上がり、その度に仲間を増やす。

 禍の元凶たる死霊術師は分厚い死者の壁に守られ、誰の手も届かない。

 敵は増える一方……死ねば敵に仲間入り。

 伝播拡散していた恐慌はやがて恐怖に塗り替えられた。死を恐れなかったビーストマン達に死後の尊厳が無いことが伝わり始めたのだ。

 

 ジットの操る死の軍団は戦場をただ闊歩する。

 

 そして前方集団が総崩れになった。彼等は同胞と合流しようと濁流と化して後方へと逃げ延びていく。

 

 結果として煽りを受けたのは分断を担当する『青の薔薇』を中心とした冒険者とワーカーと傭兵の連合部隊だった。彼等は後方集団の最前列と逃走を開始した前方集団に挟撃されたに等しい状況に陥った。撃破しようと前進する後方集団と単に包囲の弱い部分に殺到する前方集団の生き残り……ランクの低い冒険者の小集団が格好の標的となった。

 どれだけ冒険者個人がビーストマン単体より強かろうと物量はそれを簡単に覆す。それまで等級以上に奮戦していた銀級戦士の頭部をビーストマンが握り潰した。直後、死んだ戦士の後方にいた魔法詠唱者が魔法を行使する間も無く、突入してきた2人のビーストマンに弾き飛ばされ、踏み潰された。そのたった2名の死がそれまで前後のビーストマン集団の挟撃に近い猛攻を弾き返していた堤防を決壊させた。

 濁流のように後方へと雪崩れ込むビーストマンの群れ。

 弾け飛び、次々と死んでいく冒険者やワーカー。

 ジットのアンデッド軍団と竜王国の長槍兵に追い立てられ、逃走するビーストマンの群れの勢いは激しさを増していた。

 

「ありゃりゃ、もう少しで完勝だったけど……なかなか上手くいかないね、現実は……ゲームとは違うか」

 

 こうなる前から大乱戦だった激戦区……混乱の拡散は爆発的だった。

 同種同士の戦いではないので同士討ちこそないが、指示が守れず、持ち場を維持できない冒険者やワーカーが続出し、戦線の一部が完全崩壊した。

 

 低空を移動しながらイビルアイが『水晶の短剣』を連発し、なんとか戦線を立て直そうと奮戦した。

 『青の薔薇』もラキュースとガガーランを中心となって空いた穴を塞ごうとビーストマンを蹴散らしているが、やはり数の差は大きい。そもそもこれまで分断を維持できていたことそのものが健闘と言って間違いないだろう。

 

 混乱は収束どころかその兆しすら見せない。

 

 とはいえ、ビーストマン達が状況を立て直せるかと言えば、そうではなかった。と言うよりも元から作戦がないのだから、立て直すもクソもない。

 ただ勢いで戦っていた後方集団にさらなる勢いが加わったのだけは間違いない。

 連中の攻勢は空いた穴に向かう……明快な弱点狙いだ。

 

 そもそも冒険者やワーカーの数は極端に少なかった。本来大集団の包囲という作戦を実行するのも数的にかなり厳しいのだ。限りなく薄い外周部を強い者達が担当するのは当たり前だった。ミスリル以上の力を持つ者のほとんどが外周に回されている。例外は中央突破の中心である『青の薔薇』と外周部の一部を担当しても特性が全く活かせないジットがいる3人だ。

 

 ……だけど、こうなっては少し手を出す必要があるか?

 

 冒険者やワーカーとして紛れ込んでいる3人以外の肉腫持ち配下に命じる。

 即座に外周部にいたいくつかの小集団が突入を始めた。

 口々に「救援に向かえ!」などと叫んではいるが、目的は違う。

 外周に空白地帯を作るのが目的だ。

 

 慌てて他の冒険者なりワーカーなりが穴を塞ごうと動くが、人員的に間に合うはずもなく、包囲網はビーストマン達に難無く突破された。ビーストマンの暴徒集団の向かう先は押し出されるように決まった。

 

 包囲から脱出し、立て直しを図るビーストマン達。

 しかし外周を固めていたのは高位の冒険者とワーカー達だった。

 即座に攻撃を開始する。

 攻撃魔法が炸裂し、飛び道具が乱れ飛んだ。

 もはや戦闘継続など考えず、一気に殲滅に動き始めた。

 それでも数が圧倒的に足りない。

 ビーストマン達の3分の1近くは包囲から逃れ、逃走を開始した。

 

 逃走は困るな……戦場の移動以上の結果は望ましくないし、面倒くさい。

 

「トリプレット・マキシマイズマジック・ファイアーボール!」

 

 第三位階で最大火力……とは言え、あまりに脆弱なので上空から連発する。

 三重最強化した『火球』の雨が射程ギリギリの100メートル上空から降り注いだ。もっと高位の魔法を使えば楽なのだろうが、こちらに転移してから初めての絨毯爆撃はそれなりに壮観であり、妙な高揚感と満足感を得た。

 

 うーん、やっぱ、気持ちいいね。

 

 消し炭と化したビーストマンは近くで見ると不快なのだろうが、上空からでは単に悲惨な景色だ。

 

 背後で竜王国軍の勝どきが聞こえる。

 

 配下でない冒険者とワーカー達が唖然とした顔で空を見上げていた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

「ありゃ、終わっちゃったか……ゼブルさんてば、相変わらずイケズ」

 

 竜王国の首都近郊の岩場に転移させられたティーヌは、首都に潜入した後は劇的な再会を演出しようと脳内で想像を巡らせていた。しかし城壁の上から城門前の大規模会戦を眺めているうちに当初の狙いは変化し、膠着する戦局を覆すことでサプライズしようと虎視眈々と機会を狙っていたのだが……

 

「……いまさら介入しても単なる残敵掃討だしねー……そういうのはジッちゃんの得意分野だし……まっ、私はいっか……」

 

 一刻でも早く、自身の無事を対面で伝えたい。

 しかし折角の機会なので、多少は感動してもらいたい。

 以前よりも成長した自分も見てもらいたい。

 少しは役立てるようになったことを知ってもらいたい。

 悪魔から請負った仕事もあるが、それは正直二の次だ。

 

「さて……どうしようか?」

 

 戦場から軍も冒険者もワーカーも傭兵も大半が撤収を始めていた。

 残りは残敵掃討に向かう。単身でも一対一ならばビーストマンと互角以上に戦える猛者達だ。

 

 彼等を眺めながらティーヌは考え込んだ。

 

 この後のゼブルさんの予定か……いくら竜王国が困窮していても戦勝の祝賀会ぐらいは開催するはず……どう見ても立役者のゼブルさんが招かれないわけがないし……そこならば確実だよね。

 

 外套を深く被り直し、ティーヌは城壁から降り、早くも馬鹿騒ぎを始めている首都の街並みを歩き始めた。

 

 すれ違う誰もが既に酔っている。

 そこかしこで酒樽を開け、通りを歩く者に酒を振る舞う。

 やたらと「乾杯」の声が煩い。

 乗り遅れた者としては、少し煩わしく、少し羨ましい。

 しかしそれ以上に気に障るのが、彼等の語る言葉……否、語らない事実だ。

 まず女王を讃える……それはさすがに納得もする。

 そして軍……これも仕方ないだろう。

 さらに『青の薔薇』が続く……どうやらあの連中も竜王国にいて、この戦いに参戦していることが判明した……ゼブルの他に低空で『飛行』を使って、孤軍奮闘していたのはイビルアイなのだろう。

 加えて『クリスタル・ティア』に『豪炎紅蓮』と竜王国の有名どころが続くのも理解できる。

  しかし……

 

「……ったく、ゼブルさんのお陰で勝ったのに……」

 

 どう見ても決め手はゼブルだった……最初から最後までゼブル単独で戦っても勝利したのは誰の目にも明らかなのに……誰も語らない。

 もちろんゼブルがそんな事を気にしないのは十二分に承知している。

 そう仕向けている可能性まである。

 しかし一の配下を自認する身としては非常に面白くない。

 

 腹立ち紛れに、通り掛かりの屋台で焼いたパンに何かの焼き肉を挟んで香辛料と甘辛いソースをぶっかけたものを購入し、かじりついてみたが……不味いとは言わないまでもあまりの味気なさに失望した。どうやら高々20日間程度続いただけの極上の美食生活のお陰で法国育ちの質素な味覚が相当に肥えてしまったらしい、と気付かされた。身に染み付いた清貧と急激に目覚めてしまった美食のギャップに脳が戸惑っているのだ。

 

 なんだかねー……凄いモヤっとする。

 

 振る舞い酒でパンを胃袋に流し込むも、その酒の味にすら不満を感じる。さすがに「贅沢は悪」を叩き込まれて生きてきたので食料を捨てるまでの決心はつかなかったが、どうにも落ち着かない、妙な気持ちに支配されてしまう。

 

「いよいよヤバいわ、こりゃ……」

 

 などと独言ながら、戦勝で盛り上がる雑踏の中を足早に進んだ。

 どうにも居心地が悪い。

 一般国民に解放された王城の前まで来て、しばらく佇んでいると戦場祝賀会の情報は難無く手に入った。情報がばら撒かれていたのだから、当然と言えば当然の結果だった。さすがに本宮殿の会場にまで招待される者はかなりの高位の者か、目覚ましい戦功のあった者に限られるらしいが、今晩は本宮殿以外の王城の敷地は全解放され、訪れた全国民に祝酒を振る舞う予定らしい。

 当然、相当な混雑が予想される。

 

「ホント、どうしようか?」

 

 時刻は正午前……まだまだ祝賀会までは時間がある。

 ゼブルが戻ってくるのはジットの不死者の軍団を始末した後だろう。そうでなくとも他の冒険者とのやり取りなどもあるだろう。特に青薔薇は絶妙な煩わしさで絡んでくるに違いなのだ。

 当然ジットも付き合うに違いない。

 ブレインもエルヤーも残敵掃討の最中にいると確信できる。あの2人にとっては訓練に参加しているようなものだ。

 ふと今の自分の力を見せたらブレインが悔しがるのではないかと思い付き、戦場に顔を出そうかと考えたが、高台からではなく同じ高さの視界しかない戦場からでは探すのも至難の技だと気付き、諦めた。

 

「タイミング逃しちゃったのが痛いよね……暇すぎ」

 

 食べ物も酒も味が微妙……時間を潰す術が見つからない。

 ちょっと前ならば、暇潰しに弱い者虐めでもしていたかも……だが、今の自身の力が少し高位のモンスターや亜人程度の相手でも通用しない事実を嫌と言うほど味わい尽くしていた。だから強者への挑戦の意欲は以前にも増して燃え盛っているが、弱者を痛ぶる欲求は自分でも驚くほど萎えている。

 まあ、そうは言っても……その時になれば喜悦に塗れて実行するのも重々承知しているが……少なくとも今はそんな気分ではない。

 

 結果、悶々と往来に立ち尽くす趣味もないので、見知った顔が誰もいないだろうゼブルの宿を目指した。

 

 噂を集めるまでもなく、通り掛かりの冒険者風の者がゼブルの投宿先を知っていた。その案内に従い、一定のリズムで淡々と街路を進む。

 

「例によって安宿だよねー……ホント、ゼブルさんの趣味は理解するのが難しいわ」

 

 汚くはないが極めて簡素。

 ただ雨風が当たらず、寝台が有れば文句無し。

 飯屋が併設されていれば尚更上等。

 そんな宿屋兼食堂が目の前にあった。

 いかにもゼブルが定宿にしそうな感じだ。

 満足して頷く。

 扉の向こうから大声や嬌声が響いている。

 ティーヌは躊躇なくスイングドアを押した。

 

「ちわー、ここ、ゼブルさんの宿でいいのかな?」

 

 反応がない。

 と言うよりも、声がかき消された。

 食堂は大盛況……満席どころが立飲みが幾人もあった。

 振る舞い酒恐るべし。

 酒が一杯無料なだけで後は無料なわけではないのに、この戦時下の竜王国の首都にどれだけの人間が集まっているのか……想像もできない。

 

 テーブルの間を縫って店内を進む。

 カウンターの前に立ち、奥に立つオヤジが訝し気な顔を向ける。

 

「おっさん、ここはゼブルさんの宿?」

「……まあ、そうだな」

「部屋で待っても?」

「あんた、誰だよ?」

「ティーヌ……ゼブルさんの配下だよ」

 

 オヤジは考え込んだ……少しだけ近寄り、ギリギリに抑えた声で言った。

 

「俺の知る限り、この竜王国に入り込んでいる旦那の配下にあんたみたいのはいねえな」

 

 ……ゼブルさんの配下……で、入り込んでいるって言ったか?……んでもって私を知らない……となると帝都でなく、王都から来た末端の連中か……?

 

「おっさんらは『八本指』だよねー?……しかも下っ端だ……この私を知らないんだからねー」

「あんっ?……俺達は旧暗殺部門だぜ」

「だからー、下っ端だ、ってんの……いまやゼロの手下じゃん」

 

 ティーヌが煽ってもオヤジは激昂しない。

 代わりに店内の雰囲気が激変する。

 

「……脅しだけでやめておいた方が良いと思うよー……お前らごときが何人集まっても、このティーヌ様には指一本触れられるわけがねぇーんだよ、って、ちょっと前なら喜んで迎え撃ったけどねぇ……正直、弱い者虐めする気分じゃないんだよねー」

 

 オヤジの目配せでティーヌの前のカウンターの席が空いた。

 ティーヌも躊躇なく腰掛ける。

 

「あんた……帝都の者か?」

「いんや、ゼブルさんの最初の配下だよ。ジッちゃんよりも古株」

 

 ティーヌの前に酒が置かれた。

 それを手に取り、一口啜る。

 そして一言「不味っ!」と呟き、顔を顰める。

 

「……んで、私にここで待ってこと?」

「まー、そうだな……申し訳ねえが、俺の裁量じゃ許されてねえ」

 

 肉腫の制約であれば仕方ない……そう納得した。

 

 そのままオヤジに現在の状況を確認する……もちろん口にすることを許されている範囲内で、と念押しもした。そのことで少なくともお互いに肉腫に関して知っていることが暗黙の内に確認できた為か、オヤジの口もかなり滑らかになった。

 さすがにゼブルの本当の目的までは判明しないものの、事前にデミウルゴスからレクチャーされたものよりもかなり詳細な状況が把握できた。

 

 「表の」表向きは竜王国への資金ゆうしと戦力の援助。

 「表の」裏側は竜王国への浸透と支配権の確立。

 そして「裏の」表向きを一言で言えば竜王国の南半分を獲得する計画だ。

 だが「裏の」裏側は誰も知らない。

 大量の資金と物資を供出したヒマル・シュグネウスすら知らない。

 

 あのお色気ババアも知らない……つまり拉致され、情報が遮断されていた自分と大差ない……そう思うと痛快だった。

 

 物資や食料の枯渇しかけた竜王国に不自然に溢れる食料や嗜好品の類はゼブルが『転移門』を使って王都から『八本指』の配下に持ち込ませたらしい。ついでに首都の不動産も買い漁り、複数の拠点も構築した。さらに『八本指』による浸透工作も相当な速度で進行している。王城内にも警備や商取引の名目で入り込み、既に複数の高官に内通済みのようだ。この辺りの手筈は全てヒマルの指示によるものらしい。

 ティーヌとしては気に入らないが、さすがの手腕だと認めざる得ない。

 はるかに強力な戦力を有し、元特殊部隊所属時の様々な知識をもってしてもティーヌには不可能だろう。莫大な資金を背景にしているとは言え、この短期間で、かつ本人不在で指示するだけにも関わらず、こうも見事に事を進めるとは完全に想像の外側だった。

 

 この辺があのババアと私の差なんだよねー……やっぱ、単に強いだけじゃ話にならない……悔しいけど、どうしてもアレは必要なんだよね。

 

 丸メガネの悪魔に踊らされている自覚はある。

 しかし提示された報酬の魅力には逆らい難い。

 仕事そのものはゼブルに不利をもたらすものではない。

 

 問題は報酬を受け取りにデミウルゴスの拠点に戻った後、再びゼブルの下に戻れるのか、だ。口約束を信用してもよいものか……デミウルゴスがゼブルと同盟するのであれば問題ないのかもしれないが、同盟の担保として再度拘禁されるのは遠慮したい。デミウルゴスに敵対するつもりはないのだろうが、本来は敵なのだ。完全に信用できるものではない。

 でも……

 

 ティーヌの心を虜にする報酬……ゼブルも絶対に喜ぶ……はず。

 

 ヒルマのような特殊な技能を今更身に付けられるとは思えない。

 だからゼブルがヒルマを優遇するのも理解できる。

 でも、一の配下は自分なのだ……そこは譲れない。

 

「……おっさん、おかわりくれる。一緒にアテも見繕ってよ」

 

 気が付けば、あれほど気になった酒の味が全く気にならなくなっていた。

 




お読みいただきありがとうございます。


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21話 マッチポンパー

マイルールながら毎度毎度のギリギリでした。


 

 決戦で活躍した者達の中で真っ先に帰還したのはセラブレイトの『クリスタル・ティア』だった。

 嫌々謁見し、謝意は示したものの、もはや用済み。

 表面は至極丁寧に……頭の中では罵詈雑言の嵐が吹き荒れていた。

 さらに粘ろうとするロリコン聖騎士をにこやかに謁見の間から追い出し、ホッと息をつく。今晩の戦勝祝賀会にも、後日の正式な戦勝式典にも招待しないわけにはいかないが、可能な限り縁遠く在りたいとは思う。

 

「初っ端ですが、お疲れのようですな……まだまだ先は長う御座いますが」

 

 宰相が液体を満たした酒杯を差し出す。

 受け取って、一口舐めると……甘い水だった。

 思わず顔を顰めたが、意図は理解している。

 戦勝の雰囲気に気分良く酔っている場合ではない……女王としての職務はこれからが本番なのだ。

 

「理解しているぞ……最初が最大の難関だっただけだ」

「最大の難関が単なる幼児性愛者とは……私としても実に心強いですな」

 

 宰相の皮肉にジト目で返すも、淡々とスルーされた。

 言いたい事は嫌と言うほど理解しているのだ。

 金を借りた。

 独断で契約した。

 民を救う為だ。

 後悔など無い。

 結果として竜王国はあっさり救われた。

 資金は戦費としては大して役には立たなかったが、戦後復興資金としても重要だ……決して無駄ではない。

 そこまでは良い……と言うよりも、どうにもならない。

 現実の問題として、まとまった資金が必要なのだ。

 それは動かしようがない。

 話し合いも済ませた。

 宰相との意思疎通は再開している。

 女王の焦りが産んだ小さな暴走は勝利が見えた時から落ち着き始め、今朝の宰相との話し合いで問題点を明確化させたのだ。

 2人の間で齟齬は解消されたはず……

 

 最大の問題は救国の英雄と資金の貸主が同一ということ。

 即ち竜王国内に彼に逆らえる者など存在しない……この事実だ。

 実際問題、王権はもとより、それ以外の事案についても彼の自由にさせる気は無いものの、王権以外の全てについては妥協する気でもある。どこまで譲歩するべきか……既にそこまでの覚悟は固めていた。

 現実の情勢も厳しい。

 宰相との話し合いを持つ前の段階から、既に正規兵を王城警護に回す余裕がなかった為、彼の斡旋で雇い入れた警備兵の数は既に全体の半数を超える。

 さらに正常に事業を営んでいる業者が激減していた為とは言え、現在の王室や国営事業に物品を納める業者も8割超は彼の口添えのあった者達だ。

 宰相が言うには、首都の経済も彼とその関係者がいなくては即座に停滞してしまう状況らしい。

 この一週間ばかり不自然に流通している物資の出処を辿れば、行き着く先は限られた幾つかの商店や倉庫であり、その所有権者はヒルマ・シュグネウスという王国人であることが判明していた。それらの所有権の取得時期もここ一週間の間に限られる不自然さである……しかし簡単な調査で辿れるほど明確に法令は遵守されている以上、取り締まるどころか文句の一つも言えないのだ。

 物価についても決して安価ではないが高騰しているとまでは言えない。

 今のところヒルマ・シュグネウスと彼の関係性は不透明だが、状況証拠は真っ黒であり、時期的にどう考えても関係が無いとは思えない。

 さらに事態が落ち着き、国民がそれぞれの土地に帰った場合、この状況がそのまま全国に拡散される可能性も決して低くない……と宰相は予想している。

 最悪のケースでは借りた金がそのまま吸い上げられる可能性まである。

 このままでは竜王国は異国出身の一個人の経済的属国に完全に成り下がるのだ。

 そうでなくとも高官達の中で、一介の冒険者に過ぎない彼の発言力は日増しに増強されていた。わざわざ炙り出すまでもなく、既に取り込まれている者も多いように感じる。今のところ女王を蔑ろにするような者こそいないが、王家よりも一冒険者の思惑が彼等の発言に反映されるようになるのも時間の問題と思われた。

 

 具体的に何か要求があったわけではない。

 要求されているのは終始契約の遵守のみ。

 

 ……だからこそ不安になる。

 

 戦勝がほぼ確定し、自身の周囲を冷静に見回してみれば、外堀どころか内堀までしっかりと埋め立てられ、王城どころか玉座以外は塵の一つに至るまで国王である自分の自由にならなくなりつつあったのだ。

 

「で、どうすれば良いのだ……?」

 

 最後の牙城である玉座の上で脚をブラつかせながら独言たつもりだったが、宰相が素早く反応した。

 

「どうするもこうするも御座いませんな……我々の予想を遥かに上回る戦力と資金力にここまで素早く、そしてここまで深く浸透されてしまったのです。もはや影響力を行使されるのは致し方ないでしょう。交渉によりその余地を少なくし、長期計画で徐々に力を取り戻し、徐々に影響力を排除する以外に対抗手段があるのでしたら、私の方が教えて欲しいぐらいですな」

 

 そんなことはわざわざ宰相に諫言されるまでもなく理解している。

 国民の生命を最優先させた結果とはいえ、この異常事態を招いたのは自分自身であるとの自覚もあった……だから宰相を睨む程度で我慢した。

 

 もはや短期的には打つ手無し……か?

 

 『クリスタル・ティア』に次いで『豪炎紅蓮』が謁見しに参上したが、会談は型通りの上の空……さらに幾つかのオリハルコン級やミスリル級の冒険者チームにも型取りの謝辞を述べ、戦勝祝賀会に招待する間も頭の中はゼブル対策で一杯になっていた。

 それでもボロを出さずに済むのは、成り上がり者でなく、生まれながらの王族の面目躍如といったところだろうが、今現在の彼女の脳細胞に「余裕」の二文字が入り込む余地は無かった。 

 傭兵団幹部に国軍将軍の言葉も女王の聴覚は刺激するものの、彼女の脳内に留まることはできなかった。全て型取りの謝辞で洗い流されてしまう。

 

 ぽっかりと時間が空いた。

 いまだに有力チームで顔を出していないのは『青の薔薇』とゼブルのチームという状況だった。

 

 その間に最新の戦闘情報を宰相が報告する。

 それによれば最激戦区を担当し、最も苦労したのは『青の薔薇』だった。そして最もビーストマンの戦意を挫いたのはゼブル配下のジットという死霊術師であり、最も屠ったのはゼブルだと言う。包囲を突破した全軍の3分の1近いビーストマンを上空から魔法爆撃で一瞬で屠ってしまったらしい。

 毎度の事だが唖然とさせられる。

 

 最初から単独で解決できたのではないか?

 

 竜王国の兵士どころか、他の冒険者やワーカー達まで同じ考えに至るのではないか……そう考えてしまう。それができない苦しい台所事情のことなど彼等には関係の無い話だ。結果だけ見れば竜王国としては万々歳なのだが、戦いで命を失った者達やその家族に竜王国の将来の展望を苦しさを語ったところで虚しいだけ……もはや苦労を分かち合うことも、我慢を強いることもできないのだ。

 

「……国家に殉じた英霊達に哀悼の意を示さねばならんぞ」

「それが良う御座いましょうな……我々の打算で失わなくても良い命を散らした者達です。必要以上に金は出せませんが、栄誉はどれだけ与えてもほぼ無料で御座います。精々盛大に悲しんで見せた方が国民の共感も得られましょう」

 

 宰相の物言いにイラ立つも言わんとすることは理解しているし、そもそも決定を下したのは自分だ。宰相も多少の皮肉は混ざるものの役割で言っているのであって、戦死者の命を蔑ろにしているわけではない。鉄面皮の裏では本当に悲しんでいる……そういう男だ。

 

「そもそも明日にも全国民がビーストマン共の腹の中と言う最悪の状況は回避できたのです。それと比較すれば今回の戦闘被害など微々たるもの……それは十二分に誇れる成果で御座いませんか?……現在の我々が直面している難題はほぼ全ての成果が一個人によって成された事実であり、戦後復興を含めて今後の我が国が彼の影響から逃れらることが不可能に近いと予測されることで御座います。以前はあのように申し上げましたが、ここに至っては要求通りに国土の南半分の使用権を認め、上手く付き合うことを考えるべきでしょう。彼等が何を企んでいるのか?……核心部分に至るまで共有してしまうのも手かもしれません。能力など知らずとも戦果を知る者であれば、何人たりとも彼等に立ち向かうことなど考えられません。で、あれば性急な排除は不可能に近いのも事実です。迂遠ながらもこちらが逆に彼等を抱き込むように動くのがよろしいかと……」

 

 女王は甘い水を啜り、顔を顰めた。

 脳を冴えさせる為とはいえ、辛い。

 

「なるほど……属国化を恐れるのではなく、逆に抱き込め、と言うのだな……?」

 

 鉄面皮とも思える宰相の表情が明らかに失望の色を帯びた……まだ理解が及ばないのか?……と明確に示唆する目付き。嫌な予感しかしない。

 

「左様で御座います……つきましては陛下におかれましてはかの御仁に求婚されるのがよろしいかと」

「はぁ?……何をバカな……」

 

 女王の反論を遮り、宰相は続けた。

 

「幸にして陛下は独身……彼を竜王国の王族として迎え入れれば、将来的に経済も国防も不安は一気に解消されますな」

「……お前、私を何だと思っている?」

 

 セラブレイトのロリコン野郎の性欲解消を強制させられる危機から免れたと思ったら、今度はバケモノどころか、遠縁に当たる竜王のごとき戦力を個人で有する人間などと言う薄気味悪い存在に女王自ら「求婚しろ」と言う。

 たしかに国家レベルで金も持っているし、恐ろしく見栄えも良いが……相手は単なる市井の冒険者に過ぎないのだ。他国の王族相手などと違い、お膳立てもなく、最悪の場合は断られる可能性まである。

 

 プライドが許さないし……もし万が一にも断られたら泣いてしまうわ!

 

「女王陛下は女王陛下で御座います。全国民の幸せの為に全身全霊で奉仕する存在ですな……何か異論でも御座いますか?」

「ぐっ…………しかしなぁ……」

「しかしも案山子も御座いません!……私が今朝から考えていた全ての難題を一気に解決する妙案で御座います!……さあ、陛下……ご英断を……」

「お前、楽しんでないか?」

 

 内通など思いも寄らぬことだが、妙に積極的な宰相の雰囲気に、少女形態のドラウディロンは訝しむ目付きを向け続けたが、見事に無視された。

 

「何を躊躇することが御座いますか?……金も力も容姿も文句の付けようが無い御仁です。身分や血統など、どうでも良いではありませんか?」

「今、王族そのものを否定している自覚はあるのか?」

「今更何を仰いますか……王族に忖度などしていては国家の健全な運営など不可能で御座います。陛下の小っぽけなプライドなど、この際どうでも良いではありませんか?……それほど気になるのであれば貴族位を与えてしまいましょう。この際は公爵か侯爵辺りが良う御座いましょうな……どの道、御結婚なさるのであればなるべく高位の方が格好が良いでしょう」

「それは……まぁ……なぁ……」

 

 もう何を言っても無駄なのだろう……宰相は竜王国という国家に仕えているのだ。女王個人の家臣ではない。あくまで竜王国あっての女王なのであり、彼の中では逆は許されないのだろう。極めて健全だとは思う……思うが納得できるわけではない。

 

 はぁ……

 

 少女女王は溜息を殺すように甘い水に口を付けたが、再度顔を顰めた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 紹介する為に連れてきたわけだが……

 

 謁見の間で謁見中であるのに、俺の右腕に戯れつくティーヌを見て、竜王国女王ドラウディロン・オーリウクルスの表情は石のように固まり、ついでに隣に立つ宰相閣下の顔も凍っていた。

 

 さすがに拙いよなぁ……空気云々以前の話だし。

 

「……あっ、彼女はティーヌと言います。俺の配下で、別件で重要な仕事を任せていたのですが、そちらを終えて竜王国に来た次第です」

 

 肘で小突くとティーヌも畏まり、拝跪した。

 

「ティーヌと申します、陛下。以後、お見知り置きを……」

 

 やればできるのにあえてやらない……いかにもティーヌそのものだ。

 

 拉致されていたとはいえ、ちょっと見ない間に肉腫支配に対しての叛逆可能域に達していた為、別人による成り済ましまで疑っていたのだが……やはりティーヌはティーヌ……本人で間違いないだろう。肉腫の反応も正常だし。

 

 となると例の話は信用して良いのかもしれない……あの知力のバケモノ……魔皇ヤルダバオトにしては若干こちらに都合が良過ぎて気持ち悪いが、ティーヌが精神支配されている兆候もない。

 魔皇ヤルダバオト本人かは不明だが、ティーヌを使いに出したのはデミウルゴスというヤツらしい。話を聞く限り、いかにもプレイヤーの丸メガネにスーツ姿の悪魔だ。その力は俺や『破滅の竜王』や『神人』に感じるものと同等に近いものを感じた、とも力説していた。どこかの地下にある連中の拠点で人生で味わったことのないどころか、想像することもできない歓待を受けていたらしい。

 

 人間が堕落するほど美味いって言う食事はかなり羨ましいけどなぁ……

 

 何にせよ、連中から監視されているのも確定した。そうでなければ竜王国の首都近郊にティーヌを送れるわけがない。

『モモンガ』さん直伝の攻性防壁が反応しない以上、それなりに諜報に特化した仲間の存在にも注意しなければならないわけだ。

 

 ティーヌが戯れるのはかなり珍しい。

 普段は稽古や会話ではよく絡んでくるが、腕を組んだり等はヒルマがよくやる印象だったのだが……まっ、いっか。

 

 それにしても女王陛下のお言葉をいつまで経っても頂戴できないのだが……どうすれば良いのか判らない。ティーヌを見ても首を垂れて、ひたすら拝跪を続けている。

 

 仕方ないので俺も立ち尽くしていた。

 

 いつまで経っても女王陛下は固まり、宰相の表情も凍てついている。

 

 やはり宮廷内の作法を習った方が良いだろう……帝国四騎士のレイナースさん辺りに頼めば懇切丁寧に教えてくれるだろうが、あの人も世話好きな代わりにかなり面倒臭い感じだからなぁ……

 

 面倒臭いと言えば、青薔薇のイビルアイもかなり面倒臭いが……あの妙な反応は何だったのか?

 青薔薇内で仲違いでもしたのか……?

 内部であれだけレベル差があるとはいえ、彼女達の連携はかなりなものだ。

 直後の戦闘では連携こそしていなかったが、役割分担と意思疎通は相当なレベルに達していると思わされた。

 となると仕事以外の部分か……?

 関知するようなことではないが、ちょっと気になるのも人情だろう。

 

 相変わらず沈黙が支配する謁見の間。

 

 考え事は捗るが、捗る以上、すぐにネタは尽きてしまう。

 

 やる事が無い……そう思ってから5分以上経過して、ようやく女王陛下からお言葉を頂戴し、俺達は謁見の間から退出できた。

 

 どうやら爵位を頂けるそうだが……どうしたものか?

 

 扉が閉じる直前、女王陛下と宰相の激しい怒号の応酬が聞こえたように感じたが、気にしないことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 祝賀会の会場である大広間からゲスト側の主役の中の主役が1時間も経たない内に退席し、会場の雰囲気は一変した。

 僅かな例外を除いて誰もがホッと息を吐く。

 彼の仲間が残留している以上、好き勝手な発言ができるわけではないが、やはりバケモノと呼ぶに相応しい隔絶した力を見せた張本人がいるのといないのでは緊張感が違う。

 命を削っていた者達が集う酒宴としては比較的静かだった会場内に活気が戻りつつあった。

 

 僅かな例外の1人であり、何の戦功も無いどころか、戦闘にも一度も参戦していない……本来ならば会場にいる資格もないのに、全く遠慮も無いティーヌは旧知のブレイン・アングラウスを現時点の能力差で散々揶揄った後、酒杯を持ったまま会場内をウロウロと歩き回っていた。

 青薔薇のイビルアイを探し、今の自分との力量差を確認しようと思ったのである。ティーヌに敗北の屈辱を与えた笑顔魔人とイビルアイは同程度ではないか、と推測しての行動だった。

 青薔薇は目立つ。見つけるのは簡単だったが、人垣も他の有力チームに比べて一際分厚かった。ジット、ブレイン、エルヤーの3人には型通りの挨拶のみで早々に立ち去られるのと比べると、青薔薇の取り巻き集団は恐ろしく動こうとしない。誰もが少しでもお近付きになろうと必死だった。

 そんな中でも比較的人垣が少ないのはガガーランとイビルアイだが、そうは言ってもイビルアイはかなり小柄なので人垣に隠れてしまう。結果として、最初にティーヌが手を振った相手はガガーランだった。

 

「あんらー、これはこれはガガーランじゃないですかー」

 

 ガガーランが顔を顰め、それを見たティーヌの嗜虐心に火が灯った。

 元々大きな彼女の口が裂け目のけるように広がる。

 圧倒的な不穏さにガガーランを取り囲んでいた人垣が、それまでがまるで嘘のように消えた。

 

「おう……久しぶりだな、ティーヌ」

「……やってくれたらしいね?」

 

 初手からソコかよ……ガガーランは内心舌打ちした。

 

「ゼブルにきっちり謝罪もしたし、それを受け入れてもくれたぜ。もう問題ねえだろ?」

「うんにゃ、私がその場にいたらお前を殺していたと思うけどなー……それについてはどう思うのかなー?」

 

 難癖以外の何物でもない難癖をティーヌは堂々と曰った。

 ただガガーランの困窮する姿が見たいだけ……意図は明白だが、言葉に詰まってしまう。突き放すのは簡単だが、その後は考えるまでもなく、今よりも面倒臭いことになるのが容易に想像できた。ここはティーヌが飽きるまで付き合うしかない。そう思い直し、ゼブル一党で最も気に入らない女を嫌々ながら直視した。

 

 知る限り世界で最も性質の悪い女がニコニコと笑っている。

 

「……悪かったとは思っているぜ。あんな真似は二度としねえ……その場にティーヌがいなかったことにも感謝するよ」

「うーん……でもねー、不思議なんだよねー?」

「……何がだよ?」

 

 いい加減にしてくれ、と思いながらもコロコロと変化していくティーヌの話題に付き合わされる。早く立ち去れ、と祈りながらも言葉を繋がないわけにはいかなかった。

 

「私とさー……ブレインちゃんの二人掛かりでもゼブルさんに有効な一撃なんて入れたこと、無いんだよねー……ガガーランごときが卑怯な不意打ちに加えて、後向きのゼブルさんが受ける為に出した左手だったとしてもー、有効打を入れられるのかなー?……なんて考えちゃうんだよねー」

 

 わざわざ受けた……否、わざと攻撃させた。

 ティーヌは言外にそう言っているのだ。

 実に楽しそうな笑顔だ。

 そして邪悪な光を湛えた眼差しが見上げていた。

 

 不本意ながら言葉の中身についても薄々気付いていた。

 踊らされた、と言う言葉が相応しいのだろう。

 それぐらいのことは躊躇なくやるヤツだと十二分に承知もしていた。

 だが止められなかった。

 顔見知りに対する命を奪いかねない脅迫を冷淡に見過ごせるほど擦り切れてはいないとはいえ、冷徹に徹しきれなかった……たとえ煽られ続けた結果だとしても、自身の未熟さを痛感していた。

 

「……だから何だよ?」

「んー……相変わらず弱いなって……物差しにもならないかな、って」

 

 再度話題を変えながら、ティーヌがケラケラ笑う。

 そのまま酒杯を飲み干し、近場のテーブルから新しい酒杯を持って来た。

 まだ絡むつもりらしい。

 いい加減うんざりしていたが、ガガーランもティーヌに合わせて一気にジョッキを空けた。そのまま給仕に言って、もう一杯持ってこさせる。

 ティーヌが笑ったままガガーランの肩を抱き寄せた。

 ギョッとしたが、細まった目の奥にそれまでにない真剣な輝きを確認し、思わず言葉を飲み込んだ。

 

「……ねえ、ちょっとマジで聞きたいんだけどー……ガガーランとイビルアイってガチで仕合ったこと、有る?」

 

 有ると言えば有る……が、ガガーラン自身が本気だったかと言えば違う。あくまで本気だったのはリグリットとイビルアイであり、ガガーラン達は添え物であった。つまり無いと言えば無いのだ。

 

「……なんとも言えねえな…………否、無えよ」

「ふーん……じゃあさ、私とイビルアイって、ガチだとどっちが強いって思うのかなー?」

 

 なんとも不穏な事を言い出したティーヌを改めて見ると、思いの外真面目な顔付きだった。

 とりあえず「おっ始める」気配は無い。

 殺気を周囲に撒き散らすようなこともない。

 イビルアイに害意を向けるようなこともない。

 真摯な気持ち……この嗜虐趣味の為に殺人すら犯しかねない女にそんなものがあれば、だが……のようなものをガガーランに向けてくる。

 この偽悪の皮を被った悪党は案外と真っ当な戦士なのかもしれない。

 意図は不明……なんであろうとティーヌの存在自体がムカつくが、ガガーランも戦士だった。

 どれだけ技量を馬鹿にされようと、ガガーランは戦士であることに誇りにしている……だから応えた。

 

「イビルアイは飛べるぜ……その時点でお前の勝ち目は無えよ。遠距離から一方的にボコられてお終いだぜ」

「屋外でガチだとそーなるかー……でも、室内ならどうかなー?……私、魔法詠唱者相手に距離潰すの、得意中の得意なんだよねー」

 

 この世で最も嫌な相手ではあったが、強さ談義であればガガーランもついつい真剣になってしまう。戦士の血が騒ぐ、というやつだ。まして酒が入っていれば最高の話題だ。状況と対戦相手の想定がしっかりしていれば、この上なく楽しめる。

 

「確かにお前は強えし、速えよ……でも難度じゃイビルアイが上だぜ」

「でも、手が届かないほど上じゃないよねー?……ちょっと前ならまだしも、今ならイビルアイちゃん魔法全開でも工夫次第でなんとかなる、って感じ?」

 

 妄想でもなく、虚勢でもない……と確信した。

 もちろんティーヌがどんなに頑張っても『国堕とし』には簡単に勝てるはずもないのは承知している。しかしそれは仲間だけの秘密なのだ……話すことはできない。

 だがティーヌの言葉にはそれなりの根拠が必要だ。

 揺るぎない自信を得たのだろうか?

 

「……強く……なったのか?」

「なりましたー……成長が自覚できる程度には、ね」

「効率的なれべるあっぷ、ってやつか?」

「なんかゼブルさんみたいなこと言うねー……前にガガーランとやった時とは比べものにならない、とは思うよー……逸脱者の仲間入りした、かもねー」

 

 ケラケラと笑いながら、さらりと「前に」とティーヌは言ったが、あれから半年も経過していない。

 あの時でもガガーランはティーヌに圧倒された……手も足も出なかった。

 とても短期間で簡単に成長できるような技量や強さではなかった。

 実年齢は知らないが、ティーヌの見た目は20歳前後……かなり若く見えるのだとしても20代半ばといったところだろう。 

 その一方、ガガーランは成長が頭打ちになりつつある自覚があった。

 何をやったのか……思わず口を吐く。

 

「何をどうやっ……」

「ひ・み・つ」

 

 やっぱりコイツは性悪だ……ケラケラと笑うティーヌを見て、ガガーランはこの世で最も嫌いな女に期待してしまった自身を恥じた。

 

「んじゃ、もう一周してくるからー……イビルアイちゃん、予約ねー」

 

 好き勝手言い残し、ティーヌは酒杯片手に去って行った。

 

「知るかっ!」

 

 吐き捨てながら、ガガーランはジョッキを一気に飲み干した。

 

 

 

 

 

 

 

「見ていたぞ、脳筋」

 

 振り返ると仮面があった。

 

「なんだ、イビルアイかよ」

「なんだとはなんだ……珍しく落ち込んでいるから、心配してみれば……」

「そりゃ悪かったな」

「気にするな……とは言わんが、アレの言うことで一々落ち込んでも身が持たんぞ。ゼブルのお陰で目立たんが、アレも充分にバケモノだ。久々に見たら、人間の領域を軽く超えていた。アレの言う通り室内だと私でも厳しいだろうな」

「……俺じゃどうやっても届かねえか?」

「頑張れば……とは言えないな。難度で170〜180といったところだ」

「……俺の倍か!?……てえより、イビルアイの上?」

「あくまで装備込みだが……戦力を見誤るわけにはいかない、からな。ブレイン・アングラウスだって160ぐらいはある。ジットにしても150は超えるだろう……私も人間の成長速度や限界について考察し直す必要があるのでは、とこれまでの認識を改めたぐらいだ」

 

 『十三英雄』のリーダーのような異様な成長速度とまでは言わないが、過去に遡っても彼以外にティーヌの成長速度を超える者を知らなかった。過去を知らないエルヤーについてはよく分からないが、他の2人についてももの凄い勢いで成長している。

 

「全員……イビルアイを超えるか、同程度……なのか?」

「エルヤーとか言う剣士も130〜140ぐらいだろうな……私の勝手な考えだが、アイツは成長する見込みのある者を側に置いているのかもしれん」

 

 イビルアイもガガーランと同調するかのようにジッと窓の外を見る。

 そして周囲に聞こえない程度の声音でひっそりと喋り始めた。

 

「……実は上空で待機している時、アイツと少しばかり話した……と言っても私が疑問をぶつけるだけで、ほとんど情報は得られなかった」

「まあな、イビルアイが尋問が得意ってえのはあり得ねえだろ」

「なんだと、脳筋!」

「そういうところだよ……冷静ぶるけど、すぐカッとするだろ。のらりくらりが得意なゼブル相手に立ち回れるわけがねえ」

「ぐっ……」

「まっ、それはそれとして……続けてくれや」

 

 ガガーランは素知らぬ顔でジョッキを舐めた。

 言いたい事は山程あるが、指摘されたばかりで言い返すのはさすがに情けないと思い、イビルアイはぐっと息を飲み込んだ。

 

「では、続けるぞ……私はアイツに言った。お前は魔皇ヤルダバオトか?……そして何故、お前が単騎でビーストマン共を殲滅できるのに竜王国の全戦力を投入させたのか?……とな」

 

 あまりに直球すぎるが、興味深すぎる質問だった。ガガーランはジョッキを空けるとおかわりを頼まずにイビルアイに向き直った。

 

「んで……ゼブルはなんだって?」

「魔皇ではない、と言った。たしかにアイツからは人間の気配しか感じない。だから納得するしかなかった」

「そりゃ、そうだろうな……比喩表現ならばまだしも、ゼブルはどう見ても人間にしか見えねえ」

「たしかに……だが本題はそちらじゃあない。アイツは国防は自前が基本だと抜かした。正にその通りだが、それ以外にアイツと竜王国の契約条件が大きく影響している。だからアイツは全戦力を投入した方が良いと女王に助言したわけだからな。その結果、死ぬ必要のない命を多く失った。それでも将来の竜王国が経済的に死ぬよりはマシだと言い切った……私は納得できなかった。アイツが契約条件を変更すれば良いだけの話だ。食い下がったが、私に理解してもらうつもりは無い、と言われてしまった。頭の中にはゴミ箱で拾った情報『戦争』の2文字がどうしても消えなかった……だが、そんなことはどうでもいい。私がショックを受けたのは、どうしてもアイツの考えを理解したいのならば『青の薔薇』を抜けて、ゼブルに乗り換えるのか、と問われた時、即座に否定できなかったことだ。何も言い返せなかった。その上、逃げてしまった……」

 

 一人で落ち込むイビルアイの姿を見て、ガガーランは違う時間軸を生きる者の孤独を想像してみたが、辛さを思いやる以上は不可能だった。単なる人間でしかない者に永遠を生きる者をの孤独を理解するのは不可能なのだろう。自分以外の仲間達が老いぼれていく中、ただ一人だけ今の姿が維持されるのだ。取り残されるのがどれだけ辛いのか……恐ろしいことだ、としか理解が及ばない。

 

「竜王国とアイツのやり方を詰った時……アイツは愚民化政策で棄民となった人々を多く知っている、と言った。私の知る限り、この世界にそんな人間の国は存在しない。棄民となってから愚民化した、と言うのならばまだしも、どうせ棄民とするのにわざわざ愚民化する必要はないからな……つまり私の知らない世界の話だと思ってしまった。私が世界の知識を得る前……はるか昔であれば、そんな国もあったのかもしれない、と……」

「つまりゼブルはリグリットや帝国のフールーダ・パラダインみたいな存在かも、と想像したっつーわけか?」

「……そうだ。情けないことに、心のどこかで期待してしまった……」

「まあ、いずれ俺達も引退するしなぁ……どんなに頑張っても、老いが許しちゃくれねえのは間違いねえしよ……それに俺自身、衰えてはいないものの最近はどんどん成長力が落ちている気がしてなぁ……思わず、あのクソ女にどうやって短期間で自分で実感できるような成長したのか、聞いちまったぜ……俺が落ち込んでいていたのはそいつが原因だ」

「なるほどな……だが王国戦士長の遥か上をいくティーヌと自分自身を比較して、自信を失うのはあまりに傲慢ではないか?」

「そりゃ、そうなんだけどよ」

「例えばカドランのところのディンゴ……ガガーランよりも体格も体力も膂力も優れているだろうが、戦士としての才能は無いとは言わないがガガーラン以下だ。このまま頑張っても、戦士としてはミスリルが限界だろうな」

 

 正しくその通り……ガガーランは頷くしかなかった。

 

「……天から与えられた才能が全てではない。とはいえ、お花畑の姫様の忠臣であるクライムのように才能を無視して愚直に頑張ればなんとかなるような甘い世界ではない……だが無駄でもない。彼奴もそれなりの面構えになってきたではないか?」

「クライムかぁ……たしかに漢の顔にはなってきたみてえだなぁ……戦士としちゃ二流に毛が生えた程度をうろうろしちゃいるけどよ……まぁ、童貞なのも変わらねえけどな」

「あれもセバスとかいう市井の猛者とゼブルの影響と聞いたがな」

「ああっ、子供を救出した老紳士に死を乗り越える訓練を受けたとか言う話と、やるべき事の為に遠回りするなとかってえ話だろ……何回も聞いたぜ」

「……その辺りにゼブルの思考法を理解するヒントがあるかもしれない」

「あの拾ってきた脈絡のない単語が繋がる、ってか?」

「その可能性がある……と言っても気休めに過ぎんかもしれんが」

「やるべき事の為に遠回りをするな、ってえヤツか?」

「……私はそう思う。お前は先を見通す、と言った私にアイツは買い被りだと言った。加えて徹底して自分の都合で動くともな」

「たしかにな……ティアとティナは監視が必要とか言っていたけどよ……これまでを思い返せば、監視なんざ想定済みの上に逆監視されてるぜ、きっと」

 

 イビルアイは深く頷いた。

 

「これまで通りのやり方は必要だが、それはアイツの掌で踊っていると、こちらが認識した上でやらねば、同じ事の繰り返しだ。竜王国への道中ではこちらの食料不足や疲労度や睡眠不足まで逆手に取られた。疲労や睡眠不足はあれだけ引っ張り回されれば予測することも可能だろうが、アイツはこちらの食料が尽き、空腹の絶頂であるタイミングまで知っていたわけだ。つまり3人体制で監視を継続していたこちらよりも、単独かつ素振りも見せずに、こちらよりも多くの情報を得ていたことになる。方法は不明だがな」

「つまり……出し抜くのは厳しいってか?」

「厳しいどころか、ほぼ不可能……そう想定して動いた上で、こちらが更に先を読まねばならない。今、ここにゼブルは不在だが、私達が2人で深刻そうに話し込んでいることをアイツの配下は知っている……これが誰を通じてどう伝わるのか、カマをかけたい」

 

 会場を背にしたイビルアイが目配せし、ガガーランは視線だけを走らせ、こちらに注意を向ける者を確認する。

 多くは興味本位の視線。

 話し掛けようとして、深刻な雰囲気に飲まれ、挫折した者の卑屈な視線。

 やたら目立つ格好のティーヌにジットは広間の片隅で笑っていた。

 ブレイン・アングラウスとエルヤーはどこにいるのか?

 ……いた!

 どうにか打ち解けたのか、見知らぬ戦士風の男2人と酒を飲んでいた。

 

 イビルアイは浅く頷き、ガガーランも視線で了解の意を伝える。

 声音は長年の連携がなれば理解できない領域まで抑制された。

 

「……それらしいのはいねえぜ」

「ここに立ってから気配も一切感じない……つまり想定内の手段では話の内容までは伝わるはずがない……と言うことだな」

「まっ、伝わっちまったら恥ずかしいことこの上ねぇがな」

「……アダマンタイト級の悩み相談、と言うところだな」

「逆に伝わらなきゃ、そこが盲点ってわけだ」

 

 唐突に爆笑し始めた2人を心配して、『青の薔薇』の他のメンバーが集まった。その上であからさまに今後の方針などを話し合い始める。まるで他の誰かに聞いてくれとばかりの大声だった。ラキュースと双子忍者も当初は戸惑っていたようだが、次第に同調していった。意味は不明でもそうすることに意義があるのは確信しているようだった。

 

 周囲の視線は一斉に集中したが、彼女達に声を掛ける者はいなかった。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 複数の『水晶の画面』が宙に浮いていた。

 全てが同じ映像を映している。

 角度も距離も違う。

 背景も同じように見えるが、微妙に違っていた。

 だが全ての『水晶の画面』の中央には漆黒のドームがあった。

 周囲の夜の闇とは隔絶した半球状の暗黒は逆に目立つが、その内側を知ることはできない。

 

「また、ですか……あれは何ですか、ニグレド?」

 

 デミウルゴスの問いにニグレドは説明で返そうとして、悪魔の顔を見上げ、そこで言葉を飲み込んだ。この大悪魔が前回と同じ説明を必要としているとは思えなかったのだ。

 ほんの数秒間迷った。

 どういう答えが適切なのか考える。可愛い方の妹ならばすぐにでも正しい答えを見つけるのだろうが「非才の身には難しい」と感じてしまう。機能については前回説明した通りで間違いない……極めて強力な腐敗の魔法もしくはスキルによる内外の遮断だ。同時に攻撃でもあり、防御でもある……前回使用後の痕跡を映像採取した上での結論だが、それについてはデミウルゴスも共有している。

 だからそんなことを問われているわけではない。

 前回との違いは何か?

 明確な違い……ビーストマン達は既に降伏していると思われた。

 その推測の根拠も複数確認している。

 つまり少なくとも敵対してはいない。

 なので使用する目的が違う。

 であれば……

 

「外からの視界を遮断する目的で使用しているのではないでしょうか?」

 

 そう答えたニグレドを見て、デミウルゴスは微笑んだ。どうやら問いそのものの意図は間違いなかったようだ。

 

「なるほど……では内部を確認する方法はありませんか?」

「別に攻性防壁もあり、強行偵察は通用するのかが不明な上、極めて危険でしょう」

「ハイリスクかつ成果が得られる保証は無いわけですか?」

「左様です。むしろ遠隔監視すらも厳しくなりかねません」

 

 ニグレドは深々と頭を下げた。

 これまでデミウルゴスの期待に応えている自信はあるが、それ以上の成果を得た記憶もない。淡々と監視を続け、事実を報告し、そこからの推定を漏れなく報告しているつもりではある。しかしそれは自身の創造主であるタブラ・スラマグディナ様から与えられた能力を過不足なく発揮しているだけであり、アインズ様の御言葉に従えているとは到底思えなかった。

 

「そうですね……では監視と報告を継続して下さい、ニグレド。今回のように目に見えた動きがあれば、また呼び出しをお願いします」

 

 そう告げてデミウルゴスが立ち去ろうとした時、全ての『水晶の画面』で動きが生じた。

 

「デミウルゴス様!」

 

 ニグレドの呼び掛けにデミウルゴスが振り返る。

 白く発光していた。

 偵察も接触も不能な漆黒のドームを突き抜けて、である。

 

「……あれは?」

「おそらく……魔法陣の発動による発光かと」

「しかし何が行われているかは不明……ですか?」

「光量からして、相当に高位……超位の魔法かスキルではないでしょうか?」

「そして中にいるのは……ゼブルと百を超えるビーストマンですか?」

「はい……先日降伏した各部族の族長クラスが集まっていました」

「……ふむ……非常に興味深いですね。はたして監視を意識しているのか、いないのか……それとも核心部分だけを隠せば良いと考えているのか?……単にビーストマン共を逃さない為か?……実に面白い」

 

 発光は長かった。

 つまりニグレドの推測通り、超位の魔法かスキルをキャストタイムスキップなしに行使したのだろう。つまり戦闘ではない、とまでは言い切れないがその可能性は極めて低く、かつ緊急性を考慮していないのだけは確かだった。

 やがて光が闇のドームに吸い込まれ、それから10分以上は経過した頃、闇のドームも消えた。

 

 現れたのゼブルと100を超えるビーストマン達……つまり誰も欠けていないように見える。

 

 しかし明確な変化があった。

 

 全てのビーストマンが首部を垂れ、跪いていたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 戦勝祝賀会の翌朝、女王と宰相を除き、謁見の間に3人の男がいた。

 女王の顔色は蒼白で、宰相に至っては絶望的な表情を浮かべている。

 

 謁見が始まった当初は和やかだった。

 宰相より白金貨30万枚の追加借り入れが申し入れられ、ゼブルにより承認された。その直後にゼブルの国土の南半分の恒久的な最優先使用権が女王に裁可され、契約通りに返済義務は無くなった。さらにゼブルには竜王国侯爵位が下賜されたが、同時に貴族の責務の免除も言い渡された。つまり南方侯は「名ばかりの貴族位ですよ」と言い渡されたのだが、それは双方にとって望むところだった。そもそもゼブルは竜王国民ですらないし、臣下になる気も無いのだから、名誉爵位なのは誰の目にも明らかだった。

 そこで手打ち……双方の思惑通りの落とし所のはず……と竜王国の2人は思い込んでいた。

 

 ゼブルが昨日の銀髪女に続き、自分の配下を紹介したい、と言った。

 女王にも宰相にも紹介程度を拒否できるはずもない。そもそも実質的力関係は女王よりも宰相よりも南方侯がはるかに上位なのだ。

 だがその了承がこの事態を招いたのは確実だった。

 

 玉座に向かって、真ん中に立つのはゼブル。

 右手には線の細いなよっとした外見の男。

 その左手には……なんと獅子のビーストマンの巨体が立っていた。しかも直立不動で畏まっている。彼の醸すとんでもない違和感が場の緊張感を増幅させていた。

 

「……これはどういうことかな、ゼブル卿?」

 

 凄まじい緊張感の中、蠢き輝く闇から、直接招き入れられた二者に挨拶もせずにドラウディロン女王は切り出した。と言うよりも、どうしても切り出さずにはいられなかったのが正解だ。

 昨日の敵は今日の友……とは『六大神』の昔より言われる言葉だが、竜王国とビーストマンは建国以来の不倶戴天の敵だ。

 その天敵であるビーストマンが王城本宮殿の謁見の間に存在するなど、絶対にあってはならないことだった。

 しかしゼブルはどこ吹く風の自然体で紹介を続けた。

 

「彼はブエル……俺に降ったビーストマンの一人です」

 

 人間としてはゼブルも長身だが、前に進み出て跪いたブエルは、その体勢でもゼブルに近い巨体だった。

 

「お初にお目に掛かり光栄で御座います、ドラウディロン・オーリウクルス陛下。我が主人ゼブル様の命により参上しました、ブエルと申します。以後、我が主命に反せぬ限り、如何なるお申し付けも全身全霊を賭け、果たす所存。何なりとお申し付け下さい」

 

 耳を疑う淀みのない言葉が人間を思わせるが、ブエルはどう見てもビーストマンだった。その外見は理性的でもなければ抑制的でもない。次に立ち上がった瞬間に腕を伸ばされ、頭を引き千切られてもおかしくはないのである。

 少女形態のドラウディロンは顔を引き攣らせた。

 

「……それはよしなにな、ブエル殿」

「ブエルには首都での連絡役を命じております、ドラウディロン陛下……彼に伝えてもらえば南方と連絡が取れます。主な役目はそれだけなので、それ以外はドラウディロン陛下の申し付けを果たすように命じてあります。大抵のことは出来ますが、中でも特に薬学や回復魔法に長けていますから、保健や衛生関連は彼に相談するのがよろしいかと……」

 

 ドラウディロンは顔を引き攣らせたまま、どうにか笑いで応えた。

 薬学に優れたビーストマン……もう理解の外側だ。限界を突破して、ゼブルが何を言っているのか、字面以上の事は一切頭に入ってこない。

 

「この度賜りました南方の復興に、当初はビーストマンを労働力として使役する予定です……もちろん竜王国民にも労働してもらいたいのですが、まあビーストマンに対するアレルギーもあるでしょう。なので希望者以外の受け入れはある程度復興が進んだ後を考えています」

「ビーストマンを追い出した土地でビーストマンを使役するのか?」

「その通りです。彼等は人間の10倍の身体能力を持っています。荒れ果てた国土の復興という大事業を前に、放置するにはあまりに大きな力です。力仕事はお手の物でしょう。整地に治水に灌漑に、といくらでも使い道はあります」

 

 言われればその通り……だが納得いくわけがない。

 

「ビーストマンに土地をくれる結果にな……」

「ご心配は理解いたしますが、我等にその意図は御座いません、陛下……」

 

 ブエルが女王の言葉を遮り、発言した。

 

「……我等は盟主ゼブル様に絶対の忠誠を誓う身……ゼブル様が出て行けと命じられれば、我等は出て行きます。死を賜れば自ら死を選びます。竜王国での労働奉仕任務期間中は自警団……否、衛士団を組織し、我等の同胞に人間に害を及ぼす者が出た場合、捕縛後罪状を発表した上で即時竜王国の首都にて公開処刑する旨がビーストマン内では発布されております。全てのビーストマンは力に従います。そして我等には彼等を従わせるに足る力が御座います。当面はそれでご理解いただけないでしょうか?……後は実績を持って証明したいと考える所存に御座います」

 

 ブエルは更に深々と平伏した。

 とてもビーストマンの行動とは思えない。

 しかしどう見てもビーストマンだった。

 過去数代を遡って悩ませ続けられた、恐ろしい食人の亜人なのだ。

 毒を食らわば皿まで……ドラウディロンは一瞬そう考えたが毒であるゼブルはまだしも皿のビーストマンへの抵抗感はあまりに大き過ぎた。

 チラリと宰相を見る。

 本来肝が太いはずの宰相もさすがに顔面蒼白だった。その蒼白な顔面で僅かに頷いた。どのみちこちらに拒否権は無いのだ。パニック寸前の頭脳でもそれだけは忘れられない。追加の借り入れをして、即座に棒引きしてもらったばかりでは異論を挟む事も許されない。そうでなくとも名誉爵位とはいえ、侯爵位に任じてしまったばかりなのだ。

 

「……………分かった。承認しよう……しかしそれはあくまでもゼブル卿に免じての、暫定的な話だ。もし少しでもおかしな行動があれば、我が国民に害なすことがあれば……ゼブル卿の名において、ビーストマン達には即時退去を約束してもらう……それで良いな」

 

 実力的には話にならない条件提示であり、ゼブルがどちら側の立ち位置にいるのかも判らないので脅しすらなっていなかったが、ブエルはほとんどうつ伏せに寝るのではないかというぐらいに平伏した。

 

「……と言うことです、ドラウディロン陛下……そうですね……2週間いただければ南半分の復興を形にしてご覧に入れることができるでしょう」

「2週間……そんなに短期間で可能なのか?」

「幸にして、自前の労働力以外に高位のドルイドに当てがあります。彼女が誘致できればもっと早いかもしれません」

「……本当なのか?」

 

 ドラウディロンは再度宰相を見た。

 宰相は首を左右に振った。それは否定でなく、理解の外側であることの意思表示だった。

 

 契約は成立した。

 ここまで来て竜王国は真に理解が及んだ……自分達が引き入れた者が救済者でも慈善事業家でもないことを……

 

 王都のヒルマ・シュグネウスとの仲介役として紹介されたコッコドールという名の男は終始所在無さ気であったが、そのことに紹介された2人は気付かなかった。

 




お読みいただきありがとうございます。


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22話 ハロー、竜王

今回、少し余裕がありました。
いつもこう在りたいものです。


 

 圧倒的なスピードで強大な膂力が振われている。

 土が掘られ、川が堰き止められ、蛇行していた流域がなんだか理解できないスピードで直線になって行く。

 工事区域に沿うようにビーストマンの国が丸ごと移住して来たかのようで、そこかしこに天幕が貼られていた。その内側の川沿いに堤防が造られ、更に水路が引かれ、遊水池と用水路らしきものも造られている……のかな?

 

 人間の10倍の力を誇るビーストマンがそれこそ100万人単位で完全統制された上で全力肉体労働中ですから、まあ、とにかく進行が速いです、ハイ。

 病人か乳児以上であれば老若男女全てが人間の成人男子以上のステータスなんですから、成人戦士階級なんざ男女を問わずにリアルの重機並みの能力かつ重機以上に小回りが効くトンデモ性能を誇ってやがります。

 土をひっくり返しているのは、多分畑なんでしょう。その中を縦横無尽に走っているのが道なのか……急ピッチで街道と呼べるような大道も引かれ、高台には廃墟と化した人間用の町を再利用した新しい都市が建設されていた。そここそが竜王国における俺の本拠兼ビーストマンの国への貿易中継点となる予定だけど、上空から見た感じがあまりに整然とし過ぎていて面白味が無く、好みじゃありません。アーコロジー内の淡々とした毎日が思い起こされ……しょーじき、グチャグチャと猥雑とした感じは王都の方がはるかに好みだったりするわけだけど……まあ、俺は建築土木関連の知識なんざビタイチ持ち合わせてないので、配下に丸投げした手前、好きにやってもらっているわけですよ。

 

 今現在、監督と称して上空から眺めているわけですが、はっきり言って見ていてもよく分からんのです。

 

 現場の総指揮は「建築に自信有り」のマルファスとか名乗った奴に任せていますが、自分の配下でも今回加わったビーストマン軍団はざっくりとしか見分けがつきません。特に数も多いので本人が名乗るに任せている次第……まあ絶対服従の軍団なので心配はないと思うのですが、投げ槍っちゃー投げ槍です。

 

 現状、担当する仕事という仕事は食料物資を運び込む為に『転移門』を王都もしくは帝都に繋げるだけの簡単なお仕事しか担当していません。後は監督やら視察と称して上空から眺めるだけ……だから暇……とにかく暇なんですよ!

 現在ティーヌの帰還待ちの俺は全くの手持ち無沙汰。

 2日後に予定しているデミウルゴスとの会談場所は眼下で建設中……屋敷と呼ぶには巨大過ぎる建築物でやるつもりで伝えてあるので、ティーヌ曰くバケモノの中のバケモノの、おそらくプレイヤーはやって来るのでしょう。その際に連中がこちらの要望に応えるつもりがあるのであれば少女ダークエルフの高位ドルイドプレイヤーも連れてくるはず……彼女の助力を得られれば、竜王国から譲り受けたこの広大な荒地も、あっと言う間に実り豊かな穀倉地帯に転換し、即座に出荷も可能になる予定……俺達が王都と帝都で買い占めているお陰で高騰している食料相場で一儲けといきたいところですわ。

 

 この世界でおそらく2回目となるプレイヤーとの邂逅は、セバスさんの時と違い、偶然の産物ではなく、お互いの条件の擦り合わせとなるでしょう。

 既にお互いに合意しているものと考えて良いのはナザリックの現支配者である『殿』勢力の排除……俺の条件はそこに『モモンガ』さんの救出もしくは回収が加わるけど、それを付け加える為の先方の条件が不明な以上、資金はいくらでもあった方が良いわけですよ。金で合意できるのならば、話は簡単ですからね。

 金は経済的な力として極めて重要ですが、ユグドラシル産の希少アイテムや素材が手に入るわけがないので、この世界で俺が浪費したいようなものは食い物ぐらいかな?……従って、相手が必要とするのであればいくらでも提供しますわ。

 

 ビーストマン達の作業を眺めながら、そんな事を考えていると……眷属からのアラートが入った。

 警戒する間も無く、とんでもない衝撃に視界がズレた。

 唐突に何かにぶん殴られた……のか?

 

 ……なっ!?

 

 考える暇も無く、俺はすっ飛ばされ、そのまま地面に激突した。

 

 ……痛っ!……HP半分以上削られたぞ……

 

 見れば、俺がいた辺りの空中に人影があった。

 

 金属製甲冑?……に槍、刀、ハンマー、剣?……が浮いていた。

 

 幸にして追撃は無い。

 

 慎重なのか、舐めプなのか……ここまで見事に不意打ちを成功させたら追撃必須だろうに……敵ながら意味不明だが、ありがたい。

 

 騒ぎに気付いた配下のビーストマンがわらわらと寄ってくる。純粋な配下だけで単なるビーストマンはその場で待機させているようだ。 

 

 不意打ち食らったのは間違いない。

 何故か追撃も無い。

 何にせよ、このままじゃジリ貧になるし、そうでなくともクソヤバい。

 

 慌てて『人化』を解除し、ステータスを取り戻す。同時に被ダメージもHPの60%を超えていたのが、15%以下まで回復する。

 装備も本来のものにチェンジした。ただしいつもの槍でなく、黒い片手剣『傷喰らい』と黒い丸盾『魔喰らい』のユグドラシル時代からセットで愛用している神器級だ。『傷喰らい』は一戦闘中に一回だけだが蓄積した物理攻撃による被ダメージをまんま物理攻撃力に上乗せする。『魔喰らい』は全魔法攻撃を軽減するだけでなく、軽減された割合で敵の使用MPを吸収する。

 

 一息ついて、敵を見れば……弱っ!……良いところ90レベルも無いように感じた。やはり『人化』は危ういな、などと思えるぐらいには余裕もできた。

 

「さて……誰だ?」

 

 順当に考えれば、俺の所在を確実に知っているデミウルゴスの手下なのだろうが、知力のバケモノである魔皇ヤルダバオトの配下にしては差し向けてきた刺客が弱過ぎた……単純な話の可能性は、むしろ低い。

 ティーヌを俺達が滞在している竜王国の首都に移送した以上、連中のギルメンには諜報特化のプレイヤーまでいる可能性が高い。

 であれば、帝都の交戦でそれなりに俺の能力を見せたのだから、こんな弱っちいのを差し向けてくるはずがない。伏兵としてダークエルフのドルイドとテイマーもいるのかもしれないが、前線に立つ奴があまりにしょぼ過ぎる。しかも不意打ち成功後に追撃しないマヌケでもある。

 

 それともぶん殴った後に話合いでもするつもりか?

 

 銀色甲冑が何もせず俺を見下したまま、宙に浮いていた。

 

「フライ!」

 

 同じ高度まで上昇する。

 やはり銀色甲冑に動きはない。

 余裕なのであれば伏兵がいるはず……が、快晴の空にそれらしい姿はなく、見える範囲にもいない。

 周囲に展開する眷属からも異常の知らせは無い。

 魔法攻撃の気配も無い……それが可能ならば初手は魔法爆撃だろうから、その可能性は極めて低い。阻害もデバフの類も感じられないし、眷属も感知していない。

 『人化』したまま高位の魔法爆撃を喰らって、コイツに追撃されたら、それこそ霊界直行の可能性まであったけど……

 

「……で、どちらさんですかね?」

 

 銀色甲冑は俺を見ていた。

 戦力的には既に逆転されているのは判るだろうに……先手を取った自信からなのか、単純にバカなのか……判断できない。

 そして口が重いのか、全く喋らない。

 眼下ではビーストマンの配下が結集しつつある。

 

「コ・ト・バ! 通じますかぁ?」

「……君という存在が判断できないよ」

 

 銀色甲冑が初めて言葉を発した。

 話し始めると舌が滑らかになったのか、そのまま言葉を吐き続けた。

 

「悪なのに善にも見える。存在だけならばどう贔屓目に見ても君は悪だ。しかし世界に悪い影響を与えるわけでもない。むしろ大局で見れば正しいようにも思える」

 

 ……神?……なの、コイツ?

 

 えらい高い立ち位置からの発言を極めて自然に発する銀色甲冑……なんか気に入らない奴だ。まあ、神であれば俺とは存在そのものが対極に位置するわけだから気に入らないのは仕方ないのかもしれないけど、それだけの理由で短絡的に敵対するのもバカバカしい。

 

「君のその姿は邪悪そのものだよ。強大過ぎる力も世界にとって決して好ましいものではない……でも竜王国もビーストマンの国も決して悪い結果を得たとは言えない。本来多くの者の犠牲無しに達成できるような話ではないのだからね。それに君の持つ巨大な力を使ったわけでもないから、介入し過ぎた、とも言えない……君は何を考えているのかな?」

 

 お話も結構だが、まず誰なんだ、お前?……そう思いながら、改めて神のような発言をする銀色甲冑を見た。

 竜がモチーフの甲冑だか、見た目は大して価値のある素材を使っているようにも思えない。武器は宙に浮く四つで間違いないだろう。ラキュースさんの装備する『浮遊する剣群』かエドストレームの魔法付与済みの三日月刀みたいなものか……その割に俺は攻撃を受けたのだから、ラキュースさんの「射出!」というような合言葉は必要ないのだろう。

 装備全般どう見ても前衛職だが、大して強くもない。

 一対一の状況でレベル差を考えれば、どう転んでも魔神の俺が追い込まれることはないだろう。

 

 ……お陰でかなり余裕ができた。

 

「まず俺はゼブル……貴方の名は?」

「…………リク・アガネイア」

 

 偽名確定……答えるまでの間が長すぎるわ!

 でも情報系の能力は……まあ、大したことはない。

 偽名を使うのに事前準備をしていない。

 そのくせ、こうして会話はする。

 会話自体が危険だ……この状況では敵に有益な情報をくれてやるような行為に等しい。

 防諜用攻性防壁も発動しない……能力解析もしないのか、使えないのか?

 ぶん殴って……実際に交戦して、敵の能力の底を見る感じか?

 情報収集自体も甘い……俺のスキルについてはほぼ把握していない。

 そして強いつもりなのか……発言がまるで神様だ。

 つまり相当な自信家なんだろう……プレイヤーと言うには大きな違和感を感じる……この程度のレベルで神の如き立ち位置はプレイヤーならばあり得ないレベルで恥ずかしいが、現地勢ならば十二分に理解できる。

 だが断言もできない……ロールプレイヤーって存在が厄介だ。

 仮にプレイヤーだとするならば甲冑そのものが擬態……あるいは遠隔操作のゴーレムの可能性も捨てきれない……だとすれば、発言や立ち位置から感じられる異様な精神性はともかく、操作能力は100レベルで間違いない。

 さらに言えば、仮に100レベル超のユグドラシル産ボスであったら……この甲冑が同時複数で襲撃してきても不思議ではない。

 もっと言えば、俺の知らない職業やスキルの可能性もある。

 

 まだまだ判断を下すには早い……もっと情報を引き出すべきか?

 

「えーっと、じゃあ、リクさんと呼べば良いのかな?」

「それは断るよ」

「んじゃ、アガネイアさん?」

「それならば構わない」

「んで、アガネイアさんは何者?」

「……何者でもないよ。世界を守りたいと思ってはいるけどね……それよりも君の考えを聞かせて欲しい」

 

 攻防で言えば防御のターンだ。

 素直に答えるか?

 嘘で取り繕うか?

 あえて反抗してみるか?

 

 能力が不明な上に……何者であるのかも不明……虚言の効果も不明……反抗するにはまだ早い……か。

 

「俺は俺の居場所があれば、それで充分満たされますよ……その上で美味い飯があれば言うことがありませんね」

「世界を支配する、とかは考えないのかな?」

「面倒くさいのはゴメンだけど……支配した方が効率が良い局面では躊躇うつもりもないね」

「効率……?」

「そう……生き残るのが最優先。自分が満たされるのが2番目……その為には最短距離で何でもやるさ」

 

 リク・アガネイアの気配は変わらない。

 だが少しだけ憤りのようなものが滲んでいた。

 

「その力を持つ者が言うと、危険な考えだね」

「そうかもしれない……だが誰かの為に遠慮するつもりも、死んでやるつもりない。自己犠牲なんざクソ喰らえだ……俺は俺の好きにやるさ」

 

 ここまでは素直に本心を言った。

 これで襲い掛かってくるようならば、殲滅するまでだ……が、そこまで短絡的な直情バカではないようで、リク・アガネイアは落ち着いた口調で柔らかな言葉を続けた。

 

「その為に竜王国を救い、ビーストマンを配下にしたのかい?」

「俺にとってはその方が都合が良いだけ……竜王国にもビーストマンにもまだまだ利用価値がある。素直に利用されてくれる間は相手にも良い思いをしてもらった方がお互いに都合が良いだろう」

「……だから竜王国の復興をビーストマンにさせるのかい?」

「いや、これは俺の都合だよ。ビーストマンの身体能力は人間の10倍……だから10倍早く仕事が終わるはずだ。それをもっと早く終わらせる。そして穀物を中心に作物を作り、王国や帝国に出荷し、儲ける。実際に儲かることを理解させれば、竜王国人もここで働き始めるだろう。ビーストマンへの恐怖よりも明日の餓死の方が切実だろうしな。軌道に乗ればお互いに協力することも可能なはずだ。まだ食料はこちらで用意しているが、ビーストマンも労働の対価として畜肉を手に入れられる事を理解すれば、大人しく恵まれた身体能力を活かして労働力を提供する方が、はるかに安全で豊かな未来を手に入れられることを理解するだろう」

「君はどこで儲けるのかな?」

「俺は竜王国から南方侯に任ぜられた。税でも運搬手数料でも構わない。この土地が豊かになればいくらでも儲かる。王都でも帝都でも配下が儲ける。全ての段階で少しづつ儲かる……結果として俺の居場所が少し広くなった。それで満足さ」

「……そんなに儲けて、どうするのつもりなんだい?」

「どうもしない……強いて言えば、金はそれ自体が力だ。金貨1枚では大した事ができないが、100枚あれば誰かの人生を変えられる。1000枚あれば命を救える。1000万枚あれば国の命運を左右できる。俺一人ならば金貨1枚……日々美味いものが食えれば満足するけどな」

「君の力で奪おうとは思わないのかな?」

「奪ってどうする?……後が続かない上に無駄なヘイトを集めるだろ。そんな無駄かつ危険なことをしなくてもシステムを作り上げれば半永久的に儲けることが可能なんだ……だから俺はシステムを大きく育てる。俺に関わる全てが豊かになれば、より大きな力を得る。結果的に俺の命は危険に晒される可能性が減る。つまり生き残る可能性が高まる……まあ、カッコいい風に言ったかもしれないが、現実にはシステムを拡大したい欲求が強いから、どうにも止められないだけだ……それを支配欲って言うのならば、そうなんだろう」

 

 リク・アガネイアは押し黙った……何を考えているのか?

 そして攻防チェンジの時間だ。

 お前の情報を吐け。

 

「じゃ、まずアガネイアさんはプレイヤーなのかな?」

「私がぷれいやーとは心外だね……」

「つまりプレイヤーではない、と?」

「判断つきかねる君に正体を明かすつもりはないよ」

 

 即答と声音から考えて、プレイヤーでないことはほぼ確定。

 カルマ値によって行動が変化するタイプのユグドラシル産ボスならば、俺のカルマ値ぐらい分かり易いものに「判断つきかねる」とは言わないだろう。

 現地産の可能性が最も高いように思えるが、やはりロールプレイヤーの存在が判断を迷わせる。

 仮に現地勢だとすれば『神人』もしくは『真なる竜王』が強者の代表格だ。

 そして『神人』ならばプレイヤーの子孫……プレイヤーか、と問われて「心外」と答える可能性は低いように思える。地理的には法国が近いが、プレイヤーを神と崇めている連中と考えるのは無理がある。

 であれば、俺の知る限りでは『真なる竜王』の可能性が高い。それ以外にカンストプレイヤーに届き得る存在の知識が無いのだ……こんな時に限ってティーヌが不在なのが痛い。

 

「では、なんでいきなり俺をぶん殴った?」

「試しだよ……反撃されるのであれば、君を屠るつもりだった。でも君は反撃しなかった。だから判断を迷ったのだけど、こうして会話してみると、もっと判断つきかねる存在だと判明した」

 

 やはり俺の能力を把握しているわけではない。

 魔神アバターに臆する風もないが、ステータスが激変したことも理解していないようにも感じる。戦力的には逆立ちしても勝てない差が突如として生じたのに……リク・アガネイアは自身の優位を信じて疑わない。

 会話からはバカとは思えない。

 ロールプレイヤーだから立ち位置が変えられない、とも思えない。

 では、コイツの自信の根拠は?

 やはり遠隔操作の可能性が高いか……現地産の『真なる竜王』って奴がどれほどのものか不明だけど、凄まじいレベルで想像を絶する距離の遠隔操作が可能であれば、この銀色甲冑を何体屠っても本体は無傷……そんなカラクリがしっくりくる。

 もしくは『人化』スキルのように解除すれば劇的に能力が向上するか……そうであればコイツはレイドボスクラスのバケモノとなるが、それについての対抗手段はいくらでも思い付く。

 やはり俺にとっての最悪は遠隔操作だ。本体の位置を把握しない限り、安心して眠る事もできなくなる……魔神アバターさえ維持していればアイテム不要で睡眠不要だけど……まあ、本体を滅ぼすまで安心できなくなるのは間違いない。目を付けられたら最後……精神的疲弊が相手を滅ぼすまで続くの勘弁願いたいだけでなく、事実上『人化』を封じられてしまう。となると、社会的な問題が色々と生じるはずだ……面倒くさっ!

 

 とにかくこんな面倒くさいヤツに『モモンガ』さんの奪還計画を邪魔させるわけにはいかない。

 

「で、アガネイアさん基準で俺は許されたのかな?」

「君は悪だが結果として善を成す。私にとっては人間だけでなく亜人であっても個々の種の趨勢はどうでも良いのだけど、別に積極的に滅びを望むわけではないからね……その点、君はスレイン法国のようにどちらか一方に肩入れするわけでもない。だから迷うのさ。君の強大な力を放置すれば、いずれ悪を成す可能性は高いと思うけど……可能性で断罪するのであれば、私を含めたこの世界の全てを滅ぼさなくてはならなくなるからね」

 

 やはり根本的なところは理解し合えない。

 薄気味悪い理屈を並べる甲冑が決定的な異物に見えた……根っこが単なる人間でしかない俺には悍ましい精神的なバケモノとしか思えなかった。

 

 ……コイツはいずれ殺る……それだけは決定……だけど現状の最優先は『モモンガ』さんの奪還と、その為の下準備だ。

 

「んじゃ、とりあえず俺は許された、と考えることにするよ」

「猶予だよ……力を持つ者はその力の使い方に注意を払い、責任を取る必要がある。くれぐれも忘れないで欲しい……君を見ているのは私だ」

「最後に一つ、お願いがあるんだけど良いかな?……ダメなら良いけど」

「なんだい?」

「一発、ぶん殴らせてくれないかな……このままじゃ、俺は殴られ損だろ?」

「それは………断るよ」

 

 予想通り……少し迷った。

 殴らせても良いか……なんて僅かでも考えてくれたのならば、遠隔操作説が補強される。

 

「んじゃ、代わりに正直に答えて欲しい……良いかな?」

「正体は明かさないよ」

「イエスかノーで良いんだけど……どうかな?」

「正直に答える確約はしないよ」

 

 事実上「イエス」の回答だ。それで結構……反応が見たいだけだ。

 

「アガネイアさんは『真なる竜王』なのかな?」

「…………答えはノーだよ」

「うーん、違ったか……残念。世界的な有名人と知り合いになったと思ったんだけど……違うんじゃ、仕方ないな」

「残念だけど、違うよ」

 

 リク・アガネイアが距離を広げた。

 暫く見守っていると、やがて消えた。

 

「……バイバイ、竜王」

 

 眼下ではビーストマンの配下達がホッと胸を撫で下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 ど、ど、ど……どうしよう?

 

 ナザリックの絶対支配者は例によって悩んでいた。

 骨だけの身体から溢れ出す緊張がハンパない。

 

 やっと会える……会って、話して、守護者達に紹介して……いや、その前に謝罪だな……まずは謝罪だろ、社会人としては……それから改めて友好関係を確認して……でもなぁ……最大の功労者のデミウルゴスは『ばある・ぜぶる』さんを配下に加える気満々だし……ちょっと2人だけで話して、形式だけでも配下って事にしてもらえないかなぁ?……無理だよなぁ……あの人、そういうのを嫌っていたから、あれだけ仲間がいたのにギルドどころかクランすら結成しなかったんだし……基本、良い人だけど、根本が俺とは違うしなぁ……

 

 今までの数々の失態が存在しない脳内を駆け巡る。

 特に帝都は酷かった。

 残された鈴木悟の部分がどうしても落ち込んでしまう。

 しかし解決法を捻り出さねばならない……しかも最高の知謀を誇るデミウルゴスどころか守護者達に頼らずに、だ。

 

「……でも、全方向で破綻させない為には、もう全身全霊全力でお願いするしかないよなぁ……ナザリックの全施設を無償で使い放題とかで手を打ってもらえないだろうか?」

 

 完全な思い付きだが、固有のギルドホームを持たない『ばある・ぜぶる』にとってはかなりの好条件に思えた。

 報告によれば「竜王国で新たな拠点を建設中」とあったが、所詮はこの世界の技術でしかない。あの為人ならばユグドラシル産の希少素材をかなり抱え込んでいるはずだ。その上で生産系のスキルは基本的なものすらほとんど持っていなかった記憶がある……死蔵は『ギルドクラッシャー』の理念からは遠く外れるのだから、活用できていない現状に忸怩たる思いがあるのも予想できる。

 

 ……これはイケる……かも?

 

 中々の手応えを感じる……鍛治長の腕であれば問題無い。

 共存共栄……ちょっと芝居をしてもらうだけでそれが可能になる。

 明確な配下が嫌であれば、アインズとしては同盟でも構わないが、デミウルゴスやアルベド辺りが異議を唱えるような気もする。

 であれば……

 可能ならば適当な役職を作って、事実上の副ギルド長に形だけでも就任してもらえば問題無い……かな?……いや、厳しいなぁ……

 あくまで形式的な地位のつもりだが、守護者統括以上でも俺や『至高の41人』以下ならば守護者達も異論は挟めないはず……彼とその仲間達によって転移直前のナザリックが救われた事実を持ち出せば、少なくとも『ばある・ぜぶる』がナザリックにとっての恩人という地位を確立できるのではないか?

 デミウルゴスの提案に従って、世界征服の尖兵などという役割を与えようとしたら、間違いなく『ばある・ぜぶる』は逃げ出すだろう。

 最悪のケースでは敵対しないまでも二度と近付かないかもしれない。

 そもそも彼の性格でNPCの風下に甘んじるわけがないのだ。『ギルドクラッシャー』の面々にとって、どんなに組み込まれたAIが素晴らしかろうと拠点防衛用NPCは単なる障害物……その認識だからこそ「プレイヤー1500人の撃退」映像の中で活躍していたシャルティアに関心を持ったのであって、それ以上でもそれ以下でもないことは簡単に想像できる。

 

 ……認識の差が最後の難関なんだよなぁ、結局……

 

 『ばある・ぜぶる』は間違いなくNPCにNPC以上の価値を認めることはできないだろう。単なる障害物という認識だけでなく、ナザリックのギルメンにもアインズ以外に知り合いがいないのだから、こればかりはかなり時間を掛けなければ活路すら見出せない。

 守護者達は『ばある・ぜぶる』を自分達の上位者と認めることできるかもしれないが、アインズの下位者であることは譲れないはずだ。対等を認めてもらうのが難しいぐらいはさすがに理解している。

 よって『ばある・ぜぶる』に提案すべき地位はアインズ以下で守護者統括以上であり、可能な限り自由な裁量を与えて、責任は0に近い方が望ましい。その上でデミウルゴスにもアルベドにも反対されない立場……副ギルド長……そう考えるだけならば簡単だが、現実の落とし所はかなり難しいことも理解できる。

 まず高位の地位を与えるのに役割も責任も無いことを守護者達……特にアルベドとデミウルゴスが簡単に認めるはずがない。

 次にNPCごときに反対されるのであれば『ばある・ぜぶる』はナザリックに合流することそのものを簡単に放棄するはずだ。そもそもソロプレイ志向が強い上に、既にこちらの世界でかなり巨大な勢力を作り上げているのだ。さらに言えば、彼は『モモンガ』に親近感を感じているのであって、ナザリックを大切にしているわけではない。つまりナザリックのNPCなどどうでもいいのだ。そのNPCに反対されるのを我慢するはずがないし、それ以前にNPCに意見されることなど考えることもできないはず。

 

 副ギルド長……だと厳しいかなぁ?……副社長みたいなものだし……会社で言うところの最高顧問みたいな権威だけはある名誉職的な肩書きで、かつ『ばある・ぜぶる』さんが受け入れやすい良案がないものか……?

 

 ふぅ、と肺も気管支も無いが一息吐く。

 

「色々考えても、まずは合流してもらわないと話にならないからな……『ばある・ぜぶる』さんの配下の女戦士……アレはなんて言ったか……ティーナだかティーヌだか……アレに後押しを頼むってのも手かもしれないな。会談の約束を取り付けた褒美にデミウルゴスが何やらやるみたいだが、こっちの頼みも引き受けてくれるなら、もっと凄いモノをくれてやっても良いな。装備は……あんな低レベルの人間に全部神器級を与えるとか、いかにも『ばある・ぜぶる』さんらしいけど……今更武具やアクセサリーの類じゃ喜ばないよなぁ……デミウルゴスの考えた褒美をグレードアップさせてやるか?……それならば喜んで引き受けてくれるかもしれないし、何より後出しだから恥はかかないし」

 

 アインズは椅子から立ち上がり、自室の中をぐるぐると歩き始めた。

 

 緊張もあるが、同時に期待も大きい。

 存在しない心臓がドキドキしている。

 余程の事態が勃発しない限り、会える事は確定したのだ。

 帝都の件で怒っているかもしれないが、ちゃんと謝れば許してくると確信していた。

 シャルティアを見て逃げ出した『ばある・ぜぶる』は何を思ってそうしたのか……墳墓がナザリックなのは確認したはずなのだ。

 それなのに逃げ出すには理由があるはずだ。

 その理由を考え、実際に彼と会話したハムスケの要領を得ない記憶を呼び起こし、原因を探った。

 その結果、おそらく『はある・ぜぶる』の記憶にある『モモンガ』と実際に墳墓の支配者としてハムスケが語った「殿」とのギャップが原因だろうと結論付けていた。

 ハムスケは『モモンガ』を知らない。

 ハムスケが「殿」と呼ぶ、もの凄いバケモノであり、冒険者であり、戦士が支配者と認識された。

 バケモノ=異形種は問題無い。

 冒険者も身分を得る手段としては許容範囲内と考えるだろう。

 ただ問題は戦士という職だ。

 それは『ばある・ぜぶる』の知る『モモンガ』とは似ても似つかない人物像だったのだろう。自分でも成長を求めてのこととは言え、戦士はやり過ぎのような気がしないでもない。『完全なる戦士』を使用すれば、こちらの世界基準では超級の戦士にはなれるが、やはりユグドラシル基準の考え方ではあり得ない選択のような気もする。

 だから『ばある・ぜぶる』はナザリックの支配権が何者かに奪われたのではないか、と考えたに違いないのだ。

 

 だからこそ何かを企てて竜王国に向かってくれたと思うんだよなぁ……

 

 ニグレドの報告では一度帝都に戻ったのは確認されていた。

 そこからカッツェ平野に転移し、陸路で王国を掠め、竜王国に向かった。

 

 何故か、エ・ランテルを避けるんだよなぁ……

 

 竜王国の首都に到着後、ビーストマンの討伐を開始する。

 およそ1週間で決着するが、決戦前に奇妙な魔法がスキルを使う。

 

 黒いドーム……ね。たしか魔法はそんなにマニアックなものは持ち合わせていなかったはず……となると俺の知らないスキルだろうな。たしかにスキルに関しては特殊なモノばかりだった。キャラビルドは彼以外に到達したプレイヤーを聞いたこともない激レア種族に極めて特殊な専用レア職……であれば専用スキルも当然特殊なモノだらけだ。その上『ギルドクラッシャー』が破壊したギルド武器は数知れずなのだから、強化されていても全く不思議はない。

 

 さらに最終決戦後にも……今度は竜王国とビーストマンの国の国境付近で黒いドームのスキルを使用した上で、おそらく超位の魔法かスキルを使用した。黒いドームの中にいたのは『ばある・ぜぶる』とビーストマンの族長達や有力者達だけ……中で何があったのかは不明……か……

 

 そして竜王国から領土の南半分を統治する侯爵位を授与され、南方領土の復興に着手し始めたところ、と……彼は国民ではない為、あくまで領土の所有権も無く、貴族の義務も負っていないので名誉爵位に過ぎないらしい……が、実質的な旨味は手に入れた……と。

 

 エ・ランテルで冒険者になり、1日だけ活動。

 王都では犯罪組織を表の組織に転換して、莫大な資金源を手に入れた。

 帝都ではワーカーをまとめ上げ、闘技場の利権を手に入れ、貸金業にまで手を突っ込み、最終的には帝室にまで繋がりを持つに至った。

 そして竜王国では名誉爵位ながら南方侯爵となり、これまたとんでもない利権を手に入れた。

 彼がいつからこの世界にいるのか不明だが、不自然に感じるぐらい順調過ぎる。これも特殊なスキルのお陰なのか……それともリアルの経験によるものなのか……

 

 そして今ナザリックにいる女戦士は、こちらが情報を確認できる期間では最初期から『ばある・ぜぶる』こと冒険者ゼブルと行動を共にしていた。

 

「信頼しているのか、お気に入りなのか……いずれにしてもそれなりの影響力は期待しても良さそうだな」

 

 50レベルにも達していないような人間の女戦士を最側近にせざる得ない苦しい台所事情が透けて見えるが、それを指摘しては女戦士の機嫌を損ねるかもしれない。

 

 人材にはそれほど恵まれていないんだよなぁ……それでいて、あの成果は凄いけど……人材に恵まれ過ぎている俺とは全くの逆だよなぁ……

 

「……まあ、何にしても女戦士と面会するようだな」

 

 アインズはわざわざ自室から出て、担当メイドにデミウルゴスを迎える準備を頼むと、メッセージでデミウルゴスを呼び出した。

 名目は進捗状況の報告だが、女戦士の様子が知りたかったのである。

 デミウルゴスは即座に応答した。

 

「デミウルゴスか?」

「はっ、アインズ様……いただいたご連絡で申し訳ありませんが、至急お知らせした方が良いと思われる報告が御座います。よろしいでしょうか?」

 

 凄く嫌な予感がしたが、デミウルゴスが「至急」と言う以上、全ての状況が考慮された上で、あえて無礼を承知で報告を優先すべきと判断したのは明白だった。

 

「構わん……報告を優先させることを許す。お前の至急と判断したのだ……全てに優先するのだろう」

「はっ、有り難き幸せ……では、報告させていただきます。簡潔に申し上げるのならば、ゼブルが襲撃されました」

 

 ……はぁ?

 

 事態が上手く飲み込めない。一瞬、頭の中が真っ白になり、やがて怒涛のようにネガティブな感情が雪崩れ込んだ。発光が繰り返され、感情が抑制される度に、再度負の感情の津波が頭脳を侵食する……言葉を発するところまで落ち着くのに2〜3分は要した気がする。

 

「……なっ、なっ……なんだと!」

「アインズ様!……ご安心下さい。ゼブルは無事です。襲撃者も撤退し……」

「撤退だと!……殲滅ではないのか?」

「既にゼブル自身が襲撃者と話し合い、追い返したようです。状況は落ち着きを取り戻しております」

「どんな奴だ?」

 

 ……殺してやる、絶対に!

 

 強烈な殺意が漲り、再度発光が繰り返された。

 

「銀色の甲冑姿です。四つの武器が甲冑の周囲に展開しておりました」

「ばあ……いや、ゼブルの様子は?」

「人間の姿のまま不意打ちを食らい、ピンチに陥ったようですが『人化』を解除して事なきを得たようです。その後、暫く襲撃者と話し合っていたようですが、そのまま襲撃者の姿は消えました」

 

 少し意外な気がした。

 『人化』を解除した以上、そのままではヤバいと『ばある・ぜぶる』は判断したのだろうが……通常の彼の行動であれば、そこから即時撤退するはずだ。一時撤退し、情報収集の後、交戦もしくは接近、あるいは逃走となるのが普通のはずだ。

 種族レベルとその分のステータスを失う『人化』したままでは厳しいが、解除しただけで大した情報収集もせずに接近したとなると……周囲の安全確認を忘れるようなタイプではないのだから、大した敵ではないのだろうか?

 

「とにかくゼブルは無事なのだな?」

「はい、それは確認しております……つきましては……」

「断るぞ」

「……アインズ様!」

「私も同行する」

「危険で御座います! こちらに招いてから、お会いになれば……」

「私も行くのだ!」

 

 その後数時間に渡り、アルベド、デミウルゴスをはじめとする階層守護者達に説得され、アインズは泣く泣く竜王国へ向かうのを取りやめた。

 

 

 

 

 

 

**************************

 

 

 

 

 

 

 低いながらも岩山の頂に立つ『白金の竜王』ツァインドルクス・ヴァイシオンが遠隔操作する鎧の隣に人影があった。

 よく分からない人物だ。

 白髪の老齢に見えるのに、姿勢は素晴らしく、表情は活発かつ楽しげで、瞳の奥にはいたずらっ子のような輝きまであった。

 

「久方ぶりじゃな、ツアー」

「呼び出してすまないね、リグリット」

「なーに、ちょうどインベルンの嬢ちゃんに呼ばれて、竜王国まで来ておったところじゃ……それが偶然と言うこともあるまい……100年の揺り返しの時期かの?」

「嬢ちゃん……あの娘のことかい?」

「そうじゃ……わしの後釜で冒険者をやっておるわ」

「よくあの娘が冒険者をやることに納得したね?……どんなトリックを使ったのかな?」

 

 途端にリグリット・ベルスー・カウラウは、カカカと楽しそうに笑った。

 

「あの泣き虫がぐちぐち言っておるから、わしが勝ったら言う事聞け、と言ってな、ぼこってやったわ!」

「……あの娘に勝てる人間は君ぐらいだよ」

「まぁ、仲間達も協力してくれたしの……」

 

 リグリットは唐突に真顔を見せた。

 

「……ところであの泣き虫に勝てる人間がかなり数増えた、と聞いたら、おぬしはどう思うんじゃ?」

「あー、それで君は100年の揺り返しと言ったんだね」

「そうじゃ……今回はリーダーのように世界に協力する者か……」

「私も一人見かけたよ」

 

 やはり偶然はなかったの、と思いながらリグリットは黙った。

 中身が空洞のツアーの鎧が南を見つめていた。

 リグリットもそのことは十二分に知っていたが、連れて南を見た。

 

「……人間の姿に化けていたから、一発殴ってみたんだ。そうしたら正体を現したよ。アレは悪魔なのかな?……邪悪な存在なのは間違いない。でも荒れ果てた竜王国を、原因であるビーストマンを使って復興させていた。ちょっと掴みどころの無い考え方をしていたよ。極めて自分勝手と思える理屈を振りかざしながら、自分について来る者達には豊かになって欲しい……そんなことを言っていたかな。それが一方だけでなく、竜王国にもビーストマンにもと言うのだから、ちょっと判断が下せなくなってしまったんだ」

「世界を我がものに……支配欲の現れではないのか?」

「その手の輩であれば、その場で屠っていたさ……戦闘能力そのものは、私にとってはそれほどとは感じなかったからね。彼は金に執着しているようで、金を財でなく力と言い切ったんだ。自分は金貨一枚で満足するが、1000万枚あれば国家の命運を左右できるだったか……稼ぐシステムを作り上げ、大きくしたいと言っていたかな……奪うのは愚か、みたいな事も……」

 

 リグリットは考え込み、やがて顔を上げた。

 

「どうにも嬢ちゃん達から聞いたゼブルとかいう冒険者と印象が被るが、嬢ちゃん曰く、そやつはからは人間の気配しかしないらしいが……」

「……彼もゼブルと名乗っていたかな」

「正体は悪魔、と言うことかの?」

「竜王国から南方侯爵に任ぜられたらしいよ……私の遠縁とは言え、いったいあの娘は何をやっているかな」

 

 ツアーの声音は呆れていた。

 

「そう言うてやるな……インベルンの嬢ちゃんもわしの古い仲間達も、皆騙されておるんだから、の……しかもゼブルは竜王国に多額の復興資金を貸し付けておるらしいし、の」

「それが彼の言う、金の力が国家の命運を左右する、というところだね」

「そうなんじゃろうな……して、おぬしは冒険者を引退したわしに何をして欲しいんじゃ?」

「呼び出した時点では引退したとは知らなかったからね……すまないとは思うけど、是非やって欲しい」

「だから何をさせたいんじゃ?……他でもない古き友の頼みじゃ。大概の事はやるが、の」

「……監視……」

「なんじゃ、ゼブルとかいう悪魔人間を監視すれば良いのか?」

「……と浸透だね」

「……浸透?」

「彼の勢力に接近して、可能ならば入り込んで欲しい。彼が何を考え、何を目指しているのか……場合によっては……」

「ゼブルはぷれいやーなんじゃろ?」

「戦闘に関しては問題無いよ……いざと言う時は私が対処するから……でも私では探れないんだ。私自身は動けないし、鎧は覚えられたからね」

 

 リグリットは空っぽの鎧を見て、ニヤリと笑った。

 

「わしの友はこの鎧だからのぉ……鎧のツアーに頼まれては嫌とは言えんが、実は泣き虫が言うにゼブルを探るのは中々に骨らしい。嬢ちゃん達は何度も出し抜かれて、散々コケにされているようじゃ、の……なにしろゼブルとやらが悪魔である事も見抜けん未熟者達じゃ……『青の薔薇』からも同じような頼みを受けたところだ。わしにバックアップを頼みたいらしいのう……アレらはアレらでゼブルの企みらしき走り書きを見つけて、その阻止に向けて動くようだのう」

「企み?」

「……嬢ちゃんがゼブルの宿のゴミ箱で見付けたそうじゃ……戦争……本人ではなく腹心の筆跡だったが、そう書いてあったらしいが、の」

「戦争……となると戦争を起こすつもりでならば問題だね。でも彼の考え方ではそうとも言い切れないよ。金儲けの邪魔と判断して、恒例の帝国と王国の諍いを止めるつもりなのかもしれないし、戦争に乗じて儲けるつもりなのかもしれない……いずれにしても監視は必要だけどね」

「そうなる、の……ただわしの知人もゼブルの配下にいるからのう……浸透とやらは、おぬしの希望に添えぬかもしれん」

「やれる範囲で構わないよ……お願いできるかな?」

「引き受けよう」

「では頼んだよ」

 

 ツアーは老齢に似合わぬ身のこなしで岩山を駆け下りるリグリットを楽しい気持ちで眺めた。齢を重ね、細く弱くなった彼女だが、その分経験を積んだとも言える。

 突き立つ岩の先端を走るように飛び移る彼女の影が不意に消えた。

 それを確認して、銀色の甲冑も岩山の頂から消え失せた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 やたら長身な男が窓の外を眺めていた。

 身の丈は軽く2メートルを超えるだろう。

 男にとって行き交う人間達の動きは実に興味深かった。

 物が動き、金が動き、活気に溢れる街並みは笑顔で満たされている。

 

 ……疼くな……

 

 本能に等しい衝動が湧き上がるのを抑えつける。

 他の仲間よりは恵まれている……そう思い込んだ。少なくとも頭の中では楽しめる。ビーストマンなどと言う面白味の無い存在に囲まれているぐらいならば、まだ人間社会で役目を仰せつかった自分は運が良い。

 

 退屈で欠伸が出るのを噛み殺す。

 気を紛らす為に与えられた部屋の中を歩き回った。

 予定らしい予定もなく、日々飼い殺しに等しい状態が続いていたが、それでも存在が希薄だった頃に比べれば、はるかに面白い毎日だった。

 

 不意に笑いが漏れた。

 

 他者がいれば「凶相」と呼ぶかもしれない。

 だが誰もいなかった。

 だからこうして人間の姿をとっていた。

 

 自由だ……実に自由だ。

 

 ふと部屋の外に出るのも自由ではないかと思い付いた。

 躊躇なくドアノブに手を掛ける。

 制約はなく、ノブはグルリと回った……否、回すことができた。

 ドアを押し開ける。

 強烈な開放感に身を任せ、部屋の外へ一歩踏み出す。

 

「誰だ?」

 

 誰だ……とは、私に向けられたものか?

 

 男は長く伸びる廊下を見た。

 小柄な仮面が男を見上げていた。

 なんとも奇妙な存在だった……人間の気配は感じなかったのに、その仮面の女は2メートルもない距離にいたのだ。

 だが、その存在が何であろうと……面白い。

 

「貴女こそ誰ですか?」

「私は『青の薔薇』のイビルアイだ。お前こそ、王城のこの限られた者しか入ることを許されない建物の中では見た記憶が無いぞ……誰なんだ?」

 

 彼女の言う通り、本宮殿ではないとはいえ、王城内のこの質素極まる建物は南方侯爵である主人に下賜されたものだった……が、限られた者しか入ることを許されないのでなく、誰も近寄らない、と言うのが正しいだろう。

 南方復興に関する情報公開と陳情受付の為、一階は首都に避難していた南方の国民に限らず万人に向け開放しているが、その広々とした空間に対して訪問者の数はおそろしく少ない。

 2階以上も関係者以外立ち入り禁止とは明示してあるものの、誰かが入ったところで咎める者はいない。せいぜい騒げば注意を受ける程度だろう。この竜王国において、南方侯に実力をもって反抗しようという者など皆無だ。南方侯と婚約するのではないかと囁かれる女王ですら不可能だ。資金力も軍事力も桁が違う。 

 目の前の仮面の女……イビルアイとやらも誰の許しがあったわけでもなかろうに堂々と侵入しているのだろうが……なにしろ許可制だとすれば、許可権者に違いない主人不在の現在、許可権者は自分をおいて他にないのだ。そしてそんな許可を承諾した覚えは無かった。

 女の言葉を反芻する。

 『青の薔薇』……主人から聞いた記憶がある。何故か毎度毎度絡んでくる厄介な集団……でも手を出すな、とも命じられた……つまり要注意だ。

 そして面白い。

 

「私はブエルと申します」

「ブエル?……知らんな」

「知らなくて当然……私が来たのは、つい4日ほど前ですから」

 

 身なりの良い男。

 過度でなく、嫌味が無く、センス良く上品にまとめている。

 かなりの長身に加えて体格も良い。

 少々厳ついが顔立ちも良く、美男と言って間違いない。

 王城という特殊な場にも違和感を感じさせない。

 だが、それだけに唐突に現れた感を隠せなかった。

 そんな男が出てきたのは、南方侯爵に特別に与えられた建物の最上階の一室だった。

 イビルアイが不審に思わないわけがない。

 しかしそんな事は関係無かった。

 何よりもブエルと名乗った男の優しげな笑顔が不穏なのだ。

 ゼブルに通じる何かを、笑顔の奥底に感じさせた。

 難度は不明。

 男は略礼服姿……いくつかの指輪は身に付けているが、素の状態……イビルアイにとって問題無いように思えるとはいえ、能力を隠しているのだろう。

 

 唐突に奇妙な気配を感じたので思わず声をかけてしまったのだが、冷静に考えれば立場上拙いのは、どう考えても自分だった。

 

「お前はゼブルの配下なのか?」

「その通りです……貴女こそ許可があるわけではありませんね?」

「……私は……その……アイツの知り合いだ!」

「そうですか……しかし上階は関係者以外立ち入り禁止のはずですが?」

 

 だからこそ調査の為に侵入を繰り返していたのだ……あえて気配を消すだけに止め、堂々と歩き回っていたのだが……警備はザルそのもの……これまでどの部屋に侵入しようと咎められたことなど無かった。稀にすれ違う文官をやり過ごすだけで良かったのだが……気配を探っても何も感じなかった部屋から突然大男が出て来たのだ。

 

「……ですが、侵入者を排除しろ、と命を受けたわけではありません。お好きに調査されるがよろしいでしょう。私の許可を得た、と言えば誰も咎めることはありません」

 

 あまりと言えばあまりな申し出にイビルアイが感じたのは不快感だったが、思わずポカンとブエルと名乗った男の顔を見返してしまった。

 

「……よろしければお茶でもいかがですか?……他のお二人も」

 

 ブエルの言葉にティアとティナが姿を現した。

 調査の本命だった2人もバレていた……イビルアイがあえて目立っていた意味を失ったのだ。

 

「……おかしい」

「見せ場すらなかった」

「格好良く救出の予定だった……」

「格好良く登場もできなかった……」

「失態」

「鬼ボスが鬼になる」

 

 ブエルは楽しそうに笑い、部屋に3人を招き入れた。

 メッセージでお茶の準備をさせる。

 

 やはり人間は愉快だ……表情の一つ一つが面白い……やはり自分は恵まれている。一気に3人も部下以外の人間と知り合うなど幸運以外のなにものでもないだろう。

 

 ブエルは主人に深く感謝した。

 この面白い世界に現出させてもらっただけでなく、この肉体を与えてくれたのだ。

 その上、面白い役目を与えてくれた。

 楽しまねば損だ。

 

 制約さえ守れば、他は自由……ブエルは脳に刻み込んだ。

 




お読みいただきありがとうございます。


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23話 悪魔は笑い、魔神は願い、死の王は謝罪した。

だいたい中間点まで来ました。
予定より5〜6話ぐらい長い気がします。
週一更新ですが、お付き合いいただける方は気長にお付き合い下さい。



 

 僅か3日で屋敷と言うよりも城の規模と堅牢さに仕上がった新拠点。

 なだらかな傾斜の頂にある為、二階建ながらもビーストマンと膨大な物資で溢れる街が一望できた。

 街の外側ではマーレと言うらしい子供ダークエルフプレイヤーが作物の大規模な超速成長を凄まじい勢いでこなしている。やはり高位のドルイドの力は凄まじく、時期に関係なく麦類に芋類が豊かに実っていた。

 午後は野菜に果実と続き、その後は畜産飼料用のトウモロコシまでやってもらう予定だ。

 

 屋敷の最奥の一室に俺はいた。

 そして目の前に悪魔がいた。

 100レベルなのは一眼で理解させられた。

 濃いオレンジ色と言うか、朱色と言うか……微妙な色合いのスーツ姿に丸メガネが印象的だった。

 帝都から持ち込んだソファに浅く腰掛け、口角を上げた笑顔の前で両手を合わせている。

 

 魔神と悪魔が同じ部屋に居合わせる……ユグドラシルの頃でもヘルヘイム以外ではほとんど見られない光景だ。

 

「お初にお目に掛かります、ゼブル殿」

「デミウルゴスさんでしたね……ティーヌが世話になったみたいで」

「いえ、我々にとっては大したことではありません。喜んでいただけたのでしたら、なによりです」

 

 余裕か……力の差を暗に示しているのかな?

 でも、こちらの手の内を知り尽くしているわけでもないのも伝わる。

 つまり逆算して考えれば、コイツらの監視手段は光学的に遠隔からのみ……把握していることも限られるわけだ。

 

「是非、ゼブル殿にも我々の拠点にいらしていただきたい。それこそ最高の歓待でお迎えいたしますよ」

「それは楽しみです……ところでティーヌは?」

「彼女は我々の依頼に応え、こうしてゼブル殿との会談の機会を見事にセッティングしていただきました。我々は仕事の成果には報酬を支払います。彼女には彼女が望み得る最高の報酬を受け取っているところです。ゼブル殿の来訪の際には一緒に帰れるようになっているでしょう」

「ちなみに、その報酬とは?」

「それは直接確認して下さい……ゼブル殿も驚かれると思いますよ」

 

 俺は頷き、茶を飲んだ。

 デミウルゴスもそれに倣う。

 

 会談の前哨戦はデミウルゴス=魔皇勢力優位。

 ただし彼等の穴も確認できた。

 諜報特化の高レベルプレイヤーは存在するが、リスクを犯さない性格なのだろう。まあ、そうでなければ諜報特化のビルドなどにするわけがないのだけれど……その穴を確認しているのと、していないのでは雲泥の差がある。

 

「では、本題に入りましょうか?」

 

 ティーカップから顔を上げると、悪魔は実に楽しそうに笑っていた。

 

「本題ですか……墳墓に対する攻勢ですよね。その為の連携の打ち合わせと考えていたのですが……間違いありませんか?」

「その通りです。さすがはゼブル殿……話が早くて助かります」

「我々が前面に立つ。そちらはバックアップ……俺の勝手な想像ではそうなっていますけど、それも間違いありませんか?」

「その通りです……貴方は実に話が早い」

「では、話が早いついでに一つこちらの要望を受け入れていただきたい」

 

 本来ならば墳墓勢力を前面にして、魔皇勢力に後背を取られるような立場は遠慮したいところだが、こちらには『モモンガ』の奪還という最大の目的がある。リスクは飛躍的に高まるけど、魔皇勢力に前線を任せて、仮に『モモンガ』さんの奪還が成った場合、身柄にについての優先権を主張させるわけにはいかない。墳墓はナザリックなのだから、映像だけの知識とはいえ、初見ではないのもこちらの強みだし、しょーじきなところ第八階層以外はノーダメージで切り抜ける自信もある。逆に言えば、あそこだけは行き当たりばったりの対処になるが『モモンガ』さんのアレさえ発動しなければ、ノーダメージは無理でも、なんとかなるような気がしないでもない。

 むしろ問題は「殿」とギルメンの実力だ。

 なにしろ情報が一切無い。

 NPCならば、何体いようが各個撃破に徹すればなんとでもなる気がするけど、ギルメンは単体では弱者でも連携に徹されるとかなり厳しいし、単独で突っ込んでくるようなバカも少ない。むしろ単独で突っ込んでくるのような輩は「PVPに自信有り」の実力者の可能性が高い。

 こんな状況で敵の人数すら不明なのに突っ込むのは半ば自殺だ。

 そうでなくともあの『モモンガ』さんを倒し切った実力なのだから、『えんじょい子』さんレベルの相当なPVP強者の可能性もあり得るし、大手ギルド並みの圧倒的多勢を誇る可能性もあり得る。最悪なのはアインズ・ウール・ゴウンのギルメンだった『ぷにっと萌え』さんのような対プレイヤーの軍師的存在までいるケースだ。その時は殺り合う前からほぼほぼ詰みゲー状態だ。

 

 でも、やらなければならないんだよなぁ……まあ一縷の望みは『モモンガ』さんさえ奪還できればナザリックの機能がこちらに味方するということなんだけど……それでも半分以上自殺だよなぁ……少なくとも第八階層を抜けなければ話にならないし……絶対にそうならないように打てる手は全て打ったつもりだけど、それでも地の利は敵にあるし……

 

「要望ですか?……可能なものであれば、全てお応えしましょう」

「……事が成った場合、俺はどうしても欲しい戦利品がある。その優先権をこちらに頂きたい」

 

 それまで楽しそうに笑い、滑らかに喋っていたデミウルゴスが黙った。

 嘘か本当か、来訪時に「全権代理」と自称した奴が、である。

 つまり魔皇勢力も何か譲れないモノがあるのだろう。

 

「それを手に入れられるならば、俺がこの世界で手に入れた利権の全てと交換しても良い……絶対に欲しいんだ」

「……ちなみにソレは何でしょう?……ワールドアイテムの類ですか?」

 

 熱意に押し出される形でデミウルゴスが反応した。

 ワールドアイテム……まあ、妥当な推測だろう。少人数の割に過去には超有名PKギルドだったあそこには10を超えるワールドアイテムが保管されているはずだ。『モモンガ』さんと打ち解けてからは何回も自慢話や入手の際の苦労話を聞いた。奪われた話もされたこともある。

 もう一つの有力候補であるギルド武器ならば、指定された使用者がいるはずだ。アインズ・ウール・ゴウンの場合ならば『モモンガ』さんだろう。

 

「何とは言えないが、ワールドアイテムじゃない。それだけは断言しよう」

「具体的に言えませんか?……それでは我々で協議することもできませんが」

「デミウルゴスさんは全権代理なんだろう?……この場で決められないのか?」

「何かによります……全権代理と言えど……例えば墳墓の権利の全てというような要望には即答できないどころか、お断りせざる得ない。となれば、この盟約は破棄せざる得ないのです。ここまで来て、私の迂闊な一言で全てを終わらせるわけにはいきません」

 

 危惧の規模が大き過ぎるが、そんな要望じゃそもそも交渉のテーブルに上げるのもバカバカしい限りだ。「何でもやる」と言ったとしても、何でもやるわけがないのだ。たとえ言質を取っても「お前はバカか?」で終了だろう。

 ここまで魔皇勢力には良いようにやられっぱなしで、とうとうナザリックに特攻するハメに陥ったが、そういう意味では多少なりとも良心的なのかもしれない……デミウルゴスによる時間の引き伸ばしでなければ、だが。

 

 譲歩を引き出す取引材料は……?

 いろいろ思い付くが、どれも決め手に欠ける。

 どうしても「持ち帰る」と言われた場合には、俺は協議の場に居合わせることができない。

 そして魔皇勢力には、あのヤルダバオトがいる。奴ならば同盟相手の弱味を握って利用とまでは言わないが、弱味を知ったら譲歩の対価をつり上げる程度のことは考えるだろう。

 

 となると……本命を言うしかないのか?

 

 少なくともデミウルゴスがヤルダバオトから全権を預かっている段階で決着させるには、それしかないように思える。『モモンガ』さんの奪還が魔皇勢力の狙いから外れていれば問題無く決着するだろう。

 問題は本命が被った場合だが……その時は最終的に実力行使も考える必要が生じる。

 俺の揃えた最大戦力で通用するのか……同盟相手であればざっくりと戦力ぐらいは把握できるだろう。問題なければ鏖殺する。そうでなければ、セバスさんのところか、この前の竜王を仲間に引き込むか、謀反覚悟で「殿」の配下を生かしておいて仲間に引き込むか、だ。

 

 いずれにしてもナザリックに攻め込む段階では、魔皇勢力のバックアップは必要だ……そこから先は魔皇勢力の総戦力を把握してからでも遅くない。

 

「……墳墓はナザリック……知っていましたか?」

 

 デミウルゴスが人差し指でメガネをクイッと上げた。

 同時に空気が引き締まる。

 低位のモンスターならば触れただけで死にそうな緊張が走っていた。

 金剛石の視線が俺に突き刺さる。

 つまり知っているのだ……そして俺が知っていることを想定していなかったのだ。

 

「……ナザリック地下大墳墓……至高の存在が住まう地ですね……どうやってそれを知り得たのですか?」

 

 至高の存在?……何それ?……疑問はさておき、続けるしかない。

 

「最初に踏み込んだ時、NPCに会った……シャルティア・ブラッドフォールンという名の……『ペロロンチーノ』さんと言うギルメンの被造物だ。俺は彼の親友の知り合いなんだよ」

「ペロロンチーノ様……のご親友……のお知り合い……です……か?」

 

 呆然としたデミウルゴスが、途切れ途切れに言葉を続けた。

 彼の発していた殺意にも等しい緊張が唐突に緩む。

 あまりに唐突だったので逆にビビって警戒したぐらいだ。

 

「そう……親友の名は『モモンガ』さんと言う。有名異形種PKギルドであるアインズ・ウール・ゴウンのギルド長だった……本人も非公式ラスボスと称されるぐらい有名なユグドラシルプレイヤーだ……おそらく彼は墳墓勢力に囚われているか、無力化されたか……最悪のケースでは滅ぼされたまで考えられるが、乗っ取られたとはいえナザリックが機能している以上、その可能性は低いと踏んでいる。俺は彼を救いたい。俺の手に入れた全てと引き換えにしても……」

 

 立ち上がり、床に正座した。

 そのまま深く頭を下げる……いわゆる土下座だ。

 

「……頼む、デミウルゴスさん……あんた達の力を貸して欲しい。前線には俺達が立つ。だから『モモンガ』さんを奪い返した場合、俺に優先権をくれ。他は何もいらない。全て譲る。だからっ!」

 

 デミウルゴスが立ち上がる気配がした。

 

 ……ダメか……失敗した以上、今後の方針はコイツらの戦力調査だ。

 

 顔を上げると目の前にデミウルゴスが立っていた。

 

「素晴らしい!……そう言わせていただきたい!」

 

 悪魔が悪魔的に笑い、俺に手を差し伸べていた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 すぅーーーーかっり忘れていました、メッセージってヤツを。

 肉腫の便利さと配下の見事な服従っぷりに全く必要がなくなっていたんですよね……まっ、完全無欠の言い訳ですけど……

 

 メッセージで久方振りに話した『モモンガ』さんは奇妙なことに改名していました。それも何故かギルド名と一緒するという暴挙……この世界の何処かに仲間がいた場合、すぐに分かるように配慮したらしい(本人談)ですが、正直なところ、アンタらはとにかくユグドラシル界隈の古参には有名過ぎる上に恨み買いまくりなんですから、古参プレイヤーがいた場合は逆に狙われるんじゃないの?……と心配になりました。最後期新参プレイヤーの俺ですら、伝説的存在としてユグドラシルのプレイ開始直後から、アバターはともかく名前だけは知っていたんですから、自身の知名度に無頓着すぎるのではないかと不安になります。

 そうでなくとも『モモンガ』も十二分に有名な上にカワイイと思うんだけどなぁ……

 

 んで、驚きの事実が次々に発覚です。

 まずエ・ランテルにシャドウ・デーモンばら撒いていたのは『モモンガ』改めアインズさん……なんか言い慣れなくて気持ち悪っ!……なんでもアインズさんも冒険者稼業を始めたのがエ・ランテルなのが原因だそうですわ。なんて傍迷惑な!

 次にセバスさんと爆乳メガネメイドはアインズさんのNPC……何度も何度も「マジですか?」と聞き返してしまいました。この世界では拠点防衛用NPCが拠点から離れられる上に人間じみた自主性もあるんですと!……「何それ、反則じゃん!」と言ったら、苦笑いで返されました。

 更に墳墓の「殿」はアインズさん本人……「何故、戦士なのか?」と小一時間ほど問い詰めたい衝動を噛み殺すのが大変でした。ちなみにハムスケは森で拾ったそうですよ。もっと言えば、俺は冒険者稼業休業状態なので知りませんでしたが、王国3番目のアダマンタイト級冒険者『漆黒』のモモンはアインズさんだそうです……じゃあ『モモンガ』で良くネ。

 トドメに魔皇ヤルダバオトはデミウルゴスが作り上げた虚像な上に俺を引き寄せる為の罠です、と……魔皇勢力自体が全てアインズさんのところの拠点防衛用NPCな上に皇帝ジルクニフを見事にやり込めた知力のバケモノはデミウルゴス本人らしい……NPCは設定だけであり得んレベルの知力を得るそうですわ。もう世の中NPCだけで回せば良いんじゃねーかな……

 

 そして最大の懸念はアインズさんの言葉で決着しました。

 

 この世界に転移したのはアインズ・ウール・ゴウンではアインズさん一人だけ……それ以外にプレイヤーで見かけたのは俺だけ……過去はともかく、現時点では他にいるのかもしれないし、いないのかもしれない。

 どんな理由でプレイヤーが転移するのかは一切不明。

 全てが謎だらけ……でもアインズさんは「帰りたい」とは思わない。

 俺も友人達に会いたいとは思うが、アーコロジー内の生活に「戻りたい」とは思わない。

 2人とも同じような気持ちでした。

 

 最後にモモン……いや、アインズさんは謝り倒しました。

 帝都で俺の配下のワーカーを殺しまくったそうです。

 事情を聞けば、肉腫の制約が裏目に出たのは間違いなさそうでした。

 俺としては許すしかありません。

 アインズさんの話を聞きながら、後で無駄に死亡したグリンガム以下には良い思いをさせてやることを決定しました。

 

 まあ「全てはメッセージを無視するくせに『転移門』で逃げ回る俺を捕捉する為の行い」と言われれば、ぐうの音も出ないんですけどね。

 

 色々話して、今度はティーヌを連れ帰るついでにナザリックを訪問する約束をしました。アインズさんは大人の事情というか、支配者の事情でこちらに来ようとするとNPC達に全力で阻止され、とんでもない大騒ぎになってしまうそうです。なんでも俺を襲撃した銀色甲冑に対して全NPCが警戒しているらしく、全く自由にさせてくれない、と。

 

 ……いや、なんかスミマセン……やっぱその場で殺っておけばよかった。

 

 1週間ばかり拝借できることになったマーレきゅん(何故かオトコの娘)の作物促成栽培作戦の進捗を確認しつつ、彼の仕事終わりに合わせて、ナザリックを訪問する運びとなっております。

 

 いやー、勘違いと経験不足ヤロウの無駄な深読みは怖いですね……予測の上に予測を積み重ねると現実が全く見えなくなる。今回、心底思い知らされましたわ。

 

 で、困ったのが責任問題です。

 配下を無駄に増やしてしまいました。

 彼等を食わせなければなりません。

 最初から全てを知っていれば『八本指』を奪おうなんて考えもしなかったでしょう……今頃はエ・ランテル辺りでチマチマ冒険者稼業に勤しんでいたかもしれません。

 でも、現実にはビーストマンを含めれば100万を軽く超える勢力を築いてしまいました。我ながら迂闊以外のなにものでもありません。

 もはや作り上げたシステムからは降りられないし、拡大のスピードを緩めることはできても、拡大そのものはやめられない。両肩にのし掛かる重圧に耐えながら、配下を食わせ続けるしか選択肢はないのです。

 

 屋敷の屋上から街を眺めれば、おそろしいスピードで次々と建設は進行しています。ビーストマンの人足が木材を運び、石材を運び、足場を作り、もしくは撤去していました。街路には石畳が敷き詰められ、つい4日前には完全に廃墟だった街並みを再生どころか、大幅に発展させています。

 マルファスというビーストマンとしては小柄な奴がこの屋敷の庭に設営された天幕で、農地を含めた工事の全てを指揮監督しているんです。想像をはるかに超えた優秀さです。

 知識の無い俺は完全に傍観者でした。

 

 なので考え事は捗ります。

 

 さて、どうしようか?

 

 逃げ出したい気持ちを圧し殺し……見たくない現実を反芻します。

 

 もう……宣戦布告しちゃったよなぁ、ジルクニフ……

 

 直近の大問題がそれでした。

 穀物相場がえらいことになっていることからも、ほぼ間違いないでしょう。

 元々俺達が買い占めているところに、収穫期を狙った例年通りの宣戦布告なされたので、一攫千金狙いどころか、パニック買いです。

 これまで竜王国内の食力確保の為にそれまでの商慣習や取引先を押し退けて俺達が王国各地で資金力で圧倒し、領主達の醜聞まで持ち出して、脅して宥めすかして買いまくっていました。目端の利く商人達すら寄せ付けないレベルの買い占めをしていたところで、宣戦布告です。

 結果は予測の必要すらありません。

 専業兵士制の帝国でも看過できるレベルをはるかに超えているのに、王国内は農民の徴兵がある為、それはもうとんでもない勢いで暴騰しているとの情報を得ています……このままでは帝国はともかく王国では「餓死者続出待った無し」です。

 伊達に『転移門』による買い付け運搬担当ではありませんよ。

 いちおう行った先々でお役立ち情報を入手しています。

 作物はマーレきゅんのお陰で既に収穫可能です。

 高位ドルイドさんの万能振りを発揮して、無茶をしているのに地力にもほとんど影響がないとのこと……

 つまりガンガン連作可能なんです。

 やらない手は無いんですが、手が圧倒的に足りません。

 ビーストマン達は力仕事に邁進中です。だから収穫にまで回せる人数は限られています。

 そこで当初の狙い通り竜王国民が頼みの綱なんですが……

 首都の連絡所には収穫用の人足急募の告知を貼り出し、各所でばら撒いてもいますが、お陰様で不人気の極みです。そもそも復興を開始して僅か4日目で収穫とか胡散臭いにもほどがあります。その上、直前まで自分達の仲間を食っていたビーストマンと同居じゃ、いくら賃金を上乗せしても誰も反応すらしてくれません。要は性急過ぎたんですね。

 

 ……これだけいても人手が全く足りないよなぁ……モモ、もとい、アインズさんも一枚噛まないかな?

 

 思い立ったが吉日……今日まですっかり存在を忘れていたメッセージが大活躍します。

 

「あー、モモ……アインズさん?……何度もスミマセン」

「どうかしましたか、『ばある・ぜぶる』さん?」

「突然ですが、アルバイトしません?」

「はぁ?」

「いや、すんごい儲けるチャンスなんですけど、悲しいぐらい人手不足なんですよ。お客に買付する体力が残っている内に、なんとか売り抜けたいんですけど……いっちょ噛みしませんか?」

「……話が見えないんで、簡単に説明してくれませんか?」

 

 簡単に、と時間をもらったからといって、本当に簡単に説明するバカはいません。それはそれは丁寧にここまでの事情と現在の状況をを説明を開始しました。熱意が通じないとビジネスパートナーにはなってもらえないでしょう。

 と思っていたところ……

 

「……乗った!」

 

 アインズさんは即答しました。

 なんでも「渡りに船」で実験したかったことがあるようです。

 

「……単純作業は任せて下さい。想定通りならば24時間年中無休で稼働可能な労働力となるはずです!……メンテも食料も睡眠も……一切の維持コストが不要な完全無欠の単純作業者ですよ!」

 

 ノリノリのアインズさんの半ばネタバレ発言を聞きながら、取り分の話を切り出すと純利益の1%で良いとアインズさんの方から申し出がありました。

 なんでも帝都のお詫びだとか……それはマーレきゅんの働きで十二分に返してもらっていると言いましたが、アインズさんは頑なに譲りません。

 曰く、販路も交渉もこちら任せ。

 曰く、土地も資本もこちら持ち。

 曰く、運搬はナザリックでも『転移門』で協力できるけど、実際にお客に届ける人間の人足はこちら任せになる。

 曰く、この実験を大規模で引き受けてくれるのは、俺だけ、

 曰く、俺の方がユグドラシルでもこの世界でも先輩なんだから、少しは格好つけさせてくれ。

 と、まあ、呆れるぐらいに次々と理由を列挙されました。

 

 どうしても譲ってくれないので、渋々了承しました。

 

「……この実験が成功したら、レンタルで儲けますから……あまり気にしないで下さい。それよりも上手く行ったら皇帝とか女王を紹介してくださいよ。国家規模のレンタルなら、かなりの安定収入になると思うんですよねー」

 

 なるほど、アインズさんはアインズさんで密かに独自の事業計画を温めていたわけだ。その気持ちは理解できます。

 

「準備ができたら、また連絡しますね……広大なスペースが必要ですから、その確保をお願いします」

 

 100万のビーストマンの次はナザリック謹製アンデッド軍団……竜王国南方の評判は地に落ちるだろうけど、後は豊かさの実績で挽回するしかないよなぁ……

 

「一度、女王陛下には報告しておく必要があるな」

 

 アインズさんの準備にどれほど時間が掛かるのか不明だが、そう大した時間ではないでしょう。

 

 竜王国での本拠をこちらに移してからこっち、もはや秘書室長と化しているジットに王城への同行を命じた。

 当然という顔をしてブレインもエルヤーも身支度を始める。

 2人とも暇なんですよ。

 こっちに来た当初はビーストマンの子供に剣術を教え込もうなんて暇潰しをしていましたが、膂力に優れた彼等は剣よりも棍棒の方がはるかに威力を発揮するわけです。まして大剣ならばまだしも刀みたいな繊細な武器には全く向いていません。

 

「ゲート!」

 

 もはや誰も驚かなくなった『転移門』のエフェクトが現れた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 自分も変わったが、自分を取り巻く状況は理解できないレベルで激変していた。様々なものが激変していたが、何よりも理解に苦しむのが周囲の目だ。まるで仲間を見る目で、自分を優しく眺めてくる。それだけでなく憧憬も多分に含まれているようにも感じる。それでも遠巻きに眺めるだけの者が圧倒的多数だか、中には声を掛ける者もチラホラ……振り向くとキャーキャー言ってはしゃぐ……まるで人気役者みたいな扱いだった。

 そして今も複数のメイド姿が騒ぎながら、小走りで去って行く。

 

「……どゆこと?」

 

 仇敵ルプスレギナに聞いてもニヤニヤされ、ソリュシャンにも「あらー、人気出ちゃったのね」などと興味無さそうに言われる始末。

 

 唐突に知らないメイドから握手を求められて、素直に応えると赤面される。それを眺めていたメイド達が「今度は私も」などと囁き合っているのが聞こえたりもした。

 訓練後の風呂では世話係を奪い合う様が散見され、逆に濡れ鼠のまま放置されることすらあった。

 

 何が何やら……完全に理解の外側だった。

 

 ゼブルに命ぜられたまま敵の本拠に帰還(?)して、デミウルゴスに報告した時まではそんなことはなかった。それまで通り、もの凄く贅沢な立場の虜囚でしかなかった。

 翌日、デミウルゴスは約束を守った。

 目録にあった通りの物を報酬として渡された。

 待ちきれないので、その場で使用した。

 たしかに見た目は多少変化した……しかし正直なところ想像していたような激変もなければ、覚悟していたような苦痛の類も無かった。

 

 その後も淡々とした虜囚の時間の過ごした……わけではない。

 変化は戦闘訓練で実感した。

 能力の伸びがその場で実感できるレベルで急上昇するのだ。

 互角だったレッドキャップを圧倒し始め、訓練終了時には瞬殺できるまでの戦闘能力を手に入れていた。

 呆然と両手を眺め、握りしめた。

 どうしても表情が緩む。

 突き抜けたのだ……戦士としての自分に立ちはだかっていた巨大な壁を、たかが1日の訓練で軽く突き抜けていた。このまま訓練すればルプスレギナに追い付くことも可能……確かな手応えを感じていた。

 何も言うことはない。

 食事も環境も睡眠も全てに満足していた。

 ただしそれらは戦闘訓練の為の下準備としてであるが。

 

 そして2日前にデミウルゴスが来て、大絶賛された。

 だが絶賛の中身は自身の成長のついでではなく、ゼブルについてだった。

 たしかにデミウルゴスなどと言うバケモノのレベルには程遠いが少しは認めさせたいという不思議な気持ちも湧き上がっていた。

 

「……貴女のお陰で恒久的同盟関係が成立しました……ついては後日アインズ様より直々にお褒めの言葉があるそうです。別途、褒美も授ける、との有難いお言葉も頂戴しています……アインズ様に対して、何でも良い、などと言う失礼な発言は許されません……望みがあればそのままに……そうでなければ良く考えておくように」

 

 そう言い残し、デミウルゴスは立ち去った。

 アインズ……帝都でルプスレギナと戦った時に聞いた名だ。

 それがバケモノの中のバケモノであるデミウルゴスのさらに上位者であると言う……想像を絶するレベルのバケモノに違いない。

 しかしまあ、同盟が成ったのならば緊張する必要もないだろうし、後はゼブルが上手くやるだろうなどと気楽に考えていたが、そこで現在の自分が満たされ過ぎていて、「強くなる」以外に望みが無いことに気付いてしまった。

 

 どうしよう……か?

 

 一転、深刻なような贅沢なような悩みを突きつけられ、脳内の自分が頭を抱えた。

 

 何も思い浮かばない……強くなりたい、と言って簡単かつ代償無しに強くできるのならば、誰が好んで過酷な訓練などするものか。

 食事はむしろここ以外で食べるのが味気なく感じるのが悩みなぐらいだ。

 酒も同様。

 睡眠もしっかりとれている。疲れも無い。

 与えられる衣類も贅沢過ぎて、法国育ちの清貧体質では申し訳なく感じるほどだ。

 髪の毛の艶も肌艶も良い。つまり健康状態もこの上なく絶好調。

 一般的に褒美と言えば領地とかなのだろうけど、要らない上に領地経営とかガラじゃない。むしろそんなモノを手に入れて、お色気ババアとの才覚の差を見せつけられたら立ち直れない……かもしれない。

 装備……ゼブルに与えられた物で十二分に満足しているし、むしろ換装することなど考えられない……と言うか、絶対に拒否する。

 金……考える必要もないぐらいゼブルが大量に持っているし、必要だからくれ、と言えばいくらでもくれる。

 男……与えられるものじゃないし、自分は抜け殻を捨てられるまで、自分の全てを捧げ尽くす先は決まっている。そして抜け殻になる心配も無くなってしまった……はず……あの目録の説明が真実ならば、老いによる能力劣化からも解放されているのだ。

 

 ……マジで何も無い……

 

 今度は現実で頭を抱えた。

 

 ……どうする?……せっかくの大チャンスなのに、何も思い浮かばない。いらない、などと言ったらアインズどころか、デミウルゴスが許さないような口振りだった。だから必ず要求はすべきだ。

 

 行動的なもの……例えば法国に対する復讐とか?……なーんか、いまいちピンとこないんだよねぇ……しょーじき、どーでもいいしねー、今更……

 いまだ法国上層部に対する恨みは心の奥底に抱えているが、それは明確に薄れていた。そうでなくとも恨みを晴らすならば「自身の手で」と思う。国民に対しては完全にどうでもよくなっていた。

 現在の自分が単独で対峙できるのは2人の『神人』の内、番外は無理にしても隊長と『ケイ・セケ・コゥク』装備のカイレのババアぐらいは届く可能性は0ではないだろう。アレは出てこないだろうし……

 いずれにせよ、やるならば自分の手でやるべきだし、ゼブルの配下ならばまだしも、ここの連中の手を借りるような案件ではない……つまり却下。

 

 更に考え続ける。

 

 武技かぁ……とりあえずブレインちゃんの技は粗方使えるようになったけどねぇ……領域やら神速やら四光連斬やら……私には全く向いてないから虎落笛は無視だけど……エルヤーの縮地改も空斬も使えるし、いろいろ改良してオリジナルの牙突八連なんていうのも使えるからねー……レッドキャップ瞬コロ技だから、ブレインちゃんの悔しがる顔が見たいけど、それは私の希望であるけど褒美じゃないからねー……却下。

 

 いろいろを考えを巡らせてもデミウルゴスの上位者であるアインズが納得するようなモノが思い浮かばない。

 どんどん煮詰まっていく思考の中で、不意にゼブルならばどうすると思い立った。

 

 ゼブルさんなら……物欲乏しいよねー……しょーじき、飯食って満足、酒飲んで満足って感じだし……金は使い方に興味があるだけで、金そのものにはほとんど執着していないし……凄い装備も増えた配下に惜しげもなくどんどん分け与えるし……でも、それはつまり人材には貪欲ってことなのかなぁ……さすがに私の立場で人材をくれとは言えないけど、仲間に分け与えるモノを下さいって言う分には問題無さそうだけど……

 

 なんとなくだが、良案に思えた。基本線はこれで行ってみよう、と思えるぐらいには……これでダメならば、素直に「強くなりたい」と言って、失礼承知でアインズ様とやらに解決法そのものをぶん投げるしかない。

 

 胸の中の何かがストッと落ちた。

 

「まっ、なるようになるでしょ……寝よ寝よ」

 

 薄絹一枚になって、フカフカの寝台に潜り込み、仰向けになろうとして、背中の違和感に居心地の悪さを感じる。

 

「やっぱ慣れないなぁ」

 

 外見上の唯一の変化は思いの外厄介だった。仰向けになるとどうしても気になって仕方ないのだ。神経を研ぎ澄ましている戦闘訓練中の取り回しには慣れつつあったが、そこまで張り詰めていない就寝時は特に気になってしまう。横臥して、身体を丸めれば気にならない程度だが、戦士として横臥して眠り込むのはどうしても抵抗があった。だからとりあえず仰向けに寝て、眠り込む直前に横臥するようにしているのだが……幼少期からの訓練で染み付いた感覚が邪魔をするのだ。

 

「……あー、もー、鬱陶しい!」

 

 考え事をしたせいか、妙に感覚が冴え渡っていた。

 寝台から抜け出て、ガウンを羽織る。

 部屋から出て、そのまま制限が緩和されたお陰で歩き回れるようになった第九階層を彷徨く。

 訓練の帰りに見掛けたバーらしき看板を思い出す。

 うろ覚えのようでいて、最短距離で進む。

 一度見た場所を忘れるなど有り得ない。

 トブの大森林の中でもほぼ完璧に記憶するのだ。似たような風景が続くとはいえ、所詮は人工物……眺めているだけでも記憶できないわけがない。

 

「……んーっと、アレは偉そうなんだか、卑屈なんだか、よく分かんない不格好な鳥かな……?」

 

 覆面に抱えられた鳥が目的のバーに入って行った。

 その後に続き、ドアを開ける。

 さほど大きくない店内……奥にカウンター……カウンター前の背の高い椅子にちょこんと座る鳥……その向こうにキノコ……キノコ!?……マイコニドってヤツ?……が何でバーテン?

 

「いらっしゃいませ、お客様のお嬢さん」

「やー、これはこれはティーヌさんではありませんか!……ピッキー、彼女にもアレを……ここで恩を売っておけば私がナザリック地下大墳墓を支配した時に役立ってもらえるかもしれませんからね」

 

 言葉が通じるキノコに歓迎され、理解できない理由で鳥に奢られる。

 想像を絶するカオスな光景だった。

 

 なんか、もー、どーでもいーわ……悩んでいた自分もイラ立っていた自分もバカバカしく感じた。

 

 促されるまま飲んだ「ナザリック」という名のカクテルは病みつきになる程美味かった。

 

 

 

 

 

 

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 王城の謁見の間に薄暮の穏やかな陽光が差し込んでいた。

 何も無い穏やかな時間……とは程遠い。

 南方侯の来訪が上奏された瞬間から全ての予定がキャンセルされていた為、彼が首都に30分も滞在せずに領地に帰っていった結果、竜王国女王であるドラウディロン・オーリウクルスは暇を持て余していた……と言っても、それはあくまで時間的なもので、現在も彼女の頭脳は多忙を極めている。

 そして同じ理由で宰相も完全にフリーズしていた。

 

 その様を楽しそうに眺める大男は南方侯に付き従って現れた。

 誰も問わなかった為、誰も彼を知らない。

 南方侯の関係者というだけで謁見の間すらフリーパス……警備上は大問題だが、女王直属の衛兵とはいえ人の子……南方侯の逆鱗に触れるかもしれない詰問の類など死の覚悟がなければ実行不能な行いだった。

 

「南方侯は……大量のアンデッドを使うと言ったな?」

 

 脳細胞が過労死しそうな中、女王はなんとか言葉を捻り出したが、問われた先の宰相はブツブツと呟くにとどまり、答えを返さない。

 だから、というわけでないのだろうが代わりにそれまで沈黙を保っていた大男が発言した。

 

「左様で御座います、陛下……既に作物の収穫の為に、こちらでも国民に対してかなり良い条件で人足を募集しておりますが、現在のところ応募者は0。侯と侯の配下の力を考慮すれば既に収穫と言うのは、私などにとっては全く不思議では御座いませんが、誠に残念ながら国民には受け入れられなかったようです。ですが作物は成長を待ってくれません。そこで侯は盟友である偉大なる魔法詠唱者アインズ様に相談され、単純作業者としてアンデッドを利用することをアドバイスされたようです。そしてアインズ様から大量のアンデッドの供給を受けることを決められた……そういうことで御座います」

 

 朗々と語る大男。

 発言の立ち位置だけでなく、ここまで事情を知っているということは、いずれにせよ南方侯の関係者で間違いないだろう……初見で出自どころか名すら知らぬが、もはやそんなことはどうでもいい。

 ドラウディロンは相談しろと言われてから一度も会っていないブエルという名のビーストマンの代理として南方侯が置いていったと判断した。だから率直に疑問をぶつけるつもりだったが……疑問の前に頭の整理が追い付かない。

 

 まず人類どころか生者の敵であり、人間にとって恐怖の対象でしかないアンデッドに対して「供給」やら「利用」という言葉を用いて語られるのが理解できない。そうでなくとも100万超のビーストマンが重労働要員として南方侯の領内に留まっているのだ。その上に大量のアンデッドなど管理し切れるものなのか?……竜王国の仇敵と、全ての生者の敵が互いに滅ぼし合ってくれれば言うことは無いが、南方侯は両方を使うつもりなのだ。

 次に作物の「収穫」と言うが、高位のドルイドが協力したとして、本当にこの僅かな期間で作付けだけでも不可能と思えるのに、収穫まで至ることが可能なのか?……しかも労働量として100万超のビーストマンの手が回らないレベルで建築土木系の復興作業が残っているのに、である。

 既に南方侯の居館は完成したと聞いた。

 大道整備もほぼ完了したと聞く。

 さらに治水も利水も目処がついたと言う。

 耕作地の整備も終えた。

 南方侯直営の広大な畜産牧場も領内10ヶ所に作り終え、加工施設建設も含め、最終段階にあると言う。牛、馬、豚、羊、山羊、鶏が王国や帝国から買い集められ、どんどん運び込まれているらしい。

 将来の人間の村落の予定地も決まっている。

 村内までの水路も整備済み。将来的には水運も可能な大きさらしい。

 井戸も掘られ、マジックアイテムがなくとも水で苦労する心配はない。

 巨大な遊水池も作り終え、そこにアンデッドを送ってもらう予定らしい。

 現時点では国民は恐れて近寄らないが、発展と富が評判になればいずれ人は戻ると南方侯は嘯くが、はたして……

 

「……視察させてもらえんか?」

 

 アンデッドとビーストマンの中で視察など正気の沙汰ではない……が「百聞は一見にしかず」とは切実に実感できる真実だ。王城の一画からほぼ出ることのない生活で、臣下からの報告だけでは、国民の苦境が真の意味で理解できなかったことがビーストマンの侵攻に対する初動の遅れを招いたのだ。もっと早く動ければ、国を蹂躙されなかったとは言わないが、より多くの命を救えたのは間違いない。その思いが女王にあり得ない言葉を吐かせたのである。

 

 大男は大仰に手を打った。

 

「素晴らしいご英断で御座います……実は侯は陛下がそのように仰るだろうと予測し、既に手配済みで御座います……陛下と宰相閣下以下の同行を希望される閣僚方には……」

「いや、とりあえず私と宰相だけでいいぞ……今すぐ向かう。お前も南方侯と同じような転移の魔法が使えるのだろう?」

 

 大男はニンマリと笑った。

 

「ご想像の通りで御座います……陛下の御意に応えることこそ、我が役目……では参りましょうか?」

 

 グレーターテレポーテーション!

 

 大男の詠唱と共に女王と宰相の姿が消えた。

 謁見の間は穏やかな時間の流れを取り戻した。

 

 

 

 

 

 

 

 整然とした街並み。

 縦横無尽に走る農道。

 全ての道が直結する大道。

 大道を含め、全ての道が綺麗に東西南北に貫かれている。

 国防の観点からは疑問が生じるが、極めて機能的であるのは間違いない。

 まあ、南方侯の領地を侵略しようなどと言う奇特な者がいれば、であるが……

 

 ビーストマンが建設に従事している為か、南方侯の本拠地であるここの全ての建物はサイズが大きかった。人間の倍以上の大きさを誇るビーストマンが作業しているのだから当然と言えば当然なのだが、彫刻等の一切の装飾の無いのっぺりとした巨大建造物群は少々恐ろしさを感させた。

 南方侯の居館の屋上にドラウディロン女王は立っている。

 女王の左右には宰相と大男が控えていた。

 そして3人共に異様な光景に魅入られいた。

 

 僅かなブレもない完全無欠の同調行動でスケルトンの軍団が鎌を振るっていた。その数はちょうど1000……1000を1ユニットとして、それを統制するのがエルダーリッチと呼ばれる更に恐しいアンデッドだ。収穫チームの間を等間隔で進むのが運搬ユニット1000である。彼等は500で2チームにわかれ、運搬と出荷作業を分担していた。

 1時間も経たずに広大な麦畑一面の収穫作業が完了し、残った藁と根を除去するチームと種籾を撒くチームが侵入を開始する。

 畑の横の畦道に立つダークエルフの少女が何やら魔法を詠唱すると、恐しい勢いで麦が育ち、豊かな実りを見せた。

 そんなことが見渡す限りの麦畑で繰り返されている。

 袋詰めを終えた小麦をビーストマンが巨大な荷車で一気に運んでいた。

 この街の横に建てられた巨大穀物集積所に運び込んでいるのである。

 完全な常識の否定であった。

 

「……なんだ、これは?」

 

 ドラウディロン・オーリウクルスは呆然と呟いた。

 

「本日の段階では21000のスケルトンとそれらを統括する21のエルダーリッチが稼働しているようで御座います、陛下……明日には更に21000が追加されます。5日間で合計105000のスケルトンを使役する予定だそうで御座います……いかがでしょうか?」

 

 大男に問われるまでもなく「凄い」の一言だった。

 

「スケルトン共は食料も睡眠も休憩も不要で御座います。つまりこちらの意のままに終日労働を続ける優れもの……この仕組みを考えられたアインズ様の偉大さが理解できます。そしてこのシステムの導入を決定された侯の度量の大きさも、この光景を見れば即座に理解されましょう……このシステムこそ竜王国への福音……そうは思われませんか?」

 

 ドラウディロン女王は宰相をチラリと見た。

 宰相は既に精神的な復帰を果たし、抜け目無く計算をしているようだ。国庫の厳しさを考慮すれば、目の前の穀物収量は確かな福音だった。王国と帝国の開戦を間近に控えた直近の穀物相場の暴騰を踏まえて、南方侯が得る莫大な利益からの国庫への上納を考えただけでも、とんでもない金額が想定される。

 

「アンデッドとは、このように従順なものなのか?」

 

 戦争に負けたビーストマンが直接打ち負かした南方侯ゼブル以外に従うとは思えないが、アンデッドならば……そう考えざる得ない。そして世間一般で言われるような害が無く、アンデッドを使役できるのだとすれば……世の王権を預かる者で欲しがらない者がいるのだろうか?

 

「アインズ様のアンデッドであれば、陛下の御意のままに従うでしょう。カッツェ平野のアンデッドをいくら集めてもこう上手くはいきますまい」

 

 さすがに、そこまで美味い話は転がっていないか……だが……

 

「前向きに考慮する余地は大きいな……国民の意識の問題になるが、それを差し引いてもメリットがはるかに勝るぞ、宰相」

「国民に課している戦時税率の引き下げをかなり早い段階で実行可能になるでしょうな……いや、この仕組みは素晴らしいですぞ、陛下」

 

 宰相はむしろ乗り気に見える。

 もちろん大雑把に計算は済ました後だろう。

 つまりアンデッドの利用代金によっては、本当に過酷な税率を引き下げることが可能なのだ。問題はアンデッドの使用料など誰にも解らないと言うことだった。

 

「して、このアンデッドはどのように手に入れればよいのだ?……アインズ様とやらを紹介してもらうことは可能なのか?」

「アインズ様は南方侯の盟友だと聞き及んでおります。我らが盟主である南方侯であればご紹介することも可能かと」

 

 またしても南方侯に巨大過ぎる借りを作ることになるが……それでも全竜王国民の幸せを思えば、彼に頭を下げることなど大したことではない。それこそ「毒を食らわば皿まで」の精神だ。

 

「……アインズ様とやらは南方侯に紹介してもらうとして、残された問題は2つで良いな、宰相?」

「料金はともかく、もう一つは非常に厄介ですな」

「神殿……その裏の法国か?」

「左様で御座います。特に法国に対してはこれまで窮地を救ってもらっていた恩が御座いますからな……今回は南方侯の活躍で窮地を脱しましたが、基本的に彼の国と外交関係が拗れるのは好ましくまりません」

 

 ドラウディロンは考える……たしかにこれまでの竜王国であれば宰相の言う通りで間違いない。法国の逆鱗に触れるようなことなど、竜王国が選択できるはずもなかった。しかし今年のビーストマンとの戦争では法国が例年通りに陽光聖典を派兵することはなかった。

 つまり竜王国が「法国に見捨てられた」と考えてもやむなし、という決断を法国が下した、ということだ。

 ドラウディロンにしても宰相にしてもその考えに至ったからこそ、法国への寄進を削減する決定を下し、当時は一冒険者でしかないゼブルから資金を借り受け、彼を南方侯爵に任じたのである。

 

「……既に法国への寄進を大幅に削減する予定だぞ。いまさら旗色を誤魔化してもどうにかなるような相手でもあるまい?」

「だからこそ法国に口を挟ませるような行動は控えるべきかと……軍事強国であり、人間至上主義の彼の国にとって、我が方の行動がどう映っているか……それを考えるべきでしょうな」

「法国は……さすがに一筋縄ではいかぬか?」

「左様で御座います。法国との対立とは即ち神殿勢力との対立で御座いますからな……周辺各国も法国寄りの立場を表明せざる得ないでしょう。中立であれば最善……それ以上は望めますまい」

「法国の介入を許せば、周辺国の助力は望めぬか……?」

「正にそれこそが最大の問題でしょう……加えて法国が南方侯の保有する戦力をどこまで評価しているのか……法国以上と判断しているのであれば何の問題も生じません。侯自身と人間とビーストマンの配下の総戦力に対して、法国が南方侯に手を出した場合に完勝可能と考えているのならば、法国はげんざいの南方侯の行動を許容しなかったでしょう。少なくとも現時点ではどちらとも言い切れません。そして法国にとって更に問題が進行したと考えるだろう段階……即ち現実に我が国がアンデッドを労働力として全面的に導入すると決定した場合、法国が口だけの介入ならばともかく、実力を伴う介入にまで発展する可能性があるのか……それを見極めなければならないでしょう。たしかにアインズ殿が考案したアンデッドを使役するシステムは、多少のリスクであれば気にならないほど非常に魅力的です。しかし法国による軍事介入は多少のリスク程度で済む話では御座いません」

「たしかにビーストマンに打ち勝った結果、法国に滅ぼされたのでは、笑い話にもならぬな……しかし捨てるには惜しいぞ!」

 

 ドラウディロンの嘆きに宰相も力強く頷いた。

 

「法国上層部の動向を探らせるのは厳しいでしょうが、各神殿に潜らせている『枝』から内向きの反応を確認してみましょう。末端は確認するまでもなく過激に反発するでしょうが、そこは国家対国家ですからな……必ず落とし所を模索するはずです。軍事強国の法国といえど周辺国経済を支配できるわけでは御座いません。軍事介入に至らなければ、どれだけ睨まれてもやってみる価値は御座いますな」

 

 普段は鉄面皮を誇る宰相がニヤリと笑う。

 ドラウディロンは少女形態に似合わぬ人の悪い笑顔を見せた。

 2人の様を見て、大男は笑いを噛み殺していた。

 




お読みいただきありがとうございます。


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24話 相場にまつわるエトセトラ

とうとうあの人を登場させることができました。
オーバーロードに登場する数多くの噛ませキャラの中で一番好きかもしれません。



 

 事の発端は穀物相場の上昇だった。

 穀物相場が急騰したのを良い事に、領主であるモチャラス男爵が相場が落ち着いた後に穀物を買い戻すことを見越して、ギリギリ最低限の備蓄を残し、ほぼ全ての穀物を売り払ってしまったのである。

 最初は正解に思えた。

 嫡男と共に領内の村々を巡り、村の代表団を説き伏せて回った。

 

「相場はいずれ落ち着く……その時に買い戻せば、我々は食料を確保した上でより良い暮らしが出来るのだ。だから今は耐えてくれ」

 

 モチャラス男爵は嫡男と手分けして、なんとか領内の不安や不満を抑える事に成功した。

 後は待つだけ……しばらくすれば我々の生活は向上するのだ。領主であるモチャラス男爵はもとより、嫡男や領民達までそう信じて疑わなかった……否、疑うわけにはいかなかった。疑念を抱けば不安で圧し潰される……残された僅かな備蓄量を考えれば信じるしかなかったのだ。

 しかし、いつまで経っても穀物相場の上昇は止まらない。

 男爵だけでなく、全領民が祈っていた。

 明日には下落が始まる……どんなに祈っても相場は上昇し続けた。

 1週間後には落ち着くだろう……泣き喚いても天を呪っても、もはや暴騰とも呼ぶのが相応しい穀物市況は日々右肩上がりに上昇を続けた。

 1週間が経過した頃には、モチャラス男爵領が手に入れた金額では売り払った量の5分の1も買い戻せなくなっていた。

 穀物の買い戻しを想定した期間を自己都合だけで考えた為、あまりに短過ぎたのだ……帝国との開戦までに買い戻せば問題ない……モチャラス男爵の皮算用は無茶が過ぎた。

 領民達は絶望した。

 男爵は酒に逃避し、気がつけば村の代表団との接渉は嫡男と老執事が全面に立っていた……が、それも僅かな期間で終わりを告げた。さして広くもない領主の館の周囲を男爵の僅かな手勢が警備するようになったのである。

 領民達の怨嗟の声に囲まれた男爵の居館もやがて静かになった。

 領民達が諦めたのではなく、それほど食料不足が深刻な状態に陥ったのである。なにしろ不足どころか何も無いのだ。領民達もモチャラス男爵に説明された期間までに上乗せされた穀物が戻ってくると信じていたのだ。

 約束の時期はとっくに過ぎ去っていた。

 元から豊かどころか、都市部では想像もできないほど貧困なところにこの事態だった。領民達は木の実だけでなく、木の葉を喰らい、皮や根を喰らい、そこらに生えている雑草や地を這う昆虫で飢えを凌いだ。その頃には村内の家畜の類は家畜の餌に至るまで全て食い尽くされていた。やがては安全な村落周辺では低木どころか雑草すら無くなり、それまで少しは捕獲できていた小動物やトカゲやヘビや蛙や昆虫も近寄らなくなっていた。

 少しでも力の残っている領民は森に入り、運が良ければ動物を狩り、持ち帰ることができたが、運が悪ければモンスターの餌食になっていた。

 やがてはモンスターの食い残しまで目敏く持ち帰る者が現れた。

 もはやそれが何の肉や骨なのか、考える余裕も失せていた。

 言うまでもなく、傷病人、乳児、老人、子供の順で次々と死んでいく。

 それらは決して飢えだけが原因でなかった。

 口減らしだけでなく、乳児や子供が貴重な食料と化した例も少なくない。

 親が子を食い、子が死に争うために兄弟同士で殺し合う。

 少ないながらも先手を打ち、親を食った子まで現れ始めた。

 

 正にこの世の地獄だった。

 

 やがて生き残った全領民の肌がどす黒く変色し、眼窩が落ち窪み、眼光だけが異様な光を帯びた頃、モチャラス男爵領に更なる凶報がもたらされた。

 

 バハルス帝国皇帝からの宣戦布告である。

 

 そこの頃にはモチャラス男爵が手にした端金では10分の1も買い戻せなくなっていた。

 薄闇に隠れていた狂気と絶望が堂々と姿を現した瞬間だった。

 それまで酒浸りの廃人に過ぎなかったモチャラス男爵が、突如として貴族の義務に目覚め、モチャラス男爵領内で嫡男が中心となり無茶苦茶な収奪と無理矢理な徴兵が行われた結果、領民同士で殺し合い、食い合っていた領民達が一斉蜂起したのである。

 扇動の最初の一言は意外にも「男爵様の御一家は美味いんじゃねえか?」という、徴兵された農民の男の狂気に満ちたものだった。

 男爵から下賜された棒切れに紐で槍先を括り付けただけの粗末な槍……それが徴兵農民全員に行き渡った時が蜂起の始まりだった。

 限界を超えた空腹が昼日中にことを起こさせたのである。

 領主と領民による、食うか食われるかの凄惨な殺し合いが始まった。

 貧乏貴族である男爵に私兵は血縁の3人しかおらず、彼等もまた例外無く極限の飢餓状態にあった。蜂起か始まった当初、真っ先に逃げた1名以外は、押し寄せる領民達に抵抗すらできず、あっさりと殺され、食肉となった。

 領主の居館の庭先で彼等は処理され、焼かれ、その場で食われた。

 次いで軍馬も殺され、肉になった。

 男爵一家は屋敷に籠城するも、多勢に無勢は覆せず、近隣の縁者に救援を求めることもできなかった。

 扉を破壊される直前に説得に出た老執事は瞬時に殺され、鍋で煮込まれた。

 そのまま屋敷内に徴兵された領民達が突入する。

 嫡男は奮戦するも領民10人を返り討ちにしたところで力尽きた。

 嫡男を含む全ての遺骸は庭に運び出され、アンデッド化する前に食肉として処理された。

 残るは女子供と領主であるモチャラス男爵のみ……自害しても肉となる運命は避けられるはずもない絶望は男爵一家同士の罵り合いとなり、即座に自分だけは助かりたいという欲求から殴り合いと化した。やがて互いに殺し合うに至るまで、さして時間を必要としなかった。

 最後まで生き残ったのは唯一の成人男性である男爵だったが、それは自らの手で妻と嫡男の嫁と孫と血縁者である老メイドを斬殺した結果だった。

 一門の遺体を差し出し、卑屈な笑みを浮かべ、それまで自分の道具としか思っていなかった領民達に命乞いをする男爵が、自身が下賜した粗末な槍でハリネズミへとクラスチェンジしたのは一瞬の出来事だった。怨嗟の言葉すら残せず、モチャラス男爵は王国貴族から食肉に成り下がった。

 

 モチャラス男爵の最期の言葉は嫡男の嫁を引きずりながら言った「皆さんとは違う貴族の婦女子です。どうぞ皆さんで食べて下さい……柔らかそうでしょう」だった。

 

 

 

 

 

 

 

 決して高級とは言えない酒場の奥のテーブルで一人で酒を飲む男……フィリップ・ディドン・リイル・モチャラスは優秀この上ない自身の不当な扱いに憤慨し、誰もいない虚空に悪態を吐いていた。罵詈雑言と一緒に安酒の酷い臭いも撒き散らしている。

 当然のように誰も近寄らない。

 店の女中達すら、この厄介な客に対して、貴族どころか客に向ける視線を失い、ひたすら蔑みの視線を向け、心中で自身が呼びつけられないことを祈っていた。

 

 その厄介な貴族に近付く人影が現れたのに、誰もその人影が入店したことに気付かなかった。

 人影がテーブルの前に立つ。

 季節外れの分厚い外套姿……フードを深く被っていた。

 誰がどう見ても不審者だった。

 

「貴方がモチャラス卿で良いのかしら?」

 

 意外にも声音は少々ドスが効いているものの、確実に女のものだった。

 フィリップが酒に塗れ、濁った視線を向ける。

 

「貴方はフィリップ・ディドン・リイル・モチャラスで良いのか、って聞いてんのよ……酒で脳みそまでやられてんのかしら?」

 

 三男といえど貴族であり、他の誰よりも優れている故に妬まれ、仕官すら妨害された自分に対して、外套の女はあまりに無礼だった。

 

「なんだと、貴様……私を誰だと思っている!」

 

 受け答えだけでも愚かさが滲む……外套の女は深く息を吐いた。

 だが、これは仕事だ。

 対象がいかに愚者であっても我慢せねばならない。

 

「モチャラス卿なんでしょ?」

「いかにもモチャラス男爵家の三男……フィリップだ」

「一緒に来てもらえないかしら……良い話よ」

 

 絵に描いたようなバカであっても、さすがに不審に思ったようで、フィリップはテーブルの端をがっしりと握った。

 

「だっ、誰に対してものを言っているのだ!」

 

 愚かなだけでなく、肝も細いようで、精一杯の虚勢を張りながらもフィリップの声音は僅かに震えていた。過去に夥しい数の命のやり取り経験してきた外套の女からすれば、この名ばかり貴族の心胆が透けた現在、既に貴族として扱う価値を失っていた。

 

「私はシュグネウス商会のエドストレーム……それとも『八本指』の、と言った方が理解しやすいかしら?」

 

 泥酔で赤黒かったフィリップの顔面が真っ白になるまでものの数秒……更に真っ赤に染まり返すまで数秒。

 フィリップは視線が泳ぎながらもテーブルを強く殴りつけた。

 

「貴様らの所為で!……私はっ、私はぁあああ!」

 

 エドストレームは目の前の愚か者の置かれた状況を反芻した。

 王国辺境の弱小貴族である父モチャラス男爵から「嫡男に跡取りの男子が誕生した故、お前は仕官せよ」と単身王都に放逐された後、父が用意した仕官の為の有力なコネである某伯爵から初対面の態度で忌み嫌われ、いきなりコネを失った。その後実力で登用試験を受け、挽回を期すものの、一切の努力をしていなかった為に圧倒的な落第点を叩き出す。そこで貴族としては完全にドロップアウトし、何もせずに王都で遊び歩く毎日……当然手持ちの金を失い、勝手に実父を保証人としてシュグネウス商会から借入した。その後も借金は膨らむ一方……返済を迫られ、逃げ出したところを警備部門に捕まった。

 そこで故郷であるモチャラス男爵領の主要産品である穀物買取に協力させられた。一見して、素人目にも素晴らしいプランだった。父も兄も簡単に信じ切った。口利き料として受け取った金で、シュグネウス商会からの借入を返済したのである。

 その後、フィリップは気になって穀物相場を確認する度に、恐ろしいまでの絶望を感じていたのである……もう二度と故郷の土は踏めない……再び借金の原因となった酒に逃避したのである。

 

「自分の命を繋げたでしょ?……お兄さんを捨てた男爵が助けてくれるとでも思ったのかしら?」

 

 捨てられた自覚も無い……救いようない愚か者……血筋を頼みにしながら、胡散臭い話を血の根拠である実家に持ち掛ける……エドストレームは目の前の不快な生き物と同じ空間にいるのが煩わしくなっていた。

 

「貴様らの持ち掛けた話はどうなった!……穀物相場が落ち着く気配などないではないか!」

「私共は期日を約束した覚えはございませんが……素人の私が普通に考えても帝国との戦争が終わるまでは上昇局面でしょ。そんなことよりも……」

「そんなこととは何だっ!」

 

 激昂したフィリップが立ち上がり、エドストレームに掴み掛かろうとした。

 が、動きが止まる。

 首筋にピタリと銀色の刃が当たっていた。後1ミリでも力が加われば刃があっさりと首に食い込むのは確実だった。

 

「いい加減、クソの世話はうんざりなんだよ……大人しく着いてこい、って言ってんだ……お分かり、貴族のお兄さん?」

 

 フィリップがゆっくりと頷いた。

 エドストレームは刃を外套の中に戻した。

 

「さあ、そのまま前に進んで下さいね、モチャラス卿」

 

 フィリップが項垂れたまま店の外に出ると漆黒の馬車が停車していた。

 

 

 

 

 

 

************************

 

 

 

 

 

 

 望外の幸運とはこのことだった。

 父が死に兄が死に兄の長男も死んだ……より正確に言えば、フィリップ以外のモチャラス男爵家直系にあたる一族郎党が全て死に絶えたのである。

 強制かつ自動的にフィリップはモチャラス男爵家の当主となった。

 治めるの不吉な地であるが、基本的に帰らねば良いのだ……シュグネウス商会がフィリップに無償で貸し与えるという広大な敷地を誇る邸宅を、王都の高位貴族達の邸宅が集まる一角に得ていた。むしろ田舎臭い領地になどどうしても外せない公用でもなければ帰りたくもない。

 そのどうしても外せない公用である叛徒討伐も既に果たしていた。シュグネウス商会が手配した1000の精兵団をフィリップが率い、あっと言う間に鏖殺し、平定したのだ。

 領地の復興に関してもシュグネウス商会が労働力を手配し、農地に限らず恐ろしい勢いで再開発していると言う。基本的に帰りたくないので報告を聞くだけの知識だが、いずれ地域の要衝となるのは間違いなさそうだった。

 シュグネウス商会との連絡役は目の前の褐色肌の美女……エドストレームが秘書兼護衛として派遣されていた……から逐一詳細に報告がもたらされた。当初は彼女に怯えていたが、何事においても従順であり、何があっても気の強いところは見せるものの、反抗の気配すら見せたことがない。暫く同じ空間で過ごしていると、シュグネウス商会からの命令には絶対服従なのだろう、と予測はついた。いずれは「犯してやろう」などと脳内で妄想する程度には余裕も持てるようになった。むしろ性欲の処理まで命令されているのではないかと密かに期待するほどだ。

 シュグネウス商会との利益分配は1対99と今でも承服しかねる割合だが、フィリップが支払うコストは実質0である。自身は邸宅の高級ソファにふんぞり返って、美味い酒でも飲みながら王国の行く末などに想いを馳せているだけでそれなりの金額を得ていた。ほんの数日前まで金に困窮していたことなど都合良く忘れている。むしろ「金を稼ぐなどという行為は下賤の行いだ」ぐらいに考えが変わっていた。

 さらにどのような宮廷工作があったかは不明だが、モチャラス男爵家は目前に迫った帝国との開戦において、参戦義務が免除されていた。まあ、参戦しろと言われてもただ一人の領民すら持たぬ身であり、自身の保有する戦力を用いたものではないとはいえ、叛徒を滅殺した直後でもあった……だから免除されたのだろうなどとお気楽かつ簡単に考えている。

 借金に追われ、食いつめていたのが嘘のような現状に、フィリップは大いに満足し、自身の優秀さを国家に認められたような気になっていた。

 そう勘違いしても仕方ないと思える事情もあった。

 フィリップのあり得ないレベルの成り上がりに、目敏い貴族達は背後で働く力を感じ、必死に接近を試みていたのだ。いまや王都で逆らう者など存在しないシュグネウス商会と背後に隠れる武力集団としての旧『八本指』……そして少し前に噂となった魔皇ヤルダバオトに少しでも繋がりを作りたいという者達が連日フィリップの邸宅に日参していたのである。

 

 今日も朝からフィリップを訪ねて、貴族達が列を連ねている。

 エドストレームによれば、今からトップの中のトップの権力者が訪問してくると言う。その権力者が求めているのは実質的にはエドストレームとの対話なのだが、フィリップの秘書という表向きの立場上、形式的とはいえ主人を差し置いて会話するわけにもいかない……他の訪問してくる貴族達も多少でも頭の回る者達は全てエドストレームとの対話を求めているのだが、これまでのところ有頂天のフィリップが気付くことはなかった。

 

「モチャラス卿……エアリス・ブランド・デイル・レエブン侯爵閣下がいらっしゃいました」

「お通ししてくれ」

 

 レエブン侯……貴族の中の貴族である六大貴族の一員であり、その頭脳の冴えは抜きん出ていると聞く。貴族派閥と聞くが、第二王子であられるザナック王子の腹心……いや、盟友との噂もあった。そして子煩悩……若い頃は王権簒奪を志すような野心家だったが、嫡子を得た瞬間から、単なる有能な貴族に変わったらしい。

 

 エドストレームから教え込まれた前情報を反芻しながら、フィリップはソファから立ち上がり、レエブン侯を出迎える準備をした。

 

「これはお初にお目に掛かるモチャラス男爵」

 

 レエブン侯と目が合った瞬間、フィリップは息を飲んだ……印象を一言で言えば「老獪な蛇」だった。蛇に睨まれた蛙……フィリップの脳裏に浮かんだのはそんな言葉だった。もちろん蛙は自分だ。

 だが形の上だけとはいえ互角なのだ。この海千山千の老獪な蛇が、対話を求めて、わざわざ開戦直前の多忙な時期に蛙でしかないフィリップに会いに来た事実こそが重要なのだ。男爵でしかないフィリップの格が急上昇するのは間違いなかった。

 

「フィリップ・ディドン・リイル・モチャラスに御座います、侯爵閣下……以後、お見知り置きを願います」

 

 馬子にも衣装……フィリップの着衣もレエブン侯に負けず劣らずの超高級品であった。人間としても経験で劣るとはいえ、いずれ同じ場所に立つのは間違いないのだから……

 

「では、モチャラス卿、時間も無いので率直に聞こうでないか……卿はどのようにしてシュグネウス商会と関係を築いたのだ?……旧『八本指』の流れを汲むとはいえ、シュグネウス商会は表立って貴族を籠絡するような行動は控えていたはずだ。私の集めた情報では、せいぜい商会としての要求を通す為に利権を握る官僚や貴族に賄賂を渡す程度だったはず……だが卿はシュグネウス商会丸抱えで自領を回復し、シュグネウス商会の宮廷工作で参戦義務を回避し、シュグネウス商会の資金援助によって自領の復興を進めている……言っては何だが、それまでの卿は……まあ、控えめに評価しても救いようのないクズだ。それが男爵となった瞬間からシュグネウス商会の力が背景に見えるものの、小さいながらも派閥すら形成しつつある。言わば若年貴族の輝ける星だ。どうやって、そのような力を得たのだ?……より簡単に言えば、シュグネウス商会との関係性を説明して欲しいのだ」

 

 単刀直入そのもの……レエブン侯の言葉は舞い上がっていたフィリップに冷水をぶっ掛けるがごとき威力を発揮した。

 フィリップは言葉を詰まらせる。

 レエブン侯は全てを調べ尽くした上で、フィリップに面会を求めたのだ。そしてレエブン侯の最終的な目的はシュグネウス商会にあるのも明白だった。もはやフィリップが取り繕える段階になく、それこそ正にレエブン侯の狙い通りなのだろう。別にフィリップを咎めているわけでもなく、レエブン侯は純粋にシュグネウス商会を前面に引きずり出し、その上で商会会頭との関係構築を狙っているのだ。それを明確に知らしめる為にエドストレームの前でフィリップを詰問している……フィリップの異様に高過ぎるプライドが自身を蔑ろにする意図を見抜く。このような意図に対してだけは凄まじく敏感だった。

 

「主人はこのところ会談が続いている為、かなり疲れているようです。我が主人に成り代わり、発言することを許していただけるでしょうか、侯爵閣下?」

 

 フィリップの沈黙が続いたからか、エドストレームが進み出た。フィリップの許可など求めない。南方由来の女性用スーツに身を包み、普段の肌の露出は抑えている。

 

「そうでしたか……それは失礼した、モチャラス卿……では、代わりに説明を願えますか、エドストレーム殿」

 

 レエブン侯も落ち着いた声音で対応した。既定路線……フィリップを除く2人の間で視線による意思疎通は既に成っているのだ。

 

 エドストレームは滑らかに言葉を紡ぎ、それを聞くレエブン侯は一々大きく頷いていた。

 

 フィリップは屈辱に塗れながら、流れから取り残され、大きく傷付けられた自身のプライドを取り戻すべく、脳内でレエブン侯を斬殺し、エドストレームを好き放題に犯した。

 

「……なるほど、都市開発の実験とデモンストレーションですか?」

「左様で御座います、侯爵閣下……モチャラス卿には我々の新規事業の実験にに多大な協力をいただいております。ちょうど全領民を失われたのも我々にとって非常に都合が良う御座いました。商会会頭であるシュグネウスもモチャラス卿に強く恩義を感じ、それに応えているだけのこと……」

「モチャラス男爵領の叛徒共……つまり全領民を殲滅したのは、モチャラス卿に率いられたシュグネウス商会の私兵と聞き及んでおりますが……偶然……と呼んでよろしいのでしょうか?」

「偶然以外に領民の全てが大罪人になることなどあり得ましょうか?」

「…………あり得ない、のでしょうな……」

 

 レエブン侯が言葉の抑揚だけで恫喝する……真偽を探らせるぞ、と。

 

「あり得ません……侯爵閣下ともあろう御方が……常識で考えて、子供でも理解できる真実ですわ」

 

 エドストレームは戦士の間合いで斬り返す。言葉の勝負ではレエブン侯に一日の長があるのは否めないが、勝負そのものの土俵ではエドストレームに負ける要素など皆無だ。なにしろフィリップの実父である故モチャラス男爵の愚策による偶然の産物なのは間違いない事実なのだ。どれだけ緻密な策を巡らそうと裁判無し即時極刑の大罪人を量産することなど不可能だ。そこに関しては事実という鉄壁の防御柵が存在していた。

 いずれにしてもレエブン侯はシュグネウス商会に浸透する取っ掛かりを欲しているのだ。簡単に譲歩などできないし、王国有数の権力者であるレエブン侯相手に与し易しと思われたら、それこそ押し留めるのが不可能なレベルで踏み込まれてしまうだろう。まさかこんな些事で竜王国にいるゼブルを頼るわけにはいかない……真の主人に「使えない」などと思われることを想像するだけで震えが止まらない。エドストレームに限らず、配下の誰もがその恐怖には耐えられないだろう。

 

「家族に親族に加えて全領民を失った結果……モチャラス卿は望外の幸運を得た……と言うことですかな?」

「その上で外聞を気にせず、我々に協力するご英断を下されたが故……そこを忘れてなりません」

「つまり恥知らず、と主人を評しているのですかな?」

「侯爵閣下といえど、少々口が過ぎるのでは御座いませんか?」

 

 蛇の視線は抜け目なくエドストレームを検分していた。

 エドストレームも油断なく言葉の斬り合いを進めている。

 そして単なる傍観者と化したフィリップは怒りと恥辱に塗れ、レエブン侯と言う冷徹ぶった尊大な男と、下僕であることを理解していないエドストレームにいずれ復讐することを誓った。

 

 睨み合いが続く……お互いに少しでも有利な落とし所を探っていた。

 

「……王家に対し、叛の兆し有り……私がそう報告した場合、シュグネウス商会の運命はどうなるでしょうな?」

 

 遂に……と言うべきか、権力者が権力者であるが故の最大の武器を抜いた。つまりエドストレームとしては、ここを凌げば実質的勝利を手中に得ることが確定する。その為の武器を躊躇いなく抜く時だった。

 

「我が商会には困窮する現在の王国を救済する準備が御座います。それでも叛意有りと断ずるのであれば、止めはしません。我々は実績を示せば良いだけで御座います……盛大に恥を晒されればよろしいかと……侯爵閣下が政治指導者としての体面を失うだけのこと」

 

 レエブン侯は暫く黙り、やがてフゥと息を吐いた。

 視線から蛇のごとき険は消え失せ、小さく笑っている。

 

「……想定の段階でほぼ負けは確定していましたが、私の全力でも覆すことは叶いませんでした……では、素直に腹を割ってお話したい……もちろんエドストレーム殿と……可能であればシュグネウス殿も交えて」

「会頭は多忙につき、別途面談のアポイントを取得していただく必要が御座いますが、私程度であればいつでも可能で御座います……幸にして、現在は大した仕事を担当しておりません」

 

 2人は固く握手した。

 

 フィリップだけは忌々しげにその様を眺めていた……が、2人共に眼中に無く、その事実に気付くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

************************

 

 

 

 

 

 

 2頭のスレイプニルに牽引された馬車を降りると、雨雲は失せ、初秋の穏やかな陽光が大地を照らしていた。

 青空の下にあったのは巨大な建築群だった。

 個々の建築がのっぺりと滑らかな石材に覆われ、いずれ漏れなく堅牢なのは一目で理解できた。

 建築群を囲う城壁は規模こそ小さいが王都のものよりもはるかに立派だ。余計な装飾は一切無いが、隙間なく、高く積まれた巨石が難攻不落であることを誇示している。

 城門を潜る。

 整然とした街並み……とても王国の片田舎の光景とは思えない。詳細は不明だが、極めて機能的なのは朧げながら理解できる。

 再び城門から外に出る。

 再整備され、美しく生まれ変わった街道を埋める石畳も全ての表面が滑らかに加工されていた。

 街道沿いの明らかに計画的に区画された麦畑も豊かな実りを誇っている。

 ほんの数日前、ここで起きた惨事が嘘のような光景だ……

 

「これは……いったい……」

 

 レエブン侯は自身に宿る既成の知識を捨てるのに四苦八苦していた。

 

「あくまで仮に、で御座いますがモチャラス男爵領の領都とでも申しましょうか……?」

 

 紫のドレスを着た女性がレエブン侯の前に立ち、案内していた。

 彼女の側にはいかにも腕の立ちそうな護衛が2名……優男と甲冑姿が抜け目なく周囲を警戒している。

 護衛達の主人である彼女こそシュグネウス商会会頭であるヒルマ・シュグネウスだった。一見して夜の歓楽街に立っていそうな雰囲気だが、集めた情報によればその通りの経歴だ。だが「元高級娼婦」やら「某伯爵の愛人」などという呼称で彼女を呼ぶ者は現在の王国には存在しない。その手腕によって王都のみならず王国全土の経済を回す立役者という呼称こそが相応しかった。

 

「これを1週間も経たずに作り上げたのか?」

「左様で御座います、侯爵閣下……我々はその技術を保有し、王国全土を帝国に負けぬ堅牢な都市群に生まれ変わらせようと模索しております」

 

 ヒルマは優雅に笑った。

 

 ……だが、あの麦畑の実りは……?

 

 あまりに異様な光景が脳裏に焼き付いて離れない。

 ここは食料が枯渇し、領主と領民が殺し合い、食人するに至った、忌まわしく呪われた土地ではないのか……?

 

「ドルイドの力で御座います、侯爵閣下……我々の意志に賛同し、協力していただける超高位ドルイド様のお力で、麦畑は即座に実りで満たされます」

「その者は?」

「隠遁され、修行を積まれる日々だとか……我々でも限られた特定の者しか面会の許可をいただけません」

 

 余裕溢れるヒルマに対し、レエブン侯は混乱する一方だった。

 

 都市の想定人口は2万人であるという。

 広大かつ機能的に整備された田畑から想定される収穫量はその倍に当たる4万人分を想定してあるという。

 野菜畑や果樹園もあるらしい。

 牛豚鶏をメインとした畜肉加工施設も完備……この一面の麦畑に匹敵する広さを誇る牧場も開設済み……販売先も販路も面倒を見ると言う。

 都市内の兵舎には1000の兵が収容可能……練兵場も含めて他の用途で使用しても全く問題ない。

 400を超える共同井戸に加え、都市の南側には用水路を兼ねた水路もあった。魔法的な水道もあるが、基本的に当てにはしていない。

 正に呆れんばかりの至れり尽くせりだ。

 

 だが現状では無人である、と言う。

 

 領民を集められなければ、ただの廃墟であり、巨大な浪費だ。

 

 そして辺境で領民を集めるのがいかに難しいか……愚かなモチャラス男爵などには想像もできないだろう。

 

「……ここは巨大なショールームで御座います、侯爵閣下……我々としては元より損失は覚悟の上……しかしながら、実際にご覧になられた侯爵閣下は考えられるのでは御座いませんか?」

 

 子煩悩であることを知られているが故のシュグネウスの言葉だろうが、たしかに「我が子の為に」と考えざる得ない。堅牢かつ衛生的で豊かさと繁栄を約束された領地……正に愛する我が子に受け渡すべき領地の理想形だった。

 

「……心の内を言い当てられるのは癪だが、これは素晴らしい、と断言せざる得ないな。費用の問題さえクリアできれば、我がエ・レエブルは我が子の代には王国随一の繁栄を約束されよう」

 

 ヒルマの優雅な笑いが、さらに蠱惑的な艶を帯びた。

 

「我が商会の本業は貸金業で御座います、侯爵閣下……閣下のように極めて信用の高い御方に資金面のご心配は不要で御座います。適切な金額で無理のない割賦返済をご提案可能で御座います。さらに都市全体として農作物で確実に稼ぐ為の販路も王国だけでなく、帝国と竜王国に確保しております。つまり我が商会は各国の各地域に相場に応じた適切な販売先をご紹介する事が可能なのです。閣下の御領地であられるエ・レエブルは王国有数の大都市……それだけ領民も多いということで御座います。ここのように領民を集める苦労……労働力確保は考慮する必要もありませんわ」

 

 そして紡がれた言葉も蠱惑的だった。

 

 帝国との開戦直前という情勢でなければ、王国全体のことなど放置して、この話に真剣にのめり込んでしまったかもしれない。

 

 ヒルマ・シュグネウスの言葉は絵空事ではなく、目の前で見せつけられている現実に裏打ちされた極めて具体的な提案だった。

 しかし、それを裏返せばヒルマ・シュグネウス率いるシュグネウス商会に未来永劫にわたって全てを握られることを意味していた。

 資金、産物、販路などという経済面だけではない。

 衛生や民生……領民の生活の全てを握られるということは最終的に軍事でもシュグネウス商会の意向は無視できなくなるだろう。

 他都市に対して自領の経済的優位が確保できたとしても、同時にシュグネウス商会も肥え太り、声の届く範囲も広がるだろう。

 つまり王国において比類なき大貴族であるレエブン侯爵家が今後どれだけ発展しようと、シュグネウス商会はそれ以上に大きくなり、巨大な影響力を行使しかねないということだ。

 

 が……それでも魅力的だった。

 

 愛する我が子の未来の笑顔の為に……旧『八本指』という武力集団を抱え、その背後には魔皇ヤルダバオトとやらがいるとの噂があっても、ヒルマ・シュグネウスの言葉は全てを打ち消す圧倒的な魅力を放っていた。

 

「……本日は我々の意図するところ、即ち王国に対して貢献できることを、侯爵閣下に確認していただくことが目的で御座います。もちろん侯爵閣下に今後のお引き立てをご考慮いただければ、この上ない話とは思いますが……王国の現状と侯爵閣下のお立場を考えれば、ご無理は申せません」

 

 ヒルマに促され、都市中央の一際大きな建築物に同行する。

 今は簡素ではあるが、質実剛健な屋内は少し装飾を加えれば重厚さを見せつける豪華さに変貌することが理解できた。

 そこでフルコースが振る舞われ、六大貴族の一員であるレエブン侯にとっても初めて味わう酒を飲む。酒こそ持ち込みだが、フルコースは全て現地の産品によるものだと言う。何処に持って行っても高値で取引されることが間違いない品質であることを嫌でも理解させられる。ここの土壌を改良し、産品毎に合わせた結果と説明された……言葉でなく現物による説明はレエブン侯の脳裏に深く刻み込まれた。

 

 早い者勝ち……言外に、そして明確にヒルマ・シュグネウスは言っているのだ。

 

「天候を操ることも不可能では御座いません、侯爵閣下……作物毎に最適な土壌を作り、天候を操作することも可能……つまり高品質は確約される上に、不作は考えられませんわ。他の有力貴族方と契約していない現在であればエ・レエブルの特産品として、侯爵閣下の思うように土壌を作り上げることも可能で御座いますが……」

「……高額で取引される作物を選び放題……そう言いたいのだな?」

「高級品でなくとも、比較的高値安定を選択することも可能で御座います。例えば竜王国はビーストマンとの戦争で勝利し、その代わりにビーストマン国家との商取引が開始されるとの情報を入手しております。ビーストマン相手であればとにかく畜肉が必要とされるでしょう……我々は竜王国で戦勝に最も貢献した南方侯爵とも強固な関係を築いております。つまり安全な販路は確保されております。今現在、最も有望な商品は畜肉と断言できますわ」

 

 竜王国がビーストマンに勝利した、との情報は得ていたが、南方侯爵という存在はレエブン侯にとっても初耳だった……流通を含めた都市の総合再開発などという、大規模事業を考えるだけのことはあり、その情報網は侮れないどころか、空恐ろしいものに感じられた。

 

「シュグネウス商会はそう言った情報にも通じているのか?」

「我々は情報も商品と考えおります、侯爵閣下」

 

 ヒルマ・シュグネウスの笑顔は終始一貫して優雅だった。

 それだけに侮れない。

 黄金の姫は別格にしても、レエブン侯が知る限り最上級の才覚の持ち主であった……つまり味方とするには他の六大貴族などは比較にならず、保有する権限を含めてもザナック王子などよりも上に感じられた。

 当初は王国の為に利用しようと考えていたのだが……

 

「……良く解りました、シュグネウス殿。帝国との戦争が落着したら、そちらの提案を前向きに考慮させていただく……それで良いのか?」

「ありがたき幸せで御座います、侯爵閣下……今後、我々は侯爵閣下に不利が及ばぬよう、他の契約の際にも細心の注意を払うことを確約させて頂きます」

 

 ヒルマ・シュグネウスは優雅に立ち上がり、優雅に礼をした。

 

 

 

 

 

 

************************

 

 

 

 

 

 

 あの日以来……否、レエブン侯とエドストレームに屈辱を感じさせられた瞬間から、フィリップは考え続けていた。

 六大貴族であるレエブン侯相手に屈辱を与えるのは難しい……いかにフィリップといえど、さすがに思い上がりが過ぎるのは理解できる。それは将来果たすべき目標だった。

 だが高慢な褐色女はどうだ……所詮は下賤……シュグネウス商会などと看板は架け替えたが、根っこは後ろ暗い『八本指』ではないか?……ならば、いくらかやりようはある。

 目の前で申し訳なさそうに酒を満たしたグラスを口に運ぶ大男……ロキルレン男爵の息子であるイーグの間抜けそうな面を見て、フィリップはこの男を利用できないものかと考えた。オツムはアレだが、図体もデカイし、腕っ節もそれなりとの触れ込みだ……つまりおあつらえ向きなのだ。

 

 イーグの話によれば、現在ロキルレン男爵家も少し前のモチャラス男爵家と大差ない状況にあると言う。

 フィリップと同じように嫡男でないイーグも仕官の為に王都に上京し、登用試験に落ちた……それも2回。

 ただしフィリップと違い、イーグは2年前の上京時に領主でなく宮廷官僚として生きることを選んだ以上、実家に頼るのも情けないと思い、王都では質素倹約を旨として真面目に生活していた。

 しかし登用試験に合格したら返すつもりであった借金が一年伸びたことにより想像以上に嵩んでいた。加えてイーグは考えることが苦手であり、口も上手くなかった……方々から少しづつ借りていた借金が、2回目の不合格を知った時にはイーグの知らぬ間にシュグネウス商会に集約されていたのだ。分厚い証文の束を見せられては、考えるのも抗弁するのま面倒臭くなり、シュグネウス商会の者に促されるまま、実家に直近の穀物相場の現況と予測を伝え、商会の担当者を紹介した。そして紹介手数料として借金を棒引きされたのである。その金額はフィリップのものよりもはるかに少額であったが、そんなことはイーグ本人は知る由もない。

 結果としてモチャラス男爵家のような一か八かの無謀な穀物売却はしなかったものの、ロキルレン男爵家も相当な痛手を被った。

 その結果イーグは勘当同然の身の上となり、王都の下宿先すら追い出され、底辺冒険者が利用するような安宿を点々としていたが、稼ぐ手段を持たない為にその宿賃すら滞るようなり、とうとう貧民街の路上で生活するまでに落ちぶれていた。

 そこで2年遅れて上京した、ほぼ同郷と言っても過言ではない隣接領のデルヴィ男爵家の息子ヴィアネに発見されたのだった。

 

 ヴィアネは脳筋と揶揄されることもあるイーグと正反対で頭も回るし、口も回る上に抜け目もないというタイプだった。ただし見栄えは悪く、運動神経はからっきしである。

 ついでに言えばデルヴィ男爵家も備蓄した穀物を暴騰し続ける相場に呼応するように売り払っていたが、潤沢な利益を生み出していた。元々デルヴィ男爵自身が倹約を旨とし、堅実な領地経営を心掛けているのだが、同じく懸命に働くのであれば少しでも儲けが多い方が良いと考えるタイプであった。当然穀物を売り払う時期によって儲けに大きな差が生じることを知っていた。さらに地道な研究の結果、必ず高騰する時期があることも知っていたのだ。例年帝国との戦争時期には穀物相場が必ず上がるのを知っていた為、どれだけ相場が高騰を続けようと帝国からの宣戦布告があるまで売却を待っていたのである。ただそれだけの情報の差でしかなかったが、モチャラス男爵家とロキルレン男爵家の二家と大きな差を生み出したのだ。しかも元々倹約家の為、デルヴィ男爵家の穀物備蓄はまだまだ余裕があった。

 その結果、デルヴィ男爵は辺境の貧乏男爵のありながら、嫡男でもないヴィアネに多額の持参金を手渡した上で上京させたのである。実力行使を伴う喧嘩には滅法弱く、見栄えもしない息子だが、宮廷官僚にしても上手くやれる程度の才覚は充分に持ち合わせていると知っていたのだ。自身の不甲斐無さ故に満足なコネも用意してやれなかったことへの自己満足的な贖罪でもあった。

 父の勧めに従い、ヴィアネはボロを纏いながらも皮袋一杯の金貨を抱えて上京した。

 

 上京早々、ヴィアネは下級貴族社会の話題の中心であり、惨事にに見舞われた結果、恐ろしいまでの幸運を手に入れたモチャラス男爵と知り合いになり、可能ならば自分もおこぼれに与ろうと面談を申し込んだ。

 

 尊大な無能。

 

 それがモチャラス男爵ことフィリップについての第一印象だった。だがそれだけに取り入り易く、誘導しやすいと踏んだ。そして狡猾さでは王国内で右に出る者がいないシュグネウス商会が、一見して将来的にも利益を見出せないフィリップに莫大な援助を施すのも「無能さ故」であるのではないか、と考えたのである。

 ヴィアネはことある毎にフィリップとの面会を繰り返し、面識の深かった数名の若手貴族を紹介した。その中にイーグを紛れ込ませたのである。

 

 ヴィアネの予測通り、フィリップは哀れなイーグに救いの手を差し伸べた。

 この愚者は上位者して振る舞うことに飢えているのではないか……ヴィアネはそう感じ取っていたのだ。費用はシュグネウス商会持ちなのだから、本来はフィリップには一定以上の感謝は不要なのだが、ヴィアネはイーグにとにかく徹底的に下手に出て、バカの自尊心を満足させてやれとアドバイスした。

 その結果、イーグは想像もできないような高級品の衣類で無理矢理着飾ることとなり、フィリップの哀れな比較対象として方々に連れ回されのである。ただバカに見下されることさえ我慢していれば、貧民街の路上で寝起きしていた身が美味い酒と美味い飯にそそる女には苦労しない身分を手に入れたのだ。最終的にはイーグ自身もそれなりにおべっかを覚え、そこそこの人脈を築くまでなったのだから、全くの無駄どころか、かなり有益だったと言える。

 

 イーグはフィリップに表面だけの感謝しか抱くことはなかったが、親友のヴィアネには更に深く感謝していた。

 

 

 

 

 

 

 

 その日は慌ただしい朝から始まった

 家人によれば屋敷の所有者であるヒルマ・シュグネウスが訪問するという。

 家人達はフィリップそっちのけでバタバタと走り回っていた。

 前回の訪問時になかったことだが、イーグはさして気にしなかった。

 

 イーグはフィリップの屋敷で居候生活を送る内に、この屋敷の真の主人が誰であるかをなんとなくだが感じ取っていた。

 表向きの最上位者はフィリップなのは確かだが、内向きにはエドストレームと言う名の秘書が全てを牛耳っていた。だが、そのエドストレームすらも使役される身分なのは明らかだった。

 前回の訪問時には、商会会頭であるヒルマ・シュグネウスが姿を現してもエドストレームに限らず家令から末端のメイドに至るまで、全員がフィリップを持ち上げることは忘れていなかった……たとえそれが見せかけだとしても。

 

 屋敷の所有者なのだから……

 

 イーグは前回と比較することなく簡単にそう思っていた。

 だからいつも通りの時間に起床し、身支度をすると、いつも通りの食堂のテーブルの席で、美味い朝食に舌鼓を打っていた。テーブルの奥から向けられるフィリップのイラ立ちを隠さない視線を無視しながら。

 だが朝食を食べ終えてしまえばそうもいかなかった。

 イーグはフィリップに朝の挨拶を済ますと早速捕まったのである。

 最初の酒瓶が空くまで、チーズの盛られた皿から一切れたりともフィリップの口に運ばれることはなかった。

 仕方ないのでイーグも同じペースで付き合う。

 荒れている原因はイーグにとっては至極真っ当な理由にしか感じないものだったが、プライドの高さに比例して他者から侮られることに異様に敏感なフィリップには耐え難いものなのだろう。この屋敷にはイーグを除くと貴族階級の出身者が誰一人としていないのだから尚更だった。

 しかし荒れ続けるフィリップがどんな屁理屈を捏ねようとイーグとっては理解の外側だった。

 だから苦痛でしかない。

 全ての家人に蔑ろにされ、酷く荒れるフィリップの酒の相手もいい加減にうんざりしたので、トイレと偽って一息入れに廊下に出た。

 偽りではあるが本当にトイレにも行く。

 

 それは偶然だった。

 たまたま見掛けたドアの隙間から漏れ聞こえる声が気になったのだ。

 

「そろそろ処分されてはいかがですか?……参戦義務の免除を撤回させれば問題ないかと……このままではせっかく建設された都市が……」

 

 声の主はヒルマ・シュグネウス……それだけならば来訪していることは知っているのだから気にもならなかっただろうが、内容があまりに不穏すぎた。

 思わず聞き耳をたて、室内からの死角に巨体を隠した。

 

「……いや、まだ生かしますよ、ヒルマさん……報告だけじゃ満足できなくなって、こうしてわざわざ見学に来たぐらいだし……当面資金の心配はないでしょ?」

 

 答えたのは男であり、その声は聞いたことがなかった。

 護衛の2人の男……ではない。声質も違うし、彼等はこの屋敷の庭を歩き回って警戒しているはずだ。普通の護衛ならばヒルマ・シュグネウスに同行していても不思議はないように思えるが、彼等は屋敷内の警護はエドストレームに引き継ぐのだ。前回の訪問時もそうしていたし、今朝もそうしていた。

 つまりヒルマ・シュグネウスの護衛以外にも男の訪問者がいたのだ。

 男の口振りからヒルマ・シュグネウスの上位者であるのは間違いなさそうだった……なんとなくだが、フィリップに連れ回されている内に場の空気や隠された人間関係が理解できるようになっていた。これまでの侮辱に耐えた生活も無駄ではなかった、とほくそ笑む。そして今漏れ聞こえている話の内容はフィリップの運命を左右するものなのも理解できた。

 

 可能な限り覚えて、ヴィアネに伝えるべきだな。

 

 イーグは考えることを放棄してひたすら連絡役に徹することに決めた。

 

「資金は順調どころか、私でも恐ろしく感じるぐらい……それこそ倍々どころじゃない勢いで増えていますが……さすがのエドストレームも負担に感じているようです」

「担当……嫌だったかな、エドストレームさん?」

「とんでもございません!……誠心誠意務めさせていただきます!」

 

 同じ室内にエドストレームも控えているようだった。

 

「じゃ、そういうことで……ほら、本人がやる気ですよ?」

「またお戯れを……我々はやれと言えば、絶対服従です」

「ヒルマさんは何が気に入らないんだ?」

「これ以降の援助は無駄です……私は無駄を嫌います。ご存知でしょう?」

「でもフィリップはモチャラス男爵家最後の一人なんだし、後釜がいないと面倒だろう?」

「それはまあ……確かに、そうなんですが……」

「とにかく面白いんですよね……今時マンガやアニメやラノベでもなかなか見ないような創作上の敵役まんまなヤツでしょ?……ここまでの無能な小物ムーブをかますヤツを見るのはスタッファンさん以来なんですよ。アイツは勢いのままうっかり配下にしちゃったからなぁ……職務に忠実な今じゃ、単に面白味の無いヤツでしょ?」

「マンガやアニメやラノベが何かは存じませんが、アレはフィリップと違って役立ちます……ですが我々が裏の娼館などという高リスクな商売から手を引いた結果、性癖の抑制に苦しんでいるようですわ」

「……娼婦を殴るんだっけ?……制約を解除するつもりはないから、やったら苗床だけどな」

「それは嫌というほど理解しているか、と……」

「……まあ、何にしてもフィリップは生かすことは決定ね……レエブン侯みたいな絵に描いたような有能だけを相手にしていても面白くないんですよね……だ、か、ら……その上で役立てましょう……まだまだ使い道はあると思うんだよなぁ……例えば……暇にさせてもどうせしょーもないことしか考えないでしょうから、領民のぼしゅうでもさせたらどうです?」

「……決定的に人望も行動力も……いいえ、必要な能力全般が不足どころか欠如していると思われますが?」

「じゃあ、エドストレームさん以外にも補佐の人員をつけて、フィリップに行動を強制させましょう……王都の人員だけで厳しいなら手配するけど?」

「現在、エドストレームは見栄えも良いのでレエブン侯を通じて、私の名代として上級貴族達に浸透させています……ここがサロン代わりですわ……まあ、そういう意味においてはフィリップを処分しないのも無駄ではないのかもしれません」

「……でしょ?」

「ですが、フィリップが自主的に行動している若手貴族の結集……ほとんどが将来性も無く、水準の能力にも達しないゴミ屑の集まりですが……エドストレームだけではそちらまで手が回らなくなっているのも事実です。現に勝手にロキルレン男爵家の嫡男でもない息子を勝手に援助するだけでなく、居候までさせてしまいました。しかも経費は全てこちら持ちです!」

「追加の人員については俺に任せて下さい……しかし援助はともかく、居候はよろしくないな……敵の可能性も捨てられない」

 

 居候……つまり自分だ。

 上位者と思しき男の声音が冷たく変質した。

 無感情というか、無機質というか……とにかく恐ろしくてたまらない。

 一気に酔いは失せ、冷たい汗が止まらなくなった。

 イーグは慌てて息を殺し、足音をさせないように足早に部屋の前から歩み去ろうとした……が、そのまま立ち止まってしまった。

 

 小さな蠅が一匹……汗塗れのイーグの頸から飛び立った。

 




お読みいただきありがとうございます。


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25話 どうも、新人です!

