その灰は勇者か? それとも…… (人間性の双子)
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火の時代の終わり

ひのきのぼう

安価で扱いやすい武器。だが、その反面威力などはないに等しい。
素手で戦うよりも安心感はあるが、強く勧める事は出来ない。

使い道としては、子供のおもちゃや訓練兵の使う模擬剣代わりであり、魔物退治などには使われる事もない。
ところが、某国では旅に出る勇者へこれを持たせる事があるそうだ。
そして勇者は知る。それが一体どういう物であるのかを。

噂では、様々な物と組み合わせて所持する事で凄まじい力を発揮するらしいが……。


「……これで、良かったのだろうか」

 

 始まりの火が彼女の手の中で消えていくのを見つめ、私は思わずそう呟いた。幸いにして彼女へは聞こえなかったようだが、軽率な事を言ってしまったと内心で自分を責める。

 火の無い灰。それが私の名だ。本当の名など、もうあったかどうかさえ定かではない。ここまでの道のりさえも、記憶しているのかあやふやな箇所もある程、私は摩耗しているのだから。

 

 気付けばもう彼女さえも見えなくなろうとしている。火のない時代とは、闇の時代なのだろうか? いや、下手をすればもっと酷い時代なのかもしれない。

 だとしても、それを選んだのは私だ。火継ぎを拒否し、その流れの終わりをと、そう決めて彼女へ、火防女へ告げたのは他ならぬ私なのだ。

 

「……だが」

 

 だが、もしも火継ぎ以外でこの全てを飲み込んでしまうような闇を払う術があるのなら、二度と陰る事のない時代を、世界をもたらせるのなら、私はこの身を捧げる事に躊躇いはない。

 

 何より、名も亡き不死人にとって、他にするべき事も目指すべきものもないのだから。

 

 息苦しさにも似たものを覚え、私は兜を外す。もう、何もかもが見えなくなった。火は消え、完全なる闇の時代が訪れたのだ。と、そこで私は奇妙な感覚を覚えた。これは、まるでどこかへ召喚される時のような……?

 

 そう思った次の瞬間には、私は見知らぬ場所に立っていた。いや、それだけではない。闇に包まれたはずの世界が、光に満ちていたのだ。

 手にしていたはずの兜は、もうなくなっていた。召喚時の際に落としてしまったのだろう。だが、何故あの場所で召喚など? そもそも私は何のサインも触れていないのに……。

 

「それに、ここは……一体……」

 

 周囲には岩とシダ、だろう植物が生えていた。ただ、おかしいのはそれらから強い生命力を感じる事だろう。目を動かせば正面には道が開けている。後方には道はないようだ。

 召喚者もいないようだし、この先にいるのだろうか。いや、そもそも本当にあれは召喚だったのか? 疑問は尽きないが、とにかく今は動くしかない。

 

「……進むか」

 

 そうして進んだ先には大きな滝、だろうか。これまで見た事の無い程、雄大で荘厳な印象を受ける光景が広がっていた。

 言うなれば、生の息吹に満ちているのだ。少なくても、こんな場所は私の知る限りあの場所のどこにもなかったはずだが……。

 

―――アルス……アルス……私の声が聞こえますね…。

 

 突如として聞こえてきた謎の声に首を傾げ、私は自分の異変にやっと気付いた。

 

「装備が……消えている……」

 

 全身を覆っていたはずの鎧は消え、剣さえもなかった。いや、もっと言えば私の体ではなかった。見慣れぬ服装をした少年と、そう呼ぶのが正しいような体つきとなっていたのだ。

 

―――私はすべてをつかさどる者。あなたはやがて真の勇者として私の前にあらわれることでしょう…。

 

 声は狼狽える私へ構わず話を続ける。その途中に、私はひっかかるものを覚えた。真の勇者。その単語で私が思い浮かべたのは、あのカタリナの騎士。

 古き友との約束のため、託された剣を手に罪の都まで赴いた、一人の騎士だ。太陽のような人物だった。私も、彼のようでありたいと思った事は二度や三度ではない。

 だからこそ、彼の心情を察する事が出来なかった時、私は残された鎧と剣の前でしばし動けなくなったのだから。

 

―――しかしその前にこの私におしえてほしいのです。あなたがどういう人なのかを……

 

 そこで私は意識を声へと向ける。もしこの声が私をここへ呼んだ者のものならば、これだけは確認しなければいけない。

 

「その前に一つお聞きしたい」

 

 私が発した声は、当然だが私の良く知るものではなかった。どこか幼さを感じさせるような、そんな声だ。

 

―――……なんでしょうか。

「私は、火のない灰と呼ばれた者。けしてアルスなどと言う者ではない。いや、もしかすればかつてはそういう名だったのかもしれない。だが、ここのように光溢れる世界の住人ではない事は確かだ。そちらが私をここへ召喚したのには理由があるようだが、私には火の時代の終わりを見届ける責任がある。なので、何をすれば元いた世界へ戻れるかを教えて欲しい」

 

 その問いかけに、声が息を呑んだ気がした。おそらくだが、アルスというのはこの体の本来の持ち主のはずだ。

 何故私がそんな者としてここにいるのかは分からないが、それはどうも向こうとしても想定外なのだろう。しばらく声は止み、滝の流れる音だけが轟々と響いていた。

 

―――あなたは、アルスではないのですか?

「分からない。名などとうに失っている。覚えている事も不死となった後の事ばかりだ」

―――不死……アンデッドの事でしょうか?

「アンデッド、か。たしかにそう表現するのが一番相応しい。何度死のうと死ねないのだから」

 

 不死が死ぬとすれば、それは心折れた時に他ならない。そうだ。故に彼も全てを終えて、心を折ったのだ。自らに課した役目を果たしたと、そう思って。

 

―――……分かりました。ですが、申し訳ない事に私ではあなたを戻す事は出来ないのです。

「……召喚したのに?」

―――召喚、ですか。いえ、私は召喚などしていません。これはあなたの、いえアルスの夢へ干渉しているだけなのです。

 

 言葉が、なかった。夢へ干渉しているという事もそうだが、何よりも召喚した訳ではない事に。

 

「だ、だが私はたしかに感じたのだ! ここへ来る前に、召喚される際と似た感覚をっ!」

―――……申し訳ないですが、私には分からない事です。ただ……。

「ただ?」

 

 声の告げた返事に全身から力が抜けそうになるも、続けられた言葉に何とか膝を折らずに済んだ。

 

―――私が救い出して欲しい方なら、ルビス様ならあなたをアルスから引き離し、元居た世界へ返す事が出来るかもしれません。

「ルビス、様……?」

―――私がアルスへ干渉したのもルビス様を助けていただくためなのです。

「その方は、神なのですか?」

 

 私のいた世界では、とうに消えた神という存在。もしそれがここでは存在しているとするのなら、声の主が言う事も信憑性がある。

 一縷の望みを託すように私は声の返事を待った。その時間は、私にはとても長く感じだ。ほんの数秒が、まるで一時間にも一日にも感じられる程に。

 

―――はい、ルビス様はこの世界をお創りになった方です。

「おおっ……」

 

 本当に神だったのか。この世界を、生命の息吹溢れる世界を創造した神か。ならば、望みを持つに足りる。いや、最早その方しか望みはない。

 

「答えていただき感謝します、神の使いよ。今までの無礼、お許しください」

 

 神を救い出してくれと、そう告げたからにはこの声はその神の使い。そんな相手へ私は知らぬ事とは言え態度や言葉遣いを対等なものとしていた。それをお詫びするようにその場へ跪く。

 

―――いいのです。あなたは、どうやら騎士と呼ぶに相応しい者のようですね。ならば、私の問いかけは必要ないでしょう。

「問いかけ……?」

―――さあそろそろ夜が明ける頃。あなたもこの眠りから目ざめることでしょう。

 

 私の呟きには答えず、神の使いはそう告げた。眠りから覚める、か。そこでは私はアルスと言う名の者になっているのだ。おそらくだが、きっとその者と私は言動などで異なるだろう。

 その際、どう周囲へ話したものか。そんな事を考えていると声が少しずつ遠ざかっていく。

 

―――名も無き騎士よ。アルスの事を頼みます。そして、ルビス様を、この世界を救ってください……。

 

 祈りを込めたその声に、私は跪く事で答えとした。元より私は寄る辺などない者。ましてや、この世界では完全なる異邦人だ。

 

「だが、この体は違う」

 

 アルスという名の少年。彼の体を意図せず借り受けてしまった。私とは違う、不死ではない体。この体を使わせてもらう以上、あちらでやっていたような事は出来ない。

 私は、薄れていく意識の中、誓いを立てる。この体を大事に扱う事。そして、必ずやあの世界へ戻り、自分のした事の行く末を見届ける事を。

 

 

 

 目が覚めた私を待っていたのは、アルスの母と思われる女性だった。彼女が言うにはアルスはこの日十六歳になったらしく、今は亡き父の遺志を継いで魔王退治へと向かうつもりだったらしい。

 王との謁見はつつがなく進んだ。私が何か言わなくとも、王が話を進めてくれたおかげだ。私もアルスとの齟齬が出ないよう無言を貫いたおかげか、彼ではないと母にさえ思われる事なく事は終わった。

 

 王からの旅支度として受け取った資金と道具を眺め、私はどうしたものかと思案する。

 

「王は旅の仲間を酒場で募れと仰ったが……」

 

 もし、ここにいるのが私自身であれば迷う事なくそうしただろう。何故なら、酒場にいる冒険者達からある程度は認められる実力があると言えたからだ。

 だが、この体は、アルスはいかに立派な父を持つとはいえ十六歳の少年だ。その実力などたかが知れている。それで酒場に集った冒険者達を供になど出来るはずもない。

 

「……それに、私自身がこの体をちゃんと扱えるか試さないといけない」

 

 私の中にある術や技は私の体だったからこそのものだ。アルスとしての体では、それをそのまま行うのは不可能だろう。何より、私は既にその違いを感じ取っている。

 

「若いというのは、素晴らしいものなのだな」

 

 試しにその場で転がったり、あるいは跳んでみたりしてその身体能力の高さは感じていたのだ。いくら身に着けている物が全身鎧ではないとはいえ、この身のこなしは中々だ。

 

 武器として与えられた”こんぼう”は、私としては物足りない物を感じるが、これも初めて旅立つ者への装備とすれば十分理に適っていると言える。

 剣は、その扱い方が下手では最悪折れてしまう。その点、この”こんぼう”はどう扱っても早々折れる事はないし、重さも剣程ではないため疲労もし辛い。切れ味などもないので長期戦にも向いているのもいい。

 

 ”ひのきのぼう”は、おそらくだが”こんぼう”を失ったあるいは使えなくなった時用の武器だろう。これも剣よりも扱いが簡単であり、”こんぼう”よりも軽いため鍛錬用としても使える。

 おそらくだが、王はいかに勇者と呼ばれた者の子とはいえ、その武勇や才まで受け継いだとは思っていないのだろう。故にこれらを与えたのだ。

 最初から見事な武具を与えては、この年頃の少年など勘違いを起こしかねない。強い武具を装備しただけで自分が強くなったと勘違いを起こし、無理や無謀を行い命を落とすと。

 

「……ただ」

 

 それでも、私には一つだけ不満があった。それは防具として与えられた”たびびとのふく”だ。

 武具が貧弱でも防具が優れていれば命を失う危険性は下げられると私は思っている。それも、大事なのは鎧ではなく盾だと。

 

「何故盾をいただけなかったのですか、王よ。せめて”かわのたて”でいいので授けていただきたかった……」

 

 先程覗いた店で見た品を思い出して呟く。

 盾受けが出来るだけで戦闘時の生存率は大きく変わる。あの世界で私が身を以って体験した事実だ。ローリングでの回避は鎧によってタイミングが変わるが、盾受けのタイミングは変わらないからだ。

 ただ、その盾が貧弱では意味がないので、最初の内はローリングによる回避を主体にするべきかもしれない。この辺りの考え方は人によって異なるだろうが、私はそう思っている。

 

「とにかくまずは”やくそう”を買うか。城下の者がそう助言してくれたからな」

 

 エストのような物と思えばその重要性は分かる。与えられた50Gを握り締め、私は道具屋へと足を運ぶ。そこで”やくそう”を三つに”どくけしそう”も一つ購入しておく。

 何故かと言えば、こういう物はそこで需要があるから売られていると考えるからだ。必要がなければ売れない。売れない物を商人が店へ置くはずはない。

 なら、この”どくけしそう”が売れる要因があるのだ。この周辺に毒を持った存在がいると、そういう意味合いをこの品ぞろえは教えている。

 

 これも、あの世界で学んだ事だ。不必要な物を商人は売らない。売る以上、そこには何かしらの意味があるのだ、と。

 

「これで準備は整った。まずは体の動かし方からだな」

 

 買った物を”ふくろ”へ入れて私はまず町の外れを目指した。そこで”ひのきのぼう”を手にし、体の動かし方を練習するために。

 あの世界で得た様々な事を、この体で出来る限り行えるようにするためだ。色々と異なる事もあるが、装備などを変えた時にはこういう事を確認しておかなければ死に繋がる。

 私も、最初の頃はよく死んだものだ。装備を変えた後で慣らす事もせず、慣れた場所だと油断をして落下したり、あるいは回避をしくじったりと、散々な目にあってようやくこの思考へ辿り着いたのだから。

 

「……日暮れか」

 

 気付けば日が暮れていた。と、そこで私は気付いた。

 

「この世界では、朝と夜が正しくあるのだな……」

 

 ここでは当たり前の事なのだろう。だが、私には何とも不思議な感覚だった。見れば町の者達も姿を減らし、遠くに見える家々には明かりが灯り、夕食の支度をしているのか煙が出ている家もある。

 人の営みが、生命の息吹がそこにはあった。私のいた場所では、もう失われてしまった光景が。と、そこで聞き慣れぬ音がする。それも、私からだ。

 

「……これは、空腹感、か?」

 

 そこで思い出す。この体は生きているのだ。それも、私のような呪われた体ではない。正しく生の営みの中にいる、純粋な生命なのだと。

 

「今日は、ここまでにしよう」

 

 食事を取らなければいけない事を痛感し、私は”ふくろ”を手にその場から歩き出す。

 ”ひのきのぼう”も”こんぼう”も扱いやすく、戦う事に不安はないと思える程この体は優れていた。さすがは勇者と呼ばれた父を持つ者だ。

 神の使いが真の勇者と呼ぶだけはあると、そう思う。これならば、少しの間は私の経験や知識で死ぬ危険性を下げられるだろう。

 

「空腹になると言う事は、眠る事も必要か。ははっ、まさかここにきて今までの行動指針が通用しないとは」

 

 思わず独り言が出てしまう。当たり前の事だろうが、それが当たり前でなかった私にとっては、それは辛く厳しく、そして少しだけ温かい事実だ。

 思えば、死ぬ訳にはいかないというのがもっとも大きな違いだった。私は、死ぬ事を繰り返して様々な事を乗り越えてきた。どんな強い相手も、死ぬ事を繰り返しながらその戦い方や動き方を覚え、その対処を試行錯誤して打倒してきたのだから。

 

「……この身は勇者だったな。ならば、死ぬ事を許容するなど有り得ない話だ」

 

 現に、このアルスの父オルテガはその死で人々を悲しませた。このアルスが死ねば、あの女性は夫だけでなく息子も失う事となる。それは、私もさせたくない。

 

 アルスの生家へ辿り着き、私は一瞬戸惑うものの扉を開ける。明るい室内と漂う匂いに再び空腹を告げる音が鳴る。

 

「あら、お帰りアルス。一人なの?」

 

 その音に気付いて、アルスの母が振り返った。だが、私が一人である事に疑問符を浮かべていた。多分だが、仲間を連れてくると思ったのだろう。

 喋ると私とアルスの違いに気付かれる可能性がある。そう思って頷く事で返事とした。

 

「そう。お腹が空いたのでしょ? さぁ、座って待ってなさい。今食事を用意するからね」

 

 優しい声でそう告げて、アルスの母は再び意識を料理へと向ける。その背を見つめ、私は心の中で謝罪した。

 申し訳ない、ご婦人よ。貴女の子、アルスの旅を必ず無事終えてみせます。それが、図らずもこの体に宿ってしまった私に出来るせめてもの約束です。

 

 そう一人誓約を立て、私はアルスの母の背中を見つめる。失われた人の営み。その温もりと匂いに包まれながら……。

 

 

 

 翌朝、目覚めた私はアルスの母の作った食事を食べ、城下町の外へと足を踏み出した。見渡す限りの平原で、遮蔽物などはどこにも見当たらないそこは、良くも悪くも戦うのに適していた。

 どこから敵が来るかを警戒しつつ、私は”こんぼう”を両手で握り締める。盾がないので片手を空けていても仕方ないためだ。

 

「……この辺りに出る魔物は、スライムやいっかくうさぎというらしいが……」

 

 外へ出る前、町の者達から聞いた情報が正しければそのはずだ。スライムは何でももっとも倒しやすい魔物らしく、駆け出し冒険者が何度も相手をする魔物らしい。

 いっかくうさぎは名の通り立派な一本角を持つ魔物で、こちらは駆け出しの冒険者一人では苦戦するぐらいの強さを持つ魔物だそうだ。

 

「何とかこちらが先に見つけて先制出来ればいいが……」

 

 そのために城下町を囲む壁を背にして移動している。これならば背後からの奇襲はまずないと考えていいからだ。まぁ、壁の上から襲ってこられたら話は変わってくるが。

 

「っ……いた」

 

 注意深く歩いていると、前方に青い体の魔物が二匹いた。どちらもこちらに気付いていないようで、のんびりと平原を移動している。

 

「飛び跳ねるように移動しているな。あれがスライム、という魔物か」

 

 しばらくその行動を観察し、私は二匹のスライムが去っていくまでその場を動かなかった。一匹であれば戦ってもいいが、よく知りもしない魔物を複数相手にするのは無謀だからだ。

 

「……これといって見たところ特徴はなさそうだ。厄介な攻撃なども、ないかもしれない」

 

 実際対峙してみなければ分からないが、情報通りならあれは初心者がまず戦う魔物だ。なら、その能力はおそらく魔物の中でも最下層だろう。

 

 ……ただ、魔物の最下層が人間よりも下とは限らないのが恐ろしいところではある。

 

「もうしばらく周辺を歩いてみるか」

 

 そうして城下町付近を一周し、二度程スライムと戦闘をした私は、一先ず北にあるというレーベ村を目指してみる事にした。

 一人で行動するのは危険かもしれないが、スライムなら二匹まで対処出来る事が分かったためだ。いっかくうさぎは残念ながら戦う事は出来なかったが、逆に見つけた時は逃げればいいと判断出来る。

 

「……レーベまで一人で行って帰ってくれば、酒場の冒険者達も少しは仲間になる事を考えてくれるかもしれない」

 

 勇者オルテガの子。そんな肩書きだけでは誰も私の話を聞いてくれないだろう。だからこそ、そこに一人でレーベまで行き帰ってきた事を加える。

 例え戦闘を避けて行き来したとしても、その事実が意味するのはただの子供ではないという事だ。可能ならば、多少戦闘を経て資金なども得ればいいだろう。

 

 スライムを倒した際、その体が消え金貨が落ちていた。たった2Gだが、あの旅路でソウルを得るために何度も同じ場所で同じ相手を倒した事もある身からすれば、何度倒しても必ず同じだけの金貨が手に入るのは有難い。

 

「それにしても……」

 

 広い平原を歩きながら私は周囲を見渡す。遠くに見える山々や森。それらからも死の匂いのようなものは感じられない。この世界は魔王バラモスと呼ばれる魔物に侵略されていると聞くが、それでもこれだけの生命力に満ちているのだ。

 

「魔王などいなかった私の世界は、あんなにも死に満ち溢れていたというのにな」

 

 笑えない話だ。魔物が跋扈し魔王が存在する世界が光に満ちて、魔王など存在しない世界にこそ闇と死が溢れているのだから。

 

「……進むか。日が暮れると魔物が活発化するらしいしな」

 

 気を取り直して先へ進む。おそらくだが村の近くには聞いていない魔物がいるはずだ。それに、いっかくうさぎも毒を有しているようには見えなかった事から、必ず毒を持った魔物がいるだろう。

 周囲へ気を配りながら進み続ける事、おそらく二時間程度で村らしき物が遠くに見えてきた。急ぎたくなる気持ちを抑え、私はより慎重に歩みを進める。

 

 あの世界では、新しい場所へ訪れるのは期待と同時に恐怖でもあった。まだ見ぬアイテムや装備があるかもしれないと思いつつ、同じようにまだ見ぬ恐ろしい相手や罠があるのかもしれないと。

 さすがに罠はないと思いたいが、王との謁見の際、宝箱を置かれた時には一瞬攻撃しそうになった程だ。こちらにもあの恐ろしい存在がいるかもと思うと震えが走る。

 

 今後、宝箱を見つけた際は”こんぼう”で全力の一撃をお見舞いしてもいいかもしれないな。

 

「っ……あれは」

 

 村の姿が少しはっきりとしてきた辺りで、私は初めて見る魔物に気付いた。色が緑で、スライムよりも液状の体をした存在だ。おそらくだが、あれが毒を有した魔物ではないだろうか。

 色もさる事ながら、何よりも体から泡を生み出しているのがその理由だ。何も気付かず悠々と平原を移動している。スライムと違い跳ねる事はしておらず、地面を這うように動いている。

 

「一匹だけか……」

 

 あの世界であれば、情報収集も兼ねて迷う事なく戦っただろう。だが、こちらではそうもいかない。アルスは不死ではないのだ。迂闊な行動は、自ら立てた誓約に反する。

 

「……だが、この身は勇者だ。逃げ回るだけではいけないかもしれない」

 

 両手に握った”こんぼう”へ目を落とし、再び緑色の魔物へ目を戻す。気付いていない今なら、攻撃するも逃走するも簡単だ。ならば……

 

「一度だけ交戦しておくか」

 

 決めたら即行動だ。一度だけ周囲を確認し、他の魔物がいない事を確かめて私はその場から静かに動き出す。そして魔物との距離をある程度詰めたところで走り出した。

 

「はっ!」

 

 走る音でこちらへ気付いた魔物だったが、既にこちらは跳んでいる。魔物から致命を取る事は出来ないが、落下致命ならばどうだ。

 

「ふんっ!」

 

 速度と勢いを乗せた一撃は、見事魔物を捉えて動きを止める。すかさずもう一撃加え、私は一旦距離を取った。

 

「……まだ生きているか」

 

 弱々しい動きながらも、魔物はこちらを見ていた。その目はまだ諦めたようには見えない。

 

「注意が必要だな」

 

 ”こんぼう”を構えて私は魔物の出方を窺う。どこかスライムに近い印象を受ける魔物は、じりじりとこちらとの距離を詰めてくる。

 魔物を視界から逸らさぬようにしながら、少しだけ後ろを確認する。他の魔物の姿はない。だが時間をかければ危険性は上がるだろうと思い、私は魔物を中心に円を描くように動き出した。

 

「……攻撃するなら相手の攻撃をかわしてからだ」

 

 二度のスライムとの戦いで基本的な動き方はあの世界と同じでいいと分かった。なら、こちらから仕掛けるのは極力避け、相手の攻撃を避けてから反撃するのが一番最善だろう。

 そう思って円移動をしていると、遂に魔物がこちらへ攻撃を放ってきた。それは、ブレス。霧のようなものを吐き出してきたのだ。

 

「毒攻撃かっ!」

 

 反射的に横へローリングで回避し、更にもう一度ローリングする。そして素早く立ち上がり魔物を見た。魔物は先程のブレスが決死の反撃だったらしく、よろよろと逃げ出していた。

 

「……こちらを誘う振り、ではなさそうだ」

 

 一度としてこちらを見ず逃げていく様は、魔物が意思を持ち生きている事を私へ教えてくる。明らかにあの世界の魔物とは異なっている点だ。

 

「だからこそ、見逃せないか」

 

 もしここで逃がしてしまえば、あの魔物はこれまで以上に人へ害を為すかもしれない。一度殺されかけたという事実は、その可能性を秘めている。故に、私はここで仕留めておく事にした。

 その場から走り出し、跳び上がる。その勢いのまま、私は瀕死の魔物目掛けて”こんぼう”を振り下ろした。

 

 ぐちゃっと言う音と共に緑色の魔物が消える。そこには、数枚の金貨が残された。それだけが、ここに魔物がいた事の証のように。

 

「……これを、本来ならば十六の少年にさせるのか」

 

 神の使いが望んでいたのはそういう事だ。魔物とはいえ命だ。それを奪う事を、果たしてこの少年は本当に躊躇いなく出来ただろうか。私は出来る。あの世界で散々殺してきたのだ。

 今更魔物の命を奪う事ぐらい何でもない。むしろ、ここではそれが人々のためになる。なら躊躇う理由などありはしない。

 

 ただ、それは私があの世界にいたからだ。こんな光溢れる世界に生まれ、育った者が、何か殺す事を躊躇なく出来るとは思いたくない。

 

「そうか。そのために私は呼ばれたのかもしれない」

 

 殺す事を、誰かの命を奪う事を躊躇わない不死。それどころか、先の短い世界のために薪の王達を殺して回った火のない灰だ。これ程魔物や魔王を殺すのに相応しい者はいない。

 しかも最後には火を消す事を選んだのだ。魔王と言うなら私の方がよっぽど魔王かもしれない。

 

「……ここは、火ではなく光の時代だ。ならば、闇の時代を選んだ私が魔王と呼ばれる方が似合っているかもしれないな」

 

 そう呟いて私は金貨を拾う。命の価値がこういう形で分かるとは、魔物も案外憐れな物だ。私は、あの世界の私なら死ねばどれだけの金貨になるのだろう。

 凄まじい量になるだろうか? それとも、一枚もなく消えてしまうのだろうか? ああ、そうかもしれない。あの身にあるのはソウルだけだ。薪となるように溜め込んでしまった、膨大なソウルだけ。

 

「村へ着いたらまずは宿を探そう。食事もしなければならないし、可能なら武器や防具なども見ておきたい」

 

 今の自分はあの世界の自分とは違う事を意識するため、村に着いた後の事を口に出す。見えている村を目指して私は歩く。

 近く、この道を私は誰かと歩くのだろうか。願わくば、その旅連れがあのカタリナの騎士のような者である事を……。




一体灰がアルスもある種の不死である事に気付くのはいつになるやら。


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仲間との出会い

やくそう

飲めば体力が回復し傷口に擦り込めばたちまち癒す薬効のある植物。
煎じても磨り潰しても使える用途の広いもの。

駆け出しから熟練まで世話になり続ける者もいるアイテムであり、故にどこでも買える代物でもある。
資金が余ったら、あるいは持ち物に余裕があるなら買っておいて損はないだろう。

回復は大事。すればするほど死を遠ざける。


「帰ってこれた、か」

 

 レーベへ到着し二日程滞在して、再び私はアリアハンの城下町へと戻ってきた。

 

 あの緑の魔物は、想像通り毒を持ったバブルスライムと言う相手だった。

 村の道具屋で聞いた情報だと、他にもドラキーやおおがらすと呼ばれる魔物もいるそうで、ドラキーは何と眠りの魔法を使うとの事。

 幸い遭遇する事はなかったが、やはりというか魔物も奇跡や魔術の類を使用するのかと警戒心を新たにしたのだ。

 

 それもあって、二日滞在し魔物の情報を得ようとしたのだが、幸か不幸かスライムやバブルスライムには遭遇しても、おおがらすやドラキーとはついぞ出くわす事はなかった。

 

「……時刻は昼だが、酒場は開いているだろうか?」

 

 町へと入って歩き出したところで、ふと視線を左側へと動かす。そこに見える脇道を進めば、王が仲間を募れと教えてくださったルイーダの酒場があるとの事。

 酒場と言うからには夜しか営業しないと思うが、念のため立ち寄ってみるか。例え開いていなくても、行く事で何か得られるものもあるかもしれない。

 

 そう思ってルイーダの酒場へ向かったのはいいのだが、少々拍子抜けしてしまった。

 

「ごめんなさいね。冒険者達はみんな夜にならないと来ないのよ」

「そうですか」

 

 結論から言えば酒場は開いていた。ただ、肝心の冒険者達が一人もいなかったのだ。店の主人である女性に話を聞けば先程の言葉が返ってきたと言う訳だった。

 

「それにしても、坊やがオルテガさんの息子ねぇ」

 

 こちらを品定めするように見つめる女主人。正直あまり気分は良くない。だが、その視線も仕方ないと思って受け入れる。他ならぬ私がそう見られても当然と思うのだ。

 

「まぁ、見た感じは大丈夫そうだね。冒険者の中には荒くれ者もいるから、気を付けるんだよ?」

「ご忠告感謝します。ですが、それぐらいの気概がなければ魔王退治など出来ないと思うので」

「はっはっは、そりゃそうだ。坊や、名前は?」

「……アルス」

 

 一瞬戸惑ったが、今の私にはこの体の名前がある事を思い出して答えた。名を名乗るなど初めてと言ってもいいので新鮮だ。

 かつては、きっと私も名乗る事があったはずだ。そういえば、私が出会った者達は不死でありながらも名を持つ者達が多かったな。

 

 私がそんな事を思い出していると、女主人はアルスと言う名を聞いて明るい笑顔を見せた。

 明るい笑顔、か。そんなものを見るのは初めてかもしれない。あの世界では、笑顔はあってもどこかに影があった。

 

「あいよ、アルスだね。じゃ、今夜ここに来る連中へは伝えておくよ。アルスって勇者見習いが仲間を探してるってね」

「……感謝します」

 

 女主人の申し出に少しだけ裏があるのではと思った自分を恥じ、その事への謝罪も含めて言葉を発する。

 そうして店を出た後、私はチラリと覗いた武器や防具の店へと向かった。

 レーベ周辺で多少魔物との戦いを経験し心なしか身体能力が向上したようなので、わずかではあるがこの町を出発する前より稼ぐ事が出来た。

 そのため、新しい武器か防具、しかも盾を手に入れられるかと思ったのだ。

 

「いらっしゃいませ。ここは武器と防具の店です。何か御用でしょうか?」

 

 一度こちらを見て冒険者と察するや、客相手だろう笑顔を向ける主人にどこかあの世界の者に近い雰囲気を感じる。

 それにむしろ懐かしささえ覚えたほどで笑みが浮かんでしまいそうになる。ただ、どうやら私のその反応を主人は別の意味に捉えたようで、笑みを深めていたが。

 

「扱っている武器を見せて欲しい。まずは何が置いてあるのかを知りたい」

「はいはい。当店で扱っている物はこれだけですね」

 

 見せられたのは文字、らしき物が掛かれた表。おそらくだがこれらが品の名を記しているのだろう。

 

「……申し訳ないが一つずつ実物を見せてもらっても構わないだろうか? 買える買えないは別として、物を見せてもらえない事にはこちらもGを出す価値があるか分からないのだ」

「これは失礼を。そうですね。装備は自分を守る大事な物ですし、ご自分の目で確かめた方が安心でしょう。すぐ持ってまいります」

 

 私の対応が予想外だったのだろう。主人はそれまでの雰囲気を少しだけ変えて店の奥へ入って行った。

 私の外見が子供で、しかもどう見ても駆け出しだから冷やかしと思ったのかもしれない。偶然ではあるが、文字が読めない事を誤魔化した事で良い方向へ転がったようだ。

 

 ただ、出来るだけ早く文字が読めるようにならないと不味いな。今まで気付かなかったが、今後何かの形で書く事や読まないといけない事が出てくる可能性がある。

 

「お待たせしました。まずはこちらですね」

「こんぼうか」

「はい。ひのきのぼうはさすがに必要ないかと思いまして」

「そうだな。気遣い感謝する」

 

 主人がまず持ってきたのは今使っている主武装の”こんぼう”だった。私が使っている物と大差ないのですぐに次のを頼む事に。

 そして出てきたのは剣だった。ただし、鋼や鉄で出来た物ではない。これは……

 

「銅、か」

「はい、どうのつるぎです」

 

 見た感じでは切れ味が良いと思えないが、それでも”こんぼう”よりは威力などが上がるだろう事は明らかだ。

 これがあればスライムやバブルスライムへ今よりも痛手を負わせる事が可能になる。”こんぼう”による打撃はあの体で威力を幾分殺されているようだからだ。

 

「……主人、これはいくらだろうか?」

「はい、100Gです」

「100G、か……」

 

 とてもではないが手が届かない。一体どれだけの魔物を倒さねばならないのか。現状の資金は68Gだ。これでも貯まった方だと思っていたのだが……

 

「すまない。次の品を見せてもらえるだろうか?」

「承知しました。では、次は防具となります」

 

 そうして主人が見せてくれた防具の中に、あれはあった。そう、盾だ。

 

「かわのたて、か。これはいくらだろうか?」

「90Gです」

「……そうか」

 

 こちらも届かない。だが、これで私の当面の目標は決まった。”どうのつるぎ”と”かわのたて”を手に入れる事だ。

 せめて盾だけでも手に入れたい。そう思い、私は店を後にした。必ず”かわのたて”を買いに来るとだけ告げて。

 

 町を出て私はスライムを狩った。時にはいっかくうさぎと出くわしたが、何とか逃げる事が出来た。まぁ、何度か突進をかわしそこねたせいでやくそうがなくなってしまったが。

 

「何とか日が暮れるまでに間に合ったか……」

 

 その甲斐もあって、私はボロボロになりながらも念願の盾を手に入れる事が出来た。右手に”こんぼう”左手に”かわのたて”という何ともしまらない装備であるが、それでも”こんぼう”のみよりはマシのはず。

 

 いかにも駆け出しと言わんばかりの装備かもしれないが、今は仕方ないだろう。実際にこの世界での私は駆け出しだ。

 

「……仲間、か。この背を預ける事など、あの世界でも数える程しか経験がないが……」

 

 思い浮かぶ何人かの姿。アストラの騎士やカタリナの騎士。ああ、聖女を守る騎士もいたな。そして名も知らぬ白霊達だ。彼らは私の旅路を助け、時には私が彼らの旅路を助けた。

 

「あの世界で誇りと使命を持ち続けた彼らのような、そんな者達がいればいいが」

 

 この光溢れる世界なら、おそらくあの男(パッチ)のような者はそういないと思いたい。ただ、彼は彼で人間らしいと思わない訳でもないが、な。

 酒場へと向かいながら私は考える。仲間は何人まで募るかを。最悪一人でもいてくれれば助かる。欲を言えば二人ないし三人だろう。魔術や奇跡を得意とする者がいてくれたら言う事はない。

 目の前に見えてきた建物から、微かにではあるが人の声と気配が感じられる。その活気ある空気は、私には馴染みがないもので些か戸惑ってしまう。それでも、私が為すべき事のためにと扉を開けた。

 

「……何だ? ここはガキの来るとこじゃねぇぞ」

 

 まず最初に目があった鎧姿の男がこちらを訝しむように見つめてきた。体つきや装備を見るところ、剣士と言うより闘士だろうか? 傍に置いてある武器は大槌のようなものだ。

 

「たしかに私は酒を飲む事は出来ない。ただ、ここで王より旅の仲間を募れと言われたのだ」

「王? まさか、お前がアルスって勇者見習いか?」

 

 男の眼差しが少しではあるが鋭さを増した。それに臆する必要もなく頷いて酒場の中を見回す。そこにいる者達のほとんどが男性であり、女性の姿も見受けられるが少ない。やはり冒険者というものは危険と隣り合わせだからだろうな。

 

「こんな装備の子供ではあるが、亡き父オルテガの遺志を継ぎ魔王を打倒したいと思う気持ちだけは本物だ。だが、一人ではその使命を果たす事は厳しい。どうか私に力を貸してはくれないだろうか? 命を預けるのに私では信頼するに足りぬとは思う。それでも、レーベまで一人で向かいこうして帰ってくる事ぐらいは出来るようにした。未だ未熟な身だが、父の名に恥じぬよう精進していく。ただ、今はそちらの力を頼りにもさせて欲しい。私は、母をこれ以上悲しませる結果にはしたくないのだ」

 

 私のためだけでなく、アルスやその母のためにもここにいる者達の力は必要だ。そしてオルテガ殿の無念を晴らすためにも。その想いを込めて告げた言葉に酒場の中が静まり返る。私を睨むように見ていた男も、他の冒険者達も、こちらを見て言葉を失っているように見える。

 

「……どうやら、今の私ではそちらを仲間とするには力不足のようだな。すまない。出直してくる」

「ちょ、ちょっと待ってくださいっ!」

 

 踵を返し出て行こうとしたところで呼び止められた。振り向けば、店の隅の方で座っていた神官のような格好をした女性が私を見ていた。

 

「勇者様、貴方のお気持ち、たしかに届きました。若輩の身ではありますが、私でよければ旅路を共にさせていただきたいです」

「ありがとう。私はアルス。神官殿の名を聞かせてもらえるだろうか?」

「はいっ! 私はステラと申します! よろしくお願いしますっ!」

 

 ステラと名乗った女性は、こちらへと急ぎ足で近付いてくる。が、途中で何かに躓いたのかバランスを崩した。いかんっ!

 

「わわっ!?」

「っと。大丈夫か、ステラ殿」

 

 咄嗟に受け止めに行き、ステラ殿の腹部へ腕を差し込み支える。が、何故かステラ殿は私を見つめて呆けるような顔をしていた。

 おかしい。今の私はアルスであるから不死の時のように見るに堪えない顔はしていないはずだ。それとも、神官である彼女には私の真実が分かるのだろうか?

 

「……ステラ殿?」

「っ!? す、すみません勇者様っ! 私、おっちょこちょいなもので……」

「いや、構わない。それよりも間に合ってよかった」

 

 いくら木の床とはいえ、あの勢いで倒れていれば顔に傷を作っていたかもしれない。不死や男性であれば構わないが、女性であれば顔に傷など嫌なはずだ。それを防げた事は良かったと思う。

 ステラ殿は恥ずかしそうに体を起こすと、照れているような笑みを私へ向けた。その反応や表情が、やはり私のいた世界の者達と大きく異なる事を教えてくれる。

 

 やはり、この世界は光の世界だ。故に私のような者が本来いるべき場所でもない。一刻も早くアルスの体を返してやり、創造神ルビス様のお力で元いた世界に帰らねば。

 

「では、行こうステラ殿。まずは我が家へ。夜も更けてきた。旅立ちは明朝にしよう」

「はい、勇者様」

 

 ステラ殿との会話ややり取りの間も、誰一人として仲間へ名乗り出てくる者はいなかった。なら、今の私ではこれが限度だろう。せめて”どうのつるぎ”を手にしてから来るべきだったかもしれない。

 そう思ってステラ殿と共に酒場を後にしようとした時だった。

 

「待って。さっきの身のこなし、とても駆け出しには出来ない。アルス、って言ったね? 決めた。あたしもあんたに同行するよ」

 

 振り向けば、店の一番奥の壁へ背を預けていた女性が私を見ていた。髪を二つに束ねて、動きやすい見慣れぬ格好をした女性が。

 

「それは助かる。一人でも多い方が魔物との戦いも楽になる。そちらの名を教えてくれるだろうか?」

「あたしはフォン。見ての通りの武闘家さ」

 

 フォンと名乗った女性は武闘家、らしい。見た印象からどうやら無手で戦う者の事を指すのだろう。

 身のこなしに目をつけた事もあるので、おそらく素早い身のこなしで敵を翻弄しつつ拳を叩き込むのを基本としているのか。

 

「良かったですね、勇者様。これで三人です」

「ええ、ステラ殿が転んでくれたおかげです」

「なっ?! ゆ、勇者様ぁ」

「ふふっ、だけどその通りだよ。あの時、勇者が素早くそして体勢を崩す事なくあんたを受け止めたから、あたしは勇者のパーティーになってもいいと思ったんだから」

「う~っ……」

 

 フォン殿の言葉にステラ殿が複雑な顔を見せた。だが、その雰囲気は悪くない。これならば戦闘時も問題ないと思える。

 

「では、行こう。ステラ殿、フォン殿」

「はい」

「ええ」

 

 神の奇跡を使えるだろうステラ殿と、格闘に精通しているだろうフォン殿という仲間を得られ、私は内心で安堵した。これならばレーベまでの旅路は幾分楽になるだろう。

 不安が残るドラキーとの戦いも、三人いれば全滅は避けられるはずだ。そうやって酒場を今度こそ後にしようとした時だった。

 

―――けっ、女二人連れて旅とはな。どうやら勇者様はあっちの方は間違いなく勇者の素質があるようだぜ。

 

 後ろから聞こえた声にステラ殿が振り返るのが分かった。フォン殿はどうも視線だけ動かしているようだ。私は、その声だけで誰が言ったのか分かったため振り返る事はしない。

 あの最初に目を合わせた男だろう、と。ああいう手合いは、相手にすればするだけ面倒だと経験則から感じていたのだ。

 

「な、何が言いたいんですかっ!」

「あ? お嬢ちゃんみたいなひ弱そうな女をパーティーに入れる男ってのは、何を考えるか分かるだろ? なぁ?」

 

 その瞬間、店の中の男達数人が下衆な笑い声を上げる。そこまで大きくないが、私を野次る言葉なども聞こえてくる。このままではステラ殿がいいようにからかわれるだけか。

 

「ステラ殿、気にしないでいい。私は何と言われても平気だ」

「ゆ、勇者様……」

「いいの?」

 

 フォン殿が小さく問いかけてくる。おそらくだが、黙らせる事ぐらい出来ると言いたいのだ。

 

「いいんだ。フォン殿、お気遣い嬉しく思うが、あの者が言う事も仕方ないと思う。これで私があの者と同じ年頃であれば余計そういう懸念を持たれていただろう」

「……そ。勇者がそう言うならあたしはいいよ」

「感謝する。フォン殿、ステラ殿の手を引いてくれないだろうか? 早くここを出た方がいい」

「はいはい。ほら、行くよ」

「えっ!? ちょ、ちょっとフォンさんっ! あまり強く引っ張らないでくださいぃ!」

 

 歩き出す私に合わせてフォン殿がステラ殿を引きずるように動き出す。それを少しだけ見送り、私は酒場の扉を閉めていく。

 最後に一瞬だけあの男と目があったが、睨むあちらに対して私は何も返す事なく静かに扉を閉じた。

 

「……可能ならば魔術の類を使える者も求めたかったが」

 

 あの世界でも武器による攻撃よりも魔術の方が戦いやすい相手はいた。アルスに適性があるのか分からないが、可能ならば魔術の類を覚えたいものだ。

 戦術の幅が広がるのは、それだけで生存率を上げてくれる。まぁ、適切に使えなければ意味がないのだが、ないよりはあった方がいい。

 

「勇者様~っ、お家はどこですか~っ?」

「あたし達は知らないんだから、案内頼むよ~」

「すまないっ! 今行く!」

 

 少し考え事をしてしまったが、今の私には仲間がいたのだった。聞こえた声に振り返れば、ステラ殿とフォン殿が私へ手を振っている。それに微かな温かさを感じて、私は急いで二人の下へと駆け寄った。

 

 アルスの生家へ辿り着き中へ入ると、アルスの母は出迎えると同時に私が連れ帰った二人を見て、からかうようにこう言ってきた。

 

―――あらあら、可愛らしい女の子を二人もなんて。アルスもやっぱり男の子なのね。

 

 それにステラ殿が照れ、フォン殿も悪い気はしていなかったようだ。ただ、私はどういう顔をすればいいのか分からず、ただ無言を貫くしかなかった……。




ステラはおっちょこちょい。フォンはでんこうせっか。名も無き灰は、いのちしらずかくろうにん。


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信頼の成長

おなべのふた

文字通り、家庭にある鍋の蓋。だが、侮ってはいけない。鍋は金属で出来ている。
その蓋もまた、金属で出来ている。金属である以上、それは肉よりも硬いのだ。
難点があるとすれば、本来盾として作られていないため持ちにくい事と、その耐久性の低さだろう。

これが出回る切っ掛けは、使っていた鍋が使えなくなってしまい、残った蓋をもったいなく思った商人が捨て値で売った事だと言われている。

物の用途は一つではない。使えぬと思った物も、みかたがかわれば使える事があるのだ。


「これ程まで変わるとは……」

 

 レーベを目指して歩く私達は、隊列を組んで周囲へ気を配りながら移動していた。先頭をフォン殿、その後ろにステラ殿、そして最後尾が私だ。

 この順番に当初二人は難色を示した。私は勇者でありこの集まり(パーティー)(リーダー)なのだから、と。

 だが、私はだからこそこの順番にした。その理由はこうだ。目も良く、気配察知などにも優れるフォン殿に先頭を歩いてもらい前方の様々な事へ警戒してもらい、あの世界での経験からある程度の事では動じない私が最後尾で後方からの奇襲を警戒する。ステラ殿は神の奇跡によって回復を行えるため、私やフォン殿の支援が出来る位置が望ましい。

 こう告げると二人は理解してくれたようで、それならばと提案に従ってくれたと言う訳だ。

 

 そんな風に移動を開始すると、当然ながらスライムなど敵ではなく、遂に遭遇したいっかくうさぎさえも、フォン殿の素早い攻撃へ私が合わせる事で苦労せず倒す事が出来たのだ。

 更に言えば、これまでなら逃げるしかなかった三匹以上の魔物のむれを相手にする事も出来、あれ程慎重にならざるを得なかった一人旅とは別世界のような印象を受けていた。

 

「勇者様、見てください。もうこれだけのGが貯まりました」

「背後からの奇襲を勇者が見てくれるおかげで、あたしも大分気が楽だよ。ステラも、さすがに戦闘中はドジやらかさないようだしね」

「当然ですっ! というか、私だって好きでドジをする訳じゃないんですからねっ!」

「当たり前でしょ? もし狙ってやってるのなら、あんたは神官よりも遊び人が向いてるって」

「あ、遊び人っ!? フォンさん、いくら何でも失礼ですっ! 私は神に仕える僧侶なんですよっ!」

 

 まるで獣のように唸るステラ殿をフォン殿はどこか楽しそうに見つめている。遊び人、とはどういう事だろうか? ステラ殿はたしかに危うい時もあるが、基本的に真面目で誠実な人物と思うのだが……?

 

「すまないが、一つ教えてもらえるだろうか?」

「「何(ですか)?」」

「何分世間知らずなもので、お二人が話している遊び人という意味が分からないのです」

 

 私がそう告げると、二人は虚を突かれたような顔をした。そこまでおかしな事を私は聞いたのだろうか。だが、生憎とあの世界には遊び人という存在はいなかった。似たような印象を受ける者は……いなかったな。そもそもあの死に満ち溢れた世界で遊ぶという発想を持てる事自体、凄まじく強い心の持ち主だろうから。

 

「やっぱ勇者ってどこかずれてるよ。言葉遣いが年に似合わず落ち着いてるし、あたしやステラを呼び捨てにしないし」

「お二人の方が年上であり、冒険者としても先達だから当然では?」

 

 そう、今朝食事を終えて城下町で旅支度を整えている時、フォン殿から堅苦しいので名前を呼び捨てで構わないと言われたのだ。

 だが、ここでは私は十六の少年であり、いかに勇者と呼ばれた者の子といえ駆け出しの冒険者に変わりはない。更に二人の方が年上であるとも知り、ならばと言葉遣いを多少改め、そんな事は出来ないとそう伝えて丁重に断ったのだが……。

 

「勇者様のお気持ちは嬉しいです。でも、これから私達は共に魔王を倒す仲間なのですから、もっとお互いに心の距離を縮めるべきかと」

「心の、距離……」

 

 聞き慣れぬ言葉だ。そもそも心の距離とは一体なんだろう。不死の中には心どころか意思さえ持たぬ者達が常だった。

 私も、使命や火防女やあの鍛冶師などがいなければどうなっていたか。

 おそらく、長い旅路の途中で我を失い、不気味に彷徨う事になっていた可能性は高いだろうな。

 

「それとも、そういう口調にしていないと女を名前で呼ぶのは照れくさい?」

 

 フォン殿が私をからかうように見つめて問いかけてくる。照れくさい、か。そんな感情は持ち合わせていないが、僅かに抵抗があるのは事実だ。

 まだ私は彼女達と肩を並べられると自分で思えない。いや、違うな。あの店で自身に課した事を果たすまでは、私は彼女達から勇者と呼ばれるに値する資格を得たと思えないのだ。

 

「……照れくさいと言うよりは、自分に納得が出来ないのです。まだ、お二人を名で呼び捨てるには、私は未熟だと」

「未熟、ね。勇者、一つだけ言わせてもらうよ。たしかにあんたの考えは立派だし、亡くなったオルテガさんの事を意識するのも分かる。だけど、人の厚意や善意を断り続けるのは不幸にしかならないんだからね?」

「人の厚意や善意……」

「フォンさんの言う通りです。勇者様、もう少しご自分を認めてください。目指す目標を高くするのは良い事ですが、そのためにご自身を苦しめ過ぎるのは良くありません」

「自分を、認める……」

 

 フォン殿とステラ殿の言葉が不思議と胸に響く。どちらもあの世界では通用しない考えかもしれない。だが、ここならばそれはあって当然の考えだ。

 人の言葉の裏を考え読み取ろうとして警戒する事も、火の無い灰故に価値などないと卑下する事も、ここでは必要ないと。

 

「……感謝します、フォン殿、ステラ殿。ですが、まだ私はその考えを抱くに至れません」

 

 感謝を述べ、私は二人の顔を見た。どこか悲しそうな顔をするステラ殿と、分かっていたように苦笑するフォン殿を。

 

「それでも、お二人のお気持ちを無下にするのも気が引けます。なので、レーベへ到着するまでにお二人の事を名で呼び捨てられるよう、自分を認められるよう、己自身と向き合ってみようと思います」

「勇者様……っ!」

「あははっ、勇者らしいよ。じゃ、期待してる。ね、ステラ?」

「はいっ! 勇者様、早くレーベへ行きましょう!」

「ステラ殿、あまり大きな声を出さないで欲しい。魔物に気付かれやすくなる」

 

 笑顔で動き出すステラ殿へ注意を促し、私はフォン殿へ視線を向けた。フォン殿はそれで私の言いたい事を察してくれたようで、少しだけ急ぎ足でステラ殿の前に出た。

 

 先を歩く二人を見つめ、私は何とも言えない感覚に陥っていた。あの世界でも似たようなやり取りはあったかもしれない。だが、ここまで胸に響く事はなかったはずだ。

 人でなくなった私だったからそうだったのかもしれない。今の私は、正しく人である体となっているから異なっているのかもしれない。

 

「それでも……」

 

 人の厚意や善意。自分を認める。これらは、あの世界では私に出来なかった事だ。どこかで疑い、完全に受け入れる事が出来なかったのだから。

 けれど、ここに生まれ育った二人は違う。それらをしっかりと受け止め、受け入れられるのだ。ああ、やはりここは光の時代だ。人の持つ闇を知りつつも光を信じられる者達がいるのだから。

 

「……私には無理でも、アルスならきっと出来たはずだ」

 

 呟く言葉に思った以上に強く納得する。そう、ここで生まれ、育ち、父の遺志を継ごうと決めた少年ならば、あの二人の事をもっと気安く呼び、絆を深めていけただろう。

 

「ならば、私なりにアルスへ近付いてみなければ」

 

 勇者とは、何も武勇に優れるだけではいけない。その名の通り、勇気を持つ者でなければならぬ。私には敵と戦う勇気はあっても、人を信じる勇気が欠けている。それを、ここで克服していこう。

 

「勇者様、どうかされました?」

「ぐずぐずしてると日が落ちるよ」

 

 足を止めていた私に気付いて、二人が立ち止まって振り返っていた。そうだ、いきなり全ての人の厚意や善意を信じられずとも、あの二人ならば信じられるはずだ。

 

「ああ、分かっている」

 

 少し駆け足で二人へ追いつく。”どうのつるぎ”を得ていなくても、あの二人にとってこの身は勇者だ。ならば、その事を誇りに胸を張らねばいけない。

 ここでの私は火の無い灰ではなく勇者アルス。人を疑い傷を負わぬより、人を信じて傷付くべきなのだ。闇を恐れて光を遠ざけるなど意味がない。闇を恐れず、光を目指し続ける事こそ勇者のはず。

 

「フォン殿、ステラ殿、隊列を変えたい。私を先頭にして欲しいのだ」

「「え?」」

 

 私の申し出に二人が揃って小首を傾げる。そうだろうと思う。私が自分でこの隊列を提案したのだ。それを私が変えると言い出したのは、まったくもって矛盾している。

 

 だが、それは以前までの私だからだ。

 

「ステラ殿の位置は変えず、私とフォン殿を入れ替えたいのです」

「それはいいけど、理由は?」

 

 当然のようにフォン殿がそう問いかけてきた。ステラ殿も同じ事を聞きたいのだろう。だから答える。不死だった私ではなく、アルスとしての私で。

 

「お二人を守りたいのです。これでも男の端くれ。女性の背に隠れるような事は、避けるべきかと考え直しました」

「勇者様……」

「へぇ、あたし達を守りたい、か。いいよ。じゃ、あたしが後方からの奇襲を警戒してあげる」

「感謝します」

 

 こちらを見て嬉しそうに笑みを見せる二人に、私は自分の提案が間違っていなかったと感じられた。

 どうすれば生存率を上げ危険性を下げられるかは重要だ。だが、それだけではいけない。この身が勇者ならば、常に先陣を切って周りを勇気づけねばならないのだ、と。

 

 ”かわのたて”と”こんぼう”を手に平原を進む。一人の時は二時間以上かかった道のりを、三人でその半分以下で進む。

 途中で遭遇する魔物も、一体ならば私が注意を惹き付けフォン殿が素早い一撃で崩し私がトドメを刺すのを基本とし、複数ならば私が囮として魔物達の関心を集めフォン殿が倒しやすい魔物から確実に仕留めていく事で最小限のダメージで済んでいた。

 

 が、それも対処が分かっていたスライムやバブルスライムなどだ。遂に私達は遭遇した。ドラキーではない。もう一種類の私が遭遇しなかった魔物、おおがらすに。

 

「一匹か。なら何とでもなるね」

 

 フォン殿の言葉に私も頷く。幸いこちらに気付いてないようだ。これならば苦労せず倒せるだろう。

 

「で、でも、油断は出来ません。おおがらすは他の魔物を呼ぶと聞きました」

 

 ステラ殿の言葉に私は息を呑んだ。そんな事をする魔物がいるのか。もしそうなら、私一人の時に遭遇していれば、最悪の結果となっていたかもしれない。

 

「なら、呼ぶ暇を与えずに倒すだけ。そうだよね、勇者」

 

 あっさりと言いのけるフォン殿にらしさを感じ、私は少しだけ気が楽になるのを覚えながら頷いた。そうだ、今の私は一人ではない。仮に魔物が二匹に増えようと何とか出来るのだ。

 

「じゃ、開幕の一撃は任せるよ。あたしは、それで仕留め切れなかった時に」

「頼みます」

 

 攻撃力が高い私が先制攻撃を仕掛け、それで生き残った場合フォン殿が素早くトドメを刺す。これが相手に気付かれなかった場合の基本戦術だ。

 

 静かに魔物との距離を詰めていく。そして、その場から走り出して跳ぶ。いつかのバブルスライムのように、そこでおおがらすも私に気付いたようだ。

 

 だが、もう遅い。

 

「なっ!?」

 

 しかし、私の一撃は当たらなかった。バブルスライムと違い、おおがらすは飛べたために。

 私の接近に気付いたおおがらすは、慌てて羽を動かして横へ飛びつつ空へと逃げたのだ。私は”こんぼう”を握り締めたまま空を見上げる。

 

