僕とキリトとSAO (MUUK)
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第一章「アインクラッド」
第一話「リンクスタート!」


皆さんの暇つぶしになれば最高です!


バシィィイイィィッッ!!

 

雷鳴を想起させる炸裂音が、混濁した脳髄に伝播した。

瞬間。

めまぐるしい意識の奔流が、僕の身体を置き捨て、遥か彼方へと過ぎ去った。

 

瞼を開く。

 

辺りは目が痛いほどに真っ白だ。首を左右に回しても、シミの一つも見当たらない。

純白の世界で一抹の不安を抱えながら、僕は自らの腕に視線を落とした。

そして、我が目を疑った。

直視が憚られるほどに、しかし同時に、視姦せずにはおられないほどの、高貴な『金』が、そこにはあった。

艶やかに細工された黄金は、今生で目に入れた凡ゆるモノを、有象無象と切り捨てさせた。それほどの絶対的な美しさに満ちていた。

そんな物質が、僕の表皮を一分の隙もなく埋め尽くしている。

有り体に述べれば、フルプレートアーマーだ。だが、抽象的に想像される、中世の騎士が着込むような甲冑姿ではない。

金色の鎧には未来的な意匠が施され、むしろロボットのようにも見て取れる。

 

────ふと、背中に違和感を覚えた。

無い筈の物が在る感覚。

太古の昔に、ヒトという種族が手放した器官。

気がつけば、僕は肩甲骨周りの筋肉に思いっきり力を込めていた。

ソレが何かも解らないまま、ただ徒らに、動け、動け、と念じながら。

果たして、蠕動の念は通じた。

浮遊感。

比較対象の一つも無いこんな世界でも感応する、衝動的な飛翔だった。

自然と上空に手を延ばす。

ああ、このまま飛んで行こう。どこまでも。どこまでも────

 

 

────夢、か。

 

瞼を開く。

 

見慣れた風景。

そこでは、黄金色の鎧も突き抜けるような浮遊感も、砂上の楼閣が如く崩れ去っていた。

頭上に広がるのは木製の天井。眼下に広がるのは、白染の世界などではなく、嫌に薄汚れた白地のシーツだ。

僕は右手で、敷布団をくしゃりと掴んだ。

時を同じくして、頭に『アレ』を被りながら眠っていた事に思い至った。

自分の頭に手を掛ける。些細な機械音を立てて、僕の脳から洗練されたデザインのヘルメットが引き剥がされた。

『ナーヴギア』。

それが、僕の手に在る夢の機械に付けられた名だ。

この装置が産み落とされたと同時に、世界にはフルダイブという言葉が生まれた。

フルダイブとは、五感全てを情報世界へと置換する技術だ。僕のような凡俗からすれば、それは神の所業とも思えてしまう。

そんな大層な機械を、被ったまま寝るなんて雑な扱いをしてしまった訳だが。はて、昨夜の僕は何故、ナーヴギアの使用中に意識を途絶えさせてしまったのか。

考えるうちに、寝起きで朦朧とした意識は次第に彩度をあげていく。

そういえば、僕は出来るだけ早くフルダイブ環境に慣れようとしていたんだった。明日からの正式サービス開始に合わせて、自由に手足を動かせるようにと……。

明日?正式サービス?

ハッと時計を見る。

時針は11。分針は10を指し示している。

良かった! まだ開始まで余裕がある。オンラインゲームで出遅れるのは、本当に洒落にならないからね。

灰色のヘルメットを傍らに置き、少し勢いをつけてベッドから立ち上がる。マットレスが、ギシリと音を響かせた。

六畳の自室を歩き、システムチェアーに腰掛ける。パソコンを立ち上げ、慣れた手つきでテレビ電話のアプリケーションを起動させた。

通話先は三人の悪友だ。秀吉、ムッツリーニ、雄二の順にコールボタンをクリックした。

お決まりの発信音がボイスチャット機能搭載のヘッドホンから流れ出す。

中古だったせいか、買って三ヶ月で音割れを始めたが、買値が買値だったのであまり気にしていない。

数刻の後、画面右上の『calling now……』のノイズ表示が、色彩のある映像へと切り替わった。

現れたのは、タレ目が特徴的な、大人しそうな少年。間違いない。寡黙なる性識者(ムッツリーニ)こと土屋康太だ。

 

『……もしもし』

 

ボソボソとした声が僕の耳朶を打った。

 

「やあ、ムッツリーニ。ついに正式サービス開始だね!」

『……ああ、楽しみだ。昨日も興奮して眠れなかった』

 

ムッツリーニ瞳を閉じ、回想に耽り始めた。

そして、いきなり鼻血を吹き出し始めた。

 

「君は何を思い出してるんだい?」

『……ナーヴギアの構造について』

「うん。それで鼻血が出る奴は、相当な変態だと思うんだ」

 

一体、この男は何に興奮して眠れなかったのか。また今度問いただして、その原因を剥奪せねばなるまい。彼の友人として、これ以上彼に血を流して欲しくないのだ。

ムッツリーニに呆れていると、今度は画面左下の砂嵐が、意味のある映像へと変容を開始した。

 

『よう、明久。ムッツリーニ』

 

赤髪を逆だたせた、野性的な青年が映し出される。

 

「いよいよだね、雄二」

「おう、そうだな。ゲームショップに四日間ならび続けた苦行も、やっとこさ報われるぜ」

 

そう言った坂本雄二の頬には、普段は決して浮かべない、少年のような笑みがあった。注視すると、仏頂面が常のムッツリーニも、今日ばかりは雄二と同じく、ほんのりと笑っている。

かく言う僕も、同様の笑みを見せているのだろう。と、鏡を見るでもなく想像してしまう。

しょうがないだろう。こんな状況で冷静さを保てるほど、僕は大人じゃない。なんて言ったって、初回は限定一万台の、初のフルダイブ用MMORPGソフトを四人揃って手に入れることが出来たのだから。

その時、テレビ電話の最後の一枠が、突如として彩度をあげ始めた。その現象に、僕は是非もなく高揚してしまう。

真珠色の透き通る肌に、肩口に掛かるくらいの甘く優しいチョコレート色の髪。誰をも惹きつける魅惑的な翡翠の瞳。

例え画面越しでさえも、百人に聞けば百人が頷く絶世の美少女────もとい美男子だ。

 

「おはよう、秀吉。今日もゲーム日和の天気だね!」

「人はそれを曇天と言うんじゃぞ?それに、時刻は昼時じゃ。お主は業界人では無かろうに」

 

秀吉は微笑みで言葉をかえした。その表情に見惚れ、思わず感嘆さえ漏らしてしまう。

可愛らしい笑顔に目をとどめておくのも吝かではないが、時間は待ってくれやしない。

泣く泣く秀吉から視線を外し、スクリーン下方のデジタル時計を確認する。やけに細い棒切れの集まりは、正午までの猶予が三分であることを提示した。

誰がどう見ても切迫している事は明らかだ。

自らの声に焦燥感を自覚しながら、僕は事務的な質問を口にした。

 

「ところで皆、プレイヤーネームはどうするの?」

 

この問いは、アバターになり顔が変わることへの、僕なりの配慮だった。ログインして一からお互いを探すよりも、先に名前を知っていた方が効率が良い。

それと同時に、フレンド申請も行えるのだから、まさに一石二鳥だ。

問いかけから半秒と間隙を開けずに、これから己の半身となる身の名を、まず秀吉が名乗った。

 

「わしはそのまま、秀吉にするつもりじゃぞ」

 

安物のヘッドホンから流れる可愛らしい秀吉の声には、煩雑なノイズが混ぜ込まれていた。

現実と同じ名前か。秀吉らしい判断だと思う。

秀吉は、ネットゲームはおろか、市販されているゲームすら、僕らと遊ぶときぐらいしかプレイしないのだ。そんな秀吉には、ハンドルネームという概念が存在してすらないのだろう。

 

「お前はいつも通りの『ライト』か?」

 

画面の向こうで、雄二が確信的な含みを持って言った。

一瞬、その言葉が誰に向けられた物なのか、判然としなかった。だが、そこに内包された『ライト』という固有名詞が、雄二の問いは、僕に投げられたのだと確定させた。

 

「うん。そのつもりだよ。じゃあ、雄二はユウにするの?」

「ああ、わざわざハンドルネームを変える必要も無いしな」

 

秀吉は、僕らの会話に訝しげな視線を送る。

 

「なにゆえお主らは、既に互いの名前を知っておるのじゃ?」

 

秀吉の言葉が、にわかに面白く、僕は小さく吹き出すように笑ってしまった。そんな僕を見て、秀吉はむぅと唸り、首を傾げる。

取り繕うように、ごめんごめんと言いながら秀吉に返答した。

 

「僕らは他のネットゲームでも一緒にプレイしてるからね。多分、いつもの名前を使うんだろうなってこと」

 

その答えに、秀吉は合点がいったらしく、古風にもポン、と手槌を打った。

 

「なるほどのう。ならわしも、何か名前を考えた方がいいのかの?」

「別に気にしなくて良いんじゃないかな。そういうのは、人それぞれだし」

「うむ。そうか。それなら、やはり名は秀吉にしておこうかの」

 

秀吉は華奢な腕を組み、自分に言い聞かせるようにうんうんと頷いた。

 

「ところで、明久よ。雄二がユウなのは、なんとなしに解るのじゃが、何故お主の名はライトなのじゃ?」

 

ああ、確かに説明しなければ分からないだろう。このライトという名前は、なかなかに捻りが効いてると自負している。

何て言ったって、一週間を費やして、やっとこさ考え至った名だ。簡単に看破されるのも、少々癪に触る。

 

「このライトって名前はね、明久の『明』から光を連想して付けたんだ」

「なるほど。存外に単純であったか」

 

あれ?何か、バカにされた気がする。

そんな僕の反応などお構いなしに、会話は進行していく。

 

「さて、あと聞いてないのは、ムッツリーニだけだな」

 

雄二が、つりあげた口角の奥に八重歯を潜ませながら、意味深長に言った。

それに対し、ムッツリーニは、何の気なしに答えてみせる。

 

「……俺も、秀吉と同じでそのままコウタにしようと思っている」

 

ムッツリーニの言葉でやっと、先ほど雄二が見せた含みのある笑みの正体が解った。

だからこそ、僕は雄二の考えに即した言葉を投げかける。

 

「何言ってるのさ。ムッツリーニはムッツリーニにでしょ?」

 

むしろ、ムッツリーニのことを、康太なんて呼ぶ方がむず痒い。仮想世界でも、ムッツリーニをムッツリーニと呼ぶ為に、非常に残念ながら、ムッツリーニの意見は蔑ろにしなくてはならないのだ。

 

「いや、だから俺は……」

「それもそうじゃな」

 

秀吉も僕の意図を読み取ってくれたようで、楽しげに肯定の言葉を返した。

 

「違……」

「よし、これで全員出揃ったな」

 

ムッツリーニの否定を、半ばで遮った雄二もまた、口元に意地の悪い笑みを浮かべている。

全員一致で可決された。ムッツリーニは、ゲームの中でもムッツリーニ。

 

「……もう、いい……」

 

僕らの圧力に、漸くムッツリーニは屈服した。多少、というかだいぶいじけているが、結果オーライだ。

ムッツリーニ本人の意思確認が出来たところで、眼前の液晶から、氷のように透き通った声が響いた。

 

「それより、お主ら。もう始まってしまうぞい」

 

急かす様な秀吉の声。時計に映し出される時刻は、正午を指し示していた。

 

「あっ、本当だ!じゃあ皆、また中でね!」

「おう!」

「うむ」

 

雄二と秀吉の二人は応じ、ムッツリーニは無言でサムズアップをしてみせた。

デジタルエフェクトがかかった皆の応答を確認したと同時に、僕は通話用のアプリケーションを終了させた。

 

僕の頭を銀の塊が覆う。

飛び交う電波は、僕の脳漿へと染み出していく。それは、酩酊にも似た感覚だった。

妙な満足感が心象を包む。

このゲームは、僕を是非もなく心酔させるだろう。熱中させるだろう。興奮させるだろう。

いや恐らくは、この期待すらも凌駕した『何か』を感じさせるだろう。

それがきっと、人々がゲームを手に取る意味なんだと、僕は思う。

独り言ちに笑みを漏らす。

システムデスクをベットの真横にまで動かし、ゲーミングPCと有線で繋ぐ。

すっと、鼻から空気を吸い込む。ツンとした冬の香りは、やけに鼻腔を刺激した。

僕は、この瞬間を待っていた。

呪文を紡ぐ。

万物を内包した、魔法の呪文を!

 

「リンクスタート!」

 

瞬間。

流れ込んできたのは、滝の如き情報の波。

世界の総てを網羅する、抽象化された事象の渦だった。

初めに『知覚』できたのは、文字の羅列だ。

よくよく目を凝らして見てみると、そこには『What your name?』という質問が書き記されていた。

恐る恐る、長方形の空白に手を触れる。すると、虚無であった筈の空間に、半透明のキーボードが湧出した。

それに向かって、ライトという渾名を打ち込もうとして、手を止める。

あれ?ライトのラってLだっけ。Rだっけ。

うーん。まあ、悩んでいても仕方ない。ここは、二分の一の確率に賭けて『Right』にしておこう。

何か引っかかるものを感じながらもOKボタンを深めに押し込む。

次に現れたのは『Male』と『Female』という二つのボタンだった。ネカマの趣味は無いので、当然の帰結として『Male』を選択する。

するとまた、新たな画面が展開する。

ごちゃごちゃとした英単語の羅列。その横には、これといって特徴の無い、地味な男が立っている。

これも、なかなかに見覚えのある画面だ。

つまり、この状況はアバター生成のステップであり、この英語群は、身体の各部位の名前なのだ。

カチカチとボタンを押しながら、アバターを僕好みにカスタマイズしていく。

白く脱色された髪に、切れ長の目。高く尖った鼻や薄い唇。

それらは全て、刃物のような鋭利さを思わせる。

精悍という言葉が良く似合う、絵に書いたような美少年だった。

身長は百八十センチに設定した。

これは、ちょっと盛ったとかでは断じてなく、戦闘を有利に運ぶ為の配慮に過ぎない。

丹精込めたアバターを、もう一度隅々まで見回す。

その結果に満足し、手元のOKボタンを、思いっきり押し込んだ。

瞬間。

僕の視界を、純潔の光が覆い尽くした。

 

 

瞼を開く。

 

降り立ったのは、中世を連想させる石畳だった。同じく中世ヨーロッパのようなレンガ作りの家々が立ち並ぶ。

通りを支配するのは、ファンタジーな美男美女の雑踏。

その奥には、風に靡く草原が、地平線にまで連なっている。

そして、何より目を引くのは、上階へと続く巨大な塔。それが放つのは、須くを寄せ付けぬ排他的な威圧感だ。

データが織りなす絶景を一望した時、ふと、腰に負荷を感じ、視線を移した。

そこにあったモノは、見違えようもなく剣だった。

鞘から引き抜く。

シャラン、という軽快な音。

剣をじっくりと観察する。

刃にはくすみが目立ち、飾り気など微塵も感じられない。

まさに初期武器、という印象を受ける。

だがしかし、業物とは口が裂けても言えぬそんな武器に、僕はすっかり魅入られていた。

そして、剣を持っているという状況自体に、身震いを禁じえなかった。

この剣でモンスターを断ち切り、先へと進み征くのだろう。

そしてそれが、この世界の全てだ。

思いを馳せる。

手に握られた一本の剣。

それを持ち、プレイヤー達はどこまでも戦うだろう。

飽くなき欲望は加速し、原始へと至った。

それは、遺伝子に刻まれた、戦闘欲求。

故に、プレイヤー達はこの世界へとログインした。

己が身を使役し戦う、究極のゲームに。

剣の世界。

その名は─────

 

『ソードアート・オンライン』




いかがでしたか?文章がゴミのようだとか、こんな文章アウトオブ眼中だとか、語彙力貧弱貧弱!とか、言いたいことは山ほどあるかもしれませんが、感想でアドバイスをもらえれば感無量です!


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第二話「デスゲーム」

さて、第二話です!やっとデスゲームが始まっちゃいますよぉー!フゥゥーーーッッ!え?キモい?すいません…。では、本編どうぞ!


「秀吉、ユウ、ムッツリーニっと………。よし、これでOK!」

 

ログインしてすぐに、初々しい手つきでフレンド申請画面に三人の悪友を列挙した。

数刻と待たずにフレンド申請結果が報告される。

『Hideyoshiが、フレンド申請を受理しました』

その一文に、思わず頬が緩む。まだ何も成し遂げていないというのに、肩の荷が下りたような気分だった。

しかし感慨を抱く間も無く、馴染みの薄い無機質な音色が鳴り響いた。

 

『もう始まりの街の東側で狩り始めておるぞ』

 

 

始まりの街を東門から出て直ぐに、凛々しい美青年二人と、厳ついゴリラのようなスキンヘッドのおじさん一人の集団がいた。

どうやらアレで間違いなさそうだ。

アンバランスな三人組へと、大きく手を振りながら駆けていった。

 

「もう、ユウ! 先に始めるなんて酷いじゃないか!」

 

と、スキンヘッドの厳ついおじさんに怒鳴りつけた。

それを受けておじさんの口から放たれた言葉は、僕にとってあまりにも突拍子が無い意味を内包していた。

 

「わしは秀吉じゃが?」

 

………………………………………………………………え?

 

「ライト?何故何も言わず嗚咽をもらしておるのじゃ!?」

 

秀吉が重低音を響かせる。

その声が、僕には地獄の審判に思えた。

 

「秀吉! 単なるネナベならまだいいよ! でも、わざわざゴリラみたいなおっさんにする必要はないじゃないか!」

 

秀吉の両肩をひしと掴み、ぶんぶんと前後に振り回した。

僕の中で、秀吉への愛情その他もろもろが行き場を無くして暴れ狂う。

その時、いきり立つ僕の肩に、色白の手がポンと置かれた。

振り返ると、二人の美少年の内一人。大人しげな雰囲気の男が、その美貌を台無しにした白目で立っていた。

 

「……ライト……諦めろ……これが現実…………」

「白目を剥いてる奴に言われても説得力無いよ!」

 

仮想世界でも現実逃避が出来ないなんて、世界は……残酷だ……。

 

「どうしたんじゃお主ら。揃いも揃って。む、さては、ワシのバリトンボイスに心奪われてしまったのかの?」

「はぅっ………!」

 

ムッツリーニは胸に手を当て、悲哀の面で呻いた。

うん。確かにこれは、相当な威力でハートをキャッチされてしまったようだ。

地に伏したムッツリーニが、サムズアップした右手を僕へと向ける。

 

「…………後はまかせた、ライト。必ず秀吉のアバターを、変え……(ガクッ)」

「ムッツリーニィィイイィッッ!!」

「むぅ…………。お主ら、酷いぞい……」

 

頰を膨らませ、秀吉は人差し指同士を合わせていじけ出した。

本来ならば可愛いらしい動作なのだが、これをやっているのが五十代半ばのおっさんなのだから気色悪いことこの上ない。

ふと辺りを見回す。

命の茂る新緑の大地。ここに白いワンピースの秀吉がいてくれたなら、どれほど映えることだろう。

一見して分かる落胆と非難を視線に宿し、秀吉を真っ直ぐに貫いた。

 

「だいたい、なんで秀吉はそんなアバターにしたのさ!?」

 

ここがSAOの中だということも忘れて、僕が放った心からの質問(きゅうだん)だった。

 

「こうすれば、わしを女だと思う奴もおらんじゃろ♪」

 

嬉しそうな秀吉(おっさん)の顔。

秀吉を男扱いしておけばよかった。始めてそう思った瞬間だった。

 

「ところで明久、お前のその名前R…いや、やっぱりいいか……」

 

ユウは何が言いたかったんだろう?バカの考える事はわからないな。

 

「まぁ、とりあえず、あやつを狩ってみてはどうじゃ?」

 

隣のおっさん(秀吉)がそう提案してきた。

指差す先に居たのは、全長一メートルほどの、小さなイノシシだった。

 

「ソードスキルっていうのを使えばいいんだよね?」

 

このSAOには、プレイヤーの動きをサポートしてくれる『ソードスキル』というものが存在する。その何百という、システムに規定された技のアシストによって、剣道等の経験が無い人でも、強大なモンスターに立ち向かえるというわけだ。

 

「うむ。イメージとしては、そのソードスキルの始めのポーズをとって、ちょっとだけモーションをかけて、後はシステムにまかせる、といった感じじゃな」

「うーん。ちょっとよくわかんないけど、とりあえずやってみるよ」

 

そう言って、僕は片手直剣スキルの初期技『スラント』を発動させるべく、剣を中段から上へと振り上げた。

その直後、僕の剣が、その刀身に淡い光を纏わせだした。そうなれば、もう止まりはしない。

剣は、使用者たる僕の支配を離れ、虚空を貫き、モンスターを斬り裂いた。

瞬間、イノシシは無数の破片となり、爆散した。

仮想の感触が手を中からジンジンと打ち返す。それとは対照的に身体中を爽快感が覆う。ここは現実じゃないにも関わらず、身体に何か熱いものが流れていると、そう思えた。

 

「……ふぅ」

 

思わず、溜息が出る。

それは感嘆の念からだった。

自ら剣を取り、それを揮い敵を討つ。

その過程が、僕の想像を遥かに超えていたからだ。

それから僕たちは飽きることなく、何時間もイノシシとオオカミ狩りを続けた。

 

それは、僕にレベルアップのファンファーレが鳴り響いてすぐのことだった。

始まりの街から荘厳で重厚な鐘の音が響きわたる。

瞬間。

僕ら四人の体が青いライトエフェクトに包まれた。

 

 

SAO内の光は、ナーヴギアから直接脳内の視覚野に送られる電気信号により大脳が作り出すものである。そのため、アバターが目をつぶったところで何の意味も無い。そう頭では理解していても、僕はその眩い青の光に抵抗せずにいられなかった。

そして、仮想の瞼を開け、既視感を覚えた。

そう。それは、つい数時間前。この仮想世界に生を受け、目を開いたその瞬間の光景と酷似していた。いや、同一と言っても過言ではないだろう。

とどのつまり、僕らは草原から始まりの街にテレポートしたのだ。

そして、僕らの先にも、後にも続々とプレイヤーがテレポートされ続けていた。

 

「これは……何なんだろう……」

 

一人言か、疑問か、自分でも分からず僕の口はそう動いていた。

 

「オープニングイベントじゃないのか?」

 

僕の言葉を疑問と受け取り、ユウはこの状況で最も可能性が高い答えを返した。

そう。その可能性が一番高いはずなのだが、何故かさっきから、不安感が僕の心を撫で続けているのだ。

そんな心境を察したのか、ムッツリーニがこう教えてくれた。

 

「……広場のいろんなとこから、ログアウトが出来ないという会話が聞こえる」

「うん……不安感煽られたよっ!」

 

結局何がしたかったんだ、この男。

すると、僕の横でユウはメインメニューを操り、本来ログアウトボタンがあるはずの場所に向かっていた。

僕も自分で探してみたら、やはりというか、まさかというか、ログアウトボタンは綺麗さっぱりなくなっていた。

 

「てことは、ログアウトが出来ないことの謝罪か、全部が演出か、のどっちかだよね、ユウ?」

 

今度はユウに対して、きちんと疑問を投げかけた。

 

「……………」

 

なのにユウはさっきとは、うって変わって青ざめたまま、言葉を返そうとしない。

 

「どうしたというのじゃ、ユウよ?」

 

そんなユウを心配して、秀吉が声を掛けた。すると、ユウは何かを認めたく無い、というような顔をして重い口を開いた。

 

「お前らは、仮想世界でログアウト出来ないという事態の深刻さを理解しているのか?」

「どういうこと?」

 

回答の意味が判然とせず、咄嗟に疑問を反復した。

 

「つまり、俺たちは閉じ込められてるんだよ」

 

ユウは、苦虫を噛んだような顔で言う。

そんなユウの表情を見て、僕はそれ以上何も言えなかった。

その直後、僕たちのいる始まりの街の中央広場が真紅のハニカム構造が囲んでいく。その六角形の中に何か英語が書いてあるようだけど、あいにく僕には訳せなかった。

 

「やっぱりオープニングイベントみたいだね!」

「いや、ちゃんとあの文字を読めよ」

 

うん、読めないんだよ!仕方ないだろ、バカなんだから!

 

「どうせ、お前読めないんだろ?」

「分かってるなら、読めよなんて言うなよ!」

 

こいつは僕をムカつかせて楽しいのかな?

ログアウトしたら、こいつのナーヴギアとお風呂に入ることにしよう。ナーヴギアに耐水性はなかった筈だ。

 

「あれは、『warning』と『system announcement』。つまり、『警告』と『運営からの告示』ってとこだな」

「ふーん。つまり、ログアウト出来ないのはバグだったってこと?」

「だろうな。オープニングイベントのためにわざわざログアウト出来ない様にする必要はないからな」

 

すると、僕らのほぼ真上。つまり、100層にも渡るステージが存在すると言うSAOの第二層の底から、Fクラスにおいては見ない日はないと思われる人体の粘液、つまり血、のようなものが垂れてきた。だけど、それは落下することはなく、空中で大きな人を形作っていった。そして、その巨人はフード付きのローブを羽織っており……いや、違う。ローブがあるのは確かだけど、そのローブを羽織っていなければいけないはずの『本体』がどこにも見当たらなかった。

 

「なんで顔が無いんだろ?そういう演出かな?」

 

僕は思ったことを率直に口に出した。

周りのプレイヤー達も同じような疑問を投げかけている。

僕の疑問にも、無数のプレイヤー達の疑問にも、答えを返すプレイヤーなど存在しない。

大量のプレイヤー達の喧騒の中に、上空から言葉が与えられた。

 

『プレイヤーの諸君、私の世界へようこそ』

 

何処かで聞いたことが有る、大人の男性の声だった。

その時、僕はただ単にGMかラスボスに扮した職員の用意されたセリフだと思っていた。この言葉の真意を全く読み取れていなかったのだ。

 

『私の名前は茅場晶彦。今やこの世界をコントロールできる唯一の人間だ』

 

茅場晶彦。その名はさすがに僕も知っていた。ゲーム開発会社アーガスの職員にして、量子物理学者。

そして、ナーヴギアの設計者にして、SAOの開発ディレクターという、超がいくつあっても足りない程の天才だ。

そんな人だから、ここに出て来たところで何らおかしくはないんだけれど、この時、僕の中に二つの違和感が生まれていた。

すなわち、実名を出したことと、この世界をコントロールできる唯一の人間という言葉だ。

そそんな違和感について、僕は深く考えようとしなかったけれど、僕たち四人のなかでユウだけは思考を止めようとはしていなかった。

顎に手を当て、思案顔で状況を見据えるユウ。その様子は、否応なくこちらに安心感を与えてくれる。

だが、そんな物は気休めにしかならない。そう断言するかのように、次なる巨人の言葉が安寧の幻想を捻り潰す。

 

『プレイヤー諸君は、すでにメインメニューからログアウトボタンが消滅していることに気づいていると思う。しかしゲームの不具合ではない。繰り返す。これは不具合ではなく、《ソードアート・オンライン》本来の仕様である』

 

「嘘だろ……?」

 

驚愕を漏らしたのはユウだった。

僕はというと、茅場晶彦の言葉の意味も、ユウが狼狽する意味も全く理解出来ていなかった。

そして、直ぐに巨人から次の言葉が告げられた。

 

『諸君は今後、この城の頂を極めるまで、ゲームから自発的にログアウトすることはできない』

 

今度はすんなりと理解出来た。つまり、これがオープニングイベントならば、この城というのは当然、SAOのフィールドである『浮遊城アインクラッド』だろう。

しかし、逆にユウは、『この城』の意味を理解出来ていないようだった。

うん。僕は親切だからね。ユウに教えてあげることにしよう。

 

「ユウ、もしかして『この城』の意味もわからないの?」

 

僕は最大限の嫌らしさを込めて言ってやった。

 

「じゃあ、お前は分かるってのかよ!」

 

あれ?何この温度差?

 

「た、多分アインクラッドのことじゃないかな?」

「そんなことがあっていいのか…?」

 

顔に大きく絶望と書きながら、ユウは掠れた声でそう呟いた。

本当に、こいつは何を想像してるんだろう?

 

「ねえ、秀吉、ムッツリ……」

 

二人も青ざめた顔をしていた。

あれ?状況読めてないの僕だけ?

 

『……また、外部の人間の手による、ナーヴギアの停止あるいは解除も有り得ない。もしそれが試みられた場合──』

 

間が空く。そのわずかな間が僕の不安感と焦燥感を最大にまで高めた。

広場がしんと静まり返る。その様子はまるで、早く餌が欲しい犬のようだった。

そして、次の言葉が発せられる。

 

『──ナーヴギアの信号素子が発する高出力マイクロウェーブが、諸君の脳を破壊し、生命活動を停止させる』

 

その言葉を理解出来た人間がこの広場に何人いるだろう。

少なくとも、僕の横に一人、かつて神童と呼ばれた男がそうだった。そしてユウは……

 

「はっはっはっは!」

 

笑った。吐き捨てるように、まるで全て予想していたかのように、掠れた声で笑った。

 

「いや、でも、ナーヴギアにそんなこと出来るの?」

 

否定して欲しかった。

これが唯のゲームだと思いたかった。

でも、仮想の現実は余りにも残酷だった。

 

「それがな、可能なんだよ。電子レンジの要領でやれば脳焼き切ることは造作もないだろう。いきなり電源を引っこ抜いたとしてもナーヴギアの重量は三割がバッテリーだ」

 

ユウはスラスラと、ナーヴギアが頭脳を焼き切る理論を説明してくれる。

こいつは、いつからこの状況を想定していたのだろう。

ユウの獰猛な笑顔は、驚嘆を過ぎ、恐怖さえも抱かせる。

 

『より具体的には、十分間の外部電源切断、二時間のネットワーク回線切断、ナーヴギア本体のロック解除または分解または破壊の試みー以上のいずれかの条件によって脳破壊シークエンスが実行される。この条件は、すでに外部世界では当局およびマスコミを通して告知されている。ちなみに現時点で、プレイヤーの家族友人等が警告を無視してナーヴギアの強制除装を試みた例が少なからずあり、その結果──』

 

続く結果は僕の予想を大きく上回った。

だからこそ、僕から現実感を奪って行った。

 

『──残念ながら、すでに二百三十名のプレイヤーが、アインクラッド及び現実世界からも永久退場している』

 

信じられなかった。 こんなゲームでもうすでに二百人以上の人が死んでいるという事態が。

 

「そんな、いや、これも全部オープニングイベントなんでしょ。ねぇ、ユウ!」

「いや、考えてみろ、こんなイベントあるわけねえだろ」

 

ユウはもう既に、いつもの冷静さを取り戻していた。

でも、僕ら三人はそんなユウを見ても全く安心出来なかった。

僕らの不安などよそに、茅場の無慈悲な声は降り注ぎ続ける。

 

『諸君が、向こう側に置いてきた肉体の心配をする必要はない。現在、あらゆるテレビ、ラジオ、ネットメディアはこの状況を、多数の死者が出ていることも含め、繰り返し報道している。諸君のナーヴギアが強引に除装される危険はすでに低くなっていると言ってよかろう。今後、諸君の現実の体は、ナーヴギアを装着したまま二時間の回線切断猶予時間のうちに病院その他の施設へと搬送され、厳重な介護体制のもとに置かれるはずだ。諸君には、安心して……ゲーム攻略に励んでほしい』

 

安心出来るわけも、こんな状況でゲームなんか出来るわけもないだろう!そう言おうとしているのに、口も喉も動こうとはしなかった。

秀吉とムッツリーニも同じような状態で、ユウだけは冷静に茅場の話に耳を傾けていた。

 

『しかし、充分に留意してもらいたい。諸君にとって、《ソードアート・オンライン》は、すでにただのゲームではない。もう一つの現実と言うべき存在だ。……今後、ゲームにおいて、あらゆる蘇生手段は機能しない。ヒットポイントがゼロになった瞬間、諸君のアバターは永久に消滅し、同時に────』

 

次に続く言葉は、この広場の誰もが予想出来たことだろう。

 

『諸君らの脳は、ナーヴギアによって破壊される』




筆者的には、今回でキリトを登場させるつもりでしたが、茅場先輩がくっちゃべっただけて終わってしまいました…。
俺は筆者、予定の立てられない男!
まあ、次には登場しますよ。お楽しみにー!


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第三話「仮想と現実」

第三話です! いや、もうマジで遅々として進みません! 二日連続投稿出来たのに! 僕は一刻も早く優子さんを出したいんですが……。
そんなこんなで第三話。どうぞ!


『諸君がこのゲームから解放される条件は、たった一つ。先に述べたとおり、アインクラッド最上部、第百層まで辿り着き、そこに待つ最終ボスを倒してゲームをクリアすればよい。その瞬間、生き残ったプレイヤー全員が安全にログアウトされることを保証しよう』

 

このゲームのクリア条件は、ラスボスを倒すこと。

あまりにもありふれていて、平凡で、だからこそ僕は憤った。

僕らにとってこの世界が恐るべき意味を内包していようとも、茅場晶彦にとってこの世界は観察対象でしかない。

無機質な視線が、今も僕らに降り注がれているようだった。

しかし、周りのプレイヤー達に僕ら四人のような危機感はなかった。

そりゃそうだろう。楽しむ為に買った唯の『ゲーム』で、死の危険があるなんて、ユウの真剣さがなければ、僕も信じられなかったに違いない。

もはや、これはゲームではなくなった。

いや、違う。SAOはあくまでゲームだ。だけど、そこに娯楽性は無い。

この瞬間に、あらゆるエンターテインメントは命の取り合いと化したのだ。

その時、僕の脳裏にとある記憶が雷鳴の如く煌めいた。

 

『これは、ゲームであっても遊びではない』

 

愛読するゲーム雑誌の表紙を飾った、天才プログラマーと銘打たれた男のセリフ。

それに韜晦された真意は、余りにも明確に現状を示唆していたのだ。

 

『それでは、最後に、諸君にとってこの世界が唯一の現実であるという証拠を見せよう。諸君のアイテムストレージに、私からのプレゼントが用意してある。確認してくれたまえ』

 

荘厳に告げながら、天空の人形が腕を振るった。

それが合図だったのだろう。アイテム取得の効果音が、蚊の泣く声で耳に響いた。

僕は、そして広場にいる全員は、メインメニューを操作し、アイテム欄のタブを叩いた。

そこには、ありふれた、だかこの世界では見慣れないアイテムが存在を主張していた。

それは、手鏡だった。

しかし、それは手鏡としての機能を果たすべく、僕が三十分かけて作り上げた美男のアバターを映し続けていた。

皆と顔を合わせ首を傾げる。

その時だった。いきなり、僕達を純白の閃光が包み込み、僕の視界が真っ白に染まった。

そう。それは、ちょうど、このSAOにアバターとしての僕が誕生した時のような光景だった。

先ほどまでは誕生の祝福にも思えた光は、今や地獄の業火だった。

そして、瞼を開けた時目の前にあったものは何の変哲もない、いつもの雄二、秀吉、ムッツリーニの顔だった。

 

「…………え?」

 

喉奥から驚愕が湧いた。

一瞬、自然過ぎて気がつかなかった。

そう。僕の目が捉えたのは、普段の三人。アバターではなく、生身の彼らの顔だったのだ。

刹那、淡い期待が胸中に飛来した。だが、僕自身が真っ先にそれを否定した。

目の前にメインメニューがあるので、ここがSAOの中ということは確かだ。

つまり、この手鏡の意味は……

 

────三十分かけた最高のイケメンが、現実のパッとしない僕(微イケメン)に変わっていた。

 

「なるほど。この世界に現実感を与えるには、確かに効果的だな……」

 

虚飾で塗りたくられた冷静さでユウが呟く。

その分析に反応したのは、垂れ目の童顔へと戻ったムッツリーニだった。

 

「…………だが、ナーヴギアは頭しか覆っていないはず。それで測定出来るのは顔だけ。身長や体格まで、どうやって再現したんだ?」

「ナーヴギアを始めて、最初にキャリブレーションをしただろ?そのデータから読み取ったんじゃないか?」

 

キャリブレーションとは、簡単に言うと、自分の体を触って、体格等々を測るという作業だ。だが今は、そんな真面目な話は置いておくとして、僕と秀吉はというと……

 

「僕の(ワシの)アバターがぁぁぁーーーーーーッッ!」

 

絶叫していた。

憂う理由は違えど、僕らは互いに肩を取って泣きあった。

ああ、なんて遥か遠き桃源の夢。あの姿ならば、キャッキャウフフが出来ると思っていたのに……。

そんなこんなでバカな言動をしてるうちに、僕達はだいぶ、いつもの調子を取り戻していた。

恐慌がリセットされた頭で広場を見渡す。

ファンタジックな美男美女達の面影は霧散した。

その代わりと言ってはなんだが、あっ……(察し)と思えるような人種で埋め尽くされていた。

男女比は、元々、七対三ぐらいだったのが、九対一ぐらいに変化していた。おい二割。

 

『諸君は今、なぜ、と思っているだろう。』

 

すいません。思っていませんでした。

というかアイツ、何の話してたっけ?

 

『なぜ私は──SAO及びナーヴギア開発者の茅場晶彦はこんなことをしたのか?これは大規模なテロなのか?あるいは身代金目的の誘拐事件なのか?と』

 

この時点で、もう僕は茅場晶彦の硬いしゃべりにうんざりしていた。

いつまでグダグダ喋ってるんだろう。早く目的を言えばいいのに。

 

「簡潔に目的をいいやがれ!」

 

ユウが僕の気持ちを代弁してくれた。

沈黙を破る声音。観衆の誰もが、野性味溢れる赤髪の青年へと振り向いた。

あーあ。これ、絶対ユウは顔覚えられただろうな。

再度天に目をやると、ローブの空洞の奥に茅場の苦い顔が見えたような気がしたが、気のせいだと思いたい。

 

『私の目的は、そのどちらでもない。それどころか、今の私は一切の目的も、理由も持たない。なぜなら……この状況こそが、私にとっての最終的な目的だからだ。この世界を創り出し、鑑賞するためにのみ私はナーヴギアを、SAOを造った。そして今、全ては達成せしめられた』

 

僕はその茅場の言葉に、不謹慎にも少しだけ共感してしまった。こんなファンタジーな剣の世界を夢見たことが一度や二度じゃすまないからだ。

でも、そんな夢はどこかに置いてきてしまった。

誰もが夢見るおとぎ話。そんな絵空事に取り憑かれた科学者は、それを実現できる天才だった。

ああ、なんて皮肉。

そう感じてしまった時、途端に世界は悲しげな顔をした。

 

『……以上で《ソードアート・オンライン》正式サービスのチュートリアルを終了する。プレイヤー諸君の健闘を祈る』

 

その言葉を持って、茅場晶彦の独演会は締めくくられた。

そして、同時に巨人のローブも第二層の底に、跡形も無く消え去っていった。

 

 

「さあ、どうする?」

 

広場から少し抜けた路地で、ユウが唐突にそう言った。

街の中心からは、悲鳴と怒号のコンチェルトが絶えず僕の耳朶を打った。

 

「どうするって、何を?」

「決まってるだろ。これからの方針だよ」

 

リーダーの真剣な眼差しが僕を貫く。

なるほど。確かにそれは早急に結論を下さねばなるまい。

MMORPGはリソースの奪い合いだ。より早く、いかに効率良く経験値を稼げるか。

理知と度胸を併せ持ったプレイヤー達は、もう既に街を後にしているだろう。

そうすれば、周辺のモンスターが狩り尽くされるのも時間の問題だ。

僕らがこのゲームで上流プレイヤーとして生き残る術は、今この瞬間にも身支度を整えることなのだ。

だが不安もある。

このゲームは生死を賭けるものだ。

何の情報を持たぬまま、いたずらにフィールドに出ることがどれほど危険かは、数々のネットゲームをプレイした僕が一番よく知っている。

だからこそ、ユウは僕らに問うているのだ。どうするのか、と。

 

「つまり、街から出るか、街に残るかを決めるのなら今、ってことだね?」

 

確認の為に問い返した。

そんな僕へと、ユウは驚嘆を孕ませた声音で呟いた。

 

「おお。明……、ライトにしては、珍しく理解が早えじゃねえか」

「僕はいつだって理解は早……」

「……それは嘘」

「嘘じゃな」

「死ね」

「いい終わらない内に突っ込まれたよ! というか、ユウに至っては唯の暴言じゃないか!」

「ふざけるのも大概にしろ、ライト。今どういう状況か分かってるのか?」

「お前から始めたんだろ! このバカ!」

「何故か、お前にバカと言われても全くムカつかないな」

 

クソっ。こいつ、いつかPKしてやる。いや、僕の手は汚したく無いな。MPKにしよう。

 

「まぁ、ライトはほっておいて、今俺らがとれる行動は主に二つだ。始まりの街に留まり続けるのと……」

 

続く言葉には既に予想がついている。

そんな僕の思考すらお見通しかのように、ユウは柔和にした口元を開いた。

 

「次の街に進み、ボス攻略に参加することだ」

 

死への恐怖があった。

危機感があった。

忌避感があった。

首肯が生み出すリスクはあまりに重い。

この決断は、僕らの運命を反転させる。

いや、そんなのは今更だ。ついさっき、現実と非現実は反転した。

一歩踏み出せば、そこには臓物を穿たんと、魑魅魍魎が跋扈している。その中で、ベータテスターのように情報を持たない僕らは丸腰同然だ。

けれど、それでも……

 

「「「出発で!」」」

 

もっと大きな好奇心が、僕らの心に火を灯していた。

 

 

僕達は、いい加減うるさいと思えるほどの慟哭を響かせ続ける中央広場を後にし、まずは武具屋へ向かった。

ここで、ユウは両手剣、ムッツリーニは短刀、秀吉は曲刀に武器を持ち変えた。

僕だけが一人、初期装備の片手剣『スモールソード』を装備したままだった。僕は、RPGはまずお金を貯める派だからね。

でもさすがに防具は変えた。

僕はスピード重視のチェーンメイル

ユウは防御重視の甲冑系

秀吉とムッツリーニはスタンダードなレザーだった。

そして、僕達は最初の安全地帯を後にした。

 

 

それは、次の村の直前だった。

それまで順調だった旅路に、暗雲が立ち込めた。

もう少しで『ウムルナ森』を抜けるというところで、僕達はトレントの集団に囲まれてしまったのだ。

 

「お前らァッ! 絶対死ぬんじゃねえぞ!」

 

ユウが吼える。

 

「「「うおぉぉッッ!」」」

 

僕らはそれに、返答とも、咆哮ともつかぬ返事をする。

刃は抵抗無く老木の化物を両断する。

僕らが手繰る剣戟は、粗さは目立てど確かな威力を発揮していた。

けれど、数の暴力は震えるほどに冷徹だ。

偶発的に削られる体力は、遂には橙に差し掛かった。

腰のポーチに手を伸ばし、回復ポーションを手探りで取り出そうとする。

その時、新たなトレントが十匹単位でポップした。

 

「……っ」

 

歯噛みする。

状況は絶望的だ。幾ら刺しても、幾ら斬っても、コイツらは一向に数を減らさない。

このままではジリ貧にしかなり得ない。

ならば一斉に逃げるか?

それも不可能だ。この中で最も遅いユウの俊敏は、未だトレント未満なのだから。

ユウを見捨てるなんて出来ない。かと言ってこのままでは皆殺しだ。

再度トレント達が湧いて出る。

くそ! くそ! くそッ!

どうにか。どうにか出来ないのか?

こんなに早くゲームオーバーだなんて、そんな、そんな……

 

────刹那、僕達の暗雲を一筋の閃光が薙ぎ払った。

 

そのプレイヤーは二体のトレントを一撃の下に葬った。

そうして開いた化物達の穴から、僕らのところに近づいてきた。

肩口にかかりそうな長髪の、僕らとそう年の変わらない中性的な少年だった。

こちらを一瞥もせずに、懐から木の棒を取り出してメインメニューの何かを操作し、火を着けた。

するとトレント達は、その松明を怖がるかのように、森の奥へと帰って行った。

 

「ベータテストなら、この対策法は当たり前だっただろ」

 

ベータテスト? 何故いきなりベータテストの話をするんだろう?

すると、ユウは何かを察したように、苦味を噛んだ口を開いた。

 

「……いや、俺らにベータテスト経験者はいないんだ」

 

瞠目、そして睥睨。

少年プレイヤーは目に角を立てて、堪らないと言ったように声を張り上げた。

 

「なっ……何て無謀なことをしてるんだ!」

 

怒られた。

だが、この程度の怒気では僕らにとってはそよ風だ。

 

「確かに、アンタがこなけりゃ俺達は全滅してたかもしれないな。礼を言おう。ありがとう」

 

おおっ! 怒られているというのに、ユウが素直に礼を言ってる!

この中で一番よく怒られているであろうユウが!

思わず口笛を吹くと、ユウがこちらに振り返ってきた。虫でも見るような眼だった。

なんだよ。言いたいことがあるなら言いやがれコノヤロー。

 

「まぁ、それはそれとして、だ。アンタ、ベータテスト経験者なんだな? もし良かったら俺達と、一時的にでもいいから、パーティを組んでくれないか? なんなら、フレンドでも構わない」

 

なるほど。確かにベータテスト経験者に着いて行った方が死ににくくなるな。だから、こいつは柄にもなく下手に出ていたのか。

 

「あ……ああ。フレンドだったら……」

 

困惑とも苦笑とも取れぬ笑みを、少年は薄っすらと浮かべた。

そしてステータス画面へと指先を向けようとしたその時。そのプレイヤーは目を上に向けて、ぎゅっと拳を握りしめた。

少年の喉から、絞り出したような掠れ声が生まれた。

 

「………いや、すまない。また、今度の機会でいいか?」

 

何の心変わりなのか。鈍感な僕にはその機微はわからなかった。

フレンド申請を固辞され、ユウは内心では苦々しい顔をしながらも、得意のポーカーフェイスで言った。

 

「ああ。じゃあまたな。そうだ、名前だけでも教えてくれないか?」

「……俺はキリトだ。また、会ったらよろしく……」

 

それだけ言うと、キリトは幽鬼の如き足取りで森の奥深くへと消えていった。

 

 

それから、僕達はレベルを上げたり、装備を強化したりしながら、ゆっくり、でも着実に進んで言った。

それでも、何の情報も持たない僕達が進んで来れたのは、行く先々の村に置いてあった、『アルゴの攻略本』の力が大きかっただろう。そこには、それぞれのモンスターの攻撃パターン、経験値効率、ドロップするアイテム、道中で受けられるミッションなどが事細かに記されていた。

そして、SAOの正式サービス開始から丸二十日。僕達は第一層で唯一、第二層へ向かうことのできる場所である巨大な塔。第一層迷宮区にようやく辿り着いた。




緊急報告、緊急報告、作者が脱感想症状になった模様。至急感想を書かれたし。
いや、マジで…。というか、何故俺は非ログインユーザーを開放して無かったのか…。もうちゃんと開放しましたよ?さあ、お書きなさい!
僕的には、物語の進む速さがこれでいいのか、という意見が欲しいです!


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第四話「ボス攻略会議」

さて、毎度おなじみの話の進まなさです。
最初から最後まで会議たっぷりです。ビターです。
むしろ、まるまる飛ばしてしまっても構わないレベルです。
貴方はそれでも、本当によみますか?
しょうがないなあ。そんなに読みたくないのなら、土下座しますんで、読んで下さいorz
内容の無い第四話、開幕です。


このデスゲームが開始されてちょうど三十日目の今日。第一層迷宮区から最も近い街である『トールバーナ』の噴水広場で『ボス攻略会議』が行われる。

この時には既に、ゲームオーバー、つまり死亡者の数が千八百人を数えた。

一刻も早くこのゲームをクリアしなければならない、という焦燥感を抱えながら、地平線と第二層の底との間が橙に色付き始めた午後四時頃、ある男の声と共に攻略会議の幕が上がった。

 

「はーい! それじゃ、五分遅れたけどそろそろ始めさせてもらいます! みんな、もうちょっと前に……そこ、あと三歩こっちこようか!」

 

その声の主は、まごうこと無きイケメンだった。何故、こんなイケメンがネトゲ廃人共に混じってゲームなんかしてるんだろう。顔がイケメンでも性格がアレなんだろうか。そうだ。きっとそうに違いない。

その男は、噴水の縁に助走なしのジャンプで飛び乗った。中々の俊敏ステだ。

周囲からちょっとした歓声が上がる

チッ! あ、いやいや。僕は心が広いからね? この程度で人を妬んだりなんてしないよ?

でも、残念だったね! みたところ、この広場に女の子のプレイヤーはいない! 格好つけても虚しいだけだぞ!

…………何か、僕の方が虚しくなってきた。

そんな自問自答? を遮るように、男は次なる言葉を発した。

 

「今日は、オレの呼びかけに応じてくれてありがとう! 知ってる人もいると思うけど、改めて自己紹介しとくな! オレは『ディアベル』、職業は気持ち的に『ナイト』やってます!」

 

広場からドッと笑いが溢れる。

SAOに職業なんて無い。それでもナイトなんて公言できるとは、流石イケメン。ブサイクなら石を投げられるところだ。

いやむしろ、イケメンだからこそ石を投げたい。

そんな演説を聞いてるうちに、僕の中の天使と悪魔が姿を現した。

 

『けっ! 何がナイトだ。夜道を歩く時には気をつけやがれ!』

 

何言ってるのさ、僕の悪魔。今は夜なんて関係ないじゃないか。

 

『はぁ〜、やっぱり明久の頭は腐ってるとしか思えないな』

 

おっと、足が滑って天使を踏み潰してしまった。

 

『ぐえっ! 本当のことを言っただけなのに!』

 

何だこいつ、まだ息の根が止まって無かったのか。

天使の顔面を掴んで持ち上げる。そのまま勢い余ってディアベルの方へと投げつけてしまった。

断っておくが恣意ではない。ただ、何故か僕の右手が脊髄反射的なアレで投擲してしまっただけだ。

 

「痛っ!」

 

ディアベルが誰にも聞こえない程度で、だが確かにそう口を動かした。

アレ!? 僕の天使って実体あるの!?

 

「さて、こうして最前線で活動してる、言わばトッププレイヤーのみんなに集まってもらった理由は、言わずもがなだと思うけど……」

 

何事もなかったかのようにディアベルが演説を再開した。なかなか図太いな。

全体に印象づけるためか、噴水の周りを小さいストロークで周回するディアベル。

小気味良いのは、その軌道に僕の天使がいることだ。

 

『ぐえっ! ぐふっ! ぐほぁっ!』

 

蒼髪のナイトに踏まれる度に喘ぐ天使。

ちょっとくらい静かにできないものだろうか。

 

「今日、オレたちのパーティが、あの塔の最上階へ続く階段を発見した。つまり、明日か、遅くとも明後日には、ついに辿り着くってことだ。第一層の……ボス部屋に!」

 

力強く言い放つディアベル。

それと同時に僕の天使も力強く踏み潰される。

 

『ギィヤァァアアァッッ!!』

 

素晴らしい悲鳴だ。

ああ、ありがとうディアベル。思いがけないカタルシスだ。

その時、空から二人の(本物っぽい)天使が舞い降りてきた。

 

『うわっ! 凄い! 天使なんて初めて見た!』

 

じゃあお前は何なんだ。

 

『じゃあ、僕は先に逝くね、明久。まあ、お前程度じゃあと数日くらいでゲームオーバーだろうけど(笑)』

 

おっと。無意識に悪魔を天使に投げつけてしまった。

 

『なんでオレまでえぇぇええぇッ!!』

 

黒白の衝突音が、澄み渡る空に響いた。

激突し反発した二物体を本物天使がナイスキャッチ。

 

『ちょっと待て! オレはまだ死んでないぞ!』

『うるせぇ、悪魔! 煉獄に突き落とすぞ!』

 

恫喝する本物天使。

いやきっと、この世に天使などいないのだろう。

 

『観念しようよ、悪魔。僕らにはもう、明久の無駄な努力を天界から嘲笑うことしか出来ないないんだから……』

 

慈愛に満ちた顔でとんでもないことを言い放つ天使(クソヤロー)

とことん悪趣味だな、あの天使!

 

『とことん悪趣味だな、オマエ!』

 

おっと、悪魔と意見が被ってしまった。

もはや、僕の良心は悪魔だけなのかもしれない。

まあ、その悪魔も天国へと運ばれていってしまったワケだが。

 

『じゃあな、明久。オマエの特技なんてゲームくらいしか無いんだから、その無駄な特技活かして精々頑張りやがれ!』

 

あ、あれ? 悪魔ってこんなに良い奴だっけ?

おかしいな。目から汗が……。

 

『テメェ明久! いつか絶対にブチ殺してやる!』

 

天使の言葉で一瞬のうちに涙が引いた。

あの二人、絶対に配役が逆だと思うのは気のせいだろうか?

そうして、僕の分身二人は天に召されたのだった。

 

「一ヶ月。ここまで、一ヶ月もかかったけど、……それでも、オレたちは、示さなきゃならない。ボスを倒し、第二層に到達して、このデスゲームそのものもいつかきっとクリアできるんだってことを、始まりの街で待ってるみんなに伝えなきゃならない。それが、今この場所にいるオレたちトッププレイヤーの義務なんだ! そうだろ、みんな!」

 

広場に心地よく響くディアベルの演説。

おっと。そういえば、今は会議中だっけ。

広場全体から、ディアベルに惜しみない拍手が送られる。

かく言う僕も、いつしか蒼髪のイケメンに賛辞を送っていた。

そりゃだって、天使の息の根を止めてくれたのだから、好感度も上がるというものだ。

そうして、誰もがディアベルに賛同し、和やかな雰囲気が流れ出したと思われたその時。

 

「ちょお待ってんか、ナイトはん」

 

そんな荒々しい関西弁が広場に流れた。

勇み足で前方に出てきたのは、トゲトゲ頭の妙な男だった。

 

「そん前に、こいつだけは言わしてもらわんと、仲間ごっこはでけへんな」

 

髪型と同じく棘のある物言いの男は、我が物顔で噴水の上に陣取った。

広場中の視線が一身に突き刺さる。

だが、そんな物に臆するような男ではないようだ。

橙髪の不敵な男は、品定めでもするように聴衆を睨め回した。

 

「こいつっていうのは何かな? まあ何にせよ、意見は大歓迎さ。でも、発言するならいちおう名乗ってもらいたいな」

 

あくまで紳士なディアベルの発言。

相手の反応が予想外だったのか、単に気に入らない人種なのか、

 

「……………フン」

 

トゲトゲ頭は鼻を鳴らしてこう言った。

 

「わいは『キバオウ』ってもんや」

 

悪趣味な名前だな。僕の『ライト』とは、比べものにならないや。

キバオウは三白眼で睨みを効かせ、声高に叫んだ。

 

「こん中に、五人か十人、ワビぃ入れなあかん奴らがおるはずや」

 

ワビってなんだろう? ワサビの略称かな? だとすると、入れるっていうのは、鼻にワサビを突っ込まれたりするんだろうか?

やだなぁ。痛そうだ。

 

「ライト、バカの顔になってるぞ」

 

隣に踏ん反り返る赤髪のバカが、珍しく真顔でそんな事を宣った。

 

「バカの顔ってなんだよ!」

「違うな。ずっとなってたぞ」

「僕ずっとバカの顔してたの? 何それ恥ずかしい!」

「別に恥ずべき事じゃないだろ。生まれつきなんだから仕方ない」

「出産直後にバカの顔とか、明らかに怪生物じゃないか!」

「………きっと良い事ある」

「なんて希望的観測の入り混じった励まし方なんだ!」

「おおっ! ライト、お前希望的観測なんて言葉知ってたのか?」

 

この前秀吉が言ってたからね。秀吉との会話なら、一言一句忘れてない自信がある!

 

「嬉しいのか悲しいのか、よくわからんのう……」

「こいつっ! 直接脳内を!?」

「お主は顔に考えておることが出過ぎじゃ」

 

そんな会話を中断させたのは、ディアベルのよく通るシルキーボイスだった。

 

「詫び? 誰にだい?」

 

あっ、成る程、その詫びか。

 

「はっ、決まっとるやろ。今まで死んでいった二千人に、や。奴らが何もかんも独り占めしたから、一ヶ月で二千人も死んでしもたんや! せやろが!」

 

その一言が、広場の温度を凍らせた。

張り裂けるような窒息感。

まるで、僕だけがキバオウの言いたいことを理解できずに取り残されている気分だった。

 

「実は、その通りなんじゃが……」

 

僕をいじめて楽しむなんて、秀吉って以外とSだったんだね。

 

「お主がそう思うなら、それでいいんじゃが……。というかさっきから、はたから見るとワシが一方的に喋ってることになっとらんか?」

「……なっている」

 

秀吉が僕の心を読んじゃうから〜。

 

「ワシか? ワシが悪いのか?」

 

秀吉が落胆する最中、緊張の糸を絶ったのは冷え切った空気よりも冷ややかなディアベルの声音だった。

 

「キバオウさん。君の言う『奴ら』とはつまり元テスターの人たちのこと、かな?」

 

温和だったディアベルが、峻厳な睥睨でキバオウを貫く。

だが、それすらも意に介さず、キバオウは簡素に応答した。

 

「決まっとるやろ」

 

ドスの効いた声調には、心胆を掴む強さがあった。

キバオウは、大仰な動作で拳を振り上げ、明らかに一方的な意見を叩きつけた。

 

「ベータ上がりどもは、こんクソゲームが始まったその日にダッシュで始まりの街から消えよった」

 

あれ? その定義だと僕らもベータテスターになっちゃうよ?

 

「右も左も判らん九千何百人のビギナーを見捨てて、な。奴らはウマい狩場やらボロいクエストを独り占めして、自分らだけぽんぽん強うなって、その後もずーっと知らんぷりや。……こん中にもちょっとはおるはずやで、ベータ上がりっちゅうことを隠して、ボス攻略の仲間に入れてもらお考えてる小狡い奴らが。そいつらに土下座さして、溜め込んだ金やアイテムをこん作戦のために軒並み吐き出してもらわな、パーティメンバーとして命は預けられんし預かれんと、わいはそう言うとるんや!」

 

セリフが長かったから途中から聞いて無かった。

 

「もっかい言って欲しいな」

「ライト、声に出てるぞ」

 

何言ってるんだ、ユウは? 僕がそんなヘマおかすわけないじゃ……

 

「なんやと! 自分アホか! 耳腐っとんちゃうか?」

 

どうやら本当に声に出てたようだ。

初対面の人にアホ呼ばわりされちゃったよ……。よくあることだけど。

親の仇でも見るような目で僕を見据えるキバオウさん。

よし。逃げよう。

アレに目をつけられると後々マズイ。なんか、ババァ長と同じ臭いがする。

広場に背を向け、大腿筋に力を込めたその時。

 

「発言いいか?」

 

浅黒い肌をした偉丈夫が、右手を挙げながら僕とキバオウの間に割って入った。

その黒人の男性は僕を横目で見ながら、頬をほのかに歪ませ、小さくサムズアップしてみせた。

ありがとう! 黒人のおじさん!

 

「オレの名前はエギルだ。キバオウさん、あんたの言いたいことはつまり、元ベータテスターが面倒をみなかったからビギナーがたくさん死んだ、その責任を取って謝罪・賠償しろ、ということだな?」

「そ……そうや」

 

キバオウさんが少し後ずさりながらそう言った。

突然の乱入者に、反応を決めかねているらしい。

よかった。僕の件は忘れてくれたみたいだ。

 

「あいつらが見捨てへんかったら、死なずに済んだ二千人や! しかもただの二千人ちゃうで、ほとんど全部が、他のMMOじゃトップ張ってたベテランやったんやぞ!」

 

成る程、死んだ二千人は重度のネトゲ廃人だったのか……。あれ? 問題なくな……いや、さすがに不謹慎かな。どれだけ社会の底辺だったとしても、人が死んでることには変わりないんだから。

 

「アホテスター連中がちゃんと情報やらアイテムやら金やら分け合うとったら、今頃はここの十倍の人数が……ちゃう、今頃は二層やら三層まで突破できとったに違いないんや!」

「うーん、さすがにそれは無理じゃないかな」

「また自分か! どんだけワイにケンカ売ったら気が済むんじゃ!」

 

ヤバイ。また声に出てたみたいだ。

 

「まあまあ、抑えて、キバオウさん。あんたも皆の緊張をほぐすためにやってくれたんだろ?」

「そ、そうです……かね?」

 

いやぁ、いい人だなぁ、エギルさん。

確かに皆笑ってるような気が…………僕を見て。

 

「まあ、この場は許したろ。次言うたら承知せえへんぞ!」

 

これが最後通告だ、と言わんばかりのキバオウさん。

僕が言うのもなんだけど、それ、フラグだと思うな。

 

「話を戻すが、金やアイテムはともかく、情報はあったと思うぞ」

 

そう言って、エギルさんが腰のポーチから取り出したのは、僕らもお世話になった『アルゴの攻略本』だった。

 

「このガイドブック、あんただって貰っただろう。ホルンカやメダイの道具屋で無料配布してるんだからな」

 

確かにそうだったけど、なんで今そんな物を出したんだろう?

 

「貰たで。それが何や」

 

どうやら今度はキバオウさんにも分かってないらしい。

よかった、理解してないのが僕だけじゃなくて。

 

「このガイドは、オレが新しい村や町に着くと、必ず道具屋に置いてあった。あんたもそうだったろ。情報が早すぎる、とは思わなかったのかい」

「せやから、早かったら何やっちゅうんや!」

「こいつに載ってるモンスターやマップのデータを情報屋に提供したのは、元ベータテスターたち以外にはあり得ないってことだ」

 

うん。なるほど。確かにその通りだ。

これには返す言葉も無いのか、キバオウさんは悔しげに歯噛みした。

そして、ダメ押しするかの様にエギルさんは声を上げた。

 

「いいか、情報はあったんだ。なのに、たくさんの、プレイヤーが死んだ。その理由は、彼らがベテランのMMOプレイヤーだったからだとオレは考えている。このSAOを他のタイトルと同じ物差しで計り、引くべきポイントを見誤った。だが今は、その責任を追及してる場合じゃないだろ。オレたち自身がそうなるかどうか、それがこの会議で左右されるとオレは思ってるんだがな」

 

上手いな。

話題の展開と転換が絶妙だ。それでいて、キバオウが反論しそうなポイントをきちんと押さえている。

そしてそこに、これまで傍観していたディアベルが言葉を付け足した。

 

「キバオウさん、君の言うことも理解はできるよ。オレだって右も左もわからないフィールドを、何度も死にそうになりながらここまで辿り着いたわけだからさ。でも、そこの、エギルさんの言うとおり、今は前を見るべきだろ?元ベータテスターだって……いや、元テスターだからこそ、その戦力はボス攻略のために必要なものなんだ。彼らを排除して、結果攻略が失敗したら、何の意味もないじゃないか」

 

ここまでくれば、もはやキバオウに打つ手は無い。

二人のリーダーが呈した反証は、キバオウに扇動されたアンチベータテスターの空気を綺麗サッパリ消し去った。

 

「みんな、それぞれに思うところはあるだろうけど、今だけはこの第一層を突破するために力を合わせて欲しい。どうしても元テスターとは一緒に戦えない、って人は、残念だけど抜けてくれて構わないよ。ボス戦では、チームワークが何より大事だからさ」

 

当然ながら、そこで抜けようとする者はいなかった。

それを確認してから、ディアベルは最後に、尋ねるようにキバオウを見た。

見つめられたキバオウが目を逸らす。

小さく嘆息を漏らすと、伏せ目がちにキバオウは言った。

 

「…………ええわ、ここはあんさんに従うといたる。でもな、ボス戦が終わったら、きっちり白黒つけさしてもらうで」

 

キバオウの出現から終始険しかったディアベルは、やっと柔和な笑みを見せた。

そんな彼の歪んだ頰に、噴水からの水が風に乗ってほんの少し降りかかった。

それがこの議論の締め括りだった。




どうしよう……。感想に五話で優子さんを出すと断言してしまった……。
というわけでですね、次の投稿はアホ程長くなるものと予想されます。
文才の無い文章を長々と読み続けた時、貴方の精神力はまた一段と強くなるはずなので、読むことをオススメしますよ?


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第五話「第一層ボス戦」

ガハッ!書き終え……たぜ……。
やりたい下りを削りまくったことによって、どうにか一万三千文字ぐらいに抑えることができました!
にしても、ここまで遅くなったのは、活動報告にも書きましたが、パソコンが壊れたことに起因するんですが……。
シリアス?な第五話始まり始まり〜。


あの会議が皆の気持ちに発破をかけたのか、二十階は途轍もない早さでマッピングされていった。

そして、またディアベル達のパーティがボス部屋を発見した。

その時、同時にちょっとボス部屋を覗いてきたらしい。その日の夕方に第二回ボス攻略会議が行われ、その始まりはディアベルの報告からだった。

 

ボスは、二メートル程の大きなコボルトで、名は『イルファング・ザ・コボルトロード』。武器は曲刀を持っており、王の従者は武器を装備した普通の大きさのコボルトが三匹。

 

そしていつものように、アルゴの攻略本・第一層ボス編が発売(というか、配られて)いた。

当然そこには、ボスのみならず、取り巻きのコボルトの攻撃パターンなんかも事細かに記されていた。

しかし、本を読み終えて見えた裏表紙には、見慣れない一文があった。

 

『情報はSAOベータテスト時のものです。現行版では変更されている可能性があります』

 

「これで、ベータテスターからの情報だと確定したな。まあ、俺にはどっちでもいいんだが」

 

ユウはさも興味なさげにそう言った。

それをどう受け止めればいいのか、広場にいる全員がディアベルの答えを待った。

 

「ーみんな、今は、この情報に感謝しよう!」

 

それは、ベータテスターとの和親を望むものだった。

何故か今回はキバオウもディアベルの言葉に噛みつかなかった。

 

「出所はともかく、このガイドの、お陰で、二、三日はかかるはずだった偵察を省略出来るんだ。正直、すっげー有り難いってオレは思ってる。だって、一番死人がでる可能性があるのか偵察戦だったからさ」

 

その言葉には、誰もが納得出来たようで、皆が皆うんうんと頷いていた。

 

「……これが正しければ、ボスの数値的なステータスは、そこまでヤバイ感じじゃない。もしSAOが普通のMMOなら、みんなの平均レベルが三……いや五低くても十分倒せたと思う。だから、きっちり戦略を練って、回復薬をいっぱい持って挑めば、死人なしで倒すのも不可能じゃない。や、悪い、違うな。絶対に死人をゼロにする。それは、オレが騎士の誇りに賭けて約束する!」

 

惜しみない拍手と共に、会場のボルテージが一気に上昇する。

そして、ディアベルから実務的な指令が下される。

 

「ーそれじゃ、早速だけど、これから実際の攻略作戦会議を始めたいと思う!何はともあれ、レイドの形を作らないと役割分担も出来ないからね。みんな、まずは仲間や近くにいる人と、パーティを組んでみてくれ!」

 

SAOのボス攻略に、一度に参加出来るのは六人パーティを八個作った計四十八人だ。そして、この広場にいる人数はちょうど四十八人。僕達の四人は他に二人を見つけてパーティを組まなくちゃいけない。

 

「絶対に二人余るはずだから、そいつらに入って貰えばいいんじゃないか?」

 

そんなユウの提案で、他のパーティが出来上がるのを待った。

そして、他のパーティが出来上った後、綺麗に二人だけ残った人達がいた。

 

「ネトゲでボッチって相当だよね…」

「リアルが気になるところじゃな」

 

そう言って近付いていくと、まさかの見知った顔だった。

最初に声を掛けたのは、ユウだった。

 

「よお!キリト!こっちはお前の連れか?」

 

そうして顔を上げた、キリトの横の…………女の…子だと!?

成る程、この会場で最も注意すべきはディアベルだと、そう思い込んでいた……。だがそれは誤りだった。そう!真に注意すべきは……

 

「死に晒せ!キリト!」

 

僕の剣の刀身が蒼く光る。片手剣用スキル『バーチカル・アーク』が正常に作動した証拠だ。

しかし、システムの障壁によりその攻撃は阻まれてしまう。

圏内じゃPKも出来ないなんて、不便な世界だな。SAOって。文月学園じゃ、学校内でPK出来るのに……。

 

「いきなり、何するんだ!」

 

……?ああ、そうか。一般人は普通この反応なのか。

 

「……異端者には、死の鉄槌を!」

 

ムッツリーニの言葉で僕達の思想を悟ったらしく、キリトは弁明を始めた。

「いや〜、これには深い訳がありまして……」

「貴方が嫌なら、パーティを解除してもいいのよ?わたしは一人でやるから」

 

おお〜。クール!

 

「ごめん……。キリト……」

「分かってくれたならいいんだ……」

 

痺れを切らして、ユウがこう言った。

 

「そろそろ、パーティ申請送ってもいいか?」

「ああ。いい…よな?」

 

キリトの、この疑問の矛先はキリトの横の女の子だ。

 

「別に…。貴方の好きにすればいいじゃない」

「うん。じゃ送ってくれ」

 

それを聞いてユウはメインメニューを操作する。

そして、キリトと女の子は送られてきた通知に対して○ボタンを押す。

名前は……、アスナって言うのか。

その時、久しぶりにナイトの爽やかな声が響いた。

 

「次は、それぞれのパーティの役割を決めようか!」

 

 

結果、僕達F隊はボスの取り巻きのコボルトをE隊と共に狩り、モンスターのポップが終われば、ボスとの戦闘に参加する、という手筈になった。

ええっと、E隊のリーダーは、げっ、キバオウさんじゃん。

その時、キバオウさんと目が合ってしまった。

萎縮する僕に、キバオウさんは鼻を鳴らすだけで、後は何もしてこなかった。

 

 

その後、二人と別れた僕達は日が暮れるまでレベリングをした後、街の宿屋に泊まった。

 

「ついに明日、ボス戦だね。」

 

ベッドに潜りながら、僕はそう呟いた。興奮して眠れないのだ。

 

「何だ?お前緊張してるのか?大丈夫だ。明日はお前に活躍の場はないからな」

 

暗闇でユウの声が響く。

 

「失礼なっ!もしかしたら僕がLA取っちゃうかもよ?」

「……ライトには雑魚狩りがお似合い」

 

なんでこいつらは、常に僕を貶しにかかるんだろう?

ちなみに秀吉は、早々に眠りについている。

 

「フン!見とけよ、ユウ、ムッツリーニ!絶対に僕がLAを取ってやる!」

「じゃあ、賭けでもするか?」

 

賭けか……。ユウの考えそうな事だな。

 

「どんな賭けをするの?」

「LA取れなかったら、二層を素手で攻略な。当然、取れれば、俺達が素手になる。それでいいよな、ムッツリーニ?」

「……ああ。どうせ取れない」

「ふっふっふ、そのムカつく顔を地面に擦り付けて、泣いて謝らせてやる!」

「はっ!言ってろ!」

 

そして、僕達は眠りの沼へと浸かっていった。

 

あれ?この賭け、頑張るの僕だけじゃない!?

 

 

翌日、僕達は総勢四十八人、八パーティが、広場に集まるのを待っている。

誰もが殺気立つ中、不意に後ろから声を掛けられた。

 

「おい」

 

キバオウさんだ。昨日失礼なことを言ったせいか、声に攻撃色が含まれている。

 

「ええか、今日はずっと後ろに引っ込んどれよ。自分らは、わいのパーティのサポ役なんやからな」

「おいおい、キバオウさんよ、誰が俺たちがあんたらのサポ役だ、なんて決めたんだ?」

 

ここぞとばかりにユウがキバオウに反撃する。

 

「はぁ?そんなことはどうでもいいんじ……」

「どうでもよくねぇよ。あんた、不特定多数の人間の前で同じ論通せんのか?」

 

ユウが意地の悪い顔でニヤニヤしてる。

楽しそうに人を責める奴だなあ。

 

「そもそも、わいはお前に言っとらんのや。関係ない奴はすっこんどけ!」

 

「関係ある!俺はこのバカとリアルで友達だからな」

 

友達?いつから僕達はそんな崇高な関係になったんだろう?

 

「う、うっさいんじゃ!自分らは大人しくわいらが狩り残したコボルトの相手だけしとったらええんや!」

 

おお!キバオウさん、キョドってるキョドってる。

何か、むしろキバオウさんが可哀想に思えてきたな……。

 

「だからなあ、あんたは……」

「そこらへんにしとけ」

 

そこでキリトがユウを制した。

キリトもキバオウさんが可哀想になったんだろうか?

いや、こいつ顔下に向けて笑いこらえてるな……。

ユウはまだ言い足りないような顔をしながらも、しぶしぶ口論をやめた。

キバオウさんはその隙に後ろの方へ下がっていった。

 

「……ぷっ!ふふふ」

 

わ、笑ってる!?あの絶対零度の細剣(レイピア)使い、アスナさんが笑ってる!

 

「なんか、スッキリしたわ。なんて言うか、ありがとう」

「いやいや、俺がやりたくてやった事だからな。実際俺も楽しんでたし」

 

そんなアスナの貴重な雪解けに見向きもせずに、キリトは何かを考え込んでいる。

 

「どうしたの、キリト?」

「いや、なんでもないよ」

 

あんまり気にして欲しくないみたいなので、それ以上は触れないことにした。

 

「いきなりだけどみんな、ありがとう!たった今、全パーティ四十八人が、一人も欠けずに集まった!」

 

瞬間、広場を歓声が包みこむ。

僕も精一杯手を叩き、中央のナイトに賛辞を送った。

 

「今だから言うけど、オレ、実は一人でも欠けたら今日の作戦を中止にしようと思ってた!でも……そんな心配、みんなへの侮辱だったな!オレ、すげー嬉しいよ……こんな、最高のレイドが組めて……」

 

皆のテンションが最高潮に達したとき、

 

「みんな……もう、オレから言うことはたった一つだ!」

 

ディアベルが大きく息を吸い、一言。

 

「………勝とうぜ!」

 

全員の鬨の声が一つの塊となって轟いた。

 

 

僕らは今、唯ひたすら迷宮区を登っている。

 

「………ねぇ、あなたたちは、ここに来る前も他のエ……、MMOゲーム?っていうの、やってたんでしょう?」

 

その質問に最初に口を開いたのは、秀吉だった。

 

「わしとムッツリーニはこのSAOが初めてじゃぞ」

 

それに続いて、僕も経験をそのまま答えた。

 

「僕とユウは、よく一緒にやってたよ」

「キリトはどうなんだ」

 

おそらく、聞くまでもないことを、ユウが尋ねる。

 

「ん……ああ、俺もやってたよ」

 

さも、当然とばかりにキリトはそう言った。

それを聞いて、アスナはさらに質問を続けた。

 

「他のゲームも、こんな感じなの?……なんか、遠足みたいな…」

 

遠足かぁー。小学校以来行ってないなぁ。

でも、生死がかかっている戦いの前でも、遠足って考えると楽しくなるね。

 

「……ははっ、遠足か。そりゃいいな。でも、他のゲームじゃこうはならなかったよ」

 

そう答えたのはキリトだった。

 

「……なぜ?」

 

まあ、そう聞き返すのは当然だよね。

 

「フルダイブ型しゃなかったら、移動するのにキーボードなり、マウスなり、コントローラーを操作しなきゃならないからさ。チャット窓に発言を打ち込む余裕はなかなかない」

「……ああ、なるほど……」

「まあ、ボイスチャット搭載のゲームはその限りじゃないだろうけど、俺はそういうのやってなかったからな」

「僕とユウは前までFPSを一緒にやってたから、ボイスチャットはした事あるよ」

 

まあ、SAOが発売されるって聞いて満足出来なくなっちゃったんだけど。

 

「……FPS?何それ?」

 

うーん、会話の内容から、あんまりゲームしないってのは分かってたけど、まさかFPSも知らないとは……。

あれ?FPSって何の略だっけ?

そう思ってユウにアイコンタクトを送ると、ユウはバカを見るような顔をしてこう言った。

 

「FPSってのは、First-person shooterの略で、まあ、簡単に言えば、銃を使って撃ち合うんだ」

「ふーん……。そんなゲームもあるのね」

 

そんな取り止めのない話をしながら、僕達は最上階を目指して歩いた。

 

 

そして今、僕達は巨大な門の前に立っている。

 

「……ちょっといいか」

 

僕らにだけ聞こえるくらいの音量でキリトがそう言った。

 

「今日の戦闘で俺たちが相手する『ルインコボルト・センチネル』は、ボスの取り巻きの雑魚扱いだけど充分に強力だ。昨日もアスナには説明したけど、頭と胴体の大部分を金属鎧でがっちり守ってるから、唯闇雲にソードスキルを発動しただけじゃ徹らない。喉元の一点を狙わなきゃ貫けないんだ」

 

僕達はキリトに頷き、続きを促した。

 

「俺と……ライトが奴らの長柄斧(ポールアックス)をソードスキルで跳ね上げさせるから、すかさずスイッチで飛び込んでくれ」

 

おそらく、キリトの人選は、斧を跳ね上げさせる技術と、相手の懐に潜り込む速度、そして、斧に対抗するためのパワーによるものだろう。

アスナは技術に問題があるし、ユウと秀吉はスピードがない、ムッツリーニの短刀では、斧を跳ね上げさせるには無理がある、というわけだ。

 

「三人一組で一体のコボルトの相手をするとして、俺、アスナ、秀吉チームと、ライト、ユウ、ムッツリーニチームに分かれようと思う」

「俺は、それで問題ないぞ」

「わしもじゃ」

「……私もそれでいいわよ」

 

ふむふむ、なるほど。

どうやら、キリトはよっぽど死にたいらしい。

 

「リーダーの権限を利用して両手に花かい?さあ、今すぐパーティを組み直せ!」

「……ふざけるのも大概にしろ、キリト」

「待て!言い訳をさせてくれ!」

 

なるほど、神への懺悔か……。それなら聞いてやらないこともない。

その僕らの沈黙を肯定と受け取ったのか、キリトが汗を垂らしながら喋り始めた。

 

「まず、チームバランスを考えて、ステータス面でライトとユウ、技術面で俺とアスナは同じパーティなのは納得できるか?」

 

アスナが少し怪訝な顔をしたが、僕らは構わず先を促す。

 

「さらに、こちらのチームは、どちらかと言うと俊敏形だからな。バランスを取るためには、俊敏形のムッツリーニより、攻撃形の秀吉の方がいいと思うんだ……」

 

キリトがこちらの顔色を伺うように見ている。

懺悔は終わったのかな?ということは、もう殺っていいんだよね?

その時、ディアベルから八つのパーティに綺麗に並ぶよう指示が出された。

チッ!まあいい。ここはともかくキリトに従っておいて、後で処刑しよう。

それを終えるとナイトは左手を巨大な門の中央に当て、短く一言。

 

「勝つぞ!」

 

僕達が入った瞬間、黒く塗り潰されていた、ボス部屋を左右の壁に備え付けられていた無数の松明に火が灯り、その全貌を表していく。

感想としては、広かった。思っていたよりも、ずっと。

目測だけど、横に二十メートル、縦に百メートルくらいあるだろうか。

そんな光景に圧倒されながらも、ディアベルが高く掲げていた剣を振り下ろすという合図と共に、僕達、総勢四十八人のボス攻略部隊が雄叫びをあげながら、その巨大な部屋へとなだれ込んだ。

 

まず最初に突進したのは、鉄板としか形容のしようがないシールドを持つハンマー使いとその仲間のA隊。

それに続く、斧戦士エギルが率いるB隊と、ディアベルのパーティであるC隊。さらに巨躯の両手剣使いがリーダーのD隊。更にその後ろをキバオウ率いるE隊と、我らがF隊の雑魚狩り隊。そして最後尾に長柄武器(ポールアーム)使いで構成されているG&H隊。

 

A隊がコボルト王の巨影に近づいたとき、唐突に王の座に掛けるその巨体が中へ翔び、着地と同時に咆哮を響かせる。

 

「グルルラアアアアッ!」

 

その青灰色の毛色は悪寒を、その巨大な体躯は威圧感を抱かせ、その赤金色の視線が僕達を貫く。

そして、右手に斧、左手にバックラーを装備し、『アルゴの攻略本』によると、四つの体力ゲージが残り一本になると装備するという湾刀(タルワール)の鞘が見て取れる。

そして、コボルトロードはA隊のリーダーに向かって、力いっぱい逞しい右腕に握られる骨斧を振り下ろす。

それを、危なげなくシールドで受け止め、同時にライトエフェクトと言う名の閃光が辺りを包む。

その音を聞き着けたのか、左右の壁の穴から雑魚と言うのが憚られるほどの重装備モンスター、『ルインコボルト・センチネル』が現れる。

それを見たキバオウ率いるE隊と僕らF隊が先を競うようにコボルト達に襲い掛かった。

 

数分後には(タンク)攻撃役(アタッカー)のPOTローテも安定し、こっちも……

 

「お前ら!絶対にE隊に負けるな!」

「自分ら!絶対にF隊より多く雑魚を殺すんや!」

 

…………順調だった。

僕も僕とて、最大限皆の力になれるようにキリトの真似をし、相手の得物を打ち上げる。

そうして、キリトの様子を観察して単純に思ったのは、「強い」その一言だった。当然、ベータテストを経験したことも要因だろうが、それだけでは説明出来ない強さだった。動きに全く無駄がなく、かつ、的確に相手の急所を狙い、クリーンヒットさせる。その技量たるや、華麗以外に形容することが出来ないほどだ。

一瞬でコボルトを狩り終わった後、E隊と共にボスのローテに加わり、ディアベルが「二本目!」と叫ぶのを聞いて雑魚コボルトと相対するために壁に戻る。

そして、穴から飛び出てきたコボルトをまず、僕が片手剣スキル『バーチカル』で即座にノックバックさせ、ユウが両手剣スキル『アバランシュ』でHPをがくっと減らし、ムッツリーニが短剣スキル『ファッドエッジ』でポリゴンの破片へと昇華させた。

 

ボス攻略は予定より順調に進んでいた。

E隊とF隊が競って取り巻きを倒すので、実質八パーティをフルに使って、ボスに攻撃出来たのだ。

そして、あっと言う間にボスの体力ゲージは残り一本になろうとしていた。

あれ?何か、キリトとキバオウさんが喋ってるな。

 

「ライト、よそ見してないでボスに集中しやがれ」

「へーい」

 

僕がそう言ってボスに向き直った時、ついに、ボスの体力ゲージが残り一本になった。

 

「残り一本!」

 

そう声を上げ、ディアベル率いるC隊がローテーションでボスに突撃する。

 

「ウグゥオオオォォォォーーーーッッ!」

 

コボルトロードが今迄で最大の咆哮を上げ、それと同時に壁から三体のコボルトが出現する。

それを見て、僕らはボスから離れ、コボルトの群れに移動する。

キリトも当然、僕らと同じようにコボルトを相手にしようとする。

しかし、途中で何故かボスの方に振り返り、顔を固めていた。

何してるんだろう?

その疑問を抱いた直後、今度はキリトの顔がどんどんと青ざめていく。

 

「だ……だめだ、下がれ!全力で後ろに跳べーーーッ!」

 

フロア全体に、キリトの絶叫が響く。

その声を聞き、僕も思わずボスの方へ振り返る。

コボルト王が床を蹴って垂直に跳び、その曲刀に全身全霊を込めて、落下と同時に旋風が放たれる。

後に知ったことだが、この技の名は……

()()()専用ソードスキル『旋車(ツムジグルマ)

C隊全員のHPゲージがイエローゾーンに突入する。

それと同時に隊員達の頭上に黄色の光が瞬きながら回転している。

間違いなく、スタンのバッドステータスだ。

前線がスタンした場合、普通は後衛がスイッチして入れ替わり、前衛を後ろに下げさせねばならないのだが……

その場の全員の足が、セメントで固定されたように固まり、スイッチはおろか、声を上げられる者もいなかった。

ボス攻略がずっと楽勝のペースだったことや、今迄、的確な指示を飛ばし続けていたディアベル自身が窮地に立たされていることが振り子となって、皆の心を縛ってしまったのだ。

そして、コボルト王が大技の後の硬直から解放された。

そこで、真っ先に動き出したのは、エギルを筆頭とした数人だった。

しかし、それでも遅すぎた。

 

「グルゥゥッ!」

 

僕らをあざ笑うかのように喉を鳴らして、コボルトロードはカタナを高く切り上げた。

その刃の標的は、騎士ディアベルだった。

カタナの動きに沿って、ナイトは中空へと飛ばされる。

そこでもまだ、王の連撃は止まらない。

ディアベルもそれに逆おうとするも、中に浮いたままの状態ではソードスキルの発動もままならなかった。

頭、足、そして突きの三連撃がディアベルにクリティカルヒットする。

その蒼い髪を揺らしながら、ナイトは後方のキリトの足下まで飛ばされて行った。

そこで、騎士は剣士と一言二言、言葉を交わし、ポリゴンの破片となって爆散した。

 

思えば、僕はここで初めて仮想世界での本物(リアル)の生命の死を体験した。

ショックはあった。だけど、思っていたほどじゃなかった。

その理由は恐らく、ポリゴンという無機質で簡素なものに死の形が変容したからではないだろうか。

ショックが少なかったからこそ、僕の心は別の感情に支配されていた。

紅い感情が後から後からふつふつと溢れあがる。

人の死は、簡単にしていいものではない。

人生の集大成が死なのだ。それを簡素にするということは、その人間の人生を否定することに他ならない。

だがそんな僕の気持ちとは裏腹に、ボス攻略部隊の誰もが恐れている。自分の順番が来ることを。

 

「…………何で……何でや……。ディアベルはん、リーダーのあんたが、何で最初に……」

 

そう呟いたのはキバオウだった。しかし、その声にはかつての覇気が微塵もこもっていない。

すると、キバオウとの接触をあんなに嫌がっていたキリトが、キバオウの左肩を掴み、無理矢理立たせて言った。

 

「へたってる場合か!」

 

その声には、今迄キリトに感じたことのなかった凄味が込められていた。

 

「……な……なんやと?」

「E隊リーダーのあんたが腑抜けてたら、仲間が死ぬぞ!いいか、センチネルはまだ追加で湧く可能性が……いや、きっと湧く。そいつらの処理はあんたがするんだ!」

「……なら、ジブンらはどうすんねん。尻尾巻いて逃げようちゅうんか?」

「そんな訳あるか。決まってるだろ……」

 

攻撃的な目線でボスを貫き、シニカルな笑みを浮かべて、キリトは言った。

 

「ボスのLA、取りに行くんだよ」

 

キリトの顔を見て思い出した。

いくらデスゲームと言ってもゲームはゲームだ。

ゲームを楽しんじゃいけない理由が何処にある!

 

「さあ行くか、キリト!」

 

ユウがそう言って、キリトの肩に手を置いたとき、アスナは、もう既にボスに向かって跳び出していた。

彼女の手に握られているレイピアの剣先が光の帯を描きながらボスに詰め寄っていく。

その流麗な流れ星が、混乱していたプレイヤー達の目を奪う。

その一瞬の静謐の中、キリトの声が響き渡った。

 

「全員、出口方向に十歩下がれ!ボスを囲まなければ、範囲攻撃はこない!」

 

まだ最前線にいたC隊が、僕らの横をすり抜けて、後方へと走って行く。

 

「皆、手順はセンチネルと同じだ!……行くぞ!」

 

そのキリトの指示が、僕らと、第一層ボス《イルファング・ザ・コボルトロード》との開戦の合図だった。

 

先行して走っていたアスナが、ボスのカタナを側面から突き、軌道を逸らす。

そこで僕が「スイッチ!」と大声で叫び、ボスの懐へ入って、ボスのソードスキルを誘発する。

コボルト王が、スキルを発動するタイミングを読み、片手剣でガードする。

ボスはスキルの硬直を科せられており、動けないボスの首もとをアスナの細剣用ソードスキル《リニアー》が襲う。

その一撃でボスの体力ゲージが、一割程減少する。

そこで、ムッツリーニとキリトが前線に到着し、ノックバックしたコボルト王を、渾身の《ホリゾンタル》と《ラピットバイト》が撃ち抜く。

 

「範囲攻撃が来るぞ!皆下がれ!」

 

キリトの声で僕らは一斉に後ろに下がる。

しかし、僕の手のこうを少しだけカタナがかすめ、たったそれだけの傷で僕のHPゲージは二割の損失を受けた。

そしてまた、ボスに技後硬直が与えられる。

そこで秀吉が僕らに追いつき、曲刀スキル《リーバー》でボスの横腹を切り払う。

それを皮切りに、各々がソードスキルをボスに当て続け、さらに、ユウが到着し、両手剣スキル《アバランシュ》で縦にボスの腹を切り結んだ。

 

どのくらい戦っていたのだろう。

一瞬だった気もするし、何時間も戦っていた気もする。

だが、その時は唐突に訪れた。

ボスが何度目か知れない範囲攻撃をするために空高く跳んだとき、キリトが空中でその巨体に片手剣スキル《ソニックリープ》を命中させた。

 

切られたコボルト王は、バランスを崩して床に叩きつけられた。

 

「グルゥゥッ!」

 

そう唸り、仰向けに倒れて、間抜けな様子で手足をバタつかせる。人型モンスターにのみ起こるバッドステータス《転倒(タンブル)》だ。

 

「全員ー全力攻撃(フルアタック)!囲んていい!」

 

キリトのその言葉を待っていた、とでも言うように僕らは鬨の声を上げる。

 

「ウオオォォォッッ!」

 

僕ら四人にアスナ、そして途中から前線に戻ってきたエギル率いるB隊が各々最大威力のソードスキルを発動する。

しかし、それでもまだボスの体力は一割程を残している。

いち早く技後硬直から脱したのは、細剣という元から軽い武器で、単発技の《リニアー》しか発動しなかったアスナだった。

そのアスナに、キリトが指示を飛ばす。

 

「アスナ、最後の《リニアー》、頼む!」

「了解!」

 

コンマ一秒もかからない即答で、アスナはボスに突っ込んでいく。

そして、リニアーがコボルト王の左脇腹を打ち据え、HPゲージが10ドットだけ残る。

そこで、キリトが最初にやっとボスを撃ち落としために使った《ソニックリープ》の技後硬直から解放された。

それとほぼ同時に転倒から脱したボスは、もう一度範囲攻撃をするべく飛翔の体制をとっている。

王の片頬がニヤリとつり上がった気がした。

ここでボスの技が決まれば、硬直している僕らは間違いなくゲームオーバーだろう。だけど、そんな理屈は考えず僕はただ叫んだ。

 

「行っけぇぇぇぇっっ!キリトォォォォーーーッッ!」

 

その僕の声と呼応するかの様に、キリトが咆哮を上げる。

 

「おおおおおおッ!」

 

片手剣二連撃技《バーチカル・アーク》。

それが飛翔寸前の《イルファング・ザ・コボルトロード》の腹を切り裂いた技だった。

コボルトロードの巨躯にピシッ、ピシッと亀裂がはしる。

 

「ウオォォーン!」

 

最後に狼の様に吠え、第一層ボス《イルファング・ザ・コボルトロード》は青く光るポリゴンの欠片へとその姿を変え、儚く、だけども盛大に飛び散った。

 

 

「「「「よっしゃぁぁーーっ!」」」」

 

まず部屋いっぱいに轟いたのは、僕ら四人の歓喜の声だった。

そして、唖然としていた他のプレイヤー達も、大きく歓声を上げた。

そこでようやく、獲得経験値、取得したコルの額、獲得アイテムが通知される。

先程よりもさらに大きな歓声がボス部屋を包む。

誰もが歓喜し、仲間と各々の健闘を称える。

 

「……見事な指揮だったぞ。そしてそれ以上に見事な剣技だった。コングラチュレーション、この勝利はあんたのものだ」

 

キリトにそう言ったのは、腰に両手斧が光る偉丈夫、エギルだった。

確かにエギルの言うとおり、今回のボス戦のMVPを決めるとすれば、間違いなくキリトだろう。

 

「ふう、終わったと思うと、いきなり疲れが押し寄せてきたのう」

「このままここで眠れちゃいそうだね」

「そして、お前はモンスターに殺される、と」

「ものの例えだよ!本気で寝るわけないじゃないか!」

「お前クラスのバカだと本気で寝るのか、と思ってな」

 

こいつは僕をなんだと思ってるんだろう?

 

「……とりあえず、みんないい戦いぶりだった」

 

そんな談笑を一人の男の声が断ち切った。

 

「ーーーなんでだよ!」

 

広場の歓声が静まり返った。

僕はその男の顔を覚えていなかった。

男の糾弾は続く。

 

「ーーーなんで、ディアベルさんを見殺しにしたんだ!」

 

バカな僕でも、この言葉を聞けば察するしかなかった。

この男はC隊、つまりディアベルの仲間なのだ。

その男の後ろにも、悲壮に顔を歪めたC隊のメンバーがいた。

 

「見殺し……?」

 

キリトは何を言ってるのか理解出来ないとばかりにそう言った。

 

「そうだろ!だって……だってアンタは、ボスの使う技を知ってたじゃないか!アンタが最初からあの情報を伝えていれば、ディアベルさんは死なずに済んだんだ!」

 

その叫びに触発され、広場に疑問が広がる。

そして、また違うところで申告が行われる。

 

「オレ……オレ知ってる!こいつは、元ベータテスターだ!だから、ボスの攻撃パターンとか、旨いクエとか狩場とか、全部知ってるんだ!知ってて隠してるんだ!」

 

何だ、この流れは?

僕はあいつを一発殴らないと気が済まなくなってきた。

そう思い、歩き出そうとした寸前、ユウが僕の腕を掴み、僕を踏みとどまらせた。

 

「でもさ、昨日配布された攻略本に、ボスの攻撃パターンはベータ時代の情報だ、って書いてあったろ?彼が本当にテスターなら、むしろ知識はあの攻略本と同じなんじゃないのか?」

 

エギルと共に壁役を務めたメイス使いがそう言った。

 

「そ、それは…………」

 

それ以上何も反論できなくなった男の代わりに、最初に叫んだ男が言葉の攻撃を連鎖させた。

 

「あの攻略本が、ウソだったんだ。アルゴって情報屋がウソを売りつけたんだ。あいつだって元ベータテスターなんだから、タダで本当のこと教えるわけなかったんだ」

 

本当に何を言ってるのかわからなかった。

ただただ胸糞悪くなって、この気持ちを吐き出したかった。

だが、僕のそんな感情も、視界の端に映ったキリトの表情に、全てかき消された。

キリトは何か大きな決意をしたようだった。

ここで止めなければ取り返しのつかないことになる気がした。

しかし、怒りが僕の喉を塞ぐ。

 

「おい、お前……」「あなたね……」「まて、キリト……」

 

僕と同じ結論に達したのか、それとも、僕より先の思考をしているのか、エギル、アスナ、ユウの三人がキリトを制止させようとした。

しかし、逆にキリトが両手で三人を制止させ、演技満点のふてぶてしさと冷酷さが篭った声でこう告げた。

 

「元ベータテスター、だって?……俺を、あんな素人連中と一緒にしないでもらいたいな」

 

ここにきてようやく僕はキリトの意図を悟った。

そう、キリトは自ら的になろうとしているのだ。

他のベータテスター達に敵意が向かぬように……。

 

「な……なんだと……?」

「いいか、よく思いだせよ。SAOのCBTとんでもない倍率の抽選だったんだぜ。受かった千人のうち、本物のMMOゲーマーが何人いたと思う。ほとんどはレベリングのやりかたも知らない素人だったよ。今のあんたらの方がまだましさ」

 

さっきとは違う感情で僕の喉は塞がれ、脚が竦んだ。

キリトを取り巻く空気の変化が痛いほど伝わってくる。

僕はどうすべきなんだ?どうしたいんだ?

ここで僕がキリトを止めれば、キリトの覚悟を無にすることになるし、ベータテスターと新規参加者の確執が決定的になる。でも……僕は…………!

 

「ーーでも、俺はあんな奴らとは違う」

 

僕が自問自答している間にも、キリトの挑発は続く。

 

「俺はベータテスト中に、他の誰も到達できなかった層まで登った。ボスのカタナスキルを知ってたのは、ずっと上の層でカタナを使うMobと散々戦ったからだ。他にもいろいろ知ってるぜ、アルゴなんか問題にならないくらいな」

 

ダメだ……、これはダメだ…………。このままじゃ、僕は、きっと後悔する。

 

「…………なんだよ、それ……」

「そんなの……ベータテスターどころじゃねぇじゃんか……もうチートだろ、チーターだろそんなの!」

「…………っ!」

声を出そうとした僕の口を、ムッツリーニが抑える。

何処からかチーターとベータテスターを掛けたと思われる『ビーター』なんていう単語が浮かぶ。

 

「……《ビーター》、いい呼び方だなそれ」

 

その声を遮ろうとしても、僕の声はムッツリーニに閉ざされてしまう。

いや、ムッツリーニの所為にするのは甘えだろう。

僕が本気で抵抗すれば、いくらでも発言できるはずだ。

何故そんなこともできないんだ?やれることはなんでも考えずにするのが僕の取り柄じゃないのか?

 

「そうだ、俺は《ビーター》だ。これからは、元テスター如きと一緒にしないでくれ」

 

僕は……弱い…………。友達一人も救え無い程に……。

僕の頬を、ポリゴンの涙が伝う。だけど、その液体は、今まで感じた、どんなものよりも、熱かった。

キリトはボス戦でドロップしたのであろう漆黒の装備をその場で身に纏い、歩き出す。

 

「この上の出口から主街区まで少しフィールドを歩くから、ついてくるなら初見のMobに殺される覚悟しとけよ」

 

キリトは嫌味たっぷりにそう言い、最奥の二層へ続く階段へと進む。

ここで、僕は僕に今なんの拘束もかかってないことに気づいた。

そして、一心不乱にキリトへ向かってダッシュした。まるで、自分でも嫌いになりそうな、さっきまでの僕から逃げるように。

その僕の姿を見て、キリトはメインメニューを操作する。

数秒後、僕の前に現れたのは、パーティ解消の申請だった。

成る程、そういう気か。

 

「交換条件だ、キリト。パーティは解消解消していい。その代わり、僕とフレンドになれ!」

 

長い長い沈黙。

キリトは僕の目を十秒くらい見た後、投げやりに

 

「……勝手にしろ」

 

と言った。

キリトは踵を返し、階段を上って行った。

その後、フレンド申請成功の知らせが僕の前に現れる。

アスナはキリトの後を追って行った。

そして、僕はその場にうずくまった。

何の感情に起因するかも解らない涙が、頬を伝った。

 

「お前にしちゃ、いい交渉だったんじゃねえか?完全に力業だったけどな」

 

少し茶化したふうにユウがそう言った。

 

「…………」

 

僕は何も答えない。いや答えられない。熱感が喉を覆い、まともに声も出せない。嗚咽は、どうにも引きそうにない。

 

「ああ、そうだ。忘れてないとは思うが……」

 

なんだろう?

 

「二層の攻略、素手な」

 

…………忘れてた。

そして、嗚咽が引いた。

 

 

それぞれの層には、主街区が設定されており、そこには転移門というものが存在する。

その機能は、転移門をくぐることによって他の層の転移門にワープすることができる、というものだ。

だが、当然まだ到達していない層にはワープできないし、到達している層でも、誰かが門を有効化(アクティベート)しないと、到達してから二時間の間は開通されない。

僕らは、今まさにその有効化(アクティベート)をするために第二層主街区《ウルバス》に向かっているのだ。

三人に守ってもらいながらなんとか僕らはウルバスに到着した。

 

「てめえ、ライト!足手まといになってんじゃねぇ!」

「僕を足手まとい化させたのはユウとムッツリーニじゃないか!」

「……ライト、お前は元から足手まとい」

「ぐはっ!地味に傷つく!」

「大丈夫じゃ、ライト。お主は足手まといなどではないからの」

 

うん……。やっぱり秀吉は僕のオアシスだな……。

 

「秀吉も下手な嘘をついたもんだな」

 

あれ?秀吉?

 

「別に嘘では……ライト!?子犬のような目でわしをみるでない!」

 

そんなこんなで僕らは転移門の前に着いた。

アーチの中で水面が揺れているようなその光景は、さながらシャボン玉のようだった。

そして、僕が右手でアーチの中を触ると急に青い光が辺りを包みこんだ。

 

「ヤッホー!一番乗り!」

「……やっと開門された」

「ホント、待ちくたびれたわよ」

 

どうやら早速転移門から人が出て……

 

「「「「…………あっ!」」」」

 

「「「…………あっ!」」」

 

僕らが開門するのとほぼ同時に現れたのは、文月学園Aクラスが誇る才色兼備の女の子三人。

すなわち、霧島翔子、工藤愛子、そして木下優子だった。

 




でましたよ!優子さん!
二言しか言ってませんが!
そんなわけで、次回は本格的に喋らせます!


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第六話「再会」

僕が明久×優子の二次小説を見ていて思ったことをここに書かせていただきます。
優子の一人称は「私」じゃなくて「アタシ」だよ!

優子さんも出る第六話お楽しみ下さい!


僕らは絶句していた。

天文学的な確率で、三人の女の子、霧島翔子、工藤愛子、木下優子と出会ってしまった。

僕がそこまで驚愕する理由としては、同じ学校であること、ゲームなどとは縁の無さそうな三人であること、そして何よりここが、今やデスゲームと化した世界初のVRMMOソフト、『ソードアート・オンライン』の中だということだ。

その静寂を最初に打ち破ったのは、やはりというかなんと言うか……

 

「……雄二……、会いたかった」

 

霧島さんだった。

 

「うわぁぁっ!いきなりひっつくな、翔子!それと、今の俺の名前はユウだ!」

 

本当に、三回ほど殺した方がいいんじゃないかな、この野郎。

 

「……それを言うなら私も翔子じゃない、『tear』」

 

tearって……ええと……確か、涙!そう、涙だったよね!なんで霧島さんはそんな名前にしたんだろ?

その疑問はユウも抱いたようで

 

「なんでそんな名前にしたんだ?」

 

と問いかけていた。

 

「……だって、涙は女の武器だから」

 

ユウは、頭に疑問符を浮かべた後、はっと何かに気づいた顔をして言った。

 

「ああ、涙か!切り裂くの方かと……」

 

切り裂く?どういうことだろう?そう思っていると、ティアがユウの頭に手を延ばしていた。

そしてそのままアイアンクロー……かと思いきや、何とユウはその愛の鞭に反応してみせた。

この一ヶ月の経験がきいてるのかな。

 

「……ユウは私のか弱さを認識すべき」

 

「出会い頭にアイアンクロー決めようとする女をか弱いとは言わねえよ!」

 

正論である。

 

「ところで、木下さんと工藤さんは何て名前にしたの?」

 

僕はユウの方を極力見ないようにしてそう言った。

 

「アタシは普通に優子にしたわよ」

「ボクは愛子の愛を取ってギリシャ語でエロース……」

 

ドサァァァァァァッ!

これは、ユウとティア以外の全員がずっこけた音だ。

 

「って言うのは冗談で、本当は『Liebe』にしたんだ」

 

これでリーベと読むらしい。良かった。女の子にエロースって呼ぶとか……なんの苦行だよ。

リーベは確かドイツ語だったかな?美波が言ってた気がする。

懐かしいなあ。もう、姫路さんと美波に一ヶ月も会って無いのか。

そんな回想に耽る僕の目に信じられない光景が飛びこんで来た。

なんと!ユウとティアが押し合いで拮抗しているのだ!

リアルじゃ有り得ない状況にティアも、戸惑った声を洩らした。

 

「……ユウ、なんでこんなに力が強いの?レベルの差があるから?」

 

動揺した様子のティアをみて、ユウが不敵な笑みを浮かべる。

 

「理由を教えてやろうか?単純なレベル差だけじゃねえんだ。実はなーーー」

 

 

それは、このデスゲームが始まって一週間ほどたった日のこと。

 

「ユウ!お前もちょっとは手伝えよ!」

 

ユウはこの時、明らかに自分の担当のモンスターを僕に押し付けてきたのだ。

 

「あー、勘違いするなよ、ライト。これにはきちんとした訳があるんだ」

 

なんだ、理由があったのか。じゃあしょうがなかったのかな?

 

「疲れた」

「死に晒せ!」

「やめるのじゃ、ライト!」

「止めないで、秀吉!僕の華麗なバーチカルをこの野郎にお見舞いしなきゃいけないんだ!」

「華麗?」

こいつ!ブッコロ!

「ユウも、ライトを挑発するでない!ムッツリーニも手伝ってくれんかの?」

「了解」

 

秀吉とムッツリーニに止められてしまい、僕はユウの虐殺を泣く泣く断念した。

 

「モンスターより先にユウに殺されそうな気がするよ」

「奇遇だな。俺もお前に殺される前に殺さなきゃいけない気がする」

 

カチャ(←剣の柄を握る音)

 

「……落ち着け、二人とも」

「そんなに互いが信用できんのなら、裏切れない状況を作ればいいと思うがのう」

「裏切れない状況って、例えばどんな?」

「うむ、そうじゃな。では、ライトが俊敏に、ユウが筋力にステータスを極振りするというのはどうじゃ?」

 

これには僕も言葉を失った。

確かにそうすれば、ユウと共闘しないとなんていうか、やってられない。

でも、流石にデスゲームで極振りする勇気は僕にはなかった。

それはユウも同じだったようで、決まり悪そうに言った。

 

「いや、秀吉……。それはちょっと……」

「うむ、ではお主らは常に仲間に裏切られる可能性に晒され続けるというわけじゃな」

 

くっ!それはそれでキツイ!

もうなんか、秀吉の案に乗るのもいいような気がしてきたな……。

 

 

「ーーと、まあそんなことがあったから、俺の筋力ステータスは異常に高いんだ」

 

ユウが歩きながら話を終えたころには、僕らは転移門から程近いバーに雑談の会場を移していた。

 

「何て言うか……、呆れたわ……」

 

優子が頭に手を当てて首を振った。

 

「本当に裏切る可能性があるところがまたすごいよね」

 

そこで始めて、彼女達に一番聞かなければいけなかったことに思い至った。

 

「何で、三人はSAOに入ってるの?」

 

そう、この場で最も不自然な事象はコレなのだ。

 

「……私が優子とリーベを誘った」

 

これまた意外だった。

何と無く、リーベが最初に誘ったものだと想像していたのだ。

 

「何でSAOなんてやろうと思ったんだ?」

 

ユウにとってもティアのその行動は不可解らしかった。

 

「……なんでって、ユウがやるからに決まってる」

「俺はお前にそんなこと一言も言ってないはずなんだが!?」

「……これが愛の力」

「そんな陰湿な愛は嫌だ!」

 

もう!ユウはティアといるといつもうるさいな。

 

「じゃあ三人もゲームショップに並んだの?」

「……ううん。お父さんがアーガスの人と知り合いだったから」

 

あれ?おかしいな……。目から汗が……。

僕達の三日間の努力はなんだったんだろう……。

 

「……ユウがティアに頼めば、俺達は並ぶ必要なかった」

「「あっ!」」

 

僕と秀吉は思わず声を出してしまった。

 

「何でティアに頼まなかったんだよ!」

「こいつに借りを作りたくないからに決まってんだろ!」

「……私はユウの頼みなら何でもする」

「見返りは?」

「プロポーズ」

「それが嫌なんだよ!」

「いや、どっちにしろ人生の墓場行きは確定してるんだしいいじゃないか」

「てめえは他人事だからそんなこと言えんだよ!」

 

だって実際、他人事だしなあ。

 

「まあいい。じゃあ次の質問だ。この一ヶ月、お前らはなにしてたんだ?」

 

この、確実に予想できたであろう質問に三人共渋い顔をし、口を噤んだ。

バーに響く時計の音が、いやに大きく聞こえた。

回答を静かに待つ僕らに対し、最初に口を開いたのは優子だった。

 

「……ずっと、始まりの街にいたのよ」

 

僕は、忘れていた。

始まりの街に残り、このデスゲームがいつの日かクリアされるのを待つ人がいることを。

それを自覚した途端、僕の中にどうしようもない焦燥感が浮き上がる。

時計の針は、定期的に音を立て続けているはずなのに、僕には次第に早くなっているように思えた。

 

「……ユウ達はどうしてたの?」

「分かってるだろ、最前線にいたんだよ」

 

ユウの一言で、場の空気がさらに重く僕にのしかかる。

 

「……なら、私もユウ達に着いて行く。」

 

そんな陰湿な空気をものともせず、ティアが凛とした声で空を振るわせた。

一瞬、言葉の意味が理解できなかった。

優子とリーベもポカンとした表情でティアを見つめている。

ティアの言葉に真っ先に反応したのはユウだった。

「バカ言うな!レベルも装備も二層で戦うには危険すぎる!」

これが僕に素手で戦えと言った男のセリフだろうか?

まあ、いいんだけどね……。

 

「……なら、今日中にレベルを十にする。それが出来たら認めてくれる?」

「ああ、できるもんならやってみろ」

 

あれ?こいつティアがレベルをそこそこ上げている可能性を考慮してないな。

 

「……よかった。こつこつモンスターをを狩ってたから、あと二レベル上げるだけ」

 

あーあ、やっぱり。

やってしまった感満載のユウの表情に笑みをこぼした後、ティアは言葉を続けた。

 

「……優子とリーベはどうする?」

 

また頭を押さえて、優子は嘆息しながら言った。

 

「どうするもこうするも、一ヶ月一緒に生活した友達に、いきなり行ってらっしゃいなんて言えないわよ……」

「うーん。流石にボクも一人で始まりの街に残ろうとは思わないかな」

「……じゃあ、頑張ろう」

 

ティアのその簡潔な言葉を最後に、僕らは転移門に五時間後で待ち合わせをして別れた。

この五時間という数字は、おそらく二レベル上げるにはこれぐらいかかるだろうという予想に元ずいたものだった。

だが、たった三時間後に僕らにティアからダイレクトメールが届いた。

その内容は、届いた時点で予測していたが、全員が十レベになったというものだった。

なんでも、ティアが鬼神の如き速度でmobを狩り続けたとか……。

 

「いくらなんでも、早過ぎるだろ……」

 

ユウが溜息まじりに呟いた。

いやあ、愛の力って凄いなあ。

 

「……じゃあ、パーティ申請送るぞ」

 

不承不承という顔をして、緩慢な動作でユウがパーティ申請の画面に三人の名前を打ち込んだ。

即座に三人の前に通知窓が現れ、当然三人共○ボタンを押す。

そして、僕の視界に新しいパーティメンバーの名前とHPゲージ、そしてレベルが現れる。

 

ティア:レベル七

 

優子:レベル五

 

リーベ:レベル六

 

 

…………ハッタリじゃないか!

 




前回が長過ぎましたからね。今回は短くまとめました!
そしてまた、話が進まない状況に逆戻り!
ラスボスを倒す日はいつになるのか!
それは筆者にもわかりません!


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第七話「エクストラスキル」

お気に入り登録数が五十件を超えました!
わーい!めでたいです!
これもひとえに皆様のおかげです!
そんな皆様に感謝の気持ちを伝えるため、歌を作ってきました。
聞いて下さい「マイ k(ry

第七話始まるよ!


結局僕らは、ティアがユウにお願い(という名の脅迫)をしたので女性陣三人のレベル上げを手伝うことになった。

 

「ごめんなさいね。騙すような事しちゃって……」

 

優子が本当に申し訳なさそうに呟いた。

 

「いやいや、そんなに気にすることじゃないよ」

 

試召戦争とかじゃ、僕らの方が絶対多く騙してるしね。

 

「あなた達がそれでいいならいいけど……」

 

ああ、優子っていい人だな。

率直に思った。

 

「この中じゃ、優子が一番常識人だよね」

「むしろ、このメンバーと常識の有無で比べられたくないわね」

 

ごもっともです。

 

「……ていうか、いきなり呼び捨てなのね。アタシ、ライト君とあまり親しかった記憶が無いんだけど」

「アバターの名前だしね。普通呼び捨てだと思うよ」

「ふーん、そういうもんなんだ……。じゃ、アタシもライトって呼んでもいいわけ?」

「うん」

「……じゃ、そうさせてもらうわ」

 

僕は優子に小さく頷きながら、肯定の言葉を発した。

二層に覗く朝日に照らされたのか、優子の頬が少し色ずいている気がした。

 

 

「そろそろ圏外だぞ。準備はいいか?」

 

ユウの言わんとしていることはつまり、もう少し歩けば命の危険が冒されるということだ。

特にティア、リーベ、優子の三人は一層初期との急激なレベル差に苦戦するだろう。だがしかし、そんなものに臆するような僕達じゃない。

当然、ユウの問いには全員で首肯する。

 

「「「おう!」」」

「おい、何付いて来ようとしてるんだ、ライト?」

「え、どういうこと?」

「いや、お前足手まといになるじゃねえか。適当に宿屋で待機でもしとけ」

 

や、やだな!泣いてないよ!

 

というか、素手で戦えって言ったのユウじゃないか!

 

そんなこんなで、思わぬ時間が出来てしまったので、ちょっとやっておきたい事をかたずけておこうと思う。

いや、むしろ僕にとってはこれが何より大切なことかもしれない。

即ち、キリトとの会話だ。

第一層ボス攻略後のあの別れ方がどうにも僕の中でモヤを描いて渦巻いていた。

僕はキリトと唯の「フレンド」から唯の「友達」に戻りたいのだ。

もしかすると、戻りたいという表現すら僕の身勝手なのかもしれないけど。

 

先ずは聞き込みから始めて見た。

キリトの顔を知らない者や、キリトという名を出すだけで嫌悪感を露わにする者もいたが、キリトの名前自体はこの二層に来ている人たちのほとんどが認知していた。主に悪い意味で。

しかし、幾ら聞き込んでも本当に誰もキリトの居場所を知らなかった。

さて、万事休すか……、次は何をしようかな。そう思っていた僕の目にある人物の影が飛び込んで来た。

土色のローブから、日本晴の空に浮かぶ日輪のような美しい髪を揺らしている。

彼女なら、キリトの現在地を確実に知っているだろう。

そう当たりをつけた僕は、俊敏ステータスにものを言わせ、高速で駆け寄りながら彼女の名前を呼んだ。

 

「おーい!アルゴ!」

 

僕の声に反応して彼女が振り返り、トレードマークの左右三本づつのペイントされた髭が見える。

間違いない。彼女はこのデスゲームで最も有能であろう情報屋、ネズミのアルゴだ。

 

「やア、ライト(にぃ)

 

いつの間にか、僕のあだ名はライト兄に決定していたようだ。

そこには深く触れず、僕は単刀直入に用件を伝えた。

 

「アルゴ、情報を買いたいんだ。」

 

ネズミの片頬が三日月のようにつり上がった。

それは、僕が彼女の土俵に乗り込んだということを表す。

 

「どんな情報を買いたいんダ?初めてだからお安くしとくヨ」

 

その言葉を充分に噛み砕きもせず、何かを急かすように僕は言った。

 

「キリトの居場所って分かるかな?」

 

僕の疑問を耳にして、ネズミは拍子抜けだと言わんばかりの表情を作る。

やっぱり、情報屋の名は伊達じゃないようだ。

 

「そんな情報ナラ……そうダナ、百コルでいいゾ」

 

今度は僕が拍子抜けする番だった。

というか、キリトの情報安過ぎだろ……そんな感想を抱きながら苦笑混じりに僕は言った。

 

「OK、じゃあ支払うね」

 

そう言って僕はフレンド一覧からアルゴを選択し、百コルをプレゼント扱いで彼女に送った。

ピローンという音と共にアルゴの眼前に通知窓が現れた。

そして、僕がメインメニューを閉じようとすると

 

「待テ」

 

という短い静止の命令。

当然、僕はそれに従い手を止める。

 

「その一覧からキリ坊を選んでキリ坊の画面を下にスクロールしてクレ」

 

言われた通りに指を動かしていくと、あるタグを見た瞬間僕の悪い頭に悪い予感が訪れた。

曰く、フレンドの現在地。

ばっと顔を上げると、もうネズミの姿は何処にも見当たらなかった。

とどのつまり、僕はフレンド機能のレクチャーを百コルを出して買ったわけだ。

改めてゲームの説明書は読むことにしようと決意を新たにした所で、僕はメインメニューに表示された地図に従って歩を進めた。

 

一時間程歩いただろうか。僕は今、二層にそびえる山脈の内の一つの山頂を目指して絶賛山登り中だ。何故こんな所にキリトは居るんだろうか?

レベリングでもしてるんだろうと勝手に想像していたのだが、出発時から今の今まで同じ座標から動く気配がない。そう、ずっと山の頂きから移動していないのだ。

当たり前だが圏外である。最初にモンスターと少し戦ってみたものの、やはり素手で倒すことは難しかった。というか、無理ゲーだった。よって、ポップしたmobには全て、伝家の宝刀『逃げる』をお見舞いしている。

そうした苦労も遂に実を結んだ。山頂が視界に確認できたのだ。そこには心地よい音を響かせる泉、どこかユーモアのある形をした一本の木、そして、小さな小屋があった。

キリトの現在地は……ビンゴ!

僕は小屋のドアノブに手を掛け、何の躊躇も無しに開いた、いや、後になって思えば開いてしまったと言うべきか……。

中には、荘厳な雰囲気を醸し出すムキムキのおじさん、そして、僕が今日一日かけてずっと探していた人物、キリトが居た。

何故か顔に奇怪なペイントをして。

 

「……よお、ライトじゃないか……」

 

虚ろな声と瞳でキリトが言った。

何故だろう。とても嫌な予感がする。

劇的に逃げ出したい気持ちを当初の目的で抑えつけ、僕はキリトに話しかけた。

 

「やあ、キリト。君に話したいことがあるんだ」

 

とりあえず、ペイントについては触れないでおこう。

 

「その前に、お前もこのクエストを受けたらどうだ?」

 

そう言ってキリトが指し示したのは、おじさんの上に輝く金のエクスクラメーションマークだった。

このマークが出ているNPCに話し掛けるとクエストが受注出来るのだ。

 

「これってどういうクエストなの?」

 

僕の質問に言葉を選ぶように思案しながらキリトが答えた。

 

「これはな、エクストラスキル『体術』を教えてくれるクエストなんだ」

「それってもしかして、素手で戦えたりするの?」

「ん……ああ、そうだな」

 

これはもしかするとチャンスかもしれない。散々足手まといと言われた借りを返すことの。

しかも、エクストラスキルと言うぐらいだ。きっと強いに決まってる。

そう確信した僕は座禅を組んでいるおじさんに近づいた。

するとNPCであるおじさんはしわがれた、だけども威厳のある声で僕に話し掛けてきた。

 

「入門希望者か?」

「あっ!はい、そうです!」

「修行の道は長く険しいぞ?」

「がっ、頑張ります!」

 

会話の後、おじさんの頭上の『!』マークが『?』マークに変わる。クエスト開始の合図だ。

すると、おじさんが小屋の外へと出て行った。

慌ててそれを追いかけると、二メートル程の、確実に堅牢であろう岩の前に立って言った。

 

「汝の修行はたった一つ。両の拳のみで、この岩を割るのだ。成し遂げれば、汝に我が技の全てを授けよう」

「………………え?」

 

ちょっと岩に触ってみる。カッチカチである。

うん!無理だな!どうやらこのおじさんにも伝家の宝刀『逃げる』を使わねばならないらしい。

そんな思考をおじさんの次の挙動がぶち壊した。

 

「この岩を割るまで、山を下りることは許さん。汝には、その証を立ててもらうぞ」

 

そう言って、おじさんは道着の中からどうやって収納していたのかは不明だが、壺と大きな筆を取り出した。

きっと書道でもするんだろうな!そんな都合のいい妄想で頭を塗りつぶそうとしたが、キリトの顔のペイントがどうしても浮かんでしまう。

流石に僕にももう察しがついていた。

おじさんは筆を壺に突っ込み、墨を吸った筆を僕にふるう。

 

「ぶひゃあぁっ!」

 

変な声を出してしまった。

 

「その証は、汝がこの岩を割り、修行を終えるまで消えることはない。信じているぞ、我が弟子よ」

 

そして我が師匠は、その大きな背中を僕に見せつけるように小屋へと戻っていった。

そんな一幕の間に、僕の隣に来ていたキリトが話し掛けてきた。

 

「これで晴れて俺達は仲間だな!」

「なんて嫌な括りで仲間にされるんだ!」

 

囚人みたいなもんじゃないか!

 

「まあまあ、落ち着けって。一緒に体術スキルをマスターしようぜ!」

 

この野郎。すごいいい笑顔で言いやがった。

よほど僕を道連れに出来たことが嬉しかったらしい。

 

「ところで、今僕の顔ってどうなってるの?」

 

もし格好良かったら、別にこのまま山を下りてもいいかもしれない。

 

「うーん。例えるなら、マサイ族って感じかな……」

 

よーし!体術の修行頑張るぞ!

というか、頑張るしかなくなってしまった。

 

 

結局、僕が岩を割るのにかかった時間は三日だった。

キリトは、僕より一日早く割り終わり、僕の話し相手になってくれた。

今迄したゲームの話や、オススメの漫画の話。そして、リアルの生活の話も少しだけした。

この時にはもう、僕の中のモヤモヤは完全に消え去っていた。



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第八話「儚き剣のロンドーⅠ」

やっぱり週末は投稿しやすいですね。
二日連続投稿出来ました。

あと、タイトルをプログレッシブからパクってしまいました。
…………まあ、いいか!


「ふ……ふざっ、ふざけんなよ!」

 

そんな声が聞こえてきたので、僕とキリトは足を止め、声の主を見るべく発生源方向を見やった。

 

「も、戻せ!元に戻せよ!プラス4だったんだぞ……そこまで戻せよッ!」

 

再度叫び声。

場所はアインクラッド第二層主街区『ウルバス』。

僕らはエクストラスキル「体術」を獲得すべく、あるクエストをこなして、山下りをして来たところなのだ。

山を反対方向へ下れば二つ目の村『マロメ』にショートカットで到達出来たのだが、僕らがわざわざ『ウルバス』に逆戻りした理由は他にある。

それは、アイテムの補充と装備のメンテだ。

『マロメ』にも道具屋はあるのだが、キリトによると品揃えが悪いらしい。しかも、『マロメ』にはNPC鍛冶屋がいないのだそうだ。

ちなみに、優子から送られてきたメッセージによると、ユウ達は現在の拠点をもう『マロメ』に移しているのだそうだ。

そんな考え事をしていると、キリトは糾弾の現場を見るため人混みの中に消えてしまっていたので、僕もその後を追った。

 

「どっ、ど、どうしてくれんだよ!プロパティむちゃくちゃ下がってるじゃねえかよ!」

 

顔面を熟れた林檎のような色にしながら、男は再度喚いた。

 

「あいつ……」

「え?キリト、あの人知ってるの?」

 

ということは、最前線のプレイヤーなのだろうか。僕にはどうも見覚えが無かった。

 

「いや、第一層の攻略には参加して無かったと思うけど、最前線近くのプレイヤーではあると思う。結構いい装備着けてるし」

 

そう言われると確かに、あの金属防具はスピード重視型の僕とは比べものにならない防御力だろう。しかも、三本の角が生えたヘルメットまで被っている。

 

「なんだよ四連続失敗って!プラスゼロになるとか有り得ねーだろ、これならNPCにやらせた方がマシじゃねーか!責任取れよクソ鍛冶屋!」

 

ここでようやく、僕は状況を悟った。あの鍛冶屋が武器の強化を失敗してしまったのだ。

SAOの武器強化の過程を説明すると、まず強化パラメータは『鋭さ』『速さ』『正確さ』『重さ』『丈夫さ』の五つが設定されており、鍛冶屋に強化素材アイテムとコルを支払うことで任意のパラメータを上昇させることができる。

ちなみに僕の片手剣は鋭さと速さに+2ずつ振っていた。今は使ってないけど……。

また、当然鍛冶屋の熟練度で成功の確率は変化する。いま問題となっている鍛冶屋は生産スキル用の『アイアン・ハンマー』を装備している。街のNPC鍛冶屋が装備しているのは『ブロンズ・ハンマー』で、必要熟練度は『アイアン・ハンマー』の方が高いので、あの鍛冶屋はNPC鍛冶屋より強化成功確率は高いはずなのだ。

だからこそ、あの男も剣を託したのだろうが、その結果がコレだと少し同情してしまう。

 

「……何なの、この騒ぎ」

 

その声が聞こえてきたのは、僕の右隣りのキリトのさらに右隣り。

凛とした、だけども何処か可愛さの残るソプラノを響かせたのは、僕らには馴染みの細剣使い、アスナだった。

「それがどうやらあの金属鎧君が剣の強化を……」

それ以上キリトの言葉は続かなかった。いや、意図的に止めたのだ。

キリトは今、低レベルなレザー装備を羽織り、頭に黄と水色のバンダナを巻くという妙な変装をしている。

圏内に入る直前に着替え出したときは、思わず笑ってしまったが、そんな変装でも一瞬で見抜かれるのはキリトのプライドが許さなかったのだろう。

 

「……あ、その、えっと……以前どこかでお会いしました?」

 

僕が、さすがに苦し過ぎるだろ……という呆れ半分、苦笑半分の顔をキリトに向けているのに対して、アスナ先生は絶対零度の眼をキリトに向けていた。

 

「お会いしたどころか、一緒に食事したりパーティ組んだりしたと思いますけど」

「…………あ、思い出した。今思い出した。俺の部屋でお風呂貸したことも思い出し」

 

言いかけたキリトの足に細剣使いのブーツが刺さった。

あーあ、そんな臭い演技するから……お風呂?

 

「キリトオォッ!キサマアァーーッ!」

「え?……あっ!」

 

今更失言に気付いたのか。だが、もう遅い!

 

「待て!やましいことは何もしてない!単純に風呂貸しただけだ!」

「本当、アスナ?」

「っ!……そ、そんなことしてるわけないじゃない!」

 

よかった〜。PKしなくて済みそうだ。

すると、キリトは僕らの服の裾を引っ張り、路地に入るよう指示した。

 

「や……やあ、アスナ。久しぶり」

「こんにちは、キリト君、ライト君」

 

なるほど、他の人に名前を聞かれるのが嫌だったから路地に入ったのか。

名前といえば、少し引っかかることがあったので、アスナに言ってみた。

 

「別にアバターの名前なんだし、君付けしなくてもいいんじゃないかな?」

「ん……いいじゃない、別に。わたしの勝手でしょ」

 

まあ、本人がいいならいいか。

すると、キリトが何か言いたげだったので主役を譲った。

 

「あの騒ぎは、三本角が剣の強化を鍛冶屋に依頼して、それが四回連続で失敗して数値がプラスゼロまで戻ったっていうんで頭に血が上っちゃったらしい。まあ……気持ちは解るけどなあ……四連続失敗じゃあなあ」

 

そういえば、それが本題だったっけ。

それを聞いて、細剣使いさんは肩竦めて、言った。

 

「失敗の可能性があることは頼む方も承知してるはずでしょ。あの鍛冶屋さん、お店に武器の種類ごとの強化成功率一覧を貼り出してるじゃない。しかも、失敗した時は強化用素材アイテムぶんの実費だけで手数料は取らないって話よ」

「え、ほんと?そりゃ良心的だな……」

「それでも、アレを見た後だとあそこで強化しようとは思わないけどね」

 

というか、あれだけ失敗して手数料取らなかったら赤字にならないんだろうか、と考えてすぐに思い直す。そもそも電気も何も使ってないから赤字になるわけないんだ。

 

「……たぶん、最初に一回失敗して、頭に血が上ってそのままもう一度、もう一度って強化依頼しちゃったんだろうな。アツくなるとドツボにはまるのは、どんなギャンブルも一緒だよなあ……」

「いやいや、わかってないな、キリト。レイズは吊り上げるのが楽しいんじゃないか」

「妙に実感のこもったコメントね」

「い、いえ、単なる一般論ですけど」

 

何かキリトが苦い顔してるな。ギャンブル関係で何かあったんだろうか。まあ、そっとしとこう。

アスナはそんなキリトを疑わしい目で見た後、脱線した会話を元のレールに乗せるべく言った。

 

「……まあ、わたしも可哀想だと思わなくもないけど、でもあんなに興奮しなくても……また素材ぶんのお金貯めて、再挑戦すればいいじゃないの」

「ん……いや、ところがそうはいかないんだよな」

「どういうこと?」

 

そのアスナの疑問はキリトから僕に引き継ぐことにして、僕は言った。

 

「『強化試行上限数』って知ってる?」

「ああ、なるほど……。あの人が持ってるのはアニールブレードよね。あれは確か……」

 

そのアスナの思考にキリトが先んじて言った。

 

「八回。つまり、四回の成功と四回の失敗で使い切っちやったんだ。あの剣はもう、二度と強化を試すことはできない」

 

SAOの強化システムには、『強化試行上限数』なるものが設定されている。その数量は武器の種類によって変化しする。例えば、初期装備のスモールソードならたったの一回だ。

そして、あの男の場合はアニールブレードに設定されている数である八回を使い切り、尚且つ最初と何ら変わっていないという悲劇が起きてしまっているのだ。

 

「…………なるほどね。それはまあ……確かに、荒れる気持ちも少しは解るわ。ほんの少し」

 

アスナの意見が少し同情に傾きかけたところで、男の絶叫が止まった。

どうやら、彼の仲間が二人来て必死になだめているようだ。

 

「……ほら、大丈夫だってリィフィオール。また今日からアニブレのクエ手伝ってやるから」

「一週間頑張りゃ取れるんだからさ、今度こそ+8にしようぜ」

 

うーむ。好い人達だなあ。ていうか、三人がかりで一週間もかかるのか。なんなら素手の方が気楽でいいかもしれない。

そういえば、キリトの剣もアニールブレードだよなあと思ってキリトの方を見やると、ほっと胸を撫で下ろしていた。

こいつ、たぶん一日ぐらいで取ったんだろうな。まあ、それもベータテスターの特権か。

そして、リィフィオールが肩を落として広場から出て行こうとするのに、罵倒を浴びせられ続けていた鍛冶屋が声をかけた。

 

「あの……ほんとに、すいませんでした。次は、ほんとに、ほんとに頑張りますんで……あ、もう、ウチに依頼するのはお嫌かもですけど……」

 

リィフィオールは鍛冶屋の方に向き直り、聞いてるこっちがいたたまれなくなるような声で言った。

 

「…………アンタのせいじゃねーよ。色々言いまくって、悪かったな」

「いえ……それも、僕の仕事の内ですから……」

 

うーん、リィフィオール可哀想!

 

「あの、こんなことじゃお詫びにならないと思うんですが……その、ウチの不手際で+0エンドにしちゃったアニールブレード、もしよかったらですけど、八千コルで買い取らせてもらえないかと……」

 

これを聞いて、観衆がざわめく。

アニールブレードの試行回数を使い切ったエンド品の相場はだいたい四千コルぐらい。八千コルというのは、相当に破格の申し出なのだ。

リィフィオールとその仲間達は顔を見合わせ、しばし呆然としていたが、やがて、当然のことながらその申し出に頷いた。




とりあえず、タイトルにはⅠと付けておきましたが、さて、何話構成になっちゃうんでしょう?

ちなみに今回出せなかった優子さん達の行動は次回やる予定です!


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第九話「儚き剣のロンドーⅡ」

今日、模試がありました……。
よってテンションがクソ低いです……。

第九話……どうぞ……。


「…………で?」

「「へ?なに?」

 

アスナの質問に僕達は完全なシンクロで返してしまった。

アスナは僕らを数秒間に渡ってジロリと睨んでいたが、ため息をついた後、口を開いた。

 

「…………何じゃないわよ。あなたがわたしをここに座らせたんじゃない」

 

どうやら質問は僕に向けたものではなく、僕らを広場のベンチに座らせたキリトに向けたものだったらしい。

 

「え、あ、そ、そうだっけ。ごめん、ちょっと考え事してて……」

「考え事って……キリト君とライト君も、あの鍛冶屋さんに強化頼みに来たんじゃないの?」

「え、な、なんでわかるんだ?」

 

キリトはびっくりしてるようだったが、ユウとの会話で思考を読まれることに慣れてしまっていたので、僕はあまり驚かなかった。

 

「ボス戦の後、《レッド・スポテッド・ビートル》狩りしに行くって言ってたでしょ。なら、片手剣用の素材集めに決まってるじゃない」

「お……おお」

 

何かキリトが感動してるな。そんなにすごいことあったかな?

そのキリトの反応には、アスナも怪訝な顔をした。

 

「……何、その反応?」

「いや……ほんの四日前まで、パーティメンバーの名前表示すら見つけられなかった人のお言葉とは思えなくて……あ、ひ、皮肉じゃないよ。マジで感心してんだ」

 

パーティメンバーの名前表示を見つけられなかった?それ、一ヶ月前の僕じゃないか!

こんなことを言うと真剣に呆れられそうなので黙っておく。

 

「最近いろいろ勉強してるから」

 

怪訝さを半額くらいにした表情でアスナがそう言った。

それを聞いて、何故かキリトがニヤニヤしてる。うーん、ちょっと気持ち悪いかな。

 

「そうか、うん、そりゃいいことだ。MMO世界じゃ、知識があるとないとじゃ何をやるにも結果が全然違うからな。知りたいことがあったらいつでも聞いてくれよ、なんせ俺は元テスターだからな、十層までなら全街の商品のラインナップからmobの鳴き声までばっちり網羅……」

「キリトっ!」

 

その声を聴覚野が音として感じ取ったとき初めて、その声が自分の口から出たものだと認識した。

いやしかし、僕にキリトを咎める権利は無い。

僕はキリトが許せなかったのではなく、あの時、キリトを止めることができなかった僕自身が……。

今キリトは変装をしている。それは、キリトも心の底では、周りから『ビーター』などと思われたくないと思っているという証拠に他ならない。

キリトがボスのLAを取り、ドロップした『コートオブミッドナイト』。本来ならば、着て街を歩けば勇者と謳われるはずだったそれが今、『ビーター』の代名詞に意味を堕としてしまっているのだ。

これからも、キリトが一人で背負うものの重さを考えると、僕は、悔まずにはいられない。

あのとき、ユウの制止を振りほどき、いつものような猪突猛進のバカだったらと。

僕の憂鬱な感傷を止めたのは、アスナの透き通った水晶のような声だった。

 

「……元テスターへの恨みや妬みを一人で背負おうだなんて、無茶しすぎのかっこつけすぎだと思うけど……それはあなたが決めた選択なんだから、わたしは何も言わないわ」

 

彼女は、僕がうじうじと考えていた問題に、彼女なりの答えを出し、自分の中で完結させたようだった。

しかし、僕は今からアスナの無干渉という決定に逆らうことをしようとしている。

 

「僕は……本当はあんな事して欲しくなかった。確かにあの場で標的をキリトに絞らせなければ、最悪の場合元テスターと新規参加者との対立という構図になっていたかもしれない。でも……それでも……僕は君をこんな状況に晒したくはなかった……」

 

こんなことを言っても無駄でしかないだろう。むしろ、キリトを苦しませることになるかもしれない。独りよがりと詰られるかもしれない。

でも、僕はこの剣士に僕の意思を伝えたかった。

でも、キリトの返した答えは、僕に重くのしかかった。

 

「…………ゴメン……」

 

違うんだ!キリトは何も悪くない!そんな脳の命令は僕の口に届かず、唯間抜けに開閉するだけだった。

 

「「「…………」」」

 

しばしの沈黙。

それを破ったのはアスナだった。

 

「えーっと……。わたしも今日、あの鍛冶屋さんにこの剣の強化をお願いしようと思って来たのよね」

「え……」

 

驚きの声は、キリトから漏れたものだった。

僕は、アスナの言葉を聞き、細剣使いの腰に下げられた得物を見やった。真珠のような光沢の鞘に収められた剣の名は『ウィンドフルーレ』。僕の記憶では、確か結構なレアものだったと思う。

 

「それ、今+4だっけ?」

 

そんなキリトの問いに、アスナは小さく頷いた。

 

「強化素材は自前で持ち込み?どんくらい持って来た?」

「えーと……『プランク・オブ・スチール』が四個と、『ニードル・オブ・ウインドスワプ』が十二個」

「へえ、頑張ったな。……でも……」

「うーん、それでも+5の成功率は八割ちょっとか」

そのキリトの暗算の速ささえも、僕の心をチクリと刺した。

「賭けるには充分な数字じゃないの?」

 

僕は、普通ならアスナの言葉に肯定の意を返しただろう。しかし、さっきの四連続失敗を見た後だと八割じゃ不安になってしまう。

 

「まあ、普通はそうなんだけど……さっきの一幕見ちゃうとなあ……」

 

どうやらキリトも僕と同じ意見らしく、どうしようもなく歯切れが悪い。

するとアスナは鍛冶屋を一瞥し、言った。

 

「コインの表が出る確率は、一回前の結果にかかわらず常に五十パーセントよ。さっきの人が何連続失敗しようと、わたしやあなたの強化試行には無関係でしょ?」

「そう……なんだけど……さ……」

 

アスナの言葉にキリトはたじろいてしまった。

僕が見た限りじゃ、アスナは超絶的に理性的だが、キリトは究極的に直感的だ。だからこそ、この二人、一見水と油のようでいて案外お似合いだったりする。

そして、恐らくキリトも思っているであろうことを僕は口にした。

 

「いやあ、アスナ。ギャンブルには流れってものが……」

 

そう言った僕をアスナの極寒の視線が貫いた。

アスナさんの絶対零度!一撃必殺!ライトは倒れた!

キリトはそんな僕を見て苦笑を浮かべていたが、その瞳にはどちらかと言うと安堵の色が浮かんでいた。

やっぱり同じことを思っていたようだ。

 

「なあ、アスナ」

 

キリトはアスナに体ごと向き直り、真剣な声音で言った。

 

「な……何よ?」

「成功率八割より九割の方が好きだよな」

「…………それはまあ、そうだけど」

「九割より九割五分の方が好きだよな」

「…………それもまあ、そうだけど」

「なら、妥協はよくないと思うんだ。どうせそこまで素材を集めたんなら、もう一頑張りして九割五分を目指すべきじゃないだろうか」

「………………」

 

アスナは怪しむような目つきでキリトを見つめている。

僕はというと、苦笑せざるを得なかった。というかキリト……アスナを人柱にする気まんまんじゃないか。

 

「ええ、確かにわたし、妥協は嫌いだわ。でも、口だけ出して体を動かさないヒトも同じくらい嫌い」

「…………え?」

 

この時点で、僕にはもう先の展開が見えてしまった。

まあ、天誅かな……。

 

「そこまで言うからには、わたしが完璧を追求するのを手伝ってくれるんでしょう?キリト君、ライト君。ちなみに、ウインドスワプの針のドロップ率は八パーセントですから」

「「………………え?」」

 

なんで僕まで巻き込まれてるの?

 

「そうと決まれば、さっさと狩りに行きましょう。三人なら、暗くなる前に百五十匹は狩れるわね」

「「……………………え?」」

 

僕が山登りをする前、素手で挑んでどうしようもなかったあの蜂をアスナがどっかの誰かと百五十匹も狩るらしい。

誰だろうな。そんなバカみたいなことする奴。

 

「それと、わたしと狩りするなら、その派手なバンダナ外してほしいわ。悪いけど全然似合ってない。それと、素手で狩り続けるなら、ノルマで針五本ね」

 

どうやら、僕らみたいだ。

 

 

三日前ーー『ウルバス』

 

「で、お前ら。装備どうする?」

 

ユウがティア、リーベ、そしてアタシ優子に向けて言った。

どうする?と言うのは、初期装備から何に変更するか、と解釈していいだろう。

その質問に真っ先に反応したのは、リーベだった。

 

「ボクはできれば、召喚獣と同じで両手斧にしたいな」

 

そういえば、彼女の現実である愛子が使役する召喚獣の得物は両手斧だったっけ。使っているうちに愛着でも付いたんだろうか。

そこで思考を切り上げ、アタシはユウの質問に対する答えを出した。

 

「アタシは、片手剣のままがいいわ。最近やっと扱いに慣れてきたんだもの」

 

アタシがそういい終わると、皆はティアの方を向き、答えを待った。

 

「…………」

 

なかなかに決めかねているようだ。そんなティアを見兼ねての提案か、それとも利己的にそう考えたのか、ユウがティアに言った。

 

「ティア、もし迷ってるなら、長柄武器(ポールアーム)にしてくれないか?」

「……ユウがして欲しいならそうする。でも、なんで?」

「いや、単純に俺らの中に後衛を務められる奴がいなかったからなんだが……」

「パーティに中距離武器がいないというのは結構な痛手じゃったからのう」

 

これは、ゲームをしたことのないアタシでもだいたい理解できた。確かに後衛がいるといないとじゃ、全然攻撃回数が変わってくるだろう。

 

「よし、じゃあとりあえず装備屋に行くか!」

 

そして、アタシ達はユウを先頭に装備屋へと歩を進めた。

 

 

「うーむ。姉上になら、これがよいのではないかのう」

そう言って秀吉がオススメしてきたのは、『クロムライト・ソード』という、その名の通りクロム光沢を持った剣だった。

 

「うん。じゃあそれにするわ。あの、すいません。これ下さい!」

『あいよ!毎度あり!』

 

システムに規定された返答をNPC装備屋が返したところで、アタシの所持金残高が半分となり、アイテムボックスにニューアイテムのタグが浮かんだ。

とりあえず装備。

 

「重っ!何よこれ!こんなの振り回せるわけないでしょ!」

「いや、姉上はリアルでソファを振り回……」

「試し斬りしてみようかしら」

「すどころか、鞄を持ち上げるのにも苦労しておったのう!そうじゃった、そうじゃった!いま思い出したわい!」

 

秀吉が理解力のある子で良かった。危うく『ホリゾンタル』のモーションに入りかけていた。

 

「でも、実際姉上の筋力ステなら扱いきれない代物でもないんじゃが……」

「ふーん。じゃあ『スモールソード』が軽過ぎただけなのかもね」

 

アタシの後ろでは、リーベが両手斧を、ティアが長槍を思い思いに振り回していた。

 

 

「よし。じゃあ『マロメ』に行くか!」

「ちょ、ちょっと待って。本当にライトを置いてって大丈夫なの?」

 

ずっと置いていくとは言ってたのだが、まさか冗談じゃなかったとは……。本当にユウとライトは友達なんだろうか。若干疑わしくなってきた。

 

「ああ、大丈夫だ。ついさっきあいつから『エクストラスキル身につけて、お前なんか問題にならないくらい強くなってやる!バーカバーカ!』っていうメールも届いたことだし」

 

本当にユウとライトは友達なんだろうか。結構疑わしくなってきた。

 

「……あと三時間で日が沈む。出るなら急いだ方がいい」

 

そのムッツリーニの情報を受け、アタシ達は『ウルバス』を後にした。




うーん。やっぱり動きがないですね。
結果、この話で何も起こってませんからね……。
書いててびっくりしました。何もしてないのに四千文字いってるって。


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第十話「儚き剣のロンドーⅢ」

遂に話数が二桁です!
初回から今まで見続けて下さっている読者の方々には頭が上がりません!
こんな行き当たりバッタリな駄文をこれからもダラダラと続けていきたいと思いますので、よろしくお願い申し上げますm(_ _)m


「スイッチ!」

 

そのキリトの声を聞き、僕は、アスナを狙って攻撃モーションに入ろうとしている巨大蜂『ウインドワスプ』に突っ込んだ。虫にしては巨体、モンスターにしては矮小な身体の側面に、体術スキル単発突き『閃打』を当てて攻撃軌道を逸らす。

そのまま毒針を前にした突進攻撃を継続した巨大蜂がアスナの横を掠めたとき、

 

「……ハァッ!」

 

流麗な気合いと共に、レイピア使いは、渾身の細剣用ソードスキル『リニアー』を炸裂させた。

 

「四十二!」

 

アスナはキリトの方を見て、勝ち誇ったようにそう言った。この数字は今迄に倒した蜂の数だ。この二人は今、ある賭けをしている。そして現在、アスナの二ポイントリードという状況だ。

僕?零に決まってるじゃないか。

そうして、さっき倒した黒と緑の縞模様が特徴的な巨大蜂がポリゴンとなってガラスのように砕け散ったとき、アスナの眼前ににアイテム取得の通知が入る。

 

「針が出たわね。もう充分溜まったわ。『ウルバス』に戻りましょ」

「い、いや、ちょっと待ってくれ。一応予備も取っておいた方がいいんじゃないか?」

 

当たり前だが、強化素材に予備なんて必要ない。なら、なぜキリトはこんなことを言いだしたのかというと……

 

「素直に言いなさい」

「すいません。もうちょっとだけ延長してください」

 

賭けに勝ちたいのである。

 

「そうね。じゃあ百匹になったら辞めましょうか?」

「ありがとうございます!」

 

キリトは今、完全に直角に頭を下げており、それを上から眺めるアスナの顔はまさしく強者の余裕を体現している。

なんというかこの二人、はたから見ていて面白い。

 

「二人とも!新しいのがPOPしたよ!」

 

僕がそう言うと、剣士二人は痛いほどの眼光で巨大蜂を貫いた。それだけで蜂が萎縮した様に見えたのは、気のせいだと思う。多分……。

まず、僕がサマーソルトキックのような体術スキル『弧月』をウインドワスプに命中させる。

ノックバック。そして、コンマ五秒のディレイ。

その隙に、キリトが片手剣用ソードスキル『スラント』を発動させた。

 

「ウオォォォっ!」

 

しかし、当たりが浅かったらしく、蜂の体力ゲージはレッドゾーンで減少を止めた。

巨大蜂は、後方へと飛んだが、その動きを予期していたかのように、先に蜂の後方へと回りこんでいたアスナは、華麗という以外の形容が似つかわしくないほどの『リニアー』で止めを刺した。

 

「四十三!」

 

そう宣言したアスナの顔はニヤニヤと言う擬音が聞こえそうなほどの表情を浮かべ、それと対照的に、キリトの顔は苦々しく歪んでいた。

 

三十分後

結局、アスナが二匹差を保ったまま、勝利を収めた。

 

「お疲れ様、二人とも」

 

何故かアスナは元気溌剌な声で僕らに労いの言葉をかけた。いや、理由は明確だ。

 

「楽しみだなあ、あのケーキどうしても食べてみたかったの。たった二匹差でも勝ちだものね。男の子なら、約束は守らないとね」

 

素手で良かった。そもそも戦いの土俵に上がらなかったんだから。

 

 

「……美味しかったね」

 

カフェを出てまず発した僕の第一声がそれだった。

結局、僕とキリトはアスナから分けてもらったケーキを仲良く半分ずつにして食べた。キリトがコルを払ったんだから、キリトが食べていいと思ったんだけど、僕にも譲ってくれた。

やっぱ、いい奴である。

街は、金色の夕暮れを超え、夜の闇を人々の光と喧騒が打ち砕いている。

そして、意識するとどこからとも無く笑い声が聞こえてくる。これは、デスゲームにおいて重要な意味を持つだろう。つまり、恐怖と絶望、または怒りが大きなウエイトを占めていたプレイヤー達の心に笑う余裕が生まれたのだ。

しかし、その笑顔は、必ずしもプラスの意味を持つとは限らないかもしれない。この世界を受け入れてしまえば、この世界の住人になってしまえば、それはこのゲームを攻略する意思の喪失に他ならない。

それの意味するところは、僕らの、プレイヤー達の屈服だ。

そんな憂慮をアスナの同意が打ち消した。

 

「うん…………美味しかった…………」

 

この世界での始めてのデザートを堪能して、彼女も感嘆を漏らしていた。

 

「……なんか、ベータ時代より更に美味かった気がするな……。クリームの口溶けとか、くどくなく物足りなくもないギリギリの甘さとか……」

 

お前は何の評論家だ。というツッコミは心の中にとどめておいた。何故なら、キリトの言っていることは僕も感じたからだ。

それほど、あのケーキは美味しかった。

すると、アスナは僕が感じたものとは別の部分を疑問に感じたようで、キリトに問うていた。

 

「……美味しくなったって……それはさすがに気のせいじゃないの?ベータテストと正式サービスでそんな細かいチューニングをするものなの?」

 

言われてみれば確かにそうだ。茅場は甘いもの好きだったりするんだろうか?

 

「味覚エンジンが再生するデータを更新するだけなら、大した手間じゃないと思うよ。それに、味はともかく、コレだけはベータの頃には絶対なかった」

 

そう言ってキリトが指差したのは、HPバーの横で点滅している四つ葉のクローバーの形をしたアイコンだ。

その効果は『幸運判定ボーナス』のバフだ。状態異常の抵抗判定や武器落下(ファンブル)転倒(タンブル)の発生確率、そしてレアアイテムのドロップ率などに関与するという結構ありがたい代物だ。

しかし、残念ながら今回のケーキの場合、効果時間が十五分と、狩りをしようとするとあまりに短い。

 

「……残念だけど、今からフィールドに出て狩りをするには、ちょっと足りないわね」

 

どうやらアスナは、僕と全く同じことを考えていたようだ。

そして、またキリトも然りであり、唸るように言った。

 

「でもなあ……せっかくのバフがもったいないなあ……」

 

キリトは、頭の中で色々な案をぐるぐる回していたが、広場の東の方から、カーンカーンという金属音が聞こえてきたとき、ばっと顔を上げて呟いた。

 

「あっ……」

 

そこで僕も、さっきの狩りの目的をようやく思い出した。

 

 

その鍛冶屋は、よくよく見るとドワーフの様な姿形をしていた。ずんぐりとした体格に、誠実そうな丸顔はもう本当にドワーフのそれとしか言いようが無い。

難点を上げるならば、ドワーフの象徴である立派な髭がないことだろうか。

そんな益体のない思考をアスナの鈴の音のような声が遮った。

 

「こんばんは」

 

その声を聞いた鍛冶屋はさっというより、どてっと顔を上げ、深々と礼をして言った。

 

「こ、こんばんは。いらっしゃいませ」

 

ドワーフさんは、テノールよりアルトに近い声でおどおどと言った。

ネットゲーマーに女性耐久が無いのは常だが、それで商売が務まるのだろうか。まあ、僕が心配することではないだろう。

鍛冶屋が向かう鉄床の横には、口が裂ければ立派と言える程度の看板が立て掛けられでいた。看板曰く、店の名は『Nezha's Smith Shop』。

ということはつまり、この鍛冶屋の名はネズハと言うことになるのだろう。

 

「お、お買い物ですか?それともメンテですか?」

 

すると、アスナは腰にさげたウインドフルーレを待ち上げ、用件を言った。

 

「武器の強化をお願いします。ウインドフルーレ+4を+5に、種類はアキュラシー。強化素材は持ち込みで」

 

すると何故か、ウインドフルーレを見たネズハは、自虐的な困り顔をしてしまった。うーん、昼間のことをまだ引きずっているのだろうか。

しかし、鍛冶屋としての仕事はきちんと果たす意欲があるようで、アスナの言葉に質問を返した。

 

「は、はい……素材の数は、どれくらい……?」

「上限までです。鋼鉄板が四個と、ウィンドワスプの針が二十個」

 

これで、武器強化のオプション設定は終了だ。

SAOの武器強化に必要な『基材』と『添加剤』を設定したのだから。

今回の場合、鋼鉄板である『基材』は、武器強化に常に必要不可欠だ。対して、『添加剤』は何をどれだけ使うかを設定できる。それにより、強化の種類と成功率が変動する。

ウィンドワスプの針は、クリティカル発生率を上げるパラメータである『正確さ(アキュラシー)』用の添加剤だ。それを上限いっぱいまで使ったときの、強化成功確率は、脅威の九十五パーセント。これで失敗すれば、目も当てられない。

そう、絶対にとは言わないが、失敗する確率は限りなく低いのだ。なのに、ネズハは、強化自体を忌避するように表情を歪ませる。しかし、彼も鍛冶屋だ。客の依頼を断る理由もないだろう。

 

「解りました。それでは、武器と素材をお預かりします」

 

と、軽く頭を下げ、ネズハは、アスナから丁寧にウインドフルーレを受け取った。

その後、アスナは空いた手でメニューウィンドウを操作し、麻袋に纏めておいたコルと基材、そして添加剤を鍛冶屋へと手渡す。

アスナは、もう残り四分となった幸運バフを横目で見て、キリトに何か言おうとしていたが、何かが彼女を踏み止まらせたらしく、くちを噤んだ。

その時、ネズハがアンビルの奥に設置された携行炉へと向かい、そこに、四枚の金属板と、二十本の蜂の針を流し込んだ。

携行炉は、一瞬、大きく真紅に燃え上がったかと思うと、一転して、氷を思わせる蒼炎へと、徐々に灯す炎の色彩を変えた。

そこに横たえられたウインドフルーレを、スカイブルーの炎が包み込む。

そして、ネズハが炉より剣を取り出し、鉄床の上へと移動させた。

カァン!カァン!と小気味好い音色が辺りを包む。

僕は、目をきつく閉じ、両手を合わせて願う。どうか、どうか成功しますように、と。

十回目。カァン!と響く。

強化の全行程が終了し、ウインドフルーレが上げた眩い閃光が、閉じられた瞼を通過し、僕の視覚野を刺激する。

僕は、恐る恐る目を開き、そして、目を疑った。

僕が目を開けたその刹那、ウインドフルーレは、とても、とても綺麗な音を立てて、その刀身をポリゴンの破片へと変えた。




わーい!三連休です!
筆者はなんと、小説を書く為に予定を開けておりますので、書き放題です!(あくまで小説を書く為です。友達がいないとかではありません)
というわけで、明日も投稿したいと思います!


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第十一話「儚き剣のロンドーⅣ」

眠い!

では、第十一話お楽しみ下さい!


キリトによると、SAOのシステム、カーディナルに規定されている武器強化失敗ペナルティは、何も起こらない『素材ロスト』、設定と違うプロパティが強化されてしまう『プロパティチェンジ』、そして、プロパティが減ってしまう『プロパティ減少』の三つ、のはずなのだが、僕らの目の前で起こった現象は、システムにないはずの『武器消滅』だった。

それに関して、ネズハは、

「あの……、正式サービスで、四つ目のペナルティが追加された……のかもしれません。ウチも、前に一度だけ……同じことがあったんです。だから、確立は、すごく低いんでしょうけど……」と言っていた。

確かに、今のところ、それ以外の選択肢を探そうと思うと「システムにない現象が起きた」しか無いのだ。それよりは、ネズハの説明の方がよっぽどしっくり来る。

 

 

「アスナ、あそこのベンチに座ろ?」

 

僕の提案に、細剣使いだった彼女は、小さく小さく、こくりと頷いた。

その沈痛な面持ちからは、普段の彼女の凛々しさは全くと言っていいほど感じられない。

 

「ええと……今度も手伝うからさ……頑張ってウインドフルーレより強い装備、作ろうよ」

 

僕の励ましに、キリトが情報を付け足してくれる。

 

「ああ……マロメの次の町には、あれよりほんの少し強いのが店売りしてるしな」

 

それでもアスナは俯いた顔を上げず、蚊の羽音ほどの音量でぽつりと言った。

 

「…………でも」

 

そのアスナの声色に、僕は思わず顔を伏せてしまった。

 

「でも、あの剣は……わたし、あの剣だけは…………」

 

そ発せられたその声は、明らかに濡れていて僕ははっと顔を上げた。

アスナの顔を直視すると、一粒、二粒と曇りのない水晶が彼女の頬を伝い、落ちた。

アスナがそこまで『ウインドフルーレ』に愛着がある理由は、僕には分からない。だけど、涙を流す彼女を、僕はほおっておく訳にいかない。

だけど、かける言葉が見つからないのも確かだ。

そんなとき、このデスゲームで、最もアスナと多くの時間を共にしたであろう、黒づくめの剣士が口を開いた。

 

「…………残念だったな」

 

そんな同情には、いつもなら食ってかかるであろうアスナのプライドが、今は涙に霞んでいた。

 

「でも……さ。冷たい言い方になっちゃうけど……もしアスナが、このデスゲームをクリアするために最前線で戦い続けるつもりなら、どうあれ武装は次々に更新していかなきゃならないんだ。仮にさっきの強化が成功していたとしても、ウインドフルーレは三層終盤までは使えない。俺のアニールブレードだって、四層最初の町で次の剣に変えなきゃならない。MMO……いや、RPGってそういうゲームなんだよ」

 

それは、激励よりも叱咤に近かった。しかし、理論的なアスナにはその方がいいだろう、僕もそう思ったのだが、このとき僕は、アスナが武器消滅でここまで落ち込んでいるという意味を理解していなかった。

 

「わたし……そんなの、嫌」

 

嗚咽混じりの弱々しい声。子供が駄々をこねるような口調で言った。

そして、アスナの独白が紡がれる。

 

「ずっと、剣なんてただの道具……いえ、ただのポリゴンデータだと思ってた。自分の技術と覚悟だけが、この世界の強さの全てだと思ってた。でも……一層で、キリト君が選んでくれたウインドフルーレを初めて使った時……悔しいけど、感動したの。羽根みたいに軽くて、狙ったところに吸い込まれるみたいに当たって……。まるで、剣が自分の意思で、わたしを助けてくれてるみたいだった……」

 

思い出を懐古するかの様に、元レイピア使いは口元を崩した。

 

「この子がいてくれれば大丈夫、わたし、そう思った。ずっとこの子と一緒に戦おうって。たとえ強化が失敗しても、絶対捨てたりしないって約束したんだ。最初の頃、使い捨てにしちゃった剣たちの分も、ずっとずっと大事にするって……約束、したのに……」

 

僕は、使い捨てにしたというエピソードを知らなかったが、それは、古くても一ヶ月前のことだろう。つまり彼女は、いや、プレイヤー達はこの短い期間の中で、否応なしに変化していっているのだ。良くも、悪くも。

 

「キリト君のいうとおりに、剣を次々変えていかなきゃならないのなら……わたし、上に行きたくない。だって、可哀想じゃない。一緒に頑張って……戦って、生き延びて……それなのに、すぐに捨てられるなんて……」

 

僕は、そんな風に考えたことすらなかった。使い捨てにしないのは、もったいないという意識であり、ましてや、今なんて使ってすらいないのだ。

 

「……いっそ、剣をアイテムストレージに入れっぱなしにして、ライト君みたいに素手で戦ってもいいかもしれないわね」

 

アスナは自嘲気味にそう言ったが、その音はどうにも乾いていた。

そんな、見ていて痛々しいほどのアスナを、キリトの次の言葉が救ってくれた。

 

「剣とお別れするときがきても、魂を一緒に連れていく方法はあるよ」

「…………え……?」

 

顔を上げたアスナの瞳が、一筋の光明を見て、清く輝いた。

 

「しかも、二つある。一つは、さっきアスナも言った通り、ストレージに保存し続けること。もう一つは、スペックが足りなくなった剣をインゴットに戻して、それを材料に新しい剣を作ること」

 

アスナは人形のように綺麗な指で、目元の露を払い、言った。

 

「あなたは、どっちか続けるつもりなの……?」

「俺はインゴット派だけど、ちょっと拡大解釈かな……。剣だけじゃなくて、防具やアクセサリもアリにしてるから」

「…………そう」

 

アスナはニコっと笑った。当然ながら、先ほどより美しい笑みだった。だけど、何処かにまだ少し悲しみの色が潜んでいた。

 

「……せめて、壊れた剣の破片をインゴットに出来ればよかったのにね……」

 

これには、キリトは何も言わなかったので、代わりに僕が口を開いた。

 

「大丈夫だよ。アスナが忘れさえしなければ、それは一緒に居るのと同じだよ。ね?」

 

すると、レイピア使いは、今迄見たことのない、穏やかな笑みを湛え、呟いた。

 

「…………ありがと」

「え……?」

 

キリトは信じられないとでも言うかのように聞き返していたが、僕は一瞬だけ目を見開いた後、微笑み、それ以上は何も言わなかった。

 

 

僕は今、左手の人差し指に、羽根を意匠した『ピクシー・リング』なる黄金のリングをつけ、りんご飴状の『ジンジャードロップ』を舐めながら、広場を闊歩している。

リングは、幸運ステータスが1%上昇というけち臭い数字に惹かれたのではなく、単純にデザインが気に入ったのだ。

また、飴もなかなかの曲者で、まずいのか美味しいのかよく分からない。

何故、僕はこんなことをしているのかというと、キリトはやりたいことがあるとか言ってどっか行ったし、アスナは、あの会話の後、すぐに宿屋に帰ってしまったので、つまり、暇なのだ。

そんなこんなで屋台を冷やかしながら練り歩いていると、インスタントメッセージが届いたという通知が僕の眼前に現れた。

ユウが近況報告でもよこしてきたのだろうか。そう思って開封すると、なんと差出人は、さっきまで一緒に行動していたキリトだった。言いたいことがあったなら、さっき言えばよかったのに。そう思って読み始めた文章には、こう書いてあった。

 

『アスナの部屋に行って、俺の指示通り動いてくれ!今すぐに!』

 

ここから、アスナの宿屋までは、だいたい五百メートル。つまり、僕の俊敏ステータスでいくと、三十秒かかる計算だ。

そんなことを考えるのももどかしく、僕は全速力で駆け出していた。

風に包まれ、むしろ僕が風になったような錯覚さえ受ける。そんな、刹那の疾走感をすぐに断ち切り、僕はアスナの泊まる宿屋に駆け込み、二○七号室のドアをノックする。

 

「アスナ、僕だよ!開けるね!」

 

転がり込むように部屋の中に入ると同時にドアを閉め、顔上げた瞬間、ベッドに横たわる人影と目が合った。

 

「キャアアア!」

 

という悲鳴を無視して、僕はアスナににじり寄り、言った。

 

「緊急事態なんだ!時間がないから、僕の言うことを聞いて!」

 

僕の真剣さを感じたのか、とりあえずは大人しくなった細剣使いに指示を出す。

 

「まず、ウインドウを出して、可視モードにして!」

「え……え…………?」

 

戸惑いながらも、ウインドウを可視モードにしながら、アスナは僕に疑問をぶつけた。

 

「でも、あの、なんで……わたし、ドアにちゃんと、鍵…………」

「パーティメンバーは、宿屋の初期設定だと鍵を解除できるようになってるんだ。」

 

まさかここで、ムッツリーニと二人で秀吉の部屋に潜り込んだ経験が役に立つとは。人間万事塞翁が馬とはよく言ったものだ。

 

「え?……あ、そ、そうなの?」

 

そのアスナの言葉に構わず、僕はアスナのメニューウインドウと睨めっこをする。

右手のセルに設定アイテム無し。

 

「よし!よかった!」

 

時間は……少なくとも後五分はあるな。いや、油断は禁物だ。

 

「僕の言う通りに操作してね。まず、ストレージ・タブに移動!」

「え……あ、う、うん……」

 

アスナは素直に従ってくれた。多分頭が混乱してるだけだけど……。

 

「次にセッティングボタン、でサーチボタン……そのマニュピレート・ストレージってやつを押して……、出た!《コンプリートリィ・オール・アイテム・オブジェクタイズ》!イエス!」

 

流されるがまま、アスナはイエスボタンを押した。そして、今更我にかえった。

 

「え?全アイテムオブジェクト化?」

 

ドサっとか、ガチャンとかフワとかの擬音を立ててアスナの全アイテムがオブジェクト化した。

 

「な……なっ、なな、な……!?」

 

アスナはすごい形相をしているが、それを例によって無視。二つの山があるホック付きレースやら、太ももが通るくらいの二つの穴がある逆三角形形レースやらが見えたが全部無視して、僕は一つのものを探し続ける。

 

「ライト君のこと、キリト君よりは良識があると思ってたんだけど……評価を撤回するわ」

「いや、これもキリトの指示だから!」

 

嘘は言っていない。

ソレは、アイテムの山の最奥にあった。

使いこまれたことにより風格が漂う、耽美な刀身。

ウインドフルーレ+4、そのものである。

そして、アスナからなんとも形容しがたい声が漏れた。

 

「………………うそ…………」

 




最後、何度観ても超展開ですね。
書いてて楽しかったです。
また、明日というか今日も投稿しますので、お楽しみに!


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第十二話「儚き剣のロンドーⅤ」

すいません!更新遅れました!一昨日に投稿すると言ったのに……。
しかも、今回は何のスピード感もない説明回です……。

一応、話の流れと大いに関係があるので、読んだ方がいいとは思うのですが、如何せんツマラナイ!

あまり、期待せずどうぞ。


バンッ!ゴロゴロッ!

そんな擬音を立てながら、キリトはアスナの寝室に転がり込んで来た。

そして、ベッドに座る細剣使いの膝の上に置かれた優美なレイピアを見て、胸を撫で下ろして言った。

 

「はあ……よかった……」

「ああ、キリト君。丁度良かったわ。そこで、ライト君と一緒に正座しなさい」

 

キリトは、一瞬だけ顔が硬直したが、徐々に苦々しい表情になり、言った。

 

「…………はい」

 

 

僕ら二人は、仲良く並んで正座をしている。

僕は、体はアスナに向けているが、視線は自分の膝の上にある手の甲に一直線だ。

手の中で湿った感覚が表層化する。システムが僕の感情を読み取り、冷や汗をかかしているのか、それともただの錯覚か。どちらにせよ、僕の頭上に視線の氷柱が降り注いでいるという事態は揺らがない。

 

「……いろいろ検討してみたんだけど」

 

いきなり、仮想の空気の振動に、僕らの身体もビクリと振動する。そして、焦るように二人揃って返答した。

 

「「は、はいっ!」」

 

懐疑的な目を僕らに向けながらも、アスナは次なる言葉を紡いだ。

 

「わたしが今感じてる怒りを百Gだとすると、今感じてる喜びも百Gなのよ」

「てことは、プラマイゼロ?」

 

キリトの素早い返答。伏せられていた目に光が宿った。

そんなキリトにアスナは優しく微笑みかけ、言葉を発した。

 

「いえ、やっぱり感謝の気持ちも伝えたいから、一Gぶんライト君に感謝して、一Gぶんキリト君をぶん殴るわ」

「チョット!ソレオカシイヨ!」

 

エセ中国人みたいな発音で紛糾するキリトの横で、僕はそっと胸を撫で下ろした。

 

ドンガラガッシャーン!

 

閑話休題

 

キリトは、窓の外に吹っ飛ばされたついでに買ってきたワインとナッツをゴトリと宿屋の床に置いた。

ちなみに、この世界の酒類は、味は再現されているものの、実際に酔ったりはしない。まあ、酔った気分になって暴れる奴は時々いるが。

アイテムストレージを操作し、キリトが三人分のワイングラスをオブジェクト化した。

透き通った、滑らかな曲線を描くソレに、赤褐色の液体が、指ぬきの黒いゴム製グローブをした剣士の手からトクトクと注がれる。

グラスを手に取り、ゆっくりと回すとフルーティな香りが鼻腔をつつく。口に含む。香りの通り、爽やかで飲みやすい。酒というより、ジュースに近い味わいだ。例えるなら、ボージョレヌーボーだろうか。

おそらくこの選択は、アルコールを飲んだことがないであろうアスナに気を使ったのだろう。

そんなキリトの気遣いなど気にも留めず、アスナはワインを煽った。そもそも、これまで酒を飲んだことがないなら、そんな気遣いに気付けないんだろうけど。

今の一瞬で、僕、気って何回言った?

そんなどうでもいい思考を中断し、僕はさっきから持っていた疑問を口にした。

 

「そういや、さっきのって、何で単位がGだったの?」

 

それ、蒸し返すなよ、というアイコンタクトがキリトから送られてきたが、無視してみた。というか、いつの間に僕はキリトとアイコンタクトで会話出来るようになったんだろうか。

 

「ああ、分かってなかったのね。衝撃加速度よ」

 

僕は再度首を傾げた。あれ?何故か二人からの視線が妙に優しいような……、この空気に耐え切れず、僕は話題を変えるべく、まだ微かにワインの余韻が残る口を開いた。

 

「あっ、そうだ、キリト!さっきのタネを教えてよ!なんで砕けたはずのウインドフルーレがアスナのアイテムストレージに入ってたのさ!」

「え?ライト君も知らなかったの?」

「うん。僕はただ、キリトの言うとおり行動すれば、ウインドフルーレが戻ってくるって言われただけだからね」

「分かった。説明する。でも、長くなるよ、かなり。俺も仕掛けの全体像を把握してるわけじゃないし」

「構わないわ。まだまだ夜はこれからでしょ」

 

そう言って、アスナはナッツを一つ手に取り、口に放り込んだ。

 

「ライトはさっき、『なんで砕けたはずのウインドフルーレがアスナのアイテムストレージに入ってたのさ』って言ったよな」

「うん」

「そこが、この仕掛け……っていうかトリックっていうか……ぶっちゃければ『強化詐欺』のキモなんだ」

 

アスナが怪訝な顔をする。かくいう僕も、これには穏やかにいられない。強化詐欺は他のプレイヤー鍛冶屋がいるMMOタイトルでは、見ないほうが珍しいほどのメジャーな詐欺方法の一つだ。だがそれは、画面越しに、しかも操作が全て相手の画面内で行われるからこそ成り立つものであって、強化過程まで全て丸見えのSAOでは簡単に出来るものではない。まあ、アスナはそんな事情など理解していないだろうけど。

 

「口で説明するより、見てもらった方が早いかな」

 

そう言って、キリトは自分のメインメニューを、僕らに見えるように可視化し、

 

「ここ。俺の装備フィギュアの右手セルには、『アニールブレード+6』のアイコンがあるだろ?」

 

僕らは、それに小さく頷き、先を促す。するとキリトは、アニールブレードを鞘ごと背中から取り外し、床に置いた。それに連動して、メニューの右手セルを薄く灰色が覆う。

 

「これが、『装備武器の落下(ドロップ)状態』なのは知ってるよな?」

「うん。一層にディスアームのMobもいたしね」

「ああ、あれには慣れてないと手こずるんだよな。っと、脱線したな。ええと……んで、アスナ、その剣を拾ってみてくれ」

 

眉間にシワを作りながら、アスナはウインドフルーレを腰の象牙色の鞘に戻し、アニールブレードに手を伸ばした。

 

「これでいいの?」

「うん。ほら見てみろよ」

 

そう言って、キリトが指差した場所は、さっきと同じ右手セルだった。しかし、そこには、グレーアウトしていたアニールブレードの名が綺麗さっぱりなくなっていた。

 

「これが、戦闘中なら『武器奪われ(スナッチアーム)状態』って奴だ。ディスアームと違って、スナッチ技まで使う敵はかなり上の層まで行かないと出てこないけど、ソロで喰らうと相当ヤバイぞ。そこまでに、武器スキル派生Modの『クイックチェンジ』は絶対取っておかないと……いや、そうじゃなくてええと」

 

ゴホンと咳払いして、キリトは会話の軌道修正をした。

 

「で、まあ、さっきアスナが鍛冶屋にウインドフルーレを渡したときは、この状態になるわけだ」

「…………!」

 

アスナはこの先の展開を予測できたようだ。眼光を引き絞り、アニールブレードをじっと見つめている。

ちなみに、僕はまだ、何も分かっていない。

 

「でもな、いいか、重要なのは、このようにセルが空っぽで、一見何も装備していないように見えても……そのアニールブレードの『装備者情報』はクリアされていないってことだ。この装備権って奴は、単なるアイテム所有権よりずっと強く保護されてる。たとえばいま、そのアニールブレードの所有権は、アスナに手渡してからたったの三百秒……五分でクリアされて、次に誰かのストレージに入った瞬間にそいつの物になるわけだ。でも、装備権の持続時間は遥かに長い。クリアされるのは、放置もしくは手渡し状態になってから三千六百秒が経過するか、あるいは、俺の手に次の武器が装備されたときだ」

 

アスナは目を上に向け、思考を巡らせてから、唐突に口を開いた。

 

「つまり、さっきライト君がわたしのメニューを確認した……いや、キリト君が奪い見させたのは、それを確認したかったからなのね。わたしが他の武器を装備してしまっていないことを」

「うん。キリトは僕にまず、武器が右手に装備されていないか、されていなければまだ、助かる見込みがあるって言ってたね」

「で、第二の条件は、武器を預けてから三千六百秒ーーつまり、一時間以内であること。その条件を満たすために、俺はライトに頼んだんだ」

 

すると、アスナは思案顔で呟いた。

 

「……じゃあ、あなたはさっきまで何処にいたのよ?」

 

鋭い眼光にキリトの目が泳ぐ。そして、なんとか絞り出した答えをキリトが呟く。

 

「いやあ……ちょっと調べものをしてまして……」

 

狼狽するキリトと、射抜くアスナの視線が交わされる。

数秒後、レイピア使いはため息まじりに視線を外し、ホッと胸を撫で下ろした。

 

「ええと……話を戻すぞ。その二つの条件を満たしていれば、装備武器がどこにあろうと、問答無用で引き戻す最終手段があるわけだ。ライトは最初に『なんで砕けた剣がアイテムストレージに入ってたのか』って言ったけど……」

 

ここまで言われれば、僕にもそれなりに理解できてきた。

 

「……つまり、アスナの剣は砕けてなかったし、アイテムストレージに入ってたわけでもなかったんだね」

 

その僕の言葉に続くように、アスナが仮想の空気を震わせた。

 

「そして、剣を回収する最終にして唯一の手段がさっきの操作……『所有アイテム完全オブジェクト化』。で、一分一秒を争う事態だったから、ライト君にあんなことをさせたのは正当だと、あなたはそう言いたいわけね」

 

キリトの顔面が全体的に引きつった。

 

「ま、まあそーゆーことになる……カナ?」

 

アルゴみたいな口調でそういうと、アスナはそれが気に障ったのか、鼻を鳴らして黙ってしまった。

というわけで、僕が代わりにキリトにちょっと心につっかえていたことを尋ねた。

 

「そういえば、あの完全オブジェクト化ボタン、なんであんなに使いにくいとこに設定したのかな?それと、全アイテムが絶対に一気に出ちゃうところも使いにくいよね」

「そうよ。出せるアイテムを設定できたら、下……関係ない装備までオブジェクト化されなかったのに」

 

関係ない装備というのは、あのヒラヒラしたレース類のことだろうか。あのときは、焦ってあまり意識してなかったけど、結構すごいことしてたなあ。思い出したら、恥ずかしくなってき……

 

「ライト君?死にたい?」

「いやいや、そんな滅相もありません!」

 

くっ!思考を読まれたのか!

 

「元を話に戻すけど、答えは、ライトの言った通り、『使いにくくするため』だよ」

 

キリトが苦笑いを浮かべながら、話の筋を戻した。

でも、僕の理解力ではその言葉の真意は測れなかった。もしかすると、言葉通りの意味じゃないのかもしれないな。ちょっと聞いてみよう。

 

「その心は?」

「別に謎かけじゃないぜ。つまり、さっきのは『最終的救済手段』なんだ。アイテムを無くすのは自分のミスなんだから、本質的には失ったアイテムは諦めなきゃいけない。でも、それだと難易度が高過ぎるっていう制作側の判断だろうな。一つだけ、救済手段が与えられてる……けど、安易に使えないように制限もされてるってわけだ」

 

キリトがナッツを手に取り、指で弾いて口でキャッチした。これを現実でやると、惨事が起こる可能性があるのでやめた方がいい。ナッツ類は喉にはいると、気管の水分を吸って膨張し、完璧に喉をふさいでしまうのだ。経験者は語る、である。あの時、姉さんが背中をどついてくれていなかったらどうなっていたことか。肋骨が三本ほど折れたけど。

その時、フェンサーの凛とした声が僕のどうでもいい思考をせき止めた。

 

「とりあえず、剣が戻ってきたロジックについては了解したわ」

 

マルーンの液体を口に流し込み、キリトの真意を探るかのように目の鋭さを際立たせ、言った。

 

「でも、これでようやく半分よね?だってわたし、確かにみたもの。鍛冶屋さんに手渡した剣が、鉄床の上で粉々に砕けるのを。戻ってきたこのウインドフルーレが、元々わたしの装備していた剣だっていうなら……あの時壊れた剣は、いったいなんだったの?」

 

確かに、この問題の最大の疑問であるその仕掛けに、キリトはまだ何の言及もしていない。

するとキリトは、瞼を閉じて考え込んだ後、徐に口を開いた。

 

「正直、俺もそっちのロジックについては百パーセント解明できたわけじゃない。でも、これだけは言える……アスナのウインドフルーレは、ネズハに手渡してからアンビルの上で消滅するまでのどこかの段階で、同種の別アイテムにすり替えられたんだ。俺は最初、彼は特定プレイヤーの武器を意図的に壊しているんだと思ったけど、でもそうじゃなかった。彼は、アインクラッド初のプレイヤー鍛冶師にして、初の『強化詐欺師』だったんだ……」




跨いじゃいました!やっちまった!何してんでしょうね……。

まあでも、次はちょっと説明したら戦闘回です!



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第十三話「儚き剣のロンドーⅥ」

ちなみに、前回のナッツを喉に詰めた話は筆者の実体験だったりします。皆!食べ物で遊ばないようにね!




窓の外は、広大な森も、切り立つ山も、このアインクラッドという遊戯盤の外側に浮かぶ雲も、全てが闇に包まれている。その中に、煌々と輝く光の群が擬似的な銀河を形成していた。

屋台の灯りや、宿の電灯など、それらは、確かにこの世界にプレイヤーが生きているという証だ。それはつまり、その無数の星の一つとなる僕らもまた、生きているということだ。

その光景は、僕にここが、仮想世界の内部だということを感じさせない。もはや、僕らにとってこの場所は、一ヶ月、戦闘し、食事し、睡眠し、駆け抜けたもう一つの現実だ。

だからこそ、僕は『強化詐欺』という明確な『罪』の発芽に狼狽した。

そして僕には、今からキリトが語る言葉を聞く権利があると思うし、これ以上の犯罪行為を止める義務があると思う。

 

 

「この件で問題なのは、このSAOが、世界初のVRMMOだってことだ。ここじゃあ、剣は渡してからも俺たちの視界に存在し続ける。すり替えると言っても簡単じゃない……というか、むちゃくちゃ難しいはずなんだ」

 

そう、それこそがこの事件の一番の謎なのだ。それが解ければこの事件を解いたことと同義だし、むしろ、この事件の根幹は、そのトリックが形作っているといっても過言ではない。

 

「ええ……。わたし、剣を預けてからもずっと眼を離さなかったつもりよ。あの鍛冶屋さんは、わたしの剣を左手に持ったまま、右手だけで炉やハンマーを操作してた。あの状況でウィンドウを開いてストレージにわたしの剣を入れて、代わりに偽物を取り出すなんて不可能よ」

 

僕は祈って、眼を瞑っていたけど、アスナは、じっと見ていたようだ。僕も見ていた方が良かったんだろうか……。

 

「ああ、それは俺も確信してる。露店の商品棚には既製品のレイピアも並んでたけど、いいとこ『アイアンレイピア』止まりで、『ウインドフルーレ』は一本もなかったから、そこですり替えるのも不可能だしな……。ただ……」

「「ただ………?」」

「ただ、ほんの短い間だけど……俺の眼が剣から離れたタイミングがある。ネズハが、アスナから受け取った強化素材を炉にくべて、炉が青く光り始めるまでの……長くても三秒くらいなんだけどな」

「確かに、僕も炉を……青い光が綺麗だなあって思って……」

「わ、わたしもその時ずっと炉を見てたかも……」

 

これで、あの数秒の間にネズハが剣を入れ替えたことは確定だろう。だがやはり、まだ疑問は残る。だから僕は、その疑問を言葉として形作った。

 

「でも、そのたった三秒くらいで剣をすり替えられるかな?」

 

その僕の疑問に、当然とばかりに大きく頷き、キリトは口を開いた。

 

「今度こそ左手に注目して、仕掛けを見破ってやる……と、俺も思うよ。でも、難しいだろうな……」

「どうして?」

 

アスナがきょとんとした目で呟いた。

 

「今頃ネズハは、騙し取ったはずのウインドフルーレ+4が消えてるのに気付いてるはずだ。それはつまり、騙されたプレイヤー……この場合はアスナが『完全オブジェクト化』コマンドを使ったってことで、てことは詐欺行為の存在もバレた可能性が高い、と彼は判断するだろう。しばらくは警戒して店を出さないか、だしても強化詐欺は絶対やらないと思うよ」

「…………そうね。あんまりイケイケな感じの人でもなかったしね……っていうか、そもそも……」

 

そこでアスナは、口を噤んだ。それを引き継ぎ、僕は呟いた。

 

「うん。僕にもネズハは、詐欺をするような人には見えなかった」

「ああ……俺も、同感だ」

 

ほんの少しだけ、アスナの表情に微笑みの色が見えた。

そして、キリトは空気を変えるように、声を変えて言った。

 

「しばらく、情報を集めてみる。すり替えのトリックもだけど……ネズハ本人についても」

「集めてみるっていうより、アルゴに頼むって感じでしょ?」

「ご名答!」

 

僕ら二人は顔を見合わせ、苦笑した。僕は、そしておそらくキリトも、彼女に半分騙されたように、あの地獄の体術スキル修行をしたことを思い出しているはずだ。

そんな僕らを怪訝な眼で見ながら、アスナはいつものソプラノをアルトにして言った。

「どちらにせよ、明日は前線に出なきゃだめでしょ?今日のお昼にマロメで聞いた話じゃ、明日の午前中に最後のフィールドボス戦があって、午後からは迷宮区に入れるだろうって」

フィールドボスというのは、迷宮区の外に設置されている中ボスのことだ。

この情報から分かることは、第一層で、二十日かかった迷宮区までの道程を、第二層では、なんと一週間で踏破してしまったということだ。これは、『始まりの街』で待っている人達の、ボスに勝利したことで灯った希望の灯りをさらに大きく焚き付ける結果となるだろう。

キリトの顔にも少し笑みがこぼれていた。そして、そのままの顔でキリトはアスナに尋ねた。

 

「へえ、早いな……。攻略部隊のリーダーは誰なんだ?」

「キバオウさんと、あと一人……リンドさんていう人」

 

毎度おなじみの僕の苦手なキバオウさんがノミネートされていた。苦手の原因を作ったのが僕の気がするけど。

しかし僕には、もう一人のリンドさんという名前には、聞き覚えがなかった。

それはキリトも同じようで、僕らは二人して、アスナの説明を待った。

 

「リンドさんは……一層のボス戦の時に、ディアベルさんのパーティにいた、シミター使いの人よ」

 

僕の喉が急速に渇いた。息が詰まり、呼吸も覚束なかった。

僕の脳裏に浮かぶあの日の情景。キリトを糾弾し、絶叫し、紛糾し、慟哭する一人の男の光景。

彼がこの、キリトの状況を作った張本人だというのは解る。だが、頭に血が上っていたあのときとは違い、冷静になった今なら、彼の行為は非難できるものではないと思える。

彼はボスが倒されたことで失った怒りの矛先を、彼の推論で、ディアベルを救えたはずだと思ったキリトに向けたのだ。

褒められたことでないにせよ、間違ったことでもない。

いや、彼を焦点に当てることがおかしいか。そもそもあのとき、僕が彼を止めることができたならこんなことにはならなかったのだ。

こんな僕の思考を自嘲する。僕みたいなバカは理論よりも行動のはずだ。やはり、僕自身のエスプリにも、このデスゲームに囚われ、変化が生じているのだろうか。

その時、キリトは僕と同じくしていた長い沈黙から脱した。

 

「キバオウはともかく……あのシミター使いがリーダーなら、フィールドボス戦に俺のワクはなさそうだな。二人はどうするんだ?」

 

レイピア使いは栗色の髪を揺らしながら、かぶりをふった。

 

「フィールドボスの偵察隊には参加したんだけど、ラストアタックボーナスの扱いとかでちょっと頭ごなしな言い方されて、『なら本戦には参加しない』って言っちゃった」

 

なんと言うか、アスナらしい言葉すぎて、僕の頭に、リアルなその場の光景が浮かんできた。

 

「うーん、じゃあ僕もやめとこうかな」

 

その僕の答えは、有る程度予期していたようで、剣士は小さく、上下に頭を振った。

 

「まあ、フィールドボスはそう手こずる相手でもないんだけど、フロアボスが問題でさ、ちょっと特殊なスキルを使うんだよ。迷宮区の時間湧きMobで対処法を練習できるから、それさえやっとけばいいんだけど……」

 

ベーダテスター節を思いっきり炸裂させたキリトの言葉を聞くと、アスナは即断即決で言った。

 

「なら、鍛冶屋さんの件はひとまず置いて、明日はその練習に当てましょう」

 

何かを考えているらしいキリトは、よく考えずにその意見に頷いていた。

 

「ああ、そうだな……」

「集合は朝七時にウルバスの南門でいいわね」

「うん、そうだな……」

「今夜は夜更かししないでちゃんと寝るのよ。遅刻したら今度こそ加速度百Gですから」

「おう、そうだな……って、え、は、はい?」

 

今頃我に返ったのか、このバカは。というか、僕の意見は全く聞かれなかったな……。

まあ、そんなことより、遅刻だけで百Gとはこれ如何に?




どうしよう……。説明だけで終わってしまった……。僕自身、話が進まなさすぎて、びっくりしてます。
というか、地の文長すぎんじゃねって話ですよね〜。


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第十四話「儚き剣のロンドーⅦ」

お気に入り登録件数が百件を超越いたしました!
いや、もう、まじで本当にありがとうございます!
嬉しすぎて、今ディスプレイの前で土下座しております!
うそです!


二層に連なる無銘で無数な山々、その内の一つの頂上付近に腰掛けている。

何故こんな所にいるかというと……

 

「もうちょっとね」

 

そう言って、アスナは第二層迷宮区直前に広がる盆地を指差した。

そこを陣取る巨大牛の名は『ブルバス・バウ』。アインクラッド第二層最後のフロアボスだ。

つまり僕らは、迷宮区に入るための待ち時間で、フィールドボス戦の高みの見物を決め込んでいるのだ。

攻略パーティは、六人パーティが二つとリザーブ三人だった。

 

「あそこにいる、待機組三人の名前知ってるか?特に、真ん中のバシネット被った奴」

 

キリトが僕ら二人に向けて、僅かに焦りの色が混じった声でそう問いかけた。

 

「僕は知らないけど……」

そう言って、僕はアスナを横目で見やった。

するとアスナは、なんでもないような顔で言った。

 

「知ってるわよ」

「な、なんて名前?ていうか、何で知ってるの?」

 

キリトは何をそんなに焦っているんだろう?

 

「名前は確か……オ……オルランドさんだったかしら……。一緒に偵察隊をしたのよ」

「オルランド……?今度は騎士ならぬ聖騎士様か……」

 

騎士というのは、今は亡き青髪の美男子、ディアベルのことだろう。そして、オルランドはフランスの騎士だったかな?

次にアスナは、小太りの聖騎士の右に立つ小柄な男を指差した。

 

「あの人はベオウルフって名乗ってたわ。それで、反対側の痩せた槍使いがクフーリンさん」

「あー……それも伝説上の英雄だな。デンマークの叙事詩とケルトだったかな」

 

なんて言うか……痛いな……。

 

「あの人たち、もうギルド名も先に決めてるみたい。確か『レジェンド・ブレイブス』って言ってた」

「……そうか……うーん……うぅーーーん!」

 

どうやらキリトも僕と同じ感想を持ったようで、半笑いのまま唸っていた。

画面越しでプレイする普通のネトゲなら、アバターにどんな名前を付けようと問題ないだろうが、自分自身がアバターのVRMMOで、あの名前はちょっと大胆すぎやしないだろうか。

 

「……あの人たち、昨日の朝に前線攻略プレイヤーがマロメの村で偵察前の打ち合わせしてるとこに乗り込んできて、一緒にやりたいって言ったのよ。リンドさんがステータスを確認したら、レベルとスキル熟練度は攻略隊の平均より少し落ちるけど、装備がかなりしっかり強化してるみたいで……いきなり一軍は無理としても、リザーブなら充分だろうってことになったの」

「……そうか……。なるほどな……」

 

アスナの言葉に頷いたキリトの真剣な視線の先には、

 

「うおおぉぉぉぉっ!」

 

そんな雄叫びを上げながら、フィールドボスに果敢に斬りかかる片手剣使い、オルランドの姿があった。

その得物は、キリトの背中に刺さるものと全く同じ形状の武器、すなわちアニールブレードだった。

 

それから五分くらい経ち、アインクラッド第二層最後のフィールドボス、『ブルバス・バウ』がその巨体を青いガラス片に変えた。

それを見守った後、僕はキリトに些細な疑問を投げかけてみた。

 

「そういえば、なんでキリトはあの人たちが気になるの?」

「え、ええっと……」

 

キリトはどちらかと言うと、アスナの視線に怯えていて、僕に目線でヘルプを送ってきた。

いや、内容もわからないのに助けを求められても……。

数秒の逡巡の後、キリトは意を決したように小さく頷き、言った。

 

「……鍛冶屋ネズハは、『レジェンド・ブレイブス』の一員だ」

「え……!それって……じゃあ……」

 

アスナは何かを悟ったようだったが、僕は脳の情報処理能力が追いつかなすぎて困っていた。

キリトはそんな僕を待ってはくれなかった。

 

「ネズハが行っている強化詐欺は、集団の……つまりはリーダーであるオルランドの指示によるものだと、俺は思う。……ネズハのスミスショップがウルバスに現れたのって、正確にはいつ頃なのか知ってるか?」

 

キリトは完全にアスナの方へ向いて言った。僕は戦力外通告されたようだ。

 

「ええと……二層が開通した、その日だったと思うけど……」

「ってことは、まだ一週間経ってないのか。でも、ウインドフルーレやアニールブレード級の……しかも強化済みの剣を、一日に一、二本搾取するだけでも大変な儲けだろうな。普通に狩りで稼げる金額の、十……いや、二十倍はいくか……。アスナ、さっき言ってただろ。オルランドたちは、ステータスの低さを、武装の強化度で補ってるって。武器のスキル熟練度は戦闘しなきゃ上がらないけど、強化は……」

「お金があればいくらでもできる。そういうことね」

 

うーん……。何言ってるかわかんないな……。そう思っていると、アスナが明確な決意の炎を目に宿して、立ち上がった。

おっと……。これは、アスナさんのブチ切れ状態だな……。

アスナはそのまま、山を下ろうとしたので、僕とキリトが慌てて前に立ち塞がった。

 

「アスナ、落ち着いて!」

「ああ、気持ちはわかるけど、まだ何の証拠もないんだ」

「だからって、このまま……」

「少なくとも、強化詐欺のトリックぐらいは見抜いてからじゃないと、逆にこっちが名誉毀損扱いされちゃうよ。この世界にはGMはいないけど、だからこそ多人数に敵視されるのは危険だし、アスナまでビーター扱いされる必要は」

 

僕は、そのまで言いかけたキリトの脇腹を小突いた。

同時にアスナからも、鋭い視線が送られ、キリトはたじろいた。

 

「それこそ今更な気遣いよ、これから一緒にダンジョンに入ろうっていうのに。でも、言わんとするところは理解したわ。確かに証拠どころか仕組みも不明じゃ、ただのいいがかりね……」

 

アスナはそこで一拍置き、少し眉をひそめて、声の調子を下げた。

 

「わたしも、何か考えてみるわ。武器すり替えのトリックを暴くだけじゃなく、明白な証拠を押さえられるような手を」

 

アスナの瞳に宿る色は、さっきが激憤の赤だとするなら、今度は高熱を秘めた青だった。

そして僕らは、二人揃って、アスナの瞳に青ざめていた。

 

 

「嫌っ……来ないで……!近づかないで……!」

 

薄暗闇の中、怯えながらも明確な拒絶の意思を表す美少女。それに、のそりのそりと近づく筋骨隆々の大男。

サスペンス?ホラー?いえいえ、スプラッタです。

 

「来ないでって……言ってるでしょ!」

 

美少女の持つ細剣が光を放ち、大男の身体の随所を穿つ。

ね?スプラッタでしょ?