 好きなキャラを書いていると遅筆から解放されるようで、なんと初めて書き溜めが一話だけできました。


 

 リ・エスティーゼ王国の国王ランポッサⅢ世の第一王子であるバルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフは第二王子ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフとヴァランシア宮殿の通路ですれ違いざま立ち止まり、軽く会釈だけをして足早に通り過ぎようという小太りの弟に声を掛けた。

 

「弟よ、面白い話があるのだが……知っているか?」

 

 立派な体躯に精悍かつ清潔に手入れされた髭……見栄えは10対0のコールドゲームで勝利しているが、バルブロはザナックの頭脳には遠く及ばないことを自覚していた。

 短躯で小太りの弟は長身で威風堂々たる兄を訝しげに見上げてくる。

 あくまで継承順位が上位なだけで、短慮浅慮な兄は能力だけならば政敵として同じ土俵にいるはずもない男だが、やはり継承順位の問題は果てしなく高い壁であり、娘婿である兄を担ぐボウロロープ侯も決して侮れない。

 ザナック自身も能力の話をすれば自身も政敵になることすらないラナーに王座を譲らねばならなくなるので、積極的に触れたいわけでもない。

 だから、というわけではないないだろうが、ザナックは普段は反目し合っている兄弟の話に食い付いてみることにした。

 

「面白い話であれば是非ご教授いただきたいですね、兄上」

 

 バルブロは満足げに笑い、太い両腕を組みながら、話し始める。

 

「なに……近頃、お前が親しくしていると噂の蝙蝠に関する話だ」

「レエブン侯の噂ですか、兄上?」

 

 ザナックが白々しく首を捻るのがたまらなく面白い……バルブロの目の奥に浮かぶ愉悦にザナックは内心舌を出す。

 

「……蝙蝠が良からぬ組織に接近しているらしいぞ。どちらの意図でどう動いているかまでは知らぬが……お前も注意せねば、腹心の躓きで思わぬ痛手を被るぞ……」

 

 バルブロとしては本来貴族派閥のレエブン侯が、正統性で言えば誰もが推すべきバルブロ・ボウロロープ侯の連合を離れ、ザナックなどに接近するのが面白くないのだ。だから楔の一つでも打ち込んでやろうと思っただけで、さして深い読みがあったわけではない。

 

 対してザナックは兄に頭を下げた……漏れる笑いを噛み殺すまでの間、深々と頭を下げ続ける……そして考えをまとめ上げると頭を上げた。

 

「貴重な忠告をありがとうございます、兄上……ですが、ご存知ですか?……私が聞いたところではレエブン侯の本命はその組織と協調する有力若手貴族にあるらしいとのことです。なんでもこの空前の好景気に乗って、莫大な財を得て、恵まれない他の若手貴族や宮廷官僚を糾合し、それなりの派閥を形成しつつあるらしいとのこと……今はの彼等は大した力も持っていませんが、レエブン侯は彼等の財力と将来性に着目しているような話を以前していたような気がします……帝国との開戦直前のこの時期に六大貴族の中でも切れ者として名を馳せるレエブン侯がわざわざ訪ねたのです……何かあるのでは?」

 

 それまで余裕綽々だったバルブロの表情が僅かに歪んだ……と本人は思っているかも知れないが、感情を隠すことに慣れていないバルブロの表情は盛大に悔しがり、焦りを見せていた。

 

 ザナックは脳内のみで満足し、再度会釈をする。

 

「兄上、レエブン侯が蝙蝠と揶揄される意味を良く考えられることです。単にふらふらと飛び回っているだけならば、誰も一目置くわけがないでしょう?」

 

 ザナックは兄に顔を見せぬようニヤニヤと笑いながら、足早に去った。

 

 ……さて兄上が勘違いで動いても良いし、自身の情報を信じてレエブン侯を放置しても良いわけだ……もう少し補足情報を流してやれば、面白い方向に暴走するかもしれんな……妹に相談してみるか……

 

 ザナックは最近なにかと接点のできた自分とは似ても似つかない妹の顔を思い浮かべた。バルブロの思惑が妹の歪な愛と決定的に乖離している為、妹は理解を示したザナック寄りの態度を見せるようになったのだ。それすら妹の思惑の一端に過ぎないことは理解していたが、バーターとして有望な現実的政策案を提示してくることから、気にせずに良好な関係を築きつつあった。

 

 ザナックの不恰好な後姿を見つめながら、バルブロは歯噛みしていた。政敵である弟に対して優位に立つつもりだったが、思わぬ逆撃を喰らってしまったのだ……何事にも勝気であるが故に、激動する情勢に対して出遅れを指摘されたのが悔しかった……しかし同時に弟も存外に甘いと思う。

 

 ……アレは第一王子であること自体の力を知らんからな……まあ、それを知っているのは私だけだ……

 

 即座に精神的再建を果たし、バルブロは笑った。

 レエブン侯のように若手や下級貴族相手に自身で動く気は無いが、最高権威に最も近い王族の中の王族として、命ずれば下賤に毛の生えたような連中は簡単に平伏すことを良く知っていた。

 問題は誰を介して呼び出すか、である。

 こちらが出向くなど話にならない。

 王族の威厳は保たねばならない。

 あくまで呼び付けるのであって、僅かな阿りも感じさせてはならない。

 目的はザナックとレエブン侯の蠢動に楔を打ち込むのであって、若手貴族の派閥など実のところどうでもよいのだ。

 かと言って、公的な使者を出すわけにはいかない。

 義父であるボウロロープ侯の配下は使いたくない。この程度ことで借りを作って、いざ自分が王位に就いた時に発言権を制限されるのは御免だ。

 自分に近く、ボウロロープ侯からは遠く、こちらの意志に従順であって、最悪の場合は切り捨てても良い程度の存在……バルブロは必死に考えた。条件のいずれかに当てはまる者は多いが、全てを満たす者となると中々に難しい人選だった。

 

 通路のど真ん中で考え込むバルブロに、すれ違う誰もが奇異の眼差しを向ける。おおよそ武断的性格のバルブロに似つかわしくない行動だった。

 しかし本人は至極真面目だった。

 周囲の目など気にせず、考え込む。

 思い浮かぶ顔を次々と消去しながら、遂に一人の痩せぎすで甲高い声が耳障りな男爵に思い至り、ニヤリと笑った。

 

 アイツならば、いざとなったら切り捨てても惜しくない。ひたすら阿るだけで、大した実績もなく、将来性も皆無……戦力にもならなければ、資金力も発言力も知恵もない。僅かな懸念は義父に近い貴族の腰巾着的な存在であることだが、関連する誰もが切り捨て要員として飼っているのも事実だった。

 

 であれば、私が有効利用しても問題あるまい。

 

 早速バルブロはチエネイコ男爵に出頭するよう使者を送った。

 

 

 

 

 

 

 

 フィリップと同じ男爵位ではあるが、今回の訪問におけるチエネイコ男爵の背後にはバルブロ第一王子がいると言う。それを隠すどころかむしろ前面に押し出しての強引なアポイントの差し込みであり、差配するエドストレームとしてはどういう扱いにすべきかが悩みどころであった。

 レエブン侯のように本人であれば話は簡単なのだが、チエネイコ男爵は使い走りであるのは間違いないだろうし、背後のバルブロ第一王子にしてもどこまでフィリップごときに本気で会いたいのかが全く掴めない。ましてバルブロ第一王子は最高権力に最も近くはあるものの、評判としては武断的というか短慮というか脳筋であり、あまり深く物を考えるような性質ではないとの噂をよく聞く。つまりどう考えてもフィリップのように本人に抜きん出た能力も輝かしい実績もなく、シュグネウス商会の後押し(というかゼブルの理解できないゴリ押し)だけで成り上がったような者に興味を示すとは思えないのだ。

 むしろ何かの罠ではないかと勘繰ってしまう。

 そうでなくともゼブルに無茶振りされた結果、エドストレームは完全に貧乏くじを引いていた。フィリップがエドストレームの心労も知らず、ヒルマから依頼された領民の募集に各地を回るという予定を引き延ばしているのだ。ヒルマとフィリップの約束では、その時点で決まっていたスケジュールを消化したら、直ぐにでも領民の募集に出立するということだったのだが……これがまた一目で遅延工作と感じるような酒宴の予定をスケジュールを管理するエドストレームに断りもなく入れているのだ。それも3日連続なのだから……エドストレームとしては不信感を募らせざる得ないし、ヒルマがエドストレームに向ける眼光も日に日に厳しいものへとなりつつあった。正直なところヒルマの怒りなど怖くも何ともないのだが、ヒルマを重用するゼブルがヒルマからの報告を聞いてどう感じるか……それこそがエドストレームにとっての大問題だった。

 

 そんなタイミングでのチエネイコ男爵の強引なアポイント差し込みの意図をどう受け取れば良いのか……

 どうしてもフィリップの遅延工作を疑ってしまう。

 しかし現実的に考えれば、チエネイコ男爵はともかく、フィリップごときにバルブロ第一王子を引っ張り出す力はない。

 であれば、そもそも全てが嘘ではないのか?……繋がりのある貴族や高官に問い正すことも考えたが、当然そんな時間の猶予は無い。

 まして、そんな嘘でバルブロ第一王子の名を用いるのはあまりにリスクが高すぎるし、フィリップにそんな度胸が無いことはよく知っていた。

 では唐突であることを理由に断れるか、といえば、そこは腐っても継承順位第一位の第一王子であり、チエネイコ男爵の思惑に乗せられる形にはなるが簡単に断れるはずもなかった。

 

 エドストレームは散々悩んだ結果、チエネイコ男爵を厚く持てなす決定を下し、その日のその後のフィリップの予定を全てキャンセルした。幸にしてフィリップの個人的関係の酒宴であったし、バルブロの名を出した途端、フィリップ自身が酒宴の予定などキャンセルすべきだと言い切った。そもそも即座にキャンセルを決めても問題が無いような予定で、エドストレームに対して強引な理屈を展開していたのだから「ざけんな!」と思ったが、そこはさすがに我慢した。早速フィリップが欠席する旨を伝えるよう同行する予定だったイーグに命じる……イーグは単独で酒宴に出席させられるのではないか、と心配していたが、そもそも飲食代の支払い主が欠席すれば会合そのものが無くなる程度の集まりなのだから無用な心配でしかなかった。

 

 チエネイコ男爵の訪問時間までになんとか全ての手配を済ませたが、エドストレームは一息吐く暇もなく、出迎えに立っていた。

 

 不愉快な甲高い声の背の低い痩せぎすな男爵は、出迎えたエドストレームに全身を舐め回すような視線を向けると、無理矢理自分よりも背の高いエドストレームを見下すようにふんぞり返って、訪問の口上を述べた。短い口上を聞いているだけでバルブロの名が8回も出てくる徹底ぶりである。チエネイコ男爵自身はフィリップなどに一切興味がなく、真の意味で使い走りであるのは明らかだった。

 

「……というわけで、本来ならばバルブロ殿下とお会いになる機会など無いであろうモチャラス男爵に対し、バルブロ殿下のご厚情により機会が与えられたのだ。直ちに出頭し、バルブロ殿下に感謝の言葉を申し上げるべきであろう」

 

 理解できない理屈を並べた後、チエネイコ男爵はエドストレームに先導されるがまま応接室に赴いた。王都や帝都から集められるだけ集めた、少々趣味を疑われるが、確実に来訪者を威圧できる最高級の調度品に囲まれた応接室に、チエネイコ男爵は踏み込んだ瞬間に息を飲んだ。

 

「我が主人、フィリップ・ディドン・リイル・モチャラスで御座います」

 

 エドストレームに紹介され、フィリップはソファから立ち上がった。

 馬子にも衣装……同じ男爵位であるのにフィリップの最高級の略礼服は中身を差し置いて、確実に年上のチエネイコ男爵を威圧していた。

 

「初めまして、チエネイコ卿……モチャラスに御座います。同じ男爵位にある者同士、以後よしなに願います」

 

 いかに能力は劣ろうが、フィリップもこうした貴族同士の会談は数多くこなしている為、それなりの振る舞いは可能になっていた。今回、チエネイコはバルブロという権威を押し出して、フィリップを飲み込もうと目論んでいるのは明らかなのだから、フィリップとしてはシュグネウス商会の財力で対抗するのは至極真っ当な戦術選択だった……現にエドストレーム相手にあれだけ威勢の良かったチエネイコが自身のこれまでの態度が正解だったのか、不安になりかけているのが見ただけで伝わる。

 

「……わっ、私はバルブロ殿下の名代で参った……モチャラス卿はバルブロ殿下のご厚情により……面会の機会を賜った。早急に出頭するが良かろう……では、私は後がある故、これにて失礼する!」

 

 チエネイコはエドストレームが引き止めるのも半ば強引に振り払い、モチャラス男爵邸から逃げ帰った。

 

「……何だったのだ、アレは?」

 

 フィリップに言われてはチエネイコも浮かばれないが、それほどに超高級品による威圧の絨毯爆撃は飲んで掛かろうという意図を完全に爆砕したのだ。なにしろ壁の絵画一枚だけでチエネイコ男爵領の昨年一年分の収益を軽く超えるのだ。

 

「……いずれにせよ、バルブロ第一王子からの出頭要請です。急ぎましょう」

 

 エドストレームに促され、既に身支度を澄ませていたフィリップはシュグネウス商会の用意したスレイプニルの馬車に乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 生来落差の激しいフィリップの精神性だが、今この瞬間は間違いなく有頂天であり、絶頂の彼方に飛び去っていた。なにしろ王位継承順位第一位のバルブロ第一王子から直々に密命を受けたのである。

 

「蝙蝠の行方を探り、何でも良いから邪魔をしろ」

 

 バルブロは念を押して2回も言った……加えて、結果を残せば私が王位を得た暁にはそれなりの地位とそれに見合った爵位をやろう、とも……これも2回約束した。さらに「誰にも漏らすな」とも……これについては都合3回も聞いた。

 そうでなくともフィリップは初見の第一王子に絶対の忠誠を誓わんばかりの勢いで平伏していたのだ。

 他は下賤なので王城ロ・レンテの内部まで同行したのはイーグのみだが、意気揚々と城内を歩くフィリップに従いながら、彼は大きな肩を竦めていた。

 きっとイーグもフィリップの将来性に感服したに違いない……そう確信ながらフィリップは伸び切った鼻頭を掻いていた。

 

「いかがかな、イーグ殿……私は正道に出る導きを次代の王であるバルブロ殿下から直々に頂いたのだ。色々な噂もお持ちだが、やはりバルブロ殿下は王位に相応しい人を見る目をお持ちだな……私の将来性を見抜かれたのだから」

 

 フィリップの舌は滑らかに回り続け、イーグの反応などお構い無いしに言葉を吐き出し続けた。正直なところ、聞いている方は溜まったものではないが、喋っている方に遠慮する気配など生まれようもなかった。フィリップの人生の絶頂期はバルブロと会ってから、馬車に乗り込むまで続いた。

 

 フィリップのあまりに短くも儚い人生の絶頂期における演説をぶち壊したのは黒いスーツに身を包んだ褐色肌の美女である。

 

「……いつまでもバカを仰ってないで、少しはシュグネウスからの依頼を進める準備をしていただかないと……」

 

 言葉こそ柔らかいが、エドストレームの視線は冷たく厳しかった。

 

「貴様っ!……バカとはなんだっ!……お前のような下賤には理解できぬだろうが、バルブロ殿下直々のご命令だぞ。領民集めなどとは重さがちが……」

「戯言は自立してから言えや、クソが!……と申し上げているのですが、ご理解いただけませんかね、モチャラス卿?」

 

 エドストレームの発する気配に殺気とは言わないまでも、明らかに暴力的なものが混ざり始めた。元々キツい目付きが細まり、鋭い光を帯びる。

 この瞬間にフィリップの短い絶頂期は終わった。

 明確な怯えが表情に浮き上がる。

 

「……しかしだな……」

「シュグネウスから依頼を受けた時、現在決まっているスケジュールを全て終えたら、と約束されましたよね?……全スケジュールを終えられた後も、どうしても出席せねばならない会合……とか言う、くだらない飲み会で、都合3日も浪費しているわけですよ。追加で派遣された人員も屋敷で時間を持て余している有様ですが……」

 

 エドストレームの吐き出すような言葉にフィリップどころか、追加の人員が暇を持て余している様子を何回も屋敷で見かけたイーグまでも頷かざる得なかった。

 全体の差配を任されている以上、遅れの原因はフィリップであっても、責任はエドストレームに帰すのだ……イーグは彼女の不憫な立場に同情していた。

 

「……これ以上の遅延は許容できない、と申し上げています!」

「バッ、バルブロ殿下の……」

「知るかっ、クソが!」

 

 食い下がるフィリップに対し、エドストレームが立ち上がった。その右手にはどこから取り出したのか三日月刀が握られていた。言葉は汚くなったが、表情からは怒りすら抜け落ち、ただ「無」があった。

 

「テメーが遅らせた責任を誰が被ると思ってんだ!」

 

 切先は正確にフィリップの左の眼球スレスレで止まっていた。

 フィリップは瞬きすらできず、馬車の背もたれに身を押し付けながら、息が荒くなって首がブレないように注意しつつも顔を引き攣らせていた。

 

「もう一度言う……シュグネウス会頭からの依頼に取り掛かれ……くだらない言い訳には、もううんざりないんだよ……お分かりですか、モチャラス卿?」

 

 フィリップは右目だけで瞬きし、言うべきことを言って怒りが落ち着いたエドストレームにどうにか左目を解放してもらうと、深く息を吐いた。

 

「…………お前は王継承権順位第一位の重さをまるで理解していないな……」

「モチャラス卿も我々が投資した莫大な金額をまるで理解されていません」

「だから感謝はしている……だが私がバルブロ殿下に気に入られ、さらに上に行けばお前達にも都合は良いのではないか?」

 

 フィリップもエドストレームも互いに「お前は解っていない」という顔付きで睨み合っていた。

 フィリップは下賤のエドストレームには、バルブロの密命の重さは到底理解できないと思い込んでいた。

 エドストレームは今回の領民集めがゼブルの単なる思いつきに過ぎないことも知っていたが、同時に「それこそが絶対」なのは同じ立場にいないフィリップには未来永劫理解できないことも知っていた。しかし次代の王候補からの密命を簡単に無視して良いものではないことも常識に照らせば明らかだった。

 

 かなり熱くはなっていたが、冷静に考えれば内容も含めてヒルマを通してゼブルに確認した方が良いような気がする……

 

「……では、こうしましょう……これから商会本店に向かい、モチャラス卿からシュグネウスにバルブロ殿下の密命とやらを内容込みで説明して下さい。シュグネウスの判断が覆るかもしれません。それに仮に密命の内容が周囲に漏れたとしても、話したのがシュグネウスのみということであれば、ご自身かシュグネウスかで責任の所在は直ぐに明らかになります……そういうことでよろしいでしょうか?」

 

 下賤相手に妥協など貴族の矜持が許さないが、エドストレームがこれ以上譲らないことは明白だった。そうでなくとも直ぐに暴力に訴えるようなエドストレームよりは、貴族社会にも通じているヒルマ・シュグネウスの方がまだ理解してもらえるような気がしないでもない……密命を下賤などに漏らすのは気が引けるが……フィリップは大きく頷いた。

 

「では、そういうことで……」

 

 エドストレームは抜き身の三日月刀をスーツの背に隠すと、小窓を開けて、御者に指示を出した。

 

 馬車が動き始めた……瞬間、コンッと高い音がした。

 

 エドストレームが再度三日月刀を抜く。

 

「伏せろ!……上だ!」

 

 イーグが慌ててフィリップの上に覆い被さる。

 

 馬車はスレイプニル二頭立てであり、発車直後であってもかなりの速度に達していたが、物音の主は軽やかに前方の御者台に移動していた。

 足音だった……そして主は音を殺す気は無いようだ。

 それは敵であれば自信の現れ。

 かなりの手練れ……エドストレームは目を細め、いつの間にか2本に増えた三日月刀を構える。

 

 ……ヤバいな……

 

 エドストレームはお荷物2人を見やった。

 

 最悪でもゴミ屑だけは守り切らねばならない。

 ドアを開けて、三日月刀を飛ばすか?……いや、相手が想定以上の手練れだった場合、対抗手段を全て失う可能性がある。そうでなくとも馬車の速度を考慮すれば賭けの要素が強い……エドストレームが無力化されれば、手練れ相手にイーグだけではフィリップを守るのは不可能だ。

 

 足音が止まる。

 御者台に通じる小窓がおもむろに開いた。

 同時に三日月刀を突き刺す……が、手応えが無い。

 そのまま手首を掴まれる。

 細い指……女!?

 と思った瞬間、異様な力で腕が引っ張られ、エドストレームは御者台と車内を隔てる壁に激突した。

 意識が飛びそうになるが、かろうじて持ち堪える。

 

「だっ、誰だ!」

「おんやー、これはエドちゃんじゃない?……危ないなぁ、もう……もう少しで反射的に殺すところだったよ」

 

 聞いたことのある声……記憶が呼び起こされる……まだ『六腕』と呼ばれていた頃、突然現れたゼブルの横にいた銀髪女……ティーヌだ。

 

「アハハッ、おひさ」

 

 解放された腕を引き抜くと、小窓から銀髪女の顔が現れた。

 以前と同じ見た目なのに、明確に何かが違った。

 敵でなく、ホッとした反面、小窓から覗く女がとんでもないバケモノに感じる……背筋を冷たいものが伝う。

 

「テメー……何すんだよ」

「んーっと、お使い……なのかな?……王都の手伝いしろって言われちゃったからねー……『転移門』を抜けた先で、こっちに派遣された連中に聞いて回っても、ここはエドちゃんが仕切っているって言うし、でもエドちゃんは不在って言うからさー……つまんないから見に来たって感じ?」

 

 やられた事にもムカつくが、お互いに顔を知っている程度なのに馴れ馴れしく「エドちゃん」呼ばわりするティーヌにも腹が立つ。しかしどうにも訂正する勇気が湧かなかった。ニコニコ笑っているように見えるが、この女の本質はバケモノだ。腕を伸ばせば掴める距離で接すると見られているだけでヤバいのを理解させられてしまう。この女と比較すれば自分が屈服したブレイン・アングラウスなどカワイイものだ。

 

「んで、どっちが噂のオモシロ貴族なのかなー?」

 

 エドストレームが座席を見るとイーグの巨体に圧し潰されそうになっているフィリップが苦悶の表情を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 初めて訪れたナザリック第九階層のアインズさんの私室……第九階層自体がバカバカしいぐらいに豪華な内装をしていたけど、アインズさんの私室も負けず劣らずの豪華さであり、俺としては気が引けるような居心地の悪さを感じてしまう。

 キョロキョロと辺りを見回しながら、ユグドラシル時代はたった一人でコレの維持費に奔走していたアインズさんの苦労を思うと少し泣きたくなるような気持ちにもなった。たしかにギルメン達の思い入れの塊のようなモノを見せつけられる。この中で一人で過ごすのはどんな気持ちなのだろう……そう思うと目の前でいろいろと説明してくれる控え目で優しい先輩プレイヤーが内に抱える妄執がほんの少しだけ理解できるような気がした。

 とはいえ、あくまで「理解できるような気がした」だけであり、実際に俺達と出会う前の孤独は想像を絶する。思い出の維持のためだけに、数年間も孤独に仕事と睡眠以外の余暇の時間のほぼ全て費やすのは、俺にとっては仲間がいても厳しい苦行なのは間違いなかった。

 

 まあ、少しは助けになっていたのかもしれないなぁ……

 

 そう思い、目の前の超越者に向き直る。

 テーブルにはお茶が準備されていた。

 ティーカップは一つだけ。

 どうやらアインズさんは見た目通り飲めないらしい。

 アインズさんを甲斐甲斐しく世話しているメイド達も俺の知らないギルメンの『ホワイトブリム』さんが中心となって作成したNPCとの説明だった。

 アインズさんは自らの意思を持ったNPC達を「子供達」みたいなモノと言った……俺には理解できない境地だ。どうしてもNPCなんざ障害物にしか思えない。長年ギルドを必死に守ってきたアインズさんと、拠点を持たずに誰かが守っていたギルドホームを襲っていた俺達との決定的な差だろう。

 

 そんなことを考えながら、馬鹿みたいに美味いお茶を飲んでいると、唐突にアインズさんは切り出した。

 

「……えーっと、ですね……あくまで『ばある・ぜぶる』さんが納得してくれれば……なんですが、俺から提案があるんですけど……」

 

 いつになく持って回った言い回しだった……その時点である程度の予測可能だったが、話の腰を折っても悪いので黙って頷く。

 

「あくまで!……あくまで、形式だけで良いので!………そのー、ですね……ナザリックに所属してもらうわけにはいきませんか……?」

 

 アインズさんがすごーく勇気を振り絞ったのだけは伝わりました。

 まずは『ばある・ぜぶる』じゃなくて、「ゼブル」で良いですよ、と伝えます。もはや俺のことを『ばある・ぜぶる』って呼ぶのは、この世界にアインズさんだけだし……まあ、俺としても「ゼブル」の方がしっくりくるようになってますからね。

 と、前置きした上で、とりあえず話を聞く気にはなりました。率直な気持ちとしては「即、お断り」なんですが……俺としては「友好関係の確認か、せいぜい同盟がお互いの為に良いんじゃねーの」と思っていたところでなんです。でも「あくまで形式的」が少し引っ掛かります。そうでなくともアインズさんは俺達とかなり接していたんですから、なんで俺達がギルドってモノを襲撃していたのか、は理解していそうなものです。その上で、あえて提案してくる以上、それなりに重い理由があるんでしょう。

 

「何か……事情があるですよね?」

「こっちの勝手な事情なんですけどね……」

 

 事情を語り始めたアインズは苦しんでいました……このままじゃ、自分に絶対の忠誠を誓うNPC達に神以上の存在に仕立て上げられ、世界の絶対支配者にされかねない……その結果として、せっかく巡り会えた俺とも最終的には敵対するハメに陥りかねない。そもそも単なる一般的な小卒営業リーマンでしかないアインズさんに支配者なんて無理!……なのに、とんでもない知謀の持ち主であると設定されたNPC達がアインズさんが一般人であることを絶対に認めない。おそらくどんな告白をしても、無理くり理屈を捻り出して、絶対的に優れた支配者に仕立て上げられてしまう……だからナザリックの支配者であることまでは受け入れるが、世界の支配者なんていう重責は可能ならば担いたくない。最悪、それを受け入れるにしても「平和的に」とまでは言わないが、理不尽な虐殺みたいなことには加担したくない……どうしようもなく、そこに至るにしても俺とは絶対に敵対したくない、と……

 

 まあ、内容以前に声色を聞いているだけで凄まじくキツい状況なのは理解させられました……そして唯一の息抜きの相手として、素の『モモンガ』さんを知る俺が貴重なわけですか……俺も似たような状況だけど、たしかにアインズさんと敵対はしたくないなぁ……こんなバケモノアバターと関係ない本来の自分を知ってくれている相手はたしかに貴重なんだよなぁ……この世界じゃ。

 

「NPC……ですか?」

「ええ……もう設定された能力が具現化されているんで、とにかく忠誠は絶対な上に凄い知力の持ち主も多いんですよ。特にゼブルさんが直接会ったデミウルゴスとNPC達の統括をしているアルベドと……俺が作成したパンドラズ・アクターっていうのが凄いんです……その3人が俺を一般人なんて絶対に認めないんです」

「まあねぇ……絶対の忠誠が向かう以上、その対象が優れている存在でいて欲しい気持ちは理解できないわけじゃないんですけど……そんなんじゃ、アインズさんがひたすらキツいだけですよね」

「……それだけじゃないんですよ。絶世の美女として作成されたNPC達がみんな俺の妃の座を狙っているのに……男の夢……せっかくの人生初ハーレムなのに、モノを使わない内に無くなっちゃったんですよ……」

 

 ネタだとしても……見た目通りだとしても……あまりと言えばあまりなアインズさんの告白に俺は俯いた……オトコとして、その状況でモノを失うのは悲劇以外に言葉にしようがなかった。

 

「……簡単に元気出して、とは言えませんけど……まあ、俺も似たようなもんですよ……おそらく強引に迫られたり、密かにアプローチはされているんでしょうけど……人間相手にはピクリとしませんから……全く欲情しません。かと言って、人間以外がそういった対象になるとも思えないんですよねぇ……やっぱ、頭の中身は人間のままなんでしょう」

「そうですか……お互いに上手くいかないものですね」

「全くですよ……こっちに飛ばされて良かったことって、とりあえず健康なことと、食い物が美味いことぐらいですよ」

「いや、いや、いや……俺なんて健康どころか死んでますし、食べ物も食べられないんですよ……それだけでも羨ましいなぁ……でも、ゼブルさんが健康になったのは凄く良いことじゃないですか?」

「お陰様で、病弱ではなくなりました……アーコロジーから一歩も出れない人生を思えば良かったのかなって……」

「まあ、それはそれでアーコロジーの外で生まれ育った身としては、上級にしか許されませんから羨ましいような……でも、健康に生んでくれた親に感謝なような」

「……リアルの話は暗くなるのでやめましょうか?」

「ですよね……まあ、でも、こうしてゼブルさんと出会ったってことは壮大な俺一人の夢オチって線は消えたんでしょうね」

 

 アインズさんの言葉にハッとさせられた……これが現実かどうかなんて考えもしなかった……ユグドラシルでない。別のゲームでもない……だから別世界の現実なのだろう……何の確証もないのにそう思い込んでいた。

 さすがアインズさんは夢の可能性まで考慮していたとは……あながちNPC達の思い込みでなく、アインズさんの自己評価が果てしなく低いだけなのではなかろうか?

 

 チラリとアインズの頭蓋の奥の赤く燃える目を見た。

 何故か、喜んでいるのが伝わる……俺のよく知るアインズさんだった。

 ホッとして、話を元に戻す。

 

「それだけは無くなりましたねぇ……この世界が俺の夢なら『バンバン』さんか『えんじょい子』さんぐらいは一緒に来そうなものですし……」

「あー、やっぱりギルドクラッシャーの面々も誰も来ていないんですか?」

「世界中を見て回ったわけではないので確証はありませんが、他の面々も含めて、少なくともメッセージに反応はありませんね……俺の例があるんで断言もできませんけど」

 

 俺はペロリと舌を出しながら頭を下げた。

 

「……詳しくは聞きませんけど、例の特殊なスキルの影響ですか?」

「影響って言えば影響なのかなぁ……とにかく配下に俺の意思を伝えるだけならば便利なんですよ。それに慣れきって、メッセージを使うことも無くなっていたもので……ホント、すみません」

「ちなみにユグドラシルと効果が変化していたものってありましたか?」

 

 そこからしばらくはお互いの情報交換が始まった。

 アインズさんからは主にNPCの自主性やギルドホームの機能と、アイテムや魔法関連の機能の微妙な差異について。

 俺からはスキルの使用感や、テキストと実際の差異によって生じる結果がこちらの想定外を生み出しかねない危惧等。

 そして2人の共通認識はカンストプレイヤーにはレベル的な成長は一切見込めないし、取得スキルから外れる行動は必ず失敗するが、それでもユグドラシルの設定の盲点のような成長は可能であるという事実だった。

 だからアインズさんは冒険者モモンとして戦士を選択した。

 俺は偵察系スキルを取得していないのに、君主系能力の一環として眷属の偵察系スキルを二次的であっても充分使用に耐えられるレベルで行使可能なのだろう。

 

「……君主系の職業って、全部が中途半端な感じが嫌で一切取得しなかったからなぁ……でも今だと、凄く小器用な感じがして羨ましいなぁ」

 

 アインズさんのボヤキも理解できないわけじゃない。

 たしかに特殊でなければ武装全般装備可能だし、簡単な格闘もこなせる。物理耐性も魔法耐性もそこそこ高い。魔法も魔力系と信仰系中心に一般的なモノは取得できる。ソロプレイ思考の俺にはほとんど関係なかったけど、最大の利点はバフがオートで味方全般に付与される点と指揮効果が広範囲かつそこそこ発揮される点でした……でも、その売りである2点も専門職ほどの効果は望めません。アインズさんの言う通り、全てが中途半端なんです。でも全部が極められない中途半端であるが故に、やれることも多いんです。個人的にはそこを気に入っていたわけですよ。

 

「こっちの連中相手だとたしかに便利ですけど、こっちでも『真なる竜王』や『神人』みたいなヤバいの相手だと通用しないかも、ですよ。」

 

 そこで銀色甲冑の話になり、情報を共有します。

 遭遇戦時の状況を説明し、俺の推測を披露しました。

 銀色甲冑の正体は『真なる竜王』クラスの現地勢強者の遠隔操作ゴーレムであり、甲冑そのものは潰されても困らないし、最悪の場合はアレと同等クラスのゴーレムが同時多数で襲撃してくる。敵の優位性の根拠は所在を知られていない点。そうでなければ甲冑が『人化』状態であり、解除すればカンストプレイヤーを軽く凌駕するレイドボスクラスの戦闘能力を発揮する……この場合であれば、敵の優位性はとにかく強いということであり、比較的対処しやすい。

 ここまではアインズさんも同意してくれた。

 

 異様な立ち位置と発言……その裏のプレイヤーとは思えない精神性……かと言って、ユグドラシルのボスキャラのような取ってつけたような行動原理にも感じられない。

 

 ロールプレイヤーとしてのアインズさんも、あの銀色甲冑を極端に没頭したロールプレイヤーと想定するにはかなり違和感を感じるようです。

 となると、やはり現地勢の可能性は高まりますが、確証無く予測に予測を重ねる愚を繰り返しても仕方ないので、単なる情報として共有しました。

 

 ここまで話したところでアインズさんの部屋のドアがノックされました。

 

「……あの、提案の件なんですが……」

 

 アインズさんが不安そうに再度確認しました。

 

「別に役職に付けとか、何かやらせたいわけじゃないんでしょう?」

「いえいえ、むしろその状況を避ける為の提案です」

「じゃあ、構いませんよ……方便ってやつでしょ?」

「方便って言うよりも、むしろナザリックの恩人としての立場を確立させちゃえば良いのかなって」

「恩人……ですか?」

 

 なんで?……全く身に覚えがない。

 

「恩人ですよ……ざっと計算して見ましたけど、ナザリックが『ギルドクラッシャー』から譲り受けたトータルの金額はユグドラシル金貨だけでも1000億枚以上です。ドロップアイテムも含めたら、それどころじゃありません」

 

 あー、『モモンガ』さんを囲む狩猟会の話かな……ほとんど月一で開催していたような?……トータルだとそれぐらいにはなるかも。

 

「そりゃ、俺じゃなくて『ギルドクラッシャー』の話でしょ?……取り分を全部譲るって決めたのは『バンバン』さんで、俺じゃないから……そうでなくとも俺達は施設利用料ぐらいあれば充分だし……」

「でも『バンバン』さんはいないし……こちらの世界では今のところ他の『ギルドクラッシャー』の面々も確認できていませんよね……だからナザリックの恩返しの相手としてはゼブルさんしかいないわけですよ」

 

 完全な詭弁だ……でもアインズさんは骨の指でサムズアップした。

 

「狩猟会に参加していたのは『ギルドクラッシャー』だけじゃありませんよ。他のソロプレイヤーも参加していました」

「他の参加プレイヤーを見つけたら、同じように遇します……たまたま最初がゼブルさんというだけの話ですよ」

 

 仲間の施しで自分だけが得するように感じられた……ハッキリ言って、このアインズさんの理屈は了承し難いけど……まあ、必死なのは伝わりました。

 

「了解しました……それで良いですよ、もう……」

「ありがとうございます……では、今からゼブルさんのアインズ・ウール・ゴウンの加入について討議します。ギルド加入の条件は社会人であり、異形種であり、メンバーの過半数が承諾する、です。ゼブルさんは社会人であり、異形種なので問題ありません。現在ギルメンは事実上俺だけであり、この会議の参加メンバーは俺だけなので全会一致で承認されました……略称ゼブルこと『ばある・ぜぶる』さん……貴方は正式にアインズ・ウール・ゴウンの42人目のギルドメンバーと認められました。本来であればギルドメンバーとしての責務も負いますが、今回はギルド長権限における特例として、ギルド防衛と機密漏洩禁止以外の責務は免除されることを認めます。そしてナザリック地下大墳墓の全ての機能についてギルドメンバーとしての権限を有し、全ての財産を共有します。おめでとうございます……そして、改めてよろしくお願いします」

 

 なんだかとても切ない儀式だった。

 

 アインズさんは骨の右手を差し出し、俺は差し伸べられた手を握り返した。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 気が付けば式典が開催されていた。

 どうやら俺のギルメンとしてのアインズ・ウール・ゴウン加入がアインズさんから発表されたらしい。巨大な謁見の間は上は下への大騒ぎ……とはなっていないが、明らかに凄まじい動揺が渦巻いていた。

 居並ぶバケモノ、バケモノ、バケモノ……まあ、どこにいたのかってぐらい大量のバケモノが整然と並んでいる。

 そうぞう以上に絶対服従だった。

 

 アインズさんの熱い演説が続く。

 

 ギルメンの証……『リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』が俺に授与されるに至り、巨大な空間一面に堆積していた諦めとも嫉妬ともつかないような感情が圧倒的歓喜によってぶち壊された。

 

 守護者統括といか言う役職の美女悪魔が一喝し、静寂が戻る。

 アルベドと言う名の彼女に促され、心ここに在らずの俺は演台に立った。

 自分でも何を喋ったのか、全く覚えていない。

 ただ場内が沸き立ち、最後には爆発するような拍手喝采だった。

 

 そのまま祝賀会になだれ込むも、俺は自分でも何をしているいるのか判然としないまま、流れに身を任せていた。

 

 ショックでした……どう表現すれば良いのか……ユグドラシル風でなく、リアルに雷に身体を貫かれたような感覚です。そんな経験ありませんけど……

 

 アインズさんの切な過ぎる一人ギルメン会議の後、入室を許され、扉の向こうに現れたのはティーヌでした……でも、おかしい……どこからどう見ても、肉腫を確認してもティーヌなのに、ティーヌにしては異様に強いように感じられました。

 もはや『人化』したままでは俺でも敵わない。

 レベルにして60前後はあるように感じます。

 なのに、俺の与えた神器級装備は着用していない。

 彼女には似合わない、というか見慣れないので違和感バリバリなゆったりとしたドレス風の服を着ています。

 

 ティーヌはアインズさんに会釈すると、まるで飛ぶように俺の前まで移動しました。

 

 これまでと身体能力が違いすぎる。

 

「えーっと、解りますか?」

 

 呆然とした俺の顔を覗き込むように、この上なく楽しそうにティーヌはケラケラと笑っていました。

 

「……どうしたの、ティーヌさん?」

「どうもこうもありませんよー……私、人間辞めまちゃいましたー!」

 

 えっ?……はぁ?

 

「人間辞めたら、これが凄いんですよ……能力がその場で自覚できるぐらいにガンガン伸びるんです」

「えーっと、飲み込めないので、最初からどうぞ」

 

 ニッコニコのティーヌ……純真な子供と言うよりも、褒められるのを待っている芸を覚えたての子犬だ。

 

「うーん、っとですね……デミさんから報酬で『堕落の種子』ってやつを貰ったんですよー……一緒に貰った説明書通りに使用したら、なんだか悪魔になってたんですね。その後も効果的な実戦訓練ってやつを毎日毎日繰り返して……アインズさんからも褒美を頂いたんで、残り5個ぐらいは人間辞めるアイテムがあります。強くなりたい、って希望も叶えてもらう代わりに武技の研究にも協力しているんで、どんどん強い訓練用の敵を召喚してくれるですよー……今は『精霊髑髏』とか言うヤツに挑んでいるところなんです」

 

 ……『精霊髑髏』だぁ!?……たしか68レベルですやん!

 

「彼女は武技研究で非常に良くやってくれているんですよ……ゼブルさんからも是非褒めてやって下さい」

 

 おーいっ!……お前が元凶かいっ!……暢気に褒めるアインズさんに心の中で強いツッコミを入れる。

 

 ニッコニコの悪魔ティーヌと暢気な超越者骸骨……なんだかイラっとする光景が目の前で繰り広げられています。

 

 まあ……本音の部分ではそんなことはどうでもいいんです……本当に問題なのは見た目なんですよ。

 

「ティーヌさん……そのガポッとした服脱いでくれる」

「やらしぃー、ゼブルさんのエッチ、スケベ」

 

 言葉とは裏腹にティーヌはあっさり……ビタイチ躊躇いなく全裸になりました。そしてご機嫌でクルクル回りながら、出るところはちゃんと出ているわりに引き締まったプロポーションを見せつけてきます。

 

 ……で、まあ、そりゃそーなんですけどね……やっぱり、どう見ても黒い羽根が腰の辺りから生えちゃってるわけですよ。

 

「……ティーヌさんさぁ……その羽根どうすんの?」

「アインズさんが魔法の武具を装備するなら、見た目は問題ないって言ってましたけど……拙かったですか?」

 

 いや、そーゆーことじゃなく……堕天使と悪魔の違いこそあるけど、お前に与えている武具ってさー、全部『えんじょい子』さんのなんだけど……キャラ被りまでしてるから……しょーじき、嫌でも彼女を思い出すわけですよ。アバターとは似ていなくてもリアルの彼女はティーヌと似たような髪型で、同じように人を食ったような笑顔を見せて……でも何故か異様に人懐こくて……

 

「そう言えば……ティーヌさんのキャラって、アレに似てるよね?」

 

 アインズさんまで……せっかく完全に消え去っていた望郷の念が頭の中でむくむくと大きくなっていきました。

 突き放さないと、少しヤバい気がしました。

 ティーヌに服を着るように命じて、アインズさんに断りを入れます。

 

「アインズさん、武技の研究を中断してもらっても良いですかね?」

「えっ?……まあ、別に急ぎじゃないんで構わないですよ」

 

 雇用主というかトレーナーの了解は頂きました。

 

「んじゃ、早速なんだけど、ティーヌさんにお仕事です」

「ええー、ゼブルさんのイケズぅ……せっかく順調に強くなってたのに……でも良いですよ。私が以前よりもお役に立てるようになったところをお見せするには良い機会です」

 

 ティーヌには王都行きを命じました。

 身支度を整えると即座に『転移門』の中に消えて行きます。

 無邪気というよりも邪気たっぷりな笑顔で手を振って……

 

 実のところ、今の俺は主に竜王国と帝都を行ったり来たりしているので、しばらく心を落ち着ける為の措置でした。

 

 あー、魔神なのに人恋しくなるなんてなぁ……ショックです。

 




お読みいただきありがとうございます。


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26話 見込まれた者達

余裕があると気持ちに余裕もできます。
常にこう在りたいものです。


 

 その女が現れてから、屋敷内の秩序は一変していた。

 女の印象は「とにかく笑っている」だった。

 目にする限り……何があろうと……果たして怒ることなどあるのだろうか?

 しかし誰もが腫れ物に触るよう接していた。

 家人によれば「とにかく怖い」と言う。

 大袈裟な……当初はそうは感じていなかったイーグもやがて理解に至った。

 漠とした印象に過ぎなかったものが徐々に積み重なり……所作や視線や足の運び等々……やがて自分とは存在する次元が違うとの結論に至った。

 彼女は戦士だ……ほんの僅かであっても武人としての訓練を積んだ経験がイーグに気付かせた。即ちエドストレームを筆頭にこの屋敷に家人は全て戦闘訓練を積んでいるのだ。

 唯一、仮の主人を除いては。

 世間的なお約束など無視して構わないレベルの圧倒的な強者……それこそがこの屋敷の新たな頂点ことティーヌだ。

 それまでの実質的な頂点であったエドストレームは使い走りと化し、屋敷の所有者であるヒルマ・シュグネウスにしても遠慮がちに苦言を呈する以上のことはできなかった。

 真実を知らないのはフィリップのみ。

 イーグは強引に手を引かれ、中庭に連行されるフィリップの哀れな姿を眺めていた。

 

 憤慨するフィリップが立たされていた。

 笑うティーヌが中庭の中央に立っていた。

 見た目だけならば多少個性的であるものの十二分に美女だ。

 ニコニコと満面を笑みを浮かべ……右手に棒切れを2本握っている。

 

「えーっと、オモシロ貴族……名前、何だっけ?」

 

 半ば強引に中庭まで連れ込まれたのに、そう真正面から問われ、フィリップは内心さらに憤慨したものの、エドストレームと同じく下賤の愚かな女だろうから、いちいち無礼を指摘するのも大人気ないと自分に言い訳しつつ、素直に答えた。

 

「フィリップ・ディドン・リイル・モチャラスだ……モチャラス男爵、もしくはモチャラス卿と呼ぶことを許してやろう」

「ふーん……んじゃ、フィリちゃん……なんか呼びにくいなー……モッちゃんで良いかな?」

「貴様!……話を聞いていたのか?」

「じゃ、モッちゃん……これ持って」

 

 ティーヌはニコニコ笑いながら棒切れを突き出した。

 反射的に受け取ってしまい、フィリップは棒切れを手にして、何度もティーヌと棒切れを交互に見やった。

 

「じゃあ、準備はOK?」

「……何をするのだ?」

「何って、訓練だけど」

「何の訓練だ!」

「剣の訓練に決まってるでしょ……今度の戦争でモッちゃんを英雄にするんだから……短期間で単騎で大活躍できる程度にはするつもりだかねー……ちょこっと厳しいよ」

「待て!……待て待て、どういうことだ?……私は今回の戦争に関しては参戦義務が免除されたはずだ!」

「うーん、それ取り消しね……昨日、ヒルマに言っておいたから……モッちゃんがどうしても参戦して活躍したいから、って」

「はぁ?……何なのだ、それは!……聞いていないぞ!」

 

 フィリップは慌ててエドストレームを見た。

 屋敷のテラスで2人の様子を確認していたエドストレームが首を左右に振っていた……その行動では肯定の意味か否定の意味かは理解できなかったが、彼女の表情で嫌でも理解させられた。エドストレームの横でイーグまでもが絶望的な表情で顔を背けている。

 

「はい、状況は理解したかなー?……このままだと、モッちゃんはほぼ確実に戦死しちゃうんだよねー……だから訓練させるって決めたの」

「待て!……待って下さい!」

 

 フィリップは馬車で圧死寸前になっていた時の微かな記憶を呼び起こした。

 実力に訴えられては抵抗する術もないエドストレームが一方的にやり込められていたような……あの時、エドストレームの脚が僅かに震えていたような気がする……その時、この女は小窓から覗いていただけだ……

 

「……ちなみに質問があるんですが、よろしいでしょうか?」

「んじゃ、一つだけ質問に答えたら訓練開始ねー」

 

 ティーヌはケラケラと笑っていた……つい先程まで単なる陽気な女だと思っていたものが完全に異質なものへと変化していた。その瞳の奥に浮かんでいるのは愉悦……弱者を痛ぶることを楽しみにしている者の目だ。

 

「早く質問してくんないかなー……とりあえず今日中にそこらの衛兵程度なら互角に戦えるようにするつもりだからねー」

 

 ティーヌに気圧され、フィリップは2歩後退する。

 しかし距離は開かない。

 そのまま後退を続けたが、どうしても距離は開いてくれない。

 いかなる技なのか……ティーヌはただ立っているように見えるのに、フィリップが後退した距離を詰めるのだ。

 

「はーやーくー、質問しよーよー」

 

 逃げられない……早くも理解させられた。

 フィリップは立ち止まる。

 

「私は既に英雄だ。1000の兵を率い、王国秩序に対する叛徒を全滅させたのだ!……その英雄である私がいまさら訓練などできるか!」

「あー、それが質問でいいのかなー?」

「違う!」

「んじゃ、私の見解ね…………ゼロの鍛えた金級冒険者と同等以上の連中を引き連れて、道案内しただけだろ?……英雄ナメてんのか、テメー」

 

 笑顔そのものが異形だった……恐ろしく……震えが止まらない。

 

「……解った……理解した……お前の言う通り……私は英雄じゃない!……訓練も必要だ!……だから……だから!」

 

 その先がどうしても言葉にできない……この笑う女の意志に反した発言だった場合、自分がどうなってしまうのか……漠とした恐怖が言葉を飲み込ませてしまう。

 フィリップが人生で経験したことのない大量の発汗……最高級の仕立ての服であっても肌に張り付いて煩わしい。こんなことは借金に追われ、取り立てが嫌になり逃亡した際に、シュグネウス商会の差し向けた荒くれ者達に囲まれた時にもなかった。多少は小突かれたが、大人しく従えば連中は言葉や態度で脅すだけだった……本音を言えば、自分を放逐した父や家族に縋ればなんとかなると思っていたのだ……結果的にはどうにもならず、全ての血族が死んでしまったが……まあ、そのお陰で本来貴族に相応しい自分が男爵位を得たのだから、問題はない。

 しかし目の前の笑う女……ティーヌは違う。

 従うまで殴られるだろう。

 従うまで自己を否定されるだろう。

 従うまで尊厳をズタズタに引き裂かれるだろう。

 三日月のような目の奥に浮かぶ光で理解させられるのだ。

 

 立ち尽くすフィリップの心情に一切の躊躇いなくティーヌは続けた。

 

「んじゃ、早く質問して」

 

 フィリップには質問を無理矢理吐き出すしか選択肢が無かった。

 

「……お前は何者だ?……いかなる権限があって、王国貴族である私に訓練を施すのだ?」

「質問、2つになってるけど……まっ、いっか……まずひとつ目、私はティーヌ。んで、ふたつ目は私の役目……回答しゅーりょー……ちなみにサービスで言うと、私は貴族なんて言う馬鹿げた存在は否定されるところで育ったから、モッちゃんを持ち上げてやる気はさらさら無いからねー」

 

 その回答がもたらしたの絶望……気付けば、ティーヌがさらに距離を詰めていた。

 

「ほいっ、打ち込んでくる!」

 

 動きが見えない……が、何をされたかは理解させられた。

 棒切れで強か肩を打たれ、フィリップはよろめいた。

 打たれた肩を庇い、あまりの痛みに苦悶の声を上げるが、今度は首筋を打たれて転げ回る。どれだけ逃げても次に左腕……そして右腿と千切れるような痛みに逃げることも叶わず、ひたすら絶叫するだけだった。

 

「痛い!……痛い!」

「この程度で痛いとか……切られるか、刺されるかすりゃ、痛いどころじゃ済まないよー……後でポーションぶっかけてやるから、心配ごむよー」

 

 あまりに連続する痛みに気絶も許されない。

 

「痛みに耐えるのも訓練……隙を突いて、反撃する!」

 

 フィリップはそれどころでなく、意識が飛ぶように祈るほどだったが、酷使した喉の焼けるような痛みに悲鳴も出なくなりつつあった。

 

「私に反撃するまで打ち込むからねー」

 

 ティーヌの言葉に僅かにやる気が生まれるが、それもあっさりとかき消された。目に付く限り、全身が真っ赤に腫れ上がっている。服の下も酷い有様なのだろう……人生で最悪の瞬間が次々と更新されていく。

 

 目が開けられない。

 前に向かって棒を振れば終わるのに……どうしても痛みに耐えられない。

 もう声も出ない。

 そもそも立ち上がれない。

 怖い……怖い……怖い……訓練なのに……戦場に連れ出されたら……

 

「反撃できないねー……んじゃ、とりあえず骨の一本も逝っときますか!」

 

 右腕にこれまでにない激痛……文字通り血を吐く絶叫。

 

 フィリップの意識は暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

 何でこんなことになったのか……?

 

 焚火を囲みながら、周囲の鬱蒼とした巨木群を見上げる。

 右手では完全武装のイーグがスープを啜っている。

 左手ではエドストレームが干し肉を噛み千切っていた。イーグよりは軽装であるものの、剣帯の6本の三日月刀が物騒な輝きを見せている。

 そして正面……今や真っ直ぐに見るのも辛い存在が街中と同じような格好でニコニコと笑いながら、恐怖の対象でしかない棒切れを振っていた。その度に近寄ってくる羽虫を打ち落としているらしく、もはや理解不能なレベルで恐怖が増幅してくる。

 

 最初に意識が飛んでから、都合24回……骨を折られ、その度に意識が飛んでいた。ポーションで治療され、頬を張られ、棒を握って立ち上がるように命じられる。貴族であるフィリップがどんなに頼んでも、銀髪の下賤の女はケラケラと笑い続けるのだ。

 開き直り、痛みに耐えてティーヌ相手に、ふらふらと棒を振るまで午前中の全てを費やした。そして全身漏れなく骨折を経験した。

 痛みに耐える……これができなければ、専業兵士のみで構成される帝国軍の真っ只中に切り込むなど不可能……英雄の領域とやらは理解できないが、少なくとも民衆に英雄と認識させるには必要不可欠……それ以外の思考は全てティーヌの棒切れに否定されるのだった。

 本音を言えば、王都の邸宅で酒を飲みつつ、理想的な未来を語ることによって愚かな民衆を領導したいのだ。それこそが将来のフィリップの姿だ。剣の研鑽など貴族てある自分がやるべきことではない。戦場で死ぬのはマヌケな貴族か、徴兵された兵士であるべきだ。少なくとも自分はそのどちらでもない……のに……

 

 野蛮な戦闘訓練など、誰が好んでやるものかっ!

 

 だが、現実にここにいた。

 ここはトブの大森林の中らしい……モンスターが跋扈する恐ろしい場所と聞いていたが……ここで自身の手で命を奪う訓練をすると言う。

 ティーヌに先行して屋敷に常駐していた、とても魔法詠唱者には見えないバティンと名乗る大男が『転移門』という魔法を行使した結果、ティーヌに追い立てられるようにここにやって来たのだ。理解不能な技であり、やたらと愛想の良い巨体の魔法詠唱者という存在も恐ろしいが……やはり全ての元凶はあの女の意向に沿って周囲が動いているという事実だった。屋敷の所有者であり、フィリップのパトロンでもあるヒルマ・シュグネウスまでティーヌに逆らえない、となると現在のフィリップでは対抗策が無いに等しい。

 

 持ち慣れない剣を握る手が汗ばんでいた。

 辛うじて水は喉を通るものの、それ以外は胃が受け付けてくれなかった。

 背中を冷や汗が流れ続けている。

 妙に客観的な自分が煩わしい。

 そして周囲の誰もが……

 

「モッちゃんさー、顔色悪いけど大丈夫?」

 

 元凶が暢気に言った。

 

「だっ、大丈夫です!……元気いっぱい!……訓練はまだですか?」

 

 心の中でどれだけティーヌを罵っても、口から吐き出される言葉は卑屈さに満ち満ちていた。

 

「んー、みんな食べ終わったら開始ねー……だからモッちゃんも早いところ食べようねー」

 

 言われるがまま、無理矢理口の中に干し肉とパンを突っ込んだ。

 この屈辱は忘れない……そう思っても身体はティーヌの言葉に逆らうことなどできなかった。もうフィリップの意思など関係ない。ティーヌの言葉に従うことが全てに優先される。

 水で強引に嚥下しつつ、割り当てられた分のスープを飲み込む。

 

 ティーヌはフィリップの食器が完全に空いたのを確認した。

 するとニコニコ笑い始めた。

 そのまま訓練手順の説明が開始される。

 まずティーヌが森に入り、中のモンスターをここに追い立てる。

 エドストレームはモンスターの命を削る役……完全までは望まないが、可能な限り瀕死のモンスターをフィリップに回すこと。

 イーグはフィリップは撃ち漏らしたモンスターを殲滅する。

 基本的にトドメを刺すのはフィリップ。

 とにかくこの順序を守れ、と言う。

 

「んじゃ、いっきますよー」

 

 焚火に土を掛け、火種を落とすとティーヌは森の中へと消えた。

 疾風走破。

 その姿は手練れの戦士であり、異能とも呼べる空間把握能力を持つエドストレームにも視認できなかった。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 酒とバンザイ三唱の嵐が吹き荒れた祝賀会が終了し、世間的には時刻は早朝を迎えたようです。

 とりあえず『守護者』とか言う拠点防衛用NPC代表を交えたナザリック地下大墳墓見学ツアーに参加して、なんちゃってギルメンですが、可能な限り内部の構造を頭に叩き込みます。ナザリック内部での移動は『リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』頼みらしいですが、外からの転移は一度偽ナザリックに転移してからの再転移となるようです。

 ……面倒臭っ!

 先導するアインズさんの第一妃候補筆頭のアルベドと対抗馬として野心を燃やすシャルティア・ブラッドフォールンの美女2人による掛け合い漫才を眺めながら、俺の横で熱心に施設を説明するアインズさんのモノを失った事実に少し同情していた。

 あの非公式ラスボスと呼ばれたアインズさんが、説明を終える度にいちいち褒めて欲しそうに反応を探ってくるのが面白い上に凄くカワイイ……期待に応えて絶賛すると、そりゃー、もうウキウキなのが丸分かりなんですよ。

 

 第一階層から徐々に下る。

 最初に出会ったのはハムスケ&リザードマンズwithデスナイト。

 次に巨大ゴキさんの恐怖公に恭しく挨拶されて、大笑いした。なにしろリアルの俺はアーコロジーの極めて清潔に保たれた範囲でしか生活していなかった為、ゴキさん自体が初見だった……だから恐怖公ぐらい巨大であれば特に嫌悪感もない。ユグドラシルの蟲系種族であればもっと見た目がグロいのは沢山いたしね。さすがに彼の眷属がウジャウジャしている中は遠慮するけど……

 その後はシャルティアの棲家というか、住居でヴァンパイア・ブライド軍団に挨拶された。

 第四階層で攻城用ゴーレム『ガルガンチュア』を見学する。

 第五階層はコキュートスという武人蟲王に案内され、アルベドの姉ニグレドがいるという氷結牢獄の凝ったギミックを楽しんだ。他にも拷問官のブレインイーターがいるらしいけど……アルベド&シャルティアとソリが合わないらしいので後日再訪予定だそうです。

 第六階層では闘技場にマーレきゅんの双子の姉であるアウラちゃんの使役する魔獣軍団の挨拶を受ける……アウラちゃんが言うには密林の奥にも恐怖公と同じ領域守護者なる存在がいるらしいけど、かなりエグい上に気軽に動けないので、また改めて、だそうです。

 第七階層は炎熱地獄であり、逆に挨拶の為に移動可能な者は闘技場まで出張してくれました。デミウルゴスは残念がっていましたけど……まあ、魔神とはいえ、元人間なので、ノーダメなのは解っていても灼熱レベルで熱いのは得意ではありません。

 第八階層は例のアソコなので、階層守護者のヴィクティムだけがデミウルゴスに抱えられて、闘技場にやってきました。

 第六階層から第九階層へ。

 セバスさんと再会し、お互いにちょっと照れ臭くなりました。彼の横にはツアレニーニャ・ベイロン嬢がメイド姿で立っています。軽く会釈すると満面の笑顔で返され……元気になって良かった、としみじみと感じ入るものがありました……そう言えば子供はどうしたのか?……セバスさんに寄り添う健気な姿を見ると余計な事は言うべきではないと悟り、沈黙することに決めました。

 ツギハギ犬の爆乳メイド長に率いられたメイド軍団。

 ペンギンと覆面男集団。

 料理長と副料理長。

 最後に戦闘メイド「プレアデス」と挨拶が続きます。その中に爆乳メガネメイドことユリ・アルファの姿を発見しましたが、彼女は極めて礼儀正しく挨拶してくれました。次いで蟲メイドことエントマ・ヴァシリッサ・ゼータの姿も見かけ、追い討ちをかけるように帝都で俺と追跡戦を繰り広げた2人組のルプスレギナ・ベータとソリュシャン・イプシロンも発見しました。ティーヌを拐った2人組ですが、まあ礼儀正しいので忘れてあげましょう。

 他の2人は初見です。

 無表情系美少女がシズ・デルタ。

 クール系美女がナーベラル・ガンマ。

 そうアインズさんが紹介してくれました。

 彼女達以外にもオーレオール・オメガという末妹がいるそうですが、その子は特殊な任務を負っている為、挨拶には来れないとのことでした。

 

「あー、そうだ……ゼブルさん達も冒険者登録されているですよね?……このナーベラル・ガンマこそがアダマンタイト級冒険者チーム『漆黒』のモモンの相方である『美姫』ナーベの正体なんですよ……今度、一緒に依頼を受けませんか?」

「えーっと、俺達は銅級な上に評判最悪だと思いますよ」

「……『3人組』でしたっけ?」

「そう呼ばれているみたいですね……王都でも決して評判が良いわけじゃないみたいです……冒険者の仕事を奪った黒幕、みたいな……?」

 

 正当な評価じゃない、とアインズさんは憤慨していましたが、『漆黒』と同じアダマンタイト級の青薔薇の評価ですからね……配下に加えたエ・ランテルの『豪剣』に告白させた評価も酷いものだったし……

 

「まあ、竜王国が落ち着いて、王国の事業計画が軌道に乗ったら……その後にでも考えましょうよ」

「……そうですね……残念ですけど、事業も大切ですよね」

「いや、事業についてはむしろアインズさんがノリノリだったでしょ?」

「だって、絶対に上手くいくと思うんですよ……竜王国での実験結果も申し分ないものでしたし……アンデッドのレンタル事業」

 

 そこでアインズさんに嬉しいニュースをひとつ。

 

「とりあえず竜王国は東方地域で試すみたいですよ……法国の存在が鬱陶しいけど、何もせずに捨てるにはあまりに魅力的なんで……法国から一番遠い東方で試験運用するみたいですね……あくまで徐々に、ですけど、アインズさんによろしく伝えてくれ、と女王陛下と宰相閣下から言伝を預かってますよ」

「ほっ、本当ですか?」

「ええ、勝手してすまないとは思いますけど、既に俺のところから監督用のエルダーリッチ込みで1ユニットだけ回してます」

「マジですか?……上手く行けば……夢が広がるなぁ……」

 

 アインズさんの眼窩の炎が燃え上がっていた。

 

 その様を見て、守護者達はとにかく絶賛しています。

 

 ……あー、これが例の……

 

 ナザリックの病巣をこの目で確認しました。

 こりゃー、たしかに重症だ。

 半分以上は理解すらしていないで、ひたすらアインズさんの計画した何かが上手く行ったとの情報だけで褒めちぎっている。

 

「さて、動ける者は一通り挨拶を終えたから……今度はナザリックで支援している村に行きませんか?」

 

 一定の成果に満足したのか、アインズさんが誘ってきました。

 

 ……おんやー、誰か忘れているような?

 

「えーっと、モモンガさんじゃなくてアインズさん……大切なNPCの紹介をお忘れのようですが?」

 

 アインズさんが一瞬固まり、緑に発光しました。

 

 ……精神沈静化のエフェクトね。つまり動揺したわけだ。

 

「アッ、アレは特殊な場所の領域守護者なんで……そうだ!……簡単には行けないんですよ。今度……次回は呼び出しておきますから……次回、次回にしましょう!……楽しみは次回で!……ねっ?」

 

 あまりにアインズさんが必死なので、素直に頷きました。

 気になるのは気になりますが、お楽しみはとっておきましょう。

 

「じゃ、また次回で」

「はい、次回で……とりあえずナザリックが支援する村……カルネ村って言うんですけど……そこに行きましょう!」

 

 そこで守護者達とは別れ、担当しているというルプスレギナ・ベータだけが同行することになった。

 

 アインズさんが『転移門』を開き、俺達はその中に進んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 嫉妬マスク……何やら懐かしいアイテムです。

 そして、ごっついガントレットにいつもの格好。

 

 俺からするとアンバランスこの上ないこの装備こそがカルネ村におけるアインズさんのオーソドックスな姿だと聞きました。

 どうやらカルネ村ではアインズさんは正体を明かしていないらしく、俺も慌てて『人化』します。

 

「これはゴウン様」

 

 すれ違う村人達は丁寧に頭を下げてくれます。

 アインズさんはいちいち鷹揚に頷きながら、ここ最近で村長になったというエンリ・エモットなる人物を探し歩いていました。

 

 人々の雰囲気は長閑そのもの。

 皆素朴な人柄で、アインズさんに絶大な信頼を寄せているのが判ります。

 しかし村そのものは裕福でないのは明らかです。

 そしてかなり高い木製の城壁もどきに囲まれていました。

 見張り台も完備……外敵でもいるのか?

 その辺りの疑問をアインズさんにぶつけると、アインズさんが支援する切っ掛け自体が法国による襲撃だったと答えてくれました。

 さらに村の近く広がるトブの大森林で、結果的にモンスターを排除していた『森の賢王』ことハムスケをアインズさんが使役した為、危険に晒される可能性が高まったらしい……

 

 うーん……なんか中途半端じゃネ?

 

「アインズさん……ここも強靭化しませんか?」

 

 単なる思い付きですけど、フィリップの領地なんぞを徹底強化したんですから……アインズさんが自ら庇護するカルネ村を強靭化するのは不自然どころか至極当然だと思うんですが……

 

「彼等には対価を支払う余裕がありませんよ、ゼブルさん」

「対価って必要ですかね?……もし必要ならば俺が支払っても良いですけど……そーゆーことじゃないんですよね?」

「ナザリックの財を使うのならば……いや、そんなことは理解した上での提案ですよね?」

「今後もカルネ村をアインズさんが庇護するつもりなら、多少強引にでも発展させた方が今以上に役立つと思うんですけど……違いますか?」

 

 アインズさんは立ち止まり、仮面の顎部分にガントレットを当てた。そのまま考え込むように首を傾げる。

 

「ふむ……そういう考えもありますね……さすがはゼブルさんだ」

「自分の……アインズ・ウール・ゴウンの勢力圏下は発展させましょうよ。豊かな土地に裕福な人々……それらに加えて、厳格かつ公平な裁判と税制だったかな……全部『バンバン』さんの受け売りですけど……その方針であれば、たとえアインズさんが世界を支配せざる得なくなったとしても平和なもんだと思いますよ。人間、豊かさを与え、公正を担保してくれる存在に対しては従順なもんです……まあ、俺が実証実験しているのは力の信奉者である亜人のビーストマンですから、それに強さと恐怖ってものが加わりますけど」

「……多少散財しても、後々の収入増を狙え、と」

「モチャラス男爵領のような大袈裟なものじゃなくても良いと思うんですよ。ただアンデッドの屋外耕作作業の実験場としても有効です。なにしろアインズさんが村の恩人かつ偉大な魔法詠唱者なんて立場でものが言える場所って、カルネ村だけなんじゃないんですか?」

「たしかに……その通りです」

「だったら、アインズさんの立場を最大限に利用してしまえば良いんです。偉大な魔法詠唱者といえどアンデッドの実験場を提供してくれる可能性がある村なんて、他には絶対にありませんから……」

「……なるほど」

「カルネ村も安全を確保した上に潤って、win-winだと思うんですよね……結果的にアインズさんの発言力も強化されるでしょ?……どの道、ここを庇護し続けるつもりなら、発言力は重要なファクターですよ」

「そうですよね!……いやー、さすがゼブルさんだ!……でもカルネ村って直轄領の中らしいんですよ。王国の連中に狙われたりしないですかね?」

「辺境の村ひとつに、いきなり攻城兵器持ち出すようなバカが相手じゃない限り、俺のところの王都の政治工作でなんとでもなるような気はしますが、確証はありませんね……国王もしくは直系の王族が怒り狂って出張ってくると、村の戦力だけじゃ遅滞戦闘による戦線維持も厳しいと思います。そうでなくとも経済封鎖されると村だけじゃ厳しいかなぁ……まあ、そうならないようにするのが俺達の腕の見せ所ですけどね……とにかく村を経済的に発展させるのはアインズ・ウール・ゴウンにとっても基本的にメリットしかありません。特に帝国との戦争で特需が見込めるんですから……穀物以外でも軍需関連はマーレきゅんを使ってなんでもやってみることです。大量生産すれば、収穫作業の為にアンデッド導入の機運も高まりますよ」

「……つまり王国に攻め込まれても当面戦線を維持することが可能であれば、何の問題も生じないわけですね?」

「王都の貴族達にカルネ村侵攻反対の機運を高める工作程度であれば、既に浸透している俺の配下だけでも十二分に可能でしょう。国王に対する影響力工作となるとそれなりに時間は必要になるでしょうけど……もちろん決めるのはアインズさんなんで、無理にとは言いませんけど」

 

 アインズさんは考え込んだ……が、それも一瞬……俺を見た時には眼窩の炎が赤く燃え上がっていた。

 

「……やりましょう!……まず、どうすれば?」

「村の責任者もしくはご意見番の長老格みたいな人物に話を通して、村内の有力者だけが集まるように仕向けて下さい」

「有力者だけ?……全員、でなく」

「全員の意見をまとめている時間も惜しいんです……平時に話し合いなんてさせると意見が割れますから……それに8割以上の人間は多数派の意見に流されます。一見、その方が無難に思えますからね……つまり多数派を形成する為には影響力や発言力のある者達の中で過半数を確保すれば問題が生じ難いし、簡単です。ほとんどの一般人はリスクを負ってまで成功なんて望んでません。失敗して脱落するのを恐れるんです……リアルで習いませんでしか?」

「……どこかで聞いたような、聞いたことがないような?」

「んじゃ、とりあえずカルネ村で実験して見ましょうよ……まあ、俺達とすれ違う村人達の反応から推察すると、ここではアインズさんの発言力は俺の想定以上の可能性もかなり高いと思います。だから鶴の一声的に即決する可能性もありますよ」

 

 アインズさんは力強く頷き、新村長エンリ・エモットがいるという村外れの倉庫兼作業場に急いだ。

 

「あちらです、アインズ様」

 

 先導するルプスレギナが目的の小屋を指し示す。

 見れば小屋の前にはそれなりの人数がいた。

 人間の大人に子供……とゴブリンが多数……ゴブリン?

 ユグドラシル時代でもなかなか見かけない異様な光景だが、皆和気藹々と作業に精を出しているようだ。

 

「……あのゴブリン達は?」

「ご説明いたします、ゼブル様」

 

 褐色メイドのルプスレギナが恭しく首部を垂れた。

 あの中の大多数はアインズさんが与えた『小鬼将軍の角笛』でエンリ・エモットが召喚したらしい……まあ、召喚ゴブリンならば人間の子供と一緒にいるのは理解できる……加えてアインズさんがハムスケを使役した結果、ハムスケのテリトリーが空白化したことにより、『東の巨人』と『西の魔蛇』と呼ばれる他の有力モンスターが勢力拡大を狙って動き始めた。彼等に追い立てられたトブの大森林産のホブゴブリンやゴブリンも少しいるらしい。さらに今は姿が見えないがオーガ5匹もカルネ村で労働に従事していると言う。

 

「……なるほどねぇ……エンリ・エモットはなかなかの人物らしい」

「そう思いますか?……俺としてはエ・ランテルの重要人物ンフィーレア・バレアレを繋ぎ止める為の駒として保護対象にしていたんですけど……」

「いや、低レベルばかりとはいえ、大して教育も受けていないように思える現地産の人間が多種族共生を実現しているのは凄いことじゃないですか?……しかも肉食で野蛮な亜人種相手に、ですよ……召喚ゴブリンの武力で統制しているようにも見えないし……」

「そういうものですか?……やっぱりナザリック外の感覚を持っている人と話すと新鮮な意見が聞けますね……本当にゼブルさんに加入してもらって良かったなぁ……」

 

 急に雰囲気を出し始めたアインズさん。

 遠くから「あっ、ゴウン様だ!」と声が掛かる。

 見ればまだ幼女と言っても良いような少女が走ってくる。

 エンリ・エモットの妹であるネム・エモットだと紹介された。

 

「えっと……エンリ・エモットって、まだ若いんですか?」

「まだ16〜17歳ぐらいじゃないかなかなぁ?」

「その年で村長で、その上異種族も率いているって凄いですよ、やっぱり!」

「前村長が一足飛びにエンリを説得して村長を任せたみたいなんで……やっぱり凄い人材なんですかね?」

「リアルでアインズさんが16〜17歳の頃、できるできないは別にして、他に大人がいるのに、村長やれ、と言われて、やろうと思えましたか?」

「……リアルどころか、今でも可能ならやりたくないですよ」

「俺も同じです……じゃ、エンリ・エモットは凄い、で間違いないですよ。ユグドラシル由来の能力を取り除けば、少なくとも俺達よりは優れた人物です」

「……なるほど」

「その凄い人物に、もっと凄くなってもらいましょう……とりあえず自前の戦力労働力強化で『小鬼将軍の角笛』をガンガン使わせましょうよ。召喚ゴブリンが消えないのも都合が良いし、俺も2個ぐらいは持ってますし……」

「それならナザリックに山のように余ってますから、こちらで供出しますよ」

 

 そう答えながら、アインズさんは飛び付いてきたネム・エモットを抱き止めた。幼い子供に絶対的に信頼され、慕われていた。アインズさんもネム・エモットを気に入っているようで、まるで親戚の叔父さんだった。

 ネム・エモットに遅れてゴブリン軍団を引き連れた、少女時代を卒業したてぐらいに見える女性が走り寄ってきていた。

 

 ……あれがエンリ・エモットか……?

 

 少し日に焼けた肌が健康的な可愛らしさを強調していた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 意識が朦朧とする中、重い肩と痛む腕を振り上げる。

 最初の1匹目であったゴブリンの首に剣を突き刺してから、通算何匹目なのか?……もはや背後に積み上げられ死骸の山を数えなければ、正確な数など判らない。内、半分以上はフィリップがトドメを刺したような気がする。

 恐ろしくて、恐ろしくて、どうしようもなく震えていた自分の心が嘘のように摩耗し、何も感じなくなっていた。

 吐き気もしなくなった。

 血の臭いにも慣れた。

 ひたすら疲労に耐えながら、地面に転がる瀕死のモンスターに剣を突き立て続けた。

 嫌気よりもティーヌに対する恐怖が身体を突き動かしたのだ。

 絶命を確認するとイーグが死骸を蹴り転がし、一ヶ所に集める。

 耳を切り取っているのは討伐証明の為らしい。

 これからしばらくの間……あの女が認めるまでは……この討伐証明を冒険者ギルドに提出することによって支給された金額で、イーグと2人で生活しろと言われているのだ。疲労困憊のフィリップにそんな余裕はなく、イーグが必死になるのも無理はなかった。

 

 また巨木の間の低木が音を立てた。

 いい加減にしてくれ!……そう思う間もなく、ゴブリンとオーガの集団が現れた。フィリップの手に余るオーガ3匹はエドストレームが飛ばす三日月刀によってあっという間に絶命した。そのまま三日月刀は宙を舞い、10匹を超えるゴブリンの脚の腱を次々に断ち切り、武器を持つ方の腕を斬り落とす。

 瞬時に無力化され、絶叫する12匹のゴブリンの首を狙って、フィリップは何度も何度も切先を突き刺した。これまでの経験によって、心臓や頭部よりも首を狙った方が楽だと学習していた。

 そして最後のゴブリンが絶命を確認した瞬間、フィリップはのし掛かる疲労感に耐え切れず、その場に座り込んでしまった。

 

「……今ので何匹だ、イーグ殿……」

 

 肩で荒い息をしながら、フィリップは死骸の山から耳を切り取るイーグに声を掛けた。

 

「モチャラス卿がトドメを刺したゴブリンは全部で52匹です……その他にエドストレーム殿がオーガ13匹とバーゲスト6匹です。私はゴブリンを18匹といったところですね……最初の頃と違って、後半はほとんど討ち漏らしが無くなっていましたよ」

 

 フィリップは大きく息を吐いた。

 

「2人でゴブリン70匹か……いくらぐらいになるのだろうな?」

「私も冒険者ギルドの仕組みはよくわかりませんが、食事をして宿で寝るぐらいはできるのではないですか?」

「だと、良いがな」

 

 達成感に浸りながらフィリップが剣を支えに立ち上がると、目の前に恐怖の笑顔があった。手の届く距離まで接近されたのに気配すら感じなかった……その事実に思わず立ち竦む。

 

「うーん、まだまだかなぁー?」

 

 耳を疑う言葉に絶望する。

 

「まあ、でも迎えの時間だからねー……後は屋敷に帰ってから、復習でもしよっか、モッちゃん?」

 

 ホッとした瞬間、更なる地獄に突き落とされた……あの絶望的な拷問を受けるぐらいならば、ここに居残る方がはるかにマシだ。

 

「……待って下さい……可能でしたら……」

「もしかして、ちょっと強くなった気になっちゃったかなー?……夜の大森林に1人で残るとか、死にたい?」

 

 夜のトブの大森林……モチャラス領の浅い雑木林とはわけが違うのは既に理解していた。レンジャーでないどころか、森の知識も無いのに居残るのはほとんど自殺に近い行為なのは子供でも知っている。

 それでもティーヌに立ち向かう訓練は嫌なのだ。

 少し思い返すだけでも震えが止まらない。

 

 唐突に『転移門』が開いた。

 

 逡巡する間も無く、フィリップはティーヌの棒に小突かれ、その中に吸い込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 貴族位に在る者が冒険者ギルドに訪れるだけでも珍事なのに、大量の討伐証明部位を持ち込んだ事が冒険者達の安酒の肴になった翌日、早朝からフィリップはイーグを引き連れて自分の屋敷へ出頭した。

 もはやフィリップの屋敷でなく、ティーヌによる訓練場であり、足取りは鉛のように重かったが、逃げることはできなかった。逃亡して捕まったらどうなってしまうのか……骨の1〜2本で済まないことは確かだった。昨日、屋敷に戻った後の訓練を想像するだけでも嘔吐感が止まらない……あれこそ生き地獄だ、とフィリップは確信していた。

 瞬きを禁じられ、眼球を潰されこと12回。

 棒切れで耳を削ぎ落とされること4回。

 口腔内に棒を突き込まれ、前歯を全て失ったこともあった。

 心停止2回……ポーションをぶっかけられると同時に蹴り起こされたが。

 睾丸を潰されたこともあった。

 骨折は数知れず。

 トラウマで逃げ出したいのに、そうする勇気の欠片すら持ち得ない。

 なのに、痛みに対する耐性だけは確実に上昇している実感があった。

 ティーヌ曰く、気配を読むなんて技は付け焼き刃じゃ不可能なんだから「とにかく目で追え」と。

 

 フィリップ達は出迎えるつもりでかなり早く出発したつもりだったのだが、屋敷の中庭に到着した時には、既に笑う女の姿があった。

 

「んじゃ、始めよっか?」

 

 絶望の滲ませたフィリップとイーグが並び立つ前からティーヌが一歩引き、代わりに禿頭の巨漢が屋敷から現れた。イーグよりも縦横一回り大きいのに、ガチガチに引き締まった体躯だった。ティーヌのように得体の知れない恐ろしさは感じないものの、その見た目は十二分に恐ろしい。

 

「これはディンゴねー……こんなでもミスリル級冒険者らしいから、モッちゃんの目標にちょうど良いかなぁ、って、追加してもらったから」

「どうも、ミスリル級冒険者チーム『豪剣』で戦士やってます。ディンゴです」

 

 巨漢ディンゴは恐ろしく巨大な木剣を持っていた。小柄な女性ぐらいの大きさはあるだろう……あんなもので殴られたら、どうなってしまうのか?……フィリップは頭を抱えたくなったが、どうしても直立不動を崩せなかった。

 

「治癒のポーションは山程あるから、即死だけはさせないようにして、遠慮なくやっちゃってくれるかなぁー」

「うっす!」

 

 ディンゴが巨大な木剣を構える。

 

「ほいっ、イーグちんはさっさと下がる」

 

 イーグがテラスの前まで下がり、中庭の方に向き直った瞬間から、場の空気が一変する。

 

「はいっ、モッちゃんも構えないと死ぬよー」

 

 棒立ちしていたフィリップが剣に見立てた棒を構えた。

 震えが止まらない。

 

「んじゃ、やっちゃってくれるかなぁ」

 

 刹那、青眼に構えたディンゴの木剣がノーモーションで突き出された。

 フィリップは戸惑っていた……見える?……見えるな……案外、遅いぞ。

 不恰好ながらもバックステップでギリギリ木剣の軌道から逃げ切る。

 

「はっ、はは……見えるぞ、見える!」

 

 言った側から左の腿からとんでもない衝撃を受け、中庭の端まで吹っ飛ばされた。右肩が外れ、右腕は見たことのない方向に曲がり、左脚は激痛で全く動かない……だが激痛に耐えながらも冷静に自分の状態を分析できていた。

 

 ……やって、やれないことはない……気がするぞ……

 

 そう思った瞬間、フィリップの意識は暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

 都合10回ぶっ飛ばされ、その度に意識を失った。

 一太刀も入れるどころか、返せなかったが、何故か自信に満ちていた。

 少なくともディンゴという巨漢からはティーヌほど絶望的な差を感じなかった。このまま訓練を続ければ、ミスリル級の戦士ぐらいであれば追いつけるのではないか……そう感じ、拳を握り締めた。

 しかしフィリップの自信は儚かった。

 相手がディンゴからティーヌに代わった瞬間、昨晩の生き地獄と大して変わらない状況に突き落とされた。

 捨てる直前のボロ雑巾の方がまだマシ……とは同じくディンゴにボロボロにされたイーグのフィリップに対する感想だった。

 なにしろ動きが見えないのだ。

 なのに、瞼を閉じようものなら、容赦なく眼球を潰される。

 気が逸れようもなら、睾丸を潰される。

 動きが止まれば、耳なり鼻なりを削ぎ落とされる。

 気に入らなければ、歯を砕かれる。

 休憩直前には必ずどこかの骨を砕かれる。

 あまりの悲惨さに気を逸らしたイーグがディンゴの木剣の直撃を喰らい、意識を飛ばされたこともあった。

 

 2人の生き地獄は午前中いっぱい続いた。

 

 午後は再びトブの大森林へ。

 

 今日は多忙なエドストレームに代わり、冒険者チーム『豪剣』がバックアップだった。ディンゴの他にカドランという優男とシトリという名の年齢不詳な女が加わる……彼等の役目は昨日のエドストレームと一緒……フィリップの手に余るようなモンスターを狩り、比較的難度の低いモンスターを動けないように処理する。可能であれば抵抗もできないようにする。

 トドメを刺す係はあくまでフィリップであり、イーグも昨日同様フィリップの討ち漏らしを駆除し、遺骸を集めて、討伐証明部位を切り取る係だった。

 

 食事が喉を通るとどころか、食欲があった。ふかふかのパンに具沢山のスープを2杯も食した。それでも足りないぐらいだったが、昨日と違い、ティーヌに満腹にしないよう注意される。

 ティーヌに対する恐怖心こそ抜けないが、体力も飛躍的に上昇したような気がする。気力もある。不思議なものだが、これまでの訓練が無駄でないような気がしていたのだ。昨日までは戦闘訓練など貴族がやるべきようなことではないと思っていたのに、である。

 

 命を奪う訓練が始まった。

 

 本能に従い、逃げ込んでくるゴブリンの群……最初に迎撃する『豪剣』は3人いてもエドストレームより実力が劣るようで、ちょくちょく五体満足なゴブリンがフィリップの前までたどり着く……最初はビックリしたが、ティーヌから散々敵を見ることを強制され続けた結果からか、ボロボロの短剣を持つゴブリンが怯えているのが理解できた。その上、動きまで大雑把に予測できる。

 所作も型も理解してないフィリップは、ただ観察しながら剣を振った。

 ゴブリンの首から真っ赤な血が噴き上がり、断末魔が聞こえた。

 初めて自力で仕留めた獲物……フィリップはそのゴブリンの死骸だけは死体の山と違う方向に蹴り飛ばした。

 そのまま自主的に次々に剣を振り、ゴブリンの死骸を量産した。

 

「イーグ殿……少しやれるようになった気がするぞ!」

「モチャラス卿は昨日とは別人です……私の仕事がほとんどありません。私も少し前に出て構いませんか?」

「いや……『豪剣』に命じて、もう少しこちらに回してもらおう」

 

 『豪剣』にゴブリン5匹までそのまま通すように依頼した。

 オーダーされたまま『豪剣』は逃げ込むゴブリンをスルーするように動き始めた。5匹と言ったがそれ以上が雪崩れ込んでくることもある……しかしイーグと連携しながら問題なく処理していった。疲労感はあるものの、高揚感が打ち消してしまう。こんな経験は生涯初だった。

 

 モンスターが途切れた。

 充実感に浸りながら、水を飲み、干し肉を齧る。

 

「おんやー、少しはマトモな顔付きになったかなー?」

 

 振り向きたくないが、振り向くとティーヌがいた。

 瞬時に顔が強張る。

 

「……剣の手入れ、やっとくよーに……後半はイーグちんと一緒にオーガの相手してもらうよー」

 

 ティーヌが『豪剣』に手早く指示する。

 今度はオーガを含めてを行動不能にしてこちらに回す。

 とにかく殺さないで回す。

 バックアップにはゴブリン達を追い立て終えたティーヌ自らが回る。

 フィリップはオーガにトドメを刺す。

 イーグはゴブリンの掃討と討伐証明の切り取り。

 指示を言い終えるとティーヌは消えた。

 

 目視している中で消えたのだ……少し強くなった気になっていたフィリップは愕然とした……漠とした恐怖がチラリと真っ赤な舌ベロを見せた。

 

 まだ遠く、はるかに高い……恐怖に突き動かされ、フィリップはひたすら剣を振った。バックアップという名目で背後に立つ、笑うティーヌの姿の想像すると、いい気になっていた自分が恐ろしくなる。

 ティーヌは別格にしても……例えばディンゴのような兵士が居並ぶ戦場に突入して、鮮烈な戦果を挙げて生還するなど夢のまた夢だ。このままでは戦場で朽ち果てるしかない。カッツェ平野のアンデッドとなる未来しか見えない。王国が戦争準備を終えるまで……残り僅かな期間で少なくともティーヌがちょうど良いと言ったディンゴよりは強くならなければ話にならない。

 

 怖い……とにかく怖い。

 

 少しだけ戦えるようになった結果、フィリップは初めて自分の置かれた状況を明確に理解した。

 

 戦場まではあと少し……もはや理想を語ることで愚民を領導するなどという戯言を言っている場合ではなかった。

 




お読みいただきありがとうございます。


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26話 見込まれた者達

余裕があると気持ちに余裕もできます。
常にこう在りたいものです。


 

 その女が現れてから、屋敷内の秩序は一変していた。

 女の印象は「とにかく笑っている」だった。

 目にする限り……何があろうと……果たして怒ることなどあるのだろうか?

 しかし誰もが腫れ物に触るよう接していた。

 家人によれば「とにかく怖い」と言う。

 大袈裟な……当初はそうは感じていなかったイーグもやがて理解に至った。

 漠とした印象に過ぎなかったものが徐々に積み重なり……所作や視線や足の運び等々……やがて自分とは存在する次元が違うとの結論に至った。

 彼女は戦士だ……ほんの僅かであっても武人としての訓練を積んだ経験がイーグに気付かせた。即ちエドストレームを筆頭にこの屋敷に家人は全て戦闘訓練を積んでいるのだ。

 唯一、仮の主人を除いては。

 世間的なお約束など無視して構わないレベルの圧倒的な強者……それこそがこの屋敷の新たな頂点ことティーヌだ。

 それまでの実質的な頂点であったエドストレームは使い走りと化し、屋敷の所有者であるヒルマ・シュグネウスにしても遠慮がちに苦言を呈する以上のことはできなかった。

 真実を知らないのはフィリップのみ。

 イーグは強引に手を引かれ、中庭に連行されるフィリップの哀れな姿を眺めていた。

 

 憤慨するフィリップが立たされていた。

 笑うティーヌが中庭の中央に立っていた。

 見た目だけならば多少個性的であるものの十二分に美女だ。

 ニコニコと満面を笑みを浮かべ……右手に棒切れを2本握っている。

 

「えーっと、オモシロ貴族……名前、何だっけ?」

 

 半ば強引に中庭まで連れ込まれたのに、そう真正面から問われ、フィリップは内心さらに憤慨したものの、エドストレームと同じく下賤の愚かな女だろうから、いちいち無礼を指摘するのも大人気ないと自分に言い訳しつつ、素直に答えた。

 

「フィリップ・ディドン・リイル・モチャラスだ……モチャラス男爵、もしくはモチャラス卿と呼ぶことを許してやろう」

「ふーん……んじゃ、フィリちゃん……なんか呼びにくいなー……モッちゃんで良いかな?」

「貴様!……話を聞いていたのか?」

「じゃ、モッちゃん……これ持って」

 

 ティーヌはニコニコ笑いながら棒切れを突き出した。

 反射的に受け取ってしまい、フィリップは棒切れを手にして、何度もティーヌと棒切れを交互に見やった。

 

「じゃあ、準備はOK?」

「……何をするのだ?」

「何って、訓練だけど」

「何の訓練だ!」

「剣の訓練に決まってるでしょ……今度の戦争でモッちゃんを英雄にするんだから……短期間で単騎で大活躍できる程度にはするつもりだかねー……ちょこっと厳しいよ」

「待て!……待て待て、どういうことだ?……私は今回の戦争に関しては参戦義務が免除されたはずだ!」

「うーん、それ取り消しね……昨日、ヒルマに言っておいたから……モッちゃんがどうしても参戦して活躍したいから、って」

「はぁ?……何なのだ、それは!……聞いていないぞ!」

 

 フィリップは慌ててエドストレームを見た。

 屋敷のテラスで2人の様子を確認していたエドストレームが首を左右に振っていた……その行動では肯定の意味か否定の意味かは理解できなかったが、彼女の表情で嫌でも理解させられた。エドストレームの横でイーグまでもが絶望的な表情で顔を背けている。

 

「はい、状況は理解したかなー?……このままだと、モッちゃんはほぼ確実に戦死しちゃうんだよねー……だから訓練させるって決めたの」

「待て!……待って下さい!」

 

 フィリップは馬車で圧死寸前になっていた時の微かな記憶を呼び起こした。

 実力に訴えられては抵抗する術もないエドストレームが一方的にやり込められていたような……あの時、エドストレームの脚が僅かに震えていたような気がする……その時、この女は小窓から覗いていただけだ……

 

「……ちなみに質問があるんですが、よろしいでしょうか?」

「んじゃ、一つだけ質問に答えたら訓練開始ねー」

 

 ティーヌはケラケラと笑っていた……つい先程まで単なる陽気な女だと思っていたものが完全に異質なものへと変化していた。その瞳の奥に浮かんでいるのは愉悦……弱者を痛ぶることを楽しみにしている者の目だ。

 

「早く質問してくんないかなー……とりあえず今日中にそこらの衛兵程度なら互角に戦えるようにするつもりだからねー」

 

 ティーヌに気圧され、フィリップは2歩後退する。

 しかし距離は開かない。

 そのまま後退を続けたが、どうしても距離は開いてくれない。

 いかなる技なのか……ティーヌはただ立っているように見えるのに、フィリップが後退した距離を詰めるのだ。

 

「はーやーくー、質問しよーよー」

 

 逃げられない……早くも理解させられた。

 フィリップは立ち止まる。

 

「私は既に英雄だ。1000の兵を率い、王国秩序に対する叛徒を全滅させたのだ!……その英雄である私がいまさら訓練などできるか!」

「あー、それが質問でいいのかなー?」

「違う!」

「んじゃ、私の見解ね…………ゼロの鍛えた金級冒険者と同等以上の連中を引き連れて、道案内しただけだろ?……英雄ナメてんのか、テメー」

 

 笑顔そのものが異形だった……恐ろしく……震えが止まらない。

 

「……解った……理解した……お前の言う通り……私は英雄じゃない!……訓練も必要だ!……だから……だから!」

 

 その先がどうしても言葉にできない……この笑う女の意志に反した発言だった場合、自分がどうなってしまうのか……漠とした恐怖が言葉を飲み込ませてしまう。

 フィリップが人生で経験したことのない大量の発汗……最高級の仕立ての服であっても肌に張り付いて煩わしい。こんなことは借金に追われ、取り立てが嫌になり逃亡した際に、シュグネウス商会の差し向けた荒くれ者達に囲まれた時にもなかった。多少は小突かれたが、大人しく従えば連中は言葉や態度で脅すだけだった……本音を言えば、自分を放逐した父や家族に縋ればなんとかなると思っていたのだ……結果的にはどうにもならず、全ての血族が死んでしまったが……まあ、そのお陰で本来貴族に相応しい自分が男爵位を得たのだから、問題はない。

 しかし目の前の笑う女……ティーヌは違う。

 従うまで殴られるだろう。

 従うまで自己を否定されるだろう。

 従うまで尊厳をズタズタに引き裂かれるだろう。

 三日月のような目の奥に浮かぶ光で理解させられるのだ。

 

 立ち尽くすフィリップの心情に一切の躊躇いなくティーヌは続けた。

 

「んじゃ、早く質問して」

 

 フィリップには質問を無理矢理吐き出すしか選択肢が無かった。

 

「……お前は何者だ?……いかなる権限があって、王国貴族である私に訓練を施すのだ?」

「質問、2つになってるけど……まっ、いっか……まずひとつ目、私はティーヌ。んで、ふたつ目は私の役目……回答しゅーりょー……ちなみにサービスで言うと、私は貴族なんて言う馬鹿げた存在は否定されるところで育ったから、モッちゃんを持ち上げてやる気はさらさら無いからねー」

 

 その回答がもたらしたの絶望……気付けば、ティーヌがさらに距離を詰めていた。

 

「ほいっ、打ち込んでくる!」

 

 動きが見えない……が、何をされたかは理解させられた。

 棒切れで強か肩を打たれ、フィリップはよろめいた。

 打たれた肩を庇い、あまりの痛みに苦悶の声を上げるが、今度は首筋を打たれて転げ回る。どれだけ逃げても次に左腕……そして右腿と千切れるような痛みに逃げることも叶わず、ひたすら絶叫するだけだった。

 

「痛い!……痛い!」

「この程度で痛いとか……切られるか、刺されるかすりゃ、痛いどころじゃ済まないよー……後でポーションぶっかけてやるから、心配ごむよー」

 

 あまりに連続する痛みに気絶も許されない。

 

「痛みに耐えるのも訓練……隙を突いて、反撃する!」

 

 フィリップはそれどころでなく、意識が飛ぶように祈るほどだったが、酷使した喉の焼けるような痛みに悲鳴も出なくなりつつあった。

 

「私に反撃するまで打ち込むからねー」

 

 ティーヌの言葉に僅かにやる気が生まれるが、それもあっさりとかき消された。目に付く限り、全身が真っ赤に腫れ上がっている。服の下も酷い有様なのだろう……人生で最悪の瞬間が次々と更新されていく。

 

 目が開けられない。

 前に向かって棒を振れば終わるのに……どうしても痛みに耐えられない。

 もう声も出ない。

 そもそも立ち上がれない。

 怖い……怖い……怖い……訓練なのに……戦場に連れ出されたら……

 

「反撃できないねー……んじゃ、とりあえず骨の一本も逝っときますか!」

 

 右腕にこれまでにない激痛……文字通り血を吐く絶叫。

 

 フィリップの意識は暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

 何でこんなことになったのか……?

 

 焚火を囲みながら、周囲の鬱蒼とした巨木群を見上げる。

 右手では完全武装のイーグがスープを啜っている。

 左手ではエドストレームが干し肉を噛み千切っていた。イーグよりは軽装であるものの、剣帯の6本の三日月刀が物騒な輝きを見せている。

 そして正面……今や真っ直ぐに見るのも辛い存在が街中と同じような格好でニコニコと笑いながら、恐怖の対象でしかない棒切れを振っていた。その度に近寄ってくる羽虫を打ち落としているらしく、もはや理解不能なレベルで恐怖が増幅してくる。

 

 最初に意識が飛んでから、都合24回……骨を折られ、その度に意識が飛んでいた。ポーションで治療され、頬を張られ、棒を握って立ち上がるように命じられる。貴族であるフィリップがどんなに頼んでも、銀髪の下賤の女はケラケラと笑い続けるのだ。

 開き直り、痛みに耐えてティーヌ相手に、ふらふらと棒を振るまで午前中の全てを費やした。そして全身漏れなく骨折を経験した。

 痛みに耐える……これができなければ、専業兵士のみで構成される帝国軍の真っ只中に切り込むなど不可能……英雄の領域とやらは理解できないが、少なくとも民衆に英雄と認識させるには必要不可欠……それ以外の思考は全てティーヌの棒切れに否定されるのだった。

 本音を言えば、王都の邸宅で酒を飲みつつ、理想的な未来を語ることによって愚かな民衆を領導したいのだ。それこそが将来のフィリップの姿だ。剣の研鑽など貴族てある自分がやるべきことではない。戦場で死ぬのはマヌケな貴族か、徴兵された兵士であるべきだ。少なくとも自分はそのどちらでもない……のに……

 

 野蛮な戦闘訓練など、誰が好んでやるものかっ!

 

 だが、現実にここにいた。

 ここはトブの大森林の中らしい……モンスターが跋扈する恐ろしい場所と聞いていたが……ここで自身の手で命を奪う訓練をすると言う。

 ティーヌに先行して屋敷に常駐していた、とても魔法詠唱者には見えないバティンと名乗る大男が『転移門』という魔法を行使した結果、ティーヌに追い立てられるようにここにやって来たのだ。理解不能な技であり、やたらと愛想の良い巨体の魔法詠唱者という存在も恐ろしいが……やはり全ての元凶はあの女の意向に沿って周囲が動いているという事実だった。屋敷の所有者であり、フィリップのパトロンでもあるヒルマ・シュグネウスまでティーヌに逆らえない、となると現在のフィリップでは対抗策が無いに等しい。

 

 持ち慣れない剣を握る手が汗ばんでいた。

 辛うじて水は喉を通るものの、それ以外は胃が受け付けてくれなかった。

 背中を冷や汗が流れ続けている。

 妙に客観的な自分が煩わしい。

 そして周囲の誰もが……

 

「モッちゃんさー、顔色悪いけど大丈夫?」

 

 元凶が暢気に言った。

 

「だっ、大丈夫です!……元気いっぱい!……訓練はまだですか?」

 

 心の中でどれだけティーヌを罵っても、口から吐き出される言葉は卑屈さに満ち満ちていた。

 

「んー、みんな食べ終わったら開始ねー……だからモッちゃんも早いところ食べようねー」

 

 言われるがまま、無理矢理口の中に干し肉とパンを突っ込んだ。

 この屈辱は忘れない……そう思っても身体はティーヌの言葉に逆らうことなどできなかった。もうフィリップの意思など関係ない。ティーヌの言葉に従うことが全てに優先される。

 水で強引に嚥下しつつ、割り当てられた分のスープを飲み込む。

 

 ティーヌはフィリップの食器が完全に空いたのを確認した。

 するとニコニコ笑い始めた。

 そのまま訓練手順の説明が開始される。

 まずティーヌが森に入り、中のモンスターをここに追い立てる。

 エドストレームはモンスターの命を削る役……完全までは望まないが、可能な限り瀕死のモンスターをフィリップに回すこと。

 イーグはフィリップは撃ち漏らしたモンスターを殲滅する。

 基本的にトドメを刺すのはフィリップ。

 とにかくこの順序を守れ、と言う。

 

「んじゃ、いっきますよー」

 

 焚火に土を掛け、火種を落とすとティーヌは森の中へと消えた。

 疾風走破。

 その姿は手練れの戦士であり、異能とも呼べる空間把握能力を持つエドストレームにも視認できなかった。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 酒とバンザイ三唱の嵐が吹き荒れた祝賀会が終了し、世間的には時刻は早朝を迎えたようです。

 とりあえず『守護者』とか言う拠点防衛用NPC代表を交えたナザリック地下大墳墓見学ツアーに参加して、なんちゃってギルメンですが、可能な限り内部の構造を頭に叩き込みます。ナザリック内部での移動は『リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』頼みらしいですが、外からの転移は一度偽ナザリックに転移してからの再転移となるようです。

 ……面倒臭っ!

 先導するアインズさんの第一妃候補筆頭のアルベドと対抗馬として野心を燃やすシャルティア・ブラッドフォールンの美女2人による掛け合い漫才を眺めながら、俺の横で熱心に施設を説明するアインズさんのモノを失った事実に少し同情していた。

 あの非公式ラスボスと呼ばれたアインズさんが、説明を終える度にいちいち褒めて欲しそうに反応を探ってくるのが面白い上に凄くカワイイ……期待に応えて絶賛すると、そりゃー、もうウキウキなのが丸分かりなんですよ。

 

 第一階層から徐々に下る。

 最初に出会ったのはハムスケ&リザードマンズwithデスナイト。

 次に巨大ゴキさんの恐怖公に恭しく挨拶されて、大笑いした。なにしろリアルの俺はアーコロジーの極めて清潔に保たれた範囲でしか生活していなかった為、ゴキさん自体が初見だった……だから恐怖公ぐらい巨大であれば特に嫌悪感もない。ユグドラシルの蟲系種族であればもっと見た目がグロいのは沢山いたしね。さすがに彼の眷属がウジャウジャしている中は遠慮するけど……

 その後はシャルティアの棲家というか、住居でヴァンパイア・ブライド軍団に挨拶された。

 第四階層で攻城用ゴーレム『ガルガンチュア』を見学する。

 第五階層はコキュートスという武人蟲王に案内され、アルベドの姉ニグレドがいるという氷結牢獄の凝ったギミックを楽しんだ。他にも拷問官のブレインイーターがいるらしいけど……アルベド&シャルティアとソリが合わないらしいので後日再訪予定だそうです。

 第六階層では闘技場にマーレきゅんの双子の姉であるアウラちゃんの使役する魔獣軍団の挨拶を受ける……アウラちゃんが言うには密林の奥にも恐怖公と同じ領域守護者なる存在がいるらしいけど、かなりエグい上に気軽に動けないので、また改めて、だそうです。

 第七階層は炎熱地獄であり、逆に挨拶の為に移動可能な者は闘技場まで出張してくれました。デミウルゴスは残念がっていましたけど……まあ、魔神とはいえ、元人間なので、ノーダメなのは解っていても灼熱レベルで熱いのは得意ではありません。

 第八階層は例のアソコなので、階層守護者のヴィクティムだけがデミウルゴスに抱えられて、闘技場にやってきました。

 第六階層から第九階層へ。

 セバスさんと再会し、お互いにちょっと照れ臭くなりました。彼の横にはツアレニーニャ・ベイロン嬢がメイド姿で立っています。軽く会釈すると満面の笑顔で返され……元気になって良かった、としみじみと感じ入るものがありました……そう言えば子供はどうしたのか?……セバスさんに寄り添う健気な姿を見ると余計な事は言うべきではないと悟り、沈黙することに決めました。

 ツギハギ犬の爆乳メイド長に率いられたメイド軍団。

 ペンギンと覆面男集団。

 料理長と副料理長。

 最後に戦闘メイド「プレアデス」と挨拶が続きます。その中に爆乳メガネメイドことユリ・アルファの姿を発見しましたが、彼女は極めて礼儀正しく挨拶してくれました。次いで蟲メイドことエントマ・ヴァシリッサ・ゼータの姿も見かけ、追い討ちをかけるように帝都で俺と追跡戦を繰り広げた2人組のルプスレギナ・ベータとソリュシャン・イプシロンも発見しました。ティーヌを拐った2人組ですが、まあ礼儀正しいので忘れてあげましょう。

 他の2人は初見です。

 無表情系美少女がシズ・デルタ。

 クール系美女がナーベラル・ガンマ。

 そうアインズさんが紹介してくれました。

 彼女達以外にもオーレオール・オメガという末妹がいるそうですが、その子は特殊な任務を負っている為、挨拶には来れないとのことでした。

 

「あー、そうだ……ゼブルさん達も冒険者登録されているですよね?……このナーベラル・ガンマこそがアダマンタイト級冒険者チーム『漆黒』のモモンの相方である『美姫』ナーベの正体なんですよ……今度、一緒に依頼を受けませんか?」

「えーっと、俺達は銅級な上に評判最悪だと思いますよ」

「……『3人組』でしたっけ?」

「そう呼ばれているみたいですね……王都でも決して評判が良いわけじゃないみたいです……冒険者の仕事を奪った黒幕、みたいな……?」

 

 正当な評価じゃない、とアインズさんは憤慨していましたが、『漆黒』と同じアダマンタイト級の青薔薇の評価ですからね……配下に加えたエ・ランテルの『豪剣』に告白させた評価も酷いものだったし……

 

「まあ、竜王国が落ち着いて、王国の事業計画が軌道に乗ったら……その後にでも考えましょうよ」

「……そうですね……残念ですけど、事業も大切ですよね」

「いや、事業についてはむしろアインズさんがノリノリだったでしょ?」

「だって、絶対に上手くいくと思うんですよ……竜王国での実験結果も申し分ないものでしたし……アンデッドのレンタル事業」

 

 そこでアインズさんに嬉しいニュースをひとつ。

 

「とりあえず竜王国は東方地域で試すみたいですよ……法国の存在が鬱陶しいけど、何もせずに捨てるにはあまりに魅力的なんで……法国から一番遠い東方で試験運用するみたいですね……あくまで徐々に、ですけど、アインズさんによろしく伝えてくれ、と女王陛下と宰相閣下から言伝を預かってますよ」

「ほっ、本当ですか?」

「ええ、勝手してすまないとは思いますけど、既に俺のところから監督用のエルダーリッチ込みで1ユニットだけ回してます」

「マジですか?……上手く行けば……夢が広がるなぁ……」

 

 アインズさんの眼窩の炎が燃え上がっていた。

 

 その様を見て、守護者達はとにかく絶賛しています。

 

 ……あー、これが例の……

 

 ナザリックの病巣をこの目で確認しました。

 こりゃー、たしかに重症だ。

 半分以上は理解すらしていないで、ひたすらアインズさんの計画した何かが上手く行ったとの情報だけで褒めちぎっている。

 

「さて、動ける者は一通り挨拶を終えたから……今度はナザリックで支援している村に行きませんか?」

 

 一定の成果に満足したのか、アインズさんが誘ってきました。

 

 ……おんやー、誰か忘れているような?

 

「えーっと、モモンガさんじゃなくてアインズさん……大切なNPCの紹介をお忘れのようですが?」

 

 アインズさんが一瞬固まり、緑に発光しました。

 

 ……精神沈静化のエフェクトね。つまり動揺したわけだ。

 

「アッ、アレは特殊な場所の領域守護者なんで……そうだ!……簡単には行けないんですよ。今度……次回は呼び出しておきますから……次回、次回にしましょう!……楽しみは次回で!……ねっ?」

 

 あまりにアインズさんが必死なので、素直に頷きました。

 気になるのは気になりますが、お楽しみはとっておきましょう。

 

「じゃ、また次回で」

「はい、次回で……とりあえずナザリックが支援する村……カルネ村って言うんですけど……そこに行きましょう!」

 

 そこで守護者達とは別れ、担当しているというルプスレギナ・ベータだけが同行することになった。

 

 アインズさんが『転移門』を開き、俺達はその中に進んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 嫉妬マスク……何やら懐かしいアイテムです。

 そして、ごっついガントレットにいつもの格好。

 

 俺からするとアンバランスこの上ないこの装備こそがカルネ村におけるアインズさんのオーソドックスな姿だと聞きました。

 どうやらカルネ村ではアインズさんは正体を明かしていないらしく、俺も慌てて『人化』します。

 

「これはゴウン様」

 

 すれ違う村人達は丁寧に頭を下げてくれます。

 アインズさんはいちいち鷹揚に頷きながら、ここ最近で村長になったというエンリ・エモットなる人物を探し歩いていました。

 

 人々の雰囲気は長閑そのもの。

 皆素朴な人柄で、アインズさんに絶大な信頼を寄せているのが判ります。

 しかし村そのものは裕福でないのは明らかです。

 そしてかなり高い木製の城壁もどきに囲まれていました。

 見張り台も完備……外敵でもいるのか?

 その辺りの疑問をアインズさんにぶつけると、アインズさんが支援する切っ掛け自体が法国による襲撃だったと答えてくれました。

 さらに村の近く広がるトブの大森林で、結果的にモンスターを排除していた『森の賢王』ことハムスケをアインズさんが使役した為、危険に晒される可能性が高まったらしい……

 

 うーん……なんか中途半端じゃネ?

 

「アインズさん……ここも強靭化しませんか?」

 

 単なる思い付きですけど、フィリップの領地なんぞを徹底強化したんですから……アインズさんが自ら庇護するカルネ村を強靭化するのは不自然どころか至極当然だと思うんですが……

 

「彼等には対価を支払う余裕がありませんよ、ゼブルさん」

「対価って必要ですかね?……もし必要ならば俺が支払っても良いですけど……そーゆーことじゃないんですよね?」

「ナザリックの財を使うのならば……いや、そんなことは理解した上での提案ですよね?」

「今後もカルネ村をアインズさんが庇護するつもりなら、多少強引にでも発展させた方が今以上に役立つと思うんですけど……違いますか?」

 

 アインズさんは立ち止まり、仮面の顎部分にガントレットを当てた。そのまま考え込むように首を傾げる。

 

「ふむ……そういう考えもありますね……さすがはゼブルさんだ」

「自分の……アインズ・ウール・ゴウンの勢力圏下は発展させましょうよ。豊かな土地に裕福な人々……それらに加えて、厳格かつ公平な裁判と税制だったかな……全部『バンバン』さんの受け売りですけど……その方針であれば、たとえアインズさんが世界を支配せざる得なくなったとしても平和なもんだと思いますよ。人間、豊かさを与え、公正を担保してくれる存在に対しては従順なもんです……まあ、俺が実証実験しているのは力の信奉者である亜人のビーストマンですから、それに強さと恐怖ってものが加わりますけど」

「……多少散財しても、後々の収入増を狙え、と」

「モチャラス男爵領のような大袈裟なものじゃなくても良いと思うんですよ。ただアンデッドの屋外耕作作業の実験場としても有効です。なにしろアインズさんが村の恩人かつ偉大な魔法詠唱者なんて立場でものが言える場所って、カルネ村だけなんじゃないんですか?」

「たしかに……その通りです」

「だったら、アインズさんの立場を最大限に利用してしまえば良いんです。偉大な魔法詠唱者といえどアンデッドの実験場を提供してくれる可能性がある村なんて、他には絶対にありませんから……」

「……なるほど」

「カルネ村も安全を確保した上に潤って、win-winだと思うんですよね……結果的にアインズさんの発言力も強化されるでしょ?……どの道、ここを庇護し続けるつもりなら、発言力は重要なファクターですよ」

「そうですよね!……いやー、さすがゼブルさんだ!……でもカルネ村って直轄領の中らしいんですよ。王国の連中に狙われたりしないですかね?」

「辺境の村ひとつに、いきなり攻城兵器持ち出すようなバカが相手じゃない限り、俺のところの王都の政治工作でなんとでもなるような気はしますが、確証はありませんね……国王もしくは直系の王族が怒り狂って出張ってくると、村の戦力だけじゃ遅滞戦闘による戦線維持も厳しいと思います。そうでなくとも経済封鎖されると村だけじゃ厳しいかなぁ……まあ、そうならないようにするのが俺達の腕の見せ所ですけどね……とにかく村を経済的に発展させるのはアインズ・ウール・ゴウンにとっても基本的にメリットしかありません。特に帝国との戦争で特需が見込めるんですから……穀物以外でも軍需関連はマーレきゅんを使ってなんでもやってみることです。大量生産すれば、収穫作業の為にアンデッド導入の機運も高まりますよ」

「……つまり王国に攻め込まれても当面戦線を維持することが可能であれば、何の問題も生じないわけですね?」

「王都の貴族達にカルネ村侵攻反対の機運を高める工作程度であれば、既に浸透している俺の配下だけでも十二分に可能でしょう。国王に対する影響力工作となるとそれなりに時間は必要になるでしょうけど……もちろん決めるのはアインズさんなんで、無理にとは言いませんけど」

 

 アインズさんは考え込んだ……が、それも一瞬……俺を見た時には眼窩の炎が赤く燃え上がっていた。

 

「……やりましょう!……まず、どうすれば?」

「村の責任者もしくはご意見番の長老格みたいな人物に話を通して、村内の有力者だけが集まるように仕向けて下さい」

「有力者だけ?……全員、でなく」

「全員の意見をまとめている時間も惜しいんです……平時に話し合いなんてさせると意見が割れますから……それに8割以上の人間は多数派の意見に流されます。一見、その方が無難に思えますからね……つまり多数派を形成する為には影響力や発言力のある者達の中で過半数を確保すれば問題が生じ難いし、簡単です。ほとんどの一般人はリスクを負ってまで成功なんて望んでません。失敗して脱落するのを恐れるんです……リアルで習いませんでしか?」

「……どこかで聞いたような、聞いたことがないような?」

「んじゃ、とりあえずカルネ村で実験して見ましょうよ……まあ、俺達とすれ違う村人達の反応から推察すると、ここではアインズさんの発言力は俺の想定以上の可能性もかなり高いと思います。だから鶴の一声的に即決する可能性もありますよ」

 

 アインズさんは力強く頷き、新村長エンリ・エモットがいるという村外れの倉庫兼作業場に急いだ。

 

「あちらです、アインズ様」

 

 先導するルプスレギナが目的の小屋を指し示す。

 見れば小屋の前にはそれなりの人数がいた。

 人間の大人に子供……とゴブリンが多数……ゴブリン?

 ユグドラシル時代でもなかなか見かけない異様な光景だが、皆和気藹々と作業に精を出しているようだ。

 

「……あのゴブリン達は?」

「ご説明いたします、ゼブル様」

 

 褐色メイドのルプスレギナが恭しく首部を垂れた。

 あの中の大多数はアインズさんが与えた『小鬼将軍の角笛』でエンリ・エモットが召喚したらしい……まあ、召喚ゴブリンならば人間の子供と一緒にいるのは理解できる……加えてアインズさんがハムスケを使役した結果、ハムスケのテリトリーが空白化したことにより、『東の巨人』と『西の魔蛇』と呼ばれる他の有力モンスターが勢力拡大を狙って動き始めた。彼等に追い立てられたトブの大森林産のホブゴブリンやゴブリンも少しいるらしい。さらに今は姿が見えないがオーガ5匹もカルネ村で労働に従事していると言う。

 

「……なるほどねぇ……エンリ・エモットはなかなかの人物らしい」

「そう思いますか?……俺としてはエ・ランテルの重要人物ンフィーレア・バレアレを繋ぎ止める為の駒として保護対象にしていたんですけど……」

「いや、低レベルばかりとはいえ、大して教育も受けていないように思える現地産の人間が多種族共生を実現しているのは凄いことじゃないですか?……しかも肉食で野蛮な亜人種相手に、ですよ……召喚ゴブリンの武力で統制しているようにも見えないし……」

「そういうものですか?……やっぱりナザリック外の感覚を持っている人と話すと新鮮な意見が聞けますね……本当にゼブルさんに加入してもらって良かったなぁ……」

 

 急に雰囲気を出し始めたアインズさん。

 遠くから「あっ、ゴウン様だ!」と声が掛かる。

 見ればまだ幼女と言っても良いような少女が走ってくる。

 エンリ・エモットの妹であるネム・エモットだと紹介された。

 

「えっと……エンリ・エモットって、まだ若いんですか?」

「まだ16〜17歳ぐらいじゃないかなかなぁ?」

「その年で村長で、その上異種族も率いているって凄いですよ、やっぱり!」

「前村長が一足飛びにエンリを説得して村長を任せたみたいなんで……やっぱり凄い人材なんですかね?」

「リアルでアインズさんが16〜17歳の頃、できるできないは別にして、他に大人がいるのに、村長やれ、と言われて、やろうと思えましたか?」

「……リアルどころか、今でも可能ならやりたくないですよ」

「俺も同じです……じゃ、エンリ・エモットは凄い、で間違いないですよ。ユグドラシル由来の能力を取り除けば、少なくとも俺達よりは優れた人物です」

「……なるほど」

「その凄い人物に、もっと凄くなってもらいましょう……とりあえず自前の戦力労働力強化で『小鬼将軍の角笛』をガンガン使わせましょうよ。召喚ゴブリンが消えないのも都合が良いし、俺も2個ぐらいは持ってますし……」

「それならナザリックに山のように余ってますから、こちらで供出しますよ」

 

 そう答えながら、アインズさんは飛び付いてきたネム・エモットを抱き止めた。幼い子供に絶対的に信頼され、慕われていた。アインズさんもネム・エモットを気に入っているようで、まるで親戚の叔父さんだった。

 ネム・エモットに遅れてゴブリン軍団を引き連れた、少女時代を卒業したてぐらいに見える女性が走り寄ってきていた。

 

 ……あれがエンリ・エモットか……?

 

 少し日に焼けた肌が健康的な可愛らしさを強調していた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 意識が朦朧とする中、重い肩と痛む腕を振り上げる。

 最初の1匹目であったゴブリンの首に剣を突き刺してから、通算何匹目なのか?……もはや背後に積み上げられ死骸の山を数えなければ、正確な数など判らない。内、半分以上はフィリップがトドメを刺したような気がする。

 恐ろしくて、恐ろしくて、どうしようもなく震えていた自分の心が嘘のように摩耗し、何も感じなくなっていた。

 吐き気もしなくなった。

 血の臭いにも慣れた。

 ひたすら疲労に耐えながら、地面に転がる瀕死のモンスターに剣を突き立て続けた。

 嫌気よりもティーヌに対する恐怖が身体を突き動かしたのだ。

 絶命を確認するとイーグが死骸を蹴り転がし、一ヶ所に集める。

 耳を切り取っているのは討伐証明の為らしい。

 これからしばらくの間……あの女が認めるまでは……この討伐証明を冒険者ギルドに提出することによって支給された金額で、イーグと2人で生活しろと言われているのだ。疲労困憊のフィリップにそんな余裕はなく、イーグが必死になるのも無理はなかった。

 

 また巨木の間の低木が音を立てた。

 いい加減にしてくれ!……そう思う間もなく、ゴブリンとオーガの集団が現れた。フィリップの手に余るオーガ3匹はエドストレームが飛ばす三日月刀によってあっという間に絶命した。そのまま三日月刀は宙を舞い、10匹を超えるゴブリンの脚の腱を次々に断ち切り、武器を持つ方の腕を斬り落とす。

 瞬時に無力化され、絶叫する12匹のゴブリンの首を狙って、フィリップは何度も何度も切先を突き刺した。これまでの経験によって、心臓や頭部よりも首を狙った方が楽だと学習していた。

 そして最後のゴブリンが絶命を確認した瞬間、フィリップはのし掛かる疲労感に耐え切れず、その場に座り込んでしまった。

 

「……今ので何匹だ、イーグ殿……」

 

 肩で荒い息をしながら、フィリップは死骸の山から耳を切り取るイーグに声を掛けた。

 

「モチャラス卿がトドメを刺したゴブリンは全部で52匹です……その他にエドストレーム殿がオーガ13匹とバーゲスト6匹です。私はゴブリンを18匹といったところですね……最初の頃と違って、後半はほとんど討ち漏らしが無くなっていましたよ」

 

 フィリップは大きく息を吐いた。

 

「2人でゴブリン70匹か……いくらぐらいになるのだろうな?」

「私も冒険者ギルドの仕組みはよくわかりませんが、食事をして宿で寝るぐらいはできるのではないですか?」

「だと、良いがな」

 

 達成感に浸りながらフィリップが剣を支えに立ち上がると、目の前に恐怖の笑顔があった。手の届く距離まで接近されたのに気配すら感じなかった……その事実に思わず立ち竦む。

 

「うーん、まだまだかなぁー?」

 

 耳を疑う言葉に絶望する。

 

「まあ、でも迎えの時間だからねー……後は屋敷に帰ってから、復習でもしよっか、モッちゃん?」

 

 ホッとした瞬間、更なる地獄に突き落とされた……あの絶望的な拷問を受けるぐらいならば、ここに居残る方がはるかにマシだ。

 

「……待って下さい……可能でしたら……」

「もしかして、ちょっと強くなった気になっちゃったかなー?……夜の大森林に1人で残るとか、死にたい?」

 

 夜のトブの大森林……モチャラス領の浅い雑木林とはわけが違うのは既に理解していた。レンジャーでないどころか、森の知識も無いのに居残るのはほとんど自殺に近い行為なのは子供でも知っている。

 それでもティーヌに立ち向かう訓練は嫌なのだ。

 少し思い返すだけでも震えが止まらない。

 

 唐突に『転移門』が開いた。

 

 逡巡する間も無く、フィリップはティーヌの棒に小突かれ、その中に吸い込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 貴族位に在る者が冒険者ギルドに訪れるだけでも珍事なのに、大量の討伐証明部位を持ち込んだ事が冒険者達の安酒の肴になった翌日、早朝からフィリップはイーグを引き連れて自分の屋敷へ出頭した。

 もはやフィリップの屋敷でなく、ティーヌによる訓練場であり、足取りは鉛のように重かったが、逃げることはできなかった。逃亡して捕まったらどうなってしまうのか……骨の1〜2本で済まないことは確かだった。昨日、屋敷に戻った後の訓練を想像するだけでも嘔吐感が止まらない……あれこそ生き地獄だ、とフィリップは確信していた。

 瞬きを禁じられ、眼球を潰されこと12回。

 棒切れで耳を削ぎ落とされること4回。

 口腔内に棒を突き込まれ、前歯を全て失ったこともあった。

 心停止2回……ポーションをぶっかけられると同時に蹴り起こされたが。

 睾丸を潰されたこともあった。

 骨折は数知れず。

 トラウマで逃げ出したいのに、そうする勇気の欠片すら持ち得ない。

 なのに、痛みに対する耐性だけは確実に上昇している実感があった。

 ティーヌ曰く、気配を読むなんて技は付け焼き刃じゃ不可能なんだから「とにかく目で追え」と。

 

 フィリップ達は出迎えるつもりでかなり早く出発したつもりだったのだが、屋敷の中庭に到着した時には、既に笑う女の姿があった。

 

「んじゃ、始めよっか?」

 

 絶望の滲ませたフィリップとイーグが並び立つ前からティーヌが一歩引き、代わりに禿頭の巨漢が屋敷から現れた。イーグよりも縦横一回り大きいのに、ガチガチに引き締まった体躯だった。ティーヌのように得体の知れない恐ろしさは感じないものの、その見た目は十二分に恐ろしい。

 

「これはディンゴねー……こんなでもミスリル級冒険者らしいから、モッちゃんの目標にちょうど良いかなぁ、って、追加してもらったから」

「どうも、ミスリル級冒険者チーム『豪剣』で戦士やってます。ディンゴです」

 

 巨漢ディンゴは恐ろしく巨大な木剣を持っていた。小柄な女性ぐらいの大きさはあるだろう……あんなもので殴られたら、どうなってしまうのか?……フィリップは頭を抱えたくなったが、どうしても直立不動を崩せなかった。

 

「治癒のポーションは山程あるから、即死だけはさせないようにして、遠慮なくやっちゃってくれるかなぁー」

「うっす!」

 

 ディンゴが巨大な木剣を構える。

 

「ほいっ、イーグちんはさっさと下がる」

 

 イーグがテラスの前まで下がり、中庭の方に向き直った瞬間から、場の空気が一変する。

 

「はいっ、モッちゃんも構えないと死ぬよー」

 

 棒立ちしていたフィリップが剣に見立てた棒を構えた。

 震えが止まらない。

 

「んじゃ、やっちゃってくれるかなぁ」

 

 刹那、青眼に構えたディンゴの木剣がノーモーションで突き出された。

 フィリップは戸惑っていた……見える?……見えるな……案外、遅いぞ。

 不恰好ながらもバックステップでギリギリ木剣の軌道から逃げ切る。

 

「はっ、はは……見えるぞ、見える!」

 

 言った側から左の腿からとんでもない衝撃を受け、中庭の端まで吹っ飛ばされた。右肩が外れ、右腕は見たことのない方向に曲がり、左脚は激痛で全く動かない……だが激痛に耐えながらも冷静に自分の状態を分析できていた。

 

 ……やって、やれないことはない……気がするぞ……

 

 そう思った瞬間、フィリップの意識は暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

 都合10回ぶっ飛ばされ、その度に意識を失った。

 一太刀も入れるどころか、返せなかったが、何故か自信に満ちていた。

 少なくともディンゴという巨漢からはティーヌほど絶望的な差を感じなかった。このまま訓練を続ければ、ミスリル級の戦士ぐらいであれば追いつけるのではないか……そう感じ、拳を握り締めた。

 しかしフィリップの自信は儚かった。

 相手がディンゴからティーヌに代わった瞬間、昨晩の生き地獄と大して変わらない状況に突き落とされた。

 捨てる直前のボロ雑巾の方がまだマシ……とは同じくディンゴにボロボロにされたイーグのフィリップに対する感想だった。

 なにしろ動きが見えないのだ。

 なのに、瞼を閉じようものなら、容赦なく眼球を潰される。

 気が逸れようもなら、睾丸を潰される。

 動きが止まれば、耳なり鼻なりを削ぎ落とされる。

 気に入らなければ、歯を砕かれる。

 休憩直前には必ずどこかの骨を砕かれる。

 あまりの悲惨さに気を逸らしたイーグがディンゴの木剣の直撃を喰らい、意識を飛ばされたこともあった。

 

 2人の生き地獄は午前中いっぱい続いた。

 

 午後は再びトブの大森林へ。

 

 今日は多忙なエドストレームに代わり、冒険者チーム『豪剣』がバックアップだった。ディンゴの他にカドランという優男とシトリという名の年齢不詳な女が加わる……彼等の役目は昨日のエドストレームと一緒……フィリップの手に余るようなモンスターを狩り、比較的難度の低いモンスターを動けないように処理する。可能であれば抵抗もできないようにする。

 トドメを刺す係はあくまでフィリップであり、イーグも昨日同様フィリップの討ち漏らしを駆除し、遺骸を集めて、討伐証明部位を切り取る係だった。

 

 食事が喉を通るとどころか、食欲があった。ふかふかのパンに具沢山のスープを2杯も食した。それでも足りないぐらいだったが、昨日と違い、ティーヌに満腹にしないよう注意される。

 ティーヌに対する恐怖心こそ抜けないが、体力も飛躍的に上昇したような気がする。気力もある。不思議なものだが、これまでの訓練が無駄でないような気がしていたのだ。昨日までは戦闘訓練など貴族がやるべきようなことではないと思っていたのに、である。

 

 命を奪う訓練が始まった。

 

 本能に従い、逃げ込んでくるゴブリンの群……最初に迎撃する『豪剣』は3人いてもエドストレームより実力が劣るようで、ちょくちょく五体満足なゴブリンがフィリップの前までたどり着く……最初はビックリしたが、ティーヌから散々敵を見ることを強制され続けた結果からか、ボロボロの短剣を持つゴブリンが怯えているのが理解できた。その上、動きまで大雑把に予測できる。

 所作も型も理解してないフィリップは、ただ観察しながら剣を振った。

 ゴブリンの首から真っ赤な血が噴き上がり、断末魔が聞こえた。

 初めて自力で仕留めた獲物……フィリップはそのゴブリンの死骸だけは死体の山と違う方向に蹴り飛ばした。

 そのまま自主的に次々に剣を振り、ゴブリンの死骸を量産した。

 

「イーグ殿……少しやれるようになった気がするぞ!」

「モチャラス卿は昨日とは別人です……私の仕事がほとんどありません。私も少し前に出て構いませんか?」

「いや……『豪剣』に命じて、もう少しこちらに回してもらおう」

 

 『豪剣』にゴブリン5匹までそのまま通すように依頼した。

 オーダーされたまま『豪剣』は逃げ込むゴブリンをスルーするように動き始めた。5匹と言ったがそれ以上が雪崩れ込んでくることもある……しかしイーグと連携しながら問題なく処理していった。疲労感はあるものの、高揚感が打ち消してしまう。こんな経験は生涯初だった。

 

 モンスターが途切れた。

 充実感に浸りながら、水を飲み、干し肉を齧る。

 

「おんやー、少しはマトモな顔付きになったかなー?」

 

 振り向きたくないが、振り向くとティーヌがいた。

 瞬時に顔が強張る。

 

「……剣の手入れ、やっとくよーに……後半はイーグちんと一緒にオーガの相手してもらうよー」

 

 ティーヌが『豪剣』に手早く指示する。

 今度はオーガを含めてを行動不能にしてこちらに回す。

 とにかく殺さないで回す。

 バックアップにはゴブリン達を追い立て終えたティーヌ自らが回る。

 フィリップはオーガにトドメを刺す。

 イーグはゴブリンの掃討と討伐証明の切り取り。

 指示を言い終えるとティーヌは消えた。

 

 目視している中で消えたのだ……少し強くなった気になっていたフィリップは愕然とした……漠とした恐怖がチラリと真っ赤な舌ベロを見せた。

 

 まだ遠く、はるかに高い……恐怖に突き動かされ、フィリップはひたすら剣を振った。バックアップという名目で背後に立つ、笑うティーヌの姿の想像すると、いい気になっていた自分が恐ろしくなる。

 ティーヌは別格にしても……例えばディンゴのような兵士が居並ぶ戦場に突入して、鮮烈な戦果を挙げて生還するなど夢のまた夢だ。このままでは戦場で朽ち果てるしかない。カッツェ平野のアンデッドとなる未来しか見えない。王国が戦争準備を終えるまで……残り僅かな期間で少なくともティーヌがちょうど良いと言ったディンゴよりは強くならなければ話にならない。

 

 怖い……とにかく怖い。

 

 少しだけ戦えるようになった結果、フィリップは初めて自分の置かれた状況を明確に理解した。

 

 戦場まではあと少し……もはや理想を語ることで愚民を領導するなどという戯言を言っている場合ではなかった。

 




お読みいただきありがとうございます。


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27話 そして建国へ……

予定通りって素晴らしいです。


 

「えぇええええええっー!!」

 

 アインズさんが絶叫する中、俺はポカーンとしていた。

 ネム・エモットはハイテンションで走り回り、エンリ・エモットは尻餅をついていた。彼女を守護するゴブリン達はエンリを気遣いながらも、目の前の光景に警戒心を剥き出しにしていた。好奇心で集まっていた村人達は一斉に一ヶ所に集まり、俺達の周囲はギュウギュウに密集していた。

 カルネ村の入り口扉は開け放たれままだ。

 俺達と村の間に召喚された軍勢と言って差し支えない規模のゴブリン集団に分断される形になっていた。だからなのか元々いた召喚ゴブリン達のリーダーが必死に指示を飛ばしている。

 

「……何これ?」

「ゴミアイテムじゃなかったのか?」

 

 呆然と立ち尽くすアインズさんの手からこぼれ落ちる無数の『小鬼将軍の角笛』……俺達はエンリの素直さに少し調子に乗っていたのかもしれない。

 彼女に次々と『小鬼将軍の角笛』を与え、どんどん吹かせていた。

 やがてもっと広い場所の方が良いと村の外に出た。

 異様に増えた理知的で愛想の良いゴブリン達に、村人達も興味深々で集まり出した。

 ゴブリン達は召喚されたグループ毎に警戒網を構築し始めるとトブの大森林の中へと向かった。そして南進していたモンスターの大集団を発見したらしい。

 ちなみに「滅びの建物」こと第二ナザリックに『東の巨人』グの残党だがなんだがか強襲した結果、アウラちゃんの使役獣達に面白半分に追い立てられ、トブの大森林を逃げ回って、この軍勢ができたらしいのだが……それを知ったのはこの後の話……俺とアインズさんとルプスレギナはともかく、村人や召喚されたゴブリン達では完全に手に余る規模の亜人種とモンスターの混成軍だったようだ。

 召喚ゴブリン達が後退戦をしながら危機を知らせる。

 たしかに村人にとっては危機だ、

 しかし俺達は暢気なもので、接近したら蹴散らせば良いだろう程度にしか考えていなかった為、エンリに『小鬼将軍の角笛』を使わせて続けた。戦力増強にも良いだろうと……召喚ゴブリン程度の戦力でまがりなりにも戦線崩壊しないのだから、そう大した連中ではないのは確実だったのだが……まあ、考え無しでした。

 やがて後退してきた召喚ゴブリン達の集団が森から駆け出てきた。

 気付けば俺達は半包囲状態……そして通算21個目の『小鬼将軍の角笛』をエンリが吹いた時、一際重厚な音が響き渡った。

 

 で、目の前に奇妙なゴブリンが現れたわけですよ。

 

「ほっほっほっ、私はエンリ将軍よりこの軍の指揮を任されているゴブリン軍師です……我等が来たからにはエンリ将軍の配下には誰一人傷はつけさせませんぞ……エンリ将軍閣下が御所望でしたら、あの者達も配下に加えて見せましょうぞ!」

 

 どこかで見たことのある風貌なのにゴブリン……ゴブリン軍師と名乗ったゴブリンがエンリの思惑を察しているかのように羽扇で大森林の中を指した。

 各軍団が次々に名乗りを上げながら突入していく。

 

「コーメー……ですね?」

「ええ、なんか見たことあると思いました」

 

 古代中国を舞台にした戦略シミュレーションゲームなんかによく出てくる有名強キャラだった。何回かプレイした経験がある。ゲーム毎に性別が違うが、天才軍師系の強キャラなのだけは統一されていた……ような?

 

「泣いて馬謖を斬る……でしたっけ?」

「三顧の礼ですよ、たしか」

 

 アインズさんとうろ覚えの知識を披露し合うも、お互いにユグドラシル脳では厳しかった。二人とも単なるゲームキャラという認識しかないのだ。歴史好きとかならばもっと話が膨らむのだろうが……

 

 気が付けば困惑丸出しでエンリがアインズさんを見上げていた。

 

「ゴウン様……これはいったい?」

「お、おう……私は全てを見越して、これを狙っていたのだよ、エンリ」

 

 アインズが咄嗟に嘘を並べる……ロールプレイの一環とはいえ、この人も本当に大概ですわ……NPC達にも責められるべくして責められているような……そんな気がしてなりません。

 その嘘にしきりに感心するエンリ・エモットもどうかしています……素朴とか純真とかで済まして良いレベルじゃない気がします。

 

 『小鬼将軍の角笛』の隠し効果だか、真の効果だか知らないけど……絶対にアインズさんも知らなかったはずだ。そうじゃなきゃ、あんなに驚くわけがないし、ゴミアイテム呼ばわりしていたし……

 

 まあ、結果オーライで完全に当初の予定と違いますが、労働力と防衛力の問題は解決です。本来は先に持ちかけるべき食料増産の話をエンリにするべき時がきたわけです。この規模であれば一気に大増産して、近隣に売りまくる選択も出てきます。神様、仏様、マーレきゅんがいれば大丈夫。信頼と実績のチート能力ですから……効率的生産を目指して、アンデッドも大量投入といきたいところです。

 

 アインズさんにウインクで合図を送るも、ロールプレイに夢中でなかなか気付いてくれません。

 仕方ないので話の取っ掛かりはは俺が作るとしましょう。

 

「ところで村長さん?」

 

 そう呼び掛けると、エンリはこちらを振り向き、いたく感動した面持ちで俺を見た。

 

「村長……村長なんです……村長なんですよ、私……久々に族長以外の呼ばれ方をした気がします……ありがとうございます、ゼブル様」

「えっ……あー……はい」

「なんでしょう、ゼブル様?」

 

 もの凄くキラキラした視線が痛い。

 

「いや……まー、食料の件なんですけど……」

「食料ですか?……何か必要でしたら、本当に粗末なものしか用意できませんが、こちらで……」

「そーゆーことじゃありません。これからの話です」

「……これから?」

「いや、あの数を食わせるのは大変ですよ?……この先どうするか、考えていますか?」

 

 途端にエンリの顔色が真っ青に変わった。

 

「…………どうしよう……」

「……で、アインズさんから良い話があるですが……聞く気はありますか?」

 

 一も二もなく頷くエンリ。

 今度こそ俺のウインクに気付いて、アインズさんが大仰な手振りを交えて言った。

 

「エンリよ、村の有力者を集めてくれないか?……全員で決めているほど時間に猶予は無いのだ。私の話を聞いて、有力者の総意が固まったら、皆で説得して欲しいのだ。支援する我々としても直ぐに動かねば間に合わない」

「分かりました、ゴウン様」

「では、時間もない……ちょうど村人達は全員外にいるようだ、急いで集めてくれ」

 

 エンリは走り出し、前村長夫妻を含めた数名を集めて回る。

 予想に反して、人間だけでなくゴブリンも含まれていた。

 その中には俺の記憶に引っ掛かる顔もあった。

 

 

 

 

 

 

 

 アインズさんがアインズ・ウール・ゴウンによるカルネ村支援計画の全容を説明する間、俺は久々に見た赤毛女の情報を、彼女の脳の肉腫から引き出していた。と言っても、支配したわけではないので健康状態ぐらいしか有効な情報は得られませんでしたが……まあ、後で告白させますけどね。

 

 エ・ランテルの雑魚冒険者が何故かカルネ村で有力者の1人になっていた。

 奇縁といえど縁の一種……場合によっては支配してカルネ村での俺の手駒にしても良いかもしれない……そう思い、観察を続ける。発言の内容やカルネ村での立ち位置を確認しないで安易に支配すると、微妙に齟齬が生じる可能性が排除できないのだ。

 

 漠然と感じる強さは、話にならないぐらい弱い……確実に召喚ゴブリン以下の戦闘能力しか持っていない……が、カルネ村では数少ない戦闘職。

 どうやら隣にいるラッチモンと言う名のレンジャーの下で、現在はレンジャー見習いをやっているようだ。それほど有力者というわけではないが、同性ということでエンリにはそれなりに頼られてもいる、と……

 

 うん、すげー微妙。

 

 楽しそうにアインズさんの演説風の説明を拝聴しているルプスレギナの横に移動し、小声で赤毛女について聞く。

 

「アレはブリタと申します……あんなのがお好みっスか、ゼブル様?」

「いや、違うし……以前、エ・ランテルで見かけたの!」

 

 ルプスレギナは含みを持たせた笑いを見せる。

 

「……元冒険者なのは間違いありません、ゼブル様……経緯までは確認しておりませんが、暫く前にエ・ランテルから流れてきました。又聞きの情報では何やら冒険者としての自信を喪失するような出来事があった、とか」

「あー、なんか、もう、なんとなく理解した」

 

 おそらくあの時だろう……アレはたしか……ブレインが所属していた『死を撒く剣団』を壊滅させた時に違いない……気がする……

 

「ブリタにはアインズ様も因縁がございます……以前、アインズ様が冒険者モモンとして活動を始めた頃、揉め事の煽りで壊したポーションの代償として、ユグドラシル産の赤いポーションを譲渡したことがございます。本当にアインズ様の鬼謀は計り知れません……ンフィーレア・バレアレとリイジー・バレアレの目に届くことを予測され、ブリタにあえてユグドラシル産の赤いポーションを手渡しだとのこと……私などにはその発想に至ることはできません」

 

 いや、いや、いや……間違いなく偶然だろ、それ!

 

 と心の中でツッコミを入れる間も、ルプスレギナによるアインズさんのほぼ誉め殺しに近い晒し上げは止まることを知らない。

 アインズさんが「子供達」と呼ぶ、自我を持ったNPC達を失望させない為の魔王ロールプレイと、一定程度以上に期待に応えた結果に対しての誉め殺しでお互いに引けなくなっている……おそらくナザリックの病根はそんなものだろう。その結果としてNPC達は現状維持で良いけど、アインズさんは自縄自縛で苦しんでいる……これをなんとかしてやらないと厳しいよなぁ……

 

 俺が自身に課すべき役目だよ……これこそが。

 

 控え目で優しくて、後輩想いで少し悪ノリが過ぎるベテランユグドラシルプレイヤー『モモンガ』さんに戻してやらないと……まあ、現状ではガス抜きに付き合う程度しかできないけどね。

 

 有力者だけと言っていたにもかかわらず、もはやアインズさんの独演会を人間種亜人種問わず全カルネ村住民が拝聴するような事態になっていた。大森林の中に攻め入っているゴブリンを除いて老若男女が集まっている。

 全聴衆が深く頷き、隣の者と真剣に語り合っていた。

 アインズさんもノリノリだ。

 ロールプレイヤーの血が騒ぐのだろう。

 まるで独裁者のアジ演説のような身振り手振りで聴衆を煽っていた。

 やがて演説は最高潮に達し、それまで他人事だった聴衆の目付きも変化していた……皆、熱い視線をアインズさんに向けている。

 そしてアインズさんが長い間を作り、聴衆を睥睨した。

 

「……という完璧なプランだ。結果として、全村民が集まってしまってようだが、質疑は最初にエンリが集めた者だけに許そう」

 

 拍手の波とと圧倒的な絶賛がアインズさんを包み込んだ。

 ロールプレイヤーの本懐だ……アインズさんは両手を広げて、全ての賛意を受け止めた。

 やがてエンリが進み出て、聴衆は静かになった。

 

「質問を許そう、エンリ」

「……わっ、私はよく分からない部分も含めて、ゴウン様に任せたいと思います……ですが、村を代表して一点だけ質問させてください」

 

 聴衆が同意の拍手を送るも、アインズさんは手で制した。

 

「何でも言ってみよ、エンリ」

「……ゴウン様にカルネ村を治めて頂くわけにはまりませんか?……いえ、ゴウン様にカルネ村の村長になって欲しいわけでないのです。偉大で優しく、カルネ村のような寒村の行末まで考えて頂けるゴウン様が新たに国を立ち上げられることはないのでしょうか?……そうであれば私はゴウン様に従いたいと思うのです。多分、村のみんなもそう考えていると思います」

 

 そうだ、そうだ、と聴衆が口々に叫ぶ。

 一層巨大な拍手の大波に包まれ、アインズさんは完全にフリーズしていた。

 

 ノリノリのアジ演説ロールがめっちゃ刺さってますやん!

 

 予測を超えた最悪の展開に俺は内心頭を抱えた。

 これまでの偉大で優しいキャラによる浸透も完全に逆効果でした。ナザリックのNPC達だけでなく、カルネ村の民心も完全掌握していたとは……

 

 とりあえず、なんとかしないと……

 

 そう思い、前に出ようとした時にはルプスレギナが村民の輪のど真ん中に立っていました……悪い予感しかしません。

 止める間も無く、ルプスレギナはいつになく真剣な面持ちで叫びました。

 

「聞け!……偉大なる御方……至高の42人のまとめ役であられるアインズ・ウール・ゴウン様は密かに遠大な計画を進めていらっしゃるのだ!……今回の計画もその一端であるのは間違いない!……故に全てをアインズ・ウール・ゴウン様に委ねれば、このカルネ村は未来永劫の安泰を約束されるだろう!」

 

 NPC達には「自ら考え、行動せよ」と言って聞かせてるんですけど、なかなか上手くいかないんですよねぇ、と自嘲気味に俺に語りながら、上手くいったケースを俺に披露してくれたアインズさん……現在の絶望感は精神沈静化のエフェクトで明白でした……たしかにルプスレギナは俺達の会話からアインズさんの意図を類推し、最善を考えて、行動したのでしょうよ。

 ただ結果して最悪の方向へと流れを急加速させたわけですが……果たしてロールプレイヤーとしてのアインズさんは引っ込みがつくのか?

 

 見れば、アインズはルプスレギナの肩にガントレットを置き、労うような素振りをしていました。

 

「今はハッキリとは言えない!……だが私はここに集まった皆に約束しよう!……アインズ・ウール・ゴウンの名において、近い将来、私は立つ!……だから私に全てを任せるが良い!」

 

 極大の拍手喝采が周囲に響き渡った。

 

 えーっと、積極的に自分自身を追い込んでいくスタイルですか……?

 

 アインズさんの病的に周囲の期待に応えてしまう自爆スタイルに直面し、アインズさんの悩みの半分はアインズさん自身の行動に起因していることを認識せざる得なかった。

 

 

 

 

 

 

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 オーガ2〜3匹程度が相手であれば、たとえ単身であっても余裕を持って対処可能になっていた。必ずしも殲滅可能なわけではないが、一対一であれば勝利は確実と思えるぐらいには自信もある。

 相手がトロールであってもイーグと二人であれば、殲滅は不可能でも寄せ付けない程度の対処は可能だ。

 だがディンゴが相手では回避だけで手一杯になり、二人掛かりでも有効な反撃までは不可能だった。

 そして……笑う女……ティーヌが目の前に立つと、どうしても一瞬恐怖で立ち竦んでしまう。恐怖心を圧し殺し、どうにか心を鼓舞して、なんとか一歩踏み出す程度が限界かもしれない……ハッキリしたことが言えないのは、実際にはティーヌに対して前進した経験がないからだ。圧倒的にスピードが違い、膂力もティーヌのしなやかな腕からは想像を絶する凄まじさだった。

 一度、休憩中に頼み込んでディンゴと腕相撲をしてもらったことがある……あの女は笑いながらあっさりと勝利した。その顔は力むどころか、緊張すら感じさせなかった。

 イーグではディンゴに全く歯が立たないし、イーグを相手にしてフィリップが勝ったこともないし、未来永劫勝てる気もしない。

 剣と腕相撲では全く違うとはいえ、戦闘において膂力が重要な要素であることは否定できないだろう。実際にディンゴは凄まじい膂力によって成人女性程もある巨大な剣を振り回すのだから。

 

 秋晴れの空の下、フィリップはシュグネウス商会が用意した白い駿馬に騎乗し、屋敷の周りを全力疾走していた。トブの大森林の訓練でスタミナの大切さを知り、自主的な体力作りの一環として、イーグと共に走り込みを始めたのだが、それに着目したティーヌが同じ訓練をするならと高額な駿馬をエドストレームに用意させたのだ……たしかにフィリップは歩兵ではない。自領の民兵を率いるわけではないが、貴族である以上、騎兵なのだ……同等の馬がイーグにも用意され、2人で暇を見つけては騎乗訓練を続けていた。

 

 思えば、諦観というものが大切だったのだ。

 フィリップは既にティーヌから逃げることを諦めていた。

 故に努力していた。

 そして理想論を語る上でも戦場での実績が影響することも学んだ。周辺国最強の戦士として名高い王国戦士長ガゼフ・ストロノーフが平民出身であるにもかかわらず国王ランポッサⅢ世に多大な影響力を持つ理由をティーヌから問われたのだ……単に強いだけはなく、人柄だけでもない。戦場での献身かあってこそ、ガゼフ・ストロノーフは王国戦士長として重用されるのだ……その答えに至り、フィリップは戦闘訓練が無駄ではないと悟った。

 しかし戦場に出れば、常に死の影に怯えなければならないのも事実。

 もし戦場でティーヌと対峙したら……ディンゴと戦闘に突入したら……即座に逃げねば死ぬしかないのだ。ティーヌに至っては逃げることもできない。たとえ騎乗していても不可能……それがフィリップの認識だった。

 

 厩番に愛馬の手綱を預け、フィリップは中庭に向かった。

 嫌気が無い、と言えば嘘になるが、戦場で生き残る為には積極的に訓練に参加するべきだと思いを新たにしていた。

 バケモノとしか思えないティーヌは別格にしても……6本の三日月刀を自在に操るエドストレームも無理かもしれないが、せめて冒険者である『豪剣』には追いつきたい。イーグと夕食を共にした街の酒場で知り合った冒険者に聞いたのだが、ミスリル級冒険者とは一般人と比較すればバケモノに等しい戦闘能力を持つとのことだった。

 つまり世間一般の認識ではディンゴはバケモノなのだ。

 しかしフィリップにとっては、たしかに圧倒的戦力ではあるものの、期間さえあれば追いつけないこともない程度にしか感じない……ディンゴが怪物だとすれば、エドストレームは魔人であり、ティーヌは魔神なのだろう。2人の下賤の女と比較すればディンゴは明確に人間の範疇に留まっているのだ。

 

 中庭の中央で既にアップを始めているディンゴの巨体が見えた。

 イーグを引き連れ、フィリップはディンゴの前に立つと軽く会釈した。

 ディンゴも会釈を返す。

 

「ディンゴ殿はどうして冒険者になろうと思ったのだ?」

 

 何気なく口を吐いたフィリップの言葉にディンゴが目を丸くした。

 

「へぇー、貴族の旦那が俺らなんぞに興味を持つなんて……ちょっとびっくりしましたよ。俺はアレです……生まれた街も貧乏人しかいなくって、その中でも一際家が貧乏で、小さな頃から乱暴者でして、腕っ節の他に取り柄が無かった……ヤクザ者になりかけてたのをウチのリーダーに拾われたって感じですかね……まっ、こうして冒険者稼業を続けてられるのはヤクザ者にくらべりゃ、はるかにマシってーのと、食う為ですよ」

 

 ディンゴの顔から鋭さが抜けて、人懐こい笑顔になった。

 

「私はこれまで自分以上に報われない人間などいないと思っていた。だがティーヌ殿に自力で稼いだ金で生活することを強いられて、市井の民の報われなさの一端を知ることになった。そして世の中には自分が知らないことの方が圧倒的に多いことを知った。それまで街で飲み歩いていても、自分はこいつらとは違うとしか思わなかった……でも、それこそが思い違いだったな」

 

 驚愕の巨大さがディンゴの表情から伝わる。

 

「次の戦……私は生き残らねばならない。だから協力して欲しい」

「こんな俺でもいちおうは冒険者ってヤツに誇りを持っているんで、人間の国家間の戦争に参加はできませんが、旦那みたいな貴族には是非生き残ってもらって、王国をより良い方向に導いて欲しいって思いました。だから精一杯、厳しく訓練しますよ」

「これは藪蛇だったかな?」

 

 フィリップが笑う。

 

「旦那ならやれますよ……多分ね」

「多分は余計だ」

 

 ディンゴも笑った。

 連れてイーグも笑う。

 和やかな空気。

 それを打ち消す笑い……ティーヌが中庭に現れた。右手にフィリップの恐怖の対象である棒切れを持ち、左手で何かを引きずっている……それは人間だった。そのままディンゴとフィリップの間に放り投げる。

 

「立ってくんないかなー?」

「……ここは?」

 

 立ち上がった男は甲冑姿だった。

 訳がわからない、といった風にフェイスガードを上げて、周囲をキョロキョロと見回している。

 

 成人男性を甲冑込みで片手で放り投げる……やはりティーヌの膂力は尋常ではない。

 

 フィリップは改めて目の前の口の大きな女を見詰めた。

 フィリップの視線に向き直ると、ニンマリと口角を吊り上げながら、顔を近づけてきた。慌てて視線を逸らすと、馬鹿みたいに露出の多いの服の胸元に目が向いてしまう。

 

「やらしー、モッちゃん」

「なっ、何を言うか!」

 

 慌てるフィリップを見て、ケラケラ笑うティーヌが唐突に真顔になった。

 

「……アレ、帝国から拐ってきたんだよね……一般的な帝国兵だったらいいなぁーって思いながら」

 

 ティーヌの言う帝国兵はディンゴとイーグに何かを尋ね、大仰に天を仰いでいた……きっとここがリ・エスティーゼ王国の王都と知って、理解の範疇を超えてしまったのかもしれない。

 

 バティンとかいう魔法詠唱者の愛想の良い顔が脳裏に浮かんだ。

 

「んじゃ、いっちょー殺ってみようか、モッちゃん?」

「……はあ!?……お前は何を言っているんだ……?」

 

 再度ティーヌに向き直ると、そこには何とも言えない顔があった。笑っているのか、蔑んでいるか……それとも大真面目なのか?

 

「だって、モッちゃん……人間、殺したことないよねぇ?」

「あるっ!……あるぞっ!」

 

 初めて……叛乱鎮圧時に、鍬を構えて立ち向かってきた領民の老人を手打ちにした経験を思い出す。斬るまでは何も感じなかったのだが、鍬を支えに60歳は超えただろう異様に痩せ細った老人が絶命するまでフィリップを追ってきた……何度も何度も……絶命してからも追ってくるような気がして10回以上は剣を突き刺した……とてつもなく恐ろしかった記憶を思い出す。

 

「貴族が自分の領民殺す……なんてーのは、農民が益虫を害虫と勘違いして駆除するのと大差ないんだよねー……殺そうと思って、見ず知らずの人間を躊躇なく自分の手で殺せる神経持ってないとー……戦場で死んじゃうよ……熱狂でなんとかなる、なーんて思ってると、熱狂から覚めたら……何もできなくなっちゃうんじゃないかなー?……そんなあやふやなモノを当てにして、殺し合いの中に飛び込むとか、私からしたら、どーかしてる、としか思えないんだよねー……だって、相手は戦闘訓練され、軍隊教育された兵士なんだよ」

 

 笑いに隠された冷え切った視線……フィリップは唾を飲み込んだ。

 

「だからと言ってだな……」

「殺れ、つってんの」

「……いっ、嫌だ!」

「相手は帝国の正規兵……戦場で出会ったら即殺し合いスタート……殺らなきゃ、モッちゃんが殺られる……そーゆー関係性ね」

「こっ……ここは戦場ではないだろ!」

 

 冷たい汗がダラダラと流れていた。

 固く握り締めた両手が気持ち悪い。

 視線は帝国兵から動かせない。

 でも右手から感じるティーヌのプレッシャーは強くなる一方……とても許してくれそうもなかった。

 

「明日は武装させた帝国兵と殺り合ってもらう予定なんだけどなー……このままじゃ、それがニ対一になっちゃうね……私はこれから毎日一人づつ帝国兵を拐ってくるから……最終的には屋敷の地下室に全員押し込んで、モッちゃんを殺れば帝国に戻してやる、って言うからー……そーなったら、どーなるだろうねー?」

 

 いったい何なのだ、この女は……ティーヌの声音は妙に艶っぽく、実に楽しそうだった。他人が困るのが……苦しむのが……苦悩する様が楽しくて楽しくてたまらない……そんな視線がフィリップを舐める。

 

「……私はやるって言ったら、やるよー……私に指図できるのはこの世界にただ一人だけだからねー……そしてー、それはー、モッちゃんじゃないんだよねー……残念ながら」

 

 言葉以上に声音が恐ろしかった。

 何かに取り憑かれたような……狂信的な何かを感じさせた。

 狂気の最果てを突き抜けた先……この女の常軌を逸した戦闘能力はその結果なのかもしれない……とても常人が追い付けるようなものではない。

 従わねばならない……嫌気が失せたわけではない。

 だが殺らねばならなかった。

 人の形をしたバケモノに従わざる得ない自分の境遇を呪いつつ、フィリップは腰の剣を抜いた。

 陽光を反射して銀色に輝く。

 足早に3歩進んだ。

 ディンゴが驚愕していた。

 イーグが両手で顔を覆った。

 帝国兵が振り向いた。

 見知らぬ男の顔が歪んでいた。

 嫌な手応えだった。

 突き刺した首が帝国兵が振り向いたことによって半ば捻じ切れていた。

 鮮血が噴き上がり、フィリップの顔面は真っ赤に染まった。

 帝国兵が崩れ落ちる。

 もはや肉塊だった。

 異国の空の下、ただ訓練の為に死んだ。

 

 ……無念だったろう。

 

 剣身を濡らす血を振り払い、フィリップは剣を剣を納めた。

 

「……顔を洗ってくる」

 

 屋敷に戻り、フィリップは誰にも知られぬよう泣いた。

 

 

 

 

 

 

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 竜王国で切り出した大量の石材が恐ろしい勢いで積み上げられていく。

 カルネ村ではビーストマンでなく、ナザリックからゴーレムが提供され、竜王国以上に24時間フル稼働の状態になっていた。

 現場総指揮はマルファスという名の小柄なビーストマン。竜王国に加えてモチャラス男爵領の実績が他者を指名させなかった。

 その他にも治水に優れたフォカロルとかいうやつが別働隊を率いて、トブの大森林の中で水源地を探索中。

 竜王国の首都にいたブエルも呼び寄せた。エンリや村人達に得意の薬草学を教えている……今後、カルネ村の特産として大量生産に移行する予定だ。

 

 マーレきゅんが次々と天地返しをしながら土壌改良していく。

 そのままスケルトン軍団が種蒔きは始め、再びマーレきゅんが成長を促進させていた。

 エルダーリッチの率いる別ユニットが竜王国同様に収穫作業を始めている。

 竜王国同様、巨大なインスタント作物収穫システムが構築されていた。

 

 突貫作業な上に大幅な計画の修正……そこらの都市など問題にならない規模の街がどんどん建設されいた。

 エンリの召喚ゴブリン軍団と彼等に屈服したトブの大森林の雑多な種族が警戒にあたる中、残された村人達は野営しながら、皆で労働している全種族分の膨大な夕食を作成中だ。

 

「……アインズさんが悪ノリであんなこと言うから……将来の首都を作る羽目に陥るんじゃないですか」

 

 俺のぼやきにアインズさんが骨の指で頭を掻いた。

 

「……んで、本当に建国するですか?」

「いやー、守護者達も大喜びなんですよ……アインズ様が世に出る第一歩を踏み出された、って……もう止めるの、無理ですよねぇ?」

「目の前の巨大都市を見て……本当にそう言えるなら、言えば良いんじゃないですかね?……竜王国の再開発リソースの7割以上、こちらに振り向けている俺に対して……」

「本当にすみません……でも……」

「……もう良いですよ……でも国主は絶対にアインズさんです。それは譲りませんよ。ここまでやって、エンリを傀儡に立てるとかあり得ませんから」

 

 少しぐらいは苦しめ、と思いながらアインズさんを見る。

 ここまでアインズさんはロールプレイのノリで独立宣言して、守護者達に相談しただけだ。たしかに決定するのがアインズさんの仕事だが、ロールプレイの流れでここまで俺がやる以上、責任もとってもらわねば話にならない。

 

「魔導王……カッコいいじゃないですか?」

「あまり虐めないでぐたさいよ……でも他のよりははるかにマシでしょ?」

「コキュートス、グッジョブ(棒)」

「それはたしかに意外でしたけど……他が酷過ぎて……」

「……まあね、自ら賢王やら至高王名乗るとか、ちょっと厳しいですね……他は話にならないし」

 

 美貌王……何が何やら……

 強王……魔法詠唱者でしょ!

 慈愛王……意味不明!

 賢王……さすがにどうなの?

 王……もう、これで良いんじゃねーの!

 至高王……圧倒的な恥ずかしさ!

 で、最後にコキュートスが捻り出したのが「魔導王」……妙にしっくりくる名称だった。

 

「でしょ!」

 

 項垂れていたアインズさんが顔を上げた。

 虐めるのは少し勘弁してあげて、ちょっとは真面目に話し合わないと……

 

「んで、とりあえず竜王国には話は通しました……あの国で俺が推す以上、承認しないなんてことはあり得ません。帝国のジルクニフの方は会談日程の連絡待ちですが、無視はできないでしょう……で、問題は王国なんですよ……それとなく最近繋がりのできた六大貴族のレエブン侯に話を持ち掛けようと思っているんですが、なにしろ王国の領土を割譲しろって話でしょ……形式だけでも一戦交える必要はあるんじゃないですか?」

「……戦争ですか……できたらやりたくないなぁ……王国全軍対俺一人でもオーバーキルな気がします……なんならデスナイト100体ぐらい送り込んでも蹂躙可能な気がするんですよ」

 

 どちらかと言えばデスナイト100体の方がエグい気がする……この人、結構えげつない作戦を思いつくよな、と思いながらも無視した。ジットがよくやる作戦ではあるが、ジットと違ってデスナイトには自制が無い。簡単に同意したら精神的な気楽さの為にやりかねないのが怖い。

 

「そりゃ、まあねぇ……現地勢のレベル考慮したら、超位魔法一発で完全決着しますね、間違いなく……万単位のビーストマン対俺一人でも空から第三位階の連発で完封勝利でしたから……虐殺なんてレベルじゃ済まないでしょうね」

「……戦争は避けたいですね」

 

 アインズさんが再度項垂れた。

 どうしても虐めたくなるが、助け舟を出す。

 

「で、帝国との会談が重要になると思うんです」

 

 アインズさんが顔を上げた。表情筋が無いのに興味津々なのだけは伝わる。

 

「……この際、帝国と王国の戦争で帝国を俺達で完勝させましょう……王国の労働力がさらに逼迫するのはいただけませんが、それはこの際アンデッドレンタル事業の販路拡大のチャンスと割り切りましょう。んで、帝国には戦勝の講和時にこの辺り一帯の割譲を王国に迫ってもらう。承諾しなければ、さらに一戦も辞さない覚悟を見せれば、王国も折れるしかないでしょう……後はジルクニフとの会談で俺達に割譲地の譲渡を約束させればいい。なんだったらエ・ランテルも抑えて、アインズさんの国が帝国と王国の国境を完全に分断してしまえば、今後は戦争しなくて良い環境が生まれます。そうすればお互いに軍事費が軽減されて、今以上に経済的に発展する可能性が大きくなります……そうでなくとも毎年の戦争はどちらかと言えば経済的嫌がらせの側面がかなり大きいですからね……その辺りをジルクニフに含み聞かせれば良いわけです。アレはバウジットが言ったんだっけかな……バハルス帝国は皇帝陛下あってこそ……だからこそジルクニフと話をつければ全てが解決する帝国の方が交渉相手としても優秀です」

「……なるほど」

「俺達は帝国の側面支援に徹する……つまり現地の人間対人間の戦争であればそこまでの被害にはならないと思うんですよ。帝国は帝都の真横で俺とマーレきゅんが戦ったのを知っているのも都合が良い……もしプレイヤー対現地の人間の戦いになったら想像を絶する被害が出るのは避けられないことを説得力を持って説明できます。加えてジルクニフは国家の最高位に立っているにもかかわらず、自身で計算もできる。プライドや国威よりも実利を選択する可能性が高い。目の前に巨大な利をぶら下げてやれば、食いつくと思うんです」

「……良いですね!」

「最悪、ドロドロの消耗戦になったらデミウルゴス麾下の亜人種連合軍を投入して、無理矢理戦闘を終結させましょう。ジルクニフに対してはバハルス帝国の将来の安寧と発展を約束して、実際に都市なり農地なりの開発事業でも協力してみせれば、俺達と手を握った方が得なのが実感できるんじゃないですかね?」

「……なんだかいけそうな気がしてきましたよ!」

 

 アインズさんがガッツポーズを見せた。

 

 交渉自体はアインズさん得意のロールプレイと見た目で圧倒すれば良い。

 プランの概要はアインズさんの頭の中に入っているだろうし、細かな打ち合わせや擦り合わせは都度で良いだろう。

 スケジュール的に可能なら、建設中の首都の宮殿でやってしまえば、実利の提示も含めて手間が省ける。軍事力の格差だけでなく、技術力に経済力でも圧倒的な差を自覚させれば今後の付き合い方を勝手に考えてくれるはずだ。

 帝国はそれで良い。

 竜王国も問題無い。

 なんだったらカッツェ平野も手に入れて、アインズさんが現地のアンデッドを支配下に加える……帝国も竜王国も大幅に安全性が向上する。両国の通商を促せば、カッツェ平野を抑えるアインズさんが俺に頼らない独自の権益を得ることも可能……今後の展開によっては交易可能な直通の大道を通しても良いぐらいだ。

 問題は法国……そして王国だ。

 法国はアインズさんの国の在り方を受け入れるか……ティーヌに確認する必要があるが、現状ではそれ以上のことはできない……動向は探らせる必要があるが、適任者は……さすがに法国にとってはテロリスト同然のティーヌやジットでは無理だろう。誰かいないものか?

 王国は権力が分散していて厄介だ。しかし現状では一番多くの利権を保有してる俺の最大の収入源だ……将来的には竜王国の方が有望かもしれないが、あれだけの非効率を容認して帝国と対等であるのだから、本来の国力が段違いだし、現時点ではあまりボロボロになられても俺的に困る。

 

「……アインズさん?」

「なんですか?」

 

 浮かれていたアインズさんが俺を見た。

 

「法国の人間で使えるヤツ、知らないですか?」

「法国……あー『陽光聖典』とかいうのを40〜50人ぐらい捕縛しましたけど、みんなアンデッドの触媒にしちゃったような……?」

「……マジですか?……一人残らず?」

「だって酷いんですよ、アイツら……それこそカルネ村を襲った連中で、どうしてそんなことをしたのか尋問させたんですけど……簡単な質問すると3回で死ぬんですよ……本人達曰くエリート部隊らしいのに……法国の上層部ってバカなんじゃないですかね?……そんな簡単に死ぬようにしたら、捕虜にもなれないじゃないですか……その上で魔法的な監視までしているのに……こっちの人間種の脆弱さを考えたら戦力的にかなり貴重な存在だと思うんでよ……まあ、一人ぐらいは冷凍保存してあるかもしれないので、ニューロニストに言って、探させますよ」

 

 ポカーンだ……正に空いた口が塞がらない……法国って「バカの」って言うより、自信過剰の集まりなのか?……機密保持目的にしたって、やり口があまりに酷過ぎる。

 

「……それよりも『風花聖典』とかいうのが一時期エ・ランテルにいたんで、そいつらを捕まえましょうか?……今もいれば、ですけど」

「あー、それも今はいないと思いますよ。シャドウ・デーモン達の報告によればですけど……」

「……元々ティーヌというかクレマンティーヌを追っていたわけだしなぁ」

 

 八方塞がり……天を仰ぐ、とアインズさんがフォローを入れた。

 

「守護者達にも言っておきますね……法国の人間を見つけたら、殺さないで、生かしたままゼブルさんに引き渡すように、って……ちょいちょいトブの大森林やアベリオン丘陵で見掛けるみたいなんで、その内に捕まえますよ」

「それはそれでお願いします……で、後は王国に対する工作ですけど……」

「王国ですか?」

「はい……領土割譲を帝国に迫られて、拒否できない程度には追い込まないといけないわけです」

「つまり……?」

「開戦前は主戦派が、講和時は講和派がそれぞれ明確に力を持たないと、王国は良くも悪くも多頭政治なんで収拾がつかないと思うんですよ……ただ現実的にはそんな器用に政治的な動きを操ることは不可能なんで、単純に主戦派を前面に立たせて、帝国にボコってもらうのが手っ取り早いと思うんです。なので主戦派の有力貴族を煽る必要があります」

「誰ですか……心当たりでも?」

「六大貴族で武断派のボウロロープ侯と野心家のリットン伯ですね……加えてボウロロープ侯の娘婿でもある第一王子のバルブロ……この辺りを中心に煽れば主戦派は引っ込みがつかないんじゃないかと思いますよ」

「具体的には……?」

「旧『八本指』系統の商人達を通じて、食料と武器を相場よりも安価で供給します……あまりに安いと疑われるので、ほどほどですけど……要するに安易な徴兵を可能にするわけです。備蓄も軍の糧食も軍備すらも余裕がある状態になれば、元々好戦的な性格ですから……そうでなくともボウロロープ侯はバルブロ王子の立場を優位にしたいわけですし、リットン伯は自身の影響力を高めたい。六大貴族の参集する宮廷会議でレエブン侯に上手く立ち回ってもらえば、こいつらを誘導することは可能でしょう……実戦では帝国軍のフォローを俺達がするわけですから、何をやっても負けるはずがない。王国自体はそれほど傷は深くなくても、好戦的な連中が壊滅的なダメージを受ければ……」

「……でもこの辺りは王の直轄地ですよ」

「そこでバルブロですよ……簡単な話、誘拐……じゃないけど、捕虜にすればいい……太子でなく、第一王子なのは不安要素ですけど……直轄地と交換であれば、ランポッサⅢ世も突っぱね難いでしょ」

「……なんかゼブルさんと話していると敵対しなくて良かったって、マジで思いますよ……なかなか誘拐紛いの発想には至らないんじゃないですか?」

「なるべく血を流さないように……それでいて俺達の都合が良いように考えたんですけど……そもそもアインズさんがノリで独立宣言しなきゃ、こんな苦労はしなかったんですけど……」

「それは……本当にごめんなさい」

 

 アインズさんに舌があったら、テヘペロってやっているのが目に見える。

 

「まあ、バルブロもボウロロープ侯もリットン伯も政治的には死ぬでしょうけど……俺達にとっては無駄に好戦的な連中には早めに退場願った方がありがたいわけですよ。どうせやるなら都合の良いところまで……その後は全員で経済発展して……その気がある国は人間種に限らず仲間にして、豊かな国々の盟主として『魔導王』アインズさんが立つ……それで良いんじゃないですかね?」

「実に平和的ですね!」

 

 暢気に喜ぶ超越者……裏方の苦労も知らないで……とはいえ、俺は考えて、上(=アインズさん)の承認を受けて、手配するだけなんだけど……上手くいくか、いかないかは現場の優秀さに依存するから、限られた人材をどれだけ適材適所に配置できるかが腕の見せどころ。

 そーゆー意味ではナザリックは適材適所の人材の宝庫だから、悩むことは少ない。ただし仕切り役がいないが難点だった。

 アルベドはナザリックから動かせない。

 デミウルゴスは能力的に足るものの、本人が忙し過ぎる。

 アインズさん謹製のパンドラズ・アクターは……能力じゃない部分でいろいろと問題を抱えて……いそうだ。本当にチラリと会っただけなのだが、そのチラリで十二分に不安を感じた……ネオナチ風軍服の見た目はなかなか格好良いのに。

 

「たとえ平和的でも国益を背負えば、裏方も責任者も有事と等しくキツくあるべき……『バンバン』さんの言葉です」

 

 唐突な俺の発言に浮かれていたアインズさんがこちらに向き直った。

 

「官僚でしたっけ、あの人?」

「エリート財務官僚……それは間違いありません。しかも将来を嘱望された期待のホープ……そこはあくまで本人談ですけど」

「俺に帝王学でも教えてくれないかなぁ……リアルから出張してきて」

「アハハッ……アインズさん、死にますよ……死んでるけど」

「どうしてですか?」

「あの人、徹底した凝り性な上に鬼のようなスパルタですから……俺のキャラビルドでの死に戻りの回数聞いたら、卒倒すると思います。ユグドラシルでの俺の死亡原因90%超は『バンバン』さんで、意外なことに戦闘狂の『えんじょい子』さんは2%にも達しません。つまり俺がどう思うかでなく、あの人が納得するまで殺され続けます……絶対に何かを頼んじゃダメなタイプですよ」

「えっ……ええっ……うん、そうですね」

 

 鬼の面を被ったスマートなスーツ姿の人間にボコボコに殴れる超越者……アインズさんが冷や汗をかいているような気がした。

 

「……で、どうするんですか?」

「どう、って?」

「国名ですよ……誰と交渉するにしても俺達の国名が決まってないといろいろ問題が生じますから、決めてもらわないと」

「……さて、どうしましょうか?」

「カルネ国じゃ、格好悪いですね」

 

 話の切っ掛け作り自分で言ってみて、絶望的な格好悪さだった。

 だが切っ掛けの効果は発揮したようで、アインズさんも考え始めた。

 たしかアインズさんはネーミングセンスは皆無だったような……俺も人様に威張れるようなものじゃないし……何にせよ、パッと思いつくのは地名や民族に依存したものだ。ただし民族はない……「多くの者を支配し、魔を導くから魔導王」の趣旨に沿えば、民族依存はあり得ない。

 

「ナザリック国……ナザリック地下大墳墓国……なんかピンときませんねぇ」

「エ・ランテル国……エ・ランテル魔導国……これじゃ、まるでエ・ランテルが独立したみたいに思われてしまいますね」

「アインズ・ウール・ゴウン国……ギルド名だけじゃなく、今の俺の名前でもありますから……ちょっと恥ずかしいなぁ」

「でも、こうすれば語感は良い感じですよ……アインズ・ウール・ゴウン魔導国……ナザリック魔導国よりもはるかに語感は良い感じですよ」

「それ、ちょいちょい入れますけど、ゼブルさん的にはどうしても魔導国が良いわけですか?」

「そりゃ、魔導王の国ですからね」

「えー、なんか恥ずかしいなぁ」

「でも、どんな阿呆でも理解します。ここは魔導王の国……だから魔導国なんです。リアルでもあったでしょ?……名と実が乖離しているような国……あーゆーのは詐欺感が強い気がします」

「まあ、詐欺感強めは嫌ですね……王が治るから王国……法国なんて法治主義とは思えないけど、法国か……どちらかと言えば教国の方がお似合いなんですよね……それよりははるかにマシな気がしてきました」

「でしょ……誰にでも理解できるっていうのは案外重要なファクターですよ」

「そんなもんですかね?」

「そんなもんです……アインズ・ウール・ゴウン魔導国……これで決定で良いですか?」

「うーん……まあ、パッと思いつく中では、それかなぁ……個人名と一緒なのがどうしても引っ掛かりますけどね」

「それじゃ、個人名じゃなくなったのを記念してモモンガ魔導国にでもしますか?」

「いや、それだけは勘弁して下さい……絶対に」

「じゃ、アインズ・ウール・ゴウン魔導国で決定です……鍛治長に言って、早急に国璽を作ってもらって下さい……せっかくだからなるべく希少な金属の方が良いでしょう……なんだったら、俺が提供しますよ」

「大丈夫です。過疎化しても老舗……過去にはランキング10位以内にもいたんですから、希少金属程度はこちらでいくらでも準備しますよ。それにしても国璽ですか……なかなかそれっぽいですね?」

「でしょ!」

 

 俺とアインズは顔を見合わせて、ハイタッチをした。

 

「で、俺からも質問です」

「何でしょう?」

「……ゼブルさんの役職はどうしましょうか?」

「それは……アインズさんが決めて下さい。その方が守護者達も納得します。最高意思決定に関われて、差配する立場であればなんでもいいですよ……人間種を見下しているナザリックの内部だけに意思決定を任せると力技に傾きそうで怖いですから……無駄に戦争始められても落とし所を探るのは大変ですし、探っている内に相手を全滅させかねない。現地勢と比べて俺達は圧倒的に強いんです。だから自制しないとアインズさんは恐怖の大魔王まっしぐらですよ」

「それは……嫌だなぁ」

 

 アインズさんは腕組みして、真剣に悩み始めた。

 

 こんなことになるなんて……数々の人間種ギルドを潰してきたこの俺がアインズ・ウール・ゴウンに加入する羽目に陥るとは……まあ、いずれ抜けるにしても、自分で決めた最低限の責務は果たしたい。

 だがら発言は偽りなく俺の正直な気持ちで間違いない。それさえクリアしてくれれば役職なんざ何でもいいのだ……今目の前にいる暢気なプレイヤーを大魔王にしたくない。こうして素の自分を晒せる相手が存在していることが重要なのであり、それが暴走の歯止めになる。武力で世界を支配下に置いて、その先に何があるというのか?……何もありゃしない。下手すりゃ満足感すら得られない……その為に最低限意思決定の場に参加できる立場だけは手に入れなきゃならない。それが何であろうと問題はない。

 

 やがてアインズさんが俺を見た。

 

「……単純に副王とかは嫌ですか?」

「俺は何でも構いませんけど、それ以前に俺の配下の扱いどうします?」

「ですよねー……そこが難しいんだよなぁ」

「俺は別勢力の頭でもあるわけですよ……人間種も多い……だからアインズ・ウール・ゴウンに加入させるわけにはいかない。人間卒業しちゃったティーヌですら、社会人とは呼べないでしょ……単に強いだけの無職だし……逆に職に就いている連中は漏れなく人間種だし……」

「うーん……難しいですね……ツアレはセバスの任務達成に対する褒美としての特例かつあくまで保護なんで……ルールの変更までして、ってなると節操無しですよねぇ……それに純粋に資金力はゼブルさんのところの方が上っぽいのに子会社っぽい扱いもどうかと思うんですよ」

 

 2人で腕を組んでウンウン唸ること数分……やがて俺の頭に一つの折衷案が舞い降りた。

 

「単なる思い付きですけど、それじゃこうしませんか?……俺の配下は全員漏れなくアインズさんの国で雇って下さい。つまり国家公務員化するんです。形式だけなんで薄給でOKです。月当たり金貨一枚程度の給料を払って実質的にアインズさんの国の傘下に置くわけです。まあ、当面は負担も大きいのでその為の資金は上納金としてこちらから供出します。現状自力で稼いでいる連中はそのまま特別公務員みたいな形式でも良いですし……給与の受け渡しは旧『八本指』のシュグネウス商会を通してもらえば、俺達としても助かります」

 

 アインズさんが骨の手を打った。

 

「配下でなく、雇用という形式ですか……素晴らしいですよ!……それなら俺でも理解できるし……いや、凄く良い案ですよ!」

「現地で職を持っているヤツも多いので出勤は義務化しないでくださいね」

「了解です!……なんかスッキリしましたよ!……じゃ、ゼブルさんも副王で問題無しですね?」

「そーなりますね」

 

 明日には魔導王となる超越者の眼窩で赤い炎が燃え盛っていた。

 




お読みいただきありがとうございます。


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28話 徐々に状況は作られる

書き溜めがあるので、時間的に油断してしまいました。


 

 突貫工事で恐ろしく巨大な宮殿は3日でほぼ完成していた。内装以外はほぼ完成しているということだ。

 王都の倍の高さはあろうかという城壁にはさらに高い高楼があり、巨大な弩のような常設の投射兵器も無数に設置されていた。城壁上も広く小隊程度であれば隊列を組んだまま移動可能だ。現にゴブリン軍が訓練している。

 宮殿の周囲も同様の城壁があり、こちらは周囲をゴーレムが周回している。

 本来のカルネ村は宮殿周りの城壁の中にすっぽりと収まる。

 その周囲に将来を見越した官庁街と軍関連施設があり、南側にはまだ整地されただけの居住区が広がりっていた。まだ旧カルネ村の住民分しか家はなく、ポツンポツンとしか石造の建物はなかった。

 東と西は商業区の予定であり、北は生産区である。

 完成している建物のサイズ感が巨大過ぎて、ピンとこないが、城壁内の全街区の合計面積は王都を軽く凌駕する

 そんな名実ともに巨体都市に暮らす住民数は面積に比して極端に少ない。

 約100名の人間種。

 10000弱の亜人種。

 極少数の知性を持つモンスター。

 そして都市長候補はエンリ・エモット……ゴブリン軍の将軍でもある。

 まだ水は引けていないものの、水路も建設済みだ。どうやらトブの大森林の奥にリザードマンやトードマンが住処とするひょうたん型の湖があり、そこから水路を通すと言う。都合の良いことにアインズさん配下のリザードマン集落であり、ついでにトードマンも集落も支配下に置く為、アウラちゃん配下の魔獣軍団が侵攻を開始したらしいが、どうにも不安は拭えない。いちおう種族を全滅させることは禁じているが、果たしてどこまで守れるものか……

 

「しかし……凄まじい光景だな、ゼブル殿」

 

 俺の疑念を上書きする様にジルクニフが言った。

 城壁上から下を覗き込むバハルス帝国皇帝。

 彼の背後には変態ジジイことフールーダ・パラダイン。

 護衛としてバウジットとレイナースさん。

 秘書官ロウネ・ヴァリミネンは自前の紙束に然りに何かをメモしてした。

 以上が帝都から『転移門』を通って俺に同行してきた面々だ。

 さすがに宣戦布告した以上、いかなる理由があろうと王国内に堂々と侵入するわけにはいかない……こういう時『転移門』は便利です。

 

「……これが建設が始まって僅か3日ですか?」

 

 思わずロウネが呟く。本来ならば主君を差し置いて発言して良いような場ではないらしいが、俺は詳しくないので、気にしないでドンドン発言してくれ、と事前に伝えてあった。

 

「3日ですよ……俺達の保有する技術力をよく確認して欲しい……この後、ナザリックで俺達の盟主であるアインズさんと皇帝陛下が会談するにあたって、俺達のセールスポイントを頭に入れておいて欲しいんだ。資金力はこの都市を見れば説明不要で理解してもらえると思う。次は生産力……そしてほんの一端だが、都市防衛の為の軍事力……それもよーく確認して欲しい」

 

 新都市カルネ(仮称)の要所をマスフライや転移を利用して次々と見せて歩く。ジルクニフ一行は感嘆の声を上げつつ、素直に楽しんだようだ。

 ビーストマンにゴーレムが入り混じって働く中を個々の工程管理を任されるエルダーリッチ達が最短距離で全体を監督するマルファスの執務室に書類を運ぶ様はジルクニフ一行を驚かせたものの、帝国でもアンデッドの労働使役は考えているらしくジルクニフだけでなく、フールーダやロウネからも数々の質問が飛び交った……この辺りでも帝国はアインズさんと親和性が高い……俺は密かにほくそ笑んだ。

 

 建設中の建物見学から広大な田園地区……つまり城壁外まで転移する。

 

 点在する加工用施設は見えるものの、基本的には見渡す限りの麦畑と水の引かれていない用水路だった。ただ現在はマーレきゅんフル稼働状態なので水はどうでも良い。竜王国の領地から運んだスケルトン労働ユニットが大半なのは間違いないが、その中にナザリックから派遣されたアインズさん謹製もしくはのナザリックのPOPモンスターでも上級スケルトン系アンデッド労働ユニットが実験も兼ねてフル稼働していた。

 

「これはまた……近い将来、人間の肉体労働は不要になってしまうのではないか、ゼブル殿?」

「それも見据えていないとは言えないですね……基本的に植物相手はアンデッドの方が効率良くなるのは間違いありません。現在、より高位のスケルトンを使役して、より高度な労働が可能か、実験中です。畜産系では肉や乳の加工にはアンデッドは役立ちますが、家畜の世話は怯えてしまうので厳しいですね」

「既にそこまで……」

「それだけじゃありません。田園地区の外周部の警備は基本的にアンデッドが担当しています……将来的には都市の外周警備は全て担当させる予定です。24時間年中無休で稼働可能な上に睡眠も休憩も食料も不要かつ、害獣の類もアンデッドを恐れて近寄りません。今のところ、基本的に動物の世話が厳しいだけで、事務処理能力も決済を伴わない業務管理能力も人間より疲労もムラもない分、はるかに優れた結果を残しています……下級官吏としては人間よりも絶対的に優れものですよ……なにしろ命令厳守で不正どころか怠慢も……体調不良も無い……さらにウチのアンデッドであれば給金も不要です」

「それは……たしかに一考の価値があるな……」

 

 ジルクニフが考えるように遠くを見ると、フールーダ以外の面々が主君から隠れるように露骨に嫌な顔を見せた……彼等皇帝の最側近はパージされることはないだろうが、自分の周辺がアンデッドだらけの帝城を想像したのだろう。

 

 その後、超巨大果樹園に続いて、田園地区に点在する畜産牧場を見学した。牧場自体も広いは広いがなんと言ってもここだけは人間が中心になって運営していく必要があるので、アンデッドが活躍する田畑に比べると常識的な広大さになっている。それが田園地区内に12ヶ所……中にはスレイプニルを生産している牧場まである。

 さらに新都市カルネだけで作った、ブエル監修のトブで採取される薬草の栽培場なる巨大建築を見て……ジルクニフは多少の危機感を見せた。これで腕の良いポーション職人(アインズさんはエンリを餌にバレアレなるエ・ランテルの名士を招聘しようと考えいるようだが……)を揃えられたら、新都市カルネと友誼を結ばねば簡単に戦争などできなくなるのは明白だった。特に専業兵士制である帝国は兵士一人当たりのコストが王国とは比較にならないほど高額なのだ。ポーションの供給を渋られ、相場が高騰すれば目も当てられない。かと言って、兵士は非常に高額なので使い捨てなど考えられない。つまり価格が高騰したポーションでも使わねばならないのだ。

 

 狙い通り……俺達には友好的でないのは損だ、という方向へ誘導できた手応えを感じる。日和見はおろか中立すら許してやる気は無い。

 ……という俺の思惑に関係なく、薬草の栽培場以外はいずれにしても空いた口が塞がらないレベルの驚愕と与えたようで、ジルクニフ一行は非常に楽しんでいた。

 

 そのまま城壁内の生産区に『転移門』で移動する。

 まず巨大な工房では召喚ゴブリン軍団のたった1人の鍛治師が槌を振り下ろしていた。さらにその横ではデミウルゴス麾下のダークドワーフが10人程で作業している。工房そのものは彼等がたとえ1000人いても問題無い大きさであり、設備は非常に立派なのだが、とにかく鍛治仕事ができる者が他にいないのだ。ナザリックの鍛治長を引っ張り出すわけにもいかない。

 

 この辺りが帝国がナザリックに協力するには絶好のポイントだと言外に伝える為にあえて見せた……ジルクニフに上手く伝われば良いのだが……

 

 次いで加工済み食品の超巨大集積場……これはもう単純に圧倒的な物量がジルクニフ一行を半笑いにさせた。同時に戦争前であろうと、ここから放出すれば穀物相場が一気に下落することを示唆する。つまり軍の兵糧は溜め込み過ぎない方が良いと言うことだ。他にも国家備蓄があれば、こちらが放出するタイミングを教えると付け加えた。

 

「良く……理解した」

 

 ジルクニフは深く頷き、ロウネに何事かを指示した。

 

 他にも酒蔵や調味料・香辛料の生産集積所に加えて発酵食品の生産施設に木工場と巡る……ちなみに城壁外には鉄工所や製錬所の建物はあるが現在稼働していない。

 

 そして巨大宮殿で昼食会……原材料はまだ生産の間に合っていない肉と魚と酒を除いて、全てカルネ産を使用したものらしい。この辺りはナザリックの料理長と副料理長任せなので俺は料理一つ一つの説明文というかお品書きのようなものを読んだだけだった。ナザリックの文章は日本語なのがありがたい。

 贅沢に慣れている皇帝すらコースを食べ終えるまで無言だった。

 そして俺も説明以外は無言で貪り食った。

 ユリ・アルファに率いられた一般メイド達が忙しなく給仕していた。

 誰一人……高齢のフールーダすら食べ残しは無い。

 最後にコーヒーが運ばれる……それすら美味いので全員が無言だった。

 

 すげー満足……めっちゃ腹一杯!

 

 単純にテンションが上がったが、満足している場合ではない。

 

「さて……午後は軍事関連の視察……そして俺達の盟主であるアインズさんと会談ですよ」

「いや……同盟の件は、現時点でむしろこちらから申し込みたいぐらいに気持ちが傾いているのだ。そちらの軍事力に関してはゼブル殿の戦闘能力を知っている以上、さらに視察は必要なのだろうか?……と疑問を感じてしまう」

「でも俺達と手を握るなら、相手の内情は知った方が良いのでは?」

「一般論で言えば、たしかにゼブル殿の言う通りだ。だが我が国に……アインズ・ウール・ゴウン魔導国と軍事力どころか経済力も技術力も敵対する力はないのは明白……で、あればアインズ・ウール・ゴウン魔導国が手を差し伸べてくれている内に、平和的かつ友好的に同盟関係を築き、他国に対して将来的な優位性を確保したい……と私は考えている。もちろん重臣達と協議する必要はあるが……どうだ、皆の者……私の考えに異論はあるか?」

 

 誰も答えない……こういったシーンで異論を唱えることを意識しているようなバウジットすら……つまり食事の時点で全員の心が折れたのか?

 

「と、言うことだ、ゼブル殿……この際なのでハッキリ言ってしまえば、バハルス帝国はゼブル殿個人にすら届かないのだ……それは帝都でのゼブル殿の戦闘の調査報告だけで十二分に理解できた。その上ゼブル殿の上位者が現れ、独立国家を築くと聞かされた……我々の選択肢は最初から一つしかないのだよ。だからこの申し入れがあった時点で、我々は同盟を締結するつもりでやってきたのだ。属国でなく、同盟関係で良いと言ってくれている内に、我々としては是非とも同盟を締結したい……我々がゼブル殿にご教授願いたいのはただ一つだけ……ゼブル殿とは知己であり、私の友人と信じている……お互いに打算はあったとはいえ、ゼブル殿はバハルス帝国の……私の為に墳墓に赴き、不利な条件下で戦ってくれた。その友誼を信じて、バハルス帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスが頼む……ハッキリと明言して欲しい。魔導王陛下は我々にどうして欲しいのだ……私達はそれに応えたい。帝国が貴国に対して対等は無理にしても、より優位な立場を維持したまま同盟関係を築くにはどうしたら良い?」

 

 切実な思いが視線に込められていた。

 何があっても独立を保つ。

 何があっても臣民を守る。

 その為には何でも利用する。

 

「……そうですね……交渉そのものは盟主であるアインズさんの担当なんですけど……」

 

 どうするべきか……迷っているとジルクニフが続けた。

 

「こちらの条件はバハルス帝国の独立を保つこと、この一点だ!……頼む……私とゼブル殿の仲ではないか……教えて欲しい」

 

 そう言われてもなぁ……既に交渉成立みたいな状況であることをアインズさんに伝えるか?……いや、あの地道な魔導王ロールの練習を見た後だと、アインズの見せ場を奪うのはどうなんだろう?……俺も昨晩1時間ぐらいは付き合った手前、どうにも気が引ける。

 

「じゃあ、こうして下さい……バカバカしいと思うかもしれませんが、必要なことなんです……」

 

 本来ならば交渉のテーブルに上げる予定だった条件を羅列した。

 帝国と王国にはこのまま戦争を開始してもらう。

 俺達が側面支援するので帝国の勝利は確実。

 もし消耗戦に陥りそうであれば亜人種連合軍を投入するので、その際は一時撤退して欲しい。

 で、ここからが本題。

 勝利が確定したら、講和交渉時にエ・ランテル一帯から、この辺りトブの大森林に至るまでの領土の割譲を迫って欲しい……それこそ王国側の抵抗が強いようであればもう一戦も辞さない覚悟で交渉に当たって欲しい。

 その後、獲得した新領土を魔導国に譲渡の上、カッツェ平野とトブの大森林の魔導国の領有権と併せて承認する。

 カッツェ平野の件は竜王国も内諾済み。

 近い将来、竜王国と帝国間を直接繋ぐ大道を通す予定でもある。

 交換条件として魔導国は帝国に対して経済的技術的支援を行う。

 希望があれば、何があろうと絶対に人間を襲わないアンデッドも貸出する。

 同じく都市の再開発も請け負う。

 同じく土壌改良も請け負う。

 その他応じられる希望については対応する。

 帝国のメリットは説明する必要はないだろう。

 デメリットは戦闘の前面に立つのに最大の戦利品を強制的に譲渡すること。

 これ以降、帝国が王国に直接戦争を仕掛けられないこと。

 

 全ての説明を終えるとジルクニフはホッと息を吐いた。

 側近達も安堵の空気を滲ませる。

 

「……で、重要なのはアインズさんとの会談では全て初めて聞いたつもりで対応することです……バカバカしくとも非常に重要なので、これだけは厳守して下さい……加えて、言うまでもないですが、俺達魔導国側に立つのか、そうしないのか……その2択です。以前にもバウジットさんには言いましたが、俺は中立や日和見を絶対に許しません。帝国が態度を鮮明にしないことは、魔導国は敵対と同義と考えます。そうする、しないは自由ですが……アインズ・ウール・ゴウン魔導国を帝国に都合良く踊らせることは不可能と考えることをお勧めしますよ」

 

 恫喝とも受け取れる言葉にジルクニフは俺を見た。

 そして頷いた。

 

「じゃあ……希望に応えたところで、新都市カルネの防衛訓練でも見ていただきましょうか?」

 

 全員が表情を引き締め、立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 巨大な木剣をバックステップしつつ木剣で受け流し、イーグに目配せする。

 アイコンタクトと同時にイーグが突進し、ディンゴの肩口を木剣で狙った……が、ディンゴがイーグを蹴り飛ばし、逆にフィリップに向かって前進する。

 これまでならば単純に追い詰められただろうが、フィリップはさらに踏み込んだ。ディンゴの巨大な木剣は離れれば離れる程、より凶悪さを増すことを学習したのだ。突進しつつ木剣を振りかぶるディンゴの懐に飛び込み、自身の木剣を突き出す。

 

 勝った!

