スネイプ(♀)の一人称はなぜ我輩なのか? (ようぐそうとほうとふ)
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賢者の石
でも、あなたはもう居ない


「スネイプ先生はどうして自分のことを我輩っていうんですか?」

 

 空気の読めないシェーマスが、ピクシーみたいないたずらっぽい声で言った。

 もくもく煙る地下牢の湿っぽい空気が一瞬でしんと静まり返った。大鍋の煮立つ音さえ聞こえないような気がするくらいに、しんと。

 ハリーは息を呑んで、その質問を浴びせかけられた魔法薬学の教授、セブルス・スネイプを見た。

 

「我輩の一人称にそんなにご不満がお有りかね?シェーマス・フィネガン。気になって、まともに水薬さえ作れないと言いたいのかね?」

 

 スネイプの纏うオーラはなんだかどす黒く、それでいて攻撃的でギラギラしていた。()()()()()()()()()()トロール五体は殺気で殺せそうなくらいの気迫だ。

 シェーマスはそのべったりとした猫なで声を聞いてようやく自分がどでかいドラゴンの尻尾を踏んだことに気づいたらしい。パクパク口を開け、言い訳を絞り出そうとしている。

 

「罰則だ。一週間、地下牢のカビ退治」

 

 スネイプはピシャリとそう告げると、ローブを翻して教卓に戻った。

 

「……他に質問は?」

 

 生徒全員、教科書に視線を落として答えなかった。それを見てスネイプはよろしい、とつぶやき、脂っこい髪をうっとおしそうにかきあげた。

 

「では、作り給え」

 

 


 

 

 

「毎年一人はいるんだよな!スネイプの“我輩”にツッコむやつ」

 

 夕食の時間、魔法薬学での出来事を話すと、フレッドが楽しそうに言った。

「そーそー。オレたちのときはリーで、そのときは書き取りだったな」

 フレッドの双子、ジョージが言う。どうやらスネイプにつっかかってバツを食らうのは伝統的儀式らしい。

「もしかして二人が唆したんじゃないの?」

 ハリーの隣に座って夢中でパイを食べていたロンが言うと、双子はいたずらっぽく肩をすくめた。

「まあそうでなくとも気になるよな?女の人なのに、セブルスなんて男みたいな名前だし、3日は寝てないってくらいいっつも不機嫌だし」

「ああ。気をつけろよ…あれが機嫌のどん底じゃないんだぜ。もっと陰険なときがある。いや、むしろいつもかなり陰険だ」

 はじめての授業で嫌味を言われたとき、よっぽど不機嫌なんだろうと解釈していたハリーだが、どうやらあれが普段通りだったらしい。今日はシェーマスに矛先が向いたが、もしかしてまた嫌味を言われてしまうんだろうか?

「スネイプ先生ってみんなに嫌われてるの?」

 とハリーが尋ねると、ジョージはうーんと唸った。

「意外なことに、そこまででもない。ほら…スネイプは…わかるだろ?」

「何?」

 ハリーはちんぷんかんぷんで聞き返すと、フレッドがしきりに胸の部分で手を振り回すジェスチャーをした。

「どゆこと?」

 ロンもわからなくて首を傾げた。もどかしさでフレッドがあー!と唸ると、後ろから双子の同級生、リー・ジョーダンが囁いた。

「おっぱい、ドーンだからさ!」

「わ!」

 驚いたハリーが声を上げると、周りにいた女子から冷ややかな目線が投げつけられた。逃げてくリーにフレッドが怒る。

「おいバカ、そんな言葉は一年には刺激が強いだろ」

「僕にはまだわかんないなあ…」

「巨乳ってだけでそんな、許されるもんなの?」

「少年たちよ、大きくなればわかるさ…」

 双子は皿をきれいにすると、さっさと立ち上がって去っていった。残されたハリーとロンは顔を見合わせて苦笑いした。果たしておっぱいの大きさなんかで意地悪を許せるのだろうか?大人になればわかるのだろうか?

 

 ハリーは正直、セブルス・スネイプのことが怖くてしょうがなかった。

 

 入学初日から、スネイプは嫌でも目についた。

 クシを入れてるのかさだかでない、ねっとりとした黒髪。華奢な肩に、緞帳なローブがぶら下がっていて、白すぎる顔色が暗闇に浮いているみたいだ。

 下向きのまつ毛のせいで目にはいつも物憂げな影が落ちていて、くの字にひん曲がった口と相まってことさら不機嫌そうに見える。

 晩餐のときにクィレルのターバン越しにじろりと睨まれたときはあまりの険しい視線に肌がぞくりと粟だったほどだ。

 

 一方で生徒たちからの評判はそこまで悪くなかった。いや、もちろんその陰湿さたるや!プリベット通りの悪ガキを遥かに凌駕していた。ネビルなんて授業前に腹痛を訴えている。それを帳消しにする魔法が"巨乳"らしいが、ハリーにはまだその魔法は効かないらしい。

 

 魔法薬学の授業は気を抜けないものだった。しかしハリーの絶対に目をつけられたくないという強い意志に反して、スネイプはいつもこっちを見てるんじゃないかというくらいに、ハリーの細やかなミスを発見し、せせら笑った。

 

「ポッター、教科書はきちんと読んだのか?」

 

 例の猫なで声が耳元で囁かれ、ハリーは体を硬直させた。

 

「はい、先生」

「ポッター…では声に出して読んでくれ。この、3行目から」

「“催眠豆は縦にナイフを入れた後、横に三度刃を入れ、潰し、汁を採取する…”」

「切り込みを入れて潰すのだ、ポッター。この豆は刻まれているな?」

「はい、先生」

「せめて文字を読めるようになってから入学してほしいものだな。……諸君何をしている?あと15分だ」

 

 ハリーはあまりに悔しくて、スネイプの背中を睨みつけた。となりのロンだって同じ間違いをしているのに、そっちはお咎めなし。クラッブに至っては鍋の中にタールのような何かがこびりついてるのにスルーだ。

 何度思い返しても、ハリーはここまでスネイプに嫌われる理由が見つからなかった。

 

 スネイプはハリーを嫌っている…いや、多分憎んでいる。その理由が知りたいと思いながらも、まずは難癖つけられないような魔法薬づくりを身につけるべきかもしれない。

 

 

「手順を一個一個確認してるから焦るのよ」

 

 ある日、教科書を参照しながら必死に薬をかき混ぜていたハリーを見て、たまたま組んでいたハーマイオニー・グレンジャーが助言してくれた。

 

「暗記してから、確認がてら教科書をみるの。はじめに頭に入ってれば、ちらっと読んでるだけだから手元はお留守にならないわ」

「なるほど。…でも、残念ながら今日は予習できてなくって…」

「左回りに混ぜながら、火を強めていくの。オレンジ色になったらすぐ鍋を持ち上げてふきんで冷やすのよ。ほら、いま!」

 

 その日の魔法薬はそこそこの出来で、スネイプはまともなオレンジ色をしたハリーの鍋の中身を見て、難癖をつけられずにスルーした。

 

「ありがとう。はじめて無視してもらえたよ」

 ハリーはホッとしてハーマイオニーに礼を言った。

「あなた、最近すごく熱心に勉強しているから。わからないところがあったら言って。力になるわ」

 

 ハリーははじめ、ハーマイオニーのことを頭でっかちの鼻持ちならない女子だと思っていたが、関心ごとが全部勉強というだけで、意地悪というわけでもないらしい。

 ロンはまだハーマイオニーに対して反感があるらしく、その話を聞いてもいい顔はしなかった。ハーマイオニーもハーマイオニーで、ロンのことはじゃがいもと同じくらいにしか思ってないようだった。

 

 ロンとハーマイオニー、お互いの認識が変わったのはハロウィンの夜のことだった。

 

「トロールが…地下室に!」

 

 クィレルは叫んで大広間に飛び込んで来るやいなや、そのまま気絶してしまった。ハーマイオニーは地下の女子トイレで泣いていると気づき、ハリーとロンで助けに行ったのだ。

 無事物体浮遊呪文でトロールをノックアウトさせ、三人の間には硬い絆が結ばれました…めでたしめでたし。で、済めばよかったのだが、その夜は新たな疑問が降って湧いた瞬間でもあった。

 

 

 どうしてトロールが学内に?

 

 

 ハリーがそのことについて中庭でぼうっと考え込んでいると、いつものように眉間にシワを寄せたスネイプが羊皮紙の束を抱えて渡り廊下を歩いていた。

 スネイプはいつも大股で、誰も話しかけられないくらいにキビキビと歩く。だが今日はいつもと様子が違った。歩幅は小さく、片脚を引きずっていた。

 ハリーは思わずスネイプを見つめてしまった。ああ、確かに自然と胸を見てしまう。なるほど、これが大人になる片鱗なのかな?なんて馬鹿なことを考えていると、急に木枯らしが吹いた。スネイプの持っていた丸められた羊皮紙がバラバラと風に飛ばされてくる。

 一つがハリーのすぐ足元に転がってきた。

 

 

 スネイプは苛立たしげに杖を振って、転がっていった羊皮紙に魔法をかけた。脚を怪我しているせいでちょっとしたトラブルで面倒なことになる。

 足元のいくつかを拾い上げると、ちょうど頭の上辺りから怯えた声が聞こえてきた。

 

「あの…これ」

 

 その声の主を見て、スネイプは顔をしかめた。ハリー・ポッターがおどおどしながら、羊皮紙を一枚持って立っていた。

 スネイプはハリー・ポッターを見るたびに胸の奥底がグズグズになっていくのを感じていた。ハリーは彼女にとってこの世で最も忌まわしい生き物、ジェームズ・ポッターに生き写しだからだ。

 

 やはり、どんなに近くで見ても、どんな場所で見ても、ジェームズ・ポッターにそっくりだ。くしゃくしゃの黒髪にバカみたいな丸眼鏡。

 

 ああ、でもやっぱり瞳はリリー・エバンズのものだ。

 

 それがなおさら、リリーがポッターに奪われた象徴であるかのようにも思えるし、リリーの忘れ形見であるという証明にも思えた。

 

 なのに、スネイプはその瞳に見惚れてしまう。

 アーモンド型の緑の瞳が自分を見つめている。リリーの瞳が、私を見つめている。

 

「えっと…手伝いましょうか?」

 

 ハリーの声でスネイプは現実に引き戻された。

 

「結構」

 

 あわてて羊皮紙を引ったくる。ハリーはまじまじ自分を見つめていたスネイプに戸惑っているかのように目を丸くしている。スネイプはそれを誤魔化すように、すべての羊皮紙を浮かべ、美しく巻き直した。

 

 ハリーはそれを感心したように見ている。

 

「なんだね、ポッター。まだ何か用が?」

「あ、いえ。すごい、繊細な魔法だなって…見惚れてました」

 それは素直な魔法への驚きだったのだろう。だがスネイプにとってはちがった、その純粋な言葉は、初めてリリーの前で浮遊術を見せたときと同じ感想だったのだ。

 

 ずきりと胸がいたんだ。

 彼の存在はどうしても、ここにリリーがいないと痛感させられる。

 

「用がないのならいきたまえ」

 

 思わず語調が強くなる。ハリーは怯え、野うさぎのように中庭をかけていった。スネイプは大きなため息を吐き、眉間を押さえた。

 


 

 

「凡庸、父親と同じで、傲慢…規則破りも何のその。おまけに有名であることを鼻にかけてる」

 

 

 ぶつくさいうスネイプを無視して、ダンブルドアは変身現代を読んでいた。校長室の大きな砂時計からさらさらと砂がこぼれている。

 

「目立ちたがり屋だ。その上生意気で…おまけに父親にそっくり!」

 

「君のジェームズ嫌いは筋金入りじゃのう」

「…私は…男はだいたい嫌いです。その代表格があいつです」

「他の先生からはハリーは君が思っているよりも控えめじゃと報告されておるのう。セブルス、そう思って見るからそう見えるのじゃよ」

「いいえ違います!…とにかく…私は好きませんね。せめて女の子だったら…」

 

 そこまで言って、スネイプは口をつぐんだ。

 女の子だったら?どっちにしろ“ハリー”はリリーじゃないのに。

 

「クィレルから目を離さないように。聞いておるかの、セブルス?」

 

「…かしこまりました。お任せください」

 


 

 

 セブルス・スネイプはリリー・エバンズに恋をしていた。

 セブルス・スネイプは女である。

 

「両親は男の子が欲しかったから、セブルスなんて名前をつけたんだ…」

 

 ダボダボの、父のお古のチュニックを着たみすぼらしい子供。男の名前をつけられて、女の子が過ごす子供時代を全部灰色の袋小路の街に捨てられたセブルス・スネイプにとって、リリー・エバンズは初めて出会った自分の理想の女の子だった。

「あなた、スネイプでしょ!スピナーズエンドの“男女”」

 ペチュニアはそう言ってスネイプを罵倒して、まともに話すらしなかった。

 

 

「私は全然、あなたは女の子っぽいと思うわ」

 

 リリーはろくに洗っていないスネイプの髪を梳きながらいった。

「気休めだよ」

「ちがうわ!私に任せてちょうだい」

 

 リリーは自分の髪をゆっていたリボンの片方を解いて、スネイプの髪を後ろで三つ編みに結い、結んだ。

 そして自分の髪も一つにまとめ、「ほら!」と池の水面を指さした。

 水面には同じ黄色のリボンをつけたリリーと自分が並んで映っていた。リリーは嬉しそうに目を細めて笑う。

「お揃いよ、私達」

 その笑顔に、スネイプは生まれて初めて自分の心の奥に暖かな火が灯ったように思えた。

 

 

 

 

 もし私が名前の通り男の子だったら、今ここにハリー・ポッターはいないのかな。

 それとも、やっぱりリリーは私のことなんて好きにならないのかな。

 臆病でバカな私は、コウモリみたいにフラフラと生き永らえている。

 

 私、リリーに恋をしてからずっと男になりたかった。これまでずっと母親に「男の子だったら…」って言われるのが嫌だったのに。

 今は虚勢を張って、男みたいに振る舞ってる。

 私、やっぱりバカなのかな、リリー。

 

 私、男の子なんて嫌い。

 だって、男の子はあなたをとっちゃうから。

 ジェームズ・ポッターなんて大嫌い。

 リリー、どうして男の子なんて遺していったの?

 ねえリリー、彼を見るたび、あなたに会いたいよ。

 

 

「でも、あなたはもう居ない」

 

 

 




小和オワリさんに1話のあのシーンを描いていただけました…!
オワリさんの激重感情の化身女スネイプを見て書き始めたといっても過言ではないので本当にうれしいです!ありがとうございます。
(4話にも掲載しています)
ドーンですね

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望みが永遠になればいいのに

  ハリー・ポッターのクィディッチデビュー戦はダンブルドアの危惧したとおり、何者かによる妨害が起こった。呪文攻撃というものはあとからの立証が困難であり、教師陣は危険性は理解しつつも犯人の特定は不可能であると結論づけた。

 

 しかし、スネイプには犯人の目星はついている。

()()()()()()()()()()()

 本当にやつが魔法をかけていたのか、反対呪文に全力を注いでいたため判別できなかった。杖なし魔法はかなりの集中力がいる。だが今思うと、その場でクィレルをひっ捕らえても良かったかもしれない。

 なぜか自分のローブが燃えだしたときは、集中が途切れてゾッとした。箒の制御を取り戻す寸前だったのに。

 だがクィレルも他の教師と同様、炎に驚いたらしく、次箒を見上げたときにはハリーは自由に空を舞っていた。

 ハリーが箒から投げ出されてもきっとダンブルドアが助けていたに違いないが、あの時ばかりはさすがのスネイプも冷や汗が出た。

 

 

 


 

 

 一方で当事者のハリーは、勝利の余韻がしばらく続き、自分が命の危機に瀕していたことを忘れていた。だが試合後、ハグリッドの小屋に行くと興奮した様子のロンがハリーを抱きしめて、ようやくさっきの制御の利かない箒の恐ろしさがわかってきた。

 

「スネイプだよ、ハリー!スネイプが呪文をかけてた」

「スネイプが箒に呪文を?そんなのありえねえ!」

 

 ハグリッドはロンの主張に対して大きな手をブンブンと横に振って否定した。

 

「でもハリーを凝視してなにかを唱えていたのよ?杖無しで魔法をかけるのはとっても集中力がいるでしょう。あれは間違いなく、呪文よ」

 

 ハーマイオニーは自信があるようだった。だがハグリッドは呆れ顔で、その推理を否定する。

 

「はあ、お前さんたち…スネイプは“先生”なんだぞ?生徒を殺そうとするなんて…」

「先生だからって生徒を殺さないとは限らないだろ」

「ロン、そういうことを言ってるんじゃない。第一スネイプのことはダンブルドアが信用しているんだ」

「えっ。そうなの?」

「そうとも。確かにスネイプは…その…誤解を受けやすいのかもしれんが…」

 ハグリッドがスネイプをかばう理由は“ダンブルドアが彼女を信用している”につきるらしいが、それはむしろハーマイオニー、ロンの疑念を深めるだけだった。

 一方でハリーはスネイプ犯人説について懐疑的だった。

「確かにスネイプは僕のことをめちゃくちゃ嫌ってる。…でも、殺そうとなんてするかな…」

 

 スネイプが落とした羊皮紙を反射的に拾ってしまい、手渡さなきゃいけないとき、ハリーは激しく後悔した。

 スネイプが顔を上げたとき、てっきりいつものように蛇蝎のように憎悪の眼差しを向けられると思った。しかしそこにあったのは、意地悪な仮面をつけ忘れた女の子のようなきょとんとした顔だった。

 普段あんなに苛立たしげで嫌味たっぷりで意地悪な笑みを浮かべているスネイプの顔が、自分を見つめるほんの数秒だけ別人のように見えた。

 眉間にシワがなく、口もへの字じゃないスネイプの表情。初めて見た。同じ人間でも表情一つで印象が全く違うなんて。

 

 その時の印象は、()()()()()()()だった。

 いつも意地悪なスネイプならともかく、あんなに悲しげな顔をしている人が誰かを傷つけようとするものだろうか?

 

 

 それをちゃんと二人に伝えるのは難しく思えた。ハリーはうーんと唸ってなんとか言葉を捻り出そうとする。そんなハリーを見てロンがからかうように言った。

 

「まさか、魔法にかかってるのハリー?」

「えっ?!呪いをかけられたの?!」

 フレッド、ジョージの文脈をしらないハーマイオニーが真に受けて動揺する。ハーマイオニーはおそらくこの手の冗談を好かない。

「違うよ!やめろよロン!」

 

すでにスネイプが脚を怪我していることはロン、ハーマイオニーの二人には伝えてある。それがどうやらハーマイオニーに余計な発想を与えてしまったらしい。

 

 ハーマイオニーは咳払いをしてから饒舌に話し始めた。

「ねえ、スネイプはトロールが地下牢に行った日になぜか遅れて現れて、足を怪我していたんでしょう?一体どこに行ってたのかしら」

「え?うーん、足元が見えなくて階段から落ちたとか?」

 ハーマイオニーはロンを無視した。

「いささか論理が飛躍しているんだけど…聞いて。ハリーの箒、グリンゴッツ侵入事件…私は、最近起きた事件について共通の犯人がいるような気がしてならないの」

 ロンはハーマイオニーの女探偵のような語り口から何かを察したらしい。驚き混じりの声色でまたハーマイオニーの言葉を遮った。

 

「まさかスネイプが三頭犬に噛まれたって、そう言いたいのか?」

 

「おい、なんでお前さんたちがフラッフィーのことを知っているんだ?」

「え…ハグリッド、あの犬知ってるの?」

 それに真っ先に反応したのはハグリッドだった。ハリーは驚いて聞き返した。

 ハーマイオニーは推理ショーを遮られた苛立ちがフラッフィーという名前を聞いて吹っ飛んでしまったらしい。ボロを出したハグリッドをじっと見つめている。

「あっ!全く俺ときたら…。聞かんかったことにしてくれ!」

「ねえちょっと!ハグリッド、もしかしたらスネイプはフラッフィーの守るものを狙ってるのもしれないのよ」

「そうだよ!教えてよ、あの犬なんなの?」

「扉の下に何があるの?」

 自分のミスをきっかけに矢継ぎ早に飛んでくる質問にハグリッドは明らかに動揺し、混乱していた。

「お前さんたち、決めつけて話すのもいい加減にしろ!スネイプは絶対にそんなことはせん。断言する。全部忘れるんだ…そもそもあれはダンブルドアとニコラス・フラメルの…」

「ニコラス・フラメル?」

 ハグリッドはしまった!という顔をした。そしてもう、口を利くのをやめてコーヒーの入った鍋みたいなポッドを無意味にかき回すだけになってしまった。

 三人は黙秘するハグリッドを置いて、暗がりの道を足早に寮へと戻った。

 

「ねえハーマイオニー。さっきのことだけど…たしかに僕たち、決めてかかり過ぎだよ」

「…確かに、足の怪我については飛躍が過ぎたわ。でもスネイプは確実に、何かの陰謀に関わっている。だってあなたの箒に呪文をかけていたのは確かだもの」

 ハリーは黙った。

 

 本当にスネイプが箒に魔法を?

 

 自分がそこまで憎まれているとしたら、学園生活はもうほとんど絶望的だ。

 深刻な空気を帯びてきた会話に、ロンが咳払いして軽い調子で提案した。

 

「まずは犯人よりも、あの犬が何を守ってるのか知るべきじゃない?」

 

 ロンの言うとおりだった。今一つ、絶対的に確かなのは、ニコラス・フラメルという人物が三頭犬の守るなにかと深く関係していることだ。

 

 そしてもう一つ、ハリーは大切なことを忘れていた。

「しまった!僕たち大急ぎで帰らないと。寮で祝賀会があるんだった!」

 

 

 

 

 

 ハーマイオニーはニコラス・フラメルを調べることでスネイプ=犯人説について一度は矛を収めたものの、疑念は簡単には拭えないようで、たまに図書館に見回りに来るスネイプをつぶさに観察していた。

 ハリーはハリーで、ハグリッドの小屋ではスネイプを庇ったものの、以前よりもエスカレートしていく授業中のいやみったらしさに、庇ったことを後悔しそうになっていた。

 羊皮紙を拾って以後、心なしかスネイプのハリーに対するあたりが強い。

 前なんて、マルフォイが授業時間すべてを使ってハリーとロンをぺちゃくちゃ煽り倒しているというのに注意の一つもしなかった。

 そればかりかこれみよがしにマルフォイのおでき治療薬にA+をつけ、ハリーの薬にはCをつけた。

 

「ポッター、休暇に浮かれるにはまだ早いぞ。我輩としては、こんな魔法薬を作る生徒が休暇などとることを疑問に思うがね」

 

 この前見たあの表情はハリーが見た幻か、たちの悪い錯乱呪文でもかけられたからなのかもしれない。やっぱりスネイプは悪巧みの最中で、あわよくば自分をホグワーツから追い出すつもりなのだと思い始めてきた。

 

 スネイプはクリスマス休暇が近づいて、大きなクリスマスツリーが飾られて構内に浮かれた雰囲気が漂ってももしかめっ面だった。

 クリスマス休暇にわざわざ学校に残る生徒はそう多くない。ニコラス・フラメルについてはハーマイオニーに任せっぱなしで、ハリーとロンは二人っきりの寝室で大いに遊んだ。

 ロンのチェスの腕はなかなかのもので、たとえ休暇いっぱいチェスの勉強に費やしても勝てる気がしなかった。

 

 

 なによりハリーが嬉しかったのは、はじめてのクリスマスプレゼントだ。中でも透明マントはこの学校生活に大いなる恩恵をもたらすだろうと確信した。

 飾り付けも、料理も、何もかもがこれまで生きてきた中で一番楽しい思い出になった。学校に残るという選択はかつてなく正しかった!

