アストラエアの丘で (クラトス@百合好き)
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第0章改訂版「ただいまとおかえり」


■目次

<プロローグ>…涼水 玉青視点
<お昼休みは大忙し>…涼水 玉青視点
<お願い>…涼水 玉青視点

■人物紹介

・涼水 玉青(すずみ たまお)
ミアトルの4年生。ルームメイトの渚砂とはお互いにちゃん付けで呼び合っている。名前にも『青』が入っているように腰の辺りまで伸びた青い髪が自慢で、普段は邪魔にならないようにシニヨン(ポニーテールを丸くまとめたようなもの)という髪型にしている。

・蒼井 渚砂(あおい なぎさ)
ミアトルの4年生。両親の海外転勤という事情により急遽このアストラエアの丘にやってきた編入生。少し小柄だけど赤茶色のポニーテールが目立つ元気溢れる活発な少女。

・竹村 千早(たけむら ちはや)
玉青たちのクラスメイトで料理部所属。小さいおさげを2つ結んでおり、紀子とは1年生からず~っとルームメイト。

・水島 紀子(みずしま のりこ)
おなじく玉青たちのクラスメイトで弓道部所属。動きの邪魔にならないようにと髪型はボブ。千早との仲をミアトル随一と自負している。



<プロローグ>…涼水 玉青視点

 

「あぁ~渚砂ちゃんたら、今朝の寝顔も………可愛いくって素敵ですわ~

 

 両手で頬を挟みながら私は感嘆の声を上げた。毎朝見ているというのに、こうしてため息が漏れてしまうのは今日も変わらない。それもひとえに渚砂ちゃんが可愛すぎるのがいけないのだ。

 

 朝の静けさの中、規則正しくすぅすぅという寝息を立てる少女はまだ夢の中。枕もとの目覚まし時計に目をやると起床時間まではもう少し猶予がある。ならこのまま寝かせておいてあげよう。どのみち、この幸せそうな寝顔の前では私は無力なのだから。

 

 そう考えブランケットを掛け直してあげながら耳元で囁いた。

 

「渚砂ちゃんがルームメイトで本当に良かった。大好きですよ渚砂ちゃん」

 

 

 

―*―*―*―*―

 

 

 

 

「この丘って本当に広いよね~。私まだ慣れないや」

 

 『いちご舎』と呼ばれる寄宿舎での朝食を済ませ、学校へと向かう道の途中で渚砂ちゃんが小難しい顔をして呟いた。一歩踏み出すごとにぴょこぴょこと揺れるポニーテールがなんとも可愛らしい。

 

「そうですね。幼稚園から通っている私でも行ったことのない場所が結構あるくらいですから」

「ええっ!? そうなの?」

「ふふふっ。驚いちゃいますよね」

 

 私たちがいるのは通称『アストラエアの丘』。3つの女学校と3校共通の寮であるいちご舎を内包する広大な丘だ。私と渚砂ちゃんが通う『聖ミアトル女学園』も当然この敷地内に存在している。ちなみに4年生というのは、この丘の女学校が中高一貫の6年制を採用しているからで、普通で言うところの高校1年生に該当する。

 

「玉青ちゃんがルームメイトで良かったよ。初めは寮生活って聞いて、意地悪な人と同じ部屋だったらどうしようってずっと不安だったもん」

「じゃあ私と渚砂ちゃんは相思相愛ですね。私もそう思ってましたから」

「もぉ~~~、玉青ちゃんてばすぐそういうこと言う」

 

 照れ臭そうに顔を赤らめ、歩く速度を上げた渚砂ちゃんの後を追いかける。朝の心地よい日差しの中、こうして渚砂ちゃんと一緒に登校できるのは私にとってこの上ない喜びだ。

 

 大袈裟だって思われるかもしれないけど、それには私の事情も絡んでいたりする。

 

 あれは1年生の時。寮生活の希望者が奇数だったこともあり、1人で生活する生徒をくじ引きで選ぶことになった。後はみなさんのご想像の通り、私はものの見事に外れくじを引き当てたというわけである。

 

 一人だと気楽でいいじゃないと言われることもあったが、そりゃあ生活は一人でも出来るかもしれないが寂しいことに変わりはない。みんなが嬉しそうに相部屋生活を送る中、一人寂しく過ごしていたのもあって私のルームメイトへの憧れは特別なものへと昇華されていった。

 

 そして迎えた4年生。今年も一人で過ごすのかと諦めかけた時、私は渚砂ちゃんと出会った。運命なんて言葉を軽々しく使いたくはないけれど、それでも私はこの出会いを運命だと信じている。

 

「こうやって登校するの、ずっと夢だったんです。他の子がルームメイトと歩いている姿が羨ましくって。やりたかったことリストでも必ず上位にランクインしてた念願が叶っちゃいました」

 

 今はもう、周りを見ても悔しくなんてならない。だって私には渚砂ちゃんがいるんだから。また1組、他の子たちを追い越しながら私が心の中で喜びに浸っていると、袖がクイクイッと引っ張られ、渚砂ちゃんが私を見上げていた。

 

「ねぇ玉青ちゃん、校舎まで競争しようよ」

「渚砂ちゃんは朝から元気いっぱいですね」

「うんっ! だって玉青ちゃんといるの楽しいんだもん」

「あ、ずるいですよ渚砂ちゃん。そんな風に言われたら断れるわけないじゃないですか」

「よ~し。それじゃあいくよ~。よーいドンッ!!」

 

 合図を機に二人そろって校舎までの道をパタパタと駆けていく。カバンは脇に抱え、髪は風に靡かせて。シスターに見られたらきっと怒られちゃうだろうけど、楽しくて笑いが止まらない。

 

 ここはアストラエアの丘。私と渚砂ちゃんの物語が、今始まろうとしていた…。

 

 

 

 

 

 

 

<お昼休みは大忙し>…涼水 玉青視点

 

 昼休み。ミアトルの校舎内にある食堂兼カフェは、授業の疲れを癒そうとオアシスを求める生徒たちでごった返していた。3校にはそれぞれこういった食堂やカフェが設けられているが、おそらく他の2校も今頃はこんな風に戦場と化しているだろう。

 

 人気メニューや窓側の席など、そこには上級生や下級生の垣根もなく、とにかく早い者勝ちのシビアな世界。私たちも授業が終わると同時にダッシュでやって来たのだが、あいにく行列に巻き込まれてしまっていた。

 

(ああ、もう。今日は天気が良いから、絶対に窓側の席にしようって決めてたのに)

 

 恨めしそうに眺めていても行列はなかなか進まない。次々と席が埋まっていく様子にもどかしさばかりを募らせていると、渚砂ちゃんがヒソヒソ声で話し掛けてきた。

 

「もうちょっとくっ付いても良いかな? なんだか詰めた方が良さそうだから」

 

 後ろを見ると、行列はさらに伸びて食堂の入り口付近まで続ている。どうやら授業の終わるタイミングが重なってしまったらしい。

 

「そうですね、列もかなり長くなってますし」

 

 私の言葉に頷いた渚砂ちゃんが前に進もうとしたその時。

 

 みんな同じことを考えていたのか、行列の中盤から前方向へと波が発生し、おしくらまんじゅうのように伝わったそれは、あれよあれよという間に渚沙ちゃんのところまで届き、そして━━━。

 

「わわわっ」

「渚砂ちゃんっ!?」

 

 バランスを崩した渚砂ちゃんに抱き着かれてしまった。偶然だったとはいえ、ちょっぴりドキッとする。

 

「ご、ごめん玉青ちゃん」

「いえ、私は大丈夫ですから」

 

 こんな嬉しいハプニングがあるなら、行列も悪くないかもしれない。そう思った一瞬だった。

 

 その後無事に日替わり定食が乗ったトレーを受け取った私はお目当ての席へと急ぎ、残り僅かとなっていた窓側の席を確保すると後ろを振り返った。

 

「渚砂ちゃ~ん。こっちですよ!」

「さすが玉青ちゃん」

 

 手を振りながらの呼びかけに渚沙ちゃんが少し遅れてやって来る。トレードマークの赤茶色のポニーテールはこの混雑でも視認性抜群だ。

 

「私もうお腹ペコペコ」

「ふふふ。今日の食堂は激戦区でしたからね。私もペコペコです」

「それじゃあ、いただき━━━」

「━━━ダメですよ、渚砂ちゃん。食前のお祈りをしますから箸を置いて下さい」

 

 待ちきれずに箸を持った渚砂ちゃんを嗜(たしな)める。うぅ~、と悲しそうな顔を浮かべたもののきちんと箸を戻すあたり、ここでの生活にもだいぶ慣れたようだ。

 

 少しでも早く食べさせてあげようと、本当はよくないんだけど2倍速くらいでお祈りを済ませ、さぁお待ちかねの。

 

「「いただきます」」

 

 二人分の声が重なりいざお昼ご飯。渚砂ちゃんの手前、毅然と振舞ってはいたけど私も空腹で限界だった。

 

 私は日替わり定食で、渚砂ちゃんはボリューム満点のハンバーグセット。

 

 アツアツのそれを美味しそうに頬張る姿は実に幸せそうで、見ているだけで私の心を満たしてくれる。私も負けじと自分の分に箸を伸ばすと口に放り込んでいった。

 

 毎日食べても飽きないようにと期間限定メニューがあったり、同じメニューでも少しずつ改良が加えられたりとミアトルの食堂はなかなかに侮れない。今日の日替わり定食も付け合わせの小鉢が新作でとても美味しかった。後でアンケートを出しておこう。評判が良いと復刻だったり、定番化されたりするので、意外とメリットがあったりする。

 

「ねぇ玉青ちゃん。そろそろ…」

 

 半分くらい食べ進めたあたりで渚沙ちゃんが声を掛けてきた。恒例のアレだ。

 

「ええ、いいですよ。渚砂ちゃんは何が欲しいですか?」

「唐揚げ、もらってもいいかな?」

「分かりました。代わりにハンバーグを少しもらいますね」

 

 おかずの交換っこである。知ってる味でも相手からもらうと妙に美味しく感じるのはどうしてなんだろう? 食事前のつまみぐいに通ずる何かがきっとあるに違いない。

 

(それにしても…)

 

 渚砂ちゃんは食欲旺盛なわりに華奢な身体つきをしていて、栄養はどこに行ってるんだろうと不思議に思うことがある。今日だってご飯大盛りなのに茶碗に残っている量は私とあまり変わらない。

 

「ゆっくり食べないと消化に悪いですよ」

「えへへ。分かってはいるんだけど、ついついおいしくって」

「はい、これ。渚砂ちゃんの分の唐揚げですよ」

 

 お皿に乗っけてあげるつもりで持ち上げたのに、渚砂ちゃんは『あ~ん』と口を開けてスタンバイ状態。

 

「もう、渚砂ちゃんったら」

 

 仕方ないんだから。口ではそう言いつつも、その可愛さに負けて持ち上げた唐揚げをそっと口の中に入れてあげる。満面の笑みを浮かべて唐揚げを頬張る渚砂ちゃんは、どこか餌を待つ雛鳥を連想させた。そんな姿に私の母性本能もおおいにくすぐられ、おまけでもう1個あげたくなってしまう。

 

 動物園の飼育員さんってこんな気持ちなのかもしれない。

 

「玉青ちゃんてさ、同い年なのに凄くしっかりしてるよね。時々お母さんみたいだなって思うことがあるんだ」

「えっ? おかあ…。えっ?」

 

 ニコニコ笑いながら言うから渚砂ちゃんに悪気はないんだろうけど、私はちょっとだけショックを受けた。自分なりに精一杯優しくしてあげた結果が、同い年の子にお母さんって思われてしまうだなんて。

 

「あ、違うよ? お母さんみたいってのはあくまで例えで。安心できるとか、落ち着くなって意味で。ほら、玉青ちゃん私のお世話たくさんしてくれるし」

 

 私の反応を見て慌ててフォローを入れてくれたけど、あまりフォローになっていない気がする。友人からの何気ない一言に傷付いた私は、せっかくなので意地悪をすることにした。

 

「渚砂ちゃんは次の数学のミニテスト、準備ばっちりですか? たしか数学は苦手って言っていましたけど」

 

 うっ、という呻き声と共にこれまで快調に飛ばしてきた箸がぴたりと止まった。よく見ると箸の先がプルプルと震えているのが分かる。チラリと顔を窺うと、助けを求める子羊のような目でこちらを見ていた。どうやらミニテストの存在自体を忘れていたらしい。

 

「あのね玉青ちゃん。お願いが…」

「ダメですよ、自分で勉強しないと」

「そ、そこをなんとか」

 

 涙目で訴えかけてもダメなものはダメ。今日の私は渚砂ちゃんのお母さんなわけだし、厳しくしないと。勉強して欲しいと願う親心というやつだ。

 

「もしかして、さっきお母さんみたいって言ったの、怒ってる?」

「ふふふっ。さあどうでしょう?」

「そうなら謝るから。ねっ? ねっ?」

「まぁ、渚砂ちゃんがそこまで言うなら…考えなくもないですけど」

 

 ちゃんと気付いてくれたから意地悪はこれでおしまいにしてあげよう。一応、今回だけですよといった雰囲気を醸しつつ助け舟を出してあげる。

 

「教室に戻ったら範囲を教えますから。一緒に確認しましょう、ね?」

「ほんとに? やったぁ」

 

 顔をパァッっと輝かせ救世主でも崇めるような勢いで私を見つめている。私にとっては渚砂ちゃんの方がよっぽど救世主なんだけど、それは内緒。

 

 それにしたって喜怒哀楽の中でも、渚砂ちゃんの喜は本当にずるい。こんな顔をされたら誰だって優しくするに決まってる。

 

(あ、でもちょっとだけ意地悪もしたくなるかも…)

「玉青ちゃん! 早く食べて教室に戻ろ」

 

 元気を取り戻した渚砂ちゃんの声に急かされるようにして私も箸を動かすのだった。

 

 

 

 

―*―*―*―*―

 

 

 

 

「いいですか渚砂ちゃん。ここからここが━━━」

 

 教室に戻ると授業までの時間を使って早速ミニお勉強会が開催された。渚砂ちゃんとは席が前後同士なのでこうゆうときに気兼ねなくやり取りできてとても助かっている。ルームメイトが近くにいれば何かと相談できて安心できるだろうと担任の先生がこうしてくれたのだ。

 

 ちなみに渚砂ちゃんが前で私が後ろ。だから私の席は一日中渚砂ちゃんを見ていられる特等席である。

 

「あれ? 次の数学ってミニテストあるんだっけ?」

「えっ? 朝に部屋で言ってあげたじゃない。もう忘れちゃったの? 呆れた…」

 

 私と渚砂ちゃんの様子を見て話しかけてきたのはクラスメイトの紀子さんと千早さん。

忘れていたうっかりさんが紀子さん。弓道部所属なだけあって姿勢がとても綺麗で、髪も短くスポーティな印象だ。注意した方が千早さん。料理部所属で小さいおさげを2つ結んでいる。

 

 二人は1年生の時からずっとルームメイトとして生活しており、そのやり取りは夫婦漫才さながらといったところ。いちご舎での部屋が私たちのお隣さんということもあり普段から仲良くしていて、渚砂ちゃんが早くからクラスに馴染めたのは二人が積極的に話しかけてくれたおかげだ。

 

 ただ、二人には困ったこともあって…。

 

「渚砂さんいいな~。玉青さんに勉強教えて貰えて。玉青さんって頭良いから教えるのも上手でしょ? 誰かさんと違って」

「その誰かさんってもしかして私のこと? そりゃあ玉青さんには勝てないけどあんたよりはずっとマシなんだからね、紀子」

「この前教えてくれたやつ全然答え違ったじゃない。千早のバカー」

「バカって何よー。もう勉強教えてあげないわよ」

(また、ですか…。お二人とも本当によく飽きないというかなんというか)

 

 喧嘩するほど仲が良いを地で行く二人はしょっちゅうこんな感じで、ひどい時には一方が部屋から追い出されていちご舎の廊下に座り込んでるなんてこともあった。それでも翌日にはケロッと仲直りしているんだから羨ましい限りである。

 

(この様子だと昼休みが終わるころにはすっかり元通りでしょうね)

 

 正直、ちょっと妬いてしまう。私もいつか渚砂ちゃんとこんな風になれるだろうか? 結局二人が来てからはあーだこーだと盛り上がり、碌に勉強しないまま授業開始を知らせるチャイムが鳴り響いた。

 

「あっ。ミニテストの勉強、全然…してない…」

 

 今更後悔したってどうしようもない。楽しくお喋りしたのだから自業自得だ。私はにっこりと微笑むと渚砂ちゃんに告げた。

 

「さぁ前を向いてくださいね渚砂ちゃん。授業が始まってしまいますから」

「玉青ちゃんのいじわる~~~~」

 

 

 

 

 

 

<お願い>…涼水 玉青視点

 

「はぁ~今日も疲れたー」

 

 数学のミニテストを乗り越え その後の授業もやり遂げた渚砂ちゃんはどうやら電池切れのようだ。ぐったりと机に突っ伏すとそのまま動かなくなってしまう。今日は所属している文芸部の活動もないし、帰ったら渚砂ちゃんにお茶とクッキーでも出してあげようかな。

 

 そんなことを考えていると教室の窓から銀髪の生徒が歩いているのが見えた。その手には花瓶を持っている。

 

(温室のお世話…でしょうか。エトワールの仕事も大変そうですね)

 

 しばらく目で追っていたが今の私には渚砂ちゃんをいちご舎に連れて帰るという大事な使命がある。その生徒から目を離し、未だに机に突っ伏したままのルームメイトに声を掛けた。

 

「渚砂ちゃん。この間もらったクッキーがまだ有りますから帰ったらお茶にしましょう。ミルクとお砂糖をたっぷり入れて飲むと疲れが取れますよ」

「ほんとっ? 玉青ちゃんが入れてくれるお茶ってすっごく美味しいから、いっつも楽しみなんだ~」

 

 食いしん坊なんだから。食べ物に反応しガバッと飛び起きたその瞳は、キラキラと輝いていてエネルギーに満ち溢れている。先程までのグロッキーはどこへやら。あっという間に元気を取り戻した渚砂ちゃんに引っ張られるようにして私は教室を後に━━━。

 

「って、ああ。渚砂ちゃん、カバンを忘れてますよ」

「あ、しまった。またやっちゃった。えへへ」

 

 机に掛けられたカバンを手に今度こそ教室を出て家路につく。家とはもちろんいちご舎の事だ。正式な寄宿舎だけあって元々そう大した距離ではないが、渚砂ちゃんと話しながらだとその帰り道もことさら短く感じてしまう。

 

 普通なら名残惜しさを感じるのだろうけど、いちご舎で暮らす生徒にはそんなことは関係ない。それは寮生活を行う生徒の特権でもある。

 

 だってベッドにカバンを放り投げたら、すぐに会いに行けばいいのだから。誰かの部屋でもいいし、くつろぐための談話室や休憩スペースだっていちご舎には存在している。

 

 そして幸運なことに私と渚砂ちゃんはルームメイトなのだ。朝出掛ける時も素敵だけど、こうやって帰ってきた時の方がその実感がより鮮明になり、この部屋が神聖な儀式を行うための特別な場所であるかのように錯覚してしまう。

 

 ううん、錯覚じゃない。だってこれからするのはとても神聖な儀式なのだから。頭の中で訂正をしつつ声を掛けた。

 

「さぁ渚砂ちゃん」

 

 私はその手を取るとお姫様をエスコートするように部屋の中へ誘(いざな)った。二人でしずしずと部屋の中を進んでから手を離し、踊るようにくるりとターンをすれば準備完了だ。

 

 渚砂ちゃんは恥ずかしそうに少しはにかんだ顔を浮かべた後、私に向かってとっておきの言葉を言ってくれた。

 

「ただいま。玉青ちゃん」

「はい、おかえりなさい。渚砂ちゃん」

 

 たったこれだけのことで私の心は簡単に満たされてしまう。だってこの言葉は一人で過ごしていた時にはどうやっても手に入らなかったもので、誰もいないガランとした部屋には、ただいまを言ってくれる相手も、おかえりを言う相手もいないのだから。

 

 胸の奥がじんわりと熱くなり、思わず涙が浮かびそうになる。もう何度か繰り返したやり取りだけど私にはまだ新鮮だった。

 

 笑みを浮かべた渚砂ちゃんが私の言葉を待っている。今度は私の番だ。

 

「ただいま。渚砂ちゃん」

「うんっ。おかえり玉青ちゃん」

 

 以前私たちのことを、新婚さんのようだ、と隣室の二人は評したけれど、やっぱり照れ臭い。でもあながち間違っていないのかも。出会ったばかりだし、こうやって一緒に住んでいるわけだし。

 

 今なら分かる。ルームメイトって誰でも良いわけじゃないんだって。他の誰かじゃなくて渚砂ちゃんだから、私はこんなにも幸せなんだと。他の誰かじゃ、きっともう私は満足できない。そんな渚砂ちゃんが私と同じ部屋にいて、夜になっても、朝目が覚めても私の隣に居てくれる。これ以上の幸せが、他にあるだろうか?

 

 だから何年も待ったのは決して無駄じゃなかった。これは強がりなんかじゃない。

 

「お茶を入れますから少しだけ待っていてくださいね」

「は~い」

 

 ティーポットに2杯分の茶葉を入れお湯を注ぐ。クッキーを小皿に出して、もちろんティーカップも2つ。ああそうだ、お疲れの渚砂ちゃんのために砂糖も多めに用意しておこう。ミルクも忘れずに用意してっと。

 

「いただきまーす」

「どうぞ召し上がれ」

 

 渚砂ちゃんと一緒に私もカップに口を付ける。うん、おいしい。渚砂ちゃんに少しでも美味しいお茶をと淹れ方やお湯の温度を工夫するうちにだいぶ上達したようだ。

 

 お隣の二人からも高評価だったし、次は誰に飲んでもらおうか。

 

「朝も言ったけど私ね、玉青ちゃんがルームメイトで良かったと思ってるんだ」

 

 クッキーを食べていた手を止め渚砂ちゃんがポツリと呟いた。置かれたカップから漂う湯気が二人の間をゆらゆらと彷徨い、渦を描く。そのうっすらと白いカーテン越しに見えた神妙な面持ちに私も手を止め言葉を返す。

 

「どうしたんですか、改まって」

「いやほら、玉青ちゃんはしっかりしてるから私じゃなくても大丈夫そうでしょ? でも私は玉青ちゃんじゃなかったらこんなに早くここに馴染めなかったよ。こうして笑っていられるのは玉青ちゃんのおかげ」

「渚砂ちゃん…」

「だからね、玉青ちゃんに恩返ししたいなって」

 

 感謝するのは私の方だ。渚砂ちゃんが来てからというもの、私の生活は色鮮やかになった。今までどこか白黒写真のようだった毎日が色を持ち、鮮明な輝きを放ちながら私を迎えてくれる。渚砂ちゃんが傍にいてくれるだけで今の私には充分過ぎるくらいのプレゼントだ。

 

「いいんですよ渚砂ちゃん。私はもう渚砂ちゃんからたくさんのものを貰いましたから」

「ええっ? 私何にもあげてないよ?」

「貰ったんですよ。目には見えないものを、いっぱい」

「ねぇ玉青ちゃん、私から貰ったものって何? 教えてよ~」

「さぁ何でしょう?」

 

 必死で追及してくる渚砂ちゃんをクスクス笑いながらやり過ごす。あなたがいるだけで幸せだからなんて、それはまるでプロポーズの言葉みたいでちょっと恥ずかしくて口に出来ない。考えただけで顔が少し熱くなっているのが分かる。

 

「もぉ~玉青ちゃんのいじわる~。ダメだよ。私ちゃんと恩返ししたいもん」

 

 納得のいかない渚砂ちゃんがどうしてもと言うので私は1つだけお願いをすることにした。その方がすっきりするのか渚砂ちゃんも嬉しそうだ。

 

ただいまとおかえり

「えっ?」

 

 ちょっと言葉足らずだったせいで渚砂ちゃんの頭にはてなマークが浮かんでいる。私の中ではイメージが出来ていたんだけど流石に伝わらなかったようだ。

 

「ただいまとおかえりを私に言って欲しいんです。私が部屋にいたらただいまって。私が帰ってきたらおかえりって。それが私のお願い」

「本当に…それでいいの? そんなのお願いじゃなくても私…ちゃんと言うよ?」

 

 ルームメイトなんだから挨拶して当然。そう言いたいんだと思う。けど私は渚砂ちゃんの申し出を頭を静かに振ってやんわり断りながら、重ねて言った。

 

「いいんです。これが私のお願いです。その代わり1回だけじゃ嫌ですよ。この先…色んな事があると思うけど、出来る限り長く。だから渚砂ちゃん…これからも一緒にいて下さいね」

「うんっ。約束するよ玉青ちゃん。そうだ指切りしよう!」

 

 差し出された手にそっと小指を絡めると触れたところから体温が伝わってきた。

それはなんだか渚砂ちゃんの心みたいにじんわり温かくて心地が良い。

 

 そういえば指切りしたのなんていつ以来だろう? でもきっと、これほど大切なことを約束したことはなかったはずだ。

 

「渚砂ちゃん、約束ですからね」

「うん、約束」

「ふふふっ。これでもう渚砂ちゃんは私とルームメイトの解消出来ませんよ? 嫌だって言っても離しませんから。覚悟してくださいね、な・ぎ・さ・ちゃん」

 

 机に置いた文芸部のノート。その見開きの1ページに私は新しい文章を記した。

渚砂ちゃんをこの丘の女神様に例えた、新作を。

 

 

あなたはご存知ですか?

この丘の名前の由来となっている心優しい女神様のことを。

女神である彼女は最後の最後まで人間に正義を訴えながらも、ついには失望し地上を去ったと言われています。

私の前に現れたあなたが、もしその女神様であるというならばどうか私を見放さないで。

そしていつまでも私の傍で星のごとく輝いてくれますように。

逆にあなたが誰かに奪われてしまいそうになったら、私はあなたを覆い隠そうとするでしょう。

星乙女たるあなたの輝きが強すぎて、それが無理だと分かっていても、私の全てを投げ出してあなたを守ります。

相手がたとえ…怖ろしい悪魔であったとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第1章「玉青さんと二人きりで話がしたいの」

■あらすじ
朝食で突如始まった質問コーナー。盛り上がる面々だったが渚砂の質問をきっかけに話は予想外の方向に?
その余波を思いっきり受けた渚砂は放課後にとんだ大失敗をしでかしてしまう。
そんな渚砂のことを知らないまま玉青は生徒会室で深雪からのヒヤリングを受けていたが…。

■目次
<賑やかな朝食>…玉青視点
<訪問者は生徒会長>…渚砂視点
<前置き>…玉青視点



<賑やかな朝食>…玉青視点

 

「渚砂ちゃん。一人で着られますか?」

「ごめん玉青ちゃん。ちょっとだけ手伝ってもらえる?」

「いいですよ。髪を少し持ち上げていてくださいね」

 

 この数日ですっかりお馴染みとなった朝の支度の光景。聖ミアトル女学園の制服は黒を基調としたもので、落ち着いていてそれでいて優雅さを感じさせる素敵なデザインの制服だ。一見するとドレスのようにも見えるこの制服を気に入っている生徒は多く、私もその中の一人だったりする。

 

 ただ複雑なデザインの弊害として着たり脱いだりに手間がかかる構造のため、朝の支度や体育の授業の時は一苦労である。ミアトル育ちとも言える私でさえそう思うのだから、編入してきて日の浅い渚砂ちゃんにはさぞ大変だろう。まぁそのおかげで着替えの手伝いにありつけるわけだから私としては嬉しいけれど。

 

(それにしても…本当に華奢ですわ)

 

 制服を発注する際に採寸したので数値としては知っているが、実物を目の前にすると溜息が出そうになる。腰も細く胸も薄めでまさにスレンダーといった感じだ。もし強く抱き締めたら折れてしまいそうな儚さを秘めている。

 

 ふと衝動に駆られて腰に手を回してみる。そう長くもない私の手でも容易く左右から包み込めた。

 

「わわっ。急にどうしたの玉青ちゃん?」

 

 驚くのも無理もない。つい出来心で行ったそれは傍から見れば後ろから抱き締めているようにしか映らないはずだ。

 

「ご、ごめんなさい。渚砂ちゃんの腰があまりに細いものだから」

 

 謝りつつも手はそのままだ。引き剥がされるまでもう少し渚砂ちゃんの感触を堪能させてもらおう。

 

「う~ん。私は玉青ちゃんが羨ましいけどな…。玉青ちゃんって結構胸おっきいよね」

「でもサイズが上がると下着を買い替えないといけないので大変ですよ?この丘では休みの日に外出したりしないと可愛いデザインのは手に入りませんから」

 

 私のものと比較していたのだろうか?自分の胸を触っていた渚砂ちゃんの動きがピタリと止まる。その顔には少しだけ哀愁の色が浮かんでいた。

 

「今、玉青ちゃんとの間に初めて壁を感じた気がする…」

(華奢なこと気にしていたんですね。渚砂ちゃんはそのままでもとっても可愛らしいのに)

 

 あはは、と愛想笑いをしたもののなんともいえない空気が二人の間を流れる。気まずさからそっと渚砂ちゃんから離れ、咳払いをして誤魔化す。

 

 本当はもう少し抱きしめていたかったけど仕方がない。女の子同士といえど体重などの身体的なお話は慎重を要する。いや、女の子同士だからこそか。不用意な発言は場合によっては一触即発になることだってあるのだ。今回は私がちょっと迂闊だった。

 

「髪を結びますから座ってくださいね」

 

 少しでも機嫌を直してもらおうと渚砂ちゃんを丁重にお迎えし髪のセットをしてあげる。最初は渚砂ちゃんが自分でやっていたが、どうせなら可愛さがより際立つようにと役目を買って出た結果、今では私の日課となった。

 

 サラサラの髪を梳く度に渚砂ちゃんはくすぐったそうに身をよじる。私はというと鏡と睨めっこをしながら微調整の真っ最中だ。最後にリボンを整えて、はい完成。

 

「さあ終わりましたよ渚砂ちゃん。ふふふっ。今日も私の渚砂ちゃんはとっても可愛いですわ」

 

 

 いちご舎では朝食と夕食はみんなで大食堂に集まって食べる決まりとなっている。もちろん寮生活なので遅刻は禁物。もし遅れると上級生やこわ~い指導係のシスターにお叱りを受けることに。今朝は食堂の入り口で隣室の紀子さん千早さんペアに会ったので一緒に座ることにした。

 

 食事の前には恒例のお祈りの時間。修道院が母体のミアトルはもちろんのこと、スピカ、ルリムの2校もみんな揃ってお祈りする。まどろっこしくて苦手という生徒もいるが私はこの時間が好きだ。

 

 制服に身を包んだ生徒たちが静かに祈りを捧げる様子は絵画の題材になっても不思議ではない。そんな中にいると自分も心が洗われるような気持ちになり、心が落ち着く。

 

「それではエトワール。食前の祈りを」

「ええ、わかったわ」

 

 煌びやかな銀髪の生徒が立ち上がり、良く通る澄んだ声で祈りを捧げ始める。他の上級生の方には申し訳ないけれど、一目で特別な存在とわかるオーラを放っていた。

 

 彼女の名前は花園 静馬(はなぞの しずま)。エトワールという呼び名は彼女の役職名であり大半の生徒が名前ではなくこちらを用いて彼女を呼ぶ。

 

━エトワール━

 それは1年に一度全校生徒による総選挙で選ばれる憧れの的。その称号は決して名誉だけのものではない。その発言力は各校の生徒会長よりも強く、3校を束ねる存在として君臨している。

 本来であれば2人1組で参加しベストカップルに与えられるものだが、彼女はたった一人でエトワール選に出場したうえに圧倒的大差で選出されてしまった。前例のない事態ではあったが全校生徒による意志として認められ、史上初の一人エトワールとして役割をこなしている。

 整った顔立ち、腰まで伸びた銀髪、スラリとした長身ながら制服越しでもわかる豊かなバスト。格式高い名家のご令嬢だけあって仕草や立ち居振る舞いには気品が溢れ、そのうえ学業も運動神経も抜群とくれば人気が出て当然である。

 素行に少々…、いや重大な問題を抱えているのが悩みの種でもあり、同時に人気の秘訣であったりもするのだが…

 

 

 お祈りが終わるとみんなで仲良くお喋りしながらの朝食が始まる。流石に食事中一言も発してはならないなんて修道院さながらの掟はないので、思い思いの話題に花を咲かせ盛り上がっていく。

 

 今日は渚砂ちゃんが色々と疑問に思ったことに答えてあげる質問コーナーが急遽開催され、紀子さんと千早さんがテンポ良く解決していた。

 

「はい!次の質問いいですか?」

「どんどん聞きたまえ。私と千早が何でも答えちゃうよ~」

「あんたはまた調子に乗って」

「前から疑問だったんだけど、エトワール様ってどんな人なの?」

 まずい、と思いながらも身体が思わずビクッ反応してしまった。この話題は出来れば避けたい。

「玉青さんから教えてもらってないの?」

「うん。玉青ちゃんはよく知らないからって。ね?」

 

 ええ、まぁと頷いたものの渚砂ちゃんだけならともかくこの二人がいては逃れる術はない。捕まるのは時間の問題だ。

 

 その証拠にふ~ん、とでも言いたげな表情でこちらを見つめてきている。目を合わせないようにそっぽを向いたものの、そのプレッシャーに汗がつーっと頬を伝っていく。

 

「玉青ちゃんがどうかしたの?」

 

 ああ、お腹を空かせたオオカミの群れに餌を放り投げるような真似を。当然二人は待ってましたと言わんばかりにこれにかぶりついた。叶うならばこの場を逃げ出したい。

 

「玉青さんはね、エトワール様から━━━」

「━━━交際を迫られたことがあるのよ」

 

 紀子さんの言葉を千早さんが引き継ぐ。その華麗なコンビネーションには賞賛を送りたくなる。こんな時でなければの話だが…。これも信頼の為せる技なのか、それともテレパシーでも使えるのか。

 

「ふ~ん、そうなんだ」

 

 そのままパクパクとご飯を口に運ぶ渚砂だったが、ん?と首を傾げると動きが止まる。

 

(あれ?なんだろ…。今とんでもないことを聞いたような。あ、そうか交際だ。うん、交際こ~さい)

 

「ええーーーーっ!?交際ーーーーーーー!?」

「しーーっ!渚砂ちゃんてば声が大きいですよ?」

 

 人差し指を口に当てヒソヒソ声で渚砂ちゃんを制する。ちょっと周囲がザワついたが、幸いエトワール様たちからは離れた席だったのでなんとか聞こえずに済んだようだ。

 

「ごめんごめん。驚いちゃって。交際ってその…お付き合いするってことだよね?」

「ええ」

 

 あまり言い換えになっていないことには突っ込まないでおく。

 

「お、おおお女の子同士だよね?」

「そう…なりますね」

「それでっ!?玉青ちゃんはOKしたの?」

「いえ…丁重にお断りしました」

 

 渚砂ちゃんの圧が凄い。ぐいぐいと後ろに押されているみたいだ。ちなみに目の前で勿体ないよね~とか、付き合えばよかったのにとか言ってる二人のことは無視しておく。下手につつこうものなら何が飛び出してくるかわかったものではない。触らぬ神に祟りなし。

 

「そ、そうなんだ~」

 

 私の答えに少し落ち着いたのか渚砂ちゃんがほっと息をつく。よし、チャンスだ。今のうちに違う話題に。

 

「そうだ渚砂ちゃん、この間の━━━」

「ねぇ渚砂さん知ってる?玉青さんって結構モテるのよ」

 

 わざとらしくパンッと手を打ってまで注意を引こうとした私は憐れにもその格好のまま凍り付く。渚砂ちゃんがどちらに食い付いたかと言えば…。

 

「玉青ちゃんが…モテる?」

「ええそうよ。まぁ顔も良くて頭も良くてそのうえ性格も良いとくれば、ほっとかれないわよね」

「「ね~」」

 

 顔を見合わせて頷き合う二人を前にようやく私もハッと我に返り、二人を止めにかかる。

 

「ちょ、ちょっとお二人とも何を言っているんですか。渚砂ちゃんに変なこと吹き込まないでください!」

「だって事実だし」

「渚砂さんはどう思う?」

「ええっ!?私に聞かれても困るよ。エトワール様に迫られたってだけでもびっくりなのに、そのうえモテるだなんて。というかここでは女の子同士で付き合うのって当然って感じなの!?みんな当たり前のように話してるけど」

 

 その質問に、渚砂ちゃんを除いた3人で「あー」といった表情を浮かべて顔を見合わせる。

 

「とりあえずエトワール様は別として。交際までいくのは相当珍しいんじゃないかな」

「私と紀子も仲良いけど別に付き合ってるわけじゃないしね~」

「実は私もその~交際経験はなくて」

 

 これには渚砂ちゃんではなく二人の方が食い付いた

 

「玉青さんでもそうなんだ~。やっぱり女の子同士って難しいのかな?千早はどう思う?」

「周りでは付き合ってるなんて話聞かないわね。もし付き合っていてもオープンにしないのかしら。隠れてこっそり?みたいな」

「みんな興味はあるんだろうけど、いざってなると躊躇っちゃうのかな~」

 

 紀子さんの言葉は的を得ている。というのも私がまさにそうだったからだ。私に交際を申し込んできた人たちはタイプこそ違えど、みんな素敵な方々だった。けれど勇気がなく臆病な私は、ただただごめんなさいと頭を下げることしか出来なかった。もし一度でもOKをしていたら今見えてる世界も変わっていたのかもしれない。同性の女の子に対してそこまでの感情を抱くというのはどんな気分なんだろう。今の私にはまだわからない。渚砂ちゃんに抱く好意でさえも、まだ友達としての範疇を超えてはいないのだから。

 

(静馬様ならきっとご存知なのでしょうね。この疑問の答えを)

 

 その後は4人ともすっかりクールダウンし、静かに朝食を終えた。

 

 その帰り道、渚砂ちゃんを先に部屋に戻した私は紀子さんと千早さんを捕まえ注意喚起を行うことにした。

 

「いいですか二人とも。渚砂ちゃんにはエトワール様のことはあまり話さないでくださいね。特にプレイガールだとかキス魔だってことは、ぜーーーーーったいに内緒ですから!」

 

 いわゆる静馬様の素行の問題と言うやつである。渚砂ちゃんの情操教育に良くないし、不用意にフラフラ近付いたら餌食になってしまうかもしれない。みんなが知っていることなのでいずれは渚砂ちゃんの耳にも入るだろうが、今はまだ早い。この二人に口止めしておけば当分は安心できる。過保護と言われようがこれでいいのだ。渚砂ちゃんにはまたお母さんみたいって言われてしまうかもしれないけど…。

 

 

 

 

 

 

<訪問者は生徒会長>…渚砂視点

 

「それにしても玉青ちゃんがモテるなんてね~」

「もう、またその話ですか。部屋でもしたじゃないですか」

 

 校舎へ向かう道を歩きながらまた口にしてしまった。食堂での会話はどうやら私にとって刺激が強すぎたみたい。エトワール様のこととか、玉青ちゃんのこととか。まだまだ私の知らないことがこの丘にはたくさんある。

 

「でも、驚いたけど驚きじゃないっていうか。うまく言えないけど玉青ちゃんだったらそういうこともあるのかな、なんて思ったりして」

「どういう意味ですか?渚砂ちゃん」

「ほらなんていうか玉青ちゃんってさ。まず美人でしょ、それにお勉強も出来て、あとすっごく優しい。だからモテても不思議じゃないっていうか」

 

 玉青ちゃんの良いところを指折り数えていく。とりあえず3つ。ほんとはもっとも~っとあるんだけどわかりやすいのを3つ。ってあれ、これじゃ千早さんが朝言ったのと変わんないや。

 

「あんまりからかわないでください。渚砂ちゃんの意地悪」

「え~だってほんとにそう思うんだもん。それに友達が人気ないよりかは人気者の方が嬉しいに決まってるよ」

「渚砂ちゃんがそう言うなら」

 

 渋々だけど受け入れてくれたようだ。

 

(玉青ちゃんってば謙遜しすぎだよ~。勿体ないな~。もっと堂々としてればいいのに)

 

 そしたらきっとエトワール様にだって引けを取らないと思う。出会ってすぐの私がこう思うんだから玉青ちゃんをもっとよく知ってる子だったら余計そうなんじゃないだろうか。

 

「どうしたんですか?渚砂ちゃん?」

「んーん。何でもない。やっぱり玉青ちゃんは美人だなって」

「もぉー渚砂ちゃんってばー」

 

 怒った玉青ちゃんに追いかけられて校舎までの道を走る。かけっこだったら玉青ちゃんにだって負けないぞー。この時の私はまさか朝の会話のせいであんな恥ずかしい勘違いをしちゃうなんて知る由もなかった。

 

 

 

 その日の放課後。廊下の近くに居た私は突然声を掛けられた。

 

「ちょっといいかしら。涼水玉青さんを呼んで欲しいのだけど」

 

 振り返るとそこには、一目で上級生とわかる凛とした空気を纏った生徒が立っていた。長身でスタイルも抜群の美人さんだ。どこかで見たことがあるような気がする。どこだっただろうと記憶を辿っているとポンッと浮かび上がった。

 

「生徒会長の…え~っと六条様?」

 

 正解と言ってフフッと笑った顔もなかなか素敵だ。それに優しそうな印象を受ける。

 

「私は六条深雪。あなたは編入生の蒼井渚砂さんね。よろしく」

「は、はい。こちらこそ。でもなんで私の名前を?」

 

 差し出された握手に応じながら疑問をぶつけてみる。生徒会長と一般の生徒では知名度に差が有りすぎる。ましてやちゃんと面識があるわけでもないのに、私の名前を知っているだなんて。

 

「高校からの編入生は珍しいもの。流石に覚えているわ。それに、これでも生徒会長ですもの」

 

 おお~。なんだかとても大人っぽい。2つしか年は変わらないはずなのに…。上級生ってみんなこんな感じなんだろうか?

 

「それで六条様。玉青ちゃんにはどんな御用でしょうか?」

 

 名前を記憶してくれていたという嬉しさもあり、私もなるべく親切にしようと用件を伺ってみた。ここで聞いておけばスムーズに取り次ぎが出来るというものだ。ナイス私。意気込んで返事を待っていたものの当の六条様からの返事はなかなかこない。

 

「六条様?」

「あ、ごめんなさい。用件なんだけど教えてあげられないの」

 

 えっと…。なんでだろう?何か秘密のことなんだろうか。はてなマークを浮かべる私に六条様はこう告げた。

 

「玉青さんと二人きりで話がしたいの」

「二人きり…ですか」

「ええ、人に聞かれると困るから場所も変えるつもりよ」

「は、はぁ」

 

 よく分からず気の抜けた返事をしてしまった。二人きりじゃないとダメなことって…。あれも違う。これも違うよねと考えるうちにとある答えに辿り着いてしまった。

 

(あれ?あれあれあれ?もしかしてこれってこ、こここ告白なんじゃ…)

 

 もう一度落ち着いて考えてみよう。目の前にいる六条様はとっても美人さんで見るからに頭も良さそう。玉青ちゃんとはお似合いだ。そんな六条様が玉青ちゃんを訪ねてきた。しかも二人きりで話がしたいと…。場所を変えるってのはきっと校舎の裏とか屋上とかそういうところで。うん、間違いない。そうに違いない。

 

 普段の私だったら気付けなかったけど、今日の私は一味違う。そう、私は知っているんだ。玉青ちゃんがモテると。

 

(玉青ちゃんはモテる。玉青ちゃんはモテる)

 

 危ないところだった。気付かなかったら友人の出会いを邪魔することになっていたかもしれない。本日2度目のナイス私。しかもこっちはとびっきりのファインプレーだ。

 

 一度結論に行きついてしまうともう妄想が止められない。今までに見た映画のシーンがいくつも頭をよぎり、今まさに二人は…。

 

「━━━さん。渚砂さんっ!」

「は、はいっ!」

「大丈夫?少しボーッとしてるみたいだけど」

「だ、だだだ大丈夫です。今玉青ちゃん呼んできますから。少々お待ちください」

 

 気合は充分だったものの、自分が恋のキューピッドなんだって思うと途端に緊張してしまって身体が上手く動かせない。右足と右手が同時に前に出ちゃってる。機械仕掛けの人形か、はたまた糸で操られた操り人形か?といった有様でギクシャクと歩いていく。

 

 そんな渚砂の様子を見た深雪は静かに心の中で思った。

 

(蒼井渚砂さん。聞いていたよりもずっと面白い子ね。ミアトルにはあまりいないタイプの子だわ。いかにも編入生って感じで良いわね)

 

「た、玉青ちゃん。玉青ちゃんにお客さんだよ」

「お客さん?どなたでしょう?」

 

 なんとなく大声で言うのも悪いと思い、耳元でヒソヒソと話しておく

 

「あのね、六条様が玉青ちゃんと二人きりで話がしたいって」

「六条様が?」

 

 私に釣られて玉青ちゃんもヒソヒソ声になっている。うん、と頷きつつ外の廊下にいることも伝えておく。

 

「頑張ってね、ファイトだよ!玉青ちゃん」

「え?と、とにかく行ってきますね。あ、そうだ。今日一緒に帰れなくてごめんなさい。必ず埋め合わせはしますから」

「いいから、いいから。早く行ってあげて玉青ちゃん」

 

 パタパタと教室を出ていく後ろ姿に小さく手を振りながら、私は友人を見送った。

 

「ふーーーー」

 

 これで役目は果たしたはずだ。そう思うと疲れがどっと押し寄せてきた。実際にはほとんど動いていないので精神的な疲労というやつだ。

 

(そういえば玉青ちゃんが帰ってきたらどうしよう。あんまり根掘り葉掘り聞いちゃ悪いよね。かと言って何にも触れないのも不自然だし…)

 

 う~ん。安心していちご舎に帰れると思った矢先にまた新たな問題が。こういう時の距離感って難しいんだよね。

 

(というかさっきは玉青ちゃんがモテるの嬉しいって思ってたけど、よくよく考えると玉青ちゃんとの差が酷いことに…。やっぱり複雑かも)

 

 朝の胸のこともあるし、なんだか同い年とは思えないや。玉青ちゃん、オトナだ。一人でうんうん唸っていると紀子さんと千早さんの隣室ペアが戻ってきた。

 

「あーー。二人ともどこ行ってたの?玉青ちゃんが大変だったのに」

「玉青さんが?」

「どうかしたの?」

「あのね、さっき生徒会長の六条様が来て、玉青ちゃんと二人っきりでお話したいって。だから呼んで欲しいって頼まれたの」

「え~と、それで?」

「それでって…。それだけだよ」

「えっ?それで終わりなの?」

「うん」

 

 反応に困ったのか二人は顔を見合わせては首を傾げている。おかしい。どうにも二人との間に温度差を感じる。玉青ちゃんの一大事のはずなのに…。もしかして二人は気付いていないのかも。そう思うとちょっとだけオトナになった気がして嬉しい。私って単純だ。

 

「二人は朝、玉青ちゃんがモテるって言ってたでしょ?つまりそういうことだよ」

「どういうことよ」

「二人ともまだわからないの?ズバリ、六条様は玉青ちゃんに告白しに来たってわけ。どう?」

 

 プライバシーに配慮しヒソヒソ声で話しながら自慢の推理を披露する。後で思い返すと私はなんて恥ずかしい顔をしてたんだろうってくらいドヤ顔をしていたと思う。でもこの時は自信満々だったわけで…。一体どんな反応が返ってくるのかと内心ワクワクしていた。にもかかわらず二人が盛大に笑い始めたものだから私は驚いてしまった。

 

「えっ?えっ?なんで二人とも笑ってるの。だって玉青ちゃんと二人きりで話したいって来たんだよ?これってそういうことじゃないの?」

「もぉーー渚砂さんってばやめてよー。私たちのこと笑い死にさせる気ー?」

「そうよ渚砂さん。いくら冗談でももう少し上手くつかないと」

「な、なんで信じてくれないの?私本気だよー?」

 

 ついムキになって手をブンブンさせながら必死に抗議する。それでも笑い続ける二人に訴え続けていたら二人とも私が本気だとわかってくれたみたいだ。

 

「ねぇ千早。これ渚砂さんマジなんじゃ」

「そうね、私もそう思うわ。なんだか悪いことしたわね」

 

 なんだか理解のベクトルがねじ曲がっている気がする。心なしか二人の目も可哀想なものを見るようなそんな感じだ。いまだに自分の名推理を信じてやまない私に千早さんが教えてくれた。

 

「渚砂さん、よく聞いてね?六条様は名家の出身で小さい頃から許嫁がいらっしゃるの。だから今までそういった浮いた話は一切聞いたことがないし、たぶん本当にないんだと思う。それにあの方は品行方正なことで有名だからなおさらね。そんな六条様が尋ねてくるとすれば、生徒会に関することとかそういう真面目な用件くらいしか考えられないってわけ。」

「まぁ渚砂さんは六条様のこと知らなかっただろうし仕方がないよ。うん」 

 

 えっと…。つまりこれって。

 

「か、かかか勘違いしてたってことぉーーーーー?」

 

 二人が大袈裟に頷く。あんなに自信満々だったのにこんなことって。

 

「あは、あははははははは。はぁ~~~」

 

 がっくりと肩を落とす。穴が入ったら入りたい。恥ずかしくって死んじゃいそうだ。もしビデオかなんかでドヤ顔を撮られていたら一生言いなりになっていたかもしれない。それくらいの大失敗だ。顔を手で覆いながら足をジタバタさせたものの、火照った顔の熱が収まる気配はない。

 

「どうしよう。玉青ちゃんが帰ってきても顔見れないよ」

「玉青さんには多分勘違いのことはバレてないから平気よ。何食わぬ顔でいつも通りにしてれば問題ないわ」

「うん、ありがと。努力はしてみる」

 

 なぜこんなことになってしまったんだろうか。もちろん私が早とちりなのもある。けれど一番の原因は…。自分を慰めてくれている二人が朝あんなことを言わなければ。そう思わずにはいられない。でも慰めてもらってる手前それを言うことは出来ない。仕方なく私は心の中で叫んだ。

 

(二人のバカーーーーー)

 

 

 

 

 

 

<前置き>…玉青視点

 

「さあ入って。今日は誰もいないから貸し切りよ」

 

 失礼します、と言って入ったのはミアトルの生徒会室だった。

 

「お茶を淹れるから好きなところに座って待っていてもらえるかしら?」

 

 私がやりますと言いたいところだが勝手がわからないので大人しく待つことにした。生徒会室には何度か入ったことはあるが、こうしてじっくりと眺めるのは初めてだ。オフィスとかでよく見る収納棚には書類等が綴じられたバインダーが分類に従って規則正しく並んでいる。

 

「生徒会室はどう?あまり人を招くようには出来てないから味気ないかもしれないけど」

 

 六条様が運んできたトレーには素敵なカップが2つ載せられていた。どうぞ、と勧められたお茶にお礼を言ってから口をつける。おいしい。お世辞でもなんでもなく本当においしい。私が特別な時にだけ淹れるとっておきの茶葉にだって引けを取らない味だ。

 

「生徒会ではいつもこんなおいしいお茶を飲んでいるんですか?」

「お目が高いわね。静馬のワガママで高い茶葉を使っているの」

 

 そう言って六条様は悪戯っぽく笑った。六条様もこんな風に笑うんだ。

 

 六条深雪様。大抵の生徒は六条様とか六条生徒会長と呼んでいる。歴史ある名家の出身で静馬様と並ぶお嬢様であり、成績優秀かつ品行方正。何事にも真面目に取り組む性分でミアトルのまとめ役。容姿に関しては陰のある美人といった印象で、華のある静馬様とは対照的ではあるものの横に並んでも決して見劣りしない顔立ちだと思う。ただ普段の厳しい印象から近寄りがたいと感じる生徒もいるとか。

 

(話してみるとむしろ優しい印象を受けるのですが…。勿体ないですね)

「そろそろ始めるけれどいいかしら?」

「はい、もちろんです」

 

 今日呼ばれたのは他でもない ルームメイトである渚砂ちゃんのことについてだった。きちんと学校に馴染めているか普段の様子を教えて欲しいとのことだ。もちろん渚砂ちゃんのためならばとすぐに了承した。質問内容はどれもオーソドックスなものばかりだったのであまり悩むことなくスラスラ答えられた。

 

「━━━以上で終わりよ。ありがとう玉青さん」

「い、いえ」

 

 ちょっと拍子抜けしてしまった。この学園内において渚砂ちゃんに一番詳しいのは自分であるという自負があったので、意気込んで秘密の渚砂ちゃんノートを持参したものの、残念ながらその出番がなかったからだ。

 

(といってもこのノートには渚砂ちゃんのスリーサイズとか人に言えない情報もたくさん有りますからね)

 

 惜しいようなホッとしたような。そんな気持ちになりつつカップに口をつけると最後の一口だったみたいで丁度カップが空になった。

 

 渚砂ちゃんの件も終わったし程よいタイミングだ。声を掛けて失礼しよう、そう思っていたところに六条様の方から声を掛けられた。

 

「ねぇ玉青さん。お茶のおかわりはいかが?」

「でもあまり長くお邪魔しては…」

「そう言わずに少しだけ。ね?」

「ではお言葉に甘えて」

 

 応じながらも違和感を覚えていた。なんだか六条様の纏う空気が変わったような?気のせいだろうか。

 

「ごめんなさいね。少々強引だったかしら」

「いえ、そんなことは」

 

 せっかくのお茶なのだからいただいていこう。そんな風に軽く考えていたことを私は後悔することになる。

 

「帰られてしまったらどうしようかと思っていたわ」

「他にも何か私に御用があったんですか?」

 

 クスリと笑った顔は先程の悪戯っぽい笑みとはまるで別物で、とても深い何かを秘めているようなそんな表情だった。

 

「━━ここからが本題なの━━」

 

 六条様の真っすぐな目が私を貫いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




※改行だけ行いました。スマホで見てみたら目がチカチカして潰れそうだったので…。流石に1つも改行してないと見づらいですね。申し訳ありません。



閲覧ありがとうございます。
今回はだいぶ長くなってしまいました。
視点についても玉青ちゃん以外の視点もありますので前書きに目次を作って誰の視点かを書いてみました。

さて、ようやく静馬様が登場しましたね
アニメでは猛威を振るった静馬様ですが今回は顔見せ程度です。
静馬様ファンの方はすみません。

あとタイトルなんですが本文内のセリフから持ってきています。
ガンダムX方式ですね。
私が初めて見たガンダムがこれでした。
ジャンルの中で初めて触れたものって印象に残りますよね。
どうしても基準になってしまうというか。
ストパニ同様思い出深い作品です。

以上です。それではまた。


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第2章「ミアトルのために」

■あらすじ
 再び紅茶の注がれたカップを前に生徒会長の六条深雪と向き合う玉青。
深雪の口からは玉青への熱い想いが語られて…。果たして玉青と深雪の攻防の行方は?
廊下でばったり出くわした静馬と千華留。二人は人影のない廊下で次第に怪しい雰囲気に…。
 今回も文字数たっぷりでお送りいたします。


■目次

<トップシークレット!>…涼水玉青視点
<美しい元カノには棘がある?>…花園静馬視点



<トップシークレット!>…涼水玉青視点

 

「本題?それはどういう?」

 

 たしかに六条様は言った。ここからが本題だと。では渚砂ちゃんに関するヒアリングは嘘だったのだろうか?六条様の性格からしてそれはないと思いつつも疑いの目を向けると、それに気付いた六条様は申し訳なさそうに言った。

 

「ごめんなさいね。あなたが言いたいことは何となくわかるわ。別に渚砂さんの件がどうでもいいというわけではないの。もしそう感じたのなら謝るわ」

 

 ひとまずホッとした。渚砂ちゃんをダシに使われたら流石に私も怒っていただろう。しかし本題とは何のことなのだろうか。皆目見当もつかない。六条様は私に一体どんな用があるんだろうか?

 

 目の前に置かれた2杯目の紅茶に口をつけ静かに言葉を待つ。紅茶の香りと温かさが心を落ち着けてくれた。

 

「玉青さん、生徒会の活動に興味はないかしら」

「生徒会…ですか」

「ええ。あなたのことを前から誘おうと思っていたの」

 

 生徒会へのスカウト、それ自体は生徒会長である六条様が行うことに何らおかしな点はない。けど、なぜこの時期に?それにミアトルの生徒会が人手不足というのは聞いたことがない。むしろ六条様のもと、盤石の布陣を敷いているはずだ。

 

「納得がいかないという顔をしてるわね」

「ええ、まぁ。ミアトルの生徒会は聞いた限りでは安泰だと思っていましたから」

「みんなに安心してもらえている、というなら我々も嬉しいわ。いつ崩壊するかわからない生徒会だなんて嫌でしょう?」

 

 相槌を打ちはするものの私が聞きたいのはそんなことではない。それは六条様も分かっているだろう。その証拠に紅茶に口をつけていない。私を観察しながら話を切り出すタイミングを窺っているのだ。

 

「単なる生徒会の一員として誘うのだったらこんな手の込んだことはしないわ。誰にも聞かれたくない秘密の話。だからこの場を選んだの」

 

 緊張が高まり手には僅かに汗が滲んでいる。まずい。なんとなくだけど本能が危険を察知した。聞いてしまったらとんでもないことに巻き込まれるような気がすると。けれど逃げられるはずもない。私がこうしてここに座っているのは六条様が仕組んだ事で、最初から全部六条様の掌の上なのだから。

 

 ならばと姿勢を正し、話を聞くための態勢を整える。

 

(せめてこうでもしてないと、場の雰囲気に飲まれしてしまいそうですわ)

 

 その様子をじっと見ていた六条様も私を真っすぐに見据えその時を待つ。達人同士の試合のように束の間の静寂が訪れた後、その時は来た。

 

「単刀直入に言うわ。涼水玉青さん、あなたを次期生徒会長として迎え入れたいの」

 

 ヒィッと小さく悲鳴を上げそうになるのをどうにか堪える。やっぱり聞いちゃいけない類のお話だった。すぐさま聞き返したい言葉を飲み込み平静を装うが、身体はスカートの端をキュッと掴みながら震えを止めるので精一杯だ。少しでも気を抜いたら足がカタカタと音を立て始めるだろう。

 

「あの…わた━━━」

 

 聞かなかったことにしようなんて私の甘い考えを打ち砕くように、発した言葉は六条様に遮られた。

 

 「━━━このことはまだ誰にも話していないの。生徒会のメンバーはもちろん、エトワールである静馬にもね。あなたを選んだのは私の独断よ」

 

 思わずゴクリと唾を飲み込んだ喉が大きな音を立てた。二人っきりで話したがった理由がようやくわかった。いくら六条様が生徒会長としての実績に優れ信頼が厚いとはいっても、誰にも相談することなく次期会長を決めたとなれば大問題だ。自分のお気に入りの生徒を強引に推挙したと言われても否定できなくなってしまう。もしこんなことがバレたら六条様の立場はもちろんのこと、ミアトル生徒会の公正さにも疑惑の目が向けられかねない。

 

 冷汗がツーッと流れ落ち、じっとり衣服に染み込んでいく。こういう時こそ落ち着かないと…。わかっていても口が上手く動かず呂律が回らない。

 

「ろ、六条様。いくつか…質問をよろしいでしょうか?」

 

 震えそうになる声をどうにか抑え、次から次へと湧き出してくる疑問を頭の中で整理する。ミアトルのことを第一に考える六条様の事だ。きっと何かしらの深い理由があるに違いない。私では考えつかないような何かが。

 

「今の生徒会のメンバーの中には生徒会長になることを夢見て必死で努力してきた子もいるはずです。それこそ六条様に憧れて生徒会長を目指している子もいると思います。そんな子を差し置いて生徒会に入ってすらいない私が次期会長となれば、快く思われないのも当然ではないでしょうか?」

 

「たしかに玉青さんが言うように生徒会長になりたいと望んでいる子はいるわ。良い子だし良く働いてくれているのも事実。でもねあなたほど優秀というわけではないの。もちろん健気に頑張る姿は素敵だと思うわ。ただ、だからといってそれだけで生徒会長にするわけにはいかないの。ミアトル全体を引っ張っていけるだけの能力が無ければ、ミアトル生だけでなく本人にとっても不幸なことになるわ。私はミアトルの将来を第一に考えてあなたを選んだの」

 

 自分へのあまりの高評価ぶりに眩暈を起こしそうになる。なぜこんなにも六条様は私を買って下さるのか。その理由がわからないことにはなんともこそばゆい。生徒会メンバーから選ばないにしたって、ミアトルにはたくさんの生徒がいるのだ。私がその中で抜きんでた存在であるという自信はこれっぽっちもない。

 

「理由を。私を選んだ理由を教えてください。努力はしていますし、成績も優秀な方だとは思います。だけどそれだけでは生徒会長の器に足る人物だとは私には到底思えません。納得できるだけの理由をください」

「謙遜もあまり度が過ぎると嫌味に聞こえてしまうわよ?成績はもちろんのこと、生活態度や人柄、周囲からの信頼。これだけだって次期会長に推すには充分な材料なのよ。胸を張りなさい玉青さん。あなたの優秀さは折り紙付きなのだから。ただそうねぇ、夜のお茶会を開くときはもう少し気を付けた方がいいとは思うけど」

「き、気付いていたんですかっ!?」

 

 まさかバレているとは思ってもみなかったので素っ頓狂な声を上げてしまった。我ながら恥ずかしい。六条様はしーっというジェスチャーをすると悪戯っぽく笑った。

 

「別にやめなさいとは言ってないわ。気を付けなさいと言っただけ。シスターにはもちろん内緒にしてあるから安心しなさい」

 

 ちょっと意外だった。規律に厳しい六条様のことだからてっきりやめるように言われるかと思ったのに。素直にそう内心を吐露すると六条様は再び笑った。

 

「私も静馬や他のみんなとしてたのよ、夜のお茶会。静馬と二人っきりのことが多かったけど楽しかったわ」

 

 バレなければいいのよと最後に小さく付け加えたのがますます意外だった。咳払いと共に六条様が元の顔に戻る。少々話が脱線してしまっていた。

 

「あなたの優秀さに加えてもう一つ。私があなたを推す理由は臆病さよ」

「臆病さ…、生徒会長なのにですか?」

 

 どうにもピンと来ない。私が考える理想像としてはリーダーたるもの決断力に溢れ、迷うことなく選択する意志の強さが必要なように思われた。臆病さというのはそれからは随分とかけ離れていたからだ。臆病であることが武器になるんだろうか?ましてやそれが六条様の口から出るだなんて。リーダーシップを発揮するいつもの姿からとは全く結びつかない。私の知る六条様はいつだって凛々しくていらっしゃるのに。

 

「実はね…」

 

 そう言って生徒会室から繋がる部屋の方をチラリと見た。

 

「どうかしたんですか?」

 

 誰もいないはずなのに不思議に思ったけど一応確認しただけみたいだ。何でもないわと言って話を再開した。

 

「以前に静馬があなたにフラれた時にね、静馬が嘆いていたの。玉青さんは興味がある癖に後一歩が踏み出せない臆病者だって。それ自体は静馬の負け惜しみだと思うけど、私が言いたいのはね。

 

 案外臆病なくらいの方が生徒会長という役職には合ってるんじゃないか?ってことなの。生徒会長ってどうしたって、自分一人のことじゃなくてミアトル全体のための判断が求められるでしょ。そんな時にすぐにパッと決めてしまわないで一旦立ち止まるの。立ち止まって一息ついて、周囲を見回してみる。そうすると意外と物事が良く見えるのよ。臆病だと自然とブレーキがかかるでしょ。だから丁度良いのよ、臆病者で」

 

「それでは…六条様も?」

「ええ。━━━私はね臆病者なの━━━」

 

 私たち似た者同士かもしれないわね、なんて笑っているけど、頷いてよいものか判断に困ってしまう。

 

 六条様によれば、普段は必死で演技しているということらしい。流石にいつもビクビクしていては周囲が不安がるし、何よりも他校の生徒会長に舐められるからというわけだ。スピカの遠森会長を思い浮かべてみると、なるほど。一度でも引き下がろうものならどんどん強気に出てきて歯止めが利かなくなりそうだ。判断は早すぎず、かといって遅すぎず。かつ正確に。そうやって六条様は3校での打ち合わせをこなしてきたのだろう。

 

「どうかしら?少しはやってみる気が出てきたんじゃないかしら?」

 

 この御方は本当にもう…。少々ズル過ぎるのではないだろうか?雲の上の存在から似た者同士などと言われて嬉しくないはずがない。そうやって親近感を湧かせたうえに、本来ならマイナスイメージな臆病さを見事にプラスに変えてのこのセリフである。絶妙なタイミングでの一手に脱帽するほかない。

 

 私の中では早くも生徒会に入る方へと針が傾きつつある。

 

「あとはそうねぇ。ここぞという時には大切な人を思い浮かべるといいわ。ミアトル全体とか気負わずに、どうすればその人が幸せに暮らせるのかを考えるの」

「大切な…人のため」

「あなたならそうね~。やっぱり渚砂さんかしら?渚砂さんが幸せに暮らせる理想のミアトルを作る。そうしたらどう?頑張れる気がしてこない?」

 

 自分のためじゃなくて渚砂ちゃんのため…。そう言われてみると私は自分のために何かをする時よりも、周囲の誰かのために動く時の方が力を発揮できていたような気もする。

 

 今まで物事の最前線に立つということをしてこなかった私だけど、そんな私に向いているのだとしたら、これは運命なのかもしれない。みんなの役に立てるならこんなに嬉しいことはない。

 

 けれど…。

 

「やはり私が推挙されることで六条様に迷惑がかかるというのは正直心苦しいのですが」

「あら?その口ぶりだと私の申し出をOKしたと受け取ることもできるけど」

 

 うっ。痛いところを突かれた。たしかに私の心配したことは首を縦に振った後でのことだ。せいぜい前向きに考えてるくらいのつもりだったのに、心の奥ではこんなにも気持ちが揺らいでいるとは思わなかった。

 

「たしかに、強引なやり方だと批判されるかもしれないわね。ただ後継者を指名しておく方がスムーズに次の体制に移行できるというメリットもあるし、そこは私の腕の見せ所ね」

「ですがっ!」

「なら、こうしたらどうかしら?私はあなたを生徒会にスカウトする。あくまで生徒会長候補の一人、くらいの立場でね。そしたらあなたは仕事をこなして頭角を現してくれればいいの。みんながある程度次期会長として納得できるくらいに。それを見た私はあなたを後継者として指名する。もちろん私はあなたを本命視するけど、基本的にはあなたは自分の力で会長の座を勝ち取るというわけ。どう?シンプルでしょ」

 

 なるほど。それなら六条様が変なレッテルを貼られる心配もないし、私だって気兼ねなく入ることができる。

 

(あれ?でもこれだと…。私は自分の意志で生徒会長を目指して生徒会に入ることに…。なんだろう。六条様に誘導されて、思い通りの展開にのせられたような…)

 

 ような、というか実際にその通りである。勧誘から始まり、説得ときて、最後は自らの意志で目指すように仕向けられている。結局のところ、最初から最後まで六条様の掌の上だった。

 

(はぁ、逆立ちしたって勝てっこなさそうですわ。一体どこからどこまでが六条様の想定内だったのでしょうか)

 

 考えただけでもゾッとする。でも、最後までそうだったとしても六条様なら有り得そうと思ってしまうあたり、私もだいぶ毒されているようだ。

 

「だいぶ話し込んでしまったから今日はここまでにしておきましょうか。あんまり遅いと渚砂さんも心配するでしょうし、玉青さんももう一度部屋でよく考えた方がいいわ。後悔だけはして欲しくないもの」

「あの~。次期会長のお話の部分は隠しますから渚砂ちゃんに相談してもいいでしょうか?」

「いいわよ。あなたのことは信頼しているから好きにしてくれて構わないわ。文芸部との両立をするのであれば一緒にいられる時間は多少なりとも減ってしまうでしょうし。親友なんでしょ?大切にしなくてはダメよ」

 

 そうか。忙しくなれば渚砂ちゃんとの時間も減ってしまうんだ。それは…大問題だ。渚砂ちゃんと生徒会と文芸部、限られた時間をどう使うべきか。場合によっては文芸部は辞めるということも考えておかなければならない。

 

 だから六条様は部屋に戻って落ち着くように勧めたのだろう。そういう部分も含めて真剣に考えるようにと。一人で納得して頷きながら紅茶に口をつけるとまたまた丁度良いタイミングでカップが空になった。

 

 それを見た六条様は意地悪そうな笑みを浮かべると…。

 

「ねぇ玉青さん。お茶のおかわりはいかが?」

 思わずビクゥッと反応してしまう。さっきはのほほんとおかわりをした結果、こんな事態になっているのだ。

「い、いいいえ。もう充分ですから。これで失礼させていただきます」

「そう?残念だわ」

 

 警戒するなというほうが無理に決まってる。流石に今のはジョークだと思うけど。いや、でも六条様のことだからまだ何かあったりして?そう思うとちょっとだけおかわりしてみたい衝動に駆られた。

 

 いやいやいや。帰ろう。渚砂ちゃんが部屋で待ってる。それにこれ以上は頭がパンクしてしまいそうだ。

 

「あ、ちょっとだけいいかしら。竹村千早さんと水島紀子さんってあなたのクラスメイトよね?この二人ってあなたの目から見てどうかしら。素敵だとか、尊敬できるなって思えるようなペアかしら?」

「お二人の事なら隣室ですし良く知っています。多少問題を起こしたりはしますけど仲の良さで言えばミアトルでも随一ではないでしょうか?そういった面では尊敬できますし、素敵なペアだと思いますよ。あの二人が何か?」

「いえ、ちょっと気になっただけよ。ありがとう」

 

 絶対に嘘だ。六条様が無意味な質問をするはずがない。こう思うのは疑心暗鬼になりすぎだろうか。六条様が気にすることで二人組が関係することと言えば…

 

「あっ、エトワール選…」

 

 わかった途端に呟きが漏れてしまった。六条様はエトワール選の候補者として二人のことを聞いてきたのだ。

 

「流石ね玉青さん。もうそんなことにまで気が回るなんて。この分だとミアトルの将来は安泰かしら。私も安心して引退出来るわね」

 

 こんな時期からそこまで考えて動いているのかと驚くと同時に、私の一言で決まるとは思わないけどもし二人が選ばれたら…う~ん。

 

 そう思っていると六条様と目が合った。そして私は気付いたのだ。六条様のメッセージに。二人が候補になったらあなたが全力で支えるのよ、と。

 

「すぐに返事をくれとは言わないわ。ただ私がいつもある理念に基づいて動いていることを忘れないで頂戴」

「それはやはり」

「ええ。━━ミアトルのために━━」

「覚えておきます」

「良い子ね。いい返事を期待しているわ、涼水玉青さん」

 

 笑みを浮かべながらヒラヒラと手を振る六条様の姿が扉の向こうへ消えていく。その姿はたしかに言っていた、返事はわかっているけど、と。

 

 バタンッと扉がしまると大きく息を吐きだした。はぁーーーーー。六条様、怖すぎる。緊張が解けて床にへたり込みそうになるのを堪えながらいちご舎への帰途につく。思い浮かべるのは渚砂ちゃんの顔だ。

 

 帰ったら甘えてみよう。疲れているから膝枕でもしてくれたら最高なのだけど、それは望みすぎか。

 

 でも、とぼとぼと歩く足取りとは正反対に私の心はどこまでも軽やかだった。

 

 

 

 

 

 

<美しい元カノには棘がある?>…花園静馬視点

 

「我ながら上出来ね」

 

 深雪は椅子にもたれかかりながらふぅっと息を吐きだした。その顔には僅かに疲労の色が滲んでいる。事前にやり取りを想定しある程度の答えを用意してはいたが、上手くいってくれた。この分なら引き受けてくれるだろう。そう思えるだけの手応えを感じていた。優秀な人材を得るための努力など深雪にとっては当然のことだが、毎回上手くいくわけではない。今回は運がよかったのだ。

 

(そろそろ出ていっても大丈夫かしら?)

 

 先程の会話中、深雪がチラリと確認した部屋の中にエトワールこと花園静馬は潜んでいた。別に盗み聞きをしようとしていたわけではない。昼寝をしていたら後から二人がやってきて出るに出られずというわけだ。

 

 念のため扉をノックするとコンコンッと乾いた音が響く。

 

「もう出てきて大丈夫よ、静馬」

 

 親友の声に安心して私は姿を現した。この様子だと私がいたことには最初から気付いていたのだろう。

 

 ん~っと伸びをして身体をほぐす。生徒会室の隣にある準備室で物音一つ立てずに息を潜めているのは流石に疲れた。甘いものでも飲もうかと自分用にお茶を用意しながら深雪に話しかける。

 

「なかなか興味深い話だったわ、深雪」

「あなたが隣にいたのには驚いたけど説明する手間が省けるかと思ってそのまま話したの。どうせ仕事サボッて昼寝でもしてたんでしょうし、嫌がらせも兼ねてね」

 

 ご名答、流石は深雪。私のことをよく分かっている。いちご舎でルームメイトになった1年生の時からの親友は伊達ではない。単に幼稚園の時から知っているという連中よりも余程私のことを理解している。

 

 だから私もこうして軽口を言えるというわけだ。私がエトワールになり、深雪が生徒会長になった今でもそれは変わらない。

 

「玉青さんが次期会長ね…。いいんじゃないかしら。ただ、深雪が私に相談もせずに決めるなんて珍しいわね。何か心境の変化でもあったの?」

「特にないわよ。ただ、玉青さんは以前にあなたがちょっかい出しているから巻き込むと迷惑がかかると思って」

 

 いつだってそうだ。深雪は私のことを心配してくれる。いつも迷惑をかけているのはこちらの方なのに。プレイガールだのキス魔と言われる私の素行だってそうだ。それに私のサボり癖も。スピカの遠森会長にとってはさぞや良い攻撃材料になっているだろう。

 

 失望され見放されると思ったのに深雪は傍にいてくれて、私を守ってくれる。サボり癖のほうは多少…いやほんの少しだけ治まってはきたけど、肝心な方はというと。

 

(魅力的な女の子を好きになってしまうのはどうしようもないわよね。だって心に嘘はつけないもの)

 

 一つだけ補足しておくと深雪に魅力がない、というわけではない。深雪はとても魅力的な女だ。頭が良いし、何よりも顔とスタイルが抜群だ。そして性格はさらに…。

 

 けれど親友として大切にしすぎたのと、迷惑をかけている申し訳なさで私は深雪をそういった目で見ることはできなくなっていた。出来ることならば、深雪にはずっと傍にいて欲しい。親友として…最後まで。

 

「言っておくけど、玉青さんのこと臆病者って言ったのは負け惜しみじゃないわよ」

「そうなの?私は別にどちらでも構わないけど」

 

 当たり前のことだが、この丘には様々なタイプの少女がいる。私が今までアプローチしてきたなかには、同性に対して全くドキドキ出来ないという子もいた。それが普通と言われるとおしまいだが、大抵の子は多少なりとも告白とか交際といったことに興味を抱くものだ。

 

 年頃の娘である以上それは仕方のないことだが、この丘には女の子しかいない。そうなってくると私のような人間には都合が良い。興味を引き出し、一旦レールに乗せてしまえば後は走り出すだけだ。そして走り出してしまえば案外楽しめるものだったりする。だから女の子同士は絶対に無理というならともかく、興味はあるのに手を伸ばさないのは勿体ないことだと私は考えている。

 

(でも、玉青さんについては杞憂で終わりそうね)

 

 先程のやり取りでルームメイトについて話す玉青さんの言葉や声を聞いて確信した。彼女が手を差し伸べられる側ではなく、私と同様に手を差し伸べる側の人間であると。今はまだ自覚はないかもしれないが近いうちにきっと気付くだろう。本性というのは隠せないものだから。

 

(そうなってくると、編入生の蒼井渚砂という子も気になるわね。玉青さんが気に掛けるくらいだからきっと可愛いんでしょうけど)

 

「静馬には伝えておくけど、玉青さんのことね。次の生徒会の会議で正式に次期会長として指名するわ」

「ふ~ん。さっきと言ってることが随分違うみたいだけど?」

 

 つい口元が緩みニヤニヤしてしまう。こういうときの深雪はとても面白く、私をワクワクさせてくれる。何が頭角を現したら…だ。全く油断も隙もあったものではない。先程のあれは安心させるための餌で、おそらく最初からだまし討ちするつもりだったに違いない。

 

「玉青さんが結果を出すのはわかりきっているもの。待つ必要はないわ。それに急がないと来年に間に合わないもの。ルリムの千華留さんは来年6年生。間違いなく続投するはずだから対抗できるだけの人物をミアトルも用意しなければならないわ」

「私にはその件に口を挟む資格はないわ。協力が必要であれば協力はするけど、どうせ他のメンバーへの説得だっていくつかのプランは考えてあるんでしょう?」

 

 玉青さんへの僅かな同情を込めつつ私はそう言った。深雪がこの手の根回しでしくじる可能性はゼロといっても過言ではない。つまり生徒会長涼水玉青の誕生は、この瞬間に決定したといってもいい。それだけの手腕が深雪にはある。

 

 何も知らずに生徒会にやってきた玉青さんは一体どんな顔をするのだろうか。申し訳ないとは思いつつもちょっと興味がある。

 

「随分と入れ込んでるのね玉青さんに。途中で転んでしまうかもしれないのよ?」

「そうなったら、私もそれまでの人間だったということよ」

「へぇ、これまた大博打ですこと」

 

 それほどまでに生徒会長の仕事というのは楽しいのだろうか?こんなことならエトワールではなくそっちを選ぶべきだったかもしれない。な~んて言ったら深雪に怒られるのは分かり切っているのでもちろん黙っておく。

 

 そんなことを考えていたら深雪が整理している資料の中にとある写真を見つけた。

 

「もしかしてこれが編入生の蒼井渚砂さん?」

 

 なるほど、髪は赤茶色、それに活発そうな印象を受ける。やや幼い感じもするがこれは会ってみないとなんとも言えない。

 

(玉青さんはこういう子がタイプなのかしら。そうだとすると元々私とは縁がなかったのかもしれないわね。だって私は、こんな可愛らしいタイプではないもの)

 

 あれこれと想像をしつつ、しっかりと顔を頭に刻み込む。幸いパッと見で判別出来そうだが用心するに越したことはない。編入生ということでミアトルに染まり切っていないのは高評価できるポイントだ。ちょっと呼び出しただけで深々と頭を下げてこられると楽しさが半減してしまう。その点この子ならば私に対する新鮮な反応が期待できる。

 

(蒼井渚砂、渚砂ね。フフフッ。楽しみが出来たわ)

「ダメよ、静馬。個人情報なんだから写真は返して頂戴」

 

 大丈夫、顔は覚えたからもう必要はない。深雪に写真を返しつつ私は席を立った。

 

「いちご舎に戻るなら一緒に戻るけど」

「ごめんなさい、少し温室を見てくるわ」

「そう。瞳さんと水穂さんならもう帰ってしまったと思うけど」

 

 東儀 瞳(とうぎ ひとみ)と狩野 水穂(かのう みずほ)。いずれも私の幼稚園の頃からの付き合いで、よくエトワールとしての仕事を手伝ってもらっている。二人がいなかったら温室の世話は放り投げていたかもしれない、そう思うほどに温室の世話は意外と大変だった。今では慣れたが、エトワール就任当初は事あるごとに愚痴を言っていたのを覚えている。

 

「見てくるだけだから一人で大丈夫よ」

 そう言い残し生徒会室を後にする。一般の生徒が立ち入らない温室は私にとって隠れ家のようなもので考え事をする時などによく利用していた。

 

 

 楽しみが出来ると足取りも自然と軽くなるものだ。機嫌よく廊下を歩いていると一人の少女と出くわした。その身を包んでいるのはミアトルのものではなく、可愛さに重点が置かれたルリムの制服だ。

 

 いかに3校が同じ敷地内にあるとはいえ他校の中を歩くというのは多少なりとも気後れするはずだが、その少女は悠々とミアトルの校内を歩いていた。

 

「千華留、生徒会の用事か何か?」

「会えてうれしいわ、静馬」

 

 人懐っこい笑みを浮かべながら呼びかけに応じたのはルリムの生徒会長、源 千華留

(みなもと ちかる)。5年生ながらにルリムを見事に束ねており、玉青さんにとっては良い参考になるかもしれない。

 

 下の名前で呼び合っているのには少し事情があって、私は以前彼女と交際をしていた。いわゆる元カノというわけだ。飽きっぽい自分にしてはよく続いたな、と思うほど関係が続いたこともあり、私の元カノといったら真っ先に千華留の名前が挙がるほど有名だったりする。

 

「随分と嬉しそうね、静馬。さては何か良いことでもあったのかしら?」

「分かる?」

「もちろん。あなたのことだったら何でもお見通しよ」

 

 千華留は別れた今でも私に気軽に話しかけてくる。破局した相手とは普通は接しにくいものだが彼女にはそんなセオリーは通用しない。こんな子は今までにはいなかったから私としてもなかなか新鮮で楽しかったりする。

 

「なら、当ててみたらどう?もし正解したらご褒美をあげてもいいわよ」

「ほんとっ!?じゃあ本気で当てにいっちゃおうかしら。言っておくけど、いまから取り下げるのはなしよ?静馬」

「ええ、約束するわ」

 

 やったわ、と嬉しそうにピョンピョン跳ねる姿からは普段深雪や遠森さんと渡り合っている様子などまるで想像できない。けれど彼女は実際に二人の猛者と対等に渡り合い、あの深雪に警戒心を抱かせるほどのやり手だったりする。そんなわけで少し話したくらいでは彼女のことなどまるで理解できないだろう。なにせ長く交際していた私でさえ真意を汲み取れないことがあるのだから。

 

 そして目の前でわざとらしいくらいに悩む素振りを見せていた千華留は、今は一転して満足げな表情を浮かべていた。推理を披露したくてたまらないとでもいうようにソワソワとしている。

 

「ご自慢の推理を聞かせてもらえるかしら。探偵さん?」

「それでは失礼して」

 

 わざわざコホンッと咳払いまでしてすっかりその気になっている。正直言うと千華留の答えに興味はない。おそらく千華留のことだから私の顔を見た瞬間に察していただろう。源千華留はそういう女だ。

 

 つまりこれは茶番ということになるのだが、私も彼女もこういったやり取りは割と好きだったりするので、交際していた時は時折こんな風に遊んでいた。

 

「新しい女が出来た!というのは違うわね。面白そうな子を見つけてこれからちょっかいを出すところ。うん、間違いないわ。それも相手は…静馬のことをよく知らない人物ね。でもいるのかしら?この丘で静馬を知らない子なんて…。う~ん。とすると…怪しいのは編入生ね。それなら静馬を知らなくてもおかしくないもの。これで全ての線が繋がったわ。ズバリっ!ミアトルに今年来た編入生でしょ」

 

 コツコツと頭を叩きながら歩き回ったり、かと思えば腕を組んで頷いたり。今度は顎に手を当てて悩んでみたり、最後は人を指差して決めポーズをとったり。コロコロと本当によく表情が変わる。

 

「フフフッ正解よ。相変わらず千華留はおもしろいのね。今度は演劇同好会でも作るつもりなの?」

 

 探偵姿がなかなか様になっていたのでからかってみる。いや、観察眼を活かして占い同好会というのも有りかもしれない。彼女はルリムで気ままに同好会やら研究会を作って遊んでいるのだが、すぐに飽きて次のものに移行してしまうせいで残骸だらけだったりする。残っているのは変身部とかいうコスプレをするやつと…、後は思い出せそうにない。

 

 というわけで千華留と別れたのは彼女に不満があったからではなく、むしろ優秀過ぎたためだ。一緒に居て面白いには面白いのだが、あまりにもこちらの考えが見透かされてしまうと喜ばせるのも一苦労で手に負えない。ちょっと面倒になってしまい、結局惜しいと思いつつも別れるに至った。

 

 こうして話している分には楽しいし、一瞬ヨリを戻そうかなんて気になったりもするのだが、私も千華留もそれを本気では望んでいない以上いつも同じ結論に辿り着いてしまう。きっとこれくらいの距離感で遊んでいる方がお互いにとって幸せなんだろうと。

 

「演劇同好会ね…。以前に似たようなの作ったことがあるから悩ましいわね。新しく作るのと…う~ん。そうだわっ。それよりご褒美よ、ご褒美っ。一体何をくれるの?静馬からご褒美が貰えるなんてワクワクしちゃうわ」

「何がいいかしらね?ご褒美」

 

 実はご褒美の内容については何も考えていなかった。なんとなく気分で言い出してしまったのだが、今さら撤回も出来ないしどうしたものか。

 

「あーっ静馬ってば本当は何も考えていなかったんでしょう?そんなことだろうと思ったわ。いいわよ無理しなくて」

 

 クスクスと笑う千華留はご褒美なしと聞かされてもさほど落胆した様子はない。会話と言うかやり取りが楽しければそれで満足のようだ。それはそれでありがたいのだけど、約束するなんて言った手前もやもやする。何より私のプライドが許せそうにない。

 

「私に出来る範囲内であなたの望むことをしてあげる。それでどう?」

 

 気付けばこんなことを言っていた。少々やりすぎかとも思ったが千華留にならいいかな、なんて。千華留はというとそれを聞いた途端に私に飛びつくと、またピョンピョンと跳ねていた。

 

「本当にいいの?静馬って気前がいいのね。それともそんなに機嫌が良かったのかしら?」

 

 どうやら千華留にとっても珍しく予想外だったらしい。バランスを崩さないように抱き締めてあげるとこちらを見上げながら目を輝かせている。こんなに喜んでくれるなら言った甲斐があるというものだ。

 

 私は私で久しぶりの千華留の感触を楽しみながら、念のため周囲を確認していた。

もし人に見られれば私と千華留が復縁したというニュースが学校中を駆け巡ることになってしまう。幸い、廊下には私たち二人だけだった。これで安心できる。

 

「これだけでいいの?随分と慎ましいのね」

 

 言外にもう少し甘えていいのよ、という意味を込めて千華留を煽る。せっかく二人きりなのだし私も楽しみたかった。

 

「あんまりサービス精神旺盛だと後悔することになるわよ?」

 

 余程嬉しかったのか千華留は私に抱き着いたままグリグリと頭を押し付けてはしきりに笑っている。こうして甘えている分には年相応の少女らしく、とても可愛らしい。

 

「千華留…」

 

 空いた手で千華留の髪を梳いてあげると手を動かすたびにふわりと良い香りが漂った。艶やかでコシのある長い黒髪を手に取り息を吸い込む。

 

(シャンプー変えてないのね。私の好きな匂いだわ)

 

 懐かしい甘い香りをしばし堪能させてもらう。

 

「んっ、くすぐったいわ。静馬」

 

 時折身をよじりながらも千華留は私のしたいように身を委ねてくれていた。このままだとどちらがご褒美を貰っているのかわからなくなってしまいそうだ。

 

「千華留?まだあなたの望みを聞いてないわ。遠慮しなくていいのよ、あなたへのご褒美なんだから」

「ちょっと迷っちゃって。私は抱き締めてくれただけでも割と満足だったんだけど。髪を撫でられてたらなんだか収まりがつかなくなっちゃった」

 

 ペロっと舌を出した可愛らしい仕草とは対照的に、千華留の目は熱を帯び始めていた。その火が徐々に燃え上がり瞳の中で炎となって揺らめいていく。

 

「ほんとにいいの?静馬」

 

 願い事は口にしないまま千華留の雰囲気がガラリと変わる。つい先程まで腕の中にいた年上に甘える可憐な少女の姿はどこかへと消え去り、今いるのは年下とは思えないほど妖艶な色気を纏ったオトナの女だ。蝶へと羽化するさなぎを思わせるような、そんな華麗な変身。何して欲しいかなんてわかっているんでしょう?とでも言いたげに私の顔を覗き込む。

 

「千華留…」

 

 吸い込まれそうな瞳に抗いながら顎に手を掛けると千華留は吐息と共に囁いた。

 

「ねぇ静馬。━━キスして━━」

 

 求められたのは極めてわかりやすいシンプルな行動。少しでも顔を動かせばすぐにでも唇が触れそうな距離で見つめあう。

 

「それとも、元カノとキスするのは…嫌?」

 

 首を傾げながらその瞳が潤んでいく。瞳の中の炎はそのままに、けれど大きな目からは今にも大粒の涙が零れ落ちそうだ。千華留が愛おしくてたまらない。そう思うと身体は自然に動いていた。

 

「目、閉じなさい」

「うん。来て…静馬」

「千華留」

 

 私も目を閉じてそっと唇を重ね合わせた。この唇の感触を私はよく知っている。いいや唇だけじゃない。腰に回した手をそっと下ろし、スカート越しにヒップを撫でまわす。この身体のことだって…。私の部屋、千華留の部屋、時には別の場所でも私たちは愛し合った。何度も、何度も。それくらい千華留とは深い仲だった。こうしているとつい、その時のことを思い出してしまう。

 

 吐息が漏れるのも構わず互いの名前を呼び合いながら貪りあう。撫でまわしていた手はいつしか思うがままに鷲掴みを繰り返し、スカートにはくしゃくしゃのシワが刻まれていく。そして千華留もまた、私が手を動かす度に私の背中にキュッと爪を立てるようにして制服を握りしめた。

 

 どれくらいそうしていただろうか?時間を忘れるほど夢中になっていた唇をようやく引き離すと、名残惜しそうにツゥッと透明な橋が架かった。視線だけはしっかりと絡めたまま荒くなった呼吸を整える。

 

 ようやく落ち着いてきてふと視線を下に向けると、透明な橋は形を失い儚く消えていくところだった。その様子を見届けてから私たちも身体を離す。

 

「恥ずかしいわ。私ったらすっかりはしゃいじゃった」

 

 上気した頬が赤く染まっている。それはきっと私も同じだろう。千華留はパタパタと手で風を送り顔の火照りを冷ましていた。

 

「とても良かったわ…千華留」

「うん、私も。これ以上にない素敵なご褒美だったわ。ありがとう、静馬」

「いいのよ。私の方こそ楽しませてもらったわ。あなたと別れたのが勿体な━━━」

「━━━その先はだ~め♪」

 

 千華留は私の唇に人差し指を当てて言葉を遮ると楽しそうに笑った。いつの間にか元の可憐な少女の姿へと戻っている。

 

「嬉しいけど私はもう元カノだもの。今のはあくまで、あ・そ・び。そうでしょ?」

 

 今度は自らの唇に人差し指を当てながら私を優しく諭す。

 

「そうね。私とあなたはもう終わっていて、私は新しい子にちょっかいを出そうとしてる」

「だから私とはここまで。この続きは新しい彼女さんと…ね?元カノからのありがたい忠告よ」

 

 そう言ってケラケラと笑った。妖艶な姿も好きだが、千華留には笑顔の方が似合っている。今更そんなことを考えながら私も一緒になって笑った。

 

 その横を不思議そうな顔を浮かべながら数人の生徒が通っていく。外に目をやるともうだいぶ日が傾いていた。

 

「そろそろ行くわ、またね千華留」

「ええ、また会いましょう」

 

 それじゃあ、と短く言い残し別々の方向へ歩き出す。私は校舎の外へ、千華留は生徒会室へ。でも10歩ほど歩いたところで千華留の声が廊下に響いた。

 

「静馬っ!もし盛大にフラれたら声を掛けてね。その時は私が慰めてあげるから」

 

 言い終わるや否やブンブンと振っていた手を後ろに回し、私に向かってとびっきりの笑顔を披露する。

 

「あまり期待しない方がいいわよ。私は花園静馬だもの」

 

 そう言って踵を返し今度こそ外へと歩いていく。背中の千華留に向けて小さく手を振りながら。

 

 

 外に出ると心地いい風が吹いていた。なびく銀髪を押さえながら私は想いを馳せる。

 

(あなたは私にどんな夢を見せてくれるのかしら。待っていて頂戴ね。必ず会いに行くから)

 

 蒼井渚砂という名の…少女に向けて。

 

 

 

 

 

 




※改行だけ入れました。スマホで見ると文字びっしり過ぎて苦行レベルだったので…。




 いかがでしたでしょうか?今回は2話構成になっております。玉青ちゃんがスカウトされてみたり、静馬様と千華留ちゃんが廊下であーんなことしてたりする内容でした。玉青ちゃん世代が好きってなんだろうって悩んだりしてる裏でオトナ組はやりたい放題してるみたいです。肉体面というよりも精神面での隔たりが大きいような気がしますね。玉青ちゃん…これ悪いオトナに騙されてませんかね?気のせいですか、そうですか。
 そしてようやく静馬様がちゃんと登場しました。アニメを見た方からするとやっぱり静馬様のいないストパニなんてって感じでしょうか。静馬様が出てくるとR15タグも心なしか喜んでいる気がします。


 え~最初は前半と後半を別々に更新しようかと思ったのですが前半だけだと起伏に乏しいかなと後半とセットにしてみました。多少はメリハリがついたかなと。ジェットコースターの間違いでは?と突っ込まれてもおかしくありませんが…。
 あと、下書きがあったんですけどほぼ書き直しに近いことになりました。その原因は千華留ちゃんなんですけど、なんとか私の考える千華留ちゃんの理想像に近付けたように思います。
 というかストパニの子ってみんな可愛いんですよね。
具体的には?って聞かれると上手く説明できないんですけどとにかく可愛いんです。なので少しでもキャラに魅力を感じていただければ幸いです。

次章もよろしくお願いいたします。以上です。



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第3章「玉青ちゃんのケダモノッ」

■あらすじ
 疲れて帰ってきた玉青を温かく迎える渚砂。今にも眠ってしまいそうな玉青はすぐにベッドへ倒れこんでしまう。いつも頑張り屋の玉青を心配した渚砂は甘えていいと優しく諭し、玉青のお願いを聞いてあげることに。
 最初はいい雰囲気だった二人だが、玉青のお願いはやがてとんでもないハプニングに発展して!?
 蒼井渚砂視点でお送りする<膝枕には危険がいっぱい!?>今回は短めとなっております。

■目次

<膝枕には危険がいっぱい!?>…蒼井渚砂視点


<膝枕には危険がいっぱい!?>…蒼井渚砂視点

 

「おかえり玉青ちゃんっ!六条様のお話ってなんだったの?」

 

 う~ん。とりあえずこんな感じかな。私は玉青ちゃんの帰宅に備えて呼びかける練習をしていた。勘違いしちゃってたのもあって顔を合わせるのが気恥ずかしい。だから下手なことを言って墓穴を掘らないように練習してるというわけだ。

 

 まぁ玉青ちゃんは怒らないとは思うけど…。

 

「それにしても遅いな、玉青ちゃん」

 

 時計に目をやると私が帰ってきてからもうだいぶ時間が経っていた。

 

「やっぱりそういうお話だったりして」

 

 いや、やめておこう。うん。せっかくこうして練習してるんだし、余計なことを考えてると地雷原に突っ込んじゃいそうだ。頭をブンブンと振って下らない考えを消し去っておく。

 

 そうこうしてる内に廊下から足音が聞こえてきた。急いで扉に顔を寄せ聞き耳を立てる。

 

「あっ、この音は玉青ちゃんだぁ!」

 

 音の主に気付いた私は勢いよく扉を開けて出迎えた。

 

「玉青ちゃんおかえりっ!」

「な、渚砂ちゃんっ!?どうしたんですか、飛び出してきて。何かあったんですか?」

「えっ、あっ、ううん何でもないよ。玉青ちゃんの帰りが遅いから心配しちゃって」

 

 練習の成果は全くなかったけどまぁいいか。無事に玉青ちゃんをお迎え出来たわけだし。

 

「そうですか、なんだか嬉しいです。ただいま、渚砂ちゃん」

 

 ひとまず部屋へと入り荷物を置いた玉青ちゃんは大きな欠伸をしていた。ちょっと珍しい。でもきちんと手で口を隠しているあたりお嬢様なんだなって思う。私だったら平気で口開けちゃうもん。

 

「なんだか疲れてるみたいだね。大丈夫?」

「ええ、六条様の話がヘビーだったものですから。もうヘトヘトです」

 

 そう言うなりベッドに倒れこんでしまう。あらら、こりゃ大変だ。

 

「六条様のお話って結局なんだったの?」

 

 内心緊張しながらずばり聞いてみた。あ、ほら、一応…ね?万が一ということもあるし。

 

「生徒会に入らないかというお誘いでした」

「あーやっぱりそうだったんだ。紀子さんと千早さんもそうじゃないかって言ってたよ」

「あの六条様ですからね」

 

 私は勘違いしてたけど、なんて天地がひっくり返っても言わない。

 

「私もそうなんじゃないかな~って思ってたんだ。玉青ちゃん優秀だもん」

 

 こんな言葉だって平然と言いのけた…はずだ

 

「ふぁあ、…ごめんなさい。少し眠くなってしまって。どうしましょう。顔を洗えば目が覚めるでしょうか」

 

 その顔はぼんやりとしていて今にも寝てしまいそうだ。瞼が重いのかしきりに目のあたりをこすっている。私の経験上こういう時はちょっとでも睡眠を取ったほうがスッキリするものだ。授業の時も無理に頑張るより一瞬カクンッてしちゃった方がいい気がする。あっ、これは先生には内緒だけど…。

 

「夕食まで結構あるし少しだけ仮眠取ったら?30分くらいしたら起こしてあげるよ」

「本当ですか?じゃあ着替えだけしたら少し横になりますね」

「うん、静かにしてるからゆっくり休んでね」

 

 早速着替えを始めた玉青ちゃんだけど眠気で身体が動かないのかその動きは緩慢だ。大変そうなので毎朝のお礼にと手伝ってあげることにする。

 

「ごめんなさい。渚砂ちゃんに手伝わせてしまって。」

「いいのいいの。気にしないで。むしろ玉青ちゃんのほうこそもっと私のこと頼ったり甘えたりしていいんだよ」

 

 期待に応えられるか自信はないけど。でもルームメイトなんだし支え合わないとね!

 

「甘える…。それでしたら渚砂ちゃんにお願いが…」

 

 おお、早速玉青ちゃんからお願いだー。なんだろ?私に出来ることだといいなぁ。

 

「遠慮せず言ってね。私頑張るから。あっでも変なこととかはダメだよ?」

「あの、その…ひざ。や、やっぱりいいです。ごめんなさい」

 

 言いかけて辞めちゃった。ひざ?っていうのは聞こえたけど…。首を傾げていると玉青ちゃんはいそいそとベッドに入ろうとしてるとこだった。

 

「待ってよ玉青ちゃん。ちゃんと言ってよ」

「い、いいんです。忘れてください」

 

 慌てて布団を被ろうとする玉青ちゃんをよく見るとお顔が真っ赤だ。

 

「玉青ちゃん顔真っ赤だよ。もしかして熱でもあるの?」

「こ、これはその恥ずかしくて」

「恥ずか…しい?」

 

 あっ、と小さく声を漏らした玉青ちゃんはしまったという表情を浮かべるが私はばっちりと聞いてしまっている。

 

「お願い事って恥ずかしいことだったの?」

 

 そう尋ねると玉青ちゃんの顔がますます赤くなった。

 

(玉青ちゃんって意外とわかりやすい)

 

 普段は私ばっかりあたふたしてるのでこういう状況は新鮮だ。それにオトナっぽい玉青ちゃんも私と同い年の女の子なんだって気がして安心する。いつもみんなに気を配ってるんだから少しくらい肩の力を抜いたってバチは当たらないはずだ。私も休む手助けくらいはさせて欲しい。

 

「笑ったりしないから言ってよ」

 

 布団の上からポンポンと優しく叩くとすっぽりと布団を被っていた玉青ちゃんがひょこっと頭を出した。玉青ちゃん可愛いなぁ。

 

「絶対に笑わないでくださいね。あの、渚砂ちゃんに━ざ━くら、して欲しくて」

 

 肝心の部分だけボソボソッと消え入りそうな声で言うもんだから、ちゃんと聞き取れなかった。

 

「ごめん、もう一回言ってもらえる?」

「だ、だから。ひざまっ、膝枕ですっ!渚砂ちゃんに膝枕して欲しいんです」

 

 言うなり再びサッと布団を被って隠れてしまう。そうか、だからさっき言いかけた時にひざって言ったんだ。それで納得した。

 

「うん、わかった。ちょっと待ってね」

「いいんですか!?渚砂ちゃん」

 

 ベッドに上がろうとした私に向かって玉青ちゃんが驚きの声を上げる。

 

「もぉ~照れくさいよ玉青ちゃんってば。恥ずかしがる必要なんてないのに」

 

 よいしょっと。玉青ちゃんのベッドにお邪魔して四つん這いで移動していくとベッドはキシキシと音を立てた。まずは枕をどかし、代わりに自分がそこへ収まる。正座だと大変そうだから少し崩して楽な姿勢にさせてもらおう。

 

 うん、これで準備オッケー。太ももをポンポンと叩いて玉青ちゃんに合図を送る。

 

「玉青ちゃん、準備できたよー。ほら、早く早く~」

「は、はい。それじゃあ失礼…します」

 

 玉青ちゃんは遠慮がちにそぉっと頭を乗せてきた。顔を横向きにして小さく丸まりながら。サラサラの青い髪が太ももに当たってこそばゆい。

 

「どうかな?気持ちいい?」

「えっと…」

 

 むぅー。玉青ちゃんってば私を気遣ってちゃんと頭を乗せてない。首に力を入れて頭を浮かせているのかあまり重さを感じなかったのですぐに気付いた。

 

「ダメだよ。せっかく膝枕してるんだから。ほら」

「でも…」

「でもじゃありません」

 

 頭に手を乗せ強引に太ももに密着させると今度こそ頭の重みがしっかりと伝わってきた。よし、これで大丈夫。

 

(渚砂ちゃんの太ももの感触が…)

 

 フニッとした柔らかな太ももの感触としっとりとした肌触りに玉青はドキドキしてしまう。

 

(それに…渚砂ちゃんの匂いが…)

 

 まるで全身を包み込まれているような気がして眠気なんて吹き飛んでしまった。むしろドキドキが止まらなくて一瞬だって眠れそうにない。そのうえ呼吸するたびに匂いがしてくるものだから玉青は正気を保つので精一杯だった。

 

「どう?どう?ねぇ玉青ちゃん」

「凄く気持ちよくて心地いいですよ。正直たまりませんわ。ずっとこうしていたいくらいです」

 

 ようやく玉青ちゃんの口から感想を聞けた。でもちょっと大袈裟だよ~。まぁ喜んでくれたんなら私は嬉しいけど。

 

「じゃあよく眠れそうだね。よかった、玉青ちゃんの役に立てて」

「眠るだなんてもったいない。渚砂ちゃんの感触をもっと味わいたいですわっ!あっ…」

 

 私の言葉に勢いよく反応した玉青ちゃんはその反動でクルっと向きを変え上向きになってしまう。そうすると私と玉青ちゃんは目が合うわけで…

 

「渚砂ちゃん」

「玉青…ちゃん」

 

 時が止まったようにしばし…見つめ合う。なぜかわからないけど言葉が出なくて、ただただじっと玉青ちゃんを見つめてた。窓の外から聞こえてきたチチチッという鳥の鳴き声にハッと我に返る。

 

「ご、ごごごごめんなさい渚砂ちゃん」

 

 見つめ終わると急に込み上げてきた恥ずかしさから逃げるように玉青は両手で顔を覆い隠した。

 

「わ、私のほうこそごめん。つい目が合ったから」

 

 意味不明な言い訳をしつつ顔を逸らす。さっきまでは全然恥ずかしくなかったのに今はもう目を合わせるなんてとてもできない。顔だけじゃなく全身がカアッと熱くなった。

 

「膝枕って思ってたより恥ずかしいかも」

 

 素直な感想がポロリと口から零れた。だから玉青ちゃんは言い出せなかったのかな。でもこれなら言えないのも納得かも。

 

「私も知らなかったんです。こんなにドキドキするなんて」

 

 いまだに顔を覆ったままの玉青ちゃんが呟いた。あれ?いま…。

 

「玉青ちゃんもドキドキしたのっ!?」

「ということはなぎさちゃんも?」

 

 お互いの顔を確認しようとした私たちは再びパチっと目があって動きを止めた。あわわわわわ。今度は二人してすごい勢いで顔を逸らす。

こんなになっちゃうなんて膝枕って凄い…。束の間の静寂が過ぎると玉青ちゃんは気まずそうにモゾモゾと身体を動かし始めた。

 

「あのっ!そ、そろそろ…起きますね」

「あっダメだよもう少し休まなきゃ」

 

 玉青ちゃんに休んでもらいたい一心で私は手を動かした。すると━━━。

 

「えっ?渚砂ちゃっ━━━んんんっ!?」

 

 身体を起こそうとしたとこを無理に引き止めようとしたものだから玉青ちゃんはものの見事にバランスを崩し、ドサっと着地した。

私の太ももに…下向きで。

 

「うわぁあああああ。た、玉青ちゃんっ!?」

「ん~~~渚砂ちゃん離しっんんーー!?」

 

 驚いて押さえつけちゃったせいで玉青ちゃんは私の太ももの間に挟まり必死にもがいていた。離せばいいはずなのに気が動転しててますます手に力が入ってしまう。

 

「んっ。ちょっ、やだっ玉青ちゃんってばくすぐったいよ。んっ。離れてってば」

 

 吐息が太ももに掛かって変な声が出ちゃった。は、恥ずかしい。先程とは全く別の種類の羞恥心によって再び身体がカアッと熱くなった。

 

「だって渚砂ちゃんがおさえっ━━━ん~~!?」

 

 ますますめり込んでいく玉青ちゃんの頭はずりずりと上の方へとズレていき、気付けばスカートのめくれ上がった私の…えと…そのぉ。

 

 パ、パパパパパパンツに当たって。

 

「わわわわわわわダメーー。ダメダメッ。ダメーーーー。玉青ちゃん息するの禁止っ、禁止だから。っていうか玉青ちゃんどこに顔押し付けてるのぉーーーー」

(こ、こここれって渚砂ちゃんのパンツが…目の前に)

 

 それに息をするなと言われても、もがけば酸素は失われるわけで…。そうなれば息を吸うのは生理現象なわけで…。そんなことを考えつつ玉青は思いっきり息を吸った。

 

「あーーーーー。ダメって言ったのに玉青ちゃん今思いっきり息吸ったぁーー。信じらんない。玉青ちゃんのバカバカバカーーー」

「わ、わざとじゃないんです。不可抗力ですってば。信じてください渚砂ちゃん」

 

 必死に手をバタつかせようやく脱出した玉青は身体の前で両手を振って無実をアピールした。しかし、渚砂は警戒の目を向けたままだ。

手でガッチリとスカートを押さえつけやや涙目になっている。

 

「━━━玉青ちゃんのケダモノッ━━━」

「うっ」

 

 後ずさる玉青ちゃんの一挙手一投足を監視しながら私はある重大な事項について考えていた。これっばかりは尋ねないわけにはいかない。乙女の尊厳が懸かっているのだ。

 

「匂い」

「えっ?」

「に・お・い。まさか玉青ちゃん匂いとか…嗅いでないよね?」

 

 とっても大切なことだ。キッと玉青ちゃんに鋭い視線を送り尋問する。

 

「どうなの?玉青ちゃん」

「ど、どうって言われても」

(そりゃあ呼吸はしましたけど…)

 

 私の剣幕に恐れを抱いたのか、玉青ちゃんはじりじりと後退を続ける。

 

「ちゃんと答えて」

「か、嗅いで…ません」

 

 明らかに歯切れの悪い回答。それに加えて目を逸らしこちらを見ようともしない。これは、どう考えても…。

 

「息…してたよね?思いっきり」

 

 いくら玉青ちゃんといえど流石においたが過ぎる。私だって怒らざるを得ない。

 

「呼吸しないわけにいかないじゃないですか。あれでも一生懸命抑えてたんですよ」

「だってすっっっごく恥ずかしかったんだもん」

 

 今だって思い出すとカアッて身体が熱くなっちゃう。それくらい恥ずかしかった。

 

「だ、大丈夫ですよ渚砂ちゃん。安心してください、誰にも言ったりしませんから。二人だけの秘密です。ねっ?」

「わざとじゃ…なかったんだよね?」

「もちろんじゃないですか」

 

 大袈裟に頷きながら玉青ちゃんがじわりと近付いてくる。シャーッと威嚇する猫でも相手にするみたいにそろりそろりと。

 

「うん、わかった。玉青ちゃんがごめんって謝ってくれたらそれで終わりにする」

「渚砂ちゃんっ」

 

 私の言葉にパァッと玉青ちゃんの顔が輝いた。別に私だって玉青ちゃんが嫌いになったわけじゃない。ちゃんと仲直りして明日からも楽しく暮らしたい。玉青ちゃんを許してハッピーエンド。それが一番だ。

 

「ごめんなさい、渚砂ちゃん。私が悪かったです。もうあんなことしませんから機嫌を直してください」

 

 よしっ!私も玉青ちゃんに謝ろう。

 

「ううん、私の方こそごめんね。押さえつけちゃったから苦しかったでしょ?」

「全然平気です。たしかに苦しかったのは事実ですけど、

 ━━とっても良い匂いがしましたから━━」

 

 最後の最後で玉青ちゃんは口を滑らせた。両手で小さなガッツポーズまでしながら…。全然ロマンチックじゃない感じに時が止まった後、私は玉青ちゃんに冷たく言い放った。

 

「今日はもう、玉青ちゃんとは口を利かないから」

 

 縋りつく玉青ちゃんを振り払い、私は隣室の二人に教わったバリケードを築くべく行動を開始した。もちろん翌日まで一切喋らなったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※改行だけ入れました。





 二日連続での更新と言うこともあり短めとなっております。前回が静馬様と千華留ちゃんのオトナな雰囲気のやり取りだったので今回はひたすら甘々な展開となっております。というわけで渚砂ちゃんと玉青ちゃんがひたすら部屋でイチャイチャしてる回でした。渚砂ちゃんがさりげなく足音だけで玉青ちゃんを判別してましたね。可愛いです。
 どうなんでしょう、こういう明るい雰囲気の話のほうがいいでしょうかね?
元カノが出たりとかってのはウケなそうな気も…。千華留ちゃん可愛いと思うのですが。


 書いてて気付いたのですが、玉青ちゃんよりも渚砂ちゃんの時の方が書きやすい気がします。元気で活発系というか、躍動感溢れるというか、踊っている感じがします。動かしやすいってことでしょうかね。アニメ版で渚砂ちゃんが色んなキャラから愛されてたのも納得という感じです。

 次回も読んでいただけたら幸いです。以上です。




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第4章「さあご決断を!」

■あらすじ
 六条深雪と源千華留。静馬を傍で見続けてきた二人がミアトルの生徒会室で対峙する。親友と元カノ。気まずい雰囲気の中、千華留の仕掛けたお遊びに深雪の心は乱されて。被り続けてきた、絶対に壊れることはないと信じていた仮面はあっけなく砕け散って消えた。素顔を暴かれた深雪は取り乱し錯乱する。そんな彼女が胸に秘め続けた想いとは?

千華留の心境を描く<その女、悪女につき>
二人の対峙を描く<臆病者と『静馬』の仮面>

今回は2話となっております。

なお第2章「ミアトルのために」の直後のお話となっております。
千華留が静馬と廊下で会った後の話です。
第3章「玉青ちゃんのケダモノッ」からは繋がっておりません。ご注意ください。


■目次

<その女、悪女につき>…源千華留視点
<臆病者と『静馬』の仮面>…六条深雪視点


<その女、悪女につき>…源千華留視点

 

 静馬との逢瀬を楽しんだ私は足取り軽くミアトルの生徒会室へと向かっていた。

 

(ふふふっ。やっぱり静馬って素敵。あんな人と付き合えたなんて私は幸せ者ね)

 

 久しぶりに交わしたキスの味はやはり格別で、そっと唇に触れてみるとそこはまだジンジンと熱を帯びていた。数分は経過したはずなのに胸のドキドキだってほら…まだこんなに。みんなはまだ知らないのね。好きな人と一緒にいることがとても素敵なことなんだって。女の子同士だからなんて躊躇わず、もっとカップルが増えればいいのに…な~んてね。

 

(でも難しいのよね~)

 

 この丘の恋愛事情は少々特殊だ。女の子だ~い好きなんて公言してるのは静馬くらいなもので、それ以外はひっそりと息を潜めている。恋愛自体が活発ではないうえに、もし仮にカップルが成立したとしても基本的には秘密にするのがマナーみたいな風潮だ。そりゃあ静馬みたいに自信満々でいるのは難しいにしても、もうちょい何かあってもいいと思う。

 

(だいたいなによ。女の子同士で本気で恋愛してたら異端者みたいに扱うなんて、そんなの間違ってるわ)

 

 そんなに許されないものかしら?どうせこの丘には女の子しかいないわけだし恋愛を楽しんでみれば良いのに。案外素直に好きって言ってみたらそのまま交際が始まってしまいそうなペアだっているのに正直もどかしい。恋心がそうであるように恋愛も自由であるべきなのだ。

 

(そうそう、そういえば居たわね。これから行く先にも不自由なお姫様が…)

 

 思い浮かべたのはミアトルの生徒会長、六条深雪。名家のご令嬢であるがゆえに既に婚約者がいて卒業後には即結婚との噂もある人物だ。彼女はまた別の理由で想い人への恋心を心の奥底に封じ込めてしまっている。そして想いを胸に秘めたまま傍で見守り続けることを選んでしまった。

 

(私からすると臆病なだけにしか見えないのだけど。好きなら好きって言っちゃえばいいのに)

 

 みんな騙されちゃってるんだから。生徒会長の仮面を被った偽りの姿に。だから私は解放してあげたい。彼女の想いを。

 

 

ねぇ深雪さん。本当にいいの?

静馬はもう次の女の子を見つけたわ。赤茶色の髪をした愛くるしい編入生よ。

きっと今頃温室で考えてるに違いないわ。どんな風にアプローチしようかしら?なんて。

このままだと静馬とその子、そして…青い髪の少女の3人だけで舞台の幕が開いてしまう。

それをただ見ているだけなんてそんなのつまらないでしょ?

いつまでもそんなところに引き籠っていてはダメよ。

まずはそこから出してあげる。その閉ざされた生徒会室から。

ああ、舞台に上がるなら着替えも必要ね。臆病者のあなたから新しいあなたに。

私はたぶんあなたに嫌われることになるけど。でもいいの、静馬が教えてくれた幸せをあなたにも知って欲しいから。

 

 

 先程の会話で静馬が言っていたことを思い出す。

 

「ふふふっ演劇同好会ね…。静馬も面白うことを言うわ。だって今の私にはぴったりですもの」

 

 演じるとしたら何がいいだろうか?人の心を翻弄し、とある決断を下させてしまう魔性の女。ああ、そうだ。あれがいい。

 

「━━カルメン━━」

 

 これ以上にない演目の名を口にして私は一人ほくそ笑んだ。演目はこれで決まった。演じるのはもちろんその主人公、性悪女のカルメンだ。でも上手く演じられるかしら?なにせ今回はとびっきりの演技をしなくちゃいけない。

 

(ううん。弱気になってはダメよ。私は最高の女優ですもの。深雪さんの心をこじ開けて見せるわ)

 

 目的地に到着した私はその前で一旦立ち止まりゆっくりと深呼吸を繰り返した。落ち着け、落ち着け。手を顔の前にかざし仮面を被る。もちろん本物の仮面が存在するわけじゃない。あくまでイメージだ。

 

 でも案外、こういう古典的なおまじないも捨てたもんじゃないのよね。だってほら、自信が漲ってきたもの。私は女優。いまから主演女優よ!

 

(さぁ、舞台の幕を開けましょう。私はカルメン。人の心を惑わす稀代の悪女。覚悟していてくださいね深雪さん。これはあなたのための演目ですから)

 

 扉に手を掛けて力を込めるとガチャリと音を立てて扉が開いた。一歩踏み出せばそこはもう舞台の上。もう一人の登場人物はまだ何も知らない。けれど舞台の幕はもう上がってしまった。演じるのは源千華留。その役柄は…カルメン。

 

 源千華留は踏み出した。誰もが自由に恋愛できるアストラエアの丘を夢見て…最初の一歩を。

 

 

 

<臆病者と『静馬』の仮面>…六条深雪視点

 

 ガチャリと音を立てて扉が開き誰かが入ってくる。私は足音だけで入ってきた人物を識別しそちらに目を向けることなく話しかけた。

 

「どうしたの静馬?何か忘れ物?」

 

 珍しいこともあるのね、と勝手に納得して書類の整理を続けていると部屋は『静馬』の足音と私が紙をめくる音だけになってしまう。

 

「静馬?」

 

 あまりにも返事がないので気になって名前を呼びながら振り返ってみた。するとそこに居たのは…。

 

「静馬とはさっき廊下で会ったわ。ごきげんよう六条会長」

 

 にっこりと微笑みながら一人の少女が立っていた。当然静馬ではない。声の主はルリム生徒会長の千華留さんだった。

 

(まさか私が静馬と間違えるなんて…)

 

 長く一緒にいたから静馬の足音や気配には自信があるつもりだった。その証拠に私は静馬を他の誰かと間違えたことがない。それなのにどうして…。千華留さんと静馬って足音が似てたかしら?そんな風に憶測を立てているとすぐに答えが返ってきた。

 

「フフフッ。静馬の真似をしてみたんです。その様子だと驚いていただけたみたいですね?」

 

 真似た?それだけで私は静馬と間違えたというの?正直信じられなかった。いくら真似たといっても私が間違えるほど似てるだなんて…。

 

 あっ。いけない、いけない。あっけにとられてぼーっと立ち尽くしていたことに気付いた私は慌てて千華留さんに言葉を返した。

 

「と、とにかくいらっしゃい千華留さん。歓迎するわ」

 

 歓迎するというのはもちろん社交辞令だ。なぜなら私は千華留さんに一方的な苦手意識を抱えているのだから。

 

(困ったわね、千華留さんと二人きりだなんて。どうしようかしら)

 

 千華留さんはご存知の通り静馬の元カノである。これだけでも私には充分接しにくいことこのうえないのだが…。それ以外にも、私からすると千華留さんは捉えどころがなさすぎて、思考や行動が読めず先手を打てないという点も困りものだった。スピカの遠森さんのように感情がストレートであれば対応もある程度パターン化出来るのだが、あいにく彼女には通用しない。

 

 今だってペースを崩され会話の主導権を握られている。本当にやりにくい相手だ。

 

「静馬ってば相変わらず素敵なんですもの。さっきもつい甘えちゃったわ」

「相変わらず静馬と仲が良いのね…千華留さんは」

「ううん。私が一方的に静馬に甘えているだけ。静馬は優しいから相手をしてくれているだけよ」

「そう…なの」

 

 何をホッとしてるのかしらね、私は。千華留さんがそう言っているだけで、静馬が千華留さんとの復縁を考えていないとは言い切れないのに。静馬に直接聞ければいいのだけどそれが出来れば苦労はしない。もし静馬に、なんでそんなことが気になるの?と聞き返されたら困るのは私だ。気になる理由なんて一つしかない。けど言えるわけなんかない。私が静馬を好きだなんて…。

 

「今日は六条様お一人なんですか?」

 

 部屋を見渡しながら千華留さんが聞いてきた。心なしか嬉しそうに見える。何かあるのだろうか。

 

「ええ、そうよ。もう誰も来ないはずだけど、それがどうかしたの?」

「今日の私はツイてるなと思いまして」

「ツイてる?」

「いえ何でもありません。六条様はどうかお気になさらないでください」

「なら…いいけど」

 

 そう答えながら、ふとこの丘で何人くらいの人間が静馬を呼び捨てにしていたかしらと思い返していた。まず私と千華留さん。あとは瞳さんや水穂さんといった幼稚園から静馬を知っている面々もいる。静馬自身は別に呼び捨てでも構わないのに、と気にも留めてないが私にとっては重要なことだ。そういえば、千華留さんが静馬を呼び捨てにしてるのを初めて聞いたときも凄く悔しかったっけ…。

 

 そんな思い出に浸っていると千華留さんの声で現実に引き戻された。

 

「これがこの間の議題をルリムの生徒会で検討した報告書です。どうぞご確認ください」

「ありがとう。仕事が早くて助かるわ。流石は千華留さんね」

「いえいえ。天下の六条様には敵いませんわ」

「今お茶を淹れるから座って待っていて頂戴」

「ありがとうございます。実は私喉がカラカラで」

 

 思ったよりも普通に千華留さんとやり取り出来てるわね。なんて思うのは、私の意識し過ぎかしら。でもよかった。この感じならお茶を飲んで雑談していればすぐに時間が経つもの。

 

 少し安堵しながら私は本日3杯目のお茶を用意し千華留さんの前に置いた。千華留さんは余程喉が渇いていたらしく、いただきますと言ってすぐに口をつけるとあっという間に半分ほど飲んでしまう。

 

「すみません。なんだかそそっかしくて」

「いいのよ。まだティーポットに入っているからおかわりが必要なら言って頂戴」

「ちょっと緊張していたものですから、つい喉が」

 

 そう言って舌をペロッと出す姿はとても可愛らしかった。思い返すと静馬が付き合うのは可愛いタイプの子ばかりの気がする。そう考えると私にはチャンスなんて元々なかったわね。だってこんな可愛らしい表情、私には出来ないもの。

 

「珍しいのね。千華留さんが緊張するだなんて」

「それは…その~。申し上げにくいのですけど、六条様って私のこと苦手にしてらっしゃるような気がずっとしてたものですから。なんとなく避けられているというか…」

 

 可愛いだけでなく千華留さんは聡明だ。性格の相性があったとしても私や遠森さんが遅れを取るというのはそれだけ彼女が優秀な証である。それにしても痛いところを突かれた。なるべくそういった素振りは見せないように努力してたつもりだったけど。愛想笑いを浮かべながらもきっとこれも表情に出てるわね、と気を引き締める。やはり一筋縄ではいかない相手のようだ。

 

「静馬の元カノだなんてよく名前が挙げられるせいで、静馬の親友である六条様からすると接しにくいのは分かるんですけど…。私としては六条様とは普通に交友関係を結べたらいいなと思っていまして」

「私の方こそごめんなさい。そんなつもりはなかったのだけど」

 

 これではまるで私が嫁を苛める小姑のようではないかと思い、つい苦笑いを浮かべてしまう。嫉妬しているのは事実だが千華留さんを苛めるつもりはさらさらない。仲良くできるに越したことはないのでそう言ってくれるのはありがたかった。

 

「本当ですかっ?実は六条様と打ち解けようと思って遊びを考えてきたんです。今からいかがですか?」

「遊び?」

「ええ。今度ルリムに演劇同好会を作るのでそれにヒントを得た遊びです。六条様は目を瞑って座っていて下さるだけで大丈夫ですので」

 

 演劇同好会ね。千華留さんがルリムで大量の同好会を作ってるのは知ってるけど…。たしか数日前にも何か立ち上げたばかりだったような。ルリムって本当に自由なのね。それとも生徒会長の特権か何かで押し通してるのかしら?

 

 そんな疑問を浮かべつつも私は千華留さんの提案を喜んで受け入れた。というよりもこの流れの中で断ろうものなら印象があまりにもよろしくない。どんな遊びなのかは見当もつかないが乗っておくのがベターだろう。

 

「目を瞑って座っていればいいのね?」

「ええ、お願いします」

 

 言われた通りに目を瞑って待つ。この時の私は千華留さんの計画に乗せられているとも知らずに無邪気に目を閉じてしまった。これでいいのかしら?なんて尋ねてたのは僅かなワクワクもあったからだろうか…。目の前で千華留さんの浮かべた笑みを見ていればすぐにでも部屋から逃げ出したというのに。

 

「じゃあ始めますけど絶対に目を開けてはダメですからね」

 

 その声を合図に遊びが始まった。といっても私は目を瞑っているので耳に神経を集中させて音を聞くことくらいしか出来ない。どんな遊びかは相変わらず見当もつかないがまぁそのうち分かるだろう。

 

 そんな私の後ろでコツッ、コツッと千華留さんが歩き始めた。注意深く聞いているとその音が次第に変化していくのが分かる。

 

(なにかしら?なんだか不思議な感じ。この足音って…もしかして静馬の?また真似をしてるのかしら?)

 

 足音の変化はなおも続き、それはやがて『静馬』のものになった。こうして音だけ聞いていると本当に静馬が後ろを歩いているみたい。でもどうしてこんなことを?誰を真似ているかを当てるゲームなのかしら?と私は推測を立ててみる。

いや、ここは真似ではなく演技と言った方が良いのだろうか?演劇同好会なのだからそうした方が千華留さんは喜びそうだ。

 

 そんな私の思考を知ってか知らずか、千華留さんは私の真後ろでピタリと足を止めた。

 

(今度は誰か別の人に化けるのかしら?遠森さんとか面白そうだけど)

 

 私がくだらないことを考えていると、背後からスルリと伸びてきた手が私を優しく包み込んだ。

 

 何かしら?と不思議に思い首を傾げていると、敏感になっていた耳元へと千華留さんが顔を寄せてそっと囁いた。

 

「深雪。ねぇ…深雪」

 

 その瞬間私はビクッと身体を震わせた。別に突然耳元で囁かれたからではない。似ている。そう思ったからだ。声や話し方、それに腕の絡ませ方といった仕草も。花園静馬に。

 

(驚いた。こんなにも似せられるものなの?これじゃまるで、千華留さんじゃなくて静馬が後ろにいるみたい)

 

「千華留さん…よね?」

 

 これは一体何の確認なんだろう?自分でも滑稽だったけど、それでも確認したくなってしまったのだ。後ろにいるのが千華留さんなのかどうか。静馬のわけない。そんなことわかりきっているのに。

 

「ひどいわ深雪ったら。私のこと忘れてしまったの?」

「ま、待って。あまり耳元で喋らないで。息が…耳に」

 

 千華留さんの吐息が耳に当たる度に否応なしに背中にゾクゾクとしたものが走ってしまう。生理現象だから仕方ないとはいえ、少し恥ずかしい。耳ってこんなに敏感だったかしら?私がぼんやりとそんなことを考えながら数回やり取りを重ねるうちに、千華留さんの演技はその精度を増していった。恐ろしいほどに。

 

 静馬そっくりの声や仕草、手から伝わる体温によって次第に私の中の静馬と千華留さんの境界が曖昧になっていく。気を抜くとつい静馬と呼びかけてしまいそうな…。あれ?私…。

 

「覚えてる?あなたがいちご舎に入ったばかりの時ホームシックにかかって泣いていた時のこと」

「えっ…?どうしてそれを…」

 

 それは静馬しか知らないはずのこと。私がまだ1年生の時の、千華留さんはまだこの丘に来てすらいない時の出来事。あの時の私は静馬の後ろをくっついて歩いてたっけ。

 

「もう、寝ぼけているの?あの時泣いていたあなたを連れ戻したのは私なのよ。一緒のベッドで添い寝までしてあげたのに。薄情ものね」

 

 懐かしい。私にとってはとても大切な思い出だけど、そうか…よかった。覚えていてくれたんだ。

 

「あっ、私ったら。ごめん…なさい。━━『静馬』━━」

 

 そうだ、今私の後ろにいるのは『静馬』だ。だってそうじゃないと…辻褄が合わないのだから。

 

「深雪は私といるの…楽しい?」

「ええ、もちろん」

 

 頭がボーッとする。まるで夢の中にいるみたいにふわふわと気持ちがいい。ああそうか。『静馬』の腕に抱かれているからか。だから心地がいいんだ。

 

「そう、なら嬉しいわ。私も深雪といると楽しいもの」

「ほんと…んっ!?」

 

 『静馬』が私の耳にツーッと舌を這わせると吐息とは比べものにならない感覚が背中を走り回っていく。その気持ちよさに私は思わずスカートを握りしめていた。

 

「ごめんなさい、驚かせちゃった?」

「うん、少し。今まで『静馬』は私にこんなこと…してくれなかったから」

 

 そう、今まで一度もこんなことはしてくれなかった。私は密かにして欲しいと思っていたけど…そんな素敵な出来事は起こらなかった。あったとすれば、それは私の妄想の世界の出来事で。静馬と恋人だったらなんて前提で始まるおとぎ話のはずだった。でも今、それは現実となっていて、『静馬』が私を抱き締めている。

 

「深雪は私にこういうことして欲しかったんだ?」

「あっ、その。今のは…」

「いいのよ。恥ずかしがらないで」

「それより『静馬』こそ、いいの?」

「何が?」

「その…『静馬』は私のことなんて…これっぽっちも…想ってくれてないのかと」

「バカね。そんなわけないじゃない。深雪が私のために頑張ってくれてること、私ちゃんとわかってるつもりよ。生徒会に入ったのも、生徒会長になったのも、ね?」

「し、『静馬』っ?いくらなんでもそれは自惚れ過ぎよ…」

「あら、そうなの?私てっきり深雪はミアトルのためじゃなくて私のために頑張ってくれてるのかと思ってたわ。深雪は私よりもミアトルの方が大事なのね。ざ~んねん」

「ち、違うわ…私はっ」

 

 静馬より大切なものなんて、世界のどこを探したって見つかりっこない。それにミアトルの方が大事だなんて思われたく…ない。私はそんな無機物みたいな人間じゃない、そう言いたくてつい。

 

「なぁに?」

「えっと、あの私…。『静馬』の方が大切よ。ミアトルよりも。私が頑張ってきたのは全部、全部…『静馬』のためだもの」

「ありがとう。素直な子にはご褒美をあげないとね」

「ご褒美?」

「ええ」

 

 そう言うなり『静馬』は私の耳を唇で優しくついばみ始めた。それはまるでキスのようで。

 

「んんっ!?んっ…く」

 

 唇が耳に触れる度にピクンピクンと身体が跳ねる。幸せと共にゾクゾクとした快楽が背中を這いずり得も言われぬ感情が私を支配していった。もっと、もっとして欲しい。素直にしてたらもっとしてもらえるんだろうか?

 

「『静馬』は私のことどう…思ってるの?『静馬』にとってはやっぱり友達のうちの一人でしか…ない?」

 

 今なら聞けるかもしれない。ずっと気になっていた疑問の答えを。少し声が震えたけどちゃんと言えた。ちゃんと…聞けた。

 

「なぁに。不安になっちゃった?」

「私は『静馬』のことその…親友だと…思ってるわ。友達の一人じゃなくて特別な存在だと…思ってる。『静馬』は?」

「ダメよ深雪。ちゃ~んとほんとのこと言わないと。今度はお仕置き」

 

 ついばんでいたのを止め、大きく口を開けると『静馬』は私の耳をパクッと口に含んだ。握りしめていたスカートはもうとうの昔にクシャクシャになっている。

 

「んっ…私、ちゃんとほんとのこと。んんっ!?」

 

 『静馬』は答えることなくそのまま私の耳を舐り続ける。吐息に、舌に、今度は唾液の音まで加わって『静馬』は私を追い詰めていく。

 

「『静馬』やめっ。んっ…、んっ」

「やめてあげない。言ったでしょ、お仕置きだって」

 

 そして『静馬』は存分に弄んだ私の耳にトドメを刺すかのように…甘噛みをした。

 

「あぁっ!?くぅ…んっ」

 

 みっとないもない声を漏らし大きく身体を仰け反らせる。もう手遅れなことはわかっていたけど、それでも手で口を覆わずにはいられなかった。フゥッフゥッと肩で息をしながら快楽の波が身体を通り過ぎるのを待つ。それは何度かビクッビクッと私の身体を震えさせた後、ようやく収まった。それでもまだハァッハァッと呼吸は荒いままだ。気持ちよかった。それしか言葉が思いつかないくらいに。『静馬』の歯が優しく食い込んだ部分がまだジンジンと熱を帯び、時折快楽の余韻が小さな波としてやってきた。

 

「私好きよ、深雪のこと。でなきゃこんなことしないわ。だから深雪も本当のこと素直に言いなさい」

 

 真っ白になった頭に、たった一つの単語が木霊した。壊れたラジカセみたいに、それが何度も何度も頭の中で再生される。『静馬』の口から出た好きの一言で私の心は満たされていった。これは本当に現実なのだろうか?そう疑ってしまうと壊れてしまいそうな気がして…。

 

 だから聞き返す代わりに私も…、素直に。

 

「私も好きよ…。『静馬』のこと。大切に想ってる」

 

 自分としては最上級の表現をしたつもりだった。これ以上になく素直に…。でも『静馬』はちょっと意地悪で。

 

「深雪の好きはどんな好きかしら?知ってるでしょ、好きにも色々あるって」

「『静馬』?」

「知りたいの。深雪の好きは友達としての好き?それとも、一人の女の子としての…愛してる?」

「そ、それって」

 

 顔が熱くなる。『静馬』の言っているのはもしかしなくても、そういうことだ。私の好きはもちろん…。

 

「深雪は私とキス…できる?女の子同士で、遊びでも冗談でもない、本気のキス」

 

 驚いた。そういう対象とは見てくれてないものだと思っていたから。まさか『静馬』が私にこんなことを言ってくれるなんて…。

 

「い、言えないわっ。そんなこと」

 

 嘘だ。ほんとはできる。ううん、できるなんて言い方は間違ってる。『静馬』とキス…したい。そう想ってた。

 

「イヤ?私とキスするの」

 

 そんなわけない。そんなこと…あるわけない。でも口に出すのは恥ずかしくて、返事の代わりに頭をフルフルと振った。

 

「じゃあ深雪の好きは愛してるの方かしら?」

 

 今度は顔だけじゃなくて身体中がカァッと熱くなった。血液が凄い勢いで駆け巡り体温を上げていく。心臓の鼓動は早鐘のように鳴り響き、呼吸は運動した後みたいに浅くなった。口の中の唾だって碌に飲み込めやしない。身体が自分のものじゃないみたいだ。

 

「ちゃんと口にしないとダメよ。想いは秘めてるだけじゃ伝わらないもの」

 

 私の背中を押すような『静馬』の囁きはとてつもない甘美な誘惑だった。ほんとにいいのだろうか?口に出しても。好きなら、まだ友達とか親友に対して言ったって取り返しはつく。じゃあ、愛してるは? とても友人に向けて言う言葉ではない。

それを一度口にしてしまえばもう元の関係には戻れない。そういう類の言葉だ。それが受け入れられようとそうでなかろうと。

 

「聞かせて。深雪のほんとの気持ちを」

 

 でも今は『静馬』がそれを望んでいる。私の想いを聞かせて欲しいと。こんなチャンスはもう2度と来ないだろう。今を逃したらきっとあっという間に卒業を迎えて、私はすぐに許嫁と結婚することになる。そしたらもう言う機会は一生訪れやしない。なら、今日ここで…。

 

「『静馬』私、私、あなたのこと…愛してる。━━『静馬』のこと愛してるわ━━」

「嬉しい。嬉しいわ深雪。あなたが私のことをそんなに想っていてくれて」

 

 『静馬』の手が胸の前でキュッと交差し、私をより強く抱きしめる。それはなんだかもう離さないと言われているかのようで私の目に涙が溢れた。伝わったんだ。私の想いは。

 

「よく頑張ったわね。偉いわ深雪。だからとっておきのご褒美を、ね?」

 

 抱き着いてきた時と同様にスルリと離れた『静馬』が私の顎に手をかけた瞬間、その意図に気付いた。キスしてくれるんだ。私がちゃんと素直に出来たからとっておきのご褒美として。私は目を瞑ったまま『静馬』の方へと向き直りその時を待つ。初めてのキスの瞬間を。顔も知らぬ許嫁ではなく静馬に捧げられる喜びに、私は満ち溢れていた。

 

 『静馬』の顔が近付いてくるのがわかる。ゆっくりと、でも確実に。緊張した私は両の手を固く握りしめていた。これで、私も静馬と結ばれる。ずっと。ずっとずっとずっと好きだった。愛していた静馬と…。

 

 

(六条様きっと初めてね、キスするの。さすがに私がそのお相手になるわけにはいかないし。ここら辺が頃合いかしら。恋する女の子って感じでとても素敵でしたよ。六条様)

 

 千華留はテーブルに置かれたカップに狙いを定めると、その手を引っ掛けた。カップはガチャンという音を立ててあっけなくひっくり返る。舞台はもう終盤に差し掛かっていた。あともう少し。

 

(思ったより悪女役向いてるのかしら?フフフッ。同好会を立ち上げたら最初の演目は本当にカルメンにするのもいいかもしれないわね)

 

 

 

 ガチャンという音が部屋に響いた。どうやら『静馬』が机のカップをひっくり返したらしく、カップから零れた紅茶が溢れ出していく。

 

「『静馬』?大丈夫?」

 

 私が反射的に目を開けたその瞬間━━━魔法が解けた━━━

 

「千華留…さん?」

 

 私の目の前にいたのは紛れもなく千華留さんだった。

 

「私もまだまだね。こんなミスをしてしまうなんて」

 

 『静馬』は…いない。目の前にいるのは千華留さんだけだ。私が愛を告げた『静馬』はどこにもいない。

 

「あっ…あっ…。うそ、私…」 

 

 信じられない。信じたくない。椅子から立ち上がった私は口を手で押さえながら後ずさりを始める。嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ。

 

「魔法が解けてしまったみたいですね。ご気分はいかがですか?六条様」

「いやっ。こんなの嘘よ。だって私、静馬と…。いや、いやよ、こんなのいやぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

 

 部屋に私の絶叫が響き渡った。どうして?どうしてどうしてどうしてなの?どうして私はあんなことを!千華留さんに静馬を重ねて、取り返しのつかないことを…。口にしてしまった。静馬への想いを。知られてしまった。静馬への愛を。全部。全部全部全部知られてしまった。

 

 必死で隠していたのに。誰にも気付かれてはいけなかったのに。その全部を。よりにもよって千華留さんに…。

 

「愛しているんですね、静馬のこと」

「あっ、ああ、ああああああああ!」

 

 どうしよう?どうすればいい?私はどうすればいいの?教えて、静馬。助けて!助けて助けて助けて!助けて静馬…、

 

 頭を抱えて取り乱す私を千華留さんはじっと見つめていた。とても冷たい目をして。

 

「いつ?いつから気付いていたの?だってそうでしょ。あなたは最初からこのために」

 

 そうだ。知られたんじゃない。知っていたんだこの女は。私が静馬のことを好きなのを

とっくに知っていて。許せない。こんなこと許せるわけない。

 

「私の気持ちを知っていて…それを弄んで。悔しい。こんな屈辱的なことって。あなたはさぞ楽しかったでしょうね。私が想いも告げられずに静馬の横でただじっとしてるのを静馬の隣で眺めていたのだから。私が、私がどんな気持ちで静馬の傍にいたかなんてあなたにはわからないでしょうね。静馬と付き合っていたあなたには」

 

 必死で責める私の声などまるでそよ風だと言わんばかりに、千華留さんは澄ました顔で受け流し、ただ一言。

 

「━━臆病者━━」

 

 私の声のトーンに対して、それはあまりにも低く冷たいものだった。予想外の反応に私は戸惑いを隠せない。千華留さんを責める勢いは寸断されていた。

 

「なんなんです、それ?私より先に静馬に出会って、先に好きになったんですから言えばよかったじゃないですか?ただ一言、好きと。その努力をしなかった癖に私にあたるのはやめていただけませんか。みっともないですよ六条様ともあろう御方が」

 

 正論だった。いや、自分でだって気付いていた。私にほんの少しの勇気があればそんな選択もあったんじゃないかと。ただただ静馬が色んな彼女を作っていくのを眺めるだけじゃない世界もあったのではないかと。でも認めるわけにはいかなかった。どれだけ正論であったとしても、気持ちとして。

 

 歯をギリギリと食いしばりながら、千華留さんを睨みつける。こんなことしたってどうにもならないけど、何もしないのも癪に障った。

 

「今度は睨みつけてだんまりですか。ミアトルの生徒会長さんも堕ちたものですね」

「ミ、ミアトルの役職と私は関係ないでしょう」

「あぁそうですよね。ミアトルのために、だなんて繰り返してた口癖も嘘っぱちでしたものね」

 

 そう言って千華留さんは失笑するような仕草をして見せる。演技なのか本当なのか、私にはもう判別がつかない。

 

「なっ!?くぅっ!」

 

 言い返したくても言い返せない。その悔しさに私は爪が食い込むほどの力で拳を握りこむ。

 

 思い返せばミアトルのためにという言葉を私は何度口にしただろう。生徒会のメンバーに向けて、一般の生徒に向けて、他校の生徒に向けて。時には自分自身に言い聞かせるように。頑張ってこれたのはこの言葉のおかげだった。私を支えてくれた魔法の言葉。

 

 けど本当は…。私が頑張っていたのはミアトルのためではなく静馬のためで。静馬へ秘めた想いをこの言葉にすり替えて…口にしていたのだ。臆病で直接言えないからせめてもの慰めに、言葉を偽って。

 

 そのことを千華留さんは知っている。私の口から直接聞いたのだから。私が言ってしまったのだから。魔法の言葉は魔力を失い、これから先私を助けてくれることはないだろう。自分の立っていた足場が音を立てて崩壊していくようなそんな錯覚に襲われる。

何か言い返したい。少しでもいいから反撃したい。なのに…。

 

「あら?もうこんな時間。楽しいお遊びでしたけどそろそろ失礼させていただくわ。フフフッ、帰りに静馬のとこにでも寄っていこうかしら。まだ温室に居るといいんだけど」

「えっ…?」

 

 それを聞いた瞬間、顔がサァッと青ざめていくのが自分でもわかった。今、なんて?静馬のところに?なんで?何のために?そんなの決まってる。私のことを…言うつもりだ。

 

「ま、待って。待ちなさい!」

 

 後のことなど考えずとにかく必死で呼び止めた。そうしなければ全てが終わってしまう。

 

「まだ何か御用でも?」

 

 止まってくれたはいいものの、頭の中はパニックで考えが全然まとまらない。どうする?高圧的に出る?でも弱みを握られているのは私の方で千華留さんを脅せる材料なんて一つもない。なら下手に出る?頭を下げれば考えてくれるかもしれない。

 

 悔しいけれど反撃何てもってのほかで、私に切れるカードなんてそれくらいしか残っていなかった。

 

「千華留さん、待って頂戴。お願い、今日のこと静馬には…言わないで。お願い。お願いします」

 

 そう言いながら私は深々と頭を下げた。千華留さんの恩情に縋りつくしかない。たとえ普段の頭が冴えてる時だって他の選択肢はなかったに違いない。それくらい絶体絶命の状況だった。

 

「六条様のお願いを聞く理由が、私には見当たらないのですが」

「そんなことわかってる。だからこうして頭を下げているのよ。こうするしか…ないから」

「はぁっ…。情に訴えるおつもりですか?いつもの六条様ならせめて交渉材料の1つくらいは用意していたと思いますよ」

 

 こうなってしまうとあとはもう、あれしかない。出来ることと言ったらあれくらいしか…。

 

「な、何でも…言うことを…聞くわ。それで、どうかしら?」

 

 震える声でそう言った。言ってしまった。いや、言わされてしまった。もう後には引けない。何を言われても従うしかない。

 

「へぇ?じゃあ服を1枚ずつ脱いでくださいと言ったら、そうなさるんですか?」

「っ…。千華留さんらしくない発想ね」

「するんです?しないです?」

 

 そう言われて私は再び奥歯を噛み締めた。こんな破廉恥なことを言ってくるなんて…。女の子同士といってもお互いそういうタイプである以上、意識しないわけがない。そういう目で見られるなら、当然羞恥心が込み上げてくる。目の端に浮かんだ涙で視界がぼやけてきた。こんなことって…。

 

「それが、お望みなら」

「フフフッ。なりふり構わないのね。そんなに静馬に知られたら困るの?」

「静馬に嫌われたら私はこの丘にはいられないわ。静馬は私の全てなのよ」

 

 千華留さんには知られているのだから隠す必要なんてない。静馬は私の全て。それは紛れもない事実だ。静馬の傍にいられないなら、この丘にいたって何の意味もない。ましてや、嫌われることにでもなったら…。

 

「それ、静馬に直接言ってはいかがですか?きっと喜ぶと思いますよ。だって今のセリフ、愛の告白同然ですもの。そうだわ、これって良いアイデアじゃないかしら?そうすれば私の言うことなんて聞かなくて済みますよ、六条様」

「からかわないで!出来ないからこのザマなんでしょう。今こうしてあなたに縋りついて………。千華留さん。聞いているの、千華留さん?」

 

 そう言いかけた私の前で千華留さんはブツブツと呟き始めた。時折首を傾げたりしながら歩き回る。一体どうしたのかしら?名前を呼んでも反応しないし。でもこれだけは分かるわ。きっと私にとって良からぬことを考えている。私が何もできずに立ち尽くしていると千華留さんは突然ポンッと手を叩いて振り返った。

 

「フフフッ。とても面白いことを思いついてしまいました。服を脱いでいただくよりもずっと楽しいことを。きっと六条様にも喜んでいただけますわ」

 

 絶対に嘘だ。きっと私を苦しめるためのアイデアに違いない。身構える私の前で千華留さんはにこやかに言い放った。

 

「━━静馬に告白なさってください━━」

 

 えっ…?今、なんて?

 

「静馬に告白することが、私が静馬に内緒にすることの条件です。どうです?面白いと思いませんか?」

「ふざけないで頂戴。そんな要求飲めるわけ」

 

 私は静馬に内緒にして欲しくて何でもすると言ったのに、その条件が自ら静馬に伝えることとは。一体この条件は何なのだろうか?私からすればどちらを選んでも、静馬に私の想いが伝わることになる。これでは何の意味もなくなってしまう。千華留さんは何を考えているのだろう。

 

「それでしたら今すぐにでも静馬のところに行くだけですわ」

「ま、待って。土下座しろと言うなら土下座するし。靴を舐めろと言われれば舐めるわ。だから…他のことに」

 

 千華留さんの狙いがわからないまま、とにかく翻意させようとする。しかし…。

 

「私、意地悪で憎たらしい女ですから。きっと静馬に伝える際にはあることないこと脚色がついているでしょうね」

「まさか…あなた」

 

 ある考えが私の頭の中をよぎった。それはとても信じがたいもの。

 

「もし私の口から話したら六条様は静馬にとても嫌われてしまうかもしれません。それこそ卒業まで二度と口をきいてもらえないかも。お可哀想な六条様」

「私の退路を断つために…」

 

 千華留さんの行為が私への嫌がらせではなく、私のためという考え。私のためは言いすぎかもしれないけど、少なくともマイナスの感情ではなく。

 

「それが嫌ならご自分の口でおっしゃってください。静馬に愛していると。少なくとも私の口から伝わるよりかはマシかもしれませんよ」

「私自身が人質というわけね」

 

 もしそうだとしたら、私はなんと滑稽なのだろうか。いや、千華留さんからすれば上手く踊ったと言うべきか。

 

「理解が早くて助かりますわ。流石六条様」

「あなたには敵わないわ。天下の源千華留さん」

「どうです?嫌われるにしても、その方がご納得できるのでは?」

 

 ようやくわかった。千華留さんの目的が。最初から私に想いを伝えさせることが狙いだったんだと。それで千華留さんに何の得があるのかは私にはわからない。面白い見世物として見物したいのか、単なるおせっかい焼きなのか。それとももっと別の何かがあるのか。

 

 一つ言えることは私は千華留さんの掌の上で転がされていたということだけ。

 

(玉青さんの時とは逆ね…。何一つ覆せないなんて。でも…これだけ見事に嵌められたら、素直にお手上げするしかないわね)

 

「卑怯よ、こんなやり方。悪魔的な発想だわ」

 

 そう口に出しつつも私の中の千華留さんへの敵意は、すでに霧のようにどこかへと消えていた。千華留さんもそれを感じ取ったのだろう。威圧的なオーラが消えているのが私にも分かった。

 

「私は別にどちらでもかまいません。選ぶのは六条様ですもの。ちなみに私は、ご自分の口で言う方をおすすめしますけど」

「臆病者の私に、告白する理由を作ってくれたってわけね。これでもう私はフラれたらだの、嫌われたらだのと言い訳することも出来やしない」

 

 私の反応に満足したのか千華留さんは大きく頷いた。そして大袈裟に両手を広げポーズを決める。目には見えないスポットライトを一身に浴びながら。

 

「━━さあご決断を!━━」

 

 私もそれに応えなければならない。大女優の素晴らしい演技に。

 

「告白するわ、静馬に!自分の口で想いを伝える。私の気持ちは私のものだもの」

 

 舞台の幕が下りる。拍手はもちろん鳴り響かない。けれどまだ、舞台の上には私と千華留さんがいる。ここから先はさしずめカーテンコールだろうか。

 

「素敵ですよ六条様。惚れてしまいそうなほどに」

「笑えない社交辞令ね」

「あら、ダメですか?案外私と六条様なら良いカップルになるかもしれませんよ」

「私が好きなのは静馬だけだもの。今は静馬しか見えないわ。フラれたら考えてもいいけれど」

「それがいいですわ。では今度こそ本当に失礼させていただきます。健闘をお祈りしています六条様。ごきげんよう」

 

 最後に何か一つ、千華留さんの予想を裏切りたい。といってもこれも彼女の掌の上の出来事かもしれないが。立ち去ろうとする彼女の背中に声を掛ける。

 

「待って」

「?」

 

 呼び止められるとは思っていなかったのか千華留さんははてなマークを浮かべた。

 

「下の名前で呼んで頂戴。流石に呼び捨ては困るけど。遊びのお礼よ」

 

 私の言葉に千華留さんの顔がパァッと輝いた。その顔は女優ではなく、一人の少女の顔で。

 

「ごきげんよう。千華留さん」

「ええ、ごきげんよう。深雪さん」

 

 私が言い終わると共に、千華留さんの姿は扉の向こうへ消えていった。最後は可憐な少女の姿で。舞台にはもう私しかいない。

 

「紅茶、片付けなくてはいけないわね」

 

 

 

(さてと、私の役目はこれでおしまい。後は自分で歩いて下さいね、ろくじょ…。ううん、み・ゆ・きさん♪フフフッ深雪さんかぁ。なんだかとても良い響きだわ。嫌われることを覚悟していたけど、そうならなくて本当によかった。そうそう、次の役はやっぱり悪女じゃなくてお姫様にしようかしら?私もか弱い女の子だもの、な~んてね)

 

 一人の少女が廊下を歩いていく。颯爽と、かつ可憐に。蝶を模した2つのリボンを揺らしながら。少女の道のりは始まったばかり。けど、たしかに今日踏み出した。最初の一歩を。

 

 

 




※改行だけ入れました。





 いかがでしたでしょうか?今回は千華留ちゃんと深雪さんのこってり濃厚回でした。
静馬に化けた千華留ちゃんですが、深雪さんが誤認している際には『静馬』と『』をつけて表記をしてみました。
区別をつけることでより誤認してる感が出ていたら良いのですが…。どうでしょうか?
ごちゃっとして読みづらいと感じた方がいらっしゃったら申し訳ありません。


 <その女、悪女につき>こちらなぜカルメンかというとアニメ版のとある回で千華留ちゃんがカルメンを演じたということからカルメンにしました。深い意味はありません。
アニメ見てないとなぜカルメン?ってなったと思います。劇中劇なんですがこのカルメンを演じてるシーンの千華留ちゃんがとても素敵でした。
なかなかセクシーな衣装を着こなし、目つきもキリッとしていてそれまでの劇中のイメージとはガラッと異なっていたことから驚いた方も多かったのでは?
少女の可憐さと悪女の顔、その二面性に加えてミステリアスで掴みどころのない性格と属性もりもりですね。



 続いて<臆病者と『静馬』の仮面>深雪さんにスポットを当てた話になっております。
私のアニメ版ストパニの好きなキャラトップ3が玉青ちゃん、夜々ちゃん、そして深雪さんです。最近千華留ちゃんの追い上げが凄いですが…。
それはさておき深雪さんは廊下の少女の回でのギャップであったりとか静馬様にキスされて平手打ちしたり。
さらにはエトワールの証のところ等々で予想以上にスタイルが良くて、え?これ静馬様よりあるんじゃないの?ってなったりとか結構目立っていたキャラだと思います。
アニメ自体がミアトル配分多めだったのでそもそも登場回数も多かったですしね。
なので結構ファンも多いじゃないかと予想してるんですがどうでしょうか?
私の脳内では静馬よりグラマーという認識ですね。一見お堅い生徒会長が実は…みたいな。
まぁ深雪さんの場合は制服着てても大きいですけど。


 そういえばふ〇ば掲示板の百合スレでストパニの名前が挙がっていたのをこの前見かけました。自分以外にもこの作品好きって人がいると安心します。
ストパニと同じく公野櫻子さんが携わったシスタープリンセスは可憐ちゃんとかで盛り上がってますし、何か来ないだろうか…。
そんなわけで次章も見ていただけたら嬉しいです。それでは~。


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第5章「ごちそうさま」

■あらすじ
 渚砂と玉青の2人に隣室の紀子と千早も加えた合計4人でのお茶会。今回は千早お手製のお菓子が食べられるということもあり開催前から盛り上がる参加者たち。しかし紀子の不用意な発言のせいでなにやら不穏な空気になってしまう。不安を残しつつも開催されたお茶会は波乱の展開が待っていて?
 果たしてミアトル随一の仲良しコンビを待つ結末とは!?


 仲が良すぎてトラブルメーカーな紀子と千早の人騒がせな一日をギュッと3話でお届けします。


■目次

<Dear紀子>…竹村千早視点

<カップケーキは雄弁で>…涼水玉青視点

<返信>…水島紀子視点


<Dear紀子>…竹村千早視点

 

気付けばいつも隣に紀子がいた。幼稚園の時も、小学校の時も。

そして中学に上がって発表されたいちご舎の部屋割りでも紀子と一緒だった。

部屋割りが記載されたプリントを見た時は二人して抱き合って喜んだっけ。

私にしては珍しくはしゃいでぴょんぴょん跳ねまわったのを覚えている。

あれからもう3年か。

あっという間だった気もするし、そうでもなかった気もする。

ただ変わらないのは今も私の隣には紀子がいるということだ。

 

 

 

「今日は弓道部の朝練がある日でしょ。よかったらこれ、朝練の後お腹空いたら食べて」

「おおっ!ありがと。朝食食べ過ぎると動けないし、かと言って軽くしてもそれはそれで動けないしで難しいんだよね~」

「試しに甘さ控えめにしてみたから糖分も多少はマシなはずよ」

 

 私からクッキーの包みを受け取った紀子はそれをカバンの中にしまい込んだ。相変わらず荷物が多い。まぁ弓道部だから仕方ないと言えば仕方ないけど、私だったら絶対にめげてると思う。

 

「そうそう千早。明日のお茶会のお菓子、しっかり頼んだわよ!隣の二人がビックリするくらい美味しいやつ、よろしくね」

「まったくもう。自分は作らないくせに安請け合いして~。考えるの大変なのよ」

 

 お茶会とは隣室の玉青さんと渚砂さんが持ち掛けてきた秘密のイベントのことだ。なんでお茶会が秘密のイベントかって?まぁ聞いて下さいよ。注目はその開催時間。なんと消灯時間を過ぎてから見回りのシスターを避けつつひっそりと行うのだ。もちろんバレたらまずいけど、バレなきゃいいわけで…。時には布団を被ってやり過ごしたりとこれがなかなかにスリル満点で面白かったりする。美味しいお茶とお菓子にスリルが加われば自然と会話も盛り上がるというわけだ。

 

 お茶はいつも玉青さんが美味しいのを淹れてくれるから、お菓子の用意は専ら他の参加者の担当ということになる。参加者は私と紀子以外にも4人ほどいて、ミアトルの1年生が一人に、いつの間に仲良くなったのかスピカの子が三人だ。私たちは残念ながら紀子の朝練の関係でそう頻繁に参加できないけど、今回のように都合が合えば参加することにしている。

 

 明日は私と紀子の参加5回目ということで、その記念にと紀子がお菓子を自作して持っていくと言い出したのだ。私に相談もせずに。まぁ私も料理部に入っているからそれくらいなら…とOKしてしまったわけなんだけど。実はまだ…何を作るのかも決まってなかったりして…。

 

「ねぇ紀子。あんたは何か食べたいものある?」

「う~ん。今クッキー貰ったからクッキー以外なら何でもいいよ。千早のお菓子どれも美味しいし、何でも大丈夫じゃない?」

「はいはい、そりゃど~も。せいぜい頑張りますよ」

 

 何かコレってリクエストしてくれたらよかったんだけどなぁ~。

当てが外れた私は、いってきま~すと元気よく出ていった紀子を見送り、レシピノートを片手に何を作ろうかと悩み始めた。適当にめくってそのページのものでも作ろうかな?いやいや、隣の二人も食べるんだし。

 

 今回の参加者は私たちと隣の二人の計4人ということもあり多少手間が掛かっても何とかなりそうなのは幸いだ。これで8人分用意するとかになっていたらちょっと厳しかった。とはいえう~ん。意外と悩ましい。そんな感じで部屋の中を行ったり来たりしながらパラパラとノートをめくっていた私の手があるページでピタリと止まった。

 

「カップケーキかぁ~。これならお茶会でも食べやすいしいいかも。紀子の大好物だし」

 

 そうだ、これにしよう。ホイップクリームやチョコソースを添えれば味も変わるから飽きないし、なにより作り慣れてるから失敗する心配が少ない。たしかカップケーキ用の可愛らしい模様の型があったはずだからそれを使えば見た目も問題ないだろう。

 

 一旦作るものが決まってしまうと頭の中に次々と作業工程が浮かんでいく。料理ってそういうものだ。この作業量なら添えるソースをもう一つくらい増やしても大丈夫かな?なんて余裕まで出てきちゃう。今日試作して部のみんなに味見をしてもらっておけば明日の準備は万全になる。

 

「ようしっ。一丁頑張りますか」

 

 そこでふと私の中に疑問が浮かび上がった。前々から気になってはいたんだけどついつい聞きそびれてしまっていた疑問が。

 

「紀子ってなんでカップケーキが好きなんだっけ?」

 

 いつも美味しそうに食べていたのは覚えてるんだけど、なんで好きかはよくわかってない。まぁいいか。紀子の好物なのは間違いないし。

 

 隣の二人も喜んでくれるといいなぁ~。私はそう思いながらノートをカバンにしまうと材料のチェックのために学校へと急ぐのだった。

 

 

 

 

 

 

「あれ?お守りの位置が…変わってる」

 

 部室で着替えようとした紀子はある異変に気付いた。それはとても些細な変化。だけどとても大切なこと。弓を引く際に時折胸当てに引っかかって邪魔をしていたお守りの位置がいつの間にか直っていたのだ。

 

「な~んだ。ちゃんと私の背が伸びてたことに気付いてくれてたんだ。でもいつ直したんだろ?洗濯で渡した時かな。ほ~んと、何にも言わなくたって気付いてくれるんだからなー千早は」

 

 黙っていても親友が気付いていてくれたことに満足し、紀子の顔はついついにやけていた。

 

「以心伝心ってやつかな。まぁ私と紀子の仲だしね。ん~この分だと、お菓子作りは邪魔しないように引っ込んでたほうが良さそうかな?」

 

 

 

 

 

 

 くぅ~。さっきまでは晴れやかな気分だったのに…。紀子のやつ~。調理室でのチェックを終えて教室に来た私はまさかの事態に困惑していた。

 

「明日のお菓子は千早さん特製のスペシャルなもので、味もスイーツ店に引けを取らないからお楽しみにって。ねっ玉青ちゃん」

「ええ、まぁ。あの~紀子さんはそう言っていましたけど、そこまで凝ったものでなくて大丈夫ですからね?作る手間や材料費のこともありますし」

「た、玉青さんだって高い茶葉とか使っているじゃない。お互い様よ、お互い様」

 

 色々と心配してくれた玉青さんに精一杯の虚勢を張りつつ私の頭は紀子への恨みでいっぱいになっていった。

 

 まさか紀子が二人に対してこんな大法螺を吹いていたとは…。一体いつ言ったのかは知らないが私の身にもなるべきだ。そりゃあ料理部なんだし下手とは言わないけどさ。いくらなんでもハードル上げすぎでしょうが。ハードルの横の棒が見えないくらい遥か上空まで上がっちゃってる。渚砂さんは食べるの好きだし、玉青さんは育ちが良さそうだから美味しいもの食べ慣れてそうだし。

 

(紀子のやつが教室来たらとっちめてやる)

 

 そこまで二人に言ったからには紀子だってきっと手伝うつもりのはず。というかこれで手伝わないだなんて言ったら怒るわよ…紀子。

 

 それから少しして朝練を終えた紀子が教室に現れた。私がそんなことを思っているとは露程も知らないまま呑気に笑いながら。

 

「みんなおはよー。あっ千早、クッキー美味しかったよ。この調子で明日もよろしく。そうだ、あとお守りの位置ありが━━━」

「━━━ちょっと紀子。二人から聞いたわよ。あんたなんだってそんな大見得切ったのよ?プレッシャー掛かって大変でしょうが。まったくもう。今日の放課後調理室で待ってるからね?」

「えっ?なんで?」

「なんでって…。手伝いに決まってるでしょ。他に何があるのよ?」

 

 これはまさか、手伝う気ゼロ?いやいやいや、いくら紀子だって私に全部任せっきりなわけないはず。言うだけ言っておいて、じゃああとはよろしくだなんてそんなことは。

 

「あーごめん。部長に練習見てもらう約束しちゃってて、今日は無理かな」

「へ、へー。今日『は』無理なんだ」

 

 私の声のトーンに玉青さんの耳がピクリ、ピクリと反応している。どうやら私の心境を悟ったらしい。このままではまずいと思ったのかすかさず紀子のフォローに入る。

 

「まぁまぁ千早さん。どうか落ち着いて下さい。紀子さんだって今日はダメなだけで本番の明日はきっと、ね?」

 

 チラチラと紀子に目配せして合図を送る玉青さん。相変わらず気配り上手で渚砂さんが羨ましく見えてきた。うちの紀子も少しくらいは見習ってくれないものかしら。

 

「えっと…。明日も、練習…かな」

「紀子っ!?あんたまさか一切協力しないつもりじゃないわよね?

「な、なんだよ~。だいたい隣に居ても私することないし、邪魔なだけでしょ」

「信じらんない。あんだけ渚砂さんと玉青さんに言っておいて自分は知らんぷりってこと?」

「知らんぷりじゃなくて千早を信用してるってこと。任せて安心っていうか」

「あんたってばすぐああ言えばこう言う。こういう時に限って口達者なんだから」

 

 自分でも分かってるんだけどこうなってしまうと私たちはもう止まらない。フォローしようとしていた玉青さんもお手上げ状態で、ただ見つめるばかりだ。ほんとになんでこんなことに…。私と紀子は仲良いはずなんだけどなぁ。

 

「と、とにかく。私が色々お膳立てしてあげたんだから、千早は頑張ってお菓子作ってくれればいいの!」

「お、お膳立てですってぇ?紀子っ!あんたそれ本気で言ってるの?」

 

 さすがにこれにはカチンときた。前から紀子は自分勝手で無責任なところもあったけどここまでじゃなかったのに。いくらなんでも調子に乗り過ぎだ。

 

「千早だったら美味しいの作って当たり前でしょ?とーぜんよ、とーぜん」

「へ、へ~。随分評価してくれてるのね。ありがとう」

 

 ワナワナと私が震えてることにも気づかず無神経なことを言い続ける紀子。そろそろ私も限界だ。

 

「そうよ。私が評価してあげてるんだから感謝しないさいよ。ち・は・や」

「光栄だわ。紀子にそこまで言ってもらえるなんて。明日は頑張るから楽しみにしててね。の・り・こ?」

「あ、あの私で良ければ明日の放課後手伝いに行きますよ?そうだ、渚砂ちゃんも調理室行ってみませんか?まだ行ったことなかったですよね?」

「えっ?う、うん。そ、そういえば調理室行ったことないからこの機会に行ってみたい…かも」

 

 流石にまずいと思ったのか再び玉青さんが渚砂さんも巻き込んでの鎮火を試みてくれる。でも申し訳ないけど手遅れだ。もう既にマグマがドカーンと吹き出してしまっている。紀子だって分かってるはずだ。私は紀子にお灸をすえるべく密かに決意した。

 

「ありがとう二人とも。なんだか私たちの喧嘩に巻き込んじゃって。でも明日は私一人でやるから大丈夫よ。安心して頂戴」

 

 私は二人の申し出を丁重に断った。なんでかって?ちょっと良いこと思いついちゃったんだもの。紀子に向けたとっておきのサプライズを。そのためにはお茶会参加者がいない方が好都合だ。そう思うとなんだか楽しくなってきてしまった。

 

 なにせ作るのは紀子の好物のカップケーキ。これを利用しない手はない。先程同様に頭の中でレシピを組みあげていく。目指すは見た目が寸分違わぬ塩たっぷりケーキ。私から紀子への戒めを込めたとっておきのメッセージだ。

 

 覚悟してなさい紀子。お望み通りとっておきのお菓子を振る舞ってあげるから。ふふふふふふふふ。

 

(ああ、千早さん。全然目が笑ってない。これは…波乱の予感ですわ)

 

 

 

 

 

 

 

<カップケーキは雄弁で>…涼水玉青視点

 

 結局何もできないままにお茶会当日の夜を迎えてしまいました。

 

(大丈夫でしょうか、千早さん。正直心配なのですけど)

 

 もしもの場合に備えて一応日持ちするお菓子を用意してはあるが、千早さんがちゃんと作ってきてくれるに越したことはない。というかそうであって欲しい。今日見た限りでは険悪なムードではなかったけど、あまり自信はない。どうみても紀子さんに対して不満を募らせていたから変な風に爆発しないといいのですけれど。

 

「楽しみだね~玉青ちゃん。千早さんどんなお菓子作ってくるかな?」

「渚砂ちゃんったらさっきからそればっかりですね」

「だって待ち切れないよー。紀子さんすっごくお美味しいって自慢してたし」

 

 渚砂ちゃんは今日の二人を見て少し安心したのかすっかり警戒モードを解いてるみたい。私の考えすぎなんでしょうか?