 

 そう思った瞬間、ディンゴは半身になり、巨剣で大雑把にフィリップの身体を横に薙いだ。

 

 がっ!

 

 フィリップは大きく弾き飛ばされ、宙を舞った。

 受け身は取れず、地面に激突し、強か肩を痛めた。

 慌てて立ち上がろうとするも、上手く身体が起こせない。

 

「はいはーい、休憩ねー」

 

 ティーヌの声と共にポーションを浴びせられ、フィリップは立ち上がった。

 そのままティーヌに目配せされ、皆が思い思いに休憩するテラスを通り抜けて、ティーヌと共に屋敷の中に入った。

 

 今にして思えば堕落の城だ……無理矢理贅を詰め込んだような屋敷の内装を見回し、フィリップは嘆息した。こんなものに憧れ、手に入れた途端、こんなものに振り回されて、それに相応しい自分を飾ろうと虚勢に塗れた生活を送っていたのだ。たとえ数日間であろうと自分で稼ぎ、自力で生活することに慣れると、中身のない外側に踊らさせる生活は滑稽そのものにしか感じない。

 試しに聞いてみた『豪剣』の面々の評価では、フィリップとイーグは冒険者の等級で言うと白金級には届かないが、金級程度の力は有しているのではないか、とのことだった。冒険者の仕事の無い王都では厳しいが、エ・ランテルであればそれなりの生活を維持できるのはないか……その論評を聞いた後、フィリップは宿への帰り道で密かに拳を握りしめた。同時に少し前の自分では考えられない感情に戸惑いもした。

 

 そんな事を思い返しながら、ティーヌに促されるまま進むと、彼女はエドストレームが専用執務室として使用している部屋の前で立ち止まり、顎をしゃくった……入れ、ということだろう。嫌な予感がしたが、とても逆らう気にはなれず、素直に従う。

 

 部屋の中に入ると、屋敷の他の部屋とは違い、どう見ても実用一辺倒の執務机の向こうでスーツ姿のエドストレームが待ち構えていた。

 今にして思えば、この女も大したものだ、と感心する。どのような修羅場を潜り抜ければ、あのような三日月刀の技を習得できるのか……日々鍛錬に励む身としては素直に感心してしまう。

 

「何の用だ?」

「シュグネウス会頭から伝言よ……バルブロ王子とレエブン侯、つまりザナック王子ね……どちらの側に立つのか?……商会としてはザナック王子寄りのスタンスを決定した……ただしモチャラス卿に関してはバルブロ王子から密命を受けた件もあるので自身の裁量に任せるそうよ……つまりモチャラス卿自身がどう判断しても商会の方針をバルブロ王子に漏らすような真似をしない限り許容します……以上よ」

「待て……私を放逐するということか?」

「いいえ……どう判断されようが、バルブロ王子に媚を売る為に商会に不利を招くような行為をしない限り、これまで通り……我々もザナック寄りのスタンスを決定したとはいえ、バルブロに敵対するわけではない……その辺りを理解して行動しろ、ってことよ。いちおう齟齬が生じないように、モチャラス卿には事前に警告しただけ」

 

 密命……日々の訓練の激しさにすっかりどうでも良くなっていたが、王国貴族としてバルブロ王子からの密命を蔑ろにして良いものではない。とはいえ、現在ではあれほど浮かれていたのが自分でも嘘のようにも感じる。

 

 ……果たしてバルブロ殿下の走狗になることに意義があるのか?

 

 フィリップは考え込んだ。

 まるで準備してあったかのようにエドストレームが助け舟を出す。

 

「かなり有力な情報として……エ・ランテルの北方で不穏な動きがある……背後にはバハルス帝国も絡んでいるそうよ」

「どういうことだ?」

「そのままの意味ね」

「そうではない……本当であれば王国に激震が走る情報だ。それをシュグネウス商会がわざわざ俺に伝える真意はどの辺りにある、と確認しているのだ」

 

 エドストレームが少し意外そうな表情を見せた。

 随分と舐められたものだ、とフィリップは内心イラ立ったが、少し前の自分自身を顧みれば、エドストレームの反応も仕方ないと唇を噛み締めた。

 

「どう扱うか、はモチャラス卿にお任せします……我々にとっては王国の支配層にこの情報が流れること自体に意味がある……そう考えていただいて間違いありません」

「つまり情報を流せ、ということだな。そして私が情報を流す先がどこであろうとかまわない……そういうことだな?」

 

 エドストレームが冷たい笑いを見せた。

 

「……流さなくても構いませんよ……モチャラス卿がどう動かれようと、この情報はいずれ誰かに漏れます。その前に有効利用して頂いても結構……いちおう我々の庇護下にあるモチャラス卿の手柄に、と考えたまでです。我々は貴方が想像するより、はるかに深く根を張り、はるかに広く手が届きます。どう考えられてもモチャラス卿のご自由です」

「ふん!……見え透いた誘導だな」

「どう受け取ろうとご自由……そう申し上げたはずですよ」

 

 どうにも気に入らない女だ……フィリップがそう思った瞬間、肩を引かれた。

 振り向くとそれまで気配を絶っていたティーヌの笑顔があった。

 

「モッちゃんさぁ……グダグダ考えてないで、手柄にして、先陣の栄誉を貰いなよ……バルブロなんつーのはどうせ自分で敵陣に斬り込む考えなんてないんだからさー……コレをバルブロの手柄にして、手柄を立てさせた代わりにモッちゃんが先陣に立つ確約を貰いなって!」

 

 一見勧めているだけように感じるが、フィリップにとってティーヌの言葉は確定事項だ。

 

「バルブロ殿下だ!……です……」

「どうでもいいよー」

 

 フィリップの抗議を軽く一蹴したティーヌがエドストレームに向き直る。

 思わぬ展開だったのか、それまで冷淡だったエドストレームの表情が歪む。

 

「んじゃ、エドちゃんは至急バルブロにアポ取ってくれるかなぁ?」

「……私が?」

「他に人がいないじゃん」

「モチャラス卿……」

「モッちゃんは訓練だから……手が空いているのはエドちゃんでしょ……今日の午後にアポ取ってよ」

「はぁあ!?」

「ババア使えばなんとかなるっしょ」

「無茶です!」

「私はやれ、つってんの」

「直系の王族ですよ!」

「関係ないじゃん」

「……だからっ!」

 

 バンッ!

 机が大きく揺れた。

 それほど力を入れたように見えなかった。

 エドストレームは顔を引き攣らせた。

 

「エドちゃんさぁ……ホントーに解らないのかなぁー?」

「……なっ、ナニが……」

「真意だよー……私は解るよー……直ぐにどうするべきか理解した。同じ配下なのに、ちょっとガッカリだなぁー……って、思われちゃうよ?……それで良いの?」

 

 どう答えるのが正解なのか……エドストレームは目を見張ったまま、黙るしかなかった。自分を見ているのに、全く視界に入っていないような感じ……得体の知れないモノがティーヌから感じられる。

 

 ……真性のバケモノが……

 

 表情を変えずに、そう思う。

 掌が汗で濡れていた。

 脚の震えを隠しきれているのか……

 

「解らないなら、私に従った方が良いと思うよー」

 

 ミシッ……

 何かが軋む嫌な音がした。

 エドストレームは理解した……否、させられた。

 

「……会頭を通して、最善を尽くします……それで良いですか?」

「最善とか意味無いから、結果残そうねー」

 

 そう言い残すと、ティーヌはフィリップを連れて執務室から出て行った。

 

 執務机の天板が5ヶ所……指の形に凹んでいた。それはティーヌが手を置いていた場所と符号していた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導国?……何だ、それは?」

 

 国王ランポッサⅢ世のその発言の後、誰もが黙り込んだ。

 玉座の側に立つ戦士長ガゼフ・ストロノーフの瞼がピクリと動く様を見た者はいない。ガゼフは六大貴族の全員が参集した様を眺めていた。

 雑多な貴族が居並ぶ中、やはり宮廷会議そのものを動かすの六大貴族だ。その中でも会議流れを断ち切って唐突に出現したその国家に関して、情報を持つ者と持たぬ者に別れる。さらに情報を持つ者の中でも積極的討伐論者とそうでない者に別れた。

 全員が1ヶ所に揃うことも珍しい六大貴族が参集した宮廷会議では、通常であれば王派閥と反王(=貴族)派閥に分派して暗闘し、揉めることが多いのだが……帝国との開戦を前にした今回は普段と違う様相を呈していた。

 

 例年通り帝国を非難しつつも、淡々と進んでいた会議の流れを止めたのは第一王子のバルブロだった。

 突然挙手し、普段ならば会議の末席を汚すだけの男爵位であり、まだ年若いモチャラスを指名すると発言させたのだ。

 

 エ・ランテルの北方でアインズ・ウール・ゴウン魔導国を称する叛徒共が建国を宣言し、直轄領内のカルネ村なる開拓村を拠点に蜂起した。情報によればバハルス帝国と竜王国が背後で暗躍しているとのこと……帝国との開戦時に背後を脅かすのではないか……そう思わせる為の工作ではないか?

 

 モチャラス男爵の発言を受けて、バルブロ第一王子が会議に参集した全貴族を睥睨した。異論を抑える為に精一杯の威嚇する……必要をはるかに超えた時間を溜めて、バルブロは発言した。

 

「……このような暴挙を許せるのか!……帝国の卑劣な策に乗せられてはならん!……本来であれば叛乱勢力を殲滅した後、後背の憂い無く、帝国に逆撃を加えるべきだろうが、残念ながら今回は時間が無い……二正面作戦にはなるが別働隊を派遣し、魔導国を称する叛徒共を抑えるべきだろう。正面の帝国軍さえ撃破すれば、帝国に乗せられた叛徒共は自然に勢いを失うに違いない……異論のある者はあるか!」

 

 バルブロの言に深く頷く者は2人……義父であり、六大貴族で最大の領地を有し、反王派閥の首魁であり、バルブロを次代の王へと推すボウロロープ侯と、六大貴族としては他者よりも格落ちを自覚するが故に苛烈な上昇志向の持ち主であるリットン伯。

 調査すべきと王に進言したのも2人……ランポッサⅢ世の長女を娶り、自身も次代の王候補の1人である王派閥のペスペア侯と、同じく王派閥に属し人格的に誰もが一目置くウロヴァーナ辺境伯。

 思案をするように俯いたが関心が無いのが明白なブルムラシュー侯と、完全に無表情ながら一瞬だけザナック第二王子と視線を絡ませたレエブン侯は沈黙を貫いた。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王と称する狂人……どこかで聞き覚えございますなぁ……ストロノーフ戦士長殿?」

 

 リットン伯の追従者達が一斉に小さく笑いを漏らす。

 見下す細い目がガセフを突き刺した。

 

「私がエ・ランテル近郊に赴いた際、助けていただいたマジック・キャスター殿で間違いないでしょう……」

「なるほど、自領と信じた狂人は勘違いしたわけだ……己の民と」

 

 侮蔑と嘲笑……だが平民出身のガゼフが面と向かって言い返すことはない。

 主君ランポッサⅢ世もリットン伯が反王派閥故に嗜められない。その表情に僅かな不快感を浮かべるのみ。

 

「この狂人は帝国のスパイではありますまいか?」

 

 リットン伯の大袈裟な身振りに多くの者が賛意を示す。

 

「……つまりストロノーフ戦士長殿の報告ではあの辺りを襲撃したのは法国の手の者とのことでしたが、戦士長殿の勘違いである可能性も捨てられなくなりましたなぁ?」

「彼奴等は帝国騎士よりもはるかに強く、天使を使役しておりました……スレイン法国の者で間違いありません」

「お言葉ですが……戦士長殿の証言がどこまで信じられるのか?……それこそが問題でしょう……現実にアインズ・ウール・ゴウンなる狂人は叛徒共を蜂起させ、魔導国を称する叛徒勢力の背後には帝国のみならず竜王国の影までチラついているのですぞ!……戦士長殿の勘違い……ならばまだ良いですが、ここに至っては戦士長殿が帝国もしくは魔導国なる叛徒勢力の内通者でない証拠が必要となる……ように私などには思われますが、ご参集の皆様はどう思われますかなぁ?」

 

 反王派閥の貴族は一斉に賛意を示し、王派閥の半数も疑念の目を「下賤な平民出身者」であるガゼフに向けた。そして残りの王派閥は沈黙を貫く。

 下賤でありながら王の側に侍るガゼフを追い落とさんと、ここぞとばかりに普段のガゼフの厚遇に不満を抱く貴族達が牙を向けたのだ。

 場の空気は険悪さを増す一方。

 ここに至りランポッサⅢ世が発言する。

 

「皆の者、我が戦士長が決して私を裏切るような人物でないことを思い出して欲しいのだ……彼は幾たびも私の為に死地に飛び込んでくれた。そんな彼が私を……いや、王国を裏切るようなことがあるはずがない!」

 

 普段であれば、王のこの一言で決着する……しかしリットン伯は追及の手を緩めることはなく、ボウロロープ侯を筆頭に他の大貴族達もストロノーフ戦士長への追及を黙認した。

 僅かにペスペア侯とウロヴァーナ辺境伯が王の意向に沿った異論を唱えるも、自派閥の者からまで嗜められ、追及の大きな流れを止めるまでには至らなかった。貴族達の罵詈雑言の嵐が吹き荒れる中、ランポッサⅢ世も途方に暮れ、ガゼフは耐え続けた。

 

「陛下……発言をお許しいただきたい!」

 

 僅かに空気が弛緩した瞬間、レエブン侯の声が響いた。

 

「発言を許す、レエブン侯」

「私もストロノーフ戦士長殿を信じます、陛下……」

 

 ランポッサⅢ世の表情が弛緩し、リットン伯がレエブン侯を睨み付ける。

 

「……しかしながら、陛下を守護する戦士長殿をここに参集されたご一同が信用していない事実も看過するわけにいきませぬ……さらに帝国との開戦を目前に控え、時間が無いのも事実。このまま揉め続けるのは我ら一同、偽帝エル=ニクスに乗せられいるも同然。ここはひとつ、この場を収拾する為の愚案を提案したいのですが、よろしいですかな?」

 

 ガゼフは不信感を感じさせぬよう蝙蝠を見た……レエブン侯によって紡がれた言葉は正に正論。しかし普段の行動が不可解すぎる。さらにザナック第二王子をチラリと見たのも見逃せない。

 ランポッサⅢ世が頷いたのに続き、ボウロロープ侯にペスペア侯も頷いた。さらにブルムラシュー侯とウロヴァーナ辺境伯が同意すると、さすがのリットン伯もガセフ追及の矛を収めざる得なかった。

 議場が静まり、レエブン侯が喋り始める。

 

「あくまで案である……異論は話を終えてから聞こう……」

 

 レエブン侯の案は極めて単純でありながら、誰もが反対どころか、異論を差し挟むのも難しかった。

 

 曰く、王とガゼフ率いる戦士団はエ・ランテルにて本陣を張り、総指揮及び後詰を担当すべし。

 曰く、カッツェ平野での実戦総指揮は魔導国の情報をもたらした功績からバルブロが執り、後見であるボウロロープ侯が供回りを固める。先駆けである先陣の栄誉はリットン伯に与え、左翼をウロヴァーナ辺境伯が、右翼をブルムラシュー侯がそれぞれ指揮し、固める。後陣は陛下の娘婿であられるペスペア侯に任せ、エ・ランテルの本陣と緻密な連携を期待する。

 曰く、自分は不本意であるが、別働隊として叛乱分子を抑える為にカルネ村の平定に向かう。その指揮はザナックに願う。

 各自、最善を尽くせば帝国軍を撃ち破れなくとも、侵攻を止めることは叶うだろう。

 

 ……と、簡単に言えば、自分とザナックが戦功からは縁遠い叛乱鎮圧に当たるので、これ以上の宮廷会議の時間の浪費を回避する為、王と供回りであるガゼフは安全圏で高みの見物を決め込め……レエブン侯はそう主張したのだ。

 

 当然、実戦総指揮にバルブロが指名された以上、娘婿を次期国王に推すボウロロープ侯は頷くしかない。これで大勝となれば言うことはないし、少なくとも大敗しなければ喧伝次第でどうとでもなる……つまりバルブロの王位がグッと現実味を増す。

 リットン伯も戦功から最も近い先鋒であれば、内心はともかくガゼフを追及した手前、言葉を飲み込むしかなかった。

 他の六大貴族であるペスペア侯にしてもウロヴァーナ辺境伯にしてもブルムラシュー侯にしても、帝国との戦争そのものは確定事項である以上、レエブン侯自身が泥を被る主張をされては認めるしかない。

 そしてランポッサⅢ世にしてもガゼフにしても事態の収拾まで視野に入れれば、レエブン侯の案に異論を唱えるのは難しかった。

 

「……以上であります、陛下……誰か、異論はあるか?」

 

 レエブン侯が鋭い視線を周囲に投げた。

 すると壇上から興奮の面持ちのバルブロが手を挙げる。

 

「殿下……修正案があればご教授願います」

「いや、素晴らしい案だ……しかしながら一点だけ追加を願いたい」

「何でしょうか?……そもそもこの案が陛下から承認を受ければ、実戦総指揮は殿下が采配されるのです」

「それは……その通りだが、レエブン侯の素晴らしい提案に敬意を評し、現時点で修正を願う。私に魔導国なる叛徒勢力の情報をもたらしたのはモチャラス男爵だ。その功を持ってモチャラス男爵をリットン伯の麾下に加え、さらに最先鋒の任を与えたいのだ」

「もしこの案で陛下が承認されるのであれば、それは殿下の裁量で御随意になされるがよろしいかと……殿下は全軍の采配を王陛下から任されるのです」

 

 興奮したバルブロは顔を真っ赤にして立ち上がった。

 

「父上、いかがでしょう?……私はこの上なく素晴らしい案だと考えます!」

 

 ランポッサⅢ世はレエブン侯を見詰めた。

 レエブン侯は僅かに頷いていた。

 その視線の先にはザナックがいる。

 表向きはともかく、裏側のレエブン侯はたしかに憂国の士だった。

 彼の思惑がどの辺りにあるのか……六大貴族の中で最も信を置くとはいえ、ランポッサⅢ世は計りかねた。レエブン侯の案はバルブロが絶賛するような代物でなく、まして必勝の策では無い。あくまで大混乱した宮廷会議を収拾する為の最良案でしかないのだ。とはいえ、このまま宮廷会議で戦士長の吊し上げを続けるのは不毛であり、帝国に利するだけなのも真実だった。

 

 空前の好景気が王国の諸侯を強気にさせている。

 ブルムラシュー侯などは王家よりも確実に財力が高い。しかし彼は王派閥でありながら、王家に尽くすことに関心がなかった。そしてペスペア侯はともかく、ウロヴァーナ辺境伯などはやはり領地が辺境であるが故に、この好景気の恩恵からは一番縁遠い存在だった。

 対して最大の領地を誇るボウロロープ侯や、堅実な領地経営をしながらも利に敏いレエブン侯などはブルムラシュー侯とまではいかないものの、相当に潤っていると聞く。一枚落ちのリットン伯にしても同様だ。

 王家も財政的には例年よりもかなり余裕があるとはいえ、やはり王家である以上、支出も大きい。徐々にではあるが、相対的かつ確実に王家の力は落ちているのだ。

 

 ここで六大貴族を掌握しなければ、一同はバラバラのまま開戦へと突き進む……戦争を前に先が思いやられるか……バルブロにしても百戦錬磨のボウロロープ侯の補佐があれば最悪の事態には陥るまい。

 

 ランポッサⅢ世は頷いた。

 

「レエブン侯の案を良しとする……皆の者、抜かりなく準備に掛かられよ」

 

 国王の承認を受け、宮廷会議に参集した貴族一同は勇ましい声を上げた。

 彼等が一つにまとまる様を見て、ランポッサⅢ世はホッと息を吐く。

 

 ガゼフ・ストロノーフも息を吐いた。

 濡れ衣ではあるが自身の疑惑が有耶無耶とはいえ、とりあえずは横に置かれたのだ。つまり戦士長の地位は極めて不安定ではあるものの、貴族達に承認されたに等しい……これからも大恩ある王へ忠義を尽くせることは確定した。

 だが同時に彼は不安を感じていた。

 王国の貴族達は今回の戦をあまりに軽く考えているのではないか?

 これまでの帝国のやり方と明らかに違う。

 睨み合って、小競り合い程度で済むのだろうか?

 何よりも自分自身を圧倒的に凌駕する強者の存在……偉大な魔法詠唱者であるアインズ・ウール・ゴウンを……魔導王を名乗り、世に立つと決めた絶対強者を侮って良いはずがないのだ。

 

「兄上!……この度の実戦総指揮官御就任、おめでとう御座います!」

 

 白々しいザナックの言葉がガセフの心にまだ早い晩秋の風を吹かせた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 金級冒険者チーム『漆黒の剣』は今回の依頼主であるンフィーレア・バレアレを警護しつつ、目前に迫った異様な光景に戸惑いを隠せなかった。それは依頼主であるンフィーレアにしても同様であった。

 彼等一行は目的地までおよそ3キロメートルほど離れた道沿いの岩陰に身を隠していた。

 

「噂は本当でした……バレアレさん」

 

 リーダーである戦士ペテル・モークが言った。

 

「しっかし、噂になっていたとはいえよー……なんなんだ、ありゃ?」

 

 チームのムードメーカーである野伏ルクルット・ボルブはあえておちゃらけた口調で言ったのだろうが、その茶色の瞳に浮かぶ動揺までは隠し通すことはできないようだ。

 

「前回来た時にはこんなモノは無かったのである!」

 

 森祭司であるダイン・ウッドワンダーは老け顔をさらに顰めた。

 

「貴族の仕業だとしたら、許せない!」

 

 最近第三位階まで到達した魔力系魔法詠唱者のニニャはその中性的な面立ちに似つかわしくない鋭い視線を向けた。

 

「……エンリ……」

 

 高名な薬師であり、魔法詠唱者でもあるンフィーレア・バレアレは天空に突き立つ高楼を見て、想い女の名を呟いた。戦前の掻き入れ時にもかかわらず、噂を聞きつけたンフィーレアは居ても立っても居られなくなり、旧知であり、カルネ村の往復に関してはほぼ常雇いに近い『漆黒の剣』に頼み込んで、道程を急いだのだった。

 そして現在位置で立ち止まってしまった。

 信じられないことに何度も『漆黒の剣』に確認しても、どう周囲を見回しても、そこはカルネ村があった場所だった。

 あまりに異質……そして恐るべき威容を誇っている。

 それまで他の開拓村と比べればたしかにカルネ村はしっかりとした防御壁で村の周囲を囲っていた為、おかしな雰囲気を醸していたが、それにしてもこれは理解できない。

 20メートルはあろうかという城壁。

 更に5メートルは高い高楼が林立していた。

 街道までの道は整備され、滑らかな石畳で覆われていた。

 そして何よりも城壁の外周を警戒するように周回する、およそ3キロメートル先からでも視認可能な巨大アンデッドがフランベルジュとタワーシールドで武装していた。

 

「あれじゃ、まるで死の城だ……エンリ……」

「残念ながら、これ以上の接近は厳しそうです」

 

 落胆するンフィーレアにペテルが淡々と見解を述べた。

 

「うーん……レンジャー技能を駆使しても、これ以上は難しいなぁ……」

 

 ルクルットがチーム魔法詠唱者2人を見た。

 魔法的な方法で解決法がないものか?

 ニニャもダインも力無く首を振るだけだった。

 

 ンフィーレアが来た道を振り返る。

 往来は無い。

 元々カルネ村は寒村だ。カルネ村からエ・ランテルに向かうことはあってもエ・ランテルからカルネ村へと頻繁に出向くのはンフィーレア一行ぐらいのものだった。

 唇を噛み締め、両の拳を握り締める。

 ンフィーレアは幼さの残る端正な顔立ちを風に晒し、その瞳に強い意志を宿らせていた。

 

「僕は行きます……書き付けを渡しますので、皆さんは組合にこの事実を報告して下さい。今回の依頼も達成したように扱うよう書き記しますので、ご心配は無用です」

「待って下さい!……あまりに危険だ。ハッキリ言います。死ににいくようなものです!」

 

 ペテルが道を塞ぐように立ちはだかった。

 

「それでも僕は行きます……一刻も早くエンリの無事を確認しなければ……」

 

 ンフィーレアが馬車馬に鞭を入れようとするもの、ルクルットが御者台に飛び乗り、その右腕を抑えた。

 

「好きな女の為……理解できないわけじゃねーし、格好良いとは思うが、いくらなんでもこの状況で行かせるわけにはいかねーよ」

「離して下さい!」

「駄目だ!」

 

 ペテルも御者台に上がり、ンフィーレアの両肩を抑える。

 

「落ち着きましょう、バレアレさん……エンリさんが生きていると思っているならば、ここは落ち着いて具体的な救出法を考えるべきです。私達がどう行動するのが最善なのか……それを皆で考えましょう。エンリさんが囚われているのならば、生存確認でなく、一刻も早く救出されることを望んでいるはずです!」

 

 ンフィーレアは押し黙り、深く頷いた。

 そう促したペテルにも自信があるわけではない。しかしこのまま友情に近いものまで抱きつつあるお得意様を死地に向かわせるわけにはいかなかった。早急に何か方策を考えなければ……だが、そう都合良く考えがまとまるわけはなく、ペテルは前方の巨大城塞を眺めた。

 

 途方に暮れる間も無く、巨大な城門が動きを見せる。

 遠目にも開門しているのが確認できた。

 

「バッ、バレアレさん!」

 

 ペテルの呼び掛けに項垂れていたンフィーレアが顔を上げる。

 

「あれを……」

「馬車……ですね」

「ええっ、馬車です!……あの馬車の乗員に中の様子を聞いてみましょう!」

 

 ンフィーレアの顔色にパッと朱が刺した。

 

「そうですね!……そうしましょう!」

 

 ンフィーレアと『漆黒の剣』は馬車を待ち受けた。

 恐ろしいスピードで馬車が接近してくる。

 やがてそれはンフィーレア達の前で停車した。

 それは馬車と呼んで良いものか……異形のアンデッドが巨大な黒塗りの馬車を牽引していた。さらに御者台には人でない者の姿が在った。

 

「高い所から失礼します……ンフィーレア・バレアレ様ですね?……都市長閣下がお待ちです。馬車に御乗車下さい。お連れ様も御一緒にどうぞ……その荷馬車は我々の方で都市内に移送致します」

 

 見た目からして恐ろしい御者。

 異形のアンデッドが牽引する豪奢な黒塗りの馬車。

 5人は顔を引き攣らせ、御者を見上げた。

 怪しさは満点だ。

 怖さは言葉にできるレベルを超越していた。

 喉がカラカラに乾き、言葉を発するのも難しい。

 ンフィーレアはなけなしの勇気を振り絞って言った。

 

「失礼ですが、エンリは……エンリ・エモットは無事なのですか?」

「ご無事で御座います」

「では、彼女のところまで案内してもらえますか?」

「最初からそのつもりで御座います」

「最初から?」

「そう申し上げております」

 

 異形の怪人は淡々と受け答え続けた。

 気がつけば馬車の扉が音も無く開いている。

 

「都市長閣下の下までお連れ致します……御乗車下さい」

 

 ンフィーレアは唾を飲み込んだ。

 『漆黒の剣』の面々は逃げ出したい気持ちを必死に抑えていた。

 

「……僕は行きます」

 

 ンフィーレアが馬車に乗り込む。

 ペテルは仲間を見回し、大きく頷いた。

 ルクルットもダインもニニャも頷き返す、

 

「行こう」

 

 ペテルを先頭に全員が乗り込んだ。

 奥の席にガチガチに緊張したンフィーレアが座っている。

 馬車の中は見たこともないほど豪華な内装であり、座席の座り心地の良さにニニャなどは小さく歓声を漏らしてしまったほどだ。

 

「では出発致します……短い間ですが、ごゆるりとお過ごし下さい」

 

 どこからともなく怪人御者の声が響く。

 

 馬車は音も揺れもなく走り出す。

 

 もう引き返せない……そう思うと誰も喋らなかった。

 

 車窓から外を見れば凄まじいスピードで馬車は走っているが理解できた。

 しかし車内の緊張は高まる一方で、誰もが嘔吐感を抑えるのに必死であり、そのことを話題にする余裕も無かった。

 乗客達の緊張感とは裏腹に馬車はあっさりと城門を通過した。

 

「……えっ?」

 

 ンフィーレアが声を漏らしたのも無理はない。

 城門の内側はまるで別世界だった。

 ビーストマンがそこかしこで建築作業をしていた。

 完全武装のゴブリンの軍勢が隊列を組んで行進していた。

 2匹のオーガが巨大な石を持ち上げていた。

 トロールは巨大な丸太を運んでいる。

 4体のゴーレムが凄まじく巨大な荷車を移送していた。

 その横をリザードマンが麻袋を抱えて通り過ぎる。

 その他にも見たことのない亜人種達がそれぞれ別の作業を進めていた。

 おそらく警備として巡回してるのは城門外にもいた巨大アンデッド。

 無数のスケルトンが穴掘り等の単純作業に従事していた。

 様々な種族が作業を分担し、力を合わせてこの巨大都市を建設している。

 ただし人間の姿が無い。

 

「なんだよ、これ……」

 

 落胆するンフィーレアをペテルが励まそうとした瞬間、袋を抱えて通りを歩く中年女性の姿を確認した。

 

「バレアレさん!……あれを!」

「……あれはカルネ村の!」

 

 薬草の買付時によく見掛けた顔だ。そもそも100人程度の村民しかいない村なのだ。ほぼ全ての村民を一度は見掛けたことがある。

 

「大丈夫みたいですよ!」

 

 ペテルがンフィーレアの肩を叩いた。

 

「そうですね。でも、いったい何が起きているんですか?」

「……分かりません。村人は無事。人間も亜人もモンスターも一緒に生活しているみたいですね。協力して街を建設しているようにも見えますが、実態は不明です。でも、さっきのおばさんも笑顔でしたよ」

「笑顔……少なくとも亜人やモンスターの奴隷にされているようなことはなさそうですね」

 

 ンフィーレアがホッと息を吐いた瞬間、馬車が停車した。あまりに滑らか過ぎて、減速したことにも気付かなかった。乗車時と同様、音も無く扉が開く。

 

「ンフィーレア・バレアレ様とお連れ様……もくてきちに到着致しました。都市長閣下がお持ちです。下車願います」

 

 仕組みは不明だが、御者の怪人の声が車内に響く。

 

「ありがとう」

 

 ンフィーレアは笑顔で礼を述べ、案内されるままに下車した。

 緊張が失せ、笑顔になった『漆黒の剣』の面々も続くも、直ぐに立ち止まった。前が動かない。つまりンフィーレアが呆然と立ち止まっていた。

 

「ンフィー……久しぶり」

 

 そこにはド派手な真紅の全身鎧に真紅のサークレットがあった。

 腰の剣帯には真紅の鞘に収められた直剣。

 

「……エンリ?」

 

 格好を除けば、どう見てもエンリ・エモット。

 側には一目で高級品と理解させられる紫のワンピースをきたネム・エモットの満面の笑みもある。

 

 エンリだよね……?

 

「ンフィー……私、ここの都市長になっちゃった……」

「……はぁ……」

 

 いろいろと情報が多過ぎて上手く飲み込めず、生返事しかできなかった。

 そんなンフィーレアに構わず、エンリは続けた。

 

「でね……ゴブリン軍の将軍なんだって……閣下なんて似合わないよね?」

 

 そう言って照れ笑いをするエンリは、ンフィーレアの好きなエンリ・エモットで間違いなかった。

 




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29話 集う者達

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 最前線の基地となる城塞都市エ・ランテルに国王ランポッサⅢ世と王国戦士長ガセフ・ストロノーフ率いる戦士団が入城した。

 その時には既に多くの諸侯が大軍を率いてエ・ランテルに入城しており、ランポッサⅢ世の一団は最上の儀礼と喝采をもって迎えられた。

 王の軍団が進む沿道に佇む3人の男達。

 切れ長の目が涼しげなホーステールの青年は王国戦士長というよりも、周辺国最強の戦士としてのガセフ・ストロノーフの実物をまじまじと眺めていた。

 オカッパ頭に絢爛豪華な法服姿の眉無し男は感慨深げにエ・ランテルの街並みを眺めている。

 青髪に無精髭の男はかつてのライバルであり生涯を賭した打倒対象であった男の勇姿を見て、寂しげに笑った。

 

「ストロノーフ……もはや五宝物で武装しても俺には届かないか……いよいよ試す価値も無くなったな……俺は行くぞ」

 

 ブレイン・アングラウスは歩き始めた。ジットは直ぐに続いたが、エルヤーは「少し遅れる」と言い残し、王の一団を追った。

 ブレインとジットはそのままエ・ランテルに用意された拠点に向かう。

 表向きはヒルマ・シュグネウスの個人所有の物件だった。その実、ズーラーノーン時代からのジットの弟子達が住み込んでいる。秘密結社臭を消す為に彼等は旧『八本指』からの援助は貯め込んで地道な日雇い労働等で糊口を凌ぎ共同生活を送っていた。しかし穀物相場の暴騰に伴ってエ・ランテルでのシュグネウス商会の窓口となり、ほんの僅かな期間で一端どころかエ・ランテルでも豪商と呼ばれるまでにのし上がっていた。地道な労を厭わず、真面目で目的の為に手段を選ばず、決して諦めない彼等の性格がこの上昇局面で最大限に活きたのだった。不得手な社会との接触に関しても旧『八本指』から人員を回してもらい、彼等の飛ぶ鳥を落とす勢いはエ・ランテルの食料取引の多くを担っていたバルド・ロフーレ等も一目置いている。

 だから元ズーラーノーン構成員が集団で住む屋敷と言っても陰惨な雰囲気は微塵もなく、むしろ常に人の出入りする活気溢れる場所であった。広大な敷地に店舗と巨大な穀物倉庫がいくつも並び、それらの裏に邸宅と呼んで差し支えない広さの家屋が建っていた。物理的な面に限らず、社会的な意味においても表も裏も人間の出入りが激しい。それ故に事情を知らぬ者がいかにも怪しいブレイン達が出入りする様を確認しても咎めようとしない。

 

「さて暫く暇だ……俺は鍛錬するが、ジットはどうする?」

「儂はゼブルさんからの連絡を待つ間、エ・ランテルの組織でも把握するとしようかの……かつての弟子達とはいえ、とりあえずは一端の商人だからのう。いまさら儂が師匠面してのこのこ出て行っても、内心で邪魔にされるだけ……であれば、ここに限らず儂等の傘下組織やその動向を把握しておくのも無駄ではなかろう」

「ふん……気苦労の多いことだ」

「儂が把握しておけばそれだけゼブルさんのお役に立てる。儂は評価され、更なる高みに導いていただける……そういう理屈だのう」

「はっ!……ゼブルが評価するのは強さだ。その証拠にティーヌは単独行動が許され、俺達はまとめてナンボ……そういうもんだと俺は考えていたがな」

 

 竜王国滞在中に再びひょっこり現れたティーヌはほんの僅かな期間でブレインが対抗を諦めざる得ないような武の境地に到達していた。剣に生涯を捧げた身としては認め難い現実だった……いずれ追い付くと確信していた僅かな差が決して手の届かない距離を開きへと変貌していたのだ。

 

 模擬戦で無手のティーヌに手も足も出なかった。

 武技『領域』で感知しても笑顔ですり抜けられ、『神閃』で迎撃しても刀身そのものを片手で掴まれた……そしてびくともしない。

 あえて解放される屈辱に耐え、薄々通用しないことを悟らされていた切り札である秘剣『虎落笛』を使用するも、揶揄われるように避けられた。

 ならばと更なる切り札『縮地改』からのガセフに敗れた『四光連斬』を繰り出すも、ティーヌは武技すら使わず完全に回避した。

 そう……ティーヌは武器はおろか武技すら使わないのだ。ただニコニコ笑いながら避けるのみ。そしてたまに揶揄うように『斬魂刀』を素手で掴む。

 速度では敵わない。

 迎撃も回避される。

 純粋に身体能力が隔絶していることを悟らされた。

 ならばと密かに鍛え込んだ手数と踏み込みを駆使するも、単純なスピードの絶対値が隔絶し過ぎていてまるで通用しない。

 とうとうティーヌには見せた事のない奥の手……初見であれば通用するかもしれないと『四光連斬』と『空斬』から発想したオリジナル武技『後光』を発動するも……「面白いねー」の一言があっただけで、痛痒を感じさせるどころか慌てさせることも叶わなかった。

 模擬戦一戦のみで「時間が無い」とティーヌは去った……王都へ行く、と言い残して……

 

 いずれ秘密があるのだろうが……そうであっても言い訳の余地すら無い完全敗北した事実がブレインを歯噛みさせるのだ。

 

「……そんなにアレに負けたのが悔しいかのう?……ではヒルマの重用は何と考える……ヒルマなんぞはそれこそ殺すのは簡単……そうではないか?」

 

 ジットの問いにブレインは黙り込んだ。

 

「ゼブルさんの深淵よりも更に深きお考えは、儂等などには計り知れんものよのう……もちろんおぬしを配下とされた理由は強さで間違いない。故に強さを磨き抜くことはおぬしの責務……だから儂と同じように動く必要はない。儂はそう考えておる」

 

 そう言い残すとジットは立ち去った。

 

 暫く立ち尽くしていたブレインも鍛錬の気分ではなくなったのか、やがて屋敷の敷地外に歩み去った。

 

 

 

 

 

 

 

 黄金の姫ラナーより下賜されたミスリル製の派手な鎧姿がエ・ランテルの街を歩いていた。何者かを追うように物陰に隠れながら、抜かりなく周囲を確認しているものの、いかんせん鎧が派手過ぎた。充分に距離をとっている為、追跡対象からは気付かれていないようだが、本人は周囲から妙な視線を向けられているか、単純に避けられていた。いかに戦争直前で鎧を着ている者が多いとはいえ、やはり目立つものは目立つのだ。

 ミスリル鎧姿のクライムの視線の先……つまり追跡対象は青髪に無精髭の厳つい男だった。

 見覚えがあった……あれは頻繁に世話になっているアダマンタイト級冒険者チーム『青の薔薇』の中でも、チームの誰もが最強と言う魔法詠唱者イビルアイが自分よりも強いと言った男……同時にクライムの人生観に大きな影響を与えた1人でもあるゼブルの側で見掛けたことがあったのだ。

 その男の特徴を戦士長ガセフ・ストロノーフに伝えた際、戦士長と互角の力量を持つ剣士ブレイン・アングラウスに違いない、と聞いた。過去には王国と帝国の戦争にも傭兵団の一員として参戦していたと言う。

 その凄まじい力量の傭兵剣士がこの時期にエ・ランテルにいるのだ。クライムでなくとも期待してしまうのが普通だろう……王国軍中にガセフ・ストロノーフが2人もいたら……いかに専業兵士のみで構成られた帝国軍相手でも王国軍の勝利は揺るがないように感じたのだ。そうでなくとも今回の戦争は最大戦力である戦士団が後詰と決定しているので、開戦時の戦場にブレイン・アングラウスがいれば……そう思わざる得ない。

 

 クライムの視線の先でブレインはふらりと酒場に立ち寄った。

 このタイミングを待っていたのだ。

 慌てて酒場の前まで走り寄り、静かで落ち着いた店構えを見た。

 どう見ても富裕層向け……顔が引き攣る。

 急いで懐中を探るが……ラナーより下賜される給金だけでは……厳しい。

 王都と同程度の価格であればギリギリ一杯いけるか、どうか……とてもブレイン・アングラウスに奢ってお近づきになるという目的は果たせそうになかった。エ・ランテルにいる知り合いでは最も金銭的に余裕のありそうな戦士長から借りようとも考えたが、本陣まで戻っている間にブレインが移動してしまえば、完全に無駄足だ。

 周囲を見回す。

 おあつらえ向きに通りの向かいはテラス席のある料理店だが、やはり酒場と同じく高級店の店構えだった。屋台や安酒場の看板などは周囲に無く、行き交う人々も余裕のありそうな格好をした者ばかり……先程から奇異の視線を感じていた理由を今更ながら理解した。

 

 ……どうする、クライム?

 

 自問すること数秒、クライムは向かいの料理店のテラス席の囲い前にしゃがみ込み、ブレイン・アングラウスが酒場から出て来るのを待つことにした。

 衛兵の尋問程度であれば、ラナーの身分保証のある自分は問題ない。

 国家の為であるのだから、この際はラナーの名を出すことも厭わない。

 店の者に「邪魔だ」と指摘されたら、横の店の前に移るだけだ。

 多少の恥や迷惑には目を瞑る。

 クライムは少年のような面立ちに強い意志を宿らせた。

 

 それから1時間が経過するもブレイン・アングラウスは店から出て来ない。

 

 クライムは店の者から注意され、2度も監視場所を変えたが、折れることなく監視を続ける意志を保ち続けていた。

 だが腹も減るし、喉も渇く……それに加えて尿意も高まっていた。

 

 ……まだ大丈夫……でも30分後は……

 

 クライムはそれまでにブレイン・アングラウスが店から出てくることを祈った。他はともかく、さすがに小便の排泄だけはそこらで処理するわけにはいかない。それこそラナー様への背信行為だと固く自分を戒めた。

 しかし意識し始めると我慢は一層辛くなり、時間の経過も遅くなる。

 

 更に15分が経過した。

 意外に我慢の限界は近いかも……そう思い始めていた。

 

 まだブレイン・アングラウスの姿は見えない。

 王国の為……であっても辛いものは辛い。

 路地裏が誘惑してくる……ように感じた。

 

 更に5分後……尿意による震えが止まらない。

 

 酒場の向かい料理店で事情を話して、トイレを借り、その間だけでも青髪の厳つい男の去った方向の確認を頼めないものか……妙案に思えた……というよりも確信に近い……というか限界……

 

 クライムは立ち上がり、料理店の扉を開けて、店内を見回す。

 出迎えた黒服の中年男性給仕が先程追い払ったクライムの姿を確認すると嫌な顔を見せたが、強引に押し通した。

 

 ……およそ2分……至福の時間が経過し、クライムは手を洗って、トイレの扉を開けた。

 

 厳つい人影が通路を塞ぐ。

 

 まさか!

 

 クライムは顔を上げた。

 

「……よお、童貞!……奇遇だな」

「ガ、ガガーラン様!?」

 

 想定外の顔……顔見知りの女傑がそこにいた。

 

「黒服の野郎がミスリル鎧の小柄な兵士に妙な頼み事をされたって話をしてやがったからよぉ……ピンっときたぜ……予想通りだな」

「他の『青の薔薇』の皆様は?」

「俺とリーダー以外はクライムと同じ目的で動いているぜ。まっ、俺達はブレイン・アングラウス以外も見張っているがな……ここで会ったのも何かの縁だろ。奢ってやるよ……俺達と一緒に待っていればその内にイビルアイがブレイン・アングラウスの動向を伝えに戻るぜ」

 

 クライムはガガーランに促されるまま、ラキュースの待つフロア最奥のテーブルに向かった。

 

「やっぱりクライムじゃない……ラナーの警護は?」

「王国存亡の危機ですので……陛下の警護の手伝いにと、ラナー様より送り出されました」

 

 クライムが席に着き、ガガーランが追加の料理を注文すると情報交換が始まった……と言っても素直に知ることを喋ったのはクライムだけであり、『青の薔薇』は情報を選択して渡した。クライムは素直過ぎるのだ。顔見知りである以上ゼブル達に情報が漏れる可能性は排除できない。漏れても問題の無い情報だけを選択し、クライムから全情報を引き出すつもりなのだ。

 よってクライムが得たのは有り体に言えば『青の薔薇』の冒険譚……面白おかしく脚色されたそれは話としては面白いのだが、情報としての価値は吟遊詩人か記録作家でもない限り、ほぼ価値は無い。

 逆にクライムが話したのは国家の中枢に近くなければ得られない機密情報に近いものばかり……話としては退屈そのものだが、裏の事情を類推することが可能であれば値千金であった。

 数々の重要情報の中でも特筆すべきは「アインズ・ウール・ゴウン魔導国」に関するものだった。突如としてエ・ランテル北方に出現して、その背後には帝国のみならず竜王国の影までチラついていると言う。

 そこで問題になるのは竜王国だった。

 竜王国と言えば形式上はともかく実質的には南方侯ゼブルの支配下といっても過言ではない。

 

 ラキュースが目配せし、ガガーランが頷く。

 

「で、クライムよぉ……その魔導国ってえのは今回の戦じゃどんな扱いになるんだ?」

「ザナック殿下がレエブン侯の兵を率いて、叛乱鎮圧に向かうそうです。戦力分散は愚策だそうですが、後方を脅かされるよりは、はるかにマシだろうとのご判断のようですね」

 

 魔導国に竜王国……それに加えてザナック王子にレエブン侯……随分とキナ臭い面子が揃ったものだ。

 

 今度はガガーランがラキュースに合図を送る。

 

「ねぇ、クライム……ラナーはクライムを送り出す前になんて言っていたのかしら?」

「ラナー様からの御命令は、今回の戦では陛下はエ・ランテルからお離れになられないとは言え、近衛は王国戦士団のみ……不安で夜も眠れないので、お父上を守る手助けを、とのことでした」

 

 例年の戦争の臨戦体制と比べるとあまりに不自然……王は戦場であるカッツェ平野最後方の本陣に在り、全軍の士気を高める役割を負うはずだが……

 

「どうしてそんな事態になったのかしら?」

「なんでも宮廷会議が大揉めに揉めたらしいのです……陛下の右腕で在られるストロノーフ様が、陛下の仲裁でも収まらないリットン伯一派の猛烈な追及に晒され、事態の収拾の為に立ち回ったレエブン侯の案を陛下が採用されたと、ザナック殿下から聞き及んでおります」

「また……レエブン侯ね」

 

 ここでもレエブン侯の影がチラつく。

 その結果としてランポッサⅢ世はエ・ランテルに引き篭もる羽目に陥り、王を守護する王国戦士団もエ・ランテルに残留となった。

 戦争の主導権はバルブロとボウロロープ侯が握り、その手先となったリットン伯は最も戦功に近い立場を得た。

 内乱鎮圧と戦勝貢献ではあまりに落差が激し過ぎる。

 そもそも自国民に弓を引く行為など恥以外の何物でもないのだ。

 貧乏くじを引いたのはザナックとレエブン侯……魔皇ヤルダバオトとの噂のあったキナ臭い2人があえて誘導したようにしか思えない。

 

「なんでストロノーフ様が追及されたのかしら?」

「以前ストロノーフ様がエ・ランテル近郊の村々を何者かの襲撃からお救いに回られた際、スレイン法国の刺客集団に襲撃され、命の危機に陥ったことがあります」

「知っているわ」

「ああっ、俺でも知っているぜ……なんでも隠棲していたマジック・キャスターに助けられた、とか……結構、有名な話だろ」

「そのマジック・キャスターの名はアインズ・ウール・ゴウン……帝国と竜王国に推されて魔導国を建国した魔導王を僭称する輩の名と合致します。ストロノーフ様は村々を襲撃していたのは帝国兵に偽装したスレイン法国の手の者と報告されていました……にもかかわらず、魔導王を援助するのは帝国と竜王国です。この食い違いが大きな問題となったようです……ストロノーフ様の報告はそもそも正しいのか?……ストロノーフ様自身が身の潔白を証明すべきではないか、と」

「たしかにややこしいわね」

「位置的なものも含めて法国の仕業って報告はたしかに怪しくなるな……それで身の潔白まで疑われるのはさすがに厳しいけどよ」

「ただでさえ平民出身のストロノーフ様は宮廷会議のような貴族のみが集まる場では発言し難くなります……それ故に事態が拗れたのかと……」

「なるほどね」

「たしかよぉ……死体も無かったんだよなぁ、あの事件」

「ですが、ストロノーフ様の証言では敵は天使を使役するとありました」

「いかにも陽光聖典ってやり口だなぁ」

「リットン伯じゃないけど、派遣されたのが陽光聖典っていうのはちょっと違和感を感じるかしら……戦士長を暗殺する目的ならば漆黒聖典の誰かを単独で送り込む方が向いている気がするけど……」

「まあな……陽光聖典は対多数の殲滅専門みたいな連中だからなぁ……ピンポイントで戦士長狙いってえのはそもそも向いてねえな。たしか……隊長のニグンだっけか……王国内で事を起こすならアイツを単独で送り込んで、不意打ちに徹した方がやり方としちゃあ、しっくりくるぜ」

「私達相手に撤退した程度の戦力しか持たない連中で『周辺国最強の戦士』を地の利の無い王国内で仕留めようっていうのはさすがに虫が良いわね」

「……『青の薔薇』の皆様は法国の陽光聖典と戦ったことがあるのですか?」

「以前な……だからやり口は理解しているつもりだぜ。連中は目的の為に容赦無えから……戦士長が引きずり出すのと同時に逃げられないように帝国騎士に偽装して開拓村を潰して回ったんだろ……そこまでは良いんだが、外敵排除目的となれば完全武装で戦士団は出動するだろ?……それを相手に陽光聖典じゃ良くて相討ち……普通に考えりゃ、まんまと戦士長を逃がしちまうぜ。わざわざ王国内で危険を犯してまで戦士長を狙ったにしちゃ、計画が杜撰過ぎんだろって思うわなぁ……実際マジック・キャスターの横槍で目的は果たせなかったわけだし……法国にしちゃ目算が甘過ぎるって言いたくもなるぜ……法国どころか人間種の精鋭である陽光聖典を捨て駒にするつもりでもなきゃ納得できねえんだよ……人間至上主義の法国がそんな真似するか?……つまり何かがおかしいって結論に至るんだよ」

 

 クライムが擁護目的で話せば話すほど……ラキュースとガガーランの2人が経験を元に考えれば考えるほど、ガゼフ・ストロノーフ戦士長の証言の違和感は際立ってしまった。より深い裏の事情や思惑があるにせよ、ガゼフの口からは語られていない。真実はどうであれ、それまでガゼフに対する信頼感で無視されていた違和感をリットン伯一派が突いたのであれば、たしかに会議は紛糾もするだろう。

 

 3人は押し黙り、考え込んだ……3人共に程度の差はあれガゼフ・ストロノーフには好感を抱いているのだ。

 

 重苦しい空気が流れる……それを打ち破ったのは黒服の給仕だった。

 

「お連れ様がお見えです」

 

 給仕の背後には小柄な仮面の魔法詠唱者が立っていた。

 

 

 

 

 

 

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 銀色に輝く見事な甲冑姿の2人組がそれぞれの乗馬である白馬と漆黒の馬を厩に預け、宿舎としてシュグネウス商会に手配された「黄金の輝き亭」に入った。大柄なのはイーグであり、比較的小柄なのはフィリップである。

 2人とも先陣のリットン伯麾下に配置され、全軍の斬り込み役であるのは決まっていた。彼等に続く馬廻はそれぞれ4人……全員が旧『八本指』の警備部門の長であるゼロに鍛え上げられた猛者である。各自冒険者であれば最低でもミスリル級の力は持っていた。彼等の抱える無数の武器は全て魔法の武器であり、装備する武具も全て魔法が付与されている。つまり王都で手に入れることが可能な最上級の武具で身を固めているのである。

 フィリップもイーグもミスリル級とはいかないが、ミスリル級冒険者チームである『豪剣』の面々からは白金級程度の力は得たとお墨付きを得ていた。付け焼き刃だが武技も『斬撃』や『要塞』程度は修得している。

 2人とも顔付きは精悍に変貌し、以前よりもはるかに女性の目を惹きつけるようになっていたが、それに反比例するように彼等自身は女性への関心を失っていた。なにしろ彼等の周囲にいたのが様々な意味においてあまりに危険で恐ろしい美女ばかりであり、フィリップなどは恐怖心が優ってしまうほどだった。

 

「では、イーグ殿……参ろうか」

 

 宿に荷物を置いた直後、フィリップに促され、2人で街に出る。

 平服に剣だけを下げたラフな格好だった。

 礼装が必要なランポッサⅢ世やバルブロ王子への到着の挨拶に加え、ボウロロープ侯とリットン伯にも既に到着の挨拶は済ませていた。

 2人が向かうのはシュグネウス商会の拠点である。そこで大量の治癒のポーションを受け取る手続きを済ませなくてはならなかった。受け取り自体は馬廻に任せるのだが、手続きは本人がやってくれてとの指示があったのだ。といっても書類2通にサインするだけのものだが、2人はポーションの重要性は嫌と言うほど知っていた。だから真っ先に済ませてしまうべきとエ・ランテル到着前に話し合っていたのだ。

 

 指定された建物に到着し、無事手続きを済ませ、ホッと一息吐く。

 以前よりもはるかに引き締まっているが、頬が緩んだ。

 長旅……と言ってもエ・ランテル郊外までは『転移門』で移動したのだが、それでも気が抜けるものは抜ける。

 フィリップは初めて訪れたエ・ランテルの街並みを眺めながら、宿への帰路を急いだ。久しぶりに生き地獄のごとき訓練から解放されたのだ……高揚感に包まれながら見る未知の街並みは明るく見えた。

 

「待ってくれ、貴族の旦那!」

 

 唐突に聞き覚えのない声がした……最初は自分達に掛けられた言葉ではないだろうと思い、フィリップとイーグは無視して帰路を急いだ。

 

「待ってくれ!……話を聞いてくれ!」

 

 目の前に立ち塞がるように現れたのは目付きの鋭い男だった。歳の頃はまだ中年になり掛かり程度……フィリップとイーグよりは確実に歳上だろう。見た目からして平民なのは間違いない。しかもかなり困窮しているように感じた。

 

「見ていたぜ、旦那達はシュグネウス商会から出て来たんだろ?……その身形を見ても、旦那達は経済的に余裕をお持ちなのは一目で判る」

 

 少し薄汚れた印象の男だが、ただの物乞いにしては体格が立派な上に、鍛え上げれているのが判る。それでいて目付きは神経質そのものだった……なんともチグハグな印象を受ける。

 

「……物乞いでないならば話してみよ。ただしこの戦争直前の時期に全軍の先鋒を与るこの私に無駄な時間を過ごさせるなよ」

 

 男に時間を与えたのは気紛れと言えば気紛れなのだが、どうにも何かがありそうな男だった……フィリップの言葉を受けて男は2度頭を下げた。その動作からも只者ではないのは確認できる。以前ならば無理な芸当だが、戦士として鍛え上げられた現在、特に他者の動作には敏感になっていた。なにしろ訓練を指導していたあの笑う女は最後まで動きが見えなかったのだ。その上で散々観察を強要されたのだから……強烈な恐怖を思い出して、猛烈な吐気と絶叫したい欲求を感じた……が、なんとか堪え切る。

 

「ありがとうございます、旦那……さすがは俺が観察してきた中で所作が際立って素晴らしかった貴族様だ……ところで旦那方はどちらに投宿されていますんで?」

「たしか『黄金の輝き亭』だったか?」

「そりゃー、素晴らしい宿ですぜ……ところで旦那方……俺は3日間も水だけで過ごしているんですわ……決して物乞いじゃございませんが、可能でしたら話の間だけでも一飯ご相伴に与れませんでしょうか?」

「つまらぬ話だったら、タダじゃ済まさんぞ」

 

 つまり「是」であった。

 

 フィリップとイーグは男を伴って宿へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 空いた皿が山積みになっていた。

 フィリップはもちろん巨体のイーグまでが呆れるほどの食べっぷりだった。

 余程の空腹だったのか、男は名乗りもせず、30分間ひたすら食べ続けた。

 健啖家というより飢えていたのは明らか。

 やがて大きなげっぷが男の食事の終了を知らせた。

 2人の貴族の嫌な顔を前に男は深々と頭を下げた。

 

「俺の名前はイグヴァルジ……2月程前に引退した元ミスリル級冒険者なんですわ……引退して、空前の好景気の中、冒険者稼業で貯めた金を元手に商売を始めたんですが、順調だったのは最初だけ……昨今の穀物相場の暴騰ですっかりやられちまいまして……仕入れの為にシュグネウス商会から借りた金は膨らむ一方……販売先も最初は良かったんですが、やっぱり穀物相場の暴騰でやられて、俺への支払いは滞る一方ですわ。たった2ヶ月で全財産失って、今は無職の宿無しってところまで落ちぶれたんですよ……このままじゃ拙い……で、一念発起して、職探しをしているんですが……なんせ商才が無いのは実証済みなもんで、どこに頼み込んでも雇っちゃくれません。じゃあ、と冒険者に復職しようとも考えたんですが、組合にゃ散々世話になったのを無視して強引に引退したもんですから、なんとなくだがプライドが許さねえ……まぁ、本当にどうにもならねえ場合、最後の最後にゃ冒険者に戻ろうと思っているんですが、その前に全力で職探しをやるべきだろうと思っていたんですわ……で、俺の持つ技能を最も高く売れるのは何かって考えまして……帝国との戦争も近いんだから、傭兵だろうと……」

「つまりお前は私達に傭兵として雇って欲しいわけか?」

 

 イグヴァルジは深く頷いた……その瞳には自信が漲っている。

 

「自分で言うのもなんですが、俺は非常に役に立ちますぜ、旦那……ここにお集まりの旦那方の馬廻もお強いんでしょうが、非常に残念ながら全員が戦士職なんでしょう……そして旦那方も戦士職だ。所作を見ていれば一目瞭然……つまりせっかくの少数精鋭集団が持ち前の強さを発揮する局面が極めて限定的なんですわ。遠距離から攻撃に対しては手も足も出ねえ。殴り合いには強力ですが、相手も殴ってくれなきゃ話にもならない。たしかに帝国軍は専業兵士で構成されてた強力な軍団ですが、かの有名なフールーダ・パラダイン率いるマジック・キャスター集団も忘れちゃならねえって思いませんか?……俺もマジック・キャスターじゃありませんが、対マジック・キャスター戦の経験値がありますぜ。冒険者は存在自体が強力な亜人種やモンスター相手に経験を磨くんですわ。その対応力は魔法が飛び交う戦場でも必ず活きますぜ」

「なるほどな……で、なんで私達なんだ?……もう冒険者でないのだから、志願すれば良かっただろうに」

 

 フィリップはコースのオードブルをまだ食べていた。

 食事も話もイグヴァルジの勢いに押されて、どうにも進まなかったのだ。

 

「いろいろと理由はございますが……まず第一に旦那方は自身が戦場で戦うつもりであること、ですかね」

「どうして判る?」

「旦那方が戦士職なのは見れば判ります。その上シュグネウス商会で大量のポーションを買い付けた。他の貴族様はせいぜい御守り代わりの自分用にに2〜3個ってところですわ。徴兵した自身の兵にはポーションなんて高額なものは与えないのが普通ですからね……さっきも話した通り、俺はシュグネウス商会と多少の繋がりがありました。その伝手でポーションを買い込む貴族様が現れたら教えてくれと頼んでおいたんですわ……歴戦のボウロロープ侯はバレアレから買い受けたみたいですが、旦那方は大軍団を擁するボウロロープ侯よりもさらに大量のポーションをたった10人の為に買ったわけですよ。そりゃ、もう、戦うつもりだと判断するのが普通でしょ」

 

 それまで夕食を奢った手前、話半分に聞いていたフィリップの判断が初めてイグヴァルジの話で揺らいだ……本当に口ほどに役立つかも、と。

 

「それだけか?」

「これは直ぐにお判りでしょうが、経済的理由はポーションの買い付けだけで判断できます。まあ、余裕が無けりゃ個人的に傭兵なんざ雇うわけがない。売り込むどころか、話を持ち掛けるだけ無駄……もしくは雇った後に乱戦のどさくさで死んだことにされるかもしれねえ……その点でも旦那方はクリアです」

「なるほど……もっともな理由だな」

「で、ボウロロープ侯は自前の精兵団をお持ちなんで、傭兵なんざ不要でしょうよ。他の六大貴族貴族も一長一短……それ以下の貴族様は本当に戦う気があるのか不明。残った候補は旦那方と元冒険者も積極的に雇ってらっしゃるレエブン侯なんですが、今回レエブン侯の軍は別働隊だと聞き及びまして、最後の砦が旦那方……で、冒険者時代の情報網を駆使して、旦那方の到着をシュグネウス商会の前で待っていた次第ですわ……だもんで、こうして話を聞いていただき、本当にありがとうございます……で、いかがでしょう?……俺は口ほどに使えますぜ。ご不安でしたら腕を見せても良い……是非、お雇いいただけないでしょうか?」

 

 フィリップはイーグを見た。

 イーグは首を左右に振った。

 それを見たイグヴァルジの頬がピクリと動く。

 

「勘違いしたのなら謝罪しよう……腕など見なくともお前が役立つは十二分に理解した。私達が未経験な実戦での立ち回りのアドバイスも期待して良いのだろう。ただし私達の一存と言うわけにもいかぬのだ……私達の戦費を供出してくれたパトロンの意見を聞かねばならないのだ」

「パトロン……ですか?」

「そうだな……明日、この時間にまた来い。それまでにはパトロンの意見を聞いておく。私としてはお前を雇うことにしたいのだ。なにしろ私達の知らないことを知っているのは心強い……それで良いな、イーグ殿」

「モチャラス卿がそう判断されるのであれば……ただし騙されたと思って、ご相談はティーヌ嬢にされるのがよろしいかと……絶対にシュグネウス様やエドストレーム嬢は避けて下さい……私に許されている発言はここまでですが、悪いことは言いません……ご相談はティーヌ嬢に」

 

 ティーヌ……その名が出た瞬間、フィリップの表情が酷く歪んだ。

 

 2人の会話から得た情報を元にイグヴァルジは素早く計算した……つまりこの2人の貴族の裏にいるのはヒルマ・シュグネウス……元『八本指』の悪評はあるものの豪商などというレベルをはるかに超越した王国経済を切り盛りするとんでもない大物だ。

 

 ……こりゃあ、上手くすると……

 

 しかしイーグはシュグネウスに相談するなと言った。おそらくイグヴァルジを雇うことに反対するのだろう。エドストレームについては不明……おそらく名前の上がった3名の中ではシュグネウスに連なるのだろう。情報としての扱いに困るのはティーヌという存在だ。表情を見ただけでフィリップが苦手な相手であることは理解した。しかし真に問題なのはそこではない。イーグの口振りを信じればティーヌとやらが賛成すれば、あのヒルマ・シュグネウスすら反対できないと思われることだ……そこまでの大物なのにイグヴァルジは噂すら聞いたことがない。

 イーグが嘘を吐く必要性がない。

 なにしろ戦力が増えて困ることは無いし、金を出すわけでもない。

 で、あれば……少なくともティーヌはパトロンの1人であり、シュグネウスの反対を押し切るだけの力を持つ……これだけは確実だろう。

 

 ……それにしてもティーヌ……どこかで聞いたことのあるような……?

 

 脳内で何かが囁いていた。

 それがなんであるのか、イグヴァルジは漠とした不安を感じたが、シュグネウスの名に嗅ぎ付けた大金の臭いが全てを掻き消していた。

 

 

 

 

 

 

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 たしかに役立つ。

 しかしどうにも不愉快な存在だった。

 だが逆らえない……アレは既に至高の存在に仲間入りしてしまった。

 至高の御方に逆らうことは自身の存在の否定と同義だ。

 それに加えてアレは過去にもナザリックに多大な恩恵をもたらした、と言う。アインズ様から示されたユグドラシル時代のデータはその言葉を証明していた。

 そうでなくとも他の守護者達がアレが上位者であることに馴染んだ後では、もう逆らう余地など無いのだ。

 デミウルゴスなどは自身の立ち位置を既に修正し、アレと上手くやっているようだ。むしろ以前よりも生き生きしているように見えた。

 アウラとマーレは単純に上位者として受け入れていた。特にマーレは一緒に任務を遂行することが多く、よく会話しているシーンを見掛ける。

 コキュートスもリザードマンの集落の運営を新都市が引き継いだ影響で、アレと会話することが多いようだ。武人であるコキュートスにはアレの豊富な知識とデミウルゴスとは違う角度からの対外的なアプローチがとても新鮮に見えるらしく、自分から何かと相談に行くようにもなっていた。

 セバスは王都以来の知り合い……ツアレニーニャ関連の話題で何かと揶揄われている。そうでなくともセバスはアレに好感を抱いているようで、自身の上位者となったことをあっさりと受け入れた内の1人だ。

 シャルティアは何も考えていない……ように見える。アレを上位者としてごく普通に接して、実にシャルティアらしく過ごしていた。

 プレアデス達もアレを評価しているようだ。特にアインズ様を魔導王として立たせた一件が大きい……それについてはプレアデスに限らず、だが。

 

 そして何よりも重大な事実はアインズ様ご本人がアレにべったりなことだった。

 他の全ては許容するが、それだけは……どうにも……極めて不愉快!

 

 アルベドの形相を見て、メイド達が一人、また一人と立ち去る。

 誰もいない執務室でギリギリと万力に何かを挟んで絞るような音が響いていた。

 

 不躾にノックも確認も無くドアが開いた。

 

 アルベドの表情は急転直下……ゴリゴリの力押しで笑顔を作る。

 

「あっ、アルベドよ……少し相談があるのだが……?」

 

 どれだけ愛を注いでも注ぎ足りない姿が現れた。

 アルベドは急いで立ち上がり、本当の笑顔に切り替え……られなかった。

 アインズ様の背後から下品で落ち着きのない2匹の蛇がグルグル動き回る顔が現れたのだ。

 雰囲気から察する……配下にも礼儀正しいアインズ様が入室許可を求めなかったのはアレとの会話が盛り上がっていたからに違いない。

 

「……なんか不機嫌じゃネ?……まあ、いいや……アインズさん、じゃ、また後で打ち合わせってことで」

「いや、ゼブルさん……アルベドは忙しいようだからカルネの新宮殿に行きましょうよ!……そこで打ち合わせってことで……ついでに構造を熟知しておかないと……アルベドには俺から後で聞いておきますから!」

「んじゃ、そーしますか」

「そうしましょう!」

 

 アインズ・ウール・ゴウンの2人の至高の御方は守護者統括を見捨てるように消えてしまった。

 

「おのれ……」

 

 ペンがグシャリと潰れた。

 

「……おのれ!」

 

 デスクが拳型に凹んだ。

 

「おんどりゃややややー!」

 

 執務机は被災した……そして崩壊した。

 

 第九階層のその部屋にしばらく誰も近づかなかった。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

「っかしいなー……なーんっか、見たことある感じぃ?」

 

 んー、と言いながら近付く顔を見て、イグヴァルジの背筋は攣らんばかりに緊張していた。

 

 フィリップ達の部屋で待つイグヴァルジの前に最初に現れたのはよく見知った顔だった。竜王国とビーストマンの戦争の戦功で名を上げ、帰還後ミスリルへと昇給した3人組の後輩冒険者チーム『豪剣』だった。タイミング的にはちょうどイグヴァルジの『クラルグラ』が引退して、ポッカリと空いた穴にハマった感じ……よく面倒を見ていた身としては少し誇らしかった。他の者が後釜になるよりはかなりマシ……そう思って挨拶に来た際は喜んだものだった。

 その『豪剣』の様子がよそよそしく、どうにも不愉快な思いを味わったのも一瞬……次に現れた顔というか、銀色の頭髪を見て、即座に理解した。

 

 ティーヌ……どうしてあんなに気に入らなかった『3人組』の唯一の女の名を忘れていたのか……どれだけ後悔しても悔やみきれない。

 

「おっさんさぁー、どっかで会ったことあるよね?」

 

 どう答えて良いのか判らない……今目の前にいるのは直接は関係ないとはいえ、『クラルグラ』が引退を決意した切っ掛けの『3人組』の1人。あの時は見かけなかったが、いずれにしてもバケモノ集団の一員だ。

 

「……そっ、そうかな……俺はつい最近まで冒険者だったからよ……組合とかで見掛けた程度じゃねーか?」

「おんやー、おっさん、私が冒険者って良く知ってるねぇー?」

「そっ……そりゃ、アンタの装備は一度見たら忘れないぜ」

「そっかー、そー言われりゃ、そーだよねー」

 

 ティーヌの口角が僅かに上がった。

 イグヴァルジは冷たいものを感じた。

 身体の芯が冷える。

 触れてはいけない何か……それに触った気がした。

 

「んじゃ、雇い入れに際してテストかなぁー……大丈夫かな、おっさん?」

 

 部屋の奥でフィリップが小さく悲鳴を上げた。

 隣に立つイーグは絶望的な表情を浮かべていた。

 『豪剣』の3人は顔を背けている。

 イグヴァルジの表情筋は固まっていた。どうしようもなく怖くて、否定や逃げの言葉は何も言えないのだ。

 

「テストに合格したら日当は……傭兵の相場っていくら?」

 

 誰も答えない。

 

「まっ、いっか……相場の2倍ぐらいにしとしくかなー……んで、帝国兵一人当たり金貨5枚のボーナスぐらいでどうかなー?……足りないなら、もっと出しても良いよ」

 

 どんどん好条件が積み上がるに連れて、イグヴァルジの後悔の念は凄まじい勢いで膨らんでいった。いったい何をやらされるのか?……バケモノの考えなど常人に理解できるはずもないのだ。

 

「じゃ、テストしよっか?」

 

 イグヴァルジは右腕を掴まれた。

 固まっていると、そのままひょいと持ち上げられた。

 右肩が脱臼しかねない。

 慌てて立ち上がる。

 強引に宿の外まで連れ出されたが、イグヴァルジは悲鳴を発することすらできなかった。ただただ嗚咽を必死に飲み込むだけ……このバケモノの気に障ったら、どうなってしまうのか?……それだけが気掛かりだった。

 

「共同墓地でいっかな」

 

 奇妙な集団がエ・ランテルの街を歩いていた。

 先頭は細身の銀髪の女。女に引きずられているのはエ・ランテルではそれなりに有名な半泣きのイグヴァルジ。イグヴァルジを心配そうに見詰めるのは3人組の冒険者チームと明らかに富裕層の男が2人。

 行き交う人々が注目するも誰も声を掛けない。皆が皆、通報して関わるのもゴメンだとばかりに奇妙な集団が近寄ってくると顔を背けるのだ。そして通り過ぎると誰もが再度注目する。

 そのまま集団は共同墓地の門の前にやってきた。

 門番の衛兵達がチラ見をするも、誰も役目に集中するように墓地の中を全力で警戒してるようだった。

 

「んじゃ、まず第一テストね……おっさん、準備はOK?」

「はひ……いったい何を……?」

「んー、私がおっさんを墓地の中に投げ込むから、上手いこと着地して」

「……えっ?」

「んじゃ、いっきまっすよー」

 

 ティーヌがイグヴァルジを片手でひょいと投げ上げた。

 

 ……えっ?

 

 一瞬にして、風景が変わっていた。城壁の高さと墓地を囲う壁の高さから逆算すれば高度は15メートルほどか?

 案外、落ち着いていた。

 投げ上げられた衝撃で右肩が脱臼していた。

 とにかく足から着地しないと……落下の衝撃も殺せなければ、最悪ポーションでの回復も難しい。

 落下地点を大きく変えることは不可能……よって着地が墓碑や石畳の上でないことを祈る。上手いこと土の地面上であれば、かなりダメージを殺せるはずだ。

 妙に頭が冴えていた。

 それ故に着地点が運悪く石畳の上であることが判ってしまった。

 着地の瞬間、どうにか全身のバネを利用して威力を相殺しなければ……

 

 グシャ……脚の骨が砕ける嫌な感覚が伝わる。

 

 それでもなんとか意識を保ちつつ、冒険者時代の慣習で腰のポーションを探った……が、現在のイグヴァルジは無職の宿無しであることを急に思い出してしまった。当然、治癒のポーションなど携帯しているはずもないのだ。

 同時に激痛が全身を駆け抜けた。

 声にならない絶叫が共同墓地に響き渡った。

 意識が飛びそうになるのを必死に食らいつく。

 もし意識を失ったら、ティーヌにそこまでの人物と認識されてしまう……それこそがイグヴァルジにとって最大の恐怖だった。

 

 激痛に耐えること10秒か、1分か……判然としない。

 とにかく永遠に近い地獄だった。

 それはニコニコと笑う女がポーションを振り掛けるまで続いた。

 

 

 

 

 

 

 

「そんじゃ、第二テストね」

 

 笑うティーヌを見て、イグヴァルジは何かを諦めた、

 もはやイグヴァルジに拒否権は無いのだ。

 もう合格で良いから早く終われ、である。

 心情的には不合格でこの場から解放されたいのだが……それはあまりにも欲張り過ぎだ。謙虚に考えて「合格で良いから」なのである。

 

「はい、これ持って」

 

 イグヴァルジは素直に受け取った。

 同時に「それはっ!」とフィリップが叫んだ。

 イーグの瞳には憐憫としか表現しようのないものが揺蕩っていた。

 ディンゴが顔を覆い、カドランとシトリは背中を見せた。

 

 棒……だよな。

 

 何がそんなに彼等を絶望させるのかイグヴァルジには理解できない。

 

「おっさん、元ミスリルなんだよねー?」

「……えっ、あー、はい」

「そんじゃ、その棒を私に向かって一度でも振れたら合格」

「はぁ?」

 

 そんな簡単なことで良いのか……第一テストの無茶苦茶さに比べれば、こんなものは子供でも可能じゃないか……周囲の絶望が全く理解できないものへと変貌した。

 

「イーグちん、ポーションはあるかなー?」

「問題ありません」

「ほいっ、じゃあ、いっきまっすよー」

 

 いきなり右手の甲を打たれ、イグヴァルジは棒を落とした。

 遅れて激痛が走る。

 慌てて棒を取ろうと屈むと、今度はティーヌに棒を蹴り飛ばされ、驚いて顔を上げた瞬間、鼻面を綺麗に打たれた。

 悶絶して、鼻を押さえると大量の出血で呼吸が拙いことになるのを意識させられた。鼻骨が陥没している。長引くのは本当に拙い。

 

「まず手に取らないとねー」

 

 言葉で誘導され、どうしても転がる棒を意識してしまう。

 その瞬間、今度は左手の甲を激痛が走った。

 そこで初めてティーヌの攻撃が全く視認できないことに気付く……軌道云々の話でなく、完全に動きそのものが見えないのだ……戦慄……圧倒的な恐怖。

 

「ミスリルの対応力見せなよ、おっさん」

 

 予備動作すら見えない攻撃を裁く……不可能だ。

 考える間にも左右の腿と打たれ、前進が厳しくなる。

 痛みには耐えられるが、見えない攻撃の恐怖と呼吸への不安がイグヴァルジを追い詰める。

 が、このテスト全般の目的は少し理解できた気がした。

 

 対応力……第一テストも第二テストもこの女はそれを確認しているのだ。

 

 で、あれば……イグヴァルジは対抗策を練った。

 棒を当てられた瞬間を抑える……ダメだ……ティーヌの人智を超えた怪力は第一テストで示されていた。力で勝つのは不可能。当然スピードでも話にならない差がある上に、既に両脚は潰されたも同然。スタミナも鼻を潰され、呼吸が厳しい以上、時間は試験官であるティーヌの味方。

 考えている間にも次々と打たれる。

 しかし良い解決方は思い付かない。

 全身腫れ上がっているが、集中で痛みを遮断し、思考に力を注ぐ。

 打たれる順番を予測するしかなかった。

 そして気付く……同時にティーヌの考えも理解した。

 今、目と耳と口が潰されないのは目的があるからだ。

 単に反撃を潰すつもりならば最初に目だ。鼻腔潰す程度に抑えて正確に打ち抜ける技量を持つのだから、そうでない理由があるはずだ。

 ティーヌは追い詰めるだけ追い詰めて、イグヴァルジの行動を見ている。

 だから最低限は残す。

 目は最後……それは絶対だ。

 耳の後が口か喉だろう……なんとなくその順番だけは守る気がした。

 見るも無惨なイグヴァルジの様だったが、その眼差しだけは爛々と輝いていた。

 ティーヌが笑っていた。

 嗜虐的な笑みと思いきや満足げな笑顔だった。

 考えを読み切られたの理解した上で、それに乗ろうというのだろう。

 ほぼ同時に左右の耳を打たれ、おんせい情報による判断が封じられた。

 次は口……もしくは喉だ。

 イグヴァルジは眼球に全神経を注ぐつもりで集中した。

 見えない……だが感じる。

 腫れの上からでも感じる微妙な風向き。

 喉でなく、口だ。

 ガリガリと歯が砕けた。

 喉の奥で灼熱を感じる。

 全身で倒れ込み、全力で棒を抑える……が、ビクともしない。

 ただ攻撃は止んだ。

 

「……まっ、合格でいっか」

 

 その声を聞いた途端、イグヴァルジは全身を襲う激痛に意識を失った。

 




お読みいただきありがとうございます。


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30話 戦争の裏側

やっと30回目に到達しました。
まだまだ先は長いですが、読んでいただける方には感謝しています。


 

 空は低い雲が目立つあいにくの曇天だったが、普段は濃霧に覆われているカッツェ平野の霧は綺麗に晴れていた。世の中に戦争日和というものがあるかどうかは不明だが、ここカッツェ平野はまるで王国と帝国の戦いを待ち望んでいたかのような見事なタイミングで濃霧を晴らすのだ。

 2つの人間国家はカッツェ平野の大いなる思惑に乗せられたのか?

 深刻な疑問ではあるが、答える者はいない。

 ただカッツェ平野が戦争を望んでいるように感じる。

 この地に殺し合いに集った者の全てがそう思っていた。

 

 霧の代わりに方々で土煙が上がっている。

 怒声が響く中、銅鑼が鳴り響き、揉み合っていた両軍が退却を始めた。

 王国軍の2回目の突撃をいなし、帝国軍の3回目の突撃準備が始まる。それまで最前線に立っていた第二軍が後方に下がり、第三軍が前線に上がり、体勢を整え始めたのだ。

 王国軍30万弱対帝国軍6万余。

 史上空前の兵員数は、好景気が王国軍の諸侯に余裕をもたらし、穀物相場の暴騰が平民を飢えさせた結果だった。例年では考えられないような人数の志願兵が混ざっている。

 これまでのところ中軍前衛のリットン伯の軍と、その正面に対峙する帝国軍の第二、第三軍のみが交戦していた。左翼軍と右翼軍はそれぞれ第四軍と第六軍と睨み合い、延々と中傷合戦を続けている。

 戦闘が始まってからおよそ1時間が経過していたが、王国軍は激突直後こそ数の圧力で押し込むものの、突撃の勢いが続くことはなく、帝国軍が押し返す際に傷が広がるという展開が続いていた。

 帝国軍も無傷というわけにはいかないが、王国軍の失血は馬鹿にできないレベルになりつつあった。かと言って、決して消耗戦というわけではない。

 王国軍にすれば現在は本陣の周りを固めている主力の中軍のボウロロープ侯の軍が前線に進出するタイミングこそが全てであり、帝国軍にとってはフールーダ率いる魔法詠唱者兵団をどう活躍させるかが全てなのだ。両軍とも主力投入の効果的なタイミングを待ちながら、淡々と突撃を繰り返しているのだった。

 

 第二軍が完全に後退し、砦の前に陣を再構築した。

 砦の中に戻った総司令官カーベイン将軍が帝国四騎士の一人ニンブルと何某かの会話をした。

 ちょうどその瞬間、帝国軍の第三軍は方陣のまま駆け上がった。

 連れて突撃の銅鑼が響く。

 つまりカーベイン将軍の指示でなく、第三軍はリットン伯の軍の前後入れ替わった瞬間を狙ったのだ。

 王国軍の陣形が大きく崩れる。

 第三軍が中央に食い込んだ分だけ左右に大きな塊ができてしまった。同じ騎兵同士ならば挟撃のチャンスだが、王国軍は徴兵された歩兵が中心だった。だから陣形を立て直すのに時間を要する。

 その歩兵の塊の中心に人の頭ほどの石が突然落着した。直撃を受けた兵は頭部が陥没し、即死……悲鳴が上がり、戦場が大きく混乱する。そこに同じような大きさの石が雲の中から無数に落下してきた。少しでも触れれば戦闘不能……悪くすれば死。王国軍の恐慌はさらに広がる。まるで蜘蛛の子を散らしたかのように逃げ惑う王国軍……反撃を加えようにも敵は空の上……事態の収拾は困難……無秩序に逃げ惑う兵達の姿をを見て、リットン伯は一時後退の号令を発した。

 眼前の第三軍は囮。

 帝国の主力攻撃陣は雲の上。

 はたして後退して陣形を立て直す為に集合させて良いものか?……後退を指示したリットン伯にとっては難解かつ深刻な疑問だった。

 

 タイミングは探っていたのは第三軍だけだなく、第四軍と第六軍もそれぞれ左翼軍と右翼軍に睨み合っていた方陣のまま突撃を開始していた。右翼も左翼も不意を突かれ、甚大な被害を被る。加えて雲中から石の絨毯爆撃も同じタイミングで食らった。右翼軍は散り散りになり、左翼軍は前後不覚の大混乱に陥った。

 この会戦に参加した帝国全軍の半数を投入した大攻勢。

 交戦のタイミングは第三軍任せとはいえ、全軍の総司令官である第二軍のカーベイン将軍が後方に下がる時間まで待って開始することが予め定められた計画通りの大攻勢だった。

 開戦当初はカーベインの第二軍すら一兵卒と同じ扱いであることに漠とした不満はあったが、王国軍のバカバカしいまでの大量動員を考慮すれば致し方無しと納得もする。歩兵中心とはいえ30万を超える大動員の圧力に対抗するには一兵たりとも無駄にはできない。こうして初戦を凌ぎ、作戦準備完了の一報に伴い砦に帰還してみれば冷静に判断する余裕もできた。

 後は本来の職務に徹するのみ。

 控えの第五軍と第七軍はカーベイン将軍による突撃の指示を待っていた。

 そのタイミングも予め石の質量絨毯爆撃が終わった時と定まっている。

 その時を待つ。

 

 帝国の魔法詠唱者が大量に『浮遊板』の魔法を使い、魔導国によって運び込まれた新都市カルネ建設の余剰石材を正立方体状に加工された石が積み上げられた。

 さらに魔導国側の魔法詠唱者の魔法によって操作された雲の中に隠れた魔法詠唱者集団と、集団化した『飛行』の魔法で同行している魔導国の作業員が石の質量絨毯爆撃を実行したのだ。

 カーベイン将軍は第一作戦がほぼ想定通りの成果を残しつつあることに満足しながらも、作戦の為に天候まで操作する魔導国の恐ろしさを実感していた。事前に雲中の彼等は絶対に表に出ないとも知らされていた……つくづく敵でなくて良かったと思う。

 

 石の質量絨毯爆撃か止むまでのおよそ30分間、逃げ惑う王国軍は帝国軍の三万の騎兵に徹底的に蹂躙された。

 その直後、第五軍と第七軍が王国軍の中核である中軍のボウロロープ侯の軍を挟撃すべく突撃を開始した。

 さらに必勝を期して帝国の誇るフールーダ・パラダイン率いる魔法詠唱者兵団が出撃した。後方の砦から『飛行』で飛び立つと、それまでほとんど被害無かった為に、ボロボロにされたリットン伯の軍と入れ替わる為に出撃したボウロロープ侯の旗印を掲げる精兵団を徹底的に上空から『火球』の連射で焼き尽くす。完全に狙い撃ちだった。

 さらに左右から第五軍と第七軍の突撃に晒され、ボウロロープ侯の軍は精兵団はおろか一般の徴兵された歩兵まで徹底的に蹂躙されたのだ。

 

 王国軍の中軍は完全に崩壊した。

 バルブロの在る本陣すら後退を始める。

 後方に陣取っていたペスペア侯の軍が本陣を守ろうと慌てて前進したのが、さらに混乱の輪を拡大させてしまった。

 その最中に六大貴族である「ブルムラシュー侯、戦死」の未確認情報が戦場に広がり、王国軍はさらに動揺し、大混乱に陥った。

 徴兵された歩兵は持ち場を放棄し、身勝手に帝国へと投降し始めた。

 下級貴族の軍は軍の体裁を保てず、次々と壊走していた。

 いかなる名将でも立て直すのは不可能だ。

 次々と高位貴族戦死の報告が本陣にもたらされ、それが確実なものか確認も取れぬまま、本陣からの指示も場当たりかつ無秩序になっていった。

 

「リットン伯、消息不明!」

「ウロヴァーナ辺境伯、重傷……意識不明!」

「リットン軍損耗率7割超……生存者もほとんどは帝国に投降している模様」

「ボウロロープ侯の精兵団は全滅……生存者は20名以下……正確な数は火傷が酷く、確認できません!」

「中軍は壊滅です!」

「右翼軍はエ・ランテルへ敗走を始めています!」

「左翼軍は帝国軍に完全に包囲されています……救出も困難かと……」

 

 どれだけ神に祈っても止まない凶報の雨霰にバルブロは頭を抱えた。

 義父であり、実質的に総指揮官であるボウロロープ侯は呆然と中空を眺めていた。あまりに軍の崩壊が早過ぎて、指示を下しようがなかったのだ。帝国軍は効果的に王国軍の恐怖を煽り続け、無理矢理徴兵された歩兵で構成される王国軍の弱点を露呈させたのである。中核の六大貴族の軍こそ徹底的に叩かれているが、他の諸侯軍は旗本以外はすんなり見逃されているような印象すらあった。だから高位貴族の戦死の報告だけが突出して多いのだ。どれだけ多数の兵員を揃えようとも指揮官である貴族が潰されれば、徴兵された歩兵が持ち場を死守するはずもない……下級貴族の軍も同様。

 帝国軍の戦術は終始そこに徹底していた。

 もはや軍として機能しているのはペスペア侯の軍のみ。彼等すら自軍の陣形を維持して、右翼軍が崩壊した為に突撃してきた帝国軍の第六軍の圧力に抵抗するだけで手一杯であり、友軍の救出まで手が回らない。王国軍は総崩れで、数多の戦傷者も戦場に放置して無秩序に後退を繰り返している。

 本陣を固めるボウロロープ侯の親衛隊も動揺を隠せない。後退に後退を重ねてはいるが、いつまで経っても立て直せる気配もなく、悪戯に傷口を広げているような有様だった。全員の共通認識を言えば「エ・ランテルまで可及的速やかに撤退して、王の下で全軍を立て直せ」なのだが、主君がせっかく奪った政治的主導権を握り返されるのことを極端に嫌っているのも、ボウロロープ侯の親衛隊としては理解していた。だからダラダラと後退を繰り返すことに納得はしないまでも許容していたのだが……事態は悪化する一方だった。

 

 既に天幕も旗印も放棄し、単に親衛隊で周囲を固めただけの本陣のど真ん中に、唐突に人影が二つ現れた。親衛隊に動揺が走るが、そこは腐っても親衛隊であり、即座に抜剣し、人影を包囲した。

 隊長が叫ぶ。

 

「何者だ!」

「どうもー、我々は魔導国です!」

 

 黒いコートの男が妙なハイテンションで答えた。

 隣の仮面の魔法詠唱者は沈黙を貫いている。

 

「ふざけているのか!」

「いんや……王子と侯爵を捕らえにやって来たんだけど、素直に引き渡してくれれば、お前らは見逃してやる……で、どうする?」

「ナメるな!」

 

 激昂した隊長が斬り掛かった。

 

「グラスプ・ハート」

 

 仮面の魔法詠唱者が呪文を唱えると、隊長はそのままの勢いで倒れ伏した。

 ピクリとも動かない。

 

「……まだやるかね?」

 

 魔法詠唱者が一歩前に踏み出すと全員が後退った。

 

「全員殺るのも面倒……こうしましょう《平伏せ!》」

 

 発せられた黒コートの男の声は奇妙な響きを含んでいた。

 親衛隊だけでなく、バルブロもボウロロープ侯も平伏す。

 魔法詠唱者はゆっくりと歩を進め、恐ろしいまでの怪力を発揮して、平伏したままのバルブロとボウロロープ侯を抱えた。

 

「それじゃあ、ゼブルさん……後は打ち合わせ通りに……ゲート!」

 

 『転移門』のエフェクトが出現すると魔法詠唱者は2人を抱えたまま、そのまま中へと消えた。

 

 黒コートの男だけがその場に残り、平伏する親衛隊を眺める。

 

「さて、どうするか?……アインズさんの手前、極力穏便な手段を選択したけど、目撃者は邪魔なだけだろ、どう考えても……殺すか?」

 

 親衛隊が身動きできずに恐怖に震える中、男は暢気に考えていた。

 

「まっ、残しておけば第二作戦で役立つかも知れないか?」

 

 黒コートの言葉に親衛隊の誰もが内心ホッと息を吐いた。

 

「眷属召喚……肉腫蠅!」

 

 黒コートの姿が消えた。

 

 しばらくして全親衛隊員が起き上がる。

 彼等はバルブロとボウロロープ侯の姿が忽然と消えたことに気付き、帝国軍の大攻勢の中を大声を出して、主君を探し回った。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 好き勝手に蹂躙する帝国軍の第三軍を相手に王国軍は総崩れ。

 かなりの長時間、新たな指示はなく、所属していた中軍前衛の指揮官であるリットン伯はとっくに逃げたのかもしれない。

 仲間と言うか、同じく前線に立っていた周囲の歩兵達が帝国軍に投降する姿までチラホラ見掛けるようなっていた。

 そんな中で孤軍奮闘、獅子奮迅の活躍を見せていたフィリップ率いる一団も手持ちのポーションの8割以上を使い果たし、さすがに敵陣内に取り残されている感を切実に感じるようになっていた。

 人間の頭部程度の大きさの石の絨毯爆撃こそ、信じられないことに被害は0だったが、周囲は惨憺たる地獄絵図。その後の帝国軍の突撃は周囲に味方がいなくなったこともあり、それまでの対処と別次元の厳しさに変わっていた。

 トドメは上空からの『火球』の連発……イグヴァルジが同行していなかったら、あそこで終わっていたかもしれない。彼の指示に従ってポーションをお互いにぶっかけ合い、なんとか危機を脱したのだった。

 そして気が付けば周囲に人の姿は無く、敵である帝国軍すら後方にいた。

 

 フィリップは迷っていた……前進か、それとも後退か?

 イーグは前進を主張している……この戦争で王国の英雄となる……それこそが真の主人の意志なのだ。自主判断を禁じられているわけではないが他に選択などあるわけがない。もちろん死ねばそれまでだが……

 馬廻はゼロに絶対忠誠を誓う集団だが、さすがに自分達が置かれた状況の厳しさは理解している。

 そしてイグヴァルジは叫んでいた。

 

「いいからもう逃げろって、旦那!……いまさら戦線の再構築は無理だ。俺達だけが頑張ってもどうにもならねえよ。イーグ殿もいい加減諦めろ!」

「しかしだな!」

「しかしも案山子もねえよ!……石塊の直撃は無くなったかも知れねえけど、帝国のマジック・キャスター共はいまだ健在だぜ……俺達だけ前線に取り残されちまってんだろ!……狙い撃ちされんぞ。次に魔法で爆撃されたら残りのポーションじゃ保たねえ……周りの焼死体の山を見てみろ。ここで死にてえのか!」

 

 危機に対してイグヴァルジは素直だった。そうでなければ長年冒険者稼業で食うことなどできない。それどころかイグヴァルジは順調に昇級し、一財産築いたほどだ。当然、生き残る術には長けている。

 とはいえこの場の決定権者はフィリップ……この集団の生殺与奪はフィリップが握っているのだ。フィリップが健在である限り、その言葉は絶対だった……それ故に彼は慎重になってしまう。

 前を見る……帝国の本陣である砦があった。その前に陣取るのは帝国軍の第二軍だ。11対1万……考えるまでもなく無理だ。

 背後を振り返る……大乱戦と言うか、帝国軍による一方的な蹂躙。王国軍にとっては地獄。生き地獄でなく純然たる地獄の光景だった。逃げ惑う兵士と殺される兵士と兵士の死体しか見えない。

 むしろ後退する方が厳しく感じる。

 だがこれ以上の前進に待ち受けるのは死もしくは虜囚の2択だ。

 さすがにその程度ならば判断できる。

 

「……そうだな……イグヴァルジの言う通り後退するしかないな……だが即座に理解できるように、後退するにもあの地獄を踏破せねばならない。どのようにすれば良いか?」

 

 問われたイグヴァルジは軽く周囲を見回し、瞬時に判断を下す。

 

「所属する中軍は壊滅な上にエ・ランテルへの最短ルートは帝国軍の集中攻撃に晒されますわ……比較的手薄とはいえ左翼は帝国による包囲戦の最中……味方もいますが、俺達程度の数で加勢したところで助けられるはずもねえ。残るは右翼方面に迂回するルート……残敵掃討の部隊に鉢合わせするかもしれねえが、少なくとも厄介なマジック・キャスター共に狙われる心配は一番少ないルートでしょうよ。右翼の戦場を突っ切って、とにかくカッツェ平野を抜けて、その後大きく迂回してエ・ランテルに帰還するのが一番安全でしょう。何度でも言うが、マジック・キャスター共を相手にするにはポーションの残量が心許ねえ……次に魔法の爆撃を受けたら確実に全滅しますぜ、旦那」

 

 フィリップは大きく頷き、イーグを見た。

 イーグも渋々頷く……たしかに死ねばそこまでなのだ。英雄への次善の策である左翼の味方を救出するにもさすがに11人ではどうにもならない。

 

「では、まず右翼軍が潰走した後を注意深く抜ける。残敵掃討と遭遇しても相手にするな。我々ならば勝てるだろうが、無駄な交戦は帝国のマジック・キャスター共を呼び寄せてしまう可能性もある。先導はイグヴァルジに任せる。それで良いな?」

 

 全員が頷いた後、イグヴァルジが前に立った。

 

「焦る気持ちは理解するが、全員で交戦を避けながらゆっくり進む……俺達が五体満足な集団と知れれば、今は中軍と左翼に気が向いているマジック・キャスター共の気を引いちまうかも知れねえ……連中は空から見下ろしてやがるんだ。俺達よりもはるかに遠くから視認可能な上に移動まで空中を飛行してきやがる。つまり見つかったらあっと言う間に追い付かれる。そしてさっき経験した通り反撃不能な位置から一方的に攻撃される。だから旦那達は不本意かも知れねえが負傷した敗残兵を装って移動する。決して急ぐな……遠目から見て、それらしく見えりゃ良いんだ!」

 

 行くぞ、と号令を発してイグヴァルジはゆっくりと歩き始めた。

 フィリップとイーグも下馬して、代わりに馬の背には馬廻が運んでいた背負いの荷物を括り付けた。

 全員がイグヴァルジを習い、肩を落とし、背を丸めて歩く。

 地面に無数に転がる石と、まだアンデッド化していない無数の王国兵の死体が邪魔だった……皆、心の中で彼等の死後の安寧を祈りながら進んだ。

 先導するイグヴァルジは森の中でないがフォレストストーカーの能力を遺憾なく発揮して、遠方の敵を察知してはその度に馬を放置して全員で伏せるよう指示した。

 後退は遅々として進まなかったが、どうにか敵をやり過ごし、3時間程でカッツェ平野の危険と思しき戦域を脱した。

 

 戦場を振り返り、もはや遠方と感じる殺戮の平野を見て、全員で一息吐く。

 そこでフィリップとイーグは騎乗し、馬廻達は再び荷を背負った。

 

「このまますんなりとエ・ランテルに帰還できれば良いのだが……」

「後は急ぎますぜ、旦那……日暮れ前にはカッツェ平野から出てねえと……」

「アンデッドか?」

「スケルトンやらゾンビ程度ならば問題無えが、エルダー・リッチみてえのが出現したら、せっかくの苦労が水の泡……しかもカッツェ平野じゃ、それが一体とは限らねえ」

「なるほどな……休憩もままならぬか」

「現状、俺達はエ・ランテルへの最短ルートから大きく外れてますぜ……俺の感覚じゃ、かなりの強行軍で日暮れまでギリギリってところですわ。休憩はこれが最後……とにかくカッツェ平野を抜けるまでは全力で進みますわ」

「了解した……皆、すまぬが強行軍だ。5分したら出るぞ」

 

 これまで精神を削られていたものが、今度は強行軍で体力を削ると言う。

 幸い体力の無い方から一位と二位は馬上だった。

 休憩と言っても人馬共に水分を補給した程度。

 ほぼ走っているのと変わらないような歩速で進み始めた。

 これまでの石塊と死骸ばかりの悪路よりははるかにマシだが、道無き道であることには変わりない。

 遠目に帝国兵の小集団を発見しても無視して進む。

 速さこそが命。

 ここまで主戦場から外れると、敵も小集団過ぎてあまり必死に追ってくる気配は感じさせない。追跡を振り切り、とにかくイグヴァルジに従い、進んだ。

 エ・ランテルまではまだ遠いが、カッツェ平野を抜け切るのは問題なさそうだった。これまでは順調……だが全てが全てでなく、はるか遠くだが前方の気配が非常に怪しいものになりつつある。

 

 イグヴァルジの足が止まった。

 連れて全員が足を止める。

 イグヴァルジは目を閉じ、視覚以外の情報に全神経を振り向けた。

 再び目を開けるとフィリップを見た。

 

「後衛のペスペア侯の軍まで抜かれたか、王国全軍が殲滅されたか……そんな感じの雲行きらしいですぜ?」

 

 エ・ランテルへ向かう帝国兵が尋常でない数になっているようだった。

 馬の巻き上げる土煙なのだろうが、強風でもないのに砂塵ように見えた。

 歩兵中心の王国軍ではあり得ない光景だ。

 帝国軍がエ・ランテルへ向かって侵攻しているとしか考えられない。

 

「30万の軍勢が総崩れ……我々のエ・ランテル帰還も厳しいか?」

「まさかの……っヤツですが、このまま無邪気にエ・ランテル行き、ってわけにはいかねえでしょうよ。帝国軍はほぼ無傷……そいつらがそのままエ・ランテルの包囲戦に移行したら、俺らの入り込む見え見えの隙があったら罠を疑うのが正しいでしょう」

「つまり……我々はどう動くべきだ?」

「もう少し情報を集めねえとなんとも言えませんが、即座に思い付く選択肢としては、しばらく様子見は必須……このままエ・ランテルを大きく迂回して、一度王国内深くに退避して、新たに兵を募って立て直すか……負傷兵はともかく敗残兵を糾合して軍勢と呼べるレベルに立て直して、エ・ランテル内の王国戦士団と連携するか……同じく都市内外の連携を考えるのあれば叛徒鎮圧に向かったレエブン侯の軍と合流するか……その3択でしょうよ」

 

 フィリップは苦虫を噛み潰したような顔を見せた。

 

「どれも楽ではないな……まず王国内で新たに兵を募るのは厳しいだろう。敗残兵を糾合するのは帝国に動きが露見する可能性も高い上に、立て直す前に攻められれば全滅する。そして何よりも兵員に渡す物資が無い。レエブン侯の軍に合流するにはエ・ランテルを包囲する帝国軍の目を逃れる必要がある。どれも茨の道だな」

 

 少し前のフィリップであれば、単純に逃亡もしくはこの場に留まって兵を糾合する選択をしたに違いない。兵を集めるのも全て人任せだったろう。その上、平民達には理解できない理屈を捏ねくりまわし、自分の労力無しに突撃させようと考えたはず……物資も与える必要性など感じすらしなかったろう。どうせ死ぬのなら自分の為に役立て、である。

 今こうして考えてみれば、我ながら恐ろしいまでの愚か者だ。

 自分でもそこまで変わったとは思わないが、多少なりとも日銭を稼いで食う者の気持ちは理解したつもりだった。自分でも同じような生活を経験し、噛み合わないながらも彼等と会話をして、知ったことがある。全てはティーヌに強制された結果だが、責務でなく力で強いられる者の気持ちも朧げながら理解した。彼等は自力で世の中を変える術を持っていない。全て支配者任せ。世の中を変えようなどと考えることすらない。以前のフィリップはその事実を持って「だから下賤は衆愚なのだ」と軽々しく断じていた。

 だが違うのだ。

 術を持たぬ彼等は期待し続けて、裏切り続けられたに過ぎない。

 その結果として期待すらしなくなった。

 フィリップは違う……僅かな力だが、確実に力を持っている。

 そこに思い至った時、世の中の見方が大きく変わった。

 力には責任が伴う。

 それこそが貴族だ……そう思っていた。

 

 そして今現在の決定権者は爵位を持つ貴族であるフィリップである。

 戦闘中ではないといえ、考え込む時間はない……このまま夜間になればカッツェ平野近辺に留まるのは危険。

 エ・ランテルを大きく迂回して王国内に戻って兵を募っても、自領に人がいない上に、他領でも限界まで動員しているのだからそもそも兵がいない。

 敗残兵の糾合は、以前の自分が飛び付きそうな策である為に選択し難いのも事実だが、そうでなくとも30万人超の兵数で完敗した事実がある以上、より少ない敗残兵をまとめて意味があるとは思えない。

 ならば選択肢は一つだ。 

 

「……エ・ランテルを迂回して、レエブン侯の軍と合流しよう。危険は伴うがそれが最善に思える……これから敗残兵を募るにしてもレエブン侯の名が有るのと無いのでは大きく違うはずだ」

「たしかにそれが正解だと思いますぜ」

 

 イグヴァルジが同意すると、特に反対意見も無く、方針は定められた。

 後はエ・ランテルの状況をある程度把握してから、レエブン侯の軍が向かったカルネ村とか言う開拓村に向かうことも定められた。

 

 エ・ランテルに向かう帝国軍の濁流が途切れたら……

 

 とりあえずカッツェ平野を脱する。

 フィリップ達の向かう先は大きく移動した主戦場の見える位置を確保する為の高台だった。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 人外の魔城……その巨大過ぎる宮殿の玉座には仮面の魔王が座していた。

 魔王の向かって右手に真紅の鎧で身を固めた人間の年若き女将軍。

 左手には丸メガネに掛けた蛙の異形。

 玉座に向かう赤絨毯の左右に整列するのは数多の亜人種に数多の異形種に加え、いくばくかの人間種。

 

「よくいらした、王国のザナック殿とレエブン殿……だったか?……魔法的な制約で仮面のままで失礼する。私がアインズ・ウール・ゴウンだ」

 

 予断は排除していたつもりだが……今こうして魔導王と対峙してみれば、改めて自分の甘さを認識させられた。

 

「お初にお目にかかります、魔導王陛下……こちらにおわすのが私が次代のリ・エスティーゼ国王へと推すザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフ第二王子殿下。そして私がエリアス・ブラント・デイル・レエブンで御座います。以後、よしなに願います」

 

 レエブン侯に紹介される形でザナックは魔導王の前に進み出て、深々と頭を下げた。

 

「ザナックにございます、魔導王陛下……我が身に拝謁する機会を与えていただき、誠に感謝の極みで御座います」

 

 魔導王は鷹揚に頷く。

 

「さて、私も長らく隠遁していた身……儀礼も嫌いではないが、お互いにざっくばらんに話そうではないか?」

「魔導王陛下のお望みのままに……殿下もそれでよろしゅうございますな?」

「ああ、もちろんだ……むしろありがたい」

「では、奥の間に進まれよ……デミウルゴス、御二方を案内せよ」

 

 魔導王の姿が消えた……転移の魔法なのだろうが、驚かされる。

 

「御二方、こちらで御座います」

 

 人語が通じるか怪しいような蛙の異形がいつの間にか前に立ち、2人に対して恭しく一礼した。

 そのまま無言の蛙の異形に先導され、巨大かつ壮麗な宮殿内を歩かされた。

 魔導王の意図を類推すれば、国力の差を見せつけ、勝手に考えろ、と迫っているのだろう。

 癪だが、その思惑に従い、宮殿内を見て歩く。

 結果として思い知らされた……天地がひっくり返っても勝てない、と。

 つい先日までこの巨大都市は存在していなかった……事実として認識しているのに、この宮殿内にいるととてもそうは思えない。悠久の時の彼方から存在しているかのような重厚さを感じさせるのにとても新しい。つまり新造されたのは確かなのに急拵えではないのだ。

 贅を尽くした内装も、新しいのに歴史を感じさせる。

 少なくとも魔導国は技術力と資金力においてリ・エスティーゼ王国をはるかに凌ぐ存在なのは間違いない……同時にレエブン侯は王都のシュグネウス商会の背後にいるのは魔導国との確信も得た。このような馬鹿げた技術力を持つ存在が複数在るわけがないのだ。

 

 蛙の異形に先導されるまま到着した部屋の前に立った時には、ザナックは魔導国との共存共栄を考え、レエブン侯に至っては自領の安堵を約束してもらった上での恭順すらも頭脳の片隅で考慮していた。

 

 両開きの豪奢な扉が開け放たれる。

 

 そこにいたのは魔導王でなく、薄気味悪いほどに整い過ぎた容姿の人間の男だった。星空の奥行を感じさせる黒いコートを羽織っている以外は着衣で目立つものは無いが、どうにも芝居掛かった笑顔が胡散臭い。役者としては三流以下なのに、容姿が整い過ぎている結果、主演の迫真の演技を食ってしまうような……なんともチグハグは印象だった。

 

「初めまして、ザナック殿下にレエブン閣下……俺はゼブルと言います。アインズ・ウール・ゴウン魔導国において、副王の地位にある者です……まあ、魔導国において次席と考えていただいて間違いありません。と言っても魔導王陛下に引き立てられた成り上がりなので、儀礼には詳しくありませんので、無礼はご容赦を」

 

 ゼブルと名乗った副王の挨拶も早々にメイド達が部屋に雪崩れ込み、茶の準備と晩餐のセッティングを進めていく。

 ザナックとレエブン侯はゼブルに促されるまま着席した。

 流れるようにメイド達が動き始める。

 1セットで一財産は間違いなさそうな茶器に芳醇な香りを放つ琥珀色の茶が注がれた。ゼブルは毒見とばかりに自らが先に口を付け、笑って見せる。

 

「どうぞリラックスして下さい……これから少々重い話をしますので……本交渉は魔導王陛下自らが後程こちらに参ります」

「重い話ですか、副王……陛下?」

 

 レエブン侯が言葉を終えるのを待って、ゼブルが切り出した。

 事前の打ち合わせ通り、レエブン侯が話を振るまでザナックは聞き役に徹するつもりで、ゼブルの視線に対して黙礼する……それでお互いに暗黙の了解が成立していた。

 

「私のことはどうぞゼブルとお呼び下さい、レエブン閣下」

「ではゼブル殿と呼ばせていただきます」

「それで結構です……ところで御二方は王国と帝国の戦争について、現状をご存知ですか?」

「私の想像が正しければ、シュグネウス商会の背後に貴国が在り、ヒルマ・シュグネウスから私にもたらされた情報は、実質的に貴国からの情報と考えております……その前提で正しければ、この度の戦は既に魔導国と帝国及び竜王国の同盟対我が国の戦ということになります。もはや勝てるはずもなく、我々としては可能な限り傷を浅く落着させるにはどうするべきか……そういう認識で動いておりました。そのついでにザナック殿下の政敵を屠る……そのようにシュグネウスから示唆され、私は提案を是とし、その通りに動いた。そういう認識です」

「開戦前の状況については、概ねその通りですよ……ですが開戦後の状況はご存知か?」

「開戦後……ですか?」

 

 レエブン侯がチラリとザナックを見る。

 ザナックは首肯した……真偽はともかく聞くべき、という意味だろう。

 

「どうやらご存知ないようだ……一言で言えば、王国は既に完膚なきまでに敗北を喫した……既に戦場はエ・ランテル周辺に移り、帝国軍によるエ・ランテルの包囲が完成したところ……そんな感じです」

「なっ……何を馬鹿な……いや、失礼しましたゼブル殿……でも、まさか、たった1日でそんなことが……我が国の総動員数は兵数32万超という過去に類を見ない規模ですぞ……その内、カッツェ平野に出撃したのは305000人近い圧倒的な軍勢ですが……」

「……数は問題じゃありません。恐怖を刷り込まれ、頭を潰されれば、所詮は無理矢理動員された徴兵が大半……頭である貴族ですら逃げ出すのが戦場というものです……」

 

 ゼブルは見てきたかのように語った。

 おそらく見てきたのだろう……レエブン侯はそう感じていた。

 語られた王国軍は悲惨の一言だった。

 人間の頭大の石の雨に降られ、無意味な死の恐怖を刷り込まれた。

 抵抗しようにも敵は雲の中。

 続いて軍の中核である精兵が魔法の絨毯爆撃で焼き殺された。

 そうしている間にも各軍の指揮官である六大貴族も総大将であるバルブロも姿を消してしまった。

 バルブロを筆頭にボウロロープ侯、ペスペア侯、リットン伯は帝国軍の虜囚となり、ブルムラシュー侯に至っては自ら真っ先に投降した。残るウロヴァーナ辺境伯も生死の境を彷徨った後、帝国軍に捕縛された。

 本来精兵である彼等六大貴族の軍勢は殲滅された。

 六大貴族貴族に次ぐ高位貴族達の軍は徹底に蹂躙され、大半が戦死した。

 低位の貴族は逃げ出し、連れて民兵も逃げ出し、カッツェ平野の王国軍は完全に崩壊した。

 帝国軍はそのまま侵攻し、電撃的にエ・ランテルを包囲した。

 そこにはまだランポッサⅢ世と王国戦士団が在り、旗本以外にも都市の衛兵こそいるものの、もはや敗北は必至……30万対6万だった戦力比が6万対5千にひっくり返されたのだ。エ・ランテルの三重城壁を頼みにどこまで対抗できるのか……帝国軍が魔法詠唱者部隊を保有している以上、即陥落もあり得る逼迫した状況だった。

 

「そのような事態に……」

「ですから、おそらく貴軍に対してエ・ランテルより緊急の援軍要請があるでしょう。すぐにでも準備しておいた方がよろしいかと」

 

 単なる親切心のようにゼブルは忠告した……が、わざわざザナックとレエブン侯を陣中から呼び寄せた意図がそんなものであるはずもない。魔導王との交渉意図は2人共に理解しているつもりだが、その合間にこの副王が出てきた意味を理解せねばならない。何か意味があるはずなのだ。

 

 お茶を飲み終えると、まるでタイミングを測っていたかのようにテーブルに食前酒と前菜が運ばれてきた。

 レエブン侯はモチャラス領で経験があったが、ザナックは目を丸くした。

 想像通り畜肉と穀物と野菜果実については地産品……ここカルネで醸造された酒まで供されたの意外だが、海産品以外は全て地元の食材だという。説明によればムニエルの川魚もここで養殖されたものらしい。

 食前酒、前菜からデザートに至るまで、一部を除いて全てカルネ産品と言われれば、もはや空いた口が塞がらないレベルの驚きを感じさせられる。その上見た目も味も超一流なのだから……ザナックは王族の面子をかなぐり捨てて貪り食ったほどだ。

 

「ご満足いただき、なによりです」

 

 ゼブルは薄く笑った。

 それが合図だったのか、食後のコーヒーが運ばれてくる。

 コク深さと酸味が極上のハーモニーを生み出す素晴らしい味わいだが、レエブン侯の頭脳は良く味わう間も無くフル回転していた。

 

「して……ゼブル殿の意図をご教授願いたい。我々と会食する為……であるはずがないのです」

「俺の意図ですか?……簡単ですよ。我々魔導国は王国と仲良くしたい。今は不本意ながら敵対しておりますが……王国が魔導王陛下と配下である我々に居場所を与えるつもりがあるのならば、我々は王国に対して発展を提供しようと考えています」

「つまり……このトブの大森林周辺の王直轄地を明け渡せ、と」

「いいえ、エ・ランテルからトブの大森林……つまり帝国と王国の間に横たわる全ての土地を我が国の領土して認めよ、と申し上げております。我々としては王国と帝国にこれ以降の戦争を望みません。既に帝国と竜王国にはカッツェ平野の魔導国領有を内諾していただいております。その際に帝国と竜王国と竜王国南方のビーストマン国家には魔導王陛下を盟主とする同盟に参画していただきました。まあ、カルサナス都市国家連合のやっていることを緩やかにして拡大したようなものと考えていただければよろしいかと……それが現在の周辺情勢です……後程、魔導王陛下からお誘いがあるはずです。我々はランポッサⅢ世陛下にお二人から強く勧めることを期待しているのです」

 

 ここで嘘を吐くメリットがあるとは思えない以上、ゼブルが現れた理由は本交渉前に予備知識を与えることと、恫喝じみた念押しで間違いないだろう。だがレエブン侯にはそれ以上に気になるワードがあった。

 

「不倶戴天の敵である竜王国とビーストマン国家が同じ同盟機構に所属……ですか?」

「それこそが私が副王位に推挙された理由です。これまで敵対してきた2国間で貿易を開始し、大きな経済的発展が見込まれる……2国の間の緩衝地帯を手に入れた私はその全ての権益を所有している、ということです」

 

 レエブン侯の脳裏にシュグネウスの言葉が浮かんだ。

 

「貴方が南方侯でしたか」

「竜王国で侯爵位をいただいたのは事実です。まあ、名誉爵位みたいなものですが……使えるものは使います」

「その上で魔導国副王位に就かれたのですか?」

「必要なことだったので……面倒なのは嫌いなんですが、魔導王陛下に大きな恩義もありましたから」

「大きな構想をお持ちのようだ」

「いいえ……先程も申し上げたように、私は使えるものは使います。構想したものが使えるのであれば使いますし、邪魔であれば破棄します……私は残された時間は有限であると強く信じる者です。だから最短距離を進むのです。私が選択した進む道を何者にも邪魔はさせません。可能な限り布石を打ち、一切の障害を排除します……リ・エスティーゼ王国が私の邪魔にならぬことを強く願っています」

 

 ゼブルは魔導王の到来を待つよう言い残し、部屋を出た。

 去り際、張り付いていたゼブルの笑顔が一瞬だけ消えたような気がした。

 これこそが本音なのだろう。

 利益も与える。

 安全も与える。

 安心も与える。

 発展もさせる。

 ただし邪魔ならば排除する。

 緩やかな同盟関係を標榜しているが、魔導国のそれは明確な支配だ。

 問題はメリットが非常に多いことだ……ハッキリ言って最高位の者以外はメリットしか無い。だからこそ帝国と竜王国は受け入れたのだろう。要所の権益こそ握られるかもしれないが、経済発展と軍事費の縮小は確実。魔導国の提示する食料生産技術など喉から手が出る程欲しいはずだ。

 

 ……ランポッサⅢ世は受け入れるだろうか?

 

 深刻な疑問だった。

 ザナックは矜持と利益の2択ならば利益に転ぶかもしれない。だからこそ交渉相手に選出されたのだろう。レエブン侯自身も若い時ならばともかく、息子を得た現在では明確に将来の利に転ぶ。魔導国には王国内の有力な手駒として見込まれているに違いない。

 だがランポッサⅢ世の人柄を鑑みれば……良くも悪くも良き人であり、良き父親だった。人格は尊敬に値するが、決して良き国王ではない。思慮深いというよりも優柔不断。民よりも近親者。結果として太子を定めらず、宮廷内の混乱を招いている。古きを踏襲するのは良いが、有効な新政策を自身の手で発議すらしたことがない。

 

「王陛下は拒まれるかもしれませんな」

「……だろうな……俺も父上は拒まれる気がする。だがそれを説得する為に俺達は呼ばれたのだから、期待に応えぬわけにはいくまい。ゼブル殿は言い切ったのだ……あの口振りでは父上が邪魔と判断した場合、あの男は確実に排除に動くだろうな。現在の情勢であれば魔導国自体が直接動かなくとも帝国軍を使っても良いわけだ。父上排除後に空位となった王位はバルブロでなく俺に与えるつもりだろうが、その場合は完全に傀儡だろうな……兄上の失脚が確実な情勢で、俺は傀儡の王になど就きたくはない」

 

 既にザナックは魔導国に降る気なのだろう。

 もちろん形式上は帝国や竜王国と同じく独立したままでの話だ。

 その上で利用できるものは利用し、発展を遂げる。

 リ・エスティーゼ王国の中興の祖となりたいのかもしれない。

 この技術力を手に入れられるのならば、その気にもなるのだろう。

 

「では、方針は定まった、と」

「方針も何も、レエブン侯は俺を説得するつもりだったのだろう?」

 

 この極めて見栄えの良くない王子は全てをお見通しだったようだ。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 エ・ランテルの城門前に5台の高楼車が迫っていた。

 内、4台は通常通り弓箭兵が乗っている。

 残る中央の1台……それこそが問題だった。

 虜囚となった男爵以上の爵位持ちの貴族が首に欄干に繋いだ縄を掛けられたまま、真っ青な顔色で助けを求めて叫んでいる。

 そして欄干から1人……既に吊るされた貴族の恨めしそうな表情があった。

 

「開門せよ!」

 

 6時間以内の開門……それが帝国軍の要求だった。

 6時間毎に貴族が1人づつ吊るされる。

 吊るすことが目的でなく、貴族達の恐怖や絶望の表情を見せるのが目的なのはかなり余裕を持った時間設定からも明白だった。

 もはや帝国の勝利は確実……糧食の消耗さえ気にしなければ、帝国兵に損耗を出すのはバカバカしいという判断なのだろう。たしかに帝国軍に一切の消耗は無いが、戦後誹られるのは確実な策。

 指示したカーベイン将軍にしても不本意極まりない策だったが、本営の天幕にあるジルクニフが決定したとなれば、反論も許されなかった。

 鮮血帝……そう呼ばれるだけのことはあり、ジルクニフは味方を過剰に損耗させるぐらいならば、大して価値を感じない捕虜の貴族を殺す選択をした。後世の悪評など意に介さない。自国の貴族を簡単に殺す以上、敵国の貴族に見返りのない温情を与えるわけがなかった。

 

「無能な敵は有能な味方に次ぐ戦勝功労者ではあるが……残念ながら無能である以上、相応に遇するわけにもいかぬ。だからせいぜい有効利用して祖国に殉じさせてやれ」

 

 決定を下したジルクニフの言葉は異様に冷たく響いた。

 

 

 

 

 

 

 

「卑怯です!」

 

 都市外を望む高楼の上でクライムは何もできない自分に歯噛みした。

 側を見る……縋る子犬のような眼差し。

 そこには転移の魔法すら行使可能な仮面の魔法詠唱者がいた。

 

「正に鮮血帝の異名に相応しい所業だな……冒険者である私達は絶対に関われないが小僧の気持ちは察するぞ」

 

 イビルアイの言葉はクライムの微かな期待を踏み潰した。

 義侠心で動いて良い状況でなく、冷徹な状況判断が必要なのだ。この状況で甘さを見せると全ての冒険者に迷惑が掛かる。冒険者の模範であるべきアダマンタイトは一切の手出しをすべきでない。

 

「まあ、こればっかりは冒険者じゃどうしても手助けしてやれねえ……鮮血帝の判断は残酷に見えるが、エ・ランテルの備蓄を考えりゃ、帝国軍に完全包囲されたまま兵糧攻めにされるよりは、エ・ランテルの民にとっちゃはるかに温情溢れるものかもしれねえぜ……好きにはなれねえが、よ」

 

 普段は何かと率先してクライムを手助けしてくれるガガーランもいつになく沈鬱な面持ちながら、イビルアイの言葉を補強した。

 しかし何を言われても、普段から貴族に良くされた記憶はなくとも、クライムは単純に目の前の光景が許せなかった。

 

「ですが!」

「今、リーダーが王と都市長に陳情に出向いている……それを待て……このまま抵抗を続けたところで、どの道王国の敗戦は決まっている。長引けば民が飢えるのも理解しているだろうが……王は決断できぬのだろうな」

「……冒険者の立場が許さないのですか?」

 

 イビルアイは頷いた。

 

「では、あの方を頼ってみます!」

「待て、無駄だ、小僧!」

 

 イビルアイの制止を聞かず、クライムは高楼から走り出した。

 頭の中にはつい先日出会った剣士……ブレイン・アングラウスの姿がある。

 その後も2回ほど言葉を交わし、一昨日は稽古までつけてもらった。その際の体感では敬愛するガセフ・ストロノーフ戦士長すら凌ぐ凄まじい剣の技量の持ち主だった。戦士長もブレインも本気ではなく、クライムとしては真の優劣の判断などできないが、剣を合わせた際に感じた単純な力量はブレインが上だった。残念ながら傭兵稼業からは卒業したとかで戦場に立ってもらうことは叶わなかったが、ある程度の友誼は結べた気がしていた。

 息を切らすことも忘れ、階段を駆け降りた先にイビルアイの姿があった。

 小柄な仮面の魔法詠唱者は両手を広げ、出口に立ち塞がっていた。

 背後からはガガーランの声が迫ってくる。

 クライムは立ち止まるしかなかった。

 

「落ち着け、小僧!」

「何故ですか!」

「たしかにブレイン・アングラウス程の技量があれば、単騎で帝国軍の守りを破って、囚われの貴族共の首の縄を切って回る程度であれば、やってやれないことはないだろう。だがあの男はお前の頼みなど引き受けない。お前はあの男を知らなさ過ぎる……そうでなくとも帝国に一矢報いた後、エ・ランテルはどうなるのだ。マジック・キャスター部隊に空から魔法爆撃されたら、囚われの貴族でなく、民衆が厄災に見舞われるのだ……お前はそれを許容する覚悟があるのか!……そうでないなら、妙な事は考えるな……とは言わんが、お前の心の中に留めておけ」

「くっ……」

「こうなっては援軍の当ての無い王国に勝利は無い……今考えるべきは民に被害を及ぼさないことだ」

「……頭では解っているんです……でも……」

「その気持ちは忘れるな……だが感情に流されたら負け……そういった状況も多々ある。そして今がその状況だ」

 

 背後からガガーランが近付いてくる。

 

「クライム!」

「大丈夫だ、脳筋……小僧も落ち着いた」

「ご心配をお掛けしました、ガガーラン様」

 

 深々と頭を下げるクライムは普段の堅苦しい調子に戻っていた。

 ガガーランもいつもと同じくニヤリと笑った。

 

「びっくりしたぜ。気持ちは俺達も一緒だけどよぉ……ところでイビルアイにクライム……今俺達にやれることをやらねえか?……ちょっとした思い付きなんだけどよ……冒険者にやれることで、クライムも上から許可を得たら同行できる上に、王国の役にも立つぜ」

「なんだ、それは?」

 

 イビルアイが訝しむようにガガーランを見上げる。

 仮面のままだがクライムにも理解できた。

 

「何をするつもりなのですか、ガガーラン様?」

 

 ガガーランが得意げに語り出す。

 

「あくまで形式上の問題なんだけどよぉ……今の王国にとってエ・ランテル外に在るまとまった戦力で期待できるのは叛乱鎮圧に向かったレエブン侯の軍だけだよなぁ?……で、クライムには伝令役としてレエブン侯の軍に向かう許可を得てもらう。クライムは軍の指揮系統から独立しているから、適任なのは間違いねえしよ……で、俺達はクライム個人から警護の依頼を受ける。たしかに政治的な依頼でもあるし、戦争とも関係するけどよぉ……そこまで厳密に規定に従うなら、モンスター討伐に国が報奨金を出すのもおかしいってことになんだろ?」

「脳筋……帝国兵と遭遇する可能性を忘れてるだろ?」

 

 もっとも指摘だったが、ガガーランは予測していたのか不敵な笑みを返した。

 

「だから同行するのは俺とイビルアイだな……ラキュースは立場も立場だから論外として、ティアとティナにもエ・ランテルで事態が動いた場合の連絡と情報収集で動いてもらう」

「それでは問題の解決にもならんではないか?」

「ここからだぜ……俺達も人を雇う……帝国兵と戦っても問題にならない凄腕がいるだろ?」

「まさか!?」

「俺達の仕掛けの答え合わせもできる。上手くすれば連中の情報も取れる。消息不明のゼブルの行方も判明するかもしれねえぜ……まあ、逆もあり得るけどよぉ……情報からはブレイン・アングラウスとエルヤー・ウズルスが暇を持て余しているのは間違いねえだろ……ジットの野郎は忙しく動き回っているみてえだけどよ。だからイビルアイには同行してもらう必要があるんだ。イビルアイ以外じゃ、連中と対立した時に太刀打ちできねえしな」

「……乗るとは思えんぞ」

「ダメ元で良いんだよ……クライムが冷静さを失うのは帝国軍の卑劣なやり口もあるけど、何もできない自分に忸怩たる思いがあるからだ。それは俺達も一緒だろ……冒険者の立場がなけりゃ、どんなに気に入らねえ貴族共でも助けてたよなぁ?」

「……まあな」

「だから、やるだけでもやってみようぜ」

 

 ガガーランは派手な音を立ててクライムの肩を叩いた。

 厳つい顔から想像もできない優しさに、クライムは深く頭を下げた。

 




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31話 城塞都市を巡る攻防

腰痛で年末進行なのに仕事が遅れる分、こっちが捗る始末。
本末転倒です。


 

 地道な偵察の結果、帝国軍の侵攻はエ・ランテル以西には至らないでだろうとの結論を得た。もちろんエ・ランテルが即座に陥落しないという大前提があってこその話だが……

 見極めの為にいつまでも立ち止まっていられない。陥落しないという大前提が崩れぬ前に……王国内に深く入り込む迂回ルートを選択し、フィリップ率いる一団は道なき道を進んでいた。

 近隣の開拓村に立ち寄っても粗末な家屋の扉は固く閉ざされ、村長以下に直ぐに出て行くように懇願された。水はともかく食料を手に入れることはかなり難しかった。立ち寄った村々でかなり高額な謝礼を提示しても、集められた食料は10日分にもならなかった。

 敗残兵が半ば野盗集団と化した現状を説明されても、少し前ならば国家の為に戦っている者に対する無礼に激昂し、村長を手討ちにしただろう。

 しかしフィリップは村長達に深く感謝し、馬を休ませる時間だけ滞在すると早々に立ち去った。

 

 丘陵をゆっくりと登る。

 既に帝国兵の影は感じない。

 トブの大森林に向けて真っ直ぐ進んでいた。

 先頭のイグヴァルジが緩やかな丘陵の頂で立ち止まる。

 そして目を細めた。

 

「……なんだ、ありゃ?」

 

 フィリップ以下も立ち止まり、イグヴァルジの視線の先を追った。

 

「あれは……巨大な……都市だな」

「ええ、あんな辺鄙なところ……少なくとも長年エ・ランテルで過ごしてきましたが、俺は知りませんぜ」

 

 イグヴァルジ以外は周辺地理には詳しくなかった。

 そうであっても一般的な知識としての地理情報としてフィリップも多少の知識は持ち合わせていたが、遠目から見ても王都を軽く凌駕するような巨大都市がエ・ランテルの北部にあるなどと聞いたこともない。

 イーグを見てもお手上げという表情で返された。

 

「……あそこが間違いなく目的地なのだな?」

「あそこかどうかは判りませんが、カルネ村ならばあの辺りで間違いありませんぜ……地図が無かろうが、この俺がエ・ランテル周辺で迷うわけがねえ……目的地は絶対にあの辺りですぜ、旦那」

 

 トブの大森林の中でも迷わない……フォレストストーカーであるイグヴァルジは自らを売り込む際に豪語していた。

 

 フィリップは考え込むも、選択肢は無いに等しい。

 進むか、引くか……引く選択があり得ない以上、考えるまでもなかった。

 

「進むしかないな」

 

 正直な気持ちを言えば恐ろしい。震えが止まらない。だがより接近した場所にレエブン侯の軍が展開しているのは全滅していない限り間違いないのだ。少なくともエ・ランテルの周辺で引っ掻き集めた情報にはレエブン侯の軍が敗北したというものはなかった……現在、王国唯一の無傷な戦力の無事を確認するだけでも大きな価値がある。

 

「行くぞ」

 

 フィリップの言葉にイグヴァルジが頷く。

 先行するイグヴァルジに全員が続いた。

 一歩進む度にその巨大都市が尋常でない威容を誇ることが確認される。

 巨大な城塞……聳え立つ尖塔……屋根だけが見える中央の巨大建造物。

 あまりに巨大なそれは遠近感を狂わせる。

 とても人間の都市とは思えない。

 

 その巨大都市まで残り数キロの高台でイグヴァルジが再び足を止めた。

 

「……なんか様子がおかしいですぜ、旦那」

 

 フィリップは下馬し、イグヴァルジの隣に立った。

 一見して巨大都市は存在そのものが異質だ。

 だがイグヴァルジが言いたいのはそんなことではないのだろう。

 フィリップはさらに目を凝らした。

 街道から巨大へと繋がる石畳が見えた。

 その先に旗印を掲げる集団が見えた……レエブン侯の軍だ。

 レエブン侯の旗印に混ざり、ヴァイセルフ王家の旗印も確認できた。

 ザナック殿下は健在……ホッと息を吐く。

 レエブン侯の軍はおよそ1万……大軍の割に小集団にしか見えないのは対峙する巨大都市が規格外過ぎる為だ。1万もの兵で包囲どころか、城門前で街道封鎖するのが手一杯。城壁に取り付くことも叶わないとは……

 所々で炊煙が上がっていた……日はほぼ天頂。時刻は昼時だ。のんびりとしているとは思うが、特におかしいとは思えない。

 ただし無防備過ぎるようには感じる。

 

「無防備過ぎるな……それなりに距離は空いているように見えるが……」

「それだけじゃありませんぜ……解りませんか?」

「解らぬな……何がおかしい?」

「見る限り痕跡がねえ」

「何の痕跡…………戦闘か!?」

 

 イグヴァルジは深く頷いた。

 

「どう見ても一戦も交えてねえ……城壁や石畳どころか、周囲の地面にも連中の装備にも傷一つありゃしねえ……空気だって、カッツェ平野で俺達が散々味わった張り詰めたものが微塵も感じねえ……連中は何をしてやがった?……こういう時は裏を考えねえと、こちらが痛い目に遭いますぜ」

「裏とは何だ?」

「………平たく言えば、レエブン侯なりザナック王子なり、もしくはその両方が敵対勢力……つまりあの巨大都市の叛乱勢力と通じてやがるってことですわ。確証はねえが、用心の為にも警戒を忘れちゃならねえってことですよ、旦那」

「手も足も出ないということではないのか?」

「もちろん、あの城壁じゃその可能性もあります。無駄に兵を損耗するぐらいなら、街道封鎖だけして、兵を出させねえって選択をした可能性だってあります……それにしたって空気が緩み過ぎな気がしますぜ。カッツェ平野じゃ交戦してなくたって緊迫感を感じたでしょう?……そいつを全く感じねえ。むしろのんびりしているようにも見える。だが俺達はレエブン侯の軍に合流する為に来たわけですよ。つまり連中の中に入り込まなきゃならねえ……だから警戒は必要ってことです」

「なるほど、な」

「まあ、レエブン侯や王子殿下の相手はお任せしますが……とりあえず警戒中の連中と俺が掛け合ってみますんで、旦那達はここで待機して、いつでも逃げられるようにしておいてくださいよ。いざとなったら俺は俺で逃げ切りますから……夕刻になっても俺が迎えに来ないようなら、とりあえず街道に出て南下して下さい。くれぐれも南下し過ぎて帝国軍の警戒網に引っ掛からねえように注意して下さいよ……さすがに帝国相手じゃ口八丁手八丁も通じねえ」

 

 イグヴァルジはそう言い残すと足早に高台から下り、石畳の上を巨大都市に向かって歩み去った。

 

 

 

 

 

 

 

 シュグネウス商会の空いた倉庫でラウムという名の魔法詠唱者が『転移門』の魔法を行使した。初見の魔法にイビルアイすらも驚きを隠せない。対してブレイン・アングラウスとエルヤー・ウズルスは慣れたもので、何の躊躇も見せずに輝き蠢く闇の中に進んだ。

 イビルアイとガガーランにクライムも慌てて後を追う。

 闇を抜けるとそこには長閑な街道の風景が広がっていた。

 土地勘のあるブレインが先頭に立つ。

 ガガーランが早足で隣に並んだ。

 

「俺達から話を持ち掛けといてなんだがよぉ……まさか本当に依頼を受けるとは思わなかったぜ、ブレイン・アングラウス」

 

 ガガーランの言葉に珍しくブレインは苦笑いした。

 

「おいおい、俺もいちおうは王国人なんだ……暇を持て余していたのは事実だし、ゼブルにも許可を得た。何ひとつ問題無いだろ……辺鄙な片田舎の農村の貧乏農家の出だから、王国に忠誠心なんざ持っていないが、これでも故郷を大切には思っているぞ」

「へぇ、意外だな……ところで許可を出したって言うゼブルを見掛けてないけどよぉ……アイツは何処にいるんだ?」

「知らん……最近は『転移』の魔法で忙しく飛び回っているみたいだな……それ以上は言えない」

「鉄の結束ってやつだな」

「バカを言うな……俺達はそんなものじゃないぞ。全員がバラバラだが、ゼブルを裏切ることだけはない……そういう関係だ」

 

 もっと寡黙で求道者めいた人柄を想像していたが、ブレインは想像していたよりもはるかに良く喋った……ガガーランはブレインへの認識を改めた。

 振り返ると一切無言のイビルアイとエルヤーの間でクライムが所在無さ気にキョロキョロと2人の間で視線を泳がせていた。さすがに哀れに感じる。助け舟を出そうかとも考えたが、今は想定以上のチャンスと判断し、ブレインから取れるだけの情報を取ると心に決めた。

 真っ先に気になる情報……ゼブル関連が無理となれば……あの女だ。

 

「……そう言えば、あの女……ティーヌも見掛けねえな」

「……探っているのか?」

 

 チョロいと思ったが、案外勘が鋭い……ガガーランは再度認識を改めた。

 

「そういうわけじゃねえよ。ただ俺は散々煮湯を飲まされたからよ……」

「これだけは言っておくが、アレはもうお前がどんなに足掻いたところで届く相手じゃないぞ」

「どういう意味だ?」

「そのまんまだ……五宝物を装備したストロノーフでも、俺でも絶対に届かない。もはや英雄やら逸脱者なんていう甘いレベルじゃない……言うなれば人外か……魔の領域にアレは立っている……いずれは俺も同じ場所に立つつもりだが、その時にアレがどこまでの高みに達しているのか……想像すると空恐ろしいものを感じるな」

 

 淡々としたブレインの言葉だったが、それだけにガガーランは薄寒いものを感じた。唾を飲み込み、気持ちを落ち着ける。

 

「……そんなにか?」

「ああ……凄まじいって言葉じゃ安っぽいな……少し前まで同じ山を登っている俺の二歩先を進んでいる感じたったものが、気付いたら山頂どころか、別の未踏高峰の頂にアレが立っていた……そんな感じだ」

「詩的表現ってやつか?」

「詩的?……単にお前にも理解できるように言ったつもりなんだがな」

「俺にも理解できるように……じゃあ、聞くけどよぉ……剣士ブレイン・アングラウスにとって、俺はどの程度だ?……それがねえといまいちピンと来ねえよ」

 

 ガガーランがニヤリと笑う。

 ブレインは呆れ顔に笑いを浮かべた。

 

「強さ談義か?……お前ら冒険者やワーカーって連中は本当に好きだな。少しは自分の目を信じたらどうなんだ、と……いつも俺は思うぜ」

「まあ、そうだな……仲間内で集まる機会がありゃ、酒飲んで、アイツが強いだ、どっちが強いだ、年がら年中語り合ってるからよぉ……まあ、職業病みてえなもんだろ……自分より少しでも強え奴と組みたい。少しでも強え奴と対立するのは避けたい……おそらく本音はそんなもんだぜ」

「ゼブルに言わせれば、強さとは相性みたいなものらしいが……弱くても状況を作れば勝てるし、強い奴が万全の準備で戦いに臨んでも、情報が漏れれば簡単に負けるそうだ……それこそ俺には全く理解できないけどな」

 

 ガガーランが苦笑いを返す。脳裏には竜王国での一件があった……状況を作る……正にゼブルらしい言葉だ。格下のガガーラン相手であろうと確実に状況を作っていた。

 

「……で、俺はどんなもんなんだい?」

 

 フンッとブレインが鼻を鳴らした。

 

「あくまで戦士としての見立てみたいなものだが……俺よりも弱い。ストロノーフよりも弱い。今のエルヤーよりも劣るだろ。でもクライムくんよりははるかに強い。俺が過去に剣を合わせた中で同等の力量の持ち主だと感じる奴はゼロぐらいか……他の『五腕』の連中よりは強い気がするな……それもしばらく前の話だから当てにはならんと思うが……お前と手合わせしたのも随分と前に感じるぐらいだ」

「……俺は弱いか?」

「俺と比べればな……世間的な評価はアダマンタイト……この世界の強者の中の強者で間違いないだろう、お前は」

「比べる相手が悪い……とは思いたくねえな」

「なら、剣に全てを捧げろ……俺がお前に言えるのはそれだけだ」

「全てか……あんたが言うと軽い言葉じゃないな」

 

 ガガーランがそう言った瞬間、それまでの緩んだ空気が一変した。

 ブレインが殺気を放ったのだ。

 エルヤーが飛び出し、ブレインに並ぶ。

 2人ともまだ刀は抜いていないが、臨戦態勢なのは間違いなかった。

 

「下がっていろ……帝国兵の可能性がある」

 

 ガガーランとイビルアイがクライムを保護するように前後で挟んだ。

 街道沿いの高台からガチャガチャと音がする。

 遅れて複数の荒い息が聞こえた……この時点でモンスターではない。

 藪をかき分け、巨体の男が現れた……目は血走り、顔面は蒼白だった。

 

「助けてくれ!」

 

 続いて幾人かの男が現れた。全員が絶望の中に希望を見出したような目で先頭のブレイン以下に助けを求めた。

 もはや帝国兵でないのは明らか……クライムだけが背後に下がり、イビルアイとガガーランも前に出る。

 男達は4人の作り上げた壁の背後に駆け込んだ。

 合計6人……一見して屈強そうな男達がガタガタと震えている。

 

「たっ、助けてくれ……バッ、バケモノだ!」

 

 クライムが一番身なりの良い男に声を掛けた。

 

「落ち着いてください。この方達は手練れです。バケモノものとは?」

 

 男は早口で捲し立てた……非常に聞き取り難い。

 

「デッ、デカいアンデッドだ……巨大な剣と盾を装備している。あのバケモノに襲われた仲間も即座にアンデッドになった。仲間が4人殺られた。馬も荷物も失った……まだ追ってきているかもしれない。合流場所に交渉に出向いた仲間が帰って来た時、まだアイツらがいたら殺られてしまう!……一緒に戦場を生き延びた仲間なんだ。いくらでも払う……どうか助けてくれ」

 

 恐慌状態の男を尻目にブレインが警戒したまま周囲に問い掛けた。

 

「アンデッドの特徴を聞く限り、おそらくデス・ナイトとかいうヤツで間違いないだろう。2〜3体ならば俺一人でも問題無い程度の相手だ……その男に何体見たのか確認してくれ、クライムくん」

 

 クライムがそのままゆっくりと問いかけた。

 男を両肩を掴み、落ち着かせるようにジッと目を見る。

 男はガタガタと震えながら「確実に見たのは2体だけだ」と答えた。

 

「どうする?……俺とイビルアイは力量的に別れるようだな。帝国兵の対応を考えると俺とエルヤーも別れる必要がある。必然的に俺とガガーラン組とイビルアイとエルヤー組に別れて、どちらかががデス・ナイト退治ともう一人の仲間の保護に向かうべきだろうが、コイツらが追跡されていないとも限らない」

「お前の言う通りだな……保護する人数を考えればマジック・キャスターの私とエルヤーがこちらに残るべきだろう。私は空から警戒できるからな」

 

 イビルアイが答えると、ブレインは凄まじい光沢を放つ刀を抜いた。

 

「では、そうしてくれ……時間が惜しい。行くぞ、ガガーラン!」

 

 ブレインが踏み込むと、とんでもない距離を飛んだように見えた。

 一瞬で藪に取り付き、見えない一刀を繰り出す。

 低木が四散し、男達が踏み分けた痕跡を遡る。

 ガガーランは全力で走ったが、どうにも障害物を排除しながら進むブレインとの距離が詰まらない。

 圧倒的な力量の差を切実に感じる。

 

「剣に全てを捧げろ」

 

 ブレイン・アングラウスの言葉が脳裏で響いていた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 豪華な夕食には一品も手をつけていない。

 肉の脂が白く固まっていた。

 スープも茶も冷たくなっている。

 ここが正念場。

 食べねば保たない。

 皆、自覚はあるのに今朝から一口も君主が手を付けない以上、臣下の多くもそれに倣っていた。

 

「……どうすれば良いのだ?」

 

 直近の1時間だけでも3回目の同じ問いだった。

 その部屋の中に入室することを許された2人の中で、主君であるランポッサⅢ世の問いに答えられた者はいなかった。

 1人は「ぷひー」と鳴らす鼻息とたるみ切った腹と顎肉と疎らな頭髪で有名な食わせ者……パナソレイ・グルーゼ・デイ・レッテンマイア都市長。見掛けと違い極めて有能な宮廷官僚の貴族である。

 もう1人はガゼフ・ストロノーフ戦士長。周辺国最強として名を馳せる戦士であり、王の最側近でもあった。彼は悲痛な面持ちで譫言のような自問を繰り返す主君を見詰めていたが、生来の武辺者であり、的確な提言などできるはずもなかった……なにしろ不名誉な3択しか思い付かない。

 まず前提として帝国軍が最終手段(=魔法詠唱者による都市内爆撃)を敢行した場合、王国の完全敗北は必至……その以前に実行可能な手段でなければ意味がない。

 一つは全面降伏による講和の申し出。

 一つは徹底抗戦を宣言し、義勇兵と戦士団で特攻を敢行する。ただし勝利条件は鮮血帝を討ち取ることしかなく、可能性が0ではないだけの案だ。限りなく0に違い数値に可能性を見出し、国家の命運を賭けるなど、狂気の沙汰としか思えなかった。そして失敗は王国の滅亡と同義だろう。

 そして最後の一つは叛乱鎮圧に向かったレエブン侯の軍を呼び戻し、城壁の内外で連携しつつ帝国軍の包囲網を削り、少しでも有利な講和条件を引き出してから講和の申し出をするという案だが、特使として送り出したクライムの働きに依存し、時間的なものがエ・ランテル内からでは全く制御できないことが大きな問題だった……簡単に言えば間に合わないかもしれないのだ。そうでなくともレエブン侯の軍には壊滅的な損耗を覚悟してもらわねばならない。叛乱勢力に後背を晒す必要もある。あの蝙蝠が簡単に頷くとは思えなかった。

 故に内外連携案は密かに実行に移したものの、ガゼフ自身が大して期待もしていなかったし、当然王への提案はしていなかった。間に合わない可能性がある上にあやふやな案に大きな期待を抱いたら、「奈落の底へまっしぐら」となる危険性が大き過ぎるように思えたのだ。

 

 ガゼフはパナソレイに目で合図を送り、後を任せて退室した。

 大恩ある王の心中を慮れば側にいた方が良いのかもしれないが、戦争の真っ只中では王国戦士長としての職務が重過ぎた。

 報告では六大貴族で健在なのはレエブン侯のみ。そのレエブン侯とザナック王子はエ・ランテルになく、他にガゼフに代わる者はいない。戦力比12対1の圧倒的劣勢の中でエ・ランテルの都市防衛を一身に背負っているのだ。一刻だって無駄にはできない。

 

 いつ鮮血帝が最終的な決断に至るのか?

 

 王の心中を思い遣って、その前兆を見逃すわけにはいかない。

 あまりに能力の及ばない自分に忸怩たる思いを噛み締めながら、足早に詰所に向かう。

 すれ違うのは沈鬱な面持ちの者ばかり。

 エ・ランテルの王国上層部は悲痛に塗れていた。

 だが幸いなことに一般住民は怯えてはいるものの、折れてはいなかった。

 折れない理由は周辺国最強の戦士であるガゼフ・ストロノーフがエ・ランテルに在ること。彼が指揮する王国戦士団が健在で在ること。しばらく前に貧しい開拓村を救う為に彼がエ・ランテルに来たことは有名だった。そして実際に壊滅寸前のカルネ村という開拓村を救った話は多くの民に語られていた。

 それだけにガゼフ・ストロノーフの分厚い双肩にのし掛かる重圧は尋常でないレベルに達していた。

 

「厳しいな……だが俺が弱音を吐くわけにはいかん」

 

 両手で頰を張り、気合を入れ、詰所の扉を開けた。

 子飼いの王国戦士団だけでなく、エ・ランテルの衛兵達が一斉に振り返る。

 

「報告!」

 

 ガゼフの声に一気に報告が始まる。全て口頭だ……もはや文書を作成している余裕は無かった。

 帝国の高楼車に3人目の貴族が吊るされた……ロキルレン男爵らしい。

 帝国は住民向けに退避勧告を始めている……その旨や条件を記した文書が空からばら撒かれている。今のところ住民に表立って動揺は見られないが、それも時間の問題と予測される。

 城門前以外に展開する帝国軍に目立った動きはないものの、突破可能な隙はなく、現時点での打開策は無し。

 レエブン侯の軍については高楼からも目視できず。

 都市内の食料備蓄は問題無し……計算上、切り詰めれば2ヶ月は籠城可能。

 その他、細々とした報告全てにおいて、追い詰められた現状の再確認以外の成果は無かった。

 

  全ての報告が完了し、ガゼフは唇を噛み締めた。

 八方塞がり……このままでは帝国に全面降伏するぐらいしか、これ以上民に犠牲を出さず済む方法が無い。当然ランポッサⅢ世は強制的に退位を迫られ、国政と一切の関わりを断つ宣言をさせられる程度で済めば最善であり、最悪は戦犯として公開処刑だろう。

 ガゼフが何の公職にも就かない一戦士であれば、大恩あるランポッサⅢ世の為にただ1人帝国軍中に吶喊し、鮮血帝を屠る賭けに打って出ただろう。失敗してもガゼフの命で償えば良く、市井の一戦士が暴走した結果として片付けてもらえば良い。しかし王国戦士長の立場では鮮血帝殺害失敗は必ず王の責任となるだろう。帝国軍はランポッサⅢ世に命で償わせるのは間違いない。しかもそれが最上の結果だ。

 最悪はエ・ランテルを焼き尽くすまで考えられる。

 故にガゼフは確証無しに動けなかった。

 かと言って、無為に時が経過すれば虜囚となった貴族が吊るされていく。高楼車の欄干からぶら下がった3人の男爵の無念の表情がガゼフを苛むのだ。

 

「クライム……まだか」

 

 クライムもしくはレエブン侯からの連絡は無い。

 王に全面降伏を進言する……そのタイミングはまだ先だ。しかしこのままでは近い将来、そのタイミングは必ず到来する。

 民に犠牲を出さず、王の面目も保つ……残された僅かな可能性はレエブン侯の軍に帝国軍の後背を強襲してもらい、同時に王国戦士団がエ・ランテルから撃って出て、鮮血帝の本陣を脅かす。帝国軍の心胆を震え上がらせ、その直後にこちらから講和を持ち掛ける。そして王国優位は無理にしても帝国に少しでも譲歩を迫るしかない。大きな期待はしていないとは言え、もはや残された最悪からの逆転手段はそれしかないように思えた。せめて事の可否だけでも知らせてもらえれば腹をくくれるのだ。悠長に構えていられる時間は無い。最後にランポッサⅢ世の王としての立場を終わらせるのも自身の役目なのだろう。

 腕組みし、瞼を閉じる。

 

 背後からバタバタと足音がした。

 衛兵が駆け込んで来る。

 

「戦士長!……帝国軍の軍使です!……軍使が入城を要求しています。いかがしましょうか?」

 

 いよいよ来たか……揺さぶりの第二弾か、最後通牒か……いずれにせよ、亀のように甲羅の中に閉じ籠る戦法は帝国軍には通用しない。空から魔法で焼き払うという最終手段がある以上、帝国軍優位は動かしようがないのだ。

 ガゼフは覚悟を決めた。

 

「入れろ……陛下に取次ぐ前に、まず俺が面会する」

「軍使は帝国四騎士ニンブル・アーク・デイル・アノックを名乗っています」

 

 ガゼフの想定以上の大物が軍使の上に、過去に戦場で面識もある……半ば嫌がらせのような要求を伝えて、エ・ランテル内の動揺を誘うというような姑息な策ではないらしい。帝国軍の本気度が伝わる。単なる降伏勧告でなく、具体的な講和条件を提示されるかもしれない。

 

「……とにかく会おう」

 

 ガゼフは衛兵に先導され、帝国の軍使が入城を求めているという城門まで足早に向かった。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 メイド達がお茶の準備を整えていた。

 テーブルには俺の前にティーカップが一つだけ……毎回申し訳ない気持ちにさせられるが、表情筋の無いアインズさんはニコニコと笑っているように感じるから不思議なものだ。

 ソロプレイヤー時代の俺からすると何故1レベルのホムンクルスのNPCを大量に作成したのか理解不能だったが、こうして現実に世話をしてもらう身になってみると中々快適なものに感じる。もちろんユグドラシル時代のメイドNPCには作成したギルメンのこだわり以外の意味が皆無であることは理解している……が、テーブルからの去り際にニコリと微笑まれると「悪くない」などと思ってしまう。

 そんなことを考えていると、アインズさんから珍妙なワードを聞いた。

 

「アインズ……様、当番……?」

「ええ、なんだか一般メイド達が持ち回りでやっているみたいなんですよ」

 

 またしてもナザリックの理解不能な一面を垣間見たような気がした。メイドが2種類存在しているのもかなり奇異に感じていたが……「アインズ様当番」はマジで理解できない。メイド達のアインズさんに対する忠誠心はゲームから現実に変換された以上理解できないこともないが……さすがに率直にツッコミを入れるような空気をぶち壊すを趣味は無い。

 

「……本当はアインズさんハーレムだったんですよね?」

「そうなんですよ……なんでこんなことになったのやら……俺のモノ、使う前に無くなっただけでなく、性欲すら微妙にしか感じないんですよね」

「……まあ、性欲に関しては似たようなものですけど」

「でも!……モノが在るのと無いのじゃ天地の開きがありますよ」

「そりゃ、そうなんですが……」

「でしょ……しかもチョイチョイ迫られるんですよ!……人生初のモテ期なのに!……死んでますけど!」

 

 ノリツッコミですか……まあ、楽しんでいるようなので構いませんが……仮にモノが無事でもユグドラシルの種族選択時にアンデッドを選択していた時点で血流が失われているから、結局は無理なような……

 

 話題を本筋に戻す為にお茶を啜る。

 

「で、ですね……帝国がちょっとカッツェ平野で勝ち過ぎて、逆にエ・ランテルでは程良い落とし所に窮しているらしいですけど……」

「専業兵士と徴兵の差ですかね?」

「それも在るでしょうけど、やっぱり雲中から石の大量投下はちょっと容赦なさすぎたような……普通に怖いと思いますよ。運悪く命中したって量でもなかったですし」

「うーん、カルネ建設の廃石材の有効利用だと思ったんですけどね」

「想像以上に有効過ぎました」

「少し人間だった時の感覚が失われつつあるみたいですね。今後、注意しないといけないなぁ……人間も配下にいるわけですしね。ゼブルさんのところにマス・フライを使える配下が沢山いたから、強化したフローティング・ボードの積載量の限界まで準備しちゃいましたし……ちょっと調子に乗り過ぎましたかね」

「俺達が全面に立っている戦争なら、それで良かったんですけどね」

 

 本物の戦争は俺で2度目、アインズさんは初の経験だ……今後、もっと適度に敵の心を折る方法を考えないと想像以上の虐殺になってしまう。今回は直後の帝国の魔法詠唱者部隊の『火球』の乱れ撃ちとの合わせ技で想定を超える地獄絵図を作り上げてしまった……王国軍の死者が3万以下ってことはないらしい。負傷したままカッツェ平野に放置された数を考えれば最終的には5万ぐらいにはなってしまうかもしれない。ちょっとやり過ぎだ。

 人間種はビーストマンと違って、必要以上に強さを示すことは大して重要ではない。権威はなくとも、利でも理でも転ぶ奴は山程いる。多数派を作り上げて、盟主となれば勝ちなのだ。

 これは極めて重要な反省点だった。

 

「で、落とし所の修正はするんですか?……カルネだけでも住民が増えたら面倒臭いのに、エ・ランテルは……まあ、王国と帝国を完全に分断する為に必要ですから仕方ないにしても、これ以上直接統治する都市とか領土とか要らないんですけど……」

「それもそうなんですよねぇ……で、ちょっとした思い付きなんですけど、鉱山を譲り受けませんか?」

「鉱山!?……アダマンタイトより上があるんですか?」

「いや、ミスリルと金なんですけど……友軍に戦死の虚偽情報をばら撒いて混乱させ、いち早く帝国に自ら投降したブルムラシュー侯ってクソ野郎の領地にあるらしいんですが……どっちもこの世界では金になりますよ。炭鉱作業はアンデッドを使えば安全でしょ?」

「良いですね!……そのクソ野郎から懲罰的に取り上げるってことですか?」

「理由はどうでも良いんですけどね……元々王国の六大貴族のくせに、裏で帝国と通じていたようなクズ中のクズですから、理由は何とでもこじつけはできますよ……帝国としても王国と完全に分断が成れば、ほぼ利用価値は無いに等しいですから……今回の戦争にしても投降するタイミングがあまりに早過ぎて、これまでの投資が無駄に近いって、帝国からは評価されてますから……まあ、結果的に王国全軍が大混乱にはなったみたいですけどね」

「因果応報ってやつですね……金持ちの悪党が自業自得で破滅していく展開は好きだなぁ」

「なにしろ王国随一の資産家ですから……実にアインズさん好みの展開じゃないですか?」

「……そう言えば、ゼブルさんも何か仕込んでいたんでしたっけ?」

「あー、勘違いしている無能小悪党ムーブの青年貴族ってヤツを飼っていますよ。元々がブルムラシュー侯以上にクソ野郎ですから……ティーヌがいろいろ鍛えたみたいですけど、どこまでやれたのかなぁ?」

 

 フィリップのことを久々に思い出した。

 しょーじき、死んでも生き残ってもどちらでも構わないんですけど、恵まれた生まれで健康体の奴が何一つ頑張らないで中途半端に社会の所為にしているのが心の何処かで許せなかっただけ……心の底からどーでもいーっちゃどーでもいーわけですよ。小悪党ムーブのまま世を拗ねているのを嘲笑っても構わないし、心を入れ替えて立身出世を目指してもらっても良い。

 なにしろこの戦争で王国の上層が相当入れ替わるのは分かっているわけですから……俺は機会を与えただけ……神の視点ってヤツです。魔神だけに。

 

「……まっ、ブルムラシュー侯みたいな大物と違って、これから先のお楽しみみたいなヤツですよ。ブルムラシュー侯はこの先落ちるだけですから……六大貴族としての地位と信用を失い、権力の基盤となっている財力を失ったらどうなるのか……正に転落人生ってヤツですね」

「ゼブルさんも嫌いじゃないでしょ?……そうじゃなきゃ、そんなことを捻じ込む以前に思い付きませんよね」

 

 アインズさんの指摘通り……切っ掛けはブルムラシュー侯が虚偽情報を自軍に流して、その混乱に乗じて真っ先に帝国軍に投降したと聞いたからです。自身の安全は金で買い戻すつもりだったらしいし、実際早々に身代金を支払ったそうです。加えてとんでもない吝嗇家らしく、自身の投降に付き従った部下の安全確保は、部下に金を融資して、自身で買い戻せ、と宣ったらしい……あまりにクソ過ぎる。

 帝国軍の本営である天幕でジルクニフに直接聞いたのだから間違いない。

 で、予定よりも勝ち過ぎて、帝国としての講和の条件提示に困っていたジルクニフに提案するに至ったわけですよ。もちろんアインズさんの許可を得てから、とは言ってありますが、当然ジルクニフは先回りしているでしょう。ちょろっと上乗せぐらいは考える奴です。どうせ分断されるのだから王国の領土は不要のはずです……でも戦費の補償と賠償金に加えて、動かして問題ないものぐらいは上乗せするはずです。なんならブルムラシュー侯の鉱山から手に入れたミスリルぐらいは安価で流してやっても良いし。

 

 そんなことを考えているとアインズさんが呟いた。

 

「……鉱山か……鉱山って言えばドワーフが欲しいなぁ」

「ドワーフですか?……そう言えばエルフは俺の配下にもいますけど、ドワーフはカルネの工房にいるダーク・ドワーフぐらいしか見掛けませんね」

「心当たりはあるんですよ……あー、配下のリザードマンのアレはなんて言ったかな……えーっと、デカくて右腕が太い……たしか、そうゼンベル・ググーって名前のヤツだ。そのゼンベルがアゼルリシア山脈にドワーフの都市があるって言っていたような?……なんか漠然とした話なんで放置していたんですけど、建国関連の行事が終わったら探しに行きませんか?」

 

 へぇ、と答えるも、その実「ドワーフの国」ってワードに凄くそそられた。

 ドワーフの国と聞けば、イメージの中では財宝ザクザクで技術モリモリだ。

 そうでなくとも腕の良い鍛治師が1人でもスカウトできれば儲けもの……俺が山程抱える激レア素材の使い道も増えるというものだ……どれだけアインズさんが気を遣ってくれても、ナザリックの鍛治長に頼むと少なくとも出来上がった武具の性能は秘匿できない。かと言って、カルネの鍛治師達のレベルでは素材のレベルから考えても扱えない……つまり本当に在るのならば、凄く美味しい場所じゃないですか!

 

「んじゃ、ある程度予定が一段落したら一緒に探索に行きましょうか?」

「えっ!……行きましょう!……是非行きましょうよ!……いや、普通の冒険ですよ。探索ですよ……楽しそうじゃないですか?」

「言われてみれば……単純に場所の探索ってしたことがないですね」

「そうなんですよ!……情報はリザードマンが持つ僅かなものだけ……目的地にはお宝があるかもしれない。未知の優れた技術があるかもしれない。こっちの世界の独自技術があるかもしれない……凄くワクワクしませんか?」

「……そうですね……たしかにワクワクします!」

「でしょ!……理由も意義も不明ですけど、せっかくこの世界に転移したんです。未知の探索なんて最高の贅沢じゃないですか!」

 

 そう力説するアインズさんはユグドラシル時代から通しても今までに見たことがないぐらいのハイテンションでした。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 上段からの一刀……ほぼ同時に下段からの斬り上げがデス・ナイトに吸い込まれた。右腕とフランベルジュが地に落ち、右脚を失ったデス・ナイトは立つことも叶わず、地に崩れ落ちた。

 それでもデス・ナイトは巨大なタワーシールドを振り上げて、ブレイン・アングラウスに襲い掛かる。

 が、武技『領域』を展開させているブレインはヒョイと避けた。そのまま逆撃を加え、デス・ナイトの左腕を盾ごと断切した。

 

 ガガーランはその体捌きや技に見惚れていた。武技はともかくブレインの磨きに磨き上げた体技は芸術の一言だった。紙一重の回避に絶対の信頼を寄せられる……モンスターと交戦中にもかかわらず、ただの観戦者と化したガガーランの『鉄砕き』を握る手が緩む程だ。

 

 遭遇したデス・ナイトは合計4体……既にブレインが3体屠り、残っているのは足下に転がり、左脚で蹴りを入れようと暴れる1体のみ。

 

「おい、ガガーラン!」

 

 唐突に名を呼ばれ、茫とブレインの技に見惚れていたガガーランの意識が現実に引き戻された。『鉄砕き』を握り締め、カッと目を見開いた。

 

「なっ、なんでえ!」

「コイツのトドメを刺せ!……以前、ゼブルから聞いたことがある。そして実験にも付き合ったことがある。ぱわーれべりんぐ、とかいう方法だ。最後のトドメを刺すだけで、実際に戦う以上のれべるあっぷ効果が得られるとか……とにかくやってみろ」

「なんだよ。俺の事を気に掛けてくれてたのか……やっぱアンタは根は優しいヤツなんだな」

「余計なことはいいから、とにかくやってみろ……あっ、デス・ナイトはトドメを刺したと思っても一回は必ず耐えるぞ。絶対に追撃を忘れるなよ」

「了解だ」

 

 ガガーランは油断しない。

 瀕死だろうと相手が格上なのは十二分に理解している。

 左脚一本であっても攻撃が当たれば耐え切れないかもしれない。

 ブレインが軽く捌いていても、ガガーランにできるとは限らない。

 ブレインの攻撃が通ったからと言っても、ガガーランの攻撃が通用する保証はどこにもないのだ。

 隙なくデス・ナイトに接近し、自身の攻撃圏を確かめる。

 スーッと息を吸う。

 

「砕けや!」

 

 初撃から全力で『鉄砕き』を振り切る。

 デス・ナイトの蹴り上げた左脚と激突した。

 

 ……力負けか……ならば!

 

 自身の最大最強の攻撃……武技『超級連続攻撃』を繰り出した。

 『鉄砕き』の15連撃。

 一撃目……左脚にヒットするも押し戻される。

 二撃目……胴体にヒット。

 三撃目……腰部にヒット。

 四撃目……再度左脚と激突し、今度は左脚を砕く。

 五撃、六撃、七撃、八撃と連続でヒットし、デス・ナイトの頭部と胴体が陥没する。

 そして九撃目……頭部を完全に砕いた。

 デス・ナイトは完全に動かなくなった。

 それでも油断せず、十五撃目まで連続攻撃を続けた。

 

「フーッ」

 

 完全に残骸と化したデス・ナイトを見下ろし、ガガーランは大きく息を吐いた。身体は緊張から弛緩へ……でも集中力だけは切らさぬようにガガーランは周囲を警戒しつつ、背後で観戦しているはずのブレインを見た。

 同時にブレインから見えない剣速の一刀が連続して繰り出された。

 武技『空斬』の4連発。

 ガガーランの両サイドを通り抜け低木の向こうへ。

 背後でおそらくデス・ナイトに殺され、ゾンビとなってしまった男達が両断された……らしい。

 

「デス・ナイトを屠るまでは見事だったが、お前も『領域』ぐらいは覚えた方が良いんじゃないか?」

「うっせえよ……もう少し近付けば、いくら俺でも気付いたぜ」

「俺の『領域』は『領域』だけを使用するって条件付きなら、昔よりも効果範囲の半径が4倍ぐらいにはなった。他の武技と併用しても倍だ。だがティーヌには通用しない。アイツは『領域』の中でも普通に俺の必中攻撃を回避する。そんな芸当ができるのは俺が知る限りアイツだけだ」

「何が言いてえ」

「お前が目指す所の話だ」

「はぁあ……俺が目指す所?」

「そうだ……ナメられたままじゃ自分が許せない。お前も戦士やってんだ。俺と同じような感覚は持っているはずだ。俺は最初がストロノーフだった。そしてティーヌ……最終的にはゼブルだ」

「言いたいことは分かるけどよぉ……アンタは俺の見立てじゃ、もうガゼフのおっさんよりも強えだろ?」

「そうだな……もう五宝物を装備してもストロノーフじゃ俺には絶対に届かない。だがティーヌと俺の間の距離は開く一方だし、本気のゼブルには足下にも到達していない。まだまだ目指す場所へは遠い道程だ」

「本気のゼブル?」

「本気で戦ったのを一度だけ見た……本気になっただけならば複数回見たが、戦ったのを見たのは一度だけだ。はるかな高みだ。世界の頂点……と俺は思っている。少なくとも手が届く一人ではあるだろうな」

「そんなにか?」

 

 あの笑顔が年中張り付いたような顔……あの時、アイツが言ったことは言葉通りなのかもしれない……ガガーランは薄寒いものを感じた。

 

「おそらくお前には想像もできないだろう。俺でも見ていなければ信じられない。ゼブルの技や能力について喋れないが俺は本気を出したゼブルが戦闘で敗れる様を想像すらできない。それでもゼブルは自分は最弱だと言うんだ。俺はアイツが何を言っているのか理解できなかった。ゼブルは自分の弱点を理解していた。それどころか自分を屠る方法までも熟知している。それも一種類じゃない。何通りも自分を屠る方法を想定し、常に警戒を怠らない。俺からすれば圧倒的強さなのに……俺はその姿勢に戦慄したよ。それまでは単に鍛えてくれる都合の良い相手だったものに、敬意が加わった。こう見えて俺はゼブルを心の底から尊敬している………恥ずかしいからアイツには言うなよ」

 

 ガガーランはゼブル一党の繋がりを誤解していたのかもしれない、と思い始めていた。もっと打算的で強さに貪欲な集団だと思っていたのだ。ブレインは強さに貪欲なのは違いないが、少なくともゼブルを裏切らないという気持ちは真摯なものだ。ティーヌにしてもジットにしてもブレインと同じような気持ちなのかもしれない。特にティーヌはもっとオトコとしてゼブルを意識しているのかと思っていたが、狂信的と言えば狂信者に見えないこともない。むしろ享楽的で殺人も厭わない、自身の全てを捧げるような狂信者と思えば、実にしっくりくる。

 これは極めて重要な情報だった。

 

「言わねえよ……むしろ気持ちを喋ってくれことに感謝するぜ」

「俺はお前を評価しているんだ、ガガーラン……武を志す連中は才能の限界を言い訳にして努力しない奴が多過ぎる。最初はお前もそんな連中の一人だろうと思っていた。たしかに才能があれば労少なく強さを得られる。だがクライムくんのような才能の無い者の強さもある。努力でどうにもならないものを知識と研究と気持ちでカバーする。ハッキリ言って剣の腕は鍛えるだけ無駄にも思えるが、彼は技以外のものも得る。俺はその姿勢を評価するし、クライムくんを無償でフォローするお前も評価している」

「俺のは……クライムみたいに純粋な気持ちじゃねえさ」

「だが強くなりたい気持ちに嘘は無い……違うか?」

「違わねえよ……ただ壁を乗り越えるのが厳しくなりつつあったのも事実だ。俺は英雄の領域には届かねえ……現実を見ろ……そう自分に言い聞かせて、言い訳していたのかもしれねえ。でも強くなるのを諦めたわけじゃねえ。そんなもので諦められるぐらいなら、戦士で高みなんざ目指さねえよ。俺は強くなりてえ……アンタに言われて、改めて思ったぜ」

 

 ガガーランは『鉄砕き』を肩に負い、ニヤリと笑った。

 

「まだまだ道半ば、ってこった……先は長えな、おい!」

「戦士の鍛錬に終わりは無い。剣に全てを捧げても、武の神様は貪欲だからもっとくれ、って言うんだぜ」

 

 ブレインが周囲に散乱する荷袋を拾い集める。

 慌ててガガーランも荷袋を集めた。

 

「どうにも締まらねえな……」

 

 ガガーランが独言ると、ガサガサと藪を掻き分ける音が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 イグヴァルジは息を飲み、同行していたロックマイヤーと言う名の元オリハルコン級冒険者を見た。今は腕を買われ、レエブン侯の親衛隊らしい。

 ロックマイヤーが先導する形に入れ替わり、ゾンビと化した四つの死体と地面を調べ、イグヴァルジに頷く。

 

「この場に流血の痕跡が少な過ぎるからアンデッド化してから倒されたのは間違いないな……流れとしてはカルネの衛兵に不審者として処理され、アンデッド化した。俺達も警告を受けたしな。で、誰かがアンデッドとして倒した」

「待ってくれよ……じゃあ、俺の仲間はみんな殺られちまったのか?」

「いや、見る限り死体は4体だ……あんた以外に10人いたんだろ?……だったら4人がカルネの衛兵共の犠牲になっている間に逃げたって目算が高い気がするが……それにこのアンデッド達を屠った奴はかなりの腕前だ。正直、あんたらの仲間じゃ無理だろ。同じ太刀筋だから同一人物……それをアンデッド相手とはいえ、これだけ固まった相手を綺麗に縦に両断するのは神業……冒険者で言えば間違いなくアダマンタイトだ」

「それじゃあ、これはモモンの野郎の仕業か……いや、アイツは両手持ちの大剣を振り回す奴だ。こんなに綺麗な切断面にはならねえか……なら、王都の青薔薇のガガーラン……は違うな。戦鎚使いだ。となると『朱の雫』ルイセンベルグぐらいしか……」

「なーに、強い剣士は在野にもいるさ」

 

 ロックマイヤーはそう言うと少し顔を顰めた。

 

「どうした?」

「いや……アンデッド共を屠った奴の足跡が無いんだ」

「はぁ?」

「よく見りゃ、攻撃した方向は一方向だ……つまり全攻撃があちら側から加えられているのに、そちらに攻撃した奴の足跡が無い。かと言って切断面は飛び道具のものじゃない……武技の『空斬』とかってヤツじゃ、ゾンビとはいえ人体を縦に両断するまでの威力は出せないだろ……あんたの知識に人体を切断する魔法なんてあるか?」

「いや、知らねえな」

「となると、こいつは難解だな」

 

 ロックマイヤーは目配せでイグヴァルジに「偵察してくる」と伝えると、そのまま先に進んだ。ミスリル級のフォレストストーカーであったイグヴァルジにすら、気まぐれにふらっと消えたように見えたが彼のふたつ名を思い出し、安心する。

 『見えざる』

 ロックマイヤーはこう言ったことのエキスパートだ。

 かと言って、イグヴァルジの不安が解消されたわけでもない。

 直前のロックマイヤーの状況解説も不安を煽った。

 遠間からの人体を両断可能な攻撃……そんな恐ろしい攻撃方法があるのならば……もしアンデッドを屠った存在に敵と認識された場合、一方的に殺されるしか道はないのではないか?……イグヴァルジは周囲を警戒するも、攻撃の有効射程が不明な以上、どこまでの範囲を警戒すれば良いのか判らない……その事実に気付き、戦慄した。

 

 1ヶ所に留まるのは危険……そう判断し、ロックマイヤーが消えた方向へと進む。

 

 本来の集合地点まで直ぐに到達してしまった。

 そこで再会を果たした。

 ブレイン・アングラウス……低木の中にぽっかりと空いた草地に冒険者引退の切っ掛けを作った男の姿が在った。

 




お読みいただきありがとうございます。


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32話 決着は貴賓館で

次話は都合で少し早く投稿します。
よろしくお願いします。


 

 城壁上からの矢の迎撃が絶える。

 とうとう破城槌が城門に激突した。

 城門の扉が大きく撓み、亀裂が入る。

 凄まじい破砕音が響く。

 それが2度、3度と続いた。

 戦士団が城門の内側で身構える。

 既に城壁の上からの援護は無い。

 高楼車からの弩の斉射に加え、やはり魔法詠唱者による範囲攻撃が城壁上の衛兵達にトドメを刺した。帝国にしてみれば、これでもかなり手加減しているのは間違いないのだが、それでも戦力差に加えて、組織化された魔法詠唱者部隊の有無が決定的な戦力差に加えて戦術の選択肢の幅で大きな差を生み出していた。それでも帝国軍のやり方はあくまで城塞都市としてのエ・ランテルの攻略を目指しているものであり、住民に被害を及ぼす気は無いように見える。

 ガゼフ・ストロノーフは昨日の軍使としてのニンブルとの会談内容を鑑みても、少なとも現時点で帝国軍の動きには逆に信頼感を抱いていた。

 

 ……陛下を説得できていれば……

 

 昨晩から明け方まで続いた不毛な会議を思い返す。

 帝国からの条件提示に対して王は頑なな態度を貫いた。

 たしかに厳しい条件ではあったが、王国の置かれた現状では受け入れるのも致し方無しとも思えた。

 その条件とは……

 まずエ・ランテルと周辺地域の割譲……王直轄地は犠牲になるが、地域の王国民にとっては税の支払い先が帝国へと変更になるだけの話で人種や宗教的な問題は無く、実質的なダメージはほぼ無い。ただしヴァイセルフ王家にとってのダメージは計り知れなかった。なにしろ王都周辺地域に次ぐ巨大な収入源を失うのである。

 次に損害賠償金の支払いと戦費の全額補填……これは勝敗が明確な国家間戦争では通常のやり取りであり、今回は王国の完敗なのだから、むしろ支払うべきように思える。周辺国間の今後の外交関係を考えれば、ここで渋るのはいかなる国家間のやり取りでも一線を引かれた対応になってしまうだろう。慣例を勝手に破るような輩には、そういう対応しかされなくなってしまう。

 さらに虜囚となっているバルブロ王子の身代金の支払い。

 同じく虜囚となった六大貴族及び貴族の身代金の支払いの保証。

 加えて民兵捕虜4万人超の返還に際しての王家の補償……民兵を放棄する場合は帝国の奴隷階級となる旨の承諾。帝国の奴隷は自身で身分の買い戻しが可能とはいえ、この条項を認めるのは王家が国民を見捨てるに等しいので心情的に厳しい上に、金銭的にも巨額であった。

 最後にランポッサⅢ世の戦争責任……いやらしいことに身の処し方は王国に任せると言うのだ。王国の考え方を周辺国の見せようと言うのである。

 その他にも細かい条項はあったが、ランポッサⅢ世が頑なになる理由は自身の戦争責任とバルブロ王子の扱いとエ・ランテル周辺の直轄地の割譲の三項目で間違いないだろう。

 

 およそ3時間に渡ってガゼフとパナソレイが必死になって説得するもランポッサⅢ世は首を縦に振らない。

 王の公開処刑まで覚悟していたガゼフとしては一も二もなくこの条件に飛び付いた。軍事はともかく実務面で有能なパナソレイにしても帝国軍が本気になればエ・ランテルを包囲したまま王国内へ侵攻する……その可能性を帝国四騎士の一人から示されれば、帝国の差し伸べた手を振り払うような真似をすべきでないことは即座に理解できた。

 だが王は2人の腹心の懇願に対して、無言を貫いた。周囲に対して「どうすれば良いのだ」との問い掛けも無くなり、ひたすら沈黙を守り通した。

 

 そして薄闇が晴れ、完全に夜が明けた。

 軍使ニンブルの予告通りの時刻に帝国軍のエ・ランテル攻略作戦が開始されたのである。

 

 北門の城壁上はもはや完全に陥落した。

 ガゼフは腕組みし、戦況を見詰める。

 救いにもならないような小さな希望は帝国軍が最初に攻略目標としたのが北門ということだけだった。もし間に合えばレエブン侯の軍勢が真っ先に到達するはずの城門だったのだが……

 しかし城門まで突破され、拠点化された場合は逆の結果を生み出す。

 既に外側の城壁の上に帝国軍が取り付き、陣を形成していた。

 少ない戦力を割いてまで北門を死守すべきか……深刻な命題だった。

 放棄するのが北門だけならば直ぐにでも決められるが、外側の城壁全てを捨てるに等しいとなると簡単に答えは出せない。

 それでも時間は待ってくれず、最前線の直ぐ後方で指揮するガゼフ・ストロノーフは臨戦態勢のまま、ジッと瞼を閉じていた。

 

「外周城壁を放棄する。兵員は全て内周部に撤退。住民にも待避を促せ。もし都市外への避難を希望する者があれば南門に集めよ……昨晩の軍使殿との会談で取り決めがなった。帝国の検査を受けた後にはなるが、基本的に一般市民の避難に際しては全件通行を許可するとのことだ。ただし貴族及び軍関係者は原則通行禁止。加えて一部の有力商人の関係者は通行は制限される。1人でも違反者が出た場合は以降の通行は原則として全件不許可になるので、事前にこちらでも検査するようにしろ……俺の名で通達を出せ」

 

 ガゼフは撤退を指揮しながら、部下達に次々と指示を下した。

 北門の内周城壁の門を固く閉し、内側にはバリケードを築く。

 城壁上に弓箭兵の部隊を配置するが、帝国軍に外周城壁上に弩を設置されては良い的にしかならない。それは理解しているものの、内周城壁の突破を試る帝国軍を牽制する為にはどうしても必要な措置だった。

 八方手を尽くしても、全ては気休め……ここで帝国の侵攻を食い止めている間にパナソレイが王の説得に成功するか、クライムがレエブン侯の軍に全滅必至の援軍となることを承諾させるか……情勢にそれぐらいの激変が生じない限り、ガゼフが敗軍の将となることは確定していた。

 

 一通りの指示を終えると足早に南門へと向かう。

 早急に南門の守備を指揮する副長に連絡を取る必要があった。

 帝国軍は時間通りに予告通りの攻撃を北門に加えてきた。

 となれば、次の帝国軍の目標も予告に従いエ・ランテル最内周部にある巨大食料貯蔵庫である可能性が高い。最初は数ある予告された攻撃目標の中でも最も馬鹿げた目標と思っていた。なにしろ最内周部に在る上に警備が厳重だ。

 しかし北門が範囲攻撃魔法の一撃で攻略された現在、その考えを変えざる得なかった。単なる魔法詠唱者部隊程度の相手でなく、フールーダ・パラダイン本人と彼の高弟達がまとまって動けば、攻略可能なのではないか?……報告ではカッツェ平野では大量の石の爆撃で手痛い打撃を受け、戦意を挫かれたと言う。つまり大量の石を空に運んだということだ。それらと同質量の単一の何かを空に運べるのだとしたら……巨大食料貯蔵庫を襲撃されたという事実が漏洩したら、住民の不安は頂点に達し、戦士団を含めて軍全体の士気が挫かれるだろう。

 

 その時……講和に承諾しないランポッサⅢ世はどうなってしまうのか?

 

 立場を失うなどという生易しい状況ではなくなるだろう。自国民と自身の軍からの怨嗟の声に耐えられるのか?……状況が良くなる要素など無い。

 3日後に帝国は戦況に応じた条件を再提案するという。

 そこまでは予告通りにエ・ランテル攻略を進める。

 予告だけでもナメ切った話なのに……現実は帝国軍の予告と寸分違わず進行しているのだ。

 

 さすがのガゼフ・ストロノーフも精神的に追い詰められていた。

 

 王を外敵から守るのならばこの身を賭して盾となる……だが外敵でなく、国民から突き上げられる王の為に国民を手に掛ける……最悪の想像にガゼフは身震いした。

 

 立ち止まり、空を見上げ、心を落ち着ける。

 秋晴れの空が広がっていた。

 最内周部の上空に大きな雲が一つ。

 

 ガゼフは足早に南門に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 深夜……エ・ランテル最内周部で一際豪奢な造りの貴賓館の屋根の上に立つ者の姿を視認した者はいない。

 月明かりに浮かぶのは金髪碧眼の異様に整った顔立ち。

 それ以外は比較的明るい夜の闇に溶け込んでいた。

 対照的に貴賓館の窓からは煌々と灯が漏れていた。

 貴賓館の中では絶対に結論の出ない会議が続いている。

 金髪碧眼の男……ゼブルは無造作に屋根から空中に踏み出し、そのまま空中を進んだ。

 ほんの一瞬だけ闇夜に小さな魔法陣が浮かぶ。

 発光の中心から小さな蠅が1匹だけ出現した。

 蠅は指先程の大きさからは想像もできないスピードで一際巨大な建物の前に進み、夜通し警備する衛兵達の頸に次々と取り付き、その役目を終えるとあっさり消えた。

 残された入口を固める6人の衛兵達は呆然と宙を眺め、立ち尽くしていた。

 

「やあ、お前達……俺が主人だ。それは理解しているな?」

 

 悠々と入口の前に立つゼブルに衛兵達はゆっくりと首部を垂れた。

 

「では、貯蔵庫内に案内してもらう……一人だけ同行しろ。残りは通常通りの警備を続けろ……来訪者への対応も通常通り……ただしどんなことをしても中には通すな」

 

 一人の衛兵が固く閉ざされた扉の鍵を開ける。

 衛兵達は自然にゼブルを敬礼で見送った。

 それもほんの一瞬のこと……再び扉が開き、中から衛兵だけが戻る。

 それから普段通りの愚痴の言い合いは始まり、直近1番の関心事である戦況の話が始まると誰もが黙り込むという光景が続いた。

 夜の当番を終え、交代の衛兵達が来てもゼブルは姿を現さない。

 当番を交代した衛兵達と当直の衛兵達が引き継ぎ巡回の為に一緒に貯蔵庫内に入った。

 

 騒ぎは瞬く間にエ・ランテル中に伝播した。

 

「巨大食料貯蔵庫内から全ての備蓄が綺麗さっぱり消えた」

 

 当直だった6人の衛兵達は直ちに出頭を命じられ、捕縛されたが、彼らが最内周部の検問を通過した事実もなく、彼等と交代する前の内部巡回でも当直前の当番の衛兵達からも「備蓄は問題無く存在していた」との証言があった。

 しかし彼等を解放するわけにもいかない。

 そうでなくとも市内は大混乱に陥っていた。

 なにしろ住民以外も含めて現在エ・ランテル内に存在する全ての人間で均等に分け合えば2ヶ月は問題が生じないと説明されていた食料の9割近くが一度に消え失せてしまったのである。

 エ・ランテルに存在する食料を扱う商店の在庫は午前中には全て消え失せた。

 市内の食品業者としては最大手のバルド・ロフーレの商店も、エ・ランテルでは新興でも王国内では最大手のシュグネウス商会にも麦の一粒すら残されていなかった。

 仕入れ先から原材料が枯渇した為、当然市内の飲食店は全て軒先に休業の札を掲げている。

 南門に臨時で設置された避難希望者の集合審査所には長蛇の列が延々と途切れずに続いていた。

 外周の城壁上では帝国兵達が暢気な笑い声を上げなから「逃げるなら、今しかないぞ」と書かれた立て看板を設置していた。

 

 各所からの報告に頭を抱えたくなるのを我慢して、ガゼフ・ストロノーフは唇を噛み締め、拳を握り締めていた。

 まさか……のであった。

 帝国による巨大食料貯蔵庫の襲撃方法はあまりに突飛過ぎた。

 副長と散々協議し、軍事は門外漢ではあるがパナソレイとも協議し、冒険者組合長のプルトン・アインザックや魔術師組合のテオ・ラシケルにも参考意見を上げてもらい、考え得る限り、可能な限りの対策を打ったのだが、帝国軍はこちらの予測を軽く飛び超えて、巨大食料貯蔵庫の中身を強襲したのだ。

 帝国軍は予告通りに攻略を進行している。

 北門……外周城壁……巨大食料貯蔵庫……と時刻まで正確に続いている。

 以降も予告通りならば、次は明日の正午に内周部……つまり市街地が攻略対象となっている。市内からは次々と住民達は脱出しているが……食料の枯渇した籠城戦など自殺に等しい行為だ。住民はなんとか期限まで市外に逃せば良いが、兵員はそうはいかない。臣下であっても王の無謀な自殺に付き合うことなどあってはならない。

 ガゼフは決意を固めた……仮にレエブン侯の軍が時間的に間に合ったとしても食料が枯渇してはどうにもならない。

 

「……もはやこれまでか……なんとしても陛下を説得せねばならん」

 

 ガゼフはパナソレイと副長を呼び出し、貴賓館に滞在するランポッサⅢ世の下に向かった。

 全ての儀礼や手続きを無視して、王が滞在する部屋に飛び込む。

 

「陛下!……もはや一刻の猶予もありません!……講和の受諾を!」

 

 興奮するガゼフの前にキョトンしたランポッサⅢ世の表情が飛び込んだ。

 

「陛下!」

「何があったのだ、我が右腕である戦士長よ?」

 

 あまりにランポッサⅢ世の様子がおかしい……いまだ戦意に燃え、強い意志が相貌から感じられるのだ。

 

「……へい、か?」

「どうしたというのだ?……既に開戦したのか?……戦況はどう推移しているのだ?……あれだけの兵を動員したのだ。まさか帝国軍に対して劣勢ということはあるまいな?」

「なっ……何を仰っているのですか、陛下?」

「戦士長こそ、戦場に出れずに鬱憤でも溜まっているのか?……そなたの力を十分に発揮させてやれぬ私を許して欲しい」

 

 奇妙な虚脱状態から脱したランポッサⅢ世は、まるで記憶を失ってしまったかのような物言いを続けた。

 

「……陛下……」

「色々と思うところもあるのだろうが、カッツェ平野の戦況を報告せよ、戦士長よ」

 

 陛下の御心はお壊れになってしまったのか?……ガゼフは愕然とランポッサⅢ世を見詰めた。

 不敬であろうと、衝動を抑えることはできなかった。

 ガゼフは男泣きに泣き、ランポッサⅢ世の細い肩を抱き締めた。

 

「ど、どうしたのだ……離すが良い、戦士長よ」

「……陛下!……申し訳ございません!……陛下、お気を確かに!」

「戦士長よ……私は、私は大丈夫だ……いい加減、離すが良い」

 

 ガゼフはランポッサⅢ世の声音に常日頃の優しさや尊厳が含まれていると知り、慌てて抱き締めていた腕を緩めた。そして顔を離して、敬愛する主君の瞳を見詰める。

 

「戦士長よ……そなたも辛いのだろうな……だがこの戦争が落着するまでは我慢して私を助けて欲しい。全てに至らぬ私の為に負担を掛ける。そうだな……戦争の落着したら、しばらく功労金と休暇をやろう。たまには羽を伸ばすことも必要であろう」

 

 記憶こそ完全に欠落しているものの、やはりランポッサⅢ世の様子は普段と変わりない優しさと威厳に溢れていた。むしろエ・ランテルに入城してからの感情の一部が欠落したような様子がおかしかったように思える。

 ガゼフはランポッサⅢ世から離れ、涙を拭うと深々と首部を垂れた。

 

「陛下……失礼を承知で問わせていただきます。私やレッテンマイア都市長の報告で最後に覚えがある内容はどんなものでしょうか?」

 

 ランポッサⅢ世は訝しむような視線でガゼフを見たが、問いに対しては即答した。その様子に嘘偽りは感じない。

 

「報告ではないが、都市長から戦勝祈念の挨拶を受けた……私の記憶では都市長と会ったのはそれが最後だ」

 

 やはり開戦直前から記憶が飛んでいるように思えた。

 

「陛下……これから御心を乱すような報告をせねばなりません」

「どうしたというのだ、戦士長よ」

 

 ガゼフは開戦からの戦況を時系列通りにランポッサⅢ世の対応を含めて詳細に報告した。

 既にカッツェ平野で圧倒的な敗北を喫し、王国軍は総崩れになったことから始まり、外周部の陥落、エ・ランテルの誇る巨大食料貯蔵庫が帝国軍に襲撃され、貯蔵庫そのものは無事であるのに食料の全てを失ったことに始まるゴタゴタに至り、ガゼフが決死の思いでランポッサⅢ世の説得に来た現在に至るまで……

 主君の顔は大きく歪み、その間の報告の一切を覚えていない自分自身の不甲斐なさを嘆いていた。

 

「……皆で私を騙っているのでは、ないな……」

「そうであればどれだけ救われるでしょうか……」

 

 ランポッサⅢ世は俯き、黙り込むも、即座に顔を上げるとガゼフを見た。

 

「……戦士長よ、頼みがある」

「なんなりとお申し付け下さい」

「エル=ニクス帝と直接会いたい……私が講和条件を全面的に受諾する意向であることを知らせ、帝国に即時停戦を申し入れ、同時に叛徒鎮圧に向かったザナックとレエブン侯も呼び戻して欲しい。その際に魔導国の代表者……可能であればゴウン魔導王に同道していただけるように申し入れて欲しいのだ」

「講和条件は更に厳しいものを突き付けられる可能性もございますが?」

「王国は継戦能力を失った……そうである以上、帝国の要求は全て受諾する必要がある……エ・ランテルよりも更に深く侵攻させるわけにはいかぬのだ。もちろん交渉によって譲歩を引き出す必要もあるが、その為にはレエブン侯の力が必要なのだ」

「微力ながら、全力を尽くします」

 

 覚悟を定まった主君の顔に、ガゼフ・ストロノーフは深く一礼した。

 パナソレイを連れ立った副長が顔を見せた時には、王とその右腕は晴々とした表情を見せていた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 ……しくった!

 

 強烈な気配に触れ、イグヴァルジの肩が低木に当たってしまった。低木の向こう側の存在に聞かれたのは間違いない。音を立たず、再度気配を消し、慌てて元来た方向に逃げ出そうとしたイグヴァルジは肩を掴まれ、ギョッとした。

 振り返るとブレイン・アングラウスがいた。

 その背後からガガーランが追ってくる。

 

 どんな組み合わせだよ、チクショーが!