「逃がしたか……」

「いや、まだだよ勇者! あいつ、多分仲間を呼んでるっ!」

 

 フォン殿の言葉通り、おおがらすは空を飛び続けながら鳴き声を出していた。と、遠くの空から向かって来る黒い影。その数、二つ。

 

「おおがらすの援軍だね。二匹か……」

「今飛んでいるのも合わせて三匹。逃げるべきかもしれない」

「に、逃げるんですか?」

 

 やってくる魔物を睨み付けフォン殿が険しい表情を見せる。私も同じような気分だ。数が同等では危険性が跳ねあがるために。

 何しろ私はおおがらすの事を何も知らない。どのように動き、どう攻撃するのかも。フォン殿もおそらく詳しくは知らないだろう。ステラ殿が告げた情報を彼女は口にしなかったからだ。

 

 そして、そんなステラ殿は残念ながら戦闘が得意ではない。手にしている”ひのきのぼう”も何もないよりはと私が渡した物だからな。

 

「勇者の意見にあたしも賛成。ただ……」

「易々と逃がしてくれるとは思えない」

「そういう事」

「ひっ! お、おおがらす達がこっちへ向かってきますっ!」

 

 怯えるステラ殿を守るように私は”かわのたて”を構えて立つ。フォン殿はその場で身をかがめ、何か力を溜めているようにも見えた。

 

「ゆ、勇者様っ?!」

「ステラ殿、後ろに。貴女がいれば、私やフォン殿は癒しを受ける事が出来る」

回復呪文(ホイミ)が出来る奴を、きっとあいつらも狙ってくるだろうからね。勇者、ステラを頼むよっ! あたしは、一匹確実に片付けるっ!」

「フォンさんっ! 気を付けてくださいっ!」

「任せてっ!」

「……来るっ!」

 

 ステラ殿へ軽い笑みを返し、フォン殿は再び視線をおおがらす達へ向ける。私は”かわのたて”を構える手に力を込め、衝撃に備えて腰を低くした。

 

「……はっ!」

 

 そんな私の少し前で、フォン殿が速度を付けて突撃してくる一匹のおおがらすへその拳を打ち出した。その見事な一撃は、おおがらすの顔を捉えそのままその体を消滅させる。

 

「どうよっ!」

「……凄いの一言です」

 

 拳を握り締め、嬉しそうに声を上げる様はとても冒険者には見えない。歳相応の少女と言って良かった。

 二匹のおおがらすは、仲間が一撃でやられた事を受け、落下突撃を止め上空を旋回していた。ならば、私もここで守りに入っている必要はない。

 

 先程倒したおおがらすが残したGを拾い、私は旋回しているおおがらすへ向かってそれを投擲した。

 

「「えっ!?」」

 

 直後二人から驚く声が聞こえたが、どうやらその反応はおおがらす達もだったらしい。私の行動におおがらすは驚き戸惑って、投擲したGをよけようともせず直撃したのだ。

 

「勝機……っ!」

 

 落下してくるおおがらすへ向かって走り出し、私は”かわのたて”をしまうや両手で”こんぼう”を持ってその場から跳んだ。

 体勢を立て直そうとするおおがらすだったが、今度こそその行動は遅かった。私の勢いを乗せた一撃がその体を叩き落とし、地面へ激突したおおがらすは絶命すると同時に何枚かのGへと変わったのだ。

 

「凄いです勇者様っ!」

「やるじゃないっ!」

 

 後ろから聞こえる声に私は振り返る事もせず、残るおおがらすを見上げる。

 どうやら残ったおおがらすが最初に見つけたおおがらすらしい。再び鳴き声を出して仲間を呼ぼうとしている。

 

「これではキリが無い」

 

 幸い近くに仲間がいないようで、先程のようにすぐ増援が来る事はなさそうだが、かと言って時間をかければ同じ事の繰り返しとなる。

 空から落としたくても、先程の手段はおそらく通用しないだろう。あの投擲は奇策であるが、故に一度知られてしまえば対応されると感じていた。

 あの世界のように意思がないのなら同じ手も通用するだろうが、この世界の魔物は各個たる意思があるのだ。それが先程の反応であり、今の仲間を呼ぶという行動に表れている。

 

「せめて弓矢でもあれば……」

 

 おおがらすがいるのは、上空とは言えその姿がしっかりと見える程度だ。あれなら弓と矢さえあれば私でも容易に狙える。

 

「ど、どうしましょう勇者様。これじゃ何度やっても同じです」

「ですが、空にいる以上手が出せません。勢いを付けて飛んでも届かないのですから」

 

 困った声を出すステラ殿へ私はそう返すしか出来ない。分かっているのだ。このままでは不味いと。

 この場から逃げる事も考えたが、下手をすれば背後からおおがらすに追跡され、前方から別の魔物が襲ってくる状況になりかねない。

 

「……勇者、あんたのジャンプ力ってさっきのが限界?」

 

 そんな時、フォン殿からそんな問いかけをぶつけられた。

 

「そうです。故に届かないと」

「そ。じゃ、あいつへ向かってジャンプして。あたしに考えがある」

「フォンさん? 考えって」

「いいから。早くしないとまた仲間が来て面倒になる」

 

 ステラ殿へ目もくれず、フォン殿は私を見つめてそう言い切った。考え、か。以前なら問い質し確かめただろうが、今の私はこの二人だけは信じ切る勇気を持つと決めた。

 何故なら、二人が信を置くに値すると私を認めてくれたからだ。あの時、私の旅へ同行してくれると言ってくれたのはそういう事なのだ。

 

 私は、二人から信頼されるに相応しい者である。ならば、私もそれに応えようと、そう思って私は頷いた。

 

「分かりました。フォン殿を信じます」

「……ありがと」

 

 少し助走のために後ろへ下がり、私は全力で走り出した。その勢いを乗せたままその場から跳ぶ。当然私の体も腕も、おおがらすへ届かない。

 落下していく私を見て、おおがらすは馬鹿にするような声を出した。と、次の瞬間、私の背中を何かが踏んで行った。

 

「はあぁぁぁぁぁっ!」

 

 見上げればフォン殿がおおがらすへ蹴りを叩き込んでいた。まさしく会心の一撃と呼ぶに相応しいそれは、おおがらすに断末魔さえ上げさせずその体をGへと変える。

 

「っ!?」

「ゆ、勇者様、大丈夫ですか!? 今すぐ回復呪文(ホイミ)をかけますね!」

 

 体勢を崩しながらも何とか着地した私へ、ステラ殿が心配そうに駆け寄ってきた。そしてすぐに感じるあたたかな温もり。

 

「ステラ殿、すまない。助かります」

「いえ、今の私に出来るのはこれぐらいですから」

 

 ステラ殿の手が淡く光り、それが私の疲れを癒してくれる。ホイミ、だったか。まさしく神の奇跡だ。

 

「ごめんごめん。怪我とかない?」

「フォンさん! 何て事するんですかっ! 勇者様を足蹴にするなんてっ!」

 

 おおがらすの残したGを拾ってフォン殿がこちらへ申し訳なさそうに近付いてきた。ステラ殿が怒っているが、私はむしろ感心していた。

 

「フォン殿、先程の攻撃感心しました。まさか空中に足場を作って跳ぼうと考えるとは」

「勇者様ぁ!? それでいいんですか!?」

「あれ以外に今の私達に空の魔物を倒す術はないと思うのです。それをあの状況で発想出来たフォン殿は凄い」

「凄い、ね。それを言うならあたしもだよ。あたしの考えを聞いて、何も言わずに動いてくれた事、正直嬉しかったし。勇者なりにあたしを信頼してくれたんだって、そう分かったからさ」

 

 そう言って少しだけ恥ずかしそうにフォン殿は頬を掻いた。成程、そうしていると本当に年頃の乙女だ。そんな相手に私は猜疑心を向けようとしていたのか。あの世界での経験も、良し悪しだと痛感するな。

 

「お二人からの言葉のおかげです。私はお二人の厚意や善意を信じて、自分がそれを向けられるに相応しいと認めようと。故に、フォン殿の考えを問い質すのではなく、ただ信じて任せてみようと思ったのですから」

「……そっか。勇者は、あたしとステラをやっと仲間と認めてくれたんだね」

「はいっ! 良かったです!」

 

 嬉しそうに笑う二人だが、私はそこで己の至らなさに気付いた。二人は、あの酒場から私を仲間と認めてくれていた。故に名を呼び捨てて構わないという証明をしてくれていたのだと。

 それを固辞し、一向に接し方を変えない私は、考えようによっては二人を仲間と認めていないとも言えなくもない。

 

 ああ、そうか。心の距離とはそういう事だ。年齢や経験の差はあれ、それを抜きにしても信じ合い支え合える関係。それこそが仲間であり、信頼と呼べるものなのだ。

 

「ステラ、フォン」

 

 ならば示そう。私からの二人への信頼の証を。喜んで受け入れよう。二人の心を。

 

「ふぇ?」

「勇者……今……」

「人の想いや心を分からぬ未熟な勇者だが、どうかこれからもよろしく頼む。ステラとフォンの想い、心、それらを今少しではあるが私は分かったと思うから」

 

 不思議そうなステラと軽く驚いているフォンへ、私はそう告げた。あの世界では縁遠かった信頼というもの。それを、今、私はたしかに得る事が出来た。

 

「さあ、レーベへ向かおう。日が落ち切る前に到着し宿で食事を取りたい」

「っ! はいっ!」

「そうね。お腹空いてきたし、急ぎましょ」

 

 私が動き出すと同時にステラがその背に並びフォンが最後尾につく。そのまま私達は一路レーベと向かう。

 その間、魔物の群れが現れる事もあったが、驚く程戦いが楽になっていた。その理由を、今の私ならばこう説明するだろう。

 

―――信頼を得た事によって、私はより強くなれたのだ、と……。




この世界では大事なのは猜疑ではなく信頼。しかも、それはソウルなどで成長させる事が出来ないもの。まさしく人としての経験値だけが信頼を成長させる。


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レベルアップする心

キメラのつばさ

名の通り、魔物の羽。何故か天高く放り投げると最後に立ち寄った場所へ戻れる効果を発揮する。
その効果は、移動魔法のルーラに近いものだが、前述の通り最後に立ち寄った場所しか行けないので利便性は良くはない。
ただ、一人旅や魔法使いがいないのならもしものために持っておくといい。

魔物の一部を道具として用い、それを売る発想。ここに人の持つ賢さと強かさが垣間見える。


「けいこぎ、ですね。ここでそうびしていかれますか?」

「ええ、そうするわ」

 

 レーベの武器と防具の店。私達は今そこで装備を整えていた。とはいえ、私は現状のままでいいと思い、ステラとフォンの物を優先的に買い揃える事にしたが。

 まずはフォンの防具だ。盾は彼女の場合邪魔だと言われたので、ならばと鎧の類を頼んだところ、いかにも彼女向きの物が出てきたので購入となった。

 

 こちらへ軽く手を振って店の奥へと進むフォンを見送り、私はステラへ目を向けた。

 

「ステラは何か気になる物や欲しいと思う物はないだろうか?」

「そうですね。せいなるナイフでしょうか?」

 

 名を聞いて、いかにも僧侶らしいと思ってしまった。”せいなるナイフ”か。きっと神の加護か祝福でも受けた刃なのだろう。

 あの世界であれば信仰がなければ装備出来ないだろうな。そんな事を考えていると、店主が見るからに手のかかったナイフを見せてきた。

 

「これがせいなるナイフ……」

「はい、さようでございます」

「い、いくらでしょうか?」

「200Gでございます」

「うっ、高い……」

 

 声に出さないが私も同意見だ。”どうのつるぎ”が二本買えてしまう。それだけのGはさすがにない。

 

「ステラ、申し訳ないが今は諦めてくれ」

「はい……」

 

 項垂れるようなステラを見て、私はどうしたものかと考える。何か彼女にも新しい装備を持って欲しいが、Gがそれを許さないのだ。

 何せ”やくそう”と”キメラのつばさ”を購入しようと思っているためである。ステラがホイミを使えるのはいいのだが、それも無限ではない。

 いざとなった時、ステラが近くにいない事もある。それ故、私とフォンも”やくそう”を三つないし二つは持っておこうと決めたのだ。

 

 そして”キメラのつばさ”は退却用だ。何でも、使えば最後に立ち寄った場所へ瞬時に戻れるらしい。帰還の骨片のような物と思えば理解は早かった。

 その物自体は既に把握済みだ。アリアハンの道具屋でも扱っていたからだが、値段はフォンから教えてもらった。

 彼女も一人でカザーブという場所からアリアハンへ来たとの事で、”やくそう”や”キメラのつばさ”をよく使ったらしい。

 

 と、そこで思いついた。今、私は”かわのたて”を装備しているが、幸運にもそれを使って戦う事は少ない。それよりも”こんぼう”を両手で持って戦う事の方が多かった。

 

「ステラ、もし良ければこれを使ってくれ」

「え? これは、かわのたて?」

「そうだ。私の使っていた物だが、今のところそこまで盾を構えて戦う事はない。それよりもこんぼうを両手で握り振るう事の方が多い。なら、身を守れる術がないステラにこそ、これは必要だと思う」

 

 差し出した”かわのたて”と私を交互に見つめ、ステラは微かに笑みを浮かべて”かわのたて”を受け取ってくれた。

 

「ありがとうございます、勇者様。大切に使わせていただきますね」

「ああ、そうして欲しい。盾も上手く受けなければ衝撃を殺せないからな」

「えっと、そういう事じゃなくて……」

 

 私の言葉に苦い顔をするステラに疑問符が浮かぶ。何か間違った事を言っただろうか?

 

「お待たせ」

「わぁ、お似合いですフォンさん」

 

 そこへ着替え終わったフォンが戻ってきた。”けいこぎ”を着た彼女は、より動き易い格好となり戦い易くなったように思える。

 

「正直、あたしとしては微妙なんだけどね。小さい頃を思い出すんだ、これ」

「と言う事は、故郷ではそれを?」

「ん? まぁね。ただ、見ての通り修行中って感じでしょ? だから里を出る時に置いてきたんだけど……」

 

 そう言ってフォンは自分の体を眺めて苦笑した。

 

「たはは、こんな事なら持ってくればよかったよ。自分で思ってたよりも高いしさ」

「いや、気にしないで欲しい。フォンは私と共に前衛として戦ってくれている。ならば、現状その装備は優先して良い物にするべきだ」

「あー、うん。それは分かってるんだけど、あたしの言いたい事はちょっと違うんだ」

 

 先程のステラと似た表情を浮かべるフォンに、私は再び疑問符が浮かんだ。一体何だろうか? これも、不死であったが故の認識のずれ、なのだろうか。

 

 とりあえず、もう店に用はなくなったので外へ出る。そして次は道具屋へと向かった。

 

「えっと、やくそうを六つとキメラのつばさを一つ頂戴」

「やくそう六つにキメラのつばさ一つですね。全部で73Gになります」

「これで足りると思うが、確認を頼む」

「はいはい。…………はい、たしかに」

 

 思った以上の出費となったが、仕方ないと思って受け入れる。命は一つだ。何度死んでもいい不死とは違うのだ。今は、何よりも生き残る事を優先しよう。

 道具屋を出て、これからどうするかと二人へ話を切り出そうとした時だった。

 

「ね、勇者。思うんだけど、あたし達はしばらくここでレベル上げをするべきだと思う」

「レベル上げ?」

 

 一体どういう意味だろうか。そう思って問いかけると、ステラもフォンに同意するように大きく頷いていた。

 

「そうですね。幸い、この辺りの魔物は今まで見てきたものだけですし、村からあまり離れなければ危なくなった時でも退却出来ます」

「そういう事。万が一、前みたいに仲間を呼ばれて手を出せなくなっても、村まで逃げ込めば魔物も追ってはこないわ」

「そうなのか?」

 

 それが本当ならば有難い話だ。わき目も振らず町や村へ逃げ込めば安全が保障されるのであれば、今後の方針に組み込む事が出来る。

 

「ええ、本当です。魔物も余程の大群でない限り人々の多く住む場所へは近寄りません。一説によれば、神のご加護が守っているとか」

「神の加護か」

 

 そう言われてみれば、この村にも教会がある。そこが祀っているのがあのルビス様であるなら今の話も信憑性があるか。

 

「と、言う事で、あたしは数日の滞在を提案するわ。長くて三日。最短でも二日。で、その後は一旦アリアハンに戻って」

「戻る? 何故?」

 

 フォンの考えが読めず、私は疑問を投げかけるしか出来ない。もうアリアハンでする事などないと思うのだが……?

 そんな私へフォンは苦笑して指を一本立てる。

 

「もう一人仲間を募るのよ。昨日のおおがらす、魔法使いがいればもう少し話は変わったわ」

「あー、攻撃呪文ですね」

 

 ステラの言葉にフォンは深く頷いた。攻撃呪文、というと魔術の類か。やはり、それらなら空を飛ぶ相手も撃ち落とす事が叶うのだろう。それならば、たしかに必要な存在だ。

 

「そういう事。今のままじゃ、空を飛ぶ魔物にあたし達は苦戦する一方。だから、あの最低な奴らが見ただけで黙るぐらいに装備を整えて魔法使いを仲間に入れるべき。あたしの見立てだと、あそこにいた奴らのほとんどは近隣から来てるわ。あたしみたいに旅の扉を使って大陸を渡って来たのは少数でしょうし、ならここでレベルを上げていけば取っ組み合いになっても勝てる」

「旅の扉?」

 

 先程から知らぬ言葉ばかり出てくる。だが、それも当然だ。私はこの世界の事を何も知らないに等しい。フォンやステラの知識は、もしかすればこの世界の者ならば知っていて当然かもしれぬが、私にとっては未知なる知識なのだ。

 

「勇者様はご存じないでしょうね。旅の扉とは、各地を繋ぐ不思議な道のようなもので、その存在は一部の者達にしか知られていません」

「主に冒険者や商人辺りね。管理も、大抵はその旅の扉近くの国が行ってるの」

 

 次から次へと新しい情報が告げられる。だが、それを私が全て記憶する必要はないと気付いた。今の私には、ステラとフォンがいる。彼女達が知っていて覚えていてくれるのなら、私は多少覚えていればいいのだ。

 

「そうなのか。フォン、ステラ、二人に感謝を。これでまたこの世界を知る事が出来た」

「大げさ。ま、でも勇者らしいよ」

「ふふっ、そうですね」

 

 揃って苦笑する二人だが、それが私からすれば彼女達らしいと思う。ともあれ、当面の方針は決まった。要はこのレーベを拠点に己を磨き、装備を整えればいいのだ。

 こうして私達はまず宿へ戻り、一日分の宿代を払って部屋を押さえてもらう事にした。今、レーベを訪れる旅人や商人は少ないらしいが、念には念をと思っての判断だ。

 いざ夜を迎え、疲れて帰ってきたら泊まれる部屋がないでは意味がない。

 

「さてと、じゃあ目標を決めましょ」

「「目標?」」

 

 フォンの告げた言葉に私とステラの声が重なる。目標とは、何の目標だろうか。倒す魔物の数だろうか。あるいは貯めるGの金額だろうか。

 

「漠然と戦ってたらただの殺生でしょ? いくら魔物とは言え、殺す事を目的にはしたくないじゃない」

 

 その言葉に私は思わず頷いた。あの世界では、目的のためにソウルを求めるあまり、気付けば目的と手段が入れ替わる者達がいたのだ。

 私も、時折そうなりかけた事がある。使命を果たすために恐ろしい相手を倒してソウルを手に入れていたのが、気付けばいつしか、そのソウルを得る事を楽しみだと考えるようになっていたのだから。

 

「そうですね。魔物とはいえこの世に生を受けた命あるもの。それをただ徒に殺しては、私達の方こそ魔物になります」

「そう、だな。その通りだと私も思う。ただ目的なく殺すは、人にあらず」

「じゃ、人であるために目標を定めるわね。一つは勇者の装備よ。せめてどうのつるぎやかわのよろいぐらいは持って欲しいわ」

「私は今のままでも」

「いけません。勇者様の装備は先程私に盾をくれた事で心もとなくなりましたから」

 

 普段よりもいささか強い口調でステラが私を嗜めてくる。フォンも同意見なのか無言で頷いていた。どうやら思った以上に盾を手放した事は大きな意味を持ってしまったようだ。

 だが、この世界での戦いは盾受けをするよりも回避する方が多く、またその方が戦い易いように感じているのだ。

 あの世界では、強敵だけでなく我を失った不死からさえも攻撃が当たれば死に繋がり易かった。対してここはそうでもない事が多い。

 特に一撃の重さに関しては比べるまでもなく魔物達の方が低いと感じている。そう、故に王は私へ盾ではなく鎧を与えたのだろう。

 

「だから、最優先は勇者の鎧や武器。欲を言えばここで売ってるくさりがまが欲しいけど……」

「高いですもんね、くさりがま」

 

 店で聞いた価格が甦る。たしか320Gだったか。あまりにもな大金だ。”どうのつるぎ”が三本、”けいこぎ”なら四つも買えてしまう。

 

「とにかく、今は資金を貯めてレベルを上げましょ。この辺りの魔物なら、例え奇襲されても危なげなく対処出来るぐらいに」

「分かった。たしかにそれぐらいの目安は必要だ」

 

 フォンの挙げてくれた例えは私には分かり易いものだった。それにしても奇襲、か。そういう意味で思い出すのはあの深淵の監視者との戦いか。

 

 あのファランの城塞での戦いは最初こそ一対一なのだが、途中からもう一体現れて共に私へ迫ってきた。そこから更にもう一体赤い目をした者が召喚され、それは私だけでなく最初からいた者達へも攻撃するという存在だった。

 その事に気付いた私は、赤い目の騎士が召喚されるまで凌ぎ、その赤い目が元からいた者達を攻撃するのを見届けてから反撃に出るようになった。

 

 ただ、最初はその事に気付かず、急に背後から斬られた時は何事かと思ったものだ。まさか三体目の召喚があるとは予想外だったな。

 

「それでフォン、先程まず一つと言ったと言う事はまだ定めるべき目標があるのだろう?」

「ええ。もう一つは最初に言ったレベルで判断する」

「あの、フォンさん? 多分ですけど勇者様はレベルについてご存じないのでは?」

「……そうなの?」

 

 こちらを見て目を丸くするフォンへ私は静かに頷くしかなかった。ただ、知らぬとは言え大体予想はついている。あの世界で火防女にやってもらっていた事に近いのだろうと。

 あちらではソウルを必要としたが、こちらでは何か別の物を必要とするのだ。もしや、それがGなのだろうか? いや、それにしては別段力のような物を感じたりはしなかった。では、一体……?

 

「やっぱり。ほら、思い出してくださいフォンさん。あの酒場で勇者様はこう言っていました。一人でレーベまで行って帰ってこれるぐらいにはしたと。レベルの事を知っているならそれを口にすればいいだけです」

「あー、成程ね。ん? てことは、勇者ってレベルいくつなのかしら?」

「教会でお告げを聞きましょう。それと、旅路の無事を祈っておきたいです。思えば、昨日は疲れて行く事を忘れていましたし」

「そうね。勇者もそれでいい?」

「ああ、構わない」

 

 こうして私達は村の教会へと足を運んだ。そして神父より神のお告げを聞く事となった。その結果、私のレベルは理解しがたいものと分かった。

 

「「レベルが二つある?」」

「あ、ああ。神父殿が言うには、私のレベルは4と2だそうだ」

 

 こちらを不思議そうに見つめる二人へ、私は聞いた事をそのまま告げた。神父殿も困惑しきりだったのをよく覚えている。こんな事は初めてだと、そう言って首を傾げていたのだから。

 それは目の前の二人も同様らしく、揃って首を傾げている。だが、私はおぼろげではあるがその理由に見当を付けていた。

 

 要は、アルスの体のレベルと私の魂のレベルではないかと。このアルスの体を動かしているのは火の無い灰である私だ。そのため、レベルという概念が体と魂双方に働き、二つのレベルが聞こえるという事になったのではないかと私は思う。

 

「う~ん……ま、いいわ。最低でも2なのよね? もしそれであれなら頼もしいし、もし4だとすれば十分よ。ステラ、あんたは?」

「私は5でした」

「そっか。あたしは6。こうなると、誰かが一つレベルを上げるかを目標にしましょうか」

「分かった。で、どうすればレベルは上がる?」

「ゆ、勇者様、それは察してください」

「いいのよ。勇者、魔物を倒していればその内上がるの。多分だけど、勇者は一人でここまで来てアリアハンへ戻ったんでしょ? その途中で魔物達を倒したからレベルが上がってたんだと思うわ」

 

 それを聞いた時、私は思わず愕然とした。この世界では、ソウルがないだけであの世界と同じ事をしていれば強くなるのかと、そう気付いてしまったからだ。

 もしや、ここは闇の時代となったあの世界の遠い未来なのだろうか? あるいは火継ぎとは別の、世界を照らす手段を見つけ出した世界なのかもしれない。

 

 もし、仮にそうならば、私がここへ召喚された意味が分かる。この世界を旅し、魔王を打ち倒してルビス様を御救いする事で、この世界を照らす光のもたらし方を知れるからではないか、と。

 

「……フォン、ステラ、こうしてはいられない。早く村の外へ出て目標を達成するべく行動しよう」

「勇者様? どうかしましたか?」

「どうか、とは?」

「急に顔つきが変わったのよ。何て言うの、やりがいとか生き甲斐が見つかったみたい」

 

 フォンの言葉に私は思わず笑ってしまった。そうか。そこまで顔に出ているのかと。何せ、アルスとしてだけではなく私としても、この世界を魔王の脅威から守り抜かねばと思う理由が出来たのだ。

 

「ああ、そうだ。今、私は生き甲斐を見つけられたのだと思う。いや、気付けたのだ。フォン、ステラ、二人に感謝を。二人とこうして出会い、話をする事がなければ、きっと私はこの事に気付く事は出来なかった」

「な、何よ。大げさね……」

「そ、そうですよ勇者様」

 

 何故か二人揃って顔を赤らめているが、今の私の言葉が聞いていて恥ずかしさを感じるものなのだろうか?

 少し客観的になって考えれば、十六の少年が村とはいえ人通りのある場所で、大仰に生き甲斐に気付いたと言っているのだ。たしかに恥ずかしさを覚えるかもしれん。

 

「いや、すまない。だが、それぐらい私にとっては天啓にも等しい気付きだった。それを得られたのは、二人のおかげだ。それだけは分かってくれると嬉しい」

「っ! はいはい! じゃ、ステラ、行きましょ!」

「あっ! はいっ!」

 

 こちらへ背を向けて慌てるように動き出すフォンとステラを見つめ、私は困惑するしかなかった。今の言葉は別段聞かれても恥ずかしくないと思うのだが……?

 ともあれ、置いて行かれるのは困る。私もその後を急ぎ追い駆けて隊列を組んだ。私を先頭として、村の外で魔物達と戦う事およそ半日、ステラの魔力(FP)が尽きたところで今日は撤収となった。

 

 宿の部屋は当然二部屋。ただ、食事は一部屋で行った方が色々と都合がいいため、私に割り当てられた部屋に集まる事になっている。

 

「やっぱりおおがらすが面倒よね」

「ドラキーもです。催眠呪文(ラリホー)は分かっていても厄介ですから」

「たしかに、ステラはよくかかっていたな」

「勇者様ぁ」

「あははっ、ホントホント。よく眠りこけてくれたもん」

「フォンさんまでぇ」

 

 食事を終えたところで今日の戦闘を振り返っての会話。これも、私には新鮮な時間だ。これまで誰かとその日あった事や経験した事などを語り合うなど、する事も無ければ必要もなかった。

 本来であれば、魔物との戦いは命がけでありこのように笑い話にしてはいけないのかもしれない。だけれども、今を生き残る事が出来たからこそそう出来るとなれば、むしろ笑い話にしてしまわねばいけないのかもしれないとも思う。

 

 私は、上手く笑えているだろうか? 不死の頃は感情などほぼ死んでいたようなものだった上、顔を晒す事も避けていた。このアルスの体となって、幾分か人らしいものが戻ってきてはいると思う。

 だが、それでもステラやフォンのようには、いやこの世界にいる者達には到底及ばないと感じているのだ。

 

「でも、正直ドラキーとおおがらすが揃って出てきた時は焦ったよ。不意打ちを防げたのは良かったけど、下手をしたら全滅してたかもしれない組み合わせだった」

「私も同感だ。もしあそこにバブルスライムがいたら、きっとその最悪の結末が待っていたはずだ」

 

 ステラが呪文で眠らされ、私が彼女を守りながら戦う事を余儀なくされた時は久しぶりに死を覚悟したぐらいだ。

 

「毒、か。一応どくけしそうも買っておく?」

「それがいいかもしれません。僧侶の覚えられる呪文に解毒呪文(キアリー)がありますが、私はまだ習得出来そうにありませんので」

「そっか。勇者、明日また道具屋に行きましょ。やくそうも今日でお互い使っちゃったし、補充もした方がいいじゃない?」

「そうだな。それと、ここでの滞在は明日までにしたい。明後日にはアリアハンへ戻り、酒場を訪ねようと思う」

 

 私の提案に二人も迷う事無く頷いてくれた。目標に届いたとかではない。今日の戦闘で分かったのだ。今のままではこの辺りの魔物が勢揃いしただけで全滅の可能性が高いと。

 そのためには人数を増やすだけでなく空の敵への対応が出来る者が必要だ。その両方を満たす魔法使いを仲間に迎え入れたい。そう二人も考えてくれているのだ。

 

「なら、アリアハンへ行く前にかわのよろいを手に入れておきませんか? 明日次第ですが、上手くすればそれとどうのつるぎを揃えられるかもしれません」

「そうね。勇者、パーティーの顔はあんたなんだし、いいわよね?」

「ああ、異論はない。いつまでも勇者がこんぼうでは格好もつかないだろうしな」

 

 その瞬間、二人が吹き出すようにして笑った。その顔が、とても可憐で綺麗だと感じられた。そして同時に思うのだ。彼女達は、魔王さえいなければ今も冒険者などにならず、可憐な乙女として故郷で平和に暮らしていたかもしれないと。

 

 そう思えば、魔王を倒さねばという気持ちも強くなるというもの。ステラやフォンもきっと今の私に近い思いを抱いて冒険者となったのではないだろうか。

 

 私がそんな事を考えながら二人を見ていると、彼女達もこちらが見ている事に気付いて視線を向けてきた。

 

「勇者、どうしたの? あたし達の顔に何かついてる?」

「それとも気になる事でも?」

「ん? ああ、いや、そうではないんだ。ただ、笑う二人がとても可憐で綺麗だと思った」

「「っ?!」」

 

 問いかけに答えた途端、二人が頬を赤めて目を見開いた。それがどうしてか分からぬ私へ、二人は少しだけ黙っていたかと思うと、揃ってため息を吐く。何なのだろうか?

 

「ステラ、もしかして勇者ってさ」

「何も言わずとも分かります。きっとそうです」

「二人共? 一体何の話だろうか? 私に何か至らぬ点でもあったのだろうか?」

「「そういうところ(です)」」

 

 返された言葉に首を傾げるしかない。

 

 この後、二人へ詳しい説明を求めても答えてくれなかった。フォンはおろかステラさえも、てがかりさえくれずに揃って割り当ての部屋へと戻っていったのだ。

 一人部屋に残された私はこう思うよりなかった。女心とは難しいものなのだな、と。そしてこうも痛感する。不死でない生身の者達は、何と精気に満ち感情豊かであるのかと。

 

―――私には、まだあのように心を動かす事は出来ないかもしれない……。

 

 

 

 もしかすれば、昨夜の懸念は予感だったのかもしれない。あるいは、知らず知らずの内に災いを呼び寄せていたのかもしれない。

 

 翌朝、道具屋にて”やくそう”と”どくけしそう”を買い足した私達は、昨日と同じく村の外で魔物を相手に戦闘を行っていた。

 そんな時だ。私達の前に魔物の群れが現れたのは。それも、同一種の群れではなく種々様々な魔物の群れだ。バブルスライムとおおがらすが一匹にドラキーが二匹、更にいっかくうさぎまでもいる計五匹の群れ。

 

「勇者、どうする?」

 

 魔物達を警戒しながらフォンが小さな声で問いかけてくる。ステラも私の背で盾を構えながら魔物達の様子を窺っていた。

 

「逃げるべきだが、下手をすれば挟撃の形になりかねない」

「ちっ、そういう事ね」

 

 おおがらすは仲間を呼べる上に飛行が可能だ。となれば、逃げだしても回り込まれる可能性が高い。

 

「で、では、どうしますか?」

「……フォン、ドラキーを頼めるか? 私は残りの注意を惹き付ける。ステラは村へ逃げてくれ。それで魔物が追ってくれれば、今度は逆にフォンがその魔物を追い駆けて欲しい」

「に、逃げる、のですか?」

「……成程ね。あたしと勇者で足止めして、ステラを逃がす。で、それを魔物が追い駆ければ戦力が分散されて倒し易くなる、か」

「ああ。数の有利が崩せないのは不味い。なら、攻撃力に劣るステラには身の安全を確保すると同時に囮もやってもらいたいのだ。頼めるか?」

「……はい、分かりました」

 

 凛々しい表情で頷くステラへ小さく頷き返し、私はフォンへ目を配る。それに気付いて彼女も目を合わせて小さく頷いた。

 

「ステラ、走れっ!」

「はいっ!」

「はあぁぁぁぁっ!」

 

 私の声と同時にステラが走り出しフォンがドラキーへ向かって跳んだ。それを邪魔しようとするいっかくうさぎへ私は立ちはだかり、手にしていた”こんぼう”で叩き落した。

 

「ぐっ」

 

 ただ、無傷とはいかず右わき腹に傷を作ってしまったが。それでもその一撃でいっかくうさぎは倒れ、何枚かのGが出現する。

 

「っ!? フォンっ! 大丈夫か!」

 

 いつの間にか近くにいたバブルスライムのブレスを回避し、私はフォンへ意識を向けつつ周囲の警戒を続けた。フォンはドラキーを一匹仕留めた割に、どこか悔しげに拳を握りしめていた。

 

「大丈夫、とは言い難いね。これじゃあたしも、ステラの事笑えないかも……」

 

 返ってくる声に普段のような力強さがない事に気付き、私はまさかと思って息を呑む。

 

「眠りの魔術を受けたかっ!?」

「……何とか眠る事は避けられてるけど、正直意識が朦朧としてきてる」

 

 やはりか! そうは思うも今の私には何も出来ない。バブルスライムを牽制しつつ残るドラキーへも注意を払わねばならないからだ。

 と、そこで気付いた。おおがらすの姿がない。ハッとして村の方へ目をやれば、ステラを追うように飛ぶ黒い影が見えた。

 

「フォンっ! しっかりっしろ! 私の声が聞こえるのならぁ! ステラの後を追ってくれっ! おおがらすが狙って……いるっ!」

 

 バブルスライムの攻撃をかわし、ドラキーのラリホーを警戒しながら私は大声で叫ぶ。フォンの体がフラフラとしているからだ。

 ドラキーも今はフォンよりも私を狙うべきと判断したのだろう。フォンを放置し私を襲ってくる。ラリホーは使ってきていないが、おそらくここぞというところで使うつもりなのだろう。

 あれが、ドラキーにとっての切り札なのだ。

 

「仕方ないっ!」

 

 後で怒られるだろうが、今はそれしか手が無い。そう思い、私はローリングで回避しつつ移動し、いっかくうさぎを倒した場所へと戻り、そこに落ちていたGを一枚拾ってフォンへと投げた。

 Gはフォンの体へと吸い込まれるように向かい、その脇を直撃した。これなら……。

 

「ったあっ! もうっ! 何すんのよっ!」

「意識が戻ったか! 文句や不満は後でいくらでも聞こう! ここを頼むっ!」

「言ったわねっ! 後で覚えてなさいっ!」

 

 ステラを追い駆けてもらおうと思ったが、寝起きに近いフォンより私の方がいいと思って走り出す。

 その瞬間、傷を負った箇所が痛むが、構うものかと足を動かす。すると私を追い駆けるようにバブルスライムとドラキーが動いたようだが、それを阻む者が今はいる。

 

「行かせないわよっ! さっきのお返し、させてもらうんだからぁ!」

 

 私は背後から聞こえた声に感謝し、遠くに見えるステラの背を追った。おおがらすはどうも仲間を呼ぶ暇がないようで、ステラを攻撃する事に集中している。

 ステラもその攻撃を何とか避けながら村を目指して走っているが、その速度は当然落ちていた。だが村はもう目の前だ。これなら何とかなる。そう思って私は痛みを堪えて走り続けた。

 

 その時だった。見つめていた背が、ゆっくりと倒れていったのは。

 

「っ?! ステラっ!」

 

 村が近くなった事で気が緩んだのか、ステラが転んでしまったのだ。その隙を見逃す魔物ではない。これまでの威嚇に近い落下攻撃ではなく、本気の突撃をしかけようと若干だが高度を上げたのだ。

 ステラは慌てて立ち上がろうとするが、それが足をもつれさせて手間取っている。このままでは不味い。そう思った私は咄嗟に”こんぼう”を投げつける事にした。

 当てようと思っての事ではなく、時間を稼ぐための行動だ。おおがらすは私の投げた”こんぼう”に気付き、突撃を途中で止めて回避した。

 

 だが、その僅かな間で私は何とかステラの傍へと間に合ったのだ。無理矢理速度を落として止まったためか、傷口が大きく痛んだが。

 

「ぐっ……す、ステラ……っ。大丈夫か?」

「ゆ、勇者様……」

「無事の、ようだな……っ!」

「はいっ!」

 

 怯えすくんだようなステラへ私は何か気の利いた事を言う事は出来ず、ただ無事を確認する事しか出来なかった。それでもステラには十分だったのだろう。泣きそうな顔ではあるが笑ってくれたのだ。

 痛みに呻く顔を見せないようにした事もあってか、ステラは私の傷には気付かないでくれた。

 平時であれば癒しを頼むところだが、今の彼女は恐怖で余裕がないだろう。ならば、今は余計な不安の種を知られぬ方がいい。

 おそらく漏らす息や声は走ったためと思ってくれているはずだ。

 

「それは……っ良かった。ただ……」

 

 手元に武器はなく、未だにおおがらすはこちらを攻撃しようと上空で睨みつけてくる。”こんぼう”は……とてもではないがすぐに届く距離にはない。

 万事休す、か。それでも、ステラを殺される訳にはいかない。例え無手でも勇者の名に賭けて、ステラを、生ある人を守ってみせよう。

 

「ステラ、立てるな? ここは私に任せて村へ行け」

「っ!? でもっ!」

「頼む。私一人であれば、何とかなる。ただ、ステラがいると今の私では守り切れるか分からないのだ」

 

 見ればフォンも苦戦している。顔色が悪いので毒にやられたのだろう。おそらくだがドラキーのラリホーを警戒して、バブルスライムのブレスにやられてしまったのだ。

 

「……来るか」

 

 おおがらすは、どうやら私が武器を取りに行くところを狙おうとしていたらしい。こちらが動かないと判断するや、再び突撃をしようと高度を上げたのだ。

 

「勇者様、これをお使いください」

 

 その声と共に私の手に握らされたのは、二つの装備だった。”ひのきのぼう”と”かわのたて”である。

 

「ステラ、これは……」

「今の私には必要ないものです。でも、今の勇者様には必要かと。それに癒しも」

「……貴女に感謝を」

 

 私の言葉へ返ってきた優しい声と、温かな感覚。傷口へ白くて綺麗な手が添えられ、淡い光がそこを癒していくのが分かる。

 それと共に体中に力がみなぎるような感じがしてきた。今の私ならば負けぬと、そう確信出来るような何かが。

 

「勇者様、私は逃げません。ここで勇者様と共に戦います」

「そうか。それは頼もしいな」

 

 勢いを付けて向かって来るおおがらすを見つめ、私は意識を集中する。迫り来る魔物を突き出される槍と思って。

 

「勇者様っ!」

「っ!」

 

 おおがらすの嘴が私に迫った瞬間、無意識に左手が動く。盾が嘴を弾いておおがらすの体勢を大きく崩した。すると、その動きがゆっくりに見える。

 これは、あの世界でも何度かあった感覚だ。そう、これは相手から致命を取れる時にだけなる、あの感覚だ……っ!

 

「……へ?」

 

 ステラの声で私は我に返った。視線の先では、おおがらすの体へ私は右手に持った”ひのきのぼう”を突き刺していたのだ。その光景を認識すると同時にその体が消えてGとなる。

 

「い、今のは……」

「ステラ、これをもう少し貸して欲しい。フォンを助けたいのだ」

「え? あっ、はい、どうぞ」

「感謝する。それと、私に付いて来て欲しい。フォンにも、癒しが必要だ」

「っ! はいっ!」

 

 そうして私はフォンの救援に間に合い、ドラキーとバブルスライムを倒して何とか命を繋いだ。ちなみに”こんぼう”はステラが拾って届けてくれた。まぁ、それを持って来たところで転び、逃げようとしたバブルスライムを倒したのは驚いたものだったが。

 

 そのすぐ後、フォンは”どくけしそう”で解毒し、ステラのホイミで体力を回復してもらった。地味に辛かったのがG拾いだった。

 何せおおがらすは村近くで倒していたし、他の魔物もあちこちで倒していたため意外に手間取ったのだ。そうして三人揃って無事に村へと帰還し、疲れを癒すべく宿へと向かい部屋を二つ確保してこの日は終わる。

 

 と、思っていたのだ、私は。

 

「さてと、無事に宿に戻ってこれたところでぇ……」

 

 宿の一室で、私は床に座らされていた。目の前にはフォンが腕組みをして立っていて、ステラはベッドに座ってこちらを苦笑いしながら見つめている。

 

「非常事態だったのは分かる。だけどね、だからって乙女の体へG投げつける? ていうか、勇者! あんた、困ったら投擲する癖止めなさいっ! 今日なんてGだけじゃなくこんぼうまで投げたって言うじゃないっ!」

「それは」

「言い訳無用っ! 最後の戦いで拾ったGで一番見つかり難かったの、どれか忘れてないでしょうね?」

「…………私が飛んで逃げようとしたドラキーへ投げたGだ」

「そうよっ! あれがドラキーを貫いて行ったもんだから大変だったのなんのって」

「だから1Gぐらい捨て置こうと」

「甘いっ! 1Gを笑う者は1Gに泣くのよ! 大体ね……」

 

 そこから続くフォンの説教。私は反論も許されないまま、それを黙って聞くしかなかった。そんな私を、ステラはどこか子供を見るかのように見つめ、優しく微笑んでいた……。




大量のソウルを失う経験をしていた勇者にとって、Gを失う事など痛くもかゆくもない事。
だから、彼にとってGとは敵が落とす通貨にして投擲アイテム。銭投げ勇者の誕生である。


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穏やかな時間の後で

どくけしそう

一部の猛毒を除いて解毒出来る薬効を持つ植物。
噛むと独特の苦みがあり、その一口だけでも弱い毒なら治してしまう。
やくそうと揃って用いる事で回復呪文と解毒呪文の併用よりも高い効果を発揮するらしいが、今や知る者はない。

悟りを開いた真に賢き者だけがそれを知る事があると言われているが……。


「どうだろうか?」

 

 あの思い出したくもない時間が終わり、目覚めた私はステラやフォンと共に朝食を食べ、装備を整えるべく店へ来ていた。

 そしてあの最後の戦いの甲斐もあり、遂に私は”どうのつるぎ”と”かわのよろい”という勇者らしく見える格好になる事が出来た。

 

「うん、似合ってるわ。やっぱり勇者って言えば剣よね」

「はい。勇者様はどうですか?」

「それは、動いてみなければ何とも言えないな」

 

 装備した感じでは問題ないように思える。だが、あくまでも装備した時点で、だ。これで戦闘や行動をしてみなければ何とも言えないのが本音である。

 

「そう言うと思った。なら、アリアハンへの道中で確かめて」

「いきなり実戦は困るのだが……」

「なら、村のすぐ外で軽く動いてみるのはどうでしょう?」

「いや、出来れば村の中で確認を……」

「「出来るだけ早く村を発とうと言ったのは勇者(様)じゃない(ですか)」」

 

 揃って笑顔を向けてくる二人に、私は何も言えなくなる。そう、実は今、二人は怒っているようなのだ。それも、そうした原因は私にある。

 

 話は朝食時まで遡る。宿の一室で朝食を取りながら今日の事を相談していた時の事だ。

 

「そういえば、仲間をもう一人加えるとして、男性がいいか女性がいいか希望はあるだろうか?」

 

 今にして思えば、私がそう問いかけた事が全ての始まりだった。

 そう告げると、フォンとステラはまさかそんな事を聞かれると思っていなかったらしく、揃って虚を突かれたような表情を見せたのだ。

 

「いや、二人は女性だろう。故に男性であれば、色々と気にする事も増えるかもしれないと思ったのだ」

「ああ、そういう事ですか。ご心配なく。もし下心を持つ方ならばそれ相応の対応をさせていただくまでですので」

「あたしも。にしても、言われて思い出したわ。男の魔法使いは基本老人が多いのよ。若いのもいるけど、どうしても即戦力となると……」

 

 そう言って苦い顔をするフォン。老人、か。それは確かに不安要素だ。いくら後方から魔術を使うにしても、いざと言う時は自分で身を守らなければならない。

 例えば、昨日の最後の戦いなら、ステラだったから逃げて囮になってもらう事が出来たが、あれが老人であればそれは難しいのだ。

 

 若者であれば体力面で問題はなさそうだが、逆に魔術の方が未熟という事か。

 

「呪文の威力はかしこさに比例しますからね。どうしても魔法使いは年齢を重ねた方が重用される傾向ですし」

「そうなのか?」

「そうよ。王家に仕える宮廷魔導師なんて、ほとんどお爺さんなんだから」

「稀にお若い方もいるそうですが……」

 

 何故かステラが苦い顔をする。見ればフォンも似た顔をしていた。

 

「何かあるのか?」

「「若いと御付きの女性を御手付きするらしいの(です)」」

 

 返ってきた言葉が私にはすぐ理解出来なかった。が、少ししてやっと意味が理解出来た。要するにいかがわしい事をするのだろう。

 成程、若ければ煩悩に負け、老いれば体力に負けると言う事か。これはもしかすればどの人間にも言える事なのかもしれない。

 

「だが、それは王家のお抱えの話なのだろう? 冒険者の方はどうなのだ?」

「冒険者としての魔法使いは……」

「ルイーダさんのお店に登録していた方達は、お年を召した方が一人とお若い方が二人程でした」

「ただ、若い方の一人はあの時下品な笑いを上げてたわ。だから、実質二人しかいないわね」

 

 フォンがさらりと告げた言葉に、ステラがあの時の事を思い出したのか少しだけ苛立つような顔を見せた。どうやら彼女の中では、まだあの夜の事は許せない事らしい。

 

「なら、その残った若い魔法使いに賭けるしかないな」

「あ、でも、私達が酒場を出た後で登録に来ている方がいないとも限りません」

「どうかしら? あの厄介な連中の事だし、今頃もうアリアハンを出て、勇者は女二人を仲間にしてスケベしてるぞとか言いふらしてるかも」

「す、スケベって……」

 

 何やら恥ずかしそうにこちらを見やるステラだが、私は生憎すけべとの意味が分からない。しているぞと表現するからには、何らかの行動なのだろうが……?

 

「すまないが教えて欲しい事がある」

「「スケベの意味なら察して(ください)」」

「……分かった」

 

 二人揃って目を吊り上げてきたので、私はそこで質問を飲み込む事にした。おそらくあまり良い意味ではないのだろうとは分かったために。

 と、そこで思い出した。あの酒場であの男が口にしていた言葉を。おそらくすけべとはあの時の事を指すのだろう。

 

 ただ、もしそうだとすれば少々見過ごせない話になる。

 

「二人共、もし先程の話が現実だった場合、どうする?」

「え? さっきの話って……」

「ああ、あいつらが勝手に嘘を言いふらすってやつ?」

「そうだ。私は構わないが二人は困るだろう。こんな子供とそういう関係と思われるのは」

 

 そう言うと二人は目を素早く瞬きさせると互いを見る。何だろう? 私の言葉におかしな点はなかったと思うが……。

 

「あの、勇者様はそういう話を平然と話されますけど、恥ずかしいとかはないんですか?」

「恥ずかしい? 何故だ?」

「うぇっ?! え、ええっと……」

「あたしを見るなっての」

 

 ステラに縋るような眼差しを向けられ、フォンが面倒だと言わんばかりの顔をした。が、若干の間の後その顔がステラから私へと向けられる。

 

「ったく、勇者? あんた、デリカシーってもの知らないの?」

「でりかしー……?」

 

 聞き覚えのない言葉だ。そう思って首を傾げると、フォンは大きくため息を吐き、ステラが信じられないと言う顔をした。

 

「ゆ、勇者様……さすがにそれは……」

「もしかして勇者って、魔王を倒すために全ての時間を鍛錬だけに注いでいたのかしら?」

 

 何故か憐みを含んだ表情を私へ向けるフォン。ステラはそんな彼女の言葉に小さく驚き、確認をするように私を見つめてくる。

 

 魔王を倒すために鍛錬に励む、か。アルスがどう過ごしていたかは私には分からない。ただ、おそらく今の私のようではなかったはずだ。

 でりかしー、というものを彼なら知っているか分かっていたはずだ。やはり私では彼らしくはなれないのだろうな。

 

「いや、そんな事はない。ただ、父のようになりたいと思っていた事は事実だ。フォン、ステラ、私はどうも他者の心情を察する事が苦手のようだ。昔、ある騎士に助けてもらった事があるのだが、その騎士が何を思い秘めていたのかを私は察する事が出来なかった。少なくない時間を共に過ごしたのに、だ」

 

 今も思い出せる。先に行ってくれと言われ、ならばと部屋を出た後で微かに何か聞こえたあの時の事を。刃で何かを斬る音と気付いて、慌てて戻って見た光景を。

 部屋の奥、彼が座っていた位置に残されたその装備を見た時、私は己の愚かさを噛み締めたのだ。太陽のようだと思っていた彼も、所詮同じ不死だったのだと。その内に闇を抱えていないはずがなかったのだと。

 

「騎士……ね。何か、あったんだ?」

「ああ。その騎士は古き友との約束を果たすために旅をしていたそうだ。その友は、いずれ自分がアンデッドとなってしまうと言っていたらしく、そうなった時はその騎士の手で無に還して欲しいと。その約束を果たした時、彼は私に先にその場を離れるように告げた。それに私は何も思わずその場を離れて……」

 

 どう言ったものかと、そう思った時ステラが口元を手で隠した。

 

「まさか、自害されたのですか?」

「……そっか。その騎士にとって約束を果たす事が生きる意味だった。それを果たした後、友の後を追ったって事ね」

 

 私が静かに頷くとステラが無言で十字を切って祈る。フォンも悲痛な表情を浮かべていた。

 その姿が私には驚きだった。あの世界では、他者の死を、それも不死の死を悼む者などほとんどいなかった。

 だが、この世界は違うのだ。誰もが誰かの死を悼み、悲しみ、祈るのだ。きっと、あの世界でも火が陰る前はそうだったように。

 

 しばらく室内に沈黙が訪れる。ただ、私は二人の気持ちが嬉しく思えた。きっとあのカタリナの騎士もあの大らかな声で笑ってくれているだろう。

 そして、こう言って盃を掲げているはずだ。二人の心優しい乙女に太陽あれ、と。

 

 だが、ここで私は気付くべきだったのだ。こんな話をすればどうなるのかを。

 

「ところで、勇者様はその騎士とどう知り合ったのですか?」

 

 その質問に対して、私は上手く答える事が出来ないと思い、必死にはぐらかしたのだ。詳しい話はしないと騎士と約束した、と。

 それでも出会いぐらいはいいだろうとフォンに詰め寄られ、いつ頃の事か程度は教えてくれてもとステラにねだられ、約束したの一点張りでそれらを退けた結果、今に至るのだ。

 

 さすがにあの世界での出来事を詳しく話す訳にはいかない。今回はつい納得してもらう理由として使ってしまったが、もう二度としないようにと心に誓う。

 私は村を出ようと先を歩く二人を見ながらそう強く決意していた。そして、二人の怒りを解くために少し急ぎ足で前へと出た。

 

「ステラ、フォン、すまない。二人を信じると言っておきながら、あのように露骨な態度を取っては信を失うのも当然だと思う。その分、ここからアリアハンまでの行動でそれを少しでも取り戻そう。どうかそれで許して欲しい」

 

 言い終わると一礼して二人へ誠意を示す。しばしそうしていると、やがて頭上からクスクスと笑う声が聞こえてきた。

 

「勇者様、頭を上げてください」

「……許して、もらえるのだろうか?」

「クスッ、ええ。やっぱり勇者って不思議ね。朝みたいに人間味が希薄な事もあれば、今みたいに人間味溢れる時もある。どっちが本当の勇者なのかしらね」

 

 思わず息を呑む。フォンの観察眼は鋭い。おそらく前者が本来の私だ。後者は、アルスらしくあろうとする私、だろう。

 

「どっちも勇者様ですよ、フォンさん。人は様々な面を持つものです。勇者様も人間なのですから色々な顔を持っています」

「ステラ……」

 

 微笑みながらそう断言したステラに、私は内心でそっと感謝を捧げる。本当に彼女は慈愛に満ちている。神に仕える身だからだろうか?