 

 仕方がないのでとりあえずは二人を迎える準備に専念するとして…。小さなテーブルの上には4人分のカップと取り分けるためのお皿。沸かしたお湯とティーポット。そしてとっておきの茶葉は少しでも良い雰囲気になればと奮発した逸品。普段の茶葉だと紀子さんに申し訳ないというのもありますけど…。

 

 チラリと時計に目をやるとそろそろ待ち合わせの時刻。とりあえずこちらの準備は問題なし。後は二人を待つだけだ。

 

 そして渚砂ちゃんと二人で息を潜めて待っていると、コンコンッとドアをノックする音が。

 

「あっ、二人かな?」

 

 小さな声でコソッと話しかけてくる渚砂ちゃんをシーッと制しながら様子を窺います。すると今度はコンコンコンと短く3回。どうやら大丈夫みたい。ホッとして渚砂ちゃんに合図をします。

 

「開けていいですよ渚砂ちゃん」

「うんっ」

 

 渚砂ちゃんがそっと扉を開けるとそこには二人の姿が。千早さんの手には大き目の袋が下げられている。今回のお菓子に違いないけどたくさん作ったのだろうか?それとも一つ一つが大きいとか?そんな予想をしつつ二人を部屋の中へと迎え入れた。

 

「こんばんわ~」

「お邪魔しま~す」

 

 シスターに見つからないうちに扉を閉めてとりあえずは一安心。

 

「やっぱり合図があると便利ね」」

「うんうん。ドア開けた途端にシスターと鉢合わせとか嫌だもん」

 

 千早さんの言葉に渚砂ちゃんが頷きながら答えた。夜間はシスターが見回りに来ることもあるのでその対策としてさっきの合図を考えたのだ。ノックの音を利用したもので最初に2回、そのあと3回するのが決まりになっている。こういうのも気分を盛り上げるのに一役買ってたりで意外とバカにできない。

 

 それにしても千早さん落ち着いている。どうやら私の心配は杞憂に終わったみたいだ。

 

「さぁ席についてください。今お茶を淹れますから」

 

 テーブルの周りに用意した4つのクッションにそれぞれ腰掛ける。

私がティーポットにお湯を注ぎ、しばらくして紅茶の良い香りが部屋に広がっていくと千早さんがさっそく反応してくれた。

 

「良い匂いね。玉青さんのことだから高い茶葉を用意してくれたんでしょう?」

「ふふふ。流石千早さんですね。気付いていただけると奮発した甲斐があります」

 

 千早さんの様子に安心したのと茶葉が無駄にならなかった喜びで私は嬉々として今回の茶葉を3人に紹介していく。今日の茶葉はとっておきのダージリンだ。芳醇な香りが特徴で渚砂ちゃんもお気に入りの品である。

 

「じゃあ私は千早の作ったお菓子でも出しておくかな。さーて千早は何を作ったのかなー?」

「ええっ?紀子さんはお菓子が何なのかご存知ないんですか?」

「わ、私はほら…手伝ってないし」

 

 なんだか悪い予感がしてきた。サプライズで驚かせるために内緒にしてるんだと良いんだけど…。

 

 私の不安など知る由もなく、紀子さんのジャーンという控えめな音量での掛け声と共に袋が開けられた。

 

「わぁ~カップケーキだ。千早、私の好物にしてくれたんだ。ありがとう千早っ!」

 

 そう言うなり、紀子さんは千早さんの手を取ってはしゃぎだした。なかなかの喜びっぷりである。作った千早さんも少々驚いていた。それほどの好物なんだろうか?

 

「えっ?ええ。(まさかこんなに喜ぶなんて…)」

「ねぇねぇ玉青ちゃん。この包装の紙も可愛いね~」

「ええ。こんな模様のまで売ってるんですね」

 

 渚砂ちゃんが言うようにカップケーキは色鮮やかな包みで着飾っており、袋の中にちょこんとお上品に佇んでいた。横に置かれた入れ物の中身はクリームか何かだろうか?一目で力作であることが分かる顔ぶれである。

 

「紀子さんはカップケーキがお好きなんですね」

「えへへ。まぁね」

 

 そう短く答えたけどさっきの喜びようといい、このはにかんだ笑顔といい、相当思い入れがあるに違いない。千早さんもわざわざみんなに内緒にしてまで紀子さんの好物を作ってあげるなんて、なんて可愛らしいんだろう。素直に言えないから仲直りの証にお菓子をというわけだ。ふふふ。これなら安心して食べられますね。

 

 正直勝手に気を張ってたものだからお腹ペコペコだ。今なら食欲旺盛な渚砂ちゃんとだって良い勝負出来るかもしれない。

 

 さっそくお皿に取り分けようとすると千早さんからストップが掛かった。

 

「私がやるわ。ケーキ自体も味が何種類かあるから被らないようにしないといけないもの」

「すっご~い。付けるソースもあるのにケーキ自体も味が違うんだ~。まるでお店みたいだね、玉青ちゃん」

「ええ。これ作るの大変だったでしょう?」

「まぁ、意外とどうにかなるものよ。一人でもね」

 

 あれ?最後の部分だけやけにはっきりと聞こえたような。やっぱり根に持っているんだろうか…。いやいや、きっと気のせいだ。

 

 とりあえずお菓子の方は千早さんにまかせ、私は紅茶をカップに注いでいく。うん、今日も美味しそうだ。私がカップを渡すと渚砂ちゃんが各自の前へと置いていってくれる。

 

「二人共仲良いね~。コンビネーション抜群じゃない」

 

 紀子さんから茶々を入れられつつも配膳が完了すると、机には紅茶とお菓子が勢揃いしこれぞお茶会といった様相を呈した。なかなかに豪華なビジュアルで、その様子にしばし見惚れてしまうほどだ。

 

「今日は華やかだね~」

「千早さんのカップケーキのおかげですね」

「あら、玉青さんが用意したこのティーカップだって素敵よ」

「えへへ。千早のカップケーキ楽しみだな~」

 

 なんて4人で感想を述べつついただきますの合唱をして、いざお茶会スタート。

とりあえず紅茶に口を付けていると紀子さんからこんな提案が。

 

「まずは玉青さんと渚砂さんが食べてみてよ。千早のカップケーキは絶品なんだ。だから是非二人に食べて欲しくてさ。きっと驚くよ~」

「食べ方とかは気にせず好きなように食べてね。いきなりホイップクリーム付けて食べるのだってアリよ」

 

 なるほど。でもせっかくだからプレーンなものをそのまま食べてみたい。そう思って手に取るとどうやら渚砂ちゃんも同じ考えだったようだ。せーので食べようかと思ったら渚砂ちゃんは口を開けて一足先にパクッとかぶりついてしまう。渚砂ちゃんずるい。

 

「んーーーー。おいし~~~」

 

 渚砂ちゃんが驚きの声を上げる。そのまま間を置かずにパクッパクッと追加で2口も。それだけ美味しかった証拠だろう。渚砂ちゃんの顔を見てるだけで美味しいのが伝わってきて、じわりと唾液が溢れてくる。遅ればせながら私も1口っと。

 

「ん~」

 

 食べてみるとフワリとした食感と共にほのかな甘さが口の中に広がっていく。そのままでもとっても美味しい。外からは分からなかったけど生地の中央にはナッツが隠されていて、それがサクサクと違う食感を生み出して良いアクセントになっている。ナッツ自体もとても香ばしく風味豊かなことから、事前にひと手間加えられていることは間違いないだろう。

 

 カフェで出したって恥ずかしくない文句なしの逸品である。

 

「たまりませんわ~。千早さんのカップケーキがこんなにも美味しいなんて」

「うんうんっ。紀子さんが自慢したくなるのもわかるよ~」

 

 私も渚砂ちゃんもすっかり千早さんのお菓子の虜になってしまった。恐るべし、ミアトル料理部。渚砂ちゃんの胃袋を掴むために私も弟子入りしようかな?な~んて。

 

「ちょっと照れるわよ~。二人とも褒め上手なんだから」

「凄いでしょ?千早のカップケーキ。作ってくれる度に改良されてて、どんどん美味しくなっていくんだよ~」

「ほら紀子。私たちも食べましょうよ」

 

 そう言ってまずは千早さんがぱくり。味見していても美味しいものは美味しいようでその顔を綻ばせた、ように見えた。その時の私には。

 

(さぁ紀子。次はあなたの番よ。私の特製ケーキをじっくり味わうといいわ)

 

 まさかそれが悪い笑みだとはまるで知らないまま、紀子さんは大きく口を開けて…ガブリッ。きっと疑うことなんて考えていなかっただろう。でもその顔はすぐに苦悶に歪んでいって…。

 

「んんーーー!?」

 

 明らかに美味しいものを食べた時とは違う悲鳴を上げながら紀子さんが仰け反った。

 

(ようしっ!)

 

 千早は心の中で歓声を上げつつ他の3人からは見えないように机の下で小さなガッツポーズを作る。

 

(どうよ塩たっぷりの特製ケーキの味は。他と見た目が変わらないよう作るのに随分苦労したんだから。たくさん驚いてくれなきゃ意味がないわ)

 

 何が起きたのか分からない紀子さんは慌てて紅茶を口に含みどうにか流し込む。

 

(なにこれ?めちゃくちゃしょっぱいんだけど。え?なんで?)

 

 千早さんは悪魔の笑みを浮かべていたものの、驚いた紀子さんに顔を見られると、あっという間にどうしたの?とでも言いたげな表情を浮かべた。さっきまでのほほんとしていた自分が恨めしくなってくる。私としては止められなかった後悔半分に、二人への呆れが半分といったところか。

本当にこの二人ったら…。

 

(千早さん、紀子さんの分のケーキにだけ何か細工してますね。見た目は他とまったく変わらないのに…)

 

 見た目が違えば怪しむに決まっている。食べ慣れてる紀子さんなら少しでも異変を感じたら当然口にしないはずだ。にもかかわらず食べてしまったうえにあの仰け反りよう。とんでもなく無駄に手の込んだイタズラだとしか言いようがない。

 

 そんなことするくらいなら部屋で会話でもすればいいのに、と思ったのは内緒だ。

 

「ちょ、ちょっと千早?これどういうことよ。味おかしいんだけど」

「そんなことないわよ。今日のは自信作だもの。(紀子の分以外は…だけど)だってその証拠に渚砂さんと玉青さんは美味しいって食べてるじゃない。ねぇ?」

「ええっ?」

 

 まさか私と渚砂ちゃんを巻き込むつもりなんだろうか。まぁ同じ部屋に居る時点で巻き込まれてはいるわけだけど…。

 

 クククといかにも悪そうな笑みを湛えつつ千早さんは紀子さんに見せつけるようにケーキを食べ進める。一方の紀子さんは口をパクパクさせて何か言おうとしているが言葉が出ないらしい。

 

「あんたの舌がおかしいんじゃないの?それじゃ味見係も務まりそうにないわね」

「な、なにをー!言ったわね千早」

 

 紀子さんはぐぬぬとあからさまに悔しそうな顔を浮かべながら手に持ったケーキを見つめ、自分の舌がおかしいのか?といった様子でしきりに首を傾げた。

 

 そして意を決したようにケーキを見つめるとおもむろに口に含み…。

 

「んー!?んんーー!?」

 

 先ほど同様に悲鳴を上げながら仰け反った。紀子さんには申し訳ないけどリプレイ映像を見ているような気持ちになる。少し面白い。いえ、もちろん笑ってませんよ?決してそんなことは…。決して。ええ、笑ったのは渚砂ちゃんと千早さんだけですから。

 

 私が紀子さんのカップに紅茶を注ぎ急いで手渡すと、紀子さんはそれをぐぐぐーっと豪快に飲み干した。少々茶葉が勿体ないけどこの際仕方ない。正直千早さんの方を見るのは怖かったけど、チラリと覗くとざまーみろと分かりやすいくらいに得意気な表情を浮かべている。もし天狗だったら鼻が相当伸びていたに違いない。

 

 どうにかこうにかケーキを飲み込んだ紀子さんははぁはぁと肩で息をしながら千早さんに詰め寄った。

 

「やっぱりーーー。千早あんた私のにだけなんかしたわね~」

「ああ~、もしかして一人で作業してたから砂糖と塩を間違っちゃったのかしら?気付けばよかったんだけどごめんなさいね。悪気はないのよ」

 

 とてつもなく悪意たっぷりのケーキを食べさせつつサラッと言いのける千早さん。怒らせるととんでもなく怖いタイプかも…。

 

「ゆ、許さないんだから」

 

 当然紀子さんは怒り心頭で早くも臨戦態勢に入る。ああ、楽しいお茶会になるはずが…。

 

「許さないだ~?それはこっちのセリフよ。紀子が悪いのよ?人の苦労も知らないで無責任においしいの作れーだなんて言うから。挙句の果てに美味しくて当然ですって?それで手伝うわけでもないのにふんぞり返ってるんだからほんと失礼しちゃう。よくそんなこと平然と言えるわね。私も久々に頭にきちゃったわよ。紀子のことなんてもう知らないだから」

 

「だ、だからってカップケーキに細工しなくたっていいじゃないかっ!千早のバカッ」

「別にいいでしょ。カップケーキくらい」

「カップケーキ『くらい』ってそれ本気で言ってるのっ!?」

「本気も本気よ。何よっ!ちょっと好物を悪戯に使われたくらいで」

 

 なんだろうこの感じ。なんだか引っかかる。いくら好物とはいえ千早さんが言うようにここまでこだわるものだろうか?一方の千早さんはよっぽどお怒りらしく取り付く島もない。紀子さんは一体どう反撃するんだろう?と思っていると…。

 

「うっ…、うう…」

「えっ?の、紀子さん…?」

 

 紀子さんは俯いて身体を震わせていた。私はてっきりすごい剣幕で言い返すものだと思っていたから、これに驚くなと言う方が無理に決まっている。あの紀子さんが言い返すどころか涙目になっているなんて誰に想像が出来ただろうか。この姿には千早さんもビックリして呆然としている。それはそうだろう。千早さんだっていつもみたいに言い返してくるのを想像していたはずだ。

 

 いやむしろ千早さんだからこそ、そういう姿しか想像していなかった可能性もある。それがまさかこんなことになろうとは…。

 

「紀子…?ちょっと!なによ、シュンとしちゃって。いつもの威勢はどうしたのよ?言い返しなさいよ。泣いてるフリしたって私はごまかされないんだから。いつもみたいに、ほら早く!」

 

 その証拠に千早さんの言葉にいつものキレがない。それどころか最後の部分なんてなんとか聞き取れるかどうかという音量だ。それとは対照的に今度は黙っていた紀子さんが一気にその思いを爆発させた。

 

「バカッ!バカッ!千早のバカーーッ!いつも感謝してるわよ。無責任なんじゃなくてそれは千早の料理の腕を信頼してるからよ。千早の料理で美味しくなかったことなんて一度もないじゃない。だから信じてたのに。手伝いだって私が手伝うより千早一人の方がよっぽど手際がいいから、だから邪魔しないようにって…私、私」

 

「の、紀子?」

 

 溜め込んだ分その勢いは凄まじくて簡単には止まらない。

 

「今回だって二人に千早のお菓子を食べて欲しくて、それで一生懸命アピールしたんだよ。私二人に自慢したかったの。千早のお菓子こんなにおいしんだよって、そう…自慢したくて。だから袋から出てきたのがカップケーキだった時私嬉しかったんだ。絶対に美味しいって分かってるから。でもそれ以上に…。こういう時に私の好物を作ってくれたことが一番…嬉しかった。気持ちが通じてるんだって思った。それなのにこんなの…。ひどいよ千早」

「確かにあんたの好物なのは知ってたけど。でもそれは数ある内の一つでしょ?」

「違うっ!私にとっての千早のカップケーキはただの好物じゃない。想い出の…味なの。他の誰かが作ったやつでも、お店で売ってるやつでもなくて。千早が作るカップケーキが私の好物なの。千早は忘れちゃったの?」

「お、覚えてないわよっ!いつの話よ。まさか幼稚園の時とか言わないでしょうね?」

 

 千早さんの言葉に紀子さんはただ黙って首を振った。

 

「1年生の時。千早が料理部で習ったんだって言って初めて作ってくれたのがカップケーキだったんだよ。いちご舎でも同じ部屋になれてよかったねって、そのお祝いに。何回も失敗した中で一番出来が良かったやつだけど美味しくなかったらごめんねって…そう言って。今のに比べたら見た目も全然良くないけど、美味しかった。その時のカップケーキ、すっごく美味しかったんだ。味とかそういうんじゃなくて、千早が初めて私のためにって作ってくれた料理だったから。きっと黒コゲでも私は美味しいって答えてた。だから私にとって千早のカップケーキは特別なんだ。千早との思い出の味だから。だから、だから…」

 

(それで袋を開けた時あんなに喜んでいたんですね)

 

 千早さんは紀子さんがそこまでカップケーキに思い入れがあるとは知らずに悪戯に使ってしまったんだろうけど、紀子さんからすれば耐えられないことだったに違いない。きっと特別なものを穢されて悔しかったんだと思う。

 

「し、知らないわよっ!だってあんたそんな話一度もしてくれなかったじゃない。言ってくれなきゃ分かるわけないでしょ!理由はわからなかったけど、作ればあんたが喜んで食べてくれるから今まで何度も作ってたんでしょうが。言ってくれてたら、知ってたら、もっと一生懸命作ってあげたわよ。なんで言わなかったのよ。そしたら今日だって…。そうよ。今日だってなによ。いつも感謝してるだの、二人に自慢したかっただの。そうならそうだってもっとちゃんと言いなさいよ。あんたいつも余計なことばっか言う癖に大事なこと全然言わないんだから。勝手に通じ合った気になってるんじゃないわよ、このバカー!」

 

「だって千早なら気付いてくてるって思ってたんだもん。言わなくたって千早なら大丈夫だって思ったのよ。今朝だってクッキー用意してくれるし、お守りだって直してくれてたじゃない。いつもいつもいつも、何も言わなくたって気付いてくれてこっそりやってくれるから。千早なら分かってくれるって…」

「分かんない。あんたのことなんか全然わかんないわよ。いつだって紀子はこうして欲しいのかなって思って色々してたけど、本当は合ってるかどうか不安で。余計なことしてないかな?とか、嫌だったのかな?って聞きたかったけど聞けなくて。何かしてあげてもあんたニコニコ笑うだけで何にも言ってくれないから、本当は何が正解だったのかわからないこともあって…」

「千早がいつもそうやってくれるから私勘違いしちゃったじゃない。千早は…私に優しくしすぎだよ」

「紀子だって…私のこと信じすぎよ。ちょっとは疑いなさいよ。ほんとにバカなんだから」

 

 お互いが秘めていたことを口にしあうと、堰を切ったように言葉が溢れてきて。相手の言ってることも理解できるから涙だってもう止まらなくて。大切だから、傍に居すぎたからこそ伝わらないこともあって。部屋には二人のすすり泣く声が木霊した。

 

 私と渚砂ちゃんは少しでも二人が落ち着けるようにと、二人の背中をさすってあげる。二人がひとしきり泣いた後、千早さんはすくっと立ち上がりこう言った。

 

「部屋に戻って忘れ物取って来る」

「忘れ物?」

 

 私と渚砂ちゃんがなんだろう?と顔を見合わせるが見当もつかない。そのうえ千早さんは私たちに構うことなく部屋を飛び出してしまった。私たちは仕方なく紀子さんの背中をさすりながらその帰りを待つことにする。幸い千早さんはすぐに戻ってきた。手に何やら袋を抱えて…。

 

 その袋を千早さんがスッと紀子さんに差し出したのを見て、私にもようやくその中身の見当がついた。

 

「ほら、ケーキ。紀子の分。あんたが途中で謝ってきたらちゃんと美味しいの食べさせてあげようかと思って作っておいたの。別に仲直りの印ってわけじゃないけど、あんたの…その、好物みたいだから」

「いい…の?私、千早の苦労とか知らないでいつも好き勝手ばかり言ってたのに」

「作っちゃったものはしょうがないでしょ。食べなきゃ勿体ないし」

 

(まったく、素直じゃないですね、千早さんも。普通に渡せばいいのに。でも、その方が二人らしいかも)

 

 さて、どうしたものか。二人のせいで私と渚砂ちゃんもまだ全然ケーキを食べてないし、紅茶も冷めてしまっている。もちろん二人だって食べてないし、紀子さんに至ってはようやく本命のケーキが届いたという段階だ。そのうえ時間もかなり経過していて、日によってはお開きにするケースもある時刻ときてる。

 

(だけどまぁ、今日はもうヤケですわ。ええ、ヤケですとも)

「じゃあ紅茶を淹れなおしてお茶会を続けましょうか。せっかく紀子さんの分のケーキが届いたんですから」

「えっ?大丈夫なの?玉青ちゃん」

「もちろんです。こんな時はみんなでパーッと騒ぐのが一番ですわ。ね?そうでしょう?」

「ごめん二人とも」

「ありがとう」

 

 さっきまで泣いてた二人も少しずつ元気を取り戻し、ようやく笑顔を見せてくれた。やっぱりこの二人は笑っていてくれないとなんだか落ち着かない。

 

「ではもう一度。いただきます」

「「いただきまーす」」

 

 再開したお茶会は最初どこかぎこちなかったものの、次第にいつも通りのお茶会の雰囲気へと変わっていった。その間中紀子さんと千早さんは時折顔を見合わせては笑い合うの繰り返し。最後の方なんて肩を組んではしゃいでいた。

 

(まったく二人とも、世話がかかるんですから)

 

 私たちにも迷惑掛けたこと、少しくらいは反省したのだろうか?でもまぁ二人がこうして幸せそうにしていると、今日くらいは許してあげようかなんて気になってしまう。ほんとにずるいんだから、この二人は。きっとこれからも今日みたいな日を繰り返して絆を深めていくんだろうな。

 

 机の上に目を向けると空になったティーカップと綺麗に食べられたケーキの包み紙が仲良く鎮座している。とっておきの茶葉の出費は少し痛いけど、二人の笑顔に免じて今回限りの出血大サービス。そしてカップケーキは甘いけど、どこかちょっぴり苦いオトナの味だったかな?今日はもうお腹いっぱいでごちそうさまだ。

 

「紀子ってば食べ過ぎじゃない?それじゃ明日の朝ご飯食べられないわよ」

「あれだけ言ったのに千早のカップケーキ残すわけにいかないでしょ」

「じゃあ塩ケーキも食べる?」

「それは勘弁してよー」

 

 そんな二人に釣られて私と渚砂ちゃんも一緒に笑う。紀子さんと千早さん、仲直り出来て本当によかった。

 

「━━ごちそうさま━━」

「なんで二人を見ながら言ったの?玉青ちゃん」

「ふふふっ。二人を見てるとつい…ね?そう言いたくなってしまって」

(これからも仲良しでいてくださいね、二人とも)

 

 お互いのことを知り過ぎてそのせいで衝突しちゃうなんてちょっぴり妬けちゃう。トラブルメーカーなところもあるけれど、喧嘩してもすぐに仲直り出来ちゃう素敵で、そして愛すべき二人組。

 

 どうかこのミアトルの仲良しコンビが末永く幸せでありますように。そんな祈りを込めながらもう一度だけ心の中で呟いた。

 

 とっておきの…ごちそうさまを。

 

 

 

 

 

 

 

<返信>…水島紀子視点

 

 お茶会を終えた私たちは自分の部屋へと戻り早々にベッドで横になっていた。明日も学校はあるので何はともあれ睡眠は取っておかねばならない。身体をゴロンと転がし千早の方へと向くと千早はこちらに背を向けていた。まぁ、こっち向いて寝づらいのは分かるけどさ。

 

「千早~。起きてる?」

「起きてるわよ」

 

 ぶっきらぼうな声で返事が返ってきた。まだ少し怒ってるのかな?

 

「千早。今までごめんね」

「そーゆー話はもうおしまい。早く寝ないと明日に響くわよ」

「ちゃんと二人の時に言いたかったから」

「言っとくけど私はもう寝るから。だから声かけられても返事はしないわよ。いいわね?」

 

 そう言うなりわざとらしく布団をガバッと被ってしまった。あらら、こりゃ明日にならないと喋れないかな?

 

 それにしても隣の二人には結構恥ずかしいところを見られちゃったなぁ。喧嘩はいつものことだけど、今回ばかりは流石に…。明日とか顔を合わせづらいかも。

 

 千早はもうピクリとも動いていない。どうやら本当に寝るつもりみたいだ。はぁ~。今夜はもう少しだけ千早と喋っていたいんだけどな。どうすればいいかな?そうだっ!

 

「ねぇ竹村さん、起きてる?」

 

 私は久しぶりに千早のことを名字で呼んでみた。本当に何年か振りじゃないかってくらい久々だ。ずっと千早とかあんたとか呼んでた気がする。すると千早がモゾモゾ動いているのが見えた。ついでにクスクスという笑い声も。

 

「もう!何よそれ?笑っちゃったじゃないの。あんたに名字で呼ばれるのなんてくすぐったくて仕方ないわ」

「あはは。引っかかった~。もう寝たフリは禁止だからね」

 

 笑っちゃったことで観念したのか千早もこちらへ身体を向け、お互いベッドに寝転んだままで向かい合う。

 

「起こすためってのもあったけど、もう一度最初からやり直せないかな~と思ってさ」

「別に最初に戻る必要はないんじゃない?あんたと居た時間が無くなったわけでもないんだし、今まで通りで。お望みなら最初からでもいいけど…。どうする?水島さんは?」

 

 ちゃっかり名字で呼んでやんの。でもやっぱり千早に名字で呼ばれるのって変な感じ。たしかにくすぐったいや。

 

「千早がそう言うならそれでいいか。ねぇ千早…」

「なに?改まっちゃって」

「私とさ、これからも親友でいて欲しいんだ。ダメかな?」

「あんたにしては随分素直じゃない」

「だってほら。ちゃんと言わないとさ…。伝わらないかもしれないじゃない?だから言っておこうと思って。ミアトルを卒業してさ、大学行ったり就職したり、もしかしたらお互い良い人見つけて結婚して子供産んだりしてもさ、私と親友でいてよ。ずっとずっとず~~っと。忙しくてなかなか会えなくてもさ、会ったら笑って喧嘩して仲直りして。そうだ、たまにでいいからカップケーキも作って欲しいな~」

「いくらなんでも欲張りすぎよ。まぁ、紀子とならそれも楽しそうだけど。私たちってさ、他の人から見たらず~っとクラス一緒で部屋も一緒で、いわゆる腐れ縁ってやつじゃない?でも私今日思ったんだ。それはちょっと違うかなって。色々一緒だったのは確かに偶然だけど、それでも一緒にいることを選んだのは私なんだなって」

「千早って時々頭良さそうなこと言うよね~。でも納得かも。私も選んだんだね、千早の親友でいることを」

「そうよ。私たちは選んだのよ。他の誰でもなく、お互いを」

「そっか~。なんか安心したら急に眠くなってきちゃったよ」

「私も~。そろそろ寝ましょうか」

「じゃあ」

「ええ」

「「おやすみなさい」」

 

私の隣には千早がいた。幼稚園の頃からず~と一緒で、一度も離れたことがないから家族みたいに思ってた。

いつも私の世話を焼いてくれて、ちょっと口うるさい時もあるけれど私のことをとても心配してくれる。

どんな些細なことにも気付いてくれるから、たくさん甘えちゃって…。

照れくさくてあまり口には出来なかったけど、いつもちゃ~んと感謝してたよ。

今までありがとう。

いっぱい迷惑掛けた分はこれから頑張るから許してね。

今日みたいな日もあるけれど、どうかこれからも私の隣にいてください。

大好きな千早へ。親友の紀子より。

 

 




※改稿内容について。改行だけ入れました。内容はそのままです。




 いかがでしたでしょうか?今回は百合抜きで、女の子同士の友情がメインとなっております。アニメではそう多くない登場ながらも視聴者の心を鷲掴みにしたであろうミアトルの熟年夫婦こと紀子千早ペア。真剣に恋愛している子もいれば、今回のように友情で結ばれた親友の関係でいる子たちもいるよって示したかったのですが…。ちゃんと友情っぽく書けてますかね。一応自分では頑張ったつもりなんですが、百合として見ていただいてもそれはそれで嬉しいです。
 前回千華留ちゃんが言ってた交際始まっちゃいそうなペアの筆頭候補に見えなくもないくらい仲良いですのでもしかしたらこの先…なんて。


 さて次は二人の存在を一気に押し上げたアニメ14話のお守りに関するエピソード。やり取りはそんな長くないんですけど二人の魅力がギュッと詰まっていたシーンだと思います。そんなお守りですが…サラッと直ってましたね。二人を書くならお守り出したいな~と思ってたので登場させちゃいました。言わなくてもこんなに気付いてくれるんだったら、たしかに少し勘違いしちゃうかも。

 
 いや~毎回似たようなこと言ってそうですけど書いてみるとどのキャラも可愛いんですよね~。今回の紀子千早ペアも魅力的なのにその魅力を伝えきれない(場合によっては足引っ張ってるかもしれない)のが残念で仕方ありません。今回もあと少しあと少しと言いつつどんどん長くなってしまいました。二人の魅力が少しでも伝われば幸いなのですが…。そんなこんなで今回の後書きはここまでです。前回長かったのでほどほどにと。それでは~。



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サブストーリー 夜々×光莉
第6章「足音はもう聞こえない」


■あらすじ
 スピカ3年生の南都 夜々(なんと やや)と此花 光莉(このはな ひかり)は特別な関係にあった。それは誰にも知られてはいけない秘密の関係で…。
 ごく普通のルームメイトだった二人の関係は1年前のある日を境に大きく変化することになってしまう。夜々の光莉に対する感情は友情という言葉ではとても説明できなくて、少しずつ夜々を蝕んでいく。単なる好きで済めばよかったのに…。思い悩む夜々の背後に破滅の足音が忍び寄る。

 二人の過去がメインとなる第6章では3話全てが夜々ちゃん視点!夜々ちゃん特盛でお送りいたします!


■目次

<お目覚めにキスはいかが?>…南都夜々視点
<予兆>…南都夜々視点
<オワリノハジマリ>…南都夜々視点


<お目覚めにキスはいかが?>…南都夜々視点

 

 

自分が女の子にしか興味がないと気付いたのは小学校高学年の時だった。

友達としての話ではなく 恋愛対象としての話だ。

クラスのみんなが有名な俳優とかアイドルの話に夢中になっている横で、私は一人、とある女の子の横顔をじっと見つめていた。

特別に目立つというわけではないけれど可愛らしい顔立ちをしたその子に、私は夢中で。

偶然にもその子と仲良くなることが出来て何度か遊んだりはしたけれど、結局想いを伝えることは叶わないままその子は親の転勤によってアストラエアの丘を去っていった。

あの子の名前はなんていったっけ?

思い出そうとしても霧がかかったみたいに記憶がぼやけている。

でもそれでもいい。

今の私にはあなたがいるのだから。

 

 

「光莉~。ねぇ光莉ってば。もう朝だよー!」

 

 起床時間が過ぎたというのに一向に布団の中から出てくる気配はなく、私の声にピクリとも反応しない。身体が弱いというわけでもないのに、どうしてこんなに朝が弱いんだろうか?ほぼ毎朝この有様である。つまりこのお寝坊さんを起こすのは私の日課と言うわけだ。

 

 さて、今日はどんな手段で眠り姫を目覚めさせようか?ビックリさせるイタズラ系がいいか、それともオーソドックスにいこうか。しかしここのところどれもマンネリ化していて少々面白みに欠ける。もっとドキドキするようなやつがいいんだけど…。

 

(あるにはあるんだけど…。これやると怒るかな?でも案外気に入るかもしれないし。定番になったりして)

 

 よし、決めた。今日は絶対にコレ。王子様のキスに決定!

 

 早速光莉を起こさないように気を付けながらベッドに上がり、その身体を跨ぐようにして四つん這いになる。さっきまでは起こそうとしていたのに今度は真逆のことをしているんだからなんとも滑稽な話だが、私は私で結構必死だったりして…。ベッドの上って意外と動きにくい。今は光莉の身体を踏んでしまわないようにしているからなおさらだ。

 

 慎重に手足を動かしながら位置を調整っと。よし、これで準備OK。傍から見ればこれから夜這いでもするんじゃないか?って思っちゃうような体勢に既に胸が高鳴りっぱなしだ。

 

(思ってた以上にドキドキして、これ結構ヤバいかも…。何回もやってたら癖になりそう)

 

 顔に掛かっていた髪をそっと指で払いのけ、光莉の寝顔を観察する。このスピカでも間違いなく美少女に分類されるであろう整った顔立ち。普段開いている時はクリッとした可愛らしい目も、今は伏せられた睫毛(まつげ)によってその様子を窺い知ることはできないが、これはこれでとても魅力的な光景だ。

 

 それにしても…。

 

(起きないなぁ光莉。私だからいいけど、他の子にもこんなに無防備だとマズいんじゃないかな。可愛いからいつか襲われちゃうよ?)

 

 こう無防備だとイタズラしたい気持ちがムクムクと膨れ上がってきて、柔らかそうな頬っぺたをムニッと摘まみたくなる衝動に駆られてしまう。おっと、いけないいけない。面白そうではあるけど今日は我慢、我慢。お姫様を待たせちゃ悪いしそろそろ起こしてあげないと。

 

 色素が薄い真っ白な肌に似たのかほんのりと桜色をした唇に狙いを定め、私は光莉に覆いかぶさった。そしてガラス細工にも似た儚げで今にも壊れてしまいそうなお姫様に目覚めのキスを…。あくまで優しく、壊れてしまわないように…。

 

 重ねた唇から光莉の体温が伝わってくる。そんな少し長めの口づけ。お姫様は気に入ってくれたかしら?

 

「んっ 夜々…ちゃん?」

「おはよう、光莉」

 

 返事はしたもののまだ意識の半分くらいは夢の中らしく、光莉はとろん、とした目で私を見つめ返してきた。

 

「光莉は本当にお寝坊さんだね。なんならもう一度キスしてあげようか?」

「えっ?あっ、あーーー!」

 

 ようやく意識がはっきりとしたのか光莉は自分の唇に触れながら慌てて抗議の声を上げる。

 

「もうっ!夜々ちゃんてば。こんな起こし方して~。普通に起こしてくれればいいのに」

 

 ちょっと拗ねたような口調だけど嫌ではなかったらしい。私は未だ覆いかぶさったままの姿勢で光莉を嗜めておく。

 

「そのセリフはすぐに起きない自分に向かって言いなさい。ほら、ぐずぐずしてたら朝食に遅れちゃうよ」

 

 クスクスと笑いながらは~い、と返事をした光莉と目が合い、少しの間そのまま見つめ合う。頬に手を当てると私の気持ちに気付いたのか光莉はいいよ、と小さく呟き再び目を瞑った。言葉を交わさなくても視線だけで会話できるなんて、1年前の私に言っても信じないだろうな。

 

 そんなことを考えながらもう一度顔を近付け口づけを交わす。さっきよりも少しだけ深く…。

 

「愛してるよ光莉」

「うん。私もだよ、夜々ちゃん」

 

 光莉と愛を囁きながら、私はふと光莉と出会った頃を思い返していた。

 

 

 

 

 

 

 

<予兆>…南都夜々視点

 

 光莉と出会ったのは去年の春。2年生に上がったもののまだ始業式を迎える前のとある

休みの日のことだった。

 

「えっ?ルームメイトですか?」

 

 突然スピカ生徒会に呼び出された私は、そこでルームメイトが来ることを知らされたのだ。

 

(まいったなぁ。一人の方が気楽でいいのに…)

 

 その思いに嘘はない。自由気ままな一人部屋暮らしが気に入っていたのは事実だし、なにより私の特別な事情もあってその方が都合が良いのは間違いなかった。同性の女の子を恋愛対象として見ている私としてはそれがバレるのを避けたいわけで…。一緒の部屋で暮らしているとひょんなことからそういったことに気付かれてしまう可能性がある以上、ルームメイトはご勘弁願いたいと思うのは当然のことである。

 

 もちろん私は断固拒否すべく抵抗してはみたものの、努力も虚しくすぐにこちらが折れることになった。

 

(まぁ、一人の方が気楽だからってのは理由として弱いわよね。仕方ないかぁ)

 

 内心面倒だな、という気持ちを引きずりながら部屋に戻ると既に荷物が運び込まれていて、今までガランとしていた風景が一変しているではないか。

 

(あちゃ~。こういうの見ると急に現実味が増すな~。とりあえず大人しい子だといいんだけど)

 

 そんなことを考えつつ部屋の中で突っ立っていると、あの~、と後ろの方から声が。随分控えめな呼びかけだなと思いながら振り返るとそこには息を呑むような美少女がお行儀よくちょこんと立っていた。

 

「南都夜々さんですか?私、此花光莉といいます。これからよろしくお願いします」

 

 まさかこんな美少女が来るなんて…。最初から教えてくれていればよかったのに。礼儀正しくお辞儀しながら挨拶してきた少女を見て私の中のルームメイト不要論が音を立てて崩れ去っていく。

 

 見るからに華奢な身体つきに整った、それでいて可愛らしい顔立ち。おっとりした喋り方からは穏やかな性格が垣間見える。率直に言って、光莉は私好みの女の子だった。光莉に見惚れて呆然とする私の顔を不思議そうに見つめる表情がこれまた可愛らしくて、なおさら言葉に詰まってしまう。

 

「な、南都夜々です。よろしく」

 

 我ながらひどい出来栄えの挨拶だ。もし点数を付けるなら確実に赤点まっしぐらだろう。それくらいこの時の私は舞い上がっていた。

 

(これからこんな可愛い子と生活するんだ。なんかドキドキしちゃうな)

 

 

 

 

 こうして新しく始まった生活は何もかもが順調!というわけでもなく…。

 

「光莉さ~ん、どこ行ったのー?光莉さ~ん?」

「あ、夜々さん。よかったぁ。迷子になっちゃって」

 

 おっとりした印象はそのままにどこか少し天然で抜けたところのある光莉の世話は意外と大変だった。ただし、大変と言っても全然嫌じゃなく、むしろ楽しいくらいだ。それどころか私は私で編入生のお世話というクラス共通の話題の中心になったことで友人が増えたりと、ちゃっかり恩恵を授かっていたり…

 

 おかげさまで同性が好きという後ろめたさから今まで周囲と距離を置いていたことを後悔するくらい毎日が賑やかで楽しくなった。光莉もちゃんとクラスに馴染めたみたいで滑り出しとしては悪くない。私と光莉は次第にセットで扱われることが増え、気付けばお互いの呼び方も今と同じものになっていた。

 

「ねぇ夜々ちゃん。もしよかったら今日はパンにしてお外で食べない?今日は天気良いから絶対に気持ちいいよ」

「光莉がそうしたいならそうしようか」

「ほんと?ありがとう夜々ちゃん」

 

 いつしか私は光莉に好意を抱くようになっていた。友達としてのそれではなく、恋愛対象としての…。思えば出会った時からの運命だったのかもしれない。だって容姿も性格も私好みな光莉を、私が好きにならないなんてことは有り得ないのだから。

 

 自分の気持ちに気付いてからも私は光莉と今まで通りに友人として、ルームメイトとしての関係を過ごしていた。恋人にはなれなくても光莉の傍にいられればそれでいい。それ以上のことなんて望んだら罰当たりだ。その時の私は本気でそう思っていた。

 

 

 

 でもそれは私の勘違いで。自分の本性を分かった気になっていただけだということを、私は思い知らされることになる…。全ては決まっていたんだ。自分が女の子に恋をしたあの日から。このまま単なる好きで終わっていればどんなによかったことか…。これはきっと呪い。神様が私に与えた戒めに違いないのだ。

 

 破滅の足音の第一歩が私の後ろで静かに、けれど確実に…刻まれた。

 

 

 

「光莉~。早くお風呂入っちゃって~」

「は~い」

 

 光莉ってば結構お風呂長いからな~。早くしてくれないと自由時間がなくなっちゃう。お風呂の順番待ちとなった私は自分のベッドで雑誌を広げながら寝転んでいた。見ているのは女の子向けのファッション雑誌。この前の休みに外出して買い込んできた物の一つである。私服を買う際の参考にもなるし、なにより可愛い女の子がたくさん載っているから私のような人間にはもってこいのアイテムだったりする。

 

 時折足をパタパタさせながらページをめくっていくと丁度私たちくらいの年齢をターゲットにしたコーナーに目が留まった。ふ~ん。なるほどね~。外出した時にいつも思うことだが、この丘はお嬢様が多いせいか世間一般の流行とはだいぶかけ離れてしまっている。光莉の私服なんて見るからに育ちの良いお嬢様といったものばかりだが、不思議とこの丘の中だと普通に見えてしまうのだ。もし機会があれば服を選んであげたいんだけどなぁ。

 

(あ、これなんか光莉に似合いそう)

 

 そう思ったのはページの真ん中で大きく取り上げられたコーディネイトのもので、モデルの少女が笑顔でそれを着こなしている。

 

(ん~。この子も可愛いけど光莉の方がずっと良いかな~。写真大きいから人気モデルなんだろうけど…)

 

 洋服を見ていたはずがいつの間にか女の子しか見ていない。いや~比較するのが楽しくてつい、ね?嬉しいことに光莉はそこら辺のモデルなんて目じゃないくらい可愛いから片っ端から見比べていっても安心出来る。何に安心するのかって?それはもちろん光莉が一番可愛いという事実についてだ。いや、まぁそれだけのために雑誌を買っているわけではないんだけど…。

 

 そんな風に雑誌を読み漁っていると何やらお風呂場の方から声が聞こえてきた。

 

「夜々ちゃ~ん。ねぇ、聞こえるー?」

 

 あれ?呼んでるのかな。どうしたんだろうと思っているともう一度私を呼ぶ声が。

 

「夜々ちゃ~ん。お願いがあるんだけどー。今いいかなー?」

 

 今行くー、と返事をしてベッドから飛び起きお風呂場へと向かう。困っているといってもそれほど深刻ではなさそうだ。

 

 扉越しにどうしたのか尋ねるとシャンプーが切れたから新しいのを渡して欲しいらしい。。な~んだそんなことか。私だったら足だけ軽く拭いて取りに出ちゃうけどなぁ。まぁ光莉らしいか。そういえばたしかにそろそろ無くなりそうだったな、なんて思いながら洗面所の棚を開けて替えのシャンプーを探す。たしか買ったばかりだから手前の方にあるはずだ。

 

 幸いお目当ての物はすぐに見つかったので光莉に声を掛ける。

 

「光莉ー。あったよー。今渡すからー」

「ほんとー?夜々ちゃんありがとー」

 

 扉越しにお互いやや大声で言葉を交わす。私は扉を少し開けてその隙間から渡すつもりだったのだが、すぐに必要だったらしく光莉が中から扉を開けて出迎えてくれた。

 

「っ!?光莉っ?タオル忘れてるわよ」

 

 湯気と共に現れた光莉に私は目を奪われた。てっきりタオルくらい巻いていると思ったのに、光莉は一糸纏わぬ姿で立っていたのだ。

 

「えっ?だって女の子同士だよ」

 

 私の指摘にキョトンとした顔を浮かべた光莉は相変わらずタオルも巻かずにそのままでいる。私はその光景を呆然としながら見つめていた。

 

(光莉…凄く奇麗)

 

 濡れた髪は艶やかに煌めき、透き通るような白い肌はお風呂で血行が良くなったのかうっすらと赤みを帯びていて妙に色気がある。同級生の中でも育ちが良いとは言えない薄い胸。折れてしまいそうな細い腰からスラリと伸びたしなやかな足。ピンと張った肌が水を弾いて身じろぎする度に水滴が足元へと落ちていく。

 

「夜々ちゃん?どうかしたの…?」

 

 光莉の裸に見とれていた私は、その声に慌てて目を逸らした。心臓がバクバクする。顔が赤いのは温かい湯気のせいだけじゃない。私、変だ。上手くは言えないけど何かがおかしい。これ以上光莉のことを見ちゃいけない気がする。

 

「もう、夜々ちゃんてばじっと見つめてきたと思ったら急にそっぽ向いちゃって。変な夜々ちゃん」

 

 そう言ってクスクス笑う光莉が眩しくて見られない。

 

「あーっ!もしかして私の身体が子供っぽいってバカにしてたりして~」

「そ、そんなことないよ。光莉の身体、すっごく綺麗だよ」

 

 何を言っているんだろう私は。こんな褒め方絶対に変だ。おかしいのに…。

 

「えっ?あっ、ありが…とう。でもスタイル良い夜々ちゃんに言われてもなんだか説得力ないよ~。夜々ちゃん胸も凄く大きいし。私なんてぺったんこだもん」

 

 光莉の言葉に誘導されるように私の視線も自然とそこへと吸い寄せられる。再び視界に入ったそれはさっきまでとは比べものにならないほど淫靡に見えた。

 

「言ったそばからそんなにジロジロ見て。夜々ちゃんのえっち~」

「あっ、あの。ごめんっ!私そんなつもりじゃ…」

 

 普段の私なら光莉の冗談だって分かっただろうけど、この時の私は気が動転していてそんなことさえも理解できない。だから必死で頭を下げて謝ってしまった。それを見た光莉がびっくりするくらいに。

 

「や、夜々ちゃん?冗談…だよ?怒ったように聞こえちゃったかな。私、怒ってないから頭を上げてよ」

 

 光莉にそう言われて私はようやく自分の間違いに気付き、慌てて取り繕った。私は一体何をしているんだろうか。

 

「ご、ごめんね光莉。湯冷めしちゃうといけないからもう渡すね。はいコレ、替えのシャンプー」

 

 強引に光莉の手に渡すと私は急いで背を向けた。

 

「う、うん。ありがと。って夜々ちゃん?どうしたの?や、夜々…ちゃん?ねぇどうしたの?夜々ちゃ~ん」

 

 後ろで私を呼ぶ声がしたけど、私は構わず部屋へと戻りそのままベッドにダイブした。ドキドキとまだ心臓が鳴り響いている。目を瞑ると光莉の肢体が浮かび上がり、私は再びゴクリと唾を飲み込んだ。

 

(光莉の身体。凄く魅力的だったな…)

 

 触ってみたい。純粋にそう思った。手足や服の上からなら今までも触ったことがあるけど、そんなものなしで、直接触れてみたい。あれ?私ってこんなこと考えたことあったっけ?記憶にない、新たに芽生えた感情に私は戸惑いを隠せなかった。ウソ…だよね?

 

(私…もしかして光莉の身体を見て興奮してる?)

 

 って何考えてるんだろう私ってば。女の子同士でそんなわけないよね~。光莉のことは可愛いし好きだけどさ。触りたいっていうのだって綺麗だったからそう思っただけで別に変な意味じゃないし。美術品とかそういうものに対するやつと同じものだ。

私が女の子が好きなのは事実だし、光莉のことを好きなのも事実。

 

 でも私の好きはプラトニックなものだもの。したいと思ってもせいぜいキスくらいだし。あ~あ、光莉と恋人になりたいな~。光莉は女の子に興味ないのかな?もしそうだったら嬉しいんだけど…。やっぱり無理かな。光莉はそうは見えないし。うん、もうやめておこう。傍にいられればそれでよしっ!それでいいじゃない。

 

 

 私は目を背けていた。大切なサインから。この時ならまだ間に合ったかもしれないのに…。ちゃんと向き合っていたらあんなことには…。自分が女の子を好きだって自覚してる?なんてバカげた思い上がりなんだろう。私は何も分かっていなかった。何一つ。

 

 後ろに迫る足音が、コツン、コツンと私の耳に届き始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

<オワリノハジマリ>…南都夜々視点

 

 翌朝の着替えの時間。光莉の立てたシュルッという衣擦れの音がやたら大きく聞こえてきた。こんなに着替えの音って大きかったっけ?と思うほどに。

 

 試しに目を瞑って聞き耳を立てつつ、光莉が今どんな状態かを想像してみる。注意深く聞いていると、今のはパジャマの上を脱いだ音だな、とか。続いて聞こえてきた衣服が床に落ちるトサッという音はパジャマの下を脱いだ音だな、とか。そういったことが手に取るように分かってなかなか面白い。

 

(あ、じゃあ光莉のやつ今は下着姿だ。きっと子供っぽいの着けてるんだろうな~)

 

 なぜか興味が湧いてきて無性に見たいという衝動が襲い掛かってくる。光莉の下着姿なんて別に大したものじゃないのに。

 

(まぁ、いいか。普通に見れば。普段だって結構見てるし)

「光莉~。着替えおわ━━━」

 

 そう言いながら振り返って、言葉を失った。っ…。思わずゴクリと喉を鳴らす。それは扇情的としか言いようのない光景で…。下着姿の光莉がそこにはいた。別にセクシーなランジェリーを身に着けているわけではない。それどころか購買で売ってる何の変哲もない純白の下着のはずなのに、どういうわけか視線が離せなかった。

 

 光莉が動くたびに私の視線もそれを追いかけて動いていく。ついこの間まではただの布に過ぎなかったはずのものに、私は夢中だった。ずっと見ていたい。そんなことを思うのはおかしいんだろうか?

 

「夜々ちゃん?」

「えっ?」

「夜々ちゃんさっきから私の方ばっか見てるから。どうしたのかなって」

「な、何でもないよ。光莉ってば相変わらず子供っぽいな~って思ってただけ」

「もぉ~夜々ちゃんひどいよ。気にしてるのに~」

「だったらもっとセクシーなの着けなきゃ。今度選んであげようか?」

「またそうやって意地悪言うんだから。どうせ私のサイズに合うやつなんて子供っぽいのだけだもん」

 

 光莉のことをからかって誤魔化しながら、私は自分の異変に動揺していた。やっぱり私どこかおかしい。昨日光莉の裸を見てから、なんか変だよ。

 

(私、やっぱり興奮してる)

 

 

 

 

「こらー!光莉さ~ん。待ちなさ~い」

「夜々ちゃ~ん、助けて~」」

 

 友人に追いかけまわされた光莉がおふざけで私に抱き着いてくる。これだけ見ればクラスで友人とふざけあう、なんてことないお昼休みの光景だ。

 

「光莉。大人しく捕まんなさいよ」

「ええ~?夜々ちゃんは助けてくれないの?」

 

 その日は本当に急に抱き着いてきたものだから偶然手がお尻に触れてしまって内心ドキドキしていた。

 

(華奢だと思ってたのに、ちゃんと…指が沈み込むんだ)

 

 肉付きが良くないとバカにしていたけれど、その予想外の触り心地は私を驚かせるには充分過ぎるほどだ。光莉は変に思わなかったかな?と気になって観察してたけど特に変わった様子はない。やっぱりおかしいのは私なのかな。おふざけ中に偶然手が触れただけでこんな風になるなんて…。

 

 友人から守るように光莉を優しく抱き締めていると光莉から良い匂いがしてくる。匂いと言ってもシャンプーの匂いのような、そんなどこかで売ってるような無個性な匂いじゃない。身体を密着させたときにだけふわっと漂ってくる甘~いミルクのような光莉そのものの匂いだ。抱き着いてきたのを幸いとばかりに光莉の匂いを堪能しておく。これも役得というやつだろうか。あまり長く抱き締めてると変な風に思われるから渋々ある程度で離すけど、本当はいつまでだって…。

 

(こんなおふざけじゃなくて二人きりで抱き合えたらな…)

 

 これくらいは普通だよね?だって私は光莉のこと好きなんだし。ただのスキンシップだから…。それ以上のことなんて望んで…ないし。

 

 

 

 

「ねぇ夜々ちゃん。お互いのパフェちょっと交換しない?」

「いいよ。光莉のも美味しそうだなって思ってたから丁度良かった」

 

 スピカのカフェで出してる期間限定スイーツ。一人で2個食べるのは勇気がいるけど二人でシェアしあえば両方の味も楽しめるしお財布にも優しい。

 

「はい、夜々ちゃん。あ~ん」

「えっ?ちょっと光莉?は、恥ずかしいよ。それにスプーンだって」

「早くしないと零れちゃうよ、ほら」

 

 差し出してきたスプーンはさっきまで光莉が使っていたもので、つまり間接キスということになる。一度意識してしまうともう止まらなくて、よく今までは気にせずにこんなこと出来ていたなって思ってしまう。光莉は全然気にならないんだろうか?

 

 恐る恐るパクッとスプーンに食い付きパフェを口に含む。アイスとかイチゴとか色んな味がするけど、正直よくわからない。パフェを飲み込んで光莉の方を見るとクスクスと笑っていた。

 

「な、何か変だった?」

「だって夜々ちゃんてば食べる時に目瞑ってるんだもん。スプーンを前にしてこんな感じで」

 

 余程面白かったのかまだ笑ってる。目を瞑ってたなんて全然気付かなかった。どうも間接キスに気を取られて意識し過ぎてたみたい。

 

「じゃあ次は夜々ちゃんの頂戴」

 

 新しいスプーンを取りに行こうか一瞬迷ったけど、もう光莉のスプーンで間接キスしてしまっているし…いいかな?なるべく色んな味が楽しめるようにと複数の層をスプーンに乗せてあげる。

 

「ひ、光莉。はい、あ~ん」

「あ~ん。……。あー!こっちもおいし~」

 

 幸せそうな顔をする光莉に会話を合わせつつ光莉が口を付けたスプーンを見つめる。照明が反射してキラリと輝いたそれを私は口に含んだ。別にそういうつもりじゃない。スプーンに残っていた僅かなクリームを舐めようとしただけだ。

 

(美味しい…)

 

 そう思ったのはクリームの味か、それとも間接キスの…。

 

 

 

 

 そんな日常を繰り返すうちに、私の中で何かが少しずつ壊れ始めていった。

朝の着替えで偶然見れたらラッキーくらいに思っていた光莉の下着姿を、いつからか明確に見たいと思う自分がいて。着替えの間中チラチラと光莉のことを盗み見ては一喜一憂してみたり。

 

 他の場面でも見たいとか、触りたいという願望が日増しに大きくなっていって私の心は乱れていく。その度に私は自分を誤魔化して、これくらい普通だとか、単に光莉を好きなだけと子供じみた言い訳を繰り返す。

 

 すぐ後ろに迫る破滅の足音が刻々と近付いてきていることに、本当は気付いていたのに…。

 

 

 

 

 

 光莉のことがどんどん好きになっていく。止められない暴走列車のように、ただひたすらに…。それと比例するように私は自分の欲求を抑えることが出来なくなっていた。光莉の身体を見たいとか、触れてみたいという欲望ばかりが頭の中を行ったり来たり。

 

 そしてある日突然マグマみたいに噴出したそれによって私の身体は乗っ取られてしまった。

 

 

(いつもお風呂長いし、まだ出てこないよね?)

 

 気付けば私は光莉の入浴中に洗濯籠を漁っていた。いつ出てくるともわかない恐怖に怯えながら光莉の脱いだ服を物色する。ベッドに戻った私の手には下着が握られていた。まだほんのりとあったかい。体温が残ったそれは間違いなく光莉がさっきまで身に着けていたものだ。

 

(どうしよう。こんなことしちゃって。いくらなんでも…これは)

 自分でも驚くくらい衝動的な行動に軽いパニックに陥る。けれど、下着を握りしめているうちに私はどうしても我慢できなくなって…。

 

(ちょっとだけ、ちょっと興味があるだけだから。私はおかしくなんかない。すぐに返すから)

 

 誘惑に負けて顔を押し付けてみると信じられないくらい興奮した。布団を被り太もも同士を擦るようにして僅かな刺激を与えただけで電流が走ったみたいになる。一瞬躊躇したものの好奇心に駆られてショーツの上から指でなぞると、身体はピクンと跳ねながら切ない声を漏らした。手で押さえたくらいじゃとても我慢できそうにない。そう思った私は仕方なく被っていた布団の端を噛み締める。唾液で汚れちゃうけど、今はそんなことどうだってよかった。早くしないと光莉がお風呂から出てきちゃう。

 

 コツを掴んだ私は片手で光莉の下着を握りしめながら、もう片方の手を胸や下半身へと這わせていく。光莉の蠱惑的な残り香を吸い込みながら何度も指を往復させるとショーツはじわりと湿り気を帯びて、やがて水音を奏でた。次第にショーツの上からでは物足りなくなり直接弄り始めると、そのあまりの気持ちよさに何度も身体が跳ね回る。波が来ては足をピーンと伸ばし、また波が来てはの繰り返し。

 

(光莉。光莉)

 

 頭の中で必死に名前を叫ぶ。光莉の匂いだけじゃなく、許されない行為をしているという背徳感が私を余計に昂らせる

 

 そしてついに頭の中がチカチカと点滅し景色が真っ白になると同時に私は身体を大きく震わせた。布団を噛み締めて声を押し殺してもなお、くぐもった声が辺りに響く。そのままベッドにぐったりと横になり肩で息をしながら甘い余韻に身を任せる。本当は一秒でも早く下着を戻しに行くべきなんだけど身体が言うことを聞かなかった。

 

 幸いにもお風呂の方までは聞こえずに済んだみたいだ。その事実にホッとしながら私は気だるい身体を引きずって洗面所へと向かう。中では光莉が鼻歌を歌いながら呑気に髪を洗っていた。よかった、気付かれなくて。

 

 光莉に見つかることなく下着を返し終えた私はふとお風呂の扉の前で立ち止まった。これを開ければ光莉がいる。下着じゃなくて、本物の光莉が…。満たされたはずだったのに、もう次を求めてしまう。その貪欲さに内心驚きつつも私は扉に手を掛けていた。

 

 でも私は扉を開ける寸前で…気付いてしまったのだ。扉の取っ手を掴んだ右手が穢れていることに。テラテラと光る指先のそれは紛れもなく私が光莉で欲求を満たした証拠で。そう思った途端に急にそれがとても汚らしいものに見え始めた。一刻も早く洗い流したくなってハンドソープのポンプを押して泡を出し、両手に塗りたくって水で洗い流す。綺麗になったはずなのにまだ汚れている気がして、私は取り憑かれたように何度も何度も手を洗った。

 

 ふと顔を上げると鏡に悪魔が映っている。大切な光莉を使って欲望を満たした私とそっくりな顔をした悪魔が。自分の顔を濡れた手でペタリと触ると水滴が付いた。当然のことだ。もう一度鏡を見ると悪魔も同じように水滴が付いていた。なんで?どうして?

 

 悪魔が私で。私が悪魔で。うそだ。うそだうそだうそだ。信じたくなくて、認めたくなくて。私は自分の考えを否定した。これは悪魔が見せた悪夢だ。

 

「あ、夜々ちゃん」

 

 ガチャリという音ともにタオルを身体に巻いた光莉が現れた。その姿はまるで悪魔を断罪する天使にも似た神々しい姿で…。

 

「ひ、光莉?」

 

 私はイタズラが見つかった子供のようにその姿に怯えた。

 

「って夜々ちゃんどうしたの?お顔が真っ青だよ?どこか悪いの?」

「な、何でもないよ。ちょっと顔を洗いに来ただけ。すぐ戻るから」

「でも…」

「ほんとうに大丈夫だから」

 

 逃げるように去りながら私は自分が取り返しのつかないことをしたのだとようやく実感した。

 

 

 流石に私だって理解し始めていた。聞こえていた足音がもう私のすぐ後ろまで迫っていたことを。もう逃げられはしない。大きく口を開けた奈落の闇が私を飲み込もうと蠢いていた。私の感情が神様の与えた呪いだというのなら、どうかもう許して欲しい。私はもう壊れてしまったのだから。

 

 

「ねぇ光莉。起きてる?」

 

 就寝時間が過ぎてから30分ほどして、私は光莉に小声で呼びかけた。返事はなく、代わりにすぅすぅという規則正しい寝息だけが聞こえてくる。もう寝ちゃったのか。なるべく音を立てないように気を付けながらベッドから起き上がり、光莉の傍へと忍び寄る。

 

(やっぱり可愛いな…光莉は)

 

 そんな風に穏やかに思ったのも束の間、私の視線は呼吸と共に上下する光莉の薄い胸へと吸い寄せられていく。以前であれば寝顔を見るだけで心が満たされたというのに…。今はもうそれだけでは物足りなくなってしまっていた。

 

 光莉の身体を包んでいるのはパジャマと下着だけ。そのパジャマだって前のボタンは身体を守るにはあまりに頼りなさげで、少し力を加えただけで簡単に外れてしまいそうだ。思わず好奇心がくすぐられる。このボタンを外したい。これを外したらお風呂で見たあの光莉の身体が見られるかもしれない。口の中いっぱいに溜まっていた唾液を飲み込むと、思いのほかゴクリと大きな音を立てた。

 

「光莉。起きないとイタズラしちゃうよ?」

 

 起きて私を止めて欲しいとも思う反面、起きないで欲しいとも思う。ううん、そんなの嘘だ。起きないで欲しいと私は思ってた。だってその証拠に実際に私の口から出たのはとてもか細い声だったのだから。

 

 耳元で囁いた癖に光莉が起きなかったことに歓喜しながら、胸元のボタンにそっと手を伸ばし指を掛ける。ボタンを傾けて穴を通すと、あっけないくらい簡単にボタンは外れてしまった。同じ要領で今度は二つ目を。二つもボタンが外れたパジャマからは光莉の白い肌が顔を覗かせ、私を誘惑する。

 

 そしてあまりにも容易くボタンが外れたせいで今まで何度も夢に見た邪な願望が、私の中で急速に形を持って暴れ始めた。手に入らないと思っていた時は意識せずに済んだのに、いざこうして現実味を帯びてくると、頭の中から追い出すことが出来ない。

 

 私の中の何かはとっくに壊れてしまっている。いや、最初から壊れていたのかも。今となってはどっちだって構わない。今はただ…。光莉を抱き締めたい。光莉とキスしたい。光莉の身体に覆いかぶさりたい。光莉が欲しい。光莉と…一つになりたい。ああ、光莉。ヒカリヒカリヒカリヒカリヒカリ。好き。大好き。愛してる。誰かに奪われる前に光莉を自分だけのものにしたい。無数の光が頭の中で弾けて消えて、そして今度は光莉で満たされていく。

 

 私は欲望を叶えようと三つ目のボタンへと手を伸ばす。しかし、これまで同様簡単に外れると思ったそれは、なぜか私の手を煩わせた。ボタンを穴に通すだけなのに、そんな動作が上手くいかない。焦っているんだろうか?それともこれは…私の中の最後の良心だとでもいうのだろうか?

 

 つい手に力が入ってしまい、光莉の身体に触れてしまった。ピクンッと光莉の身体が反応する。私はそれを息を殺して見守った。大丈夫起きてない。まだ…まだ眠って━━━。

 

「んっ……。や…や…ちゃん」

 

 驚いた私の身体がビクンと跳ねた。心臓が止まりそうになる。浅い呼吸を繰り返し何度も唾を飲み込みながら両手で口を覆ってジッと耐える。結局声を発したのはそれっきりで少しするとまたすぅすぅという寝息に戻っっていった。

 

(なんだ、寝言か。びっくりした。まさか私の名前を呼ぶなんて)

 

 どうにかやり過ごした私は当然のように再びボタンへと手を伸ばし…そこで止まった。私は一体、何をしていたんだろう?緊張の糸が切れた途端、自分の今までの行いが頭の中にフラッシュバックしていく。

 

 

 あれ?あれ?あれ?いくら光莉が寝てたたからって。こんなこと。ボタンを外した後、私は光莉に何をしようとしてた?こんな寝込みを襲うようなこと…。光莉が起きたら一体どうするつもりだったの?光莉が嫌がったら?抵抗したら?そしたらやめてた?私ちゃんとやめられてた?違う。違う違う違う。やめるつもりなんて全然なかった。ただただ光莉と一つになりたかった。考えてなかった、何も。光莉の気持ちなんて何一つ考えてなかった。自分のことだけで頭がいっぱいだった。

 

 あ、ああああ、あああああああああああああああああああああ。

 

 私はどんな顔していたの?どんな?どんな顔を?少しは心苦しそうだった?少しは躊躇っていた?それとも…笑ってた?嫌だ!嫌だ嫌だ嫌だ!こんなのいやぁっ!

 

 知らなかった。自分の好きがこんな意味だったなんて。単に異性に向ける好きが同性に向いているだけだと思っていたのに。仲良くなりたいとか、一緒にいたいとか、手を繋ぎたいとかそんなんじゃ物足りなくて。もっと生々しくてドス黒い何かでいっぱいの愛…。気持ちが悪い。こんなの普通じゃない。普通の女の子が持つ感情じゃない。どうしよう。どうしようどうしようどうしよう。

 

 最低だ、私。私の好きがこんな自分勝手な最低のものだったんだなんて知りたくなかった。好きな子を襲うなんてどうかしてる。どうして?どうして私の好きは普通じゃないの?私は光莉のこと普通に好きになりたかったのに!そこまで考えて、私はふと気付いてしまった。

 

 あは、あはははは、あははははははははは。そっかぁ。そういうことだったんだぁ。私、私は…。

━━普通の女の子じゃなかったんだ━━

 

 

 光莉を起こさないように気を付けながら部屋を出ていちご舎の中をふらふらと彷徨っていく。壁に手を付きながら足元もおぼつかない様子で。

 

 よかった。ちゃんと気付けて。時間がかかっちゃったけどようやく気付けた。ようやく気付くことが出来たよ。光莉を傷付ける前で本当によかった。まだ、まだ間に合うよね?私まだ、大丈夫だよね?今からでもちゃんと普通の女の子のフリをすれば、光莉と一緒にいられるよね?

 

「あはははははは。そんなわけ…ないよね」

 

 いつの間にか涙が頬を伝っていて、床に落ちた雫でようやく自分が泣いてることに気付いた。そのまま崩れるように廊下にペタリと座り込んだ私は、しばらく一人で泣いていた。声だけは押し殺して、誰にも聞こえないように。

 

「光莉とさよならしなきゃ。でないといつか過ちを犯してしまう。だから光莉のために、さよならしなくちゃ…」

 

 呟いた私の声に、返事をするものは誰もいなかった。

 

 

 後ろから迫っていたはずの足音がいつしか止んでいた。どこへ行ってしまったのだろうか?あれだけ大きな音がしていたのに…。理由は簡単で、少し考えればすぐに分かることだ。足音がしないのは歩く必要がなくなったからだと。

 

 あまりに簡単なクイズの答えに笑う私を破滅がじっと見下ろしていた。

━━足音はもう聞こえない━━

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※改稿内容について。改行だけ入れました。


 いかがでしたでしょうか?今回はアニメ「ストロベリー・パニック」屈指の悲劇のヒロイン南都夜々ちゃんが登場です。前にも一度列挙した私の好きなストパニキャラトップ3。玉青ちゃん、深雪さん、そして夜々ちゃんとついに最後の一人が揃いました。いやー書き始める前は玉青ちゃんと夜々ちゃんのどちらをメインにしようかと悩んだんですけどもね~。ミアトルだと玉青ちゃんだけでなく深雪さんも付いてきてお得!と思って私の作品では玉青ちゃんメインとなっております。

 さて、アニメでは衝動的に光莉ちゃんに手を出してしまい、光莉ちゃんに避けられることになった夜々ちゃん。最後まで微妙な距離感が元に戻ることはなく、エトワール選も自室で蕾ちゃんと膝を抱えたまま過ごすという…。もう少しこう何というか、手心というか…。でもだからこそグッときたというのも否定できないんですけどね。

 え~この夜々ちゃんと光莉ちゃんの過去回想はちゃんと続きますのでもしよかったら次章もよろしくお願いします。それでは~。





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第7章「どうか私を拒絶して」

■あらすじ
 気付いてしまった自分の本性。それは愛する人を傷付けるもので。でも愛しているからこそ抑えきれなくて。理性と本能の狭間で板挟みとなった夜々は静かに決断する。一緒にはいられないと。光莉と二人きりで過ごす運命の日曜日。もう後戻りは出来ない。少女の悲痛な告白が二人の仲を引き裂いていく。全てはただ光莉のために…。

 今現在の二人を描く1話と前回の過去回想の続きを含む3話の合計4話でお届け。今回もオール夜々ちゃん視点の夜々ちゃん祭りですのでぜひよろしくお願いします。


■目次

<お目覚めにキスはいかが?アンコール>…南都夜々視点

━下の3話は過去回想です━
<さよならへの第一歩>…南都夜々視点
<誰よりも愛してる>…南都夜々視点
<バイバイ>…南都夜々視点



<お目覚めにキスはいかが?アンコール>…南都夜々視点

 

「夜々ちゃんっ!朝だよ~起きて~」

「んっ…。んん~。朝ぁ?って時間はっ!?」

 

 光莉の声に目を覚ましハッと身体を起こすと私を覗き込む光莉と目が合った。

 

「おはよう夜々ちゃん。時間なら大丈夫だよ。まだ起床時間を少し過ぎたくらいだから」

「そっか」

 

 安心して再びベッドに身体を預ける。頭が痛い…ような気がするけど、夢のせいかな?ひどい夢だった。正確には夢というより昔の出来事なんだけど、寝てる時に見てたんだからやっぱり夢でいいのかな。なんてくだらないことを考えて少しでも早く忘れようとしてみたり。

 

「珍しいね夜々ちゃんが私よりお寝坊さんだなんて」

 

 普段は起床時間過ぎても全然起きないくせにこういうときだけ意外と早起きなんだから、困っちゃうなぁもう。

 

「うん、ちょっと嫌な夢見ちゃって」

「夢?」

「昔のこと。光莉に…自分のこと打ち明けた日の夢だった」

「あ~。それは悪夢だね。私もその夢は見たくないなぁ」

「でしょ?たしかあの日も日曜日だったよね」

「その話はやめようよ。お互い得しないよ?」

「うん…そうだね」

 

 光莉の言う通りだ。これはどっちも暗い気分になるようなそんな苦い思い出。楽しいことでも考えよう。ベッドにごろんと転がったまま何か楽しいことはないかとうだうだしていると光莉が顔を近付けてきた。

 

「どうしたの?」

「ん~と。悪夢から目が覚めるように起こしてあげようかと思って」

「じゃあお願いしてみようかな?どんな風に起こしてくれるのか分からないけど、もし良いアイデアだったら光莉を起こすのにも利用させて貰っちゃおうかな~なんて」

「夜々ちゃんは知ってる方法だよ。この前してくれて気に入ってるんだ」

「へぇ?」

 

 クスクス笑う光莉に返事をしながら記憶を辿っていく。 光莉が気に入った起こし方なんてあったかな?新しいのをいくつか試したけど、どれもイマイチだったような…。あっ、もしかして気に入らなかった方法を私にやり返して抗議するつもりとか?う~ん、ありそう。

 

「夜々ちゃん目瞑ってよ。じゃないと起こせないよ」

「はいはい。一応言っとくけど痛いのとかはナシだよ?」

「それはされてからのお楽しみ~」

「ええっ?」

 

 まぁいっか。私も結構起こすの楽しんだりしてるし。たまには実験台になってあげましょうかね。

 

「ほら、目閉じたよ~」

「はぁ~い。いくよ~」

 

 あ、意外と怖いかも。寝てればそうでもないんだろうけど起きちゃってるしな~。ううう、痛くありませんように。そんなことを祈りながら目を瞑る私の唇に突然柔らかい感触が訪れた。あれ?これって…キス?なんで?予想外の展開に戸惑う私をよそにそれは2度3度と繰り返される。光莉のキスはあったかくて優しくて…気持ちがいい。

 

「ふふふっ。どうだった?夜々ちゃんがこの前してくれたやつのお返し」

「光莉、あれ気に入ってくれてたの?」

「うん!キスで目覚めるなんてまるでお姫様になったみたいだったから。夜々ちゃんはあの時以来してくれないけど、結構気に入ってたんだよ」

「な~んだ。嫌なのかと思って遠慮してたのに」

「だって気に入ったって言うの恥ずかしいもん。それに毎日されたらドキドキして朝勝手に目が覚めちゃうよ」

「私はむしろ逆かな。気持ちよくて逆にまた眠っちゃいそうだったよ」

 

 そう言いながら光莉の頬に手を当て視線を交わす。

 

「もう、夜々ちゃんってば~。欲張りなんだから」

 

 満更でもない様子の光莉を見つめた後、私は再び目を瞑る。アンコールを求めて。

そして暖かな朝の陽射しに照らされながら…私と光莉の影が重なった。

 

「光莉。どこにも行かないでね」

「うん。私は夜々ちゃんの傍にいるよ。だから安心してね」

 

 見つめ合った二人の、今度は影ではなく言葉が重なった。二人分の『愛してる』が…。

 

 

 

 

 

 

 

 

<さよならへの第一歩>…南都夜々視点

 

 どんな風にさよならを告げようか悩んでいた。光莉は優しい子だから、生半可なやり方じゃダメかもしれない。私が光莉に近付かないだけではなく、光莉が私に近付かないように仕向ける必要もある。

 

(手っ取り早いのは嫌われることかな…)

 

 嫌われてしまえば不用意に近付いてくることもないだろう。ならどうやって嫌われる?出来れば私が危険な人物だと分かってもらえた方がいい。

 

(やっぱり今までの事も言った方がいいかな。光莉のこと裏切ってたんだし)

 

 私がしてきたことをそのまま言えば光莉はきっと私を嫌悪し、部屋を飛び出していくだろう。暴力とかそういうことよりも、同性からそういう目で見られていたという方が恐怖を感じるかもしれない。泣かせちゃうかな?たぶんショックを与えてしまうし、光莉を傷付ける結果になる。

 

(それでも、本当に襲われるよりは…ずっとマシ…だよね)

 

 光莉に打ち明ける決意を固めた私は日曜日をその日に選び、光莉に相談した。

 

「ねぇ光莉。日曜日なんだけど時間あるかな?」

「日曜なら大丈夫だよ。あ、前に言ってたお買い物?」

 

 ううん、と首を振って否定しながら私は答えた。

 

「ちょっと光莉とお茶でも飲みながらゆっくり話がしたくてさ。それで聞いてみたの」

「そっかぁ。あのね、夜々ちゃん何か悩み事とかあったりする?」

「え、なんで?」

「実は最近…なんとなくだけど元気ないように見えたから心配してたんだ。だからもし悩み事とかあったら私に話して欲しくて」

「大丈夫だよ。ちょっと聖歌隊の練習で疲れてるだけ。だから日曜日はのんびりしようと思ってるんだ」

「ほんと?よかったぁ。じゃあその日は、いーっぱいおしゃべりしようね!」

「うん、そうだね」

 

 私のこと心配してくれてたんだ。そのことに嬉しさを覚えつつも同時に寂しさがこみ上げてくる。嫌われたらこうやって心配もしてもらえなくなっちゃうんだよね。結構辛いなぁ。それに私の話を聞いたらどんな顔をするんだろうかと想像すると、それだけで決意が揺らぎそうになる。光莉の言うようにただ楽しくお喋りできたらどんなに楽か。でも後戻りは出来ない。そんな道はもう残されていないのだから。

 

 私にできるのは愛する人のために愛する人に嫌われることだけ。神様って残酷だな。

 

(ごめんね光莉。私がもっと早く自分のことに気付けていたらこんなことにはならなかったのに)

 

 私頑張るから。頑張って光莉に嫌われるから。だから…少しでも早く。1分でも1秒でもいいから。

━━どうか私を拒絶して━━

 

 

 

 

 

 

 

<誰よりも愛してる>…南都夜々視点

 

 日曜日までの間は不思議と光莉に欲情することなく穏やかに過ごすことができた。私はこんな風に光莉を見ていたんだと驚くほどに。なんだか光莉と出会ったばかりの頃に戻ったみたいで懐かしい気分になる。

 

「夜々ちゃん、なにか手伝おうか?」

「大丈夫だから光莉は座ってていいよ。玉青さんのみたいに本格的じゃないからさ」

 

 私が用意しているのはカップにいれてお湯を注ぐだけの紅茶のティーバッグだ。茶葉のと違ってこれなら私にだって淹れられる。なにより今日はお茶ではなくお話がメインなのだから喉を潤す役目を果たしてくれればそれでいい。

 

「はい、光莉の分」

「ありがとう夜々ちゃん」

 

 光莉の無邪気な笑顔がとても眩しく見える。私とお喋るするのを楽しみにしてくれてたのかな?そう思うと余計に眩しく感じてしまう。私の目にブラインドでも付けられればいいのに。小さなテーブルを挟んで光莉と二人きり。これが最後の光莉とのお茶会だ。

 

 二つのマグカップが並んでいる。まるで親友のように仲良さそうに。熱々の紅茶から立ち昇る湯気がカップを飛び出し空中をふわふわと漂う。時折空気が揺らぐと湯気は楽しそうに踊っていた。これから起こる出来事など知る由もなく、ただただ楽しそうに。入れられた砂糖がスプーンでかき混ぜられて溶けていく。紅茶がとても美味しそうにカップを彩っていた。

 

「今日は何のお話する?結構色々考えてきたんだ。私部活にまだ入ってないでしょ?だから夜々ちゃんの聖歌隊のお話を聞いてみたいなとか。今度の校外学習楽しみだねってお話とか。夜々ちゃんはどう?」

「聖歌隊って結構大変だよ~。光莉が考えてるより10倍は厳しいかな」

「え~?それはいくらなんでも脅かしすぎだよ」

 

 私もすぐに本題に入るのは怖くて、とりあえず光莉の話に合わせてしまった。失敗したかな?早く切り出さないと、言えなくなっちゃいそうだ。そう思いながらもズルズルと時間は経過していく。すっかり光莉の話題に乗ってしまった。

 

「あ、ごめんね私の話ばかりで。夜々ちゃん聞き上手だから話すのが楽しくて。次は夜々ちゃんのお話聞かせてよ」

「私の…話ね」

「うん。最初にお話ししようって言ったの夜々ちゃんだし、何か話したいことあるんでしょう?」

「あるよ、光莉に話したいこと。たくさん…あるよ」

 

 自分でも予想してたけどすぐには言葉が続かなかった。どう切り出していいのかは結局今になってもわからないままだ。だからまずは自分の想いを伝えることにした。

 

「私ね、光莉のことが好きなんだ」

「え?」

 

 一瞬キョトンとした顔を浮かべたけど光莉はすぐに笑って。

 

「突然畏まって言うからびっくりしちゃった。私もね、夜々ちゃんのこと好きだよ。だ~い好き。だって一番の親友だもん」

 

 目を閉じ胸に手を当てながら私のことを好きだと言ってくれた。その様子からは嘘をついてるなんてとても思えない。本心なんだろうって思う。それは普通の女の子同士であれば最上級の愛情表現と言えるもので、本当は喜ぶべきなんだろうけど。私には…残酷な事実でしかない。嬉しいとは思う。私も光莉のことを親友だと思っている。でも同時に、心のどこかで光莉も私のことをと願う部分がなかったわけでもない。光莉も私と同じであれば、さよならは必要ないのだから…。

 

(やっぱりそうだよね。そんなわけ…ないよね)

 

 間違いなく光莉は普通の女の子だ。同性に対して恋愛感情を抱いたりはしない。もちろん欲情したりなんて有り得ないだろう。一縷の望みが断たれてようやく諦めがついた。光莉は私といるべきじゃない。そう確信した。

 

「ありがとう。光莉にそう言ってもらえて嬉しいよ」

「ほんと?じゃあ夜々ちゃんも私のこと親友って思ってくれてる?もしそうなら私たち一緒━━━」

「━━━違うよ」

「えっ?」

 

 自分でも驚くほど冷たく言い放った。それは嬉しそうに喋る光莉の声を遮り、場の空気を一瞬で凍り付かせてしまうほどに。私ってこんな声も出せたんだ。

 

「夜々…ちゃん?」

 

 驚いた光莉が恐る恐る呼びかけてくる。私はそれさえも断ち切るように。

 

「━━━私は光莉のこと親友だなんて思ってないよ━━━」

「う…そ」

 

 光莉の声は聞き取れないほど小さかったけど、口の動きでそう言っているのがわかった。そして俯きながら小さな声で尋ねてくる。

 

「えと。私何か夜々ちゃんに嫌われるようなことしちゃってたかな。もしそうなら言って欲しいな。私ほら、少し抜けてるところがあるから…。自分じゃ気付かないうちに気に障るようなことしたんだと思うから。だから…」

「光莉は何もしてないよ。何にも」

「じゃあっ!」

 

 なんで?とこちらに向けた顔がそう訴えかけていた。でもこれは本当のことだ。だって当たり前じゃないか。悪いのは私なんだから。もし光莉に罪があるすれば…それは可愛すぎることくらいだろう。顔も、性格も、ここまで可愛くなければ私だってここまで愛さなかったかもしれない。

 

「さっき夜々ちゃん言ってくれたよ?私のこと好きって。なのに…親友じゃないの?あれは嘘だったの?」

「好きだよ。光莉のこと大好き。でもそれだけじゃないの」

「それだけって?」

「私ね、愛してるの。━━光莉のこと愛してる━━」

 

 紅茶が少しずつ冷め始めていた。あれだけ楽しそうに踊っていた湯気も今はもう僅かに揺らめくだけ。溶け切らなかったお砂糖がカップの底に沈殿して静かに佇んでいる。まるで二人を見守るかのように。意味もなく紅茶をかき混ぜるスプーンがマグカップと擦れてカチャカチャと音を立てる。紅茶の色がほんの少しだけ濁り始めていた。

 

 

 光莉から返事はない。驚いたような、困ったようなどっちとも取れない顔をして私を見つめている。

 

「ごめん、驚かせちゃったね。私が言いたいのは…光莉の好きと私の好きは違うってこと」

「そんなこと…ないよ。私だって夜々ちゃんのこと…あの、その」

 

 少し待っても光莉の口から愛しているという言葉は出なかった。私だって出るとは思ってない。むしろ出てたら驚いたくらいだ。

 

 そして代わりに出てきた言葉は…。

 

「ま、待ってよ夜々ちゃん。わ、私女の子だよ?」

「女の子が女の子に愛してるって言ったらダメかな?」

「ダメじゃ…ないけど」

 

 私の返答に光莉は俯いてしまった。光莉はどう思ったんだろう?きっとおかしいって思ったんだろうな。

 

「よく聞いて欲しいの。私は光莉のことを恋愛対象として見てる。私は元からね、男の人じゃなくて女の子と恋愛をしたかったの。女の子が好き。女の子しか愛せないの!私の好きっていうのはそういう好きなんだ。光莉のこと愛してる。恋人になりたいと思ってる。だから私は光莉のことを親友とは思っていないの」

「ま、待ってよ。えっと、つまり夜々ちゃんは私に恋をしてるってこと?」

「そう…なるかな」

 

 たぶんあんまり伝わっていないかな。そうだよね。光莉には分からないよね。私の答えに光莉は再び俯いたけれど、すぐにパッと顔を上げて冗談めかして笑いながら言った。

 

「そ、そうだ、夜々ちゃん私のことからかってるんでしょう?私が子供っぽいから、恋愛とか疎くてわからないってバカにしてるんだ。そうなんでしょう?もぉ~夜々ちゃんてば意地悪なんだから。たしかにその通りだけどさ」

 

 私が何も言い返さずにじっと光莉を見据えていると、光莉は不安そうな顔を浮かべ始めた。そしてその不安を振り払おうとするかのようになおもしゃべり続ける。

 

「ど、ドッキリなら大成功だね?私すっごく驚いたもん。多分今まで一番驚いたよ。私ってやっぱりお子様だな~なんて、ね?夜々ちゃん?だからそろそろ…。あの…夜々…ちゃん?」

 

 ネタバラシしてよと言いたげに光莉が私を見ている。その縋りつくような目に胸のあたりがズキッと痛む。

 

「光莉ッ!!」

 

 そんな光莉を一喝するように大声で叫ぶと光莉はビクッと身体を弾ませた。少しずつ冗談ではないと気付いてきたのかその顔に緊張が見える。

 

「私は本気だよ。光莉には信じられないかもしれないけど、世の中にはそういう人もいて、私はその一人なの」

「ご、ごめんね。別に夜々ちゃんのことバカにしてりするつもりはなかったの。ただ、その…受け止められなくて」

「いいの。自分でも分かってる。普通じゃないって」

「そ、そんな…こと…」

 

 直接ではないけれど、力のない声と途切れた言葉が如実に物語っていた。普通じゃないと思っていることを。

 

「私、女の子同士で恋愛とかそういうの分からないし、なんて言っていいかも分からない。でも夜々ちゃんのこと変だなんて思ったりしないよ。夜々ちゃんは夜々ちゃんだもん」

「本当にそう思ってる?」

「あっ…、う…」

 

 二人の関係を示すように、マグカップの位置が離れている。あんなに近くに居たのに。いつの間にか遠くに。紅茶は冷めきってしまってもう湯気は一筋も出ていない。さっきまで美味しそうだったのが嘘のように今はくすんで見えた。

 

 いきなり女の子に愛してるって言われてもどうしていいかわからないよね。それが普通だよ。

 

「ご、ごめんね夜々ちゃん。あの…えと…」

 

 光莉は一旦言葉を区切り、気持ちを落ち着かせるように紅茶を口に含んだ。それに合わせて深呼吸も何度か繰り返す。

 

「恋人には…なれないよ。や、夜々ちゃんが嫌ってわけじゃないの。そうじゃなくてね。本当によく分からないの。友達としての好きくらいしか、まだ知らないの。だから夜々ちゃんが女の子とか関係なく、お付き合いとかそういうのは無理かなって…。ごめんなさい」

「光莉が謝ることないよ。私が一方的に言ってるだけなんだし」

「あ、あのね。恋人にはなれないけどこれからも仲良くしようよ。せっかくルームメイトなんだし。夜々ちゃんとだったらきっと楽しい思い出いっぱい作れると思うの。一緒に学校に行って、みんなと遊んで、休みの日にはどこかへ行ったり、時には部屋でゴロゴロして。私、夜々ちゃんとしたいことたくさんあるよ。だからこれまで通り仲良く━━━」

「━━━出来ないよ」

 

 光莉の優しい提案を跳ね除ける。正直心苦しい。けれど…。これまで通り仲良く、か。それが出来たらいいなって私も思う。でも出来ないからこうしているんだよ。

 

「夜々ちゃんとしては…気まずい…よね。ごめんね、色々と気が回らなくて。そうだよね、難しい…よね。でもすぐにじゃなくてもいいんだ。しばらくは単なるルームメイトでもいいからさ、よかったら考えてみてよ」

「理由があるの。光莉と一緒の部屋で暮らせない理由が。私はまだ光莉に言わなくちゃいけないことがあるの。それを聞いたらきっと光莉だって納得するよ。ううん、納得なんてものじゃない。私に失望する。失望して…嫌いになるよ」

「夜々ちゃんは大袈裟だよ。私が夜々ちゃんを嫌いになったりだなんて」

「━━光莉のことを性的な目で見てたとしても?━━」

「せい…て…き?」

 

 光莉の目が大きく見開かれる。その驚きようは愛してると告げた時の比ではない。信じられないものを見るような目で私を見ていた。

 

「うん。光莉のことエッチな目で、イヤラシイ目で見てたんだよ。気付かなかった?本当は今日最初に言おうと思ってたんだけど、怖くて言い出せなかったの。言えば光莉に嫌われるって分かってたから」

 

 ついに言った。言ってしまった。ジェットコースターのように、後は堕ちていくだ。

 

「エッチって…うそ…でしょ?いくら夜々ちゃんが女の子を好きっていっても、そんなこと」

 

 あるわけない、と光莉は言いたそうだったけど声にはならなかった。 

 

「あるんだよ…そんなことが。私も最初は信じられなかったけどね。単に女の子が好きなだけかと思ってたのに違うんだもん。私の愛してるって、性的な欲求と切り離せないものみたい。おかしいよね。笑っちゃうよね。だって女の子なのに女の子の身体見て興奮しちゃうんだよ?」

 

「夜々ちゃん私の身体のこと子供っぽいって」

「途中までは…そう思ってた。華奢だし胸も薄いし。でもお風呂でシャンプー渡したときに違う感情が芽生えたの。光莉の身体を見てすごく綺麗だって思った。正直光莉みたいな身体つきの子に興奮するのか、それとも光莉の身体だから興奮するのかは分からない。どちらにせよ私が光莉に欲情してしまうのは事実なの」

「うそ…だよね?夜々ちゃんがそんなはず…ないよ」

 

 初めて光莉の顔に浮かぶ僅かな嫌悪。余程ショックだったのか目尻に涙が浮かんでいる。

 

「本当だよ。朝の着替えの時だって光莉のこと見たくて見たくて仕方がなかった。今日はどんな下着かな?とか早く脱がないかなって思ってた。光莉が下着姿になると私喜んでたんだよ」

「やめてよっ!」

「学校での休み時間もおふざけで光莉が抱き着いてきたときいつも嬉しかった。制服越しでも光莉のこと抱き締められて、身体に触れることができて。自分じゃ気付かないかもしれないけど、光莉って凄く良い匂いがするんだよ?ミルクみたいな甘~い匂い。その匂いを嗅いでドキドキしてた。叶うならばみんなの前でキスしたいとさえ思ってた。そうすれば光莉を独り占めに━━━」

「━━━夜々ちゃんっ!お願いだからやめてっ!」

 

 荒く息をつきながら叫んだ光莉を前に、私も一旦言葉を切った。見ればポタッ、ポタッと涙が頬を伝って床に落ちている。光莉の目から零れた涙はキラキラ光っていて 場違いだなってわかっていたけど それでも私は奇麗だなって思った。

 

「もういいよ。これ以上は…言わなくていいから」

「言わないとダメなんだよ。これはケジメなの。光莉のことを裏切り続けたことに対する私への罰。光莉が私のことを信頼してるのを良いことに…私はあなたを」

「もうやだ。聞きたく…ないよ」

「どうしても我慢できなくてあなたがお風呂に入っている時あなたの下着を盗んだことだってある。下着を盗んで、私は…あなたのことを想いながら自分を慰めたの。いけないことだって分かってた。ううん、いけないことだから余計に興奮したあなたが欲しくて欲しくて仕方がなかった。だからあなたが寝ている時だって━━━」

「━━━聞きたくない!聞きたくないよ!私そんなの知りたくない。なんで?どうして!?」

「寝ているあなたを…襲おうとしたのよ。朝起きてボタンが外れてたこと、なかった?」

「っ…!?」

 

 光莉の身体がビクッと跳ねた。その顔がみるみる恐怖で歪んでいく。

 

「あれは…だって。うそだ、うそだよ。私がきっとボタン止め忘れちゃったんだよ。それか緩くなってて寝てる時に外れちゃったんだよ。私、寝相があまり良くないから…」

「外れてたのって二つ目のボタンまでだったでしょ」

 それは外した私だから知ってる事実。私が外した証拠。

「あ、あれ。や…や…ちゃん…なの?夜々ちゃんが外したの?ほ、ほんとに…私のこと…襲おうとしてた…の?」

 

 座ったままずりずりと後ずさりを始める光莉。でも光莉がいるのはドアの反対側だったから、どんどんドアから遠ざかっていった。溢れた涙でぐしゃぐしゃになりながら、怯えた表情を浮かべる。

 

「あ、ああ。ややちゃ…、うそ」

 

 ドアから最も遠い壁まで行き着いた光莉は、そこで自分の身体を抱き締めるようにしてうずくまった。

 

(どうしよう、私怖いよ。夜々ちゃんが怖い。こんなの私の知ってる夜々ちゃんじゃないよ。私の知ってる夜々ちゃんは、いつも私のこと助けてくれて、守ってくれて。なのに…なんで)

「どう?光莉もそろそろ分かってきたでしょ?私がどれだけ危険な存在かって。私といると、いつか本当に襲われちゃうよ?」

 

 返事をしようにも声が出なかったのか、コクコクと頷くのを繰り返す。よかった。これで光莉も私に寄り付かなくなる。いっぱい嫌われちゃったけど構わない。全部光莉のためなんだから。そう、上手くいったはずだった…。少なくともこの時の私はそう思ってた。なのに…。

 

「ま、待って。なんで襲わなかったの?あの晩、夜々ちゃんは私を襲わなかったよね?」

「だから、ボタンが外れて━━━」

「━━━夜々ちゃん自分で言ってたよ。『襲おうとした』って。それってボタンを外したところでやめたってことでしょ?本当に襲うつもりだったなら襲えたのに。それって夜々ちゃんがちゃんと自分を抑えられるって証拠だよ」

「違うっ!襲うつもりだった。私はそれしか考えてなかった。なのに途中で光莉が…寝言で私の名前を呼んだから!それで怖くなって」

「理由はどうあれ途中で止められたんでしょ?だったらまだ大丈夫だよ。今日だって、話をしようって言いだしたのは私に警告をするためなんじゃないの?私のこと心配してくれたんでしょう?」

「それは…」

 

 当たってる。光莉が好きだから、光莉を傷付けたくないからこうしてるんだ。嫌われるために。

 

「夜々ちゃんは私のこと襲ったりなんかしない。きっとこれからも我慢できるよ。だから、これからもルームメイトでいよう?ね?」

 

 光莉が手を差し伸べてくれている。言葉だけじゃなくて本当に。さっきまでうずくまってたのに、いつの間にか私の傍に来て私に向かって手を伸ばしてる。なんで?どうして?わからない。さっきまで震えてたんだから怖いはずなのに、それでどうして手を伸ばせるの?光莉にとって私はあくまで友情の対象でしかないのに。それとも私が知らないだけで友情ってそんなに強いものなんだろうか?でも…。

 

「ダメだよ光莉。私覚えてる。光莉の下着で自分の欲求を満たしたことを。パジャマのボタンに手を掛けたことを。次は未遂じゃ終わらない。自分が一番良く分かってるよ」

 

 大丈夫なはずない。一度知ってしまった快楽を我慢できるわけない。それどころかもっと刺激を求めてしまう。鎮められるのは最初のうちだけで、いつかきっと本物の光莉じゃないと物足りなくなる。そうなった時に傷付くのは光莉なのに…

 

 どうすればいいの?どうすれば光莉に分かってもらえる?私が危険だって。傍にいちゃいけないんだって。きっと光莉はまだ欲情するということを知らないから口で言っても分からないんだ。

 

 だったら、だったら…こうするしか…ないよね?

 

「光莉」

「夜々ちゃん?」

 

 床に座り込んでいた光莉の両肩に手を置き優しく呼びかける。すると光莉は顔をパァッと輝かせながら私のことを見上げた。あれだけひどいことをしたのにまだ私を信じてくれるなんて、本当に天使様みたい。でも、光莉が優しいからこそちゃんと最後まで果たさなければいけないんだ。差し伸べられた手を払いのけないと。

 

 そう決意した私は…。

 

「ごめんね、光莉」

「えっ?」

 

 私が無防備な光莉を床に押し倒すと、その拍子に足がテーブルに当たって大きく揺れた。上にあったマグカップがガチャンと音を立ててひっくり返る。

 

 とうとうマグカップは倒れてしまった。床に倒れこんだ二人のように。その縁から紅茶が零れだしていく。とっくの昔に冷めた紅茶がテーブルの上を走り回り模様を描いていった。そして何かから逃げ出すようにテーブルの端へと向かっていく。果たして紅茶がカップに戻ることは出来るんだろうか?

 

 光莉は何が起きたからわからないといった様子で瞬きを繰り返した。抵抗することもなく、私のことを見上げている。

 

「うそだよね…夜々ちゃん。夜々ちゃん?」

 

 何も答えることなく無言で光莉に覆いかぶさる。

 

「わ、私信じてるからね?夜々ちゃんはこんなことしないって。これもきっと私を怖がらせるための演技だって。ねぇ夜々ちゃん、返事をしてよ」

 

 光莉の頬に手を掛けてその瞳を覗き込むと、そこには強い意志が感じられた。私のことを信じるという強い意志が…。私はこの想いを踏みにじり折らなければならないんだ。

 

「ごめんね光莉。私もうダメみたい。私を信じてくれるあなたのこと欲しくなっちゃった。だって可愛いんだもの」

「欲しいって…」

「光莉と一つになりたいの。私と一緒に暮らすってこういうことだよ?」

「お、落ち着いてよ。とりあえず私の上から…ひゃあっ!」

 

 光莉の太ももに手を伸ばし優しく撫で上げると光莉は可愛らしい悲鳴を上げた。

声を上げたのが恥ずかしかったのか顔がみるみるうちに赤くなっていく。私は太ももを撫で続けながら耳元で囁いた。

 

「光莉って案外おませさんなのね」

「ち、違うよ。突然だったからびっくりしただけ。そんなんじゃ」

「そんなことない。━━今の声すっごくエッチだったよ━━」

 

 私の囁きに光莉の顔色が変わった。紅潮していた顔が途端に青ざめていき、自分の身体を守るように両手を胸の前で交差させる。

 

「や、夜々ちゃん?」

「ほら、手をどけてよ。でないと光莉に触れられない」

「や、やだ!やめてよ夜々ちゃん。私はそんなの望んでない。私は夜々ちゃんと前みたいに仲良く」

 

 身体も声もどちらも震わせながら必死に訴えかける光莉の姿に、私の胸がズキズキと痛んだ。その痛みはまるで針で刺されたみたいで、呼吸も覚束ない。けれど私は…光莉に言い放った。光莉が少しでも傷付くように。自分の心も切り裂きながら。

 

「あ~あ。なんだか飽きてきちゃったな。━━光莉との友達ごっこ━━」

「えっ…?夜々ちゃん…なにを…言って」

 

 光莉は口をパクパクさせながら言葉を絞り出した。

 

「だから~友達ごっこって言ったの」

「友達…ごっこ…?」

 

 出来る限り口の端を吊り上げ、邪悪な笑みをしてみせる。

 

「まだ気付かなかったの?私は光莉との友情なんてどうでもよかったんだよ?今日だって遊びの一環。私の本性知ったらどんな顔するかなって思ってさ。そしたら面白いの。光莉ったら急に友達ごっこ始めるんだもん。何度も笑いそうになっちゃったよ」

「冗談…だよね?」

「そうそう、その顔とっても可愛いよ。あっそうか。光莉としてはここで冗談だよって言いながら優しく抱き締めて欲しかったのかな?」

「うそ…。あっ、だって。わたし、わた…。本気で」

「いいよね。光莉は可愛いからさ。そうやって可愛い子ぶってればみ~んなが優してくれるんだもの。欲しいものは何でも手に入ると思ってた?」

「ひ、ひど…いよ。私、夜々ちゃんのこと信じて…たのに」

 嫌いになれ。嫌いになれ。私のことなんて嫌いになってしまえ!早く、一秒でも早く。お願いだから。そうでないと壊れてしまう。光莉より先に私の心が…。

「またそれ?だからさ~飽きちゃったんだって。それもうやめよ?そんな遊びじゃなくて私ともっといいことしようよ。友達ごっこなんか忘れさせてあげる」

「う、ぐすっ。夜々ちゃんひどいよ。ごっこじゃないもん。ごっこじゃ…ない」

 

 とうとう完全に泣き出してしまった光莉の手首を掴み強引にこじ開ける。光莉の顔はもうクシャクシャに歪んでいた。

 

「そういうめんどくさいのどうでもいいからさ。光莉は身体さえ好きにさせてくれればそれでいいんだよっ!」

「や、やだぁ!やだぁ!放してぇ。こんなの夜々ちゃんじゃない。私の知ってる夜々ちゃんじゃない。助けてぇっ!夜々ちゃん!夜々ちゃん!」

 

 暴れる光莉の足がテーブルを蹴り再び大きく揺らすと、マグカップはガチャリとその身を擦らせ不快な音を立てた。

 

 ヒビでも入ってしまったんだろうか?少し見ただけではよくわからない。マグカップの中は空になり残っているのは底にへばりついていた砂糖だけ。紅茶はテーブルの上をひとしきり走り回ると、今度は床へとダイブしていった。一体どれほどの紅茶が流れ出したのだろう?それは涙の量と同じくらいだろうか…。それを知る者はここにはいない。

 

「光莉の信じてた南都夜々はもういないのっ!いい加減認めなさい」

「いやだ。いやだいやだいやだっ!私が認めたら夜々ちゃんは本当にどこかに行っちゃう」

「どうして!?こんなひどいことしてるのになんでそんなに信じられるのよ」

「いつも助けてくれた。いつも守ってくれた。私のこと大切にしてくれたのは私が一番知ってるもん。夜々ちゃんよりも私の方が知ってるよ!夜々ちゃんと意味は違ったって私だって夜々ちゃんのこと大切に想ってる。だからっ!」

 

 なんで?なんでわかってくれないの。いつかこうなるのに。遅いか早いかの違いでしかない。今日じゃなくて1週間後とか1か月後とか。そういう違いでしかないのに。どうして!?

 

(光莉…拒絶してよ 早く。早く。そうでないと本当にあなたを襲うことになってしまう。そうしないために努力してるのに)

 

 これ以上はしたくなかった。途中で私に失望して離れてくれればそれで済んだのに。必死で押さえつける私と、同じくらい必死で抵抗する光莉。揉みくちゃになって押さえつけるのだって大変だ。

 

 ジタバタと藻掻く光莉を押さえていた手が光莉のブラウスを掴んだ…。そして…。

 

「あっ…」

 

 私の情けない声と共にブチッと千切れたボタンが放物線を描いて宙を舞う。その光景はやけにスローモーションで、私はそれを呆然と眺めていた。

 

 直接手を出すつもりは全くなかった。怖がらせるだけの…つもりだったのに。一瞬遅れて聞こえてきたのは声にならない悲鳴。

 

「あ、あああ。夜々ちゃん。夜々…ちゃん」

 

 思わずごめんと謝りそうになるのを堪えながら私は光莉に手を伸ばした。そうだ、これでよかったんだ。どうせ嫌われるんなら、とことん嫌われたほうがいい。その方が光莉にとっても良いことじゃないか。

 

「光莉」

「っ!?いやぁああああああああああああ!!」

 

 パンッと乾いた音が部屋に響き、気付いたら顔は横を向いていた。衝撃を感じた頬が少し遅れてヒリヒリと痛みだし、やがてジンジンとしたものへと変わっていく。

 

「━━━ライ。キライ。キライキライキライ。夜々ちゃんなんて嫌い。大っ嫌い!」

「ひ…かり」

「もう夜々ちゃんなんて友達じゃない!夜々ちゃんのバカぁーーー!!」

 

 返事をする間もなくドンという鈍い痛みを感じると、私は後ろに倒れこんだ。どうやら突き飛ばされたらしい。光莉は胸元を押さえながら立ち上がると部屋の外へと駆けだしていく。その背中に向けて私は届かない呟きを口にした。

 

「さよなら光莉」

 

 二つのマグカップはどちらも粉々に砕けてしまっていた。実際にはそうでなくとも、そう…見えた。テーブルから床へと紅茶が滴り落ちている。重力に逆らえず、ぽたりぽたりと。もう戻る場所はない。戻るべき場所は砕けてしまっているのだから。だから紅茶は戻らない。もう二度と。カップに残された砂糖がキラキラと輝いていて、それはまるで二人の楽しかった思い出を映す記憶の欠片みたいに悲し気な表情を浮かべていた。

 

 

「終わっちゃった。終わっちゃったよぉ。光莉ぃ。好きだったのに、愛していたのに…」

 

 一人ポツンと取り残された部屋の中で、走馬灯のように光莉との日々が頭に浮かんでは消えてき、私は泣き崩れた。これでよかったのだと、自分に言い聞かせながら。

 

 

 

 

 

 

 

<バイバイ>…南都夜々視点

 

「部屋を変えて欲しい?」

 

 不審そうに私を見ながらスピカの生徒会長は首を傾げた。光莉にビンタされた頬が少し赤くなっていたので仕方ないとは思うけど。

 

「はい。勝手なお願いだとは思いますが至急お願いできないでしょうか」

「それに見合う理由があれば考えないこともないけど…。一体どうしたというの?編入生の光莉さんとは上手くやれてるって聞いてたけど」

 

 言外にビンタの痕のことを聞いてるんだと分かった。

 

「喧嘩をしてしまって。これはその時光莉に…。でも私が悪いんです。私が光莉の悪口を言ったから、それで…」

「喧嘩…ねぇ。仲直り出来そうにないの?」

 

 そう尋ねるのは当たり前だろう。いちご舎だって無限に部屋があるわけではない。喧嘩したからといって毎度部屋を別々にしていたらあっという間に部屋が足りなくなってしまう。

 

「それは…無理です。だからお願いします」

 

 深々と頭を下げた私を見て、困ったわね、と言いつつも事情を汲んでくれたらしく。

 

「とりあえず部屋は用意してあげる。ただし荷物は自分で運びなさい。いいわね?」

「ありがとうございます」

 

 どうにかお許しが出て私は生徒会室を後にした。光莉が戻ってくる前に荷物を運び出さないといけない。

 

(といっても、しばらくは戻ってこないだろうなぁ)

 

 その予想通りに私が全ての荷物を運び出し終えても光莉は戻ってこなかった。しばらくベッドに腰掛けて帰りを待ってみる。

 

(光莉を待って、私は一体どうするつもりなんだろう?あんなことをしておいて何て声を掛けるつもりなんだろう?意味ないのにな…。私ってばバカみたい。もう行こう)

 

 そう思って立ち上がると部屋の入り口に光莉が立っていた。偶然にしては出来過ぎだ。

 

「ひ、光莉」

「部屋…出てくの?」

 

 荷物が一つもないことからどうやら察したようだ。

 

「うん、出てくよ」

「そう…なんだ」

 

 会話が続くはずもなく辺りはシンと静まり返った。私はこれ以上いても無意味だと感じ、部屋を出るために光莉の方へと進む。すると光莉は私に怯えたのかビクッと身体を硬直させて目を伏せた。

 

「っ…」

 

 私はそれだけのことを光莉にしたんだ。何を今更驚いているんだろう。私が選んだ道だ。これでいいんだ。

 

 光莉に触れることはもう叶わないだろう。だからせめてさよならだけ…。

 

「ごめんね光莉。怖かったよね?ごめんね。でも安心して。私はもう光莉の傍には近付かないから。━━だからバイバイ…光莉━━」

 

 

 

 

 

 

 

 




※改稿内容について。改行だけ入れました。



 夜々ちゃんと光莉ちゃんの過去回想2回目です。いかがでしたでしょうか。前回の後書きはネタバレになるからと色々書くの諦めたんですけど今回は多少は書けそうです。アニメでは光莉ちゃんに手を出してしまった夜々ちゃんですが、この作品では自分の想いに気付き自ら身を引くという選択肢を取った夜々ちゃん。まさに愛ゆえに、といった感じですね。私の中では夜々ちゃんは元から女の子大好きという静馬様タイプに分類されるんですが…。果たして静馬様ならどんな選択をしていたのか気になりますね~。あっさりとベッドに押し倒した挙句に色々と事が済んだ後で「女の子同士も悪くないでしょ?」なんてセリフを言いながら相手の女の子の頭を撫でて慰めてそう。う~む流石エトワール様、お強い!


 さて肝心の夜々ちゃんですが、好きと愛してるの狭間で苦悩するのではなく、『愛してる』がもう明確にあってそのうえで自分のモヤモヤに思い悩むという非常に濃いキャラクターを目指して書いたつもりです。回想時点だと中学2年生なんですけどすでに自分の中にしっかりした恋愛観があるという非常に大人びた性格の夜々ちゃん。カップリングの数だけ思い悩むポイントも違うのかなとは思っていて、好きから愛してるの間とか、愛してるけど肉体関係は興味ないよとか。色々あるとは思いますがこういったテーマをメインに扱えたのは夜々ちゃんならではかなぁって。やっぱり私にとって魅力的なキャラクターだなと再確認できました。
 前回を読んでいただいた方の中には夜々ちゃんの暴走っぷりにびっくりしてしまった方もいるかとは思いますが、今回分も合わせることで多少なりとも夜々ちゃんの見え方が変わったらな、と。ただただ欲望の赴くままに行動するキャラではないと思っていただけたら幸いです。夜々ちゃんは本当に良い子なので、なにとぞよろしくお願いします。


 一応予定としては次章で夜々ちゃんと光莉ちゃんの過去回想を終わりにしようかと思っています。玉青ちゃんや深雪さんのお話も書きたいと思いつつ、夜々ちゃんの話も終わらせたくないという贅沢な悩みを抱えつつ今回はこの辺で。それでは~。



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第8章「今度は私の番だから」

■あらすじ
 日曜日の出来事で離れ離れになってしまった二人の距離は遠く、容易には埋まりそうにない。光莉との接触に怯える夜々と、それでも仲直りをしたい光莉。階段の踊り場で二人は話し合うが…。
 そして夜々から避けられつつも懸命に仲直りの道を探す光莉の前に静馬と千華留が現れる。ミアトルの生徒会室で静馬は一体何を語るのか?

 今回は2話とも過去回想。此花光莉視点でお送りいたします。

■目次

<暗闇の中>…此花光莉視点
<光差す>…此花光莉視点



<暗闇の中>…此花光莉視点

 

『バイバイ…光莉』

 

 夜々ちゃんの残していった言葉がずっと頭の中をグルグルと回っていた。あの日から私と夜々ちゃんは別々の部屋で学園生活を送っている。今まで二人で過ごしてきた部屋は熱を失ったみたいにひんやりとしていて、私の気分を一層落ち込ませた。

 

 私は一体どうすればよかったんだろう?どうすれば夜々ちゃんと離れ離れにならずにすんだのかな。なんだか自分でも不思議だった。たしかに夜々ちゃんのことを怖いと感じた。そして拒絶したはずなのに、私はこうして夜々ちゃんのことを考えている。私も夜々ちゃんと同じように女の子と恋愛したいと心の奥底では思っているのかな?そっと胸に手を当ててみても答えは返ってこない。

 

 憂鬱な気持ちに包まれながら私は眠りに落ちていった。

 

 

━ピピピッ━

 鳴り響く目覚ましの音に身体を起こしボタンを押す。夜々ちゃんがいた時はこんな無機質な音じゃなくてもっと温かみのある声が私を起こしてくれたのに。カーテンの隙間から差し込んだ光が床に模様を描いていて少しだけ穏やかな気持ちになったけど、隣のベッドに目を向けてもそこにはやはり人影はなく、ただただガランとした寂しさだけが残されていた。

 

「夜々ちゃん…」

 

 やっぱり一人だと寂しいよ。夜々ちゃんがいない生活なんて…楽しくない。夜々ちゃんとまた一緒に…。もう何度も繰り返した思考を再びトレースしていると、時間はあっという間に過ぎていった。

 

 あ、いけない。もうこんな時間だ。着替えて食堂に行かないと。

 

 

 

 

 教室に辿り着いてもそこには夜々の姿はなく、友人たちがお喋りしているだけだった。

 

(食堂では見かけたけど…、聖歌隊の朝練かな)

 

 何か解決策が見つかったわけでもないけど、会話がしたかった。おはようでも、いい天気だね、でも何でもいい。簡単な会話でもいいから言葉を交わしたい。

 

「おはよう光莉さん」「おっはよ~」

「うん、おはよう」

 

 友人たちから掛けられた言葉に元気なく返事をしていると心配をされてしまった。

 

「まだ仲直り出来てないの?」「あんなに仲良かったんだしパパッとしちゃいなよ~」

 

 私と夜々ちゃんは喧嘩して仲違いした結果別々の部屋にいる、ということになっていた。多分夜々ちゃんが説明したんだと思う。デリケートな部分は隠して上手いこと話したのか、それほど大事には捉えられていないみたいだ。

 

「夜々さんが光莉さんと喧嘩するなんて」「ほんと、信じられないよね~」

 

 別に友人たちに悪気があるわけではない。むしろ心配してくれてるんだからありがたいくらいだ。だけど…ついこう思ってしまう。何にも知らないくせに気安く言わないでよ、と。夜々ちゃんの苦しみは私しか知らない。だから言ったって仕方ないのは分かっているけど、たまに鬱々とした気持ちを誰かにぶつけたくなる時があるのは事実だ。

 

 そこへ丁度聖歌隊の練習を終えた夜々が教室に現れた。

 

「お、夜々さんじゃん」「おはよー」

「みんなおはよう」

 

 夜々ちゃんは特に変わった様子もなく、今までと同じようにみんなと接していた。みんなというのは私を除いての話だけど。

 

「おはよう、夜々ちゃん…」

「っ…。おはよう光莉」

 

 短く交わした挨拶が終わるなり、夜々は目を逸らしカバンから教材を出したりといった作業を始めてしまう。それっきり二人の間に会話はない。

 

 周囲も心配そうにそれを見守っていたが友人のうちの一人が意を決したように光莉を後ろから押し始めると、数人が呼応し一緒になって押し始めた。

 

「えっ?わ、ちょっと」

「私たちだって嫌なんだよ。光莉さんと夜々さんがこんな状態なのはさ」「だ~か~ら~。仲直りしちゃえ」

 

 そう言いながら私はズルズルと夜々ちゃんのところへと連れていかれていく。それに気付いた夜々は驚き血相を変えながら止まるように促した。

 

「ま、待ちなって。危ないからさ。光莉が転んだりしたら…」

「だったら、夜々さんが受け止めなさいよ」「今まで何度もそうしてたでしょうが」「それっ!」

 

 掛け声とは裏腹に背中に感じたのは優しい衝撃で、せいぜいポンッというくらいのものだったけど私は前につんのめり、そして…。

 

「あっ!?」

「光莉ッ!」

 

 ━━━柔らかな感触に包まれたと思ったら…優しく抱き締められていた。顔を上げると夜々ちゃんと視線が交錯する。その瞬間、私の頭の中にあの夜の出来事が一気にフラッシュバックした。愛していると言われたことや覆いかぶさられたこと。様々な記憶の欠片が私に襲い掛かり、あの時感じた恐怖までもが呼び起されそうになる。

 

 でも、そうはならなかった。もし恐怖が蘇っていたら私は間違いなく夜々ちゃんを突き飛ばしていただろう。けど、私の中でストップがかかったのだ。

 

 踏みとどまったのは、夜々ちゃんの瞳に私以上の恐怖が影を覗かせていたから。

 

「夜々ちゃん…なんで?なんで夜々ちゃんが怯えているの?」

「あ…、ダメ…光莉…私に…近付いちゃ」

 

 朝の教室で時間が止まったみたいに抱き合う。周りの景色も音も置き去りにしたかのように気にならなかった。

 

「は、離れて…光莉。でないと…私…あなたを」

「夜々ちゃんッ!」

「っ…!」

 

 名前を呼んだ瞬間に再び優しい衝撃を感じた。さっきと違って今度は前から。それは夜々ちゃんが私を振り払おうとしたもので…。けどその力は弱々しくて、私を突き飛ばそうしたはずの夜々ちゃんが逆にヨロヨロと後ろへ倒れこみペタリと床に尻もちをついた。

 

「や、夜々さん?」「大丈夫?」

 

 友人たちが口々に夜々のことを心配して駆け寄るが、夜々は呆然と座り込んでいた。

 

「ひ、光莉。ごめんね触っちゃって。本当にごめん」

「夜々ちゃん…」

 

 私に謝るなり、夜々ちゃんはスクッと立ち上がり教室を出ていってしまう。すると教室のざわめきが私を包み込んだ。

 

「二人とも本当にどうしたの?」「ただの喧嘩じゃない…よね。この感じは」「なに?なに?」

「ごめん驚かせちゃって。私ちょっと追いかけてくる」

 

 廊下に出ると夜々の姿はすぐに見つかった。壁に手を付いてよろめくように歩いていたからだ。

 

「夜々ちゃん、こっち」

「えっ?ひ、光莉?」

 

 私は迷うことなく夜々ちゃんの手を取り引っ張っていった。ここじゃ静かに会話出来ない。比較的人のいない階段の踊り場に着くと光莉は手を放して夜々の方へと向き直った。

 

「夜々ちゃん、ちょっとだけでもいいの。私と話をして」

「光莉…」

「教えてよ。どうしてさっき夜々ちゃんは怯えていたの?」

「それは勘違いだよ。私は光莉のことどうやって襲おうかなって考えて━━━」

「━━━ウソだよ。夜々ちゃんの目は怯えていた。平手打ちしちゃった私にでも、他の誰かでもない。あれはきっと夜々ちゃん自身に…」

「言い掛かりはやめて!私は…私は普通の女の子じゃないの。自分のことちゃんと分かってる。だから自分に怯えたりなんてしない。きっと怯えていたのは光莉だよ。瞳が鏡みたいになって、自分の怯えているのが映り込んだの。そうよ。だって━━━」

 

 そう言い放った夜々はおもむろに光莉の方へと手を伸ばし、ブラウスのボタンに触れる。すると光莉は小さな悲鳴を上げて弾かれるように後ろへ下がりつつ、しまったという表情を浮かべた。

 

「ほら?やっぱり私が怖いんだよ光莉は。それが本心。だから無理に私と仲良くしようとしなくていいんだよ」

「い、今のは…ちょっと驚いちゃっただけで。そんなんじゃ…」

 

 必死に虚勢を張ったけれど、夜々ちゃんは悲しそうな顔して首を振った。

 

「いいんだよ。私、気持ち悪いよね。今度からはもっと距離を置こう。最初はみんな心配するかもしれないけどそのうち誰も何とも思わなくなるよ」

「夜々ちゃん…。私夜々ちゃんともう一度…」

「私はちょっと歩いて回ってから教室に戻るから」

 

 そう言い残すと夜々はふらりと立ち去って行った。呼び止めようとしたものの、そうするだけの言葉を持っていなかった光莉にはどうすることも出来ない。一人無力さを噛み締めながら光莉は教室へと戻るのだった。

 

 結局夜々が教室に戻ってきたのはホームルーム直前で、光莉は急いで話しかけたものの…

 

「ほら、もうすぐホームルーム始まるから。席に戻ったほうがいいよ」

 

 とやんわりと避けられてしまった。どうしよう?今から話をしても中途半端になっちゃう。そう考えているうちにタイムリミットが来てしまい光莉は諦める他なかった。

 

「う、うん。ちゃんとどこかでお話しようね。約束だよ」

 最後にそう声を掛けたけど夜々ちゃんは返事をせずに前を向いていた。

 

 

 

 

 

 

 

<光差す>…此花光莉視点

 

 昼休み。夜々とは別々に昼食を終えた光莉が教室に戻ると窓に人だかりが出来ていて、みなしきりに下の方を覗いていた。

 

「あれが噂の…」「凄い美人」「あれなら納得よね~」「隣に居るのが例のルリムの?」

 

 不思議に思った光莉が友人たちのところに混ざり一緒になって下を覗くと、そこには二人の乙女が佇んでいた。

 

 一人はミアトルの制服に身を包んだ銀髪の乙女。豪華絢爛といった感じの美人で全身からオーラを漲らせ自信たっぷりに笑みを浮かべている。もう一人はルリムの制服が似合う可憐な黒髪の少女。銀髪の方に比べると人懐っこい笑みを浮かべてはいるがやはり堂々としていた。

 

「ねぇ、あの二人って?」

 

 周囲の様子からするに有名人なのは間違いなさそうだが、あいにく編入生の光莉はよく知らない人物だった。そんな光莉に友人たちが競い合うようにして教えてくれる。

 

「銀髪の方がミアトルの花園静馬様で黒髪の方がルリムの源千華留様よ」「静馬様は今年のエトワール最有力候補」「千華留様も4年生にしてルリムの次期生徒会長として内定してるって話」

「へ、へぇ~」

 

 そうは言われてもいまいちピンと来ない。それに今は夜々ちゃんのこと以外は…。そう思っていた光莉だったが友人の一言で二人に興味を持つことになる。

 

「驚くのはここからよ」「そうそう」

「何かあるの?」

「それがね~静馬様の方は、同性愛者なのよ」「自分から周りに公言してて」「それであの二人は付き合ってるって噂」

「そ、それって女の子同士でってこと!?」

「まさにその通り」「アヤシイ雰囲気で抱き合ってるとこを見たって人がいるらしいの」「いちご舎でも人目を忍んで夜に密会してるとか」

 

 ひとしきり言い終えると友人たちはきゃーきゃーと声を上げながら騒ぎ合った。光莉はその輪には加わらず、窓からその二人を観察しながら静かに思いを巡らせる。

 

(同性愛者って、それって夜々ちゃんと同じ…。それに付き合ってるって。千華留さんっ

ていう方もそうなのかな?どっちにしたってあの二人の話なら何か、何か私にとって参考になるかもしれない。もしかしたら答えだって…)

 

 話を聞いてみたい。私の中でその思いがボワンと膨らんで身体を満たしていく。

 

「私、ちょっと行ってくる」

「行くって?」「どこに?」

「あの二人のとこ。ごめん、急ぐから」

「あ、光莉さんっ!?」

 

 気付けば私は駆け出していた。何がなんでも話がしたい。夜々ちゃんとのことを相談すれば何かが変わる、変えられる。そんな予感めいた確信が私にはあった。廊下を走り階段を駆け下りる。あまり運動は得意ではないけれど今はそうも言っていられない。とにかく全力で駆けていた。

 

 スピカの校舎を出て二人の姿が見えると同時に呼びかける。

 

「あ、あのっ!!」

 

 辿り着いた時には既に息が上がっていたが、なんとか声を絞り出して会話を続ける。

 

「お、お二人に聞きたい…ことが…あって…それで」

 

 光莉の切羽詰まった様子に何かを感じたらしい二人は光莉の方を向くと落ち着くように促した。

 

「あなた可愛い顔をしているわね。スピカにこんな子いたかしら?」

「静馬が知らないということは、きっと今年入った編入生の子ね。そうでしょ?」

「はい、スピカ2年此花光莉といいます」

「それで、私たちに聞きたいことって?」

 

 大声で話す内容ではないと思った光莉は、失礼しますと断りを入れてから二人に近付き小さな声で話した。

 

「私の友達に、あの…その。静馬さ、静馬様と同じような子がいて。その子も女の子しか愛せないって。それで私どう接していいかわからなくて」

「へぇ?」

 

 二人とも光莉の話に興味をそそられたようだ。特に静馬の方は面白いことを聞いたといった様子で口の端を吊り上げるようにして笑った。内心つまらない話だろうと考えていた分、それが喜びとなって顔に現れたのだ。

 

「あなたはそういう趣味はないの?さっきも言ったけどあなたなかなか魅力的な顔してるわよ」

「ごめんなさい、わ…私は」

「こ~ら。静馬ったらイジメないの。光莉さんが怖がってるじゃない。可愛い子を見るとすぐにこれなんだから」

 

 二人は光莉の緊張を解きほぐそうと少しおどけた様子を見せる。

 

「ごめんなさいね、静馬ったら節操なしで。ねぇ光莉さん。その話はきっとこんなところでしていいものじゃないと私は思うの。だから光莉さんが良ければ今日の放課後にもう一度会わないかしら?」

 

 千華留は静馬にウインクして合図を送る。それを見て静馬は頷き言葉を引き継いだ。

 

「放課後すぐにミアトルの生徒会室にいらっしゃい。そこで千華留と待っているから」

「ありがと、静馬」

「いいのよ。私も久々に面白そうな話でワクワクしているから」

「放課後、ミアトルの生徒会室ですね。必ず行きます。よろしくお願いします」

 

 深々とお辞儀した光莉を見て二人は顔を見合わせて笑った。

 

「本当に良い子ね光莉さんは」

「じゃあ放課後にお会いしましょう。ごきげんよう光莉さん」

「は、はい。ごきげん…よう」

 

 凄く緊張したけど、なんとかなった。あの二人ならきっといいアドバイスが貰えるに違いない。暗闇の中にスッと差した一筋の光明に光莉は感謝した。教室に戻ると案の定クラスメイトから質問攻めにあったけど、光莉はそれを捌きながら心に誓った。

 

(私、夜々ちゃんのこと諦めないから。だから夜々ちゃんも諦めないで)

 

 

 

待ちに待った放課後。光莉は友人たちへの挨拶もそこそこにミアトルの校舎へと一目散に向かっていた。逸る気持ちが抑えられず、それが自然と足取りとなって光莉の身体を運んでいく。

 

「着いた」

 

 編入生の光莉にとってミアトルの校舎に入るのは初めてのことだ。いざ入ってみるといちご舎で普段から見慣れているとはいえどこを見渡しても黒い制服に身を包んだ生徒ばかり。当たり前と言えば当たり前なのだが、スピカの制服が白を基調としたものなのもあって余計に浮いているように感じてしまう。あの二人はよくスピカの敷地であんなに堂々としていたなと今になって思った。

 

 生徒会室、生徒会室っと。人とすれ違うたびにビクビクしながらミアトルの校舎を進んでいく。こうしてみるとなんとなくだけどスピカの生徒よりも落ち着いた雰囲気の子が多い気がする。やっぱり一番歴史があるからなのかな?と思いながらキョロキョロしていると、生徒会室と書かれた大きな部屋が目に留まった。

 

「あった。ここだ」

 

 不安そうな顔から一転パァッと光莉の顔に元気が戻る。この中に夜々との仲直りのきっかけがあると信じて光莉は扉を開けた。

 

「いらっしゃい。そろそろ来る頃だと思ったわ。お茶を淹れているから座って待っていてね」

 

 千華留さんに促され静馬さんの傍の席へと座る。こうして近くで見ると本当に美人で華やかだ。同性愛者と聞いているけど、いつもこんなに自信に満ちた表情をしているんだろうか?私なんかからすると驚くことばかりである。

 

「はい、どうぞ。お砂糖とミルクは自分で入れてね」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

「こちらこそよろしく。そんなに畏まらなくていいわ。可愛い子とお茶出来るだけで私は楽しいから」

 

 会った時から何度も可愛いと言ってくれるけど、本気なんだろうか?こんなに美しい人に言われるとなんだか素直に受け取れない。それとも女の子に近付くテクニックか何かとか…。ううん、やめておこう。私は相談しに来たんだから。

 

「光莉さんの様子だといきなり本題からにした方が良さそうよ。彼女結構思い悩んでいたみたいだし、ね?静馬」

「千華留の言う通りね。光莉さん、まずはあなたから話して頂戴。それを聞いてから助言するわ」

「は、はい」

 

 と言ってもどう話そうか。やっぱり日曜日のことをそのまま話すのが一番かな。きっとこの二人なら他言したりはしないと思うから包み隠さず話そう。

 

 光莉がそう決意すると二人は穏やかな笑みを浮かべたまま光莉の話に耳を傾けた。光莉の話は夜々と仲良くなったことから始まり、やがてあの日曜日の話へと繋がっていく。

 

「夜々ちゃんは私のことを愛してるってそう言いました。それと性的な目で…見てるって。私のことを襲おうとしたこともあったと。

 

 それで、最後に夜々ちゃんは私に覆いかぶさって、それで…」

 

「なるほどね。事情はだいたい分かったわ。夜々さんって子。2年生にしては随分と進んでるのね」

「あら?2年生の時点で上級生を毒牙にかけていたあなたのお墨付きだなんて頼もしいじゃない」

「毒牙?」

「光莉さんにはまだ早いかしら?まぁベッドの上で色々と…ね?」

「それは置いておくとして、光莉さんは夜々さんのこと…怖い?」

「怖くないと言ったらウソになります」

 

 そう言うと光莉は下唇を噛みながら俯いた。気持ちとしては受け入れたいと思っても、やはりどこか恐怖心が残っている。それが正直なところだ。階段の踊り場の時だって、私は怖くて身を引いてしまった。

 

「そう。ねぇ千華留?ちょっと光莉さんと一対一で喋りたいから少し聞く側に回ってもらっていいかしら?」

「ええ、静馬がそう望むなら。信用してるわ。あなたのこと」

「ありがとう。期待に応えられるように頑張るわ」

 

 千華留は椅子を少しずらして離れると優雅にティーカップに口を付け始めた。聞く側に

回ると言うのを態度でも示すということらしい。私も千華留さんから目を離し、静馬さんの方へと向き直った。それが話をする礼儀だと思ったからだ。

 

 こうして一対一で向き合うと実際よりも大きく見える。スタイルが良いのはもちろんそうなんだけど、迸るオーラというか、上手く言葉に出来ない何かがそう感じさせた。

 

「最初に言っておくけど、あなたの夜々さんと元通りに友達としてって願いはすぐには無理ね」

「すぐには?」

「時間がかかるという意味よ。夜々さんはあなたを傷付けたくない一心であなたから嫌われ、距離を置くという選択肢を選んだ。その覚悟はとても立派だわ。それだけ光莉さんを愛しているということね。でもだからこそ、元通りに、それこそ何事もなかったかのようにっていうのは難しいの。あなたの望みは夜々さんのそういった覚悟や愛に基づく行動をなかったことにしたいと言っているのと同義なのよ」

「そんな…つもりは」

「夜々さんからすればそう捉えられても仕方がないわ。自分がした行動は何だったんだろう?何も伝わらなかったのか?ってね。光莉さんにも似たようなことが言えるわ。起きてしまった出来事を腫れものにでも触るようにしながら上辺だけ友人関係を装っても意味がないはずよ。光莉さんが望んでいる関係はそんなものではないでしょう?」

「はい」

 

 そうか。私は夜々ちゃんと仲直りすることだけを考えていたけど、なかったことには出来ないんだ。そうだよね。夜々ちゃんは私よりもずっと悩んだうえで行動に移したんだし、覚悟だって。私の軽率な仲直りしたいが、夜々ちゃんを余計苦しめてしまうこともあるんだ。気を付けないと…。

 

「それにね、私たちのような人種は一度そういう目で見始めてしまうとね、元のようには見れなくなるのよ。頭では友人と理解していても身体が反応してしまうことだってある。求めてしまうの。夜々さんもそれを分かっているだろうから、すぐに元通りになることは望んでいないはずよ。そのことは分かって頂戴」

「は、はい」

 

 性的な事については私はよく分からない。だから静馬さんのような人に言われたら頷くしかなかった。

 

 でもそう言われてみれば、今朝夜々ちゃんに抱き着いていた時に、夜々ちゃんが怯えていたのも少しだけ納得できる。夜々ちゃんにとって私はまだ興奮する対象ということなんだろう。だから手を出してしまわないようにって…、

 

「そういうわけだから夜々さんに他に好きな人が出来たり、気持ちを整理して落ち着いたり、とにかく理由はどうあれ時間を置く必要があるわ。6か月とか1年とかそういう長い目で見てあげないと。歯がゆいとは思うけど時間が解決するのを待つしかないわ」

「そう…ですか」

 

 クラスも一緒だし、いちご舎でだって顔を合わせることがあるのにそんなに長く待つのは…辛いな。その度に、私と夜々ちゃんはお互いに目を逸らして他人のフリをするのかな?いつか時間が解決すると信じて。

 

「そう落ち込まないで。正直言うと光莉さんには驚いているの」

「私に…ですか?」

 

 一体なぜだか全く分からない。どこか驚くような部分があっただろうか?

 

「ええ。重ねて聞くけれど光莉さんは同性には興味ないのよね?キスしたいとかそういう感情を抱いたことはないと」

「はい、ありません」

「だからこそ驚いたの。親友としてルームメイトとして信頼していた子に襲われたら普通は一緒にいたいだなんて思わないわ。嫌いになったり、距離を置くのが当然よ。だってそうでしょう?それって重大な裏切り行為だもの。いくら愛してると言われたって受け入れられないわ。にもかかわらずあなたは夜々さんといたいと願っている。同じ部屋で暮らすことを望んでいる」

「それは…夜々ちゃんを大切に想っているから」

「━━━それだけ想っているなら少しだけ勇気を出してみない?━━━」

「えっ?」

「夜々さんが同性愛者をやめることは出来ないわ。だから代わりにあなたが夜々さんに近付いてあげるの」

「そ、それってまさかっ!?」

「落ち着いて。私はあなたにいますぐ同性愛者になれ、だなんて言うつもりはないわ。でも少しだけ、自分を騙す…のに近いかもしれないけど、物事の見方を変えることで上手くいくこともあるの。ちょっと私の知り合いの話をしましょうか」

 

 静馬は一旦ティーカップを手に取ると、千華留と同じように優雅に口を付けた。光莉もそれに倣い紅茶を口にする。美味しい。温かさと砂糖の甘さが精神的に摩耗していた身体にスウッと染み込んでいく。そういえば最近こんな風にのんびり紅茶を飲むこともなかったな。

 

 光莉が目を瞑り一息ついている横で、静馬が笑みを浮かべているのを千華留だけが見ていた。

 

「ミアトルの卒業生にね、同性愛者ではないにも関わらず女の子と交際していた子がいたの」

「本当ですか?」

 

 静馬は肯定代わりに頷いた。

 

「その子は相手に熱心に迫られてね、最初は断ったんだけどその熱意に押されて渋々付き合い始めたの。当然女の子とキスなんて考えてもなかった子よ。それなのに次第にその子と仲を深めていったわ。キスだけじゃなくてもっと深いこともする関係になったの。どう?興味あるでしょ」

「そ、その方は途中から同性愛に目覚めたということですか?」

 

 光莉の食い付きに満足げな表情を浮かべつつ静馬は話を続ける。

 

「それが違うのよ。その子は他の女の子にこれっぽっちも反応しないの。私や千華留にだって全然見向きもしなかったわ。なぜだか分かる?とても大切なことよ」

「大切な…こと。お付き合いしたということは相手の子を好きだった?でもそれだと同性愛でないことと矛盾するような…。なのにキスとかもしていた」

 

 さっぱり分からない。まるで迷宮にでも入り込んだかのようにあれこれ考えても袋小路へと辿り着いてしまう。静馬さんは一体何を言いたいのだろう?出来れば自分で答えを見つけたいけど…。今の私ではとても理解できそうにない。

 

 少しの間ぶつぶつと呟いていた光莉だったが、やがて白旗を上げるように分かりませんとポツリと呟いた。

 

「少し難しかったかしら?答えはとても単純なことよ」

「お願いします。教えてください」

「いいわ。その子はね、同性の女の子を好きになったんじゃなくて、相手の子を好きになったの。男であるとか女であるということに囚われずに相手の子だけを見ていた。性別ではなく本質を見て好きになったの。だから女同士で交際してるからといって同性愛者であるというわけでもなかった…ということよ」

 

 静馬はそこまで喋り切ると再び紅茶に口を付けた。しっかりと光莉の反応を窺いながら。千華留はそれを見ておかわりの紅茶を淹れるべく席を立ちあがる。

 

「どう?自分に当てはめてみたら?」

「私が夜々ちゃんと…」

「女の人全員を好きになるのは無理でも、夜々さんとだけ向き合うことなら出来るんじゃないかしら?この丘の子たちはどの子も女の子同士ということに囚われ過ぎなのよ。もっと肩の力を抜いて一対一で接してみれば相手の事も違って見えるはずなのに…」

 

 勿体ないわね、と言いながら静馬は紅茶を飲み干すと、意地悪そうに笑いながらカップを揺らして千華留におかわりの催促をする。すると絶妙なタイミングで新しいティーポットがテーブルの上に置かれた。

 

「少し蒸らしたりするからすぐにはダメよ?」

「分かっているわ。あなたに紅茶の淹れ方教えたの私だもの」

「はいはい、お師匠様」

「それでどう?少しは参考になった?今の光莉さんにはぴったりの話だったと思うけど」

「凄く参考になりました。お二人に声を掛けて本当に良かったです。私、誰にも相談出来なくて不安で」

「でもまだ解決したわけじゃないわ。私はあくまで2つの道を示しただけ。時間に身を任せるか、それとも自分が変わるのか。後者だって決して簡単なことじゃないわ。上手くいく保証もない」

「それでも、私には大きな一歩です」

「今日はいちご舎に戻って、もう一度よく考えてみなさい。大事なのはあなたがどうしたいかよ。夜々さんといたいのか、そうでないか。とてもシンプルなことではあるけど重大な決断よ。焦って決めてはダメ。良いわね?」

「わ、分かりました。お二人とも今日はありがとうございました。失礼します」

 

 お辞儀をしてミアトルの生徒会室を出ると、かなり日が傾いていた。伸びた夕日が私を照らし影を作る。私はその影を踏んづけるようにして歩いていく。もう暗闇の中じゃない。この影は光が差したその証拠だ。もう一度強く影を踏みながら私は誓った。

 

(怖いけど、自信はないけど、私は夜々ちゃんの傍に行くよ。だから待っててね夜々ちゃん。━━今度は私の番だから━━)

 

 

 

 光莉の出ていった室内で千華留はおかわりの紅茶をカップに注ぎながら静馬に話しかけた。楽しそうに、嬉しそうに。

 

「ねぇ、さっきのお話の子って一体誰なのかしら?私聞いたこともないわ。そんな子のこと」

 

 答えは知っていると言いたげにクスクスと笑いながら静馬の膝の上へと腰掛ける。もちろん顔は向かい合わせで。

 

「さぁね?私も知らないわ。だって作り話だもの」

「悪い人。光莉さんを焚きつけて」

 

 千華留の腰へと手を回しながら静馬は耳元で囁き返した。

 

「いいのよ。理屈をねたって意味ないもの。あれくらいの子だったら感情に身を任せた方がいいわ。一生懸命になる理由なんて…一緒にいたい、それでいいのよ」

「私たちにもそんな頃あったわね」

「今だって大して変わらないわよ」

「うそばっかり。さっきの話だってノーマルな女の子を堕とすように前から考えていたやつでしょう?」

「それは言わぬが花ってやつじゃない?」

 

 二人仲良く笑った後、静馬は千華留を膝に乗せたまま器用に紅茶を口にする。

 

「あの子たちが上手くいったらキューピッドは私かしら?」

「無理ね。あなたは悪魔だもの。女の子を魅了する悪魔。だからずっと悪魔のままでいてね、静馬」

「注文が多いお姫様ですこと」

 

 首の後ろに手を回した千華留が静馬と唇を重ねると紅茶の香りが口の中にパッと咲いた。

 

(あなたが私に色々教えてくれたように、いつか私がみんなに教えてみせる。だからキューピッドの役は…私がやるわ静馬)

 

 




※改稿内容について。改行だけ入れました。


 いかがでしたでしょうか?過去回想終わらせるって言ってたのに次章に持ち越しになりました。申し訳ありません。
 なるべく早く頑張りますので次章もよろしくお願いします。




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第9章「私の好きは愛してるに変わるってそう信じてるから」

■あらすじ
 教室で始まった友人たちの恋愛観を語る会話の中で光莉は静かに夜々に向けたメッセージを送る。それは以前の光莉からは考えられないような強い意志に基づく決意の表れで、鋭い矢となって夜々へと飛んでいった。戸惑う夜々は友人から聞いた話をたしかめるべく単身ミアトルへと乗り込むことに。
 その日の放課後、ついに光莉と夜々が対峙し二人に決着の時が訪れる!

 南都夜々と此花光莉の過去回想最終章!

■目次

上の3話は過去の話となっています。
<決意表明>…此花光莉視点
<百戦錬磨>…南都夜々視点
<誓いの言葉>…此花光莉視点


下の話は現在のお話です。
<あのステンドグラスの下で>…南都夜々視点


<決意表明>…此花光莉視点

 

「いや~この前の静馬様たちオーラが凄かったよね~」「でもあの人あれなわけでしょ?」「それを差し引いてもカッコいいとは思うけどね」

 

 朝の教室では友人たちが静馬さんと千華留さんのことを話していた。噂で聞いたことがあるのと身近で見るというのは結構違うものでそれぞれ十人十色の感想を持ったようである。特に何とも思わない人、変わらず拒否感を示す人、興味を持つ人など女の子といっても色んな考えの人がいることに私はようやく気付いた。

 

 ただ、お二人の容姿もあってかそれほど表立って拒絶する反応は少ないように見える。私も間近で接してみてたしかに綺麗だなって思ったし、自信に満ち溢れて堂々としている姿をカッコいいと感じたのは事実だ。

 

 美人って得だなと考えていると友人たちの会話は思わぬ方向へと向かっていった。

 

「夜々さんは女の子同士でどこまで出来る?」「あたしはキスまでかな~」「えー?キスだって色々あるしきつくない?」

 

 今日は聖歌隊の朝練もなかったらしく既に教室に来ていた夜々ちゃんの肩がピクッと震えたのが見えた。驚いた顔をして友人たちを見上げている。

 

「えっと、私は…」

「夜々さんって結構頼りになるタイプだから女の子同士でもいけそう」「あー、分かるかも」「要様とか天音様みたいな」「あれは明らかに王子様タイプでちょっと違くない?」

「わ、私もキス…くらいまでかな。それ以上はちょっと」

「だよね~」「えー?つまんない」「いやいや、ここでガチな反応されたらむしろ困るんだけど」「そうそう。友達と思ってたのに急に襲われたりとかしたら怖くない?」

 

 事情を知らないにも関わらず意外にも核心を突く友人たちの会話に、愛想笑いを浮かべていた夜々ちゃんの表情が凍り付く。それでも取り乱さずに会話に付き合っていたけれど、その目がやがて私を捉えると途端に怯えた顔をして俯いてしまった。そんな夜々ちゃんの変化に気付かないまま友人たちは今度は私の方へと話を振ってくる。

 

「光莉さんは?」「いや~光莉さんはないでしょ。子供っぽいところあるし」「うんうん」

「私は…」

 

 視界の端でチラリと夜々ちゃんの様子を窺うと丁度こちらを見ていたのか目が合った。しかしすぐに目を背けてしまう。それでも気になるようで、私の方に何度も視線を送っては俯くのを繰り返していた。

 

 私は深めに息を吸い、静馬さんたちとの話を思い返す。女の子同士とかじゃなくて夜々ちゃんを夜々ちゃんとして見る。それは簡単なようで難しいこと。どうしたって夜々ちゃんが女の子という事実は真っ先に来ちゃう。それでも…せっかくすぐそこにいるんだから私の決意を伝えようと思った。

 

「私は案外キスより先のことも平気かも。女の子同士が良いってわけじゃないけど、もし相手の子が私のことを本気で想ってくれてるなら…。すぐに全部を受け入れられるとははっきり言えないけど、少しずつなら大丈夫かな」

「ええっ!?」「意外…」「光莉さんってロマンチスト~」「驚いた、子供っぽいと思ってたのに」「ね~」

 

 口々に驚きの声を上げる友人たちの肩越しに夜々ちゃんを覗き見る。私の想いは、少しは伝わっただろうか?僅かでもいいから、夜々ちゃんの気持ちを楽にさせてあげられたら…。

 

 でもそんな私の考えとは裏腹に、夜々ちゃんは『光莉』と口を動かした後、少し怒ったような顔をして教室を出ていってしまった。どうしたんだろう。私は何か軽率なことを言ってしまったんだろうか?

 

 私が友人たちの輪から離れてそれを追いかけると、この前会話した階段の踊り場で夜々ちゃんが足を止めて待っていた。そして私が追い付くなり…。

 

「光莉ッ!みんなから聞いたよ。静馬様たちと会話したんだって?なんで?どうして?」

「相談したいことがあったから…」

「それって私のことでしょ!あの人は私と同じ種類の人間だから。私と同じ…くっ」

 

 同性愛者だから、とは口にしなかったけど私にはちゃんと伝わった。でも、夜々ちゃんがなんで怒っているのかはまだ分からない。

 

「とにかく、友達にさっきみたいなことペラペラ喋らない方がいいよ。いつか光莉がそういう人間だって誤解されちゃうよ」

「そういう人間って何?私は思ったことを言っただけだよ」

「嘘だよッ!!どうせ静馬様の入れ知恵なんでしょう?」

「たしかに相談した時に言われたのは事実だよ。でも私がそう思ったのは強制されたわけでもなんでもないよ。自分でちゃんと考えて…」

「許せないッ!自分のことも、静馬様のことも!光莉は普通の女の子だったのに…」

 

 夜々が苛立たし気に壁を拳で叩く。その力は思ったより強く、ドンッという音が辺りに響いた。それでも怒りは収まらず、スカートの裾を握りしめる。

 

「聞いてよ夜々ちゃん。私は本気だよ。夜々ちゃんのことを受け入れ━━━」

「━━━やめなよッ!!」

 

 夜々が再び壁を叩くと、光莉はビクッと身体を震わせた。音に驚いたのもそうだけど、夜々の形相に驚いたのも大きかった。

 

「光莉は静馬様に騙されてるんだよ。なんでそれが分からないの?光莉は普通の女の子なの。男の人と恋愛する、普通の女の子なのっ!私たちの方へ来ちゃいけないのッ!今なら簡単に戻れる。だから!!」

「そうだよ。私は別に女の子が好きなわけじゃない。夜々ちゃんのことだって女の子だから心配してるわけじゃない。私は夜々ちゃんのこと性別とか関係なく━━━」

「━━━それが騙されてるって言ってるのッ!!光莉はそんなこと考えるような子じゃなかった。それをあの人が…」

 

 私も一旦落ち着かなくちゃ。そう自分に言い聞かせた。今の夜々ちゃんは冷静さを失っている。その証拠にギリギリと握りしめた拳は血が出てしまうんじゃないかと心配になるほど固く結ばれていて、今の夜々ちゃんみたいに頑なだった。きっと何を言っても、今は届かない。そう判断した私は引き下がることにした。

 

「放課後にもう一度お話しよう?ちゃんと伝えたいことがあるの。だから二人きりで…」

「光莉と話すことはもうないし、放課後は聖歌隊の練習があるから。言っておくけどいちご舎の部屋に押し掛けたって開けないから」

 

 そう言い残して夜々ちゃんは足早にどこかへ去っていった。でもこんな程度で挫けたりなんかしない。私の中の炎は少しも弱まることはなく、それどころかパチパチと爆ぜて火の粉をまき散らすように燃え盛っていた。

 

(聖歌隊…か。リーダーの人は何て人だったっけ。お昼休みに会いに行ってみよう)

 

 大丈夫、大丈夫だから。私は…決めたんだ。夜々ちゃんを選ぶと。

 

 

<百戦錬磨>…南都夜々視点

 

「どうして光莉に余計なことを吹き込んだんですか?あなたのせいで光莉は」

「あら?なんのことかしら?」

「とぼけないでッ!私が来るのも分かっていたくせに」

 

 私は昼休みにミアトルへと向かった。理由はもちろん光莉のことだ。光莉に余計な入れ知恵をしたのが許せず文句の一つでも言おうと乗り込んだはいいものの、静馬様は一人、生徒会室で悠々と私を待ち構えていた。ご丁寧に二人分の紅茶を用意して。

 

 そのあまりにも堂々とした姿に私は驚き、事前に考えていた台本も忘れて突っかかるように話を始めてしまった。もっと用心して用心して、それでも足りないくらいなはずなのに、この時の私は頭に血が上っていて、そんなことさえ判断出来なかったのだ。

 

「たしかに話をしたのは事実だけど選んだのはあの子よ。良い子ね光莉さんって。とても魅力的だわ。少しそそられちゃった」

 

 私の光莉への想いを知ったうえで挑発しているというのは分かっていても、それでもなお光莉を褒めながら妖しく輝く瞳に私は戦慄を覚えた。

本能が私に告げている、光莉をこの人に関わらせちゃいけないと。もし狙われでもしたら光莉は…容易く手折られてしまうだろう。それこそその辺に生えている花を手に取るように、あっという間に。

 

「あわよくば自分の方へ引きずり込もうって算段ですか?とにかく、光莉にはもう関わらないでください。光莉は私やあなたとは違う。普通の女の子なんですから」

「本当にそう思ってるの?」

「何を言って…。だって光莉は女の子に興味なんて」

「たしかに光莉さんは私やあなたとは違って同性愛者ではないわ。かといって普通の女の子とも少し…違うんじゃない?怖ろしいほどに純粋無垢な心であなたからの愛をしっかりと見定めることが出来ている。とっても貴重なタイプの人間よ」

「だから何だって言うんですか?私が言いたいのはあなたが光莉を惑わせたということ。そして私はそれが許せないからここに来たんですよ」

「どの口でそんなことを言うのかしら?最初に惑わした張本人のくせに」

「そ、それは…」

 

 ぐうの音も出ない。それは紛れもない事実で、光莉を最初に苦しめたのはこの私だ。自分勝手な感情と理論を押し付けて光莉を困らせた。その結果光莉は思い悩んだ末に、静馬様に相談することを思いついたのだろう。全部私のせいだ。私が弱かったから。この人のように強ければ、光莉のことを忘れて、同じ趣向の人と付き合うなりなんなり出来たのに…。

 

 でも今は後悔してる暇なんてない。とにかくこの人から光莉を守らなくてはいけないのだから。

 

「ひ、光莉に手を出したら私が許さないからっ!今ここで、光莉には関わらないと約束して!」

「あなたにそんな権利があるの?もう友達ですらないあなたに?」

「友達じゃなくても守ることくらいは…」

「あなたが?守る?面白いこというのね」

「バカにしないでっ!私が一番光莉のことを大切に想ってるんだから。あなたなんかに負けるはずない」」

 

 喋っている声の大きさは私の方がずっと上なのに、追い詰められているのは私だった。私は立っていて相手は座っているというのに、ちっとも見下ろしている気分がしない。それどころか見下ろされている気さえしてしまう。経験の差なのか分からないけど私とこの人の間には埋めがたい何かがあるのは間違いなかった。

 

 夜々が何も言えずにいると静馬はスッと立ち上がり、獲物を値踏みするかのようにじっくりと視線で嘗め回す。そして照明の明かりに照らされた銀髪がキラリと煌めくと、それに気を取られた夜々の耳元で静馬が囁いた。

 

「今日だって光莉さんを想いながら思う存分楽しんだんでしょ?」

「なっ!?そんなこと…私は」

 

 静馬は顔を赤くした夜々の内腿につぅーっと指を這わせた。スラリと伸びた足を包むストッキングとスカートの間の僅かな空間。少しでも上へ動かせばショーツに触れてしまうそうなのに、その指は決して触れようとはせず、もどかしいほとゆっくりと上下に行ったり来たり。

 

「なんの真似ですか。あなたとこんなことするつもりで来たわけじゃ…」

 

 僅かな刺激ながらも油断すれば艶めかしい吐息が漏れてしまいそうな愛撫に耐えつつ、夜々は気丈に振舞った。けれど静馬はなお余裕たっぷりに笑う。夜々の反応まで含めて楽しんでいるんだと言わんばかりに。

 

「随分と敏感なのね。元から?それとも…何か理由があるのかしら?」

「何の…ことでしょうか」

「虚勢を張っている姿もなかなか素敵ね。正直私は光莉さんよりあなたの方が好みよ。顔も、性格も、そして…身体も」

 

 クスクスと笑いながら静馬は手を休めることなく動かし、同時に夜々の耳元を吐息でくすぐった。引き剥がそうとした手は容易く掴まれ、逆に白く細い指にしっかりと絡めとられてしまう。離れるどころかその距離はますます縮まり、身体はより密着して互いの、他の生徒に比べて豊かなバストが二人の間でひしゃげた。

 

 どうしよう?勝てそうにない。同じタイプの人間だからこそ理解出来るその手慣れた様子に私の頭で警報が鳴り響く。私とこの人では経験が違い過ぎる。私がゲーム序盤の敵なら相手は間違いなくラスボスだ。

 

「あなたは本当に私と同類みたいね。私のこと好きじゃないのに身体はしっかりと反応してるもの。女の子同士というだけで興奮しちゃうみたいね?」

 

 図星だった。もちろん静馬様が美人で、そのうえテクニシャンということもあったのは事実だ。けれど私の身体は1ミリも好意を抱いていない静馬様の愛撫に段々と熱を帯びていて、改めて自分がそういう人間なのだと痛感させられてしまった。

 

「強がったって無駄よ?いい加減白状しなさい」

「だから何を━━━」

「━━━光莉さんに優しい言葉を掛けられて嬉しくて仕方なかったんでしょう?嬉しくて嬉しくて身体が疼いちゃった?ふふふっ、イケナイ子ね?守るべき相手で欲望を満たすなんて」

「ッ!?」

 

 うそだ。なんでそんなことが…。見抜かれていたことに思わず顔が熱くなる。声には出さなかったけどこんな至近距離じゃ認めたと言ったも同然の反応だ。ましてや相手が相手、言い訳が通用するような人じゃない。じっと私を覗き込む瞳が全てを見透かしていると告げていた。

 

「ち、ちがっ…私はそんなこと」

「ダメよ?私みたいな女を相手にするのにこんな匂いを纏わりつかせていては。あなたが部屋に入ってきた時からすぐに気付いていたのよ」

「そ、そんなわけ…。あ、やめっ…」

 

 足の間に強引に割り入れようとしてきた静馬の太腿を咄嗟にガードしたものの、最早静馬の顔を見ることも出来なくなって夜々は顔を背けた。

 

「いや、見ないで…」

「どうして?とっても可愛らしい顔をしているのに」

 

 恥ずかしくて仕方がなかった。散々光莉のことで責め立てておきながら自分はしっかりと欲望を満たしていたのがバレるなんて。こんなの屈辱以外の何物でもない。でもどうして?もうあれからかなり時間が経っているのに…。

 

 目尻に涙を浮かべて身体を震わせながら、夜々は静馬から顔を逸らし続けた。それがたとえ意味のないものであったとしても、しないよりかは幾分マシだったから。

 

「そんなに好きなら襲ってしまえばいいじゃない。どうしてそうしないの?」

「光莉を…悲しませたくない」

「篭絡してしまえばいいのよ。繰り返すの。光莉さんが好きって言ってくれるまで何度でも。そのためのテクニックが必要と言うなら教えてあげたっていいわよ?」

 

 静馬様の言葉は悪魔の囁きのようにどこまでも甘く、その禁断の蜜の味に私は溶かされそうになる。けれど…。

 

「お断りします。光莉は私の宝物で、私の全てだから」

「そんな大切なものをただ見守るだけでいいの?いつか心が壊れてしまうわよ?」

「光莉のためなら私はどうなったって構わない。たとえ心が砕け散ったって」

「そう、じゃあ仕方ないわね」

 

 そんな言葉と共に不意に私を押さえつけていた圧力が緩んで私は解放された。予想外の事態に困惑しつつもこれを逃す理由はない。私は慌てて距離を取ってから再び向かい合った。

 

「ふふふっ。可愛いからこれくらいで許してあげる。あんまりやりすぎるとイジメてるみたいでなんだか私が悪者みたいだし。あなたと光莉さんの純粋さにやられちゃったってとこかしら?これからはケンカを売る相手を見極めることね。でないと大怪我するわよ」

「いきなり放してどういうつもりなんですか?」

「不満なの?もしかしてもっとして欲しかった?」

 

 意地悪そうな笑みを浮かべて仁王立ちする様はやはりラスボスがぴったりの風格だった。

 

「け、結構です」

「満更でもなかったくせに」

「そう思いたいなら勝手にそう思っていてください。失礼します」

「待ちなさい。最後に一つだけ」

 

 からかうつもりなのかと思ったけどその声のトーンはなんだか私を諭すような落ち着いたものだったから私は足を止めて振り返った。

 

「少しくらいは自分の愛を信じなさい。それだけ愛せる相手っていうのは、やっぱりどこか特別な存在よ。自分から見てのみならず、相手から見ても…ね。だから同じように愛する光莉さんのことも、信じてあげなさい。そうすればきっと違う世界が見えると思うわ。それでもどうしても上手くいかなくて寂しくなったらいらっしゃい。たくさん遊んであげるわ。ベッドの上で泣いて後悔するくらいに、ね?」

 

 私は逃げ出すようにしてミアトルの生徒会室を飛び出した。その背中にクスクスという悪魔の笑い声を突き立てられながら。私なんかじゃ全然お話にならない。悔しいけど勝負にもならなかった。どこをどう見ても完敗だ。女としても、人間としても、何もかも。

 

 

 

<誓いの言葉>…此花光莉視点

 

 聖歌隊のリーダーをしている上級生を尋ねるべく昼休みの校舎を歩いていく。当然右も左も上級生ばかり。下級生が何の用だと言うような目で私をジロジロと見つめてくる。ちょっと前の私ならその視線だけで委縮し、肩を窄めて歩いていたに違いないが今の私は少しばかり違う。静馬さんと千華留さんと会話したせいか突き刺さる視線の中をスイスイと泳ぐみたいに歩くことが出来た。

 

 他の上級生の方々には申し訳ないけれど、あの二人と比べてしまうと身体から迸るオーラみたいなものが数段劣るように感じられる。だからいくら見られようとへっちゃらだ。幾分自分に対する自己暗示も込めつつ私はなおも進んでいった。

 

「あの、今日の放課後に行う練習を見学させていただけないでしょうか?よろしくお願いします」

「え?放課後?」

「突然で申し訳ありません。ご迷惑でしょうか?」

「ああいや、そうじゃなくてね」

「えっと…?」

「今日の放課後は練習ないのよ、ごめんなさいね」

 

 聖歌隊の人が優しく応対してくれたのは良かったものの、ちょっと予想外の出来事に戸惑いを受けた。練習が…ない?そんなはずはない。だって夜々ちゃんは間違いなく今日は練習があると言っていたのだから。それとも人には見せられない極秘練習なのだろうか?