 

 イグヴァルジの知識の中では青薔薇と『3人組』は反目しあっていたはずだった。ブレイン・アングラウスは冒険者ではないはずだが、『3人組』とは一体化していると考えて間違いないだろう。そんな事よりも自身が冒険者を引退した切っ掛けと出会ったのだ……イグヴァルジの脳裏にあの理解し難い惨状が過った。

 

「どこかで見た顔だな?」

 

 ブレインの問いにイグヴァルジが答えようとした瞬間、

 

「おっ、誰かと思ったらイグヴァルジじゃねえか」

「知っているのか、ガガーラン?」

「アンタも会ったことがあるぜ……ほれ、俺達が竜王国に向かう前に、アンタらがゴブリン部族連合を全滅させたことがあったろ?……あの時に俺達より先行していた冒険者チームのリーダーだよ」

 

 ガガーランの説明にブレインが訝しげな視線で身を竦ませたイグヴァルジの全身を舐めた。

 

「冒険者っていうことは、お前は逃げてきた連中の仲間じゃないのか?」

 

 ブレインが「逃げてきた連中」と言うのだから複数名なのだろう……イグヴァルジはフィリップ達が生きている可能性が高いと考え、ホッと息を吐いた。そして自身の現在の立場をブレインとガガーランに説明した後、どこかで見ているはずのロックマイヤーに声を掛けた。

 5〜6メートル離れた草むらの向こうから、ロックマイヤーが顔を見せる。

 

「……いや、失礼した。俺はロックマイヤー……元オリハルコン級冒険者で引退後はレエブン侯に親衛隊として雇われている。思わず隠れちまったが、あのアンデッドの衛兵達を屠るとはさすがはブレイン・アングラウスに青薔薇のガガーランだな」

 

 ロックマイヤーは自分達では絶対に勝てないカルネのアンデッド衛兵が倒されているのを視認した瞬間に身を隠していたと言う。

 

 4人が集まり、それぞれが自己紹介し、情報を共有させた後に各自が優先してやるべきことを整理した。

 

 イグヴァルジはガガーランとイビルアイ達の待機している街道沿いに戻り、既に手筈を整えたザナック王子とレエブン侯との面談場所にまで先導する。

 ブレインとロックマイヤーは先にレエブン侯の軍中を訪問し、平民とはいえ「黄金」ラナー姫の子飼いの側近であるクライムの来訪を告げる。どうせほぼ同じ目的であるので可能であれば男爵位を持つフィリップと同席させ、時間の無駄を省くように進言する。

 

 ガガーランとイグヴァルジを見送り、ブレインはロックマイヤーと共にレエブン侯の軍が街道封鎖するように展開する道まで向かった。道幅30メートルはありそうな広さで街道からカルネの巨大都市の城門までを真っ直ぐに繋いでいる直線道路だ。カルネまで2キロメートル程の位置に多数の天幕が見えた。そこが本陣で間違いないだろう。

 

 ロックマイヤーが先導すると、レエブン侯の親衛隊を名乗るだけのことはあり、完全にノーチェックでブレインは一際立派な天幕の前まで到達することができた。しかしさすがにレエブン侯がザナック王子の滞在する天幕に入るとなるとスルーというわけにはいかず、ロックマイヤーに指示されるがまま、天幕の前でしばらく待たされることなった。

 そこでひょっこりと思わぬ顔と出くわす。

 天幕から顔を覗かせたのはゼブルだった。

 

「おまっ……何をしてるんだ、ゼブル!」

「何って、ブレインが来たって聞いたから、顔を出したまでだが……」

「そうじゃない!……レエブン侯の軍で何をしいてる、と聞いている」

「打ち合わせだよ……あのカルネって都市は俺達が建設したって、前に説明したよな?」

「……たしかに聞いたな」

「そして俺達が魔導国だ」

「はぁ?……魔導国って、叛乱勢力だろ」

「魔導国の首都がカルネなんだよ……いちおう俺は魔導国の副王ってことになっているらしい」

「待て……話が理解できない。おかしな点が無数にあるぞ。お前は竜王国の侯爵なんだよな?」

「たしかに侯爵位は頂戴したな」

「それがなんで王国で叛乱勢力の幹部なんかやっている?」

「流れで……としか言いようがない。ちなみにブレインも叛乱勢力に属しているからな。お前も月金貨一枚で魔導国に雇われていることにはなっている。つまり魔導国の公僕だ」

「いや……理解できないぞ。俺は承諾した覚えがない」

「当然だ。俺が承諾して、知らせてないからな。ちなみに俺の配下は全て魔導国の公僕という扱いだ」

「じゃあ、何で王国の援軍要請なんぞに協力するのを許可した。魔導国と王国じゃ、完全に敵同士だろう」

「その方が都合が良いからだ。カッツェ平野で帝国が予定よりも勝ち過ぎた……結果として落とし所が難しくなっただけじゃなく、エ・ランテルが帝国軍に完全に包囲された結果、本来ならばあるべきタイミングにも王国は援軍要請ができなくなったからな……だから王国をもう少し追い詰めることにしたが、やはりザナック王子とレエブン侯にはエ・ランテルに戻ってもらう必要があるんだ。こんな辺鄙な場所にレエブン侯の軍が布陣している現状で、表向きはカッツェ平野で王国が惨敗した情報すら入っていないのに、予測したかのようにザナック王子とレエブン侯が軍を率いて舞い戻るのはあまりに不自然だろ?……だから色々と布石を打っているわけだが、その一つがお前だよ。今夜、エ・ランテルの巨大食料貯蔵庫から全ての食料が消える。それでも王国が講和を申し出ない可能性も捨てられない。だから巨大食料貯蔵庫に出向いたついでにランポッサⅢ世の制約を解除してくる。今となっては肉腫を植え付けたのは完全に失敗だったな……急激な方針転換を避ける為の保険のつもりだったが、むしろ王国の決定が滞る結果しか生み出さなかった」

 

 あまりに酷い内容の告白にブレインは呆れ顔になり、大きく息を吐いた。

 

「……お前ってヤツは……本当に悪辣を絵に描いたようなヤツだな」

「褒め言葉と受け取っておくよ」

「いや、褒めてないぞ」

 

 ゼブルはニヤリと笑ったが、どれだけ不敵に見せてもゼブルの表情は妙に爽やかなのが困りものだ。ブレインとしては呆れるしかない。

 

「ロックマイヤーさんから聞いた……青薔薇の連中も来るんだろ?」

「エルヤーと一緒にガガーランとイビルアイが来る……連中には黙っておく」

「そうしてくれ……魔導国が独立を果たしたら、あのじゃじゃ馬達を勧誘することも考えてはいるが、今はまだ早い」

「もう独立を語れる状態なのか?」

「既に目前だよ……王国が講和を受け入れ、帝国が魔導国に戦勝で得た王直轄地を譲渡する。それを帝国と竜王国が承認し、ザナック王子に政権が移行した王国も追認する。魔導国はトブの大森林からカッツェ平野までを領土として、完全な独立を果たす。そして帝国と竜王国とビーストマン国家と緩やかな軍事経済同盟を組む。場合によっては王国も加入させる。アインズ・ウール・ゴウン魔導王が全ての頂点に立ち、全体として大きな発展を遂げる……安定さえしてしまえば全員が万々歳さ」

「普通は、そんなに上手くいくか、と疑問を呈するところなんだろうが……お前に任せておけばなんとかする気がするのが、な」

「今度こそ褒め言葉だろ?」

「まあ、いちおうな」

 

 ゼブルは満足げに笑った。

 

「エルヤーには後で話しておくが、ティーヌやジットは知っているのか?」

「ジットはたぶん知らないな…….ティーヌは薄々気付いているかも、だ」

「この後、俺はどうすべきだ?」

「レエブン侯の軍に同行する気がないなら、カルネの見物でもするか?」

「いや、乗り掛かった船だ……一緒にエ・ランテルに戻る」

「了解した……なら帝国軍の邪魔さえしなければ何をしても構わない。俺は巨大食料貯蔵庫から食料強奪を済ませたら、カルネに帰還する。何かあったらシュグネウス商会にいるラウムというマジック・キャスターに依頼して連絡してくれればいい……まっ、場合によっては俺もエ・ランテルに行く可能性もある」

 

 本陣の入口辺りが騒がしくなった。

 クライム達が到着したのだろう。

 

「ザナック王子とレエブン侯に伝えてくれ……会談はクライムくんも一緒に……って、お前ならば理解しているか」

 

 ゼブルは笑うと天幕の中に消えた。

 しばらくして全員が揃う。

 ロックマイヤーに呼び込まれたクライムとフィリップと一緒にブレインも天幕の中に入ったが、その時にはゼブルの姿は見えなかった。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 秋晴れの空の下、建物の向かって右手に帝国四騎士とフールーダ・パラダインを中心とした魔法詠唱者の集団が控え、左手にはガゼフ・ストロノーフ戦士長率いる王国戦士団が控えていた。

 融和的でありながら火花を散らすという微妙な空気の中、全員が笑顔で睨み合っている。

 そんな中、貴賓館の玄関前に唐突にその男は現れたように感じた。

 ただ一人、護衛の姿もなく、そこに忽然と湧き出たかのように。

 男は薄く笑い、玄関前を固める正規の衛兵達に右手を振った。

 明らかに不審者ではあるが、誰も咎められなかった。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下の名代である魔導国副王ゼブルだ。本日は魔導王陛下は都合によりいらっしゃることはできない。全権委任された名代として私が派遣された次第である……案内を頼む」

 

 どう見てもまだ20代前半にしか見えないゼブルという男に完全に衛兵達は飲まれ、完全に上位者としての扱いで案内した。本来ならば魔導国は逆賊一派であるのに誰も疑問すら抱かなかった。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下の名代であられる副王ゼブル様がいらっしゃいました」

 

 案内の衛兵が会場前の衛兵に告げる。

 両開きの扉が開け放たれると、落ち着いた内装の会議室内にはリ・エスティーゼ王国国王ランポッサⅢ世とバハルス帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスの姿があった。巨大なテーブルを挟み、それぞれの側近としてパナソレイ・グルーゼ・デイ・レッテンマイア都市長と秘書官筆頭のロウネ・ヴァミリネンを連れている。

 ゼブルは会釈すると誘導された中央の席に着席した。

 

「では、定刻には早いが面子も揃ったところで始めようではないか、ランポッサⅢ世よ」

 

 早々にジルクニフが口火を切る……ランポッサⅢ世に対して敬称はなく、既に相手を飲んで掛かるつもりなのは明白だった。講和を受け入れる側としては当然の対応だろう。

 

「待って欲しい、エル=ニクス殿……我が息子であるザナックと重臣であるレエブン侯が到着していないのだ」

「必要なかろう?……帝国に魔導国……そして敗戦国である王国の代表が揃っているのだ。そう思わぬか、ゼブル殿?」

「皇帝陛下の仰ることもごもっともですが、勝者の余裕を見せても良いかと」

「なるほど……では定刻まで待つこととしよう……ただし定刻までだ」

 

 ジルクニフの秀麗眉目で凄まれ、ランポッサⅢ世は頷くしかなかった。

 

 ここまでは予定通り……後は定刻きっかりにザナックが顔を出すはず。

 

 そして予定通りにザナックとレエブン侯が平身低頭で現れた。

 ランポッサⅢ世がジルクニフに感謝する。

 敗者であるだけでなく、ジルクニフに要求を受け入れられた以上、ランポッサⅢ世は一層やり難くなったはず……

 そして即座にジルクニフが交渉の開始を宣言した。

 

「では、講和の条件を提示しよう……」

 

 ジルクニフの目配せでロウネが立ち、目録を読み上げる。

 

 一つ、エ・ランテルを含む周辺直轄地の帝国への割譲。

 一つ、トブの大森林全域を魔導国が領有することの承認。

 一つ、戦費の全額補償……総額は後日算定後、請求書を送る。

 一つ、賠償金として白金貨500万枚の支払うこと。

 一つ、バルブロ第一王子の身代金として白金貨100万枚を支払うこと。

 一つ、虜囚であるボウロロープ侯爵、ペスペア侯爵の身代金として、それぞれ白金貨80万枚の支払いを王国政府が補償すること。

 一つ、ブルムラシュー侯爵の領地内に在るミスリル鉱山と金鉱山の所有権をアインズ・ウール・ゴウン魔導国に無償譲渡すること。

 一つ、リットン伯爵の身代金として、白金貨50万枚の支払いを王国政府が補償すること。

 一つ、ウロヴァーナ辺境伯の領地内のリ・ウロヴァールを向こう100年間魔導国の租借地とすること。租借期間中は領土主権は王国のものとするが、対人主権は魔導国のものとする。魔導国がウロヴァーナ辺境伯と王国に支払う租借料は年間白金貨1000枚とする。またウロヴァーナ辺境伯については治療費用についても帝国に全額支払うこと。

 一つ、捕虜となった貴族については身代金として、伯爵位であれば白金貨5万枚、子爵位であれば白金貨2万枚、男爵位であれば白金貨5000枚、騎士階級であれば白金貨500枚の支払いを王国政府が補償すること。

 一つ、民兵捕虜4万人超の返還に際し、一人当たり実費以外に白金貨1枚の支払いを王国政府が補償すること。もし返還に応じない場合は帝国において奴隷階級となる旨を王国政府が全王国内に布告すること。

 一つ、今戦争における帝国軍犠牲者の遺族に対し、王国政府は一人当たり白金貨100枚の見舞金を支給し、ランポッサⅢ世の名において遺族各位に謝罪文を添付すること。

 一つ、王国内において、いかなる者も魔法の付与された武器防具及び大型兵器、軍船を所持することを固く禁ずる。これを査察するのは魔導国とする。

 一つ、上記武器防具兵器の製作を生業とし、今後の事業継続を希望する者は魔導国及び租借地内に移住し、許可を得ること。

 一つ、上記武器防具兵器を業務上必要とし、今後の継続使用を希望する者は魔導国及び租借地内に移住し、許可を得ること。

 一つ、王国内の信仰系魔法のみを行使可能な神官を除く魔法詠唱者及び魔法詠唱が可能な者は魔導国に移住すること。これを査察するのは魔導国とする。

 一つ、上記条件の違反者は魔導国に拘束される。

 一つ、リ・エスティーゼ王国国王ランポッサⅢ世は自ら戦争責任を明らかにし、王国内及び周辺諸国に対して身の処し方を広く布告すること。

 講和条件に即した支払いに際しての分割の交渉については帝国及び魔導国に対し、それぞれ項目毎に別途交渉を申し入れること。

 正当な理由なく各項条件を遅滞した場合は遅延損害金として、帝国及び魔導国に対し、200%の違反金を支払うものとする。

 

 全てを読み上げ、目録を各人に配り終えるとロウネは着席した。

 俺は読めないが、ここで提示する条件を考えたのは俺なので問題無い。

 即日成立などという事態も考慮不要なのだから、文字を書く必要もない。

 だから一人で来たのだ。

 

 しかしまあ、盛りも盛ったりの内容だった。

 普通に考えればこんなものを飲めるわけがない。

 内容的には王国の属国化以外のなにものでもないのだ。

 反発必至だし、むしろ王国内の治安は悪化するだろう。

 こちらとしては金銭的な条件を飲ませる為に吹っ掛けただけ……鉱山についてだけは意地でも飲ませるし、ブルムラシュー侯の突出した財力を削る意味では王家としても都合が良いはすのだが……果たして君主であるランポッサⅢ世はどう判断するか?

 

 見ればランポッサⅢ世とレッテンマイア都市長は目を白黒させて、何度も目録を見返している。

 対してジルクニフとロウネは無表情で哀れなランポッサⅢ世を眺めていた。

 異質なのはザナック王子とレエブン侯……この2人にとっては全ての政敵が同時に失脚し、現国王の廃位も確実……未来を約束されたも同然なのだ。王国にとっての金銭的な負担は厳しいが、元々の国力が高い王国であれば無駄と非効率を排していけば現在の竜王国よりははるかにマシな将来像を描ける。大まかな対応策の作成と試算ぐらいは済ませているのだろう。提示された内容に対しては実に落ち着いた表情を見せていた。

 もちろん交渉そのものは2人の腕の見せ所であり、対応するジルクニフは切り取れるだけぶん取るつもりなのは間違いない。

 

「……これでは……あまりな内容ではないか、エル=ニクス殿……?」

 

 重苦しい沈黙を破ったのはランポッサⅢ世だった。

 

「全ての条件を飲む意向とうかがったので、こちらとしては一度蹴られた講和交渉に応じたまで……既に陥落寸前のエ・ランテルなど包囲するだけで放置して、より深く侵攻しても構いませんが……どうするおつもりなのか?」

「一度……蹴られた、ですと?」

 

 ランポッサⅢ世はレッテンマイア都市長を見た。

 見事な肥満体を誇る都市長が肉に埋もれた顔で落胆の表情を見せ、何事かをランポッサⅢ世の耳元で呟いた。

 

「……なんということか……」

 

 どこまでが芝居なのかは判らないが、ランポッサⅢ世はあからさまに周囲に伝わるように悲嘆に暮れた。条件があることを知っていたのだ。仮にも国王が全く知らずに講和会議に臨むことなどあるわけがない。

 すると、ザナックが挙手し、ジルクニフに発言の許可を求めた。

 

「発言の許可を求めます、皇帝陛下」

「許そう、ザナック」

 

 もはや戦勝国と敗戦国で君臣のごとき関係性が会議室内には出来上がっていた。ジルクニフは当然のように呼び捨てにし、ザナックは「陛下」の尊称付きで呼び掛けている。

 

「ありがとうございます、皇帝陛下……まず最初に確認させていただきたいのですが、提示された条件から一部条件の一部分だけを緩和していただければ、少なくとも私としては飲んでも構わないと考えております。この会議は交渉の席であると聞き及んでおります。条件の緩和について交渉することは可能でしょうか?」

 

 ザナックの持って回った言い方にジルクニフはすーっと目を細めた。

 ザナックはレエブン侯をチラリと見る。

 レエブン侯は落ち着いた表情で軽く頷いた。

 

「なんなりと言ってみるが良い、ザナック……ただし承諾するか否かはこちら次第だ」

「では、お言葉に甘えさせていただきます……条件緩和をお願いしたいは複数の条件に渡って網掛けされたものなのですが……要約すれば『我が王国内での魔法の武器防具、大型兵器、軍船の所持』とそれに付随して『使用者の居住』及び『魔法詠唱者の居住』で御座います。製作者については『魔導国及び租借地に移住』で構いません……この条件だけ緩和していただければ、少なくとも私としては他の条件については飲んでも構いません。もちろん王陛下の身の処し方については私の立場では越権行為に当たりますので、私が言及できるものではないと宣言しておきます」

 

 ザナックは一礼し、着席した。

 ジルクニフは一瞬だけ困惑の表情を見せたが、瞬時に表情を戻した。

 チラリとジルクニフが俺を見るも、俺は「基本的に鉱山取得以外の交渉そのものには関わらない」と事前にジルクニフとザナック双方に伝えてあるので、軽い会釈だけで応えた。

 

 ……元々削除する為だけに付け加えたような講和条件の一部だけに絞ってザナックが言及したのが薄気味悪いのだろうが……俺としてもザナックとレエブン侯の狙いが理解し難いのも事実……強いて言えば、所持や居住だけに絞るということは、帝国に「魔導国と王国の取引を公認させる」狙いがあるのだけは確実なのだろうが……取引なんぞは後でどうとでもできると考えないのはかなり考え抜いた結果だろう……にしても捨てるものが大きいような気がしないでもない。いずれ勝算はあるのだろうけど……

 

 ジリジリと時間が流れていく。

 

「……少し時間をいただこう……30分ほど休憩にしようではないか……よろしいかな、ゼブル殿?」

「同意します、皇帝陛下」

 

 ジルクニフは保留を選択し、あえて王国側の参加者を無視した。会議室内で勝手に休憩してくれ、と言うことだろう。

 そのまま俺を誘い、会議室を出る。

 控えの衛兵に控室を確認し、そのままロウネも含めて3人で向かう。

 控室の扉を固く閉じると、途端にジルクニフは大きく息を吐いた。

 すかさずロウネが控室に予め用意してあった茶器と魔法瓶のような魔道具を使って、3人分の茶を淹れた。

 

「率直に話して欲しい、ゼブル殿……ザナックとレエブンの狙いが分かるか?」

 

 着席もせず、ジルクニフが話し始めた。

 俺は勝手に着席し、ロウネの淹れた茶を啜る。

 

「狙いは……魔導国と王国の取引の帝国による公認……それより先の目算はザナックかレエブン侯でないと分かりませんね」

「いや、そこまでは私も理解しているのだ。だが代償が大き過ぎる。ザナックは王国が財政的負担で壊滅するレベルのものを受け入れるつもりだ……この会議でブラフなど愚策だろう。財政的に立て直す算段が無ければ、あのような発言に及ぶわけがない」

「では、逆に考えてみれば良いのですよ……あの程度の賠償金の財政的負担など軽く吹き飛ばす収入源の当てがあるのです」

「収入源……直轄地を譲り、鉱山を譲り、軍港を譲り……それでも揺るがないものか?」

「確信は持てませんが、改革でしょうね……皇帝陛下が皇帝親政による絶対君主制に移行して得たものと同じようなものを、他の競争者が一気に失脚した機会に得ようとしているのかもしれません……諸侯という無駄を排斥できれば巨大な収入源を得るでしょう。国内の軍事的均衡はレエブン侯が圧倒的優位に立っています。レエブン侯の軍事力を背景にザナックは絶対君主制に移行し、その際に有用なツールとして魔導国を利用しようというのでしょう。レエブン侯が臣下代表として辣腕を振るう……まっ、この程度の目算がなければ、あの条件のほとんどを受け入れるなんて、思い切ったことはできません」

「なるほど……その線が強いか……連中がそういうつもりならば、仕掛けている相手は帝国でなく、王国の旧体制か……こちらとしてはそのまま受け入れるのも吝かではないな。この先、国境は接しないのだ」

 

 ジルクニフは目に見えて安堵していた。

 

「帝国は帝国の利だけを考えれば良いと思いますよ……むしろ警戒すべきは俺達かもしれません……王国も早期に軍事経済同盟に批准させた方が安心かもしれませんね……軍事的にはともかく、王都はシュグネウス商会の本拠地だけに浸透工作は容易だ」

「しかし……単に合理と効率を追求するだけで、あれだけの金額を捻出できるものなのか?」

「それはレエブン侯の出方次第なのでしょうが……今回の戦争に関わった全諸侯の身代金を払って名誉回復してやる代償として、可能であれば領地財産を没収するぐらいのことは考えているでしょう。中央集権を推進して、全貴族を宮廷官僚もしくは軍人として当面国費で雇い入れ、働きの悪い者から順次排除する。将来的に王族と平民しか存在しない国家に改革するつまりなのかもしれないし、貴族の概念を名誉的なものに変えるつもりなのかもしれない。要するに領地領民という考えを排除するだけで良いのですよ。先駆者として皇帝陛下が既に実施されていることを見習うだけです」

「……レエブン侯以外の大貴族が全て失脚した今こそが、その絶好のタイミングというわけか……」

「元々の国力は帝国よりも王国の方が上なのです。負けた連中に責任も問いやすい上に、責任を引っ被って戦後処理をしてやるのですから反論も難しい」

「……『黄金』ラナーの考えかもしれんな」

 

 これまでのラナー姫について聞いた青薔薇やクライムと違い、ジルクニフは吐き捨てるように言った。

 

「ラナー姫に含むところでも?」

「……私の嫌いな女ランキング不動の1位だ!」

「凄まじい美女と聞き及んでましたけど?」

「その評価は正しい……だが籠の中の鳥にもかかわらず、常に帝国の動きを看破してくるのだ。今回も宮殿の中から帝国と魔導国の動きを看破し、逆用するつもりなのだろう……あのバケモノにとってその程度のことは容易いのだ。しかも自身が先頭に立つことはなく、笛を吹くわけでもない。おそらく王国の完敗を予測し、ザナックとレエブンに自身の考えを伝えただけだ……ゼブル殿は恐ろしいとは思わんか?……王国の深層の姫君が自国の敗戦を予測し、受け入れるだけでなく、おそらく通じているザナックとレエブンを自身の都合の良いように誘導しているのだ。ほんの少し囁くだけで、な」

「過大評価……でなく確信なのでしょうね?」

「過大評価であるものか!……これまで失敗の為に失敗を繰り返してきたような女だ。自身の特異な能力を秘匿するためだけに、あらゆるものを犠牲にしてきたと言っても過言ではない。目的は知らぬし、理解する気もないが、あの女の行動の薄気味悪さは自身の評価を落とさぬギリギリのラインで常に失敗を繰り返すことに起因している。ほんの少しだけ根回しすれば、提案した数々の政策の中でも有用なものは施行されたはずだ。あの女は綺麗事を並べた理想論に傾いた政策案か、非常に優れた政策案であるにもかかわらず貴族共が反対するが目に見えているものばかり提案するのだ。先程議場でザナックの発言に薄気味悪さを感じた理由は奴の背後にラナーを感じたからだろう。今回は反対する貴族共はいないからな」

 

 態度で戯けながらも言葉を吐き捨てるジルクニフの心情は複雑なのだろう。

 茶を啜り、複雑な表情のまま無理矢理笑顔を俺に向けた。

 

「まっ、そうは言ってもラナー姫自身が権限を持っているわけではないのですよ。皇帝陛下にはとても有用な情報をお聞かせいただきました……警戒さえしていればラナー姫の思惑を封じる方法は非常に簡単です」

「どうするつもりなのだ、ゼブル殿?……殺すか、人質として差し出させて魔導国で軟禁でもするつもりか?」

「そんな無粋なことはしませんよ……簡単な話です。国家の改革よりも自身の能力の秘匿を優先させるような輩なのでしたら、直接会って、話して、希望を聞いて、より良い条件を提示すればこちらに取り込めるはずです。メリットを与える限り、逆に信用できますよ」

「……そんな簡単に……いや、簡単なのだろうな、魔導国にとっては……」

「魔導国云々は関係ありませんよ……まあ、少々強引な理由でも、ラナー姫と一対一の面談を設定することさえできれば転向させることは不可能じゃありませんし、そもそも失敗しても問題が生じることもない。お気楽なもんです」

 

 『黄金』ラナー姫ね……相当な天才とは聞いていたけど、能力はともかく性向的には弱点丸出しだな。まっ、面談自体は青薔薇かクライムくん経由でなんとでもなるだろう……

 

「それじゃ、休憩時間も残り僅かです……会議室に戻りましょう、皇帝陛下」

 

 俺が席を立つとジルクニフとロウネも従った。

 ロウネが先導し、扉を開ける。

 

 さて、ほとんど戦争は終わったな……これからは発展だ!

 

 先を行くジルクニフの向こうに関係国の行末を決める扉が見えた。

 




お読みいただきありがとうございます。


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33話 バケモノの皮を被った王と王女の皮を被ったバケモノ

都合で投稿を前倒ししました。


 

 帝国の圧倒的勝利で終結した戦争の講和条約が締結された3ヶ月後……

 

 晩秋を通り越して冬の趣きが見られる王都リ・エスティーゼのヴァランシア宮殿の一室の扉の前で、晴れて宮廷衛士長の職責を得て、身分も一足飛びに騎士階級へと進んだクライムは日課のラナー姫への朝の挨拶を終え、大きく白い息を吐いた。

 冷える両手を擦り合わせながら、さらにもう一度両手に息を吹き掛ける。

 

 王国は激変していた。

 いまだ退位はしていないものの、ランポッサⅢ世は戦後の体制が整った後、敗戦の責任を取って退位することが正式に布告されていた。

 ザナック王子は正式に王太子となり、王国宰相に就任したレエブン侯と共に次期政権の構想を描きつつ、現行法の改正を着々と進めていた。

 エ・ランテル防衛で最後まで孤軍奮闘し、ランポッサⅢ世を支え続けたガゼフ・ストロノーフは新たに専業兵士のみで編成されることとなった王国軍の最高位に当たる将軍となった。彼は一足飛びに子爵位を打診されたものの固辞し、平民のまま将軍位に就いた。ランポッサⅢ世を支え切れなかった自身への戒めと語ったと聞く。

 ガゼフ配下の戦士団は近衛兵団と名を変え、副長を近衛兵団長とし、王の守護に邁進する運びとなっている。

 ガゼフと同じくエ・ランテルで王を支え続けたパナソレイは王都に栄転し、既に財務尚書に就任している。

 敗戦の元凶と目される中、帝国からの帰国を果たしたバルブロとボウロロープ侯の義理の親子は全領地領民と財産のほとんどを失った。一族の男子も強制的に各地の官吏や軍人としてバラバラに配属され、ボウロロープ自身も爵位を伯爵に落とされ、新たに帝国を模倣して専業兵士だけで編成された国軍の南方方面軍の司令として再出発を強いられていた。まだ部下は500人程……ひよっこ兵士ばかりだが、昔取った杵柄で案外楽しく過ごしていると聞く。

 バルブロも財源である鉱山を魔導国に奪われたリ・ブルムラシュールの行政長官としての職を与えられ、家族と共に赴任させられた。

 ウロヴァーナ辺境伯は引退し、領地は魔導国の租借地となった為、王都の片隅で隠居暮らしを始めている。爵位は単なる伯爵となったが長子は宮廷行政官として文官の道を歩み始めた。

 最後まで帝国軍に争ったペスペア侯は爵位こそ侯爵を維持していたが、領地と領民と財産のほとんどを失った。ただし王家の外戚でもあり、宮廷で内務尚書の役職と高給を得ていた。一族も揃って王都に移住し、それぞれが軍人や官吏としての職を得ている。

 バルブロとボウロロープに次ぐ戦犯と目されるリットンは爵位を子爵に落とされ、全領地領民と全ての財産を没収された。そして魔導国の租借地であるリ・ウロヴァールの王国側の行政官という閑職中の閑職に回された。ほぼ全てを失ったリットンだったが、それでもブルムラシューよりはマシ……あれだけ上昇志向の強かったリットンは赴任前に寂しげに周囲に呟いた。

 そうリットンに評されたブルムラシューは帝国が揃いに揃えた内通の証拠に加え、戦時の身の安全を図る為の虚報の流布により王国軍を混乱に陥れた罪により公開処刑か確定し、現在収監されている。王国一の資産家は財産の全てを失い、爵位どころか貴族位すら剥奪され、家族からも見放され、王都の牢獄で刑の執行に怯える日々を過ごしている。

 

 クライムは衛士団詰所に立ち寄る為に通路を歩いていた。

 もはや女官達にも表立ってクライムを揶揄するような者はいない。

 すれ違う誰もがエ・ランテルの武力陥落をギリギリ防いだ英雄に深く頭を下げ、クライムが通り過ぎるまで頭を上げることはなかった。あくまで表面上なのだろうが、文官達もクライムに対して礼を失するようなことはない。

 クライムは英雄なのだ。

 しかし英雄としての扱いに慣れることはない。なにしろ本人の感覚では完全な敗北の中、慌てて援軍を呼びに出ただけである。護衛は考え得る限り最高の陣容であり、道中も一切の不安は感じなかった。

 だがザナックだけでなく、尊敬するガゼフやラナー姫からも説得され、その立場を受け入れていた。

 

 衛士団の詰所……ヴァランシア宮殿の一室の扉を開ける。

 そこには既に幹部クラスの部下が顔を揃えていた。

 戦死した兄達と帝国に吊るされた父に代わり、新たにロキルレン男爵位を継承したイーグは衛士団副士長として着任していた。

 その横で元々はイーグ達に雇われた傭兵だったが、イーグと同じく衛士団副士長に就任したイグヴァルジが笑顔を見せている。

 クライムは彼等こそ真の英雄ではないかと影で称賛していた。イグヴァルジが的確な判断でフィリップ達を導かなければエ・ランテルは陥落し、ランポッサⅢ世もガゼフ・ストロノーフも命を落としていた可能性が高いように思っている。

 その補佐を全うしたイーグも然りだ。

 そしてこの場にいないフィリップは子爵位へと進み、ガゼフ・ストロノーフ将軍の片腕として、王都全体の警備を任されている。兵員を鍛え上げ、数が増えれば行く行くは王都軍の司令に着任する予定だ。

 

「おはようございます、皆さん」

「衛士長閣下はもっと砕けてくだせえよ……俺達がやり難くていけねえ」

 

 イグヴァルジはかつての家格や血統だけが支配していた宮殿内では考えられない口調でクライムを揶揄した。

 その様を見たイーグが溜息を吐き、本日の予定を読み上げる。

 クライム、イーグ、イグヴァルジそれぞれの部下として150人の衛士達が配属されている。150人が50人の分隊を3隊形成し、24時間を8時間3交代制で宮殿の守護を担当している。基本的に勤務はクライム、イーグ、イグヴァルジの中の2隊だけが当番で残りの1隊は非番扱いとなる。50人隊毎に部下の隊長もいた。

 本来ならば今日はクライムは非番なのだが、どうしても毎朝のラナーへの挨拶だけは欠かせないので、結局のところクライムは自主的に年中無休なのだ。

 

 イーグが読み上げた予定の中に気になる一文があった。

 

「……ラナー様と魔導国の使節殿が面会ですか?」

「そうなりますね。本日、この後10時からの予定です」

「魔導国の使節って……表敬訪問ですか?」

「いや、2時間予定なので、それなりにちゃんとした会談だと思われます。たしかに魔導国使節の会談相手となると、姫様は少し不自然ですかね」

「使節の方のお名前は?」

「ゼブル様…………魔導国の副王様です」

 

 イーグがなんとも言えない表情を見せたのは、久方ぶりに真の主人の名を見たからだったが、クライムは王国内に広く蔓延する魔導国に対するアレルギーのようなものと勘違いした。

 

 魔導王は強大なアンデッドを使役する。

 魔導国内は亜人種で溢れ返っている。

 魔導国首都の大将軍は人間でありながら、ミスを犯した部下の亜人の首を片手でねじ切り、溢れた血を飲み干す。

 魔導国は物騒な噂の宝庫だった。

 しかし逆の噂も広く流布している。恐ろしい場所なのに確実に豊か……首都カルネもエ・ランテルも物で溢れ返り、活気に満ちている。労働に対する賃金レベルも群を抜いて高い為、当初は忌み嫌っていた王国人でも移住する者が増えつつあり、移民手続き自体も登録制なので簡単なことが噂になるほどであった。当然流入する人口も多く、他国からの工作員も多く入り込んでいるだろうが魔導国は全てを受け入れていた。

 それが王都周辺の市井の住民に行き着く頃には「魔導国に入国したら二度と出て来られない」という噂になってしまうのである。

 

 クライムはイーグの心情を勘違いしたまま続けた。

 

「魔導国の副王であられるゼブル様とは知り合いのつもりですが、現状お互いの立場がこうなってしまっては馴れ馴れしくもできません……ですが、私の恩人の一人ではありますので、少し挨拶でもしてみましょうか……」

 

 クライムは言い聞かせるようにそう言ったが、本心としては漠とした不安を感じていた。

 

「魔導国の副王ゼブルって言えば、俺にも色々と因縁があるんですぜ」

 

 イグヴァルジが語り出した。

 エ・ランテルの冒険者チーム、通称『3人組』のリーダーとして世に出た瞬間から顔は知っていると言う。そしてイグヴァルジの冒険者チーム『クラルグラ』が引退を決意した切っ掛け……ゴブリン部族連合の虐殺で、単純に歩くだけでゴブリン共が死に絶えると言う技を披露したのもゼブルだと言う。それがなんの因果か竜王国で侯爵なんぞに成り上がり、いつの間にか魔導国の副王になっていた。

 

「……歩くだけで死に絶えるのですか?」

「おうよ……全く理解できねえ技ですぜ。ホントにただ敵中を歩くだけで近寄ってきたゴブリンやらオーガやらがどんどん死んでいくんですわ。それをヤツの仲間のジットって死霊術師がアンデッド化させて……今、ちょっと思い出しただけでも身震いが止まらねえや」

 

 表情は不敵さを保っているもののイグヴァルジは右手首を左手で握り潰しかねない力を込めて押さえているように見えた。

 

 ……ラナー様に接近できる立場の銅級冒険者の武力……

 

 もう遠い昔に感じるが、以前の僅かな邂逅時にゼブルに告げられた言葉の意味が今切実に理解できた。正にこの状況こそがゼブルの言っていたものなのだろう……かと言って、魔導国副王としてのゼブルの訪問を今更どうこうできわけもない。この段階で横槍を入れれば確実に外交問題となってしまう。どれだけ思案を巡らせてもゼブルがラナーに害を為すメリットは無いように思える。

 だがこのまま放置するわけにもいかない。

 ゼブルがその気になるならないの問題でなく、単に歩くだけで……ただそこにいるだけで敵を殺す技の持ち主なのだ。クライムが立ち会ったからといって、あの『青の薔薇』のイビルアイが自分以上の難度と評価するゼブルを止められるはずもないし、隣国の副王が王女を直接殺めることなど考えるだけバカバカしいと理解しているものの、その気になれば簡単に実行できる能力というものは単純に恐ろしかった。

 

「本日、私は非番なので旧知のゼブル様に挨拶をしようと思います」

 

 イーグもイグヴァルジも上司の決定には異論があったが、黙って見送ることにした。クライムのラナーに対する想いを良く理解していたからである。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

「人員は最小限で良いですからね……ピクニックじゃないんですから大人数だと楽しさ半減ですよ」

 

 ゼブルが王都に出発する直前、『転移門』に足を踏み入れる前に言い残した言葉を念頭に魔導王アインズ・ウール・ゴウンはウッキウキでドワーフ国家探索に同行させる人選を進めていた。

 守護者達にはあえて相談も報告もしない。

 事後報告の形にしないと反対が多いことを経験から学んでいた。そうであっても十二分に五月蝿いのだが、その場合は人選が理にかなっていれば「自分も連れて行け」的な文句は消えるので、それを狙っていた。

 

 まず俺とゼブルさんとゼンベル・ググーは必須だなぁ……

 本来この3人で良い気もするが、絶対に通るわけがない。

 護衛も付けないと……アルベド辺りが五月蝿いな。

 さて、どうするか?

 敵の想定は最悪のケースで竜王国でゼブルさんを襲った銀色甲冑の4〜5体ぐらいかなぁ……俺とゼブルさんはともかく、ゼンベルだけは守ってやらないと簡単に死ぬか……どうする?

 強さならシャルティア一択だけど、ナザリックの守護者の前だとゼブルさんが戦闘用のスキルを使い難いか……かと言ってゼブルさんの配下だと高山とか地下の活動ってどうなんだ?……アレなら今は悪魔だし、耐えられるかな?

 既に訓練用の貧弱な武器でも傷さえ付けられる得物あれば68レベルの『精霊髑髏』とサシで互角の勝負をする元人間の女の顔が頭に浮かぶ。アレに普段の装備をさせれば……大抵の敵であれば問題ないだろうが、さすがに守護者クラスと比較すると貧弱だなぁ……

 となれば、アルベドを説得するには最低でも1人は守護者クラスから人選する必要があるか?

 まずアルベドとデミウルゴスは俺達が不在であれば今以上に職務が忙しいだろうから却下。

 パンドラズ・アクターは俺の代役があるから却下……別に他意は無いぞ!

 マーレも激務だしなぁ……休暇代わりに良い気晴らしになるかもだけど、通常業務の代役がいない。

 アウラは適任だけど……連れて行くと探索があまりに楽になり過ぎる。

 セバスは……山男風のセバスも似合う気がするが、ツアレから引き離すのは元非リアの俺がやるべきことではない気がする。

 残るはシャルティアか……コキュートスねぇ……戦力的には凄く頼りになるんだけど、探索向きかと言えば、なーんかピンと来ないんだよなぁ……純粋な護衛ならば有りだとは思うんだけどなぁ……

 

 アインズはカルネの新宮殿の自室の天井を眺めた。ナザリックの自室と比較するとかなり高い。自身で建国宣言と即位式を執り行った広間などはナザリックの玉座の間レベルで天井が高かった。あの時は緊張で実感が無かったが、とにかくこの宮殿は無駄に広い。転移せずに歩き回ると1日で回り切るのは不可能に思えるほどだ。ある意味共生関係にあるとはいえ、これをポンと建設してくれたゼブルには頭が上がらない……ドワーフ国家探索は自身の楽しみでもあるが、せっかくなのでゼブルも楽しませたい。

 

 何か良案はないものか……

 

 何気なく机に放置された未決済の書類の束をめくる。

 文字のような文様のような……何が書いてあるのか、さっぱりだった。

 仕方なく文字が解読できる魔道具のモノクルを取り出し、眺めてみた。

 1枚目は都市長エンリからの要望書……住宅供給が追いつかないので、なんとかして欲しい、と……はいっ、決済……しとけばデミウルゴス辺りがなんとかしてくれる……はず。

 2枚目は馬の牧場からの要望……馬が怯えるのでデス・ナイトの巡回ルートを変更して欲しい、と……これも決済……しとけばデミウルゴス辺りがなんとかしてくれる……はず。

 3枚目以降もいちおう内容は確認したものの、ほぼ自動的に全て決済印を押印していった。決済書類の送り先の95%はデミウルゴスの執務室であり、残りはマーレとアルベドに送る。たとえ外交関連の案件であっても、安直に主に担当するゼブルには送れない。今回の王国案件みたいに予定を差し込まれてはさらに出発が遅れてしまう。

 およそ100に及ぶ未決済書類の最後の一枚……エ・ランテルの冒険者組合からの要望書。組合長プルトン・アインザックの署名があった。書類に数字はなく、代わりにかなりの長文が記されている。

 

 えーっと、冒険者組合の今後の在り方について、魔導王陛下にお話ししたい義が御座います、と……なになに、つきましては一度お話しさせていただける機会をいただけないでしょうか、と……昨今の人口流入による依頼増に対して冒険者そのものは不足しておりますが、冒険者の食い扶持である討伐対象のモンスターが魔導国の衛兵隊によって駆逐されてしまうか、魔導王陛下の配下に加わる事態が続いております。またモンスターを討伐して良いのかも判断できないとのクレームも頻発しております。その結果として下級の冒険者達が冒険者として食えなくなっております、と……ふむふむ、冒険者を廃業する者達も現れ始め、冒険者の絶対数不足は将来的な課題となりつつもあります。一時的な予算措置では将来的な見通しも立ちません。どうか英明たる魔導王陛下及び、その臣下のお歴々に良い知恵を拝借できればと考えております、と……

 

 もはや手紙だな、これじゃ……実際手紙扱いだから、今日の未決済書類の中でも優先順位は最下位だったのだろう。

 

 にしても、そんな事態になっていたのか……しばらく冒険者活動を休んでいたから知らなかったな……パンドラやナーベが人間、しかも等級の低い冒険者達の食い扶持の問題を逐一報告するはずもないか……

 

 今日の仕事はこれで終わったし、ゼブルさんも王都に出張しているから、この冒険者組合案件ぐらいは自分で片付けてみるか……暇だし。

 

 アインズはそう思い立ち、ナザリックの第六階層の闘技場で武技の実験兼訓練で待っているティーヌとブレイン・アングラウスに今日の訓練中止を伝えるようにお付きのメイドに申し付けた。

 そのまま「ちょっとエ・ランテルに行ってくる」と言い残して、次の瞬間には転移してしまった。

 本日のアインズ様当番であったリュミエールは慌てて叫んだが、時既に遅しであった。

 

 

 

 

 

 

 

 転移先専用としている貴賓館の一室から唐突に魔導王が単独で現れ、当日の当番衛兵であったエンリの召喚ゴブリンの一隊は慌てに慌てていた。わらわらと走り回るも、魔導王の来訪理由が分からず、惨めに駆け回るだけ。魔導王にしても全ての召喚ゴブリンに名付け、その違いを記憶しているエンリのような特技は持ち合わせておらず、単純に「構わなくて良い」と言い放ち、さっさと出て行ってしまった。

 放心する召喚ゴブリン達を尻目にアインズは見慣れたエ・ランテルの街中を迷いなく歩く。

 

 嫉妬マスクにガントレット姿の魔導王が単独で街を闊歩する。

 

 エ・ランテルの街のどよめきは瞬く間に途轍も無い大きさに膨れ上がった。

 都市内を担当する召喚ゴブリンの衛兵達が急拵えの警戒線を敷き、魔導王の進路を確保していた。人も亜人も入り混じった人垣がゴブリン達に抑えられている。彼等の視線の先には魔導王……この国の絶対支配者が在った。

 

 アインズは迷いなく進み、冒険者組合の建物の前で立ち止まった。

 

 入口から出てきた冒険者チームが大きく仰反る。

 

「……魔導王……陛下?」

 

 嫉妬マスクが小首を傾げる。

 

「お前達は……そうだ!……たしか『漆黒の剣』とか言ったな?」

 

 アインズは彼等の胸の金級プレートを確認した。

 

「そうか……昇級したのか。おめでとう、と言っておこう」

 

 『漆黒の剣』の面々は誰も言葉を発せなかった。

 無反応の彼等にも鷹揚に手を振ると、アインズは冒険者ギルドの中に入ろうとした。

 

「おっ、お待ち下さい、魔導王陛下!」

 

 ……んっ?

 

 アインズが振り返るといかにも好青年の戦士が跪き、深く首を垂れていた。

 

「どうした……えーっと、お前はたしかペテル……ペテル・モークだな?」

「たしかにペテルと申します、魔導王陛下!」

 

 ペテルは頭を上げ、いたく感動した面持ちでアインズを見上げた。

 

「たしかも何もお前はペテルだ。そっちの優男は……ルクルットで、魔法詠唱者の2人はニニャと……もっさりしたお前は何といったかな……うーん……語尾に特徴あったような気がする……何と申したかな……そうだ!……お前はダインだろう?……間違っておるまい?」

 

 残りの3人はペテルの背後に跪き、目を白黒させている。

 ペテルは感涙に咽び泣く勢いで続けた。

 

「はい!……感動しました、魔導王陛下……ミスリル以上の冒険者の方々ならまだしも、しがない金級冒険者チームを覚えていていただけるとは……モンスター討伐の仕事が激減する中、エ・ランテルの組合に残留して、今日ほど良かったと思ったことは御座いません!……これからも魔導王陛下と魔導国の為、エ・ランテル住民の為に頑張って行こうと誓います!」

「そっ、そうか……では、民の為に頑張るが良い。私は組合長に用があるのでな……先を急ぐ」

 

 ……なんで旧知の者にまで感動されなきゃならんのだ。

 

 アインズの良い方向に誤解され体質は天性のもかもしれなかった。

 

 入口を潜ると建物内が静まり返った。

 時々「痛え!」だとか「ふざけんな、てめえ!」と聞こえるのは、慌てて跪くか、呆然と立ち尽くすかの2択から外れた冒険者達を近くの者が殴り倒して黙らせたからだ。

 跪く冒険者達の中を悠々と進む。

 冒険者組合の窓口に直進し、馴染みの受付嬢が口をあんぐりと開けたままこちらを見上げて固まっているのを見て、少しイラついた。

 

「……組合長に用があるのだが?」

「ひゃっ……ひゃい?」

「組合長のプルトン・アインザックが私に要望書を送り付けてきたのだ。それについて話し合う為にやって来た。組合長はいるのか?」

「しょっ、少々お待ちください……組合長に今日の予定を全てキャンセルさせます!……私の一命に代えましても!」

 

 受付嬢はスカートを思い切りたくし上げ、ものすごい勢いで階段を駆け上がっていった。

 

 アインズはホッと息を吐き……あくまでも心情的なものだが……改めて周囲を見回した。

 跪く冒険者達に依頼者達に職員達……彼等との間に冒険者組合を囲んだ衛兵ゴブリンの中の一小隊が雪崩込んで、人垣ならぬゴブリン垣を形成している。その向こうからチラチラと視線を感じる。皆、魔導王の姿を見たいのだ。

 

 ……誰もがアインズがアンデッドだと知った上で跪いている。信じる信じないはともかく今月中旬に出した布告で、たしかに「私はアンデッドである」と宣言したはずなのに……デミウルゴスやアルベドは即位前から「秘密は弱味になるから無くすべきだ」と主張していたけど、やはりゼブルさんの主張を採用して良かった。やっぱりこういう人心が絡むようなところは圧倒的に抜け目無いんだよなぁ。

 

「どのみち魔導国の国民や同盟国は豊かにする予定なんだから、圧倒的な豊かさを嫌と言うほど経験させてから告白する形にした方が良い」

 

 こうして街を1人で歩き回ることも可能になり、神殿だって決して良い顔はしないが、絶対に嫌な顔はしない。これまでにない高レベルな経済状況を与えているのは魔導王……国民の半分以上がその認識に至れば、自分達の支配者が人間だろうがアンデッドだろうが関係ない。より良い生活を提供してくれる者を支持するに決まっている。

 ゼブルの言う通り、今のところ国内はもとより帝国からも竜王国からもビーストマン国家からも小さな反発すらない。

 

「アンデッドである事実を告白するのは構わないが、基本的に民衆の前に姿を見せる際には絶対に仮面とガントレットは着用すること……弱味を無くすのは良いが、こちらから積極的に嫌われる必要もない。せっかく敗戦や戦死者遺族の恨みを帝国が引き受けてくれたのに、こちらから必要以上に嫌われる要素を提供するのは愚策でしょう。どうしても本当の姿を見せたければ、見せる前に今以上の経済環境を作り上げて下さいね……そうでなければ周辺諸国を含めて安定してから4〜5年は待ちましょう。国民にとっては善政とは良い経済状況と同義です。それさえできていれば大抵のことは目を瞑ります」

 

 たしかにゼブルの言う通りだった。仮面とガントレットを着用していると誰もが恐れることなく魔導王の姿を一眼見ようと人垣を作る。

 間違いなく、魔導王人気の証だ。

 

「建国当初は移民希望者を漏れなく受け入れること。潜在的な敵の工作員も相当紛れ込むでしょうが、現地勢でアインズさんを一撃で打倒する可能性があるようなヤツが突然紛れ込めるはずはない。ドラゴンロードレベルの敵ならば諜報特化の僕が直ぐに探知できるでしょ?……ならば工作員に魔導国の経済的な優位性を喧伝してもらった方が潜在的な敵は潜在的な敵のままで済みます。仮にプレイヤーが紛れ込んでも俺達と協調するのが良いのか、敵対するのが正しいのか……経済的豊かな魔導国の在り方を見れば一目瞭然なんですから自信を持ちましょう。それすら理解できないようなクソ餓鬼レベルの頭脳しか持たないプレイヤーならば殺してしまった方が将来に禍根を残しません」

 

 ほぼ全ての面でゼブルの言う通りだと実感していた。

 たしかに工作員らしき存在は多数入り込んでいる。

 法国や評議国や王国は当然としても、帝国や竜王国からもそれらしき人物が入り込み、逆に魔導国からマークされている。しかし彼等は専ら情報収集に勤しむのみで破壊工作や浸透工作などに走ることはなかった。つまりゼブルの言う通り魔導国の経済的な豊かさをわざわざ本国に報告してくれているのだ。こちらからプロパガンダを仕掛けるよりも真実味があるし、費用も掛からない。

 

 周辺諸国を完全に圧倒する好景気の中で取り残された冒険者組合……別に仕事が減ったわけではなく、その中でも雑魚モンスター狩り専門で食い繋いでいたような冒険者がピンチだと言う。つまり若手だ……廃業する者も出てきたらしい。たしかに報奨金は王国水準の2倍に設定したが、狩るモンスターが魔導国の国民であった場合には逆に犯罪者となってしまう。そうでなくともデス・ナイト部隊の定期巡回を掻い潜って生き残ったようなヤツは現地出身の若手冒険者には厳しい相手だろう……この状態を放置すればたしかに冒険者達に未来は無さそうだ。

 

 上階からバタバタと足音が響く。

 

 3段飛ばしで階段を一気に駆け降りてきた冒険者組合長プルトン・アインザックはアインズの前で見事なスライディング土下座を披露した。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 底冷えする通路で待つこと30分……午前10時直前にゼブルはクライムの前に姿を現した。イーグの部下である衛士2人に先導され、悠々とヴァランシア宮殿の通路を歩いてきた。

 

「ゼブル様!」

 

 別に隠れていたわけではないが、冷気避けに柱の陰に入って、外套を被っていたのでクライムが飛び出し、立ち塞がったような形になる。

 ゼブルは一瞬訝しげな表情を見せたが、クライムを確認した途端、クライムの記憶に残る整い過ぎて冷たく感じる笑顔を見せた。

 クライムは内心も物理的にもホッと息を吐いた。

 このゼブルの様子ならばラナー様に害を為すような真似はしない……そう確信できたのだ。

 

「……クライム君か!……久しぶりだな。なんでも出世して衛士長になったとか?」

「過大評価だとは思いますが、ありがたいことに以前ゼブル様に言われた通りの役職に就くことが叶いました」

「王国の帝国化か……まあ、クライム君のような忠臣には都合の良い変化だろうね……とりあえず、おめでとう、と言わせてもらうよ」

「ありがとうございます……ところで本日はこの後にラナー様と会談と聞き及んておりますが?」

「順番の問題だね……昼食会はザナック殿下と……晩餐会の後の打ち合わせはさらに宰相閣下を交えて、と決まっているから順序的にはおかしいと思うがラナー姫とお会いするタイミングを前倒しするしかなかった。昼食会と晩餐会の間にはシュグネウスと会うことも決まっている。明朝にはカルネに帰還する予定だから……まあ、噂に名高いラナー様とおしゃべりしてくるよ」

「どっ、どのような噂でしょうか?」

 

 クライムは無礼を自覚しながらも問い返さずにいられなかった。

 密かに思慕するラナー様の政略結婚の相手としては、国外では美男子と名高いバハルス帝国皇帝が盛んに噂されていたが、最近の王国と魔導国との接近を考えると、このゼブルも有力な対象に思えた。現在の王国では能力主義が標榜され、血統は問題でないと盛んに喧伝されている。だから兵士志願者も多く、学さえ有れば来年からは平民が宮廷官吏の登用試験を受験することが可能になったのだ。だからこそクライム同様血統的にはどこの馬の骨とも知れないとされる魔導国副王は独身であり、莫大な私財を持ち、強大な権力と武力を持つとされている以上、あえて血統的に疑義の残る選択をザナック周辺は選択するように感じられた。

 

「凄く優秀な頭脳をお持ちな上に、可憐な絶世の美女……とジルクニフなどからは聞き及んているけど……まあ、興味本位だよ。俺の興味はどちらかと言えば頭脳の方かな……だから、ザナック殿下に頼み込んでどれほどのものか確認させてもらうのさ」

 

 頭脳……少し奇妙な言い回しに感じた。だがそれがどうおかしいのかまでは分からない。

 

「ゼブル様……お時間を取らせ、申し訳ありませんでした。少し定刻を過ぎさせてしいました。私の方からラナー様に謝罪をさせていただきます」

 

 ここまでは狙い通り……クライムは慣れない搦め手にヒヤヒヤしていたが、ホッと胸を撫で下ろそうと……した。

 

「いや、それには及ばないよ……これ以上の時間のロスが惜しい。俺にはあまりスケジュール的な余裕が無いからね」

 

 ゼブルに完全に断られてはクライムとしても会談直前にラナーの部屋に侵入する術が無い。一目安全を確認したかったが……

 

 ゼブルが消えたラナーの部屋の前にはゼブルを先導してきた2人の衛士と本来の当番である衛士2人が何やら話し込んでいた。おそらく引継ぎなのだろうが……クライムは歯噛みしながら引き下がるしかなかった。

 

 深々と冷える通路でクライムは呆然と立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 通路で立ち尽くすクライムとは対照的に、ラナー姫の支配する小さな一室は心地良い暖かさに包まれていた。

 小さなテーブルに腰掛けていた10代にしか見えない、前評判以上に凄まじい美女が立ち上がり、深く頭を下げた。

 

「初めてお目にかかりますわ、ゼブル様……ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフで御座います」

「これはご丁寧にどうも、ラナー様……ゼブルと申します。生まれが下賤なので正式な挨拶は苦手なもので……まっ、砕けた感じでお願いします」

 

 ラナー姫は艶やかに笑い、俺を小さなテーブルの対面の席に掛けるように勧めた。そして自ら茶を淹れる。

 俺が着席するとティーカップを差し出しながら、話し始めた。

 他愛もない挨拶から始まり、クライム君の活躍や近況などを熱心に力説している様は実に年頃の女の子だが……時折見せる観察眼は俺の思惑をどう探ってやろうかと思案しているように感じる。

 

 じゃ、まあ……口火は訪問者が切るとするか。

 

「ところで話は変わりますが、ラナー様のお望みってなんですか?」

 

 単刀直入……直球勝負……ジルクニフの言葉から感じたのは自国を売っても自身の利益さえ守れれば構わないという売国奴の姿だ。可憐な見た目からは想像もできないが、本人を目の前にしない印象が正しければ精神的にはバケモノじみているはず……さらに青薔薇を含む周辺の評価は頭脳明晰で間違いないのだろうから、そんなものと同じ土俵で戦おうなどという試みは愚行以外の何ものでもない。精神性が理解できないのだから、俺の土俵においでいただくのが正しい対処だろう。そうでなければ、少なくとも俺にとっては延々と上っ面の会話を重ねるだけに終わってしまう。

 

 ラナーは小首を傾げた。

 

「……望みですか?」

「そう望みです。俺の周囲の評価が正しければ、ラナー様は極めて優秀にもかかわらず、ご自身で提案された優れた政策案にあえて状況を作らず多数派工作もしないと聞き及んでおります。だから採用された政策案が優れた内容に対して極めて少ない、と……」

「買い被りですわ、ゼブル様……私は何の力も持っておりません」

「その自覚があるのに政策案は提出される……力を持たないと仰るが、力を持つ方とは近しい関係にある。にもかかわらず、政策が採用されようがされまいが構わないというスタンスは保っている……俺にはラナー様があえてそのように動いているとしか考えられません……今日、ザナック殿下との昼食会前に無理矢理ラナー様との一対一の会談を捻じ込んだ理由はその点に大いに興味を持ったからです」

「……私は籠の中の鳥ですよ」

「そう見せている……少なくとも魔導国の俺の周囲はそう考えています」

 

 フフッとラナーは小さく笑い、ほんの少し表情を崩した。

 可憐な美少女の仮面が一変し、そこには極めて理知的な表情があった……だがこの顔も本物とは思えない。少なくとも売国奴の顔ではない……まだまだ俺の土俵にまで降りてくれるつもりはないようだ。なかなか手強い。

 

「……魔導国も一枚岩でないのですね」

「当然ですね……中央集権を成功させた帝国も、宗教国家である法国も最終的なところはともかく過程の段階では一枚岩ではないのです。まして多重族共生を標榜する魔導国が一枚岩であるはずがありません……ですが、ラナー様の仰りたいことはそういう上っ面の話ではない……違いますか?」

「違いませんよ」

 

 つまり俺以外にも魔導国からアプローチがある……そう言いたいわけだ。魔導国の面々でそんなことを考えるのは……かなり人物が絞り易い。ただこの会話に乗せられると、俺の目的があやふやになる。用心しないと拙い。

 まっ、簡単に考えればアルベドもしくはデミウルゴスだ。あるいはその両方で俺をパージしているか、俺が加入する以前の魔導国でなくナザリックの話か……いずれにしても行動範囲を考えれば窓口の本線はデミウルゴスだろう。

 

「では魔導国の体制はご存知ですか?」

「詳しくは存じませんが、ゼブル様の行動から推測はできます。元々は魔導王陛下を頂点とした帝国以上の中央集権組織だったところに、ゼブル様の分派が加わった……私が『青の薔薇』やクライムから聞き及んでいた以前のゼブル様の印象から推測すると、魔導王陛下がゼブル様を招き入れた印象ですわ。ですので魔導国は少し歪な体制で運営されている感じなのですかね……呼称は別にして絶対的な頂点が2人……魔導王陛下とゼブル様……お二人は非常に親密な関係を築いてらっしゃいますが、元々の魔導王陛下の高位の臣下の中にはゼブル様の存在を面白くないと思う者もいる……そんな感じだと思っています」

 

 ラナーは自身の能力については隠す気が失せたようだ。

 百聞は一見に如かずを簡単にぶち壊して、あえて俺に見せた。

 つまりそれなりの信用は得たのか?……それともこの程度で満足して帰れということか?

 

「俺のラナー様へのこのアプローチだけでそこまで思い至りましたか?」

「お兄様や宰相の話も聞き及んでおりますので、そこまで難しい推測ではありませんわ」

 

 ラナーが話を区切るように茶を淹れ直した。

 そして俺を見て、さらに表情を変えた。

 それでも売国奴の顔ではなく、単に狡猾さが加わっただけだった。

 

 譲歩……なのか?

 

「私からも質問してよろしいでしょうか?」

「構いませんよ……その為に来たのですから」

 

 ラナーは冷たく笑う。

 俺も笑い返す……どこまで見せてくれるのか……楽しみな反面、クライム君の忠誠心や想いを知るだけに少し怖くもある。

 

 ……まっ、黙っていれば問題無いでしょ!

 

「……ゼブル様は私に何をお望みですか?」

「しょーじきに言えば、何もしないことです。もちろん政治的に、ですけど」

 

 ラナーの表情に深みが増す……俺の回答に満足したのか?

 

「どうしてその答えに至ったのですか?」

「ザナック殿下とレエブン侯の行動です……ジルクニフの意見も受けての話ではありますが、実際に国の舵取りをする彼等が講和会議で現状では財政破綻が確定しているような厳しい条件を受け入れた……当然、それでも利を得る自信があるからに違いありません。そこまでは良いが、誰が彼等に入れ知恵したのか?……実際に権力を振るう者がドラスティックな改革を志向できたのは、それなりの理由があるからです。実務と机上の空論は違います。失敗すれば財政破綻。しかし彼等は机上論に全額賭けた……厳しい政治闘争の中を生き抜いてきた彼等が全面的に信用できるぐらいの絵を描いた奴がいると思うのは普通でしょ?……その最有力候補がラナー様なのですよ」

「国の為に最善の提案をする……それはおかしなことでしょうか?」

「……それがラナー様でなければ……」

 

 ラナーは満足げに笑うと、唐突に俯いた。

 そのまま可憐な声で続ける。

 

「最後にこれだけは確認します……私はゼブル様のお眼鏡に叶った……そう考えてよろしいのですね?」

「……想像以上です。以前、お茶会に誘われた時にお邪魔すれば良かったと後悔したぐらいですよ」

 

 ラナーが顔を上げた……虚無と憎悪……題名を付けるならばそんな言葉が相応しい。何もかも憎み、全てを捨て去った顔が俺の目に飛び込んできた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 プルトン・アインザックはカチカチに緊張していた。

 たしかに自分が望んだ会談だ。

 陳情したい事は山程ある。

 加えて密室に正体不明のアンデッドと2人きり。

 そのアンデッドは国民から人気を博している。何よりも豊かな経済環境を国民に与え、厳格な取り締まりと公正な法執行を実施していた。人間や亜人、さらにモンスターにすらも希望すれば国民としての権利を与え、種族や性別や年齢や富裕による区別なく、公平な施政を行なっている。

 建国当初は連日のように複数回の公開処刑があった。

 国民登録した食人モンスターや亜人種が公開裁判の末、即日公開で死刑執行されるという徹底ぶりだった。大量の理知的で愛想の良いゴブリンの衛兵団の戦闘能力は強大で、彼等の手に余るようなモンスターは魔導国のプレアデスと名乗るのメイド服を着た美女集団が拘束して回っていた。

 善良な国民は安心して豊かな生活を享受し、善良な国民を装った悪党や性根の腐ったモンスターは死を与えられる。プルトンが見た中では人間を襲った妖巨人が強酸で満たされた大壺の中に落とされた処刑など、思わず目と耳を覆いたくなるようなものまであったが、魔導国の徹底した種族を問わない法執行に安心もしたものだった。そして多種族共生を標榜する魔導国から逃げ出そうとしたのを思い止まった自分の判断に密かに褒め称えた。

 

 その厳格な法執行の最高権威を目の前にして、緊張しないわけがないのだ。

 

 魔導王アインズ・ウール・ゴウンはガントレットに覆われた右手でポンと膝を叩いた。

 

「そう緊張ばかりしていては一向に話が進まんではないか、組合長……まあ、今日は私も暇だから構わないと言えば構わないが……そろそろ私に陳情したい案件を聞かせてくれないかね」

 

 掌が汗ばむ……喉がカラカラだが、魔導王の前に無く、自分の前だけにあるティーカップに手を伸ばすのが躊躇われた。

 

「茶は遠慮なく飲むが良い、組合長……私は飲めぬが、茶が喉を潤し、精神を落ち着ける効果が持つことは知っている。私に遠慮する必要などないぞ」

 

 魔導王に促され、プルトンはティーカップを派手に鳴らしながら、やや冷めたお茶を一気に飲み干した。

 

「お気遣いありがとうございます、陛下」

「なに、私もかつては人間だったからな」

「そっ、そうなのですか!」

「そうだ……だから人間がどのような時にどのようなモノを欲するかは、かなりうろ覚えだが、記憶の奥底には眠っているぞ」

 

 奇妙な仮面越しだが、魔導王が冗談を言っているような気がした。あるいはこちらの緊張を解そうと、気を配っているのかもしれない。

 そう思うとプルトンの心も解れ始めた。

 

「して、若手の冒険者の経済状況が悪化しているらしいな」

 

 プルトンの頭が回りだしたところで、この斬り込み……やはり魔導王陛下は只者ではない……己も気を引き締め、冒険者組合の将来的な問題を魔導王に語り尽くさねばならない。

 

「その通りです、陛下……陛下のご厚情により、モンスター討伐の報酬を王国の2倍にしていただきましたが、そもそも討伐自体が難しくなり、自由に依頼を受けられない銀級以下の者や若手に困窮する者が続出しております。まして陛下の施政により魔導国は周辺諸国とは比較ならない経済的好環境ですので、冒険者を廃業する者も増加傾向の一途でございます。人口流入により依頼は倍増しておりますが、このまま放置しては3〜4年後の冒険者組合は冒険者不足が深刻化し、10年後には依頼を処理どころか受けるのも難しい状況になると予測されます……エ・ランテルの庁舎で担当官様に相談ところ、魔導王陛下に陳情した方が良いと助言された次第でして……」

「……なるほどな……して、組合長としてはどのようにしたいのだ?……私も腹案はあるが、披露するのは組合長の意見を聞いてからにしよう」

 

 魔導王は会話を楽しんでいるようだった。

 プルトンは再び窮地に陥っていた……どうして欲しい、と言われても……解決策が思い付かないから英明と噂される魔導王の知恵を借りようとしたのだ。

 だが明らかに上機嫌な魔導王の気分を損ねるわけにはいかない。

 自身の腹案を披露しないわけにはいかなかった。

 どのみち魔導王の腹案とやらを採用するつもりなのだ……ままよっ!……と気合を入れ、自身の拙い腹案を披露した。

 

「……わっ……私共としては……こういった案が魔導国の施政方針に合致するものか、甚だ疑問なのですが……ある程度までの……銀級とは言いませんが鉄級ぐらいのまでの冒険者には、冒険者見習いとして生活保証金のようなものを給付して、育成する期間を設けることが可能であれば……とは思いますが、予算的に厳しいとは思っております」

 

 ふむ……と呟き、魔導王は腕を組んだ。

 

「組合長に質問だ……一般的な冒険者がモンスター討伐以外の依頼の報酬だけで生活可能になるのはどの等級ぐらいからなのだ?」

「討伐を一切しないとなると、やはり最低でも白金級……いや、ミスリル級にならないと難しいかもしれません」

「となると、現在の状況で依頼を請け負う冒険者稼業一本で楽に生活可能な者はかなり限られているのが実態か?」

「左様でございます……アダマンタイト級の『漆黒』は別格にしても、ミスリルの3チームに加えて一部の白金級といったところでしょうか」

「では、こうしようではないか……我が魔導国の冒険者を名乗れる者はミスリル級以上に限定しよう。それ以下の等級は魔導国においては冒険者見習いとして、国家事業としてミスリル級まで育成しようではないか?……ついてはアインザック組合長には広報や育成方法に関して事業計画を立案して欲しい。予算措置はこちらに任せてもらおう……冒険者をモンスター専門の傭兵から、子供達が憧れる職業に変えようではないか!……未知を既知にする素晴らしい職業となれば、冒険者の社会的地位も向上し、いずれは彼等に依頼するのは高額で当然という社会的認知も醸成されよう……組合長の案に私の考えを上乗せしたプランだが、どうだ?」

「冒険者を統括する私の立場としては素晴らしい案で御座います、陛下……しかし……」

「なんだ?……思うところがあるのならば、率直に申せ」

「まず育成期間中の生活費についてですが……」

 

 魔導王が食い気味にプルトンの発言を挙手で制した……かなり明確なプランが出来上がっているらしいと感じる。さすがは魔導王陛下……とプルトンは密かに称賛した。

 

「もちろん見習いであろうと達成可能で命に危険が及ぶ可能性の低い依頼は引き受けてもらう。その判断基準は組合長が作成してくれ。育成課程の強制的な課題としても良いな。報酬は全額国庫に納めてもらうが、それ以上に訓練に必要な環境や装備に消耗品はこちらで給付しよう。低級の者は寮も用意する。生活費も余裕は持たせられないが食費を賄える分ぐらいはこちらで用意しよう……給付金額も昇級に比例して上昇させれば、冒険者見習い達のやる気も醸成できるのではないか?……期限も無期限というわけにはいかないな……厳しめの設定をクリアできる存在でなければ、子供達の憧れの存在にはなれぬだろう……その設定も組合長を中心に厳しいものを考えてくれ……愚か者や怠け者に職業訓練制度に寄生されては全体の足を引っ張ってしまうぞ……他にはあるか?」

「種族については現状では人間種のみが登録していますが、今後は魔導国の掲げる多種族共生の則れば、全てを受け入れるのでしょうか?」

「基本的にはそうだ……だが意思疎通のできぬ者は無理だろう。さらに加えれば我々は冒険者を憧れの職業にするのだ。最初は街のごろつきでも構わぬが、教育により最低限の品性を得られぬ者は排除すべきだろうな。つまり国家として育成する以上、犯罪者予備軍を鍛え上げるような真似はできぬ」

「間口は広げても、選考過程は厳しく……と言うことでしょうか?」

「その通りだ、組合長……最終的には国家からの依頼を任せるような存在にしたい、と私は考えている」

「冒険者は政治とは無縁とされている不文律を変えると申されますか?」

「いや、スタンスは現状で良い……我が国は密偵などの人材は豊富だ。戦力についても他国を圧倒している。いまさら組織として動けぬ冒険者を戦力に加えようなどとは思わん。私が欲しているのはもっと名誉を伴うものだ……例えばアゼルリシア山脈の正確な地図を作る……アベリオン丘陵に住む亜人種の分布を調査する……それが世に知れるだけで世界は少し変わるのだ。その担い手を育てたい……もちろん報酬も莫大なものを用意しよう……私の理想とする最高位冒険者とは公務として世界中を調査し、国家国民に知らしめ、世界の発展に貢献する者だ……どうだ組合長、なかなか魅力的な職業だとは思わんか?」

 

 楽しげに語る魔導王を見て、プルトンはそのうつわの大きさに感服した。見据えている先がプルトンよりもはるか遠く、恐ろしく広い……たとえアンデッドであっても従うに足る人物だった。

 

 その魔導王がポンと膝を打った。

 

「ところで組合長」

「なんで御座いましょう?」

「……一つ頼みがあるのだが、聞いてくれるか?」

「何なりとお申し付けください」

「試しに私が最高難度の依頼を発注する……『漆黒』以外の我が国の冒険者の中で受注できる者に心当たりはあるか?」

 

 プルトンは首を捻り、『天狼』や『虹』そして最近ミスリルに昇級した『豪剣』に至るまで戦力や能力を比較するも、やはり『漆黒』は飛び抜けていた。彼等に匹敵するような冒険者チームとなると……可能性だけならば1チームだけ思い付いたが、彼等のリーダーは現在の魔導国の支配者だった。

 

「……1チームだけ可能性がありますが、冒険者登録はされているものの、現在活動はしていません」

「ほう……誰だ?」

「チーム名は御座いません……彼等のリーダーは魔導国副王ゼブル様です」

 

 魔導王は満足げに頷いた。

 

「では、私から依頼を発注する……実を言うとな……私は副王に休暇を与えたいのだが、いかんせん彼は多忙でな……こういった無理矢理な措置でもせぬ限り、なかなか骨休めすらできんのだ……で、頼みと言うのは、この最高難度の依頼を指名でない形で副王のチームと『漆黒』が共同で請け負えるように取り計らって欲しいのだ。間違っても副王の身に害が及んではならんからな。それにサプライズにしたいので私の名は伏せて欲しい」

「承知いたしました。ゼブル様のチームメイトの1人が現在エ・ランテルのシュグネウス商会に身を寄せているのを存じておりますので、試しに彼を頼ってみましょう」

「よろしく頼んだぞ、組合長」

 

 プルトンは魔導王の差し出したガントレットを両手で強く握り返した。

 




お読みいただきありがとうございます。


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34話 立場が厄介事を生むんです

新年あけましておめでとうございます。


 

 魔導王との面談より10日後……布告より1週間……エ・ランテル外周部に学舎に寮に講堂に道場に事務所と次々に建設され、あっという間に形は出来上がり、本日、アインズ・ウール・ゴウン魔導国エ・ランテル冒険者育成所が開所の運びとなった。

 

 組合長兼所長であるプルトン・アインザックは感無量の面持ちで壇上から講堂に居並ぶ白金級以下の冒険者見習い達を睥睨していた。

 魔導王陛下の挨拶と祝辞が終わり、プルトンは嗚咽を堪えながら、壇上に立った。何を言ったのか……事前に準備した挨拶文を読み上げたのだけは覚えているが、アドリブ部分は完全に記憶が飛んでいる。

 気付いたら再び着席していた。

 前を向けば最高顧問兼特別講師である『漆黒』のモモンが壇上に立ち、派手なパフォーマンスで冒険者見習い達を魅了していた。

 

 式典のスケジュールそのものは淡々と進み、感慨に浸る間も無く、今現在は初講義が行われている……この後、職種毎に各施設に別れ、最初の実地訓練が行われるのだ。それを視察した後、組合に戻る予定になっていた。

 デスクに座り、等級毎の訓練生名簿を眺める。

 白金級は問題無いだろう……彼等は既に多くの実績を積み重ね、実力的にも局所的にはミスリル級を凌駕することさえある。

 問題は金級〜鉄級がどれだけ生き残れるか……そして新規参入を含む、銅級の面々のレベルだ。正に玉石混交……未来のアダマンタイト級から長年銅級に留まる者まで……そのほとんどが脱落するに違いない。

 金級〜銅級を振るいに掛ける必要があるが厳しすぎると脱落者だらけになってしまう。かと言って、厳しくしなければ来年には死者に仲間入りしてしまうだろう。

 アンデッドなのに慈悲深い魔導王陛下はそれを望まない。

 だからこそ施設も装備も備品も人材も揃えてくれたのだ。

 帝国の魔法省から第四位階を行使できる魔力系魔法詠唱者を講師として招聘した。神殿からは信仰系魔法詠唱者の招聘も交渉中であるし、第五位階の使い手として高名な王国のアダマンタイト級冒険者『青の薔薇』のリーダーを臨時講師として呼ぶ事も企画していると言う。剣術の特別講師はあのブレイン・アングラウスに加え、帝国では剣の天才として名高いエルヤー・ウズルスも着任していた。竜王国の『クリスタル・ティア』や『豪炎紅蓮』も招聘交渉中と聞く。それ以外にも各武器やスキルや職能毎に優秀な人材を講師として招く具体的なプランの説明があった。

 さらに昇級試験の会場として、地下六階層に及ぶ人口ダンジョンも建設済みだ。各階をクリアする毎に昇級させる仕組みらしいが、まだ実際のレベルに合わせた調整がされていないので、5日後に稼働させる予定らしい。

 

 名簿を等級毎に上から下まで眺め、やがて銅級のページに行きつき、そこに並ぶ名前に目を疑った。目を擦り、再度確認する……やはり名前は消えていなかった。何回見ても見間違えではない。正門前で入所する訓練生を全員迎えたつもりだったが、どうやら抜けていたらしい……訓練生の1人が壇上にいたのだ。

 

 銅級の名簿にはゼブルにティーヌにジットといわゆる『3人組』の名が並んでいた。魔導国副王が今更訓練生とは……魔導王の真意が判らない。

 

 プルトンは所長室から飛び出し、大慌てでオリエンテーションの為に訓練生が集まる道場へと向かった……もちろん全速力で走って。

 

 

 

 

 

 

 

 道場の中は異様な雰囲気……いや、最後列に並んでいる異様な風体の『3人組』に講師を務める『天狼』のベロテを含めて恐れ慄いていた。

 そこに存在するだけで『3人組』と他のレベルの違いは明白であり、まして魔導国の最高意思決定者の1人である副王を始め、見るからに凶悪な人相なのに意味のわからないレベルの装備で身を固めた2人……周囲に「ビビるな」と言う方が難しい。

 

 何かの間違い……誰もがそう思う中で『3人組』の銀髪女はニヤニヤと笑いながら周囲の訓練生に話し掛けているが、誰も愛想笑い以上の反応は返せなかった。かなりの大声にもかかわらず講師役のベロテすら注意もできない。

 眉無しオカッパ頭の魔法詠唱者はただ目を閉じ、時間の経過を待っているように見える。

 魔導国副王ゼブルは異様に整った面立ちで、じっとベロテを眺めていた。

 

 そっと道場の扉を開け、音を立てないように中に侵入したプルトンはベロテにウインクするが気付いてもらえず、仕方なく『3人組』の中では比較的話し掛けやすいジットか、明らかに事情を知っているはずのゼブルに事情を確認しようと訓練生の集団に近付いた。

 プルトンが真後ろまで接近した瞬間、ゼブルがくるりと振り向いた。

 一歩だけ退き、深く頭を下げる。

 機嫌が良いのか、悪いのか……無表情のゼブルの眼差しは途轍も無く恐ろしく感じる。

 しかし問わぬわけにはいかない。いくらなんでも理解の及ぶ事態ではないのだ……魔導国の序列2位……副王が冒険者訓練生など開所早々史上最大級の嫌がらせ以外の何ものでもない。

 

「受講中失礼いたします、ゼブル様……何故、このようなお戯れを?」

「知らんよ……陛下に確認してくれ。勝手に手続きを進めやがって……冗談にしても笑えるのは最初だけだ。俺は忙しいのに……」

 

 ゼブルの碧眼に明確な怒りの意志が宿り、プルトンは意図せず下手を打ったことを悟った……これは拙い事態だ……焦燥を圧し殺しながら、どう挽回するべきか必死に脳細胞を総動員した。

 しかし案外あっさりと事態は好転した。

 ゼブルの碧眼から怒りの波動が失せ、スッと表情が笑いに変わったのだ。ただ恐ろしさは変わりなく、熱さが冷たさにとって変わっただけだった。

 それでも先程よりは1000倍話しやすい。

 

「まっ、誰が裏で手を回したのかはおおよそ見当がついている……それを出し抜けば事態はあっさり解決だ、組合長……ところでダンジョンは解放可能かな?」

「ダンジョンで御座いますか?……現在は調整中と聞き及んでおります。徘徊するアンデッドの階層別の難度調整をしないと訓練生には危険だとか……」

「そうか……つまり最高難度的には問題無いわけだ……では俺達は突入するので解放してくれ……踏破すればミスリル級の認定を受けられるのだろう?」

「それは……たしかにそうで御座いますが、あまりに危険かと……」

「誰に向かって危険を説いているんだ、組合長……」

「ゼブル様がお強いのは嫌と言うほど理解しておりますが、開所早々特例を作るのもいかがなものかと……」

「なっ……まあ、そうか」

 

 ゼブルは言葉を詰まらせた……魔導国最高位の為政者である以上、自身を特例第一号にし難い……が、プルトンはいつの間にか本末転倒している自分の言葉に困惑していた。ゼブル及び『3人組』には1秒でも早く出て行って欲しいのだ。訓練生だけでなく、講師どころか、自分がやり難い。そうでなくとも緊張感で関係者全員が参ってしまう。

 プルトンは必死に理由を考え、一つの答えを導いた。

 

「では、ゼブル様……こうしませんか?」

 

 いわゆる『3人組』のモンスター討伐数に『死を撒く剣団』の壊滅に幹部の捕縛に加えて誘拐されていた女性達の救出の功……『3人組』がエ・ランテルで成し遂げた功績に加え、ミスリル級の『豪剣』から聞き及んでいる竜王国での数々の偉業で一気にアダマンタイト級にしてしまおう、という案をプルトンは披露したが、ゼブルは予想に反して渋い顔を見せた。

 

「……これを仕組んだ奴がそんな事を想定していないはずかない」

 

 ゼブルは魔導国宰相アルベドの名を出した。事情は話せないが、とあるプランの進行を阻むために暗躍したのだろう、と……

 プルトンは想定外の大物の名に怯むも、このままゼブルを訓練生として扱うのはせっかく魔導王の企画してもらった冒険者育成計画に支障をきたす。放置はプルトンの立場を悪化させるだろう。ダメ元で……そう提案したが、ゼブルは「やめた方が組合長の身の為だ」と警告までした。

 

「組合に会計監査を入れられるぞ……王国でなく魔導国の厳しい監査に耐えられるような状態なのか?」

 

 プルトンは言葉を詰まらせた……例えば本来とっくに渡されているべき『3人組』の報酬……あの金は『漆黒』の代役の『青の薔薇』招聘の資金として拝借して、すっかり処理するのを忘れていた。再度会計処理をすれば額面は問題なく揃えられるが、組合として正当な報酬を流用した痕跡は確実に残る。宰相アルベドに嫌がらせの会計監査でも入れられた日には流用の事実が簡単に発覚してしまう。

 

「どうした組合長?」

「いっ……いや、まあ……」

 

 ゼブルが薄く笑う……ああ、これはゼブルにもいろいろと知られているな、と表情で悟らされた。ゼブルの立場は本来調査を命じる側だ。大した不正でもないから見逃しているだけなのだろう。

 

 王国時代と比べれば魔導国は法令違反に対してことのほか罰則が厳しい。王国であれば人脈と賄賂で片付けられたものが、魔導国では足掻けば足掻くだけ厳しい事態に陥ってしまう。魔導国の下級審の裁判官はエルダーリッチだ。彼等にはいかなる温情もなく、法に照らし合わせて極めて公正な判決を下す。 

 投獄は免れてもカッツェ平野の開拓事務所などに送られるのは勘弁だ。

 綱紀粛正の為と言われれば監査拒否はできない……たしかに強硬に拒否すれば一時的には免れられる。しかし組合が魔導国の公金で補助がなされている以上、令状を待ったエルダーリッチの調査員が集団で殺到する未来は確実に到来する。

 魔導国の実務を統括する宰相アルベド……姿を見たことはないが、凄まじく美しい容姿を誇る女悪魔だと聞く。彼女に反目しても冒険者組合に何一つ益は無い。そのアルベドが冒険者組合を追い詰める気になれば……ミスではなく不正であれば、たとえ軽微なものでも魔導王も庇い切れるものではないだろう。

 

 トントン拍子の開所で有頂天になっていたプルトンだが、気が付けば開所最初の講義中に生き地獄に突き落とされていた……しかも投げ出すことも放置することもできない。魔導王が全面的に支援した計画の責任者であるプルトンはこの苦境に立ち向かわなければならないのだ。

 とにかく宰相アルベドと副王ゼブルがプルトンには言えないプランで対立しているのは間違いないようだ。アルベドがプランの遅延なり阻止なりを画策して、ゼブルを冒険者育成所に放り込んだのだろう。

 

 正直なところ、政治的な暗闘には触れたくはないが……とりあえず利害の一致するゼブルとは協調が可能だ。

 

「ゼブル様……お教え願いたいのですが、アルベド様の狙いは奈辺に?」

「遅延だろ、間違いなく……俺を魔導王陛下が受け入れざる得ない正当な理由でカルネから引き離し、その間に魔導王陛下のプランを、少なくとも自分の納得できる形に変えたいんだろ……まあ、俺が魔導王陛下の立案した冒険者育成計画を無視したら無視したで、それを理由にプランに難癖をつけるつもりなのは間違いない。陛下の冒険者育成計画をアイディアの段階で積極的に肉付けしたのはアルベド自身だ。自分を無視した形でプランが進行していたのが相当悔しかったんだろ……今こうして雁字搦めにされてみれば、アルベドの意図が良く理解できる。どう転んでも自ら介入可能な理由が手に入る。そうでなくとも時間を作れる。彼女に必要なのはひっくり返す時間もしくは理由だからな」

「そんなことの為に……」

 

 プルトンの心に小さな怒りの火が灯った……冒険者達には全く関係無いではないか……アルベドのやり方は冒険者組合及び冒険者というものを全く蔑ろにしたものだった。だが自身で楯突くには相手が悪い。

 

「……最も正当に、かつ素早く昇級するにはやはり一刻も早く昇級審査用のダンジョンをクリアしてもらうのがよろしいかと思われます」

「では、ダンジョンを解放してもらえるか?」

「いいえ……そうはいきません」

「何故だ……いちおう理由を聞くが?」

「お話を聞く限り、我々がゼブル様側に立つような動きを見せれば、アルベド様は会計監査に限らず組合本体を締め付けてくるでしょう。それではゼブル様側に立つ意味が薄れてしまいます。よって正当な手続きで最速を目指していただきます。我々はダンジョンの調整を急いでいただくよう、手を尽くして陛下に陳情します」

「具体的にはどうするつもりだ?……ダンジョンの調整に5日間……そう聞き及んでいる。つまり陛下にその為の時間が作れるのは5日後ということだ。アルベドにはそれだけの時間あれば充分なのだろう。現在銅級の俺達は5日もここに拘束されるのだ……アルベドの作った規約では訓練所の敷地外に出れるのは鉄級以上……エ・ランテル市内から出れるような依頼を受けられるのも鉄級以上でなければならん。たかが一等級の差だが俺達には5日間は正規の昇級機会は無い」

「私がカルネに直接出向き、陛下に直接面会することは可能でしょうか?」

「先程から俺のメッセージまで陛下に無視されている。陛下はアルベドの策に乗せられているのだろう。あくまで俺を揶揄っているつもりなのだ。規則を無視して転移するにも、おそらく今現在も厳重に監視されている……つまり規則を破った事実は即座に発覚するだろう。内容はともかく、こうして組合長と話している事実も把握されている。少なくとも組合長自身がアクションを起こせば警戒されるだろうな」

 

 つまりあれやこれや理由を付けて、魔導王との面会希望は阻止される……ゼブルはそう言っているのだ。

 

「いちおう俺も陛下の方からメッセージを送らせるように行動する……組合長も絡め手も含めて手を打ってくれ」

「承知しました……魔術師組合や神殿あるいはバレアレを通して、陛下に急いでいただくように働きかけます」

「頼んだぞ……それと講師達には俺達を可能な限り無視するように言い含めろ」

 

 プルトンは深く頷き、即座に道場を飛び出した。そのまま予定されていた視察は全てキャンセルし、急いで組合に向かう。既に中年と呼んで間違いない年齢のプルトンだが、実際の見た目はともかくこの時は現役の頃よりもフットワークは軽いつもりだった。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 その広大な空間いっぱいに高笑いが響き渡っていた。

 室内にメイド達の姿はなく、廊下を通り掛かった者達もあまりに不穏な笑い声に怯え、誰も近寄ろうとせずに即座に踵を返す。

 部屋の主人は大きな口を目一杯広げ、哄笑していたが、その目には一切の感情が浮かんでいなかった。かと言って、無理矢理笑っているわけてもなさそうではあるが、決して楽しそうではなかった。

 

 しばらくして唐突に笑いが止み、何かを叩き付けるような音が響き、直後に破砕音が重なった。

 

「くだらないわ……実にくだらない……」

 

 今月に入ってふたつ目……無事だった頃は立派な一枚板の執務机の残骸が足下に転がっていた。

 

 大きく息を吸い、深く吐き出す。

 

「忌々しい……アレが来てから、なんでアインズ様は……」

 

 想い人である絶対支配者を思い浮かべて頬を赤らめ、同時に嫌悪の対象であるアレの下品な顔を思い浮かべ、美しい目尻が吊り上がった。

 

 主人の意を汲み取れば、アレに従い、尽くすべきなのだろうが……アレの横に立ち、歓喜するアインズ様の姿を今以上に見せつけられるのは耐えられそうになかった。

 たった5日間の軟禁に何の意味がある……10日間も心血を注いで作り上げた規約にしたところで、せいぜい嫌がらせ程度の効果しか発揮しない。至高の存在と筆頭とはいえ守護者では存在価値に天地の開きが在るのだ。

 立場の差は永遠に埋まらない。

 至高の御方々の全てが創造主というわけではない。

 守護者統括といえども所詮は下僕。

 至高の御方のまとめ役であるアインズ様の決定を覆せるわけがない。

 アレは至高の御方なのだ。

 そして待ち人はエ・ランテルから戻らない。

 戻らないのだ。

 身の程を思い知らされ、アルベドは拳を握り締めた。

 次はもっと上手くやる……立場の差を超えた勝利を掴む為に。

 

 

 

 

 

 

 

 勢い込んで組合長室に飛び込むと、そこには目を疑う光景があった。

 

「どうだ、組合長……副王は驚いていたか?」

 

 奇妙な仮面を被った偉大な魔法詠唱者……魔導王が応接ソファに腰掛けながら無骨なガントレットに覆われた右手を挙げていた。

 

「へっ……陛下?」

「どうなのだ?……サプライズ休暇のつもりなのだが……」

「どういうことでしょうか?」

 

 魔導王は立ち上がり、組合長室を歩き回り始めた。

 

「つまりだな……ゼブルさん……副王は働き過ぎなのだ。私がカルネで冒険者育成計画に没頭している10日間で王都に帝都に竜王国の自身の領地にビーストマン国家と飛び回り、様々な案件を処理し、さらに多くの懸案事項を拾い上げてきた。建国以来、ずっとそうだ。少しは骨休めも必要だと思わんか?」

「ゼブル様はそう考えられてはいないようでしたが……」

「アルベドの画策で政務から遠ざけられた……とでも言っていたか?」

「……仰る通りです」

「まあ、たしかにそういう面もある……私もそう動くであろうと予測して、アルベドに冒険者育成計画の骨子作成に携わってもらったのだからな……だが私がアルベドの狙いを承知していれば、副王にとっては単なる休暇だ……アルベドがどう動こうと私はプランの大きな修正をするつもりはない。現に5日間はここで世話になるつもりだ。アルベドが口を挟む余地は生じない」

「ここで、で御座いますか?」

「そうだ……職務遂行に迷惑を掛けるようなら、私も訓練生になっても良いのだが、それでは講師陣が参ってしまうだろう?」

 

 いや、講師陣だけでなく、訓練生も私も胃が保ちません。ここに居候されても私は同じですが……

 

 思ったことを素直に口に出せるわけもなく、プルトンは単純に同意した。

 

「……では、せめて休暇の主旨だけでもゼブル様にお伝えしては?」

「それではサプライズにならんだろう?」

「しかしこのままでは無用な軋轢を生むのでは?」

「ネタバラシは5日後だ……アルベドには私から説明する」

 

 思いの外、魔導王は頑なだった。ほんの僅かな間の付き合いだが、状況によって柔軟に対応する知恵者というイメージだったのだが……

 

「お前には迷惑を掛けるのだから、これをやろう」

 

 魔導王は虚空に出現した暗黒洞に手を突っ込み、一振りの短剣を取り出した。奇妙な技……そう感じる間も無く、鮮やかな青い輝きがプルトンの目を捉えて離さない。切れ味など想像もできない。しかしこれまでに見たどんなお宝よりも価値があるものだと一目で理解させられた。

 

「これを……私に……頂けるのですか?」

 

 魔導王は短剣を無造作に突き出した。

 プルトンは慌てて跪き、両手を掲げて拝領した。

 心の中でで何かが暴れ出そうとするのを必死に抑える。

 

「お前のものだ。大切にするが良い」

 

 もう……一生、着いていきます!

 

 プルトンは深く深く頭を下げ、この気前の良い王者に忠誠を誓った。後で魔術師組合長テオ・ラシケルに見せびらかしてやろうと心に決めながら……

 

「ところでな、その短剣をやったついでに聞きたいのだが、組合長はアゼルリシア山脈のドワーフ国家についての情報を知らぬか?……どんな些細なものでも良いのだが」

「時折オークションにドワーフのルーン工匠が作ったとされる武器が出品されますな……帝都の商人であり、闘技場の興行主の有力な1人であるオスクが武器コレクターとして有名です」

「……ルーンか……」

 

 呟いた魔導王が再度虚空の暗黒洞に手を突っ込んだ。

 黒い宝剣が現れ、ガントレットの指先が刀身に刻まれた紫色の文字を指し示した。全部で20文字……とんでもないお宝だ。

 

「私はルーンの知識には不案内だが、ルーン文字とはコレのことだろう?」

「私も他者に語れるほど詳しいわけではございませんが、おそらくは……陛下、それを触らせていただくことは可能でしょうか?」

 

 魔導王は再度無造作に宝剣を差し出した。

 プルトンが恐る恐る手に取ると何かが脳を突き抜けた。性的絶頂などとは比較にならない快感……現役時代に夢見たものが手の中に在る……達成感こそないが生涯を捧げた夢の具現化が手の中に収まっているのだ。

 興奮した自身を客観視する自分が見ても滑稽なほど全身がガクガクと震えているのが判る。

 

「……へっ、陛下……コレは?」

「んっ?……まあ、大したものではないがコレクションのひとつだ。あまりルーン文字の刻まれた武器は持っていないのでそれはやれぬが、同等のものならばお前の働きによっては褒美としてやろう」

 

 魔導王はあっさり言い放った。

 プルトンは宝剣を魔導王に返すと、額を床に打ち据えた。

 

「陛下!……励みます!……このプルトン・アインザック、魔導国と魔導王陛下の為にこの先の生涯を捧げさせていただきます。どうぞ、このプルトン・アインザックをお使い下さい。陛下の声は天の声と心得ておりますぞ……差し当たり、この部屋は陛下のものでございます!」

 

 この瞬間、冒険者組合の組合長室は未来永劫魔導王の隠れ家となった。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 木剣を打ち合う音が響く中、ティーヌは大きく欠伸した。

 ゼブルとジットは魔法詠唱者の扱いなので、講堂で講義を受けている。

 

 ……なんだかんだ真面目なんだよなー、ゼブルさん……ジッちゃんもだけどさぁ……いまさらな事を受講して、面白いかなー?……そうでなくても最近、私放置されすぎな気がするんだよねー……ちょっとは遊んでくれても良いのに……

 

 暇で暇でたまらない……唇を尖らせる。

 ナザリックでゼブルとついでにジットも一緒とアルベドに聞かされて、喜び勇んで参加した冒険者育成計画だったが、たしかに銅級冒険者としての扱いは一緒だったものの……戦士と魔法詠唱者が完全に別クラスなのは想定外だった。

 魔法詠唱者でなく純戦士であるティーヌはさすがに自身の技量よりも劣る講師の授業など受けていられない。

 ブレインでも出張ってくれば少しは揶揄ってやろうという気にもなるのだろうが、残念ながらブレイン・アングラウスやエルヤー・ウズルスの特別講義は金級もしくは白金級でないと受講できないのだ。そうでなくとも本日は式典に顔を出しただけで帰ってしまった。

 いまさらディンゴやベロテの指導など受けられたものではないし、ディンゴやベロテにしてもティーヌを指導などしたくないだろう。

 道場の壁際に寄り掛かり、再度大きな欠伸が漏れた。

 複数の視線を感じて振り向くと、一斉に視線が逸れる。

 

 まっ、この格好は目立つしねー……

 

 実際には格好だけでなく、素行の不良振りとそれを注意しない講師陣に対しての不信感が注目を集めるのだが、古株の銅級という冒険者としてはどうにもならない連中がそれとなく無視するように誘導しているが、明るい未来の選択を冒険者に据えた若手達が納得するわけがなかった。

 だが彼等が実際に注意しようとしても武装も含めた存在感に圧倒され、どうしても尻込みしてしまう。結果として、義憤と畏怖のない混ぜになった奇妙な視線がティーヌに向けられるのだ。

 

 午前中最後の剣技の講義……この退屈な時間が終われば昼休み……ティーヌはひたすら時間の経過を待っていた。敷地内の食堂しか選択肢がないとはいえ、昼飯の時間ぐらいはゆっくりとゼブルに近況報告でもしたい。自分がどれだけ強くなったのか……人間である事すら辞めて、ゼブルに尽くす自分を認めて欲しかった。一言で良いから褒めて欲しい。

 

 そんな事を考えながら寝転がり、道場の天井の木目を眺めていた。

 唐突に視界に顔が入り込む……まるで絵に描いたようなお人好し……THE好青年と額に書いてあるような金髪碧眼の青年が覗き込んでいた。胸のプレートは金級であることを示している。

 

「初めましてペテル・モークと言います。貴女は?」

「あんっ?……なんかよー」

「同じ戦士過程の受講生として自己紹介しました。貴女の名前は?」

 

 見た目と同様、真っ直ぐ……やり難い。

 

「……ティーヌ」

「ではティーヌさん……残り僅かな時間ですが、その素晴らしい装備を活かしませんか?」

 

 ペテルがニコリと微笑む。

 

「どうやって?」

「ティーヌさんの装備は私が知る限り最高最強の冒険者である『漆黒』のモモンさんの装備を凌ぐかもしれません。彼が銅級の時に一緒に仕事をしたことがあるので、間近で戦闘を見た経験もあります。彼は銅級の時から装備に匹敵する素晴らしい戦士でした。なので貴女もアダマンタイト級の器だと確信しています。その力を皆に見せてやって下さい……私がモモンさんから感じたようなものを皆さんが感じるかもしれません」

 

 銅級の頃のモモンとなると魔導王本人……アインズちゃんの知り合いか……となると殺すどころか、下手に傷付けるわけにもいかないなぁ……

 

「口が上手いねー……まっ、いっか……でも死なれても困るから相手は最低でもミスリル級……つまり講師にしてくんないかなー……そいつ相手に動きを見せれば良いのかなー?」

「あちらの講師……『豪剣』のディンゴさんにお願いしてみますよ」

 

 ペテルがディンゴに向かって走り去る。

 話の妙な雲行きに道場の片隅で訓練生が暴走しないように見守っていたディンゴを見ると、それは絶望的な顔でティーヌを見て、立場上「余計な事をするな」とも言えず泣きそうな表情でペテルを見ると項垂れた。 

 ティーヌは寝転がった体勢から、そのまま蜻蛉返りを切って立ち上がる。

 周囲は異様な身体能力に息を飲み込んだ。 

 実は久々に弱い人間の中に叩き込まれ、どうしても嗜虐心が疼いて抑え込むのに苦労していたのだ……ディンゴ相手ならば手加減すれば壊すこともあるまい。

 腰の『戦闘妖精』は抜かず、あの棒切れを右手に持つ。

 それを見たディンゴは嘔吐を我慢するかのように口元を押さえたまま、道場の中央に進み出る。あれが自分に向けられる時が来るとは……目が雄弁に語っていた。ティーヌの前に立つ頃には威風堂々たる巨体が一回り小さく見えた。

 

「あははっ……あんたも災難だねぇ」

「笑い事じゃありません!……どうかお手柔らかに……」

 

 小声で力強く囁くディンゴを無視して、ティーヌはニィと笑った。

 全訓練生が固唾を飲んで見守る……巨大な両手剣を模した木剣を持つ巨体のミスリル級戦士と、素人目にも凄まじい装備に身を包む不敵に笑う銅級女戦士……『3人組』を見たことのないペテルを除くそれなりにキャリアがある冒険者達はディンゴに同情し、半年以下のキャリアしか持たない新人達は生意気な銅級女戦士を懲らしめてやれ、と心中でディンゴを応援していた。いかに副王の御付きとはいえ許し難い。

 

 道場内が静まり返る。

 雰囲気で審判に押し出された形のベロテが右手を掲げた。

 ディンゴが木剣を青眼に構える。

 対するティーヌは脱力した自然体で立つ。

 

「始め!」

 

 ベロテが右手を振り下ろした瞬間、ティーヌがディンゴの構える木剣をすり抜けるように無造作に前進し、彼の耳元で囁いた。

 

「3分、見せ場をあげるからねー」

 

 声援と怒号が響く中、ティーヌはニヤニヤと笑いながら、ディンゴの上段からの斬り下ろしと、即座の斬り上げの連続技を回避していた。誰もがティーヌの身体を木剣が通り抜けたようにしか見えなかった。

 ディンゴを除けばティーヌの動きを初めて見た者しかいない。

 理解を超越した技だった。

 この時点で話を持ち掛けたペテルすら不安を感じていた。

 何か途轍も無いものを見せられている……同じ戦士職でありながら、ティーヌの動きというか、動かなさは理解不能だった。

 

「遅いなぁー……ミスリル級」

 

 ティーヌの揶揄に言葉を返す余裕など、前に立った時点でディンゴは持ち合わせていない。ひたすら木剣を振り、恐怖を圧し殺す。なのに……ただ立っているようにしか見えないティーヌの髪の毛にすら木剣を当てられないのだ。講師の立場とミスリル級冒険者の誇りがなければ、こんな人間の理解を超えたバケモノの相手など出来るはずがない。

 

 連撃……連携技……武技……後半に備えて『不落要塞』を使用する余力だけ残し、ディンゴは戦士としての己の全てを注ぎ込んだ。

 だが後退させるどころか、回避はおろかティーヌの脱力した立ち姿を揺るがすことすらできない。

 

 既に声援も怒号も消え失せた道場の中。

 バケモノだ……誰かがポツリと呟いた。

 事実に気付いた幾人かが声無き悲鳴を上げる。

 誰も動けない。

 声も発せない。

 ただ動揺が広がった。

 やがてそれは恐怖に変換される。

 静かなパニック。

 恐ろしい……同時にバケモノに立ち向かうディンゴの勇気を称賛した。

 誰もがディンゴをミスリル級に相応しい強い戦士だと認めたのだ。

 だがそれは相手の女はアダマンタイト級など人間の作り上げたいう枠に収まるのかと疑問を抱かせた。なにしろ一撃死が確実な連撃が当たっているように見えるのに、現実には擦りもしていない……神技などという安い言葉では表現できない。正しく人智を超えた魔の技だ。

 

「ほいっ、3分経過だよー」

 

 結局、ディンゴは何百と繰り出した剣撃はティーヌの笑いを歪めることすら叶わなかった。

 

「はい、攻守交代ねー」

 

 ディンゴが『不落要塞』を使うのを持つようにティーヌが踏み込んだ。

 だが視認できない。

 しかしディンゴの心は燃えた。

 宣言された攻撃など!……思う間も無く、激痛が右手の甲を襲い、同時に左手の甲も撃ち抜かれた。

 巨大な木剣が床に転がる。

 まるで効果無いように思えた『不落要塞』だったが、もしそれを使っていなければ……ディンゴは落とした木剣を見詰め、背筋を走る悪寒を感じながら、両手の甲を確認した。

 指先が痺れて動かない。

 血液が溢れ出す傷口は思いの外深い。

 骨折は間違いない。

 痛みは我慢できるが、反撃不能な絶望感はディンゴの心を深く抉った。

 切先が赤黒く変色した棒切れから、鮮血が滴り落ちる。

 

 両腕を上げ、ガードを固める。

 ファイティングポーズは崩さない。

 敵うはずはない。だがディンゴは戦士だ。もはや意地だった。

 残された攻撃手段は体術しかない。

 格上相手に披露できるほど得意ではないが武器が持てぬ以上、他に選択肢が無いのだ。

 

「体術勝負がしたいのかなー?」

 

 揶揄うようなバケモノ女の笑顔に、ディンゴは無言の突進で応えた。

 ティーヌは棒切れを左手に持ち替え、突進するディンゴの側頭部を無造作に右掌底で撃ち抜いた。

 軽く撃ったようにしか見えない掌底の衝撃で脳が揺れた。

 膝から崩れる。

 気付けば、道場の床が目の前にあった。

 床にキスすると同時にディンゴの意識は飛んだ。

 

「止め!」

 

 道場に響き渡るベロテの声はディンゴに届かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 日中の唯一の楽しみである昼休みはあまりに早く、嫌な顔を見せるジットを尻目に、ゼブルに自分のことだけを一方的に喋りまくって、時間を終えてしまった。何を食べたのかも覚えていない。

 

 何にせよ、満足……ティーヌは上機嫌で苦行としか表現できない午後の訓練の見学に取り掛かった。ミスリル級のディンゴを圧倒し、周囲との力量差は示した。だから放置されるだろうと簡単に考えていたのだ。

 

 だがティーヌの想像を超えて、状況は鬱陶しい方向へとシフトしていた。

 チラチラと見てくる視線が煩わしい。それは新参古参問わずに訓練生と、辛酸を舐めたディンゴを除く講師陣からも向けられていた。

 

 意を決したかのように1人の女戦士がティーヌの前に立った。胸のプレートは銅級……先程から漠と眺めていた訓練でも特に目立ってはいない。だからこれといった印象もない。ティーヌにとっては丸っ切りの初顔に近かった。いきなり名乗られたが覚える必要性を感じない。ミスリル級を確定させる訓練所の5日間以外は生涯無縁であることは確実な存在だった。

 周囲は出し抜かれたような表情を見せているが、その心配は的外れだ、とティーヌは言いたかった。道場内の存在で覚えたのは元々知っているディンゴを除けばベロテにペテルの2人だけ……ベロテはともかくペテルは魔導王の知り合いでなければ覚える価値を感じない。

 

「おっ……お強いですね?」

「誰が?」

「ティーヌ様です!」

「そう?……んじゃ、そーゆーことで」

 

 ティーヌが寝転がろうとすると、女戦士は慌ててティーヌの前に正座した。そのまま土下座するように頭を下げる。

 

「あの……私に稽古をつけてくれませんか?」

「あんっ?……なんで?……死にたいの?」

「強くなりたいんです……私は学も無いし、器用さもありません。だから戦士になりたい……力だけは少し自信がありますから。田舎からと言ってもエ・ランテルから1日ぐらいの開拓村なんですが……仲間と一緒に訓練所の話を聞いて上京してきました。最近では魔導王陛下の作業用アンデッド達が幅を利かせて、私達小作農は長男以外を必要としなくなりました。その上、大きな農家までこれまで雇い入れていた働き手を必要としないんです。私は商売女をやれるような容姿でもなければ、片田舎の開拓村ではそんな場所も無いので、私達はエ・ランテルで魔導王陛下が開設する冒険者訓練所に入る為にみんなで冒険者になったんです」

 

 お涙頂戴……っていうよりも魔導国の田舎の現実なのだろう。魔導国では単純作業や力仕事の労働力が有り余っているのだ。

 

「ふーん……でも身の程を弁えなよ。ここの訓練生なら、まずはここの訓練で基本を身に付けないと話にならないからねー……私も気の遠くなるような訓練の末に今があるんだ。付け焼き刃でなんとかなるような簡単なものじゃないから」

「……私もティーヌ様みたいに強くなれますか?」

「無理……あんた、覚悟も才能も無いじゃん」

「才能はともかく覚悟はあります!」

「んじゃ、一足飛びに強くなろうなんて考えんな……戦士、ナメんなよ」

 

 戦士として洗練されたティーヌとは圧倒的な差はあるだろうが、自身と大して年齢差は無いように思える、下手をすれば年下にしか見えないティーヌだからこそ、何か強さを磨く秘訣のようなものがあるのではないか?……女戦士はそう考えたのだろう。

 そんなものがあるわけがない。死と隣り合わせの過酷な訓練を潜り抜け、数多の同胞や仲間や敵の骸の山の上に立ったからこそ、現在のティーヌがあるのだ。もちろんぷれいやーであるゼブルに拾われたり、思い切って人間を辞めたりしているが、そんなことよりも精神の在り方が違うのだ……と、ティーヌはそう言いたかった。

 

「私、諦めません!」

 

 女戦士は捨て台詞でそう言うと、訓練生の列に戻った。

 再び寝転がって訓練を眺めようとすると、再度同じような珍客が……今度は男だが、先程の女戦士よりもはるかに年下だ。まだ10代半ば……とてもそれ以上には見えない。

 

 ……鬱陶しいなー、もう……

 

 やはり少年戦士も先程の女戦士と同じような故郷での状況で冒険者となり、同じような目的でティーヌに接触を試みたようで……尚且つ、鬱陶しいことに恐れると同時にティーヌに憧れのような恋心を抱いているようだった。クレマンティーヌならば喜んで殺していたような……そんな少年だ。

 だが今のティーヌには必要無い贄だった。

 不躾にティーヌの全身を嘗める少年戦士の視線にうんざりしつつも、先程の女戦士と同じようなやりとりを繰り返し、同じような結論に至った。女戦士と同じような捨て台詞を残し、少年戦士も訓練生の列に戻った。

 

 そしてホッと息を吐く間も無く、同じような珍客の来訪が繰り返された。

 ちょっとうんざりする程度でなく、盛大に溜息を吐くような人数だ。しかも全員が同じような境遇の銅級ばかりで、ほぼ同じような結論に至る。

 勇気を振り絞った最初の女戦士以外は「やらなきゃ損だ」とばかりにトライしてきた。

 技を盗む。

 訓練法を聞く。

 とにかく関係を築く。

 切り口は様々だが、突き詰めれば「強くなりたい」に尽きた。

 彼等の立場で考えれば、自分達と大して年齢差無く、しかも男と比較すれば非力な女性のティーヌが示した異次元の強さに秘密や秘訣がないわけがないように思えたのだろう。もちろん秘密はあるが……周囲に吹聴して良いような類の話ではない。

 

「……あーもー、勘弁してくんないな……」

 

 有名税とはいえ、この煩わしさに耐え切れる自信はなかった。

 ハァ、と溜息を吐き、ティーヌは立ち上がった。

 それだけで周囲が騒めく。

 注目を集めたまま治療を終えて壁際に腕を組んで立つディンゴに近寄ると、それは盛大に嫌な顔で出迎えられた。

 

「なーに、嫌な顔してんの?」

「良い笑顔で迎えられるわけねえーっしょ!」

「図体の割に器小さいなー……あんたが弱っちーんだよ」

「いや、ティーヌさんがおかしなレベルで強えんですよ。俺だって……俺だって……」

「年下の女に完敗してんだからさー……弱いじゃん」

 

 ディンゴが押し黙る。

 

「んでも、どんなに弱っちくてもあんた、講師だよねー……なんとかしてくんない?」

「無理無理……子供相手の剣術私塾じゃねーんですぜ。実地訓練の順番待ちの間、ただ黙って立ってろ、とは言えねーでしょ?」

「そりゃ、そーなんだけどさー……」

「連中が冒険者を志すなら、強さに貪欲なのは良いことじゃねーですか?」

「それも、そーなんだけどー」

「そーゆーこってすよ」

「負けた腹癒せの嫌がらせ……じゃないって信じて良いのかなー?」

「負けて当然なものに、腹癒せもクソもないでしょ!」

「それも、そっかー」

 

 ティーヌは諦め、再度壁際の定位置に戻り、座り込んだ。

 

 さて、どーする?

 

 生死を問わずに訓練を施して良いのならば志願者を鍛えてやっても良いが、さすがにフィリップの時とは状況が違い過ぎる。ナザリックに幽閉された時以来ゼブルの考えが手に取るように理解できるようになっていたが、その感覚に従えば訓練所では最速でミスリル級になるのが目的であり、問題が生じるような行動は控えるべきなのだ。

 

 それに加えて……

 

 午前中まで道場に存在しなかった幾人かの戦士達……訓練所のシステムを考慮すれば、本日冒険者登録した者がいて不思議はない。しかし彼等は隠蔽してはいるものの、この道場内の多くを占める銅級とは隔絶した実力を持つ者なのも間違いなかった……と言っても、戦士としては完全にディンゴには及ばないレベルなのだが……だからこそ狙いが読めなかった。ゼブルやティーヌやジットを害する目的だとしても全く手が届くようなレベルではない。あるいは魔導国に潜入した他国の間諜や工作員の類だとしたら冒険者登録はやり過ぎな気がする。冒険者登録することによって偽の身分は簡単に作れる反面、せっかく作り上げたアンダーカバーの所在確認は極めて容易になる。一部とはいえ魔導国の対諜報システム知るティーヌとしては、それを出し抜く難しさも容易に想像できた。まして訓練所から逃走などしても、彼等程度では魔導国の警戒網を抜けられるとは思えない。

 

 連中……狙いはなんだろうねー?

 

 不気味ではあるものの、集団で襲撃されたところで瞬殺可能なのは間違いない。法国の手の者の可能性もあるが、隊長か番外でも出張ってこないかぎり、今のティーヌに太刀打ちできる者などいないだろう。つまり魔導国内であれば隊長以外を警戒する必要はないのだ。

 

 まっ、弱過ぎて、法国の風花なり漆黒という線は考え難いかー。

 

 法国でなければ人間種である以上、王国、帝国、竜王国辺りからの間諜か工作員の可能性が高いように思えるが……

 

 とりあえず最終日を除けば残り3日半……ティーヌは銅級達に紛れて混んでいる手練れ達の出方を見ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 その晩から翌朝にかけては直接接触を試みる者は無かったものの、やはりゼブルやジットの魔法詠唱者組も同じ状況であり、昨日の午後からそれまで見なかった者達が講堂内に増えたようだった。

 やはり何かが仕掛けられているような気配はあるが、ゼブルの見解も「目的が理解できない」というものだった。

 

 対処は任せる、ね……やっぱ、ちょっと放置され過ぎだよねぇ、私。

 

 寮は男女別の為、夕食と朝食だけゼブルとジットと過ごしたのだがどうにもつまらない。来る前に想像していた時間と違い、ただ退屈なのだ。同じ訓練ならばナザリックの武技実験に協力していた方がまだ実りがある。これはアルベドに良いように踊らされたといまさらながら気付いていた。

 

 このまま道場の片隅に座り込み続けるのも飽きた……そう思い、ティーヌはパッと目に付いたペテルを呼び付けた。

 

 胸に金級のプレートをぶら下げた好青年が脱兎の如く走り寄ってくる。

 

「どうされました、ティーヌさん?」

「ペテルってさ、世話好きだよねー?」

 

 別に褒めたつもりはなかったのだが、何故かペテルは「いやー、それほどでも」と謙遜した。

 

「世話好きついでに、銅級の稽古相手してくんない?……私じゃ、多分、どんなに手加減しても壊しちゃうからさぁー。ただ動作の何が悪いかぐらいは指摘してあげられると思うんだよねー」

 

 ペテルは盛大に頷いた。基本的にお人好しなのだろう。ティーヌの見込み通り他者の為に役立つような依頼を断るようなタイプではない。それでも生粋の冒険者である以上、無償奉仕は嫌だろうとティーヌは金貨を指で弾いてペテルに渡した。

 

「んじゃ、契約成立……まず、あそこの女戦士を呼んできてくれるかなー」

 

 ペテルは忠犬のように昨日真っ先にティーヌに稽古を願いでた女戦士を呼びに走り、そのまま事情を説明してティーヌの前で立ち合い稽古を始めた。

 契約という言葉はペテルにとってはかなり効いたようでただ木剣を振り回しているだけの女戦士に基本の対処法から丁寧に説明までしている……が、そのペテルの剣技にしてもティーヌの目からは実戦ありきの我流な上に対モンスター用に特化したような荒いもので、とても人様に教えられるような代物ではなかった。ド素人の女戦士よりもむしろペテルの方が重症な気がしてならない。

 あくまで紛れ込んだ手練れ達の動向を確認する為のものだったが、どうにも気になって仕方ない。我流は初見で対処し難いという利点があるが、ペテルの場合は自身の伸び代まで犠牲にしている気がするのだ。なりよりも動きの一つ一つがあまりに無様だった。

 本来どうでも良いと思っていたティーヌだが、見るに見かねて基本から説明を始めてしまった。

 構えと素振りと足捌き。

 この3つだけだが、昨日見せつけた実力の効果は大きく、ティーヌの実演付き説明を見ようと人垣はあっという間に大きなり、気が付けば講師であるベロテやディンゴまでが聴衆に加わっていた。冒険者の剣術は実戦で磨かれた我流がほとんどである為、正規の訓練を積んだ上で独自の境地に至ったティーヌの話はそれなりに経験を積んだミスリル級冒険者にとっても新鮮だったようだ。当然質疑も多く飛び交い、講演を止められなくなってしまったのはティーヌにとっても誤算だった。

 

 が、誤算ばかりでもなかった。

 

 聴衆の中に紛れ込んでいた手練れ達が各々アイコンタクトを使っているのが確認できたのだ。数は3人……体格だけでも他の銅級を圧倒している。つまり開拓村から上京して来て間も無いような連中ではない。ディンゴのような特別な巨体ではないが、筋肉の付き方も明らかに鍛え上げたもので、それなり以上の生活環境下で育成されたのでなければそうはならないという身体付きだ。そうでなくとも銅級を偽装したかのような粗末な身なりが似合わな過ぎる。金持ちが無理矢理貧乏人の真似をしたような違和感……即ち潜入工作のプロではないようだ。

 

 ……なーんかチグハグだよねー。

 

 ティーヌ達に害為すどころか、魔導国に潜入して突破できるような戦闘能力の持ち主ではない。

 目立たないように偽装しつつ、体格だけで目立ってしまう脇の甘さ。

 接触を図るようで、ここまで近付き易い状況でも尻込みしている。

 アイコンタクト可能な程度の連携は取れているが、それをティーヌにあっさりと視認される……やはり甘い。

 だが目的が不明なのだ。

 

 1人捕まえて、吐かせる?……いや、尋問程度は許容されるだろうが、拷問となると魔導王アインズの顔を潰しかねないリスクを負う。当然、殺すのも御法度。最悪の場合、単にティーヌの立場が追い込まれる。結果として副王としてのゼブルに多大な迷惑を掛けるだろう……それだけはできない。

 かと言って放置も気持ち悪いし、言い方は別にしても対処をゼブルに一任されているのも事実。

 

 ティーヌは聴衆に説明しながらしばらく考えたものの、良案と呼べるようなものは思いつかなかった。

 

 んじゃ、ま、正攻法でやってみますか!

 

 ティーヌの口角が吊り上がった。

 




お読みいただきありがとうございます。


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35話 冒険しない冒険者

体調管理が大切ですね。


 

 ディンゴの禿頭に汗が浮いていた。

 押し込んでいるが、押し切れない……そんな展開が立て続く。

 金髪に薄緑色の瞳の男と木剣で鍔迫り合いをしていた。やはり訓練用の片手剣サイズの木剣では手に馴染まないのか、どうにもいつものノリで体格差を活かした攻めに徹せないようだ。

 道場の床にへたり込んでいる黒髪の男に続き、肩で息をしている金髪を短く刈り込んだ男ともかなりの長時間立ち合った後の三連戦目である。3人よりも戦士としては格上とはいえ、ディンゴの実力が圧倒しているわけではない。まして得物のサイズが不慣れな為に能力全開とはいかない上に、あくまで訓練である以上、ただ勝てば良いわけではない。自身も含めて基本動作の確認をしなければならないのだ。

 まあ、なによりもプレッシャーなのは壁際でニコニコとディンゴの立ち合い稽古を眺めている女の存在なのだが……

 

 面倒臭え……ディンゴは心中で愚痴った。

 

 普段ならば体格差を活かして、とっくに蹴りなり体当たりを交えて決着をつけているが、剣術の基礎の稽古となってはそういうわけにもいかない。武器も両手剣サイズならばまだしも平均的な片手剣サイズの木剣だ。その上足捌きやら振りやら構えやらでかなりの制約を受けている。武技も使えないとなるとなかなか決着しないのも無理はなかった。ディンゴの剣こそ実戦のみで磨き上げられた我流の極みなのだ。人並外れた膂力を最大限に活かした特注の大剣を振り回すことありきで、基本など9年近い冒険者人生で一時たりとも学んだことはない。

 ジリジリと焦れる気持ちを抑えながら、ディンゴは目の前の銅級冒険者を観察した。

 疲労の蓄積は間違いなくディンゴ以上だ。単純な膂力差と体格差を埋め合わせるのは並大抵のことではない。つまり裏返せばティーヌの言う通り剣の腕そのものはディンゴ以上なのかもしれない。認めたくはないが、よく凌いでいるのは間違いないところだ。慣れない片手剣とはいえ、ディンゴの膂力と体重が乗った剣撃を受け流すのは相当な鍛錬の賜物に違いないのだ。

 

「やるねえ!」

 

 言葉と同時に気合一閃、得意の上段からの斬り下ろしと即座の斬り上げというコンビネーションを見せたが、金髪男は軌道を読んで回避で対処する。

 そこまではディンゴの読み通り……回避の為に僅かに左に体勢のブレた金髪男の剣を狙って右上から斜めに打ち下ろした。金髪男は木剣で受けるも、受け流すまではできずに真面に剣の衝撃を受けてしまった。

 金髪男は2メートル程飛ばされ、体勢を完全に崩して尻餅をついた。

 ディンゴは油断なく男の胸先に剣の切先を突き付けた。

 

「んじゃ、それまでね……勝者はディンゴちゃんね。んで、やっぱアンタ等ちゃんとした基礎の訓練を受けてるねー……どこで学んだのかなー?」

 

 ティーヌは黒髪、金髪と視線を移し、少し余裕のある短髪男を見た。

 

「おっ……俺達は元ボウロロープ侯……いや、現在ではボウロロープ伯の親衛隊に所属していた。剣や弓や槍、体術の訓練を受けたのは伯のところで、だ」

「魔導王陛下に怨恨でもあんのかなー?……潜入して、隙を見計らって殺る気とかかなー」

「そ、そんなことはない……俺達は敗残したが幸にして帝国に捕まることはなかった。しかしボウロロープ侯も守れず、故郷に戻っても一族に合わせる顔がない。だからエ・ランテルで生き恥を晒していたんだ。そして3人合わせても所持金が尽き、装備も売り払い、その金もいよいよ尽きるとなって途方に暮れていたところで、魔導王陛下が冒険者訓練所を作ったと聞いた。衣食住完備と聞けば俺達にとっては渡りに船だ。剣の腕にもそれなりには自信がある。ただ俺達全員魔法が使えない。この先、冒険者としてやっていけるのか……それを皆で心配していたところだ」

「ふーん……そっかー、大変だねー」

 

 目の前の3人の話としては腑に落ちるが、問題はゼブルやジットの魔法詠唱者組にも同じような3人組の女がいる事実だった。しかも現れたタイミングまで一緒では素直に頷けるものではない。こいつらの言う通り、魔法詠唱者組に現れた連中が無関係などということがあるのか?

 仮に全てが作り話であっても作られた背景から動きは推察できるし、普通であれば丸々嘘ということもありえない。一から十まで嘘で固めればあっさりと設定が破綻する可能性も高いのだ。いずれにしてもゼブルにこいつらを支配してもらえば、簡単に事実は露見するのだ……法国や評議国といった敵対する可能性があり、強大な戦力を保有する国家の手の者である可能性さえ排除できれば……だが。

 

 まっ、結局はそこに尽きるんだよねー……どうしよっか?

 

 法国出身であるティーヌから見て、3人が法国の工作員である可能性は極めて低いような気がする。簡単に喋り過ぎだし、実態不明の魔導国に潜入するには戦力的に心許ない。

 法国はほぼクレマンティーヌ生存を確認しているはず……ならば、エ・ランテルに潜伏したままの可能性を排除するわけがない。

 ゼブルと出会った当時のままでもこの3人では完全に戦力不足だ。

 アインズ・ウール・ゴウンとニグンの『陽光聖典』が交戦し、壊滅させたことはアインズから聞かされていた。

 当然、法国も知っているはず……であれば魔導王アインズに対してはかなりのハイリスクを想定する。いかに人間至上主義の法国であっても手を出さないという選択まで視野に入れるはずなのだ。

 

 ティーヌは目の端で3人を監視しつつも、他の銅級の訓練を指導し続けた。

 その時点で最終判断はゼブルに投げることにほぼ決めていた。評議国についてはざっくりとした情報しか持ち合わせておらず、判断がつきかねたのだ。加えて未知の勢力の可能性もある。既知であってもカルサナス都市国家連合やローブル聖王国の可能性も捨てきれない。特にローブル聖王国は強国とは言えないまでも魔導国の亜人やモンスターまで含めた多種族共生を許容するはずがない上に、魔導王がアンデッドであることを絶対に許さないだろう。中堅以下の国家群の中ではエルフの王国と並んで牙を剥く可能性が高い。

 

 私じゃ判断しきれないからねー……後はゼブルさんに丸投げしよっと……

 

 口角が実に楽しそうに吊り上がった。

 本人も気付いているのか、いないのか?……僅かに見えた犬歯が鋭く伸びていることに。

 

 

 

 

 

 

 

 ティーヌを女子寮に追い返した後、寮の自室でゆっくりと茶を入れる。

 さすがに他の冒険者などと違い、個室だ。

 時刻は深夜……寝ても良いが、寝なくても良く、眠気も感じないので眠らない。

 考えたいことが山程あるが、メインは……

 

 結局、あいつらはなんなんだ?

 

 帝都から移住してきたと言う妙齢の美女魔法詠唱者3人組は第三位階を習得して帝国魔法学院卒業したが、王道の魔法省に進まず、魔法の実地研鑽を兼ねてワーカー暮らしをしていたと説明した……が、実質的に帝都のワーカー達は俺のほぼ配下のはず……俺が帝都から離れてからワーカー稼業になったのであれば可能性が0ではない。しかし魔力系魔法詠唱者3人だけのチーム構成なんざ不自然極まりない……だからこそ魔導王の冒険者訓練所に入所したと言われればそれまでなのだが、基本的に都合の良い偶然が重なるなんて事態は信用できない。

 だからこうして疑うのだが……素性云々よりも目的の推測が難しい。

 魔導国での破壊工作はあの3人の力じゃ論外。

 情報収集は……都市の生活実態調査でもなければ、魔導国から軍事以外の情報がほとんど提供される帝国が仕掛ける意味はない。軍事関連の情報収集が目的がならば冒険者をアンダーカバーにするのは愚策な上に危険だ。不用意な動きを見せればそれだけで拘束理由になりかねない。

 となれば浸透工作や世論操作だが、魔導国においては全くの無意味。誰も民意など意に介さないし、魔導国の役人の大多数を占めるアンデッドや悪魔に人間の浸透工作が通用するはずもない。

 であれば消去法で対個人の影響力工作……その対象は俺なのだろうか?

 俺にとって帝国と言えば、まずは何が無くともジルクニフだが、ジルクニフがいまさら俺に対して影響力工作もないだろう。直接交渉するぐらいの間柄にはなっているのだ。

 フールーダ?……少なくとも影響力工作なんて回りくどいやり方は選択しないような気がする。それこそ直接会って土下座の世界だし……何よりもフールーダの関心は俺からアインズさんに移っている。2人とも超位まで行使可能であっても使える魔法の数が違い過ぎるのだ。アインズさんの力を知った今では完全にアインズフリークと化している。

 四騎士やロウネを筆頭とする秘書官達がが魔法省と近い人間を使って、独自に工作は図るとは思えない。

 

 そもそも帝国の手の者なのか?……かなり疑わしい。

 

 彼女達の背景が言う通りでなければ、他の勢力の工作員なのだろう……同じタイミングでティーヌの方に現れた元ボウロロープ侯の親衛隊3人組と合わせて考えるべきだ。

 どれだけ考えても考え過ぎということもない。想定無しにいざ問題が生じた時に対処しても場当たりだ。

 殺してお終いならばそれでも良いが、敵の背後にいる存在を想定しなければ迂闊に殺すことも危険だ。

 

 さて……どうする?

 

 先に対処すべきは元ボウロロープ侯の親衛隊を自称する3人組だろう。

 3人共に肉腫持ちではない。

 念の為に命じてみたが反応無し……つまり連中はボウロロープ侯とバルブロを拐った時に本陣にいた連中ではない。

 だとすれば対処の手札が俺の手元に存在するのは彼等の方だ。カッツェ平野の王国本陣で肉腫を植え付けた元ボウロロープ侯の親衛隊でものほとんどはカルネにいるが、一部はまだエ・ランテルにいたはず……だが俺自身が訓練所から出られないのが致命的だった。

 こんなことになるのなら支配を完了させておけば良かったか……過ぎたことを悔やんでも仕方ないが、予測不能なことは予測不能なのだ。

 

 とりあえずアインズさんにメッセージを送るが、相変わらず無視された。

 

 あー、もー、悪気が無きゃ何をやっても良いわけじゃねーぞ、くそ……

 

 アインズさんは俺をここに5日間閉じ込めることにご執心だ。アルベドに乗せられたのか、あえて乗っているのかまでは判らないが、とにかく俺をここに閉じ込めたいらしい。メッセージを受信できる配下には片っ端からアインズさんに渡りをつけるように命じているが、そもそもアインズさんの現在の所在が掴めないと言う。ナザリックの連中にも連絡するように命じたが、こちらの線はアルベドが抑えているのか、アインズさんの指示が徹底しているのか、全くの脈無し。暖簾に腕押し状態だ。

 となると外部との接点はアインザック組合長なのだが、昨日から全く顔を見せない。おそらく彼なりに尽力しているのだろうが、経過報告ぐらいは欲しいものだ。

 

 規則など無視して、外に出るべきか?

 

 いや、大した大義名分も無しに規則を無視するのはそれこそアルベドの思う壺だろう。なにしろ怪しい連中は怪しいだけで、現状では脅威ですらない。規則を無視するなら最低限脅威である必要がある。この難解な仕掛けもアルベドが仕込んでいるような気さえしているのだ……まあ、あれだけ人間という種を見下しているアルベドが他に手駒を持ちながらわざわざ人間を使うことは考え難いのだが……

 

 面倒臭いからとりあえず肉腫を植え付けて、連中に告白させるか?

 

 こんな奇妙な工作を仕掛けてくる連中が背後にいることを考えると、ちょっとリスクに対してリターンが見合わない気がする。連中を犠牲の羊として、俺の能力を丸裸にしようと考えている奴がいれば、別に監視役が潜入しているのだろうのだろうが、それっぽい奴が見当たらない。

 既に眷属を3匹飛ばしているが、俺の指示が漠然としていて、果たして眷属に支配されていない肉腫持ちの元親衛隊員を発見できるかどうか……甚だ怪しい。なにしろ俺自身が対象の特徴を覚えていない。眷属にしたって肉腫が寄生していない対象に肉腫を植え付けるのならばまだしも既に肉腫持ちの人間を探すのは至難の業だ。俺を中心に半径2〜3キロメートルしか視覚情報を中継できないし、中継されても俺は対象本人か特定できない。目の前に連れてきて反応を確認するしか判断方法がないのだ。だからと言って眷属にエ・ランテルに存在する体格の良い人間の男の全てに肉腫の総当たりなどさせたら、それこそ自ら現世に地獄を作り上げるようなものだ。

 

「潰せば簡単なんだが冒険者登録を済まされた以上、そうもいかないか……」

 

 お茶を一口啜り、息を吐く。

 やはり現実に潜入してきた連中そのものよりも背後の存在が気になる。

 冒険者訓練所の創設計画は魔導王が自ら手掛けた政策として大きく喧伝されていたのだから情報入手は容易い。問題は俺達が押し込まれることを知っていた可能性があることだ。俺達が冒険者登録をしていることを知っていれば予測不可能というわけではないが、やはり国家のナンバー2がいまさら新設の冒険者訓練所に放り込まれるなど、普通に考えれば「あり得ない」という結論に至るはずだ。

 

 即ち俺達が訓練所に入所することを事前に知っていた存在がいるわけか?

 

 つまりアインズさんか、アルベドか……もしくはアインザック組合長から情報が流出した可能性が高い。立場を考慮すればアインザック組合長は特定の者達としか情報共有しないだろう。まして俺に関する情報を他者に漏らして、万が一にも外部流出したら命取りだ。

 アインズさんは……面白半分に喋るかもしれない。悪気は無いだろうけど、しょーじき悪ノリが過ぎる面は否めない。しかし情報流出そのものには俺以上に神経質だし、そもそも喋る相手が絶対忠誠を誓う配下もしくは俺だ。

 アルベドの場合は……うーん、ビミョー……なにしろ人間に対する見下しぶりがハンパない。ただ俺に対する嫌がらせという意味では最有力候補。アインズさんに忠誠というか愛情というか執着というか……要するに俺が邪魔なのは間違いない。しかし人間を使うかなぁ……?

 

 機密を知る立場で国外勢力と接点がある者……?

 

 まずは魔導国において外交及び貿易の主導的立場にある俺だが、俺自身は俺達が冒険者訓練所に入所させられることなど知らなかった。ティーヌは直前にアルベドから知らさせ、ジットはティーヌに道連れにされたようなものだ。

 盟主であり、軍権のほとんどを握るアインズさんは公的な場以外で外国勢力とは会わない。

 実質的に司法と警察権を統括するデミウルゴスも外国勢の監視以外にも直接折衝することもあるが、彼から上られる報告書は細部まで漏れなく緻密だ。情報漏洩の痕跡があれば即座に判る……気がする。そもそもデミウルゴスと俺の関係はそれなりに良好だと思う。

 主に財政担当のパンドラズ・アクターは俺を無視しては自身の担当業務が立ち行かない。当然、俺をここ押し込めて最も業務的なデメリットを被る者だ。

 魔導国民政を含む内政とナザリックを統括するアルベドも俺の業務遅滞でデメリットを被る一人だが、最も俺を毛嫌いしているのも間違いない事実だ。実際に冒険者訓練所の規則を作成し、副王という立場を含めて入所せざる得ないように仕組んだ張本人でもある。動機は山程あるが、手法が彼女らしくない。

 

 動機か……?

 

 動機面から考えれば、アルベド一択と言っても過言ではないだろう。とにかく俺がアインズさんの横にいるのが気に入らない。アインズさんがアルベドに対する以上の親愛の情を俺に向けるのが気に入らない。ゲーム上とはいえ、元々友人なのだから仕方ないという理屈はゲーム上の存在でしかなかったアルベドには理解できないだろう。なにしろあれだけ優秀な頭脳を持っているデミウルゴスもパンドラズ・アクターもリアルがどういうものか理解できないのだ。アルベドだけが理解できる道理がない。

 

 仮定の上に仮定を積み上げるのは愚かとはいえ……

 

 仮にアルベドがあえて情報を漏らしたとして、漏らした相手は誰か?

 アルベドが国外に出たのはただの一度……しかも冒険者訓練所案件が立ち上がる前の話だ。使節との面談まで漏れなく把握しているわけではないが、基本的に俺と会談しない公式の使節はいない。つまりアルベドだけと面談する外国使節はいないはずだが……

 アルベドが単独で繋がりを持ち得る外国勢力は王国だけ。

 となると王国の誰かがこの目的の判らない工作を仕掛けたのか?

 

 ザナックとレエブンの主流ラインがアルベドやデミウルゴスよりも王国に対してはるかに穏健な俺に工作を仕掛ける必要性は無いだろう。

 恨みという面で考えれば退位目前の国王ランポッサⅢ世は十二分にあり得るか?……しかし今回の仕掛けは明らかに破壊工作ではない。

 ガゼフ・ストロノーフ?……らしくないの極みだ。

 他にはバルブロやボウロロープにリットンと恨みを買う相手には事欠かないが、牙を抜かれた連中が俺に楯突くだろうか?……答えは否だ。

 残りは楯突く力すら失っている。もはや名前で戦力を募ることも不可能だ。

 消去法で残る候補はラナーか……しかし彼女にとっての目的なりメリットが判然としない。いまさら愛国者という立場表明もないだろう。だがラナーであればこちらの想定など軽く超えてくるかもしれないし、そもそも敵対的な行動でない可能性まである。

 

 アルベドとラナーか……厄介な組合せだ。

 

 単独でも手強い上に、それぞれが連携など考えていないようにも思えるが、密かに連携していてもおかしくない。

 

 あー、もー、面倒臭え!

 

 空になったカップに再び熱い茶を注ぐ。

 結局、夜明けまで考えても目的らしきものすら分からなかった。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 別に剣じゃなくても良かった。

 先輩から体格的に戦鎚や斧槍向いていると言われた。

 だけど必死に金を貯めて、買ってしまったのは巨大な両手剣。もっと早く言え、と心中で罵りつつも両手剣を振ることを始めた。

 実戦、実戦、実戦……の繰り返し。

 才能はともかく、単純に質量と長さは強力な武器だと知った。重く、鋭利な棒状の武器を叩き付ければ、身体のどこに当たろうと大抵の亜人やモンスターは一撃で死に至る。

 当てる為の工夫が重要との考えに至った。

 左の拳にミスリル製のナックルガード。

 両肘にミスリル製の肘当て。

 同じく両脛と足の甲を覆うミスリル製の脛当て。

 全身の関節の可動域を最大限に残しつつ、両手剣を活かす為の武装を必死に考えた結果だ。

 

 汗が額を伝う。

 化け物女と対峙するのとはわけが違った。

 絶望感はむしろ化け物女から感じるが、抵抗感は今対峙している人形のような美形から感じる。なにしろ支配者だ……名実共に。

 

 黒いコートに身を包むゼブルは単純に立っていた。

 戦士としては愚か……いや、鈍いのか……何にせよ、ティーヌの方がはるかな高みに立っているのは間違いない。

 だがゼブルの恐ろしさはそんなものではなかった。

 支配もしくは恐怖の力とでもいうのか……自身の脳が戦いそのものを拒絶していた。

 足が前に出ない。

 腕が思うように振れない。

 直視はできるが、視線が奪われる。

 要するに戦える状態ではない。

 

「どうした……来ないのか?」

 

 ゼブルが一歩踏み出した。

 カラカラの喉が鳴る。

 唇に触れた汗が妙にしょっぱい。

 

「剣の訓練だろ?……固まっていたら話にならんぞ」

 

 ゼブルがさらに一歩進む。

 実に無造作……戦士の所作とは程遠い。

 少し前ならば気にならなかっただろうが、目が肥えてしまった今となっては粗が気になる……だが戦士の素養と強さは別物だった。

 既に振れば当たる距離。

 踏み込めば肘でも拳でも楽に届く。

 

 牽制で踏み込むか……?

 

 心理的抵抗で固まる身体を解す意味でも攻めの姿勢を見せるべき……そう思い、ディンゴは我流の摺足で踏み込んだ。

 同時にゼブルも無造作に踏み出す。

 既に攻撃圏云々でなく、身体が触れ合うスレスレの距離だ。

 

 当たる!

 

 抵抗感の最大要因である訓練用でなく普段使いの両手剣を反射的に振り上げた。当たれば大抵の奴は死ぬ……それは支配者であっても変わらない。

 視界の中でゼブルが薄く笑っていた。

 ギョッとする。

 だがもう止まらない。

 ティーヌは姿勢を変えずに回避する……だからといってゼブルが回避できるわけではない。

 剣が当たる。

 インパクトの瞬間、全身が硬直した。

 

 ……肉の手応えじゃない!?

 

 巨大な金属塊を殴りつけたような感覚を腕を伝う。

 ゼブルの薄笑いは崩れていない。

 

「悪い……解除していないんだ」

 

 まるで戦いの経験など無いように思える細く長い指先が胸筋に触れた。

 掌底が突き刺さる。

 これまで感じたことのない衝撃が胸を突き抜けた。

 

 視界が暗転する瞬間、ディンゴは自らの絶対支配者を傷つけなかったことに安堵していた。

 

 

 

 

 

 

 

 朝から戦士職クラスに顔を出す。

 朝一で教官であるディンゴと仕合って圧倒し、本日の自由を得た。

 ディンゴはまだ道場の片隅で転がっているが、暫くすれば復活するはずだ。肋の4〜5本は逝っていただろうが、即座にポーションを振り掛けたのだから問題無いだろう。

 ティーヌは俺の様子を気にしながらも、人の良さそうな金級冒険者に人数を集めさせて剣術の基礎訓練とやらを実地講義していた。

 

 ……例の3人は?

 

 元ボウロロープ侯の親衛隊。

 力量は金級上位から白金級程度。

 剣術の基礎はできている。他にも槍術や弓術に体術も身に付けている。

 他の冒険者と比較して体格が良い。

 ざっと頭に入れてある特徴を思い返しながら、周囲の冒険者を眺める。

 俺が視線を向けると誰もが視線を逸らす。

 

 さすがに魔導国副王となると近寄り難いか……?

 

 ざっくりとした力量把握でも対象はそれなりの数に絞られるが、戦士職だけで3人固まっている者……アイツらか?

 

 3人の体格の良い男達……年齢は20代半ばから30手前ぐらいか?……俺の視界の端で目配せで意思疎通していた。

 俺が無造作に進むと微妙に距離を保ちながら、3人は道場内に分散していった。

 明らかに意思の発信元だった金髪の動きを追う。

 俺が進むと冒険者達が左右に割れた。

 割れた人波の向こうに金髪がいる。

 トンッと踏み出し、一気に距離を詰める。

 金髪の背後に立つ。

 周囲の視線が一斉に金髪に集まった。

 

「やあ、お前が元ボウロロープの手下か?」

 

 金髪が振り向き様に表情を歪ませた。それも一瞬……即座に卑屈な笑顔を浮かべる。

 

「……これは副王様……私などに何か御用でしょうか?」

「腹を割って話さないか?」

「これは異なことを……」

「異なこと?……まあ、何でも良いや。とにかくお前らの目的が知りたい」

「我々の目的ですか?……我々が持つ戦闘に関する技術を活かして、この魔導国で生活基盤を築きたいと……」

「お前達が本当にこの国で生きていくつもりならば、俺に不信感を抱かれるということがどういうことか……当然理解しているよな?」

 

 俺の言葉に金髪は明確に狼狽えた。

 すかさず追い討ちを掛ける。

 金髪の肩を抱き、耳元で囁く。

 

「お前達は既に魔導国の監視下にあるわけだ。無断でこの国から出ることも叶わない。つまり詰んでいるわけだが俺に付けば……状況は変わるぞ」

「……我々の忠誠は魔導国に……」

「では目的を話せ……正直に話せば、手荒な事はしない。寝返れば俺が庇護してやる」

 

 改めて話すまでもなく、金髪は追い詰められたのは理解しだろう。

 

「……庇護していただけるのでしたら魔導国のみならず、副王様に忠誠を誓います。そもそも我々としては話すこと自体は吝かではないのです……」

「どーゆーことだ?」

 

 金髪は何かが吹っ切れたのか、饒舌に話し始めた。

 

「我々が雇われたのはご推察の通りです。しかし我々は雇い主の素性を知りません。我々が故郷にも帰れず、エ・ランテルで燻っていたのは事実。手持ちの武具を売り払い、なんとか食い繋いでいたのも事実。職探しをしていたのも事実。そこで冒険者訓練所創設の話を聞き付け、詳しい話を聞くととりあえず食うには困らなそうなので、3人で入所しようと取り決めました。その時に私達に訓練所の話を聞かせてくれた者が、簡単な依頼を引き受けてくれるのならば前払いで報酬を払ってやる、と言いまして……」

「引き受けたのか?」

「はい……どうせ訓練所には入所するつもりだったので」

「なるほどな……で、報酬と依頼は?」

「報酬と言っても、一食分の代金と飲み代と入所するまでの前払いの宿代とその間の……その手の商売女の手配です」

「依頼の内容は?」

「冒険者訓練所の中で最も腕が立つ冒険者チームに接近しろと……」

 

 微妙な指示だ。俺達が入所すると知っていなければ単なるスカウトや情報収集の一環……だが俺達は現実に押し込まれたわけだ。講師も含めて『漆黒』がいないかぎり、俺達に接近しろ、と依頼されたようなものだが……『漆黒』が特別講師で招かれる可能性がある以上、敵の狙いは『漆黒』である可能性も排除できない。

 

「であれば、鉄級以上に昇級し、外出可能になったら結果報告するのか?」

「……先方から連絡があるとしか……」

 

 背後にいるのは用心深い連中?……いや、無事に戻れるかどうか判らない潜入工作員に自前の駒を使うような話ではない、ということか?

 いずれにしてもこいつらは布石のひとつに過ぎない、ということだ。多少でも情報が取れれば良く、上手くいけば御の字程度の扱いなのだろう。つまり俺が肉腫で支配してもこいつらの異変を探られることはないわけだ。

 

 いちおう全員の確認しておくか。

 

 3人を配下に加えることにした。

 昼休みに寮の俺の部屋に呼ばれた3人は謎勢力の使い捨ての駒から魔導国の公僕(仮)に昇格した。確認の上、明日には魔法詠唱者組の3人も……

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 以前よりもなかなか素敵な街になったわね。

 

 氏名と居住地(本拠地)と入国目的を書いた紙とアダマンタイト製の冒険者プレートを見せ、魔導国入国上必要とされる簡単な講座を受講した証明を受け取ると思いの外スムーズに街中に入ることができた。

 エ・ランテルの入口は各城門に3ヶ所有り、国民専用の国民証を見せるだけの入口と様々な種族の移住希望者達が長蛇の列を成す移民者専用の入口と自分達が使用した一時滞在者用の入口だ。

 多種族共生を標榜する魔導国では身分証明可能な一時滞在者の入国は非常に簡便な手続きで可能だ。逆に身分証明が心許ない者はそれなりに時間が掛かるらしい。いずれにしても犯罪者の類は近寄ることも躊躇うだろう……街道沿いを巡回警護している強大なアンデッド衛兵団を一目でも見れば、魔導国での犯罪者の末路は簡単に想像できるはずだ。

 

 エ・ランテルは以前と比べても活気に満ちていた。

 通りの端では大道芸人の周囲に人垣が溢れ、魔導国の営業許可証を掲げた露天商が各地の名産品と思われる商品や食品を売り込もうと大きな声で客の呼び見込みをしている。

 

 まるでお祭りね。

 

 人間も笑顔……亜人もおそらく笑顔だ。あくまで表通りを見ただけだが、栄養状態が悪いように見える者はなく、衣類も清潔で余裕があるように思える。駆け回る子供達が大声で笑い合い、大人達は幸せそうな視線を向けていた。

 時折、通りを巡回する立派な装備のゴブリン衛兵達は非常に理知的な眼差しを見せ、人間にも友好的だ……そして感覚的に強いと理解させられる。

 オーガや他の亜人達も身体を清潔に保っているらしく、横を通り過ぎても臭うことがない。

 

 街は物と人と金で溢れていた。

 試しに立ち寄った食品店の品揃えは見たことがないほど充実していた。その隣の店では調理済みの料理を配達する専門店だという。簡単に話に応じてくれた店主はともかく配達員達はてんやわんやの大騒ぎだった。価格は高いが客が希望すれば『保存』の魔法も使うらしい。元々魔法詠唱者として身を立てようとした店主が考えた商売だと聞いた。

 少し行った先にある衣類の店は商品の販売だけでなく、修理や洗濯も請け負っていた。修理も洗濯も大して潤ってはいないらしいが、街に金が落ちているようなエ・ランテルならばどんなに小さなビジネスチャンスでも逃すのは惜しいと続けているらしい。

 かなり大手の商店でも話が聞けた。木製品製作兼販売を生業とし、王都でも有名なシュグネウス商会とも取引があると言う。店を取り仕切る者から人足や職人に至るまで、彼等は口々に王国統治時代とは比較にならない経済的好環境を主張した。まるで王国人であり続けるラキュースを魔導国に誘っているかのような口振りだった。そうでなくとも皆明るく前向きで、魔導国統治下のエ・ランテルの現状は敗戦直後にもかかわらず空前の好景気を持続している王国が霞むように感じられた。

 街の顔である表通りを一通り歩き尽くし、ラキュースは裏通りに向かった。と言っても貧民街のような場所でなく、主に人間種が暮らす住宅街だ。

 住宅街も極めて清潔だった。染み付いた汚れなども無く、見渡す限りゴミひとつ落ちていない。街のあちこちに点在するゴミの集積所にはエルダー・リッチの管理者とスケルトンの作業員が立ち、身体の不自由な住民のゴミ出しの手伝いまでしていた……目を疑う光景だった。

 魔道具による公共の水源も街の各所に確認できる。主婦達が気軽に水場に集い、噂話に花を咲かせていた。またも皆笑顔だ。

 裏通りもスケルトンの集団が巡回清掃している。見てくれが恐ろしいエルダー・リッチが率いる集団は実に効率的に街を清掃していた。行き交う人々も彼等に謝意を示し、彼等も頭を下げる。

 また別の集団は汚物収集を担当しているらしく、得体の知れないアンデッドが引く荷車に汚物の詰まった容器を積み上げていた。街の人によればエ・ランテル郊外に集積され、堆肥に加工してから、カッツェ平野の開拓地域に運ばれるようだ。既にカッツェ平野の一部は巨大な国営農場に変貌しているとも聞いた。

 神殿前の広場までスケルトンの集団が清掃しているのが常らしく、広場を歩く神官達もスケルトンの集団に忌々しげな視線を向けるものの、彼らの行動には素直に感謝の意を示していた。同じ神官のラキュースとしては信じられない光景だった。

 事前に得た情報によれば魔導国には教育義務というか無償の義務教育というものがあるらしい。

 人間ならば6歳から15歳までの10年間、公立の学校で基礎的な教育や各自の適性に応じた教育を無償で施すと聞く。しかも自由意志でなく、子供に教育を受けさせるのが国民の義務だという。辺鄙な開拓村などにもスケルトンの労働力が行き渡らせ、子供達を労働から解放した結果だ。小さな子供の頃から魔導王と魔導国に対する忠誠心を植え付け、しかも多種族共生に馴染ませ、さらに適性に応じた優れた人材を育成する目的らしい。

 素晴らしい社会システムと強権的な管理システムの見事な融合だ。

 

 でも裏返せば、強固な支配システムの恒久的強化みたいなものね。

 

 未来永劫支配者であり続ける魔導王が国民の未来の選択を犠牲にして自身に都合の良い社会を構築している……そう考えられないこともない。だが当の国民は魔導王の支配を望むだろう。他国では考えられない厚遇なのだ。王国では無償の教育など考えられない。帝国だって似たようなものだろう。

 公立学校の前で立ち止まり、ラキュースは雑多な種族が入り混じった校庭での授業風景を見つめた。エルフの教師の前でリザードマンとオークと人間の子供が入り混じって整列していた。その横でスケルトンの作業員が校庭の石を拾い集めている。ここでも魔導王の使役するアンデッドは社会に受け入れられていた。

 

 ここまでエ・ランテルでアンデッドを恐れる人間を見たことは無かった。

 神官ですら嫌悪に止まり、彼等の活動自体は黙認してる。

 アンデッド達は社会に受け入れられ、見事に溶け込んでいた。

 話を聞けた街の住民達は口々に語った。

 

「なくてはならない存在」

「慣れてみれば人の嫌がる仕事を全部やってくれる」

「街の外にいる兵士も役人もほとんどがアンデッドだ」

「便利で良いだろ?」

「生者を憎むって誰が言い出したんだ?」

「今まで恐ろしいと感じていたのがバカバカしく感じるよ」

「俺も死んだら陛下にアンデッドにしてもらうんだ。たとえ死んでも皆の役に立てるだろ?」

「魔導王陛下万歳!」

 

 アンデッドの帝王を頂点とする無数のアンデッドに支えられた国家……たった3ヶ月程度で住民達の認識は180度転換していた。

 

 魔導王とゼブルの考えは……素晴らしいのかしら?

 

 極短期間にこんな国家を作り上げた正体不明のアンデッドと人間の組み合わせが何を考えているのか?……自身の興味本位で簡単に請け負ってしまった依頼の困難さにラキュースは薄緑色の瞳を輝かせた。

 

 

 

 

 

 

 

「なんでも冒険者訓練所とかいうものが設立されたらしいぜ!」

 

 大振りのジョッキを一気に飲み干すとガガーランは大声で言った。かなり興奮しているようだ。

 

「……ここ魔導国じゃミスリル以下は一人前の冒険者と言わねえってよ!」

「そうらしいな……私も組合で聞いた」

 

 イビルアイの言葉に連れて、双子忍者も大きく頷く。

 

「白金級以下は国が面倒見るって……まだ冒険者にもなって間もねえ新人までだぜ。連中はどこからそんな金を手に入れた?」

「金なら王国への穀物輸出でかなり儲けただろうな」

「穀物だけじゃない」

「エ・レエブルにかなりの建築資材が魔導国から輸出されている」

 

 双子忍者によれば宰相レエブン侯の本拠であるエ・レエブルで都市の再開発が始まったらしい。対魔導国の最重要拠点であるが、当のエ・レエブル自体がシュグネウス商会経由で魔導国から大量の資材を運び込まれていると言う。現場ではビーストマンの人足達やゴーレムも数多く使役され、莫大な工事費用が大量に魔導国に流れているのではないかと盛んに噂されていた。

 

「まっ、それはそれとしてよぉ……現在の魔導国に冒険者と呼べる存在はたったの4チームらしいぜ。アダマンタイト級の『漆黒』を頂点にして、ミスリル級の『天狼』と『虹』と『豪剣』しかいねえわけだ。組合はどうやって依頼を処理するんだ?」

「それは訓練生に課題として処理させるらしい。報酬は国庫へ……いずれにしても赤字だろうがな……私が組合で聞いてきた話によれば、魔導国の冒険者は鉄級に昇級すると全員に魔法の武具がフル装備で貸与されるらしいぞ。銅級でも魔化されていない装備が貸与され、消耗品の類も国家から全て支給されるらしい。訓練生が死なないように……魔導王はアンデッドを自称しているらしいが、どうにも信じられないな。エ・ランテルの街中と言わず、あちこちでアンデッドは見掛けるが……」

 

 ガガーランは考え込み、ポンッと手を打った。

 

「儲かって金の使い道がねえから、貧乏冒険者に憐れみでも感じて慈善事業でも始めたのか?」

「そんなわけがあるか、脳筋!……魔導王はアインザック組合長に冒険者を子供達の憧れの職業に変えたいと語ったそうだ。未知を既知に変える職業……冒険者はモンスター専門の傭兵からそう変わるべきだ、と……凄まじい志の高さじゃあないか?」

「そりゃ……凄えな」

 

 ガガーランは言葉を詰まらせ、ティアとティナも頷く。

 魔導王はアンデッド……自身で宣言したとはいえ、とても信じられない。

 

「で、魔導王が宣言通りアンデッドだとして、アイツはなんでアンデッドなんかと手を組んだ?……なんでアンデッドの志が高い?……なんでアンデッドが生者に善政を施す?……理解できないことばかりだ」

「そりゃ、まあイビルアイみたいなものなんじゃねえか?」

「ゼブルが手を取った」

「ゼブルが担いでいる……どちらかで全然印象が違うと鬼ボスが言っていた」

「お花畑の姫様はゼブルと会談した印象では、魔導王の方ががアイツらを招き入れた、と言っていたらしいが……」

 

 唐突にイビルアイが言葉を濁した。

 ちょうど通り掛かった女中にガガーランが追加で麦酒を頼み、ティアとティナも運ばれてきた料理に口を付ける。

 女中が去ると再びイビルアイが口火を切った。

 

「……まあ、それはそれとして組合で奇妙な噂も聞いた。ゼブルとティーヌとジットが冒険者訓練所に入所させられたらしい」

「はぁ?……いまさらかよ」

「つまりゼブルが魔導王を担いでいる線は薄いってことだ」

「そりゃ、まあ、そうか……魔導国次席の副王とその一派が冒険者訓練所に入所させられたということだもんなぁ」

「魔導国は決して一枚岩じゃあない……そう推測できる。少なくとも魔導王率いる主流派と副王ゼブルの一派の間に多少なりとも軋轢はあるのだろうな。でなければ、こんな不自然な形にはならない」

「……派閥か」

 

 ガガーランが呟き、考え込む。

 イビルアイが続けた。

 

「先入観は禁物だが……お花畑の姫様の印象を考慮すればゼブルと魔導王は良好な関係なのかもしれない。だがその配下同士までが良好とは言えないのかもしれないな……既に魔導国は成立してしまったし、魔導国民は他国より経済的に恵まれているように見える。しかしアンデッドが恒久的に生者を治め続ける国家がどうしても正常な国家とは考えられない」

「そうは言うけどよぉ……現実の問題は周辺諸国の方が多いように思えるんだがなぁ……俺達はこうして簡単に入国できるわけだし、衣食住どれをとっても魔導国が王国より劣るとは思えねえ。魔導王自らが冒険者の強化を考えるぐらいには依頼も多そうだ。モンスターの討伐報酬だって2倍だぜ。まあ、アンデッドの衛兵団が強過ぎてモンスター討伐は相当難しいって情報に間違いはなさそうだけどな。それに税だってびっくりするぐらい安いじゃねえか?……しょーじき、凄え良い国だぜ。ゼブルに対して蟠りが無ければ俺は移住を考えても良いぐらいに思ってるけどよ」

「ガガーランに同じく……冒険者の地位向上は凄く魅力的」

「私もそう思う……鬼ボスの立場を考えなくて良いなら、だけど」

 

 3人の声にイビルアイの仮面が僅かに頷く。

 

「お前達の言いたいことは理解している。王国でも有力諸侯のほとんどが没落して、全体の状況がかなり良くなったとはいえ、相変わらず冒険者は取り残されて、苦境は続いたままだ……旧『八本指』が同根のシュグネウス商会の影響力を駆使して依頼を奪い続け、冒険者達は旧『八本指』や専業兵士として国軍に飲み込まれ続けている。だがシュグネウス商会とはつまるところゼブルの一党だ……私はそれが気に入らない」

「……イビルアイの気持ちは、それこそ良く解るぜ。でもゼブルの影響力はいまや周辺諸国全体に及ぶじゃねえか?……帝国や竜王国は言うに及ばす王国だって例外じゃねえ。俺達はそれこそ胸糞悪い法国なんぞに行けねえし、ローブル聖王国やカルサナス都市国家連合程度の国家じゃ、いずれ魔導国を盟主とした軍事経済同盟に飲み込まれるは火を見るよりも明らかだろ……残るは評議国か人間種の地位が低いはるか南方ぐらいしか選択肢がねえわけだ。だったら魔導国は悪くねえ選択だと思うぜ。ティアの言う通り魔導王自らが冒険者の地位向上を考えてくれているのも良いじゃねえか?」

「ガガーランも良いことを言う……少なくとも王都に冒険者の未来は無い」

「今回の依頼を終えたら真剣に考えるべき……世間は潤っているのに王都にいても本当に依頼が無い。古い知り合いの冒険者達もいつの間にか冒険者廃業して、旧『八本指』に移籍する流れが止まらない。それにすら取り残された連中はみんな国軍に志願している」

「頼みの綱のモンスター討伐だって、最近立ち上げた専業兵士部隊の訓練で王都周辺はみんな狩られちまう。なんでもガセフのおっさんじゃなく、王都軍司令に就任予定のモチャラスとかいう貴族が自身の経験からモンスター討伐を推奨してるって噂だぜ」

 

 ガガーランは一気に飲み干すと音を立ててジョッキをテーブルに置く。そのまま女中に追加注文した。

 

「私達も噂を集めた。モチャラスはシュグネウス商会と繋がっている」

「今回の戦争前まではどうしようもないクズだったって言うのが周囲の評価」

「それが短期間で一端の戦士になった……元六腕のエドストレームとかなり近いらしい……開戦前まで同居していたらしい」

「本当に裏の取れない噂では……戦争直前にティーヌの姿が王都のモチャラスの屋敷周辺で目撃されたらしい」

「末端でも旧『八本指』の構成員から聞き出した……それも複数」

「1人だけ……シュグネウス商会の関係者からも聞いた」

「暇潰しもたまには役に立つ……でも仕事が無いのは本当に悲しい」

「暇も悪くないけど……お金が減る一方」

 

 ティアとティナは同時に項垂れた。

 イビルアイの仮面が表情を隠しているが、その裏で渋い顔しているのは明らかだった。

 

「……つまり戦争で成り上がったモチャラスもゼブルの一党なのか?」

「イビルアイが竜王国の首都で拾ってきた情報……ゼブルは戦争に直接参加していないけど、すごーく得してる」

「魔導国を建国した。莫大な金も稼いだ……自分は周辺諸国中最強国のナンバー2に成り上がった。いまやVIPの中のVIP……最初に会った時は王国の最底辺の銅級冒険者だったのに……驚異的な成り上がり」

「戦争の時流に乗って成り上がった」

「戦争の情報で儲けた」

「情報が大切……ゼブルは世界を出し抜いた」

「時流に乗るべき……今回の依頼の後、考えるべき」

 

 テーブル越しにティアとティナが同じ顔で同じジト目を向けてくる。

 仮面の裏はともかく、表向きイビルアイは怯まない。

 

「何にしても王国貴族のラキュースの立場もある」

「違えよ、イビルアイ……ラキュースはともかく俺達は食うことを考えなきゃならねえってこった。それに強くならなきゃならねえ……このまま王都で惚けた日々を送り続けて良いのかってこった。イビルアイだって王国なんぞに義理立てする必要はねえだろ?……俺もそうだし、ティアとティナもそうだ。問題はラキュースだけなんだ。だがラキュース1人がどんなに頑張っても王都に冒険者向けの依頼は増えねえよ。つまりジリ貧だ。今考えるのか、少し先に考えるかだけの差でしかねえのさ……で、同じ考えるのなら早い方が良いし、移籍するなら条件が良い方が良いに決まってる。税が軽いだけで十二分にお釣りがくる簡単な話だぜ……ラキュースだって実家を捨てるわけじゃねえ。単に活動拠点を移すだけの話さ」

 

 ガガーランもティアもティナも心が揺れているわけではない。ただイビルアイに決心を促しているだけだった。まずメンバーの気持ちを固めて、決定権者であるラキュースと協議しようというつもりなのだろう。

 

 いずれにしても今回の依頼を終えたら、真剣に考えなくてはならない。

 

 今回の依頼に対する依頼主の意図を考えると、少し複雑な心境になってしまう。ラキュースが絶対に明かさない表に出てこない真の依頼主はラナーなのだろうと勝手に想像していたが、どうにも腑に落ちない。

 

「仕事よ……本来、冒険者の仕事じゃないけど断りきれなくて……」

 

 ラキュースがそう言って持ってきた依頼は敗戦で上がゴッソリまとめて失脚した結果、一気に昇格したアインドラ法務尚書……つまり実父からのものだと言った。たしかに政治絡みの仕事で本来は冒険者が関わるべきものではない。しかし過去にもラナー王女の依頼をこなしてきたのだから、いまさらと言えばいまさらな話だった。

 しかも報酬は高額。

 依頼そのものは極めて簡単。

 王都に戻ってからとにかく暇を持て余していたメンバーからすれば、断る理由など無いに等しい。ハッキリ言って抵抗感すら感じない。

 

「一言で言えば調査依頼……魔導国の実態調査ね……当然冒険者を雇うのだから国家間の情報共有から漏れる類の情報が欲しいらしいわ……期限は3ヶ月。あらたに魔導国の都市となったエ・ランテルと新首都のカルネの市井の情報を中心に集めて欲しいそうよ」

 

 内容に比して歯切れの悪いラキュースの言葉が思い出された。何かしらの裏があるのは明白だった。

 




お読みいただきありがとうございます。


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36話 棚ぼた的冒険

書き溜めが無くなりました。
気を引き締めます。


 

 ナザリック地下大墳墓のみでPOPすると聞いたモンスターのナザリックオールドガーダーからもぎ取ったらしい魔法の片手剣を持ち、ティーヌが完全に闇に包まれたダンジョンの中を鼻歌混じりに先頭を歩いていた。

 スタートしてから30分……既に最下層まで辿り着いている。

 この程度のモンスターであれば素手でも問題ない。むしろギミックの対処の方が厄介なぐらいだが、それすらも自身の背後に立つジットを守るのが面倒なだけで、さして問題になるようなものではないようだ。最後尾に立ち、時折ギミック対処と進行方向の指示だけを出す俺の心配はしていない。

 同行する全員が夜目が効く。特に悪魔となったティーヌにとっては昼間も同然のようだ。だから濃密な暗闇の中でも3人とも迷いなく進んでいる。

 銅級3チームが同時にスタートを切ったが、他の2チームは目標が第二階層到達だった。当然最下層などに来るはずもない……と言うより、いわゆる『3人組』が最下層に到達した時点で他の2組は第一階層をクリアすることもなくリタイアしていた。

 しらみ潰しに隠し扉を開け続け、おそらく最後に残った一つ……ティーヌが無造作に岩石を模したスイッチを押すと、音もなく岩肌をくり抜いたような穴が空く。

 同時に魔法の武具を身に付けたナザリックオールドガーダーが動き始める。

 同時に襲いかかる3体を軽くあしらいつつ、ティーヌはニヤニヤと笑いながら入口付近に立ったままの俺とジットの方を見た。

 

「んで、このナザリックオールドガーダーを三体倒せば終わりですかねー?」

「まあ、そうだろうなぁ……マッピングで確認している限りは隠し部屋みたいなものが設置できるスペースはここが最後な気がする。もっとマニアックな隠し部屋もあるかもしれないけど、最下層も他の階層と同じ構造のダンジョンならここで最後だ」

「最後ですよねー……こいつら倒したら、私だけで全滅させたことになりますよ。ゼブルさんも少しは私を褒めてくれて良いですよー」

「んなこと言っても、ティーヌさんなら当然だろ……70レベルのドゥームロードと互角にやり合うってアインズさんから聞いたぞ」

「70れべるとは……凄いのでしょうな?」

 

 ジットが暗闇で振り向いた。

 

「そりゃ、種族ドーピングしてるからなぁ……ジットさんだって最初から考えたら相当なもんだ」

 

 ジットも純後衛職だから分かり難いけど、装備無しで40レベル以上はあるように類推できる……ここにいないブレインを含め、最初の配下全員叛逆可能域に達しているのは間違いないのだから最低でも40レベルはある。そうでなくとも魔力系で第六位階が使えるし、信仰系も第五位階が使えるようになった。まだ実験はしていないが『死者復活』が使えるようになったと申告があったのは、生き残り戦略上果てしなくデカい。

 

 まあ、ユグドラシル時代のようにレベルアップと共に取得可能な魔法を自身の自由に選択できるわけではないようですが……しょーじき、フールーダと同等か、年齢まで考慮したらめっちゃ凄いんじゃないか?

 

「種族どーぴんぐ、ですか?」

「そっ、ジッちゃんも使う?……人間卒業する必要があるけどね」

 

 ティーヌは実にあっけらかんと言った。これまで隠していたとは思えないような口調で……積極的に種族変更を勧めるわけでもないが、自身の優位性を保つ為に拒む気も無いようだ。そもそもとっくに叛逆可能域に到達しているのに俺に対して実に従順だった。

 それはジットもブレインも一緒だが……まあ、脳の強度が強化されるわけではないだろうから、叛逆しても死ぬだけのような気がするど……

 

「おぬしは人間を辞めておるのか?」

「そーだよ……なんか悪魔らしいよ、私……だから成長するだけだし、寿命も無いし、老化もしない……永遠にゼブルさんのお役に立てるんだよ……すっごい便利だよねー」

「……儂も……悪魔になれるのか?」

「おそらくね……私がデミちゃんからもらったのは『堕落の種子』ってアイテムだから多分私と同じ悪魔になるんじゃないかなぁ?」

 

 種族変更アイテムは俺もいくつか持っているけどねえ……とはいえ、今後入手が難しそうなコレクションだから、余程でなければ与える気にはならない。

 ダブっているのは……?

 『堕落の種子』はいくつかあったような?……それ以外のダブりは『昇天の羽』もいくつか所有しているけど、ジットが天使っていうのも似合わない気がするなぁ……そもそも素だと俺の設定以上にカルマ値低そうだし、ジットにしてもティーヌにしても……エゴでエ・ランテルの壊滅を目指した男とドS快楽殺人鬼だしねぇ。

 

「見た目は変わらんように思えるがのう」

「うんにゃ、羽が生えたんだよねー、これが……ちなみに簡単に空も飛べるんだよねー……それに最近だと犬歯が牙っぽくなってきたかなぁ……後、これ」

 

 ニッと異様に鋭い犬歯を見せた後、ティーヌは銀髪の前髪をかき上げた。

 生え際に見える2本の突起物……かなり小ぶりだが真っ白な角が生えていた。

 

 これはもう立派な悪魔……インプからさらに上級種族にクラスチェンジ済ですわ。ゲームのキャラビルドと違って、それがなんだか解らないのが問題なんですけど……

 

「……儂が悪魔……」

 

 ジットは考え込むようにティーヌを見て、自分の右手に視線を移した。

 その間にも3体のナザリックオールドガーダーは懸命にティーヌに襲い掛かっているが、彼女は視線すら向けずに片手であしらっている。

 

「……儂もなるぞ、悪魔に!……その『堕落の種子』とやらを儂にもくれ」

 

 ジットが宣言するのを確認するとティーヌは俺を見てニィと笑った。

 

「……ということなんで、私にもゼブルさんからご褒美が欲しいかなぁ、なんて……どう思いますか?」

 

 つまり俺の為にジットをティーヌが強化してやるから、ティーヌ自身は俺から褒美を欲しがっているわけか……たいがい面倒臭い性格だよなぁ……素直に言えば良いのに。

 

 ティーヌは物欲しげな目で俺を見ながらニヤニヤと楽しそうに笑っている。

 

「別にゼブルさん自身でも良いですよ」

「あー、それは断る」

「即答って、ゼブルさんてば相変わらずイケズ!……私なんか寝ても覚めても四六時中ゼブルさんのお役に立つことだけ考えているのに……でも、まあ、それは、ってことは何かくれるんですか?」

 

 言葉と裏腹にティーヌは笑顔だ……楽しそうで何より。

 彼女の言葉通り出会った頃を考えればティーヌは凄く役立つようになった……でもティーヌに手を出すとか……ここまで『えんじょい子』さんとキャラ被りするととてもそんな気にならない。

 でも、まあ、何かやるか……現地人はプレイヤーみたいに装備規制も無いらしいから、耐性強化用のアクセサリーでもやろうかな?

 虚空の中に手を突っ込み、各種耐性強化の指輪数種と飛び道具無効と時間操作無効のネックレスを取り出して、差し出す。

 ティーヌは剣の腹の一撃でナザリックオールドガーダー3体をまとめて叩き潰し、アクセサリーを受け取った。

 

「……これは?」

「飛び道具無効と時間操作無効のネックレスと全部装備すれば組み合わせ的に全属性に対する耐性強化が可能な指輪が8個……今の強化アクセサリーに重ねて装備すればかなり強化されると思う。ティーヌさんはプレイヤーと違って装備規制が無いから、全部装備することが可能だと思うけど」

「つまり私……無敵ってことですか?」

「いや、強化された耐性以上の火力でゴリ押しされたら、きっちりダメージは入る。とはいえ、飛び道具対策と時間対策は絶対に必要だし、ちゃんと効果を発揮すると思う。力の接近した攻防だと対策を考えなくて良いだけでかなり有利になるだろ」

「あっ、ありがとうございます!……もう命ある限り絶対にゼブルさんについて行きます。ゼブルさんの考えを世界に広めます!」

 

 ティーヌが凄まじい勢いで頭を下げた。

 

「わっ、儂も広めますぞ!」

 

 連れてジットが土下座する。

 

 でもって、2人とも妙なことを口走っているね……俺の考え、って?

 

「魔の神であられるゼブルさんに加えて、この世界における最初の弟子である儂ら2人が悪魔となれば世に魔の教え……厄災の教えを広められる」

「だよねー」

 

 あー、出会った頃に言っていたヤツ……まだ忘れてなかったかぁ……法国人て、本当にどうかしてる……

 

 漆黒の闇の中、ひっそりと溜息が漏れた。

 

 

 

 

 

 

 

 これまでの階層と同様、最下層でも最奥の宝箱を開けて宝珠を手に取ると転移のギミックが強制発動するようで、俺達はスタート地点横の転移拠点に立っていた。

 各階層で手に入れた6色の宝珠を女性係員に差し出す。

 

「開始から僅か35分……さすがで御座います、副王様と御付き様方」

「魔導国冒険者訓練所におけるミスリル昇級第一号おめでとうございます、ゼブル様」

 

 まるで出来レース……アインザック組合長が既に俺達の名の刻まれたミスリルプレートを差し出す。確実に作ってあったんだろうが……俺は組合長が俺を無視した4日間を一生忘れないからな!

 直後、組合長の背後から見慣れた嫉妬マスクが顔を覗かせた。

 

 まあ、戻った瞬間から知ってましたけど……サプライズ感出すのメンドクセェ!

 

「楽しめましたか、ゼブルさん!」

「えっ……まー、お陰様で」

 

 とりあえずガントレットと握手。

 おそらくニコニコのアインズさん……ティーヌとジットの手も取った。

 

「お前達もご苦労だったな……これで晴れて国家からの依頼を受けられるわけだ。説明してくれ、組合長!」

 

 アインズさんに促され、アインザック組合長が依頼を記した書面を俺に手渡しましたが……全く読めません。組合長はともかくアインズさんはその事実を知っている。なので、そのままジットに手渡した。

 事情を知らぬ組合長は僅かに目を見開いた。

 

「魔導国において最初にミスリル級冒険者となられたゼブル様御一党と魔導国唯一のアダマンタイト級冒険者チーム『漆黒』に魔導国政府からの指名依頼です……ドワーフ王国の探索と国交の樹立……副王として魔導国の外交を統括するゼブル様に適任の依頼で御座います」

「まあ、そーかもな……で、その依頼を俺に受けろ、と」

 

 ティーヌとジットの手を取り、ブンブンと振っていたガントレットが急停止した。

 

「……ひょっとして……怒ってますか?」

「怒らないとでも?」

「……楽しんでくれたって」

「たしかに言いましたね……楽しんだから怒らない、とは言ってませんが」

 

 肩飾りのせいもあって立派に見える魔導王の体躯が縮こまって見えた。

 

「この出迎えがあった時点で悪気が無いのは理解しましたけど、アインズさんは休暇に拘り過ぎな気がします。お陰で仕事が滞るだけでなく、ただでさえ俺のことを嫌っているアルベドと余計な軋轢が生じます」

「それはここに来る前にちゃんとアルベドに言い聞かせてありますよ!」

「あれだけ優秀なんだから、元から頭じゃ理解しているでしょうよ……でも気持ちの部分はどうしようもないんじゃないですか?」

 

 アインズさんは押し黙った。

 

「ハッキリ言いますよ……俺はギルメンになったとはいえ、ナザリックの連中にそれほど思い入れは無いから嫌われても構いませんが、別に上手くやりたくないわけでもないし、敵対したいわけでもない。むしろ俺とNPCの間が必要以上にギスギスして困るのはアインズさんです……違いますか?」

「……違いません」

「じゃ、今後こういうサプライズじみたやり方はやめましょう……必ず事前に相談してください。いいですね?」

「…………はい」

 

 アインズさん、めっちゃ声ちっさ!……非公式ラスボスなのに……年上なのに畏まっちゃってます。虐めすぎても可哀想なので、話題を変えます。

 

「んじゃ、まあ、今回の依頼の話をしましょうか?……わざわざ大掛かりに仕組んだんですから、せいぜい有効利用しましょうよ」

 

 アインズさんが顔を上げる。

 仮面越しでもパァッと明るくなったのが理解できた。

 しょぼくれて見えた背筋も伸びている。

 

「では、副王にしてミスリル級冒険者ゼブルよ!……今回の依頼について説明する。魔導国からの依頼第一号だ。私は今後この依頼を受けられることを冒険者の名誉としたい。全ての魔導国国民から称賛を受けるべきものとしたい。よって必ず成功させなくてはならない」

 

 唐突な支配者ムーブというか魔王ムーブに面食らっていると、アインズさんはノリノリで続けた。

 

「最高位アダマンタイト級の『漆黒』と魔導国ミスリル級第一号の手によって達成されることに意義があるのだ。達成のあかつきには魔導国は最上の栄誉と最高の報酬をもって応えるだろう。頼んだぞ、ゼブルよ」

 

 勢いに圧倒され、思わず跪く。

 どうにもこういう勢いに弱いなぁ、俺……なんとなく『バンバン』さんの勢いに流されて、キャラのリビルドの為に殺されまくっていた頃を思い出す。たしかに言い出しっぺは俺とはいえ、80レベルから100レベルを何回繰り返したことか……当時は永遠に思えた苦行を思い出し、僅かに震えが走った。

 

「……ご依頼たしかに承りました、陛下」

 

 ガントレットが差し出され、素直に手を取る。

 完全に魔導王と化したアインズさんが俺をハグすると、耳元で囁いた。

 

「これで国家公認の最小人数で出発できます……リザードマンのゼンベルだけ加えて行きましょう」

 

 小狡い悪巧みを仲間だけに告白する悪戯小僧……唐突にアインズさんの雰囲気が一変し、戸惑ってしまった。

 

「……つまりアルベドは自分で作り上げた法令で?」

「……俺も考えたんですよ。どうやったら守護者達に文句を言わさないで最小人数で探索に出れるかって」

 

 俺はアインズさんの肩を叩き、アインズさんはサムズアップを返した。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 カルネの巨大宮殿の謁見の間のほど近い第一会議室には巨大な円卓が設置されていた。

 最奥の上座に魔導王が鎮座し、右手に副王である俺、左手に宰相アルベドが着座している。他の階層守護者は各々いつもの位置に座り、ヴィクティムは席上の宙に浮いたままだ。会議に出席しても意味の無いガルガンチュアの代わりに領域守護者で唯一出席を許されているパンドラズ・アクターは一番入口に近い下座が定位置となっていた。そして入口の横には実質的に第九階層の守護者であるセバスが控えている。

 会議は白熱していた。

 当初は意見交換であったが、感情論が場の大勢を支配するに至り、冒険に同行したいという欲の発露と阻止したいという理性的な意見にも安全確保以外の側面も芽吹いていた。

 支配者を前にした発言に一定の抑制は含んでいるものの、どうしても会議開催当初より声も発言内容も荒れてくる。最終局面になると御前会議は荒れに荒れたが、アインズさんの「騒々しい、静かにせよ!」の一言で異論を唱えていた守護者達は一斉に押し黙った。

 だからと言って守護者達も素直に引き下がったわけではなく、アルベドとデミウルゴスは再度舌戦の戦端を開くタイミングを測っているようだ。

 迎え撃つは魔導国の絶対者アインズさん。

 

「私とアルベド……2人で最終決定した法令にアルベドは反対するか?」

 

 さすがのアルベドもどうしてもこれを言われると弱いらしい。先程からその度に舌鋒が引っ込む。

 沈黙したままのアルベドに代わり、デミウルゴスが発言の許可を求める。

 アインズさんが頷くと、デミウルゴスは立ち上がった。

 

「私などにはアインズ様が自ら出向くような案件とは思えません。百歩譲って、パンドラズ・アクターでなくどうしてもご自身で出向くというのであれば、あまりに手薄な陣容……ゼブル様を信用しないわけでは御座いませんが、もう少し護衛を揃えて、我々守護者を安心させていただきたいのです」

「それでは意味が無いのだ、デミウルゴスよ……魔導国における冒険者の地位の向上も複数ある狙いの一つだ。モンスター専門の傭兵稼業から未知を既知に変える職業にし、全国民から称賛されるものへと昇華するのだ。やり切れる者は減るだろうが、目指す者が増えるようにしたい。報酬が上がる以上に名誉を与えてやりたい……最終的な目的がドワーフ王国との国交樹立である以上、ドワーフ達の口を塞ぐわけにはいかぬ。つまり探索し、訪問するメンバーについて虚偽は禁物なのだ。最悪のケースを想定しても同行するゼブルさんがゲートを使える以上、転移阻害を阻止し、逃げ切る間の時間が稼げれば良い……故に最小人数で良いのだ。案内役のリザードマン……ゼンベル・ググー以外の者は同行させぬ。魔導国の冒険者チーム筆頭であるアダマンタイト級の『漆黒』と最初に任を受けられるミスリル級となった『3人組』の2チームだけで完遂させることに大きな意味があるのだ」

 

 絶対者アインズさんの決意表明にデミウルゴスは引き下がった。

 主君に複数ある狙いの中の一つとまで言われては、護衛を増やすことに対して、それ以上のメリットを示さねばならない。国策としての冒険者の地位向上と単に守護者達に安心感を与える為では比較するのもバカバカしい。そうでなくともアインズさんも俺も長距離集団転移が使える以上、時間稼ぎ以上の戦力は不要なのも事実。仮に敵が初手で転移阻害を使ったとしても100レベルプレイヤー2人相手の戦闘でそこまで余裕を持った対応が可能な現地勢など世界中に数えるほどしかいないだろうし、相手がプレイヤーの集団であれば俺達が異形種であるとはいえこの世界で初手から全力戦闘でプレイヤーを滅ぼしにくるとは思えない……俺もそうだが、まずコンタクトを試みるはずだ……と思う。理性的でない戦闘狂相手でなければ、の話だが。

 

 デミウルゴスが着席した。なにやら視線がアルベドに向けられたような気がするが……思惑を確認する間も無く、今度は意外なところで、シャルティアが挙手した。彼女がこういった会議でまともに発言を求めるのは非常に珍しい。現に先程からほとんど発言は無い。もちろん賑やかしみたいなものは散々発言しているが……

 アインズさんが頷くとシャルティアが立ち上がる。

 

「アインズ様にゼブル様、ごきげん麗しゅう……仮に守護者が今から冒険者訓練所に入所しんしたとして……卒業後にアインズ様か、ゼブル様のお仲間に加えていただくことは可能でありんしょうか?」

 

 アルベドとデミウルゴスを除く守護者達が一斉に顔を上げた。

 どちらにしてもアインズさんのモモンの代役であるパンドラは関係ないので無視しているように見える。

 ヴィクティムはよく解らん。

 

「可能デアレバ、私モ!」

「私も冒険者になりたいです!」

「……おっ、おねーちゃんがなるのなら、僕も……」

 

 アインズさんは大仰な素振りを見せ、食い付いた3人を抑える。

 

「お前達の忠義は嬉しく思う……が、いまさらそんな姑息な真似を魔導国の支配者がしたとして、魔導国の民心はどう感じるであろうか?……ことはナザリック内部の話ではないのだ。お前達も想像してみるが良い」

 

 黙り込む3人を尻目にアインズさんは立ち上がり、断言した。

 

「自分達が担ぐのは情けない支配者と思うであろうな……お前達は私をそう思わせたいのか……それは本意ではないだろう?……心配してもらえるはありがたく思うが、それだけではダメなのだ。支配者は強くなければならん」

「しかしアインズ様!」

 

 今度はデミウルゴスが立ち上がった。

 

「アインズ様のアンダーカバーである冒険者モモンと魔導王であられるアインズ様はあえて別人とされているはず……アンダーカバーに護衛が加わったとこで支配者としてのアインズ様に何ら問題は生じないかと」

 

 一瞬、アインズさんが黙り込んだ……どうやら困っているのか?

 

「……だがアンダーカバーはアンダーカバーだ。いずれ同一人物と露見するかも知れぬ……現状の魔導王人気が継続するのであれば、私はそれでも構わないと考えているのだ」

 

 聞いている限り、かなーり無茶苦茶な屁理屈ですが、デミウルゴスは「おおっ、さすがはアインズ様!」と感動して、何故かあっさり引き下がった。

 

 まーた勝手に深読みしてやがる……困ったらアインズさんに意味深なことを言わせていれば対処が楽な反面、毎回毎回どう深読みしたのか探らないといけないのは面倒だ……が、今回はこれで良いのかもしれない。なにしろ今回はこちらも言っている以上のことは一切考えていない。

 

「そっ……そういうことなのだ。だから今回に関しては『漆黒』と『3人組』とゼンベル・ググーだけでことを成す。帝国のフールーダ・パラダインや著名な武器コレクターであるオスクからは既に情報を得ている。我々の目的であるドワーフ王国と帝国には既に貿易があり、魔法の武器の輸入をしている。しかし100年程前からルーンを刻み込んだ武器の輸入が絶えてしまったということだ」

 

 しれっとアインズさんはかなりの重要情報をぶっ込んできた。

 

「……マジ?」

 

 思わず口を突いた言葉にアインズさんが食い付く。

 

「マジもマジですよ。なんでもルーン工匠とかいうユグドラシルにはないこの世界独自のクラスを持ったドワーフがい帝国に来たことがあるらしいです」

「……輸入が100年前から絶えている、と」

「そうみたいですね」

「単純に生産量が減ったとか?」

「その辺りの詳細な事情は不明ですが、近年でも武器の輸入はされていたようなので、ドワーフ王国が滅んだとかはなさそうでですね」

「ドワーフ王国が現存し、ルーン武器の輸入が絶えた……つまりルーン武器の価格釣り上げを狙っているのでない限り、ルーン工匠の数が激減している可能性がある?……大変じゃないですか!」

「えっ?」

「ルーン武器ですよ!」

「はぁ?」

「この世界にルーンコレクターがどれだけいるかは知りませんが、魔導国が独占するチャンスかもしれません。それにこの世界独自の技術体系がロストしたら、もう復活もありませんよ……これはアイテムコレクターとして放置するわけにはいかないでしょう!」

 

 急にアインズさん以上に乗り気になった俺に、アインズさんの頭蓋の奥の赤い光が大きく揺らいだ。

 

「どうやら急を要するようだな!……話は終わりだ。我々は出発するぞ。セバス、ナーベラルにナーベとして私に同行するように伝えろ!……他の者も勝手に同行することもシモベを付けることも許さぬ!……良いな!」

 

 アインズさんに従う形で会議室を出る。

 背中に突き刺さる憎悪は無視することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 カルネ内に造成された親水公園のような巨大池の近くにあるリザードマンの居住区まで歩く。

 アインズさんを先頭にナーベ姿のナーベラル・ガンマと俺にジットにティーヌと続く。既にティーヌとジットの準備は完了していた。元々持たせている睡眠飲食不要の指輪を装備し、冷気対策をさらに強化してある。さらに『飛行』のネックレスを装備している。2人とも種族として飛べるが、念の為……アクセリー類ジャラジャラの2人を見て、アインズさんは装備規制の無い現地勢の優位性を再確認し、警戒心を強める一方、単純に羨ましがっていた。現地勢はプレイヤーでは不可能な全属性に対する耐性強化が可能なのだ。

 目の前にカルネの巨大宮殿の敷地に匹敵する大きさの優雅な親水公園がひろがっていた。見た目も美しく、とても瓢箪池に住み着いていたリザードマン居住地には思えない。人間種の子供達や親子連れが入り込んでいるが、リザードマン達と出会う度に挨拶していた。奥の方には極少数のトードマンも住んでいるらしいが、彼らは人間種の前にほとんど姿を現さないらしい。

 ここにトブの大森林内にいたリザードマンの半数が住んでいた。残りの半数は元々の居住地である瓢箪池に残り、半数はエ・ランテル近郊に水源を引っ張って新設されたリザードマンの集落に住んでいる。

 カルネ内の居住区を代表するリザードマンのザリュースが魔導王一行の訪問を出迎えた。

 

「ザリュースか、久しいな……魚の養殖事業はどうだ?」

「お陰様を持ちまして、魔導王陛下より数々の知識と施設を授かり、マーレ様のご協力の下、順調に事業は拡大しております。新設していただいたカルネ城外の施設での生産分からは売りに出す予定でございます」

「そうか、それは良かったな……ところで今日は兄と妻はどうした?」

「兄者はエ・ランテルの集落へ出向いております。あちらの代表であるキュクー・ズーズーに何やら相談されているようです。妻は出産を控え、自宅で安静にしております」

「そうか……無事に子が産まれたら、何か祝いをやろう」

「ありがたき幸せ」

「ところで……今日は以前に伝えておいたゼンベルにドワーフ王国までの道程を案内させる件で来たのだが……」

 

 ザリュースは立ち上がり、後方に手を翳した。

 

「準備万端でございます、陛下」

 

 異様に右腕が肥大化した傷面のリザードマンが建物の中から現れた。パッと見20レベルを僅かに超える程度……ちなみにザリュースの方が僅かに強いように感じる。2人とも雑魚だがトブの大森林内で最初にナザリックの配下となった種族として、リザードマン達は優遇されていた。居住地でも独自の養殖事業でも武技実験でもかなり優遇されている。

 俺とジットはともかく、ティーヌは彼等と顔馴染みだ。

 ティーヌの姿を見ると、ゼンベルは表情の読めないリザードマンとしても俺でも即座に理解できる笑顔を見せたが、それも一瞬、アインズさんの前に即座に跪く。

 挨拶もそこそこに、ゼンベルが口火を切った。

 

「……陛下、無礼を承知で確認したいんですが?」

「ゼンベル、よせ!」

 

 ザリュースがゼンベルを諭す。

 

「良い、ザリュース……疑問があるならば申してみよ、ゼンベル」

「……陛下はドワーフ王国を侵略する目的で出向くんですかい?」

 

 嫉妬マスクがゼンベルからザリュースに向き直った。

 

「リザードマン居住区には布告が無かったのか、ザリュースよ?」

「……ございました」

「では、布告の通りだ……お前達との最初の出会いこそ、侵略するような形になってしまったが、現在の魔導国は多種族共生を標榜している。私は魔導国の支配者である魔導王だ。この先いかなる種族もいかなる国家も魔導国と敵対関係にならない限り、武力侵略することはない」

「申し訳ございません、陛下!」

 

 ザリュースもゼンベルも深く頭を下げる。

 

「良い、2人とも許す……では、協力してもらうゼンベルにはこれを授ける」

 

 ユグドラシルの登山基本セットをゼンベルに手渡し、特に『飛行』のネックレスの使い方をレクチャーする。

 レクチャー担当は顔馴染みのティーヌだ。元々特殊部隊員だけあって、レクチャーも上手ければ、アイテムに関しても一度覚えたことは忘れない。

 

 その間にアインズさんはナーベの案内で建物内に入り、アダマンタイト級冒険者『漆黒』のモモンのフルプレート姿となって現れた……うーん、やっぱり色々と考えてもこれが一番リスキーな気がする。せいぜい30レベル程度の戦士職の選択はどう考えても危ないような……?

 

「では出発だ!」

 

 アインズさんを先頭に『転移門』のエフェクトの中に一行は進む。

 誰も躊躇しない。

 最後に残った俺は跪くザリュースを見てから、宮殿に視線を移した。 

 ドーム状屋根の上から視線を感じた気がしたのだ。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 体力的には辛いかもと思っていたジットも悪魔化の影響なのか余裕でアゼルリシア山脈を進んでいる。まあ、歩いているの自体はアインズさんが狩ったモンスターの死骸で作成したソウルイーターなのだが……まあ、時間こそ掛かったが探索行は順調そのもの……ゼンベルの記憶にヒットしたドワーフ王国の廃墟に到達するまではの話であるが。

 

 廃墟というにはまだ放棄されてから間もないのだろう。

 ゼンベルが訪れたのも数年前だ。

 誰もいない地下都市と坑道群は寂しげだが、一夜の宿とするには充分な広さを居住性を維持していた。睡眠も飲食も不要だが、やはりゼンベルのレベルでは休憩が必要な行程ではあった。

 警戒用に眷属を2匹召喚する。

 漆黒の蠅は闇に溶け込み、映像を送信可能な範囲で周囲の警戒に飛び回っている。

 誰もいない……何もいない。

 ドワーフどころか、モンスターすら発見できない。

 かと言って、この廃墟に種族が滅ぶような戦闘の痕跡があるわけでもなく、単純に放棄したような印象を受ける。

 

 ……ん?

 

 闇の中、眷属が空気の揺らぎを感知したらしい。

 映像が送られてくる。

 妙な外見の一団だ……亜人種かモンスターか……小柄で毛むくじゃらなのは一緒だが、どう見てもドワーフとは思えない。

 

「……地下都市の入口近辺に奇妙な一団を発見したけど、どうしますか?」

 

 ティーヌと話していたアインズさんが振り向く。

 

「奇妙な一団?」

「少なくとも俺は見たことが無い。モンスターじゃなきゃ、かなり見た目が動物よりの亜人かな?……パッと見はやたらデカいモグラ……ただし個体毎に毛色が微妙に違う」

「総数は?」

「30はいないかな……えーっと26、いや27体……個体としては完璧に雑魚だけど組織だって動いている感じがしますね……こいつらが偵察部隊だと少し厄介かもしれない」

「武装は?」

「なし」

「対処可能ですか?」

「殲滅でも捕縛でもやり過ごすでも可能です……ただいずれにしてもこいつらが偵察部隊だった場合は大きなリスクが生じますね」

 

 フルプレート姿のアインズさんが腕組みしたが、それも僅かな間……

 

「全部捕縛して下さい。とりあえず情報が欲しい。ドワーフの廃墟に組織だって動く連中が現れた……関係があればドワーフ達の移住先が判明するかもしれない」

「了解!」

 

 眷属に命じた数秒後には巨大モグラ団は呆然と立ち尽くす集団と化した。

 仕事を終えた眷属が消えたので、残りは1匹だけ。

 別方向の警戒に飛び回っていたヤツを呼び戻し、モグラ団が侵入して来た穴近辺を中心に警戒網を引かせた。

 

「叛逆可能域に達しているヤツは無し、と……とりあえずの支配は完了したんで、こちらに呼び寄せますか?」

「そうしてください……相変わらずエグいですね?」

「あまり戦闘向きじゃありませんけどね……カンストプレイヤー相手じゃ、通用しても一瞬の足留めにしかならないし、多用すれば簡単に対処されるし」

「それでもこっちの世界じゃ、優秀じゃないですか?」

 

 そりゃ、そうなんですけど……どうにもナーベラルの前であまり披露したいものじゃない。だからアインズさんの後ろに控えるナーベラルが気になって仕方ない。

 

 そんなことを考えている内にモグラ団が休憩中の建物内に現れた。

 身長は140センチ程……かなりずんぐり体型だ。

 特別デカい個体もいないが小さな個体もいない。

 そいつらが俺の前に整列し、おそらく指揮官らしい毛色が微妙に青い個体が一歩前に進み出る……が、記憶も意思も無いので拝跪することはなく、呆然と俺を見上げるだけだ。

 

「さて、お前らは何者だ?」

「我々はクアゴアでございます」

「クアゴア?……クアゴアについて詳細を話せ」

「土の種族でございます。幼少期に食べた鉱石の種類よって体毛の色が変化します。赤や青の混ざった体毛の持ち主は強者でございます。金属製の武器に対して絶対耐性を持っています。弱点は雷属性でございます。アゼルリシア山脈に八氏族で約80000のクアゴアが暮らしております。またドワーフとは出会えば即殺し合う程の犬猿の仲でございます」

 

 土の種族……なんだ、そりゃ?

 んで、赤や青はレアな強クアゴア、と。

 種族特性として金属製武器に完全耐性を持つ……後で実験するか?

 弱点は雷……魔力系魔法詠唱者なら属性特化していない限り低レベルでも使える感じだ……結構、致命的。

 で、ドワーフと敵対中……殺し合う程仲が悪い、と。

 

「お前達はどこから来た。どうして来た。誰に命じられた。ここに住んでいたドワーフはどうした?……可能な限り詳しく話せ」

「我々はクアゴアの歴史上最高の英雄であられる統合氏族王ぺ・リユロ様に命じられ、現在はフロスト・ドラゴンの一族が支配するドワーフ共の旧王都フェオ・ベルカナより、ドワーフ共の偵察と攻略路探索の為にフェオ・ライゾに参りました……ドワーフ共は難攻不落の砦を築き、大裂け目の向こうのフェオ・ジュラに逃げ込んでいます」

 

 うん、なんか重要な情報が山盛り出て来たな……まずは下手すればドワーフよりも有益な情報から……

 

「フロスト・ドラゴンの一族がいるのか?」

「はい……氏族王が取引し、我々と共生しております」

「取引とは?」

「ドワーフ共から奪った宝物や希少な鉱石を献上していると聞いております」

 

 共生ね……要はクアゴアってえのはフロスト・ドラゴンの一族に使い走りにされているわけか……弱肉強食のモンスターのヒエラルキーとはいえ、数がいてもクアゴア程度の戦力じゃ太刀打ちできない程のドラゴン一族がいる、と。

 

 見れば、アインズさんは明確にガッツポーズをしている。

 

「さすがに……ドワーフよりドラゴンを優先しますよね?」

「ルーン技術は残っていれば今日明日で無くなるわけじゃありませんよね……だったらドラゴン優先でOKじゃないですかね?」

 

 ヒャッホー、とハイテンションのアインズさんはハイタッチをして回っています。配下達は困惑してしるのか、微妙な表情で応えていた。

 

 まっ、浮かれる気持ちは俺も一緒……ドワーフの旧王都に住むドラゴン……簡単に言えば、存在自体がお宝の山なのにお宝の山かもしれない場所にわざわざお宝を集めて住んでいるわけです。しかも一族という以上、複数ですよ。ユグドラシルではドラゴンが複数集まって暮らすとか聞いたことないし。

 

 ここで攻めなきゃユグドラシルプレイヤーじゃない!……ぐらいの鴨ネギ状態と遭遇したわけですよ!

 

「よし!……お前はドラゴンのところまで案内しろ。残りはここで誰にも見つからないように隠れていろ。もし捕食者に見つかったら逃げることを許す。ただし安全を確認したら逃げろ。それとドワーフと遭遇したら生かしたまま捕らえ、絶対に殺すな」

 

 脳内の肉腫に動かされ、クアゴア達が頷く。ただしこいつら自体は何の記憶も残らない。だからなんとなくこの場から離れられなくなるだけ。

 

「さて、アインズさん?」

「なんですか?」

「金属武器に対する完全耐性とかいうこいつらの能力の実験しますか?」

 

 んーっ、と考え込む漆黒のフルプレート。

 そのままポンっと手を打ったかと思うと、自身の大剣を抜き、青毛隊長の右腕に叩き付けた。あっさり腕が落ちる。

 響き渡る絶叫。

 

「ミドル・キュア・ウーンズ」

 

 治癒魔法を詠唱すると、青毛隊長に腕が生えた……そして黙り、再び虚空を見つめる木偶人形となる。

 

「金属武器に対する完全耐性ってより……こっちの世界で一般的に最高硬度とされるアダマンタイト以下の金属武器に対する耐性ぐらいに考えておけば間違いなさそうだと思いますよ……ナーベも剣を使わなければ良いだけですし、問題ないかと」

「んなもんですかね」

 

 ちょっとクアゴアの子供にレア鉱石を与えて赤や青以上の毛色が作れるか試したかったんだけど……この体たらくで完全耐性とか言っているようじゃ、素の能力はたかが知れているしなぁ……

 

「んじゃ、まっ、ドワーフ王国の旧王都に向けて、出発しますか?」

「そうしましょう!」

 

 座り込んでいたゼンベルを起こし、青毛隊長に先導するように命じる。

 

 ドワーフ王国よりも美味しい獲物が俺達の行方に待っている!!