 

「ブ……モオオオオオッ!」

 

そんな断末魔の悲鳴を残して、牛頭の大男は青白く光るポリゴンを撒き散らしながら消滅した。

 

「牛じゃないでしょ、こんなの!」

 

確かに、頭以外はただのマッチョ男である。それが、腰に薄手の布一枚だけ巻いた状態で迫ってくるのだ。確かに、ちょっとキツイ。

僕らは、フィールドボスが倒されると同時に、迷宮区に誰よりも早く到達し、キリトの指示ルートの通りに進んで、宝箱を根こそぎ取るという、もうビーターと言われてもしかたのないようなことをしながら、迷宮区の二階に到達していた。

その時だった。誰もいないと確信していたはずの背後から確かに僕らに向けて声がかけられたのだ。

 

「あ!よう、お前ら!」

 

振り返った僕の目の前にあったものは、赤みがかった髪を逆立たせた、醜悪な顔のMobだった。

 

「うわ!また気持ち悪いモンスターが!アスナが嫌がるから、早めに倒さなきゃ!」

「よう!キリト、アスナ」

 

ほう、無視ときたか。

 

「おいおい、誰か忘れてやしないかい?」

「なんだ。まだ生きてたのか。悪運の強い野郎だな」

そんな言葉は悪役しか吐かない。

「お前は僕の敵だったのか?」

「逆に敵以外のなんなんだ?」

 

邪悪な笑みと共に、互いの刀身が光り出す。

 

「はぁ……あなたたち、そこまでにしときなさい」

 

ため息まじりに、優子がそう注意した。

 

「やあ優子。久しぶり」

「なんであなたはそこまで、テンションを使い分けられるのかしら……、まあ、久しぶり……」

 

あれ?ひょっとして僕、呆れられてる?

 

「いや、ひょっとしてではなく、完全に呆れられてると思うのじゃが……」

 

あ!久しぶりだね、秀吉。

 

「だから、心で会話しようとするでない!」

「へえー、すごいね。ライト君と秀吉君って心で会話できるんだ〜」

 

リーベが冗談めかして、そう言った。

 

「うん!僕と秀吉は心で通じ合ってるからね!」

 

何故か優子の顔が紅潮していた。どうしたんだろ?

 

「……ライト、ちょっと話がある」

「うわあ!びっくりした!ムッツリーニか……、驚かせないでよ」

「……そんなことより、俺と割り勘で、映像記録結晶を買って欲しい。もしかすると、この世界でムッツリ商会を開業できるかもしれない」

「詳しく聞こうか」

 

密会をする僕らから離れた場所に、ユウとティアが腕を組んで……

 

「待て、ティア!ここは圏外だぞ?関節技をきめられると、俺のHPゲージがジリジリと減少するんだが」

「……絶対に離さない」

「お前は人造人間十九号か!?」

 

腕を組んでいた。

その時、呆気に取られたようなキリトの呟きが耳に入った。

 

「……なんか、いきなりカオスなことになったな……」

 




今回、意識して地の文を少なくしてみたのですが、いかがてしたでしょうか?


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第十五話「儚き剣のロンドーⅧ」

通算UAが一万を超えちゃいました!
ますます、読書の皆様には頭が上がらなさすぎて、もう地面にめり込んでおります!
この小説は、まっだまだ終わりませんので、最後までこの駄文にお付き合いいただければ幸いです!


「えーと、それじゃ……第二層迷宮区到着を祝って、乾杯!」

「「「「乾杯!」」」」

「かんぱーイ!」

「「「「……乾杯」」」」

 

キリトのかけ声と共に、それぞれがそれぞれのテンションでグラスを打つ。

透明なガラスになみなみ注がれた、金色の泡立て麦茶も、こちらの世界なら合法なのが嬉しい。強いて言うなら、酔えないのが難点だろうか。

これまた、金色の巻き毛を揺らしながら「ぶっはァー!」などと仰っている情報屋様は、中ジョッキを一気に飲み下して、速攻でおかわりを頼んでいた。

一面が木製の、何処か温かみのある店内には、ジャズとも、ポップスともつかない、ゆったりとしたBGMが流れている。

 

「本当に……ここの酒もアルコール入れりゃいいのにな……」

 

忌々しそうにユウが呟いた。

 

「……その口ぶりだと、リアルでも飲んでいたように取れるんだけど?」

 

どうやらアスナは、そういうグレーなことが気に入らないらしい。まあ、らしいっちゃらしいけど。

 

「……ごめんなさい。現実に戻ったら、よく躾けておく」

「俺はお前のペットか!?」

 

客観的に、彼氏かペットかと聞かれれば、僕は間違いなくペットと答えるだろう。

引きつった笑みを浮かべていたアスナは、やがて、楽しそうな表情で聞いた。

 

「二人は、リアルでも付き合ってるの?」

 

え?さっきペットだって言ってたじゃ……ああ、そうか。アスナはあれを冗談だと思ったのか。

改めて、文月学園の異常さを意識してしまった。

 

「……うん。ユウが十八歳になると同時に結婚するつもり」

「いや、ティア……印鑑を押してても、人間には拒否権というものがあってだな……」

「……ユウにはない」

「残念!俺は人間じゃなかったようだ!」

「だから、さっきからペットだって言ってるじゃないか」

「黙り腐れ、バカ野郎」

「黙りこくれよ、犬畜生」

 

アスナが呆れた視線でこちらを見ている。なんか、最近呆れられることが多い気がするな……。

そのとき、僕の横によくわからない具材によくわからない味付けをしたおかずの乗ったプレートが置かれた。

 

「隣いいかしら?」

 

落ち着いた声で、そう僕に尋ねたのは、秀吉と瓜二つの美少女、優子だった。

 

「うん。どうぞどうぞ」

 

そう言って、僕は人一人分のスペースを開ける。それを見て、優子は何故か複雑な表情をしていたが、数回目を瞬かせると、スカートを後ろから押さえながら、僕の隣に腰掛けた。

そして、向かいのムッツリーニの横には、優子と同じようにリーベが座った。

 

「何故、二人ともこっちに移ってきたのじゃ?」

 

そう言って、秀吉はキリトとアルゴの座る四人掛け用の小テーブルを見やった。

その疑問に、先に応じたのは、リーベだった。

 

「いやー、ちょっとあのテーブルが辛気臭くてさ〜」

「あの二人、ずっと真面目な話ばっかりしてるのよ?いくらアタシでも気が滅入るわ……」

 

うーん。そこまで言われると、あっちの会話も気になるな。

そう思って立ち上がろうとした時、優子は、何か言いたげにこっちを見ていた。

 

「ん?どうしたの、優子?」

「え?あ、いや、何でも無いわよ」

 

気のせいかな?そう思って、僕は席を立った。

歩くたびに軋む床板に、改めてリアルだなあ、と感じてしまう。

 

「お邪魔していいかな?」

「ああ」

「いいゾ」

 

ほぼ同時に首肯するキリトとアルゴ。それを聞いて、僕は、隣あって座る二人の向かいに腰掛ける。

 

「あ、そうだ。アルゴ、強化の過程で武器がこわれることってあるの?」

 

何と無く聞いた問いに、二人が揃って微笑する。

 

「それなら俺がさっき聞いたよ。可能性があるのは、試行回数を使い切った、エンド品を無理矢理強化しようとしたときぐらいらしい」

 

よく考えると、こんな重要案件をキリトが聞いていない方がおかしいかもしれない。

その時、エンド品という言葉が僕の記憶の奥をピリッと刺激した。しかし、その感覚を掴もうとすると、モヤがかかって見えなくなってしまった。

 

「ああ、そうだ。アルゴ、迷宮区一階・二階のマップデータだ」

 

当たり前のことをするかのように、キリトはアルゴに、オブジェクト化させた地図を差し出す。

 

「いつも悪いナ、キー坊。前から言ってるケド、規定の情報代ならいつでも……」

「いや……マップデータで商売する気はないよ。地図を買わなかったせいで死ぬプレイヤーがいたら寝覚めが悪いしな……。でも、今回はその代わりっていうか、一つ条件付きの依頼を受けて欲しい」

 

どうやらキリトは、早速本題に入ろうとしているらしい。

 

「ふぅン?まあ、オネーサンに言ってみナ?」

 

冗談めかしたそのセリフに、キリトは少しドギマギしてるようだった。

苦笑の表情を真剣なものに改め、剣士は鼠に用件を伝えた。

 

「アルゴももう存在は知ってるだろうけど……」

 

そこでさらに、キリトは語気を弱め、店内の様子を確認した。

僕ら以外の客はおらず、もし路地から聞き耳スキルを使われていても、となりのテーブルが騒がし過ぎて、このボリュームの会話なんて聞き取ることは不可能だろう。

僕と同じ結論に達したであろうキリトは、商談を続けた。

 

「……今朝の『ブルバス・バウ』討伐戦に参加してた、『レジェンド・ブレイブス』っていうチームの情報が欲しい。メンバー全員の名前と、結成の経緯」

「ふム。……条件、ってのは何ダ?」

「俺が彼らの情報を欲しがっていることを、誰にも知られたくない。彼ら自身には特に」

 

さて、これにアルゴはどう答えるのだろうか。僕の知っている情報屋アルゴのモットーは、売れる情報はなんでも売るということだ。彼女が、その信念を曲げるとは思えないのだが……。

 

「ん〜……ンン〜〜〜」

 

思いの外悩んでいるようだ。

 

「ま、いっカ」

「あっさりだな!」

 

おっと……思わずつっこんでしまった。

アルゴは僕にニヤリと笑った後、キリトに向き直り、少しの艶かしさを見せながら言った。

「でも、これは憶えといてくれよナ。オネーサンが、商売のルールよりキー坊への私情を優先させたってことを」

 

 

【取り急ぎ、第一報】

 

宴会の終了から一時間程経った頃、キリト宛にアルゴからのメッセージが届いた。

キリトが素早い操作でウィンドウを可視化してくれたので、その場に居合わせた僕は画面を覗き込んだ。

そこに記されていたのは、やはりと言うかなんと言うか、レジェンド・ブレイブスメンバーの情報だった。

幾ら何でも早すぎるだろ、と苦笑しつつ、僕は文面に視線を走らせた。

まず目に入ったのは、リーダー、オルランドの名だった。

レベル11、盾持ち、やや重装タイプの片手直剣使い。

名前の由来まで記しており、オルランドというのは『シャルマーニュ十二勇士』の一人らしい。

そして、ベオウルフやクフーリンの情報を確認した後、最後にネズハの名前があった。

レベルは10と何故かそこそこ高い。ビルドは、当然鍛冶屋タイプ。そして名前の由来が……

 

「「…………え!?」」

 

僕らは、二人揃って声を上げた。そこに書かれていた、アルゴにとっては何気ない一文が、僕らの先入観を全て吹き飛ばしてしまったのだ。

 

「読み方が……全然違ったんだ!」

「で、でも、ブレイブスの連中は彼のこと『ネズオ』って呼んでたぞ……!?」

 

その文章に読みふける僕の傍らで、キリトは顎に手を当てて何かを考えこんでいる。

 

「あっ…………!」

 

キリトは、自らの左手を開き、もう一度握った。

 

「そうか……そういうことだったのか……!」

 

 

「強化、頼む」

 

SAO初のプレイヤー鍛冶屋は、全身甲冑姿の男に、怪訝な目線を向けていたが、やがて男に差し出されたアニールブレードを受け取った。

この男はつまり、キリトの変装第二弾である。顔が見えてはいけないとは言っても、このセンスは何なのか。

ちなみに僕は、鍛冶屋の裏手にある喫茶店に待機している。

 

「プロパティ、拝見します」

 

そう言って、鍛冶屋は剣をタップ。ウィンドウを開き、ステータス窓を確認する。

 

「アニールの+6……試行二回残し、ですか。しかも内訳が……S(鋭さ)3、D(丈夫さ)3。使い手を選ぶでしょうけど、凄い剣ですね……」

 

ネズハは、口元を綻ばせながら呟いた。だが、その笑みは邪悪なものでなく、それがいっそう僕の、詐欺への疑問引き立てた。

しかしその笑顔は、波打ち際の砂山のように淡く溶け、代わりに悲痛な色が彼の表情に張り付いた。

 

「…………強化の種類は、どうしますか?」

 

あまりに長い間。続けることを拒むかのように、鍛冶屋であることを拒むかのように。

 

「スピードで頼む。素材は料金込みで、九十パーぶん使ってくれ」

「……解りました。確率ブースト九十パーセントだと、手数料と合わせて、二千七百コルになります」

「それでいい」

 

金属鎧による、強いボイスエフェクトがかかった声で、キリトが肯定の言葉を返した。

そして、キリトはメニューウィンドウを操作し、鍛冶屋に二千七百コルを振り込んだ。普通ならここで窓を消すが、後々のためにわざと残しておく。幸い、ドワーフ顔の少年はこれに対して、特に変だとも思わなかったのか、通常通りの対応をした。

 

「……二千七百コル、確かに頂きました」

 

それを聞いて、僕はそっと胸を撫で下ろしたが、すぐに居住まいを正して、目と耳を澄ます。

鍛冶屋が強化素材を炉にくべ、携行炉から強いライトエフェクトが放たれる。

その瞬間、カーペットに並ぶ剣と共に置かれたアニールブレードを、空いた左手で鍛冶屋がそっと叩く。一瞬だけ刀身が瞬く。

これだけでもう、武器すり替えが完了した。本当に、よくこんなトリックを思いつくなと、呆れ半分、感心半分に頭の中で呟いた。

今アンビルの上に乗っている剣は恐らく、三日前にリュフィオールから下取りしたアニールブレードだ。

つまり、+0のエンド品。無理矢理に強化しようとすると壊れてしまうそれに、強化対象を変更したのだ。

どうしようもなく悲しげに歪む表情は、自らの手で壊してしまう剣への追悼だろうか。

十回目、最後の槌音がカァーンと鳴り響くと同時に、僕らの予想通り、アニールブレードは、硝子のような音を立てて砕け散った。

沈痛な面持ちで、俯きながら謝罪の言葉を述べようとする一歩手前で、キリトは先んじて口を開いた。

 

「いや、謝る必要は無いよ」

「…………え…………」

 

相手からこの言葉が出るということは……、今、鍛冶屋の中では、最悪の想像が駆けていることだろう。

それを肯定するかのように、剣士は、分厚い甲冑を消し去っていく。

最後に、黄色と青のバンダナも外し、第一層ボスのラストアタックボーナス、コートオブミッドナイトを装備した。

鍛冶屋の顔には、驚愕と絶望、そして少しの安堵が入り混じっていた。

 

「…………あ、あ…………あなたは…………あの時の…………」

 

もう彼も悟っている筈だ。漆黒のコートに身を包む目の前の剣士が、強化詐欺の本質を理解していることに。

そしてキリトは、詐欺の手口と同じ方法を使って、右手にアニールブレードを出現させた。

 

「まさかこんなに早く、しかも鍛冶屋が『クイックチェンジ』のModを習得してるなんて、誰も思わないよな……。その上、発動に必要なメニューウィンドウを、カーペットと売り物の間に隠すアイデアも見事なもんだ。この手口を考えた奴は、正直天才だと思うよ……」

 

Modとは、武器の熟練度が五十増えるごとに習得できる追加オプションだ。

『クイックチェンジ』は、片手武器なら、最初から、つまり、何かしらのスキルで熟練度が五十に達したときから取得できる。

その効果は、あらかじめショートカットアイコンに武器を設定することで、タップ一つで武器の変更が出来ること。

さらに、細かく設定することで、最後に装備した武器と同名の武器をストレージ内から自動で検索し、取り出すことも可能なのだ。

つまり、この詐欺の仕掛けは、客から武器を受け取った時点で装備状態となった武器を、客が炉内の素材が発する光を見ている間に、左手で武器をタップ。その、コンマ一秒もかからない動作ですり替えは完了してしまうということだ。

そしてキリトは、自分のクイックチェンジに設定していたアニールブレードのセルをタップすることで、所有権の優先効果により、手元に戻したのだ。

これが、この強化詐欺の手口、その一部始終である。




投稿に一週間かかってしまいましたね。
でも、次はもっとかかっちゃいます。なんてったって、学年末テストなんて七面倒なものがありやがるわけですから。
というわけで、二週間ほど投稿することがかないませんが、気と首を長くしてお待ち下さい!


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第十六話「儚き剣のロンドーⅨ」

やってもうた……。投稿してもうた……。
ら、らめえぇぇぇっ!りゅ、留年しちゃううぅぅぅ!

(筆者の)絶望と慟哭が響く第十六話、開始です。


「…………謝って、許されることじゃないですよね」

 

小さな小さな独白。壁一枚を隔てて聞き取るのは、聞き耳スキルを習得していなければ不可能だっただろう。

 

「……せめて、騙し取った剣を皆さんにお返しできればいいんですが……それも無理です。ほとんど全部、お金に変えてしまいましたから……。僕にできることは……あとはもう、これくらいしか……!」

 

悲壮に顔を歪めながら、絞り出すように呟くと、鍛冶屋は唐突に立ち上がり、鍛冶屋の命たるハンマーさえも、投げ捨てるようにその場に置き去りにして走り出した。

その方向は圏外、つまりそういうことだ。

その行動を半ば予期していた僕は、コーヒーの会計を自動清算で済ませ、喫茶店から飛び出した。

走る鍛冶屋に追いすがり、前に回り込もうとする寸前、栗色の髪と、土色のローブをはためかせながら、フェンサーがスミスの眼前に降り立った。

 

「あなたが一人死んでも、何も解決しないわ」

 

アスナの口から、凛とした声が響く。

彼の視線が、細剣使いのウインドフルーレに向き、顔を俯かせた。

 

「…………もし、誰かが僕の詐欺に気づいたら……その時は、死んで罪を償おうって、最初から決めてたんです」

 

それを聞いた途端、僕から、今迄したことのないような説教じみた言葉が、口をついて出た。

 

「それは、君にとっては決意かもしれない。でも、僕にとっては、いや……この浮遊城に囚われる多くのプレイヤーにとっては、それは逃げに聞こえるはずだよ。罪から、圧力から、視線から、そして、攻略という恐ろしく長い拷問から、何もかもから逃げてるんだ。死っていうのは、常に一方的なものだからね。自殺って、つまり、そういうことなんだ。君達に騙され、装備を奪われた人達の怒りは、何処に向かえばいいんだい?確かに、ただ単に怒りをぶつけられるのは、この場合、理不尽ではないにしろ間違っていると思う。でも、君達には、それに向き合う義務がある。だからね、僕は君に、生きて、きちんと罪を償って欲しい。それが、今、君に出来る最善の選択肢だよ」

 

出来るだけ、優しく、優しく、語りかけるように、僕は言った。

誰よりも僕が、自分からこんな言葉が出ることに驚いていたが、三人は、さして訝しくも思わなかったようだった。

話の途中から、彼の表情に現れていた色が、少しだけ変わった気がした。

そして、俯かせていた顔を上げ、僕らと目を合わせてから、深々と腰を折り、言った。

 

「ごめんなさい。攻略組のライトさん……ですよね?ありがとうございます。僕は……やっぱり、ダメですね……」

 

良かった。ちょっと卑屈だけど、思い直してくれたようだ。だが、今のネズハの言葉には、聞き流せないものがあった。

 

「え……っと、何で、僕の名前を知ってるのかな?」

 

そんなに、目立つことをした覚えは無いんだけどな。

 

「一層の頃は存じて無かったんですけど、二層に入って、素手で最前線にいるバカが……いや、僕が言ったんじゃないですよ?」

 

目立つことしてたな……。この世界でも、僕の名は、バカで通ってしまうのだろうか……。

落ち込む僕を他所に、鍛冶屋は、アスナに向き直り、もう一度頭を下げた。

 

「アスナさんも……本当にごめんなさい。大切にしていらっしゃった細剣を、一時であれ、失わせてしまって……」

「いや、あの……ちょっと待って、何でわたしの名前も知ってるかしら?」

 

心底嫌そうな表情で、アスナが尋ねた。

そんなに目立ちたくたいのか、それとも、僕と同類になりたくないのか……。自分で言ってて、悲しくなってきた……。

 

「そりゃ……攻略組唯一の女性ですし……」

 

アスナは、何とも微妙な顔を作った後、おもむろに、右手を握った。

 

「じゃあ、俺のことも知ってたりするのかな?」

 

そりゃ言わずもがなだろう。と思ったのだが、しかし、ネズハの答えは、予期していたものとは、正逆だった。

 

「え……っと……、すいません。知りません……」

「プッ!」

 

キリトの左右で、僕とアスナが同時に吹いた。その両者をじとっと睨みつけ、キリトは、再度口を開いた。

「話を戻そうか。君は何故、鍛冶屋に、しかも強化詐欺なんて物に手を出してしまったんだ?このSAOにいるってことは、君も元々は、剣士を目指してたんだろ?」

するとネズハは、遠くを見るように、視線を宙に泳がせ、言った。

 

「ええ……確かに、目指していましたよ。でも、もう、消えてしまったんです。この世界に来る前に。それよりずっと前……ナーヴギアを買った、その日に。……僕は……最初の接続テストで、FNC判定だったんです……」

 

FNCとは、フルダイブ不適合(ノンコンフォーミング)の略だ。

人間の脳の形は、当然、一人一人異なっている。ナーヴギアは、装着者ごとに、微妙な調整を自動で行っているのだが、今回のネズハの様に、市販のナーヴギアでは、カバーし切れない場合がある。最も、SAOにログインが出来ているということは、そこまで重度の障害では無いのだろうが、いまや、ここはデスゲームだ。多少のラグが命取りになる。

むしろ、完全不適合判定で、ログインすらできない方が幸運だったかもしれない。

 

僕らは、先程まで、僕が待機していた喫茶店に場所を移し、再度、ネズハの言葉に耳を傾けた。

 

「…………僕の場合は、視覚に異常が出てしまったんです……」

 

言って、ネズハは、注文したお茶にゆっくりと手を近づけ、そっと、取手に指を通した。

 

「見えないわけじゃないんですが、遠近感が上手く働かないんです……」

 

確かに、それは、剣士としては致命傷だ。モンスターとの間合いを測れなければ、攻撃など、出来よう筈もないのだから。

せめて、メインとなり得る、遠近関係なく攻撃可能な、遠隔攻撃系のスキルがあれば、話は違っただろう。だが、SAOからは、遠隔攻撃は、一切合切排除されてしまっている。

 

「でも……僕が言うのもなんですけど、よく……すり替えのトリックを見破りましたね。しかも三日前、アスナさんのウインドフルーレを回収した時にはもう、気づいてらしたんですよね……?」

 

先刻よりも、少しだけ声のトーンを上げたネズハに対し、得意げにキリトが言った。

 

「あー、まあ、あの時点では『もしかしたら』程度のもんだったけどな。気づいた時点でもう一時間の所有権持続リミットギリギリだったから、アスナの部屋に……」

 

やっと左からの視線に気づいたようだ。もし、相手がアスナではなく美波なら、もう既に、背骨の八本や九本、洗濯物の如くおり畳まれていたことだろう。

全く……僕にも被害が出るかもしれないのに、もうちょっと配慮して欲しいものだ。

 

「完全オブジェクト化コマンドを使って頂いたら、ウインドフルーレが戻ってきたからさ。それで、詐欺の存在は確信したんだけど……手口、クイックチェンジを使うトリックにまで辿り着いたのは一昨日だ。鍵になったのは、君の名前だよ、ネズハ……いや、ナタク」

「…………!」

 

ナタクは、唇を震わせ、マグカップから手をほどき、目を伏せた。

 

「…………まさか、そんなところにまで、気づくなんて…………」

「まあ、こればっかりは、情報屋に頼っちゃったけどな。だって、君の仲間……レジェンド・ブレイブスの五人も、君をネズオって呼んでたからさ。あれはつまり……彼らも知らないってことだよな?ネズ……じゃない、ナタクのキャラネームの由来を」

「ネズハでいいですよ。元々そう読んでもらうつもりでつけた名前ですから」

 

少しだけ、寂しさを混ぜたような笑みで、ネズハは言った。

 

「……ええ、そのとおりです……」

 

哪吒とは、三国志や、西遊記と並ぶ、中国四大伝奇小説の一つ、封神演義に登場する仙人の青年だ。つまり、何の誇張もなく、伝説の勇者(レジェンド・ブレイブ)の一人なのである。

よって、元々は生産職ではなく、戦闘職を目指していたのだろう、という推測に基づき考えるとするならば、ネズハが、武器Modとしてクイックチェンジを取得している可能性が浮上するのだ。

そこまで思考が辿り着いたのなら、この事件のタネは、トントン拍子に解明されてしまう。そうして僕らは、クイックチェンジを使った犯行の手口を解したのだ。

 

「……レジェンド・ブレイブスはもともと、SAO正式サービスの三ヶ月前に出た、ナーヴギア用のアクションゲームで組んでたチームなんです」

 

ネズハは、慎重にお茶を啜ってから、暗色の色彩を帯びた声で、電子の空を震わせた。

 

「一本道で、押し寄せてくるモンスターを斬りまくるだけの単純なゲームでしたが……それでも、僕には荷が重かった。奥行きが解らないせいで、剣を空振っては、モンスターに接近されてダメージを受けてばかりで……僕がいるせいで、チームのスコアはなかなかランキング上位には行けませんでした。オルランドたちとは別にリアルの知り合いでもないし、チームを抜けるか、いっそそのゲームを辞めるべきだったんでしょうけど……でも……」

 

ネズハの手が、食い込む程強く握られる。自らを卑下するかのような声音を、震える声に混ぜて、新たな音が僕の耳朶を打った。

 

「……皆が抜けてくれと言わないのをいいことに、僕はチームに留まり続けた。そのゲームが好きだったからじゃありません。三ヶ月後に、チーム全員でナーヴギア初……いや、世界初のVRMMO、ソードアートオンラインに移住することが決まっていたからです。僕は……僕はどうしてもSAOを体験したかった。でも、FNC判定のこともあって、一人きりでゲームを始める勇気もなかったんです。甘え……ですよね。SAOでもオルランドたちのパーティに入れてもらえれば、まともに戦えなくても……強くなれるんじゃないか、って……」

 

ネズハの乾いた唇が、そんなはずは無いのに、と自嘲気味に動いた気がした。

握られていた手は、開いても強張ったまま、樫の机に伏せられた。

 

「……僕は、前のゲームでは違う名前を……オルランドやクフーリンみたいな、誰もが知ってる英雄の名前を使ってたんです。それをナタクに変えたのは、言ってしまえばオルランドたちへの追従、おべっかです。みんなみたいな英雄の名前は使わないから、仲間のままにしておいてくれっていう。由来を聞かれた時は、本名のもじりだって答えました。もちろんウソです。みんなにネズオ、ネズオって呼ばれながら、内心では僕の名前だって英雄なんだぞって思ってたんです。ほんとに……どうしようもないですよね……」

 

集団意識は人の性だ。それをどうこう言えるほど、僕たちは偉くない。そう弁えているからこそ、僕ら三人は、ネズハの自虐的な言葉に、何も言わなかった。

喫茶店の角を、重苦しい静寂が包むなか、ことのほか優しい声振りで、フェンサーはネズハに借問した。

 

「でも、SAOがデスゲームになって、状況が変わったのね?あなたはフィールドに出るのをやめて、生産職になった。鍛冶屋なら、戦わなくても仲間のサポートは出来るものね。けど……なんでそこから強化詐欺にまで飛躍したの?そもそも、詐欺は誰のアイデアだったの?あなた?それともオルランド?」

 

この事件の骨子を優しく問い詰めるアスナさん。やっぱりアスナはアスナだったようだ。

少しだけネズハは、喉を詰まらしていたが、すぐにフリーズから復旧し、呼応した。だが、その答えは、僕らの予見を大きく外れた。

 

「僕でも、オルランドでも…なんで他の仲間でもありません」

「え……じゃあ、誰が……?」

 

質問者の意地か、アスナが続ける。しかし、それに対する呼応は、一見、見当はずれとも思えるものだった。

 

「……僕は、実際には最初の二週間くらいは戦闘職を目指してたんです。この世界には、たった一つだけ、飛び道具を使えるスキルがありますから……それなら、遠近感がなくても戦えるんじゃないか、って……」

 

問い掛けの答えを得られなかったアスナは、何処か不機嫌そうな顔をしながらも、ネズハの言葉に傾聴していた。

そして、僕はというと、飛び道具が使えるスキルなる物の存在に心当たりがなかったので、この言葉には、必然的にキリトが反応した。

 

「なるほど、投剣スキルか。……でも、あれは……」

 

やはり、投剣スキルなんてものには聞き覚えがなかったが、名前から、大体の機能は予測できた。

 

「ええ……。はじまりの街で、一番安いナイフを買えるだけ買ってスキルの修行をしたんですけど、ストックを投げ切っちゃうと何もできないし……と言って、フィールドの石ころじゃダメージが低すぎてとてもメインに使えるスキルじゃなくて……熟練度を50まで上げたところで諦めたんです。しかも、ブレイブスのみんなを僕の修行に付き合わせちゃったせいで、最前線集団にに乗り遅れて……」

 

確かに、彼らには、装備さえ整っていれば充分最前線で戦えるだけの技術があるという事が、先日のフィールドボス戦で一目瞭然なのだ。

投剣スキルの修行に時間を割かなければ、イルファングザコボルトロードとの戦いに、彼らが参戦していた可能性だって大いに考えられる。

 

「……僕が投剣スキルを諦めるって決まった時の話し合いは、かなり険悪な雰囲気でした。誰も口にはだしませんでしたけど、ギルドに僕を抱えているせいで出遅れたって、みんな思ってたはずです」

 

この発言に、僕は首を傾げた。ネズハの話を聞いている限りでは、オルランドたちは、デスゲームになった途端にネズハを見捨てることも出来たはずだ。それをしなかったのは、彼らも、ネズハのことを仲間だと思っていたからこそではないか。つまり、その会議の雰囲気は、卑屈なネズハ自身が作り出した被害妄想ではないのか、そう思い口を開こうとしたが、一刹那前に、ネズハが話し出したので、僕は口を噤んだ。

 

「鍛冶屋に転向するって言っても、生産スキルの修行にはお金がかかりますから……いっそこいつをはじまりの街に置いていこうって、みんな誰かが言い出すのを待っているような状況でした」

 

聞けば聞くほど、ネズハの思い込みのような気がしてくる。逆に、僕が、そう思い込んでいるだけなのだろうか。

うーむ。やっぱり人の気持ちって、分かりにくい。

そんな僕の考えなと露も知らないネズハは、自分が邪魔者という前提で話を進めていく。

 

「……ほんとは、僕が自分で言うべきだったんですけど……どうしても言えなかった。怖かったんです、一人になるのが……。そうしたら、話し合いをしていた酒場の隅にいた、それまでずっとNPCだと思ってた人が近づいて来て、言ったんです。『そいつが戦闘スキル持ちの鍛冶屋になるなら、すげえクールな稼ぎ方があるぜ』って」

「…………!」

 

僕らは、思いもよらない第三者の介入に泡を食った。

この、やり口はどうあれ、途轍もない効率で資金を調達することのできる手段を、まさか全くの赤の他人から享受するとは、夢にも思っていなかったのだ。

 

「だ、誰だ、そいつ……?」

 

狼狽した語調で、キリトが訊く。

 

「名前は……分かりません。武器すり替えのやり方だけ話して、すぐ行っちゃったんです。それ以来、一度も見かけなくて。でも、なんだか……妙な感じの人でした。しゃべり方も……格好も。黒エナメルの、雨合羽みたいなフーデッドマントをすっぽり被ってて……」

「……アマガッパ……?」

 

言って、僕はちらりと左隣の細剣使いを見やった。彼女も、フードを被っているが、その理由は恐らく、顔を隠す為だ。そして、その雨合羽の男も、顔を隠し、個人を特定されんがために、装備しているのだろう。

その僕の視線に気づき、アスナがフンと鼻を鳴らした。そのアスナの様子を見て、キリトは僕の目を見て、肩をすくめた後、もう一度、ネズハに問いを投げた。

 

「その黒ポンチョ男だけど……」

「あ……、はっ、はい」

 

アスナに見惚れていたのか、ネズハは、反応が遅れた。

アスナねぇ……何故だろう。美人であることは確かなんだけど、あまり、僕にとっては恋愛感情を抱く対象たりえない。

 

「胸……は違うな……。着痩せしてるだけだし……」

「ライト君。ゲームをしましょう。圏外で十分間わたしの攻撃から逃げ切れれば、そこらのモンスターを百体ほど集めて、あなたのレベル上げを手伝ってあげるわ」

「あれ!?僕が死亡する未来しか見えない!」

 

これが本当のデスゲームか!(ドヤァ)

そんな僕らに苦笑しながら、キリトは、ネズハに面して言った。

 

「そいつ、マージン……つまり強化詐欺で得た利益の分け前の受け渡し方法は、どういうふうに指定したんだ?」

 

なるほど、それが解れば確実にポンチョ男をお縄頂戴出来るだろう。

もし手渡しならその場に割り込めばいいし、ブレンド窓からの遠隔振り込みなら、ブレンド登録している時点で、位置を特定できる。

しかしながら、これまたネズハは、意外な答えを返した。

 

「あの……いえ、そういうことは、特に何も……」

「え……何もって、どういうことだ……?」

「ですから……さっきも言った通り、武器すり替えの手法を説明しただけで、分け前とかアイデア料の要求は、一切しなかったんです」

「………………」

 

わけがわからない。なら何故、その男は強化詐欺の方法をレジェンドブレイブスに伝授したのか。僕の脳にかかったそんな靄は、なかなか言語という形になってくれなかった。

 

「……つまりその人は、ブレイブスの話し合いにいきなり割り込んで、武器すり替えの方法だけ説明して、すぐに消えた……って訳なの……?」

「……ええと……正確には、もう少しだけ話していました。やっぱり詐欺は詐欺ですから、最初はオルランドたちも否定的な反応だったんです。そんなの犯罪じゃないか、って。そしたら、あいつがフードの下ですごく明るく笑って……わざとらしいってわけじゃないんですけど、なんだか映画みたいに綺麗で、楽しそうな笑い方でした」

「綺麗な……笑い方……?」

「ええ。なんていうのか……それを聞いてるだけで、いろんなことが、深刻じゃなくなっていく感じで……気付いたら、オーさんも、ベオさんも、他の三人も……そして僕も笑ってました。そんな中、あいつが言ったんです。ええと……『ここはネトゲの中だぜ?やっちゃいけないことは、最初っからシステム的にできないようになってるに決まってるだろ?ってことはさ、やれることは何でもやっていい……そう思わないか?』って……」

「そ……そんなの、詭弁だわ!」

 

確かに、その男の言うことは屁理屈でしかない。それに気付けないブレイブスのメンバーではないだろうが、雨合羽は話術だけで、状況を逆転させてしまったのだ。

アスナの糾弾は、なおも続く。

「だって、そうなら、他人が戦っているモンスターを横から攻撃したり、トレインしちゃったモンスターを押し付けたり、そういうマナー違反もやり放題になっちゃうじゃない!いえ、もっと言えば、圏外じゃ犯罪防止コードは働かないんだから、極論ほかのプレイヤーを」

アスナは、すんでのところで言葉を切った。そして、その先を想像し、か青ざめた顔をした。

その時、僕の脳に流れた電流が、歪なパズルを繋ぎ合わせた。

 

「……なんか……悪意をバラまいてる……みたいな…………」

 

拙い言葉を吐き出した僕を、三人が見て、絶句した。

一番に口を開いたのはキリトだったが、それは最早、言語の体をなしていなかった。

 

「そんな……何の…………クソッ!」

 

鬱々たる沈黙が樫製の机を覆う。

呆然としながらも、ネズハは回想を続け、言う。

 

「……あいつと話した後、ギルドの雰囲気が変わってて……みんな、やっちゃおうか、みたいなノリで盛り上がって……お恥ずかしいですが、僕も、役立たずのお荷物になるよりは、詐欺の主役になってお金を稼ぐほうがずっとマシだっておもったんです。でも…………」

 

あらゆる負の感情を等量に混ぜ込んだような表情がネズハに現れた。だが、怒りだけは、内に向いて、ネズハ自信を苛んでいた。

 

「…………でも、初めて詐欺をした日……お客さんの顔を見て、ようやく気づきました。こんなこと、例えシステム的にできたって絶対やっちゃいけないんだ、って。そこで剣を返して、何もかも打ち明ければよかったんですが、そんな勇気は無くて、もう終わりにしようと思いながら、ギルドの溜まり場に戻ったんです。でも…………でも、そしたら、みんなが、僕のだまし取った剣を見て、すごく……すごく喜んで、僕を褒めて………………だから…………だから僕は…………!」

 

突然、ネズハは、テーブルに頭を打ち付けた。何度も、何度も。爆発しそうな感情を自戒で抑えつけるために。

偉そに説教を垂れた僕は、そんなネズハに何も声をかけられなかった。

それどころか、生きて償えと言ったにもかかわらず、僕には、武器を奪われたプレイヤーたちへの埋め合わせのアイデアがこれっぽっちも浮かばなかった。

その時、キリトが弱めた語調で、悲痛な顔のネズハに言葉を投げた。

 

「…………ネズハ」

 

キリトとネズハが見つめ合う。

「レベルは今幾つだ?」

 

「……10、です」

「なら、まだスキルスロットは三つだよな。取ってるのは?」

「……片手武器作成と所持容量拡張、それに……投剣……」

「そうか。……もし、君にも使える武器があるって言ったら、武器作成を……鍛冶スキルを捨てる覚悟はあるか……?」




全十六話で、儚き剣のロンドが八なので、なんと、この話の半分が儚き剣のロンドになってしまっています!
そろそろオリ話書きたいなぁ……。


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第十七話「儚き剣のロンドーX」

テスト終わった!いろんな意味で!

そして春休み!なので、連日投稿していきたいと思います!

久しぶりの攻略会議、むしろそれしかしてない第十七話、始まり始まり〜


冬独特の、寒冷な凩が肌を刺す。喉に侵入し、水分を根こそぎ奪い去っていく空気が、最前線攻略組プレイヤー達の周囲を、まるで責め立てるように囲んでいた。

その渦中のど真ん中に、二つの大集団があった。

一つは、第一層でキリトを糾弾したシミター使い、リンドが率いる、総勢十八名、三パーティの、鎧の下布を青で統一した集団。もう三層のクエストで解放されるギルドのギルド名も『ドラゴンナイツ』に決定しているらしい。

そして、ドラゴンナイツに対抗するかの如く、同数の十八名、三パーティを揃える、キバオウ率いる、緑集団。

こちらも、ギルド名は決定しているらしく、『アインクラッド解放隊』だそうだ。

その、二部隊を中心とし、周りに、浅黒い肌が特徴の偉丈夫、エギルとその仲間達の四人、更に、ギルド名未決定の僕ら七人にキリトとアスナ。そして、ソロプレイヤーが一人と、問題のレジェンドブレイブスの五人の、計五十五名が、ボス部屋前の安全地帯で待機している。

慎重を期した第一層と違い、この第二層は、大胆にも、攻略会議自体は、迷宮区で、しかも、現地集合で行われたのだ。

 

「よう、久しぶりだな」

 

という、超いい声が僕らの肩に投げかけられた。

半ば、声の主を予期しながら後ろを振り返ると、そこに立っていたのは、僕の予想通り、優しいおじさんこと、エギルだった。

軽く挨拶をしておく。

 

「こんにちは、エギルさん」

「おう、それはそうと、別に敬語使ってくれなくてもいいんだぜ?名前だって呼び捨てで構わないしな」

「え、ああ、じゃ、そうさせてもらうね」

「ああ、どんとこいだ」

 

やっぱ、エギルってめちゃくちゃ親しみやすい。距離の詰め方もすごく自然で、相手に全く不快感を抱かせない。

リアルでは、対人関係の仕事でもしていたのだろうか。

 

「それじゃ、時間になったのでレイドの編成を始めたいと思う!いちおう、自己紹介をしておくと、オレは今回のリーダーに選ばれたリンドだ、みんな、よろしく!」

 

突然、そんな声が上げられたので、振り向くと、そこには、一層の時とは打って変わって、髪を蒼く染め、全身を騎士のような甲冑に包んだリンドの姿があった。

そう、それは、騎士ディアベルそのままの格好だった。

そう、彼は模倣している。ディアベルになり切ろうとしているのだ。それがどんな意味を持つのかは、僕には言葉に出来なかったが、彼の中ではきっと、その決断は大きなものだったに違いない。

第一声を終えると、リンドは周りを見渡し、小さく頷いた。

しかし、灯台もと暗しとはこのことだろうか。リンドの真横から、荒々しい関西弁による野次が入った。

 

「選ばれたゆうてもコイントスやけどな」

 

その言葉に、真逆の反応を見せる両陣営。

しかし、リンド自身は、さして気にも止めず、一瞥をくれただけで続けた。

 

「よし、じゃあ、レイドを組もう!今回は、レイドの最大人数を超えてるから、レイドを二つに分けようと思う!一つのレイドがボスを相手にして、もう一つのレイドが取り巻きの中ボスを相手してもらう!」

 

そう、第二層のボス『バラン・ザ・ジェネラルトーラス』の取り巻きは一層のコボルト王とは違い、一匹だけ。しかし、その一匹が中ボスクラスの強さを誇っているのだ。

言うまでもないが、これらは全て、アルゴの攻略本からの情報だ。

 

「まず、ボス相手のレイド1から決定しよう!A・B・C隊は、俺達の『ドラゴンナイツ』、D・E・F隊をキバオウさんの『解放隊』、G隊が今回から参戦してくれるオルランドさんの『ブレイブス』。そして、レイド2が…………残りの人達だ。というわけで、レイド1の役割分担を決めよう!レイド2は、リーダーを立てて、決めてくれ」

 

なんか、レイド分けが露骨な気がするが、あえて突っ込まないでおく。突っ込んだら面倒くさいことになるぐらい、僕にだってわかる。

でもなあ、ギスギスしすぎじゃない?まあ、いいんだけどさ。

 

「おし、じゃあ、誰がリーダーをする?」

 

とユウ。自分がリーダーするぜ、オーラをバンバン出してやがる。

それをキリトも察知したのか、ユウに言った。

 

「ユウがリーダーでいいんじゃないか。いいよな、エギル?」

「おう、俺達はそれで構わないぞ」

 

そんなキリトとエギルの声を聞き、満足そうに大きく頷いた後、再度ユウが口を開いた。

 

「じゃあ、この場は俺が仕切らせてもらう!まず、壁役だが、エギル達四人と、俺、そして、ライトの六人で組もうと思う」

 

ユウが、リーダーシップを存分に放ちながら言うと、エギルが手を挙げ、ユウに言った。

 

「ちょい質問だ。重装備のアンタが壁なのは解るが、何故、スピードタイプのライトも壁なんだ?」

 

まあ、事情を知らなければ、これは当然の質問だろう。

この質問は予想していたのか、ユウはエギル達四人に向き合いながら言った。

 

「それは、俺がここで説明するよりも、こいつの戦闘を見てもらった方が早いだろう」

「OKだ。じゃあここは、アンタの言葉を信じよう」

「えー、じゃあ次に後衛のアタッカー……」

「あ、あ、あのっ!」

 

ユウが言いかけた時、それに割り込むように、鈴の音のような女の子の声が響いた。

 

「あの、えーと、わ、わ、私も、その、パーティい入れてもらっても……いや、あの嫌ならいいんですよ!嫌なら、私が一人でやればいいだけですし……」

 

なんだろう、この子?なんか、礼儀正しいっていうより、慇懃過ぎて、むしろ卑屈だ。

ユウも、その子の様子に戸惑っていたが、やがて、意を決して、一人言で負の悪循環に勝手にはまっていっている女の子に声をかけた。

 

「えーと……まず、名前を聞かせてもらえるか?」

「え、あ!すいません!私ったらとんだ粗相を!名前も名乗らずにパーティに入れてくれなんて傲慢にも程がありますよね……。最低ですね、私……。すいません……ごめんなさい……」

「えーと、だから、名前……」

 

ユウがここまでたじろぐとは珍しいな。というか、何でこの子はこんなにネガティブなのだろうか。

 

「は、はい!私は『Alex』って言います!よ、よろしくお願いします!」

「おう、解った。じゃあ、パーティ申請を送るぞ」

「あ、ありがとうございます!ありがとうございます!」

「解った!解ったから腰を十度まで折り曲げるな!お前は足の筋でも伸ばしてるのか!?」

 

大体この子のキャラが解ってきた。所謂、テンションが高いネガティブだ。

だが、外見からは、大人しさしか感じられない。肩口から伸びた二対の三つ編みと、何処か昭和の香りが漂う顔立ち。うーん、何か、何か一つ足りないんだけど……なんだろう?

 

「あっ!メガネか!」

「えっ!すごいですね!そうなんです!私、リアルじゃ、メガネかけてるんですよ!」

 

おっと……、正解してしまった。何のクイズかはわからないけど。

 

「そういえば、アレックスって、アレクサンドロスの愛称だよね?」

「す、すごいですね!そうです、その通りです!ライトさんって博識なんですね!」

 

どうしよう。すごい勘違いをされてしまった。実際は、アレクサンドロスっていう名前が、嫌な思い出と一緒に脳裏に焼きついてるだけなんだけどな。まあ、見ず知らずだとしても、女の子に尊敬されるのは、純粋に気分がいい。

その時、談笑する僕とアレックスを含むメンバー全員にに、ユウからの無粋な声が投げかけられた。

 

「話を元に戻すが、アタッカーを編成しようと思う。アレックス、お前の武器は何だ?」

「い、一応メイサーをさせて頂いております!」

「よし、じゃあ、B隊を、キリト、C隊をムッツリーニがそれぞれ率いてくれ。内訳は、Bが、キリト、アスナ、リーベ、ティア。C隊が、ムッツリーニ、秀吉、優子、アレックスでいいか?」

 

成る程、確かにステータスや技量のバランス、それぞれの相性が良く考えられているチーム分けだ。アレックスという不確定要素がどう転んだとしても、この分け方なら充分に対応できる。

流石にこれには、誰も反論するものがおらず、全員で首肯する。

 

「おう!」

 

そうして、全員の役割分担が終了したところで、完璧のタイミングでリンドから声がかけられた。

 

「こっちの役割分担は終了したが、そっちはどうだい?」

「ああ、こっちも、いつでも出撃出来るぜ」

 

そのユウの言葉を聞いて、リンドは小さくため息をつき、目を数回瞬かせると、僕らを、ボス部屋の前に呼び寄せた。

見ると、時計の針は、攻略開始予定時間である二時の二分前を指していた。

「じゃあ、ちょっと早いけど……第二層ボス、倒すぞ!」

リンドの煽りを筆頭に、全員の鬨の声が、薄暗い通路に響き渡った。




はい、文章の書き方をちょっと変えてみました。
はい、オリキャラをだしてみました。というか彼女、僕の想像では、もうちょっとお淑やかな子だったんですけど、何故こんな性格に……。
そして、今、超絶的に眠いので、文章が多少雑かも知れません。直したいところがあれば、明日の朝にもなおすかと思いますので、今は大目に見て欲しいです!


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第十八話「儚き剣のロンドーXI」

二日連続投稿です!
追試?知りません。宿題?知りません。

ガッツリボスのはずが、喋ってばっかりの第十八話、始まるよ!


モンスターの使う攻撃には、直接攻撃以外に、もう一つの種類が存在する。

古今東西あらゆるゲームでの、通称めんどくさい奴、つまり、阻害効果(デバフ)だ。

そして、この第二層に生息する牛男達は、見た目は超近接攻撃臭いくせに、なぜかデバフを使ってくる。しかも麻痺。

 

「来るぞ!」

 

キリトの指示が飛ぶ。その時、第二層ボスの取り巻き、と言っていいかわからない程の大牛男、『ナト・ザ・カーネルトーラス』は、心中線に沿って、上へとその極大のハンマーを振りかぶった。

おう!とキリトの指示に応じ、僕らA隊は、中ボスから十歩下がった。

 

「ヴゥゥヴォオオオオオオーーーーッ!」

 

けたたましい咆哮と共に放たれた、スパークを帯びた無骨な金属塊は、空を裂き、ボス部屋の石畳を打ち鳴らした。

トーラス族なら誰でも使うソードスキル、『ナミング・インパクト』だ。

石上を稲妻がほとばしるが、デバフ効果範囲からは、もう全員が退避している。

 

「全力攻撃一本!」

 

再びキリトの指示が飛ぶと、僕らはボスと一気に距離を詰めた。

この攻撃は、効果範囲も攻撃力もデバフ効果も強力な代わりに、避けられれば、大きな反撃のチャンスになる。

僕ら、合計三部隊全員の得物がライトエフェクトに包まれる。この時点で、ナトの三段あるHPゲージの一本目が消滅した。

 

「案外、こっちは早く終わりそうだね!」

 

僕の真横で剣技を奮うキリトに声をかける。

 

「ああ、でも、三段目になると、ナミング連発してくるからな!それと、一層のことを考えると、ゲージ三本目で未知の攻撃をしてくる可能性もある!その場合はいったん引くからな!」

「おう!」

 

ディレイから立ち直った大牛男は、横腹にハンマーを構えた。横殴りのモーションなので、僕以外のA隊は防御体制をとる。

そして、僕だけは逆にナト大佐へと突っ込み、ハンマーを力強く握る手元を、体術スキル『閃打』で殴る。

キリト曰く、これだけでナトの攻撃力の二割を削げているらしい。

第二層ボス攻略が開始してから三分がたった。

僕達、レイド2の戦いは順調そのもので、未だ、一人としてHPゲージがイエローゾーンに突入するほどの大ダメージは受けておらず、ボスの攻撃を受け続けているA隊さえも、一人抜けのPOTローテで、回復は充分に間に合っている。

しかし、あくまでナト・ザ・カーネルトーラスの扱いはボスの取り巻きなのだ。

 

「回避!回避ーーッ!」

 

ヒステリックなリンドの指示がボス部屋に谺する。

そのリンドの視線の先には、充分巨大なナト大佐の二倍はあろうかという超大牛が屹立していた。

ナトの群青とは真逆の真紅の毛色が、勇猛な体躯を包み、瀟洒な黄金の布地が腰周りを周回している。ネックレスのつもりなのか、首に下がる巨大な鎖も金色、その豪勇な大槌さえもが黄金色に輝いていた。

大牛男の名は『バラン・ザ・ジェネラルトーラス』。何を隠そう、アインクラッド第二層のフロアボスである。

その威容の全長は、約五メートル。こう言ってしまえば小さく聞こえるかもしれないが、敵意を持った大男が眼前に迫る光景は、どうしても原始的な恐怖を呼び起こす。

 

「うわー、コワイですねー。私じゃ足竦んで、戦えないですよっ」

「アレックス、君はもうちょっと緊張感を持って喋ろうか」

 

この子は……慇懃なのか、唯のアホの子なのか、時々わからなくなってしまう。

しかし、メイサーとしての腕は、想像以上どころの話ではなかった。第二層迷宮区の二十階まで独力で来たのだから、有る程度の戦力になるとは予測していたものの、まさか、ここまでの手練れだとは思わなかった。

そのとき、バランはフロアいっぱいに大声を上げた。

 

「ヴゥゥヴォオォルァアアアアアアッ!」

 

ナト大佐とは比較にならないほどの咆哮を空中に走らせ、バラン将軍はゴールデンハンマーを高らかに振り上げる。そう、その構えは『ナミングインパクト』発動のモーションだ。いや、違う。あれは、バラン将軍の固有技『ナミング・デトネーション』だ。全く同じ状態から繰り出されるこの二つは、その攻撃力と麻痺の効果範囲に絶望的なまでの差異があった。

強烈な電流を放ちながら、バトルハンマーが振り下ろされる。

穿たれた床に流れる雷撃の奔流は、ナトの数倍はあろうかという範囲を飲み込んだ。

前線に立っていた二人が逃げそこない、三秒間のスタンを受ける。ボスの硬直時間も同じく三秒なので、その間に体力を削り切られる心配はないのだが、動けない自分と数メートル先のフロアボス、この構図には恐怖しか浮き上がらないだろう。

そのとき、スタンした二人の片割れの手から、片手武器の短槍が抜け落ちた。スタン中に一定確率で付随する武器落下だ。スタンが解けた直後、動物的な本能で、そのプレイヤーは足元の武器を抱えるように拾う。しかし、これは巧妙な罠だ。

再度の咆哮とデトネーション。ファンブルしなかったプレイヤーは間一髪、その範囲から逃れられたものの、武器を拾っていた戦士は、稲妻の閃光に飲み込まれた。

しかし、今回彼がかかったデバフはスタンではない。麻痺だ。

スタンはたった三秒ほどで回復するが、麻痺はその比ではない。なんと、最も弱い麻痺でさえ、自然回復するには十分間はかかるのだ。

だからこそ、スタンは完全に硬直してしまうのに対して、麻痺は腰からポーションを取り出すなど、有る程度の動きなら出来るくらいの制約力だ。

ここがトーラス族の恐ろしいところで、二回連続でナミングをくらうと、二回目は麻痺になってしまうのだ。

更に三秒の拘束時間の後、将軍は麻痺したプレイヤーに踏み付け攻撃をしようとしたが、その直前、彼のパーティメンバー達が、彼の足を掴んで後方へと引きずっていった。

それを見て、胸を撫で下ろしたが、そのままバランに向けようと移動させた目に、驚くべき光景が飛び込んできた。

部隊後方には、もう五人のプレイヤーがPOTによる麻痺の回復を待っていたのだ。

 

「レイド1はヤバそうだな。あれ以上麻痺した奴が増えると、一時撤退しにくくなるだろ」

 

一応リーダーのユウが、実質リーダーのキリトに話しかけた。一時撤退とは、開始前に決められた約束事で、もし、一層のコボルト王のように、ゲージが残り一本になってからベータ版とは異なる行動をしたら、一時撤退して、作戦を練り直そう、というものだ。

キリトは、少し考えた後、ユウと共にナト大佐のハンマーを回避しながら言った。

 

「今のうちに一度仕切りなおして、ナミング対策を徹底したほうがいいかもな」

「ああ、俺もそう思う。じゃあ、俺がリンドに話してくる。皆!一旦、ここは頼んだ!」

「おう!」

 

全員にそう言うと、ユウはリンドの方に駆け出して行った。

 

「どうしたんだい、ユウさん?」

 

僕の、聞き耳スキルによって強化された聴力を介して、リンドの滑らかな声が脳髄に伝わった。

 

「リンド、一回仕切りなおそう。これ以上麻痺る奴が出ると、撤退しにくくなるだろ」

 

三秒ほどリンドが逡巡した後、ボスのHPゲージをちらりと見た。そのゲージは、五本あるうちの三本目、その半分まで、つまり、全員の半分まで削られていた。

 

「残り半分なんだよ。ここで引く必要はあるのかな?」

 

口調は優しいが、頑なな意思が見て取れる。

しかし、確かにこのままのペースでいけば、誰も死なずに押し切れるだろう。

ユウも僕と同じことを思っているのか、少しだけ考え込んでいる。

その思考に、荒々しい声が水を差した。

 

「あと一人麻痺したら引く、それでどうや」

 

関西弁といばこの人、キバオウさんだった。

 

「ナミングの範囲とタイミングはもうみんな掴んだはずや。集中もできとる、士気も高い。麻痺治療POTや治療POTもようけ使っとるし、ここで引いたら、次は明日になってまうかもしれん」

 

キバオウからこんな言葉が出るとは、意外だった。正直、キバオウなら、もうちょっとで勝てんのに、ここで引くとかありえへんやろ!ぐらい言うと思っていたのだ。

以外と冷静に戦場を見極めてるんだなあ。ちょっとキバオウを見直してしまった。

ユウは、キバオウの言葉からコンマ三秒で戦況を整理して、答えを返した。

 

「OKだ。あと一人だな。それと、ゲージが一本になったら注意しろよ」

「わーっとる!」

「ああ、ありがとう。じゃあ、持ち場に戻ってくれ。よし、E隊、交代用意!G隊、前進用意!次のディレイで交代するぞ!」

 

そして、ユウがこっちに向かって走っている丁度そのとき、ナト・ザ・カーネルトーラスが断末魔の悲鳴を上げて砕け散った。

 

「どうなった、ユウ?」

 

答えを急かすように、キリトがユウに問いかけた。

 

「あと一人麻痺ったら撤退するみたいだ。でもまあ、このペースなら押し切れるだろ」

「よし、青いのも倒したことじゃし、わしらもあっちに参戦するかの!」

 

秀吉が意気揚々と言った。うん、可愛い。

 

「おーい、リンド!ナトは終わったから、俺らもバランのローテに入れるぞ!」

「解った!なら、前線のF・G隊とスイッチしてくれ!」

 

リンドの指示通り、僕らは前線部隊と交代し、壁とダメージテイラーを引き受けた。

 

五分ほど戦い、ついにそのときがきた。

 

「せえぇやあぁぁっ!」

 

気合いと共に、優子がホリゾンタルを繰り出す。そして、バラン将軍のHPゲージがついに最後の一本に差し掛かった。

全員の鬨の声がフロアを支配する。しかし油断はできない。もしかすると、また何かが起こるかもしれない。

だが、十秒ほど経っても、結局何も起こらなかった。

 

「良かった、今回はベータからの変更はなかったみたいね」

 

アスナが安堵の声を漏らす。そう、それなのに、何故かユウの顔からは、不安の表情が消えていないのだ。

 

「どうしたの、ユウ?」

「いや……多分俺の考え過ぎだ。ただ、一層はコボルト『王』だったのに、二層はバラン『将軍』なんだな、と思っただけで……」

 

そのとき、急にフロア中央の牛の紋様が輝き始め、その真上にポリゴンのオブジェクトが生成されていく。

そして、その更に上。天井すれすれのところに、名前が浮かび上がった。

 

『アステリオス・ザ・トーラスキング』

 

くそっ!ユウがフラグを立てるからっ!

一層とは比較にならないほどの、ベータ版との凶悪な変化に全員の思考が停止した。

その瞬間、この中で唯一頭を動かし続けたユウが、レイド1、レイド2の全員に向かって指示を出した。

 

「全員でバランを速攻でで倒して撤退するぞ!次のディレイでフルアタックだ!」

 

その言葉で我に返ったプレイヤー達は、一気にバランへの距離を詰め始めた。

まだ、王がオブジェクト化していない今しか逃げるチャンスは残されていない。

生き残るために、全員て必死にバラン将軍へと攻撃する。

 

「う……おおおッ!」

 

キリトがそんな雄叫びと共に、バランのHPゲージを削りきった。

 

「全員撤退!」

 

そして、ユウのその言葉で、全員が一目散に扉へと駆けて行く。バランへの無理な攻撃で、体力がイエローになっているプレイヤーもいたが、今更そんなことは関係ない。

そして、この中で最も速い僕が扉に後十メートルで到達するというところで、

 

「ウルアアァァァグオォォォーーーッッ!」

 

それ自体に攻撃判定があるのではないかと思えるほどの咆哮を上げ、トーラス族の王がついに、その姿を顕現させた。

しかし、その得物はやはりハンマー一つ。あのリーチならば、追いつかれる前に全員が逃げ切れるだろう。

そう思い、アステリオス王の挙動を確認した瞬間、僕の背骨が凍りついた。

アステリオス王が上体を逸らし、胸いっぱいに空気を吸い込んでいる。

確実に、ブレスだ。

僕らに、雷が落ちた。

視界右上のデバフアイコンは、麻痺を示している。つまり、この攻撃は、他のトーラス族のように、二回当たれば麻痺などではなく、一発目から麻痺なのだ。

この時点では、HPゲージがレッドゾーンに突入したものこそいるものの、死亡したものはいなかったが、そんなことは気休めにもならない。

三十秒という、少し長めの硬直状態から脱したアステリオス王の片頬がニヤリとつり上がった気がした。

そりゃそうだろう。たった一発のブレスで半分以上のプレイヤーが麻痺状態になったのだから。

僕は痺れた四肢を必死に動かし、POTを飲んだ。その時、アステリオス王は、最も逃げ足が遅かったプレイヤー、つまり、ユウの前に立ち、ハンマーを振り上げていた。

くそっ!くそっ!動け!動けよ!僕の身体だろ!なあ!

だが無常にも、システム的に規定された、解毒ポーションを飲んでから麻痺回復までの三十秒という数字は揺るがない。

大槌がユウの身体を押しつぶし、ポリゴンの破片へと変容させるその直前、ボスフロアの上空を一つの流星が貫いた。

その光と、アステリオスの王冠が甲高い金属音を立ててぶつかり合い、光は、ボス部屋の入り口方向へと戻っていく。

王冠が弱点なのか、アステリオス王は大きくノックバックし、当然、振り下ろされようとしていたハンマーも、王の手中に収まったままだ。

それを確認した後、僕は入り口を見る。

そこに、ブーメランのように舞い戻った金属を手に取り、屹立する彼は、剣士として生きることを諦めたはずの少年。

伝説の英雄、ナタクだった。




ヒューヒュー!ネズハかっくいー!


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第十九話「儚き剣のロンドーXII」

最近気づきました。前書きを後に書いているという事実に!
というわけで、今回は前書きを前書きしてみたよ!

ガッツリボス戦第十九話、開始ですっ!


ボス攻略集団全員の視線が一つの方向へと集約される。

 

「……なんで鍛冶屋がこんなとこに居るんだ?」

 

そんな声が何処からか上がる。それは、もっともな疑問だ。事情を知らなければ。

その時僕は、嬉しいような、気恥ずかしいような、よくわからない感情が心の裡からふつふつと湧き上がるのを感じていた。

自然と広角がつり上がる。

彼は、あるソードスキルを獲得しようとしていた。それに必要なのは、特定の二つのスキルを習得していること。その二つとは即ち、投剣スキル、そして、体術スキルだったのだ。つまりネズハは、僕らと同じように三日弱で岩砕きクエストをクリアして、さらに単独で迷宮区を登ってきたのだ。

 

「にしても……カッコつけ過ぎだよなあ……」

 

ヒーローは遅れて登場する。そんな世界の常道に倣ったネズハの参戦に少しだけ嫉妬してしまう。

 

「ネ…………」

 

その時、ブレイブスのリーダー、オルランドは、数日の間連絡が取れなかった仲間の名を呼ぼうとしたが、それ自体をネズハ自身が遮った。

 

「僕がギリギリまでボスを引きつけます!その間に態勢を立て直してください!」

 

三日前までの卑屈な彼は何処へ行ったのか。今の彼は、言葉の節々に爽やかな自信が感じられた。

それを聞いて我に返った僕らは、麻痺を受けなかった人が、麻痺を受けたプレイヤーを壁際まで運ぶという作業を開始した。

ちなみに、僕とムッツリーニを運んでくれたのは、アレックスだった。

 

「ライトさん!貴方速いのに、何で当たっちゃってるんですかっ!」

「逆に君は、僕のすぐ後ろを走ってたはずなのに何で当たってないのかな?」

「え?そりゃ、さらに私のすぐ後ろにいたムッツリーニさんの影に隠れて……」

「ムッツリーニを盾にしたのか!?そうか、そうなんだな!?」

「あう……ごめんなさい……」

「いや、死なない程度になら幾らでも盾にしてくれて構わないよ」

「あっ!はい!じゃあそうさせてもらいますっ!」

「…………解せぬ」

 

視線をネズハに戻すと、アステリオス王のファーストアタックを取ったネズハに、ユウからターゲットカーソルが移っていた。

しかし、アステリオス王の歩行速度は鈍重の一言だった。この速さなら、一人でタゲを取り続けることも可能だろう。

しかし、そんな速度などものともしない必殺技がボスには備わっている。雷ブレスだ。

あれを初見で避けることは、ほぼ不可能に近い。

そう考えていた矢先、王が息を吸い、胸を膨らませていく。くっ!これはまずい!

 

「避けろ!」

 

レイドの誰かがそう叫んだ。しかし、その心配は杞憂に終わった。ネズハは、ボスがブレスの方向を確定したその瞬間に、右に大きく回避をとっていた。確実に、回避のタイミングを知っているとしか思えない動きだ。

 

「ブレスを吐く直前、ボスの目が光るンダ」

 

語尾の発音が特徴的な、聞き慣れた声が僕の肩に投げかけられた。そこに立っていたのは、アインクラッド随一の情報屋、鼠のアルゴだった。

 

ボス戦の後、アルゴから聞いた話だが、二層迷宮区近くの密林にとあるクエストが設定されているらしい。

それをクリアすれば、『アステリオス・ザ・トーラスキング』の情報が手に入ったらしい。

そのクエストをアルゴが発見し、クリアした頃にはもう、ボス攻略レイドは迷宮区の中に入ってしまっていたのだ。ダンジョン内にはメッセージを飛ばせない。だが、僕と同じくAGI極振りのアルゴ単独では、迷宮区を登れない。

そのとき、アルゴと同じように迷宮区前でウロウロしていたネズハと目が合っちゃったのだそうだ。

 

「いつまでへたり込んでンダ。麻痺、もう回復してるゾ」

 

アルゴに言われ、僕は、はっと自分のHPゲージを見ると、そこにはもう、デバフアイコンは存在しなかった。

そしてまずは、もっとも危険な状態にあるユウのもとへと駆けた。

 

「ユウ、大丈夫?」

「ああ、なんとかな……。後であの鍛冶屋に礼を言っておかねえとな」

「いや、今は鍛冶屋じゃないよ。彼は剣士だ。例え、持つ武器が遠隔武器だろうとね」

「おっ!なんだ?キリトの受け売りか?」

 

残念ながら、その通りだったりする。

そこで、ティアもユウを心配して駆け寄ってきた。

 

「……ユウ、怪我はない?」

「おう、お陰様で、まだイエローゾーンにも入ってねえよ」

「……良かった。本当に」

 

よく見ると、ティアの目尻には涙が溜まっていた。

うん。ユウが死ぬのが相当怖かったんだろうな。

そのとき、リンドの新しい指示が飛んだ。

 

「よし……攻撃、始めるぞ!レイド1、A隊D隊、レイド2、A隊、前進!」

 

どうやら攻撃は続行らしい。僕は、そしてユウもA隊だ。ならリンドの指示通り、ボスに相対しなきゃいけない。

ユウが、僕の背中をバシンと強く叩き、言った。

 

「行くか!」

 

ユウに小さく頷き返し、僕は一気にアステリオス王との距離を詰めた。

 

一巡目のPOTローテで僕が前線を離れたとき、ネズハの様子が気になり近寄ると

 

「やあっ!」

 

という気合いと共に、ネズハは投剣スキルのサブカテゴリに属する武器、チャクラムを高く舞い上がらせた。

チャクラム用スキルの習得に体術スキルが必要だったのは、雄二の召喚獣のようにメリケンサックのようにして殴るというスキルがあるせいなのだが、ネズハはそんなものを使う機会はめったにないだろう。

ちなみにあのチャクラムは、キリトがトーラス族のチャクラム使いを倒したときにドロップして持て余していたものらしい。

ネズハにとってのチャクラムのもっとも大きな利点は、何と言っても残弾数を気にせず使えることだろう。だって戻ってくるのだから。

王冠にヒットし、牛の王がノックバックする。チャクラムによる確実なノックバックがあるから、今はなんとか戦えているが、もしネズハがいなかったらと思うとぞっとする。

舞い戻ってきたチャクラムを手に取り、僕、キリト、アスナの三人を見ながら、嬉し泣きをして言った。

 

「夢、みたいです。僕が……僕が、ボス戦で、こんな……僕は大丈夫です!皆さんも、前線に加わって下さい!」

「解った。雷ブレスを優先してディレイで潰してくれ。任せたぞ!」

 

キリトが言うと、ネズハは僕らに力強く頷いて見せた。

 

それは、僕らレイド2のA隊と、キリト率いるB隊、そして、レジェンドブレイブスの五人が、アステリオスと鎬を削っていた時だった。

 

「せぇやああっ!」

 

ボスに突っ込んだ僕は、腰の捻転を全て腕の射出に伝え、渾身の閃打を繰り出した。

HPゲージが十ドットほど削れ、アステリオス王から、血のような真紅のライトエフェクトがほとばしる。

だか、王は大金槌の動きを止めようとせず、ユウ以下、がっちりとガードを固めるA隊へとソードスキルを奮う。

完全にガードしたにも拘らず、僕を除くA隊全員の体力は一割ほど削られてしまう。

そのときできた技後硬直のあるかないかもわからないような隙を、キリト達がチクチクと攻撃する。

だが、そんなもどかしい時間も終わりを告げた。ネズハのチャクラムが空を裂き、アステリオス・ザ・トーラスキングの王冠に命中したのだ。

 

「皆、今だ!」

 

というキリトのの声が谺するより一瞬早く、全員がボスへと一歩踏み出していた。

各々が各々の最大の技を繰り出す。

僕も、今使える内でもっとも攻撃力の高い技、体術スキルの回し蹴り『玉覇』を発動させた。

キリトとアスナが大きく飛翔し、シューティングスターとホリゾンタルを発動させた。狙いは当然、ボスの弱点たる王冠だ。

激しいライトエフェクトと金属音のサウンドエフェクトを撒き散らしながら、黒白の二剣士は冠を穿つ。

 

「ヴォォオオオァァアアァーーッッ!」

 

そんな轟音の叫びと共に、アインクラッド第二層フロアボス、アステリオス・ザ・トーラスキングは、その身を青白く光るポリゴンへと変化させ、爆散した。




次次回にはオリ話に入ると思われます。
や、やめろ!お前みたいに文才がない奴がオリ話なんて書いたら碌なことにならない!と思う方がいれば感想にお書き下さい!そうすれば取り止めますので!


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第二十話「儚き剣のロンドーXIII」

もう話数が二十に!でも、儚き剣のロンドの話数も十二に!
どんだけ儚き剣のロンドやってんだ!

初めての長編、儚き剣のロンド閉幕です!


「コングラチュレーション」

 

第一層のときと同じように、浅黒い肌の偉丈夫エギルが、僕らをネイティブイングリッシュで労った。

そして、エギルはキリトに向き直ると、おもむろにまた視線の方向を変えて言った。

 

「相変わらず見事な剣技とコンビネーションだった。だが……今回の勝利は、あんたじゃなくて彼のものだな」

「ああ。あいつが来てくれなきゃ、少なくとも十人は死んでたかもな……」

 

そう言ったキリトの方を向き、僕は大きく首肯した。

ネズハを見やると、彼は本隊のどんちゃん騒ぎの真ん中にいた。それを見ると、何故か嬉しくなってしまう。

これで、第二層攻略も終了だ。一層のときは、丸一ヶ月かかったが、今回は、三分の一の十日しかかからなかった。

だが、焦りは禁物だ。今回の教訓として、ボスの情報が得られそうなクエストは、終わらしてから迷宮区に入ることが求められるだろう。

僕がそう考えていたとき、ネズハが僕らに近づき、言った。

 

「お疲れ様でした。キリトさん、ライトさん、アスナさん。最後の空中ソードスキルと回し蹴り、凄かったです」

「ううん、ほんとに凄かったのはあなたよ。手に入れたばかりの武器をああも完璧に使いこなすなんて……練習大変だったでしょう?」

「いえ、大変だなんて思いませんでした。だって、僕はやっと、なりたかったものになれたんですから。本当に……ありがとうございました。これで、もう……」

そう言って頭を下げたネズハの視線の先にあったのは、リンド、キバオウと固い握手を交わすオルランドの姿だった。

 

「……ネズハ君もあそこにいていいんじゃないのか?」

 

キリトが言うと、今回のMVPたるネズハは、そっとかぶりを振った。

 

「いえ、いいんです。僕にはもうひとつ……やらなきゃならないことがありますから」

「え?何を……?」

 

そう言った僕と、キリト、そして、もうネズハの言ったことの内容を理解しているのか、沈痛な面持ちをするアスナにネズハは軽く会釈して、悠然と振り返り、歩き出した。

ネズハの歩く先に居たのは、三人のプレイヤーだった。しかし、三人とも祝福する様子ではなく、その表情は険しかった。

三人の中で最も背の高い男が、感情を押し殺したような低い声で言った。

 

「あんた……何日か前まで、ウルバスで営業してた鍛冶屋だよな」

「……はい」

「なんでいきなり戦闘職に転向したんだ?しかも、そんなレアな武器まで手に入れて……それ、ドロップオンリーだろ?鍛冶屋でそんなに儲かったのか?」

 

やっと解った。彼らは、ネズハに……レジェンドブレイブスに武器を騙し取られたプレイヤー達だ。

一瞬、まずい、と思ったが、すぐに考えを改める。これはネズハが望み、臨んだ選択なのだ。ネズハは彼らの糾弾を受け、贖罪を受ける義務を自らに課したのだ。その決断を否定する権利は僕には無い。

ネズハは、チャクラムを床に置くと、両手両膝を床につけ、頭を下げた。

 

「……僕が、御三方の剣を、強化直前にエンド品にすり替えて、騙し取りました」

 

広場を、痛々しいほど重苦しい静寂が包む。

ネズハの言葉を聞いて、背の高い男は、眉間に皺を寄せただけだったが、後ろ、キバオウ隊とリンド隊の二人の男は、もう顔を真っ赤に染めていた。

見事に感情を抑制し続ける男が、口から漏れ出したかのように言葉を発した。

 

「……騙し取った武器は、まだ持っているのか」

「いえ……もう、お金に変えてしまいました……」

「そうか、なら、金での弁償はできるか?」

 

すると、ネズハは黙り込んだ。

ボス部屋のある五人に、異質な緊張が走った。オルランド達、レジェンドブレイブスのメンバーだ。

そう。五人全員が装備を売り払えば、お金での弁償は可能なのだ。しかしそれは、レジェンドブレイブスが、攻略集団から離脱することを意味する

いまこの場で、五人が申し出るか、ネズハが五人が仲間だと言えば、この場は収まるだろう。しかし、その選択は取られなかった。

 

「いえ……弁償も、もうできません。お金は全部、高級レストランの飲み食いとか、高級宿屋とかで残らず使ってしまいました」

 

ここでやっと、ネズハの意図を理解した。彼はレジェンドブレイブスの五人を庇う気でいるのだ。

強化されきった剣を売れば、チャクラムなんかいくらでも買える。だからこそ、ネズハは、本当は、レジェンドブレイブスのメンバーの強化用資金にしていたのに、こんな嘘をつくしか無かったのだ。

先程、オルランドがネズハの名前を呼ぼうとしたのをネズハ自身が遮ったのは、単なる偶然ではなく、自分がレジェンドブレイブスと仲間だということを誰にも悟らせないためだったのだ。

だからこそ、レジェンドブレイブスのメンバーも動けないでいた。今動けば、ネズハの決意を踏みにじることになる。だけども、動かなければ、これからネズハがどうなるかは想像に難くない。

元から感情が爆発寸前だった、リンド隊のメンバーがネズハを怒鳴りつけた。

 

「お前…………お前、お前ェェ!」

 

感情を何処にぶつければいいのかわからないそのプレイヤーが、何度も、ドンドンと地面を打ち鳴らす。

 

「お前、解ってるのか!オレが……オレ達が、大事に育てた剣壊されて、どんだけ苦しい思いしたか!なのに……オレの剣売った金で、美味いもん食っただぁ!?高い部屋に寝泊まりしただぁ!?あげくに、残りの金でレア武器買って、ボス戦に割り込んで、ヒーロー気取りかよ!」

 

それに続き、キバオウ隊のプレイヤーも、裏返った声で激昂した。

 

「オレだって、剣なくなって、もう前線で戦えないって思ったんだぞ!そしたら、仲間がカンパしてくれて、強化素材集めも手伝ってくれて……お前は、オレ達だけじゃない、あいつらも……攻略プレイヤー全員を裏切ったんだ!」

 

その怒りの炎が、何も言わなかった多くのプレイヤー達に、連鎖的に移って行った。

裏切り者!

自分が何したか解ってるのか!

お前のせいで攻略が遅れたんだぞ!

今更謝ったって何にもならねえんだよ!

口々にほとばしる侮蔑の言葉が、ネズハを機関銃のように撃ち抜いていく。

オルランド達は、五人で何かを話し合っているようだが、やっぱり……剣……ネズハ……しよう……と、聞き耳スキルを使っても断片的にしか聞こえ無かった。

そこでようやく、青髪のシミター、リンドが進み出て、口を開いた。

 

「まず、名前を教えてくれるか」

「…………ネズハ、です」

 

リンドは、それを聞くと小さく頷いた。そして、レイドメンバーを再度激昂させないよう、細心の注意を払いながら言葉を選び、言った。

 

「そうか。ネズハ、お前のカーソルはグリーンのままだが……だからこそ、お前の罪は重い。システムに規定された犯罪でオレンジになったのなら、カルマ回復クエストでグリーンに戻ることもできるが、お前の罪はどんなクエストでも雪げない。その上、弁償も出来ないと言うなら……他の方法で、償ってもらうしかない」

 

一瞬、まさかと思ったが、次に続いたリンドの言葉が、僕の憂慮を打ち消した。

 

「お前がシヴァタたちから奪ったのは、剣だけじゃない。彼らがその剣に注ぎ込んだ長い、長い時間もだ。だからお前は……」

 

なるほど、ずっと感情を押し殺していたあのプレイヤーはシヴァタって言うのか、そう思いながら聞いていたリンドの言葉を、一人の男の声が遮った。

 

「違う……そいつが奪ったのは、時間だけじゃない!」

 

何処かで聞いたことのある男の声だった。

そのキバオウ隊のメンバーは、痩身を振り回しながら、甲高い声で叫んだ。

 

「オレ……オレ知ってる!そいつに武器を騙し取られたプレイヤーは、他にもたくさんいるんだ!そんで、その中の一人が、店売りの安物で狩りに出て、今までは倒せていたMobに殺されちまったんだ!」

 

その喋り方で僕は、男が誰かを思い出した。第一層で、リンドと共にキリトを糾弾したあの男だ。

シヴァタの後ろに立つ、リンド隊の男が、カラカラに乾いたように見える唇から、絞り出したかのように呟いた。

 

「……し……死人が出たんなら……こいつもう、詐欺師じゃねぇだろ……ピッ……ピ……」

 

男は、それ以上言葉にしなかった。むしろ、言葉にすること自体が憚られているようにも感じられた。明確な形にした途端、それが現実になってしまいそうで。

それを無神経にも、声高らかに宣言したのは、やはりというかなんと言うか、痩せたキバオウ隊のメンバーだった。

 

「そうだ!こいつは、人殺しだ!PKなんだ!」

 

PK、即ち、プレイヤーキラー。あらゆるネットゲームないし、オンラインゲームで使用される用語。

そして、このSAOでは、もっとも現実と乖離した意味を内包する概念だ。

痩せた緑の男は、尚も非難を続けた。

 

「土下座くれーでPKが許されるわけねぇぜ!どんだけ謝ったって、いくら金積んだって、死んだ奴はもう帰ってこねーんだ!どーすんだよ!お前、どーやって責任取るんだよ!言ってみろよぉ!」

 

その背中を震わせながら、ダガー使いの問責を聴いたネズハは、声に少しの恐れを混ぜて言った。

 

「……皆さんの、どんな裁きにも、従います」

 

広場を静謐が包む。だがこれは、嵐の前の静けさだ。

全員の怒りが一つの収束点へと向かって行く。

そして、どこかの誰かが口火を切った。

 

「なら、責任取れよ」

 

たったそれだけの、短い責めだった。

だが、その小さなマッチの炎は、火薬へと乗り移り、急激にその熱量を増していく。

 

「そうだ、責任取れ!

「死んだ奴に、ちゃんと謝ってこい!」

「PKならPKらしく終われ」

 

言葉は、徐々に露骨になっていった。

 

「命で償えよ、詐欺師!」

「死んでケジメをつけろよPK野郎!」

「殺せ!クソ鍛冶屋を殺せ!」

 

それらの怒りは、ネズハ個人にではなく、この浮遊城全体に響き、拡散したように思えた。

 

「いや……まさか……そんな!」

 

キリトが急に叫んだ。

そんなキリトに、僕は厳かに尋ねた。

 

「……どうしたの、キリト?」

「……ライト……お前は、雨合羽の男が、悪意をばら撒いてるみたいだ……って言ったよな?」

 

一瞬、キリトが何のことを言ってるのか解らなかったが、すぐに、三日前のネズハとの対話のときの僕のセリフだったと思い至る。

 

「……うん、言ったよ」

「つまりな、もしその黒ポンチョの男が、この瞬間を予期していたとすれば、プレイヤー全員の総意に基づいて、一人のプレイヤーを公の場で殺すという状況を、その男が故意にプロデュースしたとすれば……」

 

僕は、キリトの言葉をじっと待つ。

キリトは、口籠っていたが、やがて意を決したように言った。

 

「その男がしたかったのは、プレイヤー全員の、PKへの心理的ハードルを下げたかったんじゃないか……?そして、自分と同じ道に、他のプレイヤーを誘い込もうとしてるんじゃないのか……?」

 

そう言ったキリトの顔は、これ以上ないというほど青ざめていた。かく言う僕も、似たり寄ったりだろう。

だって、これが本当なら、その男はつまり、このアインクラッドでPK集団を作ろうとしているということで……。

そのとき、罵倒の嵐の中、沈黙を守っていたレジェンドブレイブスの五人がついに動き出した。

彼らは、土下座を続けるネズハにどんどんと近づいていく。

彼らの雰囲気に圧倒され、ネズハを囲んでいたリンドと、シヴァタ達が彼らに場を譲った。

ネズハの前で立ち止まったオルランドは、自らの右手を左腰に携えた剣の柄へと移した。

シャランという金属音を立てて片手剣が抜き出される。

そして、オルランドは、ネズハの背中の真上で、剣を振りかぶった。

 

「……オルランド……」

 

そう呟いたキリトは、いまにも走りだそうと、前傾姿勢をとっていた。

同じように、アスナも、一歩前に踏み出している。

そんなキリトとアスナを、僕は右手で制した。

 

「二人とも、動かないで。僕の俊敏ステータスなら、剣がモーションをかけた後にオルランドを止められる」

「ライト、解ってるのか?ここで割り込んだらもう攻略集団にはいられないぞ。最悪、犯罪者として追われることになる」

「じゃあ何で、キリトも走り出そうとしてるのさ?」

 

キリトは僕に、にシニカルな笑みを向け言った。

 

「じゃあこうしよう、ライト。死ぬときは一緒だ」

 

そんなキリトに、僕も笑みを返す。

主のいない大部屋を満たしていた糾弾は、緊張感へと変移していた。

全てのプレイヤーが固唾を飲んで、ことの成り行きを見守っている。

そしてついに、そのときが来た。

オルランドは剣を突き降ろし、僕とキリトは、脚に思いっきり力を込めた。

そして、オルランドの手から放たれた剣は…………

 

 

…………床に置かれたネズハのチャクラムの横に突き立てられた。

 

「……ごめんな。……ほんとにごめんな、ネズオ」

 

そう呟いたオルランドの目から、涙が滴っていた。

ネズハの右隣に移動した聖騎士は、バシネットを外して床に置き、ネズハと同じように、両手両膝を地面に着き、頭を下げた。

ベオウルフ、クフーリン、ギルガメッシュ、エンキドゥの四人も、それに倣い土下座する。

誰もが、その光景に唖然とした。

そして、毅然とした、だけども、涙まじりの声が大部屋いっぱいに響いた。

 

「ネズオ……ネズハは、オレ達の仲間です。ネズハに強化詐欺をやらせていたのは、オレ達です」

 

 



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第二十一話「友達」

はい、今回からオリ話に入ります!
ちょっとネタバレすると、この小説には、原作には無い設定が含まれておりまして、それが、今回から本格的に出始めます。
ちなみに今回は、いうほどオリ展開でもありません。

では、僕自身初のオリ話始まります!


僕らは今、第二層迷宮区から第三層までの外階段を登っている。

石造りの階段は、一段一段中に浮いているくせに、踏み出すと妙な安心感を与えてくれる。

 

「何で、わたし達が使いっ走りみたいなことしなくちゃならないのかしら……」

 

アスナが、いかにも納得がいかないというふうに愚痴をこぼす。

キリト、アスナ、ユウ、秀吉、ムッツリーニ、ティア、リーベ、優子、アレックス、そして僕の十人は、三層転移門のアクティベートと、第二層ボス攻略成功の情報の拡散というお使いを、リンドから頼まれてしまっているのだ。

 

「しょうがないよ。僕らは山分けを辞退したんだから」

 

愚痴るアスナに、僕はそう言った。

山分けというのは、元アステリオス王の部屋で行われているもので、レジェンドブレイブスの装備品を、全パーティでオークションにかけるという話だ。

結局、レジェンドブレイブスのメンバーが、ネズハの仲間だということを名乗り出たので、装備を売ってコルに変換し、詐欺被害にあったプレイヤー達に、賠償金を支払うことが可能となった訳だ。

しかし、NPCの雑貨屋に売るという手段は却下された。何故なら、NPCの店の買い取り金額は総じて、相場より低い値で取り引きされてしまうのだ。

しかし、レジェンドブレイブスの高額装備を買い取れるほどの財力を持つプレイヤーなど殆どいない。つまり、今現在、ボス部屋にいるあの最前線プレイヤー達ぐらいしか、買い取れる者はいないのだ。

だからこそのオークションである。そして、そこで出たお金で、詐欺により騙し取られた武器の相場分だけ、詐欺被害にあったプレイヤー達に分配するらしい。

そして、強化詐欺にあったせいで死んだプレイヤーの話だが、オルランド達は、せめてその仲間に謝罪をしに行きたいから名前を教えてほしい、と言ったのだが、痩身のダガー使いは、訥々と「噂で聞いた話だから名前は知らない」とか言いやがった。一発、ぶん殴ってやりたかった。

そして、オークションに出品されたものを一巡見て回ったものの、スピード型の僕に合う装備が無かったので、買い取りを辞めた。

そして、他のみんなも、思い思いの理由でオークションの参加を辞めたのだ。

しかし今度は、リンドが僕達に「なら、三層の有効化をしておいてくれないか?それと、新聞屋に、第二層ボス攻略の情報を伝えておいてくれ」と言ってきたので、どっちにしろ面倒臭い事を押し付けられたなあ、と思い、階段をだべりながらゆったりと登っているという訳だ。

 

 

「あそこまで、完全に装備を剥ぎ取られて、あの人達、前線に戻ってこれるのかな?」

 

興味と心配が等量に入り混じった顔で、薄く緑掛かった髪色が特徴のボーイッシュな女の子、リーベがそう言った。

その疑問には、さして興味もなさそうにユウが答えた。

 

「まあ、やる気と根気がありゃいけるだろ。見た感じ、技術はなかなかのもんだったしな」

「別れ際にリンドにちょっと確認したけど、もしブレイブスにその気があるんなら、最小限必要な装備を整えられるだけのコルは戻すって言ってたよ」

 

そう付け足したのはキリトだった。その言葉に、僕は内心胸をほっと撫で下ろした。

帰ってきて……いや、帰って来い、ネズハ。だってそれが、それこそが君の望んだ剣士としての道なんだから。

迷宮区の外周に備えつけられた階段を半分ほど登ったところで、可愛らしい声で秀吉が言った。

 

「ところでキリトよ。転移門を有効化した後はどうするんじゃ?」

「うーん……そうだなあ。まず、出来ることは二つあるんだけど、この三層には九層まで続くっていう、めちゃくちゃ大規模なキャンペーンクエストがあるんだけど、それを受けるのが一つ。もう一つは……」

 

キリトの言葉は、そこで突然途切れた。よく見ると、キリトの面持ちには、少し影が差している。

 

「ギルド結成クエストが受けられるんですよ。これが言いたかったんですよね、キリトさん?」

 

そう言ったのは、意外なことにアレックスだった。

彼女は、毅然とした態度で、じっとキリトを見つめている。

キリトは、欺瞞を抱えた瞳で彼女を見つめ返し、言った。

 

「なんで、君はそんなこと知ってるんだ?」

「あれ?覚えてないんですか?私達、一緒にそのクエスト受けたじゃないですか」

 

アレックスの言ってる意味がわからない。今、三層が開通したのに、一緒にギルド結成クエストを受けた、なんて、何を言ってるんだ。

理解できないのは、キリトも同じだったようで、眉間にしわを寄せ、顎に手を当てて、考え込んでいた。

そしてキリトは、石段を十段ほど登ったところで、唐突に目を見開き、声を上げた。

 

「…………え?あ……あっ!も、もしかしてお前、あのアレックス……なのか?」

「多分、その想像で間違いないと思います」

 

二人は何を言ってるんだ?僕の脳の理解のキャパを、二人の会話は、八テラバイトほどオーバーしてしまっている。

ちなみに、僕のキャパは三キロバイトぐらいだ。

すると、そんな僕を見て、優子が叫ぶように言った。

 

「え!?ラ、ライト!?目玉が横回転してるわよ!?」

 

どういう状況だ、僕の顔。

 

「あー……えーっと、分かり難かったですかね?実は私、ベータテスターだったんです」

「ラ、ライト!?黒目が縦横無尽に駆け回ってるんだけど!?」

 

えーと、ベータアレックスがテストの目玉?

そして僕は、考えることを辞めた。

そんな僕を無視して、キリトは話を続けた。

 

「いや、でもあの時のお前のアバター、Mだったよな?」

「Mだから、こんな名前にしてたんですよっ!それなのに、現実の根暗な私になっちゃって……」

 

少なくとも根暗ではないと確信できる。

ちなみに、Mというのは、Maleの略、つまりアレックスは、ベータ版ではネナベだったわけだ。

 

「話を戻しましょうか。キリトさん。あなたが、ギルド結成クエストという言葉に言い淀んだのは、自分は、ライトさん達のギルドに入れない、もしくは、入らない方がいいと思ってるからですよね?」

 

珍しく真剣さを伴ったアレックスの言葉に、オーバーヒートしていた僕の頭が、クールダウンしていく。

アレックスの言葉に小さく首肯したキリトの面持ちには、深い暗さが露呈していた。

 

「私は、このギルドに参加させて頂こうと思っています。もし断られたとしても、何度でも頼み込んで」

 

アレックスの革靴と石段がコツンと音を立て、反響が虚空へと消える。

 

「あなたが、一層でしたことは、私も聞き及んでおります。確かにそれは、英雄的な行動だったことでしょう。ですがそれは、ギルドに入ってはいけない理由になりますか?それは、仲間を遠ざける理由になりますか?それは、貴方が勝手に壁を作って高を括っているだけに過ぎません。もっと仲間を信じてください。私が信じられないのなら、せめてライトさんだけでも信じてください。私達は、貴方が思うほど弱くない」

 

ああ、確かに君強く気高い。僕なんかとは、比べるべくもないほどに。僕に言えなかったことを、当然のように言ってのける。

僕は思い出していた。自らの力の無さに慟哭し、彼を救えないことに憤った、あの後悔の涙を。

そして僕は、無意識の内に、キリトに手を差し出していた。

 

「…………キリト」

「………………ゴメン……ライト……」

 

キリトの表情を見て、反射的に手を引いてしまいそうになる。しかし、すんでのところで踏みとどまる。

キリトは、鎮痛な面持ちを崩さない。

そのとき、僕の背中に手が当てられた。振り向くと、そこには、アバターの顔に穏やかな笑みを浮かべたアレックスが立っていた。

 

「頑張れっ!」

 

それだけ言うと、彼女は、僕の背をポンっと押した。

ありがとう、アレックス。そうだね。此処で誘うことを辞めたら、僕はまた絶対に後悔する。

僕は、第一層のボス部屋でキリトが、自分を犠牲にするのを止められなかった。

それ以来、僕は何度、自らを苛んだか知れない。あの時、キリトを止められていれば、あの時、僕を縛るムッツリーニを振りほどき、キリトの言葉を遮っていれば、と。

だからこそ、僕はもう、後悔だけはしたくない!

僕は、無気力に下げられていたキリトの手を強引に掴み、言った。

 

「キリト!僕らのギルドに入れ!」

 

強引でもなんでもいい。僕は、キリトと友達であり続けたいんだ!

キリトは伏せていた顔をはっと上げると、数回瞬きをしたあと、優しげな笑顔になり、言った。

 

「ああ……ありがとう」




計五人の方が投票してくださったおかげで、ついに、平均評価が表示されるようになったのですが、平均評価9.2とな!?
調べてみると、ハーメルンで二番目という快挙。本当にこんなに高評価をもらっていいのでしょうか。
兎にも角にも、嬉しさに打ち震えている筆者です。


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第二十二話「アクティベート」

テストが半分返ってきたのですが、今のところ、欠点科目がない!もしかしてこれ、追試も受けなくていいんじゃないですか?
とまあ、こんなことでテンションが上がってたのですが、更にテンションが上がる事態が!
なんと、念願の日間ランキングに乗りました!順位は三十一位です!
そして、平均評価が9.5となりました!ハーメルン内トップです!
投票&お気に入り登録してくださった皆様、本当にありがとうございます!


「…………うわぁ……綺麗……」

 

ティアからあどけない声が口をついて出た。

しかし、それに対して何も反応出来ないほど、この光景は、むしろ清らかと想えるほどに明媚だった。

樹齢何百年とも知れないような木々の梢から落ちる木漏れ日は、水分を含んだ苔に反射し、キラキラと輝いている。

それ自体が、一つの木と思えるほどの、どっしりとした安心感のある枝には、クリッターオブジェクト……いや、こんな言い方は無粋だろう。小鳥達が止まり木にし、細く、可愛らしい鳴き声が、木立の間に谺している。

まどろっこしい表現を抜きにして、一言でこの光景を比喩するならば『妖精の森』が適当だろうか。

 

「うん……本当に綺麗……。此処まで登ってきた甲斐があったわ……」

 

いつもの、クールなアスナさんは何処へやら。今はアスナも、ただただ感嘆の声を洩らしている。

第二層のフィールドは、何処までも草原が広がり、碧い岩肌の見えた、アルプスの山の牧場、みたいな風情だったが、この層のテーマは、確実に森だろう。

すると、ホロウインドウに何かをタイピングし終わったキリトが、地に生えた若葉色の草を靴先で弄びながら言った。

 

「よし、アルゴに情報も送ったし、そろそろ主街区に行くか!」

「うん!」

「そういえば、ライト。お前、武器装備しなくていいのか?」

 

ああ、そうか。ユウ達との賭けの期間は、第二層いっぱいだったから、もう片手剣を装備してもいいのか。

 

「いやでも、やっぱりいいかな。もう結構、素手の奴っていうので名前通っちゃってるし」

「悪評しか通ってねえけどな」

「うるさいな!」

 

それが一番気にしてるとこなのに!

 

「……街で『素手で攻略に挑むなど、バカの極みでござるなあ、デュフッ、デュフフフッ』っていう声を聞いた」

 

何故だろう。そいつにバカにされても、全く気にならない。

 

「お喋りもいいけど、主街区に行くんじゃなかったの?」

 

優子の、締まりのある凛とした声が鼓膜に響いた。

 

「そうだね。転移門がアクティベートされるのを待ってる人もいることだし、そろそろ行こうか!」

 

その僕の声をきっかけに、僕らは歩を進め出した。

 

 

「こ、こいつ美味しいのかな……?」

 

そう言った僕の視線の先にいたのは、丸々と太った、淡いピンク色の、完璧としか言いようのないほどに完璧なブタだった。

 

「その子は、ホワイトピギーっていうんですよ」

 

テコテコと歩くブタを、欲望たっぷりの目線で凝視する僕にそう言ったのは、元ベータテスターのアレックスだった。

 

「で、美味しいの?」

「もっとこう……可愛いとか、そう言う感想ないんですか……?」

 

あれ?僕まさか、アレックス相手に呆れられてる!?くそぅ、僕より常識ないと思ってたのに……。

まあ、確かに言われてみるとちょっと可愛いかもしれない。

クリクリの黒目。デフォルメされた太った身体は、きっと触るとプニプニだろう。

クウクウと可愛らしい声で鳴いているのも、ポイントが高い。

うん。こう見ると、結構可愛い。

 

「多分味は、普通のブタさんと同じだったと思いますよ。異常に湧くので、ベータのときは、料理スキルのスキル上げのために虐殺されてましたね」

「返して!僕の可愛らしいと思った一瞬を返して!」

 

上げて落とすとは……なんて惨たらしいことをするんだ!

 

「でも、料理スキルか……。それはちょっと興味あるな」

「え?取るんですか?果てし無く面倒臭いですよ?」

「うん……。でも、料理ってそういうもんだしね」

 

むしろ、努力を省くと、料理をしてる感じがしない。

 

「スキルスロットは、一応四つのうち一つ余ってるから、取れないこともないんだけど……」

「いいんじゃないですか?取っちゃえ取っちゃえーっ!」

 

超他人事だな!びっくりだよ!

 

「ちなみに、三つは何を取ってるんですか?」

「えーっと、体術スキルと、片手直剣スキルと、聞き耳スキルだよ」

「えっ!?聞き耳スキル!?ライトさんって、変態さんだったんですねっ!」

「いや、違うよっ!?やましいことには使ってないからねっ!?」

「すいません。喋りかけないで下さい。変態がうつります」

「変態ってうつるもんだったっけ!?」

「あ!変態であることは否定しませんでしたね!」

「いや、違う!今のは言葉の綾で!」

 

どうしよう。なんか、涙出てきた。

 

「とまあ、冗談はさておき、本当に料理スキルを取るつもりですか?」

「ああ……冗談だったんだ……。良かった……」

「別に本気でも構わないですけど?」

「嫌あーっ!辞めて!冗談であって!」

「ふふっ!ライトさんを弄るのって面白いですねっ!」

 

そんな面白さ、発見しないで欲しい。

 

「えっと……料理スキルだよね。うん、取ろうかな」

「さいですか。じゃあ勝手に頑張って下さい」

「あれっ?思ってたより反応薄いな?」

 

というか、冷たい。

あれ?なんかゴソゴソしてるな。何やってんだろ?

 

「はい、これっ!ブタさん一匹、絞め殺しておきましたよっ!」

「嫌あーっ!」

 

 

「ふう……長い道のりだったね……」

「いや……お前らが勝手に騒いでただけだと思うんだが……」

 

うん。ユウの言うとおり、それで正解だと思う。

まさかアレックスが、自分から可愛いって言ってたブタを、あんなに大量に惨殺していくとは……。

恐怖を通り越して、平伏してしまった。

 

「じゃ、転移門をアクティベートしようぜ」

 

脇目も振らないキリトに、僕らもついていく。

そして、第三層転移門だ。

形状は、第二層と同じで、大理石っぽい素材で出来たアーチの中が、水面のようにたゆたい、歪んでいる。

 

「ここはひとつ、リーダーに有効化してもらおうか」

 

そう言ったキリトの視線の先には、無頓着に佇むユウの姿があった。

 

「え?お、俺か?」

「おう。何か変か?」

「いや、まあ別にいいんだが……」

 

そう言って、ユウは、歪む空間へと手を翳した。

虹彩に焼きつくような閃光がほとばしる。

そして、数秒後、透明だった水面は青い光を放ち、最初の転送者を迎え入れた。

 

「よっしゃーーっ!一番乗りだぁっ!」

 

そう言って飛び出してきたのは、小学校中学年くらいの、僕の胸ほどの背丈しかない小さな男の子だった。

しかしながら、装備品はなかなかのもので、最前線でも通用するのではないかと思えるほとだった。

 

「待ってよ、ファルコン!」

 

そう言ってこけそうになりながらも、飛び出してきたのは、これまた年端もいかない、小さな女の子だった。

光沢のある、夜空のような黒髪と、純白のワンピースが特徴的なその子は、ファルコンと呼んだ男の子に必死に追いすがろうとする。

そのとき、唐突にファルコンが僕らに向き直ったかと思うと、元気いっぱいの声で言った。

 

「ボス攻略お疲れ様です!俺もいつか、皆さんみたいな攻略組のプレイヤーになるのが夢なんです!」

「うん。頑張って。君ならきっと出来るよ」

「は、はい!ありがとうございます!」

 

嬉しそうに応えると、ファルコンはぺこりと一礼し、それに合わせて女の子も頭を下げ、商店街へと消えていった。

僕はその背中を見つめながら思った。

あんな小さな子達でさえ、この世界に閉じ込められながらも、必死に戦っているんだ。必死に生きているんだ。

だからこそ、僕らも戦わなきゃいけない。このデスゲームを出来るだけ、出来るだけ早く終わらせるために。

気持ちを新たにしながら、僕らは、夕陽が差す石畳の街道を歩き出した。

ふと、空を見上げると、まだ見ぬ四層の底にオレンジ色が映っている。

そこに、ふわりと飛んでいたカラスが、僕にはどうにも不気味に見えた。




元々、今回の話のタイトルは、ギルド結成クエストにして居たのですが、ギルド結成クエストのギの字も見えなかったので、急遽、タイトルを変更しました……。
何故だっ!何故僕は、次から次へとプラスαで話をぶち込んでしまうんだ!


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第二十三話「班分け」

日間ランキングが、前日より上昇し、十二位となりました!
本当に、読者の皆様には頭が上がりません!
嬉しいです。すっごい嬉しいですっ!
ダラダラと続くこの駄文ですが、これからも、皆様の暇つぶしになれば最高です!


「えー……じゃあ、第二層ボス攻略を祝して、乾杯!」

「「「乾杯!」」」

 

僕らは今、毎回恒例の酒屋祝賀会を開催している。

二層のときと違うところといえば、幹事を、キリトではなくユウがしているところと、皆のテンションが一様に高いところだろうか。

きっと景色が綺麗だったからだろうな、と思いつつ、僕は取り敢えずで頼んだ黄金色の液体を、渇いた(ように感じられる)喉へと流し込む。

アットホームな雰囲気があった二層の酒場とは違い、この店は、シックな白と黒のツートーンカラーで統一されている。

店員のNPCの衣装も、ドイツの村娘みたいだった前の酒屋とは違って、むしろかっこいいとさえ思えるようなメイド服だった。

 

「よし、取り敢えず、ギルド結成クエストの情報を皆に伝えようと思うんだけど、聞いてくれるか」

 

そのキリトの言葉に、僕らは、真剣な表情で先を促す。

キリトは、僕ら全員の表情を見回した後、小さく頷き、説明を開始した。

 

「まず、明日の朝一番に、この街から南へ1kmぐらいのとこにある村に行く。で、そので村長の話を聞かなきゃいけないんだけど、それがびっくりするぐらい長いんだ。確か……ええっと、何時間ぐらいだったかな……」

「五時間ぐらいだったと思いますよ。まあ、あの時、キリトさん寝てましたし、覚えてないのも無理ないですよね〜」

 

思わず笑ってしまった。キリトも結構抜けてるとこあるからなあ。

毒づいたアレックスに、キリトは表情を強張らせながらも、話を続けた。

 

「……まあ、それでクエストが受注できるから、そっからが本番なんだけど、次が面倒なことに、採取クエなんだ。しかも、十種類ぐらいの、いろんな薬草やら鉱物やらモンスター素材やらを採ってこなきゃいけない。だから、クエスト受注した後、まず五手に分かれて採集に向かってもらおうと思う」

 

そう言ってキリトがアイテムストーレージから取り出したのは、五つの、何かがメモ書きされた羊皮紙だった。

 

「納品しなきゃいけないアイテムは、ここに書いてある通りだ。で、次に班わけだけど……」

 

そこで、キリトの言葉を遮ったのは、以外なことに、優子だった。

 

「ちょっといいかしら。納品しなきゃいけないアイテムが要求されるのは、一種類ずつなんでしょ?納品でフラグ立てとかしなくていいの?」

 

なるほど、それはもっともな疑問だ。RPGで先に進むためには、フラグ立てが必要な場合が多い。

例えば、今回の場合、採集する対象がクエスト限定アイテムだったら、一種類目を採集して納品し、フラグを立てないと、次のアイテムがフィールド上に発生しない、なんてこともままある。

だが、その優子の心配は、次のキリトの言葉で杞憂だと解った。

 

「ああ、このクエストで要求されるアイテムは、クエ限とかじゃなくて、普通にフィールドで取れるアイテムばっかりだからな。極論、先にアイテムを集めておいて、村長の講話を聴き終わった瞬間、一気に納品したっていい」

 

それは……村長に嫌な顔されないかな……。まあ、NPCだから大丈夫か。

 

「で、次に班わけだけど、何か意見あるか?」

「……私は、ユウと一緒がいい」

「うん、じゃあ一班決定だな」

「おい、ちょっと待て!俺の意……」

「他に何かあるか?

「ちょっと待てコラァ!」

 

キリトの素無視も、板についてきたな。こういう時のユウの扱い方が分かってきたのだろう。

 

「はいはーいっ!私、ライトさんと一緒がいいですっ!」

「え?ええーっ!?僕?」

「はい。何かおかしいことでも?」

「いや、まあアレックスがいいならいいんだけどさ……」

「じゃあ、そこも決定だな」

「いや、ちょっ!ちょっと待ちなさい!」

 

焦ったような声でそう言ったのは、優子だった。

どうしたんだろ。優子の気に障るようなことでもあったんだろうか。

 

「いや……あの、その二人に任せたら、ロクなことにならないでしょ?だ、だから……ア、アタシもその班に入るわ!」

 

何故か、意を決したような優子のセリフ。そんなに僕達、信用ないかなあ……。

 

「えっと……じゃあ、そこは三人班な。で、次は……」

「それなら、わたしはあなたと組むわ。あなたとペアだと、いろいろと楽そうだし」

 

そんな理由を、アスナは早口でまくし立てた。

なんで、皆そんなに焦ってるんだろう。

 

「じゃあ、消去法でボクらがペアだね、ムッツリーニ君」

「……このペアを却下する!」

「我儘言っちゃダメだよ、ボクらがペアなのは決定事項なんだから」

「……くっ!何処で、何処で選択を間違えたんだ!」

 

強いて言うなら、このゲームにログインしたところだろう。

 

「えーっと……わしは、どうすればいいんじゃろうか……」

 

意外なことに、最後まで残ってしまった秀吉が、悲しそうな声でそう言った。

 

「ほんとは優子と組んでもらおうかと思ってたんだけどな……。じゃあ、五班じゃなくて、四班にしようか。どっかで、秀吉を入れてやってくれないか?」

 

入れてあげたいのはやまやまだけど、この班がもう既に三人班だしな。

と、思っていると、ムッツリーニが前に進み出て、言った。

 

「……俺達の班に入るといい」

「ヒューヒュー!両手に花だね、ムッツリーニ君!」

 

テンション高く、そう言ってるにも関わらず、リーベはどこか不満そうだ。

しかし今度は、そんなリーベの言葉に秀吉が不満を漏らした。

 

「……リーベよ……。わしは男じゃと、何度も言っておろうが……」

「「「えええええぇぇぇぇっ!」」」

「待て、ライト!キリトとアスナとアレックスが驚くのは解る!いや、解りたくないが、まあ解る!じゃが、何でお主まで驚いておるのじゃ!?」

「う、嘘だ!秀吉が男だなんて、絶対に嘘だ!」

「ライト……もうお主に解らせるのは、一生無理な気がしてきたぞい……」

「…………結局、どっちなんだ?」

「男じゃ!」

 

何故秀吉は、そこまで頑なに男と言い続けるのだろう……。

うーん……やっぱり乙女心は解らないな……。

 

「うん、じゃあまあ……それぞれで採集する感じで……」

「チッ!まあ、こうなることは大体予想してたしな……。取り敢えず、今は楽しもうぜ!」

 

自分の悩みを吹き飛ばそうとするかのようにユウが言った。

よく、こんな班分けになることが予想できるもんだなあと、感嘆してしまう。

 

結局、その宴は、日を跨ぐまで続いた。

 

 

「ついに明日、僕らのギルドができるんだね!」

 

宿屋のベッドに寝転びながら、僕は少し興奮気味に言った。

ベッドがギシギシと音を立てた。

少し間が空いたので、同室の男連中は全員寝てしまったのかと思ったが、少しして応答がかえってきた。

それに真っ先に応えたのは、キリトだった。

 

「明日中に出来るかどうかは、解らないけどな」

「そんなに時間かかるもんなのか?」

「ああ、ベータの時は、人数が少なかったせいもあるけど、三日かかったな」

「……でも、今回は情報も最初から揃っている」

「ああ、そうなんだよ。だから俺は、一日か二日で終わると思ってる」

 

少しづつ、目が暗順応する中、キリトがそう言った。

まあ、キリトがそう言うのだから、間違いないだろう。

秀吉の声は聞こえないが、おそらく、例によって寝ているのだろう。

ああ、そうだ。ギルドといえば、一応僕も、名前を考えてるんだけど、どうしよう。発表しようかな。

 

「そういえば、皆はギルドの名前ってもう考えてるの?」

 

取り敢えず、わざと回りくどく言ってみた。

まずは、皆のアイデアを聞き出してからにしよう。

 

「お前がそう言うってことは、もうお前は考えてあるんだろ?お前が最初に言えよ」

 

なんでこいつ(ユウ)は、コンスタントに僕の心を読んでくるんだろうか。

 

「うん……。えーっとね。僕は『ザ・サーバンツ』にしようかと思ってるんだけど……」

「ライト、お前その綴りかけんのか?」

「バカにしないで欲しいな!自分で考えた名前ぐらい、自分で英語に直せるよ!」

「ほーう、じゃあ書いてみろよ」

 

僕は、ザ・サーバンツを英語に直し、三人にインスタントメッセージとして送った。

 

『Za・Servents』

 

何故だろう。視線なんて解らないはずなのに、ユウとキリトの視線が、妙に優しい気がする。

 

「お、おう……いいんじゃないか?」

「えっと……じゃあ、おやすみ、ライト」

「え?ちょっと待って!僕何か間違えてたの!?ねえ二人とも?おーい!」

「……大丈夫だ、ライト。俺にも、解らない」

「ああ、良かった。仲間がいた……いや、全然良くないよ!?まあいいか……明日の朝に聞こう……おやすみ、みんな」

 

そう言って、僕達は、ボス戦の疲れを癒すため、深いまどろみの中へと落ちていった。

 




やっぱりギルド結成クエストに入ってくれない!
でもまあ、流石に次は、入れ込む話もありませんからね!次こそは、クエストに入れると思います!


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第二十四話「ギルド結成クエスト」

活動報告に、バカテス陣のリアル名とアバター名の対応表を載せてみました。
もし、わかりにくいと思われた方は、御一見を!

そして、お気に入り登録数が二百を突破しました!
お気に入り登録して下さった皆様、ありがとうございます!


早朝。名前も解らない小鳥達の声が、チュンチュンと気持ちよく響く。

暦の上では冬の筈なのだが、小春日和とはこの事だろう。少し暖かいとさえ思える微風が、僕の頬を撫でた。

今日は、待ちに待った、ギルド結成クエスト決行日だ。

朝食は、昨日アレックスが狩りまくったブタを、僕が調理したもので済ませた。

とても上等とは言えない味だったが、まあ、食べられないレベルでもなかった。

そして、準備を整えた僕らは、アインクラッド第三層主街区から、南へ向けて歩き出した。そう、歩き出したのだが……。

 

「めちゃくちゃ早かったね」

 

本当に早かった。もうちょっと長旅かと思っていたのに、ものの十五分ぐらいで着いてしまった。

 

「だって、実際の距離は、たった一キロですからね。第三層全体の直径だって、九キロちょいしかないわけですから」

 

そうか、考えてみると、一番でかい第一層の直径でさえ十キロぐらいだったんだから、そんなもんなのか。

村の様子を見てみると、NPCが何人か立っているだけで、プレイヤーは、まだここまで来ていないようだった。

まあ、三層が開通したのが昨日の今日だからな。しかもこの村は、主街区と迷宮区の直線コース上にない。つまり、ギルドクエストを受けるプレイヤーしか、この村には立ち寄らないのだ。

キバオウやリンドと鉢合わせたら嫌だな、と思いながら、キリトに、気になっていたことを尋ねてみた。

 

「ねえ、キリト。村長さんの姿が見受けられないんだけど……」

「多分……寝てるんじゃないか?」

「寝てる!?NPCって寝るの!?」

 

キリトが、答えようと口を開きかけたが、その寸前に、アレックスが僕の疑問に答えてくれた。

 

「高位の役職を与えられたNPCは、人間に近い動きをするようになるんです」

 

なるほど、ある程度数を絞れば、完成度の低い自律人工知能ぐらい与えることは可能だということか。

そういえば確かに、これまでも何度か、これって本当にNPC?って思うことがあったのだが、あれはそういうことだったのか。

そんな考え事をしていると、村のほぼ中央に位置するレンガ造りの家から、一人の老紳士が、押扉を開けて、悠然と登場した。

彼の双眸は、老いてなお爛々と輝いており、壮年の頃は、勇猛に剣技を振るったであろうことは想像に難くない。

老いの象徴であるはずの、皺や、長い白髭さえも、彼の威厳を助長しているとさえ思える。

すると、此方に気づいた長老が、白いローブの裾を地面に擦らせながら、近付いてきた。

そして、僕らの三メートルほど手前で止まると、少しだけ唇を舐め、厳しさと優しさが同居した声で告げた。

 

「君達は、絆の儀式を受けたいのかね?」

 

絆の儀式、それがギルド結成クエストのことなのだろう。確かに、ギルドメンバーというのは、この世界において、最も強い絆の一つだ。

コンビや配偶者よりは、個人個人の関係性は薄れるものの、複数人の関係としては、これほど強いものはあるまい。

僕と同じ解釈をしたのか、ユウは、代表として、その問いに首肯した。

 

「ああ、そうだ」

「ならば、儀式に必要な祭具を君達自身の手で集めてきてくれたまえ。そうすれば、私が神官となって儀式を執り行おう」

 

そのセリフと共に、ユウの前にクエスト受注選択の通知窓が現れる。

 

『ギルド結成クエストを開始しますか?』

 

それに、コンマ一秒と迷わず、ユウがイエスを押し込む。

すると、それを見てとったのか、システム的に決められているのか、碧眼の村長が、ハリのいい重低音で話し始めた。

 

「ではまず、君達にこの儀式の意義について説明しよう。そもそも、絆というものは……」

 

あ、ヤバイ。一番眠くなるタイプの話だ……。

 

「いや、流石に早過ぎると思うんじゃが!?」

 

いやあ、可愛らしい声だなあ。そう思いながら、眠りに陥ろうとする僕の肩を激しい衝撃が襲った。

 

「痛っ!」

「貴様、長老様の御前で眠りこけるとは何事か!」

 

咄嗟に振り返った僕の視界に現れたのは、警策を持ち、睨みを効かせたお坊さんっぽいNPCだった。

驚きながらも、キリトに小声でそっと耳打ちする。

 

「キリト、こんな人がいるのに、ベータのときは、どうやって寝たのさ?」

「いや……ベータではいなかったんだけどな……。茅場も、いやらしい調整するな……」

「あなた達は……もうちょっと真面目に聞くことが出来ないのかしら?」

 

何時ものように、遺憾なく優等生ぶりを発揮する優子。別にこんな話、どうでもいいと思うんだけどなあ……。

 

そんなこんなで、なんとか村長の、有り難ーーーい御講話を承ったあと、メニューウィンドウの時刻表示を見ると、十二時を三十分ほど過ぎていたので、僕らは、まず昼食を取ることにした。

幸い、村にはNPCの板前が営む食堂があり、そこで食事が出来た。

僕は天丼(らしきもの)を頼んだ。何故か、出汁が洋風っぽい味付けだったのだが、これが案外イケる。五分とたたずに平らげてしまった。

ちなみにアレックスは、その店の名物『ホワイトピギーのカツレツ』を頼んでいた。ホワイトピギーに、何か恨みでもあるのかな?

 

 

「はあぁっ!」

 

気合いと共に放たれた優子の斬撃は、第三層の雑魚Mob『ミニマム・ゴブリン』の身体を引き裂き、ポリゴン片へと変えた。

片手剣を腰の鞘へと戻しながら、優子は、此方に向き直り、言った。

 

「こいつで何匹目?」

「二十二匹目だと思います」

「なっかなか出ないわね、ゴブリンの秘薬」

「そりゃそうですよ。ベータの時の情報ですけど、ドロップ率は、一〜二パーぐらいだったはずですから」

「はあーー、そりゃ出ないわけね。よし!もういっちょ行きますか!」

 

何か、すごいノリノリでゴブリンを殺してまわってるな、この二人。

ちなみに、ゴブリンの秘薬というのは、ギルド結成クエスト、通称、絆の儀式に必要な祭具の一つらしく、この層に点在するMob、ミニマム・ゴブリンからドロップするらしい。

というわけで、僕らは先ほどからゴブリン狩りを続けているわけだが、二人が強過ぎて、さっきから僕に何もさせてくれない。

 

「二人とも強いから、もう僕、このパーティにいらないような気がしてきたなあ……」

 

とまあ、ちょっとした自虐ネタを言ってみたのだか、二人の反応は予想を大きく上回って熱かった。

 

「何言ってんのよ。あなたもちゃんと手伝いなさい!」

「そうですよ、ライトさんっ!ちょっとは一人で敵を倒して下さいっ!」

 

というか、僕が一人で敵なんて倒せるわけないじゃないか!俊敏全振りのくせに武器を持ってないこの僕が!

何か……自分が情けなくなってきたよ……。もう、アイデンティティとか気にしないで武器持っちゃおうかな……。

そんな後ろ向きの思考を、元気な優子の声が堰き止めた。

 

「さて、まだまだ行くわよ!」

 

五時間後、僕らは、まだゴブリン狩りを続けていた。

 

「何よコレ!ぜんっぜん出ないじゃない!」

「もう、二百匹は倒したはずなんですけどね……」

「あ!新しいのがPOPしたよ!」

 

僕がそう言った瞬間、女子二人は、ゴブリンへと突撃し、剣とメイスで滅多打ちにして、一分とたたずに倒した。

軽く鳥肌が立った。

 

「はい、次ィッ!」

「まだです!まだ血が足りません!」

 

あれ?この子達って、こんな性格だったっけ?

もうこれ以上、彼女達をゴブリンと戦わせてはいけない気がしてきた。

そこで新たにPOPしたゴブリンを見て、そんな益体の無い思考を飲み下す。

バーサーカー二人が一気に数メートルの距離を詰めると、各種ソードスキルで小柄なゴブリンを切り刻んでいく。

よし!僕も負けてられないな。

そう思い、右腕を横腹に構える。すると、右腕全体が、黄色に発光を開始する。体術スキル『エンブレイザー』だ。

地面を踏みしめ、思いっきり跳躍する。途轍もない速度で繰り出された貫手が、矮小な体躯のゴブリンを突き刺す。

すると、元々レッドゾーンだった体力ゲージがみるみると減少し、ゼロになった瞬間、ミニマム・ゴブリンは、青白いポリゴンとなって爆散した。

そして、ドロップしたコルとアイテムが表示され……

 

「あ、出た」

「え、嘘!?ちょっとオブジェクト化してみなさいよ!」

 

優子に言われた通り、アイテムストレージから、ゴブリンの秘薬を選択し、オブジェクト化する。

僕の手の平に、直径二センチぐらいの、真っ黒の丸薬が現れた。

 

「確かに……これで間違いないですね……」

「何でロクに戦ってないライトの時に出るのよ!」

「うーん……釈然としませんね……」

「さ、さあ!村に帰ろう!」

 

女性陣の、殺気の篭ったジト目を一身に受けながら、無理矢理帰路についた。

 

 

今日の昼に入った定食屋は、夜には見事なまでに居酒屋に変化していた。

結局、夜ご飯も此処で食べることになったので、少し低めの暖簾を潜る。

 

『へい、らっしゃい!』

 

活きのいい大将の声が飛ぶ。店内を見渡してみると、僕ら三人以外の皆は、もう既に端っこのテーブル席に着いていた。

 

「おお、やっと帰ってきたか。遅いぞお前ら!」

「うるさいな、ユウ!こちとら、全然アイテムがドロップしなくて大変だったんだぞ!ちょっとは労え!」

「そういや、お前らの担当はゴブリンの秘薬だったっけ。あれは、運悪いときは、本当に出ないよな」

「ほら、キリトもこう言ってるじゃないか!知りもしないくせに、遅いとか言うなよ!」

「ああ?何でお前、そんなに怒ってんだよ?」

「ずっと殺意にあてられてきた鬱憤だよ」

 

ユウは頭に疑問符を浮かべている。まあ、確かに、状況を知らなければ、何を言ってるのかわかんないんだろうな。わざわざ説明する気もないけど。

 

「で、結局ドロップしたのか?」

「……ええ、したわよ……」

 

キリトの借問に、優子が不機嫌そうに答える。

そしてキリトも、何が何だかわからないって顔をしだした。きっと、レアアイテムがドロップして不機嫌になるなんて、キリトの超絶ゲーム的思考回路からすると、考えられないことなんだろう。

 

「まあ……何はともあれ、今日の午後だけで、十個中五個集まったんだから、単純計算で、明日の午前中には集め終わるな」

「え?四班しかなかったのに五個集まったの?どの班が二つ集めたの?」

「ああ、俺とアスナの班が、一つ目が終わって時間余ったんだ。んで、もう一個集めてきたんだよ」

 

そこで、居酒屋の主人が、全員分の生泡だて麦茶と枝豆みたいなものを運んで来た。

とりあえず、枝豆もどきに手を伸ばしてみる。

房がドーナツ状になっているところ以外は、完全な枝豆のそれを、長年の生活で培われた、日本人なら誰でも出来る絶妙な力加減で押す。

いつもの、ムニュっと飛び出してくる感覚。食べてみると、独特な食感と風味、そして仄かな塩味。はい、枝豆です。

 

「この店、結構美味いよな」

 

何の邪気もない声でキリトが言った。

それに僕が反応した。

 

「うん、普通に美味しいね」

 

最初に出会ったとき、僕らを助けてくれたときのキリトとは、こんなごく普通の会話など、望むべくもないものだと思っていた。

そんな取り止めのない会話に、こういう日常的なのって幸せだな、と思う。

そこではたと、僕自身の思考を自嘲する。こんな、非日常極まる世界で、何が日常的だろうか。そう、ここはあくまでデスゲームの中なのだ。

HPゲージがゼロになれば、絶対的に無慈悲な死を迎える、それでいて、現代日本では見るべくもない、自然と建造物が織り成す、美しくも残酷な、そんな世界。

楽しんじゃいけないとは思っていない。ただ僕は、慣れてしまうのが怖いんだ。慣れてしまえば、この世界の住人になってしまえば、もう二度と現実へは戻れない気がして。

この世界は、確実に、僕らの生きる道には無かったはずの、捻じ曲げられた運命だ。それとどう向き合っていくべきなのか。それをどう思うべきなのか。今の僕にはまだ答えは出せそうにない。だけど、この城には、あと九十七もの層が残されている。それらを全て見届ける頃にはきっと、僕らは、この世界で生きた意味を見つけ出せるのだ。

 




ギルド結成クエストも、半分が終わりましたね。
原作では、殆ど内容が語られていないので、クエスト内容や、村長の雰囲気など、想像で進めまくっておりますが、ギルド結成クエスト……こんなんでいいんでしょうか……。
いい……ですよね?


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第二十五話「歪められた運命」

皆さん、二日とちょいぶりです!
リアルが忙しくて、投稿が少し遅れたことをお詫び申し上げます!

それと、通算UAが二万を突破しました!ご愛読感謝です!

おもえば最近、毎回のように謝辞を述べるというおても有難い状況が発生しております!

皆様、本当に、ほんっとうにありがとうございます!


第三層に入って、二度目の朝。今日は生憎、厚い雲が太陽を隠している。何故か僕には、その雲が、楽しかった昨日の宴さえも霞ませているように見えた。

ジトジトと降る雨が、心に陰鬱な影を差す。

だからと言って、それがギルド結成クエストを中断する理由になろうはずもない。

鬱屈な感情を、無理矢理に明るく転換し、僕は皆と落ち合った。

例によって、村唯一の食事処(朝は惣菜のバイキング形式になっていた)で朝食を済ませ、僕ら三人は、草原へと歩き出した。

 

歩くこと数分。僕らの目の前に黄金色の牧草地が現れた。

草原に生える植物群は、一様に背が高く、どれも一メートルはありそうだ。

 

「今からするのは、トラウト・ラビットの捕獲です!ちなみに、生け捕りじゃないといけないので、投刀スキルは使えません」

「「おおーっ!」」

「それと、私はベータのとき、トラウト・ラビットを捕まえていないので、当てになりません!」

「「おおーっ?」」

「というわけで、トラウト・ラビットがどんな姿をしているのかすら知りません!」

「「oh……」」

 

そのとき、ガサゴソという細かい、小動物めいた音が僕の耳朶に触れた。

すかさず、音源の方向へ振り向くと、そこに生える幹の太い草に、ネズミ程の大きさの哺乳類が留まっていた。

ああ、これだな、と僕のリアルラックに感謝しつつ、じりじりと距離を詰める。

小ウサギまで、あと五メートルというところまで迫ったとき、不意に、大粒の雨が止まり草を叩き、その拍子にウサギは草の海原へと飛び込んでしまった。

 

「い、いまのだよね!?」

「た、多分そうだと思いますっ!」

「追いかけて、速攻で捕まえるわよ!」

 

息巻く優子は、草原の中央部へと駆け出して行く。その後を追い、僕とアレックスも、ウサギ捕獲へと出動した。

 

一時間後

 

「もうアタシ、探知スキル取ろうかしら……」

「早まらないで、優子!」

 

二時間後

 

「フフフ……ウサギさぁーん、出てきなさぁーい。痛いのは一瞬ですからぁー、すぐに唯の肉片になれますよぉー」

「いやいや!殺しちゃダメだって!」

 

三時間後

 

「今度という今度は逃がさないわよ、このウサっころ!」

「さあ、観念して、このやっさすぃーアレックスお姉さんの懐に飛び込んできなさい!」

 

僕らは今、優子命名ウサっころを三人で囲んでいる状況下にある。

そして、トラウト・ラビットは、にこやかな笑みを浮かべる女性二人に対して、少しづつ後ずさっている。

そうなると、必然的に僕の方へと歩み寄っているわけで……

 

「はい、捕まえた」

「またですか!またなんですか、ライトさんっ!」

「いや僕、今回はちゃんと働いたよ?」

「まあ、確かにそうね。よし、お昼にしましょ」

 

そう言われて、メニューウィンドウのデジタル時計を見てみると、現在の日本標準時は、十一時五十七分となっていた。あれ?なんか、この数字どっかで見たような……いや、時間なんだから毎日見てるか。

お昼ご飯は、あの定食屋でテイクアウトした緑色の米のおにぎりだ。何故か米自体から塩味がするという不思議な食べ物だったが、唯の塩むすびと思っても差し支えないだろう。調整をミスったのか、それとも元からこういう仕様なのか。まあ、どっちでもいいっちゃどっちでもいいんだけど。

左手に握り飯を持ちながら、右手でメニューウィンドウを操作する。理由は簡単。他の班のクエスト進行状況を確認するためだ。そういう意図のメールに返ってきた返事は、僕ら以外の全班が、まだ今日の一つ目を取っている最中だというものだった。

 

「進みは、僕らが一番みたいだね」

「なら、アタシ達は、午後に残り一つを取りに行く感じね」

「残ってるのは、石だったよね」

 

何と無く心配になったので、微妙な疑問形で確認した。

どちらが答えてくれるのかな、と思っていたが、先に答えてくれたのは優子だった。

 

「正確には鉱石ね。オリエンテの輝石。オリエンテっていうのは、たぶん東って意味だったと思うわ」

 

なるほど、だから今回の洞窟は村から東に位置しているのか。いや、むしろ東の洞窟で取れる鉱石だからオリエンテの輝石って名前なのだろう。

となると、オリエンテの輝石って名前を付けたのは、歴代の村人の誰かなんだろうな。

そんな思考を巡らせているとき、急にアレックスが上体を起こし、優子の口元へと手を伸ばした。

 

「優子さん、ほっぺにご飯粒が付いてますよ」

 

アレックスはそう言って、人差し指に付けた米粒をペロリと舐めた。

何故か、見てはいけないもの見た気がして反射的に顔を背けてしまう。

 

「え、あ、うん……ありがとう……」

 

照れと戸惑いが含まれた優子の言葉。

 

「いえいえ、どういたしましてっ!」

「ちょっ!どさくさに紛れてどこ触って……」

「偶然触れちゃったんですよ。他意はありませんっ!」

「それにしては手つきが、あっんんっ……」

「どうしたんですか、優子さん。何時もの強気はどこ行っちゃったんですか」

「そんなこと言ったって、この状況でひゃうぅっ!」

「この状況で、なんですか?ちゃんと言ってくれないとわかりませんよっ!」

 

あれ?ちょっと待って?この二人、僕の後ろで何してるの?

 

「や、やめ、そこはまだ心の準備が……あひっ!?いや、ぁんっ!」

「繰り返しますが、故意ではありません。偶然です」

「……ん……あっ……あぁっ!」

 

あーあー、聞こえなーい。

 

「まだまだ行きますよっ!」

「あっ、あ、もっとゆっくりぃ……」

「だぁーめっ!」

「あっ、うぅん、ぁあ」

「よし、輝石が取れる洞窟へ行こう!うん、そうしよう!よーし、いっくぞーっ!」

 

目尻に涙を浮かべ、僕は走り出した。

 

走り続けること一分。怪物の口のような洞窟の入り口が見えた。近くにあった岩に座り、気持ちを落ち着かせる。岩がひんやりと冷たく、僕の心をクールダウンさせてくれる。きっと、洞窟の側だからだろうな。

よし、これで大丈夫。もうきっと、二人に面と向かって真顔で話せる。

そこで早くも、二人が僕に追いつき、洞窟に到着した。

 

「ああ……早かったね、二人とも……。もうちょっとゆっくりしてても良かったのに……」

「いや、違うわよ!?あのね、さっきのはちょっと、ライトを驚かせようと思って……」

「いやいや、別に嘘なんてつかなくていいよ。それで、僕は、君達への接し方が変わったりなんてしないから……」

「変わらないなら変わらないで問題ありな気もしますけど……。ていうか、嘘じゃないですからね!いつライトさんが振り向くのかとこっちはワクワクしてたのに、何か、泣きながら走って行っちゃうんですから、焦りましたよっ!」

「ほ、本当に?」

「本当よ!女の子同士でそんなことするはずないでしょ!(男の子同士はともかくとして)」

 

語尾に不穏な言葉が付けたされた気がするが、触れない方が無難だろう。

 

「良かった……ほんっとうに良かった……」

「どんだけ嫌だったんですか……」

「嫌っていうより、気まずいっていう方が正しいかな」

「まあ、何て言うか、やり過ぎちゃったわね。ごめんなさい」

「大丈夫だよ。嘘だと解れば」

 

女子二人は微妙な表情をしていたが、キッと顔を上げたアレックスが、力強く拳を作って言った。

 

「じゃあ、気を取り直して。石は、結構すぐ取れますからね!さっさと終わらしちゃいましょうっ!」

「「おーっ!」」

 

優子と二人で、鬨の声、と言えるほどのものでもないが、慎ましやかな声を上げる。

すぐ終わるんなら、他の班が一つ目を取り終わるより早く取っちゃうかもな。そんな思索をしながら、僕らは、怪物の口へと飲み込まれていった。

 

洞窟内は、深い闇に閉ざされていた。シンと鎮まりかえる岩屋の中では、コツンという小さな足音さえも、何処までも反響していった。

岩窟特有の、じっとりと湿った空気が頬に貼りつく。

時折聞こえるギィギィという蝙蝠の鳴き声は、どんどんと不安感を膨張させていく。

 

「な、何か不気味ね……」

 

身体を縮こませながら、迫る静寂を押し返すように優子が呟いた。

 

「すぐ取って、出ちゃいましょうっ!」

 

いつも明るいアレックスの言葉だが、今日は少し焦りの色が見えた。

何の予感なのかは解らないが、『何か』が、洞窟の奥に居る気がするのだ。その気配を、優子とアレックスも感じているのかは定かではないが、僕には、濃密な形となって、そこに存在しているとさえ思えた。システムとデータだけで構成されるこの世界で、気配などというものが存在するのかすら怪しいが、ならば、この感覚は何と表現すべきなのだろう。

早くこの不気味な巌窟から出たいという気持ちと、前に進まなきゃいけないという気持ちが、挟み撃ちのジレンマになって、僕の心に襲いかかる。

それでも僕らは、使命を果たすべく、洞窟の奥へと歩を進めて行った。

 

それは、突然現れた。

それ自体は、少しくすんだ銀に光沢しているのであろう鎧。それを闘気が、いや、瘴気の方が正しいだろうか。影というには、尚も暗く、漆黒というにはあまりに罪深い、言うなれば、暗黒の瘴気。それが、クロムシルバーに輝く装甲を覆っている。

いや違う。覆っているのでは無い。そのフルプレートの無骨な戦闘鎧自体が闇を、相反する性質である光のように放射状に解き放っているのだ。

装備者の背丈は小さく、ミニマム・ゴブリン程度しかない。だが、それの放つ威圧感は、モンスターのそれとは一線を画していた。本能的な恐怖を呼び起こす、純粋な殺意と憎悪。

最初、僕らに向けられているのだと思った。しかし、その認識は絶対的に間違っていた。こいつの殺意は、憎悪は、この世界に存在するもの全てに……いや、この世界自体に向けられているのだ。そう理解したとき、それだけでこいつの持つ負の感情が、数万倍、数十万倍に膨張したように感じられた。

このアインクラッドを壊し、殺し、意味を無に帰さんとする絶望的な闇。

ここでやっと気がついた。僕はこいつに恐怖しているのだと。

奴の、血の色に爛々と輝く目線は、まず手始めにとでも言うかのように、じっと僕らを見つめている。

 

「グルウゥゥッ!」

 

獣のような叫びと共に、ついにそいつが動き出した。そいつの剣の切っ先がまず歯牙にかけようとしたのは、棒立ちとなっている優子だった。その猛チャージを、僕とアレックスが防御する。

反応はアレックスが刹那だけ早かったが、先に防御に回ったのは、俊敏の差で僕だった。

体術スキル『閃打』で、鎬を叩く。片手剣の狙いが外れ、虚空を貫く。そこにすかさず、優子とそいつの間に入れ込んだメイスの先で、思いっきりそいつの腹を殴り飛ばすアレックス。そいつは、三メートルほど後方に下がった後、優子と同じ『クロムライト・ソード』を上段に構えた。刀身が闇色の光を紡ぎ出す。ソードスキルだ。この構えは、恐らくスラント、もしくはバーチカル。

そこでやっと正気に戻った優子が、頭上で剣を横に構え、防御体制を取る。それを見た僕は、一秒後の相手の位置を予測して、体術スキル『エンブレイザー』を放つべく、右腕を脇腹に構える。アレックスも、同じようにソードスキルを発動させるためにメイスを構える。

ギャリィィンという甲高い金属音。そいつが発動したスラントが起こした、優子の剣との剣戟の音だ。同じ剣同士でも、そいつの持つ武器は、何か異質な質量を持っているとさえ思えた。

優子が、苦しげに唇を噛む。それを見て取った鎧が、更に剣を押し出す。

そこで、エンブレイザーの発動モーションが終了し、思いっきり突っ込む。同じくアレックスも、その得物に光を湛えながら、上段から振り下ろした。

さすがに、ミニマム・ゴブリンのように身体を貫けはしなかったが、それでも充分なダメージは、与えられただろう。

二人のプレイヤーから一気に強攻撃をうけた鎧のHPゲージが……HPゲージがないっ!?では、Mobじゃないのか?HPゲージが基本不可視の何か。NPCもしくは……。

もう一度チャージを決行するそいつを視界の端にとらえ、それかけていた意識を集中させる。

考えることなら、戦闘後にいくらでも出来る。そう自分に言い聞かせ、そいつの剣先がどこに向いているのかを見極めるため、じっと観察する。

っと……ここだ!鎧が放った刀身を真横から弾く。よくよく観察すると、こいつは、ステップやフェイントなどの戦闘技術を一切使っていない。全ての攻撃が、己の力に任せ、愚直に突っ込んでいるだけだ。それでは、折角の攻撃力も全て空回りだ。それを認識したとき、やっと僕の中に、思考を巡らせる余裕が生まれた。

まず、あいつのHPゲージが表示されない理由。考えられる理由は、現時点で三つだ。一つ目は、特殊なモンスターである。二つ目は、NPCである。三つ目は……プレイヤーである。

カーソルの色を判断するため、僕はちらりとそいつの頭上を見た。そいつを指し示すカーソルは、濃い橙に輝いている。

これで、ほぼ確定だ。こいつはモンスターだろう。

このSAOにおいて、モンスターを指すカーソルの色は、段階的に、白から赤へと変わり、黒へと変化していく。

僕から見て白だった場合、そのモンスターは、相当に弱いと判断出来る。同様に、赤なら、僕と同程度、黒なら、僕一人では絶対に勝てないぐらいの強さだということを意味している。その過程で、オレンジは白と赤の間、つまり……僕より少し弱い?こんなめちゃくちゃな奴が僕より少し弱いだって?そんな筈が無い!

つまりこれはどういうことだ?プレイヤーもNPCも、カーソルの色は、常にグリーンだ。だからこいつは、絶対にモンスターの筈……いや、待てよ……。もう一つ、カーソルがオレンジになる可能性があったはずだ。ということは、つまりこいつは……

そこまで思考が及んだとき、アレックスによってノックバックさせられたそいつに、優子が片手剣の初期技、バーチカルを発動させた。

そこで僕は、反射的に叫んでしまう。

 

「待って、優子!それは!そいつは……」

 

優子の放った剣先が、これまでの戦闘で磨耗した超硬の鎧を貫き、血のように赤いライトエフェクトをほどばしらせる。

もう遅い。そんなことは解っている。だけど、僕の口から、出かかった言葉を、食い止めることは出来なかった。

 

「プレイヤーだ!」



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第二十六話「胎動」

前回、変なシーンがありましたが、あれは、ムラムラして書いた。後悔はしていない。


禍々しい光沢を放つ鎧が、暗黒の瘴気に溶けて消えた。その現象に少しの違和感を覚えたが、今はそんなことを意識していられない。

僕は見極めなきゃならない。本当に、あの鎧の中身がプレイヤーだったのかを。

そして、視界に現れた情報は、僕の心を深く抉った。

中から現れた人物を僕は知っていた。たった二日前、三層が開通したその日に知り合った彼の名は……

 

「……ファルコン…………」

 

我知らず、そう呟いていた。

ファルコンは、そんな僕の声など気にもとめず、仰向けに倒れたまま、右手を天へと伸ばした。そして……

 

「…………イ………………」

 

ほとんど声にならない声でそう呟き、少年の頬をポリゴンの水滴が伝った。それが、洞窟の冷えた岩地を濡らした。

同時に、ファルコンの身体が蒼く輝き、硝子の砕けるような音と共に、その生命が断たれた。

 

「ひっ……いや……いやああぁぁあああっ!」

 

優子の絶叫が、岩屋を駆ける。僕らは、それに何の言葉もかけてあげることが出来なかった。

優子はその場にうずくまり、すすり泣いている。

かくいう僕らも、優子を慰める言葉が見つからないのではなく、慰められないのだ。僕らがしたことは、プレイヤーキル……いや、殺人だ。

そんな事をして、直ぐに他人を慰められる程、僕らの精神は、出来上がっちゃいない。

だが、優子の感じている衝撃は、僕らの比ではないだろう。止めを刺した。その一点で、彼女は自分を極限まで追い詰めてしまっている。

そんな彼女に、僕らは何もしてあげられない。そんなのは、仲間として失格だと思う。けれども、どうしようもないのだ……。

今の彼女と話そうとすればするほどでそれはきっと、彼女を傷付けてしまう事になる。

そのとき、急激な予感と共に、僕の背筋が凍りついた。

まだ、アレがいる。装備者がその命を散らしてもなお、アレはまだ存在している。第六感の部分で、僕の本能がそう告げている。

いや、そんな筈はない。鎧が耐久を失い、ポリゴン片となる瞬間を僕らは目撃している。それなのに、どうしてあの鎧が再び現れるというんだ。

そう。現実的に考えて、鎧はもうこのサーバから消え去った。なのに、悪寒は去らない。嫌な予感がぐるぐると頭の中で回る。

果たしてその予感は、見事なまでに的中してしまった。

ただてさえ濃密な洞窟の闇を、暗黒が上書きしていく。その発生源は────優子だった。

優子の鬱屈とした感情が浸み出すように、流れ出て、優子の身体を包んでいく。黒煙のようだったそれは、少しづつ、少しづつ質感を増し、光沢をつけていった。

僕とアレックスは、その変遷をただ呆然と見守るしかなかった。通常のゲームではあり得ない、別プレイヤーへの、装備状態の強制的移行。それが、どういう原理なのかは、全くもって解らないが、現実、起きてしまっている。

ガチャリ、と不快な金属音を立てて、優子が、いや、鎧が立ち上がった。そして鎧は、予想だにしない行動に出た。

逃げたのだ。僕らから。全力で。

今、優子が僕達から逃げるいわれは無い。だからやはり、あの鎧が装備者を操っているのだ。

あまりにも突飛な仮説では有るが、もう僕にはそれしか考えられない。そうでないと、ファルコンが僕らを襲ったという事項を説明出来ない。

理解できない現象に対応出来ずに、僕はアレックスに向き合った。その僕の視線から何を読み取ったのかは分からないが、アレックスは、小さく、だけども力強く頷き、言った。

 

「何ウジウジしてんですかっ!早く優子さんを追いかけて下さいっ!早く優子さんを……助けてあげて下さいっ!」

 

叱咤に近い言葉を投げるアレックスから視線を切りながら、僕は叫んだ。

 

「当たり前だ!あんな鎧、ぶっ壊してやる!」

 

アレックスに言い返し、僕は仮想の両脚に、思いっきり力を込めた。

まず、戦力分析。俊敏は、僕よりほんの少し遅い程度。このまま走り続ければいつかは追い付く。だが、いつもの優子はバランス型だ。なのに、今は俊敏極振りの僕とスピードが然程変わらない。

恐らくは鎧によって、相当にステータスが底上げされているのだろう。

筋力は、もし鎧装備状態のファルコンと同程度だとすれば、僕とは比較にならない。

つまり、ステータス的には完敗だ。

だが、僕はあの鎧に勝ちたいわけじゃない。いくらおかしな鎧だからと言っても、鎧は鎧だ。破壊ではなく、優子から外す。それだけに全力を注ぐ。

どれだけ走っただろうか。ついに、僕らの前に、アインクラッド第三層を貫く峡谷が、その全容を現した。

よし、行き止まりだ。さすがのあいつもここで止まるしかないだろう。しかし、そんな予想は僕の思い込みだった。

鎧は、スピードを緩めない。それどころか、加速してるようにも見える。

待て!そのまま行けば優子が谷に……クソッ!届けっ!

僕は、全身全霊をかけた踏み込みで、三メートル間をダイブして、優子の脚にタックルした。

谷の手間一メートルで倒れる優子。よし、助かった!

谷底に落ちる心配が終われば、次は鎧を引っぺがす心配だ。

僕は、優子の腰回りのベルトに手を掛け、下半身を一気に外した。次は小手、と思っていると、鎧が僕を押し飛ばし、無様に十メートル程転げ回ってしまう。それだけで、僕のHPゲージが二割減したが、そんなことに構っていられない。よく見ると、グリーンプレイヤーである僕を攻撃したことで、優子のカーソルがオレンジに染まっている。

すぐに立ち上がり、優子の方へ走り、太腿部から下の鎧を谷間に向かって蹴り飛ばす!

綺麗な水平投射を描きながら、漆黒の鎧が悠久の谷底へと消えていく。

ここではたと、ある危惧が浮かんだ。煙が優子にまとわりついて、その煙が鎧になってそのまま装備されたんだから、谷に落としても意味ないんじゃないのか?

もしかすると、煙の状態で谷底から這い上がり、優子に再装備される、なんて事は無いだろうか?

しかし、それは杞憂だったようで、数秒待っても鎧は戻ってこなかった。どうやら、完全な煙になるのは、所有者が移るときのみらしい。

そこで思考を打ち切って、僕は優子の小手の部分に全神経を注ぐ。視界が狭まり、脳髄を焼き切る程の急激な加速感が僕を覆う。そして、加速感を知覚する感覚さえも遠ざかっていく。

SAOの装備は簡略化されているので、小手は手首の留め具を外せば取れる。

まずは、真っ直ぐ突っ込む!

 

「グルウゥアァァッ!」

 

金属エフェクトのかかった獣のような雄叫び。鎧は、真っ直ぐに飛び込んだ僕に対して、大上段から、クロムライト・ソードを振り下ろす。

だが、そんなことは予想済みだ。軽いステップで右側に避けると、左手で、剣を握っていない左小手の留め具を外し、右手で、肩口から伸びる上腕装備を引き剥がす。

ミリ単位の調節が必要な細かい作業だったが、今の僕は、それをいとも簡単に成し遂げた。

残るは、頭、胸、右腕。問題は右腕だ。あれを外すには、剣を手放させなきゃいけない。

二メートル程バックステップして、剣の間合いから外れる。右腕より先に、胸を解決しよう。

僕はもう一度、全速力で駆け出した。鎧もきちんと学習しているようで、剣を脇腹に構え、横薙ぎの体制を取っている。確かにこれなら、横にステップされても対応出来るだろう。だが甘い!

僕は、体術スキル単発蹴り『舟撃』を地面に繰り出し、その反作用で飛翔する。

走りながらの飛翔であったため、上体を前に倒していたので、緩く回転しながら、鎧の頭上に逆立ちで到達する。そのまま、普段の僕なら考えられないような手捌きで、肩当てと、胴装備のホックを外した。

鎧の真後ろに降り立った瞬間、胴装備を無理矢理引っぺがす。

残るは、右腕と兜のみ。一気に畳み掛ける!

僕へと向き直った鎧が、己と同色の剣を高々と振り上げる。さっきと逆の、左側にステップ。さすかに鎧も、同じ手は食わないだろう。だからこそ、誘導をつけた。右手だけ相手の目の前にとどまらせる。

いま、鎧が迫られているのは、必殺の一撃で相手の右手を使用不能にするか、もしかしたら倒せる、くらいの確率にかけて、無理矢理に方向調整して、相手の身体を攻撃するか。そんな二者択一に、奴が出す答えは、確定的に前者だろう。しかし、それこそが誘導だ。

僕の右手が、真紅のライトエフェクトを伴って弾け飛ぶ。そして、僕の右腕を斬り飛ばすために大上段から放たれた片手剣が、慣性的に地面へと吸い込まれていく。

地面に少しだけめり込んだ優子の愛剣を、舟撃で蹴り飛ばす。

そこで鎧は、握力の限界を迎えたのか、無骨な右手から、クロムライト・ソードを手放した。

そこで一気に、右小手の留め具を外し、引っぺがす!

最後に残った兜は、何故か悲痛に歪んでいるように見えた。

ここで距離を置いて、相手に剣を取らせる隙を与えるのは、完全に愚策だ。僕は、露わになった優子の肩を掴み、上体を大きく後ろに反らせた。

僕の顔面を、黄金の閃光が包んでいく。発動したソードスキルは『天衝』。つまりは、頭突きだ。

僕の頭と鎧の兜が、激しく明滅しながら、ライトエフェクトを撒き散らす。

 

「ウゥォオオォォーッ!」

 

僕の咆哮が谷間に谺したとき、鎧から放たれていた瘴気は、急激にその勢いを弱め、僕の頭突きが終わった瞬間、ピキピキと兜にヒビが走り、そしてついに、大音響の炸裂音と共に、暗黒の鎧は砕け散った。

 

地面には幾つもの亀裂が走り、木々は薙ぎ倒されている。その全てが、あの鎧の性能と凄まじさを物語っている。

本当に、勝てたのが奇跡だ。圧倒的な戦力差だった。パワーの差は歴然だったし、僕が極振りしているスピードも僅差だった。気迫など、比べることすらおこがましい。勝因は、戦略や戦闘技術、そういうテクニカルな面でのことだ。

激戦の後の脱力感が、身体中に染み渡る。

 

「…………何でよ……」

 

ポツリと、弱々しい声で優子が呟いた。その言葉には、後悔と自虐、そして、怒りが込められているように感じた。

優子の告白は続く。

 

「何で……助けたのよ!」

 

そう叫んだ優子の翡翠の瞳には、どうしようもない痛みと、水晶のような涙が浮かんでいる。

 

「アタシは……アタシは!人を……殺したのよ!しかも、貴方にまで手をかけようとした!許されない罪を重ねようとした!だからアタシは、あそこから飛び降りようとしたのに!!」

 

あれは、優子自身の意思だったのか。そう思った瞬間、僕の中に何か、よくわからない感情が込み上げてきた。それは、喉を詰まらせ、瞳から流れ出た。

優子は、涙まじりに叫ぶように言った。

 

「自殺を止めたんなら、アンタがアタシを守ってくれるの?アンタがアタシをこの世界から救ってくれるの?そんな出来もしない事を、ヒーロー気取りに嘯くつもりなの?ねえ?何とか言ってみなさいよ!」

 

優子の心の裡から轟々と溢れる奔流は、彼女の心情にあったダムを決壊させ、外界へと流れ出る。

その理由は問うまでも無く、彼女自身が言うように、人を殺し、さらに僕に手を掛けようとしたことに対する罪悪感……いや、それだけじゃない。きっと彼女の心は、この世界に囚われた時から、茅場晶彦の宣告により、無限とも思えるような現実との乖離に、身を投げ出されたあの始まりの日から、もう、とうに限界を迎えていたのだろう。

それを押し殺していたのは、間違い無く彼女の……優子自身の心の強さだ。だが彼女は、強いからこそ、誰にも弱さを露呈出来なかった。誰にも弱音を吐けなかった。弱い自分を見せたくなかった。

硬いものほど割れやすい。彼女はもう、些細なきっかけで感情を爆発させてしまうほど、自らの心を追い込んでいたのだ。

そんな彼女が、自責で心の壁を壊し、痛めきった心を吐露してしまった。

なら、そんな彼女に、僕がしてあげられることは……

僕は、肩で息をする優子の、その肩を掴み、強引に引き寄せ、抱きしめた。

優子は、それに少し身体を強張らせたくらいで、さしたる抵抗もしなかった。

君を守りたい。口をついて出そうになったその言葉を無理矢理呑み下す。

今、僕に出来ない事を豪語して、彼女を安心させたって、何の意味も持た無い。むしろ、彼女を傷つけてしまう可能性だってある。そんなこと、いくらバカな僕だって理解している。

だからこそ、僕は、彼女に言わなくちゃならない。

 

「…………うん、君の言う通りだね。僕じゃ君を守れない。君を守れるほど、僕は強くない」

 

僕の胸の中で、優子が身体をビクリと振るわせたが、僕は気にせずに言の葉を紡いだ。

 

「でもね、僕は、君を支えたいと思うんだ」

 

優子の温もりが、僕の中に染み出してくる。

僕は、この時優子への特別な感情が自分の胸中に目覚めていることに気がついた。だけどそれが、何という感情なのか、僕にはわからなかった。ただ、僕はその感情を知っていた。

それは、ずっとずっと昔、ウサギの死に心を痛め、泣きながら勉強を続けていた、僕なんかとは比較できないほどの頑張り屋の優しいあの子、幼き日の姫路さんに抱いた感情の相似形だった。

そんな暖かい感情を、僕は彼女に伝えたかった。

 

「君が戦いを強いられたとき、隣に立って一緒に戦いたい。君が何かに憤ったとき、僕にその思いの丈をぶつけて欲しい。君が涙を流したとき、それを僕が払ってあげたい。それじゃ、ダメかな…………?」

 

喉元まで熱い何かが込み上げてきたが、どうにか最後まで言い切った。その拙い言葉は、僕自身にも、無理に捻り出したのか、自然と口から出たのか、それすら判然としなかった。ただ、偽りのない本心であることだけは確かだった。

永劫にも感じられるような、一瞬の間が空いた。その間、僕らは何も喋らなかった。ただただ、優子の啜り泣く音が聞こえるだけだった。だけどその時間は、優子の体温を、より深く感じさせてくれた。

谷間を抜ける微風が彼女の短く切りそろえられた髪を撫でた時、優子は嗚咽混じりにポツリと呟いた。

 

「…………ありが……とう……」

 

優子の言葉と涙は僕の中にしたたって、優しく、暖かく、包み込むように僕の心を満たしていった。

もう一度、僕は彼女を強く抱きしめた。

優子も僕を抱きしめ返してくれた。

いつの間にか僕らは、その場に座りこんでいた。青々と地面に生い茂る草がくしゃりと潰れている。

僕は右手で、そっと彼女の薄茶色の髪を撫でた。それと同時に、優子が僕を抱きしめる力も、少し強くなった気がした。

不意に顔を上げると、泣き腫らしたように真っ赤に染まる夕陽が見えた。

紅に彩られる四層の底面を背景に翔ぶ一羽の鷹が、その雄々しい威容を真紅の夕陽へと溶け込ませていった。

 

 

結局僕らには、そして、ベータテスターのキリトとアレックスにも、あの鎧が何だったのか、終ぞ解らなかった。

優子とファルコンの精神を蝕み、その運命を捻じ曲げたあの鎧の正体が。

システムの一時的なバグ。そんな無理矢理なこじつけでその場は納得するしか方法は無かった。

だが、僕らは気づくべきだったのだ。気づかなければいけなかったのだ。この時にはもう、水面下で蠢き、胎動する『何か』は、確実に僕達に警鐘を鳴らしていたのだから。




これにて、ギルド結成クエスト編閉幕です!
如何でしたでしょうか?もうオリ話はたくさんだ?大人しく原作沿いにしとけ?そう思われた方は、どうぞ感想にご記入下さい!

今回の話、二、三話ぐらいで終わらせようと思っていたのに、あれよあれよと倍以上のボリュームに……。全く……訳が分からないよ……。

ちなみに、前回から登場した『鎧』ですが、あれ?コレってアレじゃね?と勘付いた方もいらっしゃると思います。そうです。アレです。設定だけパクったとかではなくてですね、物語の進行上、そして展開上、出さなければいけなくなっちゃった感じです。一応、原作話とオリ話を混ぜこぜにして、ラストまで繋げていく所存であります!
まあ、感想に止めろと仰られる方がいれば、もうオリ話は入れませんが。
それと、勘付か無くても全く問題はありません。むしろその方が驚きは大きくなるのでは?と思います。

それと、近況報告。今日、日本橋ストリートフェスタに行ってきました!いやあ、楽しいですね、あのカオスな感じ!外人さんのマリオにはびっくりしました!

では、また次回!


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第二十七話「思い出の結晶ーⅠ」

またまた懲りずにオリ話です!そして、またまたⅠとかつけちゃいました。こういうタイトルのときは、ガッツリシリーズ物と思って下さい。

今回からは、初のライト以外の視点!と思いきや、見返すと、優子さん視点もちょっとやってましたね。
でも、ずっと、ライト以外の視点は初です!
今回からは、クドムツが続きます!


雑多で猥雑な商店街の雰囲気は、少しの感傷を呼び起こす。部活帰りに立ち寄った駄菓子屋。毎日の買い物の八百屋や魚屋。そんなものは、この世界では過去の遺物だ。活気のある街並みに、ほんの少し似つかわしくない心持ちで、ボクは第十層の主街区を練り歩く。

そこで、はたと一つのアイテムに目が止まった。線の細い花弁を幾つも持つ、鮮やかな紅色の花飾りだった。

 

「ねえねえ、ムッツリーニ君!コレ可愛いと思わない?」

 

隣を素っ気なく歩く彼に聞いてみる。

 

「……俺は、そんなものに興味はない」

 

やっぱり返事も素っ気ない。

あ、いいこと思いついた。ちょっと鎌をかけてみよう。

 

「その返事は、なかなか良いってことだね」

「……何故、解るっ!」

「ああ、やっぱりそうなんだ。すいません、これ下さい!」

 

鎌をかけて正解だった。ていうかムッツリーニ君。ポーカーフェースが下手すぎるよ。まあ、そこも可愛いとこなんだけど。ああ、こんなセリフ、誰かに聞かれちゃったら、恥ずか死するな。うん、きっとする。

何故にボクが、ムッツリーニ君と買い物デートを敢行しているかと言うと、ボク達のギルド『The Servents』の規則に由来していたりする。それは、パーティまたは、コンビ編成は、ボス攻略時以外、原則自由というものだ。

ボクが朝、ギルドの借ホームに到着すると、そこに残っていたのは、誰かパーティメンバーを組めそうな人待ちのムッツリーニ君だった。そこでボクが、パーティの申請をすると、微妙な表情を作りながらも承諾してくれた、というわけだ。

余談だが、『The Servents』というギルド名には、三つの由来がある。一つは、ボク達がこのデスゲームに囚われる以前に通っていた文月学園のシンボル、召喚獣をイメージしてのもの。もう一つは、ボク達プレイヤーをこの世界に召喚されたと見立てたもの。そして三つ目が、SAOを自動運営しているカーディナルシステムをサーバと置き、ボク達プレイヤーをクライアントとしたこの関係性を、サーバとクライアントのポートマントーであるServentsを比喩したものだ。まあ、原案者のライト君は、そこまで考えてなかったみたいだけど。

そんな思考を巡らせながら、一見無害に見える青年、ムッツリーニ君を見ると、ゴソゴソと何かを買い漁っていた。

 

「……何してるの、ムッツリーニ君?」

「…………結晶アイテムを買っている」

「ええ!?結晶アイテム!?そんなもの買うお金が何処にあったのさ!?」

 

結晶アイテム、と一口に言うが、その値段は総じて、アホ程高い。もうぶっちゃけ、値段設定一桁ミスったでしょ、っていうぐらい高い。きっと、ゆくゆくは普通に買えるようになるのだろうが、現在十層を絶賛攻略中のボク達には手の届かない代物だ。その筈なのだが、彼は何故か同じ形状の結晶を十個くらい両手に抱えている。

一体どうすれば、そんなお金が工面出来るのか、単純に気になったので、一つづつせっせとアイテムストレージに結晶をなおしている彼に聞いてみる。

 

「それ、何用の結晶なの?」

「……映像記録用結晶」

「その一言で、全てが丸分かりだよ!融資だね、男性プレイヤーから融資を募ったんだね、ムッツリーニ君!」

「……男性プレイヤーだけではない、と付け足しておこう」

「誰だよ!こんな事に出資した女の子!」

 

ああ、ダメだ。ボクは基本ボケの筈。いつの間にツッコミに回ってしまっていたのか。

まさか本当に、ムッツリーニ君は、あの盗撮写真を売りさばく悪の組織、ムッツリ商会をこの世界で再興しようと言うのだろうか。彼なら出来てしまいそうなのが怖い。

 

「……さっさと支度しろ、リーベ。狩場が先客で埋まってしまうぞ」

「いきなり正論ぶち込まないでよ!って、ああ!ちょっと待ってよ、ムッツリーニ君!」

 

そそくさと圏外へ向かうムッツリスケベの後を追う。何故か、そんな彼の背を見るだけで、頬が紅潮してしまうのが悔しいところだ。きっとあのムッツリ鈍感野郎は、そんなことに気づきもしないのだろうけど。

 

 

「せぇやぁぁあっ!」

 

気合いに乗じて、両手斧を逆袈裟に切り上げたとき、アインクラッド第十層に生息するMob『サーペント・ウォーリア』は、青白いガラス片となって霧散した。

数秒後、ボクの眼前にポップアップウィンドウが現れた。そこには、獲得コル、獲得経験値、ドロップアイテム、そしてレベルアップの電子文字が刻まれていた。

どうやら、今回のレベルアップでスキルスロットも一つ増加したようで、スキルを増やせますよ、的な案内文も同時に出現した。

 

「うーん、何にしようかな……」

「……スキルスロットが増えたのか?」

「うん、そうなんだけど。メインアームは取る気も無いし、かと言って日常系もねえ……」

「……探索スキルにでもしておいたらどうだ?」

「じゃあ、そうしよっかな」

「……冗談のつもりで言ったんだが……」

 

だってもう取っちゃったし。他に入れたいスキルもないし。というわけで早速、探索スキルを使ってモンスターを探してみよう。

テーマが沼地であるアインクラッド第十層のエリアを、探索スキルのシステムウィンドウと睨めっこしながら進んで行く。

 

「あ!ムッツリーニ君!北東方向にモンスターがいるよ!」

「……いや、もう戦っている」

 

そう言われて顔を上げると、ボクからたった一メートル先の北東方向にモンスターがいた。いや、探索範囲一メートルって!舐めてんのか!

ムッツリーニ君は危なげなくそいつを倒すと、此方をチラリと見てから踵を返した。ボクも、目の前の獲得コルと経験値の表を、少しの罪悪感を持って消し、彼の後を追った。

 

そもそも、探索スキルはメインアームにもサブアームにもならない完全なサポートスキルなので、ずっと使い続けると、熟練度の上がりが異常に早い。具体的に言うと、一日で十上がっちゃったりした。

 

「この探索スキルって奴、もう熟練度が十も上がったよ!」

「……普通、そんなにずっと使い続けるもんでも無い」

「いや〜だってさ、使えないものも、さっさと使えるようにした方がおトクじゃない?」

「…………」

「あ!新しい反応だ!でも、Mobじゃないみたい。プレイヤーかな、NPCかな?」

 

探索スキルのウィンドウには、周辺の動的オブジェクトが、それを指し示すカーソルの色で表示される。例えば、プレイヤーやNPCならグリーン。プレイヤーの場合は、犯罪を犯せばオレンジになるけど。で、モンスターの場合は白から黒の間を変化する。

そして今、表示されている色はグリーンだ。プレイヤーにしろ、NPCにしろ、無害な事に変わりない。じめじめと湿った地面を踏みしめながら、ボクらは、カーソルが点滅する方へと近づいて行った。

そこに立っていたのは、日輪のような綺麗な金髪を肩口まで垂らした女の子だった。顔立ちは日本人離れしていて、きっとハーフなのだろうと想像できる。歳は、おままごとをしていても不思議じゃないくらいに見える。

まだ少しだけ残っていた警戒心は消滅し、近づく足も自然と速くなった。

女の子は忙しく首を回して、周囲を警戒しているようだ。やがて、ボク達が近づく足音に気付いたのか、女の子は、生糸のような金髪を揺らしながら言った。

 

「モ、モンスターさんですか!?ど、どっか行って下さい!わたしはあなたと戦いたくありません!」

 

モンスターにさん付けするのか、とか、仮にモンスターだったとして君は対話出来るの、とか、モンスターとの戦いは不可避的に起こるものでしょ、とかのツッコミワードを喉元で押さえ付け、なるたけフレンドリーな声音で女の子に話しかけた。

 

「モンスターさんじゃないんだな、これが。君は、こんな所で何してるの?」

「ああ、何だ。人間でしたか」

 

あれ?この子の中では、モンスター>人間なのかな?

この子の性格に一抹の不安を感じつつ、質問の返答を待った。

 

「わたし、おばあちゃんちに行きたいんです。でもね、どうやって行けばいいのかわからんのですよ」

 

ボクは、君の性格がわからんのですよ。まあ、取り敢えず事情は理解した。きっと、おばあちゃんと一緒に、このSAOにログインしたのだろう。そして、なんやかんやあって、この沼地で道に迷っていた、というところか。

しかし、祖孫でデスゲームに囚われるというのは、なんとも悲劇的ではないだろうか。お涙頂戴とまではいかないが、おばあちゃん宅まで届けてあげようくらいの同情心は湧き上がる。

 

「うん、じゃあ、このエッチなお姉ちゃんと、このエッチなお兄ちゃんが助けてあげよう!」

「……俺はエッチじゃない(ブンブン)」

 

さすがにその否定は往生際が悪すぎるよ。いやまあ、ムッツリの名に恥じないといえばそうなんだけどさ……。

呆れかえるボクに、女の子は予想外の反応を見せてくれた。

 

「お、お姉ちゃん、エッチなんですか!じゃ、じゃあエッチもしたことあるんですよね?ど、どんな感じなんですか!?」

 

目を輝かせ、鼻息を荒くして問う女の子。おおっと、こりゃ将来有望だな。

っていうか、ロリでハーフで性格に難ありのビッチって、あまりにも欲張りすぎじゃないだろうか。この子の将来が思いやられるところだ。

しかし弱ったな。自分でエッチ宣言しておいて、エッチしたことないなんて言えないよなあ……。

 

「う、うん。えーっとね、エッチはね、なんて言うか、スゴイよ!」

 

隣のムッツリーニ君が鼻で笑う。貴様もどうせ童貞だろ!

 

「スゴイって、具体的にどうスゴイんですか?」

 

なんでボクは、見ず知らずの女の子に、やったこともない事の感想を聞かれているのだろう。なんだか虚しくなってきた。

 

「いやー、言葉で言い表すのは、ちょっと難しいかなー」

「なるほど、実践あるのみ、というわけですね?じゃあ、お相手は、このエッチなお兄ちゃんにしてもらいましょう!」

「えええええっ!?いやいやいやいや!だ、駄目だよそれは!そ、そんなことしたらお兄ちゃんも困っちゃうし!それに……」

 

ボクが言い訳を言い終わらない内に、ムッツリーニ君は顔を真っ赤にしながら、板のようにバタンとその場に倒れ、気絶した。

なるほど、鼻血が出なくても気絶はするのか。

 

「お兄ちゃん、気絶しちゃったし」

「そうですね。じゃあ、起きたらしてもらいましょうか!」

「やめなさい!そういうのは、好きな人とやるものなんだよ!君にも好きな人……」

 

そこで、まだこの子の名を聞いていないことに思い至り、慌て気味だった語調を正して聞いてみた。

 

「そういえば、君。名前は何て言うの?」

「名前を聞くときは、自分から名乗るのがスジってもんじゃないんですかあ?」

 

あ、ちょっとウザい。いやいや、ボクは大人だからね?このぐらいでキレたりなんてしないよ?

 

「う、うん、ごめんね。ボクはリーベ。んで、そこで倒れてるお兄ちゃんがムッツリーニ君って言うんだよ」

「リーベにムッツリーニですね。はい、分かりました。わたしはレムです。夜露四苦!」

 

よろしくの発音が、ちょっと変だった気がするけど、気の所為かな。流石に、そこまでキャラが濃くは無いだろう。多分、きっと。

 

「ところで、レムちゃんのおばあちゃん家ってどこにあるのかな?」

「おばあちゃんちはですね、十一階にあるんです!」

 

十一階?どういうことだろう?

そんなボクの思考を読んだかのように、レムは言った。

 

「あれ?たもしかして言ってる意味が分かんないんですか?十一階って言うのは、このお城の十一階ですよ!」

 

ますますわけが解らない。ここは、現在の最前線、アインクラッド第十層だ。もし、このお城がアインクラッドを指すのだとすれば、どう考えても辻褄が合わない。だって、十一層なんて、まだ誰も到達していないのだから。

そんなボクの疑問など気にもとめずに、レムは満面の笑みで言い放った。

 

「じゃあ、これからよろしくお願いしますね、リーベお姉ちゃん、ムッツリお兄ちゃん!」

 

その瞬間、ボクの、そしてきっとムッツリーニ君の目の前にも、簡素な一文の書かれた通知窓が現れた。

 

限定(リミテッド)クエスト、おばあちゃんのおうちを開始しますか?』




原作では全く触れられていない十層を舞台にするという無駄なチャレンジ精神!
そして何故か、ライト視点よりリーベ視点の方が書いてて楽しいという謎!
そして今回は、結構な長編になっちまいそうな予感がします!なるたけコンパクトに纏めるよう努力いたします!


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第二十八話「思い出の結晶ーⅡ」

クドムツ第二話です!

いやあ、二人の掛け合いを書くのが楽しすぎます!

では、ゆったりとした第二十八話、お楽しみ下さい!


しかし、本当に信じられない。こんなに感情表現が豊かで、自然な会話をそつなくこなすこの子が、NPCだなんて。

レムちゃんに話し掛け、おばあちゃんちまで届けるという約束、という名のフラグを立てたことで、クエスト開始のポップアップウィンドウが現れた。だから、この子がNPCなのは間違いないのだろう。でもなあ……信じられないよなあ……。

 

「ん?どうしたんですか、お姉ちゃん?わたしの顔に何か付いてますか?」

「いやいや、何でもないよ!気にしないで!」

 

しっかし可愛らしいなあ。NPCなんだから、当たり前か。瞳は、空色って言えるぐらい澄んでてくりくりだし、髪は優子ぐらいの長さだけど、伸ばさないのが勿体無いぐらいさらさらの金髪だし。顔立ちは冗談みたいに整ってるし。肌は純白に透き通っていて、まるで……。そう、まるで死人みたいだ。

いやいやいやいや、ボクは何を言ってるんだ。白の例えなんて他にいくらでもあるはずなのに。なんでよりにもよって、死人なんて……。

そのとき、ムッツリーニ君が、至極真面目な視線でレムちゃんを舐めるように見て言った。

 

「……ふむ、アリだな」

 

テンションの違いに愕然とした。

 

「な、なに言ってるのさ、ムッツリーニ君!ダメだよ、こんな小さい子に手を出しちゃ!」

「……大丈夫。撮影するだけだ」

「それがダメだって言ってるんだよ!」

 

レムちゃんが、悪意を知らない小動物のように首を傾げる。きっと、今自分が置かれている危険な立場が解っていないのだろう。それを見ていると、何故か守らなくちゃならない気がしてくるから不思議だ。

 

「……ともかく、一旦ギルドホームに帰ろう」

「だから、いきなり正論ぶち込まないでよ!っていうか、さっきまでの己の発言を省みてよ!」

「……五月蝿いぞ、リーベ」

「お兄ちゃんの言う通りです。さっきから、何を一人でトチ狂ってるんですか?」

「何?何なの?ボクが悪いの?」

 

そうか。そういえば、民主主義って多数決で悪が決められるんだったっけ。デスゲームの中で、現実世界の慣習がまかり通ることに、若干の憤りを感じつつ、ボク達は帰路についた。

 

「ねえ、お姉ちゃん。その髪飾りって、何のお花なんですか?」

「え、これ?うーん、何のお花とか、気にせず買っちゃったからなあ、なんだろう。知ってる、ムッツリお兄ちゃん?」

 

ちょっとした反撃の意味も込めて、冗談めかして彼の名前を呼んでみる。

 

「……俺が知ってるとでも?」

「ですよねー」

 

まあ、予想は出来たよ。エロの知識以外を、ムッツリーニ君が保持してるとも思えないし。

 

「名前は解らないんですか……。でも、可愛いお花ですね!」

「うん、ボクもそう思って買ったんだ」

 

そこでボクは、レムちゃんの物欲しそうな目線に気がついた。

なるほど、そういう腹か。ついさっき買ったところなんだけどなあ。まあいっか。

若葉色の髪から、真紅の華を取り外し、少女に差し出す。

 

「はい、あげる」

「い、いいんですか?」

「うん、全然いいよ。それに、ボクよりレムちゃんの方が似合いそうだしね」

「それはそうでしょうね」

 

うわ、ムカつく。でも、事実そうなんだから仕方ない。

レムちゃんは、花飾りを両手で掲げ、目を輝かしている。そして、目を細めながら、真っ白な頬で頬ずりしたり、紅に染まる細い花弁を一通り弄んだ後、満足げに黄金色の髪に飾りを添えた。

 

「ありがとうございますっ!」

 

太陽の数倍は眩しいのではないかと思える笑みでレムちゃんは言った。なんだ、年相応の反応も出来るじゃないか。いやあ、本当に可愛らしい。お人形さんみたいという表現が、こんなに似合う女の子が、現実世界にいるだろうか?いや、いない。

半ば以上無意識に、ボクはレムの頭を撫でていた。レムちゃんは、気持ち良さそうに目を細めると、撫で終わったと同時に、ボクの右手を、小さく華奢な左手で掴み、反対の手でムッツリーニ君の手を握って、意気揚々と歩を進めながら言った。

 

「さっ!お姉ちゃんとお兄ちゃんのギルドホームってとこに帰りましょ!ところで、ギルドホームってなんなんです?」

「うーん、簡単に言うと、仲間で集まるためのおうちかな」

「仲間……」

 

何か感じるところがあるのか、感情の見えない声で、レムちゃんがそう呟いた。

そして、パッと明るい表情になったかと思うと、勢いよく無邪気な声で言った。

 

「わたしも、仲間になりたいです!」

「うん、すぐになれるよ。ボク達の仲間は、みんな優しいしね」

「やったあー!」

 

天真爛漫を体現したかのように言うと、レムちゃんは、ぴょんぴょんとジャンプし始めた。それを、ボクとムッツリーニ君が、手を引っ張って補助してあげる。

ふと、この状況をはたから見ると、どう見えるんだろう、と考えて、不覚にも、顔を真っ赤にしてしまった。

 

 

「わたしはレムです!よろしくお願いします!」

 

ザ・サーヴァンツの皆が見守る中、緊張なんて言葉そのものを知らないかのように、レムちゃんが元気に自己紹介した。

ちなみに皆には、もう既にレムちゃんがNPCだということは、ボクからメールで説明済みだ。

 

「うん、よろしくレムちゃん。僕はライトだよ」

「俺はユウだ、よろしくな」

「わたしはアスナっていうの。よろしくね、レムちゃん」

「アタシは優子よ」

「……私はティア」

 

セリフ量によってそれぞれの子供好き度合いが滲み出ているような気がするが、あまり触れないでおこう。

あれ?そういえば、キリト君とアレックスは自己紹介しないのかな?そんなボクの視線に気付いたのか、二人が名乗り始めた。

 

「私はアレックスです」

「……俺は、キリトだ」

 

何故か二人は少し寂しそうな、何処かに痛みの色が見えるような声音だった。

そんな二人の様子を了せず、ライト君がレムちゃんに質問した。

 

「レムちゃんは、何でフィールドのど真ん中にいたのかな?」

 

ああ、そういえばそれを聞くのを忘れてた。まあ、クエストの設定といえばそれまでなんだけど、でも、聞かれることも織り込み済みで、何か理由は用意されているだろう。

 

「それはですね、おばあちゃんのお使いなんです」

「へえ、そりゃどんなお使いなんだ?」

 

案外子供好きっぽいユウ君が、興味ありげに聞いた。

 

「はい。実はですね、おばあちゃんが病気なんです。それで、病気を治すには、幾つかの薬草が必要なんですけど、それを集めようと思ったら、いつの間にか道に迷っていた、というわけです」

 

彷徨いてた理由自体は自業自得だった。しかし、おばあちゃんも、こんなにちっちゃい子をフィールドに出すなんて、結構酷いことするなあ。

そう思っているも、アスナが剣呑な雰囲気でレムちゃんを問い質した。

 

「それは、本当におばあちゃんが頼んだことなの?」

 

するとレムちゃんは、数秒間の逡巡の後、困ったように言った。

 

「……いや、おばあちゃんには止められました……」

 

まさかの、ここも自業自得だった。なかなかに猪突猛進な子だなあ。おばあちゃん思いが暴走しすぎだな。

するとユウ君が、レムちゃんの頭を撫でながら、苦笑交じりに言った。

 

「あんまり、おばあちゃんを心配させるんじゃねえぞ?」

「以後気をつけるかもしれません!」

「そこは断言しろよ!」

 

皆の朗らかな笑い声が、ギルドホームに谺した。

 

それから数時間後、談笑に疲れたのか、いつの間にかレムちゃんは、机に突っ伏して熟睡してしまった。

ボクが、そのか細い身体を抱えて、臨時用の客間のベッドに移したあと、キリト君が、少し陰鬱な表情で聞いてきた。

 

「……お前ら、あのクエストを狙って受けたのか?」

「ん、いや、沼地で偶然出会ったから、偶然受けちゃっただけだけど?」

「ははっ、めちゃくちゃ運良いな。あのクエストはな、限定クエストって言って、おそらくこのアインクラッドで一組しか受けられないんだ」

 

なるほど、確かにそれは限定だ。今更ながら、自分のリアルラックに感謝しつつ、ボクはその先をキリト君に聞いてみる。

 

「ってことはきっと、クリア報酬も凄いものなんだろうね。どんな奴なの?」

 

するとキリト君は、痛々しく顔を俯かせた。その反応にボクは首を捻っていると、代わりにアレックスがボクの質問に答えてくれた。

 

「それがね、解らず仕舞いなんですよ……。リーベさん、このクエストのクリア条件を思い出して下さい」

 

クリア条件は、結構緩かったはずだ。十一層にあるおばあちゃんのおうちに、レムを送り届けるだけ。それなのに、何故ベータのときはクリアされなかったんだろう?

そこで、ボクのベータに関する、少ない知識の中の一つと、今の質問が合致した。

 

「あっ!そうか!ベータのときは、十層の攻略中に終わったから……」

「はい、正解です。タイムアップでクリアできなかった。そう、だったら良かったんですけどね……」

 

どういうことなんだろう?キリト君とアレックスが、これほどまでに回りくどく言う理由も、これほどまでに痛みを伴った表情を作る理由も、何一つ思いつかなかった。

 

「実はな、ベータのとき、このクエストを取ったのは俺達だったんだ」

「正確には、もう一人いましたけどね」

 

まあ、これは大体予想出来ていた。これほど詳しい情報を持っているのだ。この二人も、何らかの形でこのクエストに関わっていたであろうことは、想像に難くない。

 

「うん、それでどうなったの?」

 

さっきからずっとお茶を濁しているのだ。きっと、ベータのときは、別のルートを辿ったのだろう。

その質問に、数十秒の間、答えがなかった。二人は共に俯き、唇を切り結んでいる。

不意に、何かを決意したようにアレックスが顔を上げ、物悲しげに言った。

 

「私達はあの子を……レムを守り切れなかったんです……」



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第二十九話「思い出の結晶ーⅢ」

なんだかんだで思い出の結晶三話目です。

二話分を終えて、あれ?進んでなくね?と思わずにはいられない今日この頃。文字数が少ないのでしょうか?

それと最近、リーベを上手く書けているのか心配になって来ています。


レムちゃんは、すうすうと寝息を立てている。月明かりに照らされた髪を触れる程度に撫でる。

 

「……ぅん……」

「ああ、ごめんね。起きちゃった?」

「どうしたんですか、お姉ちゃん?何だか、凄く悲しそうな顔ですよ?」

「……そうかな?別に悲しいことなんて、なかったんだけど……」

 

嘘だ。

ボクは今、レムちゃんの顔を見ているだけで、ズキズキと胸が痛んでいる。

先程のキリト君とアレックスから聞かされた事の顛末。それは、ボクにとって、途轍もない衝撃だった。

レムちゃんが、誰かに殺害された。いや、誰か、と言うのは的確ではない。正確には、何かだ。二人は結局、何故レムちゃんが死んだのか、何も解らなかったのだから……

 

 

数時間前。ボクとムッツリーニ君にキリト君とアレックスが、ベータ時代のレムの状況を説明してくれた。

 

『……あの日、レムをギルドホームに残して、俺と、アレックスと、もう一人、ボルトって奴で迷宮区に行ったんだ』

『そこで、とある通知窓が現れたんです。そこには、レムがパーティから脱退しました、と書かれていました……』

 

そこで、単純な疑問を口にした。

 

『それだけじゃ、レムちゃんが死んだとは断定出来ないんじゃないの?』

『はい、その通りです。ですから、私達は、必死になって探し回りました。攻略組という地位も、第十層のボス攻略という目標も投げ打って。それが確か、ベータテスト終了まで、後三日の事でした』

『……それでどうなったんだ?』

 

ずっと、無言を貫いていたムッツリーニ君が、続きを急かすようにそう言った。

それを見て、キリト君は、小さく頷き、言葉を発した。

 

『フレンドのサーチ機能を使っても見つからなかったから、きっと迷宮区に居るんだろうってことは解ったんだけど、それでも、三日じゃ全ての階層の迷宮区を廻るのは無理だった……』

 

キリト君は、視線を机に向け水の入った硝子製のコップを握り締めていた。そして、あまりに強く掴まれていたためか、オブジェクトの耐久限界により、グラスはポリゴンの破片と化した。

ギルドホームに、重苦しい静寂が満ちた。ボクとムッツリーニ君は、続くキリト君の言葉を待った。だが、キリト君はそれ以上、何も言おうとはしなかった。

そんなキリト君に代わって、アレックスが、弱々しくその事件の終局を語った。

 

『あれは、ベータテスト終了の、十分前くらいだったと思います。レムを探すキリトさんとボルトさんと私に、絶望がシステムの文面で叩きつけられました。《レムが死亡しました》たったそれだけの簡素な一文でした。あの子がNPCだということは解っています。いや、NPCだったからこそ、でしょうか……。ベータ時代、当然デスゲームではなかったあのときは、プレイヤーの死に心を痛めるなんていう滑稽な人はいませんでしたから』

『で、でも、NPCだって死亡判定が成されたら、リスポーンするはずじゃ……』

 

そこで、ボクは言葉を飲み込んだ。そうか、これは……このクエストは限定クエストなんだ……。限定クエストが限定クエストたる所以は、一度しか受けられない、その一点だ。仮に、そのクエストの登場人物のNPCが死んでしまえば、その時点でクエストはおじゃん。もう二度と受けられないし、NPCとは、もう二度と会えない。

そんなボクの思考を感じ取ったように、アレックスは更に続けた。

 

『ええ、そうです。おばあちゃんのおうちは、たった一度きりのクエスト。でも、それ以前の問題なんです。リスポーンしたNPCは、前回の記憶を引き継げないんですから……』

 

陰鬱にアレックスは言った。

例えレムがリスポーンしたとしても、それは以前のレムじゃない。記憶を失ってしまえば、それはもう違う人間なんだ。

つまり、NPCでも……いや、アレックスの言葉を借りると、ベータのときはNPCだからこそ、死は別れになり、悲しみになった。ならば何故、このレムというNPCには、ここまで高度なAIが搭載されているのか。レムとプレイヤーの双方に別れの悲しみを与えるくらいなら、いっそのこと、NPCらしくクエストという作業を淡々とこなしてくれた方が、まだ救いがある。何故この子は、こんなにも人らしいのか。この子に心を与えたのは、何がどう作用してのことなのか。

もっと言えば何故この子は、死ななくちゃいけなかったのか。

何も解らない。今更ながら、ボク達に与えられている情報は、あまりに少ない。

 

『だから……だから!今度こそ、あの子を守ってあげて下さい!』

 

アレックスの悲痛な懇願が、仮想の空気とボク達の心を震わせた。

 

『…………当たり前だ!』

 

普段は物静かなムッツリーニ君が、声を荒げて宣言した。まるで、自分の中に確固たる意思を植え付けるかのように。

それに同調し、小さく、だけどもいろいろな感情を込めて頷き、言った。

 

『うん、約束する。絶対にレムを、誰にも傷付けさせない』

 

 

「……ゃん…………えちゃん……………お姉ちゃん!」

 

そんなレムちゃんの声で、記憶の渦から脱した。相当長く回想していたような気がするが、ギルドホームの客間にある木製の掛け時計を見ると、まだ数秒しか経過していなかった。

 

「なんでそんなに深刻そうな顔をしてるんですか?心配してくれ、と言わんばかりですよ?」

 

捻くれてるのかストレートなのか解らない、そんなレムちゃんの思いやりの言葉。なんだかんだで根は良い子なんだなあと感嘆しつつ、少し茶化して言葉を返した。

 

「そんな些細な表情まで解るなんて、もしかしてレムちゃん、お姉ちゃんのこと好きなのかなあ?」

「はあ?そんなこと、当たり前田のクラッカーですよ」

 

その即答は当然嬉しかったが、それよりもツッコミたい欲が優ってしまった。

 

「そんな表現、どこで覚えたの!?」

「あれ?お気に召しませんでしたか?なら、表現を変えます。あたりきしゃりきのこんこんちきですよ」

「さらに古風な表現に!」

 

するとレムちゃんは、太陽のような笑みでボクの顔を覗き込んで言った。

 

「元気……出ましたか?」

「ああっ!可愛い!可愛いよ、レムちゃん!」

「ちょ!あんまり強く抱きしめないでください!息が苦しいからぁ!」

 

もうこれはしょうがないんだ。反射的な欲求だから!あっはっはぁー!可愛いなぁ!

 

「ふぐぅーーっ!」

「はっはっは!無駄無駄無駄無駄ッ!レムちゃんの筋力じゃ、お姉ちゃんのホールドは剥がせないぞっ!」

「は、離して!さもないと、お姉ちゃんのことを嫌いになりますっ!」

「Yes ma'am」

 

瞬間的に、レムちゃんから一メートル以上離れる。嫌だ!今、レムちゃんに嫌われたら自殺する自信がある!

そんなボクを見て、レムちゃんは胸を撫で下ろしている。そんなに嫌だったのかなあ……ボクとしては、唯の愛情表現のつもりだったんだけど……。

 

「よし!じゃあこうしよう!お休みのチューで、今夜は引き下がるよ!」

「じゃあ、次夜は何を要求されるの!?」

「明日は明日の風が吹くのさっ!」

「答えになってないよ!」

 

結局、レムちゃんの唇は奪えなかった。

 

 

翌朝、ボク、レムちゃん、ムッツリーニ君の三人は最前線から離れ、レムちゃんのおばあちゃんのための薬草取りに出かけた。

 

「…………レム、何故俺の後ろに隠れるんだ?」

「わたし、お姉ちゃんのこと嫌いになったの!だから、お兄ちゃんが守って!」

 

レムちゃんがほっぺたを膨らませ、プンスカという擬音が聞こえてきそうな表情で言った。

 

「……お前は何をしたんだ?」

「い、いやあ……単なる愛情表現だよ」

 

ムッツリーニ君が、訝しげな視線をこちらに向ける。この男にだけは向けられたくない目線だ。

しかし、何故ボクは二人からジト目されているんだろう。どうにかしてこの状況を脱却したいな。

 

「レムちゃん、お姉ちゃんがお菓子買ってあげようか?」

「え?ホント?やったあ!リーベお姉ちゃん大好き!」

 

そう言って、レムちゃんはタックルの如く抱きついてきた。ウフフ……髪の毛がサラサラだあー……。

 

「…………餌付けしたな……」

「人聞きの悪いことを言わないでよ。お菓子を買ってあげるだけなんだから」

 

妹にお菓子を買ってあげるくらい、どこの姉妹でも、普通にすることだよね。いやあホント、レムちゃんがチョロくて助かった。

 

「ところで、どんなお菓子がいいの?」

「あれ!あれがいい!」

 

いつの間にか敬語キャラを崩しながら、レムちゃんは、興奮気味に、ある一点を指差した。

スルメ。

 

「渋い!渋いよ、レムちゃん!」

「え?ダメ?」

「いや、いいよ。全然いいんだけどさあ……」

 

レムちゃんは、点日干しされたイカ片手に、鼻歌交じりに意気揚々と行進している。

 

「ふふふーん♪」

「なんでそんなにスルメが好きなの?」

「形がかっこよかったからかな!」

「え?スルメ食べたことあるの?」

「ない!」

 

まさかの、判断材料は形だけ……。スルメを選んだことを後悔しなきゃいいけど……。

石畳の大通りを数分ほど歩いていると、レムちゃんが何かを見つけたのか、ボクとムッツリーニ君を呼んだ。

 

「このベンチでスルメ食べよっ!」

「うん、そうしよっか」

 

そう言って、元気いっぱいにスルメを頬張った一口目のレムちゃんの表情はいつまでも、絶対に脳裏から離れないだろう。

 

 

沼地に降り続く霧雨は、空気の密度を練り上げる。沼を広げ、地を覆う。それだけでも十分陰鬱なのに、挙句の果てに、イモリぐらいから、人間大まで、大小様々な蛇が跋扈しているもんだから、心の天気まで曇ってきてしまう。

そんなボクの隣を歩く、太陽みたいな女の子。そんな気色に当てられれば、何と無しの気分なんてすぐに吹き飛んでしまう。

 

「まず必要なのは、オルームグラスっていう薬草だよ」

 

ちょっと不機嫌そうにレムちゃんが、薬草の名を言った。まだ、スルメの衝撃から立ち直っていないのだろうか。まあ、口ぶりからして、甘いものだと思ってたみたいだから、よりショックが大きかったのだろう。ボクは好きだけどなあ、スルメ。

 

「……それは、どうすれば取れるんだ?」

「うぅーん……知らない」

 

いきなり頓挫した。まさか解らないとは……。

 

「じゃあ、アルゴさんに聞いてみよっかな」

「……もうメールを送った」

「早っ!」

「……返信が来た」

「早っ!」

「……サーペント・ガードナーからのモンスタードロップを狙うか、主街区の東で受けられるクエストの報酬か。効率的には、モンスタードロップの方が良い」

「うん、じゃあそうしよっか。レムちゃんもそれで良い?」

「良い……けど、わたしは、モンスタードロップって言い方が嫌いなの」

 

言い方が嫌い、とはどういうことだろう。ボクは、レムちゃんの説明を待った。その空気を感じて、レムちゃんは話し始めた。

 

「だって、モンスターさんだって生きてるんだよ?それなのにドロップなんて言い方したら可哀想だと思うな」

 

その言葉には頷けなかった。確かに、この世界の住人たるレムちゃんにとっては、同じくこの浮遊城で生まれたモンスターは、生きているとしか思えないのだろう。モンスターが生きていることを否定すれば、それは自分が生きていることの否定になるのだから。

だけども、ボク達にとっては、ここがゲームの中だと知り、ログインという過程を経てここに存在しているボク達プレイヤーにとっては、モンスターは、単なる電子データで形作られた、ポリゴンのオブジェクトに他ならない。

改めて、レムちゃんがNPCだということを意識してしまう、認めたくないことを認めざるを得ない虚無感が、ボクの心をじわじわと侵食する。この無邪気な笑顔が、この優しい気遣いが、作り物だなんて思えない。思いたくない。

ボクは、いつの間にかレムちゃんの小さな手を握り締めていた。レムちゃんは、少しの間、不思議そうな顔でボクを見ていたが、ニコリと笑うと、ボク達を先導し、歩き出した。




ちょっと更新が遅れてしまいました!ごめんなさい!

非常に不遜だとは弁えているのですが、何故か、書けるのに書きたくなくなるという事態に陥って……は!まさか、これがスランプ!?