 

「夜々ちゃ…。南都夜々さんから今日の放課後は練習だと聞いたんですけど…」

 

 とりあえず夜々ちゃんの名前を出して反応を窺うことにしてみた。すると予想が的中し会話がするすると進んでいく。

 

「あら、あなた夜々さんの知り合いなの」

「夜々さんとはクラスメイトなんです」

「そう。そっか…それで鍵を借りたのかしら?」

「鍵?」

「ええ。いつも練習してるお御堂の鍵よ。あの子急に一人で練習したいからって鍵を借りに来たの。今思うとあれはクラスメイトのあなたを案内するつもりで借りたんじゃないかなって思ったのだけど…。何か聞いてない?」

「いえ特には。でもそれなら戻って直接聞いてみます」

「それがいいわね。行事で入ったことあるとは思うけど、人がいないと雰囲気が一味違うからぜひ行ってみて。ついでに聖歌隊はいつでも大歓迎だから夜々さんに色々と聞いてみて頂戴。あの子はうちのエース候補なの」

 

 人柄の良さそうなその上級生は私が廊下に出た後も教室から身を乗り出して手を振ってくれていた。まだ部活には所属していないから、夜々ちゃんとのことが上手くいったら聖歌隊に入るのも良いかもしれない。

 

 教室に戻った私はまだ戻ってきていない夜々ちゃんの席をぼんやりと眺めつつ、放課後のことについて考えを巡らせていた。どんな言葉を掛けようか?きっと正解はないんだろうけど少しでも想いを伝えたい。午後の授業が始まる直前に戻ってきたその姿を視界の端に捉えながら私はもう一度自分に気合を入れた。

 

 そして迎えた放課後。

 

「夜々ちゃん。話があるんだけどいいかな?」

「朝も言ったけど、私今日は練習あるから」

「そっか。じゃあまた明日ね」

 

 光莉が思いのほかあっさりと引き下がったことに驚きながらも夜々は荷物をまとめるとホッとした表情を浮かべて教室を後にした。ゆっくりと遠ざかっていく後ろ姿を見ながら光莉は同じくゆっくりと帰り支度を始める。

 

 あっさり引き下がったのは予定通りにお御堂へ行ってもらうためだ。下手に喋って練習が無いのを知っているとバレてはまずい。そしてすぐに追わないのは付いていく必要がないから。行き先は分かっているのだから安心してどっしりと構えていればいい。二人きりで話せる上に大声を出したって誰にも聞かれることのない環境は私にとっては願ってもないチャンスだ。これを逃す手はない。

 

(静馬さん、千華留さん。どうか私に勇気を)

 

 15分ほど時間を潰してから私はお目当てのお御堂へと向かい、その姿を見上げていた。聖堂はエトワール選や各種学校行事にも使用されるため立派な作りになっており外観だけでも見応えがある。

 

 今までこうしてじっくりと眺めたことはなかったがこうして前に立っているだけでも自然と背筋が伸びてしまうようなそんな空気に包まれていた。外にいるだけでこれなのだから中はさぞや厳かな雰囲気が支配しているのだろう。そう思うと緊張して何度も唾を飲み込んでしまった。

 

 建物同様に重厚な作りをした立派な扉に手を掛けると、扉は思いのほかスムーズに動きほとんど音を立てることなく開いていく。開いた隙間から中の様子を慎重に窺うと耳に美しい歌声が飛び込んできた。私でも知っているような有名な讃美歌である。その声は私が普段知っている夜々ちゃんの声とは違い、しっとりと耳に纏わりついてきたかと思えば突然どこかへフッと消えてしまう。人懐っこさと儚さが共存しているようなそんな不思議な声色だった。

 

(すごく綺麗だよ夜々ちゃん。まるで天使みたい…)

 

 私が入ってきたことに気付いていないらしく熱心に歌い続けるその姿を見ながら、私はそう思った。聖堂に歌声が反響する中、ステンドグラスから差し込んだ光を浴びて長く美しい黒髪がうねるようにして輝いている。それは星が煌めく漆黒の夜空を思わせる光景に似ていて、歌声もそうだったがこうして歌う姿もまた普段の夜々とは別の顔をしていて光莉を驚かせた。

 

 一歩、また一歩。ゆっくりと近付いていく光莉に歌に集中していた夜々も流石に気付き歌声がやむ。そして悲し気な表情を浮かべたまま振り返ると私の名を呼んだ。

 

「光莉…。どうしてここに?」

「夜々ちゃんのことを迎えに来たよ」

「まだそんなことを言っているの?私たちはもうお別れしたんだよ」

 

 広い聖堂に二人きり。最初のやり取りが終わると静寂が私たちを包み込んだ。シンと静まり返った聖堂の中を見渡す。

 

「素敵な場所だね。私何度か来たことあるのに気付かなかった」

「光莉ッ!」

「どれだけ怖い顔をしても、大きな声を出しても、私はもう逃げないよ。決めたんだ…夜々ちゃんの傍にいるって」

「本当にそうかな?」

「試してみる?」

「後で泣いたって知らないからね」

 

 傾き始めた日がステンドグラスを通って光を生み出す。それは一色ではなく、様々な色を帯びて混ざり虹色のようなグラデーションを作った。その明かりに照らされながら…ゆっくりと影が近付いていく。止まったままの片方に迫るようにして。やがて影は重ねる寸前でピタリと止まった。

 

「逃げないなら、キス…しちゃうよ」

「いいよ、夜々ちゃんがそれを望むなら」

「っ…」

 

 覚悟を決めた私はひたすら真っすぐに夜々ちゃんを見据える。他の何も視界に入らないくらいに、夜々ちゃんだけを見つめた。

 

「友達同士がする遊びみたいなやつじゃない。恋人同士がするようなそんなキスだよ?それでもいいの!?」

「うん、いいよ」

「いいわけないでしょ!怖がってるの分かってるんだから。早く逃げなさいよ!ほらっ早く!!」

「怖がってるのは夜々ちゃんの方だよ。私は大丈夫、ほら?」

 

 そう言って目を瞑り少し顎を上げる。その方が私より背の高い夜々ちゃんにはしやすいかな?と思いながら。

 

「本当に知らないよ?私は…光莉のこと」

 

 何も言わずにそのままでいると、夜々ちゃんが私の頬に手を当てたのが分かった。顔に掛かる吐息でゆっくりと近付いてきたのも分かる。そして唇が触れる…、そう思ったのにその瞬間は訪れない。目を開くと俯いた夜々ちゃんが視界に映った。

 

「どうしたの?もしかして私のこと…嫌いになっちゃった?」

「そんなことあるわけない。愛してる。だから、だからもうやめよう光莉。私はあなたを傷付けたくないの。あなたに普通の女の子のままでいてほしいの。だから…」

「じゃあ、私の方から…しようか?」

「笑えない冗談だね。光莉にそんなこと出来るはずが…」

「冗談じゃないよ」

 

 私が前に一歩踏み出すと、それに合わせるようにして夜々ちゃんが一歩下がった。虹色の光の中をまるで踊っているみたいに二つの影が動く。前に、後ろに。片方が動けばもう片方も。それは終わらない追いかけっこのように不思議な軌跡を描いていく。

 

「来ないで!!来ないでよ光莉!お願いだから…私に近付かないで」

「逃げないで私の話を聞いてよ。夜々ちゃんに伝えたいことがあるの」

「聞きたくない。怖いのよ、私は」

 

 一つのステンドグラスの下で踊ると、次は隣のステンドグラスの下で。追いかけっこはいつしか永遠に続くワルツのように。聖堂に響く足音が刻まれるステップを彩っていく。前に前に、後ろに後ろに。届きそうで届かないもどかしい距離を保ったまま二人は踊り続ける。

 

「夜々ちゃんが好き。たしかに私は女の子が好きなわけじゃない。だけど夜々ちゃんが好き。女の子である夜々ちゃんが好きなの。いつも私を助けてくれて、いつも私を守ってくれて。私を笑顔にしてくれる夜々ちゃんが大好きだよ!」

「違う!それは愛じゃない。光莉のそれは友達に向けるもので、友情なんだよ!光莉は勘違いをしてるだけなの。いつかきっと気付く。愛情じゃなかったって。なんであの時私と付き合おうとしたのかってきっと後悔する!」

「違わないよ!私は夜々ちゃんが好きなの。どうして信じてくれないの?」

「届かないからよ。そんなんじゃ私の愛には届かない!光莉は私に全てを捧げられるのッ!?唇だけじゃなくて、身体全部!出来ないでしょうッ!?」

「出来ない…よ。今の私にはすぐには全部は捧げられないよ」

「ほらやっぱり!光莉はただ私に同情をしているだけなんだ。可哀想だから、憐れだから。私を助けるつもりでほんとは自分が救われたいんだよ!」

「夜々ちゃんは勘違いしてる。愛には色んな形があるんだよ。私がそれを教えてあげる」

 

 気付けば踊りはワルツから剣舞へと変わっていた。剣で相手と切り結ぶようにしながら深く、深く刻んでいく。お互いを傷付け合いながら自分の存在を刻み続ける。他にもやりようはあるはずなのに、二人ともそれしか知らないから。相手の想いよりも自分の想いの方が強いと信じているから、刻まれた以上の傷を相手に刻み返す。

 

「私言ったよ。『今は』って。今じゃない!今日じゃない!一週間後も、一か月後もダメかもしれない。けれど私は必ず夜々ちゃんに全てを捧げて見せる。この瞬間の私の好きは、愛してるに届かないかもしれないけど、いつか…いつか必ず。

━━━私の好きは愛してるに変わるってそう信じてるから━━━」

「いつか…愛に?」

「そうだよ夜々ちゃん。私は夜々ちゃんに恋してる。他の誰でもない。夜々ちゃんにだよ。あの日からずっと夜々ちゃんの事ばかり考えてた。今日はお話できなかったなとか、今日はちょっとだけ笑ってくれたなとか。嬉しかったり、悲しかったり。そういうの全部夜々ちゃんに関係することで、夜々ちゃんで頭がいっぱいだったよ。教室でだって、どこでだって夜々ちゃんの事しか目に入らなかった。こんなに想ってるのに恋じゃないなんてありえないよ」

「光莉が…私を?」

「だから夜々ちゃんも私を信じて!私の手を取ってよ!それとも夜々ちゃんは今すぐ全部捧げられる子じゃないと…嫌?」

「ほんとに?信じて…いいの?」

「約束するよ。私約束する。何があっても夜々ちゃんの傍にいるよ」

「私あなたのことを愛してるから、きっと求め過ぎちゃうよ?心だけじゃなくて身体だって。光莉が一生懸命受け入れてくれたってすぐに次が欲しくなっちゃう。それでもいいの?」

「夜々ちゃんが私のことを愛してくれた分だけ私は夜々ちゃんを好きになるよ。ううん、それじゃ足りない。夜々ちゃんがくれた以上に好きになってみせる。だから朝も、昼も、夜も。私を愛してよ」

「そんなの、そんなの簡単だよ。光莉を愛することなんて私にとっては息をすることくらい簡単なことだよ」

 

 光莉の叫びが聖堂に木霊して言葉のシャワーとなって夜々に降り注ぐ。それは夜々の心を閉じ込めた氷塊を少しずつ溶かし始めた。相手を斬って、相手から斬られて。お互い傷だらけになった身体を引きずって、円形のステンドグラスの下に用意された舞踏場で二人は再び踊り始めた。片方が前に出ればもう片方も前に出て二つの影の距離が縮まっていく。前に、前に。同じように前に、前に。そして光莉は大きく手を広げて夜々に呼びかけた。

 

「夜々ちゃん!私は夜々ちゃんの恋人になりたい。だから…私と付き合ってよ」

「光莉…、光莉ぃ!!」

 

 夜々が光莉の胸に飛び込むと二つの影が重なった。そのまま抱き合うと疲れ果てて上から吊るす糸の切れた人形のように床に座り込んだ。

 

「光莉ぃ…ごめん、ごめんね。いっぱい傷付けて、怖がらせてごめんね。私、私…あなたのこと…」

「いいの。もういいんだよ夜々ちゃん。夜々ちゃんが頑張ってくれたから私も勇気を出せたの。夜々ちゃんのおかげだよ」

 

 胸元で泣く夜々ちゃんを落ち着かせるように、その頭を優しく包み込んだ。いつもはあんなに大人びて見える夜々ちゃんが、今はとても幼く見えて。ほんとは無理していたんだなってようやく気付いた私はとても鈍感で。それでもこうして想いが通じたことに感謝をする。聖堂に響いていた夜々ちゃんのすすり泣く声に私の声まで重なって、何度も何度も反響したそれが合唱みたいに広がっていった。

 

「愛してる。光莉のこと愛してる。私待つから…光莉のこと待つから。ちょっとずつでいい。時間が掛かったって構わない。光莉のこと待ってるから。だから…だから必ず私のところまで来て!私を愛しに来て!」

「うん。うんっ!絶対に迎えに行くよ。好きじゃなくて愛してるを伝えに…必ず行くからだからキスをしてよ夜々ちゃん。それを二人の約束の証にして」

「今じゃなくたっていいんだよ?私はもうあなたを信じて待てるから」

「私がしたいんだよ。夜々ちゃんとキス…したいの。初めてのキスの相手は夜々ちゃんがいい」

 

 私は再び目を瞑ると夜々ちゃんを待つ。夜々ちゃんはさっきと違い頬っぺたじゃなくて頭の後ろに手を回すとゆっくりと顔を近付けてきた。

 

「必ずよ、必ずだからね」

「大好きだよ夜々ちゃん」

「愛している…光莉」

 

 温かな光に包まれながら二つの影が一つになった。それを祝福するような虹色の光がキラキラと輝いて辺りを照らしていく。私の初めてのキスは涙でいっぱいのしょっぱい味だったけど、きっと世界中の誰よりも幸せなキスだ。唇を触れ合わせるだけの子供じみたキス。だけどそれは間違いなく誓いのキスで…。私たちの愛の誓いを聖堂に佇む彫刻だけが見守っていた。

 

 

 

<あのステンドグラスの下で>…南都夜々視点

 

 ある晴れた日の放課後、二人の少女がお御堂を訪れた。その少女たちは揃いの聖歌隊服に身を包み、なにやら楽しそうにはしゃいでいる。

 

「ほら光莉。急いで急いで。誰かに見つかっちゃうよ」

「夜々ちゃんてば心配症なんだから~」

 

 二人は中へ入るなり入り口を守る巨大な扉に鍵を掛けてしまう。まるで誰も近付けたくないと示すように聖堂は堅く閉ざされ、二人だけの空間となった。私は光莉の手を取り真っすぐに進んでいく。ゆっくりと一歩ずつ。すぐ隣に顔を向けると微笑む光莉がいてくれてウェディングロードを歩いているかのような錯覚を覚えてしまう。見守ってくれる人は誰もいないけど、私はそれでも構わない。こうして二人で歩けるだけで幸せなのだから。

 

「今日はどうしたの?急にお御堂へ行こうだなんて言うから驚いちゃった」

「ここのところ昔のこと思い出してたから懐かしくなっちゃって。それで光莉と来たいなって思ってさ」

 

 私たちにとってここはお互いの想いが初めて通じ合った大切な場所だ。といっても聖歌隊の練習の時は必ずここに来るせいでありがたみがちょっと薄いけど…。でもこうやって二人きりで訪れるとあの日のことを思い出して胸がドキドキする。今になって思い返すと不器用なやり取りだったかもしれないが、あれがなかったら光莉と結ばれることはなかった。

 

「光莉は少しずつだけど、本当に私のことを受け入れてくれた。光莉のいない生活なんてもう考えられないよ」

「それを言うなら夜々ちゃんだって私に愛してるを教えてくれたよ。好きじゃなくて愛してるを」

 

 光莉は本当にこの1年で少しずつ変わっていった。最初はあのキスから始まって、そして私の求める事を受け入れてくれて。今では唇だけでなく身体を重ねることだってある。もちろん周りに気付かれないように注意しながらだけど…。というか自分にそう言い書かせていないときっと私は光莉を求め過ぎてしまう。光莉はそれさえも乗り越えてくれそうだけどそうなると困るのは私の方だ。だって光莉と毎日だなんて考えただけで幸せすぎて頭がパンクするに決まってる。

 

「せっかくだしもう一度ここで光莉に愛を誓おうかな~なんて」

「ねぇ夜々ちゃん。私もう子供じゃないよ?」

 

 熱を帯びた目で私を見つめながら挑発すような、それでいて甘えるような響き。そんな声のトーンだけで私はたまらなくなる。光莉はもうすっかり私を誘惑するのにも慣れてしまった。未だに子供っぽいと言われることがあるけど、もしみんながこんな光莉を見たら何て言うだろうか?相変わらず胸もぺったんこで華奢なのに、私の目にはそれがとても淫靡に映って仕方ない。

 

 さてどうしようか?今日はそこまでするつもりじゃなかったのに、私の中では既に覆い被さりたいという欲望が私の思考を奪い始めていた。答えは決まっていても一応リードする側として余裕は見せておきたいと思うのはカッコつけすぎかな?あんまりがっついているといつか主導権を握られてしまいそうでちょっぴり怖かったり。そんなことになったら私は光莉の言いなりになるしかない。そして毎日のように懇願するんだ。あなたが欲しいと。

 

「光莉はせっかちだな~。ほらあそこ。あの円になってるとこ覚えてる?」

「忘れるわけないよ。だって初めてキスしたのあそこだもん」

「私だって忘れないよ」

 

 奇しくもあの時と同じようにステンドグラスから差し込んだ光が円を描くその場所で私たちは抱き締め合った。見つめ合い、自然と顔が近付くと、合図することもなく目を閉じお互いの唇を貪りあう。唇をついばみ舌を絡めながら相手の背中に回した手がせわしなく動き、時折キュッと背中を掴む。

 

 そしてキスを堪能すると本能に身を任せるままに床へと倒れこみ、脱ぎ捨てた聖歌隊の衣装をシーツ代わりにその上で光莉に覆い被さる。一枚、また一枚と身に着けていたものを放り投げると光莉の素肌が露わになり私は無我夢中で光莉を求めた。

 

 裸で戯れる少女たちを包む虹色の光。だけど今日はあの時とは少し違っていて。誰かがぶつかったのかはたまた劣化したのか。原因はわからないけれどヒビの入ったステンドグラスが一枚、差し込む光を不規則に捻じ曲げていた。

 

 それはちょうど円の一部を歪め、輪っかにちょこんと宝石が乗っかったかのようなそんな形をしていて…。気付かずに相手の身体に溺れる少女たちを彩るのは偶然形作られた…

━━二人の永遠の愛を示すエンゲージリング━━

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※改稿内容について。改行だけ入れました。



 いかがでしたでしょうか?予告通りに今回で夜々ちゃんと光莉ちゃんの過去回想が終了いたしました。全部で4章に及ぶお話となり自分でも驚いています。最初の構想段階ではこれを夜々ちゃん視点と光莉ちゃん視点で1章ずつの合計2章で考えていたんだからなおさらびっくりですね。

 私は夜々ちゃんを気に入っているのでついつい盛りだくさんにしがちなんですが、面白いことに夜々ちゃんに感情移入しながら書いていると今度は光莉ちゃんが可愛く見えてくるんですよね。あ~光莉はなんて可愛いんだろうと考えるうちに光莉ちゃんも力強い芯のしっかりした女の子になりました。書いていくうちに好きなキャラが増えていってしまって困るような困らないような。やっぱりストロベリー・パニックって素敵な作品です。

 さて、そんなこんなでようやく10話達成ですね。最初を0章にしちゃったんで分かりにくいなと今更ながらに思っているんですけどやっぱりプロローグだし0章かなって。亀のようにゆっくりとした歩みではありますけれども今後も読んでいただけると嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします。



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サブストーリー 桃実×籠女
第10章「眠り姫」


■あらすじ
 詩遠から生徒会の用事を頼まれた桃実はルリムへと向かう。けれどさっさと済ませて帰ろうと言う願いは叶うことなく、見知らぬ少女と部屋で二人きり。気まずさに耐えかねた桃実がポケットを探るとそこには親友から貰ったとっておきのアイテムが。
 5年生と1年生。年の差のある二人の物語は静かに密やかに!?桃実視点でお送りする第10章!

■目次

<2週間前>…鬼屋敷 桃実視点
<1週間前>…鬼屋敷 桃実視点

■人物紹介

・鬼屋敷 桃実(きやしき ももみ)
スピカの5年生で生徒会書記を務めてる。髪は濃いめの亜麻色でロングヘア。

・白檀 籠女(びゃくだん かごめ)
ルリムの1年生。「パーシヴァル」と名付けられた大きなクマのぬいぐるみをいつも抱えており、まだ他校にはあまり名前を知られていないがルリムの生徒内ではその金髪と美しい容姿から将来を期待されている。

・剣城 要(けんじょう かなめ)
桃実の元ルームメイトで生徒会副会長。端正な顔立ちとショートヘアから王子様役として人気がある。

・鳳 天音(おおとり あまね)
スピカ5年生。エメラルドグリーンの髪を短くカットしており、要同様に生まれながらの王子様タイプ。

・冬森 詩遠(とうもり しおん)
生徒会長を務めているスピカの6年生。ややきつめの口調のため誤解されがちだが根はお人好し。



<2週間前>…鬼屋敷 桃実視点

 

「私が…ルリムにですか?」

 

 私はスピカの生徒会長である詩遠から書類の束を受け取りながら聞き返した。聞き間違いでなければこの書類を抱えて一人でルリムに行ってきて欲しいとのことだ。まぁ別に構わないですけど、と口では言いながらもこの荷物を抱えながらだと大変なんですけどとも目線でアピールしたが結果は覆らなかった。

 

 詩遠は用事があるから行けないと説明したが、私は詩遠がルリムの千華留さんを苦手にしているからではないかと疑っている。高飛車なところもあって誤解されがちだけど根は真っすぐで正直者の詩遠はなんだかんだと話を煙に巻く千華留さんにいつも苦戦を強いられていたからだ。その点で言えばミアトルの六条様は上手くやっている。詩遠にもあの冷静さがあれば…と思わないでもないがあればあったで魅力が薄れるとも言えた。

 

「じゃあ行ってきます」

 

 そう言って生徒会室を出ると今度は親友の要に出くわした。王子様役で評判の天音さんも一緒だ。

 

「桃実、どこかへ行くのかい?」

「ルリムにちょっとね。詩遠からおつかい頼まれたから」

「そりゃあご愁傷様」

 

 顎に手を掛け目を細めながらクックッと笑いながら要は慰めの言葉を私に掛けた。この笑い方は誇張でもなんでもなく要の癖だ。王子様として気取っているわけではなく単にそうやって楽しそうに笑うのを私は何度も見てきた。横にいる天音さんは穏やかな笑みを浮かべながらそれをどうするでもなくただ見守っている。

 

 要は私が気付いていないと思っているようだが、要が天音さんに惚れているのを私は随分前から知っていた。おそらく詩遠も。気付いていないのは要と天音さんという当事者コンビくらいのものだろう。普段は頭の回転も速いしテストの成績だって優秀な二人だけど案外そういった面では鈍かった。もちろん私は親友として密かに応援していたけど、それにしても王子様同士かぁ~とは何度も思ったものだ。上手くいってくれるといいんだけど。

 

「可哀想な桃実にはこれをあげよう」

「なにかと思えばキャンディーじゃない」

 

 それは要がよく口に含んでいるミルクキャンディーで王子様には相応しくないキュートでポップな包み紙にくるまれていた。イメージが崩れないようにと本人は隠しているつもりだが要は甘いものが大好きな甘党だったりする。このキャンディーは好物のうちの一つだった。

 

 要はそれを両手が塞がっている私の代わりに制服のポケットへと数個入れ再びクックッと笑みを浮かべる。どうやら機嫌がいいらしい。キャンディーよりも一緒に来てくれる方がありがたかったんだけど邪魔しちゃ悪いと思い二人に別れを告げた。頑張れ要と心の中でエールを送りつつ。

 

 それから私は重たい紙の束を抱えて四苦八苦しながらルリムの校舎へと辿り着いた。

 

「すみません、千華留さんどこにいるか知りませんか?」

「千華留様ならいつもみたいに秘密部の部室にいらっしゃるかと」

 

 どうも、とお礼を述べて言われた場所へと歩みを進める。生徒会長だけど大抵部室にいるのは何度か来たことがあって知っていた。秘密部とか変身部とか、とにかく自由なルリムらしく色んな部を作っては乗り換えていっているのは有名だが、いまだに秘密部というのが何をする部なのかを私は知らない。きっと知ったところで面白い反応は出来ないだろうということだけは分かっていたが…。

 

 そのうち部員数名のわりにはやたらと立派な部屋が視界に入った。その扉にはデカデカと秘密部と書かれた看板が掛かっている。正直なんでこんな広い部屋が宛がわれているのか不思議だったけど源千華留という人物はそういったことを可能にしてしまうこれまた不思議な人物だった。

 

「こんにちわー」

「あら、ごきげんよう桃実さん。ルリムへようこそ」

 

 扉を開けて中に入ると千華留さん本人が出迎えてくれた。広い部屋の中を見渡すと彼女の他には一人だけ。大きなクマのぬいぐるみを抱えた小柄な…、熊と比較するとより一層そう感じる少女が椅子に座ってゆらゆらと揺れていた。物珍しそうに見ていた私に千華留さんは笑顔で紹介してくれる。

 

「この子は白檀籠女ちゃん。ルリムの期待を一身に背負う1年生で『ルリムの眠り姫』と呼ばれているの。将来はエトワールの座だって狙える子よ」

「へぇーこの子が」

 

 噂には聞いていたけれど整った顔立ちをしている。1年生ということもありあどけない表情だが成長すればさぞ美人になることだろう。そうなればたしかに外見だけで言えばエトワールを狙える逸材と言えた。そう外見だけならば…。だけどもしルリムが本気でエトワールの座を欲しているのなら私の目の前にいる人物のほうが余程向いているように思える。現エトワールの彼女だったこともあり知名度は抜群だし容姿はもちろん人望もあり、かつ頭脳明晰。問題があるとすればルリムには彼女に見合うだけのパートナーがいないことくらいだ。

 

 だがそれも花園静馬という型破りなスーパースターによって1人エトワールという前例が作られた後ではあまり問題がないのかもしれない。それどころか花園静馬の作った道を元カノである源千華留が引き継ぐというまるでおとぎ話にも思える筋書に多くの生徒は夢中になるようにも思えた。あなたは出馬しないのですか?という質問が喉から出かかったけれど、なんとかそれを飲み込んだ。あまり他校の事情に口出しするのはよろしくない。

 

 私は書類を近くの机に置くと本題に入るべく千華留さんの方へと振り返った。すると…。

 

「あなたは…だあれ?」

 

 いつの間に傍に来たのか眠り姫が私を見上げていた。まだ少し眠いのか何度も瞬きをしている。

 

「おはよう籠女ちゃん。こちらはスピカの桃実さん。も・も・み。どう?わかる?」

「も・も・み。ももみ…さん。うん、分かった」

「偉いわね。じゃあご挨拶をしなくちゃ」

「はじめ…まして。びゃくだん…かごめです」

「鬼屋敷桃実よ。よろしくね、えっと…籠女ちゃん」

 

 千華留さんの何とも言えない優しい声色はまるで娘をあやす母親のようで、こういった何気ない部分にも人望がある理由を窺わせた。同い年とは思えないほど深く響くその声は、一体どうやって出しているのかと不思議でしょうがない。

 

 そしてそれと同じくらい籠女ちゃんのおっとりとした喋り方にも驚いた。この子は本当に1年生なのだろうか?と。外見も幼いし中等部の制服を着ているだけで実は小学生ですと言われてもおかしくないほどだ。こういったミステリアスな独特な雰囲気も眠り姫と言われる理由の一つかもしれない。

 

 私が色々と考察をしていると千華留さんは突然素っ頓狂な声を上げた。

 

「いっけな~い。私どうしても外せない用事があるのを忘れていたわ。申し訳ないけど少しここで籠女ちゃんと待っていてくれない?」

「えっ?でも私の話もすぐに…」

「まぁそう言わずに。せっかくだし少しくらいゆっくりしていって頂戴。それじゃあ籠女ちゃん、桃実さんと仲良くするのよ~」

 

 そう言い残してあっという間に部屋を出ていってしまう。残されたのは私と…この小さな少女だけだ。少女は熊のぬいぐるみを抱きかかえながら私をうるうるとした瞳で見上げている。保護者代わりの千華留さんがいなくなって不安なのだろうか?まぁそうだろう。いきなり親交のない上級生と二人きりにされたら不安にもなるか。ましてやこの子はまだ1年生なのだ。私だって1年生の時分には上級生というものがカッコよく素敵に、そして同時に怖く見えたので気持ちは分かる。

 

 どうしようかと考えあぐねていると、私のポケットの中で要から貰ったあのキャンディーがコロンと転がったのを感じた。コレだ!小さい子だし甘いキャンディーが嫌いなはずもなかろうと私はポケットに手を突っ込みまさぐると可愛らしい包みのそれを取り出した。

 

「ねぇ、よかったらコレ食べない?お姉さんのお友達がいつも舐めてるやつなの。きっと美味しいわよ」

「キャン…ディー?」

「そう。籠女ちゃんは甘いものは嫌い?」

「ううん…すき」

 

 千華留さんがしていたようになるべく怖がらせないように優しく話しかけてみたがやはりそう上手くはいかないものだ。私の声はところどころ上擦ったりして慣れていないのがバレバレだった。それでも誠意は伝わったようで少女は包みを受け取ると僅かにほほ笑んだ。私はさらに安心させてあげようと自分の分のキャンディーを取り出すと丁寧に包みを剥がし口の中へと放り込む。口の中をキャンディーがコロコロと転がると共にミルクの濃厚な味がいっぱいに広がっていった。

 

 流石に要のお気に入りだけあってなかなか美味しい。おっちょこちょいにも見えてこういうチョイスでビシッと決めるあたり要は根っからの王子様気質なのだろう。信頼できる親友の顔を思い浮かべつつ私が舐めていると、安心したのか少女も包みを取り外し明かりに照らすように掲げていた。

 

 そして私は見たのだ。キラリと輝いた純白のキャンディーが少女の口に…、柔らかそうな唇に触れ、そして口の中へと入っていく様子を。唇のピンク色と真っ白なコントラストの綺麗さに私は目を奪われていた。こんなことは初めてだ。少女がただ飴を口にしただけだというのに…。私はガラスケースでしっかりと守られた格式高い美術品に描かれた神話か何かのワンシーンを見るように、ただただ呆然と眺めていた。口の中のキャンディーを舌で転がすことも忘れ果てて。

 

「これ…おいしい。ありがとう…ももみ」

「えっ?ああ、どういたしまして」

 

 少女の声に我に返り、私はどこかへ置き忘れていた声を取り戻した。私は夢でも見たいたのだろうか?置きながらに見る夢。さながら白昼夢を。今目の前で飴を舐める少女からはそうした何かは感じ取れない。年相応か、もしくはそれよりずっと幼い女の子がただ座っているだけだ。口の中で転がるキャンディーが時折歯に当たって立てる音がやけに大きく聞こえた。

 

 そして喋ることも特になく、しばらく二人で飴を堪能していたが、無情にも溶けていくキャンディーはやがて口の中で消えていった。ポケットをまさぐってみてもそこにはもうキャンディーはない。こんなことならもっとくれればよかったのに。心の中で親友に文句を言っても、親友はクックッと笑うだけで返事はなかった。

 不意に…。

 

「ぱーしばる」

「えっ?」

「お友達の…名前」

 

 少女が抱き締めていたクマのぬいぐるみを私に向かって突き出しながら紹介を始めた。どうやらそのクマは『パーシヴァル』というらしい。可愛らしい見た目に似合わぬ勇猛そうなネーミングである。しかしなるほど、その大きな図体で小さな少女の身体を覆い隠し守っている様はたしかに騎士に見えなくもない。そう考えれば騎士の名を持っているのはそうおかしなことではないように思えた。

 

「いつも籠女ちゃんの傍にいて偉いわね。パーシヴァル」

 

 私が差し出されたクマのぬいぐるみ…、パーシヴァルにそう話しかけると少女の顔は花が咲くようにパァッと輝いた。ちゃんと一人にカウントされたのが嬉しかったらしい。確証はないがきっとそうに違いない。少女はパーシヴァルを自分の方へと向かせるとそのモフモフのボディーに顔を埋(うず)めて何度もそれを繰り返した。

 

「ごめんなさい。遅くなってしまって。あら、二人ともすっかり打ち解けたみたいね。ふふふっ良かったわ」

「ああ、お帰りなさい千華留さん。打ち解けたと言ってもちょっと会話したくらいですけど」

「そんなことないわよ。ほら?」

 

 戻ってきた千華留さんにそう言われて振り返ると、少女は私の制服の端をそっと掴み見上げていた。千華留さん曰く、懐いた相手にしかこういう仕草をしないらしい。その言葉が正しければ私はどうやらこの少女に懐かれたというわけだ。

 

「籠女ちゃん、桃実さんとお友達になったのね」

 

 中腰で話しかけた千華留さんの言葉に少女はもう一度私を見上げ、そして頷いた。

 

「うん…。私だけじゃなくて…ぱーしばるも…友達」

「なるほどね~。桃実さんはちゃんとパーシヴァルにも接してくれた。だから籠女ちゃんは懐いたってわけね。初対面でいきなり籠女ちゃんとお友達になれるなんて凄い快挙よ?桃実さん」

「あ、ありがとう…」

「じゃあ握手しましょうか!」

 

 そうして千華留さんの提案によってなぜか握手をすることになった私たちは向かい合い、お互いに手を差し出した。けれど私はさっきキャンディーを食べる姿に見惚れていたのがなぜだか急に恥ずかしくなってしまって、そうなってくると今度は透き通るように白く美しい手に私なんかが触れるのがなんだか悪い気もして、怖気づいたようにまごまごしていた。気付けば赤面していたらしい。少女が不思議そうに見上げる中、千華留さんに茶化されたのが後押しになって私はようやくその手を握った。

 

 でも、それは間違いだったのかもしれない。少女の手は予想通り、いや予想していたよりも遥かに柔らかく、肌触りは絹のように滑らかだった。そしてビーナスを模して造られた彫刻とは違い、その手は温かく血が通っていた。壊れないように、壊さないように、私は慎重に触れる。その感触をたしかめるかのように…。

 

 握手が終わった後も次にパーシヴァルとの握手を求められるまで私はぼんやりと自分の手を眺めていた。パーシヴァルの手は見た目通りの手触りをしていたおかげで私は驚かずに済んだ。同時に安心することも。これでパーシヴァルまで少女と同じ手触りだったら私は思わず抱き締めていたかもしれない。なんだか私の頭とは別に、もう一つの意志が私の身体を動かしているんじゃないかと思うくらい私は揺れていた。

 

「はい、これで籠女ちゃんとパーシヴァルと桃実さんはお友達同士。よかったわね籠女ちゃん」

「ぱーしばるも…喜んでるの」

「パーシヴァルもおめでとう」

 

 2人と1匹?それとも3人?が喜んでいるのが見えた。まぁたまにはこういうのもありだろう。その後、頼まれていた仕事を終えた私はスピカへと戻っていった。どこか夢心地でいい気分に浸りながら。

 

 ああなんということだろう。私は気付いていなかったのだ。飲み込まれたことに。あの時少女が、籠女が口にしたのはキャンディーではなかったのだ。籠女の口の中に消えていったのがキャンディーではなく私であることを…千華留さんだけが知っていた。

 

 

 

 

 

<1週間前>…鬼屋敷 桃実視点

 

 あの出来事があって以降、私はルリムへの用事を詩遠の代わりに行うことが増えた。任されるというよりも自ら率先して引き受けていたというのが正しい。千華留さんと会い、そして籠女と会う。何度か会う中で私たちは少しずつ距離を縮め本当に友人となった。

 

 そして今日も…。ルリムでの用事を終えた私は籠女に連れられルリムの食堂へと足を運んでいた。食堂と言っても各校によって特徴があり、ルリムのものはお洒落なカフェのような作りになっている。スポーツに力を入れているスピカの食堂が栄養バランスに気を使い、量も多めな定食メニューが多いのに対して、ルリムはメニューもカフェ仕様だ。一つの皿にご飯とおかずが一緒に盛られたワンプレートランチに、パスタとサラダのセットなど。もちろんデザートも豊富である。私も初めてメニューを開いた時はデザートのページが複数のページにまたがっていることに驚いたものだ。スピカも期間限定メニューを出したり頑張ってはいるけどルリムを見た後では少々華やかさに欠けると思えた。正直私としてはルリムのメニューの方が嬉しいのだけど、要や天音さんみたいな運動バリバリタイプからすると物足りないだろうなぁ。

 

「籠女ちゃんは何にする?私はこのケーキと珈琲のセットにしようかしら」

 

 私たちが訪れたのは放課後だったこともあり、みなデザートばかり注文していて食事メニューを頼む生徒は皆無だった。それにしても…、自由で開放的なルリムらしく、スピカの制服を着た私がいても誰もジロジロと見てきたりはしない。何度か来ていて知ってはいても、私の目には相変わらず新鮮に映った。もしこれが逆だったらきっと穴が開くほど見つめているに違いない。

 

 ここで注目を集めているのは私よりもむしろ籠女の方であった。同じ制服を着ている少女をみながチラリ、チラリと覗き見ている。けれどその視線も決して嫌なものではなく、どれもが少女を見守るようなどこか温かいもので籠女がみなに愛されているのが見て取れた。千華留さんが一緒の時にはあまりそういった視線を感じないのは千華留さんという存在がルリムでは絶対的なものだからだろう。いるだけで安心できるというあたり、まさにルリムの聖母と言っても過言ではない。

 

「ぱーしばるは…ぱふぇが食べたいって」

「どのパフェかしら?こっち?それともこっちの?」

「これ…」

 

 籠女が指差したのを見て私は戸惑った。パーシヴァルの手が指していたのは各種パフェの良いとこどりをしたようなジャンボパフェだったのだ。たしかに美味しそうだしボリュームから見ればお値段もかなり良心的に見える。でもこれは誰かと一緒に食べるもののような…。私の目に映る籠女の身体はちんまりと小さく、とてもこれを一人で完食できるようには見えない。どうしたものかと籠女を見ると少女は私を見上げていた。

 

「一緒に…食べるの…だめ?」

 

 なんだ、そういうことだったのか。てっきり一人で食べるつもりなのかと思っていたけど私と半分ずつ食べるつもりだったようだ。それなら何の問題もない。私は籠女の頭を優しく撫でるとカウンターに注文しに向かった。ケーキはまたの機会にすればいい。

 

 会計を済ませパフェを待っている間、ふとテーブルの方へと目を向けると、こちらを見ていた籠女と目が合った。それだけなら別によかったのだが、籠女はパーシヴァルの手を持つと私に向かって小さく振り始めたのだ。目を逸らすわけにもいかず、かといって手を振り返すのも恥ずかしくてじっとしていると、その振り方が徐々に大きくなっていく。その様子に周囲もなんとなく籠女を見て、次いでその視線の先にいる私を見て、また籠女を見てと揺れ動く。おそらく手を振り返さないことには籠女はやめないだろうと考え仕方なく手を上げた私はそのまま固まってしまった。

 

 タイミングが悪かったのか神様のイタズラか?丁度みんなが私に目を向けた瞬間だった。突き刺さる視線が痛い。見れば私を見てクスクスと笑っている下級生もいる。私はスピカ生徒会の上級生なのよ?と叫びたくなったけど流石にそれは大人げないのでやめた。そりゃあまぁ客観的に見ればパフェを注文しつつそれを待つ下級生に手を振るというなんとも微笑ましいお姉様の図といった感じで笑ってしまうのも分かる。私だって自分じゃなかったら笑い転げていたかもしれないが、残念なことに今立っているのは私なのだ。どうしようもない。

 

 その一方で籠女は私が合図したと勘違いしたらしく先程よりもさらに一生懸命にパーシヴァルの手を振り返した。こちらはこちらでお姉様にアピールする妹といった感じで可愛いのは間違いない。この姿を見て無視するという選択肢は私の手の中にはなく、私は結局、赤面して半ば俯きながら籠女に向かって手を振るという羞恥プレイを実行するのだった…。私はやり遂げたのかだって?もちろんやり遂げたに決まっているじゃない。私はスピカの鬼屋敷桃実よ。そう自慢したくなった。

 

 そう、この時の私は自分が注文したもののことをすっかり忘れていたのだ。背後でパフェがトレーに乗せられた音を聞いて、私は凍り付いた。

 

「はい、お待たせ。あそこで手を振ってる子と一緒に食べるんでしょ?じゃあスプーンは2つだね。いや~仲が良くて羨ましいね~」

 

 振り返ると陽気な感じのお姉さんがにこにこと楽しそうに私を見ながらスプーンを2つトレーに用意してくれた。私は諦めたように笑うとトレーを受け取り籠女の元へと向かう。もうこうなったらどうにでもなれ、と心の中で叫びながら。

 

 そうしてテーブルに置かれたパフェに籠女は目をキラキラと輝かせていた。ジャンボパフェはメニュー表の写真通りに…、いや正直予想よりも巨大な器にこれでもかとアイスやイチゴやパイ生地などが盛られ籠女の瞳に負けないくらいキラキラと輝きを放っている。宝石箱のようなそのいでたちに周囲の生徒たちの視線も自然とそちらに吸い寄せられたおかげで私は少し楽になった。カロリーは気になりつつもやはり女の子としてはこういったものに弱いようで、あちこちから注文してみようか?といった囁きも聞こえてくる。

 

 パフェを前に元気を取り戻した私も早速スプーンをその山に突き立てまずは一口。アイスのひんやりとした感触が顔の火照りを冷やしてくれる。う~ん、美味しい。なんだかリッチな味わいがする。パフェを構成するパーツの一つ一つのクオリティーが思ったよりも高いらしい。これは期待出来そうだ。私は上の部分もそこそこに、層になった部分をスプーンで掬って口へ運んだ。こうして一度に混ざりあった味を楽しむのもパフェの醍醐味の一つである。複雑に溶け合う味を楽しみつつ籠女に目をやると、少女も一生懸命にパフェを口に運んでいた。色んな場所を掘っては顔をほころばせる姿はさながら探検家のようでもある。私たちは我先にと宝の山を掘り進めていった。

 

「籠女ちゃん。パフェ美味しい?」

「うん…おいしい」

 

 頬を紅潮させて嬉しそうにほほ笑む籠女を見て私の頬もつい緩んでしまう。食べ進める途中で籠女がスッとスプーンを私に差し出してきた。どうやら食べろということらしい。つまり『あ~ん』という例のアレなわけだ。一つのパフェを食べているんだから必要性はないのだがどうしてもやりたいらしい。隣や近所のテーブルの生徒からの視線は感じていたが吹っ切れていた私はさほど躊躇うこともなくスプーンに口を付けた。お返しにと私もスプーンを差し出すと籠女もそれを食べてほほ笑んだ。最初こそ小さくわぁとかきゃあとか聞こえてきたけど堂々と繰り返すうちにそれも収まった。赤面なんかしてるからいけなかったのだ。堂々としてれば仲の良い姉妹くらいにしか見えないというのに。もっと早く気付いていたら手を振る時だって上手くやれたんだけどな。まぁ今更言っても仕方がない。

 

 10分後にはあれだけ巨大に思えたパフェも既に7割ほどが胃袋に収まっていた。意外となんとかなるものだと思いながら最後のイチゴをスプーンに乗せて口に運ぼうとしたところで私は籠女の視線に気付き手を止める。その真っすぐな眼差しはスプーンの上のイチゴに向けられていて私がスプーンを動かす度にイチゴを追いかけていた。食べたいならそう言ってくれればいいのに…。私が少し笑みを零しながら何も言わずにゆっくりとスプーンを籠女に近付けてあげると、籠女の目は私とイチゴとを交互に行き来した。食べていいの?と尋ねるように。私は何も考えていなかった。籠女が欲しがっているからただ食べさせてあげたいという一心でスプーンを差し出した。それだけだった。

 

 籠女が無邪気に喜びながらスプーンに口を付けた。精一杯に口を広げた籠女の唇にイチゴが触れる。あの時のキャンディーのように。そしてイチゴは姿を消した。籠女の口の中へ。けれどキャンディーとは違ってイチゴは何度か咀嚼された後すぐに籠女の喉を通過した。白い喉がそれに合わせて動くのを見ながら私の喉もゴクリと音を立てていた。籠女の口の端にはクリームが残っていて、それを舐めとろうとした籠女の舌がちろちろと動く。一回では上手くいかなくて何度か試すと、その度に濡れた唇がさらにコーティングされて艶やかさを増していった。綺麗に舐めとり終わると再び喉が動き、同じように私の喉も動いた。前回はキャンディーを、今回はイチゴを、籠女が食べただけだ。それなのに私は見惚れていた。

 

 私には幼女趣味でもあるんだろうか?幼い少女とパフェを食べるだけでこんなに胸がときめくなんて…。いや、違う。そんなはずはない。喉が鳴ったのだってパフェが甘かったから珈琲を飲みたくなって鳴っただけだ。そうに決まっている。言い訳するように珈琲に口を付けると、じわりと舌に広がった苦みが色々なものを洗い流していった。顔を上げて籠女の喉を見ても、もう私の喉は鳴らない。そのことに私はどこか救われていた。

 

「ふぅ~ご馳走様。籠女ちゃんは満足できた?」

「もうおなか…いっぱい」

「それは良かった。私も楽しかったわ。こんなにデザートが充実してるならこれからはルリムでお茶しようかしら」

「今度は…スピカで…ももみと一緒に…食べたい」

「スピカで?まぁいいけど。ここと比べると物足りないかもしれないわよ?」

「だい…じょうぶ。きっと楽しい」

「じゃあ次はそうしましょうか」

「うん…約束」

「はい、約束ね」

 

 すっかり落ち着きを取り戻した私は空になったパフェの器を前に籠女と楽しくお喋りをしていた。次の約束までしてしまうなんて我ながら浮かれている。でもそれくらい籠女といるのは楽しかった。私はカップの中の珈琲をゆらゆら揺らしながら余韻を味わっていたが聞こえてきた声に慌てて顔をそちらへと向けると…。

 

「桃実。あなた一体何してますの?」

「ごきげんよう。二人とも仲良いのね」

「詩遠?それに千華留さんも。なんでここに」

「なんでって…。用事を済ませに来たら千華留さんにお茶でもどうかって誘われたのよ。まさかあなたが籠女ちゃんとパフェ食べてるところに遭遇するとは思わなかったわ。随分親しいのねぇ」

「え?あ、そ…そうなんですよ。最近友達になって」

 

 照れ笑いを浮かべながら正直ホッとしていた。だってパフェを食べている最中に遭遇していたら私は青ざめていたに違いなかったから。にたにたと笑いながら少女とパフェを食べているところを見られでもしたら、明日から顔を合わせづらいことこの上ない。おそらく必死で要や他の人間に言わないように口止めしていただろう。それにしてもまさか私だってこんなところで会うとは想像していなかった。

 

 案外千華留さんのイタズラなのでは?なんて思いたくもなる。千華留さんは時々そういうお茶目なところがあるからあながち間違いではないのかも。

 

「あら、籠女ちゃん眠くなってしまったの?ふふふっお腹いっぱい食べたのね」

 

 向かいに座っていた籠女は目をとろんとさせて眠たそうに船を漕いでいた。小さな体がかくん、かくんと崩れ落ちそうになっている。素早く傍に駆け寄った千華留さんは取り出したハンカチで籠女の口の周りを優しく拭くと、驚くことにひょいっと籠女を背負ってしまった。いくら軽そうと言っても限度はあるものだが、千華留さんの手慣れた様子からすると日常茶飯事なのかもしれない。

 

 籠女は千華留さんの背中に揺られ今にも眠ってしまいそうだったけど、それでもどうにかこうにか目を開けると私に『約束』とだけ呟いてそのまま眠ってしまった。安心しきってすやすやと眠るその顔は王子様のキスを待つあのおとぎ話のようでもあり、まさに…。

 

「━━━眠り姫━━━」

「眠り…なに?」

「な、何でもないわ」

 

 心の中で呟いたつもりが口に出ていたらしい。慌てて言い返した私の顔を詩遠が不思議そうに見つめていた。

 

「ところで桃実さん、何か籠女ちゃんに約束してあげたの?」

「今度はスピカでお茶をしようって」

「へぇそうなの。念押しするくらいだから余程楽しみなのね。籠女ちゃんスピカに入ったことないからよかったら案内してあげて頂戴」

「ええ。あの、一ついいですか?」

「何かしら」

「千華留さんは慣れてるんですね。籠女ちゃんを背負うの」

「私はルリムの聖母だもの。つまりみんなのお母さんってことね。ふふふっ。それじゃあ籠女ちゃん送っていかないといけないからここで失礼するわね。桃実さんに詩音さん、ごきげんよう」

 

 器用にパーシヴァルを掴んだ千華留さんはよろめくこともなく安定した足取りでカフェを出ていった。本当に母親のようだ。羨ましいな、とポツリと呟いた私の言葉はカフェの喧騒に掻き消えて誰にも届くことはなく、そもそも何を羨ましいと思ったのか、私自身にも分からないままに私は詩遠と共にスピカへと帰っていった。

 

 珈琲で洗い流したはずの甘い余韻に…溺れながら。

 




 いかがでしたでしょうか。過去回想編は激しいセリフのやり取りが多かったので一転して淡い感じを心掛けました。目指すはどこかほの暗く、耽美で、そして退廃的な…。はい。いつも通りそれが出来るとは言っておりませんのであしからず。

 桃実と籠女のカップリングは本当になんというかこう急に思い浮かんだというか。それ自体はちょっと前だったんですが登場させるのにドキドキしていました。自分的には結構チャレンジだった部分もあったので文章になるのかと不安で不安で。いつもセリフが先に浮かんで地の文は四苦八苦していますので、今回みたいにセリフが少ないと心細くって仕方ありません。もし今回のような雰囲気が気に入っていただけれたら幸いです。

 次章もこの二人のお話の予定なのでもしよかったらよろしくお願いいたします。それでは~。





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第11章「どうか祝福を」

■あらすじ
 どこまでも惹かれていく。熊のぬいぐるみを抱いた可憐な…幼い少女に。
桃実が恋に堕ちたのはミステリアスな雰囲気を漂わせる『ルリムの眠り姫』こと籠女。
会うごとに距離を縮める二人はみるみるうちに溺れていった。
テーブルの下で行われる秘め事によって心を通わせた二人はついに…。
鬼屋敷 桃実と白檀 籠女の危険な、そして妖しい恋物語の行く末は!?

■目次

<5日前>…鬼屋敷 桃実視点
<3日前>…鬼屋敷 桃実視点
<今日>…鬼屋敷 桃実視点



<5日前>…鬼屋敷 桃実視点

 

「ねぇあの子見てよ」「かわい~。ルリムにあんな子いたんだ」「ちっちゃいから1年生かな?」「なんか看板みたいなの持ってる」「なんて書いてあるの?」「えっと、なになに…」

 

 放課後のスピカ校舎前に出来た人だかりが少女を取り囲んでいた。みなが口々に少女の容姿を賞賛していく。けれど少女は話しかけられてもギュ~~~ッと熊のぬいぐるみ…、パーシヴァルを抱き締めてキョロキョロするばかりだ。誰かを探すように精一杯背伸びをしては頭を右へ左へと動かしていた。そしてその手にはぬいぐるみと共に小さな看板が…。

 

 その看板にはこうあった。

 

『桃実さんへ 約束していたスピカの案内よろしく♪ 源千華留より』

 

 デカデカと…、文字自体はとても綺麗で美しかったのだが小さな看板には不釣り合いなサイズで書かれたその看板には桃実の名前が記されていた。桃実はスピカでは名を知られた存在である。生徒会書記ということもあったがそれ以上に容姿と少し勝気な性格が人気の理由だった。本人はあまり気に留めていないものの独自に行われたスピカ内人気投票ではトップ5に入る実力者なのだ。

 

 そんな桃実の名が書かれた看板をルリムの少女が持っているというのは驚くべきことであり、余計に少女が注目を集める結果となってしまう。今や少女は大勢のスピカ生に囲まれおどおどするばかりである。顔を覗かせて桃実を探そうにも小さな身体ではどうすることも出来ずただ埋もれていく。そうなると今度はぬいぐるみを抱き締めて縮こまるしかなくなり、それが余計に少女のか弱さと儚さを引き立ててさらに見物客を増やすという悪循環を生んでいた。別に誰も少女を傷付ける意図はない。それは少女自身も理解していたのだがそのせいで強く追い払えないというジレンマも少女を苦しめていた。

 

 とうとう少女は小さな声で看板に書かれた人物の名前…、桃実の名を呼び始めた。けれど喋り声や黄色い歓声といったノイズによって少女のか細い声はたちまち掻き消されてしまう。先程よりも大きな声で…、それでも一般的には小さい声であることに変わりはないが、繰り返し名を呼ぶと、その一途な姿に取り囲んでいた観衆はますます魅了され熱狂していく。皮肉なことに少女が声を発する度に観衆の声は大きくなる一方で、そうすることで少女がより懸命に桃実の名を呼ぶことをみなが期待しているかのようだった。

 

 当然その騒動については噂となってスピカを駆け巡り教室にいた桃実の耳にも届いた。最初にクラスメイトから聞かされた時は冗談かと思っていたが、その証言が複数人からもたらされるようになると私は血相を変えて教室を飛び出した。頭の中は籠女の心配で満ち溢れていた。あの小さな身体が大勢に囲まれている様子なんて思い浮かべただけでゾッとする。籠女はまだ幼い1年生なのだ。無遠慮にジロジロ見るんじゃないと近くに行って叫びたかった。気ばかりが焦ってしまい身体が上手く動かない。階段を下りる時も曲がり切れずに何度も壁に激突した。心配は次第になんでもっと早く向かわなかったのかという後悔へと変わっていく。1秒でも早く籠女のもとに向かうべきだった。向かわなければいけなかった。あの子を守るのは…私なのだから。

 

 私が到着した時には籠女の身体は人だかりに隠れまるで見えなくなっていた。不安に駆られ籠女の名を呼ぶとそれに気付いた生徒が振り返る。そして私の姿を確認すると隙間を開けていった。私が声を発する度にその事象は波のように伝わり、ついに籠女に続く道が現れたのだ。笑顔を浮かべた籠女のもとへと一直線に走り、私は人目も気にせず抱き締めた。この時の私にはそうすることが当たり前であるかのように思えたのだ。怪我した子を心配する母親のように背中に手を回し、落ち着かせるように優しく撫でてあげると籠女も私の胸に甘えるようにして頭を押し付けた。その柔らかい頬に自分の頬を擦り合わせ、私は何度も耳元で囁いてあげた。もう大丈夫、怖くないよ…と。

 

 私たちの様子を見物人たちは不思議そうな顔をして眺めていたが、私を心配して追いかけてきた要が人払いをすると、名残惜しそうな表情を浮かべつつも校舎へと入っていった。それを横目で確認した私も籠女から身体を離し要の方へと振り返る。

 

「ありがとう要」

「いや、いいさ。慌てて教室を飛び出していったから何事かと思って追っかけてきたら…。正直驚いたよ」

 

 そう言いながらおどけた仕草をした要に籠女のことを紹介する。要には何度か話したことがあったからすぐに理解したようだ。王子様らしく、可愛らしいお嬢ちゃんだね、なんて言いながらお辞儀をすると敵意がないことを示すように優しく笑った。要の独特な雰囲気に目をぱちくりさせていた籠女が私の袖を軽く引っ張ったので私の親友であると伝えておく。

 

 私はふと思い立ち、要に例のミルクキャンディーを持っていないかと尋ねた。不安だっただろうし少しでも気晴らしになればとそう考えたからだ。要はちょっと困った顔をしつつも制服のポケットに手を突っ込むとあのキャンディーを取り出して籠女に渡してくれた。手品のように現れたキャンディーに籠女は顔を輝かせて私を見上げた後、キャンディーを口に放り込んだ。私はというと要の困った顔が気になりヒソヒソ声でその理由を尋ねると、どうやら残り僅からしい。なんでも品薄になっているらしく注文してはいるけど届くのはまだ先とのことで、やりくりに困っているそうだ。お気に入りなのを知っていたので申し訳ない気分になりつつも、籠女に分けてくれた優しさに感謝を述べた。

 

「随分と気に掛けているんだな、お嬢ちゃんのことを。あんなに必死な君を見たのは久しぶりな気がするよ」

「からかわないでよ。だってそりゃあそうでしょう?籠女ちゃんみたいな子だったら誰だって心配するわよ」

「果たしてあそこまで必死になるだろうか…」

「え?」

「いや、何でもない。忘れてくれ」

 

 その後は用事があるという要と別れ…、親切な要は籠女の持っていた看板を邪魔になるだろうと言って持って行ってくれたので幾分身軽になった籠女と二人でスピカの中を歩き回った。最初は運動場や聖堂など外を見て回り、それがあらかた終わると今度は校舎を回る。

 

 校内ではすれ違うたびにチラチラと視線を送られてあまり良い気はしなかったけど、少しでも楽しんで欲しくて私は意識して明るい声を出して籠女に話しかけた。それにしてもなんでみんなこんなに見てくるんだろう?ルリムでは他校の生徒がいても全然気にしていなかったのに。なんだか下品でみっともない気がして私は辟易していたが、ある程度経ってようやく私はじろじろ見られていた理由に気付いた。

 

 私は籠女の手を握って歩いていたのだ。しっかりと小さな手を取り、それはもう仲睦まじく。みんなが私と籠女ではなく繋いだ手を見ていたのに気付き私は急に恥ずかしくなった。一体いつから握っていたのだろうか?たしか数人ずつのグループとすれ違う時に、無意識のうちに握ったんだと思う。籠女が離れてしまわないように手を握り…そして引き寄せた。自分の傍へと。するとどうしたことだう?さきほどまでは何ともなかった手のひらが熱く脈を打ち始めるのを私は感じた。羞恥によって朱に染まり、トクントクンと鼓動するそれは…、まるで心臓のようではないか。どうやら私の手は心臓になってしまったみたいだ。僅かに緩んだ手を握りなおそうと力を込めると籠女の手がやわやわと握り返してくる。いつまでも触れていたくなるようなふにふにとした感触が私を捕らえて離さない。ああ、籠女が私の心臓に触れている。その心臓が脈動する度に私の気持ちが籠女に伝わっていってしまうようで私は喜びと同時に焦りを感じた。だってこれではあまりにも筒抜け過ぎて、何もかもが丸裸にされているみたいだったから…。

 

 正面からまた数人ずつのグループがこちらに向かってやって来る。みな思い思いの会話をしていたが私たちに気付くと一様に視線を一点に集中させた。繋がれた手へと。一瞬手を離そうかと思った。けれど私がしたのは全く真逆のことで、自分でも正直驚いていた。私は籠女を抱き寄せたのだ。たいして距離が近かったわけでもなく、ぶつかりそうな気配なんてまるでなかったのに…。首を傾げるその一団が通り過ぎるまで私はそうしたいた。その間にも籠女に握られた心臓がさらに強く鼓動を鳴らしていく。私は籠女の顔を見るのが怖くなって食堂に向かって歩き出した。でも同時に気付いても欲しかった。だから繋いだ手はそのままにして。その後ろで2つの影が見守っていることに気付くことなく。

 

「なあ、どう思う?」

「どうって言われてもボクには分からないよ。要の方がずっと付き合い長いだろ?」

「そうなんだが…今回ばかりは自信がなくてね。桃実のやつ幼女趣味なんだろうか…」

「ボクには仲の良い姉妹のようにも見えるけど」

「もう少しだけ観察してみるか。よしっ、いくぞ天音」

 

 桃実の様子が気になった要は急遽助っ人に天音を招集し二人の後ろを気付かれないように尾行していく。手を繋いだ二人はどんどんスピカ校内を進みやがて食堂に入っていった。しまった、と軽く舌打ちした要だったがもうどうにもならない。人もまばらな上に隠れる場所のない食堂では尾行のしようがないのだ。用事があると言ってしまった手前、のこのことお茶を飲みに来たと言い訳することも出来ない。結局食堂の入り口で天音と…、時間を気にしていたにも関わらずなんだかんだと一緒にいてくれるお人好しと待つほかなかった。けれど幸運なことに桃実と籠女は二人から見える位置のテーブルに座ると仲良くメニューを眺めだしたのである。

 

「籠女ちゃんはどれにする?これなんかルリムにないから珍しいかも」

「じゃあ…それがいい。ももみは?」

「私はこれにするから途中で交換しようか」

 

 私たちが食べ始めると案の定周囲のテーブルからはヒソヒソ声と視線が集中したがこの前のパフェで『あ~ん』まで経験した私には正直楽勝だった。籠女はルリムのメニューにないデザートを食べられてご満悦した様子で終始にこやかだったし、我ながら良く出来た方だと思う。私はセットの珈琲を、籠女は砂糖とミルクたっぷりの紅茶を飲みながら他愛もない会話を繰り返し、ゆっくりとティータイムを満喫させてもらった。

 

 ドリンクを飲み終わると…、予想はしていたけれど実際にそうなると少し寂しいものだが、籠女は眠たそうに目を擦り始めた。それでも必死に起きていようとしてくれる辺りに私への信頼が窺えたけれど、さてどうしようか?籠女をここに一人残したまま千華留さんを呼びに行くわけにもいかない。かといって籠女を背負うにしても不慣れな私では籠女一人がやっとで、パーシヴァルを持つのは厳しいように思えた。とりあえず試してみようかと籠女に声を掛け中腰になった私の背中に乗せてみる。柔らかな籠女の身体を背中に感じたものの、私は特に何も思わなかった。籠女を落っことすわけにはいかないという危機感と母性本能が上手く働いているようだ。

 

 よしっ!これなら大丈夫そうだ。うつらうつらとはいえ籠女の協力もあり立ち上がってみてもふらつくことなく安定していた。体重なんてむしろこんなに軽くて平気なのかと心配になるくらいである。けれど予想した通りにパーシヴァルは持てそうにない。慣れればなんとかなりそうではあったが初挑戦の今日ではちょっときつそうだ。籠女が私の首に回している手で持ってくれるのが一番だったけど途中で眠ってしまうかもしれないのでこちらも却下することに。とにかく安全を第一に考えてルリムと往復しようかと考えていたその時…。

 

「仕方ない。手を貸してやるか。お~い、桃実!」

「要のそういうところ嫌いじゃないよ、ボクは」

 

 二人が見ていたことなんてまるで知る由もない私にはその声が天の助けのようにさえ思えた。用事を終えたという要の言葉をすっかり信用し、ルリムまで手伝いを頼むことにしたのである。要は体格もあるし自分がおぶろうかと提案してくれたけどもう背負ってしまったというのもあるし、何よりも自分がそうしたいという気持ちもあって譲らなかった。それに籠女だってきっと要より私の背中の方が落ち着くと言う…はずだ。要はそうか、とだけ呟くとそれ以上は何も言わずにいてくれたのが私は嬉しかった。そんなわけで私が籠女を、要がパーシヴァルと看板を…、看板は天音さんが走って取ってきてくれたけど返却が必要なんだろうか?と私は少々疑問だったが、そういう役割分担になった。

 

 見送ってくれた天音さんを背にルリムへと歩く道すがら要はしきりにパーシヴァルを高く持ち上げてみたり顔を眺めてみたりしていたが、それに飽きたのかそのうち私の顔をチラリと覗いては意味ありげに笑みを浮かべ始めた。私は当然何がおかしいのかと要に尋ねたけれど、要は一向に答えようとしない。そんなやり取りが続くうちに私は次第にムキになっていったが、要のクックッという笑いで誤魔化され答えを得ることができなかった。要ったら一体なんなのよ?もう!ちょっと悔しい気持ちはあったけれどこうして籠女を運ぶのを手伝ってもらっている身なので追及しないでいよう。

 

 背中の籠女は揺れが心地よかったのかぐっすりと眠ってしまっている。私の首に回していた手も今は力が抜けてゆらゆらと揺れるばかりで、すっかりと身体を預けているせいか背中に感じる重みも増したように感じた。そうか、千華留さんはいつもこんな風に籠女の重みを感じていたんだ。本当は起きててくれた方が不慣れな私としては楽なのだけれど起こすのも可哀想なのでそのままにしてあげた。

 

 時折ずり落ちないように調整しながらルリムまでの長い道のり…、通常であればそれほどではないが今日は遠く感じたその道をなんとか制覇しルリムへと辿り着く。校門には千華留さんが立っていた。

 

「ありがとう桃実さん。あなたなら籠女ちゃんを送り届けてくれると思っていたわ。要さんもパーシヴァルをありがとう」

「どういたしまして」

「籠女ちゃん本当によく寝ているわ。桃実さんに心を許しているのね」

「まさか千華留さんは我々が来るのを予想してここに?」

「さぁどうかしら?」

 

 要の質問にふふふっと笑った千華留さんはそれ以上語らなかったが、その目は全てを…、私と籠女のことを見透かしているように思えた。

 

 

 

 

 

 

 

<3日前>…鬼屋敷 桃実視点

 

 放課後の生徒会室では秘密裏に会議が行われていた。といっても参加者は詩遠と要の二人だけで、他のメンバーの姿は見当たらない。にも関わらず小さめのトーンで話し続けているのには訳があった。会議の題材は桃実についであり、その内容がデリケートなものだったからだ。

 

「桃実のことが噂に?」

「そうよ。桃実がルリムの1年生にすっかりお熱だってね。まぁそんなに生々しい感じではなく単に可愛がってるってくらいのものだけど」

「まぁここのところ良く会ってるみたいですからね」

「悪いんだけど変な邪推をされないように桃実に注意をしてもらえないかしら?あなた親友でしょう?今のところは噂もそれほど桃実へのダメージになっていないけど何があるか分からないもの。せっかく人気があるんだからイメージは大切にすべきだわ」

「………。わかりました。今夜にでもそれとなく言っておきますよ」

「今じゃダメなの?」

「そうしたいのはやまやまですが…、既にそのお嬢ちゃんが来てましてね」

「そうなの!?ハァ…、なんだか心配だわ。あの子大丈夫かしら」

 

 詩遠が心配していることはごく当たり前のことだった。スピカ生徒会の役員ともあろうものが他校の1年生にべったりなどというのはあまり規範を示す身としては好ましくない。それに今はまだよくても、そのうち付き合っているだのなんだのという噂になりでもしたら桃実はきっと傷付くだろう。

 

 けれど要は何か思うところがあるのか悩んでいた。窓の外を眺めこの瞬間もお嬢ちゃんと戯れているであろう親友の顔を思い浮かべ小さくため息を一つ。損な役回りであることを認めつつも決意を固めると、あのクックッという笑いが自然と浮かんでいた。

 

 

 

 そんな要の思いを知らないままに私は相変わらず籠女と会って浮かれていた。今日はなんとなくというか…、そろそろ籠女が来るような気がして校舎前に立っていたら

丁度そこに籠女がやってきたのだ。おかげで観衆に囲まれることもなくスムーズに校内へ迎え入れることが来たし、なによりこれで3日連続で籠女に会えたということもあって、私の喜びようといったら半端ではなかった。私たちは当たり前のように手を繋ぎ食堂へ向かう。もう手に注がれる視線は気にならなくなっていた。それどころか見せつけてやりたいとさえ思う。これほど仲の良い相手があなたたちにいるの?と少々の挑発を込めて。

 

 そんな高揚した気分もあっただろうか…。私と籠女は食堂に着くと、向かい合わせではなく隣同士に座った。4人掛けのテーブルで隣同士に。前に見かけた子たちは単に食べ物をシェアするためにこうしていたんだろうけど私は違った。これなら手を繋いだまま座ることが出来ると考えたのだ。

 

「じゃあ注文してくるからちょっとだけ待っててね」

 

 そう言い残して席を立つと籠女と繋いでいた手が離れた。小さな手から絶えず伝わってきた温もりが消え私の手は寒さに凍えるみたいに震えた。早く戻って手を繋がなければ私の手は凍死してしまうかもしれない…。そんなありもしないバカげた妄想が頭に浮かぶ。私が頼んだものを受け取って戻ると籠女はおずおずと手を伸ばしてきた。彼女の手からひんやりとした感触が伝わってくる。籠女も私と同じことを考えていたのだろうか?と思うとその冷たい手触りも愛おしいものに思えた。

 

 少しの間私がその感触を楽しんでいると、籠女の指が私の手の甲をイタズラっ子が駆けまわるみたいに跳ねていく。どうしたんだろう?手を握ってくれればいいのに。私がこそばゆくなって隣に目をやると籠女は正面を見たままで、こちらを見ないまま必死に手を動かしていた。籠女なりに色々と考えた結果、なるべく周囲に気付かれないようにしながら手を握ろうとしていたようだ。その頬が僅かに桜色に染まっているのを見て私は居ても立っても居られなくなって、籠女の手を取って握ってあげた。より深く…。

 

 細くしなやかな指の付け根に自分の指を忍び込ませると驚いたように籠女の手が硬直した後、震えているのが伝わってきた。それでも私は構わず指を絡ませていくと次第に籠女も私の手の動きに応じるように指を絡ませ始めた。周囲から見えないテーブルの下で、熱を帯びた指同士が互いを求めるように艶めかしく踊る。籠女の透き通るような白い指に自分の指が巻きついている姿を想像し、私は悶えた。先程感じた籠女の手の震えは驚きからくるものだったが、今伝わってくる震えは私と同じものだ。籠女の手もいつしか心臓になっていた。相手の心臓の鼓動を受け取り、そして今度は自分の鼓動を伝えようと必死で脈打っている。私はスラリと伸びた人差し指に狙いを定め、2本の指で挟んでキューっと力を込めると籠女の指がわなないた。

 

 テーブルの下は周囲から死角となっていて誰の目にも映らずに済んだ。もし見られていたとすれば私の表情くらいだろう。そちらのほうは少々自信がない。籠女を見つめる表情…、あの熱に浮かされたような恍惚の笑みを見られていたらと思うと少し怖くなった。けれど周囲を見回してもそういったことに気付いた気配は感じられず、面白おかしそうに私たちを見る者が僅かにいるだけだ。そう、全てはテーブルの下で行われた秘め事。しかしそれは決して夢ではなく現実の出来事で、その証拠に二人の指にはくっきりと赤い痕が…、二人が指を押し付け合ったことによって刻まれたその痕が余韻を残すようにジンジンと熱を帯びていた。この熱はきっと毒だ。もしこれが全身に行き渡れば病に掛かってしまうだろう。分かってはいても止める手段はなかった。私にも、籠女にも。隣同士に座ったまま毒が広がっていくのをただ待つことしか出来ないのである。

 

 私たちは示し合わせたかのようにお互いの手を離すと、無言で注文したものを食べ始めた。食べている最中も一言も交わさなかった。

 

「行きましょうか」

 

 食器を片付け終わってから私はようやく籠女に声を掛けた。席を立って振り返ると私たちを守ってくれたテーブルが無言で佇んでいる。私はここへ来てこのテーブルを見る度に、今日行われた事を思い出し頬を染めるのだろうか?そう考えると何の変哲もないテーブルがそういった欲を満たすために造られた彫刻のように見えて私は目を背けた。

 

 食堂から出た私たちはそのままスピカの校舎を出てルリムへと…、向かわなかった。私はあまり人の来ない森の方へと進路を変え進んでいく。私は何も喋らなかった。籠女も無言でただ付いてきた。でも何も会話をしなかったわけではない。私たちは会話したのだ。口ではなく、手で…。互いの手をぴったりとくっつけ合い、そこから僅かに滑らせると、指はスルリと相手の指の付け根まで進んだ。そのまましっかりと指に力を込める。するとまるで磁石でも備わっているかのように二人の手が重なり、普通の握り方とは比べものにならないほど、強く、そして固く結ばれた。この手があれば私たちは会話出来た。

 

 ここまで来れば充分だろうか?もう誰も来ないだろうというほど森を進んできたけれど、それでも私は用心して辺りを見回した。大丈夫、誰もいない。私と籠女の二人きりだ。空いている手をそっと籠女の肩に置くと、籠女は何も言わずに目を閉じて私を待った。言葉はもういらなかった。だって私たちは充分過ぎるほどに会話をしていたのだから。そして私は奪った。籠女の唇を。幼い少女の唇はそれはそれは甘い…禁断の味だった。

 

 

 

 

 その日の夜、私の部屋に要が尋ねてきた。去年まではルームメイトだったし今現在も親友である要が遊びに来るのは別におかしなことでない。けれど今回はどうも様子が違っていた。思いつめた顔をした要は、これをあのお嬢ちゃんに、と言いながら私に何かをくれた。私は渡されたものを確認すると驚きの声を上げる。要が持ってきたのは例のミルクキャンディーだった。袋は開封されていて中身のキャンディーも残りがだいぶ少なくなっている。まだ入荷しないせいでますます貴重になっているはずの在庫を丸ごと私に寄越してきたのだ。要のお気に入りなのは知っているから受け取れないと断ろうとしたものの要は頑として受け付けなかった。それどころか私に受け取るようにと強く迫ってきたのである。

 

 突然の出来事に私は訳が分からず要の真意が理解できなかった。何度理由を尋ねても要はお得意の比喩的な言い回しでなかなか本心を語ろうとはせず、しびれを切らした私が声を張り上げるとようやく観念したように俯いた。そして顔を上げた時にはいつもの…、いや、いつも以上に凛々しい表情を浮かべた要がそこにいた。

 

「━━━あの子のこと好きなんだろ━━━」

 

 その一言で充分だった。要は気付いていたのだ、私の籠女に対する気持ちに。いつから?なんて質問をする気はさらさらなかった。どうして?という質問も。要は私の気持ちを確かめるためにこの部屋を訪れたのだ。このキャンディーはいわば要から私への祝いの品というわけだ。キャンディーの袋を握りしめ小さくありがとうと呟いた私を要は優しく抱き締めてくれた。

 

 王子様役でありながら時にコミカルな面も見せる要だが、今日はそんな面影はどこにもなく、ひたすらなまでに王子様だった。不意に込み上げてきた涙が頬を伝いキャンディーの袋に落ちていく。要はその涙をスッと人差し指で拭った。もし籠女と出会う前にこんな風に優しくされていたら私は要に恋をしていたかもしれない。そう思えるほどの素敵な…王子様。去年まで一緒の部屋で過ごしていたというのに私は気付かなかったのだ。

 

 私が落ち着くと要は今度は自分のことを話し始めた。

 

「今度機会を見つけてみんなの前で言おうと思っていることがある」

「それって…、天音さんのことでしょ」

「ああ」

「………。告白ではないのね」

 

 それを聞いた要はクックッとあの笑いを受かべながら楽しそうに笑った。それはそれは楽しそうに。

 

「桃実はずっと勘違いをしていたね。私が天音に惚れていると。たしかに私は天音に惚れてる。惚れ込んでいると言ってもいい。けれどそれは恋愛対象としてじゃない。好敵手として、エトワール選のパートナーとして、友人として。君のお嬢ちゃんに対するものとは違う。私はみんなの前で天音にこう宣言するつもりだ。エトワール選に一緒に出て欲しい!ってね」

 

 おどけてウインクしてみせた要を見て私はやっと理解した。ああ、そうなんだって…。私は長いこと要が天音さんを好きなんだと思っていたけれどそれは勘違いだった。今になって思えばそうかなと思える部分もたしかにあった。それは私が籠女を好きになったからこそ分かったことだ。要が天音さんを見る目は穏やかで、私が籠女を思い浮かべている時の目とは全然違っていた。喋る時のトーンや、触れ合った時の反応だって…。もし好きならあんなものじゃ済まないということを、私は身をもって知っていた。

 

「『私が気付いていることに』気付いていたのね」

「あんな風に気を遣われたら普通は気付くさ。天音はどうかしらないけどね」

 

 私は要のことを理解し、気付いていたつもりになっていた。だけど本当は真逆だったのだ。私は要のことを何にも理解できていなかったのである。気付いているはずがその実『気付かれていた』なんて。こんな滑稽なことがあるだろうか?さらに要は私が籠女に想いを寄せていることもちゃんと分かっていた。恋愛事に鈍いだって?私は要にそんなレッテルを張り付けていたのか。私は自分のことをなんと過大評価し、そして要のことをなんと過小評価していたことか…。観覧席から見下ろす舞台の上で道化を演じていたピエロが要ではなく自分であることを私はようやく悟った。

 

「はっきり言ってこの丘で同性愛というのはあまり受け入れられないだろうね。ましてや相手は1年生の少女だ。もし周囲にバレたら君を見る目がガラリと変わることだってあり得る。既に君がお嬢ちゃんにお熱だという噂もあるんだ。まだ大したものではないけどね。だからこれから先、君は守らなければならない。自分を、そしてお嬢ちゃんを。言ってること…分かるだろ」

 

 それは優しい要からの忠告だった。要は私に教えてくれているのだ。気を付けろと。私たちの関係を表に出してはならないと。路地の片隅で咲く目立たぬ花のように、静かに、密やかに。浮かれる私に破滅が訪れないように要は忠告してくれたのだ。もし周囲にバレたら私は間違いなく奇異の目で見られ気味悪がられるはずだ。きっと私が少女をたぶらかしたと思われるだろう。何も分からぬ純粋無垢な子供を…誘惑したと。

 

「それでも私は君を応援するよ。なんたって君は私の親友だからな。なぁに…ちょっとくらい幼女趣味だって構わないさ」

「最後の一言は余計よって言いたいところだけど、実は自分でもよく分かっていないの。なんであの子なのか」

 

 私はあの子の何にこんなにも惹かれたのだろうか?純粋さか、懐いてくれたからか、それとも単に容姿か。どれか1つかもしれないし、全部かもしれないし、もっと別の理由かもしれない。ただこの気持ちは本物だ。だから私はあの子と結ばれたい。

けれどその前に私は感謝を述べなければならない。この容姿も性格も兼ね備えたとっておきの親友に。涙ではなく笑顔を受かべて抱き着いた私を王子様は華麗に抱きとめた。

 

 

 

 

 

 

 

<今日>…鬼屋敷 桃実視点

 

 私はお御堂の裏の草原にいた。もちろん少女と会うためだ。ならなぜ校舎の前でもなく、人目につかない森の中でもないのかと思われるだろう。どうしてもここで会いたい理由が私にはあったのだ。それは、そう…祝福を受けたいからに他ならない。聖堂の中ではスピカの誇る聖歌隊の美声が讃美歌を奏でていた。私と籠女の恋はこれから地中の奥深くに根を張り、ごく親しい友人にだけ見られながら成長していくのだ。人目に触れないように息を潜めながら、ひっそりと。だからせめて最初くらいはたっぷりの陽の光を浴びておこうとここを選んだ。要に相談したら人払いは任せろと力強く言ってくれたのを思い出して少し笑った。何から何まで私はお世話になりっぱなしだ。それはそうと籠女はちゃんと来られるだろうか?一応ここには案内したことはあるけどちょっと不安だった。

 

 そう、私が心配するのは『来てくれるかどうか』ではなく、迷わずに来られるかどうかである。あの子は来る。今も手にパーシヴァルを抱え、その小さな体を精一杯に動かしながらここを目指しているのだ。もしかしたらもうすぐそこまで来ているかもしれない。ああ、そうだ。ほら?足音が聞こえてきた。パタパタと音を立てて聖堂の角を曲がろうとしている。

 

「籠女っ!!」

「ももみ!」

 

 私たちは互いの名を叫び抱き合った。誰もいない聖堂の裏で籠女を抱えくるくるくると廻る。ひとしきり廻ると柔らかい草の上へと倒れこんだ。しばらくそのまま草の上をゴロゴロと転がっていると二人は草だらけに。その様子を見てはまた笑い、頬と頬を擦り合わせるとあっという間に朱に染まった。起き上がって互いの草を払った私たちは手を繋いで草原を駆けていく。手はしっかりと指を絡めて…握りしめながら。

 

 ゴール地点であるお御堂のすぐ裏に辿り着くと息を整えて声を潜め、天使たちの歌声に耳を傾ける。今聞こえてくる曲はそろそろ終わりだから次の曲が始まるまで待とうと小声で囁いた。待つ間も籠女の体温を感じていたい。そう思った私は肩を寄せ籠女の首のあたりに頭を軽く乗せた。風で揺れる金髪が私の顔を優しく撫でていく。髪をクシャりと撫でると色鮮やかなその髪が太陽の光を反射してキラキラと輝いた。

 

 そして次の曲が始まった。私と籠女を祝福するとっておきの歌が…。ひと際伸びのある声が全体を引っ張るようにリードしていく。この声は…南都夜々といっただろうか?たしか3年生にして中核を担うエースの。それに寄り添うように響く…もう1人の歌声が聞こえる。誰のものかは分からないが、その声は夜々の声と混ざり合い溶けていった。まるで1つであることが当然であるかのように。

 

 そんな歌声に励まされるように私と籠女も見つめ合い…唇を重ねた。柔らかく甘いその唇はどこか懐かしいような味がして、私はその理由を求めるかのように慎重に舌を籠女の内へと侵入させる。触れた途端に引っ込んだ籠女の舌が恐る恐る…、試すように私の舌を撫でた。1回、2回と。互いに不慣れな私たちは一旦唇を離し息をつく。ああ、そうか。だからこんな味がしたのか。私はその理由に納得すると籠女の制服のポケットを探り、見つけた。可愛らしい包み紙にくるまれたあのミルクキャンディーを。あの時籠女がこのキャンディーを口にした瞬間から私は籠女に魅了されていたのだ。大切なことに気付けた私はつい嬉しくなってほほ笑むと、籠女も同じように笑っていた。

 

 引き寄せられるように触れ合わせた唇から甘い香りがする。今度はすぐに唇を離した私たちは聖堂の方へと向き直り繋いだ手を掲げた。少しでもお日様を浴びれるように高く…高く。私たちの口から出たのは長々とした誓いの言葉ではなかった。だってずっと愛します、なんて言葉は必要なかったから。ただ見届けて欲しくて私たちは願った。

 

「「━━━どうか祝福を━━━」」

 

 高らかに響く祝福の歌声に包まれながらもう一度口づけを交わした二人の手の平で、陽の光を浴びたミルクキャンディーがキラリと輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 いかがでしたでしょうか?淡くて、密やかで、危険で、妖しくて、退廃的な香りが…、してるといいのですが。というわけで桃実と籠女のお話でした。前章に引き続きかなりセリフを絞って地の文多めな構成となっております。こんな構成に出来たのはミステリアスな籠女ちゃんのおかげかな…と。セリフよりもこっちのほうがしっくりくるかなってことでこうなりました。一方の桃実も前章に続き今回とず~っと視点で追いかけていたせいかひしひしと愛着が…、ええ、いつものあれです。妖しい魅力の虜になって幼い少女に惹かれていく上級生。タマリマセンワー。


 お次は剣城 要について。お話の中で予期せぬ成長を遂げるキャラっていますけどアニメ版の要はまさにそんな感じでしたね。地球温暖化とか風変わりなセリフが注目されがちですけど、やっぱりあのテニス対決を挑んだ瞬間にグッと来た人は多いんじゃないでしょうか?というわけでこの章では要様頑張りました。可能な限りカッコよくというのは意識したつもりです。かなりのイケメン王子様になったのでは?本当はもっと特徴的なセリフを入れたかったんですけど雰囲気と合わないと思い断念。笑い方とかお嬢ちゃんって呼び方くらいでしか茶目っ気部分がないかも…。


 というわけで自分の中では色々と(カップリングとか文体とか)チャレンジした『つもり』の桃実と籠女編でした。二人のことを少しでも、良い!と思っていただけたら幸いです。二人の恋に祝福あれ!それでは~。


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メイン2
第12章「私の勝ちよ」


■あらすじ
 自室でとある首飾りと向き合う深雪。それはエトワールのために用意された特別なもの。千華留の言葉に背中を押され深雪はついに動き出した。けれどその目は静馬を追い、手は胸の首飾りを気にして彷徨うばかり。そんな様子を見た静馬は一人絶望する。深雪…あなたもなの?と。放課後のいちご舎。深雪と二人きりの会話。切り出される愛の告白。全ては静馬の予想通りに進んでいた…。

 深雪の想いは静馬に届くのか?六条深雪と花園静馬の運命が絡み合う第12章!


■目次

<真紅の首飾り>…六条 深雪視点
<予定調和>…花園 静馬視点
<籠の鳥>…花園 静馬視点
<今は届かなくても>…六条 深雪視点

■人物紹介

・六条 深雪(ろくじょう みゆき)
ミアトルの生徒会長。静馬への想いを胸に秘めている。

・花園 静馬(はなぞの しずま)
ご存知エトワール様。2章では深雪に親友でいてくれることを望んでいた。

・源 千華留(みなもと ちかる)
ルリムの生徒会長で静馬の元カノ。4章において深雪に罠を仕掛け告白するように仕向けた。

※既出キャラですが2章及び4章からだいぶ時間が経っているので簡単な紹介を記載させていただきました。


<真紅の首飾り>…六条 深雪視点

 

 取り出した箱を見てため息をついた。預けられたきり一度しか目にしていなかったその箱が私の目の前に置かれている。もちろん自分で置いたものだ。箱が勝手に歩いてきたわけではない。上の面はガラスで覆われていて中の様子が見えるようになっていた。左右で2つに区切られた収納スペース。片方は空で、もう片方には首飾りが収まっている。紅い…透き通るような真紅の宝石が付いた首飾りだ。

 

 『エトワールの証』。そう呼ばれるこの首飾りは2つでセットになっている。なぜ片方だけが箱に寂しく取り残されているのか?答えは簡単だ。もう一つは彼女が…、たった一人でエトワールの座を勝ち取った静馬が所有しているから。静馬はこの紅い宝石とは対になっている蒼い宝石の付いた首飾りをいつも肌身離さず身に着けていた。朝も、昼も、夜も。着替えの時も、お風呂の時も、そして夜に眠りに落ちる時も必ず。首飾りのある場所には静馬がいて、静馬がいる場所には首飾りがあった。彼女は常にエトワールとしての輝きを身体に纏っているのだ。

 

 輝きを放つのはルビーとサファイア。美しく削り出されたそれらは深い…、深い色合いを醸し出している。宝石としての価値以上に、数多くのエトワール選を、エトワールを見守ってきたことによる歴史的重みが単なる装飾品としてではない厳格な雰囲気を与えていた。この石たちは一体どれほどの喜びと哀しみを見届けてきたのだろうか?勝者と敗者。さらにはエトワールの胸元で輝きながら、何人もの生徒たちを眺めて過ごしてきた2つの首飾りたち。本来であればこの学園の頂点に立つ人間の胸元にあるべきその片割れが、私の目の前で美しく輝いている。

 

 なぜそれが私の…、エトワールではない者の部屋にあるかというと、なんということはない。預けられただけだ、静馬から。一人エトワールとなった静馬の後見人としての立場と役割を有していた私はエトワール任命式の終了後にこの箱を渡された。あなたに持っていて欲しいと言われた時の私の喜びようを誰が想像できるだろうか?私にしかない、静馬との特別な繋がりを手にすることが出来たのだから。いくら他の子が静馬と親密になろうとも決して触れられぬものを私は手に入れた。

 

 だけど先に述べたように、私は一度この箱をしまい込んだっきり見ようともせずに過ごしてきた。怖くなったのだ。もちろん静馬が勝てるように精一杯の努力はしたし、現に得票数にもそれはしっかり反映されている。でも私がいなくたって静馬は勝てた。ただ腕を組んで自信満々に仁王立ちをしているだけでも、静馬は勝てたのだ。そう思うと自分は横で突っ立っていただけのような気がしてしまい、この箱に触れる資格がないと…私のような者の傍にあってはいけない代物だと考えるようになっていた。

 

 しかしそれも今日でおしまいだ。私は箱からそっと首飾りを手に取ると簡素な金具を外し自分の首に掛けた。煌めくルビーからは冷たい…、少しひんやりとした感触が伝わってきて、鏡を見ると『エトワールの証』が私の胸の中に収まっているのがよく分かる。大きくて不便さばかりが先に来ていた豊かな双丘の谷間で輝いているのを見て、私は初めて大きいのもそう悪いことではないと思った。何度か触れてみては手を離す。その度に宝石は揺れ動き、キラキラと光を反射しては胸の中央でピタリと動きを止めた。そんな様子を鏡で見つめているうちに宝石は私の体温を纏い温かくなっていく。それに比例して私の想いがこの宝石に流れ込んでいくような感覚が…、私の半身であるかのような愛おしさが私を包み込んだ。最後にもう一度手に取り口づけを行うと宝石はより一層輝きを増した。

 

 予想通り、というよりも静馬を見て知っていたが…首がしっかりと覆い隠されるミアトルの制服を身に着けると首飾りはその影に隠れ見えなくなる。冬服はもちろん夏服でも大丈夫そうであることを改めて確認し、私はホッと息をついた。それでも体育などで着替えのある日は気を付けなければならない。この首飾りを付けているところを見られては何を言われるか分かったものではない。制服の胸に手を当てると、そこにたしかに首飾りの…、胸の谷間に鎮座するルビーの存在が感じられた。

 

(私言うのね。静馬に…愛していると)

 

 尋ねるように撫でるとルビーは答えるようにその身を震わせた。なんだか落ち着かない。まだ『証』が身体に馴染み切っていないのだろうか?何日か身に着けて様子を見た方が良さそうだ。試しに鏡の前で胸元に触れてみる。これなら変に思われることもないだろう。カバンを手にした私は部屋を出た。真紅の宝石が付いた首飾りと共に…。

 

 

 

 

 

 

 

<予定調和>…花園 静馬視点

 

 いつかこんな日が来るんじゃないかと思っていた。あの子が…、深雪が私の前に進み出て想いを告げる。それはとても純粋で、大切に育てられた深雪に相応しい宝石のような輝きを持った想い。深雪の顔は真剣そのもので、決死の覚悟を抱いてきたことが窺えるようなそんな凛々しい表情を浮かべて。胸の前に手を当て、時折その制服の奥に佇む首飾りを…、真紅の宝石を付けたそれを気にするような素振りを見せながら私に迫る。

 

 あなたを好き、愛してる。私が何度も他の子に向かって口にし、同じように他の子から言われた言葉をあなたは繰り返す。けれど私は首を縦に振ろうとはせず、ただ黙って見つめるばかり。次第にあなたは声を震わせ、想いが届かぬことを知る。言葉からは熱が失われていきその表情を凍り付かせながら…あなたは涙を流した。頬に幾筋も痕を残したままあなたは去っていく。もう二度と戻らぬ関係を嘆き、後悔して。そこに伝えて良かったという達成感と安堵はなく、あなたは打ちひしがれる。騙されなければよかったのに、と。そうすれば失うことはなかったのに、と。

 

 部屋を飛び出したあなたを私は追いかけようともせず、ただじっと…手の中で光る首飾りを眺めていた。あなたの首に掛けられていたそれを。私は未だ肌のぬくもりを抱いたままの宝石をそっと持ち上げ口付けすると、別れの言葉を呟いた。

 

 さようなら…深雪。私のことはどうか忘れて頂戴、と。

 

 

 

 

 

「私に話したいこと?」

「ええ、少し時間をくれないかしら。出来れば…、いえ、必ず二人きりがいいわ。今日の放課後にでも私かあなた、どちらかの部屋で会って欲しいの」

 

 ミアトルの生徒会室でそう話しかけてきた深雪に、私は言葉を失った。私に話しかけているこの瞬間も深雪は胸に手を当てている。その仕草はここ数日で急に見られるようになったもので、以前には見たことがなかった。首飾りか何かを身に着けていて、丁度その位置に宝石が来るのだろうか?そんなことを思わせる仕草だ。他の…、単なる友人や生徒会メンバーでは気付かない小さな変化、おそらく私や千華留といったような人間でないと感知出来ないであろう変化。その仕草と共に私を見つめる目も以前とは違うものになっていた。いつもの澄んだ…、深雪らしい理性と知性を帯びた目が僅かに濁っていて、それは山を駆け巡る清流の中にところどころ現れる澱みのように色んなものを溜め込んでいる。私に対する純粋な想いとは裏腹に、きっと彼女自身でも気付かぬうちに抱えてしまったのだろう。

 

 深雪の気持ちはずっと前から知っていた。けれど私は見て見ぬフリをして向き合おうとしなかった。怖かったのだ。親友を失うことが。恋人や身体の関係による相手を作る方法はなぜか知らず知らずのうちに身に付いていた。愛を囁き、抱き寄せ、口づけをする。もちろん失敗に終わることもあったが、概ね上手くいった。私はみんなを愛し、みんなから愛された。しかし友人の作り方はいつまで経ってもよく分からないままで、今になっても…。別に親しい相手が出来なかったわけではない。むしろたくさん…、選別しなければならなくなるほど多くの人が私の周りにはいた。

 

 それなのにどうしたことだろうか?私が親しくなった者の中から数人が、私に愛を囁き恋人となることを望んだ。交際をしては別れ、また別の人間と交際する。そんなことを繰り返すうちに彼女たちは私を遠くから美術品のように眺め始めたのだ。その事象は私との関係を望まなかった者にまで伝染し、いつしか私は額縁に収められた肖像画のように周囲と隔絶した存在になった。憧れの存在と言えば聞こえは良いかもしれないがそれは私の求めた世界ではなかった。近付けばその分だけ距離を置かれ、かといって離れると、恋人になりたいと望むものだけが私を追いかけてくる。付き合う相手には苦労しなかったが、普通の友人はどんどん減っていった。

 

 今では幼稚園から良く知っていた東儀瞳と狩野水穂の他に数名。千華留は少々特殊な立場なので友人の枠に含めていいのか悩むところではあるが…、それを除けば最も親しい友人が深雪である。誰にだって『親友』と紹介出来る唯一の存在…それが六条深雪だ。

 

 深雪は私への想いを抱いた後も変わらなかった。変わらずに接してくれた。冗談を言い合ったりふざけ合ったり。流石にエトワールになってからはそういったことはしなくなったけれど、今でもそういうことが出来る相手だと私は思っている。いいや、思って『いた』。ほんの数日前までは。切り立った崖の中腹で狭い足場の上に立って必死で足掻いていたのに…、不意に足を滑らしたかのように深雪は変わってしまった。それとも『とうとう』と言った方が正しいだろうか?いずれ訪れることが分かっていたその日が、とうとう訪れたのだと。どうして!?なぜ今になって…。そう叫びたかったけれど、それは私の理屈であって深雪には何ら関係のないものだ。私が勝手に深雪が親友としていてくれることを当たり前の事だと勘違いし、そして勝手に裏切られたような気になっているに過ぎない。

 

 そう、全ては私の願望であり、深雪に押し付けていた自分勝手な想いである。変わらないでいることなど不可能だ。深雪が変わることを望んだ以上それを私が押しとどめることなど出来ないことくらい理解している。私にもそれくらいの分別はあった。たとえその決断に深雪以外の人間の意志が介入していたとしても…。

 

 おそらくは千華留に…、ミアトルの校舎で会いキスを交わしたあの後にでも唆されたのだろう。深雪はあの子の作り出した幻影を見破れず、惑わされ翻弄された。そして誓ってしまったのだ。私に想いを告げることを!ああ、そうだろう。それならばここ数日の変化にも納得がいく。深雪は騙されてしまったのだ。可憐な少女の外見をした悪い魔女に…、得体の知れない何かを秘めたあの子によって。千華留にとってそれは、大変ではあっても決して難しいことではなかったはずだ。

 

 なにせ相手はあの深雪。深窓のご令嬢なのだから。尽きることのない黄金を生み出せる、と嘯(うそぶ)く錬金術師に群がる憐れな貴族たちのようにコロッと騙されたに違いない。でも深雪にとっての不幸はそこではないのだ。もう少し、あとほんの少しだけ思考を巡らせていれば辿り着けたであろうことに深雪は気付いていない。

━━千華留に見抜けることが、どうして私に見抜けないと思ったのかということに━━

 

 千華留が素振りを見せた時点で深雪は気付かなければならなかった。私がとうの昔に気付いていたことに。気付いていてわざと目を背けていたことに。本来であれば騙した千華留を怒るべきなのかもしれないが私の考えは違う。千華留は…、賢いあの子は知っているからだ。私が深雪の想いを知ったうえでそう振舞っていることを。そうだ、あの子が見抜けぬはずはない。だからあの子は全て分かったうえで深雪の背中を押したのだ。結果がどうなるかは別として、秘めた想いを卒業前に吐き出させてあげようとして…。深雪から嫌われようとも自らその役目を買って出たあの子を責めることなんて出来はしない。あの子なりの決意が、前に踏み出す一歩がそうさせたのだから。そう、つまりこれは私の罪。深雪の善意に甘え続けた私がケジメをつけるべきものだ。たとえかけがえのない親友を失うことになったとしても…。

 

「分かったわ。じゃあ私の部屋に来て頂戴。なるべく早くいちご舎に戻って待っているから」

「ありがとう静馬。私も可能な限り急ぐようにするわ」

「ねぇ深雪。どんな話なのかだけ教えてくれるわけにはいかないの?」

「ごめんなさい。それも二人きりでないと話せないの。本当にごめんなさい」

「いいのよ、別に。あなたが謝る必要なんてないわ」

 

 頭では理解していても、もしかしたら?という一縷の望みに縋るように私の口から零れた質問は、深雪の答えで砕け散った。その反応を見て、私はやはり回避出来ないことを悟ってしまったのだ。深雪は今日やって来る。私に想いを告げるために。

 

 時計を見やると今は午後1時。深雪が来るのは4時くらいになるだろうか?それまでの間、私は待たなければならない。それはさながら断頭台に上る罪人のような…、いや、深雪からすれば想いを受け入れない私が刑の執行者なのか?どちらかは別にせよ、ギロチンが落ちるその瞬間へのカウントダウンが…今、始まったのだ。1秒1秒が過ぎるごとに私と深雪の時間が削られていく。長い年月を掛けて大切に育てた樹が木こりの振り下ろす巨大な斧で抉れていくように、私と深雪の育んできた関係は時計の針が進むごとに亀裂が入り、そして最後はギロチンによって一瞬で断たれてしまうのだ。その崩壊の足音の前では、今まで過ごしてきた5年という歳月などなんの役にも立ちはしない。それが分かっているからこそ、私は悲嘆に暮れるしかなかった。

 

 

 

 

 

<籠の鳥>…花園 静馬視点

 

 時計の針が進んでいく。無情にも、止まることなく。訪れるその時がただただ迫ってきている。部屋で深雪を待つ間、私は自分の事を呪っていた。なぜ!?どうして!?2つの言葉ばかりが頭の中をぐるぐると駆け巡っている。私は深雪を誘惑した覚えなんてない。むしろ友人でいてもらうために神経を注ぎ、一生懸命注意して振舞っていたのに。そうだ。一度たりとも。私は一度たりとも深雪を誘惑などしていない。神にだって誓える。なのになぜ!?どうして深雪は私のことを好きになってしまったのだろうか!?好物をより分けて最後に取っておく子供のように、パフェの器の中で最後まで残された真っ赤に輝くイチゴのように、私は深雪を大切にしてきたというのに。一体何が深雪の心を惹きつけてしまったというのか。鏡の前に立つと煌めく銀髪も、瞳も、身体も、性格も、全てが空虚に見えた。

 

 私はただ傍にいてくれる親友が欲しかったのに…。みんな離れていく。かつての友人たち、そして今は深雪が…離れようとしている。深雪の想いを受け入れて恋人になることは容易い。そうすれば一時的には繋ぎとめることが出来るだろう。でもそれでは意味がないのだ。そうなってしまえば深雪は特別な存在ではなく、今までいた友人たちと同じに…、その友人たちの一人になってしまう。それはどうしても許せなかった。どうせ離れるにしても、最後は親友としての深雪のままで私の元から去って行って欲しい。それが私の願いだ。

 

 

 

 

 

 時計が4時を指し示してほんの数分後に…深雪は来た。急いできたからなのか、それともこれからのことを期待してなのか僅かに頬を紅潮させて。私に挨拶をしながらも手は胸の辺りをしきりに撫でていた。自分を落ち着かせるように、胸のペンダントに話しかけるように。ああ、そこにあるのはどんな形のペンダントなの?私が付けているものと同じ形?じゃあ色はどんな色なの?私のサファイアとは正反対の真紅の宝石かしら?あってはならない。あってはならないのよ。あなたが私の対となる『エトワールの証』を身に着けているなんて。あなたは一体どんな気持ちでそれを首に掛けているの?私に近付くため?私の隣を歩くため?それとも単にお揃いのものを着けるのが嬉しい?ねぇ教えて頂戴よ、深雪。

 

「早かったのね。もっと遅くなるかと思った」

「本当はもっと早く来るつもりだったのだけれど遅くなってしまったわ」

「なあに。そんなに大切なお話なの?」

「ええ。多分驚かせてしまうと思うわ」

「とりあえず座って頂戴。お茶も淹れてあるわ」

 

 心の中で荒れ狂う想いとは裏腹に、深雪との会話は驚くほどスムーズに言葉が出せた。何の話か分からないフリを…、深雪を騙しながら。声は震えることもなく、調子も一定で。どこにも変な部分は見当たらなかった。上出来だ。私はそう思いながらも内心可笑しくて仕方がなかった。だってこんなことが出来たって何の意味もないのに、私はそこそこ一生懸命に演じているのだから。なんで私は深雪を騙しているんだろうか?自分でも何のためにこんなことをしているのか分からなくなって、私は自分を嘲笑していた。

 

「久しぶりね。こうして私の部屋で深雪と二人で過ごすのは。お互い何かと忙しかったから」

「ごめんなさい静馬。今日は世間話をしに来たわけではないの」

「大切な話があるんだったわね。どうぞ始めて頂戴」

 

 ええ、と頷いた深雪は再び胸に手を当てた。また!またその仕草ッ!やめて欲しいと伝えたかった。そんなことをしても私の答えは変わらない。胸の首飾りは…、『エトワールの証』はあなたに力を与えたりなんてしない。みんな勘違いをしている。その宝石には伝統や歴史が刻まれていると。そんなのは嘘っぱちに過ぎないのだ。私のサファイアも、あなたのルビーもただ眺めていただけ。勝者も、敗者も、みんな自分の精一杯をさらけ出して戦ってきた。そして勝者は、みなの上に立つものとして振舞ってきた。意味があるのはそのことだけ。そんな石がなくたって、歴代エトワールたちの栄光が揺らぐことはないのだと叫びたかった。

 

「静馬…あなたのことが好きなの。愛してる」

 

 深雪の告白が始まると私は全身の血が下がっていくように冷めていった。親友からの…、大切な人からの言葉だというのに、心に響かない。嬉しいという感情も、それ以外の感情も、どこかへ忘れてしまったかのように凍り付いていた。繰り返される『好き』、『愛してる』。私が聞きたかったのはそんな言葉じゃなかった。

 

 私が深雪に囁いて欲しかったのは…『少し疲れてる?』『休んだほうが良いわ』『またズル休みするつもり?』『おはよう静馬。今日もいい天気ね』

 

 頭に浮かぶのは他愛のない言葉たち。親友が掛ける何気ない、けれど優しさに満ちた普段の会話。私は嬉しかったんだ。深雪が傍にいてくれて…。長距離を飛ぶ渡り鳥たちがふと羽を休めに寄る小さな島や森の枝のように心休まる場所。それが深雪だったんだ。そういった考えが表情に出てしまっていたのか、それとも何も言わずただじっと見つめていたからかは分からないけれど、深雪の声は少しずつ自信を失い掠れて━━いかなかった━━

 

 これは一体どうしたことだろうか?私の中で違和感が急速に膨れ上がり、次々と疑問が浮かんでいく。予想では私の反応に戸惑い、狼狽えた深雪はそろそろ白旗を上げるはず『だった』。

 

 それなのに涙を見せるどころか僅かに声を震わせることさえなく私への愛を叫び続けている。あなたのどこにこんな強さがあったというの?あなたはか弱い深窓のご令嬢だったのではないの?私の知る深雪と、今目の前にいる深雪とにズレが生じていた。大地を割る亀裂のように、徐々に大きくなっていくズレが。弱い子だと思っていた。理屈や理論で身を守らなければ壊れてしまう存在だと信じていた。

 

 それがどうだろうか?この深雪の堂々たる姿というのは。まるで誰かが乗り移ったかのような…、そんな滑稽な考えが浮かぶほどにかつての深雪と違っている。何が彼女をここまで変えたのか私は知りたくなった。人か、物か、あるいは両方か。人であればそれは間違いなく千華留だろうけど、直感が違うと告げていた。ならば物か。そこで目に付いたのは例の…、深雪の話が進むにつれて気にする回数が増え、ついには制服の上から握りしめるようにしながら大事に触れている首飾りだ。

 

 そうか、お前が。お前が深雪を惑わしているのか。『エトワールの証』め…。よくも深雪を…、私の親友を誑(たぶら)かして!

 

「その首飾りを渡しなさい!」

「首飾り?何のことかしら」

「あるのは分かっているのよ。いいから私の言う通りに━━━」

「━━━嫌だと言ったら?」

「みゆ…き?」

 

 彼女が話し始めてからようやく見せた私の大きな反応に、深雪は満足気な笑みを浮かべながら私を見据えて言い放った。自信に満ち溢れたその姿はまるで普段の私みたいで、逆に私はおろおろと狼狽えるばかりだ。まるで…深雪みたいに。おかしい。こんなはずではなかったのに。レールの上を走る列車がどんどん別の方向へと進んで行ってしまうような不安が私を襲った。私はどうにかして元のレールへと戻ろうと分岐を繰り返すのに、一向に戻る気配はない。それどころか分岐を司るレバーが私の手からスルリと零れ落ちて、私は列車の行く先を黙って見つめるしかなくなってしまう。

 

「私の手からこれを取り上げたいと言うなら、あなたが外して頂戴。ほら?」

「私が…外す?」

「そうよ。静馬は得意でしょ?そういうことが」

 

 そう言って挑発する深雪に吸い寄せられるように…、実際にはよろよろとした情けない足取りで彼女の傍へと向かう。こうして近くへ寄ってもその態度が崩れる様子はない。ああ、手が…手が震えている。今まで幾人もの少女の制服を脱がせてきた私の手が震えている。まるで初めての夜を迎える生娘のように、みっともなくガタガタと。

 

 覚束ない手つきで制服のタイを緩めボタンを外していくと、たしかにそこには首飾りのロープが見えた。けれど肝心の宝石は影に隠れていてまだ姿を現していない。さらに1つ、2つとボタンを外すと谷間に…、深雪の形の良くそれでいて大きなバストで出来た影の間にひっそりとペンダントが佇んでいた。そっとロープを引っ張ると上に持ち上げられた宝石が…、さっきまで闇の中にいたせいで、浴びれなかった光がようやく当たったことを喜ぶかのようにルビーがキラリと輝いた。綺麗なものね。こんなに美しく輝くものだったかしら?なんだか不思議な気分だった。ついさっきまでこんなものに力はないと思っていたのに。こうして手に取るとそれはあたかも意志を持っているかのように私の目に映った。そして私が真紅に煌めくその宝石に目を奪われていたその時…。

 

「━━私の勝ちよ、静馬━━」

 

 聞こえたセリフを理解するよりも早く深雪が私の唇を奪っていた。予想だにしなかった深雪の行動に私の頭の中はパニックに陥り、指の1本さえも動かすことが出来ない。深雪が?深雪が私にキスをした?あの深雪が?目を見開いたまま固まる私を尻目に、長い睫毛に覆われた瞼で瞳を隠した深雪が私に迫り2度、3度と唇同士が触れ合うと、その度に深雪の柔らかい唇と豊かな双丘が私の身体に押し付けられた。普段であれば楽しめたかもしれないその感触も今の私にはそんな余裕はなく、長めに…、そして強く吸われて奏でたリップ音が聞こえたと思ったら、ゆっくりと身体を離した深雪が笑っていた。

 

「やった!やったわ!私、静馬とキスをしたわ」

「どうして…こんなことを」

 

 呆然と立ち尽くす私の反応が可笑しくて仕方がないといった様子で深雪はなおも笑い続けている。私の手から離れた首飾りは制服の外へと飛び出し、双丘の曲線に合わせるようにそのロープをたわませながら深雪の胸の上で煌めいていた。

 

「どうだった?あなたには子供じみたキスだったかもしれないけれど、私には大事な…とても大事なキスだったわ。初めてだったの。誰かとキスをするのは。ファーストキスよ。こんなに幸せなことはないわ。だってそうでしょう?顔も知らぬ婚約者ではなく、愛するあなたに捧げられたのだから」

 

 興奮冷めやらぬ深雪は真紅の宝石にそっと口づけをすると、未だにはだけたままの…、白い肌が眩しく覗く胸元へとそれを投げ込んだ。僅かな金属音を立てて谷間にダイブしたそれが中央で止まると、宝物をしまい込むように用心深く鍵を掛け始める。外されていたボタンを元に戻し、緩んでいたタイが締め直されると首飾りは制服の奥底へと姿を消した。

 

「あなたに気がないことくらい私にも分かっていたわ。一度も。5年も傍にいたのにあなたは一度もそうした素振りを私には見せてくれなかった。だから私は自分の気持ちを封じ込めていたの。フラれるくらいなら友人の方がマシだと思ったから。でも私は決意したの。千華留さんに背中を押されてね」

「やっぱり千華留に唆されたのね」

「ええ。けれど私はそれで救われたわ。そして悟ったの。今のままの私では静馬は振り向いてはくれないと。千華留さんに思い知らされたの。あなたたちの見てる景色は、私の見ているものとまるで違うということを」

「それで…あなたの目的は果てせたの?キスをして…満足した?」

 

 口づけだけが目的ではないはずだ。そう思わせるだけの力強さが今の深雪には備わっていた。

 

「いいえ。私があなたに伝えたかったのは、さっき言った愛の告白なんかじゃないわ」

「なら…なら何だと言うの?」

「静馬なら気付いているんじゃないかしら?」

「分からないわ。分かるわけないでしょう。あなたはもう籠の鳥ではなくなってしまった。大空へと羽ばたいてしまったのよ」

 

 空を自由に飛ぶ鳥たちの行き先を私がどうして知っているというのだろうか?遮るもののない空を、囚われることなく泳ぐ鳥たちの。目の前で胸に手を当てた深雪は私に向かって一歩進み出ると、声高らかに宣言した。

 

「私はあなたを諦めないわ。あなたにどれだけフラれようとも愛し続けて見せる。この…この首飾りを証にするわ。私がこれを胸に掛けている限り諦めていないと…それを示す証に。だから覚えていて頂戴。あなたの傍を離れたりなんかしない。いくら嫌われようと、冷たくされようと、私はあなたの傍にいるから。明日も明後日も、その先だって。ずっと、ずっと隣にいてみせるんだからっ!!」

 

 そう言い残して深雪は部屋を飛び出して行った。私の予想とは全く違う結末を残して…。一人佇む部屋の中に、まだ深雪の熱が残像のように揺らめいている。抱き締めることの出来ないその姿に手を差し伸べながら私の肩は震えていた。

 

 深雪、深雪。あなたは気付かないでしょうね。あなたの言葉に私が救われたことに。こんなことになっても傍にいると言ってくれただけで…、深雪にとって私が額縁に収められた肖像画にならないことがどれほど嬉しいことか。あなたは知らないでしょうね。ええ、いいわ。踊って。私の隣で踊って!私もあなたを『親友』として見るのはやめて、これからはそういった対象として見るわ。だから私を振り向かせてみせて頂戴。あなたの魅力で。

 

 あなたの踊る姿を…楽しみに待っているわ、深雪。

 

 

 

 

 

 

<今は届かなくても>…六条 深雪視点

 

 部屋に戻った私は扉を閉めるや否や、扉に背中を預けそのままずるずると滑るようにして床に座り込んだ。やった。やり遂げたわ。静馬に…、愛する人に全てをぶつけた。私の想いも何もかも…全てを!心は今すぐにでも立ち上がって踊り出したいくらいなのに、それに反して私の身体は鉛で出来ているかのように重く、鈍い。極度に張り詰めていた緊張の糸が切れて腰が抜けてしまったのか立ち上がることも出来ず、キスを交わした唇を撫でる指先もふるふると震えるばかりだ。未だに破裂しそうなほどに鼓動を続ける心臓も、熱く火照る顔も、先程の出来事が夢ではないことを教えてくれる。

 

 最初から知っていた。叶わぬ恋であることを。身分違いの…、メイドが女主人に恋をするようなものであると。実際にそうだろう。静馬はこの学園でもっとも輝く星乙女であり、私はそれを支える生徒会長に過ぎないのだから。それでも私は諦めないことを選択したのだ。背中を押してくれた千華留さんには今度お礼をしなくてはならない。彼女がいなければこんな日は一生訪れることはなく、私は恨めしい顔をしながらミアトルの卒業証書を受け取っていたことだろう。千華留さんには私がいかに堂々としていたのかを余すことなく話してあげよう。

 

「ふふ、ふふふふ。あはははははははははは」

 

 思い返して自然と笑いが込み上げた。こんな風に声を上げて笑ったのはいつ以来だろう。ああ、そうだ。我ながらあのキスは上手くいった。『あの静馬が』完全に虚をつかれ為す術もなく私に唇を奪われたのだから。3度も口づけを交わした。3度もだ。静馬の唇は甘美な味がした。この世のどんな美食も敵わぬ甘美な味が。

 

 そう、私は思わせぶりな態度を取るだけでよかった。数日前から首飾りで着飾り、時折気にするように胸に触れた。他人の目を避けながら静馬に熱っぽい視線を送り、目が合えばスッと逸らす。何気ない仕草だけどそれで構わない。静馬だけが気付けばいいのだから。もちろん静馬はすぐに気付いてくれた。首飾りが『エトワールの証』であることまで。気付いてくれると信じていた。あなたが私にくれた唯一の…、繋がりを意識出来る物だったから。静馬は思っただろう。私が告白して来ると。そして予想したはずだ。それはそれはか弱い…、静馬がいなければ何も出来ない箱入り娘が失恋し去っていく姿を。私はほんの少しその予想を超えるだけでよかった。僅かに歪め隙を作ることが出来れば『エトワールの証』が目を眩ませてくれる。

 

 そうするために繰り返し胸の首飾りを印象付けた。徐々に触る回数を増やし、最後には握りしめながら言葉を紡いだ。案の定あなたはふらふらと近付い来た。私を疑うことなく、誰が見ても無防備な状態で。制服をはだけさせ首飾りに…、その真紅の煌めきに目を奪われたあの瞬間。ああ、今こうして目を閉じると鮮明に思い浮かぶ。あなたの艶やかな唇。何度も夢に見た唇が目の前にあった。今までファーストキスは誰かに奪われるものだと思っていたけれど、こうやって捧げることも出来るなんて。もう誰かに上書きされることはない。少なくともキスについては。だけど…だけどまだ足りない。私はまだ静馬を手に入れていない。スタート地点に立っただけなのだ。欲しい、静馬が欲しい。静馬は私の…私の全て。

━━愛しているわ静馬。あなたが想うよりもずっと…私はあなたを愛してる━━

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 いかがでしたでしょうか。今回は第2章と4章で描かれた深雪、静馬、千華留のお話の続きとなっております。テーマはミスリード。エトワールの証をそのアイテムとして強調してみました。ミステリーっぽい雰囲気にならないかな~と。まぁなにごともチャレンジあるのみです。
 途中で夜々と光莉の過去編を挟み、さらに桃実と籠女のお話を入れた結果、だいぶ時間が経ってしまいました。申し訳ありません。
 さて、最近の傾向を反映してセリフ少なめ、地の文多めの構成になっていますね。自分としては他作品と雰囲気の違いが出て特色が出せているのではと考えているのですが、逆に言うと浮いてるというか場違いな感じになっているのかも…。これがみなさんの目にどのように映っているのかわからないのでなんとも言えないのですが…好評だといいな、と思っております。
どうか次章もよろしくお願いします。それでは~。


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第13章「王子様が王子様を選んではいけないのかい!?」

■あらすじ
 走って、走って。一人の少女がスピカを揺るがすニュースを手に校舎を疾走した。先輩たちの驚く顔とよくやったという賞賛を期待して少女は走る。果たして奥若蕾のもたらしたニュースとは?一方、校舎前で対峙する要と天音。大勢のギャラリーを前に二人の王子様がいよいよ決闘!?第13章は…スピカに一大事が巻き起こる!

■目次

<褒めて褒めて>…南都 夜々視点
<薔薇の決闘者>…剣城 要視点
<お茶会の後のおやすみなさい>…涼水 玉青視点

■人物紹介

・奥若 蕾(おくわか つぼみ)
スピカの1年生で聖歌隊に所属しており、夜々たちからは後輩にあたる存在。
ピンクの長い髪が活発な印象を与える通りに何事にも積極的なタイプで、一度懐くとしつこい部分も…。

・南都 夜々(なんと やや)
黒髪ロングのナイスバディ。光莉とは誰にも言えない秘密の関係。女の子しか愛せない体質。

・此花 光莉(このはな ひかり)
薄い金色のロングヘアで夜々とは対照的にお子様ボディ。夜々との交際は1年前から。

・涼水 玉青(すずみ たまお)
久しぶりに登場した(一応)本作の主人公。

・蒼井 渚砂(あおい なぎさ)
玉青のルームメイト。赤茶色のポニテをした元気な少女。


<褒めて褒めて>…南都 夜々視点

 

 お昼休みも終盤に差し掛かりそろそろ午後の授業に戻ろうかと席を立つ生徒たちがちらほらと見える中、夜々と光莉はのんびりと暖かい陽射しを浴びながら食後の余韻を満喫していた。春の陽気に誘われて、授業の前だというのに既に眠気が襲い掛かってきている。

 

 これはちょっと追い払うの無理かも?早々に白旗を上げた私は大きな欠伸を一つ。そのまま目の前のテーブルに突っ伏すと、堅く無機質な感触にもかかわらずあっという間に瞼が下がり始めた。これが光莉の膝枕だったら数秒も我慢出来なかっただろうとその柔らかな感触を想像しつつも、瞼は重りでも付いているのかと疑いたくなるほど重く抵抗もままならない。あたかも城を守る城門のようにさえ思えたそれらに城主の命令が響き渡り、跳ね橋が鎖で巻き上げられゆっくりと鋼鉄で出来たその門が下がっていくのを感じると、私は眠りに…。

 

「夜々せんぱーーーい!光莉せんぱーーーい!」

 

 食堂に木霊するほどの大音量で叫ぶ声に、私の心地よいまどろみは一瞬で吹き飛ばされた。うぐっ、この声は。流石は聖歌隊に所属しているだけあってよく通るその声の持ち主は、二人の姿を見つけると一目散に駆け寄ってくる。ピンクのロングヘアに黒いカチューシャが目立つ少女の名は奥若 蕾。幼稚園からスピカに通っていて、今年中等部に進級すると共に聖歌隊に加わった。性格は少々…、いやだいぶ生意気なタイプで指導係となった私は手を焼いている。

 

 でも不思議と他の上級生には愛想がいいのかよく可愛がられていてなんだか釈然としない。もし仮に私に対してだけ反抗的というならなおさら面倒なのだけど…、どうしたものだろうか?そんなことを考えていた私にさほど反応も見せないままにこのじゃじゃ馬…、蕾は再び口を開いた。

 

「ビッグニュースですよ!ビッグニュース!スピカに一大事ですよ先輩方」

「ビッグニュース?それより蕾。あんたもう少し声のボリューム落としなさいよ。みんなから見られて恥ずかしいでしょうが」

 

 アイスコーヒーの氷をザリザリとストローでかき混ぜながら小言を言うと、案の定蕾は反論してきた。憎たらしいことにそのどれもが正論ばかりだったから私が言い返すことも出来ずに口を閉ざすと今度は勝ち誇ったように胸を張った。一々うるさいんだから。スピカっていうよりも壊れたスピーカーみたい。言うともっとうるさくなるから言わないでおくけど。僅かに反らせた胸の辺りにはある程度しっかりと膨らみが見えて…、光莉のお子様ボディよりかはずっと成熟したその身体に私の目は吸い寄せられた。ふ~ん。この子ってば意外と身体つきは大人びてるのよねぇ~。1年生のわりには。

 

 自分ではさりげなく、気付かれないように観察していたつもりだったけれど、脛にコツンと靴が当たる感触がして私はうわっと声を上げた。不審な目で私を見る蕾に何でもないと返しつつ光莉の方に顔を向けると、澄ました顔でストローに口を付けている。どうやら光莉が蹴ったらしい。お行儀が悪いという戒めなのか、それとも蕾を見ていたことへの嫉妬か。

 

 後者だと嬉しいなぁと思いつつも、幼い身体つきを比較してたことまではバレていないだろうかと内心ヒヤヒヤもした。私は光莉の身体をとても気に入っているというのに、本人が未だに不本意だというのはなんだかなぁ。とは言っても1年経っても全く成長しなかった胸囲は少々気の毒ではあったけれど。少しくらい分けてあげたいけれど、それを言ったら光莉は怒るだろうな~。光莉が怒る姿を思い浮かべながら再び氷をザリザリとかき混ぜていると、耳元で…、壊れたスピーカーが音を鳴らした。

 

「━━て、━━よ。って、私の聞いてます?夜々先輩!やーやーせーんーぱーい!何だらしない顔しながらボケーっとしてるんですか。ここから先が盛り上がる部分なのに」

「き、聞いてたわよ。っていうかだらしない顔って何よ?あんた少しは先輩に敬意を払いなさいよ、聖歌隊でだって結構指導してあげてるのに」

「じゃあ私が何喋ってたか言ってみて下さいよ」

「そ、それは~えっと…」

「ほら、やっぱり聞いてないじゃないですか。それに指導するのは先輩として当然の役目です。別に威張ることじゃありませんよ」

「あーいえばこーいうんだから。ほんっと可愛くない。どうせ光莉の前だからって張り切ってるんだろうけどさ。言っておくけど光莉は私のものだから。あんたには渡さないわよ」

「なっ!?違いますよーだ」

 

 さっき脛を蹴られたのもあってご機嫌取りにさらりと光莉にアピールしておいた。変な意味には取られないようにあくまでさらりと軽~く。するとちゃ~んと聞いていた良い子ちゃんで真面目な光莉は、耳を僅かに桜色に染めながら目を伏せるようにしてアイスティーに口を付けていた。もうとっくに液体は飲み干していて氷しか残っていないというのに…ストローを吸うフリをして誤魔化してる。

 

 ニヤニヤと笑う私と目が合うと光莉はすぐに視線を下に落とし、口を小さく動かした。夜々ちゃんのバカ…と。ああ、ほんとうに可愛いんだからなぁ~光莉は。分かっているんだろうか?そういう仕草の一つ一つが私を喜ばせていることを。そんな態度を取られたら今すぐにでもどこかへ連れていって押し倒したくなってしまう。まだ午後の授業があるというのに放課後まで我慢できるだろうか?

 

 一方の蕾は顔を真っ赤にしながら舌をべぇーっと突き出していて、こちらは全然可愛くない。なんでこう憎たらしいんだろう。光莉の可愛げの十分の一でもあれば、もっと優しく接してあげるのに…。とは言いつつもなんだかんだ私のためにと最初から話し始めた蕾によると、なんでも要さんが校舎前で天音さんを待ち伏せしていたらしい。へぇ。この時点でなかなかに興味をそそる話だ。要さんに天音さんといえばどちらも王子様役として人気のある人物である。スラリとした長身と端正な顔立ちに加えて、その立ち居振る舞いまでもがまさにおとぎ話に出てくる王子様そのものといった感じなのだ。そして王子様役ということはつまり、相手に来るのは『普通であれば』お姫様が定番ということになる。それなのに王子様が王子様を待ち伏せするとは…。

 

 話の続きが気になって私がそれで?それでどうなったの?と食い付くと、蕾は得意気な顔をして最初からそうしていればいいのにと言わんばかりの態度で話を続けた。悔しいけどそそられるお話だ。私でなくとも先をせがんだに違いない。その証拠に聞き耳を立てていた近くの生徒たちが、いつの間にやら私たちのテーブルの近くに集結していた。見かけによらず頭も優秀な蕾は話も上手く、ところどころで観客の興味を煽るようにしながら話を続けていく。お昼のバラエティー番組だったらさぞや大袈裟なテロップと効果音がついていたことだろうに。徐々に増える視聴者たちを相手に、物語は終盤へと差し掛かり…。

 

「要様が大勢の見守る前で力強くおっしゃったんです。天音、私とエトワール選に出てくれ!と。最初は驚いた様子の天音様でしたが、少しすると要様が手を取り、一緒に高く掲げて宣言しました。共にエトワールの座を勝ち取ろう!と」

 

 身振り手振りを交えながら歴史的瞬間を見事に再現しきった蕾に、私はおー!っと感嘆すると同時にパチパチと拍手を送った。満足気な表情を浮かべ恭しくお辞儀してみせた蕾に、私だけでなく周囲のテーブルからも拍手が聞こえ食堂に響き渡る。蕾のやつ聖歌隊じゃなくて演劇部に入った方が良かったんじゃないだろうか?そんな考えが浮かぶほど堂々とした一幕であった。まさかじゃじゃ馬の後輩にこんな才能があったなんて、と驚いている間にも、蕾から伝わった話が食堂中に広まっていく。

 

 それもそうだろう。だって王子様が王子様とタッグを組んでエトワール選に出るなんて誰にも予想出来なかったに違いない。スピカでトップクラスの人気を持つ二人は、エトワール選の出場を巡るライバルだと考えられていた。どちらかが出ればどちらかが落ちる。勝った方の王子様が、見事王子様を射止めたお姫様と力を合わせて戦うという極めてシンプルな構図。誰もが痺れる王子様同士による一騎打ちの決闘シーンがこんな結末を迎えようとは…。

 

 しかしシンデレラを目指して頑張っていた二人のファンクラブのメンバーの胸中はさぞや複雑なことだろう。王子様を奪い去った相手がどこぞの馬の骨ならいざ知らず、誰もが認める王子様なのだから。文句を言うことも出来ず呆然としてるに違いない。いや、案外黄色い悲鳴を上げて喜んでいるのかも?とにかく蕾の言うようにこれはスピカにとって、ううん、他の2校にとってもビッグニュースに違いなかった。これほどのニュースを真っ先に私たちに知らせに来た蕾が急に可愛く見えてきて私は蕾の頭を撫でてあげる。満更でもなさそうにはにかんだ蕾の頬は熱狂に包まれたせいか僅かに紅潮して見えた。

 

 

 

「へ~、あの二人がね。今頃はどこも大騒ぎかしら。これで今年のエトワール選が盛り上がるといいんだけれど」

 

 報告を受けた千華留は悠然と紅茶に口を付けながら嬉しそうにほほ笑んだ。浮足立つ他の生徒会メンバーをよそに、まるで動じる気配はない。人の心理と言うのは不思議なもので大人気の候補がいたからといって必ずしも選挙が盛り上がるわけではないことを千華留は知っていた。あまりにも結果が分かり切っているというのはそれはそれでつまらないというわけだ。もちろん選挙は盛り上がらなかったとしても、そういうずば抜けた候補というのはその後の学園生活で安定した能力を発揮することも多いから一概に悪いとは言えない。そういった後々の事まで含めて楽しむのがエトワール選の醍醐味でもある。

 さて、ミアトルの深雪さんはどう動くのかしら?楽しくなってきたわ♪

 

 

 

「そう、わかったわ。詩遠さんの策とは思えないけど…、彼女にとっては僥倖ね。これでスピカは最高のカードを手に入れたことになったのだから」

 

 一方の深雪も落ち着いた様子で報告に来た生徒を迎え入れた。チラリとエトワールを…、何も言わずに窓の外を眺めて佇む静馬を見た後しばし考え込む。今のミアトルに対抗できる候補はいるだろうか?そんな戦力分析を冷静に始めながら深雪は努めて笑顔で他の生徒会メンバーに顔を向けた。ゆっくりと見回し浮足立つ者たちを嗜めるように鋭い視線を送っていく。静馬との一件以来、新たな強さを手に入れた深雪の顔には自信が満ち溢れていて、それが生徒たちにも伝わるとみなが自然と表情を引き締め心に誓った。勝つのはミアトルである、と。口々に決意を語り始めた生徒会室の中で、静馬だけがただ一人憂いを帯びた表情を浮かべていた…。

 

 

 

 

 

 

 

<薔薇の決闘者>…剣城 要視点

 

「明日の昼休み。校舎の前で天音に伝えようと思う。私とエトワール選に出て欲しいと」

 

 放課後の生徒会室で私は二人にそう切り出した。その二人とはもちろん生徒会長である詩遠と親友の桃実だ。桃実には既に話したことがあったけれどちゃんと決心したので改めて、詩遠は私のことを早くから評価し抜擢してくれたりと何かとお世話になったので。もっと人を呼ぼうかとも思ったのだがまずはこの二人に話すのが一番筋が通ると考えた。

 

「どうしてそんな場所で?それに二人きりの方がいいのではなくて?」

「なるべく多くの人に見て貰いたいからな。私は目立ちたがり屋なのさ。知ってるだろ?」

「私はとやかく言うつもりはないわ。要がやりたいようにすればいい。そのうえで何か手助けが必要であればそれをするだけよ」

「要がそうしたい…というなら異論はないけれど」

「じゃあそれで決まりだな」

 

 詩遠からの質問はまあ来るだろうなとは予想していたけれど、思いのほかあっさりと引き下がったのには少しだけ驚いた。私と天音が組めばスピカの中にはまず敵はいないしミアトルやルリムにだって対抗できるペアは存在しないだろう。つまり私の試みが成功すれば、詩遠の悲願であるスピカからのエトワール輩出の可能性が飛躍的に高まる事になる。だから明日の成功率が上がるようにともっと色々と口出しするかと思っていたのだが…。そんな胸中を読み取ったかのように詩音は口を開いた。

 

「そんな顔はやめて頂戴。たしかにエトワール輩出は私の悲願だけれど、そのために友人を駒にするような真似をするつもりなんてさらさらないわ。目的と手段を履き違えるほど私は落ちぶれていませんもの。だから明日はあなたの望む通りになさい。私と桃実は少し離れた場所でそれを見守っていますから」

 

 これはこれは失礼した。私としたことがどうも詩遠の高潔さを見誤っていたらしい。友人の優しさについ嬉しくなってクックッと笑い声が漏れてしまった。もっともそういう彼女たちだからこそ、親しくしているわけだが…。何はともあれこれでようやく決まりだ。二人にはこの剣城要の晴れ姿をしっかりと焼き付けてもらうとしようか。待っていろよ天音!私はずっと君の背中を追い続けてきたんだからな。

 

 

 

 

 

 迎えた翌日の昼休み。私は校舎の前で予定通り天音を待ち伏せしていた。よしっ!これだけ人がいれば充分だろう。昼休みが始まったばかりの校舎前には多くの生徒たちが行き交っていて、私の姿を見つけて手を振る者や、キャアキャアと騒ぐ者などその反応は様々だ。熱心なファンの何人かはこちらに近付いてくるなり、なぜ私がこんなところにいるのか?と質問を投げかけてきた。私はそれに、これから楽しいことが起きるから見ていくと良い、と返しながら手の甲にキスをしていく。慣れないうちは気恥ずかしかったけれどこうすると彼女たちが喜んでくれるのもあって、いつしか恒例の仕草となっていた。

 

 天音とエトワール選に出るからといって今までのファンを邪見にするような真似をしては私の名に傷が付くからな。そんなことは私のプライドが許さないだろう。そしてなによりもファンがいてこその王子様だ。私はそれを理解している。だからこそファンは大事にしなければな。彼女たちはこれから起きるイベントのギャラリーでもあるわけだし。

 

 そうこうしているうちに5分ほどが経った。それにしても天音はまだ来ないのか。ちょっと待ちくたびれたな。ここに立ってからたいした時間も経っていないにもかかわらず私は早くも時計が気になり始めてしまった。どうやら私も人の子らしい。普段王子様だのなんだのとチヤホヤされていても情けないことに緊張しているというわけさ。向かいの木陰に目を向けると詩遠と桃実が心配そうに私のことを見つめている。私は自分に喝を入れるためにも心の中で精一杯の虚勢を張ることにした。全く、何をそんな不安そうにしているんだか。私を一体誰だと思っているんだろうか?私は剣城要。天音に唯一並ぶことの出来る王子様だというのに。過保護なことこのうえないな、と。

 

 わざとらしくため息をつく仕草をしてみせたところで桃実の傍らにいるお嬢ちゃんが目に映った。ああ、桃実のやつ上手くやれているようだな。私からすればそっちの方が余程心配だった。私は別に失敗しても私が悔しいだけで誰かに迷惑が掛かるというわけでもないが桃実は別だ。失敗は許されない。この丘で秘密の愛を育むことは簡単なことではないはずだ。ふとした気の緩みで綻びが生まれ、悲劇へと真っ逆さまということだって考えられる。私が上手くいけば、桃実にとっての当面の目眩し…、スケープゴートになれるかもしれない。そう思うとますます成功させなければならないという気になり力が湧いた。

 

 詩遠は…、誤解されがちだが本当に良いやつだ。一見きつい性格のように見えるけれど、いざ接してみると優しくて…、1つ年上なのにどこか抜けているというか付け入る隙が多くてな。完璧過ぎないところが魅力というのもおかしな話だが詩音に限って言えばそれが正しいようにも思う。桃実からお嬢ちゃんの件を打ち明けられた時も驚きつつも祝福していたし、今回の私のことだって応援してくれている。それもエトワール選を見据えた生徒会長としてではなくあくまで一人の友人としてだ。ふふ、どうも私は友人に恵まれたらしい。こんな2人が傍にいるのだからな。これでもし嘆きでもしたら天罰が下るというものだ。

 

 通りすがる生徒たちに律儀に挨拶をしたり手を振り返しながらもそんなことを考えていたら、ああ、ついにご到着だ!道の向こうからエメラルドグリーンの短髪を揺らしながら王子様がやって来る。残念ながら白馬には乗っていなかったが紛れもなく王子様だ。いつも肩を並べたいと思っていた。ライバルだと思っていた。競い合うことが楽しくて仕方がなかった。私の憧れの王子様。願わくば君にとっても私が王子様であればいいのだがな。知らず知らずのうちに口の端を釣りあげて笑いながら私は大声で呼びかけた。

 

「天音ーーー!!君に話がある。どうか聞いて欲しい。大事な話だ」

 

 知り合いに呼びかけるにしてはあまりにも大きなその声に、周囲の生徒たちはなに?どうしたの?と振り返る。そして声の主が私で、呼びかけた相手が天音であることに気が付くと少女たちは驚き足を止めた。多くの視線がまず私に集まり、次に天音へと移る。

 

 ざわざわとした喧騒の中で自然と私と天音との間に道のようなものが現れた。観客にはこう見えていたかもしれない。二人を繋ぐ道には真紅の絨毯が…、豪華絢爛な宮殿の床に敷かれた目にも鮮やかな敷物が玉座へと続く道に敷かれているように。もっとも玉座は道の両端、私と天音の両方に用意されているわけだが。天音も驚いた表情を浮かべていたが私の声にどこか察するところがあったのか、キョロキョロするようなみっともない仕草を見せることもなく、私をしっかりと見据えたまま真っすぐに近付いてくる。当然私には見えたさ。絨毯を踏みしめながら堂々と進み出る天音の姿がね。

 

 そうして天音との距離が縮まるのに合わせて、観客のざわつきは小さくなり、やがて昼休みだというのにシーンと静まり返った。誰もが予感しているのだ。何かが起こると。それは決して笑い話になるようなことではなく、重大な何かであることを。要の目の前に立った天音が静かに口を開く。僕に一体何の用だい?と。要はその返答に右手をスッと天音に向けて叫んだ。

 

「私と共にエトワール選に出てくれ天音!君と一緒に戦いたいんだ」

 

 周囲から悲鳴のような叫び声が上がる中、要が伸ばした右手はまるで決闘用の細剣…、レイピアのように鋭く天音に向かって突き出されている。それは紛れもなく決闘を申し込むための合図だった。対決するのは王子様たち。王子様対王子様。世紀のイベントを前にみるみるうちに校舎の前は二人の王子を取り囲む決闘場と化し、その観客となった生徒たちは興奮した表情を浮かべながら席に着いた。周囲の期待に応えるように天音も右手を突き出し要の剣に僅かに切っ先を触れさせる。すると細剣は軽い金属音を立ててその身を震わせた。紅い…、紅い薔薇の花びらが吹き荒れる決闘場で向かい合う両者。次に口を開いたのは天音だった。

 

「なぜボクなんだ?君は王子様だろう。王子様ならお姫様を選べばいい」

「━━━王子様が王子様を選んではいけないのかい!?━━━

 はっ、知らなかったな。君がそんな…臆病者だったなんて」

「ボクが臆病者だって!?どういう意味だ」

 

 要に挑発された天音が鋭い突きを繰り出すと、それに負けじと要も攻撃に転じる。本人たちにとっては相手の実力を確かめるような…、様子見とも言える攻防。けれど観客の目にはそうは映らないらしい。早くも盛り上がりを見せ始め両者への声援が飛び交った。要を応援する者や天音を応援する者。両方に声援を送る者など、とにかく送られるエールの多さに二人の人気が窺えた。

 

「君は生まれながらにスターだった。王子様だった。けれど私は違う。たしかに多少の輝きは持っていたが君には遠く及ばなかった。だから努力したのさ。君に並ぶために。君の隣を歩くために。努力し続けた。そして今の私があるんだ。私が王子様になれたのは君がいたからだ!君は私の王子様なんだ天音!!」

「それがボクを選ぶ理由なのか?王子様になったというならお姫様は選びたい放題だろうに」

「そういう君はお姫様のあてはあるのかい?」

「いまのところは…ないね!」

「ハハハッ。そうだろうな。言ってやるさ。今のスピカに君のパートナーを務まる者はいない!この私を除いてな!君も分かっているはずだ。君の隣に立てるのは…私だけだと!」

 

 いよいよ本腰を入れ始めた二人の剣先が互いを狙い突き出されるたびに、太陽の光が反射し刀身はキラリと輝いた。それぞれの身を包むのは決闘用の華美な装飾の付いた…、それぞれの髪の色をモチーフにしたような煌びやかな礼服だ。身体に迫る刃を紙一重で躱し、あるいは防ぎ、お返しとばかりに相手に向かって剣を振るう。息もつかせぬ攻防に観客の声は増すばかり。時折躱しきれなかった一撃が掠めるように通り過ぎ礼服を切り裂くと決闘場は割れるような歓声に包まれた。

 

「ボクだってただ突っ立っていたわけじゃない。君は言ったな。ボクの隣を歩くために努力し続けたと。それはボクも同じさ。君がいたから走り続けたんだ。ボクの隣にはいつも君がいた。他の子と違って君はボクに食らい付いてきた。勉強でも。スポーツでも。立ち居振る舞いだって。初めてだった…真剣勝負が出来たのは。嬉しかったよ。君がいてくれて」

「当たり前だ!私は君に勝利するつもりでいつも勝負を挑んでいたんだからな。手を抜くわけがないだろうッ!」

「でも同時に怖かったよ。君に負け続けたら私は何者でもなくなってしまうじゃないかって。だからボクも努力したのさ。君に負けないように。君に勝てるように!けれどそれでも君はボクの隣を平気な顔して歩いていた。君こそが本当の王子様だと思った。ボクのは所詮メッキに過ぎないと…そう思わされたんだ」

「だけど君は私のライバルであり続けたじゃないか。それが…それこそが君が本物の王子様である何よりの証拠さ!」

 

 細剣を交える二人の肩は大きく弾み、疲労の色を感じさせた。胸に手を当てて苦しそうな呼吸を繰り返しながらも両者譲ることなく剣を振るい続ける。礼服の装飾は千切れ、肌には浅い切り傷を負って血が滲んでいた。その血は地面に零れ落ちそうになると一輪の薔薇へと瞬時に変化し、風に煽られて闘技場を舞う仲間たちと共に二人の周りを飛んでいく。決着が近い。当事者も、観客も、誰もがそのことを理解しつつも口にはしない。そんな無粋な真似はとても出来はしないと。やがて細剣を胸の前で空へとかざした天音が要に問うた。

 

「1つだけ、1つだけ条件がある。それを君が飲んでくれたらエトワール選に出ると約束しよう」

「なんだ!言ってみろ天音!」

「好敵手であり続けろ!私は本物の王子様になってみせる。だから君も…、君も王子様でいてくれ!」

「承知した!!」

 

 言葉と同時に繰り出される渾身の一太刀。要がそれを裂帛の気合で弾き返すと、天音の剣はくるくると弧を描いて空中に跳ね上がり近くの地面と突き刺さった。ついに訪れた決着の時。痺れた手を押さえる天音に向けて剣を投げ捨てた要が手を伸ばし…掴んだ。互いの健闘を称えるように言葉を交わし合い時折ほほ笑む。

そして二人の言葉を待つように静まり返る観衆の方へと向き直ると繋いだ手を高く掲げた。

 

「ここに誓おう!!私と天音がこのスピカに━━━」

「「━━エトワールの座を!!━━」」

 

 二人が叫ぶと同時に猛々しい真紅の竜巻が吹き荒れ空を舞っていた薔薇の花吹雪が遥か上空へと向かって高く舞い上がった。やがて頂点に達して浮力を失った花たちが、闘技場一面にシャワーとなって降り注いでいく。辺り一面に響き渡る歓喜の声に祝福されて薔薇の花の一つ一つが、まるで意志を持ったかのように辺りを漂い続ける中、観客たちに混ざって拍手を送る特別な…、素敵な友人たちの姿を見つけた私は、勝鬨(かちどき)を上げるように空高く拳を突き出した。見届けてくれたという感謝とやり遂げた達成感を胸に高く…高く。

 

 

 

 

 

 

<お茶会の後のおやすみなさい>…涼水 玉青視点

 

「そうだったんですね。ミアトルでも大変な騒ぎでしたもの。生徒会室でも何か話し合いをしていたようですし」

 

 恒例となったお茶会で渚砂ちゃんに紅茶の入ったカップを渡しつつ私も席に着く。今日の参加者は私と渚砂ちゃんに夜々さん光莉さん、それに目撃者となった蕾ちゃんを加えた5人だ。話題はもちろんスピカで起きた大事件について。まさか王子様同士が組んでエトワール選に出るだなんて蕾ちゃんの詳細な話を聞いた今でも信じられない。生徒会長の六条様はさぞや眠れぬ夜を過ごしていることだろう。多くのエトワールを輩出してきたミアトルにとって強大なライバルが出現したのだから。きっと今年はミアトルにとって厳しい戦いになるに違いない。それくらい要さんと天音さんの名はスピカの外でも知れ渡っていた。私の知る限りでは今のミアトルに対抗できるペアはいないように思う。それこそ静馬様が出るというなら話は別だが6年生では任期の途中で卒業となってしまうし現実的ではない。源千華留様のいるルリムならあるいは、といったところか。なんにしろ今年のエトワール選ではミアトルは蚊帳の外になるかもしれない。

 

「お二人は率直にどう思われました?」

「私はその人たちのことあんまり知らないけど…、どっちも王子様なんだよね?キャラが被っちゃってるけどいいのかな?」

「う~ん。そういう問題はありますけど強みがあるのはいいことなんじゃないでしょうか。とにかく華がある方たちですから目立つでしょうし」

 

 蕾ちゃんから感想を尋ねられて真っ先に答えたのは渚砂ちゃん。散々語りつくされたであろう内容にスピカの面々の反応は薄い。次に答えた私の答えもなんだかありきたりで面白みに欠けているとは自分でも思ったけれど、詳しい人柄までは知らないので仕方なかった。結局主に喋っていたのはスピカ陣営で私と渚砂ちゃんは聞く側に回ることに。最初は聞くばかりだとあれかと思ったが意外と他校の有名人の話を聞くのは楽しい体験だった。

 

 なにせ名前は知っていても立ち居振る舞いは風の噂でしか知らないことも多く、こうやって同じ学校の子から話を聞くとまた一味違った人物像が見えるからだ。要さんの独特な言い回しを好むという情報も蕾ちゃんの力の入った芝居のおかげで随分グレードアップされた。それにしても蕾ちゃんは本当に聖歌隊でよかったのだろうか?今からでも演劇部を兼部したらと思うほどの熱演だった。そんな蕾ちゃんを茶化す夜々さんに顔を赤くして反論する蕾ちゃんと、楽しいお茶会は大盛り上がりして幕を閉じた。

 

 またね、また誘ってください、とお別れをして3人が帰ると部屋は途端に夜の静けさを取り戻し急に眠気が襲ってくる。時計を見るともういい時間だ。そろそろ寝ないと明日に影響が出てしまう。既にベッドに入って寝る準備を済ませた渚砂ちゃんに私は一つだけ気になったことを訪ねた。

 

「夜々さんと光莉さんって前からあんな感じでしたでしょうか?なんだか雰囲気が変わったような気がして…。渚砂ちゃんは何か気付きませんでしたか?」

「私?ううん、何も。相変わらず仲良さそうだったけど。玉青ちゃんはどうしてそう思ったの?」

「い、いえ。いいんです。本当になんとなくそう感じただけですから」

 

 そう言われると自分でもなんでそう思ったのかよく分からない。けれどたしかに私は何かを感じ取ったのだ。上手くは言えないけど何かを。喧嘩をしているようには見えなかった。というよりもむしろ仲が良いように見えた。なんだか以前よりも親密になったような…。まあ何か良いことでもあったのだろうと自分を納得させ私もベッドに入り天井を見つめる。

 

 どうしようか?この話の流れのままに言ってしまおうか?私の中での決心は既についている。だから渚砂ちゃんにはいつかは言わなければならない。今日か、明日か。言うなら早い方が良い。ベッドの中で向きを変え小さい声でねぇ渚砂ちゃんと呼びかけると、向かいのベッドからもぞもぞと動く気配がしてひょこっと渚砂ちゃんが顔を出した。その愛くるしい仕草に眠気が少なからず吹き飛び、私は目が冴えてしまう。なんで渚砂ちゃんはこんなにも可愛いのだろうか。もし将来研究職についたら論文にまとめるのもいいかもしれない、と冗談を考えながら口を開いた。

 

「六条様から生徒会に誘われている話を以前にしたの覚えていますか?」

「うん、覚えてるよ。だってあの時玉青ちゃんってば…」

「渚砂ちゃん?」

「ううん。何でもない!つ、続けて」

 

 あっ…。そういえばあの日は。渚砂ちゃんの反応のせいで私もその時のことを思い出してつい赤面してしまった。そう、そうだった。ハプニングで私は渚砂ちゃんのスカートの中に頭を…。

 

「た、玉青ちゃん!?思い出さなくていいからね?話を続けてよ。ねぇ玉青ちゃん聞いてる?」

「は、はいっ!大丈夫ですよ渚砂ちゃん。何にも思い出してないですから。安心してください」

 

 多分信じてはもらえないであろうバレバレな言い訳をしながらどうにか気持ちを落ち着かせようとする。危ない危ない。真面目な話をするつもりだったのに変な雰囲気に飲まれてしまうところだった。恐るべし渚砂ちゃんマジックである。深呼吸を繰り返し頭の中から邪念を追い払ってから私は話を切り出した。

 

「私生徒会に入ろうと思っているんです。六条様が随分と熱心に勧誘してくださったし、ミアトルの役に立てるならって思って」

「そっか。玉青ちゃんは偉いね。いつも一生懸命で…周りの人のことまで気にしてる。私なんかとは大違いだよ」

「そんなことありませんよ。生徒会に入るのは渚砂ちゃんのためでもありますから」

「私のため?」

「はい。渚砂ちゃんが過ごしやすい環境を作ってあげたいというのも大きな理由ですから」

「~~~~。玉青ちゃんって結構女ったらしだよね。モテるってのも納得かな」

 

 そう言って再びもぞもぞと動いた渚砂ちゃんは寝返りを打ったのかと思いきや、ベッドを抜け出し、枕を持って私の傍に立った。半ばパニックになって身体を起こした私に何も言わないままに、渚砂ちゃんは空いたスペースへとその身体を滑り込ませる。えへへ、と笑いながら枕をセットし横になると、今度は私にも横になるようにとポンポンと隣を叩いた。

 

 もうっ…私のベッドなんですからね。そう軽口を言いながらもポフッと倒れこんだ私をベッドは優しく受け止めてくれた。目の前に渚砂ちゃんがいる。ぬくぬくと温かい…、布団によるものだけではない、なんともいえない人の体温の心地よさが伝わってきて私の眠気も復活してしまったようだ。少し経って聞こえてきたスゥスゥという寝息を子守歌に私も眠りに落ちていった。

 

 おやすみなさい渚砂ちゃん。明日も良い日でありますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 いかがでしたでしょうか?今回は要と天音という王子様同士のお話です。私の思う百合は女の子同士での交際が異端とされる世界観なんですけど、この二人の王子様同士というのも、なんというか王子様の相手はお姫様っていうのを覆すというか。別にいいじゃない?王子様同士でも。っていう思いを込めてます。いや、その別にそこまで崇高な思想に基づいて云々ではないので気楽に読み流してください。あくまで周囲の一般生徒たちの固定概念をちょっとひっくり返すというかそんなイメージでの組み合わせです。章タイトルもまんまですけどこれが全てな感じがします。

 さて、女の子なのに王子様というとやはりあれを思い出した方は多いんじゃないでしょうか?そう、少女革命ウテナですね。私もそのイメージが強くあるので幻影でもいいからと決闘シーンをねじ込みました。良いですよね!薔薇の舞う決闘場。もし視聴してないよという方いらっしゃったらぜひどうぞ。私のを読んで下さってる方だと視聴した方多そうですけど念のため。

 久々登場の玉青ちゃんはちゃっかり渚砂ちゃんと添い寝。どうしても甘々な感じになっちゃいますね~。そんなわけで今回はこの辺で。次章もよろしくお願いします。それでは~。





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第14章「次期生徒会長の涼水玉青さんよ!」

■あらすじ
 生徒会に入る。そう決意した玉青を待ち受けていたのは生徒会長である深雪による痛烈なだまし討ち!?恨めし気な視線を涼しい顔で受け流す深雪に玉青はがっくりと肩を落とす。一方の渚砂は美しい悪魔に誘い出されて…。生徒会室とエトワールの温室で物語は動き出す。上級生に翻弄される4年生たちの運命やいかに!?

■目次

<だまし討ち>…涼水 玉青視点
<獲物>…花園 静馬視点
<膝の上で>…蒼井 渚砂視点




<だまし討ち>…涼水 玉青視点

 

 ホームルームが終了したばかりのまだ人の多い教室で、私は手早く荷物をまとめると渚砂ちゃんに声を掛けた。昨夜相談した生徒会の件で六条様のところに行くから今日は一緒に帰れないと伝えるためだ。渚砂ちゃんは私が生徒会という単語を出しただけですぐに気付いてくれて、私の手を握るなり頑張ってね!と励ましてくれる。そのうえ教室の外まで付いてきて今も後ろで手を振ってくれているんだから力が漲らないはずがない。私は渚砂ちゃんからパワーを貰い意気揚々と歩き出した…はずなんだけど。

 

 一歩、また一歩と生徒会室が近付くごとに心臓の鼓動が大きくなっていく。せっかく渚砂ちゃんが応援してくれたのに小心者の私はすっかり怖気づいてしまっていて、生徒会室と書かれた札が見えた時なんかはひと際ドキンと心臓が跳ねて思わずその場で倒れてしまいそうになった。

 

 落ち着け、落ち着け。何でもない。今日は生徒会に入ると言いに来ただけだ。六条様だって言っていたじゃないか。様子を見てから決めるって。だからすぐに次期生徒会長だと紹介されるようなことはない。大丈夫。六条様に伝えたらその場で軽く挨拶をして、もし必要なら少し仕事をお手伝いしてそれで今日はおしまい。そしたらいちご舎に戻って渚砂ちゃんに甘えたっていいんだから。

 

 声に出さないように気を付けながら、私は心の中でそう自分に言い聞かせた。そうしていないと今にも口から心臓が飛び出しそうだ。こんなことで一々緊張していてはいけないとは分かっているけど、やっぱり怖いものは怖い。いつも堂々としている六条様を思い浮かべ、次に自分の有様と見比べて私は自分が情けなくなった。すぐに六条様のように振舞えるとは思っていなかったけど…いくらなんでもちょっとカッコ悪い。果たして私に次期生徒会長なんて務まるのだろうか?

 

 いけない、いけない。しっかりしなきゃ。渚砂ちゃんのためにも私は頑張るんだ!そう心を強引に奮い立たせた私は扉の前で深呼吸をすると、手の甲で2、3度扉をノックした。滑らかに開いた扉から顔を覗かせた取り次ぎ役の生徒に六条様に会いたい旨を伝えると、その生徒はくすりと笑いながら私を部屋の中へと招き入れる。あれ?今私を見て笑ったような?ありがとうございますと会釈して中に入りつつも、私はなんでその生徒が笑ったのかが気になり後ろ髪を引かれた。

 

 私より年上…、5年生だと思うけれどなんで笑ったんだろう?もしかして緊張のあまり思い詰めた顔でもしていたのかもしれない。変な顔をしていたら嫌だなと思い慌てて何か鏡に出来そうなものを探したけれど、あいにく代用できそうなものは窓ガラスか書類棚のガラスくらいなもので、私の近くには何もなかった。

 

 ならばせめて制服だけでも整えておこうとあちこち点検してみたけれど、制服には乱れたところはどこもない。となるとやっぱり笑われたのは表情のせいか…。そう思うとなんだか急に恥ずかしさが込み上げてきて、火照り始めた顔が赤く染まっていくのが自分でも分かった。どうしよう。目に映る人みんなに笑われているような気がする。実際にはそれは私の思い違いだったのだけれど、この時の私はたしかに笑われているように感じたのだ。俯きがちに部屋の中を進んで行くと、その様子を見ていた六条様が顔を上げなさい、と声を掛けてくれた。けれどそれが突然のことだったから私は少し裏返った声で返事をしてしまい、今度は本当にくすくすと笑い声が聞こえてきて私はますます顔を赤くした。

 

「今日は…この前のお返事をしに参りました」

 

 ようやく六条様の前に立った私はなんとか声を絞り出しそう告げた。目の前の六条様は以前と変わらず…、いやこの前お会いした時よりもどこか力強さを感じさせる凛とした佇まいをしていた。六条様…少し雰囲気が変わったような…。差し出された手を握り返しながらぼんやりそんな感想を抱いていると六条様はにっこりと微笑み私に尋ねた。

 

 生徒会に入る決心がついたのかしら?と。私に向けられた目には強い自信が漲っていて私の答えを知っているかのような余裕を窺わせた。それは独特な…、芯の強い人だけが纏う雰囲気に見える。幾分顔の火照りも収まった私は今度は声が裏返らないように慎重に、けれど大きく口を開いた。

 

「六条様、私を生徒会に入れてください!よろしくお願いします」

 

 自分で思っていた以上の声が出ていたみたいで、お辞儀をしながらそう言うとざわざわとした喧騒に包まれていた生徒会室がし~んと静まり返った。みんなの視線が私に集中する。作業の途中だったり、会話をしていたはずの視線がぐるりと向きを変え、私に突き刺さっているのだ。先程取り次ぎの生徒に笑われたことを思い出し再び顔が火照り始めた。頬を朱に染め、それでも足りないと言わんばかりに羞恥心が耳まで染めていく。

 

 でも今回は覚悟の上だ。六条様にはちゃんと伝えたいと思っていたからこれくらい視線を浴びるくらいどうということはない。ここで小さな声でぼそぼそ言う方が、よっぽど心残りになると私は思っていた。やり遂げた達成感に身を包まれながら顔を上げると、六条様は私を優しく抱き締めてこう言った。

 

「堂々としていて立派だったわよ、玉青さん。とてもカッコよかった。だから自信を持ちなさい」

「あ、ありがとうございます」

「あなたなら決断してくれると信じていたわ。これから一緒に頑張りましょう」

「そう言っていただけると私も嬉しいです。微力ではありますが六条様のお役に立てるよう━━━」

 

 ホッとして緊張が和らいだのも束の間、言いかけた途中で唇に人差し指を宛がわれ言葉を遮られた。白く細長い陶器のような美しい指が私の唇に軽く触れている。もちろん陶器と違いちゃんと血の通った温かさを持ったその指を見つめながら私が戸惑っていると…。

 

「ちゃんと自己紹介の場を設けてあげるから、決意表明はその時にして頂戴」

 

 私の唇から離した指を今度は自分の唇に当てながら、六条様は私にイタズラっぽくウインクしてみせた。その仕草はとても艶やかで大人の色気に満ちていて私は不覚にも少しドキリとしてしまった。何があったのかは知らないけれど、以前よりもずっと素敵だ。厳しさを持った以前の雰囲気も良かったけれど、今の六条様からはそれに柔らかな女性らしい雰囲気が合わさってとても魅力的に見える。

 

 私はこんな雰囲気を持った人を…、全く同じとは言わないけれど似た雰囲気を持つ人を知っていた。そう、静馬様である。上手くは言えないけれど、どことなく似た雰囲気を六条様が纏っているのだ。もしかするとお二人の間で何かが起きたのかも…。そこまで考えて私はハッと我に返った。今は自分の事を考えないと。

 

 六条様がパンパンと手を叩くと、部屋の中にいた人々がサーっと移動し私と六条様を囲むように扇状に並んだ。笑顔を浮かべて談笑していた人も今はキリリと表情を引き締めてこちらを見つめて六条様の言葉を待っている。やっぱりこの御方は凄い。どれほどみんなから信頼されているのかが分かるそんな一幕だった。並んだ生徒たちをぐるりと見回すと、六条様は前に進み出て口を開いた。

 

「生徒会に新たなメンバーが加わることになったわ。事前に話してある通りに、みんなでこの子を支えてあげるのよ」

「「「はいっ!!」」」

「それでは紹介するわ。━━次期生徒会長の涼水玉青さんよ!━━」

 

 え?今なんて?次期…生徒…会長って聞こえたような。いや、だってそんな…まさか。私の聞き間違えに決まって…。みんなの視線が一斉に降り注ぐ中、呆然と突っ立っている私に向かって六条様はニヤリと笑みを浮かべた。その表情はやっぱりどこか静馬様を思わせる少しイジワルな感じで、とても…嫌な予感がして私の背筋は凍り付いた。お願いだから声に出さないで、という私の願いも虚しく、案の定というかその口から出た言葉は、ある部分が…思いっきり強調されていて。

 

「何をしているの?『次期生徒会長の』涼水玉青さん?」

「え、えええええええ!?」

 

 思わず叫んでしまったけどこればっかりはどうしようもない。みんなからの視線が突き刺さったって全然問題じゃない。だって…だってだって!!や、約束が…。約束が違います。様子を見てから決めるって、そう仰ったじゃないですか?それなのになんでいきなり。慌てて必死で目で合図を送るもののそれをそよ風のように受け流し微動だにしない六条様。

 

 その涼し気な表情を見て私は遅ればせながら悟ってしまった。最初から…騙す気だったんだ。事前に話してあるってたしかに言ってた。そうか、だから取り次ぎの生徒はあの時笑ってたんだ。騙されているとも知らずにのこのことやって来た私を見て…。あ、あっ、あっ、あああああああ。本来であればとても失礼なことで怒られても仕方のないことを…、口をパクパクさせながら六条様を指差すという暴挙に出た私のことを何人かの生徒たちが気の毒そうな表情を浮かべて見つめていた。

 

 だ、騙された。ようやく一言だけボソッと呟いた私が辺りを見回すと、私と目が合った生徒たちは悉く目を逸らしていく。きっとみんな思っているはずだ。六条様に勝てるわけがない…と。

 

 周囲をぐるりと一周して改めて見た六条様は約束?そんなものあったかしら?と言わんばかりの表情を浮かべ悠然と佇んでいた。そんな六条様はがっくりと肩を落とした私に追い打ちを掛けるように背中を押し、みんなの前へと進ませる。

 

「わ、わわわ。待ってください六条様。まだ…まだ心の準備が」

「何を言っているの。自己紹介の場を設けてあると言ったでしょう。みんなあなたの言葉を待っているわ、次期生徒会長さん」

 

 とても重大な事項なはずなのに次期生徒会長という単語はやけに軽やかに聞こえた。まるで自分のことを言ってるんじゃなくて別の誰かのことを言っているような。なんて現実逃避が許されるはずもなくみんなの前に立たされた私は、声を出そうとして一旦飲み込んだ。背中に触れている六条様の手が落ち着けと言ってくれている。まずは胸に手を当て深呼吸。ああもう、こうなったらやるしかない。少々やけっぱちになりながらも覚悟を決めた私は…決意表明を述べた。

 

「六条様から次期生徒会長にと推挙されました、涼水玉青です。精一杯努力しますので、みなさまどうかよろしくお願いします」

 

 言い終えて深くお辞儀すると、私の頭に拍手が降り注いだ。それも一人や二人ではなく全員から。どうやら六条様による説得は全員分完了しているらしい。私がここで会ってからそう大した時間も経っていないというのに。そのあまりの手際の良さに私は降参する他なかった。ここまで用意されていてはどうやったって逃げれっこない。ああ、今日は簡単な挨拶をするだけのはずだったのに~~~。

 

 帰ったら渚砂ちゃんにたくさん慰めて貰わないと。これだけの出来事があったんだから、禁断の膝枕をお願いしたって罰は当たらないじゃなかろうか?せめてもの慰めにとあの柔らかな感触を思い出しつつ、私は次期生徒会長として生徒会入りを果たしたのだった。もちろん、後で他の生徒会メンバーから聞いた六条様の周到な根回し工作に今日一番背筋がゾッとしたのは渚砂ちゃんにも内緒である。

 

 

 

 

 

 

 

<獲物>…花園 静馬視点

 

 ふ~ん、これは好都合ね。深雪の様子を見に生徒会室へ行こうかと考えていた矢先に青い髪をした少女…、涼水玉青がそちらへ向かっていくのを目撃した私は、これ幸いとばかりに進路を変え4年生の教室が並ぶフロアへと足を踏み入れた。理由は当然、蒼井渚砂という少女に会うためである。

 

 4年生か…、高校生になったばかりでさぞ楽しいでしょうね、という予想を裏切ることなく、憧れるようなキラキラとした眼差しを私に向けてくる少女たちはとても純粋そうに見え、ついお茶でもしたくなるような瑞々しさに溢れていた。

 

 自分も4年生の時はこうだっただろうか?なんて考えが一瞬浮かび私は思わず失笑してしまう。可愛げなんてものは何一つ持ち合わせていなかったことを思い出したからだ。4年生の頃には私に歯向かってくるような存在はもうこの丘にはなく、普段は威張り散らす6年生でさえもベッドの上では借りてきた猫同然に私の思うがままだった。でも私が悪いんじゃない。大した経験もない癖に喧嘩を売ってきた相手が悪いのだ。意気揚々と挑んできたものの、開始10分と経たないうちに私に組み伏せられる自称テクニシャンの多かったこと。目尻に涙を浮かべ、許してと懇願しながらも、その瞳に灯った情欲の炎を隠すことも出来ず餌食になっていった上級生の姿は滑稽でさえあった。

 

 ふふふっ。自然と零れた笑みを顔に張り付かせ目的の教室を覗き込む。すると教室内で鬼ごっこに興じるやや幼さを感じさせる少女が目に留まった。ああ、あの子ね。帰ってなくてよかった。動くたびに揺れる赤茶色のポニーテールが事前の情報通りに活発そうな気配を感じさせる。一瞬入り口近くの生徒に取り次ぎを頼もうかとも思ったが、別に遠慮する必要もないかと私は教室の中へと足を踏み入れお目当ての少女に歩み寄った。鬼に追いかけられ、逃げることに夢中で私に気付かないままの少女はそのまま私の方へ…。

 

「渚砂さん。前!前っ!」

「えっ?うわっ、わわわ~~~」

 

 ぶつかろうかという寸前、私はその少女を優しく抱き留めた。

 

「ダメよ?ちゃんと前を見てなきゃ」

「は、はい。ありがとう…ございます」

 

 私を見上げる目がくりくりと大きく可愛らしい。身長は涼水玉青よりやや低いだろうか?小柄といっていい。身体つきも華奢で少々物足りなさはあるがそれを補って余りある愛嬌がこの子にはあった。なかなか良い素材をしている。玉青さんが夢中になるのも分かる気がした。既に美しい宝石も良いが、こうした原石を磨くのもそれはそれで悪くない。

 

 胸がクッションの役割をしたから痛くはないはずだけど、私は少女になるべく優しく語り掛けた。腕の中の渚砂がどうしていいか分からないといった顔で顔を赤らめながら身じろぎしていたからだ。

 

「あなたが蒼井渚砂さんね。今日はエトワールとして話があってここに来たの」

「は、はいッ!すみませんでした、えっと、エトワール様」

 

 もう少し抱き締めていてもよかったのだけど、流石に人の多い教室でそれは不自然かと思い渋々解放すると、身体を離した渚砂がお辞儀をしながら返事をした。その様子に求めていた初々しさを見つけて私は密かに喜んだ。1年生や2年生ほど幼くはない。けれどそれらと同じくらいの初々しさを持った4年生。とても貴重な存在だ。

 

「あなたの学校での生活の相談や悩みを聞いて欲しいと深雪に…、生徒会長の六条深雪に頼まれたの。それで予定がないのだったらこれから私と一緒に来て欲しいんだけど、どうかしら?」

「だ、大丈夫です。予定はありません!」

 

 敬礼でもしそうな勢いでキビキビと話す様子がおかしくてつい笑みが零れそうになってしまう。

 

「畏まらなくていいわ。呼び方も…、そうねエトワール様じゃなくて名前で呼んで頂戴」

「分かりました、し…静馬…、様」

「ぎこちないけどひとまずそれで良しとしましょうか。じゃあさっそく移動するから付いてきなさい…、渚砂」

「ここじゃダメなんですか?」

「あなた一人じゃないと困るのよ。そういう決まりになっているから」

「そうですか…」

 

 もちろん嘘だ。そもそも深雪から頼まれたということ自体が作り話なのだから当たり前ではあるが。そう、全て私の嘘っぱちである。二人きりで会話するための方便として利用させてもらっているだけだ。そんなことにはまるで気付かないまま、友人と思しき二人組に挨拶をした渚砂が私の後ろに付いてくるのを確認し私も歩き出した。

 

「どちらへ行くんですか?」

「温室よ」

「おん…しつ?」

「植物を育てる温室よ。玄関や行事で使う花を育てたりするのに使われているの。その温室の管理もエトワールの仕事なのだけど…、玉青さんから聞いてない?」

「玉青ちゃんからは特には」

「私のことについては?何か言ってなかった?」

「えっと本来2人でエントリーするはずのエトワール選にお一人で出場して勝たれた、とか」

「他には?例えば…、━━私が危険人物だとか?━━」

「ええっ!?滅相もないです。そんな失礼なことは…」

「そう、じゃあきっとわざと伝えなかったのね」

 

 首を傾げる渚砂をよそに私は好都合だわ、と心の中でほくそ笑んだ。本日2度目の好都合を感謝しながらミアトルの校舎を出ると、心地よい風が吹いていて私は銀髪を押さえるようにして渚砂の前を歩いた。時折振り返って確認すると渚砂が落ち着かなそうな顔をして見上げてくる。なんというか小動物的な可愛さだろうか?柴犬の子犬か何かが後ろを歩いているようなそんな気持ちになる可愛さだ。カバンを抱き締めるようして歩きつつ、私との距離が開くと、すかさずトトトッと小走りで追いついては私を見上げてくる。

 

 温室まであと少しだが私はこの時点でもう渚砂にイタズラをしたくてうずうずしてきていた。私のような上級生に目を付けられたら真っ先にオモチャにされてしまいそうなタイプ。きっと玉青さんは雛鳥を見守る親鳥のように、気の休まらない日々を過ごしてきたことだろう。だけど運悪く見つかってしまったというわけだ。それもとびっきりタチの悪い…、私という上級生に。ご愁傷様、玉青さん。心の中で謝罪を…、本当はそんなこと欠片も思っていないがポーズだけは一応それらしくしつつ謝った私は、見えてきた温室を前にしてさらに心を躍らせた。

 

 エトワールの温室。3校の校舎、それにいちご舎からも絶妙に離れた場所に位置するこの場所は、エトワールとその関係者くらいしか訪れないのを良いことにこれまでも様々な出来事の舞台となってきた歴史の生き証人でもある。エトワールがその相方との秘密の愛に溺れたり、相方には内緒で下級生を呼び出して不倫とも呼べる逢瀬を楽しんだり…と。いくつかは一般の生徒にも知れ渡っているがその大半は秘密にされ、その出来事に近しい人物しか知らない。私も知っているのはある程度最近のものだけだが、それでもこの温室は歴代エトワールの負の部分を担ってきたと言っても過言ではない。結局のところみんなお戯れが大好きだというのは今も昔も変わらないというわけだ。その中には当然私も含まれていてこの場所では数々の密事を行ってきた。千華留と肌を重ねたこともあったし、他の子を呼び出したこともあった。

 

 ここはエトワールにとって…、私にとっての狩場なのだ。欲望を満たすための整備された狩場。それがエトワールの温室。糸が張り巡らされたクモの巣のように、招かれた者を絡めとってしまう恐ろしい場所。そんなところだとはまるで知らない可哀想な…、憐れな少女が私のすぐ後ろにいる。そのあまりの不憫さが余計に少女を愛しく思わせ、私の笑顔を歪ませた。

 

「うわぁ~。外からでも大きく見えたけど、中に入るとほんとに広~い。ちょっとした別荘みたい」

 

 扉を開けて中に入ると渚砂は目を輝かせてあちこちを見渡した。草木に手を触れてみたり、生い茂る葉の影から奥を覗こうとしたりとせわしなく歩き回る。私にとっては見飽きた、はっきりいってつまらない景色であるが渚砂には目新しく映ったようだ。といっても渚砂の反応も概ね予想の範囲内ではあったが…。そう、ここに来た子の多くがこうやって物珍しそうに色々と観察するのを私は見てきた。

━━本当は観察されているのは自分であるとも知らずに━━

 

 何度繰り返しても笑わずにはいられない。ここはもう既にクモの巣なのだ。そしてクモは私。絡めとられた獲物の価値を調べるように、どんな笑顔を見せるのか、身体つきは、とじっくりと観察させてもらう。大半の子は笑顔で眺める私の視線に、恥じらうような照れた笑みを返すが渚砂はどうだろうか?じぃっと無邪気に跳ね回る渚砂を見つめていると私が見ているのに気付いたのか、ばつが悪そうに植物に伸ばしていた手を引っ込めた。

 

 ちょうどいい反応だ。むしろ千華留のようにそういった場所だと見抜いたうえでなお色っぽく挑発的な流し目でもされたら追い返していたかもしれない。もっとも渚砂はそんなことが出来るタイプにはまるで見えなかったけれど。

 

「ここにカバンを置くと良いわ」

 

 温室の開けた部分に置かれたテーブルセットから手招きすると渚砂は軽い足取りで…、それこそ踊りのステップでも踏むかのように楽しそうにこちらへやって来た。私は渚砂がイスにカバンを置こうとするのを見計らい…後ろへと回り込む。そして何ら疑うことを知らないこの無垢な少女を後ろから思い切り抱き締めた。

 

「し、静馬様ッ!?」

「ふふふ、つ~かまえた♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

<膝の上で>…蒼井 渚砂視点

 

 今日はなんというか、本当に不思議な日だ。教室でエトワール様…、静馬様にぶつかったと思ったら抱き締められていて、トントン拍子に温室に来たと思ったら、思ったら~~~。もう、どうすればいいんだろう?