 

 クリスマスを満喫したハリーは、ベッドで満腹の腹を摩りながら、今日一日を振り返った。そして透明マントが“ニコラス・フラメル”の謎を解くのにこの上なく役に立つことに気づいた。

 このマントさえあれば、いつもはマダム・ピンズが目を皿のようにして見張っている閲覧禁止の棚にだって入り込める。

 

 マントに添えられた“上手に使いなさい”というメッセージを思い出し、ハリーは早速それを羽織った。

 向こうの景色が透けて見える。不思議な感じだ。自分で持ってるランプが宙に浮いて見えるのはたとえわかっていてもゾッとする。

 

 ハリーは慎重に、絶対に物音を立てないように行動したつもりだった。しかし、音を立ててはいけないと強く念じれば念じるほどに動きはぎこちなくなってしまう。

 なんとか閲覧禁止の棚にたどり着き、目についた本をとった。そおっと表紙を開けた途端、本の中から背筋も凍りつくような絶叫が響いた。ハリーは思わず飛び退いて、すぐそばに置いていたランプを蹴っ飛ばしてしまった。

 

 あわてて本を閉じ、どこかへ転がっていったランプ本体を探そうとすると、シューッという音が聞こえた。目で確かめるまでもない。管理人フィルチの忠実な猫、ミセス・ノリスだ。

 ハリーはマントを翻して図書室から脱出した。すると図書館の方へ向かってくる足音が聞こえた。

 ハリーはとっさに方向転換して、隙間の空いていたドアにすっと体を滑り込ませた。

 

 廊下の向こうではスネイプとフィルチが話している声が聞こえる。

 呼吸を気取られないように、ハリーは口を塞いでゆっくり周囲を確認した。

 どうやらそこは使われていない教室らしかった。もう何年も換気をしてないんだろうか?空気がひどく埃っぽい。だが、教室にしてはちょっと変わったものが置いてある。

 しゃがみこんだハリーの目の前に、天井まで届く大きな鏡があった。

 その金枠の上部にはこう書かれていた。

 

「すつうを みぞの のろここ のたなあ くなはで おか のたなあ はしたわ……?」

 

 

 

 


 

 

 スネイプは学生時代、クリスマス休暇が嫌いだった。あの冷え切った我が家に帰るか、誰もいない地下の談話室で一人過ごすかの2択で、しかもどっちを選んでもリリーはいない。けれども教師になってからは嫌いじゃなかった。

 やかましい生徒たちはいないし、自分の部屋はあるし、何よりホグワーツの冬の空気は肺にしんと染み込む感じがして好きだった。

 頭痛の種、ハリー・ポッターが学校に残っているとはいえ夕食に顔を出すか出さないかは自分で決められたし、子供というのはなぜか雪で遊びたがる。屋内にいればまずばったり会うことはない。

 

 

 スネイプはクィディッチの試合以来、ずっとクィレルに目を光らせていた。とはいえ、休暇中の外出先までは監視することはできない。

 スネイプはじっくりとクィレルの不審な行動について考える時間を得たわけだ。

 

 ダンブルドアはクィレルの背後に名前を言ってはいけない例のあの人の存在を感じているようだった。しかし、本当にあの人が生きているんだろうか。スネイプはダンブルドアの命令に忠実だ。しかし、理性とは別の部分であの人の生存を否定している自分もいた。

 もしクィレルが単なる“石泥棒”だとしたらポッターを殺すのは明らかに余計な手間だ。ポッターを邪魔に思う何者かが噛んでいるのは間違いない。しかし…死の呪文をまともに食らって生きてるなんて信じたくない。

 

 スネイプは貧乏ゆすりをしている自分に気づいて、そっと膝に手を当てて落ち着かせた。

 

 

「こーら。セブ、お行儀悪いわ」

 

 リリーがよく、こうして私を諌めていた。貧乏ゆすりは熱中して考え事をしてるときに出る癖だった。

 組分けで別々の寮になったとき、スネイプは絶望した。しかしうまく場所を見つければ放課後一緒に勉強できたし、昼ごはんも外で一緒に食べれたし、むしろ魔法の勉強のおかげで時間の濃度は一気に増した。

 

「ね。みて!水中に花を出現させる魔法…水中って実はいろんなもので満ちているから、比較的容易なんですって!」

「え…そうなんだ。でもできるかな?」

 

 本を覗き込んで、二人してああでもないこうでもないと、持ってきた金魚鉢に呪文をかけていた。結局、一年生のうちに花を出現させることはできなかった。

 不意に思い出したその憧憬にスネイプは笑ってしまった。個室でよかった。生徒たちに笑顔なんて見られた日には、全員を罰則を課すしかなくなる。

 

 “セブルス・スネイプ”が生徒たちからどう見られているべきか、教職についた頃からずっと気を使っていた。

 

 厳しいのに、身内びいき。そして誰にも好かれないってくらいに意地悪に。

 舐められたくないというのがまず根底にあった。そして次に、関わりたくないという他者への強い拒絶感だ。

 

 魔法使いには男女差別的な社会通念は(すくなくともマグルと比べれば)ない。だからこれは自分で自分に課すルールなのだ。

 それに、どうせ子供の頃からもともとこういう性格だ。攻撃性が強まったのは、リリーが自分を置き去りにしていくように感じてからだと思う。

 

 スネイプはギュッと強く拳を握り、それ以上過去に思いを馳せないように意識を現実に連れ戻した。ダンブルドアの頼まれごとを一つ、休み中にこなさなければならない。

 

 

 例の石防衛のため、『みぞの鏡』を地下に運ばなければならなかった。

 

 

 スネイプはみぞの鏡が置かれている空き教室に向かった。ドアを開けてすぐ、違和感に気づいた。ドアから鏡の前まで、布が何かで拭われたかのように埃が全くなかった。運び入れたのは割と前のはずなのに。

 

 まさか生徒が鏡を見つけたんだろうか?だとすればなおさら、誰かが虜になる前に移動させなければならない。

 

 スネイプはくすんだ色合いの鏡面を見た。映ったものを見て、縁にかかれた言葉を読み上げる。

 

「私はあなたの顔ではなく、あなたののぞみを映す…」

 

 鏡の向こうに立っているのは、まだ幼い二人の少女だ。微笑みを携えた赤毛の少女、リリー。そして、彼女と手をつなぐ私…。

 

 スネイプは杖を振り、鏡に布をかけた。そして鏡を浮かせ、レデュシオ(縮め)を使い、運びやすい大きさに変えた。

 教室を去るとき、思っていることが思わず口に出てしまった。

 

 

「望みが永遠になればいいのに」

 

 

 

 

 

 



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標の先、闇の中

 ハリーは鏡に映る自分と両親の姿をほとんど一日中眺めていた。この鏡はどうやら見る人によって違うものを映すらしく、ロンに両親を紹介することは叶わなかった。

 

 父親は自分とよく似ている。くしゃくしゃの黒髪、口元、鼻、輪郭に至るまで全てがそっくりだ。けれども目の形はどうやら母親の物を受け継いだらしい。たおやかに微笑む赤毛の母が鏡の中のハリーの肩を柔らかそうな手で抱いている。あのペチュニア伯母さんと姉妹だなんて信じられない。

 二人は優しい眼差しで鏡の中からハリーを見つめていている。ハリーはたった一人、埃っぽい部屋で心臓の奥がギュッとなるのを。

 

 両親のいる自分を、額の傷のない自分を想像した。

 時間が過ぎていくのがあっという間だった。だが扉の向こうから近づいてくる足音にハリーの心は現実に引き戻された。慌てて透明マントをかぶって鏡の前からどき、部屋の隅っこで息を殺す。

 足音が止まり、扉が開いた。入ってきたのはなんとスネイプ先生だった。

 

 スネイプはキビキビとした足取りで鏡の前に立ち、それをまじまじと眺めていた。

 ハリーは透明マントをかぶっているのに加え、机と椅子と影に潜んでいる。大きな音でも立てない限りスネイプに見つかることはないだろう。

 

 

「私はあなたの顔ではなく、あなたののぞみを映す」

 

 

 スネイプが急に口にした言葉にハリーはハッとなった。なるほど、あの意味不明な文章は後ろから読むのかと。

 

 …スネイプは、鏡に何を見ているんだろうか。

 

 ハリーはほんのちょっと身を乗り出して、スネイプがどんな顔をしているのか見ようとした。

 けれどもスネイプはすぐに鏡に布を被せた後、杖を華麗に振って魔法をかけて、小さくしてしまった。

 

 どうやら鏡をどこかにやってしまうつもりらしい。やめて!と声をかけたいところだったがそんな事をすればきっと難癖をつけられて減点される。

 ハリーは狼狽しつつ、鏡を持って部屋から出ていこうとするスネイプの背中を見送ることしかできなかった。

 

 スネイプは部屋を出るとき、小さな声で言った。

 

 

「望みが永遠になればいいのに」

 

 

 スネイプの声は、何故か妙に耳に残った。

 ハリーは、あの鏡が手の届かないところへやられてしまったことに落胆し、とぼとぼと寮に戻った。そして気乗りしないままロンと何回かチェスを打ち、ベッドに入った。

 

 眠る直前、例の悲しそうな顔のスネイプと、さっき聞いた彼女の言葉が脳裏に蘇った。

 永遠という言葉は、ハリーが想像もできないような時間を感じさせられた。同時にスネイプが鏡の中に見た望みが、二度と手に入らない失われたものなんじゃないかという気がした。

 

 だって、自分の望みもそうだから。

 

 

 


 

 

 

 クリスマス休暇が終わり、家庭で羽を伸ばした生徒たちが一斉にホグワーツ急行に乗って帰ってきた。

 生徒たちを出迎える晩餐の席で、スネイプは眉間を押さえながらプリンを食べた。

 休暇後の生徒たちは、スネイプから言わせてみれば“極めて無駄に”テンションが高い。しかもごく稀に何人かが浮かれすぎて、宿題をすべて忘れてくる。生徒は毎年入れ替わるのに同じことが繰り返されるのは未だ解明できない謎の一つだ。

 

 休暇が終わってようやく落ち着いたと思ったら、次にくるのはクィディッチ。スネイプはクィディッチという競技自体はあまり好きではない。(だが、やはりスリザリンが勝つと気分がいい。それは寮監として当然だ。)

 スリザリンVSグリフィンドールの試合ということで、またハリー・ポッターがフィールドに立つ。クィレルに同じ事をされないように、今回はスネイプ自ら審判に立つ。

 

 

 スネイプはクィレルが教職員席に辿り着く前に、やつの耳元でそっと囁いた。

 

「クィレル、我輩は見ているからな」

 

 スネイプはそれだけ言って、先に職員席に向かった。クィレルは試合中ずっと怯えながら、時々こちらを見ては引きつけを起こすというようなことを繰り返していた。

 

 試合が終わっても逃がすつもりはなかった。

 最近、禁じられた森でなにか得体のしれないものがユニコーンを襲っているようだとハグリッドから聞いていた。

 ユニコーンはさまざまな魔法の力を秘めているが、その最たるものが血に宿る延命の力だ。

 

 一度見回りで、深夜に廊下をこっそり歩いているクィレルを見つけたことがある。やつの靴には天然の腐葉土がついていた。もちろんその時もきつく問い正したが、結局逃げ切られてしまった。

 

 仕事柄ユニコーンの血の匂いは簡単に嗅ぎ分けることができる。しかし一番怪しいクィレルからはいつも何種類もの香を混ぜて燻したような匂いがするせいで、断定はできない。

 

 

 そう、クィレルはかなり怪しいにもかかわらず、決定的な証拠は残さないでいる。そこが余計に嫌らしい。

 

 

 クィレルは試合が終わると慌ててどこかへ消えようとした。スネイプはその襟首をひっつかみ、ひと目のつかない通路の向こう側へ突き飛ばした。

 

「セッ…セブルス…」

 

 柱に背中をぶつけたクィレルはターバンが落ちないように神経質に頭に手をやった。いささか暴力的だが、女な以上どうしたって筋力で劣る。初撃でやりすぎなくらい強く出て相手に畳み掛けるのが、スネイプが男相手に仕掛ける喧嘩の定石だった。

 

 クィレルにはすでに二、三度警告を発している。その時も今同様、過度に怯えた表情を見せていた。スネイプはそれを見るたびにクィレルの胡散臭さが倍増していくように思えた。

 

「クィレル、どうだ。見つけたのか?賢者の石を盗み出す手段を」

「な、な何を言ってるんですか…セブルス。わた、わたしはい、盗むなんて!そそそ…そんな…」

「お前が禁じられた廊下で何かをこそこそ嗅ぎ回っているのは知っている。まさか犬好きというわけでもあるまい」

「そんな。いいい、言いがかり、です!」

「そうかな?…いいかね、我輩はこれでもあなたに手を差し伸べているつもりなのだ。付くべき側を誤るなとね。…しっかり考えるといい」

 

 

 クィレルのたちの悪いところは絞っても絞っても決して価値ある情報を吐かない点にある。わんわん泣き叫ぶ女児に事情聴取するみたいに、質問の意味さえわかってないような答えを返される。

 だがクィレルはおそらく自覚的に、いや。計算高く、意図的なパニック状態を演出している。マグル学をやっていた頃のクィレルは少なくとも、自分の有能さをすきあらば会話に滑り込ませるような隠れた自信家だった。

 それが急にどもりのパニックターバン男になるって?ふざけるな。

 

 

 スネイプは何度もダンブルドアに訴えた。

 

「もう拘束してしまいましょう」

 

 しかしその提案に、ダンブルドアは首を縦に振らなかった。

「すでに最後の試練は設置した。クィレルが石を手に入れることは決してありえない」

「石が無理ならポッターを殺すかもしれません」

「わしと君が目を光らせている限り、そのような事はさせぬ。…それに…」

「なんです?」

「いや。とにかく、ハリーには最上の守りが施されておる」

「…あなたはいつもそうだ。私にすべてを教える気がない」

「そうじゃな。それでも儂に従うと誓ったのは誰じゃったかのう?」

 

 スネイプはダンブルドアをキッと睨んだ。その視線を受けて、ダンブルドアはいたずらっぽく微笑んだ。こうやってダンブルドアはスネイプの苛立ちをのらりくらりとかわしていく。この関係にも、慣れてきた。

 

 

 そんなこんなでしばらくは夜間にクィレルが徘徊していないか探る程度で、ハリー絡みのトラブルとは無縁だった。このままクィレルだけに集中していられればいいのになと思っていたある夜、フィルチがドラコ・マルフォイの襟首をひっつかんで研究室を訪れた。

 

「この生徒が夜間外出をしていましてね」

 

 新しいトラブルだ。スネイプは眉間にぎゅっとシワを寄せて、ドラコを見た。

 

「言い訳なら、今だけだ。今だけ、黙って聞いてやろう。ドラコ」

「ごめんなさい…」

 

 縮こまったドラコから聞くところによると、今晩ハリー・ポッター達はドラゴンを学外に引き渡すために夜間に出歩く計画を立てていたらしい。ドラコは現場を抑えるべく自身も夜間外出し捕まったそうだ。

 ミイラ取りがミイラにとはよく言ったものだ。

 この父親似の狡猾な少年も、年相応の可愛げのある間違いを犯すらしい。スネイプは内心おかしくて笑いたくなったが、これで校則破りの癖がついても困る。険しい顔で厳しく警告し、マクゴナガルの処罰と罰則は撤回できないと告げた。

 その日は打ちひしがれたドラコを寮まで送り届けて床についた。

 

 


 

 ドラゴンのノーバートをチャーリーに引き渡す大冒険の代償は思っていたよりも高くついた。まず一人あたり50点の減点!これが最悪だった。ハリーのクィディッチでの好プレーの数々はみんなの心から消え去り、やらかし一年生のレッテルを貼られ、行く先々で後ろ指をさされる羽目になった。

 

 ハーマイオニーは口をぎゅっと一文字に結んで勉強に集中することにしたらしい。ハリーもそれに習った。

 2日後、ハリー、ハーマイオニー、ネビルのもとに手紙が届いた。

 

 

処罰は今夜11時に行います。

玄関ホールでミスター・フィルチが待っています。

 

マクゴナガル教授

 

 

 それを見たネビルは泣き出しそうな顔をして、ロンが肩を叩いて励ましてやってた。ハリーは減点のことで頭が一杯になっていたが、もっと恐ろしい罰則が待ってることを思い出してより暗い気持ちになった。

 

 夜11時、玄関ホールに行くとフィルチが意地の悪い笑みを浮かべて待っていた。三人が来ると行き先も告げず、外に向かって歩き始めた。

 フィルチは真っ暗な校庭を横切りながらかつてのホグワーツの残酷な罰則についての情感溢れる語りを披露していた。その声の抑揚は学校の管理人なんかより適職があるんじゃないかというくらいに絶妙で、三人は歩いてる間中ずっと恐ろしい想像を掻き立てられた。

 ネビルはもう罰は始まっていると言いたいくらい怯えきり、泣いていた。

 

 月明かりが雲に遮られ真っ暗になるせいでいつもと違った景色に見えたが、よく見れば今歩いているあぜ道はハグリッドの小屋へ続く道だった。

 

「フィルチか?」

 

 ハグリッドの声が聞こえてハリーはようやくホッとした。

 

「すまんが急いでくれ。もう出発したい」

 

 しかしハグリッドの声はこれまでにないほど緊張していた。近づくと片手には大きなランプを持っていて、腰に石弓をぶら下げ、矢筒を背負っているのがわかった。

 ハグリッドの横にはファングがいて、更にその奥、小屋の入り口付近にはドラコ・マルフォイと、なんとスネイプまで立っていた。

 

「じゃ、私は夜明けにこいつらの残った部分を引き取りに来るさ」

 

 フィルチが捨て台詞を吐いて校舎へ戻っていく。てっきりスネイプもそれに続くと思ったが、ドラコのそばに立ったまま不機嫌そうな顔で腕を組んだままだ。

 

「さて、と…お前さんたちは今晩、森に入らなくっちゃならない。それが罰だからな」

 

 ドラコの顔がクシャッと歪んだ。ネビルはひときわ大きくしゃくりあげ、ハーマイオニーはぎゅっと拳を握りしめた。

 

「とはいえ、俺一人じゃ四人はちと危険だからな…スネイプ先生が補助をしてくれる。…まあ詳しいことは歩きながらだ。時間がもったいねえ」

 

 ハリーはスネイプを見て心臓の鼓動が早まるのを感じた。ただでさえ恐ろしい森に入らなきゃならないのに、スネイプまでいるなんて!

 

 ハリーはスネイプがどういう人なのか、もうさっぱりわからなかった。

 

 ものすごく意地悪な先生だというのはずっと変わらない。だがときおり垣間見える寂しげな顔や意味深な言葉が、スネイプに対する感情が“嫌い”に昇華されるのを邪魔していた。

 ただはっきりとしているのはハリーのことをとても嫌っているということ。自分を嫌っている相手と一緒にいるのは辛いことだ。(マルフォイも同様、できれば一緒にいたくない)

 

 

 スネイプはチクチク嫌味を言ってくるかと思いきや、一番後ろでランプを持って静かに歩いていた。ハリーは耳元で脅し文句を聞かないように、ハグリッドのすぐ横でファングのリードを率先して持っていた。

 ハグリッドは注意深く森の奥へと進んでいった。普段と全然違う様子に、ハーマイオニーさえも青い顔をしていた。暫く進むとハグリッドは立ち止まり、ランプを掲げてすこし先の茂みを指さした。

 

「いいか。これからこの森で傷ついたユニコーンを探す。あそこに銀色に光ってるモンが見えるか?あれはユニコーンの血だ。前から何かがユニコーンを襲っているようだったが…どんどんエスカレートしちょる」

「ユニコーンを?」

 ドラコが珍しく怯えた声でいった。ハグリッドはうなずき、四人に向き直った。

「安心しろ。俺やファングと一緒にいれば、この森のもんはお前たちを傷つけやせん。これから二手に分かれてユニコーンを探す。相当苦しんでるに違いねえからな」

 

「僕はスネイプ先生と行きたい!」

 

 ドラコはすかさずスネイプのそばに駆け寄った。ハリーとハーマイオニーはすぐにハグリッド側によったが、ネビルがもう限界といった顔でハリーを見つめてくるものだから、思わずハグリッドの隣を譲ってしまった。

 

 スネイプの眉がピクリと動くのを見てハリーはちらりとハーマイオニーに助け舟を求めたが、ハーマイオニーはハーマイオニーでハグリッドの服の裾を握りしめ、怯えていた。弱音こそはかないがかなり怯えているらしい。ここは男の自分が耐えなければならないだろう。

 

「んじゃあスネイプ先生、ファングを連れてってくれ。ユニコーンを見つけたら緑を、救援には赤の光を打ち上げて集合だ」

「ああよかろう。ハグリッド、二人の死体を持ち帰る羽目にならないように」

「ふん。そんなことになるわけねえ!あんたこそ、あまり油断はせんように」

「善処する」

 

 スネイプは杖をくるりと指で回転させ、杖先に光をともしていた。余裕綽々だ。

 

 ハリーはハーマイオニーの“ごめん”という視線に“いいんだ…”と返しながら、ずんずん歩いていってしまうスネイプとそれにひっつくドラコの後を追った。

 

 スネイプの杖先の光はとても柔らかく、それでいて明るかった。けれども周りから聞こえるなにかしらの唸り声や下草の折れる音、風に吹かれてざわめく木々は恐ろしかった。どこからか蹄の音が聞こえてきて、ハリーはスネイプ達の方へ距離を詰めた。

 ドラコはちゃっかりスネイプの腕にしがみついている。スネイプは少し嫌そうな顔をしていたが、振り払ったりはしなかった。自分の寮の生徒だとだいぶ対応が違うらしい。ハリーはファングの背中に手を当ててなんとか恐怖を誤魔化そうとした。

 

「先生、ユニコーンを襲ってるのは一体何なんですか」

 

 ドラコが沈黙に耐えかねてスネイプに質問した。

「さあね。ただし邪悪なものであるのは間違いない」

「邪悪なもの?どうしてわかるの?」

 ハリーが思わず口を挟むと、スネイプはちらりとも見ずに答えた。

「ポッター、ひょっとして魔法薬学は履修していなかったか?ユニコーンの血には命を永らえさせる力がある。もっとも、無垢なるものの命を奪った瞬間からその生は永遠に呪われる…と、教科書に書いてあるはずだが」

 ハリーは顔がかあっと赤くなるのを感じた。確かにユニコーン由来の材料はたくさん授業で使ったし、それについて書かれている部分があったような気がする。でもあんな厚い教科書の隅々まで覚えてられるのはきっとハーマイオニーだけだ。

 

「永遠に呪われる?それってものすごく苦しいんじゃないかな。僕なら死んだほうがマシだね」

 ドラコはハリーがけなされて少し気分が良くなったらしい。ちょっと生意気に会話を続けた。

 

「それでも生にしがみつく、それ自体が呪いだ」

 

 スネイプの声はとても冷たく、重く響いた。

 

「…そんなものがどうしてこの森に……」

 

 ハリーのつぶやきを遮るようにして、スネイプが杖を前方へ掲げた。ドラコはスネイプの腕に強くしがみつき、ハリーまで思わずドラコの方へ寄ってローブの端を握ってしまった。ファングの毛が逆だっている。

 

「血溜まりだ」

 

 スネイプの指す方向には月明かりを反射してきらきらひかる銀の血溜まりがあった。さっきのよりも光り輝いている。“新鮮”らしい。

 

「どうやらユニコーン本体はそう遠くないな」

 

 スネイプは血溜まりから続く足跡を杖で照らした。ドラコもハリーも息を呑んだ。

 血の足跡が伸びる方から嫌に冷たい空気が漂ってきているような気がする。ファングは血溜まりの前から一歩も動こうとしてなかった。今にも逃げ出しそうなくらいに怯えている。

 

 スネイプは一歩進もうとしてから、片腕にしがみつくドラコを見た。

「ドラコ、手を離せ」

「えっ?!絶対嫌です!」

 ドラコは断固として腕から離れなかった。スネイプは血溜まりを指しながら言う。

「……では何かあったとき片手でやれと?」

「でも…先生…!」

「つなぐならポッターと繋げ」

 ドラコは一人で立つハリーの方を見て、渋々スネイプの腕から離れた。

 

「はじめに言っておく。この先に何がいても我輩から決して離れるな。おそらくそれが最も安全だ」

 

 ハリーはドラコと顔を見合わせ、しまっていた杖を抜いた。最悪トロールのときと同じように、鼻に突っ込んでやる。

 三人はゆっくりと藪の中を進んだ。

 ドラコが恐怖を振り払うようにハリーの方を見て挑発した。

 

「なんだ、怖いのか?ポッター」

「君こそ足が震えてるよ」

「うるさい」

 

「静かに」

 

 スネイプが囁いた。

 銀の標の先、闇の中で何かが蠢いていた。

 

 

 

 

 



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詮索屋

 森の闇は深い。月明かりが届くまで、幾重にも折り重なった植物がその僅かな明かりを反射し、遮り、濃い影を作り出す。

 

 スネイプの杖先が示す藪の向こうは、少し開けた場所らしい。全体的に月の光で明るい。奥に大きな岩が転がっていて、その手前に影が落ちている。

 

 そこに“なにか”がいた。

 

「………」

 

 ユニコーンがぐったり地面に体を投げ出していて、それに覆いかぶさるようにして黒い何かが口づけしていた。何かをすする音が聞こえた。血に違いなかった。

 

 スネイプはここにきて自分が自信過剰に陥っていたのだと気がついた。

 特別に重い処分に見える今回のハリーたちへの罰則だが、実際は10年に一回の頻度で起きる恒例行事でもあった。禁じられた森夜のツアーは重大な校則違反を繰り返しそうな生徒向けの脅しだ。

 しかし今の森は通常通りの“罰則コース”でも危険かもしれなかった。ユニコーンを害している何かがずっと森の奥にいるとは限らない。

 そこでスネイプは職員会議で自身もハグリッドと共に森に入り生徒の安全を確保すると提案した。万が一危険な何か(スネイプの予想ではクィレル)が襲ってきても叩きのめせる、と。

 クィレルが血をどこの誰に渡しているのか知らないが、やつ一人ならむしろその場で縛り上げ、操り主のところまで案内してもらう。それくらい強気でいた。

 

 

 どうやら私はこれから降り注ぐ危機に対していささか楽観的だったらしい。

 

 

 すする音がやんだ。はあ、と深く息を吸う音がした。

 

 スネイプはローブの裾を持ち、“何か”の視線がハリーとドラコを捉えないよう、腕を少し上げた。しかしハリーが憑かれたように“何か”を凝視し、なおも姿を捉えようと背伸びをした。

 枝の折れる音が響いた。

 

 その“何か”は上体をぐるんと捻じ曲げ、こちらを見た。周囲の気温ががくんと下がり、腥い臭気まで漂ってくる。濃い影の落ちた頭部に2つのギラギラと光る瞳があった。その邪悪な眼差しを見て初めて、“何か”がローブを目深にかぶったヒトであると理解できた。

 スネイプは自分の二の腕に一気に鳥肌が立ったのに気づいた。こちらから攻撃を仕掛けるスキもなく、“何か”はぶわ、と宙に舞い上がった。

 

ルーモス・マキシマ!」

 

 スネイプは背後の二人をローブで覆うようにして後ろ手に抱きしめ、とっさに呪文を唱えた。眩い光が杖先から放たれ、周囲は昼間のように照らされた。

 

「ッ!」

 

 “何か”は見開いた目に直接光を浴び、声にならない悲鳴を上げた。スネイプはさらに呪文を唱える。

インカーセラス!(縛れ)」

 杖先からロープが出現し、“何か”に絡みついた。真っ黒な塊が地面にぼとりとおちる。捕らえたと思ったのは“何か”の纏うローブのみだったらしい。

 

カーベ イニミカム(敵を警戒せよ)」

 スネイプは大きく杖を振り、自身の周囲5メートルほどに警戒呪文をかけた。しばらく待っても追撃は来なかった。

 

 

「いっ…今のは……?いったい…」

 怯えきったドラコはハリーの体にガッチリ抱きついて涙を流していた。ハリーはハリーで額を押さえ、ドラコに体を支えられているような状態で、スネイプにはどこからどうフォローしたものかわからない。

「あれが…呪われたいのちだ…」

 スネイプは深いため息をついた。また杖を振り、落ちていた枯れ枝を燃やして簡易的な松明を作った。ドラコがホッとしてハリーに抱きつく力を弱めると、ハリーはそのまま地面に膝をついてしまった。

 

「ポッター、まさか傷が痛むのか」

 スネイプはハリーの肩を掴んだ。ハリーは強く額を押さえ、眉間にはぎゅとシワを寄せて冷や汗をながしている。

「あっ、アイツに攻撃されたのか?!」

「…ドラコ、赤い光を打ち上げろ」

「は、はいッ!」

 

 ドラコは空に赤い光を発射した。遠くでファングがわんわん喚き散らす声が聞こえる。

「も…もう大丈夫です」

 ハリーは気丈に応えた。だがスネイプは別の、恐ろしい予感に内心がすうっと凍りつくようだった。

 

 

 


 

 

「以上が私が森で見たものの詳細です」

 

 ダンブルドアはスネイプの報告を聞いて、ふうむと唸って半月眼鏡を外した。

 

「クィレルが何者かにユニコーンの血を提供していると思いきや…それ自体がユニコーン狩りをしていた、と。なるほど、どうやら敵は想像していたよりも遥かに追い詰められているようじゃ」

「ええ。頻度が上がっています。もう石の為に強硬手段をとるのは時間の問題かと」

「そうじゃろう。しかしやつが石を求めれば求めるほど、辿り着けん」

「校長、やつが生徒に危害を加える可能性は」

「…君はヴォルデモートが学内にいると思うか?」

「今となっては、はい」

「生徒に危害を加える可能性は、極めて少ないじゃろう。ハリーの初試合の頃ならいざ知らずユニコーンの血を啜るまで弱ってしまっては、よほどの好条件が重ならない限りは戦うことすら不可能じゃ」

 

 スネイプはダンブルドアの言うことについて、ほとんど彼は正しいと確信している。ただ時々相容れない点があり、その多くはハリー・ポッターに対しての扱い方だ。

 

 スネイプは、危険な出来事全てからハリーを遠ざけるべきだと思っている。それは傷つくあの子を見たくない、とかリリーの子どもを危険に晒したくない、とかではなく。単なるリスク管理のスタンスだった。

 一方でダンブルドアは、若干の危険はむしろあの子のためだと思っているかのようだった。

 

 あの子がもっと慎重でおとなしく、思慮深い子だったらこんなに気をもまないでもよかったのに。

 どんなに恐ろしい外敵が来ても、ハリー自ら危険に踏み込んでいかなければもっと安全に日々を過ごせるのに。

 どうしてこうも余計なことに足を踏み入れるのだろう?