気分転換に短編を投稿してみました。元ネタはDDDという小説なのですが、解らなくたって問題ないように書いたつもりですので、興味があればぜひお読み下さい。
これを気に、DDDに興味をを抱いてくだされば、こんなに嬉しいことはない!


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第三十話「思い出の結晶ーⅣ」

お気に入り登録件数が三百件を突破致しました!
思えば、初投稿の頃、百越えれば上等だろうな、とか考えておりましたゆえ、三倍なんて自体に直面した今、ありがた過ぎて、むしろ恐怖しているレベルです。
感想、評価、お気に入りが全て、書く上での原動力となっております。批判も展開予想もリクエストも大歓迎です。当然、普通に感想を下さるのも。
そんな初心を忘れずに、これからも投稿していく所存であります!


燃え盛るような橙の陽が、アインクラッド第十層の淵に差し掛かっている。樹木は一つの画板となり、毒々しかった沼までも、純度の高い緋色をつけている。

そんな沼地から帰宅するべく、少し長くなった、でこぼこの影が三つ。手を繋ぎ歩くボク達は、僅かばかりのささやかな幸せを感じながら、ゆったりと歩を進める。

 

「今日だけで、全部取れたね!」

 

心底嬉しそうに声を上げるレムちゃんも、髪に花飾りと同じ赤が差し、いっそ神々しささえも感じてしまうような、鮮烈な色を放っている。

そんな彼女に、数刻の間見惚れた後、少し気になったことを聞いてみる。

 

「そういえば、最初はレムちゃん敬語キャラだったのに、いつの間に敬語辞めちゃったのかな?」

「お姉ちゃんが、わたしにセクハラした辺りからだと思うけど?」

「さ、さて!もう暗くなっちゃうし、早いとこギルドホームに帰ろうか!」

「あ!露骨に話を逸らさないでよね!」

 

危ない危ない。自分の撒いた地雷を踏んでしまうところだった。いや、もう踏んだな。

多分、お菓子で釣りは、スルメの所為でもう二度と使えないだろうし……どうしようかな……。

 

「肩車しながら帰ろうか?」

「やったあ!肩車!肩車!」

 

チョロい。子供は大抵、肩車好きだ。 リーベは悪いお姉ちゃんなのである。しかし、やっぱりレムちゃんは子供だ。敬語キャラも、ビッチキャラも、所詮は背伸びしたおませだったということだろうか。

しっかし、夕陽を背景に姉妹(仮)で肩車で帰るとか、自分で言うのもなんだが、すごく絵になると思う。出来れば記念撮影して残しておきたいぐらいだ。ん?出来るじゃん、記念撮影。

 

「ねえねえ、ムッツリーニ君。写真一枚、パシャっと撮っちゃってくれないかな?」

「……百コル」

「お金取るの!?」

「……冗談だ」

 

いや、さっきのテンションは確実に冗談じゃなかった。まあいいや。細かいことは気にしないでおこう。

その後、急にピタッと止まり、ムッツリーニ君は、ゴソゴソと腰のアイテムポーチから映像記録結晶を取り出した。きっと、アイテムストレージではなく、いつでも直ぐに取り出せる場所に入れてある辺りがミソなのだろう。もしかすると、道中でも何枚か撮られているのかもしれない。ボク然り、レムちゃん然り。ムッツリーニ君のプロ精神が垣間見えた瞬間だった。

叶うならレムちゃんは撮って欲しく無いのだが、きっと色んな趣味のお客さんがいるのだろう。もう文句は言うまい。

スカイブルーに輝くクリスタルを此方に向けながら、ムッツリーニは、聞こえるか聞こえないかぐらいの音量で言った。

 

「……はい、チーズ」

 

それを聞き、満面の笑みとブイサインを作る。

そういえば、レムちゃんはチーズが解るのだろうか、という疑問が浮かんだが、目線を少し上に向けると、その心配は唯の憂慮だと記されていた。

中指と人差し指の小さな谷が、レムちゃんの顔の直ぐ横に出来上がっていた。その笑顔は、真ん前を向いているせいで、写真が現像されるまでは拝めないだろうが、きっと天使のような微笑みに違いない。

パシャリ、というシャッター音は、残念ながら響かなかったが、代わりに、チャリンという甲高い音に伴い、長方形の紙が、カメラマンの手にオブジェクト化された。

 

 

「あっ!一瞬で出来ちゃうんだね。見せて見せて!」

「わたしも見たい!」

 

ムッツリーニ君が写真を持つ位置に目線が届かず、ぴょんぴょんと跳躍するレムちゃん。そんなレムちゃんにも見えるよう、ムッツリーニ君が写真の持ち手を下げたので、ボクも中腰になって覗きこむ。

 

「うわあ!良く撮れてるね!ていうか、夕陽が背景なのに、シャッター無しで逆光にならないとか、もう摩訶不思議なレベルだよ!」

「……沼の水面をミラー替わりにした」

「何その高等技術!?」

 

しかも、細かい場所の指定をせずにやってのけたのだ。もう神掛かっているとしか言いようがない。

おそらく、パーソナルスペースまで計算した上で足を止め、ボクとレムちゃんを完璧な位置につかせたのだろう。戦慄を通り越して、尊敬の念すら抱いてしまう手際の良さだ。

そんな折、レムちゃんが、小さく可愛らしい指で、結晶を指差して言った

 

「わたしもそれ持ってるよ!」

 

そして、レムちゃんがポケットから取り出したものは、まさしく映像記録結晶だった。

そこまで驚愕するほどの自体ではないが、何故そんなものを持っているのだろうという疑問は拭えない。

しかし、そんなボクの心情などお構いなしに、レムちゃんは次々とクリスタルを引き出していく。その数、三つ。

 

「どうして、そんなにいっぱい持ってるの?」

「おばあちゃんがくれたの。大事な人との思い出を残しなさい、って」

「そっか……。いいおばあちゃんだね」

「うん!見せてあげよっか?」

 

そう言って、レムちゃんは、ボクから見て一番右にあった結晶のスイッチを押した。

細かな色彩の光が、続々と空気中に投影されていく。そして、透明なスクリーンに平面の映像が出来上がった。

それは、暖かかった。孫を慈しむ祖母。おばあちゃんを慕う少女。それは、思わず微笑んでしまうほど優しく、暖色を思わせる様相が、その空間には満たされていた。

しばらくは、その映像に魅入っていたが、そこである疑問が浮上し、口をついて出た。

 

「そういえば、お母さんとお父さんは?」

 

瞬間、レムちゃんの顔を見て、それが失言だと気付いた。しかし、気付いたときにはもう遅い。

声を押し殺しながら、レムちゃんは言った。

 

「知らない……」

「え!それって……」

 

どういうこと、そんな言葉が、閉じられた口中を彷徨う。

だが、踏み入ってはいけない領域だと思ったそれを、レムちゃんはいとも簡単に説明した。

 

「本当に、何も知らないんだよ。物心ついた時には、って奴だね。きっと、この人達の誰かだと思うんだけど……」

 

言いながら、レムちゃんはさっきとは違う結晶を取り出し、小さなボタンを押した。先程とは異なった情景が、すらすらと虚空に書き込まれていく。

そこに写真として映し出されたのは、三人の男だった。一人は、背が高く、凛と張った顔立ちの、勇者然とした男。一人は、少し優しく、中性的な雰囲気を感じさせる小柄な男。一人は、これまたファンタジーに出てきそうなほど整った顔の男。

だが何故か、三人目には、目に見えない嫌らしさが感じられでしまった。きっと、この人とは生理的に分かり合えそうにないな。思考には、そうふんぎりをつけ、ボクはレムちゃんに借問した。

 

「これは、どういう写真なの?」

「わかんない。この結晶にね、最初から入ってたの」

 

そんなことがあり得るのだろうか。隣の専門家も首を傾げている。

そこではたと、レムちゃんと行動を共にした三人組、というキーワードがボクの脳裏に引っかかった。キリト君とアレックスともう一人、確か、ボルトとかいう名前の人で、ベータ時代に、この限定クエスト、おばあちゃんのおうちを受けたのだとか。聞いた話では、ベータテストの時は、アバターのカスタマイズは自由だったはずだ。なら、こんな絶世の美男子三人が寄り集まっていても、なんらおかしくはないだろう。そういえば、アレックスはベータ時代はネナベだったとも、どこかで聞いたような気がする。

しかし、そんなことがあり得るのだろうか。ベータ時代に及ぼした選択が、NPCを通じて存在する。そんな現象が発生していいのだろうか。

……帰ったら、映像を見せて、確認を取ってみよう。不安感は拭えないものの、そこで推理を取りやめ、ボク達は、ボクに肩車されるレムちゃんと、それを横から眺めながら、スルメを齧るムッツリーニ君という構図のまま、ギルドホームへの家路に着いた。

 

 

レムちゃんを寝かしつけた後、問題のVTRを、ベータテスター二人に検証してもらった。

 

「ああ、こりゃ俺達だな」

 

あっさりだった。もうちょっと驚きとか無いのだろうか。

そんなボクの内心を見透かしたように、キリト君が言った。

 

「これまでも何度か、こういう場面はあったからな。ベータの情報が、本サービスにまで干渉しているっていう状況が……」

 

きっとキリト君は、幾度かこういう違和感を感じていたのだろう。だからこそ、ボク程には驚かなかった。

そこで、アスナが空気中に浮かんだ光学写真をみて言った。

 

「この三人の、誰がキリト君なの?」

「俺は、この右のアバターだよ。真ん中の、レムの頭に手を置いてる奴がアレックスで、左の男がボルトだ」

「そっか、右の人か。このアバターと女の子を足して、二で割ったら、今のキリト君のアバターって感じだね」

「……うるさいな」

 

茶化したアスナを、ジト目で流し見るキリト君。きっと、中性的な顔立ちであることを気にしているのだろう。

 

「それはそれで、可愛いと思うけどね」

「なっ…………」

 

ボクがそう言うと、キリト君は照れたように押し黙った。はっはっは!キリト君も結構、からかい甲斐があるなあ。その時、アスナと目線が会い、二人で同時に吹き出してしまった。そんなボクらを見て、更にジト目を作るキリト君。

そんな雰囲気はお構いなしに、アレックスは写真を、遠い何かを見るような視線で見据えて、語り出した。

 

「懐かしいですね……本当に。あのときは、毎日学校が終わるのが、楽しみで仕方ありませんでしたよ」

「ああ、授業中でも、休み時間も、トイレでも風呂でも、ずっとビルドやら、取得スキルやら考えっぱなしだったよ」

「いや、流石にそこまでじゃなかったですけど」

 

キリト君のゲーム脳を、全員で朗らかに笑う。そして、キリト君は、本日三度目のジト目。

キリト君は、そんな空気を一蹴したいのか、転換の接続詞を使って言った。

 

「でもまあ、学校って言えば、ライト達のとこも、相当面白そうだけどな。召喚獣、だっけ?それを使って戦争するんだろ?そんな学校だったら、俺も勉強したかもな」

 

 

キリト君が、この話題を持ち出せるのは、ギルド名が、ザ・サーヴァンツに決定した時に、文月学園生ではない、キリト君、アスナ、アレックスの三人にも、試験召喚システムについての説明をしたからだ。

その話題は、文月学園が恥じる、唯一の観察処分者、ライト君が繋げた。

 

「うん、試召戦争は、めちゃくちゃ楽しかったね。まあ、それでも僕は勉強しなかったんだけど」

「試召戦争と言えば、こいつがAクラスに戦争ふっかけようとした理由が傑作でな。確か、ひ……」

 

そこまで言いかけたユウ君の口を、ライト君が飛びかかるようにして押さえつけた。

 

「な、何言ってんだこのバカは!今ここで言わなくても良いじゃないか!」

 

そんな二人の様子を見て、ティアが毅然と立ち上がり、言った。

 

「……浮気は許さない」

「うわあ、やめろティア!俺をまた、黒鉄宮送りにする気か!?」

 

今、ティアはユウ君の手を取り、自分の胸に当てている。こうすれば、確かにハラスメントコードが発動し、ユウ君は黒鉄宮送りになるだろう。だが、今の問題はそこじゃない。そう。ユウ君の手がティアの胸に当てられているのだ。そんな状況に反応する方が若干名。

 

「死に晒せ!このクソヤロオオォォオオッ!」

「…………万死に値する!」

「ひ、秀吉!助けてくれ!」

「しょうがないのう……。姉上とアレックスよ。ライトがAクラスに戦争をしようとしたのは、姫路のためなのじゃ」

「へえ……そっか……姫路さんのためだったんだ……。とーーっても面白そうな話だから、ライト君。そこに正座して、説明してくれる?」

「確かに、とーーっても面白そうな話ですね。私にも説明してくれますか、ライトさん?」

「…………はい」

 

おお、すごいな秀吉君。女子二人を使って、一言でライト君を無力化するとは。

その時、ギィギィという木の擦れる音がして振り返ると、ピンク地に白の水玉のパジャマを着て、眠そうに瞼をこするレムちゃんがいた。

 

「ああ、うるさかったかな?」

 

ボクがそう言うと、レムちゃんは小さく首を振り、微笑みながら言った。

 

「楽しそうだったから、起きてきたんだよ」

「そっか、しゃあ一緒に喋ろっか!」

「うん!」




ふと思いました。定期更新ってどうだろうか、と。

というわけで、活動報告にてアンケートを実施します!

皆さん、どしどし書き込んで下さいね!


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第三十一話「思い出の結晶ーⅤ」

話進まず、思い出の結晶第五話です。

恐らく、今回から、劇的に進むのではないかと、自分で期待しています。さあ、何処までいけるかな?
進め!進んでくれ!


SAO正式サービス開始から、丸四ヶ月の今日。アインクラッド第十層のボス攻略が開始される。

 

「……リーベ。お前は、本当にボス攻略に参加しないのか?」

「うん。ボクは、レムちゃんとお留守番しておくよ。頑張ってね、ムッツリーニ君」

「ファイトだよ、お兄ちゃん!」

 

そう言われれば、頑張らない道理はない。右拳を強く握り締めた後、レムの頭を優しく撫でてやる。気持ち良さそうに目を細めるレムの写真を撮りたくなる衝動を必死に収め、リーベに顔を寄せて耳打ちする。

 

「……もし何かあれば、相互通信を使え」

「うん。解ってるよ」

 

相互通信とは、探索スキルの派生modで、もし双方がそのスキルを保持していれば、迷宮区内にいてもメッセージを飛ばせるという代物だ。普通なら、あまりに使用可能な環境が限定的すぎて、取得するプレイヤーは殆ど存在しないのだが、使用出来ればその恩恵は大きい。

俺がこのスキルを取ってからは、ボス攻略後、直ぐにアルゴにメッセージを送信出来たので、ボス攻略成功の情報がスムーズに行き渡るようになった。

 

「ムッツリーニ。そろそろだ」

 

ユウからお呼びがかかる。時間だ。

 

「……じゃあ、行ってくる」

「行ってらっしゃい」

「いってらっしゃい!」

 

そうして、俺はギルドホームを後にした。

 

 

じっとりと、睨め付けるような瘴気が、部屋全体を覆う。吸い込まれてしまいそうなほどの漆黒のボス部屋に、紅い光が二つ浮き上がる。鋭い眼光に総毛立つが、それも、今回で十回目だ。『The meternal uroboros』。そんな固有名が赤玉の上に浮かび上がる。

 

「シャアアラアァァアアッ!」

 

そんな、ウロボロスの悲鳴じみた雄叫びが、開戦の合図だった。

広場に松明の灯りが一斉に灯る。それによって見えたボスの全容は、巨大な蛇そのものだった。優に五メートルはあるその巨体は、威圧感だけでプレイヤー達を押しつぶさんとするほどだ。身体中漏れなく夜を思わせる紺色の鱗に包まれており、朱く光る眼と、チロチロと出される舌には、生理的な悪寒を感じずにはいられない。

まず先陣を切ったのは、ライト、ユウ、エギルなどが属するタンクのA・B隊。ライトが、流石のAGI値で一気にボスに詰め寄ると、体術スキル『エンブレイザー』で、ボスのファーストアタックを取った。僅かだが、確実な幅でボスの体力が削られる。

当然、ライトには大技を放った後の技後硬直が課せられているが、事前に判明していた弱点である鼻を突いたことで、ウロボロスも大きくノックバックし、結果、相手が攻撃モーションに入る前に攻撃範囲を離脱した。

直後、母なるウロボロスが天上にも響くような咆哮を上げる。

 

「グルラアァァアアッ!」

 

それを聞きつけたかのように、地中から這い出るような動作で、三体のMobが出現する。事前情報にもあったボスの取り巻き、『ベルセルク・ナーガ』だ。

ボスとは違い、半人半蛇の艇を成しており、全身が分厚い金属装甲に覆われている。得物は、シンプルな片手直剣だ。

今回の取り巻きを担当するのは、この十層からボス攻略に参加したヒースクリフという男が率いる『Knights of Blood』というギルドらしいが、俺は、自分の仕事に専念するのみだ。

俺がキリトと共に配属されたのは、アタッカー部隊のC隊だ。

そのとき、リンドが爽やかな、よく通る声で指示を出した。

 

「A隊!尻尾による横薙ぎの攻撃だ!それが終わったら、硬直中にC隊突撃!」

 

早速出番だ。脚に自然と力が籠る。短刀を構え、ボスの一挙一動に視覚と聴覚を集中させる。

ウロボロスが、極大の尾を地面に擦らせながら、真一文字に薙ぎ払う。硬質の鱗と壁部隊の持つ盾や、大剣とぶつかり合い、甲高い金属音と共に、真紅のライトエフェクトを撒き散らす。タンク部隊全員の体力が、一様に八割近くまで減少する。それを確認した瞬間、C隊が一気に突撃を仕掛ける。

アタッカー部隊の中でも、AGI値の配分が最も多い俺が跳躍し、ウロボロスの鼻先に肉薄する。

 

「はあっ!」

 

短い気合いと同時に放った一撃は、大蛇の鼻を深く抉り、ライトのファーストアタックと合わせて、ボスの一本目の体力ゲージを五分ほどまで減らした。

そして、俺が硬直に突入し、高度を下げると、それを待っていたとでも言うかの如く、刀身に翠色のライトエフェクトを迸らせながら、キリトがボスに突っ込む。

 

「せえぇやああぁぁあっ!」

 

キリトは、そう吼えながらも的確に、ボスの弱点を三連撃の片手直剣スキル『シャープネイル』で切り結んだ。

その一撃で大蛇がノックバックしたため、他のC隊のメンバーは、弱点の鼻に攻撃出来なかったものの、ローテーション一周目で、ボスの五段あるHPゲージの一段目を、三割まで減らせたことは大きいだろう。

いや、違う。これは、ダメージを受けてノックバックしているのでは無い。自ら上体を仰け反らせているのだ。この動作は、メターナル・ウロボロスの唯一の特殊遠距離攻撃、ポイズン・バレットだ。

俺がそう認識したより刹那だけ遅く、リンドの指示が飛んだ。

 

「毒ブレスだ!総員、横に退避!」

 

その言葉がいい終わらない内に、毒の咆哮が俺達を襲った。

しかし、リンドの指示が的確だったこともあってか、実際に毒の被害を受けたのは、十数人に留まった。まあ、俺はその、十数人の内の一人なのだが。

毒は、麻痺などと違い、行動阻害効果が発生しないため、比較的対応が簡単なデバフだ。だが、これまた麻痺などと違い、死に直結するデバフでもある。基本的にSAOの毒は自然回復しない。解毒ポーションを飲めば数十秒後には回復するのだが、その数十秒で喰らうダメージも、毒の強さによって様々だ。

例えば、今回の毒の場合、一秒につき十ダメージ。俺なら、五分間回復しなければ死亡する計算だ。

そんな死に方だけはしたく無いので、とりあえず解毒ポーションを一気に呷る。苦味と酸味と魚臭さが配合された、何とも形容し難いフレーバーが口いっぱいに広がる。

セオリーとして、毒のバッドステータスが回復していないものは、動けるとしても後方で待機だ。あとこのぐらい大丈夫、なんて油断して、いつの間にか命を落とす、なんてこともよくある話で、俺も当然、常道に従い壁際まで寄って、自らの体力の下に表示された、紫色の泡を睨みつける。

前線では、早々に雑魚Mobを倒した血盟騎士団も絡めてのアタックローテーションが行われている。

そうして毒の回復を待つ俺に、とある人影が近付いてきた。

 

「やあ、ムッツリーニ。君も回復中?」

「……なんだ、ライトか……」

「なんだとはなんだよ!」

「……お前は、前線を離れていいのか?」

「うん。今はB隊が壁で、僕らA隊は、POTローテ中だからね」

 

そんな会話を繰り広げている内に、俺の体力ゲージから紫色のデバフアイコンが消えていることに気がついた。

そう解れば前線復帰だ。脚に気合いを入れ直し、弛緩させていた身体を引き締める。

そんな俺の様子に気付き、ライトは俺に声をかけた。

 

「あ!もう回復は済んだの?」

「……ああ、行ってくる」

「うん。行ってらっしゃい」

 

その掛け合いは、どうにも今朝のリーベとレムとの会話を思い出させ、俺の心に不安の種を振りまいた。

 

 

戦闘開始から、三十分が経過した頃、リンドの声が、俺達の士気を上限まで引き上げた。

 

「ゲージ、残り一本!こっから、ボスの攻撃パターンが変化するから気をつけろ!」

『うおおおおおおおっ!』

 

全員の鬨の声が、母なる大蛇の玉座を揺らした。

ここからのボスは、毒ブレスをやめ、毒液を鱗に纏わせて攻撃するようになる。ウロボロスの身体全体から毒液が染み出している状態になるため、攻撃しても防御しても毒を食らってしまう、というとても厄介なことになる。

それを解除するためには、鼻にピンポイントで攻撃し続けなければならないのだが、そうすると、鼻の攻撃役は、常に毒の脅威に晒され続けることになるのだ。

しかし、直接触れずに攻撃出来る遠距離武器使いがいるならば、その問題は全て解決する。そして現在、攻略組には、たった一人だけ、遠距離武器をメインアームとして使用しているプレイヤーがいる。

 

「せぇやあ!」

 

最早、堂に入った気合いと共に、元鍛冶屋の少年、ネズハの投擲したチャクラムか、流星の如き起動をボス部屋の上空で描きながら、ウロボロスの鼻へと到達し、その肉を裂いた。

瞬間、大蛇は大きくノックバックし、全身を覆っていた紫色の粘液も、いつしか消え失せていた。

 

「全員、フルアタック!」

 

C隊メンバーに、キリトの指示が飛ぶ。俺もその指示に倣い、渾身の『ファッドエッジ』をボスの腹にお見舞いする。

そして、キリト自身も最大級の大技を発動させた。

燃え盛るように色づいた刀身が、大蛇の腹を深々と切り裂く。片手直剣の技のはずなのだが、一撃のインパクトを見る限りでば、キリトの筋力ステータスもあいまって、両手剣のような風格を醸し出している。

しかし、攻撃はそこでとどまらなかった。今度は、キリトの身体全体が黄金色に光出す。そのまま、ウロボロスの腹へと、激しいライトエフェクトを放出しながら、体術スキルによる最大威力のタックルをくりだす。

更に連撃は続く。その直剣を、再度紅蓮に燃え上がらせ、大蛇の腹を数メートルほど切り上げた。

つまりキリトは、大技と大技の間を、硬直状態でも自動発動することが出来るタックルで繋ぎ、超火力を演出してみせたのだ。敵が動かないことが前提の技ではあるが、決まればその攻撃力は凄まじい。

見れば、残り三割を残していた体力ゲージは、グングンと減少し、遂には霧散した。

 

コングラチュレーションという決まり文句が映し出され、それと同じくして、獲得コル、経験値、アイテムが表示される。それらを素早く確認した後、俺は、リーベからの着信があるかどうかを確認した。普段ならば、眼前に通知窓が現れるのだが、戦闘中だと、視野を阻害しないために、どれほどの重要案件であっても、ポップアップしないのだ。

俺は、受信がない事、もしくは、無事であることの報告を期待しながら、受信メッセージ一覧のタグを押した。果たして……

 

『たす』

 

たった二文字の、その簡素な文面を見た瞬間、俺はボス部屋から飛び出していた。




日常シーンを書くと、筆が遅々として進まないのに、戦闘シーンは、一時間足らずで書き上がる自分の好き嫌いを理解して、涙が出そうになりました。


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第三十二話「思い出の結晶ーⅥ」

皆さん!誤字脱字報告は頼みます!改めて言う事でも無いか……。

ちなみに、最近投稿スピードが落ち気味なのは、春休みに宿題があるというね……ねえ?なにぶん、量が多いんですわ……。


考えろ!考えろ!まず、位置を特定しなければ話にならない。

フレンドの位置補足機能の画面に表示されない。ということは、恐らくリーベは、どこかの階層の迷宮区にいる筈だ。偶然か必然か、ベータのときのレムと全く同じ状況。

たが、まだだ。まだ絞り込みが足りない。何か、もっと決定打となる何かを見落としてはいないか……。

今迄得た情報を頭の中で反復し、整理し、結論を導け!

まず、ベータテスト時の状況整理。

レムがパーティから抜け、失踪したのは、パーティメンバーの三人が迷宮区に籠っていたとき。そのときに、ギルドホームに残されたレムが、いきなりパーティから離脱した。そして、ベータテストの時も、フレンドの地図上には、レムのマーカーが現れなかった。

その数日後、レムは何者かに殺された。これは、レム自身に殆ど戦闘力が無いため、モンスターの可能性もある。それ以前に、この情報は、捜索には不必要だ。今は無視して構わないだろう。

レムと同じパーティに所属していたのは、キリト、アレックス、そしてボルトという男。

次に、現在の話。

リーベとレムが一緒にギルドホームに居る状態から、何処かへ連れ去られた。恐らく、ギルドメンバーがボス戦に出払い、他に誰もいないところを見計らって。

解らないのは、その手口だ。彼女達が、自主的にギルドホームから、そして、圏内から出たとは思えない。では、回廊結晶を使って連れ出したか?いや、あれは恐ろしく高価だ。それこそ、映像記録結晶など、比にならないくらい。そんなものを買うほどのメリットが何処にあると言うんだ。

そもそも、この事件はメリットに基づくものなのか?あるとすれば、どんな……。

 

「…………あ!」

 

その瞬間、俺の脳裏に奔った電流が、全てのピースを繋ぎ合わせた。

メッセージが送られてきてから、まだ十分も経っていない。ということは……

俺は、幾つかの推測を立てながら、走り続けた。

 

 

じっとりと貼り付くような悪寒のする暗闇の中で、一人の男の声が、毒液を垂らした水音のように谺する。

 

「さてと……準備は整ったな。後は、お前がちょちょいとメインメニューを操ってくれりゃ、事は済むんだ」

「何で?何でこんな事するの!?ベータの時も君がやったの!?」

「ご明察の通りだよ!ああ!俺さ!レムをパーティから脱退させたのも、レムを誘拐したのも、そして、レムを……」

 

男は、少しだけ間を置いた。目の前の女ーーリーベの反応を見定めるために。

しかし、流し目で見たリーベの表情は、予想以上に平凡だった。眉根を寄せ、歯を食いしばり、顔全体で、不屈の意思を表している。強気な女の反応。

期待はずれとばかりに男は嘆息し、傍らに横たわる金髪碧眼の少女ーーレムに足を掛け言った。

 

「殺したのも……俺だ!」

 

途端、男はレムを強く踏み締めた。睡眠毒で眠らされているレムが、苦悶に顔を歪め、小さく呻き声を漏らした。

それを見て男は、嗜虐の笑みを浮かべ、リーベは唇を噛み締める。

 

「悔しいかあ?悔しいだろうなあ!大事な大事なレムちゃんを、目の前でいいように甚振られてよお!俺なら、ぶん殴っちゃうね!まあ、麻痺ってなきゃだけどな!あはははっ!」

 

粘つくような錯覚さえ覚える嘲笑が、暗闇を形作る洞窟に吸い込まれていく。

だが、リーベは動けない。男の言葉通り、麻痺に陥っているからだ。アイテムストレージを操作し、解毒ポーションを摂取するという手段も取れない。何故なら、彼女の両手両足は、さながら張り付けにされた聖人の如く、ピックで撃ち抜かれ、冷ややかな岩窟の床に固定されているからだ。

しかし、冷たい岩の質感も、燃え滾るようなリーベの心を冷ましはしない。殺意と憎悪の籠った眼で、レムを片足で踏みつける男を射抜く。

しかし男は、只々負け犬を嘲る視線をリーベに向けるのみだ。

 

「おいおい、そんな怖い顔で睨んでくれるなよ、お姉ちゃん?」

「許さない、許さない、許さない!君だけは、絶対に許さない!」

「絶対なんて言葉を軽々しく使うなよ?軽い女だな、全く!」

 

そう言って、男は、リーベの右手の釘を踏み込んだ。

痛みは無い。だがその分、視界右上のゲージが減少する恐怖は倍増する。

それでも、彼女が屈しないのは、大きな心の支えがあるから。『絶対』的な信頼があるから。

 

「君なんか、ムッツリーニが来てくれさえすれば、直ぐに黒鉄宮送りだよ!」

 

彼女が、十七年の人生で唯一恋をした彼が、ムッツリーニこそが、今のリーベの心の芯なのだ。

彼ならば来てくれる。彼ならば、ボク達を助けてくれる。その、揺るぎない信頼こそが、彼女の自尊心を、既の所で保っているのだ。

そんな彼女の心持ちさえも、男は道端の石ころのように踏みにじる。

 

「いい歳なんだからさあ、王子様願望も大概にしとけよ?願ったって祈ったって信じたって望んだって、来ねえもんは来ねえんだよ!俺が、この状況を完全犯罪に仕立て上げるために、どんだけの労力と金と時間を費やしたと思ってんだ!」

「そんだけやる気があるんなら、最初から、攻略組に入っておけばよかったでしょ!?」

 

その誹りを受けて、男は、芝居がかった仕草で、右手の人差し指を振りながら言った。

 

「チッチッチッ、解ってねえなあ!俺は、そこ等の奴らと同列に扱われたくねえの。ずば抜けてえの。この思考回路はゲーマーとして当然だと思うぜ?攻略組のリーベさん?」

「それでも……やって良いことと悪いことってあるでしょ!」

 

そんなリーベの糾弾に、男は自らの見解を早口でまくし立てた。

 

「無いね!そんな線引き、知ったこっちゃ無い!確かに!世間一般的観点から今俺がやってることを盤上から俯瞰すれば、悪、と断ずることが出来る、かもしれない!かもしれないだけだ!俺は飽くまで、飽くまでも可能性の話をしているに過ぎない!」

「論点のすり替え、って言うか後退はやめて!ボクは、悪と断じられた後の話をしてるんだよ!」

「じゃあ、その前提で話をしよう。でもな、一口に悪って言っても、殺人、窃盗、放火、強姦、エトセトラエトセトラだ。そんな中で、俺が今、働いている『悪』は、どんなどんな定義の、どんな分類になるんだ?なあ、ほら、言ってみろよ!」

「定義も分類もないよ。大衆的、習慣的に悪なら、それは悪だ!」

「ここはアインクラッドだぜ?ゲームの中だぜ?大衆文化も習慣性も、発展途上のこの場所で、じゃあ一体それは、何に基づいてるんだよ?」

「現実さ」

「それこそ愚問だな。此処で……現実味も現実感も何もかもあったもんじゃ無いこの場所で、お前は一体、現実の何を語ろうって言うんだ?」

「また論点がすり替わってるね。現実を語ろうって言うんじゃない。現実を基準にしようって言ってるんだ」

「なら、もう一度お前の口車に乗ってやる……ことも吝かじゃ無いんだが……」

 

実の所、リーベはこの論争に興味は無い。会話の方向を、矛盾へと導こうとしているに過ぎない。

では何故、彼女はこんな事をしているのか?それは……

瞬間、リーベは五寸釘の削りダメージも無視して立ち上がった。そう。結局、あの会話は、リーベにとっては、麻痺回復までの時間稼ぎにだったのだ。

これで、ムッツリーニ君に頼らずとも、自力で此処から抜け出せる!そんなリーベの思考は、刹那で終わりを告げた。立ち上がった途端、リーベの胸を、新たな大釘が襲ったのだ。

 

「吝かじゃ無いんだが……その前に、お前を麻痺らせんのが先決だな。バレバレなんだよ、バーカ!」

 

男の、神経を逆撫でするような、くつくつという笑い声が、岩屋を駆け回る。

男は、自分のメインメニューのデジタル時計をチラリと確認すると、満足気に言った。

 

「あーあー。もうレムが起きちまうじゃねえか。何?お前、妹ちゃんの前で、甚振られるとこ見て欲しいっていう、ドMなお姉ちゃんな訳?」

「そもそも……ボクに選択肢も選択権も与えられて無いじゃん」

「俺はそんな狭量な男じゃ無いぜ?ちゃんと選択肢は与えてるじゃねえか。まあ、選択権は与えてねえけどな!」

「それの何処が選択肢って言うのさ」

「あったま悪りいな。説明してやろうか?お前が持ってる選択肢は四つだ。まず、俺に従い、レムをパーティから脱退させる。次に、レムと一緒に逃げてみる。三つ目が、レムを見捨てて逃げる。最後に、王子様の到着を待つ。だが、俺はお前に、一番しかさせない。させる気が無い。これでOK?お解り?」

 

リーベは思慮を巡らせる。一番と三番は論外として、問題は、二番の成功率が、限り無くゼロに近いという事だ。だから消去法で四番?そんな逃げの思考を自戒する。

駄目だ。ムッツリーニ君に頼らず、脱出する術を考えなくては……。

だが、彼女の脳が告げている。優秀過ぎるが故に、彼女はもう弁えている。この思索の結論と、最適解を。

彼女はとうに理解している。自分ではどうしようもないのだと。

なればこそ、彼女は希望に縋るのだ。一人の男がこの場に現れるという、淡い希望に。

たかだか数パーセントの確立の違いだ。解っている。自らの力だけでこの場を切り抜け、レム共々、ギルドホームに生還する確率と、ムッツリーニが此処まで助けに来る確率。その両方に、差は殆ど無い。

だが、リーベはムッツリーニに賭けた。それは、自分より彼を信頼している事に他ならない。

そのとき、レムの目がパチリと見開かれた。睡眠毒の効果が切れたのだ。

 

「……んにゅ……ふわぁー……」

 

緊張感無く欠伸をした後、レムは周囲を見渡し、その顔は徐々に恐怖に引きつっていった。

そして、真っ先にレムの口をついて出たのは、リーベの心配だった。

 

「お姉ちゃん!大丈夫!?」

「うん……大丈夫だよ、心配しないで……ね?」

 

ゆっくりと、優しく、諭すようなリーベの言葉。それが効果を発揮したのか、レムの表情も少しだけ和らいだように見える。

だがそこに、毒に染まった言葉が滴った。

 

「おー!起きたか、レムちゃん!でも、残念だなあ……。お姉ちゃんがな、レムちゃんを自由にしてくれないんだよ。だから、レムちゃんからも言ってやってくれねえかなあ?あんまり聞き分けが無いと……殺しちゃうぞ☆ってな!」

「ひっ!」

 

茶化したはずの男のセリフが、むしろレムの恐怖を助長させた。短い戦慄は、喉で詰まった悲鳴が溢れ出たものだ。

そんなレムの様子を見て、男は笑みを浮かべる。冷酷で残忍で、楽しそうな笑みだった。

味を占めた男は、更にレムの恐れを煽る。

 

「じゃあ、俺の剣で、リーベお姉ちゃんの首を跳ね飛ばしたら、どうなっちまうんだろうなあ?」

「やめて!やめてえぇ!」

「大丈夫!お姉ちゃんは大丈夫だから!落ち着いて、レムちゃん!」

「いや!いやぁぁあっ!」

 

レムの心の深みを、じわりじわりと黒い感情が侵食していく。

レムは、自分の命より、リーベの命を心配している。その状態が、男には、堪らなく滑稽に見えた。

こんな喜劇を魅せられては、本当に殺したくなってくる。

 

「じゃあ、三、二、一で振り下ろすぞ!せーの!三、二、一!」

 

その瞬間、一筋の銀光が、粘つく闇を切り裂いた。

カキイィィインッ!という甲高い金属音が、岩屋に反響する。男の剣の鎬に何かが当たり、その軌道をずらしたのだ。結果、剣は硬質な岩石に傷を入れるに留まった。

 

「……投剣スキル、一応取っておいて良かった……」

 

安堵と怒りを等量に含んだ声は、洞窟の入り口方向から放たれた。

その姿に、男は口角をつりあげながら言った。

 

「白馬の王子様は来なかったみたいだが、黒衣の忍者様なら来たみたいだぜ?リーベさんよ」

 

当然、リーベの耳には、男の言葉など微塵も届いていない。只々、男の言を借りるなら、黒衣の忍者を見つめるのみだ。

リーベの目から、水晶にも似た液体が頬を伝った。それが何を含んでいるのか、何を意味するのかは、彼女自身も定かでは無い。ひたすらに、涙を流すのみだった。

 

「……許さない、許さない、許さない!お前だけは絶対に許さないぞ!」

 

先ほどのリーベと全く同じセリフが、ムッツリーニの口から飛び出した。

そしてそこに、キリト、アレックスと共にベータテストを駆け抜けた戦士の名が付け加えられた。この世界では禁忌の名称に伴って。

 

「ボルト……いや、根本恭二!」




どっかに手頃な悪役いねえかなあ……。よし!根本君を出そう!
そうして、彼の出演が決定しました。


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第三十三話「思い出の結晶ーⅦ」

学校が始まるううぅぅううっ!
寝たきり生活が出来無くなるぅぅううっ!


俺が口を開こうとした寸前、根本がレムへと、新しいピックを突き立てた。

此処に来て、まだこんな事を!

 

「……根本、貴様ァ!」

 

深く低い俺の声が洞窟に反響する。それと同時に、レムがばたりとその場に倒れた。

危機感と焦燥感で胸を満たしながら、すぐに駆け寄ると、レムは、頭の花飾りと同色の真っ赤な唇からすうすうと規則正しい寝息を立てていた。

安堵の溜息か漏らす俺に、根本が声を掛けて来た。

 

「これからする話、コイツに聞かせられねえだろ?」

 

確かに、それは一理ある。ベータ時代の話などして、レムが何を思うか解ったものじゃない。

少々手荒だが、こう眠らせるのが一番手っ取り早いだろう。

俺の沈黙を肯定と受け取ったのか、根本は、重ねて俺に声を掛けた。

 

「参考までに教えてくれるか、ムッツリーニ?何故此処が解った?何故……俺がボルトだと解った?坂本が一枚噛んでるのか?」

 

根本は、仄かに笑みを浮かべながら言った。だが、目だけは冷酷に、こちらの真意を測っている。

俺は、最大限抑揚を殺した声で言った。

 

「……いや、雄二は今回、何も関わっていない。全て俺が導き出した解答だ」

「へえ……Fクラスのバカだとばっかり思っていたが、意外と頭切れるじゃないか……」

 

根本の言葉には、解りやすいくらいの嘲りが込められている。完全に、俺を見下しての発言だ。

少し気持ちを落ち着かせてから、俺は、事の真相について話出した。

 

「……まず、俺が違和感を感じた点は二つだ。一つは、何故レムは、パーティを抜けたのか。もう一つは、レムのマーカーがマップに表示されないことだ」

「一つ目は置いておくとして、二つ目は、迷宮区に居るとは考えなかったのか?」

「……その前提を疑ってみたんだ」

「なるほど……続けてくれ」

 

先を促す根本に、俺は小さく首肯し、言われた通りに、説明を続けた。

 

「……一つ目の問題は、簡単に片が付いた。まず、AIが自分からパーティを脱退するなんて、システム的なイベントを介さない限り、あり得ない。だからこそ……」

「もう一つの可能性、他のパーティメンバーが脱退させた、って解答になったわけだな?」

 

俺の言葉を途中で遮り、根本が言を発した。

それを受けて、右手を少しだけ握ってから、俺は言った。

 

「……ああ、そして、俺達の仲間であるキリトとアレックスを除外すれば、レムを脱退させる権利を持つのはたった一人だけになる。即ち、同じくパーティメンバーであったボルトという男だ」

「……で、マーカーが表示されない件は、どうやって?」

「……そちらは更に単純だ。マーカーが表示されない状態は、どうすれば作れるか、アルゴに聞いただけだ」

「情報屋か………。そりゃノーマークだったな」

 

根本は、俺の言葉を聞いても全く悪びれる様子が無い。むしろ、次に活かそうという心持ちさえ感じられる。

 

「……それと同時に、俺はアルゴに、ボルトというプレイヤーが居るかどうか、そして、どんな男かを調べる事も依頼した」

 

言いながら、俺は根本をチラリと一瞥した。根本は何やら、顎に手を当てて考えこんでいる。

 

「……そして、アルゴからの返信には、オレンジプレイヤーは、マップに表示されないということと、ボルトの詳細、そして顔写真が添付されていた」

「はっはっは!合点いった!それで俺が……根本恭二が、事件の犯人だと突き止めた訳だ!情報屋様様だな!まあ……名前をボルトのままにしてた俺の失態でもあるんだが」

 

リーベとレムを横目で見ると、頭上のカーソルはオレンジへと変化している。それも根本の策略の内なのだろうが、カーソルがオレンジに染まっているという事自体が、彼女達の自尊心を非道く貶めているように思えた。

しかし、何故NPCまで犯罪を犯せばオレンジになるのだろうか。そもそもとして、NPCの思考回路では、犯罪を犯せ無いよう設定されている筈だ。ならばどうして、システム的にNPCのカーソルがオレンジになるのか。いや、今考えても、詮無い話だ。

それよりも、もっと具体的な疑問がある。その疑問を、俺はリーベに投げかけた。

 

「……何故、お前達は根本に攻撃してしまったんだ?」

 

するとリーベは俯き、決まり悪そうに言った。

 

「……ここに着いた瞬間に、まず視界に飛び込んで来たのが、こっちにピックを向ける根本君だったんだ。それを見て、ボクもレムちゃんも咄嗟に武器を構えちゃって……」

 

なるほど、そして根本は自分から武器に刺された訳だ。

しかし、凶器を向けられて反応してしまうのは、人の性だ。武器を構えた二人を責められる人間が何処に居よう。

そんな俺達の様子を、ニヤニヤと気色の悪い笑みで見ていた根本が、唐突に口を開いた。

 

「お喋りの途中で悪いんだが、俺のもう一つの質問に答えてくれないか。お前、どうやってこの場所が解ったんだ?」

 

俺は、大きく仮想の酸素で深呼吸した後、吐き出すように喉を震わせた。

 

「……この場所を特定出来たのは……勘だ」

「はあ!?勘!?そんなわけねえだろ!こんな洞窟、この十層まででも、百は降らねえぞ!」

「……落ち着け。ある程度、推測に基づいた勘だ」

「ほお。じゃあ、その推測って奴を聞かせて貰おうじゃねえか」

「……まず、レムがオレンジプレイヤー……いや、オレンジNPCになっていて、お前の目的がおばあちゃんのおうちのクリアだと仮定する。そうなると、お前はレムを十一層に送り届けなければならないが、レムはオレンジなので、転移門は使えない。だから、迷宮区を登って十一層に入るしか無い。だからこそ、十層迷宮区最寄りの安全地帯に居ると踏んだんだ」

「カルマ回復クエストを受けさせて、普通に転移門から行くとは思わなかったのか?」

「……それは、非効率極まりないだろう。それに、その時はその時だ。最終目的地であるおばあちゃんのおうちの前で待ち伏せする。何日だって、何週間だって」

「確かに、それが一番、愚直で堅実だな」

 

根本は、目を虚空に泳がせた後、俺に向き直り、唐突に聞いてきた。

 

「で、リーベとレムを此処までどうやって運んだかの目星はついているのか?」

「……ああ。回廊結晶だろ?」

「その通りだよ。もう少し細かく言うと、お前らのギルドホームの直ぐ近くに、回廊結晶の入口を設置して、この洞窟を出口にした。んで、何の捻りも無く、普通に窓から呼んだだけだ」

 

何故、呼ばれて素直に外へ出たのだろうか。そんな俺の思考を読み取ったかのように、リーベが言葉を発した。

 

「い、いやあ、だってさ……。根本君がSAOにログインしてるなんて知らなかったから、驚いたし。知り合いだし……」

 

もうちょっと警戒心を持って貰いたいものだ。呼ばれたから出るって……犬か!

まあ、きっと根本も、知り合いだからこそ、呼べば出てくると思い、策を弄さなかったのだろう。ここは素直に、根本の策謀に感嘆しておくとしよう。

小さく嘆息してから、俺は声を上げた。

 

「……さあ、話は終わりだ!観念しろ、根本!」

「……ああ、確かに聞きたい事はもう無いな。見事な推理だったぜ、寡黙なる性識者(ムッツリーニ)。たが、俺が観念する理由が何処にある?お前の俊敏ステなら、俺が剣でリーベの首を切り飛ばす方がよっぽど速いぜ?」

 

確かにその通りだろう。だが……

 

「……根本。お前は幾つか思い違いをしている。まず、一つ目を正してやろう。この場で、俺が最速だと、いつから錯覚していた?」

 

刹那、俺の真横を、一筋の閃光が掠めた。流星は根本へと肉薄し、衝突した。

 

「うおぉぉおおりゃあッ!」

「ぐはあッ!」

 

間の抜けた両者の叫びが、湿った洞窟の中を、四方八方へと散らばっていく。

 

「はい。取り押さえ完了っと!これで良いんだよね、ムッツリーニ?」

「……ありがとう、ライト。助かった」

「うん。どう致しまして」

 

何時もと変わらぬ朗らか笑みで、根本を思いっきり殴り飛ばした後、手首を縛りながらライトは言った。

根本は、目を見開き、ライトの姿を凝視したまま、狼狽に染まった言葉を発した。

 

「吉井……ど、どうして……いや、そもそも、グリーンの俺を攻撃したんだから、お前がオレンジになるんだぞ……!」

 

確かに、ライトを示すカーソルは、若葉色から、夕陽色へと変化している。

だが、根本は解っていない。このライト(バカ)に、そんな理論が通用しない事を。

ライトは、声高らかに根本を怒鳴りつけた。

 

「うっさい、このバカ!」

「はあ?お前にだけはバカって言われたくねえよ、バカ!」

「バカって言った方がバカなんだぞ」

「お前が言い始めたんだよ!」

 

眼前で繰り広げられる罵詈雑言(バカ)の応酬に思わず失笑する。このまま、ライトの説教を見守っても良いかもしれない。

しかし、事が事だ。そんな悠長な心構えでいられる筈も無い。

ライトの言葉を遮り、根本へと質問しようとした時、逆に根本は俺へと向き直り、納得がいかないといった表情で言った。

 

「おい、ムッツリーニ。もし吉……いや、ライトが俺を殴る前に、俺が反応してリーベを切っていたら、どうするつもりだったんだよ?」

「……なんだ、そんな事か。簡単な事だ。今のお前が犯人である限り、リーベは人質足り得無い」

「……どういう意味だ?」

 

低く、イラつきを露わにする声で根本は問うた。俺は、その質問に、最大限の嫌味を込めて答えた。

 

「……お前に覚悟が無いからだ」

「何だと?」

「……いや、この場合は無い方が良いのか……。兎も角だ。俺がこの洞窟に入って来たとき、お前はリーベに手を出そうとしていた。だがな根本、お前、ソードスキルを使っていなかっただろ?それだけじゃ無い。例えソードスキルを使っていなかったとしても、男子高校生が本気で振り下ろした剣を、いくら投剣スキルで補助されていたとしても、ピック一本で弾ける訳が無いだろう。まあ、何が言いたいかっていうとだな……お前、殺す気は無かったんだろ?」

「……何を言い出すかと思えば……当たり前だろう。命有っての人質だ」

「……殺され無いと確定している人質に、何の意味がある?」

 

すると根本は、忌々しげに舌を打つと、急激に語気を強め、半ば叫ぶように言い放った。

 

「……ったく……当たり前じゃねえか!殺したら……本当に……死んじまうんだぞ!殺せる訳……ねえじゃねえか!」

 

その言葉を聞いて、内心、胸を撫で下ろしてしまう。そも、根本の中には、殺す覚悟が無いのではなく、殺すという概念が、存在しなかったのだ。

なればこそ、根本は、悪ではなく、唯のゲス野郎な訳だ。

たから……だろうか。俺には不思議でならない事が一つだけ有った。

それを、四肢を縛られ地に伏した根本へと問いかける。

 

「……何故、こんな事をしたんだ?」

 

簡素で単純な問いだった。そして、絶対に聞かなければならない問いだった。

根本は、数秒間口ごもっていたが、やがて訥々と答え出した。

 

「……犯罪に動機が必要か?」

「……ああ、必要だな。最低限、やりたかったからやった、とも答えられる。まあ、それは本当に最低の答えなんだが……。ましてやお前だ。あらゆる事に対して、狡猾に効率を追求する、そんな男が、俺の知ってる根本恭二だ。その点に関しては、俺はお前を信頼している」

「はっ!信頼と来たか。なら、その信頼に応えねえ訳にはいかないな……。だが、先に断っておく。お前ら、何を聞いても後悔だけはするんじゃねえぞ……」

 

俺には、そして恐らくリーベにも、その根本の念押しの意味が読み取れなかった。

俺とリーベは、数秒の間、顔を見合わせていたが、リーベが小さく頷いたのをきっかけに、俺は根本へと向き直り、言った。

 

「……俺が求めたんだ。俺に拒む権利は無い」

 

その言葉を受けて、ライトは空気を読み、一歩下がった。根本は目を瞬かせ、深く呼吸をした後、何かを決意したような眼差して言った。

 

「そうか、じゃあ結果から言わせて貰おう。レムは……」

 

心地の悪い間が空いた。そして、仮想の鼓膜に、絶望の音色が響いた。

 

「もう死んでるんだ」




まさか、説明で跨いでしまうとは……。
さっさとオチに漕ぎ着けたい筆者でした。


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第三十四話「思い出の結晶ーⅧ」

久しぶりに一週間空いちゃいましたね……。
本当に……テストなんて死に曝せばいいのに……。
こんな事なら、書き溜めとけば良かった。


「……レムちゃんが……死んでる?……何言ってるの?今、ここで、寝息を立てて寝てるでしょ!適当な事言わないでよ!だいたい……」

「リーベ!」

 

狼狽えるな。そう言わずとも、リーベには伝わったようで、根本をまくし立てていた口を、苦々しく噤んだ。

しかし俺とて、リーベの気持ちは痛いほどに良く解る。問題の先送り。結論の棚上げ。リーベ自身も理解しているのに、根本に先を言わせたくない。

だが、それは逃げだ。仮想世界での現実逃避。そんな滑稽極まりない逃避行。

残響音が離れ、岩屋がシンと静まり返る。そして、根本はいっそ冷やかにも聞こえるような声音で、新たに言葉を発した。

 

「アレはな、生きてるように見えるだけ。死んでるという証拠が全く無いだけなんだ。だから、俺が証拠を提示してやる」

 

それがリーベの迷いを断ち切らせるためでもあるかのように、スッパリと、鮮烈に、根本は言った。

 

「これはな、クエスト報酬で得られる情報だ」

「何て言う?」

「『万能の秘薬』。レムの探す薬草を得るためのクエストだ」

 

そうだ。確かに在った。

あれは確か、三日前だったか。レムが欲する薬草を取る方法の内の一つが、そんな名前だったはずだ。

 

「そのお使いクエストの最後、薬草と共に与えられるんだ。レムは、亡霊という設定を与えられたNPCなんだって事がな」

 

もうリーベも感情的になりはしなかった。だが、アバターは正直だ。彼女のダークブラウンの瞳の縁は、光るモノを湛えている。

レムは元から死んでいる。なるほど確かに、その言は的を射ている。

つまりは、この限定クエスト、おばあちゃんのおうちは、ストーリー上で、レムとの別れが想定されたクエストだったのだ。

悲劇的な物語、耽美な色合いを帯びた不幸性。何の事は無い、良くあるゲームシナリオだ。それに、得てして感動と勘違いされやすい同情の涙は、シナリオライターにとっても旨い。

一介のプレイヤーである俺には、物語に口を挟む権利も能力も無い。

ただ、ただ一つ俺の願いが叶うなら、誰もを幸せにするハッピーエンド、その存在を切に願うばかりだ。

しかし、それだけではまだ足りない。まだ事件の核心には、一つたりとも触れられていない。

ならば俺は問い詰めねばなるまい。たとえ、どんな事実が明かされようとも。

 

「……なら、何故レムはベータテストで死んだんだ?」

「急かすな。答えてやるさ。実はな、開示された情報はまだ有ったんだ」

「…………」

 

静かに耳を傾ける俺達をみて、根本は満足そうに頬を崩す。どうやら、静粛な聞き手が好みらしい。

 

「それは、クエストクリアの為のヒントだった。……いや、ちょっと違うな。このクエストの秘密が明かされたって感じか……」

「……秘密?」

「ああ。 クエスト報酬が何になるか、それがどうやって決定されるかって事だ。それがな……面白い事に、レムの心で決まるんだ」

「……心……だと?」

 

NPCに心が宿る事も、その心がシステム的に数値化されている事も、何もかもが違和感でしか無い。完全な人工知能なんて物は、聞こえは良いが、そんなに生易しいものじゃ無い。

自らが、人の手により創り出された生命体だと理解した時、虚構の知能は、何を思い、何を考えるのか。自己を、確固たる個人と、自信を持って断言出来るのか。

俺には及びもつかないし、考えたくも無い。ただ、レムには絶対に、その事実を知られてはならない。理性では無く直感で、知性では無く本能で、俺は、そう結論づけた。

そして、その決定が正解だということが殊の外早く根本の口から齎された。

 

「そしてエンディングも、レムの心の状態で確定する。その中でも最悪のバッドエンドが、絶望だ。しかも、レムの心を絶望に染める方法は至極単純だ。ただ一言、お前は幽霊だと告げてやればいい」

「……で、どうなるんだ?」

「そのまんま、幽霊になるんだよ。いや、もう少し正確に言うと、悪霊(レムレース)型モンスターとして、クエストを受注したプレイヤーに襲いかかるんだ。ははっ!傑作だろ?いくら愛情を込めて接しても、いくら思い出を積み重ねても、たった一度の選択ミスで、レムは俺達に牙を剥くんだ!」

 

思考が、酸素を求める魚のように喘ぐ。まるで、意識だけを深海に押し込まれたような、そんな錯覚。

なんて醜悪なんだろう。なんて度し難いんだろう。どこまでプレイヤーをバカにすれば気が済むんだろう。バッドエンドを迎えれば、後悔と自責しか残らない。そんなクエストを誰が求めるというのだろう。

白濁した意識の中で浮かび上がったのは、明確なる憎悪。この世界を創り上げた、茅場晶彦という個人に向けた黒い感情だった。

嵐のような心情を無理に飲み下した時、俺の中に産まれたある解答が口をついて出た。

 

「……だから……なのか?根本……だからお前は…………レムを……」

 

殺したのか?その言葉を、発する事は出来なかった。

しかし根本は、そう続くことが分かったのか、掠れた声で怒鳴るように言った。

 

「ああ!そうだよ!レムがモンスターになった!だから殺した!実に論理づいた順接だろうが!悪いか?ああっ!?」

 

根本の声が洞窟に痛々しく響く。

 

「本当は、クエストクリアまで生かしておくつもりだったけどな!モンスターになっちまったんならしょうがなねえよなあ!ぶっ殺したって、正当防衛以外の何物でもねえんだからな!」

 

根本の言葉の端々から漂うのは、何時もの嫌らしさでは無く、どこか必死に、何かを取り繕うような、むしろ故意に、自分の罪を重くしているような……。

そんな根本の怒号を遮ったのは、思いがけない人物だった。

 

「違うもん!」

 

ピリッと空気が震えた。可愛らしさと清廉さが同居したその声の主は、まさしくこの議題の張本人、レムだった。

まずいまずいまずいまずい!いつからだ?いつから睡眠毒が切れていた?もし……レムに、幽霊という単語を聞かれていたら!もう……バッドエンドなのか?

俺の憂慮を気にもとめず、切迫した表情で、レムは再度声を荒げる。

 

「ボルトは……ボルトは!わたしを殺そうとなんてしなかった!」

 

ボルトという呼び名が根本のアバター名である事を、瞬間的には、思い出すことが出来なかった。

だが、問題はそこじゃ無い。何故か今のレムの言葉に、妙な違和感を感じたのだ。

その靄を形とする為に、俺はレムの言葉に耳を傾けた。

 

「わたしがモンスターさんになっても、わたしがボルトを攻撃しても、ボルトはずっと……ずっと呼びかけてくれた!『目を覚ませ!正気に戻れ!』って!」

 

それを聞いて、やっと俺は、違和感の正体に思い至った。レムが、ベータの話をしているのだ。

いろんな疑問が降り注いで、頭の中でミキサーにかけられて、俺はもう、どうすればいいのか解らなかった。

そして尚も、レムは声を上げた。

 

「わたしは、ボルトを何度も爪で裂いた!ボルトを何度も殴りつけた!なのに、ボルトはわたしを見捨て無かった!三日の間、わたしに攻撃され続けながら、ボルトはずっと、わたしを説得しようとしてた!」

 

レムの糾弾は、少しづつ少しづつ、事件の全貌を融かしていった。

ボルトはただ、立ち尽くしていた。俺には、ボルトというアバターの表情からは、その真意を計ることは不可能だった。

 

「わたしの所為で、何度も何度も消えちゃって、それなのに直ぐにわたしの所に駆け付けて『ゴメンな、俺の所為で』って、何十回も、何百回も謝って……。違うもん!悪いのは、ボルトを傷付けたわたしで、モンスターさんになったわたしで、幽霊だったわたしで……あ、ああ……

ああああああ!嫌!いや……いやあぁぁああッ!」

 

突然、レムは硬質の岩盤に額を打ち付け始めた。少しづつ、レムを、黒い煙のようなものが侵食していく。まさかこれが……モンスター化の兆候なのか?

全身から血の気が引き、絶対零度の氷結が頭脳の回転を停止させる。

本能的な、失う恐怖。

誰もが凍り付いた中で、根本……いや、ボルトだけが、行動を止めなかった。

力強く、勇猛な足取りでレムに歩み寄り、蹲るレムを、そっと抱き締めた。

 

「ありがとう……本当にありがとな、レム。俺を許してくれて……。だからな……俺もお前を許すから……だから……元気で可愛い、いつものレムに戻ってくれないか?お前が俺を攻撃してた時、ずっと泣いてたよな。俺を傷付けるのが嫌で、俺を悲しませるのが嫌で、涙を流してくれたんだよな?俺はさ……そんな優しいレムが大好きだから……」

 

皮肉と嫌味がこびり付いたボルトの口から、温かな言葉が溢れ出した。

麗らかに光る流水のように、その言葉は、レムへと伝わったように思えた。

すると、レムの包んでいたどす黒い瘴気が、綿毛のように柔らかな光となって、まるで二人を祝福するかのように降り注いだ。

レムが、言った。

 

「ありがとう……ありがとう!わたしも、ボルトのこと大好きだよ!」

 

泣き笑いの叫び声が、赤褐色の洞窟に、ふわりと反響した。

やっと、解った。

ボルトの行動原理は、全て、レムを救う事へと注ぎ込まれていたのだ。人の命を摘む以外のあらゆる犠牲を払って、自身が、レムに嫌悪されることも厭わずに。

執拗に、リーベへとパーティの解除を迫ったのは、クエスト受注状態を消す事で、バッドエンドの可能性自体を零にするため。それを実現するためだけに、この男は、多大な努力を支払ったのだ。

にしても……手段を選ばなさ過ぎだとは思う。つくづく、不器用な男だ。

ボルトとレムは、長く、永く、抱き締め合っていた。俺とリーベは、ただただそれを眺めていた。

やがて、ボルトはすくっと立ち上がり、此方を向いて、深々と頭を下げた。

 

「リーベ、そしてムッツリーニ。本当にすまなかった!何て言うか……言い訳みたいに聞こえるかもしれないが、俺もいっぱいいっぱいだったんだと思う。許して貰える事じゃ無いのは解ってる。だがせめて、謝意が有る事だけは伝えたいんだ。もう一度言う。本当にすまなかった!」

「許すよ」

 

そう言ったのは、意外にもリーベだった。そして、リーベは更に続けた。

 

「だってさ、根本君……いや、ボルト君だって、レムちゃんを助けたかったから、こんな事をしたんでしょ?ボクが根本君の立場なら、きっとレムちゃんを助けるために、全力を尽くすと思う。……まあでも、もうちょっとやり方は考えるけどねえ?」

 

意地の悪いリーベのセリフに、根本が軽く苦笑を浮かべた。

その状況を見かねたのか、レムがまだ目元が赤く腫れた顔で言った。

 

「お姉ちゃん!ボルトを虐めちゃダメだよ!」

「あっははは!ゴメンね!でも実は、さっきまで麻痺毒漬けにされてた事、ボクはまだ、結構根に持ってたりするんだよねえ〜」

「うぐっ……それを言われると、何も言えないな……」

 

うむ。リーベは実に楽しそうだ。

しかし、まだ俺の中には、幾つかの疑問が残っている。なるべく雰囲気を壊さぬよう心掛けながら、俺はレムへと問いかけた。

 

「……何故ボルトのことを思い出したんだ?」

「 うぅーん……何か、わたしが幽霊だって聞いたときに、びっくりしたのと一緒に思い出したんだよ」

 

思い出した、か。つまりは、ロック、もしくは消去されていたメモリーデータが、AIの突発的不具合によって、解凍、またはサルベージされた、ということなのだろうか?いやしかし、そんな事があり得るのか?

こんな事は、いま幾ら考えても詮無い事なのかもしれない。現実に戻った曉には、少しばかり調べてみるとしよう。

そして俺は、レムの頭を撫でながら、出来るだけ優しく問うた。

 

「……もう、死んでると解っても大丈夫なのか?」

「うん……ショックではあったけどね。でも、みんなみんな、お兄ちゃんもお姉ちゃんもボルトもキリトもアレックスも、そしておばあちゃんも、きっとわたしが消えても、わたしの事覚えててくれる。わたしの事悲しんでくれる。それだったら、消えちゃうのも、そんなに怖くないのかな、って思えたの。だからね。わたしはもう大丈夫。わたしに与えられた天命をまっとうして、きれいさっぱり消えちゃうの!」

「……そうか」

 

レムは、太陽のように輝く笑みでそう言った。

強いな、本当に。

クエスト進行上に用意されたバッドエンドを、NPC自身の心で克服する。これを奇跡と言わずして何と言おう。

いや、もうNPCなどと言うまい。レムは俺達の立派な仲間だ。たとえこのクエストが、どのような終わりを見せようとも、それだけは絶対に変わらない。

俺がそう、決意を新たにしたとき、今のいままで不干渉を貫いていたライトが、ボルトへと問いかけた。

 

「それでボルトは、 僕らのギルドに入るの?」

「「「……は!?」」」

 

あまりにも唐突な問いに、俺、リーベ、ボルトの三人が愕然とする。

それとは対照的に、ぴょんぴょんと飛び跳ねる少女が約一名。

 

「そしたら、ボルトも『仲間』だね!」

 

無邪気なレムの笑顔でも、しかしボルトは絆されはしなかった。ボルトは、決まりの悪そうな顔で、歯切れ悪く言った。

 

「いや、でも……俺は……」

 

そのとき、ボルトの拒絶を、ライトの否定が遮った。

 

「そんなに、気にしなくても良いんじゃないかな」

「気にしなくちゃいけないだろう。俺がやった事は笑って済ませられる事じゃないんだから」

「ちょっとやそっとの間違いぐらい、何度だっておかせばいいじゃないか。僕なんて、毎日のように間違ってる。むしろ、間違わない人間なんて人間じゃない。それに、ここにいる皆は、もうとっくに君を許してる」

 

そう言って、ライトはぐるりと周りを見回した。ライトと目が合い、ぐっと頷く。

全員の意思を確認してから、ライトは、再度ボルトへと問いかけた。

 

「ほら、後君を許して無いのは、君だけだよ」

 

その言葉を受けて、ボルトは、片頬を釣り上げながら言った。

 

「はぁ……変わらないな、お前は」

「そう?僕的には、結構変わってるつもりなんだけど……」

「いや、お前は、ずっと猪突猛進の大バカ野郎のまんまだよ。そのまんまでいろよ。それがお前なんだから」

「……それ、褒めてるの?」

 

ボルトは、いつものように嫌らしい笑みでくつくつと笑いながら、声を上げた。

 

「ああ!褒めてるさ!」




思い出の結晶を書くにあたって、僕がやりたい事は二つありました。一つは、クドムツ展開。そしてもう一つが、バカテスの原作キャラを、もう一人ギルドに加入させる事でした。
そして、悪役が似合うのが条件だったので、半ば必然的に、根本君に決定しました。
それと、今回の話、根本君を完全に悪役にする、みたいなもっとえげつない展開を期待していた方はごめんなさい!純白エンドになりました!僕の趣味です!
覚えておいてください。僕が書く物語は、絶対に何があってもハッピーエンドです!


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第三十五話「思い出の結晶ーⅨ」

すんませんしたっっっ!!二週間って開け過ぎですね。なにやってんだか。
しかも、ただでさえ遅筆なのに、もう一本、連載を開始してしまいました……。
ごめんなさい!書きたかったんです!


ボク、レムちゃん、ライト君の三人は、ボルト君の手伝いもあり、無事二日間で、カルマ回復クエストをクリアした。

そのボルト君は、カルマ回復クエスト終了後、正式に『The Servents』へと加入することとなった。

加入後、一番最初にボルト君がしたことは、キリト君とアレックスへの謝罪だった。

ボルト君の懺悔を全て聴き終えた二人は、ボルト君に詰め寄った。

何故、自分達にも相談してくれなかったのか、と。

ユウ君と秀吉君は、あり得ないものを見るような目で、ボルト君が頭を下げているのを見ていたが、その表情は、途中から、ニヤニヤとした笑みに変わっていた。

ボク達は、夜が更けるまでと言わず、夜が開けるまで、語り合っていた。時には激しく、時にはしみじみと、まるで一つの曲のように、抑揚のついた宴会だった。

出来ることなら、この夢のような時間が永遠に続いて欲しかった。この仲間達と、ずっとずっとお喋りしていたかった。

だが、その願いは叶わない。必然だ。そんな曖昧な終わり方、ボクが望んでいても、レムちゃんが望んでいない。

明日は、限定(リミテッド)クエスト、おばあちゃんのおうち、そのエピローグの決行日だ。

明日全てが決まる。全てが解る。一体、このクエストは何故存在したのか。エンディングを迎えた時、レムちゃんは、どうなってしまうのか。

ボクは、エンディングなんて見たくない。その所為でレムちゃんを失えば、ボク自身、どう思うのかすら予測出来ない。ただ、これだけは言える。ボクはレムちゃんと離れたくない。

しかし、当のレムちゃんが、おばあちゃんのおうちへと、辿り着くことを望んでいるのだ。おばあちゃんに薬草を届けてあげたいと言うのだ。その心を、ボクが否定する権利なんてあろうはずもない。

そして、東の空が少しだけ色付いてきた頃、宴の幕が閉じられた。

翌朝。ボク達は、クエストクリア条件であるおばあちゃんのおうちを目指す。

当然、キリト君、アレックス、そしてボルト君にも、声を掛けたのだが、何故か三人とも、一歩引いた態度で、このクエストのエンディングを見ることを良しとしなかった。

なので、今一緒に歩いているのは、ボク、ムッツリーニ君、レムちゃんの三人。SAO本サービスで、限定(リミテッド)クエスト、おばあちゃんのおうちを始めた時の三人だ。

なんのけなしにレムちゃんを見つめる。髪には、ボクのあげた、真っ赤な花飾りが添えるように付けられている。

その花飾りよりも、更に紅く光る唇は、幽霊と自覚する前よりも、むしろ生き生きとして見えた。

すると、視線に気づいたレムちゃんが、ボクにニコリと笑いかけた。それに、ボクも精一杯の笑顔を返す。

すると、ムッツリーニ君はレムちゃんの頭をなで、三人で微笑み合う。

道中は、殆ど会話が無かった。しかし、気まずいというわけでもなく、むしろ心地よく、緩やかに時が流れた。

十数分が経ったころ、レムちゃんが唐突に言った。

 

「ここだよ」

 

レムちゃんが指差したのは、何処か温かみのある、木製の小屋だった。

その丸太小屋は、注意しなければ、単なる背景オブジェクトに見えてしまう程、何の違和感もなく、苔生して、周囲に溶け込んでいた。

言われなければ、とてもじゃないが、たった一度しか現れ無い限定クエストのゴールポイントだ、などと思いもよらないだろう。

レムちゃんは、無造作にヒノキの扉を引いた。

果たして────中には、誰も居なかった。

主の消えた部屋は、濃密な寂しさを湛えている。三人で目を合わせ、首を傾げた。

これは、どういうことだろう。このクエストのクリア条件は、薬草をレムちゃんのおばあちゃんに届けることだった筈だ。しかし、肝心のおばあちゃんが居ないとなると、どうやってクリアすれば良いのか解らない。

 

「……とりあえず、探索してみるか」

「うん、まあ……それしか無いよね」

 

家に踏み込んで直ぐ、ある物が目に飛び込んできた。

ベットの横に備え付けられたテーブルに、映像記録結晶が置かれているのだ。

家中を一通り捜索してみたのだが、他に手がかりとなりそうな物は無かった。

 

「押すよ?」

 

映像記録結晶を手に取り、レムちゃんが言った。

そして、ボクとムッツリーニ君が頷くのを見ると、レムちゃんは、八面体の結晶についた、小さなボタンを押した。

カチリ、という無機質な音が反響する。

そして────

 

『レムちゃん。あなたと離れ離れになって、丁度一年、そして、大地切断からも丁度一年が経つわね。恐らく私は……あなたのおばあちゃんには、もうすぐに、神様のお迎えが来て下さいます。

もしあなたが私の為に薬草を持ってきてくれたなら、それを無駄にしてしまったわね。だからこそ、せめてものお礼として、あなたにこの映像を届けます。

優しいあなたは、病気になった私に、遠くの沼地まで、薬草を取りに行ってくれたわね。あの時、とっても嬉しかったわ。本当よ?でもね、同時にあなたを引き止めたくも思ったの。

こんなに小さい子を一人で行かせていいものか。本当なら、あなたのお父さんとお母さんに取って来て貰う方が良かったんでしょうけど、あの子達は、あなたが物心つく前にトールバーナにまで、出稼ぎに行ってしまったものね。そして、悪い予感もしたの。それが見事に当たってしまった。あなたと私は、いえ、もっと沢山の人々や妖精、モンスター達も、この天空に浮かぶ城に閉じ込められてしまった。

風の噂で聞いたのだけれど、あなたの目指した沼地は、この城の第十層みたいね。エルフ族ならば、瞬間移動で階層を移動出来るのだけれど、私達人間には起こり得ない奇跡ね。

でもきっと、レムちゃんが立派な大人になって、素敵な友達が出来て……その時にはきっと、このおうちに戻ってくるのでしょう。

私は、あなたを待つことは出来無いけれど、せめて、あなたに伝えるわ。人生の先輩として。あなたの保護者として。

私は、あなたに死んで欲しくは無いし、あなただってそうでしょう。でもね、生き物には、いつか死が訪れる。それは、五十年後の未来かもしれないし、あなたがこの映像を見ている一分後かもしれない。もしかすると、この映像を見る事すら叶わないのかもしれない。

でもね、これだけは言わせて。私はあなたを愛している。もう顔も思い出せないかもしれないけれど、あなたのお父さんとお母さんも、あなたを深く愛していた。

そして、あなたがこれから出会う人達も、きっとあなたを愛してくれる。時には、あなたに恋する人もいるでしょう。もし、この映像を、ボーイフレンドと見ていたなら……なんて、どうにも期待しちゃうわね。

レムちゃん。頑張って生きなさい。人の役に立つこと、なんて言わない。あなたが頑張れたと思えたなら、それで良い。そうすれば、あなたの足跡を、覚えててくれる人が居る。あなたと出逢えた事を、誇りに思ってくれる人が居る。人が持ち得る幸せは、そんな些細で、それでいて大それた事で良い。

あなたが幸せを充分に噛み締めたと思うのなら、もう一度おばあちゃんと会いましょう。その時は、いっぱいいっぱい聴かせてね。あなた自身の物語を。

あなたのおばあちゃんより』

 

優しそうなおばあちゃんの微笑みが、ゆらりゆらりと虚空に融けていく。

レムちゃんは、泣いていた。嗚咽を咬み殺し、とめど無い涙が木目を伝う。

 

「ごめんね……ごめんねおばあちゃん。ずっと、待たせちゃったね」

 

ようやく出したその声は、空気に押し潰され、今にも掻き消えそうだった。

しかし、その時ボクの思考の大半を支配していたのは、件の映像にて語られた、とある単語だった。

大地切断────太古の昔に生起した、アインクラッド創生の物語。主要な百の地域が、突如として天に召し上げられ、積み上げられて創られた伝説の城、という『設定』。

だからこそ、レムちゃんが大地切断と共に、おばあちゃんと離れ離れになり、何百年もの間、幽霊として第十層を彷徨った、というのも『設定』。

だがもしも、設定じゃなかったとしたら。突拍子もない話だが、千倍に加速された世界の中で、本物の心がシュミレートされた結果だとしたら。

レムちゃんが、普通の人間には、永遠と大差ないような時を、自分が死んでいるとも気付かずに、只々、おばあちゃんのためと一心に思い、天空城という牢獄に閉じ込められていたのだとしたら。

あり得ない。意識だけを千倍に加速させるなど、馬鹿馬鹿しいにも程が有る。そんな事は解っている。弁えている。でも、だけど、だって!

気付けば、ボクはレムちゃんを抱き締めていた。

柔らかい。暖かい。小さい。────脆い。

直ぐにも崩れ出しそうなソレは、人の形を保っているのが不思議に思えた。

離したくない。一緒に居たい。引き止めたい。もっと思い出を作ってあげたい。でも、おばあちゃんに会わせてあげたい。

相反するボクの迷いを断ち切ったのは、ボクの首に回されたレムちゃんの小さな腕だった。

ぎゅっと、抱き寄せられる。そして、レムちゃんは髪へと手を伸ばし、ボクの頭を嫋やかに撫でた。

 

「わたしはね、ずっと十層を彷徨っていたのが悲しいんじゃないんだよ」

「じゃあ、何が悲しいの?」

 

レムちゃんは、答えずに続けた。

 

「それにね、彷徨ってた時の記憶なんて、殆ど残ってないんだもん。お姉ちゃんとお兄ちゃんに会った時、急にスイッチが入った感じ。きっと、ボルト達の時もそうだったんだろうけど、そこまで細かくは思い出せないや」

 

茶化したセリフの後、レムちゃんは、はにかんだ。

それにどんな反応をすればいいのか解らず、ボクはレムちゃんを見つめることしか出来なかった。

 

「もう、一緒にいれないの?」

 

気が動転して、どうしようもない事を口にする。

言ってから気付く。この言葉は、レムちゃんの心に突き立てる刃に他ならないのだと。

だが、レムちゃんは顔色一つ変えず言い切った。

 

「うん。無理だね。わたしの身体は、もう消えかかっている。それはきっと、おばあちゃんが言ったように、皆がわたしを愛してくれたから。わたしが幸せだと思ったから。だから、おばあちゃんの所へ行ってあげなくちゃ」

 

そして、レムちゃんはボクの腕をするりとすり抜けて、満面の笑みで言った。

 

「お姉ちゃん。お兄ちゃん。大好きだよ。ごめんね。ありがとう…………バイバイ」

 

レムちゃんの身体が、少しづつ透過性を増していく。少しづつ遠くなっていく。

 

「……じゃあな、レム」

 

ムッツリーニ君の素っ気ないセリフも、少しだけ震えているように思えた。

それが、起爆剤だったのか。ボクの口からも、堰を切ったように激情が溢れ出た。

 

「レムちゃん!レムちゃん!レムちゃん!いかないで!お願いだから!」

 

もう、無駄だと解ってる。解ってるけど、判らない!もう、自分の気持ちを抑えられない!嫌だ!もっと一緒に居たい!触れていたい!話したい!離したくない!

我儘で、自分勝手で、独善的で、どうしようもないボクの本心に、レムちゃんは、悲しそうに微笑んだ。

そして、音も無く消えた。




今回で、思い出の結晶は終わらせようと思ってたのですが、文字数を見ると、まさかの八千時オーバー。
というわけで、もう一話増えちゃいました!てへぺろっ!←
真の最終話は、加筆訂正後、明日の投稿になると思われますので、暫しお待ちを!


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第三十六話「思い出の結晶ーX」

ごめんなさい!
何が、明日には投稿出来るとおもいます、だよ!一週間経ってるじゃねえか!

そんなこんなで、思い出の結晶、完結です。


パステルカラーの色彩を持っていた空間は、妙に他人行儀な顔をしている。今や、レムちゃんが存在したという証拠を残すのは、目の前の『Congratulations!』という無機質なシステムメッセージと、獲得アイテムの一覧。

涙さえ流れない。あるのは、深い喪失感だけだ。

呆然とし、焦点の合わない視界に、ふと、見慣れぬものがあった。

何時もなら、取得アイテムしか表示されない筈の欄に『Which do you want?』という赤文字。その下には、二つのアイテム名が表示されていた。

一つは『レムの思い出』。そして、もう一つは『レムの心』。

放心状態のボクに代わって、視線で、ムッツリーニ君に判断を仰ぐ。

ボクの意図を直ぐに理解し、ムッツリーニ君は返答した。

 

「……お前が決めろ」

 

その突き放すような一言に何が込められているのか、ボクには分からなかった。

何と無く、本当に何と無く、レムの心を選択する。

瞬間。ボクの目の前に、急速にポリゴンデータが生成されていく。

それに、見覚えがあった。いや、ついさっきまで見ていた。ボクがレムちゃんと初めて会った日、その時からずっと、レムちゃんの頭に供えられていた、紅く線の細い花飾りだった。

同時に、ムッツリーニ君の方にも、八面体の青白い結晶が形作られていた。これも、この数日間で、何度と無く目撃したもの。三つの映像記録結晶が、ムッツリーニ君の手の中に収まっていた。

 

「……見るか?」

 

問い掛けに、コクリと頷く。すると、ムッツリーニ君は無造作に右手に握られていた結晶のスイッチを押した。

その映像も知っていた。一週間くらい前に、レムちゃんが見せてくれた、おばあちゃんの映像だった。

この三つの結晶が、全て一週間前にレムちゃんが持っていたものと同じなら、もう一つは、ベータ時の写真。そしてもう一つは、何の映像も入っていなかった筈だ。

案の定、二つ目はベータテストの時に撮った、キリト君、アレックス、そしてボルト君の写真だった。

しかし、前とはたった一点だけ、しかし決定的に違うことがあった。

 

「……映像も記録されている」

 

ムッツリーニ君が、静かな声で言った。

 

「再生してみたら?」

 

自分で聞くと、思った以上にどうでも良さげな声だった。事実、どうでもいい。もうレムちゃんは消えてしまったのだ。今更、映像を見返したところで何の意味も無い。

そんなボクの反応に、ムッツリーニ君は何も言わず、映像を再生させた。

それは、恐らくベータテストの時の映像だった。ファンタジーの物語に出てきそうな美男子三人と、レムちゃんが楽しそうに冒険を繰り広げている。

しかし、再生時間が一週間もあるので、流石に早送りする。きっと、クエスト開始時点から、ベータテスト終了までの全てのレムちゃんの記憶が、この結晶に収録されているのだろう。

急速に動くホログラムの中に、あの映像が有った。レムちゃんを、漆黒の瘴気が包み込む。カーソルの色がグリーンからレッドへと変化する。根元君の眼前に、小さな通知窓が表示されている。多分、レムちゃんが、モンスターになってしまったので、結果的にがパーティから脱退したという報告がなされているのだろう。

そこからの映像は、凄惨の一言だった。苦しげな呻き声を発しながら、悪霊(レムレース)となったレムちゃんが、戸惑うボルト君を攻撃する。

何度攻撃されようと、ボルト君は防御姿勢を崩さずに、声を張り上げてレムちゃんの説得を試みている。だが、ふとした瞬間、攻撃を捌き切れずに、その身をポリゴンデータへと変える。

一瞬、身を強張らせてしまったが、よく考えればベータテストなのだ。死んでも命まで取られる訳じゃない。だが、ボルト君の鬼気迫る様子を見て、直ぐに思い直す。

現実でも、彼がそこまで必死になるところなんて、見たことが無かった。

そんな表情を、まだデスゲームですら無いベータテストで見せている。それは、見る者によれば冷笑に値するような光景だろう。しかし、ボクには、彼の反応が至極真っ当な人間性の結果であるように思えた。

徐々に、ボルト君にも疲れの色が見え始めた。当たり前だ。死んでも死んでも、直ぐにレムちゃんの下に駆け付けているのだ。当然、睡眠も取って無いし、食事もして無いのだろう。

そして、三日目。ベータテストの最終日。

覚束ない足取りで、それでもボルト君は、レムちゃんに喰らい付き、声を上げる。正気を持て。何時ものレムに戻れ。と。

ベータテスト終了まで、残り十分となった時、ついにレムちゃんのHPゲージがゼロになった。

その理由は、誰の目から見ても明らかに────禍々しく伸びたレムちゃん自身の爪が、彼女の細い首を貫いていたからだ。

今際の際で、レムちゃんは、ボルト君に一言、正気を取り戻した安らかな顔で、ごめんね、とだけ呟いた。

ボルト君の慟哭が響く。へたり込み、地面を叩きつける彼は、ボクやムッツリーニ君と同じように、一人の仲間として、レムちゃんを愛していたのだろう。

虚ろだったボクの心に、暗い感情が注ぎ込まれる。

こんな気持ちになるぐらいなら、再生してみたら、なんて言うんじゃなかった。

そんなボクに見向きもせずに、ムッツリーニ君は最後の結晶を手に取った。

再生を止める気力も湧かず、忌々しげに睨んでみるが、ムッツリーニ君は、意にも介さずボタンを押した。

だが、三日前には、この結晶には、何も記録されていなかったのだ。そもそも、何かが録画されているのかすら怪しい。

結果、録画されていた。今度の映像は、さっきより短めの四日分だ。

まず、流れてきたのは、レムちゃんが一人で沼地を歩く映像だった。

すると、レムちゃんの後ろから、ガサリ、という物音がした。レムちゃんは慌てて振り返り、短剣を構えながら、言った。

 

『モ、モンスターさんですか!?ど、どっか行って下さい!わたしはあなたと戦いたくありません!』

 

あっ、これは────ボク達の映像だ。

ホログラムの中で続けられていく何気無い会話は、ボク達とレムちゃんとの出会いを、寸分違わず模倣していた。

四日間の濃厚な時間が、一時間に纏めるために、急速に時を早めていく。

出会い、薬草を取りに行き、ボルト君との一悶着と、カルマ回復クエストを経て、現在。

つい数時間前、生で見た時は、ただ喪失感だけを感じた光景は、映像を通して見た時、何故か涙が流れた。

溢れ出る水分は、どんどん水量を増していき、ボクの渇いた心を潤すようだった。

そんなボクを尻目に、ムッツリーニ君は、今は、レムの心と名を変えた花飾りを、持ち上げて突ついた。

レムの心の上に、半透明のポップアップウィンドウが出現する。そこには、レムの心の、アイテムとしての説明と効果ぎ書かれている筈だ。

するとムッツリーニ君は、ボクに見せるために、ホロウィンドウを近づけてくる。視界に入った文字列を反射的に目で追った。

 

『レムの心

レムの心をオブジェクト化したアイテム。基本的には、レム所縁の品の形を模してオブジェクト化する。

おばあちゃんのおうちクエスト、エンディング時のレムの心の形と最も近い効果となる。このアイテムに籠められたレムの心は【生】。

効果:蘇生アイテム。HPの全損したプレイヤーに対してのみ有効。全損後、十秒以内に使用することで、全損したプレイヤーのHPを完全に回復する』

 

────え?レムちゃんの心が『生』?心っていうのは、本能であり、願望な訳で、それってつまり……

 

「レムちゃん自身も、生きたかった、ってこと?」

 

なら、レムちゃんが消えたのは、レムちゃん自身の意思しゃないってこと?

なら!レムちゃんも、本当は、消えたくなかったんじゃないのか?

それなのに、レムちゃんは、ボクの前で笑顔を絶やさずに、大丈夫だと言い続けてくれたのか?そんな彼女に、ボクは、行かないで、離れたくない、なんて、独りよがりも甚だしい。その言葉が、どれほど彼女の心を抉ったことだろう。レムちゃんも、離れたくなかった筈なのに、ボクは一方的に感情を爆発させて……。

 

「……違う」

 

ムッツリーニ君の、冷静な、でも、どこか温かみのある声が響いた。

そしてボクは反射的に訊ねていた。

 

「違うって、何が?」

「……よく考えろ。自分が生きたい奴の願いが、他人の蘇生アイテムになるか?」

 

確かにそうだ。自分が生きたいという願いを、アイテム化するならば、例えば、死亡時に装備者が自動蘇生するアクセサリー、みたいな感じになるだろう。

だが、この推論が間違っているならば、生、という心は、一体どういうことなのだろう。

レムちゃんが、ボク達との別れ際に感じた心は、レムちゃんが消えた今となっては、もう知る由はない。だが、ある程度の考察を建てる事は出来る筈だ。

そうして、自分なりの結論に辿り着く前に、再度、ムッツリーニ君が仮想の空気を震わせた。

 

「……俺達に、生きて欲しかったんじゃないか?」

 

ムッツリーニ君の言葉に、唖然としてしまう。そんなボクなどお構いなしに、ムッツリーニ君は語り続けた。

 

「……俺達が生きることで、レムも、俺達の思い出──心の中に生き続ける。それが、あいつの決断だったんだと思う」

「……そんなの……都合良過ぎるよ」

 

死んだ人の心なんて、計れる筈もない。妄想は個人の自由だが、そんなものは、所詮自己満足だ。

今のムッツリーニ君の言葉には、何の根拠も存在しない。

だけど、ムッツリーニ君の言葉は、魔法のように、ボクの気持ちを軽くさせた。

 

「……都合良くたって良い。今、レムが居るのは、俺達の心の中なんだから」

「……そう、なのかな」

 

ムッツリーニ君は、仄かに笑みを見せた。それに倣い、ボクも、精一杯の笑顔を作る。

 

「……帰るぞ、リーベ」

 

ムッツリーニ君は、ごく自然にボクの手を取った。その手は、男の子らしくゴツゴツしていて、でも暖かくて、とても、ポリゴンデータで再現されたものとは思えなかった。

無意識に、その手を強く握りしめてしまう。するとムッツリーニ君も、同じくらいの力でボクの手を握ってくれた。

そしてボクは、ムッツリーニ君に手を引かれるままに、いろいろな思いが混在した小さな丸太小屋を後にした。

 

 

雑多で猥雑な商店街の雰囲気は、少しの感傷を呼び起こす。部活帰りに立ち寄った駄菓子屋。毎日の買い物の八百屋や魚屋。そんなものは、この世界では過去の遺物だ。

活気のある街並みに、ほんの少し似つかわしくない心持ちで、ボクは第十層の主街区を練り歩く。

そこで、はたと一つのアイテムに目が止まった。線の細い花弁を幾つも持つ、鮮やかな紅色の花飾りだった。

そう丁度、ボクの髪に付けられているものと同じ形のものだ。それもその筈。この花飾りを買ったのが、この店だったのだから。

回想に浸っていると、何処か遠くから、ボクを呼ぶ声がした。

 

「リーベ!何でこんな所にいるの?」

 

宝石のように煌めく栗色の髪を揺らせながら、我らがギルドのフェンサーが、小走りでボクに駆け寄った。

 

「うーん……なんでって……なんでだろうね。何と無く、今は攻略に参加する気分じゃないんだ。そういうアスナは、なんでこんな所にいるの?」

「わたしは……皆には内緒にしていて欲しいんだけど、今料理スキルを鍛えてるのよ。それで、食材の買い出しに来てるの」

 

皆って言うのは、具体的にはキリト君を指すのだろう。最初に出会った頃は、常にツンツンしていたけど、今じゃアスナも立派な乙女だ。

ニヤニヤしながらアスナを見ていると、少し不満そうな顔をして、口を尖らせながら言った。

 

「何よ、その、ボクは全部解ってますよ、みたいな顔。それはそうと、その彼岸花の髪飾り、レムちゃんからもらったの?」

「え、彼岸花?これって彼岸花だったの?それ以前に、彼岸花って、結構物騒な花だったような……」

 

戸惑いながら、ボクがそう言うと、アスナは苦笑いを浮かべてから、インテリジェンスな雰囲気を醸し出しながら、彼岸花を説明してくれた。

 

「うん、そうね。別名だと、幽霊花とか死人花とか呼ばれてるわ。花言葉は、悲しい思い出、ポジティブな意味だと、また会う日を楽しみに、とかね」

 

アスナの言葉に、心音が、どくんと跳ね上がったような気がした。

ボクとレムちゃんが出逢うことは必然だった。そう、思えたのだ。

そうだ。そもそも、この花飾りを買うために、この商店街で油を売っていなければ、ボクはレムちゃんと出会うことすら無かったかもしれないのだ。

ボクが、この花飾りを気に入り、レムちゃんもこの花飾りを気に入った。だからこそ、この彼岸花がレムちゃんの手に渡る事は必然だったのかもしれない。

そして、レムちゃんが、自分の心を具体化する対象に、この花飾りを選んだことも。

ならば、幽霊として成仏したレムちゃんは、いつかボク達との再開出来ることを心待ちにしているのだろう。そして、再会を果たした時、その思い出を劣化させないために、レムちゃんは、ボク達との思い出を、結晶の中に移し、ボク達へと渡したのだ。

都合の良い解釈だということは解っている。でも、それが何だというんだ。

ボク達は、レムちゃんと出会い、そして別れた。真実はそれしか残されていない。ならばこそ、レムちゃんの心の解釈なんて、星の数ほどあるだろう。

ボクの解釈も、星の海から、一際輝く恒星を拾い上げたに過ぎない。

でも、これで良いのだろう。ボクの中に生きるレムちゃんは、いま、ボクが思い描いた太陽なのだ。

本当に、レムちゃんと再会出来るかどうかはわからない。でも、この思いは、ずっと心の中に持ち続けよう。細部さえも変化させず、欠片さえも失わず。そのための、映像記録結晶なのだ。

そこで一つ、名案が浮かんだ。そうだ。ムッツリーニ君に、夕日をバックに三人で取った写真を、現像してもらおう。

 

「ごめんね、アスナ。ボク、ちょっと用事を思い出したから、先にギルドホームに帰るね!」

「ああ、うん。じゃあまたあとで!」

 

石畳の上を駆け出したボクの頬を、気持ちの良い風が撫でる。

階層の間に見える空は、雲一つない晴天だった。




如何でしたでしょうか。
しっかしアレですね。仕込んだネタを解放するのって楽しいですね。

それはそうと、次回からはついに、アノ人のお話になるやもしれません!さて、アノ人とはどなたでしょう。それは、次回をお楽しみに!


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第三十七話「イチャイチャ……?」

感想数が百件を突破しました!

なんだかんだで、読んでもらえてるなあと一番実感出来るのは感想なんですよね!めちゃくちゃありがたいです!




見渡す限り、色々デカイ。

草原は二メートルを超える長草で生い茂り、木は軒並み晴天の空を貫きそうなほど、高々と聳え立っている。

フィールドには、三メートルはあろうかという巨人形モンスターが、雑魚Mobとして闊歩し、プレイヤーの命を、虎視眈々と狙っている。この階層を一言で表すならば、アインクラッド二十五層は、巨人の森、だろうか。

そこに、一人の少女の悲鳴が響く。後ろで一括りに束ねられた、引き込まれてしまいそうなほど綺麗な漆黒の髪を揺らしながら、彼女はひた走る。とある追手から逃げるために。

 

「うぎゃああぁぁああッ!キモイキモイキモイキモイキモイッ!何なんですか、あのムカデッ!全長五メートルて!巨大化にも程がありますよッ!そして、粘液みたいなのを吐き散らしながら追いかけてくるところもバッドポイントッ!あらゆる点でキモ過ぎます!というか、もう死んでくださいッ!」

 

というわけで、彼女のお望み通り、僕はムカデの側面に回り込み、体術スキル『エンブレイザー』を発動させた。

そして、真紅に染まった僕の腕が、根元までズッポリと巨大ムカデに突き刺さり、ガラスの砕けるような心地よいサウンドエフェクトと共に、全長五メートルの大ムカデは爆散した。

すると少女は、良い笑顔で、右手をサムズアップさせて言った。

 

「ナイスですっ!ライトさんっ!」

「あのさぁ……アレックス……。君も、虫型モンスターに、ちょっとは攻撃しようよ……」

「さてっ!お昼にしましょうかっ!いやあホント、お腹空きましたっ!MAJIでGASIする五秒前っ!」

「あれ?無視!?虫だけに!?」

 

そして、二千二十年代で活用するにはあまりに古過ぎるボケである。

 

「面白くないですよ。ライトさん。貴方のツッコミはその程度ですか?貴方なら、もっとエスプリの効いたツッコミができる筈じゃないんですか?」

「素でダメ出ししないでよ!普通に傷つくから!」

 

そんな僕の糾弾すら無視して、アレックスは徐に、アイテムストレージから藁で編まれたバケットを取り出した。

 

「では、目を閉じて口を開けて下さいっ!」

 

クリッとした綺麗な瞳でそう言われてしまえば、言われた通りにしない理由も無いだろう。

しかし、アレックスがわざわざこんな事を僕にさせるとは、一体全体、どういう了見なんだろう。まさか、完全に無防備な僕の口に毒を盛り、フィールドの真ん中に置き去りにするつもりじゃないだろうか。

いや、待てよ。よく考えれば、この流れは確実にあーん!完全なるラッキーイベントじゃないか!さあ、何かは知らないが、アレックスの手作り料理よ!僕の口に飛び込んでおいで!

予想通り、固形物が口の中へと放り込まれる感覚があった。

まずは舌の上で転がす。細長く引き伸ばされた何かが、口中でコロコロを駆ける。

味は、完全に生姜焼きのそれだった。ここまで高い再現度を出すには、なかなか解析の手間がかかる筈だ。僕の為にそれをしてくれたかと思うと、少し、いや、結構嬉しくなってしまう。

とりあえず、その細長い生姜焼きを、前歯でかんでみる。すると、プチっという音と共に、何故が異様な苦さが、口全体に広がった。

 

「あの、アレックス?これ、何の生姜焼きなの?」

「糸ミミズです」

 

吐き捨てた。

 

「何でミミズを食材に使うのさ!ていうか、さっき巨大ムカデを怖がってた人から、ミミズを食材にするっていう発想が出る事が驚きだよ!」

「いやいや、世界では虫を食材にする国なんて幾らでもありますよ」

「ここは日本だよ!」

「ここはアインクラッドなんですが?」

 

正論だった。

 

「わかりましたか?なら、ミミズの生姜焼きを食べて下さいっ!」

「うーん……。何か、食べなきゃいけないような気がしてきた……」

「じゃあ、目を閉じて下さいっ!はい、あーん!」

「あーん」

 

良く考えれば、食べる理由はない気がするが、取り敢えず、口に入れる。まあ、さっき食べたときは、食感と苦味意外は普通に生姜焼きだったしね。

だいたいこれは、食材がヤバイことを除けば、完全なるご褒美イベントなのだ。楽しまなければ損だろう。

あれ?さっきより大分、ちゃんとした歯ごたえだ。いや、というか、これはもう……

 

「普通に豚じゃないの?」

「ええ、そうですよ?ホワイトピギーですっ!」

「良かった。ちゃんとしたのも作ってたんだね。うん、凄く美味しい!わざわざ三層まで取りにいったの?」

「そうですよ。ライトさんに食べてもらうためなんですから、当然じゃないですかっ!」

 

アレックスは、こういう事を、恥ずかしげもなく言ってくる。

きっと、仲間としてという意味なんだろうけど、こんなに可愛い子に、ライトさんに食べてもらうため、と言われて意識するなという方が無茶だ。

きっと、無意識に言ってるんだろうな。こういう無意識の発言で、アレックスは一体、何人もの異性をドギマギさせてきたのだろうか。

 

「ハックション!」

 

何故かくしゃみが出た。誰か僕の噂でもしてるんだろうか。

 

「だ、大丈夫ですか、ライトさんっ!?え、えっと、お薬?回復薬?それとも私?」

 

それとも私?には敢えて触れないことにしよう。

 

「あ、ありがとうアレックス。でも、SAOの中で、風邪なんて引かないよ?」

「まあ、よく考えればそうですよねー。アレックスちゃん、早とちりしちゃいましたっ!ところで、何でそれとも私、を無視したんですか?」

 

おっと。痛いところを突かれた。いや、そもそも意味がわからないんだけどね。

それってつまり、そういうコトだと理解して良いのだろうか。そりゃ、僕だって健全な男子高校生だし、三大欲求の内一つが欠けているなんて歪な精神構造の持ち主でもないし、おまけに未経験だし、そういうコトに興味が無いなんて事は全然全くこれっぽっちもないんだけれど、ここで、そういうコトだと断ずるのは全く持って早計という物だろう。

なら結局、僕はこれからどういう行動を執るべきなのだろうか。軽く脳内でシュミレーションしてみよう。

 

僕「いっただっきまーす!」

アレックス「うぎゃあっ!変態っ!」(ボコッ!)

僕「ぐはあっ!」

DEAD

 

危ない危ない。もしシュミレーションをしていなければ、今頃アレックスのメイスで脳天をカチ割られていたことだろう。

うーん。どうやって、この選択肢を間違えれば即デッドエンドのデスゲームを切り抜けようか。もしかするとSAO攻略よりも難しいかもしれない。アレックス攻略。

いつからこのゲームは、ギャルゲになったんだろう……。

そんな益体の無さ過ぎる思考の長さを訝しく思ったのか、アレックスは俯く僕の顔を覗き込んで来た。

まずい。兎も角話題を変えなければ!でも、何と言えば良いんだ?女の子が食い付きそうな話題なんて、検討が付きそうな予感すらしない。

あ、そうだ。朝からずっと気になっていた事があったんだ。単純にそれを聞いてみよう。

 

「ところで、何で三つ編みを辞めてポニーテールに髪型を変えたのかな?」

「そりゃ、ライトさんがポニーテールを好きだって言ったからじゃないですかっ!」

 

元気よく宣言したにも関わらず、アレックスは頬を赤らめて俯いている。

しかし、僕の好みがポニーテールなのと、アレックスがポニーテールに髪型を変えた事に一体どんな因果が働いているのだろうか。僕には、どうしようもなく理解出来ない事柄だ。まあそれ以前に、生まれてこのかた女心を理解出来た試しなんて、ただの一度だって無かったんだけれど。

アレックスは、思い出したかのように箸を手に取り、豚肉を一つ摘み上げて言った。

 

「はい、あーんっ!」

 

何だろう。その気持ちは嬉しいし、あーんも嬉しい事ではあるのだが、何故か、アレックスの眼に殺意が宿っているように思えた。

それも、ただの殺意ではなく、獲物を狩るハンターの殺意だ。

まあ、それによってさっきまでの会話を忘れてくれたのならば良しとしよう。

そう思ってアレックスが差し出す箸を、拒まず受け容れる。瞬間、その選択は失策にして愚策なのだと、心の底から思い知らされる事になった。

今度の豚肉は、味付けを変えているようで、とても刺激的な御味に仕上がっていた。本当に、とっても刺激的に。

 

「口の中が爆発するように辛いいぃぃいいっっ!!」

「アレックスちゃん特製、ハバネロ数十個分の辛さを濃縮したソースは如何でしたか?」

「唯の危険物じゃないか!体力が削れていないことが不思議なくらいだよ!」

「いやあ。やっぱり良いリアクションですねっ!私も作った甲斐がありますっ!」

「出来れば、美味しいと言われることに、作り甲斐を感じて欲しいんだけど……」

 

というかコレは、料理であっても食べ物じゃない気がする……。一体、何をどう調合すれば、こんなハイデスソースが出来上がるのだろうか。怖いもの見たさに……いや、むしろ一生知りたくない。

と、取り敢えず水!

 

「はい、どうぞっ!」

 

アレックスが渡してくれた水を一気に呷る。ふう。生き返った。

あれ?何か、体全体が重いような。そして、HPゲージの横に、雷マークが点滅しているような。

うん。百パーセントの純度でデバフアイコンだな。

 

「都内有数の進学校に通う僕の審美眼による予想では、ナーヴギアの量子演算により脳内に直接アウトプットされたこの仮想世界において、プログラミングされたポリゴンデータの流動形オブジェクトであるこの水は、ズバリ、麻痺毒だね!」

「ギ、ギクッ!」

 

茶番劇を終えたのち、アレックスはすくりと立ち上がった。

それにしても、僕を麻痺状態にさせて、どうするつもりなのだろうか。まさか本当に、僕をフィールドのど真ん中に置き去りにするとか?それとも、アレックス自らの手で僕の命を摘むつもりなのだろうか?

想像すればするほど恐ろしくなってきたので、慈悲を乞う目つきで、アレックスをじっと見つめてみる。これでどうにか気が変わってくれればいいけど。

 

「そ、そんなに熱っぽく見つめられたら、恥ずかしいですよ……」

 

紅潮させた頬に手を当て、完全に破顔した顔で、少しだけ俯くアレックス。可愛い。いや、そうじゃない!

ま、まさか、襲うこともバッドエンドなら、話を逸らすのもバッドエンドだったとか!?じゃあ、何を選べばグッドエンドだったんだ……。

とにかく!どうにかこの場を切り抜けなきゃ、アレックスに殴打される事待ったなしだ!

だが、今から何をして何を話せばいいのかわからない事もまた事実だ。

どうしよう!どうしよう!どうしよう!

 

『無い頭を幾ら捻ったところで無駄だと思うけどなあ』

 

突然、僕の前に僕をそのままミニチュアにしたような、天使と悪魔の二人組が現れた。その内、天使の方が、本体である僕に、無駄に失礼な事を言い出した。

ねえ、僕の中の悪魔。この、羽の生えた虫けらみたいな奴の息の根をとめてくれないかな?

 

『あいよ』

『酷いよ悪魔!もう絶交だ!』

『そもそも、交流を持った覚えがねえんだけど……』

『どうしよう!明久は悪の心が強いから、僕が負けちゃう!』

 

なるほど。僕は正義の心が強いから、天使と悪魔が競り合うと、悪魔が勝つのか。

天使と悪魔が殴り合いを始めたが、確かに悪魔が優勢のようだ。むしろ、一方的と言っても過言ではないくらいには。

 

『チッ!こうなったら、僕の最終奥義を見せてあげるよ!』

 

お?天使が何か言い出したぞ。流石の悪魔も、その天使の言葉に動揺を隠しきれないようだった。

 

『超必殺技……だと?』

『喰らえ!目潰し!』

 

そう言って、天使は地面にあった砂を手に取り、悪魔の目に向かって投げつけた。当然目潰しが直撃した悪魔は、両目を押さえて、悶えながら糾弾した。

 

『ぐあぁっ!目がっ!テメェ天使!卑怯だぞ!』

『フンッ!正義の為の犠牲さ!』

 

確信した。僕の良心は悪魔だ。間違いない。

しかしながら、やはり筋力差は圧倒的だった。再三繰り返される天使の卑怯な手にもめげずに愚直に戦い続け、ついに悪魔は天使にとどめを刺した。

 

『ふふふ……ふはははははッ!例え僕を倒しても、いずれ第二第三の天使がお前達を殺しに来るだろう!それまで首を洗って待っているがいい!はははは────』

 

不吉な言葉を残して、天使は僕の視界から姿を消した。というか、どう考えても魔王の言である。

死闘を終えた悪魔は、急に倒れ込んで盛大に血を吐き出した。

 

『グハッ!……俺はもう此処までのようだ…………。達者で居ろよ。明……ひ…………』

 

そして悪魔は静かに息を引き取った。

 

「あ、悪魔────ッ!」

「だ、誰が悪魔ですかっ!」

 

おっと。意外な人の逆鱗に触れてしまった。随分と長い間、悪魔と天使の激闘を見ていた気がするが、アレックスの反応からして、どうやら一瞬の出来事だったらしい。

 

「い、いや。違うよ?僕はアレックスに悪魔って言ったんじゃなくて……」

「分かってます。そりゃそうですよね……。いきなり麻痺毒なんて仕掛けられれば、悪魔と罵りたくもなりますよね……」

 

まあ、それは確かにそうなので、敢えて否定はしない。

 

「だがしかし!これも全て、とある事柄への布石だったのですよ!」

「な、何だってー!」

 

何か良く分からないが、大仰な動作で驚いておく。

そんな僕の反応が気に入ったのか、アレックスは見事なドヤ顔で鼻を鳴らした。

そしてアレックスは三百メートルほど先にある洞窟を指差し、得意気な笑みを浮かべて言った。

 

「天よ驚け、地よ動け!これぞアレックスちゃんの最終目標!ライトさんっ!あそこの安全地帯で既成事実を作りましょうっ!」

 

頭がこれまでの人生で最も真っ白になった。




先ずは一つ謝罪を。前回の後書きで言及したアノ人ですが、見事に登場致しませんでした!ごめんなさい!
アノ人を出そう出そうと思いながら書いていると、いつの間にか七千文字を突破しておりまして、泣く泣く登場させることを断念した次第でございます!
次回には出る!多分!


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第三十八話「イチャイチャ…!?」

やたー!中間テストがおわたー!
思わず撥音便が抜けちゃう程嬉しさに打ち拉がれております。
でも、一ヶ月後には期末があるという鬼畜仕様。いやあ、世間は世知辛いですねっ!
というわけで、まず投稿です。



頭がこれまでの人生で最も真っ白になった。イヤイヤマテマテ。今、アレックスは何て言ったんだ?とっても魅力的な単語が聞こえたのは、僕の気のせいなのか?

兎も角、アレックスの言を頭の中で反復してみよう。そうすれば、僕の聞き間違いだと解る筈だ。

きせいじじつ……既成事実?どうしよう……やっぱり既成事実としか聞き取れ無い……。既成事実ってつまり、健全な男女が行うと言われている伝説のアレ?大人の階段を、ジェットエンジンでホップステップジャンプしちゃう奴?つまり、僕の推測が正しかったって事?

いや、そんな筈は無いだろう。そういう事は好きな相手とするものだ。僕とアレックスじゃ、そもそもの前提からして成り立たない。

じゃあ、アレックスが僕を好き?それも無いだろう。少なくとも、僕なら好きな相手に糸ミミズや超激辛生姜焼きを食べさせたり、麻痺毒入りの水を飲ませたりしない。

なら、考えられる可能性は、既成事実の意味が違うという事ぐらいだ。

うーん。やっぱり事故に見せかけた殺人の線が濃厚だろうか。確かに殺人なら、行ってしまえば既成の事実だ。

やだなあ。死にたく無いなあ……。

 

「ごめん……既成事実は出来れば作りたくないや……」

「なっ……まさか、そんな……絶対にOKを貰えると確信していたのに……」

 

残念ながら、僕は自らの死を快く肯定するような自殺志願者ではない。そんなのは、わざわざティアの横で女の子と喋るユウみたいなものだ。僕はユウほどバカじゃない。大事な事なのでもう一度。僕はユウほどバカじゃない。

 

「ああ……ライトさんの愛は何処へ消えてしまったのでしょう……。もしかして、ポケットの中にでも隠してるんですか?一回叩くと愛が二つって寸法ですねっ!」

「愛をビスケットに例えるのはいささか軽すぎるような気がするんだけど……」

 

そもそも、愛ってポケットに隠せる物なのだろうか?という事は、愛とは質量を持った物体として存在するということなのだろうか。そうなると、なるほど愛が重いというのは比喩でもなんでもなく、客観的事実の叙述という訳だ。

そんな、意味が無さ過ぎる思考を中断して、僕は『既成事実』について考える。

今のアレックスの反応からして、どうやら『既成事実』とは殺人を指す言葉では無いらしい。むしろ、今の反応で殺人の事だったとすれば、一体アレックスは僕をどんな人間だと思っているのだろう。すくなくとも、Mとかそういうレベルでは無い。

ダメだ。幾ら考えても埒が明かない。ならいっそ、アレックス本人に聞いてしまおうか。そう思い、僕はアレックスに訊ねた。

 

「ねえ、既成事実って具体的に何をするの?」

「そ、そんな事を女の子に聞いちゃうんですか!?」

 

何故かアレックスの顔は爆発しそうな程真っ赤に染め上げられている。

そんなに恥ずかしいがるような事聞いたかな?というか、堂々と既成事実って言っちゃう人が、内容を聞かれて口ごもるとは此れ如何に。

するとアレックスは、意を決したような顔つきで僕に向き直って言った。

 

「こ、子作りの事ですよぉ……」

 

穴があったら入りたいと顔に書きながら、アレックスは更にもう一段階顔を赤くして言った。

頭がこれまでの人生で最も真っ白になった。

あまりにも早い人生記録の更新に戸惑いつつも、僕は思った。え?マジで?よっしゃああぁぁあッ!と。

でも、本当にそういう事で納得していいのだろうか?僕にはどうにも、実は勘違いでした的なオチであるような気がして仕方が無い。

兎も角、もう一歩踏み込んでアレックスに聞いてみる事にしよう。楽しくなってきた。

感想を間違えた。これは決して、アレックスに羞恥プレイを強要している訳ではない。飽くまで、僕は真実が知りたいだけなのである。アレックスに恥ずかしいセリフを言わせて楽しんでいるなどという事は断じてない。

僕は真剣な眼差しを作り、少し低くした声でアレックスを問いただした。

 

「もっと具体的に、する事の内容を教えてくれないかな?」

「うぅぅ……。何で麻痺ってるライトさんが主導権を握ってるんですか……」

 

おっと。肝心なところに気づかれた。だが、ここで弱気を見せるのは完全なる愚行!一気に攻め立てる!

 

「質問の答えになってないよ?さあ、早く答えるんだ!」

「えっと……その……ちゅー、とか……」

 

数分前に声を大にして既成事実とか言ってたにも関わらず、消え入りそうな声音でアレックスは呟いた。

それにしてもチューとは、随分と当たり障りのないところから攻めてきたものだ。だけど、僕の猛攻はまだまだ止まらないよ!覚悟しろアレックス!激辛生姜焼きの恨みを思いしれ!

 

「ほら、他にもする事があるでしょ?」

「え?ちゅーの他にする事があるんですか?」

 

あれ?意外な反応だ。これまでの流れなら、ここはもっと恥ずかしがる場面だろう。

もしかして演技か?いや、アレックスが嘘をつけないことはとっくに知っている。

でも、この場合嘘をついてるとしか思えないし……。

うーん……取り敢えず、アレックスの質問に答えてみようかな。

 

「ほら、その……」

 

一瞬、続きを言うのを躊躇ったが、言いかけてしまったものはしょうがない。覚悟を決めて、僕は続く言葉を放言した。ええい、ままよ!

 

「セックスとか……」

 

ああ、ヤバイ。恥ずかしい。こんな事を僕はアレックスに強要して楽しんでいたのか。今更ながら何たる外道なんだ、僕。

というか、女子に言うセリフじゃないよなあ、これ。完全にセクハラだけど……まあ、アレックスだしいいや。

しかしアレックスは、僕の言葉に不思議そうに首を傾け、疑問形で言った。

 

「セックス?性別ですか?」

「ほえ?性別?」

 

何故だろうか。話が噛み合っていない気がする。何故いきなり性別なんて単語が出て来たんだろう。

取り敢えずもう一度、もう一度だけ確認してみよう。

 

「だって、子作りってつまりそういうことでしょ?」

「えっ!?子供って、ちゅーで出来るんじゃないんですかっ!?」

 

これまでの人生で最も頭が真っ白になった。またもや人生記録更新である。今日は厄日か。

しっかし、アレックスは本気で言っているのだろうか?子供の作り方を知らない女の子なんて、女子高生どころか、女子中学生にも居ないと思っていた。

というか、中学校の保健体育で習わなかったっけ?

僕の言えたことじゃないが、アレックスの学歴が心配になってきたので、取り敢えず訊ねてみることにした。

 

「アレックス。ちゃんと中学校に通った?」

「あれ?言ってませんでしたっけ?私、小学校も中学校も行ってないんですよ?」

 

ワァオ。義務教育とは何だったのか。

僕が放心していると、アレックスは慌てた様子で訂正した。

 

「ああっ!すいませんっ!言葉足らずでしたねっ!実は私、帰国子女でして、十六に日本の高校に転校してきたんですっ!」

「それでも義務教育は受けるものなんじゃないの!?」

 

それとも、僕が浅学なだけで義務教育が存在しない国もあるのだろうか?

 

「ああ、なるほど。そういう疑問ですねっ!大雑把に説明すると、そっちの国では、私立の小学校に通っておりまして、恥ずかしながら小五の時に退学させられちゃったんですよね〜」

「一体何をすれば小学五年生で退学処分を科されるんだ!」

 

男子高校生が教頭室を爆破しても退学処分にはならないのに!

 

「あれ?知りたい?知りたい感じですか?でもなあ、黒歴史だしなあ。どうしよっかなあ?」

「いや、むしろ恐ろしいから聞きたくないかな……」

 

そんな僕の言葉を、アレックスはブンブンと首と手を振って否定した。

 

「いやいや誤解ですっ!私はそんなに悪い事してないですよっ!まあ、説明すると長くなるんですが……」

 

なるほど、退学には事情があったのか。確かに、普通に考えて小学生で退学なんてただ事じゃない。

説明しようとするアレックスに、僕は真摯に耳を傾けた。

 

「それは、ラブリーチャーミングな敵役だった小学生の私が、遠足で迷子になっていた時の事でした」

 

どうやら小学生時代の彼女はロケット団だったらしい。

 

「何の敵なのさ!?」

「人類の」

「壮大過ぎる!」

 

するとアレックスは、辟易した顔で言った。

 

「なんなんですか?あんまり大声出さないで下さい。今は真面目な話をしているんですよ?」

「そう思うなら真面目な話にボケを挟まないでよ!」

「いいですね?これからはツッコミ無しですよ?」

 

いいだろう。そっちがその気なら、ツッコミ無しのボケの虚しさを教えてやる!

僕の沈黙を肯定と受け取ったのか、アレックスは説明を再開した。

 

「そこでまあ、遭難ついでにカエンタケでも採取して、クラスの男子の給食に混ぜ込んでやろうと謀りながら森の中を歩いてたんです」

 

カエンタケの毒性。

摂取後10分前後の短時間で症状が現れる。初期には消化器系の症状が強く、腹痛・嘔吐・水様性下痢を呈する。その後、めまい・手足のしびれ・呼吸困難・言語障害・白血球と血小板の減少および造血機能障害・全身の皮膚のびらん・肝不全・腎不全・呼吸器不全といった多彩な症状が現れ、致死率も高い。また回復しても、小脳の萎縮・言語障害・運動障害、あるいは脱毛や皮膚の剥落などの後遺症が残ることがある。(Wikipediaより抜粋)

 

当然ながら僕がカエンタケなんてキノコを知る由もないので、このアレックスの発言のツッコミ所がわからなかった。

アレックスは、どうやら早速僕が突っ込むと思っていたらしく、何の反応も示さない僕に不服そうにしながらも説明を続けた。

 

「……まあ、そこで一人のおじさんと出会ったんですね。そしておじさんは言いました。『愛莉ちゃんだね?おじさんと一緒においで』。言いながら、おじさんは私の手を痛いぐらいに強く握りました」

 

おおっと、まさかの展開だ。

森の中で歩いているなんて、精々くまさんに出会うくらいだと思っていたが、まさか『変なおじさん』に出会うとは。志村けんもびっくりである。

ところで、アレックスのリアル名は愛莉というのか。意味があるかは分からないが、知っておいて損は無いだろう。

 

「私のお母さんは常々『変なおじさんには金的をかまして逃げなさい』という金言を私に授けていましたので、その通りにして逃げたんです」

「うん。とてもアグレッシブなお母さんだね」

 

大声を出せ、とかではなく金的というのがミソだ。

 

「そして、命からがら逃げていると、運良く皆の所に戻る事が出来ました。しかしその現場は、何故か騒然としていました」

「アレックスが迷子だったから?」

「いえ、違います。実はその公園で傷害事件が起こり、とある男性が救急車で搬送される、その真っ最中なのでした」

 

あれ?オチが見えたぞ?

 

「その男性とは、まさに私が金的を入れた男性なのでしたっ!」

「だろうね!薄々気づいてたよ!」

「しかもその男性が、学校の理事長さんだったのですっ!」

「何が『私はそんなに悪い事してないですよっ!』だよ!悪い事しまくりじゃないか!純度百パーセントで自業自得だよ!」

「担任の先生が救出に来てくれるなら解りますよ?でもね、名前も顔も知らない理事長が来られても、ねえ?」

「自分を助けに来た人の事、全否定しやがった!」

「結果、理事長の男の人としての機能が使い物にならなくなったとかいう訳の分からない難癖つけられて、私は退学させらましたとさ。酷い話ですよね?」

「うん。酷い話だね。本当に可哀想だと思うよ」

 

理事長が。

 

「それからは、私は学校へ行かずに家庭教師の先生とだけ勉強しましたとさ。ちゃんちゃん」

 

そんなに軽いノリで流せる話では無いだろう。主に理事長の夫婦生活的な意味で。

しかしそう考えると、理事長の顔は覚えておかないと、いつの間にか失礼な事をしちゃうかもしれないな。えーっと、文月学園の理事長って……ああ、あの妖怪性悪ババアか。じゃあ大丈夫だな。僕はいつでも礼儀正しく接してるし。

僕が自分の素行を再確認した、まさにその時だった。僕らから少し離れたところから野太い悲鳴が聞こえて来たのだ。

切迫した雰囲気がひしひしと感じられる悲鳴に、僕とアレックスは、ほぼ同時に反応した。

 

「行きましょう、ライトさんっ!」

 

そう言って、アレックスは悲鳴の上がった方角へと駆け出した。

それに続き、僕も走り出そうと……あれ?身体に力が入らない。

その理由は、直ぐに見つかった。僕のHPゲージの横に燦々と光り輝く雷マーク。即ち、麻痺のデバフアイコンである。

 

「ちょっと待って、アレックス!麻痺ってる僕を置いてかないで!助けて!ヘルプミーーーーィィイイィィイイッ!




今回は新たな試みをしてみました。ハーメルン広しと言えどWikipediaより抜粋とも載せた小説は無いのでは?
いやホント、明久がカエンタケの説明し出すのも何かおかしいし、でもカエンタケの説明は載っけた方が良いよなあ、という葛藤の末の苦渋の決断だったんです!五秒は悩みました!
というか、またもやアノ人が登場しないという結果になってしまいました……。というか、そろそろ登場させなきゃなー、という事で、最後の展開をぶち込んだ感じですね。
それでは、次回をお楽しみに!


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第三十九話「風林火山」

最近、いろんな本を読み漁ろうプロジェクトを個人的に開催しているのですが、余りにも雑多に読み過ぎて、自分の書き方を忘れる始末。
特に強烈だったのが西尾維新。独特ここに極まれり、ただし職業はサラリーマン、みたいなっ!
ダメだ……僕にはみここちゃんを再現出来ない……。
それと、山月記もなかなか面白かったですね。あとは、宮本輝さんも読んでいて楽しかったです。いや、楽しかったは違うかな……。
感想を書いていくと終わらなくなりそうなので、この辺で打ち止めにしておきます。
まあ、これからちょっとづつ、いろんな作家さんのいいトコをちょくちょく拝借して、スタイルを確立していこうかな、と思っております。


「せえやぁぁああッ!」

 

凛々しくも可愛らしい気合いと共に、メイスによる必殺の一撃が深々と巨大蟻の腹を穿った。

颯爽と現れ、苦戦していたMobを一撃で粉砕した美少女に、男達はただただ唖然としている。

そして、先程まで虫型モンスターを見る事さえ嫌がっていたアレックスが、普通に蟻に攻撃した事に僕もただただ唖然としていた。いや、じゃあさっきも攻撃しろよ。体術スキルだけで体力を削り切ることがどれだけ大変だと思っているんだ!一匹のモンスターに最低でも十分かかるんだぞ!ふざけるな!

いやまあ、僕の個人的な愚痴は置いておくとして、そろそろ助けてくれないかなあ!いま襲われたら、僕ホントに死んじゃうよ?

と思っていたら、いつの間にかデバフアイコンは消失していた。アレックスは、ここまで計算して僕を置いてけぼりにしたのだろうか?いや多分、というか絶対僕が麻痺状態である事を忘れていただけだろう。

取り敢えず立ち上がり、アレックスと男六人のむさ苦しいパーティの方へと少し駆け足で近づいて行く。

すると、立たせた赤髪に赤いバンダナというなんとも派手派手しい出で立ちの男が、手に持った曲刀を腰の鞘に差し込みながら、真剣な眼でアレックスを見て堂々と放言した。

 

「俺と結婚を前提にお付き合ゴバハァッ!」

 

顔面に膝蹴りをかましてやった。

 

「い、いきなり何しやがんだ、おめぇ!」

「さあ、アレックス。この男は金的を入れる対象だよ!」

 

アレックスはポカンとしている。きっと、色々とキャパオーバーなのだろう。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 

そう言ったのは、赤いバンダナの男ではなく、少し小太りな槍使いだった。

 

「いまアンタ、この娘の事、アレックスって言ったよな?アレックスってまさか……」

 

発言から鑑みるに、どうやらこのプレイヤーは、アレックスの事を知っているらしい。

まあ、知っていて何ら不思議は無いだろう。アレックスは攻略組の中でも、元ベーダテスターである事を堂々と公言している事もあいまって、相当に名の知れたプレイヤーだ。

そして、当のアレックスはというと、自分の名が通っているという事態に、アレックスは喜色満面の表情だ。まあ、基本的に目立ちたがりだからなあ。

 

「ふっふっふ……そうですっ!この私こそ、攻略組きってのメイサー、百戦錬磨のアレックスちゃんですっ☆」

 

目から星でも出そうなほどのウインクをすると同時に、ファンサービスとでも言うかのように魔法少女モノみたいなポーズをしながらアレックスは言った。しかも裏ピース付き。

くっ!これはあざとい!というか、アレックスが可愛くなければ完全に痛い!いや、可愛くても若干痛い!

 

「うおおぉぉーっ!まさかこんなとこでアレックスちゃんに会えるなんて!」

 

おっと。ガチだった。

すると、今まで黙っていた他の男も、いそいそと懐から、何故か見覚えのある写真を取り出した。

 

「す、すいません!この写真にサインして下さい!」

 

またもやガチだった。

 

「ちょっ!何で私の写真持ってるんですかっ!」

 

おお!アレックスのツッコミだ!これはレアだぞ!

まあ、何はともあれツッコミの対象である写真が、ムッツリ商会印である事は伏せておこう。全く、迂闊な事してくれるなよ。もし女性プレイヤーにバレて、ムッツリ商会が取り壊しになったらどうしてくれるんだ。

まあもしバレても、アレックスは笑って済ましてくれるだろう。ホントに怖いのは優子だ。彼女は、オレンジプレイヤーになる事を厭わずに攻撃してくるのだ。不用意な発言で、死の淵に立たされた事だって一度や二度じゃない。

想像以上に峻峭な性格だからなあ、優子って。そして何故か、僕と秀吉にだけ当たりが強い気がする。これは自意識過剰だろうか?

アインクラッド有数の美少女、優子に別の意味で思いを馳せていると、あの赤いバンダナの野武士ヅラした男が決まり悪そうに声をかけてきた。

 

「まあその、何つーか、さっきはすまねえな。ジョークのつもりで言ったんたが、まさかツレがいるとは思わなくてよ……」

 

あれ、思ってたより常識人だな。そうなると、いきなり顔面に膝蹴りは、ちょっと悪い事しちゃったかもな。

いや待て、仮に冗談であったとしても、紐なしバンジーくらいの刑罰に値する罪悪だ。女子に告白では飽き足らずプロポーズするなど、度し難いにも程がある。

もしこの場に、須川君以下FFF団の屈強な嫉妬心を持った強者共が同席していたならば、このバンダナの男は、公平公正なる異端審問の場において、極刑を通達されていた事だろう。

ああ、同志達よ。何故、君達はSAOにログインしていないんだい?君達にもこの不幸を分けてあげたいよ。

 

「ついでってのもなんなんだが、おりゃクラインってんだ。んで、こいつらは俺のギルドの風林火山のメンバーだ。よろしく!」

 

と、いきなり自己紹介を始めたバンダナ男改めクライン。幾らいけすかない野郎だとしても、ここは礼儀として、僕も自己紹介した方が良いだろう。

 

「僕の名前はライトだよ。それと、もう知ってると思うけど、彼女はアレックス。こちらこそよろしく、クライン」

 

そう言うと、風林火山のメンバーは俄かに騒然とした。一体、何が彼らの琴線に触れたのだろうか。

 

「ライトってまさか……」

「だよな、やっぱり……」

 

なるほど、僕も攻略組の端くれだし、少しは名が売れているという事なのだろう。まあ、それはそれで悪い気はしないけど、ちょっと恥ずかしいな。

一体、僕はどのように思われているのだろうか。僕の特徴と言えば、体術スキルによる前衛支援だ。

となると、名前が知られる要因としては、素手で前衛に立つ男らしさ、とかだろうか?

そんな心持ちで、僕は風林火山の反応を待った。

 

「ああ、素手で最前線に挑んでるっていう、攻略組随一のバカだろ?」

 

穴があったら入りたい!くそ!名声に期待した僕がバカだった!

何故だ!何故そんな悪い方向ばかりに有名なんだ!

もう体術一本辞めようかな……。いやでもなあ……。もうちょっとで熟練度マスターできるしなあ……。でも、片手剣は熟練度百も無いし……。体術での戦闘スタイルも、結構確立出来てきたし……。

すると、クラインがリーダーらしく、僕の話題で盛り上がる風林火山のメンバーを一喝した。

 

「おい、おめぇら!こんなバカでも、一応は攻略組なんだぞ!表面上だけでも敬意を表しとけ!」

 

あれ?擁護されてる筈なのに、何故か激しく罵倒された気がする。まあ、気のせいだろ。

僕を擁護してくれたクラインは、少しの逡巡の後、僕の目をしっかりと見据えて言った。

 

「あのな、ライト。もし良かったらおれらとフレンドになってくんねえかな?攻略組のプレイヤーに、殆どフレンドがいなくってよぉ」

 

クラインに言われ、はたと気がつく。

そういえば、クラインなんて名前を聞いた為しが無い。ということは、きっと風林火山のメンバーは、この層からボス攻略に参加するのだろう。

そうなれば、攻略組にフレンドが居ないのも頷ける。

そして、ボス攻略において、フレンドが居ないという状況は、多少なりとも危険が生じる。

そう判断した僕は、快くクラインの希望に応える事にした。

 

「うん。それくらいならお安い御用だよ。いいよね、アレックス?」

 

そう確認を取る為に振り返ると、アレックスは首を横に降っている。そして彼女は、口パクでい・や・だと告げていた。

何でそんなに嫌なんだろう?僕はアレックスに近付き、小声で耳打ちした。

 

「どうしたの、アレックス?」

「私この人達苦手です」

「何で?良い人達だと思うけどなあ」

 

ノリ的な意味で。

 

「私のボケが通じません」

「フレンド申請送っておいたよ、クライン」

「ええっ!?酷いっ!私の意見全否定ですかっ!?」

 

それは意見じゃない。我儘である。

 

「おう。あんがとよ、ライト」

 

アレックスを無視しながら粛々と行われる遣り取り。

うーん。突っ込んであげた方が良いのだろうか?いやでもなあ、アレックスってツッコミ入れると調子に乗るタイプだし。

そう思っていると、アレックスも不承不承といった感じでシステムウィンドウを叩き始めた。

覚悟を決めたと言うべきか、ボケるのを辞めたと言うべきか。きっとどっちもだろう。

フレンド申請受理など一通りの操作を終えたらしいクラインが、メニューウィンドウから顔を上げながら言った。

 

「おめぇらのギルド、サーヴァンツってんだな。なかなか洒落た名前じゃねえか」

 

そう言われると、名付け親としては、鼻が高いと言うものだ。

いつも皆からバカにされてる分、ネーミングセンスぐらい褒められたってバチは当たらないだろう。

でもそういえば、ライトって名前も単純だってバカにされたんだっけ。きっとこの九ヶ月で僕のネーミングセンスも向上したのだろう。

思えば、もう九ヶ月も経ったのか。

九ヶ月で進めたのが二十五層というのは、多少落ち込まないでも無いが、まあ、全く進んでないよりはマシだろう。

それに、単純計算なら、三年後ぐらいには外に出られる筈だ。

……うーん。三年か……。結構気が遠くなってしまう。

それでも、もう四分の一なのだ。僕らは、着実に進んでいる。

レベル上げ。情報集め。ボス攻略。繰り返されてきたそれらは、ついに二十五回目に突入したのだ。

そう考えると、少しだけ拳に力が入る。そして頬が緩んでしまう。

こうして積み重ねられた数字が、僕の自信に、そして希望に繋がっているのだ。

いや、僕だけでは無い。二十五という『結果』は、アインクラッド全体の希望でもあるのだ。

このデスゲームに囚われた時、誰もが己の不運に絶望した。百層という、圧倒的なまでの数字に絶望した。

それでも、プレイヤー達は希望を捨てなかった。

ゲームクリアの為に立ち上がったプレイヤー達は一人、また一人と増えて行き、いつしかそれは、攻略組と呼ばれるまでの大集団を形成した。

そして、攻略組にはなり切れていないものの、いつか攻略組に入ろう、少しでもゲームクリアに役立とうと志す中堅プレイヤー達も確かに存在した。

眼前の男、クラインもその中堅プレイヤーの一人なのだろう。いや、だった、というべきか。

クライン達風林火山のメンバーは、既に狩場を最前線へと移しているのだ。それならば、彼らは立派な攻略組の一員だ。

確かに、少しばかり危なっかしいところはあるものの、先程悲鳴を上げたシンジ(フレンド申請窓に記載してあったプレイヤーネームだ)も、大きく体力を損傷してはいるが、ゲージカラーはいまだグリーンのままだ。

つまりは、アレックスの助太刀が無くとも、風林火山のメンバーだけで、先程の大アリには十分対応できた、ということなのだろう。

何故か感慨深くなってしまっている僕の気を知ってか知らずか、クラインはリーダーらしい精悍な面持ちで、風林火山のメンバーと何かを話している。

その姿に、何故か僕は、憧憬してしまった。

彼の佇まいの中に、僕には存在し得ない物が在る気がした。

自分でもよく分からない感情に戸惑ってしまう。いやむしろ、僕のどこからこんな感情が湧き上がってきたんだ。

僕は、彼の何に憧れたというのだろう?

まあ、彼は彼、僕は僕だ。隣の芝は青く見えると言うし、そんなに気にする事でも無いだろう。

そんなこんなで、ぼおっとしながらクラインの面持ちを追っていると、僕の視線に気付いたらしいクラインが、嫌な笑みを見せながらこちらに接近してきた。

 

「なんだぁ、ライト。おれを熱い視線で見つめてくれちゃってよぉ。もしかしておめぇ、ソッチ系か?だったらすまねぇな。おりゃそういう趣味は無えんだわ」

「黙りやがれ、このアゴヒゲ野郎!」

 

アインクラッドに来てまで、そんな噂を流されてたまるか!この話題は全力で終わらせてやる!

 

「だ、ダメですっ!ライトさんを変な道へ連れこまないで下さいっ!ライトさんは健全に女の子が好きなんです?」

「そこは疑問形しちゃダメだ、アレックス!」

 

その掛け合いを見て、楽しげにケラケラと笑うクライン。こいつ、ぶっ殺してやろうか。

ユウと通ずるものをクラインから感じ取りながら、僕は一応の親切心でクラインに訊ねてみた。

 

「攻略組にフレンドが居ないのなら、僕らのギルドの皆ともフレンドになっておく?フレンドは多い方が心強いでしょ?」

「おお!そりゃありがてぇな!是非御言葉に甘えさせてもらおうか」

 

満面の笑みで言うクライン。感情表現が豊かだなあ。

でもなあ、うーん。よく考えると、別にここまでする義理なんて無いんだけどなあ。

不透明な使命感に突き動かされながら、半ば義務的に僕は風林火山に提案した。

 

「じゃあ、僕らのギルドホーム寄って行く?そろそろ皆、攻略から戻って来る頃だろうし」

「おう。そうさせてもらおうか。いいよな、おめぇら?」

 

クラインの言葉に風林火山のメンバーは、攻略組の一角らしい力強さで首肯した。

 

 

そして、ギルドホームに到着。道中は、ものの数分である。

その理由は簡潔明瞭。サーヴァンツのギルドホームは、最前線である二十五層に構えられているからだ。

さらに穿てば、僕らの本拠地は、未だ賃貸だ。

その理由も簡潔明瞭。メンバー全員が納得する物件に出逢えていないのだ。

だからこそいまのサーヴァンツは、攻略が進む度、住まいを最前線に移しているのである。

まあ、そんな事はこの際どうでも良い。今重要なのは、こんなむさ苦しい男集団を連れ帰って来て、それをどう説明したかだ。

ノリと勢いでギルドホームに誘ってみたのはいいものの、よくよく考えると、ここまでする義理は全く持って皆無なのだ。

いやホント、何でこんな事になってしまったのだろう。

まあ、ここまで来て後戻りなど出来るまい。元々、ノリと勢いで始めた事だ。なら、最後までノリと勢いを貫き通すとしよう。

そして僕は、ドアの引き手に手を掛ける。ええい!ままよ!

 

「たっだいまーーー!」

 

おばあちゃんが言っていた。挨拶を元気にすれば、大抵の事は笑って流してくれるのだと!

 

「おう。おかえり、ライ……ブファッ!」

 

僕を迎え入れようとしたキリトは、何故か盛大に飲みかけのコーヒーをぶっ放した。

いきなりどうしたんだろうか。その疑問は、数瞬と経たずに解明された。

 

「な、き、キリト!?なんでおめぇがこんなトコにいやがんだ?」

「く、クライン、お前こそ、なんでこんな処に!?」

 

取り敢えず会話から読み取れることとしては、どうやら二人は知り合いらしい。




クラインって、どんな喋り方でしたっけ?
ぶっつけ的に想像だけで書いてみたんですが、もし違和感ぎあれば、ご指摘して頂ければ幸いです。


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第四十話「同盟」

おひさです。MUUKです。
暑い日が続く今日この頃。皆様はいかがお過ごしでしょうか。
僕?僕はですね、明々後日に期末テストを控えております。なんなんでしょうね、テストって。
一体、この世にテストは必要なのでしょうか。テストの為に詰めた知識に、幾ばくの意味があるのでしょう。
取り敢えず、言いたい事を簡潔に述べるとするならば、やっべぇ、だりぃ。


全員が、沈黙していた。

深い井戸に放り込まれたような静寂が、ギルドホームのリビングを包んでいる。

二人だけが驚愕し、他七人が状況を飲み込めずにいた。

そりゃそうだろう。キリトとクラインの二人が驚愕の声を上げて、それっきり両者向かい合って黙り込んだままなのだ。

二人がどういう関係なのかを知らない僕やアレックス、そして恐らく風林火山のメンバーにとっては、この状況を理解出来よう筈もない。

クラインとキリト。赤と黒。剣士と武士。

向かい合った視線の間に、幾つもの感情が去来し、交錯し、錯綜し、消えていく。

見つめあい、そしてキリトは、そっと、目を伏せた。

ダークブラウンの虹彩に翳りが差す。

クラインは、少し目を見開き、今までに見た中で──今まで、と言っても数時間程度の間柄だが──最も険しい顔をした。ぐっと、眉間に皺を寄せていた。

だがクラインが睨んでいるものは、キリトではなかった。

厳しい目をしているものの、その目が射抜いているのは、何か別のモノだ。言うなれば唯の勘だが、確信的にそう思えた。

無音が空間を支配する。

アインクラッド第二十五層の気候設定は春の筈なのに、粘ついた空気が、僕の手に汗を握らせる。

プラプラと頭上で揺れる、安っぽい電灯の愚鈍な光が、いまこの場に在する唯一の動的オブジェクトだ。

いや、もう一つ存在している。きっかりと時を刻む、掛け時計という名のアイテムが。

十数回、秒針が音を立てたところで、遂に口を開いたのはクラインだった。

 

「ああ、そうか、おめぇもサーヴァンツのメンバーだったって訳か」

 

キリトは、何も言わない。

僕達は、口を出さない。そのくらい、弁えている。

 

「うん。なんつーか──嬉しいもんだな。良かったよ。おめぇに、きちんと仲間が居て」

 

クラインの笑みは柔らかく、心の底から悦ばしく感じていることが伺える。

安堵が見て取れる表情に先程までの険しさは、微塵たりとも感じられなかった。

僕の主観だが、その笑みは友達に向けてというより、保護者として、みたいな感じがした。それでも、だからこそ、その言葉はキリトにとって『優しい言葉』である筈だ。それなのに──

なのに、キリトは苦悩の色を濃くしていく。まるで、そのクラインの思いすらも、自分に科せられた鎖であるかのように。

 

「でも、俺は……」

 

まず否定。逆説。

それだけで、キリトの想いの証左は、十二分だろう。

だけどクラインは、敢えて悟った風を見せない。きっちりとキリトの気持ちを理解しているだろうに、わざと、道化を演じてみせようとする。

 

「あんだよ、煮え切らねぇな。言いたい事が有るんなら、このクラインお兄さんにどーんと相談してみやがれ!」

 

大仰に腕を広げて、クラインは、茶化したように言った。

改めて、良いやつだなあと思う。

この行動は、全てクラインなりの配慮なのだ。

僕には、過去にクラインとキリトの間で何があったのかなど、知る由もない。だが二人の会話から、キリトがクラインに対し、罪悪感を持って接していることは、否が応にも見て取れる。

それでもクラインは、拒絶するキリトに歩み寄ろうとしている。普通は立場が逆だろうと思わなくもないが。

 

「俺は……はじまりの街でお前を見捨てたじゃないか!それなのに、俺はギルドに入ってのうのうと……」

「見捨てただぁ!?バカ言うな。おりゃおめぇに見捨てられた憶えなんて、これっぽっちも持ち合わせちゃいねぇよ。おめぇみてぇなガキンチョに見捨てられた日にゃあ、それこそ男が廃るってモンだぜ」

 

そして、はにかみながらクラインは言った。

 

「大体なあ。おめぇはあんとき、選択肢を与えてくれてたじゃねぇか。それを蹴ったのは、おれ自身の意思だ。恨まれこそすれ、おめぇを恨む筋合いなんざねぇんだよ」

 

クラインがキリトに向けた屈託のない笑顔は、その言葉が嘘偽りの無い本心なのだと語っていた。

キリトの伏せられていた目が、しっかりとクラインを見据えた。そして仄かに微笑み、瞼を閉じた。

その顔は、つきものが落ちたかのように澄んでいた。

 

「お前はホント、良い奴だよ。たった数時間、ソードスキルをレクチャーしただけの俺に、こんなにも真摯になってくれてさ」

「ったりめぇよ。おれたちゃ、ダチじゃねぇか」

「はは……臭いセリフだな」

 

キリトが小さく、自嘲的とも思える笑みを浮かべた。

 

「おめぇのニヒル臭さにゃ、到底及ばねぇけどな」

 

クラインの軽口に、キリトがふふ、と忍び笑いを漏らす。

それが反響したかのように、クラインもはは、と笑った。

二人の密かな笑い声が、僕らの小さなギルドホームに谺する。

僕の語彙では言葉に出来ないけれど、それは、とても大切な意味を持っている気がした。

二人は共鳴しながら、どんどんとボルテージを上げていく。

そして、黙していた空間はいつしか、クラインとキリトの、腹の底からの大笑いで満たされていた。

 

「あははははは!!」

「くははははは!!」

 

そんな二人を見ながら、僕は左隣のアレックスに話しかけた。

 

「これにて一件落着……で、良いのかな?」

「ですね」

 

そう言いながら、アレックスは柔和な瞳で、大声を出して笑う二人を見つめている。

 

「それにしたって、何がそんなに面白いんだろうね」

 

僕の言葉に、アレックスはふわりととした笑顔で応えた。

 

「ですね。でも、良いんじゃないですか。だって、お二人とも、本当に、楽しそうですもん」

 

言い終わり、アレックスは僕へと向き直った。

期せずして目があってしまい、どきっとなる。

そんな僕の気を知ってか知らずか、アレックスは僕の肩に、ちょこんと凭れかかってきた。心底、幸せそうな笑顔で。

ああ、可愛いいなあ。いつものはっちゃけた性格が直れば、もっと可愛いくなるだろうに。

 

「むっ!何故だか今、ライトさんに失礼な事を思われた気がしますっ!」

 

それと、コンスタントに読心術を発揮するのも辞めて欲しいな。ビビるから。

 

「な、何でそんな風に思うのさ?」

「勘ですよ。具体的に言うと、私の性格を矯正した方が良いと思われたんじゃないかと」

「はは!いや、まさかそんな……ねぇ?」

 

もうこれ、エクストラスキル『第六感』とか、そういうのじゃないかな?

そして僕は、故意にアレックスから目を逸らした。

にも関わらず、ウサギのような仕草で、アレックスは僕の肩に頬ずりしている。僕の肩は、そんなに心地よいのだろうか。無理は承知だが、ちょっぴり体験したくなってしまう。

キリトは、さすがに笑い疲れたようで、まだほんのりとした笑みを残しながら、口調だけは真剣に言った。

 

「なあ、クライン。もしよかったらなんだけどさ……」

 

少し、間が空いた。

微塵の笑みが失せた漆黒の剣士は、ぐるりと回りを見渡した後、赤髪の武士の瞳をしっかりと見据え、言った。

 

「俺たちと──ザ・サーヴァンツと風林火山で、同盟を組まないか?」

 

 

ギルド同士の同盟システムについて、僕は頭の中で知っていることを反復していた。

同盟を組むメリットは、まず、フレンドの欄により詳しく情報が載る事が挙げられるだろう。

通常のフレンドウィンドウには、フレンドの現在地、そして、フレンドのHP残量が表示される。だが、同盟ギルドのメンバーであれば、加えてリアルタイムでのパーティ構成、装備品、そして交戦中のモンスター名までも分かるようになる。

また、通常のフレンドへのメッセージ機能には百文字の字数制限が存在するのだが、同盟ギルドのメンバー相手の場合、その制限が解除される。

同盟を組む事で発生する変化は、だいたいそんなとこだろう。

これらをメリットと取るかデメリットと取るかは意見が別れるだろう。だが、僕の個人的意見としては、特に危惧するほどの事でも無いと思う。

それと、同盟システム自体にも相当な利便性が有る。それは、同盟締結の手軽さだ。

何とこのシステム。ギルドマスター二人の合意だけで発動可能なのである。

まあ、普通はマナーとしてギルドメンバーに確認を取るものだが、それでも、ギルドマスターの独断で同盟を結べることには変わりない。

そんなところで思考を中断し、知覚を仮装の現実へと戻す。

場は、僕らサーヴァンツのギルドホーム。サーヴァンツと風林火山、その総員が一同に会している。いつもならあり得ない人数が十畳ほどのリビングに密集しており、暑苦しい事この上無い。だが、この暑苦しさには理由がある。

まさに今、僕の眼前には二人のギルドマスター、ユウとクラインが相対し、議論している。議題は勿論、先程までの僕の思考内容である同盟についてだ。

結論から言ってしまえば、この赤髪にしてブサイクな二人のディベートが行き着く先は、九割方決まっている。何故なら、同盟に賛成こそすれ、反対する意義が存在しないからだ。

なのに中々決着がつかないのは、ひとえにユウが心配性だからである。

 

「だーかーら、こっちの手の内を晒すっていうのに、何の交換条件も無しじゃ、おいそれとOKなんざ出せるわきゃないだろうが」

「それこそ言ってんじゃねえかよ。こっちも情報開示するんだ。なら、どっこいどっこいだろ?」

「前提が間違ってるだろうが。アンタは俺らにお願いしている立場なんだ。だからこそ、こっちにメリットがなきゃ、わりにあわねぇんだよ」

 

ユウに言われて、クラインは首を横へ回し、キリトと目を合わせた。そのクラインの目線に、キリトは小さく頷く。

それを確認すると、クラインは頭を前に向けてながら言った。

 

「おめぇこそ間違えてるじゃねえか。この話は、そもそもおたくのキリトが言い出したんだぜ」

「じゃあ、アンタがそれに従う義理はねぇだろ。それでも同盟を組みたいんなら、そりゃアンタの我だぜ」

 

そう言われると、クラインは反論をピタリと止めた。恐らくは、反論しないのではなく、反論する材料が見当たらないのだろう。

もしキリトの後押しがなければ、とっくにユウの口車に言いくるめられているに違いない。

そんなクラインを睥睨しながら、ユウは目の前に置かれたグラスを煽った。ユウが嚥下している赤黒い液体は、血とも思えるような毒々しさを放っている。

実際は、十二層特産のカチの実ジュースなのだが、ユウが飲むと非合法的な何かにしか見えないから不思議だ。

ふてぶてしく足を組みながらそれを飲む姿は、さながら悪の帝王である。

その光景に、中腰で机に両手をつけながら睨みを利かせるクライン。こちらは、悪事を告発する正義の味方と言ったところだろうか。

そこで、ふと気がついた。この二人、一見すると鏡のような合同性を醸しているものの、実のところ全く似ていない。

容姿は奇跡的にマッチしているし、両者ともリーダーシップが強い。しかし、ラジカルな部分で性情に差異があるのだ。

簡単に言うと、あくどさとか、アタマの良さとか。

飲み干された空虚なグラスがコルク製のコースターへと、まるで槌を揮うように置かれた。

正面を直視したユウの表情は、そこはかとない獰猛さに満ちていた。八重歯をちらつかせながら、楽しげにクラインを見据えている。

その面差しに、何度となく救われ、嵌められた僕には解る。これは確実に、悪巧みを思いついた顔だ。

 

「なあ、クラインさんよ。このまんまじゃ、幾ら話し合っても決着なんざ付きそうにねぇし、どうだ。折衷案として、ゲームでもして決着をつけるか?」

 

そう言ったユウの口角は、どこまでも邪悪につり上がっていた。




気がつけばもう四十話です。はやいですね。
なのに、アインクラッドは未だ二十五層という事実。びっくりだよ畜生!
単純計算なら、終わるのに百二十話必要というね。もうちょっと、早く話を展開しようと思います。


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第四十一話「流麗なるサマーソルトキック」

待ってたぜェ!この瞬間をよォ!(不運と踊っちまうフラグ)
というわけで、今日、無事に終業式を迎えることができました!公立高校より一週間ほど遅い気がしますが、気にしないでおきましょう。
それと、一ヶ月くらい間をあけちゃってごめんなさい!ほんとはね、もうちょっと早く投稿する予定だったんですよ?でもね、親による携帯とパソコンの没収という、非道かつ残忍な目にあいまして、やっとこさ今日投稿出来た次第であります。
遅くなりましたが、お気に入り400件&通算UA6万ありがとうございます!これを励みに、ますます精進していく所存であります!


「はぁ!?ゲーム?」

 

ユウの提案がよほど意外だったようで、クラインは素っ頓狂な声を上げた。

かくいう僕も、何故ユウがゲームを話題に出したのか分からず、疑問符を浮かべてしまう。

 

「へぇ、ゲームか。そりゃ、えらく皮肉が効いてるな」

 

言いながら、キリトは楽しげな笑みを見せた。何が楽しいんだろう、コイツは。

 

「で、どうなんだ、クライン。ゲームで決着をつけるって事でいいのか?」

 

右手でグラスを弄びながら、ユウはクラインに詰め寄った。

すると、二つ返事でクラインは言った。

 

「おう。いいぜ。いきなりゲームって言われて、ちっと驚いたが、まあ議論に終止符を打つには良案だしな」

 

うんうん、と頷きながら、クラインは同意の意思を伝えた。

うん。ユウの思う壺だな。術中に嵌りまくっている。

なんて、偉そうな事を考えてはいるが、正直言うと僕自身、ユウの意図を掴み切れてはいない。

いや、それ以前に、実は僕、あまりこの同盟を組むか否かという議論に興味が無い。もっと言うと、ぶっちゃけどう転んでも構わない。

というわけで、僕としては、楽しく事の顛末を鑑賞するというスタンスでいる腹づもりだ。

クラインの返答に気を良くしたらしいユウは、しかし一切ポーカーフェースを崩さずに、この論争に王手をかけた。

 

「よし。なら、ルールの説明をしようか。やることは簡単だ。どっちが早く、『アックスビークの霊嘴』を取得出来るか、だ」

「アックスビークって言うと、二十層のシークレットボスか?」

 

ここにきて、やっとユウの思惑に得心いった。

アックスビークの霊嘴は、ごく稀にPOPするシークレットボスから取れる素材の中でも、ドロップ率1%以下という、超がつくほどのレア素材だ。

また、その嘴は、今ユウが作ろうとしている両手剣『ビヴレイション』の精製素材でもある。

つまりユウは、同盟締結に託けて、レア素材をクラインから搾取しようとしているのだ。

ゲスい。あまりにゲスい。魂とか、そういうレベルで腐ってるとしか思えないクズっぷりである。

こうなると、クラインに味方をしたくなるのが人情というものだ。

だが、当のクラインは、そんなユウの思惑に勘付く兆しを見せない。

 

「よっしゃ!ぜってぇ先に手に入れてやるぜ!」

 

クラインは拳を作り、掌をパンと打った。

気合十分な感じが、見ていていたたまれない。

どうしよう。ネタバレしてあげるべきなのだろうか。道徳的にも、僕の精神衛生的にも、その方がいい気がしてくる。

でもなあ、もしそうすると、議論が平行線に戻っちゃうし、ユウからもぐちぐち言われるだろうし……。

ああ、もう!迷っていてもしょうがない!ええい、ままよ!

 

「あのさ、クライン。きっと君は、ユウに騙されてると思うんだ」

「────なっ!?ライト、てめぇ!」

 

ユウの叫びを無視して、クラインに説明する。

 

「ユウは、新しい武器の作成にアックスビークの霊嘴が必要なんだけど、それを君から掠め取ろうとしてるんだよ」

 

クラインは、僕の言っていることを、イマイチ理解出来ていないようで、首を傾げている。

数秒後、やっと意味が分かったのか、小さくああ、と呟いた。

 

「なんだ、そういうことか。それならそうと言ってくれりゃいいのに」

 

へ?今、クラインは何て言ったんだ?

僕に解読の時間を与えず、立て続けにクラインは放言した。

 

「そうと決まりゃ、出来るだけ早くアックスビークの霊嘴ってのを取ってやらねぇとな」

「ちょ、ちょっと待ってクライン!僕の言ったことの意味、ちゃんと分かってる?」

「ああ、つまりユウは、武器の素材が欲しいって話だろ?」

 

バカにするな、とでも言いたげに、強い語調でクラインは言った。

 

「ええ、ああうん、そう……なんだけど……怒ってないの?」

「なんでおれが怒んだよ?まあ、めんどくせぇなとは思ったけどよ」

「めんどくさいって、どういうこと?」

「だってよぉ、素材が欲しいってんなら、そう言えばいいじゃねぇか。それで同盟が組めるんなら、おりゃ幾らでも取ってくるぜ?」

 

驚愕やら憐憫やらが、ごった返しにされたような、妙な空気が漂う。

そんな沈黙を破ったのは、以外なことに優子だった。

 

「……これは、酷いわね……」

 

たったそれだけ、ポツリと呟いた。

うん。ホントにその通りだと思う。何が酷いって、クラインを詐欺ろうとしたユウとか、それに対するクラインの純真さとか、色々酷い。

優子の言葉を受けて、ユウは苛立たしげに髪を掻いた。

 

「あーもう!じゃあこうしよう!二ギルド合同で、嘴取得ツアーの開催!文句あっか!?」

 

うん。善哉善哉。やっと自分の悪行を悔い改める気になったか。

これで、妥協点としては十分だろう。ユウは素材が欲しいし、クラインは、同盟を組めるなら、素材取りに助力してもいいと言っている。これにて、双方の利害は一致したのだ。

このまま和やかにお開き。という空気を、くつくつとした笑いでぶち壊したのは、根本改めボルト。

ボルトは、嫌らしい目付きで、憮然としたユウを舐めるように見回しながら言った。

 

「おいおいユウさんよ。こうなりゃ十八番の巧言も形無しだなあ?」

「うるせえ。黙れ、女装趣味のマッシュルームヘッド」

 

はい瞬殺。

ユウによる言葉の暴力で、ボルトは面白いように黙りこくる。

 

「ぷっ」

「あっ!テメェ、ライト!今、俺のこと見て笑いやがったな!?」

「違うよ。嘲ったのさ」

「余計悪いわ!」

 

最近、ボルトはツッコミといじられキャラが板に付いてきた。いい傾向だ。このまま、僕がいじられる機会をゼロにしてくれれば尚更良い。

 

「うっし。んじゃ、狩りは明日の朝一からって事で良いんだな?」

 

首を回しながらクラインは言う。

それを一瞥してから、ユウは俯きがちに嘆息した。

 

「ああ、それでオーケーだ」

 

そんな力無い返事で、サーヴァンツと風林火山の同盟結成集会はお開きとなった。

 

 

どこまでも続く深淵の闇。

墨汁を垂らしたように深く、靄の掛かった暗さは、ともすれば、心にまで忍んで来そうな程の濃度を誇っている。

遠ざけるように、僕は右手に握った松明を振った。

それでも、五メートルと離れれば、光は暗闇に溶けてしまう。

張り付くような粘ついた暗色には、まるで僕が大衆に晒されているような錯覚さえ覚える。

左右に反り立つ壁は、湿っぽい岩でしかない。定刻通りにポタリポタリと音を立て、岩窟の屋根は涙を落とす。

これが、アインクラッド二十層、洞窟フィールドが呈する様相だ。

外では、太陽が真上にある頃だろうか。そろそろ昼飯を食べたらどうか、と胃袋が提案しているのがその証拠だ。

ちなみに、僕らは四つの班に分かれており、僕の班は、秀吉、アレックス、優子の三人だ。

…………まあ、何と言うか。両手じゃ飽き足らず、頭にまで花を載っけてしまった感じだ。

なぜ班分けをしたのかと言うと、単純に効率が良いからだ。

アックスビークは、シークレットボスの中でも、それほど戦闘能力が高くないモンスターだ。

しかし、シークレットボスの常として、POPが異様に低確率なのである。

だからこその班分け。手分けしてアックスビークを見つけ出し、それぞれの班で討伐するという方策が、素材集めという観点において、最も効率が良いのである。

早朝からダンジョンに潜り、全班合わせて二回、アックスビークとの戦闘をこなしている。だがしかし、未だアックスビークの霊嘴は、誰のアイテムストレージにもドロップしていなかった。

言っておくが、僕らの班はまだ、アックスビークと出会えてすらいなかったりする。

 

「そろそろお昼にしましょっか、ライトさんっ!」

 

そんな事を、アレックスは唐突に言い出した。

いや、今がちょうど昼時なのだから、唐突でもなんでもないか。

それなのに、アレックスの発言を突然だと思ってしまったのは、根を詰め過ぎている所為かもしれない。まだ、アックスビークを発見する事すら出来ていないという事態に焦燥しているのだ。

だがまあ、適度な息抜きは不可欠だろう。腹が減っては戦は出来ぬだ。

 

「うん。じゃあ、お昼にしよっか」

「はいっ!今日のお弁当は鳥の照り焼きですよっ!あっ!あそこの岩に座って食べましょうっ!」

 

そう言って、アレックスはするりと腕を絡ませる。

所謂、腕を組んだ状態になった訳だが、ここで一つ問題が発生した。とどのつまり、アレックスの鎖骨下部、腹筋上部に存在する膨らみが、僕の肘に接触しているという事柄である。

 

「ちょっ!アレックス!当たってる!当たってるよ!」

「え〜?何がですか〜?」

 

楽しげな笑みと、意地悪げな瞳で、アレックスは白を切る。

ヤバイヤバイヤバイヤバイ。

今頃、現実世界の僕の身体は、心拍数の急上昇に伴い、自動ナースコールを発動しているだろう。

というか、何だ!この脂肪の塊は!柔らかい!めちゃくちゃ柔らかい!

僕の予測では、きっとアレックスはDだろう。知り合いで言えば、玉野さんと同レベルだ。

いや、何を冷静に分析してるんだ、僕は!

ああ、もうなんでも良いや。

お母さん。僕を産んでくれてありがとう……僕は、幸せだよ……。

 

「アレックス!アンタ、わざとやってるでしょ!」

 

飛びかけた僕の意識を、すんでの所で保ったのは、優子の凛々しい一喝だった。

 

「何がわざとだって言うんです?」

「アンタがライトにくっ付けてる駄肉の事よ!ライトだって困惑しちゃってるじゃない!」

「そんな事ないですよ。ねえ、ライトさん?」

 

一段と強く抱きつきながら、アレックスは僕の顔を覗いてきた。

いや、困っている筈が無い。この状況で困っていると言う奴がいたならば、そいつは十中八九変態だ。

だからこそ、この質問には正直に、否定の意を示さなければなるまい。

 

「ありがとうございます」

 

おっと、間違えた。お礼を言ってしまった。

 

プツン。

 

何かが切れた音がした。

絶対に触れてはならぬ逆鱗を、容赦なく踏みつけてしまったような、そんな音。

 

「そう。ライトは、胸を肘にくっ付けられて、お礼を言っちゃう程嬉しかったんだぁ……」

 

優子は、満面の笑みだ。

三千世界全てを救済せんとする、菩薩が如き微笑みだ。

ただし、目以外は。

 

「ちょっ!ちょっと待って、優子!話し合おう!話し合いで平和的に解決しよう!ほら!さすがの優子でも、カルマ回復クエストを受けるのはもううんざりでしょ!だから、ほら……」

「えいっ!」

 

今まで空いていた左腕に、微かな柔らかさが訪れた。

え?これ、どういう事?

優子が僕と腕を組んで……。

 

「ええええええっ!?ちょっ!優子!何してるのさ!」

「何?アレックスは良くて、アタシはダメなの?」

「いや、そういう訳じゃないんだけど……」

「で、どうなのよ。アタシと腕を組んだ感想は?」

 

飄々としたアレックスとは違い、優子は、熟れた林檎の色に顔を染めて尋ねてきた。

態度は強気なのに、目尻に少し涙が溜まってみえるのは、錯覚なのだろうか。

優子の語調から、何か切実な物を感じる。だからなのか。この問いには、思った事を、真摯に答えねばならぬ気がした。

 

「うん。貧乳も貧乳で良い物だね」

「…………し」

「し?」

「死に曝せええぇぇッ!」

 

地面に対し六十度で突き上げられたアッパーは、僕の鳩尾を清々しい程に痛打していた。

 

「ゴブファッ!」

 

身体全体が中空へと投げ出される。それでも尚、優子の連撃は無慈悲に打ち出された。

右足のハイキックを見舞われ、僕は天井に叩きつけられた。

そして、フルコースのデザートに待っていたのは、流麗なまでのサマーソルトキック。

 

「ライトさぁぁんっ!」

「はあ…………お主らを見ていると、頭痛が痛くなってきたわい……」

 

秀吉のおかしな日本語が耳に届いた頃には、僕の意識は暗闇へと落ちていた。

 

 

結局その日、僕らの班の予定は全て、優子のカルマ回復クエストへと切り替わった。優子にとって、八回目のカルマ回復クエストである。

幾らなんでも受け過ぎだと思う。

そして、肝心のアックスビークの霊嘴は、クライン達の班が手に入れたらしい。

これにより、風林火山は正式に、ザ・サーヴァンツと同盟を結ぶこととなった。




自分で書いてて思った事。

明久、爆発しろ!


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第四十二話「巨人の王」

今回の文章で、少々冒険をしてみました。
文章に気持ち悪さを覚えた方は、アドバイスをご教示いただければ幸いです。


 

びゅう、と。

凪いだ空間に、急な気流の変化が生じた。

隣に立つ優子の髪が大きく揺れる。

風は、驚くほど冷ややかに僕らを叩く。ともすれば、二十五層の気候区分は、春でなく冬だと錯覚してしまうだろう。

眼前には、豪奢に彩られた大門が屹立する。その両脇には二つの結び灯台が、闇の中で風に吹かれて消え入りそうに揺らいでいる。

 

「それじゃ早速、第二十五層ボス攻略戦を開始する!」

 

良く通る快活な声が、広場全体に谺する。その声の持ち主は、我らがリーダー、ユウだった。

僕らの居る大部屋は、総勢九十二人ものプレイヤーを内包している。

そこにいるのは、僕達サーヴァンツは勿論、リンド聖竜連合に、キバオウ率いるアインクラッド解放軍、クラインの風林火山も名を連ねていた。

第一層時、四十八人しかいなかった攻略組は、層を経る毎に着実に数を伸ばし、いまや二レイドをほぼフルレイドで組めることと相成った。

それを見て、少しだけはにかんでしまう。

 

「どうしたのよ。気持ち悪い顔して」

 

微笑を湛える僕を見て、優子は訝しげに尋ねてきた。

質問に添えられた言葉に、小さく気を落としながら、周りを見晴らすように答る。

 

「何て言うかさ……この光景が嬉しくってね」

「ん?……ああ、そういうこと」

 

数刻の後、得心いったらしく、優子は目から疑問の色を消した。

だが瞬く間に、優子の顔には懐疑が再燃していた。

 

「確かに、攻略組が増えたのは喜ばしいことかもしれないわね。でもそれって、プレイヤー全体の危機意識が低下している、とも取れるんじゃないかしら?」

 

なるほど。この状況を、そう捉えることも出来るのか。

優子の弁に従えば、プレイヤー達は、裡に少しの慢心を孕んでいるのだ。

だからこそ、危機感は薄れ、故に、彼らは嬉々として最前線に立っている。

この仮説は、反論の余地なく的確だ。

 

「あ、いや、そこまで真剣に考えなくてもいいのよ。水を差しちゃったかしら。ごめんなさい」

 

僕が余程深刻な顔をしていたのか、優子は焦燥を持って謝罪した。

 

「ううん、大丈夫だよ。いやむしろ、優子の方が僕より正しいと思うし」

「……そう」

 

力無く答えた後、優子は俯き、何も言わなくなった。

それを確認してから、僕は前方へと目線を向けた。

それから、信号が変わるくらいの時間ぎ経ったころ、服の裾が嫋やかに引かれた。

それに反応して右を向くと、優子は絞り出すように言を発した。

 

「……うん……ちょっと思ったことがあるから、この場を借りて言っておくけど……」

 

言いかけて、優子は口ごもった。

きっと言いにくい事なんだろう。

そう思い、僕は急かすことをしなかった。

続く言葉を待って、優子の顔を見つめていると、何故か優子の顔が湯だつタコが如く紅潮していくように見えた。

 

「どうしたの、優子。顔、真っ赤だけど」

「う、うるさい!こっち見ないでよ、このバカ!」

 

顔を眺めただけでバカ呼ばわりされる僕。酷い話である。

言われた通り目を外すと、優子はすーはーと、数度深呼吸をすると、思い切ったような声で言った。

 

「あのね、ライト。アタシが女の子だからって、別に気を遣わなくたっていいの、よ?」

 

優子は、微妙な疑問形で自らの言葉や締めくくった。

しかしそれは、ちょっと無理があると思う。

女の子に気を遣うなってだけでも厳しいのに、加えて優子はアインクラッドでも五本の指に入る美人だ。そんな相手と気兼ね無く話せれば、僕の女性遍歴は、ここまで苦労していない。

そんな思索を巡らせていると、優子は

 

「もう、いいわよ!勝手にしなさい!」

 

なんて大声を出して、そっぽを向いてしまった。

さて、どうしたものか。

取り繕おうにも、優子が何を考えて憤慨したのかも分からず、掛ける言葉が見つからなかった。

まあ、女の子とはそんなモノだ、と偏見の入った結論を付け、僕は前へと向き直る。

前方ではユウが、各ギルドのリーダー達と話し合いを続けていた。

現在、ボス攻略のレイドリーダーは、当番制で受け持たれている。

そして今回は、我らがリーダー、ユウがリーダーとしての命を承ったのだ。

ちなみに、ユウの基本的な戦略は、小を切り捨て大を得る、だ。だがらこそ、ユウが指揮をすれば、負傷者は多いものの、死亡者は一度たりとも出ていない。

だが、弊害も存在する。

何かと言うと、常に最前線に立ち続けるタンクやアタッカーからの評価がすごぶる悪いのだ。

それも当然だろう。ボロ雑巾のようにこき使われ、ローテ毎に死の淵に立たされるのだ。そんなの、使われる側としてはたまったもんじゃない。

だが逆に、ユウの立てる作戦は、同じように作戦を立てるリーダーには概ね好評なのだ。

その様は、僕らをよく思っていないあのキバオウでさえ、ユウの策略には口出しをしない、と言えば分かりやすいだろうか。

すると、当のキバオウが、攻略組全体に聞こえるように声を上げた。

 

「なあ、ユウはん。直前になるけど、もっかい今回のボスの情報、おさらいしといた方がええんとちゃうか?」

 

それを受けたユウは、予定調和のような二つ返事を発した。

 

「おう、そうだな。じゃあ、今回のボスについて分かってることを、もう一度復習するぞ!」

 

ユウはすっと息を吸い、地の底から響くような大声を出した。

 

「まず、ボスの名前は『Multus・rex』。その名の通り、巨人型のモンスターだ。

弱点は額。だが、地上五メートルに位置するので、無理に狙わないように。ノックバック時などに、着実に狙え。

ボスの得物はバカでかいハンマーだ。これと言って特殊能力は無いから、基本に忠実に立ち回れ。

リーチは短め。最大射程の攻撃でも、予備動作の場所から、三メートルしか範囲が無い。

珍しく、ボスの取り巻きは存在しない。だからこそ手抜かりなく、全員がボスに集中するように。

今回のボスは、今迄よりも一段高くステが設定されている。俺の予想なんだが、それはきっと、この層がアインクラッド全体のクォーターポイントに位置するからなのだと思う。

四分の一。俺達は、ここまで来た。

九ヶ月で四分の一という数字を、早いと思うか遅いと思うかは、個人個人のさじ加減だろう。

だがな。数字は嘘をつかない。

四分の一という結果は、今ここに歴然として存在している。

これは、俺達攻略組が研鑽した努力の大成だ!

今、この場に立つ事を許された者は、攻略組を置いて他に無い!

だからこそ、俺は思う。

真実、このゲームを『遊んで』いるのは、俺達だけなんだと!

だからこそ、このボス戦、思いっきり楽しんでやろうじゃねえか!行くぞ、皆!」

 

そして、ユウは瀟洒な大扉を開け放った。

そこにどんなアルゴリズムの悪戯があったのか。広場からボス部屋へと流れ込む追い風が、勇む僕らの背中を押した。

ユウの演説で、広場のボルテージは、天井知らずの様相を呈する。

それらのプレイヤーが一気にボス部屋へと流れ行く光景は、津波もかくやの有様だ。

彼らは各々に咆哮を上げ、鬨の声を掲げ、ボス部屋を血眼で見据えている。

その差中。集団の最先端を闊歩するのが、アインクラッド全プレイヤー中最速の、この僕となるのは自明の理だろう。

僕は、ただ走り抜ける。

門から玉座まで、およそ百メートル。実際時間にして三秒足らずで踏破可能なその距離がもどかしく、コンベアを逆流している錯覚にさえ陥る。

乗り出す脚には拍車が掛かり、瞳の奥には陽炎が灯る。

────瞬間。

ライトというアバターは、ただ走行するだけの機関となった。

光が如き疾駆の末、僕は王へと肉薄する。

だが、王は異端を忌み嫌う。

巨人の王は、己が領地に踏み込む痴れ者に、誅伐を下さんと覚醒する。

だが、その動きは愚鈍に過ぎた。

巨人の王が重い瞼を開くより疾く、両者の間は零となる。

撃鉄。そして跳躍。

王の眼前へと凡夫はその身を躍らせる。

我に意義は内包されず。

在するは攻撃。

ただ、その意識のみ────!!

腰の捻転と共に、右腕は炎熱に染まる。体術スキル『エンブレイザー』は、冷酷無比に王の額を撃ち抜いた。

弱点補正に初撃ボーナスが加わり、ムルトゥス・レックスは、僕程度の攻撃力で仰け反った。

刹那。

世界が、凍った。

 

「グルオオォォオオッ!」

 

王は猛る。

冥界(タナトス)を幻視させる咆哮は、理性でなく本能に、鬼気迫り訴えかける。

 

逃げろ逃げろニげロニゲロニゲロ────!

アレは、人智の測など歯牙にも掛けぬバケモノだ!

 

そんな警鐘が、脊髄反射という形で流れ来る。

ああ、そうだろう。確かに眼前の王は、死神に等しき存在だ。

だが、それがどうした。

その程度の恐怖なら、既に万を超えた自負がある。

本能に訴えかける恐怖?

笑わせる。

恐怖に駆られて逃げ惑うなら、僕が今、ここに立っている道理がない!

攻略組である意味が無い!

恐怖を理性で噛み殺し、僕は巨人の王へと食らいついた。

 

 

「うおぉぉおおッ!」

 

ボス部屋全域に同様の歓声が伝播する。

それは、ボス攻略が最終局面へと差し掛かった合図だ。

この瞬間、五本あったボスの体力ゲージが、最後の一本に到達したのである。

攻略は順調に進んでいる。

レイドの半分をタンクにするという、ユウの大胆な作戦が功を奏し、アタッカーの攻撃時間上昇、及び、前衛の高速ローテが可能となったのだ。

結果として、通常の三割り増しでボスの体力は減少を続けた。

 

「最後まで気ィ抜くな!堅実に、着実に、だけども派手にぶっ倒せ!」

 

ユウから諌める怒号が響く。

剣士達の殺気が、一息に鋭さを増した。

統制された動きは、一片の乱れ無く。

繰り出される剣戟は、氷結と灼熱の二律背反を内包する。

義務として。

権利として。

この瞬間、矛盾は矛盾で無くなった。

このデスゲームをクリアしなければならない。それが攻略組としての矜恃だ。

眼前の敵を打ち倒したい。それがゲーマーとしての欲望だ。

いま、刻苦は喜悦と等号を結ぶ。

鳴る剣戟が千合にも達しようというちょうどその時、ボスの身体には、一筋、二筋と亀裂が走る。

それはまるで、良く出来た壺を落としてしまったような感じだった。

巨人の裂傷は際限無く広がりを見せる。

大音響の炸裂音が、耳朶を打った。

瞬間────

 

「うおぉぉおおぉおおおぉぉっ!」

 

劈くばかりの叫び声。

えも言われぬ幸福感が、僕の心を包み込む。

勝ったんだ。ついに四分の一。この道程を後たった三度繰り返すだけで、僕らは現実へと帰還出来るのだろう。

いや、三度どころではない。これから、プレイヤー達は、もっと攻略に慣れてくる筈だ。

それにより攻略スピードは段々と上昇するに違いない。上手く行けば、二年とかけず第百層へと到達出来る……かもしれない。

まだまだ、取らぬ狸の皮算用ではあるが、その妄想はどうしても止まらない。

プレイヤー皆の力を合わせてグランドボスを撃破する。それはきっと、長く苦しい道のりだろう。だけども、得られる喜びは、何物にも代え難い財産となる筈だ。

そして、現実に戻れたなら、色んな人に会いに行こう。

まずは姫路さんや美波だ。いつものメンバーで、あの二人だけがSAOにログインしていない事が、僕の安心材料でもあり、心残りでもあった。

それと、葉月ちゃんにも会いたいな。あの年頃の子は、一年会わないだけで見違えるほど成長したりするし。

久保君にも久々に会ってみたいし、須川君達Fクラスのメンバーとも遊びたいな。

……まさか、留年してたりしないよね?

それに、姉さんや母さんとも……いや、あの二人はいいか。

ん……?

そういえば、リザルトメニューがまだ表示されていない。通常なら、モンスターを倒した十秒以内には、確実に現れるのだが。

訝しく思い、辺りを入念に視察する。だけども見えるのは、僕と同じく、疑問符を浮かべたプレイヤー達だけだった。

熱狂の感は薄れ、どよめきが放射状に広がっていく。その円の原点には、ボスの死体が……

いや待て!

何故、ボスの肉体がまだカタチを保っているんだ!?

その疑問に辿り着いたと同時に、ムルトゥスレックスの身体は、目を奪う閃光に包まれた。

 




僕はいつも、文章をiPhoneのメモ欄に書いているんです。
そして、今回のお話を二千文字くらい書いたところで消してしまうという大失態を犯してしまいました。
くそぅ……あれさえ無ければ、あと三日は早く投稿出来ただろうに……。


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第四十三話「守る」

SAOの最新刊が発売されましたね。
それに、キリトのステが付録としてついてました。
そして、愕然としました。
恋愛運が限界突破しているっ!?


それは、驚くほど自然に立ち上がった。

まるで初めからそうであったかのように。

まるで始まるのは今からであるかのように。

御身には傷一つ無く。

そう。それはちょうど、時が戻ったような。

唯一、以前との相違を挙げるとするならば、頭と腕の数がそれぞれ倍になったくらいであろうか。

 

「────グルウアァァアッ!!」

 

頭が二つになると声量も二倍になるのか。双頭の巨人は、雷声の如く空を震撼させた。

理性の流動が堰き止められる。誰もが状況を理解出来ず、棒立ちの有様だった。

打倒した筈の巨人の王。それが、双頭四手にパワーアップした挙句、体力を満タンにして立ち上がったのだ。これで、冷静でいられる奴の方がどうかしている。

だが、そのどうかしている奴が、プレイヤーの中には存在した。

 

「B隊、盾構えなおせ!その後ろにA隊とC隊で並べ!」

 

ユウの怒号が、ボスの挙動より数瞬疾く飛来する。

藁にも縋る思いで、プレイヤー達はユウの指示通り体制を立て直す。

一際甲高い金属音が鳴り響く。

それはつまり、盾による防御が成功したということだ。

安堵を覚えつつ、僕は前線へと駆け出した。

体制を立て直せたならば、ボスが更なるパワーアップを残していない限り、戦闘は安定する筈だ。

走りながら、右手をぐっと握る。

どこまで行っても、僕の戦闘スタイルはただ一つ。体術のみ。

それで出来る事と言えば、皆の援護だけなのだ。

故に、僕はそれを全力でこなす。

それが、勝利へ繋がると信じて。

自然と脚に力が篭る。

自らを奮い立たせ、僕は双頭の巨人へと一足飛びに移動した。

 

────合戦の最深部へと到達した時、僕は我が目を疑った。

拮抗していた筈のせめぎ合いが、ものの数秒で瓦解していたのだ。

このとき、B隊の持つ盾の半数が、大槌の威力の前に、為す術もなく破壊されていた。

 

「ローテェッ!!」

 

力一杯に叫ぶ。

僕の声を聞きつけたのか、後方でD隊が、一列になって走り寄って来る様が見てとれた。

だが、そんな助けを待っていては、命が幾つあっても足りはしない。

得体の知れぬ恐怖を抑え、僕は巨人の王との間を走破した。

双頭の王は、握り締めた大槌を、盾が破壊されたプレイヤーに振り下ろす。

まずい!

歯を食いしばり、間に合えと念じながらスキルの予備動作にはいる。

まずは、王の右腕に閃打を叩き落とす!

一瞬の跳躍。

僕の腕は、首尾よく巨大な腕を痛打した。

それで威力が減衰したのか、狙われたプレイヤーは剣の鎬で、大槌の一撃を防ぎ切った。

そこではたと気がついた。

そうだ。今、ボスの腕は四本になっているんだ。それはつまり、単純に攻撃回数が倍になる訳で…………

第二の右腕が、握ったハンマーを全速力で薙いだ。

 

「────かっ……はぁッ!」

 

物理法則の埒外に在る衝撃が、僕の身体に見舞われる。

それは、跳ぶ、というより、飛ぶ、という感じだった。

大槌を揮われた矮躯は、面白いようにぶっ飛んでいく。三十メートルの飛翔の末、アバターは陸へと降り立った。

慣性力が、大理石の床を爆音と共に穿つ。

体力残量を確認する。

瑞々しい青葉のようだったソレは、血の真紅へと変貌を遂げていた。

直ぐに腰のポーチへ手を延ばす。その中を弄って愕然とした。回復ポーションが残り二つにまで減少していたのだ。

たった二個の回復薬でほぼ無傷のボスと、僕はどこまで戦えるのだろうか。

元のボスの体力を全損させるまでに、僕はポーションを十二個も使った。今のボスには、単純に見積もって倍ほどの強さがある。

レイドリーダーが慎重派のリンドだったなら、時間はかかりこそすれ、使うポーションは七から八個程度だったろう。

つまり今回の場合、ユウの肉を切らせて骨を断つ戦法が仇となったのだ。

リーダーの方針がジリ貧の原因ならば、その状況がレイド全体に当てはまるのが道理だ。

今、殆どのプレイヤーは、激しい損耗に身を奴していることだろう。

となると、戦闘続行は難しい。残された選択肢は逃げる事しか無いだろう。しかし、それも不可能だ。

相手は、たった数合打ち合っただけで盾を破断する化け物だ。そんな相手に背を向ければ、どれほどの犠牲が生まれるかは、想像に難くない。

きっとユウも、僕と同じ結論に辿り着き、解決策を練っている筈だ。

かつて神童と呼ばれたあの男ならば、この貧窮した現状を、打破する一手を立案してくれる筈。

……いや、ダメだ!

そんな他力本願でどうする!

この闘いは、ユウのものである以前に、僕の闘いでもあるんだ。

だからこそ、思考停止をしてはならない。それは、死亡と同義にしかならない!

思考しろ、思索しろ、思案しろ!

全速力で解決案を導き出せ!

ぐるぐるぐるぐると、脳みそを掻き混ぜる。脳内領域を隅々までつつき回し、使える情報を引っ張り出す。

だが幾ら考えたところで、僕程度の知恵で思いつく策など一つしか無かった。いや、それは策というにはあまりに無謀過ぎた。

僕が全力でボスの攻撃を防ぎ、その隙に皆が撤退する。

つまり、ただの根性論だ。

バカ丸出しだとは分かっている。だが、それで良いと思う。

こういうのは決めた者勝ちだ。

出来るか出来ないかじゃない。

────よし。覚悟は決まった。やってやる。

す、っと仮想の空気を偽りの肺から押し上げる。

体力が七割まで回復したところで、僕は一気に駆け出した。

 

「────なっ!待て、ライト!」

 

僕の意図を汲み取ったユウが、悲鳴にも似た命令を出す。

そんなユウに、僕はアイコンタクトで、逃げろ、と送った。

一番賢い選択は、きっと、僕も一緒に逃げ帰ることなんだろう。

けど、それはしない。

いや、しないのではなく、僕には出来ない。

今、僕が逃げればB隊の面々はどうなる?

僕の身一つで救える命があるんだ。なのに逃げたら、僕は自分を許せない。

────意識は収斂する。

脳細胞が焼き切れそうな感覚だった。

急激な加速感。

僕が速いのでなく、周りが後ろへ遠ざかっていくようだった。

風景は色彩を失った。

僕の自己は失われた。

心象にあるものは、尚も濃度を上げる双頭の巨人が御身だった。

ユウが放つ命令も、今の僕には、微かな残響としか届かなかった。

そのよりよっぽど小さい筈の、巨人王の荒い鼻息が、耳元に音源があるかのように大きく響く。

一人佇む巨人の王は、今の僕には独活に見えた。

 

 

アタシの腕に、華奢な指が絡みついた。

数度、強めにぐいっと腕を引く。にも関わらず、その手は動こうとしなかった。

ため息をついて、アタシを掴む手の主を目線で辿る。案の定、そこには綺麗な黒髪を、ポニーテールにしたメイサーが佇んでいた。

 

「何してるの、アレックス?」

「優子さんこそ、一体何しようとしてるんです?」

 

アレックスは、いつに無く真剣な瞳と口調で、アタシをしっかりと見据えている。

瞳の奥は不透明で、アレックスが一体何を考えているのか、てんで分からない。

だからと言って、このままでは埒が明かないので、とりあえず質問の答えを正直に述べる。

 

「何しようとって……逃げようとしてるに決まってるじゃない。そういう命令なんだから」

 

先ほど、ユウはアタシ達に全軍撤退の命令を下した。

アタシは、ただそれに従っているだけなのだ。

 

「一つ、聞いてもいいですか?」

「ええ、聞くなら早くして」

 

意図せず、苛立ちの篭った語調になってしまった。

少し悲しげに目を伏せて、アレックスは小さく呟いた。

 

「優子さんは、あそこで一人戦っているライトさんが、どうでもいいんですか?」

「そんな事言ってないわよ。ライトが戦っている。だからこそ逃げようって言ってるの」

「それこそ、仰っている意味がわかりません!ちゃんと言葉にして説明してください!」

 

アレックスの瞳に怒りの色が宿った。

いや違う。宿ったのではない。今まで押し殺していたのだ。

これはただ、堪忍袋の緒が切れて、感情が露呈したに過ぎない。

アレックスを逆上させないように、アタシは出来るだけ淡々と意見を述べた。

 

「アタシ達は子供じゃないのよ。自分の命は自分で守りなさい。だからこそユウは全軍撤退を決定した。そして、ライトもそれは弁えている筈。

それを弁えて尚、彼は皆を守ろうとしてる。そしてアタシは、彼にそれだけの能力があると信じてる。

だからこそ、今ここで助けに入ることは彼への冒涜だと思うし、それでアタシ達が死んだら、何より彼が報われない。

これでも、アタシの言ってる事が理解出来ないかしら?」

 

後半へ向かうにつれ、少し喧嘩腰になりながらも、アタシは行動原理を説明した。

それに対し、アレックスは苦虫を噛むような顔をする。

 

「いいえ、分かりました。確かに、優子さんの言い分は正しい」

「なら……」

 

逃げよう、と言いかけた瞬間、被せるようにアレックスは言った。

 

「でも私は、私が間違っているとは思わない。どれほどの意味が無くたって、私はライトさんの所へ行きます。行かなきゃいけないと思うんです。

優子さんは、ライトさん一人でこの状況を打破できると言いましたが、私にはそうは思えません。彼はそんなに強くない。ヒーローになれるような力を持った人じゃないんです。

彼の力は、他人を支えるものであって、自分を守れるものじゃない。

だから優子さんは逃げて下さい。それが、貴方の決定なんですから」

 

そう言って、アレックスはアタシに背を向けた。

暫し、その背中を呆然と見つめる。

アレックスは、アイテムストレージからポーションを取り出し、腰のポーチに詰めた。

そうして、ライトの方へ向かおうと、アレックスが身体を前傾にした瞬間。

 

「そんな……なんで……!」

 

とにかく、彼女を止めなきゃいけないと思った。何故かは分からないけど、そう思った。

だから、止めようと思って言葉を発した。

だけども、言いたい事は、明確な言葉にならなかった。

アレックスは振り向いて、向日葵のような笑みで言う。

 

「なんでってそりゃ、私はライトさんが大好きですからっ!」

 

ボスへと駆け出していく彼女は、アタシにはあまりに眩しかった。

 

 

もう、数十分も攻防を続けている気がする。

でも、気がするだけだ。それは錯覚でしかない。

その証拠に、先ほどまで前線を張っていたB隊は、まだ門に辿り着いてすらいない。

それを確認し、視線をボスへと戻そうとする。

その途中。

僕の目はあり得ないモノを知覚した。

 

「アレックス!?」

 

瞬間。

痛烈な風切りを、電子の肌が知覚した。

上体を全霊で反らす。鼻先に大槌がかする。ただそれだけで、体力ゲージが目に見えて減った。

たが、そんな事に構ってられない。アレックスがすぐそこまで来ている。

何で!

どうして!?

ユウは僕の考えを理解して、皆を逃がしてくれた筈!

なのに、何故ここにアレックスがいるんだ!?

いや、いるものはいるんだからしょうがない。

きっとそれは、彼女の独断なんだろう。

なら僕は彼女に命令して、逃げ帰さなきゃいけない。

でも、だけど────

度し難い筈のその事実が

憤るべき筈のその行為が

僕には、堪らなく嬉しかった。

やっぱり心細かったんだろう。一人で強大な敵に対峙することが。どれだけ強がっても、僕は心の何処かで援軍を待ち望んでいた。

そんな待望の助っ人が、あのアレックスなのだ。これが嬉しくない筈が無い!

でも、だからこそ、僕は心を鬼にして言わねばならない。

帰れ、と。

アレックスは、僕にとって大切な仲間だ。

そんな相手を、みすみす死地へ赴かせる訳にはいかない。

 

「今すぐ逃げろ!アレ……」

 

剣戟。

いや、その何倍も重かった。

地響きとも取れる炸裂が、僕の横顔に殺到した。

それは打撃音。

死色の槌と、紫色のメイスが奏でる安息(レクイエム)

 

「余所見禁止ですっ!ライトさんっ!」

 

巨人のハンマーと比べれば小枝に見えてしまう武器で、アレックスは堂々と渡り合う。

その口元は、無邪気な子供のように笑っていた。

 

「さ、一緒に帰りましょっ!」

 

僕を討つべく振り下ろされたハンマー。それをアレックスは難なく退け、右手を差し伸べてきた。

うん、と首肯してしまいそうになる。そんな弱い自分を即座に否定した。

ダメだ。頷いてはいけない。

ここから、アレックスを送り返さなきゃ。僕はそのために、ここに立っているんだから。

 

「なんで来たんだ、アレックス!逃げろって言われた筈だろ!?」

 

巨大なハンマーを避けながら、僕はアレックスに怒鳴りつけた。

そんな喚きを物ともせずに、アレックスは笑顔で言う。

 

「だって、私が逃げたら、ライトさんが死んじゃうかもしれないじゃないですかっ!」

「……あ」

 

忘れてた。

皆を逃がすことに必死で、自分の逃げ道を作ることを。

もしアレックスが来なければ、僕はどうやって逃げていたんだ?

ボスを倒す?

論外だ。僕の攻撃力で倒すなんて不可能だ。

一気に逃げる?

無理だ。幾ら全プレイヤー中最速と言ったって、背中を見せた瞬間、叩かれるのがオチだ。

防御しながら後退する?

これが一番可能性があるかもしれない。だが恐らく門に辿り着く前に削り殺されるだろう。

そうか。アレックスは、僕が生きて帰れる可能性を、作りに来てくれたんだ。自分の身を犠牲にしてまで。

僕を助けに来なければ、アレックスは何事もなく逃げおおせただろう。それを諦めたアレックスの選択を、僕はどう感じればいいのだろう。

この後に及んで、まだ逃げろなんて言うつもりはない。そんなことを言えば、アレックスは怒るに決まってる。

だから僕は、素直に喜ぼうと思う。

アレックスがここに来るという選択をしたことに。

アレックスと共に闘えることに。

アレックスは、心底楽しげな笑みを見せる。いや、嬉しげなのか。

そんな感情の機微は、僕には感じ取れないけれど、ただこれだけは言える。

アレックスが、僕の仲間で良かった。

 

「行きますよ、ライトさんっ!初めての共同作業ですっ!」

「その結婚式みたいなノリ、いらないから!」

 

そんな軽口で互いに笑い合う。

アレックスが魅せた笑顔は太陽とも月とも比喩出来ぬものだった。

そうして僕らは、徹底防戦を開始した。




まさかこんなに二十五層のボス戦が長引くとは……。
自分では結構文章を削ってるつもりなんですけどね……。
まあ、次で終わる事は確かなんで、生暖かく見守って下さい。


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第四十四話「二番目」

四十四話ですってよ、四十四話!

縁起が悪いですね!


開けた空間に、撃鉄が鳴り響く。

会話する僕らを裂くように振り下ろされるハンマー。

僕らはそれを左右に散開しながら避けた。

次いで、僕の落下地点に揮われたハンマーを、持ち前のスピードで回避する。

アレックスを窺い見ると、紙一重で避け切れず、メイスで槌の軌道を逸らしていた。

接触部分に、火花のような紅蓮のエフェクトが散る。それと共に、黒板を引っ掻いたような金属音が響く。

少し嫌な想像が脳裏に過る。

紫に輝くメイスが、粉々に砕ける妄想。

実は、このエフェクトはただの演出ではなく、歴とした意味がある。

武器耐久値の低下。つまり、アレックスのメイスは、この火花を散らす度、崩壊へのカウントダウンを刻んでいるのだ。

出来るだけ早く終わらせねばならない。そんな焦燥に、必然として駆られてしまう。

途端、巨人が腕を大きく開いた。

この予備動作は、クロスチョップのような横薙ぎだろう。

腕が二本だった時に比べて、攻撃範囲は広くなってはいるが、構え自体は同様だ。

 

「アレックス!一気にバックステップで!」

「イエッサーっ!」

 

アレックスの掛け声と同時に、僕らは全力で飛び凌ぐ。

僕とアレックスで跳躍距離に差はあるものの、どうにか二人ともダメージ範囲を抜けることに成功した。

 

「そのままバック走!」

 

僕の指示に刹那の戸惑いも見せず、メイサーの少女はボスを見据えながらも、それとは逆に走りだす。

技後硬直を刹那で終わらせ、巨人は僕らに追いすがらんと巨体に似合わぬ速度で疾走する。

次なる巨人の一撃を、僕は避けて、アレックスはメイスで受けて凌いだ。

この時点で、門までの距離はあと五十メートル。

全速で駆ければ二秒といらない長さだが、今の僕らにはあまりに長い。

だが、泣き言も言ってられない。

僕らが生き残るには、この方法しかないのだ。

ただしそれでも、僕のポーションが足りるかどうかは分からない。

ふとしたミスで、一発でも攻撃を貰えば、それだけで回復薬は枯渇するだろう。

でも、たとえ僕が無理でも、せめてこのアレックスにだけは生きていて欲しい。

僕を助けるため命を張った、この優しい少女には。

そのために、僕は全身全霊を賭す。

僕の事なんてどうでもいい。

もとより助からない筈の命なのだ。それをアレックスの為だけに使おうと、誰にも咎められる筋合いはない。

双頭の巨人が、眼前のアリを潰すべく、巨大なハンマーを振り下ろす。

黒髪を靡かせる少女は、間一髪で、けれども華麗に槌を避ける。

それはさながら、月下に踊る妖精だった。

自然と活力が湧く。

アレックスと共になら、どんな障壁でも乗り越えられる気がした。

避ける。弾く。走る。

その繰り返しで、僕らはじりじりと後退を続けた。

ふと目線が合い、二人でニヤリと笑い合う。

その時にはすでに、門までの距離は、初めの三分の一となっていた。

いける!