 

 

 

 

 

 

 

 青毛隊長が難所と説明した溶岩地帯もガスが噴出する死の迷宮も難無く通過し、俺達は意気揚々とフィオ・ベルカナに向かう。

 あー、『転移門』て、マジで偉大な魔法だ。

 その道中で青毛隊長を完全に支配し、彼は統合氏族王への忠誠を捨て、俺の配下となった。自身も仲間も同族も……全てミンチにされる映像を気が狂う寸前まで見せた。個の死に疎い種族でも、種の存続は極めて重要らしいとビーストマン支配の経験から学んでいて良かった。

 彼の名はパだかぺだかピだかプだかポだか……とにかく頭に入り難いので青毛隊長と呼んでいる。

 現在、青毛隊長は先行して統合氏族王の下へ……人間国家の強力な冒険者チームが侵入した……そう伝えに向かった。

 

 ティーヌを先頭に暗黒に包まれた洞窟内を進む。

 ゼンベルの直後にモモン姿のアインズさんが続き、後続は俺、ジット、殿がナーベという隊列だ。

 と言っても隊列に意味は無く、緊張感も失せていた。

 もはや完全武装のピクニック……気分はユグドラシルの狩猟会よりもかなりお気楽なドラゴン狩りだ。レイドボスクラスのドラゴンならばまだしも、青毛隊長からの聞き取り情報ではどう考えてもレベルのカンストしていなさそうなフロスト・ドラゴンが複数……であれば希少な素材の草刈場に最速で到達するみたいなもの……むしろ緊張するのが難しい。

 

「ドラゴンを捕まえて実験をしましょう!……殺して、素材を剥いで、またトゥルー・リザレクションで復活させるのが可能なら、素材を剥ぎ取り放題みたいなものですよ!……同時にトゥルー・リザレクションの実験にもなるし」

「アイテム使うのももったいないんで、それは俺がやりますよ……それに青毛隊長の情報ではドラゴン達が解錠できない宝物庫もあるらしいですよ!……アインズさんて高位の解錠魔法かスキルありましたっけ?」

「そっちは手持ちのアーティファクトのエピノゴイを使います。低レベルでもドラゴンの攻撃を凌ぐような宝物庫の守りでも、90レベル盗賊の解錠スキルならばなんとかなるでしょう」

 

 道中、延々とそんなお気楽な会話が続く。

 ユグドラシルプレイヤーの常としてドラゴン単独でも涎が出るのに、群れでいるとか、まるで夢のようですわ。

 

 少しはクアゴア達の抵抗でもあるかな、と思っていましたが、実にあっさりと旧王都フェオ・ベルカナらしき場所に到着……まあ、間違いないでしょう。完全支配した青毛隊長が嘘を吐くはずがない。

 いかにも古いドワーフの都市のような場所で獣臭が充満しています。

 80000人いると聞いたクアゴアのものか……ただ誰も姿を現しません。

 代わりに精巧な彫刻の施された通路の奥からドラゴンが1匹……クアゴア並みに暗視可能なティーヌが発見した。

 慌ててゼンベルを背後に匿い、前に出ないように言い含める。

 その間にもドラゴンは早足で歩み寄って来く。

 ティーヌが単純に前に進むと、そいつはビクッとして立ち止まった。

 

「アハッ……ドラゴンなのにビビったみたいですねー」

 

 そりゃ、いかにドラゴンと言えどせいぜい20レベル程度じゃ、ざっくり70レベルの悪魔にゃビビるんじゃないかなぁ……?

 

「わっ……私の名前はヘジンマールと申します……貴方様方がクアゴア達の言う人間の冒険者様ですか?」

 

 んっ……ドラゴンなのに妙に腰が低いし、丁寧語?

 

 疑問に思う間も無く、アインズさんが進み出た。

 

「いかにも……私はアインズ・ウール・ゴウン魔導国のアダマンタイト級冒険者である『漆黒』のモモンだ!」

「ではモモン様とお呼びすればよろしいでしょうか?」

「それで構わないぞ。ではフロスト・ドラゴンのヘジンマールに問うが、お前は何者なのだ?……いったい何の為に単独で現れた?」

「私は父オラサーダルクに命じられ、人間の冒険者チームの討伐に来たのですが、貴方様方を見た瞬間に自身の愚かさを悟った次第……もし可能であれば、貴方様の配下に加えいただく……」

 

 ヘジンマールは地面に頭をつけた。

 

「何卒、ご許可を……お願いいたします!」

 

 おそらくドラゴンなりの服従のポーズなのか?

 

「どうしますか、ゼブルさん?」

 

 振り向いたアインズさんから困惑が伝わります。

 

「どうもこうも……リザードマン居住区でゼンベルに宣言した通り魔導国に屈服するのであれば、国民として受け入れるしかないでしょうよ……いくら素材として価値の高いドラゴンとは言え、こう完全に服従の意を示されては手の出しようがない」

 

 アインズさんは俺から背後に守られて立つゼンベルに視線を移した。そして表情から何かを悟ったのか、再度俺を見てがっくりと項垂れた。

 

「……今度は出会い頭に殺りましょう!……絶対に皆殺しにしましょう!」

「いやいや慌てなくても……とりあえずドラゴンの蘇生実験さえ成功すれば何度でも素材は剥ぎ取り可能ですって……まぁ、最低でも1体、1回は犠牲になってもらう必要がありますけどね」

 

 俺達の会話を聞いていたヘジンマールはガクガク震えながら、さらに強く頭を地面に押し付けた。

 

 しかし奇妙な体型のドラゴンだ。俺達がユグドラシルで見慣れたフロスト・ドラゴンと同種に見えるが、ポッコリと腹が出てるし、一族で徒党を組んでいる。股間から漏れているのは尿か?……尿が地面を伝って達しても、決して頭を上げようとしないのは……立派なのか?

 ドラゴンの孤高で強欲なイメージがガラガラと崩れる。

 

「ヘジンマール!」

「はっ……貴方様はゼブル様とお呼びすれば?」

「それで構わない……お前達は何匹いる?……お前が迎撃を担当していると言うことは、お前が一番強いのか?」

「いえ、私よりも大きなドラゴンが4匹、私と同等の大きさのドラゴンが6匹、私よりも小さなドラゴンが9匹、一緒に暮らしております。私よりも大きなドラゴンと同等の大きさのドラゴンは皆、私よりも強いです」

「そうか、俺達もナメられたもんだな。まあ、ドラゴンは総じてそんなイメージだけど……決して気分が良いもんじゃないな」

「おっ、お許しを!」

 

 ヘジンマールは頭をぐりぐりと地面に押し付けた。自身の股間から漏れる尿らしき液体を飲むんじゃないかという勢いだ。

 

「構わないぞ……で、お前達の中で一番強いのが、さっき言ったオラサーダルクか?」

「ゼブル様の仰る通りでございます」

 

 今度はアインズさんの質問が飛ぶ。

 

「そいつは魔法を何位階まで使える?……魔力系魔法以外も使えるのか?」

「魔力系のみ、第三位階でございます」

「本当か?……実は第八階層ということはないのか?……後で虚偽情報を言ったと知れば、お前は敵対したとみなすぞ」

「嘘ではございません!……そんな高位の魔法が使えるなど聞いたこともございません!……父オラサーダルクが使えるのは第三位階の炎防御の魔法と聞いたことがございます!」

「……そうか……もし違ったら、お前で蘇生実験を試してやるぞ」

「私は知る限りの真実のみを申しております」

 

 ヘジンマールはさらに頭を地面に擦り付ける。

 

「ではヘジンマールよ、お前達の住処に案内しろ!」

 

 その背にゼンベルとジットを乗せ、ヘジンマールは歩き始めた。

 

「……頭のプライドさえ潰せば案外簡単にフロスト・ドラゴン共は屈服するかもしれませんね?」

 

 前を進むアインズさんが俺に振り返る。

 

「できたら、抵抗して欲しいんですけど……」

「でも僅か19匹のフロスト・ドラゴンで80000人のクアゴアを支配していたわけでしょう?……その19匹のフロスト・ドラゴン一族もオラサーダルク1匹を抑えれば支配可能です。つまりオラサーダルク1匹を支配すれば効率的にフロスト・ドラゴンとクアゴアという種を支配できるわけですよ。しかも腐ってもドラゴンなんだから、評判を広めればアゼルリシア山脈に住む様々な種族にも影響を与えると思いますよ。魔導国の影響力を山脈全域に広げるチャンスとも言えます……だからお願いがあるんですけど」

「オラサーダルクの対処ですか?」

「そう、ドラゴン狩りを楽しみにしているところに水を差すようですけど、俺に任せてもらえませんか?」

 

 ほんの一瞬だけアインズさんは黙りましたが、すぐに俺の肩に手を置いた。

 

「任せますよ……国家からの依頼はドワーフ王国との外交関係の樹立も含まれますからね……ヘジンマールは交戦前に服従を選択したわけです。だったらオラサーダルクも含めて他の個体も服従するかもしれません。強者中の強者であるドラゴンの群れを従えて、ドワーフ王国に向かえば、魔導国の保有戦力を理解させやすいんじゃないですか……そんなところが狙いですか?」

「もっと言えばアゼルリシア山脈の全種族を支配下に置きたいかなぁって……せっかく王国も帝国も竜王国もビーストマン国家も魔導国の領土としては承認させたんですから、名実共にってしたいかなぁ、と」

 

 そんなことを話し合っている間にひときわ大きな扉の前に到達した。

 ヘジンマールが振り返り俺を見る。

 

「開けろ」

 

 ヘジンマールか両開きの扉を器用に引き開ける。

 その向こうには俺達のイメージ通りのドラゴンが横たわっていた。

 




お読みいただきありがとうございます。


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37話 ご馳走は最後まで残すタイプです!

間に合いました。


 

 殺すか防御だけならばまだしも、さすがに『人化』したままで屈服させるのはステータス的に厳しいと判断した。

 本来の魔神アバターに戻ったので、見たところ50レベルにも満たないような竜王程度の攻撃はドラゴンの最強攻撃であるブレスであろうと、一切のダメージは通らない。

 背後に立つアインズさんのさらに背後にサイズ的にはかなり無理があるが隠れるようにヘジンマールが立ち、その背後でティーヌ、ジット、ナーベに守られるようにゼンベルが立っていた。

 

 オラサーダルクの執拗な猛攻が続く中、あえて爪や尻尾の一撃だけは手で払い除けながら、欠伸をする。

 それを見たオラサーダルクはさらに興奮状態に陥った……ゲーム内や対人であれば狙い通りだが、生きているドラゴンを相手にするのは初めての経験なのでいまいち自信は持てない。ただ意思疎通は十二分に可能だ。ドラゴンはユグドラシル以上に人間臭い反応を示す。

 牽制の為にチラリと3匹の妃っぽいドラゴンを見る。

 彼女達は目が合う度に長い首を器用に使いながら目を背けた。

 風見鶏……集団で生活している割には利己的な連中だ。

 

「お前達、加勢しろ!」

「やっと単独じゃ話にならないと悟ったか?」

「くっ……」

「まあ、何匹で掛かってこようと無駄だ、無駄……俺とお前達では力が隔絶し過ぎている」

「舐めるなよっ、チビの黒いバードマンめ!」

 

 余裕の無くなったオラサーダルクは当初の目的である俺達の装備の強奪など頭から消え去ったようだ。

 ブレス、ブレス、ブレスの三連発も俺にとっては単なる涼風に過ぎない。

 オラサーダルクの巨大な眼球が歪んだように見える。

 

 もう少しか……折れるまで。

 

 しかし飽きた……新しい技もスキルもなく、ひたすら力押しの戦闘ではさすがに見所も少ない。もう何周、同じ攻撃を繰り返しているのか……?

 少し試すか。

 なかなか諦めないオラサーダルクの振った尻尾の一撃を掴み、そのまま無造作に地面に叩き付けると、尻尾からの振動が伝わり、頭が大きくブレた。そのまま俺の体よりもデカい頭の前に飛び上がり、右手で鼻面を掴んで地面にめり込むまで押し付ける。

 古のドワーフが作り上げた美しい床面が蜘蛛の巣状にひび割れ、その中心で巨大な眼球が俺を睨んだ……そして大きく見開く。

 

「おい、これは何だと思う?」

 

 左の掌の上に現れた、直径5センチ程の暗紅色の球体……それは内部で循環するように液体が蠢いている。

 見るからに不穏。

 存在そのものが凶悪な代物と一目で理解させる。

 この世界の理解の外側……ユグドラシルのスキルによって生み出された球状の液体……これまで実験以外でほとんど使ったことはない……ユグドラシルでもおそらく俺しか使えない。大袈裟に言えばそんな代物だが、真実を言えば戦闘向きのスキルではないので使用した経験は僅か。

 ゲームのテキストによれば『魔神の血液』だ。腐敗と暴食を司る厄災の神の血液……効果は苦痛……この世界に存在する全ての苦痛を凝縮した液体……それは肉体的なものだけでなく、精神的なものにも霊的なものにも及ぶと言う。

 オラサーダルクにはここまで説明した。

 ユグドラシル時代の実験では際限なくランダムに強烈なバットステータスを与え、同時に際限なく回復し、一度発動してしまえば一定時間内は解除不能。対プレイヤーであればログアウトして一定時間経過するまで効果が持続するという代物だったが、逆に言えばその日は即座にログアウトしてしまえばノーダメージで解除可能なものだ。取得条件を満たすのが出鱈目に難しく、かつ雑魚や召喚モンスター相手ならばまだしも、対プレイヤー戦時に全く使えないスキルなのでPVPで使った経験は0。

 ただしログアウトできないこの世界での効果は……

 

 オラサーダルクの眼球が恐怖に歪み、激しく動き回った。

 だがどんなに暴れようとしても頭は1ミリも動かない。

 

「やめろ!……やめろ!」

「やめろ……だと?」

「やっ、やめてください……お願いします。貴方様に……従います。生涯忠誠を誓います。だから、だから……それだけはやめて下さい」

 

 未知の不安。

 攻撃は通用しない。

 ブレスも無意味。

 膂力でも敵わない。

 そして得体の知れない攻撃。

 どうやっても逆転できない現実。

 そして心は折れた。

 オラサーダルクは身を竦め、恥も外聞もなく懇願の声を上げ続けた。妃達の前で、侮っていた息子の前で……竜王の誇りをかなぐり捨てて。

 

「ならば、お前の全てを差し出せ……地位も財も家族もお前自身の命も、全てだ」

「ヒィィイ!」

 

 暗紅色の球体を目の前に翳すと、オラサーダルクの巨体が震えた。

 

「差し出します……いえ、献上させて下さい……私の持つ全てはこの命に至るまで貴方様のもの……この先の生涯、全身全霊で仕えさせていただきたく思います」

「仕えることを許そう……あそこに在る者は全てお前の上位者だ。そのことを心に刻め!」

 

 オラサーダルクの眼球が動き、モモン姿のアインズさん以下を脳に刻み込むように必死に見た。

 

「発言をお許し下さい、我が主人よ」

「許す」

「我が主人よ……我が不肖の息子ヘジンマールも上位者なのでしょうか?」

 

 ……そこ?

 

 ちょっとだけ真剣に考えてみた。今まで通りの上下関係とはいかないが、さすがにヘジンマールを上位者とするのは無理があるね。

 

「……まあ、いちおう先輩ではあるが、お前達は今この瞬間から魔導国の国民となったわけだ。だから同等で良いんじゃないか」

「ははぁー、ありがたき幸せ」

 

 鼻面から手を離すとオラサーダルクが平伏した。

 呆然と眺めていた3匹の妃も慌てて平伏す。

 

「お前達は19匹いると聞いた。全員連れて来い……今すぐに、だ」

 

 妃達が脱兎の如く宮殿内に散って行く。

 その様を見て、アインズさんがヘジンマールに告げた。

 

「お前も手持ちのドワーフの書物を全て持って来い」

 

 ヘジンマールが慌てて駆け出す。

 あまりに圧倒的な戦力差に我を忘れていたようだ。

 そのままアインズさんは前に進み、平伏すオラサーダルクを睥睨した。

 

「お前は集めた宝物を全て持って来い……それらの検分を終えたらドワーフ王国の宝物庫に案内しろ」

 

 オラサーダルクは立ち上がり、とぼとぼと通路の奥へと消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 既にこちら側のヘジンマールを除き、広間に平伏す18匹のドラゴン達。

 それぞれが生涯の忠誠を誓う弁を述べる中、

 

「納得がいかん!……こんなチビに全てを差し出すなど!」

 

 ヘジンマールよりも少し体格の大きなドラゴンが立ち上がり、怒鳴る。

 一対一で父を完膚なきまでに叩きのめしたという奇妙な黒いバードマンに狙いを付けると全速力で突進する。

 が、欠伸が出るほど遅い。

 前に出ようとするティーヌとナーベを手で制して、俺は左の掌に件の暗紅色の球体を作り出した。ちょうどこの世界での『魔神の血液』の効果を試したくて仕方がなかったのだ。

 まっ、ドラゴンであれば低レベルでもバッドステータスのショックで即死することはないだろう。即死さえしなければ即座に回復されるし。

 

 念じると球体がドラゴンの頭部に向かって飛翔した。

 パシャリと音を立て、鼻面で破裂する。

 暗紅色の液体が飛散し、ドラゴンは慌てて顔面を覆うように擦ったが、時すでに遅し。

 

 浸透が始まる。

 ほぼ同時に哀れな悲鳴の咆哮と安堵の溜息が聞こえた。

 

「なっ、何を!」

 

 1秒の間断もなく、果てしなく続く苦悶の咆哮の中、僅かに聞こえたその言葉がドラゴンの最後の抵抗だったのかもしれない。

 哀れなドラゴンは絶叫しながら這いずり回る。

 もはや周囲の認識もできず、ひたすら悲鳴を響かす壊れたマシーンだ。

 

「まっ、1日耐えろ……それで終わるはずだ」

 

 他の17匹を見れば、爬虫類なのに「ドン引き」と書いたような表情で俺を見ていた。こちら側に立つヘジンマールすら長い首を竦め、明確に怯えの表情を見せている。

 モモン姿のアインズさんは興味津々で俺を見ていた。

 期待の目を感じるが、礼儀としてスキルの中身を聞かないのだろう。テキスト上の説明は既に知っているのだ。具体的な効果も想像がつくのだろうが、やはりプレイヤーとしては初見のスキルは気になるはずだ。

 

「コイツは『魔神の血液』って名称のスキルなのは言いましたよね?」

「オラサーダルク戦の時に聞きましたよ」

「24時間絶え間無く苦痛を与え続け、同時に回復し続けるスキルです。いかなる種族でも効果は均一……アンデッドだって例外じゃない。実体が無くたって一緒です。それがテキスト上の『霊的な』苦痛って部分で担保されていると思っています。どんな手段でも解除は不能。ただし巨大過ぎる欠陥が……ユグドラシルではプレイヤーが一時的にログアウトして24時間ログインしなければ、ノーリスク、ノーダメージで効果が喪失する代物だったんです……が、ここではログアウトできない……そーゆーことです」

「……エグっ!」

 

 アインズさんが身悶えるように自身を抱きしめた。

 

「対プレイヤーでは全く使えないスキルだったんですけどねぇ……取得に苦労する割に対象プレイヤーを実質1日ログイン不能にするだけのスキルだったんです……初見であればそれなりに使えるかも知れませんが、コレを使うような状況であれば、当然殺した方が話が早いわけですよ。簡単に時間も稼げるし、上手くすればデスペナでレベルダウンも望めるんですから……対象もデスペナの方が理解し易いし」

「そりゃそうですね……しかしログアウトが関連するスキルはかなり変質しているわけですか……?」

「手持ちの魔法やスキルでログアウトで解除できるようなものがあれば、試した方が良いんじゃないですかねぇ?」

「……そうかもしれませんね」

 

 アインズさんはしばらく鬱陶しそうに絶叫するドラゴンを見つめ、溜息を一つ吐くと、視線を外し、メッセージでナザリックにいるシャルティアに指示を出した。フロスト・ドラゴン一族から献上された財宝と文献をナザリックに移送する指示だ。 ついでに検分と解析の指示も加える。

 即座に『転移門』のエフェクトが出現し、中から無数のスケルトンと指示役のエルダー・リッチが現れ、アインズさんに一礼した。彼が分類し、リストに記入したものからスケルトン達が次々とお宝と文献を『転移門』の中に運び込んで行く。それ以外にも宝に対する嗅覚に優れたドラゴン達を前面に押し立ててフェオ・ベルカナ内を隅々まで探索させ、少しでも価値ある物や文献は根刮ぎナザリックまで運ぶ。

 その様子を見て、アインズさんが満足げに頷く。

 

「んじゃ……次は本命のドワーフ王国の宝物庫に向かいますか?」

「その前に念の為にクアゴア達を屈服させましょう。エルダー・リッチはともかくスケルトン軍団ではさすがに勝ち目が無いでしょう。回収作業の邪魔されても困るし、数が多いからと後回しにして、反抗される隙を作ると面倒かも知れません……おい、オラサーダルク!」

 

 アインズさんの呼び掛けに都市内探索に出れない大きさの4匹のドラゴンが一斉に首を向け、その中でも一際大きくビクついたドラゴンが慌ててアインズさんの前まで移動して、即座に平伏した。

 

「お呼びでしょうか、我が主人よ」

「これからこの地に住む全てのクアゴア達を屈服させる。10分だけ時間をやる。お前は俺達の前に統合氏族王ぺ・リユロとやらを時間内に連れて来い。お前が逃げ出したり、統合氏族王を間違えたり、少しでも時間に遅れた場合はどうなるか……」

 

 アインズさんは広間で苦しみ続けるドラゴンに顎をしゃくった。もはや絶叫ではなく、泣き喚いているように見える。

 

「……言うまでもないよな」

 

 オラサーダルクは絶叫し続ける息子の様子を見て、改めて唾を飲み込んだ。

 

「……必ずや10分以内に御身の目の前に引っ立てて参りましょう、我が主人よ」

「忠勤に励め!」

 

 オラサーダルクは咆哮しながら、脱兎の如くアインズさんの前から走り出した。竜王を顎で使う漆黒の戦士……その威風堂々たる姿とロールプレイの見事さも相まって、正に魔王だ。

 

「……こうなったらアゼルリシア山脈に住む全ての種族を魔導国の国民にしましょう。なんか燃えてきましたよー!」

「あの溶岩の中にいたデカい奴もですか?」

 

 溶岩の中を平然と泳いでいたバケモノらしき存在……レベル的にはオラサーダルクと良い勝負なので大したことはないが、なにしろ住んでいる場所が厄介だった。

 

「ものはついでです。例外無くやりましょう。周囲を平定させればドワーフ王国も簡単に門戸を開くでしょう。我々の力を見せつければ……外交交渉そのものはゼブルさんにお願いします」

 

 アインズさんはやる気だ。

 

 まっ、そこまでお膳立てされたら、こっちもやらないわけにはいかないな。

 貿易関係の構築や同盟やらは達成して当然。

 ルーン工匠を無条件で全てカルネに連れて行く。

 その実に趣味的な目標を達成させてやる。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 器用に正座するモグラ軍団……総勢80000……とはいかず、目の前で正座しているのは約50人程だ。統合氏族王が引き連れているのはおそらく最高幹部連か親衛隊といったところだろう。パッと見ゼンベルよりは強いが、イビルアイを除く青薔薇よりも弱い。

 その中心でジットよりも少しレベルが低そうなペ・リユロが完全に平伏していた。

 ザ・土下座……それは見事な所作だった。

 そのな中で青毛隊長だけは正座する集団の後方で突っ立っている。彼は既にこちら側であり、忠誠は俺にあり、主な関心は自身の氏族どころか種としてクアゴアを存続させることにあるので、統合氏族王ペ・リユロには全くと言っていいほど無関心だ。

 クアゴア達の周囲をフロスト・ドラゴン一族が取り囲んでいる。

 もはや戦力比較ではこの上なく絶体絶命であり、完全に観念したようだ。当初は震えていたが、とりあえず従っていれば殲滅される心配は無いことは悟ったようで、徹底的に服従の意志を見せている。

 

「面をあげよ、ペ・リユロ」

「ハハーッ」

 

 青毛隊長や赤毛もいるクアゴア幹部連(もしくは親衛隊)の中でもペ・リユロは少し違う外見なのだ。よもや別人ということは考えられない。まして鋭敏な感覚を誇るドラゴンのオラサーダルクから見れば一目瞭然だろう。

 

「私がアインズ・ウール・ゴウン魔導国最高の冒険者モモンである。そして」

 

 そこまで宣言するとアインズさんのアバターが嫉妬マスクとガントレット付きの魔導王へと早変わりした。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王、その人である!」

 

 ロールプレイヤーの本領発揮……何度も繰り返されたであろうポーズの練習の成果が最大限発揮された。うーん、かなり極まっている。

 睥睨するアインズさんに対してその場に存在する全てが平伏した。ただし俺とティーヌとジットは除くが。

 

 青毛隊長によればクアゴア史上最高の王であるペ・リユロであるが、もはやまな板の鯉状態なのか、再度頭を上げる。

 

「発言してよろしいでしょうか、魔導王陛下?」

「発言を許そう」

「我々クアゴアは魔導王陛下に絶対の忠誠を誓います」

 

 即答で全面的な無条件降伏だ……まっ、そりゃそうか。

 

「良い返事だ。気に入った……ならばお前達の全てを差し出せ……さすれば、全てのクアゴアに平和と安寧と豊かな暮らしを約束しよう」

 

 史上最高の英雄であろうとクアゴアの王でしかないぺ・リユロに反対や交渉などできるわけもなく、ただ頷くしかなかった。

 

「……仰せのままに……」

「そうか……ではお前を含めたクアゴア達には移住してもらう。場所はカッツェ平野だ。お前達には開拓事業に従事してもらおう。全員で地下から大地をひっくり返すのだ。アンデッドが闊歩する呪われた地であるが、アゼルリシア山脈同様我が領地だ……まあ、それは山脈全体を平定した後で良い。差し当たってはお前を含めて種族の強者20名、我が旅に加われ……残りはカッツェ平野の開拓事務所周辺で担当官の指示に従うことを命ずる……良いな」

「ハハーッ」

 

 アインズさんの宣言により、探索行はドラゴン一族とクアゴアの強者達を加え、総勢45名の大所帯となった。

 残りの膨大な数のクアゴアは俺の名代である青毛隊長の指揮され、ドワーフの廃墟待機組を加えて、カッツェ平野の開拓事務所近郊まで『転移門』で移動した。

 

 正にフロスト・ドラゴン様様だな……連中を引き連れていけば万単位の種族も簡単に降伏する。別に弾圧も武力制圧もするつもりはないが、やはり亜人種には理解し易い強さが極めて有効だ。強さの象徴であるドラゴンを配下に加えたのは正解だろう。

 これはアゼルリシア山脈以外に住んでいる亜人種でも通用する攻め方ではなんじゃないか?……今度はアベリオン丘陵のデミウルゴスの影響下に無い亜人種のことろにでも連れて行ってみようかな……さすがにドラゴンを知らないとか無さそうだし。

 

 そんなことを考えている間にアインズさんはモモンの姿に戻り、急にソワソワとしだした。

 

「そ、それじゃあ、いよいよドワーフ王国の宝物庫に突入しましょう!」

 

 あっ、それが寄り道の主目的でしたわ。この世界の強者であり、宝に対しては強欲の塊みたいなドラゴンでも解除できない宝物庫……ユグドラシルプレイヤーでソワソワしないヤツがいるはずもない。

 

 クアゴアがドラゴンとの取引用に溜め込んでいた鉱物や貴金属や宝石の類も結構な量が運び出されていた。エルダー・リッチ達が目録を作成し、数千に及ぶスケルトンの人足軍団が次々に『転移門』の中へと搬入していった。整然とした作業風景は人間よりもアンデッドの方がこういった単純定型作業には適性が高いことを示していた。

 完全に丸裸にされつつあるドワーフ王国の旧王都フェオ・ベルカナの中をオラサーダルクを先頭に俺達は進む。その後をフロスト・ドラゴン一族とクアゴアが続いた。

 

「こちらでございます、我が主人よ!」

 

 強欲なドラゴンがどうしても開けられなかった宝物庫……アインズさんはほんの一瞬の躊躇の後『七門の粉砕者』を使用した。積年の望みが叶ったオラサーダルクの羨望の眼差しの中、俺とアインズさんだけが中に入り、扉を閉める。

 扉が締め切られる間際、視線が交差するとティーヌとジットが扉の前に立ち塞がった……以心伝心……って、わけじゃないけど肉腫を通して良く意図を理解してくれた。これで安心できる……ナーベラルだけは不満そうな視線を俺に向けていたが、こればっかりはティーヌとジットでなければならない。時間的にも今のタイミングは逃せない。

 薄闇の中でアインズさんが魔法の光を灯すと眩い光に俺は目を細めた。特に視界に影響はないのに……人間の時の癖だな。

 

「すげっ!」

「ナザリックほどじゃないですけど……って、そういう問題じゃないか」

 

 同じ光景を見て、素直に感嘆した俺とナザリックと比較したアインズさんだが、2人とも心中は叫びたいのを堪えるのに必死だった……と思う。

 リアルな黄金と宝石の山……ルーンの刻まれた武具や初見の金貨の山や装飾だけでも価値が高そうなキンキラの趣味の悪い小手やら……ユグドラシルでのレア金属や高位のデータクリスタルやら珍しいアーティファクトのドロップとは違う感動に打ち震えた。

 しばらくして顔を見合わせる。

 2人とも思わず「おおーっ!」と言ってハイタッチした。

 正真正銘の宝の山だった。もはや価値云々でなく、これらを発見し、独占できる感動で胸が一杯になり、呆然と目の前の光景に浸った。

 だがユグドラシルプレイヤーであれば、ここで油断することはない。更なる隠し部屋や、スリット式の隠し保管庫とかあるかもしれない。

 

 でも、それらは後回し。

 

「さて、ここなら良いかな」

「何かやるんですか?」

「俺達以外誰も見ていませんから……滅多に使わないスキルを使おうかと」

「滅多に使わない、ですか?」

「MP消費がとにかくデカいんですよ……いや、アインズさんは何回か見たことあるような?」

「思わせぶりですね」

「さっきのログアウト絡みの会話で思い立ったんです。で、せっかくの機会なんで、今まで放置していたコレも鑑定しようかなー、なんて……」

 

 アイテムボックスからユグドラシル最終日に手に入れた直径3センチ程の球体……ワールドアイテムを取り出す。

 

「そ、それは?」

「じ・つ・は……最終日の終了5分前ギリギリでに手に入れたんですよ……ワールドアイテム」

 

 アインズさんが1歩退き、2秒程固まった後に2歩近寄った。

 とんでもない勢いで質問が連発された。

 そして鑑定では「ワールドアイテム」であることを確認しただけであり、用途は不明であることを告げる。さらにアイテムの投げ売りバーゲンでたった金貨1億枚で手に入れたことまで告げると、アインズさんは盛大に後悔していた……俺も行けば良かった、と……行こうかどうか迷ったけど、久しぶりに何人かギルメンも来たから云々、と。

 

「……で、消費MPが膨大なんで、安全圏で味方だけに囲まれていないと使えない鑑定スキルを使おうかな、なんて思いまして……これがナザリック内だとパンドラズ・アクターとか鬱陶しいでしょ?」

 

 何気なく言った一言だったが、アインズさんは極端にしょんぼりした。

 

「……そりゃ、アレをアイテムマニアに設定したのは俺ですけど……なんかすみませんね」

「いや、あー、そーゆー意味じゃなくてですね……」

「本当はそんな風に思っていたんですね……」

「だって……俺達の装備を見る目が、ねぇ……」

 

 目は空洞だけど……加入した当初、パンドラと出会った頃はそりゃー酷いセクハラならぬアイテムハラスメントにあったんですよ。あんな目に遭遇した経験があればナザリック内で未確認のワールドアイテムの鑑定なんかとてもできませんて!……そりゃ、ティーヌなんかは喜んで装備一式見せびらかしてましたけど。

 

 こりゃ、油断できないアルベドがいるからとは言えないなぁ……本心はそっちなんですけど。

 

「まっ、とにかく鑑定してみましょうよ、ね?」

 

 スリットからじっと嫌な念を込めて俺を見つめるフルプレート姿のアインズさん……それを無視した上で宣言だけしてスキルを発動する。

 

「スキル『グシオンの眼』!」

 

 MPの70%近くを消費して、秘密を見抜く魔神の名を冠したスキルを発動した。ワールド・ディザスター最大の大技『大厄災』よりも最大MPに対する消費MPの割合が多いのだ……あくまで割合ですけど……総量はもちろん『大厄災』の方が多いです、ハイ……移動で『転移門』を多用したり、PK防衛を考えたら、完全な安全圏にいない限りそうそう使用できるスキルではない。その代わり『道具上位鑑定』など目じゃない精密と詳細さを兼ね備えている。運営しか知りようのない裏設定情報まで見抜いてしまうのは役に立つことも多いが、とにかく消費MPが多いので、残量に余裕がありつつログアウトする手前の瞬間にしか使用できないスキルだ。

 まあ『魔神の血液』のようなログアウト絡みのスキルを実験したので、いまさらながらこのスキルを試そうかと思い立ったわけですよ。どうせ試すならばワールドアイテムの鑑定ですわ。

 

 黄金に輝く瞳が掌の上のワールドアイテムを照らす。

 

 直前まで拗ねていたアインズさんも興味津々でワールドアイテムを見つめていた。

 

「未使用……『天網恢々』という名称ですね……情報系のアイテムだから故事由来の名称なんでしょう。どうやら消費型の『二十』ではないようです。使用方法は……ウヘッ……飲み込むですって……受肉とか気持ち悪い表現だな。使用後、つまり受肉後に奪い取るには使用者をPKしてドロップさせるかぁ……差し詰めアインズさんの『モモンガ玉』みたいなもんですかね……」

「効果、効果はっ?」

「戦闘用の直接的な効果はありませんが、敵に対して圧倒的優位に立てますよ。対象の位置情報や秘匿情報を含む全ての情報を取得可能にする、ってなってますね……全て、ってところがミソかなぁ……攻性防壁なんざまるっと無視するんでしょうね……で、あー、やっぱり……」

「どうしたんですか?」

「いや、コレってチートも良いとこじゃないですか?」

「たしかに……敵の位置も弱点も秘匿されたスキル情報も丸裸ってことですよね。アイテムの隠し効果まで解るような代物……普通に考えたら無敵ですよ」

「まあ、ワールドアイテムだからチートで良いんですけど、そんなチートオブチートみたいな効果をあのクソオブクソの運営が単純にプレイヤーに渡すと思いますか?」

「思いません……いや、思えません」

「コレ……常時MP消費アイテムなんですよ。使用が条件でなく、受肉するとMPを消費し続けるってわけです。0時を起点に1時間当たり最大MPの2%が絶対値として減っていきます。で、24時間経過で一度回復ってわけですが完全ソロプレイヤーや学生さんならまだしも、翌日定時に出勤する立場だとユグドラシルが一番盛況な時間帯が最も弱体化されるってことろがクソ運営らしい嫌らしさですね。要するに普通のサイクルで生活しているプレイヤーにとって自由に使用できるMPが実質的に半減するってことです。MP回復を大量消費しながらじゃないと戦闘ができなくなるって、行動自体は的確になっても行動回数がかなり制限されるってことじゃないですか?……まあ、生産系や探索特化や諜報特化のプレイヤーなら涎ダラダラものなんでしょうけど……オールラウンダーの俺のビルドや戦闘特化だとかなり微妙な代物だなぁ……受肉ってワードのせいでお試しで使うってわけにもいかないから、売りに出てたのに未使用なんでしょうね」

「死霊系魔法特化の俺のビルドでも完全にお手上げみたいな代物ですね。と言うよりも魔法特化の戦闘職は全員スルー一択でしょう」

「……効果は絶大で捨て難いんだけどなぁ……」

「いくらこっちの世界に出勤が無いと言ってもリスクが高いですね……それにこっちの世界だとユグドラシル並みのMP回復アイテムは極めて貴重です。今のところ再入手の当てはありません」

「ですよねぇ」

 

 劣化しない低位ポーションをカルネの工房でンフィーレアとリイジーが必死こいて開発しているのに、ユグドラシルの高位MP回復ポーション並みのものを大量生産とか、どれだけ未来の話になることやら……

 しかしコイツはワールドアイテムだけあって、ただでさえチート……アインズさんには伏せた裏設定まで含めると「運営が狂った」としか言いようがない効果……しかもこれまでの経験上、テキスト上の設定は大抵の場合は凶悪な形で反映されていた……加えてただでさえハイリスクなものが超ハイリスクに変化するのだが……魔神どころか、この世界における神に至る力を手に入れるようなものだ。

 だが現時点ではプレイヤー並の容量を誇り、かつ絶対的に信頼の置ける魔力タンク役が必要になる……残念ながらそんな奴はいない。だいたい俺にMP供給するぐらいならばアインズさんに供給した方が戦力的には上昇するし。

 

 まっ、いざとなったら使えば良いか……とりあえず持っていればワールドアイテムの攻撃は防げるし。

 

 あまり深く考えずに『天網恢々』を再収納した。

 

「あ、あーあ……もっと見たかったのに……」

「なんとか使う手段があれば、索敵の必要も無くなるんですけどねぇ」

「それって?」

「直接視界に入らない情報でも、俺の場合は眷属が自分の視界として使えますから……ただ第一世代の眷属だとMPは更にカツカツになりますから、戦闘は絶望的です」

「あー、そりゃ無敵ですね……MPさえ確保できれば、ですけど」

「そ、接敵前の時点で弱点把握してますから先制攻撃しまくり……でも最大限活用する為には超長距離攻撃一択なんですけど、MPが足りない、と……過疎ってる時間帯に索敵もクソもありませんから、0時から2時間だけの時間限定無双アイテムみたいなもんです……やっぱ運営クソだわ」

「あー、クソですね、クソ!……ギルド戦や集団戦しか活用できない仕様のワールドアイテムですか……ボス戦は攻略情報皆無とか稀ですから」

「そーですね……PVPやPK戦だと厳しいだろうなぁ……MP回復している間に殺られます」

「ガチの前衛職でも個人戦だとそこそこバフやスキルは使いますから……あるいは逃げ専なら……でも追い詰められたら殺られるのは確実ですか」

「不利を被るとはいえユグドラシルならなんとでもなる仕様ではあるんですけどねぇ」

「「うーん」」

 

 2人で腕を組み、散々頭を捻っても全く妙案は浮かばなかった。

 

 『天網恢々』はチート過ぎるバケモノじみた性能だけに、ワールドアイテムとしては珍しいぐらいデメリットが存在した。有名な『傾城傾国』のように使用者に対する制限や『ロンギヌス』のような自爆効果と比較すれば大したことがないデメリットだが、ユグドラシル時代ならばともかく、こちらの世界での常時MP消費は果てしなく高い壁だ。

 

 現実の宝物庫で宝の山に囲まれて頭を捻る異形のユグドラシルプレイヤーが2人……妙な絵面だった。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 宝物庫は空っぽ……と言うか王城、いやフェオ・ベルカナが空っぽだった。

 それこそ外壁に施された彫刻の価値が高ければ、そこは滑らかな壁面になる勢いだ。見た限り王城などは実に味気無いものになっていた。

 アインズさんがナザリックから呼び寄せた盗賊スキルを持つシモベ達と召喚した看破能力に秀でた『集眼の屍』達がフェオ・ベルカナ内の最終チェックに奔走していた。

 王城だけでなく王都内の全てを掻っ攫うつもりだ。

 実行犯はオラサーダルク一族になってもらう。

 宝を献上された俺達は善意の第三者を気取る……まっ、そんな屁理屈がこちらの世界で通用するかは不明だが、圧倒的な資金力と物量と武力を背景にアゼルリシア山脈の平定の実績を持って交渉すれば、ドワーフ王国との国交樹立は問題ないだろう。

 むしろ問題は……ルーン工匠だ。

 同族を異国に売る……ハードルは高いように感じる。

 ドワーフと言えば酒……ゼンベルから得た前情報でも酒好きなのは間違いない。いちおう多種大量の酒はいつでも送れるように用意してあるが、胸襟を開く切っ掛けにはなっても交渉材料にはならないだろう。

 ドワーフ王国が国家として欲しがるもの?

 真っ先に思い付くのは食料だ。こんな辺鄙な山の地下に集団で住んでいるならば穀類や野菜類の生産量はたかが知れているし、品質も良いはずがない。畜肉だって寒冷地に住めるようなものからしか入手できないはずだ。たとえ入手可能でも危険は常に伴う。質も量も不足しているはず。

 衣類はどこから調達しているんだ?……まさか全員が動物やモンスターの毛皮を加工している?……可能だとしても価格はとんでもないことになっているように思える。

 水か……地下水か、地下水脈でもあるのか?……それとも魔法で解決か?……後でペ・リユロにでも確認してみよう。

 後は豊かな暮らしか……豊富な鉱物と高度な生産技術は持っているかも知れないが、とても経済的に余裕があるとは思えない。クアゴア以外にも周囲は敵だらけ……軍事に資金も人材もある程度は割かなければ国が成り立たないだろう。どう考えても経済的に豊かになれるとは思えない。

 

 つまり弱点だらけの欠陥国家だ、こりゃ……

 

 冷静に考えれば立地的に燃料だって厳しいだろう。険しい上に極寒だ。

 魔法なんて反則がなければ国家が成立するわけがない。

 帝国との貿易だって、極寒かつモンスターだらけの危険極まりない道程を踏破する必要があるわけだ。むしろ鉱山の為に無理矢理ここに住み着いているような気さえする。

 

 種族丸ごとマゾ?

 

 まあ、現段階で考え過ぎても結論が下せるわけがない。一旦ドワーフ王国のことは放置して、今後の方針を考える。

 とりあえずは山脈平定の手順だが、これはもう簡単だ。

 直接出向くのはフロスト・ジャイアントの集落だけで良いだろう。

 残りの種族はフロスト・ドラゴンを派遣し、族長やら代表者やらを連れ帰らせ、意志を確認する。時間が掛かるようであればドラゴンと同等の力を持つと聞くフロスト・ジャイアントもこれに加えても良いかもしれない。地下に住む種族がいればクアゴアに任せる。

 最後に溶岩の中を泳ぐアイツの対応は相性的に俺しかいない。これでも『地獄の君主』なのだ。地獄の炎よりもはるかに温度が低い自然の溶岩など問題にならない……ただ暑いのは不快なので、好んで灼熱地獄に入りたくはないが。

 

「ゼブル様……モモンさーーーんがお呼びです」

 

 玉座を失った広間で絶叫し続けるドラゴンを眺めながら考え込んでいた俺にナーベラルが呼び掛けた。

 

「俺が『様』で、アインズさんが『さーーーん』なのか?」

「今は冒険者『美姫』ナーベなので……役目を全うしております、ゼブル様」

 

 何気ない疑問に、アインズさんの所まで先導するナーベが真剣に答えた。

 

「うん、でもモモン『さん』で良くないか?」

 

 素っ気なく同じ歩調で歩き続けていたクールビューティーが振り向き、面白いぐらい動揺を見せた。

 

「なっ………」

「アインズさんにそう呼ぶように命じられたのか?」

「いいえ……仲間なので『さん』と呼ぶように、と……」

「いや、別に詰める気は無いんだけど、なら『さん』で良くないか?」

「それは……そうなのですが……」

 

 ……なんだか妙に恥じるような、戸惑っているような?

 

「はやり……おかしいのでしょうか?」

「何が?」

「散々注意を受けているのですが、もの凄く注意を払ってもモモン『さん』と呼べないと言うか、染み付いた癖とでも言うべきなのか……」

「……つまり気を抜かなくてもモモン『さーーーん』と呼んじゃうわけか?」

「左様です。モモン『様』であれば簡単なのですが……」

「……まっ、気にする必要は無いんじゃないか?……それならば敬意が染み付いたものだし、魔導国となった今ではそれで問題になるような立場でもないだろ?」

「ですが、モモン『さー……さん』からのご命令を遵守できないのは、ナザリックのシモベとしてはどうなのかと……」

「まっ、それも個性だよ……あまり考え過ぎるな、ナーベラルさん……いや、ナーベさんと呼んだ方が良いのか?」

 

 能面に近いような美しい顔が僅かに緩んだ……こりゃ微笑んだのか?

 

「ゼブル様は至高の御方の一員……呼び捨てにしていただいた方が、私としては落ち着きます」

「そうか……んじゃ、そうするわ、ナーベ」

「ありがとうございます、ゼブル様……こうして私などにお話しいただき」

「なーに、気にするな……黙っていられるより、俺も楽」

 

 ペコリと一礼して前に向き直ったナーベラルの足取りが少し軽くなったように感じた。

 

 これからはNPC達とも少しは話すようにするか……思えば、NPCの人格なんざ考慮したこともなかった。どこまで行っても障害物……それがNPCに対する俺の認識だ。思い入れの欠片も無い。そして将来も変わらないだろう……が、こんなくだらないことで悩むナーベラルを知って、少し面白い存在と感じた。でもそれ以上ではない。まっ、もう少しこちらから話し掛けるようにすれば、拗れまくって修復が難しいと放置しているアルベドとの関係も少しは改善するかもしれない程度の考えではあるが……

 

 ナーベラルに連れられて、広場に到着すると視界の先でアインズさんがアンデッド軍団とシモベ軍団に撤収の指示を出していた。

 ナーベラルが俺の到来を告げると、アインズさんが大袈裟に振り向く。

 

「ゼブルさん、市場価値がありそうなものは全て回収完了しましたよ!……この後はフロスト・ジャイアントの集落に従属勧告に行くか、先に溶岩流のモンスターを制圧するか……溶岩流のモンスターはゼブルさん任せになりますけど、どうしますか?……他にもプレイヤーや未知の強敵が潜んでいるかもしれませんけど……」

 

 やはりアインズさんも俺と同じような結論に至っていたようだ。ドワーフ王国との魔導国優位の国交樹立を最終目標に据え、効率を最優先するなら、どうしても似た手順になる。

 

「距離なら溶岩のモンスター……その後の効率を選択するならフロスト・ジャイアントですか……だったら二手に別れますか?」

「うーん……危険じゃないですか?……まだドワーフ王国周辺にプレイヤーが潜んでいない保証はありませんよ」

 

 確率は極めて低いが「無い」とは言い切れないか……

 

「じゃ、溶岩のモンスターを先に処理して、ドワーフ王国周辺の安全確保しておきましょうか?……もしプレイヤーが潜んでいても、溶岩のモンスターを利用されるて背後を突かれる可能性を確実に潰しておくべきだと思いますよ」

 

 ヤツはデカくて、炎熱に強い。

 実力はせいぜいオラサーダルク並にしか感じなかったが、仮に強力な炎熱攻撃を持っている相手に背後から強襲されるとアインズさんや俺はともかく他の連中は危ないかもしれない。なにしろ45名の大所帯だ。戦闘能力的には最も低いゼンベルもいるし、フロスト・ドラゴンやクアゴアも炎熱に対して強耐性を備えているとは思えない。

 

「それもそうですね……じゃ、とりあえず溶岩流に向かいましょう。バックアップは任せて下さい」

 

 アインズさんの号令で一斉に動き始めた。

 溶岩流に向かうのは熱耐性に優れたアインズさんと俺とティーヌ。

 他のメンバーはここで待機。

 

「ゲート!」

 

 アインズさんが作り上げた『転移門』のエフェクトを潜ると俺達は赤く輝く空洞を望む、細い道の上に立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 巨大な提灯アンコウ……ラーアングラー・ラヴァロードは久々に獲物の気配を察知して咆哮と共に頭を溶岩流から出した瞬間、アンコウで言えば疑似餌の部分を掴まれ、無理矢理灼熱の岩礁に引きずり上げられた。その50メートルを超える巨体から、その住処から、その特性から、これまでにそんな経験は無く、天変地異のような激変を感じ、思わず巨大な目玉で周囲をグルリと見回した。

 

 ……なんだ?

 

 悠久の歴史を生き抜き一種一体の特異個体にまで進化したラーアングラー・ラヴァロードにとってもソレは異様な風体をしていた。

 

 翼を持つ。

 黒い……ところどころ金色。

 妙な格好をして、蛇がまとわりついている。

 小さな……おそらくバードマン?……過去に遡っても見たことのない種族だ。

 疑似餌というか触手を掴んでいる……つまりこの矮小な存在が巨体を引っ張り上げたということだ。

 

 ラーアングラー・ラヴァロードは長い年月を生き抜き、ラッパスレア山の地下の絶対支配者にまで進化を重ねた存在であり、当然プライドは高かったが、生き抜く過程において警戒心を緩めることもなかった。だから矮小な種族とはいえ、未知の存在を侮ることもなかった。

 

「なんだ、お前は?……儂に何か用か?」

 

 大音声が巨大な空洞に響き渡る。

 特段意識したことはないが、自身にとっては小声でも矮小な輩は大抵顔を顰める。この黒いバードマンもどきが取るに足らない存在であれば不遜を理由に一飲みで食ってしまうとこであるが、どうやらバードマンもどきはそこら弱者とは違うらしい。

 触手を握る手を緩めることもなく、淡々と自身よりも大きな目玉を覗き込んでいた。

 

「お前は何者だ?」

 

 バードマンもどきは支配者であるラーアングラー・ラヴァロードの質問を無視して、自身の問いを優先した……不遜である。不遜であるが、それだけに侮れない。現にこの体格差をひっくり返す膂力はバカにできない。抵抗しようにも触手の先はピクリとも動かないのだ。痛みはない。だから圧迫されているわけではない

 この矮小なバードマンもどきが本気で力を込めたらどうなるのか?……予測するのもバカバカしい。だから隙ができるのを待つ。故に正直に答える。

 

「儂はラーアングラー・ラヴァロードと呼ばれているらしいのう……このラッパスレア山の三大支配者の一つだ」

「三大支配者?……つまりお前の他に2人……いやモンスターなら2匹か……お前と同じような支配者を名乗るモンスターがいるわけか?」

「天空の支配者と地上の支配者がおるのう……儂は地下の支配者だ。陸じゃ大した力も持たん」

 

 ごく稀に現れる冒険者とか名乗る連中程度であれば問題ないが、このバードマンもどき相手に陸上で戦うのは愚か……触手を失う程度の覚悟は必要だ。

 既にそこまでは理解していた。

 故に油断を待つ。

 不遜なバードマンもどきを跪かせるには自身の庭……圧倒的優位に立てる溶岩流の中に引き摺り込むしかない。バードマンもどきに溶岩の熱は大して効果を発揮していないのだけは理解している。だが翼を持つ種族である以上、溶岩流の中が得意なはずはない。

 

「ちなみに天空と地上を支配しているのは誰と誰だ?」

「天空はポイニクス・ロードとか言ったかのう……地上はエンシャント・フレイム・ドラゴンだのう」

「不死鳥と古竜か……まあ、妥当なところが出てきたな」

 

 大魔法『転移門』で結ばれた支配者の名を聞いてもバードマンもどきは臆する風もなかった……かなりヤバい相手かもしれない……ラーアングラー・ラヴァロードは警戒心を一段高めた。

 

「さてと……ここからが本題だ、ラーアングラー・ラヴァロードよ……レアモンスターであるお前に俺の配下となるチャンスをやろう。俺達に降れば生きる権利をくれてやる。魔導国の国民として何不自由なく養ってやろう……今、この場で直ぐに決めろ……お前には2つの道がある。服従して安寧を得るか、抵抗して屈服させられるか……あるいは死を迎えるか……どうする?」

 

 この矮小なバードマンもどきは何を言っているのか?……理解するのに暫く時間を要した。怒りが、どうしようもない怒りがラッパスレア山の三大支配者にまで進化し、人間種や亜人種以上の知能を得た脳細胞を満たしていく。

 だが動けない。

 敵の力の底が測れない。

 これまでの長い生を生き抜いてきた警戒心が動くことを許さない。

 

「ちなみに……沈黙は反抗と見做すが……」

 

 拍子抜けするほど殺気を感じない。

 だから言葉に対して一々対応が遅れる。理解が遅れる。

 だが理解した。

 

「貴様!」

 

 溶岩流に引き摺り込もうと力一杯触手を振る。

 だが微動だにしない。

 バードマンもどきは巨体から発する灼熱などまるで感じていないかのように悠々と接近した。

 火炎に勝る高温の息を吐く。

 矮小な存在であれば吐息に触れただけで燃え尽きるはずなのだ。

 だがバードマンもどきの奇妙な文字が明滅するローブすら燃えない。

 涼しい風に吹かれたかのようにヤツは薄く笑いながら目の前に立ち、右手で触手を掴んだまま、左手で目玉の下の鱗の突起を掴んだ。

 

「なっ、何を!」

 

 久しくなかった危機を感じた。

 命を侵される危機……尊厳を捻じ伏せられる危機。

 強烈な痛みが巨大な顔面に走る。

 無理矢理痛覚を刺激され、咆哮が抑えられない。

 数百年振りに生命に対する危険信号である激烈な痛みを感じた。

 グルグルと目玉が回る。

 危機の元を探す。

 地に落ちた鱗が目に映った……オリハルコンよりも硬いとされる自身の鱗と気付くまで延々と痛みを我慢した。

 そして我慢が崩壊した。

 絶叫……咆哮。

 鱗の下の肉に何かが侵入した……そして身体の中でも重要な何か掴まれた。

 再度激烈な痛みが襲い掛かる。

 

「おいっ!」

 

 バードマンもどきの声がした。

 今はそれどころではない……だが呼び掛けを無視などできなかった。

 目を見開き、必死に焦点を合わせた。

 バードマンもどきの左腕が自身の体内に侵入していた。

 

「……なっ、何をするおつもりですか?」

 

 目上の者に対する言葉はこんなもので良かったのか……ラーアングラー・ラヴァロードにとっては深刻な疑問だった。

 

「俺は腐敗を司る魔神だ……俺がその力を発動させれば、お前は数秒で腐り落ちる。ただの巨大な汚泥の塊となる……ここが分水嶺だ。そこの鱗をよく見ていろ!」

 

 バードマンもどきこと腐敗の魔神は小さな魔法陣を発動させた。その中心からラーアングラー・ラヴァロードが認識するには小さ過ぎる羽虫が現れ、地に落ちてひしゃげた鱗に取り付いた。

 時間にして1秒も掛からない……ほんの一瞬で鱗は黒い砂塵と化した。

 

「さて、もう一度問う……服従か、完全な消滅か……好きな方を選べ。貴様に勝ち目など無いことは理解しただろう?」

 

 選択の余地などなかった。

 

 その瞬間ラッパスレア山の三大支配者の一つは魔導国の国民となり、アインズ・ウール・ゴウン魔導王にラッパスレア山の地下の支配権を献上した。

 




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38話 幸せの魔王

 

 警戒中だというのに大きな欠伸が漏れてしまった。

 それを叱責する者もいない。

 ここ1週間程は平穏が続いている。

 徘徊するモンスターはただの一匹も現れない。

 仇敵クアゴアも大人しい。

 突発的な遭遇戦どころか定期的な巡回行動も確認されていない。砦に対しての嫌がらせに近い定期的顔見せだが、部隊どころか一体もひょっこり顔を出すことはなかった。それこそ日に数度、こちらの警戒体制を確認するように雷撃のマジックアイテムの射程外に顔を出すのだが……100匹単位の侵攻程度であれば珍しくもないのに……当初は逆に不気味ですらあった。

 しかし完全な平穏が7日も続けば慣れもする。

 元よりドワーフは暢気と言えば暢気な種族だ。

 職人気質だが大の酒好き……それも他の人間種と比較すれば常軌を逸したレベルで、である。なにしろ酒の生産管理の為に国家レベルで単独の役所が成立するのだ。

 その7日間続いた兵士達の平穏を破ったのは変わり者のドワーフだった。

 名をゴンド・ファイアビアドと言う。

 今時ルーン技術開発家を自称しているだけでも相当な変わり者なのに、彼は酒を飲まなかった。

 そのゴンドが恐慌状態で大裂け目の砦とフェオ・ジュラを結ぶ駐屯地に駆け込んで来たのだ。なんでも数年前に放逐された南方のフェオ・ライゾまで単独で採掘に向かったのだと言う。

 

「たっ、大変じゃ!」

 

 息も絶え絶えで駆け込んで来たゴンドの話は要領を得なかった。

 

「クアゴア共が穴に食われおった!」

 

 混乱するゴンドから事情を聞き出した兵士達に理解が及んだのは、せいぜいその言葉だけだった。他は何が何やら……

 30匹近いクアゴアがフェオ・ライゾの入口付近の暗闇の中にボーッと立っていたらしい……そこまでは良い……だが輝く闇の穴が現れただの、中から人間らしき人影が出てきただの、人間が命じるとクアゴア達が穴の中に入って、穴が消滅し、2度と出てこなかっただの……とにかく荒唐無稽な話だった。

 

 正体不明の穴もそうだが、どうやって人間がクアゴアに命令を下すのか?

 

「フェオ・ライゾが空っぽじゃ!」

 

 そんなことは騒ぐまでもない。だがゴンドは喚き続ける。

 

「そこら中アンデッドだらけじゃ!……坑道中を徘徊しておるんじゃ!」

 

 事実なら大問題だが、そこまで切迫した話題ではない。だがゴンドの表情は切迫していた。

 

 突き詰めれば訳の分からない事ばかり……ゴンドの訴えを誰も理解できなかった。真偽の程も判らない。だから上に報告もできない。だがゴンドが自分を見失うような異変があったのも間違いなさそうだ。彼は変わり者で付き合いが悪いタイプであっても周囲を混乱させて喜ぶような輩ではない。

 当番兵達はゴンドを落ち着かせるべくゆっくりと話し掛け続けたが、どうにも当の当番兵達の方へと徐々に混乱は伝染していった。

 確実あったにもかかわらず、理解できない異変への焦燥かもしれない。

 普段の緊張状態から極端な平穏に慣れ過ぎた落差のせいかもしれない。

 ドワーフ持ち前の人の良さからかもしれない。

 皆が心の奥底に抱える「大侵攻」への恐怖からかもしれない。

 とにかく当番兵達は徐々にゴンドのペースに巻き込まれていった。

 

 そんな中、更に状況に拍車が掛かる。

 駐屯地の外を見張る兵士達が一斉に騒ぎ始めた。

 

「なんじゃ、アレは!」

「どうした!」

「ドラゴンじゃ!」

「クアゴアじゃ!……クアゴアが地上におる!」

「鳥みたいのもおるぞ!……燃えておる……」

「巨人じゃ、巨人じゃ!」

「アンデッドに……見たことのないバケモノもおるぞ!」

「……人間?」

 

 整然と並ぶバケモノの列。

 大混乱する駐屯地。

 慌てふためく兵士達。

 

「報告じゃ!」

「急げ!急げ!」

「総司令官に指示を仰げ!」

「大参謀は何処じゃ!」

 

 大扉を閉めて良いのか……それすらも判断が下せず、右往左往するばかり。

 初動の遅れは致命的だった。

 気付けば既に大扉の中に人影があった。

 その中でも一際体格の良い漆黒のフルプレートが一歩前に進み出た。

 

「やあ、ドワーフの諸君!……お初にお目に掛かる。私はアインズ・ウール・ゴウン魔導国のアダマンタイト級冒険者『漆黒』のモモンだ。この国では客人を迎えることもできないのかね?」

 

 その問い掛けと共に騒ぎは爆発的に伝播した。

 

「客人じゃ、と?」

 

 心配する者、不安を募らせる者、少し安心する者……反応は様々だが、とりあえず侵入者達は言葉が通じる事実だけは即座に上層部に伝えられた。

 しかし自称「客人」達の既に侵入を許してしまったのだ。

 いまさら「止まれ!」とも「出て行け!」とも言えない。そんなことを言えば駐屯地を取り囲む恐ろしいバケモノ達がどう出るのか?……恐ろしくて誰も切り出せなかった。

 だから交渉の余地を見出せただけでも拾い物だった。

 

「何じゃ!……総員、落ち着け!」

 

 総司令官が大参謀を伴い現れたのは数分後。

 内心の冷や汗を隠し、堂々と振る舞っているだけ他の兵士達とは一線を画している。

 横一列の即席防御線を形成する兵士達を押し除け、ただ一人総司令官は前に進み出た。その背後に立つのは大参謀。

 

「わしが軍部を預かる者じゃ!……すまんがアインズ・ウール・ゴウン魔導国なる国は知らん!……だがおぬしらが客人というのであれは、わしが責任を持っては客人として遇するのを約束しよう!……だから外のバケモノ達をどかしてくれんかのう?」

「彼等も我々の国民だ。故に退けることはできん!……我々は貴国に対して交渉しに来たのだ。そのついでにアゼルリシア山脈全体を平定した。このラッパスレア山の全支配権も三大支配者より献上された。重ねて言う……外で待つのは我が国の国民だ!……中には貴国と敵対していた者達もいる。貴国のことなど歯牙にも掛けていなかった者もいる。だが現在は我が国の国民である。バケモノ呼ばわりはやめていただこう!……巨体を誇る者達や元敵対者達まで中に入れろとは言わない。しかし外で待たせていただく!」

 

 モモンと名乗る冒険者は王者の風格で宣言した。

 見事な2本の大剣を背負う姿はそれだけで絶対強者の証明だった。

 その強者が信じられぬことを言った。

 

 アゼルリシア山脈全体を平定した、と。

 

 つまり冒険者モモンの言う通り真実であれば、ドワーフ王国を除き、アゼルリシア山脈に住まう全種族がアインズ・ウール・ゴウン魔導国なる未知の国家の支配下に入ったこととなる。

 

 思い当たる節は……ある。

 直近の異様な平穏。仇敵クアゴアどころか、モンスターの1匹と交戦はおろか発見の報告書すら上がってこない。

 そして今現在駐屯地の外に居並ぶ彼等が国民と称するバケモノ達……ドラゴンの姿が多い。多数のフロスト・ドラゴンなどは旧王都フェオ・ベルカナを不法占拠していた連中かもしれなかった。他にも一目で確認できるものではフロスト・ジャイアント達。そのよく知った強者を超える力を感じるバケモノ……赤黒いドラゴンや燃える鳥などは伝承でしか聞いたことのないラッパスレア山の三大支配者と言われても素直に納得してしまう。巨大な牙を誇る白い虎や真っ白な大鷲の胴体に人種の女性の顔を持つモンスターやドラゴンと同等の巨体を見せつける熊のようなモンスターなどは初見だが、とんでもないバケモノであることだけは間違いなかった。

 

 冒険者モモンのブラフではない。自前の武力をこちらに理解し易く誇ってはいるが「交渉に来た」と言う。しかも付き従うバケモノ達も滅ぼされたわけでなく、素直に彼等に従っているところがキモだ。

 総司令官は確信し、背後に立つ大参謀の顔を見た。

 

「こいつはわしら軍部の手に余る。摂政会に図る必要があるのう?」

 

 大参謀は無言で頷く。

 

「しばし待たれよ!……わしの権限で摂政会を招集する!」

「我々はここで立って待つようなのかね?」

「いや、これは失礼した……可能であればこちらでバケモノ達の監視をしてくれる方には残ってもらいたいのだが……」

 

 総司令官の言葉に即座に旅装の美女が一礼し、居残りを申し出る。連れて銀髪女とオカッパ頭もすんなりと居残り組となった。

 

 冒険者モモンと黒いコートの人間と何か見覚えがあるように感じる右腕の大きなリザードマンの3人が総司令官の案内に付き従った。

 

 大混乱の発生源であるゴンド・ファイアビアドは既に忘れらされていた。

 彼は防御陣を形成する兵士達の後背をスタスタと歩いている。皆が3人の自称客人達に目を奪われいた。

 黒いコートの人間の男が兵士の列を眺めると、僅かに目を細めた。

 兵士達はギョッとしたが、その背後ではゴンド・ファイアビアドが蓄えた口髭の下でニンマリとほくそ笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

「……上手くいくもんだのう」

 

 ゴンドは感心しながら、自宅に向かって街を歩く。

 その間フェオ・ライゾで出会った人間の冒険者達とのやりとりを思い返していた。

 

 出会いは最悪。

 奴らは悪党だ……それは言い過ぎだとしても、絶対に善人ではない。

 採掘の為に坑道に入ろうとした瞬間、奥からワラワラと無数のスケルトンが現れ、慌てて『完全不可知化』のマントを使ったが、逆に背後から首根っこを掴まれてしまった。

 動けない。

 慌てて眼球だけを動かすと、捕縛した者がわざわざ顔を真横に突き出したようで、表情が固定された面のような笑顔があった。

 一見して人間だが、印象は悪魔か、より恐ろしい何か。

 

「……何者じゃ!」

「あー、俺はゼブルと言う。アインズ・ウール・ゴウン魔導国のミスリル級冒険者で、副王位に就かせてもらっている者だ」

 

 冒険者?……ふくおうい?……王族?……とてもそうは見えない。人間の細かい年齢など見分けもつかないが、年齢はかなり若いように思える。

 言葉は気さく。

 笑顔は柔和……それだけに恐ろしいモノを感じる。

 だが『完全不可知化』を看破だけでなく、自身も『完全不可知化』を使い、掴まれた首根っこに痛みは感じないがピクリとも動かない。首を掴む指はドワーフ基準ではあり得ない程細いのに異様な怪力だった。

 逃がす気は無いが、傷付ける気も無い。

 そう宣言されているような感覚が伝わってくる。

 

「お前は?」

「……わしはゴンド・ファイアビアドだ」

「何故ここにいる?……クアゴアによれば、ここフェオ・ライゾは放棄されたドワーフの都市と聞いた。事実、ここに着いてからドワーフに出会ったのはお前が初めてだ。隈なく調査したにもかかわらず、だ」

 

 自分を取り囲む無数のスケルトン……こいつらを使ってフェオ・ライゾを調べたのか?……いや、台車で鉱石の山を運んでいる一団がいることを考慮すれば、こいつらは採掘というか盗掘者なのだろう。つまりこのゼブルと名乗る知らぬ国の副王を自称する人間は無数のスケルトンを使役する悪辣な盗掘者の頭だ。

 

「わしはフェオ・ジュラから採掘に来た。おぬしらは盗掘者か?」

「盗掘者とは人聞きが悪いな……俺達はアゼルリシア山脈を平定した。まだ未確認の種族がいるかもしれんが、現状確認できる限り君達ドワーフを除く全種族が我が国の国民となった。このラッパスレア山の支配権も三大支配者から献上された。山の支配者達から正式に支配権を譲られたのだ。故にドワーフが放棄した都市で鉱物の採掘をしている。まあ、坑道を延伸させるようなことはしていないから、ここの坑道はお前達のものだと主張されればこちらに非はあるのかもしれない……が、俺達はここは既に放逐されたとクアゴア達から聞いたのだ。はたして現時点での正式な坑道所有者はどちらかな?」

 

 話が一気に大きくなった。

 山の支配権?……三大支配者?……真偽は不明だが、ゼブルの話によればクアゴア達は既に魔導国の配下となったようだ。ラッパスレア山だけでなく、アゼルリシア山脈全体を手に入れたと言うが……ゼブルの話した内容が全て真実だとすれば、分が悪いのはゴンドではないのか?

 ……急に自信が持てなくなってきた。

 抵抗するにもゼブル本人が恐ろしく強いだけは理解できるし、言葉通りだとすればとんでもない軍事力を有した国家が相手だ。

 

「か、仮におぬしらが坑道の所有者だとしても、わしはこうして拘束されるようなことをしたつもりはないぞ!」

「安心して欲しいが、俺も拘束するつもりはない」

「では、何故わしを掴むんじゃ!」

「君が逃げると情報が得られないからだ、ゴンド」

「では、逃げないと約束すれば解放してくれるのかのう?」

「そうではない……質問対して正直に答えてくれると約束すれば、即座に解放することを約束する」

「わしに国を売れと言うのか!」

 

 この時は憤慨したゴンドだったが、その後……

 

 まあ、見事に転向したもんじゃ……こうして連中を引き入れる役目までこなしてしまったんじゃ……もう後戻りはできんな。こうなっては確実に計画を推し進めるしか道はないんじゃ!

 

 自宅に到着すると即座に背負い袋の中から小ぶりな酒瓶を取り出す。

 一口しか試していないが、酒を嗜む習慣のないゴンドでも芳醇な香りを舐めた時点でとんでもない逸品と理解させられた代物だ。もしこの酒を人生で最初に味わっていたら……今は夢など放棄して、他のルーン工匠と一緒に飲んだくれていたかもしれない。

 1本づつ手に持ち、顔馴染みのルーン工匠を回る。

 馴染みでなくとも紹介を受けて全ルーン工匠を訪問した。

 同時に夕刻からの集会所使用を手配し、着々と下準備を整えた。

 ここまで全て打合せ通り……であれば、連中と摂政会との交渉もすんなりと想定通り進行するかもしれない。

 

 なにしろ連中の保有する武力は脅威だ。

 クアゴアなんぞに劣勢だったドワーフが対抗できるはずもない。

 だが連中は直接武力では脅さない。

 後ろ手にぶん殴る為の巨大なハンマーを握りながら、笑顔で握手する手を差し出すやり方も悪くないと思う。しかも隠すわけでなく、何かを要求する度にチラチラとえげつない力を見せ付けるのだ。

 ゼブルに説明されたこの山脈に住まう全種族を配下に加えた方法を簡単に言えばそれだった。ドラゴンとジャイアントとは種族最強の者と直接交戦したらしいが、あくまで心を折るだけに留める。亜人種やモンスターは力の信奉者なだけに仕方ないだろう。他はドラゴンやジャイアントを派遣して従属を約束させたらしい。

 死者は0……怪我を負うような被害に遭ったのは三大支配者と跳ねっ返りのフロスト・ドラゴン1匹だけ……そのフロスト・ドラゴンは手を下したゼブルを真っ直ぐ見れなくなってしまったようだが……

 

 強大な配下に駐屯地を囲ませ、交渉を有利に運ぶ。

 交渉はあくまで紳士的に……アゼルリシア山脈中で唯一国家と呼べる存在のドワーフ王国だけにあくまで国家として折衝する。

 貿易。

 インフラ整備。

 労働力の提供。

 必要であれば軍事力の提供。

 もちろん無償ではない。対価は必要だ。

 フェオ・ジュラで産出される鉱物。

 ドワーフの技術で作成された武具。

 そして金。

 だが連中は言った……最終的な狙いはルーン技術の保護及び発展、と。

 その為にアゼルリシア山脈を平定した。ドラゴンやジャイアント……想像もつかない三大支配者とか言うバケモノも屈服させた。その中の一体は旧王都フェオ・ベルカナに向かう危険地帯の一つである溶岩地帯の支配者だと言う。

 落ち目のルーン工匠を連中の首都に招聘したい。

 ゼブルも途中から話に加わったモモンも本気だった。

 本気でなければアゼルリシア山脈の平定などしない。

 細々とルーン技術を守るドワーフの安全など確保しない。

 廃れた技術に対する熱い想いがゴンドに手を握らせた。

 

「わしはルーン技術開発家を名乗っておる!」

 

 そう言った時のゼブルとモモンが喜ぶ様が忘れられない。

 

 大の男同士で抱き合って、踊り狂っておったのう……まあ、ルーン工匠してのわしは大した存在でない知って、多少は落ち込んでおったが、それでも直接ルーン工匠との接点ができたのは大きいと、酒を飲まないと言うわしに魔導国産の酒を振る舞った。

 

 「これは使える」

 

 と、わしが提案すると連中は空恐ろしい量を用意してくれた。

 

 攻略の武器まで用意してくれた同志にわしは応えるべく頑張った。

 ここまで来たら……目的を達成せねば意味が無い。

 

 ゴンド・ファイアビアドは最後のルーン工匠の家の軒先で全てが上手く運ぶことを祈った。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 剣撃の音が幾重にも響く。

 突撃の号令と共に重装歩兵の隊列が進む。

 弓箭兵の掃射にタイミングを合わせ、騎馬隊も進撃した。

 王都郊外の練兵場は活気に満ち溢れ、その様を眺める青年貴族は満足げに頷くと背後に立つ将軍をチラリと見た。

 周辺国最強の戦士と名高い将軍直々の閲兵だけあり、兵士達の気合が普段と全く違うのだ。

 

「いかがでしょうか、ストロノーフ閣下?」

 

 将軍が肩を叩く。そして分厚い掌ががっしりとフィリップの肩を掴んだ。

 

「良くやったな、モチャラス卿……たしかにレベルは大幅に上がったな。だが足りない。そんなことは卿も先刻承知なのだろう?」

「たしかに帝国軍には届きません。数的にもそうですが、特にフールーダ・パラダイン率いる魔法兵団はいまだ脅威の一言です。まして我々が雪辱を濯ぐべき帝国軍と接敵するまでには魔導国の国境を越えねばなりません。彼の国の警備兵などには一体でも蹂躙されてしまうでしょう……ですが私の経験による訓練法にはモンスターや亜人種が必要なのです。現状では全軍を賄う程の数が確保できません」

 

 数は揃えた……全軍でおよそ20000人……王都周辺では仕事を失いつつある冒険者をシュグネウス商会に移籍される前にスカウトし、質は問わずに引っ掻き集めた。専業兵士としての賃金も上げ、一般からの募兵も順調だ。さらにティーヌ直伝の訓練を施し、結果として兵士達の平均レベルは一気に上昇した。冒険者が使用する難度で30前後まで……魔法詠唱者の兵数も増えた。だが仮想敵である帝国軍を想定した場合、全く話にならないのが現状だった。まして現有戦力で魔導国軍に立ち向かうのは自殺に等しい。

 

「命を奪う敵が必要ということか……?」

「左様です、閣下……この際、精鋭部隊を作り上げ、その者達だけでも……」

「だが下手にモンスターに手を出すと、魔導国国民である可能性もあるが」

 

 それは悪手どころか、最悪の結果を招く。

 ただでさえ生殺与奪権を握られているような現状で、彼の国に宣戦布告の口実など与えてはならない。

 フィリップは頭を捻り、ガゼフも太い腕を組んだ。

 

「……精鋭部隊の結成そのものは悪い案ではないと思うのだがな。せっかく増えた魔法詠唱者の部隊化も視野に入れたいところだ。となれば、たしかに全軍を鍛える為のモンスター不足は深刻な問題となるか……?」

「周辺国と戦力が隔絶した魔導国は別にしても帝国軍と同等の兵力は絶対に必要なのです。魔法詠唱者の育成も必要ですが促成栽培が可能な兵科ではありません。それよりも一般的な練兵であればはるかに時間が掛かりません」

「そうか……」

 

 さらに考え込むガゼフ。

 王国軍の強化は将軍に課せられた……いや、自身に課した絶対的使命だ。

 今のところ全軍の士気も高く、現王や閣僚の理解も得られている。

 だがそれもいつまでか?……平穏が恒常化すれば、軍の予算確保にも募兵にも影響が出るだろう。なにしろ軍は金食い虫だ。ただでさえ王国は怨敵である帝国とは直接国境を接しなくなった。国境を分断する魔導国が周囲に睨みを効かせている以上、突発的な小競り合いも生じない。だが遠い将来を見据え、王国軍を強化し、二度と屈辱的な敗戦を味合わない為に……軍の強化の手を緩めるわけにはいかない。

 仮にガゼフの現役中……いや、存命中でいい……帝国と一戦交えることが叶ったならば、その時は一兵卒として参戦する意志を固めていた。全ての兵がガゼフと同じ気持ちとは言わないが、多くの兵は同じ気持ちと信じている。その気持ちが短期間で兵のレベルを上げたのだ、と。

 故にこの状況を維持しなければない。

 新生王国軍の盛り上がりの維持は即ち「打倒、帝国軍!」の機運をいかに継続させるかに掛かっている。

 いつの日にか、ガゼフとしても大恩ある前王ランポッサⅢ世の無念を晴らしたい。その為に生き恥を晒して将軍位に就いたと言っても決して過言ではないのだ。

 

「完全に我々の管轄外ですが……南方のアベリオン丘陵に遠征してはいかがでしょうか?」

 

 フィリップはここぞの腹案を披露した。王都周辺の討伐用モンスター不足の深刻化が顕著になるに伴い、少し前から考えていたものだ。

 もちろん部隊を移動させる以上、国の上層部の許可が必要になる。その許可の一歩目がガゼフだ。同時にガゼフさえ説得できれば軍の実働部隊の許可は通ったも同然……残りは実戦に出ない軍官僚や政治家共だ。シュグネウスを通して密かに築いてきたコネクションが活きるはず。

 アベリオン丘陵には強力な亜人も住み着き、正式な領土ではないものの魔導国の影響下にあるとも聞くが、少なくとも亜人を討伐したところで魔導国から正式に追い詰めらることは考え難い。トブの大森林にこそこそ少数で攻め込むよりは間違いなくリターンも大きいし、政治的リスクは確実に少ないのだ。

 つまりここはゴリ押す局面だった。

 しかしガゼフは平民出身であり、一般兵を思い遣る。

 だから最初の関門突破が最も難しいとも予測していた。

 案の定……

 

「いや、アベリオン丘陵は危険だぞ……南方軍を率いるボウロロープ伯も面白くは思わないだろう。バックアップも望めぬ中で強力な亜人種との戦闘になればいたずらに兵を失う危険性も高いな」

「ですが、王都周辺ではゴブリンもオーガも住処が確認できているものは残りは僅かです。我が軍とシュグネウスの実働部隊と冒険者が競い合って討伐している中では、ゴブリンやオーガも恐れをなしてトブの大森林の中に逃げ込むような有り様なのです。ここは一刻も早くご決断を!」

「アベリオン丘陵の亜人共はゴブリンやオーガなどとは比較にならない戦力を有していると聞く。ローブル聖王国が長大な城壁を築き、徴兵の国民皆兵制で亜人対策に臨むのはそれなりの理由があるのだ。強い亜人共に不慣れな我々が一朝一夕に討伐できるものではないだろう。少なくともボウロロープ伯の協力は絶対条件だ。老いたとはいえボウロロープ伯は歴戦の勇士……カッツェ平野の最後の戦いでは不覚をとったが、伯の育てた精兵団はあの時点で王国最強の軍団だったことも間違いないのだ」

「……そうですか……ではボウロロープ伯を説得してみせましょう。それであれば問題はありますまい」

 

 ガゼフはなかなか引き下がらないフィリップの肩をポンポンと叩き、練兵場から供回りを伴って練兵場を後にした。

 熱い想いは認めたということだろう……とフィリップは理解した。

 しかし手緩い。

 フィリップの強烈な意志の込められた視線がガゼフの分厚い背中を追う。

 

「……閣下は甘い。我々の時代でことを成すにはリスクを犯すことも緊急手段も必要なのですよ」

 

 帝国軍を打倒し、魔導国に対して少しでも優位に立つ。もし可能であれば魔導国に対しても戦果を示したいところであるが……魔導国の強大なアンデッド警備兵に追われた経験が功名心を萎えさせる。

 

 今のうちに海路を……いや、そこまで目立つ動きはさすがに魔導国が見逃すまい。であれば、スレイン法国経由で帝国に一撃を与える陸路を確保する必要がある。最終的には竜王国の一部かカッツェ平野を通過する必要はあるが……カッツェ平野は魔導国の領土であり、竜王国は魔導国の友好的同盟国ではあるが実質的には属国だ。簡単な話ではない。だからこそ平時から仕込んでおく必要があるのだ。

 

 その為にもアベリオン丘陵で亜人種の間引きをするのは重要なのだ!

 スレイン法国と関係強化し、軍の通行許可を得る。

 その為に亜人狩りに協力する……軍の強化も図れ、一石二鳥ではないか!

 

 フィリップは続いている演習を眺めながら、南方行きを決意した。

 

 

 

 

 

 

 

 シュグネウス商会を通してペスペア侯に顔繋ぎし、エ・ペスペルに居残る親族を紹介してもらう。一族と言っても古い分家で身分の低い者などはいまだエ・ペスペルで居を構えているらしい。ペスペア侯爵家の財産はほぼ国有化されてしまったが、子爵男爵クラスの古い分家はいまだ生き残っているのだ。

 彼等から大量の物資を買い受けた。

 遠征の名目は視察……将来的に領土外のアベリオン丘陵で国軍訓練地を確保する為だ。

 フィリップの警護として50の精鋭が付き従っている。皆フィリップと同等か、それ以上の腕を持つ者達だ。スカウトした元白金級冒険チームや募兵に志願してグングンと腕を上げた兵士達だった。

 彼等はフィリップ信者と言っても過言ではない。フィリップがティーヌから受けた訓練法を実践され、実際の自身の力の上昇を自覚しているからだ。そして何よりフィリップは帝国戦の英雄だった。

 精鋭部隊は一路エ・ペスペル郊外の南方方面軍司令部を目指していた。

 先頭を疾るフィリップは馬上でやる気を漲らせていた。

 

 だからこそ危惧する者達もいる……その筆頭はヒルマ・シュグネウス。それ以外にも尚書クラスの宮廷貴族やストロノーフ将軍の側近まで……一言で言えばフィリップの行動は性急過ぎるように思えたし、そうでなくともいつ暴走してもおかしくないように思えたのだ。

 その結果として軍部以外を代表してシュグネウス商会が旧『八本指』のゼロに依頼を発注した。

 それにより旧『八本指』の実働部隊が秘密裏にに動いていた。彼等を率いるのは顔を知られたエドストレームでなく、『千殺』マルムヴィスト。戦力としては精鋭部隊をはるかに凌ぐが、彼等はあくまでも隠密行動だった。

 

「亜人天国のアベリオン丘陵くんだりまで来て、英雄小僧のお守りとはな……完全に貧乏くじを引かされたよな」

 

 支給された『透明化』のマジックアイテムのマントを頭から被り、マルムヴィストは互いに存在を認識している手下相手にボヤいた。ちなみに手下も同様のマントを頭から被っている。

 本来ならばモチャラス絡みの案件はエドストレームの担当なのだ。

 今回は隠密行動ということでマルムヴィストにお鉢が回ってきたが、気持ちとしてはヒルマの警護の方がはるかに気楽である。ほぼ王都から出ることのない経済界の要人であるヒルマを害そうなどという輩はどう考えても人間社会の住人であり、戦士としてのマルムヴィストは亜人種などよりは人間相手の方が得意なのだ。刺突技はともかく、もう一つの武器である毒がどこまで亜人種に通用するのかがわからない。そうでなくとも集団戦や乱戦よりは一対一や暗殺を得意としている。普通に考えれば亜人相手はエドストレームやペシュリアンの方が適任なのだが、今回の任務は亜人相手ではない。

 

「まあ、愚痴を言っても始まらんな……エドストレームは顔バレしてるから、俺かペシュリアンのどちらかが出向く必要があるとゼロが判断したわけだからなぁ……適性を考慮すれば仕方ない」

 

 で、文字通り貧乏くじ(=ゼロの推挙)を引き当てたのがマルムヴィストなのだ。

 

 革袋の水を口に含む。

 

 視線の先には南方方面軍司令部の粗末な建物がある。

 防御の為の囲いは無いに等しい……隙間だらけの急増の木柵が防護柵のようだ。

 敷地の奥に練兵場があり、そこから怒鳴り声が幾重にも響いている。

 

 英雄小僧ことモチャラスは宮廷に提出した計画通りに動いているようだ。

 であれば、半日も掛からずここに到着する。

 ここを中継地として、アベリオン丘陵の偵察に出向くと言う。目的は訓練用地の確保の為の視察。南方方面軍司令部を中継地として機能させる為には南方方面軍のバックアップが必須だが、その確約を得るには司令官のボウロロープ伯の説得は必須だった。

 だがモチャラスは説得できなくても構わないと考えているように思える。その証拠にエ・ペスペルでは不必要と思えるほど大量の物資を買い込んでいた。報告によれば山越するにはむしろ邪魔になるほどの量だ。

 つまり偵察とはあくまで名目で、アベリオン丘陵で訓練用地確保の為との名分で亜人と一戦交えるつもりなのは簡単に想像できる。

 ヒルマの危惧は正にこの部分であった。

 そして事態は今のところヒルマの悪い予感通りに進行していた。

 最悪、ゼブルが属している魔導国と関係を持つ亜人と衝突してしまう。

 王国軍の強化についてはどれだけ頑張ってもらっても構わないが、魔導国と敵対する行動は困るのだ。いかに魔導国次席の副王といえど、魔導国の最高権力者てある魔導王の意向を無視できるはずもない。極端な表現をすればシュグネウス商会や旧『八本指』は王国の中の魔導国なのだ……それらの組織は漏れなくゼブルの一派である。

 情報によれば、アベリオン丘陵の亜人は魔導国において主に司法と警察権を統括する最高幹部の影響下だ。

 つまりモチャラスが問題を起こした場合、最悪のケースではゼブルとその最高幹部が衝突することも考えられる。主に民政を中心とする内政と魔導国の真の本拠地を統括する魔導国宰相とゼブルが上手くいっていないことは組織の末端でも噂が流れるほどであるが、現状アベリオン丘陵に影響力を持つ最高幹部とゼブルは上手くいっていると聞く。その関係性が傷付くのは配下としては絶対に回避したい……ヒルマの想定はそこまで進んでいた。

 かと言って、モチャラスの行動を表立って制限可能かといえば、王国軍としては軍の強化に奔走する若き英雄の企画した軍の強化策の下準備を表向き魔導国の領土でない空白地帯で行うとされれば、かなり強引な理屈を展開しなければモチャラスを止めることはできない。

 

 それ故に秘密裏にマルムヴィスト率いる部隊が差し向けられたのだ。

 もしもの場合には交戦前にモチャラスは別にして王国軍の精鋭部隊を処分する。最悪、収拾をつける為には英雄モチャラスもアベリオン丘陵で戦死したことになってもらう、という計画だ。

 始末する対象は亜人でない。

 つまり対人で隠密……であればマルムヴィストの出番だ。

 

 マルムヴィストとしては考え過ぎな気もするが、ヒルマの「悪い予感」には定評があるし、警護役として見ていた経験ではヒルマ自身もその予感に対して素直に対処する。予感と表現するからややこしいのであって、無意識に蓄積された経験と知識からの防衛策と考えれば頷けないこともない。

 

「……しかしモチャラスはゼブルの旦那が目を掛けていたはずなんだがな」

 

 むしろそちらの方が気になる。

 ヒルマは話は通すとしているが、現実には連絡役のバティンという名の魔法詠唱者から聞いたゼブルの言伝は「好きにさせろ」だったと言う。

 ならば始末するまでの算段は必要か?……その辺りの齟齬が気になるのだ。

 普通に考えればマルムヴィストにとっての最悪は責任を押し付けられ、詰腹を切らされることなのだが、モチャラスだけは拘束に止め、支配者であるゼブルの前に出れば真実は明らかになる。なにしろ主人は自白させる能力を持っているのだ。だからその辺りは心配していない。

 貧乏くじであることは間違いないが、裏のごちゃごちゃが面倒臭い類の話だった。

 

 ろくに整備もされていない道の先を見詰める。

 陽光の下、ゆらゆらと揺れる空気の向こうにまだ砂煙は見えなかった。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 上手いのか?

 それとも美味いのか?

 どちらにしてもその話には裏が有りそうで……ただ何となく……そんな下らない理由で摂政会は揉めに揉めていた。

 絵空事とでも言うべきか、とにかく現実感が無い。

 気が付けば平和?……他種族がドワーフを襲うことは無くなった。しかも宿敵クアゴアや他の種族と違い、魔導国とか言う国家に従属する必要もない。

 王都フェオ・ベルカナはフロスト・ドラゴン達から既に奪還されていた。

 フェオ・ライゾも安全らしい。

 安全な街道も、費用は魔導国持ちで整備すると言う。

 費用は掛かるがフェオ・ジュラのインフラ整備も……希望があれば快適な新都市を一から作るとも言った。むしろ鉱山都市は職場と割り切り、魔導国の領土内の快適な土地に移住したらどうか?……魔導国は優れた技術を持つドワーフを優遇する、とも言い切った。

 必要ならば魔導国を中心とする軍事同盟に組み入れても良い、と副王が言った。

 魔導国とその同盟国……ドワーフ王国の貿易相手国であるバハルス帝国も同盟を締結していると説明があった……ではかなり普及が進んでいるアンデッドの労働力も適正価格でレンタルすると言う。

 水も食料も酒も……会議室のテーブルにどっさりと現物が山のように置かれていた。全て魔導国の産品らしい。

 

「参考までに摂政会の皆さんで好きなだけ試して欲しい。調理前の食材も調理済み料理も置いていく。まあ、お試しだから代金なんか要らない」

 

 副王位に就いているというゼブルと名乗った人間の男の告げた条件は鉱物や製品貿易の独占……その代償としてドワーフの販売拠点を魔導国の首都に作ると言う……そしてルーン工匠全員の魔導国招聘。こちらは完全な技術移転を希望していた。彼等の持つルーン技術に再び火を灯し、さらに発展させる為の研究施設と資金の提供をするつもりだ、と。

 

「しかし美味いのう、この酒……で、どうするね?」

 

 食料産業長は口の中に肉の塊を放り込み、それを酒で流し込む。

 

「いや、美味すぎるじゃろ、何じゃこの肉は……酒も美味いのう。でも美味すぎる話だからのう……でも美味いのう」

 

 酒造長は満足げに笑い、満足げに飲んでいる。いちおう立場上苦言を呈しているが、表情は緩みっぱなしだ。

 大地神殿長は喋る間も惜しみ、ひたすら咀嚼し、ひたすら嚥下している。

 

「……わしは信用しても良いと思うとる。この味に嘘は無いじゃろ」

「品質は最高じゃ……酒も肉も魚も野菜も穀物も……水まで美味いわ!……これが手に入るのなら、貿易の独占権ぐらいくれてやれば良いのじゃ……奴等はわしらを支配するつもりなら武力でとっくにやっとる。それだけの戦力を持っとる。そうじゃろ、総司令官?」

 

 洞窟鉱山長と商人会議長は口に次々と料理を放り込みながら、真剣な眼差しを魔導国の戦力の一端を知る総司令官に向けた。

 

「私としては貿易云々は後回ししても軍事同盟を結びたい。彼等……魔導国の戦力は想像を絶します。駐屯地の外を見れば一目瞭然……彼の国が手を差し伸べている内に手を結んだ方が間違いない。彼等がその気になれば全ドワーフは奴隷化します……が、うーん、凄く深い味だ」

 

 総司令官は少しイラ立ちを見せながらも酒を口に運んでいた。摂政会の中では若輩である為遠慮はしているが、国の防衛を担う者として戦力差には非常に敏感だった。なんだったら属国化しても良いから安全確保を最優先したいとさえ考えている。

 

「力を持ち、気前が良く、わしらの保有する技術の価値も認めてくれる。そして魔導国が欲しがっているものは全てわしらが揃えられるものじゃ。その代償はわしらが欲して止まぬものばかり……安全に、食料に、そして美味い酒じゃ!……ルーン工匠にしてもわしらが抱え込んでおるよりも可能性があるじゃろ!……わしらは終わった技術と思っておったが、連中は投資を惜しまないと言うてくれとるのじゃ……ちょっとだけ話がうま過ぎて、不安にはなるがのう」

 

 事務総長はグイグイと酒を煽りながら、とりあえずの摂政会の気持ちを代弁したかのように話をまとめた。

 

「……酒も食い物も美味いのは認めてやるが、わしは気に入らん!……あの人間の若造の指を見たか?……生まれてから一度も力仕事をしたことがない細っこい指じゃ……背後に控えていた戦士やリザードマンはともかくあんな若造がヘラヘラと笑いながら持ってきた旨い話なんぞ信用できるか!」

 

 職人気質の鍛治工房長は表情も言葉も厳しかったが、その手は料理を運び、その口は咀嚼することをやめなかった。目の前の酒もものすごい勢いで消費されている。

 

「……指が気に入らないだと!」

 

 総司令官が噛み付く。だが肉にも噛み付いていた。

 

「そうじゃ!……ドワーフの伝統技術であるルーン技術を託すには、あのゼブルとか言う人間は信用ならん!」

 

 鍛治工房長は眉毛を釣り上げたが、同時に焼いた魚の半身を丸呑みした。

 

「人間の王侯が自身で鍛治仕事なんかするか!」

「この若造が!……わしは職人としての意見を言っとるんじゃ!……お前なんぞに国から売られるルーン工匠の気持ちが解るのか!」

 

 2人とも立ち上がって詰め寄るが、その手から酒瓶は離さない。

 

「よせよせ……ここで喧嘩しても始まらんじゃろ……なにしろ相手はあの恐ろしいフロスト・ドラゴン共を従えておるんじゃろ、総司令官?」

 

 商人会議長が仲裁に立つが、その右手には巨大な牛肉の塊が握られていた。

 

「霜の巨人達もじゃ!……火の鳥もでっかい虎もバケモノ熊も見たことない赤黒いドラゴンも全く知らないモンスターも従えとる!……わしらの天敵のクアゴアの王なんぞ召使いも同然じゃ!……連中がその気になればあっという間にわしらは奴隷じゃ!……わしらは売り物があるから対等に扱われとるだけじゃ!……何故それを理解せんのだ!」

 

 総司令官は手に持った酒瓶を一気に空け、さらにもう1本手に取った。

 

「武力に屈して、同胞を売り渡すのか!」

 

 受けて立つ鍛治工房長も酒瓶を空け、並々と野菜の煮込みが注がれた皿を手に取った。燃え盛る目付きは別にして、片手に匙を持つ姿は様にならない。

 

「待て待て!……では決を取ろうかのう。その前にわしらは現実を見に行くべきじゃろ……駐屯地まで行けば魔導国に降ったバケモノ共の姿がが見れるのじゃろ?」

 

 スープを飲み干しながら洞窟鉱山長が提案し、鍛治工房長を除く摂政会の全員が酒を嚥下しながら頷いた。鍛治工房長だけは熱々の煮込みにしばらく苦戦していたが、一歩遅れて飲み込み、力強く頷く。

 

 完全に酔った勢い……わいわいと摂政会全員で肩を組みながら駐屯地まで移動した。

 

 その直後完全に酔いが覚め、真っ青になり、会議室に駆け戻ると一も二もなく魔導国の要求を完全に受け入れる案を全会一致で可決した。

 

 

 

 

 

 

 

 プレゼンが上手くいった後の特別な高揚感にモモン姿のアインズ・ウール・ゴウンは浸っていた。何度も拳を握り締め「ヒャッホーイ!」と叫びたい気持ちを我慢する……この我慢が良いのだ……営業リーマンならではのなんとも言えない充実感を共有したいが、横にいるゼブルは数理屋だった。

 しかもアーコロジー内でも有数の権力者一族の末の息子だった。そして鈴木悟と同じ境遇で生まれていれば一歳の誕生日を迎えられなかったはずなのだ。文字通りの温室育ちであり、そうでなければ生きられなかった。リアルの本人と直接対面した経験はないが、ユグドラシルの彼のリアルを知る仲間は全員そう言っていた。

 アーコロジーの中でも特別にクリーンな地区に住み、そこから一歩も出られない人生。生きていると言うよりも、一族の威光で生かされている。進学先は小中高大全て通信で単位を取得可能な学校ばかりであり、就職先も勤務すら地区と就業形態で決まり……生まれながらの勝ち組にして、生まれながらの惨めな敗残者だった。そんな彼がユグドラシルという既に廃れたゲームに没頭した理由は古臭くなったゲーム性でなく「自由度」と聞いていた。

 

 皆で作り上げたナザリックが全てだった俺と、ユグドラシルの自由さをこの上なく愛したゼブルさんだけがこの世界に来たのも偶然なのかな……?

 

 ふとそんな考えが浮かぶ。

 深く考えたことも無かったが、この世界に転移した者とそうでない者の差があるはずなのだ。サービス終了の瞬間にログインしていた者は既に廃れていたとはいえ無数に存在していたはずだ。リアルに未練が無い程度の差ではないだろう。ギルメンが複数で転移してきた『六大神』や『八欲王』の例もある。

 

 ……何かあると思うんだがなぁ?

 

 考えても答えが無いことは解っている。

 

「いやー、ルーン工匠、全員やる気になってましたね?」

 

 隣を歩くゼブルが言った。フルプレート姿でも考えるのをやめた瞬間が判るのか、なんとも的確なタイミングだった。

 

「そうなんですよ!……あそこまで見事に煽られてくれると俺のプレゼン能力も捨てたもんじゃないかなって……」

「凄かったですよ!……あのルーン文字の刻まれたユグドラシルの剣を見せるくだりとか、全員の反応を壇上から見回すタイミングだとか……俺だと即バーターに持ち込んじゃうんですけど、やっぱ本物の営業マンは違いますね」

「いやー、それほどでも……でもゼブルさんだって、交渉相手を理と利で取り込んじゃうじゃないですか?……しかもこちらの利は相対的に大きくなるように確保しているし……やっぱり凄いと思いますよ」

「そりゃ戦力差が現地勢と隔絶してますからね。それを利用しない手はないから簡単な話です。交渉なんてものは結局は力を背景にして、相手を有無言わさず踏み付けるだけのことですから……武器は力か、金か……その上でなるべく交渉相手が気分良く自ら踏み付けになってくれるように仕込んでいるだけです。俺にはアインズさんみたいに諦めている相手のやる気を起こすなんて真似はできません」

「俺からしたらその割り切りが凄いと思うんですよ。ナザリックでは謀略で右に出る者がいないデミウルゴスだって結局は力を背景にして、相手を踏み躙っているわけですよ。ゼブルさんは極力相手を活用するでしょ?」

「割り切りで言ったらデミウルゴスの方が上です。彼はナザリックの利益だけで動きます。俺との違いは将来的に役に立つ可能性があるかも、って思うかどうかだけです。まあ、殺さなきゃ役立つこともあります。それだけですよ」

 

 ゼブルは薄く笑い、ヒラヒラと手を振った。

 そんな大したものじゃない、と行動で明言していた。

 

「明日にでも摂政会は回答するでしょう……おそらく全面的に要求を飲むはずです。彼等にはそれしか道が無い。国家丸ごと買収されているようなものだと気付いていても、彼等は全力の笑顔で媚を売ってきます。俺達は笑顔で握手すれば良い。お互いに笑顔ならば、それは友好的なんです。内心どう思っていようが関係ない。こちらが友好的な雰囲気だけを壊さないようすれば、多少搾取しようが彼等は永遠に友好的であり続けます。友好関係だけ構築すれば、後は追い込まなければ良いだけです。魔導国の戦力を知れば知るほどそうするしかないからです……要は未来永劫戦力差をひっくり返されないように細心の注意を払い、経済的に発展させればドワーフ王国は延々と富を生み出します。お互いにwin-winの素晴らしい関係ですよ。リアルの実例、沢山有りますよね?」

 

 ……やっぱ考え方が怖いなぁ、ゼブルさん……

 

 アインズは内心震えた。

 

「……まあ、少なくとも悪虐非道の大魔王にはならなくて済みますね」

「そーゆーことです。ナザリックの面々がこの世界の支配を望むなら、アインズさんは応えてしまう……いや、応えざる得ないような状況に追い込まれちゃう可能性が高いと思いますよ。だったら可能な限り穏便かつ幸せな侵略を実行すれば良いんじゃないですか?……その方がみんな幸せですよ。犠牲者0ってわけにはいきませんけど」

「……幸せの魔王ですか?」

「なんですか、それ?」

 

 少し照れ笑いが漏れたが、雰囲気で伝わっただろうか?

 

「いやー、なんとなくです。もうオーバーロードから種族変更はできないわけですから、せめて悪の魔王にはならないように、と……俺はナザリックの利益の為って考えが強いと思うので、だったらみんなナザリックの利益に貢献してもらう存在にしちゃえば良い……ゼブルさんの賛同しますよ」

「ハハッ……良いじゃないですか、幸せの魔王……そのキャッチフレーズで運営していきましょう、魔導国」

 

 ゼブルの差し出した手を握り返す。

 もはやドワーフ王国との外交関係樹立は確定的だ。

 このまま100%要求が通ればルーン工匠も手に入る。なにしろルーン工匠自身がやる気なのだ。

 摂政会が用意した宿に向かう前に立役者のゴンドの労うべく、アインズは魔導国産でなく、ナザリックの食材のフルコースをメッセージで発注した。

 




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39話 外道対問題児

 

 山岳地帯に差し掛かった瞬間から空気が変わった。

 単純に冷えたこともあるが、何かが明確に違う。

 妙に落ち着かない。

 50人の小集団とはいえ、皆手練れだ。冒険者で言えば白金級以上の力の持ち主だけで構成されている。

 戦士系は指揮官であるフィリップを含めて36人。

 元冒険者の信仰系魔法詠唱者が5人に魔力系魔法詠唱者が4人。

 他は先頭を進むレンジャー・盗賊技能持ちが5人。

 王国軍の最精鋭が岩肌が剥き出しの山道を進む。

 

 現在地から10キロメートル程後方には中継キャンプが設営され、そこにはボウロロープ伯が手塩にかけて育てた南方軍の兵が待機し、精鋭部隊の騎乗馬を預かっていた。

 

 訪問当初、ボウロロープ伯はあからさまに不快感を示していたが、フィリップの引き連れた兵の練度を確認すると態度がころっと変わった。武人であり、武断的な性格の彼は若造であるという理由でフィリップを嫌い、兵をしっかりと育てているという実績で認めたのだ。

 一度認めてしまえば、海千山千の元六大貴族とはいえ、最も武断派であるボウロロープ伯はスッパリとフィリップの要請に従った。

 英雄というものの実態をよく知るボウロロープ伯にとっては帝国戦の英雄であるフィリップの実績は大したものに感じなかったし、爵位も下位であるが、王国軍という組織内ではフィリップは上位者だった。その微妙な力関係を飲み込み、少なくとも練兵に関してはフィリップの努力を認めたのである。冒険者からスカウトされた者も少なくないとはいえ、フィリップは極めて短い期間で良く兵を育てていた。

 

 アベリオン丘陵に徒歩で向かい始めて2日目……周囲がなだらかな草原地帯から緩やかな岩山に変化し始めた頃から、レンジャー技能持ちに限らず、兵士達は不穏なものを感じていた。それは山の斜面が厳しくなるにつれ、空気が肌寒くなるにつれ、明確な気配を伴うようになっていた。

 兵士達の口数が減った。

 誰もが感覚的にヤバいと感じていた。

 歩行速度が極端に落ちた。

 小さな物音で行軍が止まることも多くなった。

 アベリオン丘陵に住まうのはゴブリンやオーガなどという簡単に討伐可能な亜人とは違う。強大な力の持ち主もいるらしい。

 不安が兵達の脳裏を度々過ぎる。

 雰囲気が徐々に沈む。

 ムードメーカーを自認する者までが黙り始めた。

 やがて明確に視線を感じるようになった。

 

 そんな中、先行していたレンジャー技能持ちの兵士が駆け戻ってきた。

 息も絶え絶え……恐ろしく慌てているが顔色は青白い。

 その目だけが血走り、事態の異様さを伝えている。

 そして伝令役なのに彼は密かにフィリップに接近した。

 周囲の兵達が騒めく。

 

「報告します……モチャラス司令……警告だと思われます」

 

 明らかに慌てているのに要領を得ない報告。

 フィリップはイラ立つも、これ以上周囲の兵達が動揺しないように発言を促した。しかし伝令は何度も唾を飲み込むのみ。彼なりに動揺を隠し、必死に落ち着こうとしているのは理解できるが……周囲の緊張はどんどん膨らみ続けた。

 

「とにかく、ご自身で確認していただければ……」

 

 全部隊に行軍停止と待機の命令を出し、フィリップは伝令役と共に異変の確認された場所に向かう。

 

 駆け付ければ、そこには伝令役以外に先行していた他の4名が不自然な柱のようなものを調べていた。

 岩肌に唐突に聳え立つ木製の支柱のようなもので間違いないが、場違い感が凄まじい。明らかに人の手で加工されている。全長5メートル、直径20センチメートル程の丸太だ。枝葉は落とされ、先端は鋭く削られている。まるで巨大な串だ。周囲に樹木と呼べるような木は無く、低木すら生えていない。つまり何処からか運び込んできたものだろう。周辺の緑は黒い岩肌の間に多少の草が見える程度だ。

 そして鋭く削られた支柱の頂点に何かが刺さっている。

 

「何だ、あれは?」

「報告します……おそらく動物の頭部ではないかと思われます」

「亜人共の祭祀か、何かの標か?」

「詳細は不明です……なので警告ではないか、と」

 

 フィリップは考え込み、支柱の天辺を見上げた。

 

「アレを下せ」

 

 その命令に全員が一瞬固まる。ここまで手を出さなかった以上、触りたくないのは明白だ。たしかに命じたフィリップにしても気持ち悪いし、怖い……だがボウロロープ伯が快く全面支援を約束してくれた以上、この程度のことで行軍を中止して引き返すわけにはいかなかった。

 そして放置もできない。

 兵達の進言通り警告であれば、こちらのアクションに対してリアクションがあるはずなのだ。そうでなければ祭祀や道標を疑うこととなる。いずれにしても一旦は外してみる必要があった。何もなければ戻せば良いのだ。

 

 フィリップに急かされ、盗賊技能持ちの兵士が素早く柱に登り、動物の頭部のように見えるソレを投げ落とした。別の兵がキャッチし、フィリップの前に差し出す。鋭利な刃物で斬首されたのだけは間違いなさそうだ。首の切断面から喉を通して上顎に向けて串刺していたように見える。

 

 豚の頭……?

 

 まるで豚の生首に見えるそれは、微妙に豚と違った。顔面は豚同様に体毛に覆われているが、人間のように頭部の体毛が微妙に長く、比較的前面に顔面の部位が集まっている。何より首の構造を考慮すると直立していたように思える。

 

「豚ではないな……豚の亜人か?」

「オークと呼ばれる亜人ではないでしょうか?」

「オーク?……オークとは同族の頭を斬り落とす習慣でも持ってのか?」

「いいえ、私がレンジャーとなってから随分と経ちますが、そんな習慣は聞いたことがありません……オークは突出して強い亜人はありませんので、おそらくは他のより強い亜人種がオークを斬首したのではないでしょうか?」

「何故、そんなことをする?」

「それこそ我々に対する亜人なりの警告ではないか、と」

 

 フィリップは再度考え込んだ……警告であれば、何かしらの意図とこちらの動向に対してリアクションがあるはずだ。であればこの首を地面に置いて、観察すれば良いのではないか?……設置し直せば亜人の祭祀か道標か縄張りの主張のようなものかもしれない。そうでなければこちらに対して何かを仕掛けてくるはず……最悪、武力衝突も考えられるが、それこそが本来の狙いなのだから受けて立つべきであろう。そうでなくともオークとやらを凌駕する亜人の力量を知るためには必要な措置だ。

 

「おい、首を柱の根元に置け……お前達が監視可能なギリギリのラインまで下がるぞ。そこに全隊を集結させる」

 

 王国軍の精鋭部隊は柱から500メートル程後退した地点で手持ちの大楯を全て使った簡易阻塞を作り、そこから柱の監視を始めた。

 

 その様子を見る2種類の視線。

 一つは岩山の上から観察を続ける亜人。

 一つは透明化した人間の武装集団。

 1本の柱の周囲で駆け引きが始まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

「面倒臭いな……どうしてこうなった?」

 

 マルムヴィストは判断に迷っていた。

 低い岩山の上に潜みながら監視を続ける山羊のような亜人がざっくり20。

 大楯で簡易阻塞を作り、監視しながら立て篭もる王国兵がきっちり50。

 そして両者の動きを把握しながらも、どうしたら最良なのか判断に迷い続けている自分達が30。

 戦力的には自分達が他の二者を圧倒しているが、任務の特殊性と継続を考慮すれば前面に立てなかった。状況としては個対個でもまず負けない面子揃いな上に、岩山の上にいる山羊の亜人20は既に半包囲しているのでいざ交戦となってもこちらの優位は動かない。阻塞に立て篭もる王国兵の方が全般的に戦闘能力も低いだろうが、数も多く、魔法詠唱者も複数揃えているので侮れないぐらいの認識ではあった。

 ただ王国兵達に自分達の存在を知らせるわけにはいかず、『透明化』のマントで身を隠しているとはいえ、山羊の亜人は地の利を得ているだけは間違いない。下手に仕掛けて騒ぎを大きくするのは得策ではない。即座に殲滅可能ならばとりあえず山羊の亜人達を皆殺しにして、王国兵の行動を促した方が状況を動かせるのだろうが、1匹でも逃げ出されて応援を呼ばれような事態は避けたかった。

 

 両者の不毛な睨み合いが始まってから既に1時間近く経過していた。

 

 現状ではマルムヴィスト達に都合の良い打つ手は無いが、このまま山羊の亜人共を半包囲し続けるのも無理がある。風向きが変われば視認はされなくとも臭いで探知される可能性もある。王都で生まれ育ったマルムヴィストだが、山の天候が荒れ易い程度のざっくりした知識は持ち合わせていた。

 対するフィリップ率いる精鋭部隊は食料物資に相当な余裕を持っている。下手すれば山羊の亜人共が動くまで延々と待つつもりかもしれない。

 

 ……亜人共を殺すなら、皆殺しだ……

 

 それが可能かどうか……3〜4匹ならばマルムヴィスト単独でも瞬時に殲滅可能と判断できるが、20匹前後となると配下を頼らねばならず、自信は持てなかった。ゼロが任務に推挙した面々とはいえ、『五腕』程の手練れでは無いことは動きを見れば明らかだ。

 

 オーガやゴブリンと違い、こいつら多少は知恵が回るようだしな……

 

 意味があるかどうかは別にして、相手の反応を見て、観察する程度には山羊の亜人は警戒心を持ち合わせている。種族としては最弱に違い人間の戦力や出方を探るのは、人間には突出した力の持ち主が多いことを知っているのだ。

 敵を知り、侮らない……戦闘能力の全体的平均値が高い亜人種にそれをやられると、正直なところここより先のアベリオン丘陵を最もナメているのはマルムヴィストということになってしまう。

 

 ならば、先手必勝だな……

 

 マルムヴィストは自身のすぐ横にいた部下に指示を出す。

 全員が戦士であり、暗殺の専門家だ。彼等の中には魔法を使う者もいるが、あくまで補助的なものであり、『火球』のように魔法自体に殲滅力があるものを使えるものはいない。見た目はモンスターに近い山羊の亜人相手にどこまで通用するかは不明だが、少なくとも人間の冒険者であればミスリル級程度を問題なく処理できる面子だ。

 

 『透明化』のマントから腕を出し、マルムヴィストはハンドサインで指示を下した……目を狙え、と。

 同時に自身も動く。

 音も無く足下の岩を蹴った。

 愛用の『薔薇の棘』を抜き放ち、ほぼ同時にしか思えないタイミングで2匹の山羊の亜人の眼窩に突き込む。

 人間よりもはるかに頑丈な身体を誇る亜人とはいえ、さすがに不意打ちで脳を破壊されれば耐えられない。

 唐突にドサリと倒れる2匹の山羊の亜人に、その場にいた17〜18匹の集団が恐慌状態に陥った。

 マルムヴィストが岩場の上を器用に走る。

 さらに2匹、眼窩から血液を噴き出しながら山羊の亜人が倒れ伏した。

 誰一人反応すらできないまま、さらに2匹マルムヴィストの手に掛かる。

 戦闘開始より5秒も経過していない。

 マルムヴィスト単独で6匹の山羊の亜人を屠っていた。

 何が起きたのかも理解できず、慌ててその場から逃げ出す山羊の亜人達。

 そこで待ち構えるマルムヴィストの手下達……だが姿は見えない。

 次々と山羊の亜人が絶命していく。

 その全ての片目に風穴が空いていた。

 余裕を持ったマルムヴィストはさらに2匹を屠る。

 戦闘というよりも一方的な虐殺……20秒も経過せず、山羊の亜人は骸の山と化した。

 

 フゥと息を吐き、緊張を解す。

 自身でトドメを刺した倒れ伏す6体を蹴り飛ばし、死亡を再確認した。同じ作業を部下達も一番近い死体に行っているはずだ。

 遠目にはただバタバタと山羊の亜人が倒れたようにしか見えないはず。

 とりあえずの任務の取っ掛かりを成功させ、マルムヴィストは満足げに頷くと、部下に撤退のハンドサインを送る。これでしばらくすればフィリップの精鋭部隊も異変を確認するか、何も無かったと判断して山岳地帯に侵入するはずだ。

 即座に音も無く、岩山を下る『透明化』した集団。

 知る限り人間の最高峰の暗殺技能者集団。

 個ではバカげた強さの存在……例えば同じゼブル配下の銀髪女……もいるが、連携できる集団としては間違いなく最高レベルだ。

 あの「イジャニーヤ」すら凌駕する……マルムヴィストは部下達の働きを見て、そう確信した。

 

 さすがに気付くはなぁ……

 

 眼下ではフィリップの精鋭部隊がバタバタと動き始めていた。

 

 精鋭部隊ね……暢気なもんだ。

 

 先回りする為に連絡役を2人残し、マルムヴィストと他の部下達は先に進んだ。完全な隠密行動だ……あくまで人間相手想定だが……

 

 切り立った岩山の更に高い崖の上から、バフォルク達がバタバタと倒れる様を眺めていた亜人達がいた。両腕が膜のような翼となっているプテローポスと呼ばれる亜人だ。

 生活圏は同じ山岳地帯だが住んでいる高さが違う為、特にバフォルク達を敵視もしていないが、友好的でもなかった。だがアベリオン丘陵の全バフォルクの王である『豪王』バザーには一目置いていた。そしてバザーの背後にいる魔皇ヤルダバオトを恐れていた。

 彼等は翼は持つが飛行は得意というわけではない。

 だが見た目通り飛ぶことは可能だ。

 一体のプテローポスが飛び立った。

 とりあえずバザーに恩を売っておこうと考えたからだ。

 このまま人間達に南進されるとヤルダバオトの「牧場」と呼ばれる場所に到達される恐れが生じる。それはプテローポス的にも喜ばしいことではないし、バザーにとっては死活問題なのだった。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 班長閣下オルランド・カンパーノが首都ホバンスの大聖殿前の広場に立っていたのはたまたま以外の何ものでもなかった。

 彼の目の前を目を見張る3人組が通り過ぎたのもたまたまだった。

 彼等を先導するのは記憶の片隅に顔形が残っている程度には見知ったどこその貴族だ。つまり王城に出頭した際に見掛けるが、地位だけの中年男で強さは大したことない存在だった。遠巻きに30人程の衛兵が取り囲んでいるが、オルランドにとっては格好だけの兵士だった。

 

 あんな連中に衛兵もクソもねぇだろ!

 

 脳内を駆け巡る興奮を抑えながらも、3人組の先頭に立つ銀髪女が目に焼き付いて離れない。

 

 どうやら連中は冒険者なのか?

 プレートは……アダマンタイト!

 気配だけでも強えのがビンビン伝わってくるわけだぜ!

 特に先頭の女はバケモノだ……クソ貴族がヘコヘコしてるのは優男だが、本物のバケモノは間違いなく女だ。

 

 銀髪女に目を奪われ呆然と立ち尽くすオルランドの前を貴族と優男が談笑しながら通り過ぎた。前を行く銀髪女とチラリと目が合う。

 ニィと口角が上がった。

 ゾクリとした。

 良い女なのは間違いない……顔も醸す雰囲気も身体も。

 

 だがそんなもんはあの銀髪女の本領じゃねえ!

 

 単純に強い。

 はるかに強い。

 底が見えない……果てしなく深い、真っ暗な穴だ。

 高空を飛翔する猛禽が地を這う虫ケラを見るが如し、だ。

 

 アダマンタイトの3人組は貴族の先導に従って、王城に向かって歩み去る。

 

 王城……ちょうど俺も向かうところだったぜ、たしか……

 

 オルランドは酒場へ向かっていた踵を返し、つい先程嫌々報告を済ませた王城へと歩き始めた。こっそりと集団を追跡する。

 

 しかしあの連中は何者だ?……少なくとも聖王国人じゃねえ……あれだけの連中なら、たとえ銀髪女じゃなくたって忘れるはずがねえ……一番弱そうなオカッパ魔法詠唱者だって間違いなく俺よりも格上!

 

 オルランドの歩調が目に見えて弾んでいた。

 

 ワクワクが止まらねえぜ!

 

 クソ女の嫌がらせで「亜人共の動きがおかしく、苦戦中」などという、つまらない報告の為にはるばる前線から王城くんだりまで来たかいあるというものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 聖王女カルカ・ベサーレスは「人生初」と言っても間違いない衝撃を受けていた。

 自身と同じレベルで整った容姿の持ち主というものを物心ついて以来初めて目にしたのだ。噂では王国の『黄金』ラナー姫という存在を知ってはいたが……実物を見たのは正真正銘初めてだった。

 それは男性だった。

 独身で地位も高い。

 見たところ年齢も近い……はず。

 政略的にも国益的にも問題など無い……むしろ望ましいと言って欲しい。問題など無いったら無い!……のだ。

 元々強烈な結婚願望の持ち主であるカルカだが一気に膨張していくのを自覚していた。イメージの中では謁見の僅かな時間の間に破裂せんばかりに巨大化していた。

 もはや制御不能なレベルだ。

 だから自然と口を吐いた。

 

「ゼブルさま……」

 

 窓の外を眺めている内に、自覚なしに呟いた名を聖王女の両翼にして親友姉妹の妹であるケラルト・カストディオに聞かれ、実に嫌な笑いをされた。

 

「カルカ様、アレはダメです」

 

 一刀両断され、カルカの美しい表情が曇る。

 

「どういうことなの?」

「悪ですから」

 

 問い掛けにケラルトは即答した。

 

「……悪?」

「本人も悪ですが、隣室で控えていた2人など救いようがありません。国家として精強極まりない魔導国と手を結ぶことに異論はありませんが、それ以上の関係性を望んではなりません。魔導王アインズ・ウール・ゴウンは自身で布告を発しています……私はアンデッドだ、と……死の王を支える人間など信用できるわけがありません。私は国策と理解しておりますが、仮に姉様が同席していたら、この場で狼藉に及んでいたかもしれません……聖騎士団が亜人対策で長らく城壁まで出張っていて、本当にホッとしております」

「彼等は悪なのに、神官団としては手を結ぶことは許容するのですか?」

「昨今、活発な亜人対策では最も有効な手段と割り切っております。捕縛した亜人を尋問したところ、魔導国の国民である、と主張する者もチラホラと……」

 

 尋問と聞いて、カルカは強く瞼を閉じた。

 要するに拷問だ……宿敵である亜人とはいえ……いや、宿敵だからこそ容赦の無い責苦を与えられるはずだ。亜人とはいえ投降者には温情を与えたいとは思うが、現実はカルカの甘さを許してくれない。対亜人では敵は即座に殺され、捕虜は徐々に殺される程度の差しかないのだ。

 カルカは再び瞼を開いた……美しく大きな瞳が現れる。

 

「昨今の亜人の蠢動は魔導国の策謀なのかしら?」

「たしかに魔導国はモンスターまで含めた多種族共生を標榜しておりますが、事実は不明。ですが、おそらく違うでしょう。魔導国が対聖王国で動くのであれば、前線に立つのはアンデッド兵団……情報によれば魔導国内には魔導王によって作り上げられた強大なアンデッドの衛兵団が存在し、国内を巡回警備しているとのこと……統制不能な亜人の集団を強引に差し向けるよりも、魔導王の命令には絶対服従で、完全に統制可能で強大なアンデッド兵団の方が軍としてはるかに優れているかと……」

「神官団が今回の魔導国の提案を許容する真意は?」

 

 カルカの質問にケラルトはしれっと答えているが、今回の魔導国の対応を引き出した張本人はケラルトであった。独断で密使を送り、援助を要請したのである。

 

「経済的案件はさておき、神官団としては……いいえ、私としては魔導国にアベリオン丘陵の亜人を統治させたいと考えています。法国の出方にもよりますが、現実問題としてアベリオン丘陵を統治可能な軍事力を持つ周辺国家は評議国と法国、そして魔導国です。我が聖王国の国力では完全に手に余ります。城壁を持ってしても、姉様の力を持ってしても亜人達を一時的に撃退するのが精一杯。であれば、統治可能な国家に責任を負ってもらった方が国家の人的リソースを軍事以外に振り向けることが可能になるかと考えました。評議国は単純に地理的に遠く、アベリオン丘陵の統治には時間差が生じます。何より統治者自体が竜王に代表されるモンスターや亜人では聖王国の都合など無視される可能性が高いと考えました。そもそも我々の側よりも亜人達に与する可能性も高いでしょう。次いで法国は人間以外の殲滅を望んではいるでしょうが、亜人の統治などに興味はないでしょう。我々に援助はしようとしてくれるでしょうが、それだけです。最後に残るのが魔導国です。多種族共生を国是とする以上、亜人の統治に不安はありません。何よりも現実に現在多くの亜人達を従えています。不安要素としては魔導王が自身をアンデッドと宣言していることですが、副王位に在るのは人間です。聖王国としては王国に働きかけてアベリオン丘陵を魔導国の領土と認めさせた方が都合が良いのではないか……ここで問題となるのが魔導国と在り方が正逆の法国ですが……今のところ魔導国の同盟を組む国家を表立って非難したことはありません。であれば我々が先んじて魔導国と同盟を締結しても法国の攻撃対象となる可能性は低いかと……」

「その取っ掛かりとして、今回の魔導国副王の訪問を聖王国神官団として認めたのね?」

 

 ケラルトは深く頷いた。

 アベリオン丘陵の亜人達は聖王国にとっては国家存亡に関わる懸案だ。過去には悲惨な歴史もあった。ケラルトの言う通り軍事に人的リソースを割かざるえないし、それが国家発展の足を引っ張っている感も否めない。

 しかし同時にケラルトはゼブルを「悪」と断じた。

 

 悪と手を結ぶ……それを是とするケラルトの判断を信じて良いものか?

 そうでなくとも国防の根幹を他国に握らせて良いものか?

 亜人の脅威が失せても、より強大な魔導国が脅威となるのではないか?

 魔導国との同盟関係など当てにできるのか?

 実質的に魔導国の属国と成り下り、下手をすれば人間至上主義の法国に狙われるのではないか?

 

 様々な考えがカルカの脳裏を過ぎる。

 ケラルトは静かにカルカを見ていた。

 

「カルカ様、私は即決しろと言っているのではありません。今度は聖王国から魔導国に使節を送れば良いのではありませんか?……魔導国の実態を知る……いいえ、現実を調査すれば良いのです」

 

 もっともな提案だ……明日の謁見でゼブルに提案してみよう。

 そこで私が正式に招かれたらどうしようかしら?……などとお気楽な考えが頭に浮かんで消えない。現実的にはハードルが高過ぎて、どうにもならないことは理解しているが、考えるだけならばカルカの自由だ。

 

 頬を赤らめていると、ケラルトの冷たい視線が突き刺さった。

 

「カルカ様……悪です」

「ダメかしら?」

「絶対に!」

 

 両国の関係性を深める為にはこの上なく良い手だとは思うが……などと反論してみようかと考えたが、あまりに不穏な表情をケラルトに見せつけられ、聖王女カルカ・ベサーレスは形の良い唇をつぐんだ。

 

 

 

 

 

 

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 聖王国は初めて、と言うわけではないが、やはり宗教国家だけに法国と似たものを感じ、馴染みにくい。法国との決定的な違いは神殿一強でなく、貴族などという社会の無駄が平然と生き残っていることだ。過去の『漆黒聖典』時代の亜人掃討の作戦行動時と違い、今回は首都ホバンスにまで入り込んだ。物珍しくは在るが、居心地が良い場所ではない。どうしても妙な違和感が拭えなかった。

 場所も不愉快だが、状況も不愉快だった。

 ドワーフ王国から帰還し、魔導王アインズから魔導国アダマンタイト級冒険者に任じられ、同時に数々の褒賞を得た。中でも武技の実験でより強い敵と戦う権利を得たことは単純に嬉しかったが、アゼルリシア山脈での冒険自体は甚だ不本意な結果だった。終始ゼブルが主導していたまでは良かったが、とにかく自身に見せ場が無かった。ヘジンマールとかいう不格好なフロスト・ドラゴンをアインズから下賜されたのも足代わりとしてありがたかったが……とにかく不完全燃焼であり、褒賞だけは他者並みにもらったように感じたのだ。

 一言で言えば「不本意」……正にそんな感じだった。

 それから2ヶ月余りゼブルから依頼された簡単な単発仕事だけをこなしてブラブラとカルネとナザリックで過ごしていたが、とうとう大きな仕事が魔導国から発注された……と聞いて、胸を躍らせたのだが……またドワーフ王国と同じような国交樹立を目指した交渉の為の訪問の護衛だと言う。表情には出さなかったが、内心ガッカリしたものだ……おそらく戦闘になることなどない。

 それでも放置されるよりはマシとゼブルに同行した。

 が、案の定退屈だった。

 訪問前のゼブルは多忙を極め、相手にしてくれない。

 実質的に秘書役のジットも下手すればゼブル以上に多忙だった。

 ならばと暇潰しにエ・ランテルまで出向いて、冒険者訓練所に顔を出してみてもブレインとエルヤーの剣術講師として立派に働く姿を見せつけられ、逆に不満が積み重なってしまった。

 道中も王国のリ・ロベルまでは『転移門』で一っ飛び……そこでお色気ババアの用意したスレイプニル八頭立ての馬車に乗るだけ……旅の情緒もクソもなく、あっという間に聖王国に入国を果たした。しかも聖王国の密使と魔導国の担当官だけだなく、シュグネウス商会の交渉担当まで馬車に乗り込んでいたので、ゼブルは馬車の中でまで打合せの連発でホバンスに到着するまでの間もとても相手にしてくれる暇は無かった。

 そしてホバンスに到着後も聖王国側の要人や高官の挨拶が続いた。

 大聖殿でも神官団やら聖騎士団やらの挨拶が続き、王城での聖王女との謁見の際には別室に追いやられる始末。

 何から何までムカつく……迎賓館でも取り巻きだらけのゼブルの周囲に近付けず、腹立ち紛れに食い物を腹に詰め込むも食品の品質そのものが魔導国内よりもはるかに劣り、料理のクオリティも低く、酒も味わうのでなくただ酔うために流し込むような代物に感じてしまった。もはや魔導国内での贅沢に舌ベロが麻痺しているのだと、逆に痛感させられてしまった。

 聖王国で唯一魔導国に勝るだろうと楽しみにしていた海産物も、王国からの租借地のリ・ウロヴァールからのドラゴン空輸が本格稼働した後では、むしろ『保存』の魔法を惜しみなく使う魔導国の方が優っていたりした。

 とにかく何もかも思い通りにならない。

 ゼブルは仕事仕事仕事の連続で、ジットも文字の読めないゼブルから離れることはない。

 珍しくパーティー用に正装で着飾ったのに、興味を持てない連中からしか誉められない。強くもないし、おっさんか老人がほとんどだし、若い男はひたすら軽薄だった。

 むしろ今の気分では殺したくなる。

 昔の悪い癖が顔を覗かせようとしていた。

 衝動を必死に抑えるが、限界が近い。

 あまりにイラ立ちが酷いので、とうとう警護の任務を一時的に放棄することにした……そんな瞬間だけ簡単にゼブルと話ができたのもムカつく。

 

 ゼブルの許可を得て、ナザリックで用意してもらったマジックアイテムのパーティー用ドレスのまま夜の街を歩く。

 と言ってもホバンスは健全な宗教国家の健全極まる首都であり、大して面白いものもない。探せば飲み屋ぐらいはあるのだろうが、異邦人のティーヌが自力で探し当てる頃には夜も更けてしまうだろう。

 

「……アーッ、モーッ、ムカつく!」

 

 憤慨しながら街路を歩いていたティーヌの目がスーッと細くなった。

 憤慨は一瞬で芝居に変わり、口角が僅かに上がる。

 気配を探るとそれなりの手練れ……どこまでいってもそれなり止まりだが、このフラストレーションの解消にはちょうど良い。

 迷う振りをして、どんどんと暗がりに歩みを進める。

 

 ……早く仕掛けてこい!

 

 周囲から人気は失せ、いかにもな裏路地に入り込んだ。

 相手から仕掛けてくれば防衛だ……殺さないで口を割らせれば、政治的な問題にはならないだろう。

 

 気配が動いた。

 ティーヌは気付かぬ振りを続ける。

 

「……ちょっと待ってくれや、ねーちゃん!」

 

 間抜けな暴漢は行動まで間抜けなようで、わざわざ声を掛けた。力量差が読めないのか、それともティーヌから情報でも取るつもりなのか?

 

「一緒に遊ぼうぜ!」

 

 まるでチンピラの口調だが、気配の主はチンピラと言うには強すぎる。

 

「お前さんがとんでもなく強えのは解ってるんだ……俺と勝負しやがれ!」

 

 振り向くと完全武装の厳つい男が立っていた。が、目だけがつぶらで愛嬌があると言うよりは、滑稽な顔付きだ。 

 獣皮を重ねた革鎧に片手剣と小振りの丸盾を構えている。特徴的なのは同じ剣を8本も腰に佩ていることだ。

 

「んー、あんた、誰?」

「オルランド・カンパーノ……聖王国九色の一人だ」

 

 少し拙いかも……聖王国九色と言えば国家から強さや何某かの貢献をもって与えられる地位だと聞いたことがある……この国交樹立目的の訪問の同行者として、少なくとも傷付けるわけにはいかないか……?

 ティーヌにとってそれなりの強者でしかないオルランドの戦力など恐るるに足らずだが、逆にこちらから手を出す際は細心の注意が必要となる。ストレス解消の相手がが逆にストレスを溜め込む原因になるとは……

 

「ねーちゃん、名は?」

「ティーヌ……魔導国副王であるゼブルさんの護衛」

「にしても、冒険者が王族の護衛だぁ?」

 

 冒険者と知られている?……思い出した……大聖殿前ですれ違った男だ。あの時にアダマンタイトのプレートを目撃されたのか……

 

「魔導国に王族なんていないんだよねー」

「まあ、王族だろうとねーちゃん以上に興味はねえよ。俺は強え奴と戦いたいだけだからな」

 

 会話に焦れたのか、オルランドの重心が足の親指の付け根に移動した。

 臨戦態勢……オルランドの片手剣が僅かに揺れる。

 

「案外、せっかちなんだー?」

「へっ、何とでもほざけや……とりあえず腕比べだ。俺なんざ、ねーちゃんに比べりゃゴミみてぇなもんだろ……だが、ねーちゃんとやり合えば、死ぬかもしれねえが確実に俺は強くなれる」

 

 確証を得た顔付きで、オルランドは屈み、さらに重心を低くした。実に不格好だが、経験に裏打ちされたオルランドなりの戦いに臨む姿勢なのだろう。

 獣じみた男だが、それだけに経験を重んじる……ティーヌも同じ方法で飛躍的に強くなった……オルランドの挑む気持ちは解らないではないが、それでも相手が悪い。

 なんだかんだで面白い男だ……瞬殺じゃ面白くない。

 

「ハンデ、あげよっか?」

「ああんっ!……ふざけんじゃねえぞ、ねーちゃん!」

 

 ただでさえ厳つい表情が精一杯凄むが、怒りは感じない。オルランドは明らかに世間を舐めているし、どう見ても社会不適合者の一種だ。そんな男が聖王国九色なんて地位に在るのがおかしいのだ……つまり誰にでも認識可能な事実に目を瞑ってしまうだけの強さの持ち主なのだろう。それだけ聖王国に対して強さを示したのだ。安い挑発に乗るフリはしても決して流されはしない。

 

「このままじゃ勝負にならないんじゃないかなー?」

「ハンッ!……だったらお強いティーヌ様はどれだけハンデをくれるって言うんだ?……試しに言ってみやがれ!」

 

 バカだがバカじゃない……首都の裏路地で外国要人の警護役に喧嘩を売る国家公認の強者を代表する戦士などいうあり得ない存在でありながら、それなりに相手との力量差は理解しつつ、勝つ為の算段も忘れない。トチ狂った戦闘狂だが計算ができないわけではない。

 

 ティーヌがニィーッと笑った……裂け目のような笑顔だ。

 チラリと長い犬歯が覗く。

 ドレス姿の美女が月夜に笑う……ロマンスの欠片も感じないそれを見たオルランドは背筋に冷たいものを感じた。

 

「そっかー、じゃあ、これでどうかなー?」

 

 ティーヌは右手を突き出し、人差し指を立てた。

 

「……なんだ、そりぁ?」

「これで戦ってあげるよ。人差し指指一本ぐらいなら、良い勝負になるかもしれないしー」

 

 はぁ?……ナメるにも程がある……が、オルランドの脳はむしろ冴えた。

 それだけに声が出ない。

 喧嘩を売る相手を間違えた、とは思いたくない。

 だがそれまでの勢いは失せ、必死に計算を続ける脳を何かが侵し始めた。

 生唾を飲み込む。

 ティーヌの目がさらに細まった……オルランドの感じた何かを敏感に察知したかのように。

 

「不安なら、左脚だけで戦ってあげようかー?」

 

 安い挑発が続く。

 オルランドは無理矢理戦闘モードに切り替えた。

 

「結構だぜ!」

「りょうかーい!」

 

 低く、さらに低く……低さを意識して、オルランドは距離を詰めた。

 ティーヌの意識を下に集め、そこから上半身に斬撃のフェイントを加え、斬撃を加える前に盾で押し込める……そんな戦闘プランを瞬時に組み上げ、オルランドは改めてティーヌを見た。

 

 笑っていた。

 構えもせず、自然体だ。

 視線を下に集めるどころか、戦闘モードですらない。

 ただ笑っている。

 オルランドは目線の誘導を諦め、プラン通りに上半身に斬撃を加えようと片手剣を鋭く振り抜いた。

 避けない。

 それどころか動きすらしない。

 ただ笑っていた。

 

 ……殺った!

 

 盾攻撃のプランをキャンセルし、そのまま突進して剣を振り抜く。

 が、手応えが無い。

 慌てて振り向くと、ドレスの乱れすらなく、ティーヌが笑っていた。

 

「うーん、無理だったねー」

 

 オルランドは言葉を返す余裕を失っていた。

 確実に殺ったはずなのに……再び剣を握り締める。

 

「スピードの絶対値が違い過ぎて、勝負にならないんじゃないかなー……武技でもなんでも使って、もっと速度意識しないと、私に当てるのは絶対に無理だと思うんだよねー」

 

 ご意見ごもっとも……ティーヌの揶揄によって冷えた心を取り戻し、恐怖と不安を突き抜けたオルランドは冷静に自分の戦力を顧みていた。

 一言で言えばオルランドは破壊力特化の戦士だ。

 一撃当てればたとえ格上でもただでは済まない。戦闘序盤に敵に圧倒されても、そのまま押し込められなければ逆転の目が消えないのだ。

 会得した剣技も手持ちの武技も連携させる体術も剣破壊でダメージを数倍に上昇させる技を中心に組み上げていた。だからむしろ戦闘序盤は舐められるような展開でも一向に構わないのだ。相手に油断が生じれば、それだけオルランドに逆転の目が生まれる。一撃がオーバーキル……格上相手でも平気で突っ掛かれる大きな理由だ。

 

「遅いし、狙いも動きもお粗末……そんなんでも九色なんだよねー?」

 

 バケモノ女が……

 ただ笑っているように見えた。

 目でも追えない。

 結果だけ見れば、単に振り向いたとしか思えない。

 だが、間違いなく剣の軌道上にいたのだ。

 

「次は反撃するから……この左脚で、右内腿を軽く蹴るからねー……ここまで言った以上、九色名乗るなら対処ぐらいはして欲しいかなぁ」

 

 ナメやがって……だが言い返せない。

 宣言通りの反撃が来るだろう。

 殺すなり無力化するなりするつもりなら、既にやっているはずだ。それだけの実力差は感じている。

 楽しんでやがる。

 だが意地でも右内腿だけは守る……オルランドは決意を固めた。

 その代償が心臓であっても構わない。

 死んでもいい。

 だが絶対に右内腿には当てさせない。

 

 スーッと深く息を吸った。

 反撃と言った以上、オルランドの攻撃に対してのリアクションのはず……つまり必ず先手は取れる。

 速く、ひたすら速く……瞬発と目に全神経を集中する。

 ゴツイ丸太のような筋肉の塊が収縮する。

 筋肉を限界まで引き絞る。

 ティーヌが笑っていた。

 その笑いを僅かでも歪ませる。

 距離はおよそ2メートル……踏み込むだけの距離。

 普通ならば必ず先手を取れる距離だ。

 ティーヌの言葉もオルランドに先手を譲ると宣言しているようなものだ。

 ギチギチと筋肉の悲鳴が聞こえるような気がした。

 全てを解放するまで……一撃勝負だ……絶対に当てる気で全力を放つつもりではあるが、当たる気はしない。

 むしろ反撃に当たらなければ勝ちだ。

 

「バーケーモーノーがぁあああ!!」

 

 抑え込んでいた筋力を全開放する。

 足の指先が大地を抉る。

 肉体が弾けた。

 同時に最小の動作で最速の突きを繰り出す。

 作戦もクソもない……単純な特攻だ。

 

 ……これで避けるはずだ!

 

 目で追うまでもなく、ティーヌは正面にいた……笑ってやがる。

 逃げ……ない?

 左脚で右内腿を狙うと言った……左内腿でなく。

 であれば、右手前に体勢を入れ替えなければ狙い難い。

 だがティーヌは動かない。

 笑いながら自然体で立ち尽くしていた。

 おかしなタイミングでティーヌの左脚が消えた。

 回避でなく、迎撃。

 タイミング的には圧倒的にオルランドのものだ。回避なしの迎撃ではオルランドの剣の切先が先に心臓を貫く……はず。だが何をされたのか理解の及ばない初撃の回避が頭を過ぎる。だから当たるとは思っていないが、ここからの速度的な逆転など可能なのか……?

 強烈な不安が全体重を乗せた突きから右手を離させる。

 

 ガード、間に合えや!

 

 ゴリッと嫌な音がした。

 同時に右肩が引っ張られ……爆散するように右肘が断切し、前腕が視界から消え失せた。

 

 遅れて激痛が襲う。

 猛烈な熱さと急激な寒気が同時に身体を駆け抜けた。

 自分でも何があったのか、全く理解できない。

 着地できず、顔面から地面に落ちた。

 いつの間に自身真正面に立っていたティーヌをすり抜けていた。

 そこにいるのは判るが、顔が上がらず、細く引き締まった美しい足首だけが見えた。パーティー用のヒールが妙に艶っぽく月光を反射していた。

 自身の脚も動かない。

 

 ……折れたか?

 

 骨折を疑い、なんとか首を動かす。

 灼熱を感じ、同時に感覚を無くした左脚を見た。

 

 ……な、無い?……マジか!

 

 月明かりの下、赤黒い血痕が放射状に伸びていた。

 その先に腿から千切れた左脚が転がっている。

 

「ありゃりゃ、手加減失敗……やり過ぎちったか……」

 

 ……バケモノが……

 

 そのお気楽な声を聞きながら、オルランドの意識は暗転した。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 血の臭いが細い路地に充満していた。

 そこに群がる野犬やネズミを追い払う。

 右前腕と右脚を失った失血死体の元人間の男が仰向けに転がっていた……野犬とネズミに色々と持っていかれ、もはや人型の肉の塊にしか見えないが。

 路地裏で喧嘩を吹っ掛けられた結果、殺り合い……まあ、そりゃ単なる現地生まれの人間じゃ、どんだけ強くてもどうにもならんでしょ……で、殺人犯はたまたまパーティー用の格好だった為に、回復用のポーション一つ所持していなかったと言う。

 

 ティーヌは上目遣いでテヘペロ状態だ。

 

 しっかし綺麗にカウンターが入ったとはいえ、単なる蹴りで手練れの戦士を殺すなよ……いや、割とマジに……筋肉ダルマの右半身ズタズタじゃん。

 

 まあ、問題はそこじゃない。

 死体が有名人だということだ。

 

「……あのー、聖王国九色の1人、殺っちゃったみたいなんです」

 

 迎賓館で聖王国の高官達と談笑する中、さして悪びれる感じもなく、ティーヌが異様に接近すると耳元で囁きながら服の袖を引っ張った。で、聞いてみれば、状況的には最悪……慌てる素振りを隠しながら、一番近くに立っていた高官に初めて聞いた『聖王国九色』について尋ねた。

 その結果オルランド・カンパーノとかいう奴は確かに『聖王国九色』の1人であり、重度のトラブルメーカーだが、その強さ故に前聖王から任じられたらしいことも確認できた。

 即座に会談のチャンスを狙うパーティー参加者に笑顔で挨拶しながら、一旦中座したわけですよ。要はジットに丸投げですわ……スマンな。

 追跡というか尋問というか……明らかにトラブルの気配を発する俺達に衛兵達は職務意識を刺激された上で警護を拒否され、明確に疑いの目を向けた。

 半ば強引に男女の問題風を装い、滅茶苦茶強引に衛兵達の追跡を巻く。

 

 怪しいよなぁ……間違いなく。

 

 それからホバンス上空をマスフライで一っ飛び……現在に至る、ですわ。

 

「……で?」

「蘇生の実験……ゼブルさん、やりたがってたじゃないですか、トゥルーリザレクションでしたっけ?……それにどーかなーって?」

 

 極限の冷たい視線をたじろぎもせず受け止めたティーヌはニコッと笑った……コノヤロウ!

 

「あのなぁ……」

「……でも、ドラゴンで試せなかったじゃないですか……オラサーとか、簡単に降参しちゃったし……ネッ!」

「……まっ、そりゃ、そうなんだけどさぁ……」

「だったら、ここは一丁、聖王国と魔導国の未来の為にお願いしまーす!」

 

 必死に両手を合わせるティーヌ……だが悪びれるふうでもなく、単に俺やジットの仕事の邪魔をしたくないだけなのは明白だ。

 いまさらティーヌが殺人に対する贖罪意識など抱くわけがない。本人のレベルが上がり過ぎて、人間程度の弱過ぎる相手に興味を失いつつあるだけだ。どれだけ生理的に嫌いでも完全武装の戦士がいつまでもゴブリンを討伐することに必死になれないとの似たようなもんだろう。己の技量が上がって簡単に殺せるようになればなるほど、簡単になり過ぎて興味を失う……つまりあまりに弱過ぎるとドS殺人鬼の嗜虐心すらも刺激しなくなるわけだ。

 

 まーね、そりゃやらないわけにはいなかいのは確かなんですけど!

 

「この埋め合わせはなんでもしますから……なんなら私でどうですか?」

「いや、それはいいです」

「ゼブルさんのイケズ……」

 

 ここまでが会話のテンプレになりつつあるな……で、いつも通りにケラケラ笑ってやがる……

 なんだかこの旅に出て以来、久々に見慣れたティーヌを見たような気がする……いや、もっと前からかもしれない。

 

「まっ、やらないわけもいかんでしょ!……『人化』解除」

 

 魔神アバターに戻る……で、ステータスやレベルに依存する制限も可能な限り排除する。不明瞭な中で蘇生魔法の実験する以上、多少のリスクは負っても全ての不安要素は排除する。聖王国九色などという極めて分かり易い……もはや誰だか解らない気もするが……有名人の死体を運ぶわけにもいかないし、『転移門』を使って魔導国内に運ぼうにも、使った瞬間を見られれば結果は一緒だし……聖王国九色が俺達の滞在中だった場所で行方不明ってえのは、ある意味死亡よりも非常によろしくない。

 

「トゥルーリザレクション!」

 

 中空に魔法陣が出現し、青白い光が筋肉ダルマの死骸と言うか肉の塊を包む。

 欠損部位が生えるように修復した。その後オルランドがむせて大きな血塊を吐き出し、胸が再び上下を始めた。

 微かに呼吸音が聞こえる。

 

「……いちおう、蘇生は成功だ。後は……」

 

 意識の混濁はどうか?

 レベルダウンは有るのか?

 まあ、再生した欠損部位は問題ないと思う。現地産の低位の回復ポーションでもどうにかなるわけだし……

 

 オルランドの意識が戻らない内に再び『人化』する。

 筋肉ダルマの姿を取り戻した元死骸のレベルは……ざっくり20半ばといったところ。

 レベルダウンが有っても無くても関係ない。よくこんな程度でティーヌに挑んだもんだ、とむしろ感心させられた。

 この旅に出てからイラついていたティーヌが無闇に手を出したわけじゃないし……じゃないよな?……カウンターの蹴りの一撃で死んだのも納得。

 

「なぁ、もう一度確認するけど、ティーヌさんが先に手を出した……」

「んなわけないですよー!……この程度に手を出して、アインズちゃんが強い訓練相手を召喚してくれなくなったら、ショックで泣いちゃいますよー」

 

 憤慨して勢い余って、俺に飛びつき、戯れ付くふうを装うティーヌ……聖王国に向けて出発して以来、いやもっと前から、かな?……久々に見る本物の笑顔だ……見慣れていたつもりのそれをなんだか妙に子供のように感じる。

 足下に意識の無い聖王国九色が転がり、野犬に包囲された血塗れの路地裏ってロケーションじゃなければ、傍目からは恋人同士に見えるか?

 

 そんなことを考えていると呻き声が聞こえ、見ればオルランドが上半身を起こしていた。

 

「あっ、おっさんが起きましたよー」

 

 そう言いながらもティーヌは俺から離れない。無理矢理引き剥がそうにも、もはや『人化』したままの俺ではティーヌの力に対抗できないのだ。とりあえずオルランド以外に人の気配は無さそうなので放置しておく。

 

 顔面の全てが厳ついのに目だけがつぶらな凶悪フェイスが俺とティーヌを見て、キョトンとしている。まあ、意識ぶっ飛んで起きたと思ったら、目の前で殺し合いの相手がイチャ付いていた……唖然とするのも解らないでもない。

 

「……あんた……魔導国のアダマンタイト……仲間?……いや、コレか?」

 

 オルランドがおそらくいかがわしい関係を意味する指サインを出した。

 

「いや、違……」

「そうでーす!」

 

 俺に睨まれ、ティーヌはケラケラと笑う。

 

「ったく……で、身体の調子はどうだ?」

 

 なんだかよく解らん……表情で語りながらオルランドは再度俺を見て、いつの間にか欠損が修復している右腕をグルグルと振り回した。その直後立ち上がり、右脚の具合を丹念に確かめる。

 

「問題ないな……むしろ調子が良いか……あんたが治癒してくれたのか?」

「いんや、治癒じゃなく蘇生な」

「そせい…………俺は死んだのか?」

「その通りだ。で、生き返って、身体能力は落ちたか?」

 

 オルランドは左手で握りしめていた剣を持ち替えて、右で振り、何回かその場で跳躍を繰り返した。

 

「よく解らねえが問題なさそうだ。感謝するぜ……でも申し訳ねえが、謝礼は直ぐに、ってほど金持ってねえんだわ」

「いや、不要だ」

 

 それまで徐々に曇り続けていたオルランドの顔色が一瞬で晴れた……治癒の魔法に対して神殿へ納める金額は高額であり、それが蘇生となったら、予想のできないようなとんでもない金額と思っていたのだろう。

 

「……そうか、ありがとよ……マジで感謝だ。あんたに受けたこの恩は一生忘れねえ。何でも言ってくれ!」

 

 オルランドはフラグ中のフラグをブチ上げた。

 

 そうですか……では、遠慮なく。

 

「そうか……んじゃ、お前にはもう一度死んでもらう」

「……えっ?」

「もう一度死ね……そしたらまた俺が蘇生する……その際に身体の調子や能力について再度聞かせてくれ」

 

 まっ、実験ですから……

 

 オルランドが俺から後退ったが、その方向にはいつの間にかティーヌがニヤニヤと笑いながら立っていた。

 




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40話 聖王国最恐

 

「長いっ!」

 

 予想はしていたが、毎度毎度一喝されて気持ちの良いものではない。

 報告が長い原因は誰にあるのか……ということだ。

 聖王国聖騎士団副団長イサンドロ・サンチェスは脳内でボヤきつつ、気を取り直してかなり噛み砕いた報告文を読み上げることにした。

 

「要約して報告いたします……速報なので断定はできませんがカストディオ団長が経過報告の為に首都行きを命じたオルランド・カンパーノ班長が首都で軍を退役しました……つまり城塞には戻ってこない、ということになります」

 

 絵に描いたような美丈夫然とした美女であるレメディオスがイラ立ちを隠さないでイサンドロを睨め付けた。

 

「……何故だ?」

「不明です……最前線に立つのが生き甲斐のような方でしたので」

「私は理由を聞いているのだ!」

「可能であれば九色の地位も返上するつもりだ、と聖王女様に申し出ているそうですが……予想できるのは、心境の変化としか……」

 

 煮え切らない報告にレメディオスは顔を顰めた。

 

「アレの部下共はどうするのだ?……あんな愚連隊じみた連中を引き取る先はあるのか?」

「カンパーノ班長が大砦内でも一目置いていたバラハ兵士長に相談してみるつもりですが……いずれにしても指揮系統に問題は生じるでしょう」

「従者ネイア・バラハの父親か……?」

「あの方であれば、あくまでとりあえずですが跳ねっ返り共も黙らせることが可能でしょう」

 

 心中で「団長には無理ですからね」と付け加える。絶対忠誠の聖騎士団の中ですら問題行動だらけのレメディオスに、軍士ですらない粗暴な兵士の集団をまとめ上げることなど不可能だ。実力と暴力で黙らせることは可能でも、組織として瓦解する未来しか見えない。

 

 レメディオスは唐突に興味が失せたかのように城塞の窓の外に鋭い視線を向けた……また「聖騎士としての勘」とかいうやつだろうか?……一見論理もクソもなく副団長としては困り物だが、結果的に正解であることが多いので、部下としては頼りになるのだ。

 

「いかがされましたか?」

「総員、出るぞ……矢の掃射の横合いから直接叩いた方が効果的な集団が潜んでいる」

 

 漠然と戦場を眺めただけで何が判るのか?……敵の陣形や回避行動や戦局の流れやらを総合的に判断している……と思いたいが、一切の説明が無いので真偽は不明だ。

 

 戦場以外ではほとんど身につけない聖剣サファルリシアの柄に手を添え、威風堂々と立つレメディオスはイサンドロが動く前に全隊に号令を発した。

 イサンドロは慣れたものだが、直属の部下にも同じ副団長のグスターボ・モンタニェスにも視線を送り、新人に対する配慮も忘れない。なにしろこれから超問題児オルランド・カンパーノ班長閣下が放り出した問題児兵士達の所属問題を持ち掛ける相手の愛娘がいるのだ。そして頼りになるはずの相談相手パベル・バラハは親バカというか、バカ親として有名だった。親娘揃って不意に闇夜に出会ったら、小便を漏らしそうな面相なのだが……

 

 ……聖騎士団の指示をことごとく無視するオルランド・カンパーノが気に入らないなどいう理由で、王都に経過報告に行かせるなどという分かり易い離間工作をした結果がコレだものなぁ……アレはアレで独立愚連隊として活用すれば良かっただけなんじゃ?……いまさら言っても詮ないが、戦場の外の団長は本当に……真の意味でバカというか脳筋だものなぁ……グスターボもそれしか思い付かなかったとはいえ、もう少しなんとかならなかったのか?

 

 およそ2ヶ月前……アベリオン丘陵の亜人達が連携した行動をするようになった、という深刻な報告書が上がった。つまりただでさえ人間よりも優れた身体能力や特殊な能力を持つ為に厄介だった連中が、より厄介な存在になったということだ。

 ローブル聖王国としては死活問題である。

 軍に調査命令が下されると同時に、一個の打撃力として最大戦力である聖騎士団にも出撃命令が下った。

 城塞に到着し、とりあえず一戦交える為に出撃して痛撃を受けた。

 亜人共は種族ごとに役割を分担するような動きを見せたのだ。

 挑発するもの。

 誘導するもの。

 魔法支援。

 前衛。

 後衛。

 伏兵。

 突撃兵。

 飛行兵力。

 そして予備兵力まで。

 当然、何処かに指揮官や作戦参謀もいるはず。

 

 それまで力では劣っていても城壁による地の利と亜人にはない連携と統制力でなんとか勝利で凌いでいた聖王国は、知らぬ間に国家存亡の危機に陥っていた。もはや北部と南部で暢気に権力を巡って争っているような場合でなく、挙国体制でこの危機を凌がなくてはならない……調査報告は即座に上げられ、聖王国全土から城壁周辺に兵と物資が掻き集められていた。それだけで財政的にも経済的にも人的にも相当な損失を生むが、もはや一刻の猶予も無いと判断されたのだ。

 神官団の半数までもが動員された総力戦。

 聖騎士団としても訓練生である従者まで含めて総動員せざる得なかった。

 戦局は一進一退の膠着状態を維持していたのだが……

 

 不幸の始まりは決戦兵力である聖騎士団が敵の猛攻が執拗に続く、激戦区中の激戦区に配置されたことに始まる。軍上層部としては当然の配置であり、周辺も当人達すらも異論など無かった。むしろ聖王国九色の内4人が1ヶ所に集まるのだ。負ける要素など皆無に思えた。

 しかしその中にレメディオスとオルランドがいた。2人とも戦士としては超の付く一流……だが強固な信念に基づき行動する。たとえ同じ戦場に立っていても戦果を競い合っている内は良かったのだが、同じ指揮系統の上位と下位となると話は別だった。

 レメディオスは「聖騎士としての勘」を優先させて指示を出し、オルランドは掻い潜ってきた最前線の実戦経験を優先させた。しかもオルランドは同じ上位者でもパベル・バラハ兵士長には一目置いていたが、さらに上位者であるレメディオスについてはあからさまな命令無視も多かった……というよりもほぼ全ての命令を無視した。

 同じ戦場で指揮官と下士官の間が一触即発の状態まで緊迫化するのに時間は要らなかった。

 その上オルランドは上官に対する度重なる暴力沙汰でも有名だった。

 絵に描いたようなエリート脳筋であり、聖騎士としての正道を歩み、家柄や聖王女との関係性など関係無く、実力で団長の座をもぎ取ったレメディオスがオルランドのような叩き上げの戦闘狂の意思を理解できるはずもなかった。

 亜人との戦争中に九色同士での刃傷沙汰まで残り僅か……さすがにそれは拙いと相談を受けたグスターボ・モンタニェスのアドバイスに従って、レメディオスはオルランドを首都への戦況報告の説明責任者として捩じ込んだ。

 その場凌ぎだが、凌がないよりはマシ……同じ副団長としてイサンドロにはグスターボの苦悩が手に取るように解ってしまった。

 

 だがオルランドがホバンスから帰還した後どうするのか?

 

 その深刻な問いにグスターボは「帰還前にバラハ兵士長に相談する」とほぼ丸投げの解決策にもならない返答をした。

 グスターボを哀れに思い、副団長2人でバラハ兵士長と面会した結果、殺されるのではないか、と直視の難しい凶悪な目付きにビクビクしながら愛娘の初陣について説明するだけに終わった。

 

 その時はオルランド・カンパーノの退役などという事態に至るとは思いもしなかった。戦力の減少と彼の部下の問題児達の所属問題に、彼等の憎悪がどちらに向くか……副団長2人の胃は持つのだろうか?……彼等の未来はどう転んでも暗いように思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 じわじわと真綿で首を締め付けられるような痛みが聖王国を苦しめていた。

 このまま推移すれば戦費で財政破綻は確実。

 加えて物資調達で貿易収支も真っ赤っかだ。

 つまり国庫に金が無い。

 大規模大幅増税やむなし……全ての官僚の認識だったが、聖王女カルカ・ベサーレスは民の憎悪を恐れ、どうしても首を縦に振れなかった。振らなかったのでなく、振れなかったのだ……結果、小幅な逐次増税を短期間で乱発するという愚策を選択した。

 人的資源も軍に限らず城壁に最優先で回さざる得ない。

 これが収穫期だったら……想像するまでもなく翌春には餓死者続出だったろう。

 少し先の未来を想像するのも恐ろしかった。

 宮廷官僚達は夜も眠れず、資金の捻出に頭を捻る。

 神官達は不安に駆られる国民を説くのに精一杯。

 聖王女カルカは彼等を勇気づけようと肌のケアもそこそこに宮廷内や大聖殿や軍関連施設を巡り続けたが、日に日に士気は落ちる一方。それでも士気の決定的な暴落を防ごうと終わりの見えない戦いに明け暮れていた。

 

「……他国に援助を求められては?」

 

 誰が言い出したのか判然としない。

 しかし聖王女の最側近の1人であるケラルト・カストディオは即座に候補国を検討を始めた。

 最も距離的に近い王国はカッツェ平野での敗戦の痛手から立ち直ったとは言えない。とても聖王国に手を差し伸べることはできないだろう。

 では勝った帝国は……国に余裕があるのは間違いないが、もはや接点が陸路にはなく、海路のみとなると資金援助はともかく食料物資や人的援助は厳しい。そうでなくとも単純に遠い。

 法国は聖王国を援助する理由こそ豊富だし、国力的には文句のつけようもないが、両国間にアベリオン丘陵とエイヴァーシャー大森林が広がり、尚且つエイヴァーシャー大森林のエルフの王国と交戦中だった。手を差し伸べたくともどうにもならないだろう。

 国力で言えば評議国は最有力候補だが、やはり亜人やモンスターが統治する国が聖王国を選択して、アベリオン丘陵の亜人と敵対するとは思えない。

 カルサナス都市国家連合は帝国よりもさらに遠く、竜王国はビーストマン国家との戦後間もない上に元々中堅国程度の国力では単純に他国の援助などしている場合ではない。

 選択肢として残ったのは新興の大国である魔導国。

 国力は間違いなく精強……帝国に竜王国にビーストマン国家を従える同盟の盟主であり、直近ではアゼルリシア山脈のドワーフ王国とも同盟関係を締結したという。王国も実質的には属国との噂も絶えない。

 資金力は周辺国全てを足しても敵わないだろう。

 ただし支配者はアンデッドであり、良くない噂どころか恐ろしい噂も多い。

 多種族共生を標榜し、聖王国に与するとも言い切れない。

 だが唯一の現実的な選択肢だった。

 

 ケラルトは独断で密使を送った。

 可能であれば自身で魔導王を説き伏せたかったが、相手は神官の不倶戴天の敵と言えるアンデッドを自称していた。当然アンデッドにとっても神官は天敵だろう。援助を求めるのに天敵を使者として送ることなどあり得ない。

 そうでなくとも国家の非常時に聖王女カルカを1人するのはあまりに危ういように思えた。人間としては敬愛に値する聖王女であるが、とにかく厳しい決断が出来ないのだ。国庫が枯渇しているのに増税の判断すら出来ない。民の生活を想い、最小限の増税を繰り返すことを選択した結果、僅か2ヶ月程度で民にも官僚達にも恨まれこそしないが、ウンザリされるようになっていた。この上前線の物資が滞るような事態にならば、軍からも憎まれ、南部諸侯と憎悪の連合を結成した上でカルカ・ベサーレスは戦後勝利を得ても早々に退位を迫られるに違いない。この上なく無能な聖王女として歴史に名が刻まれるだろう。

 

 魔導国の反応は迅速だった。

 まるで待ち構えていたかのように、魔導国の外交と貿易を仕切る副王を送って来たのだ……密使が魔導国首都カルネに到着した3日後には援助の骨子が記載された文書が届き、5日後には魔導国の使節団は聖王国に入国していた。しかも予想外に副王は人間だった。

 

「魔導国は悪辣だ……愛想の良い笑顔に油断していると骨の髄までしゃぶり尽くされるぞ。証拠は私だ」

 

 とは魔導国副王の使節団が聖王国入国を果たした翌日に王国の宮廷に入り込んだ密偵よりもたらされた情報とも言えない情報だった……現在、王都の牢獄で処刑を待つブルムラシュー元侯爵の言葉らしい。ブルムラシュー自体が売国奴同然の男だった上に戦争相手の帝国にも通じていたのは事実だ。ブルムラシューの所有する金とミスリルの鉱山を手に入れる為に、帝国に内通の情報を差し出させたのは魔導国だ、と彼は主張しているらしいが……真偽の程は定かではない。

 

 魔導国のスレイプニル八頭立て馬車の重厚な扉が開き、そこには拍子抜けするほど若い男が立っていた。周囲の様子から察するに、その男こそが魔導国副王位に在るのは間違いなさそうだった。おそらく旅装なのだろうが、それだけは凄まじい逸品と理解させられる黒いコート以外は極めて簡素な服装であり、逆にその男の異様に整った容姿が際立つ。妙に印象が薄いようにも感じるが、それは身に付ける黒いコートの凄まじさによる影響だろう。主君にして親友である聖王女カルカ・ベサーレスを凌ぐかのような容貌であり、コートの下は鍛え上げられ、一切の無駄を削った細身の身体なのも一目で判った。

 馬車から若い女戦士が真っ先に降り立ち、その後を副王と側近らしいオカッパ頭の目付きの悪い年齢不詳の男が続く。その後には見慣れた光景……10名近くの裕福そうな商人風や身なりの良い男達が続いた。

 

「あれが魔導国副王……ですか」

 

 圧倒的存在感。

 圧倒的余裕。

 圧倒的強さ。

 異国に赴くのに護衛は1人……余裕の笑顔……男なのに聖王女を凌ぎかねない異様に整った貌。

 そして悪だった。こんなものが善であるはずがない……それは神官として研鑽を重ねた経験が漠と教えてくれる。ただし純粋なものではない。あちらも利用されるのも厭わない悪であり、こちらも利用可能な悪だった。取引可能であればお互いに手を取り合える絶妙な色彩の悪だ。

 

「あれに賭けてみましょうか?……少なくとも先方が乗り気なのは間違いありませんし、この窮状を脱する方策も持っていそうです」

 

 魔導国副王を取り囲む聖王国高官達の人垣から離れた場所で神官団団長ケラルト・カストディオは意を固め、薄く笑った。ほぼ同時に副王ゼブルの口角が僅かに上がったことには気付かずに……

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 都合4回殺され、4度生き返った。

 死ってえのはこの上なく痛えし、気持ちの良いもんじゃねえが、避けられるような代物でもねえ。特に死を与える相手が笑顔の場合、もはや諦めるしか道は残されてねーんだ、これが。

 最初は事故だったらしい。

 2回目は実験。

 3回目は何かの確認。

 4回目は何かを確認した後の再確認だそうだ。

 意味も意義も俺にゃ解るわけがねえ。

 だが悟った……蘇生魔法とは偉大だ、と。

 噂に聞いていたような代物と違い、灰にもならねえし、力が落ちたような気もしねえ。意識の混濁もねーし、即座というわけにはいかなかったが、ものの数分で動けるようにもなった。何故なら『死者復活』でなく『真なる蘇生』だからだと聞いたが、この俺に蘇生魔法の種類の違いなど解るわけがねーだろ!

 いずれにしても死を賜り、生を賜った。

 殺した女と生き返らせた男は妙にくっついたまま笑っていやがった。

 戦って勝てるような女じゃねえ。

 ちょっかいを出して良いような男じゃねえ。

 こいつらは本物の神だ……怪しい邪な神だが……つまり喧嘩を売っている場合じゃなかったわけだ。英雄やら九色やらどうでも良くなった。大聖殿の奥で畏まって祈りを捧げるような神じゃなく、生と死を操る本物の神に出会ったのは俺の運命に違いねえ。

 だから確信を得た……運命には従うべき、と。

 通算5回目の生を得た後、俺は素直に平伏した。

 そして顔を上げると女はニヤニヤと笑い、男は困惑顔を見せていた。

 

「えーっと、どーゆー意味だ?」

 

 混濁も欠損もしなかった記憶によれば言葉を発した男は魔導国の使節……たしか副王だ。副王などという煮え切らねえ歪な地位に在るらしいが、つまり男の上位者は魔導王だけってことだ。

 ティーヌという名のバケモノみてえに強え女の方は少なくとも表向きは副王様の下位者なのは間違いねえだろ。

 とりあえず俺は目の前の副王様に取り入らなきゃ始まらねえわけだ。

 

「……俺を配下に加えてくれ。兵は辞める。九色の地位も捨てる。聖王国もどうでもいい。だからあんたらの下で学ばせてくれ……俺はもっと強くなりてえんだ。この歳まであんたらに出会えなかったが、ここで出会ったのは俺の運命だと思っている。何でもやる……それこそ俺はあんたらの実験とやらで4回死んだが、また死ねと言われれば、素直に死ぬぜ。使えねえなら死んだままで構わねえや」

「いや、そう捲し立てられてもさ……お前、聖王国じゃ有名人だろ?」

 

 副王様は乗り気じゃねーな。

 女の方はニヤニヤと楽しそうに笑ってやがるが。

 

「いちおう九色だ。素行不良らしいけどよ……現に最前線がクソ忙しい時期にノータリンの聖騎士団長のアホ女に睨まれちまって、クソみえてな嫌がらせでホバンスに追いやられちまった……けどよ、あんたらに出会った。本来ならいるはずのねえ場所とタイミングだぜ……どう考えても偶然じゃねえだろ!」

「いや、それこそ偶然だろ!」

「それが運命ってもんだ!」

「いや、待て!」

「いや、待たねえ!……これから手続きしてくるからよぉ、それから先は頼むわ。あんたら魔導国のお偉いさんじゃ、滞在先は迎賓館だよなぁ?」

「おいっ!おーい!」

 

 やぶれかぶれの押し掛け弟子志願だ。

 強引に走り去る。

 次に会う時はお前らの手下だぜ。

 あいつらも覚悟してんだろ……連中が本気で止める気になりゃ、俺ごときにゃ抵抗なんざできるわけがねえんだ。

 晴々とした気分だ。

 

 凄え!……感謝するぜ!……レメディオス・カストディオのアホ女!

 

 

 

 

 

 

 

 オルランド・カンパーノ退役……九色返上……出奔。

 

 その一般国民には全く響かない為に地味に感じるが、本人の為人を知る者には大きな衝撃をもって受け止められた一報は軍部を中心に一気に拡散された。

 その動揺は軍から神殿勢力を通して宮廷へと伝わる。

 巡り巡って最側近のケラルト・カストディオまで知らせが届いた時、聖王女カルカは謁見の間でなく、会議室で魔導国副王と協議の最中であり、魔導国による聖王国への援助について大筋合意に至る直前だった。

 と言っても、副王ゼブルが聖王国に入国する2日前には文書で大筋の援助内容と魔導国の求める見返りが伝えられており、昨夜の段階で細かな追加条項もほぼほぼ決まっていた。表向きの合意事項については聖王女カルカ・ベサーレスの署名で決定だったのである。

 だから合意事項は和やかな雰囲気と明るい談笑の下、あっさりと成立した。

 

 問題はこの後の裏交渉だった。

 その場からは宮廷官僚達は排除される。

 代わりケラルトが入室し、魔導国側からは副王ゼブルはもちろん側近のジットだけが参加する。つまり実質的にはケラルトとゼブルの会談だった。

 ケラルトとジットの入室後、和やか雰囲気は一変し、魔導国と聖王国による腹の探り合いが開始された。

 魔導国にとってはどうでも良いまでは言えないが、得られる成果を大きくする為の話し合い。一方、聖王国としては国家の存亡を賭けた総力戦に近い。

 だからというわけでないが交渉材料の取っ掛かりの一つとして、元聖王国九色オルランド・カンパーノの所属問題が提示されたのである。

 

「……カンパーノ元班長が退役後に魔導国に所属を希望しているというのは事実でしょうか?……我が国の個としての最大戦力の1人をこの時期に引き抜くとはどういうことでしょうか?……魔導国としての行いであれば、援助を台無しにする行いではありませんか?」

 

 話の切っ掛け……相手に少しでもこの後の本題で譲歩を迫る材料になれば良い程度の材料に一つに過ぎなかった。この時点で聖王国が魔導国に真っ向から楯突いて得は一つもないのだ。鼻で笑われればそれまで……その程度の腹づもりでケラルトは切り出した。

 現に脚を組み替えたゼブルは酷薄な笑いを見せ、隣のジットを見て、きょとんとするカルカに視線を移した。

 

「……我が国の国是は御存知ですか、カストディオ最高司祭殿?」

「多種族共生と聞き及んでおりますが……」

「では、ついでにこちらの立場も理解していただけるとありがたい……それとこの先は突っ込んだ話になると思うので、事前に言っておきますが、俺は生まれが下賤なので言葉はぶっちゃけます」

 

 異国の王に対して許可を求めるのでなく、宣言。

 魔導国の立場を理解しろ。

 畏まった言葉は使わない。

 一人称ですら「俺」にする。

 魔導国副王は思い切り肩の力を抜いたようだ。

 その横でオカッパ頭の側近は「無」を体現したような目付きで虚空を見つめている。特に注意や進言もしない。2者の力関係は確定的に明らかだ。

 

 攻め手として意味がないのか?……それとも上手く逃げられたのか?

 

 ケラルトは唐突な雰囲気の転換に戸惑いつつ、余裕の表情のゼブルの腹の内を思案する。どうにも掴みどころのない男だ。自身の上位者としてアンデッドを担いでいる時点で神官であるケラルトの理解が及ぶわけもないが……

 

 思案を重ねている内に、一見して精緻な細工を思わせる笑顔がケラルトを覗き込んでいた。思わず息を飲む……昨日はカルカに注意したものの、やはり単純に美しい容姿というのは覆しようのない事実だ。どこか作り物めいていて、どこか不安を感じさせるが、醸す妖しさ込みで副王ゼブルの魅力となっているのは間違いない。神官としての真摯な研鑽がなければ、カルカのように魅了されてしまったかもしれない。

 この男は悪……初見から変わらない印象を強く念じた。そうでなければ飲み込まれてしまう。この男にとって女であること自体が弱点になってしまう。

 

「では腹を割りましょうか?」

 

 ゼブルは言葉と裏腹に爽やかに笑った。

 陰口で「聖王国最恐の女」や「外面如菩薩内心如夜叉」と揶揄され、自身もその通りと認めるケラルトが、異国のアンデッドの手下である男の外見だけで頬を染める様は、彼女を良く知るカルカにしても意外だった。

 

「……我々としては合意した資金融資と食料支援に加え、さらに兵力を提供しても良いと考えている。まあ、正規の大規模兵力が王国内を移動するとなると様々な問題が生じ、魔法で直接転移させても貴国内では同意が得られないことも予測される。なにしろ魔導国正規軍の最精鋭はほとんど魔導王陛下が創造したアンデッドで構成されていますから……聖王女陛下にしても最高司祭殿にしても承認できないでしょう。しかし我々が貴国に投資すると決めた以上、貴国には絶対に生き残ってもらう。それは確定事項だ」

 

 ゼブルの話は腹の探り合いから、唐突に具体的な方向へと舵を切った。

 宣言通り、腹を割ったのだろう。

 アンデッドの大軍……しかも精強を誇る魔導国の最精鋭となると想像もできないようなバケモノの軍勢に違いない。当然聖王国としては戦費を借りる立場だとしても絶対に認められないし、敗戦の痛手から立ち直ってないとはいえ、王国だって国内の通過など認めるはずがない。

 しかも魔導王はアンデッドを創造したと言った。

 さらに魔法で直接転移させるとも……

 一口に信じられないような内容だが決して虚言や虚勢とは言い切れない。

 魔導王アインズ・ウール・ゴウンは偉大な魔法詠唱者との評判だ。魔導国のプロパガンダでなければ、密使として送り込んだ子飼いの部下の報告にも同様の内容があった。第六位階の使い手として高名な帝国のフールーダ・パラダインが魔導王を「師」と称していることから、最低でも第七位階……いや、第八位階に到達しているとの噂もあるらしい。

 副王ゼブル自身もアダマンタイト級冒険者であり、会議に参加しているオカッパ頭も隣室に控えている護衛の女戦士もアダマンタイト級冒険者であると言う。この3人も秘密裏に第五位階に到達しているケラルトを凌ぐ可能性があるのだ。特に隣室の女戦士などは明らかな強者だ……聖王国最強の姉を持つ身としてはあの女戦士がケラルトにとってはバケモノ同然の戦闘力を有する姉を凌駕しかねない戦士なのは一目で理解させられた。聖剣サファルリシアの力を持ってしても勝てるかどうか……

 

「現在、報告によれば亜人達の大攻勢をなんとか凌いでいるとはいえ、こちらが一方的に勝利を得られるような状況ではありません。むしろ苦戦し、徐々に追い込まれていると言った方が正しいでしょう。そのような情勢下で個としては聖王国有数の戦士であるカンパーノ元班長を魔導国が引き抜くに至った矛盾について、私は説明を求めたのです」

 

 いつもより少し表情の冷淡さを意識して、ケラルトは立ち上がった。そして椅子に深く腰掛け、テーブルから距離をとって、脚を組み替えるゼブルを見詰めた。

 やはりと言うか……ニコリと爽やかな微笑みを返される。どうにもペースが掴めない。先方も意識してやっているのだろうが、舌鋒はどうしても鈍ってしまう。

 

「……ハッキリ言いましょう……一戦士としてオルランド・カンパーノを評価した場合、彼個人の保有する戦闘能力で亜人共を駆逐可能かと言えば、到底不可能でしょう。では指揮官としてはどうなのか?……俺は彼が部隊を率いて戦場に出ているところを見たことはありませんが、くしくも最高司祭殿が言及されたこの情勢下で、戦況報告の任を命ぜられた事実こそが、彼の指揮官としての評価ではありませんか?」

 

 予想外に痛いところを的確に突いてきた……姉とそりが合う合わないは別にして、本当に必要な戦力であれば激戦区でそんな任務を与えるはずがない。

 ケラルトとしては実情の予想はできるが、戦力として魔導国による引き抜きを批判していただけに実に反論し難い。

 

「それは……」

 

 ゼブルが言葉を遮った。

 

「先程も言いましたよね?……我々魔導国は多種族共生を国是とし、全ての移民希望者を受け入れています。一般的な農民、商人、魔導国の在り方に希望を抱く全ての者……それが他国での政治犯や元冒険者や元兵士……それが亜人や異形種やモンスターであろうと、魔導国の法に従い、厳正な裁きに従うのであれば受け入れます……オルランド・カンパーノも例外ではありません。ですから彼が貴国を捨て、魔導国の国民であることを希望した以上、俺としては受け入れる以外に選択肢がないのです……が、これはそんなことを言う為の会合じゃないはずです。魔導国として貴国には絶対に生き残ってもらうことを前提に事を進めています。だから聖王国軍がオルランド・カンパーノがどうしても必要だと言うのであれば、彼を魔導国の兵として供与しましょう。しかし現有戦力が回復した程度の戦力ではどうにもならないから、貴国は我々を頼ったわけです。ですが我々の正規軍を受け入れられるほど、貴国は切羽詰まった状況ではない。賢明にもどうにもならなくなる前に我々魔導国に救いを求め、我々はそれに応じた。その上で我々としては貴国を救う戦力を是非提供したい。貴国の国民感情を考慮すれば、人間種の戦力が受け入れ易い……違いますか?」

「……その通りです、ゼブル様」

 

 それまで黙っていたカルカが唐突に喋った……まるで恋する乙女だ。労苦を知らぬ細長い指を重ね合わせ、その向こうで美しく大きな瞳が潤んでいた。

 

「では、人間の兵力を提供しましょう……ただしアンデッド兵団のように実費以外は無償とはいきません。超高額報酬を覚悟してください。そして衣食住の提供と、聖王女陛下の名において軍の指揮権からの独立を確約して下されば、単独でもオルランド・カンパーノ10000人に匹敵する戦力……それでご不満であれば、こちらの第六位階の使い手であるジットと、私も兵として参戦しましょう」

「お戯れを……」

 

 ケラルトが慌てて横槍を入れた。カルカに決定させては即座に承諾しかねない。なにしろ結婚を密かに熱望する相手が自分と自身の治める国の為に自ら戦うと言っているのだ。普段のカルカであれば他国の支配者に一兵卒として戦う事を要求などできるはずもない程度の理解に不安は感じない……ただし結婚願望がただでさえ強烈なカルカの恋愛モードとなると冷静な判断など不可能としか思えなかったのだ。

 

「俺達の実力を疑う気持ちは理解します……では」

「そのような話ではありません!……ゼブル様は魔導国の次席です。そのような方に我が国の戦場に出ていただくわけにはまいりません!」

「そうですか?……でも俺は竜王国を蹂躙したビーストマン国家を実力で従わせました。その際に1人で20000以上のビーストマンを屠った実績がありますよ……俺は魔導国では副王ですが、それ以前に竜王国では南方侯です」

 

 はぁ?……ケラルトは訝しげにゼブルを見た。

 

 と同時にそれまで完全に黙っていたオカッパ頭がボソリと呟いた。

 

「竜王国での正式な討伐記録は21500は超えていましたな、ゼブルさん」

「そんなにだっけか?」

「わしの記録に間違いはございません……最終決戦で15000以上屠っております。族長達を屈服させた時の非公式なものまで含めれば30000は超えているか、と……わしとアングラウスとウズルスの討伐数を合算しても、ゼブルさんの記録には遠く及びません」

 

 説明を終えるとオカッパ頭はケラルトを見た。一切の感情が抜け落ちたような深く暗い瞳がケラルトの心根を舐めるように見ていた。

 

「わしらにこのタイミングで嘘を吐くメリットはありませんな、カストディオ殿……最も早く、最も強い人間の戦力を提供するとなると、わしら以外には適任はおりません。わしはともかく、ゼブルさんも外に控えているティーヌも単騎で聖王国軍を殲滅する戦力を有しております。ゼブルさんの技を見せるとなると首都ホバンスが壊滅しかねません。ですからティーヌにそちらで即座に揃えられる最強の戦力をぶつけてみれば良いでしょうな……誰ひとり死者を出さず、無力化するところをお見せできるでしょう」

 

 ジットの言葉によって事の成り行きが確定した。

 

 王城の中庭に近衛兵50人に加え、ケラルト・カストディオ自身が立ったのはそれから30分後だった。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

「なーんで、こんなことになっちゃうかなー?」

 

 鮮やかなオレンジ色のナザリック謹製カクテルドレスに身を包み、右手に棒切れ一本を持つ銀髪の女戦士こと、ティーヌが今にも笑い出しそうな表情で不満をぶちまけた。なるべく装備の質を落とす為とはいえ、パーティー用の正装に旅用のブーツが極大の違和感を放っている。

 

 対するは王城の近衛兵50人に加えて「聖王国最恐」ことケラルト・カストディオ本人……聖王女カルカを除く、その場で直ちに揃えられる最強の戦力を言われるままバカ正直に集めたらしい。

 

「とにかく殺すなよ……勝利条件は全員の無力化かつ死者を出さない、だ」

「あい、あーい!……負傷はオッケーってことですねー?」

 

 俺がOKサインを出すと、ティーヌはだらりと脱力したままの自然体で状況が理解できずにオロオロする近衛兵達に向き直った。

 種族的に悪魔であるティーヌにとって相性は極めて悪い相手だ。国家最高位の神官に聖属性の武器で身を固めた兵士達なのだ。

 だがレベル差が決定的だ……どうやってもひっくり返すのは不可能。ユグドラシルと違ってティーヌは無双系のスキルを持たないが故に即殲滅とはいかないが……まあ、数秒が数分に延びる程度だろう。

 

 俺が視線で促すと聖王女カルカ・ベサーレスは何故か頬を赤らめ、右手を振り上げた。

 

「皆さん、くれぐれも死なないで下さい。怪我であれば神官団が全面的に治療を受け持ちます……では皆さん、始めて下さい!」

「んじゃ、いっきまっすよー!」

 

 聖王女か右手を振り下ろすと同時にティーヌが消えた……ようにしか見えないだろうなぁ……俺でも目で追うのが厳しいスピードで近衛兵達の前を高速移動で駆け抜ける。

 ティーヌが駆け抜ける側から近衛兵達はその場で蹲り、ほぼ一斉に利き手の甲を抑えて、盛大に悲鳴を上げていった。

 剣が地面落ちる。

 俺でも見えない……が、ティーヌが手に持った棒で端から叩き落としているのは間違いないだろう。

 近衛兵達の絶叫が王城の外壁に乱反射する。

 全員漏れなく利き手の甲を骨折していた。

 注文通り死人は出ないだろう。

 そして端から無力化も完了していく。

 治癒が間に合うはずもない。

 30秒も要らないのだ。

 息を切らすこともなくティーヌの姿が現れ、ケラルト・カストディオに先端が赤黒く染まった棒切れを突き付けた。

 

「んー、降参でいいかなー?」

 

 俯いていたケラルトが顔を上げ、嫌な笑いを見せた。

 

「ペネトレートマジック、ショック・ウェーブ!」

 

 魔法抵抗突破化した『衝撃波』がティーヌを襲う。

 ケラルトは最初から兵の治癒など放棄していた。

 俺の話をあえて額面通りに受け止めたのだ。

 近衛兵の配置をそのままティーヌの進路と見立てていたようで、最後に指揮官である自身の前で立ち止まることも読んでいた。そして降参を勧告することも……

 

 大気を歪ませ、衝撃波がティーヌを襲う。

 棒切れが大気の塊にへし折られ、粉微塵となった。

 魔法抵抗突破化を施され、不可避となった金属鎧すら破壊する空気の塊。

 

 だが、それだけだ。

 

 ティーヌがニィと笑う。

 トンッと軽く地面を蹴った。

 重力を無視して、ティーヌが宙を舞う。

 

 ケラルトは嫌な笑いのまま、大きく目を見開いた。

 おそらく消えたようにしか見えないのだろう……もはや俺でも20メートルは離れたこの距離だからなんとか目で追えるのだ。3メートルも離れていなかったケラルトでは目で追えるわけがない。

 純後衛職であるケラルトのレベルはざっくり30を超えたぐらいだろう。現地産の人間としては相当な強者だが、ユグドラシルの「悪魔」種族化したティーヌの敵には到底なり得ない。しかも互いのレベル差は軽く40を超える。仮に装備込みでレベル差が10あると一対一ではほとんど逆転不可能なのだ。40以上のレベル差ではどうにもなるまい。

 

 ケラルトは咄嗟に地面を見て、影を追った。

 

「ペネトレートマジック、ショック・ウェーブ!」

 

 そのまま上空に向けて『衝撃波』を放つ。

 

「やるぅ!……でも、空中だからって動けないわけじゃないからねー」

 

 ティーヌが何かを呟き、急激に加速して着地した。

 武技の『流水加速』とか言うやつだろう。

 ケラルトはさらに『衝撃波』を連発する。

 ティーヌの着地点の地面が大きく抉れ、さらにティーヌが移動した方向のはるか先の庭木が爆散した。

 

「んー、見えるようになってきたかなぁー」

 

 ティーヌが笑いながら急停止した。

 すかさず『衝撃波』が襲うも、ティーヌはヒョイっと回避した。対応する武技も使用していない……『流水加速』やら『超回避』やら持っていたはずだが、今のは単純に避けただけだ。

 どうやら「見える」って、そういう意味らしい。

 空気の歪みを単純に目で捉えているのだ。

 

 なんか……もう完全にバケモノですね、ティーヌさん……

 

 てーことは現地勢では強い人間をユグドラシル由来の種族に種族変更させた上でレベリングを施すと、凄いやつになるのか?……その上装備規制が無いし。

 サンプルがティーヌとジットだけだといまいち自信が持てないなぁ……確信には程遠いし、完全に無駄な投資になるかもだが、いずれ誰かで試してみるか?

 

 今度は天使でも作ってみようかな?

 

 ケラルトの『衝撃波』は完全に空回り……全く通用しなくなった。むしろティーヌの回避により立ち位置によっては蹲る近衛兵をぶっ飛ばしたりもするので、使い難いのだろう。

 すると今度は射線が把握しやすい『聖なる光線』を連発するも、エフェクトが光る魔法攻撃は最初からティーヌには全く通用しなかった……てゆーか、光線て「光速」じゃないのか?……視認してから回避しているんだから、少なくともケラルトの行使する『聖なる光線』の光線は光速じゃない、ってことか?

 

 実験が必要なことって、思いの外多いなぁ……後でティーヌにネタバラシでも聞いてみよう!

 

 思う間も無く、戦局は激変していた。

 ケラルトの嫌な笑いは失せ、必死の形相で魔法攻撃を繰り返しているが、MPの枯渇も近いのか、次第に息が荒くなっていた。

 対するティーヌは単純にケラルトにトドメを刺さないだけで、格下相手に自身の能力を存分に楽しんでいる。

 そしてケラルトは魔法攻撃を諦め、苦悶の表情で両手を挙げた。

 

「……負けよ」

「少しは面白かったかなー……んじゃ、こっちの勝ちね」

 

 そうケラルトに勝利宣言し、鼻歌混じりで惨憺たる中庭を歩くティーヌが俺の前に立ち、ニヒヒと悪戯っ子のような笑顔を見せた。

 

「んー、報酬はゼブルさんで良いですよ……てゆーか、第一希望で!」

「いや、それは無しで……後で何か見繕ってやるよ」

「んじゃ、とりあえずはぷれいやーの温もりで!……生涯分ならこれでも良いですけど!」

「あー、詐欺はダメ、絶対!」

 

 ティーヌさん……生涯って、永遠に死なないじゃん、殺されない限り……

 

 唖然とする聖王女を尻目にティーヌが俺の腕を取った。

 

「……あのー、お二人の関係は?」

「主従ですよ」

「魂的な」

「なにそれ?」

「私の全て捧げてるってことですよ……命どころか魂まで含めて全部……なんか言ってて、ちょー恥ずい」

 

 何故かカルカ・ベサーレスの顔色が赤くなったり、白くなったり、青くなったりと凄まじい速さで七変化した。

 ちょうど完敗したケラルトが治療を受ける近衛兵達の間を通り、トボトボとやってきた。

 

「遊ばれて、この結果……オルランド・カンパーノ1万人に匹敵……少なくとも誇張でないことは理解しました。お三方を魔導国の増援として受け入れたいと思います。それでよろしいですね、カルカ様」

「私からもお願いします、ゼブル様!」

 

 壮絶な七変化を続けていたカルカの顔がパァーッと明るくなった。

 

「して、超高額と仰られていた報酬はいかほどですか?」

「聖王国存亡の価値なんで、そちらで値付けして下さい……まっ、とりあえずは迎賓館でない宿の手配をお願いします。安宿で構いません。それと美味い聖王国名物が食いたいですね……一般の兵士達が好んで通う店とか教えてもらえるとありがたいです。それと明日には前線に向かいますので、俺達以外の随員の帰路の安全確保をお願いします。あっ、案内はオルランドにやらせますから不要ですけど、前線の責任者に話を通しておいて下さい。到着後に揉めるのも嫌なんで、それだけは確実にお願いします」

 

 ケラルトは目を白黒させて、俺の言葉を部下の神官に伝える。

 

「んじゃ、俺達は迎賓館まで荷物の引き上げに向かいますから、どこでも良いんで宿をお願いしますね」

 

 立ち去る俺達の後ろ姿をカルカとケラルトは全く違う視線で見つめ続けていたが、もう女性と腹の探り合いはお腹いっぱいだった……昨晩からパーティーやら会談やら会食やらの連続で飲食不要の指輪を装備していなかったから、本物の胃はメッチャ空腹ですけど。

 大きく伸びをすると、まだ夕暮れに至っていない空は辛うじて青かった。

 

 ……さて、飯にしよう!

 

 

 

 

 

 

 

 ホバンスの下町にある下級の軍士や兵士達や肉体労働者に人気の飯屋は、俺の目には満席に近いように見えたが、通常の平時はまだまだこんなものではないらしい。飯時には回転が早い上に相席は当たり前でさらに行列が絶えないと説明があった。主に軍の下級兵や若手士官などを相手商売しているので、とにかく濃い味付けで量が多く、さらに美味くて、値段が安いと評判の飯屋だ。

 現在では軍部の人間がゴッソリ城壁に移動しているので、行列はおろか相席の上に満席になるような活況はならないらしい。

 そこをケラルトの一声で夕飯時のピーク時間前まで貸し切りにしたようだ。

 衛兵達が店の前で横一列に整列し、人間バリケードを築いている。かなり異様な雰囲気だが、気にしないことにした。

 店内の客が全員出たところを見計らって、隊長らしき中年男が店の扉を押し開け、俺達を店内に誘導する。

 

 外装はハッキリ言って汚い……でも、そこが良い!