 わざわざトロールに立ち向かいに行ったり、ドラゴンを助けようとしたり、禁じられた廊下に近づいたり…。

 この救いようのない校則破りグセは遺伝なんだろうか?

 なぜかジェームズ・ポッターが教授に怒られながらリリーにウィンクしてるのを目撃した時のことを思い出してイライラしてきた。

 

 

 

 

 

「あいつ嫌い」

 

 リリーはスネイプのいう“あいつ”が誰かわからず、きょとんとしていた。

「誰かに意地悪されたの?」

「意地悪は寮で日常的にされてるよ!慣れた。そうじゃなくって…」

 スネイプは言葉が詰まってしまった。スリザリン寮でちょっとした村八分を受けていることが思っていたより心の傷になっていたことに驚いた。慣れていると自分で言っておきながら情けない。

「…セブ。ほら」

 

 リリーはスネイプの方へ両手を広げた。スネイプはそっとその腕の中に体を預け、目を瞑った。

 リリーはスネイプに家で嫌なことがあったときもよくこうしてくれた。学校でもひと目のないベンチでだったら抱き締めてくれる。ちょうどそのときは夕暮れ近くで、ほとんどの生徒が晩餐に行っていた。スリザリン寮とグリフィンドールの寮のちょうど中間くらいの一階の渡り廊下。スプラウトの温室に行くときくらいしか使われないそこで二人は一日にあった出来事を共有していた。

 

「リリー…」

 

 リリーは私が強がりなのを知ってるから、理由や犯人を問いただしたりしない。リリーは私を尊重してくれる。だから好きだ。

 言葉にしなくても、何かを察してこうやって抱き締めてくれる。リリーのちょっと困った笑顔を見ると、それだけでなんだか自分の悩みを全部打ち明けたような気持ちになって、楽になる。

 

「あ」

 

 リリーの腕から顔を上げると、今回のイライラの元凶である“あいつ”が柱の向こうからこっちを見ているのに気がついてしまった。

 

 ジェームズ・ポッター。

 

 くしゃくしゃの黒髪につぶらな榛色の瞳をした、グリフィンドールの男子だ。こいつとは組分け前の電車からすでにひと悶着あった。

 もう晩餐を食べ終わったんだろうか?でもどうして、わざわざ寮への近道じゃない廊下を歩いているんだろう。

 そんなの決まってる。リリーを探してたんだ。

 だってポッターはリリーのことが好きだから。

 

「セブ?」

「…ううん。なんでもないよ」

 

 スネイプはもう一度リリーの腕の中にぎゅっと体を押し込めた。ポッターに見せつけるみたいに。

 もう一度顔を上げたとき、ポッターはいなかった。

 

「元気でた?」

「うん。ありがと…リリー」

「んーん。セブはこう見えて寂しがりやだもんね」

「やになった…?」

「まさか!そういうところが可愛いわ!」

 

 リリーはスネイプの手を取り、大広間に向かった。まだ机の上には夕食が山盛りのはずだ。ここに来て何より良かったのは、ご飯がいつ食べても美味しいところだった。

 それはあれから20年近くなった今でも変わらない。 

 

 

 あのときのポッターの驚いた顔ときたら。年頃も相まって、本当にハリーとダブってしまう。だが今思うとジェームズのどこか恥ずかしげな赤みを帯びた顔は、すでに恋をぼんやりと知ってる色だったんだと思う。

 スネイプはリリーをはっきりと好きだと意識していたけれども、自分がリリーをどうしたいのか言葉にできるようになったのは、もっと後のことだった。

 あの頬の赤らみは、相手に触れたいという欲望は、無邪気に手を繋ぐことができない年になって炎のように胸を焦がした。

 

 その火の痛みを、いつまでたっても忘れられない。

 

 

 

 その火がまだ胸に燻っているのだとわかったのは、ハリーが禁じられた廊下の前を懲りもせずに嗅ぎ回っているのを見つけたときだった。

 

 


 

 

「我輩としては…」

 

 ロン・ウィーズリー、ハーマイオニー・グレンジャーとともに顔が青ざめているハリーを思いっきり睨みつけた。眉間にシワを寄せれば寄せるほど横にいるロンが縮み上がっていく。

 

「これ以上グリフィンドールからは点が引けないと記憶している。違うかね」

「はい……せんせい…」

「ではここにいる正当な理由が当然あるのだな?…ミス・グレンジャー、どうだね?」

「えと…私達、あの…」

 

 ハーマイオニーはしどろもどろになってしまう。普段は生意気そうだがこういう時にはしおらしくなるだけまだ可愛げがある。

 

「僕たち、見張ってるんです」

 

 ハリーが声を少し震わせながら言った。

 予期してなかった反撃にスネイプは少し狼狽える。

 

「今、ダンブルドアは学校にいないんです」

「だからなんだ?それと諸君がここにいる理由は結びつかないと思うのだか」

「賢者の石です!…先生はここにあるって知ってるんですよね?」

「………何を言い出すかといえば、ポッター。よほど我輩を苛立たせるのが好きとみえる」

「僕、先生がクィレルを脅すのを見ました!でも僕には先生が泥棒だとは思えないんです」

 

 ぶちん、とスネイプの眉間で血管が切れる音がした。

 

「ポッター。今すぐ寮に戻らなければ10秒に付き一人あたり50点引く。次ここで見かけても同様だ。寮対抗で史上初のマイナス点を叩き出したくなかったら…ッ」

「い、行こうハリーっ!」

 

 ロンは大慌てでハリーの腕を掴んで階段へかけていった。ハーマイオニーもハリーの尻をひっぱたくようにそれに続く。

 

 まさか一番怪しいスネイプに面と向かって疑惑を話すとは思わなかった。

 ハーマイオニーはため息をついて談話室のソファーに沈み込んだ。だがああして真正面から疑っていると切り出せば、ある程度抑止力になる。けれども一年生の脅しがあのスネイプに効くのかどうかはわからない。

 

「スネイプ、あれで泥棒をやめるかな?」

 隣に座るロンが憂鬱そうにつぶやいた。それにハリーが答える。

「僕は…犯人が誰かやっぱりまだわからないよ」

「どっちにしろダンブルドアがいない日なんてきっともうないよな?ああ…マクゴナガルがうまいこと気づいてくれればいいけど!」

「でも私達にできることはないわ。スネイプに見つかった以上寮から出られなくなっちゃったんだもの」

「何言ってるんだい。僕らにはこれがあるだろ」

 

 ハーマイオニーの暗い声に、ハリーは自信満々に透明マントを引っ張り出してきた。ハリーの度胸には何度も驚かされる。

 

「何もなければないでそれでいい。泥棒なんていなかったっていうのが一番だ。…でも、万が一誰かがフラッフィーを出し抜いていたら…止められるのは、僕たちしかいない」

 

 三人はしばらく黙ってから、お互いを見つめ合って静かに頷いた。

 


 

 

 

 ハリー・ポッターの口から賢者の石という言葉が飛び出てきて、スネイプはいよいよ我慢ならなくなった。シンプルに頭をぶっ叩いてやりたくなったが、大人としての理性がなんとか手を振り上げるのを抑えた。

 どうやってその存在に辿り着いたのか。(大方ハグリッドだろうが…)そして辿り着いてなお、泥棒を見張るだって?

 スネイプを泥棒と疑うのはいい。むしろ勝手に怪しんでくれて結構だった。なのに、あろうことかハリー・ポッターは私を庇った!見当違いの疑いから。

 

 なんて腹立たしいことなんだろう。そして、庇ったのがもしハーマイオニーだったら自分はここまで腹を立てることがなかっただろうことに薄々気づいていた。それがまたスネイプの中のいらだちを加速させる。

 スネイプは自分の机の上のレポートを全部暖炉に放り込んでしまいたくなる。もちろん少女でもあるまいし、そんなことはしない。

 

 

「……しかし……ダンブルドアがいないのもまた事実だ…」

 

 スネイプは自分に言い聞かせるように言う。まずは忌まわしき三頭犬の様子を見に行くべきだろう。

 

 

 

「本当に…親子揃って………」

 

 

 

 詮索屋。

 

 




小和オワリさんに1話のあのシーンを描いていただけました…!
オワリさんの激重感情の化身女スネイプを見て書き始めたといっても過言ではないので本当にうれしいです!ありがとうございます。
(1話にも掲載しています)
ドーンですね

【挿絵表示】


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その熱の名は

 スネイプはほとんど走るようにしてクィレルの研究室まで行った。ドアをノックしても返事はない。緊急事態、と心の中でつぶやいてドアを解錠(アロホモラ)し部屋に押し行った。

 部屋の中には大きな大鍋が怪しげな煙をたてていて、他にも複数の香が焚きっぱなしになっていた。変色した包帯やガーゼが床に散乱し、ターバンの替えらしき紫色の布が絡まり落ちている。その奥から獣のような生臭い臭いが漂ってきて、頭がくらくらする。

 机の上に放置されている何枚もの羊皮紙は文字とも紋様ともつかないのたうったインクの跡が残されていた。手に取りよく読むと、いくつか材料の名前が拾えた。そこから見るに苦痛を和らげる魔法薬の作り方のようだが、あまりに汚い文字と鍋から立ち上る水蒸気でよくわからない。

 スネイプは足元にクシャクシャに丸まって落ちていた黒いローブを拾い上げた。そこには乾いた銀の液体が付着していた。分析するまでもない。ユニコーンの血だ。

 

 いずれにせよ、クィレルはこの部屋にいない。

 

 スネイプはクィレルの研究室を飛び出して、禁じられた廊下へ走った。真っ先に頭によぎったのはあの廊下でコソコソ嗅ぎ回っていたハリーたちのことだ。

 スネイプは守護霊を飛ばし、ダンブルドアに伝言を託した。

 

 禁じられた廊下の前は、以前森で感じた寒々とした空気が漂っている気がした。

 スネイプは扉に手をかけた。鍵はすでにあいていて、薄く開く。隙間から漂うのは閉じ込められた獣の匂いだ。ハロウィンの時は不覚を取り片足を怪我するという失態を演じたが今回は対策を講じている。

 三頭犬はかつて非常に優秀な番犬として重宝されていたが、現在繁殖、飼育されている個体数は極僅かで、資料も不全だ。だが文献を探ればきちんと彼らの生態について知ることができる。

 スネイプは杖を口に当て、呪文を唱えた。杖先から美しい笛の音色が響き、扉の向こうで何かが動く音がした。

 そっと扉を押すと、三頭犬はすやすやと寝入っていた。隠し扉は開きっぱなしだった。明らかに誰かが侵入したことを示していた。

 スネイプは迷わず扉へ飛び込んだ。

 

 


 

 

 ハーマイオニーはロンを抱えて羽つき鍵の部屋の扉を開けた。その扉の向こうにいる人物を見て、思わず悲鳴を上げてしまった。

 そこに立っていたのは、先に泥棒に入っていたはずのスネイプだったからだ。

 

「グレンジャー…」

 

 スネイプも同じく驚いていた。手には箒を持っていて、これから鍵を探すために飛ぼうとしていたのかもしれない。

 スネイプは怪我をしているロンを見るといつもの不機嫌顔に戻り、そっと手を伸ばしてきた。ハーマイオニーは思わず恐怖で目をつぶってしまった。

 しかしスネイプの手はハーマイオニーを攻撃するでもなく、ロンの頭にそっと当てられていた。

 怪我の具合をみるように頭を撫で回したあと、例のコウモリみたいな長いローブからガーゼと小瓶を出した。瓶の中身の液体をガーゼに染み込ませ、頭の傷に当てて包帯をひと巻きした。

 治療したのか、とハーマイオニーはホッとした。

 そしてハリーが何度もスネイプ犯人説を否定したのにもかかわらず彼女を疑い、一瞬でも恐怖した自分が急に恥ずかしくなった。

 

「で、ポッターは」

 

 スネイプの声にはあまり余裕を感じられなかった。というか、スネイプが泥棒でないのならば自分たちよりも先にここに侵入したのは一体誰なのだろう。

 ハーマイオニーは青ざめた顔でスネイプに説明した。

 

「私達、先生の罠のところまで行ったんです!でも、ロンがチェスで怪我をしてて…それでハリーが先に行って…私はロンを助けて、人を呼ばないと…!」

 

 ハーマイオニーの若干支離滅裂な説明にスネイプは苦々しい顔をした。しかし事態はすぐに飲み込めたらしい。手に持っていた箒をハーマイオニーに押し付けると、早口で言った。

 

「では君たちはこのまま戻り助けを呼びたまえ。ポッターは私が救出する」

 そう言って駆け出すスネイプに、ハーマイオニーは大声で尋ねた。

「一体誰が泥棒だったんですか?!」

 

 スネイプは答えなかった。

 

 


 

 

 ハリーは炎の向こう、みぞの鏡の前に立つ人物を見て絶句していた。

 そこにいたのはハリーにとっては予想外の人物、クィレル先生だったからだ。

 たしかにクィレルはスネイプに脅されていた。あれはもしかして盗みをするなという警告だったのかもしれない。けれども誰がどうしてあの臆病者のどもりのクィレル先生が“賢者の石”を盗み出そうとしている、なんて思いつくだろう。

 

「ポッター、ひょっとしたらここで君に会えるんじゃないかと思っていたよ」

 

 クィレルの言葉はつっかえることなく、声もやけに低く、落ち着いていた。

 

「ぜんぶ、あなたが?」

 

 ハリーの端的な質問に、鏡に映るクィレルの顔がニヤリと笑った。

 

「全部とは、どこからどこまでのことかな。君を箒から落とそうとしたこと?トロールを城に入れたこと?それとも森で襲いかかったことかな、ポッター」

 

 ハリーは絶句した。

 事実に驚愕したのではなく、クィレルの顔が悪意に満ち溢れていたからだ。一年間授業を受けていたし、廊下で何度もすれ違った。晩餐の感想について二、三言葉を交わしたことだってある。あの弱気なクィレルと、盗人としてここに立っているクィレルとが頭の中でうまく結びつかない。

 

「スネイプを疑ってたんだろう?あいつはいかにも怪しいからな。それに…お前を嫌ってる」

「確かにぼくは先生に嫌われてる。でも先生はそんな事しないってわかってた」

「ほう?親からあいつの思い出話でも聞いていたのか。ああ、それはなかったな…お前の親は死んでるんだから」

 クィレルはなおも挑発的だ。ハリーは怒りに駆られて叫ぶ。

「先生は森で僕を守った!理由はそれだけで十分だ!」

 クィレルはそんなハリーの強がりを聞いて高らかに笑う。ハリーの怒鳴り声は恐怖の裏返しに他ならなかったからだ。

 

「ふっ。確かに箒のときにしろ、あいつはお前を守っていたな。…バカな女だ。私の背後に誰がいるかも知らずに邪魔ばかりしおって…」

「いつまで無駄話をするつもりだ?」

 

 急に、ここにいない誰かの声が聞こえた。鏡のそばからだ。ハリーはよく目を凝らすが、鏡のそばにはクィレル以外誰もいない。

 声を聞いた途端クィレルの顔が急に歪み、いつも校内で見かけていた怯えた表情に戻った。

 

「ご主人様…ですが私にはこの鏡が何なのかわからないのです」

「その子を使え。その子を…」

 

「ポッター!こっちだ。早く来い」

 

 ハリーは足がすくんで動けなかった。だがクィレルが杖を振るうとたちまち鏡の前に引きずり出されてしまう。

「何が見える?言え!」

「な、何も…」

 鏡の中のハリーは現実のハリーと同じ怯えた顔をしている。特別なものは見えず、ハリーは困惑した。

 しかしクィレルが狼狽し苛立ち始めると、鏡の中のハリーが突然こちらへウィンクをした。その手には赤く輝く石を握っていた。鏡像はいたずらっぽく微笑むと、ズボンの右のポケットをぽんっと叩いた。

 ハリーは自分のポケットになにか固いものが入ってるのに気づいた。

 

“賢者の石”だ!

ぼくが手に入れた!

 

 危うく歓喜の表情が出るところだった。しかしハリーはぐっとこらえ、見えもしないご馳走について説明をした。クィレルは当然苛立つ。しかしその苛立ちには先程見せた挑発的な表情と違う何かが潜んでいた。

 

「埒が明かんな」

 

 また、誰かの声が聞こえた。今度は出処がはっきりわかった。クィレルの頭から聞こえたんだ。それがわかりハリーは足がすくんだ。クィレルも泣き出しそうな顔をしていた。

 

「わしが直接話す」

「ですがご主人様!あなた様はまだ…」

「くどいぞ!」

 

 逃げ出したいのに魔に魅入られたように足が動かない。クィレルはターバンを解く。そしてゆっくりと体を後ろに向けた。

 ここでようやく、ユニコーンの血をすすっていた“何か”がずっと森で暮らしてたんじゃなくて、ハリーのすぐそばに潜んでいたんだと気づいた。

 

 ギラギラと光る赤い瞳。蝋のように白い肌。蛇のように縦に裂けた鼻。これまで見たことのない、醜悪な異形がそこにあった。

 

「ハリー・ポッター…」

 

 ハリーは呼ぶまでも無くそのものの名を直感した。

 

「貴様のおかげで、この有様だ。今のわしは影と霞に過ぎない。だが賢者の石さえあればわし自身の体を創造することができる。……さあ、ポケットにある石をいただこうか?」

 

 ハリーは後ずさりした。石の在り処はお見通しだった、それだけで彼の強さはわかった。ハリーが震える手で杖を掲げると、彼は高らかに笑った。

 

「馬鹿な真似はよせ。両親のようになりたいのか?」

 

 ハリーは何か呪文を唱えたかった。けれどもこの悪魔に効く魔法なんてハリーは知らない。ただ杖先がか細く震えるだけだ。それを見て彼はますます顔を醜く歪め、裂け目のような口から毒のような言葉を吐き出す。

 

「わしはいつも勇気を称える。お前の両親は勇敢だった。わしはお前を殺しに行った。母親はお前を守って死んだ。死ぬ必要はなかったというのに」

 

「だまれ!」

 

 ハリーは先程くぐってきた炎の扉へ駆け出した。

「捕まえろ!」

しかしクィレルが杖を振るうとフロアが一面火の海に包まれた。

 退路を絶たれたハリーの腕をクィレルが掴んだ。そのとたん、ハリーの額の傷に鋭い痛みが走った。その痛みに悲鳴を上げながらもがくと、クィレルの手があっさり離れた。

 

「あ……」

 

 クィレルが間抜けな声を上げる。呆然とした表情で、ハリーを掴んだはずの手を見ていた。その手はみるみるうちに炭のように焼け、灰のように崩れた。

 

「わあああああーーッ!ご主人様!手が、私の手が!!」

「愚か者ッ!ならば殺せッ!!」

 

 クィレルの悲鳴にやつの頭の後ろから罵声がなる。クィレルは血走った目を見開いて、ハリーへ襲いかかった。

 

 クィレルはハリーを押し倒すと迷わず首を絞めた。炭化した指が喉に食い込む。ハリーは手を突っ張ってクィレルをどかそうと足掻いた。

 するとクィレルがハリーに触れたところからみるみるうちに炎で炙られたかのように、皮膚が焼け爛れ組織が崩れ落ちていく。

 ハリーはがむしゃらに手のひらにあたるクィレルの顔を掻きむしった。悍ましい悲鳴が聞こえ、新雪を踏むような奇妙な感触があった。途端抵抗がなくなり、指先に灰が絡みついた。傷が割れるように痛み、体が真っ二つにされるような感覚がして、ハリーの頭の中が真っ白になった。

 チカチカする視界の端、炎の扉のむこうから黒い何かが転がるようにしてやってきたのを見て、ハリーの意識は途絶えてしまった。

 

 

 

 次にハリーが目を覚ましたのは医務室のベッドの上だった。瞬きをすると視界がはっきりして、自分のベッドを覗き込むようにしてダンブルドアがそばに座っているのがわかった。

 

「おはよう、ハリー」

 

 ハリーは飛び起きて慌ててこれまで起きたことを説明した。

 

「先生!石が…えっと、クィレルが!クィレルが犯人だったんです。そして頭の後ろに…あいつが…」

「ハリー、落ち着きなさい。何が起きたかはみんな知っている。実はあれからもう3日経っとるからのう」

 

 ハリーはびっくりしてダンブルドアを見つめた。ダンブルドアは半月メガネの向こう側で優しく微笑んだ。よく見るとベッドの周りには色とりどりのお菓子や花が飾られていて、窓際では魔法で作られた黄色い小鳥まで囀っている。

「なにが…なんだか」

 混乱するハリーに、ダンブルドアは優しく微笑んだ。

「ふむ。なんでも質問しておくれ、ハリー」

 ダンブルドアは丁寧に、ロンとハーマイオニーの無事と賢者の石の行く末について説明した。石はニコラス・フラメルと話し合い砕くことに決めたらしい。

 そして次に、クィレルのやった悪いことと、彼が死んだことを話した。

 

「クィレルが死んだなら…ヴォル…例のあの人は…」

「ヴォルデモートじゃよ。ハリー、名を恐れてはならない」

「ヴォルデモートは…死んだの?」

「いや、退いただけじゃ」

 

 ハリーはあのときの恐怖を思い出した。そして杖を構えて結局何もできなかった不甲斐なさも蘇ってきて、拳を握りしめた。

 

「ヴォルデモートは…どうして僕を殺そうとしたんですか?」

「ハリー、それを語るには早すぎる。もう少し大きくなれば、きっとわかるじゃろう」

「クィレルは僕に触れられなかった」

「そうじゃ。ヴォルデモートに理解できないものが君を守ったのじゃよ。君の母上は君を守るために死んだ。母上の深い愛が、欲望に溺れたクィレルのようなものから君を守ったのじゃよ」

「お母さんが…」

「そうとも、ハリー。君は深く、深く愛されていたんじゃ。そして今も、その印は刻まれている」

 

 ダンブルドアはそっとハリーの額に触れた。なんだかようやく、両親がここにいないという事実と向き合ったような気持ちだ。ハリーは目から溢れた涙をそっと拭った。

 ダンブルドアは小鳥を眺め、ハリーが泣き止むのを待ってくれた。

 

「あの…最後の質問です」

「どうぞ」

 ハリーは鼻をすすってから、ずっと気になっていたことを尋ねた。

「スネイプ先生は…ひょっとして、僕の両親と友達だったんですか?」

「ああ。同級生じゃった」

「どうしてスネイプ先生は僕のことを嫌いなのに、僕を守ったんでしょう?」

「おお、ハリー。誤解が誤解を呼んでおるようじゃのう。確かにスネイプ先生はご両親と同級生で、君のお父さんに命を救われたことがある。…じゃがある決定的な出来事があり、二人は犬猿の仲じゃった」

「じゃあ…先生が僕を嫌うのは父さんのせい…なんですか?」

「いや。人の感情とは時として複雑な層をなし、どこに向かうのかわからないものでの」

「ええっと…つまり?」

「ハリー、わしに言えるのは好きの反対は嫌いではなく、無関心だということじゃ」

 

 ダンブルドアは例のいたずらっぽい笑みを浮かべ、ハリーの見舞い品の百味ビーンズを一つつまんだ。

 

 

 

 ハリーが医務室から開放されると、寮を挙げてのお祭り騒ぎが始まった。浮かれ気分は学年度末パーティーまで続いた。

 寮の点数が最後の最後、大逆転したところでグリフィンドール寮の興奮はピークに達し、みんな帽子を投げ捨てて祝いに祝った。

 帽子や花火が広間の天井を埋め尽くす中、ハリーはスネイプの方をちらりと見た。

 スネイプはスリザリンから優勝トロフィーを奪われたせいか、ものすごく不機嫌そうな顔をして肘をついてむくれていた。

 火花が降り注いで、銀食器が光を反射させていた。ふいにスネイプがハリーの方を見た。

 

 しっかりと目があった。

 ありとあらゆる音が消え去ったみたいに感じた。

 

 ハリーは眩い光の雨に、みぞの鏡の広間で見た炎を重ね合わせた。

 

 ハリーは気絶する前に確かに見た。

 とても必死な顔をして駆け寄るスネイプを。

 

 あのときの彼女は顔は青ざめていて、走ったせいかそれとも炎のせいか、頬だけがほのかに赤かった。

 スネイプはほとんど転ぶようにしてハリーに覆いかぶさり、クィレルのローブと灰みたいな残りカスを振り払った。

 ハリーの目には彼女の黒いローブが炎に煽られ踊ったように見えた。

 

 そしてスネイプは、痛みで火照るハリーの額に冷たい指でそっと触れた。

 

 

 先生が本当に僕を嫌いなら、どうしてあんな表情をするんだろう。

 どうして助けにきてくれたんだろう。

 どうしてあんなにおっかなびっくり、僕に触れたんだろう。

 父さんと昔、何があったんだろう。

 母さんとは知り合いだったのかな。

 

 知りたいことだらけだ。

 

 スネイプがぷいっと顔をそむけた。

 そうしてやっと周りの音が戻ってきた。横にいたジョージが飛びついてきて、ハリーの意識は喧騒へと戻っていった。

 

 

胸に僅かな、炎のような熱を残して。

 

 

 



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秘密の部屋
鶏ガラ足のスニベリーちゃん


 

 

 羽ペンが羊皮紙の上を走るカリカリという音があちこちの机から聞こえていた。

 頭の痒くなる音だと、同じ寮で同級生のシリウス・ブラックが称していたのを思い出す。

 

 ジェームズ・ポッターはあくびを噛み殺し、少しでも眠気に対抗しようとして黒板を睨みつけた。

 黒板の横ではマクゴナガルが授業用の七面鳥をなでながら涼しい顔をしている。そしてその真ん前の席でリリー・エバンズが羽ペンをカリカリやっていた。

 

 リリー・エバンズはマグル出身で学校に来るまで魔法の勉強なんて何一つしてこなかったはずなのに、どの授業でも優秀だった。けれどもガリ勉というほど勉強に根詰めているわけでもなく、成績がいいのを鼻にかけたりしない子だ。

 正直かなり仲良くなりたい。ううん、直感的に感じた。好きだって!