そんな確信が芽生える。

少なくとも今のボスは、単調な動きを繰り返すだけのAIに過ぎない。

防戦に徹するなら、たった二人でも二十メートルを後退するくらい容易い。

 

「ラストスパート!行くよ、アレックス!」

「了解ですっ!」

 

疲労の色を欠片も見せずに、アレックスは明朗に答える。

四手の巨人は、全ての腕を大きく上げた。これは時間差付きの振り下ろしだ。

単純な打突ゆえ威力が高く、攻撃時間も長い厄介な技だ。

だが、盾で受けるならいざ知らず、今の僕らは逃げるだけ。そんな僕らにとって、これほど都合の良い技もない。

ボスが勝手に、時間をかけて攻撃してくれるのだから。

 

「これさえ回避出来れば、ほぼゴールだよ!」

「ええ、頑張りましょうっ!」

 

もうボスの攻撃を気にする必要はない。あとは、全速力で大門まで疾駆するのみだ。

身体を反転させる。

出口を正面に見据え、両脚に力を込めて、一気に駆け出す────!

 

その瞬間。

 

胸に、見慣れぬモノが突き刺さった。

例えるなら、アイスピックだろうか。

うん。ちょうどそんなだ。

アイスピックから柄を無くした感じ、と言えば分かりやすいかもしれない。

兎に角。そんな鉄の針が、僕の胸を深々と穿っていたのだ。

その傷口の周りには、血のライトエフェクトが滴っている。

あれ?

何でこんな物が刺さってるんだ?

いや、それ以前に、僕は何をしてたんだっけ?

あ、そうだ。

僕は、ボスと……

 

樽のようなハンマーが振り下ろされた。

右足が吹き飛ぶ。

体力ゲージが、ぐんぐんと減少していく。

 

…………ゃ

 

左足は打撃の余波で、半分以上が抉れている。

衝撃で空中に投げ出される。それはさながら、放り捨てられた人形のようだった。

差中、見えた。

門の側に、亜麻色のローブを着込んだプレイヤーが立っているのを。

フードを目深に被っているせいで、顔をきちんと確認出来ない。

身長は低く、肉付きが悪い。男か女かも判らない。

判然とするのは、邪悪に歪んだ口元だけだった。

その笑顔に、背筋が凍る。

 

……ぃゃ

 

そして、茫洋とした意識は、失われた理性を取り戻した。

だが、もう遅い。

空中で身動きの取れない僕は、ただこの身に王の揮う槌を受けるのみ。

もう出せる手は無い。

潰れた右足の、部位欠損ダメージのせいで、体力ゲージは綺麗な血色だ。

その横には、雷を意匠したマークがある。麻痺のデバフだ。きっと、ピックに麻痺毒が付加されていたのだろう。

時間差を持って迫る二本目の右槌は、誤謬なく僕を打ち据えるに違いない。

ああ、死んだ。

アレックス。

どうか、君だけは────

 

「いやああぁぁああああぁぁぁぁーーーーーッッ!!!」

 

紫電が、奔った。

 

法外な熱量を帯びたスパーク。

それが、堆く聳えるボスの巨体を、神経伝達すら超えた速度で丸焦げにした。

電光石火とはこのことか。

ボスの体力残量、実にその半分を、この一撃は奪い去った。

その発生源は、アレックスの手に握られた、紫色のメイス。

 

────あり得ない。

 

真っ先に浮かんだ思考がそれだった。

普通のMMORPGならば、メイスから電撃を出すのは、変ではあるが起き得ない事じゃない。運営がそう設定したのなら、まあ、納得できる。

だが、ここは『ソードアート・オンライン』なのだ。

剣が支配するこの世界で、魔法は、言うなれば究極の異端だ。

それを、アレックスは悲鳴混じりに使ってみせた。

何故!?

どうやって!?

そんな疑問を脳内で反復していると、浮遊していた僕の身体が、ついに落下を始めた。

考えるのは後だ。まずは着地を……。

アバターが動かない!?

ああ、そうか。ピックで麻痺ってたんだっけ。

そうこうしてる間にも、地面はどんどん迫ってくる。

全身で身構え、落下の衝撃に備える。

この落下ダメージで、体力が全損しなければいいんだけど。

 

「っと!大丈夫ですか、ライトさんっ!」

 

アレックスは、しっかりと僕をキャッチしてくれた。

お姫様抱っこだった。

女の子にしたこともないのに、女の子にされちゃってるよ。なんて場違いな思考を、頭を振って掻き消す。

 

「じゃ、ボスがピヨってる間に、さっさとトンズラこきましょうかっ!」

 

気丈な声音は、少しだけ震えているように思えた。

黒髪の少女を覗き見る。その目尻には、何故か水滴が溜まっている。

その表情は、余りに必死で直向きで、声を掛ける事さえ憚られた。

アレックスに抱かれながら、第二十五層ボス部屋を後にした。

その後味は、あまりに悪かった。

ボス部屋を出てすぐの大部屋で、まずは回復ポーションを嚥下すふ。

何とも言えない、微妙な空気が流れていた。

 

「えっとさ、アレックス……今の、何?」

 

僕は、俯きながらアレックスに尋ねた。

まず、これを聞かなければいけないと思った。

メイスから出た電撃。

あれは一体なんだったのか。

 

「…………っ………………」

 

問いの答えに聞こえてきたのは、嗚咽を噛み殺した声だった。

三角座りで顔を埋め、僕に涙を見せまいとしている。

 

「……アレックス?どうしたの?」

 

この質問にもアレックスは答えなかった。

啜り泣く音が、絶え間無く続く。

流れる水晶は、枯れる兆しを毛ほども見せない。

それがいたたまれなくって、僕は再度、泣き止む様子のない少女に問いかけた。

 

「助かったから、安心して泣いちゃったのかな?」

 

的外れもいいとこだ。

そんな事で泣くほど、か弱い女の子じゃない事を、僕は十分に知っている。

しかしその陳腐な問いへの返答は、意外極まるものだった。

 

「……ええ、そうかも……しれ、ませんね……」

 

ぐずりながらも、アレックスはそう言った。

ハンマーで頭を殴られたような衝撃だった。

予想が外れたからじゃない。

アレックスが、嘘をついた事が信じられなかったのだ。

このアレックスという少女は、どんな嘘も、絶対に潔しとしない性情の持ち主なのだから。

 

────いや、ちょっと待て。

僕は、何を根拠にそんな事を言ってるんだ?

出会ってまだ八ヶ月しか経ってない人の心情を、何故僕は断言している?

いや、違う。

出会って八ヶ月しか経っていない?

そんな筈は無いだろう。

僕はアレックスを、その前から知って────そんな筈は────でも─記オクが──記憶?─なに──出会ったノノノハSAOの中で───幼馴染で──コイビト?───え─何だ────こ──────れ─────

 

パシン

 

僕の頬を音源として、乾いた音が反響した。

 

「……ごめんなさい……でも、まだダメなんです……」

 

頭がクラクラする。

ここが現実なのか、夢なのかも区別がつかない。

そのせいで、アレックスが呟いた言葉は、僕の耳にとどかなかった。

アレックスは何事も無かったかのようにすくりと立ち上がり、僕に背を向けた。

 

「さっ!いつもの元気なアレックスちゃんに戻りましたよっ!一旦帰って、皆と合流しちゃいましょうっ!」

 

その言葉に少しの違和感を感じた。だが、今の僕には、それを摘発する気力も理性も残っていない。

 

「……うん」

 

無精な返事をする。

そんな僕の右手を、アレックスの白雪のような左手が握った。そのまま、親に連れられるように、ボス部屋から立ち去る。

攻略組と合流するまでの間、アレックスは一度も僕に、顔を見せようとはしなかった。

 

 

アインクラッド第二十六層のとある酒場で、その会話は行われていた。

 

「えっと……なにかしら、アレックス?」

 

アレックスの向かいに座りながら、優子が尋ねた。

双頭の巨人を、再建したレイドで撃破した翌日。優子は、アレックスにバーへと呼び出されたのである。

 

「んー。単刀直入に言いますとですね。優子さん。ライトさんのこと好きですよね?」

「ブファッ!?」

 

優子は、口に含めていたアイスココアを、ロケットのように吹き出した。

 

「は、はぁ!?アンタ何言ってんのよ!アタシがなんであんなバカの事を……」

「何か、反応がテンプレ過ぎてツマンナイですねー。もっとこう……本心を韜晦する気とか、無いんですか?」

「だ、だから!違うって言ってるでしょ!」

 

うー、と唸りながら、真っ赤になって否定する優子。

それを見て、アレックスは楽しげに微笑した。

 

「まあ、それは前提として……」

「だから違うってば!」

「はいはい。これから本題なんですから、邪魔しないで下さい」

 

一先ず反論を止めながらも、最大限の憎悪を込めて、アレックスを睨みつける。

 

「そんな可愛い顔しないで下さいよ。で、話って言うのは、他でもなく、ライトさんと貴女の事なんです」

 

優子の肩がびくりと震える。

また声を上げて否定しそうになった自分を、全力で押さえつけた。

繰り返しても埒が明かない。その言葉を頼りに理性を保つ。

ふと思った。

何故アタシはこんなにも、ムキになっているんだろう、と。

いや、彼女自身、もう答えは知っている。知っていて尚、それを受け入れていないのだ。

 

「優子さんなら、自分の気持ちは自覚している筈です。でも、前回のボス戦で、思ったんです。優子さんは、心の何処かでセーブをかけてるんじゃないかって」

「…………」

 

あまりに的確なアレックスの言葉に、優子は暫し呆然とした。

訝るような目で、アレックスをじっと見据える。

対するアレックスは、ニコニコとした笑顔を絶やさない。

何処と無く不気味なその表情の真意は、余人には預かり知れぬ物だった。

 

「で、何が言いたいの?」

 

跳ね除けるような声音で、優子は尋ねた。

何が嬉しいのか。アレックスは一層笑顔を強くする。

 

「まあ、簡単に言いますと、もうちょっと素直になってもいいんじゃないかな、って事です」

 

嘆息する。

やっぱりこの子は、何も分かっちゃいないんだ。

そう。優子は素直になっていないんじゃない。素直になる必要を感じていないだけなのだ。

そして言った。

 

「余計なお世話よ。アタシにだってね、色々考えっモンがあるのよ。……だから、まだその時じゃないってだけ!分かった!?」

 

紅潮しながらも、優子は念を押すように怒鳴りつけた。

その反応に、アレックスは数度、目をパチパチと瞬かせた。

そして、安らいだような、柔和な笑顔を浮かべた。

 

「ええ、それはもう」

 

喧嘩腰の優子を、アレックスの柔らかい笑みが受け止める。

優子は颯爽と振り返り、酒場のドアを開け放つ。

外に飛び出し、ふと思った。

何故黒髪のメイサーは、敵に塩を送るような真似をしたのだろうか、と。




今回で、アレックスの『正体』に関するヒントが、少しだけ登場しましたね。
まあ、たったこれだけのヒントで看破する方は流石にいらっしゃらないでしょうけどね。むしろ当てられたらビビります。


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第四十五話「乙女の花園」

現在、修学旅行で北海道に来ております!
という訳で、四十五話は、道東からお送りします!

えー、今回のお話はですね……。
あの…………何と言いますか……。
もし本文を読んでいて、頭痛や嘔吐感を感じた場合は、作者は一切の責任を負いません。
ご自分で、ブラウザバック等の対策を取りましょう。


────ぼんやりと見える。一人の人影が脳裏に浮かび、そして消える。また出る。その繰り返し。

ロゴスとパトスの境界を、形而上と形而下の水面を、行ったり来たりと揺蕩いながらも、逍遥していた影はゆっくりと此方に近づいてくる。

人型である事しか悟らせないその霞は、どうにもこうにも模糊として、遠近感さえ狂わせる。

もやが掛かっていたその人物は、次第に鮮明になっていき、輪郭から徐々にクッキリとした線を描いていく。

浮かんだのは、優しい笑顔。

太陽のように暖かい微笑みが、アタシの心を締め付ける。

地獄の業火も焼け落ちる程の、裡から発露した熱が、極上の笑みと合間って、アタシの心を非道く、甘く、溶かしていく。

触れたい。手を伸ばしたい。でもダメだ。それをしてしまえば、アタシの中の何かがどうしようもなく壊れてしまう。

そんな気がする。

気がするだけ。別に何も壊れたりなんてせずに、アタシの世界は徐な程単調に、滑稽な抑揚を付随させて、何の疑いもなく今日も明日も廻っていくのだろう。

いや、それはアタシの身勝手で思わせぶりな幻想か。こんな不合理で不条理な世界じゃ、アタシの生はいつか途端に終わりを告げること請け合いだ。

そも、『何か』とは何か。そんな事は考えても詮無い。『何か』なんてはぐらかさずとも、アタシは答えをしっている。

アタシは、往生際悪く産声を上げないソレを具体的なカタチに出来る。

でもイヤだ。認めたく無い。

だから『何か』と言ってみる。

だからアタシは、答えの得られた禅問答を無理矢理なまでに思考する。とっくに破綻し、矛盾した理論を交錯させる。

だが、見て見ぬ振りももう限界だ。理解したキモチを自覚しないなんて、バカバカしいにも程が有る。だからこそ、アタシは思考の駒を一つ先へと進めよう。

────まあとどのつまり、アタシは、どうしようもなく彼の事が好きなのだ。少なくとも、二人きりになると心拍数が二十ほど跳ね上がってしまう程度には大好きだ。

だが、アタシには、アタシ自身がわからない。そう。そもそも何故好きなのか。その理由が全くもってわからないのだ。

三層で命を助けられたから。

鎧の呪縛から解放してくれたから。

そんな理由は絶対に嫌だ。

そんなの、アタシは命さえ救って貰えば誰でも良いみたいじゃないか。いやまあ、実際そうなのかもしれないけど。少なくともそうで無いという自負があるのが困りどころだ。

だからこそ、アタシは彼だから好きになった、その確固たる理由が欲しいのだ。

面倒臭い女だなあ、という自覚はある。

原因究明。

過程証明。

既に手元に存する理由を、わざわざ探して何になる?

それは自分でもそう思う。そう思うけれどもそうじゃない。

アタシは、もっと、もっと、もっと、彼を好きになりたいのだ。一寸の迷いも、一厘の戸惑いもなく、心の底からただ単純に。

だからこそ、アタシは理由が欲しい。彼を好きな理由が。彼を好きでいて良い理由が。

そう思い、戸惑いながらも彼の笑顔に手を延ばす。

瞬間。アタシの意識は深海から急速に浮上した。

 

────ゴトリ、という低く鈍い音がした。蚊の鳴くような、と言えば言い過ぎかもしれないが、小さな小さな物音だった。何かと何かがお互い身を寄せ合うような、そんな響き。

それがアタシの、ついさっきまで閉じられていた瞼を押し上げた。

何と無く時計を見る。深夜二時。丑三つ時ど真ん中だ。

アタシの生活サイクルを鑑みれば、こんな時間にあんな小さな物音で目を覚ますなんて、万が一にしか有り得ない。まあ、その万が一が今なのだろうけど。

パーセンテージにしたら、れーてんれいいち。こんなもの、有って無いようなものだろう。

だがまあ、偶然なんてのは、想像以上に良くある事だ。たとえ万分の一だって、引いてしまえばそれが全てになってしまう。むしろ、この世の全てが偶然と言っても過言ではないとアタシは思う。

因果応報なんて言葉があるけれど、それは所詮結果論だ。因果の繋がりは、終点から見たときに起こる、自意識過剰な牽強付会に他ならない。

まあ結局、ままならないという事だ。

ふと、外を見た。窓から覗く月の光は、薄い雲に覆われて今にも掻き消えてしまいそうだ。輪郭だけ見れば三日月だろうか。

ああ────月が綺麗だ。

何の捻りもなく、只々、そう思った。日本人らしい風流心を、まさかアインクラッドに来てまで発揮してしまうとは。

十五夜でも無ければ、晴天でも無い。そんなごく普通の三日月が、今のアタシにはあまりに貴く思えた。

月は、たとえ雲に覆われていたってこんなにも綺麗なのに、アタシの心は靄がそのままくすみになっている。

何故か……何故かなあ。

ぼんやりとした月を眺めていると、ぼんやりとした思考が少しづつ彩度を増してきた。少なくとも、考え事を出来るくらいには。

重い瞼と鈍い頭で、兎も角こんな時間に起きてしまった理由を考察してみることにした。

偶然だとは言ったが、偶然だって必然だ。全ては起こるべくして起きた事。

何故ならば、この世界ではそれが事象の全てなのだ。

そもそもアタシは、偶然と必然が対義語だなんて思っていない。

人間が規定する偶然と必然の差異なんて、珍しいか珍しくないかの差でしかない。だって、神はサイコロ遊びなんてしないのだから。

まあ、取り敢えずは原因究明に尽力してみる事にしよう。

過剰睡眠?

緊張感?

それらはどうにも普遍的で、一般的で、抽象的で、万が一の理由たり得ない。

だからこそ、それらはアタシの早起きの原因ではないと断ぜられる。

今のアタシに必要なのは、万人に一人しか持ち得ない特異な理由なのだから。

それ以前に、アタシの睡眠時間はむしろ不足気味だし、緊張なんてさらさら無い。むしろ何に緊張したらいいのか分からない。

なら、演繹法は諦めて帰納法で思考しよう。アタシだけの理由を探せばいい。何か、アタシだけに当てはまるような条件を。それならば十分、アタシ固有の理由になる。

そうなると、まずは思考を遡らなければなるまい。

アタシは、小さな物音で目が覚めた。その前は……そういえば、夢を見ていたような気がする。

どんな夢だったのだろう。

なんと言うか、リアルな夢だった。いや、現実味は皆無だったが、明晰夢と言うか、胡蝶の夢と言うか、アタシの語彙では表現が難しい夢だった。

ああ、思い出した。そうか。

要は、先程までの見ていた(考え事)が、そもそもの原因だったのだ。

睡眠と思考は正逆に位置する。それらを同時に行っていたのだ。それなら、眠りも浅くなるのが道理だろう。

それが道理なら、思考内容を思い出すのも道理だ。

想起すふほど頬が火照る。

そして再び自覚する。

ああ、アタシは夢に見るまで彼に恋い焦がれているのだ、と。

うん。好きなんだな。アタシは彼が大好きだ。

なんだかこの気持ちは、妙にむず痒くて、心地よい。というか、楽しい。

いやでも、当然のように受け入れていたが、そもそも好きって何なんだ。愛って?恋って何なんだ?

よくよく考えてみたら、アタシはそれらを人生において、全く体験していない。

振り返ってみると、幾ら愛を囁かれても、幾ら恋慕を向けられても、アタシはそれらをチープで陳腐な絵空事だと一蹴してきた。

そんな感情は、アタシには縁のない物なのだと。

だけどいざ自分が恋すると、どうにも話が違うらしい。愛が何処までも恋しくて、恋は何処までも愛おしい。

そう。それこそ狂おしいほどに。狂ってしまいたいほどに。まさに動物の如く。

いや、それもおかしな話だ。そんな感傷は人間にしか宿らない。そう思えば、これも一種の人間賛歌だ。

だけどそれでも良いじゃないか。人間が人間を褒め称えて何が悪いっていうんだ。こんな安っぽいヒューマニズムに、誰も罰なんて与えないだろう。

そうだ。往々にして一向に悪くない。むしろ良い。

……………………。

くそぅ。こんなどうでもいい思考まで楽しいんだから嫌になる。何だと言うんだ。いつの間にアタシは、恋する乙女になってしまっていたのだろう。

恋をすると、こんなにも思考がバカっぽくなってしまうものなのだろうか。

 

「こんなキャラじゃないんだけどなあ……アタシ」

 

月明かりしか無い部屋の中で、独り言が哀しげに反響する。

ふと、寝室を見渡してみた。

今、アタシの視覚が捉えるのは、月光に照らされた自室の光景だけ。

ならば、アタシの世界は必然的に、この部屋のみに濃縮される。

パジャマ。ベッド。カーペット。壁。ぬいぐるみ。窓。空。

これが今のアタシの全て。

そう思えば、少しだけ気持ちが楽になった。この部屋に居る限り、アタシはアタシのままなのだと、そう思えた。

ああ、まるで赤子のような感情論だ。

そもそもだ。ホントにアタシの世界はそれだけなのか?そうじゃないだろう。視覚だけが世界の全てと断ずるなんて愚かを通り越して、滑稽極まりない戯言だ。

いやむしろ、人間にとっての優先順位は、目に見える物よりも心の方が上位の筈だ。

そして現在、アタシの思考を最も大きく占領している事項がある。それ抜きに、今のアタシを語れるだなんて、到底思えない。

アタシにとって何が一番大切か。

彼への思いに決まってる。

優しくて、温かくて、脆くて、強くて、儚くて、弱くて、硬くて、辛くて、甘くて、柔くて、苦くて、近くて、遠くて、清くて、明るい、十七年というアタシの短い生の総決算にするには十分過ぎるほどに、複雑怪奇、奇々怪々な感情だ。

ん。でも、ちょっと待てよ。アタシはこれまで恋をしたことが無いのに、この感情が恋かどうかなんてわからないじゃないか。

そうだ!これはきっと恋じゃないのだ!ただ、彼の事が気になるだけで……。

いや、無いな。それは無い。

むしろ、この感情が恋で無ければ、それこそアタシにはお手上げだ。

どうしていいのか判らない。

心に恋という形を与えられるからこそ、アタシは先人の知恵を借りられるのだ。

そう思うと、何故か無性に腹が立った。どういうわけか、負けた気がして仕方が無いのだ。アタシの十七年の全てが、彼という存在にひれ伏すだなんて、まるでアタシ自身が否定されているみたいじゃないか。

もしくは、最大の肯定なのかもしれないけれど。

でも、何に怒りをぶつければいいのか、何に対して負けたのか、それすら判然としない。アタシは何に怒っているのだろう。全く持って意味不明だ。自分自身で解らない事が、図らずもまた増えてしまった。

取り敢えず、物音の原因を突き詰める事にしよう。そうだ。不可解な問題は、一つ一つこなしていけば良い。

そう思い、ベットから重たい身体を起き上がらせる。

再度時計を見てみると、目が覚めてから、まだ秒針が半円分しか変化していなかった。

体内時間なんてモノは、本当に当てにならない。もう数十分は熟考していた気がするのに。

立ち上がった時、床はギシギシと音を立てながらも、しっかりとアタシを支えてくれた。まるで、アタシを励ますみたいに。

手をかけたドアノブは、深夜らしく、ひんやりと冷え切っていた。

 

「はあ……何考えてんだろ、アタシ……」

 

乙女思考と言うか、中二思考と言うか……。

結論。寝起きのテンションは怖い。




果たして、読み終えた方はいらっしゃるのでしょうか……。
まあ、自傷はここらへんにしておいて、今回も謝辞を述べさせていただきます。
通算UAが七万を突破いたしました!
皆様、日頃のご愛読、本当にありがとうございます!
御一読御一読が、僕の筆の糧となっております!
拙い文章ではございますが、これからも閲覧の方、よろしくお願い申し上げます!


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第四十六話「真夜中の逢引」

修学旅行が終わったと思えば、もう今週末には文化祭です。
マジで行事詰め込み過ぎだろ、ウチの学校。


草木も眠る丑三つ時。

靴紐をしっかりと蝶々結びする。ふう、と温い吐息を冷めた夜風に混じらせて、膝をパンと叩き、勢いをつけて立ち上がった。

瞬間。

 

「……何してんのよ、アンタ。こんな時間に」

 

背中越しに声を掛けられ、僕は肩をビクリと震わせた。表情筋を凝固させながら、恐々と首を回す。

そこに居たのは、ピンク地に白の水玉のパジャマを着た優子だった。

余剰した袖を掴みながら、懐疑的な視線を、今まさにギルドホームを出ようとした僕に投げかける。

 

「……え、えっと、目が覚めちゃって、ちょっと散歩にでも行こうかなって……」

 

会心とも思える急造の言い訳は、次なる優子の一言にいとも容易く打ち砕かれた。

 

「そう。じゃあアタシも行くわ」

 

ツンと澄ました表情で、優子は事もなげにそう言った。

予想だにしなかった同調に、堪らず驚声をあげる。

 

「ええっ!?いや、ほんとにつまらないよ?ただ、歩くだけなんだし!」

「別にいいじゃない。アタシも散歩したい気分なのよ」

 

反論を許さぬ語調の優子は、そそくさと自分の部屋に歩を進めた。恐らく、散歩の為にパジャマから外着に着替えるつもりなのだろう。

しかし、まさか優子に見つかるとは思わなかった。

いつもなら、皆の中で一番最後に起きるのに、何故今日に限ってこんな時間に目を覚ましたのだろうか。

 

「……うーん。どうやって優子を説得しようかな……」

 

目的無く発した独り言。しかしそれは、独り言の定義を果たしはしなかった。

 

「何で説得しなきゃなんないのよ?」

「うぇぇっ!?着替えに行ったんじゃなかったの!?」

 

見ると、優子の姿はいまだ寝巻きのままだった。

むっとした表情は、思わず頬を綻ばせてしまいそうな程に愛らしいが、その矛先が自分となれば話は別だ。

纏った殺気は、ただそれだけで飛ぶ鳥も窒息しそうな迫力を醸す。

 

「アンタが何隠し事てんのか知らないけど、早く言った方が身の為よ?アタシ、そんなに気が長くないから」

「はい、それは存じ上げております……」

 

完全なる無表情で、首と指を同時に鳴らす優子。完全にヤンキーのそれだ。

そのバックでは、アレスと阿修羅とシヴァが仁王立ちしている。

 

「で、言うの?言わないの?」

 

二択。

天国と地獄の二択だ。

 

「い、言わせていただきます!」

 

異常な迫力に気圧され、僕は高らかに宣言してしまった。

仏頂面を決め込んでいた優子が、表情を少しだけ緩めた。

また容貌が険しくなる前に、手短に説明する。

 

「ちょっと、レベル上げをしてて……」

「こんな夜中に?」

「うん……だって、ほら。僕のメインアームって、全然アタッカー向きじゃないでしょ?だから、皆より少しでもレベルを上げとかないと、迷惑がかかると思って……」

 

訥々とした語りが、伽藍堂の闇に反響する。

それを聞いた優子は、漫然と首を傾けた。

 

「え、何?それだけ?」

 

ちょっと恥ずかしい告白を、優子はたった一言で切り伏せた。

だから言いたくなかったんだ、畜生!

しかし、鼻で笑うと思われた優子の顔は、穏やかな微笑みに変わっていた。

 

「そっか、良かったぁ……」

 

何が良かったというのだろう。

少なくとも、僕にとっては何もよろしくないのだが。

とりあえず納得してくれたらしい優子へと、簡素に行ってきますを伝える。

 

「えっと、それじゃ、僕は行くから」

「ああ、うん。ちょっと待ってて」

 

そう言うと、檜色の髪を振りながら、廊下の奥へと消えて行った。

待て、とは一体どういうことなのだろうか。

そんな疑問を熟考すること無く、ぼおっとした視線で深窓の扉を見つめる。

数十秒後、その扉から物音一つ立てずに優子は出てきた。

その身体は、薄手のプレートアーマーが網羅し、腰には、闇夜に映える直剣が下げられている。

バリバリの『勝負服』だ。

 

「……何してるの?」

「え?だって、これから狩りに行くんでしょ?」

 

疑問がある事が疑問であるかのように、優子は当然の帰結を口にする。

だが、それは僕にとって目から鱗という比喩すら緩い凶事だった。

 

「えええっ!?優子も行くの!?」

「しっ!静かに!皆が起きたらどうするの!?」

「優子の方が声大きいよ!?」

 

そんな僕の糾弾は完全に受け流された。優子は腕を振り上げ、声高に言ってみせる。

 

「さあ、張り切って行くわよ、真夜中のレベリング!」

 

やる気満々だった。

何が優子をそうさせるのか、僕にはてんで理解出来ない。

優子は、鼻歌交じりに僕の背中を押す。上機嫌なのは結構なのだが、あまりにも理由が不透明なので、いっそ不気味ささえ感じる。

ギルドホームの扉を開け放ってすぐ、単純な問いがかけられた。

 

「ねえ、いつもは何層でレベリングしてるの?二十六層(ここ)?それとも一つ下?」

 

その問いに素直に答えた。それが地雷だとも知らずに。

 

「ううん。一人の時は十五層くらいだよ」

「………………はあ?」

 

優しげな笑みが、急速冷凍されていく。

威圧感が半端無い。

 

「ん?アンタ、バカなの?なんだってそんな効率悪い事してるのよ?」

「いやあ、それ以上の階層ですと、Mob一匹倒すのに、めちゃくちゃ時間かかっちゃうと言いますか……」

「ええ、そりゃそうでしょうね。なんてったってアンタはAGI全振りなんだもの」

 

頭を押さえ、嘆息する優子。

その悩ましげな表情に男として感じるモノはあるのだが、その憂いの原因が僕というのが困り処だ。

一際大きく深呼吸すると、唐突に、優子は僕へと何か光るモノを投げてきた。

慌ててキャッチしたそれは、よく見るが、一度も見た事のないものだった。

 

「ええっと……これって、どこの鍵?」

 

鍵。そう、鍵である。

閉じられた特定のドアを開く為の道具。

 

「アタシの部屋よ」

 

と優子は答える。

アタシの部屋?

アタシノヘヤ?

暗号か何かだろうか?

 

「ローマ字にするとatasinoheyaか……いや、このアプローチは違うかな……」

「何でIQテストみたいな事してんのよ?」

「え?だって、ちょっとしたクイズなのかなって。暗号を解けば宝箱の場所が分かる、みたいな」

 

優子は僕へと、マジかコイツ、と視線で訴えてくる。

何か間違っていたのだろうか。

 

「そのまんまの意味よ。アタシの部屋はアタシの部屋。お分かり?」

「え……てことは、ええええっ!?

何で?どして!?」

「そりゃ、アンタのビルドだと、ソロよりコンビの方が、圧倒的に効率良いでしょ?だから、アタシがコンビ組んであげるわ。で、その鍵使って、アンタはアタシを起こしにきなさい」

 

ああ、ヤバイ。

混乱した頭は、今にもはち切れそうだ。

つまり、優子はこれから毎日、夜には僕とコンビを組んでくれるって事なのか?

いや、それは嬉しいんだけど、何故僕が起こしに行かなくちゃならないんだろう。アラーム機能はメインメニューに備え付けられてるのに。

 

「えっと……普通に目覚ましセットして起きればいいんじゃないかな?」

 

その問いへの答えは、あまりに優等生らしからぬ発言だった。

 

「だめよ。二度寝しちゃうじゃない」

「そんな理由!?じゃ、じゃあ学校行ってた時はどうしてたのさ?」

「秀吉に起こさせてたのよ。だってアイツ、毎日毎日バカみたいに五時に起きて、発声練習とかしてるのよ?」

 

木下家での秀吉の扱いに涙が零れた。

うんうん。君も姉には苦労してたんだね、秀吉……。

 

「何で感慨深そうな顔してるのよ?」

 

探るような目つきで、優子は僕に問いかける。

僕の危機感知能力は、今度は迅速かつ敏感に反応してくれた。刹那の推敲を経て、力技で話を逸らす決定を下す。

 

「い、いや、そんな事無いよ!さ、行こう!夜明けまであと三時間しか無いんだから!」

 

全力の三割ほどの脚力を込め、僕は真っ直ぐに駆け出した。

 

「あ、ちょっと待ちなさいよ!」

 

僕を追う優子の跫音は、まるで鳥の羽音にも聴こえた。

 

 

……よし。よし。よし!

自然な流れで部屋の合鍵を渡せた!

しかも、毎日起こしに来てくれる特典付き!

ああ、顔熱くなってきた……落ち着け、クールアンドドライだ。

舞い上がるな。嬉しそうな顔は見せるな。恋愛は駆け引きらしいし、きっとそういう弱味は出来るだけ晒さない方が良いのだろう。

しかし、この男は何なのか。女の子が自室の鍵渡したんだから、もうちょっとテンション上がるそぶりを見せてくれても良いんじゃなかろうかっ!

それとも、普通の反応はこんなもんなのかな?アタシが自意識過剰なだけだったりして。

それとも、こういう事には慣れてるとか?

いや、この想像はやめておこう。ストレスマッハで胃がピンチだ。

コイツのテンションが通常運転なら、アタシも平静を装って、いつも通りの強気な上から目線で会話しよう。

 

「で、結局どこの層でレべリングすりゅ……」

 

噛んでしまった。

ライトは、珍獣でも見るかのような奇異の視線を向けてくる。

何だ、このやろー。やんのかボケェとは、口が裂けても言えないので、もう一度、同じ質問を繰り返す。

 

「だから!どこの層へ行くのかって聞いてんのよ!」

 

質問にしては、随分と口調が強くなってしまった。

だがそれでも威嚇効果は十分ではないらしく、ライトはいつものようなふんわりとした微笑みを湛えている。

 

「うん。優子とコンビが組めるのなら、そうだね……安全マージンを取れば一つか二つ下が適正かな?

でも、ちょっとアグレッシブに、最前線攻略でも良いかもしれない」

「ん。それじゃ、二十五層のレべリングスポット有ったじゃない?あそこに……」

 

いや、ダメだ。あそこに行けば、二人っきりじゃなくなってしまう。

効率の良い穴場は、深夜でもやはり何十ものプレイヤーが列を成しているのだ。

そんなところで朝まで順番待ちして、経験値溜めてを繰り返すなんて、ロマンもへったくれも無い。

 

「よし。じゃあ、あの狩場に行こうか」

「いや、待って!やっぱり最前線のマッピングにしましょ!そっちの方が、アインクラッド全体にとって良い筈よ!」

「なるほど、それもそうだね。じゃあこのまま、迷宮区に向けて出発しようか」

 

よし!

ライトが単純で良かった!

脇腹で小さくガッツポーズする。

アタシがそんな事をしている間にも、ライトは着々と足を動かしていた。小走りで、歩を進めるライトの横に立つ。

やはり身長が高い分、ライトはアタシより歩幅が大きい。それに合わせる為、自然と早歩きになる。

頭一つ違うのだ。ライトの顔を見ようとすると、どうしても見上げる形になってしまう。

ライトからすると、アタシの頭は肘を置くのに度良いくらいの段差なのかもしれない。

……何か嫌な例えだな。頭を撫でるのに丁度良いくらいの、にしておこう。

頭を撫でる、か……。

久しく撫でられてなどいない気がする。

ライトの力加減は如何な物なのだろうか。

うーん。ふんわりとしたナデナデも良いけど、力強くゴシゴシも……って、何考えてんのよ、アタシ!

頭を撫でるって!

恥ずか死するわよ!

いやでも、ちょっとでも良いから撫でてくれないものだろうか。そうだ。お願いしたら……

 

「うがー!」

 

先走った妄想を、自制の猛りで終息させる。

これだけならばファインプレーだろう。このまま放っておけば、遂にはアタシの口は撫でて欲しいと言い出しかねなかった。

だがしかし、アタシは失念していた。

叫び声として口に出したのだから、それは当然ライトに聞かれているという事に。

 

「ええ!?どうしたの、優子?何かあった?」

「だ、大丈夫よ!ちょっと色んな成分が、混ぜるな危険で玉砕しちゃっただけだからっ!」

「いやいや、絶対大丈夫じゃないよ!?言ってる事も支離滅裂だし、顔も真っ赤じゃないか!もしかして、熱でもあるんじゃ……」

「うるさい!こっち見ないで!大丈夫だって言ってるでしょ!大体、ここで風邪ひく訳無いじゃない!だから!アンタはとっとと歩きなさいっ!」

 

半ば殺気を籠めた眼差しで、たじろぐライトを睥睨する。

アタシの視線に気圧されたのか、ライトは、むぅと可愛らしい唸り声を出した。

 

「う、うん……まあ、優子が良いなら別に異論はないんだけど……」

 

釈然としない顔で、ライトは再度足を動かす。

なんとか誤魔化せただろうか。

いやでも、今ので絶対おかしな子だって思われたわよね……。この分の好感度、どっかで取り返さなきゃ。

でも、男の子ってどうすれば喜ぶんだろう……。

アタシの読んでた本では、『男なんて、押し倒せりゃこっちのもんだ!早いとこやっちまおうぜ、ブラザー!』とか言ってたけど、結局あの後、遼とタクミは別れてたし……。

いや、そもそも男同士のカップルじゃ参考にならないのかな。

いやでも、男女カップルの本なんて、読んだことないし。

TSモノだったら、シュチュエーション的には近いわよね?

いや、全然違うか……。

それ以前にアタシ、おかしな妄想しすぎでしょ。

ていうか、さっきから全然会話してないのよね。こっちから話題とか振った方が良いのかしら?

 

「ねえ、ライ……」

 

言いかけたアタシの唇に、ライトは右手の人差し指を当てて

 

「静かに!」

 

と小さく叫んだ。




遼とタクミなんて固有名詞が登場しましたが、某同人誌には『男なんて、押し倒せりゃこっちのもんだ!早いとこやっちまおうぜ、ブラザー!』なんてセリフは、一片たりとも登場しておりませんので、悪しからず。


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第四十七話「熱帯夜」

先週末に文化祭があったのですが、そこでEXILEを踊ってきました。
いやぁ、盛り上がる盛り上がる。
これぞ文化祭。これぞ青春。って感じでしたね。


ライトは、ピンと立てた人差し指を、アタシの唇に寄せ当てた。

それはきっと、静かにしろという合図なのだろうが、こんな状況で落ち着けるワケが無い!

唇に!人差し指!当てられた!

ぷにってなった!ぷにって!

何で!?何で無自覚にこういう事出来るの!?

アタシの唇を触った指で、ライトはアタシ達の来た道を指差す。そこには、数人のプレイヤーが談笑しながら遊歩する姿があった。

けど、そんな事はどうでも良い!

ともかく、何故そんな凶行に及んだのかを、この男から聞き出さなければ!

 

「ちょっと、ア……」

「ホントに静かにしてってば!」

 

ライトは、小声でまくし立てる。

そしてアタシの首に手を回し、自分の胸にアタシの顔を無理矢理押さえつけたのである。

?!!???!?!!!?

頭がショートした。

いやいや待て待て。冷静になろう。そして、しっかりとこの状況を吟味するんだ。

そうすれば、こんな事になってしまった原因も垣間見える筈。

アタシはライトに抱擁されている。

考察終了。

あれ?

解釈の余地が無い……。

ま、まあ大丈夫だ。ライトに抱かれるという経験は、前にも、体験したのだから。そう。あの件の鎧の時にも…………

いや、やっぱムリ!

あの時とは、状況とか心構えとか恋愛感情とかが違い過ぎるもん!

ああ、もういいや。開き直って堪能しよう。

ふふふ。ライトの胸の中、暖かいなあ。

ふふふ。あはは。

 

「良かった。気づかれなかった」

 

緊張の解けた溜息を洩らしながら、ライトはアタシを強く抱いていた腕を、ゆっくりと緩めた。

 

「え?何で?」

 

思わず聞いてしまった。

 

「いや、何でって何で?」

「ああ、分かった。次はあすなろって事なのよね?」

「ほぇ?あすなろってどういう意味?」

 

いや、マジで何言ってるんだ、アタシ。

ブンブンと頭を振って、お花畑になっていた脳内を整理する。

何はともあれ詰問だ。

ライトは何故こんな事をしたのか。

人が来たくらいで、アタシに抱き着く筈が無い。

むしろ、そうされたらこちらの心臓が保たない。

だからこそ、ライトには何かしらの理由が在る筈だ。そう思いたい。

 

「ねえ、ライト。あの人達がどうしたの?」

 

特に意識もせず聞いた。

そんなに重大な事だとも思わずに。

ただ、さっき通った人達と仲が悪いとか、そんな単純な理由なのだろうと考察していた。

だが、そんな安寧は、続く一言でぶち壊された。

 

「あいつらは、恐らく、犯罪者達の…………いや、殺人者達のギルドだ」

 

ジェットコースターのように、脳髄の熱が降下する。

あれほど激しかった恋の乱心は、無理解の混乱へと遷移していた。

多様な憶測が、脳裏を掠める。

殺人者のギルド。

それは、あまりに突飛な言葉だった。

ライトがそう言った意味も、そんなモノが存在する理由も、解釈すら及ぬ代物だ。

思考する事すら憚られるモノでありながら、それは本能的に度し難い。

過剰思考(オーバーロード)を迎える間際、齎されたのは、ライトの単純な推論だった。

 

「完全に予想の範疇は出ないんだけどね。一応、説明しておくと、あの集団の内、一人に見覚えがあったんだ」

「どこで?」

 

刹那の間隙も作らずに、アタシはそう切り返した。

それに対し、ライトも間髪入れずに答えを示す。

 

「二十五層のボス部屋だよ」

 

チクリ、と胸を刺されるようだった。いや、引っかかった骨が喉に刺突した、と言った方が正しいか。

無意識に伏せた虹彩には、どろりとした意識が篭る。

それは、言ってしまえば、とても簡単な感情だ。

アタシは、アインクラッド第二十五層のボス部屋に、どうしようもない心残りを置き捨ててしまった。

アタシはあの時、アレックスと一緒にライトを助けなかった。それ自体は正しい判断だと思う。全体の指示に従い、的確な行動を取ったに過ぎない。

だが、それは理性の上での話だ。アタシの本能は、ライトを置き捨て逃げる事など望んではいなかった。

なのに逃げた。

それは後悔すべき事なのか、それすらも分からないのだ。

ただ、攻略組プレイヤー達の波に飲まれながら、広間を後にした時。アタシは、自分が恥ずかしかった。

ライトを助けに行かなかったから────じゃない。

アタシは、アレックスが羨ましかったのだ。

いや、違う。そんな言葉で足りるほど、アタシが感受したモノは、清廉ではなかった。

そう。アタシは、嫉妬していた。

ライトの隣に立つアレックスを敵視していた。

アレックスはライトの為に、命を賭して闘いへと臨んだのだ。

彼女の、そんな尊い姿勢を顧みず、アタシの中に真っ先に産まれた感情が羨望であり、嫉妬であった。

それを自覚した時、芽生えたのは羞恥だった。

ああ、アタシは何故こうも醜い性格なのか。

男を助けに行かなかった女が、そうした女を恨んだのだ。

全く、救いが無いにもほどがある。

その後、アタシには、敵からの塩が叩きつけられた。

その時、吼えたのは負け惜しみ。

その時、感じたのは劣等感。

アタシの安っぽい自尊心は、ズタズタに引き裂かれた。

だからアタシは、形振り構わないのだと決めた。

女々しく引き摺るくらいなら、アレックス以上の事をすれば良い。そう。単純なことだ。

ライトの命を救ってしまえば、こんな感情とはおさらばなのだから。

そしていつか、アタシが本当に素直になれたなら、そんなアタシをライトが愛してくれたなら、その時は胸を張って告白しよう。

だから、アタシは今ここに居る。

ライトと共にする為に、重い瞼をこすり、部屋の合鍵まで譲渡した。

今のアタシは、恋する乙女だ。

ライトは、どんな風にアタシを想っているのか。もし今、告白すればライトは何と答えるのか。そんな妄想がたまらなく楽しい。

 

「…………って訳で、さっきのプレイヤー達は殺人ギルドだと思うんだ。……優子、聞いてた?何かボーっとしてるみたいだけど」

 

懐疑の視線に晒され、思索を一時停止する。

殆ど聞いていなかった……。

再度解説を請うべく、自失を呈したまま、徐に口を動かす。だが乙女脳の余韻は引いておらず、発した言葉は、あまりに素っ頓狂な物だった。

 

「……へ?いや、あ、当たり前じゃない!聞いてたに決まってるでしょ!」

 

前言撤回。

未だ自尊心は崩れ去っていないらしい。

全く聞いていなかったにも関わらず、聞いていたと豪語してしまうアタシって……。

だがしかし、断言した手前、聞き返す事も出来ないので渋々、勝手に脳内補完する。

恐らく、二十五層のボス部屋で、ライトは殺されそうになったか、それに準じた行為を受けたのだろう。

そして、ライトに危害を加えた人物が、先ほどの集団に在籍していた訳だ。

 

「あれ?それって結構マズくない?」

「うん。本当に何を考えてるんだろうね。アインクラッドで人をHPが全損すれば、本当に死んじゃうかもしれないのに……」

「そっちじゃなくて!」

 

アタシの無自覚な叫び声に、ライトはびくりと肩を震わせた。

はっとして、取り繕うようなセリフを漏らす。

 

「えっとね、当然そっちも心配なんだけど。ライトは実際に殺されかけたんでしょ?それで、何と言うか、大丈夫なのかなって……」

 

らしくないセリフなのかもしれないけど、こう言うべきだと思った。

全体よりも個を優先するというのは、アタシの中で、価値観の大きな変動が起こっているからなのだろう。

ライトは、面食らったようにアタシの顔を見ていたが、ふと……

 

「うん。心配してくれてありがとう。優子」

 

そう言って、アタシの頭にそっと手を置いた。その腕は、羽毛を弄ぶように、そっと動かされた。

俗に言う頭ナデナデである。

その状況にアタシが閉口したことは言わずもながなだ。

 

「ん……あれ?優子、ほっぺが赤くない?」

 

頭上に触れていた手は、こめかみを伝い、頬にまで降りてきた。

それに応じ、更に両頬が赤熱する。

必要のない呼吸が荒くなる。

ライトの一挙一動に、脳みそがくらりと揺れ動く。

ライトから発された言葉は須く、甘い蜜を注がれているような甘美さを伴っていた。

 

「……あ、いや、ちが…………」

 

逆らうように否定の言葉を発したものの、それは言語の体を成していなかった。

 

「いや?そっか、男にベタベタ触られるなんて、嫌だよね」

 

呟くと、ライトはゆらりと手を引いた。

母の腕から剥がされた、赤子のような感覚だった。渇きとも言うべき熱情の奔りが、アタシの身体を突き動かす。

気がつくと、ライトの手をしっかりと握っていた。

初めて、手を握った。

華奢に見える指は、実のところ巌のように鍛え上げられている。ありもしない脈動が、角ばった手の甲からひしひしと伝わる。

そしてアタシは、ライトの澄んだ双眸に、引き込まれるように言葉を発した。

 

「違うの。嫌じゃない。だから、止めないで」

 

思いがけぬ懇願に、ライトは男子にしては長い睫毛を数度瞬かせる。

たが、それも一瞬だった。

雪解けのような柔らかい笑みを作ると

 

「うん」

 

とだけ言って、アタシの頭を撫で続けた。

何故か、安堵の吐息を洩らす。

それは、嬌声であったのかもしれない。

ライトの肌に触れている。ただそれだけの事が、あまりに大事件で。

神様からの贈り物にも思えるような……

 

 

「違うの。嫌じゃない。だから、止めないで」

 

その請願は、突飛に過ぎた。

普段の優子からは、想像も許されぬ程しおらしく発せられた言葉。

その光景に、僕は種を付けんとする白百合を想起した。

なんだかんだ言っても、やっぱり優子も女の子なのだ。殺人ギルドなんて、無遠慮な発言が悪かったのかもしれない。

今の優子は、不安と焦燥に駆られ、思考すらもままならないのだろう。

僕が撫でるという行為は、幾らでも代替が利く嗜好品に過ぎない。だがそれでも、一時の清涼剤になるのならば、僕は優子の望みを叶えよう。

 

「うん」

 

と、承知の意を呟いて、僕は優子をゆっくりと撫で続けた。




今回のお話は、男性にとっては何気無い仕草でも、女の子にとっては大事件なんですよ、みたいな感じです。
男性の皆さん。一挙一動に細心の注意を払いましょう!


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第四十八話「ユニークスキル」

ところで、前回のあとがきですが、お前何様だよ的ツッコミを期待していた筆者でした。どうでもいいですね!


それは、二人きりのレベリングを始めて、三日目の事だった。

 

「あ、体術スキルがカンストした」

 

あまりに軽いライトの言葉。

それを聞いただけでは、『カンスト』という言葉はまるで日常の一コマであるかのように錯覚してしまう。

だがしかし、それは紛れも無く大事件だった。

何故ならば、何かのスキルの熟練度が千に達したという事柄は、アインクラッド全域を見ても未確認の事象だからだ。

つまりは、もしカンストしたというセリフが真実なら、ライトはアインクラッド初の快挙を成し遂げた事になる。

 

「ええっ!?ホント?ちょ、ステ画面見せなさいよ!」

 

思わす取り乱し、本来タブーである筈の他人のステータス画面を覗き見るという行為を犯してしまう。

だが、そんな事に構っていられるほど今のアタシは悠長でない。

そこには、スキル熟練度を示す紅いバーが、ゲージの右端まで達している光景があった。

つまりこの瞬間、ライトはアインクラッド史上初にして唯一の、スキルマスターとなったのである。

なのに……

 

「なんでアンタそんなに冷静なのよ?」

 

当のライトは、涼しい顔で自らのステータスを閲覧している。

 

「え、いや、だって、僕はステータス画面を見れるから、もうそろそろマスターするなっていうのも分かってたし」

「あ!そういえばそうじゃない!じゃあ、もうちょっとでマスターするってアナウンスしときなさいよ!めちゃくちゃ驚いちゃったじゃない!」

 

考えてみれば当然だ。事前に把握しているならば、凡ゆる事は驚嘆に値しない。

 

「というか、これ言いふらしたら、一躍有名人になるわよね?それはそれで面白そう」

「そんな事する気は無いよ……って、ええ!?何だこれ?」

 

突如としてライトの口から、明らかな驚愕が洩れた。

 

「なになに?どうしたの?」

 

あまり期待せずに聞き返す。

スキル熟練度のマスターを超える事件など、なかなかどうして起ころう筈も無いからだ。

だがしかし、ライトが発した次なる言葉は、予想の遥か斜め上を飛んでいた。

 

「スキル欄に、エクストラスキルが出てる……」

「えええっ!?」

 

正に青天の霹靂だった。

現在、アインクラッドで発見されているエクストラスキルは、片手で数えられるほどしかない。

ライトのメインアームである体術スキルもその一つだ。

そして、そのどれもがクエストクリア時の報酬という条件なのだ。

スキル熟練度の達成具合で新スキルが出現するなど、アタシどころかムッツリーニやアルゴすらも知り得ない情報の筈だ。

強烈に関心誘うその現象に、喉から手を出すが如く詰問する。

 

「で、どんなスキルなのよ?」

「えーっと……名前は『拳術』スキル、だってさ」

「ふうん、やっぱり体術の派生っぽい名前なのね」

 

平凡な感想を口にして、更なる情報をじっと待つ。

だが、程なくして与えられたモノに、アタシには拍子抜けの一言しかなかった。

 

「使える技は、今のところ一つだけだね。『封炎』。技の動きは、ただの正拳突きかな」

「え?それだけ?」

「うん。それだけ」

 

何と言った物か。返す言葉が見当たらなかった。

はっきり言おう。ショボイ。

ここまで期待させておいて、普通のパンチでは、ちょっと情けない。

恐らくこれから、熟練度が上がるにつれ技も増えていくのだろうが、その第一歩がこれでは心もとないにもほどがある。

そんなアタシの思考を遮るように、ライトは新たな発見を提示した。

 

「モーション時間は……0.2秒か。早いな。威力は……120!?」

「120か……体術にしては高いわね」

 

120と言えば、片手直剣の初期単発技ほどの威力だ。体術だけで叩き出す数値としては、相当に高い数値なのだろう。

まあ、そのぐらいの特典はあってしかるべきだと思う。そうじゃないと、スキルマスターになった意味がなさすぎる。

だが、当のライトの熱感は、傍観するアタシよりも劇的に高い物だった。

 

「高いなんてもんじゃないよ!体術スキルの最上級技と同程度だ。それに、予備動作に要する時間が極端に短い。たぶん、舟撃や閃打と交互に使えば、無限コンボも可能なくらいにね」

「でも、攻撃中に相手から反撃を受ければコンボは途切れるんでしょ?」

「うっ……まあ、それはそうなんだけど……」

 

図星だったらしく、ライトはむぅ、という唸り声を発した後、消沈したように俯いた。

そんな姿に、庇護欲と嗜虐心と罪悪感が同時に擽られる。

が、そんな感情を蹴り飛ばし、好奇心に従った提案を示す。

 

「何はともあれ、一回使ってみたらどうかしら?『封炎』なんて、厳めしい名前してるんだし、もしかしたら炎のエフェクトとか出るかもしれないわよ?」

 

冗談交じりのアタシの言葉を、ライトは真に受けたようで、

 

「炎か。出るかもしれないね」

 

なんて同意を返した。

いや。SAO内には魔法が無いのだから、エフェクトでもなんでも炎なんて出る筈が無いのだけど……。これまで、攻撃エフェクトで炎や雷が出た話なんて、聞いたことが無いし。

少々純真過ぎるきらいがあるライトのセリフに胸を和ませながら、『封炎』スキルが発動するのをじっと待つ。

その期待が伝播したのか、ライトは一層、メニューを操作する指の動きを鋭くさせる。

スキルのセットが完了したライトは、虚空をひしと睥睨した。

腕を腰上まで上げる。拳を万力が如く絞め上げる。

刹那。

光速と紛うほどの打突が、ライトの洗練された拳より放たれた。

炎のエフェクトこそ発生しなかったものの、烈火を想起させる一撃であったことは間違いない。

気がつくと、アタシはライトに賞賛の拍手を送っていた。

 

「うん。何か、カッコ良かったわよ。ホントに」

「…………うん」

 

返答は、そんなつまらない物だった。

そう言ったっきり、ライトは自らの右腕を一心に見つめている。

そんな反応を怪訝に思い、視線を落とすライトへと、覗き込むように近づいた。

するとライトは、肩を震わせ、数歩後ずさりながら言った。

 

「……え、あ、そうだ。狩りを再開しなくちゃね!行こう、優子」

「……ああ……うん」

 

結局アタシは、この時感じた疑問を、これ以上追求しようとはしなかった。

 

 

ある日の昼食後、僕の淹れたコーヒーを、キリトと二人で啜っている時だった。

僕は、無性に甘いものが欲しくなり、何か作ろうか、とキリトへ提案しようとした。

その直前。

開かれたのは、キリトの口だった。

 

「……あのさ、ライト」

 

その声音は硬く、何かに怯えているようにも聞こえた。

 

「うん?何?」

 

出来るだけ柔和に応えた。

キリトはほんの少し表情を緩め、再度、言を紡ぐ。

 

「俺が最近、何をしてるか知ってるか?」

 

キリトの真意を計りかね、不必要に押し黙ってしまう。

掛け時計の針音が、台所を支配する。

沈黙に響く機械音は、キリトの緊張を殊更煽っているように感じた。

それがまずく思い、焦るように応答する。

 

「ううん。知らないよ。それがどうかしたの?」

 

無自覚にも早口になってしまう。

キリトは眉根を顰め、唾を嚥下する。

ごくり、という音が普段の数倍よく聞こえた。

 

「実は、さ。俺は今、他のギルドと一緒に行動してるんだ」

「……え、それってどういう……」

「違うぞ!このサーヴァンツを抜けるとか、そういう事じゃなくて、言いたい事はむしろ逆というか……」

 

繕うようなキリトの言葉。

だが、そんなもので安心出来る筈もなく、語勢を強くし問いただす。

 

「じゃあ、なんで違うギルドに所属してるんだよ?」

「いや、違う!所属してるんじゃなくて、一緒に行動してるだけだ!」

 

焦燥に駆られた強い否定が、キリトの口から放たれる。

その迫力のダムに、次なる言葉は堰き止められた。

たじろぐ僕を見て吐息を漏らし、キリトは説明を開始した。

 

「事の発端をかいつまんで説明すると、レベリング中にそのギルドと遭遇したんだ」

「うん。それで?」

「で、まあ流れで一緒にレベル上げをする事になったって感じかな」

「それだけ?」

「ああ、それだけだ」

 

サッパリに、とはいかないが一先ず納得する。そのギルドとは、行きずりに近い関係な訳だ。

だが、そうなると次なる疑問が湧くのが道理だ。それは即ち、何故そんな話題を出したのか、という事だ。

 

「で、それがどうしたの?」

 

僕の簡素な問いに、キリトは待ってましたと言わんばかりの容貌をみせた。

 

「ああ。こっからが本題なんだが……」

 

しかし、そこまで言って歯切れが途端に悪くなる。

急激に曇るキリトの表情を見て、やっと最初の反応に合点がいった。

つまり、今から話されるであろう話題が、キリトにとっては言い難いことなのだ。

キリトは視線を泳がせる。

そんな状態で続きをせぐほどせっかちでもないので、コーヒーを啜りながら気長に待つ。

ぼんやり気を緩ませていると、出し抜けにキリトから本題の内容が語られた。

 

「そいつらをさ、このギルドに入れてやれないかな……?そりゃあ、俺達に比べればまだまだレベルは低いし……けど、そこらへんは俺がなんとかする!だから────」

「うん。いいよ」

 

賛同の意で、いきり立つキリトを遮った。

そんな反応が意外だったのか、キリトは目を見開き、眉を浮かせる。

 

「僕は賛成する。キリトがそこまで言う人達なんだ。きっと、いい人達に違いないよ」

 

キリトの面が、驚嘆から笑顔へと変移した。

 

「やっぱり、ライトは優しいな」

 

ポツリ、と染み入るように呟くキリト。

 

「そうかな?僕としては、本心をそのまま言ってるだけなんだけど……」

「ああ、わかってる。だから優しいんだよ、お前は」

 

キリトの心中を読み切れず、僕は首を捻った。

そんな僕を見て、キリトはふふ、と笑みを零す。それがバカにされてるようで、少々憮然としてしまった。

 

「んじゃ、頼むぜ相棒。まあ、色々とな」

「うん。それはいいんだけど、その人達って、なんて名前なの?」

 

これから仲間になるのだ。名前くらいは知っておきたい。

 

「ああ、それは言っておかなくちゃな。そいつらの今のギルド名は────」

 

 

真夜中のレベリングが始まって、ちょうど一週間が経った。

辺りには翡翠色の無機質なブロックが所狭しと並んでいる。

荘厳な景色に見惚れるアタシを尻目に、ライトはシステムウィンドウと睨めっこ中だ。

突如、甲高い警告音と真紅のマーカーが、そのメニューから発せられる。

 

「この部屋はダメだね。他をあたろう」

 

それが索敵スキルの結果、ライトが下した決断だった。

そうしてアタシ達は、最前線から三つも下の迷宮区を練り歩く。

この層は、時間対コルの効率が良く、踏破率も低いので未開封の宝箱が眠っている可能性が高いのだ。

何故ここまでアタシ達が利益に固執しているかと言うと、それはキリトの誕生日プレゼントを買う為なのである。

来たる十月七日。

サプライズバースデーパーティーを開催する為に欲しい予算は、あと十万コルといったところだ。

最も手っ取り早いのは宝箱の発見なのだが、ここに一つ問題がある。この層、モンスタートラップが異常に多いのだ。

まあ、そんな訳でアタシ達は、索敵しながら宝の探索を続けているのである。

ちらりとライトを盗み見る。スキル画面を見つめる眼差しは真剣そのものだ。

ぐっと引き締められた厳めしい顔。普段の穏健さとのギャップもあいまって、口元が綻ぶほど愛らしく感じてしまう。

そんなおり、視界の端に珍しい物が映った。夜中の狩り中には初めての、プレイヤーの姿である。

数人のグループが、楽しげに談笑しながらアタシ達が来た道を逍遥している。

珍しい事もあるものだ、と思っていると、その集団に動きが見られた。

何かを見つけたのか、ライトが先程索敵した小部屋へと入って────

 

「あっ!!」

「へ?なに?どうしたの?」

「ライト!あれ見て!」

「な!?マズい!」

 

瞬間。

ライトは疾風となって走り出した。

同時に大声を上げる。

 

「おーい!!そこの人達、その部屋に入っちゃダメだ!」

 

チームの一人の男がこちらに振り返った。ライトの警告に気づいたのだと安堵しかけた────その時。

その男の、やにさがる様子が目に入った。

マズい!本当にマズい!

きっとあの人、アタシ達が宝を横取りしようとしてるんだと勘違いしてるんだ!

 

「待つんだ!その部屋にはトラップが……」

 

健闘虚しく、重い石扉がライトの忠告をつきはねた。




お察しの通り、あの方々です。
出番を楽しみにしていた方も多いのではないでしょうか?

てな訳で、次回に続きます。


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第四十九話「月夜の黒猫団」

最近、ディスワールドがバニッシュメントしちゃってる筆者です。
いや、むしろそこらへんのセンスも研ぎ澄ましたいなぁ、と思ってたりします。


くそ────くそ!くそ!くそ!!!

止められなかった!

トラップルームへと入って行った彼らは、トラップの存在を予見していなかった。つまりは、()()()()のレベル帯のプレイヤー達だということだ。

中堅プレイヤーに、この層のモンスタートラップを全て捌き切れる技量などあろう筈もない。

恐らく、このまま放っておけば彼らは全滅するだろう。

 

「…………っ」

 

歯痒い。

自分の力の無さに虫酸が走る。

どうしてだ!どうして止められなかった!

畜生……畜生、畜生!!

このままみすみす見捨てるのか?

助けられたかもしれない命を散らせるのか?

そんなのは絶対に嫌だ!

何でた!

何でもう少し早く気づけなかった!

何でもっと鬼気迫る警告をしなかった!

何で更に疾く走れなかった!

考えれば考えるほど、自分を殴りたい衝動に駆られる。

せめて……せめて中に入れたなら!

トラップルームに転移することが出来たなら!

僕にも何か、出来ることが有るかもしれないのに!

 

「────うあぁぁあぁッッ!」

 

眼前の扉を、力いっぱいぶん殴る。

破壊不能オブジェクトだという警告表示が出るが、そんなもん知るか!

破壊不能だかなんだか知らないが、今すぐ僕をこの中に入れやがれ!

────もう一撃。

腕を思いっきり振りかぶる。

更なる打突を繰り出そうとした。

その瞬間。

視界が神居の雷光に包まれた──────

 

そして、入れた。

どうしてだとか、そんなのは今や些末事だろう。

入りたかったから入れた。今はそれで良い。考えている時間が勿体無い。

状況を確認する。

モンスターの数は、もう既に十や二十ではきかない程に膨れ上がっている。

だが不幸中の幸いか、まだ死亡者は出ていないようだった。

ふと、全てに動きが無いことに気がついた。

プレイヤー達は言うまでもなく、モンスターの一体に至るまで、何もかもが微動だにしていない。

そして、彼らの目線の須くが僕に集約されていた。

プレイヤー達の目に映るのは、驚愕と疑問。そして少しの不安だ。

モンスターは、恐らく新たに出現した攻撃対象に、思考ルーチンが追いついていないのだろう。

だが、静寂なのは好都合だ。

腹の底に力を込め、最大音量の指示を繰り出した。

 

「全員、出来るだけ攻撃に集中しろ!モンスターの攻撃は僕が防ぐ!絶対に君たちを殺させやしない!」

 

その一言で、プレイヤー達に目の色が宿った。

取り敢えずは、僕を味方と判じたのか、各々の得物を構え直す。

同時に、停滞していたモンスター達も動き出す。

骸骨じみた化物が握る玄翁が、茶髪の青年と剣戟を鳴らす。

甲高い打ち合いが、幾重にも重なった。

 

「せぇやぁッ!」

 

長槍を揮う黒髪の女の子が、鬨の声を上げた。

見れば、少女はその面を何かに堪えるようにきちりと強張らせている。

しかし、その槍捌きに狂いは無く、訥々と怪異を突き続けている。

そんな彼女に、背後から強襲せんとするゴブリンを、僕は封炎で迎撃した。

 

「あ、ありがとう……」

「お礼を言う暇があるなら、一度でも多く敵を突いて」

「う、うん」

 

短い遣り取りを交わし、二人同時に疾駆する。

 

間断無く続く金属音。

生と死の不協和音が、仮想の現実で繰り広げられる。

ガンガンと打ち付ける響音。それには、脳を溶かす甘ささえ感じる。

弾く。弾く。弾く。

僕の『今』は、ただそれだけの機械でしかない。

思考など不要だ。

煩悶など皆無だ。

ただ為すべき事を為すだけ。

私情を挟んだ事案だからこそ、僕は私情を挟まない。

だが、度し難いモノを見てしまった。

有象無象の化物共が、先程の女の子に多様な武器を向ける光景。

彼我の差は十数メートル。

命が刈り取られるまでは、残りコンマ一秒以下。

機械仕掛に算出された、余りに絶望的な、数字。

間に合わない。

いや、違う。

どうあれ届かぬ間合いなら、それを超越する速度で走ればいいだけのこと。

一度守ると決めたのだ。

この拳が、凶刃を穿たぬ道理は無い────!

瞬間。

この身は光を凌駕した。

それは、先刻の光景の焼き増しだった。

動き出そうとした時にはもう、僕の身体は少女の目前に移動していたのだ。

それは紛れもなく瞬間移動。

このアインクラッドでは、あり得ぬ筈の魔の(ことわり)

だが、それを不思議だとは思わない。そんな自分が不可思議だった。

眼前に迫るは、雨霰が如く押し寄せる鉄塊の(むれ)

十重二十重のそれらを、一息の内に己が拳で打ち付ける。

伽藍に響く鉄の音。

砕け散ったそれらを流し見て、手ぶらになった怪物どもを一蹴する。

 

その時、僕の中のナニカが、音を立てて切れた。

 

そこからはもう鎧袖一触の有様だった。

目に入ったモノを殴り、蹴り、投げ、回し、千切り、砕き、打ち、締め、斬り、突き、抉り、刺し、穿ち、裂き、噛み、殺し、殺し、殺して殺して殺し尽くした。

理性無き者を獣と定義するのなら、アレは正しく獣だった。

 

────アァ……キモチヨカッタ

 

渇いた唇をペロリと嘗めた時、全てが終わったことを悟った。

腕を見る。

血に濡れたそれを幻視する。

それがあんまりにも気持ち悪くって、無性に擦った。

だけども、こびり付いた朱はいつ迄経っても取れやしない。

 

────トル意味ナド無イダロウ。此レカラ何度デモ、其ノ手ハ血色二染ルノダカラ。

 

ゴシゴシゴシゴシ。

いつも間にやら、体力ゲージが減少するほど摩擦は強くなっていた。

でも、そんなことは関係ない。

あるのは、腕全体にナメクジが這っているような不快感。

 

「────ゥ、アッァ……」

 

意味を持たぬ奇声を洩らす。

もはや引っ掻くようになった腕。

額から、玉のような汗が滴り落ちる。

 

────其レハ、汗デハナイ

 

いや、落ちるわけがない。ここはゲームの中だ。生理現象が起こるなんてあり得ない。

ポツリ。

零れた汗は、腕の紅と混ざるように。

そして、そして──────!

 

「あ、あの、ありがとうございました!」

 

柔らかな声が、僕の耳朶を打った。

それは、ランサーの女の子から発せられた物だった。

 

「ァ……ッ……………」

 

応えようと唇を動かす。だけども、言葉らしい言葉は出なかった。

 

「あの……あなたが来てくれなかったら、俺たち死んでました!本当にありがとうございました!」

 

そう言ったのは、癖っ毛のシミターだった。

彼に続き、他のメンバーたちもありがとう、と声を上げる。

だけども、僕の喉は空を震わそうとしない。

何か言わなければならない事は分かっているのに、脳に身体が追いつかない。

いや、脳が心に縛られているのか。

懐疑を顔に浮かべながら、リーダー格らしき男が僕に近寄ってきた。

だが、それより早く僕に近づく影があった。

その人物はカツカツと音を立てて歩み寄る。そして、僕の胸倉を力強く掴みーーー

 

「────あんた一体、何してんのよ!」

 

その一言と共に、僕の顔面を勢い良く殴り抜いた。

トラップルームの壁までぶっ飛ばされ、無防備な腰を強打した。

 

「え……あ、ご、ごめん……」

 

自然、口から謝罪が洩れる。

硬直が解けた第一声が“ごめん”であるという事実に、我ながら情けなくなった。

すると、優子は否定の意を表すように両手を身体の前で振って、慌てながら言った。

 

「あ、いや、アンタが謝ることなんて無いでしょ。アンタがしたコトは正しいんだから」

「えぇーっと……じゃあ何で僕殴られたの?」

「そんなの、殴りたくなったからに決まってんじゃない」

 

理不尽極まりなかった。

ホントに、何で僕殴られたんだ……。

と、思っていると、優子は何時ものツンと澄ました顔で言い放った。

 

「大体ね!アンタはいっつも突っ走り過ぎなのよ!確かにアンタのした事は正しいけれど、アンタの安否が計算の内に入ってないなら、その行動は人間として間違ってんの!」

「ご、ごめん……」

「だーかーら!謝んなって言ってんでしょ!」

 

速攻で発言を矛盾させる優子さん。

じゃあ僕はどうすりゃいいのか。

 

「まあ、アタシが言いたいのは、ちょっとは自分を省みなさいよってこと。理解できて?」

「……はい。理解できましたとも」

 

肯定の意を返すと、優子は満足そうに頷いた。

だが、言われっぱなしも癪なので、ちょっとだけ反撃を試みる。

 

「それはそうと、三層で僕を本気で殺しにかかったのは、何処の誰だったかなあ?」

「なぁっ!そ、それを引き合いに出すのは、何て言うか……フェアじゃないでしょ!」

「そんな人に、自分を大切にしろー、なんて説教されましても」

「うぅ……っ!」

 

凄まじい睨みをきかせて、優子はそのまま黙り込んでしまった。

ちょっとだけ罪悪感が湧く。さすがに言い過ぎただろうか。優子にとっては、あまり触れて欲しくない過去だろうし。

そもそも、あの事件は話題に出すような物でもないのだから。

クロムシルバーに光る鎧を想起する。

 

────グルルゥゥッ!!

 

スパークが奔る。

脳内を奔走する。

獣声が反響する。

強打された痛み。

干渉される自己。

染み入ってくる。

忍び込んでくる。

得体の知れない、ナニカ。

 

逃げないと!逃げないと!逃げないと!

喰わ(コロサ)レル。

 

眼前の灯火に走る。それに一縷の希望を持って。

相手は獣。

理性を取り戻して理解する。

ヤツは、純然たる──なのだと。

そして、気づいた時には────

 

────僕は、優子に抱きついていた。

 

「ちょっ!何してんのよ、アンタ!」

 

優子が驚声を上げる。

咄嗟に手を離そうとするも、僕は、一ビットたりとも動くことが出来なかった。

まるで、身体が鉄くれになってしまったようだ。

そんな、無骨な鉄塊は、優子を捉えて離れようとしない。

そこにどんなシステム的介入があるのか。いや、そんな物に責任を押し付けるのは無粋だろう。

これは、僕自身の意思なのだ。

優子と触れていたい。

一秒後には、足場が全て崩れてしまいそうな恐慌のただ中でも、優子と居れば大丈夫だと、そう思えたのだ。

すごく端的に言うなら、安心した。

いきなり抱きつかれたというのに、優子は文句一つ言わずにいてくれた。

気持ちが落ち着くと、空想の獣は雲散霧消と果てていた。

優子からゆっくりと腕を外す。

肌の温もりは、未だ消え去ろうとはしない。

 

「うん?もう大丈夫なの?」

 

優しい声音で優子が尋ねた。

 

「大丈夫って、何が?」

「何言ってんのよ。さっきまで顔青くしてガクガク震えてたクセに。まさか、自覚してなかったの?」

 

僕はそんな状態だったのか。

そう思うと、少し気恥ずかしくなって、俯きながら頭を掻いた。

 

「ごめんね。カッコ悪いとこ見せちゃったかな?」

「あのねぇ、命張って他人を助けられる人の、何がカッコ悪いもんですか」

 

優子は毅然と言い放った。

トンデモなくストレートな言葉に、ほんのりと顔が熱くなるのを感じる。

優子は、畳み掛けるように言葉を続けた。

 

「アンタが何を怖がってたのかは、敢えて訊かないでおく。

けどね、やっぱり自分を大切にしてほしいのよ。

アンタって、妙に危なっかしいところがあるし、近くで見てると、放っておけなくなるって言うか……」

 

最後は、交々として聞き取れなかったが、優子の言いたいことは分かった。

真摯に僕を気遣ってくれる。そんな実直な想いにうん、と安請け合いするのもばつが悪いだろう。

だからこそ、僕は、思った事をただありのまま口にした。

 

「心配してくれてありがとう、優子。

でもね、やっぱり僕は目の前に困ってる人がいるなら、手を差し伸べてあげたいんだ。

そりゃ、危ないと思ったら逃げるし、死ぬと思ったら必死でもがく。

けど、救える命を見捨てる事だけはしたくない。それをしたら、僕は自分の意味を見失ってしまうと思うんだ」

 

自分の考えをはっきりと告げた。

優子は、数度瞬きをして、咀嚼するように頷いた。

すっ、と息を吸う音がした。

優子の澄んだ瞳は僕を見据え、そして────

 

「バーカ!」

 

晴れた空のような微笑みと共に、そんな一言を響かせた。

 

 

やっと分かった。

アタシがライトを好きな理由。好きになった理由。

そも、アタシは勘違いしていたのだ。

ライトは、アタシの命を救ってくれた。アタシだから救ってくれた。そう思っていた。

けれどそれは、勝手極まる思い込みだ。

コイツにとっては、誰もが大切で、守るべきものに違いないのだ。

そんなこと、分かっていた。

それでもアタシは、そう考えようとはしなかった。

いま思えば、何たる乙女思考だろう。

アタシは、ライトの『特別』でありたかった。

そして、無自覚に誤解した。

アタシは、ライトに命を救われたから、ライトを好きになったのだと。

しかし、どうした矛盾だろう。

アタシが好きになったライトは、誰彼構わず命を救う、そんな素敵な男の子なのだ。

ああ、好きだ。アタシはライトが大好きだ!

それでも今は言えやしない。

残念ながら、アタシはいまだ臆病風に吹かれている。

だからちょっとだけ待って欲しい。

いつか時が巡れば、アタシは想いを伝えよう。

故に、今日のこの時は、想いの代わりに、言葉と笑顔を伝えよう。

鈍感なコイツじゃ読み取れないような感情をいっぱいいっぱい詰め込んで、最高の笑顔をプレゼントしよう。

 

「バーカ!」

 

 

「キリト、お誕生日おめでとう!」

 

二十数人分の歓声と、派手なクラッカーが間断無く響く。

キリトを祝うメンバーは、僕らサーヴァンツに風林火山、そして、月夜の黒猫団の三ギルドに加え、エギルも参加していた。

 

「ははっ……まさか、SAOの中で誕生日を祝われるとは思ってもみなかったな。ありがとう、皆」

 

照れ臭そうに頬を掻いてから、キリトはそんな謝辞を述べた。

いつもはぼんやりと見えるランプの灯りも、今日ばかりは爛々と輝いているように思える。

僕、アレックス、アスナの三人で、腕によりをかけた料理は、みるみるうちに食されていった。

そして、プレゼントやケーキというイベントを経て、雑談の時間が始まった。

ゆったりと時が流れる。

火照った体を冷ます為に、僕はベランダへと足を運んだ。

何と無く、システムウィンドウを開く。

ステータスからスキルを選択。そこに現れた拳術スキルをタップする。

拳術スキルには、現在、三つのスキルが存在している。

単発技『封炎』『疾波』そして、拳術スキル()()()『神耀』だ。

『神耀』。

トラップルームでの闘いののち、スキル欄に突如として発現したこのスキルは、あまりに突飛な効果を保持していた。

 

『スキル熟練度×1cmまでの距離を、瞬間的に移動する事が出来る。

脳内で、移動地点を指定する事で、自動的に発動する。

このスキルは、移動距離(cm)×1秒間、再度使用する事が出来ない』

 

つまり、あの現象は正に瞬間移動だった訳だ。

きっと僕は、無意識にこのスキルを発動し、あの石扉を突破したのだ。

だが、明らかに不可解なことがある。

サチが殺されかけた時、僕とサチとの距離は、どう見ても十メートルは離れていた。

今の僕には、十メートルの瞬間移動は不可能だ。

ならば何故、僕はサチを救う事が出来たのだろう。

出し抜けに、背後の扉が開く音がして、反射的に振り返った。

 

「あ、ライト、ここにいたんだ」

「うん。どうしたの、サチ」

 

僕と同じく、サチも夜風に当たりに来たのだろうか。

ベランダの手摺にそっと腕を掛けると、黒髪のメイサーは、懐から何かを取り出した。

 

「それは……音声記録結晶?」

「うん」

 

コバルトブルーの正八面体を、サチは、器用に片手で弄ぶ。白く透き通った指で、嫋やかにボタンを押した。

そして、記録された音声は、完全に消去された。

 

「何の音声を消したの?」

「うぅーん……ナイショかな」

 

綿毛のような笑みを浮かべると、サチは、漆黒に染まった夜空を見つめた。

そして、ポツリと喋りだした。

 

「これはね。私なりの覚悟なの」

「覚悟?」

「そう。覚悟。ホントはね、私、自分はいつか、死んじゃうんだと思ってたんだ。

こんな理不尽で不安定な世界じゃ、弱っちい私は、遅かれ早かれ死ぬ運命なんだって。

モンスタートラップに引っかかった時、ああ、死ぬんだな、って思った」

「でも、サチは死ななかった」

「うん。そう。ライトが助けてくれたもんね。

あれほど絶対的だと思ってた死の運命は、君がたった一人で打ち砕いてくれた。

だからね、もう死ぬことなんて考えるのは辞めようって、そう覚悟したんだ。

皆と一緒なら、運命なんて幾らでも覆せる。そう思えた。信じれた。君のおかげでね。

本当に、ありがとう」

 

感謝の言葉は、満天の星に抱かれて、ふわりと舞った。

一際明るい満月が、僕らを永く永く、照らしていた。




月夜の黒猫団、完結です。
結局、扱いとしてはサーヴァンツと同盟関係ですね。

ところで、テスト期間にはいっちゃいます。
ちなみに、パソコンも携帯も、今から完全に封印します。
次回の投稿が遅れますので悪しからず。


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第五十話「月華の侍」

五十話ですよ五十話!
フィフティ!ハーフハンドレッド!

そして、もう一つご報告が。
なんと、お気に入り数が五百を突破致しました!めでたい!

ここまでモチベーションが維持されているのも、ひとえに読者の皆様のおかげです!
今一度、心の底からの感謝を。
このような拙作を読んで頂き、本当にありがとうございます!


「お願いだよ……あたしを独りにしないでよ……ピナ……」

 

か細く響いた少女の声は、棍棒の風切り音に掻き消された。

ふわりふわりと虚空に乗る、淡い水色の羽。

つい先ほどまで、シリカの周囲を元気に飛び回っていたブルーリドラは、空色の尾羽だけを残し、ポリゴン片と成り果てた。

必殺の一撃からシリカの命を護る為、青龍はその身を盾に窶した。

瞳に涙を湛えながら、少女は足早に竜の亡骸へと駆け寄る。子竜の尾羽は、決壊を許した水滴を二、三弾いた。

手中の羽を護るが如く、空洞を作った掌に力を籠める。

瞬間。

地響きとも取れる足踏みが、気を塞ぐシリカの耳朶を打った。

彼女の眼前に屹立するのは、三体のドラゴンエイプだ。

悪鬼が如き容貌を呈する化物共は、倒れ伏すシリカに、じわりじわりとにじり寄る。

 

「あぁ……来ないで……」

 

力無い拒絶は、少女を護る壁には成らない。

大猿が喉を鳴らした。

アインクラッドと云う名のシステムは、この瞬間、うら若き少女の魂を貪らんと狂喜する。

 

「いや………誰か!誰か助けて!」

 

彼女自身、心底では理解していた。

月光すらも届かぬ樹海の奥では、誰も助けに来る筈などないのだと。

龍猿は、天衝くように己が得物を振りかぶる。

シリカはぐっと目をつぶり、訪れる死の恐怖に堪えた。

刹那。

白刃一閃。

蛇の刺突が、魔物の心を貫いた。

いや、猿の心臓を刺したのは、実のところ蛇などではなく、凶器の類に他ならない。

だがしかし、その刃は生物と見紛うほど滑らかに、ドラゴンエイプの命を刈り取った。

硝子が砕け散る音。それが立て続けに三つ響く。

次いでしゃらん、という金属音。血糊を払うと、侍はカタナを鞘に収めた。

森がさざめく。

突如現れ、シリカの命を救ったその人物は、空のような、とも形容すべき麗人だった。

中性的な顔立ちに、肩口で切り揃えられた茶髪の髪が、出来過ぎなほど似合っている。

置かれた状況も忘れ、シリカはじっとその人物に魅入っていた。

 

「ピナ、というのはご友人かの?

すまなんだ。もう少しでも迅ければ、散らずに済む命もあったというのに……」

 

唐突に発せられた声は、自分の身を案じた物なのだとシリカは気づいた。

古風な喋り口調に意表を突かれながらも、訥々と謝辞を口にする。

 

「い、いえ……助けてくれて、ありがとうございます…………」

 

大きく息を吐いた。

今はもう、何もする気力が起きなかった。

自分は、この世界における、唯一無二にして最愛のパートナーを失ったのだ。

目の前で起きた殺戮に、対処することも出来ず、いやむしろ、ピナの死に様は、シリカを庇ってのものだった。

心の裡に残留する、暖かな日々の記憶。そして、絶望的なまでの喪失感。

それらは、シリカの生きる意味を剥奪するのには充分すぎた。

 

「む……よもや、ビーストテイマーのシリカ殿ではあるまいか?」

 

そんな折、驚嘆と懐疑を混ぜこぜた声が、目の前の麗人から発せられた。

自分の名前を見知らぬ相手が知っている、という状況は、シリカにとって、それほど稀有なことでもなかった。

シリカは、ただでさえ珍しいビーストテイマーなのに、それに輪をかけて珍しい女子小学生なのだ。

中層で活動するプレイヤーならば、彼女の名に聞き覚えが無い者の方が少ない。

 

「ええ、そうです。あたしが、ビー……シリカ、です……」

 

口元まで出たビーストテイマー、という単語を、言葉にすることは出来なかった。

胸が痛い。

羽ばたきの音が、嬉しそうな鳴き声が、滑らかな羽毛が、記憶の残滓がシリカの心を痛めつける。

ただ、もう一度だけ会いたい。

死別するしか無いというのなら、せめて、心からのごめんなさいと、精一杯のありがとうを。

けれど、もう、遅い。

ピナはもう、シリカのもとへと帰ってくることは無いのだから。

 

「となると、青いドラゴンはどこへ行ったのじゃ?」

 

あまりに無神経な質問に、憤りの視線を命の恩人へと向けてしまう。

シリカも、頭では理解しているのだ。この人は何も悪くない。ただ、事情を知らないだけなのだと。

だが、そう簡単に割り切れるほど、シリカは大人ではなかった。

二人の間で、嫌な間が空いた。

数秒後、やっと事の真相に合点がいったらしく、翡翠眼のカタナ使いは目を見開いた。

 

「もしや、先程洩らしておったピナというのが、その竜なのかの?」

「ええ、そうです……」

 

鈍いセリフに、否応なく眉根をひそめた。

この人は、何故こんなにも神経を逆撫でするのだろうか。

助けてもらっといてアレだが、早く向こうに行ってもらえないものか。

 

「そうか。それならよかった」

「…………っ」

 

喉元までせり上がった罵詈雑言を、躍起になって噛み殺した。

何が、よかった、だ。

本物の人間じゃないからか。

死んだのが、ただのデータだからか。

ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな!

ポリゴンデータでしかなくても。本物の命が宿っていなくても。ピナは、あたしにとって大切な友達だったんだ!

 

「それならまだ、救う方法があるぞい」

「え…………?」

 

反射的に声を漏らす。

突然の言葉に、思考が追いつかない。

喉が詰まる。

指先に熱が篭っていくのが、確かに感じとれた。

絶望から希望への相転移は、暗く淀んだシリカの心を、慈しみをもって救い上げた。

そんなシリカを見て、女方の侍は頬を緩める。

 

「テイムされたモンスターは、死亡時に『心アイテム』という物を落とすんじゃが、確認出来るかの?」

「は、はい!たぶんこれです!」

 

縋るように両手を差し出す。強張った手をわななかせながら開いた。

中から現れたのは、青玉の尾羽。

それを見ただけで溢れ出しそうになる涙をぐっと堪える。

もしかすると、ピナは助かるかもしれないのだ。こんなところで泣いてられない。涙は、再会の喜びにとっておこう。

 

「うむ、確かに」

 

美形の武人は、力強く頷いてみせた。そして、軽く咳払いをしてから、流暢に解説を始めた。

 

「蘇生の手順をかいつまんで説明すると、四十七層に、『プネウマの花』というアイテムがあるんじゃ。それを心アイテムに対して使用すると、同じ個体が記憶もそのままに生き返る」

 

四十七、という数字に愕然とした。

この層、三十五層よりも十二も上の層。

こんな低層でも、ピナをみすみす死なせるような有様なのだ。四十七層を進めるようになるまで、どれほどの時間が必要なのか、推し量ることすら叶わない。

だが、希望は見えた。立ち止まってなどいられない。

いかほどの困難が待ち受けていようとも、絶対にピナを生き返らせてみせる。絶対に。絶対に……。

だが、そのためにはまず────

 

「あのー、この森から出たいんですけど、助けてくれませんか?」

 

苦笑いで言ったシリカに、茶髪の侍は、朗らかな笑みを向けた。

 

 

主街区に戻る途中、いろいろな話を聞いた。

彼女は秀吉という名であること。

普段は攻略組の一員であること。

四十七層の地形や、アイテムの取得条件。

そして、プネウマの花は、使い魔の死後三日以内でないと、効果がないということ。

三日なんて冗談じゃない。そんな短期間で四十七層にまで登れ、だなんて、無理難題にもほどがある。

狼狽するシリカに、秀吉は

『安心せい。乗りかかった船じゃ。わしも最後までお供しよう』

と微笑んで見せた。

その言葉には、ピナは生き返ると確信させる力強さがあった。

執務的な話が終わると、身の上話がよく弾んだ。

秀吉は、シリカの話の随所で、興味深そうに相槌を打つ。そんな秀吉の態度は、話し手としては、これ以上ないほど心地よい。

ついついシリカは饒舌になり、命の危機に感じた恐怖も、今ではほとんど和らいでいた。

そんな時。

 

「あら、シリカじゃない」

 

背中からかけられた毒々しい声に、ほんの少し憂鬱になりながら、シリカはにべもなく応じた。

 

「……どうも」

 

声の主は、案の定、ロザリアという名の女性だった。

数時間前まで、彼女とシリカは共にダンジョンを探索していた。

だが、報酬の取り分という些細なことから発展し、結局、喧嘩別れをしてしまったのだ。

 

「へぇーえ、森から脱出できたんだ。よかったわね」

 

ニコニコとした笑顔を浮かべるロザリア。それは、玩具を見つけた子供のように、非道く、愉しそうだった。

 

「でも、今更帰ってきても遅いわよ。ついさっきアイテムの分配は終わっちゃったわ」

 

決めつけるようなロザリアの言い草。それに、シリカは珍しく噛み付いた。

 

「要らないって言ったはずです!──急ぎますから」

 

苛立ちが混ざった声音と共に、シリカはロザリアに背を向けた。

しかし次の瞬間、ロザリアの顔は嗜虐に歪んだ。

 

「あら?あのトカゲ、どうかしちゃったの?」

 

びくりと、肩が震えた。

 

「あらら、もしかしてぇ……?」

 

とっくに理解しているであろう事柄を、わざと抉るように訊ねてみせる。

それに負けじと、ダガー使いの少女は、相克の相手をねめつける。

 

「死にました……。でも、ピナは、絶対に生き返らせます!」

「へえ、てことは、《思い出の丘》に行く気なんだ。でも、あんたのレベルで攻略できるの?」

 

至極不快な圧力が、シリカの反発を抑えつけた。

喉が渇く。

的確に急所を突く言論に、嘔吐感さえ催した。

嫌だ。やっぱり、この人は嫌いだ。

恍惚的な笑みを浮かべるロザリア。

今にも泣き崩れそうなシリカ。

其の間に割って入ったのは、他でもなく────

 

「ロザリア殿といったか。すまぬな。このシリカは、今日明日とわしの連れなんじゃ。立ち話なら、他をあたってくれんかの」

 

猫撫で声で秀吉は言う。誰が聴いても、嫌味にしか聞こえない声音。

それはごくごく単調に、ロザリアをヒートアップさせる。

 

「なに、あんた?シリカのオトモダチってわけ?」

「ふむ、そうじゃの。何か、と問われれば、わしは友人に値するのじゃろうな」

 

冗長なほど回りくどく、芝居がかった口調で応える。

ロザリアは奥歯を擦り、ふうと息を吐いたあと、一転して静かに言った。

 

「そう。でもね、これはあたしとシリカの会話よ。ただの友達が、口出しする謂れはないんじゃなくて?」

 

すると美形の侍は、端正な顔立ちにシニカルな笑みを浮かべた。

 

「いや、謂れならあろう。単純に、わしはお主が気に食わん」

「そう。その意見には、全くの同感だわ」

 

両者の間で、火花が散った。比喩でもなんでもなく、シリカにはそう視えたのだ。

数刻の間隙。

それは、初対面のこの二人を決別させるには十分な時間だった。

 

「何なら、デュエルでもして決着をつける、というのは如何かの?」

「へえ、いい気前じゃない。望むところよ。初撃決着モードでいいわよね」

 

その確認に、秀吉は、背筋が凍るほど邪悪な笑みを浮かべた。

 

「いや、完全決着モードじゃ」

「は?なに冗談言って……」

 

目が据わっている。笑ってなんかいない。

こいつは、本気で、完全決着モードを行おうとしているのだ。

 

「あ、あんた、正気?頭おかしいんじゃないの……?」

 

もはや闘争の体すら成していない。二者の相関は、今や、一方的な蹂躙とないつつあった。

殺される。

確信めいた予感が灯る。

殺される。

眼前の女は、アタシの命を躊躇なく切り刻むだろう。

殺される。

自然、呼吸が荒くなる。

殺される。

相対するは圧倒的な恐怖。死を孕む視圧。

殺される。

脚が震える。とても立ってなんかいられない。

殺される。

女の目は、何の感情も宿していない。あるのは、品定めでもするかのような機械的な理性。

ただ単調に理解した。

自分と相手の間には、力量という言葉では埋まらない差があるのだと。

 

「い、嫌よ。あ、あたしは街中で殺人なんてしたくないもの!ふん!せいぜい夜道には気をつけなさい!」

 

そんな捨て台詞を吐いて、ロザリアはそそくさと立ち去った。

まだ脚の震えは止まらない。

だがしかし、なるべく早くこの場から立ち去らねば。今度こそ彼奴に、喰われてしまう。

あんなやつに、一人で勝つ自信など、あろう筈もない。

ロザリアのなさけなくよろめく逃げ姿を見送ってから、シリカは秀吉を不安げに見上げた。

シリカの怯えを見てとった秀吉は──

 

「ハッタリを吐けば、大抵のバカは逃げて行く、と何処かの誰かが言っておっての」

 

そう言って、シリカへと笑いかけた。

数瞬間、呆けた表情で固まってしまう。

どうしたのかと、秀吉はシリカの頭に手をおいて、覗き込むように、中腰で顔を伺った。

そんな秀吉と目があってすぐ、シリカはぷっ、と吹き出して

 

「秀吉さんって、見た目によらず大胆なんですね」

 

と、大胆な笑顔で微笑んだ。




ついに始まりましたね。シリカちゃんパート。

お相手は、僕らのアイドル秀吉君です。
いやあ、可愛らしいですね、秀吉ってば。思えば、僕の新天地を開拓したのは秀吉でした。
どうでもいいですね。


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第五十一話「友達?」

遅れてすいません!

いや、ね、提出物とか、セミナーとか、色々忙しかったんだってば!

見苦しい言い訳はこのくらいにして、本編、どうぞ。


ノック音が、宿屋の一室に響く。

木音が終息してから、どこか事務的な声が聞こえた。

 

「シリカ。入ってもよいかの?」

「ん、あ、はい!今あけます!」

 

小動物を連想させる跫音を鳴らしながら、シリカは、この寝室に備えられた唯一のドアに手を伸ばす。

見えたのは、いつも通り穏やかな秀吉の顔。それが、驚愕にすり替わる過程だった。

 

「な…………お、お主!なんという格好をしておるのじゃ!?」

 

秀吉は声を上げながら、シリカの身体を指差した。

そこに見えたのは、白金が如く透き通った柔肌だった。それが、パンツとブラジャーのみで覆われている。

 

「え?ああ、ごめんない。ちょっとはしたなかったですかね?」

 

言いながら、立て付けの悪い扉を閉める。

 

「どうしたんですか、秀吉さん?」

 

秀吉の顔は、熟れた林檎の色だった。

怒られる要素がどこにあっただろうか、と訝しんでいると、秀吉から叱りつけるような声が投げられた。

 

「お主は……もうちょっと貞操観念というものを養わんか!人前で肌を露出するなど、年頃の女子としての自覚に欠けておる!」

「そ、そんな大袈裟な……。秀吉さんがあたしに何かするでもあるまいし……。あ、もしかして秀吉さんって、ソッチ系の人だったりするんですか?」

 

冗談めかしたシリカのセリフ。

それを聞いた秀吉は、何かを得心したかのように目を見開き、嘆息と共に呟いた。

 

「…………まあ、知らぬ方が幸せなこともあるじゃろう」

「?」

 

頭をフル回転させてみても、秀吉の言いたい事は皆目見当がつきそうになかった。

秀吉になら、下着姿を見られても、それほど恥ずかしくない。それがシリカの思考回路である。だがそれはあくまで、眼前の侍が同性であった場合の話だ。

今のシリカにはあずかり知らぬことだが、秀吉の性別は、戸籍上、男性なのだ。

もしそのことを話してしまえば、シリカ狼狽は目に見えている。

ならば、わざわざ教える必要もないだろう。それが、秀吉の判断だった。

 

「…………とりあえず、服を着たらどうじゃ?」

「あ、はい。今ちょうど、パジャマに着替えようと思っていたところでして」

「うむ……なら、わしの間が悪かったと取っておこう」

「そうしてくれれば嬉しいです。自堕落だなんて、思われたくないですしね」

 

手早くシステムウィンドウを操り、水色の部屋着を着込む。

着替えを見届けると、ばつが悪そうに秀吉が言った。

 

「して、本題なんじゃが……」

「あ、はい。どうぞどうぞ」

「うむ」

 

視線を腰のポーチに移しながら、茶髪の侍は、玲瓏な結晶アイテムを取り出した。

傷一つない人差し指で、備え付けのボタンを押す。

途端に現れたのは、見たこともない──恐らく、四十七層の──地形、そのホログラムだった。

 

「綺麗……」

 

シリカの口から知らず、声が漏れた。

それは、四十七層の風景を指して言ったのではない。元よりこの地図には、詳細な地形は表記されない。抽象的な凹凸の塊を、美しいとは思わない。

シリカはただ、このマップそのものが美しいと想ったのだ。

二人きりの空間に、大きく映し出される電子の地形図。それは、巨大な水晶を連想させた。

 

「この立体地図を見るのは初めてかの?」

 

シリカはゆっくりと首肯した。

そんな少女の頭に手を置くと、秀吉は、緩慢に撫で始めた。

 

「これはこれで、なかなかに高価なアイテムじゃからの。中層ではそうそうお目にかかれんじゃろう」

「ですね。あたしも、もっとレベル上げ頑張って、上の層に行ってみたいです」

「うむ。それがいいじゃろ。上に行けば、綺麗な物も場所も、山ほどある。いつか、シリカがもっと強くなったのなら、上の層に行って、色んなものを見てくると良い」

 

そう言って、秀吉は愛撫の手を止めた。そして、皮肉まじりの笑みを浮かべる。

 

「この世界はきっと、わしらを飽きさせてはくれんじゃろうからな」

 

冗談めかした言葉に、自然と笑いが零れる。

ふと思った。

何故この人は、こんなにもあたしに優しく接してくれるのだろう。

秀吉とシリカの関係は、未だ見ず知らずの他人とも言える。そんな希薄な間柄でしかない。

シリカは秀吉に助けられた身だが、秀吉からすれば、そんな相手に固執する義理はない。

それでも、あたしを助けてくれるというのなら、その理由は────

だから、きっと、とても単純に、この人は、優しいヒトなんだ。

シリカには、秀吉の忖度を計る術などない。下心に、どんな腹積もりをしているかなど分かったものではない。

けれど、信じようと思った。

いや、少し違う。

信じたいと思ったのだ。

思えば、この世界に幽閉されてから、プレイヤーの友人など、出来た試しがなかった。誰もが、たった一クエストだけの付き合い。

幼いシリカが孤独に押し潰されなかったのは、ひとえに、ピナのおかげだったのだ。

目前の侍は、凛とした視線で遠くを眺めている。

吸い込まれそうなほどの深淵を醸す瞳。

そこには、一片の濁りもなく、只管に自身の裡に向けた精神のみが内在する。

その在り方が、尊いと想った。

だからこそ、あたしはこの人を、信じたいと思ったのだ。

シリカは、秀吉の細指をぎゅっと握り、翡翠の瞳を見据えた。そして、啼くような声で言った。

 

「そんな絶景を前に、隣に秀吉さんが居てくれたなら、あたしは、きっと幸せです」

 

心からの言葉だった。

秀吉となら、ずっと一緒に居たいと、ずっと友達のままで居られると、どこか予感めいた確信があった。

 

「な……っ!お、お主はいきなり何を……そんな、恥ずかしいことを……」

 

秀吉の頬が赤熱する。

いままで見たのは、静謐な表情ばかりだったので、しどけない姿も新鮮で可愛らしい。

かく言うシリカも、少し気恥ずかしい気もあるが、秀吉の表情を見る楽しさが勝った。

時が流れる。

抗いようの無い奔流は、ゆっくりと夜の帳を奪い去っていく。

ただ、この瞬間だけは、一秒でも永く秀吉の貌を目に焼き付けたかった。

もしかすれば、明日だけで終わってしまうかもしれない、この人との関係。それを、惜しむように、慈しむように、ずっと、ずっと……。

 

 

「うーーりゃぁっ!」

 

下ろしたてのダガーが、その鋒で、魔物の身体を両断した。

昨日までとは段違いの攻撃力に、シリカは破顔を禁じ得なかった。

何故、こんな短期間で装備が強化されたのか。理由は明白だ。攻略組たる侍の、所持品の余りを頂戴したのである。

秀吉の主武器は、あからさまにカタナだ。ドロップしたダガーなど使い道がないということで、シリカに無償譲渡してくれたのだった。

それと同時に、防具も貰った。どうやら美麗の侍は、ファンシー系の鎧とは反りが合わないらしく、絶対に使わないからと、こちらも無料で譲ってくれた。

水玉を意匠した、黄色基調の鎧だった。確かに、ちょっとアレなデザインだが、これほど露骨なものも、シリカは嫌いではなかった。

だが内心、秀吉が着ても確実に似合うと感じたのは内緒だ。

 

「結構歩きましたよね。あとどれくらいなんでしょう、思い出の丘まで?」

「距離にすれば、あと一キロといったところじゃろうな。まあ、この層は景勝地でもある。道中も楽しみながら、ゆっくり進むべきじゃろう」

「ええ、ホント、素敵な景色ですよね」

 

秀吉の言うとおり、ここは天国と比喩しても名前負けしないほどの絶景だった。

色とりどりの花々が沿道を囲み、蝶は羽をはためかせ、優雅に飛翔している。

ただ、一つ気がかりなのが……

 

「カップル、多いですね……」

 

見渡す限りの男女ペア。

この光景を見ていると、少々気が滅入ってしまう。

 

「この景色では、必然的にそうなってしまうじゃろうな」

 

面映そうな苦笑を晒しながら、秀吉は応答した。

聞けば、この層はアインクラッド随一のデートスポットなのだそうだ。

女性二人の身としては、場違い感が半端じゃない。

 

「連れがわしでは不満かの?」

 

イタズラっぽい笑みを見せながら、秀吉はそんな質問をシリカにぶつけた。

即座に、ブンブンと腕を振って否定する。

 

「い、いえ!不満なんかじゃありません!むしろ、秀吉さんと来れて、すごぶる嬉しいです!」

「うむ。そうか、それは良か──シリカ、Mobじゃ。武器を構えよ」

「は、はい!」

 

短刀の刃を光らせる。

鈍色の卑金は、植物型モンスターの触手を深々と穿った。

部位欠損ダメージにより、敵の体力は三割を損失した。

更に連撃。

 

「うおーーりゃぁーーっ!」

 

ノックバックした相手に、ダガー三連続技『ラピッドバイト』を炸裂させる。

しかし、そこで敵のノックバックは終了し、怪植物は、攻撃のモーションを開始した。

 

「シリカ、スイッチ!」

 

緊張感のある秀吉の声。

 

「はい!」

 

と返答し、シリカは右脚で全力のバックステップをする。

次の瞬間。秀吉の踏み込みは、モンスターの猛攻撃を掻い潜り、一足飛びに本体を間合いにおさえた。

いや、掻い潜るというのは適切ではない。

秀吉は、斬ったのだ。

相手の攻撃手段である触手を、刻みながら歩を進めたのである。

秀吉は、いとも簡単にそれをやってのけたが、並大抵の剣術ではない。高速で襲い来る触手の軌道を完全に見切り、尚且つ、それにソードスキルを当てる技量が無ければ完成しない神業だ。

緑色のモンスターのHPは滑らかに減少し、底をつくと同時に、二メートルはあろうかという巨体を爆散させた。

 

「ナイスです、秀吉さん!」

 

労いながら、秀吉に掌を挙げる。

カタナを鞘に納めた侍は、優しく微笑み、シリカのハイタッチに応じた。

パチン、という響音の後、そろそろ聞き慣れたファンファーレが聞こえた。

顔を下げるとそこには、案の定、ポップアップウィンドウに、レベルアップという文字が記載されている。

 

「レベルアップおめでとう、シリカ」

「はい!あ、しかも丁度レベル四十ですよ」

「うむ。ピッタリわしの三十下じゃな」

「うぇぇっ!秀吉さんって、七十なんですか!?」

「攻略組は大体そんなものじゃぞ。低い奴でも、六十五はある」

「うぅー……レベリング頑張ります……」

 

劣等感の籠った決意を表明したところで、二人は再度、目的地へと歩き出した。

 

そこから、植物型モンスターとの戦闘を三度経たのち、ついに『思い出の丘』がその全容を見せた。

白亜の大理石に彩られた石碑は、荘厳な気配を匂わせる。

象牙色の台座上には、一盛りの土が取り残されたように乗せられていた。

 

「ここが、『思い出の丘』ですか?」

「うむ。もう少し近づいてみるといい。恐らく、アイテムが自動生成される筈じゃ」

 

震えるように、小さく頷いた。

呼吸を整えて、一歩一歩、噛みしめるように空間を消費する。

りん、と何処からともなく音が響いた。

瞬間。

青白い光が、純白の台座に凝集する。

そして────柔らかな色彩を湛えた、人差し指ほどの花が、一輪だけ開花した。

 

「これ……ですか?」

「そうじゃ。根元から千切るれば、アイテムストレージに格納される筈じゃ」

 

たった今生まれたばかりの命に、心の中で謝りながら摘み取る。

それと同期して、『プネウマの花を取得しました』という報告が為された。

 

「これで……これで、ピナは生き返るんですよね?」

 

ゆっくりと、だが、力強く秀吉は頷いた。

込み上げてきた熱い物を必死になって抑える。涙に濡れた瞳の所為で、手元も覚束ない有様だった。

アイテム一覧からプネウマの花とピナの心を選択し、オブジェクト化。

プネウマの花をタップし、『使用する』ボタンを押し込もうとした、その時。

背後から、()()声が投げかけられた。




今回は、ちょっと展開を飛ばし気味にしちゃいましたね。
原作にあるシーンも幾つか削っちゃいましたし……。

書きたい事が次回につまっているので、ここらへんはサクサクいきたかったんですよねー。

という訳で、次回、シリカ編終幕です。


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第五十二話「妖刀」

今回はちょっと早かったですね。

実は、前回の時点でラストまでいくかな、と思って書いてたんです。そしたら、大幅に字数が多くなったので分割にしまして。
だから今回は早かったんですよね。


「あら、シリカ……と、そのお友達。奇遇じゃない」

「ええ、ホント、奇遇ですね。奇遇すぎて……」

 

────笑ってしまう。

振り向いた先には、案の定ロザリア。その傍らに、いかにも屈強な男達が列を成していた。

 

「首尾よくアイテムをゲットできたみたいじゃない。よかったわね。まあ、あんたはそこの女にくっ付いてただけなんだろうけど」

 

あまりに嫌味がましい言葉を吐きながら、ロザリアは秀吉を顎で指した。

当の秀吉は、肩を竦めて、芝居がかった口調で応じる。

 

「いやいや、シリカもなかなかどうして筋が良かったぞい。少なくとも、貴殿を連れるよりは役に立ったじゃろうな」

 

ロザリアは無言のまま、嫌味をさらりと受け流した。

秀吉は、眉をピクリと動かしたかと思うと、すぐに平静に戻って放言した。

 

「しかしまあ、よくもここまで辿り着いたもんじゃの」

「アンタ達が馬鹿丁寧にMobを潰してくれたお陰ね。あ・り・が・と・う」

 

嫌味たらしく、突きつけるようにロザリアは謝辞を述べた。

 

「ふむ。なら、一体くらいそちらに流せば良かったかの。お主らの体力も減るし一石二鳥じゃったな」

「マナーがなってないわね。まあ、そんことされても、隠蔽スキルで回避してだろうけど」

「じゃろうな。お主らが要所要所でスキルを発動するのは視認出来ておったしの」

「なに?アンタ、あたし達に気づいてたとでも言いたいの」

「うむ。もっと言えば、昨日の宿屋で聞き耳を立てられていたことにも気づいておったぞ?」

「…………っ!」

 

ロザリアは息を呑んだ。

完全に隠匿しきっていると思われた自分達の作戦が、既に看破されているという事実。それに、ロザリアの自尊心は傷つけられた。

だが、そんなことにはお構い無しに、シリカは場違いに紅潮した。

昨日の秀吉との会話を思い出し、急に羞恥が湧いて出たのだ。

『そんな絶景を前に、隣に秀吉さんが居てくれたなら、あたしは、きっと幸せです』

……秀吉さんは、聞き耳に気づいていたから、恥ずかしいことを言うな、なんて言っていたんだ。なら、メモか何かでこっちにも知らせてくれれば良かったんじゃないかな。

それならあたしも、あんなに恥ずかしいコト言わなかったのに……。

 

「なら、アタシ達がこうして取り囲んでる理由(ワケ)、アンタも薄々分かってんでしょ?」

「さあ、何のことやら」

 

秀吉の台詞に、ロザリアは眉を顰め、舌を鳴らした。

 

「いちいち癪に障る奴ね。頭の悪いアンタでも分かるように、アタシが解説してあげましょうか?」

「これはどうも、ご丁寧に。ならば、その解説とやらを授からせて頂こうかの」

「ええ、いいわ。つまり、アタシが言いたいのはね、その薄汚い花をこっちに渡しなさいってコトよ」

 

ロザリアの目つきに凄まれ、シリカは、手にした二つのアイテムを、胸に強く抱き抱えた。

渡したくなかった。渡してしまえば、ピナとはもう二度と再会することが出来ないのだから。

だが、シリカには、諦観の念も浮かんでいた。

素直に花を譲渡した方が良いのではないだろうか。そうすれば、確かにピナを生き返らせることはできないが、無関係な秀吉を巻き込む心配はなくなる。

秀吉の強さについては、充分に承知しているつもりだ。ロザリアとの一騎打ちならば、敗北などまずあり得ないだろう。

だが、相手方は十数人の団体だ。

さすがの秀吉でも、この人数を相手取ることは不可能だろう。

まして自分では、戦力の頭数になるかすら怪しい。

────でも、そんなに簡単に、ピナの命を諦めてもいいものか?

あたしにとって、ピナな大切な友達で、唯一無二のパートナーだ。

そんなピナを蘇生させる、千載一遇の機会を、こんな簡単に棒に振っていいのか?

でも、諦めなければ秀吉が……しかし、いや、だって……

その時、背中を押す、暖かな手のひらの感触があった。

 

「自分で決めればよい。わしは、お主の決定に、全力で従うぞい」

 

そんな秀吉の後押しが、相克する葛藤の只中にあったシリカの意識を引っ張りあげた。

 

「ほら、どうするの、シリカ?大人しく渡すって言うのなら、手を引いてあげるわ。けど、その逆は、わかってるわよね?」

 

あやすようなロザリアの声音。

だが、それとは裏腹に、目も口も、平坦に固まっている。

笑顔の裏に込められた毒牙に、シリカは立ち竦み、救いを求めて秀吉を見た。

秀吉は、目線を合わせ、シリカの背中に当てた腕を一気に振りかぶった。

パン、と快活な音が響く。

前のめりになり、二、三歩よろめく。急な行為に戸惑い、行動の真意を求めて秀吉に振り返った。

その時、秀吉は笑っていた。

抱擁のような笑みだった。

────ああ、この人は、なんて優しい人なんだろう。

覚悟は決まった。

きっとこの人ならば、こんな状況でも、なんとか打破してくれるに決まってる。

だからあたしは、あたしのやりたいように言えばいいんだ!

 

「────やです」

「ん?なに?もうちょっと大きな声で言ってくれないかしら?」

「────嫌です」

「は?」

「アイテムも手に入れたのに、もうあと一歩で生き返らせてあげられるのに、あなたみたいな人達のせいで、ピナを諦めるなんて、絶対に嫌ですっ!!」

 

数瞬間、呆けたように固まってから、ロザリアは、鼻白んだ表情を浮かべた。

 

「ふん。そうかい。なら、あんた達、やっちま……」

 

────蛇が奔った。

ロザリアが指令を出すよりも疾く、彼女の首には、死神の牙が擡げられていた。

 

「なっ……!!」

 

視認など、この場の誰にも許されなかった。

侍の一閃は、冷酷無比に刃を添える。

たった一歩の踏み込み。

ただそれだけが、次元の違う疾さだった。

 

「詰みじゃ」

 

ロザリアの耳元で囁かれたその声は、心臓を握り潰さんとする圧力を伴っていた。

戦慄した。

甚く圧倒的な力量の差。それに身震いを禁じ得なかった。

勝てない。絶対に勝てない。この場の全員が、一斉に襲いかかったところで、この侍は、それを容易く凌駕する。

其の御前では、肉叢(ししむら)など虚空も同然だ。

薄紫色に光る刃は、死の気配を濃密に孕む。

その瘴気にあてられたロザリアは、恐慌を露呈しながら、半ば叫ぶように言った。

 

「あ、あんた……何者よ。()のカタナ使いが攻略組にいるなんて話、聞いたことも無いわよ!」

 

攻略組。そう考えるしかなかった。

これほど出鱈目な力の持ち主ならば、最前線、その中でも最高レベルの実力者に違いない。

だが、ロザリアの知っているカタナ使いの最前線プレイヤーは二人だけだ。

一人は、風林火山のギルドマスター、クライン。

そしてもう一人は、トップギルドの一角たるサーヴァンツ、その剣客、秀吉。

しかしながら、この両者は揃って男性だ。

どちらも顔を見たことは無いが、そう伝え聞いている。

だからこそ、眼前の女の存在は、あまりに不可解だった。

その時、ロザリアの幕下に控える男達の一人が、侍のカタナを指差して、慄くように声を上げた。

 

「ロ、ロザリアさん。そのカタナ……『獄蛇』だ!」

 

『獄蛇』。

一度斬れば、標的は毒を受け、連撃を繋げば、毒の効果は持続する。状態異常のバットステータスを持つ剣の中で、最強と目される業物だ。

しかし、それをもつのは、秀吉と呼ばれるプレイヤーの筈。

目前の女が、そのカタナを持ち得る道理はない。

あまりに理不尽な状況に、ロザリアは最大の糾弾を放った。

 

「ご、獄蛇って……魔剣クラスの妖刀じゃない!で、でも、それを持ってるのは、秀吉って()の筈じゃ……」

「わしが女であると、いつ言った?」

 

理解した。

そも、自分は勘違いしていたのだ。

 

「そ、そんな……っ!」

「さあ、どうする?このまま首を跳ねられるか、それともブタ箱にぶち込まれるか」

「な、なによ。まだ未遂じゃない。そんなので、アンチクリミナルコードには引っかからないわよ!」

 

ロザリアの言葉を聞き、秀吉はやにさがった。

そして────

 

「六日前、二十六層、パーティ全滅事件。

二週間前、八層、ギルド解散事件。

十日前、十五層、金品強奪事件。

この他にもまだまだあるぞい。これだけの事をしておいて、よくもそんな白が切れたもんじゃな」

「な、なんで……」

「知ってるのか、とな?うむ。少々、諜報に長けた友人がおっての。お主らの事を調べてもらったのじゃ。そしたら、出るわ出るわ悪事の数々。一周回って面白くなってきたくらいじゃ。まったく」

 

奥歯を軋ませながら、秀吉は言った。その声音が孕むのは、どう見積もっても怒気だけだった。

ロザリアは、よろけるようにへたり込んだ。

 

「コリドーオープン!」

 

秀吉が、聞きなれない起動式を上げた。

すると虚空に、二メートルほどの、扉のような青白い光が浮かんだ。

 

「ここに回廊結晶がある。黒鉄宮直通の特別製じゃ。さあ、どうする?」

 

秀吉が言うと、列なす男達が、一人また一人と、ワープゾーンまで力無く歩いていった。

そうして、盗賊然とした男達が全員、黒鉄宮に送還された。

後に残るのは、地面に座り込んだロザリアだけだ。

 

「む……どうした?お主はワープゾーンに入らんのか?」

「ふ、ふん!あたしのカーソルはグリーンよ!黒鉄宮に送還されても、瞬時に監獄送りにはならないし、まして、あたしを攻撃すれば、アンタがオレンジに……」

 

そこまで言ったところで、ロザリアの手の甲を、『獄蛇』の鋒が掠った。

秀吉のカーソルが、新緑色から、明褐色へとすり替わった。

 

「……えっ?」

 

シリカとロザリアの両者から、ほぼ同時に驚嘆が漏れた。

 

「お主を毒の状態異常にした。一秒間に千ダメージずつ加算されてゆくぞ。

────さあ、お主の命はあと何秒じゃ?」

「な、なんで、そんな……オレンジになるのに……!?」

 

ロザリアは、呂律も回らず叫び出す。

そんな相手を犯罪(オレンジ)(プレイヤー)となった侍が()めつける。

 

「カーソルの色がなんじゃ。そんなもの、カルマ回復クエをクリアすればよいだけじゃろう。さあ、どうするのじゃ、ロザリア。黒鉄宮は『圏内』じゃぞ?」

「…………っ!」

 

ロザリアは、歯噛みしながら、転移門へと飛び込んだ。

そして、コリドーは収束を始めた。

シリカと秀吉の二人は、顔を見合わせ、微笑みを交わした。

やがて、両者は揃って帰路に着いた。

 

「秀吉さんのお友達って、凄い人ですね。一晩で、あれだけの情報を調べ上げちゃうだなんて」

 

まずは、最も気になった事について話題を振った。

実際、『彼』の手腕は尋常ではない。

情報管理の甘いあたしの事なら、一時間くらいで調べ上げちゃうんだろうなあ、などと独り言ちていると、秀吉は、手柄顔を作り、まるで我がことのように言った。

 

「うむ。あやつは、普段は頼りないんじゃが、その筋に関してはエキスパートじゃからの」

 

そう言い切ると、打って変わり、秀吉は神妙な容貌を呈した。

急な表情の変化に、ほんの少しドギマギしてしまう。

少し硬くなりながら待った秀吉の言葉は、シリカにとって、少々意外な物だった。

 

「ところでシリカよ。お主に謝らねばならぬ事がある」

「な、なんですか?」

 

秀吉は、目を伏せながら続けた。

 

「実はの、わしは今回の件に関して、少しばかり私情を挟んでおったのじゃ」

「それは、どんな?」

 

答えが齎されるまでの数瞬間、想像を巡らせる。

この事件の中で、秀吉の得になるような事があっただろうか。

いや、そもそも、秀吉に助けて貰ったのはこちらなのだ。

自分は、謝りこそすれ、謝られるような身分ではないではないか。

 

「今、攻略組は、とある集団を見つけ出そうと躍起になっておるのじゃ」

「集団って、どんな?」

「うーむ……一応、極秘情報なのじゃが、シリカになら言っても問題なかろう。『ラフィンコフィン』というギルドを知っておるか?」

 

『ラフィン・コフィン』

その名を知らぬなど、言える筈がない。

笑う棺桶の名を冠するそのギルドは、アインクラッド初にして唯一の殺人専門ギルドなのだ。

体力の消費が死に直結するこの世界では、どれほどの悪党であっても、殺人は忌避すべき物だ。

だが、ラフコフだけは違う。

彼らは嬉々として人を殺し、愉悦に浸る。

そこに、善悪の呵責は存在しない。

ただ、殺したいから人を殺す殺人集団。

それが、シリカの知りうるラフィン・コフィンの情報だった。

 

「ええ……殺人(レッド)ギルドの……」

「うむ。今、わしらはそやつらの影を追っておるのじゃ」

 

その言葉は、予想できた。

けれど、聞きたくなかった。

聞きたくなかった?

なぜ、あたしはその作戦を聞きたくなかったのだろう。

殺人鬼達が捕まるというのなら、むしろ好ましい自体ではないのか。

策略の一端を聞いてしまったことで、殺人者に狙われるとでも思ったのだろうか。

冗談。

あたしはその考えへと瞬時に至るほど頭の回転は早くない。そもそも、そんなに利己的じゃない……と信じたい。

なら、どうしてだろう。

いや、多分、わかってる。

自分でも、分かっているのだ。

きっとあたしは、秀吉さんをレッドプレイヤー達と遭わせたくなかったんだ。

もしかすると、秀吉さんは、殺されてしまうかもしれない。だから、そんなのは嫌だと思ったんだ。

保身より早く、真っ先にそう思ったのは、きっと、あたしは秀吉さんのコトを大好きになってしまったという事なのだろう。

そう、シリカは結論づけた。

 

「今回の件で尻尾くらいは掴めるかと思っておったのじゃが、まったくの別件じゃったの」

 

秀吉は、苦虫を潰すように言った。

その落胆は、シリカには推し量るべくも無い。

少しでも力になれないだろうか。そう思ってみても、非力な自分では、出来そうなことなど思いもよらなかった。

それからも、他愛の無い話を語らいながら、二人は逍遥を続けた。

そして────

 

「ではな。また縁があれば、出会うこともあるじゃろう」

 

そう言って、秀吉は転移門の前に立った。

────言わなきゃ。

今言わなきゃ、この人は、また遠いところへ行ってしまう。

あたし程度の実力じゃ、いつまで経っても辿りつけないような場所に。

なのに、渇いた口は動いてくれない。

感情が本能に抑圧される。

理性が知性に圧迫される。

シリカは理解しているのだ。待ち受ける困難を。

今ここで、ついていきたいと懇願すれば、秀吉は快く了承してくれるだろう。

けれどそれは、茨の道だ。

圧倒的なレベルの格差。

現在の層とは比較も憚られる、強力なモンスター達。

それらはあまりに高すぎるハードルだ。

だからこそ、言葉はどうしても(カタチ)にならない。なってくれない。

最後の一歩が、どうしてもシリカには踏み出せなかった。

その時、シリカに背を向けたまま、秀吉が、言い聞かせるように呟いた。

 

「ああ、そうじゃ。ウチのギルドは、攻略組にしては、著しく人数が少なくての。せめて前衛があと一人増えたら大助かりなんじゃ。まあ、無理にとは言わんがな」

 

息が詰まった。

喉元に熱感がこみ上げて、目から水滴が溢れそうになる。

ああ、本当に、なんて優しい人なんだろう。

 

「────はい!」




これにてシリカ編、完結です。

そして、次回はまたまたオリ展開です。
内容は、秀吉の言っていた通り、ラフィンコフィン決戦編!
お楽しみに!


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第五十三話「逃走」

今回の投稿も、ちょっと早めでしたかね。
どうやら僕は、オリ話だと少しだけ描くのが早くなるっぽいです。

まあ、そんな訳で、ラフコフ編序章、第五十三話始まるよ!


────走る。

 

月下の樹海を、ただ只管に走り抜ける。

追われている。

だから走る。

囲まれている。

だから走る。

追いつかれる。

だから走る。

そうしなければ────殺される。

息が上がってきたような錯覚に陥る。この世界では、あり得ない生理現象。

けれど、走らなければ。

私は、こんなところで死ねない。死にたくない。

ティアとして生き絶えるなんて嫌だ。私は、霧島翔子として此の世を去りたい。

だったら、逃げるしかないのだ。

殺人鬼の数は、少なくとも十以上。

その誰もが、攻略組にも引けを取らぬ猛者達だ。

その人数相手に()()で挑むなど自殺行為だ。

逃走手段は、森を抜けるだけ。

局地的な結晶無効化空間であるこの森林では、ホームタウンへのひとっ飛びも不可能だ。

その時、十五メートルほど離れた先に人影が見えた。

脚を止め、迂回を試みる。

と思ったが、どうやらその人物は、この旅における唯一の相方らしかった。

 

「……ボルト、無事?」

 

アバター名ボルトこと、根本恭二に社交辞令のような問いを掛けた。

 

「無事と言えば無事だし、そうじゃないと言えばそうじゃないな。

身体には傷一つなくても、精神的にはかなり参ってる」

「……身体も精神も、この世界ではあんまり変わりない」

「ああ、違いないな」

 

そう言って、ボルトは相好を崩した。

気丈を保つ面目とは裏腹に、ボルトの容貌には、疲弊の色が滲んでいる。

 

「……大丈夫。もうすぐで森を抜けられる」

 

気休めにも成らない励ましをする。

森の出口には、必ず殺人者達が待ち受けているであろうことは、ボルトにもきっと解っている筈だ。

ボルトが、歯を食いしばり、目を伏せた。

 

「なぁ、ティア」

 

そんな呼び掛け。

含まれていたのは─────悲痛、だろうか。

 

「あ────っ!?」

 

私の胸元には、見慣れぬ針が刺さっている。

それも、裁縫針のような小さな物ではない。包丁ほどはあろうかという、大きなピックだ。

そして、体力ゲージの横にはチカチカ点滅する黄色の雷マーク。

意味は分かった。

状況も理解出来た。

けれど、感情だけが追いつかなかった。

 

「まあ、恨んでくれて構わないぜ。俺は、自分の身が可愛いんだ」

 

そりゃそうだろう。誰だって自分が一番だ。

そうでなければ人間ではない。

自己中心主義者(ナルシスト)と奉仕者の差異は、どれほど自分を他人に割けるかにかかっている。

ボルトが執った行動は、非道く利己的な判断に基づいたものだ。

それを非難する権利など誰にも無い。

今のこの状況は、ラフコフの相手をして死ぬか、もしくは────ラフコフ側に加担するか。

ボルトは、ただ生き残れる可能性が高い方についただけ。

彼の行動は、人間として至極正しい物なのだ。

けれど、嫌だった。

サーヴァンツの一員が──仲間が、こんなにも簡単に裏切ってしまったという事実が。

当然、ボルトが裏切る可能性を考慮しなかった訳じゃない。

ボルトを発見した時、見つからないように逃げる選択肢も頭に浮かんだ。

だけど、信じたかったのだ。

だから、きっと、ボルトを信じた私の負けだ。

人の心を信じたからこそ、結末を度外視したからこそ、私の生はここで絶える。

いや、でも、もう少しだけ抵抗しよう。

私にだって、やりたい事は沢山あるし、興味のある事も山ほど抱えてる。それら全てを諦められるほど、今の私は悟っていない。

解毒結晶────は使えないので、左腰の解毒ポーションに手を伸ばす。

 

「──────っ!」

 

左手に新たな大針が差し込まれ、減少を続けていた麻痺持続時間が数倍に膨れ上がった。

ボルトは肩を竦め、大仰な動作で言ってみせる。

 

「おおっと!危ない危ない。ちょっとの間、大人しくしといてくれよ。今から、俺の新しいナカマを呼ぶからさ」

 

やにさがりながら、ボルトはシステムウィンドウをタップする。

きっと、メッセージを送信しているのだろう。

梢が揺れて、ざわざわと音を立てている。

夜風は妙に冷たくて、身体が芯から冷えるようだった。

月光に照らされ、くっきりと浮かぶボルトの影。漆黒のソレは、私に鴉を連想させた。

やがて、草を踏むとき特有の、シャリシャリという音が、遠くから近づいてくるのが聴こえた。

誰か───来た。

ボルトを含めて五人の男が、私を取り囲む。

フードを目深に被った男。

粘ついたえみを浮かべる男。

紳士然とした切れ長な目の男。

曲刀を振り回し血走った眼の男。

鈍色の刃が、煌煌と照り返す。

それに映った自分の顔は、見るに堪えないほどグチャグチャだった。

思考は冷静だと思っていたのに、いつの間に、私は泣いていたのだろう。

自分の頬に感覚は無い。

けれど、鏡の向こうのほっぺたには、大粒の涙が滴り続けている。

ああ、気がつかなかった。

私は、死ぬのが怖いんだ。

だから鏡中の私は、あんなにもボロボロみっともなく泣いていて……。

動悸が早くなる。

ああ、もう終わり、なんだろうか。

せめて、叶うならもう一度……

もう一度、雄二に会いたかった。

もう一度、雄二と一緒に笑いたかった。

もう一度、雄二の隣で眠りたかった。

もう一度、雄二と───

 

「助けて!!ユウ!ユウ……雄二────ッッ!!」

 

絶叫を遮ったのは、夜の帳か、間断の刃か、それとも……

 

 

深夜、物音でクッキリと覚醒した。

寝付けばテコでも起きない事に定評がある僕にとって、相当稀有な事態だ。

どう見積もっても窓の外は真っ暗で、まだ起きるには早い時間であるのは瞭然だ。

しかし、二度寝を決め込もうにも、眠気はとうに消え去っていた。

仕方なく寝台から身体を起こす。

どうにも手持ち無沙汰なので、物音のしたリビングへと向かうことにした。

そこには、赤髪を逆立たせたギルドマスターが、何かの作業に打ち込む姿があった。

 

「ねえ、ユウ。何してんのさ」

「ん……ライトか。何って、マップにポイント付けてんだよ。見りゃ解るだろ?」

 

僕の疑問に、ユウは意図とずれた答えを返した。

ユウにしては珍しい失態だが、それもしょうがないだろう。何故なら今のユウは、僕に見向きもしていないのだから。

一心不乱にユウが進める作業は、ホログラムマップに赤いマーカーを付けるという、如何にも地味な作業だった。

質問の意味をユウに理解させるべく、少しだけ早口で補足した。

 

「そうじゃなくて、僕が訊きたいのは、何を目的としてマーカーを付けてるのかって事だよ」

「ああ、なるほど。それならそうと早く言いやがれ、バカ野郎」

 

逆ギレの上にバカ扱いだった。

品行方正、成績優秀、才色兼備のこの僕にバカとは、一体全体、どういう了見なのだろう。

 

「お前それ、マジで思ってんのか?」

「コンスタントに読心かつ汚物を見るような目を向けるなよ!」

 

大体、マジで言っる訳ないじゃないか。三割は冗談だよ。失礼しちゃうな、まったく。

肩を竦めて、ユウのおつむを残念に思っていると、やっとユウから答えらしい答えが返ってきた。

 

「恐らく、ラフィンコフィンによる物であろう事件。それが起きた場所のマッピングだ」

 

ユウの言葉に、僕は思わず目を見張った。

───ラフィンコフィン。

その名を、この一週間で何度耳にしただろう。

彼の殺人ギルドの悪逆無道を食い止めよう、という案が攻略組内で出されたのは、先週、ヒースクリフの口からだった。

その立案が、今や攻略組の顔役である『血盟騎士団』の長から出たのは、当然と言えば当然の流れだろう。

結果として、攻略組による大規模な連合軍が結成された。

しかしどうやら、それ自体が抑止力となったらしく、ラフィンコフィン関連の事件は、それからぱったりと途絶えた。

故に、攻略組全体に弛緩した空気が流れたのは仕方のないことなのかもしれない。

連合軍、という肩書きがあれば大丈夫。そんな慢心により、ラフィンコフィンの討伐という目的自体が形骸化したのは言うまでもない。

かく云う僕も、もう()()()()()()だと考えていたのだが、どうやらユウだけは違ったらしい。

この男は、未だにラフィンコフィンを単身で追い続けているのだ。

楽観しないコイツの姿勢は、僕も見習わなくてはならないかもしれない。

凶行が治まったと言っても、またどこで再燃するかわからない。ラフィンコフィンを完全に無力化するまでは、用心しすぎるなんてことはないのだろう。

だがしかし、どうにも僕には、殺害現場をマッピングする意味が見出せなかった。

その行為にどういった意味が介在しているのか。僕は、率直にユウに問うた。

 

「マーキングして何になるの?」

 

バカにするように溜息を洩らしてから、ユウは懇切丁寧な説明をしてみせた。

 

「奴らの動きに、有る程度の規則性を見出せないかと思ってな。そうすりゃ、あいつらの拠点の場所もいくらか絞り込めるだろ?」

「なるほど。そういうことか。じゃあ、もう幾らか見当ついてるの?」

「今のところ怪しいのは、三十三層から三十七層の間。

その中で、アジトと成り得る安全地帯の洞窟が存在するのが、三十三、三十五、三十六の三つだから、恐らく、潜伏してるのはそれらの階層のどれかだろうな」

 

素直に感嘆してしまう。

なんて手際の良さだろう。

 

「その情報、全部一人で集めたの?」

「んな訳ねえだろ。ムッツリーニと秀吉にも手伝って貰ったんだよ」

 

なるほど、それならまだ納得がいく。

いや、それでも十分凄いのだが。

何しろ、攻略組が寄ってたかっても発見できなかったラフコフの拠点を、たった三人でここまで絞り込んでみせたのだから。

だが、そんなこととは別に、僕には一つ気がかりがあった。

 

「……ちょっと待った。なんで僕には声かけないのさ」

 

ハブられてるみたいで悲しいじゃないか。

ユウは、顎に手を当てて、何やら考え込んでいるようだった。大方、言い訳でも模索しているのだろう。

ユウのことだ。きっと、僕には分からないような単語を使い、更に僕をバカにするに違いない。

 

「んー、だってお前、バカじゃん?」

 

どストレートだった。

 

「ビブラートに包めよ!傷つくだろ!」

「ああ、確かにお前は震えるほどバカだな」

 

────?

会話が噛み合っていない気がする。

ユウって、ビブラートの意味も分からないようなバカだったっけ?

眼前の悪友を内心で嘲笑しながら、僕は議題を本筋に戻した。

 

「まあ、それは兎も角。そこまで敵の場所を割り出せてるんなら、虱潰しに捜索すればいいんじゃないの?」

「あのなぁ……敵の本拠地に、大した策略も無しに突っ込むバカがいるか? そんなの、お前くらいのもんだぞ?」

 

余計な一言は、敢えて無視することにした。ユウの言葉に一々取り合っていたら、時間が幾らあっても足りやしない。

 

「え……じゃあ、何の為にラフコフのアジトを捜してたの?」

「ま、簡単に言えば保険だな。

────今のところは、だが」

 

そう言って、雄二は笑った。

仲間にしては頼もしく、敵にしては、空恐ろしいほど邪悪な笑みだった。




今回の要約。

霧島さんピンチ!
雄二が何か作戦立ててるっぽい。

……話進んでねえ!


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第五十四話「音声記録」

もうちょっと早く投稿出来るかと思ったんですが、中々難しいもんですね。
というか、今気づきました。四千文字ずつの投稿は、伏線の張り方が難しいです。



木洩れ陽が、瞼に差し込み目が覚めた。

光の加減とか、ホント上手く作り込んであるよな、このゲームは。と、改めて感嘆してしまう。

半端に二度寝をした所為か、妙に気怠い。

ベットから腰を上げて、台所への扉に手を掛ける。

軽く既視感(デジャヴ)

いや実際、深夜に見た光景なのだから、デジャヴもクソも無いのだが。

開帳するとすぐ、赤味噌の風味が鼻腔を擽った。

アスナかアレックスが朝ご飯を作ってくれているのだろう、と思いながらキッチンを見やった。

ところが、そこに立っていたのは、栗色の髪をしたレイピア使いでも、漆黒の髪をしたメイス使いでもなく……

 

「……優子?何してんのさ?」

「うっひゃああぁぁあーーっ!?

お、驚かさないでよ!」

 

背後から声を掛けると、優子は耳を(つんざ)く金切り声の悲鳴を上げた。

 

「え……別に、驚かすつもりは無かったんだけど?」

「嘘よ、嘘!絶対嘘!だって足音聞こえなかったもん!」

 

ブンブンと首を振って、僕の言葉を否定する優子。溢れ出る殺気にさえ目をつぶれば、中々可愛い動作だろう。

しかし、音が聞こえなかったというのは、単純に優子が聞き逃しただけなんじゃないだろうか。

 

 

「それって、優子の注意力が無かっただけじゃ……」

「何?アタシの所為にするって訳?」

「いや、別にそういうわけじゃないんだけど……」

「いいわ。なら、こっちにも考えがあるんだから。いつか、もんどりうつほどビックリさせてやるから精々覚悟してなさい!」

 

もう既に殺気だけで戦々恐々としてる僕に、これ以上ダメ押しする気なのだろうか、優子は。

『ビックリさせる』という内容に対して命の危険を感じながら、僕は優子に問いかけた。

 

「ところで、何で優子が料理してるの?」

「何でって、悪い?」

 

剣呑な目つきで、僕の心臓を握り潰さんとする優子。この質問は地雷だったろうか?

愛想笑いを浮かべながら、当たり障りの無さそうな言葉を取捨選択して言った。

 

「ええっと……優子がご飯を作るなんて、珍しいなぁって思って、ね?」

「いいでしょ、そのくらい!もう、向こう行っててよ!」

 

そう言って、優子は僕をキッチンから押し出した。

逆らっても良いことは無さそうなので、大人しく味噌汁が出来上がるのを居間で座って待つ。

 

「……誤算だったわ。こんなに早く見つかるなんて。驚かそうと思ってたのに……」

 

優子が何かブツブツと言った気がするが、高菜らしき物を炒る音で聞こえなかった。

ジュワジュワと、食指を強制的に動かす音に期待で胸を膨らませる。すると誰かが、階段を下る木音が僕の耳朶を打った。

振り返ると、そこに居たのは色付いたショートボブを寝癖で固めた、目つきの悪いソードマンだった。

 

「おはよう、ボルト」

「ああ、おはようライト。それに優子も」

 

ボルトの挨拶に、優子は小さく頷くだけだった。だが、この二人の折り合いが悪いのはいつもの事なので、触れずに受け流す。

だがそれでも、少し空気が重たくなったのには違いないので、和ませる為に、ボルトに軽い質問をした。

 

「ところで、昨日の夜居なかったみたいだけど、どこ行ってたの?」

 

このギルド、サーヴァンツの方針は、ボス戦以外の行動は基本的に自由。故に、誰が何処でどんな行動をしていようと全くお咎めは無い。

けれど、ボルトは基本的に夕食時には帰って来る人なので、少し気になったのだ。

 

「ん……昨日は普通に狩りをしてたな。没頭してたら思ったより時間を食っちまって、レベルアップしてキリが良かったんで帰ってきたんだ」

「ふうん。何時くらいに?」

「ギルドホームに着いたのは、五時くらいだったかな?」

 

となると、ボルトは二時間しか寝ていない訳だ。

得心いった。それならクマの一つもできるだろう。

 

「ああ、なるほど。それで寝不足気味なんだ」

「うえ、そんなに眠そうか、俺?」

 

どうやらボルトには自覚が無かったらしく、たじろぐような苦笑するような微妙な表情を浮かべた。

 

「うん、結構ね。だってクマ出来てるよ」

 

そう指摘すると、ボルトは照れ臭そうに頬を掻いた。

 

「まいったな……。もう一回寝ようか」

「うん。その方が良いと思うよ」

 

ボルトは、僕の意見に小さく首肯した。そうして、後ろ向きにキザったらしく手を振ると、階段を徐に登って行った。

すると即座に、僕の眼前に漆器のお椀が置かれた。

 

「やっと出てったわね、あの根暗野郎」

 

さらっと暴言を吐く優子。

あまりにもあんまりなので、咄嗟にボルトの擁護をしてしまう。

 

「あの……優子?最近、ちょっとボルトに当たり強くない?」

「今更なに言ってんのよ。元からよ、元から。大体、いけ好かないのよね、アイツ。SAO(ここ)に入る前からね」

 

いや、そりゃまあ僕だって、ボルト及び根本はあんまり好きなタイプじゃないけど。

同じ屋根の下で暮らす仲間なのだから、関係は良好であるに越したことは無いだろう。

ギルドの信頼関係を案じていると、心配の種がどんどんと料理を運んできた。

そうして出来上がったのは、鮭に鱈子、高菜に味噌汁、とろろに納豆、トドメとばかりに雑穀米まで付いた純和風の食卓だった。

アインクラッド内では望むべくもないと思われた食事内容に、素直に感嘆の声を上げてしまう。

 

「うわあ、凄いね!鱈子とか納豆って、どうやって再現したの?」

「鱈子は、『カルパクアブ』っていうモンスターの卵を、色々な味で漬け込んだの。

納豆は、NPCショップで買ってきた『パルビーンズ』をベースにしたわ」

 

えっへん、とでも聴こえてきそうなほど鼻を高くして、優子は嬉しそうに説明してみせた。

よほど自分の努力が形になった事が誇らしいのだろう。

ところでカルパクアブと言えば、蛆虫を巨大化させたようなゲテモノMobだ。

となると、これは蛆虫の卵と云うことに……。

いや、さすがにこの想像は、作ってくれた優子に失礼極まりない。

それよりここは、アレから鱈子が作れると思い至った優子の創造力を賞賛すべきだろう。

 

「その製法って、優子が考案したの?」

「あ、いや、殆どアレックスとアスナとティアが味の解析をしたから、アタシはそんなに……」

 

優子は、しおらしく自分の功績を否定した。

だが、本当に何もしてないなんて事は優子に限ってあり得ないだろう。

もしそうならば、優子は衒う事などしない。

そうなると、優子は自分の腕に自信が無いのか、はたまた、料理で頑張る事がカッコ悪いと勘違いしているのか。

 

「そんなに謙遜しなくても。優子もきっと頑張ってくれたんだよね。ありがとう」

「な、何言ってんのよ!別にアンタの為じゃ……自分で言うのもなんだけど、テンプレ過ぎるわね、コレ……」

 

テンプレって何の事だろう。

まさかテンプラと言い間違えたなんて事はないだろうし……などと思っていると、優子の上げた声が僕の思考を中断させた。

 

「ともかく!お礼を言うくらいなら、食べて美味しかったって言いなさい!」

「あはは、それもそうだね。それじゃ、いただきます!」

 

食前の通過儀礼を済ませ、勢いよく手を合わせる。

そして、まずは味噌汁に手を付けた。

カンカンの液体に舌が痺れる。汁が喉を下ってから、鼻に届く味噌の香り。

具材は、大根、人参、玉ねぎと魚のアラだ。野菜達の食感の差が楽しい。

こうなると、このままご飯にかけてねこまんまも一興だろう。が、優子の前なので自重する。

二口目。

今度は魚を摘まんでみた。

味や食感は鯛に似ている。味がしっかりと染みていて、これまた美味しい。

漆器のお椀を木机に置いて、一息ついた。

 

「美味しい?」

 

僕の顔を覗きこみ、上目遣いで優子が訊いた。

瞳には不安と期待が内在し、答えが芳しくなければ今にも泣き出してしまいそうだ。だが、顔全体ではポーカーフェイスを装って、内心を必死に誤魔化している。

くっ……この顔は!美味しくなくても美味しいと言ってしまう魔力が有る!

いやまあ、実際美味しいから気兼ねなく太鼓判を押せるけどね。

 

「うん、美味しいよ。文句無くね」

「ほ、ホントに!?お世辞だったら承知しないわよ!」

 

破顔したり怒鳴ったりと、忙しく表情を変える優子。そうして、僕より男らしく味噌汁をかき込んで、盛大に言い放った。

 

「やったぁーーーっっ!!初めて美味しく作れたわ!」

 

座っていた椅子を吹き飛ばすように立ち上がり、優子は両手で思いっきりガッツポーズした。

途轍もなく感慨深そうな優子の叫び。その無邪気な笑顔には、こちらまでほっこりしてしまう。

だが、優子には僕が箸を止めているように見えたらしく、鱈子を片手ににじり寄るよってきた。

 

「さあ、食べなさい!もっともっと食べなさい!」

「う、うん。分かったから、そんなに急かさないでよ」

 

そう言って鱈子もどきへと箸を伸ばした。

その時。

 

「ただいまー!」

「ただいま帰りましたっ!」

 

元気いっぱいの声と共に玄関を開け放ったのは、我がギルドが誇る美少女剣士二人組だった。

 

「おかえり、二人とも。買い物お疲れ様」

 

僕に先んじて優子が出迎え、それに乗じて、僕は気になることを訊いてみた。

 

「おかえり、アスナ、アレックス。買い物ってどこ行ってたの?」

「二十五層の大朝市だよ」

 

枝垂れる髪をかきあげながら、アスナは質問に答えてくれた。

だがしかし、その返答は新たな疑問を僕に産んだ。

 

「朝市?」

「え──もしかしてライト君、知らない?」

「うん。朝弱いから、そういうイベントには疎くって……」

 

僕が遠慮がちに言うと、アスナががっと身を乗り出した。

 

「勿体無いよ!」

「そ、そんなに?」

「うん!だってあの朝市、ノーブルフォックスが一万円で売ってたりするんだよ。ね?お買い得でしょ?」

 

それは確かにお得だ。

ノーブルフォックスと言えば、大きい物で一頭三万円の値が付く高級食材。

それが、定価の三分の一で売られているのだから、僕だったら即買してしまいかねない。

となると、前から料理してみたかったパルサークラブも……などと、食い意地のはった妄想をしていた、その時。

マスタールームの大扉が、馬車馬に鞭打つが如く押し開かれた。

そこから登場したのは、当然の事ながら、ギルドマスターのユウだ。

ユウは、寝起きにも関わらず顔面蒼白で、三白眼を効かせながらリビングの隅々まで観察している。

急激な空気の変化に不快を覚え、僕は冗談をした。

 

「どうしたのさ、ユウ。怖い夢でも……」

「おい、お前ら!しょ……ティアの姿を見てないか!?」

 

叩きつけるやようなユウの声音は、今が異常事態であると僕に認識させるには充分過ぎた。

全員が気圧されて押し黙り、一人、また一人と首を横に振った。

ユウが奥歯を鳴らした。

 

「クソ。やられた……ソロのところを襲われ……いや、アイツは、昨日誰かとフィールドに……

アスナ……違う。

アレックス……違う。

キリト……いや、アイツは一週間以上帰ってきてない。

秀吉……違う。

ムッツリーニ……違う。同時にリーベも違う。

ライトも俺も当然、なら────ボルトか!」

 

ブツブツと独り言を呟いたあと、ユウは二階に向かって階段を駆け上がった。

ユウが何を言っているのか解らないまま後を追う。

僕が二階に到着した時、ユウはボルトの部屋の前に立って、今まさにノブに手を掛けるところだった。

 

「ボルトは今寝てるから、多分開いてな……」

 

ガチャリ────開いた。

 

扉が響かせる軋みは、蛇の這いずりにも似ていた。

そして、部屋の中には、ベッドに横たわるボルトが────いない。

代わりに置き捨てられていたのは、ヘドロのように濁った緑色をした音声記録結晶だけだった。




今回は、殆ど日常回つて感じでしたね。
日常部分は二千文字に抑えようと思っていたのですが、書いてるうちにいつの間にやら四千文字になつわているという事実。
あな恐ろしや、雰囲気書き。


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第五十五話「ごめんなさい」

今回はちょっと難産でした。
そしてちょっと短目です。
いや、こういうのって色々難しいですね。



『あーテステス。これで撮れてる?OK?

よし、じゃあ行こう。

やあやあ、ご機嫌麗しゅうサーヴァンツの少年少女達。

アンタらの周りは、ゲロ吐いたみてぇな腐った空気感になってると思うが、如何お過ごしかな?

それはそうと、オレの名前は知ってるかい?

おおっと、解らないか。

じゃあクイズだ。オレの名前はどれでしょう?

①プー

②PoH

③ぷう

さあ、①から③の中で一つ選んでくれたまえ。

え?全部プーじゃないかって?

おいおい、手厳しいツッコミだな。大正解だ。

オレの名はPoH。新進気鋭のベンチャー社長だ。

まあ、そんなクソみたいに笑えねぇ冗談は、キミ達の口の中にでも突っ込んでおくとして。

またまたクイズです。これは誰の声でしょう?

「あ──ぁ──かぁ────っ!!」

wow!お前ら容赦無えな。ユウ!私を助けて!的なこと喋らせろつったろ。なに腹パンで喘がせてんだ。

まあ、そういう訳だから、愛しのユウ君は精々頑張ってprincess『Tear』を助けてくれたまえ。

ティアは人質に取られ、ボルトは寝返り、キリトは帰ってきていない。

大変だなあ。実に大変だ。心中お察しするってヤツだな、うん。

ああ、ちなみに、これはボルトからの報告なんだが

────キリトは始末したんだと。

ボルトも容赦ねえよな、全く。昨日まで同じ釜の飯食ってた仲間をそんな簡単に()っちまうなんてよ。ギルドマスターとして涙が出るぜ、いやホント。

まあ、そんなことはどうでもいいか。

人食祭(カーニバル)の開催地は三十五層、西の洞窟だ。

神への◼︎◼︎◼︎◼︎を済ませてから、至急来られたし。

そんなら、Bye bye、adios、また会う日まで!』

 

そこで、記録された音声は途切れた。

そして僕は────窓を蹴り破り、全力で駆け出していた。

 

「おい、ちょっと待てライト!まだ再生が終わってない!」

 

ユウの制止は、風切り音に紛れて消えた。

いや、そもそもだ。

ここでティアを助けに走らない意味が解らない。

最も激昂すべきはユウの筈だろう。

最もティアが望んでいるのは、ユウの助けだろう?

ならなぜ、アイツはあんなにも冷静なのか。

ふざけるな、バカ野郎。

記録された音声なんかチンタラ聞いてる暇があったら、一刻も早くティアを助けに行けよ!

それにキリトだって、ボルトに殺されたかも────

いや、そんな筈ない!

キリトに限って、ボルトに負けるなんて、そんなことって……。

僕はキリトを信じてる。

キリトの強さを、しぶとさを心の底から信じてる!

だから、キリトが死んだなんて、そんなことある筈ない!

ないんだけど────心中の不安は拭えない。

幾ら否定しても、可能性だけは消え去らない。

きっとこれは、キリトが目の前に現れてくれないと消えない類のモヤモヤだ。

だから今は、ティアに全力を尽くす。今ならまだ助けられるティアに、僕は本気で食らいつく。

一心不乱に走っていると、ものの数分で転移門が見えてきた。

あそこに飛び込み、三十五層を選択する。そこから西の洞窟まで走り抜け、ティアを攫って逃げ帰る。

これが最善にして最速の策だろう。

手段なんて選んでられない。

全身全霊、全力を賭して殺人鬼共からティアを奪い返してみせる!

 

「転移、ハルニヤ!」

 

瞬間、僕の身体は三十三層へと飛ばされた。

 

そして目の前に──────

 

「アレックス……何でここに?」

 

アレックスが居た。

 

「転移結晶です」

 

アレックスは淡白に言った。

漠然とした不気味が過る。

手段でなく理由を問うたのだが、アレックスにはそれが伝わらなかったらしい。

だが、状況から然るにティアを助けに来たのだろう。

そうと決まれば善は急げだ。

ああ、頼もしい助力を得られた。

 

「よし、じゃあ行こうか、アレックス」

 

そう言って歩き出した僕の腕を、アレックスはきつく握った。

実際には振りほどくのも容易いソレが、僕には鮫牙が如き鋭利さに幻視()えた。

 

「何してるの、アレックス。離してよ」

「ねえ、ライトさん。私は助力に来たんじゃなくて、貴方を止めに来たんです」

 

意味が、解らない。

 

「冗談は止してよ。ほら、早くティアを助けに行かなきゃ……」

「冗談は貴方です。このまま行ったら犬死にですよ。そんな損得勘定も出来ない人ではないでしょう、貴方は」

 

意味が、解らない。

 

「じゃあ、何?アレックスはティアを助けに行かないの?このままだと、ティアは死んじゃうかもしれないんだよ?」

「ユウさんが今、作戦を練っています。せめてそれを待ちましょう、ね?」

 

意味ガ、解ラナイ。

 

「そんなのを待ってて、もしティアが殺されたらどうするんだよ!ふざけんな!

僕の能力ならティアを連れて逃げられる。だから僕一人で行く。

だから、アレックスは帰ってろ!

邪魔すんな、バカ野郎!」

 

アレックスは怯えたように瞳を伏せた。

罪悪感は少し芽生えた。だけど、それは怒りで塗りつぶされた。

アレックスは、唇をわななかせながらも言葉を発した。

 

「お、落ち着いて下さい、ライトさん」

「黙れ────ッ!!

何で落ち着かなきゃならないんだ!

そもそも、何で君は落ち着いてられるんだ!

ティアが命の危険に晒されているんだぞ!?

現在進行形で体力が減ってるかもしれないんだぞ!

それでも君は、僕を止めるって云うのかよ!?」

 

ああ、頭が割れルように痛イ。

自分ガ何を言っていルノか、解ラナイ。

 

「私だって、ティアさんの事が心配です……。けど……」

「けど、何?ホントに心配なら、けど、何て言葉は出ない筈だろ?

じゃあ、あれか。アレックスには、仲間より大切な物が有るって事?」

 

アレックスは息を飲んだ。

そして、オレの目を見た。

強い、眼差しだった。

 

「ええ、あります。私には、ティアさんの命より大切な物が、絶対に譲れない物が、たった一つだけ、あります」

 

ア───ゥア──────。

 

「そうか。分かった。そういう事か。

なら、もういい。

ああ、そうだよな。命を賭けるなんて間違ってる。だって、ゲームのフレンドでしかないんだもんな。

これはただのゲームで、僕らは遊び仲間でしかなかったんだね。

つまりは、僕らはその程度の間柄だったって事だ。

君にそんな事、期待するのが間違ってたんだ。

つまりは────アレックスにとって、僕らは仲間でも何でも無いってことなんだろ!!」

 

アレックスは、手を振り上げた。

言ってから気づく。この言葉は、アレックスに対する最大の暴言だったのだと。

何故、僕はこんな言葉を口走ったんだ。アレックスは、僕らの大切な仲間に決まってる。なのに、何で……。

切られた火蓋は燃え盛るだけ。覆水は盆に返らない。

アレックスの掌は、刻一刻と僕の頬に近接する。

何のスキルもかかっていない通常攻撃。こんな拳なら、回避も反撃も容易い。

だけど、しない。するべきじゃない。

甘んじて受けよう。

それが僕の贖罪だ。

例えそれが、幾らの足しにもならなくたって、アレックスには僕をぶつ権利がある。

そして謝ろう。また同じ時を笑いあえる、気の置けない『仲間』に戻ろう。

 

──────手が、止まった。

 

「ごめんなさい。ごめんなさい。私、ライトさんに手を上げようとして……ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」

 

嗚咽を咬み殺し、右手を震わせながら、アレックスは謝罪をし続ける。

訪れるべき衝撃は当惑へと変容する。

懺悔の時など訪れない。

あるのは、己が罪科への拭えぬ後悔と、それを募らせるアレックスの謝罪だけ。

 

そして、唐突に何かが切れた────

 

女ハ謝ル。

タダタダ謝ル。

謝ルベキハ此方ノ筈。

ハテ。本当ニソウカ?

女ハ此レ程謝ッテ居ルノダ。

ナラバ謝ルベキハ女ノ方ニ成ルベキダ。

ソウダ。ソウニ違イ無イ。

ソウイエバ、何カ目的ガ有ッタヨウナ。

思イ出セナイ。キット、瑣末事ダロウ。

ソンナ事ハドウデモ良イ。

壊シタイ。

何デモ良イ。早ク何カヲ壊シタイ。

ナラバ手始メニ、コノ女ヲ壊ソウカ。

此レ程オレニ謝ル女ダ。ナラバ、壊サレド文句モ云エヌダロウ。

アゝ、コノ女ハ死ノ暇ニ、ドンナ輝キヲ散ラスダロウ。

コノ女ガ罪悪ノ果テニ滴ル蜜ハ、至極ノ甘露ニ違イ無イ。

ソウシテオレハ、ソット────

 

駄目だ────ッッ!!

 

ドウヤラ、コノ女ヲ壊シテハ駄目ラシイ。

オレノ裡ニ響ク声ガ云ウノダ。キット、ソノ通リナノダロウ。

ナラバ何ヲ壊ソウ。

アゝ、ソウダ。

西ノ洞窟ニ向エバ、幾ラデモ壊シテ良イノデハナカッタカ?

ナラバ行コウ。身体ガ滾ッテ止マヌノダ。

脚ガ動カヌ。

見ルト、女ガ脚ニシガミツイテ居ルデハナイカ。

邪魔ダト思イ蹴リ飛バス。

女ノ華奢ナ身体ハ綿ノヨウニ、コロコロト転ガッタ。

ソシテ、オレハ走リ出ス。

背後ニハ、耳馴染ミノアル女ノ声。

狂オシイ慟哭。

 

嘆きの音色(なみだ)は、後ろ髪を引くようで──────

 

 

「おおっと、コイツは予想外!最初のゲストは、まさかまさかのライト君だったか!

まあ、取り敢えずはcongratulationだ。良く来たな、バカ野郎」

 

軽薄な声が岩窟を響かせる。

殺人鬼達の顔役は、たった今、岩屋に達した一人の拳士に賛辞と興味を内包した笑みを傾ける。

 

「しっかし、その姿はつまりそういう事なんだよな?

いや、この声すらもう届いていないのか?」

 

ライトは何も語らない。

 

「はは!楽しいねぇ!

Hey,beast!すっかりシンイにキマっちまったかい?」

 

PoHは、姿と云ったがそれは些か不適当だろう。

何故ならば、ライトの姿は平生と何ら変わりないのだ。

ただ、彼の身からドス黒い瘴気が混混と湧出しているだけなのだから。

 

「グルガアアァァオオォ────ッッ!!」

 

破滅的な叫びが、空を、人を、岩を、その一ドットに至るまでを震わせる。

そして、PoHの顔が狂喜に歪んだ。




恐怖!野獣と化したライ……ゲフンゲフン。

冗談は置いておいて、PoHの喋り方って、こんなんで良いんですかね?
原作だと、もうちょいテンション低いかなって感じがするんですが、僕が殺人鬼のイってるキャラを描いたらこんなんになっちゃったんです。

PoHのキャラはこんなんじゃねえ!
というご指摘が有れば書き直す所存ですので遠慮無くどうぞ。


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第五十六話「血戦」

さあ、ラフィンコフィン編も中盤にさしかかってまいりました。
毎度毎度、ノリノリで書いております。いや、めちゃくちゃ楽しいです、ホント。

さあ、ガッツリ戦闘、第五十六話、開幕です!


昏い洞窟に、鬱屈とした感情が伝播する。陰惨とも言える死の香りが、暗闇を暗黒に染めていく。

やにさがるPoH。その後ろには血色の薄いティアが、顔を苦悶に歪ませて寝息をたてる。

彼女に一瞥もくれず、獣は上体を落す。

踏み込みは、あまりに強烈かつ鮮烈だった。

ライトとPoH。彼我の差およそ二十メートル。

それを獣は、たったの一歩で凌駕した。

巧緻に洗練された最速の一手。

撃鉄の拳が、死神の腹に肉薄する────ッ!!

人肉を抉るゾブリという音。その代わりに響いたのは、耳を刺す金属音だった。

 

「グルアァッ!」

 

切り払うように拳を薙いで、獣は後ろに飛び退った。

雷速の打突を受け止めたのは、PoHの愛刀『友切包丁(メイトチョッパー)』だった。

魔剣クラスに該当するそれが持つ、高レアリティ故の耐久値。短刀の利点たる軽さ。使い手の技倆。それらの要因が事実上の鉄壁を成していた。

だが、友切包丁がアイアスならば、ライトの拳はロンギヌスだ。

今や、ライトのSTRは普段の数十倍にまで膨れ上がっている。獣の力が、ライトの筋力をシステム的上限にまで引き上げているのだ。

故に、現在のライトは筋力、俊敏共にアインクラッド最高のプレイヤーなのである。

その力を持って殴り続ければ、幾ら魔剣と言えど一溜まりもない。一分と持たずに粉砕するのは自明の理だ。

だが、忘れてはならない。この戦闘は決闘ではなく多対一なのだと。

PoHの取り巻きは五十人にも登る。

ライトが全方に殺気を振りまいているからこそこの安寧は成り立っているのだ。

だがしかし、PoHへの一点突破を敢行すればどうなるか。包丁を破壊する前に後ろを刺されるに決まってる。

然るにライトには、親玉への直接攻撃は叶わない。

ならば────

 

「ぐぁ───は────っ!」

 

────雑魚から狩れば良い。

偶々ライトの右側に居た、小柄なオレンジプレイヤー。塵を払うような雑な一撃で、彼の命は絶たれた。

 

「wow……コイツは予想外。一撃とは恐れ入ったぜ。チートが過ぎるな」

 

PoHの眼光が、楽しみから愉しみへとすり替わった。

狂った意識は刃物の如く。

殺人狂は、獲物が心を穿つのみを嗜好し思考する。

 

「テメェら、全員特攻(ブッコミ)やがれ!」

 

結果、それしか無いと判断した。

最も原始的かつ有効な作戦。人海戦術だ。

ただし、自分は突っ込まない。

自分が切りかかったところで返り討ちに逢うのは目に見えている。

ならば最後の最後。とどめだけをかっ攫おう。

幕下の戦闘には傍観を決め込むだけ。

正気は無くとも理性は保持する。それが、PoHという男の在り方だった。

殺人鬼達の肉の壁が出来上がる。

群がる有象無象は、津波にも似て凶悪だ。

その壁に、砲弾が撃ち込まれた。

ライトより放たれた計六発の打突。

それにより、三人分のポリゴン塊が形成される。

だが、圧倒的な人数差の前では、三人程度の死亡など意味を成さない。

 

「うぉらあっ!」

 

背後からハンマーの一撃が、ライトの背骨を打ち付ける。

完璧なクリーンヒット。

獣の体力は三割の損失を許した。

だが玄翁を握るその男も、振り向きざまの鉤爪でこの世を去った。

 

「オイオイ……もう五人だぜ。流石に笑えねぇわ。オレの部下をけちょんけちょんにしてくれちゃってよぉ」

 

そう言いながらもPoHは笑みを絶やさない。

その笑いは、野生の獣というよりも、むしろ清濁併せ持つ人間のモノだ。

まるで、難易度を最大にしてゲームを嗜むゲーマーのような。

 

「なぁヘッド〜。コイツ相当ヤベェって。下手すりゃ、オレたち全滅させられちまうんじゃねぇの?」

 

薄汚れた頭陀袋を目深に被った男が、全滅という言葉にそぐわぬ声調を発した。

顔にはベタついた笑みを浮かべ、この状況を愉しんでいるようにさえ見える。

それに応えたのはPoHではなく、全身を朱く染めたフードマントの男だ。

 

「心配、するな。五十対、一だ。いずれガタ、がくる」

「つってもザザっちよぉ。もう全体の一割だぜ?ちょっと紙耐久過ぎんよ〜、ザコ共」

「バカが。よく、見ろ。奴らの防御力、が低いんじゃなく、ライト、の攻撃力が、高い、んだ」

「いや、分かってるわ、ンなコト。ジョークよジョーク。お前、そーゆートコ堅えよなぁ」

「無駄話はそこらへんにしとけ、Xaxa、Johnny 。今のうちにアイツの動きを良く見とくんだ」

「あーなるほね。そういう腹だった訳か。ヘッドってば策士ぃ〜」

「まあ尤も、観察するだけでアレの動きに対応出来るかは分かんねえけどな」

「そうだ、な。あの男は、規格外すぎ、る」

「なあ、どうだ。アレの対処法、オレ達にご教授いただけねぇもんかなぁ、ボルト?」

 

PoHに呼びかけられ、石壁に凭れていたボルトは、ビクリと身体を震わせた。

 

「知らねえよ……。あんなの見たことも聞いたことも無え。なあ、PoH。アンタ、何か知ってんだろ?教えてくれよ……」

「さあ、何なんだろうな、ありゃ。まあ少なくとも、アレが産まれる過程くらいは知ってるぜ?

ただ、何故ボルトがああなってるのかは知らねぇ」

 

明確な答えの得られなかったボルトは顔を伏せ、歯をギリリと鳴らした。

 

「グルルルゥウ──ッ!」

 

低く喉を鳴らし、獣は再度疾駆する。

大きく両腕を広げる様子は、鰐の顎にも似ている。

その腕で抱擁するように、二人の男を捉えた。禍々しく唸る指先が、両側の男の胸に抉り込む。

だが、一撃で体力が全損したのは一人だけだ。もう一人の重装兵(タンク)は、大きな図体に似合わず即座に攻撃へと転じた。

 

「ハアァッ!」

 

メイスが風を切って揮われる。

カウンターは、吸い込まれるように急所へと至る。

果たして────後頭部への痛打は、カァンという()()()を響かせた。

 

「な────っ!?」

 

大男から驚愕が漏れた。

それは誰を持ってしても順当な反応だろう。

何故ならば、先程まで存在しなかった筈のヘルメットが、ライトの頭全体を覆っているのだから。

それだけではない。

腕が、脚が、胴体が、身体の部位という部位が暗黒の鎧で包まれているのだ。

 

「グルウゥオオォォオォ──────ッ!」

 

一際高い凶音。

聴く者須くに地獄を幻想させる断首の呪音。

 

「ははは!これが、『鎧』か────ッ!!」

 

殺人鬼のボスは高らかに、謳うように笑いつける。

彼の云う『鎧』の存在が、あまりに可笑しいとでも言いたげに。

この結末を、知っていたとでも言うように────

 

「It show time!」

 

傍観者だった男は、一足飛びに走り出した。

人混みを掻き分け、一瞬で鎧の腹中へと入り込む。

短刀スキル『煉獄』。

友愛すらも切り裂く断裁の刃は、だがしかし、鎧の前には玩具(ガラクタ)と大差無い。

研ぎ澄まされた刃は、暗黒の鎧にいとも容易く跳ね返された。

 

「チッ!」

 

不利と見て判断をバックステップに切り替える。

隙とも言えない一瞬の間。

その時間を鎧の獣は見逃さなかった。

 

「グルウゥッ!」

 

追撃するように腕を伸ばす。

最速の身体は、アインクラッドの狂気の元凶に手をかけた────!

刹那。

PoHの容貌が、グニャリと歪んだ。

 

「ハッ!」

 

揮われたのは友切包丁。

だがしかし、その相手はライトではなかった。

凶刃が捉えたのは、側にいた彼の仲間である筈の小柄な殺人者だった。

 

「え────?」

 

その男には、状況が理解出来なかったのだろう。

彼の腹には、深々と漆黒の腕が突き刺さっている。

確かに、ボスと鎧の戦闘場所に近いところに彼は立っていた。

だが、近いだけだ。決して、攻撃を受ける間合いに立ち入ってなどいなかった。

なのに、何故彼は腹部を穿たれているのか。

違和感を感じて肩を見る。

そこには、下着の布に引っ掛けられた鋭利な肉切り包丁があった。

そう。とどのつまり、彼は魔剣たる包丁に引っ張られ、無理矢理ライトの攻撃軌道上に立たされたのである。

 

「あ───ぁ──!?」

 

減り続ける自分の体力に目もくれず、彼は己がボスを見た。

そこに在ったPoHの表情は、労うような笑顔に覆われていた。

ああ、そうか。自分は、あの人の役に立てたんだ。

そんな想いを死の暇に遺し、彼の身体は硝子のように砕け散った。

 

────そのポリゴン片ごと、PoHは鎧の合間を的確に突き刺した。

 

「ハッハァ───ッ!」

 

『鎧』との殺し合い(たたかい)そのものが至福であるかのように、殺人鬼は愉しげな嬌声を上げる。

間隙を縫って放たれた一撃は、ライトの鳩尾を易易と貫く。

あまりに的確な急所への刃。

それは、今のライトを持ってしても体力を五割を喪失させるほどの威力を保持していた。

 

「グルゥアァアアァァァ────ッ!!」

 

咆哮。

掠れた声で放たれたそれは、断末魔の悲鳴にも聴こえた。

 

「よし、奴の体力もあと二割だ!テメェら、殺す気でぶっ殺せ!」

 

殺人集団に鬨の声が谺する。

命を奪う快楽を。

絶望が鳴らす福音を。

殺害を独占する享楽を。

我先にと求め欲する亡者の群は、己が得物を鎧に向ける。

四方八方からの一斉攻撃。

もう逃場など何処にも無い。

二割しか残りの無い体力では、鎧の上から削り殺されるのが目に見える。

終結か。

誰もがそう思った、次の瞬間────

ライトの姿は陽炎のように消え去った。

 

「────っ!?」

 

ラフィンコフィンの団員達は、何が起こったのか理解することも叶わなかった。

ただ分かるのは、ライトの身体が一瞬にして消失したこと。

 

「グルルゥゥ……」

 

唸りが響いたのは背後から。

それは正に、瞬間移動。

拳術スキル『神耀』。次元を超越した最速の妙技。

そうして、暗黒の鎧は一気に反撃へと転ずる────

 

「ニシシッ!」

 

その直前、ライトの耳元で死神の笑声が響いた。

ガスッ────スカッ──。

首に冷たいナニカが徹る。

弾け飛んだのは血潮か理性か。

当てがわれた毒ナイフは鎧を潜り抜け、ライトの首筋を引っ掻いた。

 

「どーよ、俺っちの暗殺術!

ほーら、グングンHP減ってってるぜ!

怖い?怖い?あ、いや、怖くは無いか。だって獣だもんね、アンタ」

 

屈託の無い声音で、ジョニー・ブラックは煽り立てる。

体力ゲージの横には、見慣れた雷マーク。麻痺のバットエフェクトだ。

 

「やっぱヘッドの言った通りだったな!

『奴は体力回復の為に、必ず後ろに下がる』って。ホント、間抜けだぜ。オレの忍び足(スニーキング)にも気づかないなんてさ!」

「よくやった、ジョニー。お前の暗殺能力は世界一だぜ」

 

コツリコツリ。

岩窟に響くブーツの跫音。

近づく足音は死神の吐息。

魔剣が、至福に悶えるように光沢した。

振り下ろされた肉切り包丁が、ライトの腹部を引き裂く。

ダメ押しとばかりに、ぐっぐっと押し込まれる。

迸る真紅のライトエフェクト。

鮮血の色をした命の残量は、駆け抜けるような勢いで減少し、そして────零に成った。

瞬間。

ライトの肢体は、朧げな反響音と共に千々に散った。




Bad End…………?

さて、続きが気になるところかと思いますが、ここで一つお知らせがあります。

期 末 テ ス トです!

という訳で、三週間ほど携帯&パソコンを封印致します。
こんどホントのホントに封印します。ホントだってば!



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第五十七話「死の暇」

投稿遅れてごめんなさい!

テストは一週間前に終わったんですが、どうも、風邪引いてゲロ吐いて寝込んじゃったんですよね。
バカは風邪引かない、とはなんだったのか。


鈍色の人型。

碧に染る世界。

稀薄された意識。

感じるのは、水の中にでも居るような浮遊感。

何も触れない。

熱くないし暑くない。

寒くないし冷たくもない。

まるで、身体と魂が遊離していると錯覚するほど『何もない』。

何もかもが静止している。

人も。モノも。空間も。

 

────時すらも。

 

いや、違う。

これは『加速』だ。

 

 

────眼前のカウントダウンが十から九に切り替わる。

 

 

外部の停滞ではなく、自己の加速。

つまり、あまりに疾い僕の意識が、周囲の有象無象を止まっていると誤認しているのだ。

これが、現状の正体。

──────あれ?

何故、僕にそんなコトが解るのだろう?

予測か?

────いや、違う。

ならば勘か?

────それも違う。

これは、元から知っていただけ。

ただ、僕の脳髄が加速という現象の本質を理解しているに過ぎない。

然るに、何故そのような識知が?

そんなの、経験があるからに決まっている。

細胞の一つ一つに至るまでが、時間の深化を許容している。

どこで体験したのかは分からない。

以前の加速で、どんな行動をしたのかも憶えていない。

けれども、過去に加速をしたことだけは識っている。

 

 

────今度は末広がりの八になった。

 

 

過去に加速したこと?

自分の思念に、不可解な疑念を抱く。

本当に『過去』なのか?

僕が経験した加速とは、昔の話なのだろうか?

 

────何を言っている。知識として知っているのなら、過去の出来事に決まっている。

 

いや、それは当たり前だ。

当たり前……なんだけど、そうじゃないんだ。

つまり、僕が言いたいのは、僕は現在進行形で加速しているのではないか、という事だ。

 

────それも当たり前だろう。現に、僕は今、加速しているではないか。

 

そうじゃない。この現状を指して、僕は加速していると言ってる訳じゃないんだ。

そうじゃない。そうじゃなくて。

──僕じゃない誰か(ぼく)が、今も何処かで加速しているのではないか、ということだ。

 

 

────更に数字が摩り替わる。

 

 

自分が何を言っているのか分からない。

僕はあくまで僕だし、僕以外の僕なんて存在する筈がない。

けれども何故だろう。

今、この瞬間、僕の預かり知らぬ処に誰か(ぼく)がいて、僕と同じように加速している。

そんな確信が僕の意識を捉えて離さないのだ。

 

 

────またもや数字が一つ減る。

 

 

バカな事を云っているというのは自覚している。

けれど、どうしても、僕は何かと繋がっている。そうとしか思えないほどに……

────垣間見た景色は鮮明だった。

緑豊かな高原に、僕と女の子が肩を並べて牧歌的に笑い合う。

畑仕事を抜け出しては、二人で悪さばかり。僕らはその度に父さんとおじさんから大目玉を食らっている。

そんな風に育まれた、温かな日々の記憶。

そうして、穏やかに月日は流れ、僕は父さんの後を継いで農家に。

彼女は最高司祭様に神聖術の腕を見込まれて、セントラル・カセドラルへと……。

 

 

────ついに数字は残すところ半分となった。

 

 

…………?

最高司祭様?

神聖術?

セントラル・カセドラル?

何だ、それ。

未聞である筈の単語が、何故こうもスラスラと脳裏を流れるのか。

いや、そんな事はどうでもいい。

それよりも、『彼女』って誰だ?

彼女は彼女だ。

いつでも、僕の隣に居た彼女。

同じ村で育ち、瞳を、手を、心を、身体を重ねた彼女を。

 

────どうしても思い出せない。

 

彼女と歩んだ道程も、彼女と培った思い出も、手に取るように想起できるのに────!!

なのに、肝心の実像が、ボヤけたレンズのように不鮮明な映像となって沈んでいく。

幾度となく梳いた彼女の髪も。

数え切れぬほど僕を呼んだ彼女の声も。

際限無く目に焼き付けた彼女の顔も。

握った彼女の手の温かみも。

何もかも、記憶を抱くことさえ許されない。

……いや、何もかも、と云うのは正確ではない。

実際はたった一つだけ、ほんとに些細な感情の機微だけが記憶の奥底に淀んでいる。

けれどそれがどんな意味を持つのかも分からないし、そもそも意味なんて無いのかもしれない。

ただ、最高司祭様とやらに手を引かれて村を去る時、彼女は微かに、けれど明らかに…………悲しげな顔を浮かべたのだ。

 

 

────ああ、今度の数字は不吉である。

 

 

それ以降の記憶はクラックに塗れ、鮮明に想起することは叶わなかった。

しかし、これだけは言える。

 

────僕は、彼女を愛していた。

 

彼女の微笑みが好きだった。

彼女の心に恋していた。

彼女と過ごす時間が愛おしかった。

そんな大切な記憶達は、流水のように僕の掌から零れていく。

結局、今の僕には何も遺されていない。

彼女は何者なのか。

あの村はどこにあるのか。

何もかも分からないけれど、でも、彼女を助けなきゃいけないと思った。

しがらみも戦いも何もかもをすっ飛ばして、今すぐ彼女の下へと駆け付ける。それこそが、僕の果たすべき使命なのだと。

けれど、どうしていいのか分からない。

どうすれば彼女と逢えるのか。

どうしたらあの世界へ行けるのか。

僕には何も分からないのだ。

彼女の幻影(おもかげ)に手を伸ばす。

諦観を浮かべた儚げな笑顔を、否定するように、そっと────

 

 

 

────ん。

なんだ?

僕は何を見ていたんだ?

夢、だろうか。

脳裏に去来した数多の映像は、他人の日記を覗いたような後ろめたさを齎した。

頭をブンブンと振り、頬を叩いて正気に戻る。

不可思議な夢は忘れろ。まずは状況分析だ。

危機管理能力無くしては、とてもSAOで生き残ることなど出来はしない。

まず、この青い景色はなんだろう。

あらゆる物が、人が、単調な青色に染まっている。

まるで絵を上から、薄めた水色で塗りつぶしたような不自然さ。

何故、周囲がこんなことになっているのか、全くもって理解不能だ。

とりあえず現状を整理しよう。

そう思い、辺りを見回す。

すると視界に入ったのは────

 

「うぇ!?僕?」

 

僕の身体だった。

それは動く気配を見せず、ひたすら岩窟の床に倒れ伏している。

寝転がる僕は黒い霧のような物に覆われ、表情までは判然としない。

何故、僕は謎のモヤに包まれているのか、そもそもどうして洞窟に寝そべっているのか。

いやそれ以前に、僕の目の前で僕の身体が倒れていることに突っ込むべきだろう。

当然、この意識を持った僕には身体がある。

当たり前だ。無いと困る。

そして、目の前に僕の二つ目の身体がある。

コイツはぴくりとも動かず、生物としての機能を果たしていない。

更に──これはただの夢かもしれないが──何処かの世界に僕の第三の身体があるらしい。

いや……一体全体、幾つあるんだ、僕の身体……。軽く頭がパンクしそうなので、どうにか一つに纏まってくれはしないだろうか。

というか、どういう状態なんだ、コレ?

悉皆検討もつかず、どうにも仕様が無いので、更にくるくると目を走らせる。

いずこかにヒントは落ちていないものか。

 

「ラフィン・コフィン?」

 

目の前にでっかいヒントが落ちていた。

間違い無い。

あれは、PoH、ザザ、ジョニーブラックの三人。ラフィン・コフィンの主要メンバー達。

そんな彼らが揃いも揃って、僕の身体に視線を落とし、やにさがっている。

 

……………………あれ?

 

これってもしかして、相当逼迫しているんじゃないだろうか。

 

倒れ伏す僕の身体。

それを囲む殺人者達。

 

────うん。

これはとてもマズイ。

どのくらいマズイかって、姫路さんの料理くらいマズイ。

いやいやいやいや。冗談抜きに命の危機だ!

というか、もう死んでるんじゃないのか、僕。

いや、こうして意識があるのだから、僕の脳みそはまだ死んじゃいない筈。

ということは────まさか!

この時間はアバターの死亡から生身の死亡までの猶予、ということなのか!?

だとしたらこのゲームは、やはりトコトン残酷だ。

どうせなら、さっさと殺してくれればいいのに、わざわざ絶望の時間を引き延ばすだなんて。悪趣味という言葉しか見つからない。

まあ、死んでしまったのなら仕方無いし、もう諦めはついてしまった。

いや、諦めがついたと云うより、実感が湧かないと云った方が正しい。

きっと、先ほどまで異国の情景に浸っていたせいだろう。

おかげで、現実感がすっぽりと抜けてしまっているのだ。

いやむしろ、この世界だからこそ死の気配が感じられないのかもしれない。

これがゲームだからこそ、老いや病と云った生の息吹、もとい死の香りが漂わないのだ。

そう考えると、無機質な環境と云うのは、死に征く者にとって安寧と成り得るのかもしれない。

そんな、僕にはあるまじき小難しい話を思考しかけたところで、僕の眼はあるものを捉えた。

 

「これなんだ?数字?────あ、2が1になった」

 

目の前に浮かんでいたのは、直径二十センチほどの円盤型のホログラムで、そこには数字が記載されている。

いやしかし、こんなにも我が物顔で、コレは僕の視界を陣取っているのに、今の今まで、コレの存在を意識しなかった事に笑ってしまう。

僕というのは、これほどにも注意力の無い人間だったろうか。

いや、普段はもうちょっと……

うーん……生来そんな感じだった気がしてきた。

まあ、それは兎も角、これは何だろう?

きっと、この状況に関連した何かなのだろうが。

 

「この状況っていうのは、死の間際って事だよね」

 

こんなにも平和ボケした死の間際が、未だかつて存在しただろうか。

そんなセルフツッコミをしながら、現状分析を再開する。

 

「さっき二から一になったことから鑑みるに、何かのカウントダウンかな?

となると……死亡までのタイムリミットってとこか」

 

ああ、その可能性は大だろう。

死へのカウントダウンだなんて、これほど今の状況に適した設備は無いだろう。

そして、そのカウントダウンが示しているのは一という数字だ。

 

「じゃあ、僕は後一秒で死ぬってこと?」

 

それこそ可笑しな話だ。一秒なんてとっくに経ってるじゃないか。

なら、単位が一秒ではないのか?

考えられる線としては……百秒が一に換算されている、とか。

うん。それっぽい。

となると、僕の寿命はあと五十秒ってとこか。

なんだろう。あまりにも余生が短過ぎて、何もやることが浮かばない。

でもそれにしたって、約一分を呆けて過すのも味気ない。

とりあえず、生きている間にやりたかった事を列挙してみるかな。

まずは、童貞は卒業しときたかったなぁ……。

いきなり下世話だけど、男としてはこれに尽きる。

どのくらい気持ち良いんだろう。

自分でするのとはどう違うのかな。

ああ、ダメだ。この妄想は悲しくなる……。

他にしてみたかった事といえば、高級料理をこれでもかってくらい食べてみたかった。

中華にフレンチ、イタリアン。

どれか選べと言われたら迷うけど、やっぱりフレンチかな。日本人的に。

あとは、一度でいいからテストで学年トップを取ってみたかったな。

学年中の皆を上から見下ろす感覚って、どんなのだろうか。

もしかすると、これが一番現実的じゃないかもしれない……。

 

「ああ、生きたいな」

 

知らず、口から声が零れていた。

そうしてやっと気がついた。

僕は、生に執着しているのだ。

そんなの、人として当たり前じゃないか。

生きたいなんて、誰だって、何時でも抱く願いだろう?

生存を観念してしまっては、それはもう生物じゃない。ただの有機物の塊だ。

なのに、僕はさっき何て言った?

もう諦めはついてしまった?

冗談。

達観なんて糞喰らえ。

諦観なんざ溺死しろ。

 

 

────1という数字のドットが崩れる。

そして、円を縁取った『無』を象徴する文字が、少しづつ、けれども急速に構成されて征く。

 

 

認めない。認めたくない。

こんな結末(エンドロール)、誰も望んでなんかいやしない!

 

「僕はまだ、生きたいんだよ────!」

 

雄叫びを上げたその瞬間。

何の因果か、如何なる偶然か。

僕の身体、その一ドットに至るまでが極光の去来に覆われた。

 

 

「アイテム『レムの心』使用!

対象、プレイヤーネーム『Right』!」

 

 

どこか遠くで、そんな声が響いた気がした。

 

──────そうして、景色は色づいた。

背中には安心感のある土の感触。

そうか。そういえば、僕の『本体』は倒れこんでたんだっけ。

右腕を支えにして起き上がる。

霞んだ眼に埃っぽい洞窟を映しながら、生の実感を噛み締めた。

ああ────僕は、生きている、

その事実が、途轍もなく嬉しかった。

世界はこんなにも色鮮やかで、僕を歓待するように温かだ。

今一度この目に焼き付けよう。

この素晴らしき世界を。

僕は力の限り目を見開いた。

そうして見えた物は────

 

────眼球から一尺の間断も無く、鈍色の刃が振り下ろされる現状だった。

 

刀の銘は『メイト・チョッパー』。

剣士は勿論、PoHだ。

もうどうにもならなかった。

この距離で防ぐ事など、どうして出来ようか。

高速で右腕を繰り出そうが、音速で打突を放とうが、最早遅過ぎる。

音よりも速い光速で、狂気の刃は予断無く僕を穿つだろう。

ああ、何故こんなにも早く、また死ななくちゃならないんだろう。

どうして生き返ったのかも、どうやって生きているのかも、まだ見当さえつかないのに。

短刀が迫る。

身を切るような圧迫感。

殺意のベクトルは、凶刃というカタチとなって襲い来る。

既に鋒は目と鼻の先。

僕を助けてくれた誰かに、心の中でゴメンとだけ謝って、僕はそっと目を閉じた。

 

────────瞬間。

 

力と力、想いと想いの相克が、僕の耳朶を鐘楼が如く打ち鳴らした。

直ぐには音の正体を理解出来なかった。

それはきっと、生を諦めた僕には無限に遠い、命の息吹だったから。

その音は、剣戟だった。

振り下ろされるは死色のダガー。

迎え撃つは紫色のメイス────。

 

「良かった……。間に合って、本当に良かった」

 

その声音は明らかに震えていた。

眼前で揺れる黒髪は、雫に濡れた瞳のよう。

僕を助けたメイサーは、恐怖を堪える子供のように、掠れた声を繰り出した。

予想打にしなかった迎撃を受けたPoHは、俊敏な動作で飛び退る。

その形相には、心無しか焦燥の色が見て取れた。

それを確認してから、黒髪のメイサーは振り返る。

 

「ライトさん。貴方を、助けに来ました」

 

そう言い切ったアレックスの顔には、あまりに堅固な決意が在った。




今回のお話の個人的な印象としては、短いスパンで見ればあんまり進んでないけど、大きなスパンで見れば、物語全体が大幅に進んだ回って感じです。

それではまた次回!


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第五十八話「存在意義」

いやー、年末忙しいですね。

冬休みと年末イベントでプラマイゼロになって、小説のための時間がいつもとあんまり変わらないです。


喉が詰まる。

呂律が上手く回らない。

漂白剤でも掛けられたかのように頭の中が真っ白だ。

彼女の名前を呼ぼうとするだけなのに、何故か僕の身体が拒んでいる。

その行為に何か不都合があるかのように。

それでも無理やり、咽喉の灼熱に耐えながら、僕は彼女の名を呼んだ。

 

「ア、アレック、ス……」

 

刹那。

フラッシュバックした。

思い出した。思い出してしまった。

忘れる去った記憶。

蓋をした記憶が、まるで暴力のように這い出てきて────

 

『アレックスにとって、僕らは仲間でも何でも無いってことなんだろ!!』

 

何だ。僕は何を云っている?

この記憶は嘘だ。

こんな僕はまやかしだ。

僕がこんなこと────言ったのか?

虚空を泳いでいた僕の目は、アレックスを捉えた。

そのとき、彼女の目元は、赤く、腫れていた。

途端、吐きそうになる。

逃げたい。

今すぐここから逃げ出して、アレックスの目線を逃れたい。

そんな、そんな────そんな卑怯な事、してたまるか!

 

「アレックス! ごめん! 僕は君に、何て酷い事を───」

「ごめんなさい、それ以上言わないで。また思い出しちゃいます」

 

僕を遮って発せられたアレックスの言葉。

責めるわけでも、詰るわけでも無いそれは、僕の胸に、引き裂くような痛みを与えた。

アレックスは謝るなと言った。

謝れば、心の傷が再燃するのだと。

だから、これ以上の謝罪は、きっと自己満足にしかならないのだろう。

だけど僕は謝りたい。

でも、どうすれば……

あ、そうか。そんなの簡単じゃないか。

ごめんなさいという言葉以外で、僕の気持ちを伝えればいいんだ。

謝罪よりも単純で、尚且つ、僕の言を否定する言葉。

それは同時に、とても明瞭な僕自身の気持ちの決着でもあった。

僕は、アレックスにきちんと向き直った。彼女の両肩に手を置き、そして、言った。

 

「ねえ、アレックス。僕はね、アレックスのこと、大好きだよ」

 

そう。僕は、嘘偽りなくアレックスの事が好きなのだ。

それが、どういう『好き』なのか自分でも解らないけれど、それでも、好きという言葉だけは伝えられる。

そしてこれが、『お前は仲間じゃない』なんてバカげた言葉を否定する、最大の文句だと想ったのだ。

アレックスは目をパチクリとさせてから、言葉の意味を咀嚼するように俯いた。

そうして、蚊の鳴くような声で呟いた。

 

「………は、反則ですよ、ライトさん。そんなの、許しちゃうじゃないですかっ!」

 

そう言って、アレックスは頬を熟れた林檎のように赤らめた。

モジモジと身体を揺らすアレックス。

その後、アレックスは何かを決心したかのように胸の前で拳を握りしめ────

 

「えいっ!」

 

という掛け声と共に、僕の腰に手を回した。

所謂、抱擁である。

 

「!!?!?!???」

「優子さんに気を遣って、今までこんなことしませんでしたけど、もう我慢の限界ですっ!

大好きっ! ライトさん、大好きですっ!」

「え、えええっ!? ちょ、ちょっとまっ! 何してるのさ、アレックス!?」

「何って、ライトさんをぎゅってしてるんじゃですかっ!」

「いや、それは分かる! それは分かるけれども、何故に抱きつくのかって訊いてるんだよ!」

「そんなの、ライトさんが好きだからに決まってるじゃないですかっ! 恥ずかしい事言わせないで下さいよ〜っ!」

 

本当に幸せそうな笑顔を浮かべながら、アレックスは僕に抱きついている。

けれども僕の心には、罪悪感の芽が再発していた。

彼女の好きという言葉は、僕なんかが持つには贅沢すぎる。

彼女を非難した僕には、アレックスに、大好きなどと言ってもらう資格は無い。

その思いをアレックスに伝えようと、僕は上擦った声を正して言った。

 

「ねえ、アレックス。僕は君にあんなに酷い事を言ったのに、何故君は、僕をこんなにも……」

 

続く科白は、どうにも気恥ずかしくて声に出せなかった。

アレックスは、整った顔を憮然とさせ、口を曲げて言った。

 

「それは言わない約束じゃないんですかー」

「うぅ、ごめ──」

「謝るのも無しって言った筈ですよっ!」

 

八方塞がりである。なら、僕はどうすれば良いのか。

アレックスは、困った子供でも見るかのように、穏やかに微笑んだ。

 

「────つまりライトさんは、私がライトさんを好きな理由を知りたい訳ですね?」

 

アレックスの問いかけに無言で首肯する。

するとアレックスは、意外にも目を伏せた。数刻の間が空く。

アレックスは顔を曇らせたまま、ポツリと回答を発した。

 

「それは……まだ言えません」

 

あまりに苦しげな、アレックスの声音。

それは、苦虫を噛み潰したと言ってもまだ生温い、苦渋の決断の顔だった。

じゃあ言わなくても大丈夫だ。そう言いかけた瞬間。

アレックスは出し抜けに顔を上げ、僕の目を射抜く視線で言った。

 

「けどね、ライトさん。私がライトさんを好きだって事だけは、信じてくれませんか?」

 

真っ直ぐな瞳でアレックスは言う。

その目元は、直前まで涙に濡れていたことがありありと分かるほど腫れている。

それは、僕の暴言が招いた罪。

それでもこの娘は、僕を好きだと言ってくれる。

もはや理由など必要無い。

僕は、この純粋な心に応えねばなるまい。

僕に抱きつくアレックスの、頭と肩に手を回しす。

そして、僕は力いっぱい彼女を抱き締めた。

 

「きゃっ!……え、あ……ん、ふふ」

 

可愛らしい悲鳴を上げてから、アレックスは僕の胸に頭を摺り寄せた。

しかし、自分からやっといて何だが、こうもしっかりと抱きつかれると、こちらとしては恥ずかしいモノが……

 

「wow! 熱いね、お二人さん。しかし何だ。そういうコトは公共の場ですべきじゃねえと思うぜ。

ましてや、俺らみたいな紳士の前では尚更な。我がギルドの面々が、いきり立っちまってしょうがねぇ」

 

口元を釣り上げながら、ラフコフのギルマスが楽しげな口調で言った。

いや、あれは苦笑いか。

かく言う僕も、ここが敵の本拠地であることを失念していたという事実に、苦笑を禁じ得なかった。

 

「えーっと……ボク達もいるよー、なんちゃって……」

 

なんとも居心地の悪そうな声が、背後から投げかけられた。

ビクリと肩を震わせてから振り向く。すると、そこに居たのは───

 

「リーベ、それにムッツリーニ!

な、何でここに!?」

「詳しい話は後! それより構えて。もうそろそろ敵さんも待ってくれないみたいだよ!」

 

緊迫した声調で、リーベは殺人鬼を鋭く睨む。

リーベの言い分は解る。痛いほどよく解る。

だがしかし、今の僕にとって真の敵とは、ラフコフなどではなく───

 

「……ライト、オマエ、ブチコロス」

 

嫉妬に狂った元仲間(ムッツリーニ)なのである。

怨念渦巻く言葉を受けて、僕は咄嗟にアレックスから腕を離した。

アレックスは口を尖らせているが、それは後で謝ろう。今は自分の命を優先したい。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ、ムッツリーニ!」

「……何だ? 言い訳が有るなら言ってみるが良い。あと三秒待ってやる」

 

短過ぎる!?

 

「え、えーっと! む、ムッツリーニ! やっぱり、仲間同士で傷付け合うなんて良くないと思うな、うん! それにほら、今の状況を鑑みてよ。敵の本拠地でケンカだなんて……」

「……三秒経った」

 

この野郎!

元から言い訳を聴く気なんて無かったな!

 

「……さあ、ラフコフに引き渡されるか、俺自ら手を下して欲しいか。今ここで選べ!」

 

目を見開き、ムッツリーニは声を張り上げる。

親の仇でも見つけたような迫真さで、僕にジリジリと切迫する。

これはもう、応戦するしか無いか……。

まずは、神耀で後ろに回り込み、大上段の蹴りを……。

そんな戦術を思案し始めた瞬間。

 

────ムッツリーニの頬に、リーベが唇を当てがっていた。

 

「はい。ムッツリーニ君もライト君もこれでおあいこ、ね?」

 

そう言って、リーベは悪魔的に微笑んだ。

普段がサッパリとしたものだから、急にこういう事をすると本当に始末が悪い。

 

「……く…………っ!」

 

真っ赤に染まった頬を摩りながら、ムッツリーニは歯噛みしている。

どうやら、気が動転して言うべき言葉を失ってしまったようだ。

 

「じゃあ行くよ、皆! 囚われの姫様を助けにね!」

 

打って変わって、リーベは勇者然とした表情を作る。

ボーイッシュな美人は、こんな表情さえハマるのだから参ってしまう。

 

「オレ達を倒すってのか? たった四人で? 『鎧』の力も無しに? ハッ! 笑わせる」

 

心底おかしそうに、PoHはくぐもった笑いを発した。

まるで、既に自らの勝利を確信しているように。

 

────ところで、『鎧』って何だ?