 扉を潜ると店内も相当に年季の入った汚さを誇っている。

 日々の拭き掃除や掃き掃除じゃ追いつかないほど忙しいということだろう。

 

 カウンター内を見るとガチガチに緊張した若い給仕の娘達がこちらを見て、オロオロとお互いに顔を見合わせながら右往左往していた。その奥の厨房らしき場所からも異様に張り詰めた緊張感が滲んでいる。

 

「注文しても良いかな?」

「……はっ、はっ、はい!」

「それじゃ、この店で人気のあるものを上位から5つ……それと料理人の今日のオススメがあれば、それぞれ一つづつ。後は地元の美味い酒3人分で」

「かっ、かしこまり……ましたっ!」

 

 異様な見た目の3人組が奥のテーブル席に着く。

 何故かオレンジのカクテルドレスに無骨なブーツ姿のままのティーヌ。

 とんでもなく煌びやかな法服にオカッパ頭のジット。

 そしてアインズさんから借り受けたやたらと派手派手に金糸銀糸で飾られた深緑色のタキシード風味スーツ姿の俺。

 まあ、普段軍部の人間と肉体労働者を相手にしてる給仕の娘達には見た目だけでも相当に怖いのかもしれない。 

 ガチガチに震えながら給仕娘が多分に気泡を含んだシャンパン風の酒を大振りのグラスに並々と注いで持参した。

 そのまま一口いただく。

 

 あー、ほぼシャンパンだ、こりゃ……アルコール分激薄でやたらと口当たりの良い、炭酸マシマシのシャンパンもどきだな。味は白ワイン風味の葡萄ジュースが近い。一気に飲み干して、おかわりをもらう。

 

「えらい飲み易いな、こりゃ」

 

 言って間も無く、ティーヌとジットも飲み干し、おかわりを注文する。

 

「私は気に入りました」

「わしもです」

 

 酒のおかわりと同時に、料理の皿が一気に運ばれてくる。

 白身魚のカルパッチョみたいなものだが、量が尋常じゃない皿。

 給仕の娘が一番人気という、1匹丸ごとの赤黒い魚の煮付け。表面の照りが尋常でなく美味そうだ。

 大量のむき身の貝らしきものの串焼きの盛り合わせ。いかにも甘辛そうなタレが見た目だけで食欲を刺激する。それが一皿にこれでもかってほどのてんこ盛りだ。

 巨大と言って間違いない魚の切り身の、おそらく塩焼きからは脂が滴り落ちている。

 イカのようなタコのような軟体系の唐揚げと野菜の炒め物に熱々の餡をぶっかけた豪快な一皿。

 どれを摘んでも美味い……白米があればなぁ……しみじみ思う。

 

 かなりのハイペースで酒のグラスを空け、次々と料理を追加する。もはやどれが人気上位で、どれがオススメだか判らない。しかしどれも美味い。

 

 ガンガン飲み、ガシガシ咀嚼し、ドンドン嚥下する。

 

 迎賓館の気取った料理も良いが、個人的にはこういう気取らない感じの料理が好きだ。濃い味なのも良い。リアルの頃は濃い味付けなんて飲み会や会食にでも出席しないと食う機会がなかったし……出席しても食が細くてほとんど食えなかった。自宅じゃ完全に俺用に健康管理された宅配の味気のないものばかりだったし……まあ、かなり恵まれてはいたんだろうけど。

 

 腹も膨れたところで、気になっていた疑問をティーヌにぶつけた。

 酒はジュースみたいなものなんでドンドン追加していますが。

 

「ティーヌさんさ、ケラルトのホーリー・レイの射出のタイミングを完璧に把握してたじゃん?……あれは視認してから避けてのか?」

 

 ティーヌは貝の串焼きに齧りつきながら答えた。

 

「んー……違いますよ。ショック・ウェーブは視認してから回避してましたけど……ゼブルさん、全てのマジック・キャスターの弱点って知ってますか?」

「うんにゃ、漏れなく全員となると解らないな」

「どんなに優れたマジック・キャスターでも魔法の発動までタイムラグがあるのは解りますよね?」

「ん?……そりゃ、もちろん」

「強力な魔法であればあるほど発動まで時間が掛かりますよね?」

「まっ、一般的にはそーだな」

「だからケラっちは位階の低いショック・ウェーブ中心に攻撃方法を組み上げていたはずなんです。でも魔法そのものが透明だから私を通した射線上に倒れている兵士がいたりすると使い難い……で、ホーリー・レイに切り替えた。つまり連射性能と燃費よりも、射出後のスピードと視認性を重視したわけですよ」

「まあ、そうか」

「となると視認してからじゃ反応が遅れます……当たればアクセサリー類も全部装備していなかったんで種族耐性的に私でも自信は持てません。なにしろ当たった経験が有りませんから……でも自信がありました。それがマジック・キャスター共通の弱点です。魔力系でも信仰系でも全員漏れなく同じ弱点を抱えています。それは……」

「……それは?」

 

 ティーヌはニヤリと笑った。

 すげー引っ張るな……でもワクワクが止まらない。

 

「単純なんですけど、詠唱って行為そのものです」

「はぁ?」

「マジック・キャスターごとき、スッといってドスッ……昔の私がよく言っていた言葉です。ねっ、ジッちゃん?」

「おおっ、よく言っておったな……当時はバカバカしいと思っておったわ」

 

 唐突に話を振られたジットは塩焼きを咀嚼していた。

 

「要するにどんなに低位の魔法でも魔法は詠唱が完了して、初めて発動するわけですよ。ならば詠唱を完了させなければ良いって考えです。まあ、一気に距離を潰せる距離内じゃないと話にならない考えなんですけど……さっきのはそれの応用です。ケラっちは口元隠していなかったんで簡単でした。たとえ口元を隠していても癖が読めれば可能です。必中効果のある魔法を使われても私が一息で移動できる距離であれば必ず潰せます。ゼブルさんやアインズちゃんが使うような遠距離からの広範囲殲滅型の魔法以外は全て回避できますよ」

 

 しれっとかなりバケモノじみた言葉を仰る。

 たしかに30や40レベルの人間種のスピードであれば戯言にしか聞こえなかっただろう。いまや70レベル超のかなりスピード特化した異形種のトップスピードとなると……もはや純粋なスピード勝負だと魔神アバターでも完勝は怪しいかなぁ?……なんかティーヌの『えんじょい子』さん化が止まるところを知らない感じで進行しているし……

 

 ……いや、気にしないで飲もう……

 

 その後、妙に口当たりの良い酒を飲み続け、どれだけ飲んでも酔えない自分に少しだけうんざりさせられた。

 




お読みいただきありがとうございます。


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41話 視線の先

 

 メッセージを入れると即座に反応があった。

 丸メガネの最上位悪魔……デミウルゴスだ。

 

「これはゼブル様、どうされました?」

「えーっと、忙しいところ悪いんだけど、アベリオン丘陵の牧場の周辺情報を教えてくれないか?」

 

 メッセージの向こうでニヤリと笑う悪魔の姿が浮かぶ。

 

「至高の御方がシモベに対して忙しさなど気にされる必要はございません。ただ命じられればよいのです……ところで質問を返す無礼を許していただけるのであれば……」

「質問は全て許可する。率直に行こう」

「ありがたき幸せ……では率直に……聖王国案件の関連ですか、ゼブル様?」

「そうだ。以前デミウルゴス……魔皇ヤルダバオトはアベリオン丘陵の亜人達で軍勢を構成していたよな?……そいつらは現在どうしているんだ?」

「亜人ではございませんがダークドワーフのように一部の特殊な技能を持つ者は優先的にカルネで働かせております。アベリオン丘陵に戻した者の中でもごく一部はアベリオン丘陵の牧場の警備や労役に雇用を継続しているような状況でございます。残りは放逐しました……魔導国の方針として、使役する場合は雇用して月々の給金を支払うことを求められましたので、経費的に無駄としか思えないような者は配下から外し、その中でも魔導国の国民であることを選択した一部はそれぞれに役割を与え、既に魔導国内に移住させております」

「では、現状でアベリオン丘陵に残留している魔導国の国民は牧場関係者のみってわけか?」

「私の把握する限り、仰る通りでございます」

「聖王国に攻勢が仕掛けている亜人共に魔導国国民は紛れ込んでいないわけだ。少なくとも表面上は……」

「しかしながら、ゼブル様!」

「なんだ?」

「魔導国国民の配下は無数に存在しております」

「ん?……理解できるように言ってくれ」

「いつでも軍勢を再構築できるよう、亜人の中でも特に強い力を持つ者は強制的に魔導国の国民としましたので……影響力行使と経費削減を同時に成立させる為の方策です」

「なるほど……理解した。つまり国民登録されてる本人は戦場にいなくとも、そいつらの手下が攻め込んでいる可能性があるわけか?」

「そういうことでござます……むしろ軍として機能している以上、彼らが背後に潜んでいる可能性は大かと……以前、ヤルダバオトの軍勢とする際、軍組織、戦略、戦術について教育したことがございます。もしゼブル様の目的にお邪魔なようでしたら、即刻退かせますが?」

「いや、構わないさ……聖王国に楽をさせるつもりはない。もちろん亜人共にも楽などさせない……両方の勢力に確実に生き残ってもらうが、ある程度疲弊はしてもらった方が魔導国の影響力は増す。こちらとしては楽に影響力を行使可能になる。それに両勢力が魔導国に対して未来永劫の機嫌を伺いながら、平身低頭する状況を作るには、むしろ都合が良いかも、だ」

 

 デミウルゴスが僅かに沈黙した。

 

「……率直ついでに、この際ですからゼブル様にもう一つ質問してよろしいでしょうか?」

「なんだ?」

「以前アインズ様もゼブル様に近い方針を私に仰っられたことがあります。しかしながら何故いつも直接侵攻という方法を採られないのですか?……私などが愚考するに、経費的にも期間的にもはるかに安上がりかつ短期間で目的を達成可能な上に、確実に支配という成果を得られるように思われるのですが?……被支配民など生殺与奪権さえ握ればどうとでもなると思われるのですが……」

 

 どれだけ頭脳が優秀でもデミウルゴスの思考はどこまで行ってもナザリック基準だ……アインズさんに支配されるのであれば、どんな状況でもどんな経緯でも幸せだろう程度にしか想像が及ばないのだ。ナザリック最高の頭脳を持つデミウルゴスですらコレなのだ……他の有象無象は推して知るべし、としか言いようがない……はぁ……前途多難だな。

 

「それだと短期的には憎まれるだろ……しかも永遠に消えない反抗心も確実に芽生える。長期的には必ず造反もされる。それはアインズさんを頂点とする支配体制にとって、非常に拙い。どれだけ圧倒的な軍事力で恐怖支配の体制を構築しても造反可能なことが知れ渡れば、確実に次の造反者が生まれる。恐怖支配を続ければ国民の心情は造反者に寄り添ってしまう。現状の戦力ではナザリックが世界とやり合っても負けないかもしれない。だが単に戦闘で負けないだけで、国民を味方につけた造反者が生まれた時点で実質的に俺たちの負けなんだ。アインズさんには寿命がない。だから死なない。つまり代替わりしない永遠の支配者ってことだ。こうして魔導国を立ち上げ、世界に名乗りを上げた以上、少なくとも支配の象徴で在り続ける必要がある。国民なんぞに阿る必要はないが、憎まれる可能性は可能な限り潰しておいた方が後々楽なんだよ、絶対に……他国には魔導国に殴られたら死ぬ程痛いことは理解させる必要があるけど、同時に魔導国に尽くせば周囲に羨まれるぐらいに良い思いができることも理解させる必要がある。どうせ良い思いもさせるなら直接統治なんて経費も手間も掛かることは各国の王にやってもらえば良い。民族自決させれば満足度も上がる。そして俺達が掌握する人数は少なければ少ない程楽なんだよ。その上で美味しいところだけは魔導国が抑える。魔導国が儲かれば、周辺国の王は魔導国に揉み手で擦り寄る。周辺国の王の悪政が一定レベルを超えたら、俺達が王をすげ替える役目を負えば良い。他の国の綱紀粛正は勝手になされるし、対象国の国民からは感謝される。次代の王も善政に腐心するはずだ」

「素晴らしいお考えです!……正直、震えました。アインズ様の未来の為の深謀遠慮……さすがはゼブル様!……私などの愚考とは比較にもなりません!」

 

 ……愚考、愚考言うけど、デミウルゴス、俺よりも確実に優秀だから……単純に人間って存在を見下しているのが欠点なだけで……まっ、ナザリック全般、ほとんどのNPCがそうだけど。

 

「いや、単なる視点の違いだから……最も効率的に支配体制を確立するだけなら、単純に敵性国家や種族は攻め滅ぼした方がはるかに楽だし、後顧の憂も無くなるけど、その代償として周囲は常に敵だらけだ。仮に武力による世界征服を果たしても被支配者は潜在的な敵だらけ……たしかに決着そのものは早いだろうな。でもそれで作り上げた支配体制には最終的にナザリックと潜在的な敵の2種類しか存在しなくなる。本当に楽しいか、それ?……少なくとも俺もアインズさんもそんな状況は望んでいないぞ」

「つまりナザリックによる世界支配を確立する段階では、少なからず私の考えも認めていただける、と……」

「まっ、そうだな……視線が世界征服までとその後に向いているかの違いでしかないと思うよ。優秀なデミウルゴスが支配体制確立後に視点を移して、俺以上の外交上の大戦略を考え付くなら、それに乗っても構わないけど……」

「おおっ!……ナザリックの叡智の結晶であられるアインズ様が全幅の信頼を寄せるゼブル様からの課題……このデミウルゴス、しかと受け止めました。必ずやゼブル様を唸らせる大戦略を立案してみせます!」

 

 メッセージが切れた。

 

 いや、そーじゃねーし……まっ、いっか……考えるだけ無駄だ。

 

 

 

 

 

 

 

「……誰?」

 

 大砦と呼ばれる城塞に到着し、与えられた控室に入室すると目の前に目付きが悪いというか、異様に鋭い少女が立っていた。目付き以外の態度は非常に畏まっているように感じるが、とにかく目付きがヤバい。

 

「おっ、嬢ちゃんはパベル・バラハ兵士長の娘だろ……一目で判ったぜ」

 

 背後から対照的に目だけが可愛いオルランドが声を掛けるも、少女は異様に鋭い目付きをさらに鋭くさせた。女性には失礼な表現だが、ハッキリ言って脳内イメージの殺し屋そのものだ。

 

「……カストディオ団長より連絡役の任を拝命しました、ネイア・バラハと申します。聖騎士団の従者です。よろしくお願いします」

 

 ネイア・バラハは目付き以外の見た目に違わず、まだ年若い少女だった。聖騎士団の従者ってシステムがよく解らないが、見習いや訓練生みたいなものなんだろうと勝手に脳内落着させた。パッと見て確実に10レベル以下……つまり俺達はこの子を守りながら戦わなきゃならなくなったわけだ。

 

「俺はアインズ・ウール・ゴウン魔導国副王のゼブルだ。そっちの女戦士がティーヌという。で、背後の2人のオカッパ頭がジット……残りオルランドはお父さんと知り合いらしいぞ」

「俺は残りですかい、旦那?」

「いや、だって、オルランドさんって目以外にほとんど特徴が無いっちゃ無いでしょ?……あっ、筋肉ダルマでも良いのか?」

「筋肉ダルマって……それに旦那が俺なんぞにさん付けすんなって……いい加減に呼び捨てにしてくれよ」

「それは俺の主義だから、オルランドさんが慣れてくれよ。だから君もネイアさんで良いかな?」

 

 ほとんどそれだけで対象を射殺せるような視線が俺に向けられ、口元だけがニッコリと笑った……マジで解り難いぞ、その表情!

 

「……もし可能であれば、バラハだと父と同じ戦場では判別し難いのでネイアでお願いします。他国の副王様にさん付けで呼ばれるのはちょっと……仮に団長に見咎められたら、どうなることか……」

「そうだぜ、旦那……ついでに俺も元の所属に近いんだからよぉ……俺が明確に旦那の下位者と知らしめる為にも呼び捨てにしてくれよ」

 

 可愛い目のおっさんと殺し屋の目の少女に同時に見つめられ、俺は折れる以外の選択肢を失った。

 

「……了解したよ……じゃ、ネイアにオルランドな……仕方ない」

 

 お辞儀をして上目遣いになったネイアから殺意を感じる。

 対してオルランド目だけが可笑しい。

 

「んで、団長さんは何だって?」

「特に何も……団長というか、聖騎士団は現在交戦中ですので……連絡役として割ける人員は私だけでした。本当に申し訳ありません」

「なるほど……オルランドはどう思う?」

「まっ、嬢ちゃんにゃ悪いが、聖騎士団に他の従者がいないわけじゃねえでしょうから、単純に厄介払いぐらいのつもりでしょうよ……同じ戦場に自身と同じ九色のお父上がいるんじゃ、色々とやり難いぐらいの考えでしょう。その上、他国の王族の連絡役なら役目的にも決して不名誉な扱いじゃねえって考える奴も多いと思いますぜ……まっ、悪意は無いが善意も無い。いや、俺達に勝手に動き回られるのもやり難いから、足枷になりゃ良いかなぐらいは考えているかもしれねえですぜ」

 

 さすが本当に厄介払いされた奴の言うことはスッと腑に落ちた。

 見ればネイアがギュッと両の拳を握り締めている……なるほど、本人も密かに忸怩たる思いは抱えているわけだ。それなりに事情も理解していた、と。

 

「連中の思惑通りってーのも癪だなぁ……んじゃ、ネイアも立派な戦力としよう……ティーヌさん!」

「はい、はーい……ネイアちゃんを立派な戦士に育てれば良いんですか?」

 

 命じる前にティーヌは俺の意図を見抜いていた。

 おそらく何故そうなのかも理解しているだろう。

 

「まっ、口だけ小賢しくて、人ひとりまともに殺ったことのないモッちゃんの時よりは数段楽ですから……で、聖騎士ネイアちゃんの得意の得物は剣で良いのかな?」

「お父さんによれば私は剣の才能はあまり無いようです。それよりも弓が得意です。感覚的に気配を読んだりするのも得意です」

 

 ネイアの説明にティーヌが意外そうな顔を見せた。

 俺だってそうだ。聖騎士で想像するのは剣か、もしくは長得物でも槍や斧槍や馬上槍みたいなもんだ。で、申告によれば弓使いというか、本人の適性は明らかにレンジャーみたいな職業じゃないのか?

 

「弓の名手のお父上のお墨付きなら、嬢ちゃんには間違いなく弓の適性があるでしょうなぁ……親バカな一面は否めねえけど、そういったことで嘘を吐くような人じゃねえ」

 

 父親を知るオルランドも同意するなら、ほぼ間違いないってことか?

 だったら……アイテムボックスに手を突っ込み、中からズルリと漆黒の本体と弦に持ち手だけが暗紅色に蠢く神器級の弓『堕天弓』を取り出すと、それをネイアに差し出した。

 

「こっ……これは?」

 

 ネイアの視線がこれまでになく鋭くなり、解っていてもプレイヤーの俺ですらビックリするレベルの殺意のようなものを感じさせる。

 

「こいつは『堕天弓』と言う名の弓だ。ちなみに矢は無い。引けば闇と炎と雷の属性ダメージの塊がランダムで合成されて、矢の代わりに放たれるって代物だ。マジックアイテムとしての装備規制も特に無い。まっ、亜人程度が相手なら防御不能の貫通弾とでも思っていれば間違いない……弓そのものに付与された結構怖い技もあるけど、今回は必要ない」

「これを……私などが……」

「正真正銘の神器級なんで、俺の配下じゃないネイアにはやれないが、俺達と行動を共にする間だけ貸与する。こいつを使って、とにかく敵にトドメを刺すんだ。そうすれば君は必ず強くなる。強くなれば従者を卒業できるだろ?……この短期間で成長して、ネイアを厄介払いした団長さんを見返してやるんだ」

 

 ネイアは恐る恐る『堕天弓』を手に取り、その感触を確かめた。

 

「……凄い」

「早いところ従者を卒業して、お父さんを喜ばせてやれ」

「はっ、はい!」

 

 感動に浸っているネイアを差し置いて、オルランドが俺の前に進み出た。

 

「ちなみに俺は嬢ちゃんと違って、旦那に生涯忠誠を誓う配下ですぜ。あんな凄いヤツと言わねえから、何かください」

「無い」

 

 オルランドが大袈裟にずっこけた……お笑い芸人か、こいつ。

 

「何、冗談言ってんですか、旦那……何かあるでしょ!」

「いや、無い……だってお前って本領発揮するには武器壊すようだろ?……俺の手持ちは壊して良いような物は何一つ無いっつーの……低位の武具だって魔導王陛下から贈答品としての使用許可しか得ていない。まぁ、魔導国に戻ったら、魔導王陛下に頼んで何か適当なもんを見繕ってやるから、それまで我慢して、自前の武器で研鑽しろよ」

 

 オルランドは散々ごねたが、やはり現時点でやれるものはなかった。そうでなくとも耐性強化のアクセサリー類はいくつか下賜しているんだから、我慢しなさいって、いい大人なんだから……

 

「さて、とりあえず一戦……亜人共のお手並み拝見といきますか!」

 

 俺の宣言に従い、3人は俺について控室から出て行こうとするが、ネイアはキョロキョロと殺意のオーラを振り撒くように、自身の行動を決めかねているようだった。

 

「ネイアも戦力になるんだ……一緒に来い」

「はっ、はい!」

 

 たぶん微笑んでいる。

 きっと微笑んでいるんだ……メッチャ怖いけど……

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 聖王国聖騎士団の戦術はほぼ一択だ。

 団長の号令に従い、騎兵の圧倒的な突破力と打撃力を活かした突撃である。

 突撃のタイミングは団長レメディオス・カストディオが決する。乱戦に持ち込まれると不覚をとることもあるが、彼女の攻勢に出るタイミングを見計らう目はピカイチで、騎兵隊指揮官としては確実に天賦の才を授かっていた。

 しかし「聖騎士としての勘」と言えば聞こえは良いが、理屈が無いのが困りもので、2人の副団長は常にレメディオスに振り回されている。

 

 ゴブリンとオーガの連合部隊とアーマットの部隊を続け様に突破撃破し、勢いに乗る聖騎士団はスネークマンの部隊に狙いを付けていた。これまでの相手よりも鋭敏な感覚器官を持つ為、単純にタイミングを測って突撃といかないのがネックだが、団長に対する信頼は揺らぐことはない。

 

 聖騎士団の担当する戦場では全体的に戦局は優勢……これまでのところ順調そのものだ。

 しかし副団長イサンドロは妙な胸騒ぎというか嫌な予感のようなものを感じていた。順調過ぎるのだ。

 たしかに亜人達は完全に統制されている。初戦で不覚をとったのも、それまでの亜人達の行動とあまりに違い過ぎたせいだ。それまでの亜人は同種族同士でも部族ごとに対立するのが常であり、城壁には散発的に攻勢をかけてくるのがせいぜいで、まとまった作戦行動など見た記憶が無い。現状の亜人達は同種族どころか異種族間で連携している。しかもかなり綿密に計算された連携であり、聖騎士団こそレメディオスの「聖騎士としての勘」のお陰でかなりの戦果を上げているが、城壁から迎撃する部隊は別にして、打って出て直接打撃を加えようという部隊はかなりの痛手を被っている。

 巧妙過ぎるのだ。

 そして巧妙過ぎるのに指揮官が見当たらない。

 ゴブリンにもオーガにもアーマットの部隊にも指揮官らしき亜人は存在していなかった。どこかで軍事訓練を受けたかのように亜人達は個々に適切な行動をしているようにしか感じられない。

 それに戦力として傑出した亜人も見当たらない。

 アベリオン丘陵の亜人の中でも特に有名な亜人が、今回の侵攻が始まってからの2ヶ月間で報告に上がった全ての戦場で目撃されていないのだ。聖王国が挙国体制で応戦している規模の大侵攻であることを考慮すれば、どう考えても異常と言わざる得ない。推定ではあるが、亜人連合軍の規模は軽く10万を超えている。聖騎士団がどれだけ撃破しても後から後から湯水のように湧いてくる。まるで押し寄せる波のようにキリがない。しかもこれまでの城壁に頼った戦術に対応した戦術を適切に駆使して攻略してくるのだから、聖騎士団としては打って出るしかないのだ。

 ゴブリンやオーガやオークといった数の多い亜人が前面に大楯を展開して矢による遠距離攻撃を防ぎつつ、マーギロスを中心とした魔法攻撃部隊が城壁上を魔法で蹂躙する。下手に退避すれば即座に城壁間際まで侵攻される。高所の優位性を崩されればバフォルクのような城壁を苦にしない亜人が侵入を試み、その際にプテローポスのように飛行可能な亜人が援護までする。

 亜人達の城壁攻略戦術を恐れた聖王国側は城壁から打って出ざる得ない状況に追い込まれているのが現状だった。

 かと言って野戦に持ち込まれると基本的に力に優れる亜人優位は動かない。城壁上の弓箭兵による援護こそあれ、亜人連合軍の魔法や投石による遠距離攻撃で相当な痛手を被る。野戦で勝利を得たと思っても、勢いに乗ったままより敵の懐深く引き込まれ、結果として鏖殺された部隊も多い。

 聖騎士団こそ亜人部隊を凌駕する打撃力と団長の「聖騎士としての勘」で順調に勝利を積み重ねているが、他の部隊は少なからず痛手を負っていた。

 それだけにイサンドロは不安になるのだ。

 我々は敵に誘導されているのではないか?

 撃破撃破の快進撃を続けた先には温存されていた強力な亜人が待ち構えているのではないか? 

 

 出撃直前にこの戦区を統括する将軍から告げられた件もイサンドロの心労をさらに加速させていた。そのハイレベル過ぎる政治案件を団長は即座にその場にいた副団長であるイサンドロに丸投げしたのだ。頭痛がすると言い残して……

 これまでのレメディオスから丸投げするもの理解できてしまう。むしろ丸投げしてくれないと適切な対応ができないと言っても過言ではない。

 しかし丸投げしてもらった方がまだマシとはいえ、あまりと言えばあまりな案件であり、イサンドロもグスターボも対応に苦慮せざる得なかった。

 

「まさかとは思うが……」

 

 妙な不安に駆られてイサンドロは振り返り、城壁を見た。

 大砦からの出入口に当たる巨大で堅牢な門は固く閉ざされていた。

 

 この度の亜人大侵攻に対しての戦費や物資不足の援助を請け負ったという魔導国の副王がたった3人の手勢を連れて、援軍として駆け付けると言う。

 

 レメディオスと共に司令所に呼び出され、将軍からそう通達された時は大量の物資を持ってきた魔導国の副王に士気高揚の演説でも聞かせるのかと思い、「援助は有難いが勘弁してくれ」と思ったものだ。

 だが予想に反して将軍はいたく真面目な表情で「援軍だ」と強調した。

 しかも指揮下には入らない、と言う。

 さらにオルランド・カンパーノが魔導国に寝返った上に、その4人だけの援軍の中にいると言う。

 通達した将軍も、通達されたレメディオスもイサンドロも微妙な顔付きで沈黙してしまった。

 

 ……どうして、こうなった……

 

 レメディオスに限らず頭痛がするような内容だ。

 言いたいことは山程あるがオルランド・カンパーノについては、この際どうでもよかった。元々こちらの指示に従うことなど望めない男だ。その上戦場から追い出したのは聖騎士団だ。独立愚連隊が腕の立つ不良戦士になっただけのことである。彼の元部下以外に大して影響はない。

 もっと大きな問題が山積している。

 

「……閣下!」

 

 イサンドロの疑問は即座に将軍によって封じられた。

 

「聖王女カルカ・ベサーレス陛下直々の通達だ。我々軍部には異論も反論も許されない。そちらで上手く取り計らってくれ……私はこれから戦区全体の戦況報告を聞かねばならんのだ。頼んだぞ」

 

 将軍は退室するように促し、聖騎士団に全部丸投げした。

 レメディオスと親しい聖王女カルカ絡みの案件であるが故に「聖騎士団で責任をとってくれ」と言うことなのだろう。

 レメディオスは敬礼し、司令所から退出した瞬間にイサンドロに丸投げを決め込んだ。出撃間際に頭痛がするようなことを、と呟いて。

 だが出撃間際はイサンドロも同様だ。

 脳をフル回転させるも、そもそも状況が飲み込めない。

 

 魔導国の副王自ら戦場に立つなんてことが、はたしてあり得るのか……?

 

 無い、とは言い切れない。

 指揮下の外側で負傷されても困りものなのに、もし死なれでもしたら……責任の所在は問われるだろう。現時点で魔導国と聖王国の力関係は明白だ。それを恐れて、こんな無茶を捻じ込んだ聖王女に対する腹いせで将軍は即座に聖王女と親しいレメディオスに丸投げしたのだ。そしてレメディオスは背景について考えを巡らすこともなく、通常運転でその場にいた副団長であるイサンドロに丸投げしたわけだ。オルランド・カンパーノの時と違い、今回はイサンドロが貧乏くじを引き当てたわけだ。

 だが打つ手は時間的に限られている。

 イサンドロはさらに思考を加速させた。

 まず勝手に動かれては困る……だが勝手に動くだろう。

 腕に自信があるのは良いが、王侯が少数で戦地に立つなど狂気の沙汰だ。

 であれば、足枷が必要だ。

 名目は……聞こえが良いのは連絡役だ。

 これまでの経緯を考慮すれば、警護は嫌うだろうし、最悪睨まれる。

 自由に動けなくする為の足枷である以上、情に訴える方が良い。

 単純に子供……あるいは婦女子……その両方を満たす適任者……がいた。

 ちょっと……いや、かなり目付きに問題はあるが必要条件は満たす。

 戦力としても、こちらの痛手は無いに等しい。

 魔導国副王の連絡役だ……名誉的には問題なく、バカ親である彼女の父君にも上手く説明が可能……

 問題と言えば、真の役目を本人に言い含める時間が無いことだが……戦場に到着早々にたった4人の戦力で打って出る可能性は極めて低い……

 低いはずだ。

 低くあって欲しい!

 

「全隊に通達!……右に迂回しながら出るぞ!……スネークマン共を横面を叩く!……一気に駆け抜けて、一撃加えることだけを考えろ!……とにかく絶対に止まるな!」

 

 レメディオスの指示が下った。

 騎馬の腹を蹴りながら、イサンドロは最後に門を振り返った。

 僅かに門が開いている。

 だが観察している暇など無い。

 

 ……どうか違ってくれ!

 

 神に精一杯祈るも、結果を見届ける時間は残されていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 晴れ、時々矢の雨霰……人間亜人問わず絶叫と怒号が交差していた。

 城壁前の人為的に見通しを良くされた平地に出た瞬間、はるか頭上を斉射された矢が通り抜ける。亜人達の構える大楯がハリネズミと化し、同時にいくつかの絶叫が響く。それを切り裂くように鬨の声が上がり、人間による突撃が数ヵ所同時に敢行されていた。

 さらに怒号が響き、後方にいた亜人達の部隊が反撃を開始する。

 

「どうだ?」

「問題になるようなのはいないですね……片っ端からネイアちゃんに狩らせましょう」

 

 俺の問いにティーヌが答える。

 

「んじゃ、最初にレベルアップさせよう。ティーヌさんはそこそこ強そうなのを何体か見繕って持ってきてくれ……そいつらを無力化したらネイアがトドメを刺す感じで」

「りょーかーい!」

 

 ティーヌの姿が消えた。

 ケラルト戦と違い、今回は俺でも目で追えない。

 

 もう『人化』したままじゃ、ティーヌには敵わないね、こりゃ……

 

 思う間も無く、黒い影がぶっ飛んできた。

 

 なんだ?

 

 避ける間もないので、3人の前に立つ。

 俺に当たっても60レベル以下の攻撃ならば問題ないが、はたして60レベル以下の攻撃と判定されるのか?

 大きな心配と少しの期待を通り抜け、黒い影は正確に目の前に落下した。

 

 あちこち駄目な方向に関節が曲り、グロく変形した山羊人間が断末魔のような悲鳴を上げている。

 

 さらに影がぶっ飛んでくる……おいっ、もう少し間隔空けてくれ!

 

 慌てて山羊人間を掴み、退避させる。 

 今度は蛇人間が……続いて翼人間が……と合計10体、次々に退避させる。

 同じ場所に落下し、同じように全身グチャグチャの状態ながらも、なんとか死なずにいた。

 瀕死の亜人達をドン引きのオルランドと無表情のジットと一緒に一列に並べ替えている間にティーヌが戻ってきた。

 

「んじゃ、ネイアちゃん、こいつらを射殺してみよう!」

 

 ティーヌは凍りつく場の空気をまるっと無視して、呆然と立ち尽くすネイアに『堕天弓』を使うように促す。

 笑う真性の殺人鬼に殺し屋の視線が向くも、身体はガチガチだ。

 直前まで、腕は立つかもしれないがよく喋りよく笑う女戦士程度だった認識がとんでもないバケモノに変わったのだから無理もない。ティーヌのバケモノっぷりを良く知っているはずのオルランドすらドン引きしているのだ。

 

「大丈夫!……大丈夫だから、サクッと殺ってみよ!」

 

 ニコニコ笑うバケモノにスナイパーが挑んでいるような見た目だが、ネイアは圧力に負ける形でおずおずと「堕天弓』を構えた。

 

 引き絞ると闇の中心で燃え上がる赤とバチバチと爆ぜる雷光のエフェクトがネイアの手元に生み出された。

 驚いたネイアが弓手を外すと必中効果でエネルギー弾が山羊人間を爆散させたが、そのまま減衰せずに次々と亜人を貫く。4体目まで爆散し、10体目の亜人まで胴体に大穴を空けている。エネルギー弾はそのまま直進し、はるか遠くの地面を抉った。

 

「ひぃっ!」

 

 矢というよりもビーム攻撃……いっそう殺意を増した視線はともかくネイアの身体はガクガクと震えていた。

 俺自身で集めた最高位のデータクリスタルを限界まで詰め込んだ神器級の出来に思わずうっとり眺めてしまった。ゲームから現実に飛び出してもゲーム時代と遜色ない攻撃力な気がする。まっ、正確なところはわからないけど。

 

「んじゃ、次行ってみよー!」

 

 やめられない止まらない……そんなこんなで10セット、合計100体の亜人をネイアは撃ち殺した。

 

 成果を確認するようにティーヌがネイアを覗き込む。

 

「んー、ネイアちゃん、強くなったかな?」

「少し強くなった気がします」

 

 あまり強化された自覚がないのか、ネイアはキョトンとしながら答えた。

 俺の感覚ではざっくり10レベル後半ぐらいには差し掛かっているように見える。少しどころか現地産人間としてはかなりの成長だ。父親の眼力も間違いないようで、彼女の適性は弓だ。その上で自分よりも高レベルの亜人を一気に100体も殺したのだから当然と言えば当然の結果だ。

 冒険者ならば白金級からミスリル級の間くらいになった気がする。

 もう聖騎士っていうよりは完全にアーチャーの方が正しいんじゃないかな……?

 本人の希望は別にして、適性に素直な成長だ。膂力やスピードも成長しているだろうから、剣でもそれなりにやれるだろうけど、どうせならばレンジャー系統に育てたい。後でアインズさんから伝説級ぐらいの弓でも与えてもらおうかと考えてしまう。後は騎士剣よりも短剣二刀流ぐらいが格好良い気がする。

 

 粉微塵と化した亜人の死骸にネイアが鋭い視線を向ける。

 

「これ、みんな私が倒したんですよね?」

「そうだ……こいつらを殺してネイアは確実に強くなったはずだ。こいつらは聖王国の敵だが、敵の犠牲を無駄にしない為にも、ネイアはもっと強くなって聖王国に貢献しなければならない……まだ行けるかな?」

「はい!」

「ならば少しやり方を変えるぞ……まだ味方と当たっていない後方に待機している亜人部隊を強襲する。戦端を開くのはネイアの弓だ」

「はい!」

 

 鋭い眼差しが本来の役割を心得たかのようにスナイパーの輝きを見せた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 身を隠す岩山もなく、背の高い樹木も少ない。

 だが大地に道はなく、行けども行けども果てしない稜線が見えるだけ。

 精鋭部隊といえども疲労が蓄積し、同時に緊張が疲労を加速させる。

 大した戦果もない。

 何故ならどこまで進んでも敵が見当たらないのだ。

 だから進む。

 だから疲労が嵩む。

 

 フィリップははるか西方で聖王国と亜人の大戦が始まっていることなど知らなかった。そしてほんの僅かな本来敵となる亜人達を数キロメートル先で葬り続けている者達がいることも……

 

 今日、日没を迎えるまで進んだら野営して明日の朝には戻り始める……そう決意し続けて7日目も経過しようとしていた。そして朝を迎えると必ず決意が鈍るのだ。

 もう少し進んだら亜人を見掛けるのではないか?

 ボウロロープ伯に誇れる参加を得られるのはないか?

 そんな考えを捨てられずに歩き続けて8日目……とうとう明日の朝には進路を王国へと向けなければならなくなっていた。他の物資は山程残っているが、とうとう水と食料が半分近くになろうとしていた。少し余裕ある状態を維持しなければ、無事に帰国することはできないだろう。

 無理を押し通し、大言を吐き、コネを総動員した今回の遠征が巨大な浪費になってしまう。焦燥感はあるが、これまでの兵士育成の苦労を顧みればタイムアウト……どうしても引き返さねばならない。

 

 溜息を隠し、はるか前方を眺める。

 

 大きめの岩が点在するだけの荒野だ……亜人の気配すら感じない。

 

 こんな様では練兵場の建設など夢のまた夢だな……なにしろ、どこまで行っても討伐対象になる生きた亜人がいない。亜人の死骸なら結構な数があったのだが……ゴブリンすら見掛けない。

 

 もう一度、溜息が漏れるのを隠した。

 そして顔を上げ、再び前方を見た時、その微妙な異変を察知した。

 

 ……影?

 

 直上の空を見上げた。

 豆粒程の大きさだったそれが一気に加速して舞い降りてくるまで、フィリップは呆然と立ち尽くしていた。

 

 人間……ではないな。

 

 巨大な蝙蝠のような翼が消え失せ、南方由来のスーツを着た男には爬虫類を思わせる尻尾が生えていた。丸メガネの向こうの目に当たる部分には子供の拳大の金剛石のような宝石に見える。

 

 ……亜人?……にしては文明レベルが高いように思える。大陸中央の6大国の亜人だろうか?

 

「……貴様は誰だ?」

 

 男の口角が上がり、牙のような犬歯が顔を覗かせた。

 兵達が一斉に抜剣しようとするのをフィリップは抑えた。この人数で襲い掛かっても勝てない……男を見た瞬間に悟らされたのだ。

 

「これはこれは……お初にお目にかかります……私はヤルダバオトと申します」

「私はフィリップ・ディドン・リイル・モチャラス子爵だ。リ・エスティーゼ王国の王都防衛の責任者を任されている」

「おおっ……貴方が!……このような辺鄙な場所ですがお会いできて光栄です。以後、お見知り置きを……」

 

 まるでフィリップを知っているかのような物言いをするヤルダバオトが貴族の礼儀に則った礼をした。

 

「しかし困りました」

 

 ヤルダバオトが芝居掛かった仕草で大きな溜息を吐く。

 

「……貴方のことは放置するよう、さる御方から申しつかっているのですが、これから先は私のテリトリーになるのですよ……大変申し訳ないのですが、ここで踵を返していただくわけにはまいりませんか?」

 

 戦って勝てるような相手ではない……だが……

 

「迷っておられるようなので、ご判断の助けになれば……お聞きください。ちなみに放置されるように命じられているのは貴方だけです。他の方々はこれ以上進まれるのならば、排除いたします」

 

 ヤルダバオトは見下すように丸メガネのフレームを指先で押し上げた。

 もはや迷うこともない……フィリップは頷いた。

 

「……了解した。私達は戻ろう。帰りの道中に背後から襲われるようなことはあるまいな?」

「ご心配なく……お約束しましょう」

「では、先行している者が5人いる……彼等の戻りを待たせてもらう。それぐらいは許可してもらえるな?」

 

 ヤルダバオトは小首を傾げ、ニヤリと笑った。

 

「その者達が戻ることはございませんから、どうぞこのままお帰り下さい」

 

 猛烈な不安が脳裏を過ぎる。

 既に想像では……だが問わずにいられなかった。

 

「どういうことだ?」

「そのままの意味でございます……どうぞお帰りを」

 

 とうとう我慢の限界を超えた兵士達が爆発した。

 抜剣の音が響く。

 

「待て!……手を出すな!」

 

 フィリップの制止も効かず、1人の兵士がヤルダバオトに躍り掛かる。

 次の瞬間、その兵士の頭部が落ち、大量の血液が間欠泉のように噴出した。

 断切したのは黒い爪……知らぬ間にヤルダバオトの指先から伸びていた不自然に長い爪は全てが鋭利な刃物であった。

 

「これは失礼……私としては穏便に済ませたいのですが、さすがに剣を向けられて無抵抗というわけにまいりません」

「分かった!……分かったから、部下に手を出すな!」

「それは貴方達の出方次第でございます」

 

 ヤルダバオトが両腕を振るとさらに四つの首が落ちた。頭部を失った胴体がドサリと音を立てて次々と崩れ落ちる。

 

 フィリップの怒号が響き渡り、なんとか恐慌状態の兵士達を制止しようとするも、狂乱状態に陥った兵達は次々とヤルダバオトに飛び掛かった。数の力で押し切ろうというつもりだろうが、これまでの強行軍による精神的疲労と目の前に顕現した死の恐怖から、パニックがパニックを呼ぶ連鎖を起こし、もはやフィリップが両腕を抱え込んで制止している1人と呆然と立ち尽くす魔法詠唱者達を除いて、次々と死の特攻を敢行していた。

 

「やめてくれ!……やめて下さい!」

 

 フィリップの慟哭が響く。

 だが剣を抜いた兵士達はフィリップが抑えつける1人を除き、全員が綺麗に頭部を胴体から分離させ、血溜まりの中に沈んだ。

 

「……何故だ!……私を放置するのではないのか!」

「その通り、貴方の放置は厳命されております。ですがさる御方がお望みなのは放置……まして他の有象無象については関心を持たれておりません。貴方については好きさせろと申され、他は好きにしろと申されました。貴方達以外にも私のテリトリーに侵入した者達はおりましたが、彼等はさる御方の真の配下であるが故にご意見を聞くまでもなく放置しております。ですが貴方はただの観察対象……貴方さえ生き残ればそれで良いのです。いえ、正確には貴方が自滅する分にはさる御方もそれはそれで良いとのこと……つまり私と私の配下が貴方に手を下さねば一切の問題は生じません」

「誰だ!……さる御方とは!」

「貴方ごとき下等で愚かな人間が知る必要はありません」

 

 血涙を流す……生まれて初めて、その感覚を知った。

 自領と家族の惨劇を聞いた時すら、ここまでの憎悪は感じなかった。

 なのに手も足も出ない。

 相手が手を出さないとの確信故に、滂沱の涙の奥から睨んではいるが、どうしても剣は抜けないし、足も前に出ない。もし前提が崩れれば視線を向けることすらできないだろう。

 バケモノ女と対峙した時よりも恐ろしかった。容赦無いのは一緒だが、目的はフィリップを鍛える為であり、今考えれば何をされるのも理由はあった。

 だが目の前のバケモノは違う。単に命じられただけでフィリップに1ミリも価値など感じていない。「処分せよ」と命じられれば即座に殺される。害虫どころか、たまたま目に入った羽虫を潰すような行為に近い。現実にフィリップ達が殺される理由などその程度だ……知らぬ内にヤルダバオトのテリトリーに侵入しようとしただけであり、その中で害を及ぼしたわけではない。

 

「……全員、帰るぞ……」

 

 渦巻く感情を全て飲み込み、フィリップは撤退命令を出した。

 魔法詠唱者達が我先にと逃げようとするも、恐ろしくて背後を見せられないのか後退ることしかできない。

 フィリップは抱えた兵が特攻を止めると確信できるまで、その場でヤルダバオトを睨み続けた。

 

 ヤルダバオトはその場でフィリップ達が立ち去るのを待ち続けている。

 

 目の前で死んだ34人と何処かで葬られた5人……彼等の無念を胸に刻み込み、フィリップ達は一歩づつ背後歩きで後退した。

 突如として空から現れたバケモノには無意味だが、どうしてもそれ以外の方法で後退ができなかった。そのまま20分ぐらいは進んだように思えたが、もっと長かったかもしれないし、短かったかもしれない。誰かが振り返って、全力で走り始めた。その瞬間から全員が抑えが効かなくなった。

 ひたすら走り続ける。

 疲れも休憩も水分補給も忘れ、何かに突き動かされるようにただ走った。

 走って、走って、走り続け、気付けば夕闇が周囲を覆い尽くそうとしていた。

 誰ともなく立ち止まり、全員がその場で肩を大きく上下させている。

 奇跡的に誰も欠けていない。

 それだけを確認するとフィリップはカラカラに乾き、埃まみれの口にと水だけを含み、盛大に吐き出す。そのまま倒れるように地面に寝転がった。

 命令でもされたかのように生き残り全員ほぼ同じ行動をした。倒れ込んだのが前向きか後向きかの差しかない。

 誰も野営の準備には取り掛かれなかった。凄まじい疲労と脳全体に広がる安堵がそれをさせてくれなかった。そんな中でフィリップだけは密かに決意を固めていた。

 

 ……殺してやる……絶対に殺してやる!……全員、必ず殺してやる!

 

 半分以上夜の帳が下りた空が果てしなく広がっている。

 

 ……皇帝ジルクニフも……ヤルダバオトも……さる御方とやらも……

 

 泣き腫らし、汗と埃でまだらに汚れた顔を手で拭い、フィリップは再び立ち上がると惨憺たる有様の部下達を見て、指示を出すのを諦め、黙々と1人で野営の準備を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 全ての報告書をまとめ、組合に提出し、相場以上に高額な報酬をその場で貰い受け、そのまま移籍の話を切り出すと、ラキュースの予想通りに組合内は蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。

 旧『八本指』や国軍に人員を奪われ、所属冒険者の減少に歯止めがかからない状況下で、組合からすればトドメを刺されるような発言だったのだ。依頼の減少どころか、モンスターの討伐報酬査定支払いの独占権すら奪われ、もはや完全に死に体の王都リ・エスティーゼの冒険者組合であったが、それでも王国内に2チームしかいないアダマンタイト級冒険者チームの全チームが所属し、王国内最も権威ある組合なのは間違いなかった。それをチームリーダーが王国貴族の令嬢ということで最も信頼していた『青の薔薇』に裏切られたような気になったのも無理はない。

 しかし『青の薔薇』としてもリーダーであるラキュースの一存でなく、2ヶ月近くに及ぶチームメンバー全員による話し合いの結果なのだ。簡単に取り下げられるような決意ではなかった。

 

 組合長及び幹部や事務方にあっと言う間に取り囲まれ、そのまま応接室へ。

 こうなることは高い確率で予想されていたので組合に同行したのはイビルアイ1人だけであり、そのイビルアイにしても既に仲間達の待つ定宿に連絡に向かっているはずだった。

 

 大人数による圧力で席に座らされ、最高級の魔道国産茶葉のお茶を目の前に出され、真向かいに座る少し前まで40歳ぐらいに見えていた女性の組合長を見詰める。この人もシュグネウス商会が幅を利かせる前までは信頼できる組合長だったが、あれ以降は泣かず飛ばずの有様だった。冒険者としては非常に市井の事情に通じた存在だったが、所詮は冒険者であり、王国有数の経済人であり、表も裏も政治力の高いヒルマ・シュグネウス相手に熾烈なシェア争いをするのは能力的に無理があったとしか思えない。

 やつれた顔に血走った目……少し前よりも白髪が増えていた……もはや老境に入るかのような風体でラキュースを見詰めてくる。

 

「アインドラ様……いいえ、ラキュースさんと呼ばせて下さい。ラキュースさんの『青の薔薇』まで組合を見捨てるのですか?」

 

 話し合いの初っ端から泣き落とし……まあ、いきなり大人数での圧力を選択するぐらいなのだから他に方策がないのだろう。

 

「見捨てると言われても……組合の立場で考えればそう受け取られても仕方ないのかもしれません。ですが、既にこの2ヶ月近く、皆で話し合って決めた結論です。私としては忸怩たる思いもありますが、私以外のメンバーが将来に不安を感じるような状況下では、これ以上冒険者チームを維持できないと判断しました」

「……『青の薔薇』までシュグネウス商会……あの元『八本指』に移籍されるのですか?……壊滅にあれだけの情熱を燃やされていたのに……」

「いいえ、私達は『八本指』には移籍しません。あくまで冒険者としてやっていくつもりです。報酬もそうですが、それには誇りが必要なんです。今の王都ではアダマンタイトの誇りが保てないのです……」

 

 そこまで言うと組合長が驚愕の眼差しでラキュースの言葉を遮った。

 

「まさか!……アインドラ家はいまや王国の権門ではありませんか!」

「実家の話は関係ありません。それに王国を捨てるわけでもありません」

「そうは仰いますが!」

「……組合長も誇りの話をされて、直ぐに思い当たった……組合長も現役冒険者であれば……そう考えたことがあるとお見受けします。正直なところ、依頼達成の式典をこの目で見るまでは、仲間達はともかく私は懐疑的でした。でもアレを見せられたら、私も羨ましく思いました」

 

 副王ゼブルに招かれた魔導国の冒険者依頼達成の式典は壮麗そのものだった。そして華やかであり、国民総出で祝われていた。

 魔導王の布告により成果の説明がなされ、国民の全てがゼブル達の成した偉業を知る……報酬は別にして、それだけでも同じ冒険者として誇らしかった。

 魔導王は言葉通り冒険者を子供達の憧れる職業に変えようとしていた……その方針にも心が躍った。

 ゼブル達3人は魔導国公認のアダマンタイト級に任じられた。その姿は昇級審査などという内輪のシステムがいかに矮小かと思い知らされた。

 副王という立場上、昇級以外の報酬は受け取らなかったゼブルを除き、壇上に立つ旧知のティーヌやジットに元々アダマンタイトの『漆黒』と協力者のゼンベル・ググーという名のリザードマン……『青の薔薇』もあのようになりたいと素直に思わされてしまった。

 

 魔導王は子供達だけでなく、大人も、既に冒険者である自分達も「魔導国の冒険者」に憧れさせたのである。

 

 『漆黒』の2人に下賜された、今回の冒険で得たあり得ないレベルの財宝の数々。

 ジットに下賜されたカルネの魔法研究施設と国費からの運営資金永久提供。

 ティーヌに下賜された生きたドラゴン一頭と餌代を含んだ維持費用の永久国費負担に加え、魔導王の召喚した強者と戦う権利。

 協力者ゼンベル・ググーには魔導国の国民であるリザードマン全員に行き渡る分の魔法の武器防具。

 成果以前に約束されたそれぞれの基礎的報酬が白金貨10000枚の上に、依頼達成による成果によってこれだけのものを得たのだ。

 これこそ破格の報酬と呼ぶのだろうと、心底思い知らされた。

 祝宴と呼ぶには盛大すぎるパーティーの中、それまでの葛藤が嘘のように消えていた。仲間達を見れば彼女達の目も同じ輝きを見せていた。目の見えないイビルアイは仮面ごと大きく頷いていた。

 

「私達は旧知の魔導国副王の紹介で魔導王陛下に謁見……いいえ、魔導王陛下を囲んでごく私的な会合を開いていただきました。そこで冒険者として移籍する際に王国国民のままであっても構わないとの確約をいただきました。もちろん全てが上手くいっているわけではありません。元々エ・ランテルに所属していた魔導国のミスリル級3チームはかなり厳しい状況です。彼等は訓練所の講師の仕事が大きな収入源になってしまい、ほとんど講師専業に近い状態だと聞き及んでいます。しかしそれでも王国時代のミスリル級冒険者の収入とは比較にならないと聞きました。まだ年若い『豪剣』は別にして『虹』と『天狼』の2チームはそれで構わないと考えいるようです。私達もそうなってしまうかもしれませんが、挑戦したいと思ったのは『青の薔薇』全員の意志です」

 

 ラキュースは組合長の目を真っ直ぐ見詰めた。

 血走っていた目が揺らいでいる。

 立場は彼女達の意志を許したくない。

 でも冒険者だった時の気持ちは……

 

「……もはや私達に『青の薔薇』を止めることはできないのですね……?」

「はい、残念ながら……」

 

 沈鬱な口調と対照的にラキュースの緑色の瞳は希望に満ちていた。

 




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42話 聖王国最強

 

 聖騎士団団長レメディオス・カストディオ率いる聖騎士団の突撃はこの激戦区において数的劣勢をひっくり返し続けていたが、それでも人間と馬という生物の集団である以上、どうしても疲労という限界点があった。しかも基準は体力的に最低の者にある。だからレメディオス自身は相当に余裕があったが、そろそろ頃合いであることも熟知していた。

 

「一度、退くぞ……全隊、後退時も秩序を保ったまま大砦に帰還する。良いな!」

 

 号令が響き、既にレメディオスの指揮に慣れている2人の副団長が具体的な撤退指示を出す。

 すぐさま全員が撤退準備を整え始めた。

 普段は何も考えていない故に大らかなレメディオスだが、作戦行動中はかなり神経質な一面も見せる。だから作戦行動中の団長は油断ならない……現在の聖騎士団に入団すると真っ先に叩き込まれる教訓だ。

 神経質ということは細かいということだ。

 細かい以上、周囲に目が行き届く。

 

 はるか遠方かつ後方の光景が目に入ったのも、そのせいかもしれない。

 

「あれは何だ?」

 

 もう条件反射なのだろう……レメディオスの言葉にイサンドロは「団長の疑問解答マシーン」として即座に適切な回答を与えるべく、自身は下馬して部下達に雑多な指示している最中にもかかわらず、馬上のレメディオスが見る方向を目で追った。

 

 赤黒い塊が雷のような輝きを帯びながら大地と水平に高速飛翔していた。しかも連発で。

 この距離だから全体像が問題なく把握できるが、近場では何が何やらだ。

 そして連射される塊は的確に遠方に陣取る亜人部隊を突き崩していた。

 

 初めて見る技だ……魔法か?……魔法にしては相当な距離だが……

 

 イサンドロの暢気な感想とは別に、現在攻撃を受けている亜人の陣地は地獄絵図に違いない。

 魔法だが新兵器だか知らないが、まったく便利な世の中になったものだ、なとと思ってみたが、脳の奥底で何かが疼いた……そして何かと目の前の光景が合致した。

 

「おそらく魔導国でしょう、団長!」

「魔導国?……ああ、援軍とか言っていた……?」

「我々の知らない魔法かと思われます!」

「なるほど……アンデッドを王に戴くなど、どれだけトチ狂った集団かと思っていたが、それなりに力は持っているようだな?」

 

 アレを「それなり」と表現して良いのかは別にして、イサンドロは魔導国副王ゼブルの率いる援軍が本当に戦場に出たことに憤慨し、同時に本当にかなりの実力者であったことに安堵した……あれだけ強力な遠距離攻撃方法を持っているのならば、少なくとも要塞線を構成する城壁沿いで戦闘している限りには死者を出すような事態にはなるまい。上からの丸投げの終着点であるイサンドロとしては、心中でホッと胸を撫で下せる上々の状況だ。

 

「……何にしても少しは肩の荷が下りましたね、団長」

「何故だ?」

 

 即答され、レメディオスの皺の少ない脳を少しでも期待した自分を悔いた。

 

「魔導国の副王などという厄介な存在に戦場に立たれ、怪我でもされ、責任問題になったら我々が厳しい立場に立たされますので……」

「だから何故だ……アンデッドの手下など、少しでも役に立つのなら使い潰せば良いではないか?……魔導国などこの世界に亜人以上に必要のない邪悪な存在だ。自ら戦場に出て、勝手に死んだのなら、責任など感じる必要もないだろう。責任問題など聖王国にあるはずがない」

 

 公然と言い放つレメディオスに頼もしさと恐怖を同時に感じる。

 政治的な裏を読まない権力者とは、ある意味において最強の存在だった。

 この団長を支える自分を顧みればどうだ?

 団長は生まれも育ちも実力も聖王女陛下を除けば聖王国最高にして最強だ。

 対して自分は辛うじて九色ではあるものの、剣の腕を評価されただけの存在であり、一片のミスも犯せない。

 聖騎士団に政治的には問題が生じた場合、切り捨てられるのは常に自分かグスターボの二択なのだ。まして今回の魔導国副王率いる援軍関連は明確に自分に丸投げされた問題である……聖王家が切り捨てるのはどちらか?

 

 考えるだけバカバカしい。

 

 馬上のレメディオスを見上げると魔導国のものと思われる魔法攻撃(?)を眺め続けていた。

 

「水平に射出して、あれだけの遠距離を攻撃できるのならば使えるな……大砦に帰還後、連中と会うぞ。連絡役は……誰だ?」

 

 どうやら連絡役を派遣したのは覚えていても、誰かまでは覚えなかったらしい……いや、忘れたのかもしれない。

 

「従者ネイア・バラハです、団長」

「ではネイア・バラハが早急に出頭できるように手配しろ。最優先だ!」

 

 レメディオスが馬の腹を蹴った。

 既に魔導国との会談……いや、その後の作戦のことで頭が一杯なのだろう。

 イサンドロは慌ててレメディオスの供回りに出発を命じ、自身は立て続けに引き当てた貧乏くじに頭を抱えたい気持ちになるも、なんとかグスターボの向けた哀れみの視線で立ち直った。彼は声に出さず「協力するから」と情けない顔付きで言ったのだ。

 

 聖王国聖騎士団の2人の副団長は他者から理解できない絆で強固に結ばれている。お互いに協力を惜しまず、お互いに深く理解しあう。そうでなければレメディオスの下になど1週間も耐えられないだろう。

 

 前途洋々だった平団員だった頃が懐かしい。

 

 イサンドロは茫と遠くを見詰め、深く溜息を吐いた。

 戦場ではない場所が彼の本当の戦場だった。

 

 

 

 

 

 

 

 連絡役を命じた時のネイア・バラハはこんな気配を放っていただろうか?

 イサンドロは魔導国の一党が帰還した夕暮れまで延々と待たされた後にネイアを呼び止め、振り向いた彼女の面相を見た瞬間、嘘偽りなく死を覚悟した。そしてチビり、股間の嫌な感触に後悔を深めた。それまでは認識なく闇夜に出会したら思わず逃げ出す程度の目付きだったものが、いまや白昼に存在を事前に認識した上でも、視線を向けられたら脱兎のごとく逃げ出す凶相だった。

 何が彼女をそうさせたのか?

 答えはおそらく魔導国であり、突き詰めれば連絡役を命じた自分だ。

 

「従者ネイア・バラハ……団長が魔導国副王殿との会談を希望されている。団長の下に出頭後、先方に話を通してくれないか?」

「はいっ!」

 

 声音は元気そのものの年頃の少女のものだが……立ち去る身のこなしは九色の1人であるイサンドロを軽く凌駕していた。素早く、静かで、力強い……見習いやら訓練生でなく、猛者やら達人やらの方が彼女の肩書きとして正しい気にさせられる。

 

 どっ、どうして、こうなった!?

 

 あくまで受ける印象だが、彼女の父親であり、九色のパベル・バラハをも凌駕するように思える。下手をすれば、聖王国最強のレメディオス・カストディオすら凌ぐのではないだろうか?

 

「他に無ければ、私は魔導国副王ゼブル様の下に戻り、団長のところに出頭する旨を報告してまいりますが、よろしいでしょうか?」

 

 気付けば、考えに没頭していたイサンドロをネイアが覗き込んでいた。まだ華奢で身長も低い彼女だが、イサンドロは反射的に目を背けようとした……が、なんとかギリギリのところで踏み止まった。

 

「行って、良し……しかしその前に教えて欲しいのだが」

「何でしょうか?」

「君は……その……自覚はあるのか?」

「はい?」

「いや、そのー……強くなったの、か?」

 

 ネイアの表情がパッと明るくなった。

 対照的に視線は険しくなったようにしか見えないが……

 

「ゼブル様のお陰で……よく解らないのですが、10れべる以下だったものが一気にざっくり30れべるぐらいにはなったか、とゼブル様が仰っておられました。冒険者達の使う難度という数値に換算すると確実に30以下だったものが90ぐらいにはなったのではないか、ということらしいです……逆にお尋ねして申し訳ないのですが、サンチェス副団長……これって凄いことなのでしょうか?」

「そ、それは……凄いな」

 

 自覚無しに聞かされた内容に思わず目を見張ったイサンドロの言葉に、ネイアは年頃の娘らしく素直な喜びを見せた。話の中身は年頃の娘に相応しいものかと問われれば、全力で否定できるようなものであったが……難度ではもはやイサンドロを超えたということだ。経験による状況判断や相性を無視した指標でしかなく、実際の戦場で役立つような数値ではないが、それでも剣の腕に自信を持つイサンドロにとっては衝撃の一言だった。

 今朝まで実父の存在と目付き以外に目立つことない、どちらかと言えば将来性を感じない従者に過ぎなかったネイア・バラハが、たった1日の実戦経験で九色に一人である自分を超えたと言うのだ。さらに言うだけだなく、実際に自分よりも強いと感じさせられた。

 

「何をした?……いや、奴らに何をされた?」

 

 ネイアの凶眼がイサンドロを射抜く。

 先程まではビビったかもしれない。

 しかしそんなことはどうでもよくなっていた。

 イサンドロとて団長と接するまでは最強を目指したこともある。

 だが遠く高い壁を知り、現実に妥協したのだ。

 それを才能を感じなかったネイアが1日で剣の腕で九色となった自分を優に超えたのだ……明日には団長すら超えるかもしれない。

 だから問わずにいられなかった。

 

「ゼブル様に弓を貸与されました。それを使って亜人を倒しました」

 

 眼光はヤバいが、ネイアは素直に答えてくれた。隠す価値もない情報とでも言うように……と言うよりも、それがいかに価値ある情報かの自覚が全くと言って良いほど無いのだ。

 ネイアの言うことを素直に信じれば、秘密は貸与された弓にあるはず。

 成長を促進する魔法でも付与されているのか?

 もしそのような魔法や技術が実在するのならば、それは空前絶後と言っても間違いない世界の至宝だ。

 

「君は亜人を討伐しただけなのか?」

「はい……でも討伐数は千は下らないと思います」

「……は?」

「ですから、少なくとも1000体は倒したと思います」

 

 ……いやいやいや……いや、あり得ないだろ……従者が単独で聖騎士団全体よりも同等か、ひょっとするとより多い数を屠っただと……?

 

「信じられないのも無理はありません。自分でも信じられません。でもゼブル様の配下であられるジット様が大まかにカウントされていました。想像を絶する威力を誇る弓だったので、当たれば亜人程度であれば必ず死ぬそうです。そして必ず当たるそうです。私もなんとなく強くなったのかなと思っていたのですが、凄く自信になりました。今回のお役目を与えていただき、カストディオ団長には感謝の言葉もありません」

 

 ネイアはペコリと一礼し、そそくさと魔導国の控室に向かった。

 

 イサンドロもしばらく立ち尽くしていたが、やがてネイアの後を追った。

 団長が話をややこしくする前に顔だけでも自身を魔導国に売り込んでおくべきだと考えたのだ。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 テーブルを挟んで真向かい座る優男が魔導国の副王ゼブルだと言う。

 ゼブルは副王とかいうよく解らない地位に就いているが他国の王侯なのは間違いない。だからレメディオスに合わせて立礼しろとは言わないが、飲食したままはあまりに礼を失してないか?

 ヘラヘラと笑い、ホバンス近郊では密かに兵士達の間で人気のある薄甘い酒を飲み、ベタベタと銀髪女と戯れあい、聖王国を裏切ったオルランドとゲラゲラ笑い合いながら、時折油断なくレメディオスの方を窺い見ていた。

 少し離れて無表情のオカッパ頭が座り、イサンドロが見違えたと評価した従者ネイア・バラハは後方の壁際で控えていた。

 

 会談を持ち掛けたのは良いが、魔導国の連中は聖王国聖騎士団団長であるレメディオス・カストディオに魔導国の控室に出頭するように命じた。

 

 たしかに魔導国は聖王国を援助する立場であり、僅か4人の援軍とはいえ、援軍を指揮するゼブルは魔導国の副王だった。冷静に考えれば天地がひっくり返っても魔導国側がレメディオスの前に来ることはない。

 しかしレメディオスはイラ立っていた。

 法国、評議国と並び強国の一角と評価される魔導国なにするものぞ、との気持ちもあるが、その類の感情が主たる原因でない。

 アンデッドの手下をやっている人間などという理解の外側の存在に「話し合ってやっても良いから、お前が来い」と言われたことが腹立たしいのだ。もちろんそんな言い方をされたわけではなく、極めて丁重に時間は作るから、そちらの都合で来てくれ、と遠回しに示唆されただけなのだが、レメディオスの心中では見下されているのに等しかった。とにかく魔導王というアンデッドを担ぐなどいう邪悪な人間が許し難いのだ。

 そのような存在に目下に扱われるのがどうしても我慢ならないのだ。

 

「……そこで立っていても話が進まないだろう、カストディオ団長?」

 

 ゼブルの言葉と振る舞いに険しくなりつつあると自覚している視線を無理矢理穏やかなものに切り替えて、レメディオスは改めて着席の許可を得て、席に着いた。その途端、ゼブル達が自身でホバンスから持ち込んだという酒を勧められたが、一口だけ啜り、グラスをテーブルに置く。

 

「ちなみに俺は下賤の出身だから言葉に気遣う必要はない。なので俺も言葉は率直になるので、お互い様ということでよろしく」

「それでしたら私も気楽にさせていただきます」

「そうしてくれ……料理もテキトーに摘んでくれ」

 

 言いつつゼブル自身が先程から遠慮の片鱗も見せずに食い続けている。

 それもレメディオスがナメられていると感じる原因なのだが、レメディオス自身は気にしないように心掛けていた。それよりも一つ思い付いた主たる原因を許し難いと思い込んでいる。

 

「……で、話って、何?」

 

 いくらなんでも砕け過ぎだろと思ったが、上位者が相手であり、当人に全く改める気がない以上、いちいち指摘するのも無駄……だがレメディオスは肩を震わせていた。

 ネイアと同様に後方に控えているイサンドロとグスターボの副団長2人組の内、イサンドロが慌てて一歩進み出てレメディオスの肩を抑えた。振り向いたレメディオスに睨まれるも、彼女は何かをグッと飲み込み、軽く頷いた。

 

 イサンドロからすると立場の問題ではないのだ。

 イサンドロ自身が盛大に顔を見せをした直後でタイミングも最悪であるが、それ以前に相手が悪い。

 レメディオスは薄々気付いているかもしれないが、魔導国から来た3人は想像を絶する強者なのだ。聖剣サファルリシア装備のレメディオスでも届きようがない。特にゼブルの横に座り、ニィと笑っている銀髪の女戦士はヤバい。無礼さも人知を超えているが、時折滲ませる雰囲気はネイアやパベルの目付きから感じるものを軽く超えている。

 

 レメディオスは数秒で落ち着きを取り戻した……ように見えた。

 

「では本題から始めさせていただく……将軍閣下から聖王女陛下の御意は伝え聞いた上で、曲げてお願いしたいのだ。魔導国の皆様には我々聖騎士団と共闘していただきたい。私は見たのだ。アレは魔導国の新兵器なのか?……それとも我々の知らない魔法なのか?……1キロ近く離れた長距離から亜人共の陣を突き崩していた赤黒い塊……アレが我々の突撃を援護してくれれば大砦周辺の形勢逆転は容易に可能と思うのだが……」

 

 ゼブルがレメディオスを遠慮なく覗き込む。

 何を見ているのか?

 何を読み取られているのか?

 作り物のように異様に整った顔から笑顔が消えると不気味とも感じられる不穏さが垣間見えた。

 嫌な気持ちを抑え込み、なんとか誠意を伝えようと目を合わせる。

 その目から不躾な何かが入り込み、頭の中に入り込まれたような気にさせられた。

 その間数秒……

 

「せっかくの申し出だ……が、断る」

「なっ……何故だ!」

「我々にメリットが無い。加えて突撃前に長距離から『堕天弓』で掃討された陣中に聖騎士団が突撃する意味がない。別個に行動した方がどう考えても効率的だ。聖王国の主たる目的は亜人の根絶やしなのか、それとも戦意を挫いて侵攻を押し返すことにあるのか……それを考えれば殲滅に意味はないだろ。仮に殲滅が目的であっても我々だけで可能だ」

「違う!……そうではないのだ!」

 

 反射的に反論したが、レメディオスはゼブルを説き伏せるシナリオなど持ち合わせていない。そんなものを考えるのはイサンドロかグスターボの仕事だ。頭の中にモヤモヤと言葉にならない何かはあるが、生まれてこのかた言葉にする訓練をしてこなかった。聖騎士団に入団する前は妹が考えてくれた。その後はトントン拍子に出世したので言葉が必要な地位に登った時にはイサンドロもグスターボもいた。

 レメディオスは押し黙り、ゼブルを睨み付けた。

 一刻も早く頭の中のモヤモヤを言葉にしなければ……その焦りが礼儀などキレイに吹き飛ばしていた。

 

 ゼブルの碧眼が嫌と言うほど不躾にレメディオスの全身を舐める。

 人物評価……品定め……と言うよりも観察と言った方がしっくりくる。

 何もかも丸裸にされているような気にさせられる。

 気持ち悪い……とにかく不快だ。

 逃れたい一心で言葉を捻り出した。

 

「……誰も!」

「誰も……?」

「誰一人として犠牲者を出したくないのだ!……それ以上の正義などこの世界に存在しない!」

 

 ようやく言葉になった……同胞の盾となり、部下を守る決意。

 だがゼブルは鼻で笑った。

 

「ならば戦争などやめてしまえ……亜人に媚び諂って、なんとか全国民を生かしてもらう術でも考えろ。戦えば必ず犠牲者は出る……戦わなければもっと犠牲者が出る。俺はそう思っているし、実際にそーゆーもんだ」

 

 ゼブルはすっかり興味を失ったかのようにレメディオスから視線を外し、再び酒を飲み、料理を摘み始めた。

 

「亜人に与するのか!」

 

 レメディオスが立ち上がる。

 ゼブルがチラリと視線を向け直した。

 また悍ましく遠慮の無い視線がレメディオスを蹂躙する。

 言葉に詰まってしまった。

 聖王国最強のレメディオスから見てもバケモノとしか思えない女戦士がニヤニヤと楽しそうに笑顔を見せている。とても真っ当な護衛役の行動とは思えない。トラブルを楽しんでいるのだ。

 唖然と立つレメディオスにゼブルの言葉が浴びせられた。

 

「俺達は聖王国にいる……それが、今回の、方針だ」

「貴様!」

 

 何かが切れた。

 その瞬間、異様な緊張感でギリギリ均衡を保っていた空気が激変した。

 椅子が蹴り倒される。

 さすがに抜剣までには至らなかったが、強引に前に進もうとしたレメディオスの背後からイサンドロとグスターボがそれぞれ両腕を抱え込み、強引に後退させようと全力で引き摺る。だが最初こそ想定外の出来事にレメディオスの身体は一気に後退したが、状況を把握した瞬間からジリジリと前進を始めた。

 

「団長!」

「団長、やめなさい!」

 

 イサンドロとグスターボの制止の声が虚しく響く。

 許せない……その一心で前進した。

 この状況で飲酒を止めないことでもなく、視線が不躾だったことでもない。

 アンデッドの配下がしれっと言ってのけたのだ……今回の方針、と。

 ならば次回はどうなのだ?……所詮は邪悪なアンデッドを戴くような国家の指導者なのだ。聖王国の、人間の側に立つのは一時的な利害関係の一環でしかなく、亜人が助けを求めればあちら側に立って聖王国と戦うつもりなのだ。

 少なくともレメディオスはそう受け取った。

 

 待っていましたとばかりにティーヌが立ち上がろうとするのをゼブルが視線で制する。

 

 それよりも早くレメディオスとテーブルの間に出来上がった空間にネイアが立ちはだかっていた。凶眼がレメディオスを真っ直ぐ見ている。

 

「団長!……下がってください」

「従者ネイア・バラハ!……貴様も裏切り者のカンパーノと同じくアンデッドの手下共に籠絡されたか!」

 

 本音……それだけは絶対に言うなとイサンドロが事前に固く戒めた言葉が、レメディオスの口から漏れる程度では済まないレベルで室内に響き渡った。

 現実のイサンドロはレメディオスの右腕を必死に抱え込んでいたが、心中では盛大に自身の頭を抱えて蹲っていた。裏切り者も何も自身で会談を持ち掛けておいて、率先したらぶち壊しているのはレメディオスであり、ネイア・バラハはこれ以上の事態の悪化を阻止しようとしているだけだ。

 

「カストディオ団長、失礼します!」

 

 体格的にはレメディオスどころか2人の副団長にも全く及ばないネイアがレメディオスの胴体を抱え込むとそれまでの前進が止まり、すんなりとレメディオスは魔導国の控室から退場させられた。

 

 遠くからレメディオスの怒号が響いているが、控室内は元の静けさを取り戻した。

 

「しかし相変わらず救いようのないバカな姉ちゃんだな、アレは……」

 

 残った面子の中ではレメディオスに恨みひとしおのオルランドだが、さすがに今回の狼藉の事後処理まで考えると副団長達に同情していた。

 

「放置でよろしいのですか、ゼブルさん?……手討ちにしても問題になるどころか、2国間の魔導国の立場は相対的に強化されたと思いますよぉ」

 

 ティーヌの笑いがニヤニヤから種類の違う笑いに変わっている。

 

「それでは聖王国を無駄に追い込んでしまうからのう……対魔導国強硬派の出現なんぞ、むしろ目的から遠退くと、わしは理解しておりますぞ。わしらは聖王国内を二分しに来たわけではないからのう……目的は聖王国内で統一された意志に永久に下手に出ても魔導国と組んだ方が得と思わせることにある……その理解でよろしいですかな、ゼブルさん?」

 

 ジットが元々悪い人相をさらに悪くさせた。

 

「まっ、ざっくりそーゆーこと……あの程度でも聖王国最強なんだろ、オルランド?」

「旦那達は別にしてもメチャクチャ強いですぜ、頭以外は」

「聖王女に近しい有力者で最強なんてヤツを密室で手討ちしたら、例えばアレの妹や聖王女が心情的には反魔導国になってしまうのは避けられない。最高意思決定者とその最側近を潜在的な敵にするのはバカバカしい。俺達が人間の戦力としてここにいる意味を自分達で崩すようなもんだ。人間、状況や損得をどれだけ頭で理解しても、身内に対して厳しい裁定なんざ、そうそうできるもんじゃない。仮にやり遂げても強い恨みが誰に向くと思う?……むしろ助命してやれば連中は感謝しつつも頭が上がらなくなるだろ?」

 

 ティーヌがポンと手を打った。

 

「あー、あの暢気な聖王女はともかく、妹は色々と手を回しそうですね……実際に今回魔導国に援助を要請したのも妹なんですよね?」

「そっ、あーゆー損得だけで動きそうなヤツは損得だけで動かしたいの。姉と違って頭は回るから、主義や信条よりも実益を選ぶ。つまり聖王国にとって他国よりも魔導国と組むのが相対的に有利な内は絶対に裏切らない。しかも聖王女に対する発言権は最も大きい。だから確実に取り込んでおきたい駒なんだよ。せっかくの貴重な駒に恨みを抱かせると誘導し難いだろ?……戦後はさらに色々と便利に使える気がするんだよ。王国の『黄金』ラナーと違って、俺でも思考が読み易いのは非常にありがたい」

「となると……ゼブルさん、仕掛けましたか?」

 

 ティーヌの笑いがニヤニヤに戻った。

 

「まっ、神経は逆撫でしたかな」

 

 ケラケラと笑う。

 不気味に笑う。

 呆れて笑う。

 薄く笑う。

 

 扉を隔てた向こう側では、いまだレメディオスの怒号が響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 扉の向こうでバタバタと駆け回る足音が響いていた。

 それがピタリと静まり、ノックが響く。

 

「どちら様かな?」

 

 酒宴というか夕食の最中であり、扉から最も近くの席に座っていたジットが立ち上がって、扉を挟んで対応する。

 

「ネイアです、ジット様……将軍閣下が謝罪に参られたのですが、入室の許可をいただけますか?」

「謝罪?……わしらは将軍閣下から謝罪される覚えはないがのう」

「……先程のカストディオ団長の狼藉に対する監督不行届きに対し、是非ゼブル様に謝罪したいとのことです」

「ゼブルさんは自身が勧めた酒によるものだ、と判断されておられる。不問に伏す故、悪いことは言わぬから公的な立場で公式な謝罪はしない方が良い、と伝えてくだされ。もう少し日を置いて、将軍閣下が個人的に時間を作って下さるのならば、その時は是非お会いしたいと仰っておられる」

「本当に……それでよろしいのですか?」

「ゼブルさんの判断だからのう……おそらくそれがお互いに最善の解決策なのだろうな」

「では、その通り伝えます」

 

 今回の狼藉騒動で最も神経をすり減らしただろう将軍はとりあえず退散させた。

 で、お次は……

 

 10分も経たない内に再度バタバタと足音が響く。

 それが3人分、やはり扉の前でピタリと静まった。

 そしてノックが響く。

 

「どちら様かな?」

 

 先程と同様にジットが立ち上がり、扉を挟んで対応する。

 

「ネイアです、ジット様……サンチェス副団長とモンタニェス副団長がゼブル様に面会を求めております。入室の許可をいただけますか?」

「そうか……では入られるがよかろう」

 

 将軍の時とは一転、即座に入室は許可された。

 副団長2人はネイアに先導され、先程までレメディオスが座っていた椅子の背後に起立した。

 目の前でゼブルが微笑んでいる。

 どう判断すれば良いのか判らない。

 だがやることは一つだ。

 

「「カストディオ団長のゼブル様と魔導国に対する数々の無礼、狼藉、大変申し訳ありませんでした!……全て我々の不手際でございます!……またご不快に思われるだろう数々の発言の全てを撤回し、聖騎士団としてここに全てを謝罪させていただきます!」」

 

 直角に腰を折り、とにかく平身低頭を貫く。

 

「面を上げて良し」

 

 ゼブルの言葉に従い、2人は頭を上げた。

 

「君らも大変だなぁ?」

 

 ゼブルは和やか笑顔だった……とてもレメディオスと対面していた時と同一人物とは思えない。

 どう見ても20代前半以上には見えない。10代後半と言い張られれば、頷けないこともないぐらいだ。2人よりもかなり若く見えるが、その実老獪にも見えた。こうして真正面から向き合ってみると、なんとも不思議な気持ちにさせられる。自身は下賤の出身と称しているが、かなり高等な教育を受けたようにしか思えない。世の全てをバッサリ見切っているようで、面白がっているようにも感じる。一口にこういう人物だと言い切れない印象を受ける。

 

「座りたまえ」

 

 着席を促され、副団長2人は顔を見合わせると素直に席に着いた。

 

「さて、腹を割ろうじゃないか?……まだ勤務中とか言わないよな?」

 

 援助国の副王が自ら酒瓶を持ち、2人の前の酒杯に酒を注いだ。

 レメディオスの時のホバンスの安酒と違い、濃い赤色の酒だ。

 

「魔導国でも手に入れるのが難しい貴重な酒だ。是非味わってみてくれ」

 

 ここまで状況を作られると断れるわけがない。

 様々な疑問が思い浮かぶが、とりあえず口をつけないわけにはいかない。

 2人は酒杯を手に取った。

 

「これは……」

「凄い逸品ですね」

 

 鼻に抜ける芳醇な香りと濃厚な味わい。なのにスッキリとした爽やかな喉越し。

 これまでの生涯で飲んだ多種多様な酒の数々が泥水に感じるほどの衝撃が脳天を貫く。

 何よりも口に含んだ瞬間から頭がスッキリした。次いで力が漲り、今日1日で擦り切れようになっていた神経が修復されていくような気にさせられる。視界が明るくなり、全てが良い方向に変化する兆しを感じた。

 

「美味い、美味すぎる!」

「何ですか、これは!」

 

 気持ちの明るくなった2人を銀髪の女戦士がジト目で見詰めていた。

 

「魔導国でも生産量が極めて少なく、魔導国の市場にすら一切出回らない酒だ。秘密が多くて申し訳ないが、それ以上は言えないな……支配階層以外で、他国の人間が飲んだのは君らが初めてだ」

 

 2人は至福の面持ちで手に持った酒杯を見詰めた。

 感動で胸が満たされていた。奇妙な興奮状態と言っても間違いない。

 

「あっ、ありがたき幸せです、ゼブル様!」

「本当にありがとうございます!」

 

 ゼブルが鷹揚に頷く。多少芝居掛かって見えるが、男性としては考えられない程の美形なので絵になっている。

 

「……で、感謝ついでにお願いがあるのだが、聞いてもらえるかな?」

 

 そら来たぞ……イサンドロはチラリと肩を並べるグスターボを見たが、グスターボはうっとりとした表情でちびちびと酒杯を舐めていて、イサンドロの視線に全く気付かない。この状態で任せるわけにもいかず、仕方なくイサンドロが対応する。

 

「こちらで便宜を図れるものであれば……」

「なに、簡単なことだ……将軍閣下にはあのように言ったものの、また襲い掛からられては敵わんからな……レメディオス・カストディオ団長についての情報を聞かせてもらえればありがたい」

 

 ゼブルのお願いとはイサンドロが事前に警戒していたような類の話でなく、実に単純なものだった。穏便に済ませたとはいえ、次に襲われないとも限らない。撃退ならば魔導国の面々は問題ないだろうが、次の揉め事も穏便に済ませる必要があるとすれば、事前に情報を得て、なるべく衝突しないように心掛けるつもりなのかもしれない。そういうことであれば、自分達に対する歓待も理解の範疇に収まる。なにしろ連絡役であるネイアとは比較にならないほどレメディオスの世話を焼いているのだ。そうでなくとも断り難い立場である以上、精神的なハードルは低い方がありがたい。

 

 裏返せば飛びつき易い話だ。

 

 イサンドロに躊躇はなかった。

 同じくほろ酔いのグスターボは口を滑らかにさせた。

 

 緊張からの解放は警戒心を緩めた。

 何故、そんなことを知りたがるのか……その答えを自ら用意し、勝手に納得してしまったのだ。

 イサンドロもグスターボも出来る限り詳しく話した。

 密かな感想も日頃も苦労も事細かに……

 

 ゼブルは大いに笑い、大きく頷いた。

 イサンドロを労い、グスターボに深く同情した。

 知りたいことを教えてもらい、深く感謝した……ようにしか見えない。

 

 2人の副団長は1時間近く喋り続けた。

 極上の酒が口を滑らかに回転させ続けた。

 上位者の大きなリアクションが警戒の堤防を決壊させた。

 謝罪相手の楽しそうな笑い顔が、さらに笑わせようという欲求を誘った。

 自らの上司を讃え、同時に面白おかしく貶した。

 

 ゼブルが膝を打ち、その音が妙に響き、副団長達の口の回転が止まった。

 

「いや、堪能させてもらった。君らは話芸の才能もあるな」

「決して、そのようなことは……」

「我々の苦労を解っていただき、こちらとしてもすっきりしました」

「では、君達の日頃の苦労と、今回のこちらの要求に応えてくれたことに対して、返礼を授けよう」

 

 ゼブルが懐から2本の短剣を取り出した。

 ナイフに毛が生えたような代物だが、一目でとんでもない逸品と悟らさせる刀身の放つ青白い輝きがイサンドロとグスターボの視線を束縛するように捉えて離さない。

 

 過去にナザリックのギルメン達が放棄した品を貯め込んだスペースから拝借しただけのアイテムであり、アインズからは外交時の贈答品としての使用許可を得ていたので、気兼ねなく渡せる。現地ではユグドラシルの遺産級や最上級や上級アイテム程度でもその価値は計り知れないので、恩を売る意味でも非常に良い贈答品だった。神器級の装備品や素材しか集めていなかったゼブルとしても非常に使い勝手が良い。

 2人の前に差し出したのは上級アイテムの短剣だ。

 

「このような高価な品、受け取るわけにはまいりません!」

「たしかに我が魔導国においては大して価値のある品ではないが……」

 

 ゼブルは虚空にできた闇の穴に手を突っ込むとさらに10本の片手剣やら短剣を取り出し、テーブルに並べた。その全てが上級アイテムだ。

 

「……まっ、それが気に入らないのであれば、この中から選ぶと良い。これより上位のアイテムはさすがに楽しい話の返礼程度では渡せないからな」

 

 虚空からアイテムを取り出す技にも驚かさせた。

 イサンドロが唖然とする間に、大した価値が無いというゼブルの説明にも頷ける量の数々の刀剣類が並べられていた。元々外交使節として入国した以上、贈答品の類は持っていても不思議はない。

 その上、大国魔導国で魔導王に次ぐ権力者から贈答品を下賜されることそのものを拒否できるものではない。失礼になってしまう。

 本音を言えば欲しい。

 だが漠とした不安が残る。

 気前の良い上位者がくれると言うのであれば、儀礼的にももらうべきなのは理解している。

 しかし相手は魔導国だ……あくまで難度という数値上の問題だが、ネイア・バラハを1日でイサンドロ以上の強者に仕立て上げた得体の知れない技を使う。

 果たして……

 

 迷うイサンドロの腰をグスターボが指先で突いた。

 チラリと見るとグスターボは既に籠絡されたかのようにテーブルの上に並べられた刀剣類の品定めを始めていた。

 普段はどちらかと言えば慎重な男だが、初めて味わう最上級の酒と話術を褒められたことで完全に相手を信用してしまったようだ。

 

 イサンドロとしてもゼブルに取り入りたいのは山々だ。

 むしろ聖騎士団の副団長として、これ以上の団内での出世は団長のレメディオスをさらなる高みに押し上げなければ難しいのだ。普通に政治的判断のできる団長であればそれも望めようが、レメディオスは自身よりもかなり若く、かつ聖王女が団長に後押しした一面も否定できない。聖騎士団団長より上は単純に強いだけではトントン拍子と行かないもの間違いあるまい。

 であれば、このまま若いレメディオスのお目付役を続けるのか?……それだけは勘弁して欲しい。イサンドロにしてもグスターボにしても軍内部でレメディオスを押し上げる正攻法よりは、自身が評価される他の方法を選択すべきなのは理解していた。ただし聖騎士団という軍部でも特殊かつ排他的な集団なのでなかなか切っ掛けが掴めないのだ。

 魔導国副王との個人的な繋がり……漠然とハイリスクにも感じるが、なかなか魅力的な響きを含んでいる。

 

「このまま順調に事態が推移すれば、いずれ魔導国と聖王国の間に国交は樹立するはずだ。今後ともよしなに……とは言わないが、なかなか話せる君達が我が国に赴任する駐在武官にでもなれば良いかとは思うぞ」

 

 まるで内心を見透かされたかのようなゼブルの言葉に、イサンドロは現実に引き戻された。グスターボは逆に平身低頭で「よろしくお願いします」などと言いながら、完全に媚びへつらっている。その手には見事な設の片手剣をしっかりと抱えていた。 

 イサンドロは決心し、一振りの短剣を拝領した。

 ゼブルが満足そうに笑う。

 イサンドロは深く頭を下げて、自身の選択が正解であることを祈った。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 剣を抜く。

 剣を振る。

 動作の隅々まで確認し、満足して鞘に戻す。

 その作業を延々と繰り返す。

 聖騎士団の団長に就任してからも戦地にでもいない限り、必ず毎晩この日課を繰り返していた。

 全身全霊で剣を振る。

 身体がじわりと熱くなり、汗が床に溜まるほどだ。

 フゥと大きく息を吐き、汗溜まりのできた床を布巾で丁寧に拭く。

 絞り上げれば手桶に溜まるぐらいだ。

 

 その手桶を持ってレメディオス・カストディオは浴室に向かった。

 着衣を脱ぎ捨て、脱衣籠に投げ入れる。

 明日には従卒が洗濯してくれるはずだ。

 一部の隙もなく引き締まった全身を鏡で眺め、ピカピカの肌を確認した。

 そのまま湯浴みに入る。

 戦地にない限り、常に自身の健康状態に細心の注意を振り向けていた。

 とにかく衛生的でなければ、健康など維持できるわけがなかった。

 全身を隈なく洗い、浴槽へと身を沈める。

 

 ……カルカも元々美しいのだから、鍛えれば美肌の研究など必要ないだろうに……

 

 親友にして主君が最近では病的に肌の手入れに勤しんでいると妹から聞き及んでいた。元々結婚願望が異様に強い親友だったが、20代に突入してからそれが妄執のようになり、さらに肌の美しさへの拘りへと変貌したらしい。

 何度か鍛錬に誘ったが体力も乏しい上に政務に忙しく、3日と続かない。

 

 茫と考えながら、将軍からの叱責を反芻した。

 

 何が悪かったのか?

 

 どう考えても悪は魔導国だ。アンデッドの王などという悍ましい存在を戴いているだけで、評価するに値しない。魔導国が聖王国を金銭や物資で援助しようが評価などできるわけがない。

 戦力としては評価できる。

 たしかにあの長距離攻撃は素晴らしい……だがそれだけなのだ。だからといって悪が善に変わるわけではない。

 政治的な交渉などに興味はない。

 カルカや妹が何を考えて、あの男の一党を援軍として認めたのか?

 考えても頭痛がするだけだ。

 だが悪なのは間違いないのだ。

 使える悪を使うと判断したのはカルカや妹だ。

 ならば使えば良い。

 そこまでは良い。

 指揮下に入らなくても良いと判断したのは何故か?

 理解に苦しむ。

 こちらの良いように使えなければ邪魔ではないのか?

 カルカや妹は邪魔にならないと判断したのだろう。

 おそらくそこがボタンの掛け違えの発端だ。

 大砦の責任者である将軍も黙認されたわけだ。

 であれば、放置が正しい。

 政治的な駆け引きは自分の領分を超えている。

 

 フゥと息を吐き、浴槽から上がった。

 窓を開放し、身体の熱を取る。

 軍幹部女性用の浴室は実質的にレメディオス専用だった。

 人目を気にせず、全身で涼風を受け止める。

 

 悪との連携など考えたのが失敗だったのだ。

 こちらで担当する区域を誘導すれば良いのだ。

 これならば将軍も反対するまい。

 指揮下に入れないでも各々の担当は決めれば、自ずとこちらの意思を反映させることが可能ではないか?……やがて区域に限らず徐々に担当の割り当てをこちらの都合の良いように押し広げれば良いのだ。あの男は軍議には参加しないのだろうから、それこそ決め放題だ。

 

 頭髪の水気を拭い取り、全身の水気を払う。

 爽やかな夜風を感じながら、レメディオスは全てが上手く転ぶと確信を得ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 レメディオス・カストディオがまるで苦虫を噛み潰したような顔で戦況を眺めていた。凛とした表情であるが、長年の付き合いでその裏にどのような感情が隠れているのか即座に理解してしまう。

 

 脳筋の考えた絵図などお見通しだとばかりに魔導国副王は司令部からの提案に修正を加えた。それも聖王国側に都合が良いのだから、提案を持ち込んだ手前、反対しようにもできなかった。

 結果的に出来上がった歪な区割りで今朝方から戦闘が開始され、魔導国副王の言った通りに戦況が進行していた。

 城塞の門から出て、400メートル続く平地を左右に分割したのだ。その左半分を魔導国の援軍4人にネイア・バラハを加えた5人が担当し、左半分を城塞上の後衛を含めて15000人が担当するという歪っぷりだ。

 

「それでも我々は大きな戦果を残すだろう」

 

 そう副王ゼブルは言い残し、僅か4人の手勢を率いて出陣した。

 

 純粋な数的防衛戦力が300分の1。

 当然と言えば当然だが、正確な数は知らずとも亜人の軍勢は魔導国の担当する区域に殺到した。罠を疑う一部の亜人部隊を除き、ほとんどがどう見ても突破が容易な方へと進軍を開始していた。

 しかも最前線で待ち受けるのはただ一人……銀髪の女戦士のみ。

 残りの4人は門から10メートル程離れた場所に陣取り、暢気に野営をしている。

 

 ……戦をナメ過ぎだ!

 

 激昂したらレメディオスは即座に聖騎士団に出撃を命じたが、狼藉から2日も経たずではさすがに拙いと2人の副団長以外にも反対意見が続出し、頑固なレメディオスも引き下がるしかなかった。

 そのイラ立ちが失せぬままのレメディオスの前で恐ろしいまでの光景が繰り広げられていた。

 

 ティーヌと言う名の女戦士は猛者揃い聖騎士団を唖然とさせた。

 細身の剣一本を携え、鼻唄まじりに亜人達の首を刎ねている……と思われる。

 腕を振っているのは間違いないが、抜剣しているのか判らない。

 殺到する亜人の軍勢などいないかのように……

 無人の野を進むが如く……

 

 やがて亜人達は気付いた……敵はこれまでの敵でなく、もっと恐ろしい何かだと……気付くのが遅すぎたと言っても良い。数に任せての圧殺が不可能と知った時には流血の荒野に魔人が立っていた。

 野に転がる無数の首の中、大きな口が裂け目のように広がっていた。

 何をされたのか、視認できないし、理解もできない。

 ただ結果として死が訪れた。

 白銀の髪を靡かせる魔人が一歩進めば、10、20と首が落ちる。

 淡々と歩いているようにしか見えない。

 酷く暢気に、軽い歩調で魔人は進む。

 笑いならがら死を振り撒く。

 

 すり抜けた幾人かの亜人は赤黒い塊に射殺された。

 地を這い、転がり抜けた亜人は魔法の炎に焼かれた。

 死んだふりで死を免れた亜人は友軍だった死人に食い殺された。

 最も城壁に接近した山羊の亜人は、亜人の中でも有名な無数の剣を腰に佩いた人間の剣で絶命した。

 

 荒野が死に満たされ、突撃した軍勢の半数を失った亜人達は壊走した。

 突撃隊に代わり猿の亜人部隊が進出し、白銀の魔人に数百に及ぶ拳大の石塊を吐き飛ばす。

 石塊同士の衝突が砂塵を作り上げ、自身の視界を奪った。

 巻き上がる砂塵の中を進む無傷の魔人を視認した時、彼等は恐慌し、再度石塊を斉射した……が、おかしくなことに50メートルは離れていた距離が瞬きする間に詰められていた。

 直ぐ目の前に笑う魔人がいた。

 口角がさらに上がる。

 その瞬間、ストーンイーターの首が落ち、30近い血柱が噴き上がった。

 ストーンイーター達は逃げた。

 本能が止まることを許さなかった。

 血の雨の中、白銀の魔人は一滴の血にも汚れず、笑いながら進む。

 

「真性のバケモノだ、アレは……」

 

 圧倒的な戦況でありながら悍ましく、頼もしい友軍である存在に僅かな安堵すら感じない。

 レメディオスはこの世に顕現した悪を垣間見た気がしていた。

 冷厳な死を告げる死神でなく、無差別な死を笑って散蒔く魔人。

 殺しているのは間違いないし、殺害方法も理解できる。

 しかし何をしているのか見えない。

 だから亜人達の反応が遅れ、被害が飛躍的に増えている、

 

 潰走に次ぐ潰走。

 前衛は総崩れ……恐怖は伝播を繰り返し、ひたすら逃げ続けている。

 援護のストーンイーター部隊は全滅に近い。逃げ延びたのはごく僅か。

 そして後衛のマーギロス達は必中の魔法を放った瞬間に何故か味方の首が落ち、血溜まりの中を這いずりながら四方八方に逃げ出していた。戦意など維持できるわけがない。味方のど真ん中で、何故かはるか前方にいたはずの魔人が笑っていたのだから……

 

 スパイダンの糸で作られた鋼鉄並みの高度を誇る衣類も紙切れのように切り裂かれた。

 オルトロウスの兵団は瞬時に上半身と下半身を分離させた。

 プテローポスは飛行しても首が落ち、持ち前の風による切り裂き攻撃を繰り出すも逆に切り裂かれた。

 スラーシュの痺れ毒の舌も首ごと地に落ちた。

 ケイブンも双巨眼族も例外なく首が落とされた。

 いかなる亜人にも平等に死が訪れる。

 魔人の歩いた軌跡が濃密な死の濁流だった。

 大地に染み込んだ亜人達の血液の痕跡が川の流れのように見えるのだ。

 

 レメディオスはイラ立つと同時に慣れない恐怖という感情ひ戸惑っていた。

 直前まで人類最高峰と信じていた自身の膂力も脚力もティーヌと言う名の魔導国の戦士の足下にも及ばない。

 あのバケモノははるかな高みを笑いながら闊歩している。

 あの女にとってレメディオスもゴブリンも等しく路傍の石だ。

 等しく価値が無い。

 

「バケモノめ……このまま終われるか!」

 

 聖王国最強である自身の敗北は、聖王国の敗北だ。

 アンデッドを戴く悪の魔導国に、聖王女カルカ・ベサーレスの聖王国が負けるわけにはいかない。

 

 レメディオスは歯噛みしながら見ていた。生きている亜人のいなくなった右半分の戦区が驚くほど静かな死の荒野と化す様を……

 




お読みいただきありがとうございます。


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43話 成長の先

 

 順調だった戦況が徐々に膠着しつつあるのは報告で知っていたが、その一報で分岐点となる敗北を喫したことを知り、巨体を誇る「豪王」バザーは自身と同じぐらいの大きさの岩を殴り付けた。

 バラバラと岩肌が崩れ落ちる。

 目がつり上がり、銀色の体毛越しにも怒りの程が知れた。

 

「負けた……負けただと!」

 

 自身が魔皇ヤルダバオトに膝を屈し、アベリオン丘陵の全バフォルクが魔皇軍となった時、王たるバザーは軍というのものの奥深さを知った。膝を屈したついでに抜け目なくヤルダバオトから軍の機能を学び、他の有力な亜人も口説き落として、アベリオン丘陵の全ての亜人種族を巻き込む巨大な軍勢を作り上げた。

 個の鍛錬と練兵に全精力を注ぎ込み、自身はヤルダバオトとその側近から戦略戦術を寝る間も惜しんで学んだ。と言っても、ナザリックを規範とした軍なので完全なトップダウン方式である。

 一切のボトムアップは無く、軍議と呼べるようなものもない。

 命令の徹底と適材適所と状況判断と各隊連携だけの軍隊もどきである。

 極めてシンプル。

 そこに亜人種族毎の適性と特殊能力を加味した。

 例えばゴブリンであれば元々オーガとの連携は取れる上に数にものを言わせた侵攻が得意な種族であり、オーガと合わせて大楯を持った前衛部隊。

 バフォルクであれば城壁を苦にしない突破力があり、個々の能力もゴブリンをはるかに凌ぐ為、前衛もしくは前衛後方の攻城部隊。

 スラーシュであれば「溶け込み」を使える上位種や「痺れ毒」を備えた伸びる舌の能力を加味して撹乱部隊。

 ストーンイーターは個々でも強大な戦闘能力を誇るが、中でも強力な「石吐き」能力を活かし、中衛の援護もしくは砲撃部隊。

 魔法に特化したマーギロスなどは完全に後方の決戦戦力。

 およそアベリオン丘陵に住まう全種族の有力者に脅迫、懇願、籠絡、泣き落としと、ありとあらゆる手法で必要な能力を揃えた。

 そのままヤルダバオトの軍として活かし、教育も訓練もヤルダバオトに対する恐怖を利用し、徹底的に刷り込んだ。

 やがて魔導国が成立し、人間種であるダークドワーフのように種族丸ごとカルネに強制移住させられたようなケースもあるが、それ以外は迫害されていたオークの一部などが部族単位で抜け落ちたものの、基本的には軍隊もどきは軍隊もどきとしてアベリオン丘陵に温存された。

 その後もヤルダバオトが黙認するのを良いことにバザーは軍隊としての教育と育成を続けた。『十六将』と呼ばれる個として強大な亜人達の合議制の体裁を整えつつ、バザー自身は常に合議の中心に在り、軍隊もどきを維持教育することに腐心した。

 亜人の軍隊もどきは『十六将』の中でも「七色鱗」ロケシュと「氷炎雷」ナスレネと「白老」ハリシャとバザーに実際にオルトロウスの名将として名高いヘクトワイゼスが中心となっている。他の11名も名を連ねているが、軍隊もどきの最高意思決定はヤルダバオトを除けば彼等5人と言っても間違いないだろう。さらにその5人の中でもバザーとロケシュが軍隊もどき維持派の重鎮と目されていた。

 バザーにとって軍隊もどきは心血を注いだ自信作と言っても良い。

 その最初の目標として亜人の宿願というべき聖王国の城壁突破を目指した。バザー自身は聖王国と言う人間の国そのものはどうでも良かったが、亜人の総意として聖王国の要塞線は非常に目障りだったのだ。

 それ故に最初の攻略目標とした。

 各種族や各部族の王や族長と呼ばれる亜人に加え、個の存在として有名な亜人は強制的に魔導国国民とされた。警備という名目上の役職が与えられ、ヤルダバオトの「牧場」の敷地から許可無く出ることが許されていなかった。アベリオン丘陵の全ての亜人種はおよそ100名程の生殺与奪を握られることでヤルダバオトの配下であることを辞められなかったのである。

 つまり亜人の軍隊もどきの陣中には将帥も現場指揮官も存在していないことと同義だ。彼等はメッセージの魔法が使用可能な者で通信網を作り上げ、ヤルダバオトの「牧場」内に届けることで、大まかな指示を受け、自身達が刷り込まれた戦術に当てはめて動いていた。

 自己判断で撤退する非常に脆い集団なのだ。

 だからこそ全ての亜人種が目障りと感じる攻略目標が必要だったのだ。

 

 ヤルダバオトは終始一貫黙認していた。

 肯定もしないが、否定もしない。

 ただし魔導国国民とされた亜人達が「牧場」から出なければ、という暗黙の条件付きであることは間違いない。

 軍隊もどきを育て上げた自分達は出陣できない。

 だがバザーはロケシュと話し合い、ゴーサインを出した。『十六将』の中には出兵慎重派も幾人が存在したが、多数決で半ば強引に押し切った。

 

 バザー達の仕事はここまで……後は報告を受け、簡単な指示を出し、朗報を待つのみ。

 開戦当初、報告では亜人軍の完勝が続いていた。

 

 その最中に同胞であるバフォルク20名程が人間にまとめて殺される事件も発生したが、戦局には全く関係無いと判断した。事件そのものには抑え難い怒りを感じたが、発生したのは北方であり、西方の要塞線防衛に全兵力を割いている聖王国の別働隊の仕業とはどうしても思えなかった。

 しかし多くの同胞が人間に殺されたのは事実であり、ヤルダバオトに報告すると同時に自身に復讐の機会を求めた。

 報告そのものは口実だ。魔皇は亜人の生き死になどに一切の興味が無い。なにしろ魔皇自身が平然と殺しているし、彼の「牧場」の建物内では何が行われているのかを知る亜人がいない。ただしごく稀に漏れ聞こえる悲鳴を一度でも耳にすれば、おおよその見当は付く。悲鳴の主が同胞でないことを祈ることしかできないが……

 ヤルダバオトはバザーの報告を受け、復讐については即座に否定した。

 同時に意外な反応を示した。

 自身で調査に向かうと言う。

 おそらくだが、魔導国絡みの案件らしい。

 となればバザーに出る幕は与えられないだろう。

 同胞を殺された恨みは北方の山の向こうの王国と呼ばれる人間の国でなく、やはり同じ人間の国である聖王国にぶつける必要があるようだ。

 

 バザーは日に2回の定時報告の度に自軍の優勢を確認し、脳裏に深く刻まれた憎悪を歓喜と達成感に昇華し続けた。それは永遠に続くと思われた……2日前のあの瞬間を迎えるまでは……報告を受けても理解できない遠距離攻撃でケイブンとスネークマンの部隊が全滅した、と。

 

 そして今届いた報告で1人の人間の女に大砦攻略に差し向けた亜人軍の半数近くが蹂躙されたと知った。接敵した部隊は漏れなく潰滅。後方で温存していたマーギロスの部隊まで逃げ延びた数名を除いて皆殺しにされたと言う。しかも「おそらく斬首された」と言うだけで、何をされたのか解らないと言う。想像では抵抗すらできずに首を刎ねられ続けたように思われた。

 報告者自身が混乱し、酷く怯えていた。

 数多の同胞の死よりも自身が心血を注いで作り上げた亜人軍が人間ごとき、しかもたった1人の女に敗北したという事実が信じられなかった。それはその人間の女がヤルダバオト並みか、それ以上の強さであることを示していた。

 

 悲しみよりも怒り……同時に狂おしいまでの欲求を強烈に感じていた。

 心の底から、その女戦士が見たかった。戦う前に敵わぬと悟り、自ら膝を屈した魔皇ヤルダバオトと同等以上の強さの人間。

 人間は数が多く目障りだが個々は脆い。

 ごくごく稀に突出した強いヤツも在るらしいが、基本的には徒党を組んで戦うのが厄介なだけで、本当に面白味の無い連中だ。バザー自身が先頭に立ち、亜人やモンスターの大物を狩るような快感は得られない。

 戦う前に負けを認めたヤルダバオト並みの人間とはどんな姿なのか?

 どんな戦い方をするのか?

 

 この手で殺したい……思うと同時に脳裏に深く刻み込まれた問い。

 手を組むのであれば、悪魔などという理解の外側の異形種よりも同じ大地に住む人間の方がまだマシなのでは?

 

 いずれにしてもヤルダバオトに報告を上げねばならない。どんなに気に入らなくとも奴はアベリオン丘陵の真の支配者なのだから……

 だが上手く立ち回ればヤルダバオトを滅することは不可能でも、この地から追い出せるかもしれない。アベリオン丘陵を悪魔の手から亜人の手に取り戻せる機会が巡ってくるかもしれない。

 

 頭の中で蠢く様々感情を圧し殺し、バザーはヤルダバオト直属の部下に取り次ぎを願うべく、不気味な気配を発する建物の方へと歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 力を渇望し、力を得る方法まではこの手にあった。

 だがその為の資源が決定的に不足していた。

 資源を得る為にわざわざアベリオン丘陵まで遠征し、大き過ぎる代償を支払った。これまで必死に集め、必死に育てた者の多くを失った。

 

 傷心のフィリップは南方方面軍のボウロロープ伯に儀礼に則った挨拶し、同時に39名の部下を失った事実だけを簡単に報告した。そしてその原因となった丸メガネでスーツ姿の強大なバケモノであるヤルダバオトに注意するよう警告だけを残し、生き残った部下達を引き連れてエ・ペスペルへの道を急いだ。

 

 気持ちとしては立ち寄りたくはないが、どうしても立ち寄らざる得ないエ・ペスペルでその光景を見掛けたのは全くの偶然としか思えなかった。

 まず本来投宿を予定していた貴族の邸宅に長居したくないと思ったのは、気分の問題だった。

 根掘り葉掘り聞かれたくない。

 問答を拒絶してもあらぬ噂を立てられる。

 そうでなくともいずれボウロロープ伯から漏れ伝わるのは確実なのだ。だからと言って、この場で部下達の死に様を語りたくはない。

 だから馬だけを預けた。

 宿を物色している時に過去に幾度か目にしたことのある優男が気配を絶った部下らしき男を2人引き連れ、大通りの一本裏の細い道を歩いていた。その存在に気付いたのは偶然だろう。なにしろ優男どころか彼の引き連れた部下達の存在すらその瞬間まで全く認識できなかった。

 彼等とすれ違ったのは老婆だ……ただしパッと見には若く見える。格好も派手で背筋は伸びている。その老婆が徐ろに張りのある笑顔と淀みない言葉で優男に声を掛けた。それが無ければ気付くことは無かったように思える。

 優男は目を剥き、いきなり剣を抜いたが、瞬く間に老婆の掌底を土手っ腹に喰らい、その場に蹲った。手下の2人も同様、あっと言う間にノサれた。

 

「……あの男はシュグネウスの手下じゃなかったか?」

 

 記憶が確かならば護衛役だったはず……相当な手練れで間違いない。

 

 立ち尽くす部下達を尻目に考え込んでいると、見た目には恐ろしく軽い蹴りで優男の意識を刈り取った老婆がこちらに気付いたかのように振り向き、闊達に笑いながら近寄って来た。

 

「カカカッ……わしはリグリット・ベルスー・カウラウと言う。おぬしは王都軍の司令官になる予定じゃったなぁ……良い事を教えてやろう。今わしがボコった連中はおぬしらの監視役じゃ……依頼主は言わなくても判るよのう?……つまり今現在は監視の目が無いわけじゃ……おぬしらは自由に動けるのう。そこでおぬしらの行き先に気付きをやろうと思うての。今、亜人共は軍勢を作り上げ、聖王国の要塞線を襲撃しておる」

 

 フィリップが唖然としていると部下達がリグリット・ベルスー・カウラウの名に激しく反応していた。

 彼等のほとんどが魔法詠唱者の元冒険者であった。彼等は口々に「あの!」やら「有名な……」やら「死者使いか!」などと呟いていた。呟きの断片を繋ぎ合わせれば「冒険者の間では知らぬ者のいない程の有名な存在で『死者使い』の異名持ち」ということで間違いないだろう。

 

「私はフィリップ・ディドン・リイル・モチャラス子爵だ。今少し詳しい事情を説明していただければありがたい、カウラウ殿」

「残念ながら詳しい説明をする時間は無いのじゃよ……そこに転がる連中程度の相手であれば、わしも説明してやりたいがのう……現時点での安全は確認しておるが、おぬしらがアベリオン丘陵で出会ったあのバケモノの配下が相手では、今こうして会っているのも危険なのじゃ……わしはバケモノの上の存在を探っておる。その過程でおぬしの存在を知っただけじゃ……わしはおぬしらの味方ではないが、決して敵ではないということじゃ……では、さらばだ」

 

 リグリット・ベルスー・カウラウの姿が目の前から唐突にかき消えた。

 

 果たして信用して良いものか?……フィリップは往来のど真ん中で腕を組んだ。部下達の説明によれば元アダマンタイト級冒険者であり、現在では脱退しているが有名な『青の薔薇』のメンバーだったらしい。それ以前には高名な剣豪であるヴェスチャー・クロフ・ディ・ローファンの冒険者チームに所属していたことで有名だと言う。フィリップにとっては『青の薔薇』こそ名は聞いたことがあるが、ローファンについてはピンとこなかった。ガゼフ・ストロノーフ将軍の剣の師匠と聞いて、初めて凄い剣豪と認識したぐらいだ。

 となれば、少なくとも言葉通り敵ではないのは正しいように思える。

 ならば、危険を承知で気付きを与えようとしたいうのも真実かもしれない。

 納得したところで、自分達を監視していたという優男一党から距離を取る必要に気付き、傍目には何事もなかったかのように、慌てて移動を再開した。

 

「あのバケモノ……ヤルダバオトの上の存在と言ったな……それは」

 

 ……「さる御方」と呼ばれていた奴の可能性が高い。

 

「目的は違えど、敵は同じ……そういうことか?」

 

 敵はあのヤルダバオトを手下とする以上、間違いなく強大だ。

 それを殺すのであれば自身もはるかな高みに登らねばならない。

 学ぶのも鍛えるのも必要だろう。

 だが間に合わない……単なる人間でしかないフィリップが成長し、確信を得る頃には寿命が尽きる。もしかしたら、いや高い確率で確信を得られないまま老い朽ちるだろう。

 だが自身を簡単に強化する方法を知っている。

 その為の生贄も知っている。

 生贄が今、集団で聖王国の城壁を攻めていると言う。

 殺す為の大義名分は在る。

 問題はそれがいつまで続くか、だ。

 立場を考慮すれば、急ぎ王都に戻り、聖王国に対して援軍を送る許可を得なければならない。それが正道だ。

 ただし時間が掛かる。

 加えて、どう考えても戦費は莫大だ。

 結果として許可を得られない可能性もある……いや戦費的に否決される可能性が高いだろう。聖王国から戦費負担の内諾など取っている暇は無い。

 シュグネウスを通して使えるコネを総動員すればひっくり返せるかもしれないが、今回フィリップを監視していたのはシュグネウスなのは間違いない。

 つまり王都に戻り、援軍を差し向ける方法を実現させるのは極めて難しい。

 

 ……ならば……

 

 命を拾った部下達の顔を眺める。

 遠征前の気概は消え失せ、皆沈鬱な面持ちだった。

 

 どのみちエ・ペスペルには留まれない。

 シュグネウスの監視網を抜けるには即断即決する必要がある。

 

 このままリ・ロベルに向かう。

 

 フィリップは部下達にも黙ったまま、馬を預けた貴族の屋敷に向かった。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 レベル差による無双可能な世界だけにティーヌの存在は畏れられていたが、あっさりと受け入れられていた。

 戦果は想定のはるか外側。

 聖王国が城塞に加えて城壁の地の利と総勢30000以上の兵員と大量の物資を費やしても押し返せなかった亜人の軍勢を、魔導国の援軍はほぼ1人で蹂躙したのだ。

 英雄などと呼ぶのも痴がましい。

 正しく「神の御使」だ、と……噂が噂を呼んでいた。

 讃えるだけでなく、敬うだけでも済まず、信じる者が現れ始めた。

 

 わざわざ悪魔になった殺人鬼の元人間に……宗教国家の聖王国が、ね……実に皮肉なもんだね。

 

 そう思う俺を尻目に、ティーヌを取り巻く環境はさらに激化していった。

 歩くだけで厳つい兵士達が男女問わずにワーキャー騒ぎ、遠巻きに祈りを捧げる者まで現れる始末。

 朝起きれば控室の前には花束以外にも焼き菓子のような供物が山積みになっていた。

 添えられた手紙にはこの世に顕現した神の御使への感謝の言葉が記されている……らしい。ジットによれば、だが。

 やがて酒樽や金や軍の支給物資を献上する者まで現れ始めた。

 

 オルランドは神の御使の主人に従う事を許された使徒となった。

 ジットは神の御使に対を成す真なる神の司祭とされた。

 そして神の御使を従える俺は……

 

 魔導国の副王は「神」……では「神」が従うアンデッドとは何か?

 

 生と死を司る神々の王……その答えに行き着くまで時間は要しなかった。

 

 集団の空気とは怖いもので、ティーヌの戦果と相まって既成事実となるまで1週間も要しなかった。人によっては魔導国の民となるにはどうすればよいのか、と手紙に書き添える者まで現れ始めた。しかも軍幹部だったりするから始末に負えない。

 

 否定は無駄だった……皮肉と感じていた自分の甘さに気付く。相手は宗教国家の国民で幼少期から信仰に基づいた教育されていた。法国とは教義が違うらしいけど、信じる気持ちは信仰心が希薄な現代日本人の俺などからは想像を絶するほど強烈ですわ。

 現に面会を許可した将軍と大砦を守護する幹部達が勢揃いして俺達の前で祈りを捧げている。

 それまでの比較的お気楽な実験兼観光旅行の気分は消え失せ、酷く憂鬱な気分にさせられる。

 

「あのー、もうやめませんか?」

 

 懸命に戦勝祈願を捧げていた中年おっさん軍団が一斉に頭を上げた。

 

「何か御無礼でもございましたか、神よ?」

「だから、神じゃありませんて!」

 

 おっさん軍団はキョトンとして、助けを求めるようにティーヌを見た。

 彼等からすればティーヌは実際に聖王国の窮地を助けた神の御使だ。

 ティーヌは楽しげに笑いながら、言葉を投げる。

 

「神が神でないと申されているのです。神の民を自認する者が賢明であれば、どうするべきか、判りますよね?」

 

 ティーヌも元テロリストとはいえ、スレイン法国のエリート階層出身なだけあって、とりあえずこの場を収拾する文言をあっさり捻り出した。だだし絶対に面白がっているのだけは間違いない……さらりと俺を「神だ」と言いやがった。

 まっ、スレイン法国人にとって神=プレイヤーなのは厳然とした事実ではあるのだろうけど……

 

 将軍と幹部御一行は全員で跪いたまま深く一礼し、さらに立ってからも立礼して去った。

 

 ふぅ……精神的にへこまされ、思わず溜息が漏れる。

 

「ゼブルさん、この際、神を名乗れば良くないですか?……聖王国というかこの大砦の中はゼブルさんもアインズちゃんも神と認定しているみたいですし、ゼブルさんは実際にぷれいやーなんですから、神を自称しても少なくとも法国の上層部では誰も不思議には思いませんよ」

「冗談でもやめてくれ……俺は魔導国を盤石にして、アインズさんの安全を確保したら、世界を観光するつもりなんだから……」

「あっ、それいいですね……もちろん私も一緒に行っちゃいますよ」

「わしも行きます」

「……俺も連れて行ってもらえるんですか、旦那?」

 

 ティーヌとジットの反応に迷うようにオルランドが切り出したが、即座にティーヌに睨まれる。

 

「オルやんはまず自分の身を守れる程度にはならないと話にならないと思うんだけどなー」

「戦士のくせにわし程度の膂力では話にならんのう、オルランド」

 

 ジットが追い討ちを掛ける。

 あまりに的確でオルランドはぐうの音も出ない。

 そうは言っても純後衛職とはいえ50レベルを優に超えた悪魔のジットに単純な膂力で勝てる現地の戦士職の人間なんて数えるほどしか存在していないだろうけどな……

 

「だったら俺にも効果的なれべるあっぷってやつをやって下さいよぉー……兵士長の嬢ちゃんだけ、凄え優遇されすぎだと思いますぜ……ほら、俺、ゴツいのに拗ねちゃいますよぉー、ダ・ン・ナ!」

 

 拗ねる筋肉ダルマが上目遣いで俺を見る。

 妙につぶらな目付きだけでも面白いのに俺が生理的に嫌がる仕草をもう熟知してやがる。しかもティーヌとジットが面白がるのも計算ずくだ。

 

「ネイアはレアケースな……元々レンジャー適性が高い上に自分よりも高レベルの獲物が山ほどいたからな。それを必中効果のある弓で片っ端から射殺して行ったんだから、あっと言う間にレベルアップしたんだと思うぞ。オルランドは元々戦士でレベルも高いから、あそこまで一気に強くはならないだろ。ティーヌにしたって、ジットにしたって、かなり特殊な環境で死ぬ寸前の訓練を自らに課して今の強さになったんだ。促成栽培みたいに強くなれるのは、元々低レベルか、適性に沿った育成をしないと無理だろ……まっ、心底強くなりたいのなら、魔導国に帰還するまで待て……色々な方法を試してやるから」

 

 俺の顔付きを見て、オルランドは「うへっ」と言いやがった。よほど恐ろしく見えたらしい。

 

「オルやんが望むなら……別の方法もあるけどねー」

 

 ティーヌが匂わす。

 オルランドが目を見張る。

 ジットがギョッとしたように目を剥いた。

 

「でも、私の権限でこの方法を取れるのは残り4人だけなんだよねー……とりあえず2人分は義理で残さなきゃいけないから、残りの枠は2人だけ……オルやんはトゥルーリザレクションの実験ですっごく頑張ってくれたけど、それだけじゃ弱いかなぁ?」

 

 値踏みするようにオルランドを見て、俺に視線を移して笑うティーヌ。

 ほぼ同時に懇願するつぶらな目が俺を見た。

 

「……なんでもするって言ったじゃねえか!……頼むよ、旦那……役立たずなら死んだままでも構わねえって言ったのは嘘じゃねえ!……俺は強くなりてえんだよ。この歳まで旦那達に出会わなかっただけでよぉ!……もっと早く出逢ってりゃ、絶対に旦那に着いて行ったはずなんだ。聖王国なんざクソ喰らえだ。俺は自分が強くなれりゃ、それで良いんだ。出世だってしたくもねえ。兵士やってた理由だって、大手振って戦えるからだ。敵ならいくら殺しても罪に問われねえ。九色だって、くれるもんを貰っただけ……国やら親やら名誉やら、本当にどうでもいいんだ。どうでもいいんだ……」

 

 オルランドは思いの丈を吐き出し、俯いた。

 ブレインとは方向性の違う強さバカだ。

 ブレインが剣技オタクなら、オルランドは街の喧嘩自慢が道場破りをするような方向性の強さバカだ。なにしろ実際に今のティーヌの強さを感じ取りながらホバンスの路地裏で喧嘩を売ったわけだ。そしてティーヌの戦果をその目で見ても恐れるどころか、そうなりたいと望んでいる……真性の強さバカなのは間違いない。

 

「なんでもするって言ったな?」

「おうっ!……なっ、なんでもするぜ……」

 

 俺の問いに少し返事の語尾が弱まるのがオルランドらしいっちゃ、らしい。

 

「んじゃ、まず裏切れないようにするしかないな」

「なんだよ、旦那……いまさら裏切るわけねえだろ!」

「そーゆー意味じゃない。無意識に秘密が漏洩するリスクを考慮して、完全に俺の支配下に置くって意味だ」

「はぁ?」

 

 オルランドがキョトンと俺を見た。

 

「眷属召喚……肉腫蠅!」

 

 小さな魔法陣が俺の右掌の上に発行しながら浮かんだ。

 その中心に小さな蠅が生み出される。

 

「動くなよ……それから、これ以降死を経験しない限り、お前に自由は無い。それで良いな、オルランド?」

「こちとらもう4回も死んでんだ!……それこそいまさらな質問だぜ、旦那。強くなれりゃ自由なんざ要らねえ。漢に二言は無え!」

 

 答える間に眷属がオルランドの頸に蛆虫を生みつける。

 そのまま脳幹に侵入し、肉腫と化した。

 オルランドが強烈な悍ましさを感じて、慌てて頸を掻きむしるも、時既に遅しだ。

 

 唐突に頭を抱えて、悲鳴を上げた。

 同時に吐瀉物を撒き散らし、小便を漏らしている。臭いから察するに大便も漏らしているだろう。

 

「なんだ、こりゃ、旦那!……やめてくれ!」

 

 脳が破壊されるイメージが現実の感触を持って伝わっているはずだ。

 そのまま朽ち果て、腐り落ちる自身……徐々に腐敗に蝕まれる感覚は現実のものとして脳に植え付けられる。ティーヌもジットもブレインもエルヤーもヒルマも六腕の面々も耐えられなかった感触だ……ブレインとゼロはちょっとだけマシだったけ?……でも、まあ、オルランドだけが耐えられる道理はない。

 

「お前は俺の絶対的な配下となった。それこそお前の望み通り強者となるまでは、この呪縛からは永遠に解放されない。呪縛から解放されても解放されるには完全な脳の破壊が必要になる。つまり死だ。お前は秘密を漏らせない。俺に永遠の忠誠を誓え……いいな?」

 

 撒き散らした嘔吐物の上にオルランドはしゃがみ込んでいた。

 その体勢のまま何度も何度も頷く。

 

「……強くなれるなら……俺は何でもやるぜ……旦那に永遠の忠誠を誓う……漢に二言は無えぜ……」

 

 口から溢れる嘔吐物を漏らしながらも、死と恐怖の感触を超越したギラギラとした妄執だけを宿らせたつぶらな瞳が俺を見詰める。

 

「後はティーヌさんに任せる……それよりもオルランド、早く掃除して、風呂に入ってこい。凄い臭いだぞ」

「旦那がそれを言うかね……まっ、いいや……とりあえず風呂場に行ってきますから、旦那達は退避していて下さいよ。後始末は俺がやりますから」

 

 その後、聖王国の元九色が上半身裸の肌着一丁で部屋中清掃する姿がしばらく大砦の話題の中心になったが、それも2日後には過去のものとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 聖騎士団の団長が「神の御使に無謀にも戦いを挑むのではないか」と噂が立ち始めたのと、オルランドの肌着姿の話題が入れ替わったのは、ちょうど3日前のことだった。

 亜人軍が神の御使に蹂躙されてから、少なくとも大砦は攻勢の中心から外れていた。他の場所では依然として聖王国劣勢の状況が続いているらしいが、大砦周辺は静かなものだった。平穏そのものとまではいかないが、散発的な交戦も小集団同士ものであり、戦局が動くような規模のものは発生する気配すらなくなっていた。

 

 嵐の前の静けさか?……はたまた亜人達の心が恐怖で折れたのか?

 

 正直なところ、どちらでも良い……否、どうでもいい。

 大砦の高楼から眼下を見下ろすレメディオス・カストディオにとって、もはや誰も自分の主張に耳を貸さなくなっている事実だけが問題だった。

 強さを拠り所に身を立てていた者が、自身を凌ぐ圧倒的強者の出現に戸惑っている……もちろんそんな一面もあるのかもしれない。

 しかしそうではない……そうではないのだ!

 神の御使……なんとバカバカしい妄想か!

 どこまでいってもアレはアンデッドの手下の手下だ。

 無闇に死を振り撒くバケモノではないか!

 誰もが目を瞑っている。アレの顔を……あの愉悦に満ちた笑顔を……死の荒野に生まれた亀裂のような笑いを……

 神の司祭があんなに悪相なわけがない!

 神がオルランド・カンパーノのような狂犬を飼うわけがない!

 バケモノを飼う外道が神……笑わせる。

 ましてアンデッドが神々の王などと……認められるわけがない。

 

 だが誰も聞く耳を持たない……レメディオスの主張は軍上層部には鼻で笑われ、2人の副団長達にはあからさまに嫌な顔を見せられ、団員達には話題に触れようとした瞬間に避けられていた。

 急成長した従者ネイア・バラハの存在も魔導国一党の過大評価に一役買っているのは間違いない。

 

 そんな中、バケモノの華々しい戦果を聞きつけた聖王女カルカ・ベサーレスが妹を伴って、激賞の為に大砦を訪れるとの一報があった。

 レメディオスは焦っていた。

 妹に仄めかされた……カルカはゼブルに求婚されたいと考えている、と。

 年齢的にも身分的にも問題無く、独身で、容姿も優れ、健康なのは間違いなく、財力も武力も申し分ない。全ての条件をクリアしていた。これならば常に問題となる南部や聖王家内の反対も受け難い。何故なら魔導国は聖王国に対して莫大な債権を有するだけでなく、援軍としても華々しい戦果を挙げ、軍事力を示した。むしろ結婚によって、魔導国の有する債権を持参金代わりに有耶無耶にしたいぐらいには考える連中だ。聖王国の番犬として魔導国以上の存在はないぐらいには思っているだろう。聖職の家系とはいえ、王家である。その周辺は生臭いことこの上ないのだ。

 

 ……なんとかしなければ……

 

 追い討ちを掛けるように、あの大戦果による魔導国一党への過大評価がレメディオスを追い詰めていた。今の大砦の空気は間違いなくカルカの婚姻を後押ししてしまう。上層部まで魔導国一党を神の一党として崇めている。下級の軍士や兵士達の間では神の使徒となったオルランドに倣って「魔導国の国民になるにはどうすれば良いのか」と話し合う者達までいた。しかもその数は日に日に増加の一途で一向に歯止めが掛かる気配がない。

 大砦内で魔導国の評価を覆す為に、レメディオスに考えられる手段は一つだけ……仕合でバケモノが実は大した者ではないと衆目に晒す必要があった。

 仕合を申し込む……そこまでは問題無い。

 おそらくあの女は受ける。その確信もある。

 問題はレメディオス自身がバケモノに勝てる気がしないことだ。

 自他共に認める聖王国最強が敗北する様を衆目に晒せば、魔導国一党の評価はさらに上昇し、覆す方法は失われる。

 その時にはアンデッドの王を戴く国に、この聖王国が内部から乗っ取られる危険まで覚悟せねばならない。

 

 ……ならば……

 

 思いつく限り最悪の手段ではあるが、魔導国副王に対するテロも視野に入れるべきか?……バケモノ女には届かないかもしれない。いや、届かない。だがあの忌々しい副王ならばどうだ?

 

 あの他者をナメ切ったニヤけ面をブン殴ればどれだけ胸が空くだろう。

 

 その後に待つのは国際問題だ。副王を殺傷したとなれば、魔導国が容赦するわけがない。

 即座に侵攻が始まるだろう。

 噂に聞くアンデッドの軍勢。

 魔導国の軍勢を聖王国が撃破可能か?……無理だ。

 アンデッドの軍勢どころか、あのバケモノ女1人でも聖王国軍全軍が滅ぼされかねない。

 よって却下だ。個人的な鬱憤はスッキリと晴れるだろうが、その代償が国家の滅亡ではつり合わない。

 

 どうする?……時間が無い。

 

 ホバンスから大砦に続く道から視線を外し、歩きながら考える。グルグルと高楼の中を歩き回り、気が付けばアベリオン丘陵を見渡すように欄干に手を掛けながら立っていた。

 眼下の城壁上に人垣が出来上がっている。

 門から何者かが出撃したようだ。

 人垣が出来上がるような存在となれば……さらに視線を丘陵の奥側に移すとバケモノ女の姿が視認できた。どうやら腕を組み、立っている感じだ。その横にはオカッパ頭の姿が見える。副王の姿は見えない。

 バケモノ女の向いている先……そこにオルランド・カンパーノがいた。見た目は見慣れたものとは全く別物だったが、不思議なことに何故か遠目でもオルランド・カンパーノと確信できた。だから体型や足の運びを再度よく見たが、やはりオルランド・カンパーノで間違いなかった。

 見慣れた革鎧と剣帯姿でなく、見たことない武装で身を固めていた。おそらく金属製の鎧なのだろうが妙にゴツゴツした印象だ。頭部も鎧と一体化したような印象の兜を被っている。手には両手剣としても使えるような大振りの片手剣に、鎧と同じく妙にゴツゴツした印象の楕円形のシールドを構えている……スパイクシールドとかいう種類なのだろうか?

 オルランドは変異種と思しきストーンイーターと戦っていた。狂ったように無骨な片刃の巨剣を振り回し、モンスターのような巨体を誇っている。普通ならば一対一では厳しいと感じる相手だ。レメディオスならばなんとか頑張れるかもしれないが、聖騎士団内でレメディオスの次に強いと目されるイサンドロでは厳しいだろう。

 だが追い詰められているのはストーンイーターだった。

 既に恐慌状態なのは見れば解る。

 暴風のような攻撃もオルランドにヒットしているものの、オルランドは微動だにせず、身体を丸めながらジリジリと詰めていた。

 

 バケモノ女が何か指示を出した。

 

 オルランドが鋭く踏み込み、スパイクシールドの禍々しい突起をストーンイーターの巨体に食い込ませる。腹が裂け、同時に右上腕の内側が酷く抉れたようだ。鮮血が噴き出し、妙に丸まったようなオルランドに降り注ぐも、魔法の武具なのか、バックステップしたオルランドには少しの汚れも付着していなかった。少なくともレメディオスの位置からはそう見えた。

 

 強いな……オルランドまで……

 

 1日で異様な強さを手に入れた従者ネイア・バラハが脳裏に浮かぶ。レメディオスと同等とは言わないが、イサンドロ並みか、それ以上の空気を纏っている。だが膂力や脚力は雰囲気通りだったが、剣の腕は全くとは言わないが思ったほどではなかった。だから昇格を見送ったわけだが……

 

 歓声が上がる。

 考えている間に決着がついていた。

 オルランドの前に肉塊と化したストーンイーターが転がっていた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 武技無し。

 今後の為に剣は持たせるが、使用厳禁。

 全身を覆う奇妙な見た目の鎧……旦那から下賜されただけあって高性能なのは着用した瞬間に理解した……が、見た目が最悪だ。絶妙に邪魔にならない位置ではあるがやたらと突起が多いしよ……何よりカッコ悪!

 セットのヘルムまで棘だらけだぜ。正直、勘弁だ。

 で、今回のメインの武装のシールドまで棘だらけ……なんだかなぁ……剣も凄えのは間違いねえんだから、剣を使わせてくれよ。

 

 途方に暮れて、トボトボとティーヌ大先生に連れられて歩いた先には……

 

 なんだかとんでもないストーンイーターがいた。

 デカい……おそらく何度か見かけたことのある「白老」よりも二回り以上はデカい。ただ毛色は「白老」のような白じゃなく完全にグレーだ。

 所々、おそらく返り血で汚れていた。

 目付きも凶悪……つーか、知性のカケラも感じねえ。逝っちゃってるヤツだぜ、こりゃ……亜人ってえよりも完全にモンスターだ。

 手に持つでっかいナタみたいな剣には血やら肉片やらかこびりついたまま。

 命を賭ける得物の手入れもしねえようなヤツだ。

 

「どっから連れて来たんだよ、こんなの」

「あー、デミちゃんに頼んだら、コイツが送られて来たんだよねー……名前はデンガロちゃん……デミちゃんの牧場でもちょっと扱いが難しいようなはぐれ者だってさ……本人はいちおう真面目に猿の王様目指してるいるらしいよー。ただ壊滅的に頭が足りない上に力頼みだから揉め事が絶えないらしいけど」

 

 誰だよ……「デミちゃん」て……「牧場」って何?

 

「はぐれ者の亜人かよ……」

「そっ、人望0かつ力の信奉者……まっ、普通に厄介者……なんか昔の私みたいでシンパシー感じちゃうかなー」

「アンタの昔ってよ……なんか怖えから聞きたくねーな……で、コイツと模擬戦すりゃいーのかよ?」

「模擬戦?……なーに言ってんのかなー……殺し合いだよ」

「はぁ?……お仲間なんだろうが、コイツも」

「うんにゃ、デミちゃんの手下……つーか、デミちゃんからも矯正を頼まれたんだよねー……いちおう魔導国の国民らしいから、殺してもゼブルさんが蘇生させるらしいけど……まっ、さっきの条件で徐々に武装減らして、最後は防具無しの短剣一本ぐらいで勝てるぐらいにはなってもらうから……それぐらいになれば、エルヤーちゃんのちょっと下ぐらいには成長したことになるのかな?」

 

 だから誰だよ……「エルヤーちゃん」て!

 

「私がわざわざとっておきの『堕落の種子』をオルやんに使ったんだから、ゼブルさんの役に立つぐらいには絶対に強くなってもらうからねー」

 

 言われるまでもねえ!……俺も人間辞めてまで、アンタのいる場所を目指してんだがよ!

 

「つーか、なんでコイツは大人しいんだ?」

「そりゃ、調教はしたから、私には従順だよー……ちなみに強さはゼブルさんによれば40れべる欠けるぐらいだって」

「40れべるって何だ!」

「んー?……難度に換算すると120のちょっと下って感じだったかなー?」

「マジのバケモンじゃねえか!」

「うんにゃ、弱っちいよ……今のオルやんにはちょうど良いぐらいかなー?」

「そりゃ、アンタ基準じゃ、なっ!」

 

 さすがにサラッと「調教した」と言うだけあって、会話が通じねえ。

 はぐれ者で厄介者の暴力系亜人を従順に変貌させる調教って……まっ、俺も4回殺されたけどなぁ……傷一つ無えってことはジットが治したのか?

 

「んじゃ、デンガロちゃん……この可愛いおっさん殺っちゃってくれる?」

 

 ストーンイーターの濁っていた目が輝いた。

 咆哮……闘争開始の合図だ。

 剣は使えねえ。

 武技も使えねえ。

 となりゃ、亀の姿勢で距離を詰めつつ様子見か……旦那から下賜された武具の性能を信じるしかねえ。

 トゲトゲ盾を前面に押し出しつつ、摺足で前進する。

 

 バカみたいにデカいナタを振り回し、俺という獲物に興奮したストーンイーターの恐ろしく速い連撃が襲う。

 その中をジリジリと進む。

 理性じゃナタの恐怖は打ち消せたが、視覚的な恐怖を克服するのは難しい。

 どうしても足が前に出ねえ。

 ストーンイーターのナタは斬撃ってえよりもほぼ打撃だ。刃も痛んでやがるし、多少鋭利な平たい鉄の棍棒みたいなものだ。

 とても旦那から貰った鎧を通すような打撃じゃねえのも理解した。

 だが頭じゃ理解しているが、そいつがとんでもない速さの連撃で襲い掛かってくるとなると心に刻まれた恐怖が打ち消せねえ。そいつは長年戦場に立って培った安全弁だ。だから反射的に機能する。

 

 半歩どころか足の親指一つ分ぐらいしか前に出れなくなった。

 

 ストーンイーターはどうしても俺を傷付けられず、イラ立ちの咆哮を上げながら、さらに連撃の速度を上昇させた。もはや嵐だ。嵐の雨粒の一つ一つが鉄塊になったような中をジリジリと進む。

 

「だらしないなぁ、オルやん……オルやん程度でもそろそろその程度のスピードなら見切れるでしょ?」

 

 ティーヌ大先生の無遠慮な声がした。

 

「見切れるか!……だが俺程度でも斬撃が俺に通じねえのは理解した。でもよぉ、なかなか思い通りに足が出ねえの!」

「理解したなら、進めば良いじゃん」

「それができりゃ、苦労しねえよ!」

「私に殺られた時を思い出しなよー……私、猿よりは速いから……あの時は平気で突っ込んで来たよねー」

 

 いや、アンタのは速過ぎてビタイチ見えねえの!……視覚的な恐怖は逆に感じねえから!

 

「そんなザマで強くなりたいって……漢に二言は無いんじゃなかったー?」

 

 チクショウーが!……やってやらぁ!

 

 恐怖を噛み殺す。

 腹を決める。

 ナタを無視して突進する。

 唐突な動きの変化に戸惑い、ストーンイーターは連撃のテンポを乱した。

 何かに吸い込まれるようにすんなりと巨体の懐に入った。

 そのままトゲトゲ盾を突き出す。

 盾のくせに異様な殺傷力をもったそれは抵抗を試みたストーンイーターの右上腕の内側を切り裂き、同時に腹を深く抉った。

 鮮血が噴き出す。

 さすが魔法の武具だけあって汚れもしねえ。

 全く知性を感じなかったストーンイーターの顔が驚愕に歪んでいた。

 どれだけ殴っても俺を倒せなかった理由よりも、自身が傷付いたことに驚いたようだ。

 何かを叫んでいやがるが、言葉も理解できねえ。

 いったんバックステップして、再度突進する。

 エグい盾だ。灰色の体毛を貫いた盾のトゲトゲが蠢き、ストーンイーターの分厚い筋肉を咀嚼するように噛み千切りやがった。まるで生き物だ。

 

 ストーンイーターの怒りの咆哮が悲鳴に変わる。

 

 明らかにデンガロは怯んでいた。

 身長は倍とは言わねえが、体積は確実に3倍以上ある亜人が比較すりゃかなり小せえ俺に怯えを見せるとは……

 今度はバックステップせずにそのまま盾を押し込む。

 まるで何かの牙だった。

 デンガロの腑まで食い込んだ牙がトドメを刺そうと臓腑を抉り回した。

 

 ようやっと盾の銘が腑に落ちる……『腑喰らい』……銘そのまんまの性能を発揮しやがった。楕円形の奇妙な見た目も何かの悍ましい口を模したものだと理解した。

 盾を引き抜くと凄まじい血臭に混ざって酷い悪臭が漂う。

 ドボドボとストーンイーターの臓腑が大地に溢れた。

 デンガロの振りが緩慢になったナタが俺を襲うも、もはや恐怖を感じることはなかった。

 膝から崩れる。

 そのままうつ伏せに地に落ちた。

 

「……勝った……」

「勝ったじゃないからねー……完全に武装ありきでしょ、これじゃ」

 

 まるで何事も無かったかのようにティーヌ大先生が俺の前に割り込み、肉塊と化したデンガロの巨体を掴み上げ、そのまま城壁に方向へと放り投げた。

 

 遠くで上がっていた歓声が悲鳴に変わる……そりゃ、そーだ。

 

「ゼブルさんに蘇生してもらったら、またやるからねー……今度は盾無し、剣無しにしよっかなー?」

「はぁ?……いくらなんでも素手じゃ無理だぜ、あんなバケモン。まぁ、この鎧があれは負けはしねえだろうけど」

「そっかなー?……少しは力が上がってないかなー?……私の時は直ぐに実感できたけどなー」

 

 言われて初めて冷静になり、グッと拳に力を込めてみた。

 なるほど確かに力が上がったような気がする。調子に乗って、その場で屈伸してみれば、なんとなく全身が軽くなったような気もした。

 ダッシュし、急停止し、再度ダッシュする。

 

 うん、こりゃ、確かに軽くなった……よな?

 

 屈み込み、ジャンプして、それまで見たことのない視野を経験した。

 高いね、こりゃ……間違いない。

 間違いなく、身体能力は上がった。

 しかも考えられねえレベルで……兵士長の嬢ちゃんが味わっていたのはこの感覚かよ……凄えな、マジで……

 

「極めりゃ、アンタの領域までいけるのか?」

 

 歓喜に塗れる俺を見て、ティーヌ大先生がニヤニヤと笑っていやがった。

 しかし旦那の配下は笑うと凶悪な面になる奴ばかりだぜ。

 でも、まあ、気持ちは解る……笑われても不快さは無え。

 何年も経験を積んで初めて実感できる成長がたった一戦で手に入ったって経験は、ティーヌもジットの野郎も経験済みってこった……今体験している驚きを知っているわけだ。

 

「さーね、それぞれ方向性が違うみたいだしねー……でも、いろいろと新鮮な力が手に入るのは間違いないかなー……私もジッちゃんも基礎的な身体能力以外に新しい力も手に入れたから、それは間違いないんじゃないかなー?」

「感謝するぜ……人間辞めて、良かった」

 

 人生……いや、人間辞めたから、なんて表現すりゃ良いんだ?……まあ、とにかく数年振り、いや十数年振りに素直に頭を下げた。

 

「感謝も忠誠もゼブルさんに向けるべきだよ……私は自分の全てを捧げる為に寿命と老化が邪魔だったからね。人間なんてものに一切未練はなかった。それはジッちゃんも同じじゃないかな?」

「ティーヌの言う通り、わしもゼブルさんに拾われて、新たな道を進み始め、それまでの自身の矮小さが身に染みておるわい。あの御方は愚かなわしらを導いてくだされる。同じ悪なら、より大きな悪へとのう」

 

 ジットの言葉に常になく神妙な顔付きでティーヌが頷く。

 俺にはまだ理解できないが、旦那に感謝する気持ちに偽りはねえし、忠誠は誓ったばかりだ。いまさら忠誠の対象を切り替える気はさらさら無えし。

 ただコイツらの言う「悪」ってえのが、旦那からは微塵も感じねえ……見たことのねえ能力を持っているのは間違いねえけど、どちらかと言えば「悪」って言うより唯我独尊って印象だけどなぁ……

 

 城壁までの道程を軽くなった足取りで一歩一歩踏み締める。

 兵士長の嬢ちゃんを従えた旦那が笑って出迎えてくれた。

 その足下でストーンイーターのデンガロが肉塊から亜人に戻っていた。

 

 信仰が確立される場面を見ることなんざ、この先の終わりのない悪魔の生涯でも経験できないかもしれねえ。

 

 城壁上の群衆が跪き、旦那に祈りを捧げていた。

 兵士長の嬢ちゃんが凶眼を旦那に向けている。

 何があったのかは理解できる。

 どうやら方針を変えたらしい。

 俺がホバンスの路地裏で経験した出来事をそのまま衆目に晒したようだ。

 




お読みいただきありがとうございます。


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44話 受難

 

 急ぎ私室に戻り、聖剣サファルリシアを掴み上げると、レメディオス・カストディオは走りに走った。

 階段などは踊り場毎にジャンプで移動していた。

 

 もはや一刻の猶予も無い!

 

 高楼から見た眼下の光景……魔導国副王による猿の亜人に対する死者復活の魔法は二重の意味においてレメディオスの我慢の限界を突破した。

 衆人環視の中で妹が秘匿する『死者復活』の魔法を使用したこと。

 対象が聖王国の不倶戴天の敵である亜人であること。

 結果として悪が神としての地位を確立しかねなかった。

 亜人の命を復活させたのに、である。

 城壁上の人垣が徐々に跪いていく光景は、元々決壊寸前だったレメディオスの精神の防波堤を決壊させるに十二分な効果を発揮した。

 

 薄暗い石壁に囲まれた通路を駆け抜ける。

 少し前まで人類最高峰と信じて疑わなかった脚力を存分に発揮し、レメディオスは門を抜け、光の中に飛び込んだ。

 そこにあったのは暢気な光景だった。

 復活した大猿の向こうで、ゼブルと従者ネイア・バラハが凱旋するオルランドに向けて手を振っていた。

 場の暢気さをぶち壊して乱入した聖騎士団団長という構図だった。

 

 血走った目付きでレメディオスが抜剣する。

 聖剣サファルリシアが陽光を反射し、神々しい光を放つ。

 

 これこそが神の御業だ!

 

 レメディオスの脳裏を場違いな想いが駆け巡った。

 

 やけに遠くで悲鳴が聞こえた。

 城壁上を振り返れば悲鳴を上げる兵達の姿が見えた。

 慌てふためく上席者の顔もチラホラ。

 だが確信を得たレメディオスは揺るがない。

 

「もはや見過ごすわけにはいかん!……やはり貴様は死ぬべきだ!」

 

 遠目で確認していたよりもはるかに巨大なストーンイーターの向こう側に標的の男が立っていた。従者ネイア・バラハが間に両腕を広げて立ちはだかる向こうで、例によって薄い笑いが顔に張り付いている。

 目だけが冷然とレメディオスを見返していた。

 息を飲み込まされた。

 改めて綱渡りの最悪手と認識させられたのだ。

 しかし抜剣し、1日一回しか使用できないサファルリシアの力を解放させなければ、ゼブルの悪を証明不可能なのだ。

 だから抜剣せねばならなかった。

 衆人環視下で悪を証明する手段は一つだけ。

 もう後戻りはできない。

 

 サファルリシアの眩い輝きが過去に見たことがないほど尋常でないものに変貌していた。

 

 やはりコイツは悪なのだ!

 

 確信をもって周囲を見たが、あまりの反応の鈍さに愕然とさせられる。

 

「……お前達、聖剣サファルリシアが此奴を悪と認定したのだぞ!」

 

 レメディオスがどれだけ叫んでも、城壁上の誰もが聖王国の至宝である神剣の裁きに、やけに懐疑的な視線を向けていた。

 レメディオスは気付かない。聖剣が向けられた先にいかにも凶悪に見える亜人の中でも異形と呼ぶのが相応しい存在があることに。

 直前に狼藉に及んだとの噂も印象が悪い。

 一軍をもってしても不可能な戦果を見せつけた神の御使の配下に従え、現実に神の御業を見せつけた事実の前には、神剣の裁きすらも霞んで見えた。

 そうでなくともレメディオスが悪の亜人と凶眼を持つ娘を使って、神を陥れようとしているのではないか?……つい先日の狼藉がなければ、見る者達の目も曇らなかったかもしれない。

 

「抜剣し、実際に俺に剣を向けた以上、こちらとしてもこの前のように見過ごしてやるわけにはいかないな」

 

 ゼブルはネイアを退かせ、自ら前に立った。

 サファルリシアの輝きがさらに増した。

 レメディオスの確信が強まる一方、他者は自国の愚か者に対してバツの悪さを増すだけだった。凶相とはいえ娘を守る神に対し、聖騎士団最強の愚者が剣を向けている構図は覆せなかったのだ。

 

「……私は確信を得た。貴様は悪だ。やはり死ね!」

 

 聖剣サファルリシアの力は聖騎士のスキルである『聖撃』を強化し、いかなる防御も無視する一撃を生み出す。攻撃対象が悪であればあるほど威力は増大するのだ。カルマ値-500であるゼブルでは、レベル差では埋められないダメージを受ける。しかも『人化』したままでは洒落にならない事態まで想定された。

 

 ……ただし攻撃が当たれば、であるが……

 

 力量を比べてみれば純粋な前衛職としての技能は純戦士でないとはいえ、『人化』したままのゼブルよりレメディオスの方が優っている。

 だが構わずゼブルは前進した。

 それは無造作ともとれる雑な動きだった。

 レベル差で強引に埋められる差があればそれでも問題なかっただろうが、レメディオスは聖王国最強の聖騎士なのだ。

 

 つまり戦士としては攻撃を当てられないまでの差はないのだ。

 

 レメディオスも前進で応じた。

 油断なく摺足で距離を詰める。

 どう贔屓目に見ても雑な動きのゼブルなど簡単に仕留められる……距離が詰まるに比例して確信が強まった。

 

 お互いに半歩……そこで踏み込めば勝利は決する。

 

 レメディオスは勝利の確信していた。

 

 その後は自身で自分の首を刎ねて責任を取る……賢明なケラルトであれば魔導国と交渉して、なんとかしてくれるだろう、と。

 

 覚悟は決まっていた。

 

 集中は極限まで高まっていた。

 もっとジリジリとするかと思っていたが、その瞬間はあっさり訪れた。

 足の親指の付け根に力を込める。

 引き絞っていた力を一気に解放した。

 上段からサファルリシアを振り下ろす。

 

 死ね!

 

 悲鳴も制止の声も消えた。

 視界の中に副王ゼブルを完全に捉えている。

 後は斬るだけ……それでコイツは死ぬ。

 私も死ぬ。

 それだけのことだ。

 

 サファルリシアの軌道上でゼブルは笑っていた……薄く、冷たく……

 

 正面から見据えてくる。

 まるで作り物のよう見えた。

 奇妙な目だった。

 異様に整っているが、位置どころか大きさや形まで完全に左右対称なのが異質な気持ち悪さを感じさせる。まるで精巧な作り物だ。知る限り最上の美貌を誇る聖王女カルカでもここまでは整ってはいない。

 口元もそうだ。

 左右対称の唇が開いた。

 

「やれ」

 

 ゆっくり、静かに、ゼブルはたしかにそう言った。

 

 潔く、死の覚悟か?

 

 思った瞬間、動けなくなった。

 急激に身体を引っ張られ、右手首を何かが掴んだ。

 そのまま手首が骨ごと掴み砕かれた。

 帷子など紙切れよりも柔だった。

 千切れた右手首ごとサファルリシアが地に落ち、輝きが失せるのが見えた。

 極限の集中の中、どこか他人事のように認識した。

 脇腹を何かが突き抜ける。

 甲冑がひしゃげ、身体に食い込む。

 意識した後に衝撃が全身を襲い、自身が城壁に激突した事実を知った。

 激突の衝撃を受け止めた石壁が崩壊し、瓦礫が頭上から落ちて来るのが見えた。半ば身体が埋もれている。

 絶妙に打ちどころが良かったのか、死んではいない。

 だが動けない。

 動けないのに意識は明瞭だった。

 妙なスローモーションで世界が見え続ける。

 飛ばない意識の中、影を確認して眼球を動かせば、そこに神の御使と呼ばれるバケモノが立っていた。

 

 あの距離を一瞬で詰めたのか……?

 

 決行に至ったのは……今なら殺れると確信したのは、この女がまだ200メートル以上先にいたからだ。

 

 どこか他人事のような考えだけが浮かんでは消えた。

 

 笑っていない……初めて見る表情だった。

 この女の表情は全て笑いだと思い込んでいた。

 その女が笑っていなかった。

 楽しさはもとより、怒りも悲しみも笑いで表現すると思っていたのに……

 亜人の軍勢を蹂躙した時すらもバケモノの笑いを浮かべていたのに……

 

 ただただ冷たいと感じる顔があった。

 表面の氷塊の奥に蠢くマグマの奔流を感じた。

 三日月のような目が大きく見開かれていた。

 

 左手で胸ぐらを掴まれ、そのまま吊り上げられた。

 抵抗はできない。

 意識を保っているのが不思議なぐらいだ。

 全身でまともに動く部位は目と脳だけだ。

 絶え間なく襲う痛みまで他人事なのはありがたいが、意識が飛ばないのは厄介だった。選択した自死でなく、無様に行動を阻止された上で殺されるなら楽な方が良かった。

 それにしても見た目からは信じられない膂力だった。

 上腕も前腕も明らかにレメディオスの方が鍛え上げられているのに……

 

「……何してくれてんだ、テメー!」

 

 激情を圧し殺し切れず、僅かに声が震えていた。

 

「こ……殺せ……」

 

 動かない口と喉に精一杯の意識を乗せ、なんとか意志を声に乗せる。

 

「はぁ?……テメーを殺したぐらいでこの怒りは治んねえんだよ!」

 

 溢れ出す怒りが抑えられなくなったのか、バケモノ女の纏う気配が明確に変化していた。そして周囲を見回し、これまでに見たことないほど嫌な笑いを見せつけた。

 

 残っている左手を右手で握られた。

 手だけをみればちょうど恋人同士のような握り方だった。

 そのままバケモノが力を込める。

 ボタボタと指が地に落ちた。

 力が弱まることはなく、そのまま左手を握り潰された。

 他人事のような激痛が突き抜けるが、レメディオスは呆然と嫌な笑いを浮かべるバケモノを見つめ続けた。

 バケモノは舌打ちし、スッと冷めた表情に戻った。

 

「やっぱ、痛みじゃねーんだよ……どうもしっくりこねー」

 

 何かを考えていた……そして実に楽しそうに笑った。

 楽しさで怒りを塗り潰すような笑いだった。

 街の日常に潜む狂人の笑いだった。

 サディストの笑いだ。

 

 レメディオスは初めて背筋の冷たさを意識させられた……そして気付いた。

 

 ……怖い……

 

 緊張と興奮と痛みを引き剥がした奥に恐怖があった。

 レメディオスは人生で初めての恐怖を感じた。

 絶望的な戦況の中でも感じなかった恐怖。

 小さな子供の頃に暗がりに感じた怖さなど比べ物にならない恐怖。

 

「決めた……テメーはこのまま生かす。そして聖王国を滅ぼしてやる。完全に根絶やしにする。血の一滴の存続すら許さない。その光景を何もできないままのお前に漏れなく見学させてやる。残りの人生、嘆き悲しめ!……テメーの報いはそれぐらいでちょうど良い」

 

 戯言……亜人の軍勢に対するあの戦果を実際に見ていなければ、鼻で笑う程度の話か、虚言の類に感じたに違いない。しかしレメディオスは見ていたのだ。この女が亜人の軍勢を一方的に蹂躙する様を。

 

「や……や、やめて……」

 

 右腕からの失血でレメディオスはそのまま意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 目を覚ますと心配そうに覗き込むカルカ・ベサーレスの美貌が目に飛び込んできた。

 

 死んでいない?

 いや、カルカもあのバケモノに殺されたのか?

 そういえば根絶やしにすると言っていた……

 

「……目を覚ましたみたいよ、ケラルト」

 

 カルカが振り向いた先に妹の姿が見えた。

 沈鬱そうな表情でレメディオスを一瞥し、即座に視線を逸らす。

 

「……目を覚さなければ、まだ……」

「そんなこと……」

「でも……」

「……私からゼブル様に嘆願してみます……」

「それでは……それではますますカルカ様のお立場が!」

「でも、親友であるレメディオスの為です!」

「これ以上……姉様の為にカルカ様の御厚情に甘えるわけには……」

「いいえ、私はこれまでレメディオスにもケラルトにもカストディオ家にも助けられて、今があるのです……」

「ですが、この件に関してはただただ姉様が愚かなだけでした……これ以上ご迷惑を掛けるわけにはまいりません。ただでさえ、あのように屈辱的な……」

 

 レメディオスを差し置いて、2人の意味の解らない会話が続いていた。

 

 いったい何があったのか?

 問おうとして、声が出ないことに気付く。

 ならばと寝台から上半身を起こそうとして、身体の異変にも気付いた。

 

 ……右の前腕が無い!?

 

 妹もカルカも目の前にいるのに治癒魔法を使ってくれなかったのか?

 愕然として2人を見るも、全く気付いてくれない。

 呻き声すら発せなかった。

 左手も失ったままだ。

 より深く探れば左腕も一切動かない。

 下半身も麻痺していた。

 腰の感覚も失っている。

 つまりレメディオスは寝台に横たわるだけの存在だった。

 

「……カルカ様があのような申し出をされて、なんとか姉様と国民の助命だけは約束されましたが……果たしてそれで良かったのか?……同じ血を引く者としては嬉しくもあり、臣下としては複雑でもあります……むしろ姉様を恨んでしまいそうです」

「……そうね……でも私は後悔はしていないわ」

「カルカ様……本当にありがとうございます。でも……」

「私の希望でもあります……レメディオスだけでなく、国民の助命もゼブル様もティーヌ様も約束してくださいました。荒れ狂うティーヌ様を鎮める為に、我が未来を差し出しただけのこと……聖王女の地位を失うわけではありません。むしろ魔導国の後援を得るわけですから現状よりも地位ははるかに強固になるはずです。戦に出たことない南部諸侯が煩いでしょうが、軍部は私を支持しています。彼等こそがゼブル様を神と信じているのですから……政務や祭祀のほとんどはカスポンド兄様にお願いすることになるのは本当に心苦しいですが、私は魔導国へと向かいます。それだけのことです」

 

 ……なんだと!?……やめろ、カルカ!……やめてくれ!

 

 声が出ない。

 どうしても呻くことすらできない。

 身体が動かない。

 どうやっても意志が伝えられない。

 

「では、姉様の魔法的な治癒をお願いする為にこれ以上何を差し出せば……私達の力では無理でした。ゼブル様であればより高位の魔法が行使可能と聞き及んでおりますが、姉様が断罪するつもりで剣を向けたわけですから……果たしてご協力いただけるのか……」

「では未来だけでなく、この身をゼブル様に差し上げます」

「……それはカルカ様のご希望かと」

 

 チクリと刺し、ケラルトは力なく笑った。

 カルカはケラルトが少し笑ったのを見て、嬉しそうに微笑んだ。

 

「冗談はさておき……そうですね……ゼブル様もティーヌ様もジット様もホバンスの地酒を好んでおられるとのこと……それに海の幸もお好みのようです。であれば、ホバンスの酒に関する全ての権利と聖王家が聖王国内に有する全ての漁業権とかで手を打っていただけないものかしら?」

「大盤振舞い過ぎて、聖王家の屋台骨が傾きます!」

「でも冗談抜きで全国民の助命を約束して頂いた御礼も兼ねれば、ちょうど良いバランスのような気もするけど……」

「たしかにそうなんですが……全国民の助命に関してはカルカ様が賓客扱いとはいえ実質的に人質になられることが代償ですので……つまり既に支払い済みと思われます」

「それもそうね……でもバランスが取れているとなると、新たにお話を聞いて頂くには、やはりこちらが過大と感じるぐらいの手土産が必要になるわ。先程の案で良ければ、この後ゼブル様にお時間を作って頂かないと……」

「本当に申し訳ありません、カルカ様……姉様が愚かなばかりに……」

 

 ケラルトが平伏した。

 カルカがケラルトの肩を抱き締めた。

 

 どうやらカルカはレメディオスを助命する為に実質的な人質となるだけでなく、ゼブルの魔法的な治癒を得る為に聖王家の大きな収入源を差し出すつもりらしい。

 

 なんで……どうして、こうなった……

 

 後先の考えられない自身を悔いた。

 思考を放り出していた自身を呪った。

 弱い自分を殺したかった……

 

 そう思うことすら、看破されているのだろう。

 だから連中は何もできない状態を是としたのだ。

 

 そう伝えたかった。

 

 でも声が出ない。

 そしてレメディオスは涙も出ない事実に気付いた。

 泣きたいのに……嗚咽は心の中に止まる。

 

「レメディオス、待っていて……もう少しで動けるようにしてあげる」

 

 明るい微笑みを残し、カルカ・ベサーレスは部屋から出て行った。

 妹も後を追う。

 

 そして部屋には誰もいなくなった。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 罪人。

 恩知らず。

 聖王国の恥部。

 カストディオの負債。

 

 カストディオの天才姉妹の姉にして聖王国最強の聖騎士という天井から転落し、地の底に堕ちてもレメディオス株の暴落は地盤沈下させる勢いで続いた。

 

 命を狙った魔導国副王から助命されたのもいただけない。

 レメディオスの言うところの悪は怒りこそたしかに凄まじかったものの、極めて寛大であり、聖王女の助命嘆願に鷹揚に頷いた。

 どちらが悪なのか?

 事情を知る者でゼブルを悪と断ずる者などいない。

 負い目はどちらにあるのかと言えば、レメディオス・カストディオと答える者がほとんどだ。少なくともゼブルでないのは衆目の一致するところだ。

 結果として聖王女カルカは賓客という名の人質として、戦乱終了後に魔導国首都カルネに長期滞在することとなった。おそらくは残りの在位期間の全てを魔導国内で過ごすことになるだろう。

 民の憎悪を一身に集めていたカルカ・ベサーレスの評判は一転臣下と国民想いの慈悲深い聖王女との高評価に変換された。

 レメディオスの評価と正逆の関係であるかのように……

 

 視覚と聴覚と栄養摂取の為の吸入口としての口しか機能していないレメディオス・カストディオの寝台に多くの者が訪れる。

 そしてほぼ全ての者が神に仇為す愚か者として、レメディオスに蔑みの視線を向けた。

 例外はカルカとケラルトのみ。

 イサンドロやグスターボですらレメディオスに完璧に儀礼に則っただけの冷めた視線しか向けなかった。従者ネイア・バラハだけは視線で意図は測れなかったが……

 

 後任の聖騎士団団長にはグスターボ・モンタニェスが昇格した。

 本来ならば九色であるイサンドロ・サンチェスの方が武力集団の長としては適任なのだろうが、彼にはより重要な役目が与えられた。カルネの駐在武官の筆頭として、カルカ・ベサーレスの護衛役となったのである。

 つまりレメディオス・カストディオは聖騎士団団長の地位を失ったのだ。

 それだけでなく聖騎士の地位も剥奪された。

 刃傷沙汰に及ぶ前までの功績までは抹消されなかった為に軍籍こそ残されたが単なる軍士扱いである。要するに一兵卒だった。

 

 全ての聖王国人は当然のように屈辱を感じていた。現国王を実質的に人質として差し出すのだから当然だ。しかしその原因は聖王国側にあり、魔導国側の怒りが凄まじいものであることも周知の事実だった。

 中でも「神の御使」こと女戦士ティーヌの怒りは限界を突破しており、命を狙われた副王自らがその場で制止したほどである。彼女は聖王国の全国民を根絶やしにすると宣言し、その通り実行しようとしたほどだ。手始めに最も近くにいた聖騎士団従者のネイア・バラハに襲い掛かり、本当に首を刎ねた。

 副王ゼブルが制止し、神の領域の魔法で即座に蘇生させた。

 もしそれが少しでも遅れれば高楼から兵士長パベル・バラハの矢が放たれ、今以上の混乱に陥っただろう。

 

 そして今、レメディオス・カストディオの寝台の横に、少し前では考えられない顔があった。もはや常連と言っても過言ではない。

 つぶらな瞳に憐憫の情が見え隠れしているのも珍しい。

 この部屋を訪れる者はほぼ全て蔑みの視線を向けてくるのだ。

 魔導国の一党が聖王国に現れるまで、対立していた2人の目が合う。

 オルランドが訪問する度に目を合わせる……挨拶みたいなものだ。

 

「……俺もバカだけどよぉ……お前も相当な阿呆だな……聖王国の至宝まで連中っていうか、俺らに献上するハメになるなんてなぁ……」

 

 オルランド・カンパーノの言葉にレメディオスは愕然とした。

 もう今以上の悪い知らせはないだろうと思い続け、新たな知らせを聞く度に思いを踏み躙られ続けられていたが、これ以上の悪い知らせはないだろうと確信させられるぐらいの内容だった。

 

「まあ、あんな剣、貰っても魔導国にゃ聖騎士がほとんどいねえらしいぜ。最初は同盟国の竜王国にいる聖騎士として有名な冒険者に下賜したらどうだ、となったんだがなぁ……旦那がアイツはガチロリで気持ち悪いから、絶対に嫌だって言い出してよぉ……会うのも嫌らしいぜ。で、結局宝物殿に安置って成り行きに落ち着きそうなんだわ……ところで、ガチロリってなんだよ?」

 

 ……知らん!……しかしサファルリシアの保管場所が判ったのは、この上なくありがたい。

 

 瞬きで何かが伝われば良いのに……試みても、やはりオルランドにもレメディオスの思いは伝わらなかった。元々気が合わない相手なのだが、今となっては蔑みの視線以外を向けてくれる僅かに残された人物の1人だ。

 カルカや妹は政務や事後処理に忙殺され、日中にこの部屋を訪れることは少ない。妹に関しては神官団団長としての職務もある。

 カルカに命じられた世話係も憐れみの視線こそ見せるが、基本的に軽蔑されているのは理解していた。

 

 だからこそオルランド・カンパーノのような聖王国を捨てた存在は貴重なのだ。全ての事情を知った上で、レメディオスのやらかしを単なるやらかしとしか感じないのだから。

 

「まっ、俺もティーヌ大先生に4回殺されたんだぜ……信じられるか?……カウンターで綺麗に決まったとはいえ、この俺が蹴り一発で半身を吹き飛ばされて、絶命したんだぜ……まっ、これ以上は語ることが許されねえ秘密のあるんで語らねえがよ……それが俺が旦那達に弟子入りしようと考えた切っ掛けだ」

 

 訪問する度にオルランドがガラじゃない自分語りを始めたのは、それこそレメディオスが退屈じゃないのか、と考えたからだろう。

 大して話が上手いわけでもないが、レメディオスはオルランドの気持ちをありがたく受け取った。

 実際に退屈で仕方ないのだ。

 何もできない。

 そして何も感じない。

 漏れた糞尿も世話係任せの状態なのだ。

 食べるのも主にスープ……歯応えのあるのもが欲しいが、咀嚼可能か不明であり、嚥下さえ間違えなければ命に影響のない冷めたスープ類になってしまうのは仕方のないことと諦めていた。

 手足が動かせず、自力で寝返りもできない為、痛みも痒みも感じないのは非常にありがたいが、視覚と聴覚だけは健在なので、どうしても情報が欲しくなってしまう。

 だが訪問者のほとんどがレメディオスを一瞥しただけで去ってしまう。

 そうでないカルカと妹は仕事に忙殺されている。その忙しさの原因こそが自分自身なのだから文句を言える身分ではないし、そうでなくとも言葉は吐き出せない。

 なので、味方だった時は厄介者か狂犬としか思えなかったオルランドの存在は多少なりとも慰めというか、暇潰しにはなっていた。

 

「……聞こえてんのか?」

 

 オルランドがレメディオスを見詰めた。

 その瞬間を狙って瞬きをしてみる。

 普段ならば何も感じずに別の話を始めるオルランドだが、その時は何故かレメディオスを見ていた。そして小首を傾げる。

 

「もう一度聞くぞ。OKなら瞬きを2回繰り返せよ、アホ姉ちゃん」

 

 レメディオスは想いを込めて、ゆっくりと2回瞬きを繰り返した。

 この状態で初めての意思疎通が成立した。

 相手がオルランドとは情けないが、それでも数多の無関心な者達に比べれば100倍マシだ。

 オルランドも本来はお人好しなのかもしれない。

 意思疎通が確認した瞬間から妙にソワソワし始めた。

 

「おいっ、俺に何かやって欲しいことはあるか?……無ければ1回で、あるなら2回だ!」

 

 レメディオスは2回瞬きを繰り返した。

 涙は出ないが泣きたい気持ちが溢れていた。

 声が出ない。

 表情が作れない。

 感謝が伝えられない。

 この嬉しさだけでも伝えたいのに……

 

「何だよ、おい!……どうすりゃ良いんだ、おい!……チクショーが、何で俺は頭が悪いんだ!……えっ、どうすりゃ良いんだ?」

 

 オルランドが頭を抱えながら、部屋の中をグルグルと徘徊していた。

 そして突然立ち止まり、天を仰いで、手を打った。

 

「俺の手に余るなら相談すりゃ良いのか?……だったら、もっと頭の良い奴が必要だぜ。となりゃ誰だ?……旦那もジットの野郎も忙しいか?……いや、ダメ元で聞いてみる手はあるな………良し、待ってろよ、アホ姉ちゃん」

 

 オルランドは慌てて部屋から出て行った。

 

 なんでそうなる!

 

 レメディオスとしては聖王女カルカか妹に知らせて欲しかったが、オルランドの頭には浮かばなかったようだ。いや、聖王国を捨てた男だ。単純に苦手なのかもしれない。

 

 そんなことを考えた自分に驚き、同時に過去に向き合うべきだと考えた。

 イサンドロやグスターボにはさぞかし苦労を押し付けていたのだろう。

 カルカや妹にどれだけ甘えていたのだろう。

 父や母は言うに及ばずだ。

 周囲は自分という人格をどう捉えていたのだろう。

 

 視界がぼやけ、天井が歪んだ。

 この状態になって、初めて涙が溢れた。

 頬を伝っているかもしれない。

 でも、何も感じない。

 レメディオスには目を閉じることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 気が付けば、薄闇の中に整い過ぎて違和感を感じる顔があった。

 部屋の中が暗い……カーテンを閉め切っても日中にこうはならないだろう。

 おそらく夜中なのだ。

 音も無く、完全に近い静寂の中で、魔導国副王がこちらを覗き込んでいた。

 

「目が覚めたか、レメディオス・カストディオ?」

 

 オルランドが呼び寄せたのならば通じるはす、とレメディオスは瞬きを2回繰り返した。

 

「今のお前にいかなる魔法的な治癒も無駄なんだよ。それは一種の呪いのようなものだ。お前が強くならなければその呪いには抵抗できない。しかし動けないお前には強くなる術が無い。仮に抵抗可能なレベルまで強くなっても俺に対して敵対行動をとれば死ぬ。つまりお前は詰んでいるわけだ……状況を理解したならオルランドとの取り決め通りに瞬きしろ」

 

 淡々と説明された内容に驚愕しながらも、状況の変化を期待して、レメディオスは瞬きを2回繰り返した。

 

「お前の妹にも聖王女陛下にも解呪不可能な代物だ。そして俺ならば解呪可能だ……ソイツはお前が俺に刃を向けた代償だからな。つまり呪いの主が俺なんだ。正確にはお前には感知できなかった俺の護衛が施した呪いだ。オルランドを除く配下はお前をこのまま放置しろ、と言っている。お前をこのまま朽ち果てさせろ、とな……俺もオルランドが土下座までして頼み込まなければ、このまま放置するつもりだった……オルランドの顔を立てて、一度だけお前にチャンスをやろうと思う。ここで俺の気に入る回答が無ければ、お前は死ぬまでそのままだ。理解したか?」

 

 自身をこの状態にした相手が目の前にいた。

 あれほど憎み、殺した上で自身の命を絶とうとまで考えた相手だ。

 事情を知った今、レメディオスはゼブルを視線で呪い殺せるのならば殺したかった。だが自身の無力さを改めて確認しただけで終わった。

 

 ……瞬きを2回繰り返した。

 

「では、よく考えて回答しろ。一度の選択でお前に残された全てを失うぞ。俺はそれでも構わない。いずれにしてもお前が失うだけだからな……可能性やら未来やら……今のお前に残されているのはその程度のものだ。そこでそのまま朽ち果てたいのならば、瞬きは1回だ。そしてお前に残された可能性やら未来を俺に差し出すつもりならば、瞬きは2回だ……次に俺が回答を促すまでの僅かな時間が選択の為に残された時間だ。さあ、よく考えろ」

 

 ゼブルが寝台の横から姿を消した。

 静寂と闇にレメディオスは包まれた。

 思考を巡らせる。

 必死に必死に考える。

 そしてこれが持ち掛けられた取引だと理解した。

 どちらにしても負けは確定のギャンブルみたいなものかもしれない。

 つまり「少しでもマシな方を選べ」と選択権を与えられただけだ。

 

 手持ちの札を確認する。

 生殺与奪は現時点で奴のものだ……つまり自身の最強の持ち札は「命」ではないということになる。

 金も武力も話にならない差があり、手札にはならない。

 既に地位も名誉も失っている。

 レメディオスの人脈も血筋もゼブルにとって価値あるものと認められないだろう。現時点でアレは聖王女であるカルカにもケラルトにも圧倒的に優位な立場から直接交渉可能なのだから……

 

 絶望的な負け戦だ。

 確定している負け分を僅かに取り戻すだけの戦いなのだ。

 

 悔しいが、ゼブルの言葉通りレメディオスに残されているのは可能性やら未来と呼ばれるものだけなのを再確認させられた。

 その手札1枚のみで二択の勝負に挑まねばならない。

 手札を切るか切らないかだけの選択だ。

 手札を切れば……解呪だけは約束されるのは理解した。つまりその先が得られるのだ。だが未来を差し出すとは、それを奪われるということだ。屈辱的なのは間違いない。アレに「聖王国を裏切れ」と命じられれば、裏切らなければならないのだろう。そうしなければ再びこの状態に逆戻りさせられるのは目に見えている。

 

 絶対に嫌だ!

 もうこんな思いはしたくない……

 私は裏切ってしまうだろう……

 それが嫌ならば最初から緩慢で無意味な死を受け入れるのか?

 

 ……無理だ……

 

 仮に手札を切らなければ、この場の満足は得られるかもしれない。ほんの一瞬だけの自己満足だ。妹にはこの先どれだけの迷惑を掛けるのか?……父と母が老いていくのを眺めながら、自分が死ぬまで他人にシモの世話まで任せるつもりなのか?……意地を貫き通す為だけに、意地を張る相手が痛痒にも感じない自己満足を得て、自ら朽ち果てることを選択できるのか?

 

 絶対に無理だ……ゼブルにネタバラシをされなければ、どうにか耐えられたかもしれない。だが事情を知らされ、解呪の為の選択権を与えられた後では、もう無理だった。

 

 答えは決まった……いや、最初から決まっていた。

 悪との取引……心理的な抵抗は強い。

 だが視覚と聴覚以外の何もかも奪われた現状に死ぬまで耐えることなど不可能だった。

 

 レメディオスは自身の無力さに打ちのめされながら、ゆっくりと大きく息を吐いた。

 

 あの男が戻ってくるまでの残り僅かな時間だけが、レメディオスの自尊心に残された時間だった。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 自ら臣従を申し出た。

 その場に居合わせた者達の中で、ケラルト・カストディオが最も驚いているのは間違いないだろう。普段は美しく気高い顔付きが、惚けたような表情を盛大に人前で晒していた。

 

 違うのだ、妹よ!……だがやらねばならないのだ!

 

 大砦に臨時で作られた聖王女の執務室の中央で、レメディオスは込み上げるものを飲み込み、正面に立つ怨敵に黙礼した。

 視線が絡み合う。

 脳の中に直接指示が送り込まれる。

 既に何度も経験していたが、どうしても馴染むことのできないそれが開始の合図だった。

 

「今、この瞬間より死ぬまで私はゼブル様の臣下だ!……家名こそ捨てる気はないが、カストディオの家はケラルトに継いで欲しい。カルカ様をよろしく頼む。たとえ断られても、私はゼブル様に着いて行く。魔導国ではそう言った者を全て受け入れるそうだ」

 

 聖剣サファルリシアが手元に無いのは寂しい限りだが、拝跪し、訓練用の予備剣をゼブルに捧げた。騎士が剣を捧げる先には主君が立っているものだ。その先には当然のようにゼブルの姿があった。

 

「仕方ないな……お前の剣を受け取ろう、レメディオス・カストディオ」

 

 無表情に嘆息する主君に、痩せ衰えて頬のこけた騎士が深く首を垂れた。

 台本通り……レメディオスは忸怩たる想いを胸にゼブルに降った。

 脳の中に爆弾を抱えている。

 ゼブルがソレに命じた瞬間、あの状態に逆戻り。

 最悪、そのまま脳を食い破られ、絶命する……それこそ無意味に。

 レメディオスの心は折れていた。

 もう以前には戻れない。

 ゼブルの笑いに全力で媚びてしまう。

 あの絶対的な無力感だけはもう味わいたくなかった。

 もう2度と……絶対に!……永遠に!

 

「では起立して良し……この時以降、俺と魔導国の為に尽くせ。良いな?」

「ハッ!……この命が尽きるまで、最後の血の一滴までゼブル様の為に使うことを誓わせていただきます。どうぞ、存分にお使い潰しください」

 

 可能ならば今でも殺したい。

 それがこの世の為だ。

 

 コイツは悪魔だ……いや、もっと悪質な異形だ。

 

 アンデッドの王を支える魔導国の一部となった今でも、この男だけは許せない。だが逆らえない。逆らうことが許されない。

 

 命を捨ててでも殺すべきなのだ……でも……できない。

 

 そう思いながらもレメディオスは起立して、再度ゼブルに誓いを立てた。

 

 あの夜、選択をした。

 未来を代償に五感を取り戻した。

 忠誠と引き換えに本来の身体に戻してもらった。

 配下となる為に自尊心を捨て去った。

 信用を得る為に何度も何度も死の体験を刷り込まれた。

 

「壊れても良いつもりでやるぞ」

 

 ゼブルの宣言でそれは始まった。

 

 空っぽの胃で何度も何度も嘔吐した。

 耐えきれずに小便を漏らした。

 その上にへたり込み、嗚咽を漏らし、すすり泣いた。

 絶叫し、号泣した。

 やめてもらう為に小便で濡れた床に額を擦り付けた。

 懇願し続け……目の前の靴を舐めた。

 そして許された。

 もはや粉々に砕かれた自尊心の残り滓すら持ち合わせていなかった。

 憎悪や殺意を向けるなどバカバカしい。

 考えることはできても、とても実行に移せない。

 目を覗き込まれただけで、身体が動かなくなる。

 

「まっ、思うのは自由だ。だが俺が命じればどうなるか、よく知ることだ」

 

 ゼブルの言葉を聞いた瞬間から、自力で身体が制御できなくなり、取り戻した膂力で自身の首を絞めたのだ。

 もはや反抗する気力など残されていないのに……

 脳の中に仕込まれた何かがレメディオスを全力で殺そうとしていた。

 顔がはち切れんばかりに膨張していた。

 痩せ衰えたはずの両腕の筋肉が容赦なく力を加える。

 意識が飛びそうになった瞬間、身体の制御が戻った。

 そのまま床に倒れ込み、自分の小便に再度顔を沈めた。

 ヒューヒューと喉が鳴っていた。

 どこか他人事のように、事態を飲み込んでいく。 

 

 せっかく以前の身体を取り戻したのに、依然として生死の自由すら奪われているのだ。ゼブルが思うだけで、あっさり死ぬような状態なのだ。ギリギリの綱渡りでなんとか命を繋いだだけだ。

 

 レメディオスは絶望と共にそう認識した。

 床に仰向けになり、見下ろす男の壮絶に美しい顔を見上げた。

 

「俺にとってお前の価値はゴミ屑以下だ、レメディオス……だがオルランドのお陰でこうして動ける身体を取り戻したことに感謝するが良い。それにお前は国政の中心に近過ぎる。だから国を捨てろ。良いな?」

 

 レメディオスは叱られた子供のように嗚咽しながら何度も何度も頷いた。

 

 そして衆目の中、聖王女カルカ・ベサーレスを捨てるこの茶番を演じさせられている。

 もう2度と戻れぬように……そう望まぬように……

 

 顔を上げるように命じられた。

 美しい顔を歪めたカルカが口元を隠していた。

 その大きな目には涙が……

 

「良かった、レメディオス……本当に良かった」

「カルカ・ベサーレス様には感謝しかございません。愚かな私をこれまで導いていただき、重用していただきました。恩知らずにも道を違えることをお許しください」

 

 心中で何度も「違うのだ!」と叫ぶも、レメディオスは表情で無念を伝えることすら許されていない。忠誠を誓う相手を捨て去り、厚顔にも先日殺そうとした男に仕えることを求められていた。

 それを表明するこの儀式はレメディオスの精神をガリガリと削っていたが、圧倒的な恐怖が止めることを許してくれない。

 

 友情と忠誠と信仰……レメディオスを作り上げていたものが目の前で刻一刻と瓦解していく。

 

 いや、自らの手で壊すことを求められているのだ。

 恥知らずにも生きることに執着し、信仰や正義など「クソ喰らえ」と思っている。

 それすら本心なのか、それともゼブルに埋め込まれた何かにそうも思わされているのか……もはやレメディオスには判らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 魔導国一党の末席に加わり、新たな剣と甲冑をゼブルより下賜された。

 純白に輝くフルプレートと丸盾に透明な刀身が際立って美しい片手剣だ。

 純白のマントに白銀と黒のサーコートも下賜された。

 両手には10個の指輪。

 アンクレットにブレスレットにネックレスと盛大に着飾ったお登りさんのような気分だ。

 全てがサファルリシアを軽く凌駕した神域のアイテムだった。

 身に纏っただけで強くなったような気にさせられる。

 

 少なくとも新しい主人は吝嗇ではないらしい。

 ひとでなしの悪党ではあるが、気前はすこぶる良かった。

 

「ありがとうございます、ゼブル様」

「あー、そうだな……お前は様付けのままでいーや……なんとなくお互いに仲良くなるのに時間が必要な気がするし」

 

 深く頭を下げたレメディオスにゼブルはそう言った。

 

 全くその通りだ。

 仲良くなる必要などない。

 その気もない。

 おそらく永遠にそんな瞬間は訪れない。

 

「まっ、気長にやろう……仲良くする必要はないが、お前は俺に従う必要がある。お前は魔導国の国民であり、俺の配下だ……で、ある以上、お前にはそれなり以上に強くなってもらう。とりあえず制限のない装備は見繕った。魔導国に戻ったら、魔導王陛下に頼んで育成するぞ。成長すれば刃向かうことは可能になるが、脳味噌の中は鍛えられないからな……支配は無理でも殺すことは可能だ」

「……よく理解しています、ゼブル様」

「ならば、よろしい」

 

 ゼブルは興味なさげに肉に食い付き、酒を飲み始めた。

 

「失礼します、ゼブル様……退出の許可を」

「ああ、退出して、良し」

 

 レメディオスは深く一礼し、そのまま魔導国の控室から退出した。

 ゼブルの側にいても針の筵であり、それ以外の大砦内部は生き地獄だ。

 だが、それでも自由に動ける分、ゼブルの側から離れたかった。

 脳内から監視されているが、余計な事を言わなければ問題はない。

 

 快適さよりも頑丈さだけを追求した石造の通路を進む。

 ごく稀にすれ違う兵士達の視線が痛い。

 最初は素晴らしい装備に目を奪われ、直後異常者を見る目に変わる。

 そうでない者も聖王女を売って、神の座す魔導国に取り入った不忠者と認識しているらしく、極めて不愉快な表情を向けた。

 彼等の立場からすると自分達も神の下で、神の御使と肩を並べて戦いたいのに、神に刃を向け、聖王女陛下を売ったレメディオスだけがゼブルの従うことが許された結果が承伏し難いらしい。彼等はオルランドを先見の明があると思っているが、レメディオスは犬の糞以下と思っているのだった。

 

 すれ違った後、唾を吐き捨てられることもしばしば。

 

 気にし過ぎかもしれないが、どうしてもこれまでの自身の言動がブーメランとなって精神を抉る。これまで蔑み、毛嫌いしていたオルランドの仲間となったのだ。単純に目的の為に聖王国を裏切ったオルランドよりも、さらに下衆な選択をした結果である。しかもオルランドは恩人であり、頭が上がらない。

 

「違う……と言うだけ無駄か……」

 

 レメディオスは肩を落とし、高楼へと急いだ。

 一歩一歩階段を踏み締める。

 力が戻りつつある足取りは軽いが、気は晴れない。

 それは陽光の下に出でも変わらなかった。

 

 自由なのだ……全てを捨ててまで取り戻した自由だ。

 

 眼下に広がる空っぽの戦場……既に亜人の軍勢は戦場を移動し、大砦周辺には小集団による攻勢が散発的に見掛けられるだけになっていた。

 

 魔導国の援軍は自身を加えて総勢5名……それに戦闘訓練用の亜人が1名。

 

 明日の朝にはこちらも戦場を移動すると聞かされていた。

 既に大砦の聖王国軍の半数以上は南方に移動を開始している。大砦の残るのは元々常駐している守備隊のみで、自分達は北方に移動するらしい。

 帰還は集団転移魔法で一瞬……そう説明されていた。

 そんな安易な方法があるのならば、一刻も早く戦場を北に移すべきではないのか?……発言することを許可され、意見してみたが、オルランドを除く3人には沈黙と笑いで返された。

 

 嫌な沈黙を破ったのは主人であるゼブル。

 

「お前も魔導国の同胞となったのだから話しておこう。そうだな……魔導国は聖王国ではない……我々は聖王国の傭兵ではない。だから軍の指揮下には入っていないのだ。つまり聖王国に味方するが、それは良いように使われることを意味するものではない。我々には我々の目的があり、それを達成する為に動いている。その一環として聖王国を助けることを決めただけだ。そもそもこの程度の亜人の軍勢など一ヶ所に集めてしまえば我々だけで即座に殲滅可能だ。既にお前の妹とは落とし所は大筋合意済みだ。カルカ・ベサーレスの身柄まで手に入ったのは想定以上の成果だが……」

 

 理解の及ばない話になった。

 しかもケラルトと合意は成っていると言う。

 それでもカルカの動向は想定外だったらしいが……それについては全てレメディオスの責任なのだろう。

 それ以外については頭痛がする。

 理解以前の問題だ……何故、ケラルトが?

 そして……

 

「……魔導国の目的とは?」

 

 なんとか捻り出した最大の疑問に、僅かな沈黙の後、ゼブルは躊躇なく答えた。

 

「まっ、良いだろう……他者に漏らせばお前は話そうとした瞬間に死ぬよりも恐ろしい状況に逆戻りなのだから、話してやろう……魔導国によるアベリオン丘陵の領有だ。当然、亜人達は我が国民となる。その承認を聖王国と王国に依頼することになる。既に王国は籠絡済み……連中が魔導国の意向に反するようなことはない。そして聖王国とも大筋合意済みとなった。後は法国とエイヴァーシャー大森林のエルフの王国を黙らせる。2ヵ国間で戦争中であり中々工作は難しい状況だ。どちらか一方に肩入れすれば、もう一方は承認を拒むだろうからな。それでも周辺3ヶ国による合意は外交的なメッセージとして大きな効果を発揮するだろう。どちらか一方でもすり寄ってくれば、我々としては非常にやり易い状況が生まれるわけだ」

「何故、妹が……?」

 

 あまりにバカげた話だ。妹は魔導国にアベリオン丘陵をくれてやる為に多くの聖王国兵を死地に向かわせ、実際に死ぬことも黙認したということだ。

 

「……解らないのか?」

「解るはずもない!」

「お前の妹は聖王国の未来を買ったんだ。魔導国のアベリオン丘陵領有を承認する代償として、未来永劫管理させ、魔導国と不可侵条約を締結する。あるいは我々が主導する同盟に加わり、安心と安全を得るつもりなのだ。この亜人対策の要塞線を維持する費用と国民皆兵制のせいで聖王国が周辺国に比して発展しないのは明白だからな……まっ、偶然の産物かもしれないが、縋り付く相手として我々魔導国を選択したのは賢明だよ」

「そんなことの為に多くの兵が死んだのか……?」

「国家の存亡が、そんなこと?……お前はその国を守る為に命を賭して働いていたのだろう?」

 

 言いたいことは解るが、簡単に納得できるものではない。

 多くの戦友が死んだのだ。

 犠牲者を生む前に……どうにかできなかったのか?

 

「違う道は無かったのか?……犠牲者達に何と言えば……」

「ハッキリ言って……無い。聖王国単独ではアベリオン丘陵を統治できない。できない以上、亜人が組織化した軍勢に勝てるわけがない。お前は結果論で簡単に語るが、犠牲が出る前に魔導国が救援に来ることを望んだか?……そうではないだろう。現に俺を排除しようとしたからな」

「それは……そうかもしれない」

 

 嫌なことを言う……だが正論というやつなのだろう。反論ができなかった。

 

 ふぅ、と息を吐く。

 多くの戦友が散華したのっぺりとした地形を眺める。

 そのまま背を向けて、欄干を背もたれに座り込んだ。

 

 戦友達を裏切った自分が憂いを感じて良いのだろうか?

 妹は兵でも国民でも親友である君主でもなく、聖王国という国家の未来を選択した。

 親友は自身を未来を捨てることで、レメディオスの命を救った。

 自分は全てを捨てて、地獄から逃げた。

 悪と取引し、僅かばかりの身体の自由を手に入れた。

 

 涙が頬を伝う。

 

 吹き抜ける風が慟哭を掻き消した。

 




お読みいただきありがとうございます。


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45話 弱者の闘争

 

 メッセージに即座に反応があった。

 どうやらアインズさんは元気で、暇を持て余しているらしい。

 

「どうですか、そっちは?」

「今のところ極めて順調ですね……想定以上の成果ですよ」

「なんでも聖王女が賓客としてカルネに来るんですって?」

「なんか、話の成り行きで……そんな結果になりました。まっ、為政者としては聖王女陛下よりも天才姉妹の妹の方がはるかに重要なんで、そこはキッチリ囲い込んでますからね。実質的には属国……まぁ、表向きは同盟国ってことで落ち着きそうですね」

「いいなぁ……俺もそっちに行けば良かったかな?」

「いやいや、絶対支配者がそうそう他国に出向いちゃダメでしょ……アベリオン丘陵一帯を手に入れて、完全に支配下に置くまで待って下さい。あっ、そういえばこの前話した変な戦士以外に女の聖騎士を手に入れましたよ。元聖騎士団団長で、天才姉妹の姉です」

「聖騎士ですか……なかなか俺と相性の悪そうな人材じゃないですか?」

「多分、アインズさんの言う通り相性悪いでしょうね。俺とも悪いし」

 

 小さく笑うと、アインズさんも笑った。

 

「あー、それにしても、実際にやってみると王ってつまんない役回りですね……最後方で、でーんと構えて、良きにはからえなんて……俺もゼブルさんみたいにフットワーク軽く各国を回りたいですよ」

「でも、アインズさんがそうやってくれているから、配下は色々とやれるわけなんですよ。俺にしても、デミウルゴスにしても、アルベドにしても」

「そうは言いますけどね……まあ、たしかにゼブルさんの言う通りなんでしょうけど……やっぱり留守居役は暇を持て余しますよ……せっかく育て上げたティーヌが無双するところとか見たかったなぁ……ゲーム上じゃなく、マジモンのリアル無双ですよ。なんかワクワクしちゃうじゃないですか?」

「そりゃ、そーですけど……てゆーか、俺もナザリックに突っ込んだ時にPOPモンスター相手ですけど、全力力技無双やりましたけどね。それに竜王国でも……」

「あっ、それ、どっちも見てないんですよ……ナザリックの時は帝都にいたんです。まあ、俺も法国の『陽光聖典』相手に無双らしきことはやったんですけど、自分でやると第三者的な視点で見れないじゃないですか?」

「まっ、後で映像データを送りますから、それで確認してくださいよ」

「いや、そうじゃないんだよなぁ……やっぱ無双は生観戦でしょ」

「いや、スポーツじゃないんですから」

 

 それから与太話を散々やり取りした後、唐突にアインズさんが言った。

 

「……でも、なんでゼブルさんは外交っていうか、国に限らず他人の心の動きとかを読めるんですか?」

「読んでるわけではないですよ。超能力者じゃないんですから……まっ、リアルの経験が多少は活きている程度だと思います」

「えっ?……でも社内でもほとんど人がいない部署の内勤でしたよね?」

「人がいない部署じゃなくて、俺だけの為に作られた部署ですよ。今時、数理なんてAI任せで、再チェックや基礎設計までAI任せですよ。人間の平社員ごときがしゃしゃり出る幕はありません。だから俺の上は担当役員しかいませんでした。しかも数理畑の人間じゃなく、総務担当です……看板は数理でも実態はありませんからね。実態の方は専門会社に外注していましたし……俺の役目はせいぜい窓口です。じゃ、なんでそんな無駄な部署を作ったのかと言えば、会社として俺の親に取り入る為です。だから俺を溺愛していた母親が出した条件に会社が無理矢理合致させて、作り上げた部署なんです。当然、俺は社内じゃ腫れ物です。同僚なんて見たこともないし、上司も担当役員のみで……まあ、毎日毎日出勤して、退勤することだけが俺の仕事です。中身のある仕事なんてしたことはないですね……でも、そんなお荷物でも面会希望者のアポイントだけは社の内外問わずに山のようにありました。他にやることもないので、体調が悪くない限り会いました。表向きは違う名目でも多かれ少なかれ父親に対しての陳情やら、一族の関連会社とかに対する紹介希望とか……まあ、裏の事情が透けて見えるような内容の話ばかりで……最初は辟易していましたけど、それでもやる以上は楽しもうって考えて……俺がいた会社の利益に繋がるのであれば一枚噛ませたり、会社が関係ないような話であれば一族の誰に話を繋げるのが最良なのかを考えたり……要するにゲーム感覚です。リアルじゃ、そんな事ばかりやっていましたからね。それで面会者が喜んでくれるななら、やった甲斐はあるかと」

「……なんだか難しそうですね」

「そんなことはありませんよ。ただ他人の話から脚色を排除して、シンプルに受け止めていただけです。面会自体は多いと言っても1日に2、3件が体力的に限界でしたし」

 

 そういう意味では父も母も大叔父に当たる社長もなんで俺の顔を売ろうなんて考えたのか、今考えても不思議だ。実家の後継者には兄がいるし、兄にもしものことがあっても、予備として姉か姉の旦那がいる。

 俺に未来があったとも思えないし……まあ、ちょっとした切っ掛けでいつ死んでも不思議ではなかった。

 おそらく現在のリアルでは俺は死んだことになっているのかもしれないけど……あるいは意識不明で管に繋がれているのかも?

 でも誰も違和感は感じていないだろうなぁ……

 母親がほとんど部屋に常駐状態だったとはいえ、就職を契機に一人暮らしが許されたのも不思議といえば不思議だ。

 

「……だから利害関係の調整なんて、俺よりも若いはずなのに理解できちゃうんですね?」

「そんな大袈裟なものじゃないですよ。世の中、全てがバーターって理解しているだけです。たとえ何もしなくてもそこに入り込む隙はいくらでもありますから……転移で得た力を使えば、お気楽なもんです」

「こっちに戻ってきたら、コツを教えて下さいよ……魔導国内の裁判とかで凄く役立ちそうじゃないですか?」

「コツ、ですか?……そんなものはありませんよ。でも、まあ、一緒にエルダー・リッチ達じゃ解決できなかった裁判の仲裁でもしてみましょうか?」

「そうですね。お願いします。なんかカッコいいじゃないですか……大昔のテレビ番組の勧善懲悪裁判劇みたいで……ちょっとライブラリーで見て、ロールプレイの練習でもしようかな?」

「あっ、良いですね……『静粛に!』とか言っちゃうやつでしょ?」

「違います……俺のイメージでは『このモンドコロが目に入らぬか!』って言ったら、全員が『ハハッー』って平伏すヤツです」

「それって、裁判ですか?」

「よく知らないですね……でも江戸時代の刺青の裁判官が身分を隠して、市民として市井の悪の証拠を掴むヤツだったような?」

「モンドコロって何ですか?」

「さすがに江戸なんて大昔の細かい知識はありませんよ。でも大筋そんな感じだったような気がします」

「まー、そうですね。リアルのAI裁判じゃドラマになりませんからね……法廷劇も証拠集めまでが山場ですから……一審制で確定判決までどんなに長くても1時間程度じゃ、ドラマにならないもんなぁ……大昔はカッコいいポーズ決める裁判官とかいたんでしょうねぇ」

「「楽しみですねぇ」」

 

 気分は裁判官……俺は法衣に木槌で、アインズさんは和装にモンドコロのイメージらしい。裁判官なんて絶滅して久しい過去の職業のイメージは様々だ。

 久々のアインズさんとの長話はこの後も弾んだ。

 

 目的まではあと少し。

 

 もうすぐ帰国が見えていたので気が抜けていたのかもしれない。

 

 俺達が魔導国の土を踏むのはまだまだ先だった。

 

 

 

 

 

 

 

 最初に違和感を感じたのは亜人軍の一部が他と連携しなくなったように見えたからだ。

 次に違和感を感じたのは視線だ……誰かがこちらを見ているような気がして仕方ない。しかも攻性防壁が機能しない以上、純粋に光学的な監視だ。ただ遠くから俺達を観察しているように感じていた。眷属の警戒網を掻い潜ってとなると、かなりの手練れで間違いない。ざっくり2キロメートル以内ならば必ず警戒網に引っ掛かるはずなのだが……現地勢ならば相当な高レベルが想定されるし、未知のプレイヤーならばこちらが行動に気を配る必要がある。

 そして決定的なのは目の前にいるこいつらだ。

 アインズさんに王国から魔導国に鞍替えしたと聞いたアダマンタイト級冒険者チーム『青の薔薇』の面々が、どういうわけか聖王国くんだりまで遠征してきていた。顔見知りであり、人柄的に嫌いなわけではないが、どうしても煩わしい連中なのだ。なにかと無闇に突っ掛かってくるし……

 

 目の前で青薔薇の双子とレメディオスとオルランドの配下の聖王国コンビが睨み合っていた。ティーヌはガガーランを揶揄い、イビルアイとジットは無表情と仮面で見つめ合っている。

 そして俺の正面で笑っているのか怒っているのか判然としない笑顔で重度の厨二病患者が佇んでいた。

 

「……んで、どうしてここにいるんですかね、ラキュースさん?」

「魔導国から、ある依頼を受けたのです……簡単な内容の依頼ですけど、アダマンタイト級であり人間であることが必須であり、政治的に失敗は絶対に許されない案件……貴方達も『漆黒』も出払っているので、条件を満たしているチームは私達だけ……半ば魔導王陛下に強引に引き受けさせられた、とでも言った方が正しいと思うわ……副王様」

 

 青薔薇の中では比較的俺に好意的だと思っていたラキュースさんが珍しく瞳の奥に怒りを隠さすに見せつけていた。

 

「……なんで怒っているんですかね?」

「怒る?……そんな表現じゃ生易しいと思うんですけど……貴方は自分が何をやったか、理解しているんですかっ!」

 

 ???……マジで解らない。

 

「えーっと、俺、何かしちゃいましたかね?」

「本当に自覚が無いんですか?」

 

 緑の瞳で怒りの炎が揺らいだ。

 そして大きく息を吐く。

 怒りが失せ、呆れ顔のラキュースさんが目の前にいた。

 

「……まったく、鋭いのか鈍いのか……本当に困った人ですね」 

「説明してもらえるとありがたいんですけど……マジで解りません」

「聖王女カルカ・ベサーレス……私達は彼女の移送の先導役として、ここに派遣されました……それで解りませんか?」

「解りませんね……何か拙いことでも?」

 

 マジで理解できない……先方が申し出たことをそのまま承認した。

 俺がやったのはそれだけだ。

 聖王国人ならばともかく、王国貴族のラキュースさんが怒る理由は全く思い当たらない。まして冒険者としては魔導国に移籍したのだ。

 どんな問題があるのか……?

 

「逆に聞きますけど、拙くないことがあるとでも?」

「ビタイチ思い当たらないんですけど……」

 

 ラキュースさんの呆れ顔がさらに一段ランクアップした。

 なんか失望されているような気がするのは気のせいか?

 

「こうなった経緯は知りませんけど、いったいどんな交渉でそんな結果に至ったんですか?……第三者からどうな風に見られると思っているんですか!」

「どんな風にって……」

 

 視線を巡らす。

 そこに良い人材がいた!

 

「おーい、レメディオス」

 

 双子の相手をオルランドに押し付けて、レメディオスが颯爽と馳せ参じた。

 

「お呼びでしょうか、ゼブル様」

 

 聖騎士と武装神官が対峙していた。

 2人とも凛とした美女……絵面としては様になっている。

 

「こちら有名なアダマンタイト級冒険者チーム『青の薔薇』のリーダーであるラキュースさんだ。このレメディオス・カストディオは元聖王国聖騎士団団長で、現在は俺に仕えている……で、ラキュースさんに聖王女陛下が魔導国に賓客として迎えられる切っ掛けとなった出来事を、当事者であるお前の口から語ってやってくれ」

 

 一瞬だけレメディオスは泣き出しそうに顔を歪めたが、俺の命令に逆らうことはできない。

 やがて意を決したのか……レメディオスは大きく息を吸うと、淡々と事実だけを語り始めた。もちろん口外することを許されない部分は削除して。

 

 ラキュースさんはレメディオスに呆れ顔を向け、その後俺には盛大に大きな溜息をぶつけた。

 

「2人ともどうかしているわ……やったことも信じられないし、それをこんな形で許すのもどうかと思う。そして……」

「そして?」

「それをレメディオスさん自身に語らせるなんて、最低最悪だと思います!」

 

 ええーっ!……じゃ、どうすりゃ良いのよ、俺?

 

 気付けば、ラキュースさんが自分よりもデカいレメディオスの肩を抱いていた。さらには双子もガガーランも俺に呆れるような視線を向けている。

 ジットとオルランドはそっぽを向き、ティーヌはニヤニヤ笑っていた。

 こうなると仮面のイビルアイはありがたい。

 仮面の裏はともかく、嫌な視線は感じなくて済む……と思っていた俺は人生経験の少なさを痛感していた。

 

 うん……アインズさんに偉そうなことを言っている場合じゃないね。

 利害を無視した話はからっきしだ、俺。

 

「……謝れ、ゼブル……この場ではそれが正解だ」

 

 何に謝るのよ!

 教えて、イビルアイ!?

 

「このままでは奇跡的に良好さを保っていたリーダーのお前に対する好感度が駄々下がりだぞ」

 

 沈黙すること約10秒……俺は転移して以来初めて単純に謝罪した。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 何故、剣を選んだのか?

 答えは簡単だ……そう強制させられたからだ。

 それ以外に選択肢は無かった。

 そうしなければ殺されていた。

 その結果、そこそこの力と地位を手に入れた。

 

 あのまま虚な弁舌で身を立てようとしても、今となっては不可能だったことは理解している。人に誇れるような学も無く、人心を掌握できるような話術でもない。それこそ大した身分でも無く、格差を乗り越えるような意志すら持っていなかった。誠心誠意向き合うどころか、身を立てる為の努力すらしていなかった。怠るどころでなく、純粋に「していなかった」のだ。

 要するに下の者を見下して、悦に浸っていただけのゴミ屑だ。

 下と思い込んでいた者に実力者がいれば怯む。

 実力で脅されれば簡単に折れる。

 エドストレーム然り、ティーヌ然り、魔導国のアンデッド衛兵然りだ。

 

 恐怖が労苦を乗り越えさせてくれた。

 他者の気持ちを知ることの重要さを学び、現在の地位を得た。

 あくまで結果的にではあるが、思えばあのバケモノ女は恩人だ。決して面と向き合って感謝の言葉を述べたいわけでないが……

 

 そのバケモノ女が目の前でニヤニヤと笑っていた。

 

 どうして?