 

 私は再び後ろから抱き締められていた。静馬…様に…。まず最初に綺麗な銀髪がふわりと舞ってキラキラと輝いたのが視界に入った。抱き締める際になびいたサラサラの髪が前へと流れて私の頬をくすぐるように撫でていく。次いで制服の上からでも分かるおっきな…、私なんかとは比べものにならないくらい柔らかい膨らみを背中に感じた。そのうえ身体からはなんだか良い匂いがしてきて頭がクラクラする。

 

 大人の…、たぶん色気と呼ばれるものを大量に含んだ匂いだ。腰に回された腕は私の腰の前で交差するようにして私を包み込んでいて、とても逃げられそうにない。ううん、その瞬間の私は逃げようだなんて思ってさえなかった。けれど流石に恥ずかしくなって私は小さく身じろぎをしながら尋ねた。

 

「し、静馬様?これは一体…」

「動かないで。あなたを感じている最中だから」

「えっ?あの、それはどういう意味で…わぁっ!?」

 

 私が抜け出そうと身体を動かすと、交差した腕は私を離さないとでもいうかのようにさらにきつく巻きつけられ、さらには耳元に吐息を吹きかけられた。くすぐったいような、よく分からないけどゾクゾクとしたものが背中を這いずりまわって力がへなへなと抜けていってしまう。なに?なんなの?この人なんでこんなにスキンシップ過剰なのぉ!?唯一動く頭をフル回転させながら私は心の中で叫んだ。

 

「顔を真っ赤にしちゃって…。可愛いわね、渚砂は」

「んっ…。み、耳」

「なあに?よく聞こえないわ」

「んんん~。だ、だからそれ。耳の傍でしゃ、喋るの。やめて…ください」

 

 喋られるとさっきよりもずっと大きなゾクゾクが背中を電流のように駆け巡っていって立っていられなくなりそう。というか既に足がカクカクしちゃって立ってるのがつらい…。玉青ちゃんもスキンシップ好きだけど、この人のは異常だよ~~~。っていうかなんか雰囲気が違う!玉青ちゃんのはあくまで友達同士って感じだけど、静馬様のはなんかこう…ドキドキするような…。ハッ!?だめダメ駄目。流されちゃダメ。早く振りほどいて離れないと。よく分からないけど相談とかいうのをすぐ終わらせていちご舎に戻ろう。うん!

 

「あの、相談とかいうやつ早くやりましょう…」

「そうね。じゃあ始めましょうか」

「えっ!?ちょ、ちょっと待って…。ええええ!?」

 

 私は座っていた。イスではなく…静馬様の膝の上に。そう、静馬様はそのまま空いたイスに座ったのだ…私を抱き締めたままで。

 

「ほら?これでいいでしょう」

「良くない。良くないです。下ろしてください」

「あら?何が不満なの?言って頂戴」

「こ、こここんなの恥ずかしいです。私4年生なんですよ。それなのに膝の上だなんて」

 

 ちょこんと膝の上に乗せられた私は、静馬様とのスタイルの差もあってまるで子供みたいだ。いや、まぁお子様ボディなのは自覚してるけど…ってそうじゃなくて!とにかく下ろして欲しいのに動くと、む…胸とか!太腿とか!自分と全然違う大人の女性特有の柔らかい感触があちこちに当たって全然落ち着かない。

 

 別に女の子同士でどうこうってわけじゃないけど、それでもこんなに妖艶な雰囲気の人に抱きしめられてたら誰だってこうなると思う。かといってあんまり動いてもし肘が当たりでもしたらって思うとじたばたするわけにもいかなくて…。あ~でもでも。なんか手が動いてるよ~。うう、なんで私がこんな目に、

 

「じゃあ最初の質問。一番仲が良いのは誰?」

「それなら玉青ちゃんです」

「涼水玉青さんね。たしかルームメイトでもあるはずだけどいちご舎ではどんな風に過ごしているのかしら?」

「どんな風って言われても…。仲良く、普通にとしか…」

「こんな感じで抱き締められたりはするの?」

「な、ないです。玉青ちゃんもスキンシップは好きだけどこんなことは…」

「あらそうなの。これくらいこの丘では普通のことよ?み~んな隠れてやってるわ」

 

 ぜ、絶対に嘘だ。いくら私が編入生って言ってもそれくらいは分かる。静馬様には日常茶飯事でも普通の生徒にはきっと縁のない話だ。

 

「次の質問は…。そうね、玉青さんのことどう思ってるの?」

「玉青ちゃんは親友で、ルームメイトで…」

「それだけなの?他には?」

「ええっ?他って言われても…」

「たとえば近くにいるとドキドキするとか」

「た、玉青ちゃんとは仲良いけどそういうのは」

「なら今はどう?渚砂はドキドキしているかしら?」

 

 う~~~~。なんだか質問がおかしいような…。普通こんな事聞くかな?そもそもこれってホントに生徒会長さんから頼まれたのかな?だんだん怪しい気がしてきた。けどエトワール様だし、疑ったら…よく…ないよね?後ろにいるから顔は見えないけど、なんとなく笑ってるような気がする。私が子供っぽいから、からかわれているのかな?私がなかなか答えずにいると静馬様は答えを急かすかのように手を動かして私の身体を撫で回した。相変わらず吐息だって耳に掛かりっぱなしで、なんだか耳がジンジンと熱くなってきちゃった。

 

「す、少しだけ」

「少し?そうは見えないけれど」

「じゃ、じゃあそこそこ」

「ふふふ、優しいのね渚砂は」

 

 後ろで静馬様がどんな顔してるか、今度はすごくはっきりと思い浮かぶ。間違いなくニヤニヤしてる。私の方はというと長いこと膝の上にいたせいか身体だけじゃなくて頭の方までフワフワしてきちゃってのぼせる寸前みたいな状態だ。今鏡を見たら私はどんな風に映るんだろう?茹でたタコのように真っ赤なんだろうか。

 

 結局その後の質問もこんな感じで静馬様の思うがままに進んでいった。他愛のない質問が続いたかと思えば急に変な質問が飛んできて、思考能力の鈍った頭でそれに返事するのは大変な作業である。静馬様の為すがままとなった私は、質問が終わるころにはぐったりと疲れ果てて静馬様に寄り掛かるようにして座っていた。ある程度くっ付いていると恥ずかしさみたいなものも薄れてきて、そうしているのがとても心地よくなり、私は少しの間静馬様の腕の中にいた。

 

「そろそろ…帰らないと」

「そうね。初日にしては上出来かしら」

 

 熱いお風呂に長く入った後みたいにぽやーっとした頭でそう切り出した私は身体の方もふにゃふにゃになっていて、ようやく膝の上から解放されたにもかかわらず静馬様に寄り掛からないと立っていられないような状態だった。どれくらい経ったんだろう?もう玉青ちゃんはいちご舎に戻ってるのかな?なぜだか急に顔が浮かんできて会いたくなってしまった。

 

「も、もう大丈夫です。一人で…歩けますから」

「名残惜しいけれど、じゃあまた明日ね、渚砂」

「え…、明日?」

「まだ全ての質問が終わってないもの。だから明日もここへいらっしゃい。場所は覚えたでしょう?」

「そんな…。明日もだなんて」

「必ず一人で来るのよ。誰かに一緒に来てもらってはダメ。いいわね?」

 

 温室から出た私はカバンを抱きかかえて覚束ない足取りでいちご舎へと帰っていった。今日のこと、玉青ちゃんに相談した方がいいのかな?って考えながら。部屋に戻ると既に玉青ちゃんは帰ってきていて驚いた様子で私を迎え入れた。

 

「渚砂ちゃん…、どこへ行っていたんですか、こんな時間まで。部屋に戻ってもいないからとっても心配したんですよ」

「う、うん。ちょっと図書館で探しものをしてて。ごめんね遅くなっちゃって」

「それは…別に構わないですけど。って渚砂ちゃん!?顔が赤いですよ。もしかして熱でもあるんじゃ?」

「大丈夫だよ。走ってきたから息が上がってるだけ」

 

 なぜか私は玉青ちゃんに今日のことを話さずに嘘をついた。自分でも何でなのかは分からない。まだフワフワしたのが残っていたからかもしれない。玉青ちゃんが淹れてくれたお砂糖たっぷりの紅茶を飲んで話すうちに、ようやく気分が落ち着いてきて再び話そうかな?って気持ちが湧いてきた。けれど…生徒会での出来事をとっても楽しそうに話す玉青ちゃんの邪魔をしたくなくて、私は話す代わりにあるお願いをしてみることに…。

 

「ねぇ玉青ちゃん。後ろから、こうギュッてしてみてくれない?」

「えええッ!?いいんですか…渚砂ちゃん?」

「な、なんでそんなに驚いてるの?」

「だって渚砂ちゃんってばいつも私が抱きつくとすぐに嫌がってたじゃないですか。だから嫌…なのかなって、最近は自重していたんですよ」

 

 こういう時の玉青ちゃんの気遣いの仕方はズレてる気がする。いつもは何事にも的確なのに…。まぁいいや。とにかくやってみてもらおっと。

 

「じゃあお言葉に甘えて。ああ、この感触…久しぶりですわ~」

 

 後ろからそっと抱き着いてきた玉青ちゃんの手が腰の前で交差されると、ふわりと玉青ちゃんの良い匂いが鼻をくすぐった。この丘に来てからずっと一緒だった匂いのせいか近くで嗅ぐと落ち着くような気がする。友達っていうよりは姉妹みたい。背中には静馬様ほどではないにしろ…、私のよりも豊かな膨らみが2つ感じられ、触れ合った部分から玉青ちゃんの体温がじんわりと伝わって来た。どうですか。渚砂ちゃん?と感想を尋ねられて私はとりあえずだけどあったかくて気持ちいいよとだけ答えた。

 

 けれどなんでだろう?静馬様の時に感じたドキドキは一向にやって来ない。お母さんに抱擁されてるような安心感みたいなものはあるんだけど。玉青ちゃんに抱き締めて貰って私はようやく、自分がもう一度あのフワフワしたのを味わいたかったということに気付いた。相談するよりもそっちの方が重要な事だったみたい。それでこんなお願いを玉青ちゃんにしたんだ。この丘で一番仲の良い玉青ちゃんに抱きしめてもらえたらもっとフワフワ出来るんじゃないかと思って…。けど結果はそうはならなかった。あれには仲の良さは関係ないのかな?

 

 後ろで嬉しそうにはしゃぐ玉青ちゃんにどこか後ろめたい気持ちを抱きつつ、本当はあまり行きたくはないけれど、それを確かめたくて私はもう一度だけ静馬様に会おうと思ったのだった…。

 

 

 

 

 

 

 

 




 いかがでしたでしょうか。ようやく静馬が渚砂にちょっかいを出し始めましたね。14章になって今更ながらに本編スタートという感じもします。それでは~。



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第15章「今日は手を繋いで帰りませんか?」

■あらすじ
 玉青に内緒で温室へと向かった渚砂は、ある答えを求めて再び静馬の前へと現れた。
全てを見透かしたかのように振舞う静馬には言葉は必要のないもので…。
帰り道での静馬との遭遇により、玉青は親友に訪れた小さな変化を感じ取った。
膨れ上がっていく違和感に玉青が取った行動とは!?

■目次

<知りたいこと>…蒼井 渚砂視点
<一緒の帰り道>…涼水 玉青視点
<異変>…涼水 玉青視点
<罠の行方>…涼水 玉青視点




<知りたいこと>…蒼井 渚砂視点

 

「では行ってきますね渚砂ちゃん」

「うん、生徒会の活動頑張ってね玉青ちゃん」

 

 深雪による戒厳令によって一般生徒はもちろんのこと渚砂でさえも玉青が次期生徒会長であることは知られていない。そんな玉青を昨日に引き続き今日も送り出した渚砂は、心の奥でどこかホッとしている自分がいることに気が付いた。理由は当然あのエトワールに関することだ。昨日の出来事を思い出し思わず胸に手を当てた渚砂は憂いを帯びた表情を浮かべた。おそらく玉青や友人たちが見たら驚くであろう…、普段の渚砂には似つかわしくない大人びた表情を。

 

 どうしちゃったんだろう私ってば。あの人に…、静馬様に会うのが怖い。これ以上会ってはいけない気がする。なのにあのドキドキとフワフワを知りたくて、また味わいたくて、私はもう一度会おうとしている。明らかに矛盾した気持ちの片隅で、胸にもやもやと影を差す玉青に対する後ろめたさも加わり胸が張り裂けそうになった。今日会って終わりにしよう。会ってみて何も感じなければそれでよし。私には元から縁のない人だし、何より私には親友の玉青ちゃんがいる。私はもう一つの可能性から目を背けるようにして、そう心を奮い立たせた。

━━もしまたドキドキやフワフワを感じたら?━━

 

 という問いかけにそっと蓋をして。

 

 今日も仲良く口喧嘩をしている隣室の二人組に別れを告げ教室を出る。目的地に向かって歩き出した足は、速すぎず、かつ遅すぎず。会いたくて浮かれているように見えるのは照れ臭かったし、かといってノロノロ歩いていると決意が鈍っていちご舎に帰ってしまいそうだったから。あの人は今日も美しい銀髪を手で押さえるようにして歩いているんだろうか?温室への道すがら、思いがけず吹いた風にスカートの裾を押さえながらそんなことを思った。

 

 温室に到着した私はすぐには中に入ろうとせず、ガラス戸に顔を近付けてそっと中の様子を覗き込んだ。目を細めてじっと眺めていると、あの人の後ろ姿を…、顔は見えないが煌めく銀髪のせいで見間違えることはないであろうエトワール様の姿を見つけ、私の心は知らず知らずのうちに弾んだ。春の日差しが降り注ぐ温室の中で、手には如雨露(じょうろ)を持ち、エプロンのようなものを身に着けて草木の世話をしている。

 

 大量に並ぶ植木鉢に順番に水をやる姿に渚砂が見惚れいていると、額の汗を拭うような仕草をして静馬が渚砂の方へと振り向いた。互いに引き寄せられるように視線と視線がぶつかると、渚砂は猛烈な勢いでくるりと背を向けカバンを抱き抱えたままその場へとしゃがんだ。

 

 胸に手を当ててみると心臓がドキンッドキンッと跳ねている。なんで私隠れちゃったんだろう?別に悪いことをしていたわけでもないのに…。でもあの目はたしかにこう言っていた。隠れて覗き見するなんて悪い子ね、と。立ち上がって恐る恐る振り返った私を、静馬様は小さく手招きして入ってくるようにと促した。

 

「失礼…します」

「来てくれて嬉しいわ渚砂。あなたとまた温室で話せるなんて」

 

 エプロンを外し終えた静馬はテーブルの上の容器を…、渚砂が来ることを確信し予め用意したティーポットを手に取った。健気にも自分がやりますと申し出た渚砂をやんわりと制しながら2つのカップへと紅い液体を注いでいく。さぁどうぞと、差し出されたカップを受け取った私は、慎重にそれを受け取ると、なるべくお上品に口を付けた。

 

 これ、美味しい…。いつも飲んでいる親友の淹れた紅茶に勝るとも劣らない味が舌の上で広がり私を驚かせる。反応を窺っていた静馬はその表情に満足したように笑みを浮かべると自らもカップを傾けて紅茶を楽しんだ。優雅にティータイムを楽しむ姿は英国の貴族を思わせる華麗さだったけれど、親友の専売特許を奪われた気になって私の口の中には少しだけ悔しさも広がっていた。だって玉青ちゃんの紅茶がこの丘で一番だと思っていたから…。自分のためにと試行錯誤を凝らして頑張る姿を思い出すと余計にそう感じられた。

 

「昨日の続きを…しましょうか」

「は、はい」

 

 昨日とは違い何事もなく進んだティータイムにホッとしつつも、同時にどこか物足りなさ感じていたのを見透かしたかのように静馬様はそう切り出した。この人は知っているんだ。私がここに来た理由を…。舞踏会に姫君を誘うように差し出された手を取ると、グイッと強く引き寄せられた。顔を少し上げると静馬様の整った顔が間近に見える。自信に溢れ挑発するような目とその上に行儀よく並ぶ長い睫毛。そして吸い込まれそうな瞳。目を離そうとしても何人たりとも抗うことの出来ない魔力を帯びたそれに魅入られ、渚砂は静馬と見つめ合った。

 

「あの…、質問は」

「いるかしら?そんな無粋なもの」

「いえ…」

 

 やっぱり質問というのは嘘だったんだ。私を誘い込むための…。でもそんな事はもうどうでもよかった。静馬様に正面から抱き締められ私は心地よい幸福に包まれる。あいにくフワフワは感じられなかった。身体を撫で回すように這いずる手も、耳に掛かる吐息も、今日はなかったから。けれど代わりに聞こえてくる胸の高鳴りは…昨日以上に大きくて。私は知りたかったドキドキに会えて嬉しくなり、だらんと下げていた手をいつの間にか、静馬様の身体へと回していた。

 

 女の人を相手にこんな気持ちになるなんて、この丘に来るまでは夢にも思わなかった。周囲から切り離されたこの温室で抱き締め合う私たちを咎める者は誰もいない。濡れた草木から雫が落ちるまで、私は静馬様に抱き着いていた。

 

 

 

 

<一緒の帰り道>…涼水 玉青視点

 

「━━今日は手を繋いで帰りませんか?━━」

 

 生徒会の仕事がなかったその日、私は少しだけ勇気を出して渚砂ちゃんを誘った。はしゃいだりする中で手を繋ぐことはあったけれど、こうして最初から手を繋いで帰るということはしたことがなかったのだ。さて、どんな反応が返ってくるだろうか?私は顔を赤らめて恥じらう渚砂ちゃんの姿を想像し手の平で顔を覆った。もしこんな風だったら可愛すぎる。

 

 けれど世の中そう甘くはなく、期待に胸を膨らませつつ広げた指の隙間から覗き見て、私は少し固まってしまった。楽しみにしていた反応とは違い、躊躇いなく差し出された手がそこにあったからだ。渚砂ちゃん…意外と大胆。にこにこと明るい表情を浮かべ、手…繋がないの?と尋ねるようにその手をさらに伸ばしてくる。これはこれで可愛いけれど、ちょっぴり残念。恥じらう姿を見てみたかったな。

 

「あれ~?手繋いで帰るんだ。仲良いね~お二人さん」

「ちょっと紀子。茶化すんじゃないの」

 

 早速お隣さんの二人が話しかけてきた。そういえばこの二人が手を繋いでいるところはあまり見たことがない。なんでだろう?仲の良さで言えば間違いなくトップクラスなのに。込み上げてきた疑問を素直にぶつけると二人は手をパタパタと振って笑い飛ばした。いわく、そんなのはもうとっくの昔に飽きるほどしたからもうやらない、だそうだ。流石はミアトルの誇る熟年夫婦。恐るべし。

 

 部活があるという二人と別れ教室を出た私たちは人の行き交う廊下を歩いていく。知った人しかいないクラスの中だとそうでもなかったけれど、顔も知らない子たちの前で手を繋ぐのは少し照れる。渚砂ちゃんはどうなんだろうと横を向くと、思った通り。渚砂ちゃんもちょっと恥ずかしかったらしく、頬が薄く桜色に染まっている。僅かに俯いたまま口数少なく歩いていくうちに、繋いだ手が緩み、時折離れそうになった。その度に私はそっと手を握り直すのだが、不意にクラスメイトから話しかけられた瞬間、私たちは二人揃ってビクンと背筋を伸ばした拍子にパッと手を離し、身体の後ろへと隠すように手を回した。

 

 何でもない会話の間、相手を失った手が虚しく宙を彷徨う。じゃあね、と駆けていったクラスメイトを見送ったものの、すぐに手を繋ぐ勇気はなく、気恥ずかしくなって顔を見合わせては照れた笑みを浮かべるばかりだ。校舎を出たあたりで改めてチャレンジしようとそろりと手を伸ばすと、それを見た渚砂ちゃんは、私の手ではなくキュッと袖を掴んだ。正確には摘まんだと言ったほうが正しいかもしれない。親指と人差し指で躊躇いがちに、優しく袖を挟んでいる。

 

「あはは…ごめん。なんだか恥ずかしくって…」

 

 照れた様子で上目遣いに見つめられ、私は愛おしさでたまらなくなる。こういう表情が見たかったのだ。予想通りの、ううん、予想よりもずっと可愛らしい顔が見れてパァッと花が咲いたみたいに心が躍った。もっと、もっと見たい。渚砂ちゃんの可愛い顔を。そんな衝動に駆られやや強引に手を繋ぎなおすと、渚砂ちゃんは戸惑う表情を見せたものの、少しすると弛緩していた指に力が籠められ、私の手をやわやわと握り返してきた。引っ張られたらすぐに手が離れてしまいそうな緩さだったけれど、私は幸せを噛み締めながら歩いていった。

 

「手を繋いで帰るだなんて本当に仲が良いのね、玉青さんと」

 

 偶然通りかかった校舎の窓辺から目ざとく二人を見つけた静馬は、そう小さく呟くと唇の端を吊り上げて笑った。その初々しい仕草と温室での渚砂の表情を比べてもう一度笑うと、くるりとその身を翻し校舎の奥へと消えていく。くすくすと廊下に響く笑い声を置き去りにして…。

 

 

 

 

 

 この出来事に味を占めた私は次の日も渚砂ちゃんに手を繋いで帰ることを提案した。またぁ?と少しぷぅーとむくれた…、こういう表情もまた神懸って可愛らしい渚砂ちゃんを宥めすかしどうにか了承を得ると、嬉々として手を繋ぎ教室を出る。

 

 昨日帰ってみた経験からすると一番恥ずかしいのは校舎の中にいる間ではないだろうか?廊下で数人のグループとすれ違う時など、どうしても相手のことを見る場面というのが存在するからだ。その際に注がれる視線が最も羞恥心を掻き立てる。教室は見知った顔しかいないし、校舎の外に出てしまえばさほど他人の視線が集中する機会はない。部活動でランニングしてる集団にでも遭遇すれば別かもしれないけど。

 

 そんなわけで少しだけ早足で校舎の中を歩いた私たちは外へと飛び出した。今日も天気に恵まれ、なかなかの散歩日和だ。晴れた日はこうやって手を繋いで帰るのが当たり前になるといいな。あ、でも…。もし雨が降ったらそれはそれで相合傘をするチャンスかもしれない。こうして手を繋ぐことが出来たんだからそれも可能ではないかと思い付き、今度試してみようと心の奥で誓っておいた。

 

 渚砂ちゃんが手を振る度に私の手にも振動が伝わってくきて、それで機嫌がいいんだなってことも分かってしまう。楽しそうな横顔を見て少しだけ遠回りをして帰ろうか?と考えていたところで、私は前方から近づく人影に気付いた。その人物は誰もが知る銀髪をなびかせてこちらへと向かってくる。どちらかが避けないとぶつかってしまうかもしれない。右か左か。どちらに避けよう?

 

「こんにちは。良い天気ね」

 

 衝突を避けようとうろうろする二人に向かって静馬は声を掛けた。そして手を繋いだ二人の前で立ち止まると、その行く手を阻むかのように腕を組んで立ちふさがる。どうやら最初から私たちに話しかけるつもりだったようだ。真っすぐこちらへ進んできたのはそのためらしい。

 

「お久しぶりです。エトワール様」

「元気そうで何よりだわ、玉青さん」

 

 静馬は玉青に対してにこやかに返事をすると、じっと渚砂を見つめた。

 

「こ、こんにちは。静馬…様」

「あなたも元気そうね、渚砂」

「はい。今日も元気いっぱいです」

 

 短く挨拶を交わした渚砂の横で玉青は驚きを隠せずにいた。なぎ…さ?エトワール様が渚砂ちゃんのことを呼び捨てにした?渚砂ちゃんの方も、敬称であるエトワールではなく名前の方を呼んだ。一体どうして…。私が知る限りでは二人に面識はないはずなのに。胸の奥でチリッと燻ぶる火を抑えながら私は冷静を装った。

 

「渚砂ちゃんとお知り合いなんですか?」

「そうね。この前少しだけ喋る機会があったの」

「そう…ですか」

 

 納得はしなかったけど、とりあえず私はそれ以上の追及はしないことにした。というよりも出来なかった。静馬様一人ならともかく隣に渚砂ちゃんがいる状態で根掘り葉掘り聞くのはなんとなく嫌だったからだ。

 

「仲が良くて羨ましいわ」

「当然です。私と渚砂ちゃんは大の仲良しですから」

 

 その言葉を聞いた静馬の目がスッと細まり、次にその目は渚砂へと向けられた。

 

「あら?そうなの…渚砂」

「は、はい」

「へぇ。それじゃあこの丘で渚砂と一番仲が良いのは玉青さんということになるのね」

 

 静馬様は観察するような目で私たちを…、特に繋がれた手を眺めるとくすくすと笑った。そうしてひとしきり笑い終わると、その目は途端に温度を失い冬を思わせる厳しい目つきへと変化していく。

 

 凍り付くような視線が繋いだ手に注がれ、渚砂は手を繋いでいることを咎められているような気になってそっとその手を離した。慌てて繋ぎなおそうとした玉青の手は、渚砂の手が身体の後ろに回されたことで目的を果たすことなく宙を舞った。

 

「別にいいのよ。仲が良いのだから堂々と手を繋いでいたって誰も怒ったりなんかしないわ」

 

 私はてっきりそれを静馬様からの肯定…、応援だと勘違いして再び渚砂ちゃんに手を伸ばしたけれど、やっぱり手を握ってはくれなかった。静馬は手を伸ばしたままの姿で固まる玉青の方へと向き直り口を開く。

 

「いつも渚砂の傍にいるのね」

「それは…その、親友ですから」

「━━まるでお姫様を守る騎士のよう━━」

「え…?」

「いいのよ。気にしないで頂戴。あなたを見て私がそう思ったというだけのことよ」

 

 会話の意図が掴めない玉青を気にするような素振りも見せないまま静馬はごきげんよう、とだけ呟いて去っていった。なんだったんだろう。でも騎士…か。渚砂ちゃんを守るという意味でならそれはしっくりくるような気もする。首を傾げる自分の横で、渚砂がその後ろ姿を視界の端で追っていることに玉青は気付かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

<異変>…涼水 玉青視点

 

 静馬様と会った数日後。予定されていた生徒会の打ち合わせが急遽キャンセルとなり、時間の出来た私は急いで教室へと引き返していた。生徒会室に着いてすぐに知らされたから、渚砂ちゃんはまだ教室で紀子さんや千早さんあたりとのんびり会話でもしてるかもしれない。そうしたら一緒に帰ることができる。この数日はご無沙汰だったからそれが嬉しくてたまらなかった。今日も手を繋いで帰ろう。そんな期待に胸を膨らませながら扉を開いた私を待っていたのは、渚砂ちゃんのいない寂しい教室だった。

 

「渚砂…ちゃん?」

 

 思わず漏れた呟きは放課後の喧騒にかき消され、ぐるりと見回してみても赤茶色のポニーテールの姿は確認できない。教室の壁に掛けられた時計に目をやると、自分の予想通り、ホームルームが終了してからまだ大した時間は経過していなかった。いつもなら少しの間お喋りをしてから帰っていたはずなのに…どうして。何か用事でもあったんだろうか?

 

 机を見てもそこにカバンはなく、お手洗いに行ったという可能性はなさそうだ。近くにいた数人のクラスメイトに聞いてみたものの、渚砂ちゃんの行き先を知っている人は誰もいなかった。もう帰ってしまったのかな。せっかく間に合ったと思ったのだけど。

 

 はぁ…、と小さくため息をつき、渋々いちご舎に戻ることにした私だったが、前に渚砂ちゃんが図書館で探し物をしていたという話を思い出し、小さな望みを込めて、そちらへ向かうことにした。でもなんとなく自分でも分かっていた気がする。そこに渚砂ちゃんがいないということに。図書館特有の匂いが満ちた通路を歩き、棚から棚へと巡り歩いてみても私の求める姿は見当たらず、床を鳴らす私の足音だけが広い建物の中を木霊した。読書スペースにも、専門書が並ぶエリアにもいない。

 

 歩き疲れたというほどではないけど少し足を休めたくなった私は、適当な本を手に取りイスに腰掛けた。別に読もうとしていたわけでもないが、心を落ち着かせようとページに目を落としてみても自分で思う以上に文字を認識することが出来ず、ただただ埋め尽くされた文字の上を滑るばかりだった。これだけ探したのだから、少なくとも図書館にいたということはないだろう。つまり、ここにいない以上いちご舎に帰ったと考えのが当然といえる。

 

「いちご舎に帰ったら、ちゃんと部屋にいてくれますよね?渚砂ちゃん…」

 

 心に抱いた一抹の不安を振り払うように本を棚に戻すと図書館を出た。走っていきたいような、いつまでも辿り着きたくないような。相反する気持ちに板挟みになりながらも自室の前に立った私が意を決して扉に手を掛けると、扉は私の心臓の鼓動が乗り移ったかのように大きな音を立てた。一瞬渚砂ちゃんの影が見えたような気がして私は思わず名前を叫んだけれど、それはただの影でしかなく、部屋には誰もいなかった。

 

 どこに行ってしまったんだろう。部屋にも戻っていないなんて。もしかして途中で具合が悪くなって保健室に運ばれたとか?ありもしない想像をして私は自嘲した。そんなことになっていたら連絡が来そうなものだし、誰かが部屋の前で待ち構えていてもおかしくない。戻らぬルームメイトに想いを馳せながら、私はカバンも床に投げ捨てたままぼんやりとベッドに腰掛け渚砂ちゃんの帰りを待った。

 

 渚砂ちゃんが戻ってきたのはそれからしばらくしてからのことだった。私はその間中なにかをするでもなくベッドに座っていたことになる。

 

「おかえりなさい、渚砂ちゃん」

「た、玉青ちゃん…。明かりも点けないでどうしたの?」

「あ、ちょっとぼんやりとしてしまっていて」

「大丈夫?どこか具合悪いの?」

「いえ、そういうわけではないんですけど」

 

 心配してくれるのは嬉しかったけれど私には尋ねたいことがあった。でも聞かない方がいいんじゃないかとも思って、口は言いかけては閉じるという行為を繰り返した。なかなか言い出すことが出来ない。だけど渚砂ちゃんが遅くなったのを詫びたのがきっかけとなり、ようやく聞くことが出来た。

 

「そういえば渚砂ちゃんはどこへ行っていたんですか?」

 

 私の声に渚砂ちゃんは少しだけ…、じっと観察していなければ気付かないような短い時間考える素振りをして、そしてこう返事をした。

 

「━━ちょっと図書館で探しものをしてて━━」

 

 今の私が、一番聞きたくない言葉を渚砂ちゃんは口にした。心臓は鷲掴みにされたみたいにキュッと締め付けられ、手足が震えそうになる。いや、微かに震えていた。それは声にも伝染し、言葉は途切れ途切れとなった。

 

「ずっと…、ずっと図書館に…いたんですか?ホームルームが終わってから…ずぅっと?」

「う、うん。ほら、課題が出てたでしょ?フランス語の授業で。歴史について調べてそれをフランス語で書きなさいってやつ。だからそれをやっちゃおうと思って」

「そう…ですか」

 

 私の胸中は全くもって穏やかではなかった。なんで嘘をつくんだろう?どうして本当のことを言ってくれないんだろう?私の心の中は渚砂ちゃんへの様々な感情で瞬く間に溢れかえった。図書館にいた?ホームルームが終わってからずっと?あれだけ探したというのに。

 

 棚から棚へと視線を移す間に奇跡的なまでにすれ違いをしていた?そんなバカなこと…あるわけない。私がショックを受けたのは、別に隠し事をされたからじゃない。いくら仲が良くたって秘密にしておきたいことくらいあるものだ。私にしたって次期生徒会長という話は渚砂ちゃんにはしていない。だからそれだけが理由ではない。

 

 私が怖かったのは渚砂ちゃんが隠し事をした理由に、とても…とてつもなく嫌な予感がしたからだ。私に嘘をついて一体何をしていたんだろうか。一人だった?それとも誰かに会っていたの?だとしたら相手は誰!?知りたいという気持ちに頭が支配されていくと、自然と身体の震えが収まり冷静さを取り戻していった。

 

「良さそうな資料は見つかりましたか?」

「え?えっと…、結局良いのが見つからなくて。だから何も借りてないんだ~」

「そうですか。━━今日はたしか閉館日のはずでしたけど━━」

「え…」

「嘘ですよ。何をそんなに驚いているんですか?変な渚砂ちゃん」

 

 本当に図書館にいたのかを確かめようと、私はとても分かりやすい釣り針を仕掛けた。足を運んだのなら、すぐにバレてしまう嘘を。渚砂ちゃんの反応は予想以上のものだった。明らかに驚いた表情を浮かべ、信じられないといった呟きが喉から零れた。すかさずフォローを入れてくすくすと笑う演技をした私に合わせるように、渚砂ちゃんは愛想笑いをして誤魔化した。

 

 正直、図書館へは一切行っていないことが明らかとなって私は余計落ち込んだ。もし図書館に少しでも行っていたのなら、さっきのバカげた話を心の拠り所にすることも出来たというのに…。

 

「喉が渇いたんじゃないですか、渚砂ちゃん?もしよければ今からお茶を淹れますけど」

「お茶は…いい…かな。あんまり喉乾いてないから」

「渚砂ちゃんがそう…言うなら」

 

 気まずい雰囲気に包まれ、今日はそれ以上の詮索をしないことに決めた。

自分の気持ちを整理したいというのもあったし、なにより渚砂ちゃんを泳がせた方が得策だと気付いたからだ。私は心に決めた。もう一度罠を仕掛けよう。すぐにじゃない。数日ほど間を置いて。どうか何事もありませんように。私の思い過ごしでありますように。予想が外れることを願いながら、私は渚砂ちゃんに微笑んだ…。

 

 

 

 

 

 

<罠の行方>…涼水 玉青視点

 

 ああ、今日と言う日が来なければ良かったのに。前日の雨模様と打って変わり澄み渡る快晴の空が広がるお日様の下で私はため息をついた。今日は仕掛けた罠を確認する日なのだ。渚砂ちゃんが私に嘘をついてまで、何をしていたかを知るための罠を…。計画通りに数日ほど普段通りに過ごしつつ、渚砂ちゃんに対してはある事項を繰り返し伝えておいた。

 

「金曜日は重要な会議があるからどうしても一緒に帰れないんです。ごめんなさい渚砂ちゃん」

 

 もちろんこれは嘘っぱちである。こんな会議は存在しないし、ましてや今日は生徒会の活動そのものすらない。私がいなくなった後、果たして渚砂ちゃんはどう動くだろうか?図書館ではなくどこか別の場所へ行くのか?それとも単に誰かと遊んでいたのか?渚砂ちゃんを尾行すれば自ずと真実が明らかになる。

 

 もし引っ掛からずにいちご舎に直帰するようであれば、また罠を仕掛けなおすだけだ。一週間だって、二週間だって待ってみせる。ううん、もっと時間が掛かったって根気強くやればいい。

 

「それじゃあ行ってきますね渚砂ちゃん。あんまり寄り道して遅くなってはダメですからね」

「うんっ!玉青ちゃんもお仕事頑張ってね!」

 

 サラリーマンの夫を送り出す朝の光景にも似た会話を交えながら渚砂は玉青を見送った。わざわざ教室から顔を出し、姿が見えなくなるまで手を振ってみせる。周囲には仲睦まじい友人同士に見えるであろう、健気で甲斐甲斐しい仕草だった。そんな見送りを受けた私はひとまず生徒会室へと向かい、その前を素通りしてから駆け足で教室を見張れる位置へと戻る。前から目星をつけていた場所に身を隠すと、渚砂ちゃんはクラスメイトとの会話を早々に切り上げ教室を飛び出した。その足取りは軽く、浮かれているように見える。

 

 校舎を出ていちご舎とは違う方…、あまり人の行かない方へと足を向けた渚砂の後を遠く離れて玉青は見守った。こっちに何かあっただろうか?ぐるりと遠回りして、散歩でもして帰るつもりだというなら今日は空振りということになる。そう、何もなければ…の話だが。私はこの方角にある建物に覚えがあった。幼稚園からこの丘にいるのだから知らないはずがない。エトワールの温室。過去にも様々な噂の舞台となったミステリアスな場所だ。

 

 今は…、ある人のテリトリーとしてその名を知らしめている。私に交際を迫ったことのある人物…、麗しきエトワール、花園静馬の根城として。渚砂ちゃんが温室に何か用があるとはとても思えない。温室に出入りしているのは、エトワールを除けば六条様に、付き人として認識されている二人の6年生くらいものだ。それだってエトワール抜きで勝手に出入りするようなことは有り得ない。だとすれば渚砂ちゃんは静馬様に認められて温室に出入りしている可能性がある。でもどんな理由で?単に植物の管理の手伝いということはないだろう。そうなってくると考えられるのは…。

 

「まさか、渚砂ちゃんが…?」

 

 花園静馬が同性愛者であることは当然知っている。そしてその相手が必ずしも…同性愛者でないということも。不思議な事に静馬様はそういう相手でさえも容易く魅了する術を知っていた。もしかしたら渚砂ちゃんも静馬様に魅了されているのかもしれない。一歩、また一歩と近付くごとに温室が不気味さを増していくように玉青には感じられた。まるで囚人を閉じ込めておく監獄のように、陰湿な空気がその周りを漂っている。何かに取り憑かれたかのように、頼りなくふらふらと歩を進めると、次第に中の様子がガラス越しに見えてきた。けれど離れたままでは温室の奥までは見通すことが出来ない。仕方なく傍にカバンを置くとガラス戸に顔を押し付けた。

 

「なぎさ…ちゃん?渚砂ちゃんッ!!」

 

 目を凝らした玉青の目に飛び込んできたのは

━━温室の中で静かに抱き締め合う渚砂と静馬の姿だった━━

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 いかがでしたでしょうか?ようやく主人公である玉青ちゃん視点がどどーんとやってまいりました。タマリマセンワーとかキマシタワーでお馴染みの涼水玉青ちゃんですが、何度か後書きで触れたとおり、私のストパニお気に入りキャラの中でもかなり上位にランクインしております。これまではサイドストーリー的なものも多かったので視点が少なかったですが、これからは徐々に増えていくのではないかと…。章タイトルのセリフは玉青ちゃんのものですが玉青ちゃんにとってはややビターな章となりましたね。
 良かったら次章もよろしくお願いします。それでは~。





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第16章「私の渚砂ちゃんです」

■あらすじ
 温室で抱き締め合う二人の姿を目撃してしまった玉青は、居ても立っても居られずその場へと駆け寄った。静馬と対峙する玉青の胸には鈍い痛みが広がっていって…。どうにか玉青が渚砂を連れ去った後の温室には静馬の笑い声が響き渡るのだった。
 千華留と深雪のお茶会を含む4話でお届けする第16章!

■目次

<温室での攻防>…涼水 玉青視点
<もう一人の獲物>…花園 静馬視点
<成長した雛鳥>…源 千華留視点
<小さな歪>…涼水 玉青視点




<温室での攻防>…涼水 玉青視点

 

 覗き見たガラス戸からかなりの距離があったにもかかわらず、温室の中で抱き締め合う二人の姿が異様にはっきりと見えた。視線を濃密に絡ませ合いながら顔と顔を近付けるその様子は、今にもキスをしてしまうんじゃないかと思うような距離感である。

 

 強い焦燥感に…、一刻も早く渚砂ちゃんの傍に行かなければならないという思いに駆られた私は、地面に置いたままのカバンの存在を頭から放り出し無我夢中で身体を動かした。ガラス戸を勢いよく開け放つと鉢植えの並ぶ狭い通路を矢のように駆け抜け、テーブルの置かれた広い空間へと躍り出る。

 

 すると渚砂ちゃんは驚いた顔をして…、おそらく最初に開けた扉の音で侵入者が来ることには気付いたであろうが、それがまさか私であるとは夢にも思っていなかったという表情を浮かべて目を見開いていた。実際のところ渚砂は隠れればいいのか?そのままでいればいいのか?どうすればいいのか分からずただただ静馬に抱き着いてその瞬間を待っていたのだ。

 

「玉青…ちゃん」

 

 その声には玉青に見られたことに対する後悔が含まれていた。チラリとテーブルの上を見やるとお行儀よく並べられた2人分のティーセットが目に入り、数日前にお茶を勧めた際にいらないと言われた事を思い出した。その瞬間私は全てを悟ったのだ。ああ、そうか。『だから』か。渚砂ちゃんはこの人と一緒にお茶をしていたから喉が渇いていなかったのか、と。

 

 カップから漂う芳醇な香りは、いつぞや生徒会室で頂いた六条様の紅茶と同じ香りをしていた。間違いなく静馬様が選んだに違いない茶葉の香りを吸い込みながら、おそらく何度もこうして温室で会い、お茶を飲み、そして今のように抱き締め合っていたのだろうと想像して、胸は棘が刺さったかのように痛み出した。そう、二人は会っていたのだ。私が気付かない間に、何度も。知らず知らずに唇を噛み締めていたのをどうにかやめると、私は口を開いた。

 

「━━離れてください。渚砂ちゃんから離れて!━━」

 

 口から出た声は自分のものとは思えないほどに低く、怒気を含んだ声だった。その声に渚砂はビクッと身を震わせたものの肝心の静馬は取り乱した様子もなく…、というよりもむしろ楽しそうでさえある笑みを浮かべたままで、全く怯んだ様子は見受けられない。驚いて固まった状態の渚砂とは対照的に、静馬は悪びれる様子もなくその手で渚砂を抱き締め続けたまま玉青に言葉を返した。

 

「ふふふ。怖い顔。あなたのせいで渚砂が驚いてしまったわ。せっかくの逢瀬が台無しよ」

「私の言ったことが聞こえなかったんですか?渚砂ちゃんから離れてください。今…すぐに」

 

 玉青の繰り返しの警告にもまるで怯んだ様子はなく、それどころか挑発するように玉青が来る前よりもさらに腕を…、ドレスを締め付けるコルセットのようにきつく交差させつつ静馬は言い放った。

 

「嫌…だと言ったら?」

 

 豊かな胸で渚砂の頭を包み込みながらのあまりにも分かりやすい挑発に、玉青は自分の中のもやもやを抑えることが出来ないもどかしさを込めながらこれまた分かりやすく…、即座に反応した。

 

「力ずくでもそうさせてみせます」

 

 玉青の宣言にさらに唇の端を吊り上げて静馬は笑った。

 

「なら渚砂に聞いてみようかしら?」

「渚砂ちゃんに?」

「ふふふ。ねぇ渚砂。渚砂は私に抱き締められるの嫌かしら?どう?素直に言っていいのよ。嫌なら嫌だと言って頂戴」

 

 万に一つも渚砂がそんなこと言うはずないと確信しているかのような静馬の態度はますます玉青の神経を逆撫でしたが、玉青も負けじと渚砂に視線を送り、嫌だと言うように、その手を振り払うようにと念じた。

 

「どうなの渚砂?あなたは私に抱き締められるのは嫌?」

「それは…」

 

 渚砂はチラリと玉青の顔を窺った。正直に答えていいのか迷っているかのように。答えを聞いて玉青が悲しんでしまわないか推し量るように。僅かな間逡巡した渚砂は、申し訳なさそうに…、答えるのが苦痛だとでも言いたげに玉青から目を逸らしながら口を開いた。

 

「嫌じゃ…ないです」

「渚砂ちゃんッ!?」

「そう。よかったわ。なかなか答えようとしないから渚砂に嫌われてしまったかと思ってヒヤヒヤしたもの」

 

 てっきり嫌だと言ってくれるものだと、静馬様に無理くり抱き寄せられているのだと、そう思っていたのに。その答えはまるで…逆の。視線を合わせようとしても渚砂ちゃんはこちらを見てくれず、むしろ目を合わせたくないと言いたげに反対方向へ顔を向けたまま、静馬様の胸へとより頭を埋めてしまった。

 

 見放されたかのような喪失感が胸を襲い私は言葉を失うと、その隣に見える静馬様の勝ち誇った笑みを直視することが出来ず項垂れた。

 

「どうしてですか渚砂ちゃん。渚砂ちゃんは静馬様に強引に…」

「渚砂本人がちゃんと答えた以上、この話はもう終わりよ」

「私は渚砂ちゃんに話しかけているんです。邪魔をしないで下さい」

「邪魔をしているのはあなたの方なのよ。いい加減気付いて頂戴」

「私が…邪魔?」

 

 そんなわけない。渚砂ちゃんは私の助けを待っているはずだ。今は抱き締められていてそう言えないだけだ。そうであるはずなのに!渚砂ちゃんは言葉を返してはくれなかった。私が一生懸命に目で訴えても、辛そうに顔を背けるだけ。私と渚砂ちゃんが石像のように固まり動かなくなるなかで、自由に動けるのは静馬様だけだった。

 

「ところで玉青さん。そもそもあなたには渚砂を引き離す権利があるのかしら?」

「権利…ですか?」

 

 ええ、と頷いた静馬は再び権利よと繰り返した。依然として渚砂を抱き締めたままで。

 

「そんなのあるに決まってるじゃないですか。私は…私は渚砂ちゃんの親友で、ルームメイトなんですから!」

「なら、なおさらダメよ。親友だと言うのならちゃんと見守ってあげないと。あなたはただ渚砂にちょっかいだされたのが気に入らないだけ。それで駄々を捏ねているだけの部外者なのよ?」

「ぶ、部外者?私がですか?渚砂ちゃんと一番仲の良い私が部外者だなんて」

「だってそうは思わない?渚砂も何か言ってあげなさい。『お友達の』玉青さんに」

 

 殊更に強調されたその言葉を聞いて私はカッとなった。今までこんなに頭に血が上ったことはないんじゃないかってくらいに。バカにされたように…、実際そうなのだろうけど私はそう受け止めた。身体が勝手に動き出し二人の間へと割って入ろうと手を伸ばす。びくっと怯えた表情を浮かべた渚砂ちゃんの手首を掴むと、予想に反して静馬様はスルリと離れていった。最初からそうするつもりだったとでも言いたげに。

 

 背中に隠すように渚砂ちゃんの前に立ち静馬様と対峙する。この時の私はおとぎ話に出てくる騎士に引けを取らないほど勇敢で、そして向こう見ずだった。緊張に心臓が鼓動を早め、怒りの感情を表現するかのようにふーっ、ふーっと息が荒くなった。

 

 自分に出来る限りの怖い顔もしたつもりだったが、あいにく静馬様にはまるで通用せず滑稽そうに笑っている。それどころか私の肩越しに渚砂ちゃんに目線を送り、安心させるように頷いてみせたのだ。それが余計に腹立たしくて私はさらに渚砂ちゃんを隠すように立ちはだかり、その視線を遮った。

 

「やめてください。渚砂ちゃんを…誘惑しないで」

「なかなか素敵な友情ね。渚砂を守ろうというわけ?」

 

 友情?と言われて私は心の中で首を傾げた。今私の胸の中で滾るこの熱は果たして友情によるものなのだろうか?と。

 

「理由なんてどうだって構いません。とにかく私は渚砂ちゃんを守りたいだけなんです」

「こっちへいらっしゃい渚砂」

 

 まただ。また私を無視するように渚砂ちゃんに話し掛けて。悔しい…。渚砂ちゃんは…、渚砂ちゃんは。その瞬間、私の中で何かが弾けた。

 

「無視しないで下さい。私の…、『私の』…です」

「私の?私の何なのかしら?」

「━━『私の渚砂ちゃんです』━━」

 

 気付けば大声で叫んでいた。温室に響き渡るほどの声量で解き放たれた言葉が空気を切り裂くようにして静寂をもたらす。私の渚砂ちゃん。ハアッ、ハアッと短く息をつきながら、頭の中で同じ言葉が再生される。私の、私の、私の。伝わる手の感触から渚砂ちゃんが驚いたのが伝わってきたけれど、それ以上に自分自身が一番驚いていた。

 

 自分でもどうしてそんなことを言ったのかは分からないが、そう言ったことだけはやけにはっきりと記憶に残っていた。頭の中ではいまだに聖堂で大きな音を立てた時みたいに…、壁に反響した音のように、『私の』が木霊し続けている。そして幾度も響いた音同士がぶつかり合って溶け合うと、そこには『私の渚砂ちゃん』という言葉がくっきりとした輪郭を持って佇んでいた。なんて…甘美な響きなんだろうか。高鳴る胸の鼓動を感じつつ辺りを見回すと外に立っている木々のように、温室の中にある草木たちまでもが風に吹かれたみたいにざわざわと揺れた気がした。

 

 もちろんそれは気のせいだったけれど、そう感じるくらいに私が口にした言葉は意味を持っていたらしい。唯一静馬様だけが、納得したという表情を浮かべながら一人頷いていた。

 

「そう、そうなの。ならあなたにも口出しする権利は…あると言えるわね」

「私には最初から━━━」

「━━━いいえ、ないわ。ないのよ玉青さん。その言葉を口に出すまで、あなたには髪の毛一筋ほどの権利もなかったの」

 

 なぜ急に静馬様が態度を変えたのか不思議だったけれど、私はこれをチャンスとばかりに渚砂ちゃんを抱き寄せ言い放った。

 

「━━━渚砂ちゃんは…私が守りますから━━━」

 

 言い終わると同時に掴んだままの手を引っ張り、私は渚砂ちゃんを連れて温室を飛び出した。置き去りにしてあったカバンを手に取りとにかく走る。あの場に留まることなんて考えられなかった。

 

「た、玉青ちゃん。待って!待ってよ」

「ダメです渚砂ちゃん。もっと…もっと遠くへ行かないと」

 

 渚砂が止まるように促しても玉青は足を止めなかった。玉青を動かしていたのは一刻も早く温室から遠ざかりたいという思い。温室から?違う。あの人からだ。花園静馬という悪魔から逃げるために…。そう、あの人は悪魔だ。色目を使って渚砂ちゃんを誘惑した。周囲から閉ざされ鬱屈とした温室を巧みに利用して、私の目を欺くように渚砂ちゃんを…。『私の』ものなのに。

 

 疑うことを知らない初心な渚砂ちゃんに甘く囁いて騙すだなんて許せない。けど、私にも落ち度はあった。それは認めざるを得ない。知らせておくべきだったのだ。花園静馬に近付いてはならないと。もし近寄る場合には必ず私を傍に置くようにと。そこまで考えて苦笑いを浮かべた。悔しいけれどあの人の言ったことはどうやら当たっていたらしいことに。私は騎士だ。渚砂ちゃんを守る騎士。悪魔からお姫様を守る役割を担うための。そう思うと身体に力が漲り、どこまでも走っていけそうな気がしてきた。渚砂ちゃんの声を聞くまでは。

 

「痛い、痛いよ玉青ちゃん。お願いだから、少し手を緩めてよ。ねぇ玉青ちゃん」

 

 渚砂ちゃんの声にハッとして思わず振り返ると、今にも泣き出しそうな顔をした渚砂ちゃんの顔が目に入ってきた。どうやら力を入れ過ぎていたらしい。息をついて立ち止まると渚砂ちゃんは繋いでいた手をさすった。一体私は何をしていたんだろう。守るべきはずの渚砂ちゃんを不安にさせてしまうなんて。これでは騎士失格だ。けれど、ここはまだ人の少ない木立の並ぶ薄暗い道の途中で、温室からはそう遠くは離れていなかった。

 

 笑い声が聞こえる気がする。私を嘲笑うあの人の声が。追っかけてきている。木々の間を縫うようにして。ほら、すぐ後ろ。今もすぐ背中へと迫っている。走らなきゃ。渚砂ちゃんを連れて。走らなきゃ。私はこんなにも不安そうな顔をさせてしまったことを恥じながらも、それでも歩みを止めたくなくて促した。

 

「気付かなくてごめんなさい。つい、力が入ってしまって。だけどもう少しだけ頑張ってください。いちご舎に…、あそこなら渚砂ちゃんを守れますから。部屋に入って、扉を閉めさえすればもう安心ですよ」

「守るって一体何から?」

「静馬様に決まっているじゃないですか。他に何があるんですか」

「どうして?」

「どうしてだなんて…。渚砂ちゃんだって分かってるはずです。あの人は危険な人なんですよ」

 

 玉青の言葉を聞いて渚砂は静馬が自分のことを危険人物だと言ったことを思い出した。会話の中でポロリと零したあれは、そういう意味だったんだろうか?と。けれど渚砂はどうしても、静馬が危険人物であるとは思えなかった。むしろ優しく包み込んでくれる、聖母のような存在だとすら思えた。

 

「あのね玉青ちゃん、静馬様は━━━」

「━━━渚砂ちゃんの事は私が守ります。私があなたの騎士になってみせますから。だからどうかわたしの傍を離れないでくださいね渚砂ちゃん」

 

 素直な静馬への感想を言いかけた渚砂の言葉を遮るように、玉青はそう口にした。汗で滑る手を強く握り、誓う。今握りしめている手はもう離したりしない。絶対に。星乙女。

 

 私の、『私の』アストラエア。ううん、違う。私のじゃない。『私だけの』ものだ。そう、そうだ!渚砂ちゃん。大切な、大切な人。

━━『私だけのアストラエア』━━

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<もう一人の獲物>…花園 静馬視点

 

「ふふ、ふふふふ。あははははははははははは」

 

 玉青が渚砂を連れて立ち去った後の…、本来であれば静寂が支配するはずの温室で静馬は込み上げる笑いを抑えることが出来ず、一人大声で笑っていた。余程面白かったのか、目尻には僅かに涙が見受けられ、両手はお腹の辺りに位置したまま感情に身を任せている。

 

「『私の』。『私の渚砂ちゃん』。あははははははははははは」

 

 一度収まりかけた笑いも、再び声に出して確認すると初めて聞いたかのように笑いが込み上げてくる。何度も、何度も。言った。あの子は…、玉青さんは確かに言ったのだ。私に向かって宣言するように。戦いを挑むかのように。渚砂を背中に庇いながら確かに言った。『私の』渚砂ちゃんと。

 

 これが笑わずにいられるだろうか?本人がどんなつもりで言ったのかは知らないが、私にはそれが『好き』だと言っているようにしか聞こえなかった。あの子は渚砂に言っていたのだ。好き、好き、好き、と。渚砂はきちんと気付いただろうか?親友から向けられた感情が…、友人に対するそれとは違うことを。

 

「私の思った通りだったわ。やはりそうなのよ。あなたは私と同じ…」

 

 親友?ルームメイト?そんなものは所詮言い訳に過ぎないのだ。私に対して怒りの感情を抱くのは渚砂にちょっかいを出されたのが悔しくてたまらないという嫉妬心からに他ならない。この前生徒会室で深雪と話したときから目を付けていた。私と同じ側の人間ではないだろうかと。同性愛者ではないだろうかと。渚砂に近付くついでにあわよくばと思っていたが、結果として私の思い通りに事が進んだ。いや、思っていた以上に。私はこれを待っていたのだ。涼水玉青が本性を現す瞬間を。

 

 あの熱っぽい目!潤んだ瞳!そして何よりも渚砂に使った『私の』という言葉が教えてくれる。涼水玉青が間違いなく同性愛者であると。たまたま好きになった相手が女の子だったというわけではなく、女の子であるからこそ渚砂を好きになったのだ。そうでなければ同性に対して『私の』などと声高に所有権を主張したりするだろうか?普通ならば有り得ない。そう、普通ならば…。私が渚砂を手に挑発しなければもしかしたら一生気付かないまま過ごしていたかもしれない。愛情と友情を履き違えたまま無邪気にお友達ごっこに興じていた可能性もある。

 

 そういった点では1年前に私のところへ怒鳴り込んで来た南都夜々とはだいぶ事情が異なってはいるが、どちらにしろ今日この場所で玉青さんの運命は変わってしまった。無自覚でいた期間が長い分、そのうち自分の抱いた感情を理解できずに混乱するに違いない。そうなればますますこちらの思うつぼである。

 

「本当に、本当に良かったわ玉青さん」

 

 昔の交際の申し出が成功していなくて良かったと心の底から思う。だって成功していたら、今こうして喜ぶことが出来なかったのだから。収穫しようか迷っていた青い果実が時を経て立派に成熟し、その甘い果肉を見せびらかすように。あの子は私の興味をそそってくれた。はっきり言って感謝以外の言葉が浮かばないくらいだ。いくら渚砂が編入生で初々しくて私を楽しませてくれる存在とはいえ、一人だけでは少々物足りない部分もあった。

 

 それがどうだろう?その渚砂を奪い合う相手として、参戦する意志を見せたではないか。実に素晴らしい。これで退屈せずにすむ。もしからした今まで一番楽しく過ごせるかもしれない。だって私と女の子を巡って争う子など、一人としていなかったのだから。ああ、想像しただけでも身震いしてしまう。同性愛者である私と玉青さんが、そうでない渚砂をいかにして奪い合い、堕とすのか。楽しい余興になりそうだ。

 

 だが私はそこまで考えて、ふとある事を思いついた。本当にそれでいいのだろうか?甘い果肉を眺めるだけで満足してしまうのか?と。渚砂というメインディッシュの皿に添えられた飾りの花のように、ただ置いておくだけで…。そんなこと…もったいないに決まっている。その身に口を付けることなく誰かに味見させるなど。あれだけの獲物はそうそういない。食べたい。食べてしまいたい。渚砂だけでなく、あの子も従えてみたい。

 

 人望があって、顔も身体も私好みで、深雪から次期生徒会長に推挙されるような存在であるあの子を、屈服させて隷属させたい。私の中で邪な血が…、千華留に悪魔と囁かれた血が、ごぼごぼと音を立てて血管の中を駆け巡っていくのを感じる。一人だけじゃ足りない。二人とも…私のものに。

 

 ああ、そうだ。それがいい。おそらくあの子は私から渚砂を守ることしか考えられないはずだ。ボロボロに傷付いて、傷口から血を滴らせながらそれでもなおあの子が私を睨みつける様子を想像してみる。険しい表情を浮かべ美しい青髪は汗で顔に張り付いていた。背中に渚砂を庇うその姿はまさに騎士と呼ぶに相応しい凛々しいものだ。でも可哀想なことに騎士は…、少女は何も知らないのである。

 

 傷口から溢れるのは血ではなく実は甘い果汁で、それがかえって私を喜ばせるだけだということを。まさかその身を挺して守る自分そのものが私に狙われているなどときっとあの子は夢にも思わないだろう。渚砂を守っているはずが、本当はその身を私に差し出していることに…。

 

 そしてなによりも可哀想なことは…。知っているかしら玉青さん。騎士はお姫様に恋してはいけないのよ。騎士はただ守り、仕え、傍にいるだけ。だからお姫様が他の誰かに惹かれていても、それを指をくわえて見ることしか出来ないの。あなたは本当に理解している?

 

「騎士のままではダメよ。騎士のままでは私に渚砂を奪われてしまう。でも安心して頂戴。

 ━━あなたも美味しく食べてあげるから━━」

 

 ここはエトワールの温室。私の城。私の国。全ての決定権は私にある。さあいらっしゃいお二人さん。宴の準備は整えておくから。二人仲良く…堕ちていくといいわ。ここなら誰の目にも触れることはないのだから…。

 

 

 

 

 

 

 

<成長した雛鳥>…源 千華留視点

 

「こんにちわ『深雪さん』。ようこそルリムへ」

 

 ある一件以来下の名で呼ぶようになったミアトルの生徒会長を迎え入れ、千華留は嬉しそうに頬を緩めた。場所は秘密部の部室。無駄に…、という言葉が似つかわしい広い部屋はいつもは数名の生徒がいるものの、今は千華留と客人の姿しかない。今日のためにわざわざ貸し切りにしてあるのだ。丁重に礼を述べた深雪に席を勧めながら自らはテキパキとお茶の支度に勤しむ千華留はほどよく沸いたお湯をティーポットに注ぎ入れそっと蓋を閉じた。その手際の良さに深雪は感嘆しつつ、そういえば千華留さんは静馬から手ほどきを受けていたわね、と思い返す。

 

 少しの間沈黙が…、以前とは違い重苦しくないそれは、最早沈黙とは呼べないような温かさを持って二人の間をゆるゆると流れていく。私はそのことをとても嬉しく感じていた。やがてカップが色鮮やかな液体に満たされ千華留が着席すると、深雪は口を開いた。

 

「あなたには感謝しているわ千華留さん。おかげでようやくすっきり出来た。なんだか別人になったみたいに身体が軽いわ」

 

 紅茶に口を付けながら千華留も微笑を浮かべてそれに応じる。

 

「それはよかった。頑張った甲斐があるというものよ」

「ふふふ。演劇部は立ち上げたのかしら」

「いいえ。よく考えたら結構手一杯で、そんな余裕はなかったから」

「そう、それは残念ね。あなたなら素敵な舞台を演じられたでしょうに」

「本当に?」

「ええ。ものの見事に騙された本人が言うのだから、説得力があるでしょう?」

 

 深雪さんが自嘲気味にそう言いながらくすくすと笑い声を漏らすのを見て私は素直に驚いた。そんな笑い方が出来るようになったのね、と。深雪さん。素敵、とても素敵よ。今のあなたは。以前のピリピリした空気を持つあなたも悪くはなかったけれど、今の方がずっといいわ。もっとも私だけじゃなく誰に聞いてもそう答えるでしょうけど。

 

 紅茶を口に流し込みながら私は柔らかい雰囲気を纏った深雪さんの姿を額縁に入れて飾ろうとするかのように、目に焼き付けて切り取ろうとした。なんでかって?当然でしょ。私の…、源千華留の踏み出した第一歩が、しっかりと足跡を残すことが出来たのだから。私がやろうとしていることは間違いなくおせっかいで、もしかしたら人から非難されることになるやもしれない。結果によってはビンタされてもおかしくはない。だけどこうして笑顔を見せてくれた深雪さんのおかげで、私はまた次の一歩を踏み出すための勇気を得たのだ。

 

「静馬は何か言っていた?」

「何も聞いてないわ。けれど凄く機嫌が悪い日があったの。何かにとてもイライラしていて、八つ当たりをしたくてたまらないといった様子だったわ。私が考えるに、それは深雪さんが行動を起こした日の翌日だったんでしょうね」

「そう、静馬が…」

「気になる?」

「そうね、少しだけ。苛立つ姿はなんとなくだけど想像つくわ」

「深雪さんはなんでだと思う?」

「さあ。きっと気に入らなかったんでしょ。自分の予想とかけ離れた反応をされたから」

 

 へぇ。嬉しさで吊り上がる唇の端をカップで隠しながら私は心の中で深雪さんを賞賛した。相手に何かしらの反応を期待することは私にだってある。予想通りだと嬉しいし、自分の予想を超えて反応された時もやはり嬉しいものだ。けれどあまりにも予想を超えた反応をされるとなんだか途端に面白くなくなってしまうという経験をしたこと…誰しもあるのではないだろうか?深雪さんの予想は十中八九当たっている。

 

 静馬は面白くなかったのだ。自分の思い通りになる人物だと思っていた親友が、そうではなかったことが。恋愛に疎いはずだった深雪さんがいつの間にかそういった駆け引きの出来る女性に成長していたことが。

 

「でもまだ何も果たせていないわ。スタート地点に立ったというだけ。それも公平ではない、とても後ろの方に用意された脱落ギリギリのスタート地点にね。といっても負けるつもりはないけれど」

「ふふっ♪」

「楽しそうね。あなたの順位予想では私は一体何着なのかしら?」

「負けるつもりはないんでしょう?だったら1着以外には考えられないわ」

「そうね…。でも私は正直言って1着でなくても構わないと思ってる」

 

 ふうん?どういう意味かしら。負けるつもりはないと言いつつも1着でなくてもいいだなんて。カップの底の方の…、砂糖が溶け切っていなくて特別に甘い部分を口に含みながら私は思案した。表情を見たところ、弱気になっているようには見えない。かといって強がっているようにも見えない。確固たる芯を得た深雪さんは揺るがぬ大木のように落ち着いていた。

 

「それってどういう意味なのか教えてくださらない?」

「別に大した意味じゃないわ。たとえ何着だったとしても私は静馬から離れないってことよ。相手が誰であろうと、ずっとくっ付いて走り続けて見せるわ。最後の最後に静馬の横に立っていればいいの。そうしたら私の勝ちだと思わない?」

「なにそれ。それじゃまるでストーカーみたいじゃない」

「知らなかったの?私って意外と執念深いのよ」

 

 なるほど。そういう闘い方もあるのね。はっきり言って傍目にはあまり成功率が高くないようにも思える作戦だったが、なぜか私は妙に納得したというか、深雪さんにはしっくりくるような気がして感心してしまった。彼女にはそれが出来るだけの気概があると思えたし、なにより彼女の生徒会長という立場が有利に働くのではないかと私の勘が囁いていた。彼女の補佐なしではいかに静馬といえどエトワールの仕事をこなすのは厳しいだろう。そうなれば必然的に静馬は深雪さんを必要とする。無理やりにでも傍に居続けることが可能となるのだ。もちろん卒業までというタイムリミットは存在するが、5年間遠回りをしてきたようで案外悪くない道のりだったのかもしれない。

 

「ねぇ深雪さん」

 

 私は少しだけ纏う空気を変えて深雪さんを挑発してみた。

 

「私とキスしてみない?今のあなたなら、きっと楽しめるんじゃないかと思ったんだけど」

「どうしたの急に?」

「深雪さんが魅力的で可愛らしいから、なんとなくそんな気分になっただけよ」

 

 深雪は突然の提案に驚いた表情を浮かべたものの、すぐに首を振って答えた。

 

「ごめんなさい。それは出来ないわ」

「あら?遠慮しなくていいのよ。今は誰ともお付き合いしていないし、きっと気に入ってもらえるわ」

「そうではなくて…。千華留さん全然本気に見えないんだもの。あなたが本気でそう思ったなら、たぶん突然唇を奪われていたと思うわ。私の不意をついてあっさりとね。申し訳ないけれど本気じゃないキスは…お断りさせていただくわ」

「これは失礼いたしました。ふふ、でも前言撤回が必要ね♪深雪さんたら可愛くないわ」

「ふふふ。誉め言葉として受け取っておくわ。いつまでも鳥籠の中にいる雛ではないってことね」

 

 深雪さんてば本当に可愛いのに、可愛くないんだから♪静馬もこんな気分だったのかしら?昔の深雪さんならキスしようだなんて言ったら顔を赤らめておどおどした様子が見れたんだけどな~。今ではしっかりと言い返してくるんだもの。

 

 でもまぁいいわ。今の深雪さんの方が一緒に居て楽しいから、これでよしとしましょうかしら?私としてはどうせなら深雪さんに1着フィニッシュして欲しいわね。だってあなたは私の…第一歩なんだから♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<小さな歪>…涼水 玉青視点

 

 朝目が覚めるとほんの少しだけ、目に映る景色の色が違っているような気がした。窓から差し込む光に、細く伸びた影。青空もそうだし、もちろん渚砂ちゃんの寝顔も。昨日は疲れてしまったのか二人ともあっという間に眠りに落ちてしまった。でもそれで正解だったんだと思う。ベッドに腰掛けていてもきっと上手く会話出来なかっただろうから…。

 

「起きてください渚砂ちゃん。もう朝ですよ」

 

 目を擦りながら起きた渚砂ちゃんが顔を洗いに行っているうちに自分の支度を始めておく。そうしておかないと、渚砂ちゃんの支度を手伝ってあげられないから。洗面台の方から聞こえてくるパシャパシャという水音を聞きながら着替えを済ませ髪を整える。普段と変わらない日常が過ぎていく。昨日の出来事なんて存在しなかったかのように。

 

 椅子に座らせて髪をセットしてあげると今日もとっても可愛らしい渚砂ちゃんの出来上がりだ。うん、なんともない。手も震えなかったし実にいつも通りだ。本当のことを言うと渚砂ちゃんを意識してしまい、手が動かなくなるんじゃないかって心配をしていた。けれど思い過ごしでなによりである。私は渚砂ちゃんを守るだけだ。親友として、ルームメイトとして。だから特別な感情を抱いているわけじゃない…。私は渚砂ちゃんの騎士なのだから。

 

 食堂に行く途中で合流したスピカの夜々はそんな玉青の様子に違和感を覚えていた。さりげなく繋がれた二人の手が以前とはどこか違うことを…、親友というよりかは恋人に近いような、けれど決して恋人ではないと思わせる壁がありながら、なおも仲睦まじく繋がれた手が異様な雰囲気を漂わせていると。

 

 隣を歩く光莉も一瞬だけその手に目を落とすと夜々をチラリと見た。恋人関係にある二人ならではの意思の疎通を行い夜々は確信を深めた。自分たちの知らないところで二人に何かがあったのだと。そして気付いてあげられるのは、何か手助け出来るのは、自分たちのようなこの丘の…、アストラエアの丘のはぐれ者くらいであると。他に気付くとすれば…やはり。そう考えた夜々の目線の先に、思い浮かべた人物のうちの一人が姿を現した。

 

「おはよう渚砂。昨日はよく眠れたかしら?」

「おはようございますエトワール様。もちろん昨夜はよく眠れました。ねぇ渚砂ちゃん」

「う、うん」

 

 渚砂ちゃんに向けられた言葉に割り込むようにして答えると私と静馬様の間には緊張した空気が漂った。昨日と同様に背中に渚砂ちゃんを庇っていると、静馬様の視線が動き、繋がれた私たちの手へと注がれる。それに気付いて手に力を込めなおすと私は静馬様が少しでも悔しそうな顔を浮かべはしないかとその表情を探った。

 

 もし渚砂ちゃんを狙っているのだとすれば悔しくて仕方がないはずだ。なのに静馬様はにやりと笑うと、渚砂ちゃんではなく私を…、なぜかターゲットではない私を一瞥して食堂へと入っていった。今のは一体どういう意味なのだろうか?出来れば足を止めて考えたかったものの、食堂へと向かう人の流れに飲み込まれるように私たちは食堂へと吸い込まれた。

 

 その意味ありげな一瞥に不信を抱いたのは夜々だけで、光莉でさえも気付かぬほどの僅かな…、早くから静馬と同じ側の人間であると自覚を持っていた夜々だからこそどうにかこうにか感じ取れた出来事だった。具体的にどう、とまでは分からずとも、注意しなければ危険であると本能が警告を発していた。

 

「ねぇ玉青ちゃん。昨日言ってたことってどういう意味なの?」

 

 纏っていた空気とは裏腹に拍子抜けするほど静かに、何事もなく朝食が終わって部屋に戻ると渚砂ちゃんが不安そうに私に尋ねてきた。それは本来であれば昨夜に話すべき内容のもので、先送りしていた難題が改めて巡ってきたに過ぎなかった。

 

「ごめんね。でも…聞かなきゃいけない気がしたんだ。自分のためにも、玉青ちゃんのためにも。玉青ちゃん確かに言ったよ。『私の』って…」

「ごめんなさい。自分でも咄嗟に出た言葉だったので…よく分からないんです。でも、渚砂ちゃんのことを大切に想っているのは本当ですから。………親友として」

「そ、そう…なんだ。そっか。じゃあ私の思い過ごしかな。私はてっきり…」

「渚砂ちゃん?」

「ううん、何でもない。あっ!支度しないと遅れちゃう」

 

 最後に取って付けたように加えた親友という言葉は、自分でもなんだか空虚なものに…、意味のないもののように感じられた。けれど付けずにはいられなかったのだ。付けないと…何かが壊れてしまう気がして。私の返答に明らかに一瞬だけシュンとして元気をなくした渚砂ちゃんも同じ気持ちだったのかもしれない。空元気と分かる渚砂ちゃんの声を合図に会話は途切れカバンに教科書を詰め込む音だけが部屋の中を満たしていった…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 前回の更新からだいぶ時間が経ってしまいました。申し訳ありません。12月の忙しさを侮っていたわけではないのですが、ちょっとアクシデント等が重なりまして全く作業できない日が多々ありこのように遅くなってしまった次第です。
 もしよかったら次章もよろしくお願いいたします。それでは~。


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第17章「あなた『だけは』ダメなの」

■あらすじ
 廊下で見かけた静馬の姿に目を奪われ、玉青の不在の隙をついて二人きりで会う渚砂。危ないとは知りつつも、初めての感情を抱いた相手に渚砂は引き寄せられていく。空き教室の次は階段の踊り場。そんな二人の逢瀬に割って入ったのは静馬に想いを寄せる深雪だった。アストラエアの丘で唯一の親友に静馬は迫り、そして口付けをする…。

 第17章は静馬様メイン!駆け引きに揺れる上級生たちの恋模様は!?

■目次

<可愛い小鳥>……花園 静馬視点
<どうか雛のままでいて>…花園 静馬視点
<今は羽根を休めて>…源 千華留視点



<可愛い小鳥>……花園 静馬視点

 

「ふふふ。今日も精が出るわね。お姫様を護衛する騎士様は」

 

 手を繋いで下校する青と赤の少女を校舎の窓から見下ろしながら私は呟いた。あの日以来、玉青さんは渚砂を守ることに注力しほとんどの時間を渚砂の傍で過ごしている。自分が生徒会の活動で一緒に居られない日には渚砂に寄り道しないように厳しく言い含め、さらには友人たちにまで監視させているというのだから過保護な事このうえない。もっとも玉青さんがそうせざるを得ないように追い込んだのは私なのだが…。本当に…可愛い子だと思う。いじらしく…健気で。そんな努力にはまるで意味がないというのに。

 

「でもまぁ知らないのだから仕方ないわよね」

 

 目に見えるものが全てではない。強く結ばれたその繋がれた手…、一見すると固い友情を表現しているそれも心が伴っていなければ見せかけに過ぎない。どれだけ仲良しをアピールしようとも脆い砂の上に築かれた城では、打ち寄せる波に触れただけで簡単に崩れ去ってしまうだろう。彼女がしているのは、欠けた部分をスコップで補強しているようなものだ。けれど崩れた部分に砂を盛り、スコップの背で叩いて固めるうちにまた別の場所が崩れていく。せいぜい頑張ることね、その無意味な行為を。

 

 でも困ったわ。あまりにもせっせと励まれると可愛すぎて嗜虐心がそそられてしまうもの。見ているだけではつまらないし、そろそろ動いてみようかしら?そう考えた私は、二人から目を離し教室へと戻っていった。

 

 その翌日の放課後。静馬はタイミングを見計らって渚砂たちの教室の前を通りながら渚砂にウインクをしてみせた。いつも傍にいる玉青の姿は見当たらず、渚砂は一人教室でその帰りを待っていたのだ。ぼーっとしていたその視線が吸い寄せられるように静馬の姿を捉え瞳に映り込む。

 

 生徒会の活動がある日ではないから玉青さんは…そうね、10分くらいで戻って来るかしら?もちろん教室を出ていくのを見届けたうえで行動に出たわけだが、我ながら小さなチャンスをしっかりとものにしたと思う。その場に留まるという愚かな真似を私がするはずもなく、何事もなかったかのようにそのまま通り過ぎて行くと、視界の端では私を見つめ続ける渚砂が辺りをキョロキョロと見回していた。さぁ追っていらっしゃい渚砂。見えない手招きを繰り返しつつ私は廊下の角で姿を消した。

 

「ごめん、ちょっと職員室に行ってくる。玉青ちゃんが戻ったらそう言っておいてくれる?」

 

 渚砂は周囲にいた隣室の二人組…、玉青から監視役を頼まれている千早と紀子にそう声を掛けて教室をそっと抜け出すと、静馬の消えた方へと向かって小走りで急いだ。ギリギリ走らない程度に抑えるつもりがついつい早くなる足に言い聞かせながら、チラチラと煌めく銀髪を見失わないようにと追いかけてゆく。

 

 温室へ連れ出した時のような小動物的な可愛さを振りまきつつやってくる少女に自然と愛着が沸いていくのを感じた。渚砂が追いかけてきているのを確認しつつ人のいない空き教室へとその身を滑り込ませて少しすると、トトトッと早足で歩く音が聞こえてきて教室の前で止まった。少しだけ驚かせてみようかしら?

 

「後を付けていたのは誰!?入っていらっしゃい!」

 

 エトワール様らしい威厳に満ちた演技でそう尋ねると扉を挟んで渚砂の慌てふためく様子が手に取るように分かった。

 

「ご、ごごごごめんなさい。私です。蒼井…渚砂です。失礼します」

「あら?ストーカーは渚砂だったのね。嬉しいわ渚砂。私に会いに来てくれて」

「チラッとお姿が見えたので。それと…ウインク。私に向かって…その…しませんでしたか?」

 

 正解。ちゃんと気付いてくれたみたいね。でも可愛いからもう少しだけイジワルしちゃう。だって我慢できないもの。そんな風に頬を染めながら上目遣いで尋ねられたら、下級生を虐めずにはいられない生き物なのよ上級生って。

 

「ウインク?さぁどうだったかしら」

「えっ?あ、す、すみません。私ってばてっきり…」

「てっきり?」

「あの、なんでも…ないです」

「言ってごらんなさい。笑ったりしないわ」

「あぅ。その…静馬様が…合図してくれたんだと…思って…それで」

 

 頭から蒸気が出そうなほど羞恥心で耳まで赤く染めあげた渚砂はペコペコと頭を下げ始めた。さながらゼンマイ仕掛けの人形のように繰り返すその様子につい笑みを漏らしてしまった。

 

「ひ、ひどいです静馬様。さっき笑わないって」

「ふふふ。ごめんなさいね渚砂。でもこれはあなたの勘違いを笑ったのではなくて、あなたの仕草が可愛らしいから笑ったのよ」

 

 胸の前あたりで両手で軽くグーを作って抗議する渚砂を一通り慰めると、私はその小さな身体を抱き締めて包み込んだ。

 

「本当はね、渚砂に会いたかったの。渚砂の教室の前を通り掛かって、もしかしたら渚砂が出てきてくれないかしら?って考えていたらあなたが追いかけてきた。偶然ね…女神様の思し召しかしら」

「静馬様が…私に」

 

 はにかんだ顔を見せた渚砂はふと思い出したように言葉を紡いだ。

 

「あ、あの。この前のことすみませんでした」

「何のことかしら?」

「玉青ちゃんが…その、色々と…」

 

 顔を上げた渚砂はすぐに玉青さんについて語り始めた。玉青ちゃんは優しいだとか、玉青ちゃんは私を心配してあんなことをしたのだとか。正直私にとってはどうでもいいことで…、それどころかむしろあまり面白くない話ではあったが、頭を撫でながら、時折頷いてあげると渚砂はその度に嬉しそうに反応して見せた。

 

 どうやら私が考えていた以上に二人の結びつきは強かったらしい。止まらない渚砂の『玉青ちゃん』に少々嫌気がさした頃、不意にその顔を曇らせると言いにくそうに私に尋ねた。

 

「あの、静馬様は…、危険な方なんですか?」

「たしかに自分でもそう言ったわね。それがどうかしたの?」

「い、いえ。なんでもな━━━」

「━━━もしかして玉青さんに、そう吹き込まれたのかしら?」

 

 声のトーンから事情を察して少し揺さぶってみると、渚砂の瞳が大きく揺れた。その分かりやすい反応を愛でつつ脳内で考えを巡らせる。

 

「正解でしょ?」

「はい…。玉青ちゃん、なんだか静馬様に…対抗意識を持ってるみたいで。きっとそれでそんなことを言ったんだと思います。普段は誰にでも優しいのに…」

 

 尋ね返すとばつが悪そうに俯きながら渚砂はそう答えた。

 

「いいのよ、別に。それより渚砂が私をどう思っているかを聞きたいわ」

「私…ですか?」

「ええ。あなたよ」

「私は…、危険な方だとは思ってません」

「本当に?ふふふ。渚砂は嘘つきね」

「そんなことっ!」

「いいえ。あなたは嘘つきよ」

 

 抱き締めていた腕を背中に回して身体を密着させると、私は渚砂の耳元で囁いた。

 

「本当は渚砂も思っているのでしょう?━━私が危険人物だって━━」

 

 声にビクッと身体を震わせた渚砂に追い打ちを掛けるように、伸ばした舌を吐息でくすぐった耳へと這わせ、舐め上げた。

 

「あっ…静馬様。やめ…」

「どう?これでもまだ嘘をつくつもり?」

「ごめん…なさい」

 

 顔を赤らめギブアップした渚砂の耳から舌を離すと、唾液に濡れた耳が僅かにテカテカと光った。緊張から解放され、ホッと息をつく渚砂を腕の中に抱いていると、次第に私の気分も昂ってきて、もっと虐めたくなってしまう。

 

「渚砂は意外と大胆なのね」

「え?」

「だってそうでしょう。私が危険人物だと分かっていて、それでも会いに来たんだから」

「そ、それは…」

「もしかしてこういうことをして欲しくて追いかけてきたの?」

 

 ダメ押しとばかりに再び耳元で囁くと、渚砂の顔は羞恥心で朱に染まり、静馬が舐めた耳の先まで紅くなった。

 

「ち、違います。私は…少しだけ…お話…したく…て」

 

 渚砂が反射的に言い返した言葉は、静馬がじっと見つめると、みるみるうちに勢いを失い、最後は消え入りそうな…、か細い声となる。もう少し遊んでいたいが、そろそろ時間だろうか?

 

「また会いに来て頂戴。危険な私に…ね?あなたが来てくれるのを楽しみにしているから」

「静馬様がそう仰るんなら…」

「ありがとう。今日はそろそろ戻りなさい。玉青さんが…待っているんでしょう?心配させると大変よ」

 

 ここらが頃合いであると読んだ私は、さも名残惜しそうにしながら渚砂を解き放つと教室に戻るように促した。これくらいの方がスリルがあって盛り上がるというものだ。あまり長くダラダラと会うと、せっかくの雰囲気が台無しになってしまう。それに押すばかりでなく引くことも肝要であると、私は数多の経験から学んでいた。もちろん、1つアクセントを添えるくらいの洒落っ気は忘れずに…。

 

「またね渚砂」

 

 そう言うなり私は膝を少し折って顔の高さを合わせると、渚砂の柔らかな頬に軽く口付けをした。唇が触れていたのは火照った顔の熱が伝わってくるかどうかの短い一瞬。けれどその効果はなかなかのもので、渚砂は呼吸をするのも忘れたかのように呆然と佇み、触れた部分に手を当てながら私を見つめていた。素直な反応にむくむくと膨れ上がる虐めたい気持ちを包み隠し、努めて冷静に…、お行きなさいと声を掛けると渚砂はパタパタと駆けていった。途中チラリと私の方へと振り返り、手をキュッと小さく握る愛くるしい仕草を見せると渚砂はまた駆けていく。玉青さんとの『お友達ごっこ』に戻るために…。

 

 

 

 

 

 

 

 

<どうか雛のままでいて>…花園 静馬視点

 

 前回の空き教室での邂逅から2日後。この日は教室ではなく階段の踊り場で逢瀬を楽しんでいた私だったが、ふと聞こえてきた足音に驚き慌てて渚砂から身体を離した。不思議そうな顔をして見上げてくる渚砂を優しく諭しつつ、目は彼女のやって来る方向へと釘付けになる。

 

 一体なぜこんなところにいるのだろうか?今日は『生徒会』の活動があるはずなのに…。どうして?彼女が足音だけで私を識別出来るように、私もまた足音だけで彼女だと理解した。コツコツと廊下の床を颯爽と蹴る音が響き、やがて音の主が姿を現した。

 

「あら。奇遇ね静馬。こんな場所で会うなんて」

 

 私を呼び捨てにしながらにっこりと微笑んだのは生徒会長…、六条深雪だった。

 

「そうね。まさかお忙しいご身分のあなたがこんなところをうろついているとは思わなかったわ」

「私だって万能ではないもの。少し書類を取りに来ただけよ」

 

 そう言って手に持った紙の束をわざわざ見せつけた深雪は、静馬のすぐ傍でおどおどしている…、深雪と静馬の雰囲気に押されて二人の顔を交互に見る少女へと話しかけた。

 

「あなたが渚砂さんね。いつも玉青さんが話してくれるから、なんだか古くからの友人のように思えるわ」

「玉青ちゃんが?」

「ええ。玉青さんは『いつも』あなたのことばかり気に掛けているの。親友で、クラスメイトなんですってね」

「他には…、他には何か言っていませんでしたか?」

「渚砂、その辺で━━━」

「━━━玉青さんのこと気に掛かるのね」

 

 やられた!深雪め!素直にそう思った。私の言葉を遮って力強く口にした深雪の声に渚砂の心が大きく揺さぶられたのが手に取るように分かる。いつ誰が来るとも知らない階段の踊り場でのスリリングな逢瀬。私の事しか考えられないように巧みにコントロールしていたのに…。深雪はいとも容易く渚砂の中から私を追い出して、代わりに玉青さんを詰め込んだ。

 

 つい先程まで私と渚砂の間に漂っていた気だるい熱っぽい空気は薄れ、今はその熱を冷ますかのように隙間風が流れている。もし仮にもう一度抱き寄せたとしても、失ってしまった空気を取り戻すことは出来ないだろう。それどころか目の前の深雪という異物をどうにかしない限りは、抱き締めることさえままならないように思えた。

 

 私は口惜しさを悟られないように巧妙に隠しつつ渚砂の耳元に口を寄せると、深雪には聞こえないようにと小さい声で囁いた。

 

「今日はもう行きなさい。せっかく渚砂が私のために時間をくれたのにごめんなさいね。次は邪魔の入らない場所で会いましょう」

 

 前回同様に渚砂の頬に唇で軽く触れると、渚砂は頷き振り返ることなく去っていった。その背中に向けて深雪はなおも…。

 

「今日の活動は早めに終えるつもりなの。せっかくだから玉青さんと一緒に帰ると良いわ。………。手を繋いでね」

 

 遠ざかっていく渚砂の足音が聞こえなくなると後に残されたのは私と…、 目を閉じ腕を組みながら笑みを浮かべ挑戦的な態度を取る深雪だ。正直言って私は少し臆病になっていた。まさか深雪とこんな会話をする日が来るとは思ってもみなかったから。彼女の声に、言葉に、態度に、笑みは自然と消えていた。

 

「なんだか邪魔をしてしまったみたいね。そんなつもりではなかったのだけれど」

「いいのよ、別に。それよりあなたはいつまでこんなところで油を売るつもりなのかしら?生徒会長さん」

 

 言外に、随分とお暇なのね?そろそろ仕事に戻ったらどう?と嘲笑を込めつつ言い返しても深雪が揺らぐことはない。それどころか胸の辺りを撫でるような仕草を見せつけ私を挑発した。ああ、あの忌まわしい首飾り!!思い返すだけでゾッとする。私の気を逸らし、私の唇を奪うための小道具として充分な!充分過ぎるほどの役割を果たした首飾り。

 

 対となる紅い宝石がはめ込まれたエトワールの証。あれさえなければキスなど許しはしなかったのに。そしてあの一度がなければ深雪が自信を持つことも…。奥歯を僅かにギリッと噛み締め言い放った。

 

「随分とお気に入りみたいね、その首飾り。そんなに大切なものなら箱に入れて鍵でもしておくといいわ」

「言ったでしょう。これを付けていることはあなたへの━━━」

「━━━私の唇を奪えたのがそれほどまでに嬉しかったの?ただの一度だけ。それも唇を触れ合わせるだけの子供じみたキスが」

「ッ!?」

 

 揺らいだ。僅かにだけど…、でも確実に深雪は揺らいだ。そのことに心のどこかでホッとしている自分がいる。なんだ、意外に脆いのね。仕方ないか。所詮は付け焼刃。どれだけ虚勢を張ろうと、深雪は深雪だもの。それに気付いた私はここぞとばかりに言葉で責め立てた。予想以上に頑強に言い返してはきたものの…、声に震えが混じっているのを感じ取って私は嬉しくなってしまった。

 

 嬉しい?どうして?深雪を言い負かすことが…楽しいから?自分でもよく分からない感情が押し寄せてきたことが怖くなり、それを追い払うかのように深雪を侮辱していく。やがて深雪の目尻にはキラキラと光る涙の粒が見え始め、目を閉じるとダムが決壊するようにツゥーッと零れた雫が頬に筋を描いた。そして…そして私は理解してしまった。理解するべきではなかったことを…、理解してはいけないことを。

 

 そう、私は喜んでいたのだ。深雪が泣いていることに。昔の…、5年前のような『あの泣き虫だった頃の深雪』に出会えたことに。歪んでいる。私の友情というものはこうも歪んでいるのか。ああ、そう、そうなのだ。私の友情は歪んでいる。怖ろしいほどに。私が欲しかったのは、私が深雪に求めていたのは『これ』だったのか。この丘で唯一と呼べる親友に望んでいたのは…。

━━従順であり私の思い通りであること━━

 

 幼いころの泣き虫で、私に依存する深雪。私が予想した通りの場面で泣き、私を頼って甘えてくる深雪。そんな深雪を私は傍に置いておきたかった。だけど、そう、これでは…。とてもじゃないが親友と呼べる代物ではない。これではただの『お人形』だ。お人形遊びで使うための、絶対に自分の思い通りになるオモチャ。私はその役目を深雪に知らず知らずのうちに求め、押し付けていた。そうであることを望んでいたのだ。目を上げると頬に描かれた筋が今まさに増えようとする瞬間で、深雪の頬を伝う雫がはっきりと見えた。

 

「ごめんなさい深雪。少し言い過ぎたわ。ついカッとなってしまって。あなたを…傷付けるつもりではなかったの」

 

 嘘だ。楽しんでいたくせに。自分のあまりにも滑稽な姿に笑いが零れそうになる。だってそうでしょう?渚砂と玉青さんの関係を『お友達ごっこ』と嘲笑った私がその『お友達ごっこ』に興じているのだから。ううん、もっとひどい。私が深雪に求めていたのはごっこ遊びですらなく、自由に動かせる『お人形遊び』だったんだもの。

 

 次から次へと出てくる心にもないセリフを口にしながら、頭の中を一つの考えがよぎった。いっその事このまま襲ってしまおうか?何を畏れる必要がある。今までだってそうしてきた。気に入らない上級生だって言いなりにしてきたではないか。そう思うと体は自然と動いた。自らを守るように身体の前で交差させていた腕を強引に掴んで引っ張ると、深雪はふわりと私の腕の中へと舞い降りた。

 

「静馬!?一体何を」

「この口を塞いでしまえば、少しは大人しくなるのかしら?その生意気な口の利き方も…」

 

 あの日とは…、深雪が私にキスをした日とは違い主導権は全て私にある。胸に掛けられた忌々しい首飾りも今はチャリッと音を立てたっきりで私の邪魔をすることはない。左手を細い腰に回して抱き寄せた後、右手で顎を掴んで無理矢理こちらへと顔を向けさせると、私は躊躇うことなく口付けをした。

 

 深雪の口からくぐもった声が漏れ、手は私を引き剥がそうと動き回ったが、閉じた唇をこじ開けて舌を滑り込ませると、その手は次第に力を失い弱々しく宙を彷徨った。互いの唾液で潤った唇を押し付け、動かすこともままならないぎこちない舌に触れる。

 

 ああ、知らないのね深雪。あなたはまだ何も知らないのね。気持ちばかりが先に動いてしまって。キスのやり方1つ知らないままなのね。可哀想な籠の鳥。動かぬ舌に絡ませるのを諦め、代わりに口内を縦横無尽に…、柔らかい頬の裏側やあちこちを舐(ねぶ)ると深雪からは湿った吐息が漏れた。息が苦しくなったのか制服の胸の辺りをギュウッと握ってくる深雪のために一度唇を離したものの、すぐさまその唇を奪い、覆った。

 

 許してあげない。そう、これは深雪に対する罰なのだ。お人形でいてくれなかったことへの罰。口の端から唾液が零れ始めた頃になってようやく私の舌に応じることを覚えると、キスはだいぶそれらしく…、恋人同士がするようなものへと変わっていった。私はそれに満足し、少しの間だけ休憩時間を与えることにした。今度はご褒美だ。私の思い通りの反応を示してくれたことへの。

 

「箱入り娘の深雪お嬢様には刺激が強すぎたかしら?キスっていうならこれくらいは出来なきゃダメよ?」

「ありがとう静馬。とても参考になったわ。おかげで次に活かせるわね」

 

 肩で息をしながら不敵に笑った深雪を見ても、今はイライラはしなかった。あくまで予想の範囲内の抵抗だったから。上気した頬をキャンバスに、そこへ落とされた温かみのある桜色が白い肌とのコントラストを奏でていてとても艶めいている。制服には私のものか深雪のものか、いずれかのものか分からない唾液が染み込んでキスの痕跡をはっきりと記録していた。額に張り付いた髪によって強調された美しさは未亡人のような、陰のある深雪の色気をより一層強調していて思わず背筋が凍りそうになるほどだ。

 

 足に力が入らないのか、腰に当てた手で支えていなければ崩れ落ちてしまいそうな深雪を見て私は口の端を吊り上げた。後はもう、私の望む反応を繰り返すだけだろう。大した抵抗も出来ず、思い通りに動く『お人形さん』。そう思うと途端に愛しさが込み上げてきて、渚砂と接していた時のような優しい気持ちで胸が満たされた。

 

「そろそろ離して頂戴。あなたと違って私は多忙なのよエトワール様」

「キスして欲しいなら素直にそう言った方が良いわよ。何度もしてあげるほど私は優しくないの」

 

 可愛らしい減らず口を黙らせようと再びキスをしながら私は考えを巡らせた。カバンなんていつでも取りに来れる。このまま手を引いていちご舎の私の部屋に…、いや、保健室でも利用させてもらうとしようか?とにかくベッドさえあればそれでいい。押し倒して何度か抱いてやるだけで深雪は私のオモチャに戻る。ヒビの入った仮面を引き剥がしてやればその下にいるのはあの泣き虫の深雪だ。私に出来た最初で最後の…、この丘で唯一の親友。

 

 その瞬間、私はある出来事を思い出した。ホームシックにかかり、べそをかく深雪の手を引いて部屋へと戻るあの夜を。繋いだ手の温かさを。一緒のベッドで眠り目の前には幼い深雪が…、一瞬その夜に意識がトリップし幻影に手を伸ばそうとしている自分がいた。けれど伸ばした手は届かず、代わりに声が聞こえた。私を呼ぶ声が。深雪の声が。

━━静馬━━

 

 幼い深雪に呼びかけられて私は我に返った。目の前には深雪がいた。成長し、美しくなった深雪が。そんな深雪と舌を絡ませているのは紛れもなく自分だ。花園静馬だ。深雪を抱く?抱いて言いなりにする?『あの』深雪を?そんなことをしてなんになる?自分の飽きっぽい性質は理解しているつもりだ。なら言いなりにした後で私は深雪を捨てるのか…。

━━今まで付き合ってきた少女たちと同じように━━

 

 駄目だ。そんなことは許されない。そもそも深雪を穢すこと自体間違っている。

 

(深雪…)

 

 涙で潤む瞳を見た途端、冷たい電流が身体を駆け巡った。キスによって深雪だけでなく私にも打ち寄せていた身体の昂りが波のように引いていく。下腹部をじんわりと覆っていた熱は冷め、絡めていた舌はザラザラとした感触に変わってしまった。先程まであんなにも唾液で濡れていたというのに…。今ではすっかりと乾燥し、温室でつい手に付いた土が口の中に入ってしまった時のような不快さに包まれている。

 

 必死に舌を絡めてもその乾きが癒されることはなく、むしろ一層乾きが募るばかり。腰に回した手を動かしても虚しいだけで悲しくなって仕方なく唇を離すと、味わっていた感触とは裏腹に、粘度の高い液体の橋が二人の間を繋いでいた。それは幸福の象徴ではなく苦痛の象徴で、穢れた遺物のように私の目には映った。

 

 興奮ではなく苦痛によって吐き出されるハッ、ハッと浅い呼吸を繰り返しながら、たまらくなって深雪を突き飛ばすと、深雪は小さな悲鳴と共にヨロヨロと後方へ弾かれやがて尻もちをついた。

 

「近寄らないでッ!離れていなさい。ダメよ。ダメなのよ。あなたではダメ。分かってしまったの。私はあなたを選ばないわ。どんなことがあっても。だから私を求めるのはやめなさい」

「静馬ッ!私は平気よ。いくら傷付けられたってあなたを諦めない。あなたの傍にいるわ」

「違う、違うのよ。そういうことではないの!分かって!お願いだから…、分かって頂戴。あなた『だけは』ダメなの。この丘の生徒で唯一、あなた『だけは』!!」

「静馬…」

 

 本当は床に手を付いたまま呆然とする深雪を助け起こしたかった。手を差し伸べて抱き締めたかったけれど…。

 

「ろ、六条様ッ!?」

 

 姿を現した青い髪の少女の声に私は動くことが出来なかった。代わりにギョロギョロと動く目だけがその姿を捉え睨みつける。

 

「これは一体…」

「なんでもないの。足を滑らせて転んでしまっただけよ」

 

 立ち上がって制服に付いた埃を落とした深雪は涙の痕を拭うと何事もなかったかのように気丈に振舞った。それは私の予想よりもずっと、ずっと力強い姿で。行きましょう玉青さん、と声を掛け二人が私の横を通り過ぎようとした瞬間、深雪は私にだけ聞こえるように呟いた。

 

「嬉しかったわ静馬。僅かでも………求めてくれて」

 

 頬に冷たい何かが当たった気がした。雨が降っているわけでもあるまい。ここは校内で、ましてや外は晴れているのだから。だとするとそれは、深雪の…涙か。地面に落ちることなく渇いていた頬にそれが染み込んでいくのを感じて私は走り出した。

 

 階段を駆け下り校舎を飛び出すと、足は自然と…ルリムへと向かっていて。私の口からはあの子の名前が零れては、誰にも聞こえることなく消えていった。

 

「千華留…千華留っ!」

 

 会わなくてはならない。今…すぐに。ルリムの校舎にいないのならいちご舎の部屋に押し掛けてでも。

 

「深雪…、ごめんなさい深雪」

 

 次に口から溢れた違う名も、同じように虚空へと消えていった…。

 

 

 

 

 

 

 

 

<今は羽根を休めて>…源 千華留視点

 

 彼女の足音は珍しくバタバタと耳障りな喧騒を引き連れていた。秘密部の部室に飛び込んできたエトワールの…、静馬らしからぬ様子にさすがの私も驚きを隠せなかった。ここまでずっと走って来たのか息は乱れ、豪奢な銀髪の幾本かが額に張り付いている。色っぽさよりもどこか怖さを感じさせるその姿に、なかなか掛ける言葉が見つからない。でも私が口を開くよりも前に静馬がその口を開いていた。

 

「千華留。あなたのせい、あなたのせいよ。こんなことになったのは。私は深雪を…」

 

 そう言うなり静馬が右手を振りかぶり、私に向けて思いっきり放とうとしてしているのが見えた。深雪…。そう、深雪さんと何かあったのね。私に残された時間ではそこまで考えるのが精一杯で、風を切って迫る平手打ちに、思わず目を瞑りスカートの端を握りしめながらその時を待った…。

 

「どうして防ごうとしないの?理由が分かっていて、甘んじて受けようってわけ?」

 

 手の纏う風で僅かに髪が揺れたものの、頬に当たる寸前で手は止められていた。恐る恐る目を開け、ふぅっと息を吐く。

 

「全部じゃないわ。エスパーじゃないもの。でも、そうね…深雪さんの名前が聞こえたから。私がやったことはおせっかい以外の何物でもなくて、深雪さんだけじゃなくて、当然あなたにもビンタされる可能性はあったなって…、気付いただけよ」

「あの子にキスをしたの。抱き寄せて、唇をこじ開けて、そして舌を絡めたの。途中までは良かったわ。私も興奮した。けれど…抱こうかと思ったところで邪魔をされた。幼いころの深雪が頭の中で私を呼んだの。『静馬』って。それを聞いてしまったら、とてもじゃないけど出来なかった」

 

 両の手の平をじっと見つめ、静馬は苦しそうに言葉を絞り出した。

 

「きっとこの先も無理だって分かったわ。深雪を抱くことは出来ないって。

 ━━私には深雪を穢すことは出来ない━━

 どれだけあの子が一生懸命私にアプローチしたとしても、私の中に幼い深雪がいる限り」

「そう、そうね。あなたにとって深雪さんは唯一の………親友だものね」

「あの子はたぶん誤解しているでしょうね。私が深雪を大切にしていないと…、道端に転がる小石のように思っているのだと。でもそれは逆、逆なのよ。私は深雪をかけがえのない宝物だと思っている。恋人関係とは別の種類のものだけど」

「誰も信じてはくれないでしょうね。あなたが…、この丘で一番自由に振舞っているように見えるエトワール様が、『お友達ごっこ』に浸っているだなんて」

「バレたらみんなに笑われるでしょうね。どの口で自信満々に説教垂れていたんだって」

「それでもあなたは花園静馬であり、エトワール様なのよ」

 

 静馬はありがとう、と言って笑みを浮かべると部屋の入り口の方へと向かっていった。

 

「もう落ち着いたの?」

「いいえ、まだよ。鍵を掛けるだけ。誰も入ってこれないようにね」

 

 その言葉の意味を理解して私は頬を染めた。そういうことですか。まぁ仕方ないわね。原因は自分だし。

 

「じゃあカーテンを閉めておくわ。あと何か床に敷くものを用意しておくから。静馬は明かりも消しておいて頂戴。作業用のライトスタンドがあるからそれを点ければ真っ暗ということはないはずよ」

「意外ね。嫌がると思った」

「だから先に入り口を封じ込めようとしたってわけ?ふふふ、今回だけよ。ビンタの代わり♪」

 

 衣装を作成するときに使う手元用のライトを取り出すと、使えるものはないかと散らばっていた生地だの段ボールを前にしばし思案する。うんっ!段ボールを敷いてその上に裁断前の大きな生地を広げればいいわね。

 

「あまり寝心地は期待しないでね。といっても床に直に横になるよりはずっとマシだとは思うけど…」

「懐かしいわね。付き合っていた時は場所を選ばずに…、それこそこんな風にどこでだって」

「その話はだ~め。ほら、手伝って。一人じゃ上手く広げられないわ」

 

 二人掛かりで簡易的な寝床を作り終えると、私は胸のリボンを外しボタンに指を伸ばした。

 

「制服はそのままでいいわ」

「シワになると困るわ」

「私が脱がせたいの。そういう気分なのよ。いいでしょう?」

「あなたがそう望むなら。これは私への罰でもあるんだし、なんなら少しくらい乱暴にされたって構わないわ」

「バカね。そんなことするわけないじゃない」

「そういう気分だって言ったら、あなたはどんな顔するのかしら?」

 

 再びバカね、と呟いた静馬は制服に手を掛けると勢いよく脱がせた。その拍子に2つほど弾け飛んだボタンのうちの1つが床の上を転がって車輪のように動き回り、二人して行方を見守る前でコロンと倒れていった。

 

 制服がはだけて露わになった鎖骨の辺りに熱烈なキスを受け喘ぎ声を漏らす。そのまま静馬が覆いかぶさってくると、私たちは一緒になって作ったばかりのベッドへと倒れこんでいった…。

 

 どれくらいそうしていだろうか?じっとりと湿気を帯びた生暖かい空気に包まれながら抱き合っていた私たちだったが、おもむろに起き上がった静馬が制服を身に着けて部屋を出て行くと、無駄に広い部屋には私一人が残された。

 

「ありがとう…か」

 

 静馬の残した短いお礼を復唱しながら隣へと手を伸ばすと…、そこにはまだ静馬の体温が残されていた。私はゴロンと身体を転がしてその場所に移動すると、そのぬくもりを味わうように頬を触れさせる。

 

「ふふ。まったく…。静馬ったら冷たいんだから。もう少しくらい一緒にいてくれればいいのに。私は本気だったのよ。あなたのこと。私との交際さえも『恋人ごっこ』の1つでしかないなんて言ったら許さないんだから。あ~あ、未練がましいわね、私も。いつまでも都合の良い女でいるなんて…。深雪さんの背中を押したくせに」

 

 私は脱ぎ棄てられた下着に手を伸ばすと、気だるい欠伸を零しながら服を身に着けていった。閉ざされたカーテンの僅かな隙間から伸びる夕暮れの紅い陽射しがベッドの上に影を落としていた…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 2020年最初の更新となりましたがいかがでしたでしょうか?皆様、明けましておめでとうございます。新年らしく明るい内容にしたいなって思っていたんですが…、まぁいつものごとく暗くじめじめとした感じ満載となっております。一応次章はスピカをメインにしたちょっと明るめなお話にしたいなぁって思っているところです。


 本年が百合を愛する方にとってよい年となることを切に願っております。良い作品との出会いがありますように。ついでに心の片隅に「アストラエアの丘で」を留めておいてくださると嬉しいです。それでは~♪


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第18章「二人は恋人同士なのね」

■あらすじ
 何の予定も入っていない素晴らしき安息日を光莉と共に過ごす夜々。シャワーを終え、買ったばかりのリップを試すはずがつい光莉の誘惑に乗せられて…。
 一方、秘密を共有する面々との会話で籠女との逢瀬をこれまで以上に気を付けることにした桃実はスピカの校舎内を探索することに…。
 第18章は密やかな関係に溺れる二つのカップルのストーリー!

■目次

<リップの行方は>…南都 夜々視点
<隠れ家を探して>…鬼屋敷 桃実視点
<女神様のイタズラ>…鬼屋敷 桃実視点
<二つのカップル>…南都 夜々視点


<リップの行方は>…南都 夜々視点

 

 日曜の朝。聖歌隊の練習もないという幸運に恵まれた私たちは、朝食を終えるなり早々に部屋へと戻ると秘め事に耽っていた。すでに数回の取っ組み合いが繰り返され、今は疲れ果ててベッドに横たわっている状態だ。身体を覆う真っ白いガーゼのケットのひんやりとした感触が火照った素肌に心地良い。

 

「先にシャワー使っていいよ」

「夜々ちゃんが先に使ってよ。私はもう少しこうしてたいから」

「わかった」

 

 久しぶりだったから疲れちゃったのかな?今にも寝息を立てて眠ってしまいそうな光莉にケットを掛け直してあげてからシャワーを浴びに向かう。ハンドルを捻りお湯に切り替わるのを待つ間に今日の予定でも考えようかと思ったが、そう思った頃にはもうお湯が出始めていた。

 

 思ったよりもずっと早い。建物自体は古いものの、女子のためだけの寮とあっていちご舎の設備はなかなかに優秀だった。ふぅ~。温かいお湯に身を任せていると自然と息が漏れ、さっぱりとした気持ちになっていく。身体をあらかた洗い流した後はシャワーのヘッドを固定し、しばらくの間ぼんやりとしていると浴室は湯気で満たされていった。

 

「そろそろ交代したほうがいいかな」

 

 床を洗い流し浴室を出たものの、ベッドの方からは人の動いている気配が感じられない。まったく…光莉のやつ。

 

「光莉~。そのままだと風邪ひいちゃうよ~。」

 

 タオルで髪の水分を落としながら向かうと、案の定ベッドの上では光莉が幸せそうな顔をしたまま寝落ちしていた。仕方なく額をペチペチと叩いて起こし、浴室へと連れていく。一糸纏わぬ想い人の腰に手を回すこちらの身にもなって欲しい。扇情的な姿だけならまだしも、こうして触れていると色々と収まりがつかなくなってしまうではないか。

 

「バスタブにお湯張ってもいいからちゃんと温まりなさいよ。分かった?」

「うん、ありがとね夜々ちゃん」

「寝ちゃダメだからね。何かあったら呼びなさいよ」

 

 わかったぁ~、という間延びした、おそらく分かっていないであろう光莉の返事を受けながら衣服を身に着けていく。顔に塗る化粧水を取ろうと机の上のポーチに手を伸ばすと、詰め込まれたアイテムの中から買ったばかりのリップが顔を覗かせているのに気付き思わず手に取った。

 

 そういえばこれまだ使ってなかったな。色味が気に入って買ったんだっけ。化粧水と共にそれをポーチごと持って洗面台に向かい、浴室の中から聞こえてくる光莉の鼻歌をBGMにあれこれしていると、やがてタオルを纏った光莉が出てきた。

 

「早かったね。シャワーだけで大丈夫?」

「うんっ。夜々ちゃんが使った後だったから浴室が温まってたし、それにケットを掛けてくれてたからそんなに冷えてなかったよ」

「そっか」

「あっ、そのリップって先週買い物に行ったときのやつ?」

 

 リップの存在に気付いた光莉が水滴に濡れた手でひょいっとそれを掴み私に尋ねてきた。

 

「そうだよ。日曜だし使おうかと思って」

「いいなぁ~。夜々ちゃんはこういうのが似合って。私は童顔だから…」

 

 たしかに…。店員に勧められて光莉もいくつか試してはみたものの、どれも似合わず結局1本も買うことなく帰ってきたのだった。

 

「ねぇ夜々ちゃん。今日はリップ使うのやめておいたら?」

「どうしたの?急に」

「だって…夜々ちゃんキス魔だし。洋服に付いたら落とすの大変でしょ?」

 

 頬を染め、もじもじと落ち着かない様子で上目遣いに見つめてきた光莉の言葉に密やかながらも、今日はもうこういうことしないの?といったニュアンスが込められていることに気付き、私はたまらなくなった。()()()()()()。大好きな光莉に。

 

 見つめ合う視線がぷいっと逸らされ、服着てくるね、と言い残してトトトッと去っていくその瞬間、捲れたバスタオルから覗かせた太腿に胸が高鳴った。際どいギリギリのラインまで露わになった透き通る肌に赤い痕を…、くっきりと残るキスマークを見つけ抑えきれない衝動に包まれる。

 

 わざと…じゃないんだろうな、きっと。こんな風に見せつける真似、光莉に出来るとは到底思えない。けれど事実として私は興奮していて、光莉が欲しくてたまらなくなっていた。それと同時にちょっとだけ…、光莉ってやっぱり天然だなぁって。だってリップなんかよりもずっと淫靡なそれを身体のあちこちに残したまま洋服の心配をしていたんだから。

 

「ほんとに誘い上手なんだから。()()()()()。ちょっと強く付けすぎたかな…」

 

 ああ、神様。どうか昼食までたくさん時間がありますように。祈るような気持ちで時計を覗いた私は手の中にあったリップを放り出し光莉の待つベッドへと駆けていった。時計の針が昼食の時間まで進むにはまだ2時間もある。2時間もだ!後ろから抱き着きさっそく首筋にキスを浴びせると光莉へと覆い被さっていく。適当に投げたリップの行方など知らないままに…。私と光莉が再びベッドを軋ませる音が響く中、偶然にも元居たポーチへとすっぽりと収まったリップは、水滴に濡れたその紅いケースを人知らず煌めかせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<隠れ家を探して>…鬼屋敷 桃実視点

 

「なんだかこの3人でいるのも慣れてきたな。後は早く天音とお嬢ちゃんが加わってくれるといいんだがな」

 

 スピカの生徒会室にはお馴染みとなった私、親友の要、生徒会長の詩遠が集まり、のんびりとお茶を飲んでいた。なぜ他のメンバーはいないのかと言われると半分は私のせい、もう半分は要のせいといったところだろうか?要についてはエトワール選でどう戦うか?という極秘の打ち合わせのためで、私についてはもちろん例のアレのためだ。

 

「で…、どうなんだ桃実。お嬢ちゃんにはもう手を出したのかい?」

「ぶふぅっ。ちょっと!何を言い出すのよ要」

「何って言われてもな。重要な事じゃないか。ねぇ会長?」

 

 突然の質問にお茶を…、今日は珍しく紅茶ではなく和菓子に合わせて淹れられた緑茶を吐き出してしまった。まったく要ったらいきなり何を言い出すのよ。机を汚しちゃったじゃない。仕方なく机の上を拭いて綺麗にする傍ら、要に同意を求められた詩遠は困ったような顔を浮かべた。

 

 そう、これが例のアレというわけだ。私には交際相手がいる。女の子しかいないこの丘でだ。違う校舎に通う1年生の…、幼い少女と交際をしている。女同士というだけでも問題が多いのだがそのうえ年が離れていることもあり、バレたら奇異の目で見られることは確実な案件だった。

 

「会長の意見はどうです?………。会長?」

「え?ああ、ごめんなさい。あの、間違いでなければ手を出すっていうのは()()()()()()()()?」

 

 窓から外を眺めながら顔を赤く染めた詩遠は確かめるようにそう言った。親しみやすい雰囲気ではあるが実際にはミアトルの六条深雪に負けず劣らずのお嬢様である詩音には、この手の類の話は不慣れらしい。不慣れというかこの反応は…。思わず私と顔を見合わせた要はやれやれといった様子でクックッと笑みを漏らした。

 

「お嬢ちゃんは1年生だからな。桃実とだと絵面的に少々問題があるな」

 

 要はどうやらこの話を続けるつもりらしい。正直言って、え?続けるの?と思わないでもなかったが、予想外にもコホンとわざとらしく咳をした詩遠が良識を持ってこれに対応した。

 

「少々どころの問題じゃないでしょ。相手の籠女さんはまだ子供なのよ?こういうことはしっかりと知識を得たうえで…」

「会長は常識人だなぁ」

「当たり前です!」

「じゃあ当事者である桃実に聞いてみよう」

「だ~か~ら!『まだ』何もしてないってば」

「へぇ~『まだ』ね。じゃあ予定はあるってことだ」

 

 うっ…。要のやつ抜け目ないんだから。籠女との一件で要が自分の思う以上に恋愛事の機微に敏感だと知って以来、要はとてもやりづらい相手となってしまった。迂闊なことを喋ると今のように手痛い反撃が来るというわけだ。

 

「二人ともそこまで。とにかく!桃実はこの件については慎重になりなさい。あなたが問題になれば、要にだって迷惑が掛かるのよ。下級生に手を出して不祥事を起こした結果、スピカがエトワール選を辞退せざるを得ないなんてことになったら、分かるでしょう?」

 

 詩遠に言われてハッとした。そうだ。要は天音さんとエトワール選に出たくて行動を起こしたんだ。それに会長だって…。スピカからエトワールを輩出するのを夢に見ている。もしそんな事態になれば面目は丸潰れのうえに大きな汚点として残ってしまうだろう。私と籠女の事が信用できない人物に漏れたら大変なことになる。私たちの事は()()()()()()()()()()()()()()。そのことを改めて思い知らされた。

 

「これまで以上に気を付けることにするわ。ありがとう要、詩遠。私…最近ちょっと油断していたから」

「それがいい。君とお嬢ちゃんが悲しむ顔は見たくないからな」

 

 要がクックッと嬉しそうに目を細めると、それに合わせて詩遠も静かに頷きながらほほ笑んだ。

 

 

 その日の放課後から私は行動を開始することにした。やれることはやっておいた方がいいとそう考えたからだ。まずは安全地帯の確保から。いちご舎の部屋以外にも二人きりで安心して会える場所が必要となる。食堂などの人の目に触れざるを得ない場所とは別にそういった場所があれば、落ち着いていちゃいちゃ出来るというわけだ。しかしそう簡単にそんな素敵な隠れスポットが見つかるはずもなく…。

 

「ん~。意外とこそこそ会える場所って見つからないものね~。まぁそういうつもりで探したことがなかったから当たり前なのかもしれないけど」

 

 事前に思い浮かべていた候補はいくつかあったものの、実際に行ってみると案外周囲から丸見えだったり、狭かったりと、なかなか良い場所が見つからない。仕方なく今は地図を塗りつぶすようにスピカの中をしらみつぶしに歩き回っている状態だ。

 

 でもこうして意識しながら歩いているとちょっとした暗がりなんかがそれっぽい場所に見えてきて、なんだかあちこちがいかがわしい雰囲気に包まれているような気がしてくる。自分と籠女が息を潜めて抱き締め合っているのを想像し、私は身悶えした。

 

「あっ、そういえばあそこなんていいかも」

 

 それは直感というかなんというか。ある種の『匂い』みたいなものを嗅ぎ付けたのかもしれない。屋上とは別の…、だけど少し校舎から張り出していて屋外となっている部分。あまり広くなく、日当たりも悪いせいで利用する生徒のいない、中途半端なテラスのようになっている細い場所で、無駄に置かれた鉢植えが狭い面積をさらに狭くしていて邪魔なことこのうえない。

 

 一般生徒はまず立ち寄らないであろうその場所は今扉の前に立ってみてもひっそりと静まり返っていて誰もいないように思える。どうやら『当たり』かもしれない。うふふ、ラッキー。誰もいないのだから気遣う必要はないのだけれど、なんとなく静かにそぉ~っと扉を開けて降り立つとそこには…、人が来るとは思ってなかったらしく身体をビクッと硬直させた先客の姿があった。

 

 片方は一瞥しただけでも相当にスタイルが良いと分かる漆黒のロングヘアの少女。もう片方はそれとは対照的に薄いスレンダーな身体付きで淡い金色の髪をした少女だ。

 

「あ、ごめんなさい。まさか人がいるとは思わなくて。あなた、たしか聖歌隊の…」

「聖歌隊の南都夜々です。こっちは同じく聖歌隊の此花光莉」

「私は━━━」

「━━━大丈夫です。分かりますから。生徒会の鬼屋敷桃実さんですよね。何度か式典や行事でお見掛けしました」

 

 ぺこりとお辞儀をした光莉さんを眺めながら、私はある出来事を思い返していた。私と籠女がお御堂の裏で『祝福』を受けた時のあの歌声を…。もしかしたら夜々さんの歌声に重なっていたもう一つの声の持ち主はこの子だったのかもしれない。なんとなくそんな気がした。

 

「二人は仲が良さそうね」

「はい。私と夜々ちゃんはルームメイトなんです」

「ああ、どおりで」

 

 夜々『ちゃん』ね。ふ~ん。光莉さんの方はちゃん付けで呼ぶのね。可愛らしいこと。おっとりした美少女って感じね。籠女も成長したらこんな感じになるのかしら?うん、あり得るかも。光莉さんに未来の籠女像の一つを感じ取り私は一人納得した。それにしても二人はこんな場所で何を?と尋ねようとした言葉を慌てて引っ込める。その手に聖歌隊が使う冊子を見つけたからだ。

 

「聖歌隊の練習?そうだったのなら邪魔してごめんなさいね」

「ええ、まぁ」

「や、夜々ちゃん。次はこの辺から合わせてみよう」

「ええと、そうだね光莉」

 

 う~ん。せっかく見つけた場所だったんだけど…。もし二人が普段から練習で使っているんなら諦めるしかないかぁ。ん~でもなぁ。なにか引っ掛かる。なんだか急に練習を始めたような。扉の前に立った時も歌声は全く聞こえてこなかったし…。それになにも二人きりでこんな場所に来なくても…。そう思うと、途端に二人の仲が親密なように見えてきて、己を恥じた。

 

 いけない、いけない。自分がそうだからって他の人もそうとは限らないわよね。単に仲良しってだけか…。仲間を見つけたと思ったらそうでなくてなんだか残念なようなホッとしたような。

 

 複雑な心境からか重い足取りで桃実がその場を去った後、夜々と光莉は胸を撫で下ろしていた。

 

「はぁーーーーびっくりしたぁ」

「よかったね夜々ちゃん。聖歌隊の冊子持って来てて」

「聖歌隊を隠れ蓑にするみたいでちょっと申し訳ないけど背に腹は代えられないもの。それにしても…、まさかここに人が来るなんて思ってもみなかった。生徒会の人だったけど何かの点検とかだったのかな?理由聞いておけばよかったね」

「うん。けど…下手に聞いてもそれはそれでまずかったかも?」

「そうだね~。はぁっ…。なんだか気が抜けたら眠くなってきちゃった」

「私も…」

 

 二人は壁にもたれかかると、手を繋ぎながら笑い合った。

 

 

 

 

 

 

 

<女神様のイタズラ>…鬼屋敷 桃実視点

 

 さてと。今日はどこを回ろうかな?昨日は聖歌隊の二人組に遭遇したりと空振りに終わってしまったがスピカの校舎は広く、まだ行っていない場所が結構残っていることに今更ながらに感心していた。まだあるのかと思う反面、これだけ広ければ良い場所の1つや2つあるだろうという期待もあった。昨日と同様に見取り図を片手に歩き回っていくと候補としてまずまず悪くなさそうな場所がちらほら。けれど安全性などの問題でどこも決め手に欠けている。

 

「気分転換に屋上にでも行こうかしら」

 

 スピカの屋上は給水設備等が設置されてはいるものの、広い校舎に比例するようにそれなりの面積があり見晴らしも良い。お昼には購買で購入したパンを片手にここでランチを取る生徒もそこそこいるが、放課後の今は誰もおらず閑散としていた。それでも晴れていたこともあって景色を堪能しながら大きく伸びをしているとなんだか上手くいくような気がしてきて心が楽になる。

 

 ここで籠女とランチするのもいいわね。仲良く1つのパンを分け合ってもいいし、小さなサンドイッチの詰め合わせを膝に置いて食べるのも楽しそうだ。運が良ければこのロケーションを二人だけで味わえるかもしれない。

 

「二人だけで…」

 

 ハッとして辺りを見回し確認を行う。誰かが来たらすぐに分かりそうな屋上の入り口。二人でも悠々と隠れられそうな給水タンクがあるエリア。ここより高い建物はすぐ近くにはなく、手でも振らない限りは地上からも見えなさそうだ。もしかしてここなら…。

 

「いいじゃない。運が向いてきたわ。籠女とはここで会いましょう」

 

 優良な候補が見つかってひとしきり喜んだ後、そろそろ戻ろうかとしたその時だった。階段を上ってくる数人の声が聞こえる。3人?いや2人だけだ。しかもその声には聞き覚えがある。つい最近聞いたばかり。それも昨日。夜々さんと光莉さん。あの2人だ。どうしてこんな時間に屋上に?それも2人きりで?逢瀬の場所を探してうろついていた自分に言える事ではないが、なんだか妖しい空気を感じ取り私は急いで身を隠すことに決めた。

 

 昨日あの場所を探し当てた時の『匂い』のような…、そんな何かを嗅ぎ付けたのだ。とりあえず給水タンクの影に隠れてみたはいいものの、想像していたよりも居心地は悪くあまり長居したい場所ではなかった。ただこちらから見えにくい分、相手からも見えにくいであろうことについては安心出来る材料と言えた。

 

「来た!」

 

 昨日と同じく聖歌隊の冊子を手に仲良さげにやって来た2人をじっと観察する。やっぱり練習に来たんだろうか?でもその割にはなんだかキョロキョロと落ち着きがないような…。人がいないかを確認している?人の迷惑にならないようにと配慮するにしてはちょっと大袈裟な素振りに見えた。やっぱり変だ。どうやら勘が当たっていたらしく、周囲を警戒する2人を前に、スパイ映画のように心臓がドキドキと弾む。

 

(ちょっとちょっと。まさか何か悪い事でもしに来たってわけ?やめて頂戴よね。仮に校則違反の事とかだったら大問題よ?)

 

 大それたことをするような子たちには見えなかったけど、とにかく目を離すわけにはいかない。不祥事が起きようものなら当事者だけでなくみんなに迷惑が掛かるのだ。昨日思い知らされた事実と共に要と天音さん、それと詩遠の顔が浮かんできて思わず手を握りしめた。

 

 ひやりとした汗がつぅーっと服の中を伝い、手はじっとりと汗ばんでいる。見逃さないよう目は見開いたままで、何かあればすぐに飛び出そうと身構えておく。確認が終わったのか視線を通わせた2人が言葉もなく頷き合ったのを見てゴクリと喉が鳴った。

 

「光莉」

「夜々ちゃん」

 

 結論から言って二人が始めたのは私が考えていたようなことではなかった。けれど…それと同じくらい驚くべき出来事で。コンクリートの段差が丁度ベンチのようになっている辺りへと腰掛けた二人は隣り合わせに座ると楽し気に雑談を始めた。それだけなら別に何でもないのだが、その姿勢が…、そもそもが()()()()()()()()べったりとくっ付いていたのだけど、少しすると光莉さんが夜々さんの胸の辺りにもたれかかるように身体を預けたのだ。

 

 安心しきってリラックスした様子からは、これが特別なことではなく普段から行われている日常であることが窺える。夜々さんがとても慣れた手付きで光莉さんの髪を手で梳くと、光莉さんは気持ちよさそうに目を細め、やがて眠りに落ちるかのように瞼を閉じた。空いた方の手を互いに…、ただ握るのではなく指を絡め合うように繋ぐとしばしの静寂が辺りを包む。

 

(あの子たち…付き合ってるんだ)

 

 もし籠女と交際していなかったら、目の前の光景にどぎまぎするだけでそういった考えには及ばなかったかもしれない。でも今の私は…。ああ、ダメだ。上手く考えが纏まらない。分かるのは二人が私たちと同じように交際しているということ。そしてその仲が、私と籠女よりも遥かに親密で深い関係にあるということだけだ。昨日一瞬だけ訪れた違和感は間違いではなかった。先程の様子から二人が交際を秘密にしているのは間違いない。

 

 だけどまさかこんな事が起きるなんて。まさかこんな…アストラエアの丘で隠れて付き合っている子が…すぐ近くにいただなんて。そして昨日言っていた言葉を思い出す。ルームメイトであると。二人だけの巣箱。邪魔の入らない隔絶された空間。そんな場所を持つ二人なら当然その先は…。

 

(二人は知っているのね。私が知らない世界を)

 

 それが無性に羨ましく、そして許せなかった。こんな場所で会わずとも、あなたたちには堂々と二人きりになれる場所があるというのに!人に言えず、閉ざされた世界だとしても私たちよりもずっと自由であるというのに!でも同時に可哀想でもあった。それだけの関係にありながら部屋を一歩出れば、咎人のようにこそこそとしなければならないのだから。

 

(違う。それは私たちも同じだ。私と籠女だってどれだけ深い仲になったとしても、結局は隠れて生きていくことになるんだ。()()()()()()()()()()()()()…)

 

 それはなんだか出口のない迷路みたいで、空がずっと雲で覆いつくされているような気が滅入る話だった。だけどこれこそが掟。この丘の…、女性しかいないアストラエアの丘における不文律。

 

(なら私はどうすればいいの?籠女と一つになったとして…その後は?分からない、何も分からないわ)

 

 昨日までは籠女との関係が全てで、結ばれさえすればそこがゴールだと思っていたのに。今こうして目の前に荒涼とした大地が…、先駆者であるはずの夜々さんと光莉さんまでもが手探りで頼りなく歩む世界があると知って、私は怖くなってしまった。眩暈にでも襲われたのかもしれない。気付けば音を立てている自分がいた。

 

 いるはずのない…、いてはならない観測者の登場に二人の目が驚きに見開かれる。無意識のうちに光莉さんを抱き締めた夜々さんの行動が、なおさら二人の仲を確かなものだと感じさせた。

 

「ご、ごめんなさい。生徒会の仕事で点検に来ていて。驚かせちゃったわね」

 

 どうにかこうにかそれらしい言い訳を考え引き攣った笑みを浮かべたものの、頭が回ったのはそこまでで後は立ち尽くすほかなかった。二人も明らかに表面だけの愛想笑いを浮かべ私の出方を窺っているように感じる。向かい合ったまま距離が縮まることはなく、間を通り抜けていく風は異様に乾いていた。

 

「奇遇ですね。今日もこんなところで会うなんて」

「二人は…あの、とても…。とても仲が良いのね」

 

 なんて薄っぺらい言葉なのだろうか。まるでそんなこと()()()()()()()()()()()。もちろんそれは二人にも伝わっていて、特に夜々さんは白々しいとでも言いたげに私を冷たい目で見つめていた。こんな会話に何の意味があるだろうか?私だって同じような立場だというのに。そう思うと、言葉は自然と発せられた。

 

「━━二人は恋人同士なのね━━」

 

 言ってしまってからすぐに後悔して両方の手の平で口を塞いだ。謝罪の意を示すように。なぜなら…。隠さなければこの丘で平穏に過ごす事が出来ないと学んでいるからこそ、その言葉が二人にどれほどの不安と恐怖を与えるか、私は知っていたから。

 

 今頃二人の胸中には様々な思いが渦巻いているはずだ。言い訳をするのか。認めるのか。それとも何か別の…。聞きたくなった。答えがいずれのものであったとしても聞くのが怖かった。だからその場から逃げ出すように立ち去ろうとしたのに…。籠女の事が浮かんで私は思わず足を止めた。

 

 こんなのフェアじゃない。二人にだけ不安と恐怖を与えてどこかへ行くのだなんて。もし私と籠女が同じ状況に陥ったら、夜は一睡も出来はしないだろう。あの人は言いふらしはしないか?教室に着いたら噂で溢れかえってはいないか?と。

 

 普通なら…、一般の生徒なら何を言っても安心させることは出来ない。けれど()()()()。あるのだ。二人を安寧に導くとっておきのセリフが。それを胸に私は振り返ると二人に告げた。

 

「私にも…いるの。好きな子が。とても大切な…()()()()!」

 

 先程とは違う驚きに二人は目を見開く。

 

「本気なの。付き合っているの。自慢の…自慢の()()なのよ。素敵で…可愛らしい…私の『眠り姫』。」

 

 そう言い残して私は今度こそ、その場から去っていった。あの二人にならそれだけで充分のはずだ。同じ側の人間であると伝えるためには…。敵ではないと、むしろ味方であると宣言するには。後悔はなかった。この丘の掟を知る者同士、安易に口外することはないと信頼出来たから。私たちは咎人だ。人に指差される咎人なんだ…。階段を駆け下りる靴音がやけに大きく聞こえていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<二つのカップル>…南都 夜々視点

 

 私と光莉は()()()()()()()()。元々女の子同士なのだから過剰に意識し過ぎないように気を付ければ、軽く手を握ったり、じゃれ合ったりするくらいなら周囲に変に思われることはない。もちろん、周囲の反応を探りながら少しずつ大丈夫そうな範囲を見つけ、適した振る舞いをその都度覚えていくという作業が必要ではあったが…。

 

 教室ではあくまでも友人を装いながらも、ちょっと仲が良過ぎるんじゃないの?と思われるくらいのギリギリのラインでの触れ合いを繰り返して、普段からいちゃついているイメージを抱かせた。そうやって許容される範囲に僅かながらに余裕を持たせることで、安全性を高めるための布石として。万が一に何かしらミスをしても、あの二人か、と呆れて見過ごしてもらえるように。

 

 二人きりの場面でも注意を怠らなかった。誰かに見つかることを想定し余程安全が確保されない限りは、言い訳出来る程度の接触までで抑えるように我慢した。いくら欲しくなったとしても不用意にキスするようなことはしない。互いにそれをしっかりと認識し、どちらかが雰囲気に流されそうになっても相手が抑制することで欲望に蓋をした。そうやって過ごすうちに…、とても不思議なことが起き始める。

 

 キスをせずとも、手を握り身を寄せ合うだけでもある程度満たされるようになっていったのだ。おかげで校舎にいる間もだいぶ心に余裕を持つことが出来るようになった。もちろんキスや身体の交わりの素晴らしさがそれで失われたわけではなく、むしろ特別な…、秘密裏に行わる神聖な行事として昇華されたことで、事が始める直前の()()()()()()()()()は得も言われぬ芳香を奏でた。

 

 慣れのようなものだったのだろうか?つまりは油断したと?それは違う。私たちには自信があった。これくらいの接触で私たちの関係に気付く者はいないと。もし仮にいたとしても、それは私たちと同じ側の…。だってそうでしょう?女の子しかいないこの丘で少しくらい仲が良過ぎたって、冗談交じりの軽口で茶化す人はいたとしても、真剣に交際していると疑う人はいない。なぜならそういう間柄の人間が身近にいるかはたまた当事者でもない限り、軽い接触だけを材料にそこまで想像出来るわけがないのだから。

 

 昼休みと違い放課後は人があまり来ないことを知っていた屋上で光莉と戯れる。胸に掛かる光莉の体重を受け止めながら手櫛で髪を梳いてあげると光莉は気持ちよさそうに目を細めた。そこまでは普段と変わらない、いつも通りの二人だけの時間だった。世界に私と光莉だけ。他には誰もいないはずの…。

 

 物音に気付いてそちらの方を見た時、思わず背筋が凍った。でもそれは単に誰かに見られたからではなく、その誰かの顔に見覚えがあったからだった。風に揺れる濃いめの亜麻色の髪。凛とした顔立ち。生徒会の鬼屋敷桃実さん。スピカでは名の知れた有名人ではあるが問題はそうではない。そう、問題は…()()()会っていることだ。

 

 いくらなんでも二日連続でこんな人のいない場所で会うだろうか?それも生徒会の人物と。その瞬間私の頭に浮かんだのは、私と光莉の関係が生徒会にバレて問題になったという可能性だった。最初から見張られていた?昨日会ったのも偶然ではなく監視の一環で?疑われているにも関わらず間抜けにも光莉との逢瀬を見られてしまった?でもこちらには判断出来る材料が何一つもなく、迂闊なことは言えない。

 

「奇遇ですね。今日もこんなところで会うなんて」

「二人は…あの、とても…。とても仲が良いのね」

 

 とりあえずの言葉に対する反応は何とも形容しがたいもので不思議な感覚に包まれた。戸惑っている?何か言いたいことが本当はあるのに宝箱にそっとしまい込んで蓋をしているみたい。寂しげな空気を纏ったその表情は、生徒会のメンバーとして異端者を断罪しにきた執行者のようにはとても見えなかった。もし彼女がそうであったならばこんな表情はせずに、もっと満面の笑みを浮かべて私と光莉を追及していただろう。お前たちは罪人であると。アストラエアの丘を乱す反逆者なのだと。

 

「━━二人は恋人同士なのね━━」

 

 言うなり申し訳なさそうに口を塞いだ姿を見て私の心は揺れた。的確な言葉だった。私と光莉の関係を表すものとしてはこれ以上にないほどの。知られてはいけない私たちの秘密の関係。本来ならば絶望的な悲観を抱くはずの場面で、心が揺れたのは別の理由だった。

 

 桃実さんは…もしかして。その時思い出したのはスピカで広まった噂。一瞬で話題から消え去った()()()()()()()()()()。生徒会の鬼屋敷桃実がルリムの1年生にお熱だという噂。もしあれが事実だったというのならば、桃実さんが私と光莉の関係をちょっとした触れ合いを材料に看破したとしてもおかしくはない。分かるものだ。隠していても、同じ側の人間であることは。

 

「私にも…いるの。好きな子が。とても大切な…()()()()!本気なの。付き合っているの。自慢の…自慢の()()なのよ。素敵で…可愛らしい…私の『眠り姫』。」

 

 そう言い残して去っていく桃実さんに私も光莉も言葉を掛けることが出来なかった。

 

「夜々ちゃん…桃実さんの言ったことって」

「本当だと思うよ」

「じゃあ…」

「うん。もう一度会わなきゃいけないね」

「恋人と会える場所を探しに来ていたのかな?」

「そうだったら女神様のイタズラかもね」

 

 さらにその翌日。廊下で桃実さんを待ち伏せした私たちはあの中途半端なテラスへと向かった。

 

「昨日は驚かせてしまってごめんなさい」

 

 会話が始まるなり頭を下げた桃実さんにやめるよう促し、会話を進める。

 

「桃実さん…あの私と夜々ちゃんの事…」

「ええ、大丈夫。分かってる。分かっているわ。あなたたちの事は誰にも話してない。それがこの丘での()()()()()ですもの」

「それを聞いて安心しました。ところで桃実さん自身のことは?誰か知っている方は?」

「………。それなんだけどスピカに2人いるの。でも信頼出来る人よ」

 

 信頼出来る…か。まぁ桃実さんが言うなら変な人ではないんだろうけど。

 

「名前を聞いても?」

「親友の剣城要と会長の冬森詩遠」

「それはまた随分と…難しい立場ですね。生徒会の主要メンバーだなんて」

「そんなことないわ。むしろ味方だと頼もし過ぎるくらい。その二人の他は千華留さん…かな。直接話したわけじゃないけどあの人は気付いていると思う」

 

 その名が出てきて思わず苦笑いを浮かべた私たちを見た桃実さんは何か察したようだ。

 

「千華留さんにエトワール様。この丘では避けては通れない存在だもの。仕方ないわ。それより今日の放課後屋上で会わない?紹介したいの。私の『眠り姫』を」

 

 了承代わりに頷き合うと私たちはその場を引き上げた。

 

「はじめ…まして。びゃくだん…かごめ…です」

「よろしくね籠女ちゃん」

 

 桃実さんが連れてきた『眠り姫』は噂にあったようにルリムの制服を纏った幼い少女だった。1年生ということを差し引いてもなお幼く、大人びた印象の桃実さんと並ぶとそのアンバランスさが際立つとともに、得も言われぬ背徳感を匂わせる。

 

 まぁ似たようなものか…。すぐ隣に立つ自分のパートナーである光莉を…、3年生にしては平らなボディを持つ天然で抜けたところのあるおっとりした性格の少女を見て私はそう思った。どちらもいかにもといった具合の子供っぽい下着を身に着けていそうだ。

 

 どうかしたの?と不思議そうな顔で見てくる光莉にまさかそんなこと言えるはずもなく、笑顔で誤魔化した後は桃実さんと隣に座りながらパーシヴァルと呼ばれるクマのぬいぐるみと共に戯れる光莉と籠女ちゃんを眺めていた。言うと怒るだろうからやめておくけど、光莉にはぬいぐるみが良く似合っていてとても可愛らしく、今度プレゼントにでもしようかと思ったほどだ。

 

「私たち…趣味が合いそうね」

「もしかして光莉もタイプだったりします?」

「籠女が成長したらあんな感じかなってちょっと思ったわ」

「ああ、なるほど」

 

 それ以上好みついて触れるのは互いにまずいと感じたのか私たちはえらく真面目な話を始めた。学園生活で注意していることや、逢瀬に適した場所や時間帯。今後に役立てようと可能な限りの情報交換を行っておいた。

 

「生徒会の要と詩遠は私の事を知っているから、理解もあって信頼出来るわ。あなたたちの事は話していないけれど、もし何かあったら私共々頼ってね」

「ええ、ありがとうございます」

「それじゃあ私と籠女は戻るから。次は食堂でお昼ご飯でも食べましょう」

 

 そう言って手を繋いで去っていった二人を見送る私たちの手もしっかりと繋がれていた。一時はどうなることかと思ったけど、今回はどうやら一件落着したみたい。桃実さんと籠女ちゃん、どうかお幸せに。そんな祈りを込めて見上げた空が夕焼けで赤く染まっていた…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 いかがでしたでしょうか?前回の後書きで『明るいお話の予定です』って書いたのですが、あまり明るくなかったですね。すみません。夜々と光莉。そして桃実と籠女の2つのカップルが出くわすお話でした。静馬と千華留以外は周囲に隠れ、息を潜めているという設定ですので見つかりにくい場所で会っていたり、努力してるよってお話が書きたかった感じです。それにしても桃実視点をこんなに書くことになるとはスタート前には予想だにしていなかった…。

 よかったら次章もよろしくお願いします。それでは~♪






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第19章「遅かったわね。可憐な騎士様」

■あらすじ
 渚砂のもとに届いた両親からの小包には手紙と一緒に贈り物が同封されていた。遠く離れた地で暮らす両親に思いを馳せつつ開封すると、中には2つのキーホルダーが。渚砂はそのうちの1つを玉青へのプレゼントにしようとするが…。
 入り乱れる赤と青と蒼。第19章は波乱の展開!?

■目次

<赤と青>…蒼井 渚砂視点
<青と蒼>……蒼井 渚砂視点


<赤と青>…蒼井 渚砂視点

 

 いちご舎の人から私宛に小包が届いていると聞いたのは、授業が終わり戻ってすぐのことだった。小包かぁ…。なんだろう?何かを注文した覚えはないし、かといって誰かからプレゼントが届く予定もなかったので不思議で仕方がない。用紙に必要事項を記入して渡すと係の人はすぐに分かったみたいで、棚から荷物を…、小包という文字に相応しい小さな段ボール箱を取り出し渡してくれた。

 

「ご両親からみたいよ。はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

 

 箱を受け取りがてら一応差出人を確認すると、そこに書かれていたのは間違いなく私の両親の名前だった。

 

「わぁーー。ほんとにお父さんとお母さんからだ」

 

 海外転勤となった二人からの初めての荷物。込み上げてくる嬉しさを表現するように、渚砂はその箱を頭上に掲げ小躍りしながら部屋へと戻った。生徒会の活動で玉青が不在のガランとした部屋に箱を置くと、何度も差出人を見ては手の平で撫でるようにして喜んだ。今のうちに開けちゃった方がいいかな?どうなんだろう?玉青ちゃんと一緒に開けたいけど中身が気になるのも事実。よし!家族からの贈り物だしやっぱり一人で開けちゃおう。

 

「なにかな?なにかな?」

 

 逸る気持ちを抑えつつ慎重に箱を開けると、中から出てきたのは手紙と小さな袋だった。布で出来た袋からは中身を窺い知ることは出来ず、手に取ってみるとチャリッと軽い金属音のようなものが聞こえる。2度、3度と手の中で弾ませてみるものの袋の正体は予想もつかなかった。

 

「でもこういうのって、何か分かるまでが楽しかったりするんだよね~」

 

 ここですぐに袋を開けてしまうのもなんだか味気ない気がして今度は手紙に手を伸ばしてみる。小洒落た封筒に入れられた手紙を開くとあまり質の良くない紙に二人の文字が並んでいた。罫線は定規か何かで自前で引いたらしく、ところどころ斜めっていたのが印象的だ。え~と、なになに。渚砂へ。寮での生活は上手くやれていますか?最初に書かれたお母さんの文章には主に私の学園生活や健康を心配する言葉が続いていた。中には同じような内容の心配が繰り返し書かれている部分もある。

 

「私は大丈夫だよ。友達も出来たし、上手くやれてるよ」

 

 お母さんってば大袈裟だなぁ、なんて思いながらも胸の奥がじんわりと温かくなるのは誰だって同じなんだろうな。一度手紙から視線を外し、手紙を抱き締めるようにしてありがとうと呟くと、自然と視界が滲んだ。

 

 よく考えてみればここでのこれまでの生活も自分にとっては大冒険に等しかった。知り合いが一人もいないミアトルに編入し、初めての寮生活を送ったのだから。それでも夜にホームシックに掛かって泣いたりしなかったのはひとえに玉青ちゃんのおかげだろう。玉青ちゃんがいなかったら、若しくは別のルームメイトだったら、耐えられずに逃げ出していたかもしれない。

 

「玉青ちゃんへのありがとうだって、何回言っても言い足りないな…」

 

 続くお父さんの文章では仕事が順調だとかそんな内容で始まり、旅先での面白いエピソードがいくつか綴られた後ようやく袋の中身についての言及があった。袋の中身が気になっていた私はついつい前のめりになって手紙を覗き込み、口からは知らず知らずのうちに手紙の内容が再生されていく。

 

「市場で怪しげな男からルビーとサファイアの付いた装飾品を買わないかと持ち掛けられた。もちろん我々は無視して先を急いだが、男はなおも食い下がってくる。根負けして見てみればなんてことはない。よくあるガラスに色を付けただけの紛い物だったのだが、見た目は悪くなかったのでそいつをとっちめる代わりに()()()()()買い取り渚砂へのプレゼントとする」

 

 もぉ~お父さんってば…なにこれ?部屋にくすくすと笑いが漏れる。これは本当の出来事なんだろうか?なんだかとっても胡散臭い。意外とお茶目なところもある父の作ったフィクションと言われた方が余程納得できるというものだ。娘を心配する母の言葉に続けて書く形になり、心配以外の事を書かなければと、手紙を前に必死で考える父の姿が目に浮かぶような気がした。

 

「でもなんだか二人らしいや」

 

 真実はどうあれ、その装飾品とやらが入ってるであろう袋は私のすぐ傍にあって、開封される瞬間を今か今かと待っている。どうせならその話に乗っかっておいた方が楽しく開封できそうだと思い、私の心の中ではそのエピソードは見事に現実の出来事として大切に書庫へとしまい込まれることとなった。二人の笑顔を思い浮かべながら袋を手に取り、留めてあったテープをそっと剥がして傾ける。すると手のひらの上には二つのキーホルダーがチャリッと音を立てながら転がり落ちた。

 

 わぁー綺麗。お揃いのデザインの装飾の中央にそれぞれ赤と青に色付けられたガラスがはめ込まれている。早速部屋の明かりにかざしてみると、赤と青のそれが光を吸い込んでキラキラと輝いた。

 

「本物かどうかなんて私には全然分かんないよ」

 

 って、私はそもそも本物のルビーやサファイアをじっくり見たことがないんだった。お母さんがいくつか持ってたような気がするけどどんなだったか全然覚えてない。分からなくて当然かぁ。海外旅行かなんかで勧められたら、あまり疑うこともなく信じちゃうかも。

 

 キーホルダーになっているのはお母さんがしてくれたのかな?相変わらず手先器用だなぁ。高価な品ではなくとも、遠く離れた地にいる両親から届いた初めてのプレゼントに私の気分はすっかり高揚した。

 

「赤と青か~。なんだか私と玉青ちゃんみたい」

 

 ベッドに寝っ転がってしばらくキーホルダーを眺めているとそんな事が頭をよぎった。二つを並べて揺らしてみると私の赤茶色のポニーテールと玉青ちゃんの青いシニヨンの髪が一緒に歩いているみたいに見える。他の子たちからは私と玉青ちゃんはこんな感じに見えていたのかな?なんて思ってみたり。

 

 これ、どうしようかなぁ。1個はカバンに付けるとしてもう1個は…。不精にもベッドに寝転がったままペンケースとかポーチとかに合わせてみたもののどうにも決まらない。いっそのこと2個ともカバンにつけるのも…。う~ん。

 

「あっ、そうだ!一つは玉青ちゃんへのプレゼントにしようっと。日頃の感謝を込めて…うん、それがいいや。心配だって結構させちゃって━━━ッ!?」

 

 そう思った瞬間、胸がズキリと軋んだ。思わず胸に手を当ててみる。

 

「心配…か」

 

 最近、玉青ちゃんとは少しギクシャクしている。生徒会の活動で頑張る傍ら可能な限りの時間を一緒に過ごしてくれるものの、出会った頃のような、なんでも通じ合っているみたいな感覚は鳴りを潜めている。原因はもちろんあの人だろうけど。あの人が現れてから玉青ちゃんは少し()()()()()()()()。ううん、玉青ちゃんだけじゃなくて、()()()

 

 煌びやかな銀髪の似合う整った顔立ちのあの人。エトワール…、花園静馬様。なんで私なんかと仲良くしてくれるのか不思議に思えるような御方。でもそんな静馬様は私に親しくしてくれている。()()()()()()()()()()()()()()()()()()。抱き締められ、耳元で囁かれると身体が熱くなる。ドキドキして、フワフワして、自分じゃないみたいに。

 

 思い出している今だって、宙に浮いてるみたいな気がしてしまう。一度こうなるとまた抱き締めて欲しいという願望が膨れ上がってきて、けれどすぐにはどうにもできず、モヤモヤとした得体の知れないものが身体に溜まり燻り続けるのだ。女の子同士だっていうのに、視界のどこかに静馬様の姿を探しては落胆することだってある。私は静馬様に惹かれている。間違いなく。

 

 だけど…。同性にドキッとしたのは静馬様に対してだけじゃない。それはついこの間の出来事。目を瞑るとはっきりとその時の事が思い出せる。それだけ記憶に刻まれたという証拠だと思う。

 

()()()()()()()

 

 そう声に出してみると、静馬様を思い浮かべた時みたいに胸が弾んだ。あの日、あの温室で、そう言われながら玉青ちゃんの背中に庇われた時みたいに。あの時の玉青ちゃんはとてもキラキラと眩しくて輝いていた。パァッてスポットライトに照らされたように、玉青ちゃんだけが光ってた。胸のドキドキは、もしかしたら静馬様に感じたものよりも…大きかったかもしれない。

 

 それなのに最近の玉青ちゃんは、私を静馬様から遠ざけることにばかり夢中で私の顔を見てくれない。いつも傍にいるのに、どこか遠くにいるみたいで…。『私の』と言ってくれた時の玉青ちゃんの影が時々ほんの少しだけ見えたりするけど、それを手繰り寄せようとするとはぐらかされてしまって、引っ張った糸の先に玉青ちゃんはいなかった。もう一度でいいから、あの玉青ちゃんに会いたい。

 

「玉青ちゃんは何で私にあんな事を言ったのかな?」

 

 青いキーホルダーを握ると、心臓がキュッと押し潰されそうに苦しくなる。知りたい。教えて欲しい。あの時の玉青ちゃんが私をどう思っていたのか。

 

「これが…きっかけにならないかな?」

 

 両親の送ってくれたキーホルダー。赤と青に彩られたそれは天啓のようにも思えた。二人でお揃いのキーホルダーを付けて歩いたらまた前みたいに仲良く出来るような気がしてくる。そう思うと二つのキーホルダーを飾るガラスが…、()()()()()()()()()()()()のように思えてきた。赤が私で青が玉青ちゃん。きっと似合うはずだ。

 

「玉青ちゃん…喜んでくれるかな?」

 

 

 

 

 

 良いアイデアが浮かんだのもあって玉青ちゃんの帰りがとても待ち遠しく感じた。何度も時計を見てはそわそわして、渡す練習なんて始めちゃったりする。帰ってきたらまずはおかえりって言って、そしたら…渡そう。

 

「ただいま渚砂ちゃん」

「あ、おかえりーー!玉青ちゃん、今日は早かったね」

「ええ。仕事が捗ったので。渚砂ちゃん…何か良いことでもありました?」

「えへへ。分かる?」

 

 気持ちが伝わったみたいで余計に嬉しくなった。

 

「実はね、玉青ちゃんにプレゼントがあるんだ」

「プレゼント…ですか?」

「うんっ!」

 

 ふふふ。玉青ちゃんったら驚いた顔してる。

 

「じゃーーーん!!!」

「わぁっ!素敵なデザインですね」

「うんっ。海外のお父さんたちが送ってきてくれたの。赤と青のが2つセットになっていて、綺麗でしょ?」

「赤と青。まるでエトワールの証みたいですね」

「そうなの?」

「ええ。エトワールの証もこんな感じで蒼と紅の宝石が付いた2対の首飾りなんですよ」

「へぇ~」

 

 簡単に説明をしながら玉青ちゃんは私の手の平の上のそれらを色んな角度から眺めては頷いている。どうやら気に入ってくれたみたい。よかったぁ、とホッとしつつ、改めて青い方を玉青ちゃんに差し出した。

 

「はい、玉青ちゃんの分。私が赤で玉青ちゃんが青なの。明日から一緒にカバンに付けて登校しようよ」

「本当にいいんですか?これは渚砂ちゃんのご両親が渚砂ちゃんにって送ったものなんですよ?それを私が貰うなんて」

「いいの、いいの。私が玉青ちゃんにあげたいんだもん」

「渚砂ちゃん…」

「ほら、こうやって並べると私と玉青ちゃんみたいに見えない?」

 

 さっきベッドでしてたみたいに並べて見せると玉青ちゃんもすぐに分かってくれた。以心伝心って感じですっごく嬉しい。

 

「渚砂ちゃんにそこまで言われたら受け取らない理由がありませんね」

「もぉ~大袈裟だってば」

 

 玉青ちゃんの手が青いキーホルダーに伸びて、触れようかというところでその手が止まった。不思議に思って首を傾げている私の目の前で、手は伸びたり戻ったりの繰り返し。どうしたの?と尋ねると、玉青ちゃんは躊躇いがちに口を開いた。

 

「あの…渚砂ちゃん。渚砂ちゃんが良ければなんですけど…」

「うん…」

()()()()私にくれませんか?」

「え?でも名前に青って入ってるし髪も綺麗な青髪だし…。玉青ちゃんには青い方かなって」

 

 玉青ちゃんは首を振り、赤い方を指差しながら理由を教えてくれた。

 

「赤い方が欲しいんです。さっき渚砂ちゃん言ったじゃないですか。赤は渚砂ちゃんだって。だからその赤い方を貰えば、いつでも渚砂ちゃんと一緒にいられます。渚砂ちゃんだと思って大切にしますから」

「玉青ちゃん…」

 

 私の心臓が跳ねた。あの温室の時みたいに。玉青ちゃんの気持ちに触れたような…、そんな気がした。

 

「そっか。じゃあ私はこっちの青い方を玉青ちゃんだと思って大切にするよ」

「本当ですか!嬉しいです渚砂ちゃん。これで生徒会の活動があっても寂しさを紛らわせられますね」

 

 私の手から渡った青いキーホルダーにそっと頬を寄せた玉青ちゃんが嬉しそうに微笑む。その姿を見ていたら、青いガラスが今度こそ()()みたいに輝いてるように見えた。今なら素直に聞けるし、答えも返ってくる。そんな気がして私は聞きたかったことを切り出した。

 

「ねぇ玉青ちゃん。玉青ちゃんは私のこと………。どう…思ってるの?」

「急になんですか。もちろん()()だと思って大切に」

「ならなんであの時玉青ちゃんは『私の』って言ったの?前に聞いた時は答えてくれなかったから。私…どうしても知りたくて」

「それは…」

 

 今度こそ、手繰り寄せた糸の先に()()玉青ちゃんはいるんだろうか?

 

「私ね、嬉しかったんだ。あの時玉青ちゃんが『私の』って言ってくれて。この前は言いそびれちゃったからさ。ずっと喉の奥に引っ掛かってたの。ちゃんと伝えたかったなって思ってて」

「それ、()()()()()?」

「うんっ!()()()()。だから玉青ちゃんも教えてよ」

 

 私は期待していた。また『私の』って言ってもらえるんじゃないかって。言ってもらえたらきっとドキドキするんだろうなってそう思ったから。だから素直に言えた。嬉しかったって。ちょっとはにかんじゃったけどね。私は言い終えると玉青ちゃんの言葉を待った。

 

 だけど返ってきた言葉は…予想だにしないものだった。本当は気付くべきだったんだと思う。私の言葉を聞きながら玉青ちゃんが辛そうに、苦しそうに顔を歪めていた事に…。本当ですか?って聞いた声のトーンが、ちっとも嬉しそうじゃなくて、確かめるような静かなトーンだった事に…。

 

「━━渚砂ちゃんの()()()━━」

「え………。たま…お…ちゃん?」

「本当はそんなこと…思って…、思ってないのに」

「ま、待ってよ。どうしてそう思うの?私はッ━━━」

「━━━じゃあなんでこそこそ静馬様と会っているんですか!?私が知らないとでも…」

 

 泣きそうな声だった。ううん。泣き()()じゃなくて…泣いていた。玉青ちゃんは泣いていた。

 

「気付いてたの?」

「当たり前です。渚砂ちゃんの方こそ気付いてなかったんですか?渚砂ちゃん、静馬様と会った日はいっつも嬉しそうな顔してニコニコしてるんですよ。幸せで仕方ないってそんな顔をして。他の子には分からなくたって、私には分かります」

「それは…ごめん」

「そんなに静馬様がいいんですか…。あの御方が」

「ごめん玉青ちゃん。まだ自分でもよく分からないんだ。静馬様に会うとドキドキしたりして、それで…」

「だったらッ!だったらこのキーホルダーだって静馬様にあげればよかったじゃないですか?私じゃなくて静馬様に!」

 

 そう言って玉青ちゃんはキーホルダーを…、ほんの少し前には嬉しそうに抱いていたそれを私に向かって突き出した。

 

「ひどいよ玉青ちゃん。なんでそんな事言うの?」

「私だってこんな事言いたくありません。嬉しかったんですよ、これを受け取ったところまでは。本当に嬉しかったんです。なのに渚砂ちゃんが…渚砂ちゃんが嘘をつくから!」

「嘘じゃない…、嘘じゃないよ。ほんとだもん。玉青ちゃんに言われて…私…私」

「私が、私が静馬様に会わせないように必死になっていたの知ってたくせに!知ってて、それなのに…」

「ごめん…なさい。でもこれは…これは玉青ちゃんにって。絶対似合うと思ったから。お揃いの付けたかったから…。だから…だから。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()…。それだけは信じて欲しいの。私はただ…玉青ちゃんに喜んで欲しくて…それで」

 

 どうしていいか分かんなくなって、ただただどこかへ行きたかった。ここじゃなければ…、玉青ちゃんの前じゃなければどこだっていい。気付けば部屋を飛び出していた。後ろから玉青ちゃんが私を呼ぶ声がしたような気がしたけれど、空耳だったのか本当に呼んでいたのかさえ分からなかった。手の中に残された青いキーホルダーを握りしめたまま、がむしゃらに走る。門限なんて知るもんか。

 

 走って、走って。息が上がってもまだ走って。足の動きが鈍くなってきてつまずきそうになった辺りでようやく足を止めた。苦しくて何かに掴まっていないと倒れてしまいそうで、よろよろと近くの木に手を伸ばすと倒れるように体重を預ける。木に抱き着くみたいにして寄っ掛かって幾分呼吸が戻るまで間そうしていた。もし人に見られたら笑われちゃいそうなひどい有様だったけど、私に出来るのはそれくらいしかなくて。

 

 身体の向きを変え、今度は背中でもたれかかるようにしながらキーホルダーを眺めると、思わずあっ…、と呟きが漏れた。青いガラスはまだ明るい陽射しを受けてキラキラと輝いていた。けれどその光り方はどこか痛々しくて。メッキが剥がれたみたいに安っぽく輝くそれは…、とても先程のようには美しくなかった。()()()()()なんて欠片も思えないような…ただの色の付いたガラスでしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<青と蒼>……蒼井 渚砂視点

 

 結局、足は温室へと向かっていた。玉青ちゃんにあんな事を言われた後で会いに行くなんて間違ってるって思ったけど、それしか思いつかなくて。千早さんや紀子さん、他にも友達はいたけれど、こんな時に頼れそうな相手は静馬様しか…。だけどそれは玉青ちゃんにばかり頼っていたからだと気付いて、また悲しくなった。

 

「何やってるんだろう…私。バカみたい」

 

 とぼとぼ歩くたびに、()()()()()()()()青いキーホルダーが手の中で揺れる。なんだかチャリチャリと鳴る音まで安っぽく聞こえてきて寂しくなった。私は玉青ちゃんに何を求めていたんだろう?本当はなんて言って欲しかったんだろう?もう分かんないや。今はただぐちゃぐちゃになった頭の中を整理出来ないまま足を動かしてるだけで、ゾンビにでもなった気分だった。

 

 温室の前に辿り着いて静馬様の姿を見た時、ようやく人間に戻ったような気がした。美しい草木が並ぶ温室の独特な…、周囲から隔絶された空気の中をまっしぐらに進み、迷わずその胸に飛び込む。その瞬間、抑えていた涙が溢れ出して頬を伝った。

 

「静馬様ッ!静馬様…静馬様」

 

 縋りつくように何度も名前を呼んで、頭を押し付ける。ぐりぐりと子供みたいにそれを繰り返すと少しだけ心が落ち着いた。いきなりの行為だったにも関わらず、静馬様は優しく私を抱き留め微笑んでくれて…。聖母みたいに慈愛に満ちた声が頭の上から降り注いだ。

 

「どうしたの渚砂?今日は会う予定の日ではなかったでしょう?」

 

 私の様子が尋常ではないことを知ったうえで、あえて普段通りに喋ってくれる。何もかもお見通しみたい。

 

「私…玉青ちゃんと…喧嘩してしまって。それでどうしても静馬様に会いたくなって」

「そう。大変だったわね。さぁ、お茶の用意はないけどそこに座って」

 

 促されて着席したはいいものの、玉青ちゃんとの事をどこまで喋っていいか分からず、言葉が出ない。そもそも喧嘩したという事自体言わない方がよかったのかも。きっと玉青ちゃんは静馬様に知られるのを嫌がっただろうから。

 

「あら…。もう、ダメじゃない渚砂。そんなに力強く握っていたら手を痛めてしまうわ」

「えっ?あ、これは」

 

 とっさにどこかへ隠そうかと思ったけど手遅れだった。そっと重ねられた手でゆっくりと広げられ手の中にあったキーホルダーが姿を現す。

 

「なかなか素敵なデザインね」

「両親が送ってくれたんです。赤と青がセットになっていて…」

「でも渚砂が持っているのは青い方だけみたいだけど」

「赤いのは…玉青ちゃんに」

「ごめんなさい。聞くべきではなかったかしら」

 

 渚砂が返事代わりに俯いていると、静馬は自らの胸元に手を伸ばしタイをしゅるりと緩めた。そのまま躊躇うことなくボタンを外していくと形のいいバストの上の方が僅かばかり露わになったものだから、渚砂は慌てて顔を背けた。

 

「し、静馬様!?急にどうなされたんですか?」

「あなたに見せてあげようかと思って。私も似たようなものを身に着けているから」

 

 女の子同士だから見ていても良いのよ、なんて冗談めかして仰ったけど、とてもそんな真似は出来そうにない。同性である自分から見てもその姿は色っぽくてどぎまぎさせられてしまうほどだ。見ないようにとなるべく視線を落とし、じっと待つ。

 

「渚砂は良い子ね。ご両親の育て方が良かったのかしら」

「静馬様の姿を見たら誰だってこうするに決まってます。じろじろ見るなんて…畏れ多くて」

 

 くすくすと笑った静馬がエトワールの証を取り出すと、()()()()を抱いたそれがチャリッと音を立てて主に応えた。渚砂のものとは違い本物のサファイアがあしらわれたもので、首に掛けても邪魔にならないシンプルなデザインだ。

 

「もしかしてこれがエトワールの証…」

「そうよ。歴代エトワールのみが身に着けることを許されたものよ。そうでないのに身につけたがる不届きものもいるみたいだけど」

 

 その皮肉は静馬が深雪に向けて放ったものだったので当然渚砂には分かるはずのないものだった。どう反応していいか分からず仕方なく首飾りについての感想を述べる。

 

「蒼い石なんですね」

「せっかくだから並べてみましょうか」

「ええっ!?だ、だって私のは…その」

「どうしたの?」

「ただの色の付いたガラスで…。とても静馬様のものと並べるようなものでは」

「いいのよ。私がそうしたいのだから」

 

 いいの…かな?静馬様が望むんだからいいんだろうけど。渋々と青いキーホルダーを取り外して隣に並べる。

 

「あっ…」

 

 思わず落胆の声が漏れる。やっぱり思った通りだ。エトワールの証の蒼いサファイアが深みのある輝きを放っているのに対して、自分のものはテカテカとした安っぽい輝きをしている。単体で見ればそうでもないが、本物と並べてみると一目瞭然で、私にもはっきりと違いが分かる。というか、こんなにも違うものだなんて…。せめて玉青ちゃんの事で悩んでなければ、そう悪くはないと思えたのかもしれないけれど…。そんな心情など知る由もなく、自己主張するようにますます青く光るガラス細工は私を憂鬱な気分にさせた。次第に並べているのも恥ずかしくなって引っ込めようとすると…。

 

「どうして引っ込めようとするの?」

「やっぱり私の…ただのガラスですし」

「そんなことはないわ。素敵だと思うけれど」

「静馬様は()()()()()()

 

 その言葉に深い悲しみを感じ取ったのか、静馬は肩を落とした渚砂に向かってここぞとばかりに口を開いた。まさに今が慰め時だと言わんばかりに。

 

「サファイアの石は渚砂の色でもあるのね」

「私の…色?」

「だってそうじゃない。あなたの名字。蒼井渚砂の蒼はサファイアの色でしょ」

「あっ!」

「気付かなかったの?渚砂らしいといえばらしいけど。それにやっぱりあなたのキーホルダー、なかなか素敵よ。交換して欲しいくらい」

「いくらなんでもご冗談が過ぎますよ」

「そう?とても素敵よ」

 

 笑いながらそう告げた目はキーホルダーを見てはいなかった。視線は互いの手の平よりもずっと上。私の顔に注がれている。キーホルダーなんて映らないとでもいいたげに()()()()見ていた。

 

「あのッ!静馬様の首飾り素敵ですね」

 

 見つめ返していたら飲み込まれてしまいそうで咄嗟にそう言ったけど、静馬様の瞳は依然として私を貫いたままで…。スッと伸びてきた手が顎に触れると、逸らしていた顔を向けさせられて改めて告げられた。

 

「素敵よ…渚砂。とても可愛らしいわ」

「お顔が近過ぎます」

「そんなことないわ。これくらいで丁度いいくらいよ」

「す、すみません。今日は…話を聞いて欲しくて来ただけで…その」

 

 放っておいたらすぐにでも顔が迫って来るんじゃないかって雰囲気に包まれ、辺り一面が華やいで見えた。けれど…手の中のキーホルダーが一瞬だけ()()()()()()()()()()、私はそう答えていた。静馬様の蒼い首飾りじゃない。私の青い方…、玉青ちゃんが。

 

「そうね。とりあえずはタイムリミットかしら。門限に遅れると面倒だし、一緒に戻りましょうか」

「は、はい」

「玉青さんと会うのが気まずければ夕食までは談話室で過ごすといいわ。きっと玉青さんも、色々考えることがあるだろうから」

 

 予想外にもあっさりと解放され静馬様から離れる。最後に小さくお互いのためにもね、と付け足した静馬様の顔はやっぱり綺麗だった。

 

 

 

 いちご舎に着くと静馬様に別れを告げてから談話室へと向かった。なるべく人のいない方の席に座り物思いに耽る。でもいざ考えをまとめようとすると思うようにいかなくて、夕食まで結構な時間があったはずなのにあっという間に時間が経ってしまった。食堂の入り口は早めに来た生徒たちでごった返していて、玉青ちゃんの姿を探したけれど見つからず、仕方なく中に入って適当な席へと着く。一応静馬様からも離れた位置にしておいたけど…。

 

 玉青ちゃん遅いな…。普段は5分前とか10分前行動を心掛ける玉青ちゃんには珍しく今日はなかなか姿を見せなかった。生徒たちが続々と着席していき食堂が埋まっていっても、なおもやって来ない。心配になって席を立って部屋へと行こうかと思ったその時、後ろから声を掛けられた。だけどそれは玉青ちゃんではなくて…。

 

「立ちなさい渚砂」

「えっと…あの…これは」

「いいから立ちなさい」

「は、はい」

 

 有無を言わさぬ迫力の静馬様を前に訳も分からず席を立った。多くの人が座っている中で起立させられ、静馬様と向かい合っているのはこの上なく目立つ。当然、周囲の生徒たちも何事かとこちらをじっと見つめくるものだから、私は視線から逃れるように身を縮めるほかない。なんだって静馬様は私に立つように命じたんだろう?