 

それが、どうしても訊きたくなった。

止めろ。

何の事は無い。ただの興味だ。相手の言葉に不明な箇所があったから、それを指摘するだけ。

訊くな。

特に重要性が在る訳でもない。普通の会話だ。

口を開くな。

だから僕は、ごく自然に、少々の敵意を持ってPoHに声をかけた。

 

「おい、ちょっと待て、PoH」

 

ヤメろ。

訊くな聞くな聴くなキクナ。

それ以上踏み込むな。

立ち入るな。

興味なんて捨てろ。

好奇心なんて放り出せ。

お前は自分を捨てる気か?

戻れなくなる。

だから、それ以上は────

 

「『鎧』って、何だ?」

 

PoHの顔が、嗜虐に歪んだ。

そうして僕/俺は理解した。やはりこの質問は、すべきではなかったのだと。

身体の底から湧出する、嘔吐感と高揚感。

一万の憎悪。

それを手中に収める興奮。

嫌な汗が背中を伝う。

それは轟々と流れる滝のよう。

だけれど、それが与えたのは不快感では無かった。

いやむしろ、僕/俺から全ての不純を、意識を、根刮ぎ奪っていったのだ。

 

「教えてやろうか?」

 

知りたい。

その先を識りたい。

答えをシリタイ。

憎むべき殺人鬼の声も、今だけは非道く甘美な蜜だった。

 

「なら言ってやろう、お前はな───」

「聞いちゃダメです、ライトさんっ!」

「お前はとある『鎧』を着たんだ。その鎧にはな、お前の精神を助長するクスリが籠められていた」

「違いますっ! 『鎧』に籠められていたのは、貴方の精神を侵す毒ですっ!」

「その結果、お前は自らの意思で、どんな行動を採ったと想う?」

「いいえ、決してそれは貴方の意思ではありませんっ!」

 

相克する二つの声は、僕/俺の中で津波が如く止揚した。

ああ、答えが、聴キタイ。

 

「お前自身の腕で、爪で、脚で、オレの仲間達をバカバカ倒していきやがったのさ。

そのときのお前はそりゃ見ものだったぜ? 何しろ、人を殺めるのが至上の悦びみてぇに、ニヤニヤ笑ってたんだからよ。

ホント、お前の笑顔にゃ、笑う棺桶(ラフィン・コフィン)すら幻視したぜ?」

 

なるほど、そうか。

俺は、人を殺して愉しんでたのか。

そりゃ聴きたくなかった訳だ。

僕にそんな趣味は無い。

俺が殺りたかったから殺っただけ。

だから、僕は聴きたくなかった。

けれど、俺は聴きたかった。

自己矛盾は加速する。

それはまるで、初めて人を甚振る事を憶えた子供のような純真無垢。

そうか。だったら、殺さなきゃ。

今迄通り、今迄以上に、俺が俺らしくあるために────

 

「────ふざけんなっ!!

僕が進んで、そんな事するかってんだ畜生め! ああいいよ。だったらお望み通り、全部『お前』に押し付けてやる! 責任転嫁は僕の十八番だ!

ラフコフを殺したのは『お前』の所為!

それを愉しんだのは『お前』が勝手に思った事!

悔しかったら、ちっとは反論してみやがれ、この野郎!」

 

振り払うような逃げるような怒号が、岩窟全域を震わした。

僕の口から飛び出したその言葉は、哀叫にも等しき必死さが伴っていた。

それはきっと、否定したかったから。

僕がこの手を、血に濡らしたという事実を。

罪を、罰を、誰かになすりつけたかったのだ。

この叫びは、弱っちい僕の感情の披瀝だ。

 

────ならば俺は、都合の良い代替人(オルタナティブ)か?

それは違う。

何故ならば、俺とライトは完全なる別人だ。

両者が両者の別人格(アルターエゴ)ですらない。

ライトに内在する俺は、歴とした一個人だ。

 

────っ!?

駄目だ。少しでも気を抜けば、一瞬で意識を奪われる。

自身の意識の与奪だなんて、こんな間抜けたコトをするハメになるとは思わなかった。

 

「ぁ──っはぁ───っ!」

 

呼吸を乱すな。

正常に保て。

僕は僕だ。

他の何者でもない。

お前なんかに、僕を渡してやるもんか!

 

「大丈夫、ライト君? 朦朧としてると思ったら、急に叫び出したりなんかして」

 

珍しく心配そうなリーベの声。

そんな彼女に右手を向けて、大丈夫だとジェスチャーする。

ようやく架空の肺が落ち着いてきた。

中腰だった身体を伸ばす。

すると、僕に背中を向けたまま、アレックスがいつにも増して冷やかに言った。

 

「ライトさん。貴方は帰って下さい」

「…………」

 

アレックスの言いたい事は解る。

つまり彼女は、僕が暴走する可能性を危惧しているのだ。

それはもっともな心配だ。今だって、危うく意識がトビかけたんだから。

けれど、その命令は飲めなかった。

 

「こんな中途半端に退場(フェードアウト)なんてまっぴら御免だ」

 

はっと息を飲んでから振り返り、アレックスは口を結んだ。

そうして、糾弾するような視線で、僕を見据えて言った。

 

「ダメです。そんなガタガタの精神で、貴方に何が出来るって言うんですか?」

「闘える」

 

僕がそう言うと、アレックスは閉口した。

アレックスから目線を外し、正面に向き直る。

そこに佇むのは、この事件の元凶だ。

憎しみの焦点を見据える。

嘔吐感を堪え、歯を食いしばりながら一歩進む。

左脚で地面を踏み締めた瞬間、紫電に貫かれたかのような激痛が僕を襲った。

 

「ぅ───あっ──」

 

呻き声が洩れる。

ただ歩くだけで、こんなにも堪えるとは思わなかった。まあでも、大丈夫だろう。死にはしない。

こんな思考の時点で末期だな、なんて自嘲しつつ、次の一歩を繰り出す。

けれど僕の右脚は、亡者の腕に絡め取られたように微動だにしない。

駄目だ。

気をしっかり持て。でないと飲み込まれるぞ。

人を殺したショックで前に進めないってのか?

冗談キツイ。

殺したのは僕じゃない。『あいつ』だ。

『あいつ』が僕の身体を乗っ取って、勝手に人を殺したんだ。

そう思わないと。

そう思い込まないと、僕は拳を振るえなくなる。

 

「ライトさん。貴方は、貴方が……いえ、貴方の身体が殺人を犯した事を何とも思っていないのですか?」

 

アレックスは、心許なさげに呟いた。

そんな彼女に、僕は最大限の笑顔を見せた。

けれど、表情筋が上手く動かない。それは、本当に笑顔として、彼女の目に映ったのだろうか?

そんな気掛かりと共に、僕は彼女の問いに応えた。

 

「違うよ、アレックス。何とも思ってないんじゃない。気にしていないだけなんだ」

 

そう。ただ、現実から目を逸らしているだけ。

それを気にしてしまったのなら、僕は今すぐ自殺する。

殺人。

今の僕には、その言葉はあまりにも重過ぎた。

故に、僕は闘わねばなるまい。

それが、この世界における存在意義(レゾンデートル)

凶器たるこの腕で敵を穿つ事のみが、僕の存在意義(アイデンティティ)だろう。

だからこそ、敵と拳を交えなければ、その停滞は死亡と同義だ。

いくら前に進めなくても、是が非でも闘わなければ。

自己に矛盾を孕みながら、僕は自分(おまえ)を否定する!




今回のお話、切りどころが無茶苦茶難しかった……。

キリの良いところまで描こうと思っていると、いつも間にやら七千文字。
取り敢えず五千文字まででカットしてみたものの、キリが悪く、結局六千文字で投稿と相成りました。


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第五十九話「Turn end」

新年明けましておめでとうございます!
本年もどうぞ宜しくお願い致します!

この小説は、今年も皆様の暇潰しとなれるよう、誠心誠意精進してまいりますので、どうか、楽しくお読み頂ければ幸いです!


「チッ!」

 

PoHが、口惜しげに舌を鳴らした。

 

「ったく。面白くねぇなぁ。もうちょいお前が弱く居てくれたなら、友食いも狙えたかもしれねぇのによ」

 

なるほど。その作戦は効率的だ。

僕を焚き付け、理性を失わせれば、間近に居る仲間達に危害が及ぶのは目に見えている。

ラフコフは其の後で、仲間達との戦闘で弱った僕を不意打ちすれば事足りる。

何より、この催しはPoHの嗜好に合致しているのだろう。

 

「そうか。つまりお前、ぶん殴られたいんだな?」

 

僕の口から発せられたその声は、極地のように抑揚が無かった。

PoHは忍び笑いを洩らす。この洞窟を思わせる陰鬱な笑いだ。

そうして、殺人鬼は右手親指で肩越しに後ろを指した。

 

「殴れるもんなら殴ってみろよ。ただしあれを見てからな」

 

その指先に在った物は────ティアの首筋に、鉄針が当てがわれている光景だった。

白雪が如き頚椎は、今や無骨な鉄塊によって貶められている。

 

「人質は良いよな。形式美だ。これほどスマートな手も無えぜ?」

 

殺人鬼の親玉は、何が可笑しいのかくつくつと笑い続ける。

蜚蠊の足音を思わせる、生理的に不快な嬌声。

それにつられて、死刑執行人たるジョニーブラックも嫌らしい笑みを見せた。

 

「よし。今すぐお前らをぶっ飛ばしてやる」

 

僕の怒り任せの発言は、ジョニーの哄笑に上書きされた。

 

「んんー。良いのかな、そんな事言っちゃって?

アンタが神耀を発動してから移動完了までの所要時間は0.03秒。そこで技後硬直を挟んで拳術スキル『封炎』を発動するのに0.08秒。その拳がオレに届くのに0.04秒。

ほうら、ざんねーん! オレがティアを刺す方が速いよねぇ、ライトクン?」

 

悔しいくらいに図星だった。いや、むしろこの数字は早目に見積もっているくらいだろう。

恐らく、先ほどまでの戦闘で僕の動きを見切っているのだろう。『鎧』を着た僕が同じ行動をすれば、きっとジョニーの目算通りになる筈だ。

態度とは裏腹に、ジョニーブラックは何処までも冷静沈着だ。

今の僕に、この場を逆転する手立ては無い。

ティアの命を優先させるなら、ここは一つ、下手に出るべきだろう。

 

「…………分かった。僕達はどうすれば良い?」

 

無味乾燥な僕の声音に応じたのは、この事件の首謀者であるラフコフのリーダーだった。

 

「んー……どうする、ボルト?」

 

それは意外な問い掛けだった。

PoHは用心深い男だ。こんな重要な決断を、新入りのボルトに任せるとは思っていなかった。

いや、逆か。

この機会を利用して、ボルトの心理を計っているのかもしれない。

つまり、ボルトがどれほど僕らに非情な決断を下せるか。それを確認した上で、ボルトを信頼に足る人物かどうかを見極めようと言うのだろう。

PoHが不安になるのは当たり前だ。だってボルトには、僕らを裏切った前科が有るのだから。

僕は、ボルトの口が開かれるのをじっと待った。

 

「そうだな……」

 

ボルトの嫌らしく湿った声が、岩屋に染みた。

 

「まず、ライト以外の三人、麻痺らせろ」

「なら、ライトはどうするんだ?」

「両手足を縛れ。このバカは、そっちの方が面白い」

「Perfect! お前最高だぜ、ボルト!」

 

ボルトはそんな、考え得る限り最悪で最高な答えを提示した。

血液が沸騰する。

どうしても、あの裏切り者をぶっ飛ばさなきゃ気が済まなくなった。

 

「ボルト! お前───」

「抑えて、ライトさん。今はボルトさんに従いましょう」

 

冷酷とも取れる声で、アレックスは言った。

 

「なんで!? あいつらは殺人集団なんだよ。従ったって殺されるだけだ。なら、ここで仕掛けた方が……」

「いいから。私を、信じてください」

 

光線のように真っ直ぐな瞳で、メイサーは僕を見つめる。

ああ、弱った。そんな目をされちゃ逆らえない。

 

「……うん」

 

僕がそう言うと、アレックスは胸を撫で下ろした。

すると間を置かずにザザから怒号に近い質問が発せられた。

 

「おい。話し合、いは終わ、ったか?」

「ああ、ボルトのオーダー通りにしよう」

 

僕はザザへと振り返り、出来るだけ高圧的な声音を出した。

今更状況は覆らない。圧倒的に此方が不利だ。威丈高にしても何ら意味は無い。

けれどそれは、僕の精一杯のプライドだった。

 

「よし。テメェら、適当にヤれ」

 

PoHの楽しげな命令がかかる。

それを受けて、如何にも悪人面といった男達が、僕らの周囲を取り囲んだ。

作業は手際良く終わった。

僕は四肢を麻縄で縛られ、三人は不随の毒牙を受けた。

憤りを隠しきれず、僕は口早に言った。

 

「ほら、言う通りにしたぞ。だから、早くティアから針を遠ざけてくれ」

 

反応は、PoHの失笑だった。

それが順々に、ラフィンコフィン全体へと伝播していく。

 

「何だ! 何がおかしい!?」

 

不可解な笑いが気持ち悪くて、堪らず叫んでしまう。

それすらも笑い捨てるように、殺人集団は際限を増していく。

ひと段落がついた頃、ボルトが、今にも噴き出しそうになりながら口を開いた。

 

「なあ、ライト。俺達がいつ、お前らが従順ならティアの殺害を取り止めると言った?」

 

意味が、分からなかった。

ちょっと待て。落ち着け。冷静に。思考をクリアに。考えろ。考えろ。考えろ!

ああ、そうだ。確かに奴らは、ティアを解放するなんて言ってない。

けどでも、あの流れなら、それは暗黙の了解だろう。ふざけんな!

いや、怒るな。今はティアを救う事が先決だ。冷静に。あくまで冷静沈着に。

あ、そうだ。アレックス!

アレックスは、私を信じろと言った。なら、この状況において何らかの策を持っている筈じゃないのか。

拘束された身を捩らせて、アレックスを視界に収める。

彼女は、床に突っ伏して動こうとしない。

え、そんな、いや、でも、なんで!?

クソッ!

どうしたら良いって言うんだ、畜生!

 

「残念だったなぁ、ライト。所詮お前じゃ、ティアは救えなかったっつーコトだ」

 

響いたのは、昨日まで仲間だった大斧槍(ハルバード)使いの煽り。

そこで、僕の理性は決壊した。

 

「ボルトォッ!! テメェ────ッ!!!」

 

拳術スキル『神耀』で、裏切り者との距離を零にする。

そのまま体術スキル『天衝』により、ノーモーションで頭突きを炸裂させる────ッッ!!

歯を食いしばる。朱色のライトエフェクトが生成される。

瞬間。この身は紅の弾丸と相成った。

ならば、それを止めるのは如何なる理不尽か?

いや、違う。

ボルトが行ったのは飽くまで予測。

挑発で僕が神耀をすることを見越し、尚且つ、両手両足を縛る事で、使用可能な技を天衝だけに制限した結果の、完全なる行動予測だ。

故に、この結果は必然だった。

僕が神耀を発動するよりも早く、ボルトは体術スキル単発蹴り『舟撃』のモーションに突入していた。

スキルを阻まれ、手足に自由の無い僕には、倒れ伏す以外の選択肢は存在し得なかったのだ。

ボルトの右脚が、僕の胸を踏み込んだ。

 

「お、いーね、ボルちん。そいつ殺す手間が省けたわ」

 

軽い調子でそう言ったのは、今まさにティアを死に至らしめんとする殺人鬼、ジョニーブラックだった。

ボルトは、彼の言葉に応えるように、口角を吊り上げた。

そして、ボルトの冷やかな侮蔑が僕に投げられる。

 

「ジョニーの鎧通しがティアの喉を抉ってるぜ? ほら、助けなくて良いのかよ」

「クソ、クソ、クソ!」

 

鳩尾を踏まれ、掠れた声で怨嗟を叫ぶ。

 

「……う………ぁ」

 

その時、呻いたのはティアだった。

深い眠りに落ちながらも、彼女の額には玉のような汗が浮かんでいる。

見れば、ティアの体力は残すところ半分となっていた。

地に臥しながらも、僕はティアへと縛られた腕を伸ばす。

それすらも、ボルトの脚に阻まれる。

 

「悔しいか? 憎いか? けどな、お前の英雄譚はここで終わりだ。御伽噺はバットエンドで閉幕した。そして────」

 

ボルトが、徐にハルバードを振り上げた。

ああ、振り下ろすのか。

機械的にそう思った。

四肢は捕縛され、身動きできない。

神耀にも待機時間が有り、発動できない。

可能性が有るとすれば、援軍か。

それでも僕は助かるまい。

だからせめて願っておこう。

援軍によってティア、そして皆が救済される可能性を。

そして僕は、ハルバードの軌跡を呆として見詰めた。

巨大な鉄くれは、空を裂き、音を立てて凱旋する。

鉾槍の刃先は、無謬無く獲物を捕らえ、そして────

 

 

──────ジョニーブラックの首が、一息に両断されていた。

 

 

「次は俺達の番だ」

 

殺人鬼の殺人犯は、物憂げな笑みを零した。

僕の命を狩る直前、ボルトのハルバードは直角に曲がった。

笑う棺桶の幹部の一人は、嗤いながら堕ちていく。

遺された身体が待つモノは、ポリゴン片という未来のみだった。

 

「先に訊いとくが。ボルト、お前、何故ジョニーを殺した?」

 

仲間が殺されたにも関わらず、PoHは至って楽しげな口調を崩さない。

そんな狂人とは対照的に、ボルトは毅然としたまま一歩進み出た。

 

「何故もクソも無えよ。大将、俺はな、腐ってもサーヴァンツの一員だ」

 

ボルトの科白に噴き出すように笑ってから、PoHは叩きつけるような大声で言った。

 

「なるほどな。テメェ、ハナからそういう腹だったって訳か。だがどうする? 未だ数の差は圧倒的だ。援軍も来る気配が無い。その状況をどうやってひっくり返す?」

 

勝ち誇ったようなPoHの言葉。

それを嘲るような視線で、ボルトは、腰から一つの結晶アイテムを取り出した。

見慣れない結晶だった。転移でも回復でも記録用でもない。

しかしそれを見た途端、PoHの表情から余裕が消えた。奴の顔に残っているのは、殺意を籠めた鋭い眼光のみだった。

 

「やっぱテメェ、筋金入りのクズ野郎だな」

 

唾棄するようにPoHは侮辱を発する。

余裕を見せるのは、今度はボルトの番だった。

 

「クズの王様からお褒めに預かれるとは、こりゃとんだ災難だ」

 

それが火蓋を切った。

瞬間、PoHは怒号に近い命令を下す。

 

「テメェら! ボルトを殺せ! 今すぐに!」

 

それを嘲笑うかのように、ボルトはぼそりと結晶発動の呪文を呟いた。

 

回廊展開(コリドー・オープン)

 

ボルトの真横に、青白い光が明滅しだす。それは次第に鮮明に、鏡のような穴ぼこを、何も無い空間に創り上げていく。

明らかに、回廊結晶の光だ。

本当、登場するのが遅過ぎだ。いや、違うな。ヒーローは決まって遅れて来るものだ。

歪んだ空間から徐に現れたのは、漆黒のレザーコートを身に纏った小柄な剣士。

顔には幼さが残り、女と言われれば信じてしまいそうなぐらいに中性的だ。

だが、その少年が持つ一種の圧力は、この場の誰とも一線を画している。

当たり前だ。彼は、誰よりも強い。

手にする得物は、超が幾つあっても足りない程の業物『エリュシデータ』。

その剣は、揮われる事を待ち侘びたように艶やかな黒を呈する。

そうして黒の剣士は、ボルトを絶たんとする有象無象を、ただ一刀の下に斬り伏せた。

 

「……ったく、待ちくたびれたぜ、ボルト。俺は調査なんて柄じゃないんだ。剣が鈍る」

 

顔にシニカルな笑みを浮かべながら、少年は冗談交じりにボルトに言った。

 

「抜かせ。スキルとレベルが物を言う世界で、一日二日で技倆が変わるかっての」

 

安堵のような笑いを頬に浮かべ、ボルトは軽口を叩く。

 

「なるほど、そりゃ一理ある」

 

ボルトの言葉に、少年は芝居っぽく肩を竦ませる。

目線を合わせ、二人は拳を突き合わせた。

そして、少年は真正面へと向き直る。

見据えるのは、この災禍の元凶。

アインクラッドの全プレイヤーを震撼させた殺人ギルドのリーダーだ。

 

「さあ、こっからは、俺ら裏方サイドの反撃開始だ!」

 

キリトの凛とした声は、洞窟全てを照らすよう響き渡った。




黒の剣士、推参!
さあさあ、出番の無かったキリト君が、ようやく出てまいりました!

しかしここで残念なお知らせ。僕の冬休みの宿題が、全然終わっていません!
しかも、冬季課題考査も控えております!
というわけで、二週間ほど投稿出来ませんので悪しからず。


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第六十話「音声記録ーⅡ」

一周年突破&お気に入り登録数600突破、誠にありがとうございます!

ここまでモチベーションが下がる事無く書き続けられたのも、皆様の暖かい感想があったからこそ!
その気持ちを胸に、これからも描き続けて行く所存であります!


時は、三十分前に遡る。

サーヴァンツのギルドホームには、沈鬱な空気が澱んでいた。

気落ちの訳は、ティアが、ラフィンコフィンによって人質に取られているから。そして、激昂したライトが、ラフコフの隠れ家目掛けて飛び出して行ってしまったからだ。

不運に失敗が重なっていく。

泥沼の如き悪循環。

それを斬り裂いたのは、湧出する泉のように清廉な少女の声音だった。

 

「あ、あの、私、ライトさんを追っかけますねっ!」

 

その言葉に、ユウははっと顔を上げる。

そうだ。停滞している場合ではない。

最善を尽くさなければ、ティアの命は助からない。

ならば、自分は自分の出来る限りの事をしよう。

必ず、ティアを救ってやる。

 

「ああ、あのバカを必ず連れ戻してくれ」

 

転移結晶を構えるアレックスに、ユウは力強く念を押す。

その言葉に、アレックスは真っ直ぐな瞳で首肯した。

次の瞬間、アレックスの身体は蒼白の光に包まれ、跡形も無く消え去った。

それを見送ってから、ユウは残るギルドのメンバー達へと振り返った。

 

「じゃあ、音声記録を続きから再生するけど、いいな?」

 

優子とアスナは、厳かな目つきで首を縦に振る。

それを確認してから、ユウは音声記録結晶の小さなボタンを押し込んだ。

虫の翅を思わせる起動音。

そして、PoHの挑発を最後に途絶えていた音声が、流れ出す。

 

『今、ギルドホームに居るのは、ユウ、ライト、優子、アレックス、アスナの五人か?

出来れば、その五人全員に聴いて欲しい。

音声だけじゃ分かりにくいかもしれねえから、一応伝えとく。俺は、ボルトだ。

お前らがこの音声を聴いている時、俺は、ラフコフのアジトに居るだろう。

どうして、ラフコフに入り込めたか説明する前に謝っておく。

俺は、仲間として最低な事をした。コトが済んだら、俺をサーヴァンツから除名したって構わない。

ユウは思う存分、俺をぶん殴ってくれれば良い。

俺はな、ティアをダシにしたんだ。

仲間を売るからラフコフに入れてくれってな。

そもそもとして、どうやって俺がラフコフと接触したかから話そうか。

《グリムロック》って覚えてるか?

黄金林檎の事件の首謀者のアイツだ。

アイツに交渉を持ちかけたんだ。

SAO内で出会った人間の中で、ラフコフと連絡をつけられるのは奴しかいなかったからな。

黒鉄宮から出してやる。代わりに、ラフコフに依頼を送れってのが交渉の内容だ。

それには、キリトも協力してくれた。グリムロックの収監施行人はキリトだからな。あいつ無しじゃ、こんな交渉は不可能だ。

依頼の内容はこうだ。

《貴方達に折り入って頼みがあります。

幾度と逡巡致しましたが、やはり私を黒鉄宮に閉じ込めたあのサーヴァンツの面々が憎い。

どうか、私の全財産と引き換えに奴らを葬って頂きたく存じます。》ってな。

この文面をフレンド機能のダイレクトメッセージでPoHに送らせた。

返信は上々だった。

《報酬は前払い。

アンタの話はこっちとしても好都合だ。元から俺達は、攻略組全員を始末する予定だったからな》だとさ。

そこで俺は、ムッツリーニとリーベに、とある噂を流して貰った。

サーヴァンツのボルトが、三十八層の南の森で、毎夜レベリングしてる。もしかすると、新しい穴場を見つけたのかもしれないって噂だ。

あいつらなら、噂にある程度の信憑性を持たせて広められるからな。

万事上手くいっていた。

後は、俺を餌にラフコフを誘き寄せるだけ。

だがそこで、一つ誤算が生じた。

ティアが、俺達の動向に勘付いたんだ。

ティアは俺に詰問した。何をしてるの? 何かの計画なら、ユウに相談して、ってな。

だが、それは出来なかった。そして、同時に焦ったよ。

もうその時には、サーヴァンツのギルドホームには、ラフコフの偵察隊がびっしりだったからな。

それこそ、リーダーのお目通しなんて貰ってたら、聞き耳立てられて全てがパーだ。

んで却下したら、ティアは益々食って掛かった。

貴方たち四人だけを危険に晒せない。窮地は皆で乗り越える物だ、とか言ってたっけな。

俺には返す言葉が無くなって、結局、その日のレベリングに、ティアを連れてってしまった。

思えば、それが間違いだったんだ。

元々、俺達の目論見は、俺を囮にしてラフコフを誘い出し、一人だと油断した所に回廊結晶を展開してキリト、ムッツリーニ、リーベを召喚。

ラフコフを瀕死寸前まで追い込んでアジトの場所を吐き出させるってものだった。

だが、ティアの参入によりそれが狂ってしまった。

ラフコフの謀略にまんまと嵌り、俺とティアは夜の森で分断されてしまった。

そうなると、キリトを呼び出すのは厳しくなってくる。

まず、キリトを呼び出せばその時点で、夜のレベリングが計画的である事が露見する。

それがPoHの耳に伝わっちまえば計画はおじゃんだ。ラフィンコフィンは警戒し、無用心に俺たちを襲う事は無くなるだろう。

だからこそ、キリトを呼ぶのは、その場に居るラフコフ全員を確実に仕留められる状況が整う必要があった。

けどな、奴らは俺だけを攻撃している訳じゃない。いやむしろ、攻撃対象の主体はティアだったろう。

俺に就いた殺人鬼は三人。対して、ティアの相手は五人だった。

だからこそ、キリトを呼ぶ事は叶わなかった。

だが同時に、俺は一級の殺人者三人を相手取れるほど力強くもなかった。

だから俺は殺人ギルドに寝返っちまった。自分の命を優先して。

俺が謝りたいのはそこだ。俺は、己の可愛さあまりに、ティアを盾にしてしまった。本当に────』

 

そこで、音声は途絶えた。

それはボルトの不手際ではない。

ボルトの謝罪は、音声記録結晶に確かに保存されていた。

ならば何故、記録の再生が止まってしまったのか。

それは(ひとえ)に、ユウの掌で音声記録結晶が粉々に砕かれていたからだ。

 

「上等じゃねぇか、根暗野郎。このツケは、テメェの顔面にきっちり支払ってやらぁ───ッッ!」

 

地の底から響くような怒声は、悪鬼羅刹を彷彿とさせる。

膨大な耐久値を持つ結晶アイテム。

それをユウは、怒り任せに握力だけで粉砕したのだ。

いや、握力だけ、というのは些か不適当だ。

何故なら、この現象の実体は、ユウの想いの力によるものなのだから。

 

 

「んと、取り敢えず回復しろよ、ライト」

 

僕を捕縛する麻縄を黒剣で断ち切りながら、キリトは平静に言った。

目線を上げると、僕の体力は血のような赤色を示していた。

 

「サンキュー、キリト」

 

礼を言いながら、自由になった右手で回復結晶をポーチから取り出す。

瞬間的に、僕の体力は綺麗なエメラルドグリーンに早変わりした。

 

「えっとさ、今ってどういう状況?」

 

ずっとここに居た僕が、今来たばかりのキリトに状況説明を促した。

 

「俺が来て形成逆転。以上だ」

 

この回答である。

シンプルイズザベストだ、なんて聴こえてきそうなほどの良い笑顔とサムズアップだ。

これ以上訊いても無意味に思えたので、僕はティアを背中で隠すように立ち上がった。

見渡せば、リーベ、ムッツリーニ、そしてアレックスの三人はとっくに麻痺を解除していた。

どうやら皆は、麻痺を受ける前に解毒結晶を忍ばせていたようだ。

あれ? ということは、この状況が分かってないのって僕だけなのか?

気がつくと、洞窟の入り口にはアレックスが、左右の壁にはそれぞれリーベとムッツリーニが、そしてティアを護るように僕、キリト、ボルトの三人が位置していた。

人質の確保と犯人の包囲を両立する、完璧な陣形である。

となると、これは全て意図された計画だということか。

僕だけに計画が知らされていなかった事に少なからず疎外感を覚えながらも、僕は心の底から安堵した。

────つまり、ボルトは裏切った訳じゃなかったんだ!

その事実が何よりも嬉しかった。

どうやら僕は、思ったよりボルトの裏切りに悲嘆していたようだ。

そんな感懐に水を差すように、殺人鬼の頭は手を打ち鳴らし、賞賛の声を上げる。

 

「なるほどなるほど、一転して俺たちがピンチってコトだ。良い筋書きだな。実に俺好みだ。んで、こっからどうするつもりだよ、ボルト?」

「どうもこうも無ぇよ。こっからは援軍が来るまでの持久戦だ。

攻略組の面々が此処に到着すればチェックメイト。逆にお前らが俺たちから逃げ果せればお前らの勝ちだ」

「逃げ果せれば? バカ言うな」

 

それはPoHにしては本当に珍しい、明らかな不快の声色だった。

眉間に皺を寄せ、怒気を孕ませながら殺人鬼は続ける。

 

「忘れたか。俺たちゃ殺人ギルドだぜ。家に帰るまでが人殺しだって、センセーに教わんなかったのかよ?」

 

PoHの気勢に押され、空が震えた。

出し抜けに鼻白む。

殺人鬼の目には、屈折する事の許されぬ信念が見えた。

それに相克するが如く、キリトがずいと一歩、前に出た。

 

「そうか。なら、アンタはまだ諦めちゃいないってことだな」

「諦めるたあ、また大層な言葉だな。俺の辞書には悲鳴と悦楽しか載ってねぇんだ。あんまり意味不明な言葉は使うなよ」

 

────瞬間。

背筋に悪寒が奔る。

それは、業魔の具現を垣間見た錯覚。

殺人鬼の握る魔剣が放つ、至極濃密な死の香り。

だが、魔剣ではこちらも負けてはいない。

黒の剣士が顕現させるは、虚無さえ置き去る最速の刃。

相反する力は止揚し渦となり、須くの理を飲み込まんと猛り狂う。

 

「さあ、第二幕の始まりだ。────It show time!」

 

殺人鬼の駆け出しは、人を凌駕し、音にすら迫るかという超高速。

対する剣士は、泰然自若と死神を待つ。

刹那。

 

──────音が、消えた。

 

いや、塗り潰された、と言った方が正確か。

膨大なエネルギーの流転は、耳朶を抉ってもまだ生温い。

その衝突は地を割り岩盤を砕き、冥府の番犬すら叩き起す。

激突する両者は、決死の覚悟と必死の形相で剣を握る。

いや、それは観衆の錯覚だ。

せめてそうあって欲しい。そうでなければ、それは人間ではない。そういう類の幻想だ。

事実を伝えれば、両者は同質の()()を浮かべていた。

敵同士という垣根も凌駕し、命を賭した状況も無視し、二人は、心底笑っていた。

それは、強敵との決闘の誉れ。

それは、戦闘欲求よりも更に高次元の願望。

理性と知性を持つ、狂戦士(バーサーカー)達の輪舞。

 

─────ここに、最強と最凶の激突の火蓋が切られた。




投稿までに時間使った割りには、あんまり状況は進歩してないですね……。
次回はもうちょい進められるように演出を頑張ります!


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第六十一話「会議」

さあ、ラフコフ編も佳境に突入してまいりました。

できるだけ短く纏めようと努力しているのですが、何故か、どんどん話数が嵩んでいきます……。

プリーズギブミー文章力!


「…………という訳だ」

 

一頻り説明を終えたユウは、大きく息を洩らした。

それは、演説の緊張というより、長話の息切れに近かった。

ユウの眼前に悠然と構えるのは、三つのギルドのマスター達だ。

アインクラッド解放軍、シンカー、キバオウ。

聖龍連合、リンド。

そして血盟騎士団、ヒースクリフ。

催されたのは、いずれも攻略組トップギルドの団長のみが集まった会合だ。

サーヴァンツのギルドホームに用意された円卓を囲みながら、五人の長に沈鬱な空気が流れる。

厳かにユウの説明を聴いたのち、まず、紳士然とした騎士が口を開いた。

 

「状況は理解したよ。つまり君は、援軍の工面を要請している訳だね、ユウ君?」

「ああ、その通りだ」

 

目的を看破されていることに憮然となりながらも、ユウは素直に返答した。

ここでヒースクリフに応酬しても何の得もない。偏屈なプライドなど捨てて、可能な限り下手に出るのがティアのためだ。

その対応に気を良くしたのか、神聖剣は唇を薄く歪めた。

 

「いいだろう。私も出し惜しみはしない。我ら血盟騎士団の全てを君達サーヴァンツの援護に充てよう」

 

あまりにもあっさりと、ヒースクリフは全面支援の声明を出した。

それが拍子抜けに過ぎたのか、ユウは数秒の間、閉口し続けた。

咳払いをして居住まいを正し、謝辞を口にしようとした、その時。

 

「ちょお待ってんか、ヒースクリフはん」

 

橙色の髪を逆立たせた男から放たれたドスの効いた声が、増援の成立を妨げた。

 

「ちょ、ちょっと、キバオウ!」

「あんさんは黙っといてくれ、シンカーはん」

 

聡明そうな癖毛の男を、キバオウは片手で制した。

 

「ヒースクリフはん。アンタ、支援する言うけどもやな、そんな簡単こととちゃうやろ。命の取り合いやぞ?

アンタは、自分のギルドメンバーが心配とちゃうんか?」

「分かっているとも、キバオウ君。その上で私は発言しているんだ。

現在ラフィンコフィンと闘っている六人。キリト君、ライト君、ボルト君、アレックス君、ムッツリーニ君、リーベ君。

そして囚われているティア君。

これだけの人材を失えば、攻略にどれだけの支障が出るか、想像に難くないだろう。

我がギルドを危険に晒してまでも彼らを守るべきだと、そう判断したまでだ」

「ああ、それは分かっとる。けどな…………いや、すまんかった。ワイの言ったことは忘れてくれ」

 

歯切れ悪くそう言うと、キバオウは椅子から立ち上がった。

そそくさと踵を返しながら、再度、耳触りな金切声が発された。

 

「この件に関して、ワイら軍は一切関与せえへん。以上や」

 

異論を認めないと強調するかのように、キバオウはギルドホームの木製扉を乱暴に閉めた。

 

「え、ちょ、キバオウ!?

………っ! ああ、皆さんすいません! ちょっと彼を説得してきますので」

「ははは。ええ、宜しくお願いします。しかし貴方も大変ですね。ああいう手合の参謀職というのは。骨が折れるでしょう?」

 

成熟したウイスキーを思わせる声音で、ヒースクリフはシンカーへと、明朗に声を掛けた。

シンカーは起立の反動で腰掛けを軋ませながら、騎士団長の言葉に応じる。

 

「いえ、そんなことはありません。彼は彼で、明確な考えの元に行動していますから」

 

柔和な彼には珍しい断言だった。

シンカーの頬には、どこか誇らしげな笑みが朗々と浮かんでいる。

そして彼は、サーヴァンツのギルドホームを後にした。

 

「さて、アンタはどうなんだ、リンド? 協力してくれるのか?」

 

軍のリーダー二人を見送った後に、ユウは、この会議で唯一発言していない人物に確認を取った。

蒼髪の騎士は、難しい顔をしながら重い口を開ける。

 

「ああ、援助自体は構わない。だが、一つ条件がある。確認したいんだが、PK後のラフコフからのドロップ品はどういう扱いなんだ」

 

その発言に愕然とする。

ユウは、この男の強欲さに内心辟易とした。人殺しによって奪った物品で金儲けをしようなどと言い出すとは、まさか夢にも思っていなかったのだ。

だが、ここでそれを指摘してしまっては、聖龍連合の援助を得られない可能性がある。

不快感は表情には出さず、むしろ友好的な態度で応じた。

 

「サーヴァンツは必要無い。助けてさえ貰えれば十分だからな。

だからそこらへんは、血盟騎士団さんと話をつけてくれ」

「いや、私達も必要無い。汚れた金は、そちらで処理してくれたまえ」

「…………ふん、────清廉な騎士様は、宣う事が違いますね。その過剰な八方美人は是非見習わせて頂きたい」

 

二人の間に火花が奔る。

…………何はともあれ、これで援軍が出ることは決定した。

ユウは両マスターに頭を垂れながら、脳内で戦略図を描き始めた。

その瞬間。

 

「ああ、そうだ、ユウ君」

 

ヒースクリフの口が、開いた。

 

「ラフコフからのドロップ品は要らないと言ったが、決して、私は無償で動くとは言っていないよ」

 

その言葉は、予想の範疇だった。

ヒースクリフは出来た人間だが、聖人(バカ)ではない。

不当な立場には弾糾するし、取るべき利益はきっちりと取る。

そんな男だからこそ、仲間を死地へと派遣する事に、見返りを要求するのは当然だ。

感情を窺わせぬ声音で、ユウは早口に質問した。

 

「ああ、何が欲しい?」

 

神聖剣は笑顔を浮かべる。

それは、玩具で戯れる子供のように、底抜けに、愉しげに。

 

「ライト君だ」

 

 

「キバオウ!」

 

背後から自分を呼び止める声を認めて、キバオウは渋々と振り返った。そこには案の定、解放軍のリーダー、シンカーがキバオウを追う姿があった。

 

「ん、なんやシンカーはん。アンタもあの会議を抜けて来たんか」

 

そう言ったキバオウには、先ほどまでのユウ達に向けた刺々しさは感じられなかった。

シンカーは即座にかぶりを振って、単刀直入に切り出した。

 

「いや、何で急にギルドホームから出ていったのかと思ってね。キバオウの事だから、何か理由は有るんだろうけど」

 

信頼の篭ったシンカーの言葉。それに、橙髪のシミターは悲哀を見せた。

 

「……あのな、シンカーはん。こんなこと、今更言うのもどうかとは思うんやけど」

 

気の強い彼には珍しく、その後は口籠ってしまった。

 

「どうしたんだい?」

 

シンカーの、忖度するような声音。

それに覚悟を決したのか、キバオウは、シンカーをしっかりと見据えて言った。

 

「ワイは、軍の奴等をどうしても信じられへんねや」

 

唐突な告白。

シンカーは目を白黒させながら、驚嘆に裏返った声を上げる。

 

「ど、どういう事だい!?」

「あ、勘違いせんといてくれよ。あんさんは別や。シンカーはんはホンマに信頼出来ると思っとる。

けどな、ワイが言っとるのはそういう事や無いねん。

シンカーはん、ワイらの理念は何や?」

 

質問の意図が掴めず、シンカーはどもりながらも返答する。

 

「えぇーっと、そりゃ、平等と団結、だろ?」

「ああ、そうや、その通りや。

それはワイも素晴らしい考えやと思っとる。

けどな、今になって思うんや。ワイらは、来る者拒まず過ぎたんとちゃうやろか?」

「そ、それってつまり……」

 

キバオウは、どこか遠くを見つめながら、抑揚無く呟いた。

 

「ワイはな、軍にラフコフが混じってると踏んどる」

 

シンカーが浮かべた表情は、彼の衝撃をありありと示していた。

そんなこと、シンカーは一度だって考えはしなかったのだろう。

軍に入隊するからには、皆が皆、アインクラッドをクリアしたい、もしくは、それに準ずる信念をもっているのだと、シンカーは信じて疑わなかったに違いない。

だがキバオウから放たれたのは、彼の固定概念を根本から吹き飛ばす言葉だった。

そんなショックから立ち直れぬまま、シンカーは絞り出すように声を出した。

 

「そんな……じゃあさっき、援軍を送らない事にしたのって……」

「ああ、軍から援軍を送れば、逆にラフコフを援助する事になりかねんと思ったからや」

 

混濁した意識で、シンカーは必死に考えを巡らせる。

その結果得た着想は、あまりに絶望的な物だった。

 

「じゃ、じゃあ! その条件は、血盟騎士団や聖龍連合も同じじゃないのか!?」

「いや、同じでは無いやろ。アイツらは、ウチよりよっぽどギルメンを選定しとる。その点で言えば、ラフコフの介入する隙は小さい筈や」

 

シンカーは、得心いったように頷いてみせた。

なるほど、そう思えば確かに軍が出張るよりは幾らかマシに思える。

 

「……けど、その可能性が有るという点では同じじゃないのか?

なら、ヒースクリフさんやリンドさんにもその事を伝えておくべきだろ?」

「それは意味無いやろ。あの二人もバカやない。そのくらいは百も承知な筈や。

それにな、もしそんな可能性をアイツらが考慮してなかったとしよう。そしたらどうなると思う?

確実に援軍を足踏みして、今、ラフコフのアジトにおる六人はあっちゅーまに詰みや。

やからな、今は奴らを、血盟騎士団と聖龍連合を信じるしかないんねん」

 

そう言って、キバオウは転移門へと足取りを進める。

その背中には、憂いだけが残留していた。

 

 

────剣戟。

 

衝撃の余波は頬を刺し、散る火花は目を見張らせる。

静止とも加速ともつかぬ時。

剣速はあまりに疾く、凡ゆる時間を殺し征く。

 

「───セァッ!」

 

直剣が横薙ぎに揮われる。

それを刃先で軽々と受け止め、殺人鬼は反旗を翻す。

 

「ハッ────!」

 

覇気と狂気を兼ね備えた太刀筋は、あまりに尊く、あまりに悪辣。

だがしかし、決して単調とは言えぬ友切包丁(メイトチョッパー)の突きを、剣士は難無く受け流す。

そのまま勢いで背中側へと回り、キリトは刃を突き立てた。

刹那の間隙を経て、エリュシデータはPoHの背をを貫く───ッ!!

 

「うらァ────ッ!」

 

───筈だった。

響いたの金属音。

驚愕すべきはその動き。

PoHは、短刀回転技『タルナァータ』で身体を反転させ、技巧代替(スキルスイッチ)で、短刀単発技『ラピッドバイト』を発動し、必殺の一撃を防いでみせた。

スキルスイッチの発動タイミングは、スキル終了と技後硬直の間、コンマ01秒以下。

その一瞬に、PoHは、己が命を懸けたのだ。

 

「チッ──!」

 

必至を外した落胆からか、キリトは切り払いでPoHと距離をとる。

そうして、両者は拮抗を演じた。

虎視眈々と、付け入る隙を伺いながら。

そこで僕は、二人の闘いから目線を外し、辺りをキョロキョロと見回した。

それは、異常な光景だった。

この場のサーヴァンツとラフコフが一人残らず、手に汗握り観戦しているのだ。

誰もがみんな、二人の闘いに没頭し、周りが見えないでいる。

だが、このままでは何も解決しまい。戦争は、常に先手を取るべきだ。

僕は手近なラフコフメンバーに向かって、拳術スキル『封炎』を発動した。

 

「ぐはぁ───ッ!」

 

不意打ちは、いとも簡単に成功した。

僕が拳を放ったのとほぼ同時に、僕の体側から飛び出す影が有った。ボルトだ。

倒れる男に追い討ちをかけるように、ボルトがピックで、男の背中を突き刺した。

すると男は、ピクリとも動かなくなってしまった。針に麻痺毒でも仕込んでいたんだろうか。

 

「こんな感じで、ちょっとづつ頭数を減らしていくぞ」

 

そう言ったボルトの顔は、どこか満足げに見えた。

そんなボルトに、目を合わせながら深く頷く。

そうして、僕らは同時に駆け出した。

僕の突進に、いの一番に反応したのは、メイス使いの大柄な男だ。

そいつは、僕の行く手を阻むように、どっしりと構えている。

それに対し、僕は、敢えて愚直に突っ込んだ。

男の口角が上がる。

棍棒使いの殺人鬼は得物を大上段に振り上げ、メイス単発技『グラフィティ・グラビィティ』のモーションに入った。

男の武器は、一瞬間で僕の脳天を打ち砕く。

それは、回避不可能な確定事項。

身体にかかる慣性力は、生半な手では曲げられない。

それこそ、音の速さで横飛びでもしなければ、致命必至の一撃だ。

だがしかし。

音速など、僕にとっては遅過ぎる。

秒速三百四十の加速程度、三億の疾さで凌駕しよう。

この身は、光なのだから。

三寸。

たった九センチだけ、僕は身体を横にずらした。

それを可能とするのは、僕だけに許された特権(ユニークスキル)だ。

拳術スキル特殊技『神耀』。

この天空城で、他の誰もが使うことの叶わない、完全無欠の瞬間移動。

そのまま僕は、大男の顔面に全力の拳骨をブチかました───ッ!!




一人称で厨二語りってどうなんでしょう?

書いてる時は楽しいんですが、後で読み返すと恥ずかしくなってきますね!


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第六十二話「待ってろよ」

最近、週刊投稿出来てますね。
この調子で頑張ってたら、いつごろアインクラッド編終わりますかねー。
百話にはならないと信じたいです。


「…………なっ!?」

 

ヒースクリフの発言の意図が掴めず、ユウは口をパクパクとさせた。

ライトが欲しい?

意味は分かる。

だがワケが分からない。

それは、ライトを血盟騎士団に引き抜かせろ、という事に違いない。

だがその報酬は、血盟騎士団にとってメリットは薄く、サーヴァンツにとってデメリットが重い。そうとしか思えないからこそ、ユウは驚愕しているのだ。

血盟騎士団は、充分に洗練された部隊だ。

ギルドとしての力は、アインクラッド中で紛れもなくトップ。ギルドメンバー数で言えばサーヴァンツの五倍はあろう。

そんなギルドが何故、ギルド間の関係悪化というリスクを負ってまで、たった一人の人員をヘッドハンティングしようというのか。

ユウには、まるで理解など出来なかった。

混乱の只中にある脳内を殊に掻き乱したのは、リンドの刺々しい嫌味だった。

 

「なるほど、そうきたか。流石だな、ヒースクリフ。悪知恵にかけて、君の右に出る者はいない」

「お誉めに預かり恐悦の至りだ。だが、奸計の熟練度では、君には負けると思うがね」

 

二人のギルマスが舌戦を繰り広げる中、ユウは知力を尽くして考えた。

もしもライトを血盟騎士団へと譲り渡せばどうなるか。

サーヴァンツメンバーは、全員がまさしくトッププレイヤーだ。

だが、皆に共通する一つの欠点がある。

防御力だ。

このギルドには盾役(タンク)が居ない。いや、存在する必要が無かったのだ。

なぜならば、その役目は全てライトが背負っている。

ボスやパワー系Mobの強力な一撃には、通常、盾が不可欠となる。

普通はその為に人手、もしくは装備重量を割かねばならず、ギルドの総攻撃力は、減少を余儀なくされる。

だがしかし、サーヴァンツの場合、スピードファイターのライトが、それらの攻撃を無力化する。

まず、モンスターが誰かに攻撃をしたとしよう。

その攻撃を、ライトは横から弾くのだ。それだけで、敵の攻撃力は半減する。

それを成し得るのは、最速と名高いステータスと、体術、そしてユニークスキル拳術だ。

ライトがモンスターの攻撃の威力を封殺するからこそ、攻撃されたアタッカーは、軽く流すだけでノーダメージとなる。

故に、サーヴァンツは全ての構成員がアタッカーとして配置出来る。

これがサーヴァンツがトップギルドの一角に数えられる所以である。

言わば、ライトはサーヴァンツを攻略組へと導いた立役者なのだ。

それをヒースクリフは看破しているのであろう。だからこそ、引き抜きの対象に、ヒースクリフに次ぐプレイヤーであるキリトではなく、ライトを選択したのだ。

ここまで考えて、遅蒔きながら気付いた。

ライトを失う事は、サーヴァンツにとって、この上なく大きな打撃であるという事実に。

ならば、自分が為すべき事は、ヒースクリフの思惑をどう打ち崩すかだろう。

気概を新たに、ユウは交渉の思案を始めた。

その時。

 

「ならば、俺もその言にあやからせて頂こう。聖龍連合は、支援の褒賞にキリトを所望する」

 

リンドの口から、そんな言葉が飛び出した。

ユウの心情に去来したのは、またもや驚愕────ではなく、煮え滾るような怒りだった。

 

(今でさえ手一杯なのに、これ以上に厄介事を増やすのか!)

 

ティアの為に強く出られないという現状に、ユウはぐっと拳を握った。

クールに。クールに。

煮え繰り返るハラワタに落し蓋をして、計算を一から練り直そうとする。

その直前、声を発したのは、意外な人物だった。

 

「いいんじゃない。その条件で飲んでも」

 

いつの間にか、優子はそこに立っていた。

味方からの思わぬ肯定に、ユウは顔を顰めて優子を見る。

それを意にも介さぬように、優子は流水が如く言を紡いだ。

 

「ただし、それは本人の意思を聞いてからよ」

「どうやって? 二人とも前線を張っているのだろう。本人の意思など、尋ねようが無いじゃないか」

 

眉を寄せて、リンドは早口でまくし立てた。

リンドの高圧的な態度にも、優子は平静と対応する。

 

「だから、この戦いが終わってからよ」

「それこそ意味不明だな。戦いが終わってしまっては、元も子もないじゃないか」

 

段々とリンドの語調が強くなる。

 

「アタシにとっては、それが前提条件よ。それが無理なら、本人の意思に拠らないスカウト方法を考えなさい」

「はぁ!?」

 

リンドの苛つきが臨界に達した。

禅問答だ。

こんな議論に、終着点など見つかる筈は無い。

徒らに時間を消費しては、ラフコフの拠点に居るメンバーを危険に晒すだけだ。

優子の暴挙を止めるべく、ユウは口を出そうとした。

それを、優子は目線で制した。

待って、大丈夫だから。

そんな言葉が、瞳に込められているようだった。

ユウは渋々と引き下がる。

優子の口が、音を立てずに『ありがと』と動かされた。

そうして優子は、リンドをしっかりと見詰めて言った。

 

「そうね、例えば……力づくで奪うとか」

「え………えぇッ!?」

 

声を上げたのはユウだった。

そりゃ大声も出す。だって意味不明なのだから。

力づく、という事は血盟騎士団や聖龍連合と、サーヴァンツが全面戦争を展開するという事か?

それこそ、何がしたいのか解らない。

その時、ヒースクリフから冷静な一言が入った。

 

「なるほど。決闘(デュエル)かい」

「ええ、そうよ。そうすれば、不平不満は出ないでしょう?」

「ああ、確かにそうだな。だが……」

 

騎士団長は、熟考するようにこめかみを押さえた。

決断を渋る気持ちも良くわかる。この条件では、サーヴァンツに有利過ぎるのだ。

もし決闘に負ければ、仲間を危険に晒した挙句、ただ働きになってしまう。

自分がライトに勝つ絶対の自信が無ければ、こんな提案など飲もう筈が無い。

 

「何よ、口籠って。貴方は一対一で、ライトに勝てないと臆病風を吹かせるのかしら?」

 

感情無く畳み掛けるような優子の言葉。

神聖剣は一つ溜息を吐くと、大仰に肩を竦めてみせた。

 

「安い挑発だな。………ふむ、だが、それに乗るのも一興か。

よし、それで良いだろう。与件は、私とライト君の一騎打ちで間違い無いね?」

「ええ、そうなるわね」

 

そして、血盟騎士団との取り決めは締結した。

残るタスクは、リンドの同意だ。

優子は、青髪の曲刀使いに無機質な様子で言質を取った。

 

「貴方は? この条件で良いかしら?」

 

ヒースクリフが承諾したのだ。

ここでリンドが退けば、ギルドマスターとして以前に、男として廃るというものだ。

それを弁えていながらも、リンドは嫌悪を惜しげも無く顕にしていた。

 

「…………チッ! ああ。聖龍連合もそれで了解だ」

 

憎々しげに吐き捨てながら、リンドは勢いをつけて席を立った。その衝撃を受けて、木製の椅子がバタンと倒れた。

 

「善は急げだ。奴らは今も危険な状態なんだろう? これで助けられなかったら、契約不履行だからな」

 

そう言うとリンドは、ズカズカと地面を踏み鳴らしながらギルドホームを立ち去った。

ユウと優子は、そんなリンドの態度に苦笑を浮かべ合った。

 

「ならば私も、リンド君の言に従うとしようか。さらばだ、ユウ君。優子君。ライト君とのデュエル、楽しみにしているよ」

「ああ、また。ラフコフのアジトで」

 

ユウの言葉に、騎士団長はどこか愉しげに頷いた。

騎士は、起立すると礼儀良く一礼し、椅子を戻した。

そして、流れるような動作でカツカツと歩みを進めると、音も立てずに扉を閉め、サーヴァンツを後にした。

どこまでも騎士然とした、彼らしい去り際だった。

二人だけになったギルドホームに、一過の静寂が訪れる。

 

「ああー、緊張したーー!」

 

だが、そんな静けさは、優子によっていとも容易く屠られた。

ぐーっと伸びをしながら、優子は会議から解放された喜びに打ちひしがれている。

 

「落ち着く所に落ち着いて良かった。すまん優子、恩に着る」

 

言いながら、ユウも緊張が解れたかのように、椅子に身を任せた。

慇懃な会席には、一転して弛緩した空気が流れだした。

ん、とユウの礼を受け取ると、ユウから目線を逸らしながら、優子は円卓に腰掛けた。

 

「んー、でも、ぶっちゃけ微妙じゃない? デュエルって」

 

自分の戦果に納得がいかないのか、優子は憮然と頬杖をついた。

完璧主義な彼女らしく、目にはいまだ闘志の炎を燃やしている。

片手剣使い(ソードマン)の美少女を宥めるように、ユウは珍しく柔らかな笑顔を見せた。

 

「いや、充分だろ。急造にしちゃ上出来な謀だ」

「さあ、どうかしら。普段のアナタなら、もっとスマートな解答を導き出せるんじゃない?」

 

確かにそうかもしれない。

だが、今のユウには不可能だ。

理由など知れている。

冷静になんてなれやしない。頭に血が滾ってしょうがない。

ユウにはもう、平静を装うのが限界だった。

目の前に居るのが優子だからこそ、ユウはここまで平生を保てるのだ。

もしボルトが現れれば、確実に激情に駆られること請け合いだ。

そんな心境を見透かしたように、悪戯っぽく優子は笑った。

 

「動転してんでしょ。ティアのコトで」

 

図星だ。

 

「ああ、してるな。間違いなくしてる」

「……意外。そんなアッサリ認めちゃうんだ」

「たりめーだ。いつまでも子供じゃあるまいし」

 

そこで、ユウは口を開きかけてから、呼吸を一拍置いた。

続く言葉は有るには有るのだが、どこか言うのが憚られた。

だが、続きを期待する優子の視線に根負けし、ユウは即座に口を割った。

 

「…………けどまあ、ガキ臭い意地もあるけどな」

「ふうん、どんな?」

 

いかにも興味津々といった風に優子が問うた。

ユウはやにさがり、正直に韜晦した。

 

「ティアは俺が救う。その役目は、他の誰にも渡さねえ」

 

言ってから、羞恥心が真っ先に浮かぶ。

こんなにも真っ直ぐに翔子、もといティアへの想いを誰かに吐露するなど、初めての経験だった。

こういうのは、どうにもユウの性根に合わない。

愚直に純真なセリフは、ライトあたりが言ってこそ映えるのだ。

少し発言を後悔しかけた時、優子が口を切った。

 

「良いじゃない。うん。カッコイイ。流石旦那ね」

 

どうやら心底そんなことを言っているらしく、優子は目を輝かせている。

純朴な態度に気恥ずかしくなって頬を掻いた。

 

「旦那じゃねぇよ。つーか、無駄口叩いてないでさっさと行くぞ。()()()()はもう到着してる頃合いだろ?」

 

無理矢理にでも話題を逸らす。

甘ったるい会話は、嫌いではないがどうにも苦手だ。

ユウのそんな思考を知ってか知らずか、優子は同調した。

 

「そうね。そろそろ行きましょっか。いつまでも待たせるわけにはいかないし」

 

そう言うと、円卓に腰掛けていた優子は、体操選手よろしく両手を上に振り上げて、ピョンと着地した。

 

「んじゃ、アタシ達も行きますか!」

「ん、あ、いや、すまん。先行っててくれ」

「えー、なんでよ」

 

ユウの歯切れの悪い返答に、優子は頬を膨らませた。

賛同を得られなかったのが、優子の癇に障ったらしい。

このまま放置は得策ではないと、ユウは取り繕うように理由を説明した。

 

「別に一緒に行きたくないとかじゃなくてだな。単純に、俺はSTR極振りでお前はAGI型だろ?」

「あ、そっか。むぅ……なんか、こじつけな気もするけど………。

まあ、いいや。取り敢えずは納得しといてあげるわ」

 

不満気な口調で歩を進めると、優子は扉を開け放った。

そうして、身体は前に向けたまま振り返り、

 

「けど、コトが済むまでには来なさいよね。王子様が遅れてきちゃ、お姫様にカッコがつかないじゃない」

 

楽しげに言うと、有無を言わさぬように優子はドアをバタンと閉めた。

 

「………ったく。誰が王子様だ。似合わねぇんだよ。そういうのは」

 

優子の姿を追うように、愚痴っぽい言葉を吐く。

十分前まで、五人の人間が居たリビングには、もう、ユウしか残されていなかった。

微かな孤独感。

それには酔い痴れるほどの魔力も無く、ただ心の隙間に虚無を作る。

だが、そんな間隙は、勇気で、怒りで、愛情で、埋め尽くしてしまえばいい。

誰も居なくなった部屋で、男は一人、闘志を燃やす。

瞳を閉じれば、彼女の面影が脳裏を過る。

どこまでも純真に、誰よりもひた向きに、彼女は彼を想っていた。

彼女が好きなのか?

そう問われれば、最早ユウは、答えを一つしか持ち合わせていなかった。

 

「待ってろよ、ティア」

 

そう言い残し、最後の一人がギルドホームを去った。

彼こそは、この闘いに終止符を打つ不落の守護者。

この瞬間、高らかな凱旋の幕が上がる。

そして、ユウは思った。

王子様も、一度くらいは良いかもしれない、と。




さあ、ついに大将の出陣です。
血盟騎士団や聖龍連合の援助も有りますし、後はもう消化試合ですね(白目)


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第六十三話「慢心」

今日は、うちの高校の入試です。
さあ、中学生たちよ、頑張りたまえ。僕はその間、休みを満喫してやろう。

そんな訳で時間が出来ましたので、投稿です。


いたるところで刃と刃が(しのぎ)を削る。

洞窟は、もはや大乱闘の様相を呈しだした。

だが、ごった返した岩窟は、中心だけが、ドーナツのようにぽっかりと穴を開けていた。

そこだけは誰も近づかない。

否、近づけない。

高過ぎる剣圧は、一種の結界となっていた。

相克するは二人の剣士。

彼らは現在、鍔迫り合いを演じていた。

見た目には地味な攻防。だが、ただの力比べと侮るなかれ。

刃に籠る形勢は、刻々と流転し続ける。

完全な静止に見えるキリトとPoHの間には、一進一退の激闘が繰り広げられているのだ。

刃の角度。腰の動き。呼吸のリズム。重心の位置。足の捌き。筋肉の収縮。

凡ゆる観点から停滞の打破を試みようとするものの、それら須くが、敵の先見に御されていく。

故に、勝負の決め手は精神力。

ほんの一瞬の漫然で、たった一度の専心で、この闘いは終結する。

それは同時に、勝負がついてもおかしくないという可能性を孕んでいる。

だからこそ、僕ら外野は絶対に手を出してはならない。

そんなつまらない事で、こんなにも高貴なる決闘を、無為に帰すなんて出来やしない。

掌を汗が伝う。

アインクラッドでは存在しない筈の生体機能。

だからコレは錯覚だ、なんて、簡単に割り切れるものじゃない。

僕が在ると感じている。ならば、この手中の汗は、きっと本物なのだ。

そんな奇妙な感覚。

拳を握り締め、殺人鬼達に立ち向かう。

あらゆる邪魔者を排除する。

それだけが、僕に出来るキリトへの最大の配慮なのだから。

だがしかし、そんな鼓舞を自分に掛けても、劣勢は揺るがない。

此方の人員は五人。対して、ラフコフのメンバーは軽く三十を超えている。

多勢に無勢とはこのことか。

今や、僕を除くサーヴァンツの全員の体力が、半分を切ろうとしていた。

その中でも、取分け消耗の激しいのが、

 

「おい、ボルト。もう、終わり、か?」

「…………チッ!」

 

たった一人、XaXaと対峙するボルトだった。

 

「オマエ、程度の、ヤツに、殺されたのは、ジョニーも、浮かばれないな」

「浮かばれないだあ? バカ言え。浄化も成仏も無えよ。生きてるか死んだか。ゼロかイチかだ。殺し合いってのはそういうモンだろ?」

「ハッ! まさか、ペーペーの、オマエに、殺しの、理念を、教えられる、とはな」

 

フーデットローブの男が、渇いた声音で嗤う。

男が駆るはエストック。

鎧を徹すことだけを目的とされ洗練された刺突の極み。

故に、刀身は細く、長く。そして、軽く。

それは、ボルトの持つハルバードとは対極に位置する存在だった。

斧槍は鈍重にして長大。

さらに、手繰るに要する技術は、凡ゆる武器の中でもトップクラスの難解さだ。

斬る。突く。叩く。引っ掛ける。払う。裂く。

ハルバードとという武器は、たった一つでこれだけの操作が可能となる。

それが強みでもあり弱みでもある。

これだけの運動を戦闘中に適宜判断しながら使い分けなければならない。だからこそ、卓越した使い手であれば、ハルバードは怪物のあぎとにも匹敵しよう。

だがしかし、何につけてもこの武器は重いのだ。

総重量4キロ。エストックの、実に3倍の重さである。

なればこそ、ボルトとXaXa、二人の動きに差異が生じるのは明白。

事実、ボルトの体力は既にイエローゾーンに突入しているが、XaXaは未だ無傷である。

殺人鬼の勝ち誇った表情にも、頷けようというものだ。

一瞬、助太刀しようかとも考えたが、

 

「ウォラァッ!」

 

名も知らぬラフコフメンバーが切りかかってきて、敢え無くその思考は遮られた。

左にフェイントを入れてから右にスライドする。

敵のカタナを左手で抑えながら、右脚を大きく振り上げる。

拳術スキル大上段蹴り『天元』。

生命の源流を意味する一撃は、吸い込まれるように剣士の顎を打った。

頭部への打撃系攻撃はスタン効果が付与される。

体術スキル、及び拳術スキルは貫手以外の全てが打撃に分類されるため、クリーンヒットすれば確実にピヨる。

これでボルトを助けに行ける。

そう思ったのも束の間。

カタナ使いの男は、ふらつく素振りも見せず、即座に反撃してみせた。

 

「────なっ!?」

 

反射的に、神耀で二メートル後ろに下がる。

これで瞬間移動は二百秒の間、使用不能になった。

カタナの間合いを抜けるには必要であったものの、二メートルは飛び過ぎたと後悔する。

もう少し思考時間があれば、敵の後ろに回りこんだりできただろうに。

過ぎた事を悔やんでも仕方ない。一先ず、眼前の敵に傾注する。

無骨なカタナ使いは、右方を向きながら得物を振っていた。更には顎も引けている。

つまり、気絶しなかったのはそういうワケだ。

蹴りに合わせて顔を動かして相対速度を下げ、衝撃を抑えた。尚且つ、顎を引いた事で顔全体が固定され、脳を揺らすのに必要な、テコの動きが作用しなかったのだ。

これではスタン耐久数値を割れないのも無理はない。

連中の厄介なところがこれだ。

人殺しを生業とするが故に、対人戦の経験値がべらぼうに高い。

PvPの技術だけを問えば、ラフコフメンバーの誰もが僕よりも達者な筈だ。

さて、もう一度距離を詰めて殴ろうか。

単純な思考で計画を立て、それを実行に移そうとした、その瞬間。

風切り音が僕の耳朶を掠めた。

瞬発的にしゃがむ。

間一髪、僕のつむじを削りながら、金属製の何かが頭上を通過した。

カタナ使いではない、第三者からの不意打ちだった。

背後より突如現れた敵に反撃を喰らわせるべく身体を捻る。

だが、前からカタナ使いがチャージして来る姿が目にとまった。

地面すれすれを滑空するカタナは、生き物のように滑らかに這い寄る。

このままでは足切りにあう。

そう判断して、カタナを回避出来るギリギリの高度にジャンプする。当然、素早く地面に着いて反撃に転じる為だ。

だが、跳ぶという行為そのものが間違いだった。

────ゴキリ。

脇腹から嫌な音が響いた。

衝撃。

それは、更に現れた第三の敵からの追撃だった。

空中で身動きの取れない僕の身体は、無欠のタイミングで揮われたメイスによって、ホームランボールよろしくぶっ飛んだ。

受け身を取る暇も与えられず、十数メートル離れた壁に、隕石もかくやという速度で叩きつけられる。

一気に体力が持っていかれる。

ぐんぐんと緑のゲージは減少を続け、ついには黄色に変色した。

いくら軽装と言ったって、まさか一発で半分を切るとは。

ああ、今ようやく思い出した。

これ、多対一なんだっけ。

空中に跳躍した後、神耀さえ使用出来ればここまでのダメージは免れたのだろうが、生憎、待機時間が百九十秒ほど残っているのが現状だ。

いや、ダメだ。神耀を恃みにしてちゃ。

瞬間移動なんて使えないのが普通なんだ。

なら、それ抜きでも闘えないと。もっと、強くならないと……。

腰のポーチから回復ポーションを取り出す。

だがその隙すらも与えないとでも言うように、僕の落下地点近くに居たシミター使いが攻撃を仕掛けてきた。

 

「………クッ!」

 

喉を閉め、歯を食いしばり拳を突き出す。

僕の拳がサーベルの側面を撫でるように弾いた。

咄嗟の反撃に驚いたのか、頬のこけた曲刀使いは体勢を崩しかけた。

だがそこはラフィンコフィン。

そんな驚愕からも、崩れた体位からも一瞬で立て直し、僕の拳が届かない距離まで後ずさった。

その隙にポーションを呷る。

視界の左上に位置するゲージが、じわじわと上昇を始めた。

それを確認してから、辺りを見渡す。

それは勿論、ボルトの現状を視認するためだ。

洞窟の深層まで目を伸ばすと、XaXaと渡り合うボルトの姿があった。

いや、違う。渡り合ってなどいない。

あれは一方的に痛めつけられているだけだ。

その時、ボルトは膝を屈した。

伏せられた瞳には、羞恥に近い悲痛さが籠っていた。

きっとボルトは、自責しているのだろう。他のメンバーが多人数の戦闘を演じている中、たった一人とすら満足に闘えない己の力量を。

だが、それは見当違いというものだろう。

ラフコフのリーダー、PoHは、あのキリトと対等な勝負をしている。

幹部クラスであるザザは、PoHに勝るとも劣らない実力を保持している筈だ。

そんな輩とここまで戦い続けられているのだから、ボルトだって並み大抵の実力ではない。

そんなことはボルトにだって分かっているだろう。それでもやはり、こうにも完膚なきまでに叩き潰されるというのは堪えるに違いない。

ボルトの思考を慮りつつ、状況を見定めていく。

二人の会話は、岩窟内の激しい戦闘に掻き消されそうになりながらも僕に届いた。

 

「やはり、拍子抜け、だな」

「ついでに腰も抜かしてくれりゃ万々歳なんだけどな」

「まだ、口だけは、余裕が、あるらしいな。喉元を、突けば、少しは、マシになるか?」

「残念。生憎、俺は口から生まれたって性分でね。息の根止まっちまったって喋くり続けるさ。だから喉への攻撃は辞めることをオススメするぜ?」

「ふん。腰抜けめ。口八丁で、生きてて、楽しいか?」

「ああ、楽しいね! 最近やっと、人生が楽しいと思えてきたとこなんだ。まだこの感覚は噛み締めてたいくらいさ」

「そうか。なら、ここで、悔いながら、死ね」

 

エストックが唸る。

ハルバードの側面は、項垂れるように刺突を防いだ。

だがそれでもクリティカルガードとはならず、ボルトの体力はガリガリと削られる。

ハルバードを使ったガード。ただそれだけの動作で、ボルトは肩を上下させた。

それはきっと、肉体的な疲労ではなく、一歩間違えば死に至るという精神的な恐れからくるものなのだろう。

 

「存外に、しぶといな。蜚蠊みたいな、生命力だ」

「ゴキブリか。そりゃ俺の性に合う。いや、どっちかっつーとどぶネズミってのが自己分析なんだが、いかがなもんかな?」

「軽口も、大概に、しておけ。口を、開くほど、寿命は、縮むぞ」

「短命になるなんて言われてもね。小悪党にはそのくらいが丁度良い」

「もういい。地獄で、ジョニーに、殺されてこい」

 

瞬間。

エストックの刀身が、朱色の光彩を帯びだした。

────ソードスキル!

アインクラッドにエストック使いは少ない。

ボルトが苦戦を強いられている原因の一つとして、エストックに対する経験値の低さが挙げられるだろう。

つまり、見慣れないソードスキルに、ボルトは対応しきれていないのだ。

そんなものを、ここまでボルトの体力が逼迫した状況で使われれば…………。

最悪の結末に思考が至った瞬間、僕の身体は撥ねるように飛び出した。

刺突剣が必殺の威力を持って、胸を穿つべく虚空を奔る。

エストックの先端がボルトに至るまで、およそ0.1秒。

僕がボルトへと辿り着くまでは約1秒。

これではどうあっても間に合わない。

しょうがない。神耀を使おう。

多少遠いが、待機時間によるリスクなど、ボルトの命に比べれば軽いものだ。

意識を集中させ、到着地点を脳内に描く。

そして、神耀を発動────できない!?

え、あ、何やってんだ僕は!

さっき二メートル飛んで、二百秒は使えないって自分で確認したばっかりじゃないか!

くそ! アホか僕は!

なんで神耀に頼ってるんだよ! だからこんなことに……畜生!

最初からボルトのとこへ走ってたらこんなことにはならなかったのに。

神耀があるって、心の何処かで自分に余裕を作ってたのか?

なんて、間抜け。

どうする、どうする、どうする。

どうすれば、ボルトを………。

そうこうしている間にも、刻一刻と終焉は近づく。

エストックの刃先は連撃を刻み、斧槍(ハルバード)の護りを縫うように進む。

そして、ボルトの顔面へと……。

僕は腕を伸ばす。

絶対に届かない距離。

五メートル。

それでも、腕を伸ばす。

意味が無い。

そんな事は分かってる。

それでも…………。

 

──────刹那。

 

洞窟の闇を切り裂くが如き流星が駆けた。

それは、僕の願いを聞き届けたかのような流れ星(シューティングスター)

星は、意思を持っているかのように、エストックへと落ち、そして、弾いた。

一瞬間の後にボルトを絶命せしめる筈だった刺突剣は、突如現れた流星によって、その動きを封殺されたのだ。

いや、よく見ればそれは、流星ではない。それは、チャクラムだ。

インドに伝わる円形の投擲武器。それが、エストックの刺突を防いだ物の正体だった。

チャクラムは、これで役目を終えたとばかりに洞窟の入り口へと帰っていく。

自然に、視線がそちらへ向かった。

そこに佇む人物は────

 

「お助けに参りました、キリトさん、ライトさん。サーヴァンツの皆さん」

 

ドワーフのような顔立ちの青年、ネズハ、いやナタクだった。

その後ろには、レジェンドブレイブスのメンバーも控えている。

いや、それだけではない。

風林火山に月夜の黒猫団まで、おおよそサーヴァンツが密接に関わった全てのギルドが一同に会していた。

その中から、凛としたカタナ使いが、どこまでも澄んだ声音で、闘争に塗れたこの場を清めるように言った。

 

「剣客秀吉、ここに参上仕る」

 

訂正しよう。

澄んだ声音は、むしろ闘争の起爆剤だった。

中性的な美少年は、意味ありげな微笑を湛える。

それはまるで、戦場そのものを俯瞰する碁打ちのようでもあった。

そしてこの時、サーヴァンツとラフィンコフィン、両陣営の人数は拮抗した。




そんなこんなで、増援到着です。
トッププレイヤー達はまだですが、馴染みの深い中堅プレイヤー達が駆けつけてくれました。


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第六十四話「悦楽」

なんだかんだで六十四話。
マジで一つの話に時間かけ過ぎじゃねえの? と真剣に焦りだした筆者です。
数えてみると、ラフコフ戦だけでなんと12話目!
ですが、ようやく終末に兆しが見えてきました。
よし、頑張ろう。


「秀吉!」

 

場所も弁えず、大声で友人の名を呼んだ。

親愛なる響きが洞窟に微かに残響する。

秀吉は鋭利な眼光に闘志を燃やしながら応えた。

 

「うむ、もう心配はいらんぞ、ライト。ユウの指令でな。ワシに集められるだけの人員を有りっ丈集めてきた!」

 

快活な声には勇気が宿っている。

秀吉はもうヤル気満々だ。

だが、僕の注意の矛先は、援軍の到着などではなく、

 

「その子、えっと………百合?」

 

秀吉の上着の裾にひしとしがみつく女の子の姿だった。

 

「ち、違うわい!」

 

秀吉は真っ赤になって否定する。

良かった。いや、百合は百合で良いものなのだが、やっぱり秀吉には皆んなのアイドルで居て欲しいものだ。

そんな思いの同士であろうムッツリーニをみやる。

そこには、必死に写真を撮る欲望と葛藤するムッツリの姿があった。

無視しよう。

秀吉の傍らに立つ女の子も、どうやら増援の一人らしかった。見れば、装備しているダガーはかなりの業物だ。

歳は小学校高学年くらいだろうか。

幼げな容貌と二つに括られた髪の毛は、どこか葉月ちゃんを彷彿とさせた。

いやでも、あの子、既に美波より胸が大きいな。

そんなバカな思考を遮ってくれたのは、鶏ガラのような風貌の殺人鬼だった。

その男の曲刀を、海老反りになって避ける。その体勢のまま、サマーソルトキック『極鈺』を発動した。

さすがにその動きには対応しきれなかったようで、痩せ型の曲刀使いは、顎へのクリーンヒットによってスタンで倒れた。

その時、

 

「全員、戦闘開始じゃ!」

 

号令一下。

秀吉の掛け声とともに、駆けつけた面々が一斉に走り出した。

体力の危ういサーヴァンツのメンバー達は一旦さがり、ポーションや結晶などで各々に回復していた。

僕は先ほどポーションを飲んだばかりなので、そのままボルトの方へと直行する。

 

「………チッ」

 

ザザが小さく舌を打った。

ボルトに倣い、それに軽口で応酬する。

 

「そんなにジョニーブラックの報仇を果たせなかったのが悔しいのか?」

 

何が面白いのか、ザザはくぐもった笑いを洩らした。

どこか、神経を逆撫でするような陰湿な笑い声だった。

 

「報仇。仇打ち、ねえ。そんな感情を、俺が、持ち合わせていると、思ったか?」

「無えだろうな。そんなものを人並みに持ってたら、殺人なんて出来る訳がねえ」

 

立てた膝に手をつき立ち上がりながら、ボルトは言った。

その拍子に蹴飛ばされた小石が、岩屋の床をころころと転がる。

それが地を這う小動物オブジェクトにコツンと当たった。蛇は、攻撃されたと勘違いしたのか、喉を鳴らして威嚇した。

生きてるのか、こんな奴でも。

システムに規定された動きというのは理解している。それでも僕は、そこに命を感じざるを得なかった。

いや、それだけじゃない。

生きてるって言うのなら、もっと激しい命の息吹が眼前に吹き荒れているじゃないか。この闘い全てが、命と命のぶつかり合いだ。

そして僕らは、アインクラッドの全プレイヤーの命を背負って闘っている。

…………あれ? でもそれなら、ラフィンコフィンも例外じゃないんじゃないのか?

いや、ラフコフは僕らをに害を成す殺人鬼どもで、倒すべき敵だ。

でも、それでも、僕らと同じで、生きてる事に変わり無いんじゃないのか?

なら、僕らのしている事は、ラフコフと…………。

いや違う。だから僕らは、その為にスタンや睡眠毒を狙っているんだ。

────けれど、着実にラフコフ側に死者は発生していた。

それは、戦闘における不可抗力だ。いくらスタンを狙っても、ふとした拍子に相手を殺してしまうことは充分に有る。

分かってる。こんなことは戦闘に不要な思考だ。こんなこと思ってる時点で甘いんだ。

不慮の事故は付き物だ。それを切り捨てられなきゃ、この世界では生き残れないし、ラフコフとも闘えない。

だけど、相手が人殺しだからって、命を奪って良い訳がない。

………だが、それを言うなら、()()()は僕の身体を乗っ取って、二十人以上も殺したじゃないか。

それを無視して、こんな葛藤を続けるのか?

悩む権利が、僕にあるのだろうか………。

 

「ライト! 危ない!」

 

注意の声にはっとする。

その時、目と鼻の先にエストックが煌めいていた。

顔を傾ける。刺突剣はこめかみを擦り、体力が数ドット減少した。

 

「ぼおっとしてんな! ここは戦場だぞ!」

 

ボルトの激しい叱咤。

それが正しい言葉だと分かってはいるものの、何故か僕は憤然としてしまった。全く、我ながらわやを言っていると思う。

 

「ああ、分かってるさ」

 

どうにか怒気を抑えた声調は、歪なほど冷やかに聞こえた。

理解している。思考停止が一番楽なんだ。

だから、心を凍らせる。嫌な思い出に蓋をして、闘うことだけを考える。

それじゃロボットと変わらない。そんな心中の省察すらも掻き消して、冷たく、冷たく。

 

「ふん。面構えが、変わったな」

 

殺人鬼が、掠れた音で忌々しげに呟いた。

僕はそれに、何の反応もしなかった。

背中越しにボルトへと、僕は頼み……いや、命令した。

 

「こいつの相手は僕がする。ボルトは、ティアの護衛と回復に徹してくれ」

 

ボルトの顔も見えぬまま、歯をギリギリと擦る音がした。

 

「…………ああ、分かった」

 

それだけ言って、ボルトは洞窟の深窓へと立ち去った。

そんなボルトから視線を切った。

その瞬間、

 

「ハッ───!」

 

あまりに鋭利な刃が、僕を刺さんと躍りだした。

その鎬を手の甲で弾き、体術スキル単発蹴り『舟撃』を発動する。

ザザはわざと態勢を崩すことでスキルキャンセルを行い、身を翻した。

結果、脚が切ったのは空のみだった。

 

「───ククッ!」

 

嗤いを零し、ザザは剣を肩口に構えた。命を刈る得物は、血の如き紅色に光輝する。

そのソードスキルは、さっき見た。

僕の鳩尾へと一直線に進む刺突の刃。

 

────それを僕は、『素手』で止めた。

 

「………なっ!?」

 

驚愕が、ザザの口から漏れ出した。

剣術スキル特殊技『白羽取り』。

相手の武器が描く軌道を、完全に先読みしなければ発動できない高難度の技だ。だが、一度見た攻撃に対しては、絶大な効果が期待できる。

驚くザザを尻目に、攻撃へと移行する。

舟撃、閃打、そして封炎。

蹴り、突き、拳の三連撃だ。

この連続技の特筆すべき点は、無限にこの三つの技を繰り返せるということだ。

これらは、威力が低い代わりに、スキル発動までと待機時間が極端に短い。

故に、SAOにおいて類を見ない、ソードスキルの無限コンボが可能となるのだ。

 

「ぐ、グフ、ガ……はッ!」

 

ザザは、言語に成らぬ呻きを上げた。

蹴る突く殴る。単調な動きの連続。

着々と、確実に、相手の体力を削いでいく。

だが、この技には一つ弱点がある。

それは、

 

「ハァーーーッ!」

 

普通に反撃できるということだ。

ザザは仰け反りながらも剣を揮ってきた。

だがしかし、いつかカウンターをもらうことは読めていた。

二百秒は、もう経った。

 

「セァッ!」

 

神耀でザザの背後に回りこみ、拳術スキル肘打ち『破玉』を発動させる。背骨を肘が抉る。

火花の錯覚。

それも、さらなる拳に上書きされる。

拳術スキル最上級技『覇道』。

両手による撃ち込み。その衝撃で前方へと転げそうになるザザ。

回り込ませるように足首を首級にかける。そのまま引き寄せ、脳天に手刀を振り下ろす。

その腕でザザの頭を掴む。そして、跳躍。

丁度逆立ちのような格好でザザの頭上を通過し、勢いを殺さずに一回転して、地面に叩きつける。

思いっきり投げられた反動で、ザザの身体が虚空に浮遊する。

そこをすかさず、全身全霊の踵落としで追撃した。

地面に横たわるザザに、最後の駄目押しをする。

右拳で一撃。お次は左で二撃目。三撃、四撃、五、六、七、八、そして最後に、とびきり重いのを鳩尾に、一発!

拳術スキル『覇道』、全行程完了。この間、たった三秒の出来事だった。

 

「………ガ………ハっ!」

 

思い出したかのように、ザザは痛みの呻きを上げた。

ここまで一方的に打ちのめされたにも関わらず、僕を見据える双眸には憎悪が煌々と燃えている。

その時、妙な高揚感が、僕を支配するのを自覚していた。

 

「今のは……効いたぞ」

 

ボソリと、僕に聞かせようという意志もなくザザが呟いた。

そんな様子に、僕の得体の知れない食指が動いた。

皮肉交じりの、揶揄の言葉が口を吐いた。

 

「当たり前だ。効いてもらわなきゃ困る。僕の最高火力なんだから。

………けど、まだ立てんだろ、殺人鬼。もう無理だってんなら、黒鉄宮の床でも舐めとけ」

「当然、だ」

 

油を注してないからくり人形みたいな不自然さで、ザザは徐に立ち上がった。

僕の心象に、火花が飛ぶのを感じた。

 

「そうこなくっちゃ! 命の灯火はまだ照ってるか?」

「生憎、真っ赤に、燃えている」

 

ザザは愉しげに嗤う。

 

「悦楽を、憶えたか」

 

フードを目深に被った男は、突如、そんなことを言い出した。

その言葉は、谺のように洞窟を反響し、何度も何度も僕の脳を揺さぶった。

頭をミキサーにかけられたようだ。

当惑を表に出さぬよう、静かに訊いた。

 

「何のことだ?」

 

さも、意味が分からないかのように、バカを装うように、ザザへと尋ねた。

だが、そんな心中すらも読まれていた。

 

「分かって、るんだろう? 自分でも」

「さあ、何のことやら」

「惚け、るなよ。おまーーー」

 

恐らくザザが、お前、と言おうとした瞬間、ラフコフの隠れ家に、ハリのある清廉な声が響き渡った。

 

「血盟騎士団、及び聖龍連合が、この洞窟を包囲した!

極刑を逃れたくば、直ちに申し出るが良い!」

 

高らかに宣言したのは、闘志の中にも叡智を宿す、アインクラッド最強と名高い騎士だった。

 

「………クソが。早い、な」

 

ため息のようなザザの呟き。

それを最後に、洞窟はシンと静まった。

数刻の間隙。

許しを請う者は、誰一人もして現れなかった。

その状況に、ヒースクリフは遺憾を隠そうともせず言い放つ。

 

「…………そうか。誠に残念だ。ならば、もはや不平などあるまいな?」

 

その声に応える者は誰もいない。

すると騎士団長は、無表情で右腕を挙げ、振り下ろした。

それが合図だったのか、紅き騎士達は一斉に地を踏み鳴らす。

 

「ううぉおぉおおぉーーーッッ!!」

 

地を割らんばかり鬨の声が響く。

その様は、音の侵略とでも比喩出来そうなほど自信と英気に満ちていた。

 

「続け続けー!!」

 

その背後に控える蒼髪のシミター使いは、自らの部下へと雑な檄を飛ばしていた。

そんな折、集団を飛び出した痩躯の騎士が、洞窟の奥へと近づいてきた。

 

「ボルト殿、ライト殿! ティア殿は自分が御守りします故、お二人は背後の瑣末などお気になさらず!

お二人が戦場を蹂躙する勇姿は、この眼にしかと見届けさせて頂きます!」

 

痩せ型の騎士は、早口でまくし立てた。

慇懃の中にも、どこか高圧的な物を秘めた口調だった。

ボルトは、そんな話術に圧倒されたのか、

 

「あ、ああ……」

 

と、小さく頷いた。

すると、痩身長駆の騎士は、次はお前だとばかりにこちらをじっと見つめてきた。

しばし睥睨する。

だが、相手に引き下がるつもりは毛頭無いらしかった。

仕方ない。本当は、ティアを他人に預けたくなどないのだが……。

 

「はぁ………分かったよ。君、名前は?」

 

訊くと、男は数秒の間目を丸くしていたが、やがてハッと取り繕うように応えた。

 

「け、血盟騎士団所属の、クラディールにて御座います!」

 

そんな自己紹介と共に、クラディールは恭しく頭を下げた。

 

「えっと、それじゃティアのこと頼むよ、クラディール」

「は! ティア女史はこのクラディールめにお任せ下さい!」

 

そうして上げられたクラディールの顔には、勝利を確信したような、含みのある笑みが浮かんでいた。




自分も武勲を上げたいだろうに、わざわざティアを護ってくれるだなんて、クラディールさん、良い人だなー(棒)


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第六十五話「バカ」

良かった……投稿出来た………。
遅れてすいません!
学年末何とかって名前の正体不明なヤツの所為で、なかなか時間を捻出できませんでした………。
テストは一週間後からなので、次の投稿もまたまた遅れてしまいそうです……。


「さて、闘いを、続けるか」

 

エストック使いが気炎を吐いた。

僕はそれに言葉ではなく態度で応じた。

両腕を上げ、ファイティングポーズをとる。ザザの口元が、揺れる水面のように歪んだ。

 

「シャァッ!」

 

仕掛けたのはザザだった。突風の如き突進。

だがそれでも、僕の方が確実に速い。

攻撃を最小限の動作で躱す。

そのまま剣士の顔面に裏拳を叩き込む。

だがその拳は敢え無く阻まれた。

僕の手は信じられないほど軽やかに、ザザの掌に包まれていた。

その行動は、白刃取りの意趣返しとも取れた。

とるなると今度は、僕が一方的にやられる番だ。

その近未来を感じ取り、慌てて拳を引いた。だが、そこに待っていたのは、

 

「あっ!?」

 

鋭利を極めた刺殺の凶器だった。

エストックは、僕の心臓を穿たんと奔る。

咄嗟に神耀を発動し、ザザの後ろに回り込む。

だが、この流れこそがミスリードだったのだ。

 

「なっ!?」

 

僕がテレポートし終えた時、ザザは既に僕に向かって攻撃を開始していた。

エストックが赤いライトエフェクトを迸らせる。

しめた! この色は、さっきのスキルと同じ色だ。

恐らくザザは、僕が神耀による技後硬直に陥っていると高を括っているのだろう。

だが残念。神耀に硬直時間は無い。それに、どんな体制からであろうと、白刃取りは発動できる。

内心でほくそ笑みながら、僕は白刃取りのモーションを発動させる。

そして、ザザのエストックは先ほどと全く同じく鳩尾を突く────筈だった。

眼前で巻き起こる不可解な光景に惑乱する。

剣は以前のソードスキルと、絶遠なる動きを見せたのだ。

そんなことはあり得ない。ソードスキルはシステムに規定された動きなのだ。それを捻じ曲げるなど、どんなプレイヤーにも出来やしない。

剣筋は愚直に胸に向かうだけだった。なのに、剣先が見据えたのは顔だった。

僕は無様に胸前で柏手を打った。

その直後、脊髄反射の領域で体術スキル頭突き『天衝』を発動させる。

現実ならば相対速度があがり、頭へのダメージが増すだけの愚行だが、そこはゲーム内。スキルはスキルである程度の相殺が可能なのだ。

僕の頭と、ザザの剣が激突する。

黄金と緋の彗星が尾を引いた。

物理エンジンが作用していないのか、弾頭が如き衝突は、反発を見せずに拮抗する。

そして、ガソリンの尽きた車のように体術と剣術はエネルギーを打ち消しあった。

一撃必殺は免れたものの、僕の体力はレッドゾーンへと突入している。

閃打で牽制しながら、全力のバックステップをした。

しかし何故、ソードスキルの軌道が変化したのか。

冷静に考えれば、すぐに答えは見つかった。

それはただ、違うソードスキルだっただけ。

剣から出た光が赤かったのは単なる偶然なのだろうか。いや、そんな筈は無い。

ザザは狙って赤いライトエフェクトが出るソードスキルを発動したのだ。それで、僕の白刃取りを誘った。

その策略を、あの一瞬間で組み立てたというのだろうか。

なんて、玄妙。

賛嘆と同時に、僕は己が暗愚を恥じ入った。

僕と奴の間には、画然の差が存在する。それを理解した上で、僕の長所───即ち、純然たる疾さを活かさなければ、この相手に打ち勝つことなど不可能だ。

 

「どうした、ライト。もう、へばった、か?」

 

掠れた声が、僕の耳朶を打った。

ザザの言葉に、僕はすぐさまかぶりを振った。

 

「冗談キツイ。それどころか、お前とはトコトン決着をつけないと気がすまないくらいだ」

「奇遇、だな。俺もだ」

 

双方が口元に笑みを浮かべる。

そこに陰湿さは無く、ただ、互いが互いを賞賛する心地よさだけが在った。

ザザは、強い。文句無く強い。

そりゃ、キリトやPoHに比べれば見劣りはするものの、それでもSAO全プレイヤーの中で、上位1%には入る実力者だ。

SAOにログインして、久しく感じていなかった思いが沸き起こる。

強者との戦闘。

デスゲームで叶うべくもないと思っていた幸福だ。対人ゲームにおける最大の楽しみとはこれに他ならない。

そんな歓びを僕は、そしてきっとザザも、ひしと感じている。

だからこそ、僕ら二人は笑いあう。この一時の幸運を噛み締めながら。

無感情なんて不可能だ。こんなに楽しい闘いならば、どうあれヒートアップしてしまう。

…………今だけは、自身の罪過も忘れられる。

瞬間。ザザが動いた。

 

「ハッ!」

 

空間を切り裂くような暴風の突き。

驚嘆すべきは、剣が光っていないこと。つまり、この攻撃にソードスキルは使用されていないのだ。

それでいてこの威力。ザザの努力が窺える。

だが、ソードスキルを使った方が攻撃力が上がるのもまた事実。

ならばザザは手を抜いているのか?

それは違う。ソードスキルを使わない選択こそがザザの全力なのだ。

スキルを使用すれば、剣の軌道が確定してしまう。そうすれば、僕に白羽取りをされる可能性が飛躍的に高まる。

ならば己が技量で千変万化に攻撃した方が、リスクは低くなるだろう。

だから、これがザザの全力。

故に、僕も全力で臨まねばなるまい。

 

「セェェヤァッ!」

 

閃打で鎬を弾く。

銃弾の如き剣速との摩擦で、体力がガリガリと削られる。

些細な事には傾注せず、洗練された剣技を受け流す。

そのまま封炎を顔面に向けて発動した。

マグナムを思わせる拳が、殺人鬼へと襲いかかる。

そんな約束された未来は、いとも容易く逆転された。

僕の腹部に、ザザの腕が突き刺さる。

体術スキル『閃打』。

容赦無い刺突は、僕の体力を一割ほど削った。

ザザの頬が嗜虐に歪む。

本能的なバックステップ。

当然ながら、後ずさる僕にザザは追撃を仕掛けてきた。

仕切り直さなければ押し切られる。

その直感の赴くまま、更に後ろに飛んだ。

飛び退いている最中、黒い何かとすれ違った。

だが、それが何かなど確認していられない。眼前の剣から逃げることが先決だ。

その時背後から、この世の物とは思えないほどの殺気の塊が、まるで具現しているかの如く感じられた。

それは、直前まで感じていたエストックへの怯懦を覆うほどだった。

脊髄反射で躰を反転させ、そして────

 

───魔剣の使い手とかち合った。

 

「な……っ!」

 

四人が、異口同音の驚愕を洩らした。

そりゃ驚きもする。

だって、いきなり闘うべき相手がすり替わったのだから。

僕はPoHと、そしてXaXaはキリトと。

だが僕らは、驚きこそすれ、止まることはしなかった。

それは誰もが、命ではなく勝利を渇望していたから。

きっとこの瞬間が、僕にとって、この世界における最初で最後のゲームだった。

たとえ仲間の、そして己の命がかかっていても、この時間が永遠であればいいと、そう思わずにはいられなかった。

そしてそのまま、乱闘へと縺れ込んだ。

剣戟が響く。三人の剣士と一人の拳士。

最早、二対二となった闘い。

思えば初めて、僕はキリトと背中を合わせて闘っている。

その事実が、堪らなく嬉しかった。

僕の瞳に映るキリトの姿は、いつでも勇猛果敢だった。

たった一人でも最前線に突っ込んで、誰よりも華々しく、激しく、この世界を『生きて』いた。

たぶん僕にとっては、身近なコイツが、神聖剣なんかよりもずっとずっと、最強のプレイヤーだったのだ。

 

「そろそろ三途の川でも見えてきた頃合いか?」

 

出し抜けに、背中向かいの黒の剣士から声をかけられた。

だが、咄嗟に呼応できなかった。喉が痺れて言うことを聞いてくれない。熱いナニカがこみ上げてきていた。

それでも何とか嚥下して、やっとこさ軽口を叩けた。

 

「冗談。僕が行くのは天国さ」

 

声は微かに震えていた。

本当にほんの少しだけ。だからきっと、こんなに近くのキリトも気づいちゃいないだろう。

それでも妙に気恥ずかしくなって、赤熱する頬を悟られぬよう拳を揮った。

鏡面に映る虚像のように、キリトもまた剣を揮った。

 

「そりゃそうだ。地獄に堕ちるのは、コイツらだもんな!」

 

キリトが浮かべるのは、いつものようなシリアスな笑みではなく、子供のような笑顔だった。

それは、剣を交えるこの一瞬が、楽しくて仕方がないというように。

だが、ザザの発した一言が、僕の動きを凍らせた。

 

「それこそ、冗談、だな。ライト。お前は、もう人を、殺している。そんな奴が、天に、召される、ワケが無い」

「…………」

 

黙る他なかった。

そうだ。僕はもう人殺しで……。

いや、それどころの話じゃない。この手で、二十を超える命を奪った。

それが例え、自分の意思であろうと無かろうと、僕自身が許されざる事をしたという事実は動かない。

そう思うのなら、何故僕は戦っているんだ?

殺人を慚愧し忌避するのなら、戦いそのものを辞めるべきだ。

なら、いっそ……。

 

「あーあー、そうですか。それがどうした」

 

そんな、心の塞いだ憂慮は、キリトの虚心坦懐とした声音に上書きされた。わざと響かせたような、強い語調だった。

 

「仲間の命が最優先。仇なす敵には武器を取る。それで良いじゃないか。

殺人鬼の命をも護る聖人君子に、お前はいつの間になったんだよ、ライト」

 

訴えかける視線だった。

それこそ、暗愚を突き殺すが如き目をしていた。

 

「いいか。この闘いは殺す事が目的じゃない。護る事が目的なんだ。

最初から、目的はそうだったろ?

今、お前がこの場で闘いから離脱すれば、そのせいでティアが死ぬかもしれない。

それは、誰の罪だと思う?」

「そりゃ、僕の……」

「違う。断じて違うぞ。それはな、ティアを殺した奴の罪なんだ」

 

ああ、確かにそうだ。至極当たり前の事だろう。

 

「けど、それがどうしたの?」

 

口をついて出た僕の声には、拒絶すら籠っているように思えた。

 

「ここで問題なのは、ライト自身は自責しているという事。そして、俺はライトに罪は無いと思っている事だ」

「だから、それがどうしたのさ!」

 

思いの外、強い語調になっていた。

どうやら僕の目は、キリトを睨んでいるらしい。

当のキリトは、それが些末事であるかのように超然と振舞う。

 

「だからさ、お前が人を殺した罪がお前自身にあるのかなんて、誰が断じれるんだって事だよ」

「そんなの、詭弁じゃないか……」

 

悄然と呟く。我慢が効かずに、地団駄を踏んだ。キリトの親身な言葉は、心に入ってこなかった。

こんな問題を責任転嫁したって、解決の糸口すら見つからない。

せめてもの救いは、僕の意識で殺したんじゃなかった事か。いや、そのせいで吹っ切れない自分がいるのもまた事実だ。

刹那、雷鳴が轟いた。

 

「この、バカ────ッッ!!!」

 

突如、鼓膜を引き裂かんとするかのような罵倒が、僕に向かって放たれた。

実際のところ、その言葉は洞窟いっぱいに放たれていて、僕への説教なのかは判然としない。けれどなぜか、自分の為の言霊なのだと直感した。

よろめきそうになりながら、声の元へと目を向ける。

そこに居たのは、月下の桜を彷彿とさせる、勝気で茶髪な女剣士だった。

優子だ。

優子が、洞窟の入り口に立って、僕をバカと呼んだのだ。

 

「ライト! なにウジウジしてんのよ! アンタのしたい事はなに? ティアを助けたいんでしょ。その為にここまで単身で乗り込んできたんでしょ!」

 

言葉のマシンガンで、蜂の巣にされたみたいだった。

辛辣でいて快活な叱咤。それはまだまだ、止まるところを知らなかった。

 

「アタシが………同じコトをした時、アンタ言ったわよね。僕が支えるって。だったら、今度はアタシが支えてあげる。ちょっとでも止まろうものなら、アンタの背中を思いっきり鞭打ってあげるわ! だからアンタは、いつものように猪突猛進で、バカみたいに前だけ向いてなさい! もしティアを助けられなかったなんて宣おうものならギッタギタにしてやるんだから、このバカ! バカ! 大バカーーーッ!!」

 

その罵詈雑言は、温かかった。

冷たく閉ざした心が、言葉という抱擁で溶解していく。

いや、そんな生易しいもんじゃない。

アイスピックでガツガツ掘られて、無理やり立ち直らされたに近い。

───ああ、僕は優子に、何て偉そうな口を利いたんだろうか。もはや優子は、僕なんかよりもよっぽど強く、しなやかだ。

もう完全に吹っ切れた。

彼女の期待に応えたい。今の僕には、その思いが溢れんばかりに湧出していた。

人殺しという罪は、僕には余りに重過ぎるけど、この一瞬だけは、それを乗り越える強さが欲しい。

 

「ありがとう、優子」

 

心からの感謝だった。

僕はまだ、君のおかげで闘えそうだ。

背中を引っ叩かれるような力強い激励。それこそが、僕に必要なものだったんだ。

 

「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎は終わったか?」

 

おおきな欠伸を上げながら、PoHは口汚くスラングを吐いた。

 

「お待ちどう様。優しいんだね、案外」

 

僕の精一杯の皮肉に気づいていないのか、わざと流しているのか。PoHは微塵も顔色を変えなかった。

 

「たりめぇーだ。こんな強いのを殺れる機会はそうそう無い。腑抜けちまってたら、勿体無くて喰えやしねぇよ」

「据え膳食わぬはなんとやらって奴だね」

「………ここでその例えが出る辺り、ホント大物だな、オマエ」

 

そう言って、PoHはゲラゲラと笑いだした。傍らのキリトも、ヤレヤレなんてため息をついてる。

僕、何かおかしな事でも言っただろうか?

 

「そろそろ、インターバルは、終了だ。熱が、醒めて、きた」

「お、いーねXaXa。ヤル気だね。んじゃまあ、このガキ共をブチ殺すと致しますか」

「ふん、そんな簡単に、俺らの命をくれてやるかよ」

 

そう言ってから、キリトは僕に拳を向けてきた。

どういう意味なんだろう?

手中にアイテムがある、というわけでも無さそうだし……。

僕が首を傾げていると、キリトは頭を掻きながら、

 

「あー、もう。じれったいな!」

 

と言って、僕の手を乱暴に掴んだ。

 

「はい、グー!」

 

言われた通りに握り拳を作る。するとキリトはコツンと、拳を突き合わせてきた。

 

「ん………まあ、やりたかったのはこれだけだ」

 

照れ臭そうに頬を掻くキリト。

それにつられて僕も上気してしまった。

フィストパンプののちに赤面する男二人という図は、第三者から見れば気持ち悪いことこの上ないだろう。

その実情を気色取ったのか、キリトはわざとらしく咳払いした。

その瞬間。

ダメージ判定があるかと錯覚するほど濃密な死の気配が漂った。

それは勿論、

 

「もう、待てない」

「俺もXaXaに同感だ」

 

二人の死神から放たれたものだった。

だがもはや、その程度で怯むような僕らではなかった。

 

「ごめんな。お預け喰らわせちまって」

 

揶揄するキリト。それに乗じて、皮肉の一つでもと口を開きかけた、その時。

 

「全員、止まれぇぇえぇえ───ッッ!!」

 

洞窟の奥から、聞き覚えのある声が響いた。




次回、ラフィンコフィン決戦編、最終話です。


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第六十六話「実験」

すいません! めっちゃ遅れました!
重ねてごめんなさい! 前回のあとがきで、次回でラフコフ編終わるって言ったのに、調子乗って書いてたら想像以上のボリュームになってしまいました!


痛いほどの金切声に、洞窟に居る全員が音源へと顔を向けた。

そこで見た光景を、僕は咄嗟に認識できなかった。

眠り姫の首元に、凶刃が添えられている。

ティアはバックチョークされ、苦しそうに眉を寄せていた。

そんな凶行に及んだ人物は、ラフィンコフィン、ではなく、

 

「クラ……ディール……?」

 

紅白の鎧を身に纏う、誇り高き騎士団の一員だった。

騎士の表情は岩屋の闇に紛れ、詳らかに悟ることは難しかった。それでも、奴が狂喜に震えているであろうことを想像するのは容易だった。

静寂が支配する洞窟。先ほどまでの激烈な戦闘が嘘みたいだ。

だが、そんな空気の中にあっても、観照し難い事態だった。

 

────裏切られた。

 

その想いによる憤慨と、自らの至らなさによる自責で、もはや未来に慄然とする他なかった。

なぜ僕は、あんなにも簡単に他人にティアを任せてしまったんだ!

血盟騎士団にラフコフが紛れ込んでいる可能性に思い至らなかったっていうのか?

それこそ言い訳だ。

僕の歯がガリリと音を立てた。 嵐のような感情に苛まれて、脳みそは碌に機能してくれやしない。

 

「チッ………このタイミングか……」

 

そんな言葉を吐き捨てたのは、意外なことにPoHだった。

幕下に控えるザザも、どうやら内情はリーダーと同じであるようだ。

その言葉が耳朶を打ったのか、クラディールを見ていたキリトが、PoHへと振り返った。

 

「なんだよ。あんたらの計画通りじゃなかったのか?」

「ああ、残念ながらな。いやまあ、真に企図が功を奏していたならば、お前らはこの時点で殺し終わってる筈だったんだが……」

「俺たちが、予想以上に強かったってことか?」

「いいや、お前達は弱いよ」

 

釈然とした断言だった。まるでそのことが決定事項であるかと思わせるような。

 

「どういうことだ?」

 

キリトの語調が、空を貫く凄みを帯びた。

だが、どれほど睨みを利かせても、そんなものが殺人鬼に通用しよう筈もない。

PoHはただ、枯淡に主観を述べた。

 

「女一人救えない奴らが、どのツラ下げて自分が強いなんて言いやがる?」

「…………だから、今から救おうって言うんじゃないか」

 

口をついて反駁が出た。それほどまでに、僕にとってもPoHの発言は度し難かった。

いや、違う。図星だったのだ。だからこそ許せなかった。僕がPoHに食ってかかるのは、子供っぽい反骨心でしかなかった。

PoHは、平然と瞋恚の篭った雑言を並べ立てる。

 

「いいや、詰みだ。もうこの状況はひっくり返せねぇ。

そもそも、だ。分からねぇか? 現状がどうやってメイキングされたのか」

「それは…………ボルトのおかげだ」

 

キリトの言葉には、どこか迷いが篭っていた。

だが、紛れもなくその通りだと僕は思う。

今は逆転されてしまっているが、ここまでラフコフを追い詰めたのは、ボルトの功績に他ならない。

そんな僕の心中をバカにするように、PoHは肩を竦めてみせた。

 

「なら、問おう。俺たちは本当に、ボルトを信頼していたと思うか?」

「…………」

 

僕らは揃って沈黙した。

こんな質問をするということは、そうでは無かったと言うことなのだろう。

だが、答えてはいけない気がした。否。答えることが憚られた。

僕らはきっと、本能的に直感しているのだ。答えてしまえばその瞬間、勝敗が明瞭になるということが。

だがしかし、無言自体が満足いく答えであるかのように、PoHは口元を綻ばせた。

 

「なら、正解を教えてやろう。ボルトはな、敢えて仲間として加入させたんだ」

「それだと辻褄が合わないだろ。ボルトを仲間にしなければ、ここまでお前らは窮地に陥らなかった筈だ」

 

キリトの至極まっとうな反論。

だがそれは、PoHの次なる一言で木っ端微塵に打ち砕かれた。

 

「俺たちがいつ、窮地に陥ったって言うんだ?」

「な、なにを………」

 

そんな、どもる僕よりも素早くキリトは詰問した。

 

「負け惜しみもいい加減にしろ! ラフコフの半分は壊滅。一時は人質も奪い返される。これが危機でない筈ないだろう!?」

「うるせぇ。ギャーギャー騒ぐな。ボルトの作戦に、俺が気付いてないとでも思ったか?

そこまでバカなら、俺たちみたいな逸れ者は、とっくに淘汰されてるだろうよ」

「じゃあなんで…………」

 

図らずも、僕の口から洩れたのは懐疑だった。

そんな僕の反応が心底面倒だとでも言いたげに、PoHは深く嘆息した。

 

「もういい。お前らがバカなのはよく分かった。俺手ずから説明してやっから、耳の穴かっぽじってよーく聞きやがれ。

そうだな……まずどこから話そうか。ティアを誘拐した理由からでいいか。

それはな、ユウの精神撹乱のためだ。

ユウを司令塔としたサーヴァンツの各々が、俺たちのアジトを嗅ぎ回っていることは調べがついていた。

だからこそ、頭を潰す必要が出た訳だ。

ユウが万全の体制で俺たちを討伐しにかかれば、流石にただじゃ済まない。だから、ティアを使って揺さぶった」

「ティアは偶然勘付いて、ボルトの作戦に同行した筈だ。だったら、ティアを攫えたのも偶然ということにならないか?」

 

キリトは粗探しを口にする。

だがそれはきっと、既にキリトの中でも答えが出ている問いなのだろう。

だって、僕でさえ次のPoHの台詞が予想できてしまっているのだから。

 

「それが、本当に偶然だったと思うか? そんなに都合良く事が運ぶ筈ねぇだろ。

ティアにリークしたんだよ。攻略組に忍ばせた、俺たちの仲間を使ってな」

 

その言葉に引っかかりを感じ、僕は考え無しに質問した。

 

「ちょ、ちょっと待て。攻略組のラフコフって、クラディール以外にもいるの?」

「おう、いるぞ。総勢三十二名が、八ギルドに潜伏してる」

 

余りにざっくばらんとしたその呼応は、僕を惑乱の渦中に叩きこむのに充分な威力を持っていた。

三十二名だと?

じゃあなんだ。僕らは、フィールドマッピングの時も、迷宮区踏破の時も、ボス攻略の時も、見知った殺人鬼に無防備な背中を晒していたということなのか?

急に、体を悪寒が貫いた。

僕らが今まで立っていた土台が、どれほど脆いものだったのか。そんな現実が叩きつけられて、身震いを禁じ得なかった。

 

「話を戻すぞ。じゃあ、何故俺たちは、ティアだけを誘拐して、ボルトを仲間にしたのか」

 

その時、キリトが翳りのある笑みを見せた。

黒の剣士は、タバコを消すような動作で、地面をジリジリと踏みつけると、PoHへと向き直った。

 

「それは、この状況を創り上げるためだろ?

敢えてボルトだけを仲間にすること、ボルトの身をある程度自由にすることで、ユウへの連絡手段を残した。

ティアの命を握られているボルトには、もはやそれ以外に取るべき方策が無い。

そして、何故ボルトに連絡させ、わざと自分達を窮地に追い込んだのか。

それは────攻略組を、この場で仕留めるためなんだろう?」

 

キリトの答え。

それに聞き惚れたかのように、PoHは甲高い口笛を吹いた。

 

「百点満点だ。見事な推理だぜ、黒の剣士」

 

僕のキャパシティーでは、絶対に理解できない解答だった。

意味が分からない。それそのままの疑問を、僕はぶつけるみたいに放言した。

 

「お………おかしいじゃないか! なんだよ、攻略組を仕留めるって! お前は、ココから出たくないのかよ! 攻略組は、この城から皆を救うために毎日毎日、危険に晒されてるんだぞ! それをお前は、快楽を満たすためだけに、蔑ろにするって言うのかよ!」

 

爆発しそうなくらい、頭に血が上っている。現実世界の僕の心臓は、早鐘を打っているに違いない。

だがPoHは悪びれもせず、やにさがりながら僕の憤激を鑑賞するだけだった。

 

「一つ訂正させてもらえば、快楽を満たすため『だけ』ってのは間違いだな。まあ、それもあるにはあるんだが」

 

冷静な言葉に怒りが湧く。

人を殺すことに、如何なる理由も免罪符になりはしない。それなのにコイツは、理由の話をしようとしてる。その精神性に、腸が煮えくり返る。

 

「………じゃあ、他には何があるって言うんだ」

 

僕と同じ気持ちなのか、激情を噛み殺した声音でキリトが尋ねた。

その回答に、僕は耳を疑った。

 

「実験だよ」

「実………験……?」

「ああ、実験だ」

 

実験。実験だと?

少しは意味がある答えを期待した。

それを聞けば、許せないまでも、怒りを抑えることに一役かうだろうと思っていた。

だが、実験と奴は言った。

この際、なんの実験かなんてどうでもいい。

そんなものの為に、人の命を平気で奪う、この……この……っ!

 

「クソ野郎が───ッッ!!」

 

瞬間。僕は憤怒に任せて殴りかかった。

今の僕に取れる行動は、どう考えてもそれしかない。

その拳を防ぐために、PoHは短刀で顔を覆おうとする。

流石の反応速度だ。

だが、僕の方が疾い──ッ!

 

「うぉぉらぁ──ッ!」

 

右腕に精一杯の心意を籠めて、殺人鬼の顔面を殴り抜く。

何のスキルも発動していなかったにも関わらず、PoHは虚空にぶっ飛んだ。

そのまま受け身も取れず地面に堕ち、

 

「ぐ………ぁッ……」

 

みすぼらしく呻きを吐いた。

傲岸不遜だった諸悪の根源は、息も絶え絶えに、膝をついて立ち上がった。

 

「効いたぜ…………光の拳士。惜別に、お前は俺の手で殺してやる」

 

地の底から這い上がるような殺人鬼の声。

双眸は爛々と輝き、僕を突き刺す。

途端、PoHはメニューウィンドウを操作し始めた。そしてストレージから取り出したものは、

 

「短刀?」

 

もう一本の短刀だった。

これで殺人鬼の両腕には、それぞれにダガーが握られている。

だが、そんなことをしてしまえば、装備状態の不準拠で短刀スキルが使用不可になる。

では何故、PoHはそんなことを?

そこまで考えが及んだ時、ある一つの可能性が脳裏をよぎった。

 

「まさか………『双剣スキル』か?」

「お、察しが良いじゃねぇか、ライト君」

 

殺人鬼は、悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべた。

双剣スキル。

それは、ダガースキルの派生にして完成系。

現状、アインクラッドにおいて最大火力を誇るスキルの一角である。

このスキルのタチが悪いところは、高ランクの短刀を二つ装備すれば、大剣に勝るとも劣らぬ攻撃力がありながら、それを連続的に発揮できることだ。

現状、アインクラッドにおいてたった三人しか取得していない、烈火の如きエクストラスキルである。

それほど強力なスキルを、この男は今の今まで隠し持っていたのだ。

 

「そんな………今までのは、まだ本気を出していなかったってことなのか………?」

 

僕の喉から、搾りかすみたいな声が洩れた。

そんな僕へと、PoHは満足げに嘲笑を返すだけだった。

ただの短刀スキルでさえ、PoHの力は驚異的だった。

なのに、それに輪を掛けて強い双剣スキルが加わっては、もはや鬼に金棒と言う他無い。

 

「ふーん。それがどうした」

 

耳を疑った。

あまりの衝撃に、脊髄が振り返れと命令する。

首を捻った先に合ったキリトの顔は、平生と何一つ変わらぬ表情だった。

 

「言うじゃねぇか、黒の剣士。なら、まずはお前から、このスキルで料理してやろうか?」

「ああ、こいよ。その程度のスキルで、俺に勝てると思ってんならな」

「な………!?」

 

驚愕は、僕とPoHの両者から洩れたものだった。

その程度のスキル?

そんなこと言える筈がない。実際、双剣スキルは神聖剣に次ぐ強さだと目されている。

確かに、ダガーが持つ元々の攻撃力が低いため、ゲームバランスを崩すには至らない。だがそれでも、ダガー使いへのスキルチェンジを目指し、何人ものプレイヤーが攻略組を離脱したほどだ。

そんなスキルを、その程度と、この男は言い切ってみせたのだ。

そんなの、驚かずにはいられない。

 

「…………そこまで言うなら、何か秘策でも用意してあるんだろうなぁ?」

 

自分のシナリオ通りにいかなかったことが如何にも不服であるように、一層不機嫌な様子でPoHが言った。

それにキリトは、寸分の間も置かず即答した。

 

「ああ、あるぜ。お前みたいな奴を倒すのにお似合いな、とっておきがな」

 

その発言は、どこまでも堂に入った自信に満ちていた。




PoHとの会話だけで一話使うって、どう言う了見だよ……。
次回は! 次回こそは終わりますんで!


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第六十七話「一番目」

終わる終わる詐欺もいい加減にせねばと思い、最後まで描ききってみると、そこにはいつもの倍の文量が!
しょうがないので、今回はだいぶ多めです。


「…………チッ。気が変わった。おい、クラディール! その女、起こせ!」

「なっ………!?」

 

唐突なPoHの言葉に、僕ら二人は驚愕することしか出来なかった。

さっきまで殺る気満々だったPoHが出し抜けにそんな事を言い出せば、そりゃ当惑もするだろう。

洞窟の最奥で、下命を受けたクラディールは、悪逆に富んだ笑いを見せる。

 

「了解した、ボス! そろそろ待ちきれないとこだったぜ。こんないい女、ほっぽっとくのはよぉ!」

 

途端、下卑た笑い声と共に、容赦無い拳が放たれた。

 

「ぁ…………くっ………」

 

ティアが吐く苦痛の吐息。溶けるような魅惑の声音に混ぜ込まれた、痛々しい呻き。

それに、僕の理性は瓦解した。

 

「や………やめろ!」

「おいおい、ライト。黙って見とけよ。ショーは始まったばっかだぜ?」

 

くぐもった笑いを洩らしながら、背後の殺人鬼が諌めるような口調で言った。

 

「くっ…………」

 

耐えるしか、無いのだろうか。

今動いても、どうにもならない事は歴然だ。

だがここで動かなければ、どの道ティアは殺される。

だったら……

その時、紅白の騎士装束を身に着けた男が、粘着質な笑顔で僕を見た。

 

「いいぃねぇ! そうこなくっちゃ! リアクションのデカい観客は嫌いじゃない! じゃあ、お前のパフォーマンスに免じて、もう一蹴り、入れてやらぁ──ッ!」

 

誠意も無ければ技量も無い。

ただただ穢すような蹴りだった。

それがティアの脇腹に突き刺さり、ティアの身体はもんどりうった。

そうして中を舞ったあと、硬くて冷たい岩盤に叩きつけられる。

 

「なんだ、コイツ。こんだけやってもまだ起きねぇのかよ。よっぽど睡眠薬がキマッてんのか。ほら、起きろよ」

 

貪汚の脚が、彼女の美貌を汚毒する。

それは同時に、僕の心をも陵辱されているような屈辱を喚起した。

そこが、我慢の限界だった。

 

「…………っざけんな、テメェ───ッッ!!

ティアの顔はな、テメェみたいな薄汚い奴が触れていいようなモンじゃねぇんだよッ!!」

 

僕の口から、罵詈雑言の弾丸が弾けた。

そんな僕に同調するかのように、洞窟中に、

 

『そうだ! 足を退けろ!』

『幾らなんでもやり過ぎだろ!』

 

そんな声が満たされていく。

いつしかそれらは非難の嵐となっていた。だがむしろ、その反応はクラディールを興奮させる結果しか生まなかった。

 

「ヒヒッ! ────あっハァ。お前らの歓声だけで達しちまいそうだぁッ! ほぅら! もう一声、聞かせろよ!」

 

クラディールは、更に右脚で踏み込んだ。

ガンガンガン。ティアの顔は、汚濁した足に蹂躙される。

全身の血液が沸騰する。

ティアの痛みを映す視神経が、張り裂けそうに訴える。

それを脳が聞き入れた時、

 

─────グルルッ!

 

深く響く獣声が、脳髄を破壊するように染み渡った。

だがそれは同時に、天上の琴が奏でる音色のようでもあった。

内在する二律背反は、うねる蛇の毒牙のように/草木から滴る甘露のように、非道く蠱惑的に僕を誘う。

そこに手を伸ばせば、きっと、何もかも解決して────

 

僕は、自分の右頬を力いっぱいぶん殴った。

 

「なんだ、ライト。ついに頭がイカれたか?」

「煩い」

 

嗤うPoHに、僕が吐いたのは怨嗟に近い命令だった。

それだけで殺人鬼は何かを察したらしく、

 

「ああ、なるほど。そういう事情か」

 

とだけ呟いて、掌返しに押し黙った。

 

「どうした、ライト」

 

キリトが気遣わしげな様子で覗き込んできた。

それに僕は、膝に手をつきながら右手を上げて大丈夫だと合図した。

それ以降、キリトは何も訊いてはこなかった。

これで、良かったのだろう。

ここで意識を引き渡してしまえば、きっとティアは救われる。

けれどもそれ以上に、僕は命を奪ってしまうだろう。

そんな未来、誰も望んじゃいない。

何より、あんなモノを宿すことが、僕自身にとって耐えられない。

あんなモノにはもう頼らないと、そう決断を下した。

その時だった。

 

「………え?……ぃ……イヤ! 嫌! やめて!」

 

玲瓏たる声音が響かせる、恐慌の叫びが洞窟を駆けた。

それに発破をかけられて、形振り構わず僕は彼女の名を叫んだ。

 

「ティア!」

「やだ! っ………助け……雄二ぃ!」

 

顔面を踏みつけられ、息も絶え絶えになりながら、僕の声など気にも留めず、彼女は最愛の名を呼んだ。

だが、それに応えられる者は、今、この場には居ない。

 

「おおっと! すまんすまん。起きてるのに気付かった。踏み続けちまったよ」

 

薄ら笑いを浮かべながら、クラディールは形だけの謝罪を口にする。

しばらくすると、ティアは荒げた息を落ち着け始めた。普通ならまだ錯乱していても不思議ではないが、どうやらもう状況を理解したようだ。

それは、ティアの顔がどんどんと青ざめていくことが如実に語っていた。

 

「それで、どうするんですか、ボス」

 

肩を上下させながら、クラディールが言った。

問われたPoHは、顎に手を当て思案顔を作る。

数秒後、考えがまとまったのか、PoHは大仰な動作で放言した。

 

「キリト、ライト、リンド、そしてヒースクリフ! お前らに問おう。

ティアを見捨てて、この場を立ち去るか、ティアを救おうともがいて俺たちに殺されるか!? さあ、選べ!」

 

PoHの声が、洞窟をぐわんぐわんと揺らした。

目眩がする。

ただでさえ暗かった洞窟が、PoHの周りだけ靄がかかったように霞んで見えた。

あまりに理不尽な選択。

しかし、このまますごすごと帰路に着いたところで、ティアが不帰となることは明白だ。

それにラフコフのことだ。僕らを大人しく帰してくれるとも思えない。

いや、それ以前にこのまま帰ってしまったら、僕らは何故こんなことをしたのかという話になる。

なら、まだ諦めず闘う?

それも絶望的だ。

ティアは人質に取られているし、それに……

 

「囲まれてるな……」

 

キリトがボソリと呟いた。

洞窟の入り口を見遣る。そこには、群を形成するラフコフのメンバー達が居た。

その数、目算で三十ほど。

いや、それどころか、今も夕暮れの蝙蝠のようにわらわらと集まっている最中だ。

そんな彼らは、秀吉やムッツリーニ率いる入口付近のプレイヤー達と睨み合いを繰り広げている。

彼らの中には、知ってる顔も見受けられた。

恐らく彼らは、PoHの言う他ギルドに潜伏させたラフコフなのだろう。

進退窮まる現状を打破する一手は、僕には見つけられそうにもなかった。

その時。澱んだ暗闇を、清廉たる騎士の声音が切り裂いた。

 

「ライト君! キリト君! 判断は君達に任せる!」

 

たったそれだけの一言だった。

ヒースクリフの表情には色彩が無く、何の斟酌も許されなかった。

だが、そこ言葉に籠められた意味は容易に推測出来る。そしてそれが、重要な決断の末に下された答えであることも。

だが、それに対するキリトの返答は、意外極まるものだった。

 

「いや、その必要は無いぜ。騎士団長殿」

 

刹那。世界に雷轟が奔った。

 

 

挨拶代わりに一発。

そのくらいのつもりだったのに、どうやら派手にやり過ぎたみたいだ。

けたたましい爆裂と地割れの入った洞窟の入口。そのどちらもが、俺の放った剣が成した結果だった。

 

「ユウ!」

 

奥の方から、バカの声がした。

俺はそれに、何も言わなかった。いや、言えなかった。もはや俺の内情は、口を開けば飛び出してしまいそうなほどだった。

 

「やっと来おったか。待ちくたびれたぞい」

「………重役出勤。借りはツケとく」

 

いつもの如く好き勝手言う悪友達。

だが、奴らにも相槌すら打たず、俺が見据える先はたった一点のみだった。

 

「雄二!」

 

岩窟に哀叫が響く。

たったそれだけで、心がガリガリと削られる。

彼女の声を聴く度、彼女の悲痛な顔を見る度、心がはち切れそうな程────煮え繰り返る。

 

「待っとけ、ティア。一瞬でカタをつける」

「………うん。待ってる」

 

俺たちのコミュニケーションは、これだけで充分だった。もはや言葉など必要無い。今、俺に求められるのは、ティアを助ける結果のみ。

 

「さあ行くぞ、皆の衆。ワシらは是が非でも王道をこじ開けるだけ。後はこの男に全てなすりつけるのじゃ!」

 

秀吉が声を上げる。

それに味方の誰もが首肯し、敵の誰もが睥睨した。

そして────

 

「うぉぉおおぉ───ッッ!」

 

誰からともなく伝播した鬨の声と共に、攻略組対ラフコフの戦闘が再開した。

秀吉の宣言通り、見る見るうちに道が形作られていった。

そこを、俺はただひたすらに奥へ奥へと歩き続けた。

俺を進ませるために、殺人鬼の刃をその身に受けた仲間達を一顧だにせずに。

やがて、次なる敵が俺の前に立ちはだかった。

 

「おおっと、残念だがここまでだ。大人しく首を差し出しやがれ」

 

元凶は頬を綻ばす。

その笑顔に何が籠められているのかは分からない。分かろうとも思わない。

だが、この男は分かっているのだろうか。自分の相手は、俺ではなく────

 

「コイツは俺が倒す。お前はただ、バカみたいに真っ直ぐ進め」

 

俺に背を向け平然と言い放つ、この最強の剣士だということが。

 

「ハッ───。出来るモンなら………」

「ああ、露払いは任せたぞ」

 

口上を述べようとするPoHを遮って、俺は黒の剣士に信頼の言葉を寄せた。

キリトは薄く笑った。

瞬間。剣士の左手に青白色の極光が顕現した。

光は一種の生命が如く唸りを上げる。その光景は、新たに生まれ出づる何かを暗示するようでもあった。

そして具現した物は、闇をも切り裂く光輝そのものだった。

銘を、闇を祓う者(ダークリパルサー)

プレイヤーメイドでありながら、魔剣とも並ぶ力を持つ、『聖剣』だ。

だがその光景に、この場の誰もが首を傾げた。

両手にそれぞれ武器を持つ。それは双剣スキルの専売特許である筈。

ならば何故、黒の剣士はそんな真似を?

 

「…………クッ…………クックックッハハハ───ッッ!!

バカだバカだとは思っていたが、よもやここまでのバカとはな! 双剣スキルに勝てないと知って苦肉の策か?

そんなことをしちまえば、ソードスキルも発動できねぇってのによ!」

「御託はいい。さっさと始めるぞ」

 

静かに過ぎるその声音は、己が勝利を微塵たりとも疑っていない。

そんなキリトへの嘲笑と共に、殺人鬼は岩屋を蹴った。

 

「行くぞ、黒の剣士!」

 

最強と最凶の最終決戦。

それの開幕と同時に、俺も洞窟の奥へと駆け出した。

 

 

友切包丁(メイトチョッパー)から軌跡が生まれる。

紅い、血を彷彿とさせるライトエフェクト。

それを迎える対の剣もまた、鮮紅の剣筋を見せた。

 

「!?」

 

それは紛れもなくソードスキル。

PoHは、得心いかぬという表情を見せる。片手剣を両手に持つソードスキルなど、未知であるに違いない。

それもその筈。

この剣技は、キリトにのみ許された究極のスキル。

『二刀流』。

それは、短剣より重く長い片手剣を、短剣と同等の速度で揮う、『双剣』の完全上位互換。

この瞬間、もはや勝利は決したも同然だった。

 

「───ッ」

 

だが、尚もPoHは食い下がる。

スキルを性能に差異が在するというのなら、技術でそれを補えばいい。

ああ、確かにそうだろう。

だがしかし。PoHは決定的に勘違いしていた。

自分とキリトが、同じ土俵で闘っているのだと、そう思っていたのだ。

 

「ハァアアァァ──ッ!」

 

PoHの気勢が奔る。

双剣スキル十五連撃『ルナ・フォーミング』。

現状、アインクラッドにおいて最大コンボ数を誇る、双剣スキル最上位技。

PoHはこの一撃で、勝敗を決しようとしていた。

────この瞬間に、己の技が最大連撃数でなくなるとも知らずに。

 

「スターバースト………ストリームッ!!」

 

キリトが放った技名は、味方ならば勝利の福音に、そして、PoHには死神の足音に聞こえたのだろう。

一撃目。エリュシデータの横薙ぎと、友切包丁の袈裟斬りがかち合った。

激突の火花が、太陽となって辺りを照らす。

それに遅れて、ジェット機もかくやという爆音が洞窟を支配した。

僅かにキリトが上回り、殺人鬼は体軸をぐらつかせた。

だがその程度のブレならば、ソードスキルは続行される。

二撃目、三撃目と打ち合いが重ねられる。

そのどれも、キリトが微小の優位を保っていた。

湧き上がる焦燥感。

どこかでリードを奪わなければ。

もし、自分の方が連続攻撃回数少なければ、勝敗は明瞭なものとなる。

PoHの憂慮など御構い無しに、両者の剣は重なり合う。

そして、運命の十五撃目。

PoHは二刀を高く振り上げ、急転直下の裁断をする。

その攻撃力たるや、時空を抉るかと思うほど。

それと剣戟を演じるのは、エリュシデータの一本のみ。

─────勝った!

PoHの顔色が高揚に染まる。

これまで一本同士でほぼ互角の攻防だったのだ。

ならば、二本で斬れば、一本では堪えられぬのが道理だろう。

そう。その筈なのだが────

 

「セェヤァアァァ──ッッ!!」

 

キリトの気合が岩窟を揺らす。

破れる筈だった剣の壁は、むしろ二刀を押し返した。

今までとは次元の違う力。

自分の短剣と同等だった片手剣。それが、打ち合うことすら許されぬ爆発力を発揮した。

どうして、急にこれほどまでパワーアップしたのか。

いや、違う。逆だ。

今までが弱すぎたのだ。

片手剣と短剣の間には、絶望的なまでの攻撃力の開きがある。

それなのにどうして、この瞬間までまともに剣を交えられたのか。

PoHはそれを、己が剣技と武器の性能だと過信していた。

ならばキリトは手を抜いていたのか?

それも違う。黒の剣士は明らかに必死だった。

では、何故?

それに答えを出す間も無く、キリトの手から更なる一撃が繰り出された。

────ああ、まだ続くのか。

殺人鬼に諦観の念が湧いた。

自分のコンボは途切れた。ならばPoHには敗北を迎えることしか出来はしない。

振りかざされるは二刀の刃。それらは寸分の狂い無く、PoHを穿つに違いない。

そして────

 

 

────二振りの片手剣は、二振りの短剣を打ち据えた。

 

甲高い金属音が鳴り響く。

蒼白のライトエフェクトが、花弁のように咲き乱れる。

今度こそ意味不明だった。

今のは絶対にPoHに止めを刺せた筈。なのに何故、わざわざ剣を狙ったのか。

その解答は、すぐに知れた。

 

───ギギ。

 

嫌な音が鳴る。

 

────ギギギ。

 

それはまるで、蠱毒壷が鳴らす死の息吹。

 

─────ギリギリギリギリ。

 

魂喰らい(ソウルイーター)が、死の暇を乞うてーーー

 

──────バリィィイイィン!!

 

瞬間、親愛を断つ妖魔の刃は、この浮遊城から消失した。

そして、PoHは全てを悟ったのだろう。何故、自分は今までキリトと剣を交えられたのかを。

 

武器(アーム)………破壊(ブラスト)!」

 

殺人鬼の口から、憤怒の籠った怨嗟が飛んだ。

そう。PoHとキリトは、始めから目指す物が違ったのだ。

キリトが狙っていたものは、PoHの命などではなく、友切包丁(メイトチョッパー)の破壊だった。

PoHは全力でキリトを殺しにかかり、キリトは全力でPoHの剣を壊しにかかった。

かかる力のベクトルが違えば、当然、PoHのがキリトの剣から受ける力積は減少する。

PoHが本気の勝負だと思っていたものは、キリトにとっては児戯だった。

つまり、キリトにはPoHを殺すことなどいつでも出来た。それをしなかったのは、ひとえに────

 

「ふっ…………ざけんな! テメェ───ッッ!!」

 

殺人鬼が初めて見せた、人間らしい怒声。

衝撃で吹き飛んだ体を立て直し、PoHはキリトに向かって衝突と言える速度で足を回した。

そして、空虚になった右手で、キリトの右頬をぶった。

キリトは微動だにせずそれを受け止め、言った。

 

「お前は………お前らは、人を殺し過ぎた」

「ああ! それが何か悪いか!」

「悪いに決まってんだろ、クソ野郎!」

 

罵声を吐きながら、黒の剣士は殴り返す。

痛打は鼻頭を打ち、PoHは数歩だけよろめいた。

 

「お前自身が簡単に死んだら、死んだ奴らに申し訳が立たないだろうが!」

 

ふらつく殺人鬼に、キリトは追い討ちをかけた。

子供の喧嘩のようだった。

駆け引きも技術も無く、ただお互いが渾身で殴った。

それでも現実なら、拳も頭蓋も破れているほどの威力だった。

殴り抜ける音が虚しく響く。

それに口出しするものは誰もいなかった。

やがて、

 

「…………取り乱した。回廊結晶でもなんでも、早くだしやがれ」

 

殺人鬼だった男の気の抜けた声には何も応答せず、キリトはメニューウィンドウを操作した。

取り出した物はPoHの言う通り、黒鉄宮行きの回廊結晶だった。

それをキリトは、片手で無造作に発動する。

空間が歪み、向こう側には冷ややかな漆黒の石畳が広がっていた。

ワープゾーンへと、確かな足取りでPoHは歩む。

キリトとすれ違った時、二人は何も口にしなかった。ただPoHは、不敵な笑いだけを浮かべていた。

そして、歪曲した時空に足を踏み入れかけたその時。

 

「またな、黒の剣士」

 

そう言い残し、災禍の元凶は戦場を去った。

 

 

────走る。

 

暗澹たる洞窟を、ただ只管に走り抜ける。

解放する。

その為に走る。

彼女を守る。

その為に走る。

奴を討つ。

その為に走る。

そうしなければ────殺される。

 

「オイ! それ以上近づくな! 近づけばコイツを、今すぐにでもぶっ刺すぞ!」

 

耳障りな警告音。

もはやそんなもの、聞こうとも思わない。

俺は、ティアが救えればそれでいい。

須くが余分。

世界に具象する有象無象は、塵芥に他ならない。

そう────俺と彼女以外は。

 

「ここまで言ってもまだ分からねぇか! だったらーーー」

 

紅白の騎士は、ティアの手を乱暴に掴んだ。

そして、ティアの右腕が切り落とされた。

 

「…………っ」

 

ティアが眉根を寄せる。

それでも爛々と輝く目は、微塵の逡巡も無く俺だけを見つめていた。

信じてる。そう言われた気がした。

脚に力が籠る。

必ず、お前を救ってみせる。

その想いを視線に込める。

伝わったのかは分からないが、ティアが微かに頷いた。

 

「お前バカかよ! 近づいたら殺すって言ってんだぞ!

…………ああ、もういい! お前らムカつくんだよ! 死ねよボケ!」

 

俺に罵声を浴びせながら、痩身の男は高く大剣を振り上げた。

このままいけば、確実にティアは両断される。

たがしかし、彼我の距離、十三メートル。

どうあれ絶対に届かぬ間合い。

ここまで絶望的な距離ならば、もはや手の打ちようがない。

このまま黙って指を咥えて、ティアの処刑を見守ることしか俺には出来ない。

────だがそれは、俺一人ならばの話だ。

そう。俺には─────

 

()ぶよ、ユウ!」

 

相棒がいる。

 

「ああ、任せた!」

 

一足飛びに十メートル。

(ライト)は、俺を連れて時空を凌駕する。

最速の男が味方なのだ。

十三メートル程度など、有って無いようなものだろう。

そして移動後、少し、背中を押された。

後はお前の仕事だ。そんな思いが、背骨に当たる掌からひしと伝わってきた。

ああ、その期待に応えよう。

俺は剣を振り上げる。

この一刀に全てを託す。アインクラッドに跋扈する腐敗の温床を、この俺の手で叩き斬ろう。

だがまだ奴までの距離は三メートル。

対して、俺の大剣の間合いは二メートルと少し。

瞬間移動によって焦っていたクラディールの顔が、少しずつ余裕を取り戻し始めた。

確かに、ここからでは奴を断つことは叶わない。

だが、そんなものは誰が決めた?

システムに規定されているのなら、世界に抗えば良いだけのこと。

俺が届くと確信しているのだ。

ならば────

 

「うおぉぉおおぉーーーッッ!!」

 

この刃が、奴を抉るのは必定だ───!!

 

─────刹那。

 

何か、道理の通らぬ事が起きた。

俺の刃から生じたものは、『衝撃波』だった。

かと言って、剣が音速を超えたとか、そんな物理現象がここで起こり得る筈がない。

ならば、何故そんなことが起きたのか。それは瑣末事だろう。

今重要なのは、奴に勝利したという結果だ。

 

「ああぁぁあぁああ────ッッ!!」

 

俺の喉から雄叫びが上がる。

 

「ヒッ………ヒイィィイイッッ!!」

 

奴の喉から悲鳴が上がる。

俺が断ち切ったものは、奴が剣を掴む腕、そのものだった。

瞬間移動の慣性で、俺はそのまま前のめり、ティアを抱き締めながら、地面をゴロゴロと転がった。

褐色の粉塵を撒きながら、どうにか輪転に歯止めがかかった。

ティアを抱擁しながら、彼女の耳元で囁いた。

 

「怖かったか、翔子?」

 

その質問に返事は、ヒマワリのような笑顔だった。

 

「……ううん。信じてたから。雄二が助けてくれるって。だから、全然」

「そうか」

 

素っ気ない返事をしたものの、その言葉を聞いた途端、頬が緩むのを禁じ得なかった。

それを誤魔化す為に、ティアの頭を掴んでワシャワシャと強引に撫でた。

それでも、ティアはいかにも嬉しそうに目を細めた。

その目から、一粒だけ真珠のような水滴が溢れた。

 

「………泣いてんのか?」

「……大丈夫。嬉し泣きだから」

 

そう言うティアの表情には、確かに笑みが宿っていた。

 

「泣くか笑うかどっちかにしやがれ」

 

我ながら、なんとも見当違いな指摘だった。

それがどんな心理から零れ落ちたものなのか、自分にも詳細は不明瞭だった。

ただ、ティアは優しく微笑んで、

 

「………ダメ。捨てられない。だって、涙も笑顔も、どちらも女の武器だもん。雄二のために、取っておかなきゃ」

「……………っ! は、恥ずかしいこと言うな! それに俺は、笑顔だけで……」

 

その後は、どうにも言葉に出来なかった。

もう顔がカンカンだ。火が出そうな程上気して、呂律も碌に回らない。

 

「…………雄二。顔赤い」

 

微笑みながら、翔子は俺の頬を突っついた。そんな自分の失態をはぐらかすために、翔子を一層強く抱きしめた。

その時だった。

 

「うっ………ぅああぁ! 殺す! 殺してやる! お前ら全員!」

 

幽鬼のような歩調で、隻腕の殺人鬼が近づいてくる。

三白眼は落ちそうな程に見開かれ、歯はガチガチとリズムを刻んでいる。

しょうがねぇ。もうちょっと痛めつけてやるか。

右手の大剣に力が籠る。

 

「いただけないな。クラディール。そういうことすると、馬に蹴られて殺されるよ?」

 

突如現れたライトは、そう言いながらクラディールの脇腹を一蹴した。

 

「お前が蹴ってんじゃねぇか」

「む。流石はユウ。鋭いディスカッションだね」

「意味が分かってねぇのに英単語を使おうとするな。バカが露見す……いや、もう手遅れか」

「失礼なっ! これでもSAOに入ってから、ちょっとは進歩したんだぞ!」

「へえ。じゃあ、城は英語で?」

「クラッド」

「予想通りの返答ありがとう」

「ああ! 違う! 今のは、反射的に答えちゃっただけで………」

 

ライトの弁明を無視して後ろへ振り返る。

そこには、馬だったか鹿だったかの一撃を受けた裏切り者の騎士が倒れ伏していた。

奴は俺の視線に気がつくと、目を泳がせ、錯乱しながら口早に言った。

 

「ま、待ってくれ! もう体力が赤なんだ! 頼む!」

 

悪辣な騎士は人を不快にさせる懇願をした。

もう、いや俺には初めから、この男に微塵も興味などなかった。

だからこそ味気なく、

 

「キリトの横に穴が空いてるだろ。死にたくないならあそこに入れ」

 

指を指しながら、それだけを口にした。

 

「…………」

 

クラディールは、反抗しているのか、承服しているのか、分かりかねる目を俺に向ける。

そうして無言のまま、ワープホールへ向けて歩いて行った。

 

「良かったの? アイツをみすみす見逃しちゃって」

「良いんだよ。禍根は静かに断つもんだ」

「…………そっか。ユウらしいね」

 

さて。

最後の仕事だ。

洞窟の湿潤な空気を、乾ききった胸一杯に吸い込んで、

 

「命が惜しけりゃ、今すぐ回廊結晶の中に入れ! まだ戦いたい奴は思う存分かかってきやがれ! 全員纏めて、瀕死にして牢獄にぶち込んでやる!」

 

そうして、アインクラッド史上最大の『戦争は』終結した。




これにて、ラフコフ編終了です。

この話、連載初期からずっと描きたかったんですよねー。
その割に多少とっちらかっているのは、色々と後乗せサクサクし過ぎちゃぅたと言いますか。
ザザ対ヒースクリフを書き出そうとした時は、さすがに自分を押し留めました。

ですが、やりたかったのはティアとユウのラヴロマンスです!
それについてはやり切りました!
もはや悔いはありません!


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第六十八話「三番目」

そういえば、時雨沢さんのGGOって皆さん読みました?

グレネードランチャー二丁持ちとか聞いたことねーですよ。完全にアホの所業です。でも嫌いじゃないです。


砂埃が目に入る。

砂礫を乗せた旋風が、僕の頬を叩くように掠めた。

眼前に広がるのは、歴戦の血に染まった砂地と、それを取り囲む圧巻の規模を誇る観客席。

その光景は、ローマの古代闘技場を彷彿とさせる。

客席には、今か今かと血眼にして決闘を待つオーディエンス。

彼らは無意識に、押し潰されそうなプレッシャーをかけてくる。

だが、そんなものは瑣末事だ。

もはや僕の視界には、彼らの姿は目に入っていない。

それらを霞ませるほどに、僕と対峙する男は超越的だった。

 

「君は徒手で私は武器を持つというのは、少々不平等のきらいがあるが、まあ、君の実力だ。問題あるまい。

さあ、このデモンストレーション、思いっきり楽しもうじゃないか」

 

そう言いながら、にこやかな笑顔で握手を求める神聖剣。

 

ああ────どうしてこうなった。

 

 

事の発端は、一昨日にまで遡る。

ラフコフとの闘争が終わったばかりで、皆んなが泥のように眠った翌日だ。

 

「あ、ちょっといいかしら、ライト」

「ん、なに、優子?」

「あんた、明後日にヒースクリフと戦ってね」

「ああ、うん。おっけ………えぇぇぇええぇええッッ!!?」

 

訊けば、ラフコフ戦の援軍支援の際に一悶着あったらしく、論争の末に僕とヒースクリフ、キリトとリンドが決闘をすることになったんだとか。

そして、僕やキリトが負ければ、それぞれのギルドに強制的に移籍されるという取り決めなのだ。

流石にそれはまずいということで、サーヴァンツ内で対ヒースクリフ戦の作戦会議が始まった時。噂をすればなんとやら。神聖剣本人が僕らのギルドホームに現れた。

戦線布告かとどぎまぎしていると、騎士団長が放ったのは、僕を移籍させるというルールの取りやめだった。

理由は単純。

クラディールが裏切ったからだ。

奴のしでかした事を血盟騎士団全員の責任だと考え、僕から手を引くことを決意したのだそうだ。

だが、本題はここからだった。

 

「うちの経理が『客寄せ』をしてしまってね。どうやら、私たちの決闘で賭けなんかも催されているそうだ。

………とどのつまり、実際に決闘をしなければ収集がつかないのだよ。

誠に身勝手で恐縮なのだが、私と模擬戦を行ってくれないだろうか?」

 

僕はそれを、二つ返事で引き受けた。

 

そうして、今に至るわけなのだが………

 

「ヤバい。帰りたい」

 

お腹が痛くなってきた。

放たれる殺気を伺う限り、神聖剣サマは相当な殺る気のようだ。

僕はと言えば、『模擬戦でしょ? ヨユーヨユー』という舐めた心構えで臨んだせいで、碌に準備もできていない。

ああ、もうだめだ。膝が笑い出した。

もう、本当に棄権しようかな………。

その時だった。観客席から一際大きな声が、僕に向かって投げられたのだ。

 

「ライトー! 絶対勝ちなさいよ!

アタシ、アンタに百万コル賭けたんだから!」

「うへぇ……ごめんなさいっ!」

「なんで謝るのよ!」

 

優子のせいで、余計にプレッシャーがのしかかる。

勝たなきゃ殺される。勝たなきゃ殺される。勝たなきゃ殺される………。

強迫観念で人事不省に陥りかけそうになっていると、新たに僕への声が飛んできた。

 

「おーい、ライト! 俺もお前に三十万賭けたからな!」

 

その声質に、僕は耳を疑った。

 

「キリト!? なんでここに?」

 

キリトはついさっき、リンドと戦うために僕らと別れた筈だ。

なのに、何故ここに居るんだろう。

 

「ああ。リンドはもう倒したからな」

「早っ!」

「ちなみに、きちんと武器破壊(アームブラスト)してきたぞ!」

「最低だ!」

 

デュエル中でも、武器は壊されれば使い物にならなくなるのに。

レア武器を決闘で破壊されたリンドの心中や如何に。

 

「ホント酷いよ、キリト君。リンドさん涙目だったもん」

 

ほわんほわんとした感じで、キリトと腕を組みながらアスナが言った。

とっても楽しそうな口調なのだか、言ってる事は恐ろしいぞ。

心中でリンドに手を合わせておいてから、僕はヒースクリフに向き直った。

リンドには悪いが、緊張が幾分か解れてきた。

 

「よろしく、ヒースクリフ」

 

騎士団長が差し出してきた手を少し強めに握り返す。

ヒースクリフが口元に仄かな笑みを浮かべた。

 

「では、初撃決着モードの一本勝負で構わないね?」

「ええ。なんなら完全決着でも構わないですよ」

「笑えない冗談だ」

 

六十秒のカウントダウンが始まる。

精神を研ぎ澄ます。

網膜に映すものは、対する男の威容のみ。

一撃与えればいいだけなのだから、疾さで勝る僕に分がある。

そんな慢心はするな。相手は最強の騎士だ。むしろ、胸を借りる気で挑まねば、一瞬で片をつけられる。

ジリジリと互いが間合いを調整する。

拳が届く距離が良い。

だがそれで、奴の剣を避け切れるか?

脳髄が反応するまでに奴の剣は何センチ動く?

神耀を使うのならば、休止時間は十秒以下に抑えたい。

交々に思考が飛び交い、脳をぐちゃぐちゃに掻き乱す。

残り十秒。

もう考えるのはよそう。

自分で言うのも何だが、僕は直感的に戦った方が強い………気がする。

ヒースクリフの闘気が膨れ上がる。

この会場の空気が、奴に呑まれたようだった。

握る拳に力が籠る。

僕はサーヴァンツの代表としてここに立っているのだ。あんまり無様に負けられない。

いや、絶対に勝ってやる!

三……二……一………零!

 

瞬間、刹那の誤差も無しに僕らは共に動き出した。

聖騎士は、僕の額に鋒を向ける。

上段突きの構え。

豪速の剣技は、間断無く僕を穿つだろう。

だが、剣の攻撃レンジに踏み入ったと同時に身体を落として、僕は更に加速した。

頭上を神聖剣が擦り抜ける。

そのまま奴の懐に飛び込む。

慣性で上体が持っていかれることを考慮してか、ヒースクリフは突きを横薙ぎに変更した。

だが、どちらにせよ前はガラ空き。

この勝負、貰った!

そう過信した途端、眼前に壁が現れた。

白の下地に赤の十字。

最硬と謳われる、神聖剣の大盾だ。

だが、僕が懐中に突進した時点では、盾はまだ体側にあった筈。

一瞬の判断で、ここまで反応してみせたと言うのか。

 

────流石の反応速度だ。

 

だがしかし、僕もこの程度で取れる首級だと思ってはいない。

この突進は、言うなれば囮。

本当の策は────

 

三十センチの瞬間移動。

敵の背中に回り込み、後頭部に肘打ちを────

 

────瞬間、怖気が背筋に奔った。

 

動物的な直感で、咄嗟に海老反りになる。

それとぼぼ同時に、僕の目と鼻の先を剣が掠めた。

巧い!

さっき突きから横薙ぎに変更したのは、慣性を去なす為ではなく、後方に飛ぶ僕を警戒してだったのか!

仰け反った体位をブリッジに移行する。

そのまま後方に身体を持ち上げるついでにサマーソルトキックをいれてみたものの、これは鎬で弾かれた。

仕方なくバク宙を三回。

これである程度の間合いは取れた。

───と思うのは早計だった。

僕に追随するように、奴は既に突進して来ていた。

なんて戦闘勘だ。未来予知でもしてるんじゃないのか?

心中で悪態をつきながら、後方宙返りによって乱れていた体軸を整える。

そっちが来るなら望むところだ。

顔面にでもカウンターを、カウンターを………

 

────全く隙が無い!

 

神聖剣には、盾自体に攻撃判定がある。

剣と盾の攻撃範囲を考慮すれば、もはや鉄壁が走ってきているに等しい。

迂闊に攻撃などしようものなら、どちらかの餌食になることは瞭然だ。

これが、神聖剣。

攻防一体の最強のスキル。

ああ、面白い!

さて、ここからどうやって仕掛けるか。

神耀は、まだ待機時間が終わっていない。

盾の合間を縫おうにも、相手は盾でソードスキルを発動させるだけで僕にクリーンヒットさせられる。

となると必然的に、僕が攻撃出来るのは、剣を持つヒースクリフの右半身に限られる。

初撃決着モードという土台の上では、まだそちらの方がリスクが少ない。

苦肉の策だが、こうする他に無いだろう。

…………いや。まだ他に手はあるじゃないか。最速たる僕だからこそ可能な、絶対に破られることのない一手が。

それに思い至った瞬間、僕は身体を反転させ、そして────そのまま走り出した。

 

「な…………っ!?」

 

騎士が驚愕を漏らす。

それも当然だろう。純然たる決闘の相手が、いきなり自分に背中を向けて逃げ出したのだ。

だがしかし、ヒースクリフは至って冷静に、

 

「なるほど、それも一つの手か」

 

などと分析し始めた。

だけど、逃げるしか脳の無いほど、僕は芸の無い男じゃない。

疾駆で見据えるのはただ一点。

そこに向かって僕は全力で跳躍した。

観客席だ。

野次馬とギャンブラーの頭上を、めいいっぱいの脚力で飛翔する。

虚空に浮遊する刹那、着地の狙いを定めたのは我らがギルドの観覧席だった。

 

「ユウ! キリト! 任せた!」

 

ギルドの中でも、特に筋力の高い二人を名指しで指名する。

指示の内容を言わずともリーダーと副リーダーは僕の言わんとすることを察してくれたようで、

 

「「バカかお前は!」」

 

などと怒声をあげながらも、バレーのレシーブの体勢を取った。

僕は彼らの組む手にそれぞれの脚をかけ、

 

「「「せーのッ!」」」

 

掛け声と共に二人は腕を振り上げ、僕はその腕を蹴った。

 

「カンペキ!」

 

思わず感嘆を洩らすほど、僕らの息はピッタリだった。

垂直上昇距離は五十メートルに達しようかと言うほどだ。

観客の誰もが呆然と僕の飛翔を眺めた。

その直後、

 

『ワアアァァアァ───ッッ!』

 

会場のボルテージは一気に最高潮に達した!

かつてこれほどまでに三次元的な決闘があっただろうか。

頭上を征く最速と、地上で構える最強。

そのマッチングは、須くの血肉を沸かすに不足無い。

だが何も、見世物のために僕はこうして飛んでいるんじゃない。

かの騎士は、前後左右で鉄壁なのだ。ならばもはや、付け入る隙は上だけだろう。

騎士団長は、円形闘技場の中央に向かって走り出す。

どうやらヒースクリフは、僕を着地と同時に屠るつもりらしい。

それは正しい判断だ。着地狩りは格ゲーの基本戦術。

凡ゆるプレイヤーが最も無防備な時間というのは、身動き出来ない滞空状態なのだから。

だが奴は忘れているのだろうか。

僕が唯一、()ぶことの出来る男だということを。

 

「はあぁぁああぁあ────ッッ!!」

 

気勢を上げながら、ヒースクリフに脚を向ける。

拳術スキル飛び蹴り『獄天』

空中で使うことが前提の唯一の技だ。

ソードスキルは物理法則を捻じ曲げて、僕を斜め下へと加速させる。

眼下の騎士は僕を観照し、カウンターのタイミングを見定める。

彼我の距離、残り二十メートル。

完全なる騎士が、口元に薄い歪みを作る。

加速度を見定めたのか。

右手に握られた刀身は、今にも踊り出しそうな禍々しさだ。

ヒースクリフは確信しているのだろう。自らの聖剣が、僕の蹴りに競り勝つことを。

だが、僕は絶対に軌道を変えようとは思わない。否、変える必要が無い。

地上まで残り十メートル。

騎士は剣を振り上げる。

あの斬撃に一欠片でも触れれば、初撃決着というルールは僕を断罪する。

完璧な位置取り。

完璧な剣速。

だがしかし、残念だったねヒースクリフ。ビックリ芸が、あと一つだけ残ってる。

瞬間。僕の身体は光の粒子に分散する。

待機時間は、もう終わった。

紅白の騎士は眼を見張る。

刹那の間隙に、足裏は騎士団長の眼前、僅か五センチに転移した。

 

「うぅおおぉぉおおぉッッ!!」

 

最後の気合。

さあ、これでチェックメイトだ!

僕が、勝つ!

 

────違和感。

 

空間が固定されたような、録画のコマ送りのような、悍ましいまでの超自然。

それが、僕の目の前で繰り広げられた。

 

「なん………だと……?」

 

懐疑を口にしたときにはもう、僕の脚は奴の盾に衝突していた。

 

───ワケが、分からない。

 

僕の攻撃は、確実にヒースクリフの顔面を捉えた筈。

なのに、どうして、『こんなもの』に阻まれているんだ?

僕の攻撃を防いだものは、神聖なる盾。

赤十字のど真ん中によるクリーンガードだ。

くそ。これではダメージを与えられない。

しかし、防御されてしまったのならしょうがない。

まずは一旦、距離を置いて、

 

────そこでやっと気付いた。僕の体力ゲージが減少しているという事実に。

 

目の前には、『Lose』という簡潔なテキスト。

何がなんだか分からない。

負けた? 何で?

ただガードされただけなのに。攻撃されてすらいないのに!

デュエルが終わったことで、決闘場は『圏内』に戻る。盾に働いたプロテクトコードにより、僕の身体は強烈に吹き飛ばされた。

何も考えられぬまま、地面に叩きつけられた。

尻餅をついたせいで、大腿骨がジンジンする。

 

「………ぁっ……」

 

現象に頭が追いつかず、ヒースクリフに質問することもままならなかった。

茫然自失の僕を、完全なる騎士はロボットのような視線で見下ろす。

そして、答えを求める僕を尻目に、ヒースクリフは紅白のマントをはためかせながら、粉塵の渦中へと消えた。




今回は、ライトがピョンピョンしてましたね。
それでも騎士様は堅牢でした。

それはそうと、次回は待ちに待った彼女の回だ!
わーい、チョロイン大好き!


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第六十九話「スターダスト・イミテーション─Ⅰ」

タイトルからも察せられるかと思いますが、今回からまたも新章です。
作者的にはクソ長くなる気配がプンプンですが、最後まで付いてきて頂ければ幸いです。


冷たく湿潤な風が鼻腔を擽る。

船頭は静まった水面を裂いて進む。

年の瀬も迫る深夜。

そんなロマンティックの只中で、船員は可愛らしく頬を膨らませていた。

 

「…………ふん!」

「そ、そろそろ機嫌直してよ、優子」

「嫌よ。全財産スったんだから」

「うぐ…………」

 

それを言われてしまえば、僕としては返す言葉がない。

だがちょっと待って欲しい。

確かにヒースクリフに負けたのは僕が悪いが、僕に賭けて貯金を失ったのは自己責任ではなかろーか。

僕の思考が責任を逃れようとフル回転で言い訳を考えていると、優子は蚊の鳴くような声で呟いた。

 

「…………カッコいいとこ見たかったのに」

「え? なんて?」

 

生憎その声は水音にかき消され、僕の耳朶を打つ事はなかった。

 

「いいのよ。聞こえないように言ったんだから」

 

それだけ言うと、美麗の片手剣士は頬杖をついてそっぽを向いた。

どうやら僕とは、目も合わせてくれないようだ。

 

「…………はぁ」

 

どうにも居心地が悪い。

しかし、どうしてこんな状況なんだろうか。

 

思えば数十分前。

昼間に聖騎士との決闘を終えてから、僕は極力優子との接触を避けていた。

百万コルを失ったことで、怒り心頭であろうと思ったからだ。

そして真夜中。

かねてから行っている二人だけの夜の経験値稼ぎ。

だが今日ばかりは優子を起こすことは憚られた。

だからこそ、僕は一人でフィールドに出ようとした。

そしてギルドホームから出ようとしたその瞬間。

 

『約束破り』

 

そんな短い非難と、服の裾に感じる微かな抵抗力。

それらは、あまりに強く僕にのしかかってきた。

僕は観念し、彼女と同行を決意した。

だが、こんな精神状態ではまともに連携も取れない。高層でのレベリングは危険だ。

じゃあ、どうやって時間を潰そうか。

僕は、アルゴにメールを送ることにした。

用件は、『出来るだけ低い階で美しい景色が見られるところ』だ。

暇潰しと優子の機嫌を直す事を兼ねての計画だった。

そして、返信された情報が『第四層・西の離れ小島』だった。

『西の離れ小島』とやらには行ったことは無かったものの、第四層の地理はおおよそ頭に入っていた。

第四層はフィールド全体に水路が張り巡らされた、イタリアのヴェネチアを彷彿とさせる壮麗なフロアだった。

ユウ、秀吉、ムッツリーニ、僕の四人で作った自前のボートで、ダンジョン内で迷って右往左往したのもいい思い出だ。

そして僕らは今まさに、その船で真っ暗な水面へと漕ぎ出しているのだった。

 

「………なんでこんな低層に来たワケ?」

 

明後日の方向を見たまま、優子は僕に問うてきた。

それに、僕は出来るだけ素直に答えた。

 

「んー、分かんない」

「はあ?」

 

優子がそんな反応をするのも仕方ない。

だがしかし、本当に分からないものは分からないのだ。

アルゴのメールには、場所しか記されていなかった。

僕らを待つ絶景の詳細は、何一つ教えられていない。

 

「でも、目的地はもうすぐそこの筈だよ」

「だから、目的地って何の?」

「分かんない」

「…………もういいわ」

 

なんだろう。

優子の機嫌が右肩下がりな気がする。

でも、普通なら女の子の機嫌を損ねれば命の危機である筈なのに、優子のそれには僕の危険センサーは全く反応しなかった。

いや、種類が違うのか。

優子は、立腹しているのではなく、沈鬱になっているのだ。

どうやら、僕は優子を傷つけてしまっているらしい。

しかし、理由は皆目見当もつかない。

さて、どうしたものか。

僕が口を開けば開くほど、優子は鬱憤を溜めているような気がするし、かと言って、何もしなければバツが悪い。

一人悶々としていると、やがてそれらしき小島が見えてきた。

 

「…………このまま行くと危ないわよ」

 

優子が、聞こえるか聞こえないかという音量で呟いた。

何が危ないのかと少し首を傾げたが、直後に何が危ないのか分かった。

 

「流れが速いね」

 

そればかりか、島の周囲にはゴツゴツの岩が散乱している。

それらはまるで、直径十メートルほどの島を守護する自然の要塞だった。

優子が上目遣いで睨んでくる。

どうするんだ、とでも言いたげだった。

その視線に応えるため、手頃な岩と船を縄で括りつけ、そして

 

「優子、ちょっと立って」

「なによ」

 

不安定な船上で不服げに起立する優子。

そんな彼女を、僕は両手で抱え上げた。いわゆる、お姫様抱っこだ。

 

「きゃっ!」

 

予想外だったのか、優子が可憐な悲鳴を上げる。

それに頓着せず、優子を連れて虚空を飛び越えた。

離島の縁で実体化する。

僕と優子から生じた光が飛び散って、背の低い草花を撫でるように揺らした。

さて、ここが景勝地の筈なのだが、目当てのものはどこに………

 

「ねえ、重くないの?」

「ん、ああ、ごめん。すぐ降ろすね」

 

地に足をつけた時、優子が「むぅ………」と不満そうに唸った。

また何かしでかしてしまったのだろうか?

だが、どう転んでも乙女心は理解出来そうになかったので、一先ず目標のモノを探すことにした。

注意深く周囲を観察する。

流石にノーヒントは厳しいものがある。

どこかに目印的なものがあれば話は早いのだが…………

 

「ライト、上見て」

 

放心した語調につられて上を見る。

 

────そこにあるものは、満天の星々だった。

 

瞬く無数の光は僕らを取り囲む。

それらは今にも掴めそうなほど近く、また、悲しくなるほど遠かった。

 

「ちょっと、寝転ぼっか」

 

提案すると、優子はこくんと頷いて、隣と言うには少し遠い位置に腰を下ろした。

一メートル。

腕を伸ばしても、彼女の肩には触れられない。

ストレージから毛布を二枚取り出して、一枚を優子に投げた。

そして二人で、お揃いの色に包まった。

緩慢な時が流れる。

ここが現実世界なら、こんな冬月夜では震えていたに違いない。それが薄手の毛布で解消されるのだ。

寒さと無縁の天体観測は、アインクラッドの特権だろう。

そんなぼんやりとした思考の中途、右隣に寝転ぶ彼女が、小さな口で震えるように吐き出した。

 

「………なんで、アタシを避けたの?」

 

鈍感な僕でも、この時ばかりは優子の憂鬱の原因を直感した。

 

────ああ、クソ。なんてバカだ。

 

怒られると思ったから避けていた?

そんなの、もっとダメに決まってるじゃないか。

身勝手にも程がある。何で僕は、少しでも優子のことを考えてあげられなかったんだ。

 

「ゴメン、優子」

 

ただ、それだけしか言えなかった。

軽率な行動で彼女を傷つけてしまったというのなら、僕に出来るのは誠意を見せる事だけだと思った。

言い訳になるかもしれないが、そんな事で、優子が傷つくなんて思いもしなかった。

優子はそんなことで気落ちするような女の子じゃないと、そう思っていたんだ。

いや、その思いは今も変わらない。

むしろ不思議だった。優子なら直接『何で避けるのよ!』と怒鳴るものだと思っていた。

なぜ彼女は、僕が避けただけでこんなにも悲しげな表情をするんだろう。

どうしても、分からなかった。

 

「ライト、手。出して」

 

懇願の声が闇を揺らした。

言われた通りに右腕を差し出す。

すると優子は、僕と小指だけを結びだした。

ちょうど、指切りげんまんの形だ。

 

「ちょっとこのまま。昼間の分の埋め合わせ」

 

か細い声と、細動するように微笑む口元。

優子は、小指にぎゅっと力を込めた。

それは手を繋いでいるとは言い難い、小さな仲直りの約束だった。

小川の冷風が、優子の髪をさらさらと掬い上げる。

その様が、まるで砂金のような美しさで。

 

────無意識の内に、空いている左手を優子の首筋に伸ばしていた。

 

「ひゃぁっ!?」

 

うなじに触れた途端、優子が素っ頓狂な声を上げた。

 

「ああ! ゴメン!」

「べ、別に良いわよ! ………けど、なんでいきなりセクハラ紛いの蛮行を働いたのかしら?」

「人聞きの悪い!」

「否定できるの?」

「すいません。ごめんなさい」

 

僕は真剣に謝っているのに、優子はイタズラっぽく微笑んだ。

途端、何か思いついたのか、手槌をポンと打つと、

 

「ねえ、ライト。ちょっと腕かして」

「え? う、うん。いいよ」

 

了承すると、僕の右腕を優子は自分の頭の高さまで持ってきて、

 

「あ、ちょ、優子!?」

 

ぽすんと、僕の腕に頭を置いた。

 

「ふふん。アタシを避けた罰ね。ここ、アタシの特等席だから」

 

勝手に領地宣言される僕の腕。

だがしかし、全く罰になってないどころか、むしろご褒美なんですが。

上腕を髪の毛がこしょばすみたいに撫でる。

今度こそきちんと、優子の頭を手櫛で梳いた。

これがゲームだからなのかは分からないが、指は一度も引っかかることなく一房の髪を通り抜けた。

 

「あ、そうだ。アタシ以外の女の子にしちゃダメよ、腕枕」

「大丈夫だよ。する相手がいないから」

「えぇー。そんなのいっぱい居るじゃない。

黒髪のメイサーとか。ポニーテールのアレなんとかさんとか。無駄にテンション高い現実世界で眼鏡っ娘属性の人とか」

「それ、全部同一人物だから」

 

確かに、アレックスならば平然と腕枕ぐらい要求してきそうだ。

ん、いや、待てよ。

そういえば、アレックスに何かを望まれたことなんてあったっけ?

 

「ねぇ、今、アレックスのこと考えてるでしょ」

 

優子の不満気な顔が肉薄する。

いや、アレックスのことを考えるように誘導したのは、あなただとおもうのですが………。

しどろもどろになりながら、どうにか否定の言葉を捻り出した。

 

「い、いや、そんなことないよ?」

「あ、図星だ。………もう、節操ないわね。

じゃあ、アタシ以外のこと考えられなくしてやるんだから」

 

そう言うと、更に優子は僕の側へと寄ってきた。

吐息が分かるほどの密着度だ。

ぐ…………確かにこれでは、優子以外のことは考えられない。

むしろ脳髄が溶かされて、何も考えられなくなりそうだ。

ここまで近いと腕枕ではなく肩枕ではないだろうか。

 

「ね、ねぇ、優子。脇腹に当たってるんだけど」

「なーにがー?」

「微妙な膨らみが」

「川に突き落とすわよ」

「タンマ! 絶妙な膨らみが!」

「うむ。よろしい」

 

良かった。納得してくれたようだ。

そこらへんは美波と同じくデリケートなのだろう。

まあ、水没しても神耀があるし問題ないんだけどね。

優子が徐に腕を上げた。その指差す先には、一際大きく輝く星があった。

 

「見て。あれ、おおいぬ座のシリウスよ」

「へえ、綺麗だね。星好きなの?」

「ん〜。別にそうでもないかな。ただ、高校受験で覚えたのを思い出しただけ」

 

その言葉に疑問符が浮かぶ。

文月学園は僕でも受かるような学校だ。優子のような優等生なら、受験勉強すら必要ないだろう。

となれば、残る可能性は一つだ。

 

「優子って、文月学園が第一志望じゃなかったの?」

「む。変なところで鋭いわね。うん。その通りよ。滑り止め」

「え!? じゃあ、第一志望に落ちたってこと? あの優子が?」

 

結構な驚愕で、思わず声を上げてしまう。

そんな僕とは対照的に、優子はさらりと言ってのけた。

 

「そうよ。ていうか、そんなに驚かなくてもいいでしょ。それに、中三の時は今ほど勉強してなかったし。

まあ、とどのつまり、アタシが猛勉強し始めてのって、悔しかったからなんだ。今度こそ絶対に失敗したくないって。後悔したくないって、ね」

 

既に優子の中で割り切っているのか、すっぱりとした物言いだった。

けれどその中に一つだけ、看過出来ぬ言葉があった。

今度こそ絶対に失敗したくないと優子は言った。

だけど、つまり、その決意は、もう終わりを迎えてしまっているのではないだろうか。

 

「優子、君は…………」

「ん、何よ。深刻そうな顔しちゃって」

 

言うべきなのだろうか。

優子が決着をつけたというのなら、これ以上蒸し返すのは無粋かもしれない。

けれど、踏み込んでみたいと、彼女の心中を知りたいと思う気持ちに、僕の口は抗えなかった。

 

「やっぱり、このゲームに囚われて悔しかったんだよね」

 

だって優子にとっては、高校二年間をかけて頭に詰めた須らくが、ただ一時の気紛れで水泡に帰してしまったのだから。

それを僕が、努力をした事のないような人間が推し量るなど、笑止千万だろう。

だけど、でも、優子の感じたであろう悔しさは、あまりにも、辛かった。

だがしかし、当の優子は未練の欠片も見せずに返答した。。

 

「それはそうだけど……っていうか、誰のせいで吹っ切れたと思ってんのよ」

「え? それってどういう………」

「はい! この話は終わり! 辛気臭いのは好きじゃないの!」

 

訊きかけた僕の口に人差し指を当てがいながら、優子はピシャリと会話を終わらせた。

どうも釈然としない。

寒冷な空気を仮想の肺に満たして嘆息する。なんだか、安心したような不満であるような、不思議な気分だった。

優子は嫋やかに口元を弛緩させながら、僕の胸に指を這わせていた。

 

「あ、さっきの続きだけどね」

「え? 何の話だっけ?」

 

鈍い僕の返答に、優子は少し口を曲げた。

 

「星よ。星。シリウスの近くに赤い星と白い星があるでしょ?

それぞれ、オリオン座のベテルギウスとこいぬ座のプロキオンよ」

 

宝石の散りばめられた夜空に目を走らせる。

明るい星を探せばいいだけなのだ。無限と思える星の群でも、すぐに目当ては見つかった。

 

「えぇーっと……ああ、あれか」

「うん。それを結んで冬の大三角形」

「あ。その名前は聞いたことあるな」

「そりゃそうでしょ。知らなかったらモグリよ」

 

何のモグリなのかは、聞かぬが花という物だろう。

優子はまだまだ話し足りないようで、右手をぶんぶんと振りながら、饒舌な説明を繰り広げていた。

やっぱり好きなんじゃないか、星。

 

「でね! でね! あと明るいのが四つあるでしょ?」

「うん。なんか、他の六つでベテルギウスを取り囲んでるね」

「そうなの! で、その六つを合わせて冬のダイヤモンド! どう?」

 

ご飯を待つ子犬のような、期待のこもった眼差しが僕に刺さる。

どう? と言われましても……。

何と答えればいいのやら、乙女心の機微はわからない。

返答の遅さに痺れを切らしたのか、少し強目の口調で優子が言った。

 

「ロマンチックでしょ?」

 

だがしかし、何と不運なのだろう。それとほぼ同じタイミングで、僕は返答してしまったのだ。

 

「うん。確かに。こんなにおっきいダイヤがあれば一生食費には困らないね」

「サイッテー」

 

完全に地雷である。

クソ! これも母さんの仕送りが少ないせいだ!

僕の性根に、食い意地が染み付いてしまったじゃないか!

兎も角、刺々しい視線から逃げるため、焦りながらも話題を反らすことに尽力する。

 

「そ、それで、その他の四つの星は何て名前なの?」

「む。良くぞ聞いてくれた!」

 

生ゴミでも見るような優子の視線が、一気にバラ色へと変化した。

良かった。窮地はひとまず脱したようだ。

 

「シリウスから反時計回りに、オリオン座のβ星のリゲル。あ、β星って言うのは二番目に明るいってことね。

次は牡牛座のアルデバラン。ぎょしゃ座のカペラと来て最後に………」

 

優子が締めの恒星名を口にしかけたその時、

 

『ピロリロリンピロリロリン』

 

という甲高い電子音が響いた。

ダイレクトメッセージの着信音だ。

 

「むぅ………」

 

またも雰囲気をぶち壊され、優子は頬を膨らませていた。

 

「ごめん、優子! ちょっとメールの確認するね」

 

優子に柏手を打って謝りつつ、メッセージウィンドウをタップする。

すると窓が拡張され、黒く素っ気ない文字の羅列が並べ立てられた。

 

『やあ、ライト(にぃ)。デート中失礼するゾ。

突然で悪いんダガ、少し用事を頼まれて欲しイ。

第四層で、一週間限定のクエストが発生するという情報を得タ。

それがどうやら鍛冶屋が必要らしくて、知り合いのマスタースミスを脅し………もとい友好的に交渉してそちらに向かってもらっていル。

だけど、そのクエストには戦闘もあるらしくて、そいつ一人じゃ心許ないんで、優子と二人で手伝ってやって欲しいんダ。

なに、タダとは言わないゼ。今回の情報料と相殺ダ。

じゃあ、頼んだヨ〜(^-^)/」

 

鼠め………ご丁寧に顔文字まで付けてくれやがって。

なるほど。僕らを四層に誘い込んだのは、元からこれが目的だったのか。

………まあ、何はともあれ返信しておこう。

 

『謹んでお断り致します』

 

よし。これでOKだ。

さて、優子との天体観測に戻り………

 

『ピロリロリンピロリロリン』

 

お。返信早いな。

どれどれ…………

 

『承りました。では、今回の情報料は八千万コルになりますので、三日後までに振り込んで頂きますようお願いいたします』

 

コイツ…………断ることを予期して、この文章、用意してやがったな!

いきなり敬語じゃないか! リアルっぽくて怖いよ!

よし。こうなったら、こっちもそれなりの対応をしてやる!

 

『すいません! ごめんなさい! ご依頼、受けさせて頂きます、アルゴ姐さん!』

『うム。素直さは美徳だゾ』

 

よーし。クエスト頑張ろう!

意気込みを新たに、僕は優子に事情を説明した。

話すたび、虹色だった優子の顔色が、灰色へと変遷していく様が見て取れた。

ああ、人って、こんなに冷酷な顔ができるんだなぁ………。

説明し切った僕を、優子はジロリと上目遣いで睥睨した。

 

「…………まあいいわ。アルゴさんにはお世話になってるし。行きましょうか。場所は主街区?」

「うん。その、アルゴの知り合いの鍛冶屋って人が今、主街区にいるっぽいね。だからまずその人と落ち合おう」

「りょーかい」

 

気だるそうに呼応すると、優子は『ん』と喉を鳴らしながら僕に視線を送ってきた。

どういう意味なんだろう?

ああ、そうか。神耀で飛ばなきゃ、自力で船に帰れないもんね。

得心して優子の背中に右手を添えた。

そして一瞬で空間転移。

唐突に加わった重力で、小船は上下に単振動した。

岩場に括り付けた縄を解いていると、後ろから「もぉっ!」という怒声が聞こえた。

やはり、まだ星座巡りが名残惜しいのだろうか。

 

「分かってない………分かってないわ!」

 

優子のソウルシャウトが寒ざむしい真夜中に響き渡る。

だがしかし、僕だってそんな言い方されてしまえば分からない。せめて主語と述語と目的語を………あれ、述語ってなんだっけ。この場合、『分かってない』が述語なんだろうか?

え? あれ? えーっと………

 

「分かんない……」

「アンタはまず、分かろうとする努力をしなさい」

「じゃあ訊くけど、述語ってなんだっけ?」

「…………はぁ?」

 

明らかに、何言ってんだコイツ、という語調である。

おかしいなぁ。真面目に質問したんだけど。

優子は俯き、わなわなと震えだした。ヤバい。また怒らせちゃったんだろうか。

 

「…………ぷっ! っくあはははは!

もうダメ! アンタの脳内のぞいてみたいわ!」

 

幸いながら怒られはしなかったものの、バカにされている事が瞭然なのだから嬉しいやら悲しいやら。

少しばかり憮然となりながらも、出航準備を完了させる。

笑いの余韻から脱した優子は、背後の孤島を流し目で見てから、

 

「さ! 早いとこ限定クエストとやらを片付けちゃいましょ!」

 

元気良く僕の背中をドンと押した。

筋力ステが低いせいか、それだけでたたらを踏んでしまう。僕の体重で。船体が派手に揺れた。

 

「あっ───きゃっ!」

 

立ったままだった優子が、不安定な船上でバランスを崩した。

そうして飛び込んで来たのは、僕の懐だった。

 

「え……えへへ」

 

いたずらを誤魔化すかのように、優子は縮こまった笑みを浮かべる。

そんな彼女の絹のような髪を、手の平で感じ取るように撫でた。

 

「クエストが終わったら、またここに来ようか」

 

名残惜しそうだった彼女を見兼ねて、僕はそれだけ口にした。

優子は、大きな目を数度開閉させてから、

 

「…………分かってるじゃない」

 

僕の耳元で囁いた。

え、何が?

そう問いかけようと口を開きかけた瞬間。

 

────僕の頬に、何か柔らかいものが優しく触れた。




うわあぁぁああぁあ!
イチャコラだけで一話が終わった! しかも八千文字! 僕のアホー!

リズ、今回で登場させる気満々だったんだけどなぁ……。


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第七十話「スターダスト・イミテーション─Ⅱ」

お気に入り登録数七百突破&閲覧数十三万突破、誠にありがとうございます!

ここまで進んでこれたのも、ひとえに皆様のご声援あってというもの。
この小説で少しでも楽しい時間を提供出来たなら、作者としてはこれ以上の至福はございません!


「────ハッ!?」

 

気がつくと目の前に広がっていた物は、四層主街区の光景だった。

はて。どうして僕はこんなところにいるんだっけ。

アルゴから依頼を受理した事は確固とした記憶がある。

だがしかし、なんだろう。その後にすごーく衝撃的な事態が発生したような。

 

頰に柔らかいものが────

 

いや、そうなんだけどね。

え、本当に?

ほっぺにキス? 優子が僕に?

うん。じゃあ、優子は僕が好きなんだな。

…………いやいやいやいやチョットマテ。

早まるな。落ち着け。状況を簡潔に整理するんだ。

客観視してみよう。そうすれば、また違った答えが見えてくるかもしれない。

深夜、二人でギルドホームを抜け出して天体観測。

孤島の草原に添い寝して肩枕。

おまけにほっぺたに接吻。

解答が一つしか見えてこない……。

じゃあ仮に、優子が僕を好いていると、恐れ多いことを前提として考えよう。

なら、僕はどうなんだ?

僕は優子が好きなのか。

いや、普通に好きだ。

それが友情なのか恋慕なのかはさて置き、好きであることに間違いは無い。

でも、何となく好き。だから付き合う。そう言うのは嫌だ。

普通はそういう風にして男女は共に過ごすのかもしれないが、僕は我慢ならない。

好きであるという理由が欲しい。

それが無ければ、彼女に対して失礼だ。

まるで暗中模索の放浪だ。

目的地も無ければ故郷も無い。それでは、僕は彼女を最後まで好きでいられる自信が無い。

そもそも優子は何故、僕なんかを好きになったのだろう。

僕を好きになってくれる人なんて、彼女の他に居るのだろうか。

 

────ちょっと待てよ。

ラフコフ戦で有耶無耶になってたけど、僕、アレックスに告白されてたじゃないか!

いや、好きと言ったのは僕からだ。

だけど、その一言でアレックスは天上の笑みを浮かべて、僕を好きだと言ったんだ。

そんな彼女の気持ちを、今の今まで忘れていたのか。

だけど、僕はアレックスにだって、愛の形成に足る理由を見つけられていない。

優柔不断め。結局僕は、彼女達に答えが出せないままなのか?

そんなの、一番タチが悪いじゃないか……。

僕は、どうすべきなんだろう。

いや、違う。こればっかりはエゴだ。どうすべきなのかじゃなくて、どうしたいのかを考えなくちゃならない。

 

「………ねえ、ライトってば!」

 

耳元で突如鳴り響く、僕を呼ぶ声。

僕の右腕をグイグイとと引っ張りながら、優子は口を尖らせていた。

 

「さっきからずっと上の空だけど、いきなりどうしたのよ」

「ご、ごめん、優子。ちょっと考え事してて……」

 

平謝りしながら正直に返答する。

優子は腕を組んで、横目で僕を見ながら、

 

「考え事、ねぇ……」

 

と呟いた。

見透かすような視線に息が詰まる。

何とか話題を逸らせないかと考えた、その時だった。

 

『キャアアァァァッッ──!!』

 

窓ガラスでも割りそうな悲鳴が、街の中心部から轟いた。

優子と二人で目を見合わせる。

そして、

 

「僕は発声源に向かうから、優子は念のために出口を見張って!」

「アンタは声の方に向かって! アタシは念のためにここに留まるから」

 

二人で同時に、同一の指示を出した。

お互いの顔を見て笑い合う。

ああ、彼女になら任せられる。

僕は、優子を背に地を蹴った。

 

 

 

第四層主街区たるロービアの街は、一言で言ってしまえば水の迷路だ。

通路は入り組み水路で塞がれ、対岸にさえ渡れれば近道なのに、なんて思うこともザラにある。

まあ、そんな時に役立つのが神耀なワケなのだが。

 

「よっと!」

 

5メートルほどの幅の水路を瞬間移動で飛び越える。

本来ならば船を使っても五分はかかるロービアの出口から転移門までの道程を、僕は三十秒で踏破しようとしていた。

路地裏から一気に抜け出す。

中央へと続く繁華街は、深夜でも疎らに人が見て取れた。

残すは直線距離二百メートル。僕の脚なら五秒とかかるまい。

さあ、ラストスパートだ。

一発入魂。前傾姿勢になったその時、

 

「うわっ!」

 

僕の身体に何かがぶつかり、掠めるように走り去って行った。

その直後、

 

「ソイツ捕まえて! ひったくりよ!」

 

悲鳴にも似た叫び声が、深夜のロービアに谺した。

ひったくりか。そりゃ大変だ。

きっと、さっき街の入り口で聞いた悲鳴もそれが原因だろう。

犯人を捕らえるべく方向転換をしてから、ふと我に返った。

ひったくり!? ここはSAOだぞ!?

保持者権限とアンチクリミナルコードで守られている筈のアイテムが、どうしてひったくられるんだ?

いや、疑問を抱くのは後だ。まずはこの緊急事態を解決しなければ。

前方の人影に照準を定める。

黒色のローブを羽織り、すばしっこく走り去っていく小柄な人物が一人。

ひったくり犯はあれで間違いないだろう。

僕が逡巡していた隙に、容疑者は路地裏へ逃げ込もうとしていた。

まずいな。この街で見失えば、再発見は難航すること請け合いだ。

万が一転移結晶を使われても行き先が分かるよう、聞き耳スキルの聴力拡張を、逃げ去る獲物に狙い撃つ。

石畳を足蹴にしながら、追い縋ろうと躍起になる。

瀟洒な街並みを一顧だにせず、標的が姿を眩ました曲がり角に辿り着くとそこには、

 

「…………行き止まり?」

 

そり立つ壁だけがあった。

レンガ塀で囲まれた袋小路。

どこだ。どこに逃げた?

赤レンガ達に起伏は少なく、手足をかけて登るのは苦しそうだ。

だが、転移結晶を使ったわけでもないらしい。

となると、残る可能性は…………

 

「下か!」

 

朗々として流れの止まぬ水路を凝視する。

夜目で見えにくいものの、水面下には確かに動く影があった。

メニューウィンドウをタップして、装備を全て解除する。

裸一貫で、余ったスキルを管理できるレアアイテムを使って、疾走スキルを外し水泳スキルをスキルスロットに装備した。

僕の水泳スキル熟練度は三百程度。

決して高くはないが、泳ぐのに支障はきたさない。

SAOでは準備体操も心臓への水かけも必要無い。

留まることのない水面に向かって、勢いをつけて飛び出した。

水と一体化する、流れるような飛び込み。

深夜の水中は暗く冷たい。

視覚強化スキルの、明度調整が自動で発動する。

聞き耳と視覚強化を駆使して、下手人の居場所を探索する。

水の方向からして、中央通りには向かっていない筈。

というか、ひったくりが成功したのだから、泥棒的には逃げるが勝ちなのだ。それなら、街唯一の出入り口へ向かうに決まっている。

となると、そこに待機する優子にメッセージを────

 

────その時、僕の額を鋼鉄が掠めた。

 

反射的に上体を仰け反らせる。そのおかげか、体力ゲージは全く減らなかった。

野郎め。逃げるのを止めて交戦ときたか。

剣のエネルギーに引っ張られた奴の身体に、体術スキル単発蹴り『舟撃』を入れるべく脚を回す。

だがしかし、水中で体勢が整っていないせいか、システムは僕の動きをスキルと認識してくれなかった。

それでも素の攻撃ながら相手の腹を蹴ることは出来た。

僕とひったくり犯の双方が、作用反作用で離れた。

間合いが出来て改めて犯人の顔を確認する。

それは意外なことに、年端もいかぬ勝気な目をした少年だった。

後でこってり叱ってやらねば。

そう決意した時、視界右下にある酸素残量ゲージが半ばを切ろうとしているのが見えた。

これが無くなると、体力や各種ステータスの低下という中々面倒臭いことになってしまう。

水底を蹴って浮上する。一度でも地上に出てしまえば、それだけで酸素残量は満タンになるからだ。

だがそこで、やはりというかまさかというか、ひったくり少年の妨害が加えられた。

彼は僕の真上に陣取り、是が非でも僕に息を吸わせないつもりらしい。

 

────早く決着をつけなくては。

 

焦燥感が、酸素の減りを更に早く見せた。

頭上の犯人に向かって、魚雷もかくやという速度で急進する。

愚直に突っ込む僕に向かって、少年は刃を振り下ろした。

それを、水を蹴って回避する。

そこでふと疑問が生じた。多少は攻撃を食らうと思って突進した。今のがソードスキルを使った攻撃なら、確実に僕はダメージを負っていただろう。

だがその剣筋は通常攻撃だった。だからこそ避けられた。

だが何故? 何故わざわざ通常攻撃を仕掛けてくるのか。

僕のように、水に慣れていないということはあるまい。水中の身のこなし一つ取ってみても、僕より格段にスムーズだ。

そんな彼が、ソードスキルの発動に失敗するとは到底思えない。

ならば、何故。

その時、僕はふと思った。

僕がソードスキルを発動出来なかった理由。彼がソードスキルを発動しなかった理由。

そのどちらもに完璧な説明をつける最適解。

そう、それは────

 

────ここ、圏内じゃん………。

 

それなら攻撃性の高いソードスキルは不発に終わるわけだよコンチキショウ。

そうと分かれば話は早い。

相手はまだ僕にダメージを与えられると思い込んでるみたいだし、ここは一発、痛い目に合わせてやろう。

ドルフィンキックで幼き剣士へと突進する。

当然、盗人は相克する僕へと得物を奔らせた。

月光に煌めく刀身は、僕を穿たんと発起する。

その直前、アンチクリミナルコードの防壁が、激烈なる凶刃を受け止めた。

 

「────ッ!」

 

少年は、つり目を見開いた。

だが、今更気づいてももう遅い。

パンツだけを装備した少年の、露わな胸板に手をつけた。

そして、僕と少年は光の粒子へと昇華した。

次に僕らが現れたのは、高度五メートルの上空だった。

 

「うわぁぁああぁあッッ!」

 

少年があられもなく悲鳴を上げる。

そんな些事には頓着せず、そのままコソ泥を地面へと叩き落とした。

 

「カハッ────!」

 

圏内だからダメージは通らないものの、石畳からの衝撃は流石に堪えたらしい。

動きを見せなくなった少年の傍に降り立った。

冷静に見てみると、水を滴らせながら横たわる彼は、途方もなく美少年だった。

クールな目つきと散切りの髪は、触れれば噛み付く猛犬を思わせる。

今はまだ童顔だが、将来はきっと相当な女誑しになるに違いない。

ふむ。これならぞんざいに扱っても良心が痛まない。

取り敢えず身動きを取らさぬよう、少年の首根っこを掴んで持ち上げた。

 

「さあ、盗んだ物を出して貰おうか」

 

すると少年は、歯を食いしばって僕を睥睨しながら、締められた喉から声を絞った。

 

「………い、嫌だ! オレには剣が必要なんだ!」

 

なるほど。奪ったのは剣なのか。

バカだな、コイツ。僕が言うんだから間違いない。

さて、どうやってこの野郎をとっちめてやろうか。そんな思考を巡らせ始めた、その時だった。

聞き耳スキルで拾われた跫音が、僕の耳朶を打った。

剣泥棒から目を逸らさぬように、身体ごと背後へと回す。

そして視界に収まったのは、ゲームらしくピンクの髪色をした女の子だった。

顔には可愛らしいそばかすが見受けられ、芯の通った眼力が彼女の性格を物語っている。

だが、僕と目が合うなり、彼女は明らかに慄然とし始めた。

ああ、そうか。よく考えてみればこの光景って、半裸の男が半裸の少年の首を絞め上げている状態なのか。

 

「キャアアァァアア────ッッ!! 変態────ッ!」

 

深夜のロービアに、悲しい絶叫が響き渡った。




さて、中途半端かつ急で、誠に身勝手ではありますが、ここで一度、更新を停止させていただきます。

と言いますのも、本格的に大学受験に専念したい為なんです。
本来は、SAO終了時点まで描きたかったのですが、三年生になって、そんな余裕がないを事を悟りました。

ここまで読んでくださった読者の方々には本当に感謝の念しかございません!
そんな皆様を裏切らないためにも、絶対に蒸発したりはしません。

もし、受験が終わってまた書き始めた時、もう一度この小説に目を通して頂けるなら、その時は僕の最高の文書でもっておもてなし致したいと思います。

それでは、また来年、僕が笑うことになればお会いしましょう!


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第七十一話「スターダスト・イミテーション─III」

読者よ、私は帰ってきた!

そんなワケで、約一年ぶりの投稿です。

お楽しみくだされば幸いです。


「ごめんなさいっ!!」

 

石畳に額を打ち付けて、全力で土下座するピンク髪の女の子。

よろしくない。この絵面は実によろしくない。特に僕がまだ半裸ってとこがよろしくない。

 

「ちょ……ちょっと。もう大丈夫だから。顔上げて。ね?」

「いや、あたしがやったことはこの程度で許されることじゃないから!」

「いや、そんな大層なことじゃないよ! 大丈夫だって!」

「絶対にダメ! たとえあなたが、半裸のまま女の子を土下座させている変態だと咎められようと、あたしは土下座をやり遂げる!」

「確信犯だろ、君!」

 

その時、広場の東門から駆けてくる優子の姿が見て取れた。

良かった。優子にも一緒にこの子を説得してもらおう。そうすればこの子も……

 

「キャーーーッッ!!? 変態!!」

 

そんなことだろうと思ったよ、畜生!

 

「待って! 違うんだ優子!」

「そうよ! この人はただあたしを脅して土下座させているだけなの!」

「君は黙っててくれ!」

 

この子は僕に何の恨みがあるんだ!?