 けれども一つ問題があった。

 ジェームズは昨日見た光景を思い出す。

 

 人気のない廊下でリリーとセブルス・スネイプが抱き合っていた。

 

 いや、女子同士がふざけて抱き合ったり、慰めるために頭をなでたりだとかは寮でも散見される。決して珍しい光景ではない。けれども、スネイプのそれは周りの女子とはちょっと違った。

 

 スネイプはまるでいつも何かに耐えてるみたいなしかめっ面をしてて、一人で早足で歩いていた。男みたいな名前にふさわしく可愛げがなくて、骨っぽい足にはスカートが恐ろしいほど似合ってなかった。

 

 そのスネイプが、リリーに抱きしめられて微笑んでいたのだ。

 その笑みは、ジェームズと目があった途端削ぎ落とされた。

 ジェームズは初めて見たスネイプの笑顔よりもその表情の変わりように驚いてしまった。

 

 スネイプは目を丸くしてこちらを見つめたあと、ふっと目を伏せてまたリリーの腕の中に顔を埋めた。まるでみせつけるかのように。

 

 

 なんなんだ、あれ…。

 

 

 ジェームズはため息をついた。するとマクゴナガルがネズミを見つけた猫みたいにきっと睨んできたので、ジェームズは背筋をピンと伸ばし、羽ペンをカリカリやった。

 通路を挟んで隣に座っていたシリウスがクスッと笑うのがわかった。

 

 

「それでね、マクゴナガル先生ったらおかしいのよ。授業で使ってる七面鳥、ディナーにされちゃうところを助けたらしいんだけど…名前がケンタッキーなんですって」

「…?どういうこと?」

「えっ。だから…ケンタッキーってフライドチキンのお店でしょう?食べられないように助けたのに変な名前っていう…」

「ああなるほど。リリーは面白いね」

「もう!セブのバカ。冗談を解説するってすっごく恥ずかしいのよ?」

「ごめんごめん」

 

 リリーとスネイプは魔法史の授業が終わってからも教室でおしゃべりしていた。今日最後の授業だからこうやって夕食までの時間一緒にいる。

 ジェームズはそれをチラッと見て、またため息をついた。

 

「授業中変な夢でも見たのかい」

 早速シリウスがからかってきた。ジェームズは冗談で返して教室を出た。

 

 廊下をしばらく歩いて人気がなくなってからジェームズは口を開いた。

「スネイプってさ…やなやつだよな」

 

「ん?ああ、あの鶏ガラ足のスニベリーちゃんね。エバンズと仲いいよな」

 シリウスはジェームズがリリーのことが気になっていることをなんとなく勘付いていた。ジェームズは自分の心が見透かされた気がして恥ずかしくなった。

「あいつは確かにやなやつだよ。闇の魔術に詳しいのを恥ずかしいとも思ってない。寮でも嫌われてるらしいよ」

「なんでエバンズはあんなのと仲いいんだろう」

「エバンズの前ではいい子にしてるんだろ」

「…はあ。なんだよ、普段はあんなつんけんしてるくせに」

「寮の中じゃあいつが女かどうかは疑わしいってさ。風呂も絶対みんなとはいらないらしい。覗こうとした一年の女子は陸で溺れたとか」

 

「きみさあ、なんでスリザリンの寮について詳しいんだよ」

「女子は噂話が好きだから。そしてなぜか僕にそれを教えてくれるんだよね」

 

 どうやらシリウスは一年生にして色男の風格があるらしい。ずいぶんませてる。けれどもブラック家といえばスリザリンのエリートにもなれる血筋だから、それも関係しているのかもしれない。

 悩ましげに黙ったジェームズを見てシリウスは励ますように言った。

 

「なんだよ、別に女の子同士だし仲良くったって君のライバルじゃないだろ」

「そんなんじゃないってば!」

 

 ジェームズはこの場で自分の疑念をシリウスに話してしまおうかとも思った。けれどもあの光景を思い出すと、なんだか胸の奥が変な感じになる。それをわざわざ告げ口のように他人に話すはなんだかとってもふしだらなような気がした。

 

「あーあ!なんかこう…ぎゃふんと言わせられたらいいのに!」

「ぎゃふんとねえ」

 シリウスは小さくて尖った顎を手で撫で付けて、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「じゃあいっちょやってみる?」

「どうやって?」

「うーん…転ばせる…とか」

「怪我させるのはまずいよ。…そうだな…うん。鶏ガラ足…か」

「ひょっとしてかわいげのあるいたずらを考えたね。ジェームズ?」

「君とはほんとに気が合うね、シリウス。問題は浮遊呪文はまだ僕たち完璧じゃないってことだけど…」

 それを聞いてシリウスはニヤリと笑った。

「よし、リーマスに習いに行こう!」

 


 

 

 

 

 セブルス・スネイプはフクロウが運んできた夕刊予言者新聞ともう一通、しもべ妖精のよこした学内の異常の報を見て目を白黒させた。

 

空を飛ぶフォード・アングリア!マグル多数目撃

暴れ柳に車が激突

 

 ハリー・ポッターがなぜかホグワーツ特急に乗っていないという知らせを受取り、ダンブルドアの代わりに方々に連絡を取りまくっていたさなかのことだった。スネイプの頭の中でこの2つは直ちにハリーへと結びつき、怒りに変わった。

 スネイプは教職員室から出て大広間へ向かった。晩餐会の明かりと子どもたちの騒ぎ声がどこからか聞こえてくる。

 

 廊下の先、大広間の扉の前にハリーとロンがいて扉の隙間からこっそりと中を伺い見ていた。

 

 どうやらかなり“冒険”してきたらしい。服はところどころ破けてて髪はぐちゃぐちゃ。ロンの頭には葉っぱと枝が絡まっていた。

 スネイプは大きなため息をついてから二人に近づいた。

 すぐさま首根っこを掴んでやろうと思ったが、二人は何やらヒソヒソと話しているようだった。スネイプは耳を澄ませる。

 

「あれ?職員席にスネイプがいないぞ…!」

 ロンがハリーにささやく。ハリーも慌てて隙間に乗り出して広間を確認した。

「ホントだ。何かあったのかな?」

「自分の寮への不正加算がバレてついにクビになったのかもしれない」

「そんなわけないだろ!!……先生は…そんなのずっとやってる」

「たしかに。じゃあ一体どうして…?」

 

 何かと思えばくだらない内容だった。スネイプは二人の背後に立ってオホン!と大きく咳払いした。

 

「こうも考えられないだろうか?馬鹿な生徒が行方不明だから、晩餐を抜いて嫌々探していた…」

 ハリーとロンの肩がびくりと強張り、二人はぎくしゃくとした動作でゆっくり振り向いた。

 

「地下室だ。ポッター、ウィーズリー」

 

「………はい……」

 

 二人は打ちひしがれた表情でスネイプに続いた。

 

 

 研究室につくやいなや、スネイプは二人に夕刊予言者新聞を見せつけた。でかでかと載せられたフォードアングリアを見てロンが両手で顔を覆った。

 

「我輩の言わんとしていることはわかるな?おまえたちはマグルの面前で、違法に改造された車で飛び回ったのだ。一体何を考えている?!」

 

 スネイプはバシッと紙面を叩いた。どうやら空飛ぶ車はハリーとロンが考えていたよりも大騒ぎになっていたらしく、中見出しで忘却術士が全員動員と言う文字が踊っていた。

 ハリーはスネイプの顔を見た。スネイプの眉間には相変わらず深いシワが刻まれていて、今日は追加で青筋が立ってる。

 

「あの、僕たち列車に乗れなくって。…というかホームへの道が突然、閉まっちゃったんです!」

 ハリーが意を決して事情を説明しだすとロンが続いた。

「そうなんです!で、僕たちマズイぞって思って…パパの車を飛ばしたんです!」

 

 スネイプはそれを言い訳と解釈した。腕を組んで指先は苛立たしげに二の腕を叩いている。

「それで…慣れない運転なせいで列車にも激突しそうになるわで…そう、僕ら暴れ柳に殺されかけた!」

 

「ウィーズリー、口を閉じろ。まったく一体どうして、フクロウを飛ばすだとか…漏れ鍋へ行くだとか思いつかなかった?それとも車でドーンと登場したら目立てるとでも思いついたのか?」

 

 ハリーとロンは顔を見合わせた。フクロウ!全然思いつかなかった。

 スネイプはそんな二人を見てなおさら、もっと怒りが湧いてきたらしい。

 

「あの暴れ柳は貴重な植物だ。それに車で突っ込むなんて。退校処分でも不思議じゃないな」

 退校と聞いてハリーもロンも縮み上がった。スネイプはそれを見ていくらか鬱憤が晴れたのか、フンと小さく息をついた。

 

「命知らずの無謀な振る舞い。グリフィンドールの勇敢に()()()()行いだな、ポッター」

 

 ロンはちらっとハリーを見た。どうも夏休みを挟んでもスネイプのハリー嫌いは変わらないらしい。ハリーは強かに殴られたかのように辛そうな顔をしていた。

 

 そこで扉がノックされ、マクゴナガルが入ってきた。マクゴナガルは二人を見ると過去一番呆れた顔をした。

「ポッター、ウィーズリー!全くあなた達は…」

「ああよかったミネルバ、このままじゃ学年度最速にして最大の減点を下すところだった」

「すみませんセブルス。…二人共、どれだけの事をしたのかわかりました?」

「はい…先生…」

「よろしい。私からも…そして校長先生からも一言あるそうです。さあ来なさい」

 校長という言葉を聞いて今度はロンが苦悶の表情を浮かべた。ハリーもがっくりうなだれた。

「ぜひ厳罰を、とお伝えください」

 スネイプの捨て台詞にマクゴナガルは困ったような表情を浮かべ、二人の背中を押して地下室を出ていった。

 

 

 スネイプは二人が出ていってからようやく肩の力を抜いた。新学期早々ぐったり疲れた。結局このあともハリーの尻拭いをしなければならないのに。

 晩餐後スプラウト先生と暴れ柳の治療方針をたて、必要そうな魔法薬の調合準備をして、さらに先程連絡した人々へ無事だった旨をフクロウで知らせなければ。よくよく余計な仕事を増やしてくれる。

 

 まったく、あの二人ときたら。

 一体どうして車を飛ばそうなんて発想が出てくるのかわからない。さっきのハリーとロンへの説教は演出半分本音半分だった。9 3/4線ホームへの入り口が突然閉じてしまうというのは確かに驚く出来事だとは思うが…なぜ少しも待ってられないんだろう?

 ああ、またもあの鼻持ちならないジェームズを思い出す。ついでにシリウス・ブラックもだ。スネイプは確信した。どうやら勇敢気取りの命知らずは遺伝するものらしいと。

 

 昨年度末に起きた賢者の石事件にしたってたそうだ。トロールに襲われ、森で得体のしれない何かと出会ったあとだというのに自分から泥棒を捕まえに行くとは、どういう神経をしているのやら。

 男の子という生き物はひょっとしてみんな馬鹿なんじゃないかと思う。

 …いや、そういえばグレンジャーもいたか…。

 

 スネイプはローブを脱いで背もたれにかけた。そしてどっかりその椅子に腰掛けて、もう一度夕刊をめくる。

 ぱらぱら流し読みしていると14面あたりに載っているロックハートの写真がウインクしてきて気分が悪くなった。

 夕刊は丸めて暖炉にくべてしまおう。

 グシャっと紙を丸めるとキャーという悲鳴が上がり、暖炉に投げ入れた途端写真の中から人々が逃げていった。彼らの行き先はよくわからない。

 

 もしもハリーが生き残った男の子という肩書を鼻にかけ、この胡散臭い目立ちたがりやモンスターのようになってしまったらそれこそ絶望だ。

 

 

 

 背が、伸びていた。

 

 

 

 きっとそのうちますます男の子っぽくなる。そしてあっというまに粗忽で乱暴で、手のつけようのない悪ガキになってしまうのだろう。

 

「リリー…どうせならあなたにもっともっと似てくれればよかったのに」

 

 

 


 

 

 ハリーはマクゴナガルとダンブルドアの説教を受けてからグリフィンドール塔へ向かった。懐かしの寮の入り口まで行くと、ハーマイオニーが待っていて合言葉を教えてくれた。

 

「ねえ!空飛ぶ車で墜落して退校って聞いたわよ?!」

「退校はうそだ」

 

 ハーマイオニーはそれ以上追及しようとしたが、太った婦人の肖像画を抜けるとすぐにフレッドとジョージがロンとハリーを担ぎ上げ、暴れ柳に突っ込んだ英雄として讃え始めた。ハーマイオニーはしかめっ面をしていた。

 ロンとハリーは話したこともない上級生たちからまで称賛されたことで多少気分が良くなり、足取りは多少軽やかに二年のベッドルームに向かった。

 

 ネビルやシェーマスらにも車のことを聞かれ、ロンと多少誇張した話(空を飛んでる最中大鷲に襲われたくだり)をしてから各々ベッドに潜った。

 

 ふかふかのマットレスに体を沈めて、いい匂いのする毛布に包まりながら、ハリーはかなり後悔していた。

 

最悪の出だしだ!

 

 車で空を飛んで暴れ柳に突っ込み、生還する。ここまではまあよかった。(死ぬかと思ったが)けれどもスネイプに真っ先に捕まってしまうだなんて。

 案の定スネイプはめちゃくちゃ怒ってたし、一年生の頃よりも嫌味たっぷりだった。嫌われてるのは気のせいかも?と思っていたのにこれじゃあ先が思いやられる。

 ハリーはどうしてもスネイプに聞きたいことがあったのだ。

 

 "みぞの鏡の間に僕を助けに来てくれたのは先生ですか?"

 

 なのにこれじゃあ一ヶ月は話しかけるなんて無理だ!

 ハリーは特大のため息をついた。横で寝ていたロンがううんと唸った。

 

 ハリーはついさっき、プンプン怒っていたスネイプを思い返した。

 

「ドーン…か」

「なに…おっぱいの話…?」

 ロンが寝ぼけた口調で急に返事するものだからハリーは思わず飛び起きてしまった。

「ち、ちがうよ!」

「ううん…わかるよ……わかる」

「だから違うよ!ロンのバカ」

 

 ハリーはクッションを一つ投げつけてもう一度毛布を頭までかぶった。

 

 今年はどうか、これ以上スネイプを怒らせるような事件が起きませんように!

 

 ハリーはそれだけを強く願い、やがて眠りに落ちて行った。

 

 



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明日からはきっといい日

「君たちがそんなに呪文に熱心だった覚えはなかったんだけどな…」

 

 リーマス・ルーピンは照れと困惑が混じったような顔をしてジェームズ、シリウスに言った。リーマスは入学当初から他の生徒たちに対してあまり打ち解けていなかった。だが話しかけられて嬉しそうにしているあたり、人間嫌いというわけではないらしい。

 

「頼むよ!君、妖精の魔法の授業じゃ一番だろ」

「でもどうして浮遊呪文を?」

「ちょっとすぐにやりたいことがあるんだ」

 

 リーマスは“なんじゃそりゃ”と言うような顔をしたが、寮でも人気の二人に話しかけられてほんのちょっぴり嬉しかったのでそれを快諾した。

 リーマスは談話室の隅っこのテーブルの上に羽ペンを出し、杖を構えた。

 

「そんなに難しくはないよ。みてて…」

 

 リーマスは咳払いして杖を軽やかに振った。

 

ウィンガーディアム・レビオーサ!

 

 羽ペンはふわりと浮き上がり、リーマスが振る杖に合わせて空中でくるくる回った。

 

「振り方に気をつければ簡単だよ」

「僕もやる!」

「あ、発音にも気をつけてね。その…たまに爆発しちゃうから」

 

 リーマスは多分、初回の授業で机を燃やしてしまったピーター・ペティグリューのことを思い出したんだろう。いくらなんでも二人はそこまでの失敗はしない。

 

 二人はリーマスにしっかり呪文を見てもらった結果、一時間で浮遊呪文をマスターした。フリットウィックよりも優秀な先生だと褒めそやすとリーマスは照れながらもとても嬉しそうにしていた。

 

「ふっふっふっ…見てろよスニベルス!」

 

 

 翌日の放課後、早くも二人はいたずらの好機にめぐりあった。人気の少ない廊下でスネイプが蔦の鉢植えを抱えて歩いていた。きっとスプラウト先生に頼まれたんだろう。おべっか使いというほどじゃないが、スネイプはリリーと先生の前ではいい子ちゃんだ。

 

「やるぞ…オホン」

 

 ジェームズは杖を抜いてスネイプに狙いを定めた。

 

ウィンガーディアム・レビオーサ!

 

 杖に手応えがあった。

 ふわ、とスネイプのスカートの裾が浮き上がった。

「えっ?」

 スネイプが違和感に気づいたときにはもうジェームズにとっても遅かった。浮き上がっていたのはスカートの裾だけではなく、スネイプのローブ全体だった。

 

「ばっか…!」

 

 シリウスが可能な限り小声でジェームズに怒鳴った。しかしスネイプのローブはあっという間に廊下の天井まで浮き上がってしまい、手から鉢植えが滑り落ちて土をぶちまけた。スネイプは半ば首吊りのような形で空中でローブをほどこうともがいていた。

 助けなくちゃ、と思ったが鉢植えの割れた音に気づいて誰かがこちらへ向かってくる足音が聞こえてきて二人は飛び上がった。

 

「まずい!逃げよう!!」

 

 シリウスに促され、ジェームズは慌てて逃げ出した。

 呪文は失敗だった。

 しかも、スネイプは女らしい悲鳴一つ上げなかった。本当だったらスカートがめくれてキャーッと叫び、それをからかうつもりでいたのに…。

 スネイプはジェームズがやったと気づいただろうか?そしてそれをリリーに言うだろうか?逃げ切ったあとも頭の中で不安がぐるぐる渦を巻き、呪文の失敗をからかってくるシリウスの言葉は右から左だった。

 しかし次の日も、その次の日もリリーの態度は相変わらず素っ気無いだけで嫌われてもないし、先生に呼び出されたりもしなかった。スネイプもいつも通り、リリーと話すとき以外は暗い顔で伏し目がちに過ごしていた。

 

 ひょっとして僕がやったって気付かれてないのかな?

 

 ジェームズはとりあえず安心し、楽しみだった飛行術の授業に向かった。

 

 

 箒に乗れるか乗れないかで育ちの違いがわかる。…というとあまりにスリザリン的だが、要するに訓練前から乗れる子どもというのはだいたい親が魔法族の名家というだけの事だった。箒を飛ばすにはマグルに見られない環境が必須だ。

 マグル生まれの子でいきなり乗れるやつは稀だし、昨今気軽に箒を飛ばせない環境で育った子も多いため、初回から箒を乗りこなしていたジェームズはちょっとしたヒーロー扱いだった。

 純血一家のシリウスは家の立地が悪いせいもあって幼少期から触れることはできなかったらしい。初回は箒の扱いに苦労していた。だが二回目にはもうジェームズと同じくらい巧みに箒を操っていた。

 とはいえ、三回四回とやっていればマグル生まれの子だって乗りこなせるようになる。宙返りが何かを披露すればまた賞賛されるだろうが、先週はフーチに咎められ減点されたので封印だ。

 

 グリフィンドールはスリザリンとの合同訓練のため、当然スネイプもいる。嫌そうな顔で箒を持っていた。

 面と向かうといたずらのことが頭にチラついてしまうので、ジェームズはなるべくスリザリン生の固まっている場所を見ないようにした。

 

 基礎の確認が終わり自由飛行の時間になった。ジェームズとシリウスはビュンビュン好きなように飛ばしていたが、シリウスは途中で未だにうまく乗れないピーター・ペティグリューをからかいに地上へ戻った。

 ジェームズは箒の上でぼうっと地上を見下ろした。リリーはフーチに熱心に質問している。

 

 すると突然、ジェームズの頭上に影が指した。

 

 おや?と見上げると、上から誰かが箒ごと降ってきた。その誰かの靴底が目の前に迫ってきて焦ったジェームズは、慌てて体をひねりなんとかドロップ(文字通り)キックを避けた。

 

 ジェームズは箒から滑り落ちそうになったがなんとか持ちこたえ、襲撃者を確認した。

「チッ…」

 

 落ちてきたのはスネイプだった。舌打ちを隠そうともせず、箒の柄を握ってこちらを睨んでいる。

 

「箒もまともに乗れないのか?!」

 ジェームズが怒鳴ると、スネイプも負けじと言い返した。

「お前こそ、呪文もまともにかけられないのか?」

 ジェームズは唖然とした。箒から落とそうとするなんて!復讐にしては過激すぎる。

 

「殺す気か?!」

「お前こそ!あやうく窒息死だった」

 

 一触即発の空気が流れた。このまま空中戦が始まるかと思いきや、地上のフーチが笛を鳴らして二人に呼びかけた。

 

「そこの二人!自由時間は終わり!降りてきなさい!」

 二人は渋々地上に降りた。だがこの瞬間から敵対関係は決定的なものとなった。

 

 

「やあ。セブルス・スネイプ」

 スネイプはその日の放課後、肩身狭く談話室の隅っこで予習をしていると上級生に声をかけられた。3年生のケヴィン・マルシベールという男子生徒で、クィディッチでチェイサーを務めているごついやつだ。そして例に漏れず、純血であることを鼻にかけていた。

「はい。なんです?」

 上級生の、それもかなりいかつい男子に声をかけられ、スネイプは一瞬恐怖に見舞われた。だが毅然とした態度で返事をすると、マルシベールは快活に笑って言った。

 

「聞いたよ。箒でグリフィンドール生に襲いかかったそうじゃないか?すごい度胸だ」

「あ…でも、仕留め損ねちゃって…」

「ははははは!!」

 マルシベールは馬鹿みたいな大声で笑った。

「よかったら暖炉の前で話さないか?寮生活の感想とか、学校生活で困ってることがないか聞きたいらしいんだ」

 マルシベールが手で示すのは、スリザリンの中でも特権階級といえる、スラグ・クラブ会員たちの集まりだった。

 スラグ・クラブはスリザリンの寮監、ホラス・スラグホーンがお気に入りの生徒を集めたサロンみたいなもので、寮を問わずに将来有望とみなされたやつらが誘われている。他にも魔法省のお偉いさんだとか、資産家だとか、学者だとか…そういうスラグホーンが好む人物が親族にいる場合も声をかけられる。

 スネイプはまだ一年生だし家族に偉い人もいないのでスラグ・クラブに誘われることはないだろう。だが昼間のポッター襲撃であの中の誰かの興味を引いたらしい。

 

「…でも…私なんかが…」

「いや、いや。そんなこと!優秀なスリザリン生は大歓迎だよ。それに…」

 マルシベールは声を落とした。

「彼らと仲良くしてれば、寮内での君へのちょっかいもきっと減るさ。なんてったって、プリンス・ルシウス様々がいるしね」

 プリンスという言葉にスネイプはほんの少し眉をひそめた。それは潰えた純血家系、母親の旧姓だったからだ。もちろん皮肉っぽい言い方からして“王子様”という意味であることは明白だったが。

 

「ちょっとおべっか使えば、あの人身内には甘いんだ」

「……じゃあ…少しだけ……」

 

 スネイプが暖炉の方へ来ると、上級生たちはソファーを空けて歓迎した。女子の先輩も二人いて、スネイプに優しく微笑みかけた。

 ルシウス・マルフォイは中心人物らしく、一番暖炉に近い一人がけソファーにゆったりかけ、スネイプと握手した。

「ミス・スネイプ。どうかな、学校生活は」

「新しいことばかりです」

「そうか。聞いたよ、君ってなかなか血の気が多いんだって?…」

 

 ルシウスの態度はプリンスというよりかは王様気取りという方が適切な気がしたが、話しているうちに意外と人がいいのだということがわかってきた。

 上級生に囲まれて話すのはとても緊張した。だが同級生の奴らよりもはるかに優しかった。しかも、周囲からチラチラ視線を感じる。いつも自分に意地悪をしてくる女子グループが、スネイプが上級生に気に入られている様子をこっそり見ているようだった。マルシベールの言うとおりかもしれない。

 終始いい雰囲気で消灯時刻を迎えると、さり際にルシウスが優しく囁いた。

 

「きっと明日からはいい日になるよ」

 

 


 

 

 セブルス・スネイプは目の前にいる満面の笑みで新品のユニフォームと新型の箒を抱えているドラコ・マルフォイを見て、彼の父親、ルシウスを思い出した。

 初めてあったとき彼はもう七年生で子供時代の顔は知らないが、おそらくこのドラコそっくりの顔をしていたのだろう。

 ドラコの横にはキャプテンのフリントが鼻の穴を膨らませて立っていた。彼は今日、通例ならグリフィンドールが使うはずのフィールドを横取りしようと企んでいるらしかった。

 スネイプは特段クィディッチに思い入れはなかったが、生徒の努力には寮監として助力を惜しまないというのがスタンスだ。スネイプはにやりと笑ってフリントが提出してきた書類にサインした。

 

「では…練習に励み給え。新しいシーカーのためにね」

「ありがとうございます、スネイプ先生!」

 マルフォイはシーカーと言われて得意げだった。どうしてそんなにポッターと張り合うのだろうか。

 二人の間に特別なトラブルがあったのか思い出そうとしたが、入学当初からトラブルまみれでどれが原因かわからなかった。

「今年は必ず僕がスリザリンを勝利に導いてみせます!」

「期待している」

 そう言うと二人は肩を怒らせて研究室から出ていった。

 スネイプは一人になってため息を吐き、肩をコキコキと鳴らした。

 

 この調子で日々が進んでいけばいいのだが…。

 今年は賢者の石なんて不審者向けの誘蛾灯みたいなものはない。だがハリー・ポッターがいる。

 

 あのトラブルメーカーは、新学期早々とんでもない事をやらかしてくれた。車で暴れ柳に突っ込む暴挙は未だスネイプの中で怒りとして燻り続けていた。

 しかもその罰は中途半端なもので、ロックハートのファンレターの宛名書きという地獄なのかぬるま湯なのかよくわからないものだった。

 そう思えばクィディッチの練習が潰れるのくらいなんだっていうんだ。

 

 

 しかしハリーはロックハートの罰則をこれまで受けたどの罰よりもきつい拷問だと感じていた。

 宛名書きだけならともかく、ロックハートの自慢話を延々聞かされるなんて、バーノンおじさんの芝刈り機の話を一晩中聞いてるほうがよっぽどマシだ。

 しかも罰則中、他の人には聞こえない不気味な声まで聞こえてきた。ストレスでやられてしまったのだろうか。

 

 ハリーは談話室の隅っこで魔法薬学の教科書を開き、明日の授業で作る薬の作り方を予習し始めた。それを見てロンはぎょっとした顔をした。

「君がどんなにいい魔法薬を作ってもスネイプはAをくれないよ?」

「いいんだよ。横からネチネチ言われたくないだけ」

 

 やっぱり嫌われてる…よね。

 

 ハリーはあれから何度も考えたが、去年のスネイプの態度はやはりハリーを嫌っているに違いなかった。箒の件やみぞの鏡の間でハリーを助けたのは、単に先生が教師だからだろうと無理やり飲み込んだ。

 じゃあ、ときおり見せる寂しげな表情は?そこだけはよくわからなかった。そして同時に、どうしてそんなに気になるのか自分でもよくわからない。

 スネイプのことをしっかり考えれば考えるほど、ハリーは自分が何を考えているのかよくわからなくなってくる。

 

 僕が嫌われてるのは…やっぱり父さんのせい?