 

「ま、そうね。勇者、もう気にしないでいいわ。人間、人に言えない事の一つや二つあるもんだし」

「はい、そうです。では、行きましょう。勇者様、先頭をお願いしますね」

「ああ」

 

 やっと二人が普段の二人へ戻った。それが嬉しく思え、私は頷いて二人へ背を向けて歩き出す。この背を預ける事が出来る、大切な仲間達を守るために……。

 

 

 

 二度目のアリアハンへの旅路はあっさりと終わった。道中で現れる魔物達を、今の私は容易く蹴散らせるようになったからだ。

 ”かわのよろい”の防御力を頼りに、多少強引に”どうのつるぎ”で攻撃する事が可能になったためだ。それに攻撃力が上がった事もあり、全ての魔物を一撃で倒せるようになったのも大きい。

 

 それによって三人でレーベへ向かった時よりも圧倒的に早くアリアハンへ戻る事が出来た。

 

「もう着いてしまいましたね」

「ホントね。お昼を過ぎると思ってたんだけど」

「まだ昼まで時間があるな。ならまず酒場へ向かい、新しく魔法使いが登録されたかどうかだけでも聞いてみよう」

「「はい(ええ)」」

 

 こうして私達はルイーダの酒場へと向かった。案の定酒場は開いていたものの冒険者達はみな留守にしており、いつかのように女主人がいるだけであった。

 そして、そこで私達は信じられない事を知る。

 

「「「全員登録解除?」」」

「そ。ま、あたしなりにあの時の事へ対処したってとこさね。若いのに立派な志を見せたアルスを、よりにもよって年長の男共が嘲笑ったようなもんだ。ったく、男ならそこで意気を感じて立ち上がるのがスジってもんだろ」

 

 どうやら女主人としてはあの男達の態度は許せないものだったらしい。ステラが同意するように頷いているし、フォンでさえ無言で何度も首を縦に振っていた。

 

「で、笑った奴らは勿論、あの時何も言えない出来ない奴も登録解除してやったのさ。まぁ、それから登録に現れた奴もいるけど、魔法使いはねぇ……」

 

 最後には渋い顔をする女主人に私は理解する。いないのだろう、新しく登録された者の中に魔法使いは。

 

「分かりました。ステラ、フォン、行こう。もうここでするべき事はない」

「待ちな。アルス、あんたこれからどうするんだい?」

 

 店を後にしようとした私へ女主人はそう問いかけてきた。これから、か。城下やレーベで聞いた話から向かうべき場所はある。ただ、そこへ行くには魔法使いが必要不可欠と思っていたのだ。

 

「ナジミの塔へ行こうと思っています。そこに旅を進める上で必要なものがあるそうなので」

「ナジミの塔ねぇ。つまり、そこへ行くには魔法使いがいるんだろ? 何せ、向かうならレーベからの方が近いしね」

「そうなのですか?」

「おや、知らなかったのかい? レーベから南東に行ったところに近道というか裏道があるのさ」

 

 思わぬ情報だ。これだけでもここに来た価値がある。私達は西にあるという洞窟からしか行けないと思っていたからだ。

 だが、それでも戦力不足は変わらない。しかし魔法使いはいない。どうするべきかと、そう思っていると……

 

「いっそ戦士でも入れる?」

「戦士を?」

「盾になってもらうんですか?」

 

 私の疑問へステラが続けた言葉にフォンが頷く。成程。今は私が二人の盾役だ。それを、より強靭で逞しい戦士にやってもらおうと言う訳か。

 ただ、それでは空への対策にはならない。その辺りはどうなっているのかと思い、私はフォンへ視線を向ける。

 

「フォン、それでは」

「空飛ぶ魔物対策でしょ? 分かってるって。屈強な戦士ならあたしを担いで投げてもらえるわ。それで限定的だけど対策出来る」

「そ、そんな無茶苦茶な……」

「あっはっはっ! いいね、あんた達。さすがは勇者一行だよ。そんな風に魔物と戦うなんて聞いた事ないね。いや、実にいいよ」

 

 心から楽しげに笑い女主人は私達を見た。その顔はどこかアルスの母にも近いものがある。

 

「ふふっ、戦士なら二人ぐらい登録者がいるからまた夜に来な。それに、もしかしたらそれまでに魔法使いも登録に現れるかもしれないしね」

「分かりました。では、また後で」

「ありがと、ルイーダさん」

「失礼します」

 

 そうして店を出た私達は、夜までどう過ごすかを話し合う事にした。アルスの生家へ行く事も考えたが、今回は止めておくべきと思ったのだ。

 ないと思うが、ステラやフォンが今朝の話をアルスの母へ尋ねると困った事になるために。

 

 城へ向かう橋近くにある広場で腰を下ろし、私達は息を吐いた。

 

「さてと、どうする?」

「この近くではレベル上げも難しいでしょうし……」

「かと言って何かやるべき事がある訳ではない」

「そうなのよねぇ」

 

 私の言葉にそう返してフォンは大の字になった。ステラはそんな彼女に小さく笑っている。

 

「ふふっ、フォンさん? そうしてもいいですけど寝ないでくださいね?」

「……無理かも。お日様がポカポカしててあったかいし、風は気持ちいいし、お昼寝するには最高だもん」

「そうですね。本当に、今日もいい天気で平和です」

「平和、か。たしかにそうかもしれない。ここは、だろうが」

 

 今も世界のどこかに魔王がいて、その侵略に怯える者達がいる。未だ現れぬ勇者を待ちわびているだろう、人々が。

 

「勇者様……」

「ちょっとぉ、せっかく人が微睡んでる時にそんな事言わないでよ。それじゃ、まるであたしが悪者みたいじゃない」

「いや、そういう訳ではないんだ。ふと思ったのだ。魔王がいて侵略しているという、実感が感じられないなと」

 

 そう、魔王は既に現れて十年以上経過していると聞く。おそらくこの世界の者達が抵抗しているからだとは思うのだが、それにしても穏やか過ぎる気がする。

 もしや、魔王がその侵略を進められない理由でもあるのだろうか? あるいは、魔王は待っているのかもしれない。自分を倒しに来ようとする存在を。

 それを完膚なきまでに打ち破り、この世界に住む者達へ絶望を見せようとしているのではないだろうか?

 そうだ。人は心を折られる事で死ぬのだ。不死でさえそうであったのなら、正しく生きている者達がそうならぬ道理はない。

 

 読めた。魔王の狙いはこの世界から希望を失わせる事だ。この世界に生きる者達の生きる意志を、心をへし折ってしまう事だ。

 この光溢れる世界に、絶望と言う名の闇をもたらす事なのだ。

 

「あー、うん。それは思うわ。だけどね、それはこういう大きな城下町や都市だけ。辺境の村なんかは常に不安と隣り合わせよ」

「そうか……」

「はい。ロマリアやポルトガなどはその国力もあって魔物の侵攻に抵抗出来ますが、バラモスの居城に近い村はその侵攻によって滅んだと聞きます」

 

 つまりアリアハンはそういう意味では平和な方なのだ。いや、違うか。この国でさえもゆっくりと魔王の手が迫ってきているのだろう。

 この平和は偽りに等しく、故にそれが偽りとならぬ前にこの平穏を壊すものを討たねばならぬ。あの世界では、偽りの平和どころか平穏さえもなかった。

 もしそれがあの世界にあったのなら、あの祭祀場だけがそれだろうか。あの場所には、偽りの平穏があったように思える。

 

「ならば、私達はこの雰囲気をどこでも感じられるようにしなければならないのだな」

「……そうね」

「はい、そうしたいです」

「で、勇者? 夜までどうするか決まった?」

「そうだな……」

 

 フォンの明るい声に私は考える。と、そこで私の腹から音がした。すると二人が、一瞬瞬きしたかと思うと揃って笑い出した。その明るく楽しげな声に私も自然と笑みが浮かぶ。

 

「まずは食事にしよう。その後は、ここへ戻って昼寝でもしないか?」

「あははっ、勇者にしてはのんびりとした提案じゃない。うん、あたしはそれでいいわ。ステラは?」

「クスッ、私もそれで構いません。そんな時間は、またしばらく取れないでしょうから」

「決まったな。では早速」

 

 立ち上がって食事を取れる店へ行こうとした時だった。二つの可愛らしい音がしたのは。

 見ればフォンとステラが恥ずかしそうに俯いている。どうやら空腹だったのは私だけではないらしい。

 

「ははっ、体は正確で正直だな。昼時になったと私達へ教えてきたようだ」

「う~っ、恥ずかしいけどそうみたいね。そうとなればさっさと食事にしましょ」

「そ、そうですね。それにしても……ううっ、恥ずかしいです」

 

 微かに頬を赤らめて歩くフォンとステラに、私は小さく笑みを浮かべてしまう。あの音は私にとって生きていると、そう強く感じられる感覚なのだが、彼女達には恥じらいとなる事が不思議に思えて。

 だが、それが二人には違う意味合いに取られる事は何となく分かってきているので、私は顔を二人に向けず歩く。

 

 が、どうもそんな事は彼女達にはお見通しらしい。

 

「あ、勇者様? 今笑ってますよね?」

「そんな事はない」

「嘘だぁ。勇者、声が笑ってるわよ。ほら、正直に白状しなさい。今白状すれば正拳突きで許してあげる」

「あの、フォンさん? いくら何でもそれはちょっと。勇者様が倒れてしまいますし」

「いいじゃない。乙女の恥じらいを笑ったんだもの。それぐらい覚悟してもらうのよ。さっ、ちゃっちゃと吐く」

「分かった分かった。謝るからそれは許してくれ。お詫びになるかは分からないが、私が食べる食事から何でも一品持っていってくれて構わないから」

「中々いい心がけね。何を頼んでもらおうかしら」

「ふぉ、フォンさんってば……」

 

 嬉しそうに鼻歌混じりに歩き出すフォンを見つめ、私とステラが苦笑する。ああ、本当にいいものだ。これが平和か。これが命ある者のあるべき姿か。

 これを守れるのなら、私はどんな事でも成し遂げよう。そう強く思わせてくれる二人の乙女に、私は心の中で感謝を捧げる。本当に、私はいい仲間を持ったと。

 

 ちなみに、食事処でフォンから言われたのは何でもいいから肉を使ったものという注文だった。それに従い、店の者へ尋ねたところ薦められたのは”鶏の香草焼き”という物だったので、それに人数分のパンとスープを付けてもらう事にした。

 

―――ハーブが効いてて皮はパリパリ。うん、美味しいっ!

 

 こう言ってフォンは鶏を半身程食べた。残った半身を私はステラと分け合って食べ、中々贅沢な昼食となった事を記す。

 それにしても、食べるという行為は何故こんなにも胸を温めるのだろうか。腹を満たすと何とも言えない感覚になる。あの世界ではついぞ味わう事のなかった感覚だ。

 

 これは、何というのだろうか? 満足感に近いものなのだろうとは思うが、似ているようで違うとも感じている。この感覚は、何というのが正しいのだろう?

 そんな事を考えながら歩いていると私達は先程の広場へと戻ってきた。周囲には走り回る子供達や、長椅子に座り語り合う老夫婦などがいる。

 平和というのがどういうものかを、この光景は私に教えてくれていた。そして、これを守らなければいけないとも。

 

「はぁ~……お腹いっぱいだし、お日様も風も気持ちいいし、絶好のお昼寝日和ね」

「ふふっ、そうですね。こうして地面へ背中を預けて寝転がると、子供の頃を思い出します」

「ステラも子供の頃はフォンのようにわんぱくだったのか?」

 

 意外だ。そう思って言った一言に、フォンがごろんと体の向きを変えて私を軽く睨みつけてくる。

 

「何よ、その言い方は。どうせあたしはわんぱくだったわよ。今だって男勝りって言われるでしょうし?」

「だが、それがフォンだろう? 何故怒っている?」

 

 男勝りだろうとわんぱくだろうとフォンはフォンだ。私は別にわんぱくだった事を貶している訳ではないし、非難している訳でもない。

 

「ゆ、勇者様……」

 

 だが、どうやらステラの反応を見るにフォンはそう受け取ってはいないようだ。

 

「ふんっ! いいわよいいわよ。どーせあたしは可愛げのない暴力女だもの。わんぱくで、男勝りで、色気のない小娘よ~っだ」

「? いや、可愛げがない事はないだろう。ステラもフォンも乙女らしいところが多々見受けられるし、何より可憐だと私は思うのだが?」

「……ホント、勇者って分かんない。ね、勇者はあたしとステラをどう見てるの? 仲間として見てる? それとも女として見てる?」

 

 急に真剣な表情でこちらへ問いかけてくるフォンに、私は戸惑う事しか出来なかった。何せ私は二人の事を女性であり仲間と見ているからだ。どちらか一方として見る事など出来ない。

 ただ、何となくだがそう答えてはいけない予感がしていた。フォンがわざわざ真剣な表情で問いかけたのだ。これは、私も真剣になって答える必要があるだろう。

 

 ならば、答えは一つだ。

 

「二人は仲間である前に女性だ。故に、私は女性として見て扱っているつもりだ」

「「っ」」

 

 横になっていては真剣さが伝わらないと思い、体を起こしてフォンとステラを視界に入れて告げたところ、何故か二人が息を呑んでこちらを見つめてきた。

 何度か似たような事があるが、今回こそ理解出来ない。私は恥ずかしい事も言っていないし、おかしな事も言っていないつもりだ。

 

「……ステラ、これも?」

「……多分、そうだと思います」

 

 少しの間見つめ合った私達だったが、フォンとステラが同時に苦笑しお互いへ目をやってそう言い合った。が、すぐに私へ顔を戻して……

 

「「勇者(様)、もう少し言動に気を付けて(ください)」」

「……よく分からないが二人がそういうのなら気を付けよう」

 

 どこか呆れ混じりではあるが好意的な雰囲気を感じ取り、私は安堵するように答えた。そして、フォンは本当にそのまま眠ってしまい、私はどうしたものかと考えた。

 と、そこで思い出したのだ。この世界の文字を学ばねばならないと。フォンもステラもレーベで何の戸惑いもなく文字を読んでいた。ならば、今が教わる好機かもしれない。

 

「ステラ、まだ起きているだろうか?」

「はい、どうかしましたか?」

「その、情けない話なのだが私に読み書きを教えて欲しいのだ」

「読み書き、ですか?」

 

 そこで私はこう説明した。母は私の事を案じて幼い頃より体を鍛える事を優先させてきたと。故に勉学へ割く時間も機会もなかったのだと。

 それを聞いてステラは疑う事もなく、むしろそうだろうと理解を示したのだ。それほどオルテガ殿の武勇はあちこちに轟いていたのだろうな。

 

「分かりました。では、早速今夜から始めましょう」

「今夜?」

「はい。可能ならば一日使って教えたいところですが、この状況ではそれは難しいでしょう。なので、寝る前の時間を少し使って勉強していただきます」

「宿で寝れない時はなしと、そういう事か?」

「そうですね。さすがに野宿の時はお休みです。これは、町や村などで宿泊する場合だけにしましょう」

「分かった。ステラ、貴女に感謝を。しばらくの間、世話をかける」

「ふふっ、お気になさらないでください。……私でも、勇者様のお役に立てるのなら嬉しいですから」

 

 最後にステラはそう言って少しだけ影を見せる。それが、私に一瞬だけあの火防女を思い出させた。自分には私の役目へ役に立てる事などないに等しいと、そう言っていた彼女の申し訳なさそうな表情を。

 

「そんな事はない」

「え……?」

「ステラ、貴女は私の役に立ってくれている。貴女が私と共にいてくれるだけで、私はどんな時でも恐れる事なく戦えるのだ。例え癒しが使えずとも、魔物を倒す事が出来ずとも、貴女がいてくれる事で私は心強くあれるのだ。この背に、誰かがいてくれ、その誰かが私を支えてくれている。それが、何より大事な事なのだから」

 

 あの世界で彼女達世話になっていた者達へ言えなかった事を、ステラを通して告げるように私は想いを吐露した。

 あの辛く長い旅路。その中で私が心折れずいられたのは、他ならぬあの者達のおかげだ。ああ、そうか。火の無い灰だった私にも、ちゃんと価値はあったのか。あの世界の私にも、信頼を向けてくれていた者達がいたのだ。

 

「ステラ、あの時貴女からもらった言葉をここで返そう。もっと自分を認めて欲しい。貴女は、立派に私の旅を支えてくれている。これからも、私やフォンを支えてくれると嬉しい」

「グスッ……勇者様ぁ」

 

 気付けばステラが泣いている。その涙さえも美しい。生きているとは、光の世界とはここまでも素晴らしいものか。だが、ステラは涙よりも笑顔の方が似合っている。そう私は強く思った。

 

「ステラ、泣いた貴女も綺麗ではあるが、出来れば笑っていて欲しい。貴女には、いつもの明るい笑顔こそが良く似合う」

「グスッ、勇者様ったら、それじゃ口説いてるみたいです」

「くどく? ああ、口説くか。そんな事はない。私は世辞で言ってるのではないんだ。ステラだけではない。私は、泣き顔よりも笑顔が見たいのだ。いつか、誰もが笑顔でいられるような世界にしたいと、そう思っているのだから」

 

 そう、あの世界もそう出来るものならしたい。不死の呪いなどなく、陰る事のない光が照らす、そんな世界に。

 可能ならば、彼女にもその時には微笑んで欲しいものだ。火防女としてきっとその心を押し殺していた、あの女性にも。

 

「うふふっ、勇者様らしいです。世界中が笑顔で溢れるようにと、そう願っているのですね?」

「ああ、そうだ。いつか必ずそうしたいと思う。そのためにも、ステラが必要なのだ。分かってくれただろうか?」

「ええ、しっかりと。でも、少し残念です」

「ん?」

 

 やっとステラに笑顔が戻った。だが、目元を指先で優しく拭いながら彼女は私にそう言った。何が残念なのだろう。そう思って見つめていると……

 

「今のが、勇者としてではなく貴方様の言葉だったら良かったのに」

「……勇者ではなく私の?」

「ふふっ、何でもありません。それで勇者様? 今夜はご実家で泊まる方向で良かったですか?」

「…………そうしたくないがそうするよりないか。Gを節約できるのならするべきだと思うしな」

「分かりました。では、私もお昼寝させていただきますね?」

「ああ、ゆっくり寝てくれ。私も、横になりながら風を感じている」

 

 そう答えて少しすると、ステラからも寝息が聞こえ始めた。フォンとステラが寝ている事を確認し、私はゆっくりと体を起こす。

 吹き抜ける風がとても心地良く、陽射しも強すぎず温かだ。こんな環境は、あの世界には残念ながらない。

 

 周囲へ目を向ければ、子犬と戯れる子供やその母なのだろう女性が微笑んでいたり、別の場所では城の兵士だろう者が巡回しながらその様子に笑みを浮かべていた。

 と、私の近くで何か動く音がした。目をやれば、フォンが寝返りを打ったようで、私の傍へと近付いている。陽射しに背を向けているので、眩しくなったのもあるのだろう。

 

「私の体が作る影に逃げてきたか」

 

 顔だけを見事に影に入れて、フォンは満足そうな笑みを見せていた。本当に、この世界は素晴らしい。陰ることのない光。それがあるだけでここまで人は変わるのだ。

 朝と夜。光と闇。それが交互に存在するだけで、世界は、人は、ここまで精気に満ちて生きる事が出来るのだから。

 

「ん?」

 

 と、今度は逆の方から音がした。振り向けばステラも私の方へと寝返りを打っている。彼女も私の作る影へ顔を入れているので、眩しさからの行動だろう。

 

「これでは寝たくても寝れないな」

 

 私を挟んで眠る二人の乙女達のため、私はそのまま日暮れまで体勢を維持する事になった。地味に辛かったが、これもまた二人のためと思えば苦ではなかった。

 やがて日が落ち始めた辺りでフォンが目覚め、ステラを起こして酒場へ向かう事にした。まだ眠そうなステラへフォンが呆れた表情で声をかけながら、私達は再び酒場へと辿り着く。

 

 店からは以前のような活気がなく、本当にあの時の者達を登録解除したのが手に取るように分かった。

 

「入ろう」

「はい」

「ええ」

 

 扉を開け、中へ足を踏み入れると、そこには閑散とした光景が広がっていた。

 テーブルは空きばかりで、座っている者達もどこか覇気がない。これならばあの者達の方が良かったのではと思ってしまうぐらいだ。

 

「いらっしゃい。ま、見ての通りだよ」

「うわぁ、これはこれで酷いわね」

「フォンさん……」

 

 女主人の言葉にフォンが苦い顔で返す。そんな彼女をステラが窘めるも、私もフォンと同意見に近い。

 

「それで、戦士の方は? ここにいないようですが」

 

 魔法使いは望めそうにないので、フォンが言ったように戦士を探したが店内には見当たらない。女主人は、私の問いかけに企むような笑みを浮かべると指を上へ向ける。

 

「あんた達のお目当ては二階だよ。そこで一人で飲んでる」

「へぇ、二階か。あたしもチラッとしか見なかったけど、わざわざあんなとこで飲んでるって」

「どちらか、ですね。そこまで来て誘われるという自信があるのか、あるいは……」

「一匹狼な性格だからだと思うよ。ま、とにかく会ってきな」

 

 女主人の言葉通り、まずは会ってみなければ始まらない。そう思って私は一礼し店の奥にある階段を目指す。その後をフォンとステラが追ってきて、私達は二階へと向かう。

 ギシギシと音を立てる階段を上がると、下程ではないが酒の匂いがした。見れば露出の高い格好をした女性が酒瓶が並べられた棚の前に立ち、こちらを見ている。

 

「ハァイ、坊や達。ここは男女共に十八歳未満は立ち入り禁止よん」

「あたしは十八だから問題ないわね」

「私もです」

「酒は飲まないから見逃してはもらえないだろうか? 用さえ終わればすぐ立ち去る」

 

 視線を奥へ向ければ、こちらに背を向けて飲んでいる者が一人。その体は、以前見たあの戦士の男よりも鍛えられているように思える。

 

「アラアラ、中々真面目で素直な坊やね。今夜は坊やしかイイ男来ないかもしれないし、お姉さん、気に入っちゃったわ。名前、教えて?」

「私か? 私は」

「はい、行くよ勇者。さっさと用事済ませて帰らないといけないんだから」

「そうですよ勇者様。ご自分で言った事ですからね」

「あ、ああ……」

 

 名乗ろうとしたところ、フォンとステラに両腕を掴まれてしまい、そのまま奥へと連行される。一体何なのだ? ただ、あの女性はそんな私達を見て楽しげに笑っていた。

 あの笑みは、アルスの母が二人を初めて見た時に似ているな。もしや、彼女もああ見えて母なのだろうか? なら、あの格好は止めた方がいいと思うのだが……。

 

 そんな事を思っている内に私を引きずる動きは止まり、私は二人から解放された。振り返ればそこには先程見た戦士殿の背中がある。

 

「酒を楽しんでいるところをすまない。少しだけ話を聞いてもらえないだろうか?」

「何だい?」

 

 こちらへ顔を向けず、戦士殿は低くした声で問い返してきた。こちらへの軽い威圧なのだろうか? ただ、思ったよりは声が幾分柔らかい。どうやらあの戦士とは対応が異なるようだ。

 

「私はオルテガの子、アルス。亡き父の遺志を継ぎ魔王退治を志している者だ。もし貴公さえ良かったら、私達と旅路を共にしてもらえないだろうか?」

「……魔王退治、ねぇ」

「信じられないって?」

「いや、そんな事はないさ。ただ……」

「ただ? 何ですか?」

 

 そこで戦士殿はこちらを一瞥した。その眼差しに鋭さはないものの、こちらを射抜くような印象を覚えた。

 ただし、その瞳は澄んでいた。あの世界では見る事の出来なかったぐらいに、眩しく輝いていた。

 

「そっちが欲しいのは、戦士じゃなくて魔法使いだと思うんだが、どうだ?」

「「っ!?」」

 

 告げられた言葉はまさに私達の本音を言い当てていた。先程私達の構成を見ただけで、どこが欠点であるかを的確に見抜いたのだ。

 フォンとステラが息を呑んだのはそういう事だろう。観察眼はあるらしい。それだけでも仲間に加えたいと思うには十分過ぎる程の能力だ。

 

「そうだ」

「へぇ」

「「勇者(様)?!」」

 

 だからこそ、上辺の話ではこの者は動いてくれない。私達が本当に欲しいのは魔法使いだが、それをいつまでも待っていられる程世界に猶予はない。

 今もどこかで魔物の侵攻に怯え、震えている者達がいるのだ。ならば、私は一刻も早く魔王を打ち倒してルビス様を救い出し、アルスの体を本人へ返して元の世界へ戻らなければならない。

 

 私はこちらへ視線だけを向ける戦士殿を見つめて言葉を続ける。

 

「だからと言って、いつ登録されるかも分からない者を待てる余裕はない。今も世界は魔物の脅威にさらされている。叶う事ならば今すぐにでも魔王の前へ行き、その首を取ってしまいたいぐらいだ。だが、そんな事は今は無理だ。私は弱く未熟。勇者と謳われた父にさえ、追いついていないのだから」

「おやおや、中々殊勝な事を言うじゃないか。あのオルテガの子で勇者見習いだって言うからどんな奴かと思ったが、意外と自分を客観視出来てるみたいだな」

「っ! こいつっ!」

「フォン、いいんだ。この者が抱く想像の方がおそらく正しい。勇者の子ともなれば、親の威光や権勢を自らのものと勘違いする者も出よう。私は、そうでなかっただけの話だ」

「勇者様……」

 

 私のために文句を言おうとしたフォンを制して、私は目の前の戦士殿を見つめ続ける。相手はずっと私の事を見つめている。まるで、仲間になるに相応しいか否かを判断しているかのように。

 

「父と同じ程の武勇や才覚を有しているかは分からない。ただ、父を超える程世界に平和と安寧を求めている自信がある。どうか、貴公の力を貸してはもらえないだろうか? せめてナジミの塔から帰ってくるまででもいい。その道中で私が貴公の力を貸すに相応しいかどうか判断してもらいたい」

「ナジミの塔か。成程、どうやらようやく腕試しらしい。いいさ、ならまずはそこまでの時間で判断してやるよ」

 

 そう言って戦士殿が立ち上がって兜を取ると、長い髪が流れ落ちるように現れる。その瞬間、フォンとステラが驚いたように目を見開く。それに気付かないまま、戦士殿はこちらへ振り向いた。

 

「「ええ~っ!?」」

「どうしたのだ、二人共。驚くような事はないと思うのだが?」

 

 何故か二人は戦士殿を見て目を何度も瞬きさせている。私はそんな二人の反応が理解出来ず首を傾げるしかない。ただ、そんな私を見て戦士殿は意外そうな表情を見せた。

 

―――どうやらお前だけは気付いてたみたいだな。私が女だって事に。




ドラクエ3の魅力の一つは仲間を選べる事。ただし、それは悲しいかなゲームの話です。


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日の光に胸を張って

どうのつるぎ

銅で作られた剣。金属としてはやや強度に難がある銅であるが、ある意味ではこの上なく優秀な面を有している事はあまり知られていない。
装備としては旅の初めに手に入れる物として上位の武器であり、これを手に出来る事が一種新人の卒業を意味していると言えるだろう。

もし天候が荒れている日は、これを持ち歩かない事だ。銅とて金属。神が鳴らす一撃を引き寄せてしまうだろう。


「私の名はライド。職業は見ての通りさ」

 

 戦士殿が女性であった事に驚いていた二人が落ち着いたところで、ライドと名乗った戦士殿は飲んでいた酒の入ったジョッキを片手に椅子へと座り直した。

 

「で? そっちの名は?」

「ああ、紹介が遅くなってしまったな。こちらの僧侶がステラ、武闘家がフォンだ」

「ステラとフォン、ね。ま、私の事は好きに呼んでくれ。ライドでもいいし、あんたでもお前でもいい」

 

 そうあっさり告げると戦士殿はジョッキを傾け酒を飲み干していく。豪快な飲み方だ。

 

「な、何で男の振りなんてしたのよ?」

「ん? 私は別に男の振りなんてしてないぞ。元々声は低めだし、言葉遣いも親父殿に育てられたからこうなっただけだ。それに、一度でも私が自分で男と言ったか?」

「ぐぬっ!」

「ははっ、その点坊やは大したもんだ。私を女と最初から分かっていたのだろう?」

「正確には、途中で気付いたのだ」

「途中、か。どの辺りで?」

「何も貴女とのやり取りではない。階段を上がったところで声をかけてきた女性が、私にこう言った事を思い出しただけだ。今夜は私だけしか男が来ないかもしれない、と」

 

 私がそう言った瞬間、フォンとステラが小さく声を出し、戦士殿は一瞬面食らった後で楽しげに笑みを見せた。

 

「だから貴女が女性だと思ったのだ。そう思って見てみれば、腰回りなどが以前見た戦士の男に比べて若干細い印象を受けた。なので貴女が兜を取った時も驚きではなく納得だったのだ」

「……大したもんだ。お前さん、年はいくつだ?」

「十六だ」

「十六、とはね。いや、さすがは勇者ってとこなのかね。まるでその倍は生きてる気がするよ。ふむ、これはちょっと考えてもいいかね」

 

 私を腕組みしながら見つめ、戦士殿は何か企むような顔をする。それがどことなく感じが悪いように思え、私は雰囲気を変えるべく話を打ち切ろうと思った。

 

「では、まずは場所を変えよう。戦士殿、宿を取っていないならついて来て欲しい。我が家に案内する」

「我が家、か。食事も出るのかい?」

「このっ、どこまで厚かましいのよっ!」

「別に私は構わないんだ。一人、宿を取ってもさ」

「っ!」

 

 戦士殿の言い方にフォンが拳を握った瞬間、私はフォンの前に移動し戦士殿と向き合った。

 

「戦士殿、何故そうやってこちらを煽る? いや、言い方を変えよう。何故試す? 仲間として信頼に足るかどうかを見るならば、魔物との戦いなどで判断すれば十分だろう」

「甘いな。こういうところでの反応なんかが戦い方とかに出るもんさ。で、そういう意味で言えばその武闘家はちょっと短気だね。僧侶の方は多少忍耐があるみたいだけど……」

「何か言いたい事があるのならどうぞ」

「じゃあ一つだけ。そんなに険しい顔してたら我慢してないのと同じだよ」

「っ……ご忠告ありがとうございます」

 

 私でも分かる。この雰囲気は不味い。戦士殿の言う事も分からないでもないが、これでは以前の私以上に性質が悪い。

 これでは戦士殿を仲間に入れない方がいいのではないかと思ってしまう程だ。だが、今更そんな事を言っても仕方ない。あそこまで言った以上、勇者としてナジミの塔から帰ってくるまでは戦士殿も信じてみなければならない。

 

「戦士殿、食事の方も母に言えば用意してくれると思う。もし無理だとしても、私の方で料金を出して食事を御馳走しよう」

「「勇者(様)っ!?」」

「さすがは仮にも勇者を名乗るだけあるか。じゃあ、お言葉に甘えるとしようかな」

 

 戦士殿はそこでやっと椅子から立ち上がって動き出した。フォンとステラが若干睨むような眼差しを向けるが、戦士殿はそれを気にもせず通り過ぎる。

 やはり、こうなるとフォンやステラは戦士殿の言うように素直なのだろう。だが、私はそれを悪い事と思わない。この世界ではその方がいいのだと、そう思うからだ。

 

「フォン、ステラ、言いたい事は分かる。だが、ここは私を信じてくれないか? あの戦士殿は、人柄はともかく冒険者としては優れていると思う。向こうがこちらを仲間とするかどうかを見極めるように、二人も戦士殿を仲間にするかどうか見極めて欲しい」

「勇者はどうするのよ?」

「私は、私についてきてくれた時点で信じようと決めている。二人が私に人を信じる勇気を教えてくれた。だからだ」

「裏切られても構わないと、そういう事ですね?」

 

 ステラの確認に迷う事無く頷いた。その瞬間、ステラだけでなくフォンも小さく苦笑して息を吐いた。

 

「そ。じゃあ、あたしもそうするわ。たしかにむかつく奴だけど、間違いなくあの下品な奴らよりもマシだもの」

「そうですね。私もそこに賭けてみます」

 

 真っ直ぐな眼差しで私を見つめてくる二人に胸が騒ぐ。ああ、何と強く気高いのだこの二人は。私が時間をかけて持つに至った決意を、こんなにも早く抱けるとは。

 この眩しさを持つのがこの世界の者達か。であれば、やはりここは光の世界だ。人の闇を恐れず受け止めるだけでなく、包み込んで輝くのだから。

 

「……二人に感謝を。では、行こう」

「「はい(ええ)」」

 

 階段の近くで待っている戦士殿へ合流するように私達も動き出す。揃って一階へ降りると、女主人がこちらに気付いて微笑みかけてくれた。

 

「どうやら上手く行ったみたいだね」

「いえ、まだです。戦士殿はこちらの仲間になるかを留意しています」

「留意? どういう事だい?」

「簡単だよルイーダさん。私はまだこの”勇者様ご一行”が力を貸すに足りる奴らが分からないのさ。で、ナジミの塔へ行って帰ってくるまでで判断してくれって言われてね」

 

 戦士殿の言い方にフォンが表情を引きつらせ、ステラでさえ表情を一瞬硬くした。それに気付いているのかいないのか分からないが、戦士殿は少しだけ楽しげに笑みを浮かべている。

 女主人はその言葉で何か理解したらしく、若干苦笑して私達を見回す。だが、急に優しい笑みを浮かべると後ろの棚へ目を向けた。

 

「あんた達、食事はもう済ませたかい? まだならここで軽く食べていきな。今なら飲み物を一杯目タダにしてあげるから」

「一杯目って、ルイーダさん、ちょっとケチじゃない?」

「何言ってんだよ。こちとらこれも大事な商売なんだ。それも、何を飲んでも一杯目は金を取らないって言ってんだよ。十分太っ腹じゃないか」

「それもそうだ。なら私は一番高い酒をもらおうかな」

 

 憮然とするフォンとは対照的に戦士殿は小さく笑みを浮かべて近くのテーブルへ近寄って行く。どうやら今日の夕食はここで済ませるのが良さそうだ。そう思って私も同じテーブルへと向かう。

 

「ゆ、勇者様?」

「ステラ、フォンも座ってくれ。母はまだ私達が帰ってきている事を知らない。なら、食事の支度は厳しいと思う。だから、ここで夕食を済ませながら戦士殿と明日の事を話し合う方がいい」

「それは、そうかもしれないけどさ」

「フォンさん、座りましょう。ルイーダさんのご厚意を無下にしたくありませんし、勇者様もああ言っているんですから」

「……分かったわよ」

 

 戦士殿と向かい合う位置に私が座り、ステラとフォンが空いている場所へ腰かける。すると、テーブルに一本の瓶とグラスが四つ置かれた。

 

「はいよ。遥かポルトガからやってきた葡萄酒さ。旅の扉が使えなくなった今、高いんだよ、これ」

「旅の扉が、使えない?」

「どういう事ですか?」

「何かあったの?」

「まさか魔物に破壊されたか?」

 

 女主人の言った言葉に私達は揃って疑問符を浮かべる。戦士殿さえも同様だ。

 

「違うよ。何でもいざないの洞窟の旅の扉へ続く道で崩落があったらしくてね。今、旅の扉への道は岩で塞がってるって話さ」

「撤去にどれぐらいかかりそうですか?」

「さてねぇ。聞いた話だと、人の手じゃどかすのは難しいぐらい岩があるそうだよ。まほうのたまがあれば話は早いらしいけどね」

「まほうのたま?」

 

 初めて聞く名だ。おそらく魔術関係だと思うのだが?

 

「使うと大きな爆発を起こす玉だ。たしかレーベにそれを作れる老人がいる」

 

 瓶から中身の酒をグラスへ注ぎながら戦士殿がそう言った。美しい赤色の液体がグラスへと流れて行く。あれが”ぶどうしゅ”と呼ばれる酒か。まるで血のようだと思ってしまうのは、あの世界で見てきた光景故だろうな。

 女主人へ目を向ければ、小さく頷いてくれたのでどうやら戦士殿の言葉は本当らしい。それにしてもレーベにいた時、そんな話は聞かなかった。いや、もしかすれば聞いたかもしれないが”まほうのたま”の事までは聞いた覚えがない。

 

「戦士殿、一体どこでそれを?」

「長く旅をしてると色んな場所で離れた場所の話を聞く事もある。そういうことさ」

 

 暗に詳しい話をするつもりはないと言われた。だが、今の話が本当だとすると困った事になった。おそらく、その旅の扉を使わなければ魔王へと近付く事は出来ないはずだ。

 そうなるとまずはレーベに行くべきだろうか? いや、それでは戦士殿との約束を破る事になる。ここはまずナジミの塔を優先しよう。

 

「まずはナジミの塔へ向かおう。まほうのたまに関してはその後でも遅くはない」

「いいの?」

「ああ。レーベで聞き込んだ時にまほうのたまに関して聞く事はなかった。ならば、今行っても仕方ないだろう。それよりも今は戦士殿からの信頼を得る方が先だ」

「私からの信頼、か。ま、優先順位の付け方としては合格だ。今の自分達に出来る事やしなければいけない事。それらを考えて一番に何をするか。その辺り、坊やは分かってるようだ」

 

 グラスに注いだぶどうしゅを一気に呷り、戦士殿は二杯目を注ごうとして、酒瓶を女主人に取られていた。

 

「二杯目からは有料だよ」

「……しっかりしてるよ、ルイーダさんは」

「褒めてくれてありがとよ。ほら、あんた達も飲みな」

「いや、私は」

 

 フォンやステラはいいかもしれないが、アルスはまだ酒を飲める年齢ではない。そのため断ろうとしたのだが……

 

「いいからアルスも飲みな。一杯だけなら神様も見逃してくれるさ。それに、これはあんた達の無事を願っての酒なんだから」

「私達の無事を……」

「何となく分かるんだよ。これであんた達はもうここにしばらく来ないってね。だからあたしからの餞別さ」

「ルイーダさん……」

「そういう事だったんだ。だからこいつは……」

 

 瞳を潤ませるステラとどこか悔しげに戦士殿を見るフォン。戦士殿は何食わぬ顔でグラスに少しだけ残ったぶどうしゅを名残惜しそうに飲んでいる。

 それが私には照れ隠しのように見えた。もしかすると、戦士殿は素直でないだけで二人と同じく優しい者なのかもしれない。

 

「そういう事ならいただきます。貴女に感謝を」

「あははっ! アルスのそういうとこは変わらないんだね。もっと砕けた言葉遣いでもいいんだよ? まぁ、その方が舐められないかもしれないけどねぇ」

 

 グラスを差し出すと女主人は、いやルイーダ殿は楽しげに笑ってぶどうしゅを注いでくれた。その後、フォンとステラも注いでもらい、私はある事に気付いてGの入った袋を取り出してテーブルへ置く。

 

「これは?」

「ルイーダ殿、戦士殿へもう一杯そのぶどうしゅを注いでもらえぬだろうか? 料金はここから取っていって欲しい」

「おいおい、別に私は」

「一時とはいえ仲間として同じ場所へ向かうのだ。なら、その縁を大事にしたい。この酒はそのために使いたいと思うのだ」

 

 隠す事なく本心を告げる。私の脳裏にはあのカタリナの騎士との一時が過ぎっていたのだ。

 

―――貴公の勇気と、我が剣、そして我らの勝利に太陽あれ!

 

 不死でありながら酒を飲み、エストでスープを作っていたあの騎士。その大らかさと温かさを思い出し、私はあの時受けたものを継げるように、グラスを掲げて戦士殿やフォンにステラを見る。

 

「さあ、乾杯しよう。戦士殿の勇気と、我が仲間、そして我らの出会いに太陽あれ」

「太陽あれ?」

「独特な乾杯の音頭ですね」

「でも、何かいいじゃない。魔王なんて闇が世界を包もうとしてるんですもの。なら、太陽あれって言うのはあながち間違ってないわ。光あれって事でしょ?」

 

 私の言葉に戦士殿とステラが不思議そうな顔をする中、フォンだけが嬉しそうに笑みを見せてくれた。ああ、そうだな。この世界には太陽があるのだ。

 だが、それを覆い隠そうとする魔王がいる。それを闇とするのなら、この言葉程相応しいものはない。その太陽に私達はならねばならないのだから。

 だからフォンの問いかけに迷う事なく頷く。そう、あの世界には光がなかった。その象徴こそ太陽だったのだから。

 

「ほら、ステラもグラス掲げなさい。そっちも、これぐらいは構わないでしょ? ルイーダさん、注いで注いで。儲けるチャンスよ?」

「はいはい。ほら、グラス出しな」

「ちょっとちょっと……ったく」

「クスッ、いいじゃないですか。二杯目のタダ酒ですよ?」

「……いいか? 世の中、タダより高いものはないんだよ」

「いいじゃないか。その御代はどうせもう自分で払うって決めた事なんだ。なら、遠慮するだけ損ってもんだよ」

 

 そう楽しそうに言い放ち、ルイーダ殿は私へ片方だけ瞬きをする。器用なものだ。

 

「ほら、勇者。もう一回音頭をお願いするわ」

「分かった」

 

 答えて一度そこにいる者の顔を見て行く。フォン、ステラ、戦士殿。程度の差はあるが、誰もが笑みを浮かべていた。それに私も笑みを浮かべグラスを掲げる。

 

「我らの出会いに太陽あれ!」

「「「太陽あれ(!)」」」

 

 明るく声を出すフォンとステラ。戦士殿はそうではないが、それでもこちらに合わせてくれた。やはり悪い人間ではないようだ。

 軽くグラスを当て、私は初めてぶどうしゅを飲む。口の中に広がる酸味と微かな苦み、だが甘さもあって最後に芳醇な香りが鼻を抜けて行く。それと飲み下すと喉が微かに熱くなった。

 

 見ればフォンが少し頬を赤くしていたし、ステラは美味しいと言って頬に手を当てて表情を緩ませている。戦士殿は特に何か言うでもなく淡々とグラスを空にしようとしていた。

 

「フォン、大丈夫か? 顔が赤いが」

「う~っ、あたしあんまりお酒強くないのよ。でも、これは美味しいって分かるわ。飲み易いもの」

「そうですね。私もここまで美味しいと思う葡萄酒は初めてです」

「ふぅ……ちなみにルイーダさん、これは一杯いくらなんだい?」

 

 飲み終えた戦士殿がグラスを片手で弄りながらルイーダ殿へそう問いかけた。すると、ルイーダ殿は口の端を微かに吊り上げて笑った。それが、私には酷く恐ろしく見えた。

 

「20G」

「にじゅっ!? 嘘でしょ!?」

「そ、そんなにするんですか!?」

「と、言いたいとこだけど、未来の勇者の心意気に免じて一本20Gにしてあげるよ。てな訳だからこれ、全部飲み切っていきな。その間に軽く摘むもんを出してあげるから」

 

 そう告げてルイーダ殿はテーブルから離れて行く。戦士殿はと言えば、ならばとばかりにぶどうしゅの瓶を抱えるようにして飲み始めていた。抜け目がないな。

 

「あ~、びっくりした。まさか一杯で20Gなんて」

「本当です。払えない訳ではありませんが、かなり高いですし」

「何言ってるんだ。もっと高い酒なんていくらでもあるよ。それこそポルトガのワインやエジンベアのウイスキーなんて上物なら100Gは取る」

「わいん? ういすきー? 戦士殿、もし良ければ詳しく教えてくれないだろうか? 私はあまりにもこの世界の事を知らな過ぎるのだ」

 

 私がそう言って戦士殿を見つめると、彼女はこちらへチラリと視線をやってからグラスを口へつけた。

 

「……ワインってのは葡萄酒の事さ。ウイスキーは蒸留酒で麦とかの穀物を使う酒だ。私は飲んだ事ないが、北国の方じゃウォッカっていう火のような酒があるって話だ」

「火のような?」

 

 私にとっては聞き逃せない言葉だ。あのカタリナの騎士なら聞けば必ず飲もうとしただろう。

 

「ああ。何でも喉が燃えるような代物らしい」

「うわぁ、あたしなら絶対飲めない奴だわ」

「ちょ、ちょっと興味があります」

「何だ? 僧侶の方はいける口か?」

「え、えっと、はい……」

 

 恥ずかしそうに俯くステラだが、いける口というのはどういう意味だろうか? 話の流れからして、酒関連の言い方だとは思うのだが……。

 と、そんな私の疑問を察したのか、フォンが呆れた表情で耳打ちしてきた。

 

「要するに、酒好きって事。ステラ、多分だけどかなり飲むわよ」

「……飲む事はいけない事なのか?」

「え? 勇者って、お酒に酔った人見た事ないの?」

 

 問われて記憶を辿る。私が見た酒飲みは、後にも先にもあのカタリナの騎士だけだ。だが、彼は飲む事はあっても何か様子が変わった事はなかった。ただ、飲んだ後はよく寝ていたが。

 と、そこでふと思い出す。あの罪の都での戦い。あの後、彼はいつものように乾杯した後、眠ると言っていた。しかし、そこで彼は寝息を立てていなかった事を。

 もしや、あの時それが意味する事に私が気付いていれば、彼はあの後も心折る事なくいてくれただろうか? 私を時に助けてくれただろうか?

 

「どうしたのよ? 何か辛そうな顔してるわよ?」

「っ」

 

 心が沈みそうになったところでフォンの声が聞こえて我に返った。顔を動かせば、そこには私を心配そうに見つめる赤い顔をしたフォン。

 

「多分、初めての酒でそうなったのだろう。本来であれば飲んでいい年齢でもない」

「あー、そっか。じゃ、勇者はそれで飲むの止めておきなさい。ルイーダさ~んっ! お水もらえる~っ?」

 

 私の手からグラスをそっと奪い、フォンはそのままテーブルから離れて行く。その背を見送り、私は安堵の息を吐いた。

 もし普段であれば間違いなくフォンは気付いただろう。私のこれが酒によるものか否かを。幸い今の彼女は酒で注意力が散漫になっているようだ。

 

「あれが”酔う”という事か」

 

 よく見れば足取りも普段よりは些か覚束無い。あの状態では、とてもではないが魔物と戦わせられないだろうぐらいだ。

 

「あれ? 勇者様、グラスはどうされたんです~?」

 

 フォンの様子を眺めていると、ステラが私を覗き込むように顔を出した。その頬は赤くなっていて、吐息からは嗅ぎ慣れぬ匂いがしている。

 

「ああ、私は本来酒を飲んでいい年齢ではないのでフォンが持っていってくれた」

「そうなんですかぁ。ん? という事は、勇者様のグラスは空じゃない?」

「そうだな。まだ残っていた」

 

 それがどうしたのかと思っていると、ステラは顔を私から後ろへ、フォンがいるであろう方向へ向けた。

 

「フォンさ~ん、勇者様のお酒、どうしたんですかぁ~?」

 

 そう尋ねたかと思うと、ステラはフラフラと歩きながらフォンのいる場所へ向かって行く。危ない気もするが、意外にもそんな足取りでもテーブルなどをちゃんと避けている。

 もしかすると、普段よりも酔った方がステラは転ぶ事などが減るのではないだろうか。そんな事を考えながら私はステラとフォンを眺めていた。

 

「なぁ」

 

 そんな時、私にしか聞こえないような大きさで戦士殿が声をかけてきた。顔を向ければ戦士殿はグラスをテーブルに置いてこちらを見つめていた。どこか、私の事を見定めるように。

 

「何か?」

「お前、本当に十六の見習い冒険者か? さっきから見てれば、店の中だってのに隙がない。勿論気を張り詰めてる訳じゃないが完全に抜いてもいないとか、まだ冒険者となって一月足らずの新米に出来る事じゃない」

 

 戦士殿の言葉は自身の中で確固たる何かを抱いたからこそのものだと思った。つまり、私が未熟者らしくないと言いたいのだろう。

 それも、無理からぬ事だ。あの世界では、篝火の前以外では心から休まる時などなかった。その名残なのだろうな。今もどこかで周囲を警戒しているのは。

 

「戦士殿、失礼だがこの町での私の立場をお分かりだろうか?」

「立場?」

 

 だが、今はそれを誤魔化すべきだ。そう思って戦士殿へ問いかける。思った通り戦士殿は分からぬようで、素直に疑問をぶつけてきた。

 

「私は勇者と呼ばれたオルテガの子だ。そして、その遺志を継いで魔王退治の旅へ出ようとしている。そんな私が迂闊な事を言ったりしたりすれば周囲はどう思うか。更にこの町には私の家族が住んでいる。私は何か失態を犯しても旅に逃げる事が出来るが、家族はそうはいかない。であれば、私はこの町では注意深くいなければと、そう思ってしまうのだ」

「……ま、そういう事にしておくか」

 

 明らかに納得していない顔でそう返し、戦士殿は微かに笑みを見せる。これは困った事になった。フォンやステラが気付かなかった事に戦士殿は気付いているようだ。

 私があの世界での時間で染み付いてしまった、常に警戒するという習慣を。これは、やはり不味いのだろうな。何せあの世界での私も最初の頃はよくふとした事で驚き、戸惑い、そして死んだものだ。

 

 これも、やはりあの世界での経験が悪い方へ出た結果と言える。かと言って、今更不死として甦った当初のようにはなれないだろう。

 

 その後、フォンがステラを連れて戻ってきた。その手に水が入ったグラスを持って。それを私は受け取り、ルイーダ殿が運んできてくれた軽い食事を食べた後、私はアルスの生家ではなく宿へと向かった。

 フォンだけでなくステラも酔ったらしく、戦士殿と三人で宿へ泊まってもらうべきと判断したのだ。

 

「勇者様ぁ~、ヒックッ……ここ、お家じゃないですよ~?」

「では、これが宿代だ」

「たしかに受け取った」

 

 宿の前で大きな声を出して笑っているステラを視界に入れながら、私は戦士殿の手へ三人分の宿代を手渡した。フォンは既に眠っていて、戦士殿の肩に担がれている。これならフォンの言ったような攻撃も可能だろう。

 

「その、後の事を頼む」

「仕方ないけど引き受けた。ま、こいつに関しては完全にこっちのせいだしな」

「す~……」

 

 フォンが眠ってしまったのは、戦士殿が酒に弱い彼女を煽ってしまったためだ。何と、フォンは負けず嫌いを発揮して、戦士殿に言われるまま強いと言われる酒を飲んだのだが、その直後まるで糸が切れた人形のように眠ってしまったのだ。

 

「ただ、あっちに関しては自業自得なんだが……」

「勇者様~っ! 無視しないでくださ~いっ!」

「戦士殿が、これも美味いあれも美味いと言って勧めていたと記憶しているが?」

「……飲んだのはあいつの勝手だろ」

「ですが飲むよう仕向けたのは戦士殿だ」

 

 こちらへ手を大きく振っているステラを見ていると、今度酒は飲ませないようにするべきと思う。戦士殿も私の視線を追って顔を動かし、若干の間の後ため息を吐いた。

 

「分かった。このままじゃ宿の者達にも迷惑だしな」

「そうだな。では、私はこれで」

 

 そう言って戦士殿へ背を向け、宿から離れるように歩き出す。だが少しだけ歩いたところで腕を誰かに引っ張られた。

 

「勇者様ぁ、ヒックッ、なんで私とフォンさんを置いてくんですかぁ?」

「ステラ……」

 

 振り返れば、そこには泣きそうな顔をしたステラがいた。どうしたのかと思って言葉に詰まっていると、ステラは私の目をしっかり見つめてくる。

 

「今夜からぁ、お勉強しましょって、そう言ったじゃないですかぁ。私っ! 密かに楽しみにしてたんですよ?」

「ステラ、すまない。今夜はゆっくり休んだ方がいいと思う。酒のせいでフォンも貴女も様子がおかしい。明日の朝に影響が出ないとも限らない以上、今は早く休むべきだ」

「む~っ」

「私から頼んでおいてすまないが、貴女の事が心配なのだ。どうか宿でゆっくり体を休めてくれないだろうか?」

 

 頬を膨らませ私を睨むステラがどこか子供のようにも見え、私は出来る限り声を優しくした。すると、その甲斐があったのかステラは表情を笑顔へ戻して大きく頷いたのだ。

 

「わかりましたっ! じゃあ、私はフォンさんと一緒に宿で休ませてもらいますね!」

「ああ、そうして欲しい。また明日迎えに来る」

「ぜったいですよ? あっ! そうだ! 指切りしましょ!」

「指切り……?」

 

 満面の笑みでステラが私へ小指を差し出してくる。これは一体何のジェスチャーだろうか? 生憎あの世界では見た事のないものだが。

 そう思って私は首を捻っていると、ステラが業を煮やしたのかその小指を強引に私の右手の小指を絡ませてくる。

 

「勇者様はぁ、ぜ~ったい、明日の朝に迎えに来るっ! いいですね?」

「ああ、約束する」

「あはっ、約束ですからね~? それじゃあ、おやすみなさ~いっ!」

 

 絡まっていた指が離れ、ステラがフラフラとしながら宿へと戻っていく。戦士殿はもういないようなので、フォンを連れて宿の中に入ったのだろう。

 やがてステラも宿の中へと消えて、私は久しぶりに一人となって歩き出す。アルスの生家へ向かう中、何とも言えない寂しさを感じて私は足を止めた。

 

「……知らず一人を寂しいと思うようになっていたのだな」

 

 それだけステラとフォンが私にとって大きな存在となっていたのだ。まだ出会って一週間になるかならないか。だが、その間にあった幾多もの戦いと時間が、何もなかった私に色々なものを与えてくれた。

 こうして一人になってみて、どれだけあの二人が私にとって大事な者達かを強く感じ取れる。仲間というのは得難いものなのだな。あの世界では、常に行動を共にする者などいなかったから当然ではあるのだが。

 

 夜道を一人歩き、アルスの生家へと辿り着く。こうして一人でここへ来るのは二度目だな。静かに扉を開ければ、そこには今にも明かりを消そうとしていた女性の姿。

 

「あら? アルスじゃない。こんな時間に来るなんてどうしたの?」

 

 喋らない訳にはいかないか。

 

「その、実は酒場で……」

 

 可能な限り短く要点だけを告げた。酒場で新しい仲間となってくれそうな相手を見つけた事。その者を含めて酒を飲んだ事。その結果、ステラとフォンが酔ってしまったので宿へ泊まらせてきた事。

 それらを聞いたアルスの母は小さく笑うと私へこう言ってきた。

 

―――アルスもあの人と同じね。そこで下心を持たないんですもの。

 

 懐かしそうに、思い出すようにそう告げてアルスの母は静かに席を立つと歩き出す。

 

「さぁ、もう夜も遅いし、アルスはまた旅に戻るのでしょ? なら早く寝なさい。もし寝坊するようなら母さんが起こしてあげるわ」

「……ありがとう」

 

 出来る限り優しい声で感謝を述べると、アルスの母はとても優しい微笑みを返してくれた。母とはこうも優しく温かな存在なのだな。そう思って私も階段を上がって二階へと向かう。そしてアルスの部屋へ入り、装備を外してベッドへ横となった。

 

「母、か。私にも、いたのだろうな……」

 

 そう呟いて目を閉じると、思いの外あっさりと睡魔が襲ってきて、気付けば朝を迎えていた。

 出来る限り静かに部屋を出て下へ降りると、アルスの母はもう起きて朝食の支度を始めていた。

 

「アルス? もう起きたの?」

 

 頷く事で返事とする。昨日は言葉で告げなければならない事があったために話をしたが、本来であれば彼女とは言葉を交わさぬ方がいいのだ。

 

「そう。ご飯はどうする? 食べていくの?」

 

 首を左右に振る事で答える。正直に言えば彼女の作る食事は好きだ。何より、今まで食べてきたどの食事よりも心が満たされる感じがする。

 その理由は分からないが、彼女がアルスの母なのが関係しているとは思う。以外にこの事を説明出来る部分が見当たらないためだ。

 

 身支度を整え、私は静かに玄関の扉を開けた。そんな時、背中から声が聞こえた。

 

「いってらっしゃい。気を付けて」

 

 思わず閉めようとした手が止まった。私の意思ではない、と思う。勝手に手が止まったとしか思えなかった。

 私には、それがアルスの意思のように感じられた。もうしばらく会えなくなるだろう母へ、息子が別れを惜しんでいるのだと。

 

「……必ず魔王を倒して戻ってきます。だから、母さんも体に気を付けて」

「っ……ええ。アルスもね。怪我とかしないように、祈っているわ……っ!」

 

 気付けば口が動いていた。その言い方は、普段の私のものではないように聞こえる。きっと、それがアルスなのだ。そうだと思う。

 

 アルスよ、君の想いはよく分かった。必ずや魔王を倒し、ここへ君を戻らせてみせる。どうかその時まで私を君でいさせてほしい。あの世界で得た事の全てを使い、必ず君の体を守り抜いてみせよう。

 

 そう心に改めて誓い、私は家の外へと歩みを進めて扉を閉める。

 

「……そうだな。私はアルスの体を借り受けているだけだ。彼の魂も、私と共にある」

 

 噛み締めるように呟くと、何故か少しだけ寂しさが薄れた気がした。私は一人でいても一人ではないと、そう思えたからだろうか。そんな不思議な心境のまま、私は宿屋を目指す。

 まだ幾分時間が早いからだろう。町も静かで陽射しも弱く、ほとんどの家が静まり返っている。だが、宿はそうではないようだ。煙突から煙が出ているのが見える。朝食の支度をしているのだろう。

 

「もう起きているだろうか?」

 

 思い出すのは昨夜のステラとフォンの様子。片や子供のようになっていたステラと、糸が切れたように眠るフォン。あれで本当に今日ナジミの塔へと向かえるのだろうか?