 

「事情は分かったわ。死になさい、ライト!!」

「何も分かってない! 何も分かってないよ優子!」

 

このままだと非常にマズイことになり兼ねない。

全力で優子の片手剣を避け続ける。

なんとか優子に説明を試みること数十分。やっと状況に理解を示してくれるに至った。

 

「いやー、ごめんね? ライトの反応が面白いから、ついからかっちゃった」

 

全く悪びれる様子もなく、桃色の髪をした少女は僕に謝罪した。

 

「ああ、その気持ちは分かるわ。何故か少しいじめてみたくなるのよね」

「やめて、そんなことで同意しないで」

 

そんな僕の言葉に、優子とリズは揃って大笑した。くそ。遊ばれてる気がする。

ショートボブの桃色の髪と、ほどよいそばかすがトレードマークの彼女の名は、『リズベット』というらしい。

彼女の職業は『鍛冶屋』。つまり、アルゴが遣わしたマスタースミス、その人なのだ。

そこでふと、優子が右手に視線を送った。

 

「それで? この子はどうするの?」

 

その言葉が示すのは、ロープで縛られたつり目の美少年だ。

リズベットから剣を奪った泥棒の正体が彼だ。彼はそっぽを向いて、無言を決め込んでいる。

僕は彼の前にしゃがみ込んで、出来るだけ穏やかな口調で話しかけた。

 

「ねえ、君? なんで剣を引ったくろうとしたのかな?」

 

憮然とした表情を崩さぬままに、彼はぼそりと言った。

 

「その前に、アンタ服着ろよ。寒くないのかよ」

 

不意打ちの優しさ。そういえば冬である。もしかして、僕の見方は背後に立つ女性2人でなく、この少年なのではなかろうか。

しかし、寒いというなら少年も同じだ。水路で泳ぐため、彼の装備も1枚なのだから。

 

「それはお互い様だね。じゃ、メニューウィンドウを弄れるようにちょっと縄を解くから、それで服を装備して」

 

そう言った僕を、少年は心底不思議そうに見た。なんだろう。僕、変な事言ったかな?

 

「メニューウィンドウって、なに?」

 

少年の一言で、僕の脳内はしっちゃかめっちゃかになった。

え? メニューウィンドウを知らない? もうSAOが始まって1年が経つのに?

いや、そんなことは常識的にありえない。どれほど隠そうとしても、プレイヤーにメニューウィンドウに気付かせないなんてことは不可能だ。

いや、それ以前に、僕は自問したじゃないか。プレイヤーが所持するアイテムは所有権に守られ、引ったくりができるはずがない。そんなことはシステム的にありえないと。

だったら、考えられる答えは1つだ。

この少年は、NPCなのだ。

そう仮定すれば、全てのことに説明がつく。

システムに守られているアイテムも、システムそのものなら奪えるだろう。

だが、NPCが剣を奪う意味とはなんだ?

それはつまり────

 

────そうして、思考の海から帰った僕の眼前に用意されていのは、完結はシステムメッセージだった。

 

限定(リミテッド)クエスト【天の竜・星の双子】を開始しますか?』

 

 

「ポルクス、帰ったよ」

 

少年──カストル──のカラッとした、それでいて空虚な声音。

病床に伏す少年──ポルクス──は、淡い笑顔で頷いた。

ここは僕らが出会ったNPCの少年、カストルと、その弟ポルクスの住処だ。

ここに来たのは他でもない、カストルが僕らを招いてくれたのだ。

優子がリズをパーティ加入申請をしてから、僕はクエストを受注した。リズはアルゴから話を聞いていたらしく、快くパーティに参入した。

それから、カストルは訥々と話し始めたのだ。彼が剣を盗んだワケ、その事のあらましを。

彼らの母は、彼らが物心つく前に命を落とし、それからは狩人の父が男手1つで育ててくれたらしい。

がさつながらも愛情深い父。それは彼らにとって充分過ぎるほど幸福な家庭だった。

だが、数ヶ月前。突如としてその幸せは崩れ去った。

2人に狩りの技術を伝えるため、父はにカストルとポルクスを1日毎で順番に狩りへと連れ立った。

その日、父が狩場に選んだのは第60層。強力なモンスターが現れるが、屈強な狩人たる父としては、腕慣らしに丁度良いという程度だ。本来ならば。

その日はなぜか、モンスター達の様子がおかしかった。ワイバーン達は殺気立ち、形振り構わず攻撃を仕掛けてきた。

息子を守りながらというハンデはあるものの、しかし父はその程度の雑兵はものともしなかった。

だが父は、そこで判断を見誤った。

帰れば良かったのだ。今日はなにかがおかしい。狩りはまたの機会にしよう。そう思いさえすれば良かった。

だが進んだ。突き進んでしまった。それはきっと自信故なのだろう。いや、或いは慢心か。

そうして、60層の奥地で彼らが見たもの。其は『ゾディアック・ドラゴン』。黄金と純白に彩られた表皮を持つ、天星の化身である。

その強さは圧倒的だった。父1人だったならば、まだ勝算は有り得ただろう。だが星の竜は、ポルクスにも等しく災厄を振りまいた。

さすれば必然、守りに追い込まれてしまう。攻撃に転じる余裕などない。そんな隙を見せれば、息子は確実に死に至る。そうして、ジリジリと父は苛まれた。

最後の余力を使い果たして、父がとった行動は、ポルクスをその場から逃すこと。それは見事成功し、ポルクスは命からがら生家へと逃げ帰った。

だがしかし、竜はポルクスに呪いを残した────

 

 

 

僕らの前で、ベットに横たわるポルクス。仄かに憂いを帯びた顔で、ポルクスは徐に掛け布団を取り去った。

その光景には、絶句するしかない。少年の白い柔肌からは、刺々しい鱗が生えている。それが、顔を除く、彼のほぼ全身を覆っているのだ。彼が先ほどから一言も喋らないのは、首元にまで這い寄った鱗のせいだろうか。

カストルは唇を噛んで、強い瞳でポルクスを直視する。カストルの目は潤んでいた。だがそれでも、絶対に目を反らすまいという意思がそこには宿っていた。

 

「これが、竜の呪いだ。ゾディアック・ドラゴンを倒さなきゃ、ポルクスは治らない」

 

声の震えを肺活量で抑え込むカストル。

悲哀と憤怒を混ぜこぜた表情には、同情するより他に無かった。

そうか。だからか。竜を倒すために、カストルはリズベットから剣を奪ったのか。

それは、しょうがないと思えた。きっと僕でもそうしてしまうだろう。そんな彼の覚悟を僕には否定できなかった。

何も言えずに、ただカストルの横顔を見つめる。

すると、優子がカストルの前に立ちふさがった。仁王立ちだ。全くもって慰めるような気配ではない。というか、完全にキレている。

あんまりとばっちりを喰らいたくないので、一歩後ずさった瞬間────優子の口から、大砲もかくやという爆発が迸った。

 

「バッカじゃないの、アンタッ!」

 

突然に撃鉄を下されたカストルは、呆然としたのちにハッと眉根を寄せて言った。

 

「は、はぁっ!? オレの何がバカなんだよ! こ、このバカ女!」

「何も分かってないトコがまずバカなのよ。というか、その小さい頭をちょっとくらい働かせろっての。いいかしら? アンタの父親はアンタより強かったんでしょ?」

「ああ、そりゃそうだ。父ちゃんは世界一強かったんだからな!」

 

鼻を高くして、喜色満面で言い切るカストル。だが優子はその鼻をくじいた。

 

「でも竜は父親より強かったんだから、アンタが竜に挑戦したって、負けるに決まってるじゃない」

 

優子の辛辣な正論に、口をパクパクさせるカストル。その後に、急激に顔をカーッと赤熱させた。

反論しようとはしているが、適切な言葉が出ないらしい。そりゃそうだ。だってこれでもかってほど正論なのだから。

それでも、カストルにとってはその行動が正解だと思ったのだ。だったら責めるのも酷ではないか?

とどのつまり、僕は同情しているのだろう。安い感情だ、とは思うが、こればっかりはどうしょうもない。

 

「あの、優子? もうそのくらいに……」

「ライトは黙ってて」

 

一蹴である。僕って弱いなあ……。

 

「ねえ、カストル。だったら幾ら強い剣を持ったって、そんなの犬死にするだけでしょう? ほら。ただのバカじゃない。結局、残されるのは弟だけ。その後のポルクスのこと、アンタはちょっとでも思いやったの?」

 

そこで我慢の限界が来たのか、カストルは感情を爆発させた。

 

「テメェッッ!! 黙って聞いてりゃ調子に乗りやがって! テメェくらいの女だったら、オレは一発で仕留められんだぞ!」

 

カストルの激昂に応えたのは、愉悦を発露した──見ようによっては残忍な──優子の微笑だった。

 

「仕留められるですって? アンタが? アタシを? はっ! 寝言は寝て言いなさいよ」

「ああ、上等だ! テメェ、表に出やがれ!」

 

そうして扉へと向かっていく優子とカストル。

火花を散らす両者の背中を見送る。残された僕とリズベットは、苦笑しながら肩を竦めあった。

 

「ねえ、ライト。優子っていつもあんななの?」

「うーん、まあ、喧嘩っ早いのはそうなんだけど、あそこまで煽り立てるのは珍しいよ。優子は頭良いから、何か考えあってのことだとは思うんだけどね」

「ふうん。ま、それはそれとして、ライトと優子ってさ、付き合ってるの?」

「な、な、なに、なににを!?」

「あー、まだなんだ。2人で行動してるし仲良さそうだから、てっきりそうなのかなって思ったんだけど」

「まだってなんだよ。まるで前提みたいな……」

「え? だってそうでしょ? あ、まさか他に候補がいるとか? ふーん。いやー、ライトさんも隅に置けませんなあー!」

 

悪戯な目で、ニヤついて僕を覗くリズ。

混乱した頭で、必死に考えた反撃を口から捻り出した。

 

「う、うるさいな! そういうリズベットはどうなんだよ!」

「あ、否定しないってことは本当にそうなんだ。意外だね。このたらしー。あと、あたしの呼び方はリズベットじゃなくて、リズでいいから。んじゃ、優子とカストルを見に行こうよ」

 

そう言って、リズは戸外へと駆けて行った。

あれ? うまく質問をかわされた気がする……。

まあいいや、と思いながら、僕はポルクスの方へと首を回した。

 

「じゃあ、ちょっと待っててね、ポルクス」

 

寝台に寝たきりのポルクスは、薄ら笑いを浮かべて首肯した。

扉の外に出ると、もう勝負は決していた。

地面に寝そべる、リズの剣を握ったカストル。

口笛を吹きながら、焚き火用の材木をペン回しのように振る優子。

思っていたより酷いな、これは。

 

「さあ、立ちなさい。あれだけ大口叩いたんだから、まだ奥の手があるんでしょう? さすがに、武器ですらない木を持っただけの女に負けはしないわよね?」

 

ああ、優子。すごい楽しそうに煽ってるな……。

その言葉が聞き捨てならないとばかりに、カストルはガバッと起き上がった。

 

「たりめーだ! まだまだ、オレの力はこんなもんじゃねえからな!」

 

啖呵をきって、カストルは優子へと駆け込む。

振り上げた真剣は必殺の威力をもって優子へと襲い来る。だが、愚鈍に過ぎた。

それを、たった一歩のステップで避けきる優子。

あまりに実力差が有りすぎる。

僕の思考よりも疾く、優子の木材は、カストルのほおを殴打した。

カストルは、吹っ飛ばされて三回転。人間ではあり得ない動きをしている。

 

「うっわー、容赦無いわね、優子」

 

ちょっと引き気味のリズ。かく言う僕も引いている。普通、今日会ったばかりの少年にここまでやるだろうか?

仰向けに寝転がるカストルを、優子は上から覗き込んだ。その顔には、勝ち誇った余裕が見て取れる。

 

「どう? 強いでしょ、アタシ?」

「ああ、強いよ。クソ! なんでそんなに強いんだよ」

「知りたい? まあ、どうしてもって言うなら、アンタに修行つけてあげるのも吝かじゃないけど?」

「じゃあ教えやがれ、ゴリラ女」

「んー? なんだって? 聞こえないなあ。ちなみに、アタシの名前は優子なんだけどなー」

「聞こえてんじゃねえか、クソッ! あー、もう、分かったよ。オレに剣術を教えろ下さい、優子さん。これでいいんだろ?」

「アンタほんと生意気ね。ま、いいわ。合格にしといてあげるわよ」

「そりゃどーも」

 

優子はカストルに手を伸ばした。それをカストルは振り払う。その挑戦的な目は、自分で立てると言いたげだ。

それが気に食わなかったのか、優子はカストルの腕を掴み、無理矢理立たせた。

並び立つと、カストルの身長は優子より少し低い程度だ。

カストルはへし口をして優子を端倪している。カストルの頭を掴んで、優子はわしゃわしゃと撫で回した。

なんだ。気に入ってるんじゃないか。カストルのこと。

空を見上げると、斜陽が雲間から覗いていた。明日は雨だろうか。

 

「じゃあまず構えから。これは『ホリゾンタル・スクエア』って言ってね……」

「えー、いいよ。めんどくせぇ」

 

まだ打ち合いを続けるつもりらしい優子とカストルに背を向けて、僕は双子の家へと足を進めた。




大学には無事受かりまして、さあ書き始めようと思ったのです。が、話を思い出すために読み返していたところ、アレ? ここの展開かったるくね? みたいなのが噴出しちまったワケです。で、自己満足のために書き直していた次第です。すまぬ、すまぬ………。
ちなみに、まだ書き直しきってはいないので、更新はしておりません。というか、書き直し始めると、最初辺りの展開を鬼盛りしちゃって、時間が幾らあってもたりねーのです。
あんまりお待たせするのもなんだかなー、と思い、最新話を先に投稿することにしました。
お待たせして申し訳ありませぬ!!

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第七十二話「ヤキモチ」

微妙に間隔が開いてしまってこめんなさい!

今回のお話、ライトの心理描写に4,000文字費やすとかいう愚行に出てしまいました。後から気づいてお祭りです。
野郎の揺れ動くキモチとかどうでも良いんだよ! という至極真っ当な精神状態をお持ちの方は、悪い事は言いませんので飛ばし飛ばしお読みください。


澄んだ剣戟が夜明けに響く。その音でパッチリと目がさめる。

僕達がクエストを開始してから、3日が経過していた。その間、僕らはずっとカストルとポルクスの家に居候していた。

割り当てられた2階の部屋。その窓から顔を出す。そこからの眺めは、優子とカストルの2人が、剣を打ち合うものだった。

こう見ると、無邪気に遊ぶ姉弟のようだ。だが、2人の目、そして動きは真剣そのもの。初めのうちは優子にやられっぱなしだったカストルも、今や優子に真剣を抜かせるまでに成長していた。

 

「せぃやぁッッ!!」

 

堂に入ったカストルの気合。発動したのは片手直剣単発技『スラント』だ。

そう。カストルはスラントを…………え?

ちょっと待て。カストルはNPCだろう?

なぜソードスキルを発動できる? いやモンスターも発動するんだから、NPCでもできる…………のだろうか?

いまいち釈然としないものを腹に抱えながら、僕は戦いの趨勢を見守った。

スラントの斜め切りに対し、優子が発動したのはホリゾンタル。切り結んだ剣と剣は、激しく火花を散らしている。

だが拮抗は一瞬だった。膂力の違いは明白だ。優子の剣圧に耐え切れず、カストルは後方へ吹っ飛ばされた。いや、違うな。アレは自分から飛んだのだ。敵わぬと悟ったと同時に、優子の間合から外れたらしい。ここ数日の試合で、カストルもメキメキと戦闘勘を培っているらしい。

 

「よし! 今のは引き分けだよな、優子姉ちゃん?」

 

年相応の幼さを残す、不敵な笑みでカストルが言った。呆れを含んだ、しかしそれだけではない声音を優子は返す。

 

「なーにが引き分けよ。いまアタシが発動したのが、ホリゾンタルじゃなくてホリゾンタルスクエアだったら、アンタ今ごろバッサリよ?」

「で、でも、発動しなかったじゃんか! それは判断ミスなんだから……」

「バカ言いなさい。手加減に決まってるでしょ?」

「むぅ。なんだよ、ちょっとくらい褒めてくれても良いじゃんか」

 

ヘソを曲げるカストル。

そんな反応に、優子は耐え切れないとばかりに吹き出した。

 

「ふふ、冗談よ、冗談。どんどん強くなってるわよ、カストルは。アタシの10分の1くらいには強いんじゃない?」

「バカにしてるだろ?」

「当然」

「くっそ! もう一戦だ! 構えろ、優子姉ちゃん!」

「はいはい」

 

いたいけなカストルの挙動に、優子は微笑んだ。

その瞳を見た瞬間、何やら得体の知れぬ、黒い霧が僕の心に立ち込めた。咄嗟に優子から視線を外す。なぜ視線を逸らす必要があるのか。それすらも自分で分からない。

ただ、手持ち無沙汰なのが嫌だった。何かして気を紛らわしたかった。

取り敢えず、1階に降りて朝食を作ろう。さて、どんなメニューにしようか。その思考で、脳を塗りたくった。

 

 

「ただいまー」

「ただいま」

 

優子とカストルの2人が元気良く帰ってきた。ちょうどそこで、僕も食材モンスター『フラップフィッシュ』をムニエルにして焼き終えた。

 

「おかえり。お疲れ様、2人とも」

「おー、さすが主夫。今日のおかずも豪勢ね。えーっと、これはポタージュかしら?」

「うん。『トリックパンプキン』だよ。あ、そうそう。さっきサラダ用にドレッシングを調合したんだけど、なかなかの自信作に仕上がったんだ」

「そうなんだ。楽しみにしとくわ」

 

相槌を打ちながら、優子は鎧を解除していく。

いそいそと手動で鎧を脱ぐカストルは、優子を見てぼやいた。

 

「ほんとズルいよな、そのシュパパって消えるやつ。オレもやりたいんだけど」

「アンタにはまだ無理よ。修行が足りないのよ、修行が」

「修行でできるモンなのか!?」

「できないわよ? 当たり前でしょ?」

「むぅ。またバカにしやがって……」

 

ふくれるカストルを、優子はくしゃくしゃと撫でた。

その光景を見た途端、またあのモヤモヤとした暗闇が僕の心象を覆う。この数日、この感情は事あるごとに湧出する。

たが、産み落とされたばかりのソレに、僕はまだ名前付けることができなかった。

ただ1つ、わかることがあった。これは認めてはならないものだ。これを了とすれば、僕は自らを直視できぬようになる。そんな予感があった。

いや、確信か。そこまで分かっているのなら、きっと僕は、その感情を知っている。

だから蓋をする。見えないように、思い出さないように。

努めて平静を装って、僕は笑顔でその場をあとにした。

 

「じゃあ、僕はリズを起こしてくるから。カストルはポルクスに料理を運んでおいて」

「おう」

「え、ちょっと待ってライト。アタシが……」

「いや、いいよ。優子は座っといて」

 

咄嗟に言い返す。少し突き放すような物言いになったことに、ちょっと後悔した。

2階は寝静まっていた。

リズの寝室のドアノブに手をかける。

本来ならば、こんなことをする意味は無い。メニューウィンドウから起床アラームを設定すれば、どれだけ眠たかろうと叩き起こされるのだから。

だが、リズはどうもそれが苦手らしい。なんでも、自然に起きるか人に起こされるかしないと機嫌がすごぶる悪くなるらしいのだ。

普段なら、リズを起こしにいくのは優子の役目なのだが、僕はどうしても、あの場から離れたかった。他に何かをして、思考を散らしたかったのだ。

リズの部屋の鍵は、僕と優子に1つずつ渡されている。アイテムウィンドウからその鍵を選択して実体化させた。

そうして、ドアを開けたその先には、髪と同じ、ピンクのパジャマを着て熟睡するリズの姿があった。

よほど寝相が悪いのだろう。掛け布団はベットの下にずり落ちている。そのせいで、白いけれども健康的な肌が見て取れた。

パジャマの上は捲れ上がり、お腹が丸出しになっている。極力そちらへ目を向けないようにしつつ、僕はリズの肩を揺すった。

 

「起きて、リズ。朝ごはんできてるよ」

「んー、もうちょっと……。あと5分」

「もう9時だよ。ほらリズ!」

「じゃあ優子も一緒に寝よー」

「僕は優子じゃな……ってうわあぁぁあッッ!!?」

 

悲鳴の理由は明白だ。リズは僕の腕を掴み、ベットの中に引きずり込んだのである。

寝ぼけているにも関わらず、その腕力は有無を言わさぬ力強さだ。いや、僕が俊敏極振りなのも悪いんだけどね。

ともかく、リズと添い寝してしまっているのだ。ああ、なんだか最低の未来が見える。

ここに優子がいたらどんな反応するかな……。

そう思っていると、部屋に入ってきた優子と目が合った。

 

「何してんのよ、このバカーーーッッ!!」

 

胸ぐらを掴まれ、力一杯投げられる。その方向は、オープンされた窓ドンピシャだ。

 

「ぎゃああぁぁあぁッ!」

「ええぇぇええぇーーーッ!? ライト兄ちゃんが落ちてきた!?」

 

下で叫ぶカストル。腕を前に突き出して、僕をキャッチしようとする体勢をとった。

そしてカストルは、期待通り綺麗に僕を受けとめてくれた。体勢としてはお姫様だっこ。一回りも年下の少年に抱えられることに、どうも忸怩たるものを感じてしまう。

 

「ありがとう。カストル」

「おう。一体なにがあったんだ?」

「事故みたいなもんだよ。気にしないで」

「事故であんなに勢いよく飛び出してくるのか……?」

 

怪訝に眉を曇らせるカストル。

取り繕おうと、僕は口早に言った。

 

「さ、中に入ろ? 料理が冷めちゃうよ?」

「ん、それもそだな」

 

2人して扉をくぐると、そこには既に食事に手をつけている優子とリズの姿があった。どうにも微苦笑を禁じ得ない。

扉の前に突っ立っている僕を認めるや、優子は真顔のまま、

 

「ごめん!」

 

と放言した。

 

「絶対ごめんって思ってないだろ!」

「思ってないわよ!」

「やっぱりじゃないか!」

「だって、女の子の寝室に入る方が悪いじゃない。それに、不慮の事故だって分かっててもムカつくものはムカつくし……」

 

優子の語尾は、ごにょごにょと口ごもって聞こえなかった。

 

「え? なんて?」

「なんでもない!」

 

棘を孕んだ物言いだ。いや、それ絶対なんでもなくないだろ……。

 

「いやあ、ごめんね、ライト。あたし寝相悪くってさ〜」

「寝相悪いとか、そういうレベルじゃなかったよね!?」

「まあ現実だったら全裸になってるとこだし、まだマシかな?」

「もはや起きてるだろ、それ!」

 

ツッコミを入れながら席に着く。

両手を合わせ、カストルと一緒に2人合わせて、

 

「「いただきます!」」

 

僕がムニエルにナイフを通していると、優子がカストルに向かって口を開いた。

 

「ポルクスも一緒に食べればいいのに……。1人だけ部屋でゴハンって、ちょっと寂しくない?」

「しょーがないじゃんか。ポルクスが出てきたがらないんだよ。たぶん………見て欲しくないんだろ」

 

カストルは顔を顰めて言った。

その言葉が、僕の脳裏に光景を再起させる。

全身が悪竜の鱗に覆われた、痛々しい少年の惨状を。

そりゃ、見られたくないだろうな。

ポルクスは、最愛の兄であるカストルにすら、部屋に入ることを制限しているという話なのだ。とてもじゃないが僕たちになんて、そう易々と見せてはくれないだろう。

うーん。でも、そこまで拒むようなことだろうか。僕だったら、そんな状態でも外に出て行くと思うけど。いや、僕が単純なだけか。

優子はと言えば、憂いを含んだ微笑で、

 

「ごめん、カストル。あんましアンタたちの気持ち考えれてなかった」

 

カストルの頭を柔らかく撫でた。

 

「なんでそこで頭撫でんだよ!?」

「いいじゃないの、別に。アンタのプライドぐらいしか減るもんじゃあるまいし」

「減ってんじゃねえか!」

 

そうしていつも通りの取っ組み合いが始まった。瞬時に負けるカストル。

結局、組み伏せられたカストルは、優子の思うがままだ。だが、憮然とした表情ながらも、カストルは本気で抵抗しようとはしていない。それがどうにも眩しかったものだから、僕はそれから目を逸らし、一心に朝食をかきこんだ。

食事が終わり、カストルと優子が家を出て行った。

ぼんやりとコーヒー風の何かを啜る僕の前の席に、リズが腰を下ろす。

 

「大人気ないわね」

 

第一声がそれだった。全く意味を汲み取れず、咄嗟に聞き返してしまう。

 

「急にどういうこと?」

「妬いてんでしょ?」

「ほえ?」

「だーかーらー、優子と仲良くしてるカストルに妬いてるんでしょって言ってるの。まさか、自覚してなかったの?」

 

………………?

リズは何を言っているのだろう? 言葉の意味が良く分からない。

えーっと、僕がカストルに嫉妬してる? そんな子供みたいなこと……。

 

「そ、そそ、そそんなわけなないじゃないか!!?」

「大当たりじゃないのよ」

 

リズは肺の空気を全て吐いたようなため息をした。

なんで僕ってば、こんなに動揺してるんだ?

え? 本当に? だとすれば、僕の性格悪過ぎじゃないか?

彼女ですらない相手が、一回り小さな少年と遊んでるだけで嫉妬したって言うのか?

ああ、ダメだ。自覚したら、自分が情け無さすぎる……。

 

「リ、リズ? どうかこの事は、優子には内密に……」

「ん? 言うに決まってるでしょ? こんな面白そうな事、ほっとけるワケないじゃない」

 

悪魔の笑みを浮かべ、戸外へとスキップしていく刀鍛冶。

その背中を見ながら、僕は喉よ裂けろとばかりに叫んだ。

 

「ちょっと待って! お願いだから! ウェイト! ウェイトプリーズゥゥゥッッ!!」

 

 

「ふえ? 嫉妬? 誰が? 誰に?」

「ライトが、優子に」

 

リズの言葉を、アタシの脳は即座に受け付けようとはしなかった。

カストルは自主練中で、今は森にモンスターを狩りに行っている。

ていうか、『しっと』ってなんぞ? シット? 黙れって言われてるの?

いやいや、何をライトみたいな思考回路してるんだ、アタシ。

そもそもだ。まず嫉妬する理由が無い。

 

「何がどう転んだら、ライトがアタシに嫉妬するわけ?」

「それがね、すっごいしょうもないの。アイツ、カストルと優子が仲良くしてんのが気に喰わないみたい」

「へ? そんな理由?」

「うん。それだけ」

 

たったそれだけのことで、ライトはアタシにヤキモチ焼いたんだ。

相手は子どもなのに?

…………あ。ダメだ。すっごい嬉しい。

頭の芯がかっと熱くなって、ふにゃふにゃに溶けてしまう。

なんだろう、この気持ち。

もうこの場で飛び跳ねたい!

気を抜いたら走り出しそうなほど、アタシの精神は壊滅的に桃色だ。

 

「ちょっ! 優子! 顔に出すぎだって!」

「へ?」

 

自分の顔をペタペタ触ると、人生で一番とも言えるほど口角がつり上がっている。これが無意識なんだから恐ろしい。

もうダメ! ライトに大好きって伝えたい!

爆発した感情は、突発的にアタシの脚を駆り立てた。

 

「おーい! 優子! どこ行くの!」

「ごめんリズ! ちょっと鉱山行ってくる!」

 

上がりに上がったテンションを、アタシは作業ゲーでクールダウンさせることにした。




終わってみれば優子さんぶっ壊れ回。ちょっとでも好きって気持ちがあるなら、心ぴょんぴょんしちゃう優子さん可愛い。
ああ……バカテス原作読み返そ……。


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第七十三話「暴走少女」

誰だよ、大学生が暇だって言ったヤツ! めっちゃ忙しいじゃないか!

とまあ、投稿が遅れた言い訳をしつつ、第七十二話、始まるヨ!


「おーい、ライト兄ちゃん」

 

元気良く僕を呼ぶ声に、僕をは座りながら項垂れていた頭を上げた。

 

「ん……なんだ、カストルか……。どうしたんだい?」

「な、なんでそんな、死んだ魚みたいな目をしてるんだ……?」

「いろいろぶっ壊れちゃったからだよ……」

 

分からないのは当然だろう。カストルは明らさまに首を捻っているが、やがてどうでもいいと思ったのか用件を切り出した。

 

「なんか、優子姉ちゃんが帰ってこねえんだよ。何すればいいのか分かんないし、代わりにライト兄ちゃんが修行つけてくんねえ?」

 

ああ、なるほど、そういうことか。

そりゃ完全に僕の責任だ。優子は僕と顔を合わせるのが気まずくなって出て行ったんだろう。

だったら、この願いを無碍に断るわけにもいかない。

 

「うん。いいよ」

「おっしゃ! ありがとう、ライト兄ちゃん!」

 

花火のような笑顔を残して、カストルは早速外へと駆けて行った。僕も椅子から思い腰を上げ、少年剣士の後を追う。

家先には、身も凍るような寒風が流れていた。

くるり、と軽やかに身体を回して、カストルは僕へと向き直る。

 

「それじゃ、オレはなにすればいい?」

「そうだね……」

 

修行をつけるとは言ったものの、正直、何も考えていなかった。さて、どうしたものか。

せっかく優子ではなく僕が相手になるのだ。できれば優子にできないことをしたい。なら、僕の特技と言えば……。

 

「じゃあ、僕に攻撃を当ててみて。一発でも当てられたら、それで練習は終わりでいいよ」

「へ? それだけ?」

「うん。それだけ」

 

カストルは拍子抜けしたような顔を見せたあと、出し抜けに憮然となった。

 

「それだけじゃ、すぐ終わっちゃうじゃんか」

「どうかな? それはやってみないと分かんないよ。それに、すぐ終わったら終わったで、別のメニューを考えてあげるからさ」

 

それを聞いて、カストルは表情をパッと明るくさせた。良かった。これで納得してくれたみたいだ。

 

「おし! それじゃ、よろしくお願いします!」

 

この数日で、えらく礼儀正しい子になったなあ。優子の教育(笑)の賜物だろうか。

 

「うん。よろしくね」

 

僕の言葉を皮切りに、カストルは剣を鋭く構えた。

剣士は集中を研ぎ澄ませる。その眼光が貫くのは、僕の首に他ならない。

瞬間────

 

「せぃやァッ!」

 

痺れるような気勢と共に、カストルは一歩踏み出した。

煌めく頭身が唸りをあげる。片手剣単発技『ホリゾンタル』。それは間断無く首級を上げんと咆哮する。

だが、あまりに遅過ぎる。

 

「なっ………!? 消え……」

「後ろだよ」

「────っ!? いつのまに?」

 

ばっと振り返るカストル。そして、本当に背後に居た僕に、唖然とした表情を向ける。

うーん……これは色々と問題だなあ……。優子ってば、本当に攻撃技術しか鍛えてなかったみたいだ。

 

「あのね、カストル。君は自分に集中し過ぎだ。たしかに今の剣筋は素晴らしかったけど、相手に当たらなければ何の意味も無い。君が真に気を配るべきは、自分の剣じゃなく、相手の動きなんだよ」

「でも、今のはそもそも見えなかったぞ! 見えなきゃ気を配るも何も無いじゃんか!」

 

どもりながらも、必死に反駁するカストル。

彼を説得するために、僕はなるべく優しく説明しようと試みた。

 

「ううん。今のは見えなきゃいけないんだ。まず当たり前のことだけど、相手に近づけば近づくほど、相手の姿は見えなくなるよね。間近にまで来たらもう顔しか見えない。そうなればもう、僕としては逃げるのは簡単だ。だって、ちょっとしゃがむだけで相手の死角に入れるんだから」

「じゃあどうすりゃいいんだ?」

「一歩引けばいいんだよ」

「でも、そしたら剣が当たんなくなっちゃうじゃん」

 

カストルは妙に意地を張る。今の一撃を簡単に避けられたのが、そんなに悔しかったのだろうか。

 

「ううん。そこまで下がらなくても良い。自分の剣が当たるギリギリの距離に立ち続けさえすれば良いんだ。そうすれば同時に、相手の攻撃にも対処し易くなる。そしてまた、相手の全体像を視界に収められる。そこから、相手がどう動くのかを徹底的に見極める。攻撃するだけが勝負じゃないんだ。防ぐ、躱す、いなす、追い込む。全部揃って決闘なんだよ。じゃ、それを実践してみようか」

「う、うん」

 

いそいそと剣を構え直すカストル。まだ僕の言ったことが頭に染み込んではいないようだ。だが、恐らくカストルは直感型だ。口で言うより身体を動かした方が絶対に早い。

先ほどよりもカストルの身体の強張りは減り、幾分かリラックスしているようだった。

そこで少し、悪戯心が芽生えてしまう。予想外の行動を取れば、カストルはどう対応するのか。

思い立つとすぐに、僕はカストルへと接近した。自分から間合いを詰めるのではなく、相手から近づかれる可能性を、カストルはどれほど考慮しているのか。

ゼロ距離まで迫った僕。カストルの顔に焦りが見える。だが対応は早かった。取った行動は切払い。詰められた間合いを引き離そうという算段だろう。

だが、甘い────!

 

「なっ!?」

 

カストルは驚嘆を漏らす。

自分の剣が、徒手の敵に掴まれたのだ。そりゃ驚きもするだろう。

拳術スキル特殊技『白刃取り』。

このスキルの効果は、発動している間のスタン付与。ハイリスクハイリターン。僕の大好きな技だ。

だが、発動中はこちらも手が使えない。

だがしかし、脚は自由に動かせる。体術スキル単発技『弦月』。いわゆるサマーソルトキックだ。

カストルの剣を起点に弧を描く。このまま何も対処しなければ、僕の脚は少年剣士の脳天を突く。

さあ、どうする?

 

「───っ!」

 

カストルは、柄から手を離した。

そう。これこそが白刃取りの対応策だ。剣を手放せばスタンは解除される。

しかし剣無しでどうするつもりなのか。たとえ間合いを取ったとしても、剣を握っているのは僕の手だ。その時点で勝ちは絶望的だろう。

まさか、勝利を諦めたか?

そう思った瞬間、今度の驚愕は僕の番だった。

カストルの腕が、紅の発光を見せる。型は抜手。それは、体術スキル単発技『閃打』に他ならない。

体術スキルも使えるのか!? 取得条件がクエストクリアのエクストラスキルだぞ!

いや、驚くのは後だ。今はこの攻撃への対抗策を……。あ、そうか。これを使えばいいんだ。

手の平で挟んでいる澄んだ刃。それを、閃打の軌道上に置く。こうしてしまえば、怪我するのはカストルの方だ。

これでひとまず難は逃れた。──────筈だった。

 

「うっそ……」

 

カストルの腕は、全く速度を緩めない。いや、むしろ加速させている。

なぜだ。傷を負うのはカストルの手だ。たとえ腕が僕に届いたとしても、そんなに大きな傷ではない。

だったら……ああ! そうか! カストルの勝利条件は、僕に一撃でも当てること。自分の手が怪我をしてでも、勝利さえすれば良いということか!

カストルの不敵な笑みが視界に入る。

どうこの場を切り抜ける? 僕の身体は完全に中に浮いており、脚はスキル発動中で満足に動かせない。

無理だ。この攻撃は避けられない。

しょうがない。ちょっとだけズルしよう。

 

「────!?」

 

余裕の笑顔を、混乱に変えるカストル。そりゃそうだ。空中で身動きが取れないはずの僕が、急に30センチ奥の地面に立っているんだから。

拳術スキル特殊技『神耀』。何者をも寄せ付けない、完璧な瞬間移動。

 

「な、なんだよ今の! それも何かトリックがあんのか!?」

「いやあ、ごめんカストル! 今のはズル。僕、魔法で瞬間移動できるんだ。だから、今のは僕の負けでいいよ」

「はあ?」

 

怪訝そうに眉をひそめるカストル。そりゃそうだ。いきなり魔法だなんだと言われて、信じろという方が無理がある。

いや、カストルの反応は困惑じゃない。それ以上に強い感情が、カストルの表情を占めていた。すなわち、怒りだ。

 

「納得いかねー!」

「そうだよね。だから、ズルしてごめん」

「そうじゃなくて、こんなんで勝ったことになんのが納得いかねーんだよ! もう一戦だ、ライト兄ちゃん! 今度は瞬間移動込みで攻撃当ててやる!」

 

うわあ、負けず嫌いだなあ、この子。そういうの嫌いじゃない。

 

「うん、おいでカストル。今度は僕も全力で相手してあげるよ」

 

僕が手招きをしてみせると、カストルは獰猛に牙を剥いた。

 

 

「ライトに何て言おうかしら……。『アンタ、アタシのこと好きなんでしょ? 』。うぅーん……これじゃちょ高飛車過ぎるかしら。じゃあ、『アタシに嫉妬してたって…………ホント?』。いやダメね。しおらし過ぎるわ。アタシのキャラじゃない」

 

大量の鉱物系素材を手に、アタシは帰路に着いていた。その間、こんな独り言を延々ブツブツ呟いているのだが、なかなか答えは出そうに無い。

そうこうしているうちに、双子の家が見えてきた。どうしよう。まともにライトの顔見れるかな。

大きく深呼吸する。ついでに、喋っているとき緊張して噛まないように、早口言葉も言っておく。

 

「生米なみゃっ!」

 

…………さて、問題はライトに何と切り出すかだ。

いやもう考えたって詮無いか? その場の雰囲気で話した方がいいのかも。いやでもそれでおかしなコトを口走って、ライトに変な子だと思われたら嫌だし……。

ええいままよ! もうなる様になるわよ!

両手で頬をペチッと叩いて気合を入れる。そうしてアタシは、家へと走り出した。

近くまで来ると、ライトの声が聞こえてきた。どうやら家の前にいるようだ。耳を澄ませると、カストルの声も鼓膜を揺らす。

2人の声色を聞いて、ほっと胸を撫で下ろす。何と言っているかまでは分からないものの、その声に剣呑な雰囲気は無い。良かった。2人の仲は悪いワケではないのだ。

そう思いながら、草むらからそっと顔を出す。

 

「──────!?!!?」

 

アタシが見た光景を、完結に言い表そう。カストルがライトを抱擁している。

しかもあすなろ抱きだ。つまり、ここから導き出される結論は────ライトが受け!

いや、問題はそんなコトではない。まずこの情景が、アタシが思った通りのモノなのか。それを検分せねばなるまい。

そう思い立ち、アタシはより一層耳を研ぎ澄ませた。

 

「……もう離さない…………ずっとこのまま……………」

「離さないなら………………嬉しい………」

「…………………して欲しいんだろ?」

 

途切れ途切れにしか聞こえないが、ほぼ間違いあるまい。

コレはつまり、そういうコトなのだ!

あれ? じゃあなんで、リズはライトがカストルに嫉妬してる、なんて言ったんだろう?

あっ! そうか! ライトの嫉妬の対象は、カストルじゃなくてアタシの方だったんだ!

なるほど。これで道理は通った。

でも、どうしちゃったのよ、ライト! ユウのことはお遊びだったの!? 久保君の気持ちはどうなるのよ!

脳みそがピンクの妄想に征服される。

ああ! 急激に創作意欲が湧いてきた! このインスピレーションが薄れちゃう前に、早く執筆しなきゃ!

そう思い立ち、アタシはサーヴァンツのギルドホームへ急行した。

 

 

「捕まえた! もう離さないぞ、ライト兄ちゃん! ずっとこのまま締め上げて、体力削ってやる!」

 

カストルとの修行が開始して、ちょうど3時間が経とうとしていた。

この戦いでは、カストルが投げた剣を囮に使い、僕はその術中にまんまとはまってしまったのだ。

だが、カストルがそう出るなら、こっちにだって考えがある。

 

「離さないなら、僕としてはそっちの方が嬉しいんだけどね」

「負け惜しみはよせよ。離して欲しいんだろ?」

 

不敵に笑うカストル。だが、その笑顔がどこまで保つか見ものだ。

と、内心ほくそ笑んでいると、近くの草むらで、何かがガサガサと動いた。

 

「ん。なんだ? モンスターか?」

 

カストルが余所見をした瞬間。

 

「スキあり!」

 

発動したのは拳術スキル単発技『戒炎』。発勁で言うところの寸勁にあたる技だ。

モーション無しのゼロ距離攻撃にはさしものカストルも対応できなかった。なす術もなく腕を解き尻餅をつくカストル。何が起こったのか分からないような顔をする。

その直後、悔しさに歪んだ表情で喚いた。

 

「くっそぉーっ! まだそんな技残してたのかよ!」

「ふふふ………1流は最後まで手の内を見せないものなのさ」

「ちっくしょー! もう一回だ!」

「ああ、望むところだ」

 

カストルは鋒を僕に向け、僕は拳をカストルに向けた。

そして、もはや何ラウンド目か分からないゴングが響こうとした時。

 

「おーい、2人ともー」

 

気の抜けたリズの声が僕らを呼んだ。

一気に場が弛緩する。2人揃って苦笑を零し、音源へと目を向けた。

リズが現れたのは、家ではなく森のほうだ。

 

「どうしたの、リズ? 何か問題でもあった?」

「何か問題でもあった、じゃないわよ! あたしが今日1日どんだけ歩き回ったと……いや、ライトに愚痴ることじゃないわよね」

「どうしたんだよ、リズ姉ちゃん?」

 

心配そうにリズを見るカストル。

そんなカストルへと、リズは不機嫌そうなままに向き直った。

 

「アンタの剣よ! 覚えてないの?」

「あー……ありがとう」

 

気まずそうにカストルは笑う。その表情からは忘れていたであろうことがありありと見て取れる。

だが、僕には何の話なのかさっぱりだ。

 

「どういうこと?」

「カストルがあたしに頼んできたの。剣を作って欲しいって。それで色々レシピを探ってたの。カストルに合う、強さと使い勝手のバランスが良いのをね」

「そうなんだ。で、良い剣は見つかった?」

 

僕の問いかけに、リズは胸を張った。得意顔で鼻を鳴らし、彼女はその剣を語った。

 

「ええ! もうとびっきりのがね! 目当ての剣の名前は『無銘=雷霆』。目指すはインゴットのドロップ。敵は第28層のモンスター『ヘパイストス』よ!」

 

 

「ところで、さっき優子が物凄い勢いで走っていったんだけど、何か心当たりある?」

「「?」」




2話かけたネタのオチがコレである。
自ら言おう。コレはヒドイ。


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第七十四話「対峙」

前回の投稿から2ヶ月。遅筆ですまない……。

あと、今回のお話では場面転換と視点転換が非常に多いです。小説下手かよ……。


洞窟を疾駆する。

今や彼は、プレイヤー達の庇護下にはない。

あるのはただ、自負のみ。修行の末に培った自信。

いや、それは嘘だ。恐怖もある。葛藤もある。一歩踏み込めば戻ることすら叶わないような暗黒に、彼の理性は歩みを拒む。

それでも彼は、前に進まねばならなかった。彼という自我が、その『魂』が、色を取り戻し始めたのだから────。

 

 

いきなり重大な問題に僕らは直面した。

それは、カストルはワープできないということ。

それが判明したのついさっきのことだ。

優子はあれから連絡が着かず、僕、カストル、リズの3人だけでヘパイストス討伐へ乗り出すことにした。4層主街区のロービアに到着し、転移門を使った。そうして、僕とリズは転移できた。

そこまでは良い。だが、肝心のカストルがいないのだ。

じゃあカストル抜きで攻略すれば良いんじゃないか、と思うかもしれないが、そうは問屋が卸さない。

なぜか。その理由を語るには、昨日まで遡らねばならない。

それは、リズが剣についての情報を持ってきた後のこと。

カストルが自室に就寝しに行った途端に、リズから僕に切り出した。

 

「たぶん、この剣を得るためには、カストルの存在が必須なんだと思う」

「へ? なんで?」

「まず、敵はフロアボスと同等の強さがある。その時点でアタシ達だけじゃ倒せない」

「じゃ、じゃあどうするのさ!? それだったら、カストルが居ても居なくてもどっちにせよ無理なんじゃ……」

 

僕の語尾の濁った問いかけを、リズは目を閉じて腕組みをして聞いていた。

僕が言い終えるとリズは煌と目を輝かせ、どこか得意げに言い放った。

 

「そこで、よ。カストルとヘパイストス。この2人には共通項があるでしょう?」

「共通項?」

 

なんだろう。

僕がヘパイストスについて知っている情報と言えば、奴がモンスターだという事くらいだ。

一方、カストルについては色々と既知の事実はある。その中でも特に目を引くものと言えば、かなりのイケメンだという事。

あ、分かったぞ、2人の共通項!

 

「どちらも抹殺対象だ!」

「待って、あんたの思考回路が全然分かんない」

 

リズはドン引きした表情を隠そうともしない。答えを間違えたからだろうか?

しかし、共通項と言われてもそれ以外全く見えてこないのが現状だ。

どうしようもなく黙っていると、リズは見せつけるように大きく溜息をついて言った。

 

「どっちもギリシャ神話の登場人物よ」

「へぇー……」

 

それがどう関係あるのだろう?

気づけば、僕をムッと睨むリズが視界に入っていた。

 

「なんでそう鈍感なのかなぁ……。つまり、カストルを連れて行ったらイベントが発生するかもってこと」

「なんでそう思うのさ?」

 

さすがにそれは、ちょっと証拠が無さすぎる。可能性がある、というだけの話でしかない。

リズは数秒だけ目を閉じた。思考を洗っているのだろうか。

 

「えーっと……まず第一に、ヘパイストスからドロップするインゴットがあるでしょ? それから作られる武器の性能が、カストルを意識しているとしか思えないのよ。重さ、、長さ、攻撃力、全てのパラメーターがカストルに驚くほどぴったりなの。

そして第二に、ヘパイストスはギリシャ神話の神でしょ? だから、同じギリシャ神話の英雄であるカストルとは何か関係があるかもしれない。あたしもギリシャ神話にそんなに詳しくわけじゃないから、よく分かんないけど……。

それで第三に、なんだけど。これが一番決定的でね。件のヘパイストスがプレイヤーに初めて確認されだのが、あたし達がカストルと出会った後だったのよ」

 

 

そんな顛末があり、そして現在に至るわけだ。

僕らは今、迷宮区を登っている。カストルが転移門に入れないのだから、一階づつ踏破していくしか方策がないからだ。

この方法では、目的地にたどり着くまでどのくらいかかるのだろうか。次の次くらいのボス攻略までには終わればいいのだが。さすがに攻略をサボり過ぎなきらいがある。

謎の義務感に苛まれながらも、僕はカストルの戦いを後ろから見守っていた。

カストルたっての希望で、モンスター狩りはカストル1人で行っていた。僕とリズはカストルが危なくなったら助太刀に入るという形をとっている。が、いまだそのような事態には陥っておらず、なんとも危なげなくカストルはハントをこなしていた。

もう何匹目かも分からないモンスターをカストルの一撃が屠ったとき、祝福を示す鐘の音が聞こえた。レベルアップだ。

 

「おめでとう。カストル。今で何レベ?」

「ありがと。えーっと……11だな。ちなみにライト兄ちゃんは何レベなんだ?」

「僕? 77レベだよ。ちょうどカストルの7倍だね」

「はあ!? 77!?」

 

声を上げたのはリズだった。

 

「ど、どうしたのさ?」

「いやあんた、77って攻略組の中でもめちゃくちゃ高いんじゃ……」

 

あー、なるほど。その驚きだったのか。

 

「いやあ、僕ってこんな戦闘スタイルでしょ? だから、自然とタゲ集中時間が長くなって、分配される経験値も増えちゃうってわけ」

 

本当はもう1つ理由があるが、そちらはなんとなく伏せておきたかった。他人に吹聴すべきものではない気がしたのだ。

浮かんだのは優子の顔だった。

深夜、2人きりのレベリング。

そういえば、このクエストもそこから始まったんだった。

優子は今、どうしているんだろう。なんで帰ってこないんだろう?

いくらメッセージを送っても応答が無い。

やっぱり、僕が嫉妬してるって話を聞いたせいなのだろうか。それで気まずくって、僕と合わせる顔が無いのかな。

そう思うとどうしても湧き上がる幼い自分への自責。

ああ、僕はどうしてあんな態度をとったのだろう。

優子に会って謝って、また普通に接して欲しいと言いたい。

それでも、自分から優子の元へと駆けつけることはできなかった。踏ん切りがつかなかった。そんな自分が殊更嫌になる。

考えるのは止めよう。ここはダンジョンだ。幾ら低層だからって、いつ何時死の危険が訪れるか分からない。今は戦いに集中しよう。

そんなズルい逃げで、僕は思考に蓋をした。

 

 

篠崎里香、もといリズベットたるあたしははたと思った。

なんだろう。この状況。

なぜあたしは、出会って間も無いこの2人と寝食を共にし続けているのだろう。

謎い。わりと謎い。

一番の謎は、あたしがこの環境をすんなりと受け入れ、むしろ心地良いとすら感じていたことだ。

ライトとカストル。この2人との奇妙な共同生活が、なぜか好きになっていた。

断っておくが、この好きは恋愛の好きじゃない。どっちか選べな〜い、とか言うほどスイーツでもない。

だけど、なんだろう。

ヒビ割れた心に染み入って、たおやかに癒すのだ。

星が瞬く冬空の下。カストルは床ーーと言っても寝袋だがーーに着き、あたしはライトと並んで、ぼんやりと星を眺めてる。

少し雲が出てきたのか、星の明度が霞んだ気がする。

この2人と出会うまで、こんなにも自分が疲れてるなんて知らなかった。1人でいることに、何の違和感も苦痛も覚えてなかった。

なのに…………

 

「また1人になったら、どうなっちゃうんだろ…………」

「ん? リズ、なんか言った?」

「言ってなーい」

 

そう言って、あたしは隣に座るライトのおでこを小突いた。

ライトはうぐっと唸りながら仰け反った。

 

「どうしたのさ、リズ?」

「あはは! ごめん! あたし恥ずかしいね! 気にしないでよ!」

 

あたしは今、どんな顔をしているのだろう。

どうか夜闇に紛れて、ライトには見えてませんように。

そう思った矢先、あたしのほおにそっと手が添えられた。ゴツゴツしてて、男の人って感じがする、でもとっても暖かい手のひらだ。

春風のような穏やかさで、ライトは顔を近づけてきた。

 

「ひゃっ」

 

小さく悲鳴を上げてしまう。

嫌だったわけじゃない。ただこれ以上踏み込まれると、もう戻れなくなる気がしたのだ。

しかし、覚悟したその先は無かった。間近にまで迫っていた存在感が遠ざかる。ぎゅっとつむっていた瞳を無意識に開ける。

目の前のライトは、ささやかにえくぼを作っていた。

 

「よかった。泣いてるんじゃないんだね」

「へ?」

「いやあ、なんかリズってば今にも泣き出しそうな顔だったからさ」

「あっ……」

 

ちゃあ。

そうだよね。やっぱ見えるよね。こんなに星が綺麗な夜なんだもん。

けど。自分のせいとはいえ、見られて恥ずかしいものは恥ずかしい。

けれど、この朴念仁にはそれ以上に言ってやらなきゃいけないことがある。あたしのためにも、ライトのためにも、そして優子のためにも。

 

「あんたねえ! そんな簡単に女の子のほおに触れるなっての!」

「うぐ………ご、ごめん」

 

項垂れるライト。

ああもう、この男は! なんでいちいち小動物っぽいんだか! これが天然なのだからタチが悪すぎる。

 

「で、でもまあ、手くらいは握っても、良い、けど……」

 

何言ってるんだあたしは! 自分でちゃんと距離を置こうって決めたばっかりなのに。

困ったように逡巡する素振りを見せるライト。

そして────

 

「ーーーっっ!」

 

あたしの左手の小指に、ライトは右手の小指を絡ませた。

あたしを覗くライト。その瞳は採点を待つ生徒みたい。

あたしの口からはため息が漏れ出した。

…………このくらいは、小指ひとつぶんくらいは、暖まってもいいよね?

 

 

そんなこんなで1ヶ月が経過し、僕らは28層へと到達した。

パーティ扱いなので見られるカストルのレベルは、既に40を数えていた。

アインクラッド第28層の地形は、一言で言えば白亜である。

フィールド全てが照り輝く大理石に覆われたその層は、古代ギリシア建築を想起させる。……ような気がする。前にこの層を訪れたときには一切そんなことは思わなかったのだが、あらためてカストルやヘパイストスといった単語が僕の思考にバイアスをかけるらしい。

 

「なあ、リズ姉ちゃん。そのヘパイストスっつーのはどこらへんにいるんだよ」

 

猫目の美少年は既に戦う気満々だ。

だが、リズの言葉はそれを鎮めるものだった。

 

「気が早いってのよ。攻略は明日ね。もう夕方だし、今からダンジョンに潜るのは危険だもの」

「ええー! いけるよ。大丈夫だって!」

「ダメなもんはダメ! 適当に宿とって寝るわよ」

「ちぇっ」

 

渋るカストルを引きずるリズ。

そして僕らは宿へと向かった。

暮れなずむ夕陽は紅く、血のように白亜の都市を染めていた。

 

翌日、危なげなくヘパイストスが出現するというスポットの直前まで僕らは来ていた。

思えばこの1ヶ月、ほとんど命の危機に直面していない。いや、こんな低層の攻略なのだから当然と言えば当然なのだが、何か引っかかる。

これは限定クエスト。しかもサービス開始から1年を経て、殆どのプレイヤーがそこそこのレベルになった上での限定クエストなのだ。それがこんなに簡単でいいのだろうか。

いや、考え過ぎか。そもこのクエストは4層で受けられるようなもの。それなりの難易度にしか設定してないのだろう。

杞憂に気を取られている隙に、リズとカストルは最後の確認作業に入っていた。ヘパイストスの質問パターンとそれに対する回答を吟味し、どうすればもっとも効率良く目当ての剣が手に入るかという計画だ。

 

「よし。これで大体オッケーでしょ! んじゃ、ヘパイストスからインゴットかっさらうわよ!」

「「おおー!」」

 

僕ら3人だけの小さな鬨の声。

それを合図に一歩踏み出す。

すると天衝くような轟音と共に、巨大なポリゴン片が形作られていく。そのあまりに圧倒的な情報量と密度は、僕らを否応なく圧倒した。

顕現するは、まさに神と謳うべき偉丈夫だ。

隆々な筋骨は鎧が如く。服飾は極彩色。それでギリシアらしく身体を包んでいる。

髭は白く潤沢に湛えられ、その双眸には老獪な知性が見て取れる。巨大なる賢者と呼称すれば、それは即ち彼のことと言えるだろう。

 

「余は……」

 

30メートルはあろうかという巨人が口を開く。響いた声は地響きのような厳かさ。

 

「オリンポスが1柱、錬鉄のヘパイストスである。して、我が庭に踏み入った咎人共よ。余が手折る戦さ場の華よ。せめてもの手向けとして命じよう。(なれ)らの名をここに示せ」




さて、ここらで一つ決意表明をば。

ワタクシMUUKは夏休み(8、9月)中にアインクラッド編を完結させます!
マジです! ガチです!

こうやって背水の陣を張っとけば、モチベも上がってちゃんと書くって寸法よ………!


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第七十五話「スターダスト・イミテーション─Ⅳ」

なぜだ……なぜ忙殺されている?
一日中だらだらし続ける、僕の輝かしい夏休みはいずこへ?
けどやってやんよ! アインクラッドは絶対終わらせてやんよ! 男に二言は無いのカナー? 無いといいなあ……。


「僕の名はライトです」

 

威圧感に圧倒された喉から、なんとか声を絞り出した。

リズとカストルは放心していたようだったが、僕の声にはっとして口を開いた。

 

「あ、あたしはリズです!」

「オレはカストルだ」

 

カストルが名乗りを上げたその時、ヘパイストスは眼光鋭く彼を射抜いた。

 

「カストルだと…………?」

「あ、ああ! そうだ! カストルだ!」

 

カストルは叫ぶように再度名乗った。それは超常の存在に押し潰されぬよう自分を奮い立たせているのか、それともただ張り合っているだけなのか。

どちらにせよ負けず嫌いだなぁと思いつつ、僕はヘパイストスの言葉をじっと待った。

 

「よもやとは思うが、君の母上はレダという名ではないかね?」

 

威圧感が嘘のように霧散した紳士的な声音。

カストルは間髪入れずに返答する。

 

「そうだ。そしてオレの父はテュンダレイオスだ」

「いや、そちらはどうでもいい」

「………っ!」

 

杜撰な言葉に顔を赤熱させるカストル。それでも踏みとどまっているあたり、カストルも成長したのだろうか。

小人の挙動など一顧だにせず、ヘパイストスは開口した。

 

「ならば、君と余は義兄弟というわけだ」

「…………は?」

 

まるで浴びせられた言葉が自らの知る言語ではないかのように、カストルは首を傾げた。

ギリシャ神話において、レダは白鳥へと身をやつしたゼウスに孕まされ、ポルクスを産み落とした。カストルとポルクスは同時に産み落とされた、人間の父親による異種兄弟なのだ。

その前知識をリズから聞かされていたため、僕はあまり驚きはしなかった。だが、急にそんな事を言われた当の本人としてはたまったものではないだろう。

 

「おっさん何言ってんだ?」

 

と、言葉使いなど気にも留めずに言い放った。

ひやっとしたものが背筋を駆ける。今の言葉、ヘパイストスの地雷を踏んでやしないだろうか。

だが、返答は呵々大笑だった。

 

「確かにな。この齢の差では叔父と言ったほうが嵌りが良い」

 

いや、論点はそこじゃないよおっさん。

 

「まあこれも、我が父の悪癖が齎した顛末だ。愚息ながら、余から君には謝ろう。さて、君には話したいことがある。どうだ。この老いぼれとひとつ食事でも」

 

第一印象からは考えられないほど、優しさに満ちた声音だった。それこそ、気の良い叔父さんのようだ。

当然至極に戸惑いながらも、カストルはしっかり答えた。

 

「あ、ああ。よく分かんねえけど、飯食うくらいならいいぜ」

「うむ。それは良かった」

 

ヘパイストスは立派な顎髭を撫でながら繰り返し頷いていた。そしてカストルを手招きした。

それにカストルが応じ、ヘパイストスに近づいたその瞬間────

 

視界から一切合切かき消えた。

 

「ってこれ、落ちてるううぅぅうぅーーーッッ!!?」

「きゃああぁぁあぁあぁぁーーー!!? ちょっとライト! あんた何とかしなさいよ!」

「何とかって何を………いや、できるか」

「え? できるの?」

「リズ! もう一回叫んで! できるだけ高い声で!」

「はあ!? 何言って……」

「いいから! 早く!」

「ああ! もう! きゃああぁぁあぁあぁぁーーーッッ!!!」

「ok! 5秒後に瞬間移動するから! 僕に掴まって!」

「え? それってどういう……」

 

暴力じみた加速度が下方向にかかる中、僕らは斜め上に吹き飛んだ。

それを何度か繰り返し、段階的に落下の勢いを殺していく。最後には落下ダメージすら受けない程のスピードで、僕らは地面に着地した。

リズはいかにも信じられないといった顔で、説明を求めるように僕を見た。さすがに無視はできないので、一生懸命解説を頭で組み立てる。

 

「えーっと……まず、僕は瞬間移動できるんだ」

「待って。いきなり意味分からない」

「いやもう、そこは納得して?」

 

さすがに全部説明するのは面倒だ。

リズもそれはわかってくれたようで、不承不承と続きを促した。

 

「でね。その瞬間移動を使って、下方向を斜め上に変えたんだ。あ、それは何でかと言うと、瞬間移動する前とした後じゃ速さは変わらないんだ。えっと、つまり……」

「つまり、瞬間移動の前後で速さは変わらないから単純に上下に移動しても、そのまま落下するだけ。だから瞬間移動を応用してベクトルの方向だけを変え、重力と相殺したのね? 大体分かった」

「うん。まあ、そうなのかな?」

 

リズの言っていることはよく分からないが、きっとそうなのだろう。

 

「それは良いとして、なんであたしに叫ばせたのよ? 必要あった?」

「ああ、それは聞き耳スキルのmodで空間把握っていうのがあって、それを使ったんだ。大きな音が発されるとその空間がどの位の大きさなのか分かるスキルなんだよ。それで地面までの距離と、どっち方向に飛んだから安全かを調べたんだ」

 

僕がそう言うと、リズはまるで信じられない物を見るかのように僕を見つめた。

何かおかしなことでも言っただろうか。

そう思った途端、リズは満面の笑みでバシンバシンと僕の背中を叩き始めた。

 

「ちょっ……リズ。痛い痛い。いや、痛くないけど」

「すごいじゃない、ライト! そんな判断力があるなんて見直したわよ!」

「見直したって……じゃあ今まで僕を何だと思ってたのさ」

「え? ゴミ?」

「言うにしたってもっとオブラートに!」

「クズ?」

「それはもはや同義だ!」

「あはは! 冗談だって! ちゃんとバカって思ってるわよ!」

「本来ならフォローが入るべき文脈なのに全力で貶されている!?」

 

そしてリズはさらっと僕を無視し、辺りをきょろきょろと見回した。

 

「ここ、どこだろう?」

 

リズが呟いた言葉は幾度となく洞窟の壁に反射して、先の見えない闇に吸い込まれた。

周りは赤茶けた岩盤。僕らの近くには松明が頼りなく燃えている。見えるのはそこまで。先には通路がありそうだが、目視できるのは漆黒ばかりだ。

 

「あそこ、落とし穴とかあったのかな?」

 

リズが質問か独り言か分かりかねる口調で呟いた。

あそこ、とはヘパイストスの『巣』で間違いないだろう。つまりリズは、ヘパイストスは僕らを落下罠にかけたと言っているのだ。

 

「うーん……それは無いんじゃないかな?」

「なんでよ?」

「だって、もし落とし穴だとしたらだよ。僕らは数百メートルの落下した。けど、それならアインクラッドの階層をブチ抜いてなきゃならない。けど、27層には天井から伸びる細長い筒なんて無かった筈だ」

「あるじゃない」

「え? どこに?」

「迷宮区。……あ、でもそっか。あたし達がいた所の真下にその筒がないといけないもんね。じゃあどういうことなんだろ……」

「いや、きっとそれでビンゴだ」

 

だがまだ情報が少なすぎる。考えろ。ここが迷宮区だとするならば、僕たちは今どういう状況に置かれていて、これから何をすべきなのか。

 

「ねえ、ライト! もっとちゃんと説明しなさいよ! ここが迷宮区ってどういうこと?」

「そのままの意味だよ。僕らはヘパイストスが使う魔法か何かによって、迷宮区にワープさせられた。そして、本来なら落下死していた」

「はあ!? 何よそれ! 理不尽にも程があるじゃない!」

「うん。確かにこれはフェアじゃない」

 

不自然なくらいに。

これまで、SAOに理不尽と言える仕様は一切存在していなかった。だからこそこの罠は不自然だ。僕がエクストラスキル『拳術』を取得していなければ──そもそも拳術は僕1しか取得が確認されておらず、ヒースクリフの神聖剣と並んでユニークスキルと言われている──僕らはほぼ確実に死亡していた。

このゲームでそんなことが起こりうるとは思えない。

だからこの場合、僕らにこそ死すべきほどの非があった、と考える方が自然なのだ。

だがそれが何かと問われれば全く見当がつかない。何をミスった? どこで選択を間違えた?

 

「で、これからどうするのよ?」

「うーん……まあ、進むしか無いんじゃない?」

「それもそっか」

 

僕らは万全の警戒を持って歩き出した。当然ながら喋る余裕などない。それどころか、僕らは目を合わせさえしなかった。

岩窟に響く跫音が、僕らの沈黙を引き立てる。

それでも手元の松明だけを頼りに歩き続けた。

アインクラッドでは身体に疲労は溜まらない。しかし精神は別だ。先の見えない闇をひたすらに歩くというのは、相当キツい。

道中、三叉路が現れた。進むべき道を議するため、リズへと視線を送った。リズは少しだけ俯きながら言葉を返した。

 

「とりあえず、右の道に行きましょ。行き止まりとかだったら引き返せばいいし」

「うん。じゃあそうしよう」

 

僕らはまた無言で、右手の道へと歩を進めた。

 

その数分後、僕らはその分かれ道へと逆戻りしていた。

それも全力ダッシュで。

 

「何よあのバケモノーーーッッ!!?」

「ケルベロスだよ! 地獄の番犬!」

「そんなの見たら分かるわよ! ていうかそれ、あの先が地獄ってことじゃない!」

「いや、逆かもよ。僕らが地獄に落とされたのかも」

「そんなのどっちだっていいっての!」

 

確かにそれは、ケルベロスの存在に比すれば些事だ。ケルベロスを示すカーソルは真っ赤っか。つまり僕らよりよっぽど強い。ともすれば、リズには黒に見えているかもしれない。

そんな相手とまともに戦えるワケがない。ともかくさっさと逃げるが吉だ!

三叉路に戻り、選択しなかった左の道を進む。

当然だがリズは僕よりも大分遅い。僕の速度も彼女に合わせることになる。だがその速さは、ケルベロスと付かず離れずという一番危険なモノだ。

進行を躊躇えば瞬殺される。この先が行き止まりでないことを祈るばかりだ。

通路の先にあるものは、果たして────

 

「宝……箱…………!?」

 

それは、古今東西のRPGでお馴染みの宝箱が1つだけ設置された部屋。その先に道は無い。

いつもならガッツポーズするその光景。そこに今は死の危険しか漂っていない。

進路も退路も無い。ならば、取るべき指針はただ1つ。

 

「リズ! 戦闘態勢!」

「オーケー!」

 

リズはメイスを。僕は拳を。

三首の狂犬は唾液を滴らせ、獰猛に牙を剥く。

 

「まともに戦っても勝ち目は薄い! まずはこいつから逃げることを考えよう!」

「了解!」

 

ケルベロスが僕らに飛びかかる。それに合わせて僕らはそれぞれ左右に飛んだ。

僕は避けきれたが、リズには爪先が掠った。

リズの体力を確認する。そして愕然とした。その削り具合は実に五分。擦り傷でこの威力。これは50層のフィールドボス並みだ。

このモンスターに対するは、かたや敏捷極振り。かたや本職鍛冶屋。

なんだこれ。なんだこれ!

ヤバいなんてもんじゃない! もうどうしようって感じだ。

いや、さっき自分で言ったことを思い出せ。逃げることだけ考えるんだ!

僕だけなら簡単に逃げ切れる。けどリズは?

彼女はケルベロスと同程度の速さ。どこかで隙を見計らって、せめて5メートルは距離を取ってから逃げ始めたい。

しかしこの状況でそんなことが可能なのか?

可能だ。それを可能とする力が僕にはある。拳術スキル特殊技『神耀』。だがそれを発動するには彼女に触れなければならない。

だがそのリズは今────

 

「っっ……くぅぅ……!」

 

ケルベロスの凶器たる爪。その切り払いと必死に拮抗していた。剛腕の振り下ろしをメイスで支えるリズ。

僕は最速でその戦いに割り入った。

 

「やっ……めろ!」

 

ケルベロスの腕に体術スキル単発技『閃打』を叩き込む。火花のようなダメージエフェクト。

腕の力が落ちたのか、リズは敵の猛攻から離脱していた。よし。チャンス!

このままリズに駆け寄って……

 

「……っ! かっ……はっ……!?」

 

左腕に強烈な違和感。体力が目に見えて削られる。

それを目視しようと眼球を動かす。

黒々とした牙が、僕の腕を貫いていた。これで終わりではないというように、第2第3の首が急所へと狙いを定めてきた。

避けようにも、牙に固定された腕のせいで身動きがとれない。ダメだ。しょうがない。

神耀を発動させ、歯牙の拘束から解放された。

跳んだ距離は1メートル。つまりここから100秒間神耀は使えない。同時にその間、逃げる事は叶わない。

絶望的に長い2分弱。この強敵相手に、僕らは100秒も耐えることができるのか? 僕は逃げ回っていればどうとでもなる。しかしリズはそうはいかない。

つまりこれは、僕がどれだけ自分とリズの安全を両立できるかという戦いだ。

ここでリズを責めるのは筋違いだろう。だって彼女は職人(スミス)。本来戦う者じゃない。そんな人間がこのレベルのモンスターと一応は戦闘になっているだけで称賛に値する。まあ、この状況で称賛がどうとか言ってられないのだが。

そんなことを思っているうちに、ケルベロスがリズ目掛けて突進して行った。

なんでそっち行くんだよ! ダメージ与えたの僕だろ! と内心悪態をつきながら、僕もリズの方へと疾走する。

ある程度ケルベロスに近づいた。三つ首のうち右側だけが僕を凝視していたことに遅まきながら気がついた。なるほど。顔をが増えると視野も広がるんだ。

接近する僕に片腕で対処する魔犬。同時に真ん中の顔でリズを攻撃する。爪による攻撃を跳躍で交わし、リズに噛みつこうとする中央の顔に向かって体術スキル単発蹴り『舟撃』を発動する。

足先が横顔にぶつかる寸前。僕の足に強烈な異物感が生まれた。その原因は左の顔。その鋭利な牙だった。そのまま地面に叩きつけられる。

 

「ぐぁ……!」

 

だめだ。神耀はまだ発動できない。即時離脱は不可能。見れば、リズも腕に噛みつかれて身動きがとれていない。

くそ! どうする? 顔を攻撃して、噛みつきの解除を狙うか? 時間はかかるが、方法はそれしかないだろう。

そうと決まれば僕は握り拳をつくり、拳術スキル単発技『封炎』を発動させた。

だが、その動きを先読みしたような狡猾さで、地獄の番犬は前脚で僕の右腕を抑えた。

あ、これ詰んだ。

 

「グルルゥゥウァァアァァッ!!」

 

ケルベロスが勝利の雄叫びを上げる。僕を噛む顎に一層力が入る。もう体力は3割を切り、削りダメージでじわじわと減少を続けている。

ああ、こんなところで終わるのか。何故か冷静にそう思った。

ただ1つ心残りがあるとするなら、リズベッドを巻き込んでしまったことか。

ごめん……君を死なせてしまった。僕の力不足で。

心中でそう呟いて、僕はそっと目を閉じた。

 

────その時。

地獄の門すら破砕するような轟音が、部屋いっぱいに響いた。

 

「キャウウゥンッッ!!?」

 

犬らしい叫びをあげて、ケルベロスが大きくのけ反った。

助かった。その感想よりも、何が起こった、が先走った。

目を開く。そこにいた人物は────

 

「あ? ライト? お前なんでこんなとこにいるんだ?」

「ユ、ユウ!?」




タイトルが一度、スターダスト・イミテーションじゃなくなってから、また元に戻っています。これはこのクエストの核心に関係があるのかどうかという基準だったりします。
結末を皆さんで予想してくれたら嬉しいなあ、なんて。


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第七十六話「スターダスト・イミテーション─Ⅴ」

すみません!!!!!!
色々あって放ったらかし過ぎましたが、取り敢えず本編どうぞ!


「なんでユウがここにいるんだよ!?」

「そりゃこっちのセリフだバカ野郎。お前、最前線から引いてたんじゃねえのか?」

「え? ここ最前線なの?」

「お前……まさか本当に頭が……」

「やめて! 本気の憐憫の目を向けないで!」

 

確かにユウからしてみれば、僕は自分の居場所も分からないヤバい奴でしかないだろう。けど、これで大体状況は理解できた。僕らのワープさせられた場所は68層の迷宮区。そしてそれは運良く──もしくは運悪く──最前線だったわけだ。

 

「つーかお前、腕千切れてるじゃねえか。ちょっと退がって回復しとけ」

「あ、うん。ありがとう」

 

痛覚を感じないのもこの世界の弊害か。現実なら大怪我でもSAOだと違和感程度だ。故にこそリミッターが外れる。無理してしまうのだ。

だがここはユウの言葉を素直に受け入れよう。僕はケルベロスから距離を取りつつ、ポーションを一息に呷った。

リズに視線を向けると、彼女も同様に回復していた。良かった。一旦は安心して良さそうだ。

ケルベロスの動向を注意しつつ、僕はリズへと近づいた。

 

「リズ、大丈夫?」

「ライトこそ。あんたの方が重症じゃない」

「あーうん。紙耐久だからね。しょうがないっちゃああぁぁあぁッッ!?」

 

僕の頭めがけて飛来した得物。それを海老反りになって必死に避けた。

それが飛んできた方向にいるのはただ1人。

 

「ムッツリーニ!? なんで僕を攻撃するのさ!」

「ブツブツブツブツブツブツブツブツ」

「せめて日本語プリース!」

 

僕が見知らぬ美少女話してたのがそんなに気に食わなかったか!

どんなに危険な状況でも異端者は漏れなく抹殺。FFF団らしい判断だ。

 

「バカやってないでさっさと加勢しろ、ムッツリーニ。なめてかかっていい相手じゃねえ」

「……了解」

 

ムッツリーニはくるりと振り返り、ケルベロスと相対した。

 

「ライトよ……お主はよくよくトラブルメーカーじゃのう」

 

それは部屋の入り口から現れた、第三者の言葉だった。

 

「秀吉! 久しぶり!」

「うむ。お主も元気そうで何よりじゃ。能天気さに一段と磨きがかかっておる」

 

あれ? もしかして僕、呆れられてる?

ともかく、強力に過ぎる助っ人が3人も来た。それから決着まではものの数分。

あれほど苦労したケルベロスは、攻略組3人の手で呆気なく四散した。

 

「うーん……やっぱりアタッカーの存在って偉大だな……」

「なにボヤいてやがる。それよりライト。お前、腕落ちてないか? 前なら捌けてた攻撃受けまくってるじゃねえか」

「うぐ……今回ばかりは正論だね、ユウ」

「いつでも俺は正論だバカヤロウ」

 

ここ数ヶ月、下層のモンスターの相手ばかりしていたせいだろう。僕も相当に平和ボケしているらしい。これは、最前線に戻るまえにリハビリ期間が必要かな……。

軽口を言い合いながらも、ユウはウィンドウを操作してドロップアイテムを確認していた。その作業を終えると、改めて僕に向き直って切り出した。

 

「で、説明しやがれ。お前がなんでこんなとこにいたんだ?」

 

ええー。説明するの? めんどくさいなあ。

あ、いや、もしかしてコイツなら、このクエストの真相が分かるんじゃないか?

理不尽なまでにお前達は失敗したと突き放してきたこのクエスト。僕が掴めなかったそのヒントが。

そう思うと居ても立っても居られず、突き動かされるように事の顛末を語った。

 

この数週間を言葉に纏めると、たったの20分で終わってしまった。その短さが何かを暗示しているような感傷がぼくの胸に去来した。

だがそんなものをユウが慮るはずもなく、いきなり本題に切り込んできた。

 

「理不尽に殺されたからには、自分自身に何か非があった。どこかでクエスト解決の糸口を見落としていた。お前はそう思ったわけだ」

 

ユウの確認に無言で頷く。

するとユウは、明らさまにバカにして鼻を鳴らした。

 

「そんなの簡単じゃねえか。お前は、信じていい情報といけない情報を混ぜこぜにしてるんだよ」

「え? それってどういう……」

「話は最後まで聞きやがれ。あのな────」

 

 

「てめえ……ユウ兄ちゃんとリズ姉ちゃんをどこにやりやがった!」

「地獄に落とした。脆弱な人間ではもはやそれだけにすら耐えられぬ。仮に耐えたとしても、もう少しすれば犬の餌にでもなっているだろうよ」

「んなこと聞いてねえ! どこに転移させたのかを聞いてんだよ!」

「よく噛み付く……人間風情が」

 

巨人の瞳には、何も込められていなかった。それは無関心。路端のアリを見るとも紛う視線でカストルを刺す。

 

「なんだよあんた。さっきのは嘘か? ポルクスの弟であるオレを歓迎するってのは」

 

返答は舌打ちだった。短く乾いたその音は、会話を殺す銃弾みたいだ。

鍛冶神は分かりやすく嘆息した。

 

「ポルクス。彼は確かに半神半人。正しく我らが父の子だ。だが貴様はそうではなかろう? 貴様は純粋なる人。我が父が孕ませた者ではない。本来ならば人間の貴様など歯牙にもかけぬのだがな。貴様を殺すことが同胞の頼みならば止むを得まい」

 

カストルはその先に踏み込んではならないと思った。訊いてはならない。誰が頼んだのかと問えば、自らを同定する何かを失うような、そんな。

 

「誰がンなこと頼みやがった?」

 

即座の質問。

逡巡も迷いも葛藤も、そんなもを抱いてしまう己の弱さが少年は大嫌いだった。故にこそ、何もかもを振り払い置き去りにして、カストルは問うた。

見えたのは、あまりに残酷なヘパイストスの笑顔。愉悦をしたためる外道の貌。

 

「愚かな貴様でも分かっておろう? ポルク……」

「そんなわけ無えだろうが!!」

 

間髪入れずに切りかかるカストル。

聞く耳を持たないその姿は、駄々をこねる子供のよう。

その小さな反逆を、神は片手で払った。

ならば巨神はあやす大人か。それとも。

 

「そうか! 否定したいか! ポルクスが貴様を殺せと頼んだことを!」

「黙れ! 黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!! そんな筈あるわけない! ポルクスが、オレを………」

「ふふふ……はははははは! 証拠が無いのが残念だ! 見せてやりたいぞ。あのポルクスの表情を! 慰み物と戯れるように貴様を殺せと命じた奴の笑みを!」

「ちょっとは黙れ! クソ野郎!」

 

カストルは飛び上がり、剣を振り上げる。狙うは喉。戯言を掻き切るために。

対するヘパイストスは、束の間に槌をその手に握っていた。

カストルの倍はあろうかという巨大な槌。振りかざされた神撃は、少年剣士を数10メートル吹き飛ばした。

 

「が…………ぁっ!」

 

背中から地面に強打する。たったの一撃でHPは残り3割。

 

「なんだ? その程度か? それでよくも余に剣を向けられたものだな」

 

ヘパイストスは呆れ混じりに呟く。

 

「惑うか? なぜ最愛なる弟が我が身を滅ぼすのかと。その苦悩こそが人の業だ。人と神は分かり合えぬ。その前提が分からぬならば死ね!」

 

巨神は槌を振り下ろす。隕石にも見紛う神の一撃。それを止める術を人は持ち合わせていない。

そう。人は。

 

「グアァァァアアァァッッ!!」

 

轟く咆哮は霹靂が如く。

巨影は天を蹂躙し、神が御前へと顕現する。

その絢爛たるや星々が如く。それはこの世界における最強種、ドラゴンの姿に相違ない。

そして竜は神撃を易々と止めて見せた。

 

「ぐっ……な、なんだ貴様は!」

 

ヘパイストスは分かりやすく狼狽する。

黄金に煌めく鱗。カストルはそれに見覚えがあった。いや、それどころの話ではない。カストルはそれを何年も見続けた。憎むべき敵として目に焼き付けた。

───それは、弟ポルクスを覆う呪いの鱗と瓜二つだったのだ。

 

「お前が……ゾディアック・ドラゴンか?」

 

カストル自身も信じられないくらい低い声だった。だが、今の彼にはその声しか出せない。胸裡で狂う獣を必死に抑え込んだこの声しか。

 

「クルルルルゥ……」

 

まるでカストルに応えるように、ドラゴンは喉を鳴らした。

それを、カストルは宣戦布告と受け取った。

 

「ああぁぁあぁッッ!!」

 

教授された剣筋も忘れ、復讐者はがむしゃらに斬りかかる。

その太刀に籠めるはひとえに恩讐のみ。

だが龍は、報仇の刃を意にも介さない。

その澄んだ瞳が見るのは、巨神の首元だけだった。

 

「余に刃向かうかッ!? この駄龍がッ!!」

「グゥアァァアァッ!!」

 

爪と槌が火花を散らす。

架空の大気が震え、周囲のモンスター達は一目散に離れていった。

カストルにも衝突の威力は見て取れた。自分が眼前の戦いに介入しようもないということも。だが、それ以上に憤怒があった。ヒトとしての理性など一片たりとも残さぬ業火が、胸中に煌々と燃えていた。

あの龍は、自分が倒さねばならない。確かにあの強大な鍛冶神に託しておけば、どうにかなってしまうかもしれない。されど、それは許せない。許容してしまえば自分の須くが否定される。そんな確信があった。

この手で屠る。

もはやカストルの中で、目的と手段は入れ替わっていた。憎悪に衝かれ、ドラゴンを手にかけることだけを考えていた。

 

「うぅぅらぁああっっ!!」

 

鈍色の剣を手に、光輝なる星龍へと飛び掛る。ゾディアック・ドラゴンは、それを爪の1つで止めてみせた。

憤怒のカストルと対照に、したり顔なのはヘパイストスだ。鍛冶神でも龍の相手は荷が勝ち過ぎたのだろう。

 

「では、さらばだ駄龍と下郎! せいぜい互いの首を落としあえ!」

 

高笑いとともに捨て台詞を放つと、巨大なる神は羽織っているマントを翻した。マントが巨体をするりと包むと、ヘパイストスの姿は跡形も無く霧散した。

だがしかし、そんな摩訶不思議な現象に驚く者もいなければ、目にする者すらいなかった。

カストルとゾディアック・ドラゴン。この両者の目には互いの姿しか写っていない。カストルは憎しみを籠めて。対する龍の瞳にある感情は誰にも忖度できはしない。視線が丁々発止と重なり合う。

停滞を破ったのはカストルだった。地面を蹴り、龍の頭上まで飛び上がる。狙うは首。剣には寸分の迷いも無い。放たれた必殺の一撃。それを星龍は小爪で弾いた。カストルの小柄な身体は、たったそれだけで10メートル近く飛ばされた。

落下ダメージで体力が3%ほど削れる。自分の身などに頓着せず、カストルは次なる一撃を放った。

 

そこからは同じことの繰り返しだった。斬っては飛ばされ、斬っては飛ばされ。塵も積もって山となり、既にカストルの体力は残り2割に差し込んでいた。

だがカストルに怯えは無い。むしろ勝負ならないことこそが、余計に少年を苛立たせた。

勝たなくちゃいけないのに。勝ってポルクスの呪いを解かなくちゃいけないのに。父の仇をうたねばならないのに!

自らの非力を呪い、龍の態度に怒った。なぜ攻撃してこないのか。自分を敵とすら思っていないのか。考えるほどに憎悪がこみあげる。敵意を力に。今一度剣を振り上げようとした、その時。

 

「愚直過ぎるのよ。もっと頭使いなさいっての」

 

厳しい言葉と共に、カストルの頭は後ろからはたかれた。突然のことに戸惑い、あれほど感情を支配していた憎しみすらも霞んでしまった。

恐る恐る後ろを向く。そこに立っていたのは案の定

 

「うげえ! 優子姉ちゃん!!」

「うげえって何よ、うげえって。ちょっとぐらい喜びなさいよ」

 

そんな台詞を吐く優子の顔は、満面の笑みとしか言えぬものだった。いや、違う。これは笑っていない。限界なんてとうの昔に突き抜けた怒りだ。

 

「ごめんなさい!!」

 

反射的に謝るカストル。

鉄面皮とはこのことか。優子は微塵も笑顔を崩さない。

 

「謝るなら、なんで謝らなきゃいけないか説明してみて?」

「う……それは……っていうか、ドラゴン! ほら! モンスターの前なんだから悠長にしてちゃいけないだろ?」

「いいわよ別に。攻撃してこないじゃない」

「そうだけど……」

 

カストルは龍をジト目で見上げる。ちょっとくらい反撃しろよと思ってしまう。この龍が行動も起こさず、自分達をじっと見てる意味が分からない。

 

「ほら、早く理由をきかせなさい?」

「えぇーっと……優子姉ちゃんに黙って龍を倒しにいったから?」

「違う」

「1人で倒そうと思ったから?」

「違う」

「うぅーんっと……」

 

いくら頭を捻ろうと、それ以上の理由は浮かびそうになかった。

見かねた優子は上を指差した。意味も分からぬまま、カストルを視線を上げる。するとカストルの目に飛び込んできたのは、真っ赤に染まった自分の体力ゲージだった。

 

「うわっ! いつのまに!?」

 

素っ頓狂なカストルに、優子は遂に笑顔を崩して心底呆れて言った。

 

「本気で気づいてなかったのね……このおバカ!!」

 

優子はいきり立ちながらカストルの頬をぐにーっと伸ばした。

 

「ご、ごめんなひゃい……」

「なんで謝らなきゃいけないか、もうわかった?」

「……心配かけてごめんなひゃい」

「うむ。よろしい」

 

優子はパッと手を離すと、歯を見せてカストルに笑いかけた。つられてカストルにも笑みが零れる。

優子の怒りがひと段落したところで、カストルにはふと疑問が湧いた。

 

「そういや、優子姉ちゃんはなんでここに来たんだ?」

「なによ。来ちゃ悪い?」

 

悪戯っぽく聞き返す優子。優子の流し目とはにかみに、カストルは淡く紅潮した。その反応に満足したのか、優子はさらりと答えた。

 

「ライトとリズから連絡が来たのよ。あんたのところに行ってくれって」

 

これで納得した。つまり優子は援軍なのだ。そう思うと途端に心強くなる。なにしろカストルの人生で見知った優子より強い剣士など、それこそ亡き父のみなのだから。だがそこで、そもそも剣士を2人しか見たことがないという事実に思い至らないカストルだった。

 

「そっか。じゃあ2人で倒しちまおうぜ、このドラゴン!」

 

やる気満々のカストル。しかし対する優子はニヤニヤと笑うだけだった。

自分は何か恥ずかしい事でも言ったろうか、と不安になるカストルをよそに、優子はゾディアック・ドラゴンへと顔を向けた。

 

「倒しちまおうぜ、なんて酷いわよねー。ね、()()()()?」

 

 

僕とリズが、ユウから聞いた推理はこうだ。

 

まず僕らは、カストルの言葉を信じてはいけなかった。

カストルが裏切っているのではない。むしろ逆。カストルが裏切られているのだ。

カストルから聞いたポルクスの状況。それは言うなれば伝聞の伝聞。情報元はポルクスだ。だが、ここで一つ疑問が浮かぶ。なぜカストルは喋れないはずのポルクスから情報を聞き出せたのか。僕らはまずそこを疑問に思わなければならなかった。

そこを突き詰めれば答えにたどり着けたのだろうが、今はもう遅い。ともかく結論だけ言えば、その話を信用してはならなかったという事だ。

ポルクスは龍の呪いに侵されて言葉を喋れない? いいや違う。人語を話せないのは当たり前だ。だって今の彼は……

 

「優子にメッセージ送ったよ。たぶんもう向かってくれてるはず。あたし達も行くでしょ?」

「当然」

 

リズの言葉に短く応じる。

さて、このクエストをクリアしよう。

 

 

 

そうして僕らは合流した。リズ、優子、僕の3人で双子の生家を目指す。カストルは転移門が使えないので、とある手段で遅れて合流する予定だ。

家に着いた。

何週間と居着き、慣れ親しんだ家。些かの寂寥が胸を撫でる。

ああ、そうか。もう終わりなんだ。途端にドアノブが重く感じた。それでも手に熱をこめてノブを回す。

前よりも埃っぽく感じる。無論気のせいだ。匂いなんて機能はアインクラッドに存在しない。

優子とリズと頷きあいながら、僕らはゆっくりとポルクスの寝室へ歩を進めた。もう一度ドアを開ける。禁断の封印を解くような心持ちだった。

目に飛び込んできたのはベッドに横たわるポルクスの姿。鱗に覆われた身体は竜の呪いとも取れるだろう。

 

「ただいま、ポルクス」

 

ポルクスはこくりと頷く。その表情には分かりやすい喜びの色があった。

決意がぶれる。ユウの推論が間違っていたら? 今からすることは本当に正しいのか?

かぶりを振った。迷ってはいけない。覚悟を決めろ。心を無理にでも叱咤する。

膝を折り前傾に。直後、一息に飛び出した。赤熱する右腕。唸るそれは体術スキル『エンブレイザー』の合図だった。

その腕を病床に伏すポルクスの鳩尾へと突き立てる。抵抗も感じぬほど簡単に、腕は胸を貫いた。

 

「さよなら、ゾディアック・ドラゴン」

 

『彼』の耳元で囁く。

瞬間、肩を猛烈な違和感が襲った。

咬まれている!

胸を貫かれたことなど意にも介さず、ポルクスを騙るそれは僕の肩に歯を食い込ませていた。耳朶を打つのは獣の如き、いや竜の如き鳴き声だ。

ポルクスだったそれは急速に巨大化していく。呪いのようだった鱗は体表を覆い、骨格はヒトの物ではなくなっていく。家の屋根など突き抜けて尚もその質量は増大する。

咄嗟に神耀を使って突き刺さった牙から脱出する。そうして見えた全容は、僕の矮小な想像を遥かに超える物だった。

それはまさしくこう形容すべきだろう。

 

「黄金の竜……」

 

隣に立つリズから呟かれた。それは僕と全く同じ感想だ。

日を照り返し煌く体躯は凄烈の一言。その全長は優に三十メートルを超えていよう。

ただし体の線は細い。むしろその洗練された容貌が重圧を増す要因となっていた。

鋭利な牙が並ぶ口が開かれる。

 

「グルゥオオォォオォッッ!!」

 

世界が、ブレた。

その咆哮は災害にも等しい。圧だけで肌が裂かれるような錯覚さえ覚える。

 

「これが……ゾディアック・ドラゴン……」

 

僕の口から感嘆とも諦念ともつかぬ吐息が漏れた。それほどまでに黄道の竜は圧倒的だった。

翼を広げ、羽ばたかせる。それだけの行為が嵐のような風を呼ぶ。ぶち抜かれた屋根から見える竜の全容は、日輪に見紛うほどに燦々と輝いている。

そのとき、壊れた屋根がメキメキと音を立て始めた。真っ先に反応したのは優子だ。

 

「これ崩落するんじゃない?」

「だね。出口に走ろう!」

 

僕の掛け声と同時に3人で駈け出す。一歩進むごとに軋みは大きく不快になっていく。

その時だった。天井が僕らへ向けて明らかに迫ってきたのだ。落ちている! そう判断した瞬間僕はリズと優子を抱き抱えた。

 

「わっ!」

「きゃっ!」

 

2人が思い思いに小さく悲鳴するがそんなのに構っていられない。発動したのは拳術スキル特殊技『神耀』。6間の距離をも消し去る絶技をもって即座に戸外へ跳躍する。

よし! 間に合った!

安全を確認して両脇に抱えた2人を下す。女性陣はそれぞれの含みを持った不満顔で僕を睥睨する。緊急時とはいえ、僕に抱き上げられるのが嫌だったろうか………? まあそれにはあんまり触れないでおこう。僕の精神衛生上よろしくない。

そんなことよりもと、僕は黄金竜へと視線を戻す。煌びやかな翼は空を打ち、その巨体を持ち上げている。

そんな姿を見ていると、ふつふつと感情が煮え立ってきた。相手は竜だ。言葉を理解するとは思えない。それでも僕は言わなければ気が済まなかった。僕はめいいっぱい大きな声で叫んだ。

 

「お前が……お前がポルクスを竜に変えてカストルを騙してたのか!」

『何を言うかと思えば……答えに辿り着いたのだ。それなりに賢しい人間かと思えば、よもやここまで阿呆とはな』

 

しゃ、喋った!?

いや違う。竜の口は動いていない。これは心に直接語っているのか?

 

『テュンダレオースと言ったか? (わし)が下郎の身に奴したのも、全てあの男の招いたものよ』

 

テュンダレオース。それは確か、カストルとポルクスの父の名だ。

 

「どういうことだ?」

『急かすな。出来の悪いうぬの頭でも分かるよう、今から説明してやると言うのだ。屈強な男だった。その膂力は私にも迫る……いやともすれば超えていた。だがな、奴の失敗は子を連れていたことよ。子を守る以上、奴は受け身にならざるを得なかった』

「それでポルクスを狙ったのか! おまえに竜としての誇りは無いのか!」

『誇りだと! 私とて命がかかっておる! 誇り高く生きるのならばよかろう。だが死ぬための誇りなぞ糞の役にも立たん! そんなものドブにでも捨てた方がよっぽどマシだ! どこまでも愚鈍だなうぬは。その五月蝿い口ごと焼き払おうか!』

「……っ!」

 

その言葉に僕は何も言い返せなかった。カストルやポルクスが生きているように、この竜だって確かに生きているのだ。そこにどんな違いがあるだろう。例えそれがNPCとしての生であろうとも。

いや、最近は本当にNPCなのかとさえ思える。とてもそうは思えないほどこの世界に生きる人々は感情豊かだ。それはまるで、魂が宿っているとも言えるような。

黙りこくった僕に満足したのだろうか。黄金竜は話を進めた。

 

『それでだ。奴は私に重傷を与えはしたが、私も奴に致命傷を与えた。そこで運命を分けたのは、私はまだ動けたが奴に動く余力など残っていなかったということだ。そして私にとって小爪の先さえ動けば奴の子を刈るのに十全であった。だからこそ、奴は呪いを残した。そうしなければ子を、ポルクスを守ることはできなかった』

「ちょっと待って。テュンダレオースは人間にはじゃないの? なんで呪いなんて使えるのさ!」

 

そんな僕の借問に心底うんざりとして竜は答えた。

 

『口を挟むな鬱陶しい! 名前を見れば分かろう。奴は《大地切断》の以前スパルタの血を継いでいるのだろうよ。それならば呪術を使うことも頷けよう』

 

大地切断? なんだそれ。質問をしたら疑問が倍になった。けどもう尋ねることはできないだろう。今度発問すればこの竜は間違いなく僕を噛み殺す。

釈然としないながらも、この疑問は持ち帰ることにした。

 

『奴の呪術は私と小僧を置換した。急造の術としてはそれが一番手っ取り早かったのだろうな。その結果が今だ。そして私の身体は完治した。もはや人間風情に身をやつすことも無くなった。そこで貴様らが来た。干渉してこなければ貴様らにどうこうしようとは思わなんだが、私を殺そうとしたのだ。ならば殺されても文句は言うまい?』

「な……そんなもん、文句大アリに決まってるだろ!」

『ま、そうであろうな。ならば私も全霊を賭して、貴様らの肢体を裂くまでよ!』

 

嘯く飛龍の口角から、黄金色の炎がもれる。奴も臨戦態勢ということだろう。さて、僕も気合を入れて────

 

「クルァァアァァァアアァァ────ッッ!!」

 

正真正銘竜の口から放たれたその咆哮は、天を突くが如き衝撃をもって万象を揺るがせた。

同時に竜の横にHPバーが展開されていく。その本数はみるみるうちに増えていき……

 

「8本!? そんなバカな!」

 

優子が珍しく驚きの声を上げる。それもそのはず。黄金竜の示した体力量はフロアボスもかくやという耐久値だった。加えて竜の頭上にあるカーソルは暗めの紅に染まっている。これはレイドを組んだ場合の適正レベルよりも少し上だということ。たった3人で勝ち目など無い。

それでも、戦うしかあるまい。これはそういう戦いだ。負けることも退くことも許されない。

 

「いくぞ、ゾディアック・ドラゴン! 僕の疾さについてこれるか?」

『抜かすな小僧。疾さなど糞の役にも立たんのだとその骨身に教えてやろう』

 

黄道の竜が言い放つと同時に僕は駆け出した。

まずは一発! 全霊の一撃を叩き込む!

体術スキル単発技『エンブレイザー』の構えを取ったまま地面を蹴る。20メートルほどの飛翔。竜の目線まで到達した瞬間、音速に迫る貫手を繰り出す。

その攻撃に、ドラゴンは即座に反応してみせた。口中に蓄えた炎を吐き出し迎撃する。

空中に浮いた無防備な身体では、そのカウンターは避けきれない。それはあくまで物理法則の範疇だ。ならば物理法則(そんなもの)はねじ伏せればいいだけのこと。

神の御技とも等しい、僕にだけ許された絶技。瞬間移動『神耀』だ。

跳んだのは竜の後頭部。そこに貫手の続きをぶち込んだ。

竜は鈍痛で声を荒げる。

 

『貴様、エルリッドの拳士か!?』

 

また意味不明の単語がでてきたぞ?

だがそんなことに構っていられるほど余裕の戦闘じゃない。振り向いた竜の顎を蹴り飛ばし、地上へと勢いをつけた。

拳術スキル飛び蹴り『獄天』で着地の衝突を相殺する。

挑発スキルがマックスになっていることも相まってか、初撃をとった僕へと竜は一直線に向かって来る。

だが、それでは背後がガラ空きだ。

 

「せいやぁ!!」

 

裂帛の気合と神速の踏み込み。技自体は片手剣基礎単発技『ホリゾンタル』。単純な技であるからこそ、その切り込みの凄烈が浮き彫りになる。

優子の握る片手剣が橙の輝きを放つ。尾に狙いを定め、斬りかかろうというそのときに、竜の尻尾は大ぶりな横薙ぎの動作をした。

対する優子は、それを剣で弾くよう軌道修正するので精一杯。そんな僕の予想を、優子は軽々と飛び越えた。

初撃で棍棒のような尻尾を弾くや否や、次の動作をし始めた。新しくソードスキルを発動させた? いや、それは技後硬直によって不可能だ。ならばこれはなんなのか。簡単だ。最初から『ホリゾンタル』ではなく片手剣4連撃技『ホリゾンタル・スクエア』だっただけのこと。

ドラゴンは4連撃技を許すほどの隙を見せてはいなかった。そんな状況で不用意に攻撃すれば、カウンターを受けること必至だ。ならばなぜ優子はそんな博打に打ってでたのか。尻尾による迎撃を読み切っていたのだ。

カウンターを弾かれた天空竜は、尾に手痛い3連撃を受ける。

 

「ナイス優子!」

 

声をかけた僕に、優子は微笑を浮かべてサムズアップする余裕まで見せる。やっぱ頼り甲斐あるなあ……。もはやヒロインと言うよりヒーローだ。まあそんなことを口走ればぶっ飛ばされること請け合いなので口が裂けても言えないのだが。

ゾディアック・ドラゴンの方はというと、白炎を吐いてご立腹な様子だ。やられっぱなしで黙っているドラゴンでもないだろう。行動パターンはまだ分からないが何かしらの反撃をする可能性が高い。

そう考えた瞬間、ドラゴンは自らの足元に炎を噴射しだした。何してるんだ? あんなことしたらダメージをくらうのは自分だろうに。

だがしかし、黄金色の炎が直撃しているにも関わらず、天空竜のHPバーが緑色を減らす気配は一向に訪れない。なるほど。竜自身に当たり判定は無いというわけか。それを確認してからやっとこの攻撃の真意に気づいた。ブレスが地面を這って放射状に広がっているのだ。

なんて悪辣な攻撃だ。ほぼノーモーション。攻撃範囲はそれほど広くないものの、今のように反撃として打つならほぼ必殺の削り技だ。

行動を様子見から後退に切り替える。全力でバックステップしたものの、さすがに逃げ切れなかった。黄色のブレスが肌に触れ、僕の体力ゲージが────減ってない?

どういうことだ? 攻撃じゃないのか? だったらなんでこんな行動を?

疑問が胸中に渦巻く中、空中に揺蕩う謎物質の正体を確かめる。それは粉だった。例えれば風邪薬のような粉末。これに一体どんな効果があるのだろうか。毒かそれともただの目くらましか。

飛来物の意味を勘繰っていた僕の耳朶を、切迫した優子の叫びが打った。

 

「ライト! 逃げてーーッ!!」

 

考えるより先に身体が動く。千切れんばかりに脚を回して竜から距離をとろうとする。

けど、なんで逃げなきゃいけないんだろう?

そう思った時だった。黄道の竜はまたブレスの体勢になる。この黄色いのをまた吐き出すんだろうか。しかしそれによって何が起こるんだ? 優子が逃げてというくらいなのだから、何かしらの効果はある存在すると思うけど……。

そこで気づいた。竜の口内に蓄えられているものが黄色ではなく赤色に変わり、陽炎のように揺らめいていることに。

あれは炎だ。こんな煙幕ではなく、ダメージを与える力を持った攻撃。なら逃げなければならないのは道理だ。なら何故事前に危機感を高めるように黄色の粉を吐く必要があったんだ?

その時、僕の頭の中で知識が噛み合った。

────粉塵爆発。

そうか。浮遊する粉の全てが誘爆する殺戮機構。普通のブレスよりもより広範囲を殲滅できるというわけか。これはまずい。爆心地にいれば軽装の僕は体力をぶっとばされる。

いや僕の体力よりも問題は優子だ。ソードスキルを発動させた直後なのだから、もちろん身体は動かない。だったらどうなる? 焼き殺されるに決まってる。

助けに、行かなきゃ。

 

「優子ーーーッッ!!!」

「バカ! こっち来ないで逃げることに集中しなさいよ!」

 

そんな命令聞けるか!

逃げたいという恐怖は当然ある。僕だって命は惜しい。それでも助けなきゃ。僕は彼女に誓った。僕は君を守れるほど強くない。けれど僕が君を支えると。初めて彼女が人を殺したあの日、僕が君の隣に立ち続けると、そう誓った。

その程度の、女の子1人の約束も守れなくてこの先進めるかってんだ!

 

「うおぉぉおおぉーーーッッ!!」

 

進むたび意識が遠のく。周囲がスローモーになる。逆に思考は加速していく。今にも爆発を起こそうとする竜の動きが緩慢になる。この感覚を一言で表すならば、加速感だろうか。

この身体が、ここで燃え尽きたって構わない。そんなことで、彼女が助かるならそれで良い。

無意識のうちに神耀を発動した。10メートルの跳躍。これで優子まであと3歩、2歩、1───視界が極光に包まれた。




これだけ投稿期間が空いてじったのにはオリ小説書いてたりと色々理由はあるんですが、1番大きい理由は原作との矛盾が生じてしまったことです。
今までこのお話、原作の展開+αな気持ちで書いておりまして、原作設定は逸脱しないようにしてたんですけれども、ちょっとした無茶を通すために恐らく原作でもこうであろうという妄想を差し込んでたのです。それが最近明かされた事実に矛盾だと裏付けられてしまったわけですね。
やっべえ……プロット考え直さなきゃ……ってなったんですがニントモカントモ。そういうわけで色々悩んだ結果ごめんなさい! 原作設定無視します!
そういうのショウジキナイワーという方は本当にすみません……。僕もこのタイプなんでそのお気持ちはよく分かります。じゃあなんでお前二次創作やってんのって感じですけどネ。ここまで読んで下さってありがとう御座いました!
ええでええで。好きなように書けや。という心が太平洋の方はまだまだお付き合い頂けますと幸いです!


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第七十七話「スターダスト・イミテーション─Ⅵ」

SAOの映画見たんですけど、見るとあの2人の話描きたくなりますねー。けどこの小説の時系列だともう……。
ともかく映画面白かったってことで!
本編どうぞ!


『弱いな……直情的過ぎる』

 

竜の罵倒が、真っ白になった頭の中をガンガンと揺らす。それで頭が冴えた。そうだ。僕は爆発に巻き込まれた。それで? 優子はどうなった?

ホワイトアウトした視界が徐々に彩度を取り戻していく。そこには今にも泣き出しそうな優子がいた。見たところ部位欠損は見られない。助けられたんだ。安心したせいか。ポロリと言葉が漏れた。

 

「よかった……」

「何がよかった、よ! さっさと回復結晶使いなさい!」

 

鬼気迫る優子に気圧される。そっか。僕自身は避けきれなかったのか。じょあまずは立ち上がって、ボスから距離を取らないと。

起き上がろうとしたものの、なぜか身体が動く気配がない。おかしいな。スタンでも食らってるのか。ステータスバーで状態異常を確認すると、真っ赤な体力が目を奪った。HP残量は1割を切っていた。

こりゃ優子が心配するわけだ。けど、ステータスを隅々まで見ても状態異常は見受けられない。だったらなぜ立ち上がれないんだろう。

悠長にしている僕に痺れを切らしたのか、優子が僕を抱き上げだ。

あれ? 地面に足がつかない。優子より僕の方が身長は高いはずなのに。

そこでやっと気づいた。足がつかないのではなく、つく足が無いのだ。僕の腰から下がごっそりと抜け落ちている。

 

「うわあぁぁあぁ!? 足が無い!!?」

「今更なに言ってんのよ!」

 

優子の言い分ももっともだ。鈍感過ぎるだろ僕……。優子の言葉に従って、まずは回復を────

 

『瞬時回復の秘術か。させるわけがなかろうよ』

 

無慈悲な声。鉄槌が如く尾先が振り下ろされる。

僕では迎撃できようはずもない。かと言って優子も僕を抱えてるせいで咄嗟には動けない。

優子の体力ゲージを見やると、その残量はちょうど5割と言った具合だ。この攻撃をモロに食らったら耐えられるかは微妙なところ。ならば僕はどうか。この命は風前の灯火だ。恐らくは掠っただけでも死に至る。

だからと言って優子は僕を放り投げる、なんてことはしないだろう。その落下ダメージだけでも僕は死ぬ。マンボウか僕は。

クソ。こんな何でもない一撃で死ぬのか? あの竜にとっては僕は羽虫ということか。悔しさが滲む。優子を助けたかったのに、結局助けられて負担をかけている自分が情けない。

このまま僕が死んだら、優子はきっと自分を責める。それがどうしても許せなかった。

 

「なに諦めた顔してんの!」

 

甲高い金属音。それはメイスが響かせた福音だ。

即死の一撃を受け止めたのはマスタースミス、リーゼリットその人だった。

優子が真剣な眼差しは崩さずに言った。

 

「ありがと、リズ!」

「いいよ。このくらい手伝わさせて!」

 

ゾディアック・ドラゴンは、自分の尾を受け止めた少女を見て酷薄さの増した声音で言い下した。

 

『なんだその力は? 脆すぎるな。よくもそれで(わし)に立ち向かおうと思い上がったものよ。先の2人も脆弱ではあったが、お前はそれ以下だ』

「そんなもん分かってるわよ! それでもね、ちょっとくらいカッコつけなきゃあたしが居る意味無いっての!」

 

嘯くリズの表情には、明らかな焦りが見て取れた。たぶんもう支えるだけでギリギリなんだ。それでも歯を食いしばって、僕らが逃げるまでの時間を稼いでくれている。

それを優子も感じ取ったのか、僕を運ぶ歩調を一層早めた。そんな女の子2人に救われる情けない僕はというと、腰のポーチから回復結晶を取り出そうとして、それが脚と一緒に消し飛んでいることに気づいた。わりと高いんだぞ、結晶アイテム……。

損した感が凄いが、落ち込んでいられる状況でもない。まずはストレージから回復結晶を出して……

 

「くっ…………」

 

呻き声にさっと振り返る。尻尾を受け止めていたリズが遂に膝をついてしまっていた。まずい。このままじゃ押し負けて潰される。その未来を感じた優子は悲痛を練り混ぜた声で呼びかける。

 

「リズ!」

「優子。僕はここに置いてリズを助けにいってあげて」

「そしたら今度はライトが狙われるじゃない!」

 

当然だ。動けない僕1人が放置されれば、あの竜だって僕を狙う。回復結晶を使う時間なぞ、与えてくれようはずがない。

普通のボスならば優子やリズがヘイト管理をすることで僕から攻撃を逸らさられるだろう。だが、ゾディアック・ドラゴンは明らかにヘイトに左右されていない。攻撃すれば自分が最も有利になる対象を的確に攻撃しているのだ。まさか、敵に高度な知能があることがこんなにも厳しい戦いを招くなんて。

既に万策尽きている。もはや誰かが犠牲にならねば解決しない段階となった。

だったら僕が生贄になるべきだ。だってどうしても思ってしまう。僕は優子に死んで欲しくないんだって。

優子の横顔には絶望を感じ取りながらも、可能性を模索する覚悟があった。彼女はこの状況下でも目を背けていないんだ。立ち向かおうとしている。冷静なところではもうどうにもならないと分かっているのに、それでも。

彼女は必要な人間だ。このゲームをクリアするのに、優子の頭脳は、行動力は、そして心は必ずや希望を照らす光となる。

けれど、僕が彼女のために命を投げ出しても良いと思ってるのは、そんな無機質な理由じゃない。

僕は優子が好きなんだ。

僕はバカで鈍感だけど、ここまで来たら気付かないわけがない。さっきだって何も考えず優子のために命を賭けた。今は考えた末に命を賭けてもいいと思ってる。

それがなんでかって言われたら、自己犠牲なんかじゃない。好きだから。それだけで良いと思えるんだ。

いつの間に僕はここまで優子に惚れていたんだろう。恥ずかしながら自分でも良く分からない。

きっと、きっかけは幾つもあったのだろう。いやむしろ、かっかけなんて要らなかったのかもしれない。ただ彼女と一緒に時を重ねた。こんなにも魅力的な女の子と。それだけで、好きになる要素なんて星の数ほど散りばめられる。

僕を運ぶために優子の両手が塞がったままだと、迎撃もアイテム使用もできやしない。それだけで危険性はグッと上がる。だったらリズを助けて、自由な身体で逃げるべきだ。3人共倒れより2人助かる方が良いに決まってる。

うん。だったら僕は────

 

「優子。僕を置いてリズを助けて」

 

優子の真剣な眼差しが、明確にイラつきへと変わった。直後、一気呵成に捲したてる。

 

「このバカ! そんなことできるわけないでしょ!? リズも助けてアンタも助けるわよ!」

「どうやって?」

 

僕の問いに優子はおし黙る。聡明な優子にも分かってるはずだ。僕が回復するよりも早く、それこそ赤子の手を捻るより簡単に悪竜は僕を殺せるということが。もう少し力を加えられれば、リズは堪らず押しつぶされるだろう。ならば、僕も回復してリズを助けに行ったら? それこそ無理だ。アイテムストレージを探る動作を見せれば最後、あの竜は必ず僕に照準を合わせる。そうなれば優子すらも巻き込んでしまう。最悪のシナリオだ。

 

「だから、僕を────」

「絶対に嫌! アンタを見殺しにしたら、アタシはこれからどんな────」

 

優子の言葉が途切れた。

何もかもを忘れて、頭上を征く巨影に僕と優子の目は奪われた。

ゾディアック・ドラゴンだ。リズを押し潰さんとする悪竜と、天を駆る飛竜は寸分違わず同じモノ。

ならばそれらは分身か? 否。

ならば奴は敵の増援か? 否。

そのどちらでもない事は、飛翔する竜の背に乗る少年が証明している。

 

「遅くなってごめん! ライト兄ちゃん! リズ姉ちゃん! 優子姉ちゃん!」

「グルアアァァアァ────ッッ!!!」

 

その姿はまさしく竜騎士(ドラゴンナイト)。この浮遊城にも存在しない、伝説の英雄そのものだった。

 

「カストル! ポルクス!」

 

花火のような笑顔の優子。カストルはそんな優子に親指を立てて見せた。

ポルクスの竜鱗に、陽光が差し込み煌めきを残す。息を飲むほどに美しい飛竜は、自分の現し身たる悪竜へと敵意を向ける。

 

『来たか……。良いぞ。貴様らには仇を打つ権利がある。恐れずしてかかって来るがいい! 父の後を追わせてやる!』

 

笑みを絶やさずに言い切ると、リズを無視してゾディアック・ドラゴンは飛び立った。

一対の竜が対峙する。

神話の再演にも見える光景に、僕は思わず声を張り上げた。

 

「勝てよ! カストル! ポルクス!」

 

そんな僕に視線も向けず声もかけず、1人と1匹は口角を上げて見せた。今更ながらあの2人は双子なんだな、などと感慨を覚える。

晴れ渡る青空に、2つの偉容が火花を散らす。仕掛けたのはカストルとポルクスだ。突進の速度は音にも迫る。巻き立てる風は辺りを揺らし、草花は絢爛に舞う。

激突。

衝撃の余波で体力が少し削れた。あれ? 僕まだ回復してないじゃないか! あぶなっ! ストレージから回復結晶を取り出そう……として回復ポーションを取り出した。ケチってしまった。本当、ポーチごと結晶アイテムなくなったのは財布に痛いなあ……。

って、こんなどうでも良い思考は置いといて!

ポーションを呷ってからすぐに視線を上空へ向ける。飛竜達の攻防は苛烈を極めた。雷鳴と見紛う速度と姿でぶつかり合う。その激闘の中で異色を放つ存在が1つ。カストルはポルクスの背から飛び出しては、果敢に敵へと斬りかかる。大抵が避けられて落ちていくのだが、それを見越したかのようにポルクスはカストルを拾い上げる。調和の取れたコンビネーションは見ていて気持ちが良いくらいだ。

対するゾディアック・ドラゴンは、なぜか口元に笑みを絶やさない。復讐者たる双子と戦うことがそんなに楽しいのか。それとも何か他に理由があるのか。どうも忖度しかねるが、少なくともそれで手を緩めるということは一切無い。大空を闊歩する似た者同士は、臆することなく殺し合いを演じている。

巨軀の擦過で雷鳴の如き火花が散る。

唐突に二頭のドラゴンの動きが止まる。全く同じ動作で竜たちは首をしならせ、口を天に向ける。数秒の溜めからほぼ同時に顔を落とし、放たれたのは絶大なる火力。竜の吐息(ドラゴンブレス)に相違ない。

中空で激突する炎と炎。陽炎が揺らめき、辺りは灼熱に包まれる。轟音は空にまで響いただろう。その闘いには人が入る余地など無い。そんな愚行を犯せば、意味も無く消し炭と果てるのみ。そのはずだった。

 

「うおりゃあぁぁ──ッ!」

 

ボルクスの背中を滑走路にして飛び出したのはうら若き竜騎士、カストルだ。そのまま炎が鬩ぎ合う地点も飛び越えて、一直線に仇敵の頭へと突っ込んで行く。

カストルの特攻に反応したゾディアック・ドラゴンは、ブレスを一旦切り上げて退避する。すぐにボルクスの火炎放射が竜の身体にまで達し、幾ばくかのダメージを与えた。だがその量は微々たるものだ。ドラゴンもカストルの剣を受けるよりそちらの方が傷が少ないと判断しての撤退だろう。空振りしたカストルをボルクスが優しく受け止める。

双子がそのコンビネーションで着実に優勢を保っている。だが、それで終わるほど簡単な相手ではない。退避したドラゴンは、カストルを拾いにいったポルクスのちょうど真上に位置していた。天空竜が繰り出したのは急転直下の体当たり。横からの体当たりとなるとボルクスも応戦して返したのだが、上からとなると話は別だ。なぜならカストルに直撃する。苦虫を噛み潰したような顔で、ポルクスは体当たりを回避した。反撃とばかりに竜と化した弟の口からブレスが放たれる。それより一瞬早く、黄道の竜はあの黄色い粉末を放出していた。まるでポルクスの行動は全て見通していたかのような悪辣な罠だ。ポルクスの出した火炎は口先から間もなく誤爆し、双子たちが爆炎に焦がされる。

 

「カストル! ポルクス!」

 

優子が痛いほどの叫びを上げる。その目尻には光る物が浮かんでいた。リズは伏せ目になりながら、口元を結んでいる。

だったら、僕は────

 

「がんばれ、2人とも!」

 

優子とリズがハッと顔を上げて僕を見る。

応援くらいしか、僕にできることは無いと思った。少しでもカストルとポルクスのためになるならと声をあげた。その気持ちが伝わったのかは分からないけど、リズが続けて声を張り上げた。

 

「こんなところで負けるんじゃないわよ! さっさとそんなやつぶちのめしちゃいなさい!」

 

リズらしい、背中に張り手をかますような応援だ。

優子はというと、目元に浮かんだ涙を袖で拭って浮かばせたのは最高の笑顔だった。仰け反りながらすっと息を吸い込む。そして、今まで聞いたことも無いような声量で優子は叫んだ。

 

「生きて!」

 

たったそれだけの短い言葉。応援でものんでもない。けれどその一言に万感が込められていることは誰であろうと分かること。あとはこの闘いの趨勢を見守るだけだと、僕ら3人は双子の兄弟を見据えた。

立ち込めていた白煙が緩やかに晴れていくと、中から現れたのは痛々しい1人と1匹の姿だった。部位は欠損し、服は破れ、鱗はこそげ、翼は引き裂かれ、むしろ飛べているのが不思議なくらいだ。

なのに諦めていない。兄弟の双眸に宿るのは純粋な闘志。口元には不敵な笑み。復讐は既に過去の物となった。竜騎士の双子を突き動かすのは父を超えるという戦士としての欲望だ。

 

「うっし! こっから反撃だ! いくぜポルクス!」

「グルゥッ!」

 

ボロボロの身体で怨敵の元へと急行する。牙と牙が、牙と剣がしのぎを削る。交わり、距離を取り、また刃を交わしながら竜たちは舞うように上空へと飛翔する。

何度目ともつかぬ打ち合いの中、カストルのふるう剣筋が青い極光を放ち出した。片手剣は水平に加速する。一撃目は竜の額に命中する。堪らずドラゴンが身を引くと、続く2撃目は鋭利な顎に吸い込まれるように叩き込まれた。更に踏み込んだ3撃目は喉に、渾身の4撃目は胸を深々と穿つ。

 

「あっ……」

 

カストルの剣技を見届けた優子は声を漏らし、嗚咽を隠すように口を覆った。

それは片手剣水平4連撃技「ホリゾンタル・スクエア』。優子が初めてカストルに教えたソードスキルだ。自分の教えを覚えていて、それを大一番で使ってくれた。優子の心がどれほど打たれているのかは計り知れない。

再び視線を真上に戻すと、毎度のようにポルクスがカストルの着地点をつくるために移動していた。

いける! このままならきっと押し切れ─────

 

────がぶり。

 

「やめて……お願いやめて!」

 

優子が声を荒げる。

僕は呆然として声を失った。きっとリズもそうなのだろう。

鬼の角のような荒々しい牙が、カストルの横腹に食い込んでいる。カストルが苦悶に顔を歪ませた。

 

「グゥルルッッ!!」

 

兄が危機に陥ったと気づいたポルクスが、離れた場所から威嚇する。近づけばカストルが咬みちぎられるであろうことは誰の目からも明らかだ。兄を思うあまりにポルクスは兄を救えない。もどかしそうにポルクスはゾディアック・ドラゴンを睥睨する。

戦場がはるか頭上であるために、僕たちにも手出しできる方法は無い。一体どうすれば……。

こちらの気も知らず、当のカストルはニヤリと笑った。

 

「ポルクス! こいつに攻撃しろ!」

 

空気が凍る。ボルクスに至っては何を言っているのか分からない、という顔だ。

他の誰でも無いカストル自身から命令されたのだ。俺を殺せ、と。自分の命が惜しく無いとも取れる言葉に、ゾディアック・ドラゴンさえも困惑を見せた。

 

『何を言っている! もう一度口を開けば咬み殺すぞ!』

「はん! じゃあ何度だって言ってやるよ! 今なら止めを刺せる! ボルクス! ゾディアック・ドラゴンを殺せ!」

 

呼びかけられたポルクスに、もう迷いは無かった。光る眼光はただドラゴンの首だけに狙いを定め、突進した。巨体は音を超える速度で突き進む。

対するゾディアック・ドラゴンはさらにカストルへと顎を食い込ませた。早くカストルに止めを刺してポルクスに応戦する算段なのだろう。だが、遅い。

 

「グルアァ────ッ!」

 

ポルクスが咆哮と共に大きく口を開く。狙うは一点、急所のみ。

弟の勇姿を見たカストルは、苦悶の中に笑顔を見せる。それはきっと、ポルクスを安心させるためでもあるのだろう。俺は大丈夫だ。早く決着をつけようぜ。そんな声が聞こえてくる。

兄を食らう魔竜へと近接したポルクスは、その頭を手で弾いた。本来ならばドラゴンも即座にポルクスへと嚙みつき返したのだろう。だが今はその牙がカストルを噛み砕くことに使われている。その一瞬が生死を分けた。

限界まで開かれたポルクスの口が、仇敵の首級へと肉薄する。そして、牙は突き立てられた。

それと同時に、カストルは横腹から身体の中心にかけてを咬みちぎられた。支えるものが無くなったカストルは当然の如く落下する。

しかし、ポルクスはそれに見向きもしなかった。そんな後悔は置いてきた。ポルクスの覚悟は、兄に託された使命は、兄の命すら顧みてはいけないものだと。

優子はすぐにカストルが落下していく場所へと走り出した。

僕は、もう少しだけポルクスの闘いを見届けようと思う。

 

『くっ……この! 離せ! 痴れ者めが!』

 

知性ある竜は痛みと死の恐怖に身体をよじらせる。死に抗うドラゴンの猛りは、それだけで作為的な嵐のようだった。

だがポルクスは離さない。離してなるものかと顎の力を一層強める。

暴れるゾディアック・ドラゴンによってポルクスの身体には刻一刻と傷が増えていく。既に死に体。全身の傷は100を数える満身創痍。むしろあの様子で何故生きているのか疑問なくらいだ。

それでも食らいつくポルクスはどこまでも泥臭く、それ故に英雄だった。

そして────

 

『がっ……は……』

 

ゾディアック・ドラゴンの首は咬みちぎられ、頭と胴体が分断された。

あまりにも膨大な情報が解放されたせいか、竜の身体にノイズが走る。数秒のラグの後、

バリィィイイィィン。

壮大な破砕音を立てながら、ゾディアック・ドラゴンは無数の破片へと砕け散った。

 

「終った……のか」

「終ったね」

 

ぼんやりと口から出た言葉に、リズが答えた。そこから殆ど間を置かず、僕たちはハッとなって走り出した。落ちたカストルはどうなったのか。

 

 

「カストル……!」

 

カストルが落ち始めた瞬間に、アタシは突き動かされるように駆け出していた。

死んで欲しくなかった。一緒に暮らして、剣を教えて、いろんな言い合いをしたり頼ってくれたり。カストルといるのが楽しかった。カストルが強くなっていってくれるのが嬉しかったし、この子はアタシが鍛えたんだそって誇らしくなった。

カストルを、失いたくなかった。

秀吉はアタシを頼ることなんてあんまり無くって、兄弟ではあるけど弟って感覚が少なかったんだ。だから、アタシにとってカストルは年の離れた弟みたいで、それは初めての感覚だった。

もっともっといっぱい教えてあげて、時には守ってあげて。それできっと、いつかはアタシを守ってくれるのかも、なんて。

全力で走っているのに、自分の動きがとても緩慢な気がする。泥の中でもがいている錯覚さえ覚える。懸命に前へ進もうとしてるのに、カストルに追いつける気配が訪れない。

なんで。カストル。なんで。

もう少しなのに。この腕で彼を受け止めてあげられたなら、まだ助かるかもしれないのに。

いや、そんなことはあり得ない。分かってる。カストルは致命傷を受けた。回復なんてしても意味は無い。それでも……。

ああ、落ちていく。小さな身体が地面に近づいていく。アタシじゃ、間に合わないのかな。

あとたった数歩。それだけが無限に遠くって。

落ちるカストルと目が合った。笑ってた。どんな気持ちなんだろう。嬉しいの? から元気? それとも……

 

「ありがとう」

 

小さな口が言の葉を紡ぐ。

地面に着いた刹那、カストルは────

 

「あっ……ああ────」

 

カストル────!

 

 

 

 

 

アインクラッド第4層。

数日ぶりに僕と優子はこの街に戻ってきた。水の都。水路の迷宮。

優子の機嫌を直そうとしてデートに連れ出した。デートの途中でアルゴから依頼を受けて街に戻った。

そこで、僕らは初めてカストルと出会ったんだ。

真冬の風は吐く息すら凍らせるようなのに、なぜか今はそれが気持ちよかった。

船着場に停めていた小型船に優子と2人で乗り組む。会話は無かった。他には誰もいない水上で、静けさの中思案にふける。

思い出すのは数時間前のこと。ゾディアック・ドラゴン、そしてカストルが消えてから、ポルクスはボロボロの翼に鞭打って浮遊城の外へと飛んで行ってしまった。彼がどこへ行くのかは分からない。僕らに彼を止める権利も無い。

無機質な効果音が響いて、ポップアップウィンドウが表示された。祝福の文言とクエスト達成報酬が記されていた。

多額のコルとレアアイテム、そしてMVPと判定された優子には追加アイテムが与えられた。

インゴットアイテム『鏡合わせの星屑』。深い藍色に宝石のような輝きを散りばめた、美しいインゴットだった。

呆然とした優子の手を引いて、全壊した双子の生家を後にした。僕らはリズの家兼仕事場へと招かれた。

 

『優子のインゴット、あたしに鍛えさせて! 絶対、絶対に最高の剣にしてみせるから!』

 

決意のこめたリズの言葉にも優子はさして反応を見せず、ただこくりと頷くだけだった。

優子から素材受け取ると、リズは真剣な面持ちで槌を構えた。そして、振り下ろした。

カン、カン、カン。

小気味良いテンポで甲高い音が響く。打ち鳴らされる度に、音が心にのしかかるようだった。

何度目かとも分からない槌音がしたとき、『鏡合わせの星屑』の形状が変化した。片手剣だ。刀身は細くレイピアと見紛うほど。色は元々のインゴットと同じ深い藍色。一見すれば寒々しい印象のあるのに、眺めているとどこか暖かみがあるような不思議な剣だった。

 

『名は……』

 

リズがハッと息を呑んだ。

 

『どうしたの? 名前は?』

 

問いかけると、リズは何か決心したように顔を上げて言った。

 

『スター・キャスター、ううん。違うね。スター・カストル。それがこの剣の名前だよ』

 

その名を聞くと、幽鬼のようだった優子がリズに駆け寄った。リズから剣を手渡されると、取り憑かれたようにウィンドウを開く。

開かれた窓を見ると、英語の綴りが示されていた。

『Star・Castor』

無味乾燥だった優子の目に光るものが溢れ出した。それはとめどなく流れ出て、刀身へと落ちて弾ける。

剣を抱きながらその場にへたり込むと、優子は声を上げて泣き出した。

 

 

 

優子が落ち着いてからデートに誘い、そして今に至る。送り出すときのリズは寂寥と心配をごった煮した表情で手を振っていた。

思考を回想から戻すと目的地が見えた。第4層の最端にある離れ小島。このクエストが始まる前に僕と優子が再訪を約束した場所だ。

 

「着いたよ、優子」

「うん」

 

素っ気ない返事だ。

構わずに僕は優子を両手で抱き上げた。いわゆるお姫様だっこだ。そのまま神耀を発動して小島に飛び移る。

 

「ちょっと寝転ぼ?」

「うん」

 

2人で並んで夜空を見上げる。

僕らの正面にはくっきりと星座が浮かんでいた。双子座だ。

ギリシャ神話の双子の英雄、カストルとポルクスを描いた星の軌跡。

そのとき、夜空を駆ける光があった。

 

「あ……流れ星」

 

優子が呟く。

少しだけ注釈を加える。

 

「うん。今日が1番よく見えるらしいよ」

「よく見えるって何が?」

 

また流星が降った。

 

「あ、また……」

 

優子が言い切らないうちに、3つ目、4つ目の星屑が落ちていく。その数は段々と増えていき、すぐに満天が流星で覆われた。

 

「これって……」

「双子座流星群だよ」

 

いつしか、優子の頬を一筋の涙が伝っていた。

空を満たすのは無数の流星雨。

それは一瞬の生を走り抜ける、命の調べのようで────。



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第七十八話「幕間──2022年12月9日」

今回はめちゃくちゃ短いです。
導入だけお話しなので。主要人物も登場しないので幕間とさせていただきました。


少年は森を逍遥していた。

身長は高くなく、身体も細身だ。優しさと怯えを同居させた瞳は、どこかぼんやりと辺りを見ている。

彼の名は高城隼也。この浮遊城アインクラッドでの名をファルコンという。

このデスゲームが始まって1カ月と少しが経った。戦果としては第1層が攻略されたばかりだ。まだまだ先は長いが、最近の雰囲気を見てるとわりとトントンと攻略されてしまうんじゃ、と思わなくもなかった。

ファルコンには外に出たいという気持ちが希薄だった。理由は簡単だ。現実世界で虐められている。現在は小学5年生になるが、虐めが始まったのは3年生のころからだったろうか。

3年生のとき、同じクラスに転校してきた吃音症の少女がいた。少女への虐めがすぐに始まり、それを庇ったファルコンも虐められた。間もなく少女は転校し、ファルコンに対する虐めだけが残された。ファルコンが誰ともパーティを組まないのは、その虐めを引きずっているせいだ。それからファルコンはゲームに没頭し始めた。学校に行かない日も増えていった。その中で恐怖や罪悪感を紛らわすのに、ゲームは最も都合が良かった。両親は虐められ塞ぎ込んでいることを知っているからこそ、ゲームに口出しはしてこなかった。そして世界初のVRMMORPGに手を出して……。

嫌な思い出を想起した頭をブンブンと振って、ファルコンは夜道を歩き続けた。今はレベリングの真っ最中だ。出だしは遅れたものの、すぐに攻略集団に追いついてみせる。

意気込みを新たに歩を進めたときだった。

 

「……ぁ……ぅ」

 

微かな呻き声がファルコンの耳朶を打った。何を言っているかは分からなかったが、恐らく自分より幼い少女の声だということは分かった。

深夜に森の奥深くでそんなに小さな子が?

ファルコンの中で警鐘が響く。少女に近づくな、という虐められっ子精神の喚起する恐れ。それを勇気でねじ伏せる。何はともあれ助けなきゃ! 小刻みに震える足を叩いて声の元へ走った。

そこにいたのは、白いワンピースを着た、絹のような黒髪の少女だった。

 

「君、大丈夫?」

「ぅ…………」

 

吃音症、だろうか?

思い出すのは彼女だ。隼也が庇い、虐めの原因となってしまった少女。

嫌だ。嫌だ。嫌だ。

関わっちゃいけない。また仲間ハズレになるぞ。靴が盗まれるぞ。教科書が破り棄てられるぞ。

 

「君の名前は?」

 

恐れていた心をおき去って、口から言葉が飛び出していた。ファルコン自身は気づいていないが、それは一目惚れだったのだ。

 

「ゆ……い。ゆい。それが……なまえ……」

「ユイちゃんか。可愛い名前だね。僕はファルコン。よろしくね」

「ふぁう……こん?」

「うん。そうだよ。それで、ユイちゃんはここで何してたの?」

「わかん……ない。なんにもわかんない……」

「そっか……」

 

記憶喪失だろうか。デスゲームに囚われたショックで記憶に蓋をしてしまったとか? そんなことを考えてながら、ファルコンはユイの手を握って言った。

 

「じゃあ、一緒に街へ戻ろう? それで何か思い出したら言ってよ。僕にできることなら手伝うからさ」

「うん……」

 

ユイは素直にこくりと頷く。少女の手を包むと、その想像以上の小ささに驚いた。少し強く握る。ファルコンの中で何かのスイッチが切り替わった。




新しいお話しは、次回から本格的に始まります。今回にも登場してますがユイちゃんのお話しですね。
あまり期間を空けないで投稿できるように頑張ります!


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第七十九話「2人の関係」

わりと良い感じの投稿ペースなのでは??(自画自賛)
やはり雰囲気が軽い回の方が書きやすいですね! そんな感じで七十九話、どうぞ!


アインクラッド第1層の主街区で、僕とキリトは真剣な面持ちで向かい合っていた。

 

「あのさキリト。もう一回聞いていい? 僕らはなんで呼ばれたのかな?」

「だってライト、お前1番暇だろ?」

「暇じゃないよ!?」

 

わりと長い間最前線を離れてたから、寝る間も惜しんでレベリングしてるというのに。冗談めかした目線でキリトを睨みながら、まず聞くべきことを聞いた。

 

「で、用って何?」

「それがさ、この子のことなんだけど……」

 

そう言ったキリトの背後から現れたのは、まだ幼女と呼ぶべき歳の女の子だった。なんでキリトがこんな小さい女の子と? どう考えたって答えは1つだ。

 

「誘拐……かな?」

「違う違う違う! なんて人聞きの悪い!」

「否定するところがますます怪しいな。どんな口車で誘拐したんだよ?」

「ちーがーう!」

 

男2人で軽口を叩きあっていると、栗色の髪をした細剣使いの美少女、アスナが僕とキリトの間に少し飛び跳ねて割って入った。

 

「もー、2人ともイチャイチャしないの。ホント仲良いんだから」

「「イチャッ!?」」

 

2人で同時にアスナに振り向いてハモった。それに気づいてまた2人同時に睨み合う。

 

「美少女に目もくれず2人の世界で見つめ合う男同士の禁断の友情ですねっ! わかりますっ!」

「アレックスは何もわからなくていいから!」

 

ホモホモしい言葉をかけてくるのは同じギルドのメンバーでメイサーのアレックスだ。日本人離れした端正な顔立ちに艶やかな黒髪、そしてバストはDカップ。黙っていれば美人という言葉がここまで似合う子はそういない。

僕がキリトに呼び出されたとき、たまたま一緒にレベリングしてたアレックスが「じゃあ私も行きますっ!」と言い出して現在に至る。

 

「それで、その子がどうしたんです? 」

「それがね、私たちのマイホームあるじゃない?」

 

アスナが言うマイホームとは、僕らサーヴァンツのギルドホームではなく、アスナとキリトの愛の巣だ。この2人、目を離した隙にいつの間にかできあがってたのである。

正直、殺したいほど妬ましいがこの際置いておいて、僕とアレックスはアスナの言葉に首肯して先を促した。

 

「そこで散歩してたときのことなんだけど……」

「俺がアスナを肩車してな」

「ちょっとキリト君!?」

 

いつも冷静なアスナが珍しく顔を朱に染めて、剣幕な様子でキリトにつめよっている。当のキリトはニヤニヤした流し目で僕を見てくる。野郎、ぶっ殺してやる!

あれ? よく見るとキリトのほおも少しだけ紅潮している。こいつ! 自分が恥ずかしいのを我慢してまで僕に自慢しやがったのか!

 

「もう! 今度そういうことみんなの前で言ったらご飯作ってあげないからね!」

 

あのアスナさん。それも充分ノロケです。

 

「はは、ごめんごめん! あとでグラトニーカフェのアインクラッドパフェ奢るからさ」

「え? ほんと!? ありが……って奢るもなにももう共通資産じゃない!」

「あっはははは!」

 

なんだこの夫婦漫才。

 

「なんでしょうねこの夫婦漫才」

「珍しく意見が一致したね」

「せっかくなんで私たちも夫婦漫才しますかっ!?」

「ちくしょう! 全く一致してないじゃないか!」

 

アレックスはそろそろ僕をからかうのをいい加減にして欲しい。

じと目でキリトアスナ夫妻を眺めていると、やっとこちらの視線に気づいたのか恥ずかしそうに夫婦揃ってむきなおった。

 

「……こほん! あ、そうだ! まずこの子の名前だね。ユイちゃんっていうんだ。仲良くしてあげてね」

 

アスナから名前を告げられたユイは、1層恥ずかしそうにキリトの後ろに隠れてしまう。努めて笑顔を崩さずに、僕はユイと同じ目線まで屈んで自己紹介をした。

 

「僕はライト。よろしくねユイちゃん」

「う……」

 

可愛らしくこくりとユイは頷く。

僕に続いてアレックスもユイに声をかけた。

 

「私はアレックスですっ! よろしくお願いしますねっ!」

 

アレックスの自己紹介に、ユイは反応らしい反応を見せない。なぜかじっと不思議そうにアレックスを見つめ続けている。

目を合わしているアレックスも居た堪れなくなってきたのか視線を外した。その瞬間。

 

「う……ぐ……ひっく……」

 

ユイがポロポロと大粒の涙を零しはじめた。

珍しくアレックスが本気の狼狽を見せる。

 

「えっ……ユイちゃん!? どうしたんですか? 何か気に触ることでも……」

「ふえええん!」

 

アレックスがユイに触れようと近づいた途端、ユイの鳴き声は一層大きくなった。

 

「ど、どうしましょうライトさんっ!?」

「どうしましょうって……そうだな。じゃあ一旦ユイちゃんから離れとこ?」

「そ、そんな! 私ユイちゃんに何もしてませんよぅ!」

「そうだよね……本当なんでだろ……」

 

素直にアレックスが退がると、ユイも嗚咽は残しながらも少しづつ穏やかになっていった。アレックスの何が不服だったのだろう。

その様子を心配そうに見ていたアスナは、アレックスを労うように言葉をかけた。

 

「ごめんね! ほ、ほら! 人って相性とかあるから……」

「大丈夫です。気にしてませんから……」

 

アレックスは横目になって口を曲げて、いつもより数段階低いトーンでごもるようにそう言った。

アレックス。それは気にしてる顔だよ。

アスナは胸の前で手を合わせながら笑顔を繕う。

 

「じゃ、じゃあ、話を戻すね! それでね、散歩の途中にユイちゃんを見つけたの。見たところどうにも記憶喪失らしくって。第1層に身寄りの無い子を預かる教会があるらしいからそこをあたってみたんだけど、やっぱりダメで……」

 

そこで途切れたアスナの言葉を、さすがのコンビネーションでキリトが引き継いで語り始めた。

 

「で、こっからはユイに関係の無い話なんだが、ある情報をこの1層に来て小耳に挟んだんだ」

「ある情報って?」

 

反射的に聞き返す。ここまで穏やかな雰囲気を醸していたキリトが剣呑な表情に切り替わる。それが伝播してこちらまで身体を強張らせてしまう。

キリトは僕とアレックスに寄って最低音量で囁いた。

 

「…………PoHが脱獄したらしい」

「だ……」

「バカ! 声が大きい!」

 

咄嗟に上げそうになった言葉をキリトに口ごと塞がれる。どうにか気持ちを落ち着けて、まず生まれた疑問を口にした。

 

「アインクラッドで脱獄って……そんなことできるの?」

「不可能……のはずだ」

 

そう。そのはずなのだ。

アインクラッドの第1層に存在する黒鉄宮は、絶対者たるカーディナルシステムによって作られた不落の監獄だ。脱獄なんてそれこそシステムに介入できるような人間しか……。

 

「まさか……茅場晶彦が?」

 

真っ先に僕の中で立ち上がったのはその人物だった。この世界の創造主たる男なら、プレイヤーの脱獄など指先1つで叶えられる。

しばしキリトは考え込でいる。サーヴァンツの副リーダーたるキリトは、その職務に参謀的な要素も含んでいる。ユウが大まかな方針を立ててみんなを引っ張っていく大黒柱なら、キリトはユウでは足りない技術や細かい作戦を考案する女房役だ。

思考が纏まったらしいキリトは僕とアレックスを交互に見ながら言った。

 

「たぶんそれは無いと思う。ある意味で俺は茅場を信頼してるんだけど、奴はプレイヤーに対してとことんフェアだ。だれか1人を助けるために管理者権限を使うなんていうのは、茅場の性格上ありえない気がする」

 

キリトは自分にも言い聞かせるように最後に一回頷いた。

すっかり元気を取り戻したアレックスは、ほおに人差し指を当てながら意外な発想を口にした。

 

「じゃあPoHさんが茅場さんだったりして」

 

僕ら3人はしばし絶句した。茅場晶彦本人がこのゲームにログインしているという発想が、頭から丸々抜け落ちていたのだ。

よく考えればその可能性は相当に高いんじゃないか? 己の人生をかけてこのゲームを作ったんだから、じゃあ自分もプレイしたいとなるはずだ。なんでこんな簡単なことに今の今まで思い至らなかったんだろう。

そうなるとPoHは脱獄したのではなくログアウトしたんじゃないか? PoH=茅場晶彦という仮説が正しいならその可能性は高い。

脳みそを回転させてそこまで考えたところでキリトからツッコミが入った。

 

「ちょっと待ってくれ。もし仮にPoHが茅場だったとしてそんな怪しまれるような真似をするか?」

「怪しむも何も、PoHがログアウトしていたならこちらからは手出しできないんだから茅場としては全く問題無いんじゃない?」

 

さすがの聡明さでアスナは反論する。その論理に穴は無いように思えるが、キリトはそれでも納得できないようだった。

 

「んー……そうなんだけどな。何か引っかかるんだよ。うまく言えないんだけど、この行動は茅場の美学と反するような……」

 

キリトの言は茫漠としていて僕には意味が掴めず質問してしまう。

 

「どういうこと?」

「いや深い意味は無いんだ。ただの勘だからあんまりアテにしないでくれ」

「でも、こういうときのキリト君の勘って大体当たるんだよね」

 

キリトを覗き込むように前屈みになると、アスナは笑顔で夫自慢をしだした。

 

「そ、そうか? あんまり皆んなの思考を狭めたくないし、これ以上はよしておくよ」

 

嫁の信頼にキリトは動揺と照れを一緒くたに見せる。いちいち僕のフラストレーションを溜めてくるな、この2人。

微妙な空気を感じ取ったのか、キリトはパンパンと手を叩いて仕切り直した。

 

「じゃあ、今日はもう遅いからみんなで晩飯でも食べに行こうぜ」

 

みれば斜陽がはじまりの街の瀟洒な街並みを茜色に染めている。ちょうど空腹感も大きくなってきたところなので、キリトの言葉に快く頷いた。

晩餐の場所に選んだのは中央広場から少し路地裏に入った隠れ家カフェだ。名前は『クレスプ』。揚げ物が美味しい知る人ぞ知る名店で、週末にはそれなりに混むのだが今夜は5割ほど席が埋まっているくらいだった。

しかし、このアインクラッドでもプレイヤー達に曜日の感覚は残ってるんだなあ、なんて些細な感慨に耽る。きっとそれもプレイヤー達の自己防衛なのだろう。現実から、離れ過ぎないための。

 

「さて、何食べましょっか?」

 

アレックスのはつらつな声で思考が現実に引き戻される。アレックスが僕に見えるようにメニューを開いてくれたので目を通す。

さて、何にしようか────

 

「なんじゃこりゃ……」

 

怪訝なツッコミが口から漏れる。

『シェフの気まぐれサラダ(肉)』

謎だ。一文で矛盾している。サラダってなんだよ。ちょっと気まぐれ過ぎるだろ。サラダ欄と分けられて本日のオススメに書かれているものだから否が応でも目に入る。なんだこれは。頼めば良いのか?

 

「気になりますねコレっ! 頼んでみます?」

「そだね。折角だし頼んでみよっか」

 

あまり気は乗らないけどアレックスが楽しみみたいだし、頼んで損はないだろう。

テーブルの向かいでは同じようにキリトとアスナ、そしてユイがメニューを眺めていた。メニューをユイに見せながらアスナは問いかけた。

 

「ね、ユイちゃんは何が食べたい?」

「んー……」

 

難しそうな顔でユイは考え込むと、パッと顔をあげて

 

「ままのサンドイッチ!」

 

と言った。

まま? ああ、現実のお母さんのことかな? そっか。やっぱりユイちゃんも寂しいのか……。

 

「こ、ここはお店なんだから、お店のもの頼もう? ね?」

 

慌てふためいたアスナが口早にまくしたてる。何をそんなに焦っているんだろう?

対照的にキリトは和やかな様子でユイを諭す。

 

「そうだぞーユイ。帰ったらいくらでも食べられるんだから、今はお店のものを食べような?」

 

ん? 帰ったらいくらでも食べられる? なんだか違和感。

ちょっとユイちゃんに聞いてみよう。

 

「ね、ユイちゃん。ママって誰?」

 

ユイは黙ってアスナを指す。

 

「じゃあパパは?」

 

ユイは黙ってキリトを指す。

…………ああ、なるほど。

 

「貴様キリト! しっぽりよろしくやってやがったな!! 2人の愛の結晶なんだろ! そうなんだろ!」

「いや、アインクラッドにそんな機能ないから!!」

「なぜ断言できる!?」

「そりゃ実際してもできてな……」

 

やっちまったというキリトの表情。

最高禁忌を犯した者の存在を確認。速やかに刑を執行する。そんな文言が僕の口を出るより疾く、超高速の貫手が眼前で繰り出された。

 

「キリト君のバカーーー!」

 

茹で上がった顔をして、アスナは犯罪防止コードすら貫くのではないかと思えるほどの一撃を放った。

 

「ぐほあっ!?」

 

ダメージは通らずとも衝撃は圏内でも通る。貫手をモロに受けてキリトは3メートルほど吹き飛んだ。

超展開を飲み込めずに口が開いたままになる。隣のアレックスも同じような表情だ。

キリトをぶっ飛ばした閃光のアスナ様が、今まで見たことも無いような笑顔で僕らを見つめる。何も喋らないのが余計に怖い。

だめだ。ここで間違った選択肢を取れば僕らもキリトの二の舞、いやむしろ圏外に麻痺付きで捨てられるまである。

アレックスとアイコンタクトで頷きあう。

 

「「我らは誓ってここ数分間の記憶を思い出すことは有りません!」」

「よろしい、今日はもう帰りなさい。私はすべきことがあるので」

「「イエスマム! お疲れ様でした!」」

 

僕らにほんのり頷くと、アスナは倒れ伏すキリトへと向かっていく。

僕とアレックスはそそくさと席を立って出口を目指した。

 

『失礼致します! シェフの気まぐれサラダ(肉)でございます』

 

NPC店員の爽やかな声が謎料理の到来を告げる。

ベチャァッ!

あれ? 届いた瞬間に何かに使われたような?

 

「ちょっと待ってアスナ! そんなところに肉は入らな────」

「…………」

 

背後で何が行われているのかは、あまりに恐ろしくて確認することなどできなかった。

グッドラックキリト。また明日、元気な君と会えることを願っているよ。

結局アレックスと2人で夕飯を食べ、適当な宿に入って眠ることにした。

 

「……って、なんでアレックスが同じ部屋にいるんだよ!?」

「何でって、それは一部屋しか取ってないからですねっ!」

「いや、それは分かる。問題はなんで一部屋しか取ってないんだってところなんだよ」

 

受付で『じゃあ2人分の部屋取っておきますねっ!』なんてアレックスの口車に乗ってしまった僕がバカだったということか。

 

「ごめんアレックス。部屋を取り直してくるよ」

「え? なんでです? 別に問題無くないですか?」

「そうなんだけどさあ……」

 

あれ、ほんとに? わりと問題じゃない?

 

「さ、今日もなんだかんだ疲れましたし寝ましょ!」

「う、うん」

 

結局言いくるめられてしまった。

けどこんな感じで押されっぱなしじゃダメだよね。僕は優子が好きなんだって自覚してしまったんだから。

ベットに寝転んでさらに思考する。もちろんアレックスも好きだ。けどそれは友達として。このままアレックスの言葉に乗せられて何も決着を付けずいたら、誰よりアレックスに失礼だ。

 

「じゃあ電気消しますねっ!」

 

生まれた暗闇の中で、アレックスはナチュラルに僕のベットに忍び込んでくる。やっぱりこんなの良くないよね。

意を決して僕の気持ちを切り出そうとした直前、アレックスが僕の背中に手を当てて囁いた。

 

「ね、ライトさん。私たちも子作りします……?」




ふしだらな! お父さんそんな風にアレックスを育てましたごめんなさい。


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第八十話「幕間──2022年12月14日」

今回は難産でした。
前回の幕間同様、文字数は少ないです。


ユイとファルコンが共同生活を始めてから丸5日が経過した。昼間はユイと2人でアイテムの収集や採掘、クエスト消化などを行い、夜はレベリングをするという生活だった。

昼夜問わず動き詰めで睡眠時間は4時間といったところ。仮想世界ゆえに身体の疲れは無いのだが幼い精神は病んでくる。判断力も鈍ってきてそろそろ危ないと思い始めた矢先の今日、突然の安息日が割り込んできた。

攻略組達が第二層フロアボス攻略へと出発したのだ。恐らくは今日の午後あたりに攻略され、転移門が有効化されると踏んだファルコンとユイは、午前中までは寝ることに徹し、午後から転移門の列に並ぶ計画をした。第三層の風景をできるだけ早く見たかったからだ。

転移門広場に行く道中、ユイは鼻歌を奏でながらファルコンに寄り添っていた。出会った頃は吃音気味だったユイはもう自然に喋ることが出来た。なぜ喋れなかったのかとファルコンが問うても、わからないとお茶を濁すばかりだった。

広場に到着した時、まだ誰も転移門に並び出してはいなかった。

 

「やった! 1番のりだ!」

「よかったね、ファルコン!」

 

ぴょんぴょんと飛び跳ねながら2人は門へと駆けていく。その穏やかな光景を周囲の人々も暖かく見守っていた。

2人の後ろに待つ列は徐々に伸びていった。まだかまだかと待ちわびる期待と不安が広場にはち切れそうになる。それを肌で感じ取ったファルコンも少しだけ武者震いしてしまう。

 

「ねえ、ユイ」

 

呼びかけられたユイはファルコンに一歩近づいて、可愛らしく首を傾げる。それだけでファルコンの心臓は飛び出るほどに高鳴った。言葉に詰まる。

綺麗に澄んだ瞳がファルコンを捉えて離さない。ユイと手を繋ぎたいなんて、ささやかに過ぎる願いが過る。

 

「ん?」

 

呼びかけたのに何も言わないファルコンに、ユイは不思議そうに催促した。

ユイが次の言葉を求めている。早く言わなきゃという焦りがユイに夢中になったファルコンを目覚めさせた。慌ててどもりながらもどうにか答える。

 

「ぼ、僕もいつか攻略集団に入る! それでこのゲームをクリアして、絶対にユイを現実に帰させてあげるよ! だから……」

 

その先は音にならなかった。ファルコン自身、何を口にしようとしていたのか分からない。愛を囁くのは難しい、なんてませた考えはまだ持てなかった。動悸が心臓を駆ける。

恥ずかしくて伏せていた顔を反応が楽しみで上げる。そして見えたユイは、少しの憂いを帯びていた。

 

「……そんなことしなくていいよ」

 

その言葉があんまりにも意外で、想いが否定されたようで、ファルコンは胸を押さえて聞き返した。

 

「な、なんで?」

 

ユイは困ったように逡巡する。

空白。

辺りの雑踏が嫌に大きく聞こえてきた。

それが一層ファルコンの気持ちをはやらせる。けれど、重ねて聞いちゃいけないことは幼いファルコンでも理解できた。

空気が軋んでいるみたいだ。

会話のボタンをたった1つ掛け違えただけなのに、彼女が少しずつ遠ざかっていくように感じられた。

やっとのことでユイが捻り出したのは、苦しげな笑顔と明らさまな言い訳だった。

 

「だって危ないよ?」

 

ガツーン。

脳みそを直接ハンマーで殴られたみたいだった。突き放された衝撃をファルコンは言葉にできなかった。

この数年間友達を作れず、デスゲームの絶望にもがいていたファルコンにとって、ユイは希望の光になっていた。華奢な身体に天真爛漫な笑み。いつも着ている白のワンピースは凛と咲く白百合を思わせる。自分でなくユイのために戦うということが、沸々と生気を漲らせる。

そんな彼女が、初めてファルコンを拒絶した。分かってる。どんなに親しい人間にだって、言えないことは必ずある。けれど、そうじゃないのだ。ユイが見せた笑みのかんばせは、許容してはならないものだった。だって、ユイは諦めている。何かは分からないが、決定的なものを諦観している。ユイを助けたいと願ったファルコンにとって、ユイの観念は受け入れ難いものだった。

 

「……話してよ。何がダメなの? 僕がなんとかするから! ユイを助けられるんならなんだってするよ? だから……」

 

俯き、握り拳を作りながらもファルコンは言った。ユイは踏み込んで欲しくないと分かっているのに、そう聞かざるをえない自分が嫌になった。己の幼稚さがほとほと許せなくて、せめて涙が零れないように目を強く閉じた。

 

「…………」

 

ユイは無言のまま、首を左右に振るだけだった。

ファルコンの裡に、この場から逃げ出したい衝動が湧き上がる。ユイにこれ以上、女々しい自分を見せたくなかった。

その時だった。

転移門が金色の光を放ち、教会の鐘じみた荘厳なサウンドエフェクトが四方八方に打ち鳴らされた。三層がアクティベートされた合図だ。ファルコンは無我夢中で転移門に駆け寄ると、第三層主街区の名を口にした。

タイムラグはほぼゼロで未踏の第三層に降り立つ。

 

「よっしゃーーっ! 1番のりだぁっ!」

 

無理矢理にでも声をあげる。そうでもしないと、ユイに背を向けた罪悪感で押し潰されそうだった。

 

「待ってよ、ファルコン!」

 

後ろからユイが追いすがってくる。早くこの場から去ろう。気持ちが落ち着くまではユイから離れていよう。

そう考えているはずなのに、足と口は言うことを聞かない。ファルコンは立ち止まり、三層の転移門を有効化したのであろう最前線プレイヤー達の方へと振り返った。

 

「ボス攻略お疲れ様です! 俺もいつか、皆さんみたいな攻略組のプレイヤーになるのが夢なんです!」

 

いや違う。夢だった、だ。その夢は最愛の人に否定されて霧散した。なのに何故こんなことを口走っているのか。決まっている。背後に立つユイへの当てつけだ。自分の愚かさに吐きたくなるような気分だった。

ファルコンに一歩歩み寄って言葉を返したのは、最前線プレイヤーとしてはありえないはずの丸腰の拳士だった。

 

「うん。頑張って。君ならきっとできるよ」

「は、はい! ありがとうございます!」

 

一礼だけ拳士に返すと、ファルコンはそそくさと走り去った。これ以上、幼稚な自分と顔をあわせるのが嫌だった。

ふと空見上げると、まだ見ぬ四層の底に夕日のオレンジ色が映っている。そこにふわりと飛んでいたカラスが、ファルコンにはどうにも不気味に見えた。




今になって誰が覚えてるんだという伏線回収。やっと彼らの話を3年越しで語れるというのは感慨深いものがありますね。
え、ちょっと待って。この小説3年も連載してんの!?


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第八十一話「貴方」

GWですね! やっと空いた時間で投稿です!


そっかあ、子作り。据え膳食わぬは男の恥部とか言うし……言うっけ? せっかくなので頂いて……いやいやいや! さっきの決意どこ行った!? 猿か僕は!

ここはきっぱり断ってろう。その方が精神とか肉体とか諸々のためだ。

 

「あの、アレックス」

「なんです?」

「そういうのはさ、もっと段階を踏んで、本当に好きになった人とすべきなんじゃないかな?」

「私好きですよ。ライトさんのこと。本当に大好きです」

 

それが僕には分からなかった。アレックスが僕を好きになる理由が、このアインクラッドの思い出を見渡しても見つからないのだ。

彼女は常に快活だが、時折、どうしようもなく影を見せる。その一瞬、僕にはアレックスが分からなくなるのだ。彼女が思っていることも、感じていることも、薄いベールがかかっているようにぼんやりしてしまう。

僕は今までそこに踏み込むことを避けていた。アレックスにだって話せないことはあるのだろうと思っていた。けれど、今日だけは聞かなきゃいけないと思ったのだ。

 

「君は僕の何が好きなの?」

「…………」

 

答えは沈黙だった。

答えられないんだ。少しだけショックだった。何か言えない理由があるのか、それとも本当は……。

これ以上考えるのはよしておこう。部屋を満たす静けさが、冷たい夜風を一層引き立てる。

やっぱり今日は別々の部屋で寝るべきだ。思ったことを伝えるべく振り返ると────アレックスは泣いていた。

 

「あの……アレックス? どうしたの?」

「ごめん……なさい……」

「な、なんで謝るのさ?」

「私は……甘えてたんですよね。もう1人の貴方と貴方を重ねて、こんな世界まで逃げてきた。最低……ですね」

 

何を言ってるんだ?

アレックスの話が異界の言語のようにも感じられる。

なにがなんだか分からないけど、少なくとも滂沱するアレックスを放置することだけは僕は許せなかった。

 

「ねえ、もう1人の僕ってなに? なんでアレックスは泣いてるの? 僕バカだからさ、ちゃんと説明してくれないと分からないんだ」

 

できる限り優しい声音で話しかけた。

アレックスは伏せ目がちに首を横に振った。嗚咽まじりで辿々しく呟く。

 

「ダメ……ですよ。だって貴方は優しいから……」

「優しいからって……なんで……」

 

優しくちゃなんでいけないんだ。そう言おうとしたとき、アレックスは僕を強く、強く抱きしめた。ハッと息を呑む。抱擁する力はこんなにも強いのに、彼女のか細い身体は何かに脅えるようにブルブルと震えている。

アレックスは、何を恐れているんだ?

彼女を安心させたい一心で背中に手を回して抱き返す。僅かに震えは治まったが、それでも根本的には変わらなかった。

アレックスの背中をさすってやっていると、ポツリポツリと彼女は口を動かし始めた。

 

「…………ライトは誰よりも優しかったよ。夜が怖かったら一緒に寝てくれたし、転んで怪我したらおぶってくれた。いつも私のこと気遣ってくれて……私が連れていかれてからも奪い返しにきてくれたよね」

 

強烈な寂寥感が僕の胸を痛打した。

アレックスの語る思い出に覚えはない。

なのに、なぜこんなにも胸が裂かれるような気持ちになるんだろう。なぜ、アレックスが語ったこと以上の思い出が、次から次へと湧き出してくるんだろう。

なんなんだ、この記憶は。

幼少期のほとんどを2人で過ごした。毎日毎日飽きもせず、草原を駆け回り泥んこになって家に帰った。仕事に就いてからはともにいる時間は減ってしまったけれど、それで週に一回は必ずご飯を一緒に食べた。アレックスが作るときもあれば僕が作るときもあって。

あるとき、僕はアレックスに告白した。彼女は泣いて喜んで、2人で暮らす家を建てて、式を挙げようとしていた。そして……どうなったんだっけ……。そこからの記憶はブラックホールみたいに暗く、その部分だけ切り取られたかのような虚ろさだ。

自分のものではないけれど、自分のものに違いない記憶。体験したわけじゃないのに、なんでこんなにも────涙が溢れてくるんだろう。

アレックスは親指の腹で僕の涙を拭った。

 

「そっか。フラクトライトはカーディナルシステム経由でリンクしてるんだね。じゃあきっと、今泣いているライトは『君』なんだ……。だったら、届くかは分からないけど言うね」

 

アレックスは仮想の肺いっぱいに息を吸い込んでから吐き出すと、真っ直ぐな視線で僕を射抜いた。

 

「私が君を助ける。何があっても、絶対に。だって、そのために私はここに来たんだから」

 

覚悟を決めた顔と言葉は、言い終わった次の瞬間に崩れていた。残されたのはいつもの笑顔。1ついつもと違うのは、笑みに込められた感情が寂しさだけということだ。

僕の腕を振りほどくと、アレックスは寝具から立ち上がる。

 

「ごめんなさい、ライトさん。お邪魔しました」

「待って! アレックス!」

 

僕の言葉に返答もせず、アレックスはそそくさと部屋を出た。扉の閉まる音が、暗い部屋に耳障りに響く。

そのまま立ち去るかと思えたアレックスがドアのすぐ向こうで腰を下ろしたことは、聞き耳スキルで強化された聴覚がすぐに感じ取った。

そして、聞いたこともないくらい弱々しい声が囁かれた。

 

『会いたいよ……』

 

啜り泣く彼女に、僕は駆け寄ってあげることすらできなかった。今彼女の前に出ては行けないと思った。そうしてしまえば、きっと決定的に何が壊れる。そう理性ではわかっているのに、僕の中の誰かが強烈に身体を動かそうとする。自分の胸元を痛いくらいに掴んで、その気持ちを必死に押し留めた。

一通り泣きしきった後、アレックスが離れ去った。彼女はなんて強いのだろう。心が折れないという何物にも代え難い強さ。

彼女に何があったのかは分からない。きっと想像を絶する絶望が在ったのだろうということはわかる。そうでなければ割りに合わない。だってアレックスは笑っているべきだ。────そう、心の中の誰かが叫んでる。

ベットの上で膝を抱えて物思いにふける。アレックスとの思い出、アレックスの感情、1つ1つを頁をめくるように丹念に紐解いていく。それが、何も分からない僕が彼女がために今できる全てなのだと信じて。

夜は深まる。それが、今宵はやけに早い気がして。

ただ、少しだけ愚痴をこぼしたくなった。

 

「なんだよ……ちょっとぐらい教えてくれたっていいじゃないか……」

 

 

「結局一睡もできなかった……」

 

一晩中アレックスのことを考えてしまった。しかしどこまでいっても堂々巡りだ。つまるところ、情報が少な過ぎて何をすれば良いのかすら分からない。彼女が何かしらで困っていることは確かなんだけど……。

またもや思考の深みを嵌ろうとする僕を連れ戻すように、メッセージの着信音がけたたましく響いた。

 

『黒鉄宮の入り口で集合。10時半から探索開始だ。遅刻厳禁な! キリト』

 

時計を見ると今は9時過ぎだ。集合時間まで余裕はあるが、一眠りするほど長いわけでもない。

しょうがない。今日はこのままいこうか。オール明け特有のちょっとブルーな気分になりながら、僕はベットから立ち上がって支度を始めた。

メニューウィンドウを操作していると、メッセージのアイコンが目に入る。アレックスに連絡すべきだろうか……。

正直気まずい。アレックスのことだからきっと普段と変わらず接してくるだろうが、今はその笑顔を直視できる気がしない。昨日の夜見たがらんどうの笑顔。あんなものを見てしまえば、どうしてもいつもの微笑みすら塗り固められた仮面に勘ぐってしまう。

 

「はあ……ダメだよね、こんなんじゃ……。アレックスは隠し事してるだけで、僕が勝手に気を張っちゃってるだけなんだし」

「ダメなことないですよっ!」

「うええ!? アレックス!? なんでここに……」

「なんでって、システム的には私の部屋でもありますし? そんなことはどうでも良くってですね。ここに来たのは他でもなく、昨日のことを謝りたくて参ったんです」

 

アレックスは浮つきを取り払った顔で僕を見る。裏表など感じられず、今の僕にとってはいつもの笑顔より安心できた。

 

「謝るなんて……アレックスが悪いことしたわけじゃないんだし」

「いいえ、悪い子でしたよ。昨日の私は。だから言葉にしておきたいんです。昨日の私の行動で何かしらを感じたかもしれませんが、忘れて下さい。これは私の問題ですから。……そう分かってるはずなのに私は貴方に甘えてしまった。だから……ごめんなさい」

 

それは明確な拒絶だった。踏み込んでくるな。ここでこの話は終わらせようという。悲壮な決意を面持ちに宿らせていう彼女を、僕は────

 

「嫌だ!」

「ほぇ!?」

「やだよそんなの。見過ごせないし見過ごす気もない。たとえアレックスに嫌われたって、僕は首を突っ込むよ!」

 

正直な気持ちを打ち明けた。

エゴでしかない。僕がそうしたいからそうするだけ。それがアレックスのためになるかすら分からない。けど、一晩無い頭を振り絞って得た答えがこれなんだ。だから貫き通そうって思う。

僕の言葉が飲み込めないという顔をアレックスは作る。その直後、アレックスのほおが湯だったように紅潮した。

 

「ど、どうしたのアレックス!? 具合悪い?」

 

慌てた僕を見てアレックスは吹き出した。意味が分からず、僕は頭に疑問符を浮かべてしまう。

笑いの治まったらしいアレックスは、柄にもなくもじもじと、いつも通りの屈託無い笑顔で言った。

 

「ほんっと、ライトさんなそういうとこズルいですよねっ!」

「へ? 何が?」

「なーんにもっ! さ、行きましょうっ! ライトさんもキリトさんに呼ばれてますよねっ?」

 

急にテンションの高くなったアレックスに腕を引かれて、僕らは宿屋を後にした。僕の袖をぐいぐいと引くアレックスの横顔には、さっきまで無かった希望の光が灯っていた。

 

僕とアレックスが集合場所である国鉄宮の入り口に着いたとき、すでにキリトとアスナ、そしてユイはそこで待ち受けていた。無理に起こされたのか、ユイはまだ眠気と戦うように欠伸を噛み殺している。

僕らの姿を確認すると挨拶もそこそこに、キリトは早速本題を切り出した。

 

「さて、今日集まってもらった意図はみんなも分かってると思う」

「PoHのことだよね。具体的には何するの?」

「良い質問だ、ライト。現状、ぶっちゃけ手がかりは0に等しい。ので、まずはとっかかりを見つけるところからだ」

「というと?」

「国鉄宮に潜る」

 

妥当な案だ。わざわざ国鉄宮の前を待ち合わせ場所に指定したのだから当たり前といえば当たり前なのだが。

それは誰もが予想していたようで、キリトに向かって3人で同時に頷いた。それへの返答は堂に入ったシニカルな笑みだ。

 

「よし、じゃ出発!」

 

探検に出かけるようなノリでキリトは勢い良く滑らかな鉄の扉を開け放った。

 

「あのさあ……キリト? 遠足じゃないんだよ?」

「手を繋ぎながらの奴に言われても説得力ないなあ」

 

ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながらキリトが言う。確かに僕とアレックスは手を繋いでいる。別に嫌では無いのだが、恥ずかしいのは事実だ。

 

「あの、アレックス? 一旦手を……」

「いやですっ!」

 

きっぱり笑顔で断るアレックス。

困った。その笑顔があんまりにも幸せそうなものだから、無理に振り払うこともできやしない。

僕の表情も自然と綻ぶのを感じる。

 

「そっか。じゃあ、このままで」

「ふふ……ありがとうございますっ!」

 

アレックスは更に一歩、僕の方へと近づいてきた。黒曜石のように美しい黒髪が、風になびいてふわりと広がった。昨日までポニーテールだったのに、今日は下ろしていることにやっと気づいた。

 

「髪、下ろしたんだね」

「……ええ」

 

なぜか寂しそうにアレックスは相槌を打つ。

個人的には下ろしているより括っている方が好きなのだが、それは言わぬが花だろう。

視線を前に向けると、黒鉄宮の正門の奥からキリト、アスナ、ユイの3人が笑顔でこちらを見ている。

 

「待たせちゃってるね。行こっか」

「はいっ!」

 

監獄塔の中に入ると、すぐに正門が閉まり始めた。それはこの魔城が侵入者を逃さないと意志を持って動いているかのようだ。

扉が閉まると廊下を照らすのは薄ぼんやりとした灯篭だけになってしまう。妙な寒気を背筋に感じながら、アレックスと繋いだ手を強く握って歩みを速めた。

黒鉄宮の中はダンジョン形式になっており、奥に行くほど強大なモンスターが行く手を阻む。とは言え最前線プレイヤー4人のパーティーなのだから、生半可な強さでは障害にすらなりえない。30戦ほどこなして回復せずに体力が1割も減っていないのがその証拠だ。まあ、僕とキリトは自動回復スキルを所持しているのだが。

というか、戦闘の厳しさを感じるというよりむしろ……

 

「ライト、スイッチ!」

「はいよ!」

 

めちゃくちゃ楽しい。

今相手どっているのはブカブカのフーデットローブを目深く被り、大きな鎌を携えた獄吏だった。

獄吏が鎌を振り下ろすより疾くその懐に入り込む。鎌を握る手元めがけて閃打を繰り出す。それで鎌の動きが止まった。

ここぞとばかりに拳術スキル正拳突き『封炎』を獄吏の腹に狙いを定めてくりだした。

拳に分厚い脂肪の感覚が伝わる。腹パンされた獄吏は1メートルほど吹き飛んだ。更に追い討ちをかけようと、マスターメイサーが疾駆する。

 

「ライトさんっ! スイッチですっ!」

「オーケー! 決めちゃえアレックス!」

「うりゃあっ!!」

 

大上段からの振り下ろし。Mobの脳天に直撃し、その身体は木っ端微塵に砕け散った。リザルト画面を確認した後、3人でハイタッチ。

すると、後ろで見ていたアスナが不満気な声を出した。

 

「もう……」

「すねるなよ、アスナ。次は代わるからさ」

「そうじゃないよーだ」

 

アスナはほおを膨らませ、そっぽを向いてしまう。そんなアスナを見るキリトの視線は慈しみのこもったものだった。

アスナの後ろからひょこりと顔を出したユイも、母と同様不満顔だ。

 

「パパ! ママを困らせちゃダメなんだよ!」

「ははは! こめんなユイ。反省だ」

「ほんとに?」

「ほんとほんと! このとおりだって」

 

キリトは手を合わせて頭を下げる。それを見たアスナは破顔して言った。

 

「ねえユイちゃん。パパも反省してるみたいだし、そろそろ許してあげよっか」

「うん!」

「ありがとなー、ユイ」

 

キリトも笑顔になってユイの頭を優しく撫でた。

なんというか、こう、若年夫婦かな?

僕とアレックスからの微妙な視線を感じ取ったのか、キリトはバツ悪そうに仕切り直した。

 

「ま、ともかく先へ進もうぜ。PoHが投獄されてたのは最下層なんだから早くしないと日が暮れるしな!」

「う、うん! そうだね!」

 

同意するアスナもどこか恥ずかしそうだ。

もう少しいじっても良いのだが、口論ではキリトとアスナの方が確実に上手なのでやめておく。大人しくキリトの言葉に従って階段を下りていく。

更に数度の戦闘を重ねた後、僕らは黒鉄宮の最下層へと至った。それは同時にこの浮遊城アインクラッドの最下層でもある。

事前に確認した資料によると、途中にMobの湧かない安全地帯が存在し、その更に奥にPoHの牢屋が存在するそうだ。

地の底に足を着けると、今まで和らいでいた緊張が戻ってきた。硬質な床が立てる足音が、否が応でも背筋を強張らせる。

その感覚は誰もが共通なのか、キリト、アスナ、アレックス、そしてユイまでもが緊張をあらわにしている。

ここは1度発言して少しばかり空気を柔らかくしよう。

 

「PoH、見つかるといいね」

「いや、見つかったら見つかったで良くないだろ」

 

確かに。

うわあああ……。余計に空気が重くなった。

もうこれ無理に喋らない方が───

 

ゴオォォオォオン。

 

地響きのような厳しさで何かが鳴った。

頭の回転が早いアスナとキリトが即座に言葉を発する。

 

「なんの音!?」

「やばいな……っ! モンスターだ。しかもデカいぞ! みんな! 一旦退避だ!」

 

索敵スキルか長年の経験か、即決したキリトに従って僕ら来た道を戻る。しかし……

 

「ダメだ! 階段への通路が閉まってる!」

 

いち早く角を曲がった僕が、見た光景をありのままに説明する。廊下には元から何も無かったとでも言うかのように、周囲と同質の壁がせり上がっていた。当然ながら黒鉄の壁は破壊不能オブジェクトだ。

さすがにこの状況は危険に過ぎる。敵の強さもわからないのだからまずは撤退すべきだ。

 

「転移結晶展開するね!」

「いや、ダメだ! ポップ後即全体攻撃のパターンだと転移失敗する!」

 

キリトの冷静な判断に助けられる。転移結晶で転移する時、1ダメージでもくらえば即転移失敗しはじき出させる。それが致命的な間を生んでしまうこともある。実際にそれが原因で部隊の過半数を失ったパーティも存在するのだ。

キリトと同様に身体を構え、これから広間に現れるであろう巨影を凝視する。そこに現れた赤いカーソルが1つ。やがて、眼前に地獄の猛火が立ち上がる。浮遊城の最深部、罪人達の楽土で顕現するその死神の名は────

 

「《The Fatalscythe》───運命の鎌、か」

 

キリトが独りごちる。

Theという定冠詞はボスモンスターの証だ。これは相当な強敵を覚悟せねばならない。

名前の通り幾つもの命を吸ってきたであろう巨大な鎌。それを持つのはフーデットローブを着た巨大な骸骨。その姿まさしく死神そのものだ。

放たれる威圧感はフロアボスと同等のものを感じられる。そう思った僕より一際深刻な声音でキリトは独りごちた。

 

「初撃を見切れたらアスナはユイを連れて安全地帯まで逃げてくれ」

「え……?」

「こいつ、やばい。俺の識別スキルでもデータが見えない。強さ的には多分90層クラスだ……」

「…………!?」

 

この場の誰もが息を飲む。その間にも刻一刻とボスの身体が実体化していく。

 

「アレックスも逃げて。僕らが時間を稼ぐ」

「な……私も戦いますよっ!」

「そうだよ! キリトくんとライトくんも一緒に……」

「俺たちは後から行く! 早く!!」

 

僕とキリトは静かに目を合わせて頷きあう。2人でこの場を乗り切ろう。その決意とともにキリトと拳を打ちつけた。

男2人で覚悟完了したは良いが、女子2人はそうもいかなかったらしい。アレックスとアスナは全く同時に武器を構え直し、

 

「アレックスはユイちゃんと一緒に───」

「アスナさんはユイちゃんと一緒に───」

 

全く同時に真逆の言葉を発した。

その時だった。遂に実体化した死神がゆらりと鎌を振りかぶり、猛烈な勢いで突進してきた。

僕はアレックスの前に、キリトはアスナの前にそれぞれ仁王立ちになる。そんな僕らなど眼中に無いように死神は突進の速度を緩めない。必死の大鎌を振り上げ、そして、閃光、爆発。

何が起こったか分からない。ただ理解できるのは、自分の身体が中空に吹き飛ばされたということ。地面に打ち付けられてから、チカチカと明滅する視界にやっと色彩が戻りだす。確認した体力ゲージは7割を割り込んでいた。直撃でなくてこれだ。当たれば即死は免れない。周りを見るとキリトも同様だった。むしろキリトは直に受け止めたらしく、僕より酷い有様だった。アスナとアレックスは体力が半分というところ。つまり、誰もが次の一撃に耐えられない。

立たなきゃ。立って、回復して、皆んなを拾って逃げなきゃ。そう思うのに身体がついてこない。動けるわけないだろ、無茶も大概にしろと抗議してくるかのようだ。

 

「それでも無茶は通さなきゃ……」

 

これまでみたいに、これからも。

足と拳に力を込めて、全身全霊で起き上がろうと奮起する。

────その時だった。

そんな僕の横を軽やかな足取りの少女が通った。

 

「ユイちゃん!?」

 

思わず素っ頓狂な声がもれる。他の3人も同様に驚愕している。

小さな身体で、細い手足で、あとけない瞳で、少女は恐れ無く死神を睥睨する。

 

「ばかっ! はやく逃げろ!!」

 

キリトが喉が張り裂けんとばかりに叫ぶ。当然の反応だ。我が子のように慈しんだ少女の命が風前の灯火なのだから。

だが、そんな僕らなどお構いなしにユイの身に奇跡が起きた。

 

「大丈夫だよ、みんな」

 

ユイの身体が宙に浮かぶ。

あまりにも自然な、翼を羽ばたかせたかのような移動に唖然とする。そのまま高度を増していき、2メートルほどのところでピタリと静止する。

 

「だめっ………! 逃げて! 逃げてユイちゃん!!」

 

アスナの絶叫を両断するが如く、死神は少女に大鎌を振り下ろす。容赦の無い豪速の刃。まちがい無くユイの体力を消し飛ばすであろうそれが、飛行する少女の脳天へと落ちて────

ガキィィィン!!

甲高い金属音とともに弾き返された。

そこに表示されていたのは【Immortal Object】。プレイヤーが持つことは許されない不死の証明だ。

理解の範疇を超えたらしい死神が、目玉をぐるぐると動かして少女を観察する。

その直後、更に信じられないことが起こった。小さなユイの右手から炎が立ち上がり、みるみると細長く伸びていった。空間を焼け焦がした炎熱は徐々に形を持ち始め、1つの刀となって現れた。刃渡3メートルはあろうかという巨剣を携えるユイ。あの小さな身体のどこにそんな力が眠っていたのか。炎色は辺りを明るく照らし、暗澹とした牢獄に煌々と少女を浮かばせる。

ユイは身の丈を優に超える剣を高々と振り上げ、白刃一線、死神へと無慈悲に叩きつけた。

《運命の鎌》を騙る死神とって、自分より遥かに小柄な少女こそが死神に見えたのだろうか。恐慌一歩手前の動きでボスは後ずさり、鎌を盾にするように構えた。

長大な得物同士がぶつかり合う。それはユイの持つ剣の熱量が故か、鎌の柄を溶かすように刃はじりじりと食い込んでいく。膨大な熱量が放たれ、死神のローブと純白のワンピースが千切れんばかりにたなびく。火花は四方へ飛び散り、地獄は昼間のように染め上げられる。

爆音が鼓膜を揺らしたとき、刃はついに死神の鎌を断ち切った。そこから鋒は更に加速し、保持していたエネルギーの全てをボスの顔へと集中させた。

 

「────っ!!」

 

生まれた火球は恒星の如く爛々と煌めく。身を焦がすほどの熱量が倒れ伏す僕らにまで伝わってくる。紅蓮の炎は死神の身体を灰も残さず灼いていく。轟音の背後に微かに響く断末魔は、命の狩人自身が事切れたことを意味していた。

暴風と爆音が収束してから、思わず閉じていた目を開けると既に死神の姿は無かった。少女の手に握られた大剣が、元の炎に還りながら失われていく。

残り火が揺らめく広間の中央には、俯き立ち尽くす少女が1人。

 

「ユイ……ちゃん……」

 

よろめきながらアスナはユイへと声をかける。アスナへと振り向いた瞳には、大粒の涙が今にも溢れそうに溜まっていた。

僕ら全員を見渡した後、ユイは言った。

 

「ぜんぶ、思い出したよ……。だから、話すね。そしてみんなに知って欲しいの。《あの人》の、最後を…………」




今回の話を書くにあたってラフコフ戦争編を読み返していたのですが、なんかこう、すごい! こんな必死に書いてるんだ! って自画自賛気味に恥ずかしくなりました。
時間が経過してあの熱量を忘れてしまっていたようなのでもう一度気合いを入れ直し、これからも精進してまいります!


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第八十二話「幕間──《運命》」

今回の話は、とあるお話のオマージュ、というかラブレターのつもりで書きました。読んだことのある方はすぐに分かると思います。とても素敵な、悲しいお話なのでいつか見て欲しいと思うのですが、タイトルを出してしまうとネタバレになりますので伏せさせていただきます。


森に飛び出したファルコンは、荒れる心に任せて一心不乱にモンスターを狩り続けた。ふるう剣が血を吸う度に、自らの血が滾りを抑えていくようだった。倒したモンスターの数が50を超えた頃、レベルアップのファンファーレが鳴り響いたところでやっと正気を取り戻す。

 

「何やってんだ、僕は」

 

あまりに自分が情けない。隠し事されたくらいでなんだ。そんなことで情動に身を委ねてしまうから子どもなのだ。ユイの元へ帰ろう。そして謝ろう。

決めてからの足取りは軽やかだった。ユイは拗ねているだろうか。お詫びに甘いものでも買ってあげれば、案外すぐ機嫌を直す気もする。

もっと嫌なのは泣いて待っていることだ。

ユイの濡れた顔を想像して自然と歩調が早まる。ユイをいつまでも1人にしておけない。はやる気持ちが滲み出して、いつのまにか緑が生い茂る地面を蹴って走り出していた。

ごめん。ちょっとだけ待っててくれ、ユイ!

宵闇が垂れ込み、街の明かりは遠くで輝く。爛々と灯る生活の息吹は、こぼれ落ちそうなほど小さく見えた。

 

 

時は少し遡る。

ファルコンを追ってユイは森へと踏み込んでいた。

丸腰の自分が1人で圏外に出る危険性を、ユイは重々承知していた。圏内外の狭間で逡巡していたユイに声をかけた男がいた。その男はフーデッドローブを被り、軽妙な声でユイに声をかけた。

 

『お嬢ちゃん。1人で圏外へ出るのが怖いなら、オレが連れてってやろうか?」

 

これは僥倖とばかりにユイは頷き、身の上を説明した。それを親身に聞いた男は、ファルコンを共に探すことを快諾した。

そうして森の奥深くへと入り込んだとき、男は牙を剥いた。ユイを力任せに組み伏せ、地を這わせたのだ。

男は端のボロくなったポンチョを目深く羽織り、魔性を放つ肉切包丁でユイを牽制している。

2人を照らすのは幽かな月光のみ。深夜、誰も通らない森の奥での誘拐事件だった。

 

「なあ、ユイちゃん。きちんと質問に答えてくれよ? 君はGM権限を持っているのかい?」

 

男は優しい声音に質問を乗せる。口調は優しいはずなのに、溢れ出る狂気を抑えられてはいなかった。いや、抑えようともしていないのか。

その質問内容自体が、ユイには衝撃的だった。この男はユイがAIであることを知っている。ファルコンにも教えていない自分の秘密を。その事実がどうにも悔しかった。

黙り込むユイに見せつけるように、月光の照る刃を男はちらつかせる。幼子であろうと見て取れる殺気。小刻みに震えながらも、ユイは努めて冷静に返答した。

 

「……いいえ、今の私は一般AIと同程度の権限しか与えられておりません」

「やっぱりかー。こりゃアテが外れたな。となると管理者権限でなくインカーネイトシステムの流用で実体化したわけだ」

「…………」

 

黙秘するユイの首元に、男は真顔で包丁を切り込ませた。

 

「…………っ!」

「ほら、わかるだろう?」

 

男が笑う。ユイは確信した。この男は、情報が得られないとわかったのならすぐさま殺す。

ユイは自分の命など惜しくは無かった。けれど生きていたかった。ユイを突き動かしたのはもう一度ファルコンに会いたい。ひたすらに純粋なその想いだ。

歯を食い縛るユイは、訥々と口を動かし始めた。

 

「……はい。健康管理AIとして集めたイマジネーションをインカーネイトシステムに読み取りさせることで事象のオーバーライドを引き起こしました。このアインクラッドにおいてはカーディナルシステムとインカーネイトシステムは対立関係に存在するため、インカーネイトシステムでオブジェクト化した私に管理者権限は与えられておりません」

 

男の口角がつりあがる。それがユイには不思議だった。ユイの推測する限り、今のユイの返答は男の目的にとっては落胆すべきもののはず。なのになぜ、笑っているのか。

男はクツクツと笑うと、おかしさが堪えきれないように語りだした。

 

「ありがとうな、ユイちゃん。ようやく確信が持てたぜ!」

「…………」

「何がって顔してるな。分からないか? このアインクラッドにインカーネイトシステムが搭載されてるって確信だよ!」

「…………!」

 

カマをかけられていた!

この男はシステムの存在を知って話しかけていたのではなく、システムの存在を確かめるために話しかけていたのだ。

まんまと術中に嵌った自分に不甲斐なさを感じつつも、その存在を確かめることにどれほどの意味があるのかにはユイは懐疑的だった。その事実を1プレイヤーに教えてしまったことは管理者側として度し難いことではあるが、だからといって何ができるわけでもないのだ。

 

「さて、そんなら電子の海に還ってくれよ」

 

男が包丁を振り上げる。死を確信する。

後悔が胸に滲む。あの時、どうしていればよかったのだろうか。自分がAIであり、ファルコンと一緒に現実には帰れないと、素直に伝えるべきだったのか。そう言ったら、ファルコンは何て返したのだろう。

初めて会ったときからずっと、ファルコンはユイのために戦い続けていた。早く力をつけるために。ユイにゲームオーバーという結末をもたらさないために。その努力はユイも知っていた。そしてそれが、たまらなく嬉しかった。何のためらいも無く、彼と歩む道を選べるほどに。

 

「幸せ、だったよ」

 

どこかにいる恋した人に向けて、ユイはポツリと呟いた。

たった数日の間だったけれど、ユイは確かに救われた。健康管理AIとして押し付けられた負の感情達が全て吹き飛ぶくらいに、ファルコンと過ごした日々はユイの心を暖めたのだ。ケンカしてしまってもその事実は変わらない。

外套の男はつまらなさそうにユイを見下ろして、

 

「チッ」

 

軽い舌打ちと一緒に斬刑の刃を振り下ろす。

逃れようも無い濃密な死のカタチ。それがユイの首筋へと至る、その直前────

キィィイィィン!!

力強い金属音が闇を破るように響いた。

 

 

ファルコンが来た道を戻っていると、何やら話し声が聞こえてきた。大人の男と少女の声だ。こんな夜更けにどういう状況なのかと気になったファルコンは、身を隠しながらその声の主を窺い見た。見えたのはフードの男に組み伏せられたユイだった。

ユイが襲われている。そう認識した瞬間に、何も考えずにファルコンは走り出していた。最高速で近づいて、黒い外套の男が奔らせた刃を力の限りうち払う。

急な展開に男は数度瞬きすると、破顔してファルコンへと話しかけた。

 

「オマエ、この子と一緒にいたヤツだよな?」

「…………」

 

ファルコンは無言のまま、男の腹を容赦無く蹴った。男の身体が1メートルほど後ずさった。

 

「へへ……いい表情だ。まあそう怒るなって。たかが────」

 

言いかけた男へとファルコンは居合切りを放つ。間一髪で反応した男は更に一歩身を引いた。

 

「たかが、なんだ? ユイを罵倒するなら僕も本気でお前を倒すぞ」

「倒す、か」

 

男がいかにも愉快そうに笑う。その笑い声に反響するように、男の背後からわらわらと人影が現れた。その数10人ほど。その男たちのだれもが2人で寄り添うファルコンとユイを見て獲物を前にした獣のように興奮している。

 

「……ファルコン、逃げて」

 

言ったユイの声は震えている。

そんなユイを守るように背に回してファルコンは言った。

 

「ごめん、ユイ。これは飛び出してユイを置き去りにした僕の責任だ。だからせめて、君のために戦いたい」

「そんなことどうでも良いよ! それより早く……」

 

言いかけたとき、外套の男の部下らしき1人が、小柄な身体を走らせてきた。男は握るダガーを滑らかにファルコンの首へ切り込ませる。

 

「がっ────!?」

 

呻いたのはダガー使いの方だった。

刃が首筋へ至るより一瞬速く、ファルコンは男の脇腹を蹴り飛ばしていた。

すかさず第2第3の男がファルコンへと襲いかかる。しかし、それは少年の敵ではなかった。ファルコンは剣の腹で先にきた片手剣使いを払い、続くメイス使いを一蹴に伏させた。

 

「なんだこのガキ! 強えぇ!」

 

ダガー使いが賞賛とも悪態ともつかぬセリフを吐く。対するファルコンの顔を努めて冷静、いやそれを通り越して冷酷とさえ言えた。吹き抜ける夜風が少年の髪を揺らす。佇む少年の姿には、どこか空寒さまで感じる。

実際、ファルコンのレベルは男達の平均レベルより5は高かった。この低レベル帯でその差は圧倒的となる。昼夜問わずユイのために戦い抜いたその経験が、しっかりと活かされていたのだ。

 

「テメェら揃いも揃ってザコばっかりか!? クソガキ1人くらいさっさと殺せ!」

 

副リーダーらしき男が怒鳴りちらした。下された命令に、男達は辟易した様子を見せる。男達の反応からも、副リーダーの男は普段から傲慢で嫌われているのだろうことはありありと見て取れた。

横暴な副リーダーの背後では、黒ポンチョのユイを殺そうとした男がニヤニヤと不敵に傍観していた。副リーダーの肉付きの良い肩に手を置いて、外套の男は囁く。

 

「いいぜ。その調子だグランプ。お前の最高の指示をみんなにガンガン飛ばしてやってくれ」

「おうよ! 見ていてくれよボス!」

 

グランプと呼ばれた恰幅の良い副リーダーはおだてられて機嫌が良くなったのか、隊員達を怒鳴り散らす声を大きくした。

嫌々ながらも男達は指示に従い、ファルコンへと切り込んでくる。それをファルコンはいとも簡単にいなしていく。

 

「今のうちだ、ユイ! こっから逃げて街へ戻って!」

「やだよ! ファルコンも一緒に……」

「ある程度時間を稼いだら後を追う! 任せて! こいつらくらいなら……」

 

言いかけたファルコンの視界に映ったのは、猛進するグランプの姿だった。大方『ボス』の口車に乗せられたのだろう。グランプの瞳にはファルコンを射抜く闘気が満ちていた。

 

(でもそんなに速くない。簡単にいなせる速度だ。その分筋力全振りだとすると一撃でもくらうのはやばい)

 

冷静に判断したファルコンは襲い来るならず者達相手に立ち回りながらも、グランプへと意識を向ける。地響きのような音を立てながら巨漢がファルコンへと接近していく。

グランプの腰に携えられていたメイスが高々と掲げられる。大仰な動作の分、威力は上がるがタイミングは読みやすい。いつ攻撃されるのかが分かれば、あとは動作に合わせて迎撃してやるだけだ。

剣を握る手に緊張が走る。グランプの巨影がファルコンを飲み込む。先程までそれほど危険視していなかったはずなのに、急に本能が警鐘を鳴らす。立ち向かうな、逃げろと囁く。臆病風に吹かれたこころを理性で奮い立たせる。

握りこんだ剣で空を斬る。狙うはメイスの横腹だ。メイスと片手剣が今にも火花を散らそうとする────その瞬間。

グランプが、急に、近づいてきた。だらしない腹に深々と剣がささる。

グランプが自ら接近した? いや、違う。()()()()のだ。誰に?

ぐったりとグランプが項垂れて、巨体に隠されていた向こう側が見える。

 

そこには笑う死神がいた。

 

最初にユイを殺そうとした男。この集団のリーダー。フーデットケープの殺人鬼。

その男が、グランプを蹴り飛ばしたのだ。

 

「ボス……なん……」

 

言いかけたグランプがポリゴン片となって砕け散る。

それを見た男は、相も変わらず笑っている。

森が忘れていた静寂を宿した。ファルコンを囲む男達の誰もが、息をするのも忘れて眼前の所業に魅入っていた。

ふと、ダガー使いの男が雄叫びを上げた。

 

「最ッッ高だぜボス!! 前からあのグランプの野郎が気に食わなかったんだ!!」

 

その感想は男達の誰もが共有していたようで、口々に死んだグランプを罵り、自分達のボスを讃えた。まるで集団そのものに悪魔が巣食っているかのような、混沌の熱狂だ。

その只中にいるファルコンは地にへたり込んでいた。剣を握っていた右手首を、左手で千切れんばかりに握りしめながら震えている。

 

「僕は……僕は人を……」

 

殺す気なんて無かった。けれど、自分の手で、自分でとった剣が命を奪ったことは、目の背けようも無い純然たる事実だった。殺した。その人生を終わらせた。いまにも吐きたくなった。仮想の胃は何も放り出してはこなかった。ガチガチと歯が鳴る。

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

謝罪の言葉だけが頭の中でぐるぐると回り続ける。目から伝う涙はどれほど流しても止まらない。

なんの変哲も無い自分の右手が穢れたモノのように見えて、切り離したくて堪らない。平凡な小学5年生にとって、人殺しは余りに重い罪だった。

 

「そこで寝てろ、ファルコン」

 

嗜虐を宿すリーダーは、スキップでもするような軽やかさでファルコンの横を通り過ぎた。それをファルコンは、目で追うことしかできなかった。

ファルコンの後ろで青ざめていたユイ。その触れれば折れそうな細い首根を、リーダーが掴んで持ち上げる。ユイは明確に苦悶を浮かべる。

ユイを助けなくちゃ。

そう思って立ち上がろうとするのに、ファルコンの身体はピクリとも動かない。

なんで!? なんのために僕はここにいるんだよ! ユイを助けるためだろ! なのに、なんで……動けよ! クソッ! クソクソ!