 

「ねぇ渚砂。あなた…キスしたことある?」

 

 突然のセリフに驚いたのは私だけじゃないはずだ。だって静馬様の声はよく通る澄んだ声で、ボリュームも小さくはなかったから。その証拠に私の周囲から発生したざわめきは次第にその周りへと広がっていき、やがて食堂全体に伝わっていった。

 

「今の聞いた?」「どういう意味かしら?」「静馬様どうするつもりなんでしょう」

 

 そしてみなの意識にある一つの事柄が思い浮かぶと、そのざわつきは瞬く間に熱を帯びて燃え上がった。

 

「もしかしてキスするつもりなんじゃ」「嘘?ここで?」「でも、静馬様なら」「相手の子はたしか編入生よね?」「ねぇ、ほんとうにすると思う?」「そうでなきゃあんなこと聞かないわよフツー」

 

 静馬は混乱を収めようと立ち上がったミアトルの生徒会長の姿を視界の端に捉え、満足気に笑みを浮かべると渚砂の顎に手を掛けた。それを見た生徒たちの一部が黄色い悲鳴を上げると、ただでさえ異様な盛り上がりを見せていた食堂は、さらに一段と空気を変容させる。

 

 これから起きるであろう事態にわくわくが止まらないのか目を輝かせるもの。顔を背けつつも気になるのかチラリチラリと覗き見るもの。様々な感情が渦巻きつつも、みなが望むただ一つの結末に向かう同調圧力のような何かに渚砂は怖くなり、狼狽えた。みんなにキスを急かされているかのようだ

 

「心配しないで渚砂。怖がらなくて大丈夫。忘れられない思い出に…してあげるわ」

「待ってください静馬様。お願いですから」

「私だけを見なさい。そして信じなさい、私を」

 

 一歩後ろに引いた身体がテーブルに当たってその拍子に食器が小さな音を立てる。カチャンという音がやけにはっきりと聞こえたのは、騒いでいたみんなが静まり返り、事の行方を固唾を飲んで見守っていたからだった。途端に音を失った食堂はなんだか別世界みたいで知らない場所に放り出されたみたいな気がした。一歩前に踏み込んだ静馬様に、そのままテーブルに押し付けられるようにして身体が密着すると、見上げた視界の中には静馬様しか映らなかった。周囲にはこんなにも人がいるのに…。

 

「大好きよ渚砂。━━()()()()━━」

 

 その言葉と共に口付けが交わされ食堂には黄色い悲鳴が響き渡った。呆然と立ち尽くす深雪に目もくれず、二度、三度と渚砂の唇を奪った静馬は得意気に唇を離すと、食堂の入口へと振り返り…そして告げた。

 

「━━遅かったわね。可憐な騎士様━━」

 

 ()()()。その単語の意味するものはただ一つ。視線の先にいたのは…。

 

「玉青…ちゃん」

 

 見間違えるはずなんてない。綺麗な青いシニヨンの髪。 

 

「嘘…。嘘です。こんな…こんなことって。なんで?どう…して?」

 

 大切そうに両手で握られていた何かが、力なく垂れさがった手から零れ落ちるのを私は見た。床にぶつかり、本来ならばカチャンと音を立てるはずのそれは、歓声に掻き消されて誰の耳にも届かない。けれど私には、()()()()()しっかりと聞こえていた。だってそれは…それは。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 私のファーストキスの相手は女の人でした。背が高くて、美人の、いと高貴なる御方。

━━この丘で唯一絶対の()()()()()()━━

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 いかがでしたでしょうか?今回はたっぷり渚砂ちゃん視点となっております。久々に1話1話が長めだった気がします。結構自分の好きな要素を詰め込んだ章なので気に入っていただけたら嬉しいです。それではまた次章で~♪





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第20章「ごめんなさい渚砂ちゃん」

■あらすじ
 玉青の目の前で渚砂の唇は静馬によって奪われた。それはもう変えようのない事実。
学園中の生徒たちの注目の的となる渚砂を心配しつつも、その心は揺れ動く。
エトワールに翻弄される玉青が取った行動とは!?

 第20章では主人公の玉青ちゃん視点3話でお届けします。

■目次

<どうか間に合って>…涼水 玉青視点
<悪魔の囁き>…涼水 玉青視点
<月明かりの下で>…涼水 玉青視点


<どうか間に合って>…涼水 玉青視点

 

「もうすぐ…夕食の時間ですね…」

 

 部屋の時計を見た玉青は小さく呟いた。喧嘩になって部屋を飛び出していったルームメイトはまだ戻ってきていない。誰か友人のところへ行ったのか?それとも談話室あたりで一人で過ごしているのか?はたまた…。

 

「静馬様のところでしょうか」

 

 渚砂が自分の元を離れ静馬のところへ行くのを想像するのは胸が締め付けられる行為だった。窓の外を見るともう日は落ちていて暗くなっている。門限は過ぎているからいちご舎の外にいるということはないだろうけど、一体どこでどうしているのか確かめる術はない。かといっていちご舎の中をうろつき回って渚砂を探し回る勇気は残念ながら残っていなかった。

 

 手の中にあるキーホルダーが渚砂ちゃんのいる場所を示してくれればいいのに…。でも、会ったとして何を喋ればいいんでしょうか?謝って…その後は…。

 

 

 

 

 結局うだうだと言い訳するように部屋を行ったり来たりするうちに夕食の時間になってしまったものの、玉青はいまだ部屋にいた。いつもの玉青であればとっくの昔に食堂へと到着し席に座っているはずの時間である。

 

「まずは謝って…。キーホルダーありがとうって言って。それから…それから」

 

 ああ、もうっ!考えがまとまらない。こうしている間にも刻々と時間は過ぎていって、もう少しで本当に夕食が始まってしまうというのに。一人でぼんやりと食事出来ない寮生活が今は恨めしく思える。部屋で食事を取れたらどれほど楽か…。苛立ちからか何か物を投げつけるなりしたい気分だけど、握りしめているものは投げるわけにはいかない代物だった。

 

 渚砂ちゃんから貰ったキーホルダー。渚砂ちゃんの赤茶色のポニーテールを思わせる赤い色。渚砂ちゃんの分身。これを付けて一緒に校舎までの道を歩きたい。笑って、笑って、お腹が痛くなるくらい笑いながら…。

 

「私…渚砂ちゃんと一緒にいたい。いつまでも一緒がいい。渚砂ちゃんが………()()

 

 言葉にした瞬間、自然と涙が溢れてきた。本当は気付いていた。自分が誰を好きかくらい。気付いていたのに…。言った途端にこれまでの友情が壊れてしまうんじゃないかって思ったら、怖くて仕方がなくって。だから考えないようにして、親友とか、ルームメイトとか、そんな言葉を隠れ蓑にして逃げていた。目を背けていた。

 

 でも…、でも…。このままじゃ渚砂ちゃんが離れていってしまう。どんどん遠ざかって、私の傍からいなくなってしまう。嫌だ。そんなの嫌。

 

「渚砂ちゃん…」

 

 伝えよう。夕食が終わったら一緒にここへ戻ってきて、それでちゃんと伝えるんだ。自分の想いを包み隠さず。

 

「待っていてくださいね、渚砂ちゃん。今、行きますから!」

 

 

 

 

 

 

 

 渚砂ちゃん。渚砂ちゃん。頭の中は渚砂ちゃんの事で溢れそうになった。出会ったばかりの頃のことや、一緒にお茶会をしたこと。走馬灯みたいに渚砂ちゃんとの想い出が頭の中を流れていく。言うんだ! 渚砂ちゃんに、好きだ!って。

 

 気持ちに押されるように勝手に足が前に出る。さっきまでうだうだしてたのが嘘みたいに軽快に動く。あっという間に階段を駆け下りると、無人のフロアを駆け抜ける。流石にこの時間になって食堂に向かう生徒はいないらしい。誰もいないガランとした空間に私の駆ける足音だけが反響した。でも今の私には好都合だ。だってこっちの方がずっと走りやすい。

 

「食堂が…ハァッ、ハァッ…見えましたわ」

 

 見慣れた食堂の姿を目にして、疲れていた足に再び力が入る。あと少し、あと少しだ。

 

「「キャーーーーー」」

「えっ!?今のは…?」

 

 突如食堂から聞こえてきた黄色い歓声に私は足を止めた。食事の時間にはあまりにも不釣り合いな声。それは明らかに日常のものではない。一体…中で何が起きたんだろうか? 事件にしてはその声は()()()()()()()()。凄く嫌な予感がする。当たって欲しくないもやもやとした霧のような何か。

 

(大丈夫ですよね…渚砂ちゃん)

 

 足を止めたせいで一気に襲ってきた疲労と不可解な声に対する警戒とで、胸をバクバクとさせながらそろりそろりと扉へと近付いていく。そうしてゆっくりと歩くうちに、外まではっきりと届いていた声は段々と小さくなり、やがて全く聞こえなくなった。演奏の始まったコンサートホールのごとく、物音がまるでしない。おかしな現象に今度は不安を募らせつつ、ドアノブに指を掛けた。

 

 ゆっくりと開いていくのと同時に中の景色を映していくドアの隙間から、私は赤茶色のポニーテールを見つけた。見間違えるはずない。即座に渚砂ちゃんであると判断し、その姿にホッと胸を撫で下ろす。よかった。何事もなくて。

 

「渚砂ちゃん」

 

 思わず小さな呟きを漏らしながら扉を一気に押し開いた私の目に飛び込んできたのは…。

━━キスを交わす静馬様と渚砂ちゃんの姿でした━━

 

「え………?」

 

 なんで二人がキスをしているの? それも…こんな大勢の前で。理解できない…、ううん、理解したくない光景を前に呆然と立ち尽くす私を置き去りにするように、遅れて響いた黄色い悲鳴が食堂を埋め尽くし、キスをする二人と私を…包み込んだ。

 

 どうしていいのか分からない。ただ口から零れるのは嘘、嘘と繰り返されるうわごとばかりで、力の抜けた両手がだらりと下がり、手からは握りしめていたはずのキーホルダーがするりと落ちていった。私の耳にはやけに大きな音がしたような気がしたけれど、他の生徒たちの耳には誰一人として届かないらしい。生徒たちの喧騒が鳴りやむことなく、私は世界から切り離されたままだった。

 

 音も色も、何もかもが失われていく中で渚砂ちゃんと目が合う。口の動きから何かを呟いたらしいことは分かったのに、その音さえも届いてこない。静かにして。渚砂ちゃんの声が聞こえない。お願いだから静かにして!

 

 そんなささやかな願いを打ち消すように、渚砂ちゃんの姿を隠し私の前に立ちはだかった壁は…、冷たい微笑を浮かべたエトワールは絶望的なまでに巨大で、私はただみっともなく震えることしか出来なかった。

 

「これは一体なんの騒ぎですかっ!?」

「大変!」「生活指導のシスターよ」「すごい剣幕」「ねぇ、どうなるのかしら?」

 

 騒ぎに気付いて飛び込んできたシスターの大声が喧騒を切り裂き、生徒たちの声が徐々に小さくなっていくのに合わせて、ようやく私の手もピクリと動き、止まった時間を取り戻すことが出来た。だけど何をしていいか頭が回らず、結局は慌てふためく他の生徒同様に私もおろおろとするだけで床のキーホルダーを拾うことさえ叶わなかった。

 

()()あなたですか。エトワール、花園静馬」

「ええシスター。ごきげんよう。()()です」

「騒ぎの原因はあなた一人?」

「いえ、違います。隣にいるこの…渚砂もそうです」

 

 質問するシスターに静馬様はそうお答えになった。腰に手を回し、抱きかかえるようにして。まるで周囲に知らしめるかのように。

 

「そうなの?渚砂さん?」

「わ、私は………」

 

 渚砂ちゃんが騒ぎの中心にいたことは、飛び込んできたシスターの目にも明らかで、とてもじゃないけど言い逃れできるような雰囲気ではなかった。シスターに厳しい視線を注がれ、渚砂ちゃんは観念したかのように、はい、とだけ呟いた。

 

「分かりました。二人には事情を聞かせてもらいます。いますぐ私と一緒に指導室に来るように」

「ええ、もちろんです。シスター」

「他の皆さんは食事をとりなさい。悪いけれど各校の生徒会長はしっかりと場を落ち着かせて頂戴。お願いしますよ」

「じゃあ行きましょうか…渚砂」

 

 まるで敬う気配のない態度にいら立ちを募らせるシスターの後ろで、静馬様は優雅に渚砂ちゃんの手を取ると、エスコートでもするかのように歩き出した。さながら舞踏会の踊りに姫を連れ出す紳士にも似た振る舞いで、中には感嘆の声を漏らす生徒も…。

 

 ()()()やっているんだ。シスターの機嫌を逆撫でするために。でもどうして? そんなことをしたら説教の時間が伸びるだけなのに。

 

「あっ…」

 

 しまった。こっちに来る。食堂の入り口は当然私が立っている方なわけで、シスターを先頭にして3人がこちらへと向かっていた。足が竦んだように震え、どちらかへ避けようにも動けない。そうやってかかしのように突っ立っている私のすぐ傍を通り過ぎようとしたその時…。

 

「あら? これ…何かしら?」

「そ、それは…」

 

 渚砂ちゃんから離れた静馬様が私の足元に落ちていたそれを拾い上げ、光に透かすようにして高く掲げた。取り返そうと手を伸ばしたものの、躊躇いがちな手は中途半端に伸びた状態で止まり、宙を彷徨う。みんなの前へと晒されてたそれは、自然と集中した視線に応えるかのようにキラリとその身を煌めかせる。

 

「素敵なキーホルダーね。ふふふ。綺麗な赤い色。()()()()()()()

 

 その言葉にビクッと身体を震わせたのは私ではなく渚砂ちゃんだった。輝きに吸い寄せられた瞳がそれを見て、次いで私を見る。

 

「な、渚砂ちゃんっ!あの…」

「これ、玉青さんのでしょう?大切そうなものだし返しておくわ」

「━━━ッ!?」

 

 身体を割り込ませ視線だけでなく言葉さえも遮った静馬様は、丁寧な口調とは裏腹に突き付けるようにしてキーホルダーを差し出した。けれど、意志に反して身体は動かない。指が触れそうな距離まで近づいたものの、なんだか触れるのが怖ろしくなって…。

 

 つい先程まではそれを握りしめ、渚砂ちゃんに想いを伝えよう…そう決意していたはずなのに。全てが壊されてしまった。目の前でその唇は奪われ、興奮していた熱はあやふやになって行き場を失ってしまっている。

 

「どうしたの?受け取らないの?」

 

 唇の端を吊り上げ冷酷な笑みを浮かべた悪魔は、なかなか受け取ろうとしない私の手に強引にそれを握らせると、押し付けるようにしてその手を離した。

 

「━━()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()━━」

 

 言われた瞬間。すぐに意味が分かった。まやかしではなく…本当の意味が。

()()()()()()()()()()。静馬様が言ったのはキーホルダーのことなんかじゃなくて…、それはもっと大切な…。渚砂ちゃんのことで。

 

「渚砂は私の所へ来たわ。泣きそうになりながら、あなたと喧嘩したって」

 

 他の人には聞こえないように、私の耳元に口を寄せて放たれた言葉が身体を貫いた。冷たい鉄の刃が食い込んでいくように私の心にヒビを入れる。

静馬様と会っているというのは予想はしていたけれど、実際に相手の口からそう言われると惨めで仕方がなかった。

 

 頭の中に湧き上がってくる後悔と自責の念。私が…私が手を離したから。それも…自分から。でも…今更どうしたら?二人は…二人はもうキスまで交わしているというのに。耳障りなチャリチャリという音の出所に目を向けると、渡されたキーホルダーが手の中で振動していた。そうか、身体が震えているんだ。

 

「部屋で渚砂の帰りを待つことね。それがあなたのお仕事よ()()()

 

 惨めに、未練がましくキーホルダーを握りしめ続ける私の横を通り抜けシスターたちは食堂を出て行った。上級生たちによって仮初の静寂を与えられた部屋の中にキーホルダーの音だけが嫌に煩く響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<悪魔の囁き>…涼水 玉青視点

 

 渚砂ちゃんが戻ってきたのは結局、就寝時間ギリギリとなった頃だった。

 

「………。ただいま…」

「おかえりなさい…」

 

 力なく約束の挨拶を交わす。聞きたいことはあったけれど、疲れてやつれた顔を見て言葉は喉の奥へと引っ込んでしまった。

 

「食事は…食べましたか?もしお腹が空いているならクッキーか何かでも…」

「ううん。大丈夫。それよりごめんね、心配させちゃって」

「いえ、あの…私…」

「今日は遅いからもう寝よっ?明日も学校あるし」

「そう…ですね。明日も早いですから」

 

 場違いに明るい声。渚砂ちゃん…無理してる。以前なら迷うことなく何かしら行動することが出来たのに、あのキスを見た後では自信がなくて、何一つ出来やしなかった。

 

 

 

 

 

 

 翌日になり登校した先の教室は…最悪の一言ではとても言い表せなくて。

 

「あ、来たよ」「静馬様とみんなの前でキスしたのってあの子なの?」「なんだか思ってたのとイメージと違~う」「ねぇねぇ今来たんだけど、渚砂ってどの子?」「あ、ほらあれよ。赤毛でポニーテールの」

 

 教室の外にはいちご舎の生徒から事件を聞いた生徒たちが学年を問わず押し寄せていた。中には何度も声高に解説する()()()目撃者の姿もある。ミアトルの生徒がなんてはしたないと嫌悪しても、彼女たちにそんな気持ちが通じるわけもなく、平気で指差しては笑い合っていた。

 

 渚砂ちゃんは身を縮こまらせて俯くしかなく、ただただホームルームの時間が来るまで耐えるつもりのようだ。なんで、なんで渚砂ちゃんがこんな目に…。あの人が…、あの人があんなことさえしなければ!そう、そうだ!あの人が悪いんだ。なにもあんな大勢の目の前で…しなくたって。

 

(だけど…渚砂ちゃんは拒まなかった。それどころか受け入れているようにも見えた。もし渚砂ちゃんと静馬様がほんとうにもうそういう関係なのだとしたら私は…私は一体何のために戦えばいいの?)

 

 昨日の夜。何度も何度も考えたことだ。眠れなくて、チラリと隣のベッドを覗いては同じ思考の繰り返し。寝不足と感情のもやもやとで苛立ちが募り、つい教室の外の野次馬たちに向かってどなろうとしたその時。

 

「あなたたち何をしているのっ!もうすぐホームルームの時間よ。教室に戻りなさい」

 

 聞こえてきたのは生徒たちを叱る六条様の声だった。さしもの生徒たちも相手が悪いと思ったのか口をへの字に曲げて不満を表しつつも既に立ち去る気配さえ見せている。

 

(来てくださったんですね六条様。本当に気の利く御方ですわ…)

 

 けれどそんな安心も束の間。次に聞こえてきたのは私の心をざわつかせるあの人の声で…。

 

「少しくらいは良いじゃない。学園生活に刺激は必要だわ」

「静馬…」

 

 騒ぎの張本人でもあるエトワールの登場に、撤退しようとしていた生徒たちの目に好奇の色が浮かぶ。もしかしたらまた何か起きるかもしれない。そうでなくても、おもしろいものが見れそうだと。深雪と静馬を囲むように一定の距離を置いてぐるりと立ち並び二人を見守り始める。

 

「顔色が悪いわよ深雪。もしかして眠れなかった?」

「ッ!?あなたがそれを言うの?」

 

 悪びれる様子もなく笑った静馬は深雪をこれみよがしに挑発してみせた。なおも零れる微笑は余裕の表れかそれとも…。

 

「随分と機嫌が良さそうね」

「あなたは機嫌が悪そうね深雪」

「当たり前でしょう!私がどんな気持ちで…」

 

 夜を過ごしたと思っているの、という言葉を飲み込みつつも深雪は静馬を睨みつけた。ギャラリーの手前、迂闊なことは言えない深雪と何でも言葉に出来る静馬とではどう考えても深雪の方が不利に違いなかった。せめて1対1なら打つ手はあるのに、と奥歯を噛み締める。

 

「睨んだって駄目よ。そんな顔をするくらいなら可愛らしい顔をしなさい。その方がよっぽど効果的よ」

「それが出来たら…苦労はしないわよ」

「そんなことないわ。そうね、たとえば…もっと媚びた表情を見せる…とか? 瞳を潤ませて上目遣いで私を見るの。何でも言うことを聞きますって顔をして。どう? 素敵でしょ」」

 

 深雪の傍に近付いた静馬が耳元でそう囁くと、深雪は思わず「ふざけないでッ!」と叫び振り払うように手を大きく動かした。

 

「誰がそんなこと…」

「あらあら。赤くなっちゃって」

 

 普段は仕事の鬼として畏れられる深雪をいとも容易く手玉に取る静馬に、固唾を飲んで見守っていた生徒たちも驚きを隠せない。ヒートアップする二人の会話に野次馬たちの囲む円がじりじりと狭まり、ギャラリーとの距離がだいぶ近くなっていたものの、幸運にもホームルームの時間を告げるチャイムが鳴り響くと、「あ~あ」といった顔を浮かべ自分たちの教室へと戻っていった。

 

「良かったわね深雪。恥をかかずに済んで」

 

 そんなセリフを残し、静馬様は六条様を置いて先に戻っていく。後を追うように六条様も歩き出すと大勢いた生徒たちが一人残らず立ち去りどうにかこうにか静寂を取り戻した廊下を担任の先生が歩いてくるのが見えた。

 

「なんとか今朝は乗り切りましたね、渚砂ちゃん」

「うん…」

 

 振り返り、頷いたその顔を見て私は言葉を失ってしまった。暗い表情の中に僅かに…、ほんの僅かにだけど頬に朱が差したように見えて…。

 

 喜んでいるんですか? あの人の姿が見えたから? それとも自分を心配して様子を見に来てくれたと、そう考えて?なんで? どうして? 私が傍にいるときはそんな表情浮かべなかったのに…。静馬様の姿が、声が、()()()()()()()()

 

 悔しかった。悔しくて仕方がなかった。燃え上がった嫉妬の炎で、心が焼けつくされるようだった。知らず知らずのうちに握りしめた拳は、爪が食い込んで血が滲むくらい、きつく握りしめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 放課後なんか待っていられない。昼休みが始まると同時に席を立った私は6年生の教室へと向かった。手にはあのキーホルダーを持って。お互いカバンに付けられるはずもなく、でも部屋に置いてくるのは嫌でひっそりとポケットに入れてきたのだ。これがせめて心の拠り所としてお守りにでもなってくれれば…。

 

 私の姿を見るなり察したのか、手身近な空き教室へと連れられる。余裕綽々といった様子で、きっと昨夜のシスターの説教の時だってこんな感じだったに違いない。きっとそうだ。自分は平然としたまま、シスターに説教されてシュンとする渚砂ちゃんのすぐ傍で支えるフリをして。シスターの神経を逆撫でしてたのもそれを1秒でも長くするために…。

 

 

「それで…何の御用かしら、涼水玉青さん」

 

 目を合わせることもなく、敵だと分かっていてもそれでもなおドキッとしてしまいそうな流し目で廊下を見つめる静馬様。嫌いだ。私はこの人が嫌いだ。

 

「なんで…なんでキスなんかしたんですか。渚砂ちゃんのこと、本気なんですか?」

「本気だと言ったら、あなたは大人しく引き下がるの?」

「どっちなんですかッ!?もし、もし本気でもないのにキスしたんだとしたら私は…あなたを」

「その握りしめたキーホルダー。渚砂から貰ったんでしょう? もしかして一緒に付けて登校するつもりだったのかしら?」

「ッ!? バカにするのも…いい加減にッ!!」

 

 挑発だと分かっていてもカッとなって熱くなってしまう。拳を握りしめ、身体全体がワナワナと震えて止まらなかった。もしまた挑発されたら、平手打ちの一つでもかましてやろう、それくらいの意気込みで私は対峙している。

 

「あなたのことだからどうせ遊びで━━━」

「━━━愛してる」

「え…?」

「愛しているわ渚砂のこと。だからキスしたの。これでご満足?」

 

 愛…してる? そんなことをどうしてこうもサラッと言えるのだろうか、この人は。

 

「信じられませんそんなの。愛しているっていうならなおさら…渚砂ちゃんのためにも…あんな大勢の前でキスすることなかったじゃないですか! ()()()()()渚砂ちゃんを苦しめるようなこと絶対に」

「ああ、そうなの。そういうこと。妬いてるのね、あなた。先に渚砂にキスしたかったのに、出来なかったから」

 

 私が渚砂ちゃんにキス? そんなこと…考えたこともなかった。好きって伝えようとは思ったけれど、考えていたのはそこまでだけで、その先の事なんて。そもそもキスしようだなんて普通は思わない。言われた今だって渚砂ちゃんとキスしたい気持ちなんてこれっぽっちも…。

 

「私は、()()()とは違います」

「同じよ、きっとね」

「違うっ!私はただ渚砂ちゃんと一緒にいたいだけで、あなたみたいに穢れた感情なんて持っていませんッ!」

 

 ()()()。そうだ。私は違う。キスとか、そんなことしなくたって渚砂ちゃんといられるだけで幸せだ。そんな私の気持ちと静馬様が同じなわけない。一緒にしないで欲しい。

 

「とんだお子様ね。キーホルダーを付けて仲良く一緒に登校? 子供騙しも大概にしなさい。それと、自分の想いはピュアでプラトニックなものだとでも?」

「どうぞ笑いたければ笑ってくださって結構です。それでも私は………」

「じゃあそんな玉青さんに良いこと教えてあげる」

「良いこと?」

「ええそうよ。とっても良いこと」

 

 相変わらずもったいぶって。自分は何でも知ってるって顔。自分だけは知っていて、相手は何も知らないと見下している。傲慢で、厭味ったらしくて、なんでこんな人がエトワールに…。

 

「渚砂の唇はね…甘いのよ」

「は…?何を言って…」

 

 ようやく言ったと思えば、こんなくだらないことを。

 

「柔らかくて…甘くて。触れているだけで蕩けてしまいそう」

「ああそうですか。それは良かったですね。エトワール様らしい色欲に満ちたお言葉ですこと」

 

 込められるだけの皮肉を込めた言葉にも静馬様はどこ吹く風で。それどころか瞳の中にポッと炎を灯したみたいに妖しい輝きを放ちながら私を見つめていた。得体のしれない怖ろしさに身体が竦みそうになる。その視線が渚砂ちゃんにも向けられるのだと思うと気味が悪くて、どうにかなってしまいそうだった。

 

「私の言った言葉の意味。すぐに分かるわ」

「ッ!分からなくていいですし、分かりたくもありません。不愉快です、失礼します」

 

 かみ合わない会話にイライラし、さらには同じ部屋にいるのが怖くなって外へと飛び出した。心臓が跳ねてる。あの目、苦手だ。

 

「あら、せっかちさんね?」

 

 手を繋いでハイお終い、だなんてそんなことあるわけないじゃない。そんなんで済むなら、それは好きってことじゃないわよ玉青さん。

 

「まぁいいわ。とりあえず今日はこんなところかしら」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<月明かりの下で>…涼水 玉青視点

 

「帰りましょう渚砂ちゃん」

「うん…ってそのカバンの…」

「さっき付けたんです。大切なものですから」

 

 驚く渚砂ちゃんの指差した先には、赤いキーホルダーが煌めきながらゆらゆらとその身を揺らしていた。私はそれを見やすいように手の平に乗せると、慈しむようにそっと撫でる。

 

「玉青ちゃん()()()? 私…静馬様と」

「何を言っているんですか。一緒に付けようって言ったの渚砂ちゃんですよ。今日は持ってないでしょうけど、明日からは━━」

「━━ある!あるよ…。私もちゃんと持ってきてるよ、ほら」

 

 一瞬信じられなかった。渚砂ちゃんがそれを隠し持っていただなんて。でもカバンから取り出されたのは紛れもなく青いキーホルダーで、対となる青い煌めきが赤の隣に並び、一瞬で華やかになった。それがカバンに取り付けられるとようやく定位置を得た二つの姉妹たちは、嬉しそうに一層の輝きを放ち辺りを照らす。

 

「似合ってますよ渚砂ちゃん」

「ありがと、玉青ちゃん」

 

 今度こそ教室を出た私たちは隣り合って歩く。時折チャリッと音を立てるキーホルダーたちが奏でる合唱を聞きながらゆっくり、ゆっくりと。

 

「ねぇ玉青ちゃん。()()()()()…色んな事」

 

 ポツリと呟いた渚砂ちゃんの言葉に、息を呑む。そんなの聞きたいに決まってる。静馬様とは正式にお付き合いしているの?とか、そうでないならなんでキスを拒まなかったの?って…。だけどそうした気持ちを抑え込み、私は平静を保ちながら答えた。

 

「いいんです。いいんですよ渚砂ちゃん」

「でも…」

「そんなことより手を繋ぎませんか? 今なら人も少ないですし気にせず歩けますよ」

 

 戸惑うようにおずおずと差し出された手を取り柔らかく包み込むと、手は渚砂ちゃんの体温と私の体温とで熱くなった。今はただ、渚砂ちゃんに寄り添っておこう。余計なことはせずに、渚砂ちゃんの隣に…。

 

 

 

 

 

 

 

 

「渚砂ちゃん、明かり消しますね。………。渚砂ちゃん?」

 

 呼び掛ける声に返事はなく、見れば寝息を立てて既に眠っている。

 

(今日は疲れましたね。ずっとみんなの注目の的でしたから)

 

 明かりを消して渚砂ちゃんのベッドに腰掛けると、心の中で語り掛けながら子供をあやす母親の如く…、起こさぬよう細心の注意を払いながら頭を撫でる。無防備な寝顔は朝までだって見ていられそうなほど可愛いけれど、今日は流石に私も寝不足で、起きてはいられなそうだ。その証拠にさっきから欠伸が止まらず、目を擦ってばかりいる。私もそろそろ寝ないと…。

 

 そう思い腰掛けていたベッドから降りようと身体の向きを変えようとしたその時。

━━私の指が渚砂ちゃんの唇に触れた━━

 

 最初は何に触れたのか分からなくって、あっ、と小さく呟きを漏らしながら手を引っ込めたものの、それが唇だと分かったら自分でもなぜそうしたのか思い出せないけれど、気付けば恐る恐る指を伸ばしていた。

 

 指に伝わってきたのはしっとりとした感触。軽く押し込むとプルッとした弾力を持ったそれは私の指に纏わりつくように吸い付いた。

 

(私ってば一体…何を…。どうしてこんなことを)

 

 早く指を離さなければ。頭では分かっているのに指は唇を弄ぶように数回唇の上を跳ねまわり、それが終わると、今度はなぞるようにその上を指の腹が往復した。

 

(違う、違う…。私はあの人とは違う。キスなんて、キスなんて興味ない。ないはずなのに…)

 

 思考をかき乱すノイズのように、昼間に言われた静馬様の言葉が頭の中を蹂躙する。『先にキスしたかったんでしょう?』知らない。あなたに言われるまで考えもしなかった。『渚砂の唇はね…甘いのよ』やめて、やめて!そんなのどうでもいい、私には関係ない!

 

 ハァッ、ハァッと微かに乱れた呼吸を整えようと、もう片方の手を胸に当てつつ数回に渡って唾を飲み込んだ。だけど胸はキリリと痛み、私を楽にはしてくれない。苦しくなってパジャマをギュウッと掴んだ拍子に、つい()()()()()()()()()

 

 指の腹が柔らかな唇を押しのけ、あっけないほど簡単に口内へと入り込むと、指の先に渚砂ちゃんの…舌が触れた。僅かに身じろぎしたものの、再び寝息を立て始めたその口から慎重に指を引き抜いてみると、唾液に濡れた指先がテラテラと光っていた。

 

「あ、ああああ。渚砂ちゃん…渚砂ちゃん」

 

 どうにかこうにか手で口を抑えることに成功し、静まり返った部屋にくぐもった声が漏れる。心臓が煩いくらいに音を立て、寝ている渚砂ちゃんを起こしてしまうんじゃないかって心配になるほど、早く、そして強く鼓動した。改めて指先を眺めると、確かに指先は渚砂ちゃんの唾液でコーティングされ、妖しく煌めいている。そしてふと、()()()()()()()()()()()という衝動に駆られた。

 

 今度は言葉だけなく靄のような幻影となって現れた静馬様が再び囁く。『渚砂の唇はね…甘いのよ』。甘いの?渚砂ちゃんの唇は…本当に…甘いの?

 

 勝ち誇ったような笑みを浮かべた悪魔はなおも囁いた。『すぐに分かるわ』。悪魔の指差す先には渚砂ちゃんの寝顔があって、もっと言えば、今も無防備になったままの唇があった。したい。してみたい。どんな味なのか、私も…。この指先ではなく、その唇に…。

 

(私…私。渚砂ちゃんと…キス…したい)

 

 『だから言ったでしょ、同じだって』嘲笑する悪魔は肩をすくめてみせた。そうだ。その通りだ。私の好きは…そういう好きだ。今まで気付かなかっただけ。そういう世界を理解しようとしなかっただけ。分かってしまった以上は、もう否定することなんて出来やしない。

 

「好き、好きです。渚砂ちゃんが…好き」

 

 だから、だから…。

 

「━━ごめんなさい渚砂ちゃん━━」

 

 カーテンの隙間から差したほんの小さな月明かりに照らされて、二つの影が…そっと重なった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 いかがでしたでしょうか? 大変個人的な趣味なんですが、廊下での深雪と静馬の会話が好きです。自分で書いてて言うのもアレですけどこういう会話ぞくぞくしちゃいますね。短いシーンなんですけどバチバチ火花飛び散ってそうでお気に入りです。

 それにしても静馬様の厭味ったらしいこと…。罪作りな御方です。意識してそう振舞っているケースもあれば、意図せず相手にそう受け取られちゃうケースも少なからずありそうな静馬様。相変わらず敵が多そう…。

 そして何よりも健気な玉青ちゃん。ぞくぞくしちゃいますね(2回目)。というわけで今回はこのへんで。次章では夜々と光莉も絡んできますのでどうかよろしくお願いします。それでは~♪
 


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第21章「玉青さんは私や…静馬様と同じなんですよ」

■あらすじ
 昨夜の出来事がまだ頭にこびり付いている。あの柔らかな感触。そして甘いくちどけを。隣に眠る少女にしてしまったとある行為の残滓が私を絡めとり苦しめていた。食堂へ向かう途中で得た直感から来る導きは救いとなるのか?

■目次

<重たい枷>…涼水 玉青視点
<あなたの罪は何ですか?>…南都 夜々視点
<隠れ住む異端者>…涼水 玉青視点



<重たい枷>…涼水 玉青視点

 

「んっ…」

 

 いつもと変わらない天井の模様。起床時間にはまだ早く、隣を見ればこれまたいつものように眠る渚砂ちゃんの姿が目に入った。ベッドから身体を起こし頭に手を当てる。どことなく頭が重い気がしたからだ。そのまま少しの間その状態で過ごし、次第に意識がはっきりとしてくると今度は憂鬱な気分が襲ってきた。原因はただ一つ。昨夜の出来事に他ならない。

 

 渚砂ちゃんへのキス。あの時の感触を思い出そうとするかのように、指は自然と唇をなぞり、何度も確かめるように往復した。

 

(私…したんですね。渚砂ちゃんと…)

 

 徐々に記憶が鮮明になるにつれて、キスをしたんだという実感も大きくなっていく。柔らかくて、それでいて弾力に満ちた唇。そして最も大事なことは…唇が甘いということ。静馬様が言った通りだった。いや、それ以上かもしれない。瑞々しい唇に触れた瞬間、私はそれを知ったのだ。

 

 本来であればキスと同様に甘い思い出となるべきはずだったにも関わらず、先程述べたようにすっきりとしない気分が私を支配している。

 

(ごめんなさい。ごめんなさい渚砂ちゃん)

 

 隣のベッドの方へと身体を向け心の中で謝罪を繰り返す。私はとんでもないことをしでかしてしまった。許されないことを、裏切りにも似た行為を。

 

 寝ている渚砂ちゃんの、無防備な唇を奪った。同意することも、拒否することも出来ない状態の渚砂ちゃんのだ。私がしたことは、嫌悪していた静馬様がしたことよりも遥かに悪質で、非難されるべき行為である。

 

「最低ですね…私」

 

 渚砂ちゃんは何も知らない。それに考えもしないだろう。自分が眠っている間にキスをされていたなんて。どうしても我慢出来なかったから、というセリフをまさか私が言う側の立場になろうとは思ってもみなかった。そういった軽薄で無責任な言葉を吐くような人間は唾棄すべき存在だったというのに、今や自分がその一員の仲間入りとは…。

 

 でも本当の事だ。私は我慢出来なかった。唇の甘い誘惑に、唆す悪魔の囁きに抗う術を持ち合わせていなかったのだ。けど渚砂ちゃんだって悪い。私を信用しているから? それともそういった対象としてまるで意識されてないからなの?

あんな風に無防備にしているなんて…。

 

 こんなことを言ったら渚砂ちゃんはどんな顔をするだろうか。きっと軽蔑するに決まってる。どの道キスした時点で言い訳出来る段階はとっくに通り越していることに変わりはないのだけれど。

 

「触れた時に目を覚ましてくれればよかったのに…」

 

 そうすればあんな過ちを犯さずにいられた。とめどなく湧き上がる罪悪感に苦しむことも…。

 

(なら…なら言うの? キスをしたって、寝ているあなたの唇を弄んだと正直に)

 

 出来ない。出来っこない。そんな怖ろしいこと私にはとても無理だ。嫌われるようなことを自ら進んで行えるほど、高潔な人間じゃない。

 

━ピピピッピピピッピピピッ━

 

「んっ、んん~。ふわぁあっ。おはよ~玉青ちゃん」

「お。おはようございます渚砂ちゃん」

「相変わらず早起きだね」

 

 持ち主である私によって起床時間よりも5分早くセットされたアラームが生真面目に鳴り響き、渚砂ちゃんを起こす。今日に限って言えば、規則正しく動くそれが鬱陶しく感じられる。セットするんじゃなかった。

 

 ベッドの上で軽く伸びをした渚砂ちゃんは普段と変わらない様子で眠たそうに目を擦っている。一瞬、もしかして渚砂ちゃんが昨夜起きていたら?という考えが頭をよぎったが、他愛ない朝の会話をやり取りしているうちにそれは有り得ないと思い直した。

 

「さあ支度をしましょう渚砂ちゃん。今日もいい天気ですよ」

「うんっ」

 

 顔を洗い、着替えをするいつも通りの朝の光景。違っているのは私が浮かべているのが作り笑いであることくらい。今日も滞りなく支度の時間が過ぎていくことに内心ホッとしていたそんな矢先…。

 

 思っていたよりも眠りが浅くてボーッとしていたのか、ちょっとした気の緩みだったのかは分からないが、珍しくバランスを崩した私は小さな悲鳴を上げて床に尻餅をつく羽目になってしまった。

 

 大丈夫?と心配そうに顔を覗き込む渚砂ちゃんにひとまず無事を伝えると、立ち上がろうとするよりも早く小さな手が差し出される。丁度部屋の明かりを後ろに背負っていたのもあってか、その姿は慈愛に満ちた聖母のようにも見えた。早く手を掴むようにと、さらに僅かに私に向かって伸ばされた手がゆらゆらと揺れている。

 

「どうしたの? ほらっ早く早く~」

「は、はい…」

 

 遠慮がちに伸ばした手が引っ張られ身体がふわりと浮く。重力なんて存在しないみたいにびっくりするほど軽やかに引き上げられた私は、少々勢いが強すぎたのかそのまま渚砂ちゃんの元へ。自分よりも身長の低い渚砂ちゃんを見上げるような体勢で胸元に着地した。すぐ近くに渚砂ちゃんの唇があって、容易く触れられそうな距離で視線が交錯する。一瞬時間が止まり、僅かな時を置いてからハッとしたように互いに顔を背けた。

 

「ご、ごめんごめん。ちょっと強く引っ張り過ぎちゃったみたい。大丈夫、玉青ちゃん?」

「ええ、私は」

「そっか、よかったぁ」

 

 渚砂ちゃんに抱き締められている。優しく…しっかりと。耳をくすぐる照れた笑い声を聞きながら身体を預けているのはとても幸福なひと時でずっとそうしていたいと思わずにはいられないほどでした。けどやっぱり間近で見る微笑みは私には眩し過ぎて、もう一度視線を交わそうなどという勇気はなく顔を背けたままでいるのが精一杯。

 

(こんな気持ちになるのであれば、キスなんてしなければよかった)

 

 もっと純粋に、自由に、幸せな気分になれると信じていたのに…。私のファーストキスはごちゃまぜになった感情に支配され今や『負い目』へと変貌していた。あの悪魔の囁きは、ものの見事に私の中に楔を残すことに成功したというわけだ。厄介なことに簡単には取り除けない…重たい枷を。

 

「ごめんなさい、いつまでも抱き着いていて」

「そんなこと気にしなくていいのに」

「髪をセットしたら食堂に行きましょうね」

 

 浮かべた作り笑いが顔に馴染んでいく。私の意志なんてどこにも存在しないみたいに。

 

 

 

 

 

 

「あ、玉青さんに渚砂さん。おはようございます」

「よかったら朝ご飯、ご一緒しませんか?」

 

 食堂へ向かう途中であったのはお茶会でもお馴染みの夜々さんに光莉さんペア。相変わらず仲良さそうで何より、そんな風に最初は思っていたけれど…。少し一緒に歩いただけで、私は上手く言えないむずむずとした違和感に襲われた。常に光莉さんの事を気にして、エスコートするような素振り。もちろんそれは些細なもので、傍から見れば心配性だとか、大袈裟だとか、そんな一言で笑い飛ばされることかもしれない。

 

(どうして()()()と被るんでしょう)

 

 以前にも二人に違和感を覚えたことがある。その時は気のせいかと思ってすぐに頭の片隅へと追いやってしまったのに、今日はなぜだか気になって仕方がない。それはあたかも小さな種子が、時間をかけてようやく花を咲かせたかのような不思議な感覚だった。

 

 この二人になら相談出来るかも…。特に()()()()()()()。それは新たに芽生えた希望に他ならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<あなたの罪は何ですか?>…南都 夜々視点

 

 コンコンッと控えめなノックに気付き扉を開けてみると、そこにいたのは今朝一緒に食事をした玉青さんだった。扉を少し大きく開けても隣に渚砂さんの姿はなく、一人で訪れたらしい。一瞬、お茶会のお誘いだろうか?などと呑気に考えた自分を責めたくなるほど

思い詰めた表情をしているのを見て、ただ事ではないと理解した。

 

「どりあえず中へどうぞ」

「すみません、突然お邪魔して」

「いえいえ。今お茶淹れます。………えっと、光莉はちょっと外出しちゃってて」

 

 とりあえず光莉がいないことだけを先に伝えておく。用事があるのが私か光莉か、それとも両方なのか。それが分からない以上は言っておいた方が親切というものだ。

 

「大丈夫です。()()()()()相談したいことがあったので」

 

 私に………か。それにこの言い方だと光莉がいなくてむしろ丁度良かったって感じかな。一体なんだろう?

 

「インスタントですけど」

「ありがとうございます」

 

 いつも茶葉で淹れた美味しい紅茶を飲んでる玉青さんに出すのは気が引けたけど、あいにくとそれしか用意がない。せめてたっぷりの砂糖とミルクで調節してもらおうとテーブルに容器ごと並べて勧めておいた。

 

「それで相談というのは?」

「あの…それが…その。変なことを聞くようですけど」

 

 話しにくい内容なんだろうなってことはすぐに分かった。砂糖を少しカップに入れてはスプーンでかき混ぜ、今度はミルク。そしてまた砂糖を入れては………とこれの繰り返し。3度目の投入にも関わらず一向に紅茶の色が変わる気配はない。最初に一気に切り出さなかったのが仇となり、完全にタイミングを見失ったようだ。

 

(渚砂さんのことかな…)

 

 この段階になると私も薄々勘付き始めたものの、まさかこちらから切り出すわけにもいかず、ただじっと玉青さんの手元を眺めるしか出来ることはない。食堂で静馬様によるキスが行われた時、私と光莉も当然そこにいた。それから何度か玉青さんたちに会ってはいるが、その話はタブーであると理解していたので話さずにいたのだ。相談を持ち掛けられない以上は、それは二人と静馬様の問題なのだから口を挟むなんておこがましいと…。秘密の関係にある私たちだからこそ他の人よりもその思いは強く、そっとしておくのが一番だと考えていた。

 

 だから今も我慢強く待つ。話を切り出すのはあくまで玉青さんでなければ意味がない。

 

「夜々さんは…どなたかと…キスしたいって思ったことは有りますか?」

 

 砂糖とミルクのルーティンが5度目になろうかという頃、ようやく玉青さんがポツリと呟いた。

 

「きゅ、急にすみません。夜々さんって年下なのに大人びてるから…こういった話も出来る気がして…」

「ふふ。ちょっと驚いちゃいました。玉青さんもそういうこと考えるんですね」

 

 きたのはストレートではなくやや変化球気味の問いかけ。ひとまずは様子見するために話を合わせておく。

 

「私だって…女の子ですから」

「ああ、別に玉青さんがそういうのに縁遠い存在って言ってるわけじゃなくて。それにしても玉青さんがキスしたいって思うなんて一体どんな人なんだろう。芸能人とか~アイドルとか? 玉青さんくらい美人だと釣り合う人を探すの大変そうだなぁ」

「そういうんじゃなくて…」

「えっ? 違うんですか? じゃあどういうんです?」

「そ、それは………」

 

 再び言葉に詰まってしまった玉青さんは場を繋ぐように先程のルーティンを始めてしまう。ちょっと回りくどかったかも。微妙なところだけど、少しだけ助け船を出した方が良さそうだ。けど、あまりにも直接的ではまずい。匂わせるくらいに留めておかないと。この辺の繊細な匙加減は私には向いていないんだよなぁ。

 

「この丘って()()()()()()()()()()()()()。当たり前っちゃあ当たり前ですけど」

 

 笑いながらカップを傾け喉に紅茶を流し込む。上手いこと乗っかってくれると良いんだけど、失敗だったかな…。

 

「あの…たとえば、たとえばの話ですけど、この学園の中で…とかだったら夜々さんは」

「それって…()()()()()()ってことですか?」

 

 強いイントネーションで飾られた言葉にビクッと身体を震わせるのが見えた。やっと色の変わった紅茶をかき混ぜるのをやめた玉青さんがこちらを向くことなくカップに視線を落としたまま小さく頷く。

 

「夜々さんはありませんか? 女の子と…その…」

 

 あるに決まってる。というか私は最初からそっち専門で、気付いた時にはそんなことばっかり考えていたような人間だ。あの子が可愛いとか、あんな子とお付き合いしたいなんて妄想は数えきれない。

 

「あ、あははは。へ、変ですよね…私。何聞いてるんだろう。あの…やっぱりいいです。今日の事は忘れてください。それとお茶ご馳走様でした。もう戻りますね」

 

 ぬるくなった紅茶を残したまま、玉青さんが慌てて部屋を出て行こうとする。まずい、なんとかして引き留めないと…。

 

「ん~そうだなぁ。 あっ! 光莉なんていいかもしれませんね。ルームメイトで気が合うし。光莉って結構人懐っこいっていうか、身体とかしょっちゅうくっつけてくるんでそういうの大丈夫かも」

 

 どうにか間に合ったみたい。一目散に扉へと向かっていた足がピタリと止まり、私を気にするように振り返る。無理もない。今の玉青さんには無視できないはずだ。反応するなって言われても不可能に決まってる。とりあえず玉青さんの肩越しに交わされた視線で着席を促しておいた。

 

「この前も光莉がそそっかしくて躓いたんですよ。たまたま私が近くにいたから支えようとしたら、私まで一緒に倒れこんじゃって。覆い被さるって言えば良いのかな? あんな感じの体勢で。 ほんと笑っちゃいますよね」

 

 おもしろおかしく喋り始めると私の前に戻ってきた玉青さんが着席してくれてひとまずセーフといったところだろうか?

 

(それにしても…)

 

 落ち着かない様子でそわそわと指を動かし、上目遣いで私のことを見つめる姿はどこか儚げでドキッとしてしまいそうだ。素材が良いから何をしても絵になるけど、こういう表情をされると女の子専門の私としては多少となりとも心が昂ってしまう。私ってちょっとSっ気があるのかも…。

 

(でも仕方ないじゃない。玉青さん、ミアトルでもトップクラスの美少女なんだもん…)

 

 拗ねた顔をする想像上の光莉に心の中で謝罪しておき、私はなるべく玉青さんの興味を煽るような内容の光莉とのハプニングを続けた。

 

「お互い身動き取れずに抱き着いたまんまになって。それなのに光莉が抜け出そうと手を動かして身体のあちこち触って来るもんだから」

 

 途中幾度となく唾を飲み込んだ喉が動き、何かを喋ろうと口が開きかけるのを確認し、私はいよいよ…。

 

「━━つい()()()()()()()()()って━━」

 

 少し軽いノリのふざけた感じで喋っていたのを突然やめ、トーンを落としたそのセリフは効果てきめんだった。ガタッと音を立てて椅子から立ち上がった玉青さんは興奮冷めやらぬ様子で私にたたみかける。

 

「ほ、本当ですかっ!? 夜々さんは…本当に」

「ストップ。ストーーーップ! 私ばっかり話すのはフェアじゃないですってば。そろそろ玉青さんも話してくれないと」

「私の事はいいですから教えてください」

「どうしたんです。いつもの玉青さんらしくないですよ、そんなに焦って」

「ご、ごめんなさい」

 

 喉が渇いたのか、すっかりとぬるくなってしまった紅茶に口を付ける玉青さん。砂糖とミルクが小刻みに何度も投入されたそれはやはり美味しくはなかったようで飲み干すのは難しかったみたい。私が代わりの紅茶を淹れるか、それとも水がいいか尋ねると間髪入れずに水がいいという返答がきた。こんな時はやっぱり熱々の紅茶より水の方が嬉しいか、と納得しながらガラスのコップに水を注いで戻ると玉青さんは一気に水を飲み干してしまう。飲食店にあるようなピッチャーでもあればいいんだけどないものは仕方ない。何度も往復しないで済むようにと2杯持っていったものの、そのうちの1杯は瞬く間に消えてしまったので結果として2杯分用意したのは正解だった。

 

「落ち着きました?」

「ええ、少しは…」

「それならよかった。あ、一つだけ言っておきますね。私は結構…()()()()()()()()()()。だから玉青さんにも話して欲しいです」

 

 髪を手で梳く仕草と共に、恥ずかし気な表情を作ることで言葉に説得力を持たせる。恥ずかしいけど信頼してるから喋ったんですよって空気を醸し出すことが大切だ。どう受け取るかは玉青さん次第だけど、ひとまず私の方から出来るアプローチはこんなところだろう。これで何も返ってこなかったら今日のところはお手上げして光莉と一緒に別の手段を考えるしかない。

 

「誰にも…言わないでくださいね」

 

 胸の前でキュッと手を合わせ、私の言った言葉を吟味するかのように目を閉じていた玉青さんがポツリポツリと語り出す。

 

「昨日の夜のことなんですけど………」

 

 昨日? それはまたえらく最近の話でちょっと驚いた。入ってきた時の思い詰めた顔からしてもっと長い間思い悩んだ末のことかと思っていたから。つまり昨日の今日で私に相談しようと思ったというわけで、それだけ切羽詰まっているということだ。

 

「渚砂ちゃんは静馬様との件で疲れてしまったのかすぐに眠ってしまって。触れてみても全然起きる気配もないんです。だから近くで寝顔を見ていたら…」

 

 せっかく喋り始めた玉青さんの邪魔をすることのないように口を挟まず頷くだけに留め、自分はおかわりを淹れたカップに口を付けた。僅かな変化も見逃さないように意識をはっきりと保つため、あえて砂糖もミルクも入れずにおいたストレートの紅茶の苦みが舌に伝わってくる。

 

「その…変な気になってしまって。それでキスしたいなって…」

「見ていただけで…ですか?」

「たぶん、いいえ、絶対にあの人のせいです。あの人が私に変なことを教えたからっ!!

 

 張り上げた声が部屋に木霊する。あの人というのが誰を示しているのかは予想がつくが、今はそれどころじゃない。太腿に置いていた手で頭を抱えるようにした玉青さんがなおも言葉を続けてた。

 

「渚砂ちゃんの唇は甘いって、そう囁いたんです。言われた時は何をバカなことをって思ってたのに、いざ渚砂ちゃんを前にしたら頭から消えなくて」

 

 なんだろうこの例えようのない違和感は。声を絞り出すようにして話す玉青さんの言葉から伝わってくる臨場感は常軌を逸している。最初に玉青さんが尋ねたのは『キスしたいと思ったことは有りますか?』だった。まるで噛み合ってない。質問の内容と玉青さんの態度がっ!この鬼気迫る感じはまさか…まさか。

 

「だから…だから私ッ!!」

 

 強い口調でそう言い放ちゆっくりと顔を上げた玉青さんの頬は、制御できずに零れた涙で濡れていた。

 

「あ、あれ? 私…なんで…泣いて」

 

 慌てて涙を拭っても、大きく揺れる瞳からは次から次へと涙が溢れていく。

 

「玉青さん…あなた…まさか」

「ッ!? ち、違います。違います」

 

 しまったという顔をしてサッと顔を背けた玉青さんが少しでも見られないようにと顔の前に手の平で壁を作った。私はまだ肝心な事を言ってない。なのに何でそんなにも強く否定するの? そんなの…そんなの。そうだと言ってるようなものじゃない。

 

 つい乱暴に置いてしまったカップがカチャンと耳障りな音を立て、その振動で中身の紅茶が大きく揺れる。テーブルに手をついて勢い良く立ち上がると紅茶はさらに揺れてカップから溢れそうになった。

 

 怯えた目で私を見る玉青さんの前に立ち、思わずその肩を掴みながら叫ぶというよりかは尋問するような声で…。

 

()()()()()()。 渚砂さんに…キスしたんですね」

「してません。私キスなんてしてません。夜々さんが勝手にそう思っただけで…」

 

 肩を掴んで揺さぶるように問い詰めても、玉青さんは否定した。だけど私には分かる。玉青さんはしたんだ。寝ている渚砂さんに、()()()()()()()()()。私は勘違いをしていた。状況を甘く見ていたんだ。

 

 ごめんなさい玉青さん。そう謝罪の気持ちを込めて玉青さんを抱き締めた。身体を震わせながら次々と涙を零すその姿を見たらそうせずにはいられなくて。

 

「玉青さん、休日ですけど明日お時間をくれませんか? とても大切なお話があるんです」

「夜々さんから?」

「ええ。朝食が終わった後、必ず私の部屋に来てください。光莉と一緒にお待ちしていますから」

 

 

 

 

 

 

 

 その後、部屋に戻ってきた光莉に玉青さんとの出来事を話しすと、キスのあたりで驚きはしたものの静かに聞き終え、それからは私たち二人での話し合いとなった。

 

「ごめんね光莉、相談もせずに私の一存で決めちゃって。どうしても玉青さんの力になりたくてさ」

「ううん。いいよ夜々ちゃん。玉青さんは友達だもん。それで…どうするつもりなの?」

「それはね━━━」

 

 作戦会議と呼べるほどのものではなかったけれど、少しでも力になるべく私と光莉は知恵を出し合うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<隠れ住む異端者>…涼水 玉青視点

 

 夜々さんに指定された時刻に二人の部屋の前へと向かう。彼女は一体何を話してくれるんだろうか?  何かは分からないが、例の出来事を知られてしまった以上は来ないという選択肢は私にはない。もっとも、どこか信用できる空気を夜々さんが纏っていたのは事実で、すぐに渚砂ちゃんにキスしたことに気付いたあたり、相談相手としてベストな人材であったようにも思えた。

 

 軽くノックをして来訪を告げると扉が開き、中から出てきた夜々さんが少し周囲を見回してから部屋へと招き入れてくれる。昨日言った通り光莉さんもスタンバイしていて軽く会釈をしてから席に着く。話をするということだったがお茶の用意はしていないみたいだ。気持ちがそわそわして落ち着かないのでお茶を淹れさせてもらおうかと提案したけれど、夜々さんは首を振りそのままでいるように私に命じた。なぜかは気になるところではあるが二人の表情を窺ってみても特に何かを読み取ることは出来ない。

 

「玉青さんようこそ。お話は夜々ちゃんから聞きました。少しでもお力になれればと思っています」

「よ、よろしくお願いします」

 

 改めて挨拶した光莉さんにこちらも応じておく。

 

「早速だけど、()()()()? 光莉」

「うん。私はいつでも大丈夫だよ」

「じゃあベッドに腰掛けて」

「分かった」

 

 えっと…これは? 首を傾げる私の前で光莉さんが言われた通りにベッドへと腰掛ける。立ったままの夜々さんもそちらへと向かいテーブルには私一人が残された形となった。目をぱちくりさせながら眺めていることしか出来ないので仕方なく観察させてもらう。目が合った時の光莉さんのはにかんだ笑顔が印象的なこと以外は、これといって何かが起きる気配はない。

 

「あの…夜々さん?」

「ああ、ごめんなさい。すぐに始めますから」

 

 じれったくなって尋ねるとそんな返事が返ってきた。これから何かが始まるらしいがさっぱり事情が分からない私は「はあ」だか「はい」だかどっちともつかない気の抜けた返答をするのがやっとだった。

 

「光莉。()()()

「うん。来て…夜々ちゃん」

 

 光莉さんの隣に座った夜々さんが声を掛けそれに光莉さんが頷くと、テレパシーで会話でもするみたいに互いのおでこをそっと触れ合わせた。そこだけを切り取れば見ているこっちが気恥ずかしくなって顔を背けたくなるほど仲睦まじい光景で、血の繋がった姉妹か、あるいは天使同士が気持ちを通じ合わせている瞬間にも見える。そう、それだけならば…。

 

 差し出された手の平が鏡のように合わさり、僅かな間を置いて指と指を絡ませながら両手が繋がれると辺りは急に妖しい空気に包まれ出す。至近距離で交わされた視線は、絡み合う指のごとく濃密に感じられた。二人の舞台の観客となり下がった私は息をするのも忘れ、ただただ魅入られるばかり。そうだ。今この瞬間、私は二人の目に映ってさえいないんだ。流れているのは二人だけの時間。存在しているのは二人だけの世界。

 

 そして目の前で、二人のキスが始まった。するのが当然だと言わんばかりに、何の躊躇いもなく引き寄せられた唇が触れ合い、競うように互いの唇を押し付ける。それは私の知る口付けとはまるで別物で…、いや、映画や小説では知ってはいたけれどもどこか遠い世界のお話で、自分には縁遠い存在のはずだったものだ。

 

「光莉…」

「んっ………夜々ちゃ……」

 

 時折漏れ出すくぐもった声と共に、留めようとしてなお零れた吐息が鼻にかかったような艶めかしいノイズをもたらした。本来であれば一人きりで部屋に鍵を掛けて行うべき行為でしか聞くことのないそれは、傍にいる私をも昂らせる。二人に声を掛けられなかったわけではない。まぁ考えようによってはそうとも言えないこともないが、声を掛けることでキスが中断されるのはとてつもなく無粋な行いであると頭が自然と判断していた。こう言うとお上品に聞こえるかもしれないけれど、低俗に言えば続きが見たかった、というのが本心だ。

 

 私は紛れもなく興奮していた。知らない人が見ても一目瞭然なほどに。だって今では口内で擦り合わせていたであろう舌を光莉さんが突き出し、それを貪るように夜々さんが吸い付いているのだから。

 

 蕩けた顔で行為に没頭し、滴り落ちた唾液がスピカの純白のスカートにシミを作って濃い色へと変色していることにも気付いていないらしく、部屋中に響き渡る卑猥な水音がその激しさを物語っている。

 

(そんなに気持ちいいんですね)

 

 見ればきつく握られた手には赤い痕がくっきりと刻まれていて、私にはそれが勲章のようにも見えた。きっと二人は終わった後でその勲章を見て、互いの愛の深さを確かめては笑い合うに違いない。「強く握り過ぎ」だとか、「そっちだって」だなんて表面上は言い争うフリをしながら…。

 

(でも…。お二人は()()()()()()()()()()()?)

 

 とてもそうは思えない。これだけ求めあう二人がこれだけで満足するなんて…。その先の光景を想像し、自分でも気付かないうちに喉を鳴らした。そうだ。きっと…きっとあの人のように…、静馬様のように()()()()()!! 予感ではなく確信に変わったそれを胸に抱き行く末を見守る。するとやはりというべきか、夜々さんが光莉さんを押し倒し、その上へと覆いかぶさっていった。期待に胸が高鳴り、全身の血流が活発になっていく。

 

 けれども残念なことに今日はキスだけのようだ。制服は着たままだったし手は愛撫したりなんかしない。それでも私には刺激的すぎる光景が私の前で繰り広げられていた。

 

 私の方からは夜々さんの身体に隠れてよく見えない一方で、首筋や鎖骨へのキスを漆黒の黒髪の隙間からチラチラと覗き見る状態となったため、むしろ淫靡さが際立ち、インモラルな雰囲気を醸し出している。ベッドのシーツの上で入り乱れる濡れたようなその黒髪と、光莉さんの輝く金髪もまたコントラストとなって二人を彩り、私に得も言われぬ感情を抱かせ苦しめた。

 

 ベッドから垂れ下がる光莉さんの足は、太腿まで捲れたスカートのせいで陶器のように透き通った白い肌を惜しげもなく晒し、激しい接吻に合わせて不規則にゆらゆらと揺れ出す。夜々さんの身体に大部分が隠れているにも関わらず、誘うように動く光莉さんの足だけが見えるのが余計にいやらしく見える。その扇情的な姿にスカートの裾を握りしめ、内腿をもどかし気に擦っていたのは、後から言われて初めて知ったことだった。

 

 キスと呼ぶにはあまりにも官能的過ぎる儀式が終わり、二人を繋ぐ唾液の橋を指で掬うようにして取り除いた夜々さんが、未だに炎を宿したままの瞳で私を貫き感想を問う。

 

「どうでした? 玉青さん」

「どうと言われても…その…」

 

 目を奪われていたせいで何も考えていなかった。今必死で思い浮かべて出てきたのは、羨ましいというひどく欲にまみれた感想だったので、それをそっくりそのまま伝えるのは少々憚られるほどだ。他にもっと言うべきことはあるんだろうけど、これだけの行為を見せられては言葉でどうこうというのは無意味に思えてしまう。二人が付き合って………ううん、愛し合っていることは疑いようのない事実だし、それについて感想を求められても正直困るだけでしかない。

 

「私と夜々ちゃんは付き合っているんです。真剣に…本気で」

「お二人は大人なんですね。これほど深い仲だというのに、表にはほとんど出さないでいたなんて」

「それは違いますよ玉青さん。出さないんじゃなくて出せないんですよ。ご存知かと思いますが、この丘で堂々と同性愛をひけらかしているのは静馬様と千華留さんくらいのものですから」

 

 それにしても…だ。こんな身近に女同士で愛し合う二人がいたとは想像していなかった。

 

「私が玉青さんに伝えたかった事はいくつかあります。まず一つ目に私たちが交際している事。玉青さんの気持ちを理解出来る人間であると証明する意味もありました。二つ目は周囲に秘密にしている事。親しくしている玉青さんが気付かないほどに、私たちは慎重に学園生活を送っています。もし玉青さんが渚砂さんと付き合うことになったとしても、周囲にそれを宣言して理解が得られるとは限りません。となれば私たちと同じように秘密にする必要があるという現実をお伝えしたかったんです」

「げん…じつ」

「ええ。渚砂さんにキスして、その後玉青さんはどうするおつもりだったんですか? 想いを伝えるんですか? 伝えたとしてそれだけで満足するんですか?」

「私は…」

「きっと付き合いたくなりますよ。キスして、次にはそれ以上の事も…」

「そうでしょうか? 自分がその…そんな行為まで望んでいるとは思えないんですけど」

 

 私の答えに夜々さんは目を閉じ、それから説得するように話し出した。

 

「伝えたかったことは三つ目まであるんです。その三つ目の事から多分そういった行為を望むのではないかと推測したんです。率直に言います。

 ━━玉青さん、()()()()()()()()()?━━」

「それは…だってっ! 当たり前じゃないですか」

 

 あんな姿を見せつけられて興奮するなという方が無理に決まってる。

 

「そうですかね? 目の前でいきなり女同士であんなキスを始めたら、普通はもっと驚きますし、逃げ出す子だっていると思いますよ」

「あっ…う…」

 

 驚いた。たしかに驚きはした。けれど私の心を支配したのは驚きではなく他の感情で…、目が離させなかったというのが事実だ。逃げ出すなんて考えは全く浮かびもしなくて、用意された特等席からの眺めに見惚れていた。

 

「なら…、なら夜々さんは私以外の誰かの反応を見たことがあるんですか? お二人を見たら誰だって目を奪われるに決まってます」

「否定したい気持ちは分からなくもないです。私だって初めて自分がそうだって気付いた時はあまりいい気分ではありませんでしたから」

「一体何が言いたいんですかっ?」

「玉青さんは私や…静馬様と同じなんですよ。女の子を愛してる………」

「それは渚砂ちゃんを好きですし…」

 

 夜々さんは言った。自分と静馬様って。ここにはあと一人光莉さんがいるのになぜかその名は挙げられていない。『私や』ではなく『私たち』と言わなかったことがどうにも引っ掛かった。

 

「光莉さんは違うんですか? 夜々さんと交際してるのに」

 

 失礼だとは思ったが光莉さんを指差してそう尋ねる。

 

「私は…女の子は夜々ちゃんしか好きじゃなくて…」

「だったら私だって好きなのは渚砂ちゃんだけですっ!」

「よく考えて下さい玉青さん。好きでもない女の子たちがキスしてるのを見て興奮するなんて()()()()()()()()()?」

「だからそれはっ! お二人のキスが激しかったからで」

 

 おかしくない。私はまともなことを言っている。論理も崩れてはないし、なにより冷静だ。私は正常。そう思いたかった。

 

「━━光莉の足。綺麗だったでしょう?━━」

「っ!?」

「真っ白な足がキスの度に揺れてるの、すっごく興奮しますよね。私も光莉の足…大好きですよ」

 

 ズバリと指摘したそれは核心をつき過ぎていた。言い返すための言葉をあれこれ必死で考えていた私の思考は一瞬で崩壊させられ、ありありと浮かんだ動揺が指摘の正確さを表してしまう。夜々さんの隣に立つ光莉さんに目をやり…、正確には光莉さんではなく光莉さんの足にだが、スカートから伸びるそれを見て唾を飲み込む。ほらやっぱり、といった顔をされたのが悔しくて一度は顔を逸らしたものの、夜々さんに太腿を撫でられ、小さな吐息を漏らした光莉さんの艶めかしさに視線は再び吸い寄せられた。

 

「玉青さんは女の子のあられもない姿を見て興奮しちゃう()()()()ってことになりますね」

「な、なにかの間違いでたまたま今日そうだった可能性は…。そうですよ、そうです! 私こんな気持ちになったのは今日が初めてで、こんなこと…今まで一度も…」

「今から試してみましょうか? いいですよ、私は」

「試すって…どうやって?」

「簡単ですよ。少しスカートの中に手を入れさせてくれればすぐに終わります。決して痛いようなことはしませんから」

 

 夜々さんは唇に真っすぐと伸ばした人差し指を宛がいながら、普段と変わらない笑みを湛えつつ平然と言ってのけた。その仕草はどこか静馬様を彷彿とさせる色気に満ち溢れたものだ。ううん、仕草だけじゃなくて口調や態度も強気そのもので1つ年下の後輩とはとても思えない。

 

 そんな彼女の視線が私の身体の上から下まで這いずりまわり、なんだか値踏みをされている気分になる。思わず気恥ずかしくなって身体をよじり視線から逃れようとしたが、なおも眼差しは容赦なく浴びせられた。羞恥心で身体がカァッと熱くなり、顔が火照っていくのが自分でも分かってしまう。仕方なく片手でスカートを握り、もう片方の手で胸を覆い隠すようにしてガードすると幾分気持ちが楽になった。

 

「もぉ~冗談ですよ。玉青さんに手を出すわけないじゃないですか。私には光莉がいますし、何より私は玉青さんを応援するつもりですから。ただ知っておいて欲しかったんです。自分がどういう存在なのかってことを」

「あの…夜々さんから見て渚砂ちゃんは…どっちに見えますか?」

「渚砂さんは普通の子なんじゃないかな」

「そう…でしょうね」

 

 夜々さんの答えは多少遠回りな言い回しではあったが予想の範疇のもので、特に驚きはしない。渚砂ちゃんは普通の女の子。きっとさっきみたいなシーンに居合わせたらきっと顔を真っ赤にしてあたふたすることだろう。素っ頓狂な声を出して部屋を飛び出していってしまうかも。

 

(私とは…違うんだ)

 

 自然と零れた笑みはそんな渚砂ちゃんの姿を想像したからであると共に、突き付けられた現実とやらに諦めにも似た不思議な気持ちが舞い降りたのも関係していたかもしれない。

 

「それでも…静馬様は渚砂ちゃんを手に入れてしまうんでしょうね」

「勝てばいいんですよ静馬様に」

「無責任なこと言わないで下さいっ! もし光莉さんが静馬様に狙われたら、夜々さんはあの人に勝てるんですかっ!? あの花園静馬に!?」

 

 ヒステリックな悲鳴にビクッと身体を硬直させた光莉さんの横で夜々さんが拳を握りしめ唇を噛み締めた。ほら見たことか。反論出来やしないじゃないか。夜々さんは自分に達成できない夢物語を口にしただけだ。無言の返答を勝手にそう解釈したことで僅かながら留飲が下がる。あの人に勝てるわけない。それくらい…私にだって。

 

「渚砂さんへの愛で負けてるって認めちゃうんですか?」

「そんなわけ…そんなわけないじゃないですか。負けてるわけがない。私の気持ちがあの人に負けてるなんて、そんなこと」

 

 気持ちだけなら勝てる。賭けてもいい。その点においては自分を信じられる。けど静馬様との勝ち負けは気持ちだけじゃなくて他の要素だって…。

 

 

「私だったらそれを武器に戦いますよ。()()()()玉青さんとは違って」

「今…なんて?」

「腑抜けてるって言ったんですよ。それとも別の言い方の方が良かったですか? この………負け犬ッ!!」

「ッ!?」

 

━パンッ━

 

 部屋に響いた乾いた音。気付けば私は夜々さんの頬に思いっきり平手打ちをしていた。噛み締めた奥歯がギリギリと軋みフゥーッフゥーッと抑えきれない呼吸で怒りを露わにする。

 

「夜々さんに何が分かるんですかっ? 私がどれだけ渚砂ちゃんを好━━━」

 

━パシンッ━

 

「えっ…?」

 

 すぐには自分が平手打ちにされたとは理解できなかった。遅れて伝わってきたヒリヒリとした鋭い痛みでようやくそれを悟る。

 

「や、夜々ちゃん…」

「光莉はどいてて」

「でも…」

「いいからっ!」

 

 宥めようとする光莉さんを押しのけた夜々さんが、頬を押さえた私の前に立ちはだかる。

 

「そんなに好きなら静馬様にもそうすればよかったんですよ! あの日だって、ビンタの一つでもくれてやればよかったんだ」

「夜々さん…」

「戦えますよ玉青さんなら。渚砂さんのことでそれだけ怒れるんですから」

 

 鏡映しのように、私と同じく頬を押さえた夜々さんの笑み。さっき唇を噛み締めていたのは私に歯がゆい思いを抱いていたからだとその笑みが言っていた。侮辱の言葉だって私に発破をかけるためのもので…。

 

「私…夜々さんにひどいことを」

「お互い様ですよ。私も結構本気でやりましたから」

「負けたくないです。渚砂ちゃんのこと諦めたくない。だって…だって、私の方がずっと渚砂ちゃんのこと好きですから」

 

 再び泣きながら嗚咽を漏らす私を介抱してくれた二人はとても優しくて。一人じゃないんだって実感出来たことが嬉しくて、そのことに私はまた泣いた。

 

 私の友人はこの丘では異端者だった。そしてこの私も…。

 

━━アストラエアの丘の異端者だ━━

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 いかがでしたでしょうか? キスしたことに後悔してみたり、友人にキスシーンを見せつけられたり、しまいにはビンタしてみたりとてんこ盛りの章になってしまいました。6章から9章にかけての4回分を使って夜々と光莉の話をしたのは今回のためというのが大きかったので無事に回収できてホッとしてる部分もあります。


 あらすじに載せた「キスシーンどんなのか気になる方は~」ってので最初にこの章を見にきてくださった方へ。だいたい毎章こんな感じです。肌に合わなかったらごめんなさい。




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第22章「渚砂ちゃんを…愛しています」

■あらすじ
 あなたに伝える大事な話。それはずっと前から胸の内に秘めていたもの。首筋に刻まれた赤い痣は、あっちへこっちへ行ったり来たり。誰かを愛するのって戦いです!
 第22章では渚砂を巡ってついに二人が大激突!?

■目次

<告白>…蒼井 渚砂視点
<開戦>…蒼井 渚砂視点
<直接対決>…花園 静馬視点
<友人のために>…南都 夜々視点



<告白>…蒼井 渚砂視点

 

「あ、玉青ちゃんおかえり。どこ行っていたの?」

「ちょっと夜々さんのところにお茶をしに」

「ええ~? 玉青ちゃんだけずるいよ~。声かけてくれてたら私も行ったのに…」

「ふふふ、ごめんなさい渚砂ちゃん。秘密のお茶会だったので」

 

 ぶーぶーと抗議する私をよそに玉青ちゃんはじっと私を見つめて離さずにいる。

 

「た、玉青ちゃん?」

「渚砂ちゃんの方こそ、もしかして今からお出掛けですか?」

「えっ?」

「時計をチラチラ見ていましたから。待ち合わせの時間があるのではないかと」

 

 思わず「あっ」と声を漏らしつつ、内心ではやっぱり玉青ちゃんにはすぐに分かっちゃうんだなって感心していた。でもそれって良い事ばかりじゃない。「どちらへ?」と尋ねられて、ちょっとした後ろめたさから「えっとね…」と言い淀んだ反応から、玉青ちゃんは私が静馬様のところへ行こうとしていることも気付いてしまって…。

 

「そう…ですか。静馬様にお呼ばれして…」

「お話して、お茶だけ飲んだら帰ってくるか━━━」

「━━━ねぇ渚砂ちゃん」

 

 空気を入れ替えようと開けてあった窓から不意に吹き込んできた風が、ザァッと音を立てて私と玉青ちゃんの髪を揺らした。私の言葉を遮るようにして呼ばれた私の名前は、ひどく冷たいトーンで奏でられたような気がして…。

 

「どうしたの玉青ちゃん? ………。 玉青ちゃん?」

 

 呼び掛けにも応じず、じりっ、じりっと無言で近付いてくるのがなんだか怖くて、私は1歩、また1歩と後ずさった。その間にも歩み寄る玉青ちゃんはいつもと違う雰囲気を纏っていて、どこかおどろおどろしさを感じさせる。

 

 知らず知らずのうちに自分のベッドのところまで後退していた私は、身体がベッドにぶつかったことでようやくそれに気付いた。もう後ろには下がれない。にもかかわらず、なおも前進を続ける玉青ちゃんから逃れるようとしてバランスを崩した私の身体は、後ろへと倒れ込み()()()()とふかふかのベッドに着地した。

 

「こ、怖いよ玉青ちゃん。何か言ってよ」

 

 声に応えるようにスッと差し出された手が顔の方へと迫ってきたものだから、つい反射的にビクッと身体を硬直させ目を瞑ってしまう。

 

「ごめんなさい。怖がらせてしまいましたね」

 

 頭の上から降り注いだ優しい声色にゆっくりと目を開けると、玉青ちゃんの温かい手が私の頬を撫でていた。気が緩んだのか怖い出来事の後に母親に抱き着いた子供みたくほーっと息が漏れる。その手の甲に自分の手の平を重ね頬ずりすると、強張っていた身体は太陽の光を浴びた石像が動き出すかのごとく、自由を取り戻していく。

 

(どうしてだろう私、一瞬玉青ちゃんが静馬様に重なって…)

 

 今こうして触れている玉青ちゃんは紛れもなくあの優しい玉青ちゃんなのに、さっきの玉青ちゃんはいつもの玉青ちゃんではなかった気がする。

 

「私の方こそびっくりしちゃって。ごめんね」

「いいんですよ渚砂ちゃん。それより━━━」

 

 もう片方の手も私の頬に添えられ、私の顔は玉青ちゃんの手でじんわりと包まれた。

 

「━━渚砂ちゃんに大切なお話があるんです━━」

「大切な…お話?」

「ええ。とても…とても大切なお話です」

 

 時計の針は休むことなく動き続けていて、静馬様との約束の時刻が近付いてきていたけれど、玉青ちゃんの話は聞かなくちゃいけない、そんな気がして…。だから下から覗き込むように「玉青ちゃんのお話…聞かせて」と答えると、少しだけ寂しそうな顔をして静かに頷いた。

 

「でもその前に。しなければならない儀式があるんです」

 

 儀式?と頭の中ではてなマークを浮かべていると、頬を包んでいた手が、すーっと顎へと移動していった。そしてその手がクイッと私の顎を持ち上げ、再び玉青ちゃんと目が合ったかと思うと…。

 

「んっ…」

 

 唇に何かが触れる感触。見開いた目に映る驚くほど近い玉青ちゃんの顔。ずっと一緒だったのに…今までこんな近くで見たことないや。睫毛とか長くて立派で、やっぱり玉青ちゃんは綺麗だな。びっくりするくらい美人さんだ。

 

 一瞬の間だったのか、それとも数秒くらいあったのか、それすら分からない時間の後にゆっくりと離れていった唇は、艶を帯びてとても色っぽく見えた。

 

「玉青ちゃん…これ…」

 

 キスをされた。あの玉青ちゃんに。私がこの丘に来て最初に出来た友達。ルームメイトで、親友の女の子に。

 

「ごめんなさい渚砂ちゃん」

「どうして謝るの?」

「実は…」

 

 言い淀んだ玉青ちゃんは一旦を瞑り、それから天井を見上げて静かに息を吐き出してから、再び私と目を合わせた。

 

「初めてじゃないんです」

 

 初めてってファーストキスの事なのかな? 私の相手は()()静馬様だったわけだけれど、玉青ちゃんも以前に誰かとした経験があるんだろうか? モテるという話もあったし、玉青ちゃんは素敵だし…。過去にそういった事があったとしても今の私は━━━キスを知ってしまった私は驚いたりしない。だけど、私の考えていた事とはどうやら違ったみたい。

 

「私と渚砂ちゃんがキスをしたのは、()()()()()()()()()()()()()。あるんですよ…前にも一度。一度だけ」

「えっ…? 私、覚えてないよ」

「渚砂ちゃんは知らなくて当然です。だってあの時、渚砂ちゃんは寝ていたんですから」

「う…そ…」

「本当です。渚砂ちゃんが眠っているのを良い事に、私は…私は………。渚砂ちゃんの唇を奪ったんです。どうしても、どうしても我慢出来なくて」

 

 そう言うなり両手で顔を覆った玉青ちゃんの指の隙間から、すすり泣く嗚咽が聞こえてきた。

 

「悔しかったんです。あの日静馬様に渚砂ちゃんの唇を奪われて、私悔しくて仕方がなかったんです。でも…それと同時に羨ましくもありました。渚砂ちゃんにキスしたあの人が! 誰の目も憚らずにそう振舞える静馬様が! 私だってキスしたかった。初めて同士のキスを渚砂ちゃんとしたかった。私の方が最初だって…そう…思っていたのに…」

 

 一息に言い切ると、部屋には再び玉青ちゃんの泣きじゃくる声だけが響いた。青くて綺麗な髪が揺れる度に涙がポロポロッて零れ落ちて、その涙が床に染み込んだかと思うと、また髪を飾る白いリボンがゆらゆらと揺れる。それを何度か繰り返しても、玉青ちゃんはまだ泣き止まなくて。気付いた時には自然と震える身体に手を回して、「大丈夫だよ」って言いながら、背中をさすってあげていた。

 

 私の胸の辺りを、痛いくらいにギュッと握りしめてしがみつく姿は、子供みたいで…。弱い、弱い、どこにでもいる普通の女の子だった。もし違うとすればそれは…。

 

「好きです。渚砂ちゃんが…好き。あの人よりもずっとずっと…あなたの事が好き。好きなんです。友情とかそんなのじゃなくて、一人の女性として…渚砂ちゃんを…愛しています」

 

 潤んだ瞳で見つめながら、私に━━━女の子である私に、告白をしてくれた事。

 

 『愛してる』。その言葉が頭の中で乱反射して、染み込んでいくよりも前に、再び触れた唇。次に感じたのは玉青ちゃんの体重。ベッドに倒れこんだ私に覆いかぶさるような格好で、玉青ちゃんが上から私を見つめていた。

 

「私…渚砂ちゃんに告白しちゃいました…。まだ胸がドキドキしてる」

「玉青ちゃんっ! 私━━━」

「━━━待って…待ってください渚砂ちゃん」

 

 言いかけた私の唇は華奢な指で塞がれて。

 

「返事は…今は言わないで下さい。怖いんです。ふふふっ。私ってばダメですね。やっぱり静馬様のようには出来ないみたい。想いを伝えるだけで精一杯。身体に力が入らなくて、今も腕が…震えちゃって。こうしてるだけで結構必死なんですよ」

 

 その言葉通りに身体を支えている腕はガクガクと震えていて、表情だって頑張って笑ってはいるけれど、その顔は今にも再び泣き出しちゃいそうだった。そんな玉青ちゃんを見ていたら、自然と言葉が出てきて…。

 

「私、静馬様のところへ行って今日の約束断ってくる。それでね、玉青ちゃんと一緒にいる」

「いいん…ですか?」

「うん。私がそうしたいの。玉青ちゃんを一人になんてしておけないよ」

「ああ、渚砂ちゃん。夢みたい」

 

 嬉しそうに私の胸に頭を埋(うず)めた玉青ちゃんの頭を抱きかかえながら時計に目をやると、静馬様との約束の時間はとっくの昔に過ぎていた…。

 

 

 

 

 

 

 

 

<開戦>…蒼井 渚砂視点

 

「じゃあ行ってくるね。すぐに戻るから」

「渚砂ちゃん…」

「そんな不安そうな顔しなくたって大丈夫だよ。そりゃあ時間はだいぶ過ぎちゃってるから怒られるとは思うけど」

 

 静馬様の怒る顔を思い浮かべ、つい「あはは…」と笑いながら頬をかく。きっと怖いだろうけど玉青ちゃんは勇気を出して告白してくれたんだもん。それくらいどうってことない。

 

 決意を固めていざ出発!とドアノブに手を掛けた瞬間、後ろから玉青ちゃんに抱き留められた。

 

「た、玉青ちゃんてば…これじゃ出れないよ」

「こっちを…向いて下さい。お守りを…あげますから」

「お守り?」

「きっと渚砂ちゃんを守ってくれます」

 

 くるりと向き直って視線を交わすと、玉青ちゃんは私の首の辺りをツゥーっと撫でた。何をしてるんだろう?不思議に思って尋ねると、玉青ちゃんからは「長さを測っているんです」という返事が返ってきた。長さ? 何のために? 答えのようで答えじゃない。なぞなぞみたいだ。

 

「こうして測っておかないと、万が一制服の襟からはみ出しでもしたら大変ですから」

 

 ますますなぞなぞみたい。そうしている間にも、玉青ちゃんは熱心に首の付け根から指を伸ばして「襟はここまだから…。この辺りなら…」なんて独り言をブツブツと呟いている。でも、良かった。元気が出てきたみたい。

 

「いいですか、動かないでくださいね。ズレてしまうと大変ですから」

 

 そう言いながら玉青ちゃんは顔を傾けさせた私の首筋に顔を寄せると、優しくチュッて口付けをした。予想外の出来事に驚いたけど、事前に動かないでって言われていたのが幸いしたのかも。どうにか動かずじっとしていることに成功した。口付けが終わって鏡の前に連れられた私が見たのは、首についた小さな赤い痕。玉青ちゃんが言うには、うっすらと刻まれたそれがお守りらしい。

 

「力加減が難しくて。でもこれくらいなら、明日には消えると思います。もし消えなくても制服の襟で隠れるから安心して下さいね」

「あっ、だからさっき測ってたんだ」

 

 口に手を当ててはにかんだ玉青ちゃんは「ええ、まぁ」とペロリと舌を出して悪戯っぽく笑ってみせた。やっぱり笑ってる玉青ちゃんは可愛いな。そっちの方がずっといいや。

 

 改めて「行ってきます」と告げて部屋を出た私は静馬様の部屋を目指して一直線にズンズンと進んで行く。

 

(着いたらまずは遅くなったことを謝って。それから今日はお話しないことを伝えるでしょ。それから~、あっ玉青ちゃんのことはどうしよう?)

 

 あ~失敗したかも。もっとゆっくり歩けばよかった。色々と考えておくはずだったのに…。元々大した距離ではないこともあって、考えが纏まらないうちに静馬様の部屋の前に着いちゃった。こうなれば当たって砕けろだ!

 

 コンコンッと軽いノックをすると扉はすぐさま勢いよく開き、中からは険しい顔をした静馬様が現れた。

 

「どういうつもり? 約束の時間はとっくに過ぎているわよ」

「ご、ごめんなさい」

 

 分かってはいたけど、いざ静馬様を前にするとどうしたって気後れしてしまう。遅れたのは事実だし、申し訳ないので素直に頭を下げて謝った。

 

「どんな事情があったのかは知らないけれど、遅れるなら遅れるで何かしらの連絡はあってしかるべきよ」

「あ、あの…実はちょっと体調を崩してしまって。それでこの後もすぐに部屋に帰って休もうかと…」

「体調が? ああ、そうだったの。なら仕方ないわね。強く言ってしまってごめんなさいね━━━あら?」

 

 不意に言葉が途切れたので、どうしたんだろう?と顔を見上げてみたものの、どこかを見つめる静馬様と私の視線は交わることがなかった。やがてその視線が私のある一点へと注がれていることに気付いた私は思わず「あっ!」と声を上げた。そこには玉青ちゃんの()()()が…。

 

「ふ~ん。そう…そうだったの。だから遅くなってしまったのね」

 

 ガバッと私の肩を掴んだ静馬様は首筋に顔を近付けると、じっくりと観察しながら楽し気にそう言った。

 

「クス。クスクスクス。さぞかし甘い時間だったのかしら? 渚砂、あなた玉青さんとキスしたのね。それで…、告白はどんなセリフだったのかしら? 素敵な口説き文句だった? 歯の浮くような甘~い囁き?」

「な、なんで…」

 

 どうして分かるの? キスしたことも、告白されたことも。私は何も言ってないのに!

 

「なんで? そんなの決まってるじゃない。ああ…もしかして渚砂は分かっていないのね。この首の痣がどんな意味を持つか」

 

 意味? お守りじゃないの? 玉青ちゃんは間違いなくそう言って…。

 

「あの子はどんな風にあなたを騙したのかしら?」

「た、玉青ちゃんは騙したりなんか。ただ…お守りだって」

「ふふ、ふふふふ。あははははははははははは。お守り? お守りですって? 笑わせないで頂戴。いい? 教えてあげる。これはあの子から私への宣戦布告よ! 私のものに手を出すなって、そういう意味でつけたキスマークなの」

 

 そんなこと玉青ちゃんは一言も…。

 

「嘘…嘘です!」

「嘘じゃないわ。だってそうでしょう? お守りならもっと見えない部分にしたっていいじゃない。それをわざわざ…こんな、ギリギリ制服で隠れるような場所にするかしら? ねぇ渚砂、渚砂はどうしてだと思う?」

「知らない、知らない知らない。そんなの知らない!」

「私に見せるためよ。そのためだけに玉青さんはここにキスをしたの。ふふふ、案外小賢しい手を使うのね。それとも負けん気が強いのかしら? 先を越されたのがよっぽど堪えたようね」

 

 依然として肩を掴まれたまま、今度は壁に押し付けるようにされて逃げ場を失った私に静馬様は諭すように言った。

 

「渚砂。私だって渚砂を愛しているわ。でもだからこそ許せないの。あなたを騙すような真似をした玉青さんが」

 

 すっかりと落ち着いて、聖女のような顔を浮かべた静馬様の言葉が頭の上から降ってくる。いつだって静馬様は言葉巧みで、私なんかじゃ騙されてるのかすらも分からないんだろうけど、こうやって優しく話しかけられると、つい心が解きほぐされて何もかも信じてしまいそうになって…。

 

 どうして玉青ちゃんは『お守り』だなんて嘘をついたんだろうか?なんて考えに押し流されそうになる。

 

「可哀想な渚砂。私が慰めてあげる。ううん、それじゃダメね」

 

 温室の時みたいに私の耳にかぶりついた静馬様は吐息を吹きかけながら囁いた。

 

「━━()()()()()()()()()()()()()()()()()()━━」

 

  あっ…ダメだ。逃げなくちゃ。お守りかどうかなんて別に本当はどうでもよくて…、大事なのは玉青ちゃんが私に告白してくれたことで。部屋では玉青ちゃんが待っていて。なのに…なのに。

 

 背中にゾクゾクしたものが這いずるのを必死に我慢しながら、抵抗しようとはしたものの、どうしたって静馬様に勝てるわけもなく、壁に釘付けにされたままキスを浴びせられてしまう。それは玉青ちゃんのみたく唇が触れるだけのキスじゃなくて、全然違う、大人びたキス。いつの間にか腰にツツーッと添えられた手で抱き寄せられて、何度も…何度も。

 

「んっ…、はぁっ…、んっ…」

 

 合間に息をするのがやっと。息を吸ったと思えばまた塞がれての繰り返し。ついばまれた部分がジンジンッて熱くなって溶かされていく。最初は力を込めて静馬様の洋服を掴んでいた手も今はもうダランと垂れ下がって宙に揺れていた。

 

「はぁっ…はぁっはぁっ。もう…許してください」

「まだダ~メ。大事な大事な首の痕が残っているもの」

「そこは…玉青ちゃんが。玉青ちゃんのお守りが」

 

 目をギラギラと輝かせた静馬様の顔が迫ったかと思うと、首筋に吸血鬼が牙を突き立てるようにひと際強く吸われ、私は「あうっ…」と甲高い悲鳴にも似た声を上げた。驚くほど力強く抱き締められたままその行為は続けられて、熱に浮かされた子供が助けを求めるみたいに「静馬様…静馬様…」と名前を呼ぶ。なのに静馬様は許してくれず、お仕置きするみたいに私の首へときつく吸い付く音だけが部屋に響いて、唇が離れて解放された頃にはヘナヘナと床に崩れ落ちそうになるのを堪えるのがやっとの状態だった。

 

「少しやり過ぎてしまったかしら。ふふふ、玉青さんによろしくね…渚砂」

 

 静馬様はそう言って私に帰るように命じた。よろしくっていうのはどういう意味なんだろう? 頭がボーっとして分からないや。

 

 そこからどうやって部屋まで戻ったのか、あんまり覚えてない。フラフラと廊下を彷徨うように歩き、気付いた時には部屋の前に立っていた。鏡を見たわけじゃないけど、首にはきっと赤い痣が玉青ちゃんのと同じように、ううん、もっと強く刻まれてるんだろうなってことだけはぼんやりと分かった。

 

「ただいま…玉青ちゃん」

「おかえりなさい渚砂ちゃ━━━渚砂ちゃんっ!? どうしたんですか?」

 

 私がフラフラなことに気付いて駆け寄ってきた玉青ちゃんに支えられて、なんとかベッドに腰を下ろす。

 

「どこか調子が悪いんですか? それとも怪我をしたとか? とにかく横になった方が」

「ううん、大丈夫」

「とても平気なようには…」

 

 心配そうに私の顔を覗き込む玉青ちゃんの顔が、首筋へと視線を移した瞬間にサァッと青ざめた。「渚砂ちゃん…これ…」と手を震わせ、怯えるようにその部分へと触れると玉青ちゃんは叫んだ。

 

「あの人が…静馬様がやったんですね!? そうなんでしょう渚砂ちゃん?」

「うん…」

「こんな…こんな場所にしたら制服の襟でも隠れなくなっちゃう。それに…こんなに強く。ああ、どうしましょう。そうだ! 渚砂ちゃん、ちょっと待っていて下さいね」

 

 玉青ちゃんはテキパキとポットのお湯を洗面器に入れると、今度はコップで水を加え、時折温度を確かめてはまた水を足していく。

 

「とりあえずお湯で温めたタオルを当ててみましょう。効果があるかはわりりませんけど、やらないよりかは…」

「うん…ありがと」

「ちょっと熱めですけど我慢して下さいね」

 

 部屋にパシャパシャとタオルをお湯に浸す音が響いて、ギュッと絞られたそれが首筋に宛がわれる。玉青ちゃんは熱めって言っていたけれど、タオルはほどよくあったかくて普段だったらきっと気持ちいいに違いなかった。タオルが冷めると洗面器に浸されて、またほかほかになって私の首に優しく添えてくれる。

 

「ごめんね…玉青ちゃん」

「何を言っているんですか渚砂ちゃん。悪いのは私です。だから謝るのは私の方です。ごめんなさい渚砂ちゃん」

「だけど━━━」

「━━━ちょっとタオルを外して見てみましょうか。あっ…少しだけ薄くなりましたよ。でも明日明後日は目立つかもしれませんね。試しに明日の朝ファンデーションを塗ってみて、それでも隠れそうになかったら絆創膏を貼りましょう。一応お風呂でも温めてみて下さいね」

 

 玉青ちゃんはただひたすらに私に優しくしてくれて、心配してくれた。

 

 

 

 

 翌朝起きて鏡を確認するとやっぱり痣は残っていた。薄れて消えそうな玉青ちゃんのお守りの上に、くっきりと残った静馬様のキスマーク。

 

「よっぽど強くされたんでしょうね…」

 

 鏡を通して目が合った時には笑っていたけど、その前には暗い表情を浮かべていたのを私は知っていた。制服の襟からはみ出たそれはどうしたって目立っちゃって、ファンデーションも効果なし。仕方なく絆創膏をペタリと貼ってもらって学校に行くことに決めた。

 

「私、渚砂ちゃんの傍を離れませんから。登下校も、休み時間も、生徒会の活動がある日だって…」

「生徒会やめちゃうの?」

「いいえ。六条様の期待には応えるつもりです。それにここでやめたら静馬様に負けを認めたみたいで癪に障りますから」

「玉青ちゃん…」

「さぁ行きましょう渚砂ちゃん。まずはしっかりと朝ご飯を食べないと、ね?」

「うんっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<直接対決>…花園 静馬視点

 

 朝食の時間。食堂へと向かう生徒たちの中にあの二人の姿を見つけ自然と唇の端を吊り上げる。軽い足取りで「おはよう渚砂」と明るく声を掛けると、案の定玉青さんは私をキッと睨んで威嚇した。人見知りで臆病な猫が近寄らせまいとするあんな感じ。少しでもテリトリーに入ろうものなら飛び掛かってきそう。だけどせっかくの機会だもの。ちょっとくらいは会話を楽しんでいかなきゃ損だと思わない?

 

 さて、挨拶もせず不愛想に「行きましょう渚砂ちゃん」なんて言って素通りしようとした勇敢な騎士様をどうやって呼び止めたものかしら…。

 

「待ちなさい玉青さん。襟が乱れているわ」

「そんなはずありません。部屋で確認しましたから」

「つれないのね。まぁいいからこっちにいらっしゃい。みっともないわよ」

 

 失敗だったかと思ったけど、玉青さんは渋々と歩み寄ってきて襟を直すフリに付き合いながら「何か御用ですか?」と周囲に聞こえない程度の小声で尋ねてきた。どうやら私の意図を察したらしい。利口な子って可愛いわね。素振りを見せただけでしっかりと反応してくれるんだもの。

 

 昨日あんなことがあったのに、澄ました顔を浮かべて大人しく襟を直されている玉青さん。けれどよくよく観察すると、目の辺りが赤くなっていることに気付いてしまった。気付かない方が良かったわね。だって虐めたくなっちゃうもの。

 

「目…腫れてるわね。もしかして一晩中泣いてたのかしら?」

「あなたには関係のないことです」

 

 表情は変わらず。お澄まし顔も素敵だけど…崩したいわね。

 

「ファンデーションで誤魔化してるみたいだけど渚砂は気付いてくれなかったの?」

「いいんです。渚砂ちゃんは他のことで大変ですから」

「ふふふ、そうね。()()()()ファンデーションだけじゃ隠し切れなかったみたいね」

 

 肩越しに渚砂を見れば、その首には遠くからでも目立つ大きな絆創膏が貼られていて、刻んだキスマークがすっぽりと覆い隠されている。いつもの元気さは鳴りを潜め、おどおどと私と玉青さんを交互に見てはどうしようかと迷っているようだ。

 

「でもあれじゃ大袈裟過ぎないかしら? 何か()()()()()()を隠してるみたい」

「あれでいいんです。誰の目にも触れさせたくありませんから」

「一番見たくないのは…あなたなんじゃない?」

 

 そう言ってクスリと笑ってみせると今日初めてその表情が揺らいだ。ああ!良い顔ね。泣きはらした目元と強気な表情のコントラストがより一層美しさを際立たせてる。

 

「目を背けたくなるほどくっきり残っていた?」

「さあ? どうでしょう」

 

 ふふふ。もう澄ました表情を取り繕うのも限界ってとこね。

 

「そう。なら自分で確かめることにするわ」

「えっ…?」

 

 横をスルリとすり抜け渚砂の元に駆け寄る。完全に虚を突かれた格好となった玉青さんが慌てて手を伸ばしたけどもう遅い。悠々と渚砂の後ろに回り込んで身体を抱き締めつつ、指はその首筋へ。よくドラマで人質に銃を突きつける犯人がいるけどそんな感じ。もっとも今回は銃ではなく絆創膏がその象徴だけど。

 

「なんの…おつもりですか」

「あら? 言った通りよ。ここがどんな風になっているのか見てみたくなったの。大事な証だもの。ああ、動いてはダメよ渚砂。これは命令。良い子にしてなさい。そしたら後でご褒美をあげる」

 

 絆創膏の端をなぞると浮いた部分が僅かにペロンッと捲れて爪に引っ掛かった。丁寧に摘まんだところを玉青さんに見せつけていると、腕の中で弱々しい抵抗をしてみせた渚砂の鳴き声も相まってますます犯人のような気分がしてくる。いつでも剥がせるこの状態はさしずめ興奮した犯人が引き金に指を掛けたシーンといったところだろうか?

 

 何事かとざわつき始めたギャラリーの視線が集まる中、私は躊躇うことなく指を引いた。ベリッという音と共にあっけなく剥がれた絆創膏。咄嗟に隠そうとした渚砂の手を押さえ付けると、そこには私の刻んだキスマークがありありと残っていた。

 

「綺麗よ渚砂。とても綺麗。だから隠したら勿体ないわ」

 

 思わず渚砂の赤い痣に気を取られたその瞬間だった━━━。

 

 ()()()()()と乾いた音が鳴り響き、続いて生徒たちの悲鳴。にもかかわらず私はまだ自分の身に何が起きたのか理解出来ていなかった。だってそんなこと有り得ない。()()()()()()()()()()!!

 

「上級生ですし、なによりエトワール様ですから、一応は加減したつもりです。でも覚えておいて下さい。次、渚砂ちゃんに手を出したら…こんなものじゃ済みませんから」

 

 怒りを多分に含んではいたけれど、その声は驚くほど静かなトーンだった。美しい旋律に彩られたセリフの数々。凜として私を見つめる目。

 

「平手打ちされたのが自分じゃなかったら、きっと拍手していたわね」

 

 皮肉でもなんでもなく本心のつもりだ。玉青さんの姿はそれくらい魅力的だった。今すぐにでも部屋へと連れ帰って滅茶苦茶にしてあげたいほどに。自分の目に狂いがなかったことを確信し、私は()()()()()()()

 

「なにが…おかしいんですか?」

「おかしいんじゃなくて嬉しいのよ。あなたが成長したことが」

「そうですか。ならこれからは存分に相手をして差し上げ━━━静馬様?」

「うふふふ、あははははははははは。そう、そうね。()()をして貰うとするわ。存分にね!」

 

 ご自慢の長い青髪も、知性溢れる真っすぐな瞳も、整った顔も、美味しそうな媚肉も。全部私のものにしてあげる。その時あなたがどんな顔をするか、今から楽しみだわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<友人のために>…南都 夜々視点

 

 私の見てる前で、玉青さんは静馬様に平手打ちをしてみせた。この丘に君臨する…あの女王様に。その姿は凛々しくて、姫を守る騎士のようにカッコよかった。

 

「夜々ちゃん、夜々ちゃん。早く玉青さんのところに行こ?」

「えっ? うん、そうだね」

 

 一緒に見ていた光莉は興奮が冷めないみたいでまだはしゃいでいる。それは私も同様で、玉青さんの事情を知っているのもあって、私たち二人はもちろん玉青さんを応援していたわけなんだけど…。

 

(なんだろう…。凄く怖い。嫌な予感がする)

 

 あの静馬様がこのままで終わらせるとはとても思えない。でもどんな手段を?

 

「夜々さん、光莉さん」

「玉青さん凄いです。ビンタした時なんか私、夜々ちゃんと手を握り合ってはしゃいじゃって。ね? 夜々ちゃん」

「私はあの味を良く知ってますからちょっとビクッとしちゃいましたけどね」

「もう、夜々さんったら。あれは…」

「ふふ。冗談ですよ、冗談」

 

 勇者様を囲んで和やかに喋りながらも私は静馬様のことが気になってどうしようもなくて、視界の端でずっとその姿を追いかけていた。そして場を離れ一人で去っていくのを確認し、こっそりと後をつけることにした。

 

「それで夜々ちゃんったらね━━━あれ? 夜々ちゃん? どこ行ったんだろう」

 

 

 

 

(たしかこっちの方に………いた)

 

 静馬様の向かった先は化粧室だった。たぶんハンカチか何かで頬を冷やすためだろう。中へと入っていったその背中を追って私も続く。

 

「久しぶりね。二人きりで会うのはあの時以来かしら?」

「お久しぶりです静馬様。その節はどうも」

 

 手際よく湿らせた高級そうな四角い布を頬へと宛がいながら振り返る静馬様。この口ぶりからすると私が来るのは分かっていたみたいだ。「何か用?」と尋ねつつ私の全身をくまなく観察するその目は、妖しい輝きを帯びている。

 

「でも丁度良かったわ。追いかけてきたのがあなたで」

「それはまたどうして?」

「実はね…()()()()()()()()。こうしている間に落ち着くかと思ったんだけどダメみたい」

(これはちょっとまずいことになったな。一人で来たのは失敗だったかも?)

 

 考えてる間にも静馬様はじりじりとその距離を詰めていて、結局どうすることも出来ないままにすぐ傍へと近寄られてしまった。遊ぶように肩やら腰やらを撫でる手が跳ね、次いで首筋やら顎のラインにツゥーッと指が這っていく感触に思わず身震いする。

 

「いいんですか? 思いっきり噛みつくかもしれませんよ?」

「脅したって無駄よ。あなたは私と同類。それに口ではどうのこうの言っても、本当は私のこと結構タイプなんでしょう?」

 

 あ~あ。やりにくいなぁ。悔しいけど美人に弱いのは図星だし、つい1年前の事を思い出しちゃう。あの時は私の完敗だったな。

 

「おかげさまで光莉と結ばれましたから、あの時と同じだと思って油断してると痛い目見ますよ」

「ぜひ見せて欲しいものね。その痛い目とやらを」

 

 後で光莉に謝っておかないと。そう思いつつ目を瞑り受け入れる姿勢を取ると、何の躊躇いもなく伸びた手が顎に掛かり、唇を奪われた。昂っているという言葉通りに少々乱暴な口付け。相手が私だから加減の必要がないってことだろうか? 最初からトップギアのキスにあっという間に酸素が足りなくなっていく。

 

 啖呵を切っておいてされるがままというのもカッコ悪いので、うっすらと開けた視界に映る静馬様の長い睫毛に見惚れながら、自分からも舌を動かした。食前の祈りの時間が近付く中、化粧室に女二人。

 

 まったく、私は一体何をしに来たんだか。これじゃ飢えた猛獣の餌になりにきただけじゃない。そうは思いつつも楽しんでいる自分も確かに存在していて、少しだけ自分が嫌になる。

 

「確かに…少しはマシになったみたいね」

 

 多少は気が済んだのか、唇を離しハンカチで口を拭った静馬様は大して息を切らせた様子もなくそう言った。こっちもご期待に沿えたようでなによりです、なんて強がりの一つでも言いたいところではあったけど、そんな余裕はない。

 

(なるべく身体を触られないようにしたつもりだったんだけどな…)

 

 触って確かめるまでもない。しっかり()()()()()()()()()。身体に残る甘い余韻をどうにかこうにか意識の外へと追いやりながら手の甲で口を拭う。

 

「それで…何か収穫はあった?」

 

 何か目的があって追いかけてきたんでしょう?とその目が言っている。相変わらず隙のない人だ。それに酔狂なことこの上ない。状況を楽しんでる。だけど私だってわざわざ答えるほどお人好しではない。

 

「ええ、素敵なキスでしたよ。思い出に残るくらい」

 

 生意気な返答だと思ったんだろうか? 静馬様の目がスッと細くなり、意図を探るように視線が身体を貫いていく。強がりとか動揺を全部見抜いてやるぞって脅すようにその瞳が煌めく度に、目を背けたくなる。けれどもそんな恐怖を跳ね除けて私は堂々と対峙した。

 

「………。本当にマシになったわね。まぁいいわ。私は先に戻るから。寂しくなったらいつでも部屋にいらっしゃい。友達思いの良い子ちゃん」

「お気遣いなく。私には光莉がいますから。なにせ相部屋なんで…食べ終わったらすぐに誘いますよ」

「食後の運動もほどほどにね。それじゃあ」

 

 背中越しにひらひらと手を振りつつ去っていくのを確認した途端、どっと疲れが押し寄せてきて壁に寄り掛かりたくなった。とはいえあくまで精神的なもので、身体はむしろ元気というかあれだけど…。

 

「今日は聖歌隊の朝練があったっけ…。時間…足りるかな?」

 

 呟いた声は、誰一人いない寮舎の廊下に吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




■後書き

 久々の更新となりました。いかがでしたでしょうか?

 内容に触れる前に、少しこの場を借りまして御礼申し上げます。更新が滞っているにも関わらず読んで下さった方。お気に入りや評価をしてくださった方。言葉遣いについてメッセージを下さった方もおられました。嬉しかったです。ありがとうございました。

 それでは内容です。

 泣きついて告白したと思いきや、「ええ、まぁ」なんて言いながらキスマーク付けて恋敵の元に送った玉青ちゃん。「ええ、まぁ」のところは渚砂ちゃん視点で見た玉青ちゃん、ということで可愛げな描写ですが実際はどんな表情だったのやら。相手が静馬様だったのでやり返されちゃいましたけど策士ってイメージを持つと、がらりと印象が変わるのではないでしょうか?


 もしよろしければ次回もよろしくお願いします。それでは~♪


 


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メイン3 ダンスパーティ編
第23章「あなたが私のパートナーよ」


■あらすじ
 絡めとられていく。玉青の放ったビンタは戦いの終わりではなく始まりの合図。花園静馬の次なる一手。イベントでのダンスのパートナー選びで静馬が指名したのは…。
第23章では玉青を心配する夜々に、エトワール選を見据えて動くスピカ生徒会も登場します!

■目次

<舞踏会への招待状>…涼水 玉青視点
<忠告>…涼水 玉青視点
<迸る情熱>…剣城 要視点


<舞踏会への招待状>…涼水 玉青視点

 

「ほら光莉急いで。練習遅れちゃう」

「だ、だって夜々ちゃんがどうしてもって言うから」

 

 慌ただしく階段を駆け下りていく二人。練習というワードと普通の生徒が学校へ行くには早すぎる今の時間から察するに、これから聖歌隊の朝練に向かうのだろう。私を応援してくれる友人を送り出そうと「いってらっしゃい」と後ろから声を掛けると、階段の途中でピタリと足を止めた夜々さんが振り返った。

 

「あ…玉青さん! 丁度良いところに。玉青さんに話しておきたいことがあるんで放課後ちょっといいですか?」

「え? ええ。今日は生徒会の活動があるのでそれが終わってからでしたら」

「本当は今ここで話したいんですけど時間がなくって」

 

 すみません、と謝る夜々さんの隣で光莉さんが息を弾ませている。その頬がうっすらと桜色に上気しているのは走ってきたからという理由だけではなさそうだ。なんとなくそういうことも分かるようになってしまったのは進歩と言っていいものなのか…。余程時間がないのか放課後の約束だけを言い残していちご舎を飛び出して行った二人の背中を眺めながら、そんなことをぼんやりと考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇあの人って」「あっほんとだ」

「静馬様にビンタした子じゃない?」「青い髪の子だよね?」

 

 朝の通学路。当然と言えば当然だけど、人目を避けようと少し早めに出たにもかかわらず、あちらこちらから私を噂する声が聞こえてくる。流石に指差してくるような人はいないけれど、やはり落ち着かない。隣を歩く渚砂ちゃんが「玉青ちゃんすっかり有名人だね」なんて呑気に言ってきたけど、私からすればいつぞやの渚砂ちゃんだって充分に有名人だった気がする。

 

(あの時は大変でしたね…)

 

 食堂で渚砂ちゃんが唇を奪われた翌日の事を思い出し、ちょっとだけブルーな気持ちになってしまった。あれからたいして日数が経っていないはずなのにひどく昔の事のように感じるのは濃密な日々を過ごしたせいかもしれない。色んな事が有り過ぎて、頭がパンクしてしまいそうだ。

 

「少し目立ち過ぎましたね」

「そんなことないよ。玉青ちゃん…カッコよかったもん」

「もう…からかわないで下さい渚砂ちゃん」

「え~? ほんとのことなのに~」

 

 たぶん校舎に着いても野次馬がたくさん来るに違いない。でも私はたぶん大丈夫。渚砂ちゃんさえ傍にいてくれたら…。

 

「校舎まで走っていきましょう。ほら渚砂ちゃん、早く!」

 

 ミアトルへ続く真っすぐな道を駆けていく。繋いだ手は離さずに、強く…強く握りしめて。

 

 

 

 

 

 

 

「本当にいいんですか?」

「うん! 隅っこの方で授業の復習とかして静かにしてるよ」

 

 懸念事項だった生徒会活動の時間。渚砂ちゃんと一緒にいたいとは言ったものの、まさか本当に一緒に生徒会室まで来てくれるとは思っていなかったから、その感動は言葉では言い表せないものだった。問題は六条様が許して下さるかどうかだけど…。

 

「むしろ私の方こそ玉青ちゃんのお仕事の邪魔をしないように気を付けなきゃ。もしうるさかったらちゃんと言ってね」

 

 健気にしおらしい態度を見せる渚砂ちゃん。そんな姿を目にして頑張らないなんて選択肢は存在しない。少々無茶なお願いかもしれないけど、どうにかして許可を頂こう。

 

 そう張り切って六条様に相談したものの、意外にもあっさりとOKを貰えてしまい、むしろ拍子抜けするほどだった。

 

(私としては嬉しいですけど…。少しだけ引っ掛かりますね)

 

 何はともあれこれで堂々と渚砂ちゃんを連れて生徒会室に出入りしてもよくなった。いくら静馬様だってこんな場所で渚砂ちゃんを誘惑したりはしないはずだ。少しだけ私にも運が向いてきたのかもしれない。会議の開始を告げる六条様の声を聞きながら私は心の中で密かに喜んでいた。

 

 

 

 

「本日の議題は3校合同の音楽祭についてです。音楽系の部や同好会が主体ではあるけれど、少しでも演奏に力を注げるようにと今年も生徒会がバックアップをすることになったわ。配布したプリントにもあるように━━━」

 

 六条様のよく通る声が生徒会室に響き渡り、音楽祭の進行に合わせ列挙された仕事の数々をその都度生徒会のメンバーへと割り振っていく。メモを取るペンの音や指示を聞いて頷く者。六条様はそういった様子をさりげなく観察して各々が理解出来ているかをチェックしながら淡々と会議を進めていくのだから流石としか言いようがない。私も与えられた仕事の内容についてメモを取りつつ、そんな六条様の仕事っぷりを目に焼き付けておいた。

 

 来年は自分が六条様のように振舞わなければならないかもしれないのだから、ただ聞いてるだけでは時間がもったいない。コツみたいなものがあるならば、少しでも掴んでおくべきである。

 

 途中で休憩を一度挟んだ後、順調に会議が進んだ甲斐もあって大方の担当が決まり、びっしりと書き込んだメモを確認しつつ安心していると、不意に六条様の声が聞こえなくなった。どうかしたんだろうかと不思議に思って顔を上げると、ホチキス止めされたプリントの最後のページを見つめて固まっている。

 

 私も急いで紙をめくってそのページに辿り着くと、そこには大きな文字でこう書かれていた。

『祭典後に行われるダンスパーティ及びエトワールによるダンスの披露について』

 

 ダンス…パーティ? 今までの音楽祭にはなかったけれど…。

 

「今回新たな試みとして音楽祭終了後にダンスを踊る時間を設けることになったの。生徒同士の親睦を深めるというのがお題目だけど、分かりやすく楽しんで欲しいというのが演奏する彼女たちの本音のようね。何かやろうという意見自体は前々からあったみたいで、それを企画として纏めてきてくれたの。私も良い試みだと思ったから賛同したわ。今回はあくまで後付けのイベントではあるけど将来的には音楽祭のプログラムに組み込めたらと考えています」

 

 これは確かにいいかもしれない。聴くだけよりも遥かに会場の一体感は増すだろうし、何より自分たちが参加者になるというのは大きなポイントだ。音楽祭に向けての意欲というものが大きく変わってくるのではないだろうか?

 

「書いてあるように最初にデモンストレーションとしてエトワールに踊って頂きます。その後は生徒たちが誰とでも好きなように踊る自由参加型のダンスパーティとなる予定よ。問題は…()()エトワールと一緒に踊るかという点ね。一応エトワールが自分で選んでよいということになってはいるのだけれど…」

 

 えっ!? それってもしかして静馬様が渚砂ちゃんを指名するのも可能ってことじゃ…? 安心しきっていた心が一瞬でざわついた。あの人のことだから、ただ踊るだけでは済まないかもしれない。

 

「正直言ってこの議題が今日一番の悩みどころだったのだけれど…。当の本人がいないんじゃどうしようも━━━」

 

 声が途切れて部屋が静かになると、廊下の方からコツコツとよく響く甲高い足音が聞こえてきた。誰しもがその音に気を取られ自然とドアの方へと視線を向ける。そして近付いてきた音はピタリと生徒会室の前で止まった。

 

「━━━どうやらお出ましのようね。相変わらず良いタイミング。狙っていたのか、それとも引き寄せられたのか、どっちなのかしら。ねぇ…()()?」

 

 もし最後の呼びかけがなかったら、六条様の言葉を理解出来た者は一人もいなかったに違いない。私だって途中まではてなマークを浮かべていたのだから。そんな予言のような言葉通り、勢いよく開かれた扉から颯爽と登場したのは紛れもなくエトワール━━━花園静馬様だった。

 

「丁度私のパートナーについて決めるところのようね。でもご心配なく。パートナーなら既に決めてあるの」

 

 そう言いながら部屋の隅にいた渚砂ちゃんを一瞥したのを私は見逃さなかった。そして意味深な笑みを浮かべつつ小気味いい足音を響かせて六条様の横に並んだ静馬様は私に対しても視線を投げかける。敵としてか、何なのか、その視線の意味は分からない。

 

 知らず知らずのうちにギュウッと握りしめていた手を緩めひとまず深呼吸。ああ、嫌だ。この人が現れるとつい身体に力が入ってしまう。

 

「候補が決まっているというのは素晴らしいことね。考える手間が省けるもの。でもね静馬。あなたには選択権はあるけれど、決定権まで持っているわけじゃないことを忘れないで頂戴。もし生徒たちの代表として相応しくないようであれば認めるつもりはないから」

「あら? 別にちょっとみんなの前で踊るだけじゃない。そんなに大袈裟なものではないでしょ。それともあなたを選べば満場一致で賛成ってわけ?」

「なッ!? そ、そんなわけ…」

「心配しなくてもあなたも納得する人選よ。ミアトルの生徒会長さん」

「どういう…意味?」

 

 聞けば分かるわ、と小さく呟いて六条様を追いやると、ただ一人全員の正面に立った静馬様にみなの視線が集中する。次に口から飛び出してくるのは一体どんな発言なのか? 予想なんて誰にもつかず、ただただ固唾を飲んで見守ることしか出来ない。緊張が高まる中にあって、それでも平然としていられるこの人はやはり、生まれながらのスターなのかもしれないと一瞬思ってしまった。

 

「それじゃあ発表するわ。私と踊ってもらう人物の名を」」

 

 静馬様の視線が大勢の生徒たちを飛び越して後ろの方へと向かう。その先は追わなくたって分かる。そこにいるには渚砂ちゃんだ。

 

(やっぱり渚砂ちゃんを指名するおつもりなんですね。エトワールとしての仕事にかこつけて)

 

 これはれっきとしたエトワールの職務だ。もし決まってしまえば口出しすることは出来ない。どうにかして阻止しておかないと渚砂ちゃんと踊る姿を見せつけられてしまう。全校生徒の前で抱き合う二人の姿なんて…見たくない。

 

 渚砂ちゃんは私のもの。私の………私の渚砂ちゃんだ。渚砂ちゃんの名を口にしたらすぐに反論してやる。誰の賛同もなくたって、みっともないくらい大声を出して抗議を━━━。

 

「涼水玉青さん。あなたが私のパートナーよ」 

「えっ………?」

 

 この人は今なんて言ったんだろう? よく聞き取れなかった。少なくとも渚砂ちゃんの名ではなかった。注意深く聞いていたのだからそれは確かだ。じゃあ…なんて? 頭が真っ白で何も考えられない。

 

「ふふふふふ。聞こえたでしょ。あなたがパートナーだと言ったのよ」

 

 いつの間にか目の前に立っていた静馬様が私を見下ろしていた。さながら獲物を見つけた猛禽類のようなゾッとする視線で、腕を組み、仁王立ちしながら、遥か頭上から鋭い視線で私の身体を貫いている。

 

「うそ……どう……して?」

 

 私が竦んだのは視線が怖かったからじゃない。理解出来なかったからだ。こんな絶好のチャンスに渚砂ちゃんを選ばないどころか、ライバルであるはずの私を指名するその魂胆が…あまりにも不気味で。

 

 助けを求めるように巡らせた視線の先では、六条様も驚いたらしく呆然としていた。

 

「いいでしょ深雪? なにせ玉青さんはあなたが推してるミアトルの次期生徒会長。この辺りでお披露目も兼ねて名前を売っておくのは後々役に立つと思うけど。それにあなた大好きでしょ? ()()()()()()()()。口癖だものね」

「一体何を考えているの静馬?」

「さあ? なんのことかしら。今述べた以外のことは何も。ミアトルの未来を考えれば悪くない選択だと思うけど。それとも他に何かあると、あなたはそう言うのかしら?」

「━━━ッ」

 

 悔しそうに拳を握りしめた六条様がさりげなく私に向かって目配せをしてみせた。その意味はおそらく「ごめんなさい」。つまり引き受けるかどうかは私の意志に委ねられたということだ。

 

 確かに静馬様の話は筋が通っていて反論が思いつかない。それこそ生徒会の外の事情、恋愛関係でも持ち出さないことには…。

 

「ねぇ玉青さん。あなただって深雪から寄せられた期待に応えたいとは思わない? もちろん、嫌だったら断っても構わないわ」

 

 表面上はあくまで穏やかに同意を求めるような言い回し。けれど時折私から外れた視線が、肩越しに渚砂ちゃんを捉えている。私が断ろうものならすかさず渚砂ちゃんを選ぶと、そう脅しているというわけだ。

 

 卑怯者! 何が断っても構わないだ。逃がすつもりなんて()()()()()()()()

 

「分かるでしょう? ()()()()()()()()()()()! 涼水玉青さん」

「くっ…。分かりました。謹んでお引き受けします。エトワール様」

 

 起立して恭しくそう告げると静まり返っていた室内にホッとした空気が漂い、誰かが控えめに鳴らしたパチパチという拍手の音に釣られて一人また一人とその拍手に加わっていく。

 

「いつまでも突っ立ってないで私の隣に来たらどう?」

「………。はい、静馬様」

 

 その言葉に従い前に出ると、スッと手を差し出された。生徒会室には檀上などなくフラットな平面だ。段差なんてない。とすればこの手はダンスを求める仕草で、遊び心なのだろうか? 

 

 一瞬迷った後、手を取ろうとしたその時だった━━━。

 

 掴もうとした手がスルリと空を切り、逆に私の手首を掴むと、力強く引っ張られた私は小さく「キャアッ!?」と悲鳴を上げながら引き寄せられた。

 

「な、何をなさるんですか!? 冗談もほどほどに…」

 

 びっくりしたせいで未だにうるさく心音が鳴り響く。今自分がいるのは、静馬様の腕の中。衝突の直前に目を瞑ってしまっていたらしく、目を開けて間近に静馬様の顔を見た時には本当に驚いた。

 

「冗談? 面白いことを言うのね。本番ではこうやって身体を寄せ合って踊るのよ」

「私が言っているのはそういうことじゃ」

 

 身体を引き離そうとジタバタともがきつつ抗議の声を上げる。思いのほか不快ではなかったけれど、かといって良い気分ではない。恋敵の腕の中にいるというのは複雑な心境だ。

 

「ああ、ごめんなさいね。こうした方がよかったかしら?」

「えっ? あ………きゃっ」

 

 静馬様がそう耳元で囁いたかと思うと、スススッと動いた手が私の腰を支えるように後ろから宛がわれ、再び小さく悲鳴を上げてしまった。

 

「あっ……嫌、嫌です。離してください静馬様。お願いですから、手を…離して」

「ダンスのポーズをとるだけよ。大人しくしてなさい」

 

 遠ざけるために身体を押しのけようとしていた手は掴まれて強引に静馬様の腰へ。

グイッと腰を押されたせいで背筋が伸び、反り気味になった身体が否が応でも密着させられる。それと同時に顔も近付き、前を向いていると唇が触れそうにさえなるほどに近い。必死に顔を背けても大して距離は離れてくれず、むしろ吐息が耳に当たってくすぐったかった。

 

「腰…細いのね。こうして抱き締めていると折れてしまいそう」

「あなたに褒められても嬉しくありません」

「つれないのね。まぁいいわ。音楽祭、頑張りましょうね玉青さん」

「………。はい…。」

 

 まさかこんな事になるとは思いもしなかった。私が…エトワール様とダンスを踊る事になるなんて…。

 

 

 

 

 

 

 

<忠告>…涼水 玉青視点

 

「ええッ!? 静馬様がダンスのパートナーに玉青さんを指名した?」

 

 部屋に夜々さんの驚く声が響き渡る。それは朝に交わした約束の通りに夜々さんの部屋を訪れた私が、今日の生徒会での出来事を話している最中の事だった。なぜか椅子ではなくベッドに胡坐(あぐら)をかくような格好で鎮座している夜々さんが慌てた声で聞いてくる。

 

「ま、まさか引き受けたわけじゃないですよね?」

「断れるわけないじゃないですか。もし断ったら渚砂ちゃんを指名するのは目に見えてましたから」

「あちゃー。やられた…。一足遅かったか。やっぱり朝のうちに話しておけば良かった。あ、でも渚砂さんを人質に取られてるようなものだしどっちにしろ断れないか…」

 

 分かりやすくおでこに手を当てるポーズで感情を表現した夜々さんが部屋の天井を見上げている。どうして夜々さんはそんなにも驚いているんだろうか? それにやられたって…。話が全然見えてこない。未だにぶつぶつと呪文のように何かを言い続ける夜々さんを見つめたまま固まる私に、光莉さんが「どうぞ」とお茶を勧めてくれた。立ち昇る香ばしい匂い。カップの中に揺らめいているのは紅茶ではなくほうじ茶だった。

 

(あ、これ美味しい。ケーキにも合いそうですね)

「夜々ちゃん。夜々ちゃんってば! 玉青さんが困ってるよ」

「え? ああ…ごめんなさい」

 

 お茶を飲んで少し落ち着いたらしい夜々さんは、きちんと座り直して私を見据えると勢いよく話を切り出した。

 

「ずばり言いますねけど、静馬様は玉青さんのことを狙っていると思います」

「えっと…話がよく分からないんですけど」

 

 えらく自信満々かつ真剣なセリフではあったけれど、さっぱり意味が理解出来ない。

 

「だ~か~ら~。静馬様が玉青さんを狙ってるんですってば!」

「狙ってるって、まさか…命…とか?」

「私はいたって真剣に話をしてるつもりなんですけど」

「ご、ごめんなさい」

 

 私の返答に些かむすっとした表情を浮かべた夜々さんに謝りはしたものの、分からないんだから仕方がない。今だって必死に考えを巡らせてはいるけど、答えはさっぱりだ。

 

「もしかして本当に分からないんですか?」

「すみません」

「まぁ玉青さんは自覚するようになってから日が浅いですし、今は渚砂さんの事で精一杯だから他の事が見えにくいというのはあるかもしれませんけど。いいですか? 私が言っているのは、静馬様は渚砂さんだけじゃなくて玉青さんのことも手に入れたいと考えてるってことです」

「静馬様が私をですか? それこそ有り得ないですよ。だって私と静馬様は渚砂ちゃんを巡るライバル関係にあるんですよ?」

「やっぱり…。そんなことだろうとは思いましたけど、甘い! 甘いですよ玉青さん!」

 

 まだそこそこ熱いお茶を勢いよく━━━ではなくちびちびと口に運んだ夜々さんがベッドから手を伸ばして机にカップを置くと、チャプンと揺れた液体が危うくカップからはみ出そうになりながらもどうにか零れずに収まった。床が汚れなくてなによりである。

 

「私の同業者としての勘ではありますけど、間違いなく静馬様は玉青さんを狙ってます。分かるんですよ、そういうの」

「勘…ですか」

 

 年下とはいえその方面ではずっと先輩の夜々さんがそこまで言うからには、そうなのかもしれない。

 

「静馬様の視線から何か感じ取ったりはしませんでしたか?」

「敵意ならひしひしと感じましたけど」

「他には? こう…なんというか絡みつくような視線とか、背筋がゾクッとするような何かとか」

「それも…やはりライバルだからとしか」

 

 今日の昼間に感じた視線からは、私に対するそういった感情は読み取れなかった。渚砂ちゃんに対する視線からは読み取れるんだけど…。

 

「じゃあ逆に玉青さんから見てどうですか? ライバルとかそういったいざこざを全て綺麗さっぱり取り払ったとして、そのうえで静馬様を見たとしら、玉青さんは静馬様のことをどう思いますか?」

「ど、どうと言われても」

「美人だなとか、付き合ってみたいなとかってのも一切?」

「そりゃあ美人だとは思いますけど付き合いたいってのはちょっと…」

 

 何でこんなことを聞くのか全く分からない。夜々さんなりに何か伝えたい事があるのはなんとなく理解出来るけど。

 

「う~ん。あんまり光莉の前では言いたくなかったんだけど仕方ないか…。よしっ!」

 

 言うなりパァンッと手を合わせた夜々さんが光莉さんに向かって叫んだ。

 

「光莉お願い! 今からしゃべる話は聞かなかったことにして」

「もぉ仕方ないなぁ。玉青さんと渚砂さんのため…なんだよね? だったらいいよ」

 

 目を閉じて拝むようにお願いするその姿に、光莉さんは渋々といった様子で了承する。私からするとちんぷんかんぷんだけど、二人の間ではこれで通じているんだろう。胸を撫で下ろし「よかった~」と呟いているあたり、案外光莉さんの方が実権を握っているのかも…。

 

「コホン。それじゃあ本題に入るとして。まず初めに玉青さんは自分が美人であるってことを自覚すべきなんです」

「は、はぁ…」

「そこ、気の抜けた返事をしない! いいですか? 私や静馬様、それに玉青さんは女の子が好きなんです。ということは女の子を見て、あの子可愛いとか、付き合いたいとか、そういったことを考えるわけですよね。もちろん特定の相手を好きになることはありますけど、それとは別に自分の好みの人に無条件に惹かれちゃうケースも出てきます」

「それって例えば私が渚砂ちゃん以外の人にってことですよね?」

「その通り!」

 

 あるんだろうか…そんなことが。渚砂ちゃんを好きでいながら、他の誰かに惹かれるだなんて。

 

 そんなことを考えていると、見透かしたように夜々さんが補足をしてくれた。

 

「別に玉青さんがすぐにどうこうって話じゃありませんよ。今回は静馬様についてですし。とにかく、静馬様からすれば渚砂さんにちょっかい出しながら玉青さんにも手を出すってのは別におかしな話ではないんです。どっちも可愛いからどっちにも手を出す。経験豊富で自信があればこそ…ですけどね。まぁ静馬様らしいというかなんというか」

「あ、あの~質問いいでしょうか?」

「どうぞ」

「その口ぶりだと夜々さんも経験があるんですか?」

 

 姿勢を変えベッドの上でくつろいでいた夜々さんにそう問いかけると、分かりやすく戸惑った。

 

「まぁ…ありますよ。ミアトルだと静馬様とか、生徒会長の六条様も素敵ですね。どっちも…その…凄い美人じゃないですか。静馬様が六条様に手を出さないのが不思議なくらいですよ。そういった噂ってないんですよね?」

「六条様には許嫁がいるって話ですし、さすがに静馬様も手を出さないんじゃ…」

 

 もし破談にでもなれば名家同士の大問題に発展してしまうだろうし、きっと静馬様だってただでは済まないはずだ。

 

「そんなもんですかね? あとこれは玉青さんの危機感を煽るために言っておきますけど、私から見れば玉青さんも充分その美人カテゴリーに入りますからね」

「え? えええっ?」

「最初に言ったじゃないですか、美人なの自覚した方がいいって。私弱いんですよ、美人さんに。玉青さんなら交際相手として全然アリですよ」

「そ、そんな…」

 

 夜々さんはもぞもぞと体育座りをすると、足を抱えて自らの太腿に顔を押し付けるようして顔を隠してしまった。

 

「だから理屈じゃないんですよ。本能っていうか、ビビビッてくるんですよ。あ~あの子可愛いな、みたいに。もちろん理性はありますから浮気するようなことはしませんけどね」

 

 光莉さんの方をチラチラと気にしつつ、小さな声で「玉青さんもいずれ分かりますよ」と付け足すと再び亀みたくうずくまってしまう。横目でチラリと光莉さんの様子を窺ってはみたものの、目を瞑ってカップを傾ける光莉さんの表情はなんとも読み取りづらい。

 

「女の子が好きってそういうことなんですよ。仕方ないじゃないですか。どう取り繕ったって好きなんです…女の子が」

 

 絞り出すように告げた声は、どこか苦みを含んでいて。それはたぶん夜々さんなりに色々と経験したことが言葉に宿っていたんだと思う。私よりずっと前から自覚した彼女だからこそ出来る、明確ではないけれど、重みを持ったアドバイス。

 

「夜々さんって優しいんですね」

「玉青さんが美人だからそうしてるのかもしれませんよ?」

「もし夜々さんがそんな人だったら、光莉さんが惚れるわけないじゃないですか」

「玉青さんがミアトルじゃなくてスピカの生徒で、光莉がこの丘に来る前だったら、声を掛けてたかもしれませんね。私と付き合ってくださいって」

 

 顔を上げた夜々さんは笑っていた。それもとびっきりの笑顔で。

 

「お茶、新しいの淹れてきますね」

 

 スススッとカップを手に立ち上がった光莉さんの姿が見えなくなると、夜々さんはゴロリとベッドに寝そべり━━━叫んだ。

 

「あーーーもう!!! だから言いたくなかったんですよ。光莉のやつめちゃくちゃ怒ってる…」

「ええっ? 今も穏やかな顔してましたし、声も優しかったですよ?」

 

 なんとなく良い雰囲気で終わったと思ったのに余韻が台無しだ。それとも私の見当違いなんだろうか?

 

「玉青さんに対してだからですよ。玉青さんが帰ったらどうなることやら。光莉って凄く嫉妬深いとこがあって、この前だって聖歌隊の先輩に色目使ったでしょって問い詰められて。なかなか会話もしてくれないし、夜だって許してくれたのかと思ったら噛んできたりしてもう大変で…」

 

 制服をペロリとめくった夜々さんがお腹の辺りを指差しながら噛まれた時の事を教えてくれる。

 

(これってもしかして惚気られてるんでしょうか?)

 

 そんな気がしないでもない。それともあれかな。こういう会話が出来る相手が見つかって夜々さんも嬉しいのかもしれない。きっと二人は息を潜めて生きてきただろうから。惚気る相手もいなかったのかも…。

 

「と~に~か~く! くれぐれも静馬様と二人きりになったりしちゃダメですからね。気を付けて下さいよ。ダンスの練習をしようとか、呼び出す口実はいくらでも考えられるんですから」

「き、気を付けます…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<迸る情熱>…剣城 要視点

 

「まったくやっかいなことになったものだ」

 

 苛立たし気にプリントの束を机に投げ捨てると、傍でお嬢ちゃん━━━籠女を膝に乗せたまま器用に紅茶の入ったカップを傾ける桃実が疑問を呈してくる。

 

「あら、どうしてよ? 他校の生徒にも大々的にアピールするチャンスなんじゃないの?」

「そう単純な事じゃないのよ。さっき要も言ったでしょう。ダンスにはエトワール様も参加されるって。そしてそのダンスのパートナーが━━━」

「━━━六条会長が次期会長候補と推してる4年生というわけさ」

 

 さすがにエトワール選を視野に入れてるせいかよく状況を理解している詩遠の言葉を引き継ぎ問題点を答える。机の上に散らばったプリントには六条会長のサインと共に、エトワールのダンス披露についての詳細が記載されていた。

 

「つまり、今年のエトワール選における私と天音の障害となり得る存在かもしれないわけだ。下手をすれば我々が新たなスターの引き立て役にされる可能性だって考慮しなければならない。迂闊なことは出来ないのさ」

「なるほどね。でもお誘いを断るわけにもいかないんでしょう?」

「要と天音はミアトルやルリムにも名前が売れているとはいえ、この機会を逃すのはよろしくないわね」

「難しいのね選挙対策って」

 

 溜息をついた桃実の膝の上では、話が面白くなかったのかすっかり瞼が落ちかかり、今にも眠ってしまいそうなお嬢ちゃんの姿があった。目覚まし代わりにと好物のキャンディーを差し出してやると、目を輝かせて手を伸ばす。この年にして私イチ押しのミルクキャンディーの味が分かるんだからなかなか見所がある。ぜひルリムの生徒たちにも布教して貰いたいものだ。

 

 しかし、キャンディーはお嬢ちゃんの手に渡ることはなく、桃実の「だ~め!」という言葉と共に遮られてしまった。

 

「ミルクキャンディーでしょ? 籠女の好物だけど今はだめよ。夕食が食べれなくなったら良くないもの」

「キャンディーの1つくらい平気だろ。それに当のお嬢ちゃんは欲しそうにしてるんだし」

「ダメよ。この前もご飯残してたんだから。籠女くらいの年の子は栄養バランスを大事にしないと」

 

 そう言って丁重にキャンディーを返却してきた桃実につい、詩遠と顔を見合わせてしまった。笑いをこらえる詩遠の言いたいことはよく分かる。私だって全く同じ気分だ。

 

「やれやれ。これじゃカップルというよりもよくて姉妹、それどころか親子といっても過言じゃないな」

「どういわれようが構うもんですか。籠女はきちんと私が育てますから」

「まったく君ってやつは…」

 

 苦笑いを浮かべつつ、心の中では次の3校合同会議に思いを馳せる。

 

(エトワール様のパートナーを務める4年生か。一体どんな奴なんだろうか。クックッ。俄然面白くなってきたじゃあないか)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから2日後、ミアトルの生徒会室には各校代表の姿があった。

 

「それでは会議を始めさせていただきます。音楽祭自体については既に役割分担は済んでいますから、議題は今回から行われるダンスパーティについてですが…」

「六条会長。ちょっといいだろうか?」

「なんでしょう剣城さん」

 

 辺りを見回しながらゆっくりと立ち上がる。少々わざとらしくはあったが牽制するならこれくらいの方がいいだろう。

 

「パーティに花を添えるエトワール様とそのパートナーの姿が見えないようだが、一体どちらにおられるのかな? 主役と言っても差し支えないのだからこの会議に出席するのが筋というものでは?」

「それは失礼いたしました。会議の話題がデモンストレーションの件になってから呼ぼうかと思っていたものですから━━━。

 ご指名よ! 静馬」

 

 準備室らしき方へ向かって声が掛けられると、相変わらず悠然とした態度のエトワール様が現れた。やけにあっさりと非を認めたかと思えば、そういうことか。ハナから用意があって私が突っかかるのも想定済みだったというわけだ。

 

「なんだ。最初からいらしてたんですか。隠しているなんて六条会長も人が悪い。言ってくれればよかったものを」

 

 クックッと冗談めかして笑いながら詩遠に視線を送って着席する。出てきたのはエトワール様だけでパートナーの姿は見えないがこの分だとそちらの方も準備室に待機しているのだろう。わざわざ2度も相手のやりやすいように場を整えてやる必要はない。どうせルリムの源会長が上手くやるだろうしな、などと考えていると案の定。「あらあら?」な~んてわかりやすい声と共にパートナーのお披露目を催促した。

 

「深雪さん、もったいぶらないでくださいな。静馬と踊るパートナーの方にも、ぜひ姿を見せて頂きたいわ。スピカの皆さん()気になって夜も眠れなかったでしょうし」

「その口ぶりからすると、千華留さんはどんな方かご存知のようね」

(詩遠のやつ、そんな分かりやすい挑発に)

 

 おいおいとは思ったものの既に手遅れだった。携えた扇子を広げて口元を隠しウフフと笑う源会長の満足気な顔を見るに、最初から詩遠をからかうつもりだったらしい。悔し気に「ふんっ」とそっぽを向いた詩遠はバサバサと音を立ててプリントをめくった。

 

「皆さんご静粛に。玉青さん、出てきて自己紹介を」

 

 エトワール同様に準備室から現れた少女に一同の視線が集中する。

 

「ミアトル4年生の涼水玉青です。今回エトワール様のパートナーを務めさせていただくことになりました。よろしくお願いします」

(ふぅん。この子が六条会長のイチ押しか。顔立ちは整っているが外見だけではなんとも判断しかねるな)

 

 スカートの裾を摘まんで優雅に挨拶した青い髪の少女。やり手の六条会長が推挙するのだから優秀なのは間違いないんだろうが…。

 

(やはり比較対象がエトワール様となると…な。パンチに欠けるのは致し方ないか。いや、さすがに比較するのは可哀想だな)

 

 あれが相手ではどんな人物でも霞んでしまうに違いない。その点やはり源会長の存在はルリムにとっての切り札と言える。とすると彼女はエトワール選の候補ではなく純粋に次期生徒会長としての採用かもしれない。期待と不安が入り混じってはいたがちょっと拍子抜けだ。どうせなら強力なライバル出現の方が私も天音も燃えるんだがな。

 

 そんな悠長な思考は続く源会長のセリフで跡形もなく吹き飛んだ。

 

「ふふふふ。ミアトルは思い切った起用をなさるわね。まさか静馬に平手打ちをお見舞いした子をダンスのパートナーにするだなんて」

「なんだって!? 君が例の…?」

 

 ビンタの噂は聞いてはいたが、まさかこの子だったとは。言われなければ気付かなかっただろう。話題性もあるし、これはエトワール選への布石もありそうだ。

 

「本当に六条会長はイジワルな御方だ。こんな隠し玉まで用意しておいて。余程ミアトルは目立ちたいらしい」

「別にそんなつもりは…」

「果たしてそうだろうか? エトワール選を見据えての戦略のようにも━━━」

「━━━ふふ。ふふふふふ。あははははははははは」

「静…馬?」

 

 真意がどうあれ、ここは叩いておいた方がいい。そう判断した私は追い打ちを掛けようと口火を切った。予想される六条会長の反論を想定していた………つもりで。

 

 しかし私の言葉に割り込んできたのは予想外の、そう、エトワール様の笑い声だった。あっけにとられたのは私だけではない。同じミアトル陣営のはずの六条会長までもが驚いていた。

 

「ごめんなさい。今年のスピカの立候補者があまりにもみっともないものだったから、つい可笑しくって。気分を害したなら謝るわ」

「私がみっともないだって? ぜひ理由をお聞かせ願おうじゃないか、エトワール様」

 

 先ほど詩遠を迂闊だと心の中で叱っておいて、とは思ったものの反応せずにはいられなかった。それにこの人と正面切ってやり合ったことはない。だから面白いと思った。自分…剣城要という人物を測る絶好の試金石になると。今まさにその地位にある者相手にどこまでやれるのか、と。

 

「………。スピカの剣城さんだったわよね。どう? 政治()()()は楽しい?」

「政治ごっこ? エトワール選は各校の名誉が懸かった戦いでしょう。それをごっこ遊びになぞらえるとは。あなただってミアトルを背負っているはずだ」

「私は違うわ。スピカ生だろうがルリム生だろうが、なんにしたってエトワールになっていたもの」

「とんだ自信家だなぁ! 私も自信家のつもりだったが、あなたには負けるよ」

 

 皮肉交じりにやれやれとポーズを取って見せる。内訳は演技が2割で残り8割は本心だ。だってそうだろう? 数代前のスピカから輩出されたエトワール様は常に支えてくれた人への感謝を口にしていたし、きっと他のエトワール様だって似たようなもののはずだ。それなのにこの人はそれをあっさりと否定する。

 

 だけど心のどこかでは、この人に憧れを抱いてしまう。圧倒的に君臨する…強いエトワール。それは私の考えるエトワールの理想像に似ている部分もあるからだ。

 

「分からないみたいね。自校の名誉がどうこう言うならなおさらよ。エトワールになった後で、あなた自身が恥ずかしい思いをするだけ。滑稽であったと。不純物であったとね」

「エトワールになれなければ意味はない!」

 

 私の言葉にエトワールの目がスッと細くなり、さっきまでとは打って変わって冷たい眼差しが叩きつけられる。恋愛に奔放な、スキャンダルだらけのエトワール。そう揶揄する者もごく少数だがいるにはいる。だが彼女たちは知っているのだろうか? 花園静馬がこんな顔をする人物であることを。

 

「もしあなたが真にエトワールの器だというのなら、何もしなくたって勝手にそうなるわ。それとも自信がないのかしら? 相応しい人物であると」

「これはまた面白いご冗談を。エトワールの座が歩いて目の前にやってくるとでも? ふざけるな! あなたには六条会長のバックアップがあった。それによって動いた票は決して少なくなかったはずだ」

「深雪の支援がなくても勝ったわ。私は花園静馬だもの。知ってるはずよ? 私の得票率を」

「はっ………はははははははは。こりゃあいい。こいつは傑作だ。()()()()()()()()()。あなたが言うと説得力があり過ぎて、否定しようとする自分の方が間違っている気になる。でもねエトワール様。それは強者の理論だ。何もかも手中に収めているあなただけが言えるセリフだ。数代前にスピカから輩出されたエトワール様は、常に周囲への感謝を口にしている方だった。みんながあなたになれるわけじゃない。私はッ━━━」

「━━━あなたが目指すのはか弱いエトワール様? 違うでしょ。仮にもスピカのスターで、王子様を自覚しているというのなら…ね」

「くっ………」

「毅然としていなさい。王子様はみっともない真似はしないものよ」

 

 会話はもう終わったと言わんばかりに踵を返し、エトワール様は背中を見せた。その涼やかな後ろ姿に比べて、拳を握りしめて立つ私のなんと無様なことか。完敗だ。潔くそれは認めよう。だがいつかこの借りは返させてもらう。

 

 

 

 

 

 

 

 会議を終えての帰り道。ぬるい風を受けながらスピカへと戻る間は、二人とも言葉は交わさなかった。ようやく口を開いたのは校舎に入って少し経ってから。生徒会室の扉が見えた辺りの頃だった。

 

「迂闊なことは出来ないんじゃなかったの?」

「………」

「まぁ別にいいけど」

 

 詩遠が怒るのも無理はない。私のせいでスピカとしては身動きが取りにくくなってしまったのだから。してやられたというわけだ。謝っておくなら今しかないだろう。

 

 そう思った私は詩遠を呼び止めてその前に回り込むと、深々と頭を下げた。

 

「済まなかった。私のせいだ」

「ちょ、ちょっと要。冗談よ。責めるつもりなんてないわ。からかっただけよ。頭を上げて頂戴」

「しかし…」

「見くびらないで」

「えっ?」

「見くびらないでって言ったの。いいから顔上げなさい!」

 

 いつになく真剣な眼差しをした詩遠がそこにいた。

 

「いい? 一度しか言わないからよく聞きなさい。

 勝てそうにない子に━━━ううん、夢を託せないような子に公認出してあげるほど、私の夢は軽くないの!

「しお…いや、会長」

 

 思わず『会長』と呼んでしまうほど、詩遠は凛々しかった。

 

「だから…自信持ちなさいよ。今年のスピカの代表は…剣城要と鳳天音。これは決定事項。何があっても変えるつもりはないから」

 

 言うだけ言ってさっさと歩き始めてしまったその背中に呟く。天井を見上げ、後悔を込めながら。

 

「まいったなぁ。会長の夢を()()()()()()()、だなんて思っていたのに…。これじゃ格好がつかない」

 

 自分がエトワールになる。そしたら自動的に会長の夢も叶う。だから私が叶えてあげよう。いつの間にかそんな傲慢な考えが私の心に巣食っていたらしい。でもこんな風に託されてしまったら、そんな考えはもう二度と思い浮かべちゃいけない。

 

 視線の先で、足を止めた詩遠は振り返らずに答えた。

 

「ほら、行くわよ。未来のエトワール様」

 

 

 

 

 

 

 生徒会室の扉を開けると、私たちを待っていた桃実が一人、ニヤニヤしながら出迎えてくれた。3人分のカバンを持ち、すぐにでも施錠して帰れる状態だ。

 

「ねぇ二人共。まだ食堂ギリギリやってる時間だし、パフェでも食べていかない? 奢るわよ」

「どうしたのよ急に」

「別に~。ただ、ちょっとね。恋愛とは違うけど、廊下で思いっきり青春してたお二人さんにご馳走したくなっただけよ」

「なんだ。聞こえてたのか」

 

 自分のカバンを受け取りながら尋ねると、桃実は「そりゃあ、あれだけ熱く語ってたらね」とおどけてみせた。

 

「それで行くの? 行かないの?」

「行くに決まってるでしょ。桃実の驕りなんてめったにないし。明日は雨かしらね」

「クックっ。会長の言う通りだ」

「何よ二人共。私がせっかく誘ってあげてるのに」

「夕食を残さないように気を付けないとな。そうだろ? 保護者の桃実さん?」

 

 お嬢ちゃんを絡めての皮肉に詩遠が笑い出し、それに合わせるように私も声を出して笑う。こんな風に3人で過ごすのはなんだか久々のような気がした。

 

(ってそうでもないか。なんだかんだで付き合いが長いものだな…私たちも。スピカか。いい学校に入ったものだ…)

 

 カバンを振り回して追いかけてくる桃実から逃げながら、私は少しだけノスタルジーに浸っていた…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 いかがでしたでしょうか? 今回ちょっと長めになりました。どのお話も修正するうちに少しずつ伸びてしまって。主に静馬様関連が…。



 話は変わりまして「えっ今更!?」と言われるかもしれませんが特殊タグって使い方難しいですね。使い方というか『使いどころ』と表現した方がしっくりくる感じですが。

 なんというか思った以上に強弱がはっきりついてしまうというか。タグを適用した部分が目立ちすぎちゃってあまり何度も使わない方がいいのかな…なんて。ちょっと試行錯誤してみたいと思います。



 世間はコロナウイルスで大変ですが、みなさんもどうか体調に気を付けて下さい。
もしよければ次章もお願いします。それでは~♪




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第24章「私と踊ってください」

■あらすじ
 静馬から直々のご指名によりダンスのパートナーに選ばれた玉青は、嫌な予感を抱きつつも渋々練習に参加する。残念なことに予感は的中し、練習初日から静馬に翻弄されて疲れ果てる玉青。しかし渚砂との憩いの時間に嬉しい出来事があって!?

■目次

<練習初日>…涼水 玉青視点
<あなたと踊りたくて>…涼水 玉青視点



<練習初日>…涼水 玉青視点

 

「1…2…3。1…2…3。そう、上手よ玉青さん。さすが優等生ね」

 

 音響機器から流れるワルツに合わせて、右へ左へと軽やかに身体が動く。六条様が耳元で囁く優しい言葉と巧みなリードのおかげもあり、私は見えない糸で操られた人形のようにフロアに見立てた生徒会室を舞っていた。

 

(ダンスのパートナー。静馬様じゃなくて六条様なら良かったのに…)

 

 思わずそう口に出してしまいそうなほど素敵なリードに身を委ねながら、私は心地良さに酔いしれていた。難点といえば、あまりにも実力以上のものが出過ぎていて、これを本来の実力と勘違いされたらどうしよう、という心配が頭をよぎることくらいだ。

 

 女性しかいないこの丘では男性役をこなせる存在は限られていて、必然的に人気が高まりやすい傾向にある。その中でも有名なのはスピカの剣城要さんと鳳天音さんの王子様コンビ。そしてエトワールである静馬様だ。

 

(ミアトルでは静馬様ばかりが有名でしたが…、もしかして六条様は実力を隠していらっしゃったのでしょうか?)

 

 ただでさえスタイルの良い六条様だが、美しく構えた基本姿勢をとるとそれだけでいつも以上に背が高くスラッと見える。そのうえ実際に組んでみるとさらに大きく感じられ、同性である私であっても嫉妬してしまうくらいに抜群のプロポーションだった。

 

 相変わらず見えない糸に引っ張られて踊りながら、ふと夜々さんの話を思い出す。私が渚砂ちゃん以外の人に、心惹かれるかもしれないという話だ。あの時は夜々さんに言われて静馬様を思い浮かべたせいでしっくりこなかったけど、こうして六条様と踊っていると「なるほど」と思わないこともない。

 

(婚約者がいると知られていなかったら、きっと何人もの女生徒から告白されたでしょうね。静馬様よりも余程エトワールに相応しい方ですわ)

 

 以前から抱いていた漠然とした考えは、生徒会を通じて接する機会が増えたことで私の中で強固なものへと変貌していた。

 

 そもそもなぜパートナーであるはずの静馬様ではなく六条様と踊っているのかと言えば、気まぐれなエトワール様が時間になっても現れなかったためである。仕方なく予定を変更し、私がどれくらい踊れるのかを確認するためのテストをしているわけだが、今現在もエトワール様のお姿はどこにも見当たらない。

 

 そんな自分勝手な人よりも親身になってくれる六条様の方を素敵だと思うのはなんらおかしい事ではないし、むしろ自然なくらいだ。

 

 頭の中に生まれた雑念に邪魔されつつも、糸に繋がれた私の身体は規則正しいリズムに乗ってワルツを踊り続ける。右へ左へ足を動かしターンを決め、名残惜しさを感じながらもフィニッシュを飾ると、見ていた生徒会のメンバーから拍手が起こった。

 

「とても良かったわ。これなら心配はいらなそうね」

「いえ、六条様のリードがお上手だったからで普段は私こんなには」

 

 踊れません、と続けるつもりだったのに━━━、

 

「謙虚なのね。でも褒めてくれてありがとう。一応踊りには自信があるの。静馬にだって負けないつもりよ」

 

 六条様にしては珍しい張り合うような言葉に遮られ、言いかけたセリフは喉の奥へと消えていった。いつもは一歩引いたお淑やかな振る舞いを心掛けているはずなのに、あえて口にするということはそれだけ自信があるのだろう。もし私なんかと違ってもっと上手な人と踊ったら…。そう、たとえば静馬様とか。

 

 そんな「見てみたい」という思いを見透かしたかのように背後から聞き慣れた声が響いた。

 

「なら一曲お相手して頂こうかしら、深雪」

(静馬様っ?)

 

 しかし振り向いた私の視界に映ったのは、あの銀髪でもなく、ましてやミアトルの制服でもなかった。ストレートの黒髪にトレードマークの赤いリボン。そして可愛らしいルリムの制服。静馬様の元カノ━━━源千華留様である。

 

「な~んちゃって♪ どう? 驚いたでしょ」

 

 つい先程まではいなかったはずの人物。そのうえ静馬様そっくりの声真似までして現れたものだから私の頭の中は軽くパニック状態だった。というか今だってどこかに静馬様が隠れているんじゃないかと思うほどに、たしかに静馬様の声に感じられたのに…。

 

「玉青さんはとっても良いリアクションね。それに比べて深雪さんときたら。もう少し驚いてくれないと」

「もう騙されるのはこりごりだもの」

 

 苦笑いを浮かべた六条様とは対照的に、ニコニコと笑みを絶やさない千華留様はどこか幼い印象を感じさせる。「本当に上級生なんだろうか?」と疑ってしまいたくなるほどに屈託のない笑顔。でもこれが千華留様の全てではないということは、未熟な私にも薄々感じられた。

 

 それに…ただ可愛らしいだけの人を()()()()()()長いこと愛するとは思えない。もっともこちらは穿った見方ではあるけれど。

 

「ふふっ…、あまり人の顔をじっと見つめてはダメよ。そんなに熱心に見つめられたらドキドキしちゃうじゃない」

 

 からかうように窘められて私はようやく無遠慮に千華留様を眺めていた事に気付いた。慌てて謝りつつも、恥ずかしくて少しだけ顔が熱くなる。

 

 その後のお二人の会話によれば、千華留様は特に用事があったわけではなく単にミアトルに遊びに来たらしい。私からすると少々驚く理由━━━いや、理由がないのだから理由ではないわけだけど、とにかく目的もなく度々こうして訪れるそうだ。

 

 そんな静馬様に負けず劣らずの自由人らしい千華留様は、何の躊躇いも見せずに六条様にじゃれつき上目遣いにねだってみせる。

 

「ねぇ深雪さん。もしよかったら1曲踊ってくださらない? 静馬が来るまで暇なんでしょ。深雪さんのダンスの腕前、ぜひ知りたいわ」

「ちょ、ちょっと千華留さん?」

 

 蠱惑的な瞳を輝かせ、ぴったりと身体を寄せるその様子は、あどけなさを残しつつもどこか小悪魔的な印象を抱かせる。こちらが本来の千華留さんなのか、それともさらに別の顔があるのか…。疑問はなかなか尽きそうにない。

 

「随分と楽しそうね、千華留。何をそんなにはしゃいでいるのかしら?」

 

 暖かな夕方に突如吹き荒れた寒風の如く、ピリッとした緊張感を伴いつつ二人の生徒を従者のように引き連れて現れたのは、()()()()静馬様だった。苛立たしさを僅かに含んだ声に多くの生徒が身構える中、千華留様は気に留める様子もなく平然としている。平然と、というのは未だに六条様に身を預けたままの状態であることを指しているのだけれど、本当に自然体というか、そのままでいらっしゃるのだ。

 

「………。まぁいいわ。それより深雪に裁縫部の二人から相談があるそうよ。なんでも私と玉青さんにドレスを作りたいんですって」

 

 遅れた原因はその二人に捕まっていたせいだと静馬様は説明した。ミアトルの部活はどれも気合の入ったものばかりだが、その中でも特にこの裁縫部は数々のイベントで衣装の製作を請け負う関係上、人気があり腕利きが揃っていると評判の部である。自らも衣装制作に打ち込む千華留様は当然この話に興味を持ったようで、「ルリムの生徒にも着せようかしら」と思案顔だ。

 

 一方の六条様は難しそうな表情を浮かべていた。今回のイベントは開催1回目ということもあって、まずは各校制服で、というスタンスを取っていたからその事についてだろう。千華留様は乗り気だが、抜け駆けのような形になるのは少々まずい。スピカの方々が黙っていないはずだ。

 

 時にはそういったバランス感覚も生徒会長には求められる。「とりあえず話を聞かせてもらうわ」と言って別室へ行ってしまった六条様たちを見送り、部屋には私と静馬様、それに千華留様が残された。

 

「そういえば今日は渚砂はいないのね」

「ええ、まぁ」

「時間が余ったら渚砂と踊ろうと思ったのに。ああ、それで連れてこなかったというわけ?」

 

 たしかにそれもあるにはある。けど一番の理由は━━━。

 

「あなたと踊っている姿を、見られたく…ありませんから」

 

 顔を逸らし苦々し気に言うと、静馬様は「ふぅん」と小さく呟いただけでそれ以上の追及はしてこなかった。

 

「とりあえず踊っておきましょうか。ワルツ…踊れるわよね?」

 

 きっとただの確認なんだろうけど、ちょっと見下されたような気がしてムッとしつつも手を差し出すと、それを見た静馬様が手を取り私を引き寄せる。右手を組み、左手は静馬様の上腕に優しく添えて、それから━━━。

 

「………? 静馬様? あ、あのっ」

 

 違和感を覚えて僅かに身体を捻って確認すると、本来なら肩甲骨のすぐ下辺りにくるはずの手が腰に添えられていた。基本姿勢にしては明らかに手の位置が低い。それも…とてつもなく。百歩譲ってこの前のようにおふざけで私を抱き締めた時なら腰の位置に手を宛がっても分かるが、今日は真面目に踊る()()の日だ。

 

「あの、手の位置が」

 

 他の生徒会メンバーが見ていることもあり、一応気を遣って小さな声で抗議したものの手は依然としてそのままである。

 

「いい加減にしてください」

 

 少しだけ怒気を込めて注意し、ようやく手が動き出してホッとしたのも束の間、その手は上に向かうと思いきや下に向かって移動し始めた。そしてそのまま背中から臀部ギリギリの際どい部分を撫で回すように上下させたのである。

 

 ツゥーッと滑る指先が臀部に触れそうになると、否が応でもその行方を意識して神経を集中させてしまうのだが、静馬様は決してそれ以上触れようとはしない。普段より数倍も敏感になった私の背中を弄ぶように、上下するばかりだ。

 

 もどかしいと言うとなんだか私が期待しているみたいになるので絶対にそう言いたくはないが、なんとも絶妙な位置を行ったり来たりする手に、意識の大半を持っていかれてしまう。

 

(こんなに大勢の人がいる前で…)

 

 頭の中では先日の夜々さんの忠告が蘇り、とある考えを浮かび上がらせる。()()()()()()()()()()()()()()()と。そう思った途端に悪意まみれの指先がさらに凶悪さを増したような気がして、私は悶えるように身体を揺すった。背中を這いずり回る手が蠢く度に、ゾワリとした感覚が私の中を駆け抜ける。

 

「ンッ………。失礼…します」

 

 冷静さを失ったらまずい。それに下手に反応すればこの人を喜ばせるだけだと判断した私は、セクハラまがいの行為を止めるべく強引に静馬様の手を掴んで正しいポジションへと導いた。もちろん「こんなの何でもありません」といった表情とセットで。

 

「残念。意外と大人なのね。もっと可愛らしい反応が見れると思ったのに」

「そろそろちゃんとしないと怪しまれますよ」

「ふふふっ、夜々さんに何か言われた?」

「そ、それは…」

 

 目の前にいるあなたに狙われています、とは言えなかった。先程のだってちょっとしたお遊びとかスキンシップでからかっただけ、と反論されたらそれで終わりだ。夜々さんの事は信用しているが、さすがに今の段階では分が悪い。静馬様だけならともかく、万が一周囲の子にまで自意識過剰だと思われたら屈辱以外の何物でもない。

 

「いいですから早く踊りましょう」

 

 音響担当の生徒に目で合図を送って音楽が流れるとようやくダンスが始まった。とはいえ正直既にヘトヘトな気分だ。この人といるといつも精神を擦り減らされる。

 

(それにしても…やはり静馬様のリードもさすがですね。あまり認めたくはないですけど)

 

 疲れさせた張本人は凛々しい表情を浮かべてしっかりと男性役をこなしている。数秒前まではふざけていたというのに、踊り出した途端にこれだ。本性を知っているからいいものの、初心な下級生とかだったらウインクされただけで虜にされそうである。エトワールの名は伊達ではないということだろうか。

 

「少し…退屈ね」

 

 いくつかの要素を終えて踊りが中盤に入った頃、静馬様は私に向けてというわけでもなくポツリと呟いた。真意を測りかねて尋ねようと口を開きかけたその瞬間━━━。

 

(なッ!?)

 

 別に油断をしていたわけではない。けれど突然グインッと引っ張られ私は困惑した。それまでがお行儀よく、悪く言えばこじんまりとしたリードだったものが、どうしたわけかダイナミックなリードに変貌したのである。ステップの歩幅は大きくなり、上半身もより観客に魅せるような大胆な動きに。高身長というわけではない私は途端についていくのがやっとの状態に追い込まれてしまう。

 

 最大限に目立つ事を優先したスタイル。つまりそれは私の事なんて全く考えていないリード。

 

 相手に寄り添い、来て欲しいポイントへ自然と導くような六条様のものとはまるで違う。次にどうすればいいのかなどと考えるまでもなく、気付いた時には理想的な位置にふわりと着地させてくれる魔法みたいなリード。誘導されるがままに踊るだけで心地よく、

優しさに満ちている六条様らしい踊りとは天と地だ。

 

 1つの要素が終わる度に、次はここ、その次はここ。指定されたポイントに辿り着かなければ置いていくぞと言わんばかりに私を責め立てるようなリード。銀髪をはためかせて生き生きと動き回る静馬様に対して、私は覚束ない足を必死で動かし遅れないようにするので精一杯だ。何度も合わせてくれるように呼び掛けたものの当然のように返事はなく、代わりに返ってきたのは意地悪な笑みだけだった。

 

 キャパシティーを超えた動きに次第に呼吸が苦しくなり、頭が真っ白になっていくと同時にクルクルとターンをする際に見える観客の顔がぼやけて霞んでいく感覚に襲われる。無我夢中で動かす手足はもはや正しいのかさえわからない。

 

 なんで私がこんな目に遭わされなきゃいけないの?