 

 医務室でダンブルドアが言った言葉はハリーにとってはあまりに難解で、かと言ってハーマイオニーに尋ねることもできない謎だった。

 

 先生と父さんに何があったんだろう。まさか直接聞くわけにも行かないしな…。

 

 ハリーは頭の中が魔法薬学の教科書よりももやもやで満ちてきたのを感じ、予習はやめにしてベッドルームに上がった。

 

 

 次の日の魔法薬学の授業は問題なくこなせた。そつなく魔法薬を作るハリーを見てスネイプの眉間のシワがさらに深くなった。出来上がった魔法薬を見て、スネイプは苛立たしげに評価Bをラベルに書き込んだ。魔法薬をうまく作るとそれはそれでスネイプの不評を買うらしい。

 ハリーはため息を吐きたくなる気持ちをぐっとこらえた。今回はハーマイオニーの次くらいには上出来だった。それだけは確かだからだ。

 

 スネイプがハリーを見る目は相変わらず険しかった。昨年度の学年末パーティーで感じたあの胸の熱はもしかして勘違いだったんだろうか?

 ハリーはスネイプに対してばかみたいに真剣に悩んでいるのを誰かに相談したくなった。けれども誰に相談すればいいのだろう?答えは見つからなかった。

 

 

 

 そうこうしているうちにホグワーツはハロウィンの準備でどこか浮かれた雰囲気が漂い始めていた。

 ハリーはほとんど首無しニックに絶命日パーティーに誘われ、あまり深く考えずにOKをしてしまった。ゴーストの間では死んだ日を祝う絶命日パーティーという催しがあり、そこでハリーにニックの首はほぼ完璧に落ちていると首無し狩りクラブの会員にアピールしてほしいというのだ。

 ロンは「そんなのやってて落ち込まないのか?」と乗り気ではなかったが、ゴーストのパーティーへの好奇心が抑えられなかったらしく、同行を承諾してくれた。ハーマイオニーに至っては興味津々で、当日ごね始めたロンをびしっと叱っていた。

 

 ハリーは新学期早々感じていた様々な不吉な予感…ドビーのことやホグワーツ特急への道が閉ざされたことや謎の声…を半分忘れていた。しかし、予感というのは不吉なものに限って的中するものだ。

 

 ロックハートの罰則中に聞こえた謎の声はハロウィンの夜、ニックの絶命日パーティーが終わってまた聞こえた。

 

 そして三人は、三階の廊下でミセスノリスが石になっているのを発見してしまったのだ。

 

 

秘密の部屋は開かれたり

継承者の敵よ、気をつけよ

 

 

 水たまりに松明の明かりが反射し、石になったミセスノリスの名前を叫ぶフィルチの声がこだました。意味深に微笑むドラコ・マルフォイと、その背後からぬっと現れたイライラした顔のスネイプを見て、ハリーはまた自分の好感度が下がったような気がした。

 

 

 

 

 



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顔に出しちゃだめ

 隣に座っているリリーの視線を感じて、スネイプは心臓が高鳴るのを感じた。

 夏の日差しで植物が青々と生い茂るスプラウトの温室前のベンチでのことだった。テストが終わって生徒たちはみんな夏季休暇の話をしている。校内はどこか浮ついた空気が流れていた。

 

 リリーが私を見ている。

 私がリリーの視線を独占している。

 

 でもこの喜びは絶対顔には出しちゃいけない。ただ一度気づいたことを誤魔化すのは無理だ。ボロが出ないうちにスネイプもリリーの方を見た。

 リリーは視線が合うと、ゆっくり瞬きをした。

 

「セブ、最近楽しそう」

「えっ?そうかな…」

「ええ。寮でも友達ができたの?」

 スネイプは友達という言葉を聞いてほんの少しだけ顔をしかめた。けれども、寮の中の人間関係が変わったのは確かだった。ルシウス・マルフォイに気に入られて以降、周りの人間の態度はあからさまに変わった。

 もういたずらに靴を隠されたり、ローブをほこりまみれにされたり、悪口を叩かれることもなかった。

 

「友達なんていないよ。でも敵は減ったかも」

「そっかー」

 

 リリーはそう言うとスネイプの肩に頭をのせてくっついてきた。スネイプは予想外のリリーの行動に呼吸が止まりそうになった。スネイプは自分の動揺を悟られないよう平静を装いながら聞いた。

 

「ど、どうしたの?」

 

 声が上ずってしまった。全然動揺を隠せていない。スネイプは頭の中で薬草の名前をたくさん思い浮かべて余計な煩悩を塗りつぶそうとした。けれども腕に感じる体温のせいでどうしたって意識してしまう。

 リリーはベンチから足をブラブラさせながらスネイプの肩の上で頭をぐりぐりさせる。その頭の重みが、頬の肉の柔らかさが、ぬくもりが、心臓をますます早く動かす。

 

「べつに…ちょっと、セブが遠くに行っちゃうような気がしただけ」

 

 ああ、好き。

 好きという言葉以外に適切なものが見つからない。ううん、今の私じゃ見つけられないだけかもしれない。

 というか言葉を探すまでもなく、私の中でなにか大きな感情が風船みたいに膨れ上がってるっていうことが、もうそれだけでリリーへの気持ちを表してるんだと思う。

 

 

 スネイプは意を決してリリーの手を握り、まっすぐリリーの瞳を見た。

 

「リリーが一番に決まってるよ!」

 リリーはそれを聞くとにへ、と破顔した。

「えへへ。よかった」

 

 リリー…あなた天使なの?

 うっかり言葉に出そうになったのを慌てて飲み込む。顔に出しちゃだめ…態度に出しちゃだめ…。

 

 

「でも…もし私のせいでグリフィンドールの人からなにか言われてたらごめんね…」

「え?!そんなことないわ。セブったら相変わらず心配性ね」

 

 スネイプはこの場を切り抜けられてホッとした。握った手もさり気なく離すことができた。

 夏の少し湿った風が二人の髪を揺らした。

 

「夏休みだね」

「……うん」

「帰りたくない?」

「うん」

「いつでも手紙を送ってね。フクロウでも、郵便局でもいいわ。直接来たってね」

「ありがとう…リリー」

 

 大好きだよ。これを口にするには勇気が足りないけれど、心の中でちゃんと付け加える。

 

 スネイプは家に帰ってもリリーがいるなら何とか夏を越せる気がした。事実、はじめての“夏休み”はそうだった。

 けれども二年、三年となるとリリーはどんどん捕まらなくなっていった。そして五年生でついにいっしょに過ごす夏休みはなくなってしまった。

 

 


 

 

 

「おやおや…またお前か、ポッター」

「ちっ、違います…!僕たちたまたま居合わせて…!!」

 

 硬直するハリーを見て、スネイプは意地悪そうに微笑んだ。そしてすぐに生徒たちをかき分けてダンブルドアとマクゴナガルが大慌てでやってきた。

 ダンブルドアは神妙な顔をしてミセス・ノリスの様子を見た。マクゴナガルはハリー、ロン、ハーマイオニーのそばに来て水浸しの廊下と嘆き悲しむフィルチを交互に見て、そばに寄り添った。

 

「コイツらです!コイツらがやったんです!私にはわかる!!」

「アーガス。落ち着きなさい。どうやらミセス・ノリスは死んではおらん。石になっているだけじゃ」

「石?石ですって?!」

 フィルチはほとんど叫ぶようにして泣いた。そのあまりの取り乱しっぷりに生徒たちの間でますます動揺が広がっていった。

 

「オホン!いずれにせよ、ここにいるべきではありませんな!私の部屋が一番近いですよ!」

 ロックハートがここぞとばかりに人混みをかき分け、人目を引こうとマントをバサッとやった。ダンブルドアは一言礼を言い、ハリーたちとフィルチを引き連れロックハートの部屋へ入った。

 

「いや、石化ですか。非常に似た事件に遭遇したことがありますよ!詳しいことは自伝に書いてあるのですが、故郷に近い村でのことで…」

 ロックハートがべらべら喋ってる横でダンブルドアは石になったミセス・ノリスにいくつか呪文をかけたが、どれもなんの効果もなかった。フィルチはハリーたちを指さした。

「こいつらが…石にしたんです!そうに違いありません。絶対間違いない!処罰させてください!」

「フィルチ、一度座って、よく深呼吸したまえ」

 ふいにスネイプの声が聞こえてきて、ハリーは飛び上がりそうになった。

 スネイプは生徒たちを寮に送り終えたらしく、いつの間にか部屋の暗がりに立っていた。

 

「確かにポッターは問題を起こすことしか取り柄のない生徒だ。だがだからこそこんな高度な魔法が使えるわけがないという証明になる」

 スネイプの嫌味に、ハリーはほっと胸をなでおろした。ハリーはスネイプが真っ先に自分の容疑を否定してくれたのにとても安心した。

 嫌味を言ったはずなのにホッとされるという意外な反応にスネイプは「は?」と言いたげな顔をしてハリーを睨んだ。

 

「だが一つ疑問がある。なぜお前たちはハロウィンのパーティーに出席せず、三階の廊下なんかにいたのだ?」

「私達、ほとんど首無しニックの絶命日パーティーに行ってたんです」

 ハーマイオニーが絶命日パーティーについて説明した。少なくとも、三人がいたことはニックほか何人ものゴーストが証明してくれる。

「では、なぜあの廊下に?広間に行く道でも寮へ行く道でもなかろう」

「それは…」

 ハーマイオニーはハリーをちらりと見た。そもそも三人があの廊下に向かったのは、ハリーにしか聞こえない不気味な声を追っていったからだ。それをこの場で言えば、スネイプがハリーに不利な解釈をするかもしれないからだ。

「僕たち…その。……はじめは寮に行こうとしたんですけど、やっぱり広間に行こうかなって…どっちにするか迷っちゃって…」

 ハリーがしどろもどろに言い訳すると、スネイプの顔はますます意地悪に歪んだ。

「ほお?校長、どうやら彼らは真実を話すつもりがないように見えますね。我輩としては彼が正直に話すまで、謹慎処分にするべきだと思いますが?」

「何を仰るんです、セブルス」

 マクゴナガルがすかさず切り込んだ。

「ポッターたちが悪いことをしたという証拠は一つもありません。疑わしきは罰せず、でしょう」

「誰がやったかなんてもうこの際どうだっていい!私の猫が…ミセス・ノリスは石にされてしまったんだ!!」

 フィルチはミセス・ノリスにすがり、とうとう泣き崩れて起き上がらなくなってしまった。普段は憎たらしくてたまらない一人と一匹だが、このときばかりは流石にハリーも哀れに思え、直視できなかった。

 ダンブルドアは優しくフィルチの肩をさすって言った。

 

「アーガス、君の猫は治してあげられますぞ。スプラウト先生がマンドレイクを手に入れましたから、十分に成長すればすぐに治療薬が作れるはずじゃ。のうセブルス」

「ええ…まあ」

 スネイプは同意した。それを聞いてダンブルドアはハリーたちに微笑みかけて言った。

「よろしい。では三人とも、ベッドに戻り給え」

 マクゴナガルに背中を押されるようにして三人はロックハートの部屋から追い出された。ハリーは振り向いてダンブルドアへ尋ねた。

 

「あの!あの壁の落書きの意味は…」

 

 だがその視線を遮るようにスネイプが立ち塞がった。いつもの如く、不機嫌顔で。

「ポッター、クィディッチを禁止させられたくなかったら口を慎み、ベッドに帰れ」

 ハリーは言われたとおりに口を閉じて、寒々とした廊下に出た。グリフィンドールの寮がある塔までマクゴナガルがついてきたため、三人は“不気味な声”について一切話せなかった。

 

「ポッター…お願いですから、去年のようなことにならないよう、謹んでくださいね」

 

 マクゴナガルに名指しで注意され、ハリーはちょっぴり傷ついた。

 

 

 ハロウィンから明けて数日、学内はミセス・ノリス襲撃事件の話で持ちきりだった。もちろんフィルチは狂犬のような有様で、汚れ落としをものともせずいまだ書かれた壁の血文字の前を見張り続けていた。

 

「秘密の部屋は開かれたり。継承者の敵よ気をつけよ…か。どういう意味なんだろう?」

 

 ロンがハーマイオニーに問いかけると、ハーマイオニーは心ここにあらずといった感じで図書館へかけていってしまった。

「なんだよ、もう」

 ハーマイオニーが本に夢中なのはいつも通りだし、夢から覚めるとだいたい有益な情報を仕入れてきてくれるので、ハリーはそこまで気にしていなかった。

 それよりも次の魔法薬学で提出するレポートがハーマイオニーの助言無しでAを取れるかが重要だった。

 ロンはそれが面白くないようで、羊皮紙にへばりつくようにしているハリーを見てため息をついた。

 

「この前のロックハートの部屋でだって、スネイプは君に悪意たっぷりだったろ。どうしてそう一生懸命になれるのかなぁ」

「確かにそうだけど…」

 ハリーは羽ペンを動かす手を止めて考えた。今年度が始まってからのスネイプは相変わらず、ハリーに対して意地悪だ。

 つい今日の授業もポリジュース薬とかいう教科書のさわりにしか出てないような難しい薬の材料について質問してきて、こたえられないからと減点してきた。

 

「うん…確かにそうだ。でも僕、頑張りたいんだ。…なんでだろう?」

 ロンはひときわ大きなため息をついてから力説しはじめた。

「僕が思うに、君は惑わされてるんだよ!おっぱいドーンのことは一旦忘れろ!君はスネイプのいいところを見つけようと躍起になってるだろ?でも現実は悪い所だらけだ。君は今盲目になってるんだよ」

「き、君は僕がおっぱいに目が眩んだって言ってるのか?!」

「おっぱいはものの例えだよ!僕が言いたいのは…」

 

「ちょっと、あなたたち!!」

 

 気づけばハーマイオニーが傍らに立って眉をひそめていた。談話室中の視線がハリーたちに向けられていた。気づかないうちにヒートアップしておっぱいと叫んでいたことに気づき、二人は赤面した。

 

「最低……」

 

 ハーマイオニーの軽蔑した声色に、二人は返す言葉もなかった。

 

 

 

 ハーマイオニーはしばらく二人と口を利いてくれなかったが、魔法史の授業で秘密の部屋についての知見が得られるとすぐにまたいつも通りに戻った。

 

 創設者の一人、サラザール・スリザリンの遺した秘密の部屋。その部屋の中には恐怖が封じられているという。

 そしてその部屋を開けることができるのは“スリザリンの継承者”だけ。そんな神話めいた伝説。

 

「あってもおかしくないよね?」

「…でも、恐怖ってなんだろう」

「あの壁の文字。スリザリンの継承者…そいつが今、学内にいるってことなんだよね」

「スリザリンの継承者…ね。僕、怪しいやつを知ってるよ」

「えっ?誰?」

 ロンはニヤッと笑って言った。

「マルフォイさ!だってあいつの家はずーーっとスリザリンだろ?」

 ハリーは一理あるかもしれないと呑み込みかけたが、ハーマイオニーがそれを制した。

「そう決めつけるのは早いわ。猫が石にされただけなんだから」

「ハーマイオニー、石にされただけなんて言い方は君らしくないね」

「決めつけて行動すると、ヒントを見落としてしまうわ」

「見落とす、といえばなんだけど。ミセス・ノリスが石にされていたとき、廊下が水浸しだったよね?僕ずっとそれが気になってて…」

 

 ハリーの言葉にハーマイオニーはハッとする。しかし現場はフィルチの警備で立ち入ることができない。ハリーは必死にあのときの記憶を呼び起こした。

「あそこには…確か…」

「嘆きのマートルのトイレが近くにあったわ」

「嘆きのマートル?絶命日パーティーにいたゴースト?」

「ええ」

 

 三人は後日、マートルのトイレに出向いたがわかったことといえば彼女と絡むには細心の注意と気遣いが要求され…その見返りは極端に少ないということだけだった。しかも女子トイレに入っていたせいでパーシーに減点されてしまった。

 

 ロンはみんながベッドに入ってしまいガラガラになった談話室で、暖炉の前を独占して満足げだった。時間はもう午前ゼロ時。最近夜ふかし気味で三人とも寝不足だった。けれども秘密の話をするにはここが一番居心地がいいから仕方がない。

 

「どっちにしろさ…スリザリンの継承者って言うからには、そいつはスリザリンにいるはずなんだよ」

「マルフォイかどうかはおいといてね」

 ロンはハーマイオニーの言葉にうなずいた。

「うん。そう…。ねえ、誰かに口を割らせることはできないかな?」

「真実薬は流石に作れないわ…」

 ハリーは突然、パッとひらめいた。

「あっ。ねえハーマイオニー。あれは?ポリジュース薬」

「ああ、なるほど!それならなんとか作れると思うわ」

「えっ何その薬」

「ハリーはスリザリン生に化けて情報を集めようって言ってるのよ」

「わあ。それは…クールだ!」

 ロンはあんまりわかってないらしかったが、とりあえず同意した。

「ただ問題は…材料が軒並み普通の手段じゃ手に入らないってところね」

 ハリーもスネイプにいじめられてからきちんと調べていたから知っていた。クサカゲロウ、蛭、満月草、ニワヤナギなんかは生徒用の棚からちょっとくすねるだけでいい。だが二角獣の角の粉末やドクツルヘビはスネイプの保管庫に忍び込むくらいしか手に入れる方法が思いつかない。

「…まあ、詳しい手順はまた明日考えましょう。でも、名案ね」

 ハリーはハーマイオニーを唸らせて満足だった。

「それに、ハリーはクィディッチの試合が近いもんな」

「あ、うん。…スリザリンとの試合だ」

「そりゃ絶対負けられない。それに君がマルフォイを叩きのめせばこれ以上被害者は出ないかもしれないし!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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お生憎様

 二年生のクリスマス、スネイプはリリーの家のクリスマスパーティーに招かれた。帰らなくてもいいクリスマス休暇に実家に戻るのは憂鬱だったが、リリーの誘いを断るなんてありえない。

 家では相変わらず、いてもいなくても変わらないような扱いを受けた。いや、それでも以前よりはマシなのだ。父親への愚痴のはけ口にもならないし、母親への罵声を聞くこともないだけよくなった。そう思うしかない。

 スネイプの家庭環境は悲惨なものだったが、それでも学費や学用品のお金は出してもらえていたし、ご飯だって食べさせてもらっている。でも、パーティー用のおしゃれな服はねだることはできない。

 スネイプは思い悩んだはてに、ホグワーツの制服をお古のコートの下に着ていくことにした。制服ならばどんな場でもフォーマルとみなされる完璧な装いだからだ。

 

 リリーの家は幸せなマグルの家庭そのものという感じで、家の壁にちょっとした電飾でサンタが輝いていた。

 玄関ベルを鳴らすと、リリーの父親が玄関ドアを開けて歓迎してくれた。一人でやってきたスネイプをエバンズ夫妻は優しく出迎えてくれた。リリーはスネイプに抱きつき、嬉しそうに自分の部屋に招いた。

 リリーの姉ペチュニア・エバンズは姿を見せなかったが、スネイプにとってはどうでもいい事だ。お互い、第一印象からして良くないし。

 

 リリーの部屋はいい匂いがした。自分の家のしみったれた匂いと全然違う。それを言うと、窓のそばにあるドライフラワーを指さした。

「チュニーがね、作ったんだって。いい香りよね」

「ふうん…お姉さんとうまくやってるの?」

「うーん…正直言うと、あんまり。避けられちゃってるの」

「あの人、魔法が嫌いみたいだもんね」

「……うん」

 ペチュニアがリリーを避けるのはどうしてなのか、スネイプにはよくわからなかった。こんなに素敵な女の子が妹なんて羨ましいくらいなのに。

 

 

 食事ができたよと声をかけられ階段を下りると、テーブルには豪華な料理が並んでいた。

「もう、チュニーったら聞こえなかったのかしら」

 黒髪の母親が階段を上って、もう一度二階に声をかけた。たっぷり間を開けて、ペチュニアが降りてきた。

 下りてくると、制服を着て座ってるスネイプを見てギョッとしたような表情になった。スネイプが来ていることは知っているはずなのに。

 

 リリーの隣で食べるクリスマスの夕食はホグワーツで食べるどんなご馳走より美味しかった。ホグワーツでの勉強や、魔法のこと。リリーのことなんかを話しているうちにあっという間に皿は空になった。その間ペチュニアは一言も話さなかった。

 

「ケーキの用意をするわ。リリー、手伝ってくれる?」

 母親に呼ばれ、リリーは台所へ立った。そして呼ばれてもないのに父親まで台所に行ってしまう。

 父親は精力的に家事を手伝うのが好きらしい。エバンズ夫妻は並んで皿洗いをし、リリーはケーキの最終仕上げをしていた。

 居間にはスネイプとペチュニアだけ取り残されていた。

 

「…お招きありがとう」

 スネイプは一応、形だけでも礼を言った。

「あたしは招いてない」

 案の定、敵意むき出しの返事が返ってきた。そこまで嫌われるいわれはない気もするのだが、聞いたところで理由なんて教えてくれるはずがない。

「…仲間を連れてくるなんて、ほんと最悪。しかも男女のスネイプなんかとずっと仲いいのね、リリーは」

「…何、悪い?」

「悪いわよ」

「…あっそ。それですねてるとかバカみたいね」

 スネイプの言葉に腹を立てたのか、ペチュニアは席を立ってしまった。

 それに気づいた母親がごめんなさいね、と謝ったが、スネイプとしては消えてくれてせいせいしたと思ったくらいだった。

 

 ペチュニアがリリーを避けて、スネイプを嫌う理由がわかったのは、クリスマス休暇を終えて学校へ帰る生徒が賑わう9 3/4番線ホームでのことだった。

 

「…チュニー、ごめんなさい…!ねぇ」

 

 リリーがペチュニアと揉めていた。

「知らなかったの。貴方への手紙だって…ホントなの!」

「見たことには変わりないじゃない!」

「だって…ダンブルドア校長とあなたが手紙をやり取りしてるなんて…思いもしなくて、よく宛名を見ないで自分のだと思って…」

「あなたが、わたしのプライバシーを侵害したのは変わらないわ!魔法使いってそういう生き物なわけ?」

 二人の喧嘩は他の喧騒に掻き消されてはいたが、スネイプにはしっかり聞こえていた。

 

「わかっていて()()()をよんだんでしょ?!制服まで着て、あたしに見せつけようって…。でもお生憎様。私はあんたたちみたいな生まれそこないじゃないの!」

 

 リリーはショックを受けて、もうそれ以上何も言えない様子だった。スネイプも思わずずっとペチュニアを見つめてしまった。

 涙を浮かべたペチュニアの薄い色の目が、スネイプを捉えた。

 喧騒と人混み越しに、ペチュニアの視線がスネイプにつき刺さるようだった。

 

 その日初めて、自分が知らないうちに誰かを傷つけてしまったことを知った。そして、それはこれからの人生でずっと起こりうることなんだと悟ったのだ。

 

 


 

 

 クィディッチの試合はハリーにとっても、そして全校生徒にとっても大荒れの日となった。

 なんと試合中にブラッジャーがイカれ、ハリーを叩きのめそうと暴れまくったのだ。

 ハリーはあえなく墜落し腕を折り、あげくロックハートに骨抜きにされてしまった。そのせいで死ぬほどまずい骨生え薬を飲むハメになった。

 しかも保健室にドビーが現れ、いま学校で起きている恐ろしいことについて不吉なことだけ言い残して逃げた…もとい、消えてしまった。

 

 そのほぼ同時刻、コリン・クリービーが石にされたのだ。

 

 

「急いで継承者が誰か突き止めなきゃ!」

 ハーマイオニーはハリーの言葉を聞いて頷いた。

「そのためには、ハリーに辛い決心をしてもらう必要があるわ」

「えっ…」

 

 ポリジュース薬の材料を手に入れるため、ハーマイオニーが考え出したのはハーマイオニーらしからぬ方法だった。

 必要な材料はスネイプの薬品庫にしかない。だが当然のように常に施錠はばっちりで、鍵が開いているのは授業中くらいだ。

 だから授業中騒ぎを起こしてその隙に火事場泥棒をしよう!というのがハーマイオニーの作戦だった。

 ロンはそれを聞いて面白がったが、ハリーは絶望的な気分になった。次の授業はふくれ薬を作ると予告されていたのだが、それをロンと一緒に爆発させなければならない。

 

「万が一スネイプが被弾してみろ…僕、殺される」

「ま、まあ君の好感度はゼロなんだし、これ以上悪くなることはないじゃん!」

 顔面蒼白のハリーにロンが明るくフォローしたが、全然フォローになってなかった。

「それをなんとかするために必死に勉強してるんだよ!」

「じゃあこのまま生徒たちが石にされ続けてもいいの?」

 ハーマイオニーのビシッとした指摘にハリーは何も言い返せず、黙って受け入れるしかなかった。

 

 

 クィディッチの初試合のときよりも胃が痛い。お金を払ってもいい、シェーマスに頼めないだろうか?でも薬品庫に忍び込んでも気づかないほどの隙を作るにはシェーマスじゃだめだ。

 これまでミスなく授業を切り抜けてきたハリーが問題を起こせばスネイプは喜んで食いついてくる。やっぱりハリーが適任なのだ。それかネビルが3人くらい毒ガスで殺すとか、それくらいの規模でやらかしてくれないと…。

 

 作戦決行の授業前、ハリーは神様に祈った。

 どうかスネイプに薬が被弾しませんように…!そうだ。いっそ全部マルフォイに当たれ!と。

 

「ハリー」

「なに?」

「グッドラックよ」

 ハーマイオニーはなぜかとても楽しそうだった。規則破りに青筋立ててた彼女はどこへ行ってしまったんだろうか。

 

 