 宿屋の扉を開ければ、そこには宿帳を眺めているだろう主人がいた。静かに中へと入りフォンやステラが泊まっている部屋を聞こうとした時だ。

 

「おや、随分早いお越しじゃないか」

「……戦士殿」

 

 受付から少し離れた場所にあるテーブル。そこに鎧姿ではない戦士殿の姿があった。

 おそらく”ぬののふく”だろう物を着ていて、印象が変わっているから一瞬誰かと思った程だ。その手には湯気を立てるカップがある。何を飲んでいるのだろうか。

 

「あの二人なら部屋で死んだ顔してこれを飲んでるよ」

「これと言うと?」

「どくけしそうを混ぜて淹れたお茶だ。二日酔いにはこれが効くんだよ」

「ふつかよい?」

 

 知らぬ言葉だ。それに”どくけしそう”を混ぜるとはどういう事なのだ? もしや酒には弱い毒でも入っているのだろうか?

 

「何だ、二日酔いも知らないのか。ま、簡単に言えば酒の酔いが翌日にも残ってる状態だ。で、酷く気分が悪い。私はそうじゃないが今日はナジミの塔へ向かうんだろ? なら酔いを残してたら何かあった時に困る。で、どうせならとあの二人にも振舞ってきたのさ」

「それは有難い。戦士殿に感謝を。それで、二人はどうなのだろうか?」

「武闘家は死んだような顔をしてる。僧侶の方は多少辛そうだがマシな方だ」

 

 それを聞いてフォンが酒に弱いと言っていた事を思い出した。まさか死んだような顔になるとは。酒には生者を亡者にするような効果もあるのだろう。必ず今後は飲酒を制限しなくては。

 

「それにしても、戦士殿は物知りと見える。その茶の事も旅の中で知ったのだろうか?」

「……ま、そんなもんだよ」

 

 一瞬だがしまったという顔をした戦士殿に違和感を覚えた。何か今の問いかけに戦士殿が不味いと思う事があったのだろう。だが、一体何がそう思わせたのか分からない。

 そこから戦士殿が黙ったので、私も特に話す事がないため黙る事に。すると、そこへ主人の奥方と思わしき婦人が現れた。

 

「お客様、朝食のご用意が出来ました」

「そうか。なら、私の分は私の部屋へ頼む」

「かしこまりました。お連れ様の分はいかがしますか?」

「それはあの二人の部屋へ運んでやってくれ」

「はい、ではそのように」

 

 一礼してまた戻って行く婦人を見送り、戦士殿は私へ視線を向けた。

 

「で、そっちはどうする?」

「私は私で食事をしてきます。酒場への道がある方の出入り口で待ち合わせましょう」

「分かった。じゃあな」

 

 話は終わりだと言うように戦士殿は椅子から立ち上がると、カップをテーブルに置いて部屋の方へと歩き出す。

 

「……さて、私も行くか」

 

 奥の方から漂ってくる匂いで腹の音が鳴りそうだと感じ、私は宿を後にした。外へ出ると幾分町が賑やかになっていて、道行く人の数も増えている。陽射しも僅かではあるが強くなっていて、朝が本格的に始まったと感じられた。

 

 そんな中を歩きながら、私は昨日昼食を食べた店へと向かう。店へ近付くにつれ、パンを焼くような香ばしい香りが漂ってくる。

 

「……生きているとは、いいものだ」

 

 匂いを嗅げば、パンの匂いだけではない事が分かってくる。スープのものなのだろう優しい匂いもあれば、行き交う人々の巻き上げる砂埃だろう匂いもあった。

 視線を上へ向ければ二階の窓から顔を出し、衣服を干している者などもいる。どこを見ても活気があった。生命の息吹があった。

 

 店に到着すると、中には数人の客の姿があった。私も扉を開け中へと入る。

 

「いらっしゃいませ。あれ? 今朝は一人?」

 

 私に気付いて店員が声をかけてきた。昨日も応対してくれた少女だと思い出して私は頷く。

 

「そう。じゃあ、好きなところに座って。あっ、注文は決まってる?」

「いや、まだだが、昨日のように貴女の勧めに従おうと思うのだ。いいだろうか?」

「あたしのオススメね。じゃ、産み立て卵のパン粥かな」

「ではそれを一つ」

「はーい」

 

 椅子に座り、店内を見回す。誰もが笑顔で食事を楽しんでいる。それが、私に笑みを浮かばせてくれる。これこそが平和であり平穏なのだ。これを守りたくてオルテガ殿もアルスも魔王を倒そうと誓ったのだろう。

 

 そうやって店の中や店の外を眺めている内に腹から空腹を告げる音が鳴り、私は視線を厨房へと向ける。すると先程の店員が何かの料理を持って近付いてくる。あれが私の注文の品なのだろうか。

 

「はい、お待ちどうさま。産み立て卵のパン粥です」

「おおっ……」

 

 乳白色のスープに少し焼いたのだろうパンが浸かり、その上に太陽を思わせるように卵が乗っている。

 共に運ばれてきた匙を使い、私はその料理の味を楽しんだ。御代を払い、店を出るとすっかり町はいつもの様子となっていた。

 

 活気に溢れる街中を歩き、私は待ち合わせ場所である方の出入り口へと向かう。

 

「勇者様~っ!」

 

 視線の先に出入り口が見えてくると、私を待っていただろう戦士殿達の姿が見え、ステラなどは大きく手を振ってこちらを呼んでいた。

 軽く駆け足をして彼女達と合流すると、フォンだけ顔色があまり良くないように見えた。

 

「フォン、大丈夫か? 顔色が優れないようだが……」

「正直まだ本調子じゃないわ。でも、あいつのくれたお茶のおかげでかなりマシになった方よ」

「はい、よく効きました!」

 

 辛そうにだが笑みを浮かべるフォンと、明るく笑顔を見せるステラ。こうも違うとは驚きだ。酒に弱いというのはかなり大きな事なのだな。

 

「ま、昼ごろには武闘家も復調するだろう。で、このままナジミの塔へ向かうのか?」

「正直言えばフォンの体調が良くなるまで待ちたいですが、昨日ルイーダ殿から聞いたナジミの塔への裏道へ行ってもみたい。戦士殿の腕前を見せていただきたいし、こちらの力量も見ていただきたいと言う気持ちもある。ただ……」

「フォンさん、どうです?」

「どう、ね……」

 

 ステラがフォンを心配そうに見つめる。戦士殿はわれ関せずとばかりに空を眺めていた。

 そしてフォンが私の方へ顔を向ける。その表情はやはり辛そうに見えた。

 

「ごめん、勇者。出発、遅らせてもらっていい?」

「いや、構わない。それなら、まず私が戦士殿と二人でこの近くの魔物を相手に力量を見てもらう事にしよう。ステラ、フォンの傍にいてやってくれ。それと、これを。何か必要になったら使ってくれ」

 

 ”ふくろ”からGの入った袋を取り出してステラへ渡す。何かあればそこから要る物を調達出来るようにだ。

 

「分かりました。フォンさんの体調が良くなったら合流すればいいですか?」

「いや、私と戦士殿が互いの力量を見たら戻ってくる。おそらくそんなに時間はかからないだろう。だから、どこかで待っていてくれ」

「宿屋にいるといい。受付近くのテーブルについて、そこで僧侶が何か頼んで飲めば向こうも邪険には扱わないだろう。武闘家には水を飲ませてやれば幾分酔いも早く抜ける」

「成程。ステラ、だそうだ。フォンと共に宿屋で待っていてくれ」

「そうですね。では、そのように。フォンさん、行きましょう」

「うん……。勇者、ごめんね。それと、そっちもありがと」

 

 ステラに寄り添われながらフォンはゆっくりと歩き出す。その背をある程度見送り、私は戦士殿へ向き直って一礼をする。

 

「感謝する戦士殿。正直呆れられて、昨夜の話をなかった事にされても仕方ないと思った」

「ま、それも思わなくはなかった。だけど、私にも責任の一端はあるからな」

「そう言ってもらえると助かる。では、行こう」

「ああ」

 

 私が動き出すのと同時に戦士殿も歩き出す。隊列も何もなく、二人で横並びで歩いて外へと出た。さて、まずは私が先に腕を見せるべきだな。

 

「戦士殿、先に私の腕を見てもらいたい。いいだろうか?」

「いいよ。で、相手はどうする? 選ぶか?」

「いや、実戦であれば選ぶなど有り得ない。最初に遭遇した魔物で構わない」

 

 そう告げて私は”どうのつるぎ”を手にする。念のために”こんぼう”をすぐ装備出来るようにしておき、私は周囲を注意しながら歩き出す。

 戦士殿は私から少し距離を取ってついてきていた。そうやって城下町を囲う壁に沿って少しだけ歩いていると、やがて前方にいっかくうさぎが二匹とスライムが一匹の群れを見つけた。

 

「……やるか」

 

 幸い向こうはまだこちらに気付いていない。静かに接近し、まずいっかくうさぎを先に仕留める。そう考えて私は動き出す。

 周囲へも意識を配り、他の魔物がいないかどうかを確認し、私はその場から走り出した。そして勢いを乗せたまま跳び、近い方のいっかくうさぎへ斬りかかる。

 

「っ!」

 

 まずは一匹。”どうのつるぎ”の攻撃力によって一撃で仕留める事が出来た。そのままでは他の魔物から攻撃されるので、すぐにローリングで移動を兼ねた回避を行い距離を取る。

 顔を上げれば、残ったいっかくうさぎが怒りに燃えているようにこちらへ突進してきた。すかさず”こんぼう”を取り出して投擲する。それが突進してきたいっかくうさぎへ当たり、勢いを殺した瞬間、素早く駆け寄って一撃。

 

「残りは……っ!」

 

 いっかくうさぎが立て続けに倒れた事でスライムは逃げ出していたが、その動きはただ真っ直ぐに逃げているだけ。なので出現したGを拾い、逃げるスライム目掛けて投擲。見事それがスライムを貫いて戦闘は終わった。

 

「……こんなところか」

 

 空を飛ばず呪文も使えないこの付近の魔物相手なら、複数いても一人で対処出来るようになっているようだ。そこに装備の強化と肉体の成長を感じ取り、私は小さく頷いた。

 

「やるじゃないか。というか、初めて見たな。武器やGを投げて攻撃に使う奴は」

 

 私が”こんぼう”やGを拾っていると、戦士殿が感心するようにそう言って近づいてきた。その反応はフォンやステラで慣れているので別段驚く事ではない。

 

「生き残る事を優先している私としては、最悪Gなどは失っても構わないからだろうな」

「成程ね。まぁ、父親に死なれた奴としては分からなくない発想か」

 

 私をどこか挑発するような言い方だ。おそらくフォンであれば怒りを露わにしていただろう。だが、生憎私にはそこまで感じる事はない。

 

「では、次は戦士殿の腕前を見せていただけるだろうか?」

「ああ、いいよ」

 

 そう返して戦士殿は金属製の斧と盾を手に持ち、周囲を軽く確認するや私へと向かってきた。

 

「っ!? 戦士殿! 何をする!」

 

 振り下ろされた一撃を何とか回避し私は戦士殿へ叫ぶ。だが、それに返ってくる言葉はない。代わりに再度戦士殿の一撃が襲い掛かってきた。

 

「くっ!」

 

 ローリングでかわし、再度ローリングを二回して距離を稼ぐ。起き上がれば戦士殿がこちらへ向かって走ってきていた。

 

「気でも触れたかっ!」

「私は正気だよっ!」

 

 まともに打ち合ってはこちらが負ける。そう察して私は後ろへと下がった。間合いをずらしたおかげで戦士殿の一撃は空を切って地面へと刺さる。

 その間に私は壁まで距離を取る事が出来た。回避する方向が限られるが、上手く壁へ斧の一撃を誘導できれば大きく隙が出来る。

 

「壁を背にする、か。普通なら怖くなっての行動だと思うだろうが、お前はそうじゃない。目が怯えていないし諦めてもいないからな」

「戦士殿、何故こんな事をする? せめて訳だけでも教えて欲しい」

 

 じりじりと距離を詰めてくる戦士殿へ私はそう問いかけた。ここがあの世界であれば戦士殿も正気を失い亡者と化したと判断出来るが、この世界に亡者となる不死は存在しない上にダークリングの呪いもない。

 だからこそ聞きたいのだ。何故突然私を襲ってきたのかを。その理由と意味を、知りたいと思ったのだ。

 

「こんな時でも冷静か。ああ、いいよ。とはいっても、訳なんて簡単さ。お前が言ったように腕前を見せてるんだ。そして、お前の本当の腕前もな」

「一つ間違えばただ事では済まないぞ」

「だからこそこれ以上ない腕の見せ所だろ? ああ、言っておくが私はお前を殺すつもりでいく。そっちは好きにしな」

 

 その言葉に私は”どうのつるぎ”を握る手が震えた。それは恐れからのものではない。怒りからの震えだ。

 何故人間同士で殺し合いをしなければならないのか。どうしてそんなにも簡単に人を殺すと言えるのか。あの闇に包まれた世界ならばともかく、この光溢れる世界で何故そんな悲しい事を告げ、行おうと出来るのか。

 

 そう思った瞬間、ある事に気付いて、私は空いている片手に”こんぼう”を握った。

 

「へぇ、両手に武器とはね。珍しい事をするもんだ」

 

 私の行動を見て興味深そうな声を出す戦士殿だが、その顔は警戒心を見せている。こちらとしてもその方が助かると言うものだ。私がやろうとしている事を成功させるには、戦士殿の注意を両手にある武器へ惹き付けるしかないのだから。

 

 その場から動かない私へ、ゆっくりと距離を詰める戦士殿。私は視線を戦士殿の目から逸らさず、ただ時を待った。行動を起こすべき、その時を。

 

「……何を考えてるか知らないが、鉄で出来たこれなら、こんぼうどころかどうのつるぎさえもその一撃を防げない。大人しく降参すれば命だけは助けてやるよ」

「その代わり戦士殿は仲間にならない。それでは意味がないのだ」

「……こんな事をするような奴でも?」

「ああ、そうだ。逆に言えば、こんな事をしてまでも私の力量を知りたいと思ってくれたと考える事も出来る。それだけ私、いや勇者というものへの期待の表れなのだろうな」

「…………残念だ。もしお前がもっと早く生まれていれば、私はお前の望む形で仲間になっただろうに」

 

 心の底から悲しそうな声を出して戦士殿は一瞬だけ目を閉じる。が、すぐに目を開けると私との距離を一気に詰めてきた。

 

「ここだ!」

 

 私は手にしていた”こんぼう”を踏み込んできた戦士殿の顔へ投げる。が、それを読んでいたのだろう。戦士殿が手にした盾でその一撃を弾く。

 

「やはりそうきたな!」

 

 読みが当たった事で戦士殿が勝利を確信するかのような声を上げる。だが、私は慌てず次の行動を取った。空いた片手で先程拾ったGを全て握り締めて戦士殿へと投げつけたのだ。

 

「なっ!?」

 

 盾で顔を守れば視線が僅かでも遮られる。その隙を突いてGを握り、狙いをしっかりつけず戦士殿目掛けて投げつければどうなるか。

 狙いはバラバラだが戦士殿へとGは向かい、顔や武器を持つ手へと迫る。盾をどかした瞬間、そんな光景を見れば大抵の者は多かれ少なかれ動揺する。

 それに、一つであれば盾で防げるだろうが、それが複数で同時に襲い来れば盾では防ぎきれない。目晦ましと牽制をかねた攻撃に戦士殿もさすがに狼狽えたようだ。

 それでも盾で防ぎながら、斧で顔に飛んできたGを弾き落とす辺りは凄いと言える。ただ、その優秀さ故に戦士殿は気付いたようだ。私が何を狙ったのかを。

 

「……これで終わり、として良いだろうか?」

「…………ああ、終わりでいい」

 

 飛んでくる攻撃へ咄嗟に反応して、顔を守るために意識を私ではなくGへ向けた事。その隙に私は戦士殿の懐へ入り込んでその心臓辺りへ剣の切っ先を突き付けたのだ。

 

「そうか。……ならば、ナジミの塔から帰ってくるまでは仲間でいてもらえるか?」

「それでいいのか?」

 

 剣を収め、私が戦士殿の意思を確認すると、軽く驚きを含んだ声が返ってきた。だが、私とすればそれでいい。

 

「ああ、それでいい。私は、この太陽の光に胸を張れる生き方をしたいのだ」

「っ……」

 

 最初に交わした約束はそうだった。ならば、この結果を以ってそれを変えさせるのは違うと思う。例えだまし討ちに似た事をされても、相手を憎む事も恨む事もしたくない。

 あの世界で、そんな事は嫌と言う程してきたのだ。この光溢れる世界では、そんな闇を抱えたくない。馬鹿にされても、傷付いても、それでも私は光に向かって胸を張れる者でいたいのだ。

 

「さあ、戦士殿、宿へ向かおう。フォンの様子が気になる」

「待ちな」

 

 そう告げて私は先んじて歩き出すも、戦士殿から呼び止められる。何事かと思って振り向けば、戦士殿は手に何かを持って見せてきた。

 

「G?」

「拾っていかないでいいのか? この大陸を越えた場所で売ってる武器や防具はどれも高いぞ」

 

 告げられた内容に私は首を捻る。どういう事だろうか。この大陸を越えるなど、まだ先の事になるというのに。

 そんな私を無視するように戦士殿は近くのGを拾い集め、こちらへと差し出してきた。せっかく拾ってくれたのだ。有難く受け取ろう。

 

「戦士殿に感謝を。それで、先程の話なのだが」

「この大陸にはアリアハンとレーベぐらいしか人の住む場所はない。いざないの洞窟にある旅の扉を使ってロマリアへ行けば、はがねのつるぎが売っている。ただし、1300G必要だ」

 

 金額を聞いた瞬間、私は頭を抱えたくなった。320Gのくさりがまでさえ大金と思っていたところへ告げられたのが四桁の販売額だ。

 一体どれだけの魔物を倒せば手に届くのだろう。そうやって思い出せば、戦士殿の装備はこちらで見た事のない物ばかりだ。つまり、他の大陸で手に入れた物なのだとそこで気付いた。

 

「戦士殿の装備もそこで?」

「いや、これはまた違う場所で買ったものだ。さて、じゃあ宿へ向かうとしようか。で、少し早いが昼食を食べてナジミの塔を目指すぞ。塔の中なら昼も夜も関係なく魔物が蠢いているからな」

「そうか。戦士殿、貴重な情報に感謝を。まだ私は知らない事が多い」

 

 道中は夜間の行動を避けるべきと教えてもらったが、まさか建造物の中は関係ないとは思わなかった。ただ、おそらくだが昼間の方が視界などは良いだろうから、出来る限りその時間帯を狙うべきだろうとは思う。

 

「別にいいって事さ。それにしても、お前はよく分からない奴だよ、やっぱり」

「そうだろうな」

「は?」

 

 私自身も私が分からない時があるのだ。そう思っての反応に戦士殿が訝しむような顔をする。それに私は思わず笑みが浮かんだ。

 

「いや、何でもない。意外と自分の事は自分が一番分かっていないかもしれないと、そう思っただけだ」

「……やっぱり分からない奴だよ、お前は」

 

 先を歩く私の後ろを戦士殿が続きながら小さく苦笑したのが聞こえた。やがて町への出入り口が見えたところで、戦士殿からこんな事を言われた。

 

―――それにしても、よくあんな思い切った事が出来たな。私が顔への攻撃を防がなかったらお前は死んでいたのに。

―――戦士殿も女性故、顔は傷を作りたくないと考えるかと思ったのだ。

 

 その時はそう返したが、本当は違う。戦士殿からは殺意を感じられなかったのだ。殺気までは出せても、人相手に殺意までは出せないのだろう。

 故に私はあんな行動に出られたのだ。あの世界で嫌と言う程味わった、殺意と言う名の圧力。それを欠片として出していなかったから、戦士殿がまだ人を殺した事はないと分かったために。

 

 願わくば、私もこちらでは殺したくないものだ。人を殺す感触や感覚は、あまり良い物ではないからな……。




仲間は戦士を入れて固定とはいきません。ただ、ルイーダの酒場で仲間を加えるのは当分ないとだけ。
ドラクエ3をクリアした方ならお分かりでしょうが、途中どうしても商人を入れる事が必要ですし、可能ならば全職業を何らかの形で仲間に加えて描きたいと思っています。
ただ、可能ならば、ですが。


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いざ、ナジミの塔へ

かわのよろい

皮で作られた鎧。軽量の割に丈夫で防御力もある優れもの。これとかわのたてを持てば立派な冒険者の端くれとなろう。
もし金属製の鎧を買う事があっても、その重量で戦い方を変える事になるのならこれを装備する方がいいかもしれない。

防御力とはダメージを減らす力。よくよく考えて装備を選べるのが、本当の冒険者というものだ。


 湿気の多い洞窟内を私達は歩く。初めての”ダンジョン”は、ルイーダ殿の言っていたレーベ近くの裏道からの洞窟となった。

 

 あの手合せの後、私は戦士殿と共に宿へと向かい、そこで普段よりも大人しいが顔色は戻ったフォンを見て予定通りの行動を決意。

 早めの昼食をとり、私、戦士殿、ステラ、フォンの隊列で一路レーベ付近にあるナジミの塔への裏道を目指したのだ。

 

 戦士殿がそこをある程度知っていた事もあり、さしたる問題もなく到着。こうして階段を下りてきたのだが、やはりというか知らぬ魔物達がそこには存在していた。

 

「あれがおおありくいだ。特に厄介な行動はないが、あるとすれば稀にあの長い舌でこっちを舐めてくるぐらいか」

「うぇ~、最悪の攻撃手段だわ」

 

 前方に見える魔物について教えてくれる戦士殿だが、それを聞いたフォンとステラが嫌そうな顔をする。

 私からすれば舐めてくるぐらい別に気にもしない。その唾液に毒があるかどうかの方が不安なぐらいだ。

 

「戦士殿、その唾液に毒性はないか?」

「ないよ。にしても、そういう方へ意識がいくか。やっぱあんたは冷静だよ」

 

 そう言って小さく笑うと、戦士殿は私へ向かって頷いた。それが攻撃開始の合図と察し、私は頷き返すと同時にフォンやステラへも目配せする。

 二人もそれに小さく頷き、揃って後方を警戒してくれる。これで背後からの奇襲はないと言っていい。

 

「戦士殿、私が右から行く」

「分かった。私は左へ回り込んでおく」

 

 その直後私は”どうのつるぎ”を構えて走り出す。その音で魔物がこちらへ気付くも遅い。その速度を乗せたまま、私はおおありくいの横を走り抜けるように体を滑らせて、通り抜け様に剣でその脇腹を薙いだ。

 痛みに呻くおおありくいは、自身の生存を優先したのだろう。私が即座の行動を出来ないと踏んでその場から逃げ出そうとした。

 

「待ってたよ」

 

 が、その逃走先には斧を持った戦士殿が待っている。憐れにもおおありくいはその場で真っ二つにされ、Gとなって消えた。

 

「ま、一匹ならこんなもんさ」

「……思った程強くないのだな」

 

 正直これならおおがらすやドラキーの方が恐ろしい。やはり特殊能力があるのは厄介だと改めて思う。

 

「こいつはな。塔の中にいるじんめんちょうは幻惑呪文(マヌーサ)を使って来るし、フロッガーなんかは防御してくる事もある。まぁ、ここはそういう意味で冒険者のふるいさ」

「ふるい……」

「ああ。ここへ来て無事に帰れるか。それが出来る奴は今後も冒険者として何とかなるだろうし、出来ない奴はそれまでだ」

 

 そう言って戦士殿は少しだけ手にした斧へ視線を向ける。その表情は何かを思い出しているように見えた。

 

「勇者、終わった?」

「ああ、見ての通りだ」

「良かったです。ですが、やはり閉所というのはどこか落ち着きませんね」

 

 ステラの言葉に私は内心で首を横に振った。閉所の方が注意を向ける場所が限られる分気が楽だと思っているのだ。

 無論安心出来ないのは同じではあるが、全方位を警戒しなくてもいい分、若干ではあるが外よりもマシとも言えるために。

 

「そうね。でも、ここなら例えおおがらすが出てきても余裕よ。天井があるからね」

「そうだな。さっき言ったじんめんちょうも飛行しているが、おおがらす程高くは飛ばない。塔内で現れても同様だ。ただ、塔の外へ逃げようとした時は追い駆けるなよ?」

「何故だろうか?」

 

 手負いの魔物を逃がしては、傷を癒した後で人へそれまで以上に襲い掛かるのでは。そう思う私にとってその戦士殿の意見は受け入れ難いものだ。

 

「簡単だ。もし塔の外へ落ちたらどうする? 合流は言う程簡単じゃないぞ。それに、最後の抵抗とばかりに呪文を使われたらまともに受け身も取れない。それで手に入るのはたった4Gだ。要は、危険性に見合わないのさ」

 

 何とも単純明快だ。深追いは危険とよく言うが、今回はまさしくその通りだろう。

 それにしても、塔から落ちるか。どうしてこうもまたあのカタリナの騎士を思い出す事が多いのだろう。

 彼と初めて会ったのも塔だった。今も鮮明に思い出せる。あのリフトから現れた時の衝撃は。

 

―――おお! すまぬ。考え耽っていた。私はカタリナのジークバルド。

 

 目の前に変わった形状の全身鎧を着込んだ騎士が現れたかと思うと、こちらを無視してリフトから降りるや唸り始めたのだから。

 

「とりあえず先に進みませんか? 正直ここよりも外の空気が吸える方がいいです」

「うん、あたしもそれには同感」

「なら進むか。ほら、行くよ」

「分かった」

 

 いかんな。私もあの時の彼のように考え耽ってしまいそうだった。

 三人に押されるように私は歩を進める。程なくして三叉路に出た。正面奥に階段。右と左は分からないが、おそらくあの階段が塔へ繋がっているのだろう。

 

「分かれ道、か。でも、正面に見えてる階段が正解、よね?」

「多分そうでしょう。今まで歩いてきた感覚からも、あの上辺りが小島になるはずです」

「戦士殿、もし知っていれば右と左はどうなっているか教えてもらえないだろうか?」

「私達から見て右は、岬の洞窟へ続いてる。左は、多分アリアハンへ続いてると思うが扉があって道が塞がれてる」

「そうなんだ。って、いいの? そんなベラベラ教えて。ここ、冒険者としてのふるいなんでしょ?」

「そうだ。だからこそ私はお前達に教えてるのさ。私の言った事を自分達で確かめる事もせず鵜呑みにするのか否か。それもまた冒険者に必要な事さ」

 

 どこかからかうように告げ、戦士殿は小さく笑う。フォンは何か言いたそうにしていたが、諦めたように息を吐くと私へ視線を向けてきた。

 おそらくどうするのかと聞いているのだろう。戦士殿の情報を信じて確認せずに進むのか。あるいは念のために確認しておくべきか。どちらにするのかと、そうフォンは尋ねているのだ。

 

「確認はしなくてもいい。先に進もう」

「いいのですか?」

「ああ。今の話を聞いていたが、戦士殿は一度もあの階段が塔へ続いていないとは言わなかった。左右の道が洞窟やアリアハンに続いている事を教えてくれたが、正面の階段については一切触れなかった事から判断すると、あれが塔へ続いているのは間違いないのだろう。なら、今は先を急ぐべきだ」

 

 おそらくだがその扉を開ける鍵はナジミの塔にあるはずだ。だからこそわざわざ戦士殿はアリアハンへの道は扉で閉ざされていると教えたのだろう。

 

「……ま、お前が決めたのならそれでいいだろう。武闘家と僧侶もそれで異論はないみたいだしな」

 

 その言葉に二人が頷いてくれたので、私達は真っ直ぐ階段を目指した。そしてその階段を上ると空気が変わる。

 これは、海からの風だ。微かに香るこれは潮の匂いだろう。先程までとは違うそれにステラやフォンが笑みを見せていた。

 

「さて、ここからだな。勇者、まずはどう進む?」

 

 だが戦士殿は違った。すぐさま私に声をかけ、目の前に見える三つの行先から進行方向を決めろと話を振ってきたのだ。

 

「……正面に進む。遠くに光が見える事からおそらく出口がそこにある。なら、行き止まりではないだろう。途中でまた道が分かれた時に考えさせて欲しい」

「よし、聞いてたな? もうここからは魔物どもの棲み処だと思え。武闘家、背後に気を付けろ」

「分かってるわよ」

「ステラ、貴女は頭上を警戒してくれ。そこに張り付いている可能性もある」

「分かりました」

 

 あの世界での経験からそう注意すると戦士殿が私を見て微かに目を細めた。いかんな。やはりどうも私の言動を戦士殿は気にしているようだ。

 だが、例え私の事をどう思われようともステラ達の命には代えられない。彼女達は不死ではないのだ。

 

 周囲を警戒しつつ歩き出す私達。塔内はそれなりに広く、戦う事も難しくない空間と言える。天井までもそこまで高くなく、これならば飛行する魔物相手でもフォンと戦士殿が協力すれば対処は可能と思う。

 

 少し進むとまた道が三つに分かれた。左右と正面だ。

 

「勇者様、また道が」

「どうするの? まだ真っ直ぐ?」

「……真っ直ぐ行こう」

 

 あの世界であれば迷う事無く全ての場所を調べ尽くしただろうが、それは死んでもやり直せるからだ。

 そうでなければ、罠があるかもしれない場所を虱潰しに探し回るなどしない方がいい。まずは出口付近まで行こうと思い、私は歩を進める。

 

「待って。後ろから魔物が近付いてくる」

 

 出口までもう少しとなった時、フォンがそう声を発してくれた。振り返れば歩いて来た方向から、いっかくうさぎや蛙の魔物がやってくる。

 

「あの蛙みたいなのがフロッガーだ。こっちに気付いてるね、あれは」

「勇者様、どうしましょう?」

「フォン、いっかくうさぎを頼む。戦士殿は出口側から魔物がこないか警戒を。ステラは戦士殿の傍で私達の様子を見ていてくれ。危なくなったら癒しを。私がフロッガーを相手にする」

「よし、後ろは私がしっかり見張っててやる。しっかりやってきな」

「勇者様、フォンさん、気を付けて」

「任せて! 行くわよ勇者っ!」

「ああっ!」

 

 見慣れているいっかくうさぎならフォン一人で十分相手に出来る。初めて相対するフロッガーは、戦士殿の情報を確認する上でも自分で相手をしたかったのだ。

 

 私達が向かってきた事で魔物達も応戦するように動き出す。いっかくうさぎはフォンへと突進していくのが横目で分かった。

 私は手にした剣へ力を込め、フロッガーへと迫る。動きを注視しながら、先制攻撃しようと私は”こんぼう”を投擲する。

 

「ゲロッ?!」

 

 まさかの攻撃に驚いたのかフロッガーは声を上げるも、何とその両腕で顔を守るように動かした。

 ”こんぼう”はそれに弾かれて床を転がる。だが、フロッガーが顔を出す事はなかった。そのまま私の剣による一撃ががら空きの腹を貫いたからだ。

 

「本当に防御するのだな」

 

 情報が本当であれ嘘であれ投擲で戦いを有利に出来ると思っていた。結果としては戦士殿の教えてくれた情報は、フロッガーに関しては事実だったと言える。

 私は落ちているGを拾い金貨袋へ入れる。と、そこへ入れられる更なるG。見上げればフォンが笑みを浮かべて握り拳を見せる。

 

「そちらも無傷か」

「当然。あの蛙はどんな感じ?」

「こちらの攻撃を防御してきた。そこまで打たれ強い訳ではないだろうが、一撃で仕留めるならその前に防御を誘う動きをするべきだ」

「フェイントか。うん、分かった。相手する時は意識してみる」

 

 軽い情報共有を行い、フォンと共にステラ達の傍へと戻る。戦士殿は出口へ目を光らせていたが、私達が戻ってきた事に気付いて顔をこちらへ向けた。

 

「勇者様もフォンさんもご無事でなによりです」

「まあね。一対一なら怖くはないわ」

「戦士殿、情報に感謝を。おかげで苦労する事なく倒せました」

「そうか。で、どうするんだ?」

 

 もう出口が近い。一旦出るのか、それとも分かれ道を調べてみるのか、どうするべきかと私は考えた。

 外に出たとしても進展はない。目的はこの塔の探索なのだ。ならば戻るしかないのだが、闇雲に調べ回るのは体力や魔力が尽きる可能性を上げるだけ。

 

「みな、意見を聞かせて欲しい。調べるとしても手当たり次第では疲労を増すだけだ。かと言って私には上へ辿り着けるための明確な指示は出せない」

 

 私がそう告げるとステラとフォンが考え込むように思案顔になった。戦士殿はそんな二人や私を見てどこか笑っている。

 おそらくだが戦士殿は正しい道を知っているはずだ。だからこそ私は敢えて戦士殿だけに意見を聞く事を避けた。それではきっと今後の私達のためにならないと思ったからだ。

 

 今回はいい。内部を知っている戦士殿を頼り、目的の場所まで最短距離で辿りつけるだろう。だが、今後はどうする?

 いつだって誰かがそのダンジョンの構造を知っている訳ではない。そうなった時、私達はどう動きどう判断するかに迷う事になる。

 そういう意味でも、ここは腕試しの場なのだ。未知なる場所でどう行動するのか。その思考を、動きを磨く場なのだろう。

 

「……あっ、こういうのはどうでしょうか?」

「何だろうか?」

「おそらく上へ続く階段からは風が流れているはずです。風の流れを辿れば、上へ近付けるかと」

「成程ね。さすが僧侶、頭いいじゃない」

「ふふっ、それほどでもないですよ」

 

 フォンに褒められ嬉しそうに笑うステラ。ならばとばかりにフォンが自分の指を口で軽く咥えた。

 

「……こっちから流れてるわね、当然」

「出口があるからな」

「ですが、歩いていればその流れる強さが変わるはずです。来た道を戻ってみましょう。上がってきた階段とは別の場所へ風が流れていれば、そこに別の階段があるはずです」

「そうね。じゃ、勇者、先頭よろしく」

「分かった」

 

 フォンのように指を唾液で濡らし、私は指に感じる風の流れを頼りに道を進む。すると、途中の分かれ道で左から風が流れている事が分かった。

 

「左から風を感じる」

「なら左へ行ってみましょ」

 

 その先にある部屋へと入ると上への階段を見つけた。どうやらこの方針でいいようだ。

 

「ありましたね」

「そうね。この調子で登っていきましょ」

 

 ステラとフォンのやり取りを聞きながら私は階段を上がる。上がった先でもいきなり道が分かれていた。真っ直ぐか右へ行くかだ。

 なので私は迷う事なく同じ方法で進む道を探す。風は……若干正面の方が強く流れているか。

 

「まずは正面へ進もう」

 

 誰も異論はないようで、私達は迷う事なく真っ直ぐ進む。階段のあった部屋を出ると一部の壁がなくなった。どうやら塔の外周部らしい。

 

「うわ、壁がないわ」

「ここから落ちたら……ただでは済みそうにないですね」

「そうだ。だから落ちないようにな」

「分かってるわよ」

 

 後ろから聞こえる話し声に耳を傾けながら、私は前方の警戒を続ける。こんな場所で戦闘となれば落下死の可能性が出てくるからな。

 あの浮遊感と体が地面へ激突した時の感覚は出来れば忘れたいものだ。何度経験してもついぞ慣れる事はなかったものの一つだ。

 

「む……」

 

 前方にこちらへ背を向けて歩くおおありくい達を見つけた。今なら不意打ち出来るな。そう思って私は魔物達へ目を向けたまま、後ろの三人へ声をかける事にした。

 

「みな、前方に魔物達を見つけた。まだこちらに気付いていない。先手を打つなら」

 

 今だ。そう言おうとしたその瞬間だった。

 

「不味いっ! 背後を取られた!」

「っ?!」

 

 戦士殿の声で私は反射的に振り向いた。そこにはフロッガーが二匹と、初めて見る魔物の姿が二匹あった。羽があるという事は、あれが”じんめんちょう”なのだろうか?

 

「ごめんっ! ちょっと気が抜けてた!」

「勇者様っ! 指示を!」

「フォンと戦士殿はフロッガーを! 私は残りを相手にする! ステラ、背後から魔物達が戻ってきたら教えてくれ! 挟撃の上奇襲は避けたい!」

「はいっ!」

 

 私が指示を出した瞬間、返事する事もなくフォンと戦士殿が動いた。私もそれに続けとその場から走り出し、ステラはその場から背後へと注意を向けた。

 

「そいつがじんめんちょうだ! マヌーサに気を付けろっ!」

「心得たっ!」

 

 戦士殿からの助言へ返事をし、私はこちらを睨み付ける二匹の魔物へと向かう。

 右手に握った”どうのつるぎ”を構えると同時に、左手に”こんぼう”を握る。ここでは装備の投擲はしない方がいいと判断したのだ。

 外壁のない場所で投擲を行えば、避けられた際に装備を失いかねない。Gであればまだ諦めもつくが、装備はさすがにそうもいかないために。

 

「まずは……っ!」

 

 隣り合って飛ぶじんめんちょう達。私は向かって右側へと斬りかかる。それを避けようとするじんめんちょうだが、その動きは思ったよりも鈍い。

 が、それに何か嫌なものを感じ取り、私は攻撃を中断すると同時に後方へとローリングで回避行動をとった。

 

 すると、先程まで私のいた場所へ何か霧のようなものが出現して消える。

 

「今のは……」

 

 ふと見ればじんめんちょうの一匹がこちらを見て悔しげな顔をしている。もしや、先程のが幻惑呪文なのか?

 成程。一方が相手の注意を惹いたところで残りが幻惑を仕掛けるか。魔物とは言え知恵はある事を忘れていたな。今後の戒めとしよう。

 

「だが、知恵があるのはこちらも同じだ」

 

 私へ迫るじんめんちょう達だが、その背後には既に風のように素早い者が立っていた。

 

「はっ!」

 

 フォンの一撃が背後からじんめんちょうを貫いて消滅させる。それに驚く暇もなく、残った一匹も斧によって両断された。

 

「お見事」

「こいつらが勇者に気を取られてたからね」

「ああ。だが、まだ油断は」

「勇者様っ! 魔物がこちらへ!」

 

 戦士殿の言葉を遮るようにステラが叫ぶ。見ればおおありくい達がこちらへ向かって来る。どうやら先程の戦闘で気付いたようだ。

 

「ステラ下がれ! 二人共、行くぞ!」

「「ああ(ええ)っ!」」

 

 その後、無事おおありくい達を倒して私達は先を進んだ。途中で一度道が分かれたが、そこからは風が流れてこないので素通りし、突き当りの部屋へと入って階段を見つけた。

 

「順調ね」

「はい」

「だが、順調な時ほど気を付けないといけない。知らず気が緩んでしまう」

 

 フォンとステラから緊張感があまりにも感じられないため、私は過去の経験から注意を行う。

 戦士殿が頷いていたので、私が言わなければおそらく彼女が同じような事を言ってくれただろう。

 

 そうなのだ。どうしても最初は緊張感があり、注意力や集中力も十分あるため大事にならず進む事が出来る。

 だが、そうなってくると気付かぬ内に気が抜け、注意力や集中力が欠けてくるのだ。そしてその結果、最悪の状態で最悪の状況を招く事になる。

 

 イルシールがそうだった。特にあそこは幻想的な美しさもあって、最初の頃はよく景色に見惚れてしまったものだ。

 

 ……見物料は高くついてしまったがな。七万ソウルを失った時は、さすがに天を仰いだものだ。

 

 三階はまず道なりに進む事となった。ただ、一部外壁がない場所もあるので魔物への警戒は怠らずに。

 

「……向こうから強く風が流れているな」

 

 そしてまたもや分かれ道。それも三方に分かれている。正面と左右だ。風は左手側から強く流れていた。

 

「じゃ、そっち行ってみましょ」

「そうですね」

 

 これまでの経験からフォンとステラが左手側へと向かって歩き出す。戦士殿もそれに続いて歩き出した。だが、何故か私にはそれが引っかかった。

 思えば風を感じて進む事を決めてから、戦士殿は進路について何も言わなくなった。それは何故だ?

 

 ここの事を戦士殿が知っているのは間違いない。だが、進路の決め方を定めた後、戦士殿は不気味な程静かになった。

 そこに、何かあるのではないか? いや、私達を陥れようとしているのではないとは思う。しかし、何か考えがあるのではないかとは思うのだ。

 

 ……いかんな。信じようと言いながら、まだどこかで疑う心を捨てきれないらしい。

 

「待ってくれ。隊列は私が先頭だ。三人共隊列を乱さないで欲しい」

 

 小走りで三人を追い駆ける。そうして進んだ先は、一部外壁がない場所があるだけの通路でしかなかった。

 

「ここの風を感じ取った訳か。そりゃ強く感じるわけよ」

「海からの風がありますからね」

「それにしても高いな。落ちたらひとたまりもない」

「だから、魔物もあまり外壁がない場所じゃ襲ってこないんだろうさ」

 

 全員で外壁がない場所を見つめて小休止。高さもあるためか、風が他の階よりも強い。

 

「で、どうする? 一応先は続いてるけど」

「戻りますか?」

 

 フォンとステラの問いかけに考える。戻って残る二つから行先を決める方がいいのかもしれないが、一度進んだなら進み切るべきではないかとも思う。

 

 ……進むか。戻るのは退却するようで縁起が悪い。

 

「進もう。間違えたかもしれないが、だからこそ最後まで進んでそれを確かめるべきだ」

「だそうだぞ」

「勇者らしいというか何というか。うん、じゃあ答え合わせにいきましょ」

「例え間違いでも、決して無意味ではありません。大事なのは、その間違いから何を思い何を学ぶかです」

「何を思い、学ぶか……」

 

 ステラの言葉はあの世界での日々を思い出させた。幾多もの失敗。それらから学び、覚え、成長していった事を。

 ああ、そうだな。私は間違って失敗して強くなっていったのだ。ならば、こちらでもそうするしかないだろう。

 ただし、失敗しようとするのではなく成功させようとしての失敗でなければならないがな。

 

「行こう」

 

 そう言って歩き出そうとした時だった。

 

「っ!? 不味いぞ!」

「なっ!? 前と後ろから魔物が!」

 

 進行方向と背後から魔物の群れが現れたのだ。しかも、初めて見る魔物が二種類もいる。

 

「まほうつかいとさそりばちだ! まほうつかいは火炎呪文(メラ)に気を付けろ! さそりばちは仲間を呼んでくる! 優先的に倒せっ!」

「そうは言うけど両方にいるのよっ!?」

「ゆ、勇者様っ!」

 

 挟撃されるのは不味い。だが、逃げ道はない。あるのは……外壁のない部分だけか。

 

「……こうなったらそれしかないな」

 

 このままでは挟み撃ちになって無事では済まない。ならば、二つの群れを一つにするしかない。

 

「みな、私に続けっ!」

「なっ!?」

 

 魔物達を警戒しながら私は外壁のない場所へと下がる。すると戦士殿がその動きを見て驚きを浮かべていた。

 無理もないだろう。何せそれは背後に大きな危険を背負う事なのだ。だが、私は見た。そんな私にフォンとステラが即座に応じて動いてくれたのを。

 

「ったく! 勇者って相変わらず無茶な事考えるわよねっ!」

「ですが、この状況ならばこれがいいかと思います」

「二人に感謝を! 戦士殿も早くっ!」

「分かったよっ!」

 

 背後には外壁のない場所。逆に言えば、そこから魔物が来る事はない。そして二つの群れは正面で一つとなった。これで意識を向ける方向を一つに出来る。

 さそりばちが二匹にまほうつかいが一匹。それにバブルスライムとおおありくいが一匹ずつ。これなら何とかなるか。

 

「フォン、さそりばちを頼めるか?」

「任せてっ!」

「ステラもフォンと共にさそりばちを頼む」

「はい……っ!」

「戦士殿はまほうつかいを」

「いいだろう」

「私は残りの魔物を引き受ける。行くぞっ!」

 

 まず狙うはバブルスライム。だが、当然邪魔をされると踏んだので、おおありくいへは”こんぼう”を投擲する。

 それをおおありくいが回避する間にバブルスライムを一閃。やはり打撃よりも斬撃が有効だ。

 

「次はこれでっ!」

 

 出現するGを一枚拾い、即座におおありくいへ投げつけると同時に走り出す。Gを何とか回避するおおありくいだが、そこへ剣による一撃を与えて息の根を止める。

 

「よし……」

 

 何とか二匹を片付ける事に成功した。だが、まだ終わっていない。すぐに意識を周囲へ向ければ、フォンとステラがさそりばち相手にやや苦戦していた。

 

「数が……っ!」

 

 二匹だったはずのさそりばちはこの短時間で四匹に増えていた。おそらく戦闘開始と同時に一匹が仲間を呼んだに違いない。

 その四匹がフォンとステラを取り囲むようにして攻撃している。このままでは不味い。

 

 チラリと見れば戦士殿がまほうつかいを倒している。これなら数は互角に出来るな。

 

「二人共、しゃがめっ!」

 

 走った勢いそのままにその場から跳び上がり、こちらへ背を向けているさそりばちへ斬りかかる。

 肉を切り裂くような感触と共に魔物の姿が消えGとなっていく。着地するやステラを攻撃していただろうさそりばちへ剣を振るう。

 

 それは当たらずかわされるも、おかげでステラから意識が私へと向いたので良しとする。

 

「やってくれるじゃない!」

「勇者様、助かりました!」

「ステラは私の後ろに。それと、まだ安心は出来ない。素早く戦闘を終えないと、この騒ぎを聞きつけて他の魔物達がやってこないとも限らない」

 

 一匹いなくなった事で包囲が崩れ、フォンと二人でステラを背中にしてさそりばちと対峙する。

 

「全員しゃがめっ!」

「「「っ!?」」」

 

 後ろから聞こえた声に咄嗟に身をかがめる。すると、頭上を輝く何かが通り過ぎていった。その輝きはそのままさそりばちの一匹を貫いていく。

 

「へぇ、こりゃいいな。戦士で遠距離攻撃なんて出来ないと思ってたが、これは使える」

「あんたねぇ……」

「ら、ライドさんまで勇者様みたいな事を……」

「まだ魔物は残っている。二人共気を抜くな」

 

 一気に半数を失ったせいか魔物達も狼狽えている。ならば、ここが攻め時か。そう思って私は剣を両手で握り締めるように構え、そのまま走りながらさそりばちへ迫った。

 

「フォンっ! 残りを頼む!」

「もうっ! いきなり無茶言わないよっ!」

 

 目の前のさそりばちは私の攻撃を回避しようとするが、もう遅い。

 私の一撃は、そのままさそりばちをかち上げるように突く。あの世界で最初の頃よく使っていた技だ。前方の敵へ効果を発揮するので多用していたもので、他にもやりようはあるのだが、今使っている”どうのつるぎ”が直剣だった事と、さそりばちが少し飛んでいるためこれにした。

 

「こんのぉ!」

 

 残る一匹も、仲間を呼ぼうと距離を取ろうとしたところをフォンの跳び蹴りが炸裂。見事撃破し着地する。

 

「やりましたね!」

「ええ。久々に危ないかもって思ったわ」

 

 私とフォンへ嬉しそうに駆け寄ってくるステラ。その後ろから戦士殿が近付いてくる。その手にはGと私の投げた”こんぼう”があった。

 

「拾うの忘れるんじゃないぞ」

「すまない。まずは魔物を片付ける方が先かと思ったのだ」

 

 戦士殿から差し出された”こんぼう”を受け取り、私はふとある事に気付いた。

 

「戦士殿、この道はもしや最初の場所と繋がるのでは?」

「……どうしてそう思う?」

 

 面白そうに笑みを浮かべ戦士殿はそう返してきた。どうやら予想は間違っていないらしい。

 

「さっきの魔物達だ。まるで示し合わせたかのような動きで私達を襲撃してきた。偶然にしては魔物達に動揺や混乱らしいものも見えなかった。そこから考えた結果、そうなのではと思ったのだが」

「お前は、もしかしたら勇者よりも戦士の方が向いてるかもしれないな。ああ、そうだ。この道はそのままあの場所へ繋がる」

「そうなの?」

 

 フォンが不思議そうに首を傾げるが、ステラは私が何を言いたいのか分かってくれたようだ。無言で軽く目を見開くと、そのまま戦士殿へ顔を向けた。

 

「……ライドさん、風を頼りに道を探すとこの階でここへ来るって分かってたんですね?」

「ああ」

「なっ!?」

 

 やはりか。そう思うも口にはしない。おそらく戦士殿は聞かれた事には答えるつもりでいたのだろう。だが、そうすると私があれこれ聞いてくると察し、それを封じるためにここが冒険者のふるいだと言い出したのだ。

 

 そうなれば、私が自分達だけの力で何とかしようとすると、そう読んで。

 

「言ったはずだ。ここは冒険者にとってのふるいだと。まぁ、そっちに私を利用して楽をしようって気がないのは分かったが、だからといってこっちが積極的に教えるのも違うだろ? だから黙った。ま、その様子だと薄々坊やは勘付いたみたいだがな」

「それでも最低限の事はしてくれていたからな。初めて戦うだろう魔物の情報は教えてくれていた」

「そうですね。その辺り、ライドさんは優しい方です」

 

 ステラがそう言って戦士殿を見ると、戦士殿は小さく笑って首を横に振った。

 

「そんなんじゃないさ。道を間違えたりする事で死ぬ事はないが、魔物との戦いで相手の事を知らないと死ぬ事は多々ある。だからだよ」

「それが優しいって言ってんの。ま、いいわ。あんたが素直じゃないのは初めて会った時で分かったし」

 

 フォンが呆れ混じりに言った言葉に戦士殿が苦い顔をして、ステラとフォンが揃って笑う。私は、二人程ではないが小さく笑みを浮かべた。

 戦士殿はそんな私達により苦い顔をしていたが、最後には微かに笑っていた。そんな何とも言えない雰囲気のまま、私達は歩みを再開し再び分かれ道へと出た。

 

「……正面の部屋に何かあるわ」

「そのようだ」

「宝箱、でしょうか?」

 

 三人で話しながら戦士殿をチラリと見やると、彼女は何も言わないとばかりに顔を背けた。それに揃って小さく苦笑し、私達は頷き合う。

 

「確かめてみるか」

「賛成。あの近道で見つけた以来の宝箱だもの。32Gって言う何とも判断に困る中身だったけどね。さてと、あれの中身は何だろうな~?」

 

 気分上々とばかりに歩き出すフォンを見てステラが苦笑し、戦士殿はどこか呆れていた。私はと言えば、どこかであの存在を意識し表情が若干強張っていた。

 実は、最初に見つけた宝箱もフォンが開けなければ”こんぼう”で思い切り叩くつもりでいたのだ。

 

「じゃ、開けるわよ~」

「は、早い……」

「こいつ、盗賊の資質もあるんじゃないか?」

「ごちゃごちゃうるさい。よっと」

「っ……」

 

 思わず身構える。さすがに両手両足が生えてくる事はなかったが、やはり生きた心地がしないな。

 今でも思い出せる。あの捕まえられた時の絶望感と齧られていく痛みと感覚を。あれも忘れたい事の一つだ。

 

「ちっ、キメラの翼だわ」

「フォンさん、舌打ちはやめましょうよ」

「でもね」

「そういえば、これを使えば最後に立ち寄った場所へ行けるそうだな」

「はい。移動魔法(ルーラ)と似た効果を発揮すると聞いています」

 

 ステラの説明に頷き、視線をフォンへ向ける。

 

「どんな感じだ?」

「え? そうねぇ……一瞬にして体が飛んでいく感じよ。気付いたら最後に寄った場所の前にいるの」

「そうか。ならば、空中で使っても効果はあるだろうか?」

「「「は(え)?」」」

 

 私の問いかけに二人だけでなく戦士殿まで呆れた表情を見せる。そんなに私はおかしな事を聞いているだろうか?

 もし空中でも使えるのなら、ここからアリアハンへ戻るのが楽になると思っただけなのだ。

 この塔は一部が壁のない場所になっている。そこから落下すれば魔物との戦いを避けて帰れると、そう考えるのはおかしいのだろうか?