 

 そう悪態をつきたいのを必死に堪え、私はどうにか最後まで踊りきった。

 

「ハァッ、ハァッ。やっと…終わった」

 

 膝に手をあてて身体を支えながら息を吸い込むと、少しのぼせたような状態だった頭がすっきりしていく。そのまま上体を起こして呼吸を整えつつ汗を拭う。我ながらよく頑張ったと自分を褒めてやりたい気分だ。

 

 そんな晴れ晴れとした気分で静馬様の方を振り返った私は、発せられたセリフに戦慄した。

 

「なにしているの? もう一度やるわよ」

「え? でも…」

「いいから早く来なさい」

「その、デモンストレーションって1回踊ったら終わりなのでは…」

「他校の生徒からダンスを申し込まれるかもしれないでしょ? まさかその後ずっと椅子にでも座ってるつもりなの?」

 

 私を虐めたいだけなんじゃないかと一瞬疑い掛けたものの、言っていること自体は至極まともだった。なにより静馬様の口からこれほどの正論が出てきたことに驚きを隠せない自分がいる。そんな失礼なことを思ってしまうのは、いつも難癖だったり揚げ足取りされてた記憶が強いせいだろう。

 

 それは別として今回ばかりは体力のない自分の情けなさもあってぐうの音も出ない。渚砂ちゃんと追いかけっこした時も、私がへばっている横でピンピンしてる渚砂ちゃんを見てちょっと羨ましいと思ったこともあった。運動神経自体は悪くないし、文芸部だからと言い訳していたシワ寄せがこんな形で来るとは想像していなかったけど…。

 

「言っておくけど加減するつもりはないから」

 

 ニヤリと口元を歪めて言い放ったそのお言葉通り、ダンスのレッスンは2回目だけでは終わらず、何度も何度も繰り返されることに。

 

 私がクタクタなのは誰が見ても明らかなのだが、それでもダイナミックモード全開の静馬様が振り回すので当然ダンスの出来栄えは酷いものとなった。ステップはドタドタと音を立てて滑らかさの欠片もなく、フィニッシュは決めポーズなのか意識を失って倒れこんでいるのかといった有様。

 

 話し合いを終えて戻ってきた六条様がその惨状を見かねて次でラストと言ってくれなければ床に横たわる羽目になっただろう。

 

「お、お疲れ…さま…でした」

 

 地獄のレッスンを終え、声を絞り出すようにしてそれだけ告げると、私は逃げるように自室へと帰っていった。明日も練習があるなんて…信じたくない。

 

 

 

 

 

 

 

「玉青ちゃんお疲れ様っ! 練習はどうだった?」

 

 せっかく渚砂ちゃんが出迎えてくれたというのに、グロッキーな私はその横をすり抜けるように通り過ぎるなりベッドにポフッと横たわった。

 

「あ、あのね玉青ちゃん。私ね、紀子さんと千早さんにね━━━」

「━━━ごめんなさい渚砂ちゃん。ちょっと休ませてください」

「あっ、ごめんね玉青ちゃん。そう…だよね…疲れてる…よね」

 

 途端にしゅんとしてしまう渚砂ちゃんに罪悪感が募るものの、

 

「よかったら後でお話聞いてね。邪魔しないように私はちょっと出掛けてくるから」

 

 音を立てないようにと静かに閉まったドア、そして部屋から遠ざかっていく渚砂ちゃんのトトトッという足音を聞きながら私は瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<あなたと踊りたくて>…涼水 玉青視点

 

「玉青ちゃん、ダンスのポーズとってくれる?」

 

 就寝前のひと時。パジャマ姿の渚砂ちゃんに言われて、不思議に思いながら基本姿勢をとる。もちろん昼の練習で指摘された点をいくつか反芻し、なるべく綺麗な立ち姿を心掛けるのを忘れなかった。とはいえ一人だとちょっと不格好というか、様にならないかも。

 

「これでいいんですか?」

「う、うん」

 

 確認のために尋ねると、頷いた渚砂ちゃんはおずおずと近寄ってくるなり私に抱き着く━━━わけではなく半歩ずれて立ち、何やら小さく呟きながら基本姿勢をとろうとした。

 

「これって…」

「玉青ちゃんが生徒会室に行ってる間にね、隣の二人にちょこっとだけ教えてもらったの。ほら、私ってダンスの授業とか受けたことないから全然知らないでしょ?」

 

 ミアトルに限らずこの丘にある3校では、幼稚園から通っている子なら基本的にはスタンダートなもの、特にワルツであれば間違いなく踊れるが、渚砂ちゃんのような途中編入の子はそうではない。普通の学校に通っていたのであればなおさらだ。というか普通はダンスの授業なんかないということを私は渚砂ちゃんから聞いて初めて知ったくらいで、どこの学校でも多かれ少なかれやっているものだと思っていた。

 

 とにかくそういうわけで渚砂ちゃんはダンスについては全然知らない()()()()()

 

「あれ? でも上手く組めないや。手がなんだか…逆?のような」

「あ、それはですね━━━」

 

 渚砂ちゃんが組もうとしていたのは女性役の方。私もお昼の延長で女性役のつもりでいたので、一度姿勢を直して男性役に切り替える。すると二人に教わった状態になったらしく、渚砂ちゃんは嬉々として身体を合わせてきた。

 

「私の右手に軽く乗せるように…そう。身体を少し逸らすようにして首のラインを長く見えるようにすると綺麗ですよ」

「えっと、こう? 出来てる…かな?」

「ええ、とっても綺麗ですよ渚砂ちゃん。ふふふっ、まさか渚砂ちゃんが踊りの練習をしてたなんて。二人にはどこまで教わったんですか?」

「その…笑わないでね? 絶対だよ?」

「もちろんです」

「後ろに下がって、次に左に行くの。………。そこまで

 

 恥ずかしそうにか細い声で渚砂ちゃんは答えた。顔を赤らめて俯いたところを見るに、本当に笑われるかもしれないと思っていそうだ。

 

「安心してください渚砂ちゃん。それだけ出来れば充分ですよ」

 

 不安を拭おうと掛けた言葉に「でも…」と言いつつパッと顔を上げた渚砂ちゃんに優しく言い聞かせる。

 

「本気で踊ろうとする人は極僅かだと思います。それに会場もみんなが大きく動けるほど広くはないですから。なので音楽に合わせて少し身体を揺らしながら動ければ、それで充分なんですよ」

 

 説明しながら頭に浮かんだのはスピカの剣城さんだった。相当に気合が入っているみたいだからきっと当日も凄いに違いない。

 

「せっかくですからちょっと動いてみましょうか」

「ま、待って。動く時に声出してもいい? 1,2,3って。それやりながらじゃないと不安で…」

「なら私が声を出しますから渚砂ちゃんは動くのに集中してくださいね。それじゃあいきますよ」

 

 チラチラと足元を気にする素振りもあえて注意はしない。もちろん見ないに越したことはないけれど、まずはやってみるのが一番だ。

 

 1,2,3。1,2,3。と余裕を持って二度カウントし、いよいよ本命ので踏み出すと━━━。

 

「わわわっ」

「きゃっ」

「ご、ごめん玉青ちゃ━━━」

「━━━あ、渚砂…ちゃん」

 

 左足を前に出した私は、()()()()()()後ろに下げてしまった渚砂ちゃんの右足に引っ掛かり、つんのめりそうになりながら急停止。慌てて前を見たら、そこにあったのは渚砂ちゃんの顔だった。言葉は途切れ至近距離で見つめ合う私たち。転ばないように、もし転んでも渚砂ちゃんが頭を打たないようにと咄嗟に差し出した手は渚砂ちゃんの後頭部を支えていて、まるでキスしようとする1秒前のような状態で固まっていた。

 

 キスしたい。瞬時に沸き起こった感情はそれだった。

 

 告白した日以来、渚砂ちゃんとはキスをしていない。したくなかったわけじゃなくて、するのが怖かったから。女の子同士でキスすることを、渚砂ちゃんは本当はどう思ってるんだろうって考えたら怖くて出来なかった。本当は嫌だけど、私に合わせて平気なフリをしているのかもしれない。キスしたいのは私だけで、それどころか好きという想いさえも私だけのもので、全部独りよがりなんじゃないかって考えてしまうことがある。

 

 自信がなかった。渚砂ちゃんを愛しているという自信はあっても、渚砂ちゃんに愛されているという自信が。

 

 今だって心に身を委ねてキスしたら、表面上は友好を装いつつも、内心では失望され、軽蔑される気がして身体はピクリとも動かない。ああ、静馬様を羨ましく思うのは何度目だろう。私だって何も考えずにキスを迫れたら…どんなにいいか。

 

「━━━ッ」

 

 ギリリと奥歯を噛み締めながらも、私は努めて冷静に話しかけた。

 

「1で渚砂ちゃんは右足を引いて下さいね。2で左足を横に。3でその左足を追いかけるように右足を動かして揃えてあげましょう」

「1で右足。1で右足。うん、大丈夫そう」

「連続ではなく一つずつやりましょう」

 

 1,2,3。1,2,3。

 

 今度は上手く噛み合い私と渚砂ちゃんの足が揃って動く。

 

「出来たっ」

「じゃあ次は左足ですね。いきますよ。

 

 これも問題なし。

 

「最後に

「出来た、出来たっ。やったよ玉青ちゃん」

「ええ、ばっちりです。これを連続で出来れば文句無しですよ。このままやってみましょう」

 

 それから何度も同じ動作を繰り返して、渚砂ちゃんは少しコツを掴んだらしい。徐々に見様見真似というか、なんとなくのステップ━━━正しくはないかもしれないけど、しっかりとリズムには乗りつつ色んな動きが出来るようになった。

 

 私も楽しくなってきて、右へ左へ渚砂ちゃんをリードする。

 

 1,2,3。1,2,3。部屋の中に3拍子が木霊して、ベッドや机にぶつからないように小さな動きではあるものの、私と渚砂ちゃん、二人で踊る私たちなりのワルツが出来上がっていった。

 

「ふふふ。どうですか渚砂ちゃん」

「すっごく楽しいよ玉青ちゃん。こんな風に踊れるなんて夢みたい」

 

 二人だけの舞踏会。これはこれで素敵だけど、渚砂ちゃんさえOKしてくれるなら…。

 

「ねぇ渚砂ちゃん。ダンスパーティの日も私と踊ってくれませんか?」

「あ、もう玉青ちゃんってば~」

「え?」

「それ私が言おうと思ってたセリフなのに」

 

 予想だにしなかった言葉に自然と足が止まる。3拍子はいつの間にか聞こえなくなって、佇む私たちを静寂が包み込んだ。

 

「紀子さんと千早さんに習ったのだって玉青ちゃんと踊りたかったからだもん。他の誰かじゃなくて、私は玉青ちゃんと踊りたい。玉青ちゃんがいい」

「渚砂ちゃん…」

だから私と踊ってください

 

 踊りのことだって分かってはいるんだけど、プロポーズめいたセリフに私の胸はドキドキで一杯になった。顔を合わせるのが恥ずかしいくらい興奮してしまって、慌ててギュッて抱き着いて見られないようにする。それでもくっついた身体から、高鳴る心音が伝わっちゃいそうだ。

 

 心音が私の不安も何もかもを、包み隠さず渚砂ちゃんに伝えてくれるなら、いっそのこと全部託してしまうのに…。

 

「絶対ですよ。私…渚砂ちゃんと踊るの楽しみにしてますから」

「うん。私も練習しておくから、優しくエスコート…してね」

「ええ…必ず」

 

 もし今キスを求めたら、渚砂ちゃんは怒るだろうか? ダンスを踊る約束をして充分過ぎるくらいの幸せを手に入れておいてって神様は言うかもしれない。私と渚砂ちゃんはいつ崩落するかもしれないボロボロの橋の上に立っていて、ちょっとでもバランスを崩したら谷底へと真っ逆さまに落ちてしまうだろう。

 

 だけど私は渚砂ちゃんとキスしたい。それが今私が知っている中で、最上級の愛情表現だから。

 

「目…瞑ってください」

「玉青ちゃん?」

「何も言わないで。お願い…ですから」

「うん…いいよ」

 

 頷いた渚砂ちゃんは()()()()()()()()()()()、私の望み通りに目を閉じた。これから何をされるのか、分かっているみたいに。

 

「好きです、渚砂ちゃん」

 

 3度目のキスは優しく、精一杯の気持ちを込めて。いつの日か、渚砂ちゃんから求めてくれますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 いかがでしたでしょうか。なかなか大変な情勢が続く昨今ですが、時間をやりくりして細々書いております。玉青ちゃんと渚砂ちゃんが甘々な感じにイチャついているシーンは、自分がそういうのが見たいなっていう願望が強く出ちゃったのも関係してたり…。癒しが欲しい。癒されたい。そんな心境です。

 それではまた次章で~♪
 


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第25章「自分で触るのとは全然違うでしょ」

■あらすじ
 ドレス作製のための採寸は初っ端から波乱の連続。なぜか同時に採寸を行うことになった玉青は静馬と同じ部屋で脱ぐことに。構わず脱ぎだす静馬に玉青は驚いて…。
 一方の渚砂は隣室ペアの二人に、ある秘密を打ち明けることを決意する。

■目次

<毒を持つ者>…涼水 玉青視点
<渚砂の相談>…竹村 千早視点



<毒を持つ者>…涼水 玉青視点

 

「あの、別に二人同時にする必要はないんじゃ」

「私は別に気にしないわよ」

 

 そう言うと本当に何の躊躇いもなく制服のタイがしゅるりと外され、手から滑り落ちたそれは微かな音を立てて床へと着地した。細長いタイがうねうねとしている様子は、どこか私を狙う蛇のようにも見えて…。

 

「それじゃあ始めましょうか、玉青さん」

 

 足元に小さな蛇を従えた大蛇は、私を見つめる目をスゥッと細めて微笑んだ。

 

 いくらお仕事とはいえ、この人の前で制服を脱がなきゃいけないなんて…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつもの生徒会室ではなく裁縫部の所有する部室に私たちはいた。『私たち』というのは私と静馬様、それと身体の採寸を担当する裁縫部の二人の事を指している。

 

 練習2日目のはずの今日。本来であれば昨日に引き続き猛練習の予定だったはずなのだが、急遽ドレス作成のための採寸を行うことになり練習は中止となった。日頃の運動不足が祟って見事に筋肉痛となっていた私にとっては僥倖━━━砂漠に現れたオアシスとも呼べる代物になる()()()()()()()

 

 ものの見事に当てが外れ、すぐ目の前には脱ぐ気満々の静馬様。それに加えて脱ぐのを待ち構えている裁縫部の二人が脇に控えているという有様だ。ちなみにこれまで面識はなかったが静馬様の担当が部長さんで私の担当が副部長さんらしい。何も採寸くらいでトップの二人が出てこなくても…とは思ったが、六条様によればそれだけ今回の衣装作製に燃えているそうだ。

 

「どうかされました? 脱ぐのを躊躇っているように見受けられますが」

「あ、いえ…」

 

 不思議そうに見上げてくる副部長さんの気遣いとも催促とも取れる声に急かされてとりあえず胸のタイに指を掛ける。もちろんすぐに外したりなんかはしない。タイを触っているだけで脱ぐ意志は伝わるだろうから可能な限りゆっくりと指先を動かして遅延を図る。

 

(引き延ばしても脱ぐことには代わりないんですけどね…)

 

 それでもこうやってのんびりしているうちに少しは気持ちが落ち着くかもしれないと思っての行動だ。しかし━━━。

 

「タイを外すくらいでいつまでもたついているつもりかしら?」

 

 そんな私のささやかな努力は、静馬様の声に驚き、つい反応してしまった指先が勢い余ってタイをほどいてしまったことであっさりと終わりを告げた。ほどけてしまったタイを恨めしそうに見つめる先では静馬様が笑っている。たぶん…ではなく絶対に邪魔するつもりで声を掛けたに違いない。

 

 私の邪魔ばかりして一体何が楽しいんだろう?

 

 仕方なくタイを足元に置きつつ、一言ぐらい言ってやろうかと思って視線を上げた私は、目に映った光景に…吸い寄せられた。

 

 制服の前面のボタンが全て外され、胸部が露わになった状態の静馬様の肩からゆっくりとミアトルの制服が滑り落ちると、控えていた部長さんの手の中にバサリと音を立てて乗っかったのである。

 

「同性が制服を脱ぐところってそんなに面白い?」

「あっ…。その、す…すみませんっ」

 

 じっと見ていたことをからかわれて私は赤面しながら急いで後ろを向いた。見ちゃいけないものを見てしまったような、そんな感じだ。

 

「って、なんで私の方を向いて脱いでるんですかっ!? 壁の方を向いて脱げばいいのに」

「だってそんなに見つめられるとは思っていなかったもの。まぁ、私は気にしないからいいけど。体育の着替えとかでは気を付けなさいよ」

「ですから私は━━━」

 

 反論しようと思わず振り返ろうとして視界の端に大量の肌色が見えたものだから、私は再び大慌てで顔を逸らした。

 

「あ~~~~~もうっ!! と、とにかく! 違う方を向くか、何かで身体を隠してください。でないと…その」

 

 目に毒だと言うつもりはないが、精神衛生上よろしくない。別に変な目で見てるとかそういうわけではなく、そう、ツッコミにくいのである。だから早く何かで身体を覆って欲しい。

 

 だいたい、見せつけるように服を脱ぐなんて痴女じゃあるまいし…。

 

「ふふふっ、玉青さんは同性の身体に興味があるお年頃なのね」

「ち、違いますッ!! 誤解を招くような発言は━━━」

「━━━恥ずかしがる必要はないわ。一見真面目な優等生が…実はむっつりスケベだったなんて、よくある話だもの。あなたたちもそう思わない?」

 

 無関係の二人に同意を求めるようなセリフまで飛び出し、私は反論も碌に出来ないままに顔を真っ赤にして俯いた。頭の中では必死に色々と言葉を考えるものの、恥ずかしさのせいか上手く纏まらない。

 

「それより…早く脱がないの? いつまで経っても採寸が終わらないわよ」

「こ、こんな状況で脱げるわけないじゃないですかっ!?」

 

 なるべく肌を見ないように気を付けながら背後の様子を窺うと、ニヤついた笑みを浮かべて仁王立ちする静馬様に裁縫部の二人。合計三人が私の一挙手一投足に注目している。その中でも特に静馬様の視線が気になって、私は自分の身体を隠すように腕で覆いながら必死で言い放ったのだ。

 

「せめて後ろを向いていてください」

「女同士なのだから気にしなくていいでしょ。むしろ意識し過ぎる方が変なんじゃない?」

「ッ~~~~~~」

 

 その同性と堂々と関係を持ってる人がよくもまぁぬけぬけと。一体どの口で言うんだろう。そんな人に身体を見られて平然としていろという方がどうかしている。

 

「一人じゃ脱げないって言い張るなら、私が脱がせてあげてもいいけど」

「絶対にお断りします」

「仕方ないわね」

 

 力強い拒絶にやれやれと溜息をついた静馬様がパチンッと指を打ち鳴らすと、部長さんと副部長さんがササッと近寄りなにやら作戦会議を始めてしまった。微妙に聞こえるような、聞こえないような、そんなじれったいボリュームに耳がぴくぴくと動いてしまう。

 

 そして作戦が決まったのか神妙な顔で頷くなり私を包囲するべくじりじりと左右からにじり寄ってきた。

 

「えっ…、あ、あの…ちょっと」

「採寸のためですから」「ごめんなさいね玉青さん」

 

 二人掛かりで押さえつけられ━━━といってもそれほど強くではないが、ともかく動きを封じられた私の背後から静馬様が一歩、また一歩と迫ってきているのを肌で感じる。全力で振り払おうかとも一瞬考えたけど、その拍子に二人が怪我でもしようものならと思うと申し訳なくて出来なかった。

 

 そうこうしている間にすぐ後ろに立った静馬様は私を抱き締めるように手を回すと、そのまま後ろからボタンに触れ一つずつ外していく。すっかり観念した私はされるに任せて胸元が開いていくのを眺めていたが、その手が下着にまで伸びたのを見てさすがに声を上げた。

 

「し、静馬様ッ!?」

「あら? あなた、もしかして学校指定のものを身に着けているの?」

「なっ!?」

 

 どうして分かったんだろう? この体勢じゃ見えても僅かのはずなのに…。信じたくはないけど、まさか…手触り…とか?

 

「あなたのサイズなら可愛いものも充分選べるはずだけど」

「余計なお世話です」

「こんな野暮ったいもの着けてたら興ざめじゃない。せっかくの魅力が台無しよ」

「きょ、今日は採寸があるっていうから急遽購買で買ってきたんです。私だって普段はもっと可愛いのを…」

 

 いかにもセンスがないみたいな言い方をされてついムキになって反論してしまった。最近は夜々さんからも情報を仕入れて素敵なデザインのやつを選んでいるので、センスがないと言われるのはちょっと悔しかったりもする。

 

「ふぅん、ならいいけど。少し心配してしまったわ。ところで━━━ねぇ知ってる?みんなが着けてるものだとこういう危険があるってこと

「━━━えっ?」

 

 最初は何をされたのか理解出来なかった。静馬様がした事と言えば私の背中に軽く何か所か触れただけだったから。だけど次の瞬間、ずり落ちる()()の感触が伝わってきて私は「きゃあああ」と甲高い悲鳴を上げながらうずくまった。

 

(うそ…なんで…)

 

 腕で抱えるようにしたおかげでどうにかカップで胸が覆われた状態は死守出来たものの、ホックのあるバックベルトと肩紐(ストラップ)は制服の中でだらんと垂れ下がってしまっていた。こうなってしまうと制服を一旦脱がないことには着け直すのは難しい。

 

 そもそも今までの経験上こんな簡単にホックが外れたことはなかったし、もし仮に外されたのだとしても肩紐があるのだからこんな簡単に落ちてきたりはしないはず。それがどういうわけかこんな有様になっているのだから魔法でも掛けられた気分である。

 

「ふふっ、()()なら手癖で外せるわ。たとえ真っ暗な部屋の中でだって…ね。なにせ両手じゃ数え切れないほど外した経験があるんだもの」

 

そう言うと長くしなやかな指を自慢気に動かして見せた。魔法ではなく手品の類だったというわけだ。ピアノが上手なのはセクハラで指先を鍛えたからなんじゃないかと言いたくなる。

 

「いくらなんでも悪ふざけが…」

 

 素性を知っている私はともかく、裁縫部の二人から変な風に思われてしまうのではないだろうか? 静馬様の評判は別にどうなろうと構わないが私まで巻き込まれては困る。

 

「裁縫部のお二人だって驚かれて…」

「この子たちは()()()()だから大丈夫よ」

「えっ? それって…」

 

 ()()()()()()()と聞こうとして口をつぐんだ。もし過去に『関係があった』だなんて言われたらどう反応していいか分からないし、なによりこの空間が自分の思っている以上にずっと危険地帯ということになってしまう。三人掛かりで襲われでもしたら━━━。

 

 背筋に冷たいものが流れ、私はブルッと身を震わせた。下手に藪をつつかないに越したことはない。それよりも今はこの状態をどうすべきかの方が大事だ。

 

 ブラを直すには制服を脱ぐしかない。けどバストが零れないようにカップを押さえておくには片手をそちらに割かなければならないわけで…。予め脳内でシミュレーションしておかないと大変なことになりかねない。スカートの裾に足を引っ掛けて転ぼうものなら三人の前で自分から半裸で横たわることになる。狼の群れに生肉を放るようなそんな恐怖体験は願い下げだ。

 

(立ち上がった瞬間に制服を脱いで、急いでブラを着け直す? ボタンは外れているから制服は片手でもなんとかなる…かな)

「心配しなくていいのよ。言ったでしょ? 脱がせてあげるって」

 

 まだ考えが纏まらないうちに、にゅっと腕が伸びてきたかと思うと制服を掴みそのまま容赦なく引きずり下ろそうとし始めた。

 

「ま、待って。待ってください。ちょっ…しず━━━あっ」

 

 うずくまった姿勢のうえに片手では碌な抵抗も出来ず、慌てふためく私を嘲笑うかのように制服はあっけなく肩からズルリと抜け落ちた。

 

「いやぁああああああ」

 

 この世の終わりの如く声を上げながら私は両手で胸を覆った。制服に引きずられてブラが外れなかったのは不幸中の幸いだったが、それこそ亀みたく丸まくなるしか身を守る術がない私の身体は、静馬様の視線を一身に浴びる羽目に。

 

「ふふふ、白くて綺麗な肌ね。羨ましいわ」

「み、見ないでっ。お願いですから…見ないでください。あっち向いてッ!!」

「いいじゃない。別に貧相な身体をしているというわけでもないんだし。むしろ魅力的よ。下着が少し勿体ないけれど」

 

 ジロジロと観察され、値踏みするようなことまで言われて視界が急速に潤んでいく。

 

「いっそのこと下着も脱がしちゃおうかしら」

「ひっ…」

 

 この人なら本気でやりかねない。そんな全く冗談に聞こえないセリフと共にツツーッと背中を撫でられて私は声を漏らした。ホラー映画で悲鳴を堪えようとして思わず漏れてしまったといった感じの声だ。

 

 ちょっとでも気を抜くと今にも泣いてしまいそうで、グッと奥歯を噛み締めようとしたものの、上手く噛み合わない。

 

 そんな中でふと視線が合った裁縫部の二人に私は助けを求めた。静馬様の仲間である可能性はあったが他に誰もいなかった。

 

「お願いします。この人から助けてっ!!」

 

 二人からすれば大袈裟過ぎるSOSだったのかもしれない。けど私は必死だった。

 

 初めはあらあらといった様子の二人だったが、何度も呼びかけるうちに私が本当に怖がっていた事に気付いたようで、傍に寄ってくるなり優しい言葉を掛けてくれた。

 

「安心してください。静馬様もちょっと悪ふざけが過ぎただけですよ」「採寸は下着を着けた状態で行いますから、今のうちに直してしまいましょう」

(よかった…。常識的な人たちで)

 

 安堵と共に緊張から解放される。二人がやり過ぎですと咎める視線を送ってくれたおかげで、静馬様もようやく諦めたらしい。「あなたがぐずぐずしてるから悪いのよ」などと言ってそっぽを向いてしまった。

 

 その後は申し訳なさからなのかテキパキと採寸は終わり、めでたく解散となるはずだったのだが…。

 

「ねぇ、ちょっといい?」

 

 元凶である静馬様が悪びれる様子もなく私に話しかけてきた。出来れば話したくないし無視しようかとも思ったけど、裁縫部の二人が資料を持って席を外している中で機嫌を損ねるのは状況的にまずいと判断し、一応返事をしておく。

 

 というかあんな出来事の後で私を一人にしないで欲しかったのだけど…。

 

「なんでしょう」

「二人きりのうちに聞いておきたいんだけど、あなた…同性の身体にどれくらい興味あるの?

 

 あまりにもデリケートな質問。それをストレートにぶつけられ私は面食らった。普通なら当たり障りのない話をしそうなものなのにこの人はなんてこと口にするんだろう?

 

「私は…まだ…そういうのは」

「渚砂とキスしたでしょ。それってそういうことじゃない?」

 

 私の視線の動きとか、答えになりそうな僅かな反応も逃すまいと、先程とはまた異なる顔つきを浮かべた静馬様の目が私を射抜く。さっきまでのはこの人にとって戯れでしかなく、からかっていたに過ぎないのだと、そう思わせるミステリアスな雰囲気が漂っていた。

 

 むろん私も『興味がない』わけではない。けど、ルームメイトでほとんどの時間を一緒に過ごす関係上、あまり考えないようにしていた。朝の支度だって手伝うし、時にはじゃれて身体がくっ付くことも…。それ以外にも同室である以上は毎日色々とある。

 

 そもそも私自身、自分の嗜好に気付いてから日が浅いのもあってよく理解してない部分も多く、どうして良いか分からないというのもブレーキの一つであった。キスのやり方だって本当はあれで正解なのか不安だったりする。何もかもが手探りなのだ。

 

 その結果、性欲的なものはあまり沸き起こらず、したがってそれが渚砂ちゃんに向くこともないわけで、お友達の延長線上にあるような関係が今の私と渚砂ちゃんだったりする。

 

「その様子じゃまだキス止まりみたいね。あなたはもっと色んな経験をした方が良いわ」

「静馬様?」

 

 つかつかと歩み寄ってきたかと思うと目の前で停止するなり「手を出しなさい」と言われたものの、さすがに先程の事もあり「はい分かりました」とはならない。

 

「安心して頂戴。酷いことはしないわ。むしろとっても良いことよ」

「良い…こと?」

「そうよ。これから先、あなたにとって必要不可欠なこと。さぁ手を出して」

 

 信用は出来ない。けれど静馬様の言葉は私の好奇心を強く刺激した。

 

 躊躇いがちにふらふらと伸びた右手が綺麗な蝶でも捕まえるようにそっと握られる。そしてその手は━━━あろうことか静馬様の胸へと導かれた。

 

「静馬様ッ!?」

「怖がらなくていいわ。私が触れるんじゃなくて、あなたが私に触れているのだから平気でしょ」

「で、でも…」

「こういった事は頭で考えるよりも、経験しちゃった方が手っ取り早いわ。ほら、柔らかいでしょう? 女の子の身体って触れてて気持ちいいものなのよ」

 

 あっけにとられていたのは最初の数秒だけで、私は手の平に伝わってくる双丘の感触に戸惑いながらも、たどたどしく指を動かしていた。たしかに…柔らかくて、あったかくて…気持ちいい。でも…いくら胸が大きいからといって、制服越しに触ってこれほどフニフニなものだろうか?

 

(もしかして…着けてないんじゃ?)

 

 静馬様がいた方に視線を巡らせると、疑問の答えが用意されていた。無造作に備品が詰め込まれた段ボールの角。そこにレース柄のブラが引っ掛けられている。少々殺風景な部屋にはあまりにも似つかわしくない調度品だった。

 

 もう少し力を込めるように促され、自分でも不思議なくらい素直にその言葉に従うと、指はふかふかのパン生地に触れた時みたいに、そのバストにぐにゅっと沈み込んでいった。

 

 今までこんな風に()()()()他人の胸に触れたことはない。それはそうだ。だってそんな経験…普通はないはずだ。

 

 自分が触られているわけでもないのに身体が熱い。その熱に浮かされるように、私は自分でもわけのわからないままに指を繰り返し動かして未知の感触に酔いしれた。

 

「自分で触るのとは全然違うでしょ」

「あっ…、こ、これは…」

「別に恥ずかしがることはないわ。今まで何も知らなかったのなら仕方ないもの」

 

 最初は咎められたのかと思い、私は夢中で触っていたのが恥ずかしくなって顔を背けた。けれど飛んできたのは叱責ではなく優しい声。それも大人が子供を諭すようなトーンに、余計恥ずかしさが増した私の顔は真っ赤に染まった。

 

 もしこの人が天使だったなら、このまま私を導いてくれただろう。足りない知識を授け背中を押してくれたはずだ。だけどこの人は天使なんかなどではなく、どちらかといえば堕天使で、もっといえば大蛇の皮を被った悪魔の化身であった。

 

これが渚砂の胸だったら、あなたはどんな顔をするんでしょうね

「ッ!?」

 

 しまった!と思った時には既に遅く、両方の手首を掴まれた私は一気に壁まで押されて磔にされていた。

 

(この人の言葉を聞いちゃダメだ。この人の言葉は…)

 

 脳裏に蘇る苦々しい記憶。唇は甘いなんていう戯言に惑わされ寝ている渚砂ちゃんの唇を奪ったあの夜。後悔したってしきれない。私のファーストキスの思い出は罪悪感に満ちていた。

 

 そして今再び、私を惑わそうとする囁きが聞こえてくる。耳を塞ごうにも両手は壁に縫い付けられていて、振りほどくことは夢のまた夢だ。

 

「少しだけあなたが羨ましいわ玉青さん。部屋に戻れば、そこに渚砂がいるんですもの。だってそうでしょう━━━」

「━━━言わないでッ!! これ以上私に変な事を吹き込まないで!!」

 

 ああ、この人の言葉は毒気に満ち溢れている。それも、一緒にいるだけで容易く私の身体を蝕む()()()()()()()

 

「いつでも渚砂の身体に触れられるんだから」

「あ、あああああ…」

 

 知らなければこんな言葉、どうとでもやり過ごせたのに。だけど私は知ってしまった。自分の意志で他人の身体に触れる心地良さを。柔らかくて、あったかくて、()()()()()()()()()こうに違いない。

 

(ダメ。渚砂ちゃんでそんなこと考えちゃ…)

 

 想いとは裏腹に脳裏に浮かび上がったのは、下着姿のあられもない格好をした渚砂ちゃんだった。掻き消しても次から次へと現れる映像に、言いようのない喉の渇きを覚え、唾液を飲み込もうとした喉が勝手に鳴ってゴクリと音を立てる。

 

「ふふふふっ。喉なんて鳴らしちゃって。その様子じゃ渚砂の方がよっぽど大人かもしれないわね」

 

 渚砂ちゃんの方が大人? それって…。静馬様の言葉に血の気がサァーッと引いていく。

 

「まさか…渚砂ちゃんに何かしたんですかッ!?」

「あら、ごめんなさい。今のは失言だったわ」

 

 ハッタリだ。ハッタリに決まってる。だけど…だけど、前回のキスの時だって静馬様は既に渚砂ちゃんの唇の味を知っていた。それじゃあ…今回も? 違う、違う違う違う。渚砂ちゃんがそんなことまで許すわけがない。

 

「あなたは…渚砂ちゃんと…どこまで…」

 

 呟きが漏れたその時━━━。

 

━コンッコンッ━

 

 扉をノックする音と共に、裁縫部の二人が入ってもいいかと尋ねる声が聞こえてきた。

 

「時間切れみたいね」

「待って…待ってください、質問に━━━」

 

 入ってきた二人の横をすり抜け、部屋を出て行くその背中にぶつけた声に、静馬様は少しだけ振り返って言った。

 

渚砂に聞いてみたら?

 

 毒が身体を駆け巡り世界は音や色を失いながら静かに歪んでいく。どうすることも出来ないのは私が抗体を持っていないから。なら…解毒剤はどこにあるんだろう?

 

 あの人の言葉が本当ならば、この身体に回った毒を消し去るための方法は、世界で唯一…渚砂ちゃんだけが持っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「玉青ちゃん、おかえりっ」

「ただいま…渚砂ちゃん」

「今日は採寸だけって言ってたのに遅いから心配しちゃった。あっ、カバン持ってってあげる」

 

 甲斐甲斐しい出迎えにも心が落ち着かない。きっと毒のせいだ。聞きたい。今すぐにでも。『渚砂ちゃんは…やっぱり静馬様のことが好きなんですか』って。

 

(嘘だ。聞きたいのはそんなことじゃない。本当に聞きたいのは…)

 

 『静馬様と…どこまでしたんですか?』だ。

 

(私、渚砂ちゃんのこと疑ってばっかりですね…)

 

 こんな私に愛する資格はあるんだろうか? もし仮に静馬様と関係があったとして、それでも私は今まで通りに、渚砂ちゃんを愛していられるんだろうか? 分からない。自分の気持ちには自信があったはずなのに。

 

 愛されてる自信がないのに、愛している自信まで失ってしまったら、きっと私と渚砂ちゃんは…。

 

「━━━おちゃん? ねぇってば玉青ちゃん」

「は、はいっ。なんでしょう渚砂ちゃん」

「お部屋…入らないの?」

「あっごめんなさい。ボーっとしてて」

「変な玉青ちゃん」

 

 カバンを私の机に置きにいく渚砂ちゃんの背にたまらず呼びかけてしまった。聞く勇気なんて持ち合わせていないのに…。

 

「あのっ渚砂ちゃん」

「なあに?」

「えっと…その」

「どうしたの玉青ちゃん」

「渚砂ちゃん…最近…し、静馬様と…会ったり…しました…か」

 

 その名を出す時、僅かに声が上擦った。期待と不安と、色んな感情が混ざり合って。

 

「う、うん。そりゃあ同じ学校だもん。廊下とか、食堂とか。玉青ちゃんと一緒に生徒会室で会ったり…」

「そう…ですよね。ごめんなさい変な事を聞いてしまって。今のは忘れてください」

 

 中途半端な問いかけに返ってきたのは毒にも薬にもならないありきたりな回答で、解毒剤の手掛かりは何一つ含まれていなかった…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<渚砂の相談>…竹村 千早視点

 

「どうしたの渚砂さん? 今日は元気ないみたいだけど」

「え? そう…かな」

「うん。ボーっとしてる」

 

 私たちの部屋を訪れた渚砂さんは、珍しくお菓子にも手を付けず俯いた。その向かい側では小皿に盛られたチップスに手を伸ばしながら心配する紀子の姿が。

 

 私もお茶の入ったティーポットを片手にそちらへ合流し席に着く。

 

「はい、どうぞ二人とも。でも紀子の言う通り珍しいわね。何か悩み事?」

「だ、大丈夫。なんでもないよ。お茶…頂きます」

 

 取って付けたような笑顔。普段元気な子がこういう表情をしていると余計心配になってしまう。

 

「なんでもないって顔じゃないわよ。聞いてほしそうな顔してる。私たちでよければ相談に乗るわよ」

「ほんと? で、でも…」

「やっぱり何かあるんじゃない。せっかくお隣さんなんだし、もっと頼って頂戴よ。ね、紀子?」

「そうそう。話すだけでスッキリすることもあるしさ」

 

 紀子にしては気が利くセリフも飛び出し、後押しされたのか渚砂さんも話す気になったようだ。カップを置き、しばらく俯いたり顔を上げたりを繰り返していたが、突然顔を上げると会話の始まりにはやや大き目なボリュームで話し出した。

 

「あ、あのねっ。二人に聞いてみたいことがあってね。私と静馬様って…その…付き合ってるように見えたりするのかなって。クラスとかいちご舎でそういう噂があったりしたら教えて欲しくって」

 

 予想外の相談に私と紀子は顔を見合わせて固まった。まさか元気印の渚砂さんからこんな話が飛び出してくるとはお互い思ってもみなかったというわけだ。

 

「ま、まぁ渚砂さんは食堂で静馬様にキスされたことあったし━━━」

「━━━あの直後は結構色んな噂あったよ」

 

 とりあえず事実としてあったものを話すべく紡いだ言葉を紀子が繋ぐ。実際問題、クラスの中だけでも根も葉もない噂というのはそれなりに流れていた。もちろん友人である私たちはマナーとしてそういった会話には加わらないでいたし、下世話なものについては否定する意見を述べていたりもしたが…。

 

「や、やっぱりそうなんだ…。 それって今でも流れてたりするのかな?」

「最近は~聞かないわね。紀子は?」

「あたしも耳にしないな」

「そっか、よかったぁ」

「逆に私からも質問していい? 渚砂さんは…そういう噂があって欲しいと思ってるの? それともあったら嫌だなって思ってるの?」

 

 最初に話し出した時は前者なのかなって思ったけど、今の反応を見るとそうでもない気がする。かといって後者って感じでもないけど…。

 

「嫌ってわけじゃなくて…あっもちろん変な風に噂されるのは嫌だよ。そ、そうじゃなくてね、噂になってないってのがわかってよかったというか、ホッとしたなぁって感じ」

「ん~」

 

 今一つ渚砂さんの考えが読み取れず、自然と紀子と視線が合う。紀子もしっくりきてないというのは目の動きですぐに分かった。

 

 けれどそれっきり渚砂さんが俯いてしまったのもあって、私も紀子も上手く言葉を掛けられず部屋は静寂で満たされた。途切れた会話の間を埋めるためにぼちぼちとお菓子に手を伸ばしはするものの、やはりシィンとした空気が場を支配してしまいどうにもならない。

 

 仕方なく私が「渚砂さんの悩みはそれだけ? もう解決したの?」と先を促すように尋ねると、渚砂さんは俯いたまま視線だけをチラッ、チラッと私たちに何度も寄越し、おずおずと切り出した。

 

「あの…二人って、口は…堅い方? ご、ごめんね。友達にこんな事聞くのは良くないと思ったんだけど、どうしても確認しておきたくて」

「秘密にして欲しい話があるってこと?」

「うん…。相手の子に迷惑掛かっちゃうと嫌だから。私だけなら陰口とか言われてもいいんだけど、その子にはそういう目に遭って欲しくなくて。一生懸命頑張ってるから、足…引っ張りたくないんだ。だから絶対に秘密にして欲しいの」

「私も紀子も軽口叩くせいであんまりそういうイメージないかもしれないけど、友達って言ってくれる人に頼まれた秘密をバラしたりはしないわ。だから安心して」

「千早がぼろ出しそうになったらあたしが止めるし、その逆もあるからさ。安心してくれていいと思うよ」

 

 こういう時の紀子は信用出来る。バカなようでいて案外頭の回転は良いし私より冷静なところもある。なにより今までずっと一緒にいた中での実績がそれを証明していた。

 

「よかったぁ。誰かに打ち明けようって思った時、真っ先に二人の顔が浮かんだんだ」

「嬉しいこと言ってくれるじゃない。友達冥利に尽きるってもんね」

 

 そう答えつつも頭にはある疑問がよぎっていた。それは至極当然のこと。だって渚砂さんにとって一番の理解者は…。

 

(玉青さんには相談しづらかったのかしら?)

 

 同室だし、仲が良いからこそ、という場合もある。

 

(きっと心配させたくなかったのね)

 

 勝手にそう解釈した私は続く渚砂さんの言葉をすぐには理解出来なかった。

 

「少し前のことなんだけどね、私、玉青ちゃんに告白されたの」

「へ~そうなんだ。………。………」

「「ええぇっ!?」」

 

 見事にシンクロした紀子と私。驚きの声が重なって叫び声が木霊する。恥ずかしそうに顔を赤らめ、太腿の辺りで指をもじもじとさせている渚砂さんの姿が、いつものイメージとは違ってとても可愛らしい。普段も可愛い系といえばそうだけど、今回のはベクトルが違うというか別人みたいだ。

 

「好きだって言われて…それで…キス…されて。私も…玉青ちゃんのこと素敵だなって思ってたから、嬉しいって答えたの」

「じゃあ…二人は付き合ってるんだ」

「それが…」

「違うの?」

「ううん、分かんないの」

「分からない?」

「どうしてその流れで分からないのよ」

「私がもっとはっきりすれば良かったんだろうけど、なんとなくで一緒にいる感じで。そういう関係だって明確な言葉にしたことはなくって。だからよく分からないんだ」

 

 仲が良いとは思ってたけどそんな事になってたなんて全然知らなかった。玉青さんは隠すのも上手そうだけど、渚砂さんはそういうの苦手そうだったのに…。

 

「まさか玉青さんが静馬様にビンタしたのって…」

 

 紀子の言葉に私もハッとした。例の一件のことはもちろん私たちだって知っている。直接見たわけじゃなくて人から聞いただけでしかないけど、静馬様が渚砂さんにキスした件と、今渚砂さんから聞いた話が合わされば、当時は不思議なことだらけだった出来事にも納得がいく。

 

 ますます顔を赤くし、茹でタコみたいに真っ赤になった渚砂さんがしどろもどろになりながら答えてくれた。

 

「あ、あの時は…えっと…玉青ちゃんが…私のことで怒って、それで…」

「へ~、やるじゃない玉青さん。さすがミアトル4年生の星ね」

「聞いた範囲だとラブラブなように思えるけど、なら…どうして渚砂さんは悩んでいたの?」

 

 私の言葉に幸せそうな表情から一転、渚砂さんは見ているこっちが心臓をキュッと掴まれたような気になる表情を浮かべた。

 

「うん…。昨日ね、玉青ちゃんに聞かれたんだ。最近静馬様と会っているかって。それで私ちょっと動揺しちゃって。静馬様の名前もそうだけど、私…玉青ちゃんにどう思われてるのかなって。さっき二人も言ってたけど、静馬様との事があったでしょ。だから玉青ちゃんに信用されてないんじゃないかって不安になっちゃって。たぶん玉青ちゃんは、私が静馬様のことを好きなんじゃないかって考えてると思う」

「だから静馬様との噂が気になったんだ。なるほどね」

「渚砂さんの気持ちはどうなの? ちゃんと()()()()()()()?」

 

 我ながら意地の悪い質問だと思った。でも大事なことだ。玉青さんと静馬様。揺れ動いているとまでは言わないが、まだ静馬様にも想いはあるようにも感じ取れる。同性での恋愛。些細な事で致命的な結末を引き起こすかもしれない。

 

「私は…」

 

 両手を胸の前で合わせ、制服をギュゥッと握りしめた渚砂さんは静かに語り出した。

 

「私は玉青ちゃんが好き。最初は玉青ちゃんと一緒にいると幸せだし、すっごくあったかい気持ちになるから、ただただ一緒にいたかったって部分もあったと思う。女の子同士で恋愛とかよく分からなかったし、玉青ちゃんの言ってくれる『好き』とは違うような気がしてた。でも一緒にいるうちに少しずつ変わってきたの。まだ上手く応えてあげられないけど…」

「渚砂さんの気持ちがはっきりしてるなら、玉青さんにありのままを伝えればいいじゃない」

「そうしたいけど…自信が無くて。だ、だからね…ダンスパーティで踊った後に気持ちを伝えようかなって考えてたんだ。

 きっかけがあれば堂々と言えるかもって」

「おっ、ロマンティックだね~」

「えへへ。私から玉青ちゃんへの告白のつもり」

「じゃあ、ダンスの練習も頑張らないとね。想いを伝える前に気分を盛り上げなくちゃ」

「うんっ、玉青ちゃんに褒めてもらえるように私がんばるっ!」

 

 そうしていつもの元気を取り戻した渚砂さんは、お茶だけでなくお菓子までおかわりした後、何度もお礼を述べてから自分の部屋━━━隣室へと戻っていった。もちろん口止めのお願いもしっかりと忘れずに。

 

 

 

 

 

 

 

「いや~びっくりしたね。まさかお隣さんがカップルになるなんて」

「そうね」

「ねぇ千早」

「なによ」

 

 これも腐れ縁かなぁ。呼び掛け方だけで、ああ碌な事言わないなってのが分かっちゃって、ついぶっきらぼうな返事になってしまった。ついでに補足すると失笑が漏れそうになるのを我慢したくらいだ。

 

「私たちも…くっついちゃおっか?」

「無理に決まってるでしょ。あんたのこと恋愛対象に見れないもの。むしろ全然知らない子の方が確率高そうなくらいよ」

「ええ~。ずっと一緒にいるのに?」

「ずっと一緒にいるからよ」

 

 こんなんだから『ミアトルのおしどり夫婦』とか言われちゃうのよ。まるっきり夫婦漫才じゃない。あ~嫌だ嫌だ。でもこれが一番安心しちゃうのよね。実家にいるみたいってやつ?

 

「第一あんたも私も、あ~んな乙女チックな顔、似合わないでしょ」

「ぶっ、あはははははははっ。千早で想像したら笑っちゃった」

「呆れた。紀子のバ~カッ」

「ごめんごめん。でもさ…上手くいくといいね、あの二人」

「ええ、そうね。それには心の底から同意するわ」

 

 玉青さんも渚砂さんも、どっちもかけがえのない友人だもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 いかがでしたでしょうか? 2話目が会話メインとなってしまいちょっと見づらいかもしれません。一応ボーイッシュ目な喋り方が紀子で、そうでない方が千早のつもりで書いてますので、見分ける目安にどうぞ。

 ちなみにこの後書きの少し上にある「ええ~。ずっと一緒にいるのに?」「ずっと一緒にいるからよ」という二人のやり取りは、短いセリフの中に今現時点における二人の全てをギュッと詰め込んだ()()()です。二人なりの関係が表現できてたらいいな~と思っております。


 もしよかったら次章もよろしくお願いします。それと5月の最初の方に頂いた誤字報告、ありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。それでは~♪

 


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第26章「私にもそういう時期がありましたから」

■あらすじ
 一人きりの時間を過ごす玉青はベッドに横たわり、隣の部屋にいる渚砂に想いを馳せる。少しずつ女性同士の行いに興味を抱き始めた玉青は、アドバイスを貰うために夜々の部屋へ。一方、深雪は静馬から時計の針を戻すように誘われるが…。

■目次

<一人の時間>…涼水 玉青視点
<予期せぬ事故>…南都 夜々視点
<密告相手は誰?>…此花 光莉視点
<鍵のかかった時計>…六条 深雪視点



<一人の時間>…涼水 玉青視点

 

 ダンス練習のない日の午後。隣の紀子さんと千早さんのところへ遊びに行った渚砂ちゃんを見送った私は、特に何かをするでもなく、ベッドに腰掛けてボーっと過ごしていた。課題等はしっかりとこなしているから急いでやらなければいけないものはないし、渚砂ちゃんの行き先も信頼出来る場所ということもあり、こうして気の赴くままにベッドに寝転んでみても問題はないというわけだ。

 

 思えばこうして一人きりで部屋で過ごすのは久しぶりな気がする。生徒会に入ってからは活動で忙しかったし、基本的にはいちご舎に直帰する渚砂ちゃんが部屋で待っていたから二人でいることが多かった。

 

 そんな一人での時間だが、心が穏やかなのかといえばそうではない。相変わらず静馬様という存在によって渚砂ちゃんとの仲を搔き乱されているうえに、その静馬様によって引き起こされた私の身体の変化が憂鬱さを増幅させていた。

 

「渚砂ちゃん…」

 

 ゴロリと寝返りを打って隣室の方を見る。じっと見つめてみても壁が透けたりするわけではないが、なんとなくそこに居るんだという安心感にほんの少しだけ心が満たされる。

 

 普段の私ならおそらく着替えていただろうけど今日はそんな気力もなかったので、制服がシワだらけになるのも気にせずそのまま膝を抱えるように丸まっていると、自分の胸に視線が向いた。

 

 自慢というほどでもないが、クラスの中でもわりと大きい方である。知り合いに六条様や静馬様、千華留様に加え、1学年下にもかかわらずその3人に引けを取らない夜々さんがいるせいか最近すっかり霞んでいたけれど。

 

(まだ昨日の感触が残っているような気がする)

 

 胸のサイズの事とは対照的に、忘れたくても忘れられなそうな静馬様の感触。それに触発されるように、そういえば自分の胸はどんなだったっけ、と興味本位で制服の上から触れてみた。

 

「んっ…」

 

 やはりというか、ブラを着けたままということもあって手に伝わる感触はそれほど柔らかくない。身体に伝わる刺激だってごく僅かだ。もしいつもならば気分が乗らなくて早々に止めていたに違いない。

 

 しかし今日は違った。渚砂ちゃんと静馬様の関係、自分に訪れた同性の身体に対する興味の目覚め。そんな2つの重大な不安からくるもやもやした感情によって、今の私はちょっとだけ壊れていた。

 

 最初は些細な好奇心。そうした方が良いのでは、といった程度のもの。ただ触るのではなく、静馬様の感触を強くイメージしながら触ってみるというものだった。

 

「うっ…、ん…。んんッ!?」

 

 思わず漏れた声に自分でも驚く。まさかこんなに違うなんて、と。知識ばかりが先行し、欠けていたイメージが補われたことで、私の身体には確かな変化が訪れていた。

 

 少ない刺激ながらに気分は予想以上に昂り、零れる吐息は身体と同様に熱を帯びていく。手を動かし太腿同士を擦る度に、ベッドが僅かに軋んで音を立てシーツにシワが刻まれていった。

 

 やがて胸だけでは物足りなくなり、無意識のうちに手は足の付け根へと伸びたが、残念なことにミアトルの制服はそういった事をするには少々エレガント過ぎた。たっぷりの生地が使われたスカートに行く手を阻まれ、お目当ての場所へ辿り着けない手がもどかしげに虚空を彷徨う。

 

 どうしよう。このまま続けるか、それとも。

 

 隣の部屋の方を見つめ逡巡する。けれど意を決した私はスカートをめくると、その中へとそっと指を忍び込ませた。

 

 不安だったから。今だけだから。そんな言い訳を自分にしながら、頭の中で渚砂ちゃんに触れる。私の勝手な妄想の世界の中では、渚砂ちゃんは触れる度に、はにかんだり、切なそうな顔を浮かべたり、様々な表情を見せてくれた。

 

 そして身体に籠っていく熱が限界に達し、いよいよ吐息として吐き出すだけでは追い付かなくなった頃、私は矢を打ち出した弓の弦のように身体を震わせ、空想の世界から元の世界へと帰還した。

 

「渚砂ちゃん…」

 

 弛緩した身体を仰向けにし、左手の甲をおでこの上に乗せると、ちょっとだけ熱が逃げていく気がした。そのままの格好で呼吸を整えながら、もう一方の手を天井にかざすと、照明の光を浴びた指がテラテラと濡れて輝いているのが見えた。

 

(そろそろ渚砂ちゃんが帰ってきちゃうかも…。その前に動かないと…。でも、少しの間だけ…このままで…)

 

 重たい身体に意識を引きずられるようにして目を瞑る。次に目を開けたら元の私に戻っていることを、ほんの少しだけ期待しつつ、けれどもう戻れないことを薄々自覚しながら…。

 

 

 

 

―*―*―*―*―

 

 

 

 

「玉青ちゃんただいまーー!」

 

 諸々の痕跡がすっかりと消し去られた部屋に渚砂ちゃんが帰ってきたのは、夕食の1時間程前のこと。

 

 余程楽しかったのかその顔はとても晴れやかに見える。

 

「おかえりなさい渚砂ちゃん。楽しかったですか?」

「うんっ。とっても有意義な時間だったよ」

「ならよかったです」

 

 この様子なら音や声が隣に伝わっていたということはなさそうだ。いちご舎の分厚い壁には感謝したってしきれない。

 

 ベッドだって綺麗になっているし、鏡でしっかりと確認したから制服の乱れも心配ない。これなら大丈夫だろう。

 

「ねえ…玉青ちゃん。ダンスパーティの日の事なんだけどさ」

 

 幸い渚砂ちゃんが何かを気にしたりする様子もなく、話題がダンスパーティに移ったことに安堵した私は何事もなかったかのように返事をした。

 

「どうかしたんですか渚砂ちゃん」

「えっと…楽しみに…しててね。それだけ言っておこうと思って」

 

 なんだろう? う~ん、と首を傾げて考えてみる。

 

「楽しみ…。楽しみ…。あっ! 渚砂ちゃんが素敵なダンスを披露してくれるとか?」

「ちょ、ちょっと玉青ちゃん。詮索はなしだよ。せっかくの楽しみがなくなっちゃうもん。と、とにかく、とっておきのサプライズがあるから楽しみにしててね!

 

 私が正常だったなら、渚砂ちゃんの笑顔に罪悪感を抱いていたかもしれない。だけど心に浮かんだのはそれとは全く別のもので。

 

 目はとっくに覚めているはずなのに、やっぱり私は壊れたままだった…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<予期せぬ事故>…南都 夜々視点

 

「それで玉青さんの相談って?」

「いえ、そんな大袈裟なものじゃなくて、私は少しお話し出来るだけでいいというか」

 

 紅茶の入ったカップを両手で支えながら玉青さんは微笑んだ。

 

「そう…ですか。ならいいんですけど」

 

 果たして彼女は気付いているんだろうか? 自分の視線がどんな色をしているのか。その瞳の奥に込められた━━━いや、無意識のうちに()()()()()()()()()意図が如何なるものなのか。

 

「あっ! そうだ玉青さん。そのクッキー、スピカの子がくれたんですけど、とっても美味しいですよ。よかったらいかがですか?」

 

 テーブルの上の小皿を指差し、努めて明るく、かつカラッとした雰囲気で言ってみたものの、玉青さんの反応は鈍く、チラッと視線を送っただけで再び私の方を向いた。先程までと同じく、どことなく湿った、それでいてギラついた目をして。

 

(まずいなぁ…)

 

 声には出さないけど非常にまずい。せめて光莉がいればよかったんだけど、今はあいにくと留守だ。

 

(光莉のやつ早く帰ってこないかなぁ)

 

 私は心の中でそう祈りながら小さくため息をついた。

 

 断っておくが、玉青さんが嫌いなわけではない。友人だし、普段であれば一緒にいるのは大歓迎だ。そう、()()()()()()()()()()()()

 

 

 

―*―*―*―*―

 

 

 

 

 玉青さんが私の部屋を訪れたのはある日の夕方。光莉が不在なことを告げると、むしろ好都合だと言って部屋に上がってきた。慌ててお茶とお菓子を用意し━━━こういった事は光莉の担当だったので手際が悪くて少し手間取ったが、それも無事に終わり、いつものポジションであるベッドの上に腰かけたのは結構前だ。

 

 それから特に相談らしい相談もなく、本当にただただ見つめられている。

 

(まずいよなぁ…)

 

 今日何度目かになる思考を繰り返し、私は困り果てた。

 

(注意…した方がいいのかなぁ)

 

 そんな風に思い至ったのは、玉青さんの視線が私のある一点に注がれていたからである。そこは顔よりも少し下。お腹よりは上。つまり胸である。女の子であれば誰もが持ち合わせているものでそう珍しいものではない。あれ? 一応学年ではトップのサイズだから珍しいといえば珍しいのかな?まぁそれは置いておくとして、玉青さんは私の胸をじっと見ているのだ。

 

 紅茶の入ったカップを手に、ちびちびと飲んでは見つめるの繰り返し。女の子同士とはいえちょっと気まずい………なんてレベルの話で済めば簡単だったんだけど。

 

(お互い同性愛者なんだよね~)

 

 それぞれに好きな女の子がいて恋愛の真っ最中ではあるが、一切他の子に興味が向いないというほど、私たちの年頃の性的欲求というのは生易しくない。部屋に二人きりで胸ばかり見られているこの状況、一体どうしたものか。

 

 前回部屋に招いた時は、玉青さんに自分自身のことを理解してもらう必要性もあり、光莉と共謀して一芝居打ったわけだが今回は違う。正直心当たりが全くない。身体をくねらせたりしたわけでも、胸を強調したりしたわけでもないのだ。

 

 というか友人に色仕掛けしようものなら、今夜にでも私の身体のどこかに光莉の歯形が刻まれることになるだろう。それが太腿の付け根あたりかお腹になるかは光莉の気分次第といったところだけど。

 

(私の勘違いって可能性は………、ん~、ないかな)

 

 試すだけ試してみようと、暑いわけでもないのに制服の前を少し開けて空気を送り込む。玉青さんの方を見ず、さも全然気にしてませんってオーラを出しながら。

 

 横目でチラリと様子を窺うと玉青さんの視線は面白いように私の胸元へと吸い寄せられていた。

 

(あちゃ~。これは確定っと)

 

 いわゆる『覚えたて』というやつだ。自分も同じ道を通ってきたから分かる。思春期の少年少女が異性に興味深々で仕方がなくなってしまうアレだ。我々の場合はその対象が同性の裸とかになるわけだけど。

 

(まぁ私だって光莉の着替えとかガン見してたから玉青さんのこと言えないけど、いざ自分が向けられるとちょっと戸惑うなぁ)

 

 とりあえず変な空気にならないように釘でも刺しておこうと思ったその時、玉青さんが呟いた。

 

「あ、あの…、夜々さんって胸…大きいですよね

 

 私はそのセリフを聞いて固まることしか出来なかった。普通の女の子同士ならまだしも、我々のような人間の間でだと、少々違ったニュアンスに聞こえてしまう。たとえばシャワーを浴びた後かなんかに光莉が隣に座って同じようなセリフを吐いたら、私は誘われていると判断する。これで言ったのが光莉だったら「なに? 誘ってるの?」なんて軽口を返せたけど、相手は玉青さんだ。

 

(とはいえ()()()()()()()()だなぁ)

 

 言われたのが私だからセーフだけど、静馬様に言ってたら、玉青さんは今頃押し倒されてただろう。

 

「玉青さん、気付いてます? 視線とかセリフとか、マナー違反ですよ」

「え? あ、ご…ごめんなさい。気に障りましたか?」

「気に障ったというか…。私たちはお互いが性的な欲求対象になり得るんですから…気を付けないと。ほら、変な意味に聞こえちゃったりしますからね。それともまさか、私のこと()()()()()?」

 

 私の指摘に「あっ」て顔をした玉青さんは、顔を真っ赤にして俯いた。

 

(まぁそりゃあそうだよね。私も誘われるとは思ってないし)

 

 それに玉青さんには渚砂さん一筋でいて欲しい。

 

「渚砂さんと何かあったんですか? それとも…静馬様?」

 

 悩んだ末に、私は原因を探ることから始めた。玉青さんの場合、だいたいはどちらかが原因である可能性が高い。そして今回は後者の人物だったようだ。

 

「何があったのか話してくださいよ。私たち友達じゃないですか」

「はい。実は━━━」

 

 

 

―*―*―*―*―

 

 

 

「なるほど。そんなことが…」

 

 冷静に聞くフリをしていたが、私は心の中で「チッ」とか「余計な事を」と静馬様を恨まずにはいられなかった。

 

(こういうのって、自分の中で少しずつ折り合いをつけて、それで学んでいくべきだと思うんだけどなぁ)

 

 でもあの人らしいと思っちゃうあたり、私も毒されてるのかも。というか強引に身体を触らせて興味を誘発させるなんて手口、えげつなさが凄過ぎて静馬様以外には到底出来そうにない。

 

「ごめんなさい。私、最近変なんです。自分でも自分の事がよく分からなくなって。渚砂ちゃんのことも変な目で見てしまうし、今だって夜々さんを…」

「気持ちは分かります。私にもそういう時期がありましたから。でも玉青さんはラッキーですよ。なんてったってアドバイス出来る人間が近くに居るわけですから」

 

 胸をトンと叩き、大船に乗ったつもりで安心してください、とアピールすると、玉青さんは少し涙目になって頷いた。

 

「最初から素直に相談するべきでしたね。夜々さんは先輩なんですから。それで、夜々さんはどうやって対処していたんですか? 何か良い方法が?」

「私はとにかく身体を動かしたりしてましたね。結構精神的な面も大きいですから、気分がスッキリすると解消されたりしますよ。他には夢中になれるものを見つける…とかですかね。玉青さんは文芸部ですし、なにか文章を書くとか」

「どうしてもその…変な気分になってしまったら?」

「あんまりオススメ出来ないですけど冷たいシャワーをちょっとだけ浴びるってのをやってたことあります。もちろん身体冷やすとまずいんですぐに温かいシャワーを浴び直しますけどね。全体に浴びなくても手足の先だけとかでもいいかもしれません」

「なるほど」

 

 本当は他にも色々試したことがあるんだけど、言うと絶対に笑われるからやめておいた。今振り返って考えてみても無謀なチャレンジの数々はそっと胸の中に封印だ。光莉にだって話すつもりはない。

 

「そ、それでなんですけど」

「ええ」

「シャワーってお借り出来ますか?」

「へ?」

「ですから、その…冷たい…シャワー」

「それって…」

 

 もしかして玉青さん、スイッチ入っちゃったんだろうか。

 

「ん~、ちょっと待ってくださいね。貸すのは良いですけどバスタオルとか用意しないといけないので」

「すみません」

「気にしないでください。それに言ったの私ですから」

 

 洗面台の上から予備のタオルを出して渡し浴室へ案内する。それからしばらくするとシャワーの音が聞こえてきた。

 

(あっ、ちょっとまずいかも…。玉青さんじゃなくて…私の方が)

 

 正直言うと好みの美少女が自室でシャワーを浴びているというシチュエーションはかなりグッとくるものがあり、平静を装ってはいるものの、私もそれなりにドキドキしてしまっていた。

 

(よくよく考えると、これ光莉に見られたらやばいんじゃ…)

 

 見方によっては浮気相手を部屋に連れ込んでいるようにも見えなくはない。光莉にバレたら絶対怒られるな、これは。後でタオル使った理由考えておかないと。

 

 一人ベッドに腰掛けながら彼女への言い訳を考えていたら、予想よりも早く浴室の方から音がして玉青さんが出てきた。

 

「シャワー、ありがとうございました」

(うわ~、これも無意識なのかな? 玉青さんって意外と無防備かも)

 

 先輩面して玉青さんに上から目線で注意っぽいことをしたけど、よくまぁあんな事言えたな、と今の自分を見て思う。几帳面な玉青さんは既に堅苦しいミアトルの制服をビシッと着てはいたが、セリフといい、僅かに濡れた青髪といい、そそる要素満載な状態だった。

 

「それでどうです? 効果は?」

「ええっと…、はい、あの…言いにくいんですけど………身体がジンジンしちゃって、本当にこれであってるんでしょうか?」

「冷やし過ぎたのかもしれませんね。ブランケット有りますからこっちで温まってください。少しすれば治ると思いますから」

 

 玉青さんは身体をピクンと震わせ、時折両手でさする仕草を繰り返していた。たしかに辛そうだけど、逆にその辛そうな表情が余計に淫靡な雰囲気を醸し出している。これをエロい目で見るなというのは私的に相当きつい。挙句にブランケットを掛けようとして身体に触れたら、なんとも艶めかしい声を出され、私の理性は崩壊寸前に追い込まれた。

 

(そりゃあ静馬様だってちょっかい出したくなるわよね。玉青さんエロ過ぎ)

 

 手遅れになる前にスクワットか何かを始めないとまずいかもしれない。

 

(あっ、そうだ! さっきは言い忘れたけどあの手があった)

 

 いや~危なかった。思い付かなかったら部屋を飛び出していちご舎を一周する羽目になってたかも。それにしても…、こういう時に素数を数えるのって誰が最初に言い出したんだろう? まぁ気を逸らせれば誰でもいいんだけどね。

 

 2,3,5,7,11,13,15………あっ15は違った。17,19,23,29………。

 

 頭の中に数字を並べていく。数学は好きじゃないけどこれには何度か危機を救ってもらったことがあるから素数は好きだ。ちなみに途中でわざと間違えるのが自分流のやり方で、その方が意識が割かれて効果が増すような気がしている。だいたい53前後のあたりまでいくと、あら不思議。なんとかなってる場合が多い。

 

(今回もギリギリセーフかな。後で玉青さんにも━━━)

 

 平静さを取り戻しかけたところでクイクイッと引っ張られた袖に思考が中断された。

 

「もう大丈夫そうですか?」

「まだちょっとあれですけど…なんとか」

「ならよかった」

 

 立ち上がった玉青さんからブランケットを受け取り様子を窺う。少し顔が赤いけれど身体の方は幾分良くなったみたいで足取りはしっかりしていた。

 

「もう失礼しますね。光莉さん戻って来ちゃうと夜々さんにご迷惑でしょうし」

「迷惑…ではないですけど、たぶん疑われて大変な事になるとは思います」

「ふふっ。今日は色々とありがとうございました。今度何かお礼をさせてくださいね。それじゃあ」

 

 部屋を出て行く玉青さんに、私も「それじゃあ、また」と言って手を振り見送った。

 

「はぁ~~~疲れたぁ」

 

 扉がパタンと閉まると同時にベッドへと倒れ込む。なんとか任務をやり遂げたって感じだろうか。

 

「結構危なかったけどね。色々」

 

 ブレーキが働いてくれて良かった。特にシャワーの直後あたりはやばかったように思う。静馬様みたいに同時に何人も相手するメンタルが私にも有ったら、手を出しちゃってたかも。

 

「うぅ~~~。これから会う時はエロい目で見ないように気を付けなきゃな~。反則だよ、あんな顔」

 

 

 

―*―*―*―*―

 

 

 

「ただいま~」

 

 おっ光莉だ。片付けも終わってるし、悪くないタイミングかな。

 

「おかえり光莉。帰ってこないから心配したよ~」

「つい話に夢中になっちゃって。あっ、手…洗ってくるからこの前貰ったクッキー食べようよ」

「おっけ~。じゃあ準備だけしとく」

 

 聖歌隊らしく、鼻歌でも讃美歌を歌いながら光莉の姿が洗面台の方へと消えていく。どうやらご機嫌のようだ。

 

「あれ? ねぇ夜々ちゃ~ん。夜々ちゃーーーん?」

「ん~? なぁに~?」

 

 扉を挟んでのやり取り。どうしたって大き目な声になるのはお互い様かな。そう思っていると、光莉はわざわざガチャリと扉を開けて尋ねてきた。

 

「浴室濡れてるけど、シャワー浴びたの?」

「ああ…うん。ちょっと汗かいちゃったから気持ち悪くて」

「今日ってそんなに暑かったかなぁ」

 

 一瞬不思議そうにしたけど、光莉はそれほど気にする様子もなく再び洗面台へとトコトコ戻っていった。

 

(さすがに玉青さんが浴びてたとは…言えない…よね)

 

 ごめんね光莉。でも浮気したわけじゃないから。むしろ理性を振り絞って頑張って耐えたから。許して光莉ぃ~~~。

 

 どうか通じますように、と祈りながら、私は嘘をついた罪悪感よりも、むしろ光莉を裏切らなかった誇らしさに酔いしれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

<密告相手は誰?>…此花 光莉視点

 

 コンコンッとノックすると扉は少しだけ開き、その隙間から部屋の主が顔を覗かせた。

 

「誰?」

「あの…」

「ふふふっ。珍しいお客さんが来たわね。いいわ、入ってらっしゃい。誰かに見られてもいいならそのままでもいいけど」

「失礼…します」

 

 見られて困るわけじゃないけど、人にじろじろ見られながらする会話でもないと思って私は部屋に入った。

 

 思ったよりも簡素な、というか私たちと変わらない『いちご舎』における一般的な普通の内装。ちょっぴり意外だった。特別な役職だし、人柄から考えても、何か特別な調度品とかあるのかと思っていたから。

 

「がっかりしたかしら。別に普通の部屋よ。生徒会の役員とかが使う一人用の部屋。もしかして大理石の床でも想像してた?」

 

 頭の中を透視でもしたかのように、その人は悪戯っぽく笑いながら答えた。

 

 こうして会うのは久しぶりだけど、相変わらず怖い人だなって印象を抱いてしまう。夜々ちゃんとはもう1年付き合っているのに、まだまだ私は未熟者らしい。

 

「それで…どうかしたの? 遊んで欲しくなった? 私は構わないわよ」

 

 本気か冗談か分からない態度で平気でキスを迫ってくる。それを躱しつつキッと睨みつけると、その人はつまらなそうに「つれないわね」とおどけてみせた。

 

「私、夜々ちゃん以外の人なんて嫌です」

「その()()()()()に何かあったからここへ来たんでしょ」

「あぅっ………」

 

 なんでもお見通しと言わんばかりの口ぶりに気圧されて、私は既に怖気づいていた。

 

「今日、玉青さんが来ました」

「それで? お茶を飲んで帰りましたって?」

「からかわないでください。子供じゃ…ないんですから。シャワー。シャワーを浴びたんだと思います。浴室が濡れてたし、普段使わないタオルが棚から出されてました」

「他には?」

「ベッドに髪の毛が落ちてて。最初は浴室を見て変だなって思って、その後ベッドを見たら、青い髪の毛があったから、それで玉青さんだろうって」

 

 夜々ちゃんが浮気するとは思いたくない。というかそんなこと考えたくない。けど、私がいない間に部屋に来て、シャワーを浴びて帰る必要が生じる行為なんて他には思いつかなかった。

 

 前から少し怪しいとは思ってた。いくら友達だからって親切過ぎるんじゃないかって。夜々ちゃんは色々理由を付けていたけど本当はただ単に玉青さんがタイプだから………。

 

「玉青さんはお友達なんじゃなかったの?」

「そうですけど…、玉青さんは無自覚に夜々ちゃんを誘惑するから。夜々ちゃんのこと取られたくないんです」

「一つ質問していいかしら?」

「なんでしょう」

「どうして私に話そうと思ったの」

「それは…。勘です。あなたに話すのが一番だと」

「ふふふ。女の勘ってわけね。利口よ…あなた」

「そろそろ戻ります。怪しまれますから」

 

 部屋から出ようとする私の背中にその人は声を掛けた。

 

「さっきは子ども扱いしてごめんなさいね。立派な()()()に対して失礼な行為だったわ」

「………。おやすみなさい、エトワール様」

 

 これは私の嫉妬だ。夜々ちゃんを独り占めしたくて仕方がない、欲張りな私の…。

 

 自室の前に着いたのに、中に入らずに突っ立ったまま私は呟いた。

 

「夜々ちゃんは誰にも渡さない。誰にも…。誰にも…」

 

 

 

 

 

 

 

<鍵のかかった時計>…六条 深雪視点

 

「練習がないと暇ね」

「まさかあなたの口からそんなセリフを聞ける日が来るとは思ってなかったわ。普段の仕事もそれくらい熱心だといいのだけど」

 

 昼下がりの生徒会室。部活や同好会に励む生徒たちの気配は伝わってくるものの、私と静馬しかいないこの場所はシンと静まり返っていた。そんな中で聞こえてきた珍しい呟きに皮肉を返す。

 

 この時期にしては今日は気温が高く、ダンスパーティが終わった後の夏服への移行期間が待ち遠しくなるくらいではあるが、だからといって頭がおかしくなるほどに暑いというわけではない。せいぜいタイを緩めてボタンを1つか2つ開け、パタパタと風を送り込めば充分にリフレッシュ出来る程度といったところか。

 

 練習が楽しみな理由。それはおそらく新しいオモチャの存在だろう。私が次期生徒会長にと見出した青髪の少女━━━涼水玉青。つい最近まで渚砂さんにちょっかいを出していたかと思ったら、いつの間にやら玉青さんの方に対象を変えたようだ。

 

「はい、これ」

「ありがとう深雪」

 

 書類にサインしていく静馬のタイミングを見計らい関連する資料を渡す。静馬が見終わったらそれを受け取って片付ける。今まで何度も繰り返してきた作業は、多少の心の揺らぎがあっても問題なく行われた。

 

「今日はもう終わりにしましょう。お茶を淹れるわ」

 

 どういう風の吹き回しだろう? 今日の静馬は、なんだか変な気がする。上手くは言えないけれど、昔に戻ったような…。

 

 数分後。目の前に紅茶の入ったティーカップが置かれ、静馬はもう一つのカップを片手に少し悩んだ後、私のすぐ隣に腰掛けた。

 

「「久しぶりね」」

「あっ…」

 

 何気なく漏らした声が重なり、互いに顔を見合わせる。どうやら同じことを思ったらしい。

 

「こうしていると、昔に戻ったみたいね。私もあなたも役職なんてなくて、ただの一般生徒だった頃」

「そうね。でも静馬はあの頃から既に特別な存在だったわ。ミアトルだけじゃなく、他の2校からも一目置かれてた」

「やめて頂戴、そんな話。もっと楽しい話題がいいわ。そう、たとえばルームメイトになったばかりの頃の話とか」

 

 本当に今日の静馬はどうしてしまったんだろうか? 私に向ける視線も、声色も、優しさに満ちている。

 

「少し疲れてしまったの。最近はあなたと顔を合わせると互いに牽制してばかり。嫌味や皮肉で傷付け合って心休まる時なんてこれっぽっちもない。昔は良かったわ。何でもない会話をしては二人で笑い合って。あの時は気付かなかったけど、私はたぶん…幸せだったのね」

「静馬…」

「そんな顔をしないで。私だってノスタルジックな気持ちになることくらいあるわ。今みたいに」

 

 なぜか私は静馬がこのまま消え去って、どこかへ行ってしまうんじゃないか、という感覚に襲われた。おかしな話だ、今も目の前にいるというのに。

 

 それともこの静馬は幻影か何かなのだろうか。砂漠の蜃気楼のような、触れることの出来ない幻。

 

「静馬、あなた何を考えているの? 変な事考えてるんじゃないでしょうね?」

 

 手を伸ばせば届く距離にいる。なら手を伸ばすべきだ。

 

「ねぇ深雪。私たち、昔の関係に戻れないかしら? 一緒の部屋でルームメイトしてた頃の私たちに」

「私にあなたへの想いを捨てろっていうの?」

「ええ、そうよ」

 

 静馬の言葉に伸びかけた手が止まる。それとは反対に今度は静馬が手を伸ばして私を誘った。

 

「もしあなたがそうしてくれるのなら、卒業までの間、真面目に過ごすわ。エトワールの仕事だってちゃんとやるし、授業だってサボるのはやめにする。もちろんあなたとだって親友として…」

「魅力的な提案ね」

「なら」

「でも嫌よ。時間は戻ったりなんかしない。それと同じように、あなたを好きだという気持ちは、もう私の中から消えたりしないもの」

「そう…残念ね。とても残念だわ、深雪。あなたが私の手を取ってくれないのは分かっていたけど、それでも残念よ」

 

 私と同じように手を引っ込めた静馬は残念という単語を3度も繰り返した。

 

「さようならね、深雪」

「どういう意味?」

「そのままの意味よ。もう一度言うわ。さようなら深雪

 

 それだけ言い残して静馬は部屋を出て行った。

 

 静馬の言ったさようならの意味を、私はこの時理解していなかった。私がそれを理解するのはもう少し後のこと。そう、あの忌まわしいダンスパーティーの日のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 いかがでしたでしょうか? 今回は玉青ちゃんに起きた変化がメインとなっていました。夜々ちゃんのところ、夜々が玉青に手を出すか出さないかでかなり悩んだのですが、こうなった次第です。

 どっちも好きなキャラなので、玉青ちゃんと夜々ちゃんの組み合わせも結構想像したりしてますが皆さんはどうでしょうか?

 私の中だと二人とも大人びた性格という位置付けなのと、アニメで報われなかった思い出が強くて、互いに好きな相手がいるのを知りつつ傷の舐め合い的にくっ付くという悲劇的なエンドまっしぐらな話になりがちです。

 ガラスで出来た橋を進んで行くみたいなイメージで、心はそうでもないのに身体は求めあっちゃって、いつか訪れる破滅をしりながらも………って感じですかね。

 この二次創作時空だと夜々ちゃんが経験値高めの状態なので、アニメ時空よりも上手くいきそう…。というか普通にキャッキャウフフしてそうな気がします。

 
 今回の後書きはこの辺で。もしよかったら次章もお願いします。それでは~♪





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第27章「まるでウェディングドレスみたい」

■あらすじ
 ついに開催された音楽祭。玉青が生徒会のメンバーとして裏方仕事をこなす中、静馬の姿は観客席の最前列に。凜として佇む静馬は一体何を考え微笑むのか? 煌びやかな舞台の先で玉青を待ち受ける運命とは!?

■目次

<音楽祭、開幕!>…涼水 玉青視点
<あそこにいるのは>…蒼井 渚砂視点
<魔物の棲み処にて>…涼水 玉青視点



<音楽祭、開幕!>…涼水 玉青視点

 

 行事が開始される直前特有のなんとも言えない空気を孕んだホール内。近くに座る生徒たち同士のヒソヒソ声も、クラス単位でなら気にならないのだろうが、これだけの数の生徒が集まっているとなれば、お互いの声が響き合いザワザワとした波となってステージ上に押し寄せてくる。

 

 チラリと観客席の方に目をやると、座席の最前列では我らがエトワール様が、お外向けのお澄まし顔で悠然と佇んでいた。本当にこういう時の静馬様は隙がなく、ケチの付けようのない気品に満ちた笑顔は、私といる時とはえらい違いでちょっと憎たらしくなるほどだ。

 

(ずっとあのままでいらっしゃればいいのに)

 

 すっかりお馴染みとなった愚痴のようなものを思い浮かべつつため息をついた。まぁ、それはそれできっと静馬様が静馬様ではなくなってしまうんだろうけど…。

 

 観客席から視線を戻し、今回の実質的な仕切り役━━━つまり全校のリーダー役を任された六条会長の挨拶を待つために、私も舞台袖へと集合していた3校の生徒会メンバーの列に加わった。

 

 特に主導権争いもなく、あっさりとミアトルがリーダー役を任されたのには各校の思惑が働いたのか、はたまた音楽祭ではなくダンスパーティに主眼を置いただけなのか。詳しいことは分からないが、どちらにせよ決まってしまった以上はやり遂げる他ない。整列した生徒会メンバーを前にした六条様の険しい表情からも、複雑に絡んだ事情が透けて見えた。

 

「今回はダンスパーティーの話題が目立っているけど、本来はこっちがメインで、あちらはあくまでオマケよ。部や同好会所属の生徒たちのためにも各自最善を尽くして頂戴。それじゃあ行くわよ」

「「「はい」」」

 

 威勢の良い返事と共にそれぞれの担当場所へと散っていったメンバー同様、私も配置についてその時を待つ。会場内も開始の空気を察したのか、ざわめきは徐々に小さくなり、司会担当の生徒がマイクの前に立つと、打ち寄せていた波がサーッと引いていくように大きなホールは静寂に包まれた。

 

「ただいまより、3校合同の音楽祭を開始いたします」

 

 ゆっくりとしたテンポの、けれど確かな発声のアナウンスがホールの空気を震わせた。いよいよ音楽祭の開幕だ。私にとっては生徒会に入ってから初めての大きな行事になる。六条会長のためにもミスなくやり切るべく私は気合を入れた。

 

 司会進行。機材チェック。舞台への誘導その他諸々。3校の生徒会が担う役割は実に多岐に渡る。今も各校の音楽担当の教師が一言ずつ挨拶しているが、教師を照らすライトも生徒会の仕事だったりする。

 

 じゃあ私の担当は?というと…。観客側から見て舞台の右手の方。そちらの舞台袖で出演する生徒たちを順に並べたり、出番の近付いた部に控え室から出てくるよう連絡係に頼んだりと、地味ながらも重要な任務を仰せつかった。

 

 ここがぐちゃぐちゃになると、演奏終了時の入れ替わりに支障が出たりしてせっかくの登場シーンの見栄えが悪くなってしまう。どうせならカッコよく始めさせてあげたいという願いは、他の2校の生徒に対しても変わることはない。特に小さな同好会にとっては、この音楽祭が一年のなかで最も大きな晴れ舞台というケースも少なくないからこちらも力が入る。背中を押すような心持ちで演奏を見守るのは、親心にも似ているだろうか。

 

 そうこうしているうちに5組目の演奏が終わり続いて6組目。夜々さんたちの所属するスピカ聖歌隊のご登場だ。さすがに行事慣れしているだけあって、新入生らしき生徒であっても気負ってる様子は見えず、夜々さんに至っては既にベテランの風格さえ漂っていた。

 

 声には出さず視線だけで挨拶し誘導係へとバトンタッチ。規律の取れた一団はスムーズに配置へとついていった。

 

「ここは大丈夫そうね」

「六条様。はい、今のところは問題ありません」

 

 まだ序盤なので問題があったらそれはそれで非常にまずいのだが、こういう時は挨拶みたいなものだと思って素直に答えておくに限る。六条様はやはり相当忙しい御様子で、「なにかあったら教えて頂戴」と言い残し足早に去っていってしまった。

 

(私も頑張らないと)

 

 普段と違い、面識のあるミアトルの生徒同士だけでなく、他校の生徒会メンバーとも上手くやる必要がある今日は気が抜けない。特に私は生徒会に入ったばかりというのもあって他校の生徒会メンバーとは初対面のことが多く、事前の予行練習ではかなり負担をかけてしまったことをずっと後悔していた。

 

 なので今日はそのリベンジをすべく、進行表を頭に叩き込んできたというわけだ。一緒に配置されたスピカとルリムの上級生の足を引っ張らぬよう、いや、見返すくらいのつもりで頑張りを見せたいと思っている。

 

(それにしても…美しい声ですわ)

 

 頬に手を当て、思わずうっとりと聞き入ってしまう讃美歌の合唱。壇上からは聖歌隊の━━━天使とも称される少女たちの歌声が、お御堂でのミサさながらにホール中に響き渡っていた…。

 

 

 

 

 

―*―*―*―*―

 

 

 

 

 

「玉青さん。ここはもういいから、控え室で着替えてきてもらえるかしら。静馬は既に準備を始めてるから」

(そういえば、静馬様いつの間に…)

 

 あと数組で終了というタイミング。本音を言えば任された仕事を最後までやり遂げたかったが六条様の指示とあっては仕方がない。他の生徒に会釈してその場を後にしようとすると、事情を知る生徒たちから口々に「頑張ってね」と応援のコールが掛けられた。

 

 舞台から遠ざかると共に徐々に小さくなっていく演奏に、どこか寂しさのようなものを感じたのは、きっと私が今日の仕事に楽しさを見出していたからだろう。同時に、今までの音楽祭で最も演奏を集中して聞いていたような気がするんだから、普段いかに受け身の姿勢だったかが分かるというものだ。

 

 それで抱いた感想が『寂しい』というのはなんだか変な感じもするけれど…。

 

 通路は出番を終えた部や同好会の生徒たちで混雑しており、中には床に座り込む人までいたが、みな一様にやり遂げた顔をしているのを見て、やはり生徒会に入ったのは間違いではなかったと確信出来た。今もし鏡を見て、私も彼女たちと同様に『良い顔』をしていたら、それはとても素敵なことだと思う。

 

<エトワール 花園静馬様 ミアトル生徒会 涼水玉青様>

 

「これは…」

 

 用意された控え室の扉の横には、大きな字で私と静馬様の名が書かれた紙が貼りつけられていた。静馬様はともかく、私にまでご丁寧に『様』付けなんてされちゃってる。

 

(なんだか芸能人になったみたいですわ…)

 

 普段見慣れない光景に思わず脳内の興奮度メーターの針がグググッと動いていく。

 

「コホン、失礼します」

 

 本物の芸能人が楽屋に入る時にどんな感じなのかは知らないが、なんとなく咳払いしてみたり…。でも芸能人気分に浸って浮かれるにはまだまだ早すぎた事を、私はドアを開けて思い知るのだった。

 

「どうぞ」

「あ………」

 

 口から漏れたのが驚きだったのか感嘆だったのか、自分でもよく分からないままに自然と声が出ていた。ただ確かなことは、魂を抜かれたかのように入り口で棒立ちになった私の目に飛び込んできたのが、美しいドレスを身に纏った静馬様の姿であることだけ。

 

「早かったわね。深雪が気を利かせたのかしら」

 

 綺麗。ただその一言しか思い浮かばなかった。

 

 ミアトルの制服に似た黒を基調とした色遣いのドレスに、代名詞とも言える銀髪が良く映える。邪魔にならないようにアップにした髪の上にはティアラを模した光り輝く髪飾りが。良くも悪くも普通の控え室にはとても似つかわしくない、映画の世界から抜け出してきたかのような貴婦人がそこにいた。

 

 衣装合わせの時には「裁縫部の人たち気合入れ過ぎなのでは?」と思ったが、こうして見ているとそれで正解だったことがよく分かる。この人には安っぽいコスプレのようなドレスは相応しくない。むしろこれほどの力作であってもまだ足りないとさえ感じてしまうほどだ。

 

「見惚れてくれるのは嬉しいけど、あなたも準備しなさい。多少の余裕があるとはいえ、ぐずぐずしてたらあっという間に本番よ」

 

 姿が違うと声まで違って聞こえるのか、思わず「はいっ!」と答えたくなってしまう凛々しい声は、まるで本物の女王様のような威厳に満ちていた。これもいくつも持っている外面のうちの一つなんだろうか? それともこれが本当の静馬様? どちらであってもおかしくはない。そう思わせるだけの気品をこの人は備えているのだから。

 

(エトワールの中のエトワール。噂に偽りなし…ですわ。これからこの人と踊るだなんて…)

 

 胸の内に到来した、私はこの人と釣り合うのだろうか、という不安が小さく顔を覗かせた。渚砂ちゃんのことで必死だったとはいえ、よくこんな人と張り合おうと思ったものだ。裁縫部のお二人、部長さんと副部長さんにドレスを着せられながら、私は改めて静馬様の凄さを認識した。

 

 

 

 

―*―*―*―*―

 

 

 

 

「いい? 堂々としてなさい。少しくらいのミスなら私がなんとかしてあげるから」

 

 私の緊張を見抜いたのか、柄にもなく掛けられた優しい言葉。普段なら威勢よく反発していたかもしれないが今日は別。パートナーからの助言をありがたく頂戴し、「お願いします」と神妙に返事をした。

 

「観客はみなお待ちかねよ。いってらっしゃい、二人とも」

 

 舞台袖で六条会長や他のメンバーに見守られながら、差し出された手を取る。さっきとは打って変わって明るく華やかな照明に照らされた舞台はとても眩しく見えた。

 

「それじゃあ行きましょうか」

「はい、静馬様」

 

 舞台袖から出た途端、3校の生徒たちの視線が私たちをぐるりと取り囲み、暴風雨のように渦巻いたそれは、熱気に満ちて、荒々しさを伴いながら私へと纏わり付いた。ドレスに合わせて履き替えた靴がステージの床に擦れて甲高い音を立てる。

 

 舞台の中央まではたいした距離じゃない。たいした距離じゃないはずなのに、なかなか辿り着かない。頭のてっぺんからつま先まで、一挙手一投足に注目されて、私の呼吸はみるみるうちに浅くなっていった。

 

 酸素が薄い。もっと息を吸わないと。なんでここはこんなにも、身体が重く感じるんだろう?

 

 リハーサルは何度もこなした。けれどやはり本番とは比べものにならない。これだけの視線を身に浴びるのは初めての経験だった。

 

(どうしよう。私、踊れないかもしれない)

 

 考えてはいけないことを考えてしまい、足取りが乱れた。「あっ」と思った瞬間には鉛のように重たい足が半歩ずれ、グラリと身体が傾きかける。スローモーションで動く周りの景色とは対照的に、早送りされた脳内の映像では私が転ぶイメージがリアルに再生されていた。

 

 このままだと転んじゃう…。

 

 そう意識して目を瞑りかけた次の瞬間━━━。

 

「私にビンタした度胸はどこへ行ったの? それに比べればなんてことないでしょう?」

 

 叱咤の声と共に握った手が軽く引かれ、私はギリギリのところでバランスを取り戻した。こんなことを思うのは失礼ではあるが、今日の静馬様はどこまでも()()()()()()として振舞うらしい。心の平静を取り戻すと、軽く周囲を見渡す余裕が生まれた私は、ぐるりと観客席の方を一望した。

 

 いかにも音楽祭といった感じの整然とした配置だった大ホールがすっかりダンスの会場へと様変わりしている。静馬様に向かって熱心に発せられる黄色い歓声は、もしかして静馬様とお付き合いしていた人たちによるものだろうか? おそらくこの後の自由時間は彼女たちにとって大切な想い出になるに違いない。列をなす女生徒の姿が容易に想像出来てしまうあたりさすがエトワール様と言うべきか…。

 

(えっと、渚砂ちゃんは…)

 

 トレードマークが目立つから見つけられるかもと思ったけど、さすがにこの数の生徒がいては、一瞬見渡しただけでは無理があった。

 

(仕方ありませんね。でもこれが終わればその後は渚砂ちゃんと…ふふふ。楽しみですわ)

 

 さて、そろそろ集中しないと! 舞台中央がスポットライトの光にパッと照らされ、私と静馬様を包み込む。大丈夫。あれからいっぱい練習した。だから大丈夫、大丈夫、大丈夫。それになんといっても、今日の静馬様は頼りになるのだから…。

 

 自分にそう言い聞かせ、基本姿勢で曲が流れるのを待つ。

 

~~~♪♪♪~~~

 

 流れ始めたワルツに合わせ、舞踏会の最初の一歩を私は力強く踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

<あそこにいるのは>…蒼井 渚砂視点

 

 

「うわぁ~! 玉青ちゃんすっご~~~い」

 

 踊り出したその瞬間から、二人は観客のハートを鷲掴みにしてしまった。素早いステップに華麗なターン。静馬様の黒いドレスと、それとは対照的な玉青ちゃんの純白のドレスが、くるくると回る度に白と黒のコントラストを生み出しながら舞台の上に螺旋を描いていく。

 

 登場した時は少し自信なさげに見えたけど…、うん、玉青ちゃん、静馬様に全然負けてない。

 

「玉青さん素敵ね」

「まさかこれほどとはね~」

 

 隣にいた千早さんと紀子さんの声に思わず耳がピクリと動く。よくよく聞いていると、感嘆の声を漏らしたのは二人だけじゃなくて、あちらこちらから聞こえていた。もちろん静馬様に対するものの方が多いけど、注意深く耳を澄ませていると、結構玉青ちゃんへの声もある。

 

(えへへ。玉青ちゃん人気者だぁ~)

 

 玉青ちゃんのことを褒められたのが自分のことのように嬉しくて、ついつい持ち上がった唇の端が笑みを作り出す。

 

 みんなに知って欲しい。玉青ちゃんは凄いんだって。エトワール様にだって負けない素敵な女の子なんだって。それと………私の恋人なんだよって、本当はそうやって自慢したい。隣室の二人だけじゃなくて、この丘のすべての人に。

 

(言っちゃいけない…のかな。やましいことなんか、何もないのに)

 

 私が勇気を出していれば、玉青ちゃんを不安にさせることもなかったと思う。

 

 ステージから僅かに逸らしていた視線を戻すと、二人は見せ場らしき大胆なステップを刻んでいた。その二人に向かって、ワァーとか、キャーといった歓声が次々と飛んでいく。負けじと私も、と思ったのだけれど、あまりにも自分のレベルからはかけ離れた踊りに玉青ちゃんが失敗しないかとハラハラしてしまって、いつの間にか祈るように両手を握っていた。

 

 アストラエアの女神様。どうか失敗しませんように。どうか玉青ちゃんが最後まで踊り切れますように。

 

「好きだよ…玉青ちゃん。だから、がんばれ」

 

 歓声に掻き消されることを期待して、一方で少しだけ掻き消されない可能性に胸をときめかせて、口から零れた小さな呟きは、たしかに声に出ていた。

 

 

 

 

 

 

<魔物の棲み処にて>…涼水 玉青視点

 

 音楽が鳴り終わると共に、ホールに木霊する拍手と歓声。私はそれを精一杯に身体を反らせた決めポーズのまま、静馬様の腕の中で聞いていた。汗の滲んだ顔に掛かるのは照明を背負った静馬様の影。視界は美しき女王様によって支配され、互いの息を感じるほどに間近に迫った顔は、今にも唇が触れそうな距離だった。

 

 息をする度に胸が弾む。それはダンスを終えたばかりというだけじゃなく、冷めやらぬ興奮の余韻に身体が痺れていたのもあるだろう。

 

 そしてそれは静馬様も…。未だに降り注ぐ拍手と歓声の中、私を抱き締めたままでいるのがその証拠だ。随分と長いことそうしていたから観客は演出か何かだと思ったかもしれない。

 

 至近距離で見つめ合うことに抵抗はなかった。むしろもう少しこのままで、とさえ思ってしまうのはダンスの高揚感が生み出した幻なのだろうか。

 

「よく頑張ったわね」

「はいっ」

 

 観客の方へと向き直り、お辞儀をしてもなお、胸の高鳴りは収まる様子がない。間違いなく私にとって今まで一番の晴れ舞台。きっとアドレナリンがドバドバ出ているんだろう。もちろん試したりはしないが、今なら転んだって痛みを感じないかもしれない。

 

 感覚も鋭敏になっていたのか、さっきは見つけられなかった渚砂ちゃんの姿を遠くに見つけ、そちらへ向かって手を振った。渚砂ちゃん気付くかな? 気付いてくれると嬉しいんだけど…。

 

 諦めずに何度か振っていると、赤いポニーテールがぴょこぴょこと跳ねるのが見えたのと同時に、渚砂ちゃん以外の人が私の方へと手を振っていることに気付いた。

 

 これって私に振ってるんだろうか? もし違ったら盛大に勘違いしてることになって、えらく恥ずかしい人になってしまう。

 

(どうしたらいいんでしょう…)

 

 迷って手を止める私の隣で、お手本を見せるかのように大きく手を振る静馬様がぼそりと呟いた。

 

「彼女たちはあなたに振っているのよ。振り返してあげなさい」

 

 本当にそうなのかちょっと不安になる。静馬様に向かって手を振ったのに何よあの子、とな~んて思われたら結構怖い。それでも勇気を出して躊躇いがちに手を振ると、その生徒たちは「キャー」っと黄色い歓声を上げた。どうやら静馬様の言ってることは本当だったらしい。芸能人を飛び越してスターにでもなった気分だ。

 

「ね? 言った通りでしょう」

「は、はい」

「こういう時は、エトワールも悪くないなって思うのよ」

 

 手慣れた様子で声援に応えながらポツリと漏れた言葉が私の胸に響く。

 

(静馬様はこんな光景を見ていたんだ。これがエトワールの見る景色…)

「あなたならなれるかもしれないわね。エトワールに」

「えっ!?」

「それだけの素養はあると思うわ。さっ、そろそろ戻りましょう。深雪が舞台袖で待ってるから」

 

 聞き返そうと思ったのに、静馬様がそそくさと引っ込んでいってしまったせいでその真意を聞くことは出来なかった。

 

「二人ともお疲れ様。とても素敵な舞台だったわ」

「そうね、良い出来だったわ」

「ありがとうございます」

「予定通り二人はミアトルの生徒会室の方で着替えて頂戴。制服とか諸々はもう運んであるから。本当はこっちで着替えさせてあげたかったのだけど、ごめんなさいね」

 

 私たちが着替えた部屋は、ダンス会場にするために色々と運び出したものを仕舞うための倉庫になってしまっていてもう使えなかった。もし来年も開催するなら、そこは改善が必要な部分かもしれない。

 

(急がないと渚砂ちゃんと踊る時間がなくなっちゃう)

 

 逸る気持ちに急かされて、大ホールから少し早足でミアトルへ向かう。歩き慣れた道もドレス姿で歩くと、ちょっぴりシュールで新鮮味があった。それでも場所によってはドレスでいても変ではないというか、映画の撮影のようにも見えるのは、よく手入れされたこの丘ならではと言える。

 

 並木道をバックに笑顔のワンショット。静馬様ならそれだけで雑誌の1ページに載ってしまいそうだ。

 

「そのドレス。似合ってたわよ」

「そ、そうですか? ありがとうございます。実は自分でもちょっと綺麗かな………って。あっ、いえ、いつもに比べて、という意味で決してナルシスト的なわけじゃなくて」

 

 自分でもよく分からない言い訳をしてしまい、むしろ恥ずかしさが際立ってほんのりと頬が赤く染まる。

 

「謙遜しなくていいわ。綺麗よ、()()()()()()()()。真っ白で、まるでウェディングドレスみたい

 

 本当に今日はどうしたというんだろう。投げ掛けられた言葉がスゥーッと染み込んできて、ますます頬を紅潮させた私は、その場の空気に耐え切れず顔を逸らしてやり過ごした。

 

 

 

 

 私たちがミアトルの生徒会室に着くと、六条様の言った通りハンガーに掛けられた制服などが用意されていた。けど━━━。

 

「裁縫部のお二人は手伝ってくださらないのですね」

 

 部屋には誰もおらずガランとしていた。それは生徒会室だけに留まらず、みんなが大ホールにいるのもあってミアトル全体がシンと静まり返っている。明かりはついていたけど、ちょっぴり不気味。誰もいない学校って、お化け屋敷とか肝試しみたいな雰囲気に似てる気がする。これで突然首筋に息でも吹きかけられたら飛び上がってしまいそうだ。

 

 正直言うとホラーなどが得意でない私としては、会話するか何かして気を紛らわせたかったが、先程の気恥ずかしいやり取りもあって、少し尻込みしてしまう。

 

 どうしようかと思ったその時、急に突風でも吹いたのか窓がガタガタと揺れたのにビックリして、私は思わず静馬様の傍に近寄った。

 

(なんだか本当に不気味ですわ)

 

 背筋に冷たいものが流れるのが分かる。窓はもうピタリと停止していたが、冗談でもなんでもなく生徒会室は嫌な気配を漂わせていた。

 

「なんだか静か過ぎて怖いですね」

「そうね。今この校舎には私とあなたの二人だけ。もし仮に何かが起きて助けを呼んだとしても、誰にも聞こえないでしょうね」

「お、脅かさないでください。私、あまりそういうのが得意じゃな━━━━━━あの、静馬…様?」

 

 冗談交じりに笑う私を置き去りにして、なぜか生徒会室の扉の前に移動した静馬様は、ドレスの裾を翻しながらこちらを振り返った。

 

「さっきも言ったけれど、そのドレスよく似合っていて素敵よ」

「ありがとう…ござい…ます」

 

 その不可解な行動に、頭の中で疑問符を浮かべながらした返事には戸惑いが混じる。

 

「花嫁衣装。まさに今日という日にうってつけの最高の装いね」

「えっと…」

 

 さらに困惑する私の見てる前で、扉のツマミへと伸びた手が、カチャリと鍵を掛けた。

 

「あの…どうして扉のカギを?」

「さぁ、どうしてかしらね? あなたは何故だと思う?」

 

 表面上はさきほどまでと変わらないエトワールに相応しい慈愛に満ちた笑み。けれど、底知れぬ恐怖を抱いた私はよろけるように後ろへと下がっていた。

 

「き、着替えを…覗かれないように…とか」

 

 じり…じり…と一歩ずつ下がると、静馬様もそれに合わせて静かに前へと踏み出した。一定の距離を保ったまま小刻みに動く様子は、皮肉にも踊ったばかりのワルツのステップを彷彿とさせた。

 

「不正解よ。残念だったわね玉青さん。正解は━━━」

「あ、ああ。ああぁああああ」

 

 静馬様が言葉を言い終えるより前に、私は背を向けて駆け出していた。理由なんてない。とにかく逃げなけばまずいと思っただけだ。静馬様の瞳に映った自分の姿を見て、これから起きるであろう出来事を悟ってしまっていた。

 

(逃げなきゃ…でもどこへ?)

 

 廊下へと続く唯一の出入り口は静馬様によって封鎖されている。かと言ってこの生徒会室の中でグルグルと逃げられるほどの体力と脚力は、私には備わっていない。

 

 逃げ道があるとすればそれは…。

 

(準備室! あそこに立て籠れば)

 

 中に入って鍵さえ掛けてしまえばどうとでもなる。連絡はとれなくとも、いずれ異変に気付いた誰かがここの様子を見に来るだろうから、それまでジッと我慢すればいい。

 

 けどそんな考えを静馬様が読めないはずもなく、床を蹴り疾駆した猛獣は、のそのそと走る獲物━━━私の背後から飛び掛かると、あっという間に床に引きずり倒した。倒れ込んだ衝撃に「うっ」と呻き声をあげたのも束の間、背中に感じた他人の重みに恐る恐る振り返ると、目をギラつかせた静馬様が私にのし掛かっていた。

 

「離れてぇ! 離れてくださいッ!!」

 

 頭で考えるよりも先に身体をバタつかせ暴れてみたものの、体勢による圧倒的不利は覆らない。ならばと、準備室に向かって必死に手を使って身体を這わせようにも、悲しいことに非力な私の力ではうんともすんともいかなかった。

 

「ひっ!?」

 

 残り少ない体力を浪費する私を嘲笑うように、静馬様の手が私の身体に触れると、手が込んでいるが故に、薄く、肌触りの良いドレスの生地は、感触をそのままに生々しく伝えてきて、私は小さく悲鳴を上げた。

 

 装飾の付いた腰の部分、大きく開いたデザインの背中、そしてお尻はひらひらとした生地の上から。ただ撫で回すだけでなく明確な意図を持って動き回る手があちこちへ乱舞する。その度にぞわぞわとした悪寒が身体に走り、嫌で嫌で堪らなくて、なんとか振り払おうとした手は後ろの静馬様に当たることなく虚しく空を切った。

 

「助けてっ! 誰か…誰かっ!!」

 

 準備室に向かって伸ばした手が届くことはなく、それでも足掻こうとする意志によって爪が床を引っ掻いた。カリカリと音を立てて爪は床に傷跡を残し、不規則な模様が現れる。

 

「言ったでしょ、二人きりだって。ホールにまで声が届くなら話は別だけど、ふふふ、頑張ってみる? いいわよ。あなたの声、嫌いじゃないもの」

 

 希望を打ち砕くようなセリフに少なからず気力が削がれ、身体の力が一瞬緩む。「いけない」と思った次の瞬間、フワリと身体の浮くような感覚がして私は仰向けに転がされていた。

 

 下から見上げる私と、馬乗りになって見下ろす静馬様の視線が交錯し、その凄みを帯びた眼差しが私の心臓を鷲掴みにする。

 

 もし本物の猛獣━━━たとえばライオンか何かなら、今頃私の身体には我慢しきれずに垂れた涎がべっとりと掛かっていただろう。けれど美しき獣は、優雅に、味を確かめるように首筋に唇を宛てがうと、愛撫とも言うべき口付けを浴びせ、艶やかに微笑んだ。

 

「泣きそうな顔も素敵ね。光源氏はこんな気分だったのかしら。大切に育てあげた娘を味わうカタルシス。たまらないわ」

「なんでこんなことをッ!? 今日のあなたはとても尊敬出来て、私…」

 

 信じていたのに

 

 優しい言葉も、エトワールとしての振る舞いも、全て嘘だったんだろうか? ダンスが終わって見つめ合った時、何かが通じたと思ったのに…。

 

「た、助け…、渚砂ちゃ━━━」

「あなたはもう私のものよ」

 

 腕をキリキリと押さえつけられる痛み。身体を捩ってもがく苦しさ。

それらを押し除けるようにして唇に刻まれた柔らかな感触に、涙が頬をツゥーッと伝っていくのが分かった。

 

 無理矢理のキス。こんなことって…。

 

 涙でぼんやりとした視界に静馬様を映しながら、堪えていたものがとめどなく溢れていく。

 

「そんなに嫌だった?」

「………」

 

 無言で顔を逸らすのがせめてもの抵抗のつもりだった。

 

「それとも、渚砂よりも良くて感動した?」

「ッ!? ふざけないで。渚砂ちゃんとのキスは、あなたのなんかよりずっとずっと素敵でした。誰がこんなキスで━━━」

 

 分かりきった挑発は私に口を開かせるための罠だと気付いていたが、言い返さずにはいられなかった。その結果、さらなるキスで言葉を遮られようとも…。

 

 しっとりと濡れた唇が触れ合い、一見すると優しげな、だけど侵略にも似たキスが私を蹂躙していく。易々と門を潜り抜けた舌が、稚拙な動きしか出来ない私の舌を絡めとると、強引にねじ伏せ互いを擦り合わせた。

 

「ん…、はっ、ん、ちゅ。も、嫌っ、んふ…、はっ」

 

 部屋に響く舌と舌が奏でるジュルジュルと粘着質な水音。1分? 2分? 一体どれだけ続くんだろうと思うほど長い口付けに溺れそうになる。それは比喩でもなんでもなく、口内に溢れかえった二人分の唾液の洪水によって私はたしかに溺れかけていた。

 

 そしてそれらを決して外へ零させまいとする静馬様によって私に許された選択肢は━━━。

 

「んふっ、ん…、んっ、んっ。はっ、はっ、はぁ…はぁ。んくっ、んくっ、んくっ。ぷはっ…はぁ…はぁ…はぁ」

「ふふふ。強情な子ね。最初から飲んでいたら苦しい思いをせずに済んだのに」

 

 混ざり合った唾液を飲み干した私を見て、満足気な笑みを浮かべた静馬様の口元が、何かでキラキラと光っている。その正体である細長い透明の糸の先は、私の唇へと繋がっていて、キスを終えた私たち二人を未だに繋いでいた。

 

「もう離してください。気は済んだはずです」

「あら、そうかしら? そうでないことは、あなたが一番良く分かっていると思うけど」

 

 静馬様はそう言うなり再び私にキスを浴びせると、胸に手を伸ばし私の二つの膨らみを揉みしだいた。ドレスの上からでもお構いなしにグニグニと弄ばれ、私の胸は下着の中で窮屈そうに形を変える。

 

 女同士の行為を知り尽くした手によって、フワフワとした快楽が電流のように身体を駆け抜けていった。

 

(んっ、でも…拘束が緩んだ。夢中になってる今なら…)

 

 力が抜けそうになるのを必死で耐えながら、密かに逆転の機会を窺っていた私は、ここぞとばかりに力を込めると静馬様を思い切り突き飛ばした。

 

「ぐっ!?」

 

 ドンッという音と共に、勢いよく跳ね飛ばされた静馬様の身体は()()()()()()()()()()()。準備室か廊下。2択の中から私は迷わず廊下の方を選ぶと、痛みに顔を歪める静馬様を尻目にドアに駆け寄った。

 

「可哀想に。そっちは破滅の道よ」

 

 私に遅れてようやく身体を起こした静馬様が呟いた。

 

 負け惜しみだ。破滅の道? それは()()()()()()()だろう。だって私が逃げ出してしまえば、断罪されるのは静馬様なのだから。

 

 内側からはツマミを捻るだけでカギは開く。さっきは静馬様が守っていたから反対に逃げたけれど、ガードする者のいなくなったこの扉はなんの障壁にもなりはしない。

 

 逃れる。逃れるんだ。カチリと音を立てて回ったカギに安堵が浮かぶ。外に出たら一目散にホールまで走って六条様に助けを請おう。それでチェックメイト。私の勝ちだ。

 

 ドアノブに手を掛けた瞬間の私は、たしかにそんな希望に満ちていた。

 

「えっ!?」

 

 予想外の感触に戸惑いの声が上がる。グイッと力を込めたはずなのに、ドアノブは動かなかった。

 

「そんな、どうして?」

 

 カギは間違いなく開いてるのに…。

 

「だから言ったでしょ。破滅の道だって」

 

 すっかり立ち上がってドレスの裾に付いた埃を払いながら静馬様が余裕の表情で笑っていた。

 

 ウソだ。何かの間違いに決まってる。きっと…きっと力が足りてなかったんだ。ゆっくりと近付いてくる静馬様に焦りつつ、グイグイと力を込める。

 

「なんで…、嫌っ、嫌ぁ」

「無駄よ。魔法が掛けてあるの。とっておきの魔法がね」

 

 後ろを振り返れば、静馬様はすぐそこまで来ている。その事実に半狂乱し、力任せに押し込んだドアノブは、ギィッと耳障りな音を立てながらも、僅かに下へと動いた。

 

 違う! 魔法なんかじゃない。

 

 ようやくそのことに気付いた私はドアを叩きながら声を張り上げた。

 

「誰かそこにいるんですね!? お願いします。開けて下さい。静馬様に襲われているんです。お願い。ここを開けて!!」

 

 ドンドンと扉を叩いていると、うっすらとだけど扉の向こうに人の気配を感じた。やっぱり誰かいる。誰かがドアノブを押さえているんだ。

 

「助けてッ! 助けて下さい!!」

 

 その人が開けてくれることに一縷の望みを託し、私は助けを求め続けた。しかし━━━。

 

 どれだけ叩こうが声を掛けようが、ドアの向こうからは一向に何の反応もなかった。疲れてドアを叩く手が止まると、ミアトルの校舎はたちまち静けさを取り戻し、ただひたすらに動きの鈍いドアノブが不気味に佇んでいるばかりとなる。

 

 そのあまりの不気味さは、本当に魔法か何かの不思議な力によってドアが守られているんじゃないかと思ってしまうほどで、私はゾッとしてドアノブから手を離し、得体の知れない物を見るような目でドアを見つめていた。

 

「ほら? 言った通りでしょ」

 

 背中からスルリと伸びてきた手が肩に触れ、ついで、細く長い指が顎のラインをツツーッと滑っていく。最後には身体に巻き付いた腕が私を捕らえると、静馬様は上機嫌で囁いた。

 

「この扉は私の思い通りに動くの。私が開けと言えば開くし、開けるなと言えばどれだけ頑張っても開かないわ。面白い魔法でしょう」

 

 扉の向こうに誰かがいるだけの、既にトリックの明かされた手品を、この人はなおも魔法と呼んだ。

 

「何が…魔法なものですか。最初から誰かいたんですね? 私を陥れるために」

「あら? 玉青さんには不評だったみたいね。せっかくあなたのために用意したのに」

 

 二人きりだと思っていた校舎は、実はそうではなかったというだけの話だ。

 

「きっと扉の向こうにいる子も、悲しんでると思うわ。ねぇ、渚砂

 

 扉の向こうへと行われた呼び掛けに思考が停止する。なぎ…さ? 渚砂ちゃん? どうしてその名が?

 

「その手には乗りません。渚砂ちゃんがいるはずない。だって渚砂ちゃんは━━━」

「━━━ホールで私の帰りを待ってます、とあなたは言いたいのかしら?」

「………。そうです。約束したんです。だからっ!」

 

 言い終わらないうちにクスクスと嘲笑する笑い声に遮られ、私は激高して尋ね返した。

 

「何が可笑しいんですかっ!?」

「他にも何か渚砂から言われたんじゃない? そう、たとえば…サプライズとか」

 

 ドキリと心臓が跳ねる。なおも途切れない歌うような笑い声に交じって聞こえてきた一言。それは私にとって、とても意味のある一言だった。

 

「何を…仰ってるのか…分かりません」

 

 声が震える。動揺を隠そうとしたものの、それはたしかに声に乗せられ静馬様へと伝わってしまった。

 

「図星だったみたいね。だったら私がどうこう言う必要はないわ」

 

  あの日、渚砂ちゃんは私に何と言っただろう? 静馬様に抱き締められながら、心だけがあの日へと立ち返る。

 

<とっておきのサプライズがあるから楽しみにしててね!>

 

 千早さんと紀子さんのところから帰宅した渚砂ちゃんは、たしかにそう言った。

 

 サプライズ。サプライズ。私はあの時、特に深読みするでもなく、ぼんやりと楽しそうな()()を思い浮かべ呑気に笑っていた。

 

 まさかこれが…? これが渚砂ちゃんの言っていたサプライズ? そんなはずない。そんなはずあるわけ…。

 

 頭をよぎった考えは瞬く間に私の脳内を侵食し、悪い方へ悪い方へと思考を促していった。

 

(でも…、だって。そうでないと、静馬様と渚砂ちゃんがグルじゃないと、説明が…)

 

 心も身体も疲れ果て、ギリギリの状態。そんな中で生まれた疑念は抑えようがなく、心の隙間に忍び寄った悪魔が、私の口を借りて声を発した。

 

「渚砂ちゃん…なんですか?」

 

 コンッとノックして尋ねる。返事はない。

 

「そこにいるの渚砂ちゃんなんですかっ!? もしそうなら返事してください」

 

 コンコンッと乾いた音に残念ながら返ってくるものはなかった。

 

「玉青さんが可哀想よ。少しくらい返事してあげなさい」

 

 その言葉に即座に返ってきた向こうからのノック音に、私は血の気が引いていくのを感じた。

 

「渚砂ちゃん…どうして? どうして静馬様の言うことを聞くんですか? なんでここを開けてくれないんですか? 渚砂ちゃん! 渚砂ちゃんッ!! お願いだから返事をしてッ!!」

 

 焦燥感に駆られ、ノックではなくドンドンッと扉を殴打し様子を窺う。けれど返事はない。

 

「サプライズってこの事だったんですか? ねぇ渚砂ちゃん!?」

 

 続けての問い。少し間を置くようにして、ドンッと反応があった。それは…肯定とも取れる、初めての私に対する返事で…。

 

「あ…、そんな。渚砂ちゃん…。うそ…ですよね? 渚砂ちゃんが静馬様を選ぶわけ」

 

 即座に響くドンッという殴打音。

 

「いや、渚砂ちゃん。渚砂ちゃんが…」

 

 扉から後ずさり、静馬様の身体にぶつかってもなお私は呆然と扉を見つめ、ワナワナと身体を震わせていた。

 

「もうこれで分かったでしょう。諦めなさい。でないと、あなたが傷付くだけよ」

 

 静馬様の言葉が心の中に張り込んできてしまう。跳ね除けないといけないのに。力ずくでも扉をこじ開けて渚砂ちゃんの真意を確かめないといけないのに。力なく垂れ下がった私の両手は、鉛でも付いてるみたいに重くて、持ち上がらなかった。

 

「さっ、こっちへいらっしゃい。慰めてあげる」

 

 腕を掴まれ、ズルズルと引きずられていく私の視界には、遠ざかっていく扉が遥か彼方にあるように見えた。

 

「きゃあっ!?」

 

 部屋の中央まで連れ戻された私は、そこで静馬様に押し倒された。いとも簡単にベシャリと床に這いつくばる格好となった私の目の前に立つのはもちろん━━━。

 

「あ、ああ、あああああああ」

 

 言葉とも悲鳴ともつかぬ声を発しつつ、防衛本能が身体を後ろへと運んでいく。ドタドタとみっともなく手で床を踏みしめ、敵を近付けぬようにと足をバタつかせた。それでもお構いなしに近付いてくる静馬様は、あまりにも巨大で怖ろしく見えて…。

 

「た、たすけ…。助けて。助けて…渚砂ちゃん。私このままじゃ、静馬様に」

 

 ピトッと触れられた頬から、サァッと血の気が引き、冷や汗が吹き出す。

 

 命は奪われないだろう。だけど、()()()()()を奪われる未来がすぐそこまで来ていた。

 

 照明を背にした静馬様の影が私の影を覆い尽くし飲み込むと、視界は静馬様で埋め尽くされた。私はほんの僅かに残った隙間から手を伸ばし、力の限り叫んだ。

 

「助けてぇ! 助けて下さい渚砂ちゃん! お願いです。お願いですから…助けて。渚砂ちゃんッ! 渚砂ちゃん渚砂ちゃん渚砂ちゃんッ!!」

 

 信じていた。渚砂ちゃんなら私を助けてくれると。ドアを開けて駆け寄り、悪魔から救い出してくれると。けれど10秒、20秒経っても返事はなく、扉は頑なに閉ざされたままだった。

 

「そんな………渚砂ちゃん」

 

 渚砂ちゃんは私を助けてはくれない。その絶望は私の心の支えをぽっきりとへし折るには充分な、いや充分過ぎるもので、身体中から力が抜け、糸の切れた人形のように床に横たわった身体には、もう抵抗する気力は残されていなかった。

 

 愚鈍な獲物から、餌へとなり下がった私に突き立てられた美獣の牙。頑丈で鋭いそれは、皮膚を食い破り、肉を味わうためのものだ。皮膚とは衣服。そして肉は私の身体。

 

 引き裂くような勢いでドレスがずり下ろされ、そこから零れ落ちた双丘があられもなく外気に晒されると、静馬様は遠慮なく二つの膨らみにむしゃぶりついた。器用に動く舌と手が這いずり回る度に、私の口からは吐息が漏れて、柔らかさをアピールするように揺れる胸と合わさってさらなる劣情を煽り、美獣を悦ばせる。

 

 私の口は壊れたスピーカーのように、相変わらず渚砂ちゃんを呼ぶ声を再生し続けていたが、それも唇を貪られるうちにくぐもって徐々に聞こえなくなっていった。

 

 的確で執拗な愛撫の前では、本来なら恐怖と緊張で強張っているはずの肉体も、雪解けを待ちわびる氷のように溶けてしまうのだと私は知った。

 

 身体のあちこちに浮かんだ赤い痣。静馬様の唇の形をしたそれらが物語るのは淫らな行為の過程。そしていよいよ最後のとどめを刺すべく、魔の手は()()へと狙いを定めた。

 

「嫌、()()()()()許して。そこは渚砂ちゃんの。渚砂ちゃんに━━━」

 

 捧げるためにとってあるのに!

 

 脱げ掛かったドレスは防壁としてはあまりに頼りなく、ずれた隙間は相手を誘うように開いてしまっていて…。後に残るのはショーツだけ。ドレスに合わせて選んだ清楚な白のそれだけが、静馬様の侵入を阻む最後の砦だった。

 

「嫌っ! 嫌ぁ!! 初めては渚砂ちゃんがいいんです。渚砂ちゃん以外の人なんて嫌ぁ」

 

 キスは初めて同士じゃ出来なかったから、せめて()()()()()はと願っていた。静馬様の言葉で渚砂ちゃんが既にそういった経験があるかもしれないと分かった後は、どれだけ時間が掛かってもいいから、お互いがきちんと同意したうえで、仲睦まじく経験したいと心に決めていた。

 

 それなのに━━━。

 

「痛っ!? う、うそ…? これって。あ、あ…あ…あ…。嫌ぁあああああああああああああああああああ!?」

 

 皆がダンスに興じる大ホール。笑い声が響く夢のような場所から遠く離れたミアトルで、私の絶叫が校舎に木霊した…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 百合乱暴の文字に釣られてこの章から見始めちゃった人は初めまして。そうでない方はいつも読んで下さりありがとうございます。一応いくつかの章でしっかりと前振りをしたつもりなのですが………。

 唐突に思った方や、このような展開に戸惑う方がいらっしゃったら申し訳ありません。私の力不足です。前々からの予定の通りと言いますか、絶対に書くぞ、と決めていたシーンの一つですのでどうかご容赦ください。

 次章も読んでいただけたら嬉しいです。それでは。



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第28章「全部夜々ちゃんのせいだよっ!!」

■あらすじ
 気を失った玉青とそれを見つめる静馬。華やかに彩られた舞台の裏で、密やかに行われた『とある出来事』。それを知らずにミアトルへ向かって走り出した少女たちに過酷な運命が待ち受ける…。
 大波乱のダンスパーティ当日。ついに生徒会室の扉が開かれる!?

■目次

<極上の生贄>…花園 静馬視点
<待ち人来たらず>…蒼井 渚砂視点
<私は悪くない>…此花 光莉視点
<2択>…南都 夜々視点
<喪失>…涼水 玉青視点


<極上の生贄>…花園 静馬視点

 

 ブラインドの隙間から差し込んだ光が生み出す、机や椅子、それにハンガーラックの細長い影。その影たちが手を伸ばした先で、床に倒れたままピクリとも動かない少女の裸体を前に私は呟いた。

 

「少しやり過ぎてしまったかしら」

 

 気丈な性格をしているとはいえさすがにショックに耐えられなかったのか、少女は行為の終わり際に気を失ってしまった。一応壊さぬようにセーブしたつもりだったが、正直言って最後の方はどうだったか自分でも自信がない。なにせこれほどの昂りを感じたのは久々のことで、性欲に溺れる感覚に身を任せずにはいられなかったからだ。

 

(千華留を手に入れたばかりの、あの頃以来かしら? こんなに燃えたのは)

 

 改めて見てもその寝姿はしなやかで美しく、もはや涼水玉青という存在そのものが一つの芸術作品に昇華されたと言っても過言ではない。そう評するからにはいつまでも眺めていられるし実際それも一興ではあるとは思うが、やはり剥き出しのままというのは忍びなく、私はハンガーから彼女の制服を外すと、その身体を覆うようにそっと被せてあげた。

 

(まるでビロードを纏った彫刻のようね。こうして正解だったかしら)

 

 普段シニヨンに纏めている髪は乱れて床に広がり、私のキスを否定していた唇の、そのあまりにも無防備な様子がたまらなく愛おしい。一途な想いとは対照的に、今の彼女はたとえ相手が初めて会った者であろうと口付けを拒めないというギャップに嗜虐心が大いにそそられる。身体の方に目をやれば、制服の端からはみ出した手足が、情事の熱を残しているかのようにうっすらとピンク色に染まったまま、未だに私を誘うように妖しい艶を帯びていた。

 

 美しいものを愛するという点においては、私も芸術家もさして変わらないのかもしれない。身体の一部が隠されたことによって奥ゆかしさが生まれた一方で、そのビロードの下を想像するというエロティシズムもまた小さく産声を上げていた。

 

 額に掛かった髪を指でそっと払いのけ、素敵な時間をくれたお礼にと口付けを行う。眠る少女の唇はどこまでも甘く、蕩ける味わいだった。じきに少女は目を覚ますだろう。その時どんな表情を浮かべるのか………今から楽しみだ。

 

「ふふふ、うふふふふふ。あなたのドレス、ウェディングドレス風に仕立てるように言っておいて正解だったわ。あははははははははははは」

 

 再び身体の奥に渦巻いた甘美な疼きに身を焦がされながら、私はミアトルの制服を纏った。

 

 

 

 

 

 

<待ち人来たらず>…蒼井 渚砂視点

 

 玉青ちゃん…まだかな。

 

「渚砂さん、よかったら踊りましょう」

「う、うん…」

 

 せっかくの紀子さんからのダンスの誘いも、玉青ちゃんのことが気になってつい生返事になってしまう。あの青い髪を探してあちこち見渡してみても、その姿は一向に捉えられず、みんなが楽しそうに身体を揺らして踊るダンス会場で、玉青ちゃんの姿だけがぽっかりと抜け落ちていた。

 

 これだけたくさんの人がいても、私が一番踊りたいのは玉青ちゃんなのに…。お望みの人と踊る生徒たちの傍らでなんだか私の存在までもが置き去りにされているようで少し寂しさを感じてしまう。

 

「玉青さん、まだ戻らないのね」

「さすがに遅いわね。誰か生徒会の人に聞いてみた方がいいかもよ」

「うん、そうしてみるよ。ごめんね二人とも。私ちょっと玉青ちゃんのこと探してくる」

 

 隣室ペアとのダンスをひとまずお預けし、熱気に包まれた中央からダンスを見守る外縁部に移動すると、スゥーッと涼やかな風が流れてきて気温の違いにびっくりしてしまった。ここが避暑地にある別荘かなにかのテラスだとしたら、さっきまでいたのは満員の通勤電車のようなものだ。

 

(そういえばこの丘の子たちって満員電車とか乗ったことあるのかな? もしかして知らないかも…)

 

 せっかくだからと新鮮な空気を吸い込みちょっと一息。別に中央の空気が淀んでるってわけじゃないけど、少し落ち着いた気がした。

 

 さてリフレッシュも出来たし玉青ちゃんを探さないと…。とりあえず点々と立っている生徒会の人に聞いてみようかな。

 

(誰にしよう…。やっぱりミアトルの人がいいかな。うん、そうしよっと)

 

 何人かの中からミアトル在籍の知り合い━━━というほどではないけど一応面識のある上級生に恐る恐る話し掛けると、向こうも私の顔を覚えていてくれたみたいで、気さくに応じてくれた。

 

「ダンスは楽しんでる? こういう時は積極的に楽しんだ者が勝ちよ」

「えっと…はい。あの、ところで玉青ちゃ━━━じゃなくて、涼音玉青さん見ませんでしたでしょうか?」

「玉青さん? あら、まだ戻ってないの? う~ん、着替えに手間取っているのかしら。もしくは疲れて休憩してるか」

 

 なにやらメモのようなものを取り出し、首を傾げる上級生。

 

「一応、予定表ではミアトルの生徒会室で着替えをしてるはずなんだけど…。ごめんなさいね。私すぐにこっちの担当になっちゃったから玉青さんがどうしてるかまでは把握してないの。舞台袖にいる人ならもう少し詳しく知ってると思うわ」

 

 振り返ってそちらの方を指差し、もう一度「ごめんなさいね」と丁寧に言ってくれた上級生に、こちらも深々とお辞儀して歩き出す。

 

「あっ、六条会長なら間違いないと思うわよ~」

 

 わざわざ背中に掛けてくれた声に、生徒会の人ってみんな優しいんだろうか、なんて思いつつ手を振り返しておいた。

 

 

 

 

 (うっ、凄く忙しそう…)

 

 親切な上級生のアドバイスに従って舞台袖を覗くと、そこでは声を掛けるのを躊躇うほどに生徒会の人たちがテキパキと働いていた。私には分からないけど、ダンスパーティでも色々とやらなきゃいけないことがあるらしい。もちろん六条様が格別に忙しそうなのは言うまでもないことで、周囲の人の3倍くらい動き回っていた。

 

 どうしようかと躊躇い、しばらく皆の方を見ながら横目で舞台袖の様子を観察してみたものの、「あっ今がチャンスかも」と思って近寄ろうとするとすぐに別の人が話し掛けてしまい、舞台の上で右往左往。恥ずかしいことになかなか話し掛けられずにいた。

 

 それでも聞かないことには始まらないと隙を見て猛ダッシュ。なんとか六条様との会話に成功したのである。

 

「お忙しいところすみません。涼音玉青さんはまだ戻らないでしょうか?」

「玉青さん? てっきり直接あなたたちのところに合流したのかと思っていたけど…。戻ってないの?」

「はい…」

 

 壁の時計にチラリと視線を送り、首を傾げた六条様が言葉を続ける。

 

「変ね。ちゃんと裁縫部の人に手伝いを頼んであるから、着替えならとっくに終わっていると思うのだけど…。何かトラブルでもあったのかしら」

「着替えの場所ってミアトルの生徒会室ですよね?」

「ええ、そうよ」

「あの! もしよろしければ私が様子を見に行ってきてもいいでしょうか?」

「それだとあなたの時間が………」

 

 途中まで言い掛けた後、なにやら私の顔をじっと見た六条様の顔がフッと緩んだ。なんだろう? 私の顔に何か付いてたのかな?

 

「いえ、今のは余計な心配だったわね。それじゃ、お言葉に甘えてお願いするわ。玉青さんをよろしくね」

 

 何が余計なのかはよく分からなかったけど、とりあえず私は「はいっ!」と元気に返事をしておくことにした。だって気弱な返事をして六条様の気が変わっちゃったら大変だもん。

 

「ああそうだ。クラスの誰かに抜け出すことを伝えてから行って頂戴。そうでないと今度はあなたを探しにくる人が出てきてしまいそうだから」

「分かりました。失礼します」

 

 やった! これで玉青ちゃんを探しに行ける。

 

(待っててね玉青ちゃん。今行くから)

 

 戻ってきたら一緒にダンスを踊って、それから…それから。えへへ、玉青ちゃん…驚いてくれるかなぁ? 楽しい想像にルンルン気分で刻んだステップは自分でも驚いちゃうくらい軽やかだった。

 

 

 

 

 

 

 

<私は悪くない>…此花 光莉視点

 

「夜々先輩、人気者ですね~」

 

 一緒に踊る蕾ちゃんがそう呟くのも納得というか、私が考えていた以上に夜々ちゃんは人気があったらしい。スピカが誇る聖歌隊のエースとして歌声を披露したばかりというのもあるかもしれないけど、それを差し引いてもその人気っぷりはなかなかのもので、次から次へとダンスを申し込まれては律儀にその全てに応えていた。

 

 私と踊ったのは最初の一回だけ。蕾ちゃんや聖歌隊の人は分かるとしても、ちょっとサービスが良過ぎるように思う。天音様や要様みたいにエトワール選を見据えてのパフォーマンスです、ってことなら分からなくもないんだけれどちょっとモヤモヤする。今も一人の生徒が離れたかと思えば、すぐさまその友達らしき子が出てきて夜々ちゃんに気安く触れていた。

 

「光莉先輩っ! 夜々先輩のことなんて放っておきましょうよ。私たちは私たちで楽しく踊ればいいんですから」

「そうだね。夜々ちゃんのことは気にせず楽しく踊ろう!」

 

 とは言ったものの当然夜々ちゃんは近くで踊ってるわけで、どうしたって視界に入ってくるのは避けられない。仕方ないからターンの最中にパチリと目が合う度に、私はわざとらしくプイッと顔を逸らして不機嫌さをアピールしてみせた。

 

(本当はそんなに怒ってないけど、こうしておかないと夜々ちゃんすぐ他の子に色目使うんだもん)

 

 拗ねているフリは私が経験から学び取った知恵というわけだ。

 

(でも今のところは大丈夫そうかな…)

 

 安心して見ていられる、というと誇張し過ぎになるかもしれないが、パッと見た限りではダンスを申し込む子たちの中に夜々ちゃんの御眼鏡に適うような子は見受けられない。そんなわけで意外と心の中は平穏だった。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

「ねぇ光莉。そろそろ玉青さんたちのところに行ってみようよ」

 

 出た。玉青さんだ。いつ言い出すのかな?と思っていたけど予想してたよりもずっと早い。その名前は安全域を指していたメーターの針を途端に危険域近くまで動かし、ホッとしていた私の心をザワつかせた。あくまでフリでやっていたはずの拗ねる気持ちが、表に顕在化しそうになるのを抑えながら慎重に言葉を紡ぐ。

 

「二人でいるとこ邪魔しちゃ悪いよ。だからもう少し時間が経ってからの方がいいんじゃないかな」

 

 なるべく夜々ちゃんをあちらに行かせたくない一心で発した言葉には、やたらと気にかかる指のささくれのような気持ち悪さが引っ掛かっていた。けれどせっかくの足止めも上手くいかず、ダンスを申し込んできた新たな生徒に謝ると、夜々ちゃんは意気揚々と歩き出した。

 

(玉青さんのためなら、ダンス断るんだ。私のためには断らないのに…)

 

 鼻の奥が少しツンとして、それを誤魔化すためにスカートを握り締めながら、前を歩く夜々ちゃんにフラストレーションを募らせる。

 

(やっぱり夜々ちゃんは…)

 

 玉青さんが好きなの? 出かかった言葉を飲み込み、グッと堪えた。

 

 

 

 

 

 ミアトルの生徒がたくさんいる場所に着くと、そこでも夜々ちゃんは結構な人数の生徒からダンスの誘いを受けた。なんとなくそんな気はしてたから驚かなかったけど、ミアトルの子は夜々ちゃん好みの子が多いからつい心配してしまう。

 

 そんな私の心配をよそに、顔見知りの紀子さんと千早さんに声を掛けた夜々ちゃんは、

 

「あれ? 玉青さんと渚砂さんは一緒じゃないんですか? てっきり一緒だと思ったんですけど」

 

 と辺りをキョロキョロと見回しつつ首を傾げた。たしかに二人の姿が見当たらない。嫌な予感がして尋ねると「それが…」と言葉を詰まらせ顔を見合わせた紀子さんたちから不穏な空気が漂った。

 

「玉青さんがもどってこないのよ。それで渚砂さんは心配して生徒会の人のところに行ったんだけど」

「その渚砂さんも戻らなくてね。千早とどうしようかって悩んでたとこなの」

 

 千早さんの言葉を引き継いだ紀子さんが腕を組んでため息をつく。

 

(玉青さん、まだ戻ってないんだ。もしかして静馬様に…)

 

 静馬様の氷のような笑みを思い出し、私はぶるりと身体を震わすと、初めて『自分はとんでもないことをしてしまったのではないか?』という怖れが頭をよぎった。

 

(ううん、そんなことないはず。いくら静馬様だって本当に手を出したりするはず………)

 

 そうだよ。私の考え過ぎだよ。だから大丈夫。大丈夫…だよね。

 

「どうしたの光莉?」

「えっ? あ…な、なんでもないよ」

 

 あぶない、あぶない。変な時に夜々ちゃんは勘が鋭いから気を付けないと。心の片隅に生まれた不安を追いやり、可能な限りの笑顔を浮かべて答えておいた。

 

「気になりますし、なんだったら一緒に舞台袖の方に行ってみます?」

 

 余程玉青さんにご執心なのか、今度はそんなことを言い出した夜々ちゃんを引き留めるべく、私は慌てて耳打ちをした。実を言うと玉青さんがどうなったかを知るのが少し怖くなっていて、このまま時間が過ぎて何事もなく戻ってくるのが一番、そう思ったのだ。

 

「や…夜々ちゃん、夜々ちゃん。たぶん二人とも会場を抜け出して逢瀬してるんだよ。だから探さない方が…良いと思うの。きっと二人きりで盛り上がってるんだよ」

 

 付き合い始めたばかりのカップル。だったらそういう可能性だってなくはない。もっともらしい意見に夜々ちゃんの眉がピクリと動いて、「ああ、そうか」といった表情が浮かび、これならなんとかなりそう、と思ったその時━━━。

 

「ただいま~!」

 

 人垣の向こうから赤茶色のポニーテールを揺らしながら渚砂さんが戻ってきてしまった。せっかく上手くいくと思ったのに…。

 

「夜々さん、光莉さん、こんにちわ」

「渚砂さん一人? 玉青さんは?」

「えっと…トラブルかもしれないから、これからミアトルの生徒会室に行くことになって、それで紀子さんと千早さんにそのことを伝えておこうと思って。走っていけばすぐだし、ダンスには全然間に合うと思うから」

 

 一秒でも惜しいといった感じで説明だけすると、渚砂さんはミアトルへ向かって駆け出し、その背中はあっという間に遠ざかっていった。

 

「ああ、行っちゃった。渚砂さん大丈夫かしら」

「う~ん、少し心配ね。どうする千早? ついてく?」

 

 相談を始めた二人に、これまた思案顔をしていた夜々ちゃんは、突然閃いたといった様子で胸を叩くと、

 

「なら私たちが後を追いますよ。お二人はすれ違いにならないようにここで待ってて下さい」

 

 なんて調子の良いことを言って見せた。

 

「ほら、行くよ! 光莉」

「あっ、待って夜々ちゃん」

 

 渚砂さんに負けず劣らずミアトルへと向かって駆け出したその背を追って私も走る。少し走ったところで追い付き、無意識のうちに夜々ちゃんの手を掴んでしまってから私は後悔した。当然のように「どうしたの?」と尋ねられることは予想できたのに、それに対する返答を持たないままだったのだ。

 

 必然的に「あの」とか「えっと」を多用し、しどろもどろになりながらもどうにか言葉を繋いでいく。

 

「私たちまで行く必要はないんじゃないかな? ほら、渚砂さんが向かったわけだし。玉青さんを連れて帰ってくるまで二人で踊って待とうよ」

「いいじゃない。行こうよ。ね?」

 

 私の言葉に耳を貸そうとせず、手を引いて強引にズルズルと引っ張っていこうとする夜々ちゃんに、私は口を滑らせてしまった。

 

だって、手遅れかもしれないんだよ

「光莉…?」

「ご、ごめん。なんでもない」

 

 もしかしたら口が滑ったんじゃなくて、話を聞いてくれない夜々ちゃんに対する不満から漏れ出たのかもしれない。どちらにせよ完全な失言であることには変わりなく慌てて手を振って誤魔化そうとしたけど、夜々ちゃんにはしっかりと聞かれてしまっていた。

 

「今の…どういう意味? もしかして光莉。あんた何か知ってるの?」

「し、知らない。私なんにも知らないよ。本当だよ」

「だって今手遅れって」

「そんなこと言ってないよ。夜々ちゃんの…聞き間違えじゃ…ないかな…たぶん」

「嘘よ。たしかに言ったわ! 手遅れだって」

 

 夜々ちゃんに強く追求された瞬間、突如吹き荒れた強風が、ザァーーーッと樹々たちを揺らし、豊かに繁った枝から木の葉を奪い取ると、遥か上空に向かってそれらを巻き上げた。深い緑の葉っぱたちは見事な螺旋となって宙を舞い、しばらくダンスを踊ってから私たちの傍へと落下し、カサッと音を立てて着地した。

 

「光莉。あなたさっきから変よ。妙に落ち着きがないかと思えば、急にぼーっとしてどこか上の空になるし。紀子さんたちといた時から様子がおかしいとは思っていたの。ねぇ光莉。何か知ってるなら教えて頂戴。お願いよ、光莉」

 

 力強い視線から逃れるように近くの木に駆け寄った私は、太い幹に寄り掛かり空を見上げた。返事はしない。というより怖くて出来ない。

 

「………。光莉が答えないなら、私はこのままミアトルに行くわ。直接確かめればいいんだもの」

 

 歩き出した背中が本気だと言っていた。その足を止めたくて震える声を絞り出す。

 

「あ、あのね夜々ちゃん。玉青さん…もしかしたら静馬様に…」

「静馬様になんだっていうの!?」

 

 振り返りながら叫んだ夜々ちゃんの微かに怒気を含んだ声に、身体がビクッと跳ねた。

 

「分からないよ。今のはあくまで私の予想だから、そうかもしれないってだけ。でもどういう意味かは、夜々ちゃんなら…言わなくても分かるでしょ」

「なによそれ? だいたい何で静馬様の行動を光莉が予想出来るのよ?」

「それは…」

「あんた…まさか静馬様に玉青さんのこと売ったのッ!?」

「違うよ。私はただ静馬様に玉青さんの様子とかを伝えただけで、遅れてるのだって本当にトラブルかもしれ━━━」

 

━パァンッ━

 

 言い終わる前に飛んできた平手打ちが私の頬を強かに打った。チリッと電流みたいな強い衝撃に遅れてヒリヒリとした痛みが襲ってくる。

 

「や、夜々…ちゃん?」

「こうされて当たり前でしょッ!? 自分が何をしたか分かってるの?」

「うっ、ぐす…。ひどいよ、夜々ちゃん」

 

 私はただ、夜々ちゃんに私だけを見て欲しかっただけなのに…。

 

「どうしてそんなことしたのよッ!? 答えなさい、光莉!!」

「夜々ちゃんが━━━んだよ」

「えっ?」

「や、夜々ちゃんが悪いんだよ。全部夜々ちゃんのせいだよっ!!」

「どうしてそうなるのよ?」

 

 やっぱり自覚がないんだ。私の気持ちなんて、何も知らないで…。

 

 打たれた頬を押さえつつ、私は溜まっていたものを吐き出すように半ば叫びながら喋った。

 

「夜々ちゃんは誰にでも良い顔し過ぎだよ。嫌われたくないからってみんなに優しくして。私がどんな気持ちで夜々ちゃんの傍にいるか全然分かってない」

「だったら私に言えばいいでしょ! なんで玉青さんを売ったのよッ!? 玉青さんは…私たちの友達じゃないの?」

 

 友達。夜々ちゃんの口から出たその言葉の薄っぺらさに吐き気がした。

 

「本当にそうなのかな…」

「どういう意味よ?」

「そのままの意味だよッ!!」

 

 狼狽て後ろに下がった夜々ちゃんの代わりに今度は私が前に出た。

 

「気付いてないと思った? だったら私って夜々ちゃんに凄く下に見られてるのかな。バカで都合の良い子だって。たしかに私はそんなに頭が良い方じゃないよ。それは認める。だけどいくら私だって、自分がいない時に部屋に呼んでシャワー浴びさせるような関係が友達じゃないってことくらい分かるよ」

「あんた…気付いて」

「ほら、夜々ちゃんこそ何か言ったらどう? 誤魔化して、嘘ついてさ。夜々ちゃんはずるいよ」

「あ、あれは玉青さんの相談に乗ってただけで…」

「シャワー浴びる必要がある相談って何? 答えてよ!?」

「それは………」

「やっぱり言えないんだ」

「違うの光莉。お願いだから話を━━━」

 

━パァンッ━

 

 今度は私の番だった。乾いた大きな音が響いて夜々ちゃんは頬を押さえてよろめいた。

 

「私にだって恋人としての意地があるんだよ。夜々ちゃんのことが好きだから、愛してるから。夜々ちゃんの一番でいたいって。私は夜々ちゃんの恋人だもん。なのに…なのに夜々ちゃんは」

「光莉…」

「前にも言ったけど、私には夜々ちゃんしかいないの。この広い丘で、夜々ちゃんには恋愛対象の人がたくさんいても、私には夜々ちゃんしか…夜々ちゃんしかいないのに」

「だから静馬様に玉青さんを?」

「そう…だよ。私が一番夜々ちゃんを愛してるもん。私が一番だもん。玉青さんじゃなくて…私が」

 

 お互いの頬は赤く腫れてて、二人の間には冷たい隙間風が吹いていた。本当なら駆け寄って抱き着きたい。抱き着いてしがみついて泣きたかった。けれど私はそんな感情を押し殺して夜々ちゃんに告げた。

 

「行くなら行けばいいよ。私はもう戻るから。玉青さんと………お幸せに」

 

 言い終わると同時に無我夢中で駆け出した方角は、ミアトルの方でもなく、かといって大ホールの方でもなかった。こんな状態で戻ったって周りのみんなを驚かせるだけだ。だったらどこかで一人で泣いてる方がいい。

 

 そんな強がりとは裏腹に、足を緩めても一向に追いかけてくる足音がしないのが悲しくて、悔しくて。ボロボロと涙を零しながらアストラエアの丘を彷徨った。

 

 気付けば私はお御堂の前で膝をつき地面に座り込んでいた。これも女神様の思し召しなんだろうか? だってここは、私と夜々ちゃんが結ばれた…大切な場所だったから。

 

「夜々ちゃんのこと…好き。好きなのに…。どうして夜々ちゃんは私だけを見てくれないの?」

 

 厳かに佇む聖堂は、夜々ちゃんとの想い出の残滓を色濃く匂わせながら、いつものようにただじっと私を見下ろしていた…。

 

 

 

 

 

 

 

<2択>…南都 夜々視点

 

 光莉を大切にしていなかったわけじゃない。むしろ精一杯大切にしていた()()()だった。だけどこうなってしまった以上は、やはり『つもり』でしかなかったということになるのだろう。

 

 平手打ちをした方の手の平にはまだ…その感触が残っている。朝に寝ている時に触るとフニフニとした柔らかなほっぺを叩いた感触が。思わず光莉に平手打ちをしてしまった。激昂して…感情を抑えられずに。そして私の自業自得とはいえやり返されてしまった。私の頬に残る痛みは罰だ。光莉を軽視し、侮っていたことに対する罰。

 

「光莉…」

 

 もう既に姿の見えなくなった相手に向かって呼び掛けた。返事なんてあるはずないのに、そうせずにはいられなくて。けれど光莉からすればこれも私の独りよがりのパフォーマンスにしか映らないのかな…。

 

 今、私の前に広がっているのは2つの道。1つはミアトルへと続いていて、渚砂さんを追うというものだ。光莉の言うことが本当なら、渚砂さんは最悪の現場を目撃してしまうし、なにより傷付いた玉青さんを介抱しなければならない。正直言ってそんな役目がこなせる人間は自分以外に思いつかない。

 

 もう1つは光莉の去っていった方へ続く道。おそらくホールには戻ってないだろうから探すところから始めないといけないだろう。でもあの状態の光莉に私の言葉が届くかは、いまいち自信が持てない。かと言って追わなければ光莉は間違いなく傷付く。きっと自分より玉青さんを選んだのだと光莉は思うはずだ。

 

 どちらも私の役回りは重大で、なのに両方に同時に行くことは出来ない。どちらか一方は後回しということになる。

 

 恋人か、友人たちか。究極の判断を私は迫られた。

 

「あ~~~~~~もうっ!!」

 

 大声を出したところで妙案が浮かぶわけもなく、行き場のない苛立ちをぶつけようと木を蹴ってみても、ザラザラとした堅い表皮にほんの僅かな傷が付くだけだった。頭に浮かぶのは「ああすればよかった」とか「こうすればよかった」なんてくだらない考えばかり。貴重な時間が刻一刻と失われていく焦燥感に頭がどうにかなりそうになる。

 

(静馬様はいざとなったら本当に実行する人だ。それに嫌な予感がする。たぶん光莉だってそう思ったから挙動不審だったんだ)

「ッ━━━。ごめんね光莉」

 

 採るべき道を選んだ私はミアトルに向かって駆け出した。

 

 

 

 

 

 

<喪失>…涼水 玉青視点

 

 これは夢だ。とても悪い夢。目が覚めたら視界には一面の青空が広がっていて、柔らかな草原の上に気持ちよく寝そべっているんだ。そう祈って開けた目に映ったのは、青空ではなく真っ白な生徒会室の天井で、さらに言えば横たわっていたのは無機質な床の上だった。

 

(私、静馬様に…)

 

 全部覚えてる。キスも、愛撫も、何もかも全て。もちろん下腹部に走るズキッとした鈍い痛みの理由も。

 

(手篭めにされて…)

 

 さんざん泣き叫んで枯れたと思っていた涙がどこからともなく湧き出し頬を伝い、虚に見上げた天井がぼやけて霞んでいった。

 

(どうしてこんなことに)

 

 とてもではないが身体を起こす気力はなく、代わりに視線をのそりと下に動かすと視界の端に黒い布地が映った。おそらく私が気を失った後に静馬様がそうしたのだろう。ミアトルの制服が申し訳程度に胸や下半身を隠すようにして身体へと掛けられていた。

 

 一糸纏わぬ私を覆うその黒いブランケットは、暗く重たい陰鬱な雰囲気を漂わせ、さながら葬列に加わる遺族の悲しみを吸った喪服のようであった。

 

(ドレスは………もう直せそうにありませんね)

 

 無惨に引き裂かれ床に散乱したドレスの残骸。かつては純白の、美しいウェディングドレスの如く輝いていたそれは、もはや見る影もなく、私という名の墓標に添えられた献花と成り果てていた。

 

 そう、私は死んだのだ。静馬様によって。もちろんそれは物理的な『死』ではない。けれど渚砂ちゃんに裏切られ、さらに凌辱されたとあっては、私にとっては死んだも同然のことだった。

 

「目が覚めたみたいね」

「はい、少し前からですけど」

 

 自分を死に追いやった張本人の声に幾ばくか気力が戻り、ゆっくりとだがなんとか身体を起こすと、掛かっていた制服がずるりと下に滑り落ちた。別に隠さなくても良いかと思ったが、身体に刻まれたキスマークが目に映り、なんとなく制服をつかんで身体に引き寄せる。女王様は既に制服に着替えを終えていて、気怠げな様子で椅子に腰掛けて私を見下ろしていた。着てると言っても前のボタンは全開で、豊かな曲線が露わになっていたけれど。

 

「血を拭うために使ったから、ショーツは諦めて頂戴」

 

 手に持っていたそれが放物線を描き、私の目の前にトサリと落ちた。死の匂いが色濃く香る黒と白に溢れた景色の中で、ショーツに染み込んだ鮮血の赤だけが、生命の輝きを示すように、やけに眩しくその存在を際立たせている。

 

 私の純潔の証。そして悪魔によって踏みにじられた今となっては純潔()()()証として、私にその事実を突き付けた。

 

 けど………もうどうでもいい。私にはもう何も残っていないのだから。

 

(ガラスの破片でも落ちていたら手首を切り裂いたのに…)

 

 残念なことに私の願いを叶えてくれそうな物は落ちていなかった。

 

 ギィッと椅子を軋ませ、立ち上がるなり近寄ってきた静馬様が無言で顔を寄せる。その仕草に私は「ああ、そういうことか」と唇を差し出した。

 

「抵抗しないのね」

「別に…。したければお好きなように」

 

 誰の声かと思うほどに感情の篭っていない乾いた声が出たが、心情を鑑みればそれは当然の事と言えた。静馬様については今更拒んだってどうにもなりはしない。だったら身を任せる方が楽というものだ。もし望むというならば私から舌を動かしたってかまわない。少なくともそうしている間は、余計なことを考えずに済むだろうから。

 

「そうね、じゃあせっかくだから…遠慮なく」

 

 目を瞑りキスを受け入れるとそのまま床に寝転がされた。背中を支えられていたから痛くはなかったが、その一方でまだするつもりなのかと呆れもした。この人の欲望はあまりにもストレートで()()()()()。何がそこまで駆り立てるのか不思議で仕方がなかった。

 

 黒いブランケットの下で静馬様の手が蠢く。屍同然の私にこんな行為をしたって━━━。

 

「んっ…、く、ん………。なん…でっ? どうして?」

 

 私の口から漏れたのは、自分でも予想外の恥じらいを秘めた吐息だった。声が出ないようにと抑え込んだ空気が、鼻に抜けて悩ましい音楽を奏で出す。反射的に手で口を覆う私の姿に嘲笑が投げ掛けられた。

 

「死んだフリごっこはもうお終い? ふふっ、そんな真似が私に通用するわけないでしょ」

 

 自信に満ちた声は私の身体は知り尽くしたとでも言いたげな不遜極まりない態度で。けれど事実その通りに、私の感情は僅かな手の動き一つで揺らめかされていた。

 

(悔しい。何かもかもこの人の思い通りなんて)

 

 微かに芽生えた反抗心は私に活力を取り戻させはしたが、同時に色んな感情をも蘇らせてしまった。そしてそれは皮肉なことに、この人を悦ばせるスパイスにもなってしまったのである。

 

 再び私を喰らおうと静馬様が獣へと立ち返ろうとしたその時━━━。

 

 ドタドタッと慌ただしく廊下を走る音。一人ではなく複数の人間が扉から遠ざかっていく音が聞こえた。それとは別に近付いてくる足音。こちらは軽快で、間違いなく1人のものだ。

 

(何!? 一体何が起きているの!?)

 

 静馬様がそちらに気を取られた隙に、制服を手繰り寄せ身体を隠す。この部屋の前でピタリと止まった足音の主は、どうやらこちらの様子を窺っているようだった。顔をしかめた静馬様が私の口を押さえ、自らも息を潜めて気配を消そうと身体を硬直させた。

 

 そして扉の向こうから聞こえてきたのは…。

 

<<あ、あの~。そちらに涼水玉青さんいませんか? クラスメイトの蒼井渚砂です。六条様に言われて様子を見に来ました>>

(渚砂…ちゃん?)

 

 一体どうして? どうして渚砂ちゃんがそんなことを言うの? 扉を押さえていたんじゃ? 静馬様に従っていたんじゃ?

 

「へぇ…。あの子が一番最初に来たってわけ。よかったわね。一番乗りが渚砂で」

「何を………言っているんですか? あなたの指示で渚砂ちゃんは」

 

 私にしか聞こえない大きさの声で囁かれた言葉が、私の混乱に拍車を掛ける。

 

「おままごとかと思っていたけど、案外あなたたちの恋とやらも捨てたもんじゃなかったわね」

 

 遠ざかっていった複数の足音。まさか………あれは。

 

━コンコンッ━

 

<<もしも~し! 誰かいませんか~?>>

 

 扉の向こうから響く渚砂ちゃんの声。それを聞きながら静馬様の浮かべた笑みに背筋が凍り付いた。

 

「そろそろ感動のご対面といきましょうか。今のあなたの姿を見たら、渚砂はどんな顔をするかしらね?」

「うそ………。あ、あ…あ…あああ」

 

 あれは…あれは…、渚砂ちゃんじゃ━━━。

 

<<ドア開けますよ~?>>

 

 だ、だめ。開けないで! 開けないで開けないで開けないで開けないで!! 今扉を開けられたら、私…あなたに顔向け出来ない。

 

「渚砂ちゃん、開けちゃダメェーーーーーーーーーーーー!!」

 

 

 

~~~次章へ続く~~~

 

 

 

 

 

 

 

 




■後書き
 というわけで前回に引き続きダンスパーティ当日のお話となっていましたが、いかがでしょうか? 通して読んで下さっている方は前回分だけでも扉を押さえていたのが渚砂ちゃんではないというのに気付いていただけたかと思うんですが、万が一にも誤解を生まないように今回分でも多少の補足をしたので大丈夫…なはず。


 自分なりの百合観を色濃く反映した結果、とうとう夜々ちゃんと光莉ちゃんにまで影響が…。でも夜々は玉青を無視なんて出来ないだろうし、その様子を見た光莉がジェラシーを燃やさなかったら、それはそれで夜々に対する恋心が嘘になってしまうのでは?(つまり本当に愛してるならにっこり笑ってなんていられないよね)という感じでこうなりました。

 静馬様に告げ口するという方法はさておき、やっぱり自分の好きな相手が容姿も能力も優れた他の子にデレデレしてたらおもしろくないですよね。そういう意味では光莉ちゃんは成立したカップルでありながら、成立してるからこその苦しみを味わったキャラかなぁ、と。



 もしよければ次章もよろしくお願いします。それでは~。
 


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第29章「さようなら、渚砂ちゃん」

■あらすじ
 開かれてしまった禁断の扉。踊ろうと約束したダンスの演奏は遥か遠く、ミアトルの校舎には響かない。哀しみが交差する少女たちの泣き声で満たされた生徒会室はまるで牢獄のようで…。笑うは花園静馬ただ一人。
 ダンスパーティ編の最終章! 引き裂かれた玉青と渚砂、そして夜々と光莉に舞踏会の幕が下りる。

■目次

<最悪の再会劇>…蒼井 渚砂視点
<許せない>…南都 夜々視点
<王子様とぬいぐるみ>…剣城 要視点
<哀しき舞踏>…六条 深雪視点
<周回遅れのサプライズ>…蒼井 渚砂視点
<慟哭>…涼水 玉青視点



<最悪の再会劇>…蒼井 渚砂視点

 

 ドアノブを押し込み、扉が僅かに開いた瞬間に耳へと飛び込んできた玉青ちゃんの声。もちろん聞こえてはいたけれど、既に勢いのついてしまったドアは止められなくて…。本当であれば青い髪を見ただけで「あっ玉青ちゃんだ!」と嬉し気にパッと咲かせるはずだった笑顔は、目に映った光景を前に咲くことなく枯れていった。

 

「たま…お………ちゃん?」

 

 もし部屋で着替え中の玉青ちゃんにばったり遭遇したら、私は「ごめん」と言って慌てて後ろを向いただろう。けれど私はそうしなかった。ううん、出来なかった。だって玉青ちゃんは、泣きそうな顔をして身体を震わせていたから。

 

 単なるお着替えの途中ではないことは私にもすぐに分かった。ミアトルの制服の影に隠れてはいるけど、あまりにも多い肌色の面積。そう、玉青ちゃんは何の衣服も━━━下着さえ纏っていなかった。着替えで全部脱ぐなんて水泳の授業くらいのものだ。そしてそんな状態の玉青ちゃんを後ろから抱き締めている静馬様もまた、制服がほとんど脱げかけていた。

 

「二人とも何…してるの? なんで玉青ちゃんはお洋服…着て…ないの?」

「い、嫌………。見ないで。見ないで渚砂ちゃん。お願いだから…見ないで」

 

 制服をキュッと抱え込み、少しでも見えないようにと身体を丸め込んだ玉青ちゃんは涙声でそう言った。何度も何度も「見ないで」と呟いた声が私の耳に木霊して、いつまでも頭の中で反響する。その声に導かれるように、覚束ない足取りでふらふらと前に進んだ私は、床に散乱した白い布の切れ端のあたりで足を止めた。

 

(なんだろう…これ?)