 授業が始まった。スネイプはいつも通り不機嫌そうな表情でふくれ薬の作り方の書かれた黒板の前を行ったり来たりしながら注意事項を述べた。

 最近のスネイプはほとんどミスをしないハリーに対して無視するという方針をとっているのでこちらをチラリとも見ない。だからこそ爆発させるために通常ありえない材料をこっそり混ぜるのも可能だった。

 ペアを組んでるロンがスネイプの視線があさっての方向にそれたのを確認してハリーへウインクした。審判のときだ。

 

 スネイプ先生ごめんなさい…。

 

 ハリーは鍋でグツグツ煮えてるふくれ薬にハリネズミの針の粉末をドサッと投入した。

 

 

 ふくれ薬は教室中に飛散した。生徒たちの間で悲鳴が上がり、教室は阿鼻叫喚となった。ふくれ薬がかかった生徒はその部分がどんどん膨らんでいった。

 慌てふためく生徒たちの向こうでハーマイオニーが薬品庫の扉の隙間にすっと滑り込むのが見えた。

 

「何をしているのだ、ポッター!!」

 

 スネイプが爆心地であるハリーの鍋の方へ歩いてきた。どうやらローブで体をかばったらしく無傷だった。(そもそも露出しているのが顔と手くらいなので被弾する確率は低い)

「あ…あの…!」

「一体何をどうしたらこんな簡単な薬を爆発させるのだ!?ロングボトムですら途中までまともに作れていたというのに!」

「あの、僕…教科書を読み間違えちゃって!」

「なんのための眼鏡だ。グリフィンドールから15点減点!それに罰則だ」

「そんな!事故なんです先生!」

「だまれ」

 スネイプはぴしゃりと言った。そして鼻なり耳なりが膨らんだ生徒たちを並ばせてぺしゃんこ薬を配り始めた。

 ハーマイオニーはいつの間にか自分の席について白々しく「大変だわ」と言いたげな顔をしていた。

 

 

 

 

「…まあほら、うん。思ったよりキレてなかったよな」

「……」

「それに罰則だ。二人っきりで書き取りとかかもしれないよ。やりー!」

「スネイプがそんなぬるい罰を考えつくとは思えない…」

「あー、でもクィディッチ禁止はなさそうだし。…ねえ元気出してよ」

「そうよ。ハリーのおかげでポリジュース薬作成に取り掛かれるんだから」

 どんな慰めもハリーにとっては無意味だった。気分が風船みたいにどんどん萎んでいく。

 

 

 罰則は研究室に山積みにされている提出用フラスコの掃除、一週間だった。

 それを聞いてハリーは外での掃除とかよりはマシかもしれないと思った。だが放課後、スネイプの研究室を訪れて棚にずらりと並んだフラスコを見て考えが変わった。

 地味で退屈で、とほうもなく面倒くさい罰だった。

 口の狭いフラスコに得体のしれない試薬がそこにべったりこびりついていたり、カチコチに固まった紫色のジェルっぽい何かを砕かなきゃいけなかったりと、一筋縄でいかないものばかり。

 

 しかもスネイプは立ち会わず、研究室の奥にある扉の向こうに引きこもって出てこなかった。罰則を逐一みはられるのも嫌だが、なんだか避けられているようで落ちこんでしまう。

 

「はあ…」

 

 ハリーは大きなため息をついて鉱石みたいな試薬をアイスピックで突いた。

 

 10本目のフラスコを片付けたあたりで、研究室の扉がノックされた。スネイプはすぐに個室から出てきてハリーに一瞥もくれず、訪問者を中に通した。

 入ってきたのはマルフォイだった。必死にフラスコを磨いてるハリーを見て唇の端を吊り上げた。

 

「スネイプ先生、父上がクィディッチチームに新しいスパイクを送りたいと仰っていましてね。デザインに関して、先生の意見もお聞きしたくて」

「君の父上は素晴らしい卒業生だ。本当に尊敬しているよ。…ではあちらで話そうか。ここは…罰則中だからな」

 マルフォイは鼻で笑い、これみよがしにスネイプのあとにくっついて個室へ招かれていった。ハリーは悪態をつきたくなるのをグッとこらえた。

 苛立ちは全部フラスコ掃除に向けるんだ…。と強く念じた。

 

 20分程経ってからマルフォイが部屋から出てきた。ドアを開け、一礼してからハリーの方を見た。

 

「フン。フラスコ掃除か。お前にお似合いだな」

 

 ハリーはマルフォイを睨んだ。マルフォイは一年生の頃からずっとハリーに何かとつけて突っかかってくる。こうやってしつこく何度も絡んでくるのはマルフォイがハリーのことを嫌いだからだ。

 けれども不思議なことに、マルフォイがいま何を考えているのかは手に取るようにわかるのに、スネイプの考えていることは一切わからない。マルフォイのことなんかわかったってなんの意味もないのに!

 

「マルフォイ、君は僕が嫌いなんだよね?」

 急に話しかけてきたハリーにマルフォイは少し驚きながら、いつもどおりの高飛車な調子で返した。

「は?何だ今更。ずっとそうだろ…」

「でも君は僕にしつこく構ってくる」

「構うだって?お前の間抜けっぷりが一言言わずにいられないせいさ」

「じゃあ君が避けるのってどんなやつ?」

「…はあ?」

 ハリーの変な質問にマルフォイは眉をひそめた。質問の意図がわからず黙っているマルフォイを見てハリーはがっかりしたぜと言わんばかりに視線を外した。

 

「マルフォイにわかるわけないか…」

「なんだ?いきなり変なことを言って…イカれたのか?」

「はぁ…」

「おい、無視するな!」

 

 マルフォイは無視するハリーに復讐と言わんばかりに掃除したてのフラスコを台から落としてから教室を出ていった。ハリーは悪態をついてから粉々になったフラスコをレバロで直し、掃除に戻った。

 

 全部のフラスコがピカピカになったのは罰則開始から三時間近く経ってからだった。もう広間の晩餐も片付けられている時間だ。

 ハリーはスネイプのいる個室のドアをノックした。スネイプはすぐに出てきた。

 

「あの…全部終わりました」

 

 スネイプは数秒してからドアを開けた。相変わらずの眉間に深くシワが刻まれている。取れなくなったらどうするんだろう?スネイプはそういうことを気にしないのかもしれないが、ハリーはふと見せる穏やかな顔が好きだから、できればもう少し気を使ってほしいと思った。

 

「一つ割ったな?」

「直しました。それにあれはマルフォイが…」

「言い訳は十分だ。また明日、同じ時間来るように。では帰れ、すぐに」

「…はい」

 

 あわよくば、ハリーの父親と過去に何があったのか聞きたかった。しかし取り付く島もなかった。ハリーは落胆して地下室を出て、寮へ戻っていった。

 

 

 その日ハリーが罰則から解放されたあとすぐにスネイプの研究室のドアをノックするものがいた。ロックハートだった。

 スネイプがドアを開けると、押し付けがましい笑みを浮かべたロックハートがドアに足を押し込んで爽やかに告げた。

「どうも!こんばんは。ミス・スネイプ」

「…何用ですかな」

「いえね!ちょっと提案がございまして。お時間よろしいですか?」

「……………どうぞ」

 スネイプは数秒の沈黙に「ふざけるな、とっとと帰れ、教師やめろ」という念を込めたが、ロックハートは拒絶の意図なんて全く汲まずに教室の椅子に見せつけるように足を組んで座った。スネイプからするとそんなアピールをされてもうざったいだけだった。

 

「近頃起きてる残酷な事件ですが…猫から始まり、ついにコリン・クリービーくんが犠牲になりました…私はこれにとても胸を痛めていましてね」

「それで?」

「校長に提案したのです!決闘クラブを開いてみてはいかがでしょうとね!いいアイディアでしょう?まあ闇の魔術に対する防衛術の教師として当然ですが!」

「そりゃいいですね」

「それでね、ぜひ先生に助手をお願いできないかと…お願いしに来た次第です。いかがでしょうか」

「お断りします」

 スネイプが即答すると、ロックハートはわざとらしく腕を大振りして引き止める。

「ああ、そう言わないで!年の近いあなたにしか頼めないんですよ。なんせ私、一番若造ですから…」

「我輩はそのようなイベントごとに興味はないので」

 スネイプは頑なに拒否する。ロックハートは柔和な笑みを浮かべながら、頭の中で高速で思考した。

 ロックハートがロックハートたるゆえんはチャーミングな仕草や忘却術という技術ではない。こういうときに自分の意見を押し通す閃きの瞬発力なのだ。

 

「イベントなんてとんでもない!生徒の安全のためですよ。…まあ確かに、スネイプ先生は女性だ。決闘を不安に思う気持ちは理解できますが…」

 

 スネイプの眉がピクリと反応した。

「…別に女性だから臆しているわけではありませんが?」

 ロックハートはすかさず畳み掛けた。

「いや、手加減はしますが…相手が人形やカカシではやはり、どうも。でも確かに、怪我でもなされたら大変だ。可愛らしいスネイプ先生を転ばせでもしたら、私のスリザリンからの好感度は地に落ちてしまう!」

 

 堕ちたな。

 ロックハートは苛立っているスネイプを見て確信した。スネイプは苛立ちを鎮めるように大きく深呼吸してから腕を組んで胸を張って言った。

 

「いいでしょう、やります。やりましょうとも」

 

 

 

 

 

 

 



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だからあなたが好き

 3年生になってもスネイプの気持ちは変わることなく、むしろ強くなっていった。

 触れたい、抱きしめたい。キスをしたい。

 好きな人に対する欲望を抑えるのは13歳の少女にとっては至難の業だった。それでもスネイプは隠した。あるいは、隠し過ぎた。

 

 もっと早くにちゃんと好きだと伝えていれば…。

 そんな気持ちはこれからどんどん痛みを伴って大きくなっていく。それを痛感するのはスネイプがホグワーツを卒業する頃になるのだが、13歳のスネイプには知る由もなかった。

 

 

 リリーとの仲は相変わらず進展せず、時々ポッター一味(最近は悪戯仕掛け人などと名乗っているらしい)に喧嘩を売ったり買ったりしていた。

 わざわざ喧嘩をふっかけなければ疎遠になるかもしれないのに、とも思うのだが、その存在を無視しようにもできない。なぜならポッターはまだリリーが好きらしく、グリフィンドール寮席ではいつもリリーの近くに座ってこれみよがしに足を組んでみたり、髪をいじったりしているのだ。

 これでムカつくなと言われても無理な話である。

 

 しかしスネイプとしては、最近はむしろシリウス・ブラックのほうが疎ましかった。あのすかした態度に言動からにじみ出る自信。周りを小馬鹿にしたような笑み。リリーのことがなかったらポッターよりも苦手なやつになっていただろう。

 だが、シリウス・ブラックを疎ましいと感じる理由はそれだけじゃない。

 

 

「リリー…!」

 

 スネイプがいつものように人混みの中からリリーの赤毛を見つけて駆け寄ると、ほとんど同じタイミングでポッターもリリーに話しかけようと彼女のそばに近寄っていっていたのだ。

「セブ。次一緒よね」

「うん」

 スネイプは「先に声をかけたのは私だ」という念を込めてポッターを睨んだ。ポッターは一瞬たじろぐが、それ以上後ろに引き下がったりしなかった。むしろ最近はこういう場面でも反撃してくることが多くなってきた。

「スネイプ、まだ自分の寮に友達ができないのか?」

 ポッターがししゃり出てきた。スネイプは自分が出せる一番冷たい声で答えた。

「余計なお世話」

「私達幼馴染なのよ。だから一緒にいたってなんにもおかしくないわ。ね」

 リリーの援護射撃もあってポッターは黙った。だがそのポッターの脇にいつもくっついてるブラックが急に割って入った。

「エバンズ、僕たちだって11歳の頃から一緒だろ。10年もしてみろ。みんな幼馴染だ」

「ブラック、あなたって理屈っぽいのね」

「ッ…そうそう!っていうかむしろエバンズは同じ寮の生徒と仲良くすべきだと思うけどな!」

 シリウスの加勢でポッターは勢いを取り戻した。スネイプは内心舌打ちをする。リリーはツンっとしてスネイプの手を握った。スネイプは自分の顔がカッと熱くなるのがわかった。

「知らないかもしれないけど、私ちゃんと友達はたくさんいるわ。あなた達と違って悪戯もしない、真面目ないい友達がね」

 リリーがスネイプと握った手を見せつけると、ポッターはちぇっと言ってそっぽを向いた。どうやらリリーには言い返せないらしい。

 

 スネイプはリリーに手をにぎられたことが嬉しくて、ほんの少し微笑んでいた。

 だがそっぽ向いたポッターの横で、ブラックがこちらをじっと見つめていたことに気がついて表情が凍りついた。

 

「…」

 

 ブラックは何も言わずそのまま視線をそらし、ポッターをからかいにもどった。リリーと二人で教室に向かい、席についた。

 ビンズの退屈な講義が始まり、みんな眠ったり内職したりし始めた。だがスネイプの心臓はその間ずっとバクバクと脈打っていた。

 

 シリウス・ブラックは気づいた。

 

 いや、気づいたかもしれないが正しいが、スネイプは直感めいた確信があった。スネイプの顔を見るブラック。あの見透かすような目。

 

 どうしよう。

 

 授業の内容はほとんど耳を素通りして右から左へ流れていった。いつ寮に戻ったのかもわからないほど、スネイプは動揺していた。

 

 スネイプのリリーへの恋心に気づいたか、あいつに直接確かめる?…ってそれじゃあ自白しているようなものじゃないか。かと言って逃げても何も解決しないどころかポッターがここぞとばかりにリリーにアタックしてしまうかもしれない!

 いや、もっと悪いことにブラックがポッターにこのことを教え、想いを白日のもとに晒して笑いものにするかもしれない。

 

 悪い考えが浮かんでは消え、もう二度とベッドから起き上がる気になれなかった。

 女性同士の恋愛は禁止されているわけではない。それこそ人による。でも、少なくともリリーの常識では女の子が女の子に恋するなんてことはあり得ないことだった。

 

 そう、わかっている。

 リリーにとって、スネイプは同性の良い友達だ。

 これまでも、これからも。

 恋人になるなんて選択肢すら思い浮かばないだろう。

 初めてあったときから…今までともに過ごしてきて、それは痛いほどわかっていた。

 

 次の日の朝、スネイプは具合が悪いと言ってベッドから出なかった。全員が授業に行ってから真っ赤にはれた目をこすってのそのそと起き上がった。

 いつの間にか二度寝してしまっていたらしく、掛け時計は午前11時をさしていた。

 サイドテーブルに目をやると、サンドイッチの包が置いてあった。同寮生にそんな優しいやつがいたかと首を傾げてから手に取ると、そこには慣れ親しんだ筆致でメモがかかれていた。

 

イザベラから聞いたの。具合悪いんですって?

しもべ妖精に特別作ってもらったわ。楽になったら食べてね

 

 リリーより

 

 ああ、とため息が出た。

 だから私はあなたが好きなんだ。

 

 

 


 

 

 決闘クラブが開催されると聞き、生徒たちは浮足立っていた。杖を使ったイベントはいつでも盛り上がるものだが、今回はそれとは空気が違う。

 ミセス・ノリスだけでなく生徒にまで被害が出たことから、秘密の部屋の怪物の存在を信じるものが増えた。これは遊びじゃないぞという緊迫感が校内の空気を緊迫感があるものに変えていた。

 

 決闘クラブが近づくにつれ、ロックハートが頻繁に話しかけてくるようになり、スネイプはギルデロイ・ロックハートの安い挑発に乗ってしまったことを後悔していた。

 もちろんあんなトンチキ相手に決闘で負けることはない。だが不用意に目立つ必要もなかった。

 ロックハートは女子生徒に強い人気を誇る一方で男子生徒からの受けはかなり悪い。また授業の滅茶苦茶っぷりから上級生からも嫌われつつある。

 合法的にあの高い鼻をへし折るというのは愉快だし一部の生徒には大受けするだろうから悪くはない。

 

 

 決闘クラブにはほとんどの生徒が参加しているようだった。大広間の中央に拵えた舞台の周りに生徒が群がっている。

 ロックハートが台に上がると女子生徒から黄色い歓声が上がり、拍手がまだらに聞こえてきた。

 

「さて!ではまずデモンストレーションです。私の助手を快く引き受けてくれたのは…みなさんお馴染み、この方です!」

 

 ロックハートがマントをはためかせてスネイプの方を指した。スネイプはため息交じりで舞台に上がり羽織っていたローブを脱いで横に立っているスリザリンの生徒に投げ渡した。(このパフォーマンスはロックハートの指示だ)

 

「勇敢なスネイプ女史に拍手を!とはいえ、手加減する気はありませんよ」

 

 人混みの後ろの方から拍手と歓声が聞こえてきたが、スネイプはいつもの通り不機嫌顔でそれを流した。

 

「みなさん決闘のルールはご存知ですね?一応おさらいしておきましょうか」

 

 ロックハートはスネイプにウインクをして決闘準備を促した。スネイプはうんざりしているとはっきり意思表示するつもりで肩をすくめ、ロックハートの向かい側に立った。

 ロックハートの説明を聞きながら、題を見上げる生徒たちを横目で眺めた。

 

 当然、その中にはハリー・ポッターもいた。ハリーもロックハートが苦手な口だろうからワクワク、あるいはニヤニヤした表情を浮かべてるかと思った。しかしなぜかハラハラした表情を浮かべ、こちらをまっすぐ見ていた。

 まさかロックハートにやられると思っているんだろうか。だとしたら心外である。

 

 スネイプとロックハートは向き合って一礼したあと、互いに背を向けて台の端へと歩く。

 スネイプは息を吐き、向き直り杖を上段で構えた。

「ご覧のように私達は作法に従って杖を構えています!3つ数えて最初の術をかけます。もちろんお互い殺し合ったりはしませんよ!」

 

 さてどうかな。

 スネイプは心の中で皮肉った。

 

「1、2、3…!」

 

 ロックハートの杖先がピクリと動いた。スネイプは即座に仕掛けた。

 

エクスペリアームズ(武器よ去れ)!」

 

 目も眩むような紅の閃光が走り、ロックハートが舞台から吹っ飛んだ。そのまま壁に激突し、背中からズルズルと落ちた。杖はスネイプの片手にちゃんと飛んできた。

 女子生徒からは悲鳴が上がり、男子生徒とスリザリン生からは歓声が上がった。グリフィンドール生からすらちらほらと拍手が送られ、スネイプはほんのちょっぴりだけ唇のはしを吊り上げた。

 

 ハリーもロンも思わずいいぞ!と小声でつぶやきハーマイオニーに思いっきり睨まれてしまった。

 

「はじめに武装解除呪文を生徒に見せるのは…いい案です!ご覧のとおり私は杖を失い、無力化されました。見事です!正直あなたが何をしようとしてるかはわかっていたのですが…」

 ロックハートが起き上がりながらつらつらと言い訳を始めたので、スネイプは杖を投げ渡してそれを止めた。

 

「それよりも、生徒たちに実践させるべきでは?」

 スネイプのせせら笑いまじりの助言に、ロックハートは取り繕うような笑顔を浮かべ、スーツの襟を正した。これでもう二度と絡んでくるなよとスネイプは心の中で吐き捨てた。

「ああそうですね。うん…そのとおり。では代表して二人、上がってもらいましょうか?」

 

 スネイプにはロックハートの視線がすぐにハリーに向いたのがわかった。この流れだとスネイプも誰かを指名することになる。だがポッターとくればマルフォイと相場が決まっている。

「マルフォイ、君はどうだね?」

「もちろん!喜んで」

 マルフォイは指名されて意気揚々と舞台に上がった。そしてハリーはロックハートに引きずりあげられるようにしていやいや台に登ってきた。

 対面するマルフォイとスネイプを見ると顔を強張らせ、ロックハートを恨めしそうに睨んだ。だがロックハートはそれにチャーミングなスマイルを返す。

 

「見ててください。スネイプ先生!」

「君なら勝てる」

 

 スネイプはマルフォイの肩を叩いてから舞台を降りた。マルフォイは優雅に杖を抜き、舞台中央へ歩いていく。ハリーは若干苛立った表情で杖を握り、二人は向き合い礼をした。

 お互い背を向け合い、三歩進み、杖を構えて向き合う。

 

「1…2…」

 

 ロックハートのカウントに二人は意識をぐっと集中させた。だがハリーはマルフォイの背中越しに見えるスネイプに一瞬気を取られてしまう。

 

「3!」

 

サーペンソーティア(蛇よ出でよ)!」

 

 マルフォイの杖さばきのほうが早かった。白い煙を上げて、杖先から真っ黒な蛇がニョロニョロと出てきてハリーはゾッとし杖を下ろしてしまう。

 

 蛇は鎌首をもたげ、ハリーを見据えていた。今すぐにでも噛み付いてきそうだ。

 

「動くなポッター」

 

 スネイプがぬっとマルフォイを押しのけて出てきた。

「ここは私にお任せあれ!」

 しかしハリーの背後からロックハートがぬっと出てきて、誰にも文句を言わせるスキなく杖を振った。

 バシュッという音がして蛇が高く舞い上がり、墜落した。落ちてきた蛇はさっきよりも怒り狂い、舞台の周りにいるすべての生徒に飛びつきそうなくらい荒ぶっていた。

 ハリーは思わず叫んだ。

 

やめろ!手を出すな!

 

 スネイプはハリーを凝視した。ハリーの口から出てきたのは蛇語だった。蛇語は普通ならば遺伝でしか習得できない特殊能力のはずだ。それをハリーが話せるわけがないのに。

 

 まずい。

 

 スリザリンの後継者騒ぎの中でハリーが蛇語を喋れるなんてことを知られたら混乱は免れない。

 

ヴィペラ・イヴァネスカ(蛇よ消えよ)

 

 スネイプは即座に蛇を消した。しかし生徒たちに広がった動揺はもう収めようがなかった。

 

「ふざけてるのか?!」

 

 蛇に睨まれていたジャスティン・フレッチリーがハリーに向けて怒鳴った。ハリーはなんのことだかわからずキョトンとしていた。

 

 スネイプは自分の二の腕が粟立つのを静かに感じていた。

 

 

 

 

 

 

 そして予感はすぐに的中した。

 ジャスティン・フレッチリーが石になり、首無しニックが動かなくなったのだ。

 

 

 

「校長は今回の件についてどのようなお考えをお持ちですか?」

 

 ダンブルドアはスネイプをちらりと見てから言った。

「秘密の部屋事件…ここまで死者が出なかったことは奇跡じゃな…」

「何を悠長なことを。あなたなら秘密の部屋に閉じ込められた恐怖とやらが何か見当がついているでしょう」

「ああ、おおよそはな。しかし生徒に知らせることはできん。さらなる混乱が予想されるからのう」

 

 ダンブルドアは椅子から立ち上がり、半月型の眼鏡を外し天井を仰ぎ見た。

「秘密の部屋の怪物が何であるかよりも、誰がそれを使役しているか…それを突き止めねば何度でも事件は起きる」

「…ポッターが…蛇語を喋りました」

「セブルス、ハリーがスリザリンの後継者だとでも?」

「いいえ、そんなことはありえません。……ですが…あれはそうそう発現しない稀な能力です。なぜ、ハリーにその力が備わっているのでしょうか。それをあなたは知っていたのではないか、と思いまして」

「いいや、セブルス。知らなかった」

 スネイプは疑わしげにダンブルドアを見た。だがダンブルドアの表情はそんな疑いを吹き飛ばすくらい真剣だった。

 

「……生徒たちの安全が第一だと思いますがね。試しにハグリッドの小屋を探して見てはいかがですか。ドラゴンやらバケネズミやらが見つかるやもしれません」

「ハグリッドもつらかろうな」

 

 五十年前に秘密の部屋を開けたのはハグリッドだという噂がスリザリン寮の上級生の中で流れている。ダンブルドアは否定したが、スネイプは少しだけハグリッドを怪しんでいた。もちろんあのハグリッドが人を害する目的で魔法生物を使ったりしないのは百も承知だが、()()()()()()…とか()()()()()()…で人を殺すことは十分ありえる。

 今回もハグリッドがこっそり育てていたドデカイ蜘蛛が人間を食べようとしてる可能性だって充分あるだろう。

 

 スネイプはハリー・ポッターのことをもっと聞きたかった。だが、ダンブルドアは口を割るまい。彼に関しての話題はどうもお互い慎重になりすぎる。

 

 慎重にならざるを得ない、というのがスネイプにとってとても腹立たしかった。

 

 

 

 

 



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特別

 スネイプはシリウス・ブラックの視線に怯えながら日々を過ごすことを余儀なくされた。ブラックがスネイプの気持ちに気づいたというのはあくまでスネイプの勘に過ぎない。かと言って、視線があっただけのことに対して問い詰めようものならわざわざ告白しているようなもの。スネイプからは何もできなかった。

 ブラックの態度は以前と全く変わらない。ポッターもだ。スネイプは初めの数日は警戒していたものの、一週間も経つ頃にはあれは自分の気のせいだったんじゃないかと思うようになっていた。

 

 だがスネイプを悩ます出来事はブラックのことに留まらなかった。監督生になったケビン・マルシベールにリリーと仲良くしていることを遠回しに非難されたのだ。

 寮で交流のある多くの生徒はリリーはマグル出身だからスリザリン生の友人に相応しくないという。

 

 誰かと仲良くするのに血統なんて関係あるのか?純血だってやなやつはたくさんいる。特にシリウス・ブラックとか…。

 

 スネイプは大きなため息をついた。向かいのベンチに座っていたリリーがスネイプの顔を覗き込む。

 二人はスプラウトの温室にいた。ハロウィンの準備が始まるまで放課後開放されているが、生徒はあまり利用しない。多分堆肥臭いからだろう。

 

「大丈夫?」

「うん」

「最近、ずっと憂鬱みたいね」

 その憂鬱の原因はリリーに絶対話せない。でもリリーは話さなくてもスネイプのもどかしさ、辛さを察してくれる。そして無言で優しく微笑んでくれる。

「…ホグズミード村…行けるの楽しみだね」

「そうね。…あ」

 

 嫌な予感がした。

 

「あのね、ホグズミードなんだけど…グリフィンドールの友達に誘われたの。…セブも一緒にどう?」

 ああ、やっぱり。

 リリーは普通にグリフィンドールにも仲良しがいるし、なんならハッフルパフにもレイブンクローにもちょっと話すくらいの友達がいる。

 リリーにとってスネイプは仲良しで幼馴染で、他よりも特別。でもそれはスネイプの望むほどの特別ではない。

「…私……私は、行かない…」

「そう?きっと楽しいわよ。寮とかがどうって気にしない子だし…」

「いいの。私もスリザリンの子に誘われてたし」

 もちろん嘘だった。でもこう言えばリリーも罪悪感を感じないだろう。でも内心はすごく悔しかった。何も言わなくても私と二人きりでホグズミードに行ってくれるなんて…馬鹿げた想像だったと思い知らされたからだ。