 

 単純な疑問が頭を駆け巡っている。

 身分を偽り、部下と共に聖王国に入国し、激戦地に向かったはずだった。

 亜人に恨みを抱く王国出身の傭兵団……そんな設定だ。

 団長役は年嵩の信仰系魔法詠唱者だ。

 フィリップは傭兵団に2人しかいない前衛職……そういう役回りだった。

 聖王国としても魔法詠唱者9名中、第三位階に到達している者が8名も在籍している戦力は重要なはずだ。だから背後関係の確認もそこそこに高額報酬で即座に雇い入れ、こちらの希望通り最激戦区に案内してくれたのだ。

 そこに魔導国からの援軍がいると聞き及び、その中に魔導国副王が存在していると知った。聖王国軍の内部で「神の御使を従える、真の神である」とほぼ全ての者が信じているような状況でもあった。

 

 ……何をバカな……

 

 噂や虚言の類だと思いつつも魔導国の援軍と呼ばれる者達の信じられないような戦果を聞くに至り、傭兵団として面会を申し込んだ。

 フィリップの知らない成長に関する秘密を知っている可能性も考えたのだ。自分自身の成長が頭打ちである自覚を感じつつあったのも、フィリップに素早い行動を促した。

 

 トントン拍子にことが運び、魔導国の一党が控室として与えられているという砦の一室に招かれた。木製の扉からしてフィリップ達の与えられた部屋の簡素なものと違う。階層も高層にあり、広さも、快適さも段違いであった。

 

 ……なんだ、この差は?

 

 イラ立ちつつも異様に目付きの悪い従者の娘に面会の約束を伝える。

 すんなりと通された先で、魔人が笑っていた。

 魔導国副王の腰掛ける立派な椅子の右手に、神の御手で作成されたものと説明されても疑問を抱く余地すらない白銀の鎧姿でティーヌが立っていた。

 視線が絡み合ったのは一瞬。

 だが見間違えるはずもなかった。

 

 即座に顔を伏せた。

 嫌な汗が背筋を伝う。

 団長役の魔法詠唱者と、男なのに異様な美貌を誇る副王が会話していたが、もはや内容は耳を素通りしていた。

 緊張で頭が混乱していた。

 どんなに願っても時間が進まない。

 和やかな雰囲気の中で、フィリップだけが汗塗れになっていた。

 磨き上げられた床に汗粒が落ちた。

 顔を伏せたまま汗を拭うも、その動作すら恐ろしくて堪らない。

 

 現実逃避の時間は果てしなく続く。

 そもそもどうしてティーヌがここにいる?

 その答えは極めてシンプルなのだろう。

 副王の横に侍っていることを考えれば、あの女はシュグネウスの一党ではなく魔導国の手の者なのだ。

 道理でスポンサーであるシュグネウスの発言権が弱かったわけだ。

 妙に納得させられてしまう。

 そして……それは即ち敵であることを示していた。

 いや、フィリップが生涯を費やして打倒すべきと考えてる者達の一部だ。

 第一にバハルス帝国皇帝……これは揺るがない。

 第二にアベリオン丘陵で39名の部下を殺したヤルダバオト。

 第三にヤルダバオトが「さる御方」と呼んだ上位者。

 そしてカッツェ平野で帝国に与した勢力……魔導国に竜王国に南方のビーストマン国家……それらに連なる者達。

 

 その中に自身を育て上げた笑う魔人がいる。

 皇帝ジルクニフやヤルダバオトに比べれば優先順位は低いとはいえ、敵性勢力の一員なのは間違いない。

 フィリップははるかな高みから見下す者を打倒しなければならなかった。

 相手が衰えるのを待つか、自身が高みに登るか……単なる人間でしかないフィリップの時間は限られている。そうでなくとも他に優先すべき敵は多く存在していた。つまり何もせずにティーヌが衰えるのを待つ選択肢は無い。強くなって無駄になることなどない。

 

 ……私は強くならなければならない。その為には遠回りなどしている時間は無い。どんなことでもやってやる。たとえ敵の靴を舐めるようなことになっても、私は強くなる。

 

 決意を固める。

 スーッと汗が引き、呼吸が落ち着いた。

 顔を上げると依然として魔人は笑っていた。

 

 再度視線が絡み合う。

 

 僅かに口角を上げた魔人に、軽く黙礼を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 魔人は「神の御使」と崇められ、周囲から敬意を集めていた。

 そして「神の御使」を従える男は「神」と崇められているようだった。

 同じ援軍でも扱いには天地の差があった。

 まるで祭りだ。

 たった5人の援軍でありながら、聖王国軍の全兵士達の信頼を得ているらしい。彼等が歩けば敬礼だけでは済まず、祈りを捧げる者も多かった。

 

 人垣の中を当然であるかのように副王が歩いていた。控室の前に積み上げられた花々の中から気まぐれに手に取った青い花が一輪……香りを嗅ぐ姿が見事に様になっていた。

 深く礼をする団長役の頭越しに副王は何故かフィリップに微笑んだ。 

 その向こうでティーヌが笑う。

 背筋が凍り付く。

 さらに目付きも悪く、顔色もドス黒い法服姿が一瞥した。

 単純に恐ろしい。

 つぶらな瞳が浮いている筋肉ダルマに、いかにもな女聖騎士が続いた。

 そして犯罪者のような目付きの従者の娘が続く。

 極めつけは殿を進む凶悪を絵に描いたような猿の亜人。

 近くを通るだけでも恐ろしい。

 だが聖王国軍は諸手で彼等を賛美し、祈りを捧げている。

 

 魔導国の一党は無人の野を進むがごとく、亜人の軍勢に向かう。

 特に何かをするわけでもなく、ただ進む。

 それだけで亜人達の混乱し、進む先では次々と潰走が始まる。

 亜人達は抑えきれない恐怖で戦意を維持できなくなっているのか?

 そこに砦からの矢の掃射が襲い掛かり、その被害はバカにならないものになっていた。恐慌状態に陥った一部の亜人が城壁に取り付くも、煮えた油を浴びせられ、絶叫を響かせながら地に落ちていった。

 

 魔導国の一党が作り上げた混乱の中、フィリップ達は聖王国軍と共に前進していた。

 

 ただ進むだけで総崩れ……たしかに「神の一党」と呼びたくもなるな。

 

「神が作ってくださった機会を無駄にするな!」

 

 聖王国軍の発する号令に従い、フィリップはたった一人の前衛職の部下を引き連れ、亜人軍に突撃した。

 2人とも魔法で強化されている。王都で手に入る最上級の魔法の武具で身を固め、後方には信頼できる信仰系魔法詠唱者が控えている。万全の体制だ。

 

「とにかく狩れるだけ狩れ、良いな!」

 

 部下は頷き、目の前のゴブリンの首を刎ね、そのままオーガの振った棍棒を掻い潜り、その腹を抉った。

 フィリップは抜け目なく即死しなかったオーガの首を左腕と肩ごと斬り飛ばす。そのまま乱戦に突入し、落下の力を利用しながらゴブリンを両断した。

 逃げ遅れたゴブリンとオーガを狩れるだけ狩り、そのままチラリと魔導国一党の進む先を確認し、進路を馬の脚を持つ亜人の方へと切り替えた。

 

 聖王国人達が「ホールナー」と呼ぶ亜人の部隊は弓と矢筒を背負い、手には短槍を持っていた。まるで馬の無い騎兵隊だ。

 一撃離脱を信条としているのか、彼等の部隊は凄まじい速度で魔導国一党に襲い掛かるも、接触直前に一転して悲鳴を上げ、大慌てで逃げ出そうとする者が続出し、副王の周囲は大混乱となった。

 副王は青い花を持ったまま、ただ歩き続けているだけだった。

 

「かかれ!」

 

 聖王国軍が突撃する中、フィリップも部下を引き連れ、突撃に加わる。

 とにかく脚を斬り付け、移動力を封じ、次々とトドメを刺す。

 部下もフィリップに倣う。

 やがてフィリップのやり方に学んだ聖王国軍も同じような行動に出た。無闇にトドメを刺そうとするのでなく、まず驚異的な移動力を封じた。

 ホールナーの部隊も全体の3分の1を失うと、次々と潰走を始めた。さすがに脚力を残したホールナーには追いつかない。城壁からの矢の援護の外に出ると、彼等は体勢を立て直すこともせず、後方に退がっていった。

 

 魔導国一党の進路ではとにかく亜人は混乱する。

 この事実に気付いたフィリップはとにかく彼等の後を追った。

 豚の頭を持った亜人。

 刃を生やした蟲の亜人。

 ウナギと蛆の間の子のような亜人。

 ネズミの亜人。

 蛇の亜人。

 次々と亜人部隊を撃破する。

 連戦の割にリスクは低い。

 なにしろ敵が最初から混乱しているのだ。

 

「なるほど……奴が神と呼ばれるわけだ」

 

 フィリップは納得しつつも、利用できるのであれば全てをしゃぶり尽くすつもりだった。いずれ打倒すべき敵ではあるが、あの男が敵となることを考えてもなお、やはり今は力を得る為に利用すべきなのだ。皆目見当のつかない正体不明の技ではあるが、副王ゼブルは確実に敵を混乱させる術を持っている……これが成長の秘術かもしれない。フィリップはそう当たりをつけ、丹念に観察したものの、技の正体の一端すら掴めなかった。

 

「秘密を探る為にもっと懇意にすべきか……あの女は厄介だが、副王の技は素晴らしいの一言だ」

 

 興奮状態の部下が蛇の亜人の首を刎ねる様を眺めながら、フィリップは脳髄が冷えていくのを感じていた。表層は殺戮と血臭に興奮しているが、頭の芯は極めて沈着に次の行動を考えていた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

「……アレか?」

 

 奇妙な一団を発見した。

 そして観察を続ける内に彼等を中心に事態が推移していることを知った。

 指輪の能力を駆使して観察を続けたが、奴等が何をしているのか見当がつかない。

 何故、接近した部隊が攻撃を加える前に総崩れになるのか?

 崩れるだけなく、唐突に潰走し始め、突撃する後続と衝突し、混乱に拍車が掛かっていた。

 誰一人まともに攻撃を加えられない。

 いずれにしても固有の技なのだろうが、初見の武技か、あるいは魔法か?……それすらも判別できなかった。

 

 ……問題は俺に通用するか、だな?

 

 人間の間では名のある戦士を幾人も屠ってきたが、あんな技は見たことがない。当然、受けたこともない。

 

 ただ歩いているだけ……それで、どうして、あの結果に至るのか?

 

 その原理なり理由なりの一端でも掴めれば、仕掛ける価値も生じようが、現状ではただ危険なだけだ。

 観察を続けても疑問は解消せず、膨らむばかり。

 当然の帰結として、ある疑問に至る。

 周囲を固める5人というか、バケモノのような形のストーンイーターの問題児も含めて6人には影響が無いのか?

 

 おそらく影響は受けないのだ。

 あの奇妙な技の影響を排除できる秘密があるのだ。

 だとすればストーンイーターから秘密を聞き出せるかもしれない。

 数日前にヤルダバオトが「牧場」から送り出したのは知っていたが、何の因果か人間側で戦っているらしい。ヤルダバオトに命じられたのか、それともあの一党に敗北して従ったのか……いずれにしてもストーンイーターはあの技の間近で影響を受けていないように見えた。

 

 あれは……「白老」でも手を焼く問題児……名はデンガロだったか?

 

 いかに他種族とはいえ、あれだけの目立つ形ならば記憶に残っている。王を目指すのは良いが頭が壊滅的に弱い。その上で力だけならば「白老」よりも強い。もう少しでも知恵が回れば「白老」が後見に回って、奴が王となることも可能だったかもしれないが……着いて行く同胞がいないのでは、どれだけ強くても王を目指すのは無駄というものだった。

 

「しかし取り込むなら奴だ……ヤルダバオトの特命でも受けていない限り、問題無かろう」

 

 バザーが「牧場」を出るに際して、ヤルダバオトには特段何も言われていない……注文も制約も無い、と考えて間違いないだろう。あのヤルダバオトが意味もなく「牧場」から出ることを許すわけもないが、特に指示がない以上、現時点では「自由にして良い」と同義だ。

 

 風に銀色の体毛を靡かせていたバザーは大岩を降り、陰に身を隠した。

 眼前で直衛のバフォルクが10名、バザーの指示を待ち構えている。

 

 気まぐれからか……いや、ヤルダバオトに限って気まぐれなどということは考えられないが……唐突にヤルダバオトから得たチャンスは十二分に活かすべきだった。バザーは「牧場」外に出た瞬間、即座に配下をまとめ直し、バフォルクだけを規定路線から逸脱させた。選りすぐりで直衛100名を選出し、それ以外は元に戻したが、別途全隊に情報収集するよう密命も下した。

 

 その結果、辿り着いたのがあの奇妙な技を使う男の一党だった。

 

 そして……あの女戦士……殺り合いたい……この手で殺したい。

 

 ゾクゾクする。

 むしろ当初の目的はあの女戦士だった。

 そこから奇妙な技の男に辿り着いた。

 女戦士はどう見ても技の男の側近だった。

 つまりあの男の方が強い……あくまでバフォルクの感覚であれば、だが。

 人間は上に立つ者が強いとは限らない。

 だがあの男には奇妙な違和感を感じる。

 動きはお粗末……少なくとも戦士ではない。

 佇まいは明らかに強者。

 ……魔法詠唱者なのだろうか?

 しかし少なくとも観察を続ける中で魔法を行使したことは無い。

 戦争中だろうに……どういうことなのか?

 

 顔を上げれば、部下達が指示を待って傅いていた。

 

「……そうだな、考えるのは何時でもできる……貴様ら、あのデンガロとか言う大猿だけをなんとか誘導して俺の前に連れて来い!……どんな手段……いや、彼奴は阿呆だ。直接交戦して負けの演技でもして見せろ。そうすれば阿呆は追撃しようとするだろう」

 

 命令を下した途端、配下達は駆け出した。

 

 強いとはいえ、あの大猿は阿呆だ……力は互角以上でも簡単にハメられる。

 「白老」の仕掛けた同じ罠に何度もハマり続けたような阿呆なのだ。

 劣勢を演出すれば、簡単に調子に乗る。乗せ過ぎると力そのものは極めて強力なだけに厄介だが、そこで生じる隙を突けば簡単に優勢を作り上げられる。一度優位を作っても逆転させないのも至難の業だが、そこは愚か者だけあって、事前のルールで丸め込めたりする。しかも何度繰り返してもその事実に辿り着かないのだから……ハメる方としてはお気楽なものだ。「白老」自身の力が衰えるまで地位は安泰だろう。

 「牧場」ではバザーの目の前で何度も「白老」と殺り合っていた。

 単純な力では「白老」を圧倒していたこともよく知っている。

 バザーならば倒し切るのは不可能でも互角に凌ぐ程度には戦えると確信がある。通常であればストーンイーターの奥の手である「石吐き」には絶対に油断できない。だがデンガロの場合は「石吐き」以上に通常の打撃が強烈なので、むしろ「石吐き」のタイミングは絶好の狙い目だ。

 それをよく知る「白老」のハメ手の正体でもある。デンガロは「石吐き」の為の「溜め」が「白老」に狙われていることに全く気付いていないのだ。デンガロからすれば種族固有の最強技である「石吐き」でトドメを刺すことに意義を覚えているのかもしれないが……

 

 対処法は把握している。

 

 残された問題は部下があの男の技を掻い潜れるか……その一点だ。

 

 バザーは再び岩の上に立った。

 

 

 

 

 

 

 

 槍を持ったバフォルク達が唐突に岩陰から現れた。

 おそらく待ち伏せなのだろう。

 しかし強襲するわけでもなく、彼等は一定の距離を保ち、魔道国一党の前で挑発を繰り返していた。口々に「猿!」とストーンイーターを揶揄する言葉を発していることから狙いは明白だ。

 この広い戦場で唯一聖王国側で戦っている亜人が許せないのか?

 いや、違う……それにしては行動が執拗過ぎるし、リスクに対してリターンが見合わな過ぎる。

 バフォルク達も彼等が待ち伏せした敵が戦場で最も危険であることを承知しているはずなのだ。その危険を犯してまでもストーンイーターを挑発する必要があるということだ。

 何らかの理由によって、デンガロを引き摺り出す必要があるのだ。

 

 デンガロは腹が立った。

 でもバフォルク達の狙いに乗らなかった。

 いや、乗ることが許されなかった。

 主人を一瞥した瞬間に理解した。

 

「勝手に動いたら……罰を受ける」

 

 視線だけで動けなくなる。

 身体が硬直する。

 恐ろしくて堪らない。

 デンガロの生涯において痛みを恐れたことなどなかった。

 だが主人から与えられる罰の痛みには耐え切れない。

 自身に痛覚があることを呪ったほどだ。

 

 加えて、デンガロにとって慈父のごとき主人の主人の歩みは止まらない。

 ただ前進を続ける。

 自身はそれに従うのみ。

 主人がその主人に従う以上、自身が勝手に動けるはずもない。

 

 デンガロの理解する世界では主人の主人が至高だった。

 次いで主人とヤルダバオトが同格である。

 その下に主人に従う妙な格好で凶相のオカッパ頭は気配で自分以上と理解していた。ほぼ会話はしたことがないが、傷を治癒してもらった恩もある。だから勝手にやや上位者として扱っていた。

 そして自身。

 自身の下に主人の同輩であり、デンガロと死闘を繰り返している人間の男女2人。

 さらに小間使いのような人間の娘。

 その下に小狡い「白老」がいて、それ以外は有象無象だった。

 

 その有象無象のバフォルクごときが上位者である自身を揶揄するなど許されることではない。

 懲罰を加えるべきだが、主人は許さない。

 主人の主人である絶対者が歩みを止めないからだ。

 

 果敢にも挑んでくる亜人の部隊は数を減らしていた。

 もはや主人の主人の技の影響ではなく、挑戦する戦意が保てないらしい。

 

 ……弱いヤツは逃げるしかない……

 

 その現実にバフォルク達は立ち向かっていたが、デンガロが目を離した一瞬の隙に事態は激変していた。

 

「ほーい、デンガロちゃん」

 

 いつの間にか目の前に立っていた主人が一体のバフォルクを放り投げた。

 あの挑発を繰り返していた内の一体のようだ。

 右腕を失ったソレの頭をキャッチし、デンガロは軽く握り締めた。

 断末魔の悲鳴も一瞬、頭部がミンチになった元バフォルクが地に落ちた。

 悶々としていた気がスーッと晴れる。

 見ればバフォルクの首があちこちに転がっていた。

 10人いたはずだが……首は8つ。

 見開かれた16個の瞳がデンガロを見上げていた。

 

「1匹はちゃんと逃しましたよ、ゼブルさん」

 

 主人が主人の主人に笑いながら告げる。

 

「後は眷属が上手くやるさ……せっかく慎重だったのに、そっちから仕掛けたら意味ないだろうが……」

 

 主人の主人も薄く笑った。

 

 恐ろしい笑いだった。人間の表情などよく解らないが、主人達の笑いが恐ろしいものであることはよく理解していた。不穏であり、不吉であり、不敵なものなのだ……デンガロ自身、何度あの笑いを見た瞬間に殺されたか……?

 よく覚えていないが、既に二桁は死んでいるのは間違いない。

 実際に殺したのはデンガロよりも弱い2人なのだが、今際の際に必ず主人の笑いがあった。そして死から呼び戻された時、必ず迎えるのは主人の主人の薄い笑いだった。

 

 人間達が彼等を「神」や「神の御使」と呼ぶのはよく理解できる。

 そしてデンガロの理解では極めて単純に「生の神」と「死の神」だった。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 状況は極めてシンプルだったが、説明が加えられる毎に理解し難いものへと変貌していった。

 

 跪き、武装を解除され、鋼の枷で両の手首を後ろ手に拘束されていた。

 王としてのプライドが沸々と煮えたぎっていたが、もはや反抗することは不可能だった。

 ただ薄く笑う男の前で悶々と裁きの時を待つ以外、何もできなかった。

 対決を切望した人間の女が目の前に現れた瞬間、意識を失った。

 次に目を覚ました時にはこうなっていた。

 つまり敗北し、拘束されたということだ。

 極めてシンプル……残された選択は反抗しての死か、諂っての生を繋ぐか?

 いつでも殺せる状況で殺さなかった以上、バザーに生かす価値を見出しているぐらいは予測がつく。

 だがバザーは単純に生を選択することを良しとして良いのか?

 打倒された実感すらない。

 気付いたら、こうなっていたのだ。

 全バフォルクの王として、どうするべきなのか?

 

「お前が『豪王』バザーか?」

 

 奇妙な技の男はバザーが語る前から、バザーの名も異名も知っていた。一瞬、ギョッとしたが、思い返せばストーンイーターのデンガロを配下としているのだ。知っていても全く不思議ではない。

 

「その通りだ、人間……俺はお前をどう呼べば良い」

「俺はアインズ・ウール・ゴウン魔導国副王ゼブルだ」

 

 魔導国……の副王とは……ヤルダバオトの上位者なのだろう。

 これはピンチなのか、チャンスなのか?

 いずれにしても事態は単純ではなくなってきた。

 バザーは全バフォルクの王であるが、同時に魔導国の国民でもある。

 副王が国民をどう扱うのか?……予測もできない。

 ただ国民が副王に反抗するのを好ましく思うとは思えなかった。

 

「そうか……俺はアベリオン丘陵の全バフォルクの王でもあるが、同時に魔導国の国民でもある。ゼブル様……と呼んだ方が良いか?」

「それで構わないぞ、バザー……で、お前はこの状況をどう理解している?」

 

 バザーの底を見極めんと、感情の失せた碧眼が見詰めてくる。

 その口元には薄笑い。

 勝ち誇るわけでもなく、嘲るわけでもない。

 ただ淡々と見られた。

 何もかも見透かしているようにも感じられ、予断なく観察しているようにも感じられた。とにかく掴みどころない。

 ただし嘘や欺瞞は悪手だ……そう悟らされた。

 

 バザーは淡々と知る限りの状況を語った。

 亜人の軍勢を作り上げようと欲した切っ掛け。

 開戦に踏み切った経緯。

 聖王国の要塞線を標的とした理由。

 知る限りの戦況の推移。

 自身がここに来た理由。

 亜人軍の内部情報以外の全てを語った。その理由も自身の生の価値に箔をつける為でなく、単純に拙いと思ったにすぎない。

 

 副王ゼブルは薄笑いを浮かべながら、バザーの話を聞いていた。

 話を質問で遮ることもなかった。

 つまりこの問答は尋問でなく確認作業なのだ。

 

「答え合わせ……したいか?」

 

 椅子の背もたれに深く沈みながらゼブルが言った。

 脚を組み替え、膝の上で両手の指を組んでいる。

 

「……答え合わせ?……どういう意味だ」

「そのままの意味だ。何故、お前がこうなったのか……知りたいか?」

 

 バザーはゼブルの右手に侍る女を見た。

 理由はそいつだ……そう言いたかった。

 だがゼブルがあえて「答え合わせ」と言う以上、そんなことを知らせたいわけでないだろう。

 

「……聞かせてもらおう」

「そうか……では教えてやろう。お前がデ……ヤルダバオトの牧場から出ることを許された理由は、俺の命令だ」

「……は?」

 

 ゼブルが笑う。

 女戦士も笑う。

 法服を纏ったオカッパ頭も笑う。

 女聖騎士は無表情に見下す。

 奇妙な鎧姿の戦士は困った顔をしていた。

 人間の表情は判り難いが、明確に理解できた。

 

「……人選はヤルダバオト任せだが、俺が命じたわけだ。この戦争の首謀者を引き渡すように、とな……それで送られてきたのがお前だ、バザー」

「なっ……売られた、ということか?」

「売られた?……売られたもクソもない。お前は最初から俺の配下だよ。配下に配下の配下を差し出せと命じることは至極真っ当だろ?」

「……俺を殺すのか?」

「だがお前だけではないぞ……もう1匹、ロケシュとか言ったか?……蛇の王にも死んでもらう。お前達2名が戦争首謀者だ」

 

 虚な碧眼がバザーを観察していた。

 バザーの反応を、表情を、ただ見ている。

 感情が読めない。

 読めないことが恐ろしい。

 どんな強敵だろうと立ち向かうのは楽しい。血湧き肉躍るというやつだ。大物であればあるほど……それこそゼブルの右手に立つバケモノじみた戦闘力を誇る女など立ち向かうことにこそ価値がある。

 だがこの副王は怖い。

 読めない。

 強いのか、弱いのか?……それすら判らない。

 確認できているのは、あの奇妙な技だけだ。

 

「……ロケシュも捕縛されたのか?」

「いかにも……蛇は僅かな手勢を率いて、吶喊してきたからな。お前と違って慎重ではないようだ。だが一合も叶わず、首を刎ねられた」

 

 アベリオン丘陵で「最も堅牢な存在」と言って間違いない「七色鱗」が死んだ……しかも一合も『渇きの三叉槍』を交えることもできすに……信じられなかった。

 たしかにバザー自身の意識を一瞬で刈り取った女戦士であれば、ロケシュが勝利を得るのは不可能だろう。だがロケシュの特殊能力を発動する間を与えられなかったとしても、あの『渇きの三叉槍』と魔法鎧で身を固めたロケシュが抵抗すらできなかったとは……

 

 しかしゼブルは「捕縛した」と言ったが……?

 

「……ロケシュは死んだのか?」

「ああ、死んだな」

「死体を確保したということか?」

「たしかに死体は確保した」

「……では処刑されるのは俺だけか?」

「いや、2人とも死んでもらう……お前達は戦犯だからな」

 

 話が見えなくなった。と言うよりも、訳がわからない。

 

「すまないが、話が見えない」

「処刑される戦犯に全貌を明かす必要もないが、お前は魔導国国民でもあるから話してやろう。蛇の王は死んで、生き返った……ついでに言えば、それはお前も一緒だ、バザー」

 

 ……生き返った?

 

 そんなことがあり得るのか……バザーの疑いの眼差しを受け止め、ゼブルが楽しそうに笑う。

 

 あの女の顔が視界を覆った瞬間……首を刎ねられたということか?

 

 唾を飲み込む。

 改めて女の顔を見る。

 亀裂のような笑いが、バザーを真実に辿り着かせた。

 濁っていた記憶が澄み渡る。

 女が現れ、視界がズレた。

 そして意識を失った。

 酷い痛み……熱さを感じたような気がする。

 

 ……あの時、俺は殺されたのか?

 

 バザーは呆然とゼブルを見つめた。

 そこには勝者がいた。

 勝ち誇らず、敗者を嘲るわけでもなく、ただ冷然と笑う勝者が。

 

「負けただけでなく、死んで……しかも生き返った……そして再び殺されるわけか?……なんと情けない生涯か……」

「何を言っている?……2度死んだ程度ではお前の役目は終わらんよ」

「今以上の屈辱を受けろ、と」

「お前が屈辱と感じるならば屈辱なのだろうな……だがお前にはアベリオン丘陵の統治をしてもらう予定だ」

 

 さらに頭が混乱する。

 殺され、生き返った。そして戦犯として処刑される。

 これだけでも受け入れ難い上に理解できないのに、どうやったらアベリオン丘陵の統治などできるのか?……いや、落ち着いて考えろ……コイツは生き返らせる力を持っている。奇跡の種はおそらくは魔法だ。

 噂では魔法で生き返ると弱体化すると聞いていたが、今のところ能力が落ちたようには感じられない。

 

「……処刑の後、再び生き返らせるということか?」

「まあ、そうなるな……お前はケジメの為に戦犯として処刑される。そして俺の下で大役を果たす為に、再度生き返ってもらう。魔導国の為に残りの生涯を使い果たせ。そうすれば山羊の王として扱ってやる」

 

 王としてのプライドが疼くが、生死を軽く語るゼブルの眼差しは圧倒的上位者のそれだった。ヤルダバオトの亜人に対する無関心と通底するものを感じさせられる。

 

 膝を屈するしかない。

 生を強要される。

 誇りの為に死を選択することも許されない。

 ゼブルのそれはバザーの最後の自由すら奪ったと言う宣言だった。

 

 現実には膝を着いていても、椅子に腰掛けるゼブルとさして視線の高さは変わらない。

 だが目の前の男ははるかな高所から見下ろしていた。

 天空に瞬く星々と地を這うムシケラ……狩る対象などではなく、漠とした羨望の眼差しを向けるべき相手なのだ。

 

「……俺はその茶番の為に死ねば良いのか?」

「その通りだ。それで戦争の決着をつけてやる。お前達、亜人は安住の地を得るだろう。戦争などする必要もない。我々魔導国がお前達を永遠に庇護してやる。経済的に発展し、文化的な生活を謳歌しろ……魔導国の国民としてな」

「俺達から闘争を奪うのか?」

「お前達弱者がどれだけ集まって徒党を組んだところで、魔導王陛下お一人にすら対抗することなどできない。ものの数秒で全滅だ。そんな未来をわざわざ選択したいのか?」

 

 副王にもヤルダバオトにも手も足も出ない現状で、その上位者である魔導王に敵うはずもない。

 血を激らせる闘争を失い、牙を抜かれ、飼い犬となる。

 挑んでも、簡単に殺されて、生き返らせる。

 死する自由はなく、服従を強要させられる。

 不要と判断すれば、単純に放置すれば良いのだ。

 

 ……弱者か……

 

 視線を落とし、枷で拘束された現状を噛み締めた。

 現実感の無い敗北が認識の邪魔をする。

 どうにかなるのではないか?……完敗であれば、また違った想いを抱いたのかもしれない。敗北を認識すらできなかった現実はどこかフワッとした甘さを残してしまっていた。

 コイツらと手を組んでヤルダバオトをアベリオン丘陵から排除する未来は潰えたが、少なくとも「牧場」からは解放されるだろう。

 それがメリットと言えばメリットだ。

 代償として多少の行動の自由と引き換えに闘争を奪われる。

 

 生かされる……飼い犬として……

 

 だが屈辱に抗っても、そくさに代わりの者を据えられるだけだろう。

 そうなれば、無駄死にだ。

 王になりたい者は多い。

 例えば……デンガロだ。

 

「……了承する」

「そうか……それは良い選択だ。魔導国にとって、お前の誇りや自由などどうでも良いことだからな……精々尽くすことだ。お前が尽くす限り、我々は誠意で応えよう」

 

 言い放つゼブルに、バザーを額を床に擦り付けた。

 




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46話 転機

 

 善とも悪とも判然としない。

 魔導国とは実に厄介な国家であった。

 今回も一方的な宣言が各国に布告された。

 曰く「アベリオン丘陵を魔導国の領土とする」と。

 魔導国の宣言に続き、各国が承認する。

 隣接する王国と聖王国はもちろん、魔導国と同盟を形成する帝国、竜王国、ビーストマン国家にドワーフ王国と、ここまでは順当だったが、さらにカルサナス都市国家連合までもが魔導国の同盟国として承認した。

 その直後に聖王国からも魔導国の同盟に加わるとの発表があり、魔導国周辺で同盟に加わっていないのは実質的属国である王国を除けば法国、評議国、エルフの王国のみという情勢に激変していた。

 

 唯我独尊の大国であるアーグランド評議国は宣言を無視した。

 同じくエルフの王国も無視を貫いた。彼等としては緩衝地帯を失うのは痛いはずだが取り囲まれるわけでもなく、敵対する法国の出方を待つという意味もあるのかもしれない。

 だが周辺全てが戦争中のエルフの王国と魔導国の同盟に取り囲まれる法国は選択を迫られていた。いかに軍事大国とはいえ、周辺を閉鎖され、経済的に孤立化させられれば、干上がらないまでもダメージは計り知れない。これまでも密かに経済的な影響は大きくなりつつあったのだ。それに追い討ちを掛けるような布告を正式に表明されては、国民に対してもなんらかの対策を打ち出さねばならなくなっていた。

 

 最高執行機関の会議は日々紛糾に紛糾を重ねている。

 信仰的にはアンデッドが率いる国家など認められない。

 彼等の主張する「多種族共生」など以ての外だ。

 国是である「人間至上主義」とは完全に水と油。

 しかし疑いつつも、その実上層部は魔導王を称するアンデッドがプレイヤーでないかと期待もしている。古に彼等を導いた闇の神『スルシャーナ』に近い存在の再臨ではないか、と……少なくとも魔導王のアプローチは邪悪な『八欲王』などとは全く違う。自身に味方する者を豊かにするという彼等のやり方は単なる「悪」と断罪することを躊躇わせた。

 

 これまでのところ、魔導国に対しては対策どころか方針すら固まっていない。

 かと言って、先延ばしは悪影響しか生まない。

 既に他国との貿易を生業とする者達には最高執行機関に対する不信感が醸成されつつある。魔導国の形成する巨大な経済圏の爆発的発展を目の当たりにすれば、これまでは軍事的優位に立っていた法国の相対的地位低下は否めなかった。

 それに対して無策の最高執行機関は「無能」の謗りを免れない。

 信仰的に他国よりも強固な政治的基盤を持つとはいえ、経済的発展からの脱落は国民に不安と不満を抱かせつつある。

 既に同盟域内と王国の貨幣鋳造権を掌握した魔導国の発行する新貨幣は、法国や評議国の使用する旧貨幣の2倍以上の価値と見做され、法国は貿易的にも苦境に立たされていた。同盟域内は安定した物価に比して国策として賃金を大幅に上昇させた為、急遽魔導国が主導した通貨の切り上げ措置である。もちろん魔導国の真の目的は鋳造権の掌握にこそあるのだろうが、結果として生産力の劣る同盟域外の物価は爆発的に急上昇した。その副産物としてカルサナス都市国家連合が戦わずに魔導国に膝を屈した大きな要因ともなった。

 軍事力で侵攻されるのならば信仰心の強い法国国民は戦時増税にも耐えられようが、経済的な孤立もしくは脱落は簡単に全ての国民の心を追い詰めてしまうのだ。

 このままでは1500万国民の流出が始まってしまうかもしれない。

 何より魔導国は移民を希望する者のほぼ全てを受け入れているのだ。

 魔導王アインズ・ウール・ゴウン……仮面のアンデッド王の仕掛けた静かな戦は法国の軍事的な強大さを無視し、国民を直接迷いの中に誘っていた。 

 邪悪な『八欲王』のように実力に訴えるわけでもないが、支配欲がないとも思えない。とは言っても、膝を屈した国家が搾取されるわけでもなく、むしろ経済的な恩恵は凄まじいものがある。欲に目が眩んだ周辺国はあらかた籠絡され、王国内の一部に反感の芽は残されているものの、現在でも魔導国と距離を置いているような国家は法国の関係も総じて良くなかった。

 反魔導国の兆しを感じさせる王国の一部は、かつて『陽光聖典』を派遣して密かに屠ろうとしたガゼフ・ストロノーフを中心とした一派である。

 隣国であるエルフの王国とは戦争中。

 『白金の竜王』が率いるアーグランド評議国とも交戦こそしないが実質的に冷戦と呼べるような状況であった。

 つまりスレイン法国としては事実上八方塞がりの状況に追い込まれつつあった。

 

 この議題についてはどれだけ回を重ねても、会議は一向に進展しない。同じ議題のみが繰り返される為に会議には定められた進行役もいない。

 よって恒例の会議前の清掃が完了すると、最高神官長が口を開いた。

 

「最初の議題……いや、主たる議題についてだが……」

 

 もはや対魔導国問題が会議の議題の全てと言っても過言ではない。最高神官長の言葉を受けて、土の神官長レイモン・ザーグ・ローランサンが立ち上がり、円卓に着座する面々を見回した。

 

「つい先程、新たに裏の取れた情報がございます。文書としてまとめる時間が無かった故、口頭での報告をお許しいただきたい」

 

 一同が頷く。

 確定情報はいくらあっても困らない。このジリジリと追い詰められつつある状況をどうにかして打破しなければならない。その為には軽々しく方針を決められないのだ。間違えることもできない。最高執行機関はなんとしても国家の内部崩壊を防がねばならないからだ。

 

 レイモンが大きく息を吸う。

 そして喋り始めた。

 

「……元『漆黒聖典』第九席次『疾風走破』の所在が確認されました」

 

 法国を裏切り、国宝を持ち出し、国外逃走した重大犯罪者ではあるが、今回の議題に直接関係するものとは思えない。

 かと言って、レイモンが無関係な話題を最初に持ち出すはずがない。

 一同の戸惑いが視線となって、レイモンに集中した。

 

「確認されたのはローブル聖王国首都ホバンスにて……聖王国軍の対亜人戦勝式典の最中です」

 

 一同の困惑がさらに強まる中、水の神官長ジネディーヌ・デラン・グェルフェが枯れ枝のような顔を向け、厳しい視線で応じた。

 

「レイモンよ、お前のこと故、それが無関係な情報でないことは信じている。だが少々回りくどいな」

「これは失礼しました、ジネディーヌ老……しかしことは極めて重要であるが故に、最初に皆様にお知らせしようと考えました……」

 

 レイモンは一呼吸置き、言葉を続けた。

 

「……『疾風走破』は髪色と装備を変え、式典の壇上にいました」

 

 静かな騒めきが静謐な空気を駆逐した。

 単なる傭兵などでは考えられない。

 傭兵は戦果を栄誉でなく金銭として受けるはずなのだ。

 それはつまり『疾風走破』クレマンティーヌがローブル聖王国の上層部に食い込んでいることを示していた。

 

 レイモンは一同の反応を確認するとさらに言葉を続けた。

 

「……『疾風走破』は式典の主賓であるアインズ・ウール・ゴウン魔導国副王ゼブルの護衛として、彼の右手に控えていたのです」

 

 一同の内の誰かの唾を飲み込む音がやけに煩かった。

 

「それが確定情報ということであれば、つまり叛逆者『疾風走破』は魔導国副王の側近ということか?」

 

 一同を代表した闇の神官長マクシミリアン・オレイオ・ラギエの言葉に絶望的な空気が神聖不可侵であるはずの部屋を満たす。

 つまりスレイン法国は全くの八方塞がりに追い込まれた可能性がある、ということだった。周辺は敵だらけ……しかも以前と違い、軍事的に圧倒的優位とはとても言い切れない。

 エルフの王国との戦争は長引いている。

 強国アーグランド評議国とは根本的に相容れない。

 それ以外は魔導国の同盟国か実質的属国であった。

 その魔導国の最高意思決定の序列2位の最側近として、スレイン法国に叛逆し、法国としても追っていた者がいるということだ。

 どう考えてもスレイン法国は孤立無援であり、追い詰められていた。

 

「その通りです。ティーヌと名を変えた『疾風走破』は魔導国副王の最側近であり、ローブル聖王国の軍部からは『神の御使』と呼ばれています。確報ではありませんが、対亜人の戦闘で、単騎で亜人10000以上を屠ったとの情報もございます。もし本当であればもはや戦闘能力も我々の知る『疾風走破』クレマンティーヌではありません……ですが、私はこれを魔導国に対する糸口と捉えても良いのではないか、と考えました。少なくとも魔導国副王への窓口に繋げられるのではないでしょうか?……幸にして副王ゼブルは人間と聞き及んでおります。今後『六色聖典』を動かす上でも皆様のご意見を頂戴したい」

 

 レイモンが問い掛けに、口火を切ったのは光の神官長イヴォン・ジャスナ・ドラクロワ。痩せこけた顔に不快感を露にしていた。

 

「……それは巫女姫と護衛を殺し、国宝を持ち出した『疾風走破』を赦免するということか?」

「と言うよりも、それは大前提となります。『疾風走破』クレマンティーヌを赦免しない限り、交渉の糸口すら掴めません。我々が決断しなければならないのは時間との戦いです。このまま経済的に追い詰められれば、近々にも国民の離脱が始まるのは間違いないでしょう。上昇に歯止めの掛からない物価に、下落する一方の我が国の貨幣価値では……たとえ国境を封鎖しても焼け石に水です。自国だけでは経済的に立ち遅れるのは間違いなく、最後まで残るのは信仰と一蓮托生と考えるごく一部の国民と神官のみと予想されます。それほどまでに魔導国の経済的侵攻は悪辣なのです」

 

 レイモンの回答にイヴォンは元々陰湿に見える顔付きを歪めた。

 反論しようにも、今こうして最高執行機関が日々会議に明け暮れる現実こそが現状を現しているのだ。レイモンの言う通り「時間との戦い」なのは疑いようのない事実だった。

 

 2人に割って入ったのは風の神官長ドミニク・イーレ・バルトゥーシュ。表面こそ温厚そうに見えるが、元来歴戦の聖騎士であり、その視線は極めて険しく冷酷だった。

 

「仮に……あくまで仮にだが、エルフの王国と一時的に停戦し、戦線を一つに集約した上で総戦力をもって魔導国と開戦したとして、我々に勝算はあるのか?」

 

 最も関心の高い話題だが、誰も躊躇していた話題をあえて口に出した。

 この際に心の奥底にしまっていた情報を開示し、皆の意見を統一しようと言う試みであり、むしろレイモンの意見に与するものであった。

 

「あくまで『風花聖典』と『占星千里』からの情報が全て正しいと仮定した上での、私見ですが……魔導国の軍事同盟が一切機能しなくても厳しいとしか申し上げられません。まず魔導王自身が帝国のパラダインが公然と師事を願う程の魔法詠唱者であります。さらに『陽光聖典』の失踪もしくは壊滅に関与しているのも間違いありますまい。つまり最高位天使を退けた可能性すら捨て切れません。次いで確定情報によれば魔導国内を巡回する衛兵団でデス・ナイト及びソウルイーターの姿が複数確認されております。加えて、そのような高位アンデッド達が生者を襲うといった報告もなく、むしろ魔導国国民にはアンデッドの有用性が認知されつつあるとのこと。戦力としてだけでなく、労働力として、極めて公正な公僕として、魔導国内では欠かせない存在となっているようです。つまり魔導国は高位アンデッドを完全に統制し得ると考えて間違いないでしょう。さらに魔導王に次ぐ単独戦力としては冒険者モモンの存在もどう動くのか、全く予想ができません。魔導王の冒険者の地位を向上させる政策を好意的に感じているのは確実でしょう。国家からの依頼を受ける存在としての冒険者モモンは魔導国の為に剣を取る可能性があります……しかし魔導国の真の恐ろしさはそう言った個々の大戦力でなく、経済的な侵略にあると考えています。指導層がどう考えようとも国民が受け入れてしまえば覆しようがありません。彼等の保有する莫大な資金と異常な生産力が周辺国家群に与える影響は計り知れません。仮に我が国が宣戦布告しても、我が国側に立つ国家は無いでしょう。魔導国は金貨の山を積み上げるだけで、我々を悪としてしまうのです。それだけに戦争に関してはあくまで最後の手段であり、その最後の手段でも勝利の確信までには程遠いのが現実でしょう……あえて問うことをお許しください。お集まりの皆様の中で魔導国に対して勝算をお待ちの方はいらっしゃいますか?」

 

 誰も口を開けなかった。

 魔導国に対して戦端を開くことに躊躇する者はいない。

 だが「勝てるか?」と問われれば「勝てる」と答えられる者は皆無だ。

 大元帥ですら、いや軍事を統括する彼だからこそ、強気の言葉は発せない。

 防衛であればまだしも、時流に追い詰められたなどという理由ではこちらから開戦することはできない。

 彼等は指導者なのだ。

 民をより良き方向に導かねばならない。

 全員が程度の差はあれ神官職だが、信仰だけを根拠に民を導くほど短絡的思考に陥る者はいないのだ。

 

「ではあくまで提案ですが、まず魔導国との交渉の窓口を作りたいと考えています。その対象は副王ゼブル……彼は魔導国における外交の責任者とも聞き及んでおります。その取っ掛かりとしての『疾風走破』クレマンティーヌの赦免……皆様が不本意なのは承知しております。しかし『六色聖典』を統括する私が、元『漆黒聖典』の罪人を赦免することに忸怩たる思いを抱かないわけがございません。その思いを噛み殺した上で積極的に皆様にお願いするのは、それが国家にとって最善と考えてのこと。日々会議で我々が方針が決められない以上、敵から直接情報を取る必要があると考えました」

 

 レイモンが全会議参加者を見渡し、最後に最高神官長を見た。

 最高神官長が決を取ろうと口を開きかけた瞬間、火の神官長ベレニス・ナグア・サンティニが口を開いた。ふくよかな女性である。

 

「それでは我々の一方的な譲歩という形になり、交渉開始前からナメられないかしら?……交渉の窓口を求めることに反対はしないわ。でも副王ゼブルに対して、交渉開始前からの大幅な譲歩は法国を風下に立たせないかしら?」

 

 ベレニスの言葉にレイモンは真摯な眼差しを向けた。もちろんベレニスがあえて苦言を呈したのは理解している。その回答を共有するつもりなのだろう。

 

「最初に……これはあくまで私の現状認識です。スレイン法国は魔導国に対して既に下流にあると考えています。新興の大国である彼等は建国してからこれまでのところ軍事侵攻することなく、常に周辺国の承認によって領土、権益の拡張を進めてきました。事ある毎に我が法国にも布告は為されてきましたが、事後承認すら求められたことはございません。つまり法国が認めようと認めまいとどうでも良いのです。儀礼上知らせはするが、知らせた後にどのような反応があろうと知ったことではない、ということです。有り体に言えば、相手にされていないのです。これについては評議国も同様でしょう。既に成立してしまったものに反対を表明しても、言葉で覆すのは無理でしょうから……承認した周辺国は魔導国の資金融資、都市開発、土地開発、領土整備、流通整備、労働力提供、教育改革と既に取り込まれています。その結果として魔導国は周辺諸国に莫大な利益をもたらすのです。彼等のもたらす潤沢な利益を投げ捨てる国家などありません。カッツェ平野の戦いの手酷い敗戦で領土と権益と多くの命を奪われた王国ですら、エ・ランテルに近い地域では魔導国に隠れて移民する者が後を絶たず、エ・レエブルでは魔導国の都市開発によって空前の好景気を迎えているようです。よって実質的に王国最大の権力者となった宰相レエブンも魔導国には頭が上がらない……我々が戦う相手は魔導国の作り上げたこのシステムなのです。彼等は利益という名の巨大な棍棒で対象を殴り付けます。これに一度でも殴られると相手は彼等に逆らえなくなるのです。もちろん純軍事的にも彼等は強大です……我々は敵の情報を得なければなりません。相手にされていない現状を打破しなければ適切な対処は不可能……私はそう判断しております」

 

 レイモンは『疾風走破』の赦免についてはもはや語らなかった。

 そのような細かい事案で言い争っている場合ではない……彼の認識では経済的な窮地そのものが魔導国の侵略行為と捉えていた。目の前にある好環境を拒絶して、信仰に殉じ、清貧に我慢できる国民などごく少数しか存在しない。1500万に及ぶ国民の中でも、甘い見積もりで数パーセント存在しているかいないか程度に違いない。

 魔導国をナメてはあっと言う間に蹂躙される。

 彼等は一般国民に豊かさを与えることを武器としているのだ。

 ほんの数ヶ月前まで荒廃し切っていた竜王国の現状はどうか?……法国の辺境部よりもはるかに豊かだ。南部の一部では怨敵ビーストマン国家との直接取引まで始まっていると聞く。ビーストマン達も魔導国に雇われ、同盟域内各地で人足として働いていると聞く。

 手痛い敗戦で国力を大幅に毀損した王国は?……既に帝国に対する賠償金を払い終え、力強く復興している。その資金の出所は魔導国であるとの噂も絶えない。事実として魔導国による貨幣鋳造権の掌握は、王国の賠償金支払いが完了した後に行われたからだ。あまりにタイミングが良過ぎる。それは周辺国に対してのメッセージではないのか?

 亜人との戦乱を乗り切った聖王国は?……即座に魔導国の同盟国と化し、聖王女カルカ・ベサーレスを魔導国首都カルネに送るとの発表があった。表向きこそ同盟国だが、実質的に属国ではないか?……しかし彼等は王を差し出すという屈辱を乗り越えて、積年の懸案事項であったアベリオン丘陵の亜人問題を解決した。法国と評議国という旧来の二強国では解決できないと踏み、魔導国を頼った結果だ。聖王国は魔導国のシステムを受け入れて、今後力強く発展するだろう。

 

 レイモンが着席する。

 同時に最高神官長が採決を促した。

 ベレニスが頷く。

 

「……レイモンの提案に反対意見のある方は挙手後、反対意見を述べて下さるかしら?」

 

 誰も手を挙げない。

 停滞していた状況は一つの方向に転がり始めた。

 それがスレイン法国の未来にとって、良いものなのか?

 誰にも解らない。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

「えーっ、まだ帰国しないんですか?」

 

 メッセージの向こうでアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下が地団駄を踏んでいた。

 

「いや、帰りたいのは山々なんですけど、とうとう俺にスレイン法国から接触があったんですよ。さすがにこれまで魔導国の数々の布告に対して無視を決め込んでいた連中も今回のアベリオン丘陵領有化は厳しかったんでしょうね。地理的に完全に四面楚歌となるわけですから……連中としては、俺の御招待に際して大盤振舞いの手土産を用意してくれたわけですよ。あくまで連中としてはなので、俺には対して響きませんでしたが、こちらとしては上層部との接点そのものが欲しかったのも事実ですからね」

「手土産って、何ですか?」

「俺の連れているテロリストの罪の赦免です。まっ、それがないとこちらも法国に入国できないわけですから、当然っちゃ当然ですけど」

「テロリスト?……ティーヌですか?……アイツ、元法国人なんですか?」

「その通りですよ。しかも元『漆黒聖典』とか言う厨二ネーム丸出しのエリート特殊部隊所属で、二つ名が『疾風走破』だったかな?……それはさておき、赦免のメインはティーヌでしたけど、ついでにジットに関する罪の全ての赦免を要求したら、二つ返事でした。まっ、ティーヌほど関心が無いのかもしれませんが回答の早さを考慮すれば、それだけ連中も追い込まれていると考えて良いと思います」

「へぇ、ジットも元法国人なんですか?」

「そうです。それが何故かエ・ランテルで住民を虐殺、大量にアンデッドを発生させる儀式で自身がアンデッド化しようとしていたっていう……」

「アンデッド化が希望だったら、その時一言でも言ってくれれば、いつでもアンデッドにしてやったのに……俺としても仲間ができて良かったのかも?」

「その時の俺達は冒険者に成り立てで、俺に至っちゃこの世界について右も左も判らない状態でしたからねぇ……何にせよ、スレイン法国の内偵を任せられない連中なんですよ。以前、俺が法国人を欲しがったのも2人が法国のお尋ね者であったから……ナザリックにも人材がいない。範囲を魔導国まで広げても上層部にまで顔が効くとすれば神殿勢力……それを向こうから接触を試みるところまで追い込めた。これは大きな成果です」

「大陸中央に進むにつれ、亜人の力が強くなり、隣国とは戦争中……で、それ以外に隣接する周辺国は全て魔導国の影響下……まっ、たしかに厳しい状況ではありますね。魔導国が経済的な豊かさを広める中では、暢気に人間至上主義を標榜しているわけにもいかない、と」

「まっ、そーゆーことだと思います。これまでこの地域を牽引してきた軍事大国であり、宗教国家なので主義主張を曲げるわけにはいかないでしょうけど、そろそろ魔導国と折り合いをつける為に擦り合わせを開始しないと、上層部はともかく一般国民の不満をコントロールし切れるか、不安にもなる頃合いでしょうね」

「なるほど……さすがはゼブルさんだ。で、今回は俺に出番とかありませんかね?」

「むしろ話がまとまる前にアインズさんが出張ってくるような事態は避けたいんですけど……下手すれば全面戦争一直線ですよ」

「んー、戦争は避けたいなぁ……でも、ゼブルさんがいないと暇なんでよ。街の散策しても、国民が気を遣ってしまうからむしろ労働の邪魔になる感じなんですよ。最近じゃ冒険者訓練所にモモンの姿で行っても、講師連中は訓練の邪魔になるからあまり良い顔しないし、訓練生は上へ下への大騒ぎになっちゃうし、で……組合長室でアインザック組合長と世間話して帰るなんてことの繰り返しです。まっ、視察そのものは面白いんですけどね」

「じゃ、エ・ランテルに行くついでに各神殿を回って法国の情勢でも探って下さいよ。魔導王の姿じゃ厳しいでしょうけど、モモンの格好ならば向こうから接触してくる可能性もありますから……仮に寝返りまででなくとも、あからさまな工作を仕掛けてきたら、法国がかなり追い詰められている証左ですからね。それだけでも事前に解っていると、交渉ではかなり優位に立てます。どうしても最初は腹の探り合いになるんで……ついでにアルベドとデートでもしてくれば良いじゃないですか?」

「えっ……アルベドですか?」

 

 軽口のつもりだったが、返しにかなり違和感を感じた。

 

「……どうかしたんですか、アルベド?」

 

 アインズさんが一拍間を取った。

 

「いや、あのー、ですね……最近アルベドが情緒不安定じゃないかって、盛んに一般メイド達が訴えてくるので……俺の前だとそんな素振り、欠片も見せないんですけど……それで少し話したんですよ。何かやりたいことがあるのに我慢を重ねてないか、って。そしたらアルベドがゼブルさんを至高の42人目として至高の御方と認めるのは構わないが、他の至高の御方々の捜索についてはどう考えているのかって質問が返ってきまして……」

 

 んっ?……微妙に違和感を感じるなぁ……他の守護者ならまだしも。

 

「……で、なんて答えたんですか?」

「いちおう……最優先事項である、って……べっ、別に、ゼブルさんを蔑ろにしているわけじゃないんですよ!」

「いや、そこは蔑ろで構わないんですけど」

「えっ!……だって今やゼブルさんもギルメンじゃないですか!」

「そーゆー意味じゃなく、対アルベドって意味じゃ、ってことです。そんなことよりも……」

「そんなことって!」

「アインズさん!……落ち着きましょう。俺は逃げも隠れもしません」

 

 むしろアインズさんの方が情緒不安定じゃないか?……そう疑いたくなるぐらいアインズさんは狼狽えていた。思い返せば、ユグドラシル時代からずーっと孤独に耐えていた人だった。これからは少し言い方を考えないと……きっと緑色に光っているんだろうなぁ……

 

「で、落ち着きましたか?」

「……はい、少し取り乱しました。すみません」

「少し事務的に話します。アルベドの反応は?」

「……アルベドの直属の至高の御方々の捜索専門部隊を作りたい、って提案されました」

「で、許可したんですか?」

「副官としてパンドラ……それに以外にとりあえず80レベルのシモベを15体……提案そのものは他の守護者の業務や創造主が発見された時の各自の反応まで勘案したものだったので、話の流れで許可しました……」

 

 ???……これまでのところ別にアインズさんがアルベドに対して「引く」ような内容は無い。むしろアルベドのギルメンに対する忠誠心の現れだ。俺的にはどうかと思うが、アインズさんの立場で考えれば、積極的に背中を後押しするような内容ではないか?

 

「……それだけですか?」

 

 沈黙……つまり何かあるわけだ。

 

「話して下さい……全部話してくれないと、アドバイスも対応もできません」

「……ルベドの指揮権をくれ、と……」

「ルベド?……そんなヤツいましたっけ?」

 

 名は何度か聞いたことがあるような、ないような……?

 

「ニグレド、アルベドの妹って設定の最強NPCです。フル装備の俺でも相手にならないし、額面通りのスペックが遺憾なく発揮されればワールドチャンピオンだった『たっち』さんでも勝てません」

 

 レイドボスみたいなヤツか?……なんか話は聞いたことがあるな。

 

「第八階層のアレですか?」

「アレらとは違います。詳しく話すと長くなるので割愛しますけど、他のNPCとは全く違うモノで、ナザリック最強の存在です。こっちの世界に転移してからはとりあえず起動試験だけして、放置してあったんですけど……」

「なるほど、えらく物騒なヤツだ、と……で、指揮権を与えたんですか?」

 

 まあ、俺に言い難かった以上、与えたんだろうなぁ……

 

「……そうです。でも、その時は最強チームを作りたいなんていう厨二的なノリで許可したんですけど、冷静になって考えたらギルメン捜索に戦闘能力って必要ありませんよね?」

「普通に不要ですよ。むしろ邪魔ですね……情報系探知系のプレイヤーならば確実に逃げますし、強いヤツを見たらとりあえず殴る系の脳筋プレイヤー以外は様子見で近づきませんよ。まっ、本当に捜索が目的であれば、ですけどね」

「ですよねぇ……となると問題は……」

「そうですね……アルベドの本当の狙い、ですよ。なんにせよ、ルベドの指揮権は早急に取り上げてください。そうしないと俺は魔導国に帰れません」

「えっ?」

「本当に転移しているか不明なギルメン殺害の為に、過大な戦力を必要とするかって話です。具体的に打倒すべき相手がいるからこそ、単独で制御可能なナザリック最強の戦力が必要だったと考えるべきです。アルベドは能力的にもナザリック内ならば引退したギルメンに至るまでほぼ全てを把握していると考えた方が無難です。そうなると狙いはアルベドが能力を把握していない存在と考えるべきでしょうよ。それで真っ先に思い当たるのは評議国のドラゴンロード達や法国の2人の『神人』……そして俺です」

「まっ、まさか……いや、いくらアルベドでも……殺害なんて」

「そのまさかですよ……仮に攻撃目標が俺でないとしても、念の為に必要な措置です。俺も自身の身を守る為でも総戦力でナザリック勢を攻めるなんて真似はしたくありません。やらなくて良い内部抗争なら、絶対にやらない方が良いでしょう。破局回避には衝突は避けないと……とりあえずルベドって最強NPCの指揮権さえ奪ってくれれば、帰ることは可能になります」

 

 果たして俺の仕込んだ奥の手がルベドってヤツに通用するかは不明だが、とりあえずレイドボスクラスに不意打ちされるのだけは避けたい。80レベルとはいえ探索系NPC15体程度ならば、俺単独で完殺するのは無理にしても、それなりに時間を稼ぐ程度は可能だ。せめてその程度の猶予は欲しい……あくまでパンドラズ・アクターが手を出さない前提は必要となるが、それぐらいはアインズさんに期待しても良いだろう。

 

「パンドラズ・アクターにも……お願いしますよ、アインズさん」

「そっ、それもう……絶対確実に、言い聞かせますよ。アルベドに与えたルベドの指揮権は現時点で剥奪しますから……安心してください!」

「んじゃ、まっ、話も着地したところで、俺は牧場経由で法国に向かいますから……アインズさんは魔導国内の安全確保をお願いします。ついでにさっきの情報収集もしてくれるとありがたいですね」

「まっ、任せてください!……だから絶対に帰ってきてくださいよ!」

「定期的に連絡はします。もう少し安全を確認できたら、帰ります。それと聖王女と一緒にそっちに送る予定の2人とブレインとエルヤーは鍛えてやってください。いい暇潰しにはなると思います」

「それは了解しましたから、絶対ですよ!」

「ええ、帰りますよ」

 

 ……そのうちに、ね。

 

 メッセージを切る。

 

 帰れるのか、帰らされるのか、それとも逃げるのか……いずれにしても当面は法国に滞在して、遠方から様子見する必要はあるな。少なくとも誘き寄せられるのだけは勘弁だ。

 この際、仮想敵国っていうのは潜伏先として理想的だ。

 少なくともアルベドのタイミングで仕掛けられる危険性は低い。

 にしても、殺しにくるか……アルベド単騎ならどれだけ頭脳が優秀でも戦力としては所詮はNPC……いかにワールドアイテム持ちでも問題なく処理できるが、問題は処理した後と、単騎で仕掛けてくるわけがないことだ。

 

 アインズさんは掌握しておく必要があるなぁ……こまめに連絡を取る必要はある。

 

 加えて、こちらのハンデは殺せないことだ。どれだけ殺してもNPCは資金の続く限り何度でもデスペナ無しで復活可能だ。ナザリックだけでも厳しいのに魔導国の資金力まで考えたら、破産まで追い込むのは事実上不可能。

 さらに唯一の味方に等しいアインズさんの支援まで失う可能性がある。

 

 ナザリックなんざどうでも良いが、アインズさんと決別はしたくないなぁ。

 

 俺の知る限り、この世界で唯一の同じリアルを知る存在だし……

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 イライラする。

 法国行きが決まって以来、イラ立ちが治らない。

 クアイエッセ・ハイゼア・クインティア。

 脳裏にあの男の笑い顔が浮かぶ……兄だ。

 既に種としての人間を捨て去ったとはいえ、出生そのものまでは変えられない。

 悪魔に転生しようと妹は妹なのだ。

 

 急遽、予定が変更になった。

 ゼブルは法国の出迎えを待つ、と言う。

 本来はデミウルゴスの「牧場」まで『転移門』で移動する予定だったが、どうやら魔導王との通信後に方針が変わったようだ。接触してきた『風花聖典』の密偵を介して、法国の護衛を待つこととなった。

 法国が余程の馬鹿でなければ兄を寄越すはずはないと思うが、それでも余程の馬鹿が仕切っている可能性も捨てきれない。クソの塊のようなレイモン・ザーグ・ローランサン辺りが仕切っているのであれば、あえて兄を寄越す可能性もあるようにも思えた。

 

 いずれにせよ、自身に選択権は無く、なるようにしかならない。

 

 あの主義に凝り固まった法国を自ら譲歩するまでに追い込んだゼブルの手腕には素直に感心する。経済封鎖程度であれば自分でも思い付く。要するに想像を絶する規模の兵糧攻めだ。だがゼブルは往来を制限することなく、格差を見せつけることに終始した。どこまで仕込んでいたかまでは判らないが、魔導国建国当初から最終的な標的は法国と評議国なのは間違いない。そして戦うことなく法国も籠絡するつもりなのだ。

 

 ゼブルのやり口は理解している。

 説明など必要ない。

 だが法国相手となると、どうしてもティーヌ自身の気持ちが騒つくのだ。

 

 殺したい……壊したい……滅ぼしたい。

 

 単純な戦闘能力ではまだまだ番外席次には及ばないことは理解している。

 ぷれいやーであるゼブルにしても……あの『破滅の竜王』を単独で完殺した力を見ても……優位とは言い切れない。番外席次は文字通り番外なのだ。優劣を付ける範疇から外れている。

 

 どれだけゼブルとジットと共に飲み騒いでも、常に頭から離れない。

 それはスレイン法国から護衛と案内を兼ねた『漆黒聖典』の3人が到着するまで続いた。

 その面子を見て、改めて「レイモンはクソの塊」と理解した。

 

 リーダーとして第八席次『巨盾万壁』……これはまだ理解出来る人選だ。護衛隊を率いる上で適任と言えばこれほど適任はいない。

 攻撃的護衛として第十席次『人間最強』……役割的に人選については理解できるが、当人が人間的にクソ中のクソだ。

 そして第九席次『神領縛鎖』……レイモンのクソ野郎はよりによって『疾風走破』の後任を寄越しやがった。

 

「……喧嘩、売ってんのか?」

 

 思わず口を吐く。

 

「クククク……誰かと思えば『疾風走破』か……お前ごときがこの俺にデカい口を叩くとは、なぁ……髪色を変えたのは俺の強さに憧れたのか?」

 

 半裸で全身の体毛が白髪の大男が薄い笑いを浮かべる。

 完全に弱者を見る目だ。

 第十席次『人間最強』……態度と同様に強い。

 不格好な程の大斧を背負い、副王ゼブルの御前ですら傅く気配はない。

 むしろ全身から放つオーラで圧し潰そうと試みているようだ。

 

「待て、国賓の前だ……我々の役目を心得よ」

 

 全身黒の部分鎧に身を包み、鏡のような大盾と漆黒のタワーシールドを両手に持つ『人間最強』に勝るとも劣らない筋骨隆々の大男が割って入る。

 護衛チームのリーダーである第八席次『巨盾万壁』だ。

 見た目はともかく人格的には『人間最強』と違い、落ち着いている上に役目に対して真摯に向き合う男だ。

 

「まっ、壊れたガラクタはどこまで行ってもガラクタです。上が赦免したと言っても、俺達が許してやる筋合は無いと思いますがね……違いますか?」

 

 左目の上から頬にかけて奇妙な刺青を入れた男がティーヌの後任の第九席次『神領縛鎖』だった。左腕にも鎖を巻き付けている。

 

「違わないな……俺もクアイエッセの心労の種を排除した方が良いと思うぜ」

 

 『人間最強』が威圧的だったオーラを瞬時に殺気と呼べるレベルにまで引き上げた。

 

「待て!」

「このクソ共が……」

 

 『巨盾万壁』とゼブルの声が重なった。

 『巨盾万壁』は即座に跪いたが、他の2人はゼブルを睨め付ける。

 ゼブルは椅子から立ち上がり、睨め付ける2人を見て、薄く笑った。

 

「どうも法国人ってヤツは自身の立場を見失うヤツが多いようだ。まるでティーヌさんと出会った時みたいだな……で、どっちを選ぶ?」

 

 問い掛けはティーヌに向けられ、ティーヌは即座に『神領縛鎖』を見た。その直後『人間最強』も見る。

 

「なかなか欲張りだなぁ……でも理解した。俺も立場を理解する頭の無いヤツには調教が必要だと思う。二対一でも問題無いだろ?」

「もちろんです」

「じゃ、殺さない程度に痛め付けることを許可する……泣き喚いて、赦しを乞うまでやって構わない」

 

 ゼブルが言葉を言い終えた瞬間、異様に巨大な戦斧が一閃した。風圧だけで普通の人間ならば死ねる。

 ほぼ同時に白銀の鎖が迫り来る。こちらは人体に風穴を開けそうなほどに鋭い。まるで槍のようだ。

 

 ティーヌは避けず、戦斧の刃を素手で掴んだ。

 同時に鎖も掴み取る。

 そしてニィと口角を上げた。

 

 『人間最強』の目が大きく見開かれた。

 『神領縛鎖』がバランスを崩す。

 ティーヌの左脚が『神領縛鎖』の胴体を抉った。と同時に『神領縛鎖』が迎賓館の一室の扉を破壊し、そのまま吹き抜けを飛び越えて、ホールの石柱に激突した。石柱にめり込んだように見えたが、運悪くそこは吹き抜けの二階だった。そのまま一階へと自由落下する。

 

 使用人達の悲鳴が響く。

 

 天井が剥落し、『神領縛鎖』の上に降り注ぐ。

 

 『人間最強』が目を見張ったまま全力で大斧をもぎ取ろうとするも、女の細い指で挟み込まれたそれはピクリとも動かない。

 

「おい、誰が、誰に憧れるだって?」

 

 戦士として英雄の領域を逸脱する『人間最強』が顔を歪めた。

 逆にティーヌに大斧をもぎ取られ、凄まじい重量のそれを片手で投げ捨てられた。聖王国首都ホバンスの迎賓館における国賓の中でも最高クラスの賓客のみが使用を許可される部屋の壁面が大きく損傷した。歴史的価値すら感じさせる装飾が大斧の自重で破壊される。

 愕然とする『人間最強』の裸の上半身をティーヌの掌底が貫いた。

 巨体が無様に屈折し、その勢いのまま破壊されたドア枠をさらに破壊して、吹き抜けに投げ出された。

 

 ティーヌがゆっくりと後を追う。

 その様を見て、ゼブルが笑う。

 『巨盾万壁』は跪いたまま呆然と副王を見上げた。

 冷たい視線が向けられた。

 完璧だ……そんな言葉が場違いに頭に浮かぶ。

 どこか自然の摂理が捻じ曲がったような整い方だった。

 

「お前は動くなよ……馬鹿共の躾は、連中が泣き喚いて、赦しを乞うまで終わらないからな。その中に加わりたいなら止めはしないが、その場合は俺が法国との話合いに応じる事は二度と無くなるぞ」

「はっ……私は責任者として任を果たすのみ。仲間のゼブル様の御身内への無礼に対し、深く謝罪いたします」

「了承した……では、お前はそこで控えていろ」

 

 『巨盾万壁』の複雑な思いで見守る中、ゼブルはジットと言う名の魔法詠唱者を伴い、迎賓館の居室から出る。

 

 破壊の痕跡を抜けると笑う女に顎を掴み上げられる『人間最強』の巨体が目に飛び込む。

 『神領縛鎖』は左腕を砕かれたようで奇妙な方向にねじくれた。

 苦悶の表情を浮かべながらも立ち上がり、懸命に前進している。

 

 2人に比してティーヌの圧倒的に細い腕が見た目からは想像を絶する膂力を発揮し、反撃を試みんとする『人間最強』をぶん投げた。

 迎賓館の大扉を巨体が突き抜ける。

 爆砕された木片に、突発したこの闘争を固唾を飲んで見守っていた使用人達の我慢が限界突破し、悲鳴がホールに反響した。

 

「跪け、クソが!」

 

 ティーヌの何気ない蹴りで『神領縛鎖』の左膝があってならない方向へと折れ曲がった。

 絶叫と笑い声か交差する。

 隔絶した戦力差が新旧第九席次の間にはあった。

 反撃どころか防御も儘ならない。

 『神領縛鎖』の個性的な編み込みの髪を掴み、ティーヌが「神の御使」の異名を踏みにじるような笑いを見せる。

 

「……引退したらどうかなー?……いくらなんでも弱過ぎじゃないかなー」

「……裏切り者のゴミの分際で、人間様を評価してんじゃねぇぞ!」

 

 『神領縛鎖』が唾を吐き掛けるも、ティーヌに当たらず、通過して剥落した天材塗れの床に落ちた。

 目を見張る。

 同時にブチブチと髪が……いや頭皮が嫌な音を立てた。

 灼熱を感じると同時に視野が赤く染まる。

 編み込み髪が頭皮ごと床に打ち捨てられた。

 

「……当然、拷問に耐える訓練はしてんだよねー?……楽には終わらせてやれないかなー」

 

 サディスティックな笑いが覗き込む。

 右頬の内側にティーヌの中指が突っ込まれ、そのまま頬肉ごと引き千切られる。ティーヌの指先から肉片が地に落ちた。剥き出しの歯茎が痛々しい。

 絶叫。

 と同時に返す刀の裏拳で頬を失った歯が砕かれた。

 衝撃で首が捻じ曲がるも、日頃の訓練が幸いしたのか、反射的に身体の回転を合わせ、辛うじて絶命するのを避けた。

 

「ほい、時間やるから自力でポーションでも使いなよ……ゼブルさんの言葉通り、お前らが泣き喚いて、赦しを乞うまで終わらせてやらないからさー」

 

 全く動けないボロボロの身体。

 絶妙に届かない位置にポーションの瓶が置かれる。

 その上右膝まで踏み抜かれた。

 

 ティーヌが大扉に身体を向ける。

 のそりと巨体がホールに現れた。

 荒い息と爛々と輝く眼光は深く抉れた胴体の傷から想像もできないほどの闘気を感じさる。容量の限界まで怒りを溜め込み、爆発させる瞬間を待っているのだ。

 

「……出来損ないの片割れ風情が、いい気になるんじゃねえぞ!」

 

 爆発と同時に物理的な風圧で粉塵が舞った。

 大地が揺れ、一定方向に瓦礫が吹き飛ぶ。

 まるで散弾のような瓦礫の弾幕の中、白い巨体が突進した。

 

 迫り来る弾幕と巨体を眺めながら、ティーヌはニヤニヤと笑っている。

 

「遅いなー……もう欠伸が出ちゃうぐらいだよ」

 

 『人間最強』が、何事かを呟く。

 同時に急加速する。

 

「武技使って、その程度かなー……笑っちゃうね」

 

 最も単純な質量攻撃……体当たりだ。

 生半可な存在であれば衝突の衝撃で絶命する。

 それなりでも圧死は確実。

 相当な強者でも回避しなければダメージは深くなるはず。

 

 白い巨体の猛烈な圧力をティーヌは欠伸しながら、左手だけ受け止めた。

 磨き込まれたような丸く滑らかな分厚い右肩の筋肉塊に、極めて女性的な細い指が食い込んでいた。

 全く動かない。

 そして動けない。

 驚愕が『人間最強』の表情から伝わる。

 

「……こんなのを強いと思っていたんだから、以前の私も相当に弱っちかったよねー?……ホント、ダサいわ……自己嫌悪」

 

 剣すら弾くまでに鍛え上げられた上体の筋肉が痛みを感じていた。身体を旋回させることすら封じられている。押すことも退くこともできない。無理矢理動くならば、右腕一本捨てる必要がある。覚悟の問題でなく、実際にそうしなければ動けそうにないのだ。

 

「まっ、でも赦してやらないけどねー」

 

 ギリギリと右肩が悲鳴を発していた。

 サディストが笑う。

 

「加減するの止めるから……潰れろ!」

 

 嫌な音と感触が同時に伝わり、その直後に激痛が右肩から突き抜けた。

 いかに訓練していようが、自力でとっぱつてきな痛覚を封じることなどできない。

 鋼の剣を弾くまでに鍛え上げた筋肉の鎧の下であれば尚更だ。

 野太い絶叫が迎賓館ホールを覆い尽くす。

 ニヤニヤと笑うティーヌの指先から抉り取られた肉塊が滑り落ちた。

 

「……このクソがっ!……絶対に殺してやるっ!」

「お好きにどーぞー……でも赦してやらないからねー」

 

 右肩から大量の出血をものともせず、『人間最強』は左腕を振った。

 太く分厚い肉の凶器が襲ったが、避けたようにも見えないのにティーヌは白い巨体の懐にいた。

 

「まっ、色々と壊してやるから、覚悟してねー」

 

 宣言と同時に右膝が逆に曲がる。

 巨体はバランスを崩し、無様に転がった。

 慌てる間も無く、鼻が踵で削ぎ落とされる。

 注意がどうしても頭部に向いた瞬間、これまでの戦意を維持できようなものとは隔絶した痛みを股間に感じ、文字踊り泡を吹いて悶絶した。

 

「へぇ……『人間最強』様って男の弱点は鍛えてないんだねー?」

 

 陰茎の次に睾丸が踏み潰された。

 嫌な臭いが周囲を満たす。

 男の精の臭いと小便と脱糞と嘔吐がむせ返るような血臭と混ざり合い、とんでもない臭いとなっていた。

 

「なんなら……鍛えてあげよっか?」

 

 ティーヌが取り出したポーションを『人間最強』の顔面に振り掛けた。

 全身の傷は治ったのに壮絶な幻痛は止まず、『人間最強』は情けなく泣き叫びながら、床を這い逃げた。

 もはや戦意は失っていた。

 だがそれは最悪手だった……何故ならサディストは喜ぶのだ。

 逃げ惑う『人間最強』の睾丸が再度踏み抜かれた。

 戦意を失った野太い悲鳴が迎賓館のホールに響き渡る。

 ポーションが振り掛けられる。

 その都度睾丸と陰茎を踏み潰され、その度に心がへし折られる。

 注意を向けるようにときおり耳を削がれ、鼻を削がれ、目を潰され、歯を折られる。

 気が逸れた瞬間、再度睾丸を潰される。

 

 延々と続く地獄のような痛みの中、人を食ったような笑い声が響き渡る。

 『人間最強』の悲鳴が掻き消されるほどに……

 




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47話 希望通りにはなりません

 

 血溜まりの中、正座する第九席次と第十席次はティーヌによって心を折られた後、念には念を入れて無理矢理質問に答えさせられた。

 アインズさんに聞かされていた『陽光聖典』と違い、彼等が死ぬことはなかった。

 だが裏切り者の刺突で無意味に心臓を貫かれた。

 そして目が覚める。

 無限の繰り返される悪夢……同じ事が何度繰り返されたのか……?

 さらに念入りにゼブルによって殺され、即座に蘇生された。

 その後、眷属によって支配され、間抜けに延々と正座をさせられている。

 

 その段に至り、ようやく彼等は自身の立場を知る。

 相手は新興劣等国の副王などでなく、はるかに高い場所にいることを。

 彼等は道具として無限に殺され、灰になるまで無限に蘇生させられる。いずれ使い潰される過酷な未来を予測せずにいられない。

 知らぬ間に『神人』に並ぶ強さを手に入れた裏切り者の風下に立ち、裏切り者と同様に国家を裏切り、人間としての尊厳を奪われるのだろう。

 

「さて、お前達の主人は誰だ?」

 

 瓦礫の向こうからゼブルの問い掛けがあり、2人は深く頭を下げた。

 

「俺……はゼブル様に生涯の忠誠を誓う者です!……法国の掲げる人間至上主義はクソの中のクソ、です!」

「法国などクソ喰らえ……俺はゼブル様の奴隷だ、です。そこの出来損な……いいえ、ティーヌ様の部下でござ、い……ますっ!」

 

 2人は床に額を打ち据えた。

 両肩が震え、両手の指が床材に食い込んでいる。

 

 ゼブルは腕を組んで睥睨していた。

 そして口角を上げた。

 

「……そうか、では証拠を見せてみろ……この場を監視しているヤツを俺の前に連れて来い。まっ、お前らが失敗しても問題は無いが……まずは忠誠を示すことだ。そして失敗には失敗の償いをしてもらう。次の蘇生が『真なる蘇生』でなく『死者復活』だった場合、お前らはご自慢の戦闘能力を大幅に失うぞ。そして俺がお前らを殺すのは極めて簡単であることは理解したな?」

「朗報をお待ちください!」

「お任せあれ!」

 

 駆け出す2人を背を見て、ティーヌが腹を抱えて笑う。

 それはもう爆笑だった。

 

「アハハッ!……アイツら手の平返し、早過ぎ……バッカみたい!……で、この後どうするんですか、ゼブルさん?」

「どうもこうも、もう一人いるからねぇ……ソイツを捕縛してから、法国の真意を探るさ……第八席次は案内役と顔繋ぎして必要だろ……無意識下で強い信仰心と肉腫の支配を衝突させるのは未知の領域だけど……まっ、案内させてからは考えるけどね」

「でも、戦力にするつもりなんですよね?」

「あー、まーな……ちょっとばかり大袈裟にならない程度の戦力が必要になったんだよ。大掛かりになると、それはそれで拙いんだ……向こうの出方によっちゃ、総戦力を結集しておく必要も生じるが、こちらから仕掛けたように受け取られると非常に拙いんだ。相手に大義名分を与えることになる」

「やっぱりぃ……ゼブルさんが接触を待望していた法国相手に揉める私を止めないから、そんなことだと思いましたよ。なんかイライラしていたのを我慢していたのが損した気分ですぅ……だーかーらー……」

 

 抱き着こうとしたティーヌの前に無表情のオカッパ頭が割り込んだ。

 

「内輪揉めですかのう?」

 

 ティーヌを片手で遮り、ジットがボソリと呟く。

 

「まー、そーとも言うな……まっ、元々恐れがあったものが顕在化したみたいな?……現状を維持できれば、こちらの勝ちみたいなもんだ。だからアイツら程度の戦力がちょうど良いんだ。配下達と大差無いし……現実に肉腫の支配が及ぶわけだから、出会った時のティーヌさんやジットさんと誤差レベルだ」

「わしらにとっては強大に感じますが、ゼブルさんにとってはそうなのでしょうなぁ……」

 

 感慨深げにジットが腕を組んだ。

 唐突にティーヌが指を鳴らす。

 

「いま思い付いたんですけど、モッちゃんの部下達を鍛えませんか?……本人は伸び代皆無かもしれませんけど、部下にマジックキャスターが10人近くいましたから、育成すればそれなりの戦力になるかも、です」

「モッちゃん?……あー、モチャラスか……アイツは王国じゃ出世したように思っていたんだが、何でまた聖王国くんだりまで部下まで引き連れてやってきたんだ?」

「……さぁ?」

「わしには想像できませんな」

 

 3人共に黙り込む。

 さすがに誰も王国軍部の内部情報までは把握していない。

 正直なところ王国についてはザナック、レイブン、ラナー以外には大して注意を払っていないのだ。新たに将軍位に就いたガゼフ・ストロノーフの動向ですら蚊帳の外だ。

 

 考え込んだのも一瞬……ティーヌが発言する。

 

「でも、そーゆー事情なら渡りに船ってヤツ?」

「けどなぁ……ちょっと弱過ぎるなぁ……アイツら冒険者だと白金級ぐらいだろ?……同行させても法国相手だとナメられないか?」

「そりゃ『漆黒聖典』基準にしたら、この世のほぼ全ての者が基準に達しませんよ。法国にだって番外含めて13人……引退した連中を含めても年齢や健康的にハイレベルな戦闘に耐え得るのは100名切るんじゃないですか?……その中で最盛期の力を維持しているヤツは、いたとしてもごく少数です。後は各聖典の隊長クラスぐらいでしょうね、他国に胸を張れる戦力って……後は私も存在するのは知っていても、見たことない『六大神』の従属神がいるって話ですけど……」

 

 従属神……NPCか?……たとえ100レベルでもNPCはNPCでしかないわけだが、法国最大戦力の『神人』と連携されると厄介か……

 

 それはさておき……ティーヌの言い分にも一理あった。

 それそこ法国の戦力情報など王国軍部の内情以上に雲を掴むような話なのだ。

 ハッキリ言ってティーヌ頼み……ここで配下に加えた『漆黒聖典』を加えてもお粗末なのは間違いのないところ。

 しょーじき、その程度の情報しか掴めていない。

 強者が単独で存在するだけで軍事的優位を確立可能な世界ではどうしてもリアルやユグドラシルとの感覚のズレが生じる。

 王国はとにかくガゼフ・ストロノーフだが、他にも冒険者として『朱の雫』やらが存在している……残念ながら『青の薔薇』は失ったが。

 帝国はフールーダ・パラダインが突出しているが、彼の門弟はこの世界では平均的にレベルの高い魔法詠唱者だ。兵も押し並べて平均点。

 聖王国はケラルトと九色を頂点としているようだが、どうにも一枚落ちの感は否めない。上限でも以前の王国と同等程度の戦力と見て間違いないだろう。

 竜王国は国民の犠牲無しに奥の手を使えない以上、完全に一枚落ちどころか三枚落ち。

 その点、法国は2人の『神人』と『漆黒聖典』を筆頭に総じてレベルが高い印象を抱いていたが、本当のところはどんなものか?……新たに配下に加えた2人を基準に考えれば、法国を真に軍事大国たらしめるのは2人の『神人』と言っても言い過ぎとは思えなかった。

 評議国の情報はそれこそ皆無……なのに『白金の竜王』と他の竜王達のお陰で少なくとも地域最強クラスなのは間違いない。

 結局のところ『真なる竜王』とタメを張れる『神人』とは?……だなぁ。

 

 んでもって、魔導国はめでたく内部抗争一歩手前、と……アインズさんに期待だが、少なくともアルベドと諜報系探知系の80レベルNPC15体とやり合える戦力は確保しないと……アインズさん謹製のシモベとなると高レベルアンデッドだろうから、MP消費で召喚可能な『腐食蝿』では決して相性良くないし、かと言って仕込んだ最大戦力を結集したら宣戦布告みたいなものだ。過剰反応でそれこそ第八階層のアレら以上の戦力と聞いたルベドが出てきたら……戦争待ったなし、だよなぁ。

 

 ……決めた。

 

「よし……じゃ、ティーヌさんはとりあえずモチャラスに話を通してくれないか?……それと出発前に青薔薇にも声を掛けておくか……他はともかくイビルアイなら法国でもナメられることはないだろうからな」

「青薔薇が依頼を放り出しますかね?」

「聖王女陛下と一緒にカルネに戻った後なら問題は生じないだろ……依頼が完遂した後って条件付きで依頼を出すさ……まっ、いずれにしても第九席次と第十席次が戻ったからだ。覗きヤロウは間違いなく法国の奴だろうし」

 

 3人で瓦礫だらけのホールに佇む。

 いまだ第八席次は部屋の中で跪いているのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 待つこと30分と言ったところか?

 連中は戻ってこない。

 あまりに遅いので外に出ると、聖王国首都ホバンスの迎賓館周辺は大混乱の渦中にあった。

 補強板を付けた全身タイツに目出し帽みたいな格好の男と半裸の大男に顔面刺青に鎖を腕に巻き付けた男が衆人環視の中で大乱戦を繰り広げている。

 もはや法国の秘密部隊などでなく、傍迷惑な闖入者だ。

 特に半裸の大男は素手で建物を破壊しながらタイツ男を追い詰める。それを拘束しようと鎖男が鎖を投擲するも逃げられる、といった展開が繰り返されていた。タイツ男も逃げに徹すれば逃げ切れるのだろうが、暴れる2人に必死に声を掛けていた。さすがに身を隠してなどという余裕はなく、多くの目撃者が固唾を飲んで見守っている。衛兵隊までが手を出せないでいるのは、明らかに外国勢力であり、俺達が絡んでいるのが明白だからだろう。もっと上位の者が出てこないと責任が取り切れないに違いない。

 

 やっぱ、弁償は必要だろうなぁ?……迎賓館も含めるといくらだ?

 

 一見して人死は無いように思えるが、どこかで瓦礫に潰されている者もいるかもしれない。被害者がいれば蘇生させれば良いが……街の破壊は単純に金で解決するしかない。

 

 ……ならば、これを機に都市再開発でも売り込むか……後でヒルマに連絡をしておこう。それで割り引けば弁償は不要だ。

 うん、そうしよう。後でケラルトと交渉……いや、聖王女陛下の裁可をもらうとしよう。

 

 眼前では第十席次が全身タイツに殺人フックの連打で迫っていた。

 しかしスピードの絶対値では全身タイツに軍配が上がる。

 第九席次の攻撃も掻い潜りながらなので、攻勢に転じることはできないようだが、それでもこの世界では十二分に強者だ。

 

「いずれにしても逃すわけにはいかないからなぁ……」

 

 2人の忠誠心を確認する為の作業だったが、周辺の被害がバカにならないレベルになりつつある。

 

 ……仕方ないか……

 

 全身タイツ男が急停止し、第十席次の拳が腹を抉る。

 石造の建物を破壊する一撃だ。

 全身タイツは身体をくの字に折りながら通りを端から端まで吹き飛ばれ、建物を破壊した。

 血塊を吐き、その場で動きが止まった。

 第九席次が接近し、遠間から全身タイツを鎖で捕縛した。

 2人が跪き、首を垂れた。

 

「ゼブル様……捕獲しました」

「そうか……ご苦労だったな。お前達の忠誠は確認した。以後、法国の教義を捨て去り、魔導国と俺の為に尽くせ。良いな」

「「はっ!」」

 

 跪く2人の前に転がる全身タイツと言うか忍者の黒装束とでも言うのか、捕まえた2人によれば第十二席次とか言うヤツらしい。世界最高レベルの暗殺者という触れ込みだが、街中で暗殺者風の格好は果たしてどうなのか?……この手の疑問には触れない方が良いのか?……しょーじき、目立ち過ぎる気がするけど……

 

「おーい、意識はあるのか?」

 

 呼び掛けにピクリとも反応しない。

 仕込み済みの肉腫の情報では死んでいない。

 気を失っているだけか?

 肉腫からの反応を探っていると……

 

 カンッ!

 

 甲高い音が響いた。

 

 おおっ!……さすがは法国……って感心してる場合か!

 

 下腹部の手前の空中にひび割れが浮かんでいた。

 全身タイツの驚愕が目から伝わる。

 真っ直ぐ伸びる右手の掌中に暗器の類に違いない真っ黒な爪状の突起があった。おそらく『六大神』由来のそれなりのデータクリスタルを埋め込んだ暗器アイテムなのだろう。パッシブスキル『上位物理無効化Ⅲ』を貫いたが神器級のコートの防御までは抜けなかったようだ。同じ急所を狙うのならば頭にすれば良かったのにと思うが、第十二席次の体制的には無理な話だ。

 感心する間も無く、絶叫が響き、第十二席次の右手首から先が地に落ちた。

 制止する間も無く、左腕が肩から断切された。

 

「待て、ティーヌさん……殺すなよ」

 

 ティーヌが第十二席次の両膝を踏み抜く。

 そこまでして振り向いたティーヌから表情がすっぽり抜け落ちていた。

 

「……殺しませんよ。そんなんじゃ、この気持ちがどこに向かえば良いのか、判らなくなっちゃいますから……」

 

 そこからは地獄って表現でも生温い凄惨な拷問を見せつけられた。

 人間の顔面を薄く下ろす現場なんて見るものじゃない。

 それが第十二席次の意識の続く間、延々と続く。

 意識を無くすとポーションをぶっ掛けられ、再度両膝と両膝を踏み抜かれ、動けなくされる。

 今度は人間の千切りが始まる。

 足の指先から始まり、意識が混濁するまで延々と、淡々と続く。

 まるで作業だ。

 淡々と生み出される機械的な地獄。

 限界突破した怒りは狂気や狂乱すら駆逐していた。

 まるでマシーンだった。

 

 どうすれば良いのか判らない。

 止めなきゃならないは判るけど、どうすれば止められるのか……

 

 白銀の軽鎧は綺麗に輝いていた。

 だが本人は返り血で真っ赤に染まっている。

 

 迷う……と言うよりも何も考えられない。

 

 気付いたら、抱きしめていた。

 

 あくまでロマンチックに言えば、だが……背後から動きを封じたとも言えないこともない……けど、抱き締めたことにしておこう。

 

 ティーヌが振り向く。そして俺に腕を回した。

 

 血塗れの惨劇の中、何故か抱き合う2人を、それこそ何故か恐れで動けなくなっていた群衆からの拍手が包み込んだ。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 神都との定時連絡を済ませ、第八席次は今回の任務で自身の率いるメンバーを眺めた。

 主人から懲罰を受けた愚か者達だ。

 第九席次と第十席次は堂々と酒を酌み交わしているが、バックアップの第十二席次は部屋の片隅でガタガタと震えている。

 

 いくらなんでも……やり過ぎではないか?

 

 第八席次は自身の忠誠の対象が2つあることに疑問すら抱いていなかった。

 自身の役目に忠実な彼は進言すべき事柄をまとめて部屋を出ると、主人の部屋へと向かった。

 どうにもチグハグな違和感を感じるが、本国からの通信内容を主人に通達するのが何よりも優先される。正確には部下ではないが、今回の任務中は自身の指揮下に入っている他の『漆黒聖典』メンバーのように失態を重ねるわけにはいかない。

 主人からの懲罰が自身の想像を絶するものであったのは間違いだろうが、それにしてもあの第十二席次の様子は……

 

 そんな事を思案する内に、主人の部屋の前に到着した。

 ノックし、入室許可を求める。

 即座に入室許可が下る。

 中に入ると主人は椅子に座り、その右手にティーヌが立ち、左手にジットが控えるという体制で出迎えられた。

 主人の前に立ち、深く一礼した後、跪く。

 

「本国よりの指示を伝えに参りました」

「そうか、ご苦労さま……で、何だと?」

「はっ……アベリオン丘陵を王国側に迂回する形で王国内を移動するように、とのことでございます。道中で我々『漆黒聖典』が潜入する際によく利用する間道がございますので、そちらに迎えの者達が参る手筈でございます」

「了解した……で、出発は?」

「明朝を予定しておりますが、基本的にはゼブル様のご都合で……」

「そうか……では、出発時間は任せる……が、進路は王国内を避ける。お前達の言う潜入用の間道のギリギリまでアベリオン丘陵を抜ける。整備された道は無いが、安全性は俺と魔導国が保証しよう。少なくとも法国の指定した進路よりははるかに安全だ」

「はっ……では、本国に報告はいかがいたしますか?」

「もちろん不可だ。わざわざ進路を伝えてどうする?」

「……仰る通りです。私の失言でした」

 

 第八席次は失言を詫びる為に深く頭を下げる。

 何かがおかしい。

 それが何かまでは解らない。

 世界の為に全てを犠牲にしてゼブル様に仕えてきたはずだ。

 本国の最奥もそれを是としている。

 ゼブル様に全てを委ねれば良い。

 地上だけだなく、神界も魔界も支配される御方……故に魔神なのだから。

 これまで疑ったことのない真理だが、どうにもしっくりこない。

 人間の救済者でしかない『六大神』よりもはるかに高位の御方。

 世界の全てを救われる御方。

 裏切り者すら側に置かれる慈悲深き御方。

 

 ……どこか薄寒い。

 

 頭を振る……気付かぬ内に疲労が蓄積しているかもしれない。

 

「どうした?」

 

 ゼブルの問い掛けに顔を上げた。

 

「いや、少し疲労を感じまして……」

「そうか……では、出発は明後日にしよう。お前も明日はゆっくり休め。他の者にも休暇をやろう。それと、皆でこれを使え」

 

 ゼブルが虚空に手を突っ込み、革袋を取り出すと、第八席次の前に差し出した。

 そのまま両手で拝領する。

 ズシリと重い。

 

「魔導国金貨50枚だ。それだけあれば十二分に骨休めも可能だろう」

 

 法国で使用する旧金貨の倍以上の価値があるはずだ。

 出発前に確認した最新の相場では旧白金貨1枚に対して魔導国金貨4枚程度だったはず……

 ゼブルは本国と違い、気前が良い。

 本国で出発前に受け取った活動費をはるかに超える金額を、ポンっと配下に下賜したのだ。

 

「はっ、ありがとうございます、ゼブル様」

 

 第八席次はさらに深く一礼し、出発予定の変更を本国に伝えるべく、早々に退出した。

 

 

 

 

 

 

 

 やはり信念の強そうな奴は、しっかり支配しない状態では考えが揺らぐのは間違いないようだ。

 特に法国でガチガチの洗脳教育された『漆黒聖典』のメンバーでは行動の一つ一つに違和感を抱くのは仕方ないところだろう。かと言って、全員を完全に支配下に置くと法国とのやりとりに支障をきたす可能性が高い。

 アインズさんに敗北した『陽光聖典』の末路を知っていれば、全メンバーを完全な支配下に置くことはむしろハイリスクだ。

 法国が単純に民意に追い詰められて、状況打破の窓口としての俺に接触を求めているだけならば問題は無いが、法国上層部がそこまで短絡的な連中とは思えない。リアクションから考えて、連中が選択肢の幅を失ったのは間違いだろうが、だからと言って跪くとは思えない。脆弱な人間種を数百年に渡って守り通してきた宗教国家の指導層はヤワな連中じゃない……はずだ。

 

 法国の真意を探る。

 

 その為にこちらから先手を打って、出迎えの『漆黒聖典』共を支配したわけだが、あまりに下っ端過ぎたのか、自白させても単なる出迎え以上のものではなかった。特にバックアップ(=おそらく監視役)の第十二席次までが何も知らないとなると、配下に加えた面子は単なる使い走りだ。

 第八席次は様々な意味においての危険を承知で現状を維持させなければならない。法国の思い通りに動くわけにはいかないが、連中の想定からあまりに外れ過ぎると無用な疑念を生じさせ、お互いに効率が悪くなる。

 実のところ、こちらも法国に接点は求めているのだ。その為にいろいろと仕込んでいたし、結果として想定通りに法国を追い詰めた。

 少なくとも元人間の俺にとっては『真なる竜王』が率いる国家よりも、『神人』を擁するとはいえ人間国家の方が理解し易いし、情報源としてティーヌとジットもいる。

 今のところは優位に立っている。

 連中も劣勢の自覚があるからこそ、俺に接触を図ったわけだ。

 だからこそチャンスは活かしたい。

 失敗しても逃げるだけならば可能と思いたい。

 『神人』と『六大神』の従属神次第ではあるが、それこそ総戦力で不意打ちされるとかいうこちらが油断しまくりの状況にでもならない限り大丈夫だと思う。だが敵陣に踏み込むのは最悪を覚悟すべき状況である。どこまでも地の利は敵にあり、絶対にこちらの優位にはならない。

 死地だ。

 それだけに可能な限りの仕込みはしたい。

 

 少なくとも『神人』による奇襲だけは回避しなければ……

 

 『漆黒聖典』の支配はその為の保険でもある。

 『神人』の戦力の一端でも判明すれば、それだけでもかなり優位に立てる。

 そうでなくとも最低条件を満たす為の足掛かり……単純に包囲された際に逃げる方向に迷いがなくなるわけだ。

 出迎えに来た4人は配下にした。

 次に間道に来る連中も今回来た連中程度であれば……

 

 顔を上げると、ティーヌが覗き込んでいた。

 

「……なーんか、セドランが不安定って、感じですか?」

「セドラン?……第八席次のことかな?」

「そうです。二つ名で呼ぶ習慣なんでフルネームまでは知りませんけど、第八席次『巨盾万壁』はセドランって名前でしたね」

「へぇ……んじゃ、他のメンバーは?」

 

 肉腫で喋らすことは可能だが、無条件で情報を得られるわけではない。

 

「第十席次と第十二席次は知りませんけど、第九席次はエドガール・クフフ・ボーマルシェ……その内殺そうと思ってましたから、いちおう知ってます。他のメンバーで知っているのは第五席次『一人師団』クアイエッセ・ハイゼア・クインティア……兄だけです」

 

 ティーヌの表情が複雑なものに変化した。

 

「おぬしは『クインティアの片割れ』と揶揄されておったからのう」

 

 ジットが感慨深げに呟いた。

 

 つまりティーヌの兄上は出来が良いわけだ……なんとなくリアルの俺と被るなぁ……

 

「……私がフルネーム知っているメンバーって、2人とも殺そうと思っている連中なんです」

「えーっと……第九席次はなんとなく理解できるけど……ティーヌさん、お兄さんも殺したいの?」

「むしろ絶対殺すリストで、不動の一位です」

「なんかされた?……イジメとか」

「いいえ……私と違って欠点みたいなのはありませんよ。世間が思う以上に優しくて、立派な人格者です」

 

 うん……話が見えない。

 

「血縁だから?」

「さぁ?……良く解りません。でも私が歪んだのは兄のせいでもあります。とにかくアイツが私と同じ顔で優しく語り掛けてくるだけでイライラもムカつきも止まりません。殺意が溢れてきます……こうして話題にしているだけでも無理っぽいです」

「……肉親だけに憎悪に歯止めが効かない、ってヤツ?」

「顔が似てますからね……しかも出来が良くて、そんなのと生まれた時から比較されていたんです。私の努力って何だったんだろ?」

「兄に追い付け、追い越せ、じゃあなくて?」

「むしろ兄を殺す為……の方がしっくりきますね」

「なんか、ティーヌさんも大変だ」

「も……ですか?」

「うん、まあ、凄く優秀な兄弟と生まれた時から比較されてきたって意味においては俺も一緒かな……俺は殺そうなんて思わなかったけど……思ったところで敵わないし、むしろ自分の事で精一杯だったかなぁ……」

 

 一瞬ティーヌが凄く驚いたような顔を見せ、即座にいつもの笑いに戻った。

 

「少しだけ気が楽になりました……ごめんなさい」

 

 ん?……どうした、突然。

 

「やっぱ、ゼブルさんに着いて行きます。何かあろうと、拒絶されようと」

 

 いつになく穏やかな笑顔でティーヌが俺の肩を抱き締めた。

 唐突な変化に戸惑いつつも、妙に落ち着いた気分にもなる。

 

「どしたの、突然?」

「なーんか、このまま事態が進展すると兄のことでゼブルさんと意見が対立するかなーって思っていたんですけど、私の方がちょっとだけスッキリしちゃいました。兄を殺すんじゃなくて、下僕にして、使い潰すのも気分が良いかなって……ゼブルさんの言葉で少しだけ気分が和らぎました。理由は解らないんですけど、最近はゼブルさんの言葉の全てが簡単に理解できるんです」

 

 ん?……ちょっと待ってくださいよ……それって?

 

「わしもです……ゼブルさんの教えを世に広めたい衝動を抑えるのが、大変な時もありますなぁ……」

「私も、私も!……ゼブルさんが情報漏洩を嫌うから言わないだけで、どうしてもゼブルさんの考えを世に広めたい衝動が疼いて堪らない時があります」

「良し!……2人とも俺の前に整列!」

 

 こりゃ、下手すると2人とも斜め上のクラスを取得してる気がする……そう思い、慌てて命じた。

 

 ティーヌとジットが並び立つ。

 

「えーっと、今からお二人の職業構成を確認します。だからちょっとの間、動かないでください」

「はーい」

「了解しました」

 

 んじゃ、まっ、やってみましょう。

 

「スキル『グシオンの眼』!」

 

 うーん……種族は正統なのに職業はなかなか破天荒なビルドです。

 

 まずはティーヌ……合計レベルは74。いや、強くなったものです。

 種族はインプから軽くサキュバスを経て、今やアークデーモンLv1……悪魔系の王道正統進化を果たしてます。さすがはアインズさんの育成ですわ。

 職業はファイター(ジーニアスって何?)やらソードダンサーやらケンセイやらといかにもかつ順当に成長進化した高レベルなものから、モンクにローグにアサシンと取得しただけのようなものの中で際立って異彩を放つのはエヴァンジェリストLv2……さっきの違和感の正体が判明しました。

 次いでジット……合計レベルは57。こちらもかなり成長しました。

 種族はティーヌと同じくインプスタートでデーモン経由のグレーターデーモンLv2……やはりアインズさんは正統進化させているようです。ユグドラシルプレイヤーには完全に手探りの現地勢の育成なのに……やはりベテランプレイヤーは違うなぁ。

 職業はネクロマンサー系に暗黒神官系となかなか相性の良さうな二本立てが中心ですが、サモナー系もかなりの高レベル。その他にはセージが高レベルなのはともかく気になるのはセクレタリーとレコーダー……なんとなく俺が合計2レベル分浪費させてしまったような?……そしてトドメはやはりエヴァンジェリストLv1。

 

 伝道師……つーか、2人の場合は伝導してない上に、ろくでもない思想に違いないので狂信者ですわ。しかも信仰の対象は俺です。

 

 ちょーっと責任を感じるなぁ……でも、まあ、これでハッキリしたのは現地勢の強者をユグドラシル由来の種族に変更して鍛えれば、単純にレベリングするよりも結構お手軽に育成可能ってことだ。なんだったらMP召喚可能な眷属の『腐食蠅』をこまめに召喚して、討伐させ続ければ85レベルぐらいまでは簡単に育成できる……はず。低位の魔法ではなかなか厳しいけど、腐食耐性を持つ神器級の武器でなら、現地では強力な眷属の腐食の防御も突破可能だ。ただし本人の肉体を防護できる防具も必要になるが……そこは『えんじょい子』さんが作りに作って、PVPのトロフィーとして手に入れた腐食耐性特化の数々の防具でなんとかなる……うん、俺だけでも戦力強化が可能かもしれない。

 

 対法国、対アルベドのどちらについても抜け道の先に僅かな希望が見え始めた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 ティーヌにエヴァンジェリストの悪名高き思考誘導能力を使わせようと考えたわけだが、職業レベルそのものは低いので通用しない可能性も高い。それ以前にエヴァンジェリストの能力をどう使えば良いのか、当のティーヌもジットも理解していないのだから、門外漢の俺としても指示の出しようがなかった。

 だもんで、そのままモチャラス一党の説得に送り出すしかなかった。

 

 で、俺は俺で青薔薇に依頼を出しに向かっていた。

 ジットは『漆黒聖典』4人の行動監視兼留守居だ。連中はこの世界では強いのかもしれないが、同時にあまりに常識が無さ過ぎる。その上第八席次は精神的に不安定なまま放置せざるを得ないのだから、行動監視は必要な措置だ。

 

 そしてホバンスで最高級と呼ばれる宿屋のラウンジで俺は煩い5人組を待っていた。丸テーブルの向こうではチラチラと俺を見ながら行き来する客と従業員が緊張感を漂わせている。聖王国ではやたらと有名になったもんだから、周囲の視線が痛い。が、非常時でもないのに女性だけの部屋に押し入るのは勘弁だ。仕方がないので好奇の視線を我慢しているわけだが……

 

 一口だけ茶を啜り、上階へと続く階段を見る。

 

「よぉ、副王様……こうやってサシで話すのも久しぶりだよな」

 

 何故か背後から青薔薇では最も俺と因縁のあるガガーランの声がした。

 そのまま『鉄砕き』を背もたれに立て掛けると対面のソファに座り、俺を見てニヤリと笑った。

 

「……久しぶりですね」

「おう……アングラウスは元気か?」

「基本、ブレインが元気じゃない時は無いと思うけど……あれだけ日々鍛錬してるんだ。講師の仕事も気に入っているようだし……少なくとも気持ちは充実してるんじゃないかな」

 

 ガガーランは腕を組み、ニヤリと笑った。

 

「魔導国はどうですか?」

「お陰様で充実してるぜ……ありがとよ、魔導王陛下を紹介してくれて」

「それは何より……で、お一人で俺に話でも……?」

 

 スーッと目が細めたガガーランが真顔になる。

 そして両手を膝に着き、深々と頭を下げた。

 

「俺を……鍛えてくれねえか?」

「はっ、えっ?」

「これまでの無礼も謝罪する。あんたのことをアイアンフェルで殴り付けた件も反省している。いろいろと疑って、済まなかった。結果だけ見りゃ、あんたのやったことは意味がある。民衆を豊かにした。帝国は知らねえが、王国でも竜王国でも魔導国でも、そして聖王国でもそうするんだろ?……貧乏な冒険者達だって結果的には救われている……以前、俺はブレイン・アングラウスに、剣に全てを捧げろ、と言われたんだよ。要するに、お前は強くなる為に全てを捧げてない、ってことだろ。全てを捧げたブレイン・アングラウスはあんたに従っている。なら、俺もそうしようと思ってな」

 

 ガガーランが爽やかに笑う……照れ笑いってヤツだ……つまりマジだ。

 

 うーん……とても素直に従う気があるとは思えないが、ここで断って、都合よくこっちの依頼だけ受けろって言えるかなぁ……無理だよなぁ……

 

 全員の申し出ならば、今後は魔導国内が主戦場になるわけだから支配するのも良いかもしれないが、ガガーランだけっていうのが悩みどころだ。まあ、仮に全員の申し出でもイビルアイだけは最初からレベルが叛逆可能域に達しているわけだから、単純に喜べるものでもないが……

 

 一長一短。

 帯に短し襷に長し。

 アルベド案件が無ければ即決で断れるが、しょーじき、ビミョーな戦力は喉から手が出るほど欲しい。安全マージンの為にはいくらいても構わない。

 その点、ガガーランって存在は軽く頭を抱えたくなるような、絶妙な立ち位置の人材だ。強さの最低ラインはクリアしつつ、冒険者っていう比較的入出国が目立たない立場なのも素晴らしく、さらにアダマンタイト級であるが故に望めばアインズさんとの会談も許可される。青薔薇と関係を断ち切ったガガーラン個人であれば、両手を挙げて歓迎するところだが、所属チームと因縁の多いのがなぁ……

 

 表面上はニコニコしつつ、頭を下げ続けるガガーランの頭頂部を眺める……と気配が2つ、唐突にガガーランの背後に現れた……双子忍者だ。

 

「あっ、ガガーラン、抜け駆けは良くない」

「私達も頼む」

 

 ……んっ?

 

 よく見分けのつかない双子忍者がペコリと頭を下げた。

 こちらはガガーランと違ってノリが軽い。

 

「えーっと双子も鍛えて欲しい、と?」

「私達は三つ子」

「三つ子の内の2人……驚いたか?」

 

 双子……いや、三つ子……面倒臭っ!……見分けられないがティアとティナが口元だけで笑う。

 

「……それはともかく、なんで急に皆さんの意見が変わったんですか?……青薔薇は基本的に俺を警戒しているかと思っていたんですけど」

「魔導国に移って、ゼブルのやったことを見て回った」

「みんな幸せ……冒険者も幸せ……人間も亜人種も異形種までもが満足している……すっごく見直した。努力したことが報われる。良いこと」

「で、ガガーランが帝国との戦争中にゼブルのところのブレイン・アングラウスに刺激されていた」

「私達も最初は疑っていた。お前は戦争を利用して大きくなる。竜王国でも魔導国でも……でも両方の国民は満足していた。みんな笑顔……懸命に働いている。そして豊かになっている。全員にチャンスがある」

「私達もチャンスを得た……報酬も栄誉も王国時代とは比べ物にならない」

「もっとチャンスを得たい……そう考えた」

「私達はガガーランの行動を予測していた」

「抜け駆けは許さない。私達も強くなりたい」

 

 3人揃って頭を下げる。

 なんとも妙な雲行きになってきた。

 丸っ切りの想定外だ。

 

 どうする、俺?……全員ならば話は早いが……

 

「……で、リーダーのラキュースさんとイビルアイさんの意向は?」

 

 悩む前に最初に確認すべきだった……あまりに想定外で忘れていた。

 最重要な質問を飛ばした途端、3人とも微妙な顔付きになる。

 

「鬼ボスはゼブルに好意的だと思う」

「逆にイビルアイはゼブルに否定的……でも冒険者として魔導国に移籍して以来、以前のように敵視はしていない……と思う」

「てなわけで、俺達は相談できなかったんだよ。板挟みになるのは目に見えているなぁ……イビルアイが反対するのは間違いねえし、ラキュースはラキュースで俺たちの意見を入れて活動拠点を移しただけで、王国貴族としての立場を捨てたわけじゃねえからな」

 

 それでも3人は申し出たわけか……相当な覚悟なのも理解した。

 

「で、解散でもするつもりなんですか?」

「いいや、それは無い。むしろ『青の薔薇』の名声をあんたら『3人組』やモモンの『漆黒』以上に高めるのが目的だ。その為には全員がイビルアイの立っている場所に這い上がらなきゃならねえ……今の『青の薔薇』は歪なんだ。イビルアイが突き抜けて強く、次いでラキュース……俺達3人はどんぐりの背比べって感じだと思う。だから俺達が強くならねえとよ。あんたは為政者……魔導国の副王でもある。だから国策に従って有望なアダマンタイト級冒険者チームが今以上に強くなって困ることはねえだろ?……むしろ立場だけなら推奨すべき立場だ。ぶっちゃけりゃ、そういうお互いの利益の擦り合わせも可能かと思ったのもある」

 

 なるほどねぇ……なんとなくイビルアイに「脳筋、脳筋」と揶揄されているイメージがあったが、ガガーランもいろいろと考えているわけだ。

 

「……その目的をイビルアイさんに話しましたか?……チームの強化目的ならば反対しようがないと思いますけど」

 

 ガガーランがニヤリと笑った。

 同時にティアとティナも目を細める。

 

「どうせやるならサプライズ……ティアとティナが拾ってきた情報じゃ、あんたは聖王国で1人の聖騎士見習い……聖王国じゃ従者って言うのか?……の娘をたった1日でとんでもない強者に育て上げたって評判だぜ。思い返せば、あのバケモノ女……ティーヌだって俺達と出会った頃は俺よりもはるかに強いとはいえ、あんなバケモノみてえな強さじゃなかった。それを一年も経たねえ内に亜人の軍勢を単騎で駆逐するようなバケモノにしたのはあんただよなぁ?……もちろんティーヌ本人も望み、血反吐を吐くような訓練に身を投じただろうよ。だがあんたがいなきゃ、絶対に今の場所に到達できなかったはずだ。アングラウスだって、そうだ。俺はアングラウスがデス・ナイトって言う魔導国衛兵の強大なアンデッド4体を瞬時に戦闘不能にするのをこの目で見た。そして1体だけ俺にもトドメを譲ってくれた……その時に確信したんだ。たった1匹の自分よりも強いバケモノをこの手で討伐するだけで、力を得られるってな……」

「さあ、素直に話す」

「そう、私達を鍛えてくれる条件が知りたい」

 

 ……条件ねえ……

 

 言う通り条件はあるが、素直に喋って従う連中とは思えない。

 強引に支配するにもイビルアイの存在が邪魔だ。

 とはいえ、連中のやる気を削ぐのもどうかと思う。

 なにしろ、そもそもが青薔薇に法国への同行を依頼しに来たわけだ。

 その相手がわざわざ戦力強化されたいと望んでいる。

 俺としては渡りに船……鴨ネギだ。

 それこそ『漆黒聖典』程度の強さであれば、成長されたところで決別しても痛くも痒くも無い。

 ならば、それらしい虚でも言うか?……テキトーに納得させて、そこそこまで鍛えるだけ鍛えて、支配はしないっていうやり方も有りな気がする。

 しかしあまりお気楽な内容を伝えて気軽に考えられても困る。何より俺のことを戦力強化コーチのように考えられてもなぁ……

 

「条件か……そうですね……俺の依頼を受けてくれたら、試しで少しだけ鍛えることにしましょう。それ以降は貴女達次第ってことで……」

 

 妥協案というよりも単なる先延ばしだが、とりあえず依頼を受けさせる為の方便と言った方が正しいかもしれない。

 

 煮え切らない回答に3人はジト目で睨んでくる。

 しかしいくら睨まれても正答など言葉にできるものではないが……

 まっ、選択権は俺にあるわけですよ。

 だからやる気を削がない程度に強気で構わない。

 

「貴女達が育成するに値する存在だと示して下さい」

「ちっ、解ったよ。俺らの本気を見せてやる」

「そう……むしろ燃える」

「解った……鬼ボスとイビルアイを説得する」

 

 3人は立ち上がり、上階へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

「ちわー、モッちゃん、いる?」

 

 安宿のドアを開けると2人の男が振り返った。

 内1人は見知った顔であり、もう1人は知らない顔だ。

 見知った方はフィリップ・ディドン・リイル・モチャラス子爵。王国の次代を担うと目される貴族であり、敗色濃厚な王国を救わんと駆け回った英雄だ。

 知らない方はカルロスという名の元王都の白金級冒険者であり、アベリオン丘陵でヤルダバオト相手に前衛職で唯一生き残ったフィリップの部下だ。

 

 そのカルロスが立ち上がり、腰の剣に手を掛けた。

 

「貴様……その呼び方からすると、この方が誰か認識しているのか!」

「この方って、モッちゃんだよねー……で、アンタは?」

「俺はカルロスだ。モチャラス閣下の部下だ」

「ふーん……で、私が誰だか、背後のモッちゃんに聞いてみたら良いんじゃないかと思うよー」

 

 カルロスが振り返ると顔面蒼白のフィリップが歯を鳴らしていた。

 いかに覚悟を固めようが、策略を練ろうが、身に染み付いた恐怖は拭えるものではないようで、フィリップは部下の前で体裁を保つことすら忘れていた。

 カルロスの顔を見て、慌てて体裁を取り繕う。

 

「で、カルちゃんは私が誰か知っているんでしょ?」

「カ、カルちゃん……?」

「そっ、カルロスだからカルちゃん」

 

 カルロスが唖然する間に、ティーヌは狭い部屋の中央まで侵入していた。

 そして制止する間も無く、フィリップの胸ぐらを掴み上げた。

 闖入者の上官に対する無礼にも、カルロスは動けない。

 ニコニコと笑う中でチラリと見せた目がカルロスの脚を止めた。

 命の恩人の上官は宙吊りであり、助けなければならない。

 だが近づけないし、抜剣もできない。

 あのヤルダバオトにも剣一本で突っ込もうとしたカルロスが、である。

 

「ちゃんと挨拶するのは久しぶりだねー、モッちゃん」

「貴様!……離せっ!」

「離して欲しい?」

「当たり前だ!」

 

 ティーヌがフィリップの胸倉から手を離す。

 当然、フィリップは落下した。

 手足をバタつかせていた為、着地に失敗……したように見えたが、さすがに成長の証を見せ、ギリギリ踏み止まった。

 

「貴様……魔導国の手の者だったのか?」

「うーん……ちょっとだけ違うかなぁ……お仕えしているお方がたまたま魔導国の副王になった、が正解だと思うよー」

「では、魔導王でなく副王ゼブルが貴様の主人なのか?」

「うーん、魔導王アインズちゃんは主人の主人っていうよりも友人で師匠って感じかなー……それと、お前ごときがゼブルさんを呼び捨てにするんじゃねーよ……ゼブル『様』だよねー?……お解り、モッちゃん?」

 

 唐突なティーヌの変貌にフィリップは息を飲んだ。

 そして頷く。

 

「……で、何の用だ?」

「んー……お誘い?」

「何の誘いだ?」

「法国旅行と戦力強化、のかな」

 

 散々思い悩んでいた問題の回答がベストな形で転がり込んできたのに、あまり希望通りなのでフィリップは逆に二つ返事ができなかった。

 未来の帝国攻めの為にいずれ繋がりを築こうと考えていた法国旅行も非常にありがたいが、戦力強化についてはむしろどうやって副王ゼブルに接近しようかと考えていたところである。

 しかしティーヌが介在することで同時に過去の悪夢が思い起こされる。

 恐ろくも痛い記憶が脳裏を過り、どうにも落ち着かない。

 ゴミ屑から脱却させてもらったこには感謝はしている。

 だからといって、平常心ではいられないのだ。

 だが申し出を断ることはあり得ない。

 こちらの都合もあるし、ティーヌの申し出を断ることへの恐怖もある。

 

「……本当か、貴様?」

「モッちゃんに嘘言っても、私に得は無いと思うけどなぁ……まっ、どうしても嫌だって言うなら、力尽くで考えを変えてもらう必要があるかもしれないけどねぇ……ゼブルさんにこの程度のお使いもできないと思われるのは私のプライドが許さないんだよねー……私としてはやりたくないけど、どうする?」

 

 ティーヌの笑いを見て、過去の悪夢が呼び起こされた。

 もはやフィリップに拒否などできるわけもない。

 フィリップは部下が注視する中で、何度も何度も頷いた。

 

「んで、モッちゃんとカルちゃん以外の面子は?」

 

 既にティーヌの中ではカルロスが同行することは決定らしい。

 可哀想だが、フィリップには拒否権が無い。

 しかし間が悪いのか、タイミングが良かったのか、戦線が一段落したところで他の9名は報告がてら、一度王都に帰したところなのだ。

 魔法詠唱者は戦力として貴重だ。

 鍛える鍛えない以前に才能ありきである。

 そして絶対数が違う為、安易に人員補充ができない。

 同じ陣営に魔導国副王やティーヌがいるとはいえ、アベリオン丘陵にはヤルダバオトが健在だ。

 だから王都に帰還させた。

 加えて聖王国の亜人相手の戦場では、魔導国副王の横にくっついて回れば、敵が確実に弱体化するのが判明していた。そうであれば前衛だけでもやっていけないこともない。傭兵としての報酬を手持ちの遠征資金の残額に加えれば、フィリップとカルロスだけであればかなりの期間魔導国陣営を追跡できる。消耗品や備品に至っては相当に余裕ができた。

 だから身分を偽装したまま、こんな安宿で節約をしているのだ。

 護衛と従卒を兼務させるカルロスには申し訳ないが、腹の底ではフィリップ自身の代わりはいくらでもいるが、魔法詠唱者の代わりがいないことまで考えていた。

 だがティーヌは9名の魔法詠唱者達も同行させるつもりだったらしい。

 どう答えるのが正解か……嘘は拙い。

 散々考えたが、真実を告げるしかなかった。

 

「……いない」

「いないって……どーゆーこと、モッちゃん?」

 

 笑顔のティーヌの目付きが僅かに険しくなったように見える。

 

「王都に帰した。報告と資金の節約の為だ」

「モッちゃんは?……出世して一軍の司令官になったとか聞いたけど?」

 

 フィリップは両肩を落とし、力なく笑った。

 1人付き従うカルロスには悪いが、真実を述べる時のようだ。

 

「私はもうダメだ。司令職は就任予定だっただけ……その為の練兵で大きな損失を出した。最精鋭50を引き連れ、アベリオン丘陵への遠征を私的なコネを使って強行し、彼の地で39名を失った。戦闘ならばまだしも、訓練で、だ。言い訳はできない。私は一軍を率いる器ではなかったようだ……ならば一兵卒として……」

「閣下、そんなことはありません!」

 

 カルロスが声を荒げた。

 フィリップは呆然とするティーヌから視線を外し、カルロスを見た。

 

「そんなことはあるのだ……すまないな」

「いいえ、閣下は王国の英雄であり、私の命の恩人です……けっして……」

「もう良いのだ……愚かな田舎者の貴族の三男が、望外の爵位を得て、一時とはいえ、国軍を動かす立場にまで成り上がったのだ。ここに至っては一兵卒として、復讐に生きるのみだ……偽帝ジルクニフとヤルダバオトは私が絶対にこの手で討ち果たす」

「俺は閣下に従います……閣下が救ってくれた命です。閣下の為に使い潰して下さい」

 

 フィリップとカルロスが抱き合わんばかりに接近した。

 異様に熱い空気の中、不穏な笑いが産み落とされた。

 

「……君達、御涙頂戴もイイけどさー……まずひとなみに強くなろっか、ね?」

 

 ジルクニフとヤルダバオト……その名を聞いた途端、ティーヌは本来勧誘するはずだった9名の魔法詠唱者のことは忘れ去り、目の前で茶番を繰り広げる2人を面白そうに眺めていた。

 




お読みいただきありがとうございます。


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48話 策謀の変転

 

 出発準備は万端……かと言えばそうでもないが、とりあえず予定通りに近い形で出発した。

 全般的に高低差の少ない道無き道をを進む。

 先頭は巨体を誇るストーンイーターのデンガロ。

 前衛は亜人絶対殺すメン『漆黒聖典』の4人。

 その直後にヤルダバオトへの復讐に燃える王国の2人。

 殿に俺達3人。

 亜人天国アベリオン丘陵の走破を目指す組み合わせとしては「酷い」の一言だ。

 青薔薇はカルネに戻り、エ・ランテル経由の正規のルートで法国入りする予定だ。神都で待ち合わせ、ってやつだ。

 

 さて、未解決の大問題がまだあった。

 法国の至宝『ケイ・セケ・コゥク』……つまり法国の奥の手であるワールドアイテム『傾城傾国』対策だ。

 ティーヌによれば所有者というか使用を許可されているのはカイレという名の枯枝BBAらしい。同様の内容は第八席次以外の『漆黒聖典』からも個別に裏が取れている。

 『傾城傾国』の見た目は白銀地に金の昇竜が刺繍されたチャイナドレスだ。さすがに攻略WiKiに載るレベルワールドアイテムだけあってこれは有名。

 効果も耐性無視の精神支配として有名。アンデッドだろうとNPCだろうとプレイヤーだろうと『世界級』を冠さないレイドボスだろうと効果を及ぼすらしい。

 

 うーん、さすがにチートですわ。

 

 使用者は女性限定……まっ、見た目がチャイナドレスだけに妥当です。

 後は単体のみに効果を発揮する……複数体支配可能ならば完全にバランスブレイカーになってしまうしなぁ。

 と、ここまでは判明している。

 詳細な制限については現物を手に入れて、是非とも『グシオンの眼』で鑑定したいところ。

 

 で、本当の大問題は……法国が俺に使ってくるか、否か、だ。

 上層部は法国不利な情勢である認識は間違いなく持っているだろう。

 魔導国との交渉を望んでいるが、魔導国にやり込められる状況は望んでいないはず……かと言って、短絡的に俺を精神支配しても魔導王の逆鱗に触れる可能性があるも理解しているだろう。

 

 あくまで上層部は、だが……こうも『漆黒聖典』のグダグダっぷりを見せつけられると、統制は怪しいと考えるべきなんだろうなぁ……

 

 つまり現場は短絡的に『傾城傾国』を使う判断を下す可能性も捨てきれないわけだ。使うなら、その対象は当然俺なんだろうなぁ……ほぼ暴走に等しい行為だが、暴走する輩はその場の判断に身を委ねるはずだし……

 

 加えて他のワールドアイテムを保有している可能性も捨てきれない。

 カイレとか言う『神人』でもない単なるBBAが『傾城傾国』を所持しているのだ。より戦闘に有用なワールドアイテムを法国が保有しているのならば2人の『神人』に持たせないわけがない。まっ、可能性の問題ではあるが、捨てきれるものではない。

 なので最低限、身を守る為に『天網恢々』は身に付けておく必要がある。

 アイテムボックスから出すのはかなり危険な行為だが、俺さえ無事ならば殺害して精神支配を解く方法が使える。『真なる蘇生』であればレベルダウンはかなり軽減できることも実証済みだ。実証実験の為に4回も死んでくれたオルランド様々だった。

 

 一つだけ、ワールドアイテムらしい情報はないことはないが、あまり漠然としすぎていた。

 隊長……つまり第一席次の持つ槍は、彼の戦闘能力に比してあまりに見窄らしいものらしい。これについてはティーヌも『漆黒聖典』の4人も同じ証言をしている。

 見窄らしい槍……思い当たるのは『傾城傾国』以上に有名なワールドアイテムが一つだけ……ユグドラシルに200近く存在すると噂されるワールドアイテムの中でも桁外れの効果を持つ『二十』の中の一つ……ロンギヌスだ。

 で、疑問が生じる。

 あんな危険な得物を戦力として貴重な『神人』に持たせるだろうか?……攻略Wikiでも確認できるテキスト通りならば、この世界ではいかなる存在も抹消できる代わりに、完全な自爆アイテムとなっているはず……600年の間に伝承が変貌したか、最重要な部分は失伝したのか……いずれにしても『神人』自体が希少な存在である以上、ロンギヌスに真の力を発揮させるのは巨大な戦力を2つ同時に失うことと同義だ……少なくとも宿敵のアーグランド評議国相手に劣勢となるのは明白……たとえ本物のロンギヌスだとしても、上層部はギリギリまで使用を許可できないはずだ。ソレが第一席次の通常装備とされているのが、なんともチグハグさを感じさせる。

 

 まっ、想像を膨らめても確証が無い上に、証言が「戦闘能力に似つかわしくないボロボロの槍」程度じゃなぁ……警戒するに越したことはないが、考え過ぎも疲れるし……

 

 対策って言ってもねぇ……『天網恢々』を身に付けとくぐらいだし。

 

 後は出たとこ勝負しかない。

 

 心許ない結論を噛み締めながら、ゆっくりゆっくり馬を進める。

 長閑だが殺伐した風景が流れて行く。

 法国まではまだ遠い。

 

「あー、麺類食いたいなぁ」

 

 俺の独り言を聞いて、並走するティーヌが妙な目付きで笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 先が見えない程の広大な峡谷越えの為のマスフライの繰り返しによる往復以外は大した苦労もなかった。それこそ俺が魔法で飛んで『転移門』で一発なのが解っていながら、連れて来たフィリップの手下に見せたくないという理由でマスフライによる往復となったのだ。フィリップならばまだしも、その手下が拘束されても救出する気がない以上、不必要に情報を開示したくなかっただけ……そこに気が回ってしまった時点で俺の負けですわ。

 そして広大なアベリオン丘陵を抜け、俺達は低い山地を越えれば、そこは王国というところまで辿り着いていた。

 それにしても、さすがはデミウルゴス。

 道中で襲ってくるような亜人は存在せず、眷属の監視網の範囲内に近寄ってきたのも2〜3体。その2〜3体すら、こちらを確認した途端、遠くへ離れて行った。

 さすがに亜人に対して会敵必殺の法国に連れて行くわけにはいかず、ひたすら南下すれば「牧場」という地点でデンガロと別れ、残りのメンバーは山越えに突入したが、少しは苦労するかと思いきや、実にあっさりと王国に密入国を果たした。

 王国に入ってからは順調そのもの……トラブルらしいトラブルもなく、サクサクと行程を消化して行く。

 

 実に暢気な馬の旅……手持ちの食料も酒も水も潤沢なのだから、食い倒れの観光旅行も同然だった。

 

 しかし法国からの迎えが現れるという間道まで約2キロメートルというところで、先行させた眷属が異常を知らせてきた。

 

 いい加減、暢気な旅行にも飽きてきたところだが、さすがにいきなり敵かもしれない勢力と鉢合わせになるのは勘弁願いたい。

 全隊を停止させ、眷属に様子を探らせる。

 

 間道というか、林道というか、獣道というか……大きな樹木の影に巨大過ぎるとんがり帽子を被った下着姿同然の破廉恥女が1人。その後方にユグドラシルプレイヤーの俺ですらバカバカしいと感じるぐらい巨大で奇妙な形の大剣を持った男が1人。そのさらにずーっと後方に大昔の女子高生の制服風の格好にガーターベルト姿という変態チックな格好の女が樹木の影に寄り掛かるように隠れていた。

 

 見たままの特徴をティーヌに告げる。

 

「破廉恥女は第十一席次でしょうね。そして大剣持ちが第六席次です。最後方で隠れているのが第七席次で間違いないでしょう。あの女は『漆黒聖典』の中では実戦向きじゃありませんから……能力から考えて、偵察役ってことでしょうね……ちょっと違和感感じる面子ですけど、こっちの4人が既に寝返っているとは思っていないわけですから……」

「でも違和感を感じる、と……」

「迎えに『漆黒聖典』4人を寄越すぐらいですから、法国としては極めて重要な任務と考えているはずです。であれば、第七席次を出すぐらいなら、兄が来そうなものですけど……私と同じ顔の男はいませんか?」

「……現時点で警戒網には引っ掛かってないな……さらに後方の警戒網の外側にいるのかもしれないが……」

「……ババアはいますか?」

 

 最も警戒を要する『傾城傾国』装備のBBA=カイレのことだろう。

 

「いや、警戒網内には見当たらない」

「ババアが来ていれば、番外以外の全メンバーが出張ってきているか……」

 

 ティーヌもかなり神経質になっているようだ。まあ、魔導国との交渉を求めている上層部が俺に『傾城傾国』を使う判断を下す意味は無い。怖いのはあくまで現場の暴走で、想定外の精神攻撃が俺に及ぶことだ。対策の為に少なくとも法国側の配置は把握しないと拙い。そうでなくとも法国内に侵入すれば、噂の『番外席次』が評議国との協定を破らずに行動可能な範囲になるのだ。いきなり交戦状態になるとは思えないが『神人』2人が同時に動ける状況に置かれる前にそれなりの準備はしたい。

 

 ということで、第十一席次と第六席次は同時に頸を押さえた。

 役目を果たした2匹の眷属が消える。

 その後、僅かに茫と宙を眺め、2人は第八席次と同じ簡易支配状態となった。

 

 別の眷属を通した視界でそれを確認すると、第八席次だけを先行させた。

 

 残る第七席次を処理すれば、とりあえずの安全は確保できるし、この先の法国がどう出るつもりなのかも、ある程度は把握可能になるだろう。

 

 ……いない?

 

 監視を続けていたはずの眷属の複眼から第七席次の変態チックな姿が消えていた。

 

 転移か?……いや、そうならば眷属が単純に見失うはずがない。

 

 眷属にはほぼ死角が存在しないはず。

 唯一と言っても良い僅かな死角は頭の真後ろだが、空気の流れを感知する器官も備えている。そこらに存在するハエと違い、眷属はトンボのようにホバリングすることも可能だ。

 真下、真後ろを確認させるも第七席次の目立つ姿が確認できない。

 

 ……?

 

 これまでに見た『漆黒聖典』レベルであれば、60レベルの眷属を出し抜くことなど不可能だ。

 第七席次のレベルが突出しているようにも思えない。

 ティーヌの証言では『漆黒聖典』の中では実戦向きではないらしい。

 

 では、どこに消えたのか?

 

 ほぼ死角の無い眷属の複眼を掻い潜り、転移でもなく、激しい移動による空気の流れも感じさせない。

 

「で、あれば……遠くには行けないはずだ」

 

 眷属を第七席次が寄り掛かるように隠れていた巨木を周回させる。

 痕跡……があった。

 レンジャー職でなければ気付かない僅かな痕跡だが、眷属の複眼は誤魔化せなかった。軽く抉れた樹皮か数ヶ所……上か?

 地獄の蠅が上昇を開始した。

 

 逃げたということは眷属に気付いているということか?

 

 痕跡を追って上昇を続ける。

 巨木の一際大きな枝の上まで一気に上昇させた。

 窪みのような股の中に体育座りでガタガタ震える旧世紀の女子高生スタイルの女。それが顔を上げた。

 まさに眷属が枝の上まで上昇した瞬間だった。

 明らかに眷属を視認しているようで、姿を確認した途端にパニックに陥り、それこそ若い女子が持つようなピンクのバッグで眷属に殴り掛かる。メチャクチャな乱打だが、そこらのハエでも空中にいる状態で叩き落とすのは難しいのに、眷属は蠅の王の眷属であり、地獄の蠅だった。眷属よりも低レベルかつ純戦闘職でもない相手が単純な殴打攻撃を当てるのは不可能だ。

 

 これまでのところ『漆黒聖典』のメンバーで眷属の接近に気付いた者はいない。世界最高レベルの暗殺者という第十二席次でも気付けない眷属に、低レベルで気付く上に、視認までする能力か……ちょっと気になるな。

 

 ティーヌに第七席次の能力を確認する。

 

「私が知っているのは占いですよ。それに遠隔監視ですね」

 

 実にあっさりした答えが返ってきた……にしても「占い」ね。なんか引っ掛かるんだよなぁ……以前、どこかで聞いたような……

 

 過去を思い返す。

 リアルは関係ない。

 この世界に転移してから……まずティーヌと出会い、ジットと弟子を配下に加えた。そしてブレインと出会い、無数のシャドウ・デーモンを確認して、なりふり構わずエ・ランテルから逃げたっけ……で。

 不意に正解に行き着いた気がした。

 

「……そう言えば、カタストロフ・ドラゴンロードとかいうウドの大木の復活を予言したヤツって……?」

「それです!……それが第七席次『占星千里』ですよ」

 

 まず「占い」っていうか「予言」ができる、と……なかなか素晴らしい人材じゃないか!

 

「で、遠隔監視って、どんなものなの?」

「かなりのものですよ。神都にいながら、国境は優に越えます。相当なものだと思いませんか?」

 

 ナザリックで言えばニグレドか……低レベルな劣化版ニグレドだとしても是非とも欲しいな。なんなら最優先で鍛えれば良いし。

 

「是非欲しいな……」

「ゼブルさん、私の前で女相手にそーゆー言い方は、たとえ真意が違っても良くないと思います……まっ、そうは言っても第七席次は『漆黒聖典』の中では嫌いじゃない方から一位なんですけど……」

 

 何故か、頬を膨らませるティーヌがいた。

 

「可能なら、レベルダウンはさせたくないな……あっさり支配できれば良いんだけど……」

「それは大丈夫だと思いますよ……強メンタル揃いの『漆黒聖典』の中では第七席次がメンタル最弱なのは間違いありませんから……能力が貴重なんで、これと言った訓練も受けていないと思います。仮に受けていたとしても潜入工作を請け負う私達が受けたものよりも劣化したものだと思います」

 

 ティーヌの言葉を裏付けるかのように、眷属が送ってくる映像情報の中で第七席次は完全にパニックに陥っていた。むしろ木から落下しない方が奇跡的に思えるほど、周囲を飛び回る眷属に向けて、おそらく悲鳴を上げながらピンクのバッグを振り回している。

 

 即座に全隊を移動させる。

 フィリップとカルロスという名のフィリップの部下……一行の中では最弱の2人を間道の入口に待機させ、他のメンバーは森の中に侵入した。

 さすがにここまで接近すると遠くから悲鳴が聞こえる。

 俺を視認するとまるで昔からの主従であるかのように第六席次と第十一席次が拝跪した。それを当然であるかのようにホバンスで完全支配した3人と第八席次も受け入れている。合流した2人はティーヌに対して少し違和感を抱いているようだが、ジットに関しては完全にスルーしていた。

 

「ゼブル様、先程から第七席次の様子がおかしく、お姿を確認してもこちらに参集しないのですが……いかがいたしましょうか?」

 

 間近で見ると想像以上にバカバカしいと思える奇妙な巨剣を持った第六席次が頭を下げた。いちおうお迎え隊のリーダーらしい。

 第十一席次はセクシーを通り越して完全に露出狂だ。森の中とはいえ、よくそんな格好で歩けるもんだと感心するも、よくよく考えたら出会った時のティーヌも良く理解できないビキニアーマーを装備していたし、帝都の闘技場では第十一席次以上の紐ビキニで喜んでいたか……まっ、こっちの世界の基準が狂っているのかもしれないし、2人がおかしいのか、法国人がおかしいのか……当の第七席次もかなりヤバい格好なのは間違いないし。

 

「連れて来い……いま、騒いでいるのは直ぐにでも大人しくなるさ」

 

 眷属に命じた途端、響き渡っていた悲鳴が消えた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 神都まで1日という距離を残し、休憩に入った。

 野営というよりも完全に宴会だった。新たな『漆黒聖典』3人の歓迎会とでも呼べば良いのか、同行しているメンバー全員で酒を飲み、『保存』の魔法を解除した大量の料理を食い、歌い、騒ぎ、踊り狂っていた。

 フィリップとカルロスの王国人2人組も臆することなく、2人に比して高レベルなメンバーの中で騒いでいた。さすがに法国人相手に爵位を誇っても意味がないことは心得ているようで、高慢なフィリップも酒瓶を片手に専ら戦闘訓練について『漆黒聖典』メンバーに聞いて回っている。

 ティーヌは第十一席次が俺に近付くのをとにかく嫌うようで、半ば喧嘩を売るような形で飲み比べを始めていた。

 その輪が広がり、野郎共も飲み比べを始めている。

 とても厳格な宗教国家の特殊部隊とは思えない光景だが、逆に普段の抑圧が厳しい分、彼等も色々と破綻しているかもしれないし、あえて破綻したいのかもしれない。

 乱痴気騒ぎのような嬌声と罵倒の中で、力比べから声の大きさ比べまで始まり、とにかく我の強い面々は何から何まで優劣を決しなければ我慢できないかのように馬鹿騒ぎを続けていた。

 

 純粋な聖職者はいないにしても、少し引くな……冒険者の集団の方がまだ大人しいもんだ。

 

 『漆黒聖典』の抑圧からの解放がとんでもないレベルに達する中で、俺は聖王国から持って来た魚介のスープパスタを柔らかくしたような麺類を啜りながら、ホバンスで酒蔵そのものを手に入れたシャンパンジュース風の酒を飲んでいた。

 目の前で女子高生というには年齢的にかなり厳しい感じの第七席次が貝類の串焼きを物珍しそうに摘んでは、一つ一つ串から外して、お上品に口に運んでいた。ティーヌの言う通り、他の『漆黒聖典』メンバーとはかなり毛色が違う感じではある……繊細と言うか、面倒臭いと言うか……

 

「……第七席次『占星千里』さん?」

 

 呼び掛けにメガネ女子が顔を上げた。

 

「はい、ゼブル様……何か御用ですか?」

「お前は予言ができるらしいが、半年後の俺の未来を言い当てられるか?」

「見ることは可能ですが、的中するとは限りません……『破滅の竜王』の復活も外しました。外すことの許されない大きな世界への影響だったのですが……それ以来、上からも当てにされていません。遠隔視能力だけは評価されていますが、今回慣れない任務に駆り出されたのもそれが原因だと思います。簡単な任務から少しでも実戦に慣れさせて、役立てようという意図でしょう。その程度でしかない私の能力でよろしければ……」

 

 ……そりゃ、ご迷惑掛けてすみませんでした。

 

「頼む」

「……承りました。ではまず右手を貸して下さい」

 

 右手を差し出すと第七席次は両手で包むように優しく握り締めた。

 

「次いで私の瞳を見て下さい」

「了解した」

 

 奇妙な雰囲気の中、メガネの奥の瞳を見詰める。

 第七席次が視線を真っ直ぐ受け止めた。

 吸い込まれるような瞳だ。

 変な状況に変な気分だ。

 可憐と言えば可憐な唇が開く。 

 

「半年後……ですか?」

「ああ、半年後だ。なるべく具体的に頼む」

「具体的……難しいですね」

「はぁ……どの辺が、ですかね?」

「今見えているのは……ゼブル様の心象風景……のようなものです。つまりゼブル様の心の内側の現実にはあり得ない風景ですから……それを元に予言を組み立てますので……具体的って言うのはちょっと……」

「ちょっと待て!……んじゃ、お前はどうやって『破滅の竜王』の復活を予言したんだよ?……俺にやっているように、こうやって『破滅の竜王』の手を握って、目を覗いたわけじゃないだろが」

「それは占術用の水晶玉を使いましたが……?」

 

 まっ……ですよねー。

 

「えーっと、今は無いの?」

「残念ながら、持参していません」

「……そのバッグの中は?」

「カード類と護身用の短剣だけです」

「カードで占えないの?」

「……他の者よりはマシ、程度の占術しか行えませんが」

「なんでそんな物を携帯してるのさ」

「いちおう武器になるので……」

「……マジ?」

「マジです」

 

 そう言い切られ、不承不承頷くしかなかった。

 仕方ないので心象風景からの予言とやら聞くか。

 

「そうか、了解した……じゃ、その心象風景からの予言を教えてくれ」

「承知しました……薄暗い建物の中です。その中をゼブル様は歩いています。行けども行けども果てしない道程です。出口があるのは判明しているのに、どうしても出口に辿り着けません。足を止めようと思っても、後に続く者達の為に立ち止まることは許されません。迷うことも許されず、ゼブル様はひたすら前進しています……」

 

 予想通り何を言っているのか、さっぱり解らん。

 

「半年では目的地に辿り着かぬ、ということか?」

「判りません……目的を果たせぬ……あるいは目的達成の兆しが見えぬ……もしくは解決方法を選択できない事情がある……ゼブル様自身は目的を見失っている、という可能性もあります。目的達成をあえて放棄していることも考えられます。いずれにしても楽で安直な道程ではない、ということではないでしょうか?」

「なかなか不穏だな」

「恐れ入ります。ですが嘘はございません。ゼブル様が半年後の未来で感じているモノを風景に投影したような……あやふやで申し訳ありませんが、見えているものが正確に何なのかも判らないのです」

 

 第七席次が深々と頭を下げた。

 他の『漆黒聖典』メンバーと違い、強固な支配の過程を経ずに第七席次はあっさりと俺の支配を受け入れた。生来神経質なのかもしれないが、『破滅の竜王』復活の予言の失敗(?)から少なからず上からの信頼を失ったと思い込んだことが大きな要因なのかもしれない。こうして占うことを求めると、遠慮がちな態度と裏腹に内心喜んでいるのが表情から伝わる。

 

「……嘘とは思っていない。ただ、どうしても解釈の幅が広過ぎるからな」

「ありがとうございます、ゼブル様。次の機会をいただけるのならば、ちゃんとした魔道具を用いて占いたいです……こうしてゼブル様に私の能力を信用していただけるのは、励みになります」

「次回は神都で予言をしてもらおうか」

「はい!……頑張ります」

 

 メガネ女子にニコリと微笑まれ、俺も笑いを返す。

 

「なーに、断りもなくいい雰囲気になってんですかぁー!」

 

 かなり酔いの回ったティーヌが俺と第七席次の間に立ち塞がり、その背後からとんがり帽子の下着女がさらに割り込んだ。

 

「こんな魅力のない女共は放って置いて、私と2人でイイことしませんか、ゼブル様?」

 

 気怠そうな雰囲気をかなぐり捨て、お色気全開……巨大な帽子の向こうから誘惑の視線を送ってくる。常識皆無の『漆黒聖典』とはいえ、さすがに臣下の分を超えるようなことまではしないが、しょーじき苦手なタイプだ。

 

「うっさい、無責任ビッチ!……黙れ、離れろ、殺すぞ、テメー」

「延々と長い間、お手付きにならないのがお前だろ、裏切り者……魅力が無えのを自覚した方が良いんじゃないの?」

「はぁ?……私はテメーみたいな尻軽じゃねーんだよ」

「勘違いすんなよ……私は尻軽じゃなくて、良い女なの……誰も彼もが私を求めてくるんじゃん」

「ビッチが!」

「クアちゃんはモテるのにねぇ……やっぱどこまで行っても片割れは片割れ……能力だけじゃなく、魅力も出来損ないで出涸らしのゴミ女じゃん」

 

 酒の勢いもありティーヌの目付きがかなり剣呑なものへと変貌する。

 同じく泥酔状態の第十一席次が酒臭い吐息と共に挑発を繰り返す。

 

「お前ら止めろ……いちおう親睦の席のつもりなんだけど」

 

 顔を真っ赤にして、今にも殴り掛かろうとしていたティーヌが急停止し、罵詈雑言を吐き続けていた第十一席次も口をつぐんだ。

 

「頼むから、仲間割れは止めてくれ……明日には神都だ。お前達は俺の盾だ。盾同士が争っていては『ケイ・セケ・コゥク』の不意打ちが防げん。力を持っているのだから、示威行為だけでなく、行使せねばならんという阿呆がいないとも限らない。そーゆー連中からすれば俺は良い標的だ。法国にとって脅威である魔導国において上からの2番目の決定権を持っているのだからな」

「了解しました、ゼブル様……この出来損ないとも仲良くします」

「りょーかいでーす。ただしクソビッチがゼブルさんにこれ以上近寄らないように警護もしまーす!」

 

 ティーヌがとんがり帽子の剥き出しの肩に腕を回して抱き寄せ、強引に荒れ狂う男共の方へと連行して行った。

 

 急に場が静まる。

 目の前で第七席次が小さく溜息を吐いていた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 神都の城門を潜ると、清潔かつ質実剛健な街並みが広がっていた。

 少なくとも表通りは極めて清潔であり、一本裏に入った通りも清潔そのものだった。

 

 これぞThe宗教都市と言う感じか?……宗教都市ってホバンス以外には一個も知らんけど。

 

 しかし周辺諸国有数の軍事大国の片鱗は感じない。

 城門こそ立派だが、城壁は極めて低い。カルネのような豪壮さも、エ・ランテルの堅牢さもない。その代わりと言ってはなんだが、建築物は低層の物ばかりでとにかく頑丈そうに見えた。

 行き交う人々の数はとにかく多いが、これといって他の都市と違うようにも思えない。まっ、同じような性格のホバンスも爛れていた王都と遜色ないのだから、神都も似たようなものなのだろう。

 『漆黒聖典』を先頭に立てて街を進めば、連中のイカれた格好に気付いた住民達は頭を下げる。国家機密の塊のような特殊部隊といえど、この格好では一眼見れば記憶に残るのだろう。住民達は「お役目ご苦労様です」と無言の挨拶を投げ掛けてきた。

 正式な国交があるわけではないので式典等は無いが『漆黒聖典』の面々が練り歩くだけで、道行く人々の波が左右に割れ、即席の歓迎式典のような様相を呈している。

 

 馬に揺られること30分……俺達の前に広大な敷地を誇る神殿が現れた。

 

「こちらが目的の土の神殿でございます、ゼブル様」

 

 第八席次が頭を下げ、俺達を敷地内に誘導した。

 広場を挟んだ遥か向こうに豆粒のような人影が3人分見えた。

 

「彼方で中央に立つのが、土の神官長にして六色聖典の頭領であるレイモン・ザーグ・ローランサンでございます。左手が第五席次……そちらのティーヌ様の兄でございます。右手の女性が第四席次でございます」

 

 先導する第八席次に代わり、出迎え隊リーダーの第六席次が説明する。

 

「下馬はしなくて良いのか?」

「構いません……神殿前で奉仕者が皆様の馬をお預かりしますので、そこまでは騎乗されたままで結構でございます」

 

 そう説明する第六席次も大剣を担いだままだ。

 遠慮なく、言われた通りにしよう。

 

 やがて神殿前に到達すると、40代ぐらいの壮健な中年男がジットの法服が浮くぐらいに質素な法服姿で頭を下げた。

 第八席次と第六席次が俺を紹介する前に、土の神官長レイモンは馬の横に歩み寄り、白々しいぐらいに感動の面持ちで俺を見上げる。

 そのまま俺の下馬を手伝う始末。

 

「お初にお目に掛かります、ゼブル殿……この度は不躾な要請に応じていただき、遠路遥々我がスレイン法国までの御足労、誠にありがとうございます」

「いや……こちらとしても一度はスレイン法国と話し合う必要があると感じていたところ……ちょうどそのタイミングでお誘いがあったわけですよ。絶好のタイミングでした、ローランサン殿」

「どうぞ、気軽にレイモンとお呼び下さい……皆様には旅の疲れを癒やして頂きたいところですが……もし許されるのでしたら、まずは土の神殿でお茶会などを催したいと考えております。本日はその後に御宿泊先に案内する予定になっておりますので、警備の都合上、まずはお茶などいかがでしょうか?」

「では、呼ばれましょう……それと確認ですが、私の護衛役と秘書役が法国内で拘束されるようなことは金輪際ありますまいな?」

「もちろんでございます!……事前の約束はゼブル殿に来訪して頂く為の絶対条件ですので、決して違えるような事はございません。報告では一切問題無かったと聞き及んでおりますが、迎えの者達にお付きの御二方への無礼でもございましたか?」

「いや、それならば結構……単なる心配性です。お気になさらずに」

 

 レイモンは満足げに笑い、俺達を神殿内に招いた。

 配下に加えた『漆黒聖典』の面々とはそこで別れ、俺達3人以外に王国の2人組と第四席次と第五席次が続く。

 軽く確認するとティーヌは笑顔を浮かべていたが、その目に笑いの成分は皆無だった。やはり兄が気になるのか……

 

 歩くこと約10分……目的の神官長室に到着した。

 やはり神殿そのものがおかしなレベルで広大だった。高さは無いが、とにかく無駄に広々としている。通路も広く、途中に案内された礼拝堂など体育館が10個丸々建設できるような広さだ。その広々とした中が見渡す限り清潔に保たれていた。土の神の信徒の奉仕者達が日々清掃に励んでいるらしい。

 

 室内に通され、簡素ではあるものの立派な一枚板のローテーブルにレイモンと差し向かいで座る。ソファも古くはあるが手入れの行き届いた黒い革張りの逸品だ。俺の背もたれの背後にティーヌとジット。その背後に王国の2人組が立ち、レイモンの背後に第四席次と第五席次が並び立っている。

 神官長のレイモン自らが『保温』が付与されたティーポットを持ち、俺の茶器に色の濃い茶を注ぐ。

 

「改めて、この度の御足労ありがとうございます……我がスレイン法国では貴国や他の国々のように壮麗な歓迎をする予算がございませんことを先に詫びておきます。決してゼブル殿を低く見て、侮るというような意図では無いことを神に誓わせていただきます」

「どうぞお気になさらず……こちらとしても生まれが下賤故に、あまり物々しい式典などされても困ります。正式な国交でもあれば形式も必要でしょうが、現時点では歓迎の意図が伝われば充分と考えております」

「ありがたきお言葉です……さて」

 

 ……ようやく本題か……

 

「この度、ゼブル殿をお招きした理由ですが……」

「どう言った理由ですか?……正直なところ、腹の探り合いに終始するのも時間の無駄と考えております。お互いに擦り合わせ可能なことは解消してしまった方が無駄な労力が省けると考えますが……?」

 

 レイモンが大きく目を見開いた。

 少々大袈裟な仕草は……本心を隠す為か、単なる癖か?

 

「では遠慮なく申し上げれば、我が国産品の相対的価格上昇と旧通貨の貨幣価値の下落のダブルパンチに市場も労働市場も悲鳴を上げております。輸入品の価格は安値安定であったのですが、貨幣価値の方が下落し始め、徐々に価格が上がり始めております。私のように経済の専門官でなくとも我が国の経済が疲弊していく様が手に取るように解る有様です」

「それはお気の毒に……で、私にどうしろ、と?」

 

 俺の問い掛けにレイモンは僅かに口籠ったが、やがて意を決すると必死の形相で語り始めた。

 

「……我々の国是は貴国の国是と水と油……決して混ざり合うことのない両極に位置しております。それは重々承知の上で、是非ともこの国難を助けて頂きたい。スレイン法国1500万国民を代表して……同じ人間としてゼブル殿に頭を下げる所存……」

 

 同じ人間、と強調してレイモンはこれまでになく深く頭を下げた。

 

 なるほど、だから俺なのか……アンデッドであり、多くの異形種を支配する魔導王に直接頭を下げるわけにはいかないが、少なくとも表向きには人間である俺であれば交渉の窓口を開けると……法国上層部は国内的な言い訳が必要なところまで追い込まれていたわけだ。内情は俺の想像以上に厳しいところまで追い詰められているのだろう。

 

 ……さて、どうする?……対法国としては想定よりもこちらには都合の良い状況だが、対アルベドを考慮するとあまりよろしくない状況だ。法国を崩壊は無理でも弱体化させるのは極めて簡単なのだから、むしろ「人間至上主義」を捻じ曲げさせる方に注力した方が俺にとっては都合が良いか?

 

「……私としては、魔導王陛下に口添えするのは吝かではないが、法国としての代償無し、とはいきませんね。それは絶対に無理と申し上げておきましょう。であれば話は極めて簡単です。何某かの代償を、法国として差し出せば、魔導王陛下をご納得させることも叶いましょう。この度はその為の交渉を開始するということでよろしいですか?」

 

 想定よりも厳しい回答だったのか、それとも単なる猿芝居なのか……判然としないがレイモンが顔面を蒼白にした。

 

「……代償とは……どのような?」

「目的は貴国の経済を救済することです……それに見合うものでしょうね。その見合うものをお互いに考えましょう、ということです」

「経済を救済すると簡単に仰いますが、それは確約されるのですか?」

「貴国の経済を救済する……方法を任せていただけるのであれば、極めて簡単です。ですが、それでは貴国は納得されないでしょう。パッと思い付くだけでも我々の同盟に加入すれば良いのです。同じ経済圏になれば格差は自然な形で徐々に是正されます。もちろん我々のアンデッドを用いた生産力が貴国に許容されれば、ですが……貴国の国民は歓迎するでしょう。ただし貴国の歴史を鑑みれば、指導層が喜ぶとはとても思えません」

「……アンデッド……我が国には厳しい条件ですな」

「我々も無理強いはしません。ですから、教育とセットという形で同盟国には広めております。この話は生産性向上の実績と教育がセットで初めて成立するのです。たしかに自然発生したアンデッドのほとんどが生者を憎んでいるのかもしれませんが、魔導王陛下が直接お作りになったアンデッドは陛下の言葉に絶対服従です。そして陛下は全ての国民を心から愛しております。故に陛下のアンデッドは生者を愛しているのです……陛下に支配された自然発生のアンデッドも同様です。既に我が国では自身の死後、陛下のアンデッドに志願する者まで現れております。教育と実績により認識が激変したのです」

「……失礼を承知で申し上げれば、貴方様は有史以来最大の詭弁家です」

「詭弁?……私は事実を語っているのですよ。こちらも失礼を承知で言えば、既に法国上層部にもある程度の報告は上がっているはずです。つまり貴方達は事実を知った上で、信じたくないから信じないだけなのです。それが国益に反しようと、自身の価値観の方が大切なのでしょう」

 

 レイモンは言葉を詰まらせた。

 グッと息を飲み、こちらを睨むわけではなく、ただ見詰める。

 

「……アンデッド導入以外の方法はあるのですか?」

「……万全ではありませんが、もちろん」

「我が国としては、そちらを希望することになるでしょう。見合うだけの代償を差し出すことも私個人としては同意しますが、これについては最高執行機関で討議しないわけにはまいりません」

「もちろん承知しております……気長にやりましょう。お互いに良い落とし所を見つけるべきです」

 

 ちょうどそのタイミングでドアがノックされた。

 案内役が現れ、俺達は本日の宿に先導された。

 背中にレイモン・ザーグ・ローランサンの視線以外に3対の視線を感じた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 激論は交わされど、延々と結論は出なかった。

 国是を踏み躙るような言葉だが、反射的に激昂する以前に「救済を確約する」という棘が会議参加者各自の心で楔と化していた。

 

 経済状況は悪化の一途。

 経済の専門官でなくとも、もはや誰の目にも隠せないレベルとなっている。

 農業生産者は苦しみ、手工業分野にも鉱業分野にも苦境は波及していた。

 その苦境は神殿にも波及していた。

 各地の神殿に報告させた結果……誰もが愕然とせざる得なかった。

 知らない方が幸せだったかもしれない。

 各神殿への奉仕者こそ減らないものの、金銭の寄進は激減していた。

 加えて神殿は竜王国からの大口の寄進も失っていた。

 魔導国はともかく、帝国も王国も各地に散在する神殿の寄進額は軒並大幅減少していた。やがてカルサナス都市国家連合の神殿も苦境を伝えてくることは目に見えている。聖王国については独自の神殿体系なので、組織としては法国と無関係だった。

 つまり魔導国が各国に導入した教育システムと、それまでの嫌悪感を補って余りあるアンデッドの働きがジワジワと真綿で首を絞められるように効いているのだ。個人によってはこれまで神殿が広めたアンデッド認識に悪態を吐く程にまで影響されていた。

 治癒魔法の対価も、他はともかく魔導国では実質0だ。

 周辺国でも月を追う毎に確実に減少傾向を強めている。

 魔導国の周辺から治癒ポーションの価格下落が始まっているのだ。

 彼等は良質なポーションの大量生産、大量供給に成功着手しているようで、これまでのような職人の家内生産的な物量ではない量が市場に出回っているのだ。市場価格は『保存』の魔法を施したものでも旧通貨で銀貨10枚前後であり、これまでの3分の1程に抑えられている。神殿としては防御不能かつ致命的な一撃を加えられたも同然だった。

 これらの調査と報告は法国上層部に痛撃を与えた。

 良くも悪くも各地の神殿が法国の本殿にひた隠しに隠してきた寄進激減の実態が白日の下に晒され、各神官長は認識を改めさせられたのである。

 結果として魔導国への過小評価は影を潜めた。彼等は魔導国の影響下にある国々の神殿が魔導国の援助無しには立ち行かなくなっている現実に打ちのめされていた。そして法国経済も疲弊した現在、本殿にも各神殿に援助をする余裕が無くなりつつあるのは明白であり、期待していた他国神殿からの上納が絶望的であることも理解せざる得なかった。

 

 極限の重さが議論の尽くされた最奥の部屋の空気を満たしていた。

 披露に塗れた出席者が項垂れる中、最も年嵩のジネディーヌが顔を上げた。

 

「……たしかに魔導国副王ゼブルはそう申したのだな、レイモンよ」

「ジネディーヌ老……我々は、いや、私は魔導国という国家を見誤っていたのかもしれません。しかし私は、それでもゼブル殿を頼るべきだと考えます。もはや魔導国による経済的侵攻は我が国の命数を絶たんとしております。そして各神殿の疲弊は限界を超えております。それを殺さぬ程度に支えているのも魔導国……」

「それはそうだろうが、神殿を追い込んだのも魔導国だ。加えて本国の経済も魔導国の暗躍により破綻寸前……報告によれば一月程前から魔導国のエ・ランテルへと続く街道にスラム街が出来上がりつつあるようだ。魔導国への移住を目指す一団がキャンプ地としていた安全地帯に人が溢れていると言う……民心は我々から離れつつあるということだ。もはや開戦やむなし、との考えにも理があると考えておる。しかしながら我々が勝てぬ戦に進むことこそ、彼の国の思惑なのかもしれぬ。わしはお前に黙って手の空いていた第五席次に密命を課した。魔導国の戦力を把握せよ、とな……」

 

 マクシミリアンの座っていた椅子が唐突にガタガタと音を立てた。

 そして本人は必死の形相で立ち上がっていた。

 信徒の絶対数も少なく、法国の本殿しか神殿を持たない闇の神殿だが、それだけに疲弊の速度が他の神殿の比ではなかったのだ。負担が少ないから生き残っているだけ……マクシミリアンの認識は当たらずも遠からず。

 

「それで!……どうなのですか、ジネディーヌ老?」

「不明だ、マクシミリアン……10日程度では全貌など探れるはずもなく、第五席次は帰還させた。完全に統制されたアンデッドの部隊がいくつも魔導国内を巡回している……これについては皆も知る通りだ。単体でも恐ろしいデスナイトにソウルイーター……それ以上に強大なアンデッド達……都市で公僕となっている無数のエルダー・リッチ……農園で働く膨大な数のスケルトン……空を行き交うドラゴン達に城壁の清掃に従事するジャイアント達……これらは秘匿された戦力でないのだ。魔導国にとっては隠すほどの戦力ではないということだ。奴らの底は到底知れない……つまり開戦に反対せざる得ないということ」

「どちらに転んでも地獄……そういう事ですか?」

「そうではない。蜘蛛の糸で綱渡りの真っ只中なのだ。細い足場は確実に削れつつある。そして糸を支える支柱の崩壊も止められぬ……我々に現状維持など望めぬのだよ」

 

 マクシミリアンが深く項垂れ、代わりにベレニスが立ち上がる。

 

「つまり我々としては何かを掴まねばならないわけね、ジネディーヌ老?」

「そうだ……まず落ちるわけにはいかぬ。加えて倒れるわけにもいかぬ」

「その為の手を差し伸べているのはいそいそと足場を削る魔導国自身……悪辣極まりないマッチポンプね」

 

 ジネディーヌが枯枝のような顔に一際険しい視線を浮かべる。

 無防備に視線を受け止めたベレニスが思わず怯む。

 

「わしは断言する……我々にとって開戦は破滅と同義だ。たしかに『神人』は生き残れるだろう……だが人間を守護してきたスレイン法国という国家の命数は尽きる。対して魔導国は配下のアンデッドのを失う程度の損害……確認されている巡回部隊の数はおよそ50……各部隊に配属されているデスナイトの数は約40……被って配属されていないと仮定すれば総数はデスナイトだけで2000……それが想定される最小の数だ。ソウルイーターを勘定に含めなくとも、我が国は確実に滅ぶ」

「……気が付けば今が地獄……ですわね」

「いかにも……もはや退路も失った。この先民心が離れる速度は我々の想像を絶するものになる……無念だが、このような戦争……想像の外側だ」

「……ジネディーヌ老のお考えは理解しました。しかし国家は御老の私物ではございませんわ」

「左様……まだ敗北と決しておりませんな。形勢は極めて不利であることは認めます。しかし『神人』が生き残れば我等の意志は生き残る……そう考えることも可能」

 

 ジネディーヌの悲観論に対し、ドミニクが決然と反論を展開した。

 進むか、退くか、停滞したまま沈没するかの三択なのだ。

 誰かが主戦論を唱えねばならないことはこの場の誰もが知っている。

 あえてか、本心か……険しいドミニクの表情からは読み取れない。

 

「我等が意志も示さず、膝を屈して良いものか……安易な妥協を選択することは、滅亡と同義。この後も延々と続く歴史に我等の主張を刻まねば、ひ弱な人間を守護する強固な意志を失うでしょうな」

「その結果、守護すべき人間を失うか……それこそ本末転倒というもの」

「だが『神人』は滅びぬよ……あの子らは生き残る」

 

 ドンッと机が鳴った。

 この会議では滅多に無いことだ。

 誰も驚愕こそしないが、視線を集めるには効果的だった。

 卓を打ち据えたのはイヴォンだった。

 彼は全員を一瞥すると、満足げに頷いた。

 

「もはや議論の整理は無用……我等は立ち往生するわけにはいかぬ。故に二択。進むか、退くか……進めば滅亡……退けば全てを失う。いずれにしてもロクな結果は得られん。そして破滅の宣告者は神都に在り、我等の回答を待っておる。もちろん直接手は出せん。我等に残された道は大声で喚き散らすか、素直に膝を屈するかの不名誉な二択だ……負け戦にいくつ理屈を重ねても負け戦よ。我等の誇りは痛痒も感じぬ敵に笑われるがオチよのぉ……で、どうするね?……我等の招きに応じた副王様が回答をお持ちだ。もはや引き伸ばしも叶わぬ。何故なら我等の老いた足でも15分と掛からぬ場所に座すのだからな」

 

 イヴォンは現実を問うたのだ。

 議論の時間は終わったのだ、と。

 結論を出さねばならない。

 不名誉かつ屈辱もしくは苦痛を回避できない結論を。

 

「では、決を取る……皆も納得せよ」

 

 最高神官長の言葉に大元帥が挙手し、発言を求めた。

 最高神官長が頷く。

 大元帥は起立し、周囲を見回した。

 

「開戦は論外……それには同意します。そして可能であれば屈辱的な選択は避けたい。そこまでは皆様の同意が得られると思います。どちらも避けることが可能で、元凶である魔導国の援助も引き出せれば言う事が無い……そのような認識で間違いありませんな?」

 

 大元帥の問い掛けに、出席者は例外なく頷いた。

 

「卑怯の誹りは免れますまいが……その策があるとすれば、皆様は同意されますか?」

 

 ごく少人数の出席者にどよめきが広がる。

 大元帥は無表情のまま頷き、長く間を取った。

 

「……ここまで追い詰められたのです。カイレ様にお出ましいただくのはいかがでしょうか?」

 

 誰もが薄々考えつつも言葉にしなかった策が、大元帥の口から披露された。

 彼が最も嫌いそうな策である。

 しかし背に腹は変えられない、ということだ。

 薄寒い空気の中、最高神官長が挙手を求める。

 

 彼等は追い詰められていた。

 同じ不名誉ならば少しでも実りのある方を……彼等は魔導国の戦力を把握せんとしていたが、副王自身の戦力を考えることはなかったのだ。

 仮に情報を得ようとしても、『神人』を除いた法国の最高戦力は何も得られていないどころか、そのほとんどか既に寝返っているのだが……

 結局のところ、大元帥の「最悪のケースでは、私の暴走ということで処理していただければ……実情はどうであれ、こちらが処分さえ強行してしまえば、副王ゼブル殿もそれ以上の追及は難しくなると思われます」という文字通りの殺し文句が長く続いた会議に結論をもたらした。

 




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49話 御一行様、悪夢へ御招待

 

 クアイエッセ・ハイゼア・クインティアは神都でも最高級とされる宿屋から従業員の待避を指揮していた。

 この後、隊長が完全武装のカイレ様を伴い宿屋の前に到達したら、本作戦が決行される。その前まで従業員及び近隣住民の待避を完遂させねばならない。

 幸にして客は一組5人しかしない。

 傭兵崩れという王国人が2人。

 免罪された背教者。

 魔導国副王。

 そして妹だ。

 

 久々の邂逅では言葉を交わす時間も無かった。

 巫女姫と衛兵を皆殺しにした妹。

 神器を持ち去った妹。

 非道を尽くす結社に参加した妹。

 歪んでしまった妹。

 つい一月前までは拘束後殺さねばならなかった妹。

 その妹が免罪され、潜在的な敵の配下となって神都に帰還していた。

 

 クアイエッセは宿屋の白亜の外壁を見上げた。

 雲の向こうから月明かりが差す薄闇の中、照明が灯る窓は2階の2つのみ。

 そのどちらかに妹がいる。

 

 僅かに溜息が漏れた。

 

 クアイエッセの指揮の下、待避は順調に進行していた。

 第二席次と第四席次と第七席次はクアイエッセの後方に控えている。

 第六席次と第八から第十二席次までは所定位置で本作戦開始の合図を待っている。

 姿の見えない第三席次はどこかにいるだろう。

 侍女に料理人に清掃夫の待避は完了し、後は事務方と主人を待つのみ。

 数名の事務方と主人が大量の帳簿を抱え、息を殺しながら何度も事務所と屋外を行き来していた。

 所定の時刻までは残り10分を切っている。

 

 複雑だな……生きて、また会えると思いきや、いきなり殺し合いか……

 

 元々諦めていたとはいえ、望外に罪が赦免された直後に戦闘命令に等しい命令が下された。あの妹が抵抗しないわけがない。生まれてこの方兄妹をやっているのだ。理解できないほどに歪んでしまった妹ではあるが、さすがにその程度であれば確信がある。

 抵抗するのならば、排除せねばならない。

 他の者に殺らせるわけにはいかない。

 絶対に譲れない。

 他のメンバーを恨んでしまう。

 だから妹だけはこの手で始末する。

 

 クアイエッセは指輪だらけの拳を握り締め、大きく息を吐いた。

 クレマンティーヌから狂気を排除し、代わりに優しさを加えて、さらに整えたような顔が苦悩に歪んでいた。

 

 振り返れば宿屋の周辺から近隣住民を退避させていた軍の兵士達の姿が綺麗さっぱり消えていた。

 音が無くなり、空気が澄んで行く。

 そのタイミングで撤収完了の報告があった。

 宿屋の事務方と主人を連れて兵士達が去って行く。

 

 ……静かだ。

 

 ちょうど神都上空から雲が晴れ、月が顔を覗かせた。

 薄闇に包まれていた風景が鮮明な月明かりに照らされる。

 

 時間通り、隊長はカイレを連れて来るだろう。

 

 破局まで残り僅か……再度クアイエッセは深く息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 なるほど、そう来たか……「窮鼠、猫を噛む」ってところか?

 

 こちらの想像以上に法国を追い込んでしまったようだ。

 まさかの上層部そのものが暴走するに至ったわけだが、いまさら俺を殺しに来たわけではないだろう。連中には『傾城傾国』がある。悪手と理解していても、それ以外に選択の余地が無かったか、あるいは押し出される形で結論がそれに至ったか?……いずれにしても危険な賭けだ。俺を精神支配して、アインズさんの目を誤魔化しつつ、政治的に法国有利に立ち回るなど神業以外の何ものでもない。その破綻するのが目に見えている博打を打たねばならないほど、法国の人間至上主義が根深い証左でもある。

 つまり法国の理性を見誤っていたのは俺だ。

 強固な信念を持っていても、1500万国民の為に落とし所を探りつつ、妥協すると踏んでいたのは間違いだった。

 連中は選べなかった。

 戦うことも、膝を屈することもできなかった。

 いや、膝を屈しようとしたが、条件が飲めなかったのかもしれない。

 いずれにしても敵対行動を仕掛けてきたのは事実。

 こちらも対策すべきだろう。

 

 周囲に浮かぶ魔法陣の中心から肉腫蠅が次々と姿を現出させる。

 その数は100をはるかに超え、300に達しようとしていた。

 当然MPがカツカツになる。

 補充する術のないユグドラシル由来の高位MP回復ポーションを2本飲み干し、さらにもう1本飲み干して、ようやく満足した。

 過剰戦力かもしれないが、念には念を入れるべきだ。

 法国の作戦は失敗させる。

 そして誰も殺さず、完全に手足を奪う。

 今以上の絶望と敗北を感じさせなければならない。

 敵対を選択した以上、無理にでもこちらの思惑に従わせてやる。

 

 であれば、先手必勝。

 

 異変を感じたジットが王国の2人を隣室に閉じ込めた。

 もちろん召喚アンデッドの護衛付きだ。

 俺の知る『漆黒聖典』程度ならば、強襲されても数分は耐え切るだろう。

 ティーヌはこちらを見ている。

 既に臨戦体勢……ゴーサインでいつでも襲撃可能だ。

 指揮官は兄……その時点で殺る気が漲っていた。

 しかし現時点で前面に出てもらうわけにはいかない。

 奴等の切り札である『傾城傾国』の所在が判明していないのだ。

 手持ちのワールドアイテムは『天網恢々』一つだけ。

 リスクを考慮すれば、さすがに俺以外には渡せない。

 だからこそ眷属を大量召喚するという結論に至ったわけだが……

 

「……兄を配下に加えるんですね?」

「あー、まー、そうなるな。申し訳ないけど『傾城傾国』が出てくるのは確実な上に、その所在が確認できない以上、俺の方針に従ってもらうよ」

「……指示には絶対に従います。でも……」

「でも?」

「可能であれば、一度は私に殺させてもらえませんか?……多分それでスッキリすると思うんです」

「まだ殺すに至るかどうかも判らないけど、その機会があれば必ずティーヌさんにお願いするよ。それで満足かな?」

「はい、ありがとうございます」

「んじゃ、ゴーサインが出るまで待機……ティーヌさんには第一席次を牽制してもらう。他の10名の『漆黒聖典』の所在が確認できて、2人だけはこの場にいない。特徴は長髪、イケメン、槍なんだよな?……周辺にいない2人の内、それに該当するヤツが第一席次……『傾城傾国』と第一席次の所在を確認したら、眷属を通して指示を送る、以上」

「はい!」

 

 アベリオン丘陵を抜ける合間にコツコツと80レベルの腐蝕蠅を犠牲にしたレベリングを施してきただけあって、ティーヌはいまや確実に80レベルを超えていた……が『神人』である第一席次にどこまで通用するかは全くの不明。眷属軍団によるサポートは当然として、他にもフォローが必要な気がする。

 同じ『神人』で第一席次よりも強い番外席次を100レベル超と想定した場合、100レベル相当の純戦士職の可能性も捨てきれない。最悪のケースではどちらもレイドボスクラスであることも想定できるが、同時に相手にせねばならない状況に追い込まれ、2人とも120レベル超のレイドボス相当の相手となれば撤退するしかないだろう。少なくとも番外席次は法国外までは追ってくることはない……と思いたいが……逃げるだけならばいくらでも方法は思い付くが、法国を滅茶苦茶にする必要がある方法はなるべく取りたくない。これ以上追い込むのは相手の退路を断ってしまう。

 異形種80レベル超のティーヌは100レベルの人間種戦士職程度であればステータス上は対抗できるだろうし、全身神器級で、装備は確実に優っている自信はあるが、第一席次の見窄らしい槍が本当に『ロンギヌス』だった場合、神器級装備の優位は砂上の楼閣だ。

 その上、どうしても純粋な前衛職としては劣る。

 ここまで育てた以上、もはや失うには惜しい。

 ワールドアイテムによる2方向からの攻撃はあまりに厳し過ぎる。

 しかも精神攻撃と物理のダブルパンチだ。

 その内、物理はティーヌに対抗してもらうしかない。

 俺は『傾城傾国』を潰す。

 つまり対抗策のキモはいかに速攻で『傾城傾国』を無力化するか、だ。

 不意打ちの先制攻撃で、カイレを無力化、もしくは殺す。

 可能であれば『傾城傾国』を奪う。

 その為に『人化』を解除して、腐食蠅も10匹程度召喚する。ただしコイツらは現世に存在するだけで俺以外の者には危険なので、僅かに開けた窓の隙間から即座に上空に待機させた。通過した窓枠も室内の木製部分もあっと言う間にボロボロになっていた。どれだけ強かろうと生物であれば絶対に殺せる。腐食耐性に極振りするような対策でも講じられていれば別だが、俺の手の内を知らない以上、現時点ではこちらの優位は動かないはずだ。

 ティーヌの白銀の軽鎧を回収し、『えんじょい子』さんが俺対策に作成した腐食耐性特化の神器級鎧と交換する。これで最悪戦闘に陥っても初手さえ凌いでもらえば第一席次は殺せるが……となると番外席次が出張ってくるか? 

 法国も戦力の逐次投入など愚策と解っているだろうから、『漆黒聖典』の全メンバーと『傾城傾国』を投入しているわけだが……現時点で半分以上が寝返っていることなど知りようがない。

 まあ、番外席次であろうと生物である以上、こちらの手の内さえ把握されていなければ腐食蠅の攻撃で殺せるとは思うが……いちおう念の為……

 そして支配の完了した『漆黒聖典』達に『傾城傾国』の到来しても、そのまま退避するように厳命した。最悪、こいつらは死んでも蘇生させれば良い。

 

 ティーヌと話し、対策を講じている間にも周辺に展開した眷属が膨大な情報を送りつけてくる。

 同時に残る『漆黒聖典』のメンバーの内、第四席次と第五席次の簡易支配も完了していた。第二席次に支配を試すのは無駄……レベルが叛逆可能域に最初から達していた。支配した『漆黒聖典』にはそのまま任務を遂行する振りを継続するように命じる。支配できない第二席次と姿の見えない第一席次と第三席次に、ワールドアイテム『傾城傾国』という不安要素を抱えながらも、300匹の肉腫蠅で警戒網を築く。

 

 発見次第カイレは無力化、それが無理なら殺し、同時に第二席次も殺す。

 可能であれば第一席次も殺し、『傾城傾国』を奪う。

 念の為に第一席次の槍も奪う。

 その後に復活させれば、先に仕掛けてきたのは法国なのだから問題ない。

 なんなら『死者復活』で強制的にレベルダウンさせ、支配する。

 眷属300匹の監視網の中でも所在不明の第3席次はおそらく不可知化系統の魔法かスキルか魔道具を使用しているのだろう。しかし『完全不可知化』であっても眷属の複眼を完全には誤魔化せないのだ。存在していれば、いずれ発見するに至る。

 

「……てな、方針で行く。細かい取り決めは無し。想定外は臨機応変で……最悪、番外席次が出てきたら俺が『人化』解除して時間を稼ぐ。対応可能ならばその場で殺す。ヤバいと感じたら『転移門』で撤退する。殺せるようなら装備は全て奪う。質問は?」

「んー、つまり想定ではババアの護衛に隊長がいる。私の役目はゼブルさんがババアを殺る間の一瞬、隊長を牽制するってことですよね?……隊長の殺害も『破滅の竜王』を滅ぼした殺り方でゼブルさんが担当する、ってことで?」

「そっ、とにかく槍の直撃は避けて、ほんの僅かで良いから時間だけ稼いでくれると助かる。注意さえ引いてもらえば、不意打ちで第一席次は確実に殺せると思う。100レベル超までを想定すると対応も変化するけど……まっ、法国首都での市街戦だし……連中も宿の従業員だけだなく、わざわざ住民まで退避させている以上、こちらを取り囲んでから戦闘開始で間違いないと思う」

「なーるほど……納得しました。法国のヨーイドンに付き合うつもりは無い。だから兄も支配したってことですね?」

「そーゆーこと……んじゃ、即応するつもりで待機してくれる?……カイレを発見し次第、近くに『転移門』を開けるから」

「りょーかいでーす」

 

 ティーヌがニヤリと笑った。

 俺はさらにもう1本、MP回復ポーションを空けた。

 砂時計状のキャストタイムスキップの課金アイテムを取り出す。

 応戦準備は整った。

 

 『八欲王』に侵攻されて以来のスレイン法国の悪夢の夜が更けて行く。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 ぞわりと背筋を撫でる何かの気配らしきものが周囲を取り囲んだ。

 

 神器の槍を構えた瞬間、守るべき気配が喪失する。

 慌てて振り返ると派手な包み紙に覆われた枯れ枝を彷彿させるカイレが茫と宙を眺めていた。

 年齢を全く感じさせなかったカイレだ。

 あまりに様子がおかしい。

 突然の痴呆……あまりにタイミングが悪過ぎる。

 国家の命運を左右する任務の最中なのだ。

 

「……カイレ様!」

 

 失態……第一席次は動揺を隠さず、カイレに駆け寄ろうとした。

 無数に浮かぶ気配らしきものの中に複数の悍ましい何かが紛れ込んだが、優先順位はカイレの方がはるかに高い。今この瞬間に限っては『神人』である自身の命よりも価値が高いのだ。

 しかし動きは止まった。

 止めざる得ない脅威が現出したのだ。

 

 何が起きたのか?

 偶然なんてことがあるのか?

 その可能性は排除できない。

 周囲に感じる妙な気配らしきもの……やはり敵だ。

 であれば、カイレのこの痴呆状態が敵の攻撃の可能性はあるのか?

 その可能性は高い……そう考えるべきだ。

 

 即座に結論に到達し、第一席次はカイレを庇いつつ、注意を周囲に分散して展開する気配に振り向けた。

 

 闇夜の奥を覗く。

 

 一際大きな気配が道を挟んだ街路沿いの外壁の影から感じる……確実に何かいる。

 

「誰ですか?」

 

 問い掛けに応えるかのように、月明かりの中、良く見知った顔が現れた。

 

「おんやー、これはこれは隊長じゃないですか?」

 

 髪色も装備も知ったものとは違う。

 気配も別人。

 纏う空気も以前とは桁違い。

 

 ……強いな……

 

 荒れ狂っていた頃とは違う。

 自分を前に怯えていた頃とも違う。

 自信に溢れる顔の造作だけは同じ。

 

「……『疾風走破』クレマンティーヌ……魔導国に拾われたようですね」

 

 クレマンティーヌか笑う……相変わらずの凶相だ。

 どこかネジが緩んでいる。

 クアイエッセと同じ顔なのに受ける印象が全く違う。

 

「余裕ぶっこいてると、死んじゃいますよー、隊長」

 

 安い挑発だ。

 しかしケラケラと笑うクレマンティーヌの前に気配とは違う違和感を感じ、前に進むのを躊躇ってしまう。

 

 ……罠か?……こちらの仕掛けを看破されたのか?……敵がわざわざ前面に出てくる以上、作戦は失敗。

 包囲は突破されたと考えるべきだろう。

 全面撤退まで視野に入れるべきだろうか?

 魔導国副王の護衛役と聞いていたクレマンティーヌがここに現れた以上、既に副王は安全圏に退避している可能性が高い。完全に無駄足を踏まされ、魔導国と敵対状態に陥ったと考える方が正しいように思える。

 であれば、一刻も早くレイモンに報告せねばならない。

 だがクレマンティーヌがここに現れた理由は十中八九足止めだろう。

 以前のクレマンティーヌであれば問題なく排除できた。殺すまでもなく、余裕で無力化が可能だった。拘束して、情報を吐かせるまでか適切な行動だったろう。しかし目の前のクレマンティーヌ相手では……

 

 素直に退いてはくれないか……?

 

 チラリと背後のカイレを見れば、相変わらず虚空を見て、呆けている。

 

 カイレも守らねばならない。

 いや、最低でも神器『ケイ・セケ・コゥク』を死守しなければ……

 クレマンティーヌが眼前に姿を現した狙いもその辺りなのだろう。

 となれば、カイレをこんな状態にしたのはクレマンティーヌ……?

 それよりも別の何かな気がするが……例えば闇に紛れる複数の気配のようなもの……これらは何か?

 

「ねー、隊長?……既に詰んじゃってるって、理解できてますかー?」

 

 ニィと裂ける大きな口。

 力による解決を望み、ゆっくりと接近してくる。

 

 ヤバいな……圧力が以前の比じゃない。

 

 不穏な空気を纏い、クレマンティーヌは抜剣した。

 細身の剣だ。

 剣そのものから力を感じる。

 それが月明かりを妖しく反射している。

 

 正面の巨大なプレッシャー。

 背後に身命を賭して守るべき神器とその持ち主。

 撤退は容易ではない。

 周囲に展開する無数の何か。

 安易に前にも進めない。

 自身は既に敵の術中……だが狙いは『神人』である自分の命か、真なる神器『ケイ・セケ・コゥク』か、あるいはその両方か?……敵方にクレマンティーヌが在る以上、こちらの情報は丸裸と考えるべきだ。

 

 クレマンティーヌは余裕を感じさせる足取りで接近してくる。

 

 まさか『神人』である自分が単なる人間でしかないクレマンティーヌに僅かでも怯え、見下されるとは……

 

 動けない。

 だがそれすら敵の狙い通りなのかもしれない。

 せめてクレマンティーヌの攻撃からカイレを庇う位置に立たねば……

 

 第一席次はやや右に体を入れ替えた。

 

 その瞬間、槍を持つ指先に激痛が走る。

 

 何がっ!?

 

 視線を走らした瞬間、握力を失った。

 槍が地に落ちる。

 遅れて激痛が脳に達した。

 

 ヤバい!

 

 なんらかの攻撃を受けたのは確実。

 右腕は失ったも同然。

 正攻法は捨てるべきだ。

 

 左手で予備武器の短剣を抜き、呆けたままのカイレを確認し、余裕綽々で歩み寄るクレマンティーヌを見た。

 

 その間にも激痛が脳を揺らす。

 右腕は完全に使い物にならない。

 右腕は断念し、左腕1本で短剣を構えようとして……短剣が地に落ちたことを知った。

 左手の指先から尋常でない速さで黒く変色していくのが見えた。

 遅れて想像を絶する痛みに顔を顰める。

 感覚を失っていた右腕が自重に耐えられず、千切れて地に落ちたように感じた。

 見れば腕でなく、黒い泥のような塊が地面に飛沫を広げていた。

 

 何だ、これは!

 

 武器を失い、両腕を失った。

 脚だけでどこまでやれるか……?

 

 激痛に混乱する脳の冷静な一部で失血量を確認しようと試みた瞬間、クレマンティーヌの大きな笑い声が響き渡った。

 

「アハハッ……本当にゼブルさんの言った通りになるんだ。牽制するだけで、あの隊長に勝てるなんてね……情報の勝利ねー……ちょっとゼブルさんの言っていることが理解できたよー……ありがとね、隊長」

 

 歪みが裂けたような嫌な笑いを狙い、必殺の蹴りを繰り出した。

 が……最期の抵抗虚しく、右の膝から下が明後日の方向に飛び、地面に放射状の泥を撒き散らしただけに終わった。

 

 脳を満たしていた痛みが消えた。

 左脚1本では体重を支えられなくなり、やけにゆっくりと崩れ落ちる自分を認識しながら、自身の首に食い込むクレマンティーヌの剣が第一席次が最期に見たものだった。

 

 第一席次の頭部が飛び、地面に落ちた時には泥と化し、飛散した。

 

 月明かりの下、全てが黒い泥と化す。

 

 高笑いするクレマンティーヌの背後に七色に蠢く闇が浮き上がり、そこから現れた男が泥の中から第一席次の装備を全て拾い上げた。

 

 呆けたままの老婆が唐突にぐしゃりと潰れ、チャイナドレスだけが残された。それを拾い上げると男は笑った。

 

「さて……第一段階は成功……しばらく汚泥は放置ってことで……回収は後程」

「はい、はーい……宿の周りの連中はどうしますって、敵のままなのは第二席次だけてしたっけ?」

「いや、第二席次はコイツらを見付けた瞬間に殺した……レイズデッドで強制的にレベルダウンさせて、もう支配済み」

「となると、残るは……」

「姿を現さない第三席次と……番外席次だ」

「いよいよですね……とうとうバケモノが出てくるかも」

 

 そう呟いたティーヌの表情から笑いが消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 走る、走る、走る。

 自分でも似合わない行動なのは理解しているが、走らないわけにはいかなかった。

 神器まで持ち出しての最高戦力による包囲戦。

 『神人』である隊長まで駆り出されていた。

 負けるはずのない戦いだった……

 本来であれば、余裕で戦いを終え、拘束した敵を尋問しているような頃合いの時間だった。

 しかし現実は……

 

 所定の時刻はとっくに経過していた。

 いつまで経っても隊長も現れず、今作戦の主戦力であるカイレも現れない。

 同僚達は疑問すら感じていない。

 所定の位置で立ち尽くしている。

 いつになく大人しく、あり得ないほど指示待ちを貫いていた。

 統制が難しい連中なのに……それこそ『神人』である隊長か、レイモンの指示でなければ指示そのものを無視するような軍人にあるまじき連中なのだ。

 そして決定的な異変は第二席次が突然倒れ、唐突に起き上がったことだ。

 口から大量に吐血し、昏倒した第二席次が全身血塗れになりながらも立ち上がり、平然と周囲を見回した。その様子を第四席次も第七席次も退避作戦を指揮していた第五席次すらも当然の出来事であるかのように見ていた。誰も異変を確認もせず、第二席次に声を掛けることもなかった。

 

 初めから何事も無かった。

 

 第五席次の目がそう語っていた。

 第四席次も第七席次も無関心を貫いていた。

 昏倒した第二席次ですら、自身の異変に興味を持っていなかった。

 

 異常だ。

 全てが狂っていた。

 

 姿を隠し、一部始終を見ていた第三席次は恐れ慄き、ひっそりと所定の位置から離れた。先行侵入していた宿屋の建物の影に溶け込んでいたのだが、足音を忍ばせながら潜行可能な影を伝って敷地から離れた。

 

 恐怖で脚が竦まぬよう、慌てて失敗を犯さぬよう、最新の注意を払って影伝いに宿屋の敷地から遠去かる。

 最初は忍足で。

 10分も進むと速脚で。

 やがて振り返っても建物が視認出来なくなった。

 理解できない歪みから逃れた……そう思った。

 そこからは走った。ひたすら影伝いに走った。

 『飛行』は拙い……速度が増すことは理解していても、圧倒的な恐怖が『飛行』を断念させた。

 とにかく走る。

 息が上がる。

 それでも脚は止められない。

 報告の為……言い訳だ。

 と言うよりも、逃げていた。

 一歩でも遠くに行きたい。

 どこかに入り込んで隠れたい。

 逃げる。

 そう、逃げなければならない。

 

 あんな異常な場所にいられるか!

 

 本音を心中でぶちまけ、ようやく第三席次は脚の回転を緩めた。

 目的の土の神殿が視認できたこともある。

 油断なく影の中に潜んではいるが、ようやく真面に息が吐けた。

 

 土の神殿の神官長室へと向かう。

 自身が命令を下した作戦行動中はさすがにレイモンも神官長室に留まっているはずだ。

 急ぎたいが、影の無い中央を進むのは拙い。

 大きく迂回することにはなるが、壁際の植込みの影の中を慎重に進む。

 心中の騒めきを無理矢理圧し殺し、第三席次はゆっくりと本殿の中へと向かう。建物の中にさえ入ってしまえば……

 

 やがて最後の関門に到達した。

 壁の影から本殿の影までおよそ10メートル……思い付く限り、ここが最短距離だった。月明かりが捻じ曲がらない以上、ここを通過するのが最も安全なのは解っている。

 植込みに身を潜め、闇色のローブの中でビクビクしながら左右を入念に確認し、みっともないと解っていても、さらに上下から背後まで丁寧に見渡した。

 

 少し羽虫の類が多いな……レイモンに告げて、奉仕者達に改善させよう。

 

 かなり気に触ったが、虫などに気取られて敵に発見されるわけにはいかない。

 第三席次は改めて気を取り直し、再度落ち着いて周囲を見回した。

 日中と違い、全く人影の失せた広大な神殿の敷地の中はどう見ても無人だ。

 人っ子一人いない。

 植込みから立ち上がり、本殿に向けて一歩踏み出した。

 残り50メートル程で本殿の中……安全地帯だ

 月光の下を走る。

 足音は立てない。

 本殿の影まで残り5メートル……後4歩も進めば……

 

「……お前が第三席次か?」

 

 唐突に声を掛けられ、第三席次は急停止した。

 本殿の影に走り込みたいのに、脚が出ない。

 何かが脚に「動くな」と命じていた。

 自身の意思と関係なく、身体が背後を向いた。

 しかし誰もいない。

 ジワジワと恐慌が脳裏を占める。

 手足に限らず、首も動かない。

 唐突に視界を影が覆った。

 それは上空から降りてくる。

 辛うじて動く眼球を巡らせ、第三席次は声の主であろう影を見た。

 自身の闇色のローブとは別種の、砕いた星々混ぜ込んだような闇が舞い降りてくる。

 それはコートだ。

 コートの主は……今作戦のターゲットで間違いない。

 神都のこの土の神殿の中で確認した男……魔導国副王ゼブルだ。

 

 完全にゼブルの足が地に着く。

 異様に整った美貌が覗き込むようにこちらを見ていた。

 どこか作り物のような顔だ。

 完璧に整っているのに、少しも羨ましいとは思えない。

 パーツの一つ一つまで完璧であり、配置も完璧なのに全くの無個性。

 日中に見た時も印象が酷く薄かった。

 無個性過ぎて、それが逆に個性のように感じる。

 死を覚悟するような状況なのにそんなことを考えている自分に驚いた。

 

「もう一度問う……お前が第三席次か?」

 

 即座に回答すべきだ。

 いつ殺されてもおかしくない。

 しかし喉が渇き、声が出ない。

 頷こうとしても首が動かない。

 全身が爆発しそうな程、鼓動が高鳴っていた。

 しかし動けない。

 どうしても動けない。

 力を振り絞り、無理矢理口を開く。

 

「……は、い……」

 

 ゼブルが頷く。

 少し余裕ができた。

 ほんの僅かでもコミュニケーションが可能になったのだ。

 もはや敗北は受け入れる。

 どうにか死を回避することに全神経を集中すべきだ。

 

「……お前はレイモンに状況を報告しようとしたのか?」

 

 頷く。

 ゼブルに肯定の意が伝わる。

 また少しだけ余裕ができた。

 

「では、レイモンは神殿の中にいるわけか?」

 

 答えるには抵抗を感じる問いだが、頷かないわけにはいかなかった。

 

「そうか……では、お前に命じる。レイモンに自身を含めた今回の首謀者全員を俺の前に連れてくるように伝えろ……良いな?」

 

 第三席次は頷いた。

 心が澄み渡っていた。

 そうすることが正しいと確信していた。

 感じていた恐怖が嘘のように霧散していた。

 

「かしこまりました、ゼブル様……必ず伝え、我が責任において全員を御前に引っ立てましょう」

「そうか……では、2時間以内に宿に出頭させろ。時間厳守だ」

「承知!」

 

 第三席次は意気揚々と月下を進む。

 それまで隠れていた自分を否定すらしない。

 初めから何も無かった。

 当然の任務をこなす為に彼は土の神殿の中へと脚を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 臨時の指揮所である土の神殿の神官長室から第三席次と共に飛び出し、土の神官長レイモン・ザーグ・ローランサンはグチャグチャになった事態の収拾に乗り出した。手近にいた部下の全てに号令し、最高執行機関のメンバーを土の神殿に緊急招集した。

 最奥の部屋など使う為の手続きの時間すら惜しい。

 第三席次の話の内容がおかしいのも含め、周囲の誰もが信用できなかった。

 番外席次を除き、考え得る最高の戦力を惜しみなく投入したのだ。

 時間的に作戦は完了したものと思い込んでいた。

 逐一報告が無いのはいつものこと……状況を整理した後に第一席次が取りまとめた文書が届くものと思い込んでいた。

 第三席次が神官長室に飛び込んで来たのも、大事に至らない程度の偶発的な事態の発生の報告の為だろうと、いつになく堂々と来訪した第三席次に間抜けな出迎えをした程だ。

 第三席次曰く、そもそも定刻になっても作戦が開始されていないと言う。

 隊長もカイレも姿を現さない、とも言った。

 他の『漆黒聖典』はどうしたのか?……待機を継続しているらしい。

 それを聞いただけで状況の破綻は理解した。

 

 まず『神人』はどうしたのか?

 そして神器『ケイ・セケ・コゥク』は?

 その所持を許されたカイレは?

 何故『漆黒聖典』は動かない。

 どうしてそうすることに疑問を抱かない。

 全てが狂っていたが、それらは最悪では無かった。

 

 真の最悪は第三席次がもたらした、あまりに予想外な次の言葉。

 

「魔導国副王ゼブル様が宿泊先で最高執行機関の面々をお待ちするそうです。早急に招集し、全員揃って出頭すべきでしょう。1時間以内です」

 

 当たり前の事を当たり前に話しているような表情の第三席次。しれっとゼブルの命令の内容すら改変していたが、レイモンに知る由は無い。

 その様を見たレイモンは狂気を疑ったが、喋っている内容以外は平素よりも真面に見えた。堂々と姿を現し、胸を張る姿はいつになく逞しく見えたぐらいである。

 

「第三席次よ……貴様は忠誠は祖国にあるか?」

「当然だ、レイモン!……だからこそ早急に出頭せよと申しておる」

 

 やはり第三席次はおかしい。

 しかし自覚は無いようだ。

 まるで神器『ケイ・セケ・コゥク』を用いて精神支配したかのうなチグハグな反応だ。

 

 ……まさか!