ユイの白い首筋に、獰猛な刃が添えられる。

ユイ! 嫌だ! やめてくれ! ユイだけは殺さないで! 僕はどうなっても良いから! やめてくれ……お願い……だから……。

どんなに強く思っても、ファルコンの身体は動かない。その理由を知っているのは、この場ではフーデットケープの殺人鬼、PoHただ1人だった。

 

「It's show time」

 

待ち侘びたお菓子を前にした子どもみたいに、PoHは舌舐めずりをする。

締め上げられているユイはファルコンを見つめていた。一生懸命に笑顔を取り繕おうとしてるのに、辛苦に歪む顔は上手に笑えていない。

 

「さあて仕上げだ。精々色っぽく鳴いてくれよ?」

 

そうして殺人鬼は、告死の刃を横薙ぎに────

 

「あああああ!!!」

 

それは弾丸のような速度だった。

ファルコンが跳ね飛び、命を摘んとする刃の鎬を殴りつけたのだ。剣はグランプを刺したところに置いてきていた。

PoHはヒュウと口笛を鳴らす。

 

「全員、こいつを押さえつけろ。殺すなよ?」

 

号令一下、男達が一斉にファルコンへと群がってくる。殴る蹴るで男達を退けながら、ファルコンは鬼気迫る表情でユイへと進む。だが、さすがに物量には勝てず、地へと叩きつけられた。

 

「うらぁ!」

 

大剣使いが威勢良くファルコンの右足を切り落とした。それに倣って片手剣使いの男も左足を両断する。

痛かった。足がじゃない。ファルコンは心が痛かった。ユイを置いて駆け出したバカな自分が、女の子1人満足に救えない弱い自分が恨めしかった。

それでも、まだ諦めるつもりは無い。

 

「うああああ!!」

 

上から押さえられながらも、ファルコンは残った手で地面を這う。赤になった自分の体力ゲージなど目にも入らず、瞳に映るのはユイただ1人だった。

 

「この野郎! まだ動くのか!」

 

ダガー使いの男が、恐れ交じりの声音で短剣を構える。ファルコンの左手すらも断じようというのだろう。それを仮面を被った男が制止した。

 

「やめとけ。それ以上やったら死ぬぜ?」

 

ダガー使いはバツ悪そうに引き下がる。

ファルコンを見下ろしながら、PoHが子分達へと声をかけた。

 

「もうほっとけ。何もできねえよ」

 

鶴の一声で男達の誰もが大人しく身を引いた。

ファルコンは進む。もはやどうして動けるのかも分からない有様で、ただ想いに突き動かされて。自分が希望の光を見た、甘く青臭い恋のために。恋した彼女のために。

 

「ユイ……助ける、から……」

 

想いは溢れる。もうどうしようもないと分かっていても。それでも。この心は捨てられない。貫き通さなきゃ嘘だ。彼女のためなら命を張れると言った。その覚悟だけは、譲れない。

地面に指を食い込ませて、身体を引っ張る。あとたったの5メートル。一瞬だ。一瞬で彼女の下へ────

 

「健気だなあ! 吹けば消し飛びそうなナリしてよ! 思わず感涙しちまうぜ! ────ほら、お前のモンだ。受け取れよ」

 

ニタニタと笑いながら、PoHは無造作にユイを投げた。投げられたユイは転がるようによろめきながらも、懸命にファルコンへと駆け寄る。

ユイはファルコンの頭を膝に乗せると、包み込むように抱きしめた。

 

「……ファルコン。ありがとう」

「お礼なんて、僕に言われる資格は……」

「ううん。ファルコンと一緒にいれて、すっごく楽しかった。だから、ありがとう」

「────」

 

言葉に詰まる。口を開けば嗚咽が出そうで。決壊しそうな感情を必死になって飲み込んだ。

 

「僕も……僕もユイと一緒で楽しかった! 今までの人生で、って言っても短いけど……それでも、ユイといられて良かった!」

「うん……うん!」

 

2人とも泣いているのか笑っているのか分からないような有様だった。ただ1つ分かるのは、幸せを噛み締めているということ。この瞬間に、2人が巡り合った運命をもう一度確認した。

最期を悟ったファルコンが吐き出すのは、有りっ丈の想いだ。

 

「ありがとう」

 

僕と歩んでくれてありがとう。僕に恋を教えてくれてありがとう。僕に生きる意味をくれて、ありがとう。

それにユイが返すのは、たった1つの気持ちだけ。

 

「愛してる」

 

今まで一度として言葉にしなかった想い。それでも、この瞬間だけは。

 

「僕も、君を愛してる」

 

ファルコンの頭を愛おしそうに撫でながら、ユイは最期に最高の笑顔をファルコンに見せた。

 

「生きて、ファルコン」

 

天上の福音にも聞こえた言葉。それが

────ズブリ。

鈍色の不快音が搔き消した。

ユイの小さな胸を、深々と貫く凶刃。

彼女が消えていく。刹那ごとに彼女という存在が遠ざかっていく。彼女を編んだテクスチャは解け、情報の海へと還元される。そうして、0になる。

理解するのにそう時間はかからなかった。むしろ、すとんと腑に落ちた。なぜPoHが死の暇を許したのか。それはこの瞬間を穢すためだ。

分かってる。理解している。それでも尚、燃え滾る憎悪は止まらない。

周囲から輪唱のように醜悪な笑い声が拡散する。もうファルコンには、誰が笑っているなんて見えていなかった。

ユイが消えた。否、殺された。誰に? 目の前の男にだ。だったらどうする?

ピロン、という無機質な機械音が耳障りに聞こえる。同時に、システムメッセージが表示される。

 

『新たなアイテムを取得しました』

 

それがまるでユイが残した置き手紙みたいで、狂ったようにファルコンはウィンドウを操作した。

そこにあったのは鎧だった。名を《The Destiny》。これはきっと、彼女の想いだ。ユイは生きて、とファルコンに言った。そうして、生きるための鎧を託した。

だったら、生きなくちゃ。生きて───

 

「装備、《The Destiny》」

 

こいつら全員、殺してやる。

 

「な、なんだあの鎧!?」

 

ダガー使いの男が、狼狽を露わにしてファルコンを指差した。

ファルコンの装着した鎧は光り輝く白銀だった。それが、ファルコンの落とす影を吸い込むように、どんどんと暗黒に染まっていく。高貴さすら感じさせる優美なフォルムのフルプレートアーマー、だったものが形状すら変化させ、エッジは鋭く尖っていく。

鎧を侵食し尽くした影は、瘴気となってファルコンの周囲に渦巻いていく。

 

「それも、インカーネイトシステムか。チート臭えな、オイ」

 

PoHが放った飄々とした声など、もはやファルコンには届かない。憎しみは少年を突き動かす。

 

「う……あ、ああ…………!」

 

自分が自分で無くなっていくのが分かる。

鎧は更に変化を見せ、籠手は鉤爪となる。鎧のあちこちがヒビ割れて、ボリューム感は増していく。

 

「気持ち悪ぃ……さっさと死んじまえ!」

 

半ば恐慌した大剣使いが、大振りな動作でファルコンの首を狙う。通常なら痛打となる一撃、それをファルコンは右手だけで受け止めた。

 

「なっ……」

 

大剣使いが混乱を見せ、武器を構え直そうと身を引く。だが、肝心の大剣は微動だにしない。まるで氷漬けになったような武器に、変化の兆しが訪れた。

ピシ。刀身にヒビが入った。そう認知した次の瞬間には、大剣は粉々に砕けていた。

 

「ひっ、ひいいぃぃいぃっっ!!?」

 

理解の範疇を超えたのか、大剣使いは踵を返して逃げ出した。その姿に見向きもせず、ファルコンはPoHへと向き直って言った。

 

「答えろ。何故ユイを殺した」

 

脅迫に近い質問だった。膨れ上がる闇のオーラを無理にでも押さえつけて、ファルコンは静かに怒りをぶつける。PoHは冗談めかして肩を竦ませた。

 

「確認したい事は確認できたし、殺す必要は無かったんだが、まあ、なんとなくだ」

「なん……となく……?」

 

理性が砕ける音がした。

 

「そんな……そんなくだらない理由で……お前は! お前はァ!!」

 

ファルコンを取り巻く闇は、爆発する怒りを代弁するように荒れ狂う。まるでその闇自体が攻撃力を持っているかのように地面を削り、木立を切り倒した。

環境オブジェクトは破壊不能じゃないのか。そんな当然の疑問さえ闇の彼方へと忘却される。

戦いを、殺し合いを望んだのはこの殺人鬼達だ。だったら、それに応えよう。武器には武器を。残虐には、残虐を。

 

「殺す……殺して、やる!!」

 

眼前のPoHがニヒルに笑う。その笑顔を壊したくて堪らなかった。

少年はもはや、自分が完全に壊れていることを理解した、自分はもうファルコンではない。ファルコンという名の少年はユイと一緒に死んだのだ。

少年は憎悪と怒りの化身となった。

それはこの男達に対する憎悪であり、この世界そのものに対する憎悪でもあった。浮遊城アインクラッド。こんなものが無ければ、ユイが命を落とすことは無かったのだ。

ならば破壊しよう。

この世界が憤怒の源だと言うのなら、僕は世界そのものを破壊してやろう。この世界全てに災厄と呪いを振り撒こう。

そしてこの世界最後の1人となったなら、僕はユイを助けられなかった僕をこそ殺そう。

殺して殺して殺し尽くして。殺すことに何も感じなくなるくらい殺したのなら。

もしも生まれ変われるのなら、その時はユイを救えるだろうか。

いや、もはや僕にユイを救う資格は無いか。

少年は自嘲し、立ち竦むダガー使いを片手間のように殺した。

少年は未来永劫、世界を呪い続ける。その身が朽ちようと、呪いは形となって世界を穢す。この狂った世界を殺すために。




第二十五話へ続く。


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第八十三話「命短し恋せよ乙女」

今回は書くこと少ないからすぐ終わる! という計画は泡と消え、結局いつもと変わらない文量に。
原作との違いをお楽しみいただければ幸いです。


「これが、私とファルコンに起こった事の顛末です」

 

長い長い話だった。そして、悲しい話だった。

話し終えたユイの目には涙が浮かび、線の細い身体は小刻みに震えていた。恐れだけでは無い、明確な怒りの感情。自分達を貶めた者達に対する、凍えるような冷たい怒りだ。

 

「そんな……そんなの、酷すぎるよ!」

 

アスナが感極まって声を上げた。無理も無い。アスナが言わなければ僕だって同じ反応をしていた。PoH達の非道は、僕の許容範囲などとっくに飛び越えるくらいに度し難い。

だがそんな僕らとは対照的に、当の本人であるユイは冷静そのものだった。

 

「大丈夫だよ、ママ。そんな終わりだったけれど、わたしは幸せだったから」

 

ユイは自分の胸に手を当てて、確かめるように頷く。何かを決意したようにユイは顔を上げて一歩、僕の方に歩み寄って言った。

 

「わたしがここにいるのは、あなたに会うためです、ライトさん」

「ぼ、僕!?」

「ええ。きっとライトさんにも思うところはあるかと」

「…………」

 

無い、と言えば嘘になる。だって僕は、ファルコンの命を奪った現場に立ち会っていたのだ。もう1年以上も前になる。ギルドを作成するためのクエストを実行していた時、僕と優子とアレックスはファルコンと会っているのだ。そして、僕らはファルコンを殺した。事の顛末は今でも昨日のことのように思い出せる。その事件は優子や僕に大きな影を落とした。

ユイには僕を非難する権利がある。だからどんな言葉も甘んじて受けよう。それが少しでもユイの救いになるのなら。

 

「ありがとうございます」

「え……?」

 

ユイからかけられたのは、予想だにしない感謝だった。

 

「な、なんで? 僕はむしろ……」

「いいえ。あなたはファルコンを救ってくれた。ファルコンは、あれ以上辛い思いをする必要なんて無かった。だから、あなたがファルコンを止めてくれてよかったんです」

 

そう言うと、ユイは寂寥の混ぜこぜになった笑みを見せる。

 

「でも、まだ足りない。彼の呪いはまだ残っている。だから────」

 

ふわり、雲に包まれるような心地良さだった。ユイが僕の腰に抱きついてきたのだ。けれどそれを、僕は無理に引き離そうとはしなかった。してはいけないと思った。きっとこれは、彼と彼女の最後の邂逅だから。

 

「ファルコンは、ライトさんの中にいるんだよね? 大丈夫だよファルコン。わたしは死んでない。ごめんねファルコン。きっと君を絶望させたのはわたしのせいだ。わたしがAIだと伝えなかったから……」

 

ひたすらの後悔がユイの言葉から滲み出る。

いまにも崩れそうなユイを見ながら、僕は笑う棺桶との一件を思い出していた。あのとき、僕は確かに心を乗っ取られた。漆黒の鎧を纏い、狂乱のうちに戦った。その意味が今、分かった。

殺意を押しとどめられるわけがない。ユイの仇が目の前にいたのだ。それで冷静でいられるはずがなかった。そうだよね、ファルコン。

胸中に語りかけても答えは無い。けれど、いままで凍りのように固まっていたわだかまりが溶けるような心地よさがあった。それはファルコンに何がしかの変化が訪れた知らせなのだと信じたかった。

 

「大丈夫だよ、ユイ。きっとファルコンは怒ったりしない。むしろ喜ぶんじゃないかな? ユイが無事だった!ってね」

 

僕に寄り添って肩を震わせるユイに、僕は心の底からの言葉をかけた。いや、僕の心だけではない。それはファルコンの心でさえもある。僕に呪いという形で宿った少年は、ユイのために戦った。ユイが生きていると知れたのなら、きっと彼は自分を許してあげられる。

ユイは僕から少し距離をとると、僕の胸に手を当てた。ユイの澄んだサファイアの瞳が僕を見る。

 

「ライトさん。不躾ではありますが、あなたの心を見せてください。健康管理AIとしての特権で、あなたの魂を見せていただきたいんです」

「うん。いいよ。それに見るのは僕の心じゃなくて……」

「……はい、彼の心を」

 

僕は腕を広げて身体を明け渡す。ユイはぴっとりと僕に寄り添う。アインクラッドの底の底。静寂が支配する地獄の裡で、僕らの心は1つになった。

そこからのことは、茫漠として記憶に靄がかかっている。僕は当事者じゃないからそれも当然だ。

だが忘れたくとも忘れられない瞬間が、僕の瞼の裏に焼き付いている。少年少女が無垢に笑い、互いの手を取り合うその瞬間だけは。

闇が満たされた部屋の中、2人は手を繋いで歩いていく。一条の光が差し込む。その光の束は大きくなって、2人を綿毛のような柔らかさで包んでいく。神聖さすら感じるその光景がユイとファルコンへの祝福であると信じて、僕の意識は遠ざかっていった。

 

────瞼を開く。

目線を下ろすと、ユイのほほには二筋の水滴が水晶のように煌めいていた。それがあらわすのは悲しみではなく。

 

「…………ありがとう、ございます」

「うん。お別れは言えた?」

「ええ、言いたいこと全部言えました!」

 

涙をとめどなく流しながらも、ユイは満面の笑みを見せてくれた。そこに嘘も偽りも無い。

心が澄んでいくような気持ちだった。色々な心配が急に遠いところに遠ざかっていって、今はユイとファルコンの再会を祝いたい感情だけがある。

ほっとした僕の眼中に、軽快な音を立ててポップアップウィンドウが表示された。曰く、

『新たなアイテムを取得しました』

半ば反射的にメッセージを押す。武器フォルダに画面が飛んで、NEWと黄色のマークがついたアイテムが見つかった。その名を見て、目が飛び出すかという衝撃がはしった。

 

「《The Destiny》……これって……?」

「わたしからのプレゼントです!」

 

腕で涙を拭いながら、ユイは快活に言った。

 

「ええ!? そんな、僕なんかに!」

「鎧のステータスを見てみてください」

「え?……あ、うん」

 

運命の名を冠する鎧を長押しし、ステータス画面に移行する。表示されたのは、チートとしか言いようがない数値だった。現在入手可能な中で最も高ステータスな鎧の1.5倍ほどの防御力と、衣服と変わらない軽量性。この鎧があるだけでゲームバランス自体が揺るがされかねない性能だ。こんな鎧を、僕は────

 

「ありがたくいただきます!!」

「はい!」

 

無理だ。誘惑には勝てない。幼女相手に深々と頭をさげる高校生の図はなんとも悲しい。

しかしプレゼントとは言うが、この鎧はユイとファルコンにとって大切なものであると同時に呪わしい記憶そのものでもある。そんなものを僕がもらって本当に良いのだろうか。

そんな僕の悩みを見透かしたのか、ユイはすっかり泣き止んだ顔ではにかんで言った。

 

「大丈夫ですよ。わたしはあなたに、ライトさんにこそ鎧を持っていて欲しいんです。これはファルコンとも話し合って決めたんですから」

「そっか。ありがとう」

 

ここまで言われたら受け取らない方が失礼というものだろう。せっかくなので《The Destiny》をタップして装着してみる。

僕の身を隙なく覆ったのは白銀に煌めくフルプレートアーマーだった。それは良く想像される西洋に鎧ではなく、どこか近未来的な意匠の施された、ロボットのような防具だった。構成する金属は現実の貴金属のどれにも似ているようで異なっている。薄氷のような薄さで身体を覆っているにも関わらず圧倒的な威圧感を放ち、誰が見ても最硬であることは疑いようもない。

 

「お似合いです」

「ええー、ほんとか? 馬子にも衣装極まれりって感じだろ」

 

純粋に褒めてくれるユイに対して、『パパ』は皮肉ったらしく笑っている。

 

「何を言うんだ! この鎧こそ僕に相応しい輝きだろ!?」

「お前こそ何言ってるんだ? 馬子にも衣装って褒め言葉だぞ」

「え? ほんと?」

「嘘だ」

「もう何を信じれば良いのかわからない!」

 

結局本当なのか嘘なのか。

ケラケラと笑うキリトに憤慨していると、ほっぺを膨らましたアレックスがずんずんと近づいてきた。

 

「あのですねっ!! さっきからユイちゃんとベタベタし過ぎではっ!?」

「え? な、なんでアレックスが怒ってるのさ?」

「怒ってないですー! 嫉妬してるんですー! すみませんね心が狭くてっ!!」

「しっ……と……?」

「なんですかその、こいつ何言ってんだ、みたいな反応……。まさか嫉妬をお知りでない?」

「いや嫉妬は知ってるよ! ただ、そんな概念まるまる忘れてたというか……」

「忘れてた……? あれだけいつもいつも私や優子さんが見せてるのに……?」

「え!? あれって嫉妬だったの!?」

「ああっ! やっぱりそうきやがりましたねっ! ライトさんがそういう人だってことは分かってましたけれどもっ!」

 

そうか……いつも妙なタイミングで怒るなあって思ってたけど嫉妬だったのか……。くっ……嬉しいような恥ずかしいような!

 

「あれ……もしかして美波や姫路さんも……いや、そんなわけないか」

「私達の他にまだいるんですかっ!? ええい女の敵めっ! 観念して一切合切ゲロりやがってくたさいっ!」

「い、いや! アレックスとは関係無い人だから!」

「関係大アリですっ! もう私吹っ切れてますからねっ! ライトさん大好きになっちゃってるんですからっ!」

「えええ!? ちょっと待ってアレックス! 気持ちは嬉しいんだけど場所を考えよ?」

「むむむっ! 恥ずかしがってますかっ!? 恥かしがってますねっ! そんなライトさんも可愛いですよっ!」

「恥かしいよ! 逆に聞くけどアレックスは恥かしくないのかよ!」

「恥かしくなんかありませんよっ! アレックスちゃんの羞恥心は前世に置き去りにしてきましたからっ!」

 

くるっと一回転して目元にピースまでキメるアレックス。調子に乗ってるな?

よし。ここらで1つ反撃してみるか。

アレックスの腕を掴んで、少し強引に引き寄せる。

 

「え? きゃっ!」

 

可愛らしい声を出しながら、よろけそうになるアレックス。彼女の華奢な身体を僕の方に倒して受け止める。そしてそのまま、思い切ってアレックスに後ろから抱きついた。肩の上から両腕を回して抱く姿勢。いわゆるあすなろ抱きである。

 

「!?!!?」

 

アレックスは露骨に混乱する。ふふふ、してやったり。僕も恥かしいんだけどね。そこは我慢だ、僕。

 

「ちょっ! だ、ダメですっ!」

「アレックスも同じようなことしてただろ?」

「私からは良いんですっ! ライトさんからはダメなのっ!」

 

敬語が崩れた。相当に追い込めてるな。

 

「恥かしさは前世に置き去りにしたんじゃなかったの?」

「そ、そうですよ! 恥かしくなんかないですからっ! ただ、急に困るっていうか……あんまり嬉しいから……」

 

打って変わってアレックスはしおらしくなる。そんな態度をされると、こっちが申し訳なくなるというか……。

 

「ご、ごめん!」

「ダメですっ! ゆるしませんっ! 罰としてもうちょっとこのままですからっ!」

 

いつもの調子で不敵に笑うアレックス。まいった。めちゃくちゃ可愛い。

 

「うん。じゃあもう少しだけ────」

 

その時、僕の視界に入った光景が僕を一瞬で現実へ引き戻した。

微笑するユイ。

苦笑するアスナ。

爆笑するキリト。

笑顔三段活用だ。

公共の場でイチャつくカップルによく爆発しろなんて思ってたものだが、まさか自分がそちら側になるとは思いもよらなかった。なんだこの気恥ずかしさ。

ヒーヒーと過呼吸を落ち着けながら、真顔に戻ったキリトが言った。

 

「優子にチクる」

「唐突な死刑宣告はやめろ」

 

背筋が凍らされたような心地になる。だが予想外なことに、僕よりもアレックスの方にダメージがいったようだ。アレックスは青ざめた顔でへたりこむと、

 

「ごめんなさい優子さん……アレックスは悪い子です……」

「テンション乱高下し過ぎじゃない?」

 

僕らがコントもどきを繰り広げていると、ユイが申し訳なさそうに一歩踏み出してきた。その行動にただならぬ気配を感じ、ふざけていた誰もが静まった。

ユイの鈴の鳴るような声が、黒鉄の煉獄に染み渡るように広がった。

 

「水を差すようでごめんなさい。でも、私はもう消えなきゃいけないんです」

「き、消える!? どうして!?」

 

狼狽したアスナが張り詰めた声で叫んだ。

そんなアスナを諭すように、冷静と慈愛を持ってユイは説明する。

 

「わたしが《メンタルヘルス・カウンセリングプログラム》であることは先ほどお話した通りです。そしてこの先の安全地帯にあるのはGMがシステムに緊急アクセスするためのコンソールなんです。さっきのボスモンスターはそのコンソールにプレイヤーが近づかないように設置されたものでした。それを、わたしはコンソールからシステムにアクセスし、《オブジェクトイレイサー》によって消去しました。それによって、カーディナルはわたしの存在に気づいてしまったんです。わたしはすぐに異物という結論が出され、消去されるでしょう。もう……あまり時間がありません……」

「じゃあ簡単ですねっ! GM権限を使ってユイちゃんを保護しましょうっ!」

「「「「…………」」」」

「……え? 私なにか変なこと言いました?」

「……それだ! 可能か、ユイ!?」

 

呆気にとられていたキリトがはっとしてユイへと振り返る。ユイも同様にはっとして、焦りを見せつつ返答した。

 

「は、はい! わたしをシステムから切り離してオブジェクト化してもらえれば大丈夫……のはずです!」

「となると善は急げですねっ!」

 

そういうと、アレックスはシステムコンソール室へと駆けていった。慌てて僕ら4人もその後を追う。

 

「んーっと……やっぱり対応してるんですねー……じゃあよいしょっとっ! …………こんな感じでオーケーですかね? 私、パソコンとか疎くてわかんないんですけど」

 

アレックスが指差した画面をキリトが覗きこむ。確認したキリトは眉を顰めて、なんとも微妙な表情をした。

 

「完璧だ。いや……パソコンとか疎いって冗談だろ?」

「んー、まあ色々あるんですっ! これで実行すれば完了ですねっ!」

「ちょっ! ちょっと待ってくれアレックス! 実行したらユイが消えるから!」

「わかってますってっ!」

 

ニッカリ笑ってアレックスはサムズアップしてみせた。ユイが消える問題がなんとかなった安堵感で、みんなが胸を撫で下ろす。

空気が弛緩した中、なぜかユイだけが厳しい表情を続けていた。ユイはどこか悲しげな視線でアレックスを見つめている。

 

「どうしたんですか、ユイちゃん?」

「アレックスさん……あなたは……」

「ああ、そっか……ユイちゃんはカーディナル側なんだもんね。私が接触したから分かっちゃったんだ?」

「はい……。あなたは……」

 

ユイの語尾が消える。急転直下の緊迫した空気に、誰も口を挟めない。

ユイはアレックスの目を堅牢な視線で見据えると、意を決した様子で感情を爆発させた。

 

「あなたはそれで良いんですか!?」

 

ユイの強い声がビリビリと僕の肌を震わせた。激情に任せて叫ぶユイに、僕、キリト、アスナの3人はどきりと身体を緊張させる。ユイがここまで感情を露わにするのは初めてじゃないだろうか。

対するアレックスは、悟ったような表情でバツが悪そうに笑っている。

アレックスはしゃがみこんでユイと同じ目線になった。いつもの笑顔のままユイの頭を撫で、立てた人差し指を自分の唇につける。静かに、という合図だ。

 

「良いんです。良いって決めたんだから。大丈夫ですよ、ユイちゃん」

「なんで!? そんなの悲しすぎます! それじゃあアレックスさんは、どうなっても報われない! どうしてそれを受け入れられるんですか!?」

「好きだから」

 

凛とした決意の言葉。

それは有無を言わさぬ覚悟であり、何人にも侵されぬ告白だった。そのためには命を賭けても惜しくはないと、アレックスの何もかもが語っていた。

 

「それだけで充分なんです。ユイちゃんだってそうでしょ?」

「…………っ!」

 

一度は泣き止んだはずのユイの涙が、もう一度流れ出した。悲喜の混ざった泣き顔は、ただ泣いているよりずっと悲しく見える。ユイは服の袖でゴシゴシと目を擦るが、瞬く雫は止まることなく流れ続ける。

アレックスはそんなユイを優しく抱き寄せた。

 

「ユイちゃんは今、幸せですか?」

「はい! また離れ離れですけど、ファルコンともう一度会えましたから!」

「うん。だったらユイちゃんは私の先輩です。私もユイちゃんみたいに、いつか幸せと思えるようになりますからっ!」

「そっか……そうですね。アレックスさんは私と一緒なんですね」

「うん。だからきっとユイちゃんは、自分のことみたいに怒ってくれたんですよね?」

「ふふ……そうかもしれないです」

 

微笑み合う彼女達が交わした会話を、僕は少したりとも理解できなかった。ユイはなぜ声を張り上げたのか。それに対するアレックスの返答にはどんな気持ちがこめられているのか。そしてなぜ、彼女達は最後に通じ合ったのか。

けど、少なくともこれだけは分かる。アレックスは後悔なんてしていない。自分のしていることに信念と心を持って臨んでいる。それだけで安心した。

アレックスの腕から離れたユイは、アスナとキリトへと駆け寄って行った。

 

「それじゃあお別れです。パパ、ママ、わたしを愛してくれてありがとうございます!」

「うん! ユイちゃんとまた会えるのを楽しみにしてるね! 大好きだよユイちゃん!」

「ああ。ちょっとの間お別れだな、ユイ。パパもユイのこと大好きだ」

 

3人でのハグ。長い別離の前の充電とても言うかのように、仮初めの親子は強く強く抱き合った。

3人とも目尻に涙を浮かべながら、それでも笑顔で抱き締めていた腕をほどく。そして最後に、ユイは僕を見て言った。

 

「ライトさん。信じてます」

 

僕はその言葉に無言で頷く。どれほどの意味が含まれた一言なのかは判別つかない。ただ、ユイを裏切れないという決心があらたになった。

 

「それじゃあ実行しますねっ!」

 

アレックスの確認にみんなが首肯する。

最後にユイは満面の笑顔で、

 

「またお会いしましょう!」

 

と言い残した。

そして彼女の姿は無くなる。まるで春風のような自然さで。僕らの胸中に悲しみは無く、むしろ麗らかな陽気にあてられたような心地だけが残っていた。

ユイが消えたその場所には、青い宝石をはめたペンダントが残されている。

 

「これが、ユイか」

 

キリトが拾い上げた。キリトはペンダントを胸に押し当てるように抱いた。目を閉じて、確かめるようにキリトは『ユイ』を握る。

 

「アスナ。これはアスナが持っていてくれ」

 

それを聞いたアスナはぷっと吹き出した。

 

「何言ってるの。ストレージは共通でしょ、パパ?」

「はは……そうだったな。それに、俺たち2人の娘だもんな」

「うん。だから、2人で大切に持っていようね。またユイちゃんに会えるまで」

 

キリトとアスナは手を取り合う。その繋いだ手の中には、しっかりと『ユイ』が包まれていた。

仲睦まじい2人を、アレックスは憧憬とは少し違う視線で見ていた。

 

「どうしたの?」

「い、いえっ! なんでもありませんっ! それより私たちも手繋ぎましょうよライトさんっ!」

「いいよ。ほら」

 

差し出した僕の手を、アレックスは確かめるように触る。目を伏せて憂いを帯びた笑みのまま。

1度目を閉じてから、ぱっとアレックスは顔を上げて笑った。

 

「はいっ!」

 

僕らもキリトとアスナに倣って手を繋ぐ。繋いだアレックスの手はか細くて、今にも折れそうで。

 

帰り道にその状態を優子に見られ、極寒の視線と刺々しい空気の中、語彙力逞しい言葉責めされたのはまた別の話だ。




この小説のキリト、性格が原作より大分明るいですね。あのバカ達と連んでたらそうなるのも是非も無いよネ!


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第八十四話「決戦前夜」

今回、視点がコロコロ変わるのでちょっと読みにくいかもです……。


アインクラッド解放軍本部の会議部屋にて、4人の男が円卓を囲んでいる。

血盟騎士団団長、ヒースクリフ。

聖龍連合総長、リンド。

アインクラッド解放軍大将、キバオウ。

サーヴァンツリーダー、ユウ。

押しも押されもせぬトップギルドのマスター達だ。彼らが一堂に会した理由は他でもない。アインクラッド第75層のボス攻略会議のためだった。

 

「結果から述べよう。偵察隊が全滅した」

 

口火を切ったのはヒースクリフだった。

さすがと言うべきか、ここに集う面々は誰1人声を荒げることはしなかった。だが、驚きと死者への悼みは別のもの。リンドは眉をひそめ、目を伏せて体の前で十字を切った。

 

「やはりクォーターポイントは一筋縄ではいかないか」

「そうだな。1人も帰ってこないとなると、結晶無効化空間とみて間違いないだろう」

 

応えたのはユウだった。ユウの的確な予想にキバオウが続ける。

 

「攻撃力も尋常やないやろな。耐えられる程度なら1人くらいはボス部屋の扉から逃げ果せるやろうしな」

「攻撃方法や大きさは? 何か情報はないのか、ヒースクリフ?」

 

リンドの問いかけに騎士団長は訥々と答える。

 

「ムカデのような体躯にカマキリのような鎌を携えていたと、ボス部屋を覗いたプレイヤーから報告があった。腕を広げた場合の攻撃範囲は10メートルに及ぶだろう。壁を歩いていたとも報告を受けているので機動力も相当だと見て間違いない」

 

ヒースクリフが語った情報だけでも、今までのボスとは次元が違うことは明確だった。それでも困窮した空気は無く、誰もが等しく頭を回転させていた。

顎に手を当てながら、ユウが考えを纏めて呟く。

 

「……厄介だな。タンクを積んでも攻撃を受けきれるか怪しいな。その情報から察するに、鎌を回して背後からの攻撃もしてくるだろうしな」

「だが壁は必要だろう? 交代を早めるか? それでも間に合うかは微妙なところだが」

「いっそのこと、受けるんやなくて熟練したアタッカーが鎌をそれぞれ捌いてくれれば御の字なんやけどな。それやとそいつらにかかる負荷が大きすぎるか」

「いや、それだキバオウさん」

「いや無理やろユウはん。誰がそんな役やりたがるんや。一歩間違うだけで即死やぞ」

「うちのライトとキリトがやる」

 

場がぴたりと止まる。ユウの発言、それを実行した場合に起こりうることを揃って脳内で想定しているのだ。

 

「いいんじゃないか?」

 

肯定したのはリンドだった。あの2人なら何も問題は無いと首肯している。基本的にリンドとサーヴァンツのメンバーはそりが合わないが、それと評価は別のもの。リンドは正しくキリトとライトの戦力を把握している。

 

「わしは反対や。あいつらだって人間や。どこでどんなミス起こすか分からん。第一、全ての攻略組の命をたった2人に背負わせるなんて正気の沙汰やないぞ」

 

静かに語るキバオウ。だが声にこめられた気迫は本物だった。

ユウが歯をむきだした不敵な笑みで答えた。

 

「大丈夫だ。あの2人はそんなヤワじゃねえ」

「ふん……過信やないとええがな」

「ふむ。ならばメインタンクはその2人が担うということで決定かな? キリト君とライト君に疲弊が見えたら一旦タンク部隊がスイッチし、戦線を立て直す、といったところか」

 

ヒースクリフの問いかけに、三者三様に頷いた。

キバオウは2人の身を案じ、ユウは2人の力を信じていた。その想いに優劣をつけることは叶わない。

そこからはより具体的にレイドの編成、パーティ単位でのメンバーの決定、攻撃パターンによってパーティの動きを指定する戦略、攻撃力にレベルによっての補給タイミングを事細かに決めていった。

夕方から始まった会合は、翌日の明け方まで続いた。

 

 

薄暗い部屋の窓辺で、アレックスは外を眺めていた。階層に挟まれた星空は、故郷のものと似ても似つかないテクスチャーの張りぼてだ。それなのに、なぜこうも懐かしく感じてしまうのか。

微睡むように目を閉じて、アレックスはひとり、呟いた。

 

「4分の3まできた。もうちょっとだよ───」

 

 

「眠れないから相手してよ!」

 

リーベこと工藤愛子はそう言って、有無を言わさずムッツリーニの部屋に転がり込んできた。

 

「……俺だって明日の準備がある」

「ならさ、明日の準備を一緒にしようよ!」

「…………まあいいか」

「やった!」

 

そう言うとリーベは、ムッツリーニが座るベットへ飛び込んだ。

 

「…………くっつくな!」

「えー? いいじゃん。2人だけなんだし?」

「…………2人だけとくっつくのと何の関係がある!」

「そりゃ……そういう関係でしょ?」

「────」

「ええ!? ちょっ! ムッツリーニ君!?」

「…………ふぅ、死線を越えた……」

「ど、どうしたの!?」

「…………恐らく現実で鼻血を出していた」

「前より耐性低くなってない?」

「…………耐性とは何のことかわからない。原因はきっとチョコの食べ過ぎ」

「SAOにいながらどうやってチョコ食べるのさ! もう、素直に興奮したって言えばいいのにー」

「…………興奮などしていない……!」

「ええー? ほんとー?」

 

流し目ではにかみながらムッツリーニを見るリーベ。手を膝について、リーベは上半身をムッツリーニに寄せている。それだけで鼻血が出そうになるのをムッツリーニは抑えた。SAOでの死亡理由が出血多量での昏倒による回線切断では洒落にならない。

極めて冷静に……冷静に……。

────むにゅ。

 

「!?!!?────」

「あ、ごめん。胸当たって……ってムッツリーニ君!? しっかりしてよ!」

「…………」

 

応答が無いことに焦るリーベは、とにかくムッツリーニの興奮を抑えようと策を出した。

 

「そうだ! 根本君の女装を思い出して!」

「ごはぁっ!?」

「逆効果だった!? ムッツリーニ君! ムッツリーニくぅぅん!!」

 

 

明日持っていく武器のメンテナンス。アイテム類の確認。配布されたボス情報の確認など、一通りのことを終わらせるとさすがに暇になり、ティアはヘッドボードに腰を預けた。

このベットはセミダブル。ユウと寝るためにこの大きさを買ったのだが、肝心のユウはあまり一緒に寝てくれない。頼めば折れてくれるのだが、それは彼の優しさにつけこむようで少し気が引けた。けれど、今日は一緒にいたい気分だった。

 

「雄二……遅い……」

 

会議で奮闘しているユウの姿に想いを馳せる。ユウはこの浮遊城をクリアするために、すべてのプレイヤーを助け出すためにこの激務を背負いこんでいるのだ。そう思うと彼を待つ時間すら愛おしく思えた。

夜は更ける想い人の姿だけを想起しながら、ティアは微睡みの狭間に身を任せた。

 

 

35層のとある宿屋。ここは、秀吉とシリカの2人にとって忘れがたい思い出の場所だった。

 

「この部屋であたしの裸、秀吉さんに見られちゃったんですよねー?」

 

いたずらめいた視線でシリカは秀吉にすり寄った。秀吉は困ったようにほほを赤らめる。

 

「そ、それはお主が……いや、すまぬ。わしも悪かった……」

「もう、気にしなくていいですってば! 秀吉さんなら!」

「む……お主がいいなら別に構わんが……」

 

申し訳なさそうな秀吉の顔に、シリカは思わず見惚れてしまう。艶めく茶髪は丹念に織られた絹のよう。顔立ちはNPCと見紛うばかりに端正で、10人いれば10人が振り返るほどに美しい。性別は自称男性らしいのだが、これでは女性に間違われるのも無理からぬこと。

双子の姉の優子も同様に美しいのだが、あちらの持つ勝気さも相まっていよいよ性別の判断がつかない。

 

「な、なにかわしの顔についとるのか……?」

「い、いえ! 綺麗だから見惚れちゃって!」

「お主はまたそういう……はあ……まあよいか」

「それはそうと明日から75層のボス攻略なんですよね? がんばってくださいね、秀吉さん!」

「うむ。全霊を賭す覚悟でいくぞい。今回のボスは中々の難敵なようじゃしの」

 

そう語る秀吉の顔は、可憐の中にも精悍を持っていた。秀吉がそういう顔をするとき、シリカは不安に苛まれる。秀吉が遠くへ行ってしまうような気がして。

 

「秀吉さん……死なないで下さいね……」

 

我慢できずシリカは呟いていた。言うべきではないと分かってる。分かってるのに。

秀吉は少しの驚きの後、柔和な笑みでシリカの頭を撫でた。

 

「それは約束できん」

「はい……」

 

分かってる。絶対なんて無い。秀吉は優しい嘘なんてつかない。こんな問いをしてしまえば、自分が不安になるだけなのに。

沈むシリカの顎に秀吉は手を当てて、強引に視線を合わせた。

いつもなら絶対にしない秀吉の行動に、シリカの心臓がどくんと跳ねた。

 

「でも、死ぬつもりなど毛頭ないぞ。だからんな顔するでない。大丈夫じゃ! 約束はできんが信じてくれ!」

「は、はい!」

 

久々に見る言葉の強い秀吉に押されながらも、シリカは精一杯の笑顔を向けた。

絶対は無い。けれど、信じようと思えた。秀吉の強さは自分が1番良く知っている。

夜の帳はすでに満天を覆った。秀吉が無事に帰ることを祈りながら、シリカは瞳を閉じる。

 

 

「かんぱーーい!」

 

6人の男達の朗らかな声が響く。テーブルを囲んで騒々しくグラスを打ち付けている。

そんな賑々しい雰囲気の中に溶け込めてない男が1人いた。

 

「なんでオレがこんなとこに……」

「なんだあボルト! しけた顔してんじゃねーよ! ほら、呑もうぜ!」

 

憂鬱そうに項垂れる男に語りかけたのは、攻略組ギルドの1つたる風林火山のリーダー、クラインだった。

 

「よくもまあアルコールも無しでそこまで盛り上がれるな。風林火山のゴロツキ達は」

「ゴロツキじゃねえよ! サムライって言え! サムライって!」

 

訂正を促しながら、クラインはボルトこと根本恭二の背中をバンバンと叩いた。むせそうになりながらも、ボルトはクラインをねめつけた。

 

「大体なんでオレなんか呼んだんだよ」

「だっておめえいっつもボッチだろ? サーヴァンツの奴らは惚れた腫れたが多いし肩身狭いんじゃねえか?」

「ああ、その通りだ」

 

力強く拳を握り、ボルトが勢い良く立ち上がった。そのまましかめ面で力説する。

 

「あいつらときたら何処でも何時でもいちゃいちゃいちゃいちゃ! 特に酷いのはライトの奴だ! この前なんて……」

 

決壊したダムのように流れるボルトの愚痴を、クラインはうんうんと頷き聞いていた。

途中からはエギルも参加し、男達の宴会は朝まで続いた。

 

 

ギルドマスターが行っているボス攻略会議から送られてきた計画書に、アスナは半ば卒倒しそうになりながら憤慨した。買い物帰りだったが閃光に違わぬ疾さでマイルームに飛び込み、キリトに駆け寄った。

 

「キリト君! 計画書見た!?」

「ん、ああ、見たよ」

「あれおかしいよ! キリト君があんな危険背負う必要無い!」

 

激憤を隠そうともしないアスナの肩にキリトが手を置いた。キリトの和やかな笑顔を見てしまうと、自然と怒りもクールダウンしてしまう。それでも沸き立つ熱は鎮火されるにほど遠い。

 

「大丈夫だよ、アスナ」

「でも……」

「心配するなって。自分で言うのもなんだけど、俺、強いぜ?」

 

キリトの言葉に、アスナは思わす噴き出してしまう。

 

「ふふふ、知ってるよ。キリト君が強いってことは、誰よりも良く知ってる」

「だったら信じてくれ。俺は必ずボスを抑えきってみせる」

 

自信に満ちたキリトの顔を見ると、不思議なことに自分の想いが杞憂だった気がしてくる。キリトはアスナが知る限り最強の剣士だだ。そんな彼がボスモンスターに遅れをとるはずがない。

 

「じゃあ、信じるね」

「ああ、きっちり役目を果たしてくるよ。アスナも遊撃よろしくな」

「うん! 一緒に頑張ろうね! あ、そうだ! お腹空いたね! すぐご飯にするから待ってて!」

 

アスナは立ち上がりエプロンを装着すると、スリッパをパタパタと言わせながら台所に消えて行った。

アスナの視線が外れた瞬間、キリトの顔から笑みが消えた。

 

「大役だな……」

 

独りごちるキリトの声音は、先ほどまでの柔和さが嘘のように深刻だ。75層のボスの強さは桁が違う。その相手の片腕を延々と抑え続けなければならない。その役目は自信家のキリトをもってしても勝利の確信には遠過ぎた。

 

「この無茶振りを提案したのはユウか? よくもまあ信頼されてるな……」

 

浮かんだのはシニカルな笑み。

恐れもある。一歩気を抜けば今にも身体が震えだしそうだ。でもせれ以上に闘志に満ちていた。信頼には応えねば。1人のゲーマーとして、剣士として、そしてサーヴァンツの副リーダーとして。

 

「いいぜ。その信頼にバッチリ応えてやる!」

「さっきからブツブツ言ってどうしたの、キリト君?」

「い、いやー、腹減ったなあって」

「はいはい。もうちょっとでできるから待っててね。もう、食いしん坊なんだから」

「あはは……」

 

アスナは忙しそうに右へ左へ駆け回る。そんな彼女の姿が、キリトには眩しく見えた。

 

 

アインクラッド第70層のフィールドに、僕は優子と2人できていた。日課になっているレベリングのためだ。

秋も終わりにさしかかり、刺すような夜風がほおを撫でる。

 

「いよいよ明日だね。ありがとう、優子。前日までレベリングにつきあってくれて」

 

第75層ボス攻略戦。翌日に決戦を控えながらも、この2人きりのレベリングをやめるつもりは無かった。否、やめたくなかった。

 

「どういたしまして。ところでアタシとのレベリングの日課をすっぽかして、アレックスと添い寝した殿方がいると聞いたんだけど勘違いかしら?」

「い、いや、最後まで添い寝してたわけじゃないから!」

「つまり途中まではしたんでしょ!」

「ご、ごめんなさい……」

「認めちゃうんだ。へぇ〜。ふぅ〜ん。まあいいけどね! アタシはアンタの彼女でもなんでもないんだし!」

 

優子は腕組みしてぷいとそっぽを向いた。

 

「うぐぐ……」

 

ユイとの一件からずっと優子はこの調子だ。あれから一週間経とうとしているのに機嫌を直す様子は全くない。それどころかむしろ悪化してる気さえする。ああもう、どうすれば良いんだろ!

 

 

ああもう、どうすれば良いんだろ!

ここ最近のアタシはきっと全然可愛くない女の子だ。ライトにつっけんどんな態度をとって困らせてばかりいる。今はまだライトは辛抱強く話しかけてくれてるけど、このままじゃいつか愛想尽かされるに決まってる。

ライトはもう何回も謝ってくれたんだから、あとはもう『しょうがないから許してあげるわ!』とか適当に言うだけじゃないアタシのバカ! いつまで意地張るつもりなのよもう!

内心では焦っているはずなのに、口を開くとすぐ嫌味を言ってしまう。この性格を本当になんとかしたい。

煩悶とした思考を掻き消すように、ピロロンと電子音が鳴った。メッセージが届いた音だ。メールボックスを開き文面を確認する。

そこには明日のボス攻略における部隊編成の詳細が書かれていた。その内の1つに聞き覚えの無い部隊名があった。

 

「特殊部隊……?」

 

呟いたのは隣のライトだ。そしてライトの名前はその特殊部隊に列せられていた。キリトとツーマンセルで。

さらにメールをスクロールしていくと、特殊部隊の実務内容が示されていた。曰く、ボスの主要な攻撃方法は両腕に携えられた巨大な鎌なのだと言う。それを抑える役割を与えられたのが特殊部隊なのだ。

でも、それは────ちょっと許せない。

 

「……ユウの奴に文句言ってくるわ」

「ゆ、優子!? いや、この作戦決めたのがユウとは限らないし!」

「絶対ユウよ! こんなバカみたいな作戦、他の3人が押し通すワケ無い!」

「待ってって! 仮にユウが決めたんだとしたら僕はそれに従うよ」

「なんで!? これじゃアンタとキリトの負担が大き過ぎるじゃない!」

「だって、ユウが不可能な作戦を決行するわけない。アイツはきっつい命令をやたら押し付けてくるけど、それは確信の上でだ。僕はユウを信じてるしユウも僕を信じてる。だから大丈夫だよ」

 

どこまでも純粋な瞳で、ライトはそう言ってのけた。でもアタシが怒ってるのはそんなことじゃないのだ。とにかくライトに死地に立って欲しくはない。信頼とかどうでもいい。少しでも危険ならやめて欲しいだけ。それを、ここで絶対に言い含めなければ。

 

「信じてる信じてないの問題じゃないの! いくら信じてたって死ぬときは死ぬじゃない!」

「あはは」

「なによ?」

「そういうリアリストなとこ、優子らしいなって」

「なにそれ。褒めてるの?」

「うん。そのつもりだよ。それはそうと、優子が久しぶりに普通に喋ってくれて良かった。ずっと怒ってたからもうどうしようかと……」

「あ、あれは怒ってたわけじゃなくて……」

「嫉妬してた?」

 

心臓が飛び出そうになった。図星だからなお悪い。普段のライトなら嫉妬なんて言葉使わないのに。

 

「あ、あんた嫉妬なんて言葉どこで覚えてきたのよ!?」

「僕は小学生か何か?」

 

正直、知能指数はそう変わらないと思う。

ライトは頭を掻きながら気恥ずかしそうにしている。

 

「アレックスに指摘されたんだよ。こういうときの反応は嫉妬だって。だから、そうだったら嬉しいなって。違うかった?」

「ち、ちちち、違うわよ!」

「そっかー。残念」

 

信じちゃうんだ!?

もはや小学生以下ではなかろうか。いや、アタシの嘘が上手いということか。自慢ではないがポーカーフェースは得意なのだ。

 

「んー、じゃあさ、なんで優子は怒ってるの? 僕、女の子の気持ちに疎いから察してあげられないんだよ。だから教えて欲しいな」

「そ、それは……」

 

そこから先は言葉として出せなかった。理由なんて決まってる。ライトのことが好きだから。だからここまで怒れるんじゃないか。でもそれを言うのは無理だ。だってアタシは奥手のチキンで天邪鬼。アレックスみたいに素直に表現なんてできやしない。でも……でも好きだ。アタシはライトが大好きだ。アタシにだけじゃなく、誰にだって優しいこの人が好きなんだ。共に歩んでくれて、背中を押してくれて、アタシを導いてくれる、ライトという人がどうしようもなく好きなんだ。

…………よし、告白しよう。どうせいつかは言うことだ。ここで言わなきゃいつ言うんだ。

失敗したって構わない。いや、嘘。構う。きっと泣く。え……どうしよう……。不安になってきた。やっぱりやめようかな……。

 

「優子? 黙りこくってどうしたの?」

「ひゃっ!? そ、そうよね! 理由よね! それはね、えーっと。そのー。す……す……」

「す?」

 

言え! 言ってしまえ、アタシ! たった二文字じゃないか! 躊躇わずにセイイット!

 

「す、すす……」

「あ、そうだ。せっかくだから言っておくね。僕はね、優子のこと大好きだよ」

「ふにゃっ!?」

 

驚き過ぎてよく分からない鳴き声が出た。めちゃくちゃ恥ずかしい。

大好きって!? え! え!?

ともかく問い質さねば。アタシの決意その他諸々を吹き飛ばした発言の真意を。

 

「い、いい、いきなり何言い出すのよ!」

「んー、何となく今言っときたくて」

 

アタシは悩みまくった告白を何となくで済ましたというのかこの男は。そうだ。天然ジゴロなのだ。そも、この『好き』の意味すら怪しい。どうせ友達として、とかいうオチだろう。

 

「その好きってどういう好きなの?」

「1人の女の子として」

 

ひええええ……。

 

「ゆ、優子!? 大丈夫? 顔真っ赤だよ!?」

「赤くなるに決まってるじゃない! ライトのバカぁ!」

「ご、ごめん!」

 

手を合わせて頭をさげるライトは、困った顔でにやけてる。

こんなど直球な告白され赤くならないワケがない。このままやられっぱなしも癪なので、ちょっと意地悪な質問を投げてみる。

 

「じゃあアレックスはどうなの? 好きなの?」

「うん。好きだよ」

「このバカ! 女たらし!」

「ち、違う違う! アレックスの好きは友達としての好きだから!」

「……ほんと?」

「ほんとだって!」

 

なんか騙されてる気がする。が、信じた方が幸せだろう。

 

「でもアレックスはそうじゃないと思うわよ」

「うーん……どうだろ?」

「な……っ! あそこまで感情表現されてまだ気づいてないの!?」

「いやそうじゃくってさ。アレックスって僕のこと好きだって言ってくれるけど、僕じゃないどこかを見てる気がするんだ」

 

そう言ったライトの顔は、荒涼とした寂しさを持っていた。夜風に吹かれた前髪が、ライトの瞳を隠す。

 

「なにそれ。どういうこと?」

「ただの直感。気にしないで」

 

ライトは胸の前で手を振りながら言った。浮かべた笑顔は張りぼてだとすぐに分かる。

 

「確かにアレックスって時々、何考えてるか分からなくなるわよね」

「うん。見ているものが違うって言うか……何か困ってる事があるなら協力してあげたいんだけど」

「ほんっとお人好しね」

「だめかな?」

「ダメなわけないわよ。アンタのそういうとこにアタシは惚れたんだから」

「え……惚れた?」

 

自分の発言を省みる。うん、確かに惚れたと言っている。

 

「ちょちょちょちょっと待って! 今の無し! 違うの! いや違うくないけど! こう心の準備とか! その他もろもろが!」

「結局どっち?」

 

くっ……なんと直球な精神攻撃! こうなりゃヤケよ!

 

「す、すす、好きよ! ライトの全部が好き! 自分でもよく分からないくらい好きになっちゃってるの!」

 

顔が信じられないくらい熱い。目玉焼きくらい焼けちゃうんじゃなかろうか。

数秒の間、頬に手を当てて下を向いていた。真っ赤な顔をライトに見られるのが恥ずかしかったからだ。もう手遅れ感あるけど。

落ち着いたかな、というところで視線を上に向けてみる。そこには爽やかスマイルのライトがいた。

 

「そっか。僕も優子のこと大好きだよ」

「そういうトコがズルいってのよっ! このバカぁー!!」

「うん、ごめんね」

 

謝ると同時に、ライトはアタシの頭に手を置いて左右に動かしはじめる。おいおいおい、これってまさか。

 

「あ、あ、頭撫でるなー!」

「ごめん、嫌だった?」

「嫌じゃないけどもっと段階踏みなさいよ! 心臓に悪いってのよ!」

 

アタシがウブすぎるだけとかでは断じてない。断じて。

 

「じゃあ言葉だけにしとくね。優子。僕と付き合って下さい。現実に戻っても一緒にいてくれたら嬉しいです」

 

待って欲しい。頭撫でるより爆弾度合いが増していないだろうか。さっきからホント、心臓飛び出そうなので勘弁して欲しい。

と、ともかく返事! 何て返すかなんて決まってるけど。

 

「ふぁい! おにゃがいします!」

 

めっちゃ噛んだ。

さすがに動揺し過ぎでは?

 

「あはは」

「なによ! しょうがないじゃない。こういうの初めてなんだし……」

「いや、可愛いなって思ってね」

 

ぐぬぬぬ……。

なんで今日に限ってこんなにキザったらしいのだろう。アタシばっかり動揺してて、ライトの方は冷静なんだからズルい。そろそろこちらからも何か仕掛けて、ライトを思いっきり動揺させてやりたい。

あ、そうだ。あるじゃないか、必殺技が。よし。色々考えてたらまた恥ずかしくなるに決まってるんだから、もう勢いでやってしまおう。

決心してライトに密着するくらいに近づいた。

 

「え、ちょ、優子!?」

 

この時点で半分成功だが、本番はここからだ。

身体を寄り添わせると、ライトの体温がありありと感じられる。上気した顔でライトはアタシを見る。きっとアタシもこんな顔をしているのだろう。

仮想の呼吸は早くなる。熱に溶けるように視線が交じり合う。おもむろに顔を近づける。

そして、唇を重ねた。

目を閉じると、もはやアタシの世界はライトだけになった。

ああ、この瞬間、この幸福だけは、どこまでも『現実』だ。たとえニセモノの身体でも、この恋心はアタシだけの本物なんだから────。

 

「大好きよ、ライト」

 

 

 

時間は流れる。平等に。残酷に。

全ての『プレイヤー』の終わりは、もうすぐそこまできていた。




IQ低めの優子さん。勉強の偏差値と恋愛の偏差値はまた別だよねというお話です。
次回はいよいよラストバトルに突入ですね。このアインクラッドの終焉を見届けて頂ければ幸いです。


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第八十五話「笑顔」

75層ボス戦。ついにここまで来たかと思うと感慨深いです。アインクラッドで書くべきことは書き尽くしました。さあ、決戦開幕です!


第75層ボス攻略日当日。回廊結晶を使い、攻略組はボス部屋の前へと転移した。白亜の大扉は荘厳な佇まいで、勇者達に開かれる刻を待っている。

灯篭の篝火だけが薄暗い廊下をぼんやりと照らす。冷えた空気を肺いっぱいに吸い込むと、溢れる闘気が冷やされ、洗練されていく感覚があった。

 

「いや〜、しかし優子さんとライトさんがくっついて良かったですっ!」

 

洗練された闘気とかぶち壊れた。

僕の右側に立つアレックスが言うと、優子はギョッと目を見開く。

 

「な、なんで既に知ってるのよ!?」

「ライトさんに教えてもらいましたからっ!」

 

優子は僕へと振り返ってキッと睨んだ。ほおが真っ赤で恥ずかしがっているのがありありと分かる。コロコロと表情が変わる様が実に可愛らしい。けど迸る殺意は可愛くない。

なんと釈明、もとい説明しようかとあぐねていると、僕の代わりにアレックスが口を開いた。

 

「そもそもライトさんの告白はアレックスちゃんプレゼンツなんですよっ!」

 

あー、言っちゃった。

口をあんぐりと開けて優子が固まった。次の瞬間、僕の胸ぐらを掴みあげて剣幕にまくしたてた。

 

「ど、どどどういうことなのよ! 説明しなさいよ!!」

「ちょ、ゆらさなっ! しゃ、しゃべっ……ない!」

「私から説明しますねっ!」

 

快活に言うアレックスを羞恥を瞳に宿して睨む優子。優子の様子などお構いなしにアレックスはつらつらと説明していく。

 

「いつまでもうじうじしてるのを見かねて、私がライトさんに告白してって頼んだんですっ!」

「ちょ、ちょっと待って! アレックスってライトのこと好きじゃないの!?」

「好きですよっ! でもそれとこれとは話が別と言いますか。まあまあそんなことどうでもいいじゃありませんかっ!」

「よくないと思うんだけど……」

 

冷静にツッコミを入れる優子。ついでに冷静に僕を降ろしてくれないだろうか。さっきから持ち上げられたまんまなんだけど。

 

「それでですねっ! とりあえず甘いセリフはいて、誠意こめて告白して、ちょっとシニカルに笑っとけって言ったワケですっ!」

「そう言われると自分の単純さにムカついてくるわ」

 

そう言いながらついでのように僕を絞める力を優子は強める。八つ当たりはよそにして欲しい。いや、八つ当たりでもないか……。

 

「とにかく! ライトはもうアタシのものだから! 今更返してって言ってもあげないからね!」

 

顔を熟れた林檎のように紅潮させながら優子が凄む。恥ずかしいなら言わなきゃ良いのに……。嬉しいけど。

言葉を発すると同時にやっと僕を地上に降ろしてくれた。そのままぎゅっと僕の腕に抱きついてくる。僕を自分のものだと主張するよに僕の腕を引き寄せながら、優子はアレックスを睨んでいる。優子も色々吹っ切れたなあ、などと謎の感慨に耽っていると、アレックスが下世話な笑顔を浮かべていた。

 

「うっふっふ。言いますね〜、優子さんっ! 無理してでもそういうこと言っちゃう優子さん好きですよっ!」

「む、無理なんかしてないわよ!」

「おい、お前ら。痴話喧嘩ならよそでやれ」

 

注意したのは僕らの後からワープしてきたユウだった。バカを見る目で僕らを眺めてから、周囲に視線を向けさせるためにユウはぐるりと手を回した。

ニヤニヤであったりイライラであったりするプレイヤー達が、僕らを一様に見ている。

 

「ほら、緊張感足りねえから士気に関わるんだよ。分かったら気合入れ直せ」

「はいはい。ほら、優子、アレックス、ボス情報の確認しよ」

 

そう言って優子の方に振り向くと、優子は顔を手で覆ってゴロゴロと地面を転がっていた。周囲からの視線を意識して、今になって恥ずかしさが来たのだろう。かくいう僕も恥ずかしいが、周囲からの奇異の視線には慣れている。優子は猫被ってたもんなあ。そういうのにはまだ免疫がなさそうだ。

気持ちがある程度落ち着いたのか、優子が勢い良く立ち上がり、僕を指差して詰め寄ってきた。

 

「というか! アレックスに告白を頼まれたって言ってたけど、じゃああの告白は嘘だったわけ!?」

「嘘じゃないよ! 優子が好きなのは本当だって!」

「本当に本当?」

「うん! 僕が嘘つく人間に思える!?」

「はあ……」

 

否定でも肯定でもツッコミでもなく、ため息。なかなか堪える。

拗ねた表情のまま優子は僕を上目遣いで見た。

 

「じゃあどのくらい好きか言ってみてよ」

 

こ、これは! 恋人同士が良くする質問じゃないか!?

不思議な感動を覚えつつ、僕の語彙力の限りを尽くして応答する。

 

「大きさで言ったら100メートルくらい好きだよ!」

「え、なんか、微妙」

 

そうだろうか。わりと大きいと思うんだけどなあ、100メートル。

アレックスは僕の答えにやれやれと首を振っている。

その時、広間をリンドの声が貫いた。

 

「さて、事前に配布した資料はみんな読み込んでくれたかな?」

 

リンドの呼びかけに個々人が応答する。

リンドから言葉を引き継いだのはヒースクリフだった。

 

「この75層ボスは、今までに無い激戦となるだろう。命を落とす者も現れるかもしれない。だが、止まらないで欲しい。これまでも我々は幾多の命を失ってきた。その上をひたすらに走ってきた。それは何のためだ? それよりも多くの人々を救うためだ! そしてそれこそが、死した英雄達の弔いともなろう! ならば我らに止まることは許されない! さあ、行くぞ諸君! また1つ、我らが先へと進む刻だ!」

『うおおおおお!!』

 

広間全体が勝鬨の声で震え上がる。

待って。さっきまでふざけてたからまだテンションが追いついてないんだけど。

とにかく! しっかり緊張感高めていこう!

ここに集ったのは万夫不当の(つわもの)達だ。されど敵は最恐の死神。相手にとって不足はない!

 

「行きましょうっ! ライトさんっ! 優子さんっ!」

「ええ! さっくり倒して帰るわよ! …………あとね、ライト」

「ん、なに?」

「死ぬんじゃないわよ。もし死んだら八つ裂きにしてやるから」

「……うん!」

 

八つ裂きにされたら死ぬとか言わないでおく。

最後に優子の手を思いっきり握る。どうか、離れないように。

そんな僕と優子の様子を見て、アレックスは色々混ぜこぜになった複雑な笑顔を作る。

その目尻には涙が浮かんでいた。

 

「ど、どうしたのアレックス!?」

「な、なんでもないんですっ! なんでもっ!」

 

アレックスは涙を拭いながら、首と手をぶんぶん振って否定する。アレックスに何と言えば良いのか分からない。そんな不甲斐ない僕の代わりに、優子は怒気混じりに声を上げた。

 

「アレックス。アンタ、なんで逃げたのよ。泣くほど悔しいなら、なんでアタシに告白してなんてライトに頼んだわけ? それなら最後までアタシと戦えば良いじゃない!」

「違うんですっ! 私は、そうじゃなくて……」

「じゃあなんで泣いてるの? それって……」

 

優子が何かを言いかけたとき、僕の背中を誰かがポンと叩いた。

 

「よっ! ライト! ……って、お邪魔だったか?」

「キリト! どうしたの?」

「戦う前にさ、お前と会っときたかったんだ」

 

横に立つ黒の剣士の表情は、猛獣のような笑みだった。

 

「やろうぜ。俺たちで」

「ああ。しくじるなよ?」

「お前こそ」

 

そうして、僕とキリトは拳を打ち付けあう。

それ以上は言葉も行動も必要無い。

さあ、75層決戦だ!

と、その前に

 

「ね、アレックス」

「はい?」

「僕は君がどんな決意をもってここにいるのか分からない。けど、応援するよ。たとえ何が起こっても、アレックスが正しいんだって信じてる」

 

アレックスははっと息をのんだ後、寂寥を感じる瞳で俯いた。聞こえるか聞こえないかという音量で、アレックスが口を動かす。

 

「……私は、幸せですね」

「ん? なんて?」

「いいえ、なんでもっ! さっ、ライトさん。戦いましょうっ!」

「うん!」

 

前を見ると、ちょうどヒースクリフが扉を開けたところだった。

一斉に進む軍団の中から飛び出して、一足飛びにボス部屋へと入る。

 

「僕は右の鎌に行く! キリトは左をお願い!」

「おう!」

 

大理石のタイルを蹴って疾駆する。久しぶりの全速力で、周囲は流星のように後方へと流れていく。

前を見ると巨大なポリゴンデータが構築されていく真っ最中だった。それはどんどんと細長く発展し、巨大なムカデの形をとる。

地獄の焔を思わせる真紅のマーカーが浮かび上がる。同時に表示された名前は《The Sukull Reaper》。その名に違わず巨大な髑髏を模した頭部、そこから連なる背骨のような体軀。その背骨の節それぞれから地面を這う脚が伸びる様はまるで節足動物だ。そして何より目を引くのは腕の延長に備えられた巨大な鎌だ。ただの情報体であるはずのソレは、現実の刃物など軽々と凌駕する死の気配を濃密に孕んでいる。

 

「まずは1発!」

 

ボスが動き出す前に巨大な頭の前に飛ぶ。めいいっぱいに振りかぶる。そのまま思いっきり眉間に拳を撃ち込んだ。拳術スキル正拳突き『封炎』。だが、その程度で骨ムカデはびくともしない。出現していくボスの体力ゲージを見ても、1ミリほど削れたか、というくらいだ。

だがこれで充分。もとより僕はアタッカーじゃない。真の初撃は、少し遅れてやってきた。

 

「うおおおお!」

 

キリトが雄叫びをあげる。僕と同様にボスの前に飛び上がる。手に握られた二刀で斬り払うような一撃を叩き込む。今度はゲージが目減りした。やはり筋力ステと武器の差は大きい。

痛撃を受けた大ムカデは仰け反るように上を向いて、大音量の咆哮を放つ。

 

「グウゥゥゥギギギィッッ!!」

 

そのまま振り上げた鎌を一息に振り下ろしてきた。

先ほどの打ち合わせ通り、僕はボスの右側へ、キリトは左側へと避けながら移動する。

そこで遊撃隊が到着した。アスナ率いる遊撃隊は、統制の取れた動きでボスの顔や胴体を攻撃していく。キリトの1撃がライフルとするなら彼らの連撃はショットガンか。

そのダメージは僕とキリトが与えたものより大きかったらしく、スカルリーパーのヘイトが遊撃隊へと向く。そこですかさず、僕は手を打ち鳴らした。挑発スキルをマスターしているために、この程度のモーションでヘイトはひっくり返る。

憎悪の炎が僕を焼き尽くす錯覚。さながら蛇に睨まらたカエルだ。だが泣き言なんて言ってられない。殺戮の具現たる鎌が刻一刻と近づいているのだから。

 

「グゥッ!」

「…………ふん!」

 

僕に向かってくる鎌の威力を、閃打で弾くことで削ぎ落とす。軌道を逸らされた大鎌は地面に追突し、花火にもにたライトエフェクトと爆音を撒き散らす。横目でキリトを見ると、二刀流で真正面から受け止めて弾き飛ばしていた。

 

「なんでアイツ、ボスと普通に打ち合ってるんだ……」

 

自分の非力さに少々腑甲斐なくなりつつ、目の前の仕事に集中する。

弾く、いなす、避けるを繰り返しているうちに、ボス部屋は2レイドで埋め尽くされた。

軍勢に漲る闘志は際限無く、それそのものがダメージ判定を持っているのではと感じるほどだ。

 

「第2部隊右へ、第3部隊は左へ散開! 遊撃隊はそのまま正面取り続けろ! 第1タンク部隊も正面に! ランス隊はタンクの後ろから攻撃! 第4、5、6部隊はスイッチ待機!」

 

張り裂けんばかりの声量でユウは全体に指示を出し続ける。デスゲームを生き抜いてきた強者達は一寸の無駄もなく指示に従う。その統制は一種の美しささえ伴っていた。

ボスの攻撃はほとんどが僕とキリトで無効化され、たまに防ぎ漏らしたぶんはアタッカーとともに動くタンクが受け止めてくれていた。

たまに状況を打開しようとスカルリーパーは搦め手を繰り出すが、それで揺らぐほど攻略組は軟弱ではない。

ローテは怖いくらいに順調で、ゲージ1本目を削り切ろうという現在、まだ体力半分を割ったプレイヤーは数人程度だ。これは、いける!

 

「ゲージ1本目無くなるぞ! 全部隊一旦退避!」

 

ユウが飛ばした指示にしたがって、僕とキリトを除く全員が後方に下がる。ここからは未知の領域だ。まずは行動を確認し、事前に立てたパターン別の作戦をユウが指示する手筈になっている。

そして僕らは、残りを削り切る役割だ。

 

「ったく! ユウも無茶言ってくれるよな!」

「今更だね。さっさと削り切ろう!」

「ああ、行くぜ!」

 

キリトは正面に陣取り、僕はボスの真下に潜った。無数の脚で浮いた胴体をしたから蹴り上げる。キリトはキリトで器用に鎌を避けながらのヒットアンドアウェイを繰り返していた。

そして遂に1本目のゲージを削り切ったとき

 

「キイィィグゥゥゥ!!」

 

骨が擦れ合うような音で骸骨の死神が喚くと、巨体を一息に起こした。まるで立ち上がったような姿勢だ。頭頂部は天井につこうかという高さまで上がり、太陽の塔みたいに見えた。その姿勢のまま、ボスは鎌を深く構えた。そして雷もかくやという速さて切りつけた先は、このボス部屋の天井だった。プレイヤーではフィールドには傷1つつけることすら叶わない。だが死神の鎌は深々と天井に突き刺さっている。ボスモンスターとしての特権だろう。

しかしその行動の真意は不可解だ。わざわざ天井を切りつけて一体何がしたいのか。

 

「あいつ、何してるんだろう……」

「いや……そんな、まさかな……」

 

僕の疑問に、キリトは答えとも言えない独り言を返した。

次の瞬間、唐突に骨ムカデの図体が宙に浮き出したのだ。

 

「なっ!?」

「やっぱりか!」

 

驚く僕を横目に、キリトは合点がいったようだった。状況を再度考慮して、僕にも事の次第が理解できた。

つまり、天井に刺した鎌によってボスは自分を持ち上げているのだ。スカルリーパーは逆上がりのような動作で身体を天井へと這わせていく。最後にはまるで天地が逆転したかのように天井に立っていた。

2割ほど困惑が混ざった笑みを浮かべて、キリトがポツリと呟いた。

 

「ゲームだとよくある演出だけど、現実でやられるとビビるな、これ……」

「これゲームだよ」

「げ、ライトにツッコミ入れられた。死のう」

「ちょっと待って。死を決意するほど僕につっこまれるのが屈辱なの?」

「いやだなあ。1割冗談だって」

「ほとんど本気じゃないか!」

 

ボス戦の最中のくだらない会話を打ち切ったのは、ボス部屋の隅々まで届くほどのユウの指示だった。

 

「スタンプの可能性がある! ボスの真下と軌道上には近づくな!」

 

ユウの言葉通りに、全員が頭上の死神を注視する。しっかりとボスの動きを見定めて、誰もが適切な対処をするだろうと確信できる。

 

「とりあえず攻撃するか。ライト、援護頼む」

「はいよ」

 

僕とキリトは腰を深く落とした。反動をつけて飛ぶためだ。先にキリトが、次いで僕がボスに向かって跳躍した。天井までの30メートル程度のジャンプ、今の僕とキリトのステータスなら造作もない。瞬く間にボスの側面へと陣取ると、キリトはソードスキルを発動させた。

二刀流上位技────

 

「スターバースト……ストリーム!」

 

迸るライトエフェクトは花火のよう。流麗なる連撃は一分の無駄もなく、その苛烈さは鬼神に通ずる。

キリトが鬼神なら対するは冥府神か。スカルリーパーもやられっぱなしなはずがなく、強大な鎌の一太刀を浴びせんと振りかざす。絶対にして必殺の一撃。ソードスキルを発動させているキリトでは避ける術もない。

さて、ここからが僕の出番だ。

 

「跳ぶよ、キリト!」

「おう! 任せた!」

 

キリトの脇腹を抱えて、僕だけに許された絶技を放つ。拳術スキル特殊技『神耀』。完全なる瞬間移動。万物を寄せ付けぬ僕だけの最速だ。

跳躍距離を3メートルに設定し、死神の鎌を間一髪で避ける。

あとはこのまま降りるだけ───

そう思っていた僕が浅はかだった。

 

「キシャッ!!」

 

怒り狂う死神は冷徹な追撃を繰り出した。身体を大きくクネらせ、下半身で僕らを叩きつけようとしてきたのだ。ボスの胴体はムチを思わせるしなりで間を詰めてくる。

うっわ……どうしよ。

背筋に寒気が走る。神耀はクールタイムに入っている。完全に避ける方法は無い。だったら………

 

「うおりゃ!」

「ぐおっ!? ライト、お前!」

 

僕はキリトを蹴飛ばした。これでキリトは当たり判定内から外れた。せめてキリトだけでも戦線を離脱させないための処置だった。けど僕はモロ受けだなあ……。死ななきゃいいけど。

せめてもの抵抗として身体を丸め、胸の前で腕を十字に交差させる。

スカルリーパーの長い胴体が音速にも届こうかという速度で迫り来る。そうしてつくられた勢いは、余すところ無く僕に叩きつけられた。

五体が粉砕するのではないかという衝撃だ。スカルリーパーが片手間に出したこの攻撃が、僕がアインクラッドで受けた中でも最強だった。

景色が流星のように流れていく。はたから見れば僕こそが流星なのだろう。地響きのような音とともに着地する。いや、不時着するの方が正しいか。

地面に当たったときに受け身を取ってみたものの、勢いはほとんど殺せずにゴロゴロと回転した。壁に追突してようやく僕の動きが止まる。

体力は────残り2割。

助かった! 鎧がユイから貰った《The Destiny》じゃなければ確実に死んでた。

 

「いてて……神耀のワープ距離、ケチらなきゃよかった……」

 

今更悔いてもしょうがないんだけどね。

石造りの壁に背を預け、腰のポーチから取り出したポーションを一息に呷る。

 

「ライトさんっ! 大丈夫ですかっ!?」

 

近くにいたアレックスが心配そうに駆け寄ってきてくれた。僕がポーションを飲んでいるのを見て、アレックスは胸を撫で下ろしていた。

 

「うん。なんとかね。───アレックス! 上!」

 

スカルリーパーだった。

死んでいない僕を見てトドメを刺しにきたのか。死神は天井を伝い、一直線に僕めがけて移動していた。

周囲では僕を守るためにタンク部隊が挑発モーションを取っている。それを一顧だにぜず、死神は僕に憤怒の眼光を爛々と燃やす。

 

「キシャッ!」

 

怒気のこもったような奇声をあげて骸骨の死神は落下してくる。まず、逃げることではなく押し潰されないことを考えなきゃ。差し迫る巨体の動きをしっかりと視認して、堅実に避ける。

アレックスを脇に抱えてバックステップ。2メートルの後退により当たり判定を抜ける。

ボスが落下した風圧で危うく倒れかける。白煙を吐き目を赤く光らせるスカルリーパーの姿は濃厚な死の匂いを撒き散らす。

体力が削られたせいでやっと危機感が出てきた。こいつめちゃくちゃ強い。一撃必殺の攻撃力やフィールドを縦横無尽に駆ける機動力は勿論のこと。こいつの真の強さはAIだ。スカルリーパーは明らかに、僕を潰せば戦線が決壊することを理解している。タンクの挑発モーションでヘイトが管理できていないのがその証拠だ。

スカルリーパーは大鎌を僕とアレックスを取り囲むように左右に広げた。

どう逃げる? 神耀はまだまだ回復していない。両方の鎌を僕が防ぐ? 無理だ。体力がもたない。今度こそ死ぬだろう。避ける? それができる速度ではない。死神の鎌は文字通り神速なのだから。それぞれの鎌を僕とアレックスが1人づつ担当する? これが一番現実的だが、正直アレックスの技術とレベルに不安が残る。二刀流スキルを持ち、アレックスより5レベル高く、技術もより優れているキリトでやっと鎌を捌けているのが現状だ。たとえ一撃と言えど、アレックスが対処できる保証がない。そして失敗すれば、僕とアレックスの2人とも確実に死ぬ。

考えろ。考えろ。考えろ!

考え尽くして1秒後の未来を切り開く!

 

────ドン。

 

「え?」

 

景色が傾く。いや、傾いているのは体の方だ。押されたのだ。僕の体は宙に浮き、既に鎌の攻撃範囲を離脱している。突き飛ばされた。誰に? それは────

 

「アレックス! なんで!?」

 

態勢を立て直しながら振り向いた。

 

「う……そだ……」

 

見えた光景、それを脳みそが拒絶する。

脳内が真っ白に染まる。何も考えられなくなる。あり得ることのはずなのに、そんな可能性など微塵も考えていなかったかのよう。

 

────死だ。

 

鮮やかなまでの死。

アレックスの体は、胴を境に両断されている。

頭がスパークする。

ふざけるなふざけるなふざけるな!

こんな終わりであっていいもんか! 救いたいものがあると彼女は言った! その想いを、僕なんかのために無駄にしていいはずがない!

僕は……僕はアレックスに何もしてあげられていないのに!

血が沸騰する。息もできない。石油みたいな真っ黒い感情が、心にどんどんと注がれていく。

助けなきゃ。もう助からない。

理性と本能が乖離する。ぐちゃぐちゃに魂が攪拌される。

それでもと足を動かして。アレックスの方に。

堕ちゆく彼女の上半身。回転するそれは僕の方を向いて、笑った。

それは、美しい笑顔だった。



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第八十六話「災禍の鎧」

すごいタイミングで期間空けてしまいまして申し訳ありません……。テストも終わりましたので、投稿速度上げていきます。どうかこの浮遊城の最後まではお付き合いいただけますように。


アレックスの上体が堕ちていく。

それは折れた金木犀のよう。

地に堕すわずか前、彼女はポリゴンの欠片となった。

灼きついているのは死の暇に見せた表情。場違いな彼女の笑顔が、頭の中で、ぐるり、グルリ、なって。



 

「──────あ…………あぁ……ああっああぁぁぁああぁああああああぁぁっぁぁぁぁぁあああっあああああああああぁぁっぁぁぁぁぁああぁぁぁァァアアアアァァァァアアッアアアアァァアアアアアッァァァアアアァァァァアアアアアァァアアァァアアアアアアァァッァアアアアアアアアァァッァア■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ーーーーーーーーッッ!!!!!」



 

触れたのは、虎の尾か、竜の逆鱗か。
怒髪はこの天空城、アインクラッドを流星が如く貫いた。
いや、憤怒だけではない。それだけであろう筈が無い。
この叫びが内包するのは、嘆きの慟哭であり、狂った怨嗟であり、壊された思い出だ。

死んだ。
死んだ。
─────が死んだ。
─────が死んだ?

そんなことがあってたまるか。

否定する材料が何処に在る?

意味が解らない。

解る筈だ。自分の眼で見たのだから。

嘘だ。

本当さ。

他人事のように響く自問自答。
それすらも、黒いナニカに押し潰される。
ただ、この世界が憎かった。
─────という存在を消去(デリート)した、この世界が。
自分の手が届くのならば、誰をも救えるのだと、信じて疑わなかった。信じ込んでいた。いつの間にか自惚れていた。
もしそうなら、今のライトが、こんなに凄惨たる想いに侵食されているだろうか。
視界は暗い。
何も見えない。
ああ────だと言うのに。
はっきりと視えるモノがある。
誘蛾に魅せられた陳腐な蟲のように、ライトは、そっと手を添えた。
暗黒に満たされた心の奥の奥。そこに、災禍はあった。

これなら、壊せる。

世界の全ても、僕の心も。

☆

眼前に展開された光景を、アインクラッド七十五層の守護者(ガーディアン)AIは、一体どう判じたと言うのだろう。
目下に屹立するは、フルプレートアーマーを纏った戦士であった。
数秒前、スカルリーパーは戦闘AIの領分として、プレイヤーの少女を突き刺した。と同時に、眼前の『彼』はその身の変容を始動させたのだ。纏った鎧には滴る闇が浸みていく。鎧の節々は鋭利に尖り、戦士の身体を覆っていく。最後には貌を兜で包み隠した。
甲冑から撒き散らされる獅子奮迅の激昂は、相対する鋼鉄の心に叩きつけられた。
瞬間。
あまりに原始的な感情が、スカルリーパーを突き刺した。
───即ち、恐怖だ。
それは絶対にあり得ない物だ。スカルリーパーは単なる戦闘AIでしかない。与えられた思考回路は、ひたすらに敵を殺すこと。
だが、異形の骸骨は畏怖を覚えた。
対する鎧。その在り方に。
黒い。
唯ひたすらに黒い。
漆黒でなく暗黒。
そうとしか形容出来ぬ程に、目前の鎧は災厄の如き瘴気を放つ。
それは、原初が闇の体現か?
───否。
それは、終焉へ至る混沌か?
───否。
これは、ヒトが生み、ヒトが培った膨大な悪意の収斂だ。
憤怒だ。殺意だ。憎悪だ。呪詛だ。悲哀だ。絶望だ。破壊だ。嫉妬だ。諦観だ。恐怖だ。嫌悪だ。不安だ。軽蔑だ。罪悪だ。刻苦だ。詭弁だ。詐称だ。偏見だ。懺悔だ。────愛だ。
人間が持ち得る、負の感情、その決算がアレなのだ。
故に────スカルリーパーの恐怖は、あまりに順当だった。
それも、無機質なAIに心を持たせる程に。
ぞわり、と。
急所に鎌を当てられたような悪寒が、スカルリーパーを抱擁した。
結果、恐怖心は一つの方向へと収束する。
殺す。
殺される前に殺し切る。
それが、スカルリーパーの下した結論だった。
目の前の敵は、度し難い害悪だ。
そう、これは。万物を破滅へと導く、害悪。
────“災禍”。
目の前のソレは、人間の悪意が『災害』の域にまで昇華された結果なのだ。
白刃一閃。
システム的セーフティをも振り切って、スカルリーパーは最速の鎌を振り下ろす。
疾く。速く。
極限まで鍛え上げられた音速の斬撃は、愚直なまでに戦士の脳天へと向けられる。
取った───!!
そんな安堵が、百足の怪異を支配した。
刹那。

戦士の姿が消えた。

索敵の限りを尽くしてスカルリーパーは男を探す。果たして、彼はスカルリーパーの側面にいた。音速など生温い。其は光速。たとえ心が死に絶えようと、身に刻まれた絶技に一寸の衰えも無い。

追撃するべく異形の百足は身体を回転させようとする。だが、足に違和感があった。百ある足の一本が石化したように動かない。

原因は明白。暗黒の戦士が何食わぬように足を掴んでいた。そして、

 

────ブチィッ!

 

何の抵抗も無く、掴まれた足がもがれる。無造作に足が放り捨てられる。ポリゴン片となって霧消する。

戦意で誤魔化したスカルリーパーの心に、再び恐怖が影を落としていく。

それでも止まれない。臆せば死ぬだけ。戦いを挑んだ時点で既に退くという選択は残されていない。攪拌された心に任せて、我武者羅に鎌を振るう。

スカルリーパーはその鎌もまた避けられるのだろうと予測した。しかし、その予測は裏切られた。

鎌は止まった。戦士の小さな手が、造作も無いとばかりに刃を掴む。
災禍の鎧が、口角を釣り上げた。───ような気がした。

ガチリ。

音となった絶望が、集音機能に伝播する。

ギチ。ギチギチギチ。

圧搾される。圧縮される。収縮せらる。そして───

バリン。

砕け散った。
腕の延長として備えられた大鎌は、見るも無残な変貌を遂げた。この刃では、もはや何をも斬り裂けまい。
部位欠損ダメージにより、スカルリーパーの体力ゲージがずぶりと抉れる。
憤然と立つ鎧は、幽鬼のような気配の無さだ。
いや違う。
押し潰されると判断した意識が、その圧力をわざと解していないだけ。
暗黒の拳士が持つ殺気は、最早、此の世が理すらも超越している。

「ギ────ッッ!!」

骨を鳴らしながら、怪物は追撃する。
鎌が効かぬと云うのなら、他の攻撃を試すまで。
右側の腹部を伸長させ、左側の腹部を凝縮する。さきほどライトとキリトに放ったのと同じ攻撃。勢いをつけた体当たりだ。
このとき、スカルリーパーは正常な判断力を失っていた。鎌すら破る膂力なのだ。胴体程度、反撃できぬはずがない。

「……殺す」

呟かれた殺意を死神は遮断する。ソレを理解すれば心が壊れると悟ったから。
スカルリーパーの必死の攻撃が、災禍の鎧へと差し迫る。対する暗黒の戦士は、脇腹に拳を沿えて絞り込んだ。
バンッ!!
衝撃音が伝播する。それは戦士の拳から放たれたもの。このアインクラッドで間違いなく最速の一撃が撃ち込まれる。音すら置き去りにする絶対の速さ。その拳には何人たりとも追いつけない。打撃がスカルリーパーの胴体へと到達した瞬間、地震を思わせる轟音が鳴り響く。

スカルリーパーは吹き飛んだ。数十メートルの巨体が紙のように浮き上がり、容赦無く対向の石壁へと叩きつけられる。

倒れ伏したスカルリーパーが顔を上げる。

既に目鼻の先に、其れはいた。

絶望の具現たる暗黒の騎士。暗澹たる影の瘴気は底が無く、周囲さえも蝕んでいく。

このとき、スカルリーパーの中で恐怖が殺意に勝った。これと戦ってはいけない。いや、そもそもとして戦いにならない。殺戮機構たるAIは、自らの存在意義を否定した。

神速の小手がスカルリーパーの顔面にめり込む。顔面が握力だけで潰される。5段あった体力ゲージは残り3本となっていた。

 

「ギギギギギ───ッッ!?」

 

奇声を上げて、スカルリーパーは逃げ出した。そこからは一方的な蹂躙だった。粗雑な石床を踏み抜くかという勢いで百足の怪物は疾駆する。化物が起こす突風で、備え付けられた松明が震えるように揺らめいた。絶望の具現たる騎士はスカルリーパーを追走し、傷を付け、足を千切り、穴を開ける。

 

「お前のせいだ……お前が……お前が!」

 

ライト『だったもの』はうわ言を呟く。言葉に混ぜられた感情は黒く染みて、忖度などつけようもない。ただ、明確な殺意があった。

ああ、その殺戮は狂詩曲(ラプソディ)のようで。

 

 

「おい……なんだよアレ……」

 

呆然としていた攻略組の1人、アインクラッド連合軍幹部のラフロイグが特徴的なタラコ唇を震わせた。

 

「なんだよあの力! チートじゃねえか!」

 

誰もの思いをラフロイグが代弁する。眼前で力を振るう暗黒の騎士。それがサーヴァンツのライトであることは誰しもが確かに見た。だがその力は道理に合わない。あれは災害。プレイヤーの持って良い能力ではない。

混乱と恐怖から絶句していたプレイヤー達は、ラフロイグの糾弾を皮切りに呟き始める。その大半は理解の埒外にあるという表明だった。

『なんだアレ……』

『分かんねえよ……アレ、本当にライトなのか?』

『こっちは攻撃してこないよな? 大丈夫だよな!?』

『大半』に属さないプレイヤーも当然いる。血盟騎士団の古株、ディーノが落ち着いた声で反論する。

 

「SAOでチートとかあり得ないだろ……。それこそ開発者側じゃないと……」

「それが答えだろ! あいつはゲームスタッフ────つまり俺たちな敵だったってことじゃねえか!」

 

半ば狂乱したラフロイグの金切声に、攻略組が一斉にざわつく。ラフロイグの仮説が正しいなら、確かにライトの変貌にも説明がつく。ライトがスタッフだと言うなら、ステータスや装備なんて自由自在に決まってる。

その通りだと頷く者、スタッフがボスの相手をするのはおかしいと主張する者、ただ厳しい顔で状況を見る者。

喧々囂々のプレイヤー達を鎮めたのは、サーヴァンツリーダー、ユウの一声だった。

 

「一旦落ち着け! 少なくともあいつはボスと戦っている! 俺たちの敵じゃねえ! だったら今のところはあいつに任せて、各々がすべきことを考えろ! 体力削れてる奴は補給しろ! 装備の耐久が下がってるなら付け替えろ! できるだけ安全な場所に移動しろ! ぼーっとしてるヒマがあんなら、やるべきことを先にやれ!」

 

ユウの指示に攻略組は顔色を変えた。このデスゲームを生き抜いてきたプレイヤーは、誰もが自分の安全を確保することに現実以上に重きを置いている。その価値観に合致するユウの言葉は飲み込みやすい物だった。そうなるようにユウは言葉を選んだのだ。

だがそこに叛逆の徒が1人。それは先ほどの、ライトを標的に雑言を発した大剣使い、ラフロイグだった。ラフロイグは睨みを利かせながら、威圧するような小さく重い歩調でユウに詰め寄った。

 

「おい、ユウさんよ。そんなに自分の仲間が大切か?」

「どういう意味だ? 大切に決まってるだろ」

「しらばっくれんな! 見え見えなんだよ。あんたもライトと同じ開発者側なんだろうが! だから攻略組の連中の気を、必死で逸そうとしてるんだろうがよ!」

「なっ……!?」

 

予想だにしない批難にユウは息をのんだ。相手の立場に立ってみればそう考えるのは自然だ。そしてライトから全体の意識を逸そうとしたのは事実。こうなると簡単に否定はできない。

その直後、ユウはあることに気づいて苦い顔をした。

 

(こいつ……笑ってやがる!)

 

非難を叫んだ軍の男の口角が緩んでいるのだ。本当にユウが敵だという妄執に憑かれているのなら、笑顔を見せるはずがない。

となると、この男の目的は疑心暗鬼の状況そのものか。

男にだけ伝わる音量でユウは喉を震わせた。

 

「てめえ……そういうハラか」

「するどいねえ。だったらどうする? こいつらはあんたほど頭良くないぜ?」

 

ラフロイグはアゴでくいっと周囲のプレイヤー達を指す。

悔しいがその通りだった。もしここでユウが男を非難したとして、その行為は周囲には自暴自棄の反撃にしか映らないだろう。ユウへの信頼は失墜する。反論の材料が揃わない限り、支持されるのはライトという状況証拠があるラフロイグ。

ユウが打開を試みて思考を始めた、その時。

 

「ぐあっ!?」

 

男が何の前触れも無く殴り飛ばされた。攻撃したのは、悪鬼の如き表情のまま涙を流す優子だった。優子を指すマーカーがオレンジに切り替わる。

優子は倒れそうになる男の襟首を掴むと、更に2度、3度と拳を振るう。

 

「あんたが! あんたがアレックスを唆したんでしょうが! ふざけてんじゃないわよ!」

「おい、優子! 一旦落ち着け!」

「落ち着いてられるわけないでしょ! アレックスが死んじゃったのよ!? アンタは何でそんなに平気そうなのよ!」

「平気なわけ、ねえだろうが」

 

優子の叫びとは対照的な、呟くような声だった。それでも、噛み切るような声には優子に冷静さを取り戻させる激情があった。

 

「ごめん……そうよね。ユウは指揮官だもんね。勝手なこと言っちゃった」

「大丈夫だ。気にしてない。それより、こいつがアレックスを唆したってどういうことだ?」

 

ユウが倒れ伏す男を指差して言った。優子は嫌悪がありありと分かる目線で男を睨みつける。

 

「さっきね、アタシとアレックスは一緒に行動してたの。そこにラフロイグがやってきて『聞き違えかもしれねえけど、ライトがさっき回復ポーション忘れたかも、とか言ってたぜ』って言ってきた。アタシは、いくらライトでもそこまでバカじゃないって言ったんだけど、アレックスは『万が一ってこともありますし、一応ライトさんのところに行ってきますっ!』って行っちゃったの」

「なるほど……」

 

優子の言葉を噛み砕く限り、確かにラフロイグはアレックスを狙ったのだろう。だが、不可解な点が幾つかある。

アレックス1人を殺す意味とは。それは薄い。ユウは正直言ってアレックスに戦力として過剰な期待はしていなかった。それよりもキリトやライトといった攻略の要となるプレイヤーを陥れるなら意味が分かる。

ならばなぜアレックスを狙ったのか? いや、違う。その前提が間違いだ。ラフロイグはアレックスと優子に同時にライトの危機を伝えた。つまり、アレックスでも優子でもどちらでも良かったと考えるのが自然だ。

となると目的は? それは明白。ライトを暗黒の鎧を纏った状態にすることだ。ラフロイグの言に則ると、ライトの前で優子かアレックスを殺すことが目標だったと取れる。それにどんな意味があるのか。ライトの心が壊れ、あの黒い鎧に侵食される。実際、最初にライトの兇状を指摘したのはラフロイグだ。

しかし不確定要素が多過ぎる。ただアレックスをボスの近くに移動させただけで、アレックスが必ず死亡するわけがない。アレックスだって攻略組の一員だ。ちょっとやそっとじゃ倒されない。そう考えるとラフロイグの目的がまたも不鮮明になる。いや、ここまで計画性が薄いなら、愉快犯と捉えるのが最適か? 確たる信念で殺したわけではなく、ただそう動けば都合が良かった、と言ったところか? 成功すれば大儲け、失敗でも損はしない、ということか。

黒い鎧のことは、優子やアレックスから目撃証言を聞いていた。そのトリガーが心だと言うことも分かっていた。

しかし疑問が再燃する。なぜラフロイグは鎧のことを知っていた? 知らないと仮定すれば違う疑問が現れる。すなわち、なぜ優子、アレックスをピンポイントで狙ったのかということだ。

だから一旦ここでは、ラフロイグが鎧のことを知っている、という前提で思考する。となるとラフロイグの出自は自明。鎧のことを知っていて、攻略組に対して悪意を持って動く。そんな行動を取るのは、あの組織しかあり得ない。

 

「やっと尻尾現しよったな、ラフロイグ!」

 

唐突に声を張り上げたのは、ラフロイグの所属ギルド、アインクラッド解放軍のリーダーたるキバオウだった。

キバオウの後ろにはから顔を出した軍の副リーダー、シンカーはいつもの温和な顔からは想像もつかないような厳しい目をしていた。

 

「君のことは調べさせてもらってたよ、ラフロイグ。いやまあ、君だけでなく数百人を総ざらいしたんだけどね」

「お、おい! 何の冗談だよ!? シンカーさん! キバオウさん!?」

 

ラフロイグは分かりやすく狼狽してみせる。ここまできてその演技に怪しさが無いのだから相当な喰わせ者だ。

縋り付くラフロイグを無視して、シンカーは淡々と続ける。

 

「ラフィンコフィンとの決戦において、明らかに我々の作戦が漏れている場面が多々見受けられた。そこで軍では、それ以前から軍に所属している全てのプレイヤーの中から、ラフコフ攻略作戦を知る可能性のあるメンバーを調べ尽くした。そこで、君の経歴だけが異色だった」

「な、なにを! 俺には怪しい経歴なんて1つも……」

「そう。1つも無かったんだよ。君だけは、軍に入る以前の過去が全く浮かんでこなかった。所属ギルドはおろか、誰かと即席パーティーを組んだ事実さえ、ね。これじゃあ疑ってくれと言っているようなものだ」

「そこまでいったんやけどな、わしらには確たる証拠が無かった。ほんまに、今まで誰とも関わらんかったままの奴、という可能性がゼロやないからな。けどこれでもう詰みや。ライトのやつが暴走する条件はユウはんから聞いとる。それをお前が狙ったであろうことは状況から見て明らかや。自白せい、ラフロイグ! 今なら黒鉄宮送りで手を打ったる!」

 

シンカーの言葉を引き継いだキバオウは、冷静ながらも強い語調を叩きつけた。それは、長く連れ添ったギルドメンバーへの、彼なりの温情なのか。

広場の空気がシンと軋む。

冷ややかな目線が一点に投げられている。

誰もが待った男の回答は、つまらなさげな唾棄から始まった。

 

「あーあ。めっちゃうまくいってたのになあ……。うーん……コソコソ調べられてんのに気づかなかった俺も間抜けか」

「それは罪を認めるってことでええんやな? 何が目的なんや!?」

「目的ィ? 知らねえよ。俺はただのスケープゴートだかんな。あのヒトが『こうなりゃ最高にCOOLじゃねえか?』って考えた筋書きに乗っかっただけ。ちょっとばかしコトが上手く回り過ぎたけどな」

「それは、PoHのか?」

 

口を挟んだのはユウだった。ユウには裏でPoHが糸を引いているという可能性しか思い至らなかった。それを確認するためにもラフロイグに強く問うた。

睨めつけるユウをバカにするようにラフロイグは肩を竦める。

 

「それを俺が言う必要が?」

「口を割らねえならお前の腹を割ってやろうか? 物理的に」

「おいおい! 殺人は良くねえぞ! 道徳の授業はちゃんと受けたか?」

「お前どの口が!」

「この口だよ。俺がいつ人殺ししたって言うんだ? ただ忠告しただけだぜ? 愛しのライト君が回復ポーション忘れてるかもしれねえってよ。血相変えて飛んで行ったのは、あのバカ女の責任だろうがよ。傑作だったぜ? あの心配で堪らねえってアホ面! ほんと、上手くいきすぎて笑っちまうよなあ!ハハハ────ガッ!?」

 

雄叫びじみた笑い声を出すラフロイグの頬に、暗黒のガントレットがめりこんだ。

怒りに任せたパンチはラフロイグを殴り抜き、愉快犯の図体を水平に十数メートル吹き飛ばした。

怒り心頭だったユウは、咄嗟のことに唖然となる。持ち前の頭の回転でなんとか思考を立て直すと、ラフロイグを殴り飛ばした張本人に視線を向けた。目で捉えるまでも無く、ユウにはそれが誰か分かっていたのだが。

 

「ライ……ト……。いや、待て。スカルリーパーは────」

 

どうなった、と言いかけたところで。視界にポップアップウィンドウが現れた。

書かれていたのはコングラチュレーションの文字と、ボス討伐の達成報酬だった。

 

 

世界の全てが遠いのに、感覚器官は鋭利さを増していく。自分という存在が壊れていくのに、それに無頓着な自分がライトには意外だった。

そんなこと、もうどうだって良かったのだ。ライトは自らの未来を想う。スカルリーパーを倒したら、自分は先へ進むだろう。そうしてきっと、この世界を(クリア)してみせる。

だって、この憎悪は収まらない。ぶつける相手がいない報刀は、世界にぶつけるしかあり得ない。彼女を殺したのはこの世界なのだから。

 

「畜生……畜生!」

 

咬みちぎらんとばかりに唇を噛んだ。

彼女を護れなかった自分の不甲斐なさを、いったい誰になすりつければいいのだろう。

今、ライトはボスを圧倒している。倒しきるのも時間の問題だ。そんな力を持てるなら、なぜもっと早く身につけられなかったのか。そうすればアレックスを救えたろうに。

意味のない後悔がシナプスを巡る。思考とは切り離されて、災禍の鎧は寸分の誤謬も無く哀れな化物を蹂躙する。

 

「畜生畜生畜生畜生ゥウウゥゥ……アアアァァァッッ!!」

 

憂さ晴らしとばかりにボスの横腹を右拳で打つ。

もはや思考も纏まらない。相手を殺す術だけはごまんと沸き立つのに、言葉は一つすら上手に出せない。

自分はバカだ。すぐに頭に血が上って周りが見えなくなる。けれど、今までのそれは少なくとも方向性のある怒りだった。何か目的を達しようとせんための怒りだった。

今のライトに宿るのは本質的に違う。憎しみだ。それも世界全てに対する、止まる事無き殺意。こんな感情を抱いたことがなかった。思えば、今まで吉井明久という人間は、怒りたいから怒るということをしてこなかった。

もし怒ってもどうしようも無いなら、一頻り嘆いて未来へ目を向ける。そんな精神性だった。

その在り方は清廉に過ぎた。怒るべきだったのだ。自分が嫌だと思ったなら、痛いと感じたなら、子どもらしくただ怒れば良かった。そうすれば、この怒りにも向き合うことができたかもしれないのに。

たかが外れればもう止まらない。感情のダムは粉々だった。とどのつまり、耐えられる憤怒の閾値など、優に超越していたのだ。

それでもたった一欠片だけ理性は残っていた。仲間は攻撃したくない。

だから溢れる瞋恚を叩きつけるのは、目の前のスカルリーパーだけと決めていた。破壊欲求を満たし続けなければ、次はプレイヤーにも手を掛けてしまいそうだったから。

 

「グルル………」

 

声はいつしか獣のそれとなっていた。

やっと自覚する。ああ、もう自分は後戻りができないところまで来てしまったのだ。

五体を覆うのは爪牙を想起させる鋭利な甲冑。暗黒を体現するそれは、今のライトをこれでもかと的確に象徴している。

 

「ギ──ギギ────!」

 

スカルリーパーが断末魔を漏らす。体力ゲージは最後の一本、その半分まで来ていた。

心の奥底でどこか冷静に、ライトはこれからを考えた。戦いが終わったら、1人で先に進もう。ここで停滞していれば、自分は必ず仲間達を傷つけてしまう。そんな衝動すら抑えられない獣の身に堕してしまったのだから。

これがトドメとばかりに、渾身の拳を振りかぶる。悲痛に叫び、逃げ惑う蟲に狙いを定め、殴り殺した。────その時だった。

 

『…………ただ忠告しただけだぜ? 愛しのライト君が回復ポーション忘れてるかもしれねえってよ。血相変えて飛んで行ったのは、あのバカ女の責任だろうがよ。ホント傑作だったわ。あの心配で堪らねえってアホ面!』

 

なに、言ってるんだ?

聞いたことがある声。たしか軍のラフロイグとかいう男だ。ただし、普段のラフロイグとは似ても似つかぬ下劣な金切声なのだが。

数秒の空白を経て、やっとラフロイグの言葉を飲み込み始める。だが、その内容は到底看過できぬものだ。

つまりは、アレックスが死んだのは偶然でなく────

 

────殺せ! アレがオマエの敵だ!

 

裡なる誰かが叫んだ。言葉は容赦無くライトの心を抉る。だって、どうしようもなくその通りなのだから。あの男がアレックスを貶めた一端なのなら、それは間違い無くライトの敵で。だったら殺さなきゃ。殴って、切り裂いて、千切って、刺して、広げて、殺して殺して殺してやる殺してやる殺してやる!

 

────さあ、オマエの力で鏖殺しろ!

 

我に返ったとき、右拳に確かな手応えがあった。ラフロイグが紙のように吹き飛んだ。

ライトはそこでやっと気づいた。もうとっくに手遅れなんだと。理性と心が分離して、身体は自由に動かない。今の今まで考え至るのを拒んでいただけだ。だって本当は、憎くて憎くて仕方ないんだから。ヒトに攻撃しちゃいけないなんて、そんなこと考えてられない。

赤熱した感情が激流となって心の殻を破壊する。身体のどこもかしこもが沸騰しそうで。籠る熱は全てが殺意に置換される。

もう止まれない。ラフロイグの息の根を止めるまで。

あいつがアレックスが死んだ理由の一つ。だったら躊躇する理由なんて────無い!

刹那で肉薄し、凶器(こぶし)を構え、心臓目掛け────

 

───ずぶり。

 

肉を貫いた。

それは他の誰でもなく────

 

「優……子……? なん……で……」

 

畜生に堕ちたはずの身から言語が漏れた。

 

「バカライト……。アンタが苦しそうだったからに決まってんでしょ」

 

暗転。



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第八十七話「黒白のラストワルツ」

瞼を開く。

 

昏い昏い部屋だった。喩えるなら、深い海の底のようだ。壁と床は黒曜石のような素材だろうか。光源が無いので手触りでしか判断できない。どこを見ても光など無く、出口も無く、暗黒と静寂だけが世界を支配していた。

自分の息遣いと鼓動だけが嫌に大きく聞こえた。ここには僕以外誰もいない。誰も踏み込んではこない。ここが現実じゃないってことは分かる。だったらここはどこなんだ?

どうでもいいか。そんなことは。今はただ、微睡みに身を託そう。外界の何もかもを閉ざすように、重く瞼を閉じた。

これはきっと罰だ。牢獄だ。狂気に身を任せ、獣に堕ちた僕の理性への、永遠の罪業なのだ。

瞳を閉じると外界と断絶されたよう。ただ、自分の鼓動にのみ耳をすませて。

それからどのくらい時間が経ったのだろうか。いや、そも時間の概念など無いのかもしれないが。

 

──────!

 

脳髄に響く声がした。

閉塞した心を突き破るような、太陽みたいな声。

 

──────!!

 

声の主は近づいてくる。頭痛がするくらいに叫びが身体を揺さぶってきて、睡魔なんて裸足で逃げ出してしまう。

けれどこの声は、包み込む心地よさも携えていた。この声を聞くと心が幸福で満たされていく。

もう分かってる。誰の声なのかは明白だ。大切な人。最愛の人。ああ、彼女は僕を追って、こんなところまでやってきたのか。

重い瞼を開くと、束になった光があった。それはふわりと拡散し、朧げな輪郭を形作る。そして────

 

「ライト!!」

「…………優子!!」

 

そこに、優子がいた。

優子の細くて折れそうな身体を引き寄せて、力一杯抱きしめた。

暗黒の深海に陽が差し込み、無数のマリンスノーが煌めいた。

 

「優子……僕は……優子を……」

 

同時に思い出してしまった。狂乱の檻に囚われた僕は、この手で優子を貫いた。

思い返すだけで胸が潰れそうになる。彼女を手にかけた度し難さに、自分の首を絞めたくなる。

そんな卑屈な気持ちさえも受け入れるかのように、優子は僕の背中に手を回し、腕に籠められた力を温かく感じるくらいに抱擁してくれた。

 

「大丈夫よ。アタシは生きてる。ここでこうして、ライトと喋ってるんだもの」

「じゃあ、ここがもし死後の世界だったら?」

「んー、そしたら付き合い出した翌日に心中ってことになるわね。美談というか怪談というか……」

「僕は真剣なのに……」

「バカなのに真剣に考えても意味無いわよ」

 

さもありなんとばかりに、バッサリと優子は言ってのける。雑言のはずなのに、そう言われるとなんだか元気が湧いてきた。いつもの優子であるのが、たまらなく嬉しかった。

腕を解き、しばし2人で見つめ合う。段々と気恥ずかしくなってきて、照れ隠しに笑いながらどちらからともなく視線を外した。

意識が僕から外れた優子は、いかにも不思議そうに周囲をキョロキョロと見回した。

 

「ところで、ここどこ?」

「わかんないや。僕もさっき、いきなりここで目覚めたばっかりだし」

「うーん……でも、うん。たぶんそうよね」

「どうしたの?」

「な、なんでもない! さあ、こっから出るわよ!」

 

優子は威勢良く、右拳を左の掌に打ち付けてみせる。お、男らしい……。だがその行動には、どうしても疑問が1つ付きまとう。

 

「出るって、どうやって?」

「決まってんじゃない! 壁に囲まれてるんだから、それをぶち壊すだけよ!」

「ぶち壊すって……どうやって……?」

「そりゃ、コレに決まってんじゃない」

 

優子はウインクして握り拳を作ってみせる。それは僕の専売特許のつもりだったのだが。

つくづく敵わないと思いつつ、優子の挙動を見守る。一緒に脱出を模索することは憚られた。僕にはその資格が無い気がして。

優子は肩慣らしに腕をくるくる回してから、体重の乗った鋭いパンチを撃ち込んだ。果たして────

 

「痛あああぁぁ!!」

「痛い!? そんなバカな!」

 

優子の右拳は赤熱していた。ドクンドクンと脈動し、みるみるうちに膨れ上がってくる。このとき、僕はやっと目覚めてから感じていた違和感に気付いた。

リアル過ぎる。

匂いがある。心臓が鼓動している。肌は周囲の環境を敏感に感じ取り、目は映像を超越した画素を写し取る。この五感の感覚は、明らかに現実のソレだ。あまりにも自然過ぎて今の今まで気がつかなかった。

 

「うぐぅ……ヒリヒリするぅ……」

 

うずくまる優子の肩を抱く。同時に、試しに自分の頬をつねってみた。あ、ほんとだ。痛い。

じゃあここはゲームの中じゃないのか? 現実世界? まさか本当に死後の世界だったりして。

恐らく杞憂な妄想に戦々恐々としていると、優子は悩ましげに逡巡していた。

 

「あのね、ライト。さっきから考えてたんだけど、きっとここ、ライトの心の中だと思うのよ」

「心の中? なんでいきなりそんな……」

「勘。強いて言うなら、それ以外の可能性が思いつかないのよね」

「勘って……。じゃあなんで僕の心の中に優子がいるのさ?」

「は、恥ずかしいこと言わせないでよ、バカっ!」

 

赤らめたほほに手を添える優子。だいぶキてるな……。言動の突飛さに姫路さんと同様のモノを感じる。

僕の微妙な視線に気づいたのか、優子は軽く咳払いして続けた。

 

「『鎧』が暴走するトリガーって、たぶん心じゃない?」

「うん。だと思う」

 

ラフィンコフィンとの戦争や、たった今の凶行を思い返しながら首を縦に振った。

 

「でね、思ったのよ。このゲームには、心を実際のステータスかなにかに反映させるシステムがあるんじゃないかって」

「……うん、そうだと思う」

 

考えてみれば、この2年の間にステータス以上の力が出たことは幾つもあった。スキル『神耀』の獲得がその最たるものだろう。あまりにも都合良く、欲しいと思った力が欲しいと思った場面で獲得できた。それを僕は気のせいで封殺していた。だって、考えても分からなかったのだ。

だが今思い返すと、それらは常に激情と寄り添っていた。優子の推論が正しければ、僕の心が生み出した新たな力だったとでもいうのだろうか。

 

「心が1つのゲームシステムとして組み込まれてる。だったら、心の中の世界があっても不思議じゃない。……とは言ってみたものの、確定的な証拠は全く無いんだけどね」

「うーん……でもそう言われるとなんかそんな気がしてきたよ」

「でしょ? 中々筋が通ってそうよね」

 

正直言って、今の状況をこれ以上無く説明できる仮説だと思う。でも1つ疑問が付き纏う。此処が心の中というなら、なぜ閉じ込められなければならないのか。

四方を不安になるほど黒い壁で囲まれたここが僕の心だっていうなら、僕は今、何を思っているのか。────それは、簡単だ。

 

「アンタの心の中から出れないってことは、アンタ自身が出たくないってことなんじゃないの?」

 

俯く僕を優子は覗き込んだ。翡翠の瞳は、奥が知れぬ深さを湛えている。一度は飲み込もうとした決心を、その目は引きずり出させた。

 

「ううん。僕は出たく無いんじゃなくて、出るべきじゃないんだ」

「同じじゃない?」

「違うよ。だって僕はアレックスを救えなかった。そして、優子を傷つけた。僕はね、僕を許せないんだ。僕はここから出るべきじゃ────」

「アタシだってアレックスを救えなかった!」

 

僕の言葉を遮った優子の声は、黒い壁を揺らすように響いた。弱い僕は優子の顔を直視できない。

 

「それに、鎧に負けてライトを傷つけた!」

 

思い出すのは3層での出来事。初めてファルコンに……いや、『鎧』に出会ったときのこと。優子が鎧に憑かれたときのこと。

そのとき僕は何を思った? 優子を憎んだ? そんなわけ無い。優子を守りたい、守れるように強くなりたいって思ったんだ。結局、僕は……

 

「弱いことは罪じゃない! アンタはバカなんだから、何も考えず真っ直ぐ進んでれば良いの! そしたらアタシが、背中を押してあげるから。前に進めばそのうち強くなるわよ」

「今までそう思ってたよ! でも結果がこれじゃないか! 結局取り零すばっかりだった! 何も救えちゃいなかったし、何も成長してなかった! だから僕は────」

「うだうだうっさいわね! だった見てなさい!」

 

ピシャリと会話を打ち切った。憮然と憤怒がない交ぜになった優子の瞳は、それでも僕を見据えていた。

優子は僕に背を向けた。小さな背中が憤然たる決意を持って歩みを進める。黒壁にまで達すると、優子はもう一度拳骨を握った。

またさっきの繰り返し。優子は壁に向かって拳を繰り出した。

 

「ふん!」

 

右拳が壁に打たれる。壁は少しばかり揺れるのみで、その出で立ちに一部の乱れも無い。

きっとこの行為に意味は無い。そんなこと、バカでもわかるはずなのに。

 

「やめようよ、優子。そんなことしても……。きっと僕が死ねば、優子はここから出られる。だからそれで……」

「うりゃあ!」

 

僕の言葉なんて聞こえない、とばかりに優子は声を上げる。

左右左右左右。順番に、がむしゃらに、パンチはひたすら壁に刺さる。先に悲鳴をあげたのは優子の身体の方だった。

皮膚が裂け、殴る度に血が壁に付着していく。指の付け根は皮と肉がぐちゃぐちゃになって、破裂した内臓を想わせる。

 

「っ……くっ……」

 

優子は痛みに耐える為に唇を噛み、その唇からも血が流れ出ている。

もう何十回殴ったかわからない。華奢で今にも折れそうだった手はソフトボール大にまで腫れ上がっている。

むしろよく意識が飛んで無いものだとさえ思う。

止めるべきだ。無為を重ねて痛みを感じて、いったい何の得があるんだ。

そう思うのに身体が動かない。優子が浮かべる鬼神の如き表情が、僕に静止させることを許さない。

 

「あああああ!!」

 

殴るペースが更に上がった。威力は一向に衰えない。血飛沫が飛び散り、優子の栗色の髪を染めていく。

 

「もういいよ……僕はここにいる。これは僕の問題だ。優子が無理する必要は無い!」

「僕の問題? だったらアタシの問題でもあるわよ!」

 

身体の回転が乗ったストレートパンチ。一層の力を込めた打撃も、虚しい残響を残して消える。

 

「うああああ!」

 

痛みを忘れるための喚き声。そのせいで喉が裂けたのか、優子の口元から血が滴った。

それでも連撃は衰えを知らない。

もう限界だ!

 

「優子! もうやめて! その壁は壊れない! だって、僕はこっから出る気が無いんだから。無駄に優子が傷つくことない!」

「黙って見てなさいって……言ったでしょ!誰が……誰がアタシのこと救い上げたと思ってんのよ! 何も救えなかった? バカ言わないで! アタシはアンタに救われた。取り零した物を見るのも良いわよ! けどね、ちゃんと救った物も見なさい! アタシのことを目に焼き付けなさい! アタシはね、バカ正直に真っ直ぐなアンタが好きなのよ! こんな暗いアンタの心なんて、何度だって殴り飛ばしてやるんだから!」

 

絶叫しながら、優子はいつの間にか泣いていた。その涙は痛みによるものなのか、それとも。

ぐずぐずになった拳を連打しながら、優子は絶叫した。血と汗と涙を撒き散って煌めく。

もう何度目かもわからないパンチ。骨まで見えた拳を肩より深く振りかぶったとき、僕は優子の腕を掴んだ。

優子が愕然として呟く。

 

「なんで……アタシじゃダメなの……?」

 

優子の目尻から、ポロポロと大粒の涙が零れる。眉宇に皺を刻み、悔悟に耐え切れるとばかりに歯嚙みしている。声を張り上げ、血を流し、それでも自分の言葉は届かなかったと。

ああ、僕はバカだ。大バカだ。大好きな人にここまで心配かけるなんて。

だったらせめて、優子が好きでいてくれる僕に戻らなきゃ────!

 

「はああぁぁ───ッッ!!」

 

腕に力を。拳に技を。軌跡に疾さを!

無限に繰り返した動作。けれどそのパンチは、今までで1番重かった。

音速を超えた拳が衝撃波を放つ。精一杯の気持ちを籠める。僕のために砕身してくれた、優子への有りっ丈の想いを!

最速の一打は壁を抉った。打撃点を中心に黒壁がひび割れていく。

 

「ありがとう、優子。大好きだよ」

 

きっと今の僕は、締まらない顔をしてるんだと思う。笑顔を見せたいのに、優子への罪悪感と感謝で泣きそうだった。

優子は涙と鼻水を袖で拭う。それでも滂沱は次から次に溢れる。ぐちゃぐちゃの顔のまま優子は見せた。いつも僕を救ってくれた、煌めくような笑顔を。

 

「すっごい痛かったんだからね、バーカ!」

 

宙に浮くような軽やかさで、優子は僕に飛びついてきた。互いを感じるように抱き寄せ合い、優子は耳元で囁いた。

 

「アタシも大好きよ、明久」

 

暗室は砕け散り、世界を極光が包んだ。

 

 

瞼を開く。

 

爛々と光る部屋だった。世界の全ては真っ白で、過量の光に目が痛みを訴える。地平と空の境界は無い。不気味なほどの純白が見渡す限りに続いている。先ほどまで隣にいたはずの、優子の姿はどこにも無い。

純粋培養の空間にたった1つ、歪な人工物があった。金属でできた多段構造の円錐台の上に、巨大な光る立方体が浮遊している。差し渡しは5メートルと言ったところか。キューブは不規則に明滅を繰り返す。

他に何も無いからでもあろうか、巨大立方体は誘蛾灯のように僕を惹きつけた。それは魂そのものが引っ張られるような錯覚。手を伸ばす。指先が頂点に触れる、瞬間。

 

「待って! それには触れないで下さい!」

 

心臓が跳ね上がる。

止められたことにじゃない。僕を止めた声、そのものにだ。

何度も何度も耳にした。もはや魂に刻まれた声。呼吸すら覚束ない。逸る気持ちと裏腹に、身体は緩慢な動きで方向を変える。

ああ、彼女の名は────

 

「アレ……ックス?」

「ええ、アレックスちゃんですよ?」

 

春の木漏れ日を想起させる微笑は、僕の心を深く揺さぶった。語り合いたいのに、聞きたいことがありすぎて言葉にならない。

絹のような壮麗の黒髪も、宝石のような蒼穹の瞳も、枝のような細い身体も、何もかもがもう目見えることが叶わないモノと。絶望はしきり、前に進もうと決心したというのに。目の前に出てこられては、僕は。

震える唇に何とか言の葉を刻もうとした、その寸前、アレックスは勢い良く頭を下げた。

 

「ごめんなさいっ!」

「い、いきなりどうしたの!?」

「ライトさんをここに呼んだのは私の身勝手です。だから、とりあえず謝っておこうと思いましてっ! 謝罪はタダですしねっ!」

「なんて軽薄な謝罪なんだ……!」

「冗談はこのくらいにしておきまして、ライトさんをお呼びしたのは他でもありません」

 

アレックスの声音も表情もガラリと変わる。ここからが本題だと分かりやすく提示されていた。

 

「その前にちょっといいかな?」

「はい?」

 

小首を傾げるアレックス。だが説明なんてしていられない。もう限界だ。

アレックスの背に手を回し、強く強く抱き締めた。

 

「また会えて嬉しいよ……アレックス……」

 

なぜ生きてるのか、なんてどうでもいい。これが夢なら僕はよっぽど弱い男だ。それでも今は、アレックスの温もりを感じたかった。

 

「…………っ」

 

アレックスからの返答は無い。いきなり抱きついて困らせてしまっただろうか。力を緩めると、アレックスは僕を突き飛ばすように押し離れた。

考えていたより遥かに強く突っ撥ねられて、思考がうまく纏まらない。やばい。ちょっと泣きそうだ。

アレックスの方はというと、俯いてしまって良く表情は見えない。とにかく、まずは謝るべきだろうか。

 

「ご、ごめ……」

「ライトさんに伝えるべきことが2つあります」

 

謝罪すら拒むようにアレックスはピシャリと言った。

 

「つ、伝えることって……?」

「1つ、私は死んでいません。あの時点で私は目標を達成していました。アインクラッドに存在している必要が無かったので、ああいった行動を取りました。それによってライトさんを悲しませてしまったことは重ねて謝罪致します」

 

普段のアレックスからは想像もつかない、事務的で抑揚の無い言葉。僕には口出しもできぬまま、アレックスは続けて予想だにしないことを口にした。

 

「2つ、ヒースクリフは茅場晶彦です」

「な、なんだって!?」

 

青天の霹靂という比喩すら生温い。ヒースクリフといえば押しも押されもせぬトップギルド、血盟騎士団のリーダーだ。プレイヤー誰もが抱く希望の星。絶対強者たる彼こそが全ての敵だったのだと提示された。これで困惑しない者はいない。

 

「証拠とかは、あるのかな?」

「証明する能力は今の私にはありません。信じるかどうかはライトさん次第です」

「信じるよ」

 

僕の即答に驚いたのか、アレックスはハッと顔を上げた。

アレックスを疑う理由なんて無い。理由が無いなら、信じないより信じる方が良いに決まってる。

 

「な、なんで何の迷いも無く……」

「だってアレックスのことが好きだから。信じたいし、信じても良いって思えるんだよ」

 

冷静だったらアレックスが見る見るうちに上気していく。口をパクパクさせたあと一度ムッと噤むと、蚊の鳴くような声を絞り出した。

 

「そういうとこですよ……いつか酷いことになるんですからぁ……」

「ん……何て言ったの?」

「何でもありませんっ! これからライトさんを元の世界に戻しますから、私の言うことを良く聞いて下さいねっ!」

「うん」

「まずヒースクリフに殴りかかって下さい。彼には体力が半分以下になると発動する絶対防御があります。それを発現させてプレイヤー全員に知らしめて下さい。こうすれば貴方の正当性が保証されます。次にインカーネイトシステムの使用を……ああ、その名称をご存知ありませんでしたね」

「うん。なにその、ええと……インカーネイトシステムだっけ? 使うってどうするの?」

 

アレックスは難しい顔をした。答を探すように首を捻っていたが、満足のいく物は得られなかったみたいだ。

嘆息してからアレックスは顔を上げた。

その表情を僕は忘れないだろう。双眸は深く絶望を湛えていた。それでも僕の目をしっかりと見据えていて、悲壮な決意に背筋が凍りつく。彼女は、何をしようとしてるんだ?

 

「ライトさん。このキューブに触れて下さい」

 

アレックスが指さしたのは、僕の左の巨大浮遊物。明暗のグラデーションに瞬く光の箱だ。その光は命の鳴動にも見えた。

 

「いいの?」

「…………ええ」

 

荘厳な首肯。

ならば触れないという選択は無い。彼女がある種決定的な決断を下したのだということは僕にだって分かる。なら、僕がその選択を無にすることは、僕自身が許せない。

光がその紋様を変える。魂の旋律であったそれは、憤怒にも慟哭にも見えた。

指先が、触れる。

 

────瞬間。

 

全て、思い出した。

なぜ、今の今までこんな事を忘れていたのか。もはや魂に刻み込まれた因果。僕と彼女の人生を。

ああ、追いかけても、追いかけても、追いかけても届かなかった。その女が目の前にいる。

アレックス。その本当の名前は────

 

「君は、君は!」

 

アレックスは微笑に悲しみを載せる。予定調和の悲劇。今なら彼女の不可解な行動に、全て辻褄が合ってしまう。

そう、彼女は───

 

「君は、ア────」

 

その先の言葉は、僕の口から消えた。

魂が穿たれたような喪失感。何物にも代えがたい思い出を抉り取られた。

口が動かなかったんじゃない。忘れたんだ。数秒前まで衝撃と絶望が渦巻いていた記憶が、すっぽりと抜け落ちていた。

頭が割れるように痛い。

頭蓋を押さえようとした掌に、紫色の光が投射される。その光源は僕の額らしい。光線は魔法陣のような幾何学的な形をとっているが、その意味するところは今の僕には見当もつかない。

何も覚えていないのに、『インカーネイトシステム』のことだけは、綺麗に脳裏に残されていた。それ以外の記憶が、ごっそりと奪われたんだ。

自然と、涙が頬を伝う。何が悲しいのか分からないのに、途轍も無く心が痛かった。

 

「う……ぐぅ……」

「ごめん……なさい」

 

何度目かも分からないアレックスの『ごめんなさい』。嗚咽交じりの謝罪が、殊更僕の心を貫いた。

白の世界で、2人で泣き合う。同じ行動なのに、2人の心はどこまでも乖離して。

 

「さようなら、ライトさん」

 

別れの言葉が宙に浮く。

それを受け取るのは嫌だった。だって応えてしまえば、これで終わりな気さえする。何が何だか分からないけど、その予感は裏切れなかった。

それに、アレックスの表情は、

 

「嫌だ」

「…………もう、お別れなんです」

「それでも嫌なものは嫌なんだ。だって、アレックス、助けてって言ってるじゃないか」

「言ってません! そんなこと、一言も!」

「言ってる! そんな目をして、そんな顔をして、見捨てられるわけないだろ!」

 

アレックスの容貌はくしゃくしゃで、今にも何かに押し潰されそうだった。そんな彼女を放っておけるはずがない!

 

「君が何者かは分からない。何に絶望しているのかも分からない。けど、おせっかいだって言われても、絶対君に会いに行く! 君がどこにいようと必ず君を見つけてやる! 僕は! 必ず! 君を救う!」

 

大声で喉が裂けそうだ。

救いたいだなんて言えるほどアレックスが弱くはないのは知ってるし、僕が彼女を救えるほど強くはないのは分かってる。それでも救うって言い切りたかった。何よりも彼女が遠くへ行くのが怖かったんだ。

だって僕は、

 

「君が大事だから」

 

アレックスは唇をきつく噛んだ。目尻を服の袖でゴシゴシと拭う。そんな風に強がるアレックスの姿が、今はとても悲しい物に思えた。

アレックスはニコリと口の端を吊る。その表情はどこかぎこちない。あえて指摘はしない。しても意味なんて無いと思ったから。

彼女はきっとこれからも、色んな物を自分だけで抱えていくんだろう。その一端でも担ってあげられなかった自分の不甲斐なさに、やり場の無い怒りが込み上げる。

なんて、孤独な強さ。

 

「ワガママですね、ライトさんは」

「うん。そうだね。僕は僕のワガママで君を助けるんだ」

「その時を楽しみにしています」

 

嘘だ。

期待なんてこれっぽっちもしていない。そも、立っている視座が違うのだ、と言わんばかりの溝さえある。

だからきっと、そんな彼女の心をこじ開けるのが、これからの僕の役目なんだ。

空元気で自らを鼓舞する。

アレックスの姿を目に焼き付ける。どこへ行っても、彼女を探しに行けるように。

 

「またね。アレックス」

「……さようなら」

 

食い違う別れの言葉。寄せては返す波のように、互いの心に痕を残して。

 

────世界は、光に包まれた。



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第八十八話「僕とキリトとSAO」

最終決戦。どうか貴方のお眼鏡に叶いますように。


瞼を開く。

 

目に飛び込んできたのは白亜の石床、そして、優子の身体を貫いた僕の腕だった。焦りながらも、優子を傷つけないよう細心の注意を払って引き抜く。優子の体力ゲージは残り数センチにまで割り込んでいる。明滅する警告色が一層に不安を煽る。

僕より一瞬早く優子も目を覚ましていたようだ。胸元の違和感のせいか、腕が抜けた瞬間から大きく優子は咳き込んだ。

 

「良かった……生きてて本当に良かった……」

 

自分でも驚くほどの掠れた涙声が、僕の喉から絞り出された。それがあんまりにも情け無くて、優子と僕で思わず吹き出してしまう。

 

「うん。ライトもね。……まずは回復して、それから皆んなに説明しなきゃ。ライトは何にも悪くないってこと」

 

ニカッと笑う優子に、僕はかぶりを振った。だってもう、そんなことは必要無いんだから。ポカンとする優子に背を向けて、僕は決意を固めた。

 

「ちょっと待ってて、優子。世界、救ってくるから」

「は? アンタ何言って……」

 

優子の言葉を最後まで聞かずに走り出した。それは逃走か追走か。僕は覚悟が揺らぐのが怖かったんだ。今だって信じられない。あのヒースクリフが全ての黒幕だ、なんて。それでも僕は────

 

「てめぇライト! 何を!?」

 

ユウの怒声が飛ぶ。背後のプレイヤー達が騒めくのが分かる。

そりゃそうだ。起き抜けに騎士団長様に殴りかかろうとする、なんて意味がわからない。それも世界救ってくる宣言のオマケ付き。気が違ったって思われても仕方無いだろう。

それでも僕は、僕の選択を信じる。僕を見つめたアレックスの、真っ直ぐな瞳を信じると決めた。

それに、ヒースクリフには前々からおかしな点があった。体力が半分を切ったのを誰も見たことが無いのだ。今までは伝説として彼を神格化せしめていたそれも、裏を返せば妙に出来過ぎている。それにいつかの決闘でも違和感があった。あの時、ヒースクリフは確かにこのゲームの速度の限界を超えていた。僕より疾いプレイヤーは、存在しないはずなのに。

ヒースクリフの体力はあと6割。アレックスの言によれば半分を割らないと絶対防壁は発動しない。だったらこの1発で、体力を1割削ってやる!

 

「はああああ!!」

 

拳を構える。気勢を放つ。

いつもポーカーフェイスだったヒースクリフが、驚愕のありありと見える顔をする。だが神聖剣の行動は迅速だった。大盾を構えた防御姿勢。その盾には深緑の光が揺蕩って見えた。この光がなんなのか、僕はもう知っている。これは心意の過剰光(オーバーレイ)。インカーネイトシステムを使用した時に必ず発生し、イマジネーションによってその強さが変動する。

そも、インカーネイトシステムとは何か。またの名を心意システム。それは心を具現化し、事象を上書きする超常の力だ。例えば自分の手が刀だと強く信じ込めば、本当に手で物を切れてしまう。

これだけを聞いてしまえば万能のようにも思えるが、そうでは無い。心意は心と世界を合一とすることで発揮される。様々な思考と思惑の中で生きている人間が、その域にまで精神統一するのは並大抵のことではない。そよ風を起こす程度に至るだけでも、数ヶ月から数年の修行を要する。そのはずだったのだが、今の僕は少しだけをズルをしてしまった。

あの巨大な立方体に触れた瞬間から、僕には僕の物じゃない記憶が流れ込んだ。その『僕』は心意を自在に操り、手を使うこと無く剣を手繰ることすらしてみせた。だがその人物の詳細は今は思い出せない。アレックスの手によって、心意を使っていた記憶だけが僕に残され、その他は封印された。

だがその残された情報だけでもわかることがある。それはアインクラッドで起きた不可解な現象全ての原因が、インカーネイトシステムであること。

なぜ鎧は暴走したのか。

なぜ僕は神耀を獲得できたのか。

なぜ破壊不能オブジェクトを破壊できたのか。

その全ての謎が、心意システム1つで解決する。

そして今、ヒースクリフ自身がインカーネイトシステムを利用している。心意には心意を持って立ち向かわなければ、まともに突っ込んでもダメージは与えられない。なぜなら心意とは全てを上書きする力。僕が殴るという事象すらも上書きしてしまうはずだ。

だがしかし、僕は心意を発動させてはならない。アレックスの忠告に従うならば、まずはみんなにヒースクリフが茅場晶彦だと衆知させる必要がある。だが心意システムを使ってしまえば肝心の絶対防御すら突破してしまう。それでは僕こそがチートをしているようだ。

だったら、この手しか無いだろう。拳術スキル特殊技『神耀』。50センチの跳躍で、ヒースクリフの背後に回り込む。ちょうど背中あわせの要領だ。

そこから後ろに向かって全力の、肘打ち! 心意を纏っているのはあくまで盾。背中はその効果適用外だ。

僕の肘がガラ空きの頚椎に抉りこむ。その寸前。

 

「フン……」

 

ヒースクリフは、さもつまらなさそうに鼻で笑った。

眼前に提示されたのは、紫色の障壁と謎の英単語。ビンゴだ!

僕はゆっくりと後ずさって、ヒースクリフから距離を取った。

ボス部屋の時間が止まる。誰もが驚愕と混乱で声を出せずにいた。

 

「【Immortal Object】……ですって……!?」

 

戸惑った声で優子が呟く。その直後、全てを悟ったように、優子はヒースクリフを睥睨した。

 

「貴方が……黒幕だったってこと?」

 

優子の言葉を発端として、困惑の声が伝播する。

どよめきは収まることなく、むしろ加速度的に大きくなっていく。中でも血盟騎士団の団員達は、まだ事態が飲み込めていないかのように呆然としている。無理もない。今の今まで敬愛していた団長が、いきなりラスボスだと説明されたのだ。それで動揺するなと言う方が無理な話だろう。

 

「説明してくれ、ヒースクリフ。ワシらはあんさんに、剣を向けでええんやな?」

 

ドスの効いた声でキバオウは問うた。言葉は冷静ながらも、その表情は今にも爆発しそうだ。

自分に向く敵意と不信の視線を、ヒースクリフは仄かな笑みで一蹴した。周囲の雑音など気にも留めないと言わんばかりに、神聖剣は僕に向き直った。

 

「侮っていたよ、ライト君。君は私が想定していよりよっぽど聡明な人物だったようだ」

「いや、僕はただのバカですよ。僕だけならきっと貴方の正体に気がつけなかった」

「……ほう。なら、誰が?」

 

自然と、口が綻んでしまう。どうしようもなく誇らしくて。

 

「教えてもらったんです。大好きな人に」

 

不可解な答えに、ヒースクリフは刹那の逡巡を見せる。だがさすがは天才と言ったところか。すぐに解答を見つけ出してみせた。

 

「なるほど。アレックス君か。彼女はカーディナルシステムに接触してきたから、その時点で私の正体を知りえたのだろう。不正アカウントでもあったし、早めにBANしておくべきだったかな」

「ちょ、ちょっと待って下さい! アレックスが不正アカウント?」

「ああ、私も彼女がカーディナルに介入してきた時に調べて気付いたんだ。彼女は正規の方法でログインしていない。そもそもあの紐付けでは、彼女に生身があるのかも怪しいところだがね」

「生身が無い……? アレックスがAIだとでも?」

「そういうこともあるだろう。もしくは()()というパターンもあるが」

 

彼女の存在が否定されたような言葉。どうしても抑えきれなくて、口をついて荒げた声が出た。

 

「ふざけないで下さい!」

「ふざけてなどいないさ。可能性の話だよ」

 

ヒースクリフは不敵に笑う。さも、それを考慮するのが当然であるかのように。でもなぜか、それを納得してしまう僕もいた。アレックスはAIであり、異なる世界からここへ来ていたという説明が、どういう訳かストンと腑に落ちてしまったのだ。思考と心の乖離に判然としないものを感じて口を噤んでいると、ユウがその巨体をずいと乗り出してきた。

 

「おい、ヒースクリフ。アンタが茅場晶彦だった、ってことで良いんだな?」

 

ユウが少し早口で問いただした。努めて冷静に見えるが、僕には分かる。ユウは過去最高に怒ってる。

ヒースクリフは仄かな苦笑を滲ませた。

 

「ああ、その通りだ。私は茅場晶彦だとも。付け加えれば、最上階で君たちを待つはずだったこのゲームの最終ボスでもある」

 

その言葉が導火線に火をつけた。ユウの表情は悪鬼羅刹。放った威勢は痛いほどにビリビリと肌を揺らす。

 

「良い趣味してんじゃねえか……とりあえず、ここで1発殴らせやがれ!」

 

ユウの身体が飛び上がった。握られた拳に大砲と見紛うほどの殺気が籠る。血を蹴り空を裂き、号砲が神聖剣に肉薄する。

 

「残念だが、君にその資格は無い」

 

ユウの拳がヒースクリフに届く直前、ヒースクリフは左手を振った。現れたウィンドウを手早く操作する。

直後、ユウの身体が地に伏した。まるで巨人に踏みつけられたようだ。ユウの拳骨が崩れ、指先を動かすことすら苦役という有様だった。この現象は、麻痺!

 

「な……っ!?」

 

それと同時に、この場にいた殆どのプレイヤーが膝から崩れた。ユウと同様に微動だにできないようだった。だが誰しもの目が雄弁をふるっていた。戸惑いを、殺意を、憎悪を。ヒースクリフ────茅場晶彦に向けられた、積もりに積もった信頼と裏切りの想念を。

倒れ伏すプレイヤー達の中、僕とキリトだけが何事も無く立っていた。それは僕たちだけが選ばれてしまったかのよう。

 

「これは……」

「この浮遊城には、ユニークスキル、と言うものが10だけ存在している」

 

僕の疑問には答える素振りすら見せず、ヒースクリフは唐突に語り出した。

 

「ユニークスキル……?」

「ああ。私の神聖剣、キリト君の二刀流やライト君の拳術がそれにあたる。それらはたった1人のプレイヤーにのみ与えられる特権だ。二刀流ならばサーバ内で最高の反応速度を持つことが、拳術ならばサーバ内最高のAGI数値とモンスターとの素手による直接戦闘数が最多であり、体術スキルがマスターされていることが条件となる。そして私は、それらのユニークスキルを持つ者だけが、私というラストボスと対するに相応しいと考えていた」

「それで全員マヒか? ここで決着をつけるってわけだ」

 

いつの間にか僕の横に立っていたキリトが、眉宇を寄せて言った。キリトが背中の二刀を抜く。しゃらん、という流麗な音。同時に伝わる凍てつくような殺意の波動。そのベクトルは一直線にヒースクリフへと向かっている。

そんなキリトの負の感情を掻き消すかのように、ボス部屋全体を揺らすような声援が響いた。

 

「キリト、ライト。絶対勝てよ!」

 

言ったのはユウだった。麻痺した指でサムズアップしてみせたリーダーの瞳には、勝利の確信が見て取れた。僕らなら勝てる、と。それが起爆剤となって、広間のあちこちから僕らの背を押す声が湧く。

 

「……信じてる」

「お主らに全て任せる! 終わらせてくるのじゃ!」

「ライト! キリの字! おめぇらが勝つって信じてるからな!」

 

そうして、僕らの最愛の人達も。

 

「キリト君! 絶対生きて帰ってね! 私、信じてるから!」

「ああ、勝ってくるよ、アスナ」

「ライト! アンタここまで盛り上げて、負けたらタダじゃおかないからね! 絶対勝ってきなさいよ!」

 

最後まで優子らしいなと苦笑する。こんな時でも元気一杯で、一欠片の不安も見せずに僕を応援してくれる。今すぐ抱き締めたくなるくらいに、愛しさがこみ上げてくる。けれどそれを飲み込んで、優子に精一杯の強がりを返そう。

 

「うん。必ず勝つよ。だからこれからもずっと一緒にいてね。大好きだよ、優子」

「なあっ!?」

 

優子の顔が一気に沸騰した。どうやら顔を手で覆いたいようだが、麻痺で手が動かせないみたいだ。恥ずかしさからか、痺れた手足をジタバタさせている。

僕も相当恥ずかしいことを言った自覚はあるのだが、今は不思議と羞恥心は湧かなかった。むしろ恥ずかしがる優子を見て可愛いなと思う余裕さえある。

 

「優子……愛されてる」

「うんうん。ラブラブだねぇ」

「ぐむむ……」

 

旧友2人にも弄られて、優子は恨めしそうな目で僕を見る。

 

「ライト! アンタ現実に帰ったら半殺しにしてやるわ!」

「うん。じゃあそれまでに死なないようにしないとね」

「な、なんでそんなに余裕かましてんのよ!」

 

ティアとリーベのニヤニヤに耐え切れなかったのか、優子は遂に顔を俯せてしまった。

名残惜しく、僕は優子から視線を外した。そうして、ラスボスへと相対する。

ヒースクリフは苦笑を浮かべながら肩を竦める。

 

「私が思い描いていたよりも、随分と希望に溢れた最終決戦だ。君たちが彼らの希望たり得た、ということかな」

「いいえ、違います。みんなが頑張ったんだ。絶望に負けないように、希望を失わないように。だから僕達は今も明るくいられるんです」

 

全ての声援が僕らを後押しする。それは憤怒と悲壮に満ちた怒号などでは断じて無い。輝かしいフィナーレへと続く架け橋そのものだった。

この世界から、現実へと帰るのだ。美しくも残酷な仮想世界(アインクラッド)。全ての出会いは現実と等しく、濃厚で尊いものだった。それでも僕たちは戦わなきゃいけない。置き去りにしてきた、全ての為に。

キリトと目を合わせる。獰猛に微笑みあう。これが2人で戦う最後かもしれない。もうこのゲームで出会ったみんなとも会えないかもしれない。それでも、と。全ての迷いを振り切って、僕たちはヒースクリフへと相対する。

 

「決着をつけようぜ、ライト」

「ああ、そうだねキリト。あいつをぶっ飛ばそう」

 

僕とキリト、2人で一緒に。

キリトと拳を打ちつけ合う。それが開戦の狼煙だった。

僕は少しだけ飛び上がり、空中で身体を丸めた。その姿はさながらターンする瞬間の水泳選手のようだ。地面と垂直になった僕の足の裏に、野球の要領でキリトが剣の腹を打ち込む。瞬間、僕も剣を蹴り飛ばした。僕の体が砲弾みたく射出される。速度は優に音を超えているだろう。弾丸となった僕は、10メートルの間隙を刹那で踏破する。

拳を引き絞る。狙うは一点。ヒースクリフの顔面だ。腕が唸り放たれる、極限の一打。

それを、ヒースクリフは難なくいなしてみせた。

 

「……っ!」

 

パンチが大盾と衝突し、極彩色のライトエフェクトを撒き散らす。さすがは神聖剣と言ったところか。僕の体は盾で軌道を変更され、ヒースクリフの後方上空へと逸れた。

身体を丸め、回転させながら衝撃に備える。天井との激突で体力が1センチほど削れた。大丈夫。この程度は誤差だ。

モタモタしてる暇なんて無い。天井を蹴り飛ばし、ヒースクリフの背中めがけて跳躍する。

漆黒の刃が目の端に映る。その銘はエリュシデータ。僕を飛ばした後、キリトもヒースクリフへと突進していたのだ。

僕が背中に攻撃を仕掛けるのと、キリトがソードスキルを発動させたのはほぼ同時。いま魔王へと見舞われるは、アインクラッド最強/最速の一撃、その二重────!

発動したのは封炎とスラント。

単純な攻撃。故にこそ究極の一。

茅場晶彦は当然ながら、全てのソードスキルを把握しているはずだ。そんな男に連続技を使用してしまえば、次の軌道が確実に読まれてしまう。そうなればカウンターをもらうのは必然。故にこそ強力な技は愚策であり、単発技とソードスキルを使わない攻撃で回数を稼いでいくしかない。

そして今は2対1。ならば単発技とて遅れはとらない!

挟み打たれたそれらに、反応はできても身体を追いつかせるのは不可能だ。

とった! まず一撃!

その確信は直後に打ち砕かれた。

 

収束城砦(クランチウォール)

 

厳かな技名の発生。ヒースクリフから発生した光が固体を形成する。形作られたのは白亜の城壁。ヒースクリフを取り囲む程度の小さなそれは、この世界で見たあらゆるオブジェクトを超越する圧力を持っていた。石造りの壁は煌々と光を放ち、神々しさすら感じさせる。だが、僕はその光が何なのかを既に知っている。これは心意のオーバーレイ。全ての事象を上書きする力を、ヒースクリフはこうも鮮やかに使ってみせたのだ。

だったらそれを、正面から破ってみせるほか無いだろう。

 

我らが光は落陽となりて(トライライト)!」

 

頭に浮かんだ技名を口にする。きっとこれは、僕に与えられた記憶の本当の持ち主の技だ。心の中で『彼』にありがとうと呟いて、限界まで心意を練り上げる。

僕の腕から黒白のライトエフェクトが発生する。その2つが混ざり合い、城壁にて収束する。僕の拳を中心として、石壁がモロモロと崩れていく。それはさながらブラックホールのようだった。

心意の構成に集中していた茅場が、顔色を驚愕に変えた。

 

「はああああ───ッッ!!」

 

壁は破った。このまま殴り抜く!

焦燥を露わにしながらも、ヒースクリフは最高速で盾を振るう。だが、もう遅い!

 

「ぐぅ──ッ!」

 

泰然自若としていた魔王が、初めての呻き声を漏らした。そしてまた、初めてヒースクリフの体力ゲージが黄色に染まった。

咄嗟のことに驚いていたキリトが、さすがの反応速度で剣を振るう。心意が解け、無防備だったヒースクリフを二刀が打ち据える。更にヒースクリフの体力が目減りし、血を思わせる赤となった。

追撃を加えようとしたところで、ヒースクリフは僕に向かって突進をした。神聖剣の特徴の1つ、盾が持つ当たり判定だ。本来なら悪手であるはずの盾を使ったゴリ押しの突進も、神聖剣に使わせれば大範囲攻撃となり得る。

盾の効果範囲から外れるべく、数歩だけバックステップする。

僕とキリトから5メートルの距離を取ったヒースクリフが、息を大きく吐いた。

 

「やはり君もインカーネイトシステムを身につけていたのか、ライト君」

「それはこっちのセリフです……って思いましたけど、よく考えたらあなたが作ったシステムなんでしたね」

「それは違う」

 

強い語調だった。キッパリと言い切った茅場は、苛立ちを隠せていなかった。

 

「どういうことですか?」

「インカーネイトシステムは、いつの間にか搭載されていたものだ」

「いつの間にか……? この世界の創造主であるあなたに気づかれずに?」

「ああ。信じてもらえなくても構わない。だがこれが真実だ」

 

信じるもなにも、此の期に及んで茅場が嘘を吐く理由が無い。そうだと言うならきっとそうなのだろう。

 

「そうなると、あなたは心意の修行をしたんですか?」

「心意か。完結で良い呼称だ。使わせてもらおう。その質問にはイエスと答えよう。私は心意システムが何たるかを理解する必要があった。私の世界に混入した異物。その正体を突き止めようとしていた。その過程での副産物だよ、私の力は」

「なるほど……」

 

つまり心意システムは茅場にとっても想定外のものであり、茅場はシステムを排除たかったということか。

 

「最終決戦という場で、この力を使うには些か抵抗があった。しかし君もずっと使用していたのだから、私も使わねばフェアじゃないだろう?」

「ずっと使用していた? いや、今初めて使ったはずですよ」

 

それとも、鎧のことを言っているのだろうか。いや、アレは使用しているなんて口が裂けても言えない。ただの暴走だ。

僕の否定に、ヒースクリフは怪訝そうに眉宇を寄せた。

 

「君は神耀を使っているじゃないか。あの技はシステムに規定されていない。君が一から作り出し、そういうスキルとしたのだろう? まさか偶然だったとでも?」

「ぐ、偶然です……」

 

珍しくヒースクリフは目を見開いた。その後、苦笑しながら首を振る。

 

「なるほど。君は正しく私の想像の上を征く人物だ。色んな意味でね」

 

仄かな笑み。この言葉に、僕は初めてヒースクリフ────茅場晶彦の人間性を垣間見た気がした。それと同時に少しだけ分かった。この人が、なぜこのゲームを作ったのかが。

この人は、そういう在り方しか持てなかった人なんだ。夢に囚われ、理想を為した。その姿が、僕にはどうも痛々しく見えた。だって想定外のことをされて、こんなに自然に笑うんだから。

微かな感傷を感じていると、力強い足音が僕に近づいてきた。それはアインクラッド最強にして最高の剣士であり、僕の親友のものだ。

 

「まあよく分からないけど、とりあえず俺は戦いの舞台に上がれないってことだよな」

 

そう言いながら、キリトは僕の肩に手を乗せてきた。その顔は如何にも不満と言ったようだった。

 

「だったら頼むぜ、ライト。お前があいつを倒してくれ」

 

ずっと剣幕だったキリトに、柔和な笑みが戻る。何も心配していないという表情。参った。こんな顔をされたら頑張るしか無くなってしまう。

 

「ああ、任しとけ!」

 

もうこうなったら技術もステータスも関係無い。決着をつけるのは心の強さ。積み重ねてきた思い出を、絆を、その重みを、有りっ丈ヒースクリフにぶつけてやる!

その決意の腰を折るように、ヒースクリフが半ば陶酔したように呟いた。

 

「最後には勇者と魔王が一対一か。これ以上無いシナリオだ。それが、この世界で2人しか使えない心意の能力者同士というのも、ね」

 

ああ、その言葉は、ダメだ。

正直に言えば、僕は茅場晶彦を憎んでなどいなかった。僕にとって、この世界はもう1つの現実と言って良い。ここで生きたことも、経験も、出会いも、別れも、その全てが本物だった。人肌に温もりが無かろうと、その心は暖かかった。脳という器官が無かろうと、紡ぐ言葉は本物だった。確かな絆は、前へと進む勇気を僕にくれた。

でも、だからこそ、たった今の言葉だけはどうしても許せない。

 

「茅場晶彦。アンタに1つ言いたいことがある」

「なんだね」

「…………勇者と魔王だとか、シナリオだとか、バカにするのも大概にしやがれ! 僕だけじゃない。みんな戦ってんだ! みんな命賭けてんだ! そんなみんなをバカにするような言葉を、僕は絶対許さない!」

 

この場の誰もが、希望の星なのだ。誰もが主人公で、誰もが勇者。それだけは、どうしたって譲れない。

僕の怒声に、自称『魔王』は超越者たる余裕を持って応える。

 

「許さない、か。私は君に許されようなどと思っていないよ。このゲームは私が成した私の理想だ。ならば過程で出る罪も罰も、私が背負い行くべきもの。元より私に容赦を乞おうなどという思考は無い」

「そうかよ。だったら僕とアンタは相容れない」

「自明だな。『勇者と魔王』なのだから」

 

もはや対話は意味を成さない。この瞬間に全てが決裂し、それが火種となって火蓋は切られる。僕とヒースクリフが、どちらからともなく歩み寄る。最初はゆっくりと歩いていた両者は、いつしか全力の疾走をしていた。

ここが一世一代の大勝負だ。僕がここで世界を救い、世界を滅ぼす。

優子を感じる。目ではなく、気配ですらなく魂で。僕の心に暖かいエールを送ってくれる。いや、優子だけではない。ここにいるプレイヤーの1人残らずが、頑張れと心で言っている。

いや、ここに居ない人だって例外じゃない。ユイ、ファルコン。君たちが紡いでくれた鎧を、最後の戦いに持っていくよ。この鎧に、僕は何度救われたか分からない。

そして、アレックス。ありがとう。君のおかげで、僕はまた戦える。

心意を練る。この世界で得た思い出、感じた想い。その全てを拳にこめて。

今、渾身の一撃を────!

 

揺蕩う光は漣に(ザ・フラクチュエーティングライト)───ッッ!!」

天に煌めく我らが星よ(ザ・ストライフ)────ッッ!!」

 

互いの心意は、ここに究極へ至った。

拳から放たれる光は、星々が生まれ出る様のよう。

相克する光芒は、収束と発散を繰り返す。それは既に物性を超越した。無から発生する膨大な熱量は、魂の咆哮そのものだ。

十字を背負う神聖の盾は、底ぬけの硬さを誇っている。だが今の僕の心には、臆病風が吹く隙など無い。僕の全てをこめたんだ。例えアイアスの盾だって、今の僕なら壊してみせる!

最強の拳と最硬の盾。矛盾を制したのは、果たして────

 

「くっ……!」

「ふん!」

 

盾には傷が1つ付いただけ。ヒースクリフは浅く笑う。

いや、違う! 傷が1つも付いたんだ! なら無限回殴れば、いつかは壊れる!

1発じゃ足りないのなら何発だって撃ち込んでやる! 超えられない壁は破ればいい。今までそうやって進んできた。そしてこれからも。その未来を勝ち取るために、思いの丈を載せた拳を連打する────!

 

「うおおおおおお!!!」

「ぐっ……はああああ!!」

 

打撃は流星群のよう。希望の星をこの手に宿して、僕はこいつを打ち倒す!

ふと、拳が割れていることに気がついた。いや、それどころか腕の節々、果ては白銀の鎧にまで傷跡が見え始める。

そのダメージソースがどこからきているのか。それは傷のつき方からして明白だった。神聖剣が持つ盾が、反射ダメージを与えている。

どういう理屈なのかは分からない。いや、そもそも心意を前にして、理屈など意味を為さない。これはあらゆる事象を掻き消す力。なら、僕の心意で奴の心意を上書きすれば良いだけのこと────!

 

「せいやああああ!!」

 

殴る。殴る。殴る。

仮想の肉体が裂けていく。電脳の指が飛び、情報の肉が削ぐ。

地面も天井も、周囲の全てが無残に塵芥となっていく。

感覚は置き去りだ。システムが脳に与える刺激は、速過ぎる魂に着いていけない。

思考の加速は止まるところを知らない。一打一打が無限とも思えるほどに長く、永かった。拳は際限なぐ盾に撃ち込まれる。轟音と閃光を放ちながら、両雄は一歩も怯むことなく、己の心の限りを尽くす。

ただ、この世界を────。

 

────ミシッ。

 

軋んだのは拳か盾か。それとも両方か。

見えるのは走馬灯。

慟哭があった。怨嗟があった。憤怒があった。平穏があった。喜びがあった。

愛があった。

この浮遊城で紡がれたありとあらゆる物語は、ここに結実した。

 

「────」

「────」

 

絶句。

光が止み、音が止み、まるで宇宙に放り込まれかのような錯覚。

この瞬間だけは、心を微動だにすることすら叶わない。

粉塵が晴れ、見えたのは。

 

──────粉々になった盾と、頭を垂れて膝をつくヒースクリフ、茅場晶彦の姿だった。

 

「────僕の、僕たちの勝ちだァッ!!」




少しの後日談を投稿して、僕とキリトとSAOは完結致します。長らくのご愛読、誠にありがとうございました。

と言うのは半分嘘で半分本当。これからALO、GGOと続いていきますので、どうかよろしくお願いいたします!
あとアレックスのこと、どうか覚えていて下さいまし! いや覚えていて欲しいなら、はよアレックスの話まで投稿しろという話なんですけどね。

ところで僕の心には、どうしようも無い苦悩が吹き荒れるのでした。
「終わるのいつになるんだ、これ……」


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エピローグ「ログアウト。そして」

前回が真の終幕とすれば、今回は裏の終幕的な感じですかね。
いや、裏……裏? どっちも最終回ということで!


ヒースクリフは仄かに笑う。その笑みに介在する意味を、僕には忖度できようはずもなかった。ただわかるのは、この微笑みはこの男の一生そのものだということ。

 

「見事だ、ライト君────。では、敗者は敗者らしく、早々に立ち去るとしよう」

 

正直に言って、まだ聞きたいことは山ほどある。でも引き止められない。彼はこの戦いに全てを賭して、そして敗れた。敗者を勝者が引き止めるだなんて、侮辱にもほどがある。

けれど、1つだけ。たった1つだけ伝えたいことがあった。

 

「ヒースクリフ……いや、茅場晶彦。最悪で……最高のゲームだった。ありがとう」

 

僕の言葉に茅場晶彦は目を閉じて、口の端をひそかに釣り上げた。一瞬の沈黙の後、ヒースクリフというアバターは無数のポリゴン片となった。

煌めく欠片は天へと浮かぶ。彼が目指した場所。浮遊城の、その先へ。僕はそれが消えるまで、ずっとずっと見送った。

アインクラッドを揺るがすような、荘厳な鐘が響いた。それは創造主を祝福するかのように、または惜別の意を表すかのように。

 

『ゲームは、クリアされました。ゲームは、クリアされました。ゲームは……』

 

次いで無機質なシステムメッセージがアナウンスされる。これで本当に終わりなのだと、確信させるような力強さで。

 

「ライト! よくもやったなこのヤロー!!」

「キ、キリト!? うわっ! ちょっ! 抱きつくなよ気持ち悪い!」

 

僕に抱きついて良い男は秀吉だけだ!

いや待て。これでは秀吉を男だと認め……いや誤認してしまうことになる。訂正。僕に抱きついて良い男はいない!

 

「テンション上がってるんだから今くらい良いだろ?」

「今日ばっかりは許してあげて、ライト君。きっと戦えなくて元気が有り余ってるのよ。それと、お疲れさま。ありがとう」

「うーん……まあアスナに免じて許可しよう」

「お前ほんと最後までブレないな!」

 

言いながらキリトは、僕から腕を離して肩を竦めた。

次いで声をかけてきたのはユウだ。妙にやにさがりながら、ユウは僕の肩に手を乗せた。

 

「現実に戻ったら、この光景を久保のやつに報告しないとな」

「へ、なんで久保君?」

「ま、なんにせよ良くやった」

 

僕の質問にユウは苦笑しか返さなかった。

久保君の名前を聞いたのなんていつぶりか分からない。ユウは時々素っ頓狂なことを口走るが、今回は輪にかけて意味不明だ。

そうこうしてるうちに、僕の周りにはわらわらと人が集まってきた。

正直、みんなから笑顔で感謝されるのは悪くない。フロアボスのMVPはいつもこんな気持ちを味わってたんだなあ、なんて世間ズレした感慨を抱く。

けれど、今はちょっと待って欲しい。先にやりたいことがある。

 

「ごめんみんな! ちょっと道を開けて!」

 

僕の呼び掛けで速やかに道が開いた。同時に猥雑に響いていた声も静まる。さすがは攻略組。指示には敏感だ。

しかも僕が何をしたいのかは、既にみんな了解していた。誰も彼もが朗らかに微笑みながら、僕の挙動を見つめている。

歩みを進める。

人でできた通路の真ん中に、1人だけ少女が佇んでいる。

栗色の髪が絹糸みたいにそよぐ。翡翠の瞳は、じっと僕だけを捉えている。

僕より少し小さい歩幅で、彼女も僕へと歩みだす。

あと一歩で触れ合いそうな距離。彼女の口が動いた。

 

「ライト。おつ────!?」

 

喋りかけたところを抱き寄せて、僕は優子の唇を塞いだ。

驚いて体を強張らせはしたものの、優子はすぐに僕の背中に手を回した。

言葉はいらない。衆目なんて関係無い。今は

ただ、優子の熱を感じたかった。

火照った魂が、穏やかに温度を落としていく。この瞬間で、やっと戦いは終わったのだと実感できた。

だが時間は有限じゃない。ログアウトを示すウィンドウがポップし、カウントがあと10秒になったとき、僕らは名残惜しく腕を解いた。

 

「……優子。また()()()でね」

「うん。真っ先に会いに行くわ。大好きよ、ライト」

 

優子の笑顔を脳裏に焼き付ける。恥ずかしかったのか、少しだけ紅潮している。だけど瞳はしっかりと通じ合っていた。

僕はこの瞬間を、生涯忘れることは無いだろう。僕らが走り抜いた世界の終わり。それを大好きな人達と一緒に迎えられるなんて、正直、最高の気分だった。

ありがとう、ソードアート・オンライン。美しくも残酷な、鋼鉄の浮遊城。この世界で生きた証は、僕の心に刻み込んでいくよ。

 

────世界が、極光に包まれた。

 

 

 

 

瞼を開く。

 

膨大な光量に目がチカチカして、ぎゅっと閉じてしまう。いや、違う。光が多いんじゃなくて、僕の目が慣れていないだけだ。

現状は正しく把握できている。僕はヒースクリフ────茅場晶彦を倒し、ゲームはクリアされた。生き残った6500名のプレイヤーは、今の僕と同様に各地の病院で目を覚ましているのだろう。

骨の、皮膚の、臓器の重みを感じる。空気のように軽やかだった僕の身体は、今や海の底に沈んだ瓦礫のようだ。実際に今は、ジェル状のベッドに沈んでいるのだが。

もう必要ないだろうと呼吸器を外し、息を吸う。肺がバキバキと軋んでいるみたいだ。ただ呼吸するだけで鋭い痛みに襲われる。それだけのことで、生きているって実感が湧く。

鼻腔をくすぐるのは消毒液の香り。太陽で乾いた布の香り。お見舞いで置いていかれたのであろうフルーツの香り。様々な香りが一気に流れ込んできて、頭がパンクしてしまいそうだ。現実って、こんなに情報量が多かったのか。

目が段々と慣れてきて見えたのは、真っ白な天井と青色のカーテン。そして────

 

「アキくん!? アキくん! 気がついたんですか!? 良かった……本当に良かった!」

 

僕に泣きつく姉さんだった。

 

「お、重いよ姉さん……」

「うわああん……アキくんが喋ってます!」

 

ガサガサに掠れた自分の声にも驚いたが、全く僕の言葉を意に介さない姉さんにも驚いた。

だけど敢えて引き離しはしないでおく。今はなぜだが、この重みが心地良かった。

ふと、ほほに違和感を覚えた。2年間の昏睡で触覚がよわっていたのか、はたまた自ら意識の外に締め出していたのか。

────僕は泣いていた。

 

「あら、安心して涙が出ましたか? 大丈夫ですよ。もう大丈夫です」

 

先ほどより随分と穏やかになった声音で、姉さんは僕の背中をさすりながら言った。

違う。そうじゃない。

この涙は、喪失の余韻。遠くへ行ってしまった彼女へ向けたもの。どうしてか今になって、アレックスと別れてしまったことに酷く痛みを覚えた。

僕はとんでもない間違いを犯したんじゃないか? 絶対に選んではいけなかった、取り返しのつかない選択をしてしまったんじゃ? そんな予感が、1人ぶんの席が空いた魂に去来する。だが今の僕に、滂沱を止める術は無かった。

もはやアレックスとの繋がりは完全に絶たれてしまった。どうやってもう一度会えば良いのかなんて想像もつかない。それでも、絶対に会いに行く。そう決めたんだ。彼女が見せた憂いの微笑。その思い出が、深く深く胸を刺す。

ただ今は、彼女の面影が風化しないように、か弱い腕で胸を押さえた。強く、強く。骨が折れるくらいに。

 

「ゲームで辛いことがあったんですか? 姉さんでよければいくらでも話して下さい」

 

いつになく、姉さんはまともに優しかった。

でももう大丈夫だ。決めたんだ。アレックスがどこにいたって会いに行って、絶対に助けてみせるって。

だからそのために前を向こう。それに失ったものだけじゃない。僕には得たものが沢山ある。

浮かぶのは優子の笑顔。現実で真っ先に会いに行くって、約束したばっかりじゃないか。

 

「大丈夫だよ、姉さん。ちゃんと僕が背負う。そうじゃなきゃ意味無いから」

 

姉さんはハッと目を見開いた。一体何にそんなに驚いたんだろう。

穏やかな微笑に戻った姉さんは、どこか口惜しそうに呟いた。

 

「大人に、なったんですね……」

「ん? 何か言った?」

「独り言です」

 

姉さんの発言が少し気になるが、それよりも僕には為すべきことがある。まず優子に連絡しなくちゃ。ベットで寝返りを打って、姉さんがいる方と反対側に足を下ろす。

地面に足の裏をつけた瞬間、骨の深部に鈍痛が走る。2年も使っていなかったせいで、もう中身はボロボロだと自己主張してきた。

それでも満身創痍に鞭打って立ち上がり、点滴を支える棒につかまった。

 

「アキくん。あまり無理をしない方が……」

「大丈夫だよ。このくらい……うわぁ!」

 

ものの見事に足が絡まり、硬質な地面に身体を打つ。すごいなあ。人ってこんなに弱れるものなのか。

 

「やはりいきなりは危ないですよ。立ち歩くためにはまずリハビリをしなくては。アキくんが起きたときのために、きちんと姉さん謹製のリハビリメニューを考えてあるんです」

「ほんとに? ありがとう姉さん。何から何まで……」

「水臭いですよ。たった2人の姉弟じゃないですか。ではアキくん。まずはこちらを見て下さい」

 

言いながら、姉さんは丸めたポスターみたいな紙を開き始めた。

どれどれ……

 

午前2時 起床

 

「ちょっと待って」

「もう全部読んだんですか? アキくんはゲームで速読も身につけたんですね」

「1行目からおかしいんだよ!?」

「まだ読んでないんですか。最後まで読まずに批判してはなりません。姉さんだってきちんと考えたんですから」

 

確かにそれもそうだ。一般常識はともかく、姉さんの頭の良さに関しては十二分に信頼がおける。その姉さんが知恵を振り絞って考えたんだ。きっと深夜に起床する意味もきちんとあるのだろう。

考えを新たにしながら、もう一度紙面に目を通す。

 

午前3時半 リハビリ開始

 

午後11時 就寝

 

「よくも『きちんと考えた』なんて言えたね!!」

「では、早速今日からこのメニューに取り掛かってもらいます」

「僕の話も少しは聞こうよ!? ていうかこのメニューは無理だから!!」

「取り掛かってもらいます」

 

ここに至ってやっと気がついた。姉さんと話すの事態が2年ぶりだから忘れていた。さっきからニコニコと笑っているが、この笑顔の意味は……

 

「もしかして姉さん、怒ってる……?」

「はい」

「ほ、ほわい……?」

「不純異性交遊の気配がしたためです」

 

勘が鋭いなんてレベルじゃない!!

ごめん優子……もう一度君に出会うまで、僕は生きているか分かりません……。

いや待てよ。ここは病院だ。医者か看護師さんを呼べば、こんな無茶なリハビリは止めてくれるはず。

 

スッ(密かにナースコールに手を伸ばす音)

 

ガッ(姉さんが僕の腕を掴む音)

 

畜生……!!

いやまあ、量はともかくリハビリはしなくちゃいけないんだけど。睡眠時間と休憩時間に関しては後で説得することにして、今はとりあえず姉さんに従っておこう。いずれ気も変わるだろう。

よし。そうと決まれば再挑戦だ!

地に足つけて、しっかり支えを持って、一息に立つ。不安定で、今にも崩れ落ちてしまいそうではあるが、とりあえずは立つことに成功した。

右足で一歩踏み出す。瞬間、左膝がカクンと折れた。そっか、歩く瞬間は片足立ちなんだ。それは無理だと悟り、足の裏を擦るように進んだ。

身体を前に進める度に、やる気が沸々と漲ってきた。

不恰好でも良い。ゆっくりでも良い。今はただ、自分の足で一歩づつ前へ。

そうすればいつか、どこへだって行けるんだから────。




最後の瞬間は優子と過ごしてもらいたくて、筆が勝手に動いていました。
次回からが正式にALOです。たぶん……。
あ、あと今回に入れようと思っていた原作ヒロイン2人のお話は、次回になるかなと思います。
作者のツイッターで、本文だけではふわふわしてる設定等をポツポツ喋っていく予定ですので、お暇があればどうぞ→@MUUK18
リプやDMで質問頂ければすぐお答え致します!


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幕間「遺したモノ。遺された者」

あれぇ? ALO始まってない……。
違うんです……これも全部、英霊剣豪七番勝負ってヤツのせいなんです。ヤツが面白過ぎたんだ……。
そんなわけ(?)で、彼女たちのお話、どうぞお楽しみください!


現実に帰ってきて1ヶ月半が経過した。

今日付で退院が許され、今後は自宅療養と家の近くの病院で通院によるリハビリが続く予定だ。

なぜわざわざ家の近くと枕をつけたのかと言えば、それは僕が入院していた県立酒々井病院は千葉県にあるからだ。なぜわざわざ千葉県で入院していたのかを問うても、姉さんははぐらかすばかりだった。

だがしかし、僕にとってそんなことは些事だった。今のぼくの脳内を大半を占める事柄がある。

 

────優子が、未だ目を覚ましていないのだ。

 

やっと今日、優子の元に駆けつけられる。待ちに待った日のはずなのに、起きることの無い優子を見る恐れが膨れ上がって期待を押し潰す。

でも、そんなのでビビってちゃ話にならない。言葉を交わせないのなら、側に寄り添い続けるだけだ。

優子の入院先は秀吉から聞いた。このまま家に帰らずに、まずは優子のもとへ向かうつもりだ。

心底姉さんがいなくてよかった。もし優子の病院まで送って、なんて言ったら何をされるか分かったものじゃない。

姉さんは2週間前に渡米した。何やら急用ができたらしく「今のアキくんを1人で生活させるのが心残りです……」と最後まで言っていた。

エントランスで手続きを済ませ、病院から一歩踏み出す。もう秋口だというのに相変わらず日差しは照りつけ、半袖でも問題なく生活できる。皮膚が焼けるような感覚も久し振りだった。2年間こもりきりだった身体は外的刺激に敏感で、以前ならなんともなかった暑さでも無駄に疲れが溜まってしまう。

携帯を取り出して地図アプリを起動する。歩きながら最寄り駅までの道筋を検索していると、僕の目の前で情熱的な赤の車が急ブレーキを踏んだ。

車種はチンクエチェント。可愛らしい車体は夏の残り香たる陽光を照り返し、爛々とギラついている。

唐突にドアが開け放たれ、中から出てきたのはモデル体型な長身の女性だった。赤みがかったロングヘアは、風を思わせるしなやかさ。髪と同系色のシャツを肘まで捲った姿は、中性的な雰囲気と相まって美しいよりカッコいいが勝っている。目元はサングラスに隠されて見えないが、鼻も口も均整がとれていてとびきりの美人であることが伺える。ただ1つ残念なのは、舗装されたコンクリートもかくやという、地面と垂直に切り立った胸元か。

 

「良かった〜! すれ違いにならなくって!」

 

聞き覚えのある声だった。快活で少しの外国語訛りを感じさせる、どこか気の置けない声音。女性がサングラスを慣れた手つきで額に差し直す。やっと分かった。彼女の名は──

 

「美波! 久し振り! こんなとこでどうしたの!?」

「どうしたもこうしたも、アキを迎えにきたに決まってるじゃない。ほら、乗りなさいよ」

「ほんと!? わざわざありがとう!」

 

片目をつむって、美波は親指で車内を指す。日本人が同じことをしたらクサいだけだろう。それを美波がやると、まるで映画のワンシーンみたいに様になっていた。

美波の気遣いに感謝しつつ助手席に乗り込む。車内はナチュラルな花の香り。言動はガサツに見えるのに、美波は細かなところでいつも女の子らしかったっけ。

2年前の記憶に想いを馳せていると、美波が運転席から身を乗り出してきた。

 

「ねえ、アキ」

「ん? どうしたの?」

「まずは退院おめでとう。また会えて良かった……本当に」

 

美波は目を伏せながら言った。嬉しさも安心もしっかりと伝わってくる。だけど、それだけじゃないことは、どこか遠慮がちな美波の様子から見て取れる。けれどその言葉にこめられた感情は複雑過ぎて、僕には読み解くことができなかった。

だから僕は、どこまでも単純に返してしまう。

 

「うん。僕も美波にまた会えて良かった」

「…………うん」

 

美波は何か言いかけたが、喉から出かかったところで飲み込んだ。美波が言いたくないなら問わない方が良い。そう自分に言い聞かせて、僕は会話を続けなかった。

ぎこちない沈黙。

少しだけ覚束ない所作で美波が車を発進させてから、今度は僕が言葉を発した。

 

「美波って、高校は卒業……できたんだよね?」

「し、失礼ね! 3年次はちゃんとDクラスに編入されるまでになったんだから!」

 

うーん……Dクラスか……なんとも言えない……。当の美波が誇らしそうなので、あえて何も言わないでおく。

 

「あ、そうそう。瑞樹はAクラスになったのよ」

「そうなんだ。やっぱり姫路さんはさすがだね」

 

2年次は不運な事故だったが、姫路さんは元々実力はあるのだ。Aクラスに入るのはむしろ順当といったところだろう。

 

「更に言えば、今は東大に通ってるんだから」

「うおお……。当然と言えば当然だけど、やっぱり凄いなあ。あ、そうだ。美波は今なにしてるの?」

「ウチ? ウチはねー。聞いて驚かないでよ?」

「なになに?」

 

勿体振る美波。焦らされると余計に気になってしまうのがサガというもの。

美波は口の端を緩ませて、僕の顔を窺いながら勢い良く言った。

 

「なんと! ファッションモデルでお給料もらってます!」

「ふーん」

「もっと驚きなさいよ!」

 

驚くなって言われたから、つい。

美波はツッコミの勢いで、ハンドルから手を離した。一瞬ヒヤリとしたものの、どうやら運転手が手を離すと自動運転に切り替わる仕組みらしい。ハンドルが独りでに回り出し、正確無比な右折を見せる。

じゃあなんでわざわざ手動で運転してたんだろうと不思議に思いつつも、わざわざ追及するほどでもないかと思考から消した。

 

「なんとなくモデルかなって思ってたんだよ。美波ってスタイル良いし、綺麗だし」

「な、なによ! おだてたって何も出ないわよ!」

「おだててないよ。本音だからね」

「……アキ」

「?」

 

僕の名を呼んだ美波は、釈然としないものを吐き出すような有り様だ。美波はいきりたっていた肩を落として言った。

 

「アンタ朴念仁に磨きがかかってるわね……」

「な、なんで……?」

「理由は自分で考えなさい! はあ……ほんと……。そうだ! 次はアキの話を聞かせてよ。SAO、どうだった?」

 

美波は両手を胸の前で合わせて、笑顔で言った。

そこからはずっと僕が喋り続けた。

ログインしてすぐの茅場晶彦による演説や、キリト、アレックスとの出会い。僕らがずっと攻略組として最前線で戦っていたこと。そしてヒースクリフを倒した瞬間のこと。

僕の下手な自分語りを、美波はうんうんと頷いて聞いてくれた。

話すのに夢中になっているうちに、車窓に映る景色は流れる。ついには僕の知る街並みが見えてきたとき、美波は快活な、けれど翳りを感じさせる声で問うてきた。

 

「ところでね、アキって木下さんと付き合ってるワケ?」

「な、なんでそれを!?」

 

その部分だけは絶妙に誤魔化しながら喋っていたはずなのに!?

僕の驚きように、美波はぷっと吹き出す。かんばせは困ったような微笑みだった。

 

「そりゃ分かるわよ。あれだけ語り口がお熱ならね」

「うぐ……ごめんなさい」

「なんで謝るのよ」

「いや、付き合ってるのが羨ましいのかと思って……」

「ブッ飛ばすわよ、アンタ」

 

フロアボス以上の威圧感である。

そういえば凄んだ美波ってこんな感じだったっけ。SAOで大型モンスターの威嚇に怯まなかったのは、案外美波のおかげだったのかもしれない。

優子の話題が出たからか、目的地が僕の自宅ではなく優子の入院している病院だと美波に伝えていないことを思い出し、慌てて訂正する。

 

「言い忘れてたんだけど、行って欲しいのは僕の家じゃなくて如月市民病院なんだ。ごめん、伝えるの忘れてた」

「そこに、木下さんが入院してるの?」

「う、うん……」

 

もう美波に隠し事はできそうにない。僕ってとことんわかりやすいんだなあ。

 

「じゃあ病院に着いたらウチはお暇するね」

「一緒にお見舞いしないの?」

「……いいの、ツラくなるだけだから」

 

ずっと微笑んでいた美波は、いつの間にか泣きそうな顔に変わっていた。それでも笑顔を取り繕う美波の姿は、酷く痛ましいものに見える。晴天に滴る雨のように、美波のほほに水滴が光る。

ツラくなるって、どういうことだろう?

美波は優子と特別仲が良いわけでもなかったような? どこに美波が気負う要素があるんだ?

 

「ごめん、アキ。これから連絡は控えようと思う。ワガママでごめんね」

「な、なんで!? せっかく久し振りに会えたのに!?」

 

瞬間、美波は顔を上げた。

その面持ちを忘れることはできないだろう。燃え盛るような睥睨だった。昔の美波が僕に向けていたイラつきとは根本的に違う、真剣な激情の瞳。

立て続けに美波から、堰を切ったように言葉が溢れ出す。

 

「だってツラくなるだけじゃない!? ウチはね、アキのことが大好きだった! ううん。今でも大好きよ! その人が好きな人の話を嬉しそうにしてて、ウチはどんな顔して隣にいればいいのかわかんないの!」

 

一息にまくし立ててから、美波は肩を上下させて呼吸した。

 

「ごめん……アキに当たることじゃないのにね。ごめん……」

 

ダメだ。考えが纏まらない。美波に言葉を返さなくちゃいけないのに、ぶつけられた感情の質量があまりに大きすぎて。

僕は、なんて無神経に喋ってたんだろう。美波の気持ちなんて、ほんの少しも汲み取ってあげられず。

胸を締め付けられる。僕は優子と歩むと決めたんだ。こんな気持ちでいては、優子にも、そして美波にだって失礼だ。

けど、どれだけ言葉で取り繕っても空いた胸の穴は塞がらない。

────きっと僕は、美波のことが好きだったんだと思う。

それが友情なのか愛情なのかはともかくとして。好きだったという気持ちに偽りは無い。そうじゃなきゃ、こんな辛い気持ちになるはずない。

でも、だからこそ、美波の言葉にはきちんと応えなくちゃ。

喉が詰まる。心が言いたくないと拒んでる。でも。

 

「ありがとう、美波。美波と一緒にいられて楽しかった。僕はね、美波と友達になれて本当に良かったと思ってるよ」

「そっか……うん…………うん」

 

美波は何かを自分に言い聞かすように頷く。笑顔は崩さないままなのに、その目尻は淡く輝いている。

微笑の上に浮かぶ涙は、僕の胸を抉るように突き刺した。

友達、と僕は言い切った。それが線引き。それがケジメだ。美波の気持ちには応えられない。

車が減速していくのが分かった。窓の外を見ると、大きな白璧が曇り空に沈んでいた。如月市民病院だ。

 

「病院、着いちゃったわね」

「うん。またいつでも連絡してよ!」

「いいわよ、そんなに気使わなくても。はやく木下さんに会いに行ってあげて」

「うん……ありがとう」

 

美波の強さに応えるために、僕も精一杯の笑顔を繕った。これで良かったんだ。

美波に背を向けようとしたその時、美波の口が微動した。

 

「もし、SAOにログインしたのが……」

「なにか言った?」

「ううん。なにも。ただの絵空事。心配しないでね。 ()も、これから前を向いていくから! ……さよなら、()()

 

振り返った彼女は、いそいそと車に乗り込んだ。深紅の車体が、曇天に鈍く照る。

土埃を巻き上げながら、小さな車は馬力を上げて、僕の元を去って行った。

 

 

1年半前

 

「じゃあまた明日お伺いしますね、玲さん!」

「ウチも瑞樹といっしょに来ます!」

「……はい。お待ちしております」

 

ほんのりと陰のある玲さんの首肯に、私は首を傾げました。なにか沈鬱になるようなことがあったのでしょうか。

私と美波ちゃんは、毎日のように明久君のお見舞いに行っていました。その日に学校であった出来事を話したり、思い出話に浸ったり。

この日々がどれだけ続くのか分かりません。いつ明久君が目覚めるのかは、今ゲームをプレイしている人達の頑張り次第。待つのもまた、暗中模索の思いでした。

時々、明久君や、クラスのみんなと喋れないことを寂しく思うときもあります。もしかしたら誰かゲームオーバーになってしまうんじゃないかと怯えることなんて毎日です。

だから、早く目を覚ましてくださいね、明久君。

最後に明久君の手を握ってお祈りをしてから、その日は如月市民病院を後にしました。

 

────その翌日、同じ病室には、明久君の姿がありませんでした。

 

受付のお姉さんに聞くと、昨日付けで転院したのだそう。どこの病院かまでは、プライベートなのでお答えできないと言われてしまいました。

美波ちゃんと2人で、受付の前で茫然と立ち尽くしました。

なぜ? なぜ何も言わずに転院してしまったのか?

その疑問がぐるぐると頭の中を回ります。

いえ、答えはすぐに出ました。私の幼い思考が、それを受け入れるのを拒んだだけ。

私がまだ混乱から立ち直れていないとき。美波ちゃんは入り口に向かって走っていきました。

 

「待ってください、美波ちゃん!」

「…………っ!」

 

美波ちゃんは何も答えてくれません。

鈍足の私が美波ちゃんに追いつける道理はありません。徐々に離されていく距離。それでも必死に美波ちゃんに追いすがりました。

公園ほどもあろうかという病院の駐車場を突っ切ったところで、やっと美波ちゃんは止まってくれました。

肩で息をしながら、こみ上げる喘息を抑えます。

 

「はぁ……はぁ……美波ちゃ……」

「なんで!?」

 

空を震わす怒声に、身体がビクリと震えます。その気持ちは痛いほどわかります。でも、だからこそ、私は抑えなきゃいけないと思いました。

 

「……きっと、玲さんは私たちのことを思ってくれてるんですよ?」

 

明久君はいつ帰るか分からない。何年待つことになるのか分からない。そんなものに、私たちを巻き込むわけにはいかない、と玲さんは考えたのだと思います。玲さんはそういう人だと信じています。

 

「わかってる! 聞き分け無いのはウチの方だって、そんなことわかってるから! だから……」

 

美波ちゃんは地面にへたり込みました。顔を覆う手の縁から、涙が滴ってコンクリートを濡らします。

 

「瑞樹は、平気なの……?」

「平気じゃ……ないですよ。けど、むしろ頑張らなきゃって思うんです」

「……頑張る?」

「はい! 頑張るんです! きっと明久君達は、ゲームの中で今も頑張ってますよ。だから私も、現実で頑張らなきゃっいけない。いつか明久君が帰ってきたときに、明久君に負けないくらい頑張ったって、胸を張れるように」

 

顔を上げた美波ちゃんは、雫を載せた瞳で私を見つめました。そうして浮かべたのは、底抜けに悲しい笑顔でした。

 

「そっか……。瑞樹は、強いね……。ウチはまだ、そんなに強くなれないや……」

「……今はまだ大丈夫ですよ。いつか美波ちゃんが自分の中でケジメをつけられるときがきたら、そこからで良いと思います」

 

私は美波ちゃんに近づいて、両手でしっかりと抱き寄せました。美波ちゃんの声を上げて泣きました。美波ちゃんの涙は、今は明久君がいないから、私が代わりに受け止めます。1つ貸しですよ、明久君。

 

「あ、あれ……?」

 

気づくと、私もほほを涙で濡らしていました。

ごめんなさい、美波ちゃん。偉そうなこと言いましたけど、私もそんなに強くないみたいです。

2人で蹲って泣いていると、夜の帳が街を覆いました。季節はまだ3月。肌寒い風が私達を吹き付けます。

涙を流して軽くなった心で想うのは、今この瞬間にも戦っているであろう明久君でした。頑張ってくださいね、明久君。私も頑張りますから! 手始めに勉強から。まずは学年1位を狙ってみます!

翔子ちゃんがいないからこの目標はズルだな、なんて思いつつ、私は寂寥の涙を拭いました。




SAO終了以来、感想や評価を沢山頂けてホクホクのMUUKです。やっぱりモチベーション上がりますね! 我ながらわかりやすい性格です。


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第二章「フェアリィ・ダンス」
第一話「「リンクスタート!!」」


ついにALO編開始です! と言っても導入になるのですが! ともかく本編どうぞ!


家に見慣れない書類が届いた。それは編入手続きの案内だった。

SAOから生き延びたもの──SAO生還者(サバイバー)の中には子供も多い。その中で就学意思のある者は、生還者専用の学校、もしくは生還者を受け入れる学校に編入が許可されている。

入学時期は今から1か月後に迫った4月だ。通常の学生と同じく、各学校の入学式に参加することになる。

もちろん僕も学校には通おうと思っている。これから通学する場所がどこになるのかがこの茶封筒に封入されていると思うと、少なからず胸が膨らむというもの。

さてさて、僕の新天地はどこやら……

 

「げぇ……文月学園……」

 

ババア長め、生還者受け入れなんて殊勝なことしてたのか。なんらかの悪巧みとしか思えない……。

顔ぶれも変わり映えしないんだろうなあ。僕が文月学園に編入するなら当然ユウ……じゃなくて雄二と秀吉、ムッツリーニや霧島さん、工藤さん、そして……

 

「あっ……」

 

未だ昏睡を続ける優子を想起し、胸が締め付けられる。

今しがた優子の面会に行ってきたところだった。彼女の寝顔はどこまでも穏やかで、本当にただ眠っているだけのよう。────頭を覆う、鈍色のヘルメットさえ無ければ。

もうSAOがクリアされてから2ヶ月が経った。せっかくクリアしたのに、優子がいないんじゃ意味無いじゃないか……!

 

「くそ!」

 

憤りに任せて壁を殴る。壁には傷1つなくて、拳はジンジンと痛みを訴える。現実の身体の弱さに情けなくなる。

自室に戻り、入学書類を机に投げてベッドに身体を預けた。古くなった蛍光灯が目障りに明滅する。

SAOじゃ超人的だった身体も、現実では寝たきりでやせ細ったただの学生なのだ。無力さが苛む。僕はどうすれば、優子にまた会えるのだろうか……。

僕の最愛の人。いつも傍らに立っていた彼女の笑顔をもう一度見れるなら、僕はなんだってできるだろう。

 

「ダメだな……美波もこんな気持ちだったのかな……」

 

自分に何もできないことが、こんなにもどかしいなんて。実際に行動して不可能だったなら諦めもつく。最初から動くことすら許されていないのだ。だったらせめて、僕に戦う場所を与えて欲しい。

その時だった。

ドアベルが甲高い音を鳴らす。時刻は既に夜7時。こんな時間に来客とは珍しい。

 

「はーい! 今行きまーす!」

 

玄関へと駆ける。まだ復調しきっていない足が絡まりそうになるが、なんとかドアにたどり着く。

扉を引いた先に立っていたのは──。

 

「おっす、ライト!」

「キリト!? どうしてここに!?」

 

無二の戦友にして最高の剣士、キリトの姿だった。

ゲームの中で見たよりもだいぶ痩せてしまってはいるが、見違えるはずもない。勇壮な双眸には疲弊の色が見て取れる。リハビリ疲れだろうか。

キリトは玄関先で厚手の黒いチェスターコートを脱ぎながら、僕の質問に答えた。

 

「《SAO対策本部》の役人にお前の居場所を聞いたんだ。ライト……じゃなくて現実では明久だっけ? お前の病院にも来ただろ?」

「あー……来たはずなんだけど、姉さんが追い返しちゃったんだよね。『今のアキくんに余計な負荷をかけるわけにはいきません』とか言って」

「へえ、良いお姉さんだな」

「え……あ……えーっと……」

 

とてもじゃないが首肯しかねる。いや、基本的には良い人ではあるんだけど。

 

「まあいいや。どうぞ上がっていってよ! キリトと喋りたいこともいっぱいあるしね!」

「うん。じゃあお言葉に甘えて……」

 

キリトは屈んで、黒いブーツから足を抜いた。そこから出てきた靴下も黒。SAOでも思ってたけど、キリトってどんだけ黒が好きなんだ? 黒の剣士の名に恥じぬ単色ファッションを見せつけるキリトに、先ほどから気になっていた質問をぶつける。

 

「そういえばさ、キリトの本当の名前はなんなの?」

「ああ、桐ヶ谷和人だ。呼び方は自由で構わないよ。────あらためてよろしくな、明久」

 

言いながらキリト改め和人は手を差し出した。和人の真っすぐな目を見ながら手の平を握り返す。

 

「うん。よろしく、和人」

 

まだ呼称に抵抗があるが、言ってるうちに慣れるだろう。

和人をソファに座らせて、僕はお茶を汲みにいく。リビングに腰掛ける和人が首を台所へ向けた。和人は沈んだ声音で、如何にも深刻そうに切り出した。

 

「……明久、協力して欲しいことがあるんだ」

 

キッチン越しにも聞こえるように、少し大きな声で返事をした。

 

「ん? なに? なんでも言ってよ」

「俺と一緒に、アルヴヘイム・オンラインをプレイしてくれないか?」

 

まるで別れ話をするカップルみたいな沈鬱さだったので、正直拍子抜けだった。

ALO(アルヴヘイム・オンライン)のことは僕も知っている。現在最大手のファンタジー系MMORPG。妖精を形取ったアバターで空を飛ぶ感覚は、他では味わえない体験だとか。フィールドやオブジェクトのクオリティーはSAOと比べても遜色ないと、生還者の間ではもっぱらの噂だった、

まさかキリトは、僕がフルダイブ自体を拒絶すると思ったのだろうか。僕にはフルダイブ技術に対する忌避感が、自分でもびっくりするくらい無い。むしろ親友からゲームのお誘いがきたんだ。ここで断ってはゲーマーの名が廃るというもの。

 

「もちろん! 一緒に遊んでくれる友達いなかったの? 和人、友達少なそうだもんね」

「普通に失礼だからな? 友達ぐらいいる……っちゃいるような、そうでもないような……っていうか、本題はそこじゃないんだよ。この写真を見てくれ」

 

和人は立ち上がり、僕の目の前まで黒いカバーの携帯電話を持ってきた。

やはり友達いないんだな、と思いつつ、和人の差し出した写真に目をやる。拡大に拡大を繰り返したかのような、低解像度の画像が表示されている。顔までは分からないものの、人が写っているということは見て取れた。

巨大な鳥かごじみた金の檻が、さらに巨大な木にぶら下がっている。その中で佇むのは、腰まで届きそうなくらいに長い、栗色の髪をした少女だった。

 

「これって……アスナ?」

「……ああ、たぶんな」

「アスナが写真に写ってて、それが一体どうしたの?」

 

確かに鳥かごに封じられているというのは尋常ならざる事態に思えるが、それと今までの話がどう結びつくのだろうか。そんな考えを吹き飛ばすように、続くキリトの言葉が全てを繋げた。

 

「アスナは……まだ目を覚ましてはいないんだ」

 

朴訥に吐き出された、告解を思わせる台詞は、僕の頭を激しく揺さぶった。

優子と……同じだ。

可能性は充分にあった。SAO生還者の内3百人ほどが今も目を覚ましていないことは、ネットやニュースで話題になっている。ショッキングな話題の渦中に、まさか2人も知り合いがいるなんて。しかも僕らの最愛の人というオマケ付き。

話の流れや写真の内容から察するに、アスナの写真はALO内部で撮られた画像なのだろう。となるとアスナはALOから出られないという状況で、優子も同じように囚われているのだろうか。

重大な情報をもたらしてくれた友人に、深い感謝の念が湧く。

 

「そっか……優子も眠ったままだって知ってるから、キリトは僕のところにきてくれたんだね?」

「え!? 優子もなのか!?」

「知らなかったのかよ!」

 

ああ、コイツ本当にただ僕を巻き込みたかっただけなのか。まあ頼られるのは嬉しいのだけど。

茶葉を入れた急須にお湯を注ぎながら、和人へと顔を向ける。

 

「ともかく、何か手がかりがあるかもってことでALOに行こうって話だよね。うん。ありがとうキリト。声をかけてくれて」

「感謝するのはこっちの方だ。サンキューな、ライト。一緒にアスナと優子を助けようぜ……って、俺たちまたアバター名で呼び合ってるな」

「あ、ほんとだ。慣れないもんだね」

 

2人で苦笑しながら拳を合わせる。

さっきまで打ち拉がれていた心に火が灯る。僕と和人ならやれる。そんな根拠のない未来予想図が、和人と一緒なら湧き出てくる。

優子、待っててね。すぐ助けに行く。どこに君が囚われていたって、音を超えて飛んでいくから。

決意を新たにしたところで、キリトの表情に影が差していることに気がついた。2年の間一緒にいて嫌という程キリトのことを見てきたが、コイツは意外と繊細だ。勢いがあるときは実に頼り甲斐があるのだが、わりとすぐメンタルが弱る。

今回は何を思い煩っているのかは明白だった。

 

「アスナのことが心配?」

「え、俺、そんな顔してたか?」

「うん。それはもう。大丈夫だって! 僕らなら絶対アスナも優子も助けられるから!」

「ああ、そうだな……」

 

僕の励ましも虚しく、和人は悄然とした態度を崩そうとしない。

いや、これはおかしい。いつもの『キリト』なら、僕の言葉にノリ良く乗ってくるところだ。沈鬱な表情を鑑みるに、問題はそう単純じゃないとみた。

 

「何かあったの? よかったら相談のるよ?」

「ありがとう……でも、ライトには……」

「関係無い? そんなわけあるか! キリトとアスナのことなんだ! 関係大アリに決まってるだろ?」

 

お茶の入ったコップを和人の前に強く置きながら、僕は和人の目を見て言った。

僕らの頭上で、年季の入ったランプがふらふらと揺れる。電灯の揺れが収まるくらいの時間が経過して、もう一度僕は和人へと詰め寄った。

 

「だからさ、僕に話してよ」

「…………ほんと、明久には助けられっぱなしだな……」

 

和人のこけた頬にシニカルな笑みが浮かぶ。

和人の口から訥々と語られた内容は、一介の男子高校生には重過ぎる内容だった。アスナの病室に須郷という男が現れた。須郷は自分はアスナの婚約者であると言い、和人には金輪際、面会に来ないよう命令したのだ。

掻い摘んで説明するとこんなところ。話を聞いていると、僕の中に沸々と煮え滾る感情が芽生えた。

 

「それで、何もない言い返さなかったのかよ!」

「言い返せるわけないだろ! 相手はアスナの親も認める婚約者だ! 俺がでしゃばれるかよ……」

「そういう時は、『アスナはお前なんかより俺の方が好きなんだ!』って言ってやれば良いんだよ」

「小学生かお前は……」

 

和人は呆れ顔を隠そうともしない。

んー、でも譲れない物があるんなら、しっかり言った方が良いと思うんだけどなあ……。

どうにも釈然としなくて、和人の横に腰掛けながら頬杖をついてしまう。

 

「だったら、アスナのことは諦めたのかよ?」

 

不貞腐れた僕の質問に、キリトが返したのは失笑だった。自分の苛立ちを自覚しながらもキリトへと向きなおる。向かい合ったキリトは、さっきまでの意気消沈っぷりが嘘みたいな清々しい笑顔だった。

 

「まさか! むしろアスナを助け出して、須郷の鼻を明かしてやろうって話だろ?」

「それでこそだよ、キリト!」

 

僕ら2人で顔を合わせて、悪い顔して笑い合う。

そうと決まれば善は急げだ! まずはソフトを買わなきゃ始まらない。ネットで中古でもポチって……

 

「そうだ。明久、これ」

 

キリトが差し出したのは、種々の妖精達が大木の周りを飛び回っているパッケージ。

 

「これって……」

「ALO。こっちから頼むんだ。ソフトくらい提供しないとな!」

「あなたが神か……」

「そんな、大袈裟だって」

 

実は大袈裟でもなかったりする。今月の食費が底をつくかどうかの瀬戸際だったのだ。和人のおかげでカップ麺一箱耐久生活に勤しまずとも良くなった。これが神でなくてなんだろう。

そんな未来が待ってるのに買うことを即決するなんて、後先考えなさ過ぎじゃないかな、僕……。

自分で自分に呆れながらも、快く和人からゲームを受け取る。

 

「じゃあゲーム内での待ち合わせは、アスナが囚われてるっていう世界樹ってとこにする?」

「ああ。ざっくりだけど、まあなんとかなるだろ」

 

僕に同意を示しながら、和人は自分の黒い手提げ鞄に手を伸ばした。丸く膨らんだバッグからとりだされたのは、鈍い銀色に輝くナーヴギア。

 

「わざわざ持ってきたんだ。ここでプレイ開始するつもり?」

「あのさ……明久って一人暮らしだよな?」

「うん。そうだけど……」

「泊めてくれ」

「だろうと思った。別に良いよ。着替えは僕のを使う?」

「実は……」

 

少し申し訳なさそうにはにかんで、和人はカバンから綺麗に畳まれた服を取り出した。

こいつ……! 最初から泊まる気満々か!