 

 ただの布切れだと思って拾い上げた一片に、可愛らしくあしらわれたフリルの飾りを見つけた途端、私は「ひっ」と悲鳴を上げて身体を竦ませた。

 

「これって…もしかして………」

 

 震える手の中で踊る白い布と、床のあちらこちらにある白い布とに視線を彷徨わせる。それは紛れもなく、()()()()()()()()()()白いドレスの成れの果てだった。

 

「う………そ」

「ごめんなさいね渚砂。私と玉青さんは特別な関係なの」

「違いますっ! 静馬様が…無理矢理」

 

 呆然とする私の前で静馬様はおもむろに手を伸ばすと、玉青ちゃんの抱える制服を掴み奪い取ろうとした。

 

「嫌ぁっ!? やめてください静馬様。嫌っ…もう許して」

 

 玉青ちゃんは必死に制服を守り抜こうとしたけど、静馬様の方がずっと有利な体勢で…。抵抗も虚しく奪い取られた制服は放り投げられた先でドサッと音を立てて着地した。

 

「あっ…、あ、あ…」

 

 身体を隠すものを失った玉青ちゃんは咄嗟に制服に向かって手を伸ばしたものの、後ろから押さえつける静馬様に阻まれ動くことは出来なかった。玉青ちゃんの白い肌が露わになって、それを隠そうとする腕もやっぱり白い肌をしてるから、どうしたって玉青ちゃんは肌色で、泣き出した顔を見た瞬間に色んなものが私の中で壊れていった。

 

「や、やめ…やめて…ください」

「なあに渚砂? よく聞こえなかったわ」

「やめてくださいッ!! 玉青ちゃんにひどいことしないでッ!!」

 

 頑張って叫んだつもりだった。間違いなく静馬様の耳にだって聞こえていたと思う。けれど静馬様は無視して玉青ちゃんの身体に触れると強引に腕を広げさせた。身体をバタつかせて嫌々する玉青ちゃんの胸や太腿が惜しげもなく晒され私の視界に映り込む。

 

「嫌よ、これはもう私のものだもの」

 

 少し見られただけで思わずゾクッとしちゃうようなとびっきりの流し目。色っぽいとかそんな次元じゃなくて、妖艶というか、とにかく女の人の色んなものを詰め込んだ視線に射抜かれ、私はぺたんと床に尻餅をついた。そして見せつけるように玉青ちゃんの首筋に唇を宛がい、「そういえば前にキスマークのことでやり取りしたこともあったわね」と

懐かしそうに言いながら、私の見ている前で赤い痕を刻んだ。

 

「うそ…だよ。こんなの…悪い夢…だよ」

 

 玉青ちゃんを迎えに来ただけのはずなのに、なんでこんなことになっちゃったんだろう。本当なら今頃は二人でダンスを踊って、それから━━━。

 

「私、玉青ちゃんに…告白…する…つもりだったのに…」

「へぇ? 良かったわね玉青さん。あなたたち、両想い()()()みたいよ。だだ、ちょっと遅かったみたいだけど」

「ごめんなさい、ごめんなさい渚砂ちゃん。私がもっと渚砂ちゃんを信じていれば」

「ふふふ、今からでも告白してあげたらどう? きっと喜ぶわよ。ねぇ、玉青さん?」

「私にはもう…渚砂ちゃんに好きでいてもらう資格なんて…」

 

 両手で顔を覆った玉青ちゃんの嗚咽が静かに生徒会室に響き渡り、それを追いかけるように加わった私の声が重なって二重奏となる。

 

 何もかもがグチャグチャだった。濁流に飲み込まれた小さな集落みたいに、圧倒的な力で蹂躙された私たちの関係は、懸命に伸ばした手も虚しく、ひたすらに壊されていた。全部。全部。何もかも。

 

 情けないことにこの後の記憶は一部が抜け落ちていて、なんだか朧気にしか覚えていなかった。ただ最後に聞こえたのは、夜々さんの怒気の篭った叫び声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

<許せない>…南都 夜々視点

 

 静まり返ったミアトルの校舎。聞こえるのは走る自分の足音と、遠くから聞こえる微かな話し声だけ。高まる嫌な予感に突き動かされるようにして身体を動かし、扉が開かれたままの生徒会室へと飛び込んだ。

 

「渚砂さんっ!」

 

 床に座り込んだ渚砂さんの姿が見えた時点で最悪の展開を予想していた。それでも一縷の望みを抱いていた私の期待は、渚砂さんのいる先で繰り広げられていた光景によって粉々に打ち砕かれたのである。

 

 千切れたドレスの切れ端、裸で震える玉青さんとそれを抱き締める静馬様。

 

 それはまさに惨劇と言っていい有様で、この部屋でなにがあったのかは誰の目にも明らかだった。身体の底から湧き上がってきた怒りをエネルギー源とした言葉の矢が、自然と叫び声として放たれ静馬様目掛けて飛んでいく。

 

「ッ~~~。花園静馬ッ! あんたって人は!! 何がエトワール様よ。よくも…よくも玉青さんを…。こんなことをしてただで済むと思っているの!? こんなっ無理矢理…」

「無理矢理…何かしら?」

「犯したんでしょう? こんな状況見れば誰だって━━━」

 

 そこまで言って、私はハッとして言葉を飲み込んだ。いくら事実とは言え玉青さんの傍で言うべきではなかったと、そう思ったから。案の定、私の言葉を聞いた玉青さんはビクッと身体を震わせると、目を瞑って項垂(うなだ)れた。

 

「あっ、ごめんなさい…私」

 

 慌てて謝った私の声を打ち消そうとするように、静馬様は玉青さんの耳たぶを口に含んで舐(ねぶ)ると、

 

「ふふふ、そうよ、あなたのいう通り。()()()()()()()()()()()()()()()

 

 と敢えてその事実を強調しつつ囁いた。次いで唇が耳から離れた時に奏でられたリップ音。それに切ない吐息を漏らした玉青さんの反応の生々しさに私は唾を飲み込んだ。その反応は二人の間で行われた情事がどんなものであったのかと、私に想像を掻き立てさせるには充分なものだったから。

 

「みっともないわよ、夜々さん。でもそうね…あなたも玉青さんのことタイプだものね。悪い事しちゃったかしら」

「黙れッ!」

「あらそう? 今の私は機嫌が良いから、味見させてあげようかと思ったのに」

「そうやってあんたは人を見下し━━━━━━ッ!?」

 

 言葉の途中で反射的に頬を覆い隠したのは、グニャリと歪められた邪悪な視線が未だ頬に残る赤い痣を射抜いたからだ。一目でビンタによるものだと分かるそれを、静馬様は面白がるように視界に捉えクスクスと笑みを零した。

 

 そうだ、この人は光莉から話を聞いているんだ。なら私と光莉のすれ違いの理由だって知ってるかもしれない。ううん、『かも』じゃなくて知ってる。そうじゃなきゃこんなに背筋がゾクッとしたりなんかしないはず。得体のしれない薄気味悪さと戦いながら私は相手との戦力差を覚悟した。

 

「威勢がいいけど…そういえばいつも一緒にいる光莉さん、今日はいないのね?」

「白々しい。あなたが唆したくせに」

「あら? 光莉さんは自分の意思で私に相談しに来たのよ。理由には…心当たりがあるんじゃない?」

 

 わざとらしく玉青さんを一瞥した目に侮蔑が込められていた。やっぱり知ってるんだ。何が『味見』だ、ふざけやがって。光莉のやつ、なんでよりにもよってこの人なんかに。

 

「玉青さんと渚砂さんだけじゃなく、私たちの仲までめちゃくちゃにして…」

()()()()()()()()恋人以外の子を部屋に招いてシャワー浴びさせたどこかの誰かさんが悪いんじゃない?」

「くっ…」」

「光莉さんから聞いた時は驚いたけど、でもまぁ、あなたなら手は出さないだろうと思っていたわ」

 

 さらりと髪をかき上げながらそう告げた瞳にはやたらと確信めいた何かが窺えた。

 

「何なんですか、その言い方。まるで自分には全部分かっていたって、そう言いたいんですか?」

「全くもってその通りよ。あなたは友達想いで、そしてなにより…光莉さんを大事にしてるもの」

「そこまで………そこまで分かっておきながら、光莉を利用したんですかッ!?」

 

 この人は壊れてる。どうかしてる。だって…分かっていたなら、一言でいい、光莉に優しくアドバイスしてくれたら、こんな悲劇は起きなかったのに。

 

「悪い? でも光莉さんは私に相談して、どこかホッとしていたわ。ずっと言いたくて、でも言えなくて。我慢していたんじゃないかしらね。遅かれ早かれ光莉さんは誰かに打ち明けていたはず。今回はたまたま相談相手が私だったというだけよ」

 

 言外にあなたのせいだと揶揄する言葉は、まるで喉元に突き付けられた剣のように私の声帯を圧迫し黙らせた。

 

「ふふ、光莉さん…『イイオンナ』になったじゃない。あなたのことが好きで、それ故に嫉妬して、そして相手を排除せずにはいられなくなってしまった。恋人としては至上の悦びではなくて? 私ならよくやったと抱き締めてあげるわ。少なくともあなたよりずっと恋愛に真摯だったと言えるわね」

「うるさいっ!」

「でもね…ふふふ、褒めてあげたら光莉さんたらちょっと嬉しそうな顔してたの。滑稽でしょ?」

「光莉をバカにするなッ!! あんたという人にはつくづく反吐が出る」

「そっくりそのままあなたにお返しするわ。1年以上も付き合ってその程度なら、そろそろ潮時だったってことよ」

 

 静馬様の言葉にカチンときたのは少なからず思い当たる節があるから。本当なら私が一番じゃなきゃいけないのに、なんだか負けたような気がして…。自分が正しいと思っていたのにそれが間違っていたと知らされて、ムキなって反論する小学生のように私は言い返していたのかもしれない。

 

 思う以上に頭に血が上っていたのか、玉青さんを取り返すついでに静馬様に一発くれてやろう、とそんなことを考えながらズンズンと歩み寄っていったその時だ。静馬様は不敵に笑うと、囚われの身となっていた玉青さんを私に向かって突き飛ばした。小さな悲鳴と共によろめいたその身体を無視することは出来ず、咄嗟に抱き留めているうちにさっさと移動した仇敵は、制服の乱れを正すと優雅に振り返った。

 

「茶番はもう充分に楽しんだから、後はあなたに任せるわ。あなたならこの後どうすればいいか分かるでしょ」

「逃げたって無駄ですよ」

「逃げる? どうしてそんな必要があるのかしら。笑っちゃうわね。別にダンス会場に戻るだけよ。きっと今頃、私とのダンスを楽しみにしてくれている子が首を長くして待ってるだろうから」

 

 腕の中の玉青さんの身体は予想以上に軽くて、中身が燃え尽きてしまったんじゃないかと心配になるほどだった。揺らしたらきっとカランッて乾いた音がするに違いない。

 

(可哀想に。涙を流しすぎたんですね)

 

  本音を言えばこの人の行った悪事を知らしめてこの丘から追放したい。けど、悪事を知らしめるという事は玉青さんが受けた仕打ちも広めるということだ。ただでさえこんな状態の玉青さんが被害を学園中に知られたらショックで立ち直れないだろう。目の前の女王様は、それを痛いほど分かっている。玉青さんの人質としての価値を充分に理解しているからこそ、こんな舐めた態度を取れるのだ。いわば玉青さんは静馬様にとっての矛であり、そして同時に盾でもあった。

 

「返事が欲しいわ。イエスか、ノーか」

「卑怯ですよ、こんなやり方」

「イエス…ということでいいのかしら? いやだわ、そんなに怒らないで頂戴。そろそろ姿を見せないと怪しまれるでしょ。だから私がダンスを踊りに行って目立つのは玉青さんにとっても最善の行動なのよ」

 

 理由はどうあれ、たしかにそれが一番ではある。部外者に知られないうちに玉青さんを連れていちご舎に行くには、このまま誰も来ない方が都合がいい。けど…、心情的にそれが許せるかは別の話ではある。玉青さんをこんな目に遭わせておいて自分だけダンスに戻るなんて、そんな非道がまかり通るのは釈然としない。でも玉青さんを人質に取られた状態では打つ手は一つも残ってなかった。

 

「期待してるわ。頑張って頂戴ね、南都夜々さん?」

 

 もう一度玉青さんを見て、次いで渚砂さんを見る。どう考えたって二人より大事なものはこの場にはない。

 

「言っておきますけど、あなたのためではなく二人のためですから。それと━━━」

「なにかしら?」

「全部が全部、思い通りになると思わないで」

 

 意外そうな顔をした静馬様のいる先。開かれたままの生徒会室の影に向かって私は呼び掛けた。

 

「いるんでしょ…光莉」

 

 全員の視線が集中する。けれど中からは文字通り、影も形も見えない状態だ。それでも私はもう一度光莉に呼び掛けた。

 

「お願いだから出てきて。今は助けがいるの」

 

 しばしの沈黙の後、

 

「夜々ちゃん、私…あの…こんなことになるなんて…思わなくて」

 

 と声を詰まらせながら光莉は姿を現した。

 

「なるほど…たしかに予想外のゲストね。まさか裏切り者の分際でここに来る勇気があったなんて、思いもしなかったわ」

「いつか絶対に謝らせてやる。玉青さんに…渚砂さんに…それから光莉にも!」

「殊勝な心掛けね。報われることを祈っているわ。それじゃ、私はもう行くから」

 

 スカートを両手で摘まみ、ふわりと持ち上がって膨らんだシルエットを見せながら、御大層に「ごきげんよう」とだけ告げて静馬様は去っていった。後ろ姿には悔恨の気配一つなく、ただあるがままに生きる意志だけをその背に宿しながら。

 

 

 

 

<王子様とぬいぐるみ>…剣城 要視点

 

「よぉ! 桃実」

「あら要。どうしたの?」

 

 喧騒から少し離れた場所でくつろいでいた桃実に声を掛けた。その傍らには桃実の小さなガールフレンドである籠女、通称()()()()()の姿も。小さなといってもそれは本人がそうというだけであって、相変わらず巨大なクマのぬいぐるみ『パーシヴァル』はよく目立っている。たとえ人混みの中だろうと、これなら待ち合わせに失敗することはないだろう。

 

「営業はもういいの?」

「ああ、踊りっぱなしでへとへとだよ」

「これ買っておいたらよかったら飲んで。ちょっとぬるくなっちゃったかもしれないけど」

「おっ! 気が利くな。それじゃありがたく」

 

 手渡された紙パックタイプの牛乳にストローを差し込み口で吸う。すると何とも言えない甘~い味のする牛乳が口の中に流れ込んできた。

 

「これこれ。この小さいパック牛乳が持つ独特の味は何度飲んでも形容しがたいな」

「あっそ。こっちは何度見ても、スピカの王子様がパックの牛乳をチューチューしてる姿がシュールで仕方ないわ。好物のミルクキャンディーといい変わった趣味してるんだから」

「そうか? というか桃実には言われたくないんだが…」

 

 視線を隣に座る桃実のさらに隣に移し、じっと眺めながら控えめに抗議の声を上げると、桃実は顔を真っ赤にして反論してきた。

 

「ちょっ、籠女は関係ないでしょ。それにいいのよ、将来は超絶美少女確定なんだし」

 

 そのあまりにも分かり易い反応に、クックッと思わず喉を鳴らして笑ってしまう。分が悪いと思ったのか、桃実は話題をダンスパーティの方へと切り替えた。

 

「で、手応えはどうだったの?」

「まぁ上々かな」

 

 私と天音はエトワール選に向けての知名度アップのために、ホームであるスピカはそこそこに、ミアトルやルリムの生徒たちと積極的に踊る作戦を展開していた。さっき桃実が『営業』と言ったのはこれのことで、成果については多少謙虚に答えはしたが、桃実は私の浮かべた笑顔から目ざとく営業の成功を悟ったらしい。「良かったじゃない、上手くいって」と讃えつつ、もう一個手にしていたパック牛乳を乾杯のグラス合わせのように軽く触れさせた。

 

「ただ…」

「なにかあったの?」

「いや、ミアトルの方へ行ったんだがまだエトワール様はお戻りじゃなくてね。それで六条会長と踊ろうかと思ったら詩遠と忙しそうにしてたものだから結局踊れず仕舞いだったのが心残りだな…と。静馬様や六条会長とは純粋に踊ってみたかったし、詩遠はほら、私が自由に動けるようにってかなりの仕事を受け持ってくれただろ? だから感謝の念を込めてエスコートしたかったのさ」

「そう言われると私も詩遠には頭上がらないわね。後で何かプレゼントでもしようかしら」

 

 私についてはエトワール選のため。桃実にはお嬢ちゃんとの時間を作ってあげるため。生徒会で役職持ちの私たちがこうしてのんびりしていられるのは詩遠のおかげだった。それに加えて他の生徒会役員に対しても相当便宜を図っていたはずだ。自分の自由時間を削ったうえで…ね。

 

(六条会長もおそらく同じだろうし、やはり会長をやるほどの生徒となると尊敬に値する人物が多いな。千華留会長は謎が多くて把握しきれないが…)

「じゃあ、詩遠の好意を無駄にしないように籠女とまた踊ってくるわ。こっちの牛乳は天音さん用に買っておいたやつだから来たら渡して頂戴」

「ありがとう。━━━っておいおい。まさかパーシヴァルも一緒なのかい?」

 

 小さな手を引いて立ち上がった桃実は私の言葉にキョトンとした顔を浮かべ首を傾げた。この反応から察するに、「何を言ってるんだろう?」状態なんだろうが、不思議に思わないのだろうか…。すっかりパーシヴァルがいることに慣れてしまって感覚が麻痺しているのかもしれない。

 

「桃実。私が来るまでも()()で踊ってたのかい?」

「当たり前じゃない。ねぇ籠女?」

「うん…。一緒だと…たの…しい」

 

 頭に思い浮かんだのは、3人が円になってくるくる回る、ダンスというよりもお遊戯的なえらくのどかな風景だった。それはそれで楽しそうではあるけど、お嬢ちゃんはまだしも桃実はそれでいいのか…? 正式に恋人なんだし、もう少しロマンティックでも、と願うのは親友としての思いやりもあった。

 

 仕方ない。ここは少しだけ援護射撃してやるか。

 

「お嬢ちゃん。ちょっといいかい?」

「………?」

 

 桃実には聞こえないように思いっきり耳に顔を近付け、ひそひそと話し掛ける。

 

「あのな、桃実お姉ちゃんはお嬢ちゃんと二人で踊りたいと思ってるらしい。だから少しの間だけでいいから、パーシヴァルを私に託してくれないかい?」

 

 尋ね返すお嬢ちゃんも私に倣って耳打ちするものだから、息が当たって耳がこそばゆい。

 

「桃実…喜ぶ?」

「もちろん。お嬢ちゃんはどうだい? 桃実お姉ちゃんと二人で踊ってみたいと思わないか? きっと楽しいぞ」

 

 迷う瞳が、あらん限りのあどけなさを伴って桃実を見上げその顔を覗き込む。よし、もう一押しだな。

 

「せっかくなんだ。恋人同士、楽しんでおいで」

「ッ………」

 

 そう言うと、お嬢ちゃんはピクンッと身体を震わせてからサッと頬を赤らめ俯いてしまった。ちょっとやり過ぎてしまったかもしれない。

 

「ちょっと要! あんた籠女に何言ったのよ? 顔真っ赤じゃない。もう…」

「いや、私は良かれと思ってだな…」

 

 たじろぐ私、それに詰め寄ろうとした桃実の足が不意に止まる。見るとお嬢ちゃんが華奢な手でキュッと袖口を掴んで桃実を引き留めていた。

 

「パーシヴァル…お留守番。要さん…お願い…」

 

 両手でズイッと差し出されたパーシヴァルを受け取り、桃実にウィンクを一つ。桃実は私がどんなことを言ったのかだいたい想像がついたらしく、お嬢ちゃんに負けず頬を染めてそっぽを向いた。どうやら保護者としての責任感と、女の子としての嬉しさがせめぎ合っていたようだが、最終的には嬉しさが勝ったのか、小声で「ありがとう」とお礼を呟いた。

 

「やれやれ…。世話が焼ける。なぁ、パーシヴァル?」

 

 漆黒のつぶらな瞳で二人を見つめるクマを撫でると、もこもこした手触りが心地良い。少しだけ頭頂部を押すと、パーシヴァルは頷くように身体を傾けた。「おお、お前もそう思うか」とこっちを向かせて頷き合っていたら、遅れてやって来た天音が「何をしてるんだい?」といった感じで戸惑いながら話し掛けてきた。

 

「………。いや、なんでもない。忘れてくれ」

 

 流石に恥ずかしくなって咳払いで誤魔化しながら平静を装う。王子様がお人形遊びというのはイメージ戦略的にもちょっといただけない。視線の先では今まさに桃実とお嬢ちゃんが楽しく踊っている最中だった。

 

(なんだ、お嬢ちゃんしっかり踊れるんじゃないか)

 

 意外と、と言うと失礼かもしれないが桃実と踊る姿はなかなか()()()()()()()。お遊戯の延長線上みたいな感じかと思っていたからなおさら意外だった。

 

「これ、桃実から」

「助かるよ。ボクも喉が渇いてたから。………。ボクの顔に何か付いてるかい?」

「いや…」

 

 桃実はシュールだと言ったが、こうして見てる分には爽やかなCMのようにしか見えないし、別に牛乳を飲んでても変ではないと思うが…。まぁいいか。

 

「こういうの…なんかいいな。最初はエトワール選に利用出来れば、くらいに思ってたのに今は来年もやりたいと思ってる。エトワールになれたらぜひパワーアップさせて開催したいものだ」

 

 踊る桃実とお嬢ちゃん。それに周囲で踊る人。私たちにダンスを申し込んでくれた生徒たち。会場に溢れていた笑顔を思い浮かべしみじみと思う。こういった機会があれば、もしかしたら桃実とお嬢ちゃんのように結ばれる子たちも出てくるかもしれない。そうしたら二人も、もう少し気楽に恋人でいられるようになるだろう。

 

 ぼんやりしてたら桃実がこっちに向かって何か叫んでいることに気付いた。どうやらエトワール様がお戻りらしい。

 

「行こうか、要」

「ああ!」

 

 頷き合い立ち上がった我々は、桃実とお嬢ちゃん、それにパーシヴァルの3人に見送られて女王様の元へと歩き出した…。

 

 

 

 

 

<哀しき舞踏>…六条 深雪視点

 

 スピカの光莉さんから事態の顛末を聞いた私は、膝から崩れ落ちそうになるのをどうにかこうにか堪えながら、ダンスを踊る静馬の姿を見つめていた。我ながらよく泣き出さなかったなと思う。生徒会長としての誇りが支えとなっていたのか、静馬へ恋慕する想いがそうさせていたのかは定かではないが、とにかく私は気丈にも、しっかりと二本の足で立っていた。

 

 静馬が戻ってきたのは少し前のことだ。遅れた理由についても特に触れることはなく、ちょっと遅れただけと言って何食わぬ顔で踊る生徒たちの中へと紛れていった。その顔は至っていつも通りで、何かを隠しているようには見受けられなかった。

 

 これほどの行為をしでかしておきながら、よくもまぁ。

 

 ポーカーフェイスと言うには些か躊躇われる、ともすればややサイコパスな面と評さざるを得ないかもしれない。とにかく花園静馬という人間は、今こうして檀上から眺めていても平然としているように見えた。

 

 目を輝かせてダンスを申し込む女生徒を優しくエスコートし、優雅に舞うその姿は実に煌びやかというほかない。慈愛に満ちた笑みを浮かべるその顔は、思い通りの表情を映し出す仮初のモニターとしての役割を忠実にこなしているらしかった。

 

(そういうことだったのね、静馬)

 

 今更になってようやく、静馬の言った『さよなら』の意味を理解し━━━といっても朧気であって完璧にとは言い難いが、それでもその意味を知ってやり場のない無力感に苛まれた。もっと早く気付けていたら、こんな暴挙を許しはしなかったというのに。

 

(でも私は気付けなかった。だからこうして蚊帳の外にいるわけだけど、あれはあなたなりの、私に対する決別の言葉だったのね)

 

 知らず知らずのうちに握りしめた手がそのあまりの強さに震え、綺麗に切り揃えられた爪が手の肉に食い込んで、薄い三日月状の痕を残していた。

 

 静馬のいる場所とこの場所はたいして離れていないというのに、その間には鉄で作られたカーテンよりも分厚い何かが城壁のように立ち塞がって私たちを隔てている。そして彼女は笑うのだ。そのカーテンらしき物体の向こう側から。

 

 出来る事なら今すぐ傍に駆け寄って問い詰めたい。「なんで? どうして?」と疑問符ばかり並べた問い掛けをぶつけ、肩を揺さぶってしまいたい。けれどそうしたら、私はその後で静馬の胸に顔を埋めて泣いてしまうだろう。子供のように縋りつき静馬の顔を見上げる自分の幻影が見えたような気がした。

 

「今は夜々ちゃんが付き添って二人をいちご舎まで連れて行ってます。六条様もすぐに━━━━━━六条様? あの、どちらへ?」

「ちょっとやることがあるから少し待ってて」

「ろ、六条様…」

「ごめんなさい。なるべく急ぐから許して頂戴」

 

 私は壇上から降りると、真っすぐに静馬の元へと歩いていった。そこでは丁度、静馬にダンス勝負を挑もうとするスピカの要さんがギャラリーを煽っている最中で、初めのうちはそれに多少なりとも乗り気な様子を見せていた静馬も、私の姿が見えるや否や、要さんから視線を逸らし私だけを見据えて待ち構えていた。

 

「どいてもらえるかしら。その人とは私が踊るの」

「六条会長、静馬様に先に声を掛けたのは私ですよ。困るなぁ、順番は守っていただかないと」

 

 おどけた態度の道化師役に、もう一度だけ「どきなさい」と告げ有無を言わさず静馬の前に立つと、勢いに気圧されたのか後ろへと退いた。だけど私にはもう一人、どかさなければならない人物がいる。目の前で静馬に抱き着いたままの自分の幻影。今も泣いているそれを掻き消すように私はもう一歩踏み出した。

 

「お相手願えるかしら、エトワール様」

「ええ、いいわよ」

 

 応じた手を取りその甲に軽く口付けをすると、恭しく一礼して手を手繰り寄せた。

 

「どういうつもり? まさかあなたがリードするというの?」

 

 静馬が構えるよりも先に男性役としての姿勢を取った私に静馬が疑問を投げ掛ける。

 

「そうよ。たまには気分転換も良いかと思って」

「………。そうね。たまにはいいかもしれないわね」

 

 左手を伸ばして静馬を迎え入れた私の足元で、オロオロと戸惑っていた幻影は跡形もなく四散していた…。

 

「あなたのリードで踊るのは初めてね」

「なんでだか分かる?」

「さぁ? なんでかしらね。考えたこともなかったわ」

花園家のご令嬢に恥を掻かせないためよ

「ぷっ、くふふふふ。真剣な顔して冗談言うから笑ってしまったじゃない。玉青さんに稽古をつけている時に見させてもらったけど、あれなら千華留の方がずっと上手いわよ。六条家のご令嬢さん?」

 

 

――――――――

 

―――――

 

――…

 

 

 別に誰かに優劣をつけてもらう必要はなかった。最悪、私と静馬の間でだけ分かればそれでよかったのだ。実際、一般の生徒たちは私たちの踊りを見てもどう評していいのか分かっていなかったと思う。いくら教養のためにダンスを学ぶと言っても、私たちと彼女たちでは求められるラインに大きな線引きがあったのだから。上辺だけの「素敵」とか「カッコいい」といった黄色い歓声が飛び交う中で、スピカの王子様二人組や千華留さん、そういったほんの一握りの者たちだけがえらく真剣な眼差しで私たちを見つめていた。もしそのことに気付いたら、きっと浮かれた生徒たちは温度差みたいなものにさぞや驚いたことだろう。

 

 たしかに事態は既に手遅れで、私は当事者になれなかったけれど、これは私なりの静馬への復讐で。単にダンスがあなたより上手いですってことを示すためじゃなくて、かといって嫌いになったと突き放すつもりなんて全然なくて。私を見て欲しかったという悔しさと、相変わらず『あなたを愛している』という想いがごちゃ混ぜになった、そんな複雑な心境。

 

「深雪、あなた…泣いてるの?」

 

 踊り終わった後に掛けられた声は、予想と違って優しい声色の旋律だった。 

 

「泣いてない」

「でも…」

「泣いてないわ。それよりもどうだった? 私はダンスが上手いのよ。あなたにだって負けないくらい、いいえ、あなたよりずっと

「そうね。上手だったわ。惚れ惚れするくらいにね。それは認めてあげる。でも…私の本性はもう分かったでしょう? いい加減に諦めなさい」

 

 くるりと踵を返して向けられた背中が私の呟いた「静馬…」と呼ぶ声を拒絶して、跳ね返された声は歓声に溶けて消滅した。

 

「待たせてごめんなさい。行きましょう光莉さん」

「は、はい…」

 

 

 

 

 

<周回遅れのサプライズ>…蒼井 渚砂視点

 

「もうちょっとで着くからね」

「はい…」

 

 夜々さんに制服を着せてもらい、さらにその上から毛布で身体をくるんだ玉青ちゃんの身体を支えながらアストラエアの丘を歩く。その顔は血の気が引いていて真っ青で、足取りにしたってヨタヨタと覚束なく時折引き摺るようにしていた。大丈夫なわけなんてない。だから「大丈夫?」って聞くことさえ出来ず、ようやく掛けてあげられた言葉は

誰にでも分かる事実を伝えるだけのありきたりなものだった。

 

 ちょっと歩いては立ち止まり。また歩いては立ち止まりの繰り返し。普段ならすぐに着いてしまう距離が、今はもどかしく感じられる。いちご舎に着きさえすれば、シャワーを浴びて、着替えて、あったかい飲み物を飲んで、それからフカフカのベッドで休めるのに…。身体を支えて歩くことしか出来ない無力な自分が嫌いになってしまいそうだった。

 

 結局いちご舎に到着するまで普段の3倍くらい━━━ううん、もっとかも。とにかく永遠に思えるくらい長い時間を掛けて私たちはいちご舎に着いた。そして玄関に入ってすぐのところで、走ってきた光莉さんと六条様と遭遇し、談話室で一度休憩することになったのである。

 

(こんなとこにいないで一秒でも早くお部屋に戻った方が良いんじゃないかな)

 

 当然そう思って伝えはしたんだけど、玉青ちゃん自身がそれを望んだこともあってそうなった次第だ。

 

(どうして戻りたくないんだろう。あそこは私と玉青ちゃんの…二人の家も同然なのに)

 

 ぼさっと突っ立っているのは性に合わないし、なにより玉青ちゃんのために何か一つでもしてあげたかったから、部屋に戻って紅茶を━━━といってもパックのやつだけど淹れて引き返すと、談話室にはなぜか六条様の姿はなくみんな不安そうに俯いていた。その陰鬱な雰囲気はせっかく淹れた紅茶が冷めてしまいそうなほどで、私はそれを振り払いたくて無理にでも明るい声を出した。

 

「玉青ちゃん、良かったら飲んで。玉青ちゃんが淹れてくれるお茶ほど美味しくはないけど」

「ありがとう渚砂ちゃん」

 

 そこへ六条様が戻ってきて私たちをぐるりと見渡すと、突然とんでもないことを言い出した。

 

「玉青さん。私の部屋の向かいの部屋を用意したわ。そっちへ行きましょう」

「………。はい…」

「えっ? あ、ちょ、ちょっと待ってください。どうして玉青ちゃんを違う部屋に連れて行くんですか? お部屋なら私たちのがあるのに…」

 

 私を見る六条様の目はとても申し訳なさそうで、そしてそれは夜々さんや光莉さんも同じだった。

 

「なんで…みんなそんな顔をするの? だって私と玉青ちゃんはずっと同じ部屋で」

「どうする、玉青さん? 決めるのはあなただけど…」

「私は………………。ごめんなさい渚砂ちゃん」

 

 長い沈黙の後、返ってきた答えは私の望んだものではなかったのに、みんなはそれを初めから分かっていたかのような顔で受け止めた。無言で立ち上がり、そのまま六条様の後についていこうとした玉青ちゃんの背中が遠ざかる。

 

「待ってよ玉青ちゃん! なんで? なんでそっちを選ぶの?」

「渚砂ちゃん…」

「他のみんなもそうだよ。どうして玉青ちゃんを止めてくれないの? 玉青ちゃんは私の…」

「渚砂さん! もう…その辺で」

 

 私と玉青ちゃんの間に割って入ってきた夜々さんが、私を落ち着かせようと肩を掴んで押し留めながらそう言った。けど私はもう我慢出来なくて…。

 

「私じゃなきゃダメなんです。私の役目なんです。理由だって…ちゃんと…あり…ます」

 

 必然的に集まる視線を真っ向から跳ね返すつもりで、私は僅かに震える声で話し出した。

 

「私たち…お付き合い…してて、玉青ちゃんは私の恋人なんです。突然こんなこと言い出して何を言ってるんだって思うかもしれないけど、本当なんです。だから…玉青ちゃんのお世話は…私がやります」

「渚砂さん…あなた………」

「お願いします。一生懸命頑張ります。これからは玉青ちゃんよりも早く起きて、自分で髪をセットして、玉青ちゃんの着替えを手伝って…。それから、それからえっと………宿題だって自分の力でやるし、他の事だって。とにかく玉青ちゃんの傍にいたいんです。だから…私から玉青ちゃんを取り上げないでください。お願いします」

 

 六条様に向かって頭を下げた。精一杯想いを伝えながら何度も何度も。ギュッて握りしめたスカートがクシャクシャになるのも構わず、頭を下げ続けた。

 

「渚砂ちゃんやめてください…。渚砂ちゃんにそんなことされたら、私、どうしていいか分からなくなっちゃいますから」

「どうしても何も、一緒に部屋に戻ろうよ、ね? 玉青ちゃんだって本当はその方が…」

「違います。私からお願いしたんです。渚砂ちゃんが部屋に戻ってすぐに、六条様に」

 

 顔を覆った玉青ちゃんの表情はよく見えなかった。けど、声が上擦ってひっくり返っていたから、たぶん泣いていたんだと思った。

 

「なん…で? そんなことを言ったの? ねぇ玉青ちゃん…」

「渚砂さんには悪いけれど、他の生徒が戻ってこないうちに色々と済ませた方がいいわ。だから…」

「すみません、ご迷惑をお掛けします」

 

 このままじゃ玉青ちゃんと離れ離れになっちゃう。私は再び遠ざかっていく背中に向けて必死に手を伸ばした。

 

「ま、待ってよ玉青ちゃん。私、玉青ちゃんが好き。たしかに静馬様は素敵だし、ドキッとしたこともある。でも私は玉青ちゃんが好きなの。私が一番好きなのは、静馬様じゃない! 玉青ちゃんだよっ!! だから………私と一緒にいてよ。玉青ちゃんがいない寮生活なんて…考えられないよ」

「ッ………。う……、ぐす、ひっ……う、うう~~~」

 

 足を止めた玉青ちゃんの肩がフルフルと震えていた。声を我慢して、息を激しく吸い上げるようにしながら玉青ちゃんは泣いていた。

 

「そんなの…私だって同じに決まってるじゃないですか。私だって…私だって渚砂ちゃんが好きです。大好きです。でも、好きだから…渚砂ちゃんが好きだからこうしなきゃいけないんです。だって、だってッ!! あんな事があって渚砂ちゃんと一緒に居られるわけ………ないじゃ…ないですか。辛いんです。渚砂ちゃんの顔を見るのが。怖くなっちゃうんです。渚砂ちゃんの声を聞くと。嫌なの…渚砂ちゃんの目に触れるのが。こんな穢された私を、渚砂ちゃんに見られたく…ない」

「玉青ちゃ…」

 

 ふらふらと駆け寄ろうとした足がもつれて床にペシャンッと崩れ落ちた。

 

「渚砂さん、今は玉青さんを一人にしてあげましょう? そうじゃないと、二人とも傷付くだけだよ」

「夜々さん…。でも、でも…」

 

 傍にいた夜々さんに助け起こされながら、私はまだ諦めきれなくて━━━。

 

「やだ…。やだよ。やだっ! やだやだやだッ!! 私、私…玉青ちゃんと一緒がいい。一緒が………いいよ」

 

 辛いのは玉青ちゃんの方のはずなのに、子供みたいに駄々を捏ねて泣き叫んだのは私だけだった。

 

「大丈夫ですよ渚砂ちゃん。少しの間だけですから。少ししたら元気になって、全部元通りになりますから。だから、それまでの間…ちょっとだけ………さようなら、渚砂ちゃん

 

 

 

 

 

 

 

<慟哭>…涼水 玉青視点

 

 パタンと扉が閉まるなり、私は壁に寄り掛かるとそのままズルズル滑るように床へとへたり込んだ。必死だった。一生懸命だった。少しでも渚砂ちゃんを心配させないようにするために、限界ギリギリまで頑張った。だからその反動で力が抜けた私はそうする以外に何も出来なかった。

 

「よく…耐えたわね。あなたにはいつも驚かされるわ」

「六条様、私…」

「最後の笑顔、きっと渚砂さんは安心したはずよ」

 

 それはたぶんお世辞で、やっぱり渚砂ちゃんにはたくさん心配させちゃったんだろうけど、それでもそう言って貰えたことで私自身が少しだけ安心して…。頑張りが認められたんだ、って気持ちになって、軽くなった心が浮いた分だけ、流れ込む水みたいに感情が溢れ出すともう抑えきれなくて…。

 

 気付けば六条様に抱き着いて泣いてる自分がいた。

 

「私、私…静馬様に、静馬様にッ!!」

「もういいのよ、好きなだけ泣いても」

「初めてだったんです。私…本当に誰かを好きになったの、渚砂ちゃんが…初めてで。なのに…、なのに静馬様が…私を…無理矢理」

「ごめんなさい。本当に…ごめんなさい玉青さん」

「う、ううっ。渚砂ちゃんが…好き。好き。渚砂ちゃんが………大好き。渚砂ちゃん…渚砂ちゃん…渚砂ちゃん。ぅ~~~、ぁああああああああああああああ」

 

 最愛の人と引き裂かれた私の慟哭が、アストラエアの丘に響き渡った…。

 

 

 

 

 

 

~~~次章へ続く~~~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




■後書き

 スピカのお話もう少し早く入れてもよかったかもですね。平和なダンスパーティの裏では悲劇が…みたいなのをやりたかったんですけど、雰囲気が逆に浮いてしまったかも? まぁ清涼剤になってくれたら…。

 アニメでは天音と光莉を邪魔する役回りだった剣城要と鬼屋敷桃実ですが、この作品の中では一貫して良い人してます。要はちょっとニヒルで自信過剰だけど優しくて思いやりのある王子様。桃実は年下の籠女を気遣う保護者的な面や、親友である要を支える感じに。たぶん、結構気に入ってたんでしょうね。アニメで『狂言回し』としての役を担いながらもなんか抗って成長しちゃったみたいなところがなんか、琴線に触れたというか…。なんだかんで最終的にはやり直し出来た二人って結構大人だったなって。


 さてさて、スピカの話を除くと今回も非常に陰鬱としたお話になりました。とくに後半の渚砂玉青の視点を書く際にはキーボードをググ~~~~ッと握りしめながら書いてて、ちょっと壊しそうになったくらいです。
 
 ダンスパーティ編は今回で最後ですが、まだ続きますのでもしよかったら次章も読んでいただけると嬉しいです。というかここで終わるとバッドエンドになっちゃいますからね。それでは~。




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メイン4 運命の全校集会編
第30章「噂って怖いわね。まるで生き物みたい」


■あらすじ
 静馬の残した爪痕は大きく、関わった少女たちの心に深い傷を残していた。別々の部屋での生活となった玉青と渚砂。心配する声はドア越しにしか伝えられなくて…。
 偶然によって引き起こされた新たな試練が、乙女たちに降りかかる。

■目次

<行ってきます>…蒼井 渚砂視点
<気になる噂>…六条 深雪視点
<飛び火>…蒼井 渚砂視点
<炎上>…六条 深雪視点


<行ってきます>…蒼井 渚砂視点

 

 片手に持ったお皿を落とさないように気をつけながらコンコンッとノックして少し待つと、扉の向こう側で人の動く気配がした。

 

「おはよう、玉青ちゃん。朝食の時姿が見えなかったからきちゃった。調子はどう?」

<<おはようございます渚砂ちゃん。その…体調が優れなくて…。今日も学校はお休みしようと思います>>

 

 ダンスパーティーから数日。玉青ちゃんは体調不良を理由に欠席を続けている。部屋はまだ六条様の向かいの部屋を借りたままで、あれ以来私は玉青ちゃんの顔を見ていない。お世話をしてる六条様は出入りしているみたいだけど、私とはこうしてドア越しに会話するのが、いつの間にかルールのようになっていた。

 

「あのね、お願いしてサンドイッチを作ってもらったの。ご飯まだでしょ? ちゃんと食べないと元気出ないよ」

<<ありがとう。じゃあ扉の前に―――>>

「ねぇ、入っちゃ…ダメ…かな。お皿置くだけでいいから…」

 

 なるべく言わないように我慢していた言葉を口にすると、扉の向こうで息を呑むようなそんな間があって、それまでのなんでもない日常から、重苦しい雰囲気へと変わったのを感じた。カレンダーの上ではたしかに数日のことかもしれないけど、私にとってはもっともっと長い―――それこそ数十日くらいに感じられる日々。私なりに我慢したつもりだったのに、これでもまだ早かったのかな?

 

 懇願するように、若しくは諭すようにもう一度問い掛けた。

 

「玉青ちゃん。カギ…開けてよ」

<<ごめんなさい。サンドイッチは扉の前に置いておいて下さい>>

「玉青ち―――」

<<ああ、そうだ。今日は体育がある日でしたね。きっと渚砂ちゃんはお昼までにお腹ペコペコになっちゃうでしょうから、もしよかったらサンドイッチ…持っていってください>>

 

 私を気遣うような明るい声。無理して出してるのはバレバレで、聞いてる私の気持ちがシュンとしちゃうほどに苦しそうだった。なのに玉青ちゃんは喋るのをやめなくて、私の数学のミニテストの心配とかそんなことばかりをまだ扉越しに言い続けている。私にだって分かる。こうなっちゃったらダメだ。一度こうなったら玉青ちゃんは絶対に心の扉を開いてはくれない。

 

 ノックしようとした手を途中で引っ込め、行き場を失ったそれをグ~ッと握りしめながら、決まり文句を口にした。

 

「私、そろそろ行くね。玉青ちゃんとお話し出来てよかった」

 

 私がそう告げると玉青ちゃんはどこかホッとした様子で息を吐いた。早口で喋るのもやめて、少しだけ落ち着いた玉青ちゃんに戻る。毎日がこんな感じだった。今日は部屋に入りたいと言ってしまったけど、そうじゃなくてもだいたいこんな空気で会話が終わる。すごく嫌だった。だって玉青ちゃんは私との会話が早く終わることをいつも望んでいたから。

 

 それでもこうして話をしにくるのは、こうでもしないと二人の距離がどんどん離れていってしまうからで、玉青ちゃんとの関係がなかったことになるのが、私はもっと嫌だった。

 

「明日から夏服だね。そしたら一緒に夏服着て学校行こうね玉青ちゃん。それじゃあまた明日」

<<はい、また明日>>

 

 廊下を歩き出してすぐ、なんだか玉青ちゃんが扉の隙間から顔を覗かせているような気がして振り返ったけど、やっぱり私の思い違いで扉は閉ざされたままだった。

 

 自分の部屋に戻り一人でする学校の支度。しっかりしてなきゃ玉青ちゃんに嫌われると思い、早起きしたりするのにも少し慣れた。ちょっぴり誇らしげに胸を張っているように見える目覚まし時計を撫で、自分が持っていくことにしたサンドイッチをラップの上からさらに袋を被せつつ慎重にカバンに入れる。うん、これなら潰れないと思う。

 

「行ってきます」

 

 おかえりもただいまも消え去ってしまった部屋に、私の声が虚しく木霊した。

 

 

 

 

 以前に玉青ちゃんが言っていた。一人で登校するのはとても寂しいことだと。周りの子たちがキラキラ輝いて見えて、羨ましくなるのだと。今の私にはそれが理解出来る。いつもと同じ道、同じ風景。踏んでる地面の感触も、時折吹く風の匂いもいつもと変わらないはずなのに…全てが違って感じられた。

 

 それはそうだろう。だって私がこの丘に来た次の日には、もう玉青ちゃんが隣にいて、お喋りしながら登校していたのだから。

 

(早く着かないかな。教室に入ったらこの寂しさも少しは忘れられるのに)

 

 暑くなってきた日差しを手で遮りながら、一秒でも早く寂しさから逃げ出したくて、冬服の―――鬱陶しい長い丈のスカートを翻しつつ私はミアトルへの道を駆けて行った。

 

 

 

 

 

 

<気になる噂>…六条 深雪視点

 

「入るわよ、玉青さん」

 

 自分の部屋から出てすぐ向かいの部屋。今は傷付いた少女が羽を休めるための場所となったそこへ、私はカギを差し込み入っていった。入ると既にカーテンが束ねられた窓からは、この季節にしては強い日差しが燦々と降り注いでいて、いかにも気持ちよさそうな陽だまりが大きく口を開けていた。

 

「おはようございます、六条様」

 

 こちらの方は振り向かず声だけでそう挨拶した玉青さんは、ベッドに腰掛けたままぼんやりと外を眺めていた。芯の強い印象はすっかりと抜け落ち、繊細で儚げな様子。以前からもそうした要素はあったものの、私が思い浮かべる玉青さんの姿とはかけ離れており、例の事件の前と後では別人のように見えた。

 

 やはり渚砂さんと別の部屋にして正解だったようだ。

 

 ここは本来であれば上級生や生徒会役員向けの一人部屋だが、玉青さんについては次期生徒会長ということもあり、すんなりと使用許可が出たのは不幸中の幸いだったかもしれない。

 

「後で朝食を持ってくるわ。何か必要なものはある? 言ってくれればその時に持ってくるけど」

「いえ、大丈夫です。六条様がよくしてくださったおかげで不自由はありません」

「そう…」

 

 なるべく事務的に応対し、頼られるまでは彼女のテリトリーに踏み込まない。これが私が心掛けている玉青さんと接する時のルールだ。誰だってそっとされたい時はある。誰にも邪魔されず、時間が経つことだけをひたすらに願うそんな日々が…。玉青さんは今がまさにその時だろう。静馬のおぞましい行為によって深刻な傷を負った彼女を、私は守らなければならない。それは生徒会長として、玉青さんの友人として、なにより静馬を止められなかった不甲斐ない女としての、私に課せられた責務と言えた。

 

「渚砂ちゃんが来ました。寮母さんにお願いしてサンドイッチを持ってきてくれたんです。なのに私はそれを追い返して…。最低ですよね私。渚砂ちゃんは悪気なんてなくて、それどころか私を気遣ってくれているのに。でも安心したんです。ああ、これで今日はもう渚沙ちゃんと話さなくても済むかもしれないって」

「玉青さん…」

「嫌ってくれればよかった。穢らわしいと拒絶してくれればいくらか楽だったのに…」

(お互いを想い合っていることが足枷になるなんて…。この丘の女神様も存外いじわるね)

 

 私と静馬のように関係がこじれているなら分かるが、この仕打ちはあまりにも残酷過ぎて、私は初めてアストラエアの女神を恨みたくなった。

 

(どうしてこの子たちがこんな目に)

 

 私には二人がマフィアか何かが行う残虐なショーの登場人物のように思えてしまう。後ろには銃を構えた兵隊がいて太った親玉が叫ぶのだ。どちらか一人だけ助けてやる、愛しているなら自分の首に掛けられたロープを絞めて見せろ、と。彼女たちはその言葉を信じ、我先に首を絞めようと手に力を込めるのだ。自分の身も顧みずに…。

 

(静馬。あなたはこんな二人を見ても、間違っていなかったと言うの。もしそうなら、あなたは本当に悪魔に堕ちてしまったのね)

 

 

 

――――――――――

 

―――――――

 

――――…

 

 

 

「おはよう六条さん」

「えっ? ええ、おはよう」

 

 一体何なのだろう。今日はやたらと声を掛けられる気がする。もちろん朝の挨拶は礼儀として正しい事なのだけれど、普段は挨拶しないような生徒までがなぜだか声を掛けてくると、警戒してしまう。

 

(何かあったのかしら?)

 

 思い当たる節はこれといってない。私の知らないうちに朝の挨拶奨励運動でも始まったのか、と思ったがすぐに「くだらない」と頭の中から取り消した。別に挨拶されたくらいで何だと言うのか。色々考えなければならないことだらけの今、この程度のことで一々悩んでいる暇はないのだ。

 

 その後もやけに投げ掛けられる挨拶をしっかりと返しながら教室に辿り着くと、私を見つめる無数の視線が身体に纏わりついた。さすがにおかしいと思いつつ、クラスメイト達からのいくつもの『おはよう』のトンネルをくぐり抜け、その横を通り過ぎた後に不思議な事が起きた。何人かの級友が私の方を見ながら、こそっと耳打ちしあったのである。

 

 何を言ってるのかは聞こえず、しかし私が視線を向けると、彼女たちは申し訳なさそうな顔を浮かべた後スッと顔を逸らしていくのがなんだか気味悪かった。

 

(本当に何なのかしら。寝ぐせでも付いてる? それとも制服が乱れてる? ううん、そんな感じではなかったわ)

 

 周囲の視線を気にしながら自分の席へ行くと、後ろの座席の静馬が、

 

「寝ぐせでもない。制服の乱れでもない。だったら何が原因なのかしらね」

 

 と私の頭の中を覗き見たかのようにピタリと思考を言い当てた。何か知っているのか尋ね返しても、「楽しい事が起きている」の一点張り。教えるつもりは全くないらしい。

 

 結局、理由が分からないまま数コマの授業を終えた私は、親しい生徒会のメンバーに真相を聞く羽目になった。

 

「私、何か噂されているみたいなんだけど、理由を知らないかしら?」

「えっと…それは………」

「言って頂戴。このままじゃ気になって生活に支障が出るわ」

「分かりました。私もあくまで流れている噂の範囲でしか知らないのですが―――」

 

 情報が正確かどうかは保証できないと前置きしつつ教えてくれた噂の内容に、私はただ驚くしかなかった。

 

「私が…玉青さんを?」

「はい。単にお気に入りだっていうものから、交際しているというものまで噂は様々ですが、とにかく六条会長と玉青さんとの仲に関する噂が飛び交っています」

「どうしてそんな噂が…」

「教えてあげましょうか?」

 

 聞きなれた声に振り向くと、そこには腕を組んで佇む静馬の姿があった。静馬は顎をクイッと動かす動作一つで話を聞いていた生徒会のメンバーをその場から立ち去らせると、満足そうに微笑んだ。

 

「どういう風の吹き回し? さっきは何も教えてくれなかったくせに」

「教室だと話しづらかったのよ。ただそれだけ」

「もしかしてあなたが仕組んだの?」

 

 それならそれで納得のいくような気はした。理由は例えば、私と玉青さんが慌てふためく姿が見たいとかそんなところだろうか。

 

「さぁ、どうかしらね? とりあえず私の話を聞いてみたら?」

 

 肝心な部分をはぐらかしつつ話し始めた静馬によれば、噂は私と玉青さんの仲についてのもので間違いないとのこと。噂が流れた理由についてはいくつかあるが、その中でも有力なものとしては、1つ目は私が玉青さんを次期生徒会長に抜擢したこと。2つ目はダンスパーティで多くの生徒が玉青さんの魅力に気付いたということ。3つ目はダンスパーティの後で玉青さんの部屋を私の向かいの部屋へと移動させたこと、だそうだ。他にも事実とは違うが、ダンスの代表に玉青さんが選ばれたのは私が強く推挙したからなど、尾ひれがついて様々な理由が存在していた。

 

 とりあえず玉青さんの部屋を移した本当の理由はバレていないことに、私はホッとした。

 

「本当にあなたは関与してないのね?」

「疑い深いのね。まぁ私の行動を鑑みればそれも仕方のないことかもしれないけど」

 

 列挙された理由の数々についてはある程度納得いくものがあり、後で裏付けを取るにしても静馬が噂の発生源ではないらしいことは、なんだか信用できる気がした。

 

「皮肉なものよね。あの子が優秀でなければ、こんな噂は流れなかったはずなのに」

「どういうこと?」

「理由の一つに挙げたでしょ? みんなが玉青さんの魅力を知ったって。まだ分からない? みんなが認めてしまったのよ。涼水玉青は()()六条深雪の隣にいても見劣りしないと。 そういった華やかさを持ち合わせていると。もし仮にあの子が無様な姿を晒していたら、誰もこんな噂を信じはしないわ。釣り合うと思われたからこその噂なのよ」

「でも、私には婚約者がいるわ。認めたくはないけど…事実として」

「だからこそ…よ。婚約者のいるあなたが選ぶ以上は、そこら辺の子を選ぶはずがないとみんな思っているわけ。あとは…そうね。今まで浮いた話一つなかったお堅い生徒会長様に突然降って湧いた気になる子の存在。みんな好きなのよ…スキャンダルがね」

「馬鹿げてるわ、そんなの。でもそれならすぐに落ち着くはずよ。何日か我慢すればみんな忘れてるわ」

「………。そうだといいわね」

 

 

 

―*―*―*―*―

 

 

 

 その日の夕方、千華留さんが私の部屋を訪ねてきた。それも話したいことがあると自作の―――新たに立ち上げたシュークリーム同好会で作ったというシュークリームを手土産にだ。美味しそうなシュークリームが入った手提げ付きの紙の箱も手作りなところが、何事も楽しくという彼女のポリシーを強く感じさせる。

 

「大したものね。こんなものまで作れるなんて」

「ふふふ、ありがとう♪ それで早速で悪いんだけど、『噂』…についてなの」

「相変わらず耳が早いのね」

「秘密部の部長だもの。当然よ♪」

 

 そう言ってのける千華留さんに心の中でもう一度、大したものね、と賛辞を送る。もちろん、お菓子作りの腕前の話ではなく彼女の情報網のことだ。けれど驚きはしない。なぜなら千華留さんは、私が相談を持ち掛けるよりも早く()()()()()についても知っていたのだから。それに比べればいくら『噂』がまだミアトルで広まり出した段階とはいえ、知っていてもたしかに当然に思えた。

 

「単刀直入に言うわ。早めに手を打っておいた方がいいわよ」

 

 千華留さんにしては珍しく、その声色に茶目っ気がないことから、彼女の真剣さがひしひしと伝わってきた。

 

「静馬もなんだか変な感じだったわ。あっちは楽しそうではあったけど」

 

 普段とは逆にこちらが少し冗談交じりに答えると、千華留さんは首を横に振って改めて話し出した。いつもとあべこべな感じがしてなんだか無性に可笑しかったが、笑えるような雰囲気ではなかった。

 

「玉青さん、まだ学校へ行っていないんでしょう? だったら好都合よ。彼女が学校へ行き始める前に、噂を断ち切るべきよ」

「そうね。静馬の事で受けた傷も癒えないままに、今度は私との噂が飛び交っているのを耳にしたら、傷付くものね」

「違うの。そうではないのよ。不確かなもので申し訳ないけど女の勘………っていうのかしら。とにかく早い方がいいわ。のんびりしてたら静馬が余計な横槍を入れてくるかもしれないし」

 

 この時の私は「分かった」と言いつつも、どこか楽観的にこの『噂』を考えていた。けれど事態は私にとって予想外の発展を見せるのだった。

 

 

 

 

<飛び火>…蒼井 渚砂視点

 

「ねぇ、あなた…涼水玉青さんのルームメイトだった子よね?」

 

 夏服に切り替わって2日ほど経ったある日のこと。顔を知らない上級生たちに突然廊下で呼び止められ、いきなりそう尋ねられた。

 

「そう…ですけど。あの…」

 

 理由を尋ね返そうとするより早く、上級生たちは「やっぱりそうだ」と予想が当たったことにはしゃぎ出し、私そっちのけで盛り上がり始めた。上級生たちは私より背が高いし、私は一人なのに向こうは複数人だったのもあって、なかなか話を切り出せずまごついてしまう。

 

 こんな時に玉青ちゃんがいたら、という考えに、しっかりしなきゃ、という思いが反発するものの、それでもやっぱり上級生に囲まれて怖いという感情が前面に出て、オロオロするばかり。心の中では、この上級生たちあまり感じがよくないな、と言いたい気持ちが膨らむのだけど、それを実行に移せなくてもやもやが溜まっていった。

 

「ちょっと教えて欲しいんだけどさ、六条様が玉青さんを別の部屋に移したって本当?」

 

 一瞬、玉青ちゃんのされたことが知られてしまったのかと心臓が止まりそうになったが、彼女たちはどうやら『例の噂』について聞きたいみたいだった。

 

「あなたのルームメイトだったんでしょ?」「そこを六条様が強引に別の部屋に移した。これであってる?」

「ええと…」

 

 『噂』については私も耳にしていた。上級生たちから少し遅れる形で入ってきたそれは、当然私たち4年生の間でも瞬く間に広まりあちらこちらでヒソヒソ話が繰り広げられていたのである。当の玉青ちゃんが学校を休んでいるのもあり、ルームメイト()()()私に話を聞こうとする生徒たちもいた。

 

「たしかに六条様が関わっているのは事実ですけど、強引だとかそういうのは一切…」

「え~? でも実際玉青さんはあなたのとこから出て行ったんでしょ?」「もしかして仲悪かったの?」

(なんなんだろうこの人たち。いきなり呼び止めたかと思えば好き勝手言って。私と玉青ちゃんが仲悪いわけないのに…)

 

 ミアトル生らしからぬ品の悪さに嫌気がさし、教室へ戻ろうと会釈して横を通り抜けようとしたその時だ。ガシッと腕を掴まれ、話の途中なのに失礼だと再び取り囲まれてしまった。

 

「もう少しいいじゃない。休み時間まだあるんだしさ」「それで、どうなの?」「玉青さんは六条様にお呼ばれして喜んでた?」

「た、玉青ちゃんは生徒会のお仕事の勉強のために一時的に部屋を移ってるだけで…」

 

 六条様に教えられた言い訳を口にすると、上級生の一人がやたらと甲高い声を上げた。

 

「ねぇねぇ今の聞いた? 『ちゃん』だってさ」「可愛い~~~」「ねっ? 可愛いよね?」「いかにも()()()って感じする」

 

 口々に揶揄するようなことを言い合う彼女たち。私がやめてと言っても取り合ってくれず、なおも続く軽口に私はムキになって反論した。

 

「私と玉青ちゃんは特別な関係なんです。だから今噂になってることは…全部嘘で、みんな適当なこと言ってるだけです」

「そっか、特別な関係か~」「やめなよ、可哀想じゃん。きっとそういうの分からないんだよ」「あ~分かる。子供っぽいもんね、この子」

「ち、違います。本当です。玉青ちゃんは―――」

「お友達を六条様に取られてショックなんだよね~」「渚砂ちゃんかわいそ~」

 

 私がムキになればなるほど上級生たちは好奇心をくすぐられるのか、私を余計に子ども扱いしてからかうのを繰り返した。彼女たちにとって私は既に『可哀想な子』でしかなく、何をどう言おうが関係ないらしい。とうとう私は後先も考えず付き合っていると主張し出したけど、それさえも馬鹿にされて、いよいよ泣き出してしまった。

 

「私と…玉青ちゃんは…付き合って…るんです。ほんとです。ほんと…なのに………」

「あ~あ、泣かせちゃった」「え? 私のせい? ごめん、ごめん」「ほら、教室まで送ってあげるよ」

「触らないでッ!!」

 

 差し出してきた手をパチンと振り払い、私は一目散にトイレへと走っていって個室に籠った。

 

(好きで玉青ちゃんと離れ離れになったんじゃないもん。玉青ちゃんのためにそうしてるだけだもん。もう少ししたら玉青ちゃんは帰ってきてくれる。そしたらこんな惨めな思いしないで済むよね?)

 

 泣いてるのを知られたくなくて、何度も何度も音を出して誤魔化したけど、それも途中でやめて最後の方はひたすらに声を上げて泣いていた。

 

「玉青ちゃん…早く帰ってきて。私、寂しいよ、辛いよ、玉青ちゃん…」

 

 休み時間の終了を告げるチャイムの音に、個室を出た私の顔は、ひどいくらいに目が腫れていて、やつれていた。

 

 

 

 

 

<炎上>…六条 深雪視点

 

(まさか、噂がなくなるどころか勢いを増すだなんて)

 

 私とて無策だったわけではない。千華留さんのアドバイスに従い、生徒会の何人かに頼んで噂はデマであると広めてもらったり、私自ら率先して噂の打ち消しに励んだものの、その効果は乏しかった。悔やんでも仕方のないことだが悔やまずにはいられない。

 

(完全に私の見通しの甘さが原因ね。とんだ失態だわ。もっと千華留さんの言葉を真剣に受け止めていればこんなことには…)

 

 どうしたものかと途方に暮れながら廊下を歩いていると、おしゃべりに夢中で広がって歩く生徒の一団に出くわした。追い抜かしてさっさと先に行きたかったが通路が完全に塞がれていて抜かすことも出来ない。仕方なく追い越すのは諦め、注意しようとその集団に向かって声を掛けた。

 

「あなたたち。もう少しまとまって歩きなさい。廊下は生徒みんなのものよ」

 

 私としては、内容も、声も、いつも通りに注意した()()()だった。私の顔は知れ渡っていたし、普段ならそれで解決もするはずだったのだけど…。

 

 生徒たちは私の顔を見て最初は従う素振りを見せたのだが、グループのうちの一人が何か小声で話しかけると、途端にニヤニヤとした笑いを浮かべ私をジロジロと見出したのである。しかも再び廊下を塞ぎ―――文字通り立ちはだかるようにして前に立った。

 

「どういうつもり? 私の声が聞こえなかったの?」

「生徒会長さんってほんと規律とかそういうのお好きですよね~」

「…? ルールを守るのは当然でしょう」

「え~? そうですかぁ?」

 

 相手を不快にさせるための、わざとらしく語尾を上げる言い方が耳に付いた。私に突っかかる気満々といった様子に少なからず警戒心が働き、自然と身構えてしまう。

 

「何が言いたいの?」

「ご自分はお気に入りの4年生を向かいに部屋に囲っておいてそれはないんじゃないんですか?」「権力の私的利用ですよ、六条会長」「そうそう」

「なっ!? あなたたちいい加減にしなさいっ!」

 

 囲うですって? 交際しているとかならまだしもその下卑た言い回しに嫌悪感が込み上げた。

 

 よく見るとグループのうちの数人は日頃からあまり素行の良くない―――つまり私のような人間を煙たがる生徒たちだった。それだけなら私を敵視しての発言として、と思えなくもなかったが、私を批判した声にはそれ以外の生徒たちの声も混じっていて…。

 

 それは私にとって信じ難い恐怖する出来事と言えた。もし今のような言い回しの噂が広まっているのであれば、私に対するバッシングが巻き起こるのは時間の問題でしかないからだ。そしてそれは生徒会そのものへの信頼を損ねることにも繋がりかねない。コツコツと積み上げてきた実績が崩壊の危機を迎えるかもしれないという瀬戸際だった。

 

「事実…ですよねぇ? 部屋移ったのは」

「玉青さんは生徒会活動の一環で一時的に部屋を移っただけよ。あなたたちが言うような私個人の意思は介入してないわ」

「じゃあ証明出来るですか? それ?」

「それは…」

 

 出来るわけがない。そもそも『ない』ことを証明することは不可能に近いうえに、静馬の事件の隠蔽でしたことなのだ。背景を喋るなんて馬鹿な真似は自殺行為以外のなにものでもない。

 

「あなたたちの『ある』というものだって、証拠と言えるほど強い根拠はないはずよ」

「次期生徒会長に推薦して、ダンスの代表に選んで、部屋まで与えたのにですか?」「毎朝様子を見に行くなんて可愛がり過ぎですよ」

「くっ…」

 

 数で優位に立つ彼女たちは、私が口ごもるや否や絶好のチャンスと考えたのかさらに声を張り上げた。

 

「言い返せないってことはやっぱり()()なんだぁ~」「みんな幻滅するんじゃないですか?」「生徒会長の立場を利用するとか、怖~い」

 

 彼女たちの声に釣られ、通行人たちが何事かと足を止める。一人、また一人と増えていく見物客はいつしか大きな人垣となって私の逃げ道を塞いでいた。走って逃げるつもりはなかったが、その光景は心理的なプレッシャーを与えるには充分な異様さだった。

 

 廊下の窓際に押しやられた私を、絡んできたグループが囲い、さらにその外側を見物の生徒たちが取り囲むこの状況、静馬だったらどうやって打破しただろうか? 強引に相手を説き伏せるような振る舞いが苦手な私には、論理的に説得するしかないのだが、今回ばかりはそれが機能しない特殊なケースだった。

 

(でも、この子たちを放っておいたら確実に噂は捻じ曲げられていくわ。どうにかしないと…)

「みんなも気になってると思いますよ」「ねぇみんな~?」「いいじゃないですか、認めちゃえば」

 

 一人が取った音頭が周囲に波及し、この場の雰囲気全体がそういった空気へと染められていく。それはどこか―――オセロで挟まれた駒がパタパタッとひっくり返っていく姿に似ていた。頷き合う生徒たち、囁き合う数人組。みんなが私にYESを求めているような錯覚に、いや、実際にそうなのである。この一瞬、この状況における多数派は間違いなく彼女たちなのだから。

 

「私と…玉青さんの間には………何の関係もないわ」

 

 あまりにも心許ない、説明や根拠を欠いた主張の繰り返し。ギャラリーの失望が手に取るように分かる。「またそれか」とか「つまらない」といった声に出てない声が表情を通して伝わってきた。でもこれでいい。白けてしまえばいい。みんながつまらないと話題から遠ざかっていけばいつか忘れ去られてしまうはず…。現に数人の生徒がこの場を後にしようとする気配が見えていたから、間違ってはなかったのかもしれないが―――。

 

(これじゃ私の負けも同然ね。碌な反論も出来ず、こうして俯いているのだから)

「あらあら♪ なんだか賑やかね。今日はお祭りでもあるのかしら♪」

 

 そんな敗北感に打ちひしがれていた私の耳に届いたのは、あまりにも場違いな明るい声。神社の境内に屋台が出ていたのを偶然目撃したかのような呑気さで登場したのは千華留さんだった。

 

「どうしてここに…」

「ちょっと深雪さんに用事があったの。なんだか良いタイミングだったみたいね」

「ルリムの生徒会長…」「赤リボンの悪魔め」「悪いんだけど今は私たちが―――」

 

 邪魔をされたくないと考えたのかグループの子たちが口々に威嚇をするものの、千華留さんはそれらをまるで意に介さず悠然とこちらに近付いてきた。その堂々たる歩みにギャラリーたちは命じられるでもなく自ら道を開け、彼女のための専用通路を作り出していく。私の視点からは壁が自然と二つに裂けたような、そんな神秘的な光景だった。

 

「ふふふ、○○さんに××さんもお元気そうね♪ でも深雪さんは私の親友なの。虐めるのはやめてもらえる?」

 

 その声には疑問形なはずなのに、子供に言い聞かせるようなニュアンスが伴っていた。

 

「ふざけないでよ。あなた年下でしょ?」「や、やめといた方が―――」「うるさいなっ! もう昔の私たちとは違うんだ。誰がこんなやつに」

 

 ビビるものか、と言いたげに威勢よく指さしたものの、狼狽えているのは誰の目にも明らかだった。その態度の豹変ぶりに一緒にいた生徒たちの大半が首を傾げて不思議がる。かく言う私も事情は知らないため、どうしてこんな状況になっているのかはさっぱり理解出来ていない。

 

 ただ舞台の主役が千華留さんに移ったことはたしかで、もはや誰も私の噂を気にすることなく、この緊迫した状況の行く末を固唾を飲んで見守っていた。

 

「だいたい何様のつもりよ。いつまでも上から目線で―――」

「何って………そうねぇ、あなたたちの御主人様かしら♪」

「なッ!?」

 

 血の気の多い一人がなおも噛み付き、その返答に放たれた言葉にその場にいた大勢が唖然とする。こんなことを言えば、下手したら殴り合いが始まったっておかしくない。にも関わらず言ってのけた彼女の大胆さにみな舌を巻いたのだ。

 

「あんまり調子に乗らないでよ。静馬様の後ろ盾がなければあんたなんか」

「そう思うなら好きなようにすればいいわ。ほら? やってみなさいよ」

 

 かかってこいと言わんばかりに両腕を広げた千華留さんに、リーダー格の生徒が怖気づいた。もうこの時点で勝敗は決したようなものだが彼女は手を緩めずにさらに続けた。

 

「じゃれついてきたわりに意気地がないのね。せっかくだし()()()()()()()()()()()()()()()()

「ひっ…」「ねぇ、これ以上はまずいって」「私もそう思う」

 

 気付けばグループのうちの数人が千華留さんに向かい合っているだけで、他の大半は気まずそうに観客の一部になり果てていた。形勢不利を悟った友人たちも、突出した一人を宥める方向へと舵を切ったようだ。既に敗走する兵士と化した彼女たちは、分かりやすく「覚えてろ」と捨て台詞を吐くとそのままへ去っていき、後に残された集団の片割れもどうしていいか分からず戸惑いながら呆然と立ち尽くしていた。

 

「は~い♪ お祭りはこれにて終了よ。解散、かいさ~ん♪」

 

 千華留さんがそう言いながら手を叩くと、生徒たちは顔を見合わせながらも一人残らず退散し、廊下には私と千華留さんだけがポツリと残されていた。

 

「ありがとう千華留さん。でも…さっきのは」

「私が静馬と付き合い始めた頃に生意気だなんだって突っかかってきたの。だから一人ずつ呼び出して分からせてあげたってだけ。昔の話よ♪」

 

 分からせるという言葉の意味が、痛い目に遭わせたのか、それとも千華留さん流の何かしらのものであったのかは不明だが、詮索はしないと告げると、千華留さんも「それがいいわ♪」とそれ以上語ろうとはしなかった。

 

「ごめんなさい。あなたの助言を活かせなくて」

「まぁ、こういうこともあるわ。それより噂って怖いわね。まるで生き物みたい。今のはあなたを嫌ってる子たちだったけど、そうでない子たちも、あなたの反応に関係なく好き勝手にあれこれ言うんですもの」

 

 生き物…か。たしかにどこからともなく流れて予想も出来ない方向に成長していく様は、そうと言えるかもしれない。

 

「ところで用事って本当にあるの?」

「あるわけないじゃない。心配で来てみただけよ♪」

「なんとなくそんな気がしたわ」

 

 未だに底の見えない千華留さんは、もしかしたら静馬よりも怖ろしい存在なのかも…。

 

「時間ある? なにか奢るけど」

「それじゃあルリムに行きましょ。ミアトルの食堂もいいけれど、やっぱり甘いものはルリムが一番だもの♪」

(こうしていると可愛い年下にしか見えないのに)

 

 夏服のボタンを一つ外すと肩の力が抜けた。悩みの種が解決したわけではないし、問題はまだ山積み。けれど今は千華留さんのくれた一瞬の平穏をありがたく享受するとしよう。そう決めた私はルリムのカフェのメニューを思い出しながら何を頼もうかと思いを巡らせた…。

 

 

 

~~~次章へ続く~~~

 

 

 

 

 

 




■後書き

 渚砂のところにきた上級生と、深雪に突っかかった生徒たちは別人です。一応念のため。前者の子たちは好奇心が抑えきれなかったとかそんな感じ。高校一年生(ミアトルでいう4年生)から見た高校三年生ってやはり結構怖く見えると思うので多少は渚砂のそういった心理も影響したと思っていただけたら。後者は………千華留さんは何をしたんでしょうね。ご想像にお任せします。

 千華留さんはミステリアスであって欲しい勢なんで、だいたい突然現れたり、未来予知的なことしてたり、意味深なこと言ってたりと好き放題してることが多いですが、今後も変わらないと思います。その方が千華留さんらしくて魅力的かな、と。

 それでは~♪


 
 


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第31章「おかえりなさい…玉青ちゃん」

■あらすじ
 崩壊しかけたものを、もう一度丁寧に積み上げていく。夜々と光莉が選んだのはそんな困難な道。友人である桃実と籠女の年の差カップルとのお茶会で、二人は小さな一歩を踏み出した。
 そして渚砂と玉青はようやく、扉越しではない、本当の再会を果たすことに…。

■目次

<積み木をもう一度>…南都 夜々視点
<たくさん我慢したから>…蒼井 渚砂視点
<ただいまとおかえり(再)>…涼水 玉青視点
<小さなリベンジ>…蒼井 渚砂視点
<密かな憧れの的>…水島 紀子視点


<積み木をもう一度>…南都 夜々視点

 

「あなたたちどうかしたの?」

「えっと………」

「誤魔化そうとしたって無駄よ。さすがに分かるわよ。私だって籠女と付き合ってるんだし」

 

 ここはスピカ校舎の屋上。コンクリートの地面や給水設備だのなんだの設備類のある殺風景なこの場所に、可憐な模様の描かれたシートが1枚広げられている。さらにそのうえには本日の集まりの主催者である桃実さんが用意した色とりどりのケーキが、これまた可愛らしい箱の中にちょこんと収まっていて、ここだけがまるで別世界のように華やいでいた。

 

「なによ…喧嘩でもしたの?」

「まぁ、そんなところです」

 

 顔を見合わせる私と光莉を、桃実さんと籠女ちゃんがじぃ~~~っと見つめてくるものだから観念してそう答えるほかない。といっても本当の理由はもっと深刻な事件が関係しているので話せないけど…。

 

「驚いた。あなたたちでもそんなことあるのね。てっきり盤石なのかと思ってたわ」

「お二人は逆にさらに距離が縮まったように見えますね」

「そ、そう? 分かるかしら」

 

 私からの言葉に桃実さんの声にちょっとした恥じらいが見え隠れし、僅かに声が裏返る。照れて頬を染めた二つ年上の先輩に、さすがに「見れば分かりますよ」なんてセリフは言えなかった。

 

 普段は籠女ちゃんのお膝の上が定位置の()()()()()()()()()は、今日はシートの四隅の一角にドーンと鎮座し、その代わり―――というと変かもしれないけれど、籠女ちゃん自身が桃実さんのお膝の上にお行儀良く抱えられている。まだ1年生の薄いスレンダーなボディを軽く抱き締め、頬を赤らめている姿は微妙に危ない感じに見えなくもないが、当の籠女ちゃんはリラックスして身体を預け、まんざらでもない表情を浮かべているのだからこれでいいんだろう。

 

「先に相談してくれれば日にちをずらしたりも出来たのに…」

 

 全身の力を抜いてふにゃっとした籠女ちゃんはどこか猫っぽいうえに、撫でられて目を細める様子がますますそのイメージを強調させた。

 

「ご迷惑かと思って」

「そんなことないわよ。せっかくのケーキなんだから美味しく食べた方が良いに決まってるじゃない。ねぇ、籠女?」

 

 そうしたいのは山々だったんだけど、残念ながら私と光莉の仲はちょっとやそっとじゃ修正出来ないくらいに拗れてしまっていて、少し間を置いたくらいでは………という様相だった。そうなるといつまで経っても開催出来ないという事態にもなりかねないしと、今日の出席を決めた。本当はもっと上手いこと―――バレないにするつもりだったが、桃実さんはそれで騙されてしまうような鈍感な人ではなかったというわけだ。

 

「すみません、逆にお二人に失礼なことをしてしまいました」

「いいわよ。どうせ私たちに気を遣い過ぎたとかそんなとこでしょ。原因も聞かないでおいてあげる」

「助かります…」

 

 拗れた私たちがどうにか破局には至らずに済んだのは玉青さんのおかげだった。

 

 あれは数日前のことだ。

 

 

―――――――――

 

――――――

 

―――…

 

 

 私と光莉は六条様にお願いし、玉青さんに面会させてもらうことが出来た。目的は学校を休んでいる玉青さんへのお見舞いと、それから―――。

 

「ほら、光莉」

「うん…分かってる」

 

 横に立った光莉に促し、90度近く身体を曲げて頭を下げた光莉に合わせて私も同じように頭を下げる。

 

「玉青さん。ごめんなさい。私…静馬様に玉青さんから聞いた話とかを伝えてました。渚砂さんがサプライズを用意してるとか、そういうの…全部。夜々ちゃんを玉青さんに盗られちゃうんじゃないかって不安になって…それで」

「謝っても謝り切れることじゃないけど、本当にごめんなさい。光莉が静馬様を頼ったのは私が悪かったからなの。私が…もっと光莉を気遣っていれば…こんなことには。だから私たち二人で玉青さんに償いをするわ。パシリにでも何でも便利に―――」

 

 光莉だけのせいじゃない。これは私たち二人が巻き起こした事態。それが謝罪に来る前に二人で何度も話し合って確認した結論だった。

 

「顔を上げてください、お二人とも」

「でも…」

「いいんです。私は光莉さんのしたことを責めるつもりはありませんし、夜々さんにしたってそう。誰かに自分の好きな人を奪われたくない気持ちは渚砂ちゃんの事で、嫌ってほど学びましたから」

 

 目を瞑って穏やかに話す玉青さんからは、以前と少し違った印象を受けた。儚さとかが増したのもあるけど、それ以上にどこか達観したというか、同じ場所にいるはずなのに別のところから喋っている、そんな感じだった。

 

「それに………。静馬様は光莉さんがどうしようと関係なく、私を襲ったでしょうから。あの方はそういう性分なんです。だからもうあの日の事は忘れて下さい」

「玉青さん…」

「出来る事ならお二人が元通りになって、笑顔を見せてくれた方が、今の私にはよっぽど良い薬になります。夜々さんと光莉さんなら乗り越えられると、そう…信じていますから」

 

 自分たちのためにも、そして玉青さんのためにも、私と光莉は別れないことを誓ったのである。

 

 

―――…

 

――――――

 

―――――――――

 

 

「ま、そうね。申し訳ないと思うなら、このケーキを仲直りのきっかけにでもして頂戴」

 

 そう言うなり桃実さんは、お皿に取り分けたケーキをフォークで籠女ちゃんの口元へと運んだ。

 

「はい、あ~ん」

「あ~~~」

 

 その小さな口にケーキが綺麗に吸い込まれ、顎が何度かモグモグと動く。「どう?」と感想を聞かれた少女は、言葉ではなく満面の笑みでそれに答えた。

 

「お気に召したみたいね。有名店のお取り寄せにして正解だったわ。ルリムのカフェのも美味しいけど、たまには贅沢もいいわよね」

 

 自分も一口頬張りながら、次の一口は籠女ちゃんへ。私たちの見てる前でケーキは少しずつ小さくなっていく。仲睦まじい姿は恋人同士というよりも姉妹みたいだなって思っていたら、籠女ちゃんは自らフォークを手に取ると―――。

 

「桃実………。あ~~~ん」

「あら、ありがと」

 

 少々覚束ない手の動きで危なっかしいところもご愛嬌か。とにかくフォークの上に乗せられたケーキは桃実さんの口の中へと消えていった。私がへぇ~って顔してその光景を見ていたら、「別にいつもやってるわけじゃないわよ」とまたも照れた表情で桃実さんが言い訳した。どうやら年下の彼女にメロメロらしい。

 

「うちはほら、籠女が年下だし、1年生ってのを考慮に入れても少し幼いでしょ。そのせいかあんまり恋愛にがっついてないというか、自分で言うのもなんだけど穏やかなのよね。私は籠女が成長をするのを待つつもり。それがあと数ヶ月なのか来年の終わりごろなのかはわからないけど…、あなたたちみたいに喧嘩する機会は…ないかもしれないわね」

 

 たしかにこうして見ていても桃実さんと籠女ちゃんが喧嘩する姿はまるで想像がつかない。桃実さんからすると、喧嘩が出来るというのはそれはそれで少し羨ましいのかもしれなかった。年の差があるゆえの愛し方。母性の混じるその愛情が桃実さんには似合っている気がした。

 

「私たちも食べようか、光莉」

「うん」

「あなたたちも食べさせっこしたら?」

「えっ? 私たちがですか?」

「他にいないでしょうが」

 

 たしかにそうだけど…。

 

「………。なによ? どうかしたの?」

「いえ、お二人なら似合いますけど私たちはちょっと…その…」

「あ、もしかして恥ずかしいの?」

 

 図星だった。二人が目の前で「あ~ん」してる姿はとても…こう、なんというか微笑ましい感じで良かったのだが、いざ自分たちとなると困ってしまう。あまりにも『おままごと』ちっくなのがいけないんだろうか?

 

「部屋でもっと恥ずかしいことしてるでしょ」

「だから余計に…って場合も…。ね、光莉? ………。光莉?」

「いいよ。やろう、夜々ちゃん」

 

 既にフォークを手にした光莉が決意の込められた目で私を見つめていた。光莉なりに、桃実さんが言うように『きっかけ』にしたいとそういうことみたいだ。

 

 光莉の手によってフォークが苺の乗ったショートケーキに食い込み、柔らかなスポンジがさほど形を変えることなくスッと切れた。私は小さく切り取られたそれを前に、アイコンタクトをして頷き口を開ける。「あ~ん」という定番のやり取りを終えた後、たっぷりのクリームが付いた欠片は私の口の中へと静かに消えていった。

 

「どう? 美味しい?」

「うん、ここのケーキ…凄く美味しいよ。今度は光莉にしてあげる」

 

 お皿を受け取り、次は私が光莉の口の中へとケーキを含ませた。

 

「あっ…」

 

 私の切ったサイズが大きかったのか、それともクリームたっぷりなせいなのか。光莉の唇の端にクリームが残っていた。それに気付いた光莉が紙ナプキンで拭おうとするのを、「そのまま動かないで」と制止しそっと肩を掴む。

 

「夜々ちゃん?」

「いいから」

 

 私は顔を寄せると、そのクリームを優しく舌で舐め取った。甘く、サッと溶けていく感触に思わず「美味しい」と溜息が零れた。キスではないけど―――それに近い行為。あの日から遠ざかっていた光莉との触れ合いに懐かしさのようなものさえ感じてしまう。

 

「光莉…」

「夜々ちゃん」

 

 名前を呼び合い、もう一度。今度はしっかりと唇同士を触れ合わせる。

 

「ちょっとお二人さん。そこまでしろとは言ってないわよ」

「す、すみません」

 

 もう少しで二人だけの世界に入りかけようとした私たちを桃実さんの声が呼び戻した。その声には「籠女も見てるのよ」といった感じの窘める気配もあって、そういえば桃実さんだけじゃなくて籠女ちゃんもいたんだったと軽率な行いを反省する。けれどよくよく見てみると籠女ちゃんは私たちの口付けを目にしても動揺してなくて、むしろ桃実さんの方をボーっと見上げて迷っているみたいだった。

 

 数秒の間を置いた後、ゆら~っと伸びた手が桃実さんの頬を撫で、それから―――チュッと可愛らしいベーゼを頬に一つ。

 

「ふふ、よかったですね。お返し………してあげないんですか?」

「あんまり先輩をからかうもんじゃないの。まったくもう!」

 

 顔を真っ赤にしながらも髪をかき上げ、桃実さんも同じようにフニフニほっぺに口付けをした。くすぐったそうな、けどその意味をしっかりと理解した少女のパッと咲いた笑顔に全員の頬が緩む。

 

「さて、残りもケーキも美味しくいただくとしましょうか」

「………。チュー……もう一回……」

 

 籠女ちゃんの意外にも大胆なおねだりに吹き出した桃実さんに釣られて、私と光莉の笑い声が一緒になって風に乗りスピカの上空を舞い上がった。

 

 

 

 

 崩れかけた積木を元通りにするのは、全部取っ払って最初から積むのよりも大変かもしれない。だけど私と光莉はゼロからじゃなくて、今の状態から再スタートすることを決めた。たとえそれが困難であったとしても光莉となら出来ると―――そう信じたから。

 

 

 

 

 

 

<たくさん我慢したから>…蒼井 渚砂視点

 

 あまりの嬉しさに何度も「ほんと?」と聞き返す私に、扉の向こうから聞こえる玉青ちゃんの声に苦笑いらしきものが混じる。それでも私は喜びを抑えきれなくて、もう一度だけその質問を繰り返した。

 

「ほんと? ほんとにいいの玉青ちゃん?」

「ええ。さすがにこれ以上休むのは、シスターの目が厳しいからまずいと六条様が仰ってましたので」

「わぁ………じゃあ今日から一緒に学校行けるんだね。やった、やったやったぁ!!」

 

 感情を爆発させて両手で万歳しながらピョンピョン跳ねる私の姿に通り掛かった生徒たちたちが何事かと首を傾げていく。そりゃあ変に思う気持ちも分かるけど、そうでもしないと今この瞬間の嬉しさは表現出来ないんだから仕方がない。玉青ちゃんに見えていなかろうがお構いなしに私は何度もその場で飛び跳ねてみせた。

 

 通学靴がジャンプする度にペタンペタンと音を立てて、祝福の太鼓を打ち鳴らしてるみたい。

 

「ダメですよ渚砂ちゃん。あんまりはしゃぐと他の人の迷惑になりますから」

「はぁい」

 

 本当はもっとも~~っとそうしていたかったけど、玉青ちゃんにそう言われて明るく返事しながら飛ぶのをやめる。ソワソワする気持ちは身体を揺らすことで誤魔化し、その間に玉青ちゃんの夏服姿はどんなかなって想像してみた。

 

(きっと素敵なんだろうな~。早く見てみたいな、玉青ちゃんの夏服姿)

 

 落ち着いた色合いの緑に、肩や襟元の白。そこに胸元にちょっと入った黒が印象をぐっと引き締めてくれていて、私はこの夏服を気に入っていた。みんなは去年とかそれ以前に見たことがあっても、今年からミアトルに来た私は当然見たことがない。だから期待値もぐんぐん急上昇して、上がり過ぎたあまり天井にぶつかっちゃいそうな勢いだった。

 

「すぐに着替えちゃいますから、呼んだら中に入ってきてくださいね」

「う、うん…」

 

 中に入っていいんだ。てっきり部屋から出てくるのを待つのかと思っていた私は、その一言にさらに胸をときめかせてしまう。ほんの数分の時間が待てず、深呼吸したりウロウロしたり。そんな風に落ち着かなく過ごす私を見たら玉青ちゃんはどんな顔をするのかな?

 

「いいですよ、渚砂ちゃん」

「うん、分かった」

 

 どうしよう。ちょっと緊張してるかも。だって玉青ちゃんと会うの…久しぶりなんだもん。

 

 軽く震える指先でドアを開けると、部屋の真ん中では玉青ちゃんが静かに佇んでいて―――その姿を見た瞬間に私は居ても立っても居られなくなって玉青ちゃんの胸に思い切りダイブした。

 

「玉青ちゃんだ…。本当に…玉青ちゃんだ。玉青ちゃん! 玉青ちゃん、玉青ちゃんッ!」

「な、渚砂ちゃんッ!?」

 

 夏服が似合うねとか、元気そうで良かったとか、色々と言おうと思ってたことはたくさんあったのに…。気付いたらそういうのを全部すっぽかして身体が勝手に動いてた。ただただ玉青ちゃんが目の前にいるのが嬉しくて嬉しくて、抱き着いたまま何度も何度も名前を呼んだ。

 

「会いたかった。ずっと玉青ちゃんに会いたかったよ…」

「な…ぎさ…ちゃん」

 

 初めは恐る恐る躊躇いがちに、でもそのうちに私をギュッって抱き締めてくれた腕の温もりが、ああこれは夢じゃなくて現実なんだって…。

 

「うっ…、ぐす…ごめん…ね。我慢…しようと…思っ…思ったの。うっ…。だけど…だけど、だけど………無理みたい」

 

 込み上げてくるものを抑えきれなくて。もう視界は涙で滲んじゃっていて。せっかく玉青ちゃんの顔が傍にあるのに、あっという間にぐしゃぐしゃに歪んで見えなくなって。でも…それでも、手を伸ばした先にほっぺがあって、玉青ちゃんはたしかにそこにいて。

 

「わ゛た…し、だま゛おち゛ゃんが…いないと…ダメ…だよ。ひっ…ぐ。だま゛…お…ちゃん」

 

 我慢してた分だけ、その分だけ、一度溢れ出した感情がマグマみたいに噴き出すと、もう手の付けようなんかなくって。背中をポンポンって優しく落ち着かせようとしてもらっても、次から次へと零れていく涙は止まる気配がなかった。あとはもう言葉とも呼べない、感情が形になったみたいな嗚咽の他にはひたすらに玉青ちゃんの名を叫ぶばかりで、玉青ちゃんはそんな私の背中をずっと撫でてくれていた。

 

 

 

 

 

 

<ただいまとおかえり(再)>…涼水 玉青視点

 

 こんなことがあっていいのだろうか? 渚砂ちゃんが、私のためにこんなにも泣いてくれるなんて…。

 

 渚砂ちゃんのことを考えない日はなかった。朝起きれば渚砂ちゃんのことを想って、夜眠る時も渚砂ちゃんのために祈った。静馬様に犯されたあの日から、私は生ける屍も同然で…ただ渚砂ちゃんを想うことしか出来ないでいた。

 

 こんな穢れた自分が渚砂ちゃんの傍にいていいのか。頭から振り払おうとしても、その恐怖はいつも私に付き纏って、走って、走って、どこまで走っても追いかけてくる影のように私を苦しめた。

 

 いくら受け入れてくれると言っても、私が無理矢理純潔を奪われた事実はもう消せなくて、そんな十字架を渚砂ちゃんにまで背負わせるなんて、あまりにも罪深い事だと信じて疑わなかった。

 

(でも…でも渚砂ちゃんは、私のことをこんなにも好きでいてくれる)

 

 今私の心の中に浮かんだのは、それよりもずっと罪深い事。もしアストラエアの女神に知られたら、ただでは済まないんじゃないかとさえ思ってしまう。

 

(だから…口にはしない。絶対に。これは私の胸の内だけに留めておきます。渚砂ちゃん、渚砂ちゃん…。私は嬉しいんです。あなたが私のためにこうして泣いてくれることが。私の存在が、あなたを苦しめてしまうほどに大きくなっていたことが。私の事でたくさんあなたを傷付けているのに、泣いてくれて嬉しいだなんて、こんなの…おかしいのに…)

 

 無意識のうちに強く…強く抱き締めてしまっていた手をどうにか緩め、渚砂ちゃんの背中に触れる。泣くのに一生懸命で顔を見られていないことをいいことに、唇の端をきつく噛み締めて声を我慢した。でも流れる涙は止まらなくて、ポタポタと渚砂ちゃんの肩に落ちて染み込んでいった。

 

「渚砂ちゃん。私も…渚砂ちゃんがいないと…ダメみたいです。あなたがいないと寂しくて………苦しくて…死んでしまいそう」

 

 もう渚砂ちゃんは何を言っているのか分からないくらい泣いて、泣いて、泣いてたけど、私を想ってくれていることは伝わってきた。腕の中で震える度に赤茶色のポニーテールが揺れて、差し込む陽の光にキラキラするそれを、ああ…なんて綺麗なんだろう、なんて思いながら見つめていた。

 

「おか…えり」

「えっ?」

 

 突然、顔を上げた渚砂ちゃんが何かを呟いた。その声は小さくてよく聞き取れなかったけど、懐かしい響きを含んでいることだけはなぜか分かった。

 

おかえり…だよ。おかえりだよ玉青ちゃん。忘れちゃったの?」

 

 私を見上げる瞳に反射して、渚砂ちゃんの中に私が映っていた。

 

「あ…それって。約束…覚えて…」

「おかえり。おかえりなさい…玉青ちゃん

「あ、ああ…あ。ぁああ…。渚砂ちゃん、渚砂ちゃんッ!! ただいま…。ただいま…私の渚砂ちゃん

 

 それを言ってしまったらもう我慢出来なくて、今度は私が泣く番で…。

 

「う…う゛ぅ。ありがとう。好きになったのが渚砂ちゃんで………本当によかった」

 

 それはずっと前に交わした―――二人だけの約束。

 

「もう…離れちゃやだよ、玉青ちゃん。今度こそは…毎日言い合おうね」

「はい………、はい。渚砂ちゃん」

 

 

 

 

 

 

 

<小さなリベンジ>…蒼井 渚砂視点

 

 時間にはかなり余裕があったはずなのにすっかり遅刻ギリギリになっちゃった私たちは急いでいちご舎を飛び出した。ちょうどそこへクラスメイトの子が、これまた慌ただしく横を駆け抜けようとして―――玉青ちゃんの顔を見るなり急ブレーキ。キキーッと音がしそうな勢いで立ち止まった。

 

「もしかして玉青さん、今日から復帰?」

「ええ。復帰早々遅刻しちゃいそうですけど」

「大丈夫よ。病み上がりだもの。先生だって多めに見てくれるわ。それじゃ私は先に行くから二人はゆっくりね。教室でね~~~」

 

 私たちを追い抜こうとした時よりもずっと速いスピードで駆けていくクラスメイトの背中はあっという間に小さくなっていった。その様子に凄い勢いだったねと言いながら、私たちも早足でミアトルを目指す。

 

「そういえばお部屋はまだ六条様のところのままにするの?」

「少しの間はそうしようかと。急に移動して、また急に戻ると怪しまれますから」

「そっか…」

 

 これを機に部屋にも、と思って聞いたみたものの、玉青ちゃんの答えはノーだった。お部屋についても戻ってきて欲しいのは山々だけど、たしかに玉青ちゃんの言うことには一理あるし、あの事件のことが広まるのは私も嫌だから、残念だけど仕方ないのかもしれない。

 

 でもこれからは玉青ちゃんと一緒に学校に行けて、行き来だって自由になったんだもん。今までの辛さに比べればそれくらい全然へっちゃらだ。

 

(うん、へっちゃらへっちゃら。………。でもない…かな。ううん、弱気になっちゃダメ! 私が玉青ちゃんを元気づけてあげないと)

 

 たぶんこういうのは友達じゃなくて、恋人の役目なんだと思う。だからまずは私が明るく元気に振舞わなくちゃ。

 

「あっ、そうだ! さっきは言い忘れちゃったけど玉青ちゃんの夏服姿、すっごく素敵だよ」

「私は…冬服の方が好きですけど、渚砂ちゃんがそう言ってくれるなら夏服も同じくらい好きになれるかもしれませんね」

 

 久しぶりにした、肩の力の抜けたゆる~い会話に身体まで軽くなったみたいで、私はトンッ、トーンッと一歩ごとに跳ねるようにして玉青ちゃんの前を歩いていく。何回かするうちにそれが楽しくなっちゃって、私は玉青ちゃんの目の前で、カバンを手にしたままクルリクルリと回転を始めた。

 

「渚砂ちゃんっ。危ないですよ」

「いいの! だって楽しいんだもん」

「もう…」

「えへへ」

 

 忠告も聞かずにグルグル回ってから前方に走り出すと、それを見た玉青ちゃんが、仕方ないですねって顔して後ろを追っかけてくる。そのまま追っかけっこみたいにして私たちはミアトルの道を駆けていった。

 

 

―――――――――

 

――――――

 

―――…

 

 

 もう少しで校舎に着くというところで、私は小さく「あっ」と声を漏らしつつ足を止めた。視線の先には、少し前に私の事を散々からかった()()上級生たちの姿。

 

「どうかしたんですか?」

 

 追いついた玉青ちゃんが不思議そうに私の横で立ち止まり、私の視線の先を捉えようとキョロキョロと辺りを見回した。慌てて「なんでもないっ」と答えたものの、上級生たちの歩くスピードは遅く、のそのそしてるものだから、普通に歩き始めた私と玉青ちゃんがその横を通り過ぎるのは時間の問題に思えた。

 

(どうしよう。あんまり近付きたくないな。でも一本道だから避けようがないし…)

 

 だいたい遅刻ギリギリの時間なのにそんなにゆっくりしてていいんだろうか?

 

 迷っているうちに、上級生たちの一人が私の姿を見つけ、同じように「あっ」と声を漏らした。それに釣られて他の上級生も一斉に振り返って私をこれでもかと見つめ始める。

 

 嫌だな。こういうの。

 

 今にも肩を寄せ合って、からかっただけで泣き出した子供っぽい下級生とかなんとかヒソヒソ話をしそうな雰囲気に、直感的にそう思ってしまう。隣の玉青ちゃんは当然事情を知らないわけで、キョトンとしているわけだけど、私が嫌だなって感じたことを薄々察したのか、怪訝な顔をして上級生たちを見つめ返した。

 

「玉青ちゃん、手…いいかな?」

「ええ、いいですけど…」

 

 そう言っただけでスッと迷いなく差し出された手。手を繋ぐという考えが当たり前のように二人の間で共有されていることに嬉しくなるけど、私は()()()その手を取らなかった。

 

「渚砂ちゃん?」

 

 疑問に思った玉青ちゃんが首を傾げる。そりゃあそうだ。手を出してって言ったのに、その手を掴まなかったんだから。

 

「玉青ちゃん、ちょっと横ごめんね」

 

 その代わりに私は玉青ちゃんの肘の辺りに手を伸ばすと、自分の腕をそこに引っ掛けるようにして横に並んだ。

 

「えっ!? あの…、これは…」

「私がこうしたいの。ダメ………かな?」

 

 ちょっぴり甘えた声に、上手く出来てるか分からないけど上目遣いもプラスして…。

 

「急に…そんな顔して。ズルイですよ。渚砂ちゃん」

「えへへ、もうちょっとくっ付いてもいい?」

 

 腕を組むだけじゃ物足りなくて、身体を寄せて、ついでに頭まで玉青ちゃんの肩にそっと預けてみた。上級生たちに「どうだ!」と言わんばかりに幸せオーラ全開で追い越しつつ、心の中でリベンジを果たしたことに小さくガッツポーズ。出来る事なら『あっかんべー』ってしたかったけど、さすがにそれは品がないのでやめておいた。

 

「行こっ、玉青ちゃん」

 

 あっけにとられる上級生たちの顔がとても小気味よくて、私は玉青ちゃんの肩に顔を押し付けながら悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

<密かな憧れの的>…水島 紀子視点

 

「みんな~、ビッグニュースよ~」

 

 駆け足で教室に飛び込んできた生徒は大きな声でそうアナウンスすると、乱れた呼吸を整えようと肩で息をした。みんなが「どうしたの?」とその生徒を取り囲み、あっという間に人だかりが出来る。私と千早も何事かと近寄り、そのビッグニュースとやらに耳を傾けた。

 

「さっきいちご舎でね。すれ違ったのよ」

 

 落ち着いているようで落ち着いていないのか、肝心な情報が抜け落ちている。おそらく周りに集まった生徒のほとんどが、「誰と?」と疑問を抱いたことだろう。案の定人だかりの中からその疑問を口にする声が上がり、みんながそれに、うんうんと頷いた。

 

「ごめん、ごめん。慌てちゃって」

「いいから早く教えなさいよ」

「ふっふ~ん。聞いて驚くなかれ。なんと玉青さんよ。玉青さんが今日から学校来るって」

「えっ? ほんと?」「体調はいいのかしら?」「一週間以上休んでたよね」

 

 大事なクラスメイトのことだ。誰だって心配してたとは思う。玉青さんは元から人気者だったから特にその傾向はあったはず…。

 

 だけど今は―――六条様との噂が未だに絶えない現状では、気遣う思いも当然あるにはあると思うけど、渦中の人物に直接話を聞けるという野次馬的な嬉しさが、少なからず浮ついた声に含まれているような気がした。

 

「ねぇ千早。渚砂さん、噂の事を玉青さんに話してるかな?」

 

 周囲に聞こえないようにこっそりと耳打ちしてみると、どうやら千早も私と同意見らしく、その答えは「してない」だった。

 

 渚砂さんと玉青さんの仲を知る我々からすれば六条様との噂というのは滑稽でしかなかったが、事情を知らない生徒たちには興味深いゴシップに違いなかった。

 

「それじゃあ玉青さんに噂の事聞けるのね」「ねぇねぇ、誰が聞く?」

 

 教室内では早くも誰がインタビューするのかという議題に盛り上がり、軽いお祭り騒ぎとなっている。

 

「先が思いやられるわね。言っておくけど紀子。カッとなって大声とか出しちゃダメだからね」

「分かってるよ。も~千早はうるさいなぁ」

 

 私たちの密談をよそに、()()情報通とやらを中心にして噂話に花が咲く。身近な恋バナに興奮する気持ちはちょっと分からないでもない。私だって知り合いがネタになってなければ一緒に盛り上がってたかもしれないんだから。でもあくまで恋バナに限ればの話だ。友人を貶めるような内容まで許すつもりはない。そう思ってると案の定―――。

 

「やっぱり六条様の()()()ってあったのかしら?」「そりゃあ………あったんじゃない?」「誰だって自分のお気に入りの子に後を継いで欲しいものね」「でも六条様は高潔な御方でしょ?」「バカね~。だからこそ面白いんでしょ」「そうそう。信念さえ歪ませるほどの愛情ってやつ?」「やだ~ロマンチック」「「「キャ~~~」」」

 

 玉青さんが次期生徒会長に推挙された件だ。関係を疑わせる原因として早くから噂とセットで話題になっていた話が、今や周知の事実のようにあちこちで語られている。仲間内というか4年生の間では優秀と評判だったし、上級生や先生方からの覚えも良いとあってそれほど不思議がられてはいなかったが、あと一歩…推挙されるには物足りないかなってところにこの噂が来たものだから、それを補強する絶好の裏事情として一気に火が付いてしまった。

 

 正直私としては面白くない話題だ。それは千早も同じだったみたいで。

 

「あんたたち何よ。それじゃ玉青さんが選ばれたのは実力じゃなかったってこと?」

(あ~あ、千早のやつ)

 

 私にカッとするなとか言っておきながらこれだ。意外に熱血タイプなところがあるんだから…。

 

「そうは言ってないわよ」「玉青さんがちゃんと努力してるのは知ってるって。クラスメイトだもの」

 

 やっかいなのは彼女たちは玉青さんの頑張りとかちゃんと知ってて、しかもそれを認めてるって点だ。単にやっかみとか嫉妬して言ってるわけじゃなくて、自分よりも優れてることを受け入れたうえで、憧れとか羨望を織り交ぜながら、自分たちのクラスから噂になるような生徒が輩出されたってのが嬉しくて一時的に浮ついてしまってるってわけ。だから彼女たちにしたって、玉青さんが六条様に取り入って次期会長の地位をおねだりしたとか、そういった類のことは言わない。

 

「それにしてもうちのクラスって何かあるのかしら?」「何かって?」「ほら、この前は渚砂さんが静馬様に食堂でキスされたでしょ? それで今度は玉青さんが六条様に」「あ~なるほど」「じゃあ私もスピカの天音さんに…」「それはないって」「「「あはははは」」」

 

 再び盛り上がり始めたクラスメイトを横目に、私はなんとなく千早の頭を撫でながら「ナイスファイト」と言ってクシャクシャにしてやった。急いで手を振り払わないあたり、千早も本気では怒ってなかったっぽい。

 

 だってそうじゃない? 普段は口に出来ないけど、学園中の子がやっぱりあの子は凄い子なんだって噂してたら、なんだか自分の事みたいに誇らしくなることってあると思うのよ。千早もそれをちゃんと分かってるから、ムッとするだけで済ませてる。

 

「ねぇ! 玉青さん来たってよ~」

 

 偵察に行っていた生徒の声に私たちは顔を見合わせ、どちらともなく頷き合う。

 

「さて、我々も行きましょうか紀子さんや?」

「ええ、ええ。分かっていますとも千早さん」

 

 時代劇じみた言い回しで冗談っぽく呼び合いつつも、友人として助けになれることがあればしてあげよう、と誓う私たちの心はしっかりと通じ合っていた…。

 

 

 

~~~次章へ続く~~~

 

 

 

 

 

 

 

 




■後書き

 「ただいまとおかえり(再)」は一番最初のお話のやつですね。章のタイトルになっていたとはいえ、そこから40万文字ほど離れてるので忘却の彼方という方もおられるかもしれませんが、一週間以上顔を見ることさえ叶わなかった渚砂からするとやはり「おかえり」かな…と。そしたら返事は当然「ただいま」じゃないと…ね?

 次期会長への推挙云々とかも最初の方のですね。第2章でのお話でした。う~ん、どっちも遠い…。

 よかったら次章もよろしくお願いします。それでは~♪

 

 


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第32章「ね、玉青ちゃん。目…閉じて」

■あらすじ
 ゴシップに踊らされる生徒たちの好奇心が今、玉青へと向かう。久しぶりの学校で、想い人以外の人との恋仲の噂に玉青は戸惑いを隠せないでいた。そして否定も出来ないまま運悪く廊下で遭遇した玉青と深雪に純粋無垢な観衆の声が襲い掛かる…。
 第32章は噂に翻弄される少女たち! 3話構成でお届けします。

■目次

<玉青ちゃん親衛隊>…蒼井 渚砂視点
<切り札は伏せたままで>…六条 深雪視点
<刷り込まれた恐怖>…涼水 玉青視点



<玉青ちゃん親衛隊>…蒼井 渚砂視点

 

「あ、見て。玉青さんよ」「本当だ!」「なんかさ、綺麗になってない?」「分かる。雰囲気変わったよね」

 

 こうなるってことは分かってたけど、いざそうなってみると正直うんざりしちゃう。私たちのクラスがある廊下まで来ると、渦中の人物である玉青ちゃんを見た生徒たちが、喜びと好奇心を溢れさせてヒソヒソ話を始めていく。その中には自分のクラスに駆け込んでいって友達を呼んでくる生徒までいて、野次馬たちは次から次へと現れては恋バナに盛り上がっていた。

 

「休んでいたからでしょうか? なんだかとても…注目を浴びているような…」

「た、玉青ちゃんはほら、ダンスが凄かったからみんなそのお話をしてるんだよ」

「だと…いいんですけど」

 

 この様子だと教室に入っても質問攻めだろうなって思いつつドアをくぐると―――。

 

「おはよう玉青さん! 顔色は………良さそうだね」

「元気そうで安心したわ」

 

 声を掛けてきたのは待ち構えていた子たちの横からスルリと抜け出した紀子さんと千早さん。彼女たちはみんなが噂について触れる前に私たちの隣にやって来ると、何でもない日常会話をすらすらと話し出した。

 

「いや~、玉青さんがいないと宿題教えて貰えなくて困っちゃうよ~」

「たまには自分でやんなさいよ」

「千早は全然頼りにならなくてさ~」

「人のを盗み見ておいてよく言うわね?」

「くす、あはははは」

 

 続けて始まったお馴染みの夫婦漫才にすっかり機先を制された生徒たちが、二人の後ろで噂について聞きたかったのに~って顔してむくれている。もちろん紀子さんたちはそれを承知の上で掛け合いをしているので、ますます他の生徒たちは邪魔をしないでよと言いたげに不満げな顔を浮かべていた。

 

(二人ともよくやるんだから、もう)

 

 それが功を奏したのか、元々ホームルームの時刻が迫っていた教室に担任の先生が現れ着席を促した。それを聞いて口々に不満を漏らすクラスメイトたち。

 

「ずるいわよ~二人だけ」「私たちだって玉青さんと話したかったのに~」「横暴よ、横暴!」

「まぁまぁそう言わずに」

「お隣さんなんだし許して頂戴」

 

 紀子さんの調子の良いセリフに千早さんがすかさず下手に出て和らげる。さっすが熟年夫婦! 息ぴったり!

 

 ぶつぶつ言いながらも席に着くみんなに紛れ、私たちも移動しつつ小声でお礼を言っておく。

 

「ありがとね、二人とも」

「どういたしまして」

 

 作戦が上手くいって得意気な紀子さんは、「ほら」と言ってハイタッチまで求める始末。それはちょっとやり過ぎだよと思いながらも、こっそり応じてつい笑みを隠し切れず笑ってしまった。

 

 本当に頼りになるんだから。

 

 二人にはダンスパーティの日の出来事については知らせていない。玉青ちゃんの意志もあるし、私自身巻き込んじゃいけないような、そんな気がしていたから。なのにこんなにも私たちを気遣って助けてくれる名コンビは、まさに友人を通り越して親友と言えた。

 

 

 

 

 

 その後も二人の協力を受けて玉青ちゃんをお手洗いに連れ出したり、職員室に呼ばれたフリをしたりして短い休み時間は逃げ回ったものの、さすがにそんな手段が何度も通じるはずもなく、移動教室の際にとうとう捕まってしまった。

 

 移動教室というと普通は仲の良い友達と数人とか、多くてもグループ単位くらいに分かれて移動先の教室へ行くものだけど、今日は違う。玉青ちゃんを中心にクラス丸ごとが一つの塊となって廊下をズンズンと進んでいく。それを見た他のクラスの子たちも、どうしたのかと気になって出てきて、玉青ちゃんの姿を見つけると「あ、なるほど」といった感じで納得した表情を浮かべる。

 

 ゾロゾロ歩く集団にそれを見守る見物客たち。それはさながら大名行列か、はたまた戦に向かう軍勢かといった様子で、玉青ちゃんを守る親衛隊のはずの私たちは、歩くうちに外へ外へとはじき出されいつの間にか最後尾へと追いやれられてしまった。

 

 話したくてウズウズしてたのが手に取るように分かるくらい興奮しきった顔をしたクラスメイトたちは、ついに本丸である玉青ちゃんへと王手を掛けたのだ。止めようにも集団の外側でピョンピョン跳ねるだけの私には何も出来ず、そして―――。

 

「ねぇ玉青さん。単刀直入に聞くわ」「六条様とお付き合いしてるって本当なの?」

「私が…六条様と?」

「誰かから聞いてないの? 今や学園中の噂よ」「そうそう、お似合いのカップルだって」

 

 ああ、ついに言われちゃった…。

 

 噂から守り切れなかった無力感に打ちひしがれてがっくしと肩を落とす。取り囲まれた玉青ちゃんが無数の肩越しに送ってきた「本当なんですか?」という視線に、私はただ頷くしかなかった。

 

 せっかく元気になって戻ってこれたのに、今度はこんな噂が玉青ちゃんを苦しめるなんて。

 

「それでどうなの?」「休んでいる間は六条様が世話をしてくださったんでしょう?」「二人きりのときは六条様ってどんな感じなのかしら?」

「ま、待ってください。そんな…矢継ぎ早に質問されても…」

 

 詰め寄る生徒たちで狭い廊下はおしくらまんじゅう状態。右へふらふら。左へふらふら。そんな中で数人の生徒たちが廊下の向こうからやって来る人物に気付き、「あっ!」と声を上げた。その声に釣られてみんなの視線がそちらへと向けられる。

 

「六条様よ」「ほんとだわ」「こっちに来るみたい」

 

 なんで、こんな時に…。

 

(お願い、そのまま引き返して。今は玉青ちゃんが…)

 

 

 

 

 

 

<切り札は伏せたままで>…六条 深雪視点

 

(とんだ失敗だったわね)

 

 廊下を埋め尽くす生徒たちの群れに、何事かと近寄ったのがそもそもの間違いだった。しまった、と思った時には既に手遅れで、集団の真ん中にいる玉青さんとの遭遇に黄色い歓声が廊下に木霊する。

 

「やだ、なんか運命的じゃない?」「玉青さんの日頃の行いが良いせいかしら」「ほら玉青さん、六条様よ」

 

 私と玉青さんを交互に見ては、次から次へと様々な感想が飛び交っていく。進路を変えようにも横に逸れる道は存在せず、避けるためにはくるりと向きを変えて来た道を引き返す以外にはない。しかし荷物を片手に足を止めてしまった私がそうすれば、文字通り背を見せて逃げる私にみんな不思議がるだろう。なぜ六条深雪は逃げたのか、と。

 

 なぜ?という疑問符が浮かぶと、余計に想像を掻き立てられるのが人間というものだ。照れくさかったからじゃないかとか、二人の間で何かしらルールがあるとか、どんな風に思われるか予想もつかない。

 

(このまま真っすぐ進むしかないわね。様子を見て、必要であれば事務的な声掛けでもして………)

 

 それでやり過ごせるかは分からないが今はそれしか道がない。

 

「あっ、こっち来た」「何か声掛けるのかな?」「楽しみ~」

(悪いけどそんなキラキラした目をされても困るのよ。本当に、私と玉青さんの間には何もないのだから)

 

 徐々に近付いていく距離を慎重に見定めながら頭を巡らせる。あと10m。互いにしっかりと相手を認識しつつも、私と玉青さんは視線を僅かに逸らし続け、決して見つめ合わないように努力を重ねた。

 

 こんな事態になってしまった申し訳なさと、好きな相手がすぐ傍にいるのを知っている身としての気まずさで、どうにかなってしまいそう。

 

「ちょっと! 押さないでよ」「そっちこそ」「やめてよ、今いいところなんだから~」

 

 高まり続けた圧が不意に行き場を求め、集団をうねうねと波打たせる。足をつんのめるようにして必死で踏みとどまろうとする生徒。誰かの身体に掴まろうとする生徒。一斉にドミノ倒しでも起きそうな様子に見ているこちらの背筋がヒヤリとする。

 

「気を付けなさい。怪我するわよ」

「は、はい…」「すみません」

(こんな時でも、自分より誰かが怪我しないかって方が心配になるんだから、つくづく生徒会長が身体に染み込んでるわね。もはや職業病かしら?)

 

 だけど不思議と心には余裕が戻っていた。生徒会長の仮面を被ることで少なからず冷静になれたようだ。

 

 あと5m。

 

 4m。

 

 3m。

 

 これなら大丈夫そうだと思った瞬間、聞こえてきたのは「あっ」という少々気の抜けた声。中列にいた生徒がバランスを崩すと、それは前へ前へと波及して大きなうねりを起こしていく。突然の後ろからの衝撃に為す術もなく前のめりになる生徒たち。

 

 そしてその最前列にいたのは―――。

 

(玉青さん、気付いてない!? いけない…このままじゃ)

 

 他の生徒たちから場所を譲られるようにして一番前に立っていた玉青さんの背中が押され、その身体がトンッと跳ねた。ぐらりとバランスを崩す身体。無防備になったその身を守るべく私は咄嗟に前へと踏み出した。

 

「大丈夫ッ!?」

 

 小さな悲鳴。ドサリと腕に掛かる重み。

 

「ろ、六条様」

 

 危うく転びそうになる直前で抱き留めることには成功した。けれどハッとした彼女はその瞳を戸惑いに揺らしながら、

 

「いけません六条様。こんなことをしたら…」

 

 と後ろを見た。玉青さんの言葉と同時に、その背後から沸き起こる無数の歓声。

 

「「「キャ~~~」」」

「見て、見て! 六条様と玉青さんが」「廊下で抱き合うなんて」「凄い場面を見ちゃった」

 

 廊下の真ん中で抱擁する私たちに観衆たちは色めき立った。

 

「六条様…」

「いいのよ。それより怪我はない?」

「ええ。でも…私のせいで」

「性分なのよ。だから気にしないで」

 

 辺りは玉青さんのクラスメイトたちに加え、騒ぎを聞きつけた周辺の生徒たちでごった返し、もはや収拾のつけようがないほどに混沌としていた。ぐるりと取り囲まれた状況はこの前千華留さんに助けられた時よりも、数段悪い。ほとんど360度、全方位から飛んでくる多種多様な言い草に、思考がまるで追い付かず、私は玉青さんを抱き留めたままの状態で動きを封じられていた。

 

(出来れば玉青さんだけでも渚砂さんに引き渡せればいいのだけど…)

 

 赤茶色の髪が一瞬だけ見えたような気がしたものの、さらに苛烈さを増すおしくらまんじゅうから抜け出せないないのか、今やすっかり影も形もなくなっていた。となれば自分が玉青さんを守らなければならない。まずは興奮した観客たちを冷静にさせるのが先決か。

 

(といっても嫌な予感しかしないのだけど…)

 

 以前の廊下での言い争いを思い出しつつ私は声を張り上げた。

 

「あなたたちいい加減にしなさい! 私は気を付けるようにと言ったはずよ。それが何? この有様は!」

 

 冷や水を浴びせられたように、私の大声に口を閉ざす生徒たち。辺りは途端にシンと静まり返った―――かに見えた。

 

(ちゃんと伝わったのかしら?)

 

 疑問に思いながらも様子を窺っていると、最初に聞こえてきたのは誰かの零した小さな囁き声。それが少しずつ周りに広がって、ザワザワ、ザワザワと波が重なって大きくなっていくように、次第に声量も大きくなり、初めのうちは聞き取れなかったセリフが、ついに私の耳にもはっきりと聞こえるまでになった。

 

「ねぇ見て! 六条様のあの怒りよう」

(ッ!?)

 

 声に反応して振り向くと、すぐさま別の方向から飛んできた声が私に突き刺さる。

 

「玉青さんが危ない目に遭って、それであんなにお怒りなのね」「想いの強さが感じられて素敵だわ」

 

 そちらに視線をやれば、また別の方向から。

 

「ふふふ、六条様ったら取り乱して」「よっぽど玉青さんのことが大事なのかしら」

(なに? なんなの?)

 

 理解出来ない反応に苦しみながらも耳だけは敏感に声をキャッチし、視線と生徒たちとのいたちごっこが繰り返される。あちらこちらから投げ掛けられる集中砲火から玉青さんを守ろうと、背中に隠すようにして自らを盾に庇ったものの、どこを向いても声は聞こえてきて、私たちはその場でぐるぐると独楽のように回るしかなかった。

 

「見てよ玉青さんてば、六条様にしっかりしがみついちゃって」「健気で可愛らしい~」「二人とも美人よね」

 

 得体の知れない何か。そうとしか言いようがない。だって私にはどうして彼女たちがこんな反応を見せるのかがまるで分からなかったのだから。

 

「六条様…私、どうすれば…?」

「いいから隠れてなさい」

 

 そうは言ったものの私にはどうする術もなく、むしろそんな私たちのやり取りさえもが盛り上がる燃料となってしまう状況に、私たちはいつしか互いを抱き締め合うようにして身を震わせていた。

 

「六条様」

「大丈夫よ、大丈夫だから…」

 

 不安そうに見上げてくる玉青さんに言葉を掛けている最中にも、容赦なく言葉の雨が降り注ぐ。

 

「あの二人お似合いよね」「ね、相性ぴったりって感じ」「優等生同士ですもの。きっと波長が合うのよ」

 

 彼女たちに私と玉青さんを傷付けようという意志はない。本来であれば悪意のない―――言わば先の丸くなった剣のようなセリフが、今この瞬間においては易々と皮膚を突き破り私たちに突き刺さっていく。

 

 そして運の悪いことに―――。

 

「いや~、さすがは六条会長。人気者ですね」「廊下で抱擁するのは、校則違反にはならないのかしら?」

 

 今度は本当に悪意の込められた声が廊下に響き渡った。

 

 この騒ぎは出会いたくない人物たちまで引き寄せてしまったらしい。身体を強引に割り込ませて最前列までやって来たのは、千華留さんが追い払った()()生徒たちである。歯をギリッと噛み締めて「あなたたち…」と睨みつけたが、何をどう考えても有利な状況に、彼女たちは自信満々だった。

 

「それが六条様ご自慢の()()ってわけですね」「婚約者よりも優先するなんて相当愛していらっしゃるのかしら」

 

 取り囲んだ円からズイッと前に出ると、口々に『彼女』だの『愛してる』だのとそんな言葉を並べ立てる。それが最も有効であることを理解しているのだ。関心を煽るキャッチーな言葉こそが自分たちの最大の武器であると。その証拠に口車に乗せられた観衆たちは、山彦のようにそれらの言葉を繰り返し、ざわめきたてた。

 

 悔しいことに彼女たちの思惑通りだ。噂の中で各々が考える理想の展開。望む言葉。その最大公約数的なものが与えられた今、観衆を止められるのはそれ以上に興味をそそられる何かしかない。

 

「やめなさい! こんな追い立てるような真似は。ミアトルの生徒として恥ずかしくは―――」

「会長こそ恥ずかしくないんですか?」「お気に入りの生徒を次期会長にしておいて」「部屋を移した理由とかだって、みんな納得出来てませんよ~」

「ッ!? だから…それは前に…説明した通り…」

 

 策もなくただ叫ぶだけでは、結果がこうなることは見え見えだった。廊下を埋め尽くす生徒たちのほとんどは、既に私の言葉を信じてはおらず、一方で彼女たちの言葉ばかりが、乾燥した地面に染み込む水のように、その心に染み渡るのだから…。

 

(いっそのこと降参したら玉青さんは見逃してもらえるかしら? だったらその方がいいかもしれないわね)

 

 やるべきことが決まると、意外にも肩の力がフッと抜けて気が楽になった。

 

 あくまで可能性だが、静馬への想いを切々と語ることでピンチを切り抜けることを出来たかもしれない。だけど私はそうはしなかった。100パーセントじゃないという理由からではなく、この()()()()()()()()()()()()自分の意志で場に出したかったからだ。

 

 私の作り出した最高の盤面で静馬に叩きつけるために、今この場は惨めに白旗を上げるのである。

 

(あんな事があっても、まだ静馬を諦めないでいる。私ってこんなに馬鹿な女だったかしら)

 

 静馬の顔が浮かぶと自嘲する笑みさえ零れた。

 

 なるべくみっともなく…か。上手く出来るだろうか? 

 

「聞いて頂戴」

「なんですか?」「もしかして交際を認めるとか?」

「違うわ。これからするのは、皆さんへのお願いよ」

「「………?」」

「私には何を言っても構わないから、玉青さんに言うのはやめてあげて欲しいの。まだ病み上がりだし、負担を掛けたくないの。どうか…お願い………します」

 

 そう言うなり頭を下げた。彼女たちも観衆たちも、まさか私が頭を下げるとは思っていなかったのか、叫んだ時とは違い、みんながキョトンとした顔を浮かべそのまま固まってしまう。気まずそうに顔を見合わせ、やり過ぎたかもしれないといった表情で、声を詰まらせた。

 

 そんな中でただ一人声を上げたのは―――。

 

「どうして…ですか? どうして六条様が頭を下げるんですか?」

「玉青さん」

「やめてください六条様。六条様がこんなことする必要なんて」

「それが私の役目だからよ。別になんてことないわ。………………。玉青さん?」

 

 答えながらも、玉青さんの覚束ない足取りに動揺を隠せなかった。頭が痛いのか片手で押さえるようにしてフラフラと歩く姿はとても頼りなさげで、どう見ても正常ではない。

 

「ダメですよ。だって…だって六条様は――――――あっ…、ッ、六条…様…は…」

「玉青さん? 玉青さんッ!? どうしたの? しっかりしなさい。玉青さんッ!?」

 

 フラリと倒れ込んだ玉青さんをどうにか受け止め必死に呼び掛ける。気を失っているのかぐったりとした身体は重く、熱を帯びていた。

 

「保健室へ連れていくわ。誰か手を!」

「玉青ちゃんッ!? 玉青ちゃんッ!!」

 

 突然の事態に騒然とする群衆の隙間を縫って飛び出してきた渚砂さんが、心配そうに駆け寄り顔を寄せる。けれど渚砂さんの呼び掛けにも玉青さんは反応しないままだった。

 

 演技ではない。そのことに誰もが気付き一気に殺伐としだした廊下に、バタバタとした足音が響き渡った…。

 

 

 

 

 

 

<刷り込まれた恐怖>…涼水 玉青視点

 

「んっ…ここ…は?」

 

 目を開けると真っ白な天井と薄緑色のカーテンが見えた。

 

「よかったぁ。急に倒れたから心配しちゃったよ」

 

 すぐ傍には渚砂ちゃんの顔。

 

「そういえば私…気を失って…」

「あっ、まだ起きちゃダメだよ。安静にしてなきゃ」

 

 身体を起こそうとした私を慌てて渚砂ちゃんが制止した。やっぱりまだクラッとするみたいで、頭が枕の上に乗っかると安心する。渚砂ちゃんの話によれば、あの騒ぎの中、廊下で倒れた私を渚砂ちゃんや紀子さんたちが運んでくれたそうだ。

 

「それで六条様は? 大丈夫だったんでしょうか?」

「今は先生とお話してる」

「そう…ですか」

「玉青ちゃん…。六条様のことを心配するのもいいけど、私は………その」

「渚砂ちゃん?」

「自分の事を大切にして欲しいな。玉青ちゃんは自分を(ないがし)ろにしすぎだよ。それじゃ、いつか玉青ちゃんが壊れちゃうよ」

 

 両手で握った私の手を、そっと自分の頬にくっ付けながら渚砂ちゃんはそう言った。

 

「ごめんね。六条様との噂の事…やっぱり話しておくべきだったね」

 

 渚砂ちゃんや紀子さんたちがどうして朝から私を教室の外へ連れ出したりしたのか、これで合点がいった。渚砂ちゃんたちは私を噂から遠ざけようとしてそうしてくれていたのだ。

 

「私のために…頑張ってくれていたんですね」

「でも―――」

「嬉しいです。とっても」

 

 渚砂ちゃんの「でも」を遮り感謝を述べる。だって結果はどうあれ、私を想って行動してくれたことなのだから。

 

「優しいんですね、渚砂ちゃんは」

 

 お餅みたいに柔らかいほっぺを撫でながらそう言うと、渚砂ちゃんは照れて恥ずかしかったのか、はにかんだ笑顔を浮かべた。それから少し経って、渚砂ちゃんが「先生を呼んでくるね」と出て行ってしまうと、一人ベッドに取り残された私に束の間の静寂が訪れた。

 

(さすがに…ちょっと疲れましたね。まさか復帰一日目からこんなことになるなんて…)

 

 悪い霊にでも取り憑かれているのだろうか? 横になったままボーッと窓から外を眺めていると、快晴の空を何羽かの鳥たちが気持ちよさそうに飛んでいた。何気なくスッと手をかざし、その鳥を追いかけるように手を動かしてみる。こうしていると自分が羽根を怪我して飛べなくなった籠の鳥に思えて仕方がない。羽根が治って、早く自分も列に加わりたいと願うそんな鳥の気分に…。

 

「目が覚めたみたいね」

 

 シャーッとカーテンの動く音がして、保健の先生が入ってきた。

 

「倒れたというから心配したわ。軽度の貧血ね。病み上がりだったのに加えて朝食もあまり口にしてなかったみたいだから。他には………()()はどう? 最近周期が乱れていたりするかしら?」

「あ…、少し遅れています」

 

 肉体的なショックも、精神的なショックも大きかったからなのか、本来は訪れていておかしくない()()の日が止まってしまっていた。私の答えに「なるほど」と呟きながら問診票に何かを記入した先生がパッと顔を上げた。

 

「思春期だと精神的な事とかで結構簡単に乱れてしまうのよね。もしあまりにも遅いようであれば相談して頂戴。とにかく頭を床に打たずに済んで何よりだったわ。六条さんに感謝ね」

「はい。先生も…ありがとうございます」

「六条さん、入ってきていいわよ」

 

 傍で待機していた六条様もやって来てベッドの横に並ぶと、あまり広くはないスペースは少々手狭な感じがした。

 

「先生から説明を受けて安心したわ。重篤な病気かもしれないと思って心臓が縮み上がりそうだったもの」

「すみません…またご迷惑を」

「今回のは私が悪いのよ。だから謝るのは私。本当にごめんなさい。それと渚砂さんにも謝らせて頂戴。玉青さんのこと、ごめんなさいね」

 

 その後、他の先生方と早退や明日以降の出席について話し合うからと、保健室には私と渚砂ちゃんを残し二人は出て行ってしまった。他にベッドで休んでいる生徒もなく、部屋には私と渚砂ちゃんの二人きり。手伝ってもらって身体を起こし、互いに手を握り合う。

 

「渚砂ちゃんの手、あったかい…」

「ね、玉青ちゃん。目…閉じて」

 

 僅かに握った手に力を込めながら渚砂ちゃんが呟いた。

 

「目を…ですか?」

「うん。早く治るように、()()()()()してあげる。だから…ね?」

 

 おまじないって()()『おまじない』なんだろうか? かつて私が渚砂ちゃんにした…。その時の事を思い出して思わず頬が熱くなる。それは渚砂ちゃんから…私にしてくれるということだ。

 

「それってもしかして…」

「ダメかな?」

 

 尋ねてくる渚砂ちゃんの顔は既に間近で、ちょっと顔を動かしただけで触れてしまいそうなほどだった。

 

「ここ、学校の…保健室………ですよ?」

「でも私たちしかいないよ? なんならもう一回確認してくるね」

「あっ、渚砂ちゃん」

 

 手を伸ばしたときにはもうスルリと潜り抜け、部屋のあちこちから可愛らしい足音が聞こえてきた。小さな「よしっ」という声と共に私の元へと戻ってきた渚砂ちゃんの顔は、どことなく桜色に染まっていて…。

 

 私が察するに勢いで言い出したはいいものの、間を置いてしまったせいで急に恥ずかしくなったとか、そんなところだろうか。

 

(渚砂ちゃんたら本当に可愛いですわ)

「あ~、今笑ったでしょ?」

「えっと………さぁ、どうでしょう」

「も~。せっかく私からって…あっ、ううん、何でもない」

 

 言っていてさらに恥ずかしくなったのか、みるみるうちに桜色というよりか真っ赤に染まっていく渚砂ちゃんの顔。

 

「急に誰かが入ってきたりしたら…どうしましょうか?」

「平気だよ! カーテンもあるし」

「ふふっ」

 

 力強い断言につい笑いが零れてしまう。

 

 念のためにと改めてしっかりと閉じられたカーテンの裏で、私たちは手を握り合いながら互いの名を囁いた。

 

「渚砂ちゃん」

「うん、玉青ちゃん」

 

 自然と近付いていく二人の顔。吐息が掛かるよりも前に私は目を瞑り、それから私の予想した通りのタイミングで―――唇が重なった。

 

「「んっ…」」

 

 柔らかくて、甘~い唇の感触。懐かしいその味は私に安らぎを与えてくれるはずだった

 

「うっ」

 

 感じた息苦しさに反射的に渚砂ちゃんを突き飛ばし、手で口を覆う。

 

 なに…今の?

 

「た、玉青ちゃん?」

 

 驚きに目を見開いた渚砂ちゃんが呆然と私を見つめている。

 

「ご、ごめんなさい。体調が…まだ…戻ってなかったみたいで…その」

 

 キスを拒絶したことへの言い訳を口にしながら、私は胸の動悸と込み上げてくる吐き気を悟られないように、作り笑いを浮かべた。そしてポケットから財布を取り出し、渚砂ちゃんの手に渡す。

 

「自動販売機で何か飲み物を買ってきてもらえませんか? 渚砂ちゃんの分も買っていいですから」

「う、うん…分かった。急いで行ってくるね」

 

 パタパタと駆けていく足音の後に、扉が閉まる音がした途端、私は再び口を覆ってうずくまった。

 

「う、ケホッ…、うっ、うぅ…」

 

 なんで? なんでこんなに気持ち悪いの?

 

 空いた手でシーツをこれでもかと握りしめ吐き気に耐える。たしか近くに自販機があったはずだから、こうしている間にも渚砂ちゃんが戻ってきてしまうかもしれない。

 

「それに…さっきのって?」

 

 唇が触れた瞬間に脳裏に浮かんだイメージ。あれは…まぎれもなく…()()()の―――。

 

「嫌…、嫌っ! 嫌ぁあ!? どうしてっ? もうあれから…1週間以上………経ってるのに」

 

 ベッドの上で頭を抱えて丸くなりながら、必死に悪夢を振り払うべく楽しいことを思い浮かべて打ち消そうとする。渚砂ちゃんは今どの辺だろう? もう戻ってきてしまうのだろうか? こんな姿、渚砂ちゃんに見せたくない。

 

「ただいまー! 玉青ちゃ~ん、買ってきたよ~」

(渚砂ちゃん、もう…戻って)

 

 保健室の扉の開く音と共に元気な声が響く。本当に急いで行ってきたのだろう。息を弾ませた渚砂ちゃんが2種類の飲み物を手に現れた。

 

「こういう時だしと思ってスポーツドリンクとお茶と両方買ってき―――た、玉青ちゃん大丈夫? 先生呼んでこようかッ!?」

「えっ?」

「凄い汗だよ。それに手も…ちょっと震えてる」

 

 言われるまで気付かなかった。私はびっしょりと脂汗をかき、身体も僅かに震えていたのである。

 

「だ、大丈夫です。あっ、わ…私はスポーツドリンクの方を頂きますね」

 

 独特な、こういった飲料特有の味。普段はあまり好まない味だが、今の身体には合っていたようだ。少しずつ口に含み、何度かに分けてゆっくりと飲み込むと、吐き気は緩やかに治まっていった。

 

「美味しいです。ありがとう渚砂ちゃん」

「本当に…大丈夫なの?」

「ええ。渚砂ちゃんのおかげで良くなりました」

「なら…いいけど」

 

 半信半疑な様子ではあるけれど、一応誤魔化すことには成功したみたい。このまま渚砂ちゃんの気を逸らそうと、私は努めて笑顔で話し掛けた。

 

「初めてですね、渚砂ちゃんから…キスしてくれたの」

「えへへ。いつも玉青ちゃんにしてもらってばっかりだったから。私も…頑張らなくちゃって思って。やっぱりドキドキするね」

「とても素敵でしたわ。今までで一番かもしれません」

「ほんと? そう言ってくれると…嬉しいな。玉青ちゃんの体調が万全だったらもっとよかったのになぁ~」

 

 せっかくの渚砂ちゃんからのキスなのに、私はその感触のほとんどを覚えていなかった。残ったのは嘘をついてしまったという後味の悪さと、未だ心に刻まれた深い傷跡の痛みばかり。花園静馬という人間は私をどこまでも苦しめる存在らしい。

 

(今日…たまたま…ですよね? 体調が悪かったから…それで。たまたま色んなことが重なってあんな風になっただけ。大丈夫。私は渚砂ちゃんが好き。渚砂ちゃんからのキスで気分が悪くなるわけ…)

 

 本当だろうか? 本当にもう一度キスした時、私は普通でいられるのだろうか?

 

 心に生まれた新たな疑念が、私を蝕み始めた…。

 

 

―――――――――

 

――――――

 

―――…

 

 

 結局私は早退をすることになり、先生に付き添われていちご舎に帰ることに。付き添いなら自分が、と申し出てくれた渚砂ちゃんには申し訳ないけれど、先生と一緒の方が気が楽だった。部屋まで送ってくれた先生にお礼をし、手早く制服を脱いで着替えを終えたらベッドに向かって一直線。まだお昼過ぎだというのに疲労は最高潮に達していた。

 

「渚砂ちゃん…」

 

 小指で唇をなぞり、その先端に軽く口付けをする。うん、なんともない。胸の動悸も、吐き気も、襲ってくる気配はまるでなかった。

 

(どうして…あの時)

 

 六条様との噂の事でもショックを受けはしたが、それ以上に渚砂ちゃんとキスした時に感じた様々なものの方が余程嫌だった。キスの相手は紛れもなく渚砂ちゃんで、()()()ではなかったのに…。

 

 トラウマのこと、先生にそれとなく相談するべきだっただろうか? ううん、きっと違う。だって私の傷は薬や包帯では癒せないのだから。克服するには時間か、それか精神的なきっかけが必要なんだと思う。

 

「せっかく勇気を出してくれたのに、ごめんなさい渚砂ちゃん」

 

 愛する人への懺悔と共に、私の意識はまどろみの中へと落ちていったのだった。

 

 

 

 

―*―*―*―*―

 

 

 

 人の動く微かな気配。続いてカタンという窓を開ける音に目が覚めた。余程深い眠りに落ちていたらしく、視界はまだぼやけたままだ。薄っすらと見えるシルエットの人物は一体誰なんだろうか?

 

「んっ…、渚砂ちゃん…ですか?」

 

 開け放たれた窓から吹き込んだ風がその人物の髪を揺らす。ふわりと広がった髪が壁に描き出した影は渚砂ちゃんのものではなかった。

 

「誰…?」

 

 目を擦り、ようやくはっきりしてきた私の目に映ったのは…沈みかけた夕日を浴びてキラキラと煌めく()()だった。

 

「うそ………、どうして? 鍵だってちゃんと閉めていたのに…」

「あなたに会いたくて魔法を使ったの。久しぶりね、玉青さん」

 

 

 

 

 

~~~次章に続く~~~

 

 

 

 

 

 




■後書き

 一度噂になってしまうと否定してもダメだったりすることありますよね。別に恋愛に限ったことではありませんが…。玉青ちゃんや六条様も素直に全てを打ち明けられたら少しは楽になれるんでしょうが、そうもいかないアストラエアの丘の恋愛事情。

 一般の生徒からすると、キャッキャッ騒いでるのはあくまで噂に乗っかれて嬉しいとか、恋愛に対する憧れみたいなものがほとんどで、真剣に同性愛がどうのこうのって子たちは、おそらく話題に入らず片隅でひっそりと隠れているんでしょう。だからいざ打ち明けると、「そういうのはちょっと…」といった具合に距離置かれちゃう可能性が99パーセントな感じ。

 なんで以前の渚砂と静馬の時は噂(第20章あたり)が長引かなかったの?ってとこですけど、静馬様みたいに普段から話題になっている御方だと、やっぱりどこかで「静馬様、またお戯れ遊ばしていらっしゃるのね、ウフフ」くらいで終わっちゃうというか新鮮味に欠ける部分があるのではないかと。相手の渚砂ちゃんは編入生なので、目新しい相手に飛びついたな、とか思われてる可能性も。

 それに対して六条様だと「えっ? あの真面目な生徒会長が?」という驚きと、相手の玉青ちゃんが生え抜きのミアトル生ということもあり、本気度が高い様に映るのではないでしょうか?



 というわけで補足みたいなお話でした。よかったら次章もよろしくお願いします。それでは~♪




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第33章「私のものになると誓いなさい」

■あらすじ
 突然の来訪者は『あの御方』。あの日以来の二人きりでの再会に凍り付く玉青は、恐怖で言葉を失ってしまう。そんな玉青に向かって告げられた恐るべき()()とは!?

■目次

<悪魔の提案(サジェスチョン)>…涼水 玉青視点
<こんなに近くにいるのに>…涼水玉青視点
<季節外れの雪が降る>…源 千華留視点


<悪魔の提案(サジェスチョン)>…涼水 玉青視点

 

 そのシルエットの正体が静馬様だと分かった途端、私の身体は恐怖に震え、凍り付いたように動かなくなった。ベッドで上体だけを起こしたまま見つめる先で、風になびく銀髪が周囲に漂わせたのは、蝶の振りまく鱗粉にも似た輝き。それらは風に乗って部屋のあちこちを旅すると、淡い光を残して儚く散っていった。

 

「だ、だって…鍵…掛けて…」

 

 何かの間違いではないかと思って視線を巡らせてみても、ドアにはこじ開けた様子など何一つなく、来訪者などいませんでしたと言いたげに、()()()()()()()()()()()()お淑やかに佇んでいた。

 

「ふふふ。すり抜けて入ってきたのよ。素敵な()()でしょ?」

 

 そう言って子供をからかうみたいに微笑んだ静馬様の手の中で、何かがチャリッと音を立てた。そのまま何度か手の中でそれを跳ねさせた後、そっと掌から滑り落とされた()()は、ピーンと伸びた鎖の先でクルクルと回転しながら私にその正体を明かす。

 

「あっ…鍵………」

 

 それは紛れもなく鍵だった。しかもいちご舎のどの部屋でも開けられる特別な―――寮母さんやシスターが管理するマスターキー。鎖に繋ぎ留められたまま未だ回転を続ける魔法の道具に、自ずと私の視線も釘付けになる。

 

「いいでしょう? これ。貸していただいたの」

 

 私が「どうしてあなたがそれを?」と尋ねるのに先んじて、静馬様によるタネ明かしが始まった。

 

「心労で倒れた敬虔なミアトル生を、()()()()()()()()()()()()()と言ったらすぐに貸してくれたわ。もちろん私も、それはもう神妙に…恭しくお願いしたから当然の結果と言えるけれど」

 

 その時の事を思い出したのかフッと笑みを零す静馬様の手元からは、ヒュンッヒュンッと風切り音が鳴り響く。チラッチラッと視界を掠めるのは旋回する鍵。鎖の輪っかに指を引っ掛け、器用に弄ぶそれが音の正体だ。しかし私にはそれがまるで…死神が振るう大鎌の音のように聞こえていた。

 

「私が真面目にお仕事するのが嬉しくて仕方がなかったみたい。シスターったら何て言ったと思う?くくっ、あははははは。玉青さんをよろしく、だなんて言ったのよ。笑っちゃうわ」

 

 タネ明かしが終わり手の動きが止まると同時に、推進力を失って歪んだ弧を描いて自身へと向かう鍵。鈍い光沢を放つそれを見事にパシッと手で受け止めつつ、悪魔は唇の端を吊り上げた。

 

「さてと…茶番はこのくらいにして本題に入ろうかしら。今日はあなたに提案をしに来たの」

「提…案?」

「ええ、そうよ」

 

 窓辺から離れ、こちらに向かって歩き出す静馬様の姿にあの日の悪夢が蘇る。

 

「来ないで…。こ、声を…。声を上げますから」

「まさか助けを呼ぶつもりなの? その蚊の鳴くような声で?」

 

 試すように笑う静馬様の指摘通り、私の声はとてもか細く弱々しい声で、ドアを一枚隔てただけの廊下にだって届くか怪しいものだった。

 

「それ以上一歩でも近付いたら…悲鳴を上げます。本当ですから。生徒は居なくたって寮母さんやシスターはいらっしゃるんです。だから…こっちに来ないで()()()()

「相手にお願いをしてる時点で…それは負けを認めてるようなものよ?」

 

 構わず近付いてきた静馬様のしなやかな手が、ヒタッと私の頬に触れる。血の通った人肌のはずなのに、氷のように冷たく感じられるそれに、身体の震えは増していく一方だった。

 

「ぁ…、あ、ああっ、ぁ……あ…」

「どうしたの? 悲鳴を上げるんじゃなかったのかしら?」

 

 憎い相手に挑発されても声は喉から出てこなかった。心の中では悲鳴を上げるべく必死に口を動かすよう念じているのに、実際に私の口から漏れるのは、ヒューッ、ヒューッという掠れた呼吸音と、意味を成さない言葉の出来損ないだけ。「そういう顔も素敵」と頬を撫で回す静馬様にされるがままに、パクパクと口を開閉させていた。

 

 そしてギシッという軋んだ音と共に、片膝をベッドに乗せた静馬様の唇が吐息と共に耳元へと届けたのは―――。

 

「ほら? どうしたの? 声を上げていいのよ。キャ~でも、助けて~でも。ふふふふ。あなたの可愛い悲鳴、聞かせて頂戴?」

「ぁ、ぁ……ぁ…ぁ」

 

 ねっとりと耳に絡みつく妖艶な囁き。けれど脳味噌まで蕩けそうなその声とは裏腹に、私の悲鳴を求める言葉はあまりにもおぞましくて…。

 

「あらあら。声が出なくなってしまったのね? 可哀想に、すっかり怯えてしまって…。そういうつもりはなかったのだけれど、つい()()()帰りたくなってしまうじゃない」

 

 頬を撫でていた手が太腿へと移動し、ツゥーッと這うように足先から胴体の方へと滑っていく。

 

「このまま声が出ないと、大変な事になってしまうかもしれないわね、玉青さん?」

「ゃ…、やめ……やめ…て……くだ…さ」

 

 脅し文句にどうにかこうにか声を絞り出すと、静馬様はよしよしと頭を撫でながら言葉を続けた。

 

「それじゃ私が話をするからちゃんと聞くのよ? そしたら何もせずに帰ってあげる。分かった?」

 

 私は返答として無言でコクコクと頷いたものの、それに満足しなかったのか、再び耳元に唇が寄せられ―――。

 

「お返事は?」

 

 突然の大声にビクッと身体を竦ませた私は、何もされたくない一心で祈るように「はい」と返事をした。あの日の恐怖が頭にこびりついていなければ多少の反抗もしただろうが、今の私はただただ静馬様に部屋から出て行って欲しくて、従順な(しもべ)を装うほかに手段は残されていなかったのである。

 

(あんな目に遭うのは、もう…絶対に嫌。あんな…あんな怖い事)

 

 思い出そうとしただけでガタガタと震え出した身体を自ら抱き締めると、そっと目を伏せた。戦慄の対象である静馬様を視界に入れることさえしたくなかった私にとって、それが一番の方法だったから。

 

「良い子ね。そうしていれば私は優しくしてあげる。もちろん酷い事なんてしないから安心して頂戴。女神様に誓うわ」

 

 声色は優しくても気が休まるわけではない。逆に言えば…良い子にしていなければ酷い事をすると、この人はそう言っているのだ。

 

「提案というのはね、深雪を助ける方法についてなの」

「六条…様を?」

「そう。今学園で噂が広まってるでしょ。深雪はあれの対処に困っているし…心を痛めているわ。だけど何よりも問題なのは、あまり噂が広まり続けると、実家である六条の家が黙っていないって事。名家っていうのは家の看板に傷が付くのを嫌がるものなのよ。最悪、この丘から連れ戻されて卒業式の日まで家で軟禁状態にされる可能性も…考えられるわ」

「そんなっ…!?」

「あくまで可能性だけど、早く手を打つに越したことはないの。六条の家は、ある意味で私の花園家よりやっかいだから。玉青さん、あなたは深雪に恩義があるはず。だったら助けたいとは思わない?」

「それは―――」

 

 思うに決まっている。六条様は私を高く評価し次期会長へと推してくれた。仕事だっていつも丁寧に根気強く教えてくれたし、仕事が終われば優しくもしてくれた。そんな六条様を私は尊敬し、慕ってもいる。第一卒業まで家に軟禁だなんて、六条様が可哀想過ぎるではないか。

 

 でも元を正せば、噂になった決定的な原因は静馬様があんな事をしでかしたからで、あれさえなければ私は部屋を移動せずに済んではずだ。そしたら噂も起きず、六条様だって…。

 

「―――ッ!? まさか…あの噂もあなたが………?」

「鋭いのね、と言いたいところだけど外れよ。深雪にも疑われたけどね。噂に限っては私はノータッチよ。だからこそ申し訳なくもあるの。深雪にはとんだとばっちりだもの」

 

 信用は…出来るわけない。けど、六条様を助ける方法については聞くだけ聞いてみてもいいと思った。

 

「それでその方法というのは?」

「興味あるみたいね。別にたいしたことじゃないわ。とても簡単なことよ」

「早く…仰ってください」

「ふふ、せっかちさんね。だったら教えてあげる―――」

 

 そう言うなり伸びてきた手が私の顎に掛かり、無理矢理見つめ合わされた瞳の中に互いが映り込む。顔を逸らしたくても逸らせず、妖艶な瞳が私の魂を吸い取ろうと不気味に明滅した。

 

「大勢の前で、私のものになると誓いなさい」

「………………えっ?」

 

 突拍子もない発言に、時間が止まったかのような感覚さえ沸き起こる。

 

「何を仰っているのか………分かりません」

「幸いなことに私は今回の噂についてまだコメントしてないわ。だからあなたがそう宣言をして、私がそれを認める形で交際を発表するの。私と玉青さんが付き合っていて深雪は無関係。部屋の移動は私が裏で深雪に頼み込んだとでも説明するわ。他の要因についても同様よ。どう? そうすれば深雪は噂から解放されて、晴れて自由の身になるってわけ」

「そんな方法…」

「広がってしまった噂を打ち消すにはそれ相応のインパクトがいるわ。そしてそれを可能に出来るのはエトワールであるこの私だけ。ふふ、それとも渚砂との仲を公表する? たぶん聞き流されるのが関の山ね。目の前でキスでもして見せれば違うかもしれないけど………そうしたらその後のあなたたちがどんな扱いを受けるか、想像しただけでも楽しそうね?」

 

 つまりは今飛び交っている噂を、新しい噂で上書きしようというのだ。たしかにエトワールの名声を利用すれば、不可能ではないかもしれないけれど………。

 

「嫌…です。だって私には…私には渚砂ちゃんが―――」

「なら深雪は見捨てるの? 意外と薄情者ね?」

「そ、そうは………言って…ません。でも、助けたいと仰るなら静馬様一人でだって。あなたなら………他にいくらでも方法が」

「さっきも言ったでしょう。もうこの噂はちょっとやそっとじゃ止められないの。噂の渦中の人物である玉青さん、あなたを利用するこの方法が最も優れた方法なのよ。優秀なあなたなら理解出来るんじゃない?」

「ひ、卑怯ですッ!! 六条様を利用してっ」

 

 提案に乗るということは、渚砂ちゃんを裏切るということ。この人は私たちの関係に自分がトドメを刺すのではなく、それを私にやらせようとしているのだ。許せない、こんなこと。許せない………けど―――。

 

「私は知ってるのよ。あなたが自分のためよりも、誰か人のための方が必死になれるってことを」

「―――ッ」

「渚砂の時だってそう。自分は傷付いても平気なくせに、渚砂が傷付きそうになると不思議なくらい力を発揮する。私にビンタした時も、渚砂のためだったんじゃないかしら?」

「いけませんか…。誰かのために努力をしては」

「自己犠牲の精神? ふふふっ、大変ね。()()()は。身近で困ってる人を見ると、助けずにはいられないんだから。それじゃあ崇高な騎士様にお尋ねするわ。あなたはどうするの? 深雪を見捨てるの? あなたがYESと答えるだけで深雪は救われる。深雪を助けられるのはあなただけよ? さあ、答えて頂戴」

「か、考えさせて…ください…。少しでいいですから

「いいわ。どうせ答えは決まっているんですもの。でも猶予はあまりないからそのつもりでね」

 

 それだけを言い残し静馬様は何もせずに部屋を去っていった。本当に提案することが目的だったらしい。静馬様が外に出て、そして扉の向こうから()()が掛けられると、ドアはしっかりと施錠された。来た時と同じく来訪者の痕跡を何も残さぬままにお淑やかに佇むその様子は、たしかに魔法が掛けられたかのような静けさだった…。

 

 

 

 

 

 

<こんなに近くにいるのに>…涼水玉青視点

 

 控えめで可愛らしいノックの音にすぐに渚砂ちゃんだと気付いた。急いで迎えに行くとそこには思った通り渚砂ちゃんの姿が。就寝前の時間ということで薄ピンク色のパジャマを纏っているのがとってもキュートだ。

 

「いらっしゃい渚砂ちゃん」

「えへへ、玉青ちゃんに会いたくて来ちゃった。夕食前は寝てたみたいだけどあれから具合はどう?」

 

 静馬様が来たことを伝えるべきか、どうしようか。逡巡する私に向けられる屈託のない笑みに胸がチクリと痛む。結局、会話しつつ様子を見ながら決めることにして座るように促した。

 

「ええ、おかげさまでバッチリです。お茶の用意をしますから、座って待っていてくださいね」

「わ~い。玉青ちゃんとお茶会だぁ!」

 

 喜びを表現するかの如くトタトタと部屋の中を駆けると、椅子とベッド、どちらに座るか迷った後、ベッドへとピョンとダイブ気味に着席した渚砂ちゃんは、そのまま無邪気に足をパタパタとさせた。

 

「なんだか嬉しそうですね」

 

 戸棚からティーポットを取り出しながら尋ねると、

 

「当たり前だよ。玉青ちゃんの淹れてくれる紅茶が飲めるんだもん」

 

 と弾むような声が返ってきた。期待されると嬉しくて、ますます美味しいのを淹れてあげなくちゃって気合が入ってしまう。

 

「パックのじゃ物足りませんでしたか?」

 

 もしそうだったら私が頑張り過ぎて舌が肥えてしまったのかも。渚砂ちゃん好みに作った特製のブレンド茶葉を手に取りながらそんな楽しい想像をしていると、自然と笑みが零れ、気持ちがググッと上を向いていく気がした。

 

 でも渚砂ちゃんの言った意味はちょっと違ったみたい。

 

「そうじゃなくて………あ、ううん…玉青ちゃんのはもちろんパックのやつより全然美味しいんだけどね。そうじゃなくて…一人じゃやっぱり味気なくて…。もし同じくらい美味しい紅茶を私が淹れられたとしても、玉青ちゃんと飲むのと独りぼっちで飲むのとじゃ、違うと思うから」

 

 暗に私と居ることへの喜びを示してくれたその言葉に、思わず手を止めて振り返った私の横では、沸いたお湯がゆらゆらとのんびり湯気を立ち昇らせていた。

 

 

 

 

 

「うんっ! 美味しい!」

「言ってくれればいくらでもおかわりを淹れますからね」

「それは魅力的だけど、あんまり飲むと眠れなくなっちゃうよ」

 

 二人分の椅子はないから私が椅子で渚砂ちゃんがベッド。逆にテーブルは二人で使っていたものより大きいから、ティーポットやトレーを置いてもかなり余裕があった。

 

「一人部屋って広いね~。ベッドが一個しかないから当然だけど、それでも広く感じちゃう」

「それが嫌でずっと二人部屋を選択する生徒もいるくらいですからね」

「そっちの方がいいよ。うん、私は断然そっち派かな」

 

 私が休んでいた間の学校での出来事などを交え、和やかに続く他愛のない会話。今日一日ショックの大きかった私には最高の栄養剤だ。渚砂ちゃんも何となくそれを察して噂の事とかそういった話題は避け、なるべく楽しそうな話を選んでしてくれたみたいで、ついついお茶のおかわりが進んでしまう。

 

 気付いたらもう4杯目! 寝れなくなると言っていた渚砂ちゃんも既に3杯を飲み干していた。

 

 この雰囲気を壊したくない。そうは思いつつも、私はどうしても渚砂ちゃんの考えを聞きたくて口を開いた。

 

「渚砂ちゃん。渚砂ちゃんはもし私との仲をみんなに公表することになったら、どう…思いますか?」

 

 ちょっと突然過ぎただろうか? 目を丸くして何かあったのか尋ね返す渚砂ちゃん。そんな渚砂ちゃんに両手で何でもないってアピールをしながら再度聞いてみた。

 

「あっ、いえ…あくまで例えばの話です。何かしらの事情でみんなに話さなきゃいけないってなったら…なんて」

 

 雰囲気が変わったのを感じたのか、少し姿勢を正して私を見つめ直す視線に影が落ちる。

 

「やっぱり…不安………かな」

「そう…ですよね」

「みんながどんな反応するのか怖いし……うん、不安がないって言ったらそれは嘘になると思う」

「分かりました。ありが―――」

「でもね」

 

 私の言葉を遮ったその「でも」の力強さに、思わず渚砂ちゃんの顔へと目が吸い寄せられた。

 

「でも私は………みんなに言いたいなって思う事…あるよ。クラスの子たちとか、同じ学年の子。それに全然知らない上級生とか下級生にも。私たちは付き合ってるんだよって。私の恋人は―――玉青ちゃんは素敵な人なんだよって、言ってみたい。みんなに認められて、学校の中でも自由に振舞って、それで、それでね」

 

 希望について語るその目は、とても………とても眩しくて。

 

「みんなの前でギュ~~~~ッてして欲しいな」

「ギュ~ッですか?」

「うん! ギュ~~~~ッって。背骨が折れちゃうじゃないかってくらい強く抱き締めてね」

「ふふっ、ふふふふふ。なんだか渚砂ちゃんらしい」

「たぶん大変だとは思う。私たちのことを悪く言う人とかも出てくるだろうし。でも玉青ちゃんとなら…玉青ちゃんとならなんとかなると思うの。だって私―――玉青ちゃんのこと」

 

 途中までは可愛らしいな、なんて思ってたのに。何かを言い掛けた渚砂ちゃんの瞳はウルウルと涙に濡れていて…。びっくりするぐらい艶っぽくて、こんな事言ったら失礼だけど渚砂ちゃんじゃないみたいだった。その瞳の魔力に吸い寄せられるように立ち上がった私は、渚砂ちゃんの隣に腰掛け改めて顔を覗き込んだ。

 

 どこまでも引き込まれてしまいそうな赤い瞳は深い海を思わせる。そして目尻に湛えられた一粒の涙は限りなく透き通る宝石のようで、互いを映し合うことでさらにその美しさを際立たせていた。

 

 渚砂ちゃんに応えるように手を握った私たちの間に、「昼間の続きをしよう」だなんて言葉は必要なかった。磁石のS極とN極のように引き付け合う力が働き、私たちはその力に身を委ね…力を抜く。それが当然であり、必然だと理解していたから。

 

 しかし―――。

 

(あっ、来る…。嫌っ。なん…で?)

 

 保健室の時の繰り返しの如く再び襲い来るフラッシュバック

 

 まただ! また()()だ。

 

 唇が触れた瞬間、昼の時よりもさらにはっきりと脳裏に蘇った静馬様の姿に、お腹の中がひっくり返ったような感覚が込み上げてくる。

 

(渚砂ちゃん! 渚砂ちゃんッ!!)

 

 心の中で名前を叫びながら必死に唇を強く擦り合わせても、唇は嘘みたいに無機質で、何一つ快感は得られないまま、ただ不快感ばかりが増していく。

 

「んっ、玉青ちゃん…」

 

 唇が離れ、()()()()()()()表情を浮かべる愛する人の顔。私はそれを青ざめた顔で俯きながら、垂れた前髪の隙間から覗いていた。

 

(気持ち…悪い。でも、今はとにかく渚砂ちゃんに帰ってもらうのが―――)

「ねぇ玉青ちゃん。もう一回…しよう?」

「えっ…?」

「少しずつだけど、私…玉青ちゃんの望むようなことを、受け入れられるようにしたい。まだキスしか出来ないけど、いつかは…もっと」

「ま、待ってください渚砂ちゃ―――きゃあっ!?」

 

 肩を掴んで迫る渚砂ちゃんにグイグイと押され、勢い余った私たちはそのままベッドへと倒れ込んだ。小さな悲鳴を漏らした私が目を開けると、渚砂ちゃんが両肩の辺りに手をついて私を見下ろしていた。

 

「ご、ごめんね…玉青ちゃん」

「いえ、だいじょう―――ッ!?」

「…? 玉青ちゃん?」

「な、何でも…ありません」

 

 私が下で、渚砂ちゃんが上。その体勢が奇しくも()()()のものと酷似していることに気付いて、喉の圧迫感が増大していくのを感じた。それと同時に呼吸は早く…浅く、バクバクと鳴り響く心臓の音が口から聞こえてしまいそうなほどに大きくなる。

 

 どいて! 早くどいてっ! そう叫びたいのを歯を食いしばって我慢し、そっと腰を掴んでどかそうとした私に渚砂ちゃんは―――。

 

「玉青ちゃんッ!! 好き!!」

 

 そう叫んだかと思うと止める間もなく覆い被さってくる姿に、静馬様のそれが重なった。身体に感じる自分以外の人の重み。唇の感触。握り合う手の締め付け。

 

(ぁ…、嫌、嫌ぁ…、あ、ああ…)

 

 ドクン、ドクンと身体中の血液が駆け巡る感覚と共に、次々と恐怖が蘇っていく。静馬様の嗤う顔。口の中に侵入してくるヌルヌルとした舌の感触。身体の隅々を這いずり回る白い指先。そして………そして―――。

 

 私の純潔を奪った、あの火傷のような下腹部の痛み。

 

「嫌っ!? 嫌ぁああ!?」

 

 記憶だけでなくその痛みさえもが蘇ったような錯覚に陥り、私は半狂乱しながら渚砂ちゃんを突き飛ばした。ドンッという音がしたから、かなりの勢いで突き飛ばしてしまったんだろう。けれど私には渚砂ちゃんを心配する余裕はなかった。

 

「う゛っ!?」

 

 お腹の奥からゴプッと這いあがってきた吐き気に、ベッドから跳ね起きて一目散に洗面所を目指す。本当はトイレまで行きたかったけれど、間に合わないと判断し、洗面台に向かって思い切り嘔吐(えず)いた。

 

「っ…、うう゛っ!? ケホッ…、ケホッ。う゛っ、うぅ…。カハッ、ハァッ、ハァッ………」

 

 気を失ったりなんだかんだで昼食を食べていなかったのは運が良かったかもしれない。胃の中に吐き出す物が何も残っていなかったおかげで、私は幸いにも嘔吐(えず)くだけで何も吐かずに済んだのだから。

 

 しかし体力の消耗がなかったわけではなく、私は壁に手を付くなり、自分を支えることも出来ずにズルズルと崩れるようにして床にへたり込んだ。

 

「玉青ちゃん…」

「―――ッ!? 渚砂…ちゃん」

 

 振り向くと洗面台の入り口で渚砂ちゃんが立ち竦んでいた。鍵を掛けていなかった以上、扉は当然ドアノブを動かせば開くわけで…。

 

 つまり私は今の一部始終を見られていたのだった―――。

 

「もしかして………私と…キス………したから?」

 

 どう取り繕えばいいのか分からず言葉を失う私。しかし体調ではなく別の原因があると感じ取った渚砂ちゃんに投げ掛ける言葉が見つかるはずもなく、私は降参するように項垂(うなだ)れた。

 

「渚砂ちゃんには…全部お話します」

 

 

―――――――――

 

――――――

 

―――…

 

 

 渚砂ちゃんに肩を借り、再びベッドの方へ。横になった方がいいのか尋ねられたけれど、そのままの方が楽だからと答えると、身体をくっ付けるようにして隣に座ってくれた。私はそれを「甘えていいんだよ」という意味に受け取り、少し身体を傾けて寄り掛かる感じで話し始めた。

 

「初めは保健室の時です。渚砂ちゃんとキスした瞬間に、静馬様に…その………えっと…。なんて言えばいいんでしょう。乱暴…された時のことを思い出してしまって、急に気分が悪くなって。でもその時は疲れてたからかなって自分に言い聞かせたんです。………。いえ、違いますね。認めたくなかったんだと思います。渚砂ちゃんとのキスでそんなことになるって思うのが嫌で」

 

 私がポツポツと話し始めても渚砂ちゃんは何も言わなかった。代わりにところどころで頷いたり手をギュッて握ったりして、「ちゃんと聞いてるよ」と教えてくれた。

 

「だけどさっきのキスで確信しちゃいました。私の身体にはキスとか、性行為に関するトラウマが刻まれてしまっているんです。残ってるんですよ。静馬様が…私の………身体の中に…まだ。いくらシャワーで洗い流したって消えてくれはしない。1年後、もしかしたら10年後だって…。だからそういった行為をすると記憶がフラッシュバックしちゃうんです。たとえその相手が―――渚砂ちゃんであっても」

 

 私だって、ううん、私だからこそ認めたくなかった。認めてしまえば、余計に渚砂ちゃんとのキスに忌避感を抱くようになるかもしれないから。なのに現実は残酷で、私はキスの度に()()()()()を思い出してしまうのだ。

 

「ごめんなさい渚砂ちゃん。出来れば気付かれる前にどうにかしたかった。せっかく渚砂ちゃんから一歩踏み出してくれたのに…」

「玉青ちゃんが謝る必要なんてどこにもないよ。大丈夫、安心して。私は…玉青ちゃんの傍を離れないから」

 

 やっぱり言っておこう。静馬様が来たことも、提案の内容も。渚砂ちゃんには伝えておくべきだ。

 

「実は…もう一つ。夕食前に、静馬様が来たんです」

「ええッ!? 静馬様が!?」

「はい。そしてあの人は私に…ある提案をしていきました。その内容はですね―――」

 

 六条様を助ける方法と私に求められた条件。それらを余すことなく伝え終わると渚砂ちゃんの瞳にはパッと怒りの炎が灯り、その色合いに私は、炎と混ざり合うような瞳の色がなんて綺麗なんだろう、と場違いな感想を胸に抱いた。

 

「ごめん。私…ちょっと顔洗ってくる」

「渚砂ちゃん?」

「なんていうか上手く言えないけど、すっごくムカムカしちゃってるからさっぱりしたくて。たぶん悔しいのかも」

「悔しい…ですか?」

「うん。だって理由はどうあれ玉青ちゃんの感情を大きく揺り動かすのって、私じゃなくて静馬様ばっかりなんだもん。玉青ちゃんの恋人は私なのに…。あれ? なんだろう…。もしかしてこれが…嫉妬………なのかな。あはは。よく…分かんないや。とりあえず行ってくるね」

 

 洗面所の方へトトトッと渚砂ちゃんが行ってしまうと、私は言われた言葉を噛み締めるように何度も頭の中で反芻した。

 

(嫉妬。あの…渚砂ちゃんが。そうですよね。いつまでも子供じゃ…ないですよね。やっぱり話して良かった…)

 

 ドア越しに聞こえてくるパシャッ、パシャッという水の音がいつまでも耳に残っていた。

 

 

―――――――――

 

――――――

 

―――…

 

 

「タオル、これ使ってください」

「ありがと。さっぱりしたよ。玉青ちゃんも顔洗ってくる?」

「私は大丈夫です。それに化粧水を塗ってしまいましたから」

 

 再びベッドに横並びに座った私たちは、今度は渚砂ちゃんが身体を傾けて私に寄り掛かる姿勢で話し始めた。

 

「話してくれてありがとね。私のこと、信頼してくれてるんだってすごく………嬉しかった」

「渚砂ちゃんは私の恋人ですから」

「えへへ。あっ、てもそれじゃあ夕方は()()()()()()()()()()()()()?」

 

 え………? 今、渚砂ちゃん…なんて? 吐き気が?

 

 渚砂ちゃんの口から飛び出した何気ないセリフに、私はある事に気付いてしまったのである。

 

(なんで今まで気付かなかったんだろう? そういえばそうだ。あんなに静馬様と近くで接したのに…私は吐き気を…)

「玉青ちゃん?」

「えっ? あっ…、ええと…吐き気よりも恐怖とかの方が勝ってしまって」

「そ、そうだよね。ごめんね。変な事言っちゃって」

 

 キスはしなかったから? あくまで近付いただけで、そういった行為とは無関係だったから? でも、あんなに…、耳元に唇が………。

 

 よく考えたら変な話だ。乱暴した当の本人なのだから、吐き気とかが身体の防衛反応ならもっと反応したっていいはず。それこそ二人きりになった時点で吐いてたっておかしくはない。

 

 静馬様には反応していない? なら、どうして渚砂ちゃんとのキスで…。

 

 そしてとある可能性に思い当たった瞬間、背筋がゾクリと凍り付いた。

 

(もしかして私が畏れているのは、()()()()()()()行為? 渚砂ちゃんからの愛情を受け止めるのが不安で、渚砂ちゃんにだけ過剰に反応してしまっている?)

 

 そうであるならば私は確かめなければならない。本当に渚砂ちゃんとだけがダメなのか。そうでないと克服するための手掛かりさえ掴めない。

 

(確かめなくちゃ。必ず。でも………。本当にそうだったら、私は一体どうすればいいの?)

 

 想いは通じ合ってる。距離だってすぐ隣にいる。なのに今の私には、渚砂ちゃんがどこか遠い、決して交わらない並行世界にいるように感じられていた…。

 

 

 

 

 

 

 

<季節外れの雪が降る>…源 千華留視点

 

「ふぅん? なるほどなるほど♪」

 

 机の上に並べられた大アルカナのタロットカード。それらがもたらした興味深い占いの結果に自然と独り言が漏れた。

 

「尋ね人あり…か」

 

 気分よく鼻歌なんて歌いながらカードを回収し、トントンッと綺麗に整えると、休憩がてら紅茶を一口。カップから漂う湯気をゆっくりと吸い込んで香りを堪能しつつ、喉の奥へと液体を流し込む。自分で言うのもあれだけど、なかなか華麗なカード捌きのように思う。

 

(まぁ、私は何でもそこそこ出来ちゃうから驚きはしないけど…。次は尋ねてくる目的でも占おうかしら?)

 

 一息ついたところで再びカードを机に並べようとしてふと思いとどまった。ただ並べるだけでは芸がない。ここは一つ、占い師らしいミステリアスな要素が必要ではないだろうか?