 

「いや、もしそうなら帰りが一気に楽になる」

「……なぁ、お前本当にどういう思考してるんだ? 普通キメラの翼を高所からの帰還方法に組み込むとか思わないぞ?」

「そ、そうですね。普通なら塔を降りてから、です」

「うん、そうよね。でも、どうなのかしら? 呪文と同じ効果って事なら空中でも使えるはずでしょ?」

 

 フォンの言葉に誰も答えを出す事は出来ない。おそらくだがそんな風に使った者はないのだろう。

 それもそうだと思う。何せ、高所からの落下は大体が即死だ。その危険を推してまでそんな事を試す者はいないだろう。

 

 これも、私が不死の頃に色々と心ならずもやってしまった故の発想だとは思う。

 

「すまない。この話は」

「多分可能だ」

 

 話題を打ち切ろうとした私を遮るように戦士殿がそう言った。当然私達の視線は戦士殿へ集中する。

 戦士殿は腕組みをしたまま目を閉じていた。何かを思い出しているのか、あるいは想像しているのか。とにかく考え耽っているようにも見える。

 

「ルーラは、使用者が思い浮かべた場所へ行く呪文だ。キメラの翼は、最後に立ち寄った場所に行けると言われているが、あれは事細かに思い出せる場所が最後の場所というだけで、その気になればルーラと同じくこれまで行った場所へ行く事も可能と言われている」

「そうなのですか?」

「へぇ、ルーラってそういうもんなのね。魔法使いしか使えないって聞いてたけど、それはどうして?」

「僧侶は神に仕える者だ。元々呪文は魔法と呼ばれるように、魔物へ近付く方法とされていたらしい。だから僧侶は攻撃呪文のほとんどを覚えない。いや、覚えないようにしているだな。おそらくだが、許されているのは風系統の魔法だけじゃないか?」

「は、はい。そうです」

 

 ステラが驚いたような顔で頷いていた。フォンも感心するように戦士殿を見ている。私も同様だ。まさか戦士殿がここまで様々な事に造詣が深いとは思わなかった。

 

「風系統の魔法が許されているのは、神が与える祝福が風に乗って運ばれると考えられているためだ。だから僧侶が唯一覚える事が出来る攻撃呪文は竜巻呪文(バギ)系なんだ」

「そうなの?」

「わ、私も初めて聞きました。そういう背景は、教会でも教えていないはずです」

 

 ステラの言葉に私は疑問を抱いた。ならば戦士殿はどこでこの話を聞いたのだろうと。

 僧侶であるステラさえも知らぬ僧侶の話。それを一体どこで誰から聞いたのか。私と同じ事をフォンとステラも思ったのだろう。揃って戦士殿を見つめている。

 

「この話は、とある場所で出会った賢者と名乗った奴から聞いたのさ。そいつは自分が至った境地に関しての本を書いてるとか言ってた。で、その本は簡単に読まれてはいけないからと隠すつもりだと言っていたな。その場所を探すついでに世界を旅して回ってたそうだ」

「魔王を退治しようとしなかったの、そいつ」

「自分の役目ではないと言っていたな。その頃はまだオルテガが存命の頃だったし」

「は? ちょっと待って。それ、あんたがいくつの頃よ?」

「…………一人前扱いを受ける前だ」

 

 微妙な顔をして絞り出すように戦士殿はそう言った。どうやら年齢を詳しく言うのが憚られるらしい。フォンとステラもやや苦い顔をしているので、女性ならではの返しなのだと思う。

 

 それにしても、オルテガ殿が亡くなったのが今から十年は前。

 つまり、戦士殿は最低でも二十五か六か。それにしては落ち着きがあるな。まぁ、私が言える事ではないが……。

 

「あの、ライドさんは一体どこ出身なのですか?」

「さてな。さ、長話は終わりだ。とりあえず先に進むぞ。ここは魔物の巣なんだ。ほら、先頭へ行って進む先を決めな坊や」

 

 明らかに会話を打ち切ったな。だが、戦士殿が何か隠している事は分かった。出身地を隠した事が大きく関係してそうだが、それを詮索するのは止めておくか。

 それよりも、今は塔の最上階へ行く方が先決だ。来た道を戻り、今度は向かって左側へ、元来た場所が近付く方へと向かう。

 

 そして左手側の部屋へと入ると階段があった。

 

「うわぁ、さっきのとこで間違えなければすぐだったのかぁ」

「フォン、そう言わないでくれ。おかげで色々と得る物があったと思いたいのだ」

「そ、そうですよ。ライドさんの貴重な話も聞けましたし」

「……ま、そうね。じゃ、行きましょ?」

 

 チラリと戦士殿を見やってフォンは息を吐くと明るく笑みを見せた。私はそれに感謝するように頷き、階段を上って行く。

 上がった先は、部屋のような場所だった。と、人の気配を感じ取り視線を動かす。そこには、一人の老人が立っていた。

 

「おおっ、夢の通りじゃ。若き勇者よ。わしはそなたが来るのを待っておった」

「私を?」

 

 思わず聞き返す。夢、とはどういう事だろう。

 

「そうじゃ。ある時不思議な夢を見てな。わしへ誰かがこう言ったのじゃ。いつか、ここへ若き勇者がやってくる。その者へ、とうぞくのかぎを渡してやってくれと」

「とうぞくのかぎ?」

「うむ。これじゃ。受け取るがいい」

 

 そう言って老人は私へ鍵のようなものを渡してきた。これが”とうぞくのかぎ”か。おそらくだが、これでアリアハンへの道を閉ざしている扉を開ける事が出来るのだろう。

 

「ご老体に感謝を。この鍵は、大切に使わせて頂きます」

「うむ、頼むぞ勇者よ。この世界に平和を取り戻してくれ」

「はい」

「やったわね、勇者」

「これで目的は達成ですね」

 

 受け取った”とうぞくのかぎ”を”ふくろ”へしまうとフォンとステラが笑顔で声をかけてくる。

 だが、戦士殿の姿がない。一体どこへ行ったのだ? そう思って視線を動かしているとフォンが私の目の動きから察してくれたのか、小さく笑って部屋の外へ手を動かして親指を向ける。

 

「あいつならそそくさとあっちへ行ったわよ。何でもあのおじいさんと顔合わせたくないんですって」

「そうか」

 

 過去にここへ来たなら、あのご老体とも知り合いなのだろう。おそらくだが、まだ未熟な頃に来ているはずなので、私達よりも苦しい道中だったはずだ。

 それ故に恥ずかしさでもあるのだろう。そう思って私は何も言わない事にした。

 

「ではご老体、私達はこれで」

「うむ。旅の無事を祈っておる」

「失礼します」

「じゃあね、お爺ちゃん」

 

 一礼するステラと軽く手を振るフォン。私は戦士殿と合流しようと部屋を出る。すると、少し部屋から離れた場所で戦士殿を見つけた。

 

「ここにいたのか」

「話は終わったか?」

「ええ。でも、何で一言も言わずに出て行ったの? 挨拶ぐらいすればいいじゃない」

「いいんだよ。向こうの目的は私じゃないし、私も向こうは目的じゃない」

「ライドさんらしいですね、その言い方」

 

 私もステラの意見に同感だ。すると、戦士殿は顔を私達から塔の外へと向けた。

 

「それで、どうする? ここから飛び降りてキメラの翼、使ってみるかい?」

 

 その声に、恐怖はなかった。その横顔に、不安はなかった。まるで、失敗する事はないと確信しているかのような雰囲気で、戦士殿はそう切り出したのだ。

 だが、私はどうするべきか即答出来なかった。やはり万が一失敗したらと考えると、どうしても実行には移せないのだ。

 

 そんな時だ。背中から声が聞こえてきたのは。

 

「あたしは勇者を信じるって決めたから。もしかしたら、今後も同じような状況になるかもしれない。そうなった時、そういう逃げ方があるって分かってるの、大きいと思う」

「フォン……」

 

 迷う事無く私に任せると言い切ってくれる事。表情には若干の不安や恐怖が見えるが、その勇気と強さに内心で敬意を表する。可能ならここで”一礼”したいぐらいだ。

 

「わ、私もです。怖くはありますが、フォンさんも言った通り今後もっと恐ろしい状況にならないとも限りません。なら、ここで試しておく方がいいと思います」

「ステラ……」

 

 彼女もフォンと同じような顔だ。ただ、声にもそれが出ている辺りがらしさだろうか。

 

「だとよ。どうする?」

「……ここではなく下の階へ降りてからにしたい。せめて二階辺りで」

「その高さなら万が一失敗しても死にはしない、か。いいだろう」

 

 行動方針は決まったとばかりに戦士殿は小さく笑い、私達へと向き直った。

 

「ならさっさと行こうか。もう日も暮れてきた。早く戻らないと塔内も暗くなる」

「分かった」

 

 こうして私達は再び階段を下りて三階へと向かう。階段を下りる際、ご老体が戦士殿に気付いて何か言いたそうにしていたが、戦士殿は足を止める事もなく階段を下りた。

 

「良かったのか?」

「ああ、別にいい」

「お爺さん、悲しそうな顔してたわよ?」

「何か訳でも?」

 

 二人の言葉に戦士殿は無言を貫いた。話したくないという事なのだろう。ならば無理に聞き出す事もないか。

 

「二人共、戦士殿にも事情があるのだ。人間、話したくない事の一つや二つはあるもの。ならば、戦士殿が話したいと思わない事はそっとしておくべきだ」

「まぁ、それはそうだけど……ね」

「気になってしまうのも人の性ですよ、勇者様。ですが、たしかにそうですね」

「ごめんね、そっちの事も考えずに踏み入ろうとしてさ」

「許してください」

「……別にいい。逆なら私も気になってるだろうからな」

 

 それだけ告げて戦士殿はまた黙った。ただ、私は見た。一瞬ではあるが戦士殿が淡く笑みを浮かべたのを。

 

 

 

 空には星が瞬き、周囲が夜の闇に包まれている中、私達はアリアハンの城下町前に立っていた。結論から言えば、空中でもキメラの翼は使用出来たのだ。

 

―――では、行くぞ。みな、私に掴まってくれ。

―――どうか足が折れませんように……。

―――い、いざと言う時は私が全力で癒しますから!

―――今更怖がってるんじゃない。

 

 二階の外壁がない部分から揃って飛び降りた瞬間、私が持っていたキメラの翼を放り投げたのだ。

 すると体が一瞬にしてそれまでと逆方向へ動いたかと思えば、次の瞬間にはここに立っていたという訳だ。

 

「……成功だな」

 

 私がそう呟いた瞬間、捕まっていたフォンが脱力するように地面へと座り込んだ。ステラも同様に地面へと座り、夜空を見上げるように寝転んだ。

 

「大したもんだよ、お前達は。特に最後のこれが一番凄い。失敗すれば骨折してもおかしくない事をやって、見事に今後に活かせる帰還方法を見つけ出したんだからな」

 

 私の背中から離れながら戦士殿はそう言って笑う。そしてそのまま私だけでなくフォンやステラを見ていき、最後に納得するように深く頷いたのだ。

 

「いいだろう。私はお前達についていく。いや、ついていきたい。そして見せてくれ。さっきのような新発見を」

「ライドさん……」

 

 ステラが微笑みを見せる戦士殿へ軽い驚きを見せた。私も同じ心境だ。まさか戦士殿がこんな顔をするとは。

 

「ライド、か。ふふっ、その名は忘れてくれ。それは偽名だ」

「偽名? 何でそんな」

「理由はその内教える。私の本当の名は、アンナだ。そちらで今後は呼んでくれ」

「アンナさん、ですか」

「一気に可愛い名前になったわね……」

「それだ。戦士なんてやってると、どうしてもアンナという名前が似つかわしくないんだ。それでライドと名乗るようにしている」

「つかぬ事を聞くが、その偽名の由来はあるのだろうか?」

「……昔、私が駆け出しだった頃に組んでた武闘家の名前さ。あのナジミの塔へ行った時まで、ね」

 

 そう答える戦士殿の眼差しは、あのナジミの塔で一瞬見せたものと同じだった。と言う事は、その武闘家はもう……。

 

 ステラとフォンもその言い方と雰囲気で気付いたらしい。戦士殿が名を借りた相手は、おそらくもうこの世にいない事を。

 

「さて、辛気臭い雰囲気はここまでにしよう。さっさと宿へ行って食事にして、さっさと寝るぞ」

「そうだな。では、そうしよう」

 

 戦士殿、いやアンナ殿の提案に賛同し私はその場から歩き出そうとして、何かに引っ張られる感覚を覚えた。

 

「……ステラ、フォン、何故私の鎧を掴んでいるのだ?」

 

 振り向けば、二人が鎧の一部をしっかりと掴んでいるではないか。それにしても、どうしてそんな事をと、そう思って問いかけたのだが……

 

「たはは……実は、腰が抜けちゃったみたいなの……」

「も、申し訳ありませんが少し待ってもらえますか?」

「……アンナ殿、フォンを背負ってくれないだろうか? 私はステラを引き受ける」

「いいよ。にしても、これじゃあ昨日と同じだな」

 

 どこか楽しげに笑うと、アンナ殿はフォンの体を軽々と持ち上げて肩へと乗せる。

 

「ちょ、ちょっと! これじゃ荷物みたいじゃない!」

「実際今のお前さんはお荷物だろ? 黙って運ばれな」

「ぐぬっ! この筋肉女っ!」

「今の私には褒め言葉だ。じゃ、先に行ってるよ」

「このぉ! 少しは恥らえ~っ! もしくは嫌がれ~っ!」

 

 バタバタと手足を動かすフォンを見ていると、もう自分で歩けるのではないかと思う。まぁ、アンナ殿も楽しそうだしあのままでいいか。

 

「ステラ、失礼する」

「え? きゃっ!?」

 

 さすがに私はアンナ殿のような事は出来ないと思い、ステラの体を両腕で抱き抱える事にした。何故かステラが酷く驚いていたが、これが一番安定すると思うのだ。

 

「すまないがこれで我慢して欲しい。私ではアンナ殿のような真似は出来ない」

「え、えっと……嫌、ではないんですが……」

「恥ずかしいのだろう? 悪いがそれも今は受け入れて欲しい。出来るだけ早く宿まで行こう」

「え? あ、その、えっと……」

 

 フォンとは違った意味でバタバタしそうなステラに内心で首を捻りながら、私は構っていては夜が明けると思って歩き出す。

 幸いにしてステラは軽く、私でも宿まで無事に送り届ける事が出来た。ただ、その道中、やたらとステラがブツブツ独り言を言っていたのが気にはなったが。

 

「はい、たしかに8Gいただきました。お部屋の方は三つでよろしいですか?」

 

 宿の主人が私とアンナ殿を交互に見てそう問いかけてきた。おそらく昨夜の事を覚えているからだろう。私はそれに頷こうとしたのだが……

 

「いや、二つでいい。私達だけで部屋を三つも使うのは申し訳ないからな」

「そう、だな。主人、聞いての通りだ。部屋は二つで構わない」

「かしこまりました」

「それと食事はあっちの二人の部屋へまとめて運んでくれ」

「はい。出来次第お食べになられますか?」

「そうしたい。いいだろうか?」

「勿論でございます。では、ご用意出来ましたらお呼びしますので。それまでごゆっくりお寛ぎを」

 

 そう言って主人は厨房へと向かおうとしたのだろう。私達へ背を向けて動き出そうとした。そこで私はふとある事を思い付いてその背を止める。

 

「主人、少しいいだろうか?」

「はい?」

「明日の朝食は、大通り近くにある食事処で取ろうと思っているのだ。だから、私達の分の朝食は必要ない」

「さようでございますか。かしこまりました。では、そのように」

 

 そう笑顔で告げ、今度こそ主人は厨房へと向かって行った。その背を見送り、アンナ殿がこちらへ微妙そうな表情を向ける。文句があるのだろうか。

 

「何であんな事を?」

「是非みなに食べて欲しいものがあるのだ。朝に食べるには、あれ程相応しいものはないというものがな」

 

 こうしてこの日は終わりを迎える。夕食を食べた後、私達は会話をする事無く疲れを癒すために眠る事にしたためだ。

 そして翌朝、あの”産み立て卵のパン粥”を三人にも味わってもらい、揃って笑みを見せて店員の少女へ味を褒めてくれた。何故だかそれが、我が事のように嬉しかった……。




いよいよ次回はロマリアへと渡ります。ここからが本格的にイベントが増えていくので大変です。


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人の業と王からの依頼

てつのつめ

鉄で作られたかぎ爪。接近戦用の武器だが、その形状から使える者は限られる。
リーチこそ短いが、突く、裂くという事が出来るため、その攻撃力は見た目以上に凶悪だ。

とある里で名を馳せた武人が身に着け、多くの魔物を打ち倒してきたという代物ではあるが、そのためそれにあやかろうとする者がよく身に着ける印象が強い。

だが、勘違いしてはいけない。大事なのは装備ではなく心だ。何を相手にしても揺るがぬ心。それこそが武人を達人と言わしめさせた理由なのだから……。


 ナジミの塔からアリアハンへ戻り一夜明けた後、私達はレーベへと向かい手に入れた”とうぞくのかぎ”を使って”まほうのたま”を手に入れる事に成功。

 それを持っていざないの洞窟へと向かい、道を塞ぐ岩をアンナ殿が”まほうのたま”を使って吹き飛ばしたのだ。

 

 凄まじい威力だった。出来る事なら一つ強力な魔物対策に欲しいぐらいだ。

 

 そうやって挑んだいざないの洞窟だったが、見知らぬ魔物がそこにもいた。

 いっかくうさぎの上位種である”アルミラージ”とおおありくいの上位種である”おばけありくい”、そして”キャタピラー”という芋虫の魔物だ。

 

 そこまで苦戦する事はなかったが、アルミラージはラリホーを、キャタピラーは防御呪文(スクルト)という魔法を使ってきて厄介ではあった。

 それでもアンナ殿と私でキャタピラーを優先的に倒し、フォンの素早さでアルミラージに速攻を仕掛ける事で危険度は下げられたのだ。

 

 勿論、収穫もあった。何と”せいなるナイフ”と地図を手に入れる事が出来たのである。これによって今後の旅を少しだけ楽にする事が可能となった。

 しかも、その地図はこちらが書き込む必要のないもので、どうも私達が行った場所を自動で記してくれる魔法の道具らしい。

 

―――マジックアイテムって奴だ。貴重品だぞ。

 

 アンナ殿はそう言って笑っていた。どうしてそんな物がここにあったのか。その理由は定かではないが、おそらく用意されていた物である事は間違いない。

 何せ、その地図が入った宝箱は”まほうのたま”で進めるようになったすぐそこにあったのだ。

 

 それと、もう一つそうだと思わしき証拠がある。それは、その地図の裏にこう書かれていたらしいのだ。ここから旅立つ勇者にこれを送ると。

 

 そして、洞窟を無事に抜けて”旅の扉”へと辿り着いた私達は今……

 

「ここが、ロマリア」

 

 新しい大陸へと到着し、ロマリア城下にやってきていたのだ。やはりアリアハンよりも活気があるように思える。

 

「久しぶりね、この街に来るのも」

「あー、フォンさんはこの大陸出身でしたね」

「そうそう。里を出て、ここまで来るのに苦労したした」

 

 行き交う人々の数に私が圧倒されていると、フォンとステラの声が聞こえてきた。アンナ殿もどこか懐かしそうな顔をしている。

 

「私もここに来るのは久しぶりだな」

「そうなのか?」

「ああ。不思議か?」

「いや、フォンのようにアリアハンへ来る前にここへ寄ったと思ったのだ」

「……ま、私からすればいざないの洞窟の魔物は恐ろしくなかったからな。素通りしたのさ」

 

 まただ。いつかの宿での会話でも見せた顔をアンナ殿がしている。一体何があるのだ? あの時の会話と今の会話。共通点のようなものはないと思うのだが……?

 

「それで、まずは武器と防具を見るんでしょ?」

「ああ。買える買えないは別にして、見るだけ見ておいた方がいいと思うのだ」

 

 フォンの言葉でまずするべき事を思い出す。アンナ殿から言われていた事もそこで思い出したのだ。”はがねのつるぎ”と呼ばれる武器が売っているという事を。

 その物を確かめるためにも足を運ぼう。そう思って私は動き出した。アンナ殿の案内で店へは迷う事なく到着。そこで品を見せてもらったのだが……

 

「せいどうのたてなら買えるけど……」

「てつのやりになると少し足りませんね」

「どうするんだ?」

 

 最優先と言われたのは私の装備だった。だが、それも仕方ないのだ。

 ステラはいざないの洞窟で見つけた”せいなるナイフ”で武器を得たし、フォンはその戦い方にあった武器がない。アンナ殿は”てつのおの”で充分なので、必然的に私の武器をとなった。

 

「……気持ちとしては槍が欲しいところではある」

 

 剣よりも長い槍ならば、相手を一方的に攻撃する事も可能だ。それに、投擲する事もよりやり易い。そうなれば”どうのつるぎ”を主武装ではなく副武装として使えるので、刺突と斬撃を使い分ける事も可能になる。

 

 だが、正直そろそろ盾も欲しいと思い始めていた。その理由は、あのステラを守った時の事。無意識にパリィをした際、本来であれば貫けるはずもない”ひのきのぼう”でおおがらすを見事に貫いたあの感覚。

 あれを今後意図的に狙っていければ、次々と出てくるだろう強力な魔物相手にも何とか太刀打ちできるのではないかと考えるのだ。それと、いつまでも魔物の攻撃を回避し続けられるとも思えないのもある。

 

「じゃ、いっそどうのつるぎを下取りに」

「いや、それは止めておきたい。槍だと懐に入られた場合、攻撃し辛いのだ」

 

 フォンが名案を思い付いたとばかりに口にした事へ、私はすかさず待ったをかける。本来ならば、そうして装備を新調していくのだろうが、あの世界で様々な装備を使い分けた私としては一つの武器だけで戦う事を受け入れ難いのだ。

 

「そうですね。槍だと接近されたら手出しが厳しいです」

「む~っ、それもそっか」

「なら、とりあえず今は盾を手に入れておくといい。武器ならてつのやり以上の物があるしな」

 

 アンナ殿の言葉で私も決心がついた。今は”どうのつるぎ”で対処出来ている。それが難しい相手や状況が増えたら槍の購入を考えよう。

 

「そうしておこう。主人、せいどうのたてを一つ貰えるだろうか?」

「はい、せいどうのたてですね。ここで装備していかれますか?」

「頼む」

 

 こうして私は遂に兜以外の装備を揃える事が出来た。兜に関しては、まだ必要性を強く感じる事もないので構わないと思っているのもある。

 それにしても、金属の盾は有難い。これならかなりの攻撃に耐えてくれるだろう。重量もそこまで重くないのも助かる。ローリングの早さはいざという際に重要だ。

 

「どうだろうか?」

「お似合いです、勇者様」

「うん、これでまごう事なき勇者って感じね」

「ま、鎧が若干貧相ではあるがな」

 

 ”どうのつるぎ”に”せいどうのたて”、そして”かわのよろい”を装備した私に対しての反応はそのようなものだった。

 その後、道具屋での買い物を終えた私達は宿へと向かい、部屋を二つ押さえてどうするかを話し合う事にした。

 

「この時間では謁見は無理だ。かと言って、まだ休息するには早いと思う」

「そうねぇ。日は暮れたけど、ご飯食べて寝るには早いもの」

「街の方も活気がありますし、夕食後にもう少し散策してみますか?」

「なら、うってつけの場所がある。ここロマリアの名物みたいな場所がな」

 

 私以外の三人が使う部屋に集まり、少しだけ早い夕食を食べていた時だ。アンナ殿が告げた言葉に私達は迷う事無く頷き、食事を食べ終わると宿を出た。

 日も暮れ、夜の闇が迫りつつあるというのにロマリアの城下町は活気に溢れていた。とはいえ、やはり酒場や食事処といった場所だったが、それも武器と防具の店や道具屋があった建物へ近付くにつれ印象が変わっていく。

 

「……何だかちょっと雰囲気違うわね」

「は、はい。何だか殺気立ってる方がチラホラ見えます」

「それと、少ないがやけに上機嫌な者もいる。アンナ殿、これは?」

「まぁ黙ってついてきな」

 

 妙に熱気を発している者達が向かう先からやってくる。ただ、割合としては不機嫌な者が多い。一体何があるのだろうか。

 やがて建物が見えてきたところで、微かにではあるが声のようなものが聞こえてきた。これはなんだ? どうも店でのやり取りといったものではないようだが?

 

「こっちだ」

 

 アンナ殿は躊躇いも迷いもなく建物の中へ入り、その奥へと進んでいく。私達はその後を追い、そして下へと向かう階段を見つけた。

 

「この建物は地下があるのか?」

「そういう事だ」

「じゃ、さっきの人達はそこに?」

「そういえば、ここで買い物してる時もこちらへ歩いて行く方達がいましたね」

「そうだったっけ? あたしはくさりかたびらとにらめっこしてたからなぁ」

 

 階段を下りながら会話に興じるステラとフォン。私はそんな二人の声を聞きながら前を行くアンナ殿を見つめていた。

 階段を下りるとそこは熱気と活気に満ちた空間だった。ほとんどの者達が手に何かを握り締め声を上げていた。その視線は一様に同じ場所へと注がれている。

 

「アンナ殿、ここは?」

「闘技場。とはいえ、戦うのは魔物達だ」

「モンスター闘技場、か。噂だけは聞いたことあるけど、こんなとこにあったんだ」

 

 そのフォンの言葉が、私にはどうでも良いものに聞こえていた。それ程にアンナ殿の言葉が私には衝撃的だったのだから。

 

「……アンナ殿、ここで魔物同士を戦わせて何をしているのだ?」

 

 そうでない事を願う。私の中での予想を否定してくれと、望みがないとどこかで分かっていながら私はそう問いかけた。

 

「何って、賭けだよ。どの魔物が勝つかでGを賭けてるのさ。魔物によって倍率が違ってね」

「博打、ですか。道理でみなさんが熱狂している訳です。しかし、魔物同士の殺し合いを見て楽しむ人もいるなんて……」

 

 ステラの嫌そうな声に私も同調するように頷いた。何だろうか、この感情は。嫌悪感、だろうか。Gのために熱狂する様と、その手段として魔物を使う事。

 これでは本能のままに人を襲う魔物よりも性質が悪いではないか。身を守るために、あるいは人々を守るために魔物を倒すならばともかく娯楽のために魔物を捕らえ、よりにもよってそれらを殺し合わせて見物するなど……。

 

「……亡者のようだ」

 

 ソウルを求めて我を失った者達と、Gのために人の心を失った者達。どちらも私からすれば同じ存在に見える。

 ああ、そうか。これが、ここにいる者達がこの光の世界の闇か。やはり光だけではないのだ。光があれば闇がある。それを改めて突きつけられた気分だ。

 

「ちょっとアンナ、これが本当に名物なの?」

「ああ。血生臭いのが好きな奴もいれば、Gのために一喜一憂する奴を眺めるのが好きな奴もいる。あるいは、この独特の雰囲気が好きだって奴もいる。どうだ? これもまた人間の一面だ」

「否定はしません。ですが、私はここを好きになれそうにありません」

「私もだ。出来る事なら早く出たい。フォンはどうだ?」

「あたしが好きになれそうだと思う?」

 

 不機嫌そうな顔でそう問い返されれば否定するしかない。そうなれば私達三人が揃ってアンナ殿へ顔を向けるのは当然と言えた。

 

「ま、こういうのもあるってのを知っておいた方がいいかと思ってな。ロマリアで情報を得るにはここほど便利な場所はないからな」

「……そうだな。そういう意味では有用な場所だと思う。さぁ、外へ出よう」

「「はい(ええ)」」

「はぁ~……予想はしてたけど、あんた達はちょっと人の悪意に対して耐性低いな」

 

 足早に歩き出す私達へアンナ殿はそうどこか苦笑気味に言葉を放つ。それでもすぐについて来てくれる辺り、アンナ殿もここにいる者達に対して好意的な感情は抱けないのだろうな。

 

 地下から上がると一気に空気が変わったと感じられた。やはりあの場所はあまりいいとは思えない。熱気や活気があるのは認めるが、どうにもあの世界に近しいものを感じてしまう。

 

「……このまま帰って寝るのは、ちょっと気分悪い気がする」

「そうですね。あの場所の空気を払拭したいです」

「となると酒場ぐらいしかないぞ」

「酒場、か。それなら私は行けないな」

 

 宿への道を歩きながらそんな会話をする。気持ちとしては私もどこかで気分転換をしたい。だが、それで行くのが酒場になるのなら御免こうむる。

 何せステラもフォンも飲酒で大変な事になると分かっているのだ。私は、あの時の感覚ならばそこまでではないだろうが、それでも好んで飲もうとは思えない。

 

「酒場だからって何も飲まないといけないなんて決まりはないさ。どうせだ。宿の厨房はもう火を落としただろうから、軽く食べられる物でも頼むついでに情報収集といこう」

「軽く食べられる物、かぁ。いいけど太らない?」

「どうせ明日から、勇者がこの辺りの魔物と戦いながら経験を積むと言い出すだろ。買いたい装備もいくつか出来た事だしな」

「そうだな。そういえばステラ、教会に行くべきではないだろうか? レベルを確認したい」

「ああ、そうですね。教会ならこの時間でも神父様がいらっしゃるはずです。まずはそちらへ行きましょう」

 

 こうして私達は教会へと向かう事となった。そこでお告げを聞いたところ、当然のようにレベルが上がっていた。

 

 私は8と4。ステラは9でフォンが10。アンナ殿は教えてはくれなかった。

 

「何で教えてくれないのよ?」

「別にいいだろ。私の実力はもうお前達はよく知ってる。なら、レベルがいくつかなんて関係ないはずだ」

「それはそうかもしれませんが……」

「アンナ殿、もし言いたくないのならそう言って欲しい。何も私達は何があっても教えてくれとは言っていない。ただ、言えないのなら言えないと言ってもらいたいのだ。煙に巻くような言葉は、出来れば止めてもらえないか?」

 

 アンナ殿は仲間になった後もどこか距離を感じる事がある。偽名を使っていた理由も、おそらくあの時に言っただけではないはずだ。

 アンナ殿は、自身の過去に関係するだろう話題を意図的に避けている。知られたくない事があるのは分かるが、レベルまでもそれになるのだろうか? だとすれば、それが意味するのは一体……?

 

「そうだな。悪いがちょっと言えない。大した理由じゃないが、な」

「そ。まぁ、ならいいわ。てか、どうせあんたの事だからあたし達よりも上なの確実だしね」

「ですね」

「ま、それはな」

 

 フォンの憎らしいような言い方にステラが苦笑しアンナ殿は勝ち誇るように笑みを見せる。どうやら心配した程でもないようだ。

 そして私達は酒場へと入った。入った時に少しだけ見られはしたが、すぐに誰もが興味を失ったようにまたそれぞれのやり取りへと意識を戻す。おそらくだが私達の格好がいかにも冒険者だからだろう。

 

「いらっしゃい。まぁ、空いてるとこに座ってくれ。それとまず飲み物の注文を聞いておこうか」

「分かった。アンナ殿、頼む」

「ああ。とりあえずロマリアワインの白を一本。それなりのやつで頼む」

「白、か。分かった。その代金だけ今もらえるか? うちはそういうやり方でやらせてもらってるんだ」

「いくらだい?」

「そうだね。じゃあ、30Gと20Gがあるがどっちがいい?」

「なら20Gの物にしてくれ。これが代金だ。足りていると思うが確認を頼む」

 

 店の主人がカウンターの中からそう声をかけてきた。なので注文を慣れているだろうアンナ殿へ任せると、主人は酒代をまず払って欲しいときた。

 おそらくだが、何か支払いで揉めた事があるのだろう。酒の金額もルイーダ殿が餞別として飲ませてくれた物と同じ値段の物にした。それが妥当な値段と物なのだろうな。

 正直言えば酒を飲むつもりもフォンやステラに飲ませるつもりもないのだが、ここはまず飲み物を頼まねばならないのなら、それを頼まない訳にもいかないか。

 

 支払を済ませた私達は空いている一番奥のテーブルへと向かう。その最中、少しだけ周囲の視線を向けられるが気にせず私は椅子へ座った。

 

「ねぇ、何かちょっとだけ雰囲気変じゃない?」

 

 だが椅子に座ると同時にフォンが小声でそんな事を言ってきた。その視線はそれとなく他のテーブルを見ている。

 酒場と言えばルイーダ殿の店しか知らないが、それにしてもたしかに妙だ。どことなくだが剣呑な空気が流れている。殺気だっていると言ってもいい。

 

「おそらくだが儲けた奴と損した奴がいるからだろうさ」

「……そういう事ですか」

 

 椅子に座るなり声を潜めて答えたアンナ殿にステラが納得するように呟いた。私からは他のテーブルがそれなりに視界に入るので分かるが、たしかに機嫌よく話している者達をやや気にくわないというような目で見ている者達がいる。

 

 聞こえないようで聞こえているのだろうな。気のせいか不機嫌な方は酒を飲む頻度が多い。対して上機嫌な方は話に夢中で酒を飲む頻度も少ない。

 

「はいよ、ロマリアワインの白だ。それで、他に注文はないか?」

「簡単に摘めるものを頼めるか? 宿に戻ってから食べたいんだ」

「摘める物、ね。予算は?」

 

 そこでアンナ殿がこちらを見てきた。私に決めろと言う事だろう。

 

「出来れば安く済ませたいが、生憎と私はそういう相場を知らない。主人、いくらぐらいなら請け負ってくれるだろうか?」

「そうだなぁ。味はどうでもいいなら6Gぐらいでいいぞ。味が大事だって言うなら10Gは出してもらいたいな」

「分かった。なら10G出そう。それで頼む。これが……代金だ」

 

 言って代金を差し出す。先程のやり取りからここではその方がいいと思ったのだが、どうやら間違ってなかったらしい。明らかに主人の表情が良くなったのだ。

 

「こりゃどうも。兄ちゃん、若いのに中々話が分かるな。どこから来たんだ?」

「アリアハンだ」

「へぇ、旅の扉が使えなくなったって聞いてたがな。通れるようになったのか」

「ああ。ところで主人、最近この辺りで変わった事などないだろうか?」

「変わった事、ねぇ。そうだな。この辺りを荒らす盗賊団が少し前に城へ忍び込んだって話ぐらいか」

「盗賊が城に?」

「ああ。何でも盗られた物はなかったらしいが、その後数人の兵士達がカザーブの辺りまで盗賊の足取りを追ったとか」

 

 これは明日謁見の際に詳しい話を聞けるかもしれない。盗賊、か。あの世界でもそういった手合いはいたが、やはりこの世界にもいるのだな。

 

「そうか。主人、貴重な話をしてくれて感謝する。引き留めてしまってすまなかった。そちらはやる事があるだろうに」

「別にいいさ。客と話をするのも仕事の内だしな」

「そう言ってくれると助かる。だが、私達の相手はもう構わない。頼んだ物が出来た時に、出来ればまた話を聞かせて欲しい」

「おお、そうだった。じゃ、それを作りに戻るとするか。また何かあれば遠慮なく呼んでくれ。ごゆっくり」

 

 10Gを懐にしまい、主人はカウンターへと向かって歩き出す。それを少し見送り、私は三人の視線に気付いた。

 

「「じー……」」

「何か至らぬ点でもあったか?」

「むしろ上出来だからだ。歳の割にお前さんはしっかりしてるよ」

「勇者様って、本当に今まで自己鍛錬に励んでいただけなんですか? 初めてお会いした時の言葉といい、これまでの言動といい、とてもではないですがそうは思えません」

「勇者って、物怖じしないのよね。あと、どこでも堂々としてる。あたしも結構そうだと思うけど、勇者の歳でそこまでは無理だわ」

 

 アンナ殿は楽しそうに、ステラは信じられないというように、フォンなどは呆れさえ見せて私を見つめていた。

 

 それもそうだと思う。あの世界での時間と経験。それが私に今のような振る舞いを可能にしているのだから。

 いつだったかアンナ殿が言っていたな。とても十六とは思えないと。そういう意味で言えば私はいくつなのだろうか?

 

 不死として甦った時を誕生と捉えればまだ五歳にもなっていない。だが、もしもそれ以前からで考えるのなら、それこそ見当がつかない。百年かそれとももっとか。私が仮初めの生を得たあの時が、一体私が死んでどれ程経過していたのか分かるはずもないからな。

 

「それにしても、代金先払いって珍しいわよね」

「多分ですが、ここはあの場所のせいで支払いを踏み倒す方が多かったのかと」

「だろうな。だからせめて最初に酒代ぐらいはもらっておくのさ」

「損を最小限にするため、か」

「あるいはそこで払えない奴を追い返すため、だな」

「前に来た時は酒場なんて来る事なかったから知らなかったけど、ここってそういう意味じゃ治安悪い?」

「良くはないかもしれませんね」

「さて、酒が不味くなる話はこれぐらいにするぞ」

 

 言い終わるやアンナ殿はワインの栓を抜き始める。その行動にフォンが呆れ、ステラが苦笑する。私はアンナ殿らしいと思って笑みを浮かべた。

 やがてグラスへ美しい琥珀色の液体が注がれる。白と言っていたので、その色が想像していた物と違って首を捻る。これのどこが白なのだろうか?

 

「綺麗な色ですね」

「ね、それって白葡萄から作ってるの?」

「そういうのもあるが、これはおそらく皮を剥いた葡萄で作ってるはずだ」

「ああ、そうなのですね。普通の葡萄酒は皮の色が色濃く出ている物で、白はその色が出ないようにしてあると?」

「多分だ。私も詳しい事は知らない。私が興味あるのは酒の種類であって作り方じゃないからな」

「あんたらしいわ」

 

 フォンの納得する言葉にアンナ殿は小さく笑うとグラスを一気に傾けた。相変わらず飲み方が豪快だ。

 

「……ふ~っ。これも中々美味いな。で、お前達は飲まないのか?」

「えっと……」

「勇者様……」

 

 フォンとステラが少し窺うように私を見てきた。その眼差しは一杯だけ飲んでみたいと訴えているように思えた。

 

「……一杯で終わりにして欲しい。明日は王に謁見するつもりなのだ」

「はいっ! それはもう!」

「分かってるって! て事であたしにも一杯だけ注いで」

「分かったよ。ったく、弱いと言いながらお前も好きは好きなのか」

「というか、良いお酒を飲んだ事なかったのよ。里で出されたのは、どうも飲み辛かったし」

「この前のワインはとても美味しかったですもんねぇ」

 

 アンナ殿が注いでいく白ワインを緩んだ表情で見つめるフォンとステラに苦笑してしまう。どうやらあのルイーダ殿の餞別は思わぬ方向で影響を与えてくれたらしい。

 フォンが酒に目覚めてしまったのだ。そしてステラに様々な酒を試してみたいと思う気持ちもだろうか。これは飲酒を禁止するのは少し考えた方がいいかもしれない。

 

―――不死者とて、たまには真似事もよいものだぞ。

 

 ああ、そうだ。あの騎士も不死でありながら正しく生きる者の真似事をしていた。それで心の闇を抑え込んでいたのだろうな。

 ならば飲酒を禁ずるのはあまり良くないのかもしれない。そうだな、きっとそうだ。何事も程々がいいのだろう。

 

「アンナ殿、すまないが私にも一杯もらえるだろうか?」

「へぇ、お前さんも飲むか。いいぞ」

「勇者も気になるのね。このお酒、綺麗だもの」

「香りも……良いですしね」

 

 私の手にしたグラスへも注がれる琥珀色の液体。その色も香りも以前の物とは違う。私は、こちらの方が好みかもしれない。

 

 あの血の色を思わせる物よりは、幾分心が穏やかになるからだろうな。

 

「いいかげんにしやがれっ!」

 

 そんな時、突然怒鳴り声が店の中に響いた。その瞬間、店の中が静寂に包まれ全ての者の視線が一人の男へと集まる。

 その男の視線は、隣のテーブルに座っていた男へと向いていた。上機嫌で酒を飲みながら話していた者の一人だ。

 

「さっきから黙って聞いてりゃいい気になりやがって! てめえが儲かったのはたまたま運が良かっただけだろうがっ! それをまるで自分の実力みたいに言いやがって……」

 

 ギリリっと奥歯を噛み締めたような音が聞こえる。悔しさからだろうそれに、睨まれていた男が驚きからしたり顔に変わった。

 

「何だ。何かと思えば自分の判断で負けた事に腹を立ててる負け犬の遠吠えか」

「んだとっ!」

「賭け事は時の運。それを決めるのは自分の判断だ。その結果どうなっても受け止めるだけの気持ちがないのなら賭け事なんて手を出すもんじゃない」

「てめぇ……っ! 今度は偉そうに説教かよっ!」

 

 睨まれていた男が髭を撫でて告げた一言に立ち上がっていた男が拳を握る。これは不味いな。

 

「煩いな」

 

 私が止めに入るべきかと思った時、店中に通る低い声でそう聞こえた。その声の主は、アンナ殿だった。

 その手にしたグラスへ視線を向け、白ワインを注いでいる。そんな彼女へ今度は視線が集まった。

 

「揉めるのは構わないが、やるなら店の外でやってくれ。折角の酒が不味くなる」

「っ! お前には関係ないだろっ!」

「あるね。ここは酒を楽しむ場所だ。そこで私は金を払って酒を飲んでる。その楽しみを邪魔するってんなら、あんた、それ相応のものを払ってくれよ」

「ふざけんなっ! 何で俺がお前みたいに知らない奴に金を出さなきゃ」

「ああ、金じゃない。そんなもんは賭けですった奴に期待してないさ。払ってもらうのは」

 

 そう男の言葉を遮ってアンナ殿はグラスをテーブルへ置いた。そしてその手に”てつのおの”を持って見せつけるように掲げた。

 

「本当は口を利けなくしてやりたいが、私も悪魔じゃない。賭け事も飲む事も出来ないよう、両腕って辺りで……どうだ?」

「っ!?」

 

 言い終わると同時にアンナ殿が殺気を放つ。これは、おそらく普通の者ならば気圧されるだろう。見れば向けられた男も、他の者達も一様に表情を引きつらせていた。

 フォンとステラはそうでもないが、それでも若干顔をしかめている。どうやらこの辺りで店を出た方が良さそうだ。そう思って私はグラスの中の白ワインを飲み干す。

 

「戦士殿、そこまでだ。さすがにここで血を流しては店の迷惑となる。それに、あの者達も落ち着いてくれたようだ。武器をしまってくれ」

「……勇者がそういうなら仕方ないか」

 

 私の考えを察してくれたのかアンナ殿もこちらの呼び方を考えてくれた。殺気が消え、店の中に最初とは違った静寂が流れる。

 その中を私は歩き、カウンターからこちらを見ていた主人へと近付く。私の動きに少しだけ体を震わせる主人だったが、私が取り出したのが袋であるのを見るとどこか不思議そうな顔をした。

 

「主人、迷惑をかけた。私達はこれで失礼する。これは、迷惑料だ。……何かあった時は、色々と取り計らってくれると助かる」

 

 2Gだが袋から出して主人へと差し出す。

 ないと思うが、先程のアンナ殿の行動を恣意的に解釈され兵士に報告されれば謁見出来なくなるかもしれないと思ったのだ。

 そのための口止め兼口裏を合わせてくれとの意図も込めてある。故に最後だけ声を潜めた。他の者に聞かれては意味がない。

 

「そういう事なら有難く。にしても、勇者って呼ばれてたが、兄ちゃん、アリアハンから来たって言ってたな」

「ああ」

「オルテガの子が魔王退治を目指して旅立ったと聞いてたが、まさか兄ちゃん……」

「いかにもオルテガは我が父の名だ」

 

 そう返した瞬間、店の中がざわつくのが聞こえた。どうやらここでもオルテガ殿の名は有名らしい。

 すると、後ろから複数の気配が近付いてくるのが分かった。少しだけ顔を動かせばそこにはステラ達がいた。

 

「勇者、行きましょ」

「ああ」

 

 どうやら先程の騒ぎを起こした者も静かになったようだ。これなら問題もないだろう。そう思って私は仲間達と店を出ようとした。

 

「ちょ、ちょっと待ちな」

「何だろうか?」

 

 振り向けば主人が何かの包みと一本の酒瓶を手にして差し出してきた。

 

「頼まれたもんだ。それと、これはちょっとした礼みたいなもんさ。頑張れよ、勇者の兄ちゃん」

「その心遣いに感謝を。では、私達はこれで失礼する」

「ああ、またいつでも来てくれ」

 

 包みと酒瓶を手に、私は店を後にした。店の外にはステラ達が待っていて、揃って私の手の物を見るなり笑みを見せた。

 

「勇者様、それは? 何だか頼んだはずのない物がありますけど」

「心遣いだそうだ」

「成程ね。金払いも良くて騒ぎも鎮めて、更に迷惑料だもの。そりゃ向こうとしても贔屓にして欲しい客って訳か」

「どれ、その酒見せてみな。ふむ……こっちは赤か。丁度いい。宿に戻ってそれを食べながら飲むとしようじゃないか」

 

 酒瓶を片手にアンナ殿が笑みを見せて歩き出す。その後を追うように私達も歩き出した。

 それにしても、賭け事か。その内容もそうだが、それがこのような騒ぎまで引き起こすのか。

 人間の持つ闇を刺激するのだな、Gと言うものは。まるでソウルのようだ。そう考えながら私は歩く。

 

 宿への道では先程飲んだ白ワインを話題に会話した。赤よりも好みだとフォンが言えば、ステラがすかさず同意する。アンナ殿は口当たりがいいが味が軽いと言い、私はそういうものかと首を傾げる。

 それも、私には新鮮な時間だった。酒が入っているからか、幾分私の口も軽くなったような気がする。今にして思えば酔っていたのかもしれない。

 それでも、酔う事であれだけ心が弾む時間を過ごせるのなら、たまに飲むのも悪くないと思った。ああ、そういう事か。これを知るから人は酒を求めるのだろう。

 

 信頼出来る者達と楽しく過ごせる、そんな時間のために。

 

 

 

「おおっ、よくぞ来た。勇者オルテガの息子、アルスよ」

 

 翌日、私達は宿で朝食を取り、一路城へとやってきていた。門番の兵士へオルテガの息子アルスが謁見を求めている事を伝えると、どうやらアリアハンの王から話がいっていたらしく、そこまで待たされる事なく玉座の間へと通されたのだ。

 

「この度は謁見の求めに応じていただき、真に感謝に絶えません」

「いやいや、あの名高いオルテガの息子が魔王退治に出たと聞いてな。……父の事は、残念であった」

「はっ」

「何か私もしてやりたいが、情けない話、今我が国ではちょっとした問題が起きていてな。その対処に追われておるのじゃ」

「問題と言いますと盗賊の事でしょうか?」

「何と、もう耳にしておったか。だが、そなたは魔王退治を果たさねばならぬ身。我が国の問題に時間を取らせる訳にはいかぬ」

 

 この流れでそんな事を言い出せばどうなるかを分かっているだろうに。そうどこかで思いながらも、相手は一国の王だと思い出してため息を我慢する。

 それにだ。見ているとこの王からは意図的なものを感じない。もしかすると、本当に心から私に関わらせまいと思っているのやもしれないか。

 

 ……ステラとフォンに教えられた事を思い出す時かもしれない。人の厚意や善意を信じる勇気。それを、今再び。

 

「いえ、魔王を倒す事も大事ですが、それと同じぐらいこの世界に生きる全ての者達が平和に過ごせる事も重要です。ならば、この国の問題も魔王退治も同じ事。このアルス、未熟な身でありますが、勇者として父の名を汚す事はしたくないのです。王よ、その御身を悩ます問題に役立てるのなら、このアルス、全力を以って挑みましょう」

 

 それに、この国の問題となればその影響は民たちにも及ぶ。それは、魔王の侵略と同じぐらいに阻止しなければならぬ事だ。

 

「おおっ! そう言ってくれるか! さすがはオルテガの子よ。勇者としての覚悟が出来ておる。みな、少しの間下がっておれ。わしは勇者達にだけ話がしたい」

 

 王がそう言うと大臣達側近や近衛兵達が玉座から離れて行く。それを見届け、王は咳払いを一つすると頭上にある冠を指さした。

 

「実はな、これは本物ではないのじゃ」

「と、言いますと?」

「うむ。実は、近頃この近隣にカンダタと言う盗賊が現れてな。その者が率いる盗賊団が盗みを働き、遂には我が国に伝わるきんのかんむりを盗んでいきおったのじゃ」

「王家に伝わる王冠を、ですか? 聞いた噂では盗まれた物はなかったと」

「そこは、大臣曰く体面と盗賊達への挑発も兼ねておるそうじゃ。そこでアルスよ、それを取り返してきてはくれまいか? 盗賊達の所在は突きとめてある」

「じゃあ、どうして兵士達に奪還させないんだ?」

 

 アンナ殿の疑問に王は大きくため息を吐いた。一体何だと言うのか。

 

「実はな、そこは魔物達も巣食う場所なのじゃ。盗賊達はそのシャンパーニの塔の最上階にいるらしいのだが、残念ながらそこまで辿り着ける兵はおらぬ」

「情けない……」

「フォンさんっ!」

「いや、良い。その者の言う通りじゃ。それに、もう一つ理由はある。当然ながら、この国を魔物達から守るために兵士達を多く割く事は出来んのじゃ。盗賊達を捕えるためとはいえ、守るべき民達を危険に晒す事は出来ん」

 

 フォンの不敬を笑って許す辺り、この王は人格者のようだ。それに、王家に伝わる王冠よりも民の命を大事に思う辺りも。

 ならば、その王のために私の力を貸す事に躊躇いなどない。民を想う王はいても、己が体面よりその命を守る王はそうはいないのだから。

 

「王よ、その頼み、たしかに引き受けました。国を騒がせる賊達を、見事討伐してきんのかんむりを取り返してみせます」

「そうか、引き受けてくれるか。シャンパーニの塔はここから北西にある。まずは北へ向かいカザーブの村に拠点を構えるといい」

「はっ。では、失礼いたします」

「武運を祈っておるぞ、勇者よ」

 

 王の言葉に頷いて立ち上がる。ステラ達もそれに合わせて立ち上がり、私達は揃って玉座の間を後にした。城を出て城下町へと戻った私達は早速外へと向かった。

 

「カザーブと言っていたが、たしかそこは」

「あたしの故郷よ。だから案内は任せて」

「シャンパーニの塔はどうだ?」

「そっちはさすがに。名前ぐらいは知ってるけどね」

 

 フォンはそう言って笑った。どことなく嬉しそうに見えるのはやはり故郷へ戻るからだろうか?

 

「でも、里には場所を知ってる人もいると思うわ。何せ修行場だったらしいし」

「そうなのか?」

「ええ。ま、魔物が多くなりすぎて大分前から利用されてないって話よ」

「で、そこを盗賊共が利用してるか。捨てる奴がいれば拾う奴もいるって事だな」

「別に里のみんなも捨てたくて捨てた訳じゃないってのっ!」

「はいはい。そうだろうな」

 

 今にも噛みつきそうなフォンをアンナ殿が笑ってあしらう。何というか、この二人はきっとこういうやり取りを続けて行くのだろう。

 ステラも苦笑しながら止めようとしないのは、そういう事なのだ。これが二人にとっての日常であり、在り方なのだ。

 

 ロマリアを発ちカザーブを目指す。正直ここで少しの間周辺の魔物について戦いながら学ぼうと思ったが、フォンがある程度は知っていると言ってくれた事もあり、ならばとカザーブに移動する事にした。

 遠くに見える山々や森を眺めながら風を感じる。だが、その風はアリアハンやレーベで感じたものとはどこか異なっていた。

 

「……こちらは風が穏やかだな」

「ロマリア辺りは海があるからアリアハンに近い風だけど、ここら辺りはもう内陸だからね」

「フォンさん、カザーブまではどれぐらいかかりそうですか?」

「そうねぇ……順調にいけば二日?」

「二日?」

 

 と言う事は野宿をする事になるな。今までは何とか宿で夜を迎える事が出来たが、今後はそうもいかなくなりそうだ。

 

「ま、あたし一人だった時だから、今はもう少し短縮できると思うわ。それでも一度は野宿をしないとだろうけど」

「そうなると夜中の見張りを交互でやる必要があるな」

「私とアンナ殿で構わないのではないか?」

「ダメです。勇者様達だけにさせる訳にはいきません」

「あたしもやるわよ。四人いるんだし、一人で二時間ぐらい見張れば最低六時間は寝られる計算になるわ」

 

 私の提案はステラとフォンに却下される。何となくだが、これはどうあっても変わりそうにないと思う。それぐらいには私も二人の事を分かってきた。

 アンナ殿はその意見に反対する事もなく、私へどうすると目で尋ねてきていた。なので了承の意を込めて頷いてステラとフォンへも頷いてみせる。

 

「ならこれで野宿の時の見張りは決まったな。順番は私、勇者、フォン、ステラだ。問題ないか?」

「私もそうしようと思っていた」

「ん。てことだ」

「分かりました」

「うんって、魔物よっ!」

 

 フォンの声で視線を前へ戻す。たしかに先の方からこちらへ向かってくる影が見える。あれは、何だ? 羽が生えた人のように見えるが……?