 

 嫌な想像が脳裏に浮かぶ。

 それは魔導国副王ゼブルの逗留する宿屋の周辺で『漆黒聖典』が動かない理由とも矛盾を感じさせなかった。彼等にはそれなりに精神攻撃耐性を底上げする『六大神』由来の秘宝を持たせているが、魔導国副王ゼブルが耐性突破が可能なレベルの精神攻撃能力か魔道具の持ち主であれば事態の説明はスッキリと腑に落ちる。

 

 そこからレイモンは躊躇いを捨てた。

 第三席次にすら命じ、深夜に残っていた部下達にも命じ、最高執行機関メンバーの招集を急がせた。

 自身は神殿内を駆け回り、緊急会議を手配する。

 とにかく一刻も早く決断をせねばならない。

 こう言った時は絶対王政が羨ましくなる。

 鶴の一声が通用するのだ。

 法国ではそうはいかない。

 だからとにかく早く決断をしなければ……魔導国に完璧に膝を屈するか、これ以上の抵抗を続けるか……後者を選択するのであれば、あの子を出す覚悟をせねばならない。その場合魔導国だけでなく、アーグランド評議国とも雌雄を決する覚悟が必要となる。それはエルフの王国を含めて同時に3方向の戦線を展開するということと同義だ。後先考えずスレイン法国の軍事リソースの全てを投入しても荷が重過ぎる。たとえ勝利を得ても国家の滅亡は目に見えているし、普通に考えて全国民が滅びのマーチに乗って、奈落の底に突き進むようなものだ。とても正気の沙汰とは思えない。

 

 ジリジリと焦れる気持ちを誤魔化す為にレイモンは神殿正面のホールを歩き回っていた。

 時間は刻一刻と進んで行く。

 残念ながら後戻りはしてくれない。

 会議の手配が終了してから永遠とも思える15分が経過した。

 やがて正面入口が騒がしくなる。

 最も早く現れたのは最高神官長……国家の最高意思決定者であるだけに今作戦の間も寝ずに報告を待っていたようだ。

 次いで昼夜逆転の生活を送ることが多い研究機関長が顔を見せた。

 直ぐに続いたのはジネディーヌ老と大元帥。ジネディーヌは身支度が早く、大元帥は元々自身の命を張っていたのだ。緊張が眠りを妨げていたようで、目の周りに疲れが浮いていた。

 その後、司法、立法、行政の三機関長にマクシミリアンの馬車が同時に乗り付けられて案内役の数が足りずに混乱するも、その直後に人員不足を予測して大勢の部下を引き連れて現れたドミニクとイヴォンが混乱を収拾した。

 最後は女性だけに身支度に時間が掛かったベレニス……これは予想通りであったが、想像していた時間よりははるかに早かった。

 

 しかしここまでで45分程浪費していた。

 故にせっかくせっせと準備した会議室には移動せず、周囲から人員を排除する形で会議はホールで開始した。

 タイムリミットまで15分……さすがにタイムオーバーは確実な状況だが、それは先行した第三席次に上手く取り繕うように伝えてある。

 

 挨拶も、緊急招集に応じてもらった感謝の言葉もすっ飛ばし、会議の開始を宣言することもなく、レイモンが口火を切る。

 

「皆様に作戦失敗をお伝えせねばならない事を深く謝罪します……」

 

 薄々良くない知らせであることは予測していただろうが、現実にレイモンの言葉を聞き、彼を除く最高執行機関メンバーはもれなく固唾を飲んだ。

 現在確認されている事だけを早口で語るレイモンに誰も質問を投げ掛けることはなかった。

 想定されていた最悪の事態が現実となっただけ……では済まず、想定以上の最悪が現実のものとなっていた。

 

 まず第一席次とカイレの安否が不明であった。

 作戦開始の所定の時刻に間に合わないだけならば想定内だが、大幅に経過した現時点でも所在が掴めない。

 なんらかのトラブルという可能性もある……むしろそう信じたい。

 しかし法国の誇る『神人』と神器『ケイ・セケ・コゥク』の2つを同時に失った可能性すら捨て切れないどころか、そちらの方が真実に近いと考えた方が良いだろう。

 そして宿を取り囲むだけに終始する『漆黒聖典』の異様な行動。

 まるで精神支配を受けたような第三席次の様子。

 最後に拘束もしくは精神支配が完了していなければならない魔導国副王ゼブルから最高執行機関メンバー全員への出頭要請。いかに権力者とはいえ、異国の者が神都で最高執行機関メンバー全員に事実上出頭を命じているのだ。

 何があろうと簡単にできる事ではない。

 つまりゼブルにはそれだけの裏付けがあるのだ。

 

「……私としては早急な出頭を皆様にお願いしたい。事態は急を要します。これ以上の抵抗は国家を滅ぼします。意味は理解していただけると」

「いや、徹底抗戦に際するリスクを皆に説明すべきだろう。我々の間に認識の齟齬があってはならん。事態が事態だけに急いでいるのは理解するが、そこは周知徹底すべきだろう、レイモンよ」

 

 ドミニクが指摘し、レイモンは素直に頷くも、謝罪は割愛した。

 

「我々は現時点でエルフの狂王と戦端を開いております。そして潜在的に評議国とは薄氷一枚の危うい関係性で均衡を保っています。その一枚の薄氷とは番外席次であることは皆様もご存知の通り……今回、これ以上の魔導国副王に対しての抗戦は、あの子を出動させる必要に駆られる可能が非常に高いと思われます。最悪を想定すれば同時三正面作戦を強いられることとなるでしょう。エルフの狂王はまだしも、評議国と魔導国は同時に戦線を構築できるような甘い相手ではございません。一国だけでも勝利を得るのは難しい……強国中の強国と考えるべきです。しかも神器『ケイ・セケ・コゥク』と『神人』の1人である第一席次の安否が一切不明の現状では、我々の選択肢は一つしか残されていないのです」

 

 レイモンが話し終えた瞬間、唐突に大元帥が全員の前に立ち、深々と頭を下げた。

 そして頭を上げる。

 死を決意した者の穏やかな視線が全員の顔をゆっくりと見回す。

 

「……私の首を刎ねていただきたい。それを持ち、副王の前へ……後始末を皆様に押し付けるのは気が引けますが、全ては私の暴走という事で、事態を収拾していただきたい」

「大元帥よ……おぬしの覚悟を否定するわけではないが、もはや遅きに失したのだよ。いや、事態がこちらの想定をはるかに超えたと考えるべきかのう。おそらく、であるがお前の死は無駄になる。事実上、魔導国副王はここにいる全ての者に出頭を命じたのだ。それが意味することは、現時点で状況をコントロールしているがわしらでなく、魔導国副王ということだ……残念ながら」

 

 年嵩のジネディーヌが大元帥を無駄死をやめるように諭した。

 ベレニスが続ける。

 

「あえて嫌な言い方をするわ……我々全員の命を対価としてでも『神人』と神器『ケイ・セケ・コゥク』の返還を求める必要が生じる可能性まで考慮すれば、貴方は現時点で死を選択すべきではないと思う。我々は同志であり、一心同体……ここに至っては全員で従うか、否かしかないわ。もはや我々の命は交渉材料でしかないのよ」

「あの子を……番外席次を動かすのが大きなリスクを伴うのは理解していますが、どうにもならないのですか?」

 

 マクシミリアンが状況を理解した上であえて反問する。

 誰かがせねばならないことではあるが、状況に直面し、焦るレイモンにはどうにも煩わしい。

 口は開きかけた瞬間、イヴォンが手で制した。

 

「マクシミリアンよ……我々は既に選択し、その結果として状況をひっくり返されたのだ。昔日の『六大神』の御言葉に照らし合わせれば、ここからは敵のたーん、というものに相違あるまい」

「たーん、とはどのような?」

「光の神の口伝である為、闇の神官長であるお前が知らぬのも無理はない。正確な意味は不明だが、文脈を考慮すれば、おそらく……たーん、とは主導権に近い意味で間違いあるまい」

 

 おおっ、とイヴォン以外のその場の全員が感嘆した。

 緊迫した状況を感動が一瞬支配したが、直ぐに平静を取り戻す。

 

「つまり魔導国副王に主導権に握られた、と」

「完璧に、な……ここで無理を通して、あの子を駆り出しても、我々に浮かび目は無い。考えたくはないが.……最悪の想定はすべきだろう。我々は第一席次とカイレ様を既に失ったと考えるべきだ。であれば、第一席次と神器を纏ったカイレ様を滅ぼした者がいるはず……この状況下、それは1人しか考えられない。実行犯は『疾風走破』かもしれん……しかし『疾風走破』が単独で『神人』を撃破できるはずがない。単なる人間と『神人』の能力差を埋めて余りある何かがある。それを見極めない段階であの子を駆り出せば、待っているのは『神人』を2人も失う未来だ。我々が国家を失っても守ろうとした宝を全て失うのだ。我々の全員の命程度で代用可能であれば、実に安い買い物だ……復活はさせてもらえないだろうが、な」

 

 イヴォンの言葉に全員が頷いた。

 そのまま土の神殿を立ち去る。

 彼等の目にもはや迷いは無い。

 

 

 

 

 

 

 

 最高神官長を筆頭に6名の神官長達が並び立つ。

 その背後に大元帥と4名の機関長達が整列していた。

 最高執行機関の面々だ、

 最高級の宿屋とはいえ、政府機関ではない。

 まして客室でもなく、ただのホール兼食堂。

 料理の皿も無く、誰も着席していない10を超える食卓の一つ、高級ではあるがただのテーブルセットの木製の椅子に腰掛ける男が1人。

 入口の横で扉の枠にもたれながらニヤニヤと笑いを浮かべる女が1人。

 腰掛ける男の背後にオカッパ頭に無表情の男が1人。

 室内には合計15名がいた。

 敷地の外はスレイン法国最高戦力『漆黒聖典』の面々が固めている。

 客室には2人の王国人がいるが、彼等は状況を知らない。

 

 誰も喋らない。

 長い長い沈黙が続く。

 レイモン以外の法国最高執行機関の面々は魔導国副王のあまりに若く見える外見に面食らい、その人外レベルに整った容貌に、外見通り人外である可能性すら疑っていた。そうであれば、十中八九返り討ちされた第一席次の現況も想像可能になる。彼等の認識では単なる人間が『神人』を返り討ちにすることなど不可能なのだ。

 

「発言を許してもらえるだろうか、ゼブル殿?」

 

 黙り込む一同の認識を再確認すべく、ドミニクが斬り込んだ。

 とにかく状況を探らねばならない。

 限りなく高い可能性とはいえ、最高執行機関メンバーの認識は全て想像の産物である。僅かな可能性だけでも排除しなければ迂闊に話すこともできない。

 

「許可しましょう……えーっと、どちら様?」

「これは失礼した……私はドミニク・イーレ・パルトゥーシュ。風の神官長を務めている」

 

 ドミニクに倣い、既知のレイモン以外のメンバーがそれぞれ名乗る。

 最後にゼブルが名乗り、食堂の空気は幾ばくか弛緩した。

 その流れのままドミニクが発言を続ける。

 

「このような深夜に、ゼブル殿よりもはるかに老齢な我々を出頭させた意図を教えてもらえるとありがたいのですが?」

「意図?……それは貴国の経済的窮状を打開すべく、貴国より招かれた我々が宿泊する為に、貴国によって指定されたこの宿が、この深夜に無人である為に、貴国の意図を問い正したいと考えるのは不都合である、と?」

 

 どうやら魔導国副王ゼブルは現状認識を素直に話すつもりはない。

 白々しさが言外に意図を伝えてくる。

 質問者であるドミニク以外の面々にも明確に伝わった。

 第一席次は?

 カイレは?

 彼等が所持していた2つの神器は?

 それらの深刻な疑問に対する回答は藪の中だ。

 

「……それは不都合をお掛けしたことを謝罪させていただきましょう。決してゼブル殿御一行を蔑ろにするつもりなどございませんでした。何かの手違いでございます。早急に改善させましょう」

「では、そうしていただきたい。質問はそれだけでよろしいか?」

 

 ドミニクが頷くと再び沈黙が訪れた。

 ゼブルは状況説明する気が無い。

 その上、呼び付けた側が用件を話さない。

 最高執行機関メンバーはジリジリと焦れるしかない。

 いずれにしても初手は完全に失敗していると考えた方が良い。

 出方を見て、対応するしかない。

 

 ゼブルは自らティーポットで茶を注ぎ、一口飲んだ。

 少々芝居じみているが、香りを楽しむ風を装って、最高執行機関の面々をじっくりと眺めている。

 そしてティーカップを空にすると、息を吐いた。

 同時に虚空に浮いた暗黒洞に手を突っ込み、一振りの短剣を取り出し、茶器セットの置かれたテーブルに置く。

 その短剣を見てレイモンが小さな声を漏らした。

 

「……そ、それは?」

「これをお返ししようかと……それが用件です。持ち主を呼んでいただきたい。長髪に黒い鎧の槍を持った青年です」

 

 食堂が騒然とした。

 短剣を見せた瞬間に勝敗は決した。

 落胆の溜息が口々から漏れ、レイモンの肩が落ちる。

 深刻な現実を突き付けられ、想定だけの覚悟が脆くも崩れたのだ。

 

「……ゼブル殿。その短剣の持ち主は?」

「さあ……こちらが質問しているのですよ。拝借した短剣を返す為に」

 

 はたして第一席次は生きているのか?

 仮に第一席次が討ち取られていたら、カイレも討たれているだろう。

 しかし判然としない。

 おそらく2つの神器は奪われた。

 これも真相は闇の中。

 この深刻な状況で動かない『漆黒聖典』は何をしているのか?

 第三席次のおかしな様子が最悪の解答へと導く。

 だが単なる想像に過ぎないのかもしれない。

 ただゼブルは深夜に全員を呼び付けた。

 この事実から推測するしかないのだ。

 

「……悪魔か……」

 

 当たらずとも遠からず……レイモンが漏らした呟きは正解に掠っていた。

 食堂には12人しか人間がいない。

 

「まっ、いずれにしてもこれはお返しする……こちらの話は以上……解散していただいて結構……明日中には先の申し出に対する途中経過を報告していただけるものと期待していますよ」

 

 それだけ言い残すと魔導国副王ゼブルは2名の御付きを伴い、上階に上がった。申し付けの内容が言葉通りの意味であれば、わざわざ最高執行機関12名全員を呼ぶ意味は無い。それどころか配下の1人でも使いに寄越せば良い程度の内容だ。

 

 残された最高執行機関の面々は沈黙していた。

 国家の存亡に命を賭けた取引などではなかった。

 ただ状況を匂わされ、微かな希望のみを提示された。

 第一席次とカイレが生きている可能性。

 2人と共に2つの神器が返還される可能性。

 手札は読み取れず、底知れない恐怖だけが提示された。

 イヴォンの言葉に倣えば「たーん」を取り戻せなかったのだ。

 

「……我々は誤ったのかもしれない。手を出してはならない相手に手を出し、国の宝を失ったのだ……しかも真相が解らない。無事か否か……これが確定しないことには我々も責任の取りようがないどころか、番外席次が出張ったところで手も足も出ない。むしろ第三席次の様子を鑑みれば、カイレ様が奴の術中に嵌り、逆に番外席次が『ケイ・セケ・コゥク』の精神支配を受ける可能性も捨て切れない……」

「そうなればスレイン法国は終わりね」

 

 イヴォンの後悔と疑念にベレニスが同意した。

 暗澹たる未来しか見えない。

 こうなれば交渉は魔導国優位になるしかない。

 その流れを覆すこともできない。

 カラクリを解明しようにも、何故こうなったのかが判らない。

 そもそもどうなっているのかすら判らないのだ。

 襲撃対象だったゼブルの一見して寛容な態度は悪辣そのものだ。

 結論の見えない恐怖が12名の脳裏に刻まれた。

 絶望して自暴自棄になることすら許されない。

 彼等はただゼブルの思惑に従うことを強要されたのだ。

 脱落は許されず、従い続けて思惑通りの結果に至っても彼等の望む未来に至らないことだけは確定していた。

 確定した被害は0であるにもかかわらず、スレイン法国は醒めない悪夢の中で足掻き続ける未来しか得られなくなったのだ。

 




お読みいただきありがとうございます。


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50話 死体蹴りは死んでいないと難しい

 

 『漆黒聖典』最強の少女……番外席次『絶死絶命』は『六大神』由来の玩具であるルビクキューを弄っていた。5柱の装備が安置される神聖な部屋の入口扉に寄り掛かり、誰となく待っていた。

 とにかく暇なのだ。

 果てしなく平坦な日々が続いていた。

 評議国のドラゴンロード達との盟約により、基本的に日中はこの建物から出ることはない。それどころかここ10年以上も昼夜問わず法国内からも出たことはない。

 国境が近い辺境部での訓練には参加も許されない。

 少しでも国外に出る可能性がある作戦行動からは外された。

 事実上『漆黒聖典』としては活動していない。

 当然、エルフ王国との戦争など論外。

 訓練場で格下相手に稽古をつける程度のことはするが、同じ『神人』である第一席次以外は相手にならないし、その第一席次にしても格下どころか三下程度の実力しか持ち合わせていなかった。

 対等の相手がいない。

 自我を得て以来、敗北を知らない。

 訓練でも実戦でも一緒だ。

 敗北を知らぬままこの場所に封印された。

 はるか遠い異国の強者の噂を聞きつけると心が沸き立つ。

 その噂を持ってくる者を常々待っているのだ。

 白金の竜王。

 エルフの狂王。

 魔導王アインズ・ウール・ゴウン。

 朧げに噂に聞く強者達の中でも雌雄を決したいと強く願う3名。情報だけとはいえ、番外席次のお眼鏡に叶った選りすぐりの3名だ。

 敗北を知りたい。

 自身に敗北を与えた者と交わりたい。

 そして子を成したい。

 しかしそういう意味においては上記の3名は論外だった……実父とアンデッドとサイズ違い。

 

 ルビクキューが1面揃う。

 が、なかなか2面同時とはならない。

 ごく稀に2面揃うこともあるが、50年以上没頭してもどうにもコツが掴めない。自分には才能が無いのかもしれない。

 

 今日は1面揃ったことに満足し、顔を上げた。

 最奥の間は朝どころか、自分が出仕した早朝以前から中に人が籠っている。

 つまり昨日の深夜から会議を続けているようだ。

 昨晩、退出した際には全員が出て行ったはずだ。

 それが深夜に集合し、誰も中から出てこない……ということなのだろう。

 昨晩会った第一席次は「これからカイレ様を迎えに行き、そのまま護衛の任に就きます」と言っていた。極秘かつ緊急の作戦行動です、とも。

 その一件が関係しているのだろうか?

 たしかにカイレが出張るとなれば、神器『ケイ・セケ・コゥク』を使用する前提で間違いあるまい……国家として看過できぬ相手以外に使うはずがない。せま

 対象が未知の強敵の可能性はあるのか?

 突き詰めれば番外席次の興味はその一点に尽きた。

 普段は好んで会議室に入りたいとは思わないが、今回ばかりはあまりに最高執行機関の動きが平素とは違い、かなり興味があった。

 

 レイモン辺りであれば、話して良いところまでを考慮して会議内容を説明してくれるはず……もし話さないという選択であれば、それはかなり重要な案件の証左と考えて間違いないだろう。

 

 思い付いた途端、今度は会議室の扉が気になって仕方ない。

 しかし扉は開かない。

 小休止すらなく、食事の休憩もない。

 

 やはりおかしい……完全に常軌を逸している。

 

 ハーフエルフである自分と違い、純粋な人間である彼等は壮年から高齢者という括りに入るはず。それが休憩無しに討議を続けてもロクな結果は得られないだろうに……

 

 ルビクキューを懐にしまう。

 黒髪と銀髪に綺麗に分かれた髪を掻き上げ、髪とは左右逆のオッドアイが扉の向こうを透過させようと見詰めるが、生憎そんな能力は持ち合わせていないし、急に得られるようなものでもない。

 

 大きく伸びをした後、大きな欠伸が出た。

 弛緩し切った毎日に刺激が加わるかもしれないと思うと興奮はするが、言ってしまえばそれだけだった。

 今回の作戦にしたって、やはり自分は蚊帳の外。

 自分にとっては五十歩百歩程度の差しかない第一席次以下で始末できると判断されたような案件なのだ。

 

「……にしても、長い会議」

 

 番外席次は知っていた。

 看板に偽りはあるのだ。スレイン法国は番外席次と第一席次の二枚看板などでなく、自分こそがスレイン法国の軍事力であると……神官長の中には自分のこのような考えを憐れんで、過去の神官長達を批判する者がいるが……自分以外の全ての戦力が滅んだところで一切問題が生じないのは事実なのだ。そう認識するのは過去に問題があるのでなく、自分と対等以上の相手がいない現在が悪い。世界が悪い。

 だからこそ切望するのだ。

 

「敗北……できたら良いのに」

 

 姿の見えない未知の強敵を夢想しながら、番外席次は瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 扉の向こうで番外席次が瞼を閉じた頃、最高執行機関メンバーによる終わりの無い会議は一定の結論を得るまで、永遠に続くと思われる問答と先の見えない戦いを繰り返していた。

 メンバーの囲む会議机の中央に第一席次の短剣が置かれている。

 魔法による持ち主の探知も無駄だった。

 目抜き通りのど真ん中に持ち主の姿は無かった。

 返す先の無い返還された短剣。

 切迫した事態を決して忘れない為の戒めだった。

 

 常日頃年齢を感じさせないジネディーヌだが、さすがに昨晩の騒動から寝ずに10時間以上ぶっ続けの会議では顔色が優れない。だが彼の舌鋒は衰えることを知らなかった。

 議論を主導するのはレイモンの従属論とドミニクの主戦論であるが、双方決め手に欠ける。レイモンの主張では譲れない国是である人間至上主義の堅持が担保されず、結論を得たとしても最奥の最奥のに座す従属神に上奏などできるわけがない。対するドミニクの主戦論では気持ちが先走った感情論の範囲を超越できておらず、そもそも国家の存亡を掛けた戦略の主軸に置くような代物とは思えないが、誰もが納得できてしまうのが問題だった。しかも両論共に粗が多く、精査する度に討議のやり直しとなる。どちらの論にも与せぬように心掛け、粗に対する指摘を繰り返しているのがジネディーヌだった。

 今この時が本当にスレイン法国の正念場……崖から転落し、指一本だけでギリギリ身体を支えているような状況だ。小さなミスも気の緩みも許されない。現に安易な責任転嫁に流された結果が今の窮状を生んだのだ。

 ジネディーヌはこの会議で残りわずな寿命を使い果たす覚悟だ。

 

「……しかしだ、レイモンよ……行方不明の第一席次はともかく、他の『漆黒聖典』のメンバーはどうしたというのだ。いまだ副王の宿の周りを固めておるのだろう?……お前か第一席次のどちらも無しで淡々と任務に従事できるような連中ではなかろう。第五席次や第八席次はともかく、他の面々は堪え性が無かったと記憶しておるが……」

 

 ジネディーヌとしては延々と続く重過ぎる話題からの転換のつもりだったが、予想外にレイモンは深刻な顔付きを向けた。

 

「さすがはジネディーヌ老です。私の浅知恵など見透かしておられる。皆様に隠すつもりは毛頭ございませんが、あえて後回しにしていた実に深刻な議題でございます。皆様には既に第三席次の不穏な様子をお伝えしました。敵から強力な精神攻撃を受けたのではないか?……この疑念はお伝えした通り。そして同様の攻撃を『漆黒聖典』全員が受けたのではないか?……ここまでは同じ認識と考えております。私は統括責任者として彼等に尋問しました。もちろん彼等の真意を探る為に、それとなく会話しただけです。その結果、高い確率で判明したのは『漆黒聖典』のメンバーは祖国と同じく魔導国副王に忠誠を誓っているという、高い確度の推測です。彼等が集団で私を揶揄っているのでない限り、これは事実でしょう。つまり我々は2つの神器と『神人』の1人、それに加えて最高戦力のほとんどを失った……特にゼブル殿を聖王国まで迎えに行った第六から第十二席次の精神支配は重篤な状態と言えるでしょう。彼等は祖国よりもゼブル殿に重きを置くことに微塵も違和感を感じていません。逆に何故ゼブル様に刃向かうのかと尋ね返されたのです……あくまで私の推測ですが、ゼブル殿は神器無しに精神支配を、それも複数同時に行使することが可能なのではないでしょうか?……もし私の疑念が考え過ぎなどでなかった場合、既に『漆黒聖典』は完全に敵方と考えるべき。最悪のケースでは第一席次もカイレ様も支配されいる可能性があるのです」

 

 レイモンの言葉に長時間の会議で疲労困憊の表情を見せていた面々の表情が固まった。

 魔導国副王はまたも最悪の想定を軽く超えてきたのだ。

 第一席次とカイレが殺され、2つの神器が奪われた可能性が極めて高い……これがこれまでの最悪の想定だったが、レイモンの言葉で、むしろ死んでいれば御の字のところまで突き落とされていた。仮に第一席次が敵に回った場合、法国内で対抗できるのは番外席次のみ。その番外席次ですらカイレが存分に力を引き出した『ケイ・セケ・コゥク』の精神攻撃を退けられるのか?……出たとこ勝負に打って出るにはあまりにリスクが高過ぎた。

 

「その推測が現実でないことを祈るしかあるまいな。これで我々はあの子に副王を強襲させる選択肢も失ったわけか……あまりにハイリスク……いかにあの子でも『ケイ・セケ・コゥク』の精神支配に抵抗できるとは思えん」

「左様……『神人』を2人も失うことなどあってはならん。奇跡的に現世に復活した古の『六大神』の血脈を絶対に絶ってはならん。まして法国と『神人』が敵対することなど……一切許容できん!」

 

 それまで主戦論の論陣を張っていたドミニクまでもがジネディーヌの言葉に追従した。

 

「……それにしても恐ろしきは魔導国よ。最強の『漆黒聖典』を精神支配する力を持ちながら、正攻法で攻めることなく搦め手を駆使しよる。しかもここまで攻め込みながら、我々に戦力の情報すら掴ませない。役者が違った、としか言い表しようがないのう……副王ゼブルも人間でありながらアンデッドと異形の支配する魔導国で序列二位の権力者に成り上がっただけのことはある」

「全ては憶測。なんら確証を得たわけではありませんわ、イヴォン……しかしながら私も同意します。経済で追い詰められ、最強の戦力を奪われ、国家の至宝すら守れなかった私達には、もはや国家を指導する力はございません。レイモンの言葉に従い魔導国との交渉を進めましょう。魔導国のアンデッド労働力の受け入れだけは抵抗を感じますけど……闇の神スルシャーナ様の思し召と考えるべきなのかもしれませんわ」

 

 中立のイヴォンに続き、どちらかと言えばかなり主戦論寄りの立ち位置だったベレニスも遂に折れたようだった。

 

「……私も同意します。もはやスレイン法国は周辺国に対し、軍事的な優位を失ったと考えるべきです。番外席次さえ健在であれば、いずれ巻き返しも可能でしょうが、この状況で番外席次を失えば、我々は滅びの道を突き進む以外の選択肢を失います。周辺国には侮られ、いずれ巨大化した魔導国に踏み潰されるでしょう」

 

 元々従属論を展開していたマクシミリアンだが、彼は将来の巻き返しを口にした。たしかにマクシミリアンの言う通り、ここで番外席次を失うことは未来の展望すら失うに等しい最悪だった。その最悪を回避する為にも、第一席次の安否が不明な状況で番外席次を失う選択だけはあり得ない。

 

 六大神の神官長達は大きく頷いた。

 彼等の方向性が統一されれば、大元帥に各機関長は頷くしかない。

 最高神官長が改めて採決を促すこともなく、それまで紛糾に紛糾を重ねていた最高執行機関の会議はあっと言う間に落着した。

 

「では、魔導国との交渉役はこれまで通りレイモンに一任し、補佐役にはジネディーヌ老にお願いするとことでよろしいかな?……あまり船頭を増やしても交渉は進展しない上に、無為な時間の経過は我々の不利に働くと考える。皆の者、それでよろしいか?」

 

 最高神官長の言葉に反対する者は無かった。

 

 

 

 

 

 

************************

 

 

 

 

 

 

 目の前にシーツを巻き付けただけの老婆が立っていた。

 老婆の名はカイレと言う。

 ティーヌが言うところの「クソBBA」だ。

 朦朧と立ち尽くす老婆が『真なる蘇生』を詠唱した瞬間、足下の箱に集めた汚泥からニュルリと全裸で生えてきたのを見て、自分の行為による結果でありながら、もの凄くびっくりした。

 横に立つティーヌはゲラゲラ笑いながら、抜け目なく抜剣していた。

 同時に表現し難い罵詈雑言を吐きながら、カイレの悍ましい全裸姿にシーツを巻き付けた。

 カイレは朦朧としながらも老齢に似合わぬ良い姿勢で直立していた。

 とりあえず反抗の兆しは感じない。

 しかし支配後に破壊した脳が再生後にどのような状態になっているのかまでは実験していなかった為に確証は無い。ユグドラシル準拠であれば支配された状態からは脱しているはず……念の為、再度眷属を寄生させ、即座に肉腫で支配する。

 

「おい、お前は誰だ?」

 

 カイレは言葉に反応しなかった。

 老齢の影響からか、さすがに『真なる蘇生』といえど、なかなか意識は混濁した状態から復帰しない。

 

 半裸の老婆を眺めること10分……肉腫からの呼び掛けを繰り返し、ようやくカイレの目付きから漠とした不安を感じさせるものが消えた。高齢者が朦朧としているだけで不安を感じさせるのはリアルと変わらない。

 意識を取り戻したカイレはその場に跪き、深々と頭を下げ、名乗りの口上を始めた。

 

 うん……しょーじき、どーでも良い。

 

 完全に俺の支配下にあることさえ確認できれば問題ない。ワールドアイテム『傾城傾国』を託される程の老婆だ。1500万国民の中でも国家からの信頼度では頂点に近い位置に在るはず……でなければ耐性無視の精神支配が可能な秘宝など託せるはずがない。統制された国家であればあるほど『傾城傾国』の危険度は飛躍的に増すからだ。

 だからこそ身柄を返還する。

 

 まっ、『傾城傾国』は絶対に返しませんけど。

 

 存在そのものが危険極まりない上、ほんの一部とはいえこちらの情報を知られた第一席次は易々と返還できないが、カイレは最高執行機関に返してやるつもりだ。

 もちろん支配したまま……『漆黒聖典』の現状を知られた以上、こちらが他者を支配する能力を持っていることは既に露見しているはず。

 『陽光聖典』とかいう特殊部隊をアインズさんが捕らえた際には情報漏洩を恐れて3度質問に答えると死ぬ魔法という、恐ろしくも愚かな対策を施していた法国だが、はたして『漆黒聖典』とカイレをどう扱うのか?

 一度殺して蘇生させる……番外席次が残されている以上、戦力ダウン覚悟でそうする可能性が高い気がする。連中の想定する精神支配は魔法か『傾城傾国』によるものだろう。

 そしてこの世界の蘇生は『死者復活』だ。

 当然レベルダウンは想定内のはずだが……自死も選択できず、俺について何も喋れない制約を受けたカイレの扱いには困るはず。『死者復活』では殺したカイレを蘇生できない。レベルダウンで灰になる可能性が極めて高いのだ。

 むしろ死んだまま方が法国にとっては楽な状況だったはず。

 『漆黒聖典』だけを処理しても第二世代諸共処理できない限り、即座に再支配は可能だ。その実証実験の為にカイレを蘇生した一面もある。

 『漆黒聖典』殺害と同時に孵化する第二世代か、住民の宿周辺への侵入阻止の為に展開していた部隊に丸ごと寄生させた300に及ぶ肉腫が神都で待ち構えている。危険すぎる腐食蠅こそ役目を終えて、そのまま消えるに任せたが、現時点では二度と補充の効かないMP回復ポーションを浪費してまで召喚した大量の肉腫蠅をそのまま消すに任せるのはさすがに惜しい。

 部隊丸ごと乗っ取った形で温存した。

 

 本音を言えば嫌がらせ程度の話ではある。

 法国が『漆黒聖典』を始末する選択に至るかも判らない。

 このまま屈服してくれれば、それで良し、なのだ。

 俺を殺すか、精神支配するかしようと試みた結果なのだから、いまさら『傾城傾国』を返せとも言い難いだろう。

 ざっくり80レベル以下程度に感じた第一席次こそ簡単に身柄は返せないので、入念にレベルダウンさせた上で支配するつもりだ。そして第一席次も完全に支配した上で身柄を返還する。一切の情報を漏らさせないようにする為だ。

 

 カイレの長い自己紹介が続いていた。

 長く生きた分、やたらと話す事も多い。

 老婆に満足するまで生涯を語らせたら、どれだけ時間が掛かることやら……

 興味無いので、中断、中断。

 

「了解した、カイレ……んで、お前に命じる。お前の元の飼い主のところに出頭しろ。自死と俺に転向した方法及び経緯を語る以外の全てを許可する」

「承知じゃ、ゼブル様」

 

 カイレは老齢を感じさせぬ素晴らしい姿勢で深く一礼し、シーツを巻き付けたまま退出しようとした。

 

「待て……着衣については外で待機している『漆黒聖典』の誰かに用意させるので、受け取れ」

「承知致しました。細やかなお気遣いありがとうございます、ゼブル様」

 

 カイレが退出し、扉が閉まる。

 しばしの静寂。

 ティーヌが振り向いた。

 

「……良いんですか?」

 

 ティーヌが微妙な顔付きで俺を見ていた。

 情報漏洩の可能性が否定できないことを指摘している……のか?

 

「生かしたまま頭の中を腑分けでもしない限り、眷属による支配を見破れるとは思えないんだけど……宿主が死ねば即座に第二世代が孵化する。仮に生かしたまま頭を切開しても、眷属が周囲の者を皆殺しにする。番外席次とやらが直接頭の腑分けを担当しない限り、連中では眷属に対抗できんよ。相手がプレイヤーの集団であれば話は別だが、レベルだけで言えば『漆黒聖典』以上の眷属の戦闘力を上回る集団が法国に控えているとは思えないんだけど……実際のところ、どんなもんなの?」

 

 んー、と唸りつつティーヌが首を傾げる。

 

「たしかにゼブルさんの言う通り番外が頭の腑分けをやれるとは思えないんですけど……従属神が出てくると、どうなんですかね?」

「従属神……NPCか!?」

 

 なるほど、なるほど……そりゃ忘れてました……どうしよう?

 

「私もその、えぬぴーしーってヤツは良く知らないんですけど、魔導国で言えばアルベドとか、デミちゃんとか、とんでもないヤツもいるわけですよね」

「あのレベルのヤツが背後にいるとなると、ちょっとヤバいかなぁ……」

「だったら出頭させるの中止しますか?」

 

 少し不安が頭を擡げる。

 初見で見破れるとは思えない。

 問題は『漆黒聖典』を含めて殺せる人数がそれなりにいることだ。

 単に精神支配を解除しようとするだけならば問題はない。

 こちらの手口を探ろうと考えるか?

 そして魔法とマジックアイテム以外の方法に思い至るか?

 可能性はかなり低い……が0ではない。

 やはりユグドラシルの拠点防衛用NPCが背後にいるのが厄介だ。

 最後の『六大神』の存在が消えて何百年経つのかまでは知らないが、少なくとも数百年間はNPCが国家を守り抜いてきたのだ。侮って良い相手ではないのかもしれない。

 だが逆に考えれば暗躍してきた存在を表舞台に引き摺り出すチャンスだ。

 そのNPCが出てくるならば良し。

 出てこなければ、こちらが主導権を握ったまま。

 

「……いや、考え方を変えれば背後のNPCを引き摺り出したら、成功かなぁ……」

「んーっと、それは力尽くでOKってことですか?」

「いいや、出てこないなら、それでも良し……ソイツが放置している間に法国が引き返せないところまで踏み込むさ……いずれ法国の教育までこちらが握れば、そいつがどれだけ巻き返しを頑張っても大多数の民衆はこちらの味方。巨大な地域連合体の出来上がり……いずれエルフの王国も飲み込む予定。北の評議国と大陸中央の六大国がこちらに対して沈黙するなら、しばらくは平和が続くんじゃないか?」

「なーるほど、さすがはゼブルさん……えらい先まで考えているんですね?」

「いや、そこまで遠い先の未来じゃないんじゃないかなぁ?……決着したら、アインズさんだって安全を確保できるし、しばらくは諸国漫遊といきたいなぁ」

「……最近、頻繁にその話しますよね?」

 

 ティーヌがこちらを見た。そのまま俺の肩に手を置く。

 

「……置いていく、かと言わないですよね?」

「いや、残りたいなら別だけど……そんなつもりはないよ」

 

 見た目は細い腕が俺の肩を抱いた。

 吐息がくすぐったい。

 

「……アインズちゃんはどうするんですか?」

「どうもこうも……本人次第だけど……どんなもんかね?」

 

 きっとアインズさんはNPC達を放置できないだろうなぁ……

 

「いずれ帰るってことですか?」

「まっ、これでもいちおうはギルメンになったわけだし……世界中を見て回ったら、帰るつもりではある、かな?」

「ちょーテキトーですね……怨まれますよ」

「そうかもね……まっ、でも確実に喜ぶヤツも約1名いるし……それで帰れなくなったら帰れなくなったで、まっ、それで良しじゃないの?……アインズさんとはいつでも話せるし、会おうと思えば、土産持参でいつでも会えるし……メッセージとゲートは本当に偉大だな」

「ジッちゃんもそうですけど……私も魔法使えないですかね?……フライだけでも……翼で飛ぶと疲れるんですよねぇ」

「いまさら覚えない方が良いと思うけど……出会った時からは想像もできないぐらい強くなったんだし」

「気付いたら、とっくに一年経ってましたね……」

 

 エ・ランテルの墓地以来か……妙な気分だ。

 

 あの時は知識吸収の為と肉の盾程度にしか使えないと考えていたティーヌが妙に艶っぽい媚びた顔で俺を見つめていた。

 そのまま唇を塞がれる。

 想像していたよりも嫌じゃない。

 

 俺の中で少しだけリアルの感覚が失われたような気がした……

 

 

 

 

 

 

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 深刻な表情のレイモンとジネディーヌが真っ先に部屋から出てきた。

 何かを喋りながら眼前を早足で通過する。

 聞き耳を立てても会話の内容までは不明。

 2人に気を取られている間に他の面々も足早に立ち去っていた。

 最後に出てきたのがベレニス。

 正直、説教くさくてあまり好きな女ではない。

 とはいえ、他に人影は無く、話を聞けるのはベレニスだけだった。

 

「……ベレニス、ちょっと時間ある?」

 

 見た目は少女だが、自身よりもはるかに年齢は重ねている。

 しかしどうしてもムッとしてしまう。

 さすがに呼び方にまで注意を与えるほどの時間は無い。

 急変する事態に即応させる為に自身の統括する火の神殿組織に指示を出さなくてはならないのだ。

 

「……珍しいわね、貴女から話し掛けてくるなんて」

「そうかもね……正直、気が合うとは思えないし」

 

 気が合う合わないで言ったら、貴女と気が合う者はいないでしょ……と口にはしないが視線だけでベレニスは言外に伝えた。

 

「……それはそれとして……何の会議だったの?……私が出仕した時には既に始まっていたみたいだけど」

 

 貴女には関係ない、と一蹴すればよいのだが、ベレニスはほんの一瞬黙り込んでしまった。関係無いことはない。むしろ番外席次を関係無くする為に討議を重ねていたのだ、と。

 

 オッドアイがベレニスを見上げる。

 神であるぷれいやーを除けば法国開闢以来の強者だけあって、番外席次は異様なまでに感が鋭い。

 加えて『漆黒聖典』の他の隊員がどうなろうと関心がない。

 その性格を嘆く神官長もチラホラ。

 第一席次にすら訓練で圧倒し、馬の小便で顔を洗わせた話は有名だ。

 だから他の隊員の様子から疑念を抱いのではないだろう。

 常に最高執行機関の会議がスレイン法国にとって国家の行末を真剣に討議する場なのは周知の通り……国民であれば誰も知っている。

 番外席次はそれを常に見てきた。

 そしてこれまでのところ興味本位以上の関心を抱いたことはなかった。

 何故、唐突に今回の会議が深刻であること知り、興味を持ったのか?

 ベレニスは迷ってしまった。

 その迷いが番外席次の興味をさらに煽ることを知りつつ……

 

「……極秘の賓客に対する対応の打ち合わせね。今、隣国からスレイン法国にとっても非常に重要なお客様にお忍びで来訪していただいているの……外交交渉が少し難航して、時間が間に合いそうもなかったの……その擦り合わせの為に緊急で会議を開催したのよ」

 

 ふーん、と強い疑念を抱いていることを感じさせたまま番外席次は呟いた。

 

「……昨晩、第一席次にカイレの護衛をするって聞いた。『神人』の護衛が付く以上、神器を使う……少なくともその予定ではあったわけ……神器を引っ張り出して、外交交渉?」

「……そっ、それは別任務じゃないかしら……」

 

 番外席次がニヤリと笑う……語るに堕ちた、と。

 

「そこまでの任務ならレイモンが話だけでも通してくると思うけど……そんな話は聞いてない……つまり私には内緒の任務で、神器を使う……攻撃対象が外国勢力ってこと……今神都にいる外国要人っヤツがそうするに値する強者」

「ちっ、違うわ!」

「ねー、ベレニス……さっきから顔、真っ赤」

 

 番外席次は笑いながら、背を向けた。

 

「とっくに終業時間……今日はここまでで退勤するけど、良いでしょ?」

 

 番外席次は許可など求めていない。

 番外席次以外は許可無く入室できない5柱の装備を安置する部屋に入り、普段の装備を外した彼女が退室する僅かな時間でベレニスに足止めする理由を考えたが、無理筋な理由しか思い付かなかった。

 装備を所定の場所に安置されたら、足止めする理由が無くなるのだ。

 既に夜間担当の警備兵も出仕しているだろう。

 表向き『漆黒聖典』は作戦行動中でなく、彼女には一切の情報が与えらず、任務も5柱の装備の守護という通常業務以上のものは無いことになっている。

 その上、ベレニスには指揮権が無い。

 つまり与えられた任務から逸脱するならば職権で警告を与えることは可能だが、任務が存在しない以上、終業後も任務を継続しろとは命令できないのだ。

 

「じゃあ、また明日」

 

 ベレニスはギリギリと歯噛みしながら番外席次の小さな背を見送ることしかできなかった。

 

 ふっくらとした肉付きの良い女性が息を切らしながら土の神殿に向かって走り出したのは、それから5分後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 探すまでもなく、そこだと当たりを付けた宿屋が初っ端でビンゴだった。

 神都の一等地だ。

 普段は周辺を歩く人が多いはず。

 繁華街のような猥雑さは無い地区だが、歩行者が途切れることもない。

 そこに一切の人影が無い。

 周辺に気配も無い。

 あまりに不自然。

 つまり意図的に排除されたということだ。

 

 目立つ髪色を隠すべく目深にフードを被って、番外席次は抜け目なく1街区先から周辺を探った。

 

 どうやら宿の周辺は『漆黒聖典』が固めているらしい。

 と言っても自分以外の『漆黒聖典』など無価値な者達だ。

 第一席次ですら幼児のケンカレベル。

 どうにかこうにか特殊な技能で認められる者もいるが、戦力的には生まれたばかりの赤子と大差ない。むしろ罪悪感や可愛さを感じる分だけ赤子の方がマシな者達だ。どうやっても障害にはなり得ない。

 

 そうは言ってもここは神都であり、街区ごと閉鎖していても人目が多い。

 少なくとも現時点では戦闘を望んでいるわけではない。

 こちらの想定以上の強者であれば、即殺し合いに持ち込みたいところだが、自身と対等な戦闘能力を持つ者がそこらに転がっているはずもない。

 ただし会議が長引いていた事実と周辺の様子から察するに、神器『ケイ・セケ・コゥク』による対処が失敗したのは間違いないようなので、それなりに強者なのは間違いないだろう。それが計略や政治的圧力によるものか、実力によるものかまでは判然としないが、第一席次と『ケイ・セケ・コゥク』を排除したことだけは状況と最高執行機関の動きから類推可能だ。でなければ前後の辻褄が合わない。

 その事実には密かに期待していた。

 外国の要人相手に「殺し合え」と懇願しても無駄なことは理解している。

 しかし手合わせ程度であれば……レイモン経由でねじ込めるかもしれない。

 その為の品定め……この神都に強者の可能性を感じさせる者が現れることなど、これまでの長い人生でも無かった経験なのだ。

 

 番外席次は音も無く、空高く舞い上がった。

 魔法でない、単純に身体能力を活かした跳躍だが、その高さは30メートルを優に超えていた。そのまま着地音も立てず、宿の屋根に降り立つ。

 一切の気配を断ち、足音を消し去ったまま屋根の上を移動する。

 周囲を固める『漆黒聖典』にすら気付かせない。

 そのままおそらく使用されていない部屋のバルコニーに降り、柵の物陰に隠れた。

 隣室には照明が灯っている。

 誰かが滞在しているのは確実。

 その部屋に向けて聞き耳を立て、全神経を集中して建物内の気配を探る。

 

「……ちょっと待って、ティーヌさん」

 

 微かに男の声がした。

 気取られたか?

 

「ちっ!……せっかくイイ雰囲気だったのに……」

 

 イラ立ったような女の声。

 こちらは記憶にある。

 特定まではできないが、たしかに過去に聞いたことのある声だ。

 

「隣室のバルコニーに侵入者がいるな」

 

 信じられないことに男が正確に位置を言い当てた。

 完全に気配を断っているのに、である。

 

 ここまで来たけど、さすがに拙いか……

 

 番外席次は躊躇なく跳躍した。

 そして通りを挟んだ建物の屋根に着地し、即座に跳躍を繰り返した。

 さらに油断なく、全速力で逃走する。

 そうなれば常人には視認は難しい。

 常人でなくとも何かが通過した程度にか認識できない。

 完全に人波の復活した街中に至り、ようやく笑いが込み上げてきた。

 戦うに値するかは別にして、あの男が強者であるのは間違いない。

 直接戦闘能力は不明だが、あの探知能力は賞賛に値する。

 なるほど、第一席次とカイレが退けられたわけだ。

 まして不意打ち必須の『ケイ・セケ・コゥク』の精神攻撃が通用するはずがない。攻撃そのものはともかく装備者がド素人のカイレでは話にならない。完全に気配断ちした番外席次を探知可能な者など、知る限り法国内にはいない。あの男はそれをやってのけた。つまり不意打ち狙いで接近する試み自体が仇となった可能性が高い。

 

 不意打ち、奇襲の類は不可能に近いってわけね……ここまでは合格。

 

 ただし相手の能力の一端を知るに連れ、少し失望も感じていた。

 あの声の主が単純な力の勝負で第一席次を排除したとは思えない。

 どちらかと言えば、上手く対処された可能性が高いように思える。

 もちろんその両方であれば良いのだが、探知能力が突出し過ぎているように感じて仕方ないのだ。仮に自身と対峙可能なレベルの戦闘能力と両立しているとすれば、それは世界レベルの強者に違いない。

 となれば、望みが叶う確率は恐ろしく低い。

 しかし元々確率など0に等しいのだ。

 もし真の強者であり、自分を圧倒するような存在であれば……側にイイ雰囲気になるような女がいたようだが……

 

 敗北を知るチャンスだ。

 もちろん勝つならばこれまで通り……弱者の種に興味はない。

 でも様々な生涯初を味わえる、二度とない機会の可能性は否定できない。

 

 さらに加速した。

 人波を縫うように抜ける。

 まさに疾風。

 あの番外席次が目の前を通過したことを知る者はいない。

 

 僅か数十秒で土の神殿の前に立ち、オッドアイの少女は久しぶりに大声で笑った。

 

 

 

 

 

 

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「……振り切られたか……こんなことはセバスさん以来だな」

 

 60レベルの眷属のスピードを軽く凌駕するような存在など、プレイヤーを除けば想像に難くない。しかもここは神都で、状況が状況だ。

 従属神か、番外席次の二者択一だ。

 そして少女のように小柄で、フードから覗いた黒銀2色の髪色をティーヌに伝えれば、正解に至るのは極めて簡単だった。もちろん従属神の容姿はティーヌも知らないので、番外席次と似ている可能性も否定できないが、否定できないだけであり、容疑者は絞られたと言っても問題ないレベルだろう。

 

「とうとうあのバケモノがお出ましですか……」

 

 直前まで艶っぽかったティーヌの表情からその手の感情が抜け落ち、戦闘モードに切り替わったようだ。笑いながら俺を見ているが、真剣さと僅かな怯えを感じさせる。

 

「まっ、想定内ではある……けど、強襲を狙っているような様子じゃなかったな。こちらを探っていたように見えたけど、そーゆー隠密行動的なのも得意なの、番外って?」

「専門分野じゃありませんけど、戦闘に関する全能力が突き抜けた存在ではありましたねぇ……全ての能力がハイレベルって言葉が安っぽく感じるぐらいで突き抜けてました。だから隠密だろうと諜報だろうと素の能力で解決できると思います」

 

 うーん、番外イヤーは地獄耳ってか?

 

 でも、しょーじき、そこまで凄いかって感じではあった。

 どれだけ贔屓の引き倒しをしても、いーところ100レベルプレイヤーと同等止まり……少なくともレイドボスやワールドエネミーって強さじゃないのは確実にだろう。それに『六大神』由来の装備がフル神器級であっても……いや、現地勢は生まれながらの異能やら武技があるか……それらを加味しても単身で立ち向かうのを躊躇うようなレベルの強さではなかった……と思う。もちろん好んで戦いたいレベルの相手ではないけど。

 

 ただ向こうから仕掛けられたら戦わないわけにはいかない。

 

 仮に同条件で一対一の正面衝突だったら、俺の不利は否めないか……

 種族的には人間種のハーフエルフなのか『神人』という激レア種族なのか?

 いずれにしても生まれながらの異能や武技の差は大きい。

 何よりもユグドラシル由来のスキルと違って、対処方を知らない。

 仮に知っていてもプレイヤーに使用可能であるとは限らない。

 だが逆も真なりで、番外席次が俺のスキルに初見で対応できるか?、と言えば相当に難しいと思う。

 つまり仕掛けられる前に仕掛けた方が有利だ。

 また眷属を大量召喚して警戒網を構築する?

 いや、ただでさえ300もの肉腫入り兵士作ってしまったのだ。

 これ以上は収拾がつかないような気もする……ただでさえ情報過多なところに追加したら俺の頭がパンクしてしまう。かと言って、脈絡なく300人の死体を作るのもなぁ……寝覚が悪そうだし。

 

 まっ、最悪そうしよう……よくよく考えたらナザリックに戻らないとMP回復ポーションを補充する術が無い。手持ちを使い切るのはちょっと抵抗を感じるしねぇ……

 

 とりあえずは30匹程追加で召喚して、全方位で警戒させれば良いか……との結論に至り、即断即決で実行した。

 現時点での対処はこれで良い。

 心を落ち着け、深呼吸する。

 

 落ち着いたところで……真の問題を考えるべきだ。

 最高執行機関が番外席次にこれをやらせたのか、否か、である。

 まあ、連中が絡んでいる可能性は極めて低いと踏んで間違いないだろう。

 評議国に対してリスクとなっている番外席次を引っ張り出すぐらいなら、最初の段階で投入したはずだ。第一席次とカイレと神器を失ってからの、その場凌ぎの投入決定はあまりに愚策に過ぎる。

 こちらに警戒させ、怒りを買った後にさらなる戦力投入などあり得ない。

 だから番外席次の暴走と考えた方がしっくりくる。

 

「……と思うんだけど、ティーヌさんはどう思う?」

「んー、私も番外個人の人格や性格なんて知らないですよ……でも」

「でも?」

「少なくとも上の連中が番外を派遣したとは思えないんですよねぇ……知る限り連中はとにかく番外を守ろうとしていました。評議国との協定も有るとは思うんですけど、そんな理屈じゃない部分で番外には甘かったような気がします。もちろん法国最強を誰が罰するって話でもあるんですけど……だから番外が暴走しているって予測も正しいような気がします。番外を派遣するぐらいなら、上は自ら死を選ぶ気がするんです。それこそ自分達だけでなく、それが国家国民の死であっても代わりに『神人』が生き残るならば、それで良し、って考えるような気がするんですよね。何の確証もありませんけど」

「ティーヌさんの印象通りなら……病んでるな」

「そうですね。以前の私は巨大なクソの塊ぐらいに思ってましたよ。私だって似たようなものでしたけど、ゼブルさんの言う通り連中は病んでるのかもしれません。清廉ではありますけど、そういう倫理的な部分を差し引いても他国とは判断基準が大きくズレている気がします。長いこと人類の守護者なんてやってるつもりの狂った連中であるのは否定できませんし」

 

 ティーヌの言葉でなんとなく釈然としていなかったものが腑に落ちた。

 たしかに法国はズレている。

 予測の範疇から常に半歩はみ出してくるのだ。

 俺には連中が「人類の守護者」のつもりであるって認識がなかった。それこそリアルで散々目にしてきた単なる「主義者」の枠内だと思い込んでいた。主張に縛られて暴走しやすい反面、局面局面で最適な選択肢をあえて見逃すような連中だと思い込んでいた。人間種の立場が弱い世界での人間至上主義であれば理解できるなんて思っていたのは甘かったのかもしれない。異国に属する人間種も守る気概は立派と言えば立派だが、となると周辺の人間国家に対しても神殿を通して影響力を維持していた目的は?

 

 どー考えても魔導国とは最終的に敵対するしか道が残されていない。

 

 それこそ周辺地域の亜人種駆除という行動の意味合いは、種族的弱者でしかない人間種の為の単なる脅威の排除とは違うものに見えてくる。

 人間による永続的支配体制の確立が目的となると、長い年月を経て六大神の血が覚醒した『神人』は法国の目指す先における極めて重要な駒だ。単なる人間をどれだけ消費しても守るべき存在とも考えられる。むしろ評議国との協定は都合が良いのかもしれない。同じ人間と認識している俺には『神人』をぶつけられても評議国の『真なる竜王』にぶつけられない(あるいはぶつけない)理由は想像できる。

 

「……ちょっと先走り過ぎかな。でも連中がアンデッド労働力と魔導国の教育をどうしても受け入れ難い理由が見えてくるな」

 

 現状の苦境から脱却するには魔導国と手を結ぶのが最適解であるのは連中だって十二分に理解しているはずだ。このままでは経済的に滅びの道を突き進むしかない。理念や理想じゃ腹は満たされず、人間は生きていけないし、一定数は我慢はできても脱落者も多い。

 つまり国が保てない。

 

 リアルの日本は貧国とは正反対の先進国だったが、大昔はともかく豊かと呼べるような国ではなかった。しかし世界的にはまだまだ相当に恵まれていたとも言える。だからアーコロジーから出たことのない知識だけの俺が貧しい国を語るのは片腹痛いが、貧国の悲惨さは実体験がなくともニュースの類だけでも十二分に理解できた。

 働いても満足に食えず、働き口も無くなる。

 家族を売り、食い繋ぐ。

 悪化すれば口減らしもあり得る。

 愚民化を国家が主導し、階級格差を作る。

 つまり国家レベルで口減らしが始まる。

 まっ、日本では人身売買は違法だったが、愚民化政策は実施されていた。

 より悲惨な国では貧民の中でも格差が広がる。

 暴力による格差が必要悪とされる。

 治安は悪化の一途。

 非合法地下組織が乱立し、ほぼ内戦に等しい状況となる。

 余裕のある国民から豊かな国に逃げ、残された者達にはより過酷な貧しさと暴力が迫り来る。

 全ての貧国の下層では暴力が全てだった。

 

 リアルではないが、スレイン法国だって例外ではない。

 だから俺は経済を締め付けたのだ。

 法国は確実に傷を負っている。

 その傷をさらに深く抉る。

 懸命な者達から逃避が始まる。

 今はその最中のはずだ。

 指導層はそれを見過ごせるはずがない。

 予想通り接触を求めてきた。

 だがその追い込まれた状況でも指導層が守ろうとしているのが『神人』……その中でも番外席次ということなのだろう。

 

 俺はそれを軽く考えていたわけだ。

 そして番外席次本人は指導層の考えなどお構いなしなのだろう。

 目的は不明だが、個人的に仕掛けてきた……ってことろか?

 

「で、ティーヌさんさ……番外席次って第一席次やカイレと親戚とか、特別親しいとかなのか?」

「特に関係は無かったと思いますけど……でも、番外とまともに話していたのは『漆黒聖典』の中では隊長ぐらいだったとも記憶してます。と言っても、訓練でボコって、馬の小便で顔を洗わせたって話は有名ですけど……」

 

 聞く限り、特に親しいようには思えないな。

 

「案外、番外の……敗北を知りたい、って戯言じゃないのかも……?」

「はぁ?……なにそれ」

 

 100年以上前の格闘マンガの台詞かいな……データを全巻まとめて購入した記憶がある。

 

「番外が良く言っているって言葉らしいですけど……私は周囲を見下しているだけで、本気じゃないと思っていましたから」

「まっ、普通に受け取れば、そう思うね」

「ですよね!……でも突き抜けた場所から全てを見下ろしているバケモノの心境なんて、周りには理解できないのも真実です」

 

 なんとも言えないが、動機の一端ぐらいには考えた方が良いのかも……とにかく番外席次の行動原理が掴めない。そんな無茶苦茶な理由で、とは思うが、ティーヌの言う通り番外席次の心境など本人以外が理解できるわけがない。俺に至っては面識すら無いのだ。

 

 そうなると法国側も想定外の事態に陥っている可能性が高まったわけだ。

 こちらから現状を告げて番外席次の暴走を阻止すべきか?

 それとも100レベル前後の純前衛職人間種の脅威程度ならば、と状況を受け入れて、番外席次が仕掛けてきたところを返り討ちにするべきか?

 前者は安全策。

 後者は多少のリスクを伴うが、成功した際には指導層の首根っこを完璧に抑え付けられる。仮に失敗しても俺が死にさえしなければ、政治的には完全勝利に近いものが得られる。

 今回の接近は偵察みたいなものだろう。

 こちらが侵入者を捕捉した途端、即座に撤退した事実を考慮しても、俺の力量を探りにきたと考えて間違いあるまい。

 つまり会話を聞かれていたはずだ。

 宿屋の周囲に展開する眷属に気付いたのであれば、あのタイミングよりも前に逃走していたはず。それ以前に接近する方法そのものを変えただろう。

 索敵能力は圧倒的にこちらが上……と思いたいが、本気でなかった可能性も捨てられない。相手は慢心の塊。でなければ「敗北を知りたい」なんて言葉を公言するはずがない。

 

「……安全策か……完全勝利狙いか……どうする?」

 

 現状でも勝利は確定している。

 番外席次の暗躍を申し出るだけでも、相当なプレッシャーを掛けられる。

 現時点で交渉するだけでも大きな成果は得られる。

 ただ法国に希望が残る。

 希望が残れば、叛逆の目は育つ。

 法国は密かに牙を研ぎ、いずれ必ず叛逆に至る。

 同じ陣営に加えても、他国と違って延々と警戒を要する。

 一般国民は簡単に利に転ぶが、指導層と宗教関係者は簡単ではない。

 であれば、希望を失った聖王国の聖王女と同じ手は使えない。

 評議国との対立を回避する為に番外席次を魔導国に招聘する案は却下だ。

 

 仮に俺が旅に出て、アインズさんだけで警戒可能かな……?

 

 仮に番外席次をカルネに幽閉しても、そもそも守護者達がアインズさんと直接会わせるはずがない。厳重に護衛を配置した後でなければ、会談など認めるはずがない。

 それは安全である反面、直接籠絡できないということだ。

 

 やはり殺害した上で『死者復活』……強制レベルダウンが必要だな。

 

「……これから番外席次の情報を集めるから、外にいる『漆黒聖典』を順番に呼ぶ。それ以外にも番外席次に詳しそうな奴がいたら教えてくれないかな、ティーヌさん」

 

 一瞬だけティーヌの視線が険しくなり、その直後に笑った。

 俺の真意を悟ったらしい。

 

「……私を使い潰してください。でも蘇生もお願いしますけど」

「とりあえず遠慮なく、と言っておくよ。仕掛けた時点で勝ち確で挑めるようにするけど……」

 

 妖艶な悪魔の笑いが、そっと視界を覆った。

 




お読みいただきありがとうございます。


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51話 珍客万来

 

 土の神殿内は大混乱に陥っていた。

 まずレイモンとジネディーヌが今後の方針を固める為に意思確認をしているところに、ベレニスが身体を揺らして駆け込んできた。

 普段は落ち着いている彼女が興奮し、捲し立てる。

 拙い事態に直面しているのだけは理解できるが、詳細は理解し難い。

 とにかく番外席次絡みでろくでもない動きがあったのだけは間違いない。

 レイモンは興奮状態のベレニスをジネディーヌに任せ、自身は部下を呼び付けて、ゼブルが逗留する宿へと使者として送った。仮に面会できなくとも、番外席次絡みの異変があったか確認すべきと判断したのだ。この際は周囲を固め続ける『漆黒聖典』の様子は関係無い。どのみち彼等はゼブルに忠誠を示しているのだ。むしろ不穏な情報は無視できまい、と踏んだ。

 追加で元帥府にも使者を送り、神都を守護する衛兵団から地区封鎖に投入している兵員の大量増員を促す。番外席次が暴走しようとも一般の国民や兵士の存在を無視できるものではない。巻き込んで殺すことはできないし、目撃されるようなことも避けるはず、との読みだ。

 もちろん既に実力行使まで及んでいた場合は話にならないが、そうであればベレニスに限らず他の者も駆け込んで来るだろう。この期に及んでは番外席次の弱者に興味を持てない心の闇がどうにか心の平静を保たせている。

 とにかく事態が今以上に悪化する前に打てるだけの手を打つ。

 そう固く決心し、レイモンは最高神官長にも使者を送り、現在神都に残留している六色聖典の全人員を投入すると報告した。

 

 本来は静謐な土の神殿の広大な空間が目に見えてバタバタとしていた。

 奉仕者達には作業を中断させ、帰宅を促した結果、事情を知らない部下や神官達も何某かの異変を察知していた。素直に従う者だけであれば良いが、厳格な宗教国家といえど、そんな事態は恐怖政治下でもなければ望めない。決して少数と言えない数の野次馬や無闇に不安に駆られた者達がいつまでも帰らずに、神殿内のあちこちで屯っていた。

 本心では彼等を力尽くで追い返したかったレイモンだが、この際は混乱を力尽くで収束させることよりも、処理速度を重視した。

 即座に神官長室に戻り、そろそろ落ち着いてくれているだろうベレニスに詳しい事情を聞くべきと決断した。

 

 神官長室に足を向けた途端、無数の足音が響いた。

 

「神官長様!……ローランサン神官長様!」

 

 振り向くと追い返したはずの奉仕者の集団に混ざり、部下の神官数名も走り寄ってくる。

 

「どうしたのですか?……皆さん、落ち着いて下さい」

「大変です!」

 

 集まった中でも年嵩の高位神官が進み出て、レイモンに耳打ちした。

 

「それが奉仕者方の退出手続きを進めていたのですが……アポイント無く……突然番外席次様が来訪されたので、我々は神官長様との面会の手続きをしておったのですが……」

「それは良い!……そのまま通して下さい」

 

 むしろ好都合である。どのようにして捕まえようと考えていたところだ。番外席次に本気になって逃げられては、レイモンではどうにもならない。『占星千里』が敵の手に落ちたと考えられる現在、番外席次の逃げた先を捕捉して、尚且つ拘束できる者など法国内にはいないのだ。かと言って、ローラー作戦などで過度に追い詰めた結果、国外などに逃亡されては目も当てられない。

 

 しかし高位神官はさらにレイモンに何か告げるべく、目の前から立ち去ることはなかった。

 

「まだ何かあるのですか?」

「いや、問題は……」

 

 高位神官がさらに声を顰めた。

 

「番外席次様の手続き中に外交使節証を持たれた方が参られまして……」

「……魔導国の副王ですか?」

 

 であれば、最悪の相手ではあるが、最悪の状況は回避できる。むしろありがたいぐらいだ。

 

「いいえ……魔導国の副王様ご自身か御一行であれば私も遠目ながらお姿を拝見したことがございます故、詰所に留め置くなどあり得ません……それがリ・エスティーゼ王国の発行した外交使節証なのは間違いと思うのですが……」

「王国……ですか?」

 

 現状王国と進めている交渉は無い。

 他の神殿にはレイモンの把握していない些細な案件があるのかもしれないが、少なくとも国家レベルや六色聖典を動かすレベルのものは無いはずだ。

 それ以前にザナックとレエブンが実権を掌握して以来、王国は魔導国の実質的属国と考えていた。六大貴族がそれぞれに暗躍していた当時と違い、情報操作も難しく、簡単に籠絡されてもくれない。なにしろ権力が一極集中し、大きな権力闘争が無いのだ。

 その上、実質的な国力は帝国に対する多額の賠償金を支払ったにもかかわらず、現在のスレイン法国を超えていると分析する経済専門官もいるぐらいだ。

 軍事的にも帝国を模した専業兵士制を取り入れた以外、全くと言って良いほど評価すべきものは無い。

 つまり政治的にも経済的にも安定し、軍事的にも手を結ぶ価値が無いのだ。

 だから法国側は放置していたし、王国側も神殿を除いて接点を持っていることを忘れているようだった。

 

 それが突然、このタイミングで……キナ臭いですね……

 

「王国の誰からの使者か名乗っていますか?」

「……アインドラ法務尚書です。署名も印章も問題はないのですが……」

 

 高位神官はなんとも微妙な顔付きを見せた。

 

「他に何か?」

「使者ご本人がなんとも……その……奇妙な風体でして、はたして信用して良いのか、我々では判断がつきかねます」

 

 懸命に忠勤することだけで出世した、冴えない中年男が消え入るような声で恥じるように言った。

 

 対するレイモンは王国の使者のタイミングの悪さを心中で嘆きつつも、現実的な対応を考えるべく押し黙った。

 まず番外席次の身柄を確保することが最優先である。その役目はジネディーヌかベレニスに任せることも可能だが……はたして番外席次が彼等の言う事に従うかといえば、甚だ心許ないのも拭い難い本音だ。

 であれば、番外席次の身柄をレイモンが確保し、その間にジネディーヌかベレニスに王国からの使者の相手をしてもらうのはどうだろうか?

 逆よりはかなりマシに思える。

 番外席次さえ押さえてしまえば、ゼブルに謝罪に出向くことも可能になる。

 既に譲れる部分は全部譲歩する心算なのだ。

 いまさら謝罪の一つや二つ増えたところで問題はない。

 半ば開き直って、レイモンは高位神官に使者を神官長室に通すように命じ、自身は詰所に出向くことにした。

 

 詰所に向かう途中、高位神官の後に続く派手な服装の男とすれ違う。

 

 アレが王国の……使者殿か?

 

 王国の名門ではありながら、良識派である故に出世とは縁遠かったアインドラが新体制になった途端に閣僚に抜擢された。六大貴族の権勢争いが盛んな頃は周囲から煙たがられても正論を貫いていたと評判だった。

 何故か弟も愛娘もアダマンタイト級冒険者という奇妙な巡り合わせに付き纏われているが、本人は正道を歩み続ける王国貴族の中でも極めて珍しい男だ。

 

 ……それが何故、このタイミングで……

 

 レイモンは詰所に急いだ。

 胸騒ぎが抑えられない。

 あの王国の使者が魔導国に対する何かの切っ掛けになるような気がしてならなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 駄々を捏ねる番外席次を言い含め、強引に指揮権を発動して、自宅で謹慎するように厳命した。

 番外席次の居宅周辺は神官と奉仕者達が固める。

 兵士は配置するだけ無駄だ。

 数で押し切る為に出入口となる扉や窓の前に3人づつ立たせる。

 番外席次の動きは一般人どころか『漆黒聖典』でも『占星千里』ぐらいしか把握できない。その『占星千里』すら目視では追えない。誰も目で追えないのだから、単純に人海戦術での封鎖だ。

 それでも強引に突破されれば誰も番外席次を止められないのだが……彼女も短絡的ではあるが愚か者ではない。

 普段は柔和を貫いているレイモンが見せた憤怒の形相に、自身のやらかしがやらかしで済まないレベルであるのは理解したようで、少なくとも現時点でのこれ以上の命令無視が拙い事態を招くことを理解したようだ。

 それでも未練タラタラの様子を見せつつも、神官と奉仕者の集団に囲まれて自宅へと連行された。

 

 ふぅ……とりあえずこれ以上の暴走は阻止できるか……?

 

 レイモンとしても一度火の着いた番外席次を事態の終結までコントロールできるとは思っていない。とりあえず時間が稼げれば良いのだ。少なくともゼブルと交渉を始めるまで大人しくしてくれれば成果と言える。

 番外席次が土の神殿の敷地から出たの確認すると、レイモンは即座に踵を返した。足早に神官長室に向かう。

 年齢的に衰えたとはいえ、元『漆黒聖典』である。

 レイモンが本気で走ればかなりの速度となる。

 あっと言う間に神官長室の扉の前に到達した。

 呼吸を整え、涼しい顔を作る。

 ドアを押し開ける。

 平常運転で畏まるジネディーヌとベレニスの向かいに王国の使者がふんぞり返っていた。

 ローテーブルには茶の満たされたティーカップが3つ……まだ湯気を立てている。

 空気は和やか。

 まだ本題に突入しているとは思えない。

 思いの外、番外席次があっさりと引き下がったお陰で、時間のロスはかなり軽減できたようだ。

 ジネディーヌがチラリと視線を送ってくる。

 ベレニスがほんの僅か頷いた。

 お互いに視線を交差だけで、ある程度の理解は進んだ。

 使者の前に立ち、深々と一礼する。

 

「お初に御目に掛かります、使者殿……私は土の神官長レイモン・ザーグ・ローランサンと申します」

 

 金色の長髪の一部を赤く染め上げているのか、使者というよりも芸人のような格好の男は妙に芝居掛かった仕草で颯爽と立ち上がり、手足を交差させながら舞台挨拶のような礼をした。

 

「俺はアズス・アインドラ……今回は兄上殿の使者として参上したが、本来は王国のアダマンタイト級冒険者チーム『朱の雫』のリーダーなんて柄にもない稼業を生業としている者だ。王国でなく兄上殿からの密使……と思ってもらって構わない」

 

 どう見ても格好は冒険者というよりも芸人だ。

 それにしても娘の方は活動拠点を魔導国に移したと報告があったが、騎士爵を持つ出奔した弟は王国に留まっているわけか……それが六大貴族が幅を利かせ、形骸化していた頃と違い、本当に国家を動かす閣僚となった兄の密使として法国にやって来た、と。

 

「貴方の兄上は王国の法務尚書……最高権力の一端ではありませんか?」

 

 レイモンのもっともな疑問にアズスは鼻先で笑った。

 レイモンはさらにアズスに喋るように促すと、自身は簡素な作りの執務机用の椅子をテーブルセットのソファの横に移動させ、それに座った。

 同時にベレニスが茶を用意しようとしたが、手で制した。

 

「あんなものはレエブンとその取り巻きって言うんだ。今の王国はレエブンの独裁体制……まあ、多少はザナックの意見も反映されているだろうが、レエブンとザナックの背後には魔導国がいる。実質的には属国だ。兄上殿はそれが許せないのさ。義憤ってヤツだ。俺も許したくはない。そして俺達以外にも魔導国が気に入らねえ奴もいるってこった」

 

 アダマンタイト級とはいえ、冒険者などが使者の任が務まるかと不安させるいきなりのぶっちゃけぶりである。しかし相手にする法国としては極めて楽な交渉だ。腹の探り合いなど無く、あっさりと本音が漏れてくる。

 あるいはあえて漏らしているのか?

 いずれにせよ、簡単に情報が取れるのはありがたい。

 

「……して、冒険者でなく使者としてアインドラ殿が我が国を訪れた理由は、貴方達が魔導国を許し難いと思っていることの表明ではございますまい?……我々も非常に取り込んでいる最中でして、用件を率直に語っていただけるとありがたいのですが」

 

 フンッと鼻を鳴らした後、アズスは不敵な視線を向けて語り始めた。

 

「結論から言う……手を組まないか、というお誘いだ。俺達は魔導国を許しちゃいないが、あの強大な国家を侮るようなマヌケでもないんでね。十二分に下調べをした。それこそ兄上殿は法務尚書……王国の調査リソースを存分に使える立場に在る。そして愛娘もアダマンタイト級冒険者だ。さらに都合の良い事に魔導国に拠点を移した。俺達は調査可能な部分は全て丸裸にした。魔導国の戦力から市井の暮らしぶりに至るまで、何もかもだ。奴等のやり口も調査済み。その結果、魔導国に敵対的な勢力に声を掛け続ければ勝算が五分五分のところまでは戦力を集められるかも、ってところまでは目処がついた。抵抗勢力を意味のある形で成立させる為には法国の戦力も必要なんだ」

 

 王国の調査と言われれば、不安しか残らない。

 杜撰で、自己都合が優先され、簡単に騙される……そんな印象が拭えない。あくまで六大貴族が幅を利かせていた頃の無能ぶりが脳裏にこびり付いているだけなのだが、はたして脳がすげ替えられた程度で目と耳は信頼して良いと判断できるまでに改善するものなのか?

 あるいは目も耳もすげ替えられたか?

 レイモンは冷めた視線をジネディーヌとベレニスに向け、そのやりとりだけで「とりあえず話だけはさせる」との意志確認をした。

 

「……これはまた、突飛と言うか、剛毅と言うか……全ての調査結果でも見せていただかないと会議の俎上にも載せられないご提案ですね。ですが、あくまで聞くだけ……ならば都合の良いことに最高執行機関の構成員が3名もこの場におります。この中の1名でも会議の議題として取り上げる気にさせたら、そちらの要望は最高執行機関に持ち込まれると思います」

「あんたらも随分と聖職者離れした思考をするな……まっ、いいや……存分に踊らされてやるぜ。まず戦力だ。法国だってある程度は調べ上げてんだろうけどよ……魔導国の主戦力はもちろんアンデッドだ。デスナイトやらソウルイーターやらが多数を占めるが、より高位の名も知らねえアンデッドも多数抱えてやがる。信じられるか?……エルダーリッチが戦力じゃねえんだ。それに加えて都市内を守護するゴブリン兵団もとんでもない強さのヤツがチラホラ……なんて生易しいもんじゃねえな。かなりの数が混じっている。おたくの秘密部隊よりも強えぜ。これについてはあの『死者使い』リグリット・ベルスー・カウラウのお墨付きだ」

「待て!」

 

 ジネディーヌが待ったを掛けた。

 聞き流すつもりであったが、さすがに聞き捨てならない。

 

「なんだい、ジネディーヌさんよ?」

「魔導国はともかくお前達はどこまで知っているのだ。我が国の秘密部隊だと……」

「たしか『漆黒聖典』とか言うんだよな?……ラキュー……姪っ子のところのイビルアイぐらいしか素の能力じゃ勝てねえ、とよ……もちろんあのばーさんの受け売りだがよ」

「くっ……まあ、それは良いとしても、我が国の秘密部隊が勝てぬゴブリンというのも聞き捨てならぬぞ」

「んなこと言ったってよ……実際、いるんだから仕方ねえだろ。それも千や二千なんて数じゃねえ……あのばーさんは軽く5000以上はカウントしたらしいぜ。顔面が腐って見分けの付かねえアンデッドも正確に把握するばーさんだ。生きているゴブリンを数えるのはさぞかし簡単だろうな」

「なんと言うことだ……そんなバカな……」

 

 ジネディーヌが愕然と頷いた。

 それでもアズスは五分に持ち込めると言う。

 その表情も不敵な自信に満ちていた。

 

「どうだい……少しは興味を持っていただけたかな?」

 

 レイモンもベレニスも表情を失ったまま深く頷いた。

 アズスは満足そうに笑った。

 

「……じゃ、遠慮なく続けさせてもらうぜ。要するに魔導国って国家は周辺国家じゃ、質量共に突き抜けて強力なの戦力を保有しているわけだ。しかも公然と周囲に見せつけているだけでも、この上さらに20を超えるドラゴンと100近いジャイアントがいる。そして俺の姪っ子の『青の薔薇』を凌駕するアダマンタイト級冒険者チーム『漆黒』と『3人組』にアベリオン丘陵の名持ちの亜人達……帝国のフールーダ・パラダインとその門弟達だって魔導国一党みてえなもんだ。そしてばーさんが言うには密かにアベリオン丘陵に拠点を構えている大悪魔『魔皇ヤルダバオト』も魔導国に加わっている可能性が高いらしいぜ……こいつはあの剛毅なばーさんがビビって接近できなかったような推定難度300のバケモノの中のバケモノだ。今のところ『白金の竜王』が警戒しているみてえだが、魔導国との接点は確認できねえ。しかし魔導国がアベリオン丘陵の領有宣言したのを平然と受け入れているのも間違いねえ。なんならヤルダバオトこそが魔導国の真の支配者の可能性だって捨て切れねえが、ばーさんが命懸けで入手した情報によれば、ヤルダバオトが会話の中で自身の上位者の存在を示唆したことがあるらしい。加えて魔導国中を闊歩するアンデッドの大軍団を考えれば魔導王が真の支配者なのは間違いねえと断言して良いだろう。噂じゃ、魔導王は第八位階以上の使い手って話だぜ。ビーストマン国家のビーストマン達も魔導国に飼い慣らされた忠実な手下……戦力って言うよりも労働力って感じだけどよ。有力な人間の強者を個々にカウントするまでもねえな。有名どころじゃ、ブレイン・アングラウスも副王の配下として魔導国に所属してるようだ。ヤルダバオト以外は魔導国が即座に動員可能な戦力なのは間違いねえ。評議国の『真なる竜王』達も頭を抱えるような大戦力だ……で、俺達はそれに対抗する戦力を保有する組織を構築したいわけだ」

 

 流れるようなアズスの説明にレイモンもベレニスも頭を抱えていたジネディーヌも息を飲み込んだ。特に一時期王国の王都で噂が流れた大悪魔『魔皇ヤルダバオト』の実在情報は衝撃的だった。法国の虎の子『漆黒聖典』を個々に上回る戦力と言うゴブリン兵の存在以上の衝撃をもたらした。推定難度300では互角に戦えるのは番外席次のみ。しかも間の悪いことに第一席次を含む『漆黒聖典』によるバックアップも神器『ケイ・セケ・コゥク』による精神攻撃も望めない可能性が極めて高い状況なのだ。

 

「お話は理解しました。しかしこれまでのところ魔導国は他国を侵略するような真似はしていませんが……」

 

 レイモンの指摘をアズスは余裕の表情で受け止める。

 

「違うだろ……実力行使で蹂躙されていないだけで、あの国は思い切り他国を侵略しているぜ。あの圧倒的な資金力と桁外れの生産力で侵略できない国は無えだろ。他国の情報を売りたくはねえが、評議国だって青息吐息だ。なんせ魔導国に尻尾を振った方が評議国に義理立てして取引を続けるよりも圧倒的に得なんだからよ。それまでの取引相手が軒並み奪われ、どれだけ軍事的に強かろうが目に見えて孤立化する。評議員達が頑張ったところで一般国民は我慢できねえのさ。法国は違うのか?……一緒だよな。むしろ力を奉じる傾向が強い亜人国家よりも、利に敏感な人間種の宗教国家の方がはるかに辛い状況なんじゃねえか?……まあ、あんたらが素直に自国の窮状を素直に答えてくれるとは思わねえが、王国の惨状を見ていれば想像可能だ。王国はザナックやレエブンから市井の国民に至るまで心の底から魔導国の狗だ。敗戦の屈辱なんざ覚えているのはほんの一部……ガゼフの旦那達は反帝国、反皇帝の精神で懸命に頑張っているみてえだが、いかんせん正攻法じゃ何年経っても魔導国どころか帝国にも追いつかねえよ。むしろ引き離される一方だ。帝国は魔導国との一体化が確実に進む。情報によれば、専業兵士制は最低限まで削減して、予算を魔法詠唱者の育成に集中投入すべきって議論まで行われてやがるようだ。魔導国との分担を考えて『同盟内で確固たる地位を確立すべし』って主張する魔法学院出身者の派閥が幅を利かせているらしいぜ。竜王国とビーストマン国家は完全に魔導国副王の言いなり。聖王国も似たような道を進むしかねえ。都市国家連合も市井から突き上げにいつまで耐えられるか?……明日にでも貿易だけじゃなくアンデッド労働力の受け入れを始めるだろうな……その結果として国民教育が魔導国に奪われるわけだ。そうなりゃ数年先には帝国……労働力だけでなく国防もアンデッド任せになるんだぜ。そこまで浸透されたら国名が違うだけで魔導国の一地域だ……違うか?」

 

 成立して間も無い魔導国がどのようにして人々のアンデッドに対する根深い忌避を払拭しているのか?

 

 深刻な疑問だ……ゼブルの軍門に降っても、待ち受けるのは苦難の道。それは覚悟していたが、アズスから他国の状況を聞くに及び今後の舵取りの難しさを痛感した。

 レイモンは率直にアズスに疑問をぶつけた。

 

「魔導国はどのようにして人々のアンデッドに対する根深い忌避を払拭しているのですか?……もしアインドラ殿がご存知でしたらご教授願いたい」

 

 アズスが突然立ち上がる。

 

「胸糞悪い!……と言いたいところだが、連中はとにかく地道なんだ」

 

 そして注目を集めた後、笑いながら座った。

 いちいち芝居掛かっているが、冒険者なりの話術は心得ているようだ。あくまで冒険者として、だが。

 

「アンデッドも人も大量動員してやがるんだ。まず労働力を必要とするところに片っ端から安価な労働力の提供を持ち掛ける。嫌がっても支配者からの得になる話を断れる金持ちなんざいない。いざって時に国家の庇護を失うわけにはいかねえからな。で、導入と同時に税率の引き下げを約束する。雇用主はそれだけでも軒並み満足するが、連中は手厚い。経理や法律の専門家と称してエルダーリッチも派遣する。当初は恐ろしいし、戸惑うが、エルダーリッチの経営アドバイスは極めて的確なんだ。即座に潤沢な利益が得られるか、少なくともそれが予測される経営状況を見せつける。これだけで富裕層はイチコロだ。次いで手の空いたそれまでの労働力の担い手である貧困層の労働者に教育義務を定めた。15歳以下の子供は6歳から15歳までの10年間……それ以上の年齢は週に一度、適性検査と職業訓練を兼ねてアンデッドと過ごさせる。生活困窮期間に国から支援金受け取る条件なんだ。同時に教育も施す。その中にアンデッドと親しげに接する人間のサクラも混ぜてな。さらに市井にアンデッドをばら撒いて、人々の嫌がる作業を率先してやらせる。汚物やゴミの処理や清掃作業が主だ。ついでに身体の弱い病人や老人を助けさせたりする。気楽にアンデッドを呼びつける人間のサクラも多数紛れ込ませてやがる。まあ、万事抜かりなくアンデッドを活用する様子を一般国民に見せてやがるんだ。恐怖も忌避も1ヶ月もあれば相当に薄れる。中には本当に助けられた人間なんてのも出てくる。そいつらのアンデッドに対する感謝は本物だ。本物の感謝は説得力が段違いだ。感化される人間も増える。慣れってえのは恐ろしいぜ。3ヶ月も経過すると街にアンデッドが歩いているのを平然と受け入れているんだ。むしろそれまでのアンデッドに対する評価に自然と疑問まで抱くようになる……って寸法だ。広報活動にも力を入れてやがる。それに加えて良い実績が積み上がりゃ、鬼に金棒だな。街の無償奉仕者はスケルトン……行政機関の受付は軒並みスケルトンメイジ……法で定められた範囲の行政決定権者や裁判官はエルダーリッチ……国の安全を担うのはデスナイトにソウルイーター。どいつもこいつも厳格だが極めて公正であるのだけは間違いない。加えて二十四時間休み無く働き、経費どころか食費も要らねえ。どうあがいても人間国家にゃ絶対に真似はできねい。潜入してみれば一発で理解できる。一切無駄がなく、全てが機能的で効率的だぜ。行政に関しちゃ完璧だ。その上魔導国は人間も亜人も異形も区別なく扱うからな。移民にも援助は手厚いし、成功する為の機会もくれる。生活に困れば国が本当に最低限の食う分だけは支援してくれる。今じゃ自身でアンデッド宣言している魔導王がお忍びで街を歩けば一眼見ようと幾重にも人垣ができあがるような状況だぜ。魔導王陛下万歳!ってな」

 

 一瞬感化されそうになり、レイモンはハッと我に返った。

 アズスの言葉を聞けば聞くほど魔導国とは良い国だと思わされてしまった。

 少なくとも一般国民に対しては極めて良い環境を作り上げている。

 法国の理想とはかなりかけ離れたものではあるが……

 人間を食料として扱うような大陸中央の六大国のような野蛮さは感じない。

 人間至上主義とはいかないが、人間を国民として人間以外と同等に扱っているのは間違いないようだ。

 

 レイモンが視線を移すとジネディーヌもベレニスも何かを深く感じ取っているようだった。

 

 しかし忘れてはいけない。

 魔導国は自国民には手厚いが、他国に対しては極めて厳しいのだ……それが自国に民を集める手段だとでも思っているかのように。

 はたして現在の苦境を乗り越えた後も魔導国と共に歩むべきか……?

 

「……真っ先に魔導国の手を取った帝国の状況は?」

「……似たようなもんだ。帝国は元々官僚機構が強いから、その分の経費削減は難しいらしいが、軍部も辺境警備に都市外警備は既にアンデッドを導入済み。大規模農場もアンデッドの導入に積極的だ。浮いた国費で魔導国を倣って教育に力を入れているみてえだ。都市基盤の整備も魔導国の力を借りて着々と進行している。僅かだが税率も引き下げた。景気は上昇気流に乗ってやがる。金も物も潤沢に国内を巡っているわけだ。帝国の好景気の大波に飲み込まれたのがカルサナス都市国家連合だ。しかし帝国はどこまで行っても魔導国ありき……つまり浮いた国費を魔導国に吸い上げられているとも言える。さすがの切れ者皇帝ジルクニフも魔導国を凌駕することは諦めて、同盟内での地位向上を目指すようになったらしいぜ。将来を見据えて、少なくとも魔導国副王ぐらいの地位は確保しておこうって腹積りだ。まあ、同盟内は永世盟主の魔導王と腹心の副王に次いで魔導国の閣僚が実質的上位とされる下に名目上魔導国閣僚と同等とされるそれ以外の国家の君主って状況らしいぜ。今のところ帝国と竜王国が下々の覇を争っているって話だ……聖王国と都市国家連合も黙っちゃいねえだろうけどよ。本当にくだらねえ情報だ」

「……竜王国ですか?」

 

 国力で言えば、経済力も軍事力も帝国とは比較にならないはずだが……国土のほとんどがボロボロの弱小国家が魔導国以下は似たようなものとはいえ精強な帝国と覇を争う?

 

「少し前には考えられなかったが、今の竜王国は下手すりゃ魔導国以上に他種族共生のアンデッド依存国家だぜ。閣僚を除き、官僚機構は全て魔導国のアンデッド。国軍も将帥を除いて全兵アンデッド。国土は壊滅的だった南部を中心に大規模再開発が進み、その労働力の9割以上を占めるはアンデッドかビーストマン。新たに人間の手でデザインされた美しい街並みと整備された農園に水路に道……機能を追求した国土のほとんどを支配しているのが、制度改正後の竜王国で唯一生き残った貴族の南方侯……そいつは魔導国副王と同一人物だ。形式上オーリウクルス女王の臣下だが、同盟盟主魔導国の副王でもあるって歪んだ関係だ。奴の個人的な属国と言っても過言じゃねえ。単なる噂だが、宰相を除く閣僚も軍の幹部も奴の配下で占められているって話だ。そいつらが切れ者揃いらしいぜ」

 

 そこまで話し終えてアズスがニヤリと笑う。

 

「で、ここまでの情報を無償で提供したんだ。少なくともおたくらの最高意思決定会議には上程して欲しいな……少しでも俺達の誘いに乗るつもりがあるなら、さらに詳細な情報を開示するぜ」

「まだあるのか?」

 

 ジネディーヌは年齢的にも疲労困憊……吐露するように呟いた。彼にとって今日一日は波乱に満ち過ぎていたのだ。

 巻き込まれた形のベレニスも少し顔付きが薄くなったように見える。

 3人の中では頑健なレイモンもにしても、この後の予定を考えると頭が痛くなるような気にさせられていた。

 

「こちとら……あんたらが魔導国に籠絡される前に、なんとか間に合うようにやって来たんだ。ガキの使いでもねえ……それに勘違いされても困るから、最初に言っとくが、手を組んだからといって一緒に魔導国と戦争しようって話じゃねえからな。もちろん個人的には魔導国のえげつないやり口は気に入らねえ。兄上殿に限らず仲間はみんなそうだろう。だからと言って魔導国が民衆にもたらす豊かさや公正さまでを否定するわけでもねえ。ガゼフの旦那達と一線を画しているのはその部分だ。最終的に戦争を目指しているあいつらとは手が組めねえ」

「では何故魔導国と同等の戦力を確保したいのですか?」

「戦力が互角にならなきゃ、交渉のテーブルに着けないだろが……最終的にブン殴る力が互角……それが無理なら、俺達に殴られりゃ死ぬ程痛え、って思わせないとな。その為に魔導国の戦力以外も詳細に調べ上げたんだ。俺達は魔導国の経済侵攻から逃れたいのさ。魔導国っていう見た目は美しい底無し沼に肩までどっぷり浸かっている現在のレエブンとザナック……同じ穴の狢の帝国や竜王国にその自覚はねえだろうが、連中の本質は侵略者だ。しかも凶悪な『八欲王』なんぞと違い、連中の武器は経済と教育……様々な意味で民衆を豊かにする厄介な連中だ。大口で飲み込んだ民衆に担がれて飛躍的にデカくなりやがる」

「それの何が拙いのですか?」

「民衆にとっちゃ現状は何も拙くねえさ……ただ俺は連中のやり口が気に入らねえだけだ。そいつを自覚しているから今は戦いを避けたい」

「解りませんね……我々を誘う意味があるとは思えません。貴方達だけで抵抗すればよろしいのでは?」

 

 レイモンには最後の最後が理解できなかった。

 これではアズスは使者失格だ。

 友人に頼み事をするのではないのだ。

 国家……それも他国を動かすにはあまりに情緒的過ぎる。

 個人的にはある程度までは賛同できる部分もあるが、国家を指導する者としては箸にも棒にも引っ掛からない意見だ。理由も条件もあやふやでは議題として上程するわけにもいかない。

 それに本交渉前に態々自分達の弱点を提示するのは阿呆の行いだ。どこまでいっても所詮は冒険者……交渉前に事態の趨勢を決めてしまい、相手の選択肢を奪ってしまう魔導国と互角にやり合えるとは到底思えない。

 

「……残念ですが、これ以上は情報を得ても意味があるとは思えません。貴方達も貴重な情報を浪費したくはないでしょう。どうかお引き取りを……」

 

 それまで余裕を見せていたアズスの顔色が一変した。

 魔導国に潜入し、可能な限り調べ尽くしたことで情報の価値に一定の自信を得ていたのだろうが、彼等程度の調査であれば風花を総動員すれば法国単独でも可能……レイモンはそう結論付けた。

 

「待ってくれ!」

「何を待つのですか?……我々には時間が無い。本当に言葉遊びをやっている暇は無いのです」

「遊びじゃねえよ!」

「貴方のやっていることは時間の浪費です。我々を動かしたいのならば、理由と条件と、結果や成果とまでは言いませんが、その予測程度のものは提示していただかないと……」

「理由だと……おたくらは連中にやり込められたままで良いのか?」

「良くはありません。ですが、それは貴方達と手を組むことを是とする理由にはなりません」

 

 レイモンが冷然と言い放つとアズスは立ち上がり唇を噛み締めた。

 

「……残念ですが、貴方達が戦力をまとめ上げても魔導国と互角にやり合えるとは思えないのです。仰る通り、彼等は労を惜しみません。今この時も我が国限らず経済による侵攻を続けているのです。時間は魔導国の味方……我々には本当に時間が無い。とはいえ、ある程度の情報をいただいたのも事実。ですからこちらからお誘いに乗れるか判断できる条件を提示しましょう」

 

 我ながら甘いな、と思いつつレイモンは端的に言葉を並べた。

 機会を与える必要があるとは思えないが、それでもアインドラ法務尚書の背後に誰がいるのかは知っておいた方が得策と考えたのだ。

 現時点で確認できたのはアズス・アインドラ……おそらく彼の冒険者チームである『朱の雫』のメンバーも同一歩調なのは間違いないだろう。

 さらに『死者使い』リグリット・ベルスー・カウラウ。

 口振りではガゼフ・ストロノーフ一派とは袂を分かっているらしいが、リグリットは高名な剣豪ローファンの冒険者チームに所属していたこともある。ガゼフはローファンの弟子と言っても過言では無い。

 リグリットの繋がりでかつての『十三英雄』の生き残りでも確認できれば儲けものだ。

 さらに『青の薔薇』も血縁を考慮すれば一党と考えても良さそうだった。

 ただこの面子だけでは戦力や市井の情報は取れても同盟内部の政治的な動きまでは把握できるとは思えない。

 まだ誰かいるはず……その思いが半端に機会を与えるような言動となったのかもしれない。あるいはアズスの姿を見た時に受けた感覚に引っ張られたのかもしれない。

 

「……どうぞ、本拠地に戻るなり、メッセージで伝えるなりで、お仲間と相談してください。我々はこの地を離れることはありません。ただ状況は深刻な速度で推移しています。今日の条件が明日の条件と同じものとは考えない方がよろしいかと……」

 

 一瞬で立場を失ったアズスが言葉も無く深く一礼し、神官長室から退出しようと扉の前に立った。

 そして退室前に振り向くと3人の最高執行機関メンバーを見回した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 トスっと軽い音が響いた。

 その瞬間、アズスが「グッ」と呻き、吐血した。

 見れば彼の左胸から赤く染まった剣の切先が飛び出している。

 致命傷……もう助からない……即座に理解させられた。

 

 女性のベレニスも老体のジネディーヌも僅かに目を見開いただけで、大袈裟な反応は見せない。それだけでも彼等の潜り抜けてきた修羅場の数が窺い知れる。ただレイモンだけは立ち上がり、2人を庇うように前に進んだ。

 

「この神殿内で狼藉に及ぶとは……何者かっ!」

 

 血塗れの切先がアズスの身体の中に沈む。

 ゆっくりと身体がその場で崩れ落ちた。

 背後に現れたドアは作りこそ簡素だが、遮音性に優れた分厚いものだ。

 それを隔てて正確にアズスの心臓を貫いたのを偶然と考えるには、あまりに見事な腕前だった。討たれたアズスとてアダマンタイト級冒険者である。幾多の修羅場を掻い潜って生き抜いてきた手練れ相手に一撃必殺は、賊が相当な腕の持ち主であることの証明だった。同時にスレイン法国の権威など無視して構わないと考えているのも間違いあるまい。

 

 ドアノブが回る。

 

 レイモンは唾を飲み込んだ。

 

 ドアが引かれた。

 

 レイモンは一歩踏み出し、現役時より衰えたとはいえ、いまだ常人相手であれば一撃で頭蓋を砕く程度の威力は保っているつもりの蹴りを繰り出そうと身構えてた。もちろん相手が常人でなく手練れであることは百も承知だ。

 

「ちわー……っと」

 

 奇襲の蹴りが賊を襲う。

 正確に左側頭部を狙っていた。

 

「アハハッ……話すのは随分と久しぶりなのに怖いなぁ、レイモン」

 

 賊の笑顔と対照的にレイモンの顔が苦痛に歪む。

 右脛を細い指に掴まれていた。

 信じられない握力だった。

 握り潰されないのが不思議な程の圧迫であり、ピクリとも動けない。これ以上の攻撃を繰り出せば即座に右脚を握り潰されるのを理解させられたのだ。

 

「貴様はクレマンティーヌ!」

「いまさら見間違いはないでしょ?」

 

 クレマンティーヌが笑う……直後、表情を消す。

 

「でも今はティーヌって名前だから……次、間違えたら殺すぞ」

 

 凄むわけでもなく淡々と宣言しながら、クレマンティーヌはレイモンの右脚を解放した。

 以前とは全くの別人だった。

 破綻していた人格はともかく、戦闘能力がレイモンが把握していたものとは隔絶している。

 

 クレマンティーヌは足下に転がるアズスの死体を一瞥すると、まるで障害物を退かすような雰囲気で軽く蹴り避けた。

 そのままドアを閉めると、唖然とするレイモンの傍をすり抜け、呆然と見上げる2人に笑い掛け、ソファに腰を下ろした。

 

「ちょっと空気が血生臭いけど、お茶くれないかな、ベレニス?」

 

 ベレニスは言われるまま何度も頷き、即座に新しいティーカップに茶を注いだ。それをゆっくりと差し出す。

 クレマンティーヌは笑いながら受け取り、茶を啜った。

 

「……もう何が起こっても驚かんつもりだったが、許されざる大罪を赦免した小娘に、こうして目の前で堂々と人殺しを見せつけられるとはな……しかも今では外交特権持ち……歳を重ねるもんじゃないわな」

 

 皺枯れたジネディーヌがクレマンティーヌを鋭い視線で睨み付けながら呟いた。

 

「何言ってだ、クソジジイ……怒り心頭なのはこっちなんだけど」

 

 言葉と裏腹にクレマンティーヌはジネディーヌに穏やかな笑顔を向ける。

 

「怒り心頭だと……?」

「とぼけんなよ、ジネディーヌ……神都に来てからだけでゼブルさんの命を狙うこと2回。んで、今度はコソコソと姑息に反魔導国の打ち合わせかよ。薄汚え死体が誰かは知らねーが、お前らは何度頭を下げてきても信用できねー……実際に来てみれば案の定だったわけ」

「それは全て偶然じゃ……信じろとは言わんがな」

「偶然だろうと何だろうと、死んだゴミの話は聞いてたんだよねー……ゼブルさんに襲撃掛けたのも事実。まっ、2回目のは未遂って考えやっても良いけどさぁ……お前らがグダグダなのか?……元々法国が腐ってるのか?……私はどっちもかなぁーって思ってるよ」

「して、ゼブル殿は?」

 

 老獪そのもののジネディーヌはしれっと話題を逸らす。

 クレマンティーヌもゼブルの話題となると付き合わざる得ないのを知っているのだ。見せかけであろうと本心であろうと魔導国副王に対する忠誠を見せ続けなくてはならない……とジネディーヌは思っている。そもそも逃亡中のクレマンティーヌが自身の安全確保の為にゼブルに腕を売り込んだ可能性が高いと予想しているのだ。

 

「もちろん無事だよ。私を使いに出すぐらいだからね……レイモンの使いが来たから、お前らを連れて来い、ってさ」

「で、貴様は使いのついでにわしらと話し合っていた王国の使者殿を不意打ちで殺害したわけか?……大した外交儀礼じゃな」

「アハハッ……お前が儀礼を語るなよ、ジジイ。まっ、お前らがクソなのは確定事項だし、どうでも良いけどさー……ゴミ屑の死骸は私が持って行くから」

「ふざけたことを抜かしよる」

「お前らが持っていても仕方ねーだろ?」

「その御仁はわしらが儀式魔法で復活させる!……貴様らの好きにはさせん」

「数に頼んで、ほとんど役に立たねー魔法なんざ、労力と時間の無駄なんだよ。それにこの私が持って帰るって言ってんだよ……お前らに止める術はねーだろ」

 

 クレマンティーヌの浮かべる笑顔の奥に無視できない何かが生じた。

 ジネディーヌは表情にこそ出さなかったが、冷たいものを感じていた。

 役割を良く心得、肝っ玉の太いはずのベレニスも口を挟めずにいる。

 膠着した空気を打ち壊したのはレイモンだった。

 

「……お前の言う通り、私達に止める術は無い。だがお前は宿まで死体を担いで帰るのか?」

「んじゃ、レイモンが持ってってくれる?」

「断る!」

「じぁー、黙ってろ、三下」

 

 クレマンティーヌは頑として譲らない。

 蔑みの視線をレイモンに向け、口元には笑いを浮かべている。

 対するレイモンはクレマンティーヌの視線を受け止めつつも、本当に往来を死体を担いで歩かせるわけにはいかないと密かに対応策を巡らせていた……だが実力では圧倒的な差を示され、どれも選択肢としては弱い。

 かと言って、このまま放置すればクレマンティーヌは本当に刺殺体を担いで宿に向かうかもしれない。

 そして3人は宿まで同行しなければならない。

 つまり形として殺人を黙認したことになってしまう。

 

 せめて体裁だけでも整えなければ……

 

 レイモンは考え込んでいた。

 ジネディーヌとベレニスからはクレマンティーヌと睨み合っているようにしか見えない。

 

「まあ、待て……ここはひとまず……」

 

 ジネディーヌが仲裁を提案した瞬間、ノックが響く。

 視線は一つも向けられなかったが、全員の注意が扉に集中した。

 

「何用ですか?……今取り込み中なのですが……」

 

 神官長室の主人であるレイモンが扉の隙間を作って対応した。

 片隅に死体が転がっているのだ。無闇に扉を開けさせるわけにはいかない。

 血の臭いはこの際無視した。

 

「神官長様……大変です!」

 

 またか……思わず舌打ちしそうになり、レイモンは慌てて自分を戒めた。

 

「何事ですか?」

「それがその……」

「なんですか?……用件は簡潔にお願いします」

「……カイレ様がお一人でいらっしゃいました」

「なんだと!」

 

 あまりの大声に「ヒィ……」と取次に訪れた女性神官の小さな悲鳴が響いた。

 しかしレイモンに余裕はなかった。

 行方不明になっていた神器『ケイ・セケ・コゥク』の所持者が現れたと言うのだ。しかも1人……第一席次はどこへ行ってしまったのか?……カイレが無事であれば第一席次も無事な可能性がある。

 法国の責任者として後回しにできるような話題ではない。

 

「今、どこに!」

「アポイントは確認できませんでしたが、カイレ様ですので既に許可しました。直ぐそこまでお連れしています」

「こちらに!……いや、私が行きましょう。案内を」

 

 ジネディーヌとベレニスに断り、レイモンは神官長室を後にした。

 クレマンティーヌが見せたおちょくるような笑いが気になったが、今はそんな些細な事を気にしている場合ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 爆発的に巨大化したら期待は脆くも崩れた。

 通路を曲がった先にカイレは立っていた。

 悪びれもせず、じっとレイモンを見返している。

 

「カイレ様……ご無事で何よりですが、神器はどうされたのですか?」

「神器とな?」

 

 すっかり惚けたかのようにカイレは皺だらけの顔を傾けた。

 何の話か理解できない……そんな印象だった。

 痴呆とは思えない……凛とした印象も薄れていたが、言葉があやふやなのでなく、記憶が曖昧と言った方が正しいように思える。

 

「ご一緒だった第一席次は?」

「第一席次とは誰じゃ?」

 

 万事この調子だった。

 だが他の質問に対する受け答えはしっかりしていた。

 神器とは似ても似つかない地味な色合いの服に身を包んではいるが、レイモンについてもジネディーヌについてもベレニスについても良く覚えているようだった。

 番外席次や他の『漆黒聖典』についても記憶におかしな点は無い。

 しかし土の神殿を訪れた理由も判らないらしく、なんとなく神都を独りで歩いていたら辿り着いたらしい。

 レイモンとの会話で肝心な部分だけがすっぽり抜け落ちているのだ。

 

「いずれにしても私を頼っていただけたのは何よりです」

「そうか……わしは何か非常に重要な任務……果たすべきことがあったように思うてな……それが何か教えてもらいたくて来たのだ。たしか……おぬしの使いの者が我が家にやって来たような気がしてな」

「その使いが第一席次です。黒い長髪の『神人』です」

「なんと!?……3人目の『神人』が発見されたとは聞いてはいたが……しかし……記憶に無いのう」

 

 カイレは首を捻る。

 まるで暖簾に腕押しだ。

 やはり記憶の一部分が完全に欠落しているようだ。

 

 症状の差はあれ、一部は真面……少し『漆黒聖典』と似たような……まさか!

 

「カイレ様……魔導国副王が神都に滞在しているのはご存知ですか?」

「魔導国副王……おおっ、ゼブル様のことか!……わしが神都を彷徨うているところを助けてもらったのう。年若いのに実に良い人柄の御方じゃ。布切れ一枚の半裸で歩いているところを哀れに思うたか、服を用意していただいたのじゃ……で、わしは何で布切れ一枚で街におったのかのう?」

 

 なんとも判断に困る回答があった。

 そのままの内容にも受け取れる。

 ゼブルに対して感謝はしているが、過剰な忠誠心のようなものは感じない。

 ただし確実に怪しい……より複雑な精神支配を受けているのか?

 あるいは……この状況を作ることが狙いなのか?

 『漆黒聖典』のように過剰な忠誠心を見せる者だけではないと、こちらに警告するのが目的なのか?

 いずれにしても期待外れ……神器『ケイ・セケ・コゥク』も第一席次の所在も深い霧の中……このような状態で王国のアインドラと手を結ぶわけにはいかなかった。アインドラの背後にいるだろう勢力に法国の弱体化を態々暴露するようなものだ。

 

 大人しくレイモンを見上げるカイレを見て、密かに溜息が漏れた。

 最も優先順位の低いカイレ本人の存命だけが確認できた。

 成果としては最低限だ。

 明日以降、カイレに尋問しなくてはならない。

 可能であれば『漆黒聖典』の様子を知る自身で行いたかったが、より優先される役割がある。イヴォンかドミニク辺りに使いを出す必要があった。

 レイモンは近くにいた部下の神官にカイレを自宅まで送るように申し付け、その帰りにイヴォンに明日の朝一で土の神殿に来るよう言伝を頼んだ。

 

 大きく息を吐く。

 最悪に多忙な1日はまだまだ終わっていなかった。

 




お読みいただきありがとうございます。


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52話 迂闊に扉を開けてもロクなことにはなりません!

前週投稿できませんでした。
残りも僅かです。気を引き締めます。
アニメ4期も映画も決まったそうで、非常に楽しみなんですが、それよりも小説の新刊を心待ちにしています。




 

 誰もいない土の神殿の神官長室。

 一回、来ていて良かった。

 目の前に死体が転がっている。

 派手な風体の男のものだ。

 張り付けていた眷属によれば、ティーヌが扉越しに背後から心臓を一突きにしたらしい。

 まっ、どう見ても即死だったろう。

 で、判明したことが一つ……なんだか訳の分からん敵対勢力が潜んでいたようだ。完全に想定外の勢力だ。

 番外席次の襲撃というか偵察なのか?……を受けて、レイモンの様子見に応えるようにティーヌを送り込んで大正解でした。扉越しに大声で大演説を打つ派手派手男の存在に気付き、話の内容を盗み聞いたらしい……大声と言ってもティーヌの聴覚は種族の悪魔かつ高レベルのものであり、単なる人間種にとっては尋常でないレベルだ。派手派手男が迂闊なのではない。この部屋は魔法的にも構造的にも現地のものとしては相当ハイレベルな防諜処理が施されているはず。それを室内に存在する気配の数を確認し、予想よりも多い人数であることを確認すると、状況を把握する為に盗聴を選択できる能力を持つ者が想定外だったとしか……

 その結果として、どこまで知られているのか、どこまで喋っているのか不明だった為、扉の向こうに立った瞬間に処理したと推測できる。

 扉に穿たれた穴が一つ。

 今は単なる人間相手にも防諜に穴が空いている。

 

 後始末は暗黙の了解で俺に丸投げ……これでも主人なんですけど……俺の能力を把握しているのだから当然と言えば当然の成り行きだろう。

 なので面倒臭いと思いつつも『転移門』でやって来たわけですよ。

 

 ティーヌに同行させた眷属を扉の外に配置して周囲を警戒させる。

 開いたままの『転移門』のエフェクトの中にその男の死体を担いで入る。

 

「ったく、面倒な……」

 

 男を蘇生した尋問する作業よりも、背後に潜んでいる連中のことを考えると憂鬱になる。

 

「そりゃ、多少の犠牲は出たけどさぁ……」

 

 権力者以外には恨まれるような覚えが無い。

 戦争の犠牲者の遺族だって、恨みの対象は魔導国って言うよりも帝国だ。

 だから王国内で反帝国の機運があるのはあえて放置していたわけですよ。実際に戦争を仕掛けるには物理的に魔導国の国土を越境しなければ無理だし。

 ビーストマンは完全に掌握している。

 こちらは力の信奉者である亜人だけに、現実の戦勝者である俺に刃向かうような機運は無い。そうでなくとも各部族の族長達は全員俺に絶対忠誠を誓う手下だ。

 各国の権力者達だって見事に屈服している。

 その中に密かに牙を研いでいる奴がいたってことなのか?

 帝国……ジルクニフや帝国の幹部は魔導国に対して非常に協力的だ。

 まぁ、強いて言えば人員や予算を削減されつつある軍部ぐらいか?

 ドワーフ王国は論外……魔導国に刃向かうには国力が無さ過ぎる。むしろ徹底して魔導国に阿っているぐらいだ。一度手に入れた良い暮らしを失うような真似はしないだろう。唯一反抗的だった鍛治工房長にしても魔導国の屈服させたアゼルリシア山脈のバケモノ達を見て考えを改め、完全に服従した上で技術の向上の為に度々ゴンドやルーン工匠達のいるカルネの研究施設を視察訪問しているぐらいだ。

 聖王国と都市国家連合はまだ同盟に加わって間も無い。魔導国の戦力を調査するような陰謀に加われるはずもない。まっ、個人的にヤバい奴が潜んでいる可能性はあるが、複数の国家に跨るような組織とはいかない……と思う。国家として同盟加入以前から内偵調査はしていたのは間違いないだろうけど、それはどの国家であろうと同じだ。

 竜王国……国家の中枢は個人的に完全掌握しているし、オーリウクルス女王とも宰相とも上手くやっているつもりだ。まっ、彼等が望んだところで俺の目を掻い潜って反魔導国的な活動を行うのは不可能と断言できる。利に敏いワーカーチームの『豪炎紅蓮』とはドライながらも上手くやれている。唯一の不安はアダマンタイト級冒険者チーム『クリスタル・ティア』でなく、そのリーダーのガチロリぐらいだが……あくまで俺個人に対する敵愾心のようなものであり、反魔導国という感じではない。

 王国もラナーこそ読み切れないが、ザナックとレエブンはむしろ魔導国との関係を大切にしている。ガゼフ個人はあくまで反帝国だし、アインズさんには個人的に命を救われた経験もあるそうだ。凋落した連中も多いが、今のところランポッサⅢ世やバルブロ、旧六大貴族クラスの監視付きの者達は大人しくしているはず……反帝国はともかく、少なくとも反魔導国活動に勤しんでいるような報告を受けた経験は無い。六大貴族以下クラスの者も含めれば最も候補者も容疑者も多く、死者と化した使者の派手派手男まで王国人である。掘り返せばまだまだ出てくるだろうが……こちらはあまりにも対象が多過ぎて絞り切れないだろう。

 同盟外では、まず法国は論外。最高執行機関の構成員まで知らないのだから考えるまでもない。手を組んで下さいと持ちかけられていた側だ。別個に法国内に当事者が存在しているならば、わざわざ王国人の使者など立てず、当事者に説得させた方が効果的だろう。

 エルフの王国は狂王の評判が悪過ぎて、手を組もうという相手がいないように思えるし、謀で信用できない相手を仲間に加えるほどの阿呆が反魔導国組織を秘密裏に運営できるはずもない……ので、白の可能性が極めて大。

 最後に評議国……経済で締め付けてはいるが、なかなかにしぶとい連中だ。実質的な盟主である『白金の竜王』にはカリスマもあり、実力もある。当然信奉者も多い。つまり……自身の図体が隠密に向かないぐらいデカくとも、彼の意のままに動く連中も多いと言うことだ。

 

 王国と評議国の一部が暗躍しているのか……?

 

 いずれにしてもこの死体を蘇生し、支配して、吐かせれば良いわけですけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 『転移門』を抜けるとそこは既に見慣れてしまった神都の宿の自室。

 高級宿屋の最高級の客室だけあって、ワンルームというわけではないが、死体を置いておくと敏感な者や訓練を受けた者は血の臭いに気付くはず。特にこれからティーヌが連れて来る最高執行機関の3人に見せるわけにはいかない。転移魔法対策は直接生命の危機に繋がるわけではないが、何気に鬱陶しいのだ。

 

 さて、どうするか……?

 

 2階はティーヌの部屋か、実質的に使用していないジットの部屋か……ティーヌの部屋の隣のモチャラスの部屋か、後はモチャラスの手下の部屋か?

 法国が宿屋そのものを借り切っている状態なので使用していない部屋も沢山あるが、未使用の客室には眷属を配置していないから、番外席次のような危ないヤツに接近されると対応が完全に後手に回る。さっきの番外席次は一見して真っ暗なジットの部屋を空室と勘違いしてくれたお陰であっさり発見するに至ったが……次回は同じ轍は踏まないだろうし、より警戒もするだろう。

 では周囲を警戒している眷属を呼び戻すか、それとも数をさらに増やすか?

 

 どのみち死体を蘇生したら必要になるしな……

 

 新たに眷属を召喚しようとした瞬間、ノックが響いた。

 

「……誰だ?」

 

 警戒している眷属が反応していない以上、外部からの侵入者ではない。

 となれば内部の者……ティーヌかジットであれば肉腫の反応があるが、無いとなれば王国2人組か、戻ってきた従業員か?

 

「モチャラスです。入室許可をいただきたい、ゼブル殿」

 

 ティーヌもジットも出払っている。

 タイミングが悪いが仕方ない……担いでいた死体を自分で使っている寝室の中に転がし、入室を許可した。ドアの向こうには2人で立っていたが、入室を許可したのはのはフィリップのみ。部下の冒険者崩れは血の臭いを嗅ぎ付けるかもしれないので、外で待つように言った。

 

 フィリップは入室した直後から、キョロキョロと周囲を見回していた。

 その直後、大きく息を吐き、俺に向き直った時には尊大な態度に改める。

 と言っても目は泳いだままだが。

 なかなか深刻な精神ダメージを抱えているようで、ここに来たのもティーヌがいないのを見計らって……と言ったところだろう。

 

「あの女は……いないようですが?」

「ティーヌのことですか?」

「他に女の側近はいなかったと記憶しておりますが……」

「今、使いに出してますよ」

 

 フィリップが目に見えて落ち着く。

 視線が定まり、肩の力も抜けたようだ。

 

「……どうぞ、お掛け下さい」

 

 先にソファに腰掛け、向かいに席に座るように促すと、フィリップは俺の真向かいに腰掛けた。

 アイテムボックスから聖王国で手に入れたシャンパンもどきの酒瓶とグラスを2つ取り出し、それぞれ満たすと一つをフィリップに勧めた。

 

「どうぞ……今、私しかいませんので茶の代わりです」

「では、いただきましょう」

 

 緊張で喉が渇いていたらしく、フィリップは一気に飲み干した。

 そのまま2杯目を注ぐ。

 さらにグラス半分ほど飲み干す。

 そんなに酒に強くはないようで、ほんのりと頬が赤くなっていた。

 

「……で、ご用件は?」

 

 フィリップが俺を強く見詰める。

 両手で両膝を握り締め、身を乗り出していた。

 

「……私は知りたいのです」

「何を?」

「……秘密です」

「何の秘密ですか?」

「強さ……のです。成長の、と言い換えても良い」

「強さの秘密ですか?」

「とぼけないでいただきたい!……私がこの旅の誘いに乗った理由です!」

「と言われましても……何故、私が知っていると思ったのですか?」

「ゼブル殿の部下である、あの女に私自身が鍛え上げられたから……です。当時はあの女はシュグネウスの部下だと思い込んでいました。そして蓋を開けてみれば、貴方の護衛役でした……道理でシュグネウスよりも偉そうなはずだ。貴方というシュグネウスをはるかに凌ぐ大物が背後に隠れ、あの女に指示を下していた……全てが腑に落ちました」

 

 ほう……もっと壊滅的に間抜けだと思っていたが、レベルアップ効果で知力のステータスも上がったらしい。実にゲーム的な成長をする世界だと確認できただけでも相当な拾い物だ。同時に愛すべきゲームキャラチックな小悪党ゴミ屑ムーブが失われたと思うと少し悲しかった。

 

「だがどうしても解らない、ゼブル殿……何故、私を成長させたのだ?」

 

 うーん、面白いから、とは言えないなぁ……顔がガチのマジですよ。

 

「……あのままでいたかったのですか?」

「いや……そうではない。あの当時の私は本当に救いようないクズだった。根拠も無く自身が優れていると思い込み、他者を見下し……弁舌で身を立てようと目論んでいたが、努力をする気もなかった。それどころか努力の欠片も必要無いと思い上がっていた。優れた自分が認められないのは周囲が愚かなのだと責任転嫁していた……思い返せば、自身で頭蓋を割りたくなるレベルで腐った汚物だった。ただその自覚を得ただけに疑問を感じるのだ。貴方が私に目を付けた理由が判らない。何も思い当たらないのだ……理由を知りたい」

 

 反省も自己批判も分析できるようになっているか……大いなる進歩だが、つまらなさが一層際立つ。成長もゲーム的なのだから、キャラクター設定もゲーム的に振り切れば良いのに……俺の中のフィリップに対する愛がもの凄い勢いで欠けていく。

 

「理由などありませんよ……我々と利益を分かち合える誰かにチャンスを与えたかっただけ。たまたま貴方のご実家で起きた愚かな惨劇がこちらに都合が良いと知っただけです……強いて言えば、それが理由ですよ。当時の私達は王国内に空き家同然の開発地域を探していました。モチャラス殿を殺してモチャラス男爵家を乗っ取るのは、血縁がどこかで繋がる別の貴族が現れるので避けたかった……シュグネウスの影響力を目一杯行使すれば排除することも可能でしたが、そんな些細な事で影響力を浪費するのは愚か以外の何ものでもありません……それよりは安価で安易な手段を選択したのです。そして専ら愚か者と評判の貴方を取り込む以上、貴方の行動を掣肘する為に完全に囲い込んでしまう必要がありました。しかしシュグネウス商会の囲われ者になる事を選択したにも関わらず、こちらの想定以上に思い上がった愚か者の貴方は勝手な行動を慎まなかった……こちらの指示を無視するだけならばまだしも、身の丈を超える力を無闇に欲した。で、こちらは恐怖による支配を選択せざるを得なかったわけです。その為にティーヌを送り込んで、貴方の心を折るように仕向けました。その結果としてモチャラス殿が勝手に成長しただけです。別に貴方を強くすること自体は目的ではありませんでした……まっ、偶然ですよ。貴方が我々の想定をはるかに超えるの愚か者だったので、今に至ったわけです」

 

 本当の理由を除いて、かなりの部分をぶっちゃけた。

 その結果として、フィリップは顔を真っ赤に染めていた。

 酔いが抜けたわけではなく、怒りだろうね、これは……寒くてブルブル震えているわけではないだろうなぁ……

 

「……貴様……」

「貴方に目を付けた理由が知りたかったのでしょう?……ですが、真実を喋ったのにご不満なご様子ですね」

 

 フィリップが吐き出そうとしていた言葉を飲み込んだ。

 どんどんつまらないキャラになっていく。

 そこはキレなきゃ!

 ブチキレろ、フィリップ!

 

「……いや、感謝はしている……受けた恩は一生忘れない。どうしようもなく愚かな地方の貧乏男爵の三男の身で、ここまで来れたのだ……子爵位を得て、王都軍の司令官内定者とまでなった……内定止まりだったが」

 

 相当に我慢も効くようになった。

 ……ガチのマジでつまらない。

 戦力的にも役立たずなんだ。

 せめて投資した分だけは俺を楽しませろ!

 

「内定止まりですか?……何でしたら、私が口添えしましょうか?……ザナック陛下か、レエブン閣下に一言申し上げれば、即座に内定の二文字は過去の物になるでしょう」

「止めてくれ!」

「いまさら何を遠慮するのですか?……貴方らしくもない。短慮で、思い上がりで、無遠慮……絵に描いたような厚顔無恥でこそ、フィリップ・ディドン・リイル・モチャラス子爵ではありませんか」

 

 グッと何かを噛み締め、フィリップはグラスに残っていた酒を飲み干した。

 空いたグラスにさらに酒を注ぐ。

 しかし口には運ばない。

 フィリップはジッとグラスの表面を見詰めているようだった。

 

「……アベリオン丘陵で39名の部下を失ったのだ。仇の名は魔皇ヤルダバオト……南方由来のスーツを着た悪魔だ。私は偽帝エル=ニクス以外にも討たねばならない仇敵を得たのだ。だから司令官職などどうでも良い。単純に私自身が強くならねばならないのだ。手段は選んでいられない。だからどれだけ侮辱されようともゼブル殿の知識や技が必要なのだ……だから」

 

 信念の復讐者……ますます興醒めだ。

 

「魔皇ヤルダバオト?……ハハッ……それが新たな仇の名ですか?」

「何がおかしいっ!」

 

 思わず漏れた笑いに憤慨したフィリップが立ち上がる。

 これこそ憤怒という表情で俺を睨め付けていた。

 次こそキレるか?

 

「……貴方が生涯を費やし、努力しても勝てる相手ではありませんよ。それこそ無駄な努力と言うものです」

「ヤルダバオトを知っているのか!」

「知っているも何も……あくまで形式上ですが私の部下ですよ。より正確に言えば魔導王陛下直属の部下ですね……だから諦めろ」

 

 フィリップは頑張っていた。

 額の血管をひくつかせながら、マジギレ寸前でなんとか踏み止まっていた。

 両の拳を握り締め、肩を震わせている。

 小悪党ゴミ屑ムーブをかましていた頃を考えれば、抑制が効き過ぎなぐらい効いている……期待外れも甚だしい。

 

「……ヤルダバオトに、私に手を出すなと命じたのはゼブル殿か?」

「その通り……俺だ」

「何故だ!」

 

 剣の柄に手が掛かる。

 が、抜くまでには至らない。

 

 まっ、帯剣したままの入室を許可したのは俺だ……まだ許す。

 

 天井に眷属が2匹……フィリップごときがどうにかできるはずもない。ドアの外に立っているフィリップの部下が乱入したところで状況をひっくり返せるわけもない。異変を察知して中の様子を探ってはいるようだが、その様子すら眷属に捕捉されていた。

 

「そいつを抜けば終わりだ……お前は何も知らないまま、死ぬ……もしくは全てを知っても話せなくなる」

「貴様……」

 

 表情や目付きとは裏腹にフィリップは右手首を左手で抑えていた。

 酷く震えているが、それだけだ。

 レベルアップした分だけ戦力差が理解できるようになったのかもしれない。元々自身よりも強者に対しては極端に臆病だったが、成長により賢くなり、臆病というよりも慎重になったのだろう。

 まだ足りないのか?

 フィリップが完全につまらないキャラと化したのか? 

 なんなら……レベルダウンによるステータス劣化の実験でもしてやろうか?

 つまらなさの原因である知力を劣化させる……不意に思い付いたが、あまりにバカバカしい。少なくとも法国内でやるような実験ではない。

 

「強くなりたいのだろう?」

「……ああ……その為に屈辱を乗り越えてきたんだ。胸糞悪い貴様なんぞに頭を下げる気になったのだ」

「口を慎めよ、ゴミ屑……いや、元ゴミ屑か?……随分と抑制が効くようになったじゃないか?……実家を潰した頃に比べれば、大した成長だ」

「実家を潰したのは俺じゃない!」

「いや、お前だよ、フィリップ……一家丸ごと領民に食われて死ぬなどという間抜けな最期を迎えたのはお前の父の責任かもしれんが、モチャラス男爵家を潰す切っ掛けを持ち込んだのは間違いなくお前だ。その動機だって、自身の借金返済の為なのだろう。現在のお前がどれだけご立派になろうと、過去は無かったことにはならんぞ」

 

 一転、フィリップの顔が蒼白になる。

 そのままストンとソファに落ちた。

 ちょっと調子に乗り過ぎたか?……もはやこちらも引っ込みがつかない。行けるところまで行ってみるしかない。

 

「……どこまで知って……」

「ゴミ屑そのものだった当時のお前に莫大な資金投下を決定するんだ。徹底的に調査するに決まってるだろ……思想や信条はお前には無かった。だからそれ以外の全てを調査した。借金の総額からそれを借り入れるに至った経緯……お前がどの娼婦に入れ込み、どのような交友関係を築き、どのような態度で周囲に接していたか?……安酒場の従業員やボロ下宿の大家から借金の取り立て人の証言に至るまで、全てを調べ上げた……その結果、正真正銘の真性のゴミ屑と確認したから、お前を取り込むことに決めた。単なる貧乏貴族なら他にも掃いて捨てるほどいる。誇りのない貴族なら王都で石を投げれば必ず当たる。実力が伴わないくせに思い上がった貴族の次男三男など、こちらで何もしなくても金貨の山を積み上げるだけで蟻のように群がってくるだろう。お前はそれら全てを軽く凌駕する、ゴミ屑の吹き溜まりの中でも一際輝くゴミ屑だった。実家は血縁を含めてほぼ全滅。領民は謀反を起こす……千載一遇の家督を継ぐ機会を得ても自ら動かない。言い訳を並べて逃げ回る。プライドだけは人一倍高いのに行動に移せないどころか、その為の努力からも逃げる。悪いのは社会や他人と決まり文句のように愚痴っているのに、いざ認められる機会からは率先して逃亡する。武力に訴えるなど野蛮だと罵りながら、他人に手勢を用意されればホイホイ乗ってくる……コイツをゴミ屑と言わずして何と言うべきなんだ?……他に良い表現を知っているならば教えてくれよ、フィリップ」

 

 フィリップの顔色は面白いぐらいの速さで七変化を繰り返していた。

 怒りに羞恥に後悔にと忙しい。

 怒りと後悔はともかく羞恥心など100年早い。

 過去の自分の行いが消えるわけがないのだ。

 この際、もう一段階深くぶっちゃけることにした。

 

「お前、ひょっとして……戦功を認められたと本気で思っていたのか?」

 

 まっ、あまりに惨憺たる戦果で王国側には評価されるべき人材が他に全く見当たらず、結果として評価されたのは本当だが、真に戦功と呼べるようなものは戦端を開く際の突撃時に挙げたいくつかの首級だけだ。残りの過大に評価されている部分を強調するようにザナックとレエブンにアドバイスしたのは俺だ。魔導国の暗躍を隠す為と、なんとなく気に入っているクライム君の行動の評価を上げる為のついで……それがフィリップの戦後の奇跡的出世の正体だ。

 

 完全に血の気が引いたフィリップが上目遣いで俺を見ていた。

 

「……どういう意味だ?」

「カッツェ平野での突撃はともかく、それ以降のお前は戦場から逃げ回っていただけだ。その程度の戦働きで、実態はガゼフ・ストロノーフの下働きにしても、本当に一軍の司令官職に推されるほど上から評価されたと思っていたのか、と言っている……普通は疑問を感じるものだろう?」

 

 絶句したフィリップが口をパクパクさせていた。

 

「誰の口添えがあったと思った?……お前は王国の実権を握るザナックにもレエブンにも大して面識は無かっただろう。むしろ連中から見ればバルブロに与していた危険分子だ。それが一足飛びに司令官候補など普通に考えれば、ありえない力が働いたとしか思えないはずだ。それとも本当に実力と勘違いしていたのか?……だとしたら、おめでたいにも程があるな」

 

 こちらがソファから身を乗り出すとフィリップはたじろぐように身をすくめた。まるで俺から逃げるように身を捩って距離を取る。受け入れ難い事実が言葉になるのを恐れているのか?

 

「……俺の言葉に従うのはヤルダバオトだけじゃない、ってことだ」

 

 一瞬の沈黙の後、絶叫が響いた。

 脱兎の如くフィリップが逃げ出した。

 慌ててドアを開けた元冒険者の部下を突き飛ばし、そのまま何処かに走り去った。

 

 まっ、眷属に監視させれば問題あるまい。

 

 グラスに残された酒をゆっくり飲み干した。

 期待していた方向とは違う。

 まっ、少しでも以前のフィリップに戻る事を期待するしかないか……

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

「よーやっと神都が見えたな、ラキュース」

 

 視界の先にぼんやりと浮かぶ街の明かりが神都で間違いないだろう。

 振り向いたガガーランの笑顔にラキュースが頷く。

 他のメンバー3人は先行していた。

 神都の城門を前で前で待ち合わせをしている。

 夜間なので通常であれば入城は明日になるだろうが、なにしろ魔導王が直々に発行を命じた外交使節証を所持しているのだ。即座に入城を許可されるはずだ。王国時代であればラキュースの身分が貴族であったとしても冒険者としては使用を躊躇うような代物であったが、魔導国の冒険者は基本的に国家の発注した依頼を受ける際は全員が携帯させられる。

 今回は魔導国からの依頼ではないが、副王ゼブルからの依頼だった。出発前に魔導王に事情の説明をした際、一も二もなく押し付けられた代物だ。これがあれば自陣営はもちろん敵性勢力も手を出せるはずがない、と。

 

 アンデッドであるが故に常に堂々として見える魔導王の狼狽える姿など滅多に見れるものではないだろう。彼はゼブルのことを酷く心配していた。背景には窺い知れない事情があるのだろうが、政府の幹部でもない『青の薔薇』ごときにに何度も何度も「くれぐれもゼブルさんをよろしく頼む」と繰り返した。とてもアンデッドとは思えない、実に人間臭さを感じさせる対応だった。

 消耗品一式を手渡され、国境まで『転移門』で送られ、まさに至れり尽くせりで送り出された後、本当に別れる間際にはゼブルとは別に追加の成功報酬まで約束された。それ以前にアダマンタイトとはいえ単なる冒険者を魔導王が直々に見送りに来ること自体が異常事態だった。

 

「なーんか、凄え騒ぎだったな」

「そうね……魔導王陛下の心配が、いまさらながらプレッシャーに感じるわ」

 

 ラキュースが大きく嘆息し、俯いた。

 そのまま歩き続ける。

 

「あー見えて、魔導王陛下は心配性なんだろ……アンデッドだけど」

「活動拠点を移すって実家で事情説明した時よりも、盛大で過剰な心配だったような気がするわ……陛下はアンデッドらしいけど」

「そもそもアンデッドが心配性ってなんだよ!」

「私が聞きたいわよ!……イビルアイみたいなアンデッドが他にもいるなんて思いもしなかったわ!」

「そりゃイビルアイが存在しているんだから、いてもおかしくねえけどよぉ」

「たしかに魔導国が盛んに広報している通り、全てのアンデッドが邪悪で生者を憎むなんて大嘘だとしか思えないわ……特に私達は身につまされるのが正しいのよね」

「まぁな……他人はともかく俺達だけは信じちゃ拙いな。イビルアイだけが特別なんじゃねぇだろ、多分」

「ゼブルさんだってこの真実を知っていたってことよね?」

 

 ラキュースがボソリと呟く。

 多種族共生を標榜しつつ、アンデッド宣言をした魔導王を担ぐのだ。

 真実に当然辿り着いていたと考えるのが自然だろう。

 

「いまさらゼブルさんって……本人が目の前にいるわけでもねぇし、ゼブルの野郎は呼び捨てで良いじゃねぇか……アイツだって……」

「でも私達よりも古い付き合いのティーヌさんもゼブルさんって呼び続けているわ……彼だって、私のことをラキュースさんって呼ぶもの。いまさら『様』付けも嫌味みたいでおかしいし……」

「彼……ね」

 

 ガガーランがニヤリと笑う。

 ラキュースが真っ赤に染め上げた顔を上げた。

 

「勘違い!違うわよ!……そういう意味じゃないの!……彼とはっ……違う!……ゼブルさんとは趣味が合うのよ!」

 

 ガガーランはさらにニヤニヤしながらラキュースを覗き込んだ。

 ラキュースは慌てて俯く。

 

「そういや、ラキュースの趣味って何だよ?……かなり長い付き合いになるけど、俺は知らねえぞ……ひょっとしてラキュースとゼブルが時折怪しく見えるのって……」

 

 話が拗れる前に真実を小出しにするべきだ……とラキュースは決心した。

 追い詰められて本当のことを話すわけにはいかないのだ。特にガガーランだけにはこれまでの経緯から、とても真相を話せるものではない。

 

「……冒険譚……とか、英雄譚とかの物語が好きなの」

 

 少しの沈黙の後、ラキュースが核心部分を端折って告白した。

 そこだけは恥ずかしくて言えない。

 いまさらガガーランが心配してきたことがラキュースの妄想などとはとても告白できなかった。特にキリネイラム絡みは話を膨らませ過ぎて、もはや自分でも修正できるとは思えない。ガガーランの勘違いから始まったこととはいえ、照れ隠しで話を大きくし過ぎていた。

 

 ガガーランが不思議そうな顔をして天を仰いている。

 

「……でもよぉ、ゼブルの野郎からは物語好きな気配は微塵も感じねえけどなぁ……アイツに近いアングラウスなんざ完全にその手の話をバカにしている感じだしよぉ……ティーヌもジットも似たようなもんだろ」

「それは同好の士ってやつなのよ!……同じように物語が好きな者同士、直ぐに理解したの」

 

 実家のクローゼットの中身は絶対に言えない。

 ゼブルがどうやってラキュースの空想趣味を知り、あんなものを押し付けてきたのかは、いまだに理解できない。

 ただ全ての好みがドンピシャだったのだ。

 あの状況下で思わず受け取ってしまった自分……今考えても完全にどうかしていた。

 

「ツアレニーニャの面倒を見ていただく報酬としてこれはラキュースさんが生きている間は貸与します……もし俺が何かの拍子で死んで、その時にラキュースさんが『死者復活』を使って、俺を蘇生してくれたら、これの所有権は貴女のものです。代価の前払いと思っていただいて結構ですよ」

 

 将来使ってもらうかもしれない『死者復活』の代価の前払い……あの時のゼブルはたしかにそう言った。何もしていないのに実質的に譲渡されたようなものだ。何かがおかしいと思わねばならなかった。

 あれ以降、ゼブルに意味有り気な視線を向けられると何とも言えない気持ちになってしまう。ボソッと「……お好きですね?」などと呟かれると途端に反骨心を砕かれてしまう。核心部分を知られていると思うと恥ずかしくしてたまらない気持ちで狂いそうになるのに、妄想癖を理解してくれる人がいる事実に心底安心する。

 あれ以来、神官としての自分は常にゼブルの言葉に縛られていた。

 だから自身と神官として同レベルと感じられた聖王女カルカ・ベサーレスがゼブルの手によってカルネで人質生活を送る羽目に陥ったと聞いた時、許せないと思う以上の何とも言えない気持ちに満たされた。

 同じく神官として同レベル以上と思えるケラルト・カストディオと密談を交わす姿を見て、焦燥のようなもので心が満たされた。

 側近のティーヌがベタベタしている姿以上の何か……諦めることのできないイライラさせるものを頭から振り払おうとする自分にさらにイラ立つのだ。

 

 ……でも依頼を受けたのは私。カルカ・ベサーレスでもケラルト・カストディオでもない。

 

 ラキュースの緑色の瞳に強い意志が宿る。

 それを知らずか、ガガーランが暢気に尋ねた。

 

「うんじゃーよぉ、ゼブルの好きな物語ってどんなもんなんだ?……この前に説明した通り、俺とティアにティナはアイツに世話になることに決めたんだ。未来の師匠候補の趣味の好みぐれえ、知っといた方がコミュニケーションが円滑になるだろ」

「……えっ?」

「出会って間も無く、即座に理解し合えるレベルの同好の士なんだろ?……当然、解るだろうよ」

 

 ラキュースがそんなものを知るわけがない。

 ゼブルがラキュースの妄想癖を知っているだけなのだ。

 ストーリーの整合性など関係なく、執筆の興が乗って妄想に拍車が掛かると主人公に成り切ってポーズを付けたり、自作のカッコイイ台詞を叫ぶ方がラキュースにとって重要であることを完全に理解した上で、一切他言しない。1人になった時のラキュースがどのような妄想に浸っているか、その中身まで知られているような気がする。

 周囲に面白おかしく喋られても不思議ではない。

 当初はそれも覚悟した。しかし彼はラキュースに匂わすだけで、核心部分には絶対に直接触れなかった。周囲に漏らすこともない。

 凄く恥ずかしい反面、感謝もしている。

 だから強く出れないということも多いが……

 自身で誘導した結果とはいえ、ガガーランのこの質問には困った。

 必死に考え……それらしいものを導き出す。

 

「多分……そうね……裏に秘密がある物語とか、かな?」

「なんでぇ、随分とざっくりしてんな。どんな秘密だよ」

「例えば……そうね、許されない立場同士の結ばれない恋の話とか……?」

「はぁ?……なんか悲恋物の演劇みてえじゃねーか。なんかピンとこねえな」

「でも密かに恋心を抱く者同士が協力して、困難を乗り越えるのよ……邪悪な怪物を倒したり、王家を蔑ろにする悪い大臣の一党の陰謀を暴いて国に善政を取り戻したり……でも2人の母国は敵国同士、みたいな」

 

 完全な思い付きだが、困ったことにちょっと調子に乗り始める自分がいた。脳内にブーストが掛かり始めている。主人公は自分……決して結ばれぬ秘密の恋の相手が……慌てて首を振る。

 

「ハッ……ゼブルの野郎本人とは似ても似つかねえ話だな。アイツはそれが巨悪だろうと関係なく取り込んじまうじゃねえか……結果、民衆には良いことをしてんのも間違いねえけどよ。まぁ、物語なんてもんは自分自身とかけ離れている方がグッとくるのか?」

 

 ガガーランが絶妙なタイミングで水を差す。

 ありがたいと同時に、少しムッとする。

 せっかく膨らみ始めた妄想が砕け散ってしまったのだ。

 

「……そうかもね」

「なんでぇ……なんかノリが悪いぜ、ラキュース」

「そっ、そんなことないわよ!」

「まっ、いずれしても依頼達成してカルネに帰ったら、ゼブルの野郎に鍛えてもらう約束だからよ……その前でも暇がありゃ鍛えてくれるみてぇなことも言ってたしな。ティーヌみてえな化け物レベルとは行かねえかもしれねえけど、ブレイン・アングラウスと互角ぐらいにはなりてえもんだぜ。知ってるか……聖王国でイビルアイがザッと確認した感じだと、ティーヌの難度は装備込みで250〜280程度……難度200前後のゼブルよりも強え。評議国のプラチナム・ドラゴンロードみてえな大物は別にして、大抵の『真なる竜王』なら互角らしいぜ」

「えっ?」

「単なる人間の戦士が『真なる竜王』と互角なんだとよ……相変わらず凄えムカつく女なのは間違いねえが、夢が広がるだろ?……上手くすりゃ、俺達もそれぐらいになれるかも、だぜ。なんせティーヌを育てのは間違いなくゼブルだ。才能の差はあるだろうけどよぉ……そこまででなくともイビルアイ……最悪でもブレイン・アングラウスぐらいは目標にしてえ。しかもそんなに現実離れしている目標とも思えねえ。もし本当にそうなりゃ『青の薔薇』最弱はラキュース……お前だぜ」

「なっ……」

 

 ガガーランの不敵な笑いにラキュースは絶句した。

 あまりに突飛な話の内容だが、イビルアイがガガーランに嘘を告げる理由が無い。少なくとも必ず味方になるとは断言できないティーヌの戦力評価で、冒険者として嘘偽りは御法度だ……だとすれば信じられないが真実なのだろう。

 そしてティーヌを育てたのはゼブル……これもほぼ間違いない。竜王国では別行動していたようだが、ラキュースの知る限り基本的にティーヌはゼブルにべったりだ。魔導国内で別々に見かけた事はあるが、それはティーヌがゼブルから仕事を請け負っていたケースか、ゼブルが超多忙かつティーヌが完全オフのレアケースだ。基本的に2人は一緒に行動していると言って良いだろう。

 ティーヌは出会った頃でも装備込みで『青の薔薇』最強のイビルアイと同等レベルの力を有していた。その時点で人間の成長限界を突破していたようなものだ。普通ならばそれ以上の成長などほぼ望めない。それが1年そこそこの短期間で『真なる竜王』と同等まで成長した。もちろん本人の血の滲む程度では済まないような努力もあるだろうが……

 

「……もう単純に尊敬するわ」

「だよなぁ……俺達の知っている効率的なれべるあっぷなんてもんじゃ、とても説明付かねぇんだよ。アレだって死に物狂いだけどよ……そんなもんじゃ済まねえ、地獄のような何かを乗り越えねぇと人間の限界は抜けられねぇだろ。そういう意味じゃティーヌもジットもブレイン・アングラウスもエルヤーも全員尊敬に値すると思うぜ……そして連中の才能を見抜いて、見事に育てたゼブルの手腕は神の如しさ……生きた実績を目の前に、今思い返せば『思い上がるなよ、ニンゲン』ってヤツの言葉も納得できるって寸法さ……俺達はまだまだ人間のステージから出てねぇってコトだ。そしてそこから這い上がれるヤツは次のステージに立てるってコトでもあるぜ」

 

 半ば信者のような目付きでガガーランは夜空を見上げていた。

 隣を歩くラキュースは少し不安を感じていた。

 もちろん戦力として取り残される不安もある。だがいざとなればゼブルに捻じ込めるとも思っていた。単なる自信過剰と言われればそれまでだが、ゼブルは出会った当初から他の『青の薔薇』メンバーに比してラキュースを重視している気がしてならないのだ。でなければ、メンバーにも打ち明けることが躊躇われるような神話レベルの武具をラキュースだけにポンっと渡すはずがない。言葉通り『死者復活』を行使可能な神官として見込まれているだけかもしれないが……それだけはないと思いたい。

 それよりも少し前からガガーランが変わったように思えるのだ。

 切っ掛けは王国と帝国の戦争の時だ。

 ブレイン・アングラウスと2人で王国の英雄モチャラス子爵の仲間を救出に向かった時から……戻ってきた時には「脳筋の何かが吹っ切れていた」とイビルアイが語っていた。

 ブレイン・アングラウスの剣技に魅了され、デスナイト4体を瞬殺する様を見ただけでなく、実際に1体のトドメを譲られたことまでは知っている。

 そこで何かを掴んだのか……?

 それまでのガガーランは悩んでいたと、ラキュースは思っていた。戦士として目に見える成長を感じなくなり、強さに対するフラストレーションの吐口をクライムや後進の世話をすることで紛らわしていたように感じられた。

 ラキュースも神官として伸び悩んだ時期はあるが、それでもガガーランと比べれば年齢的にはるかに若く、持ち直すのも早かった。だからガガーランの悩みの深いところまでは理解できない。

 その悩みが失せ、ガガーランが明確に前向きになった。

 同時にそれまではイビルアイほどではないが、ほぼ完全否定に近かったゼブル一党に対して、部分的に認めるような発言が徐々に増え始めた。

 そこまではラキュースとしても良い兆候として受け止めていた。ゼブル一党と敵対を続けても実力的に敵う相手ではないし、何よりもラキュース個人としても敵対を続けるわけにもいかない。

 次いでティアとティナを巻き込み、『青の薔薇』として魔導国に移籍する算段を主導したのもガガーランだった。さらにガラに合わない理論武装でイビルアイまで説得し、遂には王国貴族であるラキュースも活動拠点の移籍について反対できなくなった。あまりにガガーランらしくない動きだ。どちらかと言えばラキュースに直接捻じ込んでくる方がしっくりする。

 魔導国に移籍後は最もガガーランが活動的になった。

 訓練所にも積極的に顔を出し、後進の指導にも積極的だ。

 国家からの依頼にも反対したことが無い。むしろ積極的に受けることを勧めてくる。

 首都のカルネには組合の支所しかなく、冒険者はエ・ランテルにいる方が便利なのだが、カルネにも頻繁に通う。国策でアダマンタイト級冒険者の箔付けの為だけに規定したような規則である「アダマンタイト級冒険者は宮殿に入るにも簡単な申請だけで済む」を逆手にとって、宮殿内でも積極的に顔を売っていた。お陰で精強なゴブリン軍団の将軍でもある都市長の少女とまで知り合いになり、その似合わなさにビックリしたものだ。

 そんなガガーランを見て、イビルアイがボソリと呟いたことがある。

 

「……吹っ切れたのは良いが、人間をヤメるような真似は止めないとな」

 

 なんとなくだが同意できてしまった。

 その時のガガーランには明るさと危うさが混在しているように思えたのだ。

 ティアとティナもその影響を多分に受けているように思える。

 ブレイン・アングラウスを戦士としての目標とするまでは良かったが、行き過ぎて神格化し、そのブレインが仕えるゼブルまで神格化しているように思えてならない。結果として決定的に反りの合わなかったティーヌまで部分的とはいえ、認めてしまっているのだ……

 だから3人が弟子入りを言い出した時の危惧は半端なものではなかった。

 だが例によって似合わぬ理論武装で3人から責め立てられてはラキュースもイビルアイも認めるしかなく、条件を提示するのが精一杯だった。

 それが「何があっても、決して人間をヤメない」である。

 

 夜空を仰ぐガガーランは上だけを見詰める者の危うさに満ちていた。

 希望に溢れる子供のような笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 走り続けた。

 遠く、ひたすら遠くへ。

 とにかく逃げなければならない。

 気付けば神都の入口である城門に向かっていた。

 時間的には出れるものではない。そんなことは百も承知だが、とにかく神都の中心から逃げなければならない。

 頭の中がぐちゃぐちゃだった。

 混乱……とは違う。

 否定だ。圧倒的な自己否定。

 真っ当な道に気付き、努力し、遅ればせながら世の為に築き上げたものが、あの男の言葉でガラガラと崩壊してしまった。

 

 いったい何なのだ!

 

 バケモノ女の飼い主はさらに理解し難い精神性の持ち主だった。

 そんな精神のバケモノを頼ろうとした自身の迂闊さが悔やまれる。

 クズだった時代のフィリップの全てを知った上で援助し、成長を促し、出世の後押しまでして、この掌返しだ。

 全く理解できない。

 世界でも有数の権力者であり、アベリオン丘陵で見せた理解不能の技の持ち主でもある。シュグネウスを配下に従えているのだから財力も途方もないのだろう。そして整い過ぎた容姿。

 何もかも恵まれているように思える。

 それが何故、当時は自覚すらないクズだったフィリップを選んだのか?

 

 ヤツの顔が脳裏に浮かぶ。

 あの目が恐ろしい。

 全てを見透かすような目で見下してくるのだ。

 

 唐突にあのバケモノ女と違う方向性の恐怖が身体を突き抜けた。

 一度緩んだ脚の回転が再加速した。

 あの目に追い掛けられているような気がしてならない。

 

「チクショーが!」

 

 叫びながらフィリップは走り続けた。

 何もかも虚しい。

 そして怖い。

 全てが信じられない。

 これまでの努力も実感も達成感も……あの男の一言で左右されたのだ。

 

 知らぬ間に涙が頬を伝う。

 傍目から見て、号泣していた。

 魔法の武具で全身を固めた屈強に見える成人の男が泣きながら往来を直走っていた。冒険者で言えばミスリル級まであと一歩のところまでは成長していたのだ。一般人と比較すれば存在感だけでも突き抜けている。一対一ならばオーガも問題にせず、ゴブリンならば逃げ出すレベルだ。

 そのフィリップが泣き喚きながら走っていた。

 

 やがて城門が大きくなり、フィリップの脚が止まる。

 硬く閉ざされた門扉の前に槍を持つ当番兵の数は軽く10名を超えていた。

 城門脇の詰所にはさらに多くの当番兵が詰めているに違いない。

 

 明日の朝一でここから逃げ出す……そのつもりだったが、どうしても背後が気になって仕方なかった。

 物は試しと当番兵の1人に話しかけるも、いかに異国人であっても許可証も口添えも無ければどうしようもなかった。さすがに「不安だ」程度では夜間に城門を開け放ってはくれない。

 フィリップは諦め、朝まで待とうと広場の片隅に腰掛ける場所でも探そうと夜明け待ちの集団が集まっている一画を目指した。

 

「開門!……開門!」

 

 背後で開門の声が響く。

 振り向けば巨大な正門でなく、直ぐ横の通用門が空いていた。

 どうやら外からの来訪者らしい。

 5人組であり、中でも一際大きな人影に見覚えがあった。肩に担いだ戦鎚のシルエットで確信を得る。

 

 アレは青薔薇のガガーラン!……ということは5人組の人影は『青の薔薇』で間違いないのか?

 

 しかしフィリップは助けを求めようとした寸前に思い出した。

 過去にガガーランとイビルアイに助けられた経験もあり、危うく王都のアダマンタイト級冒険者チームと勘違いしそうになったが、聖王国で姿を見掛けた時には魔導国の冒険者と名乗っていたはずだ。

 つまりゼブルの手の者と考えた方が無難だった。

 見付かるのは拙い!

 フィリップは慌てて踵を返して、人混みに紛れ込もうとした。

 

 だがそれはむしろ悪手だった。

 気が付けば不自然な動きを察知した双子忍者に両腕を掴まれていた。

 咄嗟に声を発しようとした瞬間、首筋に冷たい感触。

 視線を向けると目の前に仮面があった。

 

「ラキュースとガガーランが番兵に突出した理由を告げている……だからティアにティナ、油断するな……コイツは……んっ、見覚えがあるな?」

 

 仮面の声に双子の同じ顔が左右から覗き込む。

 

「モチャラス」

「凄い悪運の持ち主って評判のモチャラスで間違いない」

 

 仮面が首を傾げる。

 

「モチャラスって……王都軍の司令官じゃあないか?」

「そう、そのモチャラス……名前はフィリップ・ディドン・リイル・モチャラス……戦争で名を上げた」

「それ以前はクズで有名。シュグネウス商会……その裏の旧『八本指』の力で自領の反乱鎮圧したらしい」

 

 仮面がグッと接近する。

 

「観念しろ……別に取って食うつもりはない」

 

 イビルアイの言葉にフィリップは深く項垂れた。

 




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53話 勝ち確?

 

 経済的には完敗。

 どうやら軍事力も……刻一刻と格差は広がっている。

 そして他を含めての状況も悪化の一途。

 魔導国副王の極秘招聘を決めてから、全てが悪い方へと転がっているように思えた。だからと言って、いまさら取り止めることも、引き返すこともできない上に、留まることすら困難だった。時間を司る神は平等でなく、圧倒的に魔導国の味方なのだ。

 

 交渉を任された土の神官長レイモン・ザーグ・ローランサンは何もかも上手くいかない現状を噛み締めながら、眼前の扉を見詰めていた。

 それも数秒……振り返り、本来の補佐役であるジネディーヌと何故か巻き込まれたベレニスに頷く。2人ともにレイモンを見て、頷き返した。

 

「んじゃ、準備万端ねー」

 

 元『漆黒聖典』第九席次『疾風走破』クレマンティーヌこと、魔導国副王側近のティーヌが扉を押し開けた。

 廊下の奥の広いリビングの応接セットの奥の一人掛けソファに交渉相手が座っていた。先行して状況を作り、スレイン法国の選択肢を奪い続けた元凶と言っても過言ではない男だ。2つの神器と行方不明の『神人』の最も近くにいる男と言い換えても良い。

 

 ティーヌは単に扉を開けただけで3人を案内するわけでもなく、そのまま魔導国副王の右後ろに立つ。そしてそれまでの人を食ったような笑顔を引っ込めると、口角だけを上げた作り笑顔で3人を迎えた。

 

「神官長3人を連行しました、ゼブルさん」

「お疲れ様、ティーヌさん」

 

 主従とは思えない奇妙なやり取りの後、ゼブルは3人に向き直り、ソファに腰掛けるように促した。その直後に宙に浮かんだ暗黒洞に手を突っ込み、茶器と魔道具のポットを取り出すと、3人に茶を注いだ。

 

 奇妙な技だ……疑惑濃厚な魔導王などでなく、この男がぷれいやーなのではないか?

 

 レイモンが思う間も無く、唐突に奥の部屋から無表情の男が姿を見せた。

 ジットと名乗るゼブルの秘書役だ。手配されていた時はズーラーノーン所属と目されていた元法国人の元犯罪者だ。

 彼は黙礼し、ゼブルの左後方に立った。

 直後、ゼブルが口を開く。

 

「生憎と今回の下交渉はとにかく邪魔が入りがちです。だから単刀直入にお尋ねします……法国のご希望はどうなりましたか?」

「我々は魔導国の援助を最大限受け入れることを決定しました、ゼブル様」

 

 レイモンの即答にゼブルが目を細める。

 

「となると、スレイン法国も我々の同盟に参入……それは即ち他種族共生を受け入れることと同義となりますが?……教育制度についても魔導国を基準にされるということでよろしいか?」

「……待っていただきたい。教育についてはあまりにドラスティックに改革すると世代による認識の乖離が問題になるかと……」

 

 レイモンの回答にゼブルの目付きがさらに険しくなる。

 

「国家の軸を成す主義主張を改革する上でドラスティックでない改革など改革と呼べますか?……それは改革の冠した単なる遅延行為でしかない、と私は感じますが……指導層にちょうど良い感じの国民の認識変化を目指すなど、スレイン法国は何年後の同盟加入を目指されるおつもりか?」

「ゼブル様は誤解しておられます。我がスレイン法国の人間至上主義はそもそもが他種族に比して劣等種である人間の地位向上を目指したもの。つまり貴国のように公平な扱いであれば、国民にもいずれ許容されるかと……」

「なるほど、なるほど……ものは言いようですね。では法国民にとって最も受け入れ難いと予想されるアンデッドが受け入れらる、スレイン法国なりの目算を教えていただけるとありがたい。まさか自然に受け入れられるのを待つなどと言う期待外れは申されますまいな」

「それは……」

「我々魔導国は資金も物資も生産力も提供し、その上で国家間の貿易障壁も極力無くそうと尽力するつもりです。同盟国でなく、経済的困窮に陥っている貴国に手を差し伸べ、共存共栄の道を模索する……つまり現時点では魔導国単独で貴国を援助することと同義です。当然、発展する為に貴国が援助を最大限受け入れることとは魔導国と魔導王陛下に相応の負担を強いるわけですが、貴国は都合良く同盟加入を先延ばしし、負担無く良い所取りをしたい、と」

「決してそのようなことは……」

「であれば、魔導王陛下が納得される代償を提示していただきたい。少なくとも私は法国の行いを3度許している。私の護衛と秘書の罪を赦免されたことには感謝するが、それを差し引いても余りある……そうではありませんか?」

 

 これまでの対応と一変し、当初の予測よりもはるかに苛烈なゼブルの態度に戸惑いつつ、レイモンは深く頭を下げるしかなかった。『漆黒聖典』による襲撃すら手玉に取り、逆手に取って法国を追い込んでいたゼブルだったが、今回は容赦無い言葉を並べていた。

 

 我慢の限界を超えた……否、そんなタマであるまい。

 そもそも援助を決定し、その内容にまで相当な裁量を有しているように思えるゼブルは立場的には我慢する必要が全く無い。

 それなのに余裕の姿勢を崩さず、我慢なり忍耐なりを重ねている。

 理由は法国に反目させず、優位を築くことに違いないのだ。偶発的なものまで含めて、これまでのところ法国は失敗を積み重ねている。つまり手札が減り続けているのだ。しかも相対するゼブルの手札は見えない。

 だから手強く感じる。

 流されてしまった結果とはいえ、既に実力行使に及んでいるのだ。しかもおそらく密かに退けられた上に、退けた事実を匂わす程度で伝えてくる。

 当然、国境沿いに魔導国の誇るアンデッド兵団を集結させても良いぐらいの事態に思える……が、ゼブルはそうしなかった。

 レイモン個人としても……いや、あくまで憶測だが、襲撃を決定した時点での最高執行機関としてもそうなることは許容していたはずなのだ。法国として二正面作戦となる全面戦争だけは避けたいが、国境沿いの小競り合い程度の被害であれば、国民に魔導国の潜在的危険性を周知する機会程度に捉えていたはず……あの時点では『神人』である第一席次も神器『ケイ・セケ・コゥク』も健在だったのだから。

 結果として、その選択肢まで奪われてしまった。

 現実の戦力比として魔導国が圧倒的とはいえ、武力で圧を掛けてくる程度であればここまで窮することはなかったはずだ。ゼブル及び魔導国は武力の圧倒的な差を感じさせつつ、他の凡ゆる手段で圧を加えてくるのだ。

 

 レイモンは数少ない手持ちの武器の中で効果的なものを探すべく、頭を下げつつも脳味噌をフル回転させていた。

 アンデッドの労働力を受け入れる……そこまでは既定路線だ。

 もはや周辺地域でスレイン法国の主張に同調してくれそうな国家が戦争中のエルフの王国だけという皮肉な状況なのだ。だから最高執行機関の総意としてもそこまでは譲るつもりだった。

 だが着地点を後退させられない以上、初手から全面降伏というわけにはいかない。魔導国に譲った結果として、そこに到達させたいのだ。着地点を容易に知られては副王ゼブルは間違いなくそこを無視して限界まで押し込んでくるだろう。

 法国としては乾坤一擲の種は残したい。

 それこそが教育だ。

 不死者である魔導王にとって、時間は常に味方なのだ。

 法国の現世代は魔導国の教育に抗っても、魔導王の半永久的な治世の間に絶対に世代を重ねてしまう。定命である人間の決定的な弱点だった。

 そこを魔導国に掌握されては、最後の希望である将来の巻き返しが不可能になってしまう……だからこそゼブルの態度は強硬なのだ。逆に考えれば教育さえ掌握すれば良いと考えているようにも見える。

 

 レイモンはジネディーヌをチラリと見た。

 既に一昼夜近く休みもせず、過酷な状況に頭を巡らせているジネディーヌの眼窩は平素よりも落ち窪んで見えるし、顔色も優れない。ただし眼光から鋭さは失われていない。

 視線が交差した瞬間、ジネディーヌは軽く瞬きをした。

 意思疎通は成った。

 

「待たれよ、ゼブル殿……我が国に貴殿に対する数々の無礼と不手際があったことは認める。それは素直に謝罪させていただきたい。そして寛大な赦しに対して謝意を述べさせていただきたい……」

 

 ジネディーヌは深く頭を下げて「誠に申し訳なかった」と言い、頭を下げたまま「ご寛容の数々に感謝いたします」と言うとさらに深く頭を下げた。

 見た目にも疲れ果てた高齢者が頭を下げること自体に意味があった。

 

 フッと薄く笑うゼブルに効果が及ぼしたか?……とりあえずレイモンに向かられていた舌鋒は鉾を収めたが、冷たい目付きはそのままの光を湛えていた。ジネディーヌの時間稼ぎは効果を示しているようにも思えるし、攻勢を控えたことで新たに手札を与えたように思える。本当にやり難い相手だ。

 

 ジネディーヌは頭を上げると、さらに問い掛けた。

 

「では、この老身にゼブル殿の考える良き落とし所をご教授願いたい。いかんせんわしらは魔導王陛下の為人を知らぬ。偉大なる不死者の王であり、種を問わず御自身の国民の幸せを願い、その為にあらゆる国策を惜しみなく実施されておられる……非才のわしなどが想像するに、お優しく、同時にご自身に厳しい方であられるのではないか……それ以上は想像が及びませぬ」

 

 副王とはいえ臣下である以上、「今、話題にすべきことではない」と単純に突っぱねない限り、主君に好意的な話題を無視できない。しかも交渉上必要と言われれば、下交渉に招かれた手前、対応せざる得ない。そしてゼブルの為人はそういう相手の思惑を知っても無視しない。

 僅かだが時間を稼げる。

 ゼブルはジネディーヌの思惑に乗り、魔導王アインズ・ウール・ゴウンの為人や美徳を語り出した。その行為自体の真偽は不明だが、それは法国側にとってどうでも良いのだ。単純に時間が稼げれば良い。

 そしてゼブルもジネディーヌの誘導にあえて乗っているに違いない。ゼブルはゼブルで時間を与えることで、さらに法国を追い込んでくる。手札の枚数の差が圧倒的過ぎるのだ。その上、時間の経過が常に魔導国優位に働くことがこの場の全員の共通認識であることを熟知している故である。実際に経過した時間よりもジリジリと事態の進展が遅れることそのものが武器なのだ。

 

 ジネディーヌが時間を稼ぐ中、レイモンは所在無さ気なベレニスを見た。彼女は元々魔導王や魔導国よりもアンデッド労働力の導入を危険視し、それを阻止する為には開戦もやむなし、と言う主張だった。本来は同行すべき人物でもない。

 しかし何の因果か、同行してしまった。

 懐疑的であった以上、様々な不安を抱えているはず。

 

(疑問をぶつけてくれ!)

 

 レイモンの視線の意図を理解し、ベレニスはゼブルの言葉が途切れるのを待って、会議のように挙手した。

 

「私も発言してよろしいかしら、ゼブル様」

「どうぞ……えーっと、ベレニス・ナグア・サンティニ神官長殿だったか?」

「どうぞベレニスとお呼びください、ゼブル様……では、私からも……と言うよりもアンデッド労働力導入について抵抗感を持つ者達の疑問です。まず最初に疑問を感じる部分としては、魔導国ではアンデッド労働力に職を奪われた人々の最低限の生活を補償しているそうですが、それは我々スレイン法国の疲弊した経済力でも可能な施策なのでしょうか?」

「現状では無理でしょう……魔導国の食料生産力……アンデッド労働力と高位ドルイドの能力の併用によって、極限まで向上させた食料生産力で食料の現物支給が可能な状況です。現時点での貴国にそれは無理だと思われます」

「では、アンデッドによって単純労働市場から駆逐された国民についてはどう考えておられるのでしょうか?……放置すれば治安が急激に悪化します。我々神殿としても急激に上納の減少が続いており、このままでは彼らの為に炊き出し等を施すのは不可能になる情勢です……良いお知恵があるのであれば、是非お聞きしたいものですわ」

 

 ゼブルは脚を組み替え、魔道具のポットから自身のカップに茶を注いだ。そのまま一口飲み込む。

 

「まあ、どう考えるかは貴国の問題なのですが……単純に治安を問題になさるのでしたら、帝国のように国内治安維持については半分程度をアンデッドに置き換えて、都市や人口移動の多い部分の警備に人間を重点投入し、警察力を強化するのも一案です。貴国の場合、戦災を被った竜王国のように人口が激減したわけでもないので、単純に労働力不足というわけでもない……ですが、ベレニス殿の聞きたいことはそのような話ではないのでしょう?」

「もちろんですわ……少なくとも現時点で人間至上主義を標榜する我が国が国民を棄民するわけにはまいりません」

「ですが、現時点でも食えなくなる国民が存在しないわけでもありますまい。彼等の一人一人に至るまで国家や神殿で世話を焼いておられるのですか?」

 

 ベレニスが押し黙る……そうではない。原則を些末に当て嵌める話をしてるわけではない。その量が問題なのだ、と視線でゼブルに訴えた。

 ゼブルが薄く笑う。

 

「別に意地悪を言うつもりはありませんので、解決の一案を提示させていただくと……放置すれば良いのです」

「なっ!……それはあまりに無責任ではありませんか!?」

「いいえ……現在進行形で起こっている事象の延長線上にある話です。貴国と我が国のエ・ランテルを繋ぐ街道沿いで起こっていることですよ。貴国の隣には労働力不足に困窮する竜王国と、簡単な手続きで全ての移民を受け入れる我が国が存在しています。幸にして二国とも現時点での経済環境は貴国よりも優れています。現時点でも目端の効く者や商魂逞しい者から国外逃避が始まっているのです。彼等は貴国の経済状況が回復すれば帰ってくるかもしれません。そしてそこまでの才覚の無い者達も困窮が厳しくなれば、食う為に逃避せざる得ない。こちらに対しても移民にも手厚く消費する分の食料だけは支給してくれる我が国が存在しています。そして竜王国では商売人よりも単純労働力を欲している……」

 

 ……そして魔導国の教育を受け、それなりに生活も潤った国民の大多数は二度と帰ってこない。

 

 ゼブルはそう言っているのだ。

 どこで増加の一途である魔導国への移民希望者達が街道沿いの安全地帯で吹き溜まり、スラム街化していることまで聞き付けたのか?……薄い笑いの向こうでどこまで見通しているのか?

 ベレニスは真意の見通せない整い過ぎた美貌を見詰めていた。

 しかし同時に理解した。

 一見強硬に見える教育制度導入だが、実のところゼブルにとってそれすらも主要な課題ではないのだろう。魔導国が好条件で移民を受け入れ続けているのが証拠のように思える。

 魔導国の移民の多くが元王国民なのは間違いない。

 彼等は諸侯に所有物として扱われ、全てを奪われてきた。

 法国における貧民とは隔絶した差がある。

 貴族階級の力が脆弱な帝国とも違う。

 この地域おける圧倒的な弱者だ。

 彼等の食い扶持は最後の最後に考慮される程度。それも良心的な領主に限られている。帝国戦での見るも無残な敗戦で多数の王国貴族が没落し、財産を没収されたとはいえ、貴族位そのものは健在であり、その多くは首がすげ替えられただけ……国家に対しての発言力は壊滅的に低下したが、王国民全体の扱いが良くなったとは言い難い。その結果として急激に増加した王国直轄地の領民も急増したが故に配慮が行き届くわけがないのだ。

 彼等には魔導国の食料支給制度は魅力的に見えるに違いない。

 なるほど王国から逃亡し、魔導国に流入する貧民の群れが減らないわけだ。

 富を奪い、人を奪う……法国にとって魔導国は極めて危ないと同時に、魔導国自身が危うい綱渡りをしているように思える。

 世界の認識を変え、アンデッドが忌避されない社会を構築しようというのだから、たしかに危なく見える橋も渡らねばならないだろう……しかし建国して間も無く、あまりに強引で性急過ぎるのではないか?……ベレニスなどにはそう見えて仕方ない。

 

 それを牽引する目の前の人間の青年は何を見据えているのか?

 

 それが見えない……だから危うく感じると同時に恐ろしいのだ。

 

 ベレニスはジネディーヌを見て、ジネディーヌは視線が合うと即座にレイモンに移した。3人ともに僅かに頷く。

 

 共通認識……交渉の主題は教育ですらない。おそらく一度でも交われば魔導国が幾重にも張り巡らせた蜘蛛の巣から逃れるのは不可能。

 それを理解した上で魔導国の経済力を利用し、魔導王に代償を支払う。

 

 魔導国の作り上げた濁流の中で、法国はいかにして抗い、希望の種の将来に残すか。

 

 レイモンは自身の双肩にのし掛かる途轍もない重圧を改めて意識した。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

「拘束したのは良いが、どうする?」

 

 仮面の向こうから冷徹な女の声が響く。

 イビルアイが見守る中、双子忍者によって両手首を後ろ手に紐で拘束されたフィリップは同じ王国貴族であるラキュースに視線を向けた。帝国戦の敗戦前であれば、いかにアダマンタイト級であっても冒険者ごときに許されるような所業ではない。しかしながら現在の王国では貴族というだけでは保護はされず、何より相手が魔導国所属の冒険者では切り捨てられるのはフィリップの方だ。

 

 あの理解できない副王が表立ってフィリップを保護するはずがない。

 

 何かの目的によって殺されはしないかもしれないが、自国に招き入れたアダマンタイト級冒険者よりも優先するはずがないのだ。

 

「とにかくアイツの滞在先に急ごうぜ。そこにコイツも連行すりゃ良いんじゃねえか?」

 

 アイツ……法国の中で魔導国のアダマンタイト級冒険者が言う「アイツ」とは誰か?……聖王国での親し気なやり取りを知る身としては、おそらく最も考えたくない相手に違いないと予想できた。

 事情を知らないガガーランが提示した案はとても受け入れない。

 

「待ってくれ!……私は逃げて来たのだ。頼むから、あそこに連れて行くのだけは勘弁してくれ!……いや、お願いします……」

 

 拘束されたままフィリップは頭を下げた。

 

「逃げて来た、だぁ……どうしてなんでだよ。お前はアイツの子飼いみたいなもんだろ?」

「バカを言うな!……いいえ、言わないで下さい。私が魔導国副王の子飼いだなんてとんでもない誤解です」

 

 言い返されたガガーランだけだなく、ティアとティナも疑いの目を向ける。

 フィリップとゼブルとの繋がりを示す証拠は山程存在するのだ。王国におけるゼブルの伏魔殿と言っても過言ではないシュグネウス商会との関係性だけでも充分……それを調査していたのはティアとティナにイビルアイだ。

 そのイビルアイがフィリップの鎖着の首元を掴み上げた。

 小柄な体躯に相応しくない膂力だ。

 

「私達も魔導国に移籍した身だ。いまさらお前がゼブルの影響下にあろうとどうでも良い……それについて批判できる立場にもない。だが真っ黒なお前がそれを否定するのは聞き捨てならんぞ。お前は間違いなくゼブルの力によって大きくなった。それは否定できない事実だ。違うと言うのであれば、どうしようもないクズだったお前が王都軍の司令官候補などと言う大出世を遂げた経緯を話せ。話の内容によっては信じてやらんこともない」

 

 『青の薔薇』の5人の視線が集中する。個々でもフィリップをはるかに超える戦力を誇る5人だった。その圧力は想像を絶する。

 フィリップは比較的温厚に見えるラキュースに視線で懇願したが、一瞬で無駄だと諦めた。表情こそ柔和だが視線の奥底に冷たさを感じたのだ。

 

「信じられないかもしれないが、私は一切を知らなかったのだ……」

 

 訥々とフィリップは直前にゼブルの口から知らさせれた真実らしきものの中から、自身に都合の良い部分を切り取って語ったが、その行為は逆に取り囲む『青の薔薇』の面々の不信感を煽るだけの結果に終わる。

 それまで冷たいだけだったイビルアイの視線に明らかに怒りの成分が感じられるようになった。

 首元を掴む腕が僅かに震えている。

 

「そんな与太話を、この私に信じろと言うのか!」

「本当なのだ!……たしかに私はあの男の影響下にあった。それは認める」

「しかしお前にその自覚は無かった。朧気ながらそれを認識したのは聖王国以来であり、ゼブルの口から知らさせれたのは、ついさっきの出来事だ、と……それを知り、逃げる気になった……では聞こうじゃあないか?……なんでお前は逃げるのだ。単なるパトロンであれば逃げる必要性が無いではないか!」

「……」

 

 フィリップは無言で仮面を見詰めた。

 頭の位置を動かそうにも鎖着の首元からピクリとも動かせない。

 僅かに伝わる震えから怒りが感じられる。

 あの女程ではないが、絶望的な戦力差は明白だった。

 

「……あの男が私を拾う気になった切っ掛けまでは知らんのだ。奴が言うには私がゴミ屑の中のゴミ屑だったから……そういうことらしい。私には本当に理由は判らんのだ。そしてあの女が送り込まれて来た。私が変わったのはそれからなのだ……」

「……ティーヌに鍛え上げられ、英雄となったのか?」

「簡単に言えばそう言うことになる。あの訓練で自身の愚かさを知り、社会に対する責任を知った……何度も何度も死に掛けたが、それまでの自身の救いようのない愚かさを思い知らされたことだけは感謝している」

 

 首元のイビルアイの拘束が弛緩した。

 そのままフィリップはしゃがみ込む。

 だが解放されたわけでなく、一定の理解を得ただけなのだろう……5人の強者に取り囲まれている状況に変化はない。見回しても視線の厳しさに変化はなく、ただ怒りだけが失せたように感じられた。

 

「お前達は私をどうするつもりなのだ?」

「そうだなぁ……やっぱりゼブルの野郎のところに連れて行こうぜ。だってよぉ、コイツはアイツの宿を知ってるってこったろ?……そもそもアイツらが本気ならコイツ程度の力で逃げ切れるわけもねぇし、今だって泳がされているだけじゃねぇのか」

 

 最も屈強に見えるガガーランが絶望的な提案をした。

 

「賛成……もし捕まえる気だったら、師匠候補に恩を売れるチャンス」

「ガガーランもたまには良いことを言う……ゼブルは今回の依頼主」

 

 即座に双子も同意した。

 

「ちょっと待って!……モチャラス卿は逃げて来たって言っているわ。たしかに冒険者としての立場上は引き渡すべきかもしれないけど、私達への依頼にモチャラス卿の拘束と連行は含まれていないのも事実よ」

「ラキュースの言う通りだ。話の真偽が不明な以上、この男に肩入れするわけにはいかんが、ゼブルが依頼主だからといって逃げて来たと主張する奴をホイホイ引き渡すわけにもいかんだろ。少なくとも納得できる説明が無い限り、逃すわけにもいかんがな」

 

 フィリップは肩を落とした。

 少なくとも神都から逃げ出すことはできないらしい。

 

「どうすれば信じてもらえる?……私はあの男が恐ろしい。知らぬ間に関わっていたのを心底後悔している。私には討たねばならない仇が在る。仇敵は強大な力を有している。討ち果たす為には強くならねばならなかった……私をここまで育てたのはあの女だ。あの女の飼い主はあの男だ。そしてあの男は奇妙な技を使う。奴なら成長の秘密を知っていると踏んだのだ。そして法国への旅の誘いに乗った……そして今、目的の為に安易に考えた自分を呪っている。とにかく1秒でも早くこの神都から去りたいのだ!」

 

 フィリップは真摯に深く頭を下げた。

 だが『青の薔薇』の反応は薄い。

 むしろ奇妙な盛り上がりを見せた。

 

「やっぱ、思った通りだぜ!」

「ガガーラン、偉い!」

「不思議……ガガーランが立派に見える!」

 

 思わず顔を上げると盛り上がるガガーランと双子を尻目にラキュースとイビルアイが3人を沈黙したまま見詰めているように感じた。

 

「おい、お前……えーっと、名前は、たしかフィリップだったよなぁ……んで、教えてくれよ。ティーヌに何をされたんだよぉ?」

 

 ガガーランがしゃがみ込み、まじまじとフィリップを覗き込んでくる。

 その向こうではクールに見える双子が僅かに表情を緩めていた。

 とても沈黙が許されるような雰囲気ではない。

 

「私は死に掛けた。何度も何度も、何度も何度も殺され掛けた。全身の骨は漏れなく一度は骨折した。眼球も潰された。それも一度や二度じゃない。耳を削がれ、鼻を潰され、歯を砕かれた……そして何度も睾丸を潰された。心臓が止まったことも一度や二度ではない。それこそあの女が納得するまで何回も何回も、だ。トブの大森林に連れ込まれ、何匹もゴブリンを殺した。オーガも殺した。あの女が拐ってきた帝国兵も何人か殺した。最後まで、どうしても人を殺すことには慣れなかったが、やがて精神が摩耗し、命を奪うことそのものには躊躇が無くなったのも事実だ。それでもあの女相手に剣に見立てた棒を一振りすることは最後まで叶わなかった。時間切れ……帝国との開戦前に達成したのは一歩足を踏み出すことだけだ。その程度でもカッツェ平野の会戦では生き残れた。仲間達の助けもあり、手柄も上げた……」

 

 ここから先は喋りたくはない。

 内情を教えることは恥だ。

 戦場がエ・ランテルに移動してからはガガーランも知っているはず。

 

「まっ、要は戦闘訓練を積んだわけだな。で、イビルアイよぉ……フィリップの旦那は才能的にはどんなもんなんだ?」

 

 あの悍ましい訓練をガガーランは軽く流した。

 

「……お前、ちょっとはデリカシーを見せないと……だから脳筋……まあ、いい……ちょっと待っていろ」

 

 仮面がグッと近寄る。

 前髪を掴み上げられ、ジッと目の奥を覗かれるような感覚を覚えた。

 

「……才能は皆無だ。冒険者で言えば普通に銅級止まり。死ぬ程の努力と訓練を経て、尚且つ最高の幸運に恵まれて生き残っても、鉄級は言わんが良いところ銀級程度が積の山だろう。それが何度も死に掛けるような訓練の結果とはいえ、ごく短期間でミスリル手前の白金級程度の力を得ているのだから、少なくともティーヌの手腕は大したものと断言して良いだろうな」

「てぇことは……ゼブルの野郎も本物だろうな」

「それも間違いないだろうな。才能溢れる者の才能や適性を見抜き、それこそ才能の無い者まで才能以上に育てる。いざ目の前に生きた証拠を見せられれば、ガガーランの気持ちが理解できなくもないな」

 

 イビルアイが断言し、何故かラキュースの表情が僅かに歪んだ。

 

「……そんなに才能が無いのかしら、モチャラス卿は?」

「皆無だ……むしろ現状が異常事態なのだ。本来、戦士になれる器じゃあないんだ。貧乏貴族の三男ならば文官としての出世を選択すべきだろう。それすら私達が集めた情報や評判では怪しいものだが、それでも武官を選択するよりははるかにマシに思えるぞ」

 

 散々な言われようであった。

 さすがにムッときたが、今のフィリップにとっては自身の才能の評価などどうでも良かった。

 とにかく逃げ出したい。

 その目的を達する為にどうするべきか?

 まずガガーランと双子を説得するのは難しいように感じた。理屈でなく、心の底からゼブル側に取り込まれているように感じるのだ。

 一見、穏やかそうに見えるラキュースはどうか?

 それとも感情の揺れ幅こそ激しいが、極めて冷徹な観察を続けているように思えるイビルアイはどうか?

 

 アインドラの娘は難しいか……?

 反応は常識的に見えるが、それだけだ。

 少なくとも説得する材料が見当たらない。

 むしろイビルアイの方が理屈に傾くように思える。

 アインドラの娘よりは取っ掛かりが多い。

 ……いや、むしろ他のメンバーも含めて全員が成長について興味を抱いているように感じる。

 

「待ってくれ……下さい……ひょっとして皆さんも成長の秘密を知りたいのではないのですか?」

 

 確信があったわけではない。

 だがその言葉で『青の薔薇』の注目を集めることに成功した。

 

「ならば、私の知る限りの情報を話す……だから……」

 

 交渉可能……そう感じた瞬間、その目論見は崩された。

 分厚い拳が突き出され、顎を両側から掴まれた。

 言葉を封じられ、半ば強引に持ち上げられた。

 かつて命を救われた恩人である女戦士の満面の笑顔が迫る。

 

「なんでぇ……面白い話が聞けそうじゃねぇか……」

 

 あの時に感じた逞しさが漠とした恐怖に変換されていた。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 思いの外ファンシーな雰囲気の自室のピンクの寝台に腰掛け、両の脚をぶらつかせる。

 高名な人形作家の作った少女人形がジーッとこちらを見つめていた。

 人形作家のファンでもなく、人形に興味すらない。

 ただ忌々しい。

 見詰め返しても人形が反応するわけもなく……フッと目を伏せ、負けたような気分にさせられる。しかし敗北を知らない以上、今感じている気持ちが本当に負けを認めたことになるのか、理解できない。

 捨てたいのに捨てられない。

 贈り物だった……誰からだったかは忘れたが……

 

 滅多に見せないレイモンの憤怒の表情に気圧され、あの場は思わず引いてしまったが、はたしてアレが正解だったか?

 

 あの宿の奥に感じた存在感……探知能力は一流と呼べる。

 声だけを知る男と過去に聞き覚えのある女の声。

 女の方は間違いなく法国の人間だ。

 それがあの男と一緒にいたのはどういうことか?

 法国の女で「いい雰囲気」になれるぐらいに接近している者がいるということだ……だからレイモンが激怒したのか?

 浸透工作が上手くいっている……普通に考えればその結論に落ち着く。

 だが神器『ケイ・セケ・コゥク』を持ち出したというより重大な事実と噛み合わなくなる。浸透工作が有効な敵に精神支配は意味が無い。

 ということは……あの場にいた声に聞き覚えのある女は番外席次である自分に接近できるような立場にありながら、スレイン法国を裏切った……そう結論付ける以外に腑に落ちない。

 

 ……誰?

 

 声の感じは極めて好戦的だった。

 侵入者の接近を知らされ、イラ立ちを隠さなかった。

 あの男と2人だけの部屋で剥き出しの感情を発露させた。

 つまり……そういう関係なのだろう。

 

 異国の要人と男女の関係になる女……?

 

 パッとは思い当たらない。

 自身の知る女性達は基本的に清貧を尊び、規律正しい善良な人種が多い。

 享楽的な人種となると『漆黒聖典』ばかりだ。だが現メンバーは全員、あの宿の周囲にいたことは確認している。顔も声も確認したわけではないが、気配を読めば男女の差程度は判断可能だ。人数は足りていた。

 完全な自分の乱入だ。

 そこまで想定してハメるのは不可能に近い上に全く意味も無い。

 

 では、誰か?

 

 確実に知った声だった。外壁を隔てていようと誤認はずもない。

 伊達に法国最強ではない。しかも突き抜けた最強なのだ。

 

 ……とすれば……

 

 記憶を辿る。

 そして正解に行き着いた。

 

「……『疾風走破』だったような?……巫女姫を殺害し、国宝を強奪し、国外に逃亡したと聞いていたような……?」

 

 当時の、と言っても一年と少し前だが、『漆黒聖典』メンバーの中でも正直なところ第五席次の実妹でなければ記憶に残りもしない程度の戦力しか保有しておらず、有象無象の中でも埋没してしまいそうな存在だった。二つ名の割に速いわけでもなく、かと言って強くもない。過去に数多存在していた良くも悪くも及第点程度の存在だった。

 

 でも……違和感が……………何故、大罪人が堂々と入国している?

 

 それは巫女姫殺害と国宝強奪を法国が赦免したことと同義だった。そして国家が『疾風走破』を赦免する正当な理由があるはずだった。

 

 理由?

 

 大罪人『疾風走破』本人が理由であるはずがない。

 となれば、あの男が理由だ。あの男をどうしても法国に招かねばならなかったのだろう。それほどの理由が隠されているに違いない。

 だからレイモンは自分の勝手な行いに激怒したのだ。

 

 でも、気になる……

 

 あの男の見せた探知能力。

 大罪人にすら赦免しなければならない事情……もしくは影響力。

 単身法国に乗り込み、第一席次と神器装備のカイレを退けた。

 いずれにしても只者ではない。

 ひょっとすると想像以上の強者という可能性も捨てきれない。

 

 番外席次は寝台から立ち上がり、そっと目を閉じた。

 自宅周辺の気配を探る。

 気配を安定させることもできない無数の素人が屋敷の周りに蠢いていた。

 あえて素人だけを配置したレイモンの意図は明白だ。どのみち番外席次がその気になれば行動阻止は不可能なのだ。番外席次が手を出せない無数の素人で取り囲んだ方が効果的と判断したのだろう。

 

 で、数は多いけど……それだけ。

 

 窓の外にも4〜5人。おそらく全ての窓の外に同じような人数が配置されているに違いない。玄関ドアに至っては文字通り人海戦術で封鎖している。

 当然うざったい。

 だから都合の良いことに全ての窓が分厚いカーテンで遮られていた。

 脱ぎ捨てたままの外套を手に取り、再び着込む。

 照明は点けたままで良い。

 そこから完全に気配を断ち、完全に無音でドアを開けた。

 2階に上がり、さらに屋根裏の納戸へと向かう。

 そこに目的の天窓があった。

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 交渉は佳境というか、法国側にとっての正念場を迎えていた。

 魔導国側の3人は決定権者の副王を含めて余裕の表情であり、張り詰めて疲労困憊の顔付きなのは法国の3人だけだった。

 

 少しでも同盟加入を引き延ばし、援助は最大限引き出す。

 

 この相反する命題が法国の立ち位置を決められない原因なのだが、必ず両立させなくてはならない。国家も神殿も民も未来も守る為に退けないラインで綱渡りをしながら、彼等は差し伸べらる手にしがみ付こうとジャンプを繰り返しているのだ。危険は覚悟の上だが、どうしても止められない。潜在的な敵である魔導国副王の手を離せないのだ。

 交渉における魔導国副王ゼブルの表情は全てが偽りだ。怒りも笑いも饒舌な喋りも恐ろしい沈黙も全てが誘導なのは理解している。

 彼の望みは一点……法国が膝を屈することのみ。

 法国が未来と希望を魔導国に委ねることだ。

 彼が自分の裁量と一存で決めると言う援助の詳細を知るにつれ、レイモンもジネディーヌもベレニスも顔色を失うしかなかった。

 無利子で注入される資金量は貨幣の鋳造権を掌握している魔導国だけのものはあり、凄まじく莫大な金額という以上の感想が持てなかった。だが不安定な法国経済を十二分に安定化可能な金額であるのは間違いなく、完全に傾いていることが判明した各神殿の財政の健全化を視野に入れてもお釣りがくる。さらに危機感が広がる民政や困窮を極める地方財政も余裕で持ち直すだろう。

 そして商工業者に対するアンデッド労働力の導入。

 さらに地方の農業者に対するアンデッド労働力の導入。

 街道整備、治水、農地開拓に鉱山開発とスレイン法国の国力増強策。

 希望するのであれば官僚機構の整備。

 全ての産業に対する生産性の向上とコストの低減。

 借款に対する計画的返済の提案。

 最終的には税率低下まで面倒を見ると言う。

 そしてその代償として魔導国の同盟加入と教育制度改革の具体的提案がなされていた。

 

 たしかにこの内容で一度でも膝を屈した国家が未来永劫魔導国に逆らうのは難しい……とレイモンは額の汗を拭いながら考えていた。

 気付いた時にはアンデッド労働力が国家の屋台骨と化し、アンデッドに依存した社会が構築されてしまう。その膨大な数の従順なアンデッドを作り上げ、支配しているのが魔導王アインズ・ウール・ゴウンである以上、全ての国家が魔導王に逆らえば良い暮らしを失うのだ。魔導王はアンデッドを貸与することで収入源と共に支配地域を拡大させ、不死者であることで未来永劫同盟国を支配し続ける。

 

 誰も魔導王と魔導国に逆らえない。

 永遠に魔導王に支配される。

 ただし良い暮らしも続く。

 良い暮らしを得た民は魔導王を崇拝するだろう。

 良い暮らしを得る地域が広がれば大きな戦争も無くなるだろう。

 誰も日々の生活を失いたくはないのだ。

 現状でもその為に努力を続けていると言って良い。

 魔導国はこの地域に大きなうねりを作り上げてしまった。

 法国が対抗するには遅きに失した。

 人間に限らず、魔導王の支配民は適正に沿った職を得る。

 その為に魔導国の方針に従った教育を受ける。

 極めて悪辣であり、極めて正しい。

 永遠の頂点にアンデッドが立つという悪夢のような事実に我慢できれば、だが……

 

 副王ゼブルと続けた2時間に及ぶ下交渉だけで、レイモンもジネディーヌもベレニスに心を折られたに等しい。魔導国の作り上げたシステムに抗うのがいかに困難か思い知らされていた。なにしろ魔導王に支配されることさえ許容してしまえば確実に大多数が幸せになれるのだ。こうなっては民衆に期待などできないし、真実が広がれば民衆は現体制との闘争すら選択するだろう。そして魔導国は民衆を後押しすれば良く、さらに言えば真実を吹聴するだけで良い。なにしろ隣の国では暮らしぶりが良く、その事実から民衆が目を背けるはずがない。国境に高い壁が聳え立っているわけではないのだから、単純に見えるし、噂は広まる。

 

 つまり法国が情報統制を試みても無駄なのだ。

 故にゼブルは余裕の表情なのだろう。

 そして実力排除も不可能……もはや襲撃した事実は足枷どころか、底無し沼に引き摺り込む重石のようなものだった。

 

「……わしらの負けじゃな、レイモンよ」

 

 ボソリとジネディーヌが呟いた。

 

「どうやら私達は勘違いしていたようです。ゼブル様を我が国にお呼びする前から決着していた。ゼブル様は愚鈍な我々に気付きを与えにやって来たようですね……お前達は何時になったら敗北の事実に気づくのか、と」

 

 レイモンは俯きつつ、潰さんばかりに膝頭を握った。

 

「……本来、私に口を出す権限はありませんが、もはや具体的な交渉に移行した方が生産的と思えますわ。ゼブル様にも魔導国から各案件の専門官をお呼びいただく必要もございましょう?」

 

 全面降伏……詳細に話せば話すだけ法国の逆転の目が失われる自覚を持ってしまう。むしろ早期に決着させ、『神人』の安全を確保し、国家を没落させた現最高執行機関メンバーは一線から退くべき。

 ベレニスはその結論に至っていた。

 

「では、皆さんが一定の結論を得たそろそろ私も腹を割って話しましょう。私は……いや、俺は皆さんと魔導国が上手くやれると信じています。多少の行き違いはありましたが、皆さんは愚鈍でなく、臣民の生活の向上こそが国力の向上であるという魔導王陛下の思想と近しいものを感じさせてくれます。である以上、皆さんは魔導国と同盟を上手く利用すれば良い。我々は我々で皆さんとは良い緊張感を保ちたいと考えています。ここで話は落着……後は具体案の作成とまいりましょう!」

 

 ゼブルはソファから立ち上がり、レイモン、ジネディーヌ、ベレニスの順に握手をして回った。

 その笑顔に胡散臭いものを感じながらも「もはや後戻りはできない」とレイモンは固く決意した。

 

 

 

 

 

 

 

 メッセージは即座に繋がった。

 

「ぜっ、ゼブルさん!」

 

 アインズさんの慌てふためく声が響く。

 

「あー、しばらくです」

「どうしたんですかっ!……本当に心配していたんですよ」

「……良い知らせと悪い知らせがあります。どっちから聞きたいですか?」

「はぁ!?……何を暢気なことを言っているんですか?……とにかく一度カルネに戻って来て下さい。心配し過ぎて、夜も眠れませんよ!」

「アインズさんは元々寝れないでしょ?」

「まぁ、そうなんですけど……」

「じゃあ、まぁ、悪い知らせから報告しますね」

 

 アインズさんは一瞬押し黙り、口を開いた。

 

「何ですか、もう……」

「えーっと、しばらく帰れません」

「えっ!」

「だから、しばらく帰れません……法国が同盟加入するにあたって、具体的な条件闘争に入りますから……そこでお願いなんですけど、とりあえず交渉の全権を俺に預けてくれませんか?」

「……それって悪い知らせなんですか?」

「だって、帰れませんよ」

「そりゃ、まあ、そうなんですけど……それに交渉の全権って、何時もゼブルさんが決めて、こっちは事後承認ですよ」

「いちおう用心の為に文書作成して下さいってことです」

「何の用心なんですか?」

「アルベド対策です……そっちに目が届かないんで」

「アルベド対策……ですか?」

「まっ、内政はアルベド主導ですから……越権行為と見做される危険は避けたいかなぁ、と」

「……拘束理由になる、ってことですか?」

「そうなります。魔導国の法的にはアインズさんの裁量は絶大ですけど、万能ではありませんからね……特に王権に関するものは厳しく取り締まれば、いくらでも厳しく取り締まれますから」

「ハァ……もう了解しましたよ。ちょっと神経質過ぎませんか?」

「戻って、法改正すれば心配する必要も無くなるんですけどね」

「じゃあ、戻って来て下さいよ」

「今が佳境なんですよ……やっと法国側の心を折ったところなんで、ここで空白を作るわけにはいきません」

「ったく……どこまで仕事熱心なんだか」

「法国を抑えれば、もう勝ち確なんですよ……法国と同盟する可能性が無くなれば、評議国が単独戦力でどれだけ強大だろうと、ここから逆転するには地域を滅ぼす覚悟が必要になります。国力的に中堅以下のエルフの王国と組まれたところで痛くも痒くもありません。むしろ法国を取り込めば、こちらでエルフの王国すらも抑え込めますから……評議国は完全に孤立するわけです。後はどこまで耐えられるのか?……高みの見物を決め込んで、評議国が折れるのを待てば戦争を避けて地域を統一できます。アインズさんはふんぞり返っていれば良いんです」

「……一定の安全が確保されるわけですか?」

「間違いなく!……竜王を監視するだけでOKです」

 

 勝利の道が見えたことで少し声が大きくなった。

 それでアインズさんも少しは納得したようだ。

 

「で、これが悪い知らせなら、良い知らせって……相当凄い内容ですよね?」

 

 アインズさんの声色が興奮していた。

 俺も鼻を鳴らす。

 

「知りたいですか?」

「あまり焦らさないで下さいよ!」

 

 ワクワクが伝わってくる。

 

「なんと!」

「なんと?」

「手に入れちゃいましたー!」

「……何をですか?」

 

 焦らすだけ焦らす。

 アインズさんがジタバタしているのが伝わる。

 

「……『傾城傾国』……ですっ!」

 

 ガタンっと音が響いた。

 アインズさんが何かを倒したらしい。

 

「けっ……けいせいけいこくって……あの?」

「あの『傾城傾国』ですよ!」

 

 ウォオオオオオーッ!っと声が響き、アンデッドの特有の沈静化あったような間が空いたが、再び大興奮の鼻息が響いた……アンデッドなのに。

 

「ワールドアイテムの……?」

「そう、ワールドアイテムの、です」

「すっ、凄いじゃないですか!!」

「そう、凄いんです!」

「……マジですか?」

「マジですっ!」

 

 バタバタ歩き回るっているような走り回っているような雰囲気が伝わる。

 

「どうしたんですか?」

「知りたいですか?」

「知りたくないわけがないでしょ!」

「そりゃ、そーですよねー?」

「当たり前じゃないですかっ!」

 

 詳しく経緯を話し始めると、アインズさんは襲撃された件で憤っていたが、それも長くは続かなかった。

 

「その槍も確保したんですか?」

「ええっ、さすがに敵地同然の場所で鑑定の為に大量にMP消費するわけにもいきませんからね……でもロンギヌスの可能性もあると思いますよ」

「ですよねー……俺、そっちに行っても良いですか?」

「ダメです……戻るまで、待って下さい」

 

 シュンとしたアインズさんは少し可愛かった。

 




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