 

 そんな思い付きからカードを指の間に挟むと、勢いをつけて机の上を滑らせてみる。

 

 さて、上手くいくと良いんだけど。

 

 スーッと移動していくカードの行方をじっと見守り、それが狙い通りの場所で停止したのを確認すると私はパチンッと指先を鳴らした。もちろん、そうなるのが分かっていたかのような表情でだ。

 

(相手に信じ込ませるにはハッタリも使わないとね♪)

 

 どうやら今日の私は絶好調らしい。この勢いで占い同好会も作っちゃおうかしら、と考えを巡らせたものの、既に他の誰かが作っていたことを思い出し自嘲気味に笑った。

 

(女の子は占い大好きだものね。そりゃあるわよね~。残念残念♪)

 

 気を取り直して並べたカードを慎重に一枚、また一枚とめくっていったものの、途中から私の表情はどんよりと曇り出し、最終的には険しい顔のまま最後の一枚を前に、手がピタリと止まっていた。

 

(あらあらあら? 目を覆いたくなるくらい惨憺たる結果ね。こんなこと…そうそうないわよ)

 

 嘆く私の目の前には不吉な運命を告げるカードばかり。そのうえ最後のカードの内容によっては、さらに結果が悪いものへと変わる可能性があった。

 

 そしてオープンされる最後の一枚。

 

「―――ッ!?。深雪さん、あなた………」

 

 私は思わず唇をきつく結びながら、めくり終えたカードを未練たらしくいつまでも睨みつけるのだった…。

 

 

―――――――――

 

――――――

 

―――…

 

 

 占いの通り、尋ね人―――深雪さんが訪れたのは就寝前の時間のことだった。

 

「今日は折り入ってお願いをしにきたの」

「何かしら? 私に出来る事であれば喜んでさせていただくわ♪」

 

 テーブルを挟んで向かい側。椅子に行儀よく座る深雪さんは畏まった様子でそう告げた。

 

(素敵な表情をしているわね)

 

 それが嘘偽りのない率直な感想。真剣な眼差しをしてはいるけれど、かといって決して気負っていない。良い意味で力の抜けた、そんな顔だ。

 

()()()()についてなのだけど」

「噂についてじゃなくて………いいのね?」

「ええ、いいの」

「そう…」

 

 どうか噂がなくなるように助けて欲しい。彼女の口からその類のお願いが出てくればどれほど楽だったことか…。

 

「それで…お願いって?」

「今度ホールでミアトルの全校集会があるわ。その時に来て欲しいの」

「ふふふっ。嫌だわ深雪さん。その時間、ルリムは授業中よ? まさか…抜け出せと?」

「そのまさかと言ったら?」

 

 ああ、この子は破滅の道を歩もうとしている。それが分かっていながら私は止めようともせずに知らないフリをしてるなんて。

 

「制服はこちらで用意するわ。頭の飾りを外せばなんとか―――」

「―――制服の用意は結構よ。私を誰だと思っているの? 変身部の部長、源千華留よ。ミアトルとスピカの制服くらい持っているし、その生徒に化けることだって造作もないわ」

「心強いわね」

「お願いはそれだけ? 他にもあるなら言って頂戴」

 

 催促するように尋ねた私に返ってきたのは、ただ一言「ないわ」という短い言葉だった。

 

「ないの? 本当に?」

「ホールに来て、そして見届けてくれれば他に何もいらないわ。その代わり、六条深雪の散り様を目に焼き付けて」

「本気なのね」

「最後の晴れ舞台。()()()()見て欲しいの」

「ふふっ、あははははははは。私たちって奇妙な関係ね。友人で…そのうえちょっぴり恋敵なんだもの。言っておくけど私、静馬の事まだ好きよ。たぶん自分が思っている以上に…ずっと」

「………。知ってる」

 

 出会う順番が違っていたら、私と深雪さんが恋人同士だったかもしれない。それで静馬が途中からちょっかい出してきて…。心が揺れ動いてつい誘惑されちゃったり。

 

 な~んて、ね? 考えたって仕方…ないわよね。うん…。

 

「あなた以外の役者の準備は万端なの?」

「これからよ。でも、あの子たち―――静馬に運命を狂わされた青と赤の少女には、必ず舞台に立ってもらうわ。そうでなくては…私一人では…意味がないもの」

「分かった。遅れず行くわ」

「ありがとう、それじゃ」

 

 ぐだぐだと長ったらしく語ることなく、手短に済ませた会話が終わると深雪さんはあっさりと部屋を去っていった。一人きりになった部屋に静けさが灯り、その静寂を打ち破るように窓を大きく開けると、吹き込んできた風がカーテンをバタバタと揺らめかせた。

 

「占い…当たっちゃいそうね」

 

 寝間着の袖に忍ばせていた一枚のカード。腕を揺らすことで袖の中からストンッと現れたそれを指で受け止め照明にかざす。もし観客がいたら手品のような鮮やかさに拍手が沸き起こっていたはずだ。

 

 そのカードが決定づけた占いの結果は―――破滅的な別れ。どのような形になるかは分からないが、深雪さんと静馬はおそらく―――。

 

「当分、占いはごめんだわ」

 

 カードをまじまじと眺めながらそう呟いた私は、それをビリビリと引き裂くと、月の輝く夜空に向かって思い切り投げつけた。けれど吹き付けた一陣の風が、雪のようにひらひらと舞う破片を捕まえて、運命は変えられないとでも告げるように部屋へと押し戻し、罰当たりな私に紙吹雪を浴びせ掛けた。

 

「女神様も()()()ね。少しくらい…優しくしてくれたっていいじゃない」

 

 季節外れの雪が降った部屋から私の物悲しい声だけが、月夜に溶けて………滲んで消えた。

 

 

 

 

~~~次章へ続く~~~

 

 

 

 

 

 

 




■後書き
 
 玉青ちゃんを『騎士様』に例えるのは第15章が最初でした。いつも渚砂の傍にいる玉青を静馬がそう評したわけですが、その後も第19章の食堂で渚砂のファーストキスを奪われるシーン、第22章で玉青が静馬をビンタするシーンなどでも登場します。自分よりも誰かを優先する自己犠牲的な性格という意味では、やはり玉青ちゃんの印象が強いかな…と。

 アニメ最終話での「いってらっしゃい」と渚砂を静馬の元へ送り出すシーンとか、当時の私にはあまりにも辛い場面でした。

 一方の渚砂ちゃんですが、ここのところ急速にヒロインパワーが上昇中。今までちょっと影が薄かったかなって部分もあったので可愛さマシマシです。

 もしよかったら次章もよろしくお願いします。それでは~♪

<追記>
 読んでくださっている皆さん。ありがとうございます。なんと色が付きました。投稿した作品に色が付いたのは初めての事なのでとても嬉しかったです。この場をお借りして御礼申し上げます。


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第34章「夜々ちゃんはあっち向いてて」

■あらすじ
 真実を確かめるためにやって来た玉青を出迎える夜々と光莉。なるべく普通に接しようとする二人だったが、キスして欲しいと言い出した玉青によって部屋には不穏な空気が流れ始める。断ろうとする夜々に対し光莉が取った行動とは!?

■目次

<キスのお相手は?>…南都 夜々視点
(きた)るべき日に備えて>…六条 深雪視点



<キスのお相手は?>…南都 夜々視点

 

 まさかまたこんな日が訪れるなんて思わなかった。私と光莉の部屋に…玉青さんが尋ねてこようとは………。

 

 お願いがあると言ってやって来た彼女に対し、私たちはどう反応していいものか分からず、部屋の前で待たせたまま小声で囁き合った。それもそのはずだ。私たちが面と向かって玉青さんに会うのはあの謝罪の日以来のこと。玉青さんはずっと学校を休んでいたし、いちご舎の中でさえあまり出歩かずに過ごしていたみたいだから、ばったり鉢合わせすることもなかった。実際のところ鉢合わせしたらしたで、おそらくお互いに困惑するだけだっただろうから、それはむしろありがたいことではあったけれど…。

 

「どうする光莉?」

「とりあえず部屋に入れてあげようよ。私はお茶の用意しておくから」

「わかった」

 

 玉青さんが光莉も一緒の方が良いと言ってくれたのは幸いだった。破局寸前に至った経緯からすれば、私と玉青さんが二人きりで会うべきではないし、私としても関係修復の途上にある今、光莉を不安にさせることは可能な限り避けたかったからだ。もちろん玉青さんが強く望めば、申し訳ないという罪の意識から、私たちはその申し出を拒否することは出来なかったとは思うが、三人で会うことになった以上それは最早どうでもいい事だった。

 

「すみません。無理を言って。でもどれだけ考えてみても、今回のお願いはお二人にしか頼めないと思ったので」

 

 棘のない、ごく当たり前に友人と接する時のような笑顔。玉青さんは人格者であるとは思っていたけど、それでも何て言えばいいんだろうか、もっとよそよそしい態度を取られるんじゃないかと予想していた私は自分の浅はかさを恥じた。それと同時に玉青さんが部屋に入ってすぐにそうした態度を示してくれたおかげで、私と光莉も肩の力が抜けて気持ちがだいぶ楽になったのか、顔には自然と笑顔が浮かんだ。

 

「お好きなとこにどうぞ。椅子でもベッドでも」

「それでは失礼して」

 

 さほど迷うこともなく決断すると、玉青さんは私のベッドの縁に足を揃えてお上品に腰掛けた。綺麗に揃えられ、床に向かって伸びる足。その様子はどこからどう見ても淑女そのものではあったが、その見た目に反して私にはやや艶を帯びて感じられた。

 

 これは私がそういった趣味の持ち主であるという事実を抜きにしても、間違いではなかったようだ。現に私だけでなく光莉までもがこちらへ視線を寄越し、賛同するような表情を浮かべていたのだから。

 

 ()()()()()()と言うと語弊があるかもしれないけれど、この丘の住人である女生徒の99パーセントにはいくら時間を掛けて説明しても決して分からないだろう。玉青さんから醸し出される色気を嗅ぎ取れるのは、私たちのような()()()()()()()()()だけだ。

 

 歩く時のバランス。何とも言えないラインを描く腰つき。そして極めつけは、大切なものを守るようにぴったりと閉じられた足。仕草については無意識のうちにしていることだとは思うけど、そういった仕草の一つ一つに、()()がなければ纏えないエロスが密かに滲み出ていた。

 

 分かりやすく言えば、お外の学校の生徒たちが夏休み明けのクラスメイトを見て、「ああ、大人の階段を上ったんだな」と感想を抱くようなそういう話だ。

 

 仮に私が玉青さんと面識がないとして、こんな風に色香を振り撒く子が談話室でくつろいでいたりしたら、まず間違いなくお近付きになりたいと考えるだろうし、下手したら持ち物を落としたフリでもしてスカートの中を覗こうとしたっておかしくない。例えるならありったけの財宝を溜め込んだ海賊たちの隠れ家を前にしたトレジャーハンターの気分だろうか? 夏服のスカートの影に隠された玉青さんの太腿の奥の空間は、それくらい魅力的と言えた。

 

「それでお願いというのはですね」

 

 そう切り出した途端、それまでニコニコと雑談に応じていた玉青さんの表情が一変した。何か深刻な悩みを抱えているような切羽詰まった表情に。

 

「お二人のうちのどちらかに、私と………キスを…して欲しいんです」

 

 口の中の紅茶を吹き出しそうになり、慌ててソーサーに置いたカップが擦れてガチャリと嫌な音を立てた。ゆらゆらと揺れる紅茶の水面は大きく上下し、今にもカップの端から零れそうになる。

 

「た、玉青さん? 自分が何を言ってるか―――」

分かってますッ! 分かってます…けど、こうするしか他に方法がないんです」

 

 驚いて動揺する私に、悲鳴にも似た声を上げる玉青さん。一気に騒然とし出した空気を光莉の声がピシャリと断ち切った。

 

「ま、待ってよ夜々ちゃん、落ち着いて! 玉青さんも、ちゃんと順を追って説明してください」

 

 無意識のうちに前のめりになっていた私はその言葉に我に返り、立ち上がりかけていた身体をストンッと椅子へ戻した。

 

「ごめん、つい…」

「いえ、私の方こそ説明不足で」

 

 ヒートアップした私たちは光莉に勧められるがまま、テーブルに置かれている自分のカップに手を伸ばすと静かに紅茶を口にした。しばらくの間お互い無言になり、部屋には紅茶を飲む際に立てる器の音だけが鳴り響く。動転していた気分も何度か紅茶を口にするうちに少しずつ鎮まり、私は黙って玉青さんの説明を待つことにした。

 

「実は渚砂ちゃんとキスをしようとすると…吐き気が…起きるようになってしまって」

「それはやっぱり静馬様との事でそういった行為全般がトラウマになってるんじゃ?」

「私も最初はそう思いました。でも違うんです。静馬様と話す機会があって、その時静馬様の唇が耳元まで近付いたのに、怖いと思うだけで吐き気とかはなくて。それでその後渚砂ちゃんとキスしたら、もう…ダメで。結局我慢出来ずに洗面台に走っていってしまいました。だから推測を立てたんです。渚砂ちゃんとの行為にだけ反応してるんじゃないかって」

 

 あの日の後遺症とも言うべき症状に、玉青さんは両手で顔を覆い頭を左右に振りながら悲観に暮れた。その様子は痛々しくて直視していられなかったが、でもそのおかげで私たちはようやく、キスして欲しいと言い出した理由を知る事が出来た。

 

 玉青さんは私たちで試そうというのだ。渚砂さんにだけ反応してしまうのかどうかを。

 

 言うなれば私と光莉はリトマス試験紙の代わりであり、私たちにも反応するなら、やはりトラウマとしての性質が強く、静馬様については恐怖が勝ったという解釈になるだろう。問題は反応しなかった場合だ。その場合には渚砂さんに対してだけ反応するという疑念にますます拍車が掛かることになる。

 

 どちらであっても良い結果というわけではないが、前者の方が玉青さん的にはまだマシなのかもしれない。

 

「理由は分かりました。分かりましたけどそれを引き受けるのは………ちょっと」

 

 こういった役回りなら基本的に私の役目だ。私は元から女の子同士でキスすることに躊躇いはないから全然構わない。ただし光莉との仲がこんな状態でなければ、という前提でだが。

 

「ご存知の通り私と光莉は関係修復中で、しかも要因となった玉青さんを相手にキスするっていうのは―――」

 

 そこまで言ったところでチラリと光莉を見て、関係がさらに拗れることになりかねない、と目で伝える。

 

「そう…ですよね。私だって渚砂ちゃんと微妙な仲の時にそんなお願いされたら断ると思いますし」

 

 出来ることなら助けになってあげたいけど、事情が事情だ。肩を落とす玉青さんには申し訳なく思いつつも、背に腹は代えられない。

 

「すみません。なので今回は―――」

「私は良いと思うよ」

 

 私と玉青さんだけでやり取りが終わろうとしたその時、黙っていた光莉が声を上げた。

 

「光莉?」

「それくらいの事なら贖罪の意味も含めてアリだと思う」

「いや、えっと…だってさ。キス…するんだよ?」

 

 それって『それくらいの事』なんだろうか?

 

「分かってるよ」

「本当に分かってる?」

 

 あまりにもあっけらかんとした光莉に対し僅かに怒気の籠った声で応じてしまった。私は光莉との関係を考えて玉青さんの切実な頼みを断ろうとしているのに、当の光莉にそんな風に言われては立つ瀬がない。

 

「夜々ちゃんこそ、何か勘違いしてるんじゃないかな?」

「私が…勘違い?」

「夜々ちゃんさ、自分が玉青さんとキスする前提で話してない?」

「だって光莉は―――」

「いいよ、私は。玉青さんとキスしても」

 

 さらりと言ってのけたその横顔を、私は目を見開いて見つめた。多少の感情の乱れはあったとしても、見る限りでは冷静さは保たれているように思える。でも光莉は元々はノーマルだ。私みたいに同性が好きで好きで仕方ないってわけじゃない。自惚れって言われたらアレだけど私としかそういった行為には及べないと………思っていた。

 

「別に平気だよ。本気でするわけじゃないし。気持ちが籠ってないなら、ただ唇を擦り合わせるだけだもん。それに普通の子だって罰ゲームとかで軽くチュッてするくらいは…してたりするんじゃないかな?」

 

 私の心配を悟ったのか、スラスラと大丈夫な理由を述べる光莉。だけど私はその手が、ほんの少しだけ震えてることに気付いてしまった。

 

「光莉…」

「そんな顔しないで、夜々ちゃん。私は自分から立候補してそうするんだから。玉青さん、私が相手でも問題ないですよね?」

「ええ。確かめられれば私は何も言う事はありません」

「ほら? 玉青さんもこう言ってるし。それとも…夜々ちゃんは()()()()()()()()()()()()()()?」

「それ、どういう意味?」

「別に。なんとなく言ってみただけ。特に意味なんてないよ」

 

 そっけない口調とは裏腹に、光莉から漂う圧は一瞬で大きくなって私に押し寄せた。

 

 光莉が私以外の人とキスするのが嫌という意味なのか。それとも私が玉青さんとキス出来なくて嫌という意味なのか。光莉の態度からはどちらかと言えば後者の―――私を責めるようなオーラが滲み出ていた。こうなってしまっては『嫌』だなんて口が裂けても言えはしない。私は重圧から逃げるように視線を逸らし、平気だと言うしかなかった。

 

 それでもしばらくの間、表情から思考を読み取ろうとするかのような視線が私の周りに纏わりついていたが、やがて諦めたのかフッと離れていくのを感じて、肺の中の空気を大きく吐き出して息をついた。

 

(玉青さんの前でそんな言い方しなくたっていいじゃない。雰囲気が悪くなるに決まってるのに…光莉のやつ)

 

 私に向かってならまだしも、玉青さんにまで刺々しい態度を見せるのは問題ではないだろうか。

 

「夜々ちゃんの同意も得られましたし、そろそろしましょうか。私は心の準備出来ましたから」

「私も大丈夫です。よろしくお願いしますね、光莉さん」

 

 ベッドに並んで座る二人。こうして見ていると本当にどちらも綺麗で溜息が出そうになる。ミアトルきっての美人である玉青さんに、スピカ随一の美少女である光莉。この取り合わせは私からすると、ダイヤだのルビーだのを詰め込んだ宝石箱みたいなもので、そのうえ二人のキスシーンともなれば垂涎ものだ。

 

(うっ…、どうしよう。私の方がドキドキしてきちゃった)

 

 光莉へのちょっとした苛立ちはどこへやら。ダメだと言い聞かせても興奮してしまう自らの節操のなさに後ろめたさを覚えながらも、胸の高鳴りは留まるところを知らない。とは言え玉青さんは切実な問題の解決のためだし、光莉は私たちの関係のために決断してくれたのである。

 

(見るわけにはいかないよね)

 

 それが誠実さというものだろうと考え、二人が視界に入らないようにと視線を落とし明後日の方向を向いた。けれどその程度では足りなかったらしく―――。

 

「夜々ちゃん」

「えっ? なに?」

「なに…じゃなくて。もうっ、デリカシーないんだから。夜々ちゃんはあっち向いてて

 

 私は光莉から起立を命じられ、次は回れ右。壁の方を向いて待つように言われたので待っていると、なんとタオルでぐるりと頭を巻かれた。いくら何でもやり過ぎだと抗議したものの、これくらいしないとダメだと強く言い返され、不本意ながらも従う羽目に。(よこしま)な目で見ていたのは事実なので、さすがにさらなる反論をしようとは思わなかった。

 

 視界は閉ざされ、耳もタオルが被さってるせいで多少聞こえにくい。そのためか光莉と玉青さんの話す声はノイズが掛かったみたいにところどころ欠けていた。

 

「――じゃ、――ますね」

「あの、すみ――、やっぱり――の準備が」

(うわっ、なんだかこれって…)

 

 余計にエッチかもしれない。

 

 声のトーンを一段落とし、囁き声で会話する二人の声が切れ切れに耳へと入ってくる。頼るものが聴力しかない私は、耳をヒクヒクと動かしてそれを聞き取ろうとするのだが、その感覚はまるで()()()()()()()()()()で刺激的だった。これからキスする二人の会話を盗み聞きしてる。そんなイケナイ事をしているような気持ちが余計に私を昂らせていく。

 

「――も、――砂さんの――めにも」

 

 光莉の声と共に僅かにギシリとベッドの軋む音が。今のは光莉が強く出て、ベッドに手を置くか何かしたんだろうか?

 

「分か――ます」

「――ら、目を瞑っ――さい」

 

 玉青さんの肩を掴んで迫る光莉。瞳を潤ませながら観念したように目を瞑る玉青さん。その目尻からは一粒の涙が零れ落ちそうになって…。

 

(―――ッ)

 

 ゴクンッと自分でもびっくりするくらい喉が鳴った。もちろん私には見えてない。見えてないけれど一部分しか聞き取れない声が妄想を掻き立て、私の脳内へと勝手に二人の姿を描き出していく。衣服同士が擦れる衣擦れの音に、躊躇う玉青さんと揉み合いになっているのか先程よりも大きく奏でられるベッドの音。

 

 そんなわけないと分かっていても、光莉に襲われる玉青さんの姿が頭にチラついた。

 

(何よこれ。まるで罰ゲームみたいじゃない。光莉のやつ、私への当てつけのつもり?)

 

 やっぱりタオルを取っ払ってしまおうかと考えたその時、一際大きな音がして身体がビクンと跳ね上がった。

 

「ちょ、ちょっと光莉? 何よ今の音?」

「何でもないよ。玉青さんが少し暴れたから押さえつけただけ」

 

 押さえつけたって…まさか本当に襲ってる? うそでしょ? 光莉が?

 

「手が邪――す。力抜い――さい」

「あっ…」

 

 弱々しく零れた声に私の身体は最大限に硬直した。これでもかと言わんばかりにギュウッと手を握りしめ、肩を震わせて気配を窺う。ドキドキと脈打つ心臓の鼓動が全身を駆け巡っていくのが自分でも分かった。

 

 そして「んっ…」と吐息が漏れたのを最後に、私には何の音も聞こえなくなった。

 

 

―――――――――

 

――――――

 

―――…

 

 

「もうタオル外していいよ。夜々ちゃん」

 

 まだ胸が早鐘のように鳴っている。あれからどれくらい経ったんだろう? 3分? それとも5分とか? でも私がそう思うだけで本当はもっと短いのかも。1秒が10秒にも20秒にも感じられることなんて滅多にない。

 

 とにかく許しも出たのだからとタオルを外し振り返ると、そこには未だに玉青さんに覆いかぶさったままの光莉の姿があり、キスを終えた直後なのか、髪を耳に引っ掛ける仕草のままで私を見据えていた。一方の玉青さんは私からは見えない方へと顔を向けているうえに、光莉の髪がベールのように垂れ下がっていて表情は窺えない。けれどベッドに投げ出された身体はだらんと弛緩してるみたいで、そこだけを抜き出すと事後のようにも見える有様だ。

 

「ひ、光莉…あんた………何して」

「心配しないで。玉青さんに頼まれた通りにキスした以外は、何もしていないよ」

 

 気怠いのか寝起きの時のような緩慢な動きで身体を起こした光莉が離れても、玉青さんはその場を動かずに寝そべったままの姿勢で静かに嗚咽を漏らし始めた。

 

「私…平気でした。吐き気も…何も。静馬様の幻影…渚砂ちゃんの時はあんなに鮮明…だったのに。なんで、なんで渚砂ちゃんとだけ」

 

 ()()()()()()()キスさえ出来ない。その事実に打ちひしがれる玉青さんに掛けてあげられる言葉はなく、私はベッドの横で立ち尽くすほかなかった。室内に充満していく重々しい空気。こんな中で軽はずみな発言なんて出来るわけないと()()()()思うはずだ。

 

 けれど聞こえてきたのは―――。

 

「ふ~ん? 玉青さんの唇ってこういう味がするんだぁ」

 

 場違いなほどにに明るい、人を小馬鹿にしたような声。こんな声が偶然出るはずない。人を不快にさせる嫌な感じのざらつきを伴った声を、光莉が意図的に出しているのは明白だった。

 

「ねぇ夜々ちゃん。玉青さんの唇、とぉっても柔らかくてぇ…気持ちいいよ?」

「ひか…り?」

 

 ピンと立てた小指で唇をなぞる妖艶な仕草は、クスクスと漏らす笑い声も相まって別人のような印象を受ける。

 

「何て言えばいいのかな? あっ、そうだ! クリームブリュレ! クリームは甘くてトロトロなのに、上のパリパリに焦げたキャラメルの部分が最後にほんのちょっぴり苦みを舌に残していくの………うん、ぴったり」

「ちょっと光莉! いい加減にしないと―――」

「怒っちゃう? いいよ、怒っても。こんな事を言うと余計に怒らせちゃうと思うけど…やっぱり夜々ちゃんにキスさせなくてよかった。もしキスしてたら、夜々ちゃん絶対虜になっちゃうもん。玉青さんずるいよ」

 

 小悪魔的な口調で喋っていたかと思えば、急に声を詰まらせて切なそうに喋る光莉。そのあまりの豹変ぶりに付いていけず、ベッドの上で驚きの表情を浮かべる玉青さんに見つめられながら、光莉はもう一度小さく「ずるい」と繰り返した。

 

「スタイルも良くて、頭も良くて、おまけに性格も良くって。私にないもの全部持ってる。正直言って私は…玉青さんが羨ましいです。私が玉青さんだったら、夜々ちゃんの視線をず~っと独り占め出来るのに…。ねぇ、教えてください。どうしたらそんなに魅力的になれるんですか? 努力ですか? それとも生まれつき?」

「そう言われても…困ります。私は別に…そんな」

「だけどみ~んな玉青さんの虜じゃないですか? 玉青さんは分かってないんですよ。自分がどれだけ魅力的か。ちょっとした仕草とか言葉一つで、誰彼構わず魅了しちゃって。今日だって何なんですか? いきなり部屋に来てキスしてくださいだなんて言って。そのせいで夜々ちゃん、みっともないくらい興奮しちゃって…バカみたい」

 

 吐き捨てるように光莉はそう言った。

 

「だって…私…渚砂ちゃんと」

「夜々ちゃんを誘惑しないで。私から夜々ちゃんを取らないでよっ!!」

「だから…私は…そんなつもり………」

「そういうところが―――無意識のうちにみんなを惹きつけるところが原因だってどうして分からないんですか? どうせ静馬様の事だって」

「――ッ!?」

 

 いくらなんでもやり過ぎだ。静馬様の名前を出すだけでもまずいのに、光莉は言外に()()()()()()()()()()()と言ってしまったのである。恐る恐るベッドの方を見ると、シーツをギュッと握りしめた玉青さんは、行き場のない怒りをどこへもやれず、プルプルと身体を震わせていた。

 

「どうしちゃったのよ光莉? こんな真似、光莉らしくないわよ」

「夜々ちゃんは黙っててよ! ほら玉青さん。言い返さないんですか? それとも認めるんですか?」

 

 なおも煽るように玉青さんへとヒステリックな声を投げつける光莉に、私は違和感を覚え始めていた。たしかに光莉は嫉妬深いところはあるけど、落ち込んでいる相手に追い打ちを掛けるような子ではなかったはずだ。

 

(何かあるのね? 何かしたいことがあるのね、光莉? だからあなたはこうして玉青さんを焚きつけて…)

 

 光莉がどんな意図を持ってそうしているのかは分からない。けれど私は光莉を信じてあげようと思った。それは恋人である私なりの覚悟でもあった。

 

「――きで――たんじゃ…――です」

「なんですか? 反論があるならはっきり言ってください」

好きで…こうなったんじゃ………。私は好きでこうなったんじゃありませんッ!!

 

 おそらく相当珍しい光景であろう玉青さんの怒鳴る姿に、光莉は待っていましたとでも言うように顔を輝かせた。

 

「なんですか魅力的、魅力的って。私が悪いって言うんですか? 魅力的だと()()()()()遭わなきゃいけないんですか? 私はそんな事望んでない。ただ渚砂ちゃんと平穏に…暮らしたかっただけなのに。光莉さんに分かりますか? 無理矢理()()()気持ちが。何も…何も知らないくせにっ!

 

 たぶん玉青さんは、今まで誰かに当たったりすることなく感情を抑えていたんだと思う。いつも誰かを気遣って、自分が我慢すればいいとそう考えて。だけど光莉の発言をきっかけにそれが溢れ出してしまった。一度コップから溢れてしまった水が元に戻らないように、抑圧していた感情も戻ることはない。

 

「私には渚砂ちゃんさえいればいい。なのに…なのにその渚砂ちゃんとはキスさえも出来なくなって…。私が何をしたって言うんですか? 返してください。返してッ!! 私の…私の初めて………かえ…して」

 

 光莉に向かって手を伸ばしていた玉青さんは、そう言い終えるとベッドに泣き崩れた。

 

(もう、いいのよね?)

 

 アイコンタクトで送った合図に光莉が頷くと、私は玉青さんの傍へと駆け寄りそっと抱き締めた。

 

「ようやく言ってくれましたね」

「光莉…」

「玉青さん、ちゃんと叱ってくれないから。私は悪い事をしてしまったのに、なんだかあやふやなまま、許されたのか、そうでないのかどっちつかずで…。ずっと思っていたんです。思い切り言って欲しいって。罵声でも何でもいいから、気持ちをぶつけて貰いたかった。私は許されない事をしたんです。友人を売るという大罪を。だから罰を与えて欲しかった。そして玉青さんにも知って欲しかったんです。誰かのせいにしていいんだと、糾弾していいんだと。そのためのサンドバッグになれるなら私は喜んでこの身を差し出すつもりでした」

 

 光莉は光莉で悩んでいたんだ。私にも話さず、苦しみを抱え込んで。そして考え抜いた末に思いついたのがこの贖罪の方法なのだろう。

 

 普通に言ったって玉青さんは感情を露わにしたりしない。かと言って理由を説明すれば、逆に申し訳なさそうな顔をして大丈夫ですと答えてしまう。そんな玉青さんに溜め込んだ感情を発散してもらうには、怒らせるしかなかったというわけだ。

 

 光莉のやつ…相談してくれればよかったのに。でも知ってたらハラハラドキドキして、すぐに顔に出てバレちゃってたかも。そう考えるとそこは光莉のファインプレーかな…。

 

「あまりに溜め込んでいると身体にも精神にもよくないですから。少しは解消されているといいんですけど…」

「ふふっ、ふふふふ。光莉さんに…騙されちゃいました。自分でも分かってはいたんです。どこかで思い切り吐き出さないともやもやした気持ちは消えないって。けど、出来なくて…。私下手なんです。誰かのためならそうでもないんですけど、自分のことでは火が付かなくて」

 

 涙を拭った玉青さんはベッドの上でグググッと身体を伸ばしながら、

 

「あ~あ、なんだかすっきりしちゃいました。大声出すのって良いですね」

 

 と晴れやかに言った。

 

「聖歌隊おすすめですよ。叫ぶのは………怒られちゃいますけど」

「ふふ、考えておきます。それと───」

「?」

「光莉さん。あなたが友達で…よかった。これからも仲良くしてくださいね」

「い、いいんですか? 私、玉青さんを裏切って───」

「何を言ってるんですか。光莉さんは私の…親友ですよ」

「あっ…、そんな。私…私………」

 

 玉青さんからそう言われた途端、光莉の目尻には涙が浮かんで、重力に逆らえずポロポロと零れ出していった。

 

「ああ、もう光莉ったら。ほら、ハンカチ」

「だって夜々ちゃん、玉青さんが私の事…」

「分かったから涙を拭いて。ねっ? せっかくの綺麗な顔が台無しになっちゃうよ」

 

 私と玉青さん、それから少し遅れて光莉の上擦った笑い声がいちご舎の部屋に響き渡った…。

 

 

―――――――――

 

――――――

 

―――…

 

 

「ねぇ夜々ちゃん」

 

 その日の夜、同じベッドで一つのブランケットに(くる)まっていると、光莉が突然話し掛けてきた。ぬくぬくと気持ちよくてもう少しで眠ってしまいそうだった私は、目を擦りながら尋ね返す。

 

「どうしたの?」

「うん…。あんまり言いたくないんだけど夜々ちゃんさ、玉青さんのこと凄くいやらしい目で見てたよね?」

「そ、それは───っていひゃい(いたい)。なにすうのさ(するのさ)

 

 何事かと思えば、口ごもる私の頬を光莉がムニュッと摘まんでいた。そのままムニムニと弄びジーッと顔を覗き込んでくる。

 

「ちゃんと答えて」

 

 解放された頬をいたわるようにさすりながら私は光莉の顔を覗き返した。

 

 うん、正直に言おう。その方が良いに決まってる。

 

「ごめん、見てた。怒られても仕方ないと思う」

「そっか。ちゃんと言ってくれてありがとう。だからもういいよ。許してあげる」

「えっ?」

「なんだかね、前みたいにそこまでピリピリしないんだ。夜々ちゃんは美人に弱い。そのことを受け入れられた気がするの。私が好きな人は―――夜々ちゃんはそういう人なんだって。それにそういう部分も含めて私は夜々ちゃんが好きなんだって…。もちろん浮気はダメだよ? でも美人を前に少しくらいヘラヘラしてても、今度からは大目に見てあげられると思う。あっ、だけど籠女ちゃんみたいな小っちゃい子ばかりが好きっていうのはさすがに………困るかも…」

「光莉…」

 

 あの日の出来事で色んなものを失ってばかりだと思っていたけれど、知らない間に手にしていたものもあったらしい。自分を見つめ返した光莉は、いつの間にか随分と大人びていて、こうして私たちはまた一つ積み木を重ねることが出来た。今度こそは頑丈に、倒れないように。なんなら前よりも高く積むくらいの意気込みで私は光莉と一緒に歩んでいきたいと、再びそう心に誓った一日だった…。

 

 

 

 

 

 

(きた)るべき日に備えて>…六条 深雪視点

 

「そう、そんなことを言われたの」

「はい。その場で拒否出来たら良かったんですけど、返事は保留に」

 

 いちご舎の自室。そこで玉青さんから静馬がしたという提案について聞きながら私は「なるほど」と相槌を打った。

 

 目の前のカップからは湯気と共に立ち昇る紅茶の良い香りが。茶葉は生徒会室で使っているものと同じく静馬がチョイスしたものだが、ティーカップとソーサーは最近実家から送られてきた私物である。白地に金と青の装飾が施されたその品は、生徒会室の備品よりも遥かに上質な逸品だが、学生である私が使うには少々似つかわしくない値段のものだった。良家の出身が多いミアトルとはいえ、ここまで高価なものを送り付けてくる実家はそうそうないだろう。

 

 滑らかな手触りがこの上なく心地よい陶磁器のカップで頂く紅茶は、さぞや味わい深いのかと思いきや、落として割ってしまわないか心配で正直そっちの方が気になる代物だった。ついついソーサーに置く際も慎重に、音を立てないようにと気を遣うせいか肩が凝ってしまう。今も丁寧にカップを乗せると、器はカチリと気品溢れる極上の音色を奏でて私を疲れさせた。

 

 ふと前を見ると、同じようにカップの取り扱いに苦労する姿が見えたものだから苦笑いを浮かべながら話し掛けた。

 

「ごめんなさいね。気を遣わずに普通のカップと同じように扱ってくれて結構よ、って言えたら良かったのだけど。そうもいかないわよね」

「ええ。さすがに…ちょっと」

「普段使い出来る品をと頼んだのにこんな高いものを寄越してきたんだから、向こうの落ち度ではあるのよ。学生なんだから安くて丈夫なものを送ってくれればいいのにね。こんなことなら自分で調達すればよかったわ」

 

 口ではあまり芳しくない評価を下しつつも、意外と私はこのカップの事を気に入っていた。たしかに開封して2,3回ほど使った時は、なんて使いにくいものを、と思ったのだが、使う間にどことなく親近感のようなものを抱いてしまったのである。

 

「なんだかこのカップと私って似てると思わない?」

「六条様と…ですか?」

「ええ。似てると思うの。()()()()()()()()()()()()()()()が…特に」

 

 自分としては上手い事を言ったものだと思ってフフッと微笑んだものの、どうやら玉青さんにはウケなかったようだ。そもそも冗談を言っていると認識すらされてなかったのかもしれない。もう少し普段からユーモアを取り入れておけば反応も違ったのだろうか?

 

「今のは笑うところよ、玉青さん」

「す、すみません」

 

 謝られてしまうとますます困ってしまのだけど、まぁいいか。

 

「本題に戻るけれど、返事を保留したのは(かえ)ってよかったかもしれないわね。僥倖…とでも言うべきかしら」

「六条様としては幸運だったと?」

「ええ。それに静馬は大勢の前で宣言するように言ったのよね? だったら逆に利用できるわ」

 

 玉青さんから提案について聞いてすぐに、私は全校集会に結び付けることを思い付き考えを練っていたのである。

 

「今度ミアトルの全生徒が出席する全校集会があるでしょ。そこで静馬に一泡吹かせてやろうかと思っていたの。あなたは興味ない?」

「私はその…復讐とかは」

「復讐って言われてしまうとなんだか大袈裟な感じがするわね。別にそんな大それたことをするわけじゃないの。痛めつけたりとか、傷付けるつもりなんてさらさらない。ただちょっと…何でもかんでも静馬の思い通りにさせたくないなって…それだけよ」

 

 復讐は考えてない…か。私だったら…どうだっただろうな。たぶんやり返す事しか頭になくて夜も眠れなかったかもしれない。他人を思いやる事も大切だとは思うけど、時にはそういった生々しい感情だって必要なはずだと私は思う。

 

 予想以上にずっと穏やかな玉青さんにどうにかして参加してもらうべく、さらなる一手を放つ。

 

「こうは考えられないかしら? 渚砂さんと前へと進むための、その最初の一歩を踏み出すためのケジメであると。あなた自身、そして渚砂さんにとっても、静馬の幻影を振り払うことは必要なのではなくて?」

「前へと進むための…」

「どう? 少しは乗り気になった?」

「はい。私は…渚砂ちゃんと前に進みたいですから」

 

 そうは言っても気持ちはまだ半々ってとこかしら。仕方ないわよね。全校集会で何をするかという肝心な事を、まだ話していないんだから。ああ、でも…勇気がいるわね、やっぱり。ちゃんと打ち明けるのは千華留さん以来だもの。薄々感づかれていたとしても、面と向かって話すのとじゃ大違い。本当は宝箱にでも入れて仕舞っておきたかったんだけど…。

 

「玉青さん。あなたは信頼に足る相手だと思っているわ。成績やそういった面だけじゃなくて、女性に恋する一人の少女として。だから私が全校集会で何をしようとしているのかを、今この場で打ち明けるわ」

 

 顔を寄せるように手招きし、美しい青髪の間に見える肌色の耳に唇を寄せる。普通に喋るよりかはその方が相応しいと…そう思ったから。

 

「私、――馬に――白――するわ。そし――、――そらくだ――ど、――の丘を」

「ろ、六条…様」

 

 最後までは怖ろしくて言えなかった。けれど起こり得る結末を悟った玉青さんがその瞳を潤ませながら両手を握ってくれていた。

 

「これで私に賭けてくれる気になったかしら?」

「本気…なんですね」

「ええ。本気よ」

「なら私も、ご一緒します」

「ありがとう玉青さん」

 

 最初から私の我儘に巻き込むつもりだったとはいえ、健気に付いていくと言われて不覚にもしんみりしてしまった。思えば生徒会の仕事もまだ全てを伝えきれてはいない。玉青さんなら大丈夫だとは思うけど、そこが少し心残りか…。

 

「とりあえずだけど、あなたには静馬にこう答えて欲しいの。次の全校集会であなたの望むようにいたしますってね。全校集会なら静馬の言った『大勢の前で』という条件にも合致するし、何よりまだ日数があるからこちらも準備出来るわ。時間稼ぎも出来て一石二鳥よ」

 

 もしこうなる運命が分かっていたのだとしたら、私と玉青さんの関係についての噂も必然だった、なんてのは考えすぎだとしても耐えた甲斐があるというものだわ。

 

「あと噂についてなんだけど、これも利用しようと考えているの。だから玉青さんには申し訳ないけど、その日までなるべく現状維持、ということでお願いできないかしら?」

「それでは否定とかそういった行動もしないということでしょうか?」

「ええ、注目を浴びている方が都合が良いというか、カウンターになるんじゃないかと思って。現状維持どころかあなたの教室の前を意味もなくウロウロしたっていいくらいだわ。精神的な負担は大きくなってしまうけど目標と期限があれば耐えられると思うの」

 

 いつ終わるのかと思いながらひたすら耐えるのと、この日まで我慢すればいいと分かっているのとでは、かなり話が変わってくるはずだ。何よりその先に逆転の一手が待っているのだとしたら、その耐える日々さえも喜びに変えられるかもしれない。

 

「六条様のお話は分かりました。ただ…」

「ただ?」

「私と渚砂ちゃんの間に問題がありまして―――」

 

 辛そうに話し出した玉青さんの話の内容は信じ難いもので、そのうえ私の計画にとって重大な障害となるものだった。

 

「本当なの? 疑うわけではないけど、渚砂さんとだけキスも出来ないだなんて」

「夜々さんと光莉さんに手伝ってもらって確認しました」

「待って! 今、光莉さんと言ったわよね。もしかして光莉さんにも教えたの? 彼女はあなたの情報を静馬に流していた子よ?」

 

 私が懸念したのは情報の漏洩だ。玉青さんが渚砂さんとキス出来ないのを静馬に知られるのはまずい。知れば間違いなく玉青さんの元を訪れて場を搔き乱していくだろう。それもあって私は声に「信用できるの?」というニュアンスを込めながら玉青さんに確認したが、返ってきたのは力強い答えだった。

 

「あの二人ならもう大丈夫です。光莉さんが静馬様に情報を流すようなことはありません。私は信じています」

 

 私よりもずっと付き合いの長い玉青さんにそう言われては信じるしかない。もっとも、玉青さんの晴れ晴れした顔を見るに、心配する必要がないのは明白だったけれど…。

 

「そう。それじゃあ後はあなたと渚砂さんの問題だけね。全校集会までに………なんとかしなさい」

 

 間に合うかどうかを尋ねるのではなく()()()そう言った。突き放すみたいに聞こえるかもしれないが、玉青さんが夜々さんたちを信じるように、私も玉青さんを信じて託すことにしたのである。だったらグダグダ言うのは野暮というものだ。

 

 返ってくると分かっていた「はい!」という声に、私は静かに頷いてみせたのだった…。

 

 

 

~~~次章へ続く~~~

 

 

 

 

 

 

 

 




■後書き

 途中まで読んで、まさかここの関係もギスギスするのか、とうんざりした方も多いかもしれませんが友情復活となりました。そんなわけで今回は光莉ちゃんにスポットを当てた回となっております。今まで何度も玉青に嫉妬していた光莉が、その呪縛を完全にではないしろ断ち切る、そんなお話です。

 光莉はアニメ視聴の時から(とても個人的にですが)一見さっぱりに見えて、恋愛に本気になると湿度が高そうな子だなって思ってたんですけど、それが影響して本作では思いっきり湿度高めのしっとり女子に…。特に嫉妬が絡んで静馬に告げ口をする(第26章)話あたりにそれが強く表れています。生々しい行動ではあるけれど、逆にそれは愛の強さの裏返し。そういう意味では象徴的なイベントだったかも。

 好きな人を取られまいと嫉妬し、あまつさえ密告までした光莉が大きな成長を見せた今回は、そんな光莉の集大成ともいえるお話でした。


 次章もどうかよろしくお願いします。それでは~♪


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第35章「てんでお話にならないわ」

■あらすじ
 千華留の部屋を訪れた夜々と光莉。秘密の衣装に着替えて何やら作戦会議中? 一方の玉青は、渚砂とトラウマの克服に向けて過酷な特訓に励んでいた。
 第35章は準備がテーマ。全てはミアトルの全校集会のために!!

■目次

<仲間の存在>…源 千華留視点
<荒療治>…蒼井 渚砂視点
<勝利への布石>…涼水 玉青視点


<仲間の存在>…源 千華留視点

 

「あら~♪ 二人とも似合うじゃない」

 

 ここはルリムの変身部の部室であり、私の目の前にはミアトルの夏服に身を包んだ夜々さんと光莉さんの姿があった。それぞれが鏡の前で身体をひねってみたり、スカート丈を気にするような素振りをしながら、鏡に映る自分の姿を熱心に見つめている、

 

「ん~。夏服はスピカの方が好きかな。どうせなら冬服を着てみたかったんだけど」

「ご希望なら後で試着させてあげる♪ サイズもばっちり取り揃えているから胸がきついなんて心配も必要ないわ。でもそうね…たしかに夜々さんはスタイルが良いから冬服の方が………。あ~でもそれだと素敵な黒髪が制服の色に沈んで勿体ないかも。ならいっそのこと髪をアップに…。けどこのストレートの髪を束ねてしまうのは―――」

 

 腕を組みつつ、あーでもない、こーでもないと考え事。久々に新しいモデルさんを前にして、ついつい変身部部長としての性分が顔を覗かせてしまう。

 

(アイデアって新鮮味一つで結構湧いてくるものね。今度の新作衣装はこの二人にモデルになってもらおうかしら?)

 

 そんな目論見を立てていると、光莉さんがスカートの端を摘まみながら鏡に向かって可憐なお辞儀を披露していた。

 

「私は好きだけどな。ミアトルの夏服。可愛らしくて冬服とはまた違った魅力があると思う」

「光莉さんは夏服の方が似合いそうね。甘い感じの雰囲気とぴったりだもの♪」

 

 ああ、ダメね。次から次へとやりたい事が浮かんじゃう。大人びた印象の夜々さんにはシックな装いをさせたいわね。それとスタイルを活かしたちょっぴりセクシーなドレスなんかも。逆に幼さの残る光莉さんは甘々なデザインで…籠女ちゃん用に考えていた案が流用出来そうかしら。温めておいた不思議の国のアリスの衣装も使いどころっちゃあ使いどころね。

 

 一人脳内ファッションショー状態でうんうんと頷いていると、夜々さんから質問が飛んできて私は一瞬で現実へと引き戻された。

 

「でもこれで潜入出来るんですか? 顔ですぐにバレちゃうんじゃ?」

 

 いけないわ、私ったら。今は真面目にやらないと。私がミスしたら深雪さんに申し訳が立たないもの。そう! 今は大事な大事な、ミアトルの全校集会への潜入ミッションを遂行するための準備中なんだから♪

 

「大丈夫よ。ホールが開場した後のわちゃわちゃした時間帯を狙えば中に入るだけなら問題ないわ♪ それにあなたたちは席に座って仲良くお喋りするわけじゃないんだし」

「後は指示通りに…ですね?」

「ええ。大変だと思うけど頑張ってね」

「あの…()()()()()()と仰ったような気がしたんですが…」

「良く気付いたわね光莉さん。そうよ。私はミアトル生に紛れて席から深雪さんを見届けるの。仕事を二人に押し付けるみたいで申し訳ないけれど、許して頂戴ね」

 

 私の返答に二人は仲良く声を揃えて「ええっ!?」と驚きの声を上げた。ってそれもそうよね。手品のタネを知らないとびっくりしちゃうわよね。

 

「実は静馬の()()()に協力した悪い子たちを説得した結果、協力してもらえることになったのよ。それを利用して上手くやるわ」

「説得…ですか。折檻じゃなくて?」

「………………。そうとも言うわね」

 

 とぼけた顔をして茶化す夜々さんに、私も便乗して悪役みたいな表情を浮かべながら答えてあげると、二人は途端に押し黙って気まずそうな顔をした。

 

「千華留様。それ…笑えないんですけど…」

「冗談よ、冗談♪ 二人ともユーモアが足りないんだから。………っと。もう良い時間ね。本当に冗談はこれくらいにしておいて、もう一度段取りを確認しておきましょうか」

「頑張ろうね光莉」

「うん、夜々ちゃん」

 

 雨降って地固まる…か。失敗しなくたって私たちみんな謹慎くらいにはなるってのに、二人ともやる気満々なんだから。笑顔で応じた二人の顔を見ながら、私は少しだけノスタルジックな気持ちに囚われた。

 

(良いわね。こういうのって。私も静馬も、なまじ一人でどうにかする力があったせいか、誰かを頼るってことがあまりなかったから。本当はもっと誰かに頼って生きても、叱る人なんていなかったのに。意固地になってたのかしらね、お互い。でも…だからこそ私たちは知るべきなのよ。個の力ではなくて仲間の力を。全校集会の日、あなたはきっと―――)

 

 

 

 

 

<荒療治>…蒼井 渚砂視点

 

 もう何度目だろう? 私と唇を合わせた玉青ちゃんが洗面所に駆け込むのは。お昼もわざわざ抜いてお腹の中を空っぽにした玉青ちゃんは、学校が終わっていちご舎に戻るなり私との特訓を始めた。

 

 顔を近付けては手で口元を押さえ、また顔を近付けては口元を押さえての繰り返し。時々吐き気が軽いのか、私と少しだけ唇を触れさせる。でもそれはそれで反動が大きいのか洗面台へと駆けていくのだ。吐き出すものがない玉青ちゃんは、ただ嘔吐(えず)くだけとはいえ、洗面所から響く苦しそうな声は充分に私の心に突き刺さっていった。

 

「玉青ちゃん…少し休んだ方が」

 

 私よりも玉青ちゃんの方が辛いのは分かってる。分かってるけど…それでもそんな玉青ちゃんを見ていると胸が軋んで音を立てるから、私はそう声を掛けた。

 

「そうですね。少しだけ休憩しましょうか。私も疲れちゃいました」

 

 青ざめた顔で無理して笑わなくたっていいのに。元から体力だって多くないんだから、こんな無茶を繰り返してたら身体を悪くしちゃうよ。でもそんなこと言えない。だって玉青ちゃんが頑張っているのは、私のためでもあるのを知ってるから。

 

「膝を…貸してもらえませんか?」

「えっ、膝? あっ! 膝枕!」

 

 フラフラする身体を重たそうに引き摺りながらベッドまでやって来た玉青ちゃんが身体を横に倒すと、私の膝の上に青い髪が触れた。

 

「懐かしいね」

「あの時は大変でした。ふふっ、渚砂ちゃんの―――」

「わぁーーー! 思い出さなくていいってば~」

 

 ごろんと仰向けになった玉青ちゃんの頬や額に光る汗の粒。それは全部、玉青ちゃんが頑張った印だ。張り付いている青い髪を丁寧にどけてあげながら、私はその印が愛おしくて仕方がなかった。出来ることならば印が付いている場所全てに、キスをしてあげたい。でも今は出来ないから代わりにタオルでその汗を拭ってあげた。

 

「渚砂ちゃん。全校集会が終わったら、私たち…みんなから色々言われるでしょうね」

「そうだね。言われるだろうね」

「気持ち悪いだとか…変態だとか…もしかしたらもっと酷い事も」

「望むところだよ。私はもう玉青ちゃんの隣を歩くって決めたもん。何を言われたってへっちゃらへっちゃら」

「渚砂ちゃん…」

「強がりじゃないよ。だって私たち、これからはずっと一緒なんだよ? だったら怖いものなんてない。だから…全校集会の日は、みんなの前でギュ~~~~ってしてね。それから…それから。私を連れて行って。湖のほとりの玉青ちゃんが好きな場所へ」

「ええ。そこで私たちは―――」

 

 口には出さなかったけれど、私たちは間違いなく同じ光景を―――約束しあった未来を思い浮かべながら笑い合った。

 

 

 

 

 

 

<勝利への布石>…涼水 玉青視点

 

 授業のない日曜日であるにも関わらず制服に身を包んだ私は、自室で渚砂ちゃんと向かい合っていた。

 

「本当に一人で大丈夫なの?」

「何を言ってるんですか渚砂ちゃん。私一人じゃないと意味がなくなっちゃうじゃないですか」

 

 部屋まで見送りに来てくれた恋人に、私は安心してもらえるように微笑んだ。それでも不安そうに揺れる赤茶のポニーテールがとても愛おしく感じられて、思わず抱き締めたくなったのをグッと堪えながら前を見据えた。

 

「すぐに戻りますから。それじゃあ…行ってきます」

 

 廊下を歩き、階段を下りていちご舎の玄関へ。今日はあいにくの雨。しかも土砂降りだ。玄関に満ちる湿った空気にうんざりしつつも、私は手に持った傘を勢いよくバサッと広げ外へ出た。

 

 髪の色と同じ青い配色のお気に入りの傘。軽い雨なら渚砂ちゃんと二人で相合傘をしても問題ない大きさだけど、降りしきる今日の雨は手強く、風の吹く方向へ合わせて傘を傾けていてもあっという間に身体の端が濡れていってしまう。上から降る雨はもちろんのこと、叩きつけるように降った水飛沫は地面で跳ね返り、容赦なく白いソックスへと染み込んでくすんだ色へと変色させた。

 

(酷い雨。嫌になりますわ)

 

 これから自分がしなければならない事を考えただけでも溜息が出るのに、雨も相まって気分が余計に萎えていく。それでも私は行かなければならない。私と渚砂ちゃんの未来のため、そして六条様のためにも。

 

 綺麗に舗装された道から、木々の間を抜ける道へ。普段から限られた人しか通らない小道は、雨によってぬかるんでいてとても歩きづらい。悪戦苦闘し靴を泥まみれにしながらようやく辿り着いた目的地で、私は「ふぅ…」と大きく息を吐いてから辺りを見回した。

 

 日頃から周囲と隔絶されたこの場所は、土砂降りの雨も手伝って、いつも以上に人を寄せ付けぬ不思議な威圧感を漂わせつつ森の中で背筋を伸ばして君臨している。その堂々たる姿はどこか、主である静馬様に似ているなとぼんやり思った。

 

 傘を折り畳み、試しに何度か振ってみる。たっぷりと雨を吸った傘はこれくらいでは水が切れないようで、水滴がボタボタと垂れてくる。仕方がないのである程度のところで諦めそっと壁に立て掛けると、少し離れた場所でおそらくあの人のものであろう傘が、その場に小さな水溜まりを作り出してコンクリ―トを濡らしていた。

 

「温室…か」

 

 ガラスの板で覆われた巨大な箱庭。私にとってはあまり良い記憶のない場所だ。ガラス越しに見た渚砂ちゃんと静馬様が抱き合う姿は、今でも私の脳裏にしっかりと焼き付いていて忘れられそうにない。けれど私だって、あの日の私とは全然違う。

 

「渚砂ちゃん、どうか私を守って」

 

 いちご舎で待つ最愛の人に祈りを捧げながらガラスの戸を開けた。

 

 ここから先はエトワールによって支配された領域。一度足を踏み入れたら、主の許可なくば決して抜け出せぬ牢獄のような場所。奥へと続く道を一歩一歩踏みしめながら私は進んで行った。

 

 色鮮やかな鉢植えたち。アーチ状に形作られた緑のトンネル。様々な歓迎を受けて進む私の目の前に現れたのは―――。

 

「そろそろ来る頃だと思ったわ」

 

 開けた一画に設置されたテーブルセットには既に紅茶の用意がされており、温室の世界観とマッチした椅子には夏服にケープを羽織った静馬様が優雅に佇んでいた。天井を覆うガラスには雨が強く打ち付けられて、絶えず大きな音がしているというのに、その優雅さはまるで別世界のような光景だった。

 

「ごきげんよう、エトワール様」

 

 スカートを指で摘まみ恭しく、大仰に挨拶を行ってから傍へと近付いていく。背後のガラスは滝のような雨によって幾筋もの水の流れが視界を邪魔し、ほとんど外が見えないのが少々心細い。それと密閉されているからか、湿り気を帯びた草木や土の匂いが外よりも濃密に感じられた。

 

「随分と他人行儀な呼び方ね。他に人はいないんだし、なにより()()()()()()()なのだからもっと親し気に呼んでくれても構わないのよ? ねぇ、玉青?」

「や、やめてください。あなたに…そう呼ばれる筋合いなんて…」

 

 憎き相手の口から自分の名前が呼び捨てにされるのを聞いて、背中にムズムズとした悪寒が走る。思わず身を捩った私を見て、静馬様は目を細めて嬉しそうに笑った。

 

「照れなくたっていいのよ。実際私たちはお互いを深~く知っている間柄なんだから。なんだったら私を呼び捨てで呼んでみる?」

「お断りします。あんな強引に結んだ関係なんて…私は認めるつもり…ありません」

「うふふっ、でもよかったわ。今日は少しは元気そうじゃない。この前は怯えてばかりで虐め甲斐がなかったもの」

 

 例の件について返事がしたいと申し出たところ、指定されたのがこの場所だった。ここならば邪魔は入らないし内密な話をするにはもってこいだけど、何か意図があるのではないかとあれこれ勘繰ってしまう。

 

「早速ですが返事の方を―――」

「待ちなさい。その前に」

 

 何事かと思いきや、意外にも差し出されたのは厚手のタオルだった。

 

「これを使いなさい。風邪をひかれても困るわ」

「ありがとう…ございます」

 

 自分でもびしょ濡れなのは分かっていたから、タオルを貸してもらえるのはありがたい。いかにも柔らかでフカフカそうなそれを受け取り、丁寧に腕や足を拭いていると、静馬様は「手伝うわ」と言って私の後ろに回り込んだ。自分で拭けると言ってもお構いなしで、もう一つのタオルを手に私の髪に触れると、染み込んだ水分を吸い取るように優しく拭ってくれる。そのくすぐったいような気持ちいいような絶妙な力加減に、私の凝り固まった警戒はほんの僅かだけ解けてしまっていた。

 

「身体もこんなに冷たくなってしまって。別の日にしても良かったのよ?」

 

 背後から腰に回された腕が一瞬のうちに私を絡め取っていた。振り払おうかとも考えたが、今更この程度のスキンシップで騒ぐのはどうかと思って黙々とタオルで身体を拭いていると、静馬様は自分が濡れるのも厭わず身体を密着させてきた。

 

「あなたの青い髪、とても素敵ね。こうして濡れていると色合いがとても深くなってサファイアのよう。手触りは…そうね、ビロードに似てるかしら?」

 

 顔の横から垂れる髪の房を手に、うっとりした声色で囁かれる熱っぽい誉め言葉。いつになく饒舌なその様子から機嫌が良いのは間違いない。私が黙って好きにさせたことが嬉しかったようだった。

 

「髪型も良いわ。シニヨンだとうなじが大きく露わになって。ふふっ、うなじが好きだなんて言うと少しフェチっぽいかしら? ああ、でもこの肌の色に手触り。私でなくとも惹かれるはずよ」

 

 耳に掛かっていた吐息が首筋へと移り、ひんやりと冷たくなった身体がその部分だけ血色を取り戻す。そしてそのまま吐息が近付いたかと思うと、静馬様の唇が軽くうなじに触れた。

 

「んっ…」

 

 私の口からも吐息が漏れたのは、驚きで身体が硬直したのと共に、その唇が火傷しそうなくらいに熱を帯びていたからだ。刻印を刻むための熱した金属の棒のようなそれは、冷え切った私の身体には熱すぎた。二度、三度と押し付けられる度に、火傷にも似た赤い痕が、キャンパスに見立てたうなじにくっきりと残されていく。私はその熱にうなされるようにブルリと身体を震わせながら、頭を傾けて首を差し出し続けた。

 

 この身体が海に浮かぶ氷塊ならば、首筋への熱いベーゼは燦然と輝く太陽だった。氷が熱で溶かされてなくなっていくように、静馬様の体温が伝わる度に、恐怖も少しずつ薄れていく。唇が触れた時に大きく蠢いていた胸の鼓動は、いつの間にか鳴り止んでいた。

 

 ()()()。あの時の渚砂ちゃんも()()()()()

 

 さきほどは温室をエトワールの支配する領域と表現したが、それは少し違っていた。正確に言えば…間違ってはいないが、かと言って正しくもない。この場所で静馬様に抱きすくめられたことで、私はそれを思い知らされた。

 

(とんだ………勘違いでしたわ)

 

 支配する領域だって? とんでもない! ここはそんな生易しいものではない。この温室は…静馬様の体内も同然だ。人と植物の境目が混じり合い、さらにはそこに温室という建物まで加わり、ごちゃ混ぜとなった状態。言うなれば同化しているようなもので、温室は静馬様であり、静馬様は温室なのである。つまり私はここへ足を踏み入れた時点で、自ら静馬様の胃袋の中へ収まりに来たに等しい行為をしていたわけだ。

 

(それに…まさか渚砂ちゃんとの特訓が仇になるなんて…)

 

 トラウマの払拭に成功した半面、今の私は普通に静馬様の口付けを受け入れてしまっていた。私という名の閉じられた鍵穴を最初にこじ開けたのがこの人である以上、私は否応なくこの人に反応してしまう。鍵穴が同じなのだから、一度開錠に成功した鍵が容易く侵入出来るのは自明の理だった。

 

 そして温室のあちこちから漂ってくる美しい花々の甘い香り。静馬様の尖兵となったそれらはフワフワと私の周りを漂い、鼻腔を抜けて脳まで到達すると思考を痺れさせた。一方で生い茂る樹木から伸びた枝は私の手足を縛り付け、身動きが取れないようにきつく巻き付いた。

 

(いけない。ここにいると…頭が…おかしく…なる)

 

 返事をしたら一刻も早く逃げ出さないと。

 

「静馬様。そろそろ返事の方を」

「いいじゃない、もう少しくらい。それにこのまま聞いたって構わないのよ?」

 

 弱々しくそう切り出した私をあしらいつつ、静馬様はまた一つうなじへとスタンプを刻んだ。冗談じゃない。本音を言えばすぐにでも出て行きたいというのに。

 

()()()()()返事なのですから、ちゃんと聞いて頂きたいですわ」

 

 自分でも芝居がかったセリフだとは思ったが、おかげさまでようやく解放されることに成功した。まだジンジンと熱の残るうなじを気にしながら衣服の乱れを直し、真正面に向き直る。

 

「せっかくの…ね? そう言うからには期待してもいいのかしら?」

 

 さも私の答えが五分五分であるかのような口振り。けれどその口元は、返事が待ち遠しくて仕方がないといった様子で、僅かに歪んでいた。

 

(静馬様からすれば、これは私の敗北宣言。でも私からすればこれは―――)

 

 勝利への『布石』なのだ。しっかりと打ち込まなければ意味がないし、後々困ることになる。私が軍門に下ると信じ込ませ、全てが自分の思い通りになっていると勘違いしてもらう必要があった。

 

(少し緊張した素振りで、声は僅かに震わせて。表情は観念しましたといった様子で、どこか悔しそうに)

 

 よし…大丈夫。やれる。騙せる。

 

「はい。私、涼水玉青は………静馬様のものになると…誓います」

「ふふっ、まぁそうするしかないわよね。分かり切ってはいたけど、でも嬉しいわ。それでいつ発表してくれるのかしら? 明日? 明後日? それとも今からいちご舎の生徒を集めて発表する?」

「それについてなのですが、全校集会はいかがでしょうか?」

「全校集会? そういえばもうすぐあったわね。でもそこでどうやって発表するつもりなの?」

「私は少しですが壇上で喋る機会がありますので」

 

 訝し気な声を出していた静馬様が「へぇ?」と眉をピクリと動かして表情を崩した。どうやら興味を引くことが出来たらしい。問題は最後まで信じてもらえるかだけど…。

 

「まさか壇上で発表してくれるってわけ?」

「大勢の前でとのリクエストでしたので。お気に召しませんか?」

「うふふふ、あはははははは」

 

 派手好きの静馬様であれば喜ぶものだと思っていたが、問いかけに返ってきたのは盛大な笑い声。予想外の反応に私はなぜ静馬様が笑ったのか分からず、困惑しながらその理由を尋ねた。

 

「あの…何が」

「ふふふ。笑ってごめんなさいね。あなたがあまりにも()()()()()()()()()可笑しくなってしまって」

「良い子ちゃん?」

「いくら深雪のためだからと言っても、急に従順になり過ぎではないかしら? 頑張り過ぎってことよ」

 

 まずい。もう少し『溜め』を―――一旦消極的な案を提示して、それを却下されてから本命を出すべきだっただろうか? たしかに少し急ぎすぎたかもしれない。

 

「それは………こうでもしないと承諾して頂けないかと思ったものですから」

 

 俯き気味に視線を泳がせ、苦渋の選択であったことを匂わせる。それでも胸に去来した失敗したのではないか、という思い。せめて顔には出てませんようにと祈りながらも、せっかく温まってきた身体に冷たい汗が流れ落ちた。ここで疑われてしまうと全てが台無しだ。

 

「ふぅん? あなたにとって深雪はそれほど恩義を感じる相手だったということ?」

「静馬様の方が…あの方のことをよくご存知では?」

「………。まぁいいわ。あなたが本気なのかどうか、テストすれば分かることだわ」

 

 一難去ってまた一難。どうにか踏みとどまったと思ったら今度はテストが課されるらしい。

 

「テスト…ですか」

「ええ。その結果を見て信用するかどうか決めようと思うの」

 

 口では分かりましたと言いつつも、私はそのテストとやらの内容が気になって仕方がなかった。内容にもよるが、いずれにしても厄介なことになってしまったことには変わりない。こうなった以上は何が何でもテストをクリアしなければならないわけだが、果たしてどんな無茶が飛び出すやら…。

 

(―――ッ!? 必死過ぎても却って疑いを加速させてしまうんじゃ?)

 

 さっきの静馬様の指摘。頑張り過ぎという言葉を思い出しハッとした。静馬様は僅かながらも違和感を覚えたからそう言ったのだ。となればクリアしないという選択肢も考慮しなければならない。

 

 全力を尽くすべきか、程よく手を抜くべきか。静馬様が狙ってそうしたのかは分からないが、私は見事に思考の袋小路へと迷い込んでしまっていた。

 

「そんな難しい顔しなくたって平気よ。とてもシンプルなテストだもの。()()()()()()()()()()()()

「キス…ですか」

「今のあなたなら簡単でしょ?」

 

 グッと身体に力を入れて構える私に、静馬様は落とした消しゴムを拾うような自然さで言ってのけた。「簡単でしょ?」というセリフの気軽さから、とりあえず、トラウマのせいで私が渚砂ちゃんとキス出来なかった情報は漏れていないと判断し、胸を撫で下ろす。

 

 もし知っているのであれば、こうも気楽にキスを要求したりはしないはずだ。

 

「意外と驚かないのね。予想でもしてた?」 

「あっ、いえ充分…驚いています」

 

 キスなら予想の範囲内ではあったが問題はそこではない。

 

(するのは大丈夫。渚砂ちゃんのおかげでトラウマはどうにかなったから。けど…選択肢が多過ぎる)

 

 あっさりキスをするべき? それとも思い切り躊躇ってみせる? 表情は? 追い込まれた私だったら、こういう時にどんな反応をする?

 

 ダイバーが潜っているうちに上下が分からなくなってしまうのと同じように、今の私も何をどうすればいいのか分からなくなって、もがき苦しんでいた。ダイバーたちにはガイドとなるロープを伝うことでそれを解決するが、私にはそのガイドとなるものは用意されていない。自分の考える対応が正しいのか、正しくないのか。溺れかけている私が一体どんな表情をしているのか、自分でも分からなかった。

 

「どうしたの? 出来ないの? そう難しい事ではないはずだけど」

「………。分かりました」

 

 散々悩んだ挙句、私は唇を噛み締めながらも目を瞑り、顔を僅かに上へ傾けて接吻を受け入れる姿勢を取った。それが最適とはいかなくても、模範的な解答であると信じて…。

 

 しかし―――。

 

「…? どうぞ。心の準備は…」

 

 いつまで経っても訪れることのない唇の感触に疑問を抱き、薄っすらと目を開けてもなお静馬様は微動だにしていなかった。

 

「そうじゃないでしょ?」

「え?」

「私はキスを()()()()()と言ったのよ。()()()と言った覚えはないわ」

「まさか…私の方からっ!?」

「ようやく顔色が変わったわね」

 

 してやったりという様子で静馬様の顔に笑みが浮かぶ。『キスをしてくれればいい』という言葉を、私は静馬様からキスされるのを受け入れろという意味だと受け取った。今までの経験上、静馬様相手には常に受動的だったからだ。だから今回もそうだとばかり思って目を瞑ったのである。

 

(たしかに静馬様の言う意味にも受け取れるセリフでしたけど…自分からなんて)

「言っておくけど協力はしてあげないから頑張って頂戴ね」

「それはどういう?」

「試してみれば分かるわ」

 

 自分からキスをさせるだなんて、いかにもあなたに服従しましたというサインみたいで、この人の好みそうな事だ。でも私が従うのはあくまで表面上だけ。たった一度、従いますというポーズを見せれば済むことである。

 

(渚砂ちゃん、ごめんなさい。私が好きなのは渚砂ちゃんだけですから)

 

 決意を固めた私は静馬様の前に立ち、その顔を見上げた。そのままでキスするには少し身長差がある。屈んでくれれば何とかなるが、きっとしてくれないだろう。だったら私がつま先を上げて背伸びするほかない。

 

「失礼…します」

 

 渚砂ちゃんへの申し訳なさで震える身体を精神力で黙らせ、顔を近付けようとした。けれど静馬様はそんな私の努力を嘲笑うかのように軽やかに身を躍らせると、口付けを躱したのだった。

 

「どういうおつもりですか? キスをしろと言ったのは静馬様ではっ!?」

 

 予想外の事態に上擦る声。

 

「言ったでしょ。()()()()()()()

「なっ!?」

「私が逃げないように捕まえておくのもあなたの仕事のうちよ?」

 

 ということは私が静馬様の腰か、もしくは首の後ろに手を回すかしろと言うことなのか。

 

(そんな…。それじゃ私が静馬様とのキスを望んでるみたいに………)

 

 自分がそうしながらキスする姿を想像し、今度は屈辱によって身体が震えた。いくらポーズだけとはいえそこまでしてしまったら、渚砂ちゃんを裏切っているみたいで心が張り裂けそうになる。

 

「分かり…ました。お望みどおりにしますから、暴れたりは…しないでください」

「それもあなた次第ね」

 

 改めて正面に立って細い腰に手を回すと、静馬様は身を捩り逃れようとした。どうやらお気に召さないらしい。違うのならば違うと言えばいいのに。本当に面倒なお人だ。仕方なく首の後ろへ手を掛け、甘えるように撓垂(しなだれ)れ掛かると、答え合わせの代わりに私の腰へと腕が回された。

 

 こんな姿を他人に見られたらと思うとゾッとする。10人いたら10人全員が間違いなく、私が静馬様に恋をしているのだと証言するようなビジュアルだろう。

 

「積極的ね。嬉しいわ玉青」

「あなたが…させたくせに」

 

 ―――ッ。思ったよりも唇が遠い。これじゃ精一杯つま先を伸ばしてもギリギリ届くかどうか。

 

 静馬様が協力してくれないのであれば私がより一層抱き着くしかないのだが、それはキスをねだる年下の恋人が行う振る舞いのようで、私の羞恥心を酷く刺激した。

 

「それでは…します…ね」

 

 踵を地面から浮かせ、腕に精一杯の力を込めながら、私は唇を触れ合わせた。どうせするのであれば軽くにしようが、しっかりしようが変わらないと唇を強く押し付ける。変に逃げ腰になるよりも一回で終わってくれた方が私としてはありがたい。

 

 余裕を持たせて、たっぷり10秒以上はそうしていたはずだ。これなら認めてもらえるだろうと力を抜いた私に、静馬様は意地悪そうに呟いた。

 

「ダメね。てんでお話にならないわ」

 

 それは絶望的な宣告であった。

 

「な、なぜですか? 私は言われた通り自分からあなたにキスを―――」

「こんなお遊びみたいなキスで信用の対価になると思っているの?」

 

 今なお静馬様に抱き着いたままの状態で、私は当然とも言える抗議を行った。しかし返ってきたのは非情な通告。あんなにも苦労して、ようやくキスしたのに…。たった一度だけ、そう思ったから頑張れたというのにその努力を一蹴されるなんて…。

 

「私が満足するようなキスの仕方。あなたには教えてあるはずよ」

「そんな…」

 

 静馬様が何を言っているのかは分かるつもりだ。あの日私がされた口付けを、私から自分にしろと要求しているのだと。けれどそこまでは許したくはなかった。だってまだ渚砂ちゃんとは、()()()()()してないのだから。

 

「それは…宣言してからの…お楽しみに」

「ダメよ。今しなさい。出来ないなら私はあなたを信用しないだけよ」

「卑怯者っ!」

「あなただって大して変わらないでしょ? 私のものになると誓うと言いながら、心は渚砂に捧げたまま。表面上だけ取り繕って私を欺こうとしている。はっきり言って生意気よ、あなた。私相手に面従腹背を決め込もうだなんて」

「いけませんか? 私が誓うのは六条様を助けるため。そのために…一時的に…あなたに魂を売るだけです」

 

 あくまでも計画の事は伏せたまま正直に答えるフリをする。そもそも計画には関係なく、私が本心から従うつもりがないことは静馬様だって重々承知なはずだ。そのうえでの戯れ。そうではなかったのだろうか?

 

「あら? 私はとても優しくしているつもりよ。渚砂に心を捧げたままでも許してあげると言っているの。だけどその代わりに………身体を差し出しなさい。心と身体。せめてどちらかくらい差し出さないと、取引とは言えないわ」

「っ…。こんなやり方をしたって私はあなたになんか」

「あなたはまだ知らないだけよ。いくら気持ちがどうのこうの言っても、女同士だって心が身体に引っ張られてしまうこともあるのよ? それを教えてあげる」

「覚えておいてください。これは…六条様のためですから」

 

 睨みつける私の顔を素敵だとからかう静馬様の口を、私は自らの唇を被せることで塞ぎ、そして恐る恐る舌を伸ばしていった。

 

「んっ…」

 

 最初に触れたのは柔らかな唇。その次に前歯に当たってから、舌はようやく静馬様の口内へと辿り着き、躍り出た広い空間の中で手持無沙汰に立ち往生した。された経験はあっても、自分でした経験のない私にはどう動かせばよいのかが分からない。けれどそのままでいるわけにもいかないので、さらに奥へと舌を進ませると静馬様の舌とぶつかった。

 

(擦り合わせればいいんでしょうか?)

 

 おっかなびっくり反応を窺うように舌先でちょこんと押してみると、同じように軽く押し返された。ヌルッとした感触に一瞬ビクッとしながらもそれを二度、三度と繰り返すうちに、何となくそれっぽい動作になっていく。私は初めて覚えたその動作を一生懸命リピートしてから唇を離した。

 

「いかが…でしたでしょうか?」

「ダメよ。もう一度」

 

 返答はそれだけ。アドバイスも何もない。自分でキスしながら試行錯誤をしろということらしい。仕方なく再び唇を触れ合わせ、舌を動かしてみる。とはいえ覚えたのはさっきの動きだけなのだから、どうしたって単調で上手くいくはずもない。すぐに唇を離した私に「もう一度」と告げる声が放たれ、私は無謀な努力を繰り返すほかなかった。

 

 何度目かのキスを始めると、今まで大人しく控えていた手が私の臀部を撫で回すように動き出した。

 

「気が散って上手く出来ませんからやめてください」

「仕方ないでしょ。あなたのキスが下手だから、暇なんだもの。だったらこれくらいのお遊びは許されるべきよ?」

 

 抗議するだけ無駄だ。そう思った私は這いずる手を無視したままキスを続けようとしたが、新たな刺激が加わった身体は、明らかに違う反応を示すようになっていた。

 

(お腹が………熱い)

 

 揉みしだかれたヒップから伝わった体温が移ったのか、下腹部にジンジンとした熱が溜まっていき、それと同時に大胆な動きを覚え始めた舌がヌルヌルと擦れる度に、小さな火花が脳内で弾けては淡い閃光を残していった。キスの合間に自然と漏れだした吐息と艶めかしい声。自分のものだとは分かっていても信じられない。

 

 気付けばキスしていたはずが、()()()()()状態になっていて、互いが舌だけでなく身体全体を触れ合わせるように小刻みに動かしながら口付けを交わしていた。そしてグニィッと思い切り掴まれて形を変えていたヒップが、突然パッと解放された途端、私は「うっ」と呻き声を上げて身体をわななかせた。

 

 力が抜けた身体は静馬様にもたれかかるように完全に預けられ、荒い呼吸のまま首の後ろに回した手がビクビクと痙攣を繰り返す。お腹の奥の熱はじんわりと全身に広がり、酔っぱらっているような感覚だった。

 

「嫌がってたわりには、随分と可愛らしい反応ね。それとも口だけの嫌々だった?」

「―――ッ。テストが終わったなら…離れて…ください」

「フラフラなのに勇ましいこと。でもまぁ、返事を待たされた分の利息にしては、充分過ぎるほどの対価だったかしら」

「私は…もう…帰り…ますから」

 

 静馬様の手から離れ、ヨロヨロと歩き出したものの、私はすぐに膝をついて温室のタイルへと(うずくま)った。しゃがんだ拍子に濡れたショーツの感触が太腿に押し付けられて、その気持ち悪さに身を捩って悶えてしまう。

 

「まだお腹の奥…熱いんじゃない? もう少しゆっくりしていくといいわ。そうね、()()()()()()()()()()()()()()

 

 土砂降りの雨の中、ガラス張りの鳥籠に囚われた私に覆い被さる影は、打ち付ける雨粒のカーテンに掻き消されその姿を消した…。

 

 

 

―――――――――

 

――――――

 

―――…

 

 

 

「もう行ってしまうの? せっかちね。余韻くらい楽しんでいけばいいのに」

「雨…止みましたから」

 

 投げ捨てられていた夏服をすっかり身に着けた私は、それだけ言うと半裸の静馬様を残し温室を出て行った。手にはお気に入りの傘。歩く道の両脇には、雲の隙間から顔を覗かせた太陽が照らす草木の雨露の煌めき。さきほどまで痛いくらいに噛み締めていた奥歯も、今は圧から解放されてホッとしているようだった。

 

 次に会うのはおそらく全校集会の日。それまで好きなだけ余韻に浸っていればいい。道の途中で立ち止まった私は、雨の上がった青空に向かって呟いた。

 

「渚砂ちゃん。私…頑張りましたよ。だから帰ったら、たくさん…褒めて…くださいね。でないと私、泣いちゃいますから」

 

 迷子の雨が一滴(ひとしずく)、私の頬を伝って流れ落ちた…。

 

 

 

~~~次章へ続く~~~

 

 

 

 

 

 

 




■後書き

 次回は全校集会当日のお話となる予定です。次章もどうかよろしくお願いします。それでは~♪


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第36章「あなたを心から…愛しています」

■あらすじ
 全校集会当日。ついにこの日が訪れた。様々な想いが交錯する中、少女たちが選んだ未来とは…。

■目次

<誓いの言葉>…涼水 玉青視点
<私たちに任せて>…南都 夜々視点
<六条深雪>…花園 静馬視点
<アストラエアの丘で>…涼水 玉青視点


<誓いの言葉>…涼水 玉青視点

 

 大ホールに集まったミアトルの生徒たち。まだ開始30分前ということもあり、通路に集まって雑談したりする姿が目立つ。行事が始まる前のお馴染みの光景だ。あと15分ほどして先生たちが着席を促すまではおそらくこのままだろう。気になる雑談の内容はというと、うんざりするほど聞いた例の噂がメインだった。

 

「ねぇ、壇上のあれ」「仲良さそうだよね」

 

 生徒たちから漏れる数々のヒソヒソ話。それらの大半は壇上で打ち合わせをする私と六条様に向けられたものだった。下で喋っているとそうでもないが、壇上というのは存外と微かな声も聞こえてくるものだ。今も前の方にたむろする数人の声に、私の耳はヒクヒクと反応を示している。

 

「私たち相変わらず人気者ね。ひょっとしたら静馬よりも話題性があるんじゃないかしら?」

「本当によろしかったんですか、六条様? 噂…あることないこと相当広まってしまいましたけど…」

「いいんじゃない? 盛り上がってるのは間違いないのだし。それにどうせこの全校集会が終われば、綺麗さっぱりなくなるわよ」

 

 事もなげにそう言って微笑むと、六条様はわざと私の手元の資料を覗き込むフリをして顔を近付けた。

 

「どうなっても知りませんよ、もう」

 

 その様子を見ていた生徒たちが上げた小さな歓声を聞きながら、私も六条様に合わせて同様のフリをしてみせると、歓声はさらに大きくなって私たちを指差す生徒まで現れる始末だった。結局私たちを噂する声は、開始15分前になって先生たちが通路を行き交うようになるまで、熱心に飛び交い続けていた。

 

「それじゃあまた後でね。お互い頑張りましょう、玉青さん」

「はい。六条様も」

 

 壇上に席が用意されている六条様と違い、私はここで一旦舞台袖へ。出番が来るまでの少しの間はじっと待機することになる。今のうちにしっかり目に焼き付けておこうと、渚砂ちゃんのいる場所を見つめてから檀上を後にした。

 

 

 

 

―*―*―*―*―

 

 

 

 

(そろそろ私の番でしょうか…)

 

 壁の時計に目をやり、声を掛けられるよりも前に壇上へ向かう準備を整える。まだまだ平気だなんて思ってたら、あっという間に自分の番が回ってきてしまった。本音を言えばもう少し精神統一でもしていたかったけど、どのみち落ち着いてなどいられないだろうからこれで良かったのかもしれない。

 

 壇上のマイクの前では六条様が、次期生徒会長へと推挙する私の紹介を行っていた。

 

「それでは涼水玉青さん。壇上に来て一言」

「はいっ!」

 

 緊張した面持ちで六条様の元へ向かう際にも、静まり返っていたホールにちょっとしたざわつきが巻き起こった。先生たちがチラリと見ると一時的にパタリと止むのだが、好奇心が抑えられないのか、先生の目を盗むように囁き合う生徒も中にはいた。

 

 まずは隣に立って一礼。次いでマイクの前を譲ろうとした六条様の「頑張って」という優しい声。偶然マイクに拾われたそれが会場に響くと、生徒たちは先生がいるにもかかわらず小さく声を漏らした。

 

 彼女たちは知らない。その『頑張って』に込められた様々な感情を、ドラマを。私たちの他には数人の生徒だけが知るその意味を噛み締めながら、私は万感の思いを込めてマイクの前に立った。演台の上には用意しておいた原稿を。使わないくせにしっかりと文章を考えたそれに、我ながら真面目過ぎたと苦笑いが浮かんだ。

 

(そう言えば渚砂ちゃんは『演台』のことを『マイクを置くあれ』とか言ってましたっけ。ふふっ渚砂ちゃんらしくて可愛い)

 

 これから自分は大変な事をするというのに、不思議と心に余裕があった。緊張し過ぎておかしくなってしまったんだろうか?

 

(この数ヶ月、色んな事がありましたね。渚砂ちゃんに出会って…静馬様と張り合って。楽しかったことも、嫌なこともあったけれど、今まで過ごしたどの時間よりも…ずっと…濃密な日々でした)

 

 やっぱりどこかおかしくなってるみたいで、自然と零れる笑みが止められそうにない。

 

(アストラエアの女神様。申し訳ありません。私と渚砂ちゃんは…禁忌を犯します。楽園を追放されたアダムとイヴのように。罰をくださっても構いません。ですが…どうかこれからの僅かな時間だけ、お見逃しくださりますように)

 

 マイクの前に立ったまま何も話さない私に、ホール中の視線が降り注ぐ。原稿を手に取ることなく顔を上げた私は、高らかに叫んだ。

 

「花園静馬様。どうか中央の通路へ!」

 

 予定にない突然の展開に、司会進行役の生徒の顔色が変わる。あせあせと手元の資料を確認するも、やはりどこにも書かれていない事態であることに戸惑っているようで、その視線は誰かの助けを求めてホールを彷徨った。そんな進行役の異変に、退屈そうに席に座っていた一般の生徒たちの目にも生気が蘇り、台本から外れたアドリブの行方に胸を躍らせた。

 

 混乱と期待が渦巻くホールの中、この御方はさすがと言うべきか。取り乱した様子を微塵も見せずにスッと立ち上がると、教師陣の視線さえも物ともせず、指をパチンと打ち鳴らして会場を鎮まらせてしまう。場所はちょうどホールの真ん中ほど。そこから建物を縦に走る少し広めの中央通路―――まるで専用の花道のようにも見える舞台へと躍り出てた静馬様は、マイク無しでもよく通る澄んだ声を響かせた。

 

「何か御用かしら? 次期生徒会長さん?」

 

 あくまで何が起こるか知らないフリ。私が宣言をして初めて、自分もアクションを起こすつもりなのだろう。

 

「はい。あなたに…そして会場の皆様に伝えたいことがあります。この場をお借りして、それを宣言させていただきます」

「あら? サプライズ? 何が飛び出してくるのか楽しみだわ」

 

 ほとんど全てと言っていいほどの視線が、私に…静馬様にと交互に行き来し、最終的にはサプライズを発表する私へと収束する。ここには多くの人が集まっているが、おそらく皆が、この即興劇の登場人物は私と静馬様しかいないと思い込んでいたはずだ。

 

 そしてそれは、一対一の果し合いのように私の視線の先に立つ静馬様も、()()()()()()

 

「ええ! ()()()()()()サプライズですわ!」

 

 私の声に合わせ、カタンッという音と共に館内の照明が一斉に落ちた。

 

 予想外の出来事に騒然とするホール。誰もがキョロキョロと辺りを見回す事態に、静馬様でさえも「何っ!? 何だというの?」と動揺を隠せないでいた。

 

 次の瞬間―――。

 

 カッと伸びた一条の光が私を照らし出し、暗闇の中で鮮烈に姿を描き出した。その眩しさに思わず手で光を遮ろうとした静馬様の元へも同様の光が降り注ぐ。天井に備え付けられた無数のスポットライトのうちの2つが、私と静馬様に向かって照射されたのだった。

 

「ッ!? 一体誰がこんな真似を!?」

 

 操作を行っている管理室がある方を振り返った静馬様だったが、他の照明が落ちている状態では見えるはずもなく、忌々し気に顔を歪ませることしか出来ない。一方の私はそちらを見ることなく、心の中で二人への感謝を述べた。

 

(夜々さん、光莉さん。本当にありがとう。静馬様との決着…つけてみせますから)

 

 マイクをスタンドから取り外し、演台の前を離れていく私の動きに合わせ、光はスーッと追いかけてくる。光なのに影みたいと言ったら笑われてしまうだろうか。冗談はともかく光を従えて中央通路へと降り立つと、私と静馬様の間には隔てるものは何一つない、真っすぐな道が広がっていた。

 

「あなたたち、これは一体何の騒ぎですかっ!? 説明なさい!」「誰か管理室の方を。入り込んでいる生徒がいるはずです」

 

 呆然としていた先生方は、今になってようやく事態を収拾しようと大声を上げ始めたが、私は…ううん、()()()()そんな程度では止められはしない! 制止する声を無視し、それに負けない声で最愛の人の名を叫んだ。

 

「来てください渚砂ちゃんっ!!」

 

 元の声量にマイクの力が加わった声はキィインとホール中に響き渡る。日頃の私の行動からは想像もつかない暴挙に驚いたのか、それともあまりの音量に驚いただけなのかは定かではないが、先生方の足はピタリと停止した。置物のように動かなくった石像たちとは対照的に、ただ一人自由を得た鳥の如く、席と席の間をパタパタと駆け抜けるのは赤茶色のポニーテールの少女。誰しもがその行き先に目を凝らしていた。

 

 渚砂ちゃん! 渚砂ちゃん!! ああ、渚砂ちゃんが来る。私の渚砂ちゃんが!

 

 端の方の席から中央通路までやって来た大切な恋人は、私と静馬様の間で停止すると、大きく手を広げ私を呼んだ。

 

「玉青ちゃんっ!!」

 

 その後ろであっけにとられている静馬様の姿を一瞥してから、私はホールにいる全ての人に向けて()()()()()()()()()

 

「私…涼水玉青は、蒼井渚砂を愛しています! 友人としてではなく、一人の女性として!」

 

 言った。言えた。私はとうとう言ったんだ。

 

 訪れる一瞬の静寂。しかしその仮初めの静寂はすぐさま打ち破られた。歓声とも悲鳴とも受け取れる声が響き渡ったのである。

 

「ねぇ、今の」「愛してるって」「間違いじゃないよね?」「じゃあ六条様とは違うの?」

 

 戸惑うざわめきは留まるところを知らず、あっという間に会場全体を包み込んでいく。その中には本気なのかと疑問を持つような声も含まれていた。

 

(何を言われようと構わない。私は渚砂ちゃんが好き。その想いは…誰にも邪魔させない)

 

 スイッチを切ったマイクを床に投げ捨て、私を待つ人の元へ。

 

「渚砂ちゃんっ!!」

 

 叫びながら両手を広げて待っていた恋人目掛けてダイブすると、私たちは勢い余ってその場でクルクルと円を描いた。いつかのダンスパーティで果たせなかった踊りを今踊るかのように、抱き合ったままで。

 

 流れるように動いては視界から消えていく背景と、変わらずに私を見つめ続ける渚砂ちゃん。世界が私と渚砂ちゃんを中心に回ってるみたいで、何とも言えない感情が胸に染み出してくる。

 

 相も変わらず木霊する歓声と悲鳴をミックスした声に包まれながら回転を止めた私たちは、静馬様の方を向いて背筋を伸ばした。

 

「申し訳ありません静馬様。私は…この道を選びます。あなたのものになる気はありません」

「―――ッ。本気なの? 渚砂だって学校でどう言われるか…」

「私と玉青ちゃん。二人で決めたんです。だから…後悔はしません」

「「覚悟は出来てます」」

 

 そう啖呵を切るなり渚砂ちゃんの腰へと手を回した私は、約束通りギュ~~~ッと抱き締めながら顔を寄せ、そして―――。

 

「「「キャアーーー!!」」」

 

 今度こそ悲鳴一色となったホールの中心で触れ合わせた唇。最初は見つめ合いながら軽く。2度目は目を瞑って強く…強く。互いを離さないように、どこへも行かせはしないと願うように相手の腰へ手を回しながら。

 

「玉青ちゃん。大好きだよ」

「私もです。渚砂ちゃんのこと、世界で一番…愛してます」

 

 誓いのキスを終えた私たちを静馬様が見つめていた。

 

「そう。二人で選んだのなら…私にはもう何も言うことはないわ。ただ…荊の道よ。それだけは忘れないで」

 

 静馬様は意外にも諦めたような、どこか放心したような表情に私には見えた。

 

「行きましょう! 渚砂ちゃん」

「うんっ!」

 

 手を繋いだ私たちは走り出した。檀上に向かってではなく、ホールの出入り口へ向かって。

 

「なに? なになに?」「あの二人どこへ行くの?」「もしかして外?」「えっ? 駆け落ち?」

 

 静馬様の隣を駆け抜けた瞬間、そんな生徒たちの声に交じって小さな…けれど耳を離れない声で「おめでとう」と呟く声が聞こえてきて、一瞬だけ振り返った先で、あの人は笑って天井を見上げていた。

 

 でも立ち止まることはなく、渚砂ちゃんの手を改めてギュッと握り直すと、私たちはそのまま中央通路を駆け抜けていった。

 

 

 

 

 

<私たちに任せて>…南都 夜々視点

 

「やった…。やったよ。あの二人、やったよ光莉」

「うん…。うん! 良かったね、夜々ちゃん」

 

 スポットライトを操作していた私たちは、管理室でそう叫ぶとハイタッチを交わし、抱き合うと二人でピョンピョン跳ねながら喜んだ。これで私たちの役目は()()果たしたことになる。本当はもう少しくらい喜んでいたかったけど、この部屋へと迫ってくるバタバタという足音がそれを許さなかった。

 

 どうやって入手したかは知らないが、千華留さんから託された鍵を使って管理室に侵入した私たち。照明を落とし、スポットライトで玉青さんたちを照らしたりという行いの数々は、やはり無罪放免というわけにはいかないだろう。でも私たちにはまだやらなければならないことがあった。

 

 そう。役目の残り()()を!

 

「来るのは分かってたけど、思ったより早いなぁ。まだ六条様の番があるってのに…」

「どうしよう夜々ちゃん?」

 

 顎を指に乗せてちょっとの間、考えを練る。体格や力から言っても私が身体を張った方が良さそうだ。

 

「私が扉を押さえて時間を稼ぐから、光莉は操作を。とりあえず照明を点けて明るくしておいて」

「わ、分かった」

「扉が開けられたら抱き着くでも体当たりでも何でもして先生は止めてみせるから。だから…頼んだよ」

「任せて! 夜々ちゃん」

 

 覚悟を決めた、といった顔で頷き合った私たちは、託された役目を果たすべく持ち場につく。

 

「そこにいるのは誰ですか? 自分たちがしたことを分かっているんですか?」「反省文では済みませんよ!」

 

 扉をこじ開けようとする教師たちの声が管理室に鳴り響いた…。

 

 

 

 

<六条深雪>…花園 静馬視点

 

(まさか私がこんな風に置き去りにされるなんてね。自分の勝利を疑わずにノコノコと登場して、その挙句全てを掻っ攫われるなんて…いい笑い者だわ)

 

 落ちていた照明が戻ってもなお、興奮と熱狂が色濃く残るホール内。誰もが扉の先を───少女たちの飛び立っていった行方を追うように出入り口を眺め続けていた。いくら眺めようとそこにはもはや…幻影すら残されていないというのに。

 

(意外と何も出来ないものね)

 

 青い髪の少女を愛していた。あれほどの…強引に関係を結ぶという手段を使ってまで手に入れたかった相手のはずだ。それなのにこの無様な姿は一体どうしたことだろう? 

 

 隣を駆けていく際に手首を掴んだり、二人の後ろを追いかけて行ったり。今になって色々と思い浮かんだものの、全ては手遅れで、虚しさを感じさせる行いばかりだった。

 

 いや、おそらく悟っていたのかもしれない。渚砂が出てきた瞬間、私は既に自分の負けをどこかで認めていたのだ。玉青の成長を楽しんでいた。彼女が渚砂との関係に悩み、壁を打ち破ろうと一歩前に踏み出す度に、私は悦びを覚えていた。だからというのも変な話だが、喪失感は…あまりない。それどころか二人の成長を嬉しく思う自分すらいることに気付き、笑みが零れていた。

 

(ふふっ。ここにいても意味がないわね。私も退場させてもらおうかしら?)

 

 二人が出て行ったのとは別の出入り口へ向かおうと歩き始める。道化役は勘弁だ。温室へでも行って、ぼんやりとでもしようかと考えていたその時―――。

 

「待ちなさい。まだ…あなたが向き合うべき人がいるわ」

 

 私の前に立ちはだかるように現れた一人の生徒。()()()()()()()()()()()()というのに()()()()()()その生徒は、堂々と両手を横に広げて通路を塞いだ。いや違う。顔は何度も見た顔だ。声だってそう。何度もベッドの中で聞いた。トレードマークのリボンもなく、髪型もウィッグを使って変えてはいるが、私が間違えるはずもない。

 

「千華留。どうしてあなたがここに?」

 

 わざわざミアトル生に変装して紛れ込むなんて、大した度胸だと感心する。普通なら思い付きはしても実行まではしないだろう。でもそれで納得もした。照明とスポットライト。あれは千華留の仕込んだことなのだと。となれば管理室に忍び込んだのはスピカのあの二人か。

 

「当然、色々と見届けるためよ。あ、でもその前にちょっと待ってもらえるかしら? あー苦しい。結構大変なのよ? 変装するのって♪」

 

 正体がバレた以上、もう用はないといった様子でウィッグを投げ捨てた千華留は、さらにポケットから髪飾りを取り出し髪に留めた。依然としてミアトルの服を着ているものの、すっかり源千華留となった少女に、近くで見ていた生徒が声を上げる。「千華留様だわ」と発した声は周りに伝染し、ルリムの生徒会長が来ていることを会場中に知らしめた。

 

「注目してくれるのは嬉しいけど、今日の私はただの観客なの。主役は…舞台の上よ♪」

「舞台の?」

 

 千華留が指し示した先。私が振り返るよりも早く聞こえてきたのは、「皆様。どうかご静粛に」という落ち着き払った声だった。

 

(深雪…? 一体何を?)

「今回の騒ぎについて説明させていただきます。照明の操作…及び玉青さんの行動は………全て私が裏で手引きしたものです

(なっ!?)

 

 突然の自供に騒ぐどころか、逆にシンと静まり返ったホール内。深雪はそれを気にすることもなく淡々とした様子で話し続けた。

 

「誤解のないように言っておきますが、手引きをしたと言っても玉青さんの…彼女の渚砂さんに対する想いは本物であり、私はあくまで玉青さんが行動を起こせるようにお膳立てをしたに過ぎません。ですがこれで、私と玉青さんの関係についての噂が…間違いであったことはご理解いただけたかと思います。彼女の名誉のためにも、今後一切、私と玉青さんが交際しているなどという噂はやめてください」

 

 深雪の説明を聞くに従い、ようやく事態を飲み込み始めた生徒たちは、失っていた声を取り戻した。

 

「違ったんだ」「でもあれを見せられたら…ね」「どうしよう。私あとで怒られるかな?」

「皆様を驚かせてしまい申し訳ありません。深くお詫び致します。それと、手引きをした以上は…今回の件の責任については、全てこの私…六条深雪にあります。先生方は、私以外の生徒について寛大な処置をご検討頂くようお願い申し上げます」

 

 この子は一体何を言っているんだろう? 全ての責任を負う? 玉青との噂を断ち切りたかったにしては、いくら何でもリスクが高過ぎるやり方ではないか? こんな事をして…何の意味が…。

 

 顔を見合わせる教師陣には目もくれず、深雪の演説はさらに続いた。

 

「それともう一つ。今度は()()()()のために、皆さんに打ち明けたいことがあります」

 

 言葉を区切った深雪の視線が、通路にいた私へと迷うことなく注がれた。

 

(―――ッ!? まさか、まさか深雪は)

 

 玉青さんだけでなく、自分も………。

 

「待ちなさいッ!! 深雪!!」

「静馬…」

「それ以上は喋らせないわ。今すぐそこから引きずり降ろ―――」

「うるさいっ!!!」

「…ッ。深雪?」

「そこで黙って聞いてなさい。花園静馬。これは私が決めた事よ。あなたに口出しなんてさせないわ」

 

 深雪が…私を怒鳴りつけるなんて。信じられない出来事によろめいた私を、千華留が後ろからそっと支えてくれた。もしその支えがなかったら私は床にへたり込んでいたかもしれない。それくらい凄まじい剣幕だった。

 

 深雪は「失礼致しました」と頭を下げると、再び元の調子に戻り言葉を紡いでいく。

 

「中にはご存知の方もいるでしょう。私には婚約者がいます。私の生まれである六条家が選んだ方が。もちろん…男性です。顔は知りませんが、両親や祖父母が一生懸命選んでくれたのですからきっと素敵な方なのだと思います。ミアトルを卒業してすぐにその方と結婚をするのが、私に定められた運命でした」

 

 再び私の方へ向けられた視線。けれどそれは私の肩を通り越し、後ろで支える千華留さんへと向けられていた。

 

「ですがある人のおかげで、私は自分の想いに素直になることを知りました。私は家の決めた婚約者とではなく、自分の好きになった相手と結ばれたいと願うようになったのです。この学園内にいる…とある生徒。つまり…女性の方と。決して軽い気持ちではありません。ましてや婚約者との結婚を悲観しての一時的な気の迷いなどでは断じてないのです。私はその方に…身も心も…全てを捧げる覚悟です」

 

 やめなさい。やめて。やめてよ深雪。

 

 心の中で懇願する私の想いなど無視してホールの照明が落ちた。フッと消えた深雪の姿は、次の瞬間にはスポットライトに照らされて暗闇に浮かび上がり、幻想的な光景を映し出した。そして深雪が照らされるのに遅れること数秒。今度は私の元へ光が降り注いだ。

 

「私が愛しているのは…この学園のエトワール。花園静馬ただ一人。私は彼女を…愛しています」

 

 このホールに広がる、今日何度目か分からない驚きと悲鳴。私は呆然と、力なく天を仰いだ。仄暗いホールに落ちるスポットライトの円。2つしかないその円の片方から私は逃げ出そうとした。千華留を振り払い、出入り口へ向かって。けれどライトは私の背を執拗に追いかけ、姿をくっきりと照らし続ける。逃亡犯はこんな心境なのかと思いながら、私は辺りに喚き散らした。

 

「誰も…何も聞いていないわ! 今日の全校集会は何事もなく終わった。それだけよ。そうでしょう!? でなきゃあなたは………この丘を…」

「逃げないでっ! お願いよ静馬。お願い。これが私にとって最後のチャンスなのよ」

 

 背を向けたまま立つ私の後ろから足音が響く。やがて2つのライトの円が重なり合い、溶け合って、楕円を描いた。

 

「あなた自分が何をしたか分かっているの? 先生方から六条家へ連絡がいくわよ?」

「もうとっくに伝わっているわ。だって昨日、家に電話をしたもの。私には好きな人がいると。だから婚約を破棄して欲しいと。でも誰も信じてはくれなかったわ。精神を病んでるとでも思われたのかしら? だけど今日の騒ぎの報告がいけば、さすがに家の者も無視は出来ないでしょうね」

「――ッ! なんて馬鹿なことを。どうして…とは聞かないわ。私は理由を…知っているもの」

「ええ。あなたを愛してるから。それが全てよ」

 

 ああ、もう手遅れだ。私にはどうしようもない。深雪はきっとこの丘から連れ戻される。そしておそらく卒業まで帰ってくることはないだろう。

 

「返事を聞かせて頂戴。玉青さんに袖にされて、今はフリーなんでしょ? それともやっぱり私じゃダメ?」

「やめなさい。答えは以前と同じく、ノーよ」

「理由…聞いてもいい? 最後に教えて」

 

 私は拳を握りしめ、身体を震わせながら叫んだ。

 

「ッ~~~~~~~~~。あなたが悪いのよ

 

 私は深雪にここに居て欲しかった。たとえ仲が多少悪くなろうとも、元気な姿が視界の端に映っていればそれで満足だった。だから深雪のことは助けるつもりでいたのに、それが全て台無しにされた悔しさが自然と言葉に滲んでいた。

 

「私が?」

「ええそうよ。あなたが六条家の人間でさえなければ。そうでなければ、付き合う選択肢だってあったのよ!! あなたがそこら辺の中流の――花園家の力でどうとでも出来るような家の生まれだったら…。金でも何でも使って両親を黙らせることが出来た。でも現実は違うわ。あなたは六条家の生まれで、その六条家は私の花園家に並び立つほどの名家なのよ。そのうえ婚約者までいて…」

 

 堰を切ったように言葉が溢れてきた。次々と飛び出す言葉を紡ぎながら、自分は思っていたよりもずっと深雪を大切にしていたのだなと、込み上げてくるものがあった。

 

「以前に言ったでしょう? あなた()()はダメだと。それは深雪が私にとって親友だから…宝物だからなのよ。だったら出来るわけないじゃない!? 親友の人生を滅茶苦茶になんて…出来るわけ…ない…じゃない

「私を…親友だと思ってくれていたのね。知らなかったわ。だってあなた何も言ってくれないんだもの。嫌われてるんだと思ってた」

「大切だと言ったら、あなたは余計にチャンスがあると思い込んでしまうと、そう思ったのよ」

 

 諦めてくれれば、今日みたいな馬鹿な真似はしでかさないと…。

 

「それにしても奇遇ね。私も似たような事を昔考えてた。あなたが花園家の人間でなければって。そしたら結婚したって静馬を使用人にして一生傍に置いておけたのに………ってね」

 

 お互い名家に生まれた事が仇になるなんて一体誰に想像出来るのだろうか。

 

「そっか。親友…か。そう思ってくれてたなら、まぁ………いいか」

 

 深雪は私の見ている目の前で、胸元から首飾りを───()()真紅のエトワールの証を取り出すと、鎖を外しその手に握りしめた。私たちにとって因縁深いそれを、懐かしむように見つめてから私に向かって差し出し、「これ、静馬に返すわ。元々私が勝手に身に着けていたものだから」と押し付けた。

 

「それにもう持っていられないしね。学園の外には持ち出せないもの」

「深雪…」

「ありがとう。盛大に告白もしたし、もう思い残すことはないわ。これで私は…心置きなくこの丘を去ることが出来る」

 

 達観したような、あまりにも儚い笑顔を浮かべた親友に、私は何も言葉を掛けてあげられなかった。

 

「ばいばい静馬。あなたといた時間…楽しかったわ」

 

 そう言って涙を浮かべた深雪は、私の唇を奪うと、先生方に付き添われホールを出て行った。私の手に残されたのはエトワールの証だけ。涙で濡れたように光るルビーの煌めきが、いつまでも名残惜しそうに瞬いていた…。

 

 

 

 

 

 

 

<アストラエアの丘で>…涼水 玉青視点

 

 ホールから飛び出した私たちは、暖かな陽射しの下を息を弾ませながら走っていた。右手にはしっかりと握られた渚砂ちゃんの手。横を向けば、微かに赤く染まった頬が見える。誰もいないアストラエアの丘を疾走し、目指すは湖のほとりにある木陰。今日が真夏や真冬じゃなくて良かった。だって私たちはそこで…結ばれるのだから。

 

「玉青ちゃん、玉青ちゃん! なんかドキドキするね。こういうの何て言うんだっけ? 愛の…と…と…?」

「逃避行?」

「それだぁ。愛の逃避行!」

「ふふ、うふふふふ。渚砂ちゃんたら」

 

 思いがけないロマンティックな単語に、緩んだ口元から笑みが零れてしまう。たしかに状況を的確に表してはいるけど、渚砂ちゃんが言うとちょっぴりメルヘンチックにも聞こえる。「笑わないでよ~」とプクッと頬を膨らませた渚砂ちゃんに謝りつつ、短くも楽しい逃避行に、私も胸を躍らせていた。

 

 広い道を抜けて林の小道へ。木々の合間をグングンと駆け抜け途中でくるりと方向転換。獣道のようになっている藪の中を突っ走っていく。すると突然視界が大きく広がり、見えてきたのは湖! 澄んだ水を湛える湖畔は太陽の陽射しを反射してキラキラと煌めきながら私たちを出迎えてくれた。

 

「少しゆっくり歩きましょうか」

「うんっ!」

「私はここが好きなんです。湖や森の匂いを感じながら本を読んだり、文章を書いたり。最近は忙しくてご無沙汰でしたけど」

 

 道のない湖のほとりを手を繋いだまま歩くと、ちょっとしたデート気分が味わえる。そのまま二人でのんびり会話しながら湖を半周し、あまり人の来ない方へと移動した。いつもお世話になっているお気に入りの巨木の影。そこで私たちは足を止め、向かい合った。

 

「渚砂ちゃん。もう離しませんからね? 嫌だって言っても、絶対に許してあげないんですから」

「じゃあ私は玉青ちゃんの傍を離れられないんだ。ふふっ、そしたら、ず~~~っと一緒だね」

「ええ。ず~~~っとです。1年後も、2年後も、卒業したって…ずっと」

「そしたら私…玉青ちゃんのお嫁さんにしてもらおうかな? えへへ。お父さんとお母さん、びっくりしちゃうだろうなぁ~」

「ま、待ってください。私も…その…お嫁さんの方が…。渚砂ちゃんに貰って欲しいです」

 

 どうせなら私だってウェディングドレスを着たい。私の方が背は高いけど、お姫様抱っこだってして欲しいし…。時には渚砂ちゃんに強引に押し倒されてもみたい。

 

 でも今は…ひとまず置いておいて。

 

「ごめんなさい渚砂ちゃん。私…もう我慢出来そうにないです。渚砂ちゃんへの好きが溢れて、おかしくなっちゃいそう」

「私もだよ、玉青ちゃん」

 

 自然に伸びた手が渚砂ちゃんの華奢な身体を包み込む。予めインプットされていたかのように、迷うことなく身体は動いた。キスだってもう躊躇ったりなんかしない。渚砂ちゃんは私のもの。私の渚砂ちゃんだ。唇を触れ合わせながら、手は腰に、背中に。溢れ出る好きを表現したいから、じっとなんてしてられなくて。ついばんだ唇の…さらにその奥へ侵入し舌を擦り合わせた。

 

 口の端から零れた吐息の、その艶めかしく奏でられた音色に、風に撫でられた湖の水面のように、私の心もザワザワと揺れて、渚砂ちゃんはこんなにも色っぽかっただろうか…なんて思ってしまう。

 

 顔を離して見つめ合い、またキスをして。それを何度か繰り返すうちに渚砂ちゃんを地面へと押し倒していた。けれどここはいちご舎の部屋ではなくて屋外。ふかふかのベッドなんて気の利いたものは残念ながらない。一応ごつごつした砂利の地面じゃなくて草むらにはなっているけど、それでも渚砂ちゃんをここに寝かせるのは忍びなかった。

 

「待っていてくださいね。千華留様から預かったものがあるんです。たしかこの木の裏に…」

 

 前もって木の影に隠しておいた袋を回収し、中を広げるとそこにはレジャーシートが。

 

「その…千華留様が…必要になるから持って行け…と」

「う、うん…」

「えっと…必要…ですよね?」

「そ、そう…だね」

 

 これから何をするかはお互い分かっているんだけど、どうしたって気恥ずかしくて視線が逸らし気味になる。チラッ、チラッとシートを見て、相手を見ては、顔を真っ赤にして俯いた。私はその空気に耐えられなくなって、バサッとシートを広げると、やや強引に渚砂ちゃんの手を引き、そこへ寝そべらせた。

 

(こういうのは勢いも大切ですから…私がリードしてあげないと)

 

 びっくりさせないように、もう一度キスをしてから制服のボタンに手を掛ける。白いブラウスをはだけさせた下には、キメ細やかな肌と、それから慎ましいサイズの胸が隠されていた。首筋からツーッと指を這わせ、その美しい肌に口付けすると、渚砂ちゃんはピクンッと身体を震わせて、可愛らしい声を漏らした。

 

「た、玉青ちゃん…。優しく………してね? 私…初めて…だから

「ふふふっ。それじゃあとびっきり優しくしてあげますね」

 

 思わせぶりな事を言っていた静馬様だったが、渚砂ちゃんには手を出していなかった。それを渚砂ちゃん本人の口から聞いた時、私は嬉しさのあまり涙を零したほどだった。どうして静馬様がそうしたのかは分からない。静馬様なりのルールというか、矜持みたいなものが邪魔をしたのかもしれないが、私に出来るのは…その幸運に感謝することだけだ。

 

「大好きですよ、渚砂ちゃん」

「私もだよ、玉青ちゃん」

 

 一糸纏わぬ姿となった私と渚砂ちゃんの身体は、互いに溶けて混ざり合っていった…。

 

 

 

―――――――――

 

――――――

 

―――…

 

 

 

「そろそろ戻りましょうか?」

「私はもうちょっと…このままがいいな」

「いいですよ。渚砂ちゃんがそう言うなら」

 

 シスターが見たらきっと大目玉に違いない。シートの上で未だ裸のままの私たちは、手を繋いで仲良く空を見上げながら横たわっていた。渚砂ちゃんの温もりがまだ身体に残ってる。たぶん渚砂ちゃんの身体にも私の体温が残っているはずだ。こうして余韻に浸りつつ空を見てると身体が宙に浮かんでいるみたいで心地良かった。

 

「ねぇ玉青ちゃん。私たち…なんだか浮いてるみたいだね」

「あっ…渚砂ちゃんもですか? 私も同じことを思ってました」

「ほんとっ? だったら嬉しいな。玉青ちゃんとお揃いだもん。相性ばっちりだね私た───クシュンッ

「大丈夫ですか?」

「えへへ。ごめんごめん。でも一応制服は着とこうかな」

 

 夏が近付いているとはいえ、さすがに裸のままというのはまずかったらしい。いそいそと制服を着た私たちは改めてシートを移動し、木に寄り掛かりながら互いに身体を預け合った。

 

「いちご舎に戻ったらどうしよっか? まずは知ってる人に報告かな?」

 

 夜々さんたちに、千早さんたちに、と指折り数え出した呑気な渚砂ちゃん。怖~いイベントが待ってる事をお忘れみたい。

 

「生活指導のシスターが待ち構えてなければ…ですけどね」

「あはは…。忘れてたや。いっそのこと、本当に愛の逃避行でもしてみる?」

「ん~そうですね。でもやっぱりいちご舎は捨てがたいですから…それはまた別の機会にしましょうか」

「そうだね。じゃあ帰ろっか。私たちのおうちに!」

 

 そう言って立ち上がった渚砂ちゃんが、私に手を差し伸べた。甘く、蕩けるような、最高の笑顔を浮かべながら。

 

「これからもよろしくね、玉青ちゃん」

 

 私はその手に引っ張られる勢いを利用して抱き着くと、耳元で囁いた。

 

「渚砂ちゃん。あなたを心から…愛しています」

 

 

私たちはこれからもここで生きていく。そう、この───

アストラエアの丘で。

 

 

 

 

 

~~~次章へ続く~~~

 

 

 

 

 

 

 




■後書き

 玉青ちゃんと渚砂ちゃんの関係については、一旦これで終わりとなります。メインストーリーとして大きく取り扱ってきたカップリングでしたが、いかがでしたでしょうか?

 ホールから出て行くシーンはアニメ最終話のオマージュのつもりです。アニメでは結果発表の土壇場でやって来た静馬様が「渚砂ぁっ! 愛してるの」と叫び、玉青によって送り出された渚砂と共に走り去っていくわけですが、本作では真逆の結果となり玉青ちゃん大勝利となっております。

 周囲からどのように言われようとも渚砂と歩むという覚悟の元、愛してる宣言からのキスを行い、そして静馬の横を駆け抜けてホールを出て行くという構図ですね。

 玉青ちゃんの愛が報われて欲しいというのがこの作品を書く原動力でもあったので感無量です。

 

 さて、次章からですが深雪さんのお話をやる予定です。4年生である玉青と渚砂に比べ、家や将来(婚約者の存在)などのまた違ったハードルがある六条様。上手く書けるか分かりませんが、頑張るつもりです。

 次章もよろしくお願いします。それでは~♪



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メイン5 囚われのお姫様編
第37章「清らかなままで御座います」


■あらすじ
 全校集会のあの日。行動を起こしたメンバーたちに下された学園からの処分。謹慎生活を送る玉青たちの心配は、盟友である六条深雪についてだった。一人だけ別の処分を受けた深雪の行く末は…?

■目次

<ささやかな乾杯>…鬼屋敷 桃実視点
<別れの朝>…涼水 玉青視点
<深雪からの手紙>…花園 静馬視点
<六条家>…六条 深雪視点

■六条家
 静馬の生家である花園家よりは歴史が浅いものの、近代に入ってから財力と政治力を武器に、家の格式としては匹敵するほどの成長を遂げた。

六条房継(ふさつぐ)…六条家の現当主。深雪の祖父にあたる。
六条深登里(みどり)…房継の一人娘。深雪の母。
六条冬雪(ふゆき)…深雪の父。六条の家に婿入りした立場であるため発言力が弱い。



<ささやかな乾杯>…鬼屋敷 桃実視点

 

「はぁ…」

「要ったらまた溜息? あんまり溜息ばっかりついてると幸せが逃げちゃうわよ」

 

 ここはスピカの食堂。そこでしょんぼりと、フォークでケーキを一口サイズに切り分けながら肩を落とす親友は、最近ずっとこんな調子だ。正確にはミアトルで行われた全校集会の日から今日までずっと。授業にも身が入らないようで心配になる。

 

「そうは言うがな桃実。どうにも心にぽっかりと空いた穴が…埋まらないんだよ」

 

 聞きようによっては恋愛相談みたいに聞こえなくもない。といっても我らが剣城要の場合は、人間相手ではなく()()()()()()に…だが。

 

「ミアトルの六条会長はこの丘を去るという噂だし、次期会長候補だった玉青くんも推薦の取り消し。あまりにもゴタゴタの影響が大き過ぎてミアトルは今年はダメだろう。スピカも千華留会長がいなければ何の脅威も感じないしな…。果たしてそんな状態で勝ったとして、意味はあるのだろうか」

 

 もう既に何度目か分からないほど聞かされた、要によるエトワール選の見通し。だがここで「エトワールになりたかったんだからラッキーじゃん」などとは言ってはいけない。要は正々堂々と勝負して、そのうえで勝ち取りたいと望んでいるのだから。死力を尽くしたのであれば負けても悔いはないとまでのたまうのはさすがに言い過ぎではないかとも思うが、それが要の魅力でもある。

 

「そうだ桃実! 桃実がお嬢ちゃんと組んでエトワール選に出てはどうだろう? 桃実ならミアトルやルリムにも名前が売れているし、お嬢ちゃんだって磨けば光るに違いない。所属はルリムからの出馬ということにすればいいしな。どうだ? やってみないか?」

「えぇ…。いくらなんでも籠女はまだ無理よ。来年なら多少は芽はあるかもしれないけど」

 

 要がお嬢ちゃんと呼ぶ籠女の──私の恋人の姿を思い浮かべ、困惑した。

 

「それにスピカからも処分者が出てるっちゃあ出てるのよね」

「聖歌隊の二人か。意外だったよ。あんな事をするタイプには見えなかったから。とはいえ彼女たちを責められないしなぁ」

 

 私は夜々さんと光莉さんについて良く知っているけれど、要からすれば単に聖歌隊の生徒…くらいの認識のはずだ。そんな要が責められないと言ったのが興味深くて、私はその訳を尋ねてみた。

 

「へぇ。それはどうして?」

「ん? 六条会長も玉青くんも、そしてそれに協力した人も譲れない想いのために行動を起こしたんだろう。手段はよくなかったかもしれないが私には責められないよ。彼女たちにとってはエトワール選よりもずっと大事な──そう、愛のためだったのだから。愛ってやつはいつの時代も………尊いものさ」

 

 ニヒルに笑いながら珈琲を口に含んだ要は、これ見よがしに片目をパチリ。そのウインクに、私と籠女のことも含まれているんだな、と今更ながらに気付き、照れた頬が赤く染まった。

 

「要。あなた良いエトワールになるわよ。私が保証する」

「なんだよ急に」

「人としての器が大きくなったな…って」

 

 なんだか隣に並んでいたはずの友人が遠いところに行ってしまったみたいな寂しさとは別に、私の胸には誇らしさと嬉しさが込み上げていた。

 

「選挙が盛り上がらなくても、エトワールになった後でたくさん頑張ればいいのよ。あなたのエトワール姿。少なくとも私と詩遠は、心待ちにしているわ」

「まったく君というやつは。私をその気にさせるのが上手いな」

「親友だもの。当然よ」

 

 理由はただそうしたかったから。要の持つ珈琲カップに自分のカップを近付け、互いのカップが軽く触れ合うと、カチンッと小気味いい音を立てながら、中の珈琲はその艶やかな琥珀色の身体を震わせた…。

 

 

 

 

 

 

<別れの朝>…涼水 玉青視点

 

 いちご舎の掲示板に張られた通達。おそらく3校の各校舎にも貼られているであろうそれには、次のような内容が記載されていた。

 

 

 

以下の者 ミアトルの全校集会における問題行動により下記の処分を課す

 

涼水玉青…二週間の謹慎処分に加え、次期生徒会長への推薦の取り消し。なお立候補の権利については取り上げないものとする。

蒼井渚砂…二週間の謹慎処分とする。

理由 行事の私物化及び進行の妨害並びに逃亡

 

南都夜々…一週間の謹慎処分とする。

此花光莉…同上

理由 管理室への侵入及び機器の操作

 

源千華留…二週間の謹慎処分とする。生徒会長の地位は剥奪しないが、謹慎中は失効しているものとみなす。

理由 管理室の鍵の窃盗及び問題行動の幇助

 

六条深雪…ご家族との話し合いの末、別途処分を下す。

理由 一連の問題行動の計画及び幇助

 

 

 

 

 やはり私と渚砂ちゃん、それと管理室の鍵を盗み出していた千華留様の処分は重く、一方で指示されたことをしただけとして、夜々さんと光莉さんの処分は私たちに比べればいくらか減刑されていた。静馬様はどう証言なさったのかは不明だが、シスターたちは巻き込まれた側と判断したらしくお咎めなしとのこと。

 

 こうして謹慎処分となった我々にはそれぞれ謹慎用の1人部屋が宛がわれ、そこで謹慎生活を送る傍ら、生活指導のシスターによる厳しい監視の下で清掃活動等の奉仕に励むことになった。お互い顔を合わせるのは食事や清掃といった限られた機会だけ。もちろん楽しいお喋りなんてもってのほかだ。けれど既に結ばれた私と渚砂ちゃんは、監視の目を盗んでテーブルの影や柱に隠れながら手を繋ぐだけで心を通わせることが出来た。

 

 むしろ驚いたのは担当シスターたちの方かもしれない。私たち5人全員が何の文句も言わず淡々と謹慎に耐える姿に、シスターたちは不思議がって何度も理由を尋ねてきた。しかし理由を説明する者はなく、ただ黙ってお辞儀してみせるだけだったのだから。下手をすれば不思議さを通り越して不気味さを感じていてもおかしくはない。

 

 というわけでここまでが謹慎となった私たち5人の近況である。

 

 問題は六条様で、通達には詳細が書かれていないものの、事情を知る私たちは実家である六条家へ引き渡されることを薄々感じ取っていた。

 

 そして全校集会から5日経ったある日のこと。アストラエアの丘と外の世界を隔てる門の前に私たちは集合していた。そう、ついに六条様がこの丘を去る日が訪れてしまったのだ。校舎では授業が行われている時間ということもあり、見送りに参列したのは私たち謹慎組の他は、事情を知らされた極一部の生徒のみ。3校に名を馳せたミアトルの生徒会長の見送りにしてはあまりにも寂しい人数であった。

 

「静馬様…来ませんでしたね」

「いいのよ。分かっていた事だし。それに………会ったら泣いちゃうと思うから。これで良かったのよ」

 

 白いブラウスに黒のタイトスカート。制服ではなく私服に身を包んだ六条様は、冗談めかしてそう言ってから諦めの混じった寂しい笑みを浮かべた。まだやりたい事があったはず。誰よりも静馬様の傍にいたかったはず。それが分かるだけに余計に辛く、私はいたたまれなくなって地面に目を伏せた。

 

 丘へと続く長い坂道。くねくねと折れ曲がったその道を走ってきた3台の高級車は、門の前でそれはそれは静かに動きを止め、その中の1台からスーツを着こなした初老の男性と侍女らしき女性が姿を現した。男性はシスターに一礼をし、物腰穏やかに──間違っても横柄だなどとは口が裂けても言えないような気品溢れる態度で話し始める。ミアトル出身のシスターもまた、優雅にこれに応じつつさりげなく私たちの方へ視線を送ることで、別れの挨拶を済ませるよう促すのだった。

 

 もうすっかり夏の日差しと言ってもいいような、じりじりとした熱線に焦がされる中で、参列した生徒一人一人が六条様と言葉を交わしていく。お世話になりましたとか、ありがとうございましたという声に、こちらこそといった返答がされると、感極まって泣き出す生徒たち。その光景はあまりにも美しくて、見ているだけで泣いてしまいそうだった。

 

 それでも直接言葉を交わすまでは泣くものかとグッと涙を堪えていた私の前に、とうとう六条様がやってきた。

 

「最後まで面倒を見てあげられなくてごめんなさい」

「いえ、私の方こそ助けていただいてばかりで。私、生徒会長を目指そうと思います。立候補の権利は…まだ残っていますから」

「そう、()()()()()()()()生徒会長に。ならミアトルの事…あなたに託すわ」

「は、はいっ! ──ッ。すみ…ません。我慢しよ…うと…思っ………思ってたのに…」

 

 人の浸かった湯舟から一気にお湯が溢れていくように、私の目からも涙が溢れ出した。そんな私を六条様は優しく抱き締め、落ち着かせるように背中を撫でてくれる。

 

 正直なところ、こんな大それたことをしでかしてしまった私が生徒会長になれるかと言えば、それは難しいだろう。だから半分くらいは意地で言ったような部分もある。立候補もしないで負けるのは、仕事を教えてくれた六条様に申し訳なくてしたくなかった。恩返しというわけではないが精一杯戦うつもりだ。

 

「渚砂さんと幸せにね」

「六条様っ! 六条………様」

「ふふっ。意外と甘えんぼさんだったのね」

 

 子供みたいに泣き出した私の背中をポンポンッと軽く叩いてくれる感触が心地よくて、いつまでもそうしていたいくらいだった。現に私は渚砂ちゃんに肩を抱かれて六条様から離されるまで、子供みたいに泣きじゃくっていて手を放そうとしなかった。

 

 そして最後に六条様が向かったのは千華留様の前。

 

 二人はせっかくのチャンスだというのに言葉も交わさず、しばらく互いを見つめ合っていた。視線だけでの会話。私には分からない二人なりの何かが、そこにはあったのだろう。

 

「静馬の事、お願いね。あの子…恋人はいても友達はいないタイプだから」

「ええ、分かったわ♪」

 

 たったそれだけの実に簡潔なやり取りを終えた二人は、抱擁を交わすと笑いながら頷き合った。

 

「それじゃあみんな。これでお別れよ。どうか…元気で」

 

 そう告げた六条様は、吸い込まれるように車の中へと姿を消した。決して振り返らず、堂々と歩くその姿は、六条深雪の名に相応しい貫禄ある最後だった…。

 

 

 

 

 

 

<深雪からの手紙>…花園 静馬視点

 

(待って! お願いだから待ってよ! 深雪。ねぇ深雪!)

 

 夢だということに気付いていながらも私は懸命に手を伸ばした。鬱蒼と生い茂る森へと踏み込もうとする親友に向かって。その先にあるのは霧に包まれた洋館。深雪を閉じ込める鳥籠だ。あんなところに深雪を行かせてたまるものか!

 

 けれど伸ばした手は()()()空を切る。そう、()()()だ。届きそうになった瞬間、私の足元は崩れ、そして私は奈落へと飲み込まれていく。深雪の…悲しそうな瞳に見つめられながら。

 

「深雪ッ!!!」

 

 ガバリと飛び起きた自分の部屋に荒い呼吸が響き渡る。叫びながら目を覚ますのはもう何度目だろうか。全校集会のあの夜から毎晩のようにこの悪夢にうなされている。ひとまず私はベッド脇のテーブルに置かれた水差しからコップに水を汲み、一気に(あお)った。

 

「ハァッ……、ハァッ……」

 

 まだ跳ねている心臓を押さえつけるように、胸に手を当て深呼吸を行う。下着は寝汗でびっしょりと濡れていて、気持ちが悪かった。

 

「──ッ。もうこんな時間。たしか今日は……う゛っ…」

 

 急に動こうとして思わず頭に手を宛がった。頭が痛い。理由は簡単、寝過ぎによるものだ。あの日以来、自主謹慎という名目で学校を休んでいる私は、一日のうちのほとんどをベッドの上で過ごしていた。それも何かをするでもなく、ひたすらガーゼのケットを被って惰眠を貪るような日々である。

 

 何もかもが嫌だった。私のせいで深雪がこの丘を去ることになったという事実が、私を(さいな)んでいた。私を好きになりさえしなければ、深雪はこの丘を去らずに済んだ。私さえいなければ………深雪は。

 

 ヨロヨロと立ち上がり机の上のカレンダーを確認する。間違いない。今日が深雪の連れ去られる日だ。時間も今まさに迎えの車が来ている頃だろう。

 

「深雪…」

 

 私も門まで見送りに行こうかと思ったが、あいにく身体は動かなかった。机の上に置かれた()()()()()()()()()()。そのうちの片方は、深雪が私を愛している証だと言って身に着けていた真紅の首飾りだ。それと深雪が私に宛てた手紙。それらを見た途端に私は床に崩れ落ち、動かぬ蝋人形のように固まってしまっていた。

 

「今更…今更会ってどうするっていうのよ。止められもしないのに」

 

 封筒が届いたのはたしか2日前の夜。不規則な生活の影響で時間の感覚が狂っているが、たぶん合っていると思う。あの夜は最近にしてはやけに涼しい夜だった。

 

 

―――――――――

 

――――――

 

―――…

 

 

 就寝時間の前にもかかわらず既にベッドでまどろんでいた私を邪魔したのは、扉を叩く少し強めのノック音。一体誰がと思いつつも、応対する気にもなれずゴロリと向きを変えてやり過ごそうとした。しかし次に聞こえてきた声に、私は渋々起きざるを得なくなり扉を開けた。

 

「こんばんわシスター。シスターソラナ」

 

 部屋を訪れたのは生活指導の担当者の中でも最も規則に厳しいと評判のシスター。小言でも言いに来たのかとやや不機嫌に用件を尋ねた私に、彼女は黙って封筒を差し出し、それから少し遅れてポツリと呟いた。

 

「本来は許されないのだけど、最後のお願いだと言われてね」

 

 普段は僅かな遅刻も許さないことから鬼とも形容される彼女。よく叱るせいか年のわりに、といっても60歳を超えているが、しゃがれた声が今日は慈愛に満ちていた。明日は槍の雨でも降るかしらと苦笑いを浮かべながら受け取った封筒を裏返すと、差出人は───。

 

「深雪…」

 

 なるほど。彼女がこんな表情をするわけだ。さしもの鬼も不憫に思い、願いを聞き入れたといったところか。おかげで眠気が一瞬で吹き飛んだ私は、配達をしてくれたシスターソラナに礼を述べた。

 

「ありがとうシスター。恩に着るわ」

「ふんっ。自主謹慎だのと理由をこじつけて学校をサボッてるやつに言われても嬉しくないね。言っておくけど他のシスターや生徒には内緒にしておくんだよ。いいかい? あんたのためじゃなくて六条さんのためだ。今回は特別だよ」

 

 憎まれ口と共に知らなかった優しい一面を垣間見てしまい、何とも複雑な気分になる。

 

「数十年前にも…あんたたちみたいに無茶やったのがいたっけね。なんだか懐かしくなっちまった。それでこんな事をしてんだから私も焼きが回ったもんだ。それじゃあね」

「おやすみなさい。シスター」

 

 見回りへと戻っていくシスターの背中に、今度はしっかりとお辞儀をする。こちらを見ないままに手を振る姿がえらく印象的で、廊下の曲がり角に消えるまでぼんやりとその背を見つめていた。

 

 シスターを見送った私は、さっそく部屋に戻るなり手渡された手紙の封を切り中身を取り出した。罫線の引かれていないシンプルなデザインの紙に深雪の綺麗な字が書かれている。お手本をそっくりそのままコピーしたようなそれは、相変わらず惚れ惚れするような美しさだった。

 

 

 

 

親愛なる静馬へ

 

やはり六条家へ連れ戻されることになりました。2日後の朝、迎えの車が来ます。

自分で選んだ道だから後悔はしていません。今までありがとう。さようなら。

 

六条深雪より

 

 

 

 手紙を読み終えた私は身体を震わせ、何度も何度も最初から読み直した。しかし何度読み直しても、手紙には別れを告げるあっさりとした文言が並んでいるだけで、未練のようなものは欠片ほども見つからなかった。

 

「何よ…これ…。他にもっと書くことがあるでしょうが。ほんと…最後まで…不器用なんだから」

 

 覆らない運命を悟り、知らず知らずのうちに呟いた「馬鹿…」という声と共に、部屋には嗚咽が木霊した…。

 

 

―――…

 

――――――

 

―――――――――

 

 

 

「ふふっ、ふふふふふふ。どうせ私は他人を不幸にしか出来ない女。分かっていたじゃない。あはは、あははははははは」

 

 ひとしきり笑うと、ベッド脇に落ちていたケットを拾い直し私はベッドに逆戻りした。今はひたすら目を瞑ってまどろんでいたい。何もかも───深雪のことさえも忘れて…。

 

 机の上のエトワールの証。すっかり曇って輝きを失ったサファイアの宝石とは対照的に、ルビーの宝石が未だに光り輝いていた事に私は気付いていなかった。

 

 

 

 

 

<六条家>…六条 深雪視点

 

(やっぱり来てはくれなかったか…)

 

 チラリと見た窓の外。遠ざかっていく景色にはアストラエアの丘の門と見送りの面々。だがやはりその中にあの絢爛豪華な銀髪の乙女の姿がないことに、残念なような、静馬らしいような、そんな相反する想いが混在していた。

 

 シスターソラナに託した手紙。静馬は読んでくれただろうか?

 

(手紙…もう少し書けばよかったかな)

 

 愛してるとか、私を忘れないで…とか。何度か試し書きしたものの中にはそういった文言を織り込んだパターンもあるにはあったが、どうせこの丘を去る身。覚えていて欲しいだなんておこがましいと、結局書くことは出来なかった。みんなに自分の気持ちを知ってもらえただけで充分だと、そう心に言い聞かせて。

 

(最後だってカッコつけちゃって。泣き喚いたっていいのに…。馬鹿だな…私)

「お嬢様。お屋敷に戻られてからのことですが」

「ええ。言う通りにするわ」

 

 数人いる秘書のうちの一人である男性にそう返答しながらも、私はどこか上の空のまま、この丘での思い出に浸っていた。

 

(そっか。静馬にはもう…会えないのか)

「まずは旦那様にお会いして頂きます。それから───」

「──ッ。うっ…、うぅ…」

「お嬢様…」

静馬。静馬………

「………。失礼致しました。お話は後ほどにいたしましょう」

 

 もうあの丘には戻れない。そのことをようやく身に染みて理解し、我慢していた涙が零れ出す。会話の途中だというのに両手で顔を覆った私を責める者は誰もいなかった。そんな私を乗せて、車は無言で丘を下る坂道を走り続ける。既に窓からは立派な門も、友人たちの姿も見えなくなっていて、それがより一層私の哀しみを誘った。

 

 さようならアストラエアの丘。さようならみんな。そしてさようなら………静馬。

 

 丘の麓に降り立った車を、外の世界の喧騒が包み込んだ…。

 

 

 

 

 

―*―*―*―*―

 

 

 

「お嬢様。お帰りなさいませ」

 

 門をくぐり抜けた後もさらに車を走らせてやっと辿り着くような広大な敷地に立つ洋館。いくつも並ぶ大きな窓に、繊細な細工の施された外壁。かつては外国の要人を接待するために建てられたこの館は、度々改修を受けながら、現在もこの場所に威風堂々とその姿を披露している。

 

 その正面に停車した車から降りた私を出迎えたのは、六条家に仕える使用人たち。道を作るかのように2列に分かれて並んだ彼ら、もしくは彼女たちは、分度器でも体内に備わっているのかと思うほど、みな一様に同じ角度でお辞儀をしていた。

 

 なんて仰々しく、そして時代錯誤な出迎えなのだろうと思ってしまう。この時代にあって、まだこんな儀式に縛られているとは…。もちろん使用人たちを責めているわけではない。こんな事をさせているであろう張本人──つまり自分の祖父に対して、私はひどく落胆した。

 

「旦那様が書斎にてお待ちです。お荷物はこちらで運んでおきますので」

 

 玄関に控えていた別の秘書の男性が先導するように私の前を歩く。絨毯の敷かれた床に磨き上げられた調度品の数々。それらを見て「ああ、ここはずっと昔のままだ」と少し安心してしまう自分がいることに気付いた。祖父に落胆しておきながら、一方で安心するだなんて、些か身勝手と言える。

 

 やがて祖父の書斎の前に到着すると、秘書は部屋の中へは入らずに外で待つと言うので私だけが入っていった。

 

「お久しぶりです。御爺様。六条深雪…ただいま戻りました」

「おおっ、待っておったぞ」

 

 皮張りの豪奢な椅子に腰掛ける小柄な老紳士。祖父の房継は頬を緩め、人懐っこそうな笑みを浮かべて私を手招きした。この姿を見て、一体誰が政財界に太いパイプを持つ傑物であると思うだろうか? 傍で屈んだ私の頭を撫でる祖父は、どこの誰が見たとしても優しい『おじいちゃん』にしか見えない。

 

 事実…祖父は私や親族、それから使用人に対しても思いやりのある人ではあった。ただ先程の出迎えのように、一度決めたルールはなかなか変えない頑固さも併せ持っているのが勿体ない部分でもある。

 

「すまんな。学園から呼び戻したりして」

「いえ。こうなる事は分かっていましたから…」

「そう悲壮な顔はしないでくれ。別に叱ったり説教をするつもりはない。私はただ孫娘のお前が心配でな。それで居ても立っても居られず、こうして迎えを寄越したのだ。それは分かってくれ」

「はい…」

 

 視線を落とす私に祖父は溜息をつくと、机の上のベルをならし外で待つ秘書を呼んだ。秘書はすぐに事情を了解して一旦部屋を出て行き、次に入れ替わりで入ってきたのは使用人の中でも古参の――祖父の信頼厚い数名の侍女たちだった。

 

「御爺様? これは…?」

「深雪。悪いがお前の身体を調べさせてもらう」

「しら…べる?」

「身体に傷でも付いていたら大変だからな」

「──なっ!? 御爺様ッ!?」

 

 祖父の言葉に耳を疑った。オブラートに包んではいたが、祖父が言及したのは紛れもなく私の純潔についてであることを即座に悟ったからだ。

 

「私とてこんな事はしたくないのだ。だが婚姻というのは相手方があってのもの。そしてそこには信頼が必要不可欠だ。お前にもしものことがあれば、六条家全体の信用を損ねることになりかねん。利口なお前なら分かるはずだ」

「そんな………私は…」

「すまんが深雪を頼む。さあ、早く」

 

 愕然とする私を、侍女たちは予め用意されていた別の部屋へと連れ出した。信頼出来る者だけを呼んだのは何があろうと決して口外しないという安心を得るためだったのだろう。

 

「お嬢様。お召し物はこちらに」

 

 震える手で着ていたブラウス、それとタイトスカートを籠の中に入れる。しかし侍女たちは首を振り私に告げた。

 

「申し訳ありませんが下着もお願い致します。旦那様のご命令ですので」

「分かり…ました」

 

 ブラを外し、片足を上げてショーツを脱ぎ去る。頭の中を駆け巡る悔しさ、屈辱、羞恥心。部屋には侍女しかいないとはいえ一糸纏わぬ姿となった私は、隠すことも許されず両手を水平にした状態で彼女たちのチェックを受けた。それが終わると今度はベッドに寝かされ、女性として大切な部分を調べられた。

 

 唯一救いだったのは侍女たちが感情を一切見せなかったこと。私の苦痛が少しでも減るようにと淡々と職務をこなす彼女たちはさすがの風格であった。全ての確認が終了し、着ていたものとは別の衣服を身に纏い再び祖父の部屋へ。

 

「戻ったか。それで…どうだった?」

 

 早速そう尋ねられた侍女たちのうちの一人が、胸を張って答えた。

 

「はい。ご安心くださいませ旦那様。深雪お嬢様の身体は、清らかなままで御座います

「そうか………。ふぅ。ようやっと安心出来た。お前たちはもう下がってよいぞ」

 

 報告を聞いた祖父は強張っていた肩の力を抜き、椅子の背もたれに寄り掛かりながら侍女たちに退室を命じた。頭を軽く下げ、音も少なめに彼女らが退室すると、部屋は私と祖父の二人きりとなる。

 

「ひとまず先方にはお前の身体に何もなかったと伝えておこう。それにしても…女学校に送った孫娘にこんな事をする羽目になるとはな。花園の小娘め。深雪を誑かしおって。花園家の者でなければ退学にでもしてやりたい気分だ」

「そんな言い方はなさらないで御爺様。私が勝手に…静馬を慕っていただけですから」

「私とてお前の祖父だ。叶うならば好きな相手と結ばせてやりたい。だが………女を好きだと言い出されてはどうしようもない。花園家自体は申し分のない家柄だ。その静馬とやらが男なら…考えてもよかったのだがな。まぁいい。今日は疲れだろう。話はまた今度にして部屋で休むといい」

「………。失礼します。御爺様」

 

 怒るつもりはないという先の言葉通り、祖父は私をあっさりと解放した。誰の目から見ても間違いなく恩情だったと思う。六条家という巨大組織を運営する立場からすれば、私のしでかした行いは到底許されるものではなく、折檻を受けても致し方ないと私自身さえ考えていたからだ。

 

 付かず離れず、絶妙な距離を保って移動する侍女と共に歩きながら、私はホッと胸を撫で下ろしていた。

 

「広いわね…」

 

 部屋に入った瞬間思わず呟いてしまうほどに、私のためにと新たに用意された部屋は広々として開放的だった。いちご舎の部屋を5つほど合体させてもなお及ばないであろう豪奢な間取り。天蓋付きのベッドに、馬鹿みたいに大きなクローゼット。寮生活のこじんまりとした暮らしにすっかり慣れた私には、むしろクラクラしてしまいそうな眩さである。

 

 どこにいればいいものか、そわそわと落ち着きなく部屋をうろうろした結果ベッドに腰掛けることにした私は、そこでぼんやりとこれからの生活について想像してみた。着替えも、お風呂も、何だって侍女が手助けしてくれる楽な生活。案外最初のうちは楽しいかもしれない。

 

(最初の何日かくらいは………ね)

 

 自嘲気味に笑う私を侍女が不思議そうな顔をして見つめるなか、ノックして部屋に入ってきたのは最初に迎えに来た秘書の男性だった。

 

「おくつろぎ中のところ申し訳ありません。旦那様より伝言を賜りましたので」

「ありがとう。それで祖父はなんて?」

「はい…。それなんですが…」

 

 何か言いにくい事なのだろうか? 躊躇う彼に続けるよう促した私は、聞いたことを後悔する羽目になった。

 

「詳細な日時はまだ決まっておりませんが、深雪お嬢様には来週、婚約者の方と会食をしていただく…と

「そう…分かったわ」

「それでは私はこれで」

 

 握りしめようとしたシーツはどこまでも滑らかで、私の指からスルリと踊るように逃れてしまう。行き場を失くした想いのぶつけどころはなく、ただ項垂れることしか出来なかった。

 

 現実味を帯びてきた『婚約』の2文字に、私という存在はあまりにも無力だった…。

 

 

 

~~~次章へ続く~~~

 

 

 

 

 




■後書き
 予告通り深雪さんのお話です。ついにアストラエアの丘を飛び出して外でのお話となりました。ついでに男性がちゃんと登場した回でもあったり。

 もしよかったら次章もよろしくお願いします。それでは~♪
 


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第38章「あれがないと私は眠れないのよ」

■あらすじ
 未だに自主謹慎という名の引きこもりを続ける静馬の元を玉青が訪れる。その弱り果てた姿に玉青は複雑な感情を抱きつつも世話をしようとするのだった。深雪の残したエトワールの証の片割れに、静馬の抱く想いとは…。

■目次

<真紅の首飾りの導き>…涼水 玉青視点
<子守歌>…源 千華留視点
<ドレスと私と>…六条 深雪視点
<お待ちしておりました>…花園 静馬視点


<真紅の首飾りの導き>…涼水 玉青視点

 

 六条様がアストラエアの丘を去って数日。謹慎期間が終了し夜々さんたちが晴れて自由の身となった一方で、私を含む3人は今日も奉仕活動という名の雑用を行っていた。

 

「失礼します」

 

 部屋に入るとムッとした熱気が身体に纏わりついてくる。それと同時に、あまり換気も行われないままに人が長く滞在していたことによる独特な匂いも。私は明かりもついておらず、カーテンも閉め切られた薄暗い部屋の中をズンズンと進み、断りを入れることもなく黙ってカーテンを開いた。

 

 差し込んできた夏の日差しに部屋の主が「うっ」と呻き声を漏らしたのを横目で見つつ、カーテンを束ね窓を開ける。気持ちいい風というわけでもないが、この部屋の空気よりはいくらかマシだろう。湿った陰鬱な空気が外へと流れ出していくのを感じながら振り返り、今度こそ向かい合った。

 

「昼食の時間です。静馬様」

 

 私の声にのそりと起き上がった人影は、ぼんやりとした様子でまだ焦点の定まらない目をこちらに向けた。一体誰が予想出来るだろうか? ミアトルの、いやアストラエアの丘を代表するエトワールの()()()姿を。

 

 下着も何も身に着けず裸体にガーゼのケットを纏っただけの姿は、たしかに妖艶で人を惑わす色気を備えてはいたが、梳かされていない銀髪はまとまりを忘れ、不規則な生活によって肌はところどころハリを失っていた。

 

 ああ、なんということだ。あの輝くような銀髪! この御方を象徴する髪さえも、このような有様であるとは!

 

 くたびれた姿とは対照的に、抜群のプロポーションを構成する柔らかな双丘と臀部がやけにその存在を主張するせいか、娼婦のようにも見えるその人は覇気のない声で呟いた。

 

「あなたが来てくれるなんてね…玉青。シスターも気が利くわ」

「とにかく何か着て、それから昼食を。食べないと衰弱してしまいますよ」

「食事は…食べたくないわ」

 

 テーブルに置いたトレーからは目を逸らしつつその視線は私の方へ。舐め回すように下から上へと動き回る。

 

「ねぇ、時間はあるんでしょ? だったら私と遊ばない?」

「帰りが遅くなればシスターが心配して見に来るかと」

「少しなら平気って事じゃない。つまらない雑用なんかじゃなくて…もっとイイコトしましょ。どうせあなただって渚砂とはあの日以来シてないんだろうし、せっかくの身体が勿体ないわ」

 

 海へと引きずり込もうとするマーメイドの手招きよろしく、私を誘惑する銀髪の悪魔。別にその誘いに乗ったというわけではなく、単に着替えさせようと思って近付いた私に、静馬様は抱き着いてくるなり唇を耳へ押し付けた。

 

「分かるでしょ? 寂しいの。寂しくて寂しくて死んでしまいそう」

 

 部屋は蒸し暑いというのに手足はひんやりとしていて、ただ吐息だけが生暖かく、私の耳を炙る。返答も待たずに身体をまさぐり始めたその手を押さえ付け、溜息をつきながら怯むことなく通告した。

 

「おやめください静馬様」

 

 私の声に一瞬ムッとした表情を浮かべたものの、数秒後には笑みを湛え再び甘えてきた。

 

「誘い方が気に食わなかった? そうよね。私はお願いをする立場なんだもの。それらしくしないとね」

「そういうことでは―――」

「玉青。私を抱いて。あなたの好きなようにしていいわ。身体に痕を付けたっていい。噛んだっていいわ。だからお願いよ。慰めて」

 

 覇気のなかった目にギラついた情欲の炎が踊り、それを燃料に身体が熱を帯びたのか全体的に生気が戻りはしたが、果たしてこれを静馬様と言っていいものだろうか。

 

(これが………これがあの静馬様?)

 

 失望というよりはもっと別の感情――驚きのようなものが湧き上がった。呆然とする私になおも行為をせがむように、絡みついてくる手足を振りほどく。認めたくはなかった。自分を手籠めにしようとした相手とはいえ、あの凛とした面影の感じられぬ姿を、私は認めたくなかったのである。

 

「いい加減になさってください。こんな姿を()()()()()()()

「――ッ!?」

 

 この名前を出せば、表情が一変することは分かり切っていた。静馬様がこうしてふてくされている原因は六条様がいなくなった事によるものなのだから。花園静馬という人に相応しくない甘えた、媚を売るような顔がみるみるうちに苛立ちを含んだものへと変わっていく。

 

「やめてっ!! あの子の名前は出さないで」

 

 身体を離して距離を取ると、聞きたくないという意志を全身で示すかの如く両手で耳を覆い、頭を振った。

 

「いえ、言わせていただきます。六条様がこの丘を去ったのはあなたの―――」

「うるさいっ!!!」

 

 窓が閉まっていたら今ので粉々に砕け散っていたんじゃないかと思うほどの声。鬼の形相で私を睨みつける静馬様の目は怒りに燃え上がっていた。

 

「私と寝たって六条様のいない寂しさは癒えませんよ。それはあなたが一番お分かりのはず」

「黙りなさいッ!」

 

 叫び声と同時に勢いよく放たれた平手打ち。当たったらさぞかし頬が腫れあがったであろうそれは、しかし当たることなく私の手の平に防がれ、部屋にパァンッと小気味いい音を響かせただけに終わった。

 

「なっ!? このぉっ!」

 

 受け止められるとは思っていなかったのか驚く静馬様。ヒリヒリとする痛みを我慢しつつ、もう一度振り被った手から平手打ちが飛んでくるよりも僅かに早く、その手首を掴んだ。

 

「堕落した生活のせいで身体が鈍っていらっしゃるのでは?」

「生意気な口を…」

「事実は事実ですから」

 

 右手を封じられた静馬様は力任せに私を振り払おうともがくが、私だって好きにさせるつもりはない。手首をギリリと強く掴んだまま綱引きでもするかのように自分に向けて引っ張った。至近距離で睨み合う私たち。けれどその膠着状態も長続きはしなかった。今度は私の方が強引に手を振り回し、ベッドの方へ向かって静馬様を投げ飛ばしたのである。

 

 普段なら体格差もあってこうも簡単にはいかなかっただろうが、衰弱した相手であれば話は別だ。よろめいた静馬様はベッドに倒れ込むようにしてその身を着地させると、上半身を突っ伏した姿勢のまま動かなくなった。私の方も余力こそ多少はあれど体力を使った事には変わりなく、部屋には二人分の荒い呼吸が響き渡る。

 

「らしくないですね。私なんかに投げ飛ばされるなんて」

「ぐっ…、くぅ」

 

 シーツを握りしめこちらを睨みつける目は爛々としていて、以前の静馬様に戻ったみたいで少しだけ安心した。

 

「六条様のいなくなった辛さは分かります。私だって―――」

「あなたに深雪の何が分かるっていうの? たかだか2,3か月仕事を教わったくらいの付き合いで。私は深雪とルームメイトだったのよ? 四六時中一緒にいたわ」

「だったらなんでもっと向き合って差し上げなかったのですか? あなたが真剣に六条様の想いを受け止めていたら」

「受け止めたわよっ! 受け止めた結果がこれだったのよ!」

「いいえ、違います。静馬様は逃げたんです。六条様から」

「知った風な口を利かないでっ!!!」

 

 悲痛な叫び声と共に開いていた窓から風が吹き込み、カーテンをバサバサと揺らした。さすがに窓を開けたままこのトーンで言い争うのはまずい。そう考えて私が窓を閉めている間に、静馬様の方もいくらか冷静さを取り戻したのかそそくさと衣服を身に着けていた。

 

「深雪のことは親友として大事にしていた。それが事実よ。分かったなら帰りなさい」

「恋愛感情はない…と?」

()()()()()。たしかに素敵な子だったけど、私に必要なのは恋人としての深雪じゃなくて親友としての深雪だったから」

 

 嘘は言っていないように思えた。私はお二人とは同じ時間を生きていなかったから、あくまでそう感じただけなのかもしれない。けれどたしかに静馬様の声、表情、仕草。それらは本心から滲み出たもののようであった。

 

 ただ一つだけ気になるところがあるとすれば『なかった』というセリフ。過去形で発せられたセリフが私はどうにも気になって仕方がなかった。まだ望みはあるかもしれない。六条様をこの丘に舞い戻らせるための微かな望みが…。

 

「今でもですか? あの告白を聞いた今でも………六条様のこと…」

「─―ッ。くどいわね。ないわ!」

 

 問いかけに一層の苛立ちを募らせた静馬様は吐き捨てるように答えた。しかし私は怯まず、なおも畳みかける。

 

「嘘ですね」

「何を根拠に」

 

 会話を続けながら、そろりそろりとベッドに近付いた私は、ある程度の距離まで行くと一気に駆け出した。それを見て大声で「待ちさなさい!」と叫ぶ静馬様。だが私の手は素早く枕の下に隠されていた()()()を探し当てていた。

 

「これがその証拠ですッ!!」

 

 光にかざしたそれは真紅の――深い深い色合いの輝きを誇示するように燦然とその身を燃やした。枕の端からほんの僅かにはみ出していた鎖の一部。それがエトワールの証であるという確証はなかったが、机の上にあったのが蒼い宝石を宿したもう一方であったのを見て、もしやと思ったのである。半分賭けみたいなものではあったが、どうやら私はそのギャンブルに勝ったようだ。

 

「そ、それは…」

 

 言い逃れる隙を与えまいとさながら罪の告白を迫る審問官の如く、私はその煌めきを静馬様に見せつけるべく高く掲げてみせた。首飾りを持った手がフルフルと震えていたのは決して演技ではなく感情の迸りのようなもので、自然とそうなっていた。そんな私に応じてくれたのか、ルビーの宝石はたっぷりと吸い込んだ光を気持ちよさそうに放射し、真紅の輝きをそこら中に乱反射した。

 

「どうしてこんなものがここにあるのですか? これは…この真紅の首飾りは………六条様があなたを愛する証として身に着けていたものではありませんか?」

 

 その眩しさから逃げるように顔を逸らした静馬様は、自らの身体を抱き締めるように手を交差させると、悔しそうに掴んだ部屋着がクシャッと皺を刻んだ。

 

「じ、自分のものと間違えたのよ」

「サファイアとルビーを…ですか?」

 

 机の上に剥き出しのまま置かれたサファイアの首飾り。間違えるはずがないと、口元に微笑を浮かべながら意地悪く視線を巡らせた。

 

「暗い場所でなら見間違えることだってあるわ」

「いいえ嘘です。あなたはわざわざ六条様の首飾りを枕元に忍ばせていたんです。少なからず………想っていらっしゃるから」

「あなたの戯言(ざれごと)はうんざりだわ。この部屋から出て行って―――早くっ!!」

 

 扉を指差しくるりと後ろを向いた静馬様。あれほど無敵に思えていた背中が、今は弱々しく見える。

 

 この御方もまた()()()()()なのだと、私は今更ながらに思い知った。長く連れ添った大切な人を失い、悲観に暮れる一人の人間なのだと。もしかしたら花園静馬という人物像も、彼女が纏っていた鎧の一種と言えるかもしれない。強気な振る舞いの裏に隠された素顔は、この丘の誰もが持つであろう…ありふれたものであった。

 

「この首飾りは預からせていただきます」

「………。好きになさい」

 

 がっくりと項垂れる静馬様を残し私は部屋を後にした。一口も食べられることなく終わった憐れな昼食のトレーを手にして…。

 

 

 

 

 

<子守歌>…源 千華留視点

 

「こんばんわ静馬♪」

「そう…次はあなたなの」

「あら? せっかく来てあげたんだからもっと嬉しそうな顔をして頂戴。お昼食べてないんでしょ。そろそろ倒れちゃうわよ」

 

 テーブルの上にトレーを置き、紙で包んだ箸などをセットすれば、ほら…美味しそうなディナーの出来上がり♪ ぼんやりと外を眺めていた静馬の手を引っ張り半ば強引に椅子へと座らせる。

 

「食べたくない」

「ふふふ♪ 玉青さんにもそうやって駄々を捏ねたんでしょ。いいえ、違うわね。甘えたかったのかしら? 優しくされたいのね」

「あなたは甘えさせてくれるの? 元カノさん」

「スプーンで食べさせてあげてもいいわよ」

「そんな事に興味ないわ。私が望むのは…」

 

 立ち上がり私の腰に手を回した静馬は、胸の辺りに顔を埋めると何も言わなくなってしまった。目を瞑り、吐息だけを繰り返すその姿は、疲れ果てた旅人のようにも、また、生まれたばかりの赤子のようにも見えた。どちらにせよ今の静馬には、害を為すだけの体力も気力も残ってはいなさそうだった。

 

 そんな静馬をベッドまで連れていき膝枕をしてあげる。髪を手櫛で梳くと静馬は気持ちよさそうに身体を弛緩させ私を見上げた。

 

「玉青さんみたいに身体を求められたらどうしようかと思ったわ」

「求めたら…応じてくれたの?」

 

 その問いには首を振って答えた。

 

「応じるわけないでしょ。深雪さんにあんなカッコいいところを見せられて、それでもあなたに身体を許すほど私はプライドの低い女じゃないもの。もしあなたと契りを交わしたら、私は一生、惨めさを引き摺って生きることになるでしょうね」

「どうせそう答えると思ったわ」

 

 この丘を去る決意。深雪さんはそれを胸に静馬への告白を行った。深雪さんの計画に乗ったわけだけど、実際にその告白の様子を見せられて、私は少なからず悔しさというか、羨ましさというか。女として負けた気がしてジェラシーを感じずにはいられなかった。自分がもし同じ立場だったとして、彼女のように振舞えただろうか? たぶん振舞えなかったからこそのジェラシーなのだろうけど。

 

「後でご飯食べさせてあげる。あなたに倒れられたら深雪さんに会わせる顔がないもの。頼まれてるのよ…あなたのこと。友達いない子だから、お願いって。だから無理にでも食べて貰うわよ。覚悟しなさい、し・ず・ま♪」

「ええ、分かったわ。だからもう少しだけ…このままでいさせて」

 

 甘える静馬のために子守歌代わりに口ずさんだ聖歌。遠く彼方の深雪さんにも届きますようにと祈りを込めて…。

 

 

 

 

 

<ドレスと私と>…六条 深雪視点

 

「深雪()()。ちょっといいかしら」

 

 部屋を訪れたのは淑やかで、それでいて艶のある女性。やんわりとした声で私に向かってそう尋ねたのは、私の母…六条深登里であった。実の娘に対して『深雪さん』だなんて『さん付け』で呼ぶ母親は、日本中を探したってそう大した人数はいないだろう。とはいえ別に他人行儀というわけではなく、むしろ親しみと愛情の込められた声であることは紛れもない事実だ。

 

 ならばなぜそんな呼び方なのかと言えば、私と母の場合は単純に接した時間の短さが原因と思われる。私が幼い頃は母が体調を崩し気味だったし、母が元気になったかと思えば、私はアストラエアの丘で寄宿生活を送ることになってしまった。その結果私と母は血の繋がる関係でありながら、微妙な距離を保った不思議な関係なのである。

 

「なんでしょう? お母様」

「たった今ドレスが届いたの。それで…深雪さんが着ている姿を見たいと思ったのだけど…どうかしら?」

 

 母は少々茶目っ気の混ざった表情でクスクスと笑いつつ、嬉しそうに私に尋ねた。

 

 ドレスは急遽御爺様が注文なさったものだ。婚約者と会食するという話にはなったものの、いちご舎暮らしの長い私は制服の他には限られた数の私服しか持っておらず、会食などという小洒落た場所に着ていく服は持ち合わせていなかったので。

 

 私にドレスを買うことになった祖父はそれはもう大はしゃぎだった。見ているこちらまで楽しくなるような無邪気な顔をして有名ブランドの担当者を片っ端から屋敷に呼び付けると、デザイン案を提出するよう求めたのである。何かしらの希望はあるのかと聞かれた私は返答に困った。ドレスのデザインに口出し出来るほどの知識はないし、そもそも集められたのは超一流のブランドの人間たちだ。私なんかが口を挟むのは少々気が引けた。

 

 なので私は色についてだけ希望を述べることにした。白だけはやめて欲しいと。祖父たちには汚したら目立つから恥ずかしいと説明したが、ウェディングドレスみたいで着たくないというのが本心だった。

 

(それにしても…もう出来上がるなんて。どこも数か月待ちは当たり前のブランドなのに)

 

 おそらく徹夜続きだったであろう職人さんたちには申し訳なく思う。それと同時に私に割り込まれる形となった他のお客さんにも…。

 

「着させて頂きます。どちらにせよフィッティングは必要でしょうし」

「まぁ! 嬉しいわ。深雪さんが乗り気になってくれて」

 

 母が手を打ち鳴らすと、大きく開かれた扉から色彩豊かなドレスの数々が入場してきた。事前の希望通り白をメインにしたものはなく、咲き乱れる花のような鮮やかさである。黒に…ベージュに…青に。これが全て私のために(しつら)えられたものかと思うと眩暈がしてしまう。

 

(私の身体は1つしかないのだけど…)

 

 これだけ数があっても会食に着ていくのはたったの一着のみ。後々使う機会はあるだろうが勿体ないような気もする。

 

「深雪さんはどれがお好みかしら?」

「私は…」

 

 悩むフリをしながらも、私はドレスの行列を眺めた瞬間から、()()ドレスに心を奪われていた。

 

「これが…気になるわ」

 

 それは今日届けられたドレスの中で唯一赤を基調とした真紅のドレスだった。

 

「深雪さん、赤がお好きだったかしら?」

「そういうわけではないのですが」

「とにかく着てみましょう。深雪さんならどの色だって似あうはずだわ」

 

 視線を投げ掛けられただけで音もなく前へ進み出た侍女たちが、手際よくマネキンからドレスを脱がし私に着せる準備に入る。私はというと黙ってされるがままにするだけで、時折一言二言やり取りをしていたら、あっという間にドレスが装着されていた。

 

「ああ、素敵! これならどんな殿方だって目を奪われるわ。ねぇ、あなたたちもそうは思わない?」

 

 周りの侍女に同意を求めつつ、鏡に映る私の肩を抱く母の目が僅かに潤んでいた。指摘すると母は、「ごめんなさい」と言ってハンカチで拭ってから、溜め込んでいたものを吐き出すように静かに呟いた。

 

「深雪さんからの電話で女性を好きになったと聞いてから、ずっと不安だったの。だからこうして会食のためのドレス姿を見たら…なんだかホッとしてしまって」

「お母様…」

 

 そう言った傍から再び潤む瞳に、私は何も言うことが出来なかった。母だけではないだろう。父も、祖父も。私の静馬への想いがみんなをどれだけ不安にさせていたことか。家族として私に幸ある未来を授けたいと願う気持ちが痛いほど分かってしまった。

 

(いっそのこと私を政略結婚の道具としてしか見ないような人達だったら、この後ろめたさも少しは消えたのかしら…)

 

 真紅のドレスを選んだ理由。それは静馬への消えぬ想い。美しく着飾るのが静馬のためではなく、初めて会う婚約者のためだということが私は嫌だった。ならせめてもの抵抗として、この赤を――愛する証としたエトワールの首飾りと同じ真紅を纏いたいと思ったのである。

 

 しかしながら母の涙を見て、また、その想いに触れて、その反抗心は大きく揺らいでしまっていたのだった。

 

(私一人のせいでこの六条家を途絶えさせるなんてそんな事…できっこない。それに両親たちだって………。所詮は運命。最初から…決まっていた事だったんだわ)

「深雪…さん? どうして泣いていらっしゃるの?」

「えっ?」

 

 母に言われて鏡を見ると、たしかに頬にうっすらと涙の伝った痕があった。私はそれを慌ててゴシゴシと消し取り、代わりに笑顔を浮かべて見せた。

 

「ごめんなさい。私もドレスを着たら嬉しくなってしまったみたい。私…これを着て会食に行くわ。御爺様にお礼を言わなくちゃ。素敵なドレスを…ありがとうって」

「深雪さん…あなた」

「いやだわお母様ったら。私は平気よ。今から会食が楽しみ。婚約者はどんな方かしらね」

 

 精一杯の笑顔は母を安心させられただろうか? 今はただ…母たちを安心させたい。その一心で、私は笑顔を振りまき続けた。

 

(これでいいのよ。これで。私は六条家の娘だもの…。そうでしょ? 静馬)

 

 

 

 

 

<お待ちしておりました>…花園 静馬視点

 

 カツーン、カツーンと廊下に足音が鳴り響く。時刻は消灯時間をとうに過ぎた深夜。本当ならば見回りのシスターに出くわさないよう静かに歩きたいのだが、不摂生が祟ってか足音を消すことは出来ないでいた。それに加えてこの暗さ。非常灯の類は所々に備え付けられているものの、歩きづらいことに変わりはない。

 

「まったく…なんてザマなの」

 

 明かりを手に、重たい身体を引きずりながら壁伝いに歩いていく。目指すは謹慎処分を受けた者のための部屋が並ぶエリア。

 

「待ってなさい、玉青」

 

 頭で考えるよりも遥かに遅い歩みに焦れつつも、私は辛抱強く足を動かし続けた。そして幸いにもシスターに見つかることなく目的地にたどり着くことに成功したのである。とは言ってもここからどう動くべきか。もう既に寝ているだろうから、強めにノックしないとダメかもしれない。しかしそれほど遠くない場所にシスターの部屋がある。出来ることならそちらは起こしたくない。

 

 玉青の眠りが浅い事を祈り、物は試しと控えめなノックをしようと手を扉に宛がおうとしたその時だ。小さなカチャリという音と共に扉が開かれ、中へと招き入れられた。

 

「お待ちしておりました。静馬様」

「あなた…私が来るのを分かって…」

「ええ。()()()()()()()()()()()()

 

 手にした首飾りを掲げながら、玉青はそう言った。

 

「そんな皮肉も言えるようになったのね。なんだか昔の自分を見ているようで、あまり良い気分はしないわ」

「よく眠れるようにハーブティーを用意してあります。それとビスケットも。夕食は召し上がったと千華留様から聞きましたが不要でしたか?」

「いえ、いただくわ」

 

 私の返答に微笑んだ彼女の後ろには、既に用意されていたティーセットがお披露目を待つように佇んでいた。

 

 明かりが漏れないようにタオルを被せ、暗がりの中でカップを傾ける。紅茶ではなくハーブティーというのは彼女らしい気遣いの仕方だと思う。安眠効果を謳う心地よい香りが鼻孔を駆け抜け、安らぎをもたらしてくれた。あっという間に小皿に盛られたビスケットを食べきり、ハーブティーを飲み干すと、私はふーっと息をついた。

 

「ごちそうさま。やはりあなたの心を射止められなかったのは…惜しかったわね」

「おかわり…淹れておきます」

「ねぇ玉青。()()…返して頂戴」

「理由を話していただけるなら。そうでないなら承服しかねます」

 

 見せつけるように揺らされる首飾り。すぐにでも取り返したいのだけれど、飛びつくような真似はせずにじっくりと構える。夕食と今のビスケットで多少の栄養補給が出来たのもあって、昼よりかは頭が冴えていた。あくまで昼よりかは…だが。

 

「返しなさい」

「嫌です」

 

 こんな感じの問答を何度か繰り返しながら、私は注意深く玉青の隙を窺っていた。しかし今回に限ってはあちらの方が数枚上手で、残念な事に勝機は見つけられない。それどころか玉青は、私の思いもしない行動を取って脅してきた。こちらを牽制しつつ窓へと近付くと、突然窓を開け放ち首飾りを外へと突き出したのだ。

 

「あなた正気?」

「投げ捨てたって構わないのですよ?」

「はったりだわ」

「どう受け取るかはご自由にどうぞ。第一、これは静馬様にとって重要ではないのでは? お昼には好きにするよう私に仰いましたし」

「謹慎期間が延びるわよ?」

 

 私が逆に脅そうとすると、彼女は腕を外へ向かって振る仕草をしてみせた。いちご舎の外は真っ暗闇。懐中電灯を持っていたとしても、探すのは困難だ。それに地面に落ちてくれればいいが、万が一どこかの木にでも引っ掛かろうものなら、より一層大変なことになる。

 

 私は玉青の手の行方を気にして、これ見よがしに腕が動くたび身体をピクンと反応させる羽目になってしまった。

 

「さあ! どうなさいますか、静馬様?」

「………」

「お返事がないのでしたら………こうするまでですッ!!」

「なッ!?」

 

 どこかで高を括っていた。投げるはずないと。いくら何でもありえないと。けれどそんな私の予想を遥かに超えて、玉青は腕を振りかぶり夜空に向かって思い切り投げ捨てた。咄嗟に動くことも出来ず、飛んでいく物体の行方を確認することも出来ないまま、遠くでガサッと音がしてようやく私は我を取り戻した。弾かれるように窓際まで駆け寄ると、傍にいた少女を突き飛ばし音がしたと思われる方に目を凝らす。

 

「どきなさいっ!! どこ? どこなの? 首飾りはどこ?」

 

 しかしこの暗闇で見えるはずもなく、手掛かりは見つからなかった。窓から探すのは無理だと判断して、身体を反転。玉青に詰め寄り部屋着の襟元を掴み、ガクガクと揺さぶりながら詰問する。

 

「ッ~~~。あなたは見ていたでしょう? どこへ落ちたの? 答えなさい。さもなくば…」

「さもなくば?」

 

 澄ました顔で答えたのを見て問い詰めるのは無駄だと悟った。この子は決して答えはしまいと。私は「チッ」と舌打ちをして手を放すと部屋の扉へと向かった。

 

「どちらへ?」

「探しに行くに決まってるでしょう。あれが…あれがないと私は眠れないのよ。あれは深雪の代わりなの!

 

 ヒステリックな金切り声が部屋に響く。シスターが起きようと関係ない。それくらい私は必死だった。

 

「もう一度聞きます。六条様に…親友以上の感情は…お持ちでないのですか?」

「分からない。自分でも分からないの。これだけ恋愛をしてきたというのに、今の私が深雪に抱いている感情がなんなのか。ただ…」

「ただ?」

「会いたいわ。もう一度深雪に会いたい。そう…思っているわ」

「それが聞けたのなら、私は充分です。これはお返しします」

 

 ポケットから取り出されたそれは深雪の――真紅の首飾りだった。

 

「どうしてこれが?」

「投げたのは別の物です。どうかご安心を」

「よかった。無事で本当に…よかった…」

 

 受け取ったエトワールの証を手に抱き、私はしばらくの間それを握りしめていた…。

 

 

 

 

~~~次章へ続く~~~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




■後書き
 今回の更新分で累計50万文字を突破致しました。ついでに初投稿から1年も経過です!結構節目な感じですが物語は思いっきり中途半端なところという…。

 何はともあれこうして続けられているのは読んで下さる皆様のおかげです。ありがとうございます。次章からも何卒宜しくお願い致します。それでは~♪


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