 

「”こうもりおとこ”よっ! 厄介な攻撃は沈黙呪文(マホトーン)! 当たるとしばらく口が利けなくなるから気をつけてっ!」

 

 言うなりフォンが飛び出していく。負けじとアンナ殿も走り出したので私も追い駆ける。魔物はフォンの速度に軽い驚きを見せるも、すぐに攻撃を開始する。

 口を大きく開けて噛みつこうとしているこうもりおとこへ、フォンは慌てず身をかがめて回避するやすぐさま腕を突き上げてその顎を打ち上げるように拳を放った。

 

「アンナっ!」

「分かってるっ!」

 

 そこへ跳んでいたアンナ殿がダメ押しとばかりに斧で一閃。それだけで片付いてしまった。後に残されたGをアンナ殿とフォンが揃って拾って目配せを一つして笑みを向け合う。

 

「見事なものだ」

「ま、昔のあたしなら無理だったけどね」

「この辺りでも弱い部類にあたるしな」

 

 私の言葉に笑みを返すフォンとアンナ殿に何とも言えない頼もしさを覚える。と、そこで後ろを振り返ればどこか寂しそうにするステラがいた。

 

「どうかしたのか?」

「折角手に入れた武器を使う機会はなさそうだなぁっと、そう思って複雑な気分になりました」

「出来ればその方がありがたいんだけどね」

「僧侶のお前が前衛に出るなんてのは縁起でもないからな。それは自衛の手段で終わって欲しいんだよ」

「それは分かっています。分かっているんですが……」

 

 そう言うとステラは”せいなるナイフ”を持ったまま俯いてしまった。やはりどこかであの気持ちがあるのだろう。

 

―――……私でも、勇者様のお役に立てるのなら嬉しいですから。

 

 パーティーの中で役立たずと思う気持ち。自身への無力感。それらがステラの中には残り続けているのだ。

 

「ステラ……」

「自分に向かない事を何とかやってやろうなんて考えるんじゃない」

 

 何か言葉をと思った瞬間、後ろから鋭い声が放たれた。振り向けばアンナ殿がやや睨むような目でステラを見つめていた。

 

「ステラ、お前の職業は何だ?」

「そ、僧侶です」

「なら戦う事がお前の役目か? 武器を振るって魔物とやり合う事が僧侶の役割か?」

「……違います」

「分かってるならその歯がゆさは飲み込め。それで言えば、仲間が傷を負った際にそれを癒せない事で私達はその気持ちを抱くんだ。いいか? パーティーってのはそれぞれが役割を果たす事で強さを発揮するんだ。それを無理に崩せば待ってるのは全滅か誰かの死だ」

「アンナ、あんた……」

 

 フォンの言葉で私も気付いた。アンナ殿の表情は明らかに苦しそうだったのだ。何かを思い出してその悔しさや悲しさを噛み締めているような、そんな顔を見せていた。

 

「僧侶のお前がいるから私達は多少無茶をしてもいいと思える。魔物と斬った張ったは私達が引き受ける。お前はそれで傷を負った私達を支え癒してくれればいいんだ。それだけで私達は安心して戦える」

「……はい、ありがとうございます」

「分かればいい。ああ、フォンとお前もだからな。自分の役割を忘れるな。それをいつだって全力で果たせば必ず結果はついてくるもんだ」

 

 そう言ってアンナ殿は私達から顔を背けて歩き出す。その次の瞬間、フォンとステラが小さく笑った。私はそれで気付いた。アンナ殿が照れているのだと。

 

「クスッ、やっぱアンナって素直じゃないわ」

「ふふっ、そうですね。でも、優しい方です」

「そうね。さて、勇者? 役割を頑張って果たしましょ?」

「そうだな。私は先頭を行かねばならないからな」

 

 少しだけ早足で歩きながら私はアンナ殿がいてくれて良かったと思った。私ではステラを本当の意味で諭す事が出来なかったからだ。

 仲間の重要性をアンナ殿は知っている。そして、それぞれがその特性にあった行動をしない事がどうなるのかも。

 あの時のアンナ殿の様子から察するに、かつてのアンナ殿はステラのように自分の役割ではない部分で悔しさを抱いていたのだろう。その結果、おそらくライドと言う名の武闘家を死なせる事になったのだ。

 

「アンナ殿、貴女に感謝を」

「礼を言われる心当たりがないな」

「だとしてもだ。私では先程の言葉を言う事も出来なければ、重みもなかった」

「……そうかい」

 

 そこからアンナ殿は黙ってしまった。だが、それは嫌な沈黙ではなかった。フォンもステラも表情は凛々しくあったし、次に現れた”キラービー”と”ぐんたいガニ”に相対した時は、ステラの加速呪文(ピオリム)でフォンがその素早さを大きく上昇、キラービーを翻弄出来た。

 更に弱体呪文(ルカニ)でぐんたいガニの甲羅の強度を脆くさせ、私だけでなくアンナ殿でさえ難儀していた状況を一変させてみせたのだ。

 

 まさしくステラがその役割を果たした結果と言えた。後方で支援するステラがいるからこそ私達は魔物達に対抗できたのだから。

 

 そしてその日の夕暮時、私達はカザーブへ向かう途中の山間部で野宿する事にした。

 

「じゃ、薪になりそうな物を集めてきな。私はここで荷物を見ながら火を起こす準備をしておく」

「はいはい。……ったく、普通こういうのこそ戦士の役割でしょうが」

「聞こえてるぞ。そうは言うが、もし一人で魔物に襲われた時に生存できる可能性が高いのは私か勇者だろ。お前じゃ防御力に難がある。それで何かあった時他の三人が戻ってくるまで耐え切れるか? それと、火を起こせるんだろうな?」

「さっ、ちゃっちゃと薪になりそうな枝とか探してくるわよ。日が落ちたらこの辺りは本当に真っ暗だからね」

「フォンさん……」

 

 そんなやり取りがあった後、私達はそこまで離れず小枝や木の葉などを拾い集めた。それらを持って戻るとアンナ殿は全てを一か所に集めさせた。

 

「よし、これでいいな」

「でも、これじゃ火が弱くなった時どうするのよ?」

「そうですね。薪になりそうな物はこれで全部ですし」

「心配するな。一日分ぐらいの薪は私の荷物に残ってる。勇者、確認も兼ねて袋から出してくれ。フォンとステラはそれを受け取って、私の近くに運んでくれるか。私は火を起こしているから」

 

 そう言ってアンナ殿は自分が運んでいた袋を指さした。なので三人でその近くへ移動し中身を見る事に。たしかにそこには薪だろう木材が入っていた。

 それ以外には特に見当たらない。ただ、黒い外套らしきものが見えたぐらいだ。おそらくだが野宿の際、これを羽織って眠っていたのだろう。

 

「よし、火が点いたぞ」

 

 私が袋から薪を取り出してフォンとステラに手渡そうとした時、アンナ殿からそんな言葉が聞こえた。

 

「嘘っ!? 早っ!」

 

 視線を動かせば集めた落ち葉や枝を小さな火が燃やしていた。その火が、あの世界で最後に見た火を思い出させる。

 あのゆっくりと彼女の手の中で小さくなっていった火。私が消す事を選んだ、世界を照らす光だった火。この世界では、こんなにも儚く簡単に点くものなのだな。

 

「あれ? あの火って……」

「どうかしたのか?」

「いえ、気のせいだと思うんですけど」

「ステラ、薪を一本くれ。やはり小枝や落ち葉じゃ火が強くならない」

「あ、はい」

 

 アンナ殿の求めに応じるようにステラが薪を手にして移動する。私はそれを見て袋から薪を取り出す事へ意識を戻した。

 一体ステラはあの火に何を感じ取ったのだろうか。そんな事を考えながら私はフォンへと薪を手渡していく。辺りは、ゆっくりと闇に包まれようとしていた……。

 

 

 

 暗闇が辺りを包み、そんな中に今にも消えそうな明かりがある。それはアルス達が野宿している場所のたき火。それを見つめてアンナは一人呟く。

 

―――あの頃は今のようになりたいと願い、今はあの頃に戻りたいと願う、か。本当に私って奴はいつだってやる事が裏目裏目になるな……。




灰とステラの初めての勉強会は、互いに飲んだ酒のためかまたも見送りとなりました。


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始まりの火

はがねのつるぎ

金属を鍛え上げ、純度を高めた状態から作り上げた剣。強度・重量・長さ全てにおいて申し分ないものがあり、どんな魔物とも戦えるだけの装備である。
これを持つ者は疑う事のない一人前の戦士であり、また冒険者としても周囲から認められる存在といえよう。

ただし、強度や重量がある分扱いは難しくなっているので、これをしっかりと使えるだけの腕がなければ意味はない。
真の戦士はその手にした武器を己が手のように扱うという。それが天性の才によるものもいれば、並々ならぬ習熟の果てに得る者もいるのだ。

忘れるな。武器は使う物であって使われる物ではない事を。


「見えてきたわ。あれがカザーブよ」

 

 フォンの言葉通り、遠くに村のような物が見えてきた。山々に囲まれた村、か。成程、フォンが隠れ里と言う訳だ。

 

「アンナ殿はカザーブを訪れた事は?」

「……ない」

「そうなんですか」

「ああ。ま、知ってはいたが興味がなかったんでな。武闘家を多く輩出している場所なら戦士の私は行く理由がないし、それにどうせ」

「取り立てて美味しい物や名物もないからね!」

「ふっ、分かってるじゃないか。そういう事だ」

 

 フォンがふて腐れるように言った言葉へアンナ殿が口の端を吊り上げて笑う。相変わらずこの二人はこういうやり取りが常のようだ。

 ステラも何も言うつもりがないようで、苦笑しながら小さく私へ頷いてきた。どうやら放っておこうという事なのだろう。私も同意するように頷き返し、視線を前へと戻した。

 

「フォン、ここからならどれぐらいだ?」

「そうね……大体三時間ぐらい?」

「今からなら昼過ぎぐらいには着けるな」

「そうですね。なら、行きましょう」

「そうだな。出来れば今夜はちゃんとした食事がしたい」

「勇者様ったら……」

「あたしも同感。やっぱり携帯食じゃ味気ないもん」

 

 口を尖らせて言われた言葉に私は深く頷いた。初めて食べたが、何というか食べる事の持つ楽しみが皆無だった。

 

 味は極端に塩辛いか、あるいはない物の二つのみ。しかも保存を優先しているためか食感が硬い物ばかりだ。

 水分を飛ばしたのだろう菓子のような物は硬さはなかったが、代わりに口の中の水分を根こそぎもっていかれた。

 

 あれらを食べるぐらいなら”やくそう”を煮て食べた方がマシかもしれないと本気で思ったものだ。

 

「勇者様、昨夜の食事時は終始無言でしたものね」

「そうだったな。ずっと無表情で黙々と食べてたから、てっきり文句はないもんかと思ったが……」

「むしろ口を開きたくなくなる程不満だったのね。分かるわぁ。あたしも初めて食べた時、こんなものにお金使わないといけないのかって一人怒り狂ったもの」

 

 後ろから聞こえてくるフォンの言葉は昨夜抱いた私の気持ちと同じだ。

 本当に昨夜は、正しい生を得るとはこのような苦労を背負う事でもあるのだなと、久しぶりに私は絶望にも近いものを感じたのだから。

 

 その後、私達は魔物に何度か遭遇しながらカザーブを目指した。この辺りの魔物はアリアハンやレーベ辺りとは比べ物にならない程手強くなっていて、魔法を使うのも珍しくない上麻痺攻撃を使ってくる魔物もいた。

 

 特に苦しめられたのが”アニマルゾンビ”と呼ばれる魔物だ。基本的に群れで行動する上減速呪文(ボミオス)でこちらの動きを鈍くさせてくる。

 一匹だけならまだしも、それを群れで使ってこられた時は本当に死ぬかと思った。フォンでさえも自慢の素早さが殺され、魔物達に嬲られそうになったのだから。

 しかも、奴らは犬だからか嗅覚に優れているらしく、こちらの匂いを感じ取って現れるため奇襲になる事が多かった。

 

「……フォン、君はどうやってあいつらから逃げていた?」

 

 カザーブが間近に迫ったところで三度襲われた後、私は剣を支えにするように身を縮めてそう問いかけた。

 

「あたしの場合、今よりも心持ち魔物達の動きが穏やかだったのよ。だからあたしも驚いてるんだから。こんなにも怖いなんてね」

「見た目もいけません。あれは、神に対する冒涜です。生命の摂理を曲げています」

 

 ステラがアニマルゾンビの姿を思い出して眉間にシワを寄せた。だが、私はあれを見て思い出してしまったのだ。あの世界の亡者たちを始めとする、あらゆる意味で生命の摂理に反する存在を。

 

 もしや、この世界ではダークリングの代わりが魔王であり魔物なのだろうか?

 不死となる呪いがない代わりに魔物という死の呪いが存在しているのかもしれない。

 

「言っておくがくさったしたいってのもいる。そっちはまさしく人型だ」

「あー、うん。あたしもそれは知ってる」

「有名ですものね」

 

 嫌そうな顔をするフォンとステラ。腐った死体という事だろうか。ああ、そういえば神の使いが不死という事を聞いてアンデッドと表現していたが、きっとそれはその魔物を思い浮かべていたに違いない。

 

「でも、あれだけ大変な戦いをさせられたおかげか、若干だけど強くなってる気がするわ」

「レベルが上がったのだろうか。カザーブに着いたら確かめておこう」

「はい、勇者様」

「よし、ならそろそろ休憩は終わりだな」

 

 アンナ殿の言葉で私達は再び歩き出す。山道は険しく見通しも良いとは言い切れないが、それも終わりが見えてきていると思えばまだ何とかなる。

 周囲を警戒しながら歩く事しばらく、やっと私達の目の前にカザーブの村が見えた。

 

 その頃にはステラの魔力も底を吐き、フォンだけでなくアンナ殿さえも疲れを顔に見せていた。

 

「……フォンさん、よく一人でロマリアまで行けましたね……」

「だから、あたしの時はまだ今よりも魔物が穏やかだったんだって……」

「無駄口叩くな。もう町や村が目の前ってとこで襲われるのが一番危ないんだ」

「そうだな。それには同意する」

 

 私がそう告げた次の瞬間だった。向かおうとしていた村の方から何か騎士らしき姿がやってきたのは。

 

「フォン、村には警備の騎士でもいるのか?」

「え? そんなのいないけど?」

「っ!? あれはさまようよろいだっ! さっさと倒さないとホイミスライムを呼ばれるぞっ!」

 

 アンナ殿の言葉を聞く前に私は疲れた体に鞭打って走り出していた。だが、どこかであの魔物には普通に戦っても勝てないと感じていた。

 見るからに丈夫な甲冑なのだ。あれを砕くあるいは貫くには”どうのつるぎ”では強度が足りない上に長さも不十分だ。

 

 さまようよろいは手にしている剣がこちらよりも長い。つまり、先に刃が届くのは相手となる。となれば、私が相手へダメージを与えるためには懐へ入るためにその攻撃を誘発し、それを回避していかねばならない。

 

「……その上であれを成功させるしかないか」

 

 致命の一撃。あの世界で何度も殺される内に覚えていった、最大の反撃方法だ。相手の攻撃に合わせて盾などでその一撃をいなし、体勢を崩させたところを狙って心の臓を一撃で突き刺すものだ。

 

 あのおおがらすとの戦いでやってのけた事。あれと同じ事をやれば、おそらくこの”どうのつるぎ”でもあの甲冑を貫けるはずだ。

 

「まずは盾受けで様子を見る」

 

 ”せいどうのたて”を構えてさまようよろいの行動を観察する。すると、すぐにある事が分かった。てっきり甲冑を魔物が着込んでいるのだと思っていたら、あの甲冑はがらんどうなのだ。

 良く分からないが、おそらく鎧そのものを魔物としたのだろう。よって、その攻撃は単調で大振りだった。これならば致命が狙える。

 

 少しだけ視線を動かせば、フォン達は後方から現れたであろうキラービー達を相手にしていた。私がさまようよろいに集中出来るようにだろう。

 

 仲間というのはいいものだと改めて思う。

 

「……よし」

 

 こちらが盾を下げた瞬間、さまようよろいが好機とばかりに剣を大きく振り上げて向かってきた。そしてその剣を勢い良く振り下ろしたのを見計らって私は盾でその一撃を横へと流す。

 

 体勢を大きく崩して隙を見せるさまようよろいへ私は手にした刃を全力で突き出した。剣は見事に魔物を貫き、その体をGへと変える。

 

「何とかやれたな」

 

 小さく息を吐いて私はすぐに振り向いて仲間達の援護へと向かう。キラービーもその数を減らし、何とかなるように見えた。それでも油断せず、私はステラを守るようにしながら戦闘へと参加する。

 

 何とかキラービーを撃退し、私達はカザーブの村へと辿り着いた。もう疲れが限界に来ていた私達は、道具屋や武器防具を見て回る事もなく宿へと向かい、食事を終えると会話もなくそれぞれが床へと就いた。

 

 そうやって迎えた朝は、何とも清々しいものだった。

 

「……ロマリアのような賑やかさもいいが、ここのような穏やかさもいいものだ」

 

 元々住む人々が少ない事もある上レーベに近いようで違う環境もあるのか、カザーブの朝は穏やかで緩やかな時間という雰囲気があった。

 柔らかな日差しと優しい風。山間にあるからか空気がこれまでのどこよりも澄んでいるように思える。朝食に出された山羊のチーズは少々癖があるが、その味の濃さは何とも言えない程美味しい。

 

「フォンはこれを食べて育ったのか?」

「まあね。だけど、これはこのままよりも焼いた方がより美味しいんだから。ちょっと待ってなさい」

 

 私の泊まった部屋での朝食。そんな中でフォンは私の食べていたチーズをフォークで突き刺して立ち上がると、そのまま部屋を出て行ってしまった。

 

「フォンさん、どこへ行ったんでしょうか?」

「炊事場だろ。あのチーズを焼いてもらうか焼きにいったのさ」

「私のためにか?」

「それ以外ないだろ。ま、故郷の味を気に入ってもらいたいんじゃないか?」

 

 アンナ殿が笑って言った言葉に私は頷いた。故郷の味、か。私には分からない感覚だが、やはりそういうものがあるのだな。自分の生まれ育った場所を少しでも他者に良い印象を持って欲しいという、そういう気持ちが。

 

「それにしても、やはりお前は食べる事に関してやたらとこだわるな」

「そうだろうか?」

「そうですよ。勇者様って、食事に関しては結構こだわりますよね。ロマリアの酒場で作ってもらったパニーニ、でしたっけ。それも嬉しそうに食べていましたし」

 

 言われて思い出す。あの酒場で作ってもらった食べ物は、パンへ切れ目を作り、その中に野菜やハムなどを入れた物だった。

 ハムの塩気と野菜の苦みにかけられていただろうソースの甘さや酸味が加わって、何とも言えない美味さだった。そういえば、それを食べている私を見ながら皆が苦笑していたな。あれはそういう事だったのか。

 

「ま、魔王退治の旅で楽しみを見つけられるのはいい事だ。どうしても魔物を倒しながら進む道中じゃ、心も荒みがちになる。それを払拭出来る事があるってのは色んな面で精神面の支えになるだろ」

 

 そう言いながらアンナ殿は残ったチーズを口へ入れる。と、そこで部屋のドアが開いてフォンが笑顔で入ってきた。

 

「さあっ! 焼いてきたわ! 勇者、食べて食べて」

「ああ、では遠慮なく」

「遠慮もなにも元々勇者様のチーズですけどね」

 

 顔の近くへ突き出されるチーズ。それからはとても濃厚な乳の匂いがしている。一口噛むと熱さと共に口の中に濃厚な味が広がった。それに、とてもチーズが粘り気を持っていて食感が大きく異なっている。

 これは、いいな。焼く前も良かったが焼いた事でより旨味が凝縮されたのだろう。このネットリとした食感もいい。

 

「ね? 焼いた方が美味しいでしょ?」

「ああ。フォン、貴女に感謝を。また私は新しい事を知る事が出来た」

「あははっ、いいんだって。あたしとしても故郷の味を気に入ってもらって嬉しいもの」

 

 その言葉通り、フォンはとても嬉しそうな笑顔をしていた。それほどまでに故郷への思い入れがあるのだろうな。

 故郷どころか自分の名さえも無くした私にはその気持ちは理解出来ないが、きっと胸が温かくなる事なのだと思う。

 

 それにしても、今のフォンの笑顔は今までで一番眩しい。

 

「フォン、食事を終えたら村の案内を頼めるか? 武器などを見たい」

「いいわよ」

「あと、出来ればフォンの両親へ挨拶もしたいのだがいいだろうか?」

 

 私がそう問いかけた瞬間、フォンは笑顔のまま無言で頷いた。それが、何故か私には妙に気になった。

 故郷への想いが強いフォンならば両親へのそれも強いと思ったのだが、言葉でそれを示さないのだ。

 

 こうして何か妙な感じを受けつつも、私達は食事を終えて宿を出た。村の中は旅人もほとんどいないため私達の事を珍しそうに見る者が多い印象を受けた。

 

 フォンの案内で店を回り、その時は来た。

 

「ここよ」

 

 フォンの両親へ挨拶をと、そう思っていた私はフォンが案内してくれた場所に首を捻るしかなかった。

 

「フォン、ここは教会なのだが……?」

 

 が、私の問いかけにステラが何かに気付いたように口を押さえ、アンナ殿までも若干苦い顔をした。

 

「うん。あたし、実はこの村近くに捨てられてたんだ。で、ここの神父様が親みたいなものなの」

 

 何でもないような事を言うようにあっさりとフォンは告げて笑みを見せる。その笑顔には影も悲しみもない。むしろそれを聞いたステラの方が苦しそうな顔をしているぐらいだ。

 アンナ殿は普段通りの顔をしているが、フォンへ何か言わない辺りがらしくないと感じる。どうやらこの話題は触れてはいけないものらしい。

 

「そうか。では、すまないが神父殿へ、フォンの養父殿へ取り次いでもらえるか?」

「うん、いいわよ。ついてきて」

 

 中へ入ると神父殿がフォンに気付いて優しい笑みを浮かべた。フォンも神父殿へ駆け寄り、少しだけ二人で会話したかと思うと私達の方を向いた。

 

「話はフォンから聞きました。アルス殿、カザーブの村へようこそ。しかし、まさかオルテガ殿のご子息とは……」

「まだ父の足元にも及ばぬ未熟者です。それ故フォンにはここまで何度も助けられてきました」

「そうですか。本来ならばフォンもまだ修行中の身。ですが、徐々に不安が広がっていく世の中をどうにかしたいと村を飛び出したのです」

「そうだったんですか……」

「お前らしいな」

「いいでしょ、別に」

 

 神父殿の微笑みにフォンが恥ずかしそうに顔を背ける。修業中だったにも関わらずあれだけの動きを最初から出来るとは、ここの修行とはかなり厳しいのだろうな。

 

「そうだ。神父様、シャンパーニの塔がどの辺りにあるか知ってる?」

「知っているが、何故そんな事を? あそこはもう魔物の棲み処であり、最近では盗賊の棲み処でもあるのだぞ?」

「実は、私達はロマリア王から盗賊討伐の依頼を受けているのです」

 

 私がそう告げると神父殿は何かに納得するように頷いて話をしてくれた。

 曰く、今この村にはロマリアから盗賊達を追ってきた戦士がいるらしい。その戦士は一人ではさすがに分が悪いと考えているようで増援を待っているそうだ。

 

 その話を聞いて私はロマリア王の話を思い出していた。おそらく、私達が訪れた時にはその戦士からの援軍要請は届いていたのだろう。

 だが、民のために出せる兵士は少数のみ。それでは塔にいるという盗賊達を討伐するには心もとないと思った王は、どうするべきかと頭を悩ませていたはずだ。

 そこへ私達がやってきて盗賊の事を持ち出したので、王は一縷の望みを託して私達へ盗賊討伐を依頼したのではないだろうか?

 

「神父殿、その戦士とやらはいずこに?」

「宿屋近くにいるはずだが……」

「アンナさん、それらしい方を見ました?」

「いや、見覚えはないな」

「じゃ、宿へ行っておじさんに聞いてみればいいわ。神父様、あたし達はこれで」

「うむ、旅の無事を祈っている。フォン、くれぐれも命を落とすんじゃないぞ」

「もっちろんっ! あたしは勇者達と一緒に魔王を倒して戻ってくるわっ!」

 

 握り拳を見せて神父殿へ答えるフォン。その姿に神父殿が静かに笑みを浮かべて頷いていた。

 教会を出て宿へ向かい主人へ盗賊を追っている戦士について尋ねると、返ってきた答えは既に宿を出たとの事だった。何でも援軍が来る気配がないと判断し、ならば一人でもと言っていたそうだ。

 

「どうする? 後を追うか?」

「今からで間に合うだろうか?」

 

 戦士殿が出て行ったのは今朝だそうだ。私達が宿を出た時にはもう村を出て行ったらしい。

 神父殿の話でシャンパーニの塔の場所は分かっているが、そこまでの道中も当然魔物達がいる。そして塔の中もだ。

 

「間に合う合わないじゃなくてさ。このままじゃその戦士が死ぬ可能性が高いって事が問題よ」

「それに、ロマリア王は私達へ盗賊討伐を依頼しています。つまり、その戦士の方が待っていた援軍は私達と言う事になります」

「ま、本当なら城から知らせがここへ来たんだろうが……」

 

 アンナ殿がそこで表情を歪める。きっと私達が直接向かう方が早いと判断されたのだろうな。実際そうだとも思う。

 城の兵士ではここまで来るのに三日以上かかるだろう。道を知っているフォンがいた私達でさえ二日かかったのだ。であれば道中の魔物を撃退出来ない兵士ではもっと時間を食うはず。

 

「分かった。なら出来るだけ急いで後を追おう。幸いシャンパーニの塔は、ロマリアへの道と違い山道が長い訳ではないらしいしな」

「そうらしいですね。フォンさん、出発前にもう一度会っておかなくても大丈夫ですか?」

「いいわ。どうせ盗賊をとっちめたらまたここへ戻ってくるんだもの。その時に顔を見せればいいだけよ」

「よし、じゃあ行くか」

 

 そうして私達はカザーブの村を出た。心残りがあるとすれば”はがねのつるぎ”を買えなかった事だ。やはり1300Gは大金であり、私達が買えたのはフォン用の”てつのつめ”がやっとだった。

 装備を新調するには大量のGが必要になるのは常であったが、大陸を渡ってよりそれが顕著になったように思う。

 

 山道を歩きながら私達は魔物との戦いを続けた。

 フォンは手に入れた”てつのつめ”による攻撃力上昇が凄まじく、これまで苦戦していたアニマルゾンビやキラービーを一撃で倒す事が可能となった事もあり、アンナ殿と二人で前衛として目覚ましい活躍を見せた。

 ステラは消滅呪文(ニフラム)でアニマルゾンビを浄化出来ると気付いて一気に戦闘が楽になった。ただ、その場合はGが手に入らないので痛し痒しであったが。

 

 そして私は一人変化のない装備で戦い続けていた。何も不満がある訳ではない。ただ、不安はある。さまようよろいへ致命の一撃を行ったせいか、剣の切れ味が落ちたように思えて仕方ないのだ。

 幸いにして魔物を斬る事に支障はないが、もしもう一度さまようよろいと戦う事になれば剣が使い物にならなくなる可能性が高いかもしれない。

 

「……もし今度遭遇した場合はアンナ殿やフォンにとどめを任せて、私は囮にでも徹しよう」

 

 あれだけの強度を持った魔物でなければ対処出来る。いざとなれば”こんぼう”で戦おう。

 やがて山道を抜け平原に出た。まだ日は高い。何とか夕暮れまでに塔が見えてくるといいのだが。

 

「やれやれ、これで少しは戦い易いか」

「見通しが良くなったし、不意打ちは減るでしょうしね」

「ですが、油断は出来ません」

「そうだな。見知らぬ魔物が出てくる可能性もある。急ぎつつも慎重に進もう」

 

 手にした”どうのつるぎ”の刃先が少し潰れているのを確認し、私は小さく息を吐いた。切れ味が落ちるはずだ。やはりあの時の一撃が武器の攻撃力を下げたらしい。

 さまようよろいとの名の通り、その体が丈夫な金属鎧だったために強度で劣る銅が負けてしまったのだ。ただ、それも貫くという行為をしたから余計に刃が影響を受けたのだろう。

 

 刃先の切れ味は落ちてしまったが、まだ全体の切れ味が落ちた訳ではない。とにかく今は進もう。

 

 あの世界であれば、鍛冶屋に頼んで修復してもらったのだがな。こちらではそういう事をすっかり失念していた。

 だが、そう言えばこの世界で鍛冶屋らしき者を見た事もなければそういう店を見た事もない。この世界には、鍛冶屋はないのだろうか?

 

「アンナ殿、一ついいだろうか?」

「どうした?」

「いや、どこかに鍛冶屋はないのかと思ったのだ。心持ち武器の切れ味が落ちてきたように思えたのでな」

「そういう事なら武器屋で頼めばいい。大抵の武器屋は鍛冶屋も兼ねてる」

「まぁ、ただ仕入れて売ってるだけの店もあるから絶対じゃないけどね。カザーブの店はそういうとこだし」

 

 言われて思い出した事がある。そういえばあの鍛冶屋も武具を売っていたなと。成程、手掛かりは既に手に入れていたのか。それに私が気付けなかっただけと言う事だな。

 盗賊を討伐しカザーブの村へ戻ったら真っ先に武器屋を訪ねるとするか。そして、今後は必ず武器や防具の修繕を頼むとしよう。

 

 そこから会話はしばらくなかった。というのも橋が見えてきたためである。これまでの経験から言えば、橋を渡ると魔物が強くなるからだ。

 アンナ殿もこれまででそういう経験をしてきているそうなので、私達は一層の警戒をしながら橋を越えて進む。

 

 何度かの魔物との交戦を経て、遂に視線の先に高くそびえる塔が姿を見せた。

 

「あれが、シャンパーニの塔」

「みたいですね。最上階に盗賊達がいると思いますが……」

「ナジミの塔よりも厄介そうね」

「当然だろ。大体武闘家の修行場だったところだ。なのにそれを放棄するぐらい魔物が蔓延ったんだぞ。なら、ナジミの塔とは比べ物にならないと思った方がいい」

「そうだな。だが、そろそろ日も暮れてくる。この辺りで野営するべきだろうか?」

 

 先に塔へ向かったはずの戦士殿が気にはなるが、夜の闇の中で塔の攻略を進めるのは不安が強い。

 

「あたしは進むべきだと思うわ。だって、夜になったら盗賊達は行動するかもしれないでしょ? もしそこで私達を見つけたら奇襲されるもの」

「私はそれでも無理な進軍は避けるべきかと思います。むしろ夜に行動するかもしれないなら塔の中で遭遇する可能性が高い訳ですし」

「私はどちらも一理あると思うから勇者の判断に従うよ」

 

 そこで三人の視線が私へ集中する。進むか止まるか。それと同時に、どちらにせよ盗賊達との交戦の可能性を考慮しなければならない。

 塔内ならばおそらく向こうもこちらも不意打ち気味の反応となるだろうが、こちらは遭遇するかもしれないと思える分有利だ。逆に野営している際に交戦となればこちらは完全な奇襲を受ける形となる。

 

「……進もう。地の利は向こうにあるかもしれないが、奇襲を防げると言う点で塔内の方がマシだと思う」

「よし、文句はないか?」

「ないです。勇者様がそうお決めになったのなら」

「うん。そうと決まれば急がないと。日が落ちる前に塔へ入りましょ」

 

 こうして私達はシャンパーニの塔へと入る事にした。塔内はナジミの塔よりも魔物の気配が濃く、またその数も多かった。

 そのため、私達は慎重に進みながら無駄な交戦を避ける事にした。常に周囲を警戒しつつ、奇襲を防ぎ不意打ち出来る時だけは魔物を倒しと、そうして進んでいくと時折宝箱を見つける事があった。

 以前と同じでフォンが真っ先に開けに行き、その中身に一喜一憂する。対して私はどうしてもあの恐ろしい存在が脳裏をちらつき、手にした”どうのつるぎ”を握り締めていたが。

 

「そういえば、勇者って何か呪文使えないの?」

 

 とうぞくのかぎで開ける扉の前でフォンがそんな事を聞いてきた。おそらくここが開いていない事で盗賊達がこの先にいると確定したからだろう。

 

「むしろどうやって呪文を使えるようになったか判断するのか教えて欲しい」

「感覚としか言いようがないぞ。だろ?」

「はい、そうですね。使えるようになれば使えるというか……」

「ふーん、そんなもんなんだ」

「なら、試してみましょうか。勇者様、目を閉じて気持ちを落ち着けてみてください。もし使える呪文があれば、それで浮かんでくるはずです」

 

 ステラに言われるまま、私は目を閉じて心を穏やかにしてみた。すると、ぼんやりと二つの呪文が浮かんできた。

 

「……火炎呪文(メラ)回復呪文(ホイミ)が使えるようだ」

「やったじゃない。これで多少だけど空への攻撃手段が出来たわ」

「それに回復も出来るのなら、今後は少しなら自分で自分を癒せるわけだ」

 

 私が呪文を使える事にフォンが喜び、アンナ殿は満足するように腕を組む。ステラはと言えば、何故か寂しげな表情を浮かべていた。

 

「ステラ? どうかしたか?」

「え……? あ、すみません。少し考え事をしていました」

「まぁ、回復する相手が一人減ったと考えてもいいからな」

「うしっ、じゃあ進みましょう。これで今後の戦いがもっと有利に出来るもの」

 

 フォンの言葉に頷き、私は扉を”とうぞくのかぎ”で開ける。階段を上るとそこには鎧を着た者達がいた。

 おそらく見張りだったのだろう。こちらを見るなり慌てて上への階段へ向かって行った。おかしらに報告と言っていたのでこの上に盗賊達の首領がいるのだろう。

 

「いよいよね。気を抜かずにいきましょ!」

「ああ」

「アンナさん、傷は私が癒しますから」

「頼んだよ」

 

 隊列を組んで私達は階段を上った。そこには、先程見た鎧姿の者達以外に覆面をした半裸の男がいた。おそらくそれが首領なのだろう。

 

「お前がカンダタか」

「そうとも。お前ら、見たところ城の兵士じゃないようだが、一体ここへ何しに来た?」

「王の依頼により、お前が城から盗んだ物を取り返しにきた」

「はっ、やれるもんなら力付くで取り返してみな!」

 

 こちらへそう言い放ち、盗賊達は下衆な笑みを浮かべたままその場を動こうとはしない。それが私には奇妙に映った。普通ならば逃げるかあるいは攻撃を仕掛けるかするはずなのに、何故か何もしようとしないのだ。

 

 それどころか余裕の表情を浮かべている。変だと、そう思った。そこで思い出すのはあの男(パッチ)。もしここにいるのがあの男(パッチ)ならば意味するのは一つだ。

 

「ちょ、ちょっと勇者? 何やってるのよ?」

 

 私が懐からGの入った袋を取り出したのを見てフォンが気勢を削がれたらしく、やや呆れた表情で問いかけてくる。それを無視する形で私は手にした袋を盗賊と自分達の間へ投げた。

 

「「「っ!?」」」

 

 その瞬間、間違いなく盗賊達が息を呑んだ。首領であるカンダタを除いて。そこで私は確信する。やはり何かの仕掛けがあるのだと。

 

「皆、その場から動くな。きっとこの先に罠がある」

「なっ!?」

「罠、ですか?」

「成程な。道理で逃げようともしない訳だ。最初は腕に自信があるからと思ったが、罠とはねぇ」

「そういう事だ。盗賊などの輩が考える事は大抵が不意を突くか素早く逃げるかだ。ならば、そのどちらでもない場合は一つしかない」

 

 私の言葉でカンダタが僅かに舌打ちをするのが聞こえた。どうやら仕掛けの起動はカンダタが担っているのだろうな。だから部下の賊達は私の行動で息を呑んだのだ。

 

「ふん、罠を見破ったからどうだって言うんだ? お前らはきんのかんむりを取り戻すんだろ?」

「フォン、おそらくだがあの者達がいる場所には罠はない」

「そういう事ね。分かった!」

 

 答えるや否やフォンは少し後ろへ下がると助走をつけて私の隣辺りで床を蹴った。そのままフォンの体は盗賊達のいる辺りまで辿り着き、すぐさま近くの盗賊へ攻撃を開始する。

 それに動揺したのか、見るからに盗賊達が慌てだして首領であるカンダタへと駆け寄っていく。今なら罠を発動させる事は出来ないだろう。

 

「二人共、私に続けっ!」

「ゆ、勇者様っ?!」

「分かったっ!」

 

 ステラはまだ戸惑っているがアンナ殿はすぐに呼応して動き出してくれた。予想通り罠は作動しなかったこともあり、私はフォンと合流するように盗賊達へと斬りかかった。

 どうやら首領は気付いていたようだが、逃げ惑う部下達が邪魔で罠の作動を妨げられたようだな。こちらを悔しげに睨みつけている。

 

「くそっ! こうなりゃ逃げるぞっ!」

「あっ、待ってくださいよおかしらぁ!」

「逃がすもんですかっ!」

「盗んだ物を返してもらうぞ!」

 

 部屋の奥の外壁のない場所から飛び降りて行く盗賊達。私とフォンもすぐに後を追う。落ちた先はあの”とうぞくのかぎ”で開ける扉のあった階だった。

 

 落下による衝撃は多少あったものの、足を折る程ではなかった。が、盗賊達は着ていた鎧が重かったためだろう。私達から逃げる事もせず、その場でただうずくまっている。

 

「勇者様ぁ!」

 

 そんな時、上の方から若干怯えるような声が聞こえた。視線を上げればステラが落ちてくる。何となくだが、このままでは上手く着地出来ない気がした。

 

「フォン、盗賊達を監視してくれ」

「分かったわ」

 

 小声でフォンへそう告げ、私はステラが落ちてくるだろう場所へ移動し、受け止める体勢を取った。

 少しして両腕にいつかの頃よりも凄い重量がかかったが、何とか受け止める事が出来た。これもあの頃より強くなったと言う事なのだろう。

 

「っ! ぶ、無事か、ステラ」

「は、はい……」

 

 ゆっくりとステラの体を下ろし、私は武器を構えようとするが腕が痺れてしまって上手く動かす事が出来ない。それを見たステラが私の両腕へ癒しを使ってくれた。

 

「ステラ、感謝を」

「いえ、私こそ感謝を。勇者様は、本当に私の心を勇気づけてくれます」

 

 何故かステラはどこか嬉しそうにそう言った。私は特に何かした訳ではないのだが、それでステラが笑顔になれるのなら良しとしよう。

 

「何とか間に合ったか」

「何っ!?」

「アンナ殿っ!?」

 

 ステラの癒しが終わるのと同時にぐらいでアンナ殿が何故か盗賊達の後方から現れた。おそらくだが、アンナ殿は飛び降りずに階段で下ってきたのだろう。それが結果として挟撃の形となったのだ。

 戦闘するにこれ以上ない状況と言える。盗賊達もまた体勢を整え切れていない。動くなら今か。そう判断し私は”どうのつるぎ”を構えた。

 

「フォン、まずは周囲の盗賊達を頼む! ステラはここで自分の身を守りながら癒しを!」

「「ええ(はい)っ!」」

「アンナ殿、そちらも盗賊達を頼む! 私はカンダタを!」

「おうさっ!」

「舐めるなっ! お前ら、自分の事は自分で守れっ! 俺様はあの小僧を倒すっ!」

 

 言うなりカンダタは私へ向かって走り出す。どうやら向こうは私を倒す事でフォン達の心を折るつもりのようだ。狙いとしては正しいだろうが、生憎私はそう簡単にやられる訳にはいかない。

 

「魔物ではなく人間相手は久しぶりだが……」

 

 最後はアンナ殿との手合せか。あれよりも強い殺気をカンダタから感じる。だが、それも殺意とまではいかない。どうやら堕ちるところまで堕ちている訳ではないようだ。

 私としては殺したくはないが、いざとなれば仕方ないとも考えている。事情があるのかもしれないが、民を苦しめ害を為した以上それは見逃せる事ではないのだから。

 

「おらっ!」

「ぐっ!」

 

 振り下ろされる一撃を盾で受ける。かなりの衝撃が盾越しに私の腕を襲う。これは盾で受け続ける訳にはいかないな。

 

「そこだっ!」

 

 なので回避へ専念する事にした。ローリングで攻撃をかわし相手の呼吸が乱れるのを狙う。あれだけの大振りで斧を振っているのだ。連続で攻撃し続けるのは困難だろう。つまり、必ず隙を作るはずだ。

 

「ちっ! ちょこまかと……っ!」

 

 立ち上がると盾を構えながらカンダタを中心とする円を描くように動く。そして攻撃されるとローリングで回避。それを続けて相手の様子や動きを観察した。

 

「へっ、どうやら俺様が恐ろしいと見える。このカンダタ様を相手にすると言いながらまったく攻撃しないのは、この俺様の力に恐れをなしたからだろ」

 

 そうやっていると、カンダタがそう言ってこちらを挑発してきた。ちらりと視線を後ろへやれば、他の盗賊達はフォンとアンナ殿に苦戦していた。ステラが二人を回復しているのが大きいのだろう。

 このままでは形勢が不利と見たか。成程、流石に首領をしているだけはあるな。状況を把握し続けているようだ。

 

「そう思うのなら背を向けてみればいい。お前が部下を助けに行けばフォンとアンナ殿も苦戦するだろう。ただし、行ければだがな」

 

 暗に挑発には乗らないと言ってやる。するとカンダタは隠す事もなく舌打ちをした。きっと、本来のアルスであれば相手の思うように動いていただろう。

 十六の少年が仲間達を危険に晒して平然と出来るはずはないだろうし、そもそも先程の言葉に冷静さを保つのも難しいだろうからだ。

 

「小僧の割には中々胆が据わってるみたいだな。お前、何者だ?」

「アリアハンの勇者オルテガの息子、アルス」

「なっ?! オルテガの息子っ!?」

「っ!」

 

 こちらの名乗りにカンダタが驚いた隙を突いて、私は一気に距離を詰める。向こうも慌てて攻撃へ移ろうとしているが、私の方が僅かに早い。

 

「ぐぬっ!」

 

 浅くではあるがカンダタの体を刃が傷付け血を流させる。それを横目で見ながら私はローリングでカンダタの後方へと移動した。

 素早く体勢を立て直してカンダタを見れば、その体をワナワナと震わせている。怒りだろうか。あるいは悔しさだろうか。とにかく冷静さを失ってくれれば戦い易い。

 

 これはあの世界では中々出来ないものだな。あの世界の者達は、一部だけが感情を残していた不死であり、後は全て人ならざるモノへと変わっていたのだから。

 正しい人の在り方故に感情を高ぶらせて冷静さを失うのか。不死だった私からすれば本当に驚きだ。だが、逆に言えば攻撃の重さや威力は上がっているとも言える。これまで以上に注意が必要だ。

 

「小僧ぉ! よくもやってくれたな! カンダタ様に傷をつけた事、後悔させてやるっ!」

 

 斧を片手にそう叫び、カンダタは私へ向かって駆け出した。その勢いを乗せた一撃を私へ叩き付けるつもりなのだろう。

 どうする? 回避するか盾で受けるか。あるいは、致命を狙うか。と、そこで思い出した。アンナ殿との手合せを。あの時と状況は似ている。違いは私にGが無く、相手に盾がない事。

 

 そう考えた次の瞬間には私は”こんぼう”を左手に持っていた。そしてそれを向かって来るカンダタ相手へ投げつける。

 

「こんな棒切れなんかでぇっ!」

 

 私の投擲した”こんぼう”がカンダタの一撃で両断される。だが、その動きは私が距離を詰めて間合いに入るには十分過ぎる隙だった。

 

「なっ?!」

 

 私は躊躇なく剣をカンダタの胸へと突き刺した。肉を刺す感触が手から腕へと伝わり、刃を伝って赤い血が流れてくる。すると、大きな音が響いた。カンダタが手にしていた斧を手放したのだ。

 

「お、お前……何で躊躇いなく人を刺せるんだ……?」

 

 先程までの威勢が嘘のように弱々しい声でカンダタがそう問いかけてくる。何故、か。あの世界で嫌と言う程やってきたからと言っても信じないだろうな。

 躊躇いがないのは、カンダタが盗賊だからだ。しかも、あの器の大きい王から盗みを働きロマリアを騒がせる悪人だ。それに下手をすれば私が殺されるならば、その命を取る事に躊躇いなどない。

 

 それに、私からすれば、魔物も盗賊も人や世に害を為すという点では同じだ。

 

「勇者様っ! もう十分ですから刃を抜いてくださいっ!」

 

 ステラが血相を変えて駆け寄るや、私の手から剣を引き抜かせる。同時に血しぶきが飛び、カンダタの巨体が床へと倒れる。するとステラは、両手をその傷口へ当てて癒しを始めた。

 

「ステラ、何故助ける? その者は盗賊であり王からも討伐を依頼され」

「だからと言って殺していいはずがありませんっ!」

 

 その言葉が私の心を大きく揺さぶった。その綺麗な白い手を赤く染めながらカンダタを癒すステラの姿に、私は何もかける言葉が見つからなかった。

 聖女、とはステラのような者を指すのだろうか。私は血を滴らせる剣を握り締めたまま、その場に立ち尽くすしかなかった。

 

 どれ程そうしていただろう。やがてステラがカンダタから手を離して大きく息を吐いた。見れば胸の出血も傷も綺麗に消えている。

 

「何とかなりました。多分ですが、剣の切っ先が心臓まで届かなかったのかと」

「……そうか」

 

 刃の先が潰れていた事を思い出して私は納得していた。要は、剣の刃部分が短い事と刃先の変化で致命の一撃となり得なかったのだ。

 

「っ!? ステラっ! 離れてっ!」

「え?」

 

 後ろから聞こえたフォンの声にステラが首を傾げる。だが私には分かった。何故フォンがそんな事を言ったのかが。故に私は弾かれるように動いてステラと自分の位置を入れ替えた。

 

「勇者様っ!?」

「ぐっ!」

 

 直後、私の体は背後から羽交い絞めにされる。傷も癒えたカンダタが立ち上がったのが見えていた事から、おそらくこれは奴の仕業だろう。

 何とか身動きをと思うも癒しの効果で疲れなども消えたらしく、拘束力は私ではどうしようも出来ない程強い。と、頭上から勝ち誇るような声が聞こえてきた。

 

「ありがとよ、僧侶の嬢ちゃん。おかげで死なずに済んだぜ」

「お、おかしらぁ! 助けてください!」

「分かってる。おい、この小僧を殺されたくなかったら子分達をこっちへ渡せ」

「そんな……」

 

 カンダタが告げたのはある意味で当然の内容だった。私の身柄を使って手下達を助けようとしているらしい。部下を見捨てない事は褒めてもいいが、ステラの優しさを踏み躙る行為は許す訳にはいかない。

 だが剣はこの手になく道具さえも使えない。どうやってこの状況を脱するか。それを考えねばならない。そんな風に考える私の目の前では、気落ちするステラの肩へフォンがそっと手を置いていた。

 

「ステラ、気にする必要ないわ。勇者の手をあんな奴の血で汚さず済んだと思えばね」

「おい、人質交換なら同時が基本だ。だからこっちはまず二人そっちへ引き渡してやる。最後の一人と勇者を交換だ」

「いいだろう」

 

 アンナ殿の提案にカンダタが応じて、まず盗賊二人がこちらへ這いずりながらやってくる。鎧姿ではないのでおそらくフォンとアンナ殿が脱がせたか壊したのだろう。

 多分だが着地の際に受けた負荷が未だに残っているのだ。歩く事も出来ないまま、二人の盗賊がカンダタの後ろへと移動したと思う。

 

「じゃあ、最後だ。これで勇者を」

「ちょっと待ちな。こっちはろくに歩けないんだ。それで同時に交換は無理ってもんだぜ」

「なっ……あたし達が卑怯な真似する理由ないでしょうがっ!」

「どうだかな。躊躇いなく人殺しが出来る奴が率いてるパーティーだ。そっちへ引き渡したが最後俺と同じ事をしないとも限らないだろ」

 

 憤りを見せるフォンを嘲笑うかのような声が頭上から聞こえる。どうやらこの男、最初から私を解放するつもりはないらしい。こうなるとこのままでは皆が危ないかもしれない。

 私を拘束したままステラ達に危害を加えないとも思えない雰囲気もある。何か考えなければならない。だが、武器もなく動きも封じられている。出来る事と言えばもがく事ぐらいだ。

 

 と、そこで思い出す事があった。今の私には出来る事があると。どうやっていいかはよく分からないが、あの世界での呪術のようなものと思えば出来ぬ事もないはずだ。

 

「ほら、まずは俺様の手下をこっちへよこせ。で、俺様の傍に来たら小僧を解放してやる」

「……分かったよ」

「「アンナ(さん)っ!?」」

「仕方ないさ。こいつと勇者じゃ命の重さが違う。盗賊なんてしないと生きていけない奴と、父親の遺志を継いで魔王を倒そうとする奴。どっちが大事か言うまでもないだろ」

 

 アンナ殿の言葉に僅かだがカンダタが奥歯を噛んだようだ。今なら完全に奴の注意は私にはない。そう判断し、私はステラが呪文を使った時の事を思い出して右手をカンダタの腹部へ押し付ける。

 

「あ? 何だ?」

火炎呪文(メラ)っ!」

「ぎゃああああっ!!」

 

 何かが体から失われる感覚と共に右手から熱が生じた。そしてカンダタの拘束が緩んだのを感じて私は急いで前方へとローリングする。

 

「「勇者(様)っ!」」

「今の火炎呪文(メラ)か? 嘘だろ? どう見ても烈火呪文(メラミ)ぐらいの熱量だ……」

 

 慌てて駆け寄る二人と何故か呆気に取られているアンナ殿を後目に私は目の前を見つめる。カンダタは全身を炎に包まれながら床を転がり続けていた。

 さすがに今度はステラも助けようとはしなかった。いや、おそらくだが助けられないのだろう。カンダタを包んだ火は、まるでその身を焼き尽くすまで消えないように感じられた。

 

「……さすがに不味くない?」

「え、ええ、このままでは焼け死ぬかと」

「お、おかしらぁ!」

 

 手下の盗賊が悲痛な声を上げる。私はどうする事も出来ないので目の前の光景を見つめるしかない。すると、背後でアンナ殿が大きくため息を吐いた。

 

―――仕方ないか……。

 

 そして、その直後燃え続けるカンダタへ何かが飛んで行った。それは、冷気だった。その冷たい風が火を消し飛ばすかのように鎮めて行く。だが、私達はそれよりもそれをやってのけた者へ視線を向けていた。

 

「アンナ殿、今のは……」

凍結呪文(ヒャダルコ)だ。氷結呪文(ヒャド)じゃ無理かもしれないと思ってさ」

「そうじゃないわよっ! な、何であんた魔法が使えるの!?」

 

 驚きを隠せない私とフォンだが、何故だかステラだけは納得するような表情でアンナ殿を見つめていた。

 

「やっぱりそうだったんですね。あの野宿の時の火、あれは魔法によって点けたものじゃないかと思いました。微かにですが魔法力を感じましたから」

 

 そう告げて、ステラは深呼吸をするとこう尋ねたのだ。

 

―――アンナさん、貴女は転職したんですね?




転職に必要な最低レベルは20。そして、魔法使いがレベル20で覚える魔法はヒャダルコです。


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戦士として

せいすい

神の祝福を受けたとされる清水。
周囲へ振り撒けばその水分が乾くまで弱い魔物を退ける効果を発揮する。
似た効果の呪文があるらしいが、使い手がいなくなって久しいため分からないと言う。

魔物へ直接振り掛ければ、どんな相手だろうと必ず傷を負わせる事が可能であり、噂では従来の方法では倒し辛い魔物相手にもその効力を発揮するとか。

値段は決して安くはないが、多くの災いを退けられる代償ならば妥当であろう。
万が一に備え、一つは持っておくといいかもしれない。


「転職って……もしかしてあれ? ダーマ神殿ってとこで出来るって言う?」

 

 ステラの告げた単語をフォンが教えてくれた。どうやら有名な話なのだろう。アンナ殿はその言葉に頷いている。

 

「ああ、そうだよ。私はそこで魔法使いから戦士へ転職した。適性があったんだよ」

「適性?」

「そうさ。誰だって魔法使いになれる訳じゃないし僧侶だってそうだ。向き不向きってのが人にはある。その職業への適性がなければ転職は認められないんだよ」

 

 そう言ってアンナ殿は視線を私の後ろへ向けた。つられるように私も視線を動かすと、カンダタの手が小さく動いている。どうやら生きているらしい。

 

「しぶとい奴だ。ま、おかげで目的を果たせそうだな」

「目的って……」

「きんのかんむりだ。勇者、ホイミをかけてやれ。きっとその傷ならホイミ一回程度じゃ満足に動けないが、話す事は出来るだろうさ」

「分かった」

 

 言われるままカンダタへホイミをかける。すると、カンダタがゆっくりと目を開けてこちらを見てきた。

 

「っ!?」

 

 そして大きく怯えるように目を見開いて震えだした。

 

「きんのかんむりを返してもらおう」

「わ、分かった……。盗んだ、もんは……返す」

「……それだけか?」

 

 ステラの優しさを、慈愛を踏み躙った事への怒りが沸々と湧いてくる。もしあそこで今の言葉を告げていれば、私とてメラを使う事はなかっただろう。

 声に殺気を込めてカンダタへ迫ると、その目の怯えがより大きくなった。

 

「ひっ! に、二度と盗みはしませんっ! 絶対しませんっ!」

「……もしした場合、今度はその代償がどうなるかは分かっているな?」

「も、勿論っ!」

「ならいいだろう。事情はどうであれ、盗みを働く事は悪事だ。それに、お前はあれだけの力があるのだ。それを使って正しい仕事をすればいいだろう。心さえ腐っていなければ、やり直しは出来るはずだ」

「へい……へいっ!」

 

 ステラの慈悲を少しだけ借りるようにそう告げ、私はカンダタから離れた。次にその手下達へと視線を向けると、その者達も一様に怯えるように体を震わせる。

 

「お前達もだ。一つだけ言っておくが、私はお前達を殺す事に躊躇いはない。盗みを働いたのだ。それも一度や二度ではない。何度もだ。悪事というのは事の大小を問わず罪になる。そして、小さいからと言って繰り返すのなら、それは最早大きな悪事と変わらぬ。いや、もっと性質が悪い。それをやったのがお前達だ」

「も、もう二度としませんっ!」

「お、おかしらと一緒に盗みからは手を引きますっ!」

「な、なので命ばかりはお助けをっ!」

 

 揃って命乞いをする者達を見下ろし、私はカンダタへ視線を戻す。

 

「きんのかんむりを置いて、その者達と共にいずこへと行くがいい。だが、もしまた悪事を働いた場合は……」

 

 私はそこで手にした”どうのつるぎ”を握り締め、カンダタ達を見回した。

 今回はステラの慈悲とその願いに免じて見逃そう。ただし、それ故に次回があれば容赦はしない。魔物同様に、いやそれ以上の化物としてこの手で息の根を止めてくれる。

 

「ここで死んだ方が良かったと、そう思う事になるだろう」

 

 私の言葉に周囲が息を呑むのが聞こえた。それでいい。私は、やはりこういう生き方しか出来ないのだろう。

 ステラのように慈愛を持ち続けるのは無理だ。私に出来るのは、精々が威圧し大人しくさせるだけなのだから。

 

「さあ、きんのかんむりを置いて去れ」

「あ、ああ……最上階のアジトにある宝箱に入ってる。そこから持っていってくれ」

 

 そう言ってカンダタはゆっくりと立ち上がると手下達の傍へと向かって歩き出す。何という体力だ。いくら回復させたとは言え、この短時間で歩けるまでなるとは。

 

「お前ら、もうそろそろ立つぐらい出来るだろ。行くぞ」

「「「おかしらぁ」」」

「泣くな! ……最低な手段使った上に命を二度も助けられちまったんだ。もう俺達の負けだ。さっさと逃げるしかねぇんだよ」

 

 手下達へ背を向け、カンダタは私達の前から去っていく。その背中から目を離し、私はアンナ殿へと視線を向ける。アンナ殿には聞きたい事が色々あるからだ。

 ステラやフォンも同じ気持ちらしく、アンナ殿をじっと見つめていた。するとアンナ殿も分かっているのだろう。諦めるように息を吐くと上を指さした。

 

「ここじゃ落ち着いて話も出来ない。とりあえず上の階へ戻ってきんのかんむりを回収してからだ」

「分かった。二人もそれでいいだろうか?」

「はい」

「ええ」

 

 こうして私達は再び最上階へと向かった。

 が、その途中の階へ上がったところは見張りの者達がいた場所であり、椅子が置いてあったためにそこで一旦休憩がてらアンナ殿の話を聞く事になったのだ。

 

「私は、エジンベアで生まれ育った。父は戦士で母は魔法使いだったからかな。小さい頃から母は私に呪文を教えてくれた。幸いにしてそちらの才能が少しはあったらしくてね。十歳になる頃には基本的な呪文は使えるようになった」

「基本的って……」

火炎呪文(メラ)氷結呪文(ヒャド)炸裂呪文(イオ)だ。それとは別に父の力も譲り受けたのか、女にしては力が強かったんだよ」

「それが戦士の適性に繋がるんですね?」

「多分な」

 

 そこまで聞いて私はふと気になる事を思い出していた。たしか、アンナ殿はその口調についてこう言っていたはずだ。親父殿に育てられたからだと。あれは一体どういう意味なのだろうか?

 

「アンナ殿、ではその父上が今のような喋り方をしていたのだろうか?」

「……お前は本当によく覚えてるな。違うよ。十歳で基本的な呪文を覚えたと言ったろ? そこで私は修行に出されたのさ。母はもう現役を退いていた魔法使いだったから、その母の師であった魔法使いの下へ単身連れていかれたんだ」

「そうなんだ。それってどこ?」

「サマンオサってとこだ。そこは魔法使いを多く輩出しているとこでね。母もそこの出身だったのさ」

 

 そう言ってアンナ殿は懐かしそうに目を細めた。修業の日々はそれまでと違って苦しく辛い事の連続だったらしい。

 魔法の師はとても荒っぽい老人だったようで、それまで大切に育てられたアンナ殿にはかなり酷い時間だったようだ。

 

 それでも魔法の才を褒めてもらえると嬉しく、その時の師の笑顔だけを励みに修行に励んでいたらしい。

 そして、十五歳になった時に一人前と認められてアンナ殿は腕試しを兼ねてナジミの塔へと赴いたそうだ。

 当然アンナ殿には塔にいる魔物達は敵ではなかったらしい。だが、それも魔力があればこそ。

 

「バカだったんだよ、私は。親父殿は一度故郷へ帰って報告をしてから今後の事を考えろって言ってくれたのにさ。魔法力を回復させる事も忘れて、帰る前に父さんや母さんに自慢話の手土産でもって、そんな事を考えて移動呪文(ルーラ)でナジミの塔へ向かったんだ」

「ルーラで行けるの?」

「あの頃は今よりも魔王の影響力が弱かったからね。今じゃ魔物が多く生息してる場所は、周囲の魔法力の流れが乱れてるせいで移動呪文(ルーラ)じゃ行けないよ」

 

 フォンへそう返してアンナ殿は苦い顔をした。そうか、アリアハンへもルーラで来たのだ。だから旅の扉が使えなくなった事も知らず、ロマリアへ寄る事もなくルイーダ殿の酒場へやって来れたと言う訳だ。

 

「ライドさんとは、その時に?」

「……ああ。私が魔法力を使い過ぎて脱出呪文(リレミト)さえ出来なくなったところへ、あいつは、ライドは現れたんだ。魔物を蹴散らし、疲れから一歩も動けない私に肩を貸してくれてね」

 

 どこか嬉しそうな笑みを浮かべてアンナ殿は遠い目をした。思い出しているのだろうか?