 

 スネイプはテーブルに突っ伏して滲んだ涙をさっと拭った。

「もうなんにも楽しくない…」

 つい恨み言みたいなことを言ってしまった。リリーはそういうスネイプには慣れてるので、ちょっと困ったような笑顔を浮かべてスネイプの頭を撫でた。

「じゃあ楽しいこと作らない?」

「……そんなのない…」

「クラブを始めるってどう?」

「…どんな?」

「そうね…放課後自習クラブとか」

「そんなのみんなやってるし…」

「じゃあ薬学クラブ。スプラウト先生に見てもらって、薬草学と魔法薬学の自習をするの。私もセブもこの2つは得意だしね」

「それは…面白そう」

 顔を上げたスネイプにリリーはニッコリと笑いかけた。リリーはスネイプの頭からほっぺに手をやってそのままむにっとつまみ上げた。

「機嫌治った?」

「別に、機嫌は悪くなかった…!」

 スネイプは照れ隠しに怒った顔を作ろうとした。だが頭の中はパニックでその場で鼻血を出して倒れそうなほど混乱していた。

 

「ならよかった!さ、宿題やっつけちゃいましょう」

 

 リリーのおかげでさっきまで感じてた惨めな気持ちも吹っ飛んでしまった。

 二人は再度羊皮紙に向き直り、闇の魔術に対する防衛術の宿題にとりかかった。

 

 

 

 

 結局はじめてのホグズミード行きはリリーもスネイプも自分の寮の友達と行くことになった。スネイプもなんやかんや上級生から好かれているし、何より豊富な闇の魔術に関する知識で同級生から尊敬を集めていた。

 

 

 ちょっと勉強すればわかるのに、ちょっと研究すればできるのに。みんな馬鹿だ。

 

 

 そんな傲りもむしろスリザリン的だと言うことだろう。一人新しい魔法を考えているスネイプの周りで屯するだけでもまるで何か神秘的なことに関わっているように見えるのが自尊心尊大病の生徒に大いに受けた。

 スネイプ側も損はなかった。彼らといるといじめられないし、尊敬の眼差しを向けられるし、ちょっとした遅刻やミスもカバーしてもらえる。

 それなりに居心地は良かった。

 

 ホグズミードでなんとなくメンバーが解散して自由行動になったとき、スネイプは一人で“叫びの屋敷”に向かった。

 

 その屋敷はずっと昔からある廃屋だが、近頃悪霊だかなんだかの叫び声が聞こえるようになった。だから叫びの屋敷と呼ばれるようになったという。

 不気味な外観もそうだが、幾重にもはられた有刺鉄線がそのおどろおどろしさを増している。

 スネイプは叫びの屋敷を遠巻きに眺めながら、その有刺鉄線が最近はられたものらしいことに気づいた。叫びの主を見つけようと不法侵入するものが相次いだんだろうか?それにしても、ずっと廃墟だったところに急に幽霊が湧いたりすんだろうか。

 

 ぼうっと考えながら有刺鉄線をいじっていると、背後から笑い声が聞こえた。

 スネイプがはっと振り向くと、シリウス・ブラックとリーマス・ルーピンがいた。ブラックはスネイプを見つけると目を丸くし、そしてニヤッと笑った。

 

「おっと…ひょっとして…一人で怖くて泣き出してるのかな、スニベリーちゃん」

「ブラック、目が悪いのか?泣いてるように見えるわけ?」

 ブラックとスネイプの喧嘩腰な態度にルーピンは困ったな、というような顔をしていた。

 だがスネイプはブラックがいつもどおりに煽ってきたことにむしろホッとした。しかしその安心はブラックの次の言葉で一気にかき消された。

 

「ああ、見えるね。エバンズに遂に見放されたんだろ」

 

 きっと自分はかなりバツの悪い顔をしてるんだろう。スネイプはそう思いながら顔をそむけた。

 

「……違う。今日はたまたま」

「ふうん?」

 

 ブラックはいつだって誰にだってこんな風に挑発的だが、スネイプはそれがどうしても癪に障るのだ。弟のレギュラス・ブラックも同様に高慢できざったらしかったが、まだ可愛げというものがあった。

 ただでさえ秘密を知られているかもという不安があるせいか、今日はより憎たらしく見える。

「お前こそポッターとは別行動か?それとも勘当されてからの住まい探しに?」

「ジェームズは休みにまでわざわざ屋敷に来たくないってさ」

 ブラックの言い方はなんだか妙だった。まるで何度も何度も屋敷に行ったことがあるみたいな口ぶりだ。今日がはじめてのホグズミード村なはずなのに、変だ。

 それに気づいたのはスネイプだけじゃない。ルーピンがおい、と言いたげにブラックの肩を叩いた。

「もう行こう、シリウス。…ごめんね邪魔をして」

 ルーピンは冴えない顔色で謝りながら、ブラックを引っ張っていった。

 

 

 


 

 

 

 

「おや、セブルス。悪いね」

 

 スネイプは温室の前で霧吹きに栄養剤を混ぜていた。するとスプラウトが大きな木箱を抱えて校舎の方から歩いてきて、それを労った。

 

「いえ…マンドラゴラの世話は手間がかかりますから」

「本当だよ。だから育て甲斐がある。…とはいえ、今回ばっかりは手間暇かけてじっくりってわけにはいかないけどね」

「ええ」

 

 石にされた生徒を戻すため、マンドラゴラの栽培が急ピッチで進んでいるが、いかんせん相手は植物だ。急げば明日完成するという代物ではない。しかもマンドラゴラは一株育てるのに普通の植物の三十倍は手間がかかる。スプラウト一人ではオーバーワークだ。

 だからスネイプは二人目の犠牲者が出てきたあとからは頻繁にスプラウトの手伝いをしていた。

 

「思い出すね。あなたの若い頃を…。こうしてよく手伝ってくれていた」

「薬草学は好きでしたし、いい経験でした」

「ふふふ。あなたは魔法薬学の神童だったものね。まあスラグホーン先生はあなたの素行を心配してたみたいたけど」

「……教師の立場にたってみて、子どもというのが毒蔦よりもよっぽど悩ましいものと知りましたよ」

 スネイプのちょっと照れたようなごまかしにスプラウトは快活に笑った。

「でも同じく育て甲斐があるでしょう?」

「まだ教師としてその域には達していませんな」

 

 栄養剤を入れ終え、スプラウトの木箱を倉庫に仕舞うともう日はとっぷりと沈んでいた。

 

「とにかく早いとこ薬を作らないと…石になった生徒が蘇生すれば犯人もわかるはずさ」

 スプラウトはそう言うが、果たしてそれまでに犠牲者が出ないなんてことあり得るだろうか。

 万が一死者でも出れば、学校は閉鎖されるだろう。

 

 そっちのほうがむしろいいかもしれない。スネイプは思った。見えない恐怖にずっと怯えるよりは、逃げてしまった方がいいのかもしれない、と。

 

 

 

 

 

 クリスマスに入り、スネイプは例年通り薬品庫の在庫チェックをはじめた。するとすぐにドクツルヘビの殻と二角獣の角の粉末が足りないことに気づいた。

 この材料を使う薬はいくつかあるが、ほかには何も盗まれていないことから察するにポリジュース薬だろう。誰がなんのために?

 それよりもいつ盗まれたかだ。最近秘密の部屋事件でチェックが行き届いてなかったのが悔やまれる。薬品庫のセキュリティは学校内でも指折り硬いはずだ。生徒が盗めるタイミングは授業中くらいだろう。

 授業中、うっかり気を取られたり目を離したりしたタイミングがなかったか記憶を遡った。

 

「まさか…」

 

 すぐにハリーがふくれ薬を大爆発させた時を思い出した。あのときはハリーにカンカンに怒るあまり周りの生徒への注意が疎かになっていた。

 と、なると確実にグレンジャー、ウィーズリーも関わっているだろう。しかしどっちにしろ何故ポリジュース薬なんだろうか?

 

 ポリジュース薬を煎じるには時間がかかる。運が良ければ調合している現場を押さえられるかもしれないが、そのためにハリーをずっと見てなきゃいけないというのは拷問にも等しい。

 

 ジェームズに生き写しの顔は見ていて嫌気が差すし、勇敢を通り越した無謀さには毎度振り回されて苛立つ。くせ毛を弄くる仕草だとか、メガネをぐいっと上げる動作があいつに似ていていちいちムカつく。

 

 けれども何より見ていて辛いのは、ハリーの姿に一番好きだった頃のリリーを感じてしまうからだ。

 

 教科書を読むとき、瞳にかかるまつげの影。深い緑色に反射する図版の色。大鍋を掻き回す時の手首の返し。

 ふとした時に浮かべている微笑のやわらかさ。自分と対峙したときに瞳に宿す熱。キョトンとした顔は、ジェームズそっくりのくせにリリーと見間違えるくらいに雰囲気が似ている。

 

 間違いなく、リリーの子だ。この子の中にはリリーがいるんだ。そして、もう彼女はここにいないと思い知らされる。

 

 それもこれも全部自分のせいだ。

 

 スネイプは薬品庫のドアを閉めた。出口のない思考の迷路に入りかけたら、すぐに仕事をやるのがいい。

 

 

 

 

 当のハリーはクリスマスの日、ついにポリジュース薬を使ってスリザリン寮に忍び込んだ。クラップとゴイルの毛髪入りジュースを飲むという屈辱を味わったにも拘わらず、期待していた成果は得られなかった。

 五十年前にも一度、秘密の部屋が開かれた。こんな情報はクリスマス後にはきっと皆知ってる。

 ハーマイオニーも女子寮に潜入予定だったが直前でミリセントの毛が実は猫の毛だと気づき取りやめになったのだ。ポリジュース薬は一回分だけ余ったが、スリザリン生を探るために使うのは如何なものかという結論に至った。

 

 そうこうしてる間にクリスマス休暇は終わり、校舎にはまたたくさんの生徒たちが戻ってきた。

 完全に休暇気分が抜ける前に、ハリーはポリジュース薬でもう一つだけ試したいことがあった。

 

 ハリーたち三人組は談話室の隅っこで固まってヒソヒソとしていた。とはいえみんな休暇の土産話やプレゼント自慢をしているせいで談話室は混んでいて、そばではジニーや他の一年生が和気藹々としていた。

 

「ポリジュース薬でドラコに変身してスネイプに近づく…?ハリー、それって私欲が入ってない?」

 

 ハーマイオニーはハリーの提案を聞いて眉をひそめた。ロンも若干呆れ顔だ。マルフォイの髪の毛は前回潜入したときに入手しているからなんら変な提案ではないはずだ。

 

「いや…生徒でだめなら教師に聞いてみたほうがいいかなって思って…」

「言い分はわかるけど…ハリー、ちょっと一旦はっきりさせておかない?」

「何?」

「君、スネイプに惚れてるの?」

 ロンのストレートな質問に、ハーマイオニーは読んでた本を取り落とし、そばにいたジニーは飲んでたお茶を吹き出した。

 

「えっ…なんでそんなこと聞くの?惚れ…僕が?スネイプって僕の親と同級生だよ?!」

「君のスネイプに対する態度は好きな人に対するそれだよ。一年の頃からずっと」

「なんでロンにわかるのさ!」

「身近に恋に落ちてる人がいるからさ…」

 ハーマイオニーは、あーと小さく遮った。

「確かにスネイプはなにか知ってるはずだわ。でも、マルフォイに話すかしら?」

「うっ…でも、先生は身内に甘いし…」

「そうなの?」

「そう!僕が罰則を受けてるときなんてこれみよがしにマルフォイを優遇してさ」

「やっぱり私欲が入ってない?」

「うう」

 

 全体的にハリーが劣勢だった。ハーマイオニーはたまに読む恋愛小説を思い出してハリーの態度をゆっくりと思い返した。確かにロンの言うとおり、ハリーは一度スネイプへの態度をはっきりさせたほうがいいように思われた。

 ハリーは多分、名前を知らない感情に振り回されている。吊橋効果と同じように、スネイプに対する不安が恋愛のドキドキと勘違いしている可能性もまあなくはない。

 

 って私ったら…ハリーの恋愛感情をこんなふうに考えてるなんて…。ハーマイオニーはちょっぴり罪悪感を覚えつつ、ハリーの目の前にポリジュース薬を出した。

 

「前回でわかったと思うけど、効果時間は個人差があるわ。絶対バレないようにする自信はある?」

「あるよ。うん…薬が切れそうなときどんな感じかは覚えてる」

「あわよくばスネイプともっと話したいだとか…スネイプととにかく話したいとか…私欲を捨てられる?」

「おい、ハーマイオニーいいのか?」

「絶対秘密の部屋のことだけ聞くよ。聞いたらすぐ戻ってくる」

「私はハリーの言うことにも一理あると思うし、ロンの意見にも賛成だわ。ハリーはハリーを特別扱いしない素のスネイプを見て普段の自分がどう思われているか客観視したほうがいいわよ」

「客観視したら…嫌われてるって気づいちゃうんじゃ…」

「いや、もう知ってるよ」

「ほんと?」

 ハーマイオニーは咳払いしてロンとハリーがちょっとやり合い始めたのを止めた。

「どうせ他に使い道はないし、実は調合にあんまり自信がなかったの。長い保存には向かないわ」

 

「ハーマイオニー!」

 

 ハーマイオニーはポリジュース薬をハリーの前に押し出した。ハリーはキラキラした目でハーマイオニーを見つめ、ポリジュース薬を手にとった。ロンもハーマイオニーも呆れつつ、クリスマスプレゼントをもらったときより嬉しそうなハリーを見て苦笑いした。

 

 

 

 

 



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逆恨み

 

 

 

 

 

 

 バレンタイン前は全校が浮足立つのが常だった。秘密の部屋事件が起きたとはいえ、今年も惚れ薬の持ち込みやらでフィルチが大忙しだ。

 スネイプもちょうど夜間のパトロール中に密会しているカップルを(減点の後)寮に送り届けたところだった。

 スネイプは深々と刻まれた眉間のシワを揉みながら地下へ続く階段を降りた。一体どうして自分とは無縁なイベントでここまでストレスを溜めなければならないのだろう。このそわそわした空気はいつも自分を苛立たせる。全く楽しく恋愛している奴らなんてろくなもんじゃない!

 

 なんて日陰者根性丸出しなことを考えながら歩いていると、研究室前の廊下をウロチョロしている生徒を発見した。

 スリザリンのローブを着ているが、この危険な時期に一人で廊下をうろつくなんて愚かにもほどがある。

 確かにスリザリン生ならば秘密の部屋の化物に襲われることもないだろう。理屈の上では。だが純血主義を謳うスリザリンの生徒の半数が純血ではないのはもはや暗黙の了解だ。

 

 近づいていくと覚えのある背格好だった。小さい背中に丹念に撫で付けられたプラチナブロンド。ドラコ・マルフォイだ。

 

「ドラコ、我輩に何か用かね?」

 

 ドラコは飛び上がった。彼らしくないとも思ったが、もしかしたら怪物を本当は恐怖しているのかもしれない。

 

「す、スネイプ先生!…あのっ…僕、聞きたいことが…あって。ここで待っていたんです」

「ふむ。とりあえず中には入り給え。万が一にも襲われてはたまらんからな」

「あっ、はい…」

 

 扉を開けるとドラコはおずおずと中へ入っていった。教室は最後の授業がバタついていたせいで机の上には乱雑に鍋が積んである。だがスネイプ個人の部屋はあいにく散らかっているため、仕方なく教卓の前に椅子をおいてやった。

 

「そういえば君の父上から以前コーヒーを頂いたな。淹れるから待っていたまえ」

「えっ…そんな。いいです!」

 

 やはりいつものドラコらしくない。なぜかやたら焦っている。なんにせよ断るのを無理にもてなす必要もあるまい。スネイプはドラコと向き合って座った。

 

「それで…聞きたいこととはなんだね」

「えっと…その…秘密の部屋のことなんです」

「なるほど…君のお父上からなにか聞きはしなかったのか?」

「いえ。父上は話してくれなくて」

「ならば我輩からも話すことはない。…そもそも我輩も校内で噂されているようなことくらいしか知らんのでな」

 もちろんかつて部屋が開けられ、死人が出たことは知っていた。だが言っても余計混乱と恐怖が伝染するだけだ。

 スネイプのつれない返事にドラコはしばし沈黙した。

 

「…ポッター…が、」

 

 このまま黙っているつもりなのかと不安になったとき、重ねた鍋が音を立てた。それに促されるようにしてドラコはようやく本当に聞きたいことを喋りだした。

 

「ポッターが継承者だって噂…どう思いますか?」

 

「馬鹿げている」

 

 スネイプはばっさりと切り捨てた。何を言い出すかと思えば…。あの狡猾な男の息子の癖に、どうやらまだ可愛げがある。

 決闘で多くの人間が目にしたあの光景。蛇と話すハリー・ポッターは、あまりにも劇的だった。

 しかしながらポッターの蛇舌がある種の不吉さを感じさせるのはー生徒だけでなく、自分にとってもー確かなことだった。

 

「確かにパーセルマウスは非常に稀な特性だ。だがあのポッターが生徒を襲う?…ありえん。いや、生徒の誰かが犯人なんて…ポッターでなくともありえないことだ」

「じゃあ犯人は先生の誰かでしょうか」

「それも考えにくい。今年から新しく働いているのはロックハートのみで、やつは筋金入りの無能だ」

「じゃあ…侵入者?」

「消去法で行くならそうだろう。考えたくはないがな。しかしホグワーツの警戒を突破できる魔法使いが、生徒の石化しかしていないというのもおかしな話だ。犯人が“人”ではない可能性もある」

「ダンブルドアでさえ、まだ捕まえられないなにかがいる…」

「そうだ。だから君が生粋の純血であっても、夜間にうろつくことは感心できん。次見つけたら減点だ」

「…はい。すみません」

 

 話はすんだろう。

 スネイプはそういう視線を送るが、ドラコは椅子から動かなかった。

 

「僕はてっきり、先生はポッターを疑っているものだとばかり。…だって先生は…ポッターがお嫌いでしょう?」

 

 スネイプはふん、と鼻で笑った。

「我輩は生徒を特別扱いしたりはしない」

 

 スネイプはてっきりこれを聞いてドラコも笑うだろうと思っていた。スリザリン生鉄板ジョークだ。なのにドラコはくすりともせず、真剣にこちらを見つめている。

 

「どうしてそんなに嫌うんですか?」

 

「…ドラコ…いささか私情に踏み込み過ぎではないかね?」

「私情なんですか?」

「…個人の好き嫌いは十分私情だ」

「……」

 

 やはり普段のドラコじゃない。強情すぎる。

 そこでようやくポリジュース薬の材料が盗まれていたことと、この妙な言動のドラコとが結びついた。

 

「ドラコ…やはりお茶を入れよう」

「えっ!い、いえ。もう寮に帰ります」

「いいから。出来のいい生徒がわざわざ訪ねてくれたのだ。もう少し秘密の部屋について話をしようではないか」

 

 スネイプはにっこりと無理やり笑顔を作ってから研究室に引っ込んだ。

 ポリジュース薬の効果時間はおおよそ一時間。やつがどれくらい廊下の前で待っていたのかは推測だが、10分程話せば変身の兆候がつかめるはずだ。

 

 コーヒーを入れてもどると、青ざめた顔をしたドラコがいた。羽織っていたローブがさっき見たときと違うふうに尻に敷かれている。ドアから逃げようとして、思いとどまったらしい。

 

 さて、中身がハリー・ポッターかハーマイオニー・グレンジャーか、はたまたロン・ウィーズリーかは知らないが、せいぜい縮み上がってもらうとしよう。

 

「それで、秘密の部屋についてだったな」

「はい…」

「どこにあるかはともかくとして、その中にある恐怖を君はどう見る?」

「僕は…その…」

「恐怖、とだけ言われるとひどく曖昧だが、別の文献にはしっかり怪物と記されているがね。怪物の種類については…被害者が治れば明らかになるやもしれん」

 ドラコのオールバックから突如毛が数本逆だった。

 

「ドラコ、それは寝癖か?」

「うっ…いえ!えーっと…湿気?湿気です!」

 

 ドラコは頭を抑えた。どうやらもう効力が切れる時間らしい。スネイプはより一層意地悪く笑った。

「随分ひどいくせ毛と見える。…おかわりは?」

「結構ですっ…」

 もう手ではどうしょうもないほどに髪の毛は逆立ち、うずまき、プラチナブロンドもどんどん茶色に染まっていく。

 

「…で、秘密の部屋だが…見つけ出してどうするつもりだ?」

 ドラコは顔を手で覆って背けた。もうすっかりもとのクシャクシャ髪に戻っている。スネイプはますます愉快になってきた。

 

「見、見つけ出すなんて…そんなつもりはありません」

「ほう?この部屋の存在を知った誰もが探そうと校内をうろつかずにいられなかったものだが」

 

 泣き出しそうな声になってるが、もう正体が誰かははっきりわかった。

 

「僕はそんなことしません」

 

 スネイプは顔を覆う手を掴み上げ、勝ち誇ったように言った。

 

「自分のこれまでの行いを振り返ってもそう言えるか?ポッター!」

「ッ…!」

 

 ハリーの顔は恥辱で真っ赤に染まっていた。それを見てスネイプの優越感はいよいよ頂点に達した。

 

 ついにポッターに一杯食わせてやった。なんやかんやで現場を押さえることを逃し続けてきたスネイプにとって、とびっきり意地悪な罰を与えるチャンスだった。

 

 

「これで言い逃れはできんな…」

 

 だが返ってきたのは言い訳でも泣き言でも、ましてや反論ですらなかった。

 

「ちゃんと答えてください。先生はどうして僕を嫌うんですか」

 

 ハリーの聞いたことがないくらい強い語調に、一瞬スネイプはたじろいだ。なぜそんな事を聞くのかも、そんな質問にこだわるのかもわからなかった。

 

「…ポッター、貴様自分の立場をわかっていないのか?」

 

 ハリーの手首を握ったまま、スネイプはいつもよりも冷めた声で尋ねる。

 

「どうして答えられないんですか?」

 

 しかしハリーも折れなかった。これは何かしらを言わなければ納得しなさそうだ。

 

「………言うまでもないからだ。ポッター。教師に対する不遜な態度。校則を軽んじる軽率さ。なんでもできるという傲慢な勘違い。そしてそれに無自覚なところ…」

 

 ここまではっきり言えば嫌でもわかるだろう。

 スネイプに近づいても不快な思いをするだけだと。

 

「…ほ、本当は…違うはずだ」

 ハリーの腕に力がこもった。

 

「何?」

 

「先生が僕を嫌うのは…僕の父さんのことが嫌いだったからだ!」

 

 ジェームズの話題が出て、スネイプの頭にかっと血がのぼった。

 

「ッ…この…」

 

 思わずハリーの腕を強く握りしめてしまう。だがハリーはそれを思いっきり振りほどいて、叫んだ。

 

 

「僕は父さんじゃないッ…!」

 

 

 薄暗い教室にハリーの大声が轟いた。ハリーはそのまま逃げるように扉を開け、出ていってしまった。

 

 スネイプは何も言い返せず、開きっぱなしの扉から廊下へ広がる闇を呆然と見るしかなかった。

 

 

 


 

 

 

 それはフクロウ試験が終わった日。

 セブルス・スネイプの生涯の中で、最も屈辱的な最悪の日のことだった。

 

 

「ねえ…」

 

 スネイプは湖畔で泣いていた。もう日は湖の中に沈んでいて、あたりになにがあるか目を凝らさないとわからない。

 かろうじてわかる、校舎の明かり。その遠い光を遮って、誰かがスネイプを影で覆った。

 

「ねえ、泣かないで」

 

 低くて落ち着いた声。月明かりだけが頼りの夜道でも自分を見つけられる人物。

 リーマス・ルーピンだった。

 

「帰って」

 

「落ち着いて、スネイプ…」

「お前の顔は、今三番目に見たくない顔だ」

 

 スネイプの涙ぐんだ声にルーピンもたじろいだ。彼女が泣くのは3年ぶりがそれくらいで、その時はまだお互い子供だった。でも今は二人共16歳だ。

 

「わかってる。ジェームズがやりすぎたんだ。ごめん…」

「だ、誰が悪いかなんて……もう私にはどうでもいい!私は………ッ…リリーに……酷いことを……」

 

 スネイプはもうそれ以上言えなかった。ただ苦しそうに胸を抑えてうずくまった。

 

「君は……そんなに、エバンズのことが…」

 

 答えはなかった。それだけで十分だった。

 

「ポッターは、知ってたよ。……知っ、知ってて…あんな…あんなこと……い…う、ぅっ…」

 

「……ジェームズもそれほどリリーが好きなんだよ」

 

「ルーピン、お前はどっちの味方なんだ?!私をバカにするためにわざわざ来たのか?!」

「あ、ごめん。本当は君を心配して来たんだけど…」

 

 スネイプは自分の座ってるとこのすぐそばにあった石を湖面に投げつけた。余計なお世話だったということは十分伝わった。

 

 ルーピンは黙って泣きじゃくる小さい背中を見ていた。

 たしかに、ジェームズのしたことは最低だった。だがムキになってことを取り返しのつかない状況にしたのは間違いなくスネイプだった。

 

 セブルス・スネイプはリリー・エバンズを愛している。

 

 ルーピンは自分の抱える問題を…つまり、人に言えない秘密を持つ仲間として、スネイプには密かに親しみを覚えていた。

 だからあのとき止められなかった自分に後悔して夜まで帰ってこないスネイプをずっと探し回っていた。

 

 

 三年生のとき、スネイプに秘密を知られたときからずっと自分と彼女はよく似ていると思っていた。

 ほとんどこじつけだし、彼女はそんな親しみを嫌がるだろうと思っていた。

 でも今こうして、自分の秘密を自分で否定し、貶し、それでもなお自分が傷つけた人の痛みを想って泣く彼女を見てその理由がわかった。

 

「……………スネイプ。マーピープルに襲われるよ」

「襲われていい。このまま死ぬ」

 

 スネイプはジェームズとの魔法の掛け合いでも相当頑固だった。こんな時に頑固を出されても、いくら春とはいえ風邪をひいてしまうだろう。

 

「…馬鹿なことを言わないでくれよ。それに…君が戻らないと、君のついた嘘を疑われちゃうんじゃないかな」

 

 ルーピンの言葉に、スネイプはしばし考えてから立ち上がった。そして振り返らずに、怒りを押し殺した声で言った。

 

「……なんなんだ、お前…。ジェームズ・ポッターのお仲間かと思えば、今度は私を探しに来る?何がしたいんだ」

 