突発的な事故に見せかけた計画犯罪に、苦笑しながらも心が沸き立つ気分になる。SAOじゃ何度も衣食住を共にしたが、やはり現実の身体となれば新鮮みも変わる。

和人がすくりと立ち上がって、意気揚々と両拳をぶつけた。

 

「さて、じゃあ早速ログインしちまおうぜ!」

「オーケー。じゃあ僕の部屋に行こう。パソコンを設置してるのは僕の部屋だけだからね。先にご飯食べなくて大丈夫?」

「ちょっとくらい大丈夫だって。()で食べれば気も紛れるだろ」

「それって最近話題になってる電脳餓死になるやつじゃ……」

 

他愛の無い会話を繰り広げつつも、僕らは粛々と手足を動かす。

僕の部屋でベッドの上に僕、床に敷いた布団に和人が寝転がり、ナーヴギアを装着する。この感覚は、あまりに懐かしい。始まりの日、僕の運命が変わった日に立ち戻ったような高揚感が、じわりと心中に染み渡る。

しかし、これから赴くのは未知の世界だ。剣と魔法が支配する妖精の理想郷では、どんな冒険が僕を待ち受けるのか。

優子、もう少しだけ待ってて。僕が出せる全速力で、君の居場所に駆けつけるから。

最後に優子のことを想起してから、僕は和人と同時に式句(コマンド)を詠唱した。

 

「「リンクスタート!!」」

 




シリアス・アトモスフィアなんて知らねえ……! ウチのキリトは原作と性格違うんだ……! ライト達に誑かされてパッションボーイなテンションなんだ……!!
とまあそんな感じで、原作より鬱みが少ないキリトなのでした。


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第二話「世界最強のカブトムシ」

今回からALOが本格的に開始ですね!
最近モチベーションが上がってるのかして、いくら書いても苦痛じゃないや……。がんばって投稿速度上げていきますのでよろしくお願いします!(また下がるフラグ)


初めに匂いが、次に音が、そして光が緩やかに遠ざかっていく。ナーヴギアが神経伝達を遮断し、ブラックホールよりもなお暗い、完璧な暗闇が顕現する。

暗黒は長くは続かなかった。プリズムで分けたような虹色が眼前に湧き立つ。虹の光は揺蕩いながらも形を整え、ナーヴギアのロゴマークへと変貌する。マークがクリアに見えるということは、僕の視覚野とナーヴギアが接続したということだ。

続いては音。大小高低のサウンドが混じり合い、不協和音だったそれは次第に音律を奏でていく。

さらに触覚、平衡感覚、体感覚、動作確認、種々のステップが着実にこなされていく。

超科学のヘルメットが僕の脳と渾然一体になったとき、ついにアルヴヘイム・オンラインのロゴが映し出される。

ああ、SAOにログインするときも、こんな手順だったっけ。懐古と憂鬱がない交ぜになった感情で、IDとパスワードを設定する。次いでキャラクターネーム入力画面がポップアップしたので、迷わずライトと入力した。

次に現れたのは、色とりどりの妖精達だった。全部で9種類の妖精を横にスライドしながら見分する。さて、1番速そうなのは……なんて自然に考えてしまう。2年間染み付いたサガなのだから、こればっかりはしょうがない。

 

「よし、これにしよう!」

 

選択したのは猫妖精族(ケットシー)という種族だった。ビーストテイムが得意という特性もさることながら、もっとも目を惹かれたのはやはり、高い敏捷性という一文だった。

最後にアバターは自動生成されるという注意書きを連打して飛ばすと、《Welcome to the ALfheim Online》という文言だけが瞼に焼き付いたまま、極光が漆黒を奪い去った。

説明によれば、選んだ種族のホームタウンがゲームのスタート地点だという。

異世界に転生する前触れのように、地に足をつけている感覚が消え、バンジージャンプのような浮遊感が訪れる。視界を支配していた膨大な光が晴れていき、異世界の有様が揺らぐ景色の奥に浮かぶ。

刹那────世界がクラックした。

そうとしか形容できぬ光景が眼前で立ち回る。創造されようとしていた街並みはポリゴン片と果て消えて、色彩はモザイクへと姿を変える。

え? なにこれ? バグ? それとも演出?

再度の落下感覚に見舞われる。良かった。やっぱりヒビ割れた映像は演出か。

 

ゴオオォォオオォォ…………

 

ん? なんの音だコレ。

まるで遥か上空から物体が落とされたときのような空を裂く音が、僕の聴覚に叩きつけられる。

なんだなんだ? また特殊演出か?

悠長に構えながら瞼を開くと────地平まで見渡せる大空が広がっていた。

 

「って! 落ちてる────!!?」

 

眼下に広がる大海原に、急接近し続ける僕のアバター。

いやいやいやいや。なにこれ? どうすればいいの? バグ? うっそぉー……。

あっそうだ! ALOには空を飛ぶ機能があるんだ! でも説明読んでないや……。メニューに説明乗ってないかな。

SAOと同じように右腕を縦に振ると、きちんとメインメニューが現れてくれた。複数のコーナーが並ぶウィンドウの中から、見慣れないアイコンを選択しようとする。だが風圧で指先がブレて押し間違え、表示されたのはスキル一覧だった。

 

「え、なんで!?」

 

僕のスキルスロットには、既にマスターされた状態の体術スキルがセットされていた。体術の他には疾走スキルや曲芸スキル等、僕がSAOで取っていたスキル群が、スキルポイントそのままに使用可能になっている。だが残念ながら拳術スキルだけは見当たらない。

スキル自体はある程度共通なのか!? 同じナーヴギアを使っているから?

考えるのは後だ! 今はとりあえず飛ばないと!

今度は過つことなく飛行する絵の描かれたアイコンを押す。掌中にラジコンヘリを操るのに似たリモコンが現れた。

いや……これどうしたら飛べるの?

取り敢えず弄ってみる? それで急落下したら嫌だな……。

ええい、ままよ! どっちにしろ死ぬんだ! やるだけやってやる!

決死の覚悟で飛行補助装置を握りしめる。

その時だった!

 

「キミ! 手を伸ばして!」

 

右側から呼びかけられて、反射的に振り向く。10メートルの先に並走しているのは、小型の飛竜と可愛らしい竜騎士(ドラゴンライダー)だ。竜を駆る少女は獣人じみた容姿だった。猫のような耳と尻尾。これが僕の選んだ猫妖精族ってやつか!

いや、今はそんなことどうでも良い! とにかく女の子の腕を取らなきゃ!

徐々に近接する少女目がけて、手をめいいっぱいに伸ばす。指先が掠り、また離れる。もうちょっと……もうちょっと!

腕がちぎれるほどに竜騎士の少女へ向かう。猫少女もまた必死に僕へと手を差し伸べてくれている。

あと、少しだけ……!

僕の想いが届いたのか、懐かしい感覚が仮想の身体を包み込む。身体部位のことごとくが、ポリゴンから単なる情報へと置換される。

スキル『神耀』。

完全無欠の瞬間移動が発生し、僕はワイバーンの上に跳躍した。

そっか。スキルが同じってことは、心意システムがALOにある可能性も考えられるんだ。

取り敢えずの安全が確保され、飛び出んばかりに跳ねていた架空の心臓が徐々にクールダウンしていく。次第に感覚を取り戻した触覚が、手のひらの違和感を訴えた。暖かく、滑らかで、柔らかい。皮膚が伝える質感は、少なくとも飛竜のものではないだろう。そう。僕が握るのは人肌の触感────恩人の少女の腕を掴んで、ものの見事に押し倒してしまっているのだ。互いの顔の距離、実に10センチ。言い逃れは許されない状況だ。

慌てて状態を起き上がらせて、手を合わせて平謝りする。

 

「ご、ごごごめん!! これは事故っていうかなんていうか本当に申し訳ないというかありがとうというか……」

「ねえねえ! 今のなんなの!?」

 

へ?

 

「キミ、今ワープしたでしょ!? 何もないとこからビュンって飛んだのだよね!? どうやったの? 新しいスキル!?」

 

初対面の男に押し倒されていることなど眼中にないように、ネコミミ美少女は目を煌めかせて詰め寄ってきた。どうやら僕は、相当な剛の者に助けられてしまったらしい。

 

「と、取り敢えず起き上がろうよ」

「あ、そだね。このままじゃ話しにくいのだものね!」

 

そういう問題じゃないんだけど……。

ケットシーらしき女の子は、無駄にバク転しながら起き上がり、僕の前にちょこんと座った。

 

「グルルウゥ……」

 

ワイバーンの低い唸りが耳朶を打つ。主人を襲ったと思しき悪漢に、敵愾心を抱いているのだろうか。

猫少女はあぐらを組みながら、竜の頭を豪快にバシバシ叩いた。叩く手に飛竜の赤い鱗が刺さっているように見えるののだが、体力は削れていないのだろうか。

 

「大丈夫だって、リュータロー! 悪い人じゃないのだよ、たぶん!」

 

うーん、ザ・野生児。勘で生きてるなあ……。

 

「グウゥ……」

 

主人の命には逆らえず、赤燐の竜は不承不承と喉を鳴らす。リュータロー……君も苦労人っぽいなあ……。立場は全然違うのに、なぜか姉さんと僕の関係を想起した。

殺気立った竜を宥め、これでよしとばかりに僕の恩人たる少女はくるりと向きを変えた。少女が竜の頭側、僕がお尻側に座しながら向き合っている。

少女は全身が純白の毛に覆われていた。肌が露出している部分は見事なアルビノ。一点のシミも無い白髪は、無造作に肩口で切り揃えられている。装備はいたって軽装で、雪のように白い革細工が彼女の胸と腰だけを守っている。腰のベルトには登山用ロープが備え付けられており、引っ掛けになる金属の輪──カラビナだっただろうか──には無数の傷がついていた。ロープと反対側の右腰には短剣が一振り。飾り付けは地味ながら相当な業物であることは、長年の勘が告げていた。

身長は150センチほどだろうか。ひかえめな体躯が、かえって子どもみたいな活発さを感じさせる。体型はスポーティーと表すのが簡潔か。スラリと伸びた手足は、ネコ科特有のしなやかさを想起させた。

そして容貌は、文句のつけようがない元気系美少女。大きな口と赤目が印象的な、ニカッと笑うのが似合う顔だ。

 

「あ、そだ! 自己紹介まだだったのだね! ワタシはヘラクレスオオカブト!」

「ちょ……ちょっと待って。本当に?」

 

ギャグじゃなくて?

名乗りを上げたヘラクレスオオカブト(仮)は立ち上がり、胸に手を当ててなんとも誇らしそうだった。

 

「そうなのだよ! ワタシがあの有名なヘラクレスオオカブトなのだ!!」

「いや、君が有名かどうかは知らないんだけど……」

 

僕の言葉が大層衝撃的だったらしく、ヘラクレスと名乗った少女は混乱と驚愕を露にしてあんぐりと口を開けた。意外だ。自分の名声とか気にしないタイプの子だと思ってた。

わざわざ立ち上がったヘラクレスは、空中で胡座をかいて落下した。両手で足を掴んで左右に揺れながら、難しい顔で口を曲げてしまっている。

 

「ちょっとショックだにゃー……。ワタシこれでもコツコツ頑張ってきたつもりだったのだけどにゃー……」

「ご、ごめん。ところでヘラクレスオオカブトはさ、なんでそんな名前にしたの?」

「ヘラちゃんでよいのだよ! みんなそう呼んでるし。それで、名づけた理由はね! カッコイイから!」

「ヘラちゃん、君ほんとに女性だよね?」

 

頭弱めの男児が、バグって女性アバターになってるとかじゃないよね?

さっきヘラちゃんが自分で有名だって名乗ったのも、本人のキャラクター的に有名なだけな気がしてきたぞ。

ともあれ名乗られたのだから名乗り返さねばなるまい。居住まいを正してヘラちゃんの目を直視した。

 

「僕はライト。よろし……」

「キミ、ケットシーだよね!? ね!? ワタシと一緒なのだね!」

 

人の話を聞いちゃいない……。

ヘラちゃんは息のかかる距離まで僕に近づくと、僕の手を胸の前で握り締めた。

 

「今からワタシ、ケットシー領に帰るとこなのだよ! 一緒にいこ! ね!?」

「良いよ、一緒に……」

「しゅっぱーつ!!」

 

僕の言葉を遮って、ヘラちゃんは人差し指を天に向かって突き上げた。天然竜騎士の号令で、飛竜は力強く空を打つ。瞬間、強烈な加速度が僕を吹き飛ばそうと躍起になる。

後方へと取り残されそうになった僕の腕をヘラちゃんは反射的に握って、リュータローの上に引き戻してくれた。

 

「飛んでかないように捕まっておくのだよ!!」

「先に言ってよーー!!」

 

ヘラちゃんに誘導されるがまま、華奢な腰に手をまわす。後ろから抱きつく形になってしまった。

いいのだろうか? いや、本人気にしてなさそうだし良いか。

手綱を握るヘラちゃんの横顔は口角を吊り上げていて、獰猛さをヒシヒシと感じさせる。騎手の命令に従って、赤竜は泳ぐように空を駆けた。飛行速度はアインクラッドでの僕の走力を優に超えるだろう。

加速が収まって飛行が安定すると、周囲を見渡す余裕が生まれた。

 

「うわぁ……」

 

無限に広がる雄大な光景に、感嘆が漏れるのを禁じ得なかった。

日本晴れから降り注ぐ陽の光は、凪いだ海面に飛竜の影をくっきりと映す。照り返された太陽が、波間を星のように煌めかせる。

大海と大空の狭間に生身で飛ぶ体験は、えも言われぬ興奮を否が応にも掻き立てた。水平の果てへと、小さな僕らが風を切って目指し行く。

ああ、これが飛ぶってことか。ALOが流行るわけだ。

 

「すごいね……この、風を切ってる感じ……」

「あ、そうだ! キミの名前は!?」

「ライトだって!」

「あれれ? 聞いたことあるにゃー。もしかして知り合いだったり??」

「さっき名乗ったからね!?」

 

僕の周りも大概バカばっかりだけど、ここまで話が通じない人間はいなかったぞ。あれ? そうだっけ。わりといたような気がしてきた……。

本当にヘラちゃんに着いて行って大丈夫なのだろうか? 深海に連れて行かれたりしないだろうか。

 

「あ、そろそろケットシー領に着くよ!」

 

ヘラちゃんが右斜め下をビシッと指差す。確かにそこには、本土と橋渡しになった大きな島があった。背の高い草原が一面に植生し、島の中央には直径2メートルほどの穴が無数に空いた岩山が屹立している。横穴はどれも真円で、人工的にくり抜かれたように見受けられる。

ヘラちゃんが手綱をクイクイと引っ張り、指示を受けたリュータローは急旋回した。遠心力が僕を押し出そうとしてくるが、今度はしっかりとヘラちゃんにしがみついて凌いだ。次いで、地面と垂直かと錯覚するような急落下。

みるみるうちに上空で目視した岩山へと近づいていく。

というか、落下速度速すぎでは?

え? これちゃんと止まれる? 大丈夫?

いやもう地面と500メートルくらいしか距離ないよね? 秒速100メートルくらい出てるよね?

300……200……あと100メートル。ぶ、ぶつかる……! 死ぬーーー!!

 

「リュータロー! ストップ!」

 

号令一下、リュータローは重機もかくやという力強さで両翼を振るい、撒き散らされる乱気流は深々と地面を穿った。ジェットコースターが乳母車に変わったみたいな急ストップによって、体の中が支離滅裂に攪拌される。ナーヴギアの平衡感覚チェックをもう一度受けるべきでは、と思うくらいには前後不覚だ。

なんでヘラちゃんは姿勢ひとつ崩さず平然としてるんだ……? ああ、そうか。毎回この着陸法だから慣れてるのか。

腕を震わせながら抱きついてる身分で言うのもなんだが、この子ほんとにバカじゃないの? 一瞬回って畏敬の念すら湧く。僕の中で、ヘラちゃんはムッツリーニと同じ枠に入ってしまった。

急停止を終えたリュータローは、おもむろに翼をはためかせながら着陸する。優しい……。最後の優しさを、離着陸全てに発揮してくれないものだろうか。

 

「とうちゃーく! ひっさしぶりのフリーリアなのだね!」

 

リュータローから降りたヘラちゃんは、仁王立ちで腰に手を当てながら、ケットシー領の首都の名を叫んでいる。対して僕は心労が重なってもうヘトヘトだ。

 

「グゥグゥ……」

 

リュータローは僕を労うみたいに、背中に頭を回して頬ずりしてくれた。ザラザラの感触がこそばゆいような気持ち良いような。

ありがとうリュータロー。なんか心が通じ合ってる気がするよ……。

お礼とばかりにリュータローの頭を撫でていると、僕やヘラちゃんと似た姿をした猫妖精達が、三々五々と集まってきた。

もしかして怒られるんじゃないか? 盛大に舗装路を破壊しちゃったし。

しかし人々の面持ちを見ると、抱いた不安は杞憂だったということが分かった。ヘラちゃんを取り巻くだれもが、隠しきれない高揚を浮かべているのだ。

 

「ヘラちゃんか!? ヘラちゃんだよなあ!」

 

嬉々として呼びかけたのは、いかにも好青年然とした細マッチョ男性アバターだった。まあ漏れなくネコ耳付きなんだけど。シュールさに笑いそうになるが、自分も同じなのだと思い返して羞恥がこみあげる。

リュータローの背中で勝手に頬を染める僕をよそに、プレイヤー達はヘラちゃんの周りに団子になっていた。

 

「おかえり、ヘラちゃん!」

「土産話聞かせてよ! ボクすっごく楽しみで楽しみで……」

「まずはオレのレストランでゆっくりしてってくれよ! ヘラちゃんにならいくらでもご馳走するぜ!」

 

驚いた……。ヘラちゃんが有名人って本当だったんだなあ。しかも変な意味で名声があるんじゃなくて、ちゃんとみんなから慕われてるっぽいし。

リュータローに寝そべりながら盛況を眺めていると、いきなり背後から声をかけられた。

 

「おーい! リュータローの上のキミ! そんなとこでグッタリしてないで降りてきなヨ!」

「ふえ? どなた?」

 

振り返った先にいた声の主もまたケットシーだった。ケットシーの街なのだから当然か。

僕の挙動が面白かったのか、女の子はクスリと微笑んだ。唇の間から見えたのは、ネコ科然とした鋭利な牙だ。

 

「私はアリシャ・ルーだヨ! よろしく! キミ、みたところ新人さんみたいだけど、名前は?」

「ライトだよ。よろしく」

 

よかった……。ヘラちゃんと似てるけど、だいぶ理知的な人だ。

僕を新人と判断した理由は、僕の装備が初期装備だからだろう。

アリシャの背格好はヘラちゃんと良く似通っている。ケットシーの女性はみんな小柄で細身なアバターなのだろうか。大きな違いは色だ。ヘラちゃんは眩しいくらいの純白だが、アリシャは砂漠のような茶色だった。イメージはスナネコだろうか。

身を包む装備量にも、アリシャとヘラちゃんの性格の違いが現れている。ヘラちゃんは胸当て、腰当てのみのオープンスタイルだった。一方のアリシャはノースリーブであるものの、まだ防御力を有していそうなワンピース型の革鎧だ。

背丈は幼いのに、アリシャの表情はコケティッシュな魅力を備えていた。アリシャの容姿を観察しながらリュータローの背から飛び降りると、スナネコ少女は色っぽい流し目で僕を見た。

 

「そんなにマジマジと見られると照れちゃうナ〜」

「ご、ごめん! 綺麗だったから、つい!」

 

って、僕は何を口走ってるんだ!?

優子というものがありながら初対面の女の子に綺麗だ、なんて。

慌てふためく僕が大層おかしかったらしく、アリシャは悪戯に笑う。

 

「アハハ! ライトくん、面白いネ〜! さすがヘラちゃんのバディなだけあるヨ!」

「あ、そうだ。聞きたかったんだけど、ヘラちゃんってそんなに凄い人なの?」

 

自分では順当に思えた僕の質問は、しかしアリシャにとっては突飛に過ぎるものだったらしい。何を言っているのか分からない、と言った顔で5秒ほどアリシャは固まっていた。

沈黙が耐え難くなって口を開いてしまう。

 

「あの……」

「ええええ!? ヘラちゃんを知らないで一緒にいたの!? 凄い忍耐力だネ……」

 

『凄い忍耐力』か……。やっぱりヘラちゃんの性格についての認識はズレていないらしい。そうまで言われているのに、誰も彼もがヘラちゃんを慕っているのはどういうことなのだろう。天然過ぎる性格すら些事であるような偉業を、ヘラちゃんは成し遂げたということなのか?

幸いにも抱いた疑問にはすぐに答えが返ってきた。アリシャは初めて見せた神妙な表情で、僕と目を合わせて言った。

 

「ヘラちゃんは、ALO最高の獣使い(ビーストテイマー)にして最高の冒険者(トレジャーハンター)。押しも押されもしない、ALOトッププレイヤーの1人だヨ」

 




新キャラ《ヘラちゃん》。いかがでしたでしょうか? 実は、動いてもらうと想定より大幅に胡乱なキャラになってしまったというのはナイショのお話。


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第三話「写真の主」

「あれ? でもどうして私の知らない(ケットシー)が、フリーリア以外から来るのかナ?」

 

覗き込むみたいに顔色を伺ってくるアリシャに、僕は背筋を竦ませた。

本来ALOでは、プレイヤーは選択した種族のホームタウンからゲームを開始することになっている。だが僕は違った。海上高度数千メートルの位置に出現させられ、急に落下したのがスタートだった。

バグの原因がなんなのかは分からない。もしも僕がSAO生還者(サバイバー)であることに起因しているのなら、言及は避けた方が良いだろう。僕が生還者であると見聞されることが、プラスに働くとは思えない。道場破りみたく血気盛んな人に、決闘を申し込まれても面倒なだけだ。

僕の出自にケットシーの人が疑問を呈するの至極真っ当だ。ケットシーの新人が、ケットシー領以外からやってくるなんてあり得ないんだから。

しかしアリシャの情報網が完璧と言うわけではないだろう。ならばいくらでも言い訳のしようはある。

 

「たまたま見逃してたんじゃないかな……? 僕は普通にフリーリアから……」

「そんなはず無いヨ」

 

強い語調。自分に道理があることを確信している人間だけが出せる威圧感だ。押しに負けて目が泳いでいまう。

 

「な、なんでそんな……」

「ケットシーの新規アカウントがログインしたことが、私の耳に入らないはずは無いんだヨ。だって、私がケットシーの領主なんだからネ!」

 

なっにいいい!?

アリシャは可愛らしく耳をピコピコ動かすが、練られた罠には愛らしさの欠片もない。

確定的な状況証拠は僕の退路を鮮やかに絶った。

じゃあもう嘘なんてつかない方が良いだろう。バグったならバグったって正直に言おう。

 

「…………実はバグっちゃったみたいで、いきなり空から落っことされちゃったんだよ」

「アハハ〜、それは大変だったネ。じゃあ、なんで最初からそう言わなかったのかナ? バグったって言えない理由でもあったのかナ?」

 

うわぁ……この人、尋問のやり口が頭良いぞ!?

僕の頭が悪いだけとか言ってはいけない。

アリシャは笑顔でいるものの、目だけは笑わす僕を見定めている。狩り赴く肉食獣を思わせる視線には、首根っこを掴まれるような錯覚を想起する。

勝てる気しないなあ……。SAO生還者だって言っても良いか。変に嘘を重ねるよりはマシだろう。

 

「あのー、ですね。実は僕、SAOプレイヤーで、その関係で変な位置からスタートになっちゃったのかも……なんて」

「ははあ! なるほど。それは予想外だヨ! にしてもまさかSAOプレイヤーだとはネ〜。動きが滑らかだから、他のVRゲームをプレイしてたんだろうな、とは思ってたけどネ。ごめんね、疑って。他の種族────スプリガンあたりが幻惑魔法でスパイごっこしてるかもしれないと思って、ちょっと鎌かけちゃった」

 

だから僕の嘘に拘ってたのか。アリシャはケットシーの領主なのだから、余人が些事と見逃すことであろうと気を張っているのだろう。アリシャに無駄な心労を負わせたことに罪悪感が湧く。

 

「こっちこそごめんね、アリシャ。あんまりSAOプレイヤーだったってこと広めたくなくって……」

「うむ。その気持ちはわかるヨ! ライトクンは素直ないい子だネ〜! あ、あとSAOプレイヤーだったからバグったわけではないと思うヨ」

「へ? なんでわかるの?」

「1人だけSAOプレイヤーの友達がいるんだけど、その子はなんともないしネ。たぶんキミのバグは同じIPから接続して混信しちゃったんじゃないかナ? 私もやっちゃったことあるし。心当たりある?」

「あっ……」

 

そっか。キリトと同じパソコンに繋いでログインしたから……。そういえば説明書に注意書きがあったような、無かったような。

待てよ。じゃあキリトはどうなったんだろう? 僕と同じようにバグったのか、それとも普通に選んだ種族のホームタウンに召喚されているのか。考えても詮無いか。ログアウトしてみれば分かる話だ。

(ビロロロロン)

温度の無いコール音が鼓膜を揺らす。僕の思考がテレパシーで伝わったのか、現実世界からのコールサインが視界の中に現れた。『外』との通信は本来のナーヴギアが持つ機能の1つだが、SAO状況下にては当然ながら封印されていた。緑色の電話マークが左下で点滅しているのを見ると、むず痒い感慨を抱く。

呼びかけてきているのは、十中八九キリトだろう。やはりキリトにも問題が発生していたんだろうか。

 

「ごめんアリシャ。ちょっと現実から呼ばれてるや」

「はいな。またいつでもおいでヨ!」

「うん。またその時はよろしくね。あ、そうだ! ヘラちゃんにも挨拶しとかなきゃ!」

 

ALOで死亡しても実際に死ぬわけではないとは言え、一応は命の恩人だ。礼は尽くしておかないと。

後方へ振り返ると、まだヘラちゃんには人だかりができていた。むしろ減るどころか今も増え続けており、いつの間にやらケットシー以外の妖精の姿もちらほらと見かけるほどだ。わざわざ飛行してまでヘラちゃんを一目見ようとするプレイヤーも、少なからず存在する。衆目は一様にヘラちゃんへと注がれ、熱気と活気が坩堝(るつぼ)のように偏在している。

ヘラちゃんの存在がそんなに珍しいのだろうか。

 

「ねえアリシャ。ヘラちゃんってあんまり帰ってこないの?」

「うーん、今回は長かったからネ。2ヶ月はお留守だったんじゃないかナ〜」

「2ヶ月!?」

 

そりゃ人が集まるわけだ。

トッププレイヤーならばログイン時間は膨大なはず。長大な時間の中、誰にも会わずに過ごしていたというのなら、延々とダンジョンに潜りっぱなしだったということだろうか。

 

「すごいね……その間ずっと誰にも会ってなかったってこと?」

「一応ヨツンヘイムの邪神狩り部隊からは、目撃情報あがってたんだけどネ。…………ヨツンヘイムでソロプレイって時点で意味わからないヨ」

「ヨツンヘイム?」

「ああ、ごめんごめん! そりゃ知らないよネ! ヨツンヘイムはALO最高難度の地下フィールドの名前だヨ。最近──3ヶ月くらい前かな? 実装されたんだヨ」

「な、なるほど」

 

文脈から察するに、普通はパーティとかレイド単位で攻略するフィールドなんだろう。集団戦用マップを単騎駆けとは、ヘラちゃんらしい無茶苦茶さだ。そもそも一介のプレイヤーにそんな事ができるのか、と思わないでもないが、ヘラちゃんの戦闘を見ていないからまだなんとも言えない。

 

「ともかく、頑張ってヘラちゃんに声かけてくるよ!」

「うん。いってらっしゃ〜い」

 

さて、どうしたものかと考えながら、リュータローの尻尾を撫でた。リュータローにも助けられたのだから、お礼の気持ちを手に込めた。僕の心が伝わったのかは分からないが、

 

「クルルゥ」

 

リュータローは細く喉を鳴らして応えてくれた。

リュータローの鳴き声に反応したのか、ヘラちゃんの方が僕に気づいてくれた。人壁の中でピョンピョンと飛び跳ねながら、僕に手を振ってくれている。

 

「ごめんねみんな! ちょっと道を開けて欲しいのだよ!」

 

ヘラちゃんのお願いを無碍にする者はいなかった。天然少女が歩む先が順々と開かれていく様子は、モーセの海割りを連想させられる。

手が届くくらいの至近距離にまでヘラちゃんが走ってきて、僕を幼気な瞳で見上げた。

 

「わざわざ来てくれてありがと。あと、さっき助けてくれたのもまだお礼言ってなかったよね。ありがとう、ヘラちゃん」

「良いってことなのだよ! たまたま通りかかっただけなのだし!」

「うん。たまたま通りかかってくれて本当に良かった。じゃあ一旦ログアウトするね。また会ったらその時はよろしく!」

「またね! ワタシはしばらくここらへんのフィールドをうろうろしてるから、ライトくんがログインしたら飛んでくるのだよ!」

「フィールドをうろうろって、ホームには入らないの?」

「そういうタチじゃないのだな、ワタシ」

 

どういうタチだ。まあヘラちゃんの言うことを真に受けても仕方がないだろう。

最後にもう一度手を振ると、ヘラちゃんは満面の笑みで振り返してくれた。

メニューを開いて、下にスクロールする。ログアウトボタンの存在を確認し、自然と安堵のため息が漏れ出た。大丈夫。ちゃんとALOは『遊び』のゲームなんだ。

微細に震える人差し指で僕がログアウトを選択したのとほぼ同時に、恰幅の良いおじさんケットシーがヘラちゃんに話しかけた。

 

「ところで彼とはどういう関係なんだい?」

「ん? ライトくんはワタシの新しい相棒なのだよ!」

「「「ええええぇぇ!?」」」

 

民衆の驚愕がケットシー領に地震を起こした。

いや驚きたいのはこっちだよ! 非常に聞き捨てならないんだけど!?

少しでも弁明を……あ、ダメだ。もう声帯の接続が切れてる。下手したらヘラちゃんとずっとタッグを組む流れでしょ、これ。色んな意味で厳しいなあ……。

悩んでも仕方ないし、もっとポジティブに考えよう。ヘラちゃんは戦闘能力も土地勘も先人として頼れるはず。ハイランカーが相棒になってくれるんだから、むしろ喜ばないと損だ。もうそう思おう。

半ばヤケクソな思考は、視界の暗転と共に打ち切られた。

 

瞼越しの光を、視神系がぼんやりと感知する。仮想世界には目を閉じても届く光など無い。つまり、ここは現実だ。

細目を開くと、モヤがかかった景色が急速に解像度を上げていく。五感が外界に馴染み始める。僕の部屋が、はっきりと輪郭を持って現れる。

聴神経が空気の振動を拾い始めたとき、聞き慣れた声が流れてきた。

 

「明久、起きたか?」

「んあ…………あ、キリト……じゃなくて和人か。どうしたの? 何か問題でもあった? もしかして海にでも落ちた?」

 

和人は目を丸くする。図星っぽいな。やっぱりアリシャの言う通り混信してたのかも。

 

「な、なんでわかったんだ? あ、まさか明久も……?」

「うん。海に落ちかけた」

「かけた? ってことはなんとかなったのか?」

「たまたまヘラちゃんって子に助けてもらったんだ。そのヘラちゃんがまた凄い天然でね────」

「ちょっ、ちょっと待ってくれ!」

 

僕の語りを遮った和人は、悪霊にでも取り憑かれたような有様だった。動悸は荒く、目つきは鋭い。僕の言葉が、まるで決定的な何かを孕んでいることに気がついたような過剰反応だ。和人の緊張が移ったのか、僕の筋肉まで硬直する。

続く和人の言葉は、石橋を叩くように臆病な語気だった。

 

「ヘラちゃんってのは、正式な名前は『ヘラクレス』か?」

「う、うん。そうだよ」

 

和人が生唾を飲む音が、不自然なくらいに大きく響く。眼前に立つ親友の瞳に映るのは、明確な焦りと────湧出する希望だった。

 

「アスナの写真を撮影したプレイヤーの名前は、『ヘラクレス』なんだ」

 




はい。原作改変です。ヘラちゃんだからね。しょうがないね。
冒険は次回からガッツリになりますかね。ライトとヘラちゃんの珍道中、お楽しみに!


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第四話「剣と体と魔法と羽と」

ALO編って全ての話が地続きだから切りどころが難しいですね。着地点を探してたらちょっとが長くなっちゃいました。


結局、またすぐログインしてしまった。

理由は明確。ヘラちゃんともう一度接触しなければならないからだ。優子とアスナへの道を拓くためにも、あの天然竜騎士に聞くべきことは山ほどある。

キリトはと言うと、混信の影響によるバグの可能性を伝えたところ、僕に平謝りしてから家へと帰っていった。自宅でログインし直すのだろう。置き土産とばかりにヘラちゃんへの言伝を頼まれた。『アスナの写真を撮ったのは君なのか?』。キリトの質問は、僕も真っ先に問うつもりだ。

ヘラちゃんは難なく見つかった。アリシャと2人で、リュータローに背を預けながら語り合っていたのだ。リュータローは身を丸めて、不安など欠片も知らぬかのような穏やかさで眠っていた。

ヘラちゃんを囲んでいた集団は、この30分弱の間に霧消してしまったらしい。勝手に散っていったのか、それとも静かに喋るためにお引き取り願ったのか。喧騒は薄れ、残っているのは一面の草原を撫でる風の音だけだ。

とにもかくにもヘラちゃんと話さなければ。2人に向かって、両手を頭上で大きく振った。

 

「おーい! 2人とも!」

「あ、ライトクン! お早いお帰りだネ!」

「ちょっとヘラちゃんに急用ができてね」

 

たった30メートルの距離すらもどかしくて、全力疾走でヘラちゃんに近づいてしまう。

走ってみて実感したが、SAOでの速度と比べて半分くらいの走力になってしまっている。今の僕の最高速は、だいたい高速道路での乗用車くらいだろう。

近づいてきた僕を見て、アリシャは呆気にとられたようだった。

 

「ライトクン、今の速度なに……?」

 

そっか。ALOはレベルが無いスキル制のRPGだ。AGI極振りという概念も無い以上、劣化した僕の速度でも充分に早いんだ。

SAOからALOにスキルが引き継がれているのなら、疾走スキルなどの走行性能補助スキルもカンストのまま引き継がれているはず。

あとは走り方だろうか。仮想世界に適応できていなければ須く走力は下がる。正しいフォームを維持できないのだ。その点2年間走り続けた僕の身体は、むしろ現実以上に仮想現実に馴染んでいる。

だとすると、僕は始めたてながらサーバ内最速のプレイヤーとなる。

だがそんな理屈をどう説明したものか。

 

「いやー……そのー……えっと……」

「スゴイねライトくん! トリタローと同じくらい速かったのだよ!」

 

さすがヘラちゃん。流れがブチ壊しだ。

 

「トリタローって?」

「あ、紹介してなかったのだね!」

 

うっかりしてた、と言わんばかりにヘラちゃんは手を打った。か細い指を咥えて、最高の獣使いたる女の子は甲高い口笛を鳴らす。

突如、ドタドタと地を鳴らす足踏みが重機にも勝る振動音を打ち鳴らす。地響きは聞こえてきたのは、後方に広がる草原からだった。音のする方に振り返ると、巨大な鳥が車もかくやという速度で地面を踏み抜いていた。遥か昔に絶滅したジャイアントモアを思わせる体躯に、人を裂くなど容易かろう爪とクチバシを備えている。怪鳥の突進には、本能的な恐怖感が発起させられる。

ヘラちゃんが手前に右腕を突き出して、広げた手の平をトリタローに向けた。たぶん『止まれ』の合図だろう。さすがはビーストテイマーといったところか。ヘラちゃんのサインに反応して、トリタローはピタリと疾走を止めた。

 

「ただいま! トリタロー!」

「クエェーー!!」

 

ヘラちゃんが横に両腕を広げると、トリタローはヘラちゃんに触れ合う距離まで踏み入った。ダチョウじみた風貌を持つ巨鳥の首に、ヘラちゃんは腕を回して抱きしめる。トリタローは心地よさそうに目を細めて、ヘラちゃんへと頭を預けた。

抱擁の様子を見ていると、主従というより対等な友達のようでもある。きっとヘラちゃん自身の認識も同じだろうと予感する。

しかし、ネーミングセンスだけはどうにかならなかったのか……。

本来なら和むであろう情景を見ても、急いた心は理性の背中を押し続ける。トリタローとの再会中に悪いが、本題を切り出させてもらおう。

 

「ねえ、ヘラちゃん。ヘラちゃんがこの写真を撮ったって本当?」

「うにゃ?」

 

メニュー画面に添付した画像を、他人が見られるように設定する。写真を一瞥したヘラちゃんは、すぐに首を縦に振った。

 

「うん! リュータローでビューンと飛んで撮ってきたのだね!」

 

なるほど。確かにそれならプレイヤーに課せられた飛行時間制限の問題はクリアできる。今更だが、ドラゴンには飛行時間の制限が無いのか。竜のテイミングって、もしかしなくても滅茶苦茶チートなのでは?

 

「ヘラちゃん以外にもドラゴンのテイミングに成功した人っているの?」

「うーん……わかんないのだね!」

「私が知ってる限りじゃいないヨ。条件を最高に整えても、成功確率は小数点以下。そもそも普通にプレイしてたらドラゴンがポップすることがまず少ないから、本当に幻だネ」

「へええ……あ、いや本題はこれじゃないんだった。────ヘラちゃん。僕と一緒に世界樹を攻略してくれないかな……?」

「よいよ!」

「軽っ!?」

 

わりと無茶なお願いだと思っていたが、すんなり通ってしまった。世界樹までの道のりがどの程度なのかはわからないが、リュータローに乗って上空から見た限りでは10キロや20キロでは効かないように見受けられた。長丁場の旅路に時間を割いて、初心者プレイヤーの補助を同時に行うなんて、ベテランプレイヤーからしたら割に合わないだろう。

ヘラちゃんは二つ返事で了承してくれたが、僕の何が彼女に気に入られているんだろう。ヘラちゃんは下心なんか持つタイプじゃないと分かっているが、僕を相棒にするという発言の真意がどうしても気になってしまう。

 

「ありがとう、ヘラちゃん。お願いしておいて言うのもなんだけど、なんでヘラちゃんは僕をパートナーに選んでくれたの?」

「うーんとね……ライトくんはわたしと似てるからなのだね! 一緒にいてて楽しいのだよ!」

 

似ている……だと? そんなはずは……。僕には天然要素なんて一つもないのに!?

 

「確かにネ。方向性は違うけど、天然さはわりと似た者同士だヨ。というか、今のヘラちゃんは天然が加速してるから、ちょっと前のヘラちゃんに似てるって感じかナ?」

 

アリシャにお墨付きをもらってしまった。僕ってそんなに天然さ出てるだろうか?

というか、ヘラちゃんの天然さって悪化してたのか……。いったい彼女の身に何が。

悶々とする僕を横目に、アリシャは南東に向かって首を回す。ALOの中央を望む目は山猫よろしく細められた。

 

「本当に世界樹に行くつもりなの? 普通に高度制限で弾かれると思うヨ」

「ほえ? 高度制限?」

「うん。ヘラちゃんが世界樹に進入してからすぐだったかナ。慌ててアップデートされたんだけどネ、世界樹の外側から上部へは、システム的に進入不可になってるんだヨ」

「じゃあ中から攻略すれば良いんじゃ……」

「それも無理。一体一体が手練れのプレイヤーくらいも強いエネミーが、無限にポップし続ける極悪フィールドだからネ。ALOが始まって1年以上、誰にも攻略されてないってのは伊達じゃないんだヨ」

 

混じりけなく真剣なアリシャの言葉が、重く双肩にのしかかる。当たり前だ。ぽっと出の僕が今日明日に着いて攻略できるような難易度なら、もうとっくに攻略されている。

なら僕はどうしたら良い? どうすれば前に進める?

せっかくここまでやって来たんだ。挑戦することすらせずおめおめと、このまま引き下がれるはずがない!

 

「それでも、僕は行くよ。なにもできずにログアウトするわけにはいかないんだ」

 

意図せずして語気が荒くなった。頭に血が上ってるっていうんなら、その勢いのまま突っ走ってやる。

刹那の森閑が立ち込める。草を薙ぐ風音が一層大きくざわめいた。

アリシャは笑いも怒りもせず、ただ僕の目を見た。

 

「うん。良い目だネ。カッコ良い男の子の目だ。だったら私には止める権利は無いヨ。なにか、君にとって大切なモノがあるんデショ?」

「うん。何よりも大切なものが」

 

胸の前で拳を握る。僕が自分の気持ちに嘘がつけない人間だってことは、僕自身が1番よくわかってる。

今すぐにでも走り出しそうな衝動を抑えていると、ヘラちゃんが背中を元気よく叩いてきた。

 

「大丈夫! いざとなったらワタシがなんとかするのだよ!」

「あ、ありがとう」

 

男らしい……! ヘラちゃんにかかればなんとかできちゃいそうなのが、また凄いところだ。

僕たちの話し声が喧しかったのか、リュータローが気怠そうに頭を上げてあくびした。眠気が移ったみたいに、トリタローも座り込んで瞼を落とす。2匹ともヘラちゃんにピッタリとついている様がなんとも微笑ましい。

かくいう僕も、小春日和の陽気にあっては睡魔が忍び寄る気配を感じる。思わず舟をこぎそうになったところで、ALOには《寝落ち》というシステムがあったことを思い出した。ゲーム内で寝ると、そのままログアウトされてしまうという機能だ。

自分の種族の領地内でなら寝落ちしても全く問題は無いのだが、どこの縄張りにも属さない中立域だと話は別だ。中立域でログアウトすると、意識の無い体だけが残される。つまりは攻撃受け放題。

自殺行為を好むプレイヤーは存在してもごく少数だろうから、どうしても中立域でログアウトしなければならないなら、普通はパーティーメンバーが空っぽの身体を守ることになる。その点相棒がヘラちゃんだというのは、この上無い安心感だ。

脱線した思考を打ち切って、頭をブルブルと振るわせる。眠気を無理矢理に追い出してから、ヘラちゃんへと顔を向けた。

 

「じゃあ、早速出発できる? それとも明日からにする?」

「今からでも大丈夫なのだよ!」

「オッケー! じゃあ……」

「あー、こめんね2人とも。世界樹に行くのは明日まで待って欲しいかナ〜なんて」

「ほえ? いいけど、どうして?」

 

正直もう居ても立っても居られないのだが、僕にも自制心くらい残っている。明日までならまだ待てるだろう。

 

「明日の深夜に、ここ(ケットシー領)でシルフとの同盟の会議があって、そこにヘラちゃんも出席して欲しいんだヨ。何が起こるか分からないからネ。手札は多い方が良いでショ?」

「よいよ!」

 

またも即答でヘラちゃんは了承する。

もしかしてヘラちゃんは、否定することを知らないのではないだろうか。どれほど無茶なお願いをすれば却下するのか、むしろ興味が湧いてきた。

正直、このほわほわ感でトッププレイヤーであるとは俄かに信じ難い。

 

「リュータローに乗りながら会議に出てもよい?」

 

真っ白な耳をピクピクと動かしながら、ヘラちゃんは条件をつけた。なぜにリュータローに乗りながら?

 

「良いヨ」

「ありがとうなのだよ!」

 

なんでわざわざ騎乗するのかって聞かないんだ。喜ぶヘラちゃんを見てアリシャは苦笑している。聞いてもしょうがないから諦めてるのかな。

晴天の雲みたいに白い尻尾を左右に振って、ヘラちゃんはいかにも上機嫌だった。

スキップしながら僕に近づいてきたヘラちゃんは、僕の手を取って引っ張った。

 

「じゃあ今日は暇だしちょっと練習するのだよ! ワタシが色々教えてあげるのだね!」

「あ、じゃあお願いします」

 

ちょうど良かった。ゲームシステムは知っているが、実際の戦闘に魔法や飛行をどう取り入れるのかが、まだ不透明だったのだ。チュートリアルを熟練プレイヤー手ずから敢行してくれるとは、中々の幸運に恵まれている。

 

「ライトクン、頑張ってネ〜」

 

ヘラちゃんに引っ張られる僕に、アリシャはヒラヒラと手を振った。アリシャが浮かべる小悪魔っぽい悪戯な笑顔の真意を、僕は直後に知ることとなった。

 

 

「Ek vera hre……」

「ちーがーう! 呪文(スペル)ミスは本番でやらかすと命取りなのだよ!」

「そ、そんなこと言われても、すぐには覚えられないし……」

「うむむ……じゃあ覚える数を絞ろ! ライトくんの戦闘スタイルなら身体能力強化系が良いのだね! 慣れてきたら滞空制御とかも使って欲しいのだけど、この前ヨツンヘイムで発見した新スペルが……」

「オーケー分かった。まずは身体能力強化系ね」

 

放っておいたらタスクがどんどん追加されそうなので、無理矢理にでもヘラちゃんの言葉を打ち切った。まさかヘラちゃんがスパルタだったとは……。いつもの雰囲気みたく、ざっくりふわふわ教えてくれるものだとばかり。

戦闘指導のときだけ、ヘラちゃんのIQが3倍くらいになっている気がする。今は仮想敵相手に演舞をしてるのみだが、もしモンスターが現れたら更に厳しくなりそうだ。

しかしなんでゲームに入ってまで、英単語の暗記みたいなことしなきゃいけないんだ。もっと短くスパッと唱えられるので良いじゃないか。

教育に対する嘆きを抱きながら教えられた呪文を詠唱していると、僕の不注意さをヘラちゃんは感じ取ったようだった。

 

「手足が止まってるのだよ! 走って攻撃しながら詠唱もする! 体術に集中し過ぎて魔法が間に合ってない! あとで空中戦術の特訓もするから、そこまでに攻撃と同時詠唱はある程度形にするのだよ!」

「ひいい……」

 

やること多すぎて頭がパンクしそうだ。なんとか休む口実を……。

不純な思考を働かしていた僕の耳に、ガサガサと草を掻き分ける物音が届いた。背の高い草原が視界を遮るが、何者かが接近していることは明白だ。SAOから引き継がれている聞き耳スキルを発動させ、対象の位置を補足する。

 

「敵がいるのだね。ライトくん、ちょっと応戦してみて」

「う、うん」

 

アリシャと喋っていたときよりワントーン低いヘラちゃんの言葉にドギマギする。もうモンスターは迫ってきていると自分に言い聞かせて、耳を立てることに思考を向けた。

土が踏まれて沈む音から、体重は70キロくらいと推測する。擦れるような金属音が伝わるので、武具を装備した人型モンスターであることは容易に分かる。

以上の情報から、ステップ草の高さ1メートルよりも身長が低いとは思えないので、身を屈めて隠密する知能があると予想可能だ。

SAOで培った、対モンスターの経験が蘇る。暗殺を目論むようなMobの場合、狙ってくるのは背後からの一撃必殺。

SAOでなら閃打か封炎で迎撃するところだが、ALOにソードスキルは無い。スキル自体は存在するが、これらは体術の速度や攻撃力上昇といった副次的なもの。攻撃にシステムアシストはかからず、タイミングは自力で調節せねばならない。

相手の力量と自分の速度を省みて、呼吸を合わせ、意識を一点に絞る。

 

「ここだ!」

 

敵の攻撃は大上段の振り下ろしとヤマを張り、手刀を2メートルの高さで後ろに回す。

結果、僕の右腕は古式ゆかしいリザードマンの、短剣を持つ右腕とかち合った。

ビンゴ!

初撃を阻まれた竜人は、狼狽を露わにしながら3メートルほど僕から距離を取る。

さて、ALOでの初戦闘、どう切り抜けるか。

あ、いいこと思いついた。

 

「ヘラちゃん、お願い! ちょっと戦闘のお手本見せてよ!」

 

よし。我ながら完璧な言い訳だ。ちょっと休めるし本物の戦闘も見られる。

ヘラちゃんからの返答は、つり上がった口角だった。唇の端から獰猛な牙が覗く。

大腿筋が引きしぼられ、白亜の体躯が僕の前から姿を消した。いや違う。超高速で走り出しただけ。初速の勢いに、僕の神経が追いつけていなかった。

風を裂くような突進に、リザードマンは未だ反応を開始できていない。下級AIでは辿り着けぬ高みに、トッププレイヤーたる少女は君臨する。

足を運びながら、腰の短剣を抜き身にする。

刃が照り返す光が目に入った瞬間、心臓を切り裂かれる映像が鮮やかに僕の脳裏を犯す。ヘラちゃんの放つ莫大な殺気が、相対していない僕の意識までも混濁させたのだ。

その段に至って、リザードマンは身の危険を認識した。いや、させられた。だがもう遅い。

ヘラちゃんは既に、竜人を間合いに捉えている。リザードマンが剣を高速で振り下ろす。しかし間に合おうはずも無い。至高の白猫が至るは音速。リザードマンの剣速程度は、亀にも等しい愚鈍さだ。

煌めく凶刃が放つのは、正確無比の2連撃。肋骨の合間を縫って、抵抗無く心臓を穿つ一撃目。

辻斬りめいて、通り過ぎざまに首筋を抉る二撃目。

哀れなトカゲ男には、断末魔を上げる暇も無く。

短剣を鞘に収める音と、竜人がポリゴン片と爆散する音が、同時に僕の耳へと届いた。

走り出しから決着まで、この間わずか2秒。

 

「ざっとこんなもんなのだね!」

 

ヘラちゃんはニッカリ笑顔とVサインで、勝負疲れなど微塵も感じさせない。

ようやく実感を持って、ヘラちゃんが最強の一角たる所以を理解できた。今の戦闘では魔法と飛行は使用しなかったが、それは使う必要すら無かっただけのこと。体捌き1つとっても、並のSAOプレイヤーを軽々と凌駕している。現実と身体の勝手が違う仮想世界において、システムアシスト無しに神速で急所だけを攻撃する流れは、息を呑むほどに美しかった。

もう確信を持って言える。ヘラちゃんは全盛期のキリトにも比肩しうる実力者だ。これでトッププレイヤーにならないわけがない。

 

「すごいねヘラちゃん……魔法とかを使ったらもっと強いんでしょ?」

「そうなのだけどね。諸事情によりちょっと封印中なのだよ!」

 

諸事情ってなんだ。よく分からないけど、ヘラちゃんに一々ツッコミ入れてもしょうがないか。

さて、良いものも見せてもらったし、そろそろログアウトするか。ちょうど陽も落ちてきたところだし……。

 

「あれ? なんで今夕方なの?」

 

当然ながら現実世界はとっくに深夜だ。そもそもログインした時刻からして夜だったのに、海上にはしっかり太陽が浮かんでいた。

首を傾げる僕に、ヘラちゃんは存外しっかりと応えてくれた。

 

「ALOは1日が16時間なのだよ! 視界の右下に時計があるから見てみるのだね」

 

言われた通りに目線を動かすと、デジタル形式の時計が2つ、上下に並んでいた。上段の時刻は『3:32』、下段の一回り大きな表記の時刻は『11:32』と示している。

上側の小さな時刻は間違いなく現実世界のものだ。だとすると『11:32』がALOでの時刻になるが、11時で夕方? あ、そうか。16時で真夜中なんだから11時なら陽が落ちるくらいの頃合いだ。

頭がこんがらがってくる……。ALO式時計に慣れるのには時間がかかりそうだ。

 

「なんでこんな面倒な仕様なんだろうね」

「毎日決まった時間にしかログインできない人のためらしいのだよ」

「ああー、なるほど」

 

夜しか入れない学生や社会人でも、ALO内では昼夜を楽しめるわけか。SAOだと全員ログインしっぱなしだから、必要無かったシステムなんだ。

同じ仮想世界の異なるシステムに思いを馳せていると、斜陽は徐々に力を失っていった。昼間のお返しだとばかりに、西の空からは巨大な影が手を伸ばしてくる。

 

「じゃあそろそろログアウトするよ。ありがとう、ヘラちゃん。ログイン毎に探すのも手間だし、フレンドになっておかない?」

「それはちょっとワタシの矜持に関わるのだよ」

 

つまり拒否ってことか。分かりやすい性格なように思えて、ヘラちゃんは意外と忖度できない。あえてフレンドにならないことにどんな意味があるのかは分からないが、本人が嫌がっているのだから深追いはやめておこう。

 

「オッケー。じゃあ僕はフリーリアに戻るけどヘラちゃんは?」

「ワタシはもうちょっと探索するのだよ。ケットシー領は久しぶりなのだからね」

「了解。それじゃあまた明日」

「じゃあね!」

 

ヘラちゃんに手を振って、背中の羽を展開する。現在のフィールドからケットシー領の首都フリーリアまでは直線距離で約2キロほど。せっかくなので練習も兼ねて、僕は岩山の街へと飛び立った。

 

 

如月市民病院の個室で、ジェル状のベッドに痩せ細った肢体が横たわっている。秋の終わりを連想するブラウンの髪は、見慣れたボブを大きく通り越して、もう肩よりも下まで伸びてしまっている。

何をしても反応の1つも返さない優子が、微かに吐息を漏らすことだけが、僕の唯一の支えだった。

薄い群青のカーテンが風に吹かれた。開け放たれた窓から病室に、命を鈍らすような冷風が流れ込む。もう昼下がりだというのに気温は高まらず、冷めた大気が病室の空気を蝕んでいく。

換気のために看護師さんが開けたのだろうが、寒さで優子に鳥肌が立ってしまっている。窓を閉めて、寝床の横に置いた座椅子に腰掛け、優子の右手を包み込む。両手で持ち上げた優子の手に、僕はすがるように頭を預けた。

 

「優子……僕は……」

「お! 明久じゃねえか。うんこ漏らしそうな顔してどうした?」

「そんな顔してないよ!」

 

荒々しい所作で優子の病室に踏み入ってきたのは、旧来の悪友にしてサーヅァンツのリーダー、ユウこと坂本雄二だった。

ログアウトして最初にあったときこそ雄二は瘦せぎすだったものの、1か月の間にモリモリ筋肉が増量している。たぶん時間の許す限り筋トレに勤しんでいるのだろう。

普通に挨拶するつもりだったが、いつもの癖でつい悪態をついてしまう。

 

「なにしにきたんだよ?」

「見舞いに決まってんだろ。俺が来たら迷惑か?」

「ああ迷惑だね! せっかく僕がシリアスイケメン風味を醸し出しながらたたずんでいたのが台無しじゃないか」

「シリアルソーメン風味?」

「すっごいマズそう」

 

2年も使ってなかったから、雄二の耳は腐っているのかもしれない。

わざわざ僕の隣に腰掛けて、不躾な悪友はやにさがった。

 

「しかし初めての優子の見舞いでお前に会うとはツイてないな」

「そりゃ毎日来てるからね。会う確率は高いだろうね」

「え……毎日? 女々し……」

「ガチトーンはやめて!!」

 

ありありと見て取れるドン引きの表情だ。

というか、好きな人のお見舞いなんだから毎日来たって構わないだろ!

しかし、もう少しで病院に通う日々も終わる。いや、終わらせてみせる。優子に取り付く暗い影は、僕が絶対に取り去ってみせる。

 

「なにニヤニヤしてんだ。気持ち悪いな。お前なんか隠してるだろ?」

「ややややだなあ。なにもかくしちぇないよ!」

「笑いを通り越して悲しくなるな。いいから吐きやがれ。今なら腹パン一発で許してやらんこともない」

「それ許してないよね!?」

 

まあいいか。別に隠匿する必要もない。記憶の残滓を手繰りながら、僕はことの顛末を詳らかにした。

キリト、改め和人が家に来たこと。

まだ目覚めていないアスナが映った写真がALO内で撮られたこと。

優子もALOに囚われている可能性を感じ、僕と和人はALOにログインしたこと。

黙って聞いていた雄二は、話が進むにつれて段々と眉宇を寄せ出した。終いには舌打ちまで聞こえてくる始末だ。謎の緊張感の中、僕は30分に渡るあらすじを締めくくった。

 

「って感じなんだけど……」

「てめえ明久! なんでそんな面白そうなことに俺を巻き込まねえ!」

「えええ! そこ!?」

「当たり前だろ! リハビリばっかで飽きてきたところだ。学校始まるまでの暇つぶしがてら、サクッと優子とアスナを救ってやろうぜ」

 

げええ……変なのに絡まれたなあ……。

 

「めんどくさそうな顔するんじゃねえ。ともかくその世界樹ってとこに行けばいいんだな? いつ待ち合わせる?」

「うーん……明後日の正午とかでどう?」

「よしきた」

 

無理矢理に約束を取り付けられた形だが、戦力が増えて困ることはないだろう。

適当に予定を決めちゃったけど、和人は大丈夫だろうか? 一度連絡して日程を調整しておいた方がいいかもしれない。

ALOの中央に峻厳な佇まいで茂る世界樹。母なる大木にたどり着く場面を思い描くと、に不意に憂いが心中に注がれた。僕らが世界樹へ行って何ができるのだろう。ヘラちゃんはどうにかするって言ってくれたけど、ただの一般プレイヤーに何かできるとは思えない。

いや、だめだ。こんな弱気じゃ何もできやしない。システムがなんだ。グランドクエストがなんだ。そんなもんで止まってられるかってんだ!

決意を重ねたのに、僕はまた立ち止まってしまった。目覚めてからの2ヶ月は、僕の心を押し縮めたんだろう。

だから、今度は突っ走れるように、優子の寝顔を目に焼き付ける。

 

「待っててね、優子」

 

弱っちい僕を好きになってくれた彼女のためにも、僕はもう止まれない。

確かめるように、優子の右手を強く握った。

 




このあとめちゃくちゃ雄二にバカにされた。


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第五話「ヨツンヘイム」

「どこ、ここ……?」

 

待て待てマテマテ落ち着け僕。

とりあえずめっちゃ寒いとか、なぜか氷山の上にいるっぽいとか、遠くの方で小高い丘くらいあるモンスターが歩くのがみえたとか、その程度で取り乱してたら男が廃るってもんですよっ!

ダメだ……。アレックス式テンション高め思考法をしても全く元気にならない……。

会談がある深夜まで随意飛行の練習をしようとしたのが仇になったか。地続きの島になっているケットシー領からアルヴヘイム本土にまで、足ならぬ羽を伸ばしていた。気持ちよく飛行する僕を氷獄に貶めたのは、地中から飛び出してきた謎の巨大ワームだった。直径5メートルほどの口で、フラフラと覚束ない飛行をする僕を踊り食いしたのだ。

不幸中の幸いか、食事されて即死亡とはならず、現在の地下迷宮にて吐き出された。おそらく巨大ワーム自体が地形トラップの一種だったのだろう。ダメージ無しで転送だけする系の。

じゃあこの地底世界はなんなんだって話だが、

 

「ホント、どこなんだろ……」

 

全然わかんないや。

周囲を囲むのは地平まで続く氷の大地。天蓋から降り注ぐ青白い燐光のおかげで視界には困らない。氷柱は光を受けて朧げな青に染まっている。

傷一つ無い手近な氷塊に目を移らせると、表面が鏡みたく景色を模倣していた。鏡面を占めるのは、うねりのかかったうす茶の毛が特徴的な猫妖精の青年だった。

 

「あ、これ僕か!」

 

ログインしてこの方、自分の姿を見てないことをやっとこさ自覚した。ああ、こんな感じなのか。やっぱ猫耳をつけてる男ってアレだな……。

全身にしなやかな筋肉を纏う姿は陸上選手を連想させられる。僕の足が速かったのはランナーっぽいアバターのおかげもあったのかもしれない。

わりとイケメンなのでは、僕のアバター。アバターの顔立ちは大抵整ってるとか言ってはいけない。

さて、これからどうするか……。とりあえず地上に帰る道を探すか。一度ログアウトして、ネットで地図を拾ってくる?

うーん……その間に空っぽの身体が殺されたらやだなぁ……。

ALOのデスペナルティは装備品と所持金とスキルポイントだ。正確には『ボーナススキルポイント』と呼ばれる特殊な経験値だけが減少する。通常のポイントとは別に、任意のスキルに割り振ることができる特別なポイントだ。SAOには無かったシステムだが、現在持っているポイントがALOのデスペナにてどのように扱われるのか分からない以上、迂闊には死ねない。

2年間貯め続けていた経験値が割合で奪われるとかになると、あんまりぞっとしないのでログアウトは却下にしておく。

ワームの中で方向感覚がシャッフルされたせいで、どちらがケットシー領かもわからない。フレンドには誰も登録されていないので、誰かに助けを求めることも不可能だ。

結構絶望的な状況だ。だからこそ高揚感が湧いてくる。

 

「よし。いっちょがんばるか!」

 

未知のダンジョン探索なんて、心躍るに決まってる。ついでにテイミングのスキル上げもして、きっちり強くなって帰ってやろう。

とりあえず走り回ってみよう。フィールドだって有限だ。どっかで地上への道に行き当たるはず。

両脚の大腿筋を引き締めて、起伏が激しいフィールドを全力疾走してみる。類似した地形が続くので、どれだけ走ったのかがあやふやになる。走ってみて分かったが、このフィールドは確実にヤバい。そこかしこに超大型モンスターが闊歩し、怒号と悲鳴と鬨の声ばかりが岩窟を満たす。少なくとも初心者が来るべき場所ではない。

もしかして、アリシャやヘラちゃんが言ってたヨツンヘイムって場所なんじゃ……。また凄い災難だなこりゃ……。

 

「ってうおおお!?」

 

スベったあ!?

勢いづいていたのも手伝って、僕は綺麗に空中で回転した。

────ゴスッ!

鈍重な音は頭から地面に突っ込んだことの証左だ。

 

「ぐへぇっ!?」

 

体力がゴリッと一割ほど削れた。

身体がバク転する直前、足裏に伝わったのはヌルヌルの感触だった。氷で足を取られたのならわかる。だが僕が踏んだのは謎の粘液。

不幸にもスタンプしてしまったモノを確認するために、恐る恐る首を後ろに回した。

 

「なんだアレ……」

 

白いスライムがうねうねと蠕動してる。正直気持ち悪い。認識するために振り向いたのに、見てもよく分からない。

 

「よし。見なかったことにしよう」

 

触らぬ神に祟りなしだよね!

マズい気配がヒシヒシするので、とにもかくにも逃げておこう。

立ち上がり、謎の物体に背を向けた瞬間、背後から効果音が流れ出した。

 

(ベチャ……ベチャ……ズルルル……ギュギュギュッ)

 

いや、気になるでしょ。なんだこの音。絶対後ろで何かしてるじゃないか。

ここは一度逃げておいた方が……でもなあ、何してるのか見てみたいなあ……。

ええいままよ! 襲われたらその時はその時だ! 好奇心に任せて行動してやる!

再見の結果、謎の粘液は……

 

「えええ!? 僕!?」

 

僕になっていた。

顔立ちから背格好、初期装備のままの防具に至るまで全部が全部、さっき氷に写っていた僕そのままだった。

あの白スライム、プレイヤーと同じ形に変化するとかそういうタイプか!

僕のコピーは歩くどころか、立ち上がるのすらやっとといった有様だった。足腰をプルプルと震わせながら必死に二足歩行しようとする姿は、生まれたての草食動物にも似ている。

知能とかあるんだろうか。攻撃してこないし、ちょっと話しかけてみよう。

 

「おーい! 言葉はわかる?」

「ゥ……アゥ……ワかる……」

「うおお……!」

 

呻きながらも返ってきた返答に、反射的に驚嘆が漏れてしまった。

凄いな。脳をまるまま、というわけじゃないらしいが、幾らかの知性は投影できてるんだ。

まだ完成系ではないのか、今にも倒れそうなフラフラとした歩き方は、見ているだけで不安になる。頼りない姿が、むしろ庇護欲を刺激して可愛く思えてきた。

コイツ、なんて呼べば良いんだろ? いつまでもコイツじゃ締まり悪いしな。

 

「君は……いや、君っていうか、僕? 僕のコピーは『君』って呼んで良いのかな……?」

「……ゥゥ……ボク……?」

「うん。そうだね。ボクは僕だもんね」

 

うーん……なにか良い呼び名は無いだろうか。

顎に手を当てて熟慮する僕を、『ボク』は無垢な目をぶらすことなく眺めている。何を考えているのか分からない『ボク』を見つめ返していると、出し抜けに『ボク』の変化に気がついた。

あれ? なんか『ボク』が暗くなっているような? 暗いのが広がっているような?

というかコレ、丸い影では?

影って、どこから?

不思議に思い、見上げようとしたその時、昆虫っぽい巨大な足が『ボク』を踏み潰した。

 

「ボクゥーーー!!?」

 

『ボク』かわいそうや……。

踏み抜かれたボクは、元の白い液体に戻っていた……。産まれたてのボクが……。

ちくしょー! よくもボクを! ぶっ倒してやる!

煮えるハラワタを爆発させて、ボク殺しの犯人を仰ぎ見る。

全容は蜘蛛。全長30メートルはあろうかという威容の蜘蛛に、背中からはコウモリの羽、口からは無数の触手がうねり出でる異界の邪神だ。

邪神の顔面に無造作に並べられた昆虫の目玉が、一斉に僕を睥睨した。

 

(あ……これ無理だ……)

 

逃げよう。

すまないボク! 仇討ちは叶わない!

巨大蜘蛛の青い目玉が、順々に紅く色づいていく。恐らくは警戒色。完全に敵と認識されてる。

蜘蛛の邪神に背を向けて逃走を開始する。僕を獲物と定めた大蜘蛛は当然ながら追走する。巨大ゆえの歩幅の大きさは、僕と同程度の速度を実現していた。

走り方の微妙な変化で均衡が崩れ、蜘蛛の足が僕の背中を掠ってくる。逃げなきゃ潰される。わかってるのにシステム的な速度の上限は、残酷なまでに絶対的だった。

ダメだ。差が広がらない! 逃げるなら更に加速する必要があるが、そんな方法は……そうだ! この世界には存在する! 試してみる価値はあるだろう。えーっと……発音は確か……よし、たぶんいける!

 

「Ek vera hraðr!」

 

ヘラちゃんに教わった通りに速度上昇の呪文を唱える。古代ノルド語だという詠唱を吟じるたびに、僕の周囲に明滅する文字が刻まれた光帯が回りだす。

言い切った直後、ホログラムの文章が一際大きく輝き、僕に向かって収束した。

発光が止むと同時に身体が軽くなる。足の回転率が上がり、風切り音が甲高くなる。

視界左上に浮かぶステータスバーの少し下には青色の上矢印が光っていた。たぶん速度上昇のバフ表示だ。よかった。ちゃんと成功したみたいだ。

平常時と比較すれば、トップスピードは2割り増しといったところか。拮抗していた追いかけっこは、徐々に勝敗を明確にされていく。

よし! このままいけば逃げ切れる!

目と鼻の先まで迫っていた蜘蛛の足は、今や10メートルの後方にあり、彼我の差は刻一刻と広がっている。

もう大丈夫。……その慢心が油断を生んだ。

数刻ほど前から足音が無くなっていたことに気付くのが遅れてしまった。

もう諦めて追うのをやめた? 違う。さっきから耳を苛むブンブンという音が、僕の短慮を否定する。

全力を賭して逃げねばならないことは分かってる。けれどプレッシャーからか、僕は意識を割いて背後をうかがった。

 

「と、飛んでるーーー!?」

 

大蜘蛛の背中から伸びる、体長の4倍ほどのコウモリの羽を羽ばたかせ、大蜘蛛は高速で飛翔していた。

いや落ち着け僕。面食らったが飛行速度はあんまり速くない。継続して走り続ければ逃げ切れる。

ところで、糸を天井に貼り付けて、あの蜘蛛は何をするつもりなんだろうか。

嫌な予感がする。

糸に支えられた蜘蛛型邪神は、落下のスピードで加速していく。つまりこれは大きな振り子。岩石の屋根を蹴りつけた蜘蛛は、更に速度を洗練させる。

振り子の下限で糸を切り、巨大砲弾と化して邪神が飛んできた。

 

『キシャァァアァァーーーッッ!!』

「やばいやばいやばい!!」

 

無理だコレ! 逃げ切れない!

どうすれば良い? 決まってる! 僕の方も跳べばいい!

意識を内に。イメージを変革し、自己を光と認識する。無限の光子となった肉体は、空間という制限を突破する。

跳べ。前へ。少しでも前へ。跳べ────!

拳術スキル特殊技、いや……この呼称は誤りだ。この技の名は、心意技・瞬間移動《神耀》。

跳躍距離13メートル20センチ。大蜘蛛の射程範囲外。

よっしゃっ! あとは蜘蛛コウモリが大勢を立て直す前に出来るだけ距離を引き離せられればオーケーだ。

腹の横で小さくガッツポーズを作っていると、直下で地震が起きたような地響きが大気を揺らした。

蜘蛛が着地したのだろう。モンスターが立ち上がり、追いかけてくるよりも速く────あれ? 地面が傾いているような? ガラガラと岩塊が崩落するみたいな音が……。

 

「落ちてる───!?」

 

巨大邪神が着陸した衝撃で、地底の床が底抜けた!!

薄青色の石床が、ものの見事に貫通している。邪神の着地点から放射状に広がっていくひび割れは、中心地から少しズレた場所にいる僕を、予定調和のように飲み込んだ。足をとられて一足飛びに地獄へと落ちていく僕と邪神。

くっそーー! 地上に戻るはずが、むしろ遠ざかってるじゃないか! 厄日だーー!!

 

『クオォォン!』

「僕だって泣きたいよ!」

『グゥゥゥ……』

 

蜘蛛邪神は低く唸ると、悪魔じみた翼を展開した。降り注ぐ瓦礫を弾き飛ばしながら、蜘蛛コウモリは緩やかに上昇を開始する。

そっか! 僕も飛べば良いんた!

仮想の両翼に意識を向けて羽ばた……かない!? あ、そっか! 日光か月光の下じゃないと飛べないんだった! ヨツンヘイム内だと飛行は封印されるのか!

飛翔の基本を今更思い出している間にも、巨大蜘蛛との距離はどんどん遠ざかっていく。

 

「お前ばっかり飛べてズルいぞ!」

『グフフゥ!』

 

何言ってるかは分からないが、めっちゃバカにされてる気がする。

なんで僕はMobと喋ってるんだろう……。

飛べないんならしょうがない! むしろ落下死しないように気を張らねば、

破砕された床の粉塵が落下によって晴れていき、徐々に眼下の光景がくっきりと見え始める。

喩えるならば隠り世だ。ボウと浮かぶ蒼白の炎は、戦さ場の花と散った戦士達の魂か。

荘厳なる煉獄の空気に満たされた地下の底には────

 

「キャーー!! 天井が壊れたよ、ケビン!」

「慌てるなよサマンサ! オレがついてるだろ?」

「ケビンかっこいー!」

 

竦んで抱き合うカップルがいた。

 




なぜか登場するオリキャラ全員のIQが低いぜ……。作者のIQが低いからとか言ってはいけないぜ……。


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第六話「ハード&ロック?」

「生き別れになった彼女のために世界樹攻略とか……泣けるじゃねぇか!!」

「泣けちゃうねぇ!」

 

妙にテンション高くボロボロと涙を零されて、正直どんな反応をすれば良いのかわからない。動作1つ1つがコミカルなので、涙を流しながらも沈鬱さなど微塵も無かった。

僕の前であぐらをかきながら、音楽妖精族(プーカ)の2人組『ケビン』と『サマンサ』は、滝のように流れる涙を右腕でゴシゴシと拭き取っていた。

風船のように膨らみ、極彩色がモザイク状に散りばめられた服装は、一見して2人の性格が知れる。髪色は金髪に黒のアッシュがケビン、紫のアッシュがサマンサだ。ケビンは左右が綺麗に刈り上げられたソフトモヒカンだ。サマンサは肩まで伸びる長髪が、毛先だけ外側にカールしている。

目鼻立ちがくっきりとした外国人風の容貌はいかにも美男美女なのだが、本人たちの性格も手伝って陽気さしか感じない。

落っこちた僕はこのヘンテコな2人組に捕まって、身の上話を根掘り葉掘り聞かれたわけだ。しかし、初対面の相手に滂沱するほど感情移入して、生きづらくないのだろうか。

こちらばかりの情報開示はなんとも腑に落ちないので、そろそろ反撃と洒落込もう。

 

「じゃあケビンとサマンサは、なんでこんなところにいるのさ? 2人だけで入るような難易度のダンジョンじゃないと思うんだけど」

 

ソロで攻略しているヘラちゃんは棚に上げておく。

2人はいつの間にやらケロリと泣き止んでいる。答えたのは意気軒昂とサムズアップをするケビンだった。

 

「よくぞ聞いてくれた! オレたちは不幸にもヨツンヘイムに落ちてきたプレイヤー達を狩るPKコンビなのさ!」

 

下衆なケビンの言葉に反応したのは、意外にもサマンサだった。朗らかな美女は胸の前で手を合わせ、元から大きな瞳をこれでもかと見開いた。

 

「えー!? そうだったの!? てっきりミスって落ちたんだと思ってた! やっぱりケビンは頭良いね!」

 

笑顔のサマンサと、なんとも微妙な表情をするケビン。図星じゃないか……!

ケビンは両腕を肩の横に開くと、呆れるような仄かな笑みでかぶりを振る。

 

「おいおいサマンサ! オレがそんなドジするタマか?」

「うん!」

 

瞬殺だった。信用無いなケビン。

恋人の対応にガクッと肩を落とした直後、ケビンは何事も無かったかのようにコミカルな笑顔を見せた。立ち直りが早すぎる……。

 

「ともかくだ! ライトは地上に戻りたいんだろ? それはオレたちも同じさ! 一緒に地上へ出る道を探そうぜ!」

「やっぱりミスって落ちたんじゃないか!」

「ギクゥッ!」

 

ギクって発声する人はじめて見たよ。

四面楚歌なケビンは無理に会話を切るためか、ピルエットのように3回転をしてから、戦隊モノを彷彿とさせるポーズをキメた。

ピストル形にした手を顎にあてたケビンは、シニカルに笑って僕を見る。

 

「もしかすると、ライトだけは上に帰れるかもしれないぜ?」

「ほんと!? どうやって?」

「そいつは見てからのお楽しみさ! ちょっと待ってな! さあショータイムだ、サマンサ!」

「オーケー! ハードでロックにジャムっちゃうよ!」

 

手を取り合ったケビンとサマンサは、軽やかなワルツを踊りだす。魂揺蕩う氷獄のダンスホールは、2人の舞踏に幻想的な美しさを伴わせた。

ダンスを注視していたのにも関わらず、音楽妖精カップルの衣装が変わっていることに遅れて気づく。

ケビンは白スーツに茶色の革靴。首元に据えられた深紅の蝶ネクタイが目を引くコーディネートだ。。

サマンサは地面にすれるほど長い、白のイブニングドレス。胸元に入れられた妖精の刺繍は、今にも飛び出しそうな躍動感を顕示していた。あたかも晩餐会の淑女といった出で立ちだ。

見事な円舞を終えた2人は、名残惜しそうに手を離す。

戯曲のような光景は、そこで終わりでは無かった。

光を振りまきながら、各々の手に楽器が握られる。ケビンが持っていたのはウクレレとアコギの中間のような楽器だった。一方のサマンサは、妖精の羽が意匠されたファンシーなマイクだ。

プーカのカップルが、大仰に両手を開いた。

 

「さあ! お集まりの観客1名様! これよりご覧に入れますは、音楽妖精(プーカ)の秘儀なる律動の調べ! ────オレたちのセッション、存分に楽しんでいってくれよな!」

「楽しんでいってくれよな!」

 

深くお辞儀をするケビンと、同調するサマンサ。

空気が緊張する間を置いてから、毅然と2人は屹立し直す。

ケビンが弦に手をかけた。流れ出した音楽は、しっとりと染み込むようなジャズだった。

恐らくはアドリブなのだろう。掻き鳴らされた音は散漫なようでいて、ケビンという個性をしっかりと主張している。マイナーコードを基本にしているのに、弾き方、テンポ、休符の取り方が噛み合って、どこか朗々とした感想を持たせる。

 

「LaLaLa〜」

 

サマンサは音に合わせて歌詞なく歌う。聴く者の耳を溶かすような美声には、音楽に疎い僕すら酔いしれさせる魅力があった。

ケビンの先導にサマンサは歌を合わせ、2つの音が美しく止揚する。即興でこの完成度を出すに至るまで、ケビンとサマンサが無数に音楽をぶつけたであろうことは想像に難くない。

氷の地獄に、調和された2つの音が共鳴する。僕を包む音が、記憶の奥深くをチリチリと焼くように刺激した。想起したのは1年以上前にアインクラッドで見た、弾き語りをしていた女の子だ。

名前は────思い出せないが、あの子は無事に現実に帰ることができたのだろうか。

思考が脱線しているうちに、口惜しくも演奏は終わってしまった。普段の天然さは鳴りを潜めて2人が演じた、いつまでも聞いていたくなるようなジャズバラードだった。

 

「さて、じゃ試してみてくれよ、ライト!」

 

いつのまにやら元のピエロみたいな服装に戻ったケビンの言葉の意味が、よく分からなくて聞き返してしまう。

 

「試してみてって……何を?」

「んん? まさかオレたちが、何の意味も無く演奏したと思ってたのかよ?」

 

わりとそう思ってた。

ゲーム内で演奏して意味があることって……あ! バフか!

ステータスバーに視線を向ければ、スピードアップが2つと身体軽量化、筋力上昇の計4個のアイコンが点灯していた。

つまり試してみてっていうのは、これだけバフを盛れば無理やり上の階まで走れるんじゃないかってことか。

 

「ありがとう! やってみるよ!」

「おう!」

「がんばって〜!」

 

ユルい応援を背に受けて駆け出す。四方の壁は氷で覆われ、取っ掛かりはどこにも見当たらない。滑る前に駆け上がればいけるかな?

心配だし、一応さらにバフを重ね掛けておこう。

 

「Ek vera hraðr!」

 

僕が唯一使える魔法である、速度上昇の呪文を唱える。加速感と共に自信が漲ってきた。トップスピードを維持したまま、氷の壁を一足飛びに登り切る!

SAO終了時点での僕と同等の速度で足を回転させながら、まずは氷壁に一歩かける。

 

「ぐぬぅ……」

 

足裏に力をこめて、滑りそうになるのを必死にこらえ、上へ上へと走り続けた。

天井との距離が遅々として縮まらない。1秒を経ることすら緩慢だ。ただ速く走ることだけを考えて、限界まで身体を押し動かす。

気がつくと、もう上階は目鼻の先にまで接近していた。

いける。いける。いける。

思い込みを脳に擦り付ける。心意システムすら総動員して、岩窟の天蓋へと手を掛ける────その寸前。

 

ガラッ……。

 

あ。崩れた。

大穴の淵を掴むと、僕の体重に耐えられず崩落したのだ。移動した重心は止まるはずもなく……。

 

「どぅわああああ!?」

 

僕も真っ逆さまに落下した。

ここ数日で一体、何度落ちれば良いんだ!

不運を嘆きながらも冷静に。地面に着く直前に前転して受け身をとった。地獄の風景がグルリと回転し、三半規管を狂わせてくる。

着地の衝撃で削れた体力は、一割強といったところ。充分に許容範囲内だろう。

 

ドドドドド……

 

ん? この音なんだろう? 地震だろうか? ALO内で地震なんて起こるのかな?

 

「まるで、ダンジョン内で大音量で演奏したせいで、邪神型モンスターが反応して近づいてきてる、みたいな音がするね〜」

 

サマンサは具体的な比喩をする。

いやいやそんなまさか! だって洞窟全体を揺らすような地響きだよ? いくら超大型モンスターだって、2体や3体じゃ効かない数がいないと、ここまで揺れることは無いよね?

 

「まさかそこまで考え無しに演奏したわけじゃないでしょ、ケビン?」

 

縋るような気持ちでケビンへと振り返ると、

 

「………」

 

ケビンは薄ら笑いを浮かべて、冷や汗をふかしていた。

この野郎……!

 

「まあまあ落ち着けよ2人とも! この展開はオレの策略通りさ!」

 

策略通りの人間は冷や汗をかかない。

 

「ここで邪神型モンスターを倒しきって、アイテムをガッポリって寸法よ!」

「キャー! ケビンってば頭良いー!」

 

膝を震わせるケビンに、サマンサは抱きついた。

落ち着け僕の右手。天然カップルを殴るのは逃げてからでも遅くない。

 

「いや待てよ? ここでモンスターどもを倒しきっちまってもいいんだが、さすがにオレたちだけで独占するのも他のパーティーに可哀想だよな! ここはひとつ……」

「言い訳はいいから早く逃げるよ!」

 

バカばっかりのクラスを纏めていた雄二の苦労が、少しだけわかった気がする。

 

 

世界樹の周囲は峻厳な山脈が囲んでいる。高度制限により飛んで山を越えることは叶わず、各種族の首都から世界樹の麓たる央都アルンへ至るには、山岳に通されたトンネルか谷間を抜けることになる。

連なる山々の南西側に位置する洞窟、『ルグルー回廊』を、2人の妖精は決死の形相で抜けたばかりだった。

1人は影のような黒衣を纏う、浅黒い肌のスプリガン剣士、キリト。

もう1人は夏の風のような緑の妖精、シルフの脱領者(レネゲイド)、リーファだ。

2人が急く理由はただ1つ。今日行われることになっているシルフ・ケットシー同盟会議に、邪魔者が介入するという情報をリーファの知人《レコン》から伝えられたからだ。

大恩あるシルフの領主、《サクヤ》に義理立てするためにも────いや、リーファを動かすのはそんな大人な感情じゃない。ただ友達を守るために、リーファは同盟会場へと急いだ。

新幹線にも迫ろうかという勢いで飛行しながら、並走するキリトが疑問を投げかけてきた。

 

「なあ、会談の場所はケットシー領じゃなかったのか?」

「そのはずだったんだけどね。今朝にシグルドが駄々をこねたんだよ。『他種族の本拠地に領主を向かわせるなど、正気の沙汰ではない!』とか言って。今考えると怪しかったよね」

「ああ。そのシグルドって奴がサラマンダーと通じてたんだもんな。中立域で会議してくれなきゃ、サラマンダー部隊を戦闘させられないってわけだ」

 

自然と2人の速度が上がる。

乱入する刺客はサラマンダー。大柄な体躯を活かした戦闘向きの種族だ。

いくら同盟会議に同伴しているのが各種族の手練れ達であろうと、数十人のサラマンダー部隊の前では多勢に無勢。戦闘が始まる前に乱入できなければゲームオーバーだ。

そも、キリトとリーファが加わったところで、多勢に無勢は変わりないのだが。

 

(それでも……それでも、私にも何かできるかもしれない!)

 

自分の心に言い聞かせ、リーファは一層甲高く翅を震わせる。

会談場所となる岩山へ近づいてきたとき、キリトの面持ちが次第に険しくなっていった。眉宇を寄せたキリトが、絞り出すように呟く。

 

「マズイな……金属音がする」

「え? それって……」

「ああ。もう戦闘が始まってるぞ」

 

剣戟がリーファに聞こえずキリトに聞こえたのは、キリトの持つ聞き耳スキルの効能だ。

キリトの下した結論は、リーファの心に最悪の想像をもたらした。サクヤが刺し穿たれ、シルフ領がサラマンダーによって統治される光景。

ブンブンと頭を振って嫌な想像を追い出すと、リーファはキリトへと首を回した。

 

「ここまででいいよ、キリト君。スプリガンの君に、これ以上迷惑をかけるわけにはいかないもんね。キリト君は世界樹に行って」

 

喉から捻り出したのは苦渋の台詞だ。

本当は、もっとキリトと旅をしていたかった。明朗快活な少年剣士は、会う度にリーファの心を照らしてくれた。

けれど、だからこそ依存することはできない。キリトに好意を抱くからこそ、キリトには負担をかけたくないと思うのだ。

だから、ここでおわかれだ。

リーファの悶える心中を知ってか知らずか、キリトは何の気負いも無く口を開いた。

 

「ん? いや一緒に行くよ。ここまできて投げ出したら夢見悪いからな」

 

なんでもないキリトの言葉は、リーファの胸中を深く突き刺す。

断れるはずが無い。

せっかく自分の気持ちを裏切って、キリトを慮って言ったのに、当のキリトがその決意を壊すのだから。

 

(もう……ズルいなあ……)

 

結局はリーファの一人芝居だが、眼前の少年を卑怯だと感じてしまうのはしょうがないだろう。だったらキリトも遠慮なく巻き込んでしまおう。

 

「うん。じゃあ、これからもよろしくね、キリト君」

「こっちこそな、リーファ。じゃあ急ごうぜ。もう奇襲が始まっていても、加勢できるならしておいた方が良いだろ?」

「そうだね。うん……ありがとう」

 

気を引き締め直して、再度の加速を開始する。

サクヤの無事を祈りながら、リーファはめいいっぱいに羽ばたいた。

 

会談場に到着して最初に目にしたのは、飛翔しながら相対する2人の剣士だった。

睨み合う火竜妖精と猫妖精の決闘を、会談場たる岩山を取り囲んで、数十人の取り巻きが固唾を飲んで見守っている。

誰も手出しをしない。違う。できないのだ。

ユージーン将軍。サラマンダー最強──否、ALO全土を見ても最強の剣士が抜刀している。ならば邪魔立てなど誰が出来ようか。

ユージーンの手に握られて妖気を放つのは、伝説級武器(レジェンダリー・ウェポン)『魔剣グラム』だ。一振りにつき一度だけ相手の武器をすり抜けるという、近接戦闘において最強の名を欲しいがままにする両手剣である。

至高の剣士と火花を散らすのは、どう見ても不釣り合いな、か細い白猫の少女だった。

名を、ヘラクレス・オオカブト。

全身を鎧で守るユージーンと比較にもならない軽装と、刃渡20センチという短剣だけを装備した少女は、しかし唯一異常な点があった。

少女は、飛竜に騎乗している。自らの翅を出すことすらせず、白猫の妖精は空に浮いていた。

 

「ハッ!!」

 

裂帛の気合いとともに、ユージーンが白猫へと突進する。

サラマンダーの将軍が選んだ手は大上段。豪速の魔剣が、直下の脳天へと吸い込まれる。

白猫が取ったのは迎撃だ。短剣が音にも迫る速度で疾る。

最強へと歯向かうに値する剣圧を、だがしかし、魔剣グラムはすり抜けた。

少女の目前までも凶刃が切迫する。

そして────

 




この話以前のキリトとリーファの流れは、原作・アニメと同様とお考えください。明久の家から帰ったキリトが、今度はリーファと混線して現在に至る感じです。
もし万が一SAOを未視聴の方がいらっしゃいましたら……ごめんなさい!


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第七話「笑おうぜ!」

色々立て込んでて、ちょっと期間を空けてしまいました。申し訳ない……。
できればALO編は今年中に終わらせたいなー、とか考えてた理想が遠のいていきますね。


────果たして、魔剣グラムは弾かれた。

伝説級武器は一度は短剣を通り抜けたのだ。見誤ったのは使い手の技量。

魔剣をすり抜けた後、少女は短剣を逆手に持ち直し、自分の側に引き寄せた。無銘の短剣が実体を得たグラムを捉えたのは道理だろう。必殺であるはずの魔剣は軌道を逸らされ、虚空を斬ることしか叶わなかった。

 

「強いな、あの子……」

 

リーファとともに滞空するキリトが呟く。

黒衣の少年は一瞥してヘラの実力を感じ取ったらしい。

ユージーンが強いことは誰の目から見ても明白だ。戦士としての総合力なら、現在の対戦カードは勝負にならない。

白猫の少女の特筆すべきは類稀なる戦闘技術だ。彼我の実力をしかと見極め、最適な位置に適切な速度で剣を振るう。少女の攻撃はAIによる自動操作だ、と言われた方がまだ納得いくほどの正確無比さ。歴戦の戦士であるキリトだからこそ、一合の打ち合いで少女の強みを見抜いてみせたのだろう。

キリトの審美眼に感嘆しつつも、リーファはほくそ笑んで口を開く。

 

「そりゃそうだよ。だってあの子──ヘラちゃんはALO内で最高の……」

「ヘラちゃんだって!?」

 

いきなりのキリトの大声に、リーファは思わず身体を震わせた。

出し抜けに叫ばれたこと以上にリーファを驚かせたのは、悪霊に憑依されたかのようなキリトの表情だった。端的に言えば血走っている。いつもは泰然自若とした少年剣士が焦燥に駆られる様子は、リーファの心胆を揺さぶるに値する衝撃だった。

ヘラちゃん、という言葉にキリトは何を見出したのか。ヘラちゃんがキリトにとって、どんな意味を持つ人物なのか。

疑問がリーファを惑わせる。戸惑いの原因は単純な興味だけでなく、ヘラという女性にキリトが強い関心を示していたからでもあった。つまり、リーファは……

続きを考えそうになった頭を慌てて振って、思考から言葉を追い出す。

リーファが呆気に取られている間に、影妖精の剣士は平静を取り戻していた。キリトは口を開きかけてから言い淀み、断ち切るように目線を上空へ向ける。

リーファも気後れから追及することができず、キリトに倣って上を見た。

上空を舞台にした活劇は、白熱至極の剣豪勝負。抜刀した剣士達の間隙に、飛び散る火花を幻視した。

一撃を外せば速さに分がある少女が有利だ。狼狽えること無き戦術眼で、ユージーンは後方5メートルに平行移動した。間合いをとった最強剣士を、白猫は無理に追うことはしない。

追撃しようものなら押し負けると、ヘラはしたたかに弁えていたのだ。膂力も武装も圧倒的に格下の彼女が、懐に飛び込んで生還できる確率は奇跡的だろう。見極めて凌いだ寸前の斬り結びも、一歩間違えば即死だったのだから。

剣を構え直したユージーンがこめかみを浮かせ、唾棄するように言葉を放つ。

 

「白猫め……まさか貴様が帰っていたとはな」

「んー、ヒトの留守に空き巣しようだなんて、中々セコいのだね、トカゲくん?」

 

激しい抵抗を見せる獲物を前にした肉食獣のように、白猫の竜騎士は目を細めた。

対するユージーンはあくまで冷徹。顔色一つ変えずに、むしろ焚付け返してみせる。

 

「挑発には乗らんぞ、ヘラクレス。さっさと《レーバティン》を抜け。そんなオモチャでは勝負にならんだろう?」

「余計なお世話なのだよ。そっちこそ手加減しなくてよいよ? さっきの切り込み、呆れるほどにヘナチョコだったのだね」

 

ヘラの指摘を受けて、リーファは直前のやり取りを思い出す。ユージーンには翅の推力、体重、魔法等、まだまだ剣速を上げる余地があった。

そも、それらの技術を万全に活用することは至難の技なのだが、仮想世界のトップに立つ剣士達とあっては出来て当然であるのだろう。ならば、ヘラの目から見て手を抜いていたと思えても無理はない。

 

「フン。あれは試し切りだ。半端な心持ちで俺の前に立つのなら、次はその性根ごと叩き切る」

 

苛立ちを隠しもせぬ語調で最強剣士は威嚇を向ける。

火龍に牙を剥かれた白猫は、笑顔の裏にほんの僅かな焦りをみせた。戦闘が続けば少女が敗北する。それは見識ある剣士ならば誰でも予測できる未来であり、ヘラ自信が誰より確信している真実だ。

 

「まずい……このままヘラちゃんが負けたら、サラマンダー軍を止める抑止力が無くなっちゃう……」

 

リーファはか細く唇を震わせる。

この場にはヘラ以外に、ユージーンと拮抗する者はいない。悉くが必殺の果し合いに名乗りを上げる物好きなど皆無だろう。だからこそ膠着が保たれている。

だが一度趨勢が傾けば、それが種族そのものの敗北に直結する。至高の剣豪同士が演じる決闘は、代理戦争の様相を呈していた。

だが、リーファが祈ったところで動き出した果し合いは止まらない。

 

「いざッ!」

 

ユージーンが放った鬨の声は、連なる岩山を削るかと思えるほどの圧力だった。気勢に宿る勢いのまま、火龍の剣士は竜騎士へと突進を繰り出す。

リーファは手を組んで祈祷を捧げる。どうか猫妖精の少女に勝利の女神が味方しますように、と。

────その瞬間、脱領者たる少女の真横でボンッという爆発音にも似た音が立ち、天誅かとも思える暴風が巻き起こった。

風にあおられながらも何とかリーファが目を開くと、さっきまで並立していたはずのスプリガン少年が、跡形もなく消えている。

 

「え!? ちょっと、キリトくん!?」

 

首を回しながら相棒の名を反射的に叫ぶ。

キリトは既に漆黒の弾丸と化していた。照準はヘラとユージーンの間に合わせられ、際限なく速度を上げていく。

空を裂く砲弾は、剣士2人の間で勢いを殺し尽くす。静止の瞬間、キリトに追いつけぬ大気はミキサーじみた乱気流を生みだした、

突然の乱入者に呆気にとられ、不自然な静寂が作られる。

その静けさこそがスプリガンの剣士が狙いだったのか。上体を仰け反らせ、肺いっぱいに息を吸い込んだキリトが、

 

「────双方、剣を収めよ!!」

 

それ自体が攻撃判定を持つのではと錯覚するほどの大音量で、両の剣士を制止させた。

 

 

「ヘラちゃんに会った!?」

 

電話口で聞かされた和人の報告に、意に沿わず上ずった声を出してしまう。

やっとの思いで邪神型モンスターから逃げて数時間後、現実からの呼び出し(コール)があった。ALO内に残された空の身体をケビンとサマンサに任せ、現実に戻ってすぐに突拍子も無い和人の話を聞かされたのだ。

僕が言えたことでは無いが、和人も相当変な動きをしてるっぽい。

 

「そもそも、どんな流れでヘラちゃんと会ったのさ?」

『まず、なんでか家に帰ってまた混線したんだ』

「え? また? キリトの家にもALOしていた人がいるってこと?」

『あ……いや、そんなはずは……。ん? でもちょっと待てよ……? んー……この話は一旦置いとこう』

 

また和人が思わせ振りなこと言ってる……。

まあいいや。いつものことだし。

 

「うん。それで?」

『そこで知り合った女の子が、色々あって領地を抜けて俺を案内してくれることになったんだ』

「えぇ……」

『それからなんやかんやあって同盟会議に割り込んだらヘラちゃんがいた』

「ちょっと待って!? 端折り過ぎじゃない?」

『正直、説明するのが面倒くさい』

「もうちょっとぐらい頑張ろうよ!?」

『まあそんな感じだ。もう電話切っていいか?』

「面倒くささが滲み出てる!?」

 

どうした和人……。在りし日の君はもっと論理的(ロジカル)だったぞ……!

ああ、そうか。僕ら(バカ)の影響か……。

 

『あ、そうだ。ヘラちゃんからの伝言があったんだ』

「え、なになに?」

『ライトくん、今どこにいるのだよ?、だってさ』

「あ! ヘラちゃんに悪いことしちゃったな……ヨツンヘイム落ちてからもう一回落ちたんだ。すぐ戻るって伝えといて!」

『うーん、さすがライトだ。意味わからん』

「キリトに言われたくないよ!」

 

なぜ僕らは普通に冒険できないのか。SAOでも、よく周りから呆れられてたなあ……。もはや宿命を感じるレベルだ。

 

『まあ伝えよくよ。じゃあまたな、ライ……じゃなくて明久。明日には会えるように祈ってるぜ』

「そだね。次は世界樹で! おやすみ、和人」

『ああ、おやすみ』

 

携帯電話を耳から離す。通話を切ると、夜特有の軋むような静けさが訪れた。

掛け時計は午前3時32分を示している。音楽妖精コンビと取り決めた約束では、休憩は2時間としている。僕の制限時間は残り約1時間20分。

ローテーションは、ケビンとサマンサが2人揃ってまずログアウトを行った。2人がゲーム内に帰ってきたと同時に、僕も暇をもらった、という流れだ。

戻ればまた邪神型モンスターに追いかけ回されることを考えれば気が滅入るが、運が悪かったと諦めるしかないだろう。今は思考力の回復に努め、少しでも良いパフォーマンスをできるようにすべきだ。自分に言い聞かせて、仮眠をとるべくソファーで横になって目をつぶった。

暗室の中、1人で思いを巡らす。古きSAOでの情景にぼんやりと思索する。

孤独を感じると、未だに仲間たちとの冒険が色鮮やかに蘇ってくるのだ。その中でも飛び切り輝くのは優子の笑顔。

 

「会いたいな……」

 

病室で目を覚まさない優子にではない。仮想世界でも良いから、会って話がしたいのだ。

今は眠るべきだってわかってるのに、はやる気持ちは止められない。

優子を思い出せば出すほど、心臓が鎖に縛られていくような心持ちになる。締め付けられた胸があまりにも痛くって、ほおに水滴が流れているのに気づいてしまった。

ああ、もう僕って想像以上にイカれてるみたいだ。自分でもどうしようもないくらいに、優子が好きになっている。

鈍感だとは思ってたけど、まさか自分の心にまで疎いとは。

 

「泣くほど好きだったのか、僕」

 

だったら、良かった。

そうであるからこそ、僕は何に代えても優子を助けに行きたいと願うんだ。

ベッドの中で高揚と焦燥をないまぜにしながら、囚われの彼女を想って瞳を閉じた。

 

 

 

午前5時。

重い瞼をこじ開けてログインしてみると、ミュージシャンカップルが満面の笑みと仁王立ちで僕を待ち受けていた。

 

「朝だ!」

「朝だね!」

 

地下迷宮は薄暗く、朝感は全く無い。

 

「気持ちが良いな!」

「気持ちが良いね!」

 

邪神の呻き声とか聞こえてるけど、それでも気持ち良いんだろうか?

 

「つまり、こういうときは……」

「こういうときは……?」

「朝一番のセッションだー!!」

「わーい!!」

「それで昨夜は失敗したんじゃないのかよ!!」

「おいおいライト! 大きい声だすなって! モンスターどもに聞かれたら、また鬼ごっこが始まっちまうぜ?」

「とりあえずケビンは自分の言葉を100回くらい復唱しようか?」

 

僕が言えた義理じゃないが、脳みそどうなってるんだろ?

 

「それぞれの休息は済んだことだし、そろそろ出口を探そうよ。逃げてばっかりじゃ埒があかないって」

「休息つっても、オレは現実帰ってエフェクターを改造してただけだけどな!」

「わたしも歌ってただけだよ!」

「もう意味わかんない……」

 

2人ともなんでこんなに元気なんだ……?

 

「じゃあ頑張って出口探しちゃうよ〜」

 

サマンサは胸の前で握り拳を作って意気込んだ。

なにか良い方法があるんだろうか?

上半身を仰け反らせて

胸を膨らませて

思いっきり息を吸って

 

「ちょっと待って! 確実に声出す準……もが!?」

「お口チャックだぜ、ライト」

 

ケビンはあすなろ抱きっぽく、後ろから手を回して僕の口を塞いできた。うへえ、気持ち悪い!

そうこうしてるうちに、サマンサは肩まで伸びる金髪をなびかせて、跳ね起きるようにブレスを放つ。

もうだめだぁ……おしまいだぁ……。また邪神とクトゥルフ鬼ごっこする羽目になるんだぁ……。

そうしてサマンサが放った声音は──

 

「──────!!」

 

超高音! いや、これはもう人の耳じゃ聞き取れないくらいの音域だ。聞き耳スキルがあるからギリギリ発声していることは分かるが、一体なんの意味があるのかまでは読み取れない。

 

「これは……」

「サマンサの《歌唱》スキルから派生したエクストラスキル、《超音波》だ」

「それでなにが……?」

「まあ待っとけって」

 

ケビンは両耳に手を添えて目を閉じた。まるでサマンサの発した音に寄り添うように、我慢強く聞き耳を立てる。

やがてサマンサが可聴域外の音波を打ち止め、吐いた空気の分だけ大きく深呼吸をした。ピリピリとした鼓膜の刺激が止む。

 

「オリムラグ山が前だから……左が北か」

「ケビン? ブツブツ言ってどうしたの?」

「んー、ちょい待ち……よし。3時の方角に2キロくらい進めば上の階まで続く坂があるな」

「大丈夫? 熱でもあるの?」

「幻覚見てるわけじゃないぜ!? オレの自慢の耳で聴いてたのが目に入らなかったかよ?」

「それは見てたけど、なにしてたのさ?」

「反射音を聴いて地形を把握してたのさ!」

 

ドヤァ、と擬音が飛び出しそうなほどのケビンの表情に辟易していると、息を整え終えたサマンサが補足してくれた。

 

「コウモリとかと一緒の原理だよ!」

 

ごめん……コウモリの例からして分からない……。よ、よし。ここは知った風を装っておこうか。

 

「なるほど、コウモリと同じなわけだね」

「ライト、お前よく分かってないだろ?」

「な、なんでそう思うのさ!?」

「バカはバカの匂いがわかるのさ!」

 

説得力があり過ぎる……!

 

「まあともかく音が聞こえて地形がわかったんだね? 良かった! ところで、なんで最初からやらなかったの?」

「…………」

「…………」

 

プーカカップルは2人して、目を泳がせながら口笛を吹き始めた。え、なに、怖い……。

背後からブォンブォンと、大きなうちわで空をかき分けるような音が鳴る。もう嫌な予感しかしない。

振り返って謎の物体Xを目視する。それは、昨日さんざん僕を追いかけ回してくれた、コウモリの翼を持つ巨大蜘蛛だった。

 

「なにか弁明は?」

「ほら! さっき伏線張っただろ? コウモリと同じ原理だって。つまりコウモリなら聞こえるってわけさ!」

「伏線回収が早過ぎる! ああもう! とにかく逃げよう!」

「ほいきた!」

「はいな〜!」

 

軽妙ここに極まれりといった返答にはそろそろ慣れてきたところだが、ケビンとサマンサが笑顔を崩さぬ理由は解せない。モンスターに追われて逃げる時すら、状況を歓待しているようにすら窺える。

 

「もしかしてさ、わざとやってない?」

「あははは! バレちまったか!」

「バレちまったね〜!」

 

勘が当たってしまった。

いやそうだよね……薄々感づいてはいたよ? けど……

 

「なんでそんなこと……」

 

動機が全く分からない。僕の道程を妨害して、彼らにどんな得があるというのか。もしかしてただの愉快犯なのか?

自然と眉をひそめてしまう。一刻も早く優子を助けに行かなくちゃいけないのに。こんなところで燻ってる暇なんて無いのに。

ハラワタが炙られたような僕の心中を知ってか知らずか、ケビンはあっけらかんと笑う。

 

「なんでってそりゃ、ライトが笑わないからさ!」

「………は?」

 

ちょっとよく分かんない。

僕が笑わない? だから何なんだ。そもそも……

 

「笑えるわけないだろ……だって優子が今も苦しんでるかもしれないのに……」

「それはお前が笑っちゃいけない理由にならないだろ?」

 

そう……なのか?

優子が苦しんでいるのなら、僕も苦心すべきじゃないのか? 僕だけ安穏と生きることが許されるのか?

良いことなのか悪いことなのかも分からない。僕は、優子の気持ちに寄り添うべきなんじゃ……。

逡巡する僕の背中に、ケビンは張り手を打った。突然のことに目を白黒させていると、ケビンは豪快な笑顔を見せた。

 

「なあ、ライト! 笑おうぜ! めいいっぱいALOを楽しんで、笑顔で優子……だっけ? その子を救ってやれば良いじゃないか!」

「それは……」

「ALOはゲームだよ! だったら楽しまなくちゃ嘘だよね!」

 

2人の音楽妖精は、ニカッと笑って僕の腕を取った。

そっか……もうここはデスゲームじゃないんだ。命のやり取りも無く、ただ、娯楽として楽しめるゲーム。

優子を救うという大目的は、僕にSAOの影を落とし続けていた。でも、ここでは振り払って良いんだろうか? 僕は、楽しんで良いのか?

 

「さあ、闘おうぜ!」

「わたしは歌って、ケビンは弾いて、ライトは攻撃よろしくね!」

「良いこと言うなあサマンサ! 応とも! それぞれが選んだロールプレイ、その上での適材適所がMMORPGの醍醐味だもんなあ!」

 

ギターとマイクをそれぞれ持ち出すケビンとサマンサ。興奮と期待が昇華された面持ちは、見ているだけで楽しくなってくる。

そうか……そうだよね。ゲームは楽しむためにあるんだよね。デスゲームを生き抜いた2年間で、ゲームは遊びじゃないって植え付けられていた。

そんな考えクソ食らえだ。同じ優子を助けるという道のりだって、辛気臭いより呵々と駆け抜けた方が良いに決まってる!

 

「ありがとう……ケビン、サマンサ。ところで、わざわざ邪神モンスターを呼ぶ必要は無かったよね!?」

「ほら、ゲームってピンチの方が楽しいだろ?」

「コアゲーマー特有の変態プレイやめて!!」

 

軽口の応酬の最中にも、僕らは各々に構えをとった。

敵性体との距離は既に10メートルを切っている。さあ開戦だ! 思う存分戦って、負けそうになったら笑顔で逃げてやる!

青灰色の岩床を蹴った。同時にケビンが弦に指をかける。

 

「いくぜサマンサ! 怪物たちを惹きつけ過ぎないようにデチューンしとけよ!」

「あいあいさー!」

 

聞こえてきたのは低音の効いたマーチ。どうやったらギターでこんな音出るんだ……。あ、そうか。ギターっぽいだけでギターじゃないのか。

始まった演奏に身を任せれば、身体の奥からどんどん力が湧いてくる。湧出した気力に任せて、大蜘蛛に向かって最大射程で飛び跳ねた。蜘蛛邪神の頭上ギリギリを狙い撃つ。

このまま目玉を蹴り抜いて────

 

「ゴブパッ!??」

 

邪神を今にも飛び越えようとした瞬間、超高速の何かが僕の顔面を痛打した。

ほ、星が……目の前を星が回ってる……。

 

「きゃあ!? ライトくんを引いちゃったのだよ!?」

 

薄れゆく意識の中、ヘラちゃんの素っ頓狂な声だけがフェードアウトしていった。



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第八話「憂いの行方」

テスト&レポート、一件を残して終了しました!!!
これで心置きなく春休みだーーー!!!
春休み中にALOを終わらせたいなぁ(皮算用)などと思いつつの第八話でございます!


「息止めて! 水に突っ込むのだよ!」

 

ヘラちゃんの忠告で前後不覚が取り除かれた。と、同時に前方を視認する。岩壁を煌めく燐光が、僕、ヘラちゃん、ケビン、サマンサを載せるリュータローと20メートル先の水面を映し出す。

ヨツンヘイムの大空洞が先細り、幅10メートルほどの静謐たる湖を終点としていた。

 

「な、なんでわざわざ水に入るのさ!?」

「うしろみて!」

 

ヘラちゃんに言われるがまま振り返ると、そこには顔なじみの蜘蛛邪神が百のまなこを血走らせていた。

逃げ場がないから湖に? いや、辺境の水溜りに入ったところで、行き止まりは変わりないんじゃ……。

反証を吐く暇もなく、湖面は既に目前だ。迫る地底湖をして覚悟を決める。肺を破裂させんとばかりに吸引したその瞬間、赤竜の鼻先から着水が始まった。

入水の衝撃で水を飲んでしまう。そして味覚が僕を揺さぶった。

 

(これ、塩辛い!)

 

海水なのか? ヨツンヘイムと海が繋がっている? ならヘラちゃんは、このまま海まで飛び切るつもりなのか?

退路はない。今はヘラちゃんを信じるばかり。

ヨツンヘイムを照らしていた蛍光も消え失せ、泥のような暗闇がことごとくを覆い隠す。前後左右どこをとっても暗黒のまっただ中で、激流に流されまいと4人で団子になってリュータローにしがみつく。

時間感覚も曖昧となっていく。暗中模索の状況が、胸中に暗雲を去来させた。

ステータスバーのすぐ下に表出した、小さな気泡が10個並ぶマークは酸素ゲージだ。全ての泡が消えてしまった瞬間から、呼吸するか死ぬまでスリップダメージを受けることになる。

僕の酸素ゲージは残り7。SAO時代よりも減りが早いのは、デスペナルティの差によるものか。残された時間は少ない。展望が見えない状況が焦燥に拍車をかける。

命の危機に面してもパニックにまで至っていないのは、SAOでの経験と、判断したのがヘラちゃんという部分に依るところが大きい。事実、ヘラちゃんの言動は常に的確だった。戦闘技術や飛行のみならず、地形やモンスターの生態に至るまで、トッププレイヤーの面目躍如を見せつけられた。

故に信じられるのだが、なぜだろう。ヘラちゃんには自信が欠如しているように思えて仕方ないのだ。本人は意図していないのだろうが、まるで自分の知識が崩れかけの地面の上にあるような心細さが滲んでいるように感じられる。

僕の思い過ごしならいいのだけど……。

彼方に在った思考を引き戻したのは、海中に差した一筋の光だった。と同時に、酸素残量がゼロになり、不快なバイブレーションが視野全体を震わせる。体力ゲージがズブリズブリと死神の鎌に削られていく。

リュータローはまさに海龍が如く、泳ぐ速度を倍加させた。目標を捉えて体力を温存する必要がなくなったのか。違う。単純にケビンとサマンサが消えた分軽くなったのだ。

…………いや何で!?

いつの間にあの2人いなくなったんだ!? まさか振り落とされた!?

首を回して音楽妖精達の影を追う。それは急速に遠ざかる海底にあった。

ケビンとサマンサは、海底にある何かを押し上げようとしている。

あれは……宝箱? ああ……開けようとしているのか……。

もうほっといていいか。

色々どうでも良くなりながらも、遂に海面へと手をかける距離にまできた。体力は1割が削れたところ。余裕を持って海上へと脱出する。

南中の日が燦々と降り注ぎ、生理的に目を細める。水上アトラクションもかくやの水しぶきが飛散し、僕らの周りを小さな虹が囲んだ。

 

「ふぅ……」

 

胸を撫で下ろすヘラちゃんの、水滴が伝う肢体に目を奪われ、慌てて顔を逸らした。スポーティで健康的な四肢を、猫じみた姿勢でヘラちゃんは伸ばす。

今更ではあるのだが、ヘラちゃんの服装はかなり際どい。ほぼ下着のような胸巻きとショートパンツのみで、お腹も脚も完全に露出している。130cmの矮躯も相まって、普段は可愛らしいが優っているのだが、体中を滴る水滴のせいか今は妙に艶かしく見えてしまう。

僕の視線に気づいたヘラちゃんは小首を傾げた。

 

「うにゃ? ライトくん、どうかした?」

「い、いやなんでもないですはい!」

 

咄嗟に早口でまくし立ててしまったが、ヘラちゃんは別段訝しむことなくストレッチをつづけた。

迷わせた視線の先に、海面に身体を預けて羽を休めるリュータローの姿があった。

 

「お疲れ様、リュータロー」

 

労いながらリュータローの首筋をかいてやると、

 

「グゥ……」

 

心地好さそうな声音でリュータローは喉を鳴らした。良かった。思いの外、心を許してくれているみたいだ。

しばらくリュウタローを撫でていると、急にヘラちゃんが細い声を上げた。

 

 

「あれ!? そういえばあの2人は!?」

「ああ……もういいんじゃないかな……どうでも」

「ライトくん!? 死んだ魚の目なのだよ!?」

 

おお。ヘラちゃんがつっこんでいる。もっと常識とかかなぐり捨てている子だと思っていた。いやすっごい失礼だな?

さて。気持ちを切り替えていこう。

頑張ってもらったリュータローには、短い時間ではあるが休んでもらって、僕とヘラちゃんで出発の準備を……

瞬間、思考の一切を打ち消す爆発が、背後3メートルの海中から巻き起こった。飛沫は塔のように立ち登り、僕らを間断なく打ち付ける。

索敵スキルが反応していないからモンスターではない。ならば……

 

「いやあ! 危うくサンズリバーが見えかけたぜ!」

「ええ!? 海の中に川があるの!?」

「サマンサ? 比喩表現って知ってるか?」

 

開幕から騒がしい。僕が言えた義理ではないが。

 

「どうやって上がってきたんだよ?」

「風魔法でちょちょいだよ!」

「しっかし宝箱もったいないなあ! よしサマンサ! もっかい開きにいこうぜ!」

「ラジャ!」

 

投合したバカップルはトビウオのように浮遊すると、翅の推力を利用して急転直下のダイブをかました。

弾かれた水が僕とヘラちゃんの顔面に直撃する。

 

「うへぇー……」

 

僕が辟易と呻いている横で、ヘラちゃんは

 

「ぷっ……ふふふ」

 

失笑していた。

 

「うん! ああいう人と旅すると楽しいのだね、めちゃくちゃで!」

「楽しいのは間違いないね。楽し過ぎるきらいがあるけど」

「それはそれ。リュータロー、宝箱を取ってきて欲しいのだよ!」

「グゥ!」

 

リュータローが潜り始めると同時に、僕は背中の羽でホバリングしようとした、その時。

 

「えいっ!」

「へへへヘラちゃん!? なんでしがみつくのさ!?」

「えへへぇ」

 

ヘラちゃんは照れ臭そうにはにかむばかりで、理由を説明するつもりは無いらしい。というか、理由とか無いのかもしれない。

行動原理が野生だもんなあ……。

女の子を足にしがみ付かせてぶら下げておくのも忍びない。仕方ないのでヘラちゃんの腰と脚に手を回して抱き上げた。お姫様抱っこだ。

 

「んにゃ!?」

「ほーら、暴れない暴れない」

 

身体をびくりと跳ねさせたヘラちゃんを、赤ちゃん言葉で優しくなだめた。いや、むしろペットの方が近いかも?

 

「にゃう……」

「どうしたの、ヘラちゃん? 抱っこされるの嫌だった?」

「そういうわけじゃないのだけど……その……」

「その?」

「くすぐったいのだよぅ……」

「ああ、ごめん。じゃあ体勢変えようか」

「肩車が良いのだよ!」

「いやいやいや! ヘラちゃん、ホットパンツ一枚しか装備してないよね!? いいの!?」

「?」

 

むしろ何がダメか分からない、みたいな顔している……。もし肩車をしてしまえば、生身の大腿筋(婉曲表現)に顔を挟まれる僕の身にもなって欲しい。

悶々とした妄想を打ち消している間にも、ヘラちゃんは腕の中で身をよじっている。

 

「んっ! ひゃっ!」

「へ、変な声出さないでよ!」

「だってこしょばいのだもん!」

「ていうか、自分で飛べば良いじゃないか!」

「そればヤダ!」

「なんでさ!?」

 

変に強情なんだから。

この駄々っ子をどう御するべきか思案する。

当然ながら肩車は却下だ。おんぶもダメ。僕の羽が邪魔になる。じゃあやっぱりお姫様抱っこで我慢してもらうしか……

 

「えいっ!」

「のわぁ!?」

「うむ。この体勢が1番良いのだね!」

 

真正面から首に手を回されて密着されている。つまりは抱きつかれている。

恥じらいとかないのか、この子!? ないんだろうなぁ……。

ヘラちゃんって、天然というより中身が幼いのでは? あ、そうか。アバターが10代中頃なだけで、プレイヤーは小さい女の子かもしれないんだ。

だとしたら今の状況って相当まずいな……。半裸の幼女と抱き合っているんだもんな……。いや考えるな。それ以上はいけない。

色んな意味でバクバクしてきた心臓を無視して、強引に話題を転換する。

 

「そういえば、なんでリュータローに取りに行かせたの?」

「んにゃ? そりゃだって宝箱は欲しいでしょ? ついでにあの2人も諦めがつくでしょ? うむ。完璧な作戦なのだね!」

「ああ……うん」

 

屈託無い笑顔で言われてしまえば、首を縦に振らざるを得ない。

そこで『2人を連れ戻して』ではなく『宝箱を取ってきて』を選ぶあたりがヘラちゃんらしい。

しかしまあ、抱擁しあっているせいで、耳のすぐ横から声が聞こえてきてくすぐったい。はちみつレモンみたいなフレッシュな甘さのヘラちゃんの声は、ダイレクトに脳みそを溶かしてくる。さらには粉砂糖みたいな白さを持ったヘラちゃんの短髪が、海風に吹かれる度に僕の首筋をくすぐってくるのだから、甘過ぎてどうにかなってしまいそうだ。

 

「どうしたの、ライトくん? 顔が真っ赤なのだよ?」

「い、いやいやいやなんでもないよ!?」

 

心底を不思議そうにヘラちゃんは尋ねてくる。この子は自分の容姿と行動を自覚しているのだろうか?

アバターだから顔立ちが整っているのは分かるが、ヘラちゃんのそれは毛色が違うのだ。妖精の世界という見聞に違わず、女性型アバター達はどれも完成された美しさだった。だがヘラちゃんは、美しいというより可愛い全振りだ。容姿はもとより、言動全てに星マークが飛んでいそうな感じというか。意味もなくクルクル回ったり猫語を喋ったり、もはや可愛い通り越してあざとい(褒め言葉)。

ヘラちゃん並みの美少女に抱きしめられれば誰だって上気する。だからこれは不可抗力である。ゆえに優子に背く行いではない。Q.E.D.

なんて論理的な帰結なんだ……! 自分の頭脳が怖い……。

 

「今度はなんかニヤニヤしだしたし……ライトくんの考えてることがよくわかんないのだよ」

「いやあヘラちゃん可愛いなって」

 

バカか?

我ながら正直すぎるぞ?

 

「んにゃ? ありがとうなのだよ!」

 

普通に感謝されてしまった。きっとヘラちゃんにとっては褒め言葉以上でも以下でもないのだろう。

なんだかいたたまれなくなって、景色へと目線を泳がせる。すると、海中で浮上する濃い影を目視した。

水柱が上がる。飛沫の霧中から現れたのは、堅牢な赤鱗を日に照らされた飛竜の姿だ。

巨体に比して小さな鉤爪で宝箱を抱え、両足でそれぞれケビンとサマンサを持ち、ついでとばかりにまだ生きの良い魚を咥えている。

リュータローは首をふるって魚を上に放り投げると、一息のうちに丸呑みにした。ボリボリと咀嚼すると同時に、細長い尻尾で音楽妖精達をグルリと掴む。先ほどの魚と同じ要領で2人は宙に放られ、リュータローの背中に崩れるように墜落した。

 

「ぐぇ」

「ぷぎゅ」

 

謎の効果音を発しながら頭から着地した音楽妖精達に、僕とヘラちゃんも飛びよる。

リュータローの背中に着いた、にもかかわらず腕を解こうとしないヘラちゃんを一旦放置して、ケビンとサマンサに目を向けた。

 

「あの、2人とも……」

「勘違いしてくれるなよ、ライト! こいつはオレの作戦なのさ!」

「は、はぁ……」

 

顔面と膝をついて、お尻を突き上げている人に言われても説得力がない。

 

「オレ達が率先することでリュータローを焚きつけ、効率良くお宝を奪取する。どうやら作戦は上手くいったみたいだな!」

 

リュータローに命令したのはヘラちゃんだけどね。

 

「やっぱりケビンは頭いいね!」

「だろぉ? オレにかかればこの程度、夕飯前ってもんよ!」

「それって結構難易度高いってことでは?」

 

ヨガでいうところのうさぎのポーズみたいになっていたケビンとサマンサは、完全に同調した動作で飛び起きた。2人とも仁王立ちになると、僕とヘラちゃんを見てニンマリ笑う。

 

「しっかしヘラちゃんがパートナーをつくるとはな! しかもそれがライトだとは!」

「意外だね!」

「きみたち誰なのだよ?」

 

出た! ヘラちゃんの必殺技、スーパー文脈無視だ!

笑顔のまま凍りつくバカップル。いいぞ、もっとやれ。

 

「おいおいおい! オレ達との大冒険を忘れちまったのかよ!?」

「2日も寝食をともにしたのに!?」

 

少なくとも『大』冒険ではないな。

ケビンとサマンサは、この世の終わりみたいに目を見開いてヘラちゃんに問いただす。表情豊かだなあ。

対するヘラちゃんが見せたのは困惑と逡巡だった。ちょっと意外だ。ヘラちゃんは忘れていても笑い飛ばすタイプだと思っていた。

思索の後にヘラちゃんは目を伏せた。アルビノ特有の紅玉の瞳に浮かんだのは、ヘラちゃんと出会って初めて見た憂いだった。

 

「ごめんね、覚えてないのだよ」

 

僕への抱擁を紐解きながら、そう言ったヘラちゃんの声は震えている。無理がありありと見える作り物の笑顔。

かける言葉さえ虚ろになるんじゃないかと怖くなって、喉を震わせることもできやしない。

訪れた静寂は、しかし一瞬後に崩れ去った。

 

「グルゥ!」

 

一鳴きしてからリュータローは空を打つ。

まるで会話を無理に打ち切ったみたいだ。まさか、リュータローがヘラちゃんを気遣って?

薄膜のような翼を羽ばたかせる毎に、忠僕な赤竜はぐんぐんと高度を上げて行く。海が遠ざかり、潮風の匂いも鼻腔を去った。

ヘラちゃんを見ると、滲んでいた寂寥は陽だまりに溶けるように消えていた。

雲間から差し込む光を頼りに、向かい風に抗いながら大陸へと飛んで行く。いくら薫風にそよがれようと、垣間見たヘラちゃんの心は、僕の脳裏に焼き付いて離れなかった。




ヨツンヘイムを脱出してから海の上にいるだけで1話使う体たらくよ……
つぎもたぶん、あんまり進展しない展開なので、出来るだけ早期投稿を心がけたい所存です!!


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第九話「紅のモラトリアム」

2月も最終日。本当にALOは3月中に終わるのか!!
僕次第ですね、すみません。がんばります


潮風を切って進む飛竜の上で、僕らは宝箱を睨んでいた。

 

「開かねえなあ……」

「開かないねぇ……」

 

プーカのカップルが、難攻不落の宝箱を前に、腕を組んで首を捻った。それもそのはず。

 

「これ、プレイヤーメイドの宝箱だよ」

 

SAO時代の通称はワナ箱。

自分の荷物をアイテムフォルダでなく、物理的に保存したいとき、このワナ箱が役に立つ。

なぜワナ箱などと呼ばれているかと言えば、通常の宝箱によく似ている上、ダンジョンにも設置が可能だからだ。かくいう僕もまんまと釣られて、迷宮区で迷ったことがある。

印象悪くお目にかかることも少なかったが、僕の記憶が正しければ、眼前のこれは相違無い。

となると、箱の底面に設置したプレイヤーの名前が彫られているはずだ。

確認するために簡素な宝箱を傾ける。そこには『Heracles』と流れるような字体で書かれていた。

これなんて読むんだろ? ハーシレス?

難読英語に苦戦していると、唐突にに宝箱が蹴り飛ばされた。1メートル小の直方体が、美しい放物線を描いて海面に吸い込まれる。

凶行に及んだ下手人へと首を回した。

 

「なにすんだよ、ケビン!」

「いや、持ち主がいるんなら、元の場所に返した方がいいだろ?」

「……確かに」

 

あれ? 今、ケビンに論破された?

嘘でしょ……この中じゃ僕が一番の常識人だと思ってたのに。

やるせなさを飲み込んで、すんでに迫った大陸を見渡した。

ヨツンヘイムの出口は、ケットシー領の近海だった。

数分のフライトを経て、フリーリア近くの森に着陸した頃には、太陽は西へと傾き始めていた。

ケビンとサマンサは一度プーカ領に戻ることになり、それならばとヘラちゃんはリュータローの貸し出しを申し出た。

すでに音楽妖精カップルは飛竜の背に乗り込んだ。あとは出発するだけだ。

 

「リュータロー。2人をよろしくね!」

「グゥ!」

 

ヘラちゃんに元気良く返答したリュータローが、意気軒昂と翼を広げた。今にも飛び立ちそうな躍動感に満ちたそれを、ケビンが手を大仰に振って静止する。

 

「ちょ、ちょっと待った! オレ達にも挨拶させてくれ!」

「ゥ……」

 

勢いを削がれて不機嫌そうに、リュータローは両翼を畳む。かすかに喉を唸らせる音が聞こえた。

ほっと息をついたケビンは、僕の目を見て屈託無い笑顔を見せた。

 

「ライト! 明日の攻略、オレ達も一枚噛ませてもらうぜ!」

「え? いいの?」

「いいもなにも、グランドクエスト攻略なんて楽しそうなこと見逃してたら、このゲームやってる意味ねえよ! なあ、サマンサ!」

「そうなの? 私はケビンといるだけで楽しいよ?」

「やっぱお前最高だぜ、サマンサ!」

「ケビン!」

 

一生離れないんじゃないかと錯覚する強さで、ひしと抱き合う2人。

ありがとうと早く帰れが僕の中でせめぎ合うが、ここは大人な対応を心がけるとしよう。

 

「ぶっとばすぞ」

 

おっと口が滑った。

 

「嫉妬かよ? 男の嫉妬は見苦し────」

「リュータロー、早くこの2人を連れてって」

「グルゥ!」

 

僕のお願いにすぐさま反応して、リュータローは剛健な大翼を再展開してくれた。やっぱりいい子だ。

 

「あ、ライトお前このヤローー!」

「じゃあまた明日ねーー!」

 

それぞれの挨拶が残響のように離れて行く。空高くへと遠ざかり、すぐに豆粒のようになってしまった2人に、両手を大きく振った。心中が清々、という感情で満たされたせいか、ほおが否が応でも綻んでしまう。やはりカップルは根絶やしにすべきでは? 僕が言えた義理じゃないな……。

自らも既に可愛い彼女がいるのだから、他人の恋慕くらいは流さねばならないと分かってはいるものの、これがなかなか難しい。優子に会えないフラストレーションもあるのだろう。

心胆の煮え湯を冷ましたのは、小さなジャンプで僕に近づいてきたヘラちゃんだった。

 

「ライトくん、これからどうするのだよ?」

「そうだね……いったん『外』に出て、2時間くらいしたら戻ってこようかな。じゃあケットシー領に入るね。ヘラちゃんはどうする?」

「ワタシはまだいいのだよ。ライトくんだけ行ってて」

「オッケー……あのさ、ヘラちゃん」

「なに?」

「もう一回、僕に修行つけてもらえるかな?」

 

正直、今の僕でグランドクエストとやらに通用するとは思えない。だけど、付け焼き刃でもやらないよりはマシだろう。残された時間は少ないが、ちょっとでも可能性を上げておきたいのだ。空中格闘や、魔法の併用。やれることはごまんとある。

僕のお願いを聞くやいなや、ヘラちゃんの表情がパッと明るくなった。まん丸で鮮明な朱色の瞳が、まばゆいばかりに輝いた。

 

「うん! いいのだよ! 一緒にがんばろ!」

 

僕の右手をヘラちゃんは両手で包み込んで、ブンブンと振り回した。感情を抑えきれないのか、ピョンピョンと小さく跳ねている。

この子ほんとあざといな。

ここまで好意を露わにされれば、こちらの方が照れてしまう。顔が熱くなるのを自覚して、少し強引に絹のような白い手を解いてしまった。

 

「じゃ、じゃあ僕はログアウトするね!」

 

不満げにほおを膨らませるヘラちゃんを意識して視界に入れず、ケットシー領・フリーリアへと足を向ける。

 

「もうちょっと優しくしてくれてもいいのに……」

 

ほおを膨らましたヘラちゃんの呟きが後ろ髪を引く。

いやだってこう、ね? 優子に申し訳ないやらなんやらで、素直に反応し難いのだ。

ヘラちゃんくらいの可愛い女の子に真正面から気持ちをぶつけられて、嬉しくない男なんているはずない。ので、こう……内心を汲み取って欲しいというか……贅沢だな、僕。

うん。このまま別れるのはダメだろ!

背を向けていたヘラちゃんに向き直り、手を合わせて平謝りする。

 

「ごめん、ヘラちゃん! ヘラちゃんと一緒にいるの、楽しいし大好きだよ!」

「んにゃ!?」

 

素っ頓狂な猫語で叫ぶヘラちゃん。あまりにも素直で分かりやすい。

女の子はミステリーだと思ってたけど、固定観念はヘラちゃんで覆されてしまった。

自然に口元が緩む。スパイスのようないたずら心を織り交ぜて、今度は僕から手を取って引っ張った。

 

「一緒にフリーリアへ行こ?」

「そ、それはダメなのだよ!」

「え、なんで?」

「えっと……それは……」

 

キョロキョロと何も無いところをヘラちゃんは見回す。まるで物理的に言い訳を探してるみたいだ。

やがて目を泳がせることもやめて、困ったように白毛の猫耳を触り出した。

 

「どうしたの?」

「ワ、ワタシ、森で狩りしとくのだよ!」

 

僕の手を抜けた白猫の少女は、ヒョウもかくやの俊敏さで樹海の闇へと消えて行った。

 

「どうしたんだろ……」

 

やっぱり女の子はミステリーだ。

 

 

生理現象もろもろを済ませ、キリトと電話してからログインし直した。経過時間はきっかり1時間50分。遅刻はしないタチなのだ。

妖精郷には夜の帳が下りようとしていた。海にも似た黒を見せる東とは対照的に、西の空は鮮烈な紅に染められたビロードのようだ。だがモラトリアムもじき終わる。明るいうちにヘラちゃんを探さねば。

奔放な彼女のことだ。きっとまだ森にいるのだろう。一人で剣を振るう彼女を思い、心に背中を押されて、少し駆け足になる。暮れなずむ夕焼けを背景に、世界の中心、世界樹の方へと足を回した。

森の中は既に暗闇に満たされていた。索敵スキルを活用しても、5メートル先の木を見るのがやっとだ。

暗中に溶けた視覚より、頼りになったのは聴覚だった。聞き耳スキルが拾ったのは、パチリパチリと何かが爆ぜる音。SAO時代に何度も聞いたことがある。この音はきっと焚き火だ。

かすかな音を頼りに左へ舵をきる。すぐに茫洋とした光が見て取れた。押しつぶしてくる闇に必死に抗う、頼りのない明るさだった。

木立の隙間を縫って、火元との距離を縮める。

ようやくかがり火の近辺が目視できる位置につけたとき、

 

「うっ……ぐぅ……」

 

胸を押さえてうずくまるヘラちゃんの姿があった。汗が純白の首筋を伝っている。胸を削ぐかのように手が握りしめられていた。

雪のようなほおに涙が二筋、渾々と流れていた。

 

「ヘラちゃん!? どうしたの!?」

「……んにゃ? 良かったぁ。ライトくんだ」

 

泣き笑いが痛ましかった。僕に心配をかけぬようにとつくられた、薄い仮面みたいな微笑みだ。

しゃがみこんでヘラちゃんの背中に手を当てる。蠕動が手の平越しに伝わってくる。

 

「胸が痛いの?」

「ううん……痛くなんかないのだよ」

 

潤んだ目を見れば、強がりだってことは簡単にわかった。

 

「ログアウトしてお医者さんいこ? 『身体』は見ててあげるから」

「大丈夫。ライトくんが来てくれて、ちょっと落ち着いたのだよ」

 

すくりと上体を起こして、ヘラちゃんはほのかに笑う。その笑顔は半分が光に照らされ、もう半分が真っ暗な影になっていた。

さっきまで胸を押さえていた右手は、いまだ小刻みに震えている。見ていられなくて、手を強引に掴み取った。

 

「大丈夫なわけあるかよ! こんなに震えてるのにさ」

 

沸騰した気持ちを抑えきれず、強い語調が漏れてしまう。

豹変に意表を突かれたのか、ヘラちゃんはきょとんとした目で僕を見る。後悔と罪悪感が、泡のように浮き上がる。

胸中の淀んだ水泡をわったのは、他でもないヘラちゃんだった。

 

「ありがとう」

 

笑顔だった。

痛烈なカウンターを顔面に決められたみたいだ。

言葉を続けられなかった。口が脳の命令を聞かない。

くそ。なんだって、こんなときに。

────彼女の笑顔が、綺麗だ、なんて思ってしまうんだ。

はやく説得して、現実に返さなきゃいけないのに。僕の青い心が、遠ざかることを拒むんだ。

笑顔ひとつで打ちのめされた。もうそれ以上何もする気が起きなくて、ヘラちゃんの横に座り込んだ。

たき火が踊る。火が強弱を変えるせいか、照らされるヘラちゃんの表情が移ろっているようにも見えた。

幼子のようなヘラちゃんの手を、潰れてしまいそうなほど強く握っていたことに気づき、力を緩めようとした。が、彼女の左手が僕の手を包み込み、もう一度握らせた。

 

「ダメ。もうちょっと」

 

有無を言わさぬ言葉さえ、今ばかりはたおやかだった。

 

「わかったよ。好きなだけどうぞ」

 

僕はどうかしてるんだと思う。

そうでもなくちゃ、こんな言葉は出てこない。

ヘラちゃんが心配という気持ちが、鎖でがんじがらめにされたみたいだ。

並んで座る僕らに、凍える夜風が吹き付ける。たき火が波打ち、千々とかき消えた。

何も見えない。音もしない。無にも等しい世界の中で、月明かりさえも雲に消えた。

 

「世界が、ワタシとライトくんだけになっちゃったみたいだね」

「うん。さみしいね」

「ううん。それだけあればじゅうぶんだよ。だって、ワタシには……」

 

語尾は続かなかった。

頭に、生温い水滴が落ちてきた。月を隠すに飽き足らず、黒雲が嫌がらせまでしてきたみたいだ。

雨足は徐々に激しさを増していき、傘を差したくなるくらいになった。

 

「ねえ、ライトくん」

「どうしたの?」

「人を好きになるのって、どんなとき?」

 

ザザ鳴りの雨に消されてしまいそうな声量だ。

フォルダから皮のポンチョ取り出して、ずぶ濡れのヘラちゃんにかけた。ヘラちゃんはポンチョを抱き締めるように掴んだ。

人を好きになるとき、か。思えば、きっかけなんて考えたことが無かった。

優子の笑顔が真っ先に浮かぶ。はて、僕が優子を好きになったきっかけってなんだっけ。

いや、きっかけなんてない。いつのまにか好きだった、っていうのが正直な答えだ。恋は落ちるものだろう。そこにわざわざこじつけをしてしまえば、それこそ嘘っぽくなる。

だなんて、逃げだろうか?

でも僕にはこれ以上の答えがない。

 

「好きだから好き、でいいんじゃないかな?」

「んにゃ? よくわかんないのだよ」

「だね。僕もよくわかんない」

「ふふ……なにそれ」

 

宵闇が目隠しをするせいで、ヘラちゃんがどんな顔で微笑んでいるのか分からない。雨で湿った泥のような暗闇が、僕らの間に流れ込み続ける。

その泥を、掻き分けたかったのかもしれない。

 

「ね、ヘラちゃん。今度は僕から質問していい?」

「いいよ。なに?」

「今日の昼にさ、ケビンとサマンサを忘れたって言ってたとき、ヘラちゃんがすごく悲しそうに見えたんだ。それが、なんて言うか……」

「意外だった?」

「うん……」

「そっか……ダメダメなのだね、ワタシは……」

「ダメって、なにが?」

 

答えは無かった。

言いたくないのか、思いつかないのか。正直、どうでも良かった。ただ、ヘラちゃんの胸には、わだかまりが燻っているのだという事実が、知れただけで充分だ。

助けてあげたい、という気持ちと、踏み込み過ぎだ、という気持ちが相克する。

だって、僕らはまだ出会って3日と経っていないんだ。余計なお世話にもほどがある。

そんな卑屈じみた考えを巡らしたとき、脳の奥で何かが焼け付く音がした。まるで、燃え上がることを忘れた火種のような音。

連動するようにフラッシュバックしたのは、アレックスの笑顔だった。

僕はアレックスと、以前こんな会話をした?

そんな気がする。気がするのに、思い出せない。

アレックスはメイサーの女の子で、天真爛漫で、煩悶とする可愛さで。

────あれ?

2年間ずっと一緒にいたのに、彼女のパーソナリティーがそこまでしか思い出せなかった。

なんでだ!? 僕は彼女と何をした!? 同じギルドだったんだぞ!? どうして思い出の一つや二つも思い出せない!?

記憶を探れば探るほど、頭が割れるような痛みを訴える。ここはゲームだぞ? なんで痛いんだ?

なんで、思い出せないんだ?

もっと色んなことを喋ったはずだ。なのに、想いだけが残って、記憶は一向に出てこない。

 

「ライトくん!? ひどい顔なのだよ!?」

「ブサイクって意味?」

「それもあるけど、なんか今にも吐きそうなのだよ!?」

 

それもあるけど

それもあるけど

それもあるけど(エコー風味)

心が……欠けそうになる……。

冗談で自虐ネタをしてはいけない。

 

「あ、良かった! 普通に悲しそうな顔に戻った」

「それは果たして良いことなのだろうか?」

 

ともかく、ヘラちゃんの言葉で頭痛は引いた。心痛と引き換えに、ではあるが。

 

「それで、さっきはどうしたの?」

「ん……えっとね、ちょっとおかしな事なんだけど」

「うん」

「思い出せないことがあるんだ。ある女の子と長い間一緒にいたはずなのに、その子のことが全く思い出せないんだ。その子の記憶だけが霧にかかったみたいで……」

 

ヘラちゃんはハッと息を呑んだ。

夜目にはぼんやりとしか見えないけれど、ヘラちゃんが見せたのが、激しい動揺であることだけは分かった。

白い肌が、凍死体を思わせる青に変わっていく。あまりに分かりやすいヘラちゃんの変化は、僕を焦らせるのに充分だった。

ヘラちゃんのほほに手を伸ばす。手の平に伝わってきたのは、色と裏腹の熱だった。

 

「どう、したの? ライトくん」

 

短い会話すらたどたどしい。

 

「ヘラちゃんの方こそ、いきなりどうしたんだよ?」

 

問いかけには応じなかった。

思えば僕は、ヘラちゃんのことを何も知らないのかもしれない。

彼女がどんな考えで、どんな人生を送ってきたのか。今まで僕に見せてきた表情が、本当に彼女なのか。

ヘラちゃんの心に傷がついた理由も、その深さも分からなくて、だからこそ焼け石に水でも、癒してあげたかった。

この子は僕が思っているよりずっと脆い。最高のプレイヤー、なんて鎧で覆い隠されて、その実、中身(こころ)は吹きっさらしの赤ん坊みたいだ。

だからなのだろう。僕の方がずっと弱いのに、守ってあげたいと思ってしまうのは。

抱き寄せようと腕を伸ばして、触れる前に思いとどまった。これじゃただの浮気男だ。

それでも何かしてあげたいと思って、ヘラちゃんの白百合のような手に、そっと指をからめた。

 

「握手、なのだね」

 

握手? これは握手なのだろうか?

手を繋いでいる、と言った方が正しいような。

訂正しようと思ったが、握られた手を見るヘラちゃんが、あまりに愛おしそうに慈しむものだから、

 

「うん。じゃあそういうことで」

 

否定なんて、できるはずもなかった。

 

「ね、ライトくん。その子のこと、好きだった?」

「好きかどうかはもう分かんないや。それすら思い出せなくて……。けど、大切な人だったと思う」

 

大切だと、想う気持ちだけが残っている。

 

「じゃあ、辛くないの?」

「辛いに決まってるよ。でも、なんて言うかな……。頑張ろうって思えるんだ」

「頑張る? なにを?」

「何かは分かんないけど、いや、なんでも頑張るのさ! 頑張ってたら、別れた人ともいつか会える気がするし、そう思った方が救われるでしょ?」

 

我ながら暴論だ。だけど、わりと当たってるようにも思えるのは、僕がバカだからだろうか?

 

「す、すごい楽観なのだね……。そんな風に生きられるのって、羨ましいのだよ」

「羨ましいなんてそんな。簡単だよ? 難しく考えないだけ。楽しく生きようとしてたら、人生なんて楽しくなるんだし」

「そうなの、かな? ワタシにはよくわかんないや」

 

ヘラちゃんは閉口してしまった。

沈黙。BGMは、僅かばかりに勢いを弱めた雨音だ。

森閑とした空気には気まずさが無く、むしろ握られた手の温もりが浮き立って、心地よいくらいだ。

ヘラちゃんが急に顔を上げて、僕の目を見つめた。

 

「たとえば、だよ? その人ともう会えないとしたら、ライト君は……どうするの?」

 

声音は強張っていた。

言い切ってから、白猫の少女は、下唇を千切れるくらいに噛んだ。紅の瞳だけは、逸らすことなく僕を見ていた。

 

「うん……そうだね。きっと最初は悲しむし、戸惑うよ。けど、そのあといつかは、めいいっぱい楽しむようになる」

「悲しくなくなるの?」

「そうじゃないよ。悲しむのも楽しむのも僕なんだ」

「悲しいのに楽しめるの?」

「悲しいから楽しんじゃいけないわけじゃない。ひとつの気持ちに囚われなきゃいけないなんて、僕は奴隷じゃないんだし。全部ひっくるめて僕なんだから。だから、悲しいままに楽しめば良いんじゃない?」

「そっか……」

 

ヘラちゃんから漏れ出た音は、細く消え入った。

僕は答えを間違ったろうか? ヘラちゃんの胸には届かなかったみたいだ。

白猫の少女は、気さくなのに凛と美しく、どこか近寄り難くって。いつか、目の前からふっと消えちゃいそうな儚さがして。

『握手』を強める。せめて、今夜だけは離れないようにと願いをこめて。




準備完了!!
次回、決戦開始です!


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第十話「世界樹」

ななななんと!! 通算100話めです!!
ずいぶんと遠いところまで来てしまいました。
いろいろあったなぁ、などと小説情報をみていると、お気に入り登録が1000名様を突破している!!?
連載開始当初は、4年連載し続けるとも、1000名もの方に見て頂けるとも思っていませんでした。感無量です!
皆様からの感想等、反応があってこそのモチベーションでした。今後も応援よろしくお願いします!!


寝落ちして、現実の硬いベッドで目を覚ました。朝食を済ませてログインし直す。電子の海を越えた先に、夜明け前の妖精郷があった。

朝焼けが森の闇を払っていく。

実体化していく身体に、羽毛のような、のしかかる感覚があった。ヘラちゃんが僕の膝を枕にして寝ていた。

穏やかな寝顔はなんとも愛らしい。

ショートパンツとチューブトップだけしか装備していない現状は、いささか不安に感じるが。

 

「こんな薄着で寝てたら風邪ひいちゃうよ……って、ゲームで風邪引かないか」

 

ヘラちゃんの服(布?)は上下統一された柄だ。白色ベースの布地に、極彩色のエスニックな紋様か意匠されている。ヘラちゃんの雪のように白い肌と溶け合って、肌と服の境目は一目では分からない。

ふと、今の自分は、ヘラちゃんの胸を凝視しているという状況に他ならないと気がついた。慌てて目をそらす。

寝ている女の子に出歯亀紛いのことをしている罪悪感が生まれる。穏やかな寝息をたてる無垢な横顔が、一層の後ろめたさと庇護欲を煽った。

飼い主に身を寄せて眠る、ペットみたいな感覚だ。そう思うと自然に、純白のレースを思わせる髪に手を伸ばしてしまう。頭頂から生えた大きな猫耳に触れると、想像以上の多幸感が訪れた。

これは……尋常じゃないもふもふだ!

すごい。ずっと撫でていられる。この質感を再現した技術者に敬意と変態の称号を差し上げたい。

髪にも指を通してみると、またも衝撃が僕を走る。手くしをしている手の方が気持ちいいとさえ思える髪質だった。

理想郷はここにあったのか……。

永遠にモフり続けられるとさえ錯覚したそれは、

 

「ライトくん? 何してるのだよ?」

 

ヘラちゃんの目覚めで幕を下ろした。

 

「お、おはよう」

「おはよ。それで? ワタシの耳と髪の感想は?」

「とても心地よいですね」

「うむ。存分に楽しむとよいのだよ」

 

ゆ、許された……。

あだっぽい微笑みで、ヘラちゃんは猫耳をピコピコと動かす。まるで誘っているかのよう。

だったら乗ってやろう。頭も耳も思う存分撫で回す。

もふもふもふもふ。

 

「あはは! くすぐったいのだよ!」

「存分に、って言ったのはヘラちゃんでしょ?」

「にゃ! 調子乗ってるのだね! 早くやめないと仕返しするのだよ!」

「できるもんならどーぞ」

 

速度と反射神経には自信がある。ましてや頭への攻撃だ。SAOならクリティカルになるからこそ、2年間必死に頭部を守ってきた。

ヘラちゃんの耳を触りながらほくそ笑む。さあ、どっからでもかかって……

 

「ふあぁ!?」

「あははは! 可愛い声!」

「し、尻尾! なんか変な感じが、こしょば、ひへっ!?」

「そうでしょそうでしょ! ケットシーは尻尾が弱点なのだよ!」

 

白猫少女の色素の薄い口元が、にんまりとつり上がって牙を見せる。

尻尾を触られると、身体の芯からいじられているような言い知れないゾワゾワ感が絶え間なく襲ってきた。

反撃を試みてヘラちゃんの尻尾に手を伸ばした。羽衣のような白猫の尻尾は、遊泳するように僕の手をすり抜けてしまう。猫妖精力の差は歴然だ。

 

「はい。これでおしまいにしといてあげるのだよ」

「ふへぇ……」

「ほら、切り替えて支度しよ!」

 

へたりこむ僕をよそ目に、ヘラちゃんは立ち上がって翻った。

ふふふ……。僕に背を向けたうぬが不覚よ……。くらえヘラちゃん! 君の尻尾に仕返しだ!

 

「もう。ライトくん分かり易すぎなのだよ」

 

な……消え……

 

「むぎゅ!」

 

ヘラちゃんは見事なバク転で、倒れ臥す僕の背中に着地した。若干ダメージ。

 

「悔しかったら、人間相手の立ち回りを鍛えるのだよ。ライトくん、モンスターとばっかり戦ってたでしょ。出された状況に対して、対処がワンパターン過ぎなのだね」

 

背中の上からヘラちゃんの説教が飛んでくる。助言の内容はあまりに的確だ。ALOの基本はPvP。マニュアル対処では勝ちぬけない。

だがしかし、僕だって伊達に2年間戦い続けていない。ほんのり過剰な自意識が、プライドによる反抗心を沸き立たせた。

こうなったら是が非でも勝ちたくなるのが男の子だ。

ちょっとズルいけど……

 

「ふぇ!?」

 

急に消えた足場に、ヘラちゃんは小さく悲鳴をもらす。

なぜ一瞬にして移動できたのか。決まっている。神耀だ。

瞬間移動でヘラちゃんの後ろをとった。この勝負、僕の勝ちだ!

尻尾を掴むその寸前、ヘラちゃんは何かを探すそぶりを見せた。気になるが、今は尻尾が先決だ。

ヘラちゃん、討ち取ったり!

 

「ふにゃあん!?」

「ふっふっふ……これは僕の完全勝利と言わざるを得ないね」

「にゃうぅ……ライトくんのいじわるぅ……」

 

ヘラちゃんは身をよじりながら、涙を浮かべて訴えるように僕をみる。

あれ? なんかすっごく悪いことしている気がしてきたぞ?

よく考えろ。ちょっといたずらされたくらいで、女の子を泣かせるほどやり返すとか、普通にどうかしている。

 

「ごめんヘラちゃん!」

 

謝りながら手を離したその瞬間だった。

 

「獲物を捕らえたら、殺すまで離しちゃダメなのだよ」

 

殺意に身の毛がよだつ。僕には反応の暇さえなかった。

首筋と尻尾に手をあてがわれるまでの動作は人間の埒外だ。

勢いで仰け反った僕の死角を這う敏捷さに慄然とする他ない。

対人戦をナメていた。Mob戦の延長線上にはない、苛烈極まる駆け引き模様。心技体すべてがクリティカルに戦局を動かす感覚は、なるほどクセになる。

 

「せっかくのチャンスだったのに、もったいないのだね。詰めが甘いってよく言われない?」

「……言われる。どっちかというと底が浅い、かな? もしかして、さっき僕に尻尾を掴まれたのもわざとだったり?」

「ううん。さすがに瞬間移動は読めなかったのだね。あれって前のゲームでの技なのかな? ALOでは、えーっと、うん。たぶん見たことないのだよ」

 

語末に近づくにつれ、声量は小さくなっていった。

記憶に自信がないのだろうか? そういえばケビンとサマンサのことも忘れていたっけ。

 

「うん。その通りだよ。SAOからいくつかスキルを引き継げてて、そのうちの1つが今の『神耀』。10メートルまでの瞬間移動」

 

心意技であることは伏せておく。無駄に混乱させる必要はない。

 

「へえ! てことはさ、SAOではスキルで超能力みたいなのが使えたってこと!? すごい! ワタシもやってみたかったのだよ!」

「うーん……それはどうだろ」

 

神耀に関しては僕だけの特例だった。SAOのシステムはALOと大差無い。

しかし、SAOに拘らずとも、異能系のアクションVRは探せば出てくるだろう。

 

「じゃあさ、そんなゲームが出たら一緒にプレイしようよ!」

 

ヘラちゃんのノリの良さを信じた誘い。

横髪をいじりながら、ヘラちゃんは曖昧に笑った。

 

「それは遠慮しとくのだよ」

「どうして?」

「ほら、ワタシALOで手がいっぱいだから」

 

ヘラちゃんの目線は、空を彷徨っていた。

トッププレイヤーと呼ばれるからには、生活のほとんどをALOに傾けているんだろうし、そりゃ手一杯にもなるよね。

実際、僕がログインしているときはほぼ必ずヘラちゃんもログインしている。いったいどれほどのイン率なのかは想像もつかない。

ヘラちゃんについて巡らしていた僕の思考を打ち切ったのは、聞き耳スキルが拾った、草むらをかき分ける背後の音だった。

 

「ヘラちゃん、モンスター来るよ。構えて」

「オッケー。ところでさ、剣一本貸して欲しいのだよ」

「!?」

 

確かに、ヘラちゃんの腰にいつも携えられていた短剣が消えている。

 

「どこやったのさ?」

「適当に使ってたら耐久尽きちゃったのだよ」

「ええ……?」

 

適当すぎる……。ヘラちゃん、手入れとかしなさそうだもんなあ……。

だけどヘラちゃんに貸せる短剣があるものかどうか。一応、SAO時代のアイテムを引き継げてはいるのだが、その中身はほとんど使用不可になっている。数少ない使用可能なアイテムの中に、短剣がある確率はかなり薄い。

アイテム欄に目を通すが、残念ながら見当たらなかった。それどころか使える武器そのものがほとんど無い。僕が徒手空拳の信徒なのだから当たり前だけど。

どうにか見繕ってヘラちゃんに手渡す。

 

「はいこれ。短剣じゃないし、すごい弱いけど大丈夫?」

 

わたした片手剣の銘は『スモールソード』。その名に違わず、刀身は長めの短剣と言われれば信じてしまうほどに短い。

これは SAOの初期装備。僕が唯一使ったことのある武器だ。

受け取った白く細い指が、持ち手の皮と擦れてギュッと音が鳴る。

 

「充分!」

 

ヘラちゃんは口を釣り上げる。頼もしいことこの上ない。

見計らったようなタイミングでの背後からの急襲を、左右に散開して回避する。視認したMobの姿は、牛の頭骨を被ったゴブリンだった。

 

「僕がタゲとるから、ヘラちゃんは────」

 

ズバン。

牛頭の首が飛ぶ。

気づいたときには終わっていた。首筋への一撃必殺。最高速の剣舞は、雑魚ゴブリンに断末魔すら啼かせなかった。

 

「うっそぉ……それ初期武器だよ?」

「今湧いてきたのも最弱級モンスターだし、おあいこなのだね」

 

位置、速度、剣の傾き。どこを取っても超一流。最弱武器でさえ、ポテンシャルの何倍も引き出すのだから恐れ入る。

なんか、そんなことわざがあったような……

 

「ごぼう筆にならず!」

「当たり前なのだね」

 

正解はなんだっけ? まあいいか。

あれ? そういえば、僕らが寝ている間にモンスターは来なかったのだろうか?

無傷だから襲われてはいないのだろうけど……

 

「ね、ヘラちゃん。ヘラちゃんっていつまで起きてたの?」

「にゃ? 寝てないのだよ?」

「へ? でもさっきは普通に……」

「あれは目を閉じてただけ。半分寝てた、みたいな?」

「ネトゲ廃人かな?」

 

その通りだった。

 

「じゃあ、夜の間、ずっと迎撃してくれてたの?」

「えっへん! もっと褒めるとよいのだよ!」

 

ヘラちゃんは腰に手をあてて、得意げに鼻を鳴らした。その姿に、しっぽを振る子犬が連想された。

言われとおりに頭を撫でてやると、気持ちよさそうに目をほそめた。素直さが愛らしい。

 

「なんでそこまでALOやりこむようになったの?」

「だって、起きてなきゃ死んじゃうよ?」

 

確かにそうなんだけど……!

 

「いや、それ以前の問題っていうか……」

「そんなことよりさ! ライトくん、今から出発しないと集合時間に間に合わないのだよ!」

「うぇっ!? 世界樹までってそんなに遠いの!?」

 

上空から見ても、木が大き過ぎて距離感が掴めていなかった。どうやらアルヴヘイムは僕の想像より遥かに広大らしい。

 

「うん。普通の速度だともう遅刻だけど、ライトくんならギリギリかな?」

「それだとヘラちゃんが間に合わないんじゃ……」

 

瞬間速度は大差無いものの、トップスピードは僕の8割くらいだったはず。

だが、ヘラちゃんにも案があるらしく、笑顔でサムズアップをしてきた。

 

「だいじょーぶ! ワタシはリュータローと合流してから行くから! まあ、ちょっと遅れるかもだけど……」

 

ヘラちゃんは耳をへたれこませた。

ゲーマーの彼女としては、グランドクエスト攻略開始の瞬間に立ち会えないのが悔しいのだろう。

口を曲げている白猫少女に、いたずら心が呼び起こされる。

 

「もしかすると、ヘラちゃんが着くまえに全部片付いちゃうかもね」

「にゃ~……。まあそれは別に良いのだけど」

「良いの!?」

 

じゃあなにを残念がっていたんだ?

いやいや。雑談している場合じゃないよね。

 

「じゃあ僕はいくね! ヘラちゃん、また後で!」

「ちょっと待った!」

 

平手を突き出して、僕を止めたヘラちゃんは、蕾のように小さな口で指を咥えた。甲高い口笛が響く。

そういえば、ヘラちゃんの口笛を前も聞いたことがあるような。あれは確か……

 

「トリタローを呼ぶためだっけ?」

「そ! よく覚えてたのだね! ライトくん、トリタローに乗せてってもらうと良いのだよ!」

「ええ!? そんなわざわざ!」

「遠慮しなくて良いのだよ。だってライトくん迷いそうだし。ヨツンヘイムにまた落ちるかもだし。誰かが一緒にいないと不安なのだね」

「うぐ……」

 

反論できない……。

 

「その点、トリタローがついてるなら安心……って言ってる間にきたのだよ。おーい! トリタロー!」

「クェーッ!」

 

ダンプカーもかくやの怪鳥が、両翼を大きく広げながら差し迫ってくる。僕らの近くで急停止すると、引き連れられた風がビュウっと吹いた。

 

「ライトくんを世界樹まで連れて行ってあげて欲しいのだよ! いける?」

「クゥッ!」

 

身体のわりに小さな頭を、こくんと縦に振った。見た目とのギャップがあるせいか、素直な動作は少し可愛らしい。

 

「よろしくね、トリタロー」

「グェッ!」

 

本当にモンスターだよね? 人語を解しすぎている気がする。ゲームなのだし、そういうものだと割り切った方が良さそうだ。

トリタローは乗りやすくしゃがんで、僕に背中を差し出してくれた。ヘラちゃんのテイミングした子はみんな良い子だ。

ダチョウじみた背中を撫でてから飛び乗った。

 

「じゃあまたあとでね」

「うん。できるだけ早く行くのだよ!」

 

最後のあいさつを交わすのを待って、トリタローは急発進を開始した。

 

 

 

道中のモンスターは無視し、プレイヤーは説得し、僕らはなんとか約束の20分前に世界樹にたどり着いた。

深い森を抜けると、世界の中心だった。

遠くで見てもわかってはいたが、近づくと一層デカい。上部は雲を軽々と突き抜けている。幹の直径に至っては、100メートルはありそうだ。

樹皮に刻まれた荘厳な皺は、言外の圧力を醸し出す。モデリング班は変態だなあ、なんて益体もない思考が過る。

木の周りは不毛だった。まるで養分が全て巨木に横取りされたよう。

無数の歳月が凝り固まったが如き神樹の根元に、黒と緑の粒みたいな人影があった。

黒い方は男の子だった。なんの種族だろう? 浅黒い肌の、大剣を背にした少年剣士だ。

緑の女の子はたぶんシルフだ。種族選択の際、ケットシーかシルフで最後まで迷っていたから覚えている。

薄緑の髪と、普段は快活そうな顔立ちが魅力的な美少女だ。

普段は、と断ったのには理由がある。今、女の子の両目は、赤く泣き腫らしていた。

こんなところで痴話喧嘩か……。

ちょっと気が滅入りかけた僕に向かって、見ず知らずであるはずの少年剣士が手を振ってきた。

 

「おーい! おまえ、ライトか?」

「うぇっ!? なんで僕の名前を!?」

「やっぱりか。俺はキリトだよ」

 

ほう。

 

「ALOでも新たに手駒にしてるのか、この女誑しめ!」

「ななな何言ってんだ! 人聞きの悪い!」

「お兄ちゃん……?」

 

女の子の表情が笑顔で固まる。

良い笑顔だ。FFF団の素質がある。

っていうか、お兄ちゃん?

 

「キリトの妹さん?」

「ああ。義理の、なんだけどな」

 

なんだこいつ。ラノベ主人公か?

なにはともあれ、友人の妹に挨拶しておかねばなるまい。ついでに義理のお兄ちゃんに爆弾をプレセントしよう。

 

「僕はライト。よろしくね」

「私はリーファです。よろしくお願いします」

「しかしリーファちゃんも災難だったね」

「え? なにがですか?」

「キリトの妹になっちゃったことさ。SAOでのキリトは、それはもうナンパ師として名が通っていてね。出会う女の子をみんな攻略しちゃうもんだから、『黒の剣士(意味深)』なんて呼ばれていたくらいで……」

 

言いかけたところで、グリフォンに鷲掴みされたのかと思うほどの握力が、僕の右肩を襲った。犯人の黒の剣士(笑)は陶芸みたく固定された笑顔をみせる。やはり兄妹なだけある。

 

「よし、ライト。おまえ一回だまれ」

「お兄ちゃん? アスナさんの他にも……」

「違うぞスグ! これはライトの妄言で……」

「あ、ごめんごめん! キリトのたとえにナンパ師とか、過小評価にもほどがあったね!」

 

キリト本人にその気がなくとも落としてしまえるあたり、ナンパ師なんかよりよほどタチが悪い。ほんと羨ま妬ましい。

ついにキリトは笑顔を崩して普通に怒鳴った。

 

「よし、戦争だ。表出やがれ!」

「口で勝てないからって暴力かい? 野蛮だなぁ……」

「自分に似合わない台詞ナンバーワンを、よく恥ずかしげもなく吐けるな」

「なんだとこの野郎! 頭脳でも体術でも勝てないことを証明してやる!」

「上等だ! 存在しない脳みそごと捻りつぶす!」

「喧嘩はダメですよ、ふたりとも! 」

 

毅然と意を示したのは、僕の目鼻の先に突如として現れた、小さな小さな女の子だった。

 

「もしかして……ユイちゃん!?」

「はい! お久しぶりです、ライトさん!」

「こんなにちっちゃくなっちゃって……。パパにご飯食べさせてもらえなかったのかな?」

「飯抜くだけでそこまで縮むかバカ」

 

パパはキレキレだなあ。

女子小学生くらいだったユイちゃんの身長は、今やマグカップとどっこいだ。ピンクの花を模した服に半透明の煌めく翅。これではまるで……

 

「本物の妖精みたいだね」

「えへへ……照れちゃいますね」

「ここにユイちゃんがいるってことは、復元できたんだね。確かあのとき……」

 

あれ? 誰がユイちゃんをアイテム化して保存したんだっけ?

ユイちゃんと一緒に黒鉄宮へ、僕と、キリトと、アスナと……。

────頭が、痛い。

 

「ああ。俺がユイをアイテム化したんだったな」

「そう、だったよね」

 

だったっけ?

キリトは何ら疑問を感じていないらしい。本当に僕の記憶違いなのか。

吹き荒ぶ冷たい風が、記憶をこそげ取っていくみたいだ。

渦巻く思考は、耳元のささやきにせき止められた。

 

「ライトさん。少しお話しがあります」

「なにかな、ユイちゃん?」

「ライトさんは、アレックスさんを覚えてらっしゃいますか?」

 

その一言は、僕をAIの少女へと振り返らせるのに充分な威力を伴っていた。

 

「そ、そうだ! 誰か知ってる人にアレックスのことを聞きたかったんだ! あのね、ユイちゃ……」

「良かったぁ……ライトさんは忘れていらっしゃらないんですね」

「ライトさん『は』って……」

 

その言い方じゃ、まるで……

続く言葉を肯定するような、ユイちゃんのうなずき。

荒涼とした広場に、かしいだ日が一段と強く照りつける。

冬の冷たさを忘れたような、ジリジリと焼けるような空気の中、告げられた一言はあまりに順当で、それ故に信じたくなくて。

 

「パパは、アレックスさんの存在自体を完全に忘れています」




次回決戦開始、とか前回ほざいていたにも関わらずこの体たらく。次回は始まります!!


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第十一話「開戦」

お待たせしましたあ!!!!
色々リアルが立て込んでおりまして、投稿が遅く……
次回も少しお待たせすることになるかもです……
何はともあれお楽しみください!


「順を追って説明しますね」

 

ユイちゃんの口調は冷静そのものだ。まるで取り乱す僕を置き去りにするみたい。

 

「私の記録している限りで、プレイヤーの記憶を改ざんするプログラムはSAOに存在しません。ですので、パパがアレックスさんを覚えていない可能性は2つ考えられます。

1つは、私か権限を与えられていない領域の問題。

もう1つはパパ個人の問題です。

前者であれば不整合が生じる危険性を考慮していましたが、ライトさんが覚えていらっしゃるということは、どうやら後者であったようです。杞憂だったみたいで……」

「違うんだ、ユイちゃん!」

 

自意識と乖離して声が荒ぶる。

妖精の少女は、小さな身体をびくりと震わせたものの、立ち直りは早かった。

真剣な表情に促されるままに、僕は話を続けた。

 

「……僕も覚えてないんだ。アレックスのことを。名前と顔しか思い出せないんだ」

 

言った瞬間、胸の真ん中を風が吹き抜けたような気がした。

日差しが強い。喉が乾く。目眩がする。

最後に残ったアレックスの見目さえ、陽炎に揺れ消えてしまいそうで、閉じ込めるように強く瞬きした。

ユイちゃんは僕の発言を受けて、小さな肩を落とした。

 

「そう……ですか」

 

ユイちゃんはため息にも似た、細い息を吐いた。

 

「でしたら、SAOプレイヤー全員が記憶の操作を受けている可能性が高いですね。確か、あとでユウさんもいらっしゃるのですよね?」

「う、うん。そうだけど」

「じゃあユウさんにも聞いてみましょう! 覚えていらっしゃらなければほぼ確定で、みなさんがアレックスさんのことを忘れていると考えてよさそうです」

 

みんなが忘れている。事務的な一言が胸を突く。

 

「ユイちゃんは、原因が見えてたりするの?」

「はい。恐らくは。私の管轄外かつ、みなさんの記憶領域に介入できる可能性のあるシステムは、SAOには1つしか存在しません」

「心意システム、だよね」

 

ユイちゃんはハッと息を飲んで僕を見た。

僕は自然と口から出した答えを吟味する。

そも、プレイヤーの記憶を一斉に操作する、なんてことが可能なのか。疑問は尽きないが、心意システムならばあるいは、と思えてしまう。

心を読み取り具現化させる、なんて離れ業を為せる心意システムならば、記憶への介入すらも容易にこなしてしまいそうな気がした。

妖精少女は首を捻る。

 

「プレイヤーのみなさんは、インカーネイトシステムを、心意システムと呼称しているのですか?」

「いや、そもそもみんなは心意システムを知らないよ」

「そうですよね。インカーネイトシステムは公開情報ではありませんでした。だったら、なぜライトさんはお知りなのですか?」

「なぜって、それは……」

 

あれ? 思い出せない。

待てよ。僕が思い出せないことは、全てアレックスに関することだ。そして今、僕は心意システムの名前の出所を回想できない。

なら、心意システムという名称を教えてくれたのはアレックスなんじゃないか?

我ながら頭良いな……。

ユイちゃんへ返答しようと口を開きかけたとき、後ろからがしりと肩を組まれた。黒の剣士サマが面白くなさそうな声を出す。

 

「なに内緒話してるんだよ?」

「いやいやいや! なんでもないよ!?」

 

僕の反応を、キリトは鼻で笑う。

 

「隠し事できない才能あるよな、ライトって」

「キリトはオークのウ○コ入りカレー食べても気づかなかったし、鈍感の才能あるよね」

「ちょっと待て! それいつやりやがった!!?」

 

嘘だ。バラさないけど。

嘲笑にイラッとしたのでお返しだ。

キリトが僕の胸ぐらを掴んでがなり立てていると、キリトの妹さん、改めリーファがなぜかニコニコと笑っていた。

僕と同じ疑問をキリトも抱いたらしく、懐疑的な声を出す。

 

「スグ……じゃなくてリーファ。なんでそんな笑顔なんだ?」

「いやあ、お兄ちゃん、ちゃんと友達いたんだなって、ね?」

「そりゃいるよ、友達の1人や2人。俺をなんだと思ってるんだよ」

「え?……コミュ障?」

「…………っ!」

 

言い返せないキリト。自覚はあったのか。

リーファは僕に向き直って、甲斐甲斐しく頭を下げた。

 

「ちょっとヤンチャで、だらしの無いお兄ちゃんですけど、これからもどうかよろしくお願いします、ライトさん」

「うん。こちらこそ。これからは兄妹ともどもよろしくね」

 

改めて顔合わせも済んだ途端だった。

────ザザザザ。

さざ波を思わせる、大量の羽音が僕の耳をざわつかせた。

首を後ろに回すと、おびただしい数で森の上を飛行する、妖精達の姿があった。総数は50を下らない。

僕、キリト、リーファは一斉に臨戦態勢をとる。

戦ったところで多勢に無勢だ。蹂躙されて終わるだけ。だけど、戦士としての本能が戦闘への手順を構築する。

種族も性別も様々で、集団に共通点があるとは思えない。色彩豊かな妖精の軍団は、アソートされたキャンディみたいだった。

意図も集団の結成経緯も不明瞭なのが、根源的な不安を煽る。握る拳が強くなる。汗が染み出す感覚を覚える。

迫り来る数十の圧に押しつぶされそうになる。

緊張が際限なく高まっていたその時、不意にキリトが構えを解いた。

黒の剣士は柔和な笑みを浮かべる。

 

「心配の必要はないよ。あれはたぶん……」

 

キリトの説明に被せるように、集団の先頭にいたサラマンダーが、羽をカワセミみたく震わせた。

 

「お前ら、キリトとライトだろ!?」

 

火竜妖精が興奮気味に問うてくる。

この展開にも慣れてきた。つまり、彼は知り合いのうち誰か。サラマンダーを選ぶ悪趣味さと、アバターのゴツゴツしたブサイクさを鑑みるに……

 

「ユウか!」

「お、さすがのライトでも察しがつくか」

 

意外さ半分、納得半分、といった調子で、着陸するユウが鷹揚にうなずく。

ずっと一緒に過ごしてきたんだ。すぐ分かるに決まってる。だって、

 

「うん。アバターがブサイクだったからね」

「ケットシー領に死に戻りしたいのか?」

 

さすがに遠慮願うので、これ以上藪をつつくのはやめておく。

2人目に到着したのは闇妖精の小柄な少年だった。目以外の全身黒装束で、腰にクナイと小刀をたずさえる様子は、忍者と比喩する他ない。

闇妖精の忍者は、僕とキリト、そしてリーファを交互に見てからボソリと一言。

 

「……殺す」

「待ってムッツリーニ。久々に再会した友人に、その挨拶は無いと思うんだ」

「……相殺(アイサツ)だから大丈夫」

「いったい何が大丈夫なのか、僕にはてんで分からないよ」

 

殺意が高すぎる忍者を尻目に、次なる来訪者を見やる。

美丈夫だった。整った顔立ちと、美しさと勇壮さを兼ね合わせた切れ目は、それだけで人を射殺せそうなほど。肩を越す長い緑髪は、臙脂の紐で無造作に束ねられている。浅葱色の着物を仕立てられ、腰に二本の長刀をぶら下げる姿は、流浪の侍を連想させた。

流麗な風妖精族の侍は、甘い笑顔で僕を見る。

 

「これはまた、随分と愛らしい姿になったものだのう、ライトよ」

「秀吉……だよね?」

「相違無い。しかしまた、猫耳とは……」

 

秀吉の熱視線が僕の頭上に刺さる。好きなのだろうか、猫。

 

「触ってみる?」

「よいのか!? い、いや! やめておく!」

「え? 遠慮しなくてもいいのに」

「手出しせぬとも。武士たるものが猫耳なぞにうつつを抜かせん!」

 

どうやら、姿形が変わったことで役者魂に火がついたみたいだ。イケメン浪人を演じ切ろうと必死である。

秀吉におあずけしているみたいで忍びない。なんとか説得を試みようと思い立つも、良い案が浮かばない。

そうこうしている間にも、プレイヤー達は次々と僕らの周りに降り立ってきた。

その中の1人、小柄で小麦色の肌をした猫妖精族の女の子が、僕と秀吉に近づいてきた。

 

「猫耳好きなお侍さんがいても良いと思います! むしろ、ギャップが可愛いんじゃないでしょうか!?」

 

女の子はずいずいと秀吉に詰め寄った。ただならぬ気迫に、秀吉はたじろく。

 

「しかしのう、シリカよ……」

「え? シリカちゃん!? 久しぶり!」

「あ、すみませんライトさん! ご挨拶遅れました! ケットシー仲間ですね!」

 

SAOでの印象とそう違わない、屈託無い笑顔でシリカちゃんは笑いかけてくれた。かわいい。

ここにきて、鈍感な僕でもやっと妖精軍団の背景が分かった。つまり彼らはSAO生還者(サバイバー)達だ。

この時間、この場所に顔見知りばかりが集まったということは、僕たちの手助けをしてくれるということなのだろう。

それからも続々と、2年間をともに戦った仲間たちが馳せ参じてくれた。エギルにクライン、ボルト、月夜の黒猫団やレジェンドブレイブス。出来上がったのは、総勢54名の大部隊だった。

1人1人と挨拶をしていきたいのはやまやまなのだが、状況が状況なだけに自重する。皆んなもそれを理解してくれているようで、過分な会話もせず、次なる指示に耳を傾けてくれている。積もる話もあるだろうに、本当にありがたい……。

きっと集めてくれたのはユウだ。重い腰を一度上げれば、とことんまでやる男だということを、僕は嫌というほど知っている。

サラマンダーとなった悪友の顔を眺めながめていると、感謝の念が芽生えた。

左隣でキリトと情報交換をしている、我らがリーダーに声をかける。

 

「ねえ、ユウ。みんなユウが集めてくれたんだよね」

「ああ。菊岡さんに手伝ってもらったけどな」

 

菊岡さん? ああ、生還者達に会って回ってる役人さんか。姉さんが追い返しちゃったから、僕は会ってないんだけど。

考えてみれば、そりゃそうか。みんなの連絡先を、ユウが直接知っているわけじゃないもんね。

改めて、ユウが集めてくれた面々を見回す。三々五々と集うプレイヤー達には、揺らめくような熱気が伴っていた。死地を潜った勇者達には、一線を画す自信を感じる。

紛うことなき歴戦の猛者達だ。彼らが協力してくれたのなら百人力だろう。だからこそ、みんなを束ねたユウの活躍が際立つというもの。お役所を動かして個人情報を引き出すなんて大変そうなことを、よく実行してくれたものだ。

 

「けど、よく役人さんが手伝ってくれたよね」

「ああ。まだ目覚めていないSAOプレイヤーが結構いるだろ? その事件をあっちも追ってるらしい。真相に近づく一助になるのなら、と手を貸してくれたんだ」

「なるほどねぇ……ところで、なんでみんな結構レアリティの高そうな装備してるの?」

「そりゃ買ったからだろ」

「買った? コル……じゃなくて、あれ。えーっと……」

「ユルドか?」

「そう! そのお金を稼ぐ暇なかったくない?」

「お前、SAOから資金の引き継ぎできてなかったのか?」

「あ」

 

その手があったかぁ~~~!

そういえば、メニューを開いたとき、えらく莫大な数字があるなー、とか思っていたけど、あれが引き継ぎしたお金だったらしい。

優子のもとに早く着くことに精一杯になって、気がついていなかった。初期装備のままなんだけど……。バカか? バカだった。

 

「バカの顔してるな」

「どんな顔だよ!」

 

そのとき、馬鹿話をする僕の脇腹に、爪楊枝で押されたような感覚があった。目を向けると、ユイちゃんが小突いていた。

妖精になったユイちゃんの、物言わぬ瞳を見て、肝心なことを思い出す。

 

「そうだ! アレックスってこの中にいる?」

「……アレックス? そりゃ誰だ?」

 

……っ。

ああ、クソ。予想はしてたけど、改めて突きつけられるとしんどいなぁ……。

ユウの記憶にも無いとなると、これでほぼ確定だ。やっぱりみんな、アレックスのことは覚えていないのだろう。一体誰が、どんな目的で記憶の消去を行なったのか。そして、なぜ僕だけ中途半端にしか消されなかったのか。

どうせなら全部消してくれれば良かったのに、なんて魔がさしたことを思う。記憶はないくせに、彼女に抱いた感情だけが、心の中で燻っている。大切な人だったのだろう。

親愛の情が、空っぽの心を串刺しにする。

けれど、いくら記憶を探ろうと、なにも思い出せやしないのだ。

分からないことが多過ぎて、容量の小さい頭がパンクしてしまう。

僕の左肩にちょこんと座ったユイちゃんは、目を伏せて首を横に振った。打つ手無しか……。

ユイちゃんがいなければ、もうとっくにアレックスの記憶を勘違いだと切り捨てていたはずだ。あやふやな記憶の上に立つ僕にとって、肩に座る妖精少女は命綱そのものだった。

 

「ありがと、ユイちゃん」

「ほえ? いきなりどうしたんですか、ライトさん?」

「いや、ユイちゃんがいなかったら、僕はアレックスのことを妄想か何かと思ってたと思うんだ。だから、なんていうか……うまく言えないけど、ありがとう」

 

たどたどしい僕の語りに、ユイちゃんは真摯な様子で聞き入ってくれた。

小さな目を閉じて何かを考え出したかと思うと、ユイちゃんは小声で捲し立てた。

 

「ライトさんは『ライトキューブ』に接触を……いえ、それだけでは足りません……。だとするとアレックスさんが呼んだのでしょうか? それほどの権限を?」

「ユイちゃん……?」

「ああ! ごめんなさい! ライトさんに確認をしたいのですが……いえ、記憶がないのなら……」

 

ユイちゃんは何を言っているんだろう?

さきほどから羅列する単語は、ほとんどが意味不明だ。僕に何かを確認したいけど、僕の記憶が無いから意味が無いってことかな?

 

「ダメ元でも話してみてよ。もしかしたら何か思い出すかもしれないし」

「そう……ですね。ではライトさん。大きな光る立方体に見覚えはありますか?」

「うーん……無いね!」

「ですよねー……」

 

やっぱりどうにもならなかった。

光る立方体? それがなんだというのだろう。それと僕の記憶とアレックスに、なにか関係があるのか?

理解と対極にある僕の思考を遮ったのは、またもや大量の羽音が織りなす不協和音だった。今度はなんだと北西の空を見上げると、紫を基調とした極彩色の軍団が見て取れた。

その中にはケビンやサマンサの姿があった。まず間違いなく味方だろう。

僕を視認するや否や、ケビンは一気に速度を上げて、僕の身体スレスレに着地した。

 

「おっす! ライト!」

 

ケビンが右手を掲げるので、ハイタッチしながら笑いかける。

 

「ケビン! 来てくれたんだね。ありがとう! それはそうと、よくここまでプーカの人集められたね」

 

ケビンの背後に続々と降り立つ奇々怪々な個性派集団を目にして、まず感謝が先に立った。

ケビンは僕の肩をバンバン叩いてニカッと笑う。

 

「そりゃ集まるって! 音楽妖精なんてロマンチストばっかだぜ? 英雄譚を特等席で見物できるとなっちゃ、誰も彼もがこぞってたかるさ!」

 

ケビンは大仰に両手を開く。

このギタリストこそ誰よりロマンチストだな、なんてほおを綻ばせていたのも束の間。爆音と打楽器が、僕の背中に張り手を打った。

振り向いた先にいたボディービルダーのようなティンパニストは、半月みたくニッカリ笑って太鼓を鳴らす。

 

「テンション上がってきだぜぇ! マレット振る手も昂ぶるってもんよ!」

「あ! ずるーい! 私も引いちゃお!」

「じゃあ……僕も……」

「オレもオレも!」

 

あっという間にカルテットの出来上がりだ。

即興などとはにわかに信じがたい和音が、世界樹の広場を鷲掴む。

楽曲は軍歌のようだった。地響きのように迫り上がる音は、緊張に固まっていた心胆を叩き上げるほど鮮烈だった。

ステータスバーの下には攻撃力アップのバフマークが光る。確かに攻撃力が上がりそうな曲調だ。急造でもバフがつくのは、システムが曲の雰囲気を把握しているということなのだろうか。

飛び交うを音に揺さぶられながら、となりのケビンに耳打ちする。

 

「すごいね。プーカはいつもこんな感じなの?」

「おう! みんな単純に演奏が好きなんだ。プーカ領はいつだってお祭り騒ぎさ!」

 

ケビンは胸を張って言う。それは彼自身も例外ではないらしい。セッションにノリながら、制動の効かない手を背中のギター(のようなもの)に伸ばした。

見れば音楽妖精の一人残らずが、餌を待つ子犬のような表情で、各々の『相棒』に手をかけていた。

今から大合奏が始まる予感。それはそれで楽しそうなのだが、今は1秒でも時間が惜しい。

やめて欲しいのはやまやまだが、どうやら押し寄せる波を止めることはできなさそうだ。

まあいっか。バフもかかるし。

楽観的思考のまま迎え入れようとしていた合奏。それは唐突に断ち切られた。

2度の拍手と

 

「────静粛に」

 

鋭い静止の命令によって。

声は高く、細く、だけども鋭く。優雅と威厳を同居させたのなら、なるほどこんな声にもなるだろう。

集団から僕に向かって踏み出してきたのは、初老の男性型音楽妖精だった。

その出で立ちは異質が凝り固まったようだった。紫のスーツ。紳士的な立ち振る舞い。それらを裏切るような、大きな目隠しが、顔の半分を覆っている。腰より長い銀髪は毛先を束ねられ、ひょうたんの形をしていた。

奇抜な服飾は美しく調和され、男性に芸術的なまでの気品をもたらしていた。

和やかだったプーカたちが一斉に押し黙り、公演前のような緊張感が場を支配する。

誰もが磔にされた寂寂の中、目隠しスーツの男性だけが悠然と歩を進める。

僕と相対し、一言。

 

「君が、この楽団の指揮者だね?」

「は?」

 

楽団? 指揮者? 何を言っているんだ、この人は。

 

「い、いやいや! 僕は指揮者なんかじゃないですよ!?」

「いいや、君は指揮者だとも」

 

力強く肯定されてしまった。どうやら僕は指揮者らしい。

目隠しおじさんは胸の前で拳を握りしめると、ワントーン高い声で朗らかに言った。

 

「そも、指揮者とは? それは先を照らす者だ。先を走る者だ。君は先を走った。君の胸の火で先を照らした。そんな君に、ここにいる皆はついてきたのだ。なら、君は指揮者に相違あるまい?」

「は、はあ」

 

ちょっと何言ってるか分からない。

戸惑う僕と指揮者おじさんの間を割ってケビンが入ってきた。

 

「ハンスさん! そういう言葉使いやめましょ? 普通に伝わりませんから!」

「む……しかしだなケビン。やめてしまえば、それは虚飾になってしまう。虚飾は靄となり、いつかぼくのタクトを曇らせる。それを許せるか? 否だ。断じて否だ。だからこそぼくは、常にぼくの言語野をフィルター無く音声化するのだよ」

「じゃあせめて比喩を減らしましょう! ライトが困ってますから!」

 

ケビンが常識人に見える……!

言動を改める気はさらさらないらしいハンスさんは、ケビンを押しのけて僕に軽く頭を下げた。

 

「すまない。申し遅れたね。ぼくの名はハンス。『ハンス・フォン・ビューロー』だ。音楽妖精領の領主をしている。そこなケビンと同様、ハンスさんとでも呼んでくれたまえ。もちろん呼び捨てでも構わないよ。呼び名に美しい音が伴っていればなお良いね」

「ぼ、僕はライトです! よろしくお願いします!」

 

反射的に名乗り返してから気づく。

え……領主? めっちゃ偉い人じゃないか。

目隠し指揮者おじさんとか声に出さなくて良かった。

というか領主がこんな場所にきて大丈夫? 奇襲されたりしたら大事件だよ?

領主が他種属に倒されると、領地だったり予算だったりが剥奪されるんじゃなかったっけ。

目隠ししたままに僕の心配を感じ取ったのか、ハンスさんは朗々と語る。

 

「ぼくの心配をしてくれているのかい? 暗殺されれば領地が取られるんじゃないかって?」

「え!? どうして分かったんですか!?」

「わかるとも。君の息が語っていた。憂慮の音色だったのさ」

 

やっぱりこの人、何言ってるかわからない……。

 

「それにね、心配には及ばないよ。そもそもぼくらは根無し草だ。どこでだって楽器を奏でられればそれでいい」

「な、なるほど……ですけど、予算も何割か取られるんですよね?」

「それも心配ご無用だ。プーカ領の金庫には1ユルドたりとも入っていないのだから!」

 

自信満々にハンスさんは言ってのける。それって領地として成り立ってるのだろうか?

 

「ぼくのモットーは『金は楽器のためにある』だ。蓄えたところで意味は無い。それに領民からは税金を一銭も取っていない。ぼくが死んだところで、失うものは微々たるものさ。

ま、それはそれとして殺されて良いって話にはならないよ?」

「うん……まあ良い気はしないですよね」

「そうなんだよ! 肉を切られるときの、身体の中に響く音が大嫌いなんだ!」

 

ハンスさんは『わかってるぅ~』とでも言いたげに僕の背中をバンバン叩いた。音が嫌いなんてつもりで言ったんじゃないんだけども。

僕にはお構い無しで、目隠し指揮者は満足げにうなずく。

 

「さあて! うら若き指揮者よ! 君の裡なる炎を見せておくれ!」

「うちなるほのお?」

「ああー……つまりな、ライト。ハンスさんはこう言いたいんだよ。さっさとおっぱじめようぜ、ってな!」

 

ケビンの補足でようやく理解が追いつく。

なるほど。言ってることはよくわからないが、アツい人だってことはわかる

ならばその期待に応えねば。

 

「ええ! 行きましょう! ここにいるみんなで!」

 

ケビンとハンスさんは鷹揚に首肯する。

 

「さあてケビン。打ち合わせだ。今日の構成だが……」

 

さきほどのような即興ではなく、本番では決められた曲を使うのだろう。綿密な打ち合わせを語り込みながら、ケビンとハンスさんはプーカの集団へと去っていった。

2人と入れ替わりになるように、キリトが僕の横にまで歩いてきた。

 

「落ち着いてるんだな」

「そう見える?」

「ああ。俺なんて、さっきライトが来る前に取り乱して、高度制限にまで飛んでって頭ブツけたんだぜ?」

 

キリトは恥ずかしげに頬をかく。

たしかに、僕の反応は周囲からは淡白に見えてしまうかもしれない。恋人が命の危機に瀕しているかもしれないのに、自分でも呑気なものだと思う。少なくとも、キリトみたいにキレて周りが見えなくなるようなことはない。

その理由は、自分できちんと分かってる。

 

「信頼してるからだよ」

「へ?」

「ああ! 違うよ!? キリトがアスナのこと信頼してないって言うんじゃないんだ!

なんていうかさ……優子が仮に囚われのお姫様だとして、彼女なら自分で檻を突き破りそうっていうか……」

 

なんなら、自分だけで魔王を倒して、間に合わなかった僕に『あら、遅かったじゃない』とまで宣いそうだ。

まあそんなわけで、僕は優子の屈強さを全面的に信頼しているのだ。

キリトは病気の犬でも見るような顔で、曖昧な笑顔を浮かべていた。なにかおかしなことを言っただろうか。

さて、無駄話もこのくらいにして、とっとと開戦といこう。

世界樹の根元に堆く立つ扉の前に仁王立ちとなり、僕は数十のプレイヤー達を見渡した。

やっぱり士気を上げるには、代表の演説がなきゃ始まらないよね!

世界樹に備え付けられた大門の、両脇にそびえる二体の巨像。騎士然とした石膏像は広場より数段高く設置されていて、その間に陣取ると、色とりどりの仲間たちを一望できた。

気持ちが昂ぶる。

ハンスさんにおだてられて鼻の高くなった僕は、柄にもないことを恥ずかしげもなくしてしまうのであった。

 

「えーっと、みんな! ちょっと聞いてね!」

 

僕の声に、みんなが一斉に振り向く。ちょっと気持ちいい。

 

「今から始めるグランドクエストなんだけど、すっごく難しいらしいんだ。だからまあ、失敗してもしょーがないやって気持ちでぶら!?」

 

言いかけたところで顔面にハイキックが飛んできた。ブサイク火竜妖精の仕業である。

 

「バカかお前は。バカだったな」

「人の演説中になにするんだよ!」

「そんなもんは演説って言わねえよ。代われバカ」

 

バカを連呼しながら、ユウは僕の場所と取って代わる。何様だ。

まあいい。リーダー様のお手並み拝見といこうじゃないかっ!

ユウは最大限の呼気で胸を膨らませ、鷹の如き視線でSAO生還者達を睨めつける。

 

「問おう。俺たちは、SAOをクリアしたか?」

 

質問の意図が分からない。

僕らはあのデスゲームをクリアした。だから今ここにいる。

生還者たちが恐る恐る、不揃いに首を縦にふった。

瞬間。

 

「そんなわけねえだろうが!!」

 

怒髪天を衝くとはこのことか。

物理ダメージを発生させそうなほどの爆音で、ユウは怒りに任せた否定を放った。

緊張が走り、静寂が濃くなる。

残響が遠ざかり、一切の音が立ち消えた広場で、ユウが訥々と語り出す。

 

「RPGってのは魔王を倒して終わりか? そうじゃねえだろ。エンドロールは囚われの姫を救ったときに流れ出すんだ」

 

ユウは視線をプレイヤー達から外し、真上へと向けた。つられて僕らも上を見る。

視界を覆うのは深く繁る世界樹のみ。姫を囚う神域の鳥籠だ。

この木の上に優子が、アスナが、そして未だ帰らぬ多くの仲間たちがいるのだという事実が、まざまざと突きつけられる。

世界樹の広場に集った元SAOプレイヤーの誰もが、ひとつの共通認識を抱いたその瞬間に、ユウの次なる言説が炸裂した。

 

「この闘いがSAOのラストバトルだ。俺たちの2年間のオーラスだ。存分に楽しんで、きっちり全クリしてやろうじゃねえか!!」

『おおおおおおおッッ!!』

 

広場は沸き立つ。

SAO生還者のみならず、ノリの良い音楽妖精達も一緒くたに鬨の声を上げる。

渾然一体となったまま、熱気だけを残してプレイヤー達の叫び声が落ち着き始めたとき、ユウは大剣を抜き放ちながら短く告げた。

 

「さあ、開戦だ!」

 

数百の妖精たちは、一斉に前を向く。見つめるのはただ一点、世界樹の大扉。

歴史に姿を与えたような威厳を持つ白亜の門へ、僕らは毅然と踏み出した。

 




次回予告!!

原作より少し遅れているレコン。彼は戦いに間に合うことができるのか!?

次回「レコン死す!」デュエルスタンバイ!


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