 

「ただ、ライドは完全に駆け出しの武闘家だった。勝気で生意気で、私の事も年下だからって俺が守ってやるなんてさ。レベル3の癖に、レベル12の私を守るって、本当に……生意気だった」

 

 そこでアンナ殿は言葉を切って目を閉じる。そうだ。アンナ殿は言っていた。ライドというのはナジミの塔で行動を共にしていた武闘家の名だと。

 

「駆け出しって言ってたけど、レベル12って駆け出しのレベルじゃ」

「冒険者として一人で動き出したのはそこからなんだよ。だから駆け出しさ。レベルだけあっても一人での実戦経験は皆無だったからな」

「組んでたと言っていましたけど……」

「そこでコンビになったんだ。組んでたって思うのはおかしいか?」

 

 フォンとステラの言葉にアンナ殿はどこか悲しそうな声を返した。何故だろうか。何故悲しんでいるのか私には分からない。

 

「そして、私とライドは塔の最上階を目指した。私は塔を出るべきだと思ったんだけど、ライドは後少しで最上階ならそこで休めばいいって聞かなくてね。私一人じゃ二階と一階を無事に出れない事は分かってたから、仕方なく二人で一つ上を目指したんだ」

「そして、ライドさんは亡くなった……」

「正確には、私を庇って死んだんだよ。忘れもしない。上への階段付近でさそりばちに襲われてね。最初は二匹だったけど、仲間を呼ばれてあっという間に倍になったんだ。でも私はそこで階段の上から結界の魔力を感じ取った。そこにさえ入れば魔物は寄って来れない。ライドは私を守るように戦ってたから、私さえ逃げ切れれば何とかなるってそう思って急いで上がろうとした時、さそりばちが私の方へ迫ってきたんだ。その尾にある針を突き出すように、ね。当然私に避ける事は出来なかったし、撃退する魔法力も体力もなかった」

 

 もう流れは分かった。アンナ殿をライド殿は庇ったのだろう。

 

「死を覚悟して目を閉じた私へライドの声が聞こえた。俺を信じろよって。目を開けるとライドの左腕にさそりばちの針が刺さってた」

「それで、ライドさんはそのまま?」

「いや、そこでライドは目の前のさそりばちを倒して、残った奴らを威圧したんだ。多分だけど瀕死のライドが出した決死の気迫にさそりばち達は怖気づいたんだろうね。そこで逃げ出したんだよ。そして私はライドへ肩を貸しながら階段を何とか上がって……」

「あのご老体に救われた?」

 

 私の問いかけにアンナ殿は無言で頷いた。これで分かった。だからこそアンナ殿はご老体と顔を合わせようとしなかったのだろう。

 

「ライドって人は助からなかったの?」

「……さそりばちって名前で察してくれ」

「毒、ですね」

「ああ。私が僧侶だったら、きっと解毒は間に合った。レベル12なら解毒呪文(キアリー)が使えるからな。それぐらいの魔法力は少し休めば回復出来た。私が、私が僧侶だったらライドは死なずに済んだ。あるいは戦士だったら一緒に戦って生き延びれた。呪文で戦う事しか出来ない魔法使いだったから、私が自身の役割や戦い方をちゃんと考えていたらっ、ライドは死なずに済んだんだっ!」

「アンナ……あんた……」

「あの時の私への助言はその経験からなんですね……」

 

 その職業としての役割を果たせ。それはアンナ殿が実体験で刻み込まれた忘れる事の出来ない教訓だったのか。

 そして、何故アンナ殿が戦士となったのかも分かった。何があっても最後まで戦力となれるようにだ。魔力がなくても戦える存在。己が命を賭けてアンナ殿を守ったライド殿のように。

 

「…………あの場所で体力や魔法力を回復させた私は、ライドの遺体と共にリレミトで脱出した。そしてルーラでサマンオサまで戻り、そこの墓地にライドを埋葬した。その日から私はレベルを上げる事に専念した。親父殿の下で経験を積み、転職出来るレベルまで自分を鍛えた」

「だから私達にレベルを言いたくないって言ったのね。言えば、装備や実力と見合わないレベルだって分かるから」

「ああ。勇者だけなら言ってもいいが、お前やステラは転職したと分かると思った」

「でも、何故それを知られたくなかったのですか?」

 

 そう、私もそれが分からない。何故魔法使いであった事を隠したいのか。それを知られて不味い事などあるのだろうかと。

 

「私は魔法使いを捨てたんだ。両親の期待を裏切り、親父殿の期待までも裏切って。それに、ライドを死なせたのは私が魔法使いだったからだ。それも自分の就いた職業の在り方も分かっていない馬鹿者さ。そんな奴が魔法戦士なんて名乗るのはおこがましいし、何より私自身が許せなかった」

「ライドって名前を偽名に使ったのは前言った理由だけなの?」

「……そうだ。戦士に転職した時、アンナなんて名前じゃ女過ぎて舐められそうだと思って、登録名を変える事が出来る老婆のところですぐに浮かんだのがそうだっただけさ。深い意味はないよ」

 

 私達から顔を逸らしてアンナ殿はそう言った。だが、今ので私は確信した。決してそれだけではない理由があるのだろうと。

 命がけで自身を守ってくれた存在の事を忘れたくないと思ったのかもしれない。あるいは、自身が転職する切っ掛けになった悲劇を忘れないためかもしれない。

 アンナ殿にとってライド殿の事は、永遠に忘れる事の出来ない存在となったのだけは間違いないだろう。

 

 そして、私と手合せした際の言葉の意味もやっと正しく意味が分かった。

 

―――残念だ。もしお前がもっと早く生まれていれば、私はお前の望む形で仲間になっただろうに。

 

 あれは、魔法使いを求めていた私達に魔法使いとしての自分で仲間になれたと言う意味だったのだ。

 

 しばらくそこから会話はなかった。アンナ殿は顔を誰にも見られないように背けたまま黙り込み、ステラやフォンでさえ何も言えずに黙っていた。

 私も何と言っていいのか分からず、ただアンナ殿を見つめるしか出来なかった。自身の未熟さで誰かを死なせてしまう。それに近しい経験を私もしていたからその心情はある程度理解出来たのだ。

 

 何度も自問するのだ。ああすれば良かったのではないかと、こう出来たはずだと、何度も何度も思い返しては自分を責める。助けられたはずだと、守れたはずだと、そう自責の念に駆られ続ける。

 その時には、そんな判断も出来ずそんな力もなかったはずなのに。だからこそそうなってしまったのに。その事を忘れ、見ないふりをしながら、延々と自分で自分を責め続けるのだ。

 

 どれぐらいそうしていただろう。気付けば外は夜の闇に包まれ、吹き込んでくる風はその冷たさを増していた。と、そこで私の腹から音が鳴った。

 

「そろそろ上に行こう。きんのかんむりを取り戻して、キメラの翼でカザーブへ戻って食事にしたい」

「クスッ、勇者様らしいです」

「そうね。うん、そうしましょ。ね、アンナ」

「……ああ」

 

 私の言葉に誰もが笑みを浮かべて立ち上がる。そして階段を上がって最上階へ辿り着くと、そこには何と先客がいたのだ。

 

「良かった良かった。これで王様に良い報告が出来る」

 

 その人物は鎧を着ており、雰囲気や言葉からロマリアの兵士であろう事が分かった。ただ、一体いつの間にここへ来たのだろうか? 先程まで私達はこの下の階にいたが、一度として誰も上がってこなかったのだが……?

 

「いやぁ、それにしても運が良かった。盗賊達のいる階へ行く途中に開けられぬ扉があった時は思わず天を仰いだものだが、眠っている間に扉が開いて、しかも盗賊達まで出払っているとはなぁ。ただ、安心してまた眠ってしまったのはいただけなかったか」

 

 どうやら私達がカンダタ達と戦っている間にここへ来て、そこから寝ていたらしい。何とも豪胆な御仁だ。

 その手におそらく”きんのかんむり”だろう物を持って一人ブツブツと言葉を呟く戦士殿。すると、予想外の事から立ち直ったであろうフォンが戦士殿へと歩み寄っていく。

 

「ちょっとちょっとっ! それはあたし達のおかげで取り戻せたのよっ!」

「ん? そなたたちは何者だ?」

「私達は、ロマリア王の依頼でここへ盗賊討伐と盗まれた物を取り戻しに来た勇者アルスの一行です」

「勇者アルス?」

「アリアハンのオルテガの息子さ。ほら、勇者」

「戦士殿、合流が遅れてしまい申し訳ない。ですが、もうカンダタ達はこの塔から逃げ出しましたのでご安心を」

 

 私がそう言うと、戦士殿は大層嬉しそうに破顔した。何というか、髭などあって見た目は立派な武人と見受けられるが、そうやって笑っていると鎧姿に似合わぬ人に思えてくるような方だ。

 

「そうかそうか。それは助かる。私も腕に覚えはあるが、多勢に無勢では不安もあったのだ。そうか、貴公らが盗賊を退治してくれたか」

「えっと、失礼だけどそっちの名前を聞かせてもらえる?」

「ん? おおっ! これは失礼した。私の名はドルバ。ロマリアで騎士団長をしておった」

「え? しておった?」

「いやはや、情けない話だが歳もあってな。つい先月職を辞したのだ。騎士団長は兵士達の手本でなくてはならん。それが歳のせいとはいえ、みっともない剣さばきなどをしていては示しがつかんとな」

 

 がははと豪快に笑うドルバ殿だが、見た感じでは衰えているようには見えない。もしや、そういう事にして後進に職を譲ったのかもしれぬ。

 少しの間笑っていたドルバ殿は、やがて手にしていた”きんのかんむり”を見て小さく頷くとこちらへそれを差し出してきた。

 

「ドルバ殿、何のおつもりか?」

「ん? いや、これを取り返したのは貴公らだ。私は、ただこれを箱から出しただけに過ぎぬ。それに、私への王様の命はあくまで盗賊達の足取りを調べてその動向を見張る事。今回の事は私の独断によるものだ。手柄は、貴公らにこそ相応しい」

 

 そう言って笑みを浮かべる姿は、まさしく一国の騎士団長となっただけの事はあるだけの威厳と凛々しさを備えていた。

 ステラはおろかフォンやアンナ殿でさえ何も言わないのが何よりの証拠だろう。私は、差し出された”きんのかんむり”をしばし見つめてから受け取った。

 

「ドルバ殿、貴公の心遣いに感謝を。その返礼として、ロマリアまで我らも同行します。あの山道を一人で越えるのは骨でしょう」

「おおっ、それは助かる。一人であの辺りの魔物を相手するのは疲れるのでな」

「じゃ、まずはカザーブへ戻りましょ」

「そうですね。勇者様、キメラの翼をどうぞ」

 

 ステラから手渡された”キメラの翼”を手にし、私はドルバ殿を見た。

 

「ドルバ殿、少々信じられぬ話かもしれぬが聞いて頂きたい事がある」

「何だろうか?」

 

 そこで私達は塔からの脱出法を説明した。既にナジミの塔で実証済みであるためか、ドルバ殿もならばと信じてくれ、私達は最上階から飛び降りた。

 その瞬間に”キメラの翼”を投げると体が上昇を始めて、気付けばカザーブの村の前に立っていた。その事に気付いてドルバ殿は大きく驚き、嬉しそうにこう呟いていた。

 

―――これを兵達に教えれば塔からの帰還率が上がるな。

 

 聞けば、どうやら武闘家達の修行場であったシャンパーニの塔は、かつてはロマリアが海の向こうから攻めてくるかもしれぬ他国を見張るための場所だったらしい。

 そのため今も時折修繕や点検に赴く事があるらしく、最近の活発化してきた魔物達によって命を落とす者も少なくないとの事。

 

「そこにきて、最近では盗賊達がねぐらにしてしまった。私率いる調査隊はここカザーブまで足取りを追い、塔へと向かった事を突き止めたので他の者達を城へ返して援軍を呼んで欲しいと頼んだのだ」

「でも、待てど暮らせど来なかった?」

「うむ。私とてどこかで分かってはいたのだ。王様は何よりも自国の民の安全を重んじる。いくら盗賊達が騒ぎを起こすとはいえ、誰かを殺した訳ではない以上多くの兵を動かすはずはないとな」

 

 宿へと入り、部屋を三部屋押さえてから私とドルバ殿の寝る部屋に皆で集まっての話し合い。そこでドルバ殿が話してくれたのは、あの王の人柄がよく分かる話だった。

 

 何と、あの王は時々王の職務を別の者へ任せて退位してしまうらしい。そして、市井の者達と接して過ごすため、民達からも半分呆れられつつも半分親しまれているのだとか。

 あまりにもな話に私は驚きを禁じ得なかった。王位にこだわるどころかそれを他者へ譲り渡す事に抵抗なく、しかもその後民達と同じ場所へと向かい過ごすとは。

 

―――良き王とは思っていたが、まさかここまでとは……。

 

 あの薪の王ならばその座を捨てるのに躊躇わないだろうが、普通の王座であれば話は別だ。だからこそ、私にはあのロマリア王がより良い王と映った。

 ドルバ殿もそんな王だからこそお仕えし守る事を誇りに思うのだと言い切った。成程、ドルバ殿のような者が騎士団長の座を譲るはずだ。おそらくドルバ殿もまた王のように生きているのだろう。

 権威や権力に固執するのではなく、人として正しくあろうと。

 

「っと、そうだった。アルス殿、一つだけ助言をしておこう。おそらく王様はそのきんのかんむりを返した時に貴公へ自分の代わりに国を治めてみないかと持ちかけるだろう」

「「「「は?」」」」

「故に、王様が諦めるまで断り続ける事をオススメする。なぁに、心配いらん。大臣殿や私や近衛兵長も通った道だ。だからこそその抜け道を教えておこう。いいか? 諦めるまで断るのだ。がははっ!」

 

 ドルバ殿の笑い声だけが室内に響く。何というか、ロマリア王の事がよく分からなくなってきた。もしや、人が善いだけで職務には不真面目なのだろうか?

 

「ねぇ、もしかしてロマリアの王様って無責任?」

「ふぉ、フォンさんっ?!」

「無責任ではないぞ。ただ、隙さえあれば王を辞めようとなさる。ただ、王様の凄いところは決してその責を果たせぬ者にはその話をしない事だ。王になっても、悪政を敷かず、我を通さず、民や国の事を思って政務に励む者にしかその話をなさらんのだ」

 

 そう告げるドルバ殿の声は、まるで自慢するかのようなものだった。いや、自慢なのだろう。自国の王が人を見る目はたしかであり、そしてその職の重責をしっかりと理解している事なのだ。

 そして、そんな王から話をされたドルバ殿もまた善き王になれると言う事なのだから。これを自慢と言わずして何になる。何とも羨ましい主従の関係なのだろうか。

 

 仕える者はその主人を誇りに思い、従える者はその臣下達を誇りに思っているのだ。仕えるべき王と、王を任せられる者達として。

 

 と、そこでノックの音が聞こえた。おそらくだが食事の支度が出来たのだろう。

 

「どうぞ」

「失礼します。お食事の用意が出来ましたが、どういたしましょう?」

「ここへ運んでもらえるだろうか。全員分だ」

「かしこまりました」

 

 そうして運ばれていく食事を眺め、ドルバ殿が少々渋い顔をした。

 

「どうかされたか?」

「ん? いやなに、ここにしばらく逗留していたために食事に飽きていてな。これも私には見慣れたものなのだ」

「ああ、そういう事ね。じゃ、少しぐらい新鮮味を感じてもらおうかしら」

「フォンさん?」

 

 そう言うとフォンはドルバ殿の食事からあのチーズをフォークに刺すと部屋を素早く出て行った。成程、あの焼いたチーズを食べさせるのか。

 

「一体あの少女は何をしに部屋を出たのだ?」

「あんたに故郷の味を嫌な思い出にして欲しくないのさ」

「故郷の? そうか、あの少女は武闘家であったな」

 

 首を捻ったドルバ殿へアンナ殿がフォンの行動の意図を伝えると、ドルバ殿は得心したように手を打った。

 そして、程なくしてフォンが焼けたチーズと共に部屋へと戻ってきた。その匂いにドルバ殿はその髭を興味深そうに触っていた。

 

「ほほう、これは良い匂いだ。山羊のチーズを焼くと美味いというのは聞いてはいたが、匂いさえもここまでとはな」

「そうでしょそうでしょ! さぁ、食べてみてよおじさん」

「フォンさん、さすがに少し失礼が過ぎませんか?」

「いいんだよ。そんな小さな事で怒る様な騎士じゃないさ。それに、見な?」

「え?」

 

 アンナ殿に言われてステラがドルバ殿へと顔を向ければ……

 

「ほふほふっ…………おおっ! これは何とも美味いっ! 酒が欲しくなる味だ!」

「でしょ? あたしのお気に入りの食べ方なんだから!」

「うむ、これはいい事を教えてもらった。感謝するぞ、少女よ。わざわざ私のためにここまでしてくれるとは、そなたは良き妻になると見た。どうだ? 我が息子の嫁に来ぬか? 今は騎士団の末席だが、将来はきっと騎士団長となるだろう男だ」

「ええっ!? お、お嫁さんってのは惹かれないでもないけど、さすがにまだ早いだろうし……」

 

 急に顔を赤くして髪を弄り出すフォンを見て、ステラとアンナ殿が揃って苦笑する。何故だろうか? 私としてもドルバ殿の意見に賛成なのだが……?

 

「そんな事はない。私の妻は十六で我が家に嫁いできた。そなたは今いくつだ?」

「じゅ、十八だけど……」

「ならば妻が我が子を産んだ歳だ。十分嫁ぐに適しておるぞ」

「う、ううっ……あ、あたしには勇者と魔王を倒すって言う目標が」

「何もすぐにはとは言わん。そなた達の旅が無事終わった後でよい。どうだ? 一度会うだけ会ってみては。息子は幸い妻に似て顔立ちも私より端正だ」

「……会うだけならね」

 

 フォンが恥らうように告げた答えに、ドルバ殿はまるで父のような笑みを浮かべて深く頷いた。心なしか、あの神父殿がフォンへ見せた笑みに近いものを私はそれに感じた。

 

 

 

 ロマリアへの道は行きよりも格段に楽になっていた。ドルバ殿はアンナ殿よりも力があり、また剣技も素晴らしかったのだ。

 更にロマリアで騎士団長をしていただけあり、この辺りの魔物の事も熟知していたため、私達がまだ知らぬ事も教えてくれたのだ。

 

 行きは二日かけた道を一日で終えたとなればその凄さが分かるだろうか。おかげで野宿する事なく、夜も深い時間だったがロマリアへと辿り着いた。

 

「もう宿でも食事は望めまい。酒場も閉まっているだろうし、貴公らさえよければ我が家に来るか? 客間もあるし、食事は無理だがスープぐらいは出せるぞ」

「それは有難い。ドルバ殿、感謝を」

「なぁに、我が息子の未来の妻もいるのだ。それぐらい安いものだ。がははっ」

「あ、会うだけだから! 結婚するって決めた訳じゃないからねっ!」

「フォンさん、さすがに時間も時間ですので声を抑えてください」

「それとあんたもだ。あまりフォンをからかうんじゃない」

「むぅ、別にからかってはいないのだが……」

 

 アンナ殿の嗜めるような声にドルバ殿が不本意そうな顔をする。そんな会話をしながら私達は深夜のロマリア城下を歩く。

 ドルバ殿の家は城からほど近い場所にある大き目の二階建てだった。門構えも立派であり、ここがそれなりの身分である事を示している。

 

「いいとこに住んでるんだな、あんた」

「これでも代々騎士団長を務めてきた家なのだ。ただ、何も家柄でなった訳ではない。実際、今の騎士団長は我が息子ではない者が務めている」

「それなのですが、何故ご子息へ後を譲らなかったのですか? 聞けばもう騎士として働かれているそうですし」

「神官殿、それでは騎士の誇りが守れぬのだ。騎士の務めは、国を、王を、民を守る事。その長たる者が実力と人柄ではなく家柄だけで決まってしまえば、誰がその腕を、技を磨こうと出来るだろうか? 誰が騎士を志そうとするだろうか? この国を、民を守ろうと立ち上がるだろうか?」

 

 ステラの問いへドルバ殿は優しく諭すようにそう返した。成程、あの王ありてこの騎士ありか。この国はこのような者達がいる限り安泰だろう。

 

「その、失礼な事を聞いてしまいました」

「いや、いいのだ。幸い我が子も凡愚ではなかったらしくてな。私の後任が自分ではないと聞くや、必ずやいつか私のように騎士団長になってみせると決意を新たにしてくれたのだ。本当に、私は出来た息子をもった」

 

 心の底から嬉しそうにそう言ってドルバ殿は門を開ける。キィーと音を立てるが、これも普段であればそこまではっきりと聞こえないのだろう。

 玄関まで着くとドルバ殿は懐を探り、おそらく鍵だろう物を取り出した。

 

「普段であれば妻が出迎えてくれるのだが、さすがにこんな時間では寝ているのでな。出来るだけ静かに頼む」

「分かっています。重ねて感謝を」

「何だか盗賊になった気分ね」

「ふぉ、フォンさん……」

「思っても言わなかった事を言うんじゃない」

 

 こうして私達はドルバ殿の案内で暗闇の中を歩く、はずだったのだが……

 

「これで少しは見やすいだろ」

「おおっ、感謝するぞ戦士殿」

 

 アンナ殿がドルバ殿の横へ立ちその指先に火を灯したのだ。おそらく魔法の火だろう。

 

「……便利ね」

「いえ、そうでもないはずです。回復や治療などと違って、攻撃は威力の調整をする場合凄まじい集中力を必要とすると聞いています。あれは見たよりもかなり難しいかと」

「アンナ殿に魔法使いとしての才があったのはたしかなのだろうな」

「それを捨てるぐらいに、ライドって人の事は大きかったって事か……」

 

 先を歩く二人に聞こえぬようにフォンが呟く。そして私達は炊事場に辿り着いた。

 

「さて、ではそこで座って待っていてくれ。すぐにスープの用意をしよう」

「え? ドルバさんが作るの?」

「うむ、と言いたいところだが既に出来てはいるはずだ。我が家に伝わる特製スープは必ず毎朝飲む事にしているので、毎晩寝る前に仕込んでおく事になっている。それと、今では妻が作るようになったが元々私が教えていたものでもあるので味の心配は無用だ」

 

 そう言ってドルバ殿は大鍋へと近付き、その蓋を開けた。

 

「おおっ、さすがは我が妻。しっかりと仕込まれているな。では、念のため味見を」

「何者だっ! そこで何をしているっ!」

「「「「っ!?」」」」

 

 突然背後から聞こえた声に振り返った。私だけでなくフォンさえも驚いていたので、どうやら完全に気配を殺していたらしい。振り向いた先には、寝間着姿の栗色の髪をした青年が立っていた。その手に握られているのは、もしや”はがねのつるぎ”か?

 

「おおっ、マイヤーか。私だ。ドルバだ」

「父さん? では、この者達は?」

 

 ドルバ殿が嬉しそうに私達の間を割って姿を見せるや、マイヤーと呼ばれた青年はその手にしていた剣を下げ、不思議そうに私達を見回した。

 

「うむ、何とあのオルテガ殿の息子のアルス殿達一行だ。何でも王様の命により私の援軍としてシャンパーニの塔へ来てくれたらしく、盗賊達を塔より追い払いここまで同行してくれたのだ」

「ああ、噂には聞いています。たしかに王様が勇者一行に盗賊討伐を依頼したと」

「夜分遅くに申し訳ない。私はオルテガの子、アルス。つい先程ロマリアへ到着したのだが、父上殿にスープならば馳走出来ると言われ有難くここへ招かれたのだ」

「そうでしたか。たしかにこんな時間では宿も火は落としているでしょうし、酒場も閉まっています。成程、我が家の特製スープなら翌朝のために用意されていますからね」

 

 そこでマイヤー殿は手にしていた剣を鞘へしまい、申し訳なさそうに頬を掻いた。

 

「それにしても、父さんも普通に帰ってくれればいいんですよ。何故盗賊騒ぎが起きている中でその盗賊のように気配を殺して帰宅するんですか」

「いやぁ、お前やリンデを起こしてはなんだと思ってな」

「何を言ってるんですか。どうせ父さんの事だ。客間があるからとアルス殿達を泊めるつもりでしょう。そうなればいやでも母さんが起きます。母さんもこのジーク家の人なのですよ?」

「ううむ、やはりそうか。だが、スープだけ出して後は宿へというのもどうかと思ってなぁ」

 

 親子の会話を聞いていると、何と言うか胸が騒ぐ。このアルスも、きっとこんなやり取りをオルテガ殿としたかったに違いないと、そう思って。

 と、そこでふと気付く。先程から皆が静かだと。顔を向ければステラとフォンが揃って同じ顔をしている。どこか呆けているのだ。

 

「どうしたのだ、ステラ、フォン。眠気がやってきたのか?」

「勇者、分かってやれ。あの息子がハンサムだからさ」

「? はんさむ?」

 

 良く分からないが、どうやらマイヤー殿が原因らしい。ドルバ殿と似ている部分は、ああ目付きは似ているかもしれない。穏やかで人を不快にする事ない真っ直ぐな眼差しをしている。

 

「おおっ、そうだ。マイヤー、すまぬがリンデを起こしてくれるか? こうなった以上アルス殿達を紹介しておこうと思う」

「う~ん……しょうがないか。じゃあ、これを部屋に置いてくるついでに母さんを起こしてくるよ。アルス殿、他の方達もごゆっくり」

「マイヤー殿の心遣いに感謝を」

 

 こちらへ笑みを向け、マイヤー殿は来た方へと戻って行った。おそらく自室へと向かったのだろう。

 それにしても、私達の気配を察知して目を覚ますや剣だけを装備しここへ気配を殺してやってくるとは、マイヤー殿はかなりの腕を持っていると見える。

 あれ程の腕でも騎士団長になれぬのか。であれば、ドルバ殿は一体いか程の腕を持っているのだ? 生憎カザーブからここまでの戦いでは分からなかったが……。

 

 そうしていると、食欲をそそる匂いが漂ってきた。顔を動かせばアンナ殿が大鍋の下にあるかまどへ火を点けていた。

 

「これでいいだろ」

「重ね重ねすまんな、戦士殿」

「いいって事さ。この力は、出来れば戦闘には使いたくないんでね」

「ふむ、何やら訳ありのようだが、まあいいだろう。己の力をどう使うかはその者の自由だ。ただ、それが他者を苦しめ傷付けるのならば、必ず誰かに止められるだけの事」

「……ああ、よく分かってるさ。実際、私は止められたからな」

 

 そう言ってアンナ殿は立ち上がるとこちらへ振り向いた。その時のアンナ殿の顔は、どこか嬉しそうに見えた。

 

 その後、ドルバ殿からスープを振舞われていると、先程と同じ姿のマイヤー殿が寝間着姿のご婦人を連れて炊事場へ現れた。

 ご婦人の髪色はマイヤー殿と同じ栗色でややつり目の綺麗な方だった。そのご婦人、リンデ殿は夜更けの客である私達に嫌な顔一つせず、むしろドルバ殿を無事に家へ帰してくれたと感謝さえ述べてきた。

 

 そこに、私は品の良さと言う物を感じ取った。上流階級と言われる者達をそこまで見た事がある訳ではないが、紛れもなくリンデ殿はそう呼ぶに相応しい人物だと思ったのだ。

 

「それでアナタ? アルスさん達をお泊めするのはいいですけど、客間は二つだけですよ?」

「ベッドは大き目の物だったと記憶しているが?」

「まぁ、アナタは女性が三人いる事をお忘れですか? アルスさんがいくら立派な方だとはいえ、妻でもない女性と寝床を共にするなどいけません」

「ならば、アルス殿は僕の部屋を使ってください。客人をお泊めするには心苦しいですが、リビングのソファでなど余計心苦しいので」

「だが、それではマイヤー殿が」

「構いません。僕は今から着替えて城へ向かいます。仮眠室を借りて過ごす事にしますよ。そうすれば朝の訓練に遅れる事もありませんのでね。はははっ」

 

 そう言って笑う顔は、紛れもなくドルバ殿に似ていた。成程、ここにも共通点があったのか。そして、マイヤー殿は鎧などを装備し私達へ挨拶するや家を出て行った。

 何だろうか。接していて清々しくなる程良い人物だ。ドルバ殿がいずれ騎士団長になると言い切るはずだと思う。

 

「フォン、どうだ? いっそ本当に嫁になるか?」

「っ!? あ、あたしの一存で決められる事じゃないでしょ!」

「あの、フォンさん? それではフォンさん自身は嫁ぐ事に異論はないと聞こえますが……?」

「そ、そんな事言ってないじゃない!」

 

 初めてみるぐらいにフォンが慌てふためいていた。こんなにも落ち着きがないフォンを見るのは初めてかもしれない。

 

「あの、どういう事でしょうか?」

 

 そこへ話が分からないのであろうリンデ殿が小首を傾げて問いかけてきた。アンナ殿に説明を頼もうと見れば、フォンの様子を眺めて微笑んでいるので諦める。あのようなアンナ殿も珍しいからだ。

 

「実は、ドルバ殿がここにいるフォンへ御子息の、マイヤー殿の妻にならないかと話を持ちかけたのです」

「まぁ、そうだったのですか。あの人は本当に……」

 

 リンデ殿は苦笑しながらドルバ殿を見る。ドルバ殿は私達に振舞って無くなった分のスープを新しく作るため、鎧を脱いで野菜などを切っていた。その背中を、リンデ殿は優しい眼差しで見つめていたのだ。

 

「リンデ殿は十六歳で嫁いだと聞きましたが、ドルバ殿はその時おいくつだったのですか?」

「そんな事も話したのですね。もう、あの人ったら」

 

 そう言いながらもリンデ殿はどこか嬉しそうに見える。その眼差しはドルバ殿を見つめ続けていた。

 

「私がこの家へ嫁いだ時、ドルバは二十五でした。騎士団の副団長に任じられ、周囲からそろそろ嫁をと言われての婚儀だったのです」

「では、ドルバ殿は結婚に乗り気ではなかった?」

「どうも初めはそうだったらしいのです。ご両親を亡くしていた事もあってか、その頃のドルバは家の事など考えず、ただ生きていくためにと剣を振るっていたと聞きました」

 

 話しながら思い出しているのだろう。リンデ殿の横顔はとても懐かしむような笑みを浮かべていた。

 

 リンデ殿はドルバ殿と会った事もなく、ただ親の言う通りにこの家へと嫁いできたそうだ。

 そこで初めて対面した際、リンデ殿の愛らしさにドルバ殿が一目惚れ。

 可愛い妻をこの国一の騎士の妻にしたいと、そう決意したドルバ殿はより一層腕を磨き、マイヤー殿が生まれた翌年に遂に騎士団長へと任じられたそうだ。

 

 それから十八年以上、ドルバ殿は騎士団長の座であり続けたと、そう言ってリンデ殿はこう私へ告げた。

 

「ドルバは、私やマイヤーという家族を得て、より強くなれたと言ってくれました。何よりも大事な者達が、自分が命を賭けて守りたい者達が出来たからこそ、どんな苦労も乗り越えられたのだと」

「家族……自分の命を賭けて守りたい者……」

 

 オルテガ殿が旅に出た理由も、それだったのではないだろうか? 聞けば、オルテガ殿が魔王退治に出たのはアルスが生まれてからだと言う。

 ドルバ殿と同じで、オルテガ殿もアルスを、我が子を魔王という脅威から守るために旅立ったのではないだろうか。自分の命を賭けて、恐ろしい存在に挑めたのはそのためだったのではないだろうか。

 

 そして、それを知っているからこそ、ドルバ殿はマイヤー殿へ妻をとらせようとしているのだろう。自分しか守る者がいない家族。それを得て強くなれた自分のように、マイヤー殿も妻を得て更に高みへと登れるように、と。

 

 その答えを知る者は、黙って鍋と格闘していた。何故かその背中は、私には大きく見えた……。




父から子へ。これが明確に描かれたのはドラクエⅤですが、ドラクエⅢもそういう描写はあります。
容量の問題かもしれませんがしっかり描かれたのは終盤も終盤のみ。ですが、パパスが主人公へ想いを託すように、オルテガもまた勇者へ想いを託していくシーンはまさしく最終決戦へのテンションを高めるイベントだったと思います。


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一時の別れ

きんのかんむり

王たる者が身に着ける黄金の冠。特に秘めたる力などなく、ただ黄金で出来ているため帽子よりは防御力が高い。
魔法使いでも装備出来るために防具としては優秀だが、いかんせん王族の持ち物故に出回る事などなく、また売買もされていないのが実情だ。

そのためか、とある国で盗賊に盗まれた後、取り戻した者達がそのまま持ち去ってしまった事があったらしいが、彼らの旅に役立ったと聞いた持ち主の王は怒りもしなかったそうだ。

それだけ、この冠の持ち主は器の大きい善き王だったのだ。


「そうか。どうしてもわしの跡を継いではくれぬか」

 

 そう言って肩を落とすロマリア王を見て、私は密かに安堵の息を吐いた。

 一夜明け、私達は玉座の間において取り戻した”きんのかんむり”を王へと差し出したのだが、ドルバ殿の懸念通りそこで王から言われたのだ。

 

―――うむ、よくぞきんのかんむりを取り戻してくれた。アルスよ、そなた、わしの代わりにこの国を治めてくれぬか?

 

 正直、先に聞いていなければ驚き戸惑っただろう。ドルバ殿の助言は本当に助かった。三度程断ったところで先程の言葉が出てきたのだ。

 チラリと見ればドルバ殿は笑みを浮かべているし大臣殿も苦笑している。どうやら本当に珍しい事ではないようだ。

 

「王様、私からお願いしたい事がございます」

「ん? ドルバがわしに願いとは珍しい。なんじゃ?」

「はっ、騎士団長を辞した後どうするべきかと考えておりましたが、出来ればこのアルス殿達と共に旅に出たく思います」

「何と!? 魔王退治に同行すると言うのかっ!?」

 

 驚きを見せたのは王ではなく大臣殿だったが、おそらく私を含めその場の全員が同じ心境だった。

 ドルバ殿は真っ直ぐ真剣な面持ちで王を見つめていた。ただ沈黙だけがその場を包む。

 

「……妻と二人で穏やかに暮らすのではなかったのか?」

「そうしようと思っておりました。ですが、息子よりも年若い少年が魔王退治に乗り出しているとこの目で見てしまうと、まだこの老骨にも出来る事があるのではないかと思ってしまったのです」

 

 そう告げるやドルバ殿は一度だけこちらを、正確には私とフォンを見たのだろう。視線をチラリと向けてすぐに王へと戻した。

 

「それに、息子の嫁になってくれるかもしれぬ良き少女とも出会いました」

「だ、だからあたしはまだ」

「フォンさん、王様の前ですから」

「学習しないな、お前は」

 

 立ち上がろうとしたフォンをステラとアンナ殿が嗜める。王はそんな様子を笑みと共に見ていたので気にはしていないようだ。何とも器の大きい王である。

 大臣殿も苦笑しているのでどうやらこの王国の主だった者達は皆器の大きな者達らしい。良い国だと心から思う。あの滅びゆく場所も、このような者達がまとめ上げていればもしかしたら……。

 

「何より、やはり若い者達がその命を賭けて魔王へ挑もうとしているのだとこうはっきりと見せられて、妻と二人で息子の将来を眺めているだけでは私の、そして我が家名の恥となりましょう」

「だがドルバ殿、騎士団長を退いたとはいえ未だこの国一の騎士はそなただ。そのそなたが留守となると、残された者達が」

「がははっ! ……何をおっしゃいます大臣殿。我がロマリア騎士団に、この私一人いないだけでその誇りを見失うような脆弱な者はおりません」

 

 豪快な笑い声が響いたかと思うと、一転して真剣な表情となったドルバ殿が静かにそう言い切った。そこには己が鍛え上げ率いていた騎士達への強い信頼が滲んでいた。

 

 そしてそれを聞いて王は私へと顔を向けた。

 

「アルスよ、ドルバはこう言っておるが、どうじゃ?」

「……私としても、ドルバ殿のような方に力を貸していただけるなら望外の極みです」

 

 アンナ殿よりも力があり剣技も凄い。それにフォンを見ていて分かった。ドルバ殿には私やアンナ殿にはないものがあるのだと。

 それは、年齢からくる重厚感。人としての年輪とでも言えばいいのか。要するに存在感がある上に頼もしさがあるのだ。

 

 フォンもステラもアンナ殿さえも私の言葉に何も言わなかった。多分だが同じような事を感じていたのだろうと思う。

 カザーブからロマリアまでの一日強の道のりだったが、そこで皆感じたのだ。ドルバ殿の頼もしさを、安心感にも似た感覚を。

 

「ふむ、アルスもこう言っておるか。よし分かった。ドルバよ、このロマリアの騎士として勇者の手助けをせよ」

「はっ!」

「ただしっ、ただしじゃ。一つだけ必ず守ってもらいたい事がある。アルスとその仲間達もじゃ」

 

 私達をゆっくりと見回して王は静かに笑みを浮かべた。

 

―――一人も死ぬでないぞ。ドルバは我が国の宝であり、そなた達もまた誰かの宝なのじゃ。魔王を打ち倒した暁には、必ずや全員揃ってわしの下へ顔を出してくれ。ドルバへの労いと、そなた達への労いをさせてほしいのじゃ。

 

 私は、その言葉を聞いてすぐに頭を垂れた。今まで取ったどんな時よりも深く心からの感謝と敬意を示すために。

 おそらくドルバ殿も、ステラ達もそうだったと思う。まさしく王がそこにはいたのだ。民を想い、国を想い、そして人を想う善王が。

 

 こうして私達はロマリア王達に見送られて城を後にした。ドルバ殿は一旦自宅へ戻り、リンデ殿やマイヤー殿と話をしてくるらしい。明日の朝、城下の出口で待ち合わせをしたので今日はまた四人で過ごす事になった。

 

「さて、ドルバ殿が仲間となってくれる事になったが、今後目指すべき場所の心当たりはあるだろうか?」

 

 宿の部屋を二つ取り、私が使う部屋に全員で集まっての相談。私の問いかけにフォンは首を横に振った。ステラも同様に。アンナ殿は腕を組んで目を瞑ったまま黙り込んでいる。

 

「……ドルバのおっさんが仲間になるのなら、きっとそっちからも情報が得られるはずだ。それでも行先の決め手がなければここで情報を集めながらレベル上げといこう」

「そうですね。勇者様の武器もそろそろ買い替え時ですし」

「よし、じゃあドルバさんの腕前もそこでしっかり見せてもらいましょ。カザーブからここまでじゃ、そこまで凄い人には見えなかったもの」

 

 フォンの言葉に誰も反論しない。やはり誰もが思ったのだ。ドルバ殿が騎士団長を務めていたという経歴と、その息子であるマイヤー殿があれ程気配を殺す事が出来るのに団長になれなかった事。

 その二つがどうしても自分達の見た事や感じた事と一致しないのだ。となるとドルバ殿があの道中で加減をしていたと言う事だが、そんな理由に心当たりはない。これはどういう事なのだろうか?

 

 その後はそれぞれで別行動となった。フォンは妙に落ち着かない様子で散歩をすると言って宿を出て行き、アンナ殿は酒場へ行くと言って出て行った。

 ステラも何か欲しい物があるらしく道具屋へ行くと言うので私も同行する事にした。剣の手入れを頼むため武器屋へ行こうと思っていたからだ。

 

「勇者様は剣の修復ですか?」

「ああ。ステラは何を?」

「えっと、ちょっとした書物と筆記用具です」

「書物は分かるが、筆記用具?」

 

 理解出来なかったために問いかけるような声を出すと、ステラがやや不満そうに頬を膨らませた。

 

「むっ、勇者様お忘れですか? 読み書きを教えて欲しいと言ったのは勇者様です」

 

 そう言えばそうだった。あの約束からこれまで、互いにそんな余裕のない状態が続いたために忘れてしまっていた。

 そう素直に告げて頭を下げるとステラの表情から怒りや不満が若干であるが和らいだ。それでも笑みではないのでまだ私は許された訳ではないらしい。当然とも思うので謝り続けるしかない。

 

「ステラ、本当にすまなかった。その、許して欲しい。勿論忘れていた私に非があるのは分かっている。それでも、機嫌を直して私に読み書きを」

「分かっていますよ。ただ、一つだけ勇者様にお願いがあります」

「願い?」

 

 するとステラは真剣な表情で私を見つめてきた。それは、あのシャンパーニの塔で見せたカンダタを助けようとした際の顔に似ている。

 

「勇者様が悪人を許せないのは分かります。そして、悪事を憎んでいる事も。それでも、それでもお願いです。どうかあの時のような事を本当にしようとするのは止めてください」

「あの時というと……カンダタ達へ告げた事か?」

 

 私の問いかけにステラは無言で頷いた。死んだ方がマシと思うだろうという、あれか。やはりステラは慈悲深いのだろう。自身が人質となっていたかもしれないのだ。それでも相手の命を、とは。まさしく神に仕える身なのだろうな。

 

「ステラ、貴女の気持ちは分かった。だが、忘れないで欲しいのだ。あの時、カンダタは何をしようとしていたかを。私が動かなかければ奴は貴女を羽交い絞めにしていた」

「それは……」

「誰にでも、それこそ悪人にも慈愛をみせる事は素晴らしいのかもしれない。だが、私はカンダタと仲間ならば仲間を選ぶ。もしあの時カンダタがステラを人質としていれば、きっと私は貴女を失ってでもフォンとアンナ殿を守るためにカンダタを殺した」

「っ?!」

 

 静かに周囲へ聞こえない程度にそう言い切る。ステラを失いたくはない。だが、そのためにフォンやアンナ殿まで危険に晒すつもりはない。

 

「ステラ、これだけは分かって欲しい。あの時誰も死なせずに済んだのは幸運に幸運が重なった結果だ。まずは私が人質となった事。次に魔法を使える状態だった事、最後にアンナ殿が氷の魔法を使えた事だ」

 

 事実を述べる。どれか一つでも違えば結果は大きく異なっていただろう。ステラもそれに気付いたのか真っ青な顔で私を見つめていた。

 何故か胸が痛むが、これだけで終わらせてはいけない。今後似た事がないとも限らないのだ。そのためにも、ステラには心苦しいが私があの世界で味わった事の一端を知ってもらわねばならない。

 

「ステラ、慈愛を捨てろとは言わない。だが、世界にはそれを受け取っても平気で吐き捨てる者もいるのだ。慈愛を蹴飛ばし、慈悲を笑い、人の良心を踏み躙る存在がいる事を忘れないでくれ」

「勇者様……」

「ステラがそのままでいたいのなら構わない。その分、私が厳しくあろう。ステラの慈愛や慈悲を利用し笑う者がいれば、その者にはそれ相応の報いを与えるために」

「っ!?」

 

 目を見開くステラだったが、それでも彼女は私から目を逸らそうとはしなかった。

 

「私もこの手を血で染めたいとは思わない。だが、魔物を殺している以上人や世界に害を為す者を見逃す事は出来ない。魔物は殺して褒められ感謝されるのに、性質の悪い悪人はそれではないというのもおかしな話だ」

「っ?! ゆ、勇者様っ、ここでは何ですから向こうへっ!」

 

 ステラが周囲を見回すなり私の手を掴んで歩き出した。その行先は武器屋や道具屋がある方ではなく教会のある方向だった。

 

 しばらく歩き教会へ着くと、ステラは私に待っているよう告げて神父殿と何やらやり取りをした後、私の前へ戻ってくるなりまた手を掴んだ。

 

「こっちです」

「ああ」

 

 連れて行かれた先は小さな部屋であり、目の前には木で出来た仕切りのようなものが見える。

 

「ここで待っていてください」

「分かった」

 

 ステラは私をそこへ置いて部屋を出た。少し待つと仕切りの向こうに人の気配がする。

 

「勇者様、もう大丈夫です」

「ステラか」

「はい。ここは懺悔室です。神父様に頼んで貸して頂きました。ここでならどんな話も許されます」

「そうなのか」

 

 どうやら先程の私の話はどこでもしていいものではないらしい。だからステラはここへ連れてきたのだろう。これも僧侶であるステラならではの機転か。

 

「それで、勇者様。先程の話ですが本気でそう思っているのですか?」

「無論だ。魔物と悪人、何が違う? 共に生きるために他者へ害を為している存在だ」

「っ……同じ人です」

「ならば余計だろう。魔物は種族が違うから敵対し殺し合うのも分からないでもないが、何故同じ人同士で殺し合い奪い合う? 一方は正しく生きようとしているのに」

「それは、心弱い人達もいるからです」

「心弱ければ何をしてもいいのか? もしそうなら誰も心強くあろうとしなくなってしまうが……」

「誰しもが強くあれる訳ではありません。今は強い人も何らかの拍子で弱くなる事もあり、逆もまたあります。だからこそ、簡単に人の可能性を奪ってはいけないのです」

 

 そのステラの言葉が私にはあの世界を思い出させた。心強かった者が何らかの切っ掛けで心弱くなる。それを私は実体験で味わった。

 使命を果たした事で心を折ってしまった者達も、きっとそれに当たるのだろう。ああ、そうか。ステラはそれを知るからこそ慈愛を向け続けようとするのか。

 

 可能性。人の持つ可能性、か。それこそが彼女があの闇の中で見た火なのかもしれない。ああ、そういう事か。知らず私は闇の道を歩き出していたらしい。

 人の持つ光ではなく闇ばかり見ていた。これでは本当に魔王だ。考え方が知らずあの世界へ引っ張られていたのかもしれない。

 

「ステラ、私が浅慮だった。たしかに悪事を働いたからといって命を奪うのは短慮だろう」

「勇者様……」

「だが、それでもこれだけは言わせてもらう。一度目はまだ分かるが、二度三度と繰り返す者は許す訳にはいかないと。それに一度目だろうとも、それが私利私欲の結果他者の命を奪ったのならそれ相応の報いは受けさせねばならない」

「はい、それは仕方ありません。悪事をしなければ生きていけないとしても、それを選ばず乗り越える者もいるのですから」

 

 どこか伏し目がちな声で告げられた言葉に私は小さく頷く。そうだ。例え目の前に財宝などがあっても、それをすぐ手にせず、用心深く観察して罠がないかを調べる事は往々にしてあの世界では必要だった。

 それと同じだ。今、この行動は必要かそうではないかを判断し、それ以外の方法がないかを考える事。それは誰しもが出来るはずの行為なのだ。

 

 その後は二人で神父殿へ礼を述べ教会を後にした。そして元々の目的であった事をお互い済ませた。剣は明日の朝までに仕上げてくれるとの事で、私はステラと二人で宿へ戻り私の使う部屋へと入った。

 

「では、早速始めましょうか」

「ああ、よろしく頼む」

 

 遂に始まったステラによる文字の学習は思っていたよりも難しくはなかった。ステラは私に教える際に、子供達へ教えるように意識したらしく、とても分かり易かったのだ。

 そして書くよりも読む事へ力を入れてくれた事もあり、私としても実りある時間を過ごせた。ちなみにステラが購入した書物は有名な説話らしい。それを教材に私へ文字の読み方を教えてくれたのだ。

 

―――世界は初め、深い闇に包まれていました。でも、その闇を払うかのように光が生まれ、世界をゆっくりと照らしていったのです。

 その光を誰かがこう呼びました。”希望の灯”と。その希望の灯は人々の中に宿り、その闇を封じ込めていきました。

 やがて世界は光に包まれ、闇はいずこかへと消えていきました。だけど、忘れてはいけません。闇は人々が光を蔑ろにする時を待っていると。

 

 文字の学習は夕方近くまで続いた。途中休憩がてら宿の食堂で昼食を食べていた時にアンナ殿が戻ってきてフォンの事を教えてくれたのだが、それに私とステラは軽く驚いたものだ。

 

―――あいつ、どうも城に行ったらしいぞ。どうやらあのハンサムに会いに行ったみたいだな。

 

 何とフォンがマイヤー殿へ自分から会いに行ったと言うのだ。アンナ殿自身が見た訳ではないが、どうも城の兵士が話しているのを聞いたそうだ。

 フォンが城へと向かい、騎士団の訓練を見学していた。これは間違いないと。そうなれば、フォンがそんな事をする理由は一つしかない。

 

 アンナ殿は私達へフォンの事を話して食事を終えるとドルバ殿の家へ行くと言って出て行った。アンナ殿はやはりフォンをどこか気に掛けている気がする。

 ライド殿に似ているのだろうと思う。同じ武闘家というだけでなく、その言動も近いのではないのだろうか。そう私が言うとステラはそれを肯定し、もしかすると年齢も近いかもしれないと言った。

 

 成程。であれば余計アンナ殿がフォンを気にする訳だ。そう私が感想を述べるとステラは小さく笑ってまるで姉みたいですものと言ってきた。

 

「……姉か」

「はい。言われてみればアンナさんはフォンさんと私に姉のような態度です。もしかすると、アンナさんも一人っ子で妹か弟が欲しいと思っていたのかもしれませんね」

 

 妹に弟、か。私には分からない感覚だ。そもそも不死だったのだから家族などいない。そうか。だからこそ私にはドルバ殿のような重厚感がないのかもしれない。

 家族という存在がいればこそ、人は強くなりその光を増すのだ。いや、自分以外の他者を大事に思う事でそうなれるのやもしれない。実際ドルバ殿はリンデ殿を得てそうなったらしいからな。

 

「ステラも兄妹はいないのか?」

「いる、と言えばいるかもしれません」

 

 奇妙な返答に私は理解が出来なかった。すると私の疑問を察したのだろうステラが笑みを浮かべたままで教えてくれた。

 何とステラはフォンと形こそ違え育った環境は同じだったのだ。幼くして両親に死なれたステラは、町の教会に引き取られた。そこで他の孤児達と共に育てられたそうだ。

 

「では、僧侶となったのも?」

「神父様が、養父が素質があるといって勧めてくれたのです。私も人を助けられるならと」

「そうだったのか。だから兄妹がいると言えばいると?」

「はい。兄も姉も、弟も妹もいました。血が繋がっていなくても、私達は家族だったのです」

 

 そう言い切るステラの笑みは、とても輝く笑顔だった。やはり彼女は慈愛の化身のようだ。そこで分かった。私が鞭でステラが飴なのだろうと。

 あのカンダタがあそこまで素直に従い今後盗みをしないと言ったのは、ステラの慈悲を踏み躙った挙句私の魔法で死への扉を軽く開かれたためだ。

 悪事に手を染めた者の中には慈愛だけでは道を正せない者もいるのだろう。逆に、正論だけでも道を正せない者もいるのだ。それら両方を与えられ、ようやく道を正せるのかもしれない。そう思った。

 

「ステラ、もし良ければ聞かせて欲しい。貴女が過ごした教会での日々を。家族の事を」

 

 あの世界では聞くどころか思いもしなかった。そもそもまともな者達が少なかった。家族を持つ者が、いなかった。そうなのだ。誰もが自分しか守れない存在を失っていたのだ。

 いや、あのカリムの騎士とアストラの騎士は違ったかもしれぬ。だが、家族ではなかった。家族を持ち、正気を持っていた者などあの世界にはいなかった気がする。

 

 私も、アルスをそうしてしまっていたかもしれない。私ではアルスを正しく生ある者として導いていけないだろう。だからステラと出会えたのかもしれない。

 彼女の熱と光があれば、私という闇も多少は晴れる。きっと、そうだ。ステラやフォンとの出会いも神の使いによる導きだったのだ。

 

 私の願いにステラはやや面食らっていたようだったが、すぐに笑顔を浮かべて頷いてくれた。

 

 

 

「で、夕食の時間になっても帰ってきてないのか、あいつ」

 

 私がステラの話を聞き終えた頃にはもうすっかり日が落ち始めていた。アンナ殿はそんな時に宿へと帰ってきて私達がいる部屋に顔を出すなりそう告げたのだ。

 

「そうですね。アンナさんは何か聞いていませんか?」

「悪いがここで別れた後顔を見てない。ま、多分だがジーク家だろうさ」

「そういえばアンナ殿はドルバ殿の家へ行ったのだったな」

「とはいっても私がいたのもそう長い時間じゃないさ。ドルバのおっさんはあっさりと奥方を説得してたみたいでね。私が行った時にはもう家にいなかったんだ。で、フォンの事を話して欲しいと奥方に言われて、コーヒーを飲みながら多少過ごした後はモンスター闘技場で情報収集。ま、結果はお察しだ」

 

 肩を竦めながらアンナ殿はそう締め括る。要するには収穫なしと言う事だろう。

 

「でも、フォンさんがドルバさんの家へ行っているとして、帰ってきていないと言う事は……」

「そのまま夕食をどうぞってなってるかもしれないな」

 

 アンナ殿がにやけ顔でそう告げるが私はそうは思っていない。あのドルバ殿ならフォンだけを夕食に誘うなどしないと思ったのだ。そして仮にそうしたとしてもリンデ殿が嗜める気がする。

 

「なら、ジーク家へ行ってみるべきではないだろうか? フォンがいればよし。いなければここへ戻ってくればいい」

「そうだな。宿の主人へ伝言を頼んでおけば行き違いにもならないだろう」

「では、行きましょうか」

 

 宿の主人へ言伝を頼み、私達は一路ジーク家へ向かった。日が暮れてきた事もあり、道行く者達の様子が少しだけ変わり始めている。おそらくだがあの闘技場へと行く者達が増えているのだ。

 それでも、その闇も人らしさなのだと思って気にしない事にした。人は光だけでは輝けないのだ。その身に少しばかりの闇を持つからこそ、より光が映えるのだと私は知った。

 

 少しだけ見慣れた道を歩き、私達はジーク家近くへと到着した。すると、ちょうど玄関のドアが開いて誰かが出てくる。

 

「では、お気を付けて」

「う、うん。折角送ってくれるって言ってくれたのにごめんなさい」

「いえ、お気になさらず。フォンさんも女性とはいえ立派な武闘家なのですから、要らぬ気遣いでした」

「そ、そんな事、ないから。あたし、女の子扱いされる事少なかったし」

「そうなのですか? だとしたら、それは周囲の目が節穴ですね。こんなにも愛らしいのに」

「っ!? な、長話も何だしもう宿へ帰るわ。じゃあねっ!」

「はい、それでは」

 

 聞こえてきた会話にステラが苦笑しアンナ殿が呆れるように息を吐いた。これは私にも多少分かる。マイヤー殿は他意なくフォンを女性として扱っているが、それをフォンが恥ずかしがっている事は。

 ただ、私であればここで文句や呆れが出るのに何故マイヤー殿は何も言われないのか。それが不思議で仕方ない。

 

 私が理解出来ない事に頭を使っている内にもフォンはこちらへと近付いてくる。ただ、その割に私達の事に気付いていないようだ。鼻歌を歌いながら足取り軽く向かって来るのに。

 

「おい、一人でどこ行くんだ?」

「っ!? な、な、なっ」

 

 どこか上機嫌なフォンへアンナ殿が驚かすように声をかけると、そこでやっとフォンは私達に気付いたようで、こちらを指さして真っ赤な顔をしていた。

 

「マイヤーさんと一緒にドアから出てきたところからです」

「っ~~~~~!?」

 

 ステラがフォンの聞きたい事を読んで告げると、完全にフォンは黙り込んで俯いてしまった。

 

「フォン、どうかしたのか?」

「勇者、ここはそっとしておきな。フォンの奴、照れてるのさ」

「照れている? どうして?」

「マイヤーとは親しくなれたみたいじゃないか」

「っ……だ、だったら何よっ!」

「別に。ただ、これで旅を終わらせた後の目標も出来たな?」

「ば、馬鹿じゃないのっ! あたしは別にお嫁さんになんて」

「あの、アンナさんはそんな事言ってませんけど?」

 

 再度フォンが沈黙する。ただ、今回は俯かずに口を開けたり閉めたりを繰り返していた。それを見てアンナ殿が意地の悪そうな笑みを浮かべ、ステラは若干同情するような表情を見せる。

 私はどうしていいのか分からず、ただ首を傾げる事しか出来ない。何がフォンを照れさせたのか。どうしてステラが同情するのか。何故アンナ殿はどこか楽しそうなのか。

 

 私には、いつまでも分からなかった……。

 

 

 

「アナタ、ご無事で」

「父さん、家の事はご心配なく」

「うむ、マイヤー、リンデの事を頼む」

 

 翌朝、城下町の出入り口までリンデ殿とマイヤー殿が見送りにやってきていた。ドルバ殿の格好はシャンパーニの塔で見た時と大差ない装備だった。

 

「そういえばアンナ殿、ドルバ殿の鎧はこの辺りでは見た事のない物だが知っているだろうか?」

「……はがねのよろいだろうね。私が身に着けているてつのよろいよりも値段も重さも上だよ」

「成程」

 

 アンナ殿の言葉でドルバ殿の強さの一端が見える。重たい装備でアンナ殿と変わらぬ動きが出来る時点でドルバ殿はかなりの体力と筋力を有しているのだ。

 そして、そうなればもう一つ別の事にも気付けるというもの。そう、ドルバ殿はそんな鎧を装備しながらも剣の振る速度は私にも劣らないのである。

 

 つまり、鎧が私と同じであればその速度はもっと上がるはずだ。おぼろげにだが見えてきた。ドルバ殿が騎士団長となれた理由と背景が。

 

「フォンさん」

「な、何?」

「その、あまり父さんの話を真に受けないでください。フォンさんには選ぶ権利がありますから」

「そ、それならマイヤーにもでしょ」

「僕、ですか? 僕はフォンさんのような女性なら文句などあるはずもありませんよ。はははっ」

 

 気付けばマイヤー殿がフォンと話していた。マイヤー殿がドルバ殿譲りの笑い声を上げる中、フォンが顔を真っ赤にして俯いている。

 

「マイヤー、それぐらいにしてそろそろお城へ向かいなさい。朝の訓練が始まる時間でしょ?」

「あっ、そうだった。では、アルス殿、父さんの事をよろしくお願いします」

「分かりました。フォンをからかいすぎないよう目を光らせます」

「むっ、アルス殿までそんな事を……」

「父さんもフォンさんに変な意識をさせないでください。では、僕はこれで」

 

 一礼しマイヤー殿は踵を返すと城門の見える方へと走り出した。その背を見送り、私はリンデ殿へ向き直る。

 

「リンデ殿、ドルバ殿の力、しばらくお借りします」

「ええ。どうせ家にいても植木の手入れぐらいしか仕事のなかった人なの。なら、きっとアルスさんの旅のお手伝いの方が役に立つわ」

「おいおい、お前まで私を邪魔者扱いか?」

「ふふっ、よく言うわよ。第二の人生の始まりだって、昨日はあんなに張り切って旅支度をしてたのに」

「あ、あれはだな? お前やマイヤーに心配させまいとして」

「はいはい。アルスさん、聞いての通りまだ少年のような部分がある人なので注意してやってください。それと、お酒には強くない人なのであまり飲ませないでくださいね?」

 

 私へそう告げるリンデ殿は、どこか寂しそうにも見える。やはり夫と長きに渡り離れるのが辛いのだろう。一瞬、アルスの母の顔がリンデ殿に重なった。

 

「分かりました。それらに気を付け、必ずドルバ殿をリンデ殿の隣へ返します」

「アルス殿……」

「はい、お願いします。ステラさんやアンナさんもお体にお気をつけて」

「はい」

「ああ」

「それからフォンさん」

「は、はいっ!」

 

 リンデ殿の優しい声に何故かフォンが背筋を伸ばす。一体何がフォンをそうさせるのだろう?