 ルーピンは黙った。まだどこか冷たい夜の空気が背筋をぞわぞわと粟立たせる。

 

「僕は…ただ…」

 

 まごついた答えに、スネイプはすかさず畳み掛ける。

 

「お前は自分は当事者じゃないって顔をしてるな。でも私にとっては違う。お前は五年間、ずっとただ黙ってみてた」

 

「そんなつもりじゃ…」

 

「お前は私の気持ちにいつから気づいてたんだ?」

 

「……」

 

 無言のルーピンにスネイプの怒りが爆発した。ルーピンとまっすぐ向き合い、睨みつける。その険しい視線。炎のような激情にルーピンは押し黙る他ない。

 

「私は…自分の恋が成就するなんて思っちゃいない!全部私が悪いなんてことはわかってる。それでもッ……」

 

 スネイプは下を向いた。涙がポタポタと下草を濡らした。

 

「それでも私は、今日の私を…この気持ちを知っている誰かに止めてほしかった…」

 

 

 そう言うと、スネイプは城に向かって歩きだした。すれ違うとき、さっきまでの熱がウソみたいに沈んだ声で呟いた。

 

 

 

「これは…逆恨みだな…。もう……疲れた」

 

 

 

 スネイプが帰ったあとも、ルーピンはそこに立ち尽くしていた。自分よりも遥かに激しい、彼女自身にすら持て余す熱情。それを今肌で感じた。

 そして自分と彼女が、実は本当は全然似ていないということがはっきりわかった。

 

 自分はただの一度も、当事者になったことなんてない。ずっと息を殺して、黙って、自分が狼人間であるということに真正面から向き合ったことがない。

 もちろんその事実に苦悩し、必死に工夫し、努力して今ここにいる。だがそれは"狼人間である自分"のためでなく、"普通の魔法使いである自分"を取り繕うためだった。

 その事実をたまたま知り、受け入れてくれた友達がいるのはただの偶然に過ぎない。

 

 スネイプは常にリリーと自分と、そこに渦巻く自分の感情と向き合っていた。自分の思いをぶつけるか、ぶつけないか。どうすれば受け入れてもらえるのか。

 その苦しみを、ルーピンは知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ハッピーバースデー滑り込みセーフ…!
お久しぶりです
頻度戻していきます


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呪い

 

 ハリーはグリフィンドール寮に帰ってくるやいなやソファに倒れ込んだ。そして一言も発さず、そのまま黙り込んでいる。

 ロンとハーマイオニーはそんなハリーを見てからお互い顔を見合わせた。

 

「…これって失敗?」

「そうみたいね」

 

 ハーマイオニーはハリーからスリザリンのローブをひったくってなんとか前を向かせようと足掻いたが、ハリーは近年稀に見る粘り強さでそれを拒絶した。

 

「ハーマイオニー、放っておいてあげなよ」

「でもロン…」

「いいから。失恋は時間でしか癒えないんだよ」

 

「失恋はしてないッ!」

 

 ハリーが突然怒鳴るせいでまだ起きてる上級生たちの視線が三人に集まった。しかしハリーの声だとわかるとみんな慌てて目を逸らした。継承者疑惑は依然として晴れていないからだ。

 

「喋った…」

「喋れるなら早く何があったか教えてよ…」

 二人は見るからに呆れている。ハリーは渋々起き上がってついさっきあった事を伝えた。

 

「秘密の部屋については…先生もよく知らないみたいだった。ただ僕が継承者かどうかっていうのはしっかり否定したよ」

「ハリー、そんなのわかりきってることでしょ」

 ハーマイオニーはため息をついた。ハリーはムッとしながら話を続けた。

「先生は生徒を襲ってるのは人じゃないって考えてるみたいだった。人ならダンブルドアが捕まえられるし」

「そこまでわかっていて先生たちは手も足も出てないってことね」

「うん」

「で?それだけで落ち込んだりしないだろ」

 ロンは秘密の部屋のことなんかよりハリーとスネイプに何があったかに興味津々らしかった。ハリーは物凄く渋い顔をして、何があったか話した。

 

 

「えぇ?!じゃあポリジュース薬を使ったのがバレたの?!」

「バレたのに生きて帰ってこれてるのがすごいわ」

「うん。ちょっとなんで僕を嫌うのかって聞いたら口論になって…今になって思うと先生が僕を追いかけてこなかったのは変だね…」

 

 あのときハリーは完全に頭に血が上っていて、スネイプがどんな顔をしていたかなんて見る余裕はなかった。

 とはいえ12歳の男の子に本人から自分を嫌う理由を聞いて冷静でいろというのも無理な話だ。

 ただ父さんのことを話題に出した途端、スネイプが動揺していたのは間違いない。

 

 

 やっぱり、父さんとスネイプの間には何かあったんだ…。

 

 

 ハリーは二人には決して言わなかったが、その確信だけは得られた。

 ロンは黙り込んでしまったハリーにウンウンとうなずきながら励ますように肩を叩いた。

 

「まあはじめ嫌い合ってた二人が惹かれ合うなんてよくある話だから、気を落とさなくても」

「…ねえロン、あなた恋したことないくせになんでさっきからそんなに訳知り顔なの?」

「こ、恋したことないなんてなんでわかるんだ?」

「へー。じゃああるの?」

「ない…けど…」

 

 ハーマイオニーは露骨にため息を吐き、ロンはムッとしていた。ハリーは何も言わなかった。

 

「…とにかくね、ハリー。スネイプの前ではおとなしくしましょう。後日改めて尋問されたら…もうたまったもんじゃないわ!」

「うん。わかった。…っていうかもう今回でだいぶ思い知ったよ。スネイプは…僕のことを憎んでる…」

 

 ハリーはがっくりうなだれて、そのまま動かなくなってしまった。ロンとハーマイオニーはなんとか慰めようと明るい声を出した。

「ハリー、恋愛って時には待つことも大切よ」

「君だって恋したことないくせによく言うよ」

「なによ。文句あるのかしら?」

「べっつにぃ」

「…僕寝る…」

 

 ハリーは突っ込む気力も起きないし、かと言って二人の漫才を聞いてられる余裕もない。そのまま立ち上がり、フラフラしながら寝室へ向かった。ロンもハーマイオニーもひき止めなかった。

 

 ロンの言うことは一部正しい。

 ハリーには時間が必要だった。

 

 自分を嫌いだと断言されて、激しく傷ついた心を自覚して。ようやく自分の胸にある感情が“恋”だとわかった。

 

 でも…恋なら、神様。

 よりによってなんでスネイプに!

 一目惚れなんて、魔法よりも理不尽で解明不能なものが自分の身に降りかかるなんて…。

 

 あの日、スネイプに見惚れたあの時の記憶が消し飛んでしまえばいいのに!

 こんなのまるで解けない呪いだ。

 

 ハリーはベッドに倒れ込んだ。どこまでもどこまでもマットレスに沈み込んで行きたかった。

 

 

「父さんは…スネイプに何したんだろう…」

 

 


 

 

 

 バレンタイン当日の喧騒はスネイプの気分をますます逆撫でた。

 ロックハート、あの最悪のナルシスト男がここぞとばかりに騒ぎを起こしたからだ。

 吐き気を催す邪悪な仮装を施した小人が授業中だろうとところかまわずバレンタインカードを配達しやがったのだ。スネイプは一度この小人を絞め殺してやろうかと思ったが、彼らもまた被害者だと思い改めた。

 いつか報いを受けさせたいとも思ったが、あの男が改心することなどあり得るのだろうか?…なさそうだ。

 

 ハリー・ポッターに対しては、もう本格的に無視するしかないと言う結論に至った。

 ポリジュース薬の材料を盗んだばかりではない、あいつは自分が最も触れてほしくない部分に無神経に触れたのだ。

 子供に怒るなという理性の声が聞こえてきた。しかし、ジェームズ・ポッターに関することはどうも感情の歯止めが利かないのだ。

 自分が思春期の頃に抱えていたどうしようもない激情、我儘、不満なんかがむくむくと湧き上がり、自制心をめちゃくちゃに踏み荒らしてしまう。昨日は初めて、本人の前でそれを漏らしてしまった。

 もう一度対峙したらきっとまた我慢できない理不尽な怒りに駆られてしまうだろう。

 だから無視する他ない。

 しょうがないことだ。

 

 ポッターも仲間の二人も盗みの罰を恐れてか、自分の目の届く場所では縮こまっている。(いい気味だ)

 ただでさえ今は校内が危険な状況なのだから、四六時中そうやって隅で大人しくしてくれればいいのに。

 少なくとも目に入らない限りは、ポッターアレルギーは起きないのだから。

 

 

 しかし、スネイプのそんな期待は常に裏切られるものだ。

 

 ハッフルパフ対グリフィンドールのクィデッチ戦の開始直前、ハーマイオニー・グレンジャーとペネロピ・クリアウォーターが石になってしまった。

 

 更に悪いことに、ハグリッドは逮捕。ダンブルドアは理事会により停職を言い渡され、雲隠れした。

 

 

「とにかく薬を作らなければなりません…」

 

 マクゴナガルが珍しく憔悴した面持ちで言った。今やマクゴナガルが校長が留守の間生徒たちを守らなければいけない。

 

 スネイプとスプラウトはマンドレイク薬のため授業以外のすべての時間を温室で過ごすことになった。マンドレイクのニキビが取れ次第すぐに調合を開始するため、万全を整えた。

 

 テストと重なってスケジュールは過酷だったが、犯人探しができない以上できることに全力を注ぐべきだ。

 

 

 しかし

 敵はいつだってこちらの都合など決して構ってはくれないのだった。

 

彼女の白骨は永遠に『秘密の部屋』に横たわるであろう

 

 

 


 

 

 

 セブルス・スネイプはふくろう試験で好成績を修め、無事希望の科目のイモリ課程に進むことができた。六年生になってますます、周りの生徒たちは将来について真剣になりだした。

 例のあの人が暴れているこのご時世、スリザリンの一部界隈では当然“死喰い人”が選択肢として現実的に見えてくる。

 同期の中でスネイプは筆頭候補生だった。

 成績優良で魔法の腕も寮一番だ。唯一ケチをつけられるとしたら箒乗りくらいで、それも腕前としてはだいたい平均だった。

 そしてなにより、闇の魔術への造詣の深さ、そしてためらいなくそれを振るう度胸が彼女の地位を確立させていた。

 誰もがスネイプを重要人物であるかのように扱った。

 

 

 

「リトル・死喰い人。まさにそんな感じだな、スニベリー」

 

 薬草学の手伝いで校舎から離れた北塔裏の資材置き場にいたスネイプに背後から誰かが声をかけた。振り向くと、シリウス・ブラックが立っていた。

 

「…話しかけるな、ブラック」

「闇の魔術の()()()()()はご機嫌斜めか?…スネイプ。すっかりバッドガール(イケてる子)が板についてきたな」

 シリウスの皮肉に対してスネイプは冷淡に答えた。

「私は自分を変えたつもりはない。私が呪いをかける前に消えろ」

 スネイプはそう言い捨てると足早にその場を去ろうとした。しかしシリウスはスネイプの進路にすっと回り込み立ち塞がった。

 

「どうしてエバンズと仲直りしない」

「できるわけないだろ」

「やってみなきゃわからないだろ」

 

 スネイプは杖を抜いた。杖先から閃光が瞬く。シリウスは咄嗟に身をかわして呪文を避けた。

 

「いきなりなんて卑怯だぞ!」

「卑怯もクソもあるか。学校の外じゃいちいちお辞儀をして呪文を掛け合ったりしないぞ」

 

 スネイプはもう一度杖を振った。シリウスも今回は盾の呪文で防いだ。先生に見つかったら二人共大減点の後罰則だ。シリウスは呪文の掛け合いで負ける気はしなかった。でも別に今日は喧嘩しに来たわけではない。

 

「エバンズともとに戻れないから、死喰い人なんか目指してるのか」

「違う。私は強くなりたいだけだ」

「はあ?」

 

 スネイプは真剣だった。シリウスはその気迫に押されて思わず間抜けな声を出してしまった。

 

「闇の帝王はいずれ魔法界を支配する。そしたらマグル生まれはどうなる?私はリリーを守りたい。私が強くなれば叶うことだ」

 

 スネイプがこんなバカげた未来の話を真面目に言うものだから、シリウスは思わず大声で反論してしまった。

 

「君は本物の馬鹿なのか?!例のあの人なんかが本当にダンブルドアを倒して、魔法省を乗っ取ってマグル生まれを虐殺するなんて信じているのか?」

「お前こそ冷静に考えてみろ。ダンブルドアは年をとってる。魔法省は骨抜きのスカスカだ。ここ数年で何人の"まともな"魔法使いが消えた?」

 

 実のところ、正義と呼べる勢力はどんどん弱体化してきている。頻繁に起きる拉致拷問殺害でメンバーは減っているし、危険な立場に家族や人生を投げ打って身を投じることができる魔法使いは限られている。

 

「…だからって悪の道に進むなんて、死んだほうがマシだ。スネイプ、お前本気でそれが正しいって思ってるのか?」

「ああ。強くなれば、偉くなればルールを作れる。誰にも私の想いを隠さなくてもいい。馬鹿にされたりもしない。誰にも文句なんて言わせない…」

 

 シリウスはスネイプの気持ちを知っていた。もうずっと前から、彼女の情念のこもった視線がリリーに注がれているのを見てきた。

 だからこそ、あの日の自分の行いがスネイプを怒らせるには十分残酷だったのはわかっている。

 

 しかし。

 

「僕は…あの日のことは君が悪いと思う」

「…そうだ。私が悪い」

 

 シリウスは歯噛みした。

 違う、そういうことじゃないんだ。

 

「僕は君をバカにしたことはあるけど、君の感情を馬鹿にしたことなんてないだろ」

「…どうだかな。一緒だろ」

「全然違うだろ!?」

「お前にとってはな」

 

 スネイプの声は今まで聞いたことがないくらい冷えていた。怒りでも激情でもない、密度の高い感情の肌触り。

 

 

「私には、お前がひどく傲慢に見える」

 

 言い放たれた言葉に、シリウスはあえて挑発的に返した。

 

 

「つまり君は僕を許すつもりなんて一切ないわけだ」

「あたりまえだろ。今までさんざん憎み合ってやりあってきて」

 

「じゃあどうすれば償えるんだ?」

「そんなの無理」

「一回間違ったら、もう全部だめなのか?」

「そうだ」

「許してもらえないのか?」

「そうだ」

「すべてを水に流してやり直すことも?」

「無理。当たり前だ。一度やったことは消えない」

 

 シリウスは黙った。

 スネイプの激しい拒絶に対してショックを受けたのではない。

 

 今言ってることは全部スネイプとリリーの関係に返ってくる言葉だ。スネイプも多分わかっていっている。

 そして、彼女は自分の言葉に無責任なタイプではない。

 自分の言葉で、自分に呪いをかけているんだ。

 

「わかったなら、二度と私に構うな」

 

 

「…やっぱり君は馬鹿だ」

 

 

 シリウスはスネイプの背中を蹴っ飛ばしてやろうか悩んだ。けれども彼女の肩が思ってたよりもずいぶん華奢なのに気づいて、やめた。

 

 



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愛と呼ぶには青すぎる

 

 

 セブルス・スネイプにとって人生は歳を重ねるごとに救い難くなっていくもので、特にリリーと袂を分ったその日からその悲壮さは坂を転げ落ちるように増していった。

 真正面からそれを見てしまったらきっとどうにかなってしまう。現実から目を背けるためにスネイプは闇の魔術にどんどんのめり込んでいった。

 

 元々新しい呪文を披露したり、調合の難しい魔法薬をこっそり煎じたりするのは好きだった。

 あの頃は何をやってもワクワクした。けれども今はまるで何かに追い立てられるような気分にしかならなかった。

 

 何をやっても苦しい。

 これから一生こんな気持ちで生きていくのか?

 そういう考えが頭の中で渦巻いて、頭蓋骨の底にどんよりと溜まって行くようだった。

 

 

 校内でリリーを見かけるたび、胸を氷柱で穿かれたような気持ちになった。

 その底冷えする絶望から逃げるため、闇へ闇へと歩いていく。

 自分の張り裂けそうな恋心を凍らせて沈めてしまいたかった。

 そんな魔法があればいいのに。

 少女じみた妄想がより自分の惨めさを膨らませていく。

 

 それでももしかしたら、いつか昔みたいな関係に戻れるかもしれない。

 私がリリーを助けられる日が来るかもしれない。

 初めて出会ったとき、私があなたに助けられたように。

 

 それだけが光だった。

 そのバカみたいに楽観的な望みが。

 

 しかし神様はただ願うだけの人に救いを与えたりはしない。

 

 

 リリー・エバンズとジェームズ・ポッターが付き合っていると知ったのは7年生のクリスマス。初めて雪が降ったクリスマスの日だった。

 

 その日スネイプはたまたま中庭に面する二階の廊下を歩いていた。窓を見ると薄暮の太陽の残滓が振り始めた雪にほのかに反射し、夜を彩っていた。

 雪のひとひらを追って視線を下へずらした。

 すると、人気のない中庭の中央に6年間ずっと見てきた赤毛が見えた。そして隣に、ジェームズがいた。

 

 ジェームズが手を差し出す。リリーはちょっとなにか言ってから、その手を握る。

 二人は手袋もしてない、寒さで赤くなった手を取り合ってゆっくりと踊り始めた。舞い散る雪に彩られて、赤いフードがくるくるとまわった。

 

 二人の体に雪がふわふわと舞い落ちる。それは体温ですぐに溶けてしまい、小さな水滴になって振り落とされる。

 

 はじめからそこになかったみたいに。二人の一瞬をただ彩るだけの雪。

 

 二人が踊ってたのはほんの数秒だったかもしれない。あるいは数分、いや、数十分?

 スネイプには永遠に感じられた。

 陽が完全に暮れて、四方を囲む廊下の壁に取り付けられた外灯の明かりが影をいくつも作り出した頃、二人はおもむろに寄り添い、唇を重ねた。

 

 

 それはスネイプがどんなに強く望んでも手に入らないものだった。

 どれだけ願っても、望んでも、想っても、悩んでも、苦しんでも、投げ打っても。

 “好きだ”、“愛している”と伝えて受け入れてもらえなければ得られない果実。

 

 

 私は、その言葉を只言えばよかった。

 

 いや、違う。だって私は()()()()

 

 

 リリーは私が好きと言っても果実を与えるとは限らない。だって、リリーはふつうの女の子だから。

 私が恋を伝えたら、リリーは私にとっても優しく微笑んで、抱きしめてくれる。でも絶対に私に永遠を与えてはくれないのだ。

 

 リリーは誰かと結婚して子供を産むことを自然と将来に据えていた。そばで過ごしていたから、わかる。

 

 伝えて砕けてしまうのが一番怖かった。怖くてここまで来てしまった。その結果がこれだ。

 私が想いを伝えたら、リリーは「私もセブのことが大好きよ」と言ってくれるだろう。嘘偽りない心で。

 

 でもね、リリー。私の好きはリリーの言う大好きとは違うの。

 

 私はあなたとキスがしたい。

 私はあなたの胸を触りたい。

 あなたが誰にも許してないところに手で触れて、感じたい。

 私は私にしか見せない顔をするあなたが欲しい。

 あなたにも私のすべてを欲してほしい。

 

 

 私が男の子なら、もっと簡単に伝えられたのかな。わからない。もうなにもわかりたくない。

 私の気持ちは、どこにもいけない。

 

 誰もいなくなった中庭に雪がどんどん積もり始めていた。

 涙が凍ってしまわないように拭って、スネイプはゆっくり歩き出した。下へ、下へ向かって。

 

 

 


 

 

 

 ハリー・ポッターが学年末に大事件に突っ込んでいって怪我をするのは恒例行事になるんだろうか。

 

 スネイプはマクゴナガル、フリットウィックと共に“秘密の部屋”に調査に入った。伝説が今ここに明らかになったと思うと感慨深いものがある。

 秘密の部屋。想像していたよりも住みにくそうだ。 

 蛇が絡み合う彫刻が施された石柱がシンメトリーに設置され、最奥にはスリザリンの顔と思しき巨大な彫刻がある。

 

 そしてその目の前にあるのが“スリザリンの怪物”バジリスクの死体だ。

 

「死人が出なかったのが奇跡、ですね」

「まっこと…」

 

 鮮緑色の鱗。古い樫の木のように太い胴体。潰された目から流れる血は今はもう真っ黒に乾いてしまっている。スネイプとフリットウィックとで慎重にそのバックリ裂けた口をこじ開けた。

 

「ほほう…」

 

 口腔は通常の蛇と異なっていた。サメやワニのように牙が乱杭歯のように生えていて、そのどれもに毒を注入するための穴がある。つまり今や繁殖も規制された伝説の化物の毒牙がずらりと並んでいるわけだ。

 これには思わずスネイプも感嘆の声を漏らしてしまった。研究者としてはこの上ない宝の山だ。

 何本か採集することを許可されていたので、一番手前の四本を折って袋に入れた。ついでに鱗と体液も少量採取した。

 

「いやはや。これに立ち向かったポッターは大したものです」

「…私としてはこんな危険なことをする前に大人に頼ってもらいたかったですね」

 

 マクゴナガルの言葉にスネイプは心の中で同意した。フリットウィックは凄腕決闘士ということもあってここでの戦闘に興味津々なのだろう。

 彼ならばきっとスリザリンの怪物相手でも無傷で勝利するだろうなとスネイプは思ったが口にはしなかった。

 

「ふむ。痕跡を見るにポッターの言った事の顛末も嘘偽りないでしょう。そうと決まればこんなおぞましい場所からは早く出ましょう」

 

 フリットウィックは通るために補修した道を再度破壊し、さらに女子トイレ周りのパイプの配置も変え、入り口もすっかり塞いでしまった。

 塞ぎ終えてからフリットウィックは一息ついた。これで生徒がうっかり秘密の部屋を開けてしまう…なんてことはなくなった。

 

「…さて。私は校長に報告に行きますが…」

「私も同伴します」

「では私はスプラウト先生のところへ。栽培しすぎたマンドレイクの管理に手を焼いてるそうですから」

 

 スネイプはさっさと温室に向かった。本当はマンドレイクはもうほとんど手のかからない年齢まで成長しているはずだから、手伝いなんていらないはずだ。

 

 

 

 秘密の部屋を開けたのはジニー・ウィーズリーだった。しかし真の黒幕はそのジニーを操っていた“トム・リドルの日記”だった。

 あの日記はウィーズリーの失脚を狙うルシウス・マルフォイがこっそりジニーの持ち物に忍び込ませたものだ。

 しかしたかだか役人の一人を潰すためにあれだけ強い闇の品を使うとは、ルシウスも少々大人げない。トム・リドル。闇の帝王の学生時代の日記と知っていてのことなら軽率すぎる。

 

 ダンブルドアは日記の残骸を入手するとじっくりと眺め、興味深気な顔をしてそれをめくった。

 バジリスクの牙に貫かれた日記は黒焦げ、大きな穴が空いていた。インクを垂らしてもリドルが応答することはなかった。

 

「彼はもうここにはいない」

 

 とダンブルドアがいった。まるでトムという人物がそこに宿っているかのような言い方だった。校長室の絵画のように、別の日記に移る能力でもあるんだろうか。

 だが疑問を尋ねたってダンブルドアは答えをそう簡単に教えてくれたりはしないのだ。ふさわしい時期になれば自ずと明かしてくれるだろう。

 

 結果として秘密の部屋の怪物は処分できて、厄介な理事は解雇できた。ダンブルドアが校長職にもどり、ハグリッドも釈放され、(ロックハートは記憶がぶっ飛び消えたが)ホグワーツは元通り。

 

 なにも心配するようなことはない。

 本当に、そうだろうか。

 

 

 

 

 夏の日差しが廊下の窓から差し込んでいた。この真っ黒な服じゃいい加減暑い。首元を少し緩めた。窓から外を眺めると、生徒が何人かクィディッチ場に向かって走っていた。

 その中の一つに見慣れたくせ毛の頭を見つけた。

 着くずしたクィディッチユニフォームを着て、手には箒を持っている。

 

 あれだけ恐ろしいものと対峙してなお、ああやって元通りに元気に遊んでいる。持って生まれたものなのか、その強靭さは少しだけ羨ましい。

 

 夏の強い日差しに比例して濃くなる陰の中から、スネイプは光の中にいるハリーをぼんやり眺めた。

 

 背が、だいぶ伸びたな…

 

 きっと、これからもっと成長する。いつの間にかスネイプの背も抜いてしまうだろう。そしたらどんな大人になるんだろうか。

 

 それまで私は彼を守り抜くことができるのだろうか?

 守り抜けば、リリーへの愛の証明ができるのだろうか?

 

 “日記”のもたらした暗い未来への予感がじわりと背後に迫ってきている気がして、歩き出した。

 

 

 陰になった廊下を歩きながら、リリーのことを思い出した。付随して、昔の自分が抱いてた感情もたくさん。

 

 校舎を歩くたび

 教科書をめくるたび

 日差しが優しく照らすたび

 風が私の頬をなぜるたび

 

 あなたのことを思い出して胸が痛む。

 私のあら巻く海のような激情が、10年以上経ってから返す波になって私の心を掻き乱す。

 でも、それでもあの頃よりも痛くない。

 それが少し寂しい。

 

 

 

 夏の日、リリーと二人で木陰のベンチに座って将来の夢を語り合ったのを思い出した。

 私はとにかく、強い魔法使いになりたかった。魔法薬も、呪文も、闇の魔術も。とにかくなんでも一番が欲しかった。

 

 リリーは別にそんな欲なんてなくて、ただ毎日が楽しいと言っていた。

 そしてそんな楽しい日々がずっと続いて、隣に自分の家族がいてくれたら何より素敵だと言っていた。

 子供は三人くらいいて、庭で一緒に子供用箒で遊んだりチェスをやったり、ゴブストーンを教えるのも悪くないと言っていた。

 

 私は聞いた。

「その時私はどうしてるかな」

「魔法大臣!」

 あなたの描く未来では、あなたの隣に私はいない。

 私はそれで不機嫌になってしまって、リリーはわけがわからなくてちょっとだけ怒ってた。我ながら本当に子供だったと思う。

 

 

 愛について考えた。

 子供だった私のリリーへの愛。それは与えられることを願うだけの幼いもので、愛と呼ぶには青すぎた。

 未熟な愛は結局、激しすぎる感情で自ら破裂して粉々になってしまった。

 

 

 

 あの日、自分の手を振り払ったハリー・ポッターの怒り。それと私の激情はよく似ている。

 

 

 

 

 

 

 




バジリスク「キング・クリムゾンされた…」

秘密の部屋編はおしまいです。多分これが一番早いと思います。いや、知らんけど

アズカバン編でまた会いましょう!


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