 

「旅が終わったら、必ず我が家に顔を出してくださいね。マイヤーとの話を抜きにしても、私は貴女の事が気に入ったの。またクッキーを焼いてお茶でもしながら旅の思い出を聞かせて欲しいわ」

「……絶対、顔を出すから。あたし、リンデさんのクッキー、大好きなの」

 

 フォンの返事にとても優しい微笑みを浮かべたまま、リンデ殿は静かに頷いた。

 

 こうして私達はロマリアを出発する。向かう先はカザーブの更に北にあるというノアニールと言う町だ。何でもオルテガ殿が昔向かった場所らしい。

 

「私がその話を聞いた頃には、オルテガ殿は既に別の場所へと向かった後だったそうだ。だが、一度向かったからにはそこに何か行く理由があったはずだろう」

「ノアニール、かぁ。あたしは名前を聞いた事があるぐらいね」

「アンナさんはどうです?」

「親父どのから聞いた事があるな。ただ、ノアニール自体の事じゃなく、その近くにエルフの隠れ里があるって話だけどね」

 

 エルフ、か。どういう存在かは知らないが、出来るだけ敵対心のない相手だと良いな。

 

「うげっ、て事は確実にあたし達はお断りって事か」

「そうですね。伝承などによればエルフは人間を嫌っているとの事ですし」

「まあそうだろうな。親父どのの話じゃ最悪口は利いてくれるけど、それ以上の事は何もしてくれないそうだ。物の売り買いなんてもってのほからしい」

「物の売り買い? 何か商売をしているのか?」

「さてな。親父どのは詳しい事は教えてくれなかったよ。そもそもその話も時々飲んでた飲み薬について尋ねた時の事だ。多分だけど、あれがエルフののみぐすりだったんだと思うよ」

 

 アンナ殿の話によれば”エルフののみぐすり”とは、飲むだけでMPが回復し、体の調子までも整えてくれる物だそうだ。

 アンナ殿の魔法の師が酒で酷く悪酔いした際に飲んでいたそうで、いつかの”どくけしそう”を使った茶もその師から教わったものらしい。

 

 そして、そんな飲み薬が町などで手に入る訳はない。そこからアンナ殿は、その魔法の師が何らかの手段でエルフから買い物をしていたのではないかと語った。

 

 そこまで聞いてドルバ殿が首を傾げる。何か気になる事でもあっただろうか。

 

「アンナ殿が魔法を使える事は知っていたが、一体どこ出身なのだ? この辺りに弟子を取る程の魔法使いはいないのだが……」

「出身はエジンベア。ただ、魔法の師はサマンオサだ」

「サマンオサ……か。成程それならば納得だ。では、勇者サイモンについては知っているだろうか?」

 

 ドルバ殿の言葉でアンナ殿だけでなく私達全員が足を止めた。勇者と呼ばれた者がオルテガ殿以外にもいたのかと思って。おそらくフォンやステラも同じ気持ちなのだろう。

 

「知ってるけど、それがどうしたんだ?」

「実はな、オルテガ殿は一人旅だったと言われているが、そのオルテガ殿が合流しようとしていた相手がいたのだ」

「それが、そのサイモンって人?」

「いかにも。ただ、何らかの事情で合流はなされず、オルテガ殿は一人旅を続けたと聞いている」

「アンナさん、何か知っていますか?」

 

 その問いかけにアンナ殿は思い出すかのように目を閉じると腕を組み、しばらく黙り込んだ。

 これは、ナジミの塔で見たアンナ殿の長考する際の姿だ。おそらくだがすぐに思い出せる程の情報はないのだろう。

 だが、どこかで聞いた事はあるのだ。それを今思い出そうとしているに違いない。逆に言えば、そうやれば思い出せるのが羨ましくもある。

 

 私など、どうやっても過去の記憶など思い出せそうにないのだから。

 

「……親父どのが王によってどこかへ幽閉されたと言っていたな。詳しい理由は知らないが、何でも急な事だったらしい。そういえば、親父どのが新しい呪文の研究を始めたのもそれぐらいだったとか言ってたな」

 

 アンナ殿の話を聞き、ドルバ殿だけが納得したように手を打った。

 

「成程。サイモン殿が幽閉されたのであれば合流など不可能か。オルテガ殿は、もしかするとそれを知って足取りを追った事も考えられるなぁ」

「えっと、ノアニールよりもサマンオサへ行くべきって事?」

「そうではない。ただ、ノアニールの次に目指す場所が決まったと思ったのだ」

「ですが、サマンオサは旅の扉を使わなければ行けないはずです。例え行けたとして、ポルトガへの旅の扉さえも使えない私達が果たして行っていい場所でしょうか?」

 

 ステラの言う通り、ロマリアから一番近くにある旅の扉はポルトガに続いているそうなのだが、そこを通過するには”まほうのかぎ”と呼ばれる物が必要だとドルバ殿から言われていた。

 何でもオルテガ殿が旅の途中で命を落とした事を受け、実力のない者が大陸を行き来する事を防ぐための措置としてロマリア王がそうしたらしい。

 

 行先としてドルバ殿が私達へ提示したのは、先程から話に出ていたノアニールと”まほうのかぎ”があると言われているピラミッドだったのだ。

 ただピラミッドは、ドルバ殿曰くかなりの難所であり、しかもロマリアからはかなり遠く離れている上その場所さえも詳しくは分からないとの事。

 それよりもノアニールならばドルバ殿も多少道を知っているし、何よりオルテガ殿が向かった事が明らかだったため、まず向かう先としては一番良いと判断したのだ。

 

「なら、私だけで行ってくるさ」

 

 ステラの問いかけにドルバ殿さえも黙り込んだ時、アンナ殿がそう告げたので思わず皆がアンナ殿を見る。アンナ殿は、どこか凛々しい表情を浮かべていた。

 

「今のパーティは戦士が二人もいる。それも、片方は戦士一筋で技を磨いてきた強者だ。なら、魔法使いと戦士を中途半端に齧った私よりも頼りになるだろう」

「アンナ殿、そんな事は」

「あるのさ。私は、魔法を戦闘には使いたくない。いや、使えないんだ。どうしても、どうしてもあの時の記憶が甦るんだよ。いざ必要な時に使えない。そんな記憶が、ね」

「アンナ、あんたやっぱり……」

「いつ魔法力がなくなるか分からない中、冷静にそれを見極めて呪文を唱える。それが魔法使いさ。私には、そんな事は出来ないんだよ」

「アンナさん……」

 

 自分を嘲笑うかのように告げて、アンナ殿は俯いた。私はそんなアンナ殿を見ていい機会なのかもしれないと思った。

 ドルバ殿はアンナ殿が認めた通り、戦士として彼女を超える人物だ。であれば、以前フォンが考えた空を飛ぶ魔物への対処も可能だろうし、そもそも私がメラを覚えた事で対処法が増えている。

 

 何より、アンナ殿の過去を聞いた以上、その道を自身で見つめ直すべきだろうと思うのだ。

 ライド殿の事を引きずり選んだ戦士の道と、周囲の期待と本人も捨てきれない魔法使いの道。そのどちらを歩くのかを。あるいは、そのどちらでもない道を探すのかも。

 

「アンナ殿、頼めるだろうか?」

「「勇者(様)っ?!」」

 

 ステラとフォンが驚きの表情で私を見る。だが、私はアンナ殿を見つめ続けていた。アンナ殿も顔を上げて私を見つめ返している。その眼差しは、どこか悲しみを宿していた。

 

「……いいよ。サイモンの足取りと可能ならオルテガの足取りもね」

「頼む。それと、出来る事ならばアンナ殿が本当にやりたい事も見つけてきて欲しい」

「ぇ……?」

 

 私の言葉にアンナ殿が小さく声を漏らす。そんなに意外だろうか。私は何もアンナ殿を不要などと思っていないのだが?

 

「今のアンナ殿は、戦士として生きるか魔法使いとして生きるか迷い始めているのではないだろうかと、そう思ったのだ。アンナ殿はどちらとしても中途半端と思っているようだが、私はそうは思わない。いくら適性があるとはいえ、二つの生き方それぞれで才を見せる事は難しいはずだ。アンナ殿、中途半端と嘆いている事だが、そもそも中途半端にさえなれない方が多いのではないかと私は思うが、どうだろうか?」

 

 その問いかけに対してアンナ殿は目を瞬きさせるだけで何も言わない。聞こえていない訳ではないようだ。ただ、即答しかねるのだろうと思う。

 

「アンナさん、私も勇者様に同意します。貴女はとても才能あふれる方です。魔法使いとして歩き続けていれば、きっと今頃名の通った存在になっていたはずです」

「そうね。それに、あんたはお母さんやお父さんだけじゃなくてお師匠様からも期待されてたんでしょ? なら、きっと魔法使いとしての才能は間違いなく一流よ。戦士としては、ちょっと分からないけど」

「いや、私から見ても十分才はあると見る。女性でありながらてつのよろいを身に着け、てつのおので魔物達の急所をいかなる時も狙えるのだ。それは、誰にでも出来る事ではない」

 

 ステラ達の言葉にアンナ殿は目を見開いていた。すると、その瞳から輝く物が流れ始める。

 

「アンナ殿、それは……?」

「え? っ……嫌だね。何で涙が……」

 

 呆れた表情で笑いながらアンナ殿は何度も目元を拭う。涙、か。思えばこんな風に見るのは初めてだ。

 あの世界で流れる涙は、こんなにも温かいものではなかった。少なくても笑みを浮かべながら流すものではない。そして、涙だけで流れる事も。

 

 あの世界では、涙は鮮血と共に流れるのが常であったから。

 

 しばらく私達は涙を拭い続けるアンナ殿を見つめていた。まだ山道に入る前だった事も幸いし、魔物達の奇襲もなく静かな時間が流れていたのだ。

 

「……ありがとう、ドルバ、フォン、ステラ。そして、アルス。私は、もう一度自分と向き合ってみる。親父どのからサイモンとかの情報を集めながら、どう生きるのかをね」

「そうか。どう選ぶのであれ、アンナ殿が納得出来る事を願っている」

「ああ」

「アンナさん、お元気で」

「あまり時間かけてると、あたし達がサマンオサへ行くからね」

「来れるものなら来てみな。あの辺の魔物はここらよりももっと性質が悪いんだ」

「アンナ殿、情報収集などが終わったら我が家で逗留してくれ。ノアニールへ向かった後、一度ロマリアへ戻って話を通しておこう」

「それは助かるね。じゃ、もう行くよ。また会う時が楽しみだ」

 

 そう笑顔で告げ、アンナ殿は目を閉じた。

 

―――移動呪文(ルーラ)っ!

 

 その力ある言葉と共にアンナ殿の体が光となって空へと飛んでいく。それはそのまま見えなくなり、やがて何事もなかったような空へと戻る。

 

「……あっさりとしたもんよね」

「ですが、最後には笑ってくれました。あんなに嬉しそうな笑顔のアンナさん、見た事ありません」

 

 しみじみとフォンとステラが空を見つめたまま呟くのを聞きながら、私は手にしていた剣を掲げる。騎士としての見送りだ。

 するとそれに気付いたドルバ殿も同じ事をしてくれた。ただ、私は”どうのつるぎ”であるのに対してドルバ殿は”はがねのつるぎ”だったために多少見栄えの悪いものではあったが。

 

「ドルバ殿の気遣いに感謝を」

「いやなに。それにしても、アルス殿に騎士としての礼節があるとは思わなかった。少々驚いてしまったぞ。がははっ!」

 

 そう告げてドルバ殿は豪快に笑うと、未だに空を見上げているステラ達へ顔を向けた。

 

「ところでステラ殿、先程のは洒落か?」

「え? ……っ! ち、違います!」

「あー、あんなに嬉しそうな笑顔のアンナ、か」

「? 何かおかしいのか?」

「えっとね」

「勇者様っ! 早くカザーブを目指しましょう! 日が落ちる前にある程度進んでおかないと大変ですからっ!」

 

 フォンの言葉を遮るようにステラがそう叫んで私の腕を掴んで歩き出す。それに合わせてドルバ殿が笑みを浮かべて歩き出し、フォンも似たような顔でその後を追う。

 程なくしてドルバ殿を先頭に私達は隊列を組んで先を進む。既に二度目のカザーブへの道だ。慣れたとは言わないが不慣れとも言わないで済むぐらいにはなった。

 

 それと驚いた事が一つある。ドルバ殿だ。

 アンナ殿がいなくなった後のドルバ殿は、それまでよりも動きが良く剣技も冴えた。

 そこで私達は気付いたのだ。ドルバ殿はアンナ殿へ気遣っていたのだと。同じ戦士である事もあり、その立場を蔑ろにしないよう己が実力を抑えていたのだ。

 

 もしくは、アンナ殿の中にある葛藤に気付いていたのかもしれない。戦士としての迷いを持つアンナ殿との力量の差を見せつけてはよりその心を乱しかねないと。

 

 もしそうならば、ドルバ殿は本当に凄い武人だ。私は、そんな事を一人思いながら目の前の頼もしい背中を見つめる。

 

 少し前まで見ていた、頼もしくもどこか可憐な背中との違いを感じながら……。




アンナ、離脱。一行が目指すのはノアニール及びエルフの隠れ里。そこでの話は一話で何とか終わらせたいと思っています。


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流す涙は誰のために

火炎呪文(メラ)について。

火を生み出す魔法。小さな火の玉を出したり、あるいは掌から僅かな炎を生じさせる事が出来る。
魔法使いが最初に習得する呪文であり、ここから全ては始まると言っても過言ではない。

攻撃呪文の威力は使用者の魔力やかしこさに比例すると言われているが、この火炎呪文(メラ)に関しては何故かその限りではない。
それと、世の中には魔力を生まれつき持っている者といない者とに分かれているが、不思議な事に魔法使いや僧侶の適性にそれらは関わっていないのだとか。

火の呪文は、火炎呪文(メラ)烈火呪文(メラミ)業火呪文(メラゾーマ)と区分けされているが、一般的には全て火炎呪文で統一されている。
これは実は珍しい事であり、火炎呪文(メラ)系と氷結呪文(ヒャド)系以外はここまで細かい区分けが存在しないのだ。

一説には、この二つの呪文は源を同じとしているからと言われているが……。


「ここがノアニールの村だ」

 

 ドルバ殿がそう言ってこちらを振り向く。ロマリアを出発する事およそ三日。途中カザーブで宿に泊まってここまで来たが、ドルバ殿の言う通りカザーブの山を越えた辺りで魔物ががらりと変化したのは驚いた。

 

 アニマルゾンビに似ているがより厄介さを増した”バリイドドッグ”はこちらの防御力を下げる呪文を使い、しかも集団で現れるため恐ろしい。

 ステラの呪文で素早さを上げて先制するようにしなければ最悪なぶり殺しにされる事だろう。

 

 おおがらすの亜種らしい色が異なる”デスフラッター”は空を飛ぶのが同じだが、その飛行する速度や高度が若干上がっていて、ドルバ殿がいなければ苦戦は必至だった。

 私も呪文を使えるようになったため、空へ向かって炎を放射する事で以前よりも空への対処は楽になっていたのも大きいだろう。

 

 ギズモやどくイモムシ、それにさまようよろいは以前戦っていた事もあってそこまで厄介とは感じなかったが、それらが群れとして現れた際は思わず逃げ出したくなる程の脅威となった。

 

 それを切り抜けた際にドルバ殿が漏らした「魔法使いの代わりに呪文と同じ効果を持つ武器が必要かもしれん」との言葉は今後覚えておくべきだと思った。

 

「とりあえず、これで一息つけるわね」

「そうですね。やっと休む事が出来ます」

 

 フォンとステラは疲労困憊と言ったところだろう。私もかなり疲れた。特に呪文を使うと魔法力を消費するからか脱力感がある。それが地味に堪えた。

 ステラが言うにはその内慣れていくらしいが、考えて使わなければかつてのアンナ殿のように使いたい時に呪文が使えないとなってしまうので気を付けねば。

 

 と、そこで気付いた。ドルバ殿が若干苦い顔をしているのを。

 

「ドルバ殿、どうかされたか?」

「ん? いや、休む事は可能だが宿は……なぁ」

「え? 何々? どういう事よ?」

 

 我々の会話を聞いてフォンが小首を傾げながら近づいてきた。ステラも似たような行動をしながら歩いてくる。それを見てドルバ殿は困り顔をして村の方へ顔を向けた。

 

「まぁ、説明するより村の中へ入った方が早いだろう」

 

 そうして我々は村の中へと入ったのだが、そこには信じられない光景が広がっていた。

 

「これって……寝てるのでしょうか?」

 

 村の入口近くに立っている男性が眠っていたのだ。それも彼だけではない。ざっと見て回ったが、村の者達がその場で眠っているのだ。

 

「ちょ、ちょっとどういう事よ!? 一体何があったの!?」

「私も詳しくは知らぬ。ただ、いつ頃からかこの村はみな眠ってしまったのだ。それ以来、ここを眠り村と呼ぶ者も出てしまってな」

「宿屋の主人も眠っていたな。これでは食事も出来ない」

「いやいや、勇者、問題はそこじゃないから。いや、そこも問題なのかもしれないけど……」

 

 私の言葉にフォンが呆れた表情を見せるが、重要な事だと思う。生きている以上食べる事は必須だ。それが出来ないとなれば、また悲しく携帯食料を食べるしかない。

 あの塩辛いか何の味もないかのどちらかしかない、あれを。

 

「とにかく、もう少し村を調べてみませんか? いくら何でもこんな事はおかしいです」

「ドルバ殿、ロマリア王はこの村について何か調査を命じられたのだろうか?」

 

 ステラの意見ももっともだが、私はまずドルバ殿から情報を得ようと思った。何せドルバ殿はこの地方に長く住んでいる者だ。

 しかも王国の騎士団に所属していたのだから市井の者達よりも有している情報は多いはず。

 

「うむ、無論調査をなさった。だが、原因らしい原因はわからずじまい。しかもこうなったのにも関わらず、何故か魔物達は一向に攻め込まんらしくてな。結果、残念ながら……」

 

 そこでドルバ殿は口を閉じた。つまり眠っているだけであり、しかも村が攻め滅ぼされる可能性もないために手を引いたと、そういう訳か。

 

「じゃ、もしかしてエルフが関係してるんじゃない?」

 

 ドルバ殿が肩を落とした事を受け、私はどうしたものかと思案しようとした時、フォンがそんな事を言い出した。

 

「そういえば、アンナさんが言っていましたね。この辺りにはエルフが住んでいるって」

「そうそう。人が眠ったままで、しかも魔物が攻め込んでこない。こんなの人間業じゃないわ」

「ふむ、一理ある。エルフは人間嫌いなため、そもそも人を寄せ付けないようにしているとも聞く。この眠りも、自分達の棲み処を人間に荒らされたくないからかもしれんなぁ」

 

 そうなるとたしかに筋は通る。だが、何故いきなり? 今は情報が少なすぎる。とりあえず寝床をどうするかだ。

 宿屋は使えると言えば使えるが、主人が寝ている以上料金を支払わずに使う事となる。それは出来ない。そうなると村の中で野宿が一番か。

 

「とにかく、一旦村の中をくまなく調べてみよう。もしかすると何か手がかりがあるかもしれない」

 

 私の意見に全員が賛同し、我々は村の中をしっかり調べる事にした。ただ、どの家も中にいる者達が眠っていて話を聞く事も出来ない。

 と、そこでふと気付いた。ここはいつからこうなってしまったのだろうと。ドルバ殿へそれを尋ねてみると、十年以上前からこうらしい。

 

「……妙です。もしそうなら、この方達は歳を取っていない事になります」

「そうよね。だって、着てる服はみんな大きさあっているもの」

「つまり、ただの眠りではないと?」

「ううむ……そう言われてみれば、雨などが降る事もあるのに誰も風邪を引いたりせず無事なままというのも妙だなぁ」

「ええ。やはりこれはエルフの仕業でしょう。人間では眠らせる事は出来ても、時間を止めるような事は出来ません」

 

 ステラの結論に誰も反論はなかった。こうして調査を続けていた時だ。ドルバ殿が時折首を傾げては下を見つめるを繰り返し始め、やがて何かを見つけたらしくその場へしゃがんで地面を見つめ始めたのだ。

 

 そこは、村はずれと呼んでいいだろう場所。特に何かあるようには見えないのだが……?

 

「ドルバさん、どうかしたの?」

「……うむ、ここの道が少し荒れているのが分かるか?」

 

 言われて私達もドルバ殿の横へ座って道を見つめてみた。よく見てみると、たしかに所々荒れているように見える。まるで誰かが通ったように。

 

「本当ですね。人が通っているように見えます」

「え? でも、おかしくない? さっきまではどの道にもそれらしい跡はなかったのに」

「いや、少しだが土汚れがあった。それも比較的新しいものがな。おそらくだが、最近誰かが村の中を歩いたのだろう」

「だが、起きている者は誰もいないのでは?」

「……あまり考えたくはないが、村の噂が出た時に魔王の呪いではないかとも言われたのだ。それを恐れた兵士たちが村の入口付近の様子だけ見て村中と判断したのかもしれん」

 

 それを聞いたフォンが、有り得る話だとどこか呆れるように呟いた。ステラは何も言わなかったがきっと似た事を思ったに違いない。

 いつでも逃げられるように入口近くで野営し、調査も真剣にはやらなかったのだろうな。

 

「では、進んでみよう。この先に何かあるのかもしれない」

 

 私の言葉に全員が頷き、ドルバ殿を先頭に村はずれを歩く事少しで家らしき物が見えてきた。

 

「……あっ! 見て。入口にお爺さんが立ってる」

 

 フォンが真っ先にそう告げて指をさすものの、私にははっきりとご老体らしきものは見えない。ドルバ殿もそうらしく、顎鬚を触ってふむと呟いていた。

 

「起きているのでしょうか?」

「……みたい。こっちに気付いてるわ。お~いっ!」

 

 声をかけながらフォンが駆け出していく。それを追い駆けるように私も隊列を離れた。

 

「こんにちは、お爺さん。ちょっと聞きたいんだけど、この村、どうなっちゃったの?」

「それがの、わしも詳しい事は知らんのじゃ。ただ、ここから平原を西へ向かった森の先にあるエルフの隠れ里へ行ってくれ。そこにもう一人眠る事を免れた者がおるはずじゃ」

「西ね。分かったわ。勇者」

「ああ。ご老体、つかぬ事を伺いますがここの宿は四人で利用するといくらでしょうか?」

「ん? 宿?」

「はい。我々はカザーブからここまで来ました。そのため疲れを取るために宿で休みたいのですが……」

「おおっ、そういう事か。なら、気にせず宿を使ってくだされ。もしみなが戻ったら、わしから宿の主人には言っておこう」

 

 思わぬ申し出だが、それでいいのだろうか?

 

「勇者様、ここはこの方のお言葉に甘えましょう。村の中で野宿でもいいですが、万が一疲れを残したままでは道中に不安が」

「そうだなぁ。アルス殿、ここはステラ殿の言う通り、宿へ戻ってベッドを使わせてもらおう。なぁに、この状況を元に戻せれば宿代の一度や二度、安いものだ。がははっ!」

 

 迷う私に遅れて合流したステラとドルバ殿が背中を押してくれた。ご老体もその意見に笑みを浮かべて頷いている。ならば、良いか。それに、起きた後で代金を払えばいいだけだ。

 

「あっ、そうだ。ねぇお爺さん。もし良かったら何だけど、食べる物、少し分けてもらえない?」

「食べ物?」

「はい、その、携帯食料では……」

「そうじゃのぅ。あれではあまりにも味気ないか。よし、ならわしの家へ上がりなさい。あまり多くはないが、野兎や薬草がある。それを鍋にすればよい。それならばお前さん達の分も用意出来るじゃろうて」

 

 ご老体のご厚意に甘え、私達は野兎鍋を御馳走になった。聞けば、こうなってから動物達が村を安全な場所として使っているらしく、それを利用し、昔猟師だったご老体は村のあちこちへ罠を仕掛けて食料を調達しているそうだ。

 

 ドルバ殿が時折首を傾げていたのは、その罠の成果を確認して回った時のご老体の痕跡だったのだろうと言われて、私達は納得した。

 

 ちなみにご老体は狩りに出ていたためか眠る事なく過ごせたらしいが、元々この村はずれで暮らしていた事もあり事態に気付くのが遅れたらしい。

 城の兵士達が聞き付けた噂は商品を運んできた商人が出所で、ご老体はその時森へ狩りに出ていて気付かなかったそうだ。

 

 そしてご老体は狩りをしてから村へと戻ってきたそうなのだが、その時にはもう調査の兵士達が帰った後だったとの事。

 

―――村の広場に野営した跡が残っておったから間違いないて。

 

 そうご老体は寂しそうに笑い、話は終わった。もしその時に自分がいればもう少し何か変わったかもしれないと、小さく呟きながら。

 その時、ドルバ殿が何とも言えない顔をしていたのが印象的だった。おそらくだが、きっとご老体がいても結果は大差なかったと察していたのだと思う。

 

 そしてそれは、ご老体もだったはずだ。それでも言わずにはいられなかった。それが人間なのかもしれない。

 

 それにしても野兎とはこんな味なのか。薬草が入っているからかもしれないが、何とも体に効きそうで力強い味だ。

 この汁も美味い。ご老体に聞けば、滋養強壮に効果があり、軽い風邪などこれで治るそうだ。

 

 鍋を御馳走になった後、私達はご老体に礼を述べ来た道を戻って宿屋へと向かった。

 

「アルス殿、少しいいだろうか?」

 

 その途中、ドルバ殿がそう切り出して足を止めた。私だけでなくステラとフォンも足を止めてドルバ殿を見る。ドルバ殿は空を見上げていた。

 

「どうかされたか?」

「いや、エルフの事だ。彼らは人間を嫌っている。だからと言ってこんな事を理由なくするとは思えぬ。と言う事は、下手をすればこれは人間とエルフの衝突になりかねない」

「……そういう事ですか」

「どういう事よ?」

 

 ステラだけが何かに気付いて重たい声を出すが、私とフォンは何がそういう事なのか今一つ理解出来ない。

 なので私はステラを見つめる。すると彼女はそんな私へ小さく苦笑すると説明を始めてくれた。

 

 長きに渡りエルフは人間へ不干渉の立場を取り続けていたらしい。それは魔王による侵攻が始まっても変わらず、自分達だけを守って過ごしていたそうだ。

 なのに、急にノアニールの村全体を眠りの呪いで包んだ。そこには、もしかすると人間からの干渉があったからではないかと、そういう事だ。

 つまり、この問題は人間側がエルフへ問題を起こしたのが根本にあると思われる。そうなれば、この村の呪いを解く事は難しいのだそうだ。

 

「何が原因かは分かりませんが、人間憎しだけでこんな事をする程エルフも非道ではありません。むしろ彼らは森の守護者を自称する程気高い種族です」

「じゃ、人間の方が何かエルフに対して大きな過ちをしちゃった?」

「可能性はそちらの方が高いと私は思うぞ。故にアルス殿、もし仮にその場合はいかがする?」

 

 問いかけられたのは存外に重たいものだった。私の判断するべきは、この問題をどうするだけではない。この村をこうした原因が人間側にあるとした場合、このノアニールを放置して旅を続けるか否かだ。

 

「……だとしても、エルフ側がこうしていい理由にもならないと私は思う。それに、もしエルフが人より賢く誇り高い種族だと言うのなら、むしろ人の愚かさと至らなさを思い知らせるはずだ。このノアニールの村にした仕打ちの理由と背景。それを人へ知らせずにいる事自体、エルフ側にも何か事情があるのではないだろうか?」

「ふむ……エルフ側にも人だけを責められぬ理由がある、か。成程、たしかに一理ある。この村の状況は見れば見る程、聞けば聞く程エルフの業に違いない。だが、それをどこか隠したいように見えなくもない、か……」

「とりあえず、エルフの隠れ里に行ってみないと分からないって事でしょ? じゃ、今は早く宿へ行って休みましょ?」

「そうですね。まずはエルフ達の言い分を聞かせてもらいましょう。それで分かる事があるはずです」

 

 こうして私達は宿へと向かった。二人一組に別れ、私はドルバ殿と部屋へ入って装備を外した。

 すぐに寝ようと思ったが、ドルバ殿は私よりも先にベッドへ横になっており、しかも既に眠っていたのだ。

 

「ぐー……ぐー……」

 

 まさしく早業だろう。私はドルバ殿が魔物や盗賊達がいるシャンパーニの塔で一人で眠っていた事を思い出し、その豪胆さと凄まじさに改めて感心するしかなかった。

 

 

 

 翌朝、ノアニールを出発し西へ向かうと次第に森が見えてきた。その中にエルフの隠れ里があるらしいが詳しい場所は分かっていない。

 一応出発前に再度ご老体から教えてもらったのは、平原が見えている間はそこを行き、森しか見えなくなったらまっすぐ西へ向かって進めばいいと言われた。

 

 言われた通りに平原を歩き森だけになったところで中へ入って西へと向かう。心なしか魔物達の姿が平原よりも多く、道中は視界も普段より悪いために苦労させられた。

 特に辛かったのは私の呪文が迂闊に使えなくなった事だ。火炎呪文(メラ)では森の木や葉を燃やして火事になってしまうからだ。

 

「……こうなるとやっぱり森の中って面倒ね」

 

 何度目かの魔物達の群れを撃退した時、フォンが噛み締めるように呟いた一言に私だけでなく残りの二人も深く頷いた。

 剣も考えて振るわないと木に当たり最悪刺さってしまうし、魔物の攻撃をかわしたはいいがそのせいで木が倒れてきたらと思うと恐ろしい。

 

「ええ、いつも以上に注意が必要ですし……」

「うむ、救いがあるとすれば魔物達も似たような状況故に迷いが見える事か」

 

 ドルバ殿の言うように魔物達にある知恵がこちらに有利となる事もあった。考えてみれば、魔物達も呪文を使う際に他の魔物達を巻き込まないようにしていたし、こちらの動き方次第では不利を有利に出来るのではないだろうか?

 

 あの世界では理性や知恵などないのが当然だったが、こちらではそうではない。それに苦しめられる事が多かったが、こうなるとそれを逆手に取る事も可能と、そういう訳か。

 

「そういえば、向こうも呪文を使う時に躊躇うみたいな事があったわ」

「なら、それを利用して一度確かめてみるのもいいかもしれない」

「あの、勇者様、確かめるとは何を?」

「呪文を使える魔物が出た時に、他の魔物を盾にするか巻き込むような位置取りをすると言う事だろうか?」

 

 私が頷くとステラだけでなくフォンも納得するように頷いてくれた。ドルバ殿はやはり騎士団長をしていただけあって理解力や洞察力が高いな。私が説明するまでもなくこちらの考えを周囲へ伝えてくれる。これが、おそらく組織の長にいた者ならではの能力なのだろう。

 

 そうして再び森の中を進む。周囲へ注意を払いながら奇襲に備えていると、ドルバ殿が足と止めると同時に片手で私達を制した。

 

「ギズモだ。こちらに気付いていないらしいな」

 

 言われて先を見れば、木の陰に隠れるようにしてギズモが見える。フォンも気付いたらしく感心するように息を吐いていた。気持ちは分かる。私もまったく気付かなかった。ステラなど未だにどこか分からないらしく、フォンへどこかと尋ねている。

 

 ドルバ殿だけが真っ先に気付いたのだ。私もあの世界で注意力を磨いたと思っていたが、どうやらまだまだらしい。いや、むしろそう思って慢心していたのかもしれない。

 

「アルス殿、どう動く?」

「……ドルバ殿はステラと共に正面から。フォンは左側から回り込んでくれ。私が右側から回り込む。そして私とフォンがある程度ギズモへ近付いたら、ドルバ殿達が気を引いて欲しい」

「了解した。ステラ殿、私に速度を合わせる必要はない。動く際は転ばぬよう足元に注意しながらついて来てくれ」

「はい。勇者様、フォンさん、お気を付けて」

「ええ」

「ああ」

 

 無言でフォンへ頷くと向こうも頷き返した。身を潜めながら静かに接近する。周囲の警戒もしつつ、私はギズモへと近付いていく。出来るだけフォンの事も視界に入れながら慎重に進む。

 すると、フォンの背後の方でチラリと何かが動いたような気がした。気のせいかとも思ったが、念のためと思ってその場に留まり目を凝らす。

 

「……っ」

 

 草の色に紛れるようにどくイモムシが見えた。フォンに教えようにも声を出せばギズモにも気付かれてしまう。と、その時だった。フォンが私の方へ顔を向けて不思議そうな顔を見せたのだ。

 なので即座に私は後ろを振り向くように手や指の動きで伝わるようにしたのだが、フォンはそんな私を見て怪訝そうな顔をした。が、そこで背後の気配に気付いたのだろう。慌てて後ろを振り返った。

 

 その瞬間、私はある事を思い付いてフォンへ叫んだ。

 

「フォンっ! ギズモの前へ行けっ!」

「はぁ?! っ! そういう事、ねぇっ!」

 

 叫びながらギズモへ向かって走り出す私の耳にフォンの声が聞こえてくる。どうやら思い出してくれたようだ。

 何せギズモは私の声に反応して何か呪文を放とうとしている。それも、私ではなくフォンへ向かってだ。おそらく自分へ注意を向けていないフォンを狙っているのだろう。

 

 私は回り込んでいたため、ギズモへ接近するには時間がかかる。ドルバ殿は私達の状況を理解してから動き出しているのでギリギリ間に合わないだろうし、ステラは言うまでもない。

 

 と、そんな時フォンがギズモへ向かって跳びかかった。それを見てギズモが呪文を放とうとするが、その瞬間フォンが小さく笑ったかと思うと近くにあった木を蹴って体の位置を変えた。

 

「何とっ?!」

 

 ドルバ殿が驚きの声を上げるが私も同じ気持ちだった。ギズモもそうだったらしく、思わず呪文を放つ事を止めていた。着地したフォンは一瞬だけ背後へ目をやるとどくイモムシの位置を確認したのだろう。表情を凛々しくするとギズモから距離を取るように後方へと下がった。

 ギズモはそんなフォンへ攻撃しようとするが、フォンがどくイモムシを飛び越えて着地すると間違いなく戸惑いを見せた。

 

「読み通りみたいよっ!」

「そのようだっ!」

 

 フォンがどくイモムシへ攻撃を始めるのと同時に、私はギズモの背後から斬りかかった。それで仕留める事は叶わなかったが、怯ませて呪文を中断させる事には成功した。

 

「もう一撃っ!」

 

 手にした剣を突き出すも、刀身が短いせいで僅かに届かない。そこへ鋭い剣閃が走る。その鋼の輝きはギズモを一撃で貫いてGへと変えた。

 

「惜しかったなアルス殿」

「ドルバ殿、感謝を」

 

 こちらへ小さく笑みを見せるドルバ殿に私は戦闘の終了を察した。視線を動かせばフォンの”てつのつめ”がどくイモムシの体を貫いていたのだ。

 

「っと、こんなもんね」

「お見事です、フォンさん」

 

 地面に散らばったGを拾うフォンへ声をかけながらステラも手伝いを始めた。私もドルバ殿と共にGを拾い、今後は魔物同士を間に挟んでの回避法も考慮に入れて戦う事にした。

 この森で出てくる魔物で呪文を使うのはギズモとアニマルゾンビ。ただし、攻撃呪文はギズモだけで他には使う魔物は今のところいない。

 

 ただ、これはおそらく他の行動にも利用出来る可能性が高い。これは一つ有効な戦術を得た。

 

「やったわね。これなら少しは魔物の相手が楽になるわ」

「ですが、攻撃呪文は防げても補助呪文の類は無理でしょう。あれは効果の発現が異なります」

「うむ、ただ回復呪文は直接使う場合もある。その際は妨害が可能だろう」

「と言う事は、あまりこの戦法を過信しない方がいいと?」

「私はそう思うぞ。いや、どんな戦法手段もだろうが過信は禁物だ。この世に絶対はないと私は思っている。もし絶対があるとすればそれは……」

「「「それは?」」」

 

 どこか遠い目をするドルバ殿へ私だけでなくステラやフォンも声を同じくした。

 

「……人間を人間らしくするのは、心があるからだと言う事だろうか。善くも悪くも、だ」

 

 その一言は私には重く響いた。あのステラから言われた言葉に通じるモノがあったからだ。

 

 その後、もう一度だけ魔物との戦闘を切り抜けて進んだところで急に空気が変わったような感じを受けた。

 

「これは……」

「邪悪な気配が消えたわね」

「うむ、それに心なしか空気が澄んだ気もするぞ」

「もしや、エルフの領域というか結界に入ったのでは?」

「結界?」

「ああ、聖水を周囲へ撒く事で弱い魔物が近寄らなくなるというあれか」

「それに近いものですが、この場合は大抵の魔物でしょう。高位の僧侶の中にはそういう呪文を使える方もいると聞きます」

 

 そうやって会話しながら歩いていると視線の先に緑髪の少女の姿が見えてきた。

 

「あれって、エルフ?」

「……ですね」

「だが、こちらに対する警戒心がないぞ?」

「子供だからではないのか?」

 

 思った事を告げるとステラが小さく苦笑する。見ればフォンも同じ顔だ。ドルバ殿は何故か微笑んでいる。

 

「勇者、エルフって見た目と実年齢が合わないらしいわ」

「そうなのか?」

「はい。なので、見た目が子供でも百年以上生きている事もあるとか」

「アルス殿はそういう知識は歳相応なのだな。いやぁ、かくいう私も騎士団に入るまでは似たようなものだったから気にする必要はないぞ」

「あれ? 人間がいる?」

 

 聞こえてきた声に顔を動かせば、こちらを不思議そうに見つめる翡翠の瞳があった。

 

「ここはエルフのかくれ里よ。あっ、人間と話しちゃいけないんだった。ママにしかられちゃう」

 

 少女はそう言って口を押さえた。だが、その目はまだこちらを興味深そうに見つめている。おそらくだが、人間が珍しいのだろう。どこか輝くその眼差しに私は言い様の無い居心地の悪さを覚えた。

 

「えっと、話しちゃいけないなら頷いてくれると助かるんだけど、ここにあたし達以外の人間はいる?」

 

 目の高さまでしゃがんでのフォンの問いかけに少女は小さく頷いた。どうやらこの少女は見た目と思考が一致していると見て良さそうだ。

 

「ふふっ、ではそこまで案内してもらえないでしょうか? 私達が勝手に歩くのはエルフの方達も嫌かもしれませんし」

 

 ステラが微笑みながらフォンと同じようにしゃがんでそう頼むと、エルフの少女は笑顔で頷き歩き出した。そしてある程度行くとこちらへ振り向いて手招きする。

 

「どうやら本当に案内してくれるようだな」

「そのようだ。おそらくだが、年若いエルフ故にこちらへの警戒心よりも興味の方が強いのだろう」

「可愛いわね、あの子」

「はい。見てください。こっちへ手を振ってます。急ぎましょう」

 

 エルフの少女は、フォンの誘導で名を教えてくれた。話すというのは言葉を交わす事だから独り言なら話ではないと、そうフォンは言って私達の名を教えたのだ。

 そうして少女が告げた名はリアラ。何でもエルフの女王から直々に付けてもらった名だそうで、リアラもそれが自慢だと言った。

 

 リアラが先導しているからか、里のエルフ達もこちらを訝しげに見てくるものの、明らかな敵意は向けてこなかった。そして、私達は里の中心であろう池の近くへ連れてこられた。

 

「あそこにいる人がお姉ちゃん達と同じ人間だよ」

「そう。案内してくれてありがとう、リアラ」

「この事は貴女のお母さんには黙っておきますね」

「感謝するぞ少女よ」

「私からもエルフの少女に感謝を」

 

 リアラが指さしたのは一人の老人だった。リアラは私達の感謝に微笑み、小さな手を振ってまた来た道を戻っていく。おそらくだが、彼女はこの里に来る者を待っているのだろう。

 もしエルフが彼女のように接してくれれば、そして人間もフォンやステラのように接していけば、両者の対立や衝突はなくなるのではないだろうか?

 

 だが、それは人間同士でも中々難しい事だ。故に争いは起こり、血は流れてしまうのだから。

 

「お爺さん、ちょっといい?」

「ん? お前さん達は……」

「私達はノアニールの村から来ました。その、狩人をしていた方からお話を聞いて」

「おおっ、そうですか。実は、村の異変はわしの息子が原因なのです」

 

 ご老体はそう言って一つの昔話をしてくれた。

 

 ご老体の一人息子がエルフの娘と恋に落ちた。だが、エルフの掟のせいでエルフの娘は結婚を認めてもらえなかった。そのため、二人は行くあてもなくそのまま行方知れずとなったのだと言う。

 ご老体は、息子と娘が本当に好き合っているなら村で暮らせばいいと言うために彼らを探してここまで辿り着いたのだそうだ。

 そこで結婚を許さないエルフの女王に結婚を認めてやって欲しいと、それを直訴し続けているらしい。

 

 だがしかし、そのエルフの娘は女王の娘でもあったらしく、エルフ達の掟に背いたために未だに認める訳にはいかないと女王はご老体の言葉を退けていると、そうご老体は話しを締め括った。

 

「……では、村の現状はご存じなのですか?」

「聞いておるよ。女王から言われたのだ。わしの息子が娘を誑かした、その報いだと」

「何と……」

 

 予想通りと言っていいのか分からないが、やはり村の異変の切っ掛けは人間側か。

 

「だが、これだけは信じて欲しい。あの二人は本当にお互いを好き合っていた。息子が誑かした訳でも、アンが押し掛けたのでもない。二人はただ一緒に居たかっただけなんじゃ」

「だけど、そんな二人の居場所がどこにもなかったのね……」

「わしらがもっと早く受け入れてやれば良かった。エルフが人間の世界で上手くやっていけるか。息子が騙されてはおらんかと、要らぬ気を回した結果がこれじゃよ」

 

 がっくりと肩を落とすご老体を見て、私達はかける言葉が見つからなかった。後悔とは先にこないからこそ後悔なのだと、そこで私は改めて感じた。

 

「勇者様、次はエルフの女王様の意見を聞きましょう。片方だけの意見では考えや見方も偏ります」

「ステラ殿の言う通りだ。アルス殿、行きましょう」

「分かった。ご老体、女王はどちらに?」

「近くまで案内しよう。エルフ達もわしへ話しかける事などはないが追い出す事もしないので、おそらく人間へ干渉するなと言われているのだと思う。それと、ドワーフを通じてわしへ食べ物などを少しではあるが与えてもくれる。思っていた以上にエルフは人間を嫌ってはいないのかもしれん」

「もしくは、お爺さんだからかもしれないわね。何年もここで息子さんやエルフの娘さんの事を認めてやって欲しいって、そう訴え続けているんだもの。その誠意と熱意だけはエルフも認めてくれてるのかもしれないわよ?」

「……そうだといいのだがなぁ……」

 

 どこか遠い目でご老体がそう呟いたのが、私には印象的だった……。

 

 

 

「娘のアンは人間に誑かされたのです。それでなければゆめみるルビーを持ち出す事もないはず」

 

 意外にもエルフの女王への謁見は許された。ただ、とてもではないがこちらの話を聞くつもりはないように思えた。その最たるものが今の言葉にある。女王の中では悪いのは人間と確定されていたのだ。

 おそらくだが、あのご老体が追い返されないのは同じ親故の温情なのだろう。そういう意味ではこの女王も器の大きい者と言えるかもしれない。だが、これではノアニールの村の呪いを解いてもらう事は出来ないだろう。

 

 私達は女王の説得を諦め、これからどうするべきかを相談し合った。一番は行方知れずの二人を見つけ出す事だろう。女王の言った”ゆめみるルビー”とやらを返せばまだ話を聞いてくれるかもしれないと。

 問題は二人がどこへ行ったかだ。ノアニールの村の次にある人の暮らす場所はカザーブであり、いくらエルフとは言え女性と二人連れで越えるにはあの山道は険しい。更に、もし二人が訪れていれば噂にならぬはずはないとフォンが言った。

 

 となると、後はこの辺りで二人が行きそうな、あるいは行ける場所を探すだけだ。

 

「ならば行きそうな場所ではなく行ける場所を当たる方が良かろう。きっと前者は既に捜索されているはずだ」

「そうよねぇ。じゃ、聞き込み?」

「とはいえノアニールの村では出来ませんから、必然的にここでとなりますが……」

 

 ステラの表情が曇る。リアラはともかく他のエルフ達はきっと話をしてくれないだろう。そういえば、先程ご老体がドワーフから食べ物を得ていたと言っていたな。

 

「ならば、ドワーフとやらを探してみよう。ご老体へ食べ物を渡していたらしいし、話をしてくれる可能性は高いはずだ」

「おおっ、それがいい。ならばあの老人へ居場所を聞こう」

 

 そうしてご老体にドワーフのいる場所を教えてもらい、私達は池の周辺を歩いていた。

 

「それにしても、綺麗な水ね」

「そうですね。普通の川の水ではないのかもしれません」

「ステラ殿、何故そう思われる?」

「えっと、微かに魔法力を感じるのです」

 

 言われて私も池の水を見つめてみるが、ステラと違いそんなものは感じられなかった。ただ、池の中を泳ぐ魚は中々立派な大きさをしていて、その姿も美しく思えた。

 

 やがて池の近くで座って里の中を眺めている子供程の大きさの男性を見つけた。あれがドワーフなのだろう。向こうもこちらに気付いたらしく、少しだけ驚いた表情を浮かべていた。

 

「おや、こんなところに人間とは珍しい。悪い事は言わないから早くお帰り。間違ってもエルフと恋に落ちたら不幸になるからね」

「私達はその事で聞きたい事があるのだ。ドワーフ殿、駆け落ちした二人がこの辺りで行ける場所にどこか心当たりはないだろうか?」

 

 ドルバ殿が単刀直入に話を切り出すと、ドワーフ殿はやや悲しげな顔をして首を横に振った。

 

「ないよ。あるとしたらとうにエルフ達が探しているさ」

「では、やはり捜索を?」

「ああ。アン様は女王様にとって後継者であり大事な一人娘だったからねぇ。だからこそ、そんな娘を人間の男に盗られたと思って怒り狂ったのさ。ゆめみるルビーまで持ち出したのが不味かったんだろうなぁ」

「すまないがそのゆめみるルビーについて教えてもらえないだろうか? 一体何故それをアン殿は持ち出したのかも」

「さて、さすがにそれはわしも知らんよ。ただ、持ち出した理由は分からないでもない。人間と暮らすとなれば金がいる。宝石は人間達の間では高価だとアン様も知っていた。だから、だろうね」

「要するに先立つ物として持ち出した?」

「そんなとこだろうさ。ただ、女王様はそれを人間が唆してやらせたと思っているみたいだ」

 

 そう言うとドワーフ殿は悲しそうにため息を吐いた。おそらくだがドワーフ殿はあのご老体の息子がそうさせたとは思っていないのだろう。私もそう思う。もしそうだとすれば、何故駆け落ちなどしたのか。

 最初からルビーが目的であれば、それを奪い逃げているはずだ。もしかすると、女王もどこかでそう思いながら目を背けているのかもしれない。

 

 愛する娘を悪いと思いたくない一心で、相手の男をひたすらに悪者と決めつけているのだ。

 

「あのさ、あのお爺さんに食事を与えてるって聞いたんだけど」

「ん? ああ、その事か。もう何年も女王様へ訴えてるんだよ、あの人間は。それも、二人の事を認めてやって欲しいの一点だ。一度として村の呪いを解いてくれとは言わないんだ。自分の事ではなく、あの人間は息子とアン様の事を思っている。我々ドワーフもそしてエルフも、何よりも価値があり尊ぶのは心だ。綺麗な心に勝るものはない。だからエルフ達でさえ、あの人間には若干の同情を抱いているんだよ。わしもその一人だ。だから、あんなにも綺麗な心を持つ人間がいるのかと、そしてそんな人間の息子ならばもしかしてと、皆思い始めているんだよ」

 

 ドワーフ殿の語ってくれた言葉は私の胸を打った。種族の違いを超えて、その手を差し出させたのは、心を動かしたのは、誠実で強い心なのかと。

 

「ドワーフ殿、貴重な話を聞かせてもらい感謝を」

「いや、あんた達も人間にしては良い心を持っているようだ。まぁ、そもそも邪な心を持つ者はここには入れないんだがね」

「そうなの?」

「ああ。エルフの結界は邪心に反応するんだ。そうでなければ、あんな小さな子を里の入口近くで遊ばせないよ」

 

 リアラの事を言っているのだと思い、私は納得するしかなかった。そして、だからこそ里のエルフ達も私達を怪訝な目で見るだけで済ませていたのか。

 

「あの、もう一つお聞きしても良いでしょうか?」

「何だい?」

「この池の水はどこから来ているのですか? 魔法力を帯びているようなので気になって」

「これは里から南に行った場所にある洞窟からだよ。この池の底からその洞窟の水が湧き出しているんだ」

「南にある洞窟? そこに二人が行ったって可能性はないの?」

「ないと思うぞ。二人がいなくなった頃はまだ魔物も今ほど凶暴ではなかったとはいえ、あの洞窟は元々魔物達の棲み処だ。しかもあるのは大きな地底湖ぐらいで、他には何もない場所なんだよ? 二人で幸せになろうとしていた者達が行く場所じゃない」

 

 ドワーフ殿はそう言ってから小さく笑う。まるでその幸せを祝ってやれなかった事を悔やむように。

 私達はドワーフ殿に礼を述べ、その場を後にした。しばらく歩いたところで休憩がてら相談しようと腰を下ろしたのだが、ステラが暗い顔をしていたのが気になった。

 

「ステラ、どうかしたのか?」

「……さっき、ドワーフさんはこう言っていました。二人で幸せになろうとしていた者達が行く場所じゃないと」

「そうだな」

「では、もし二人が幸せになれないと思っていたら、どうでしょうか?」

 

 告げられた仮定に私だけでなくフォンとドルバ殿まで息を呑んだ。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ。じゃあ、何? 二人は駆け落ちしたけど、それはどこかで幸せになろうとしたんじゃなくて……」

「もうどこにも自分達の居場所はないと悲観しての、逃避行だったと」

「有り得ないとは言えません。もしアンさんがノアニールの村で起きた事を聞いたとすれば、どう思うでしょうか?」

 

 自分が人間と恋に落ちたせいでその最愛の人の故郷が眠り続ける事となった。それも、やったのは自分の母親だ。たしかに、これをどうにかしても自分の故郷と相手の故郷が仲良く友好的にとはなれないだろう。

 

「……アルス殿、これは確かめてみるべきかもしれん。そもそもゆめみるルビーが未だに行方知れずなのも気になる」

「そうね。もし売ってたらとっくに噂になってるだろうし」

「今も二人が所持しているかその洞窟に隠してある可能性が高いか。だが、もしその洞窟に行ったとすれば……」

 

 おそらく生きている可能性は無に等しいはずだ。何せ、そこに行ったのはただの男性とエルフの娘なのだから。

 私の言いたい事を察して誰もが悲痛な表情を見せた。きっとステラ達も悟っているのだ。二人はもうこの世にいないのだろうと。

 

 それでもそれを口にする事無く私達は里を後にした。里を出る際、リアラに見つかりどこへ行くのかと尋ねられたので、南にある洞窟と告げると気を付けてねと笑顔で送り出された。

 

 あの笑顔に少しだけ私達の雰囲気は軽くなった気がする。人間と話してはいけないと言われているエルフの少女が笑顔で私達を見送ってくれた事。その事が持つ意味と温かさを胸に私は森の中を南へと進んだ。

 そうして歩いていると程なくして洞窟は見つかった。中へ入ると淡い光が壁などから出ている。おそらくだが、この洞窟の岩などに発光する物が含まれているのだろうとステラが教えてくれた。

 ドルバ殿は魔法力を秘めた鉱石であるミスリルと呼ばれる物かもしれないと補足してくれ、その金属で作られた防具は呪文に対しての抵抗力を持つそうだ。

 

「まほうのよろいと呼ばれるらしいが、私も見た事はない」

「高いの?」

「かなりの値が張るそうだ。まほうのたてと言うのもあるが、そちらも中々高いらしい」

「しっ! ……何か来るわ」

 

 洞窟は一本道故に最後列にステラを配置し、先頭をドルバ殿に歩いてもらっていたのだが私の後ろのフォンが何かに気付いたらしく、鋭い視線で前方を見つめていた。

 すると、向こうの方から何か近付いてくる。それはキノコの魔物だった。確実におばけキノコの亜種だ。となるとブレス攻撃に注意するべきか。

 

「ドルバさん、ここはあたしに任せてくれる?」

「……気を付けるのだぞ」

 

 そう言ってドルバ殿は体を横へ移動させる。私もフォンが通れるように体を壁際へと寄せた。その瞬間、フォンが身を低くしながら駆け出して魔物へと向かって行った。

 しかも、フォンはその速度を途中で更に上げたのだ。だからだろう。魔物の方もそれに意表を突かれて驚いている。そこでフォンは跳び上がって魔物へ”てつのつめ”を突き出した。

 

「シッ!」

 

 その一撃に魔物は為す術なく貫かれて消えた。

 

「……見事なものだ」

「うむ、相手の意識を乱しながら攻撃するとは見事。それに、あの速度は中々のものだ」

「まっ、こんなもんよ。正直空へ逃げられないなら魔物があたしに勝てるはずはないわ」

 

 胸を張って笑うフォンにドルバ殿が笑みを見せステラも微笑む。その後、Gを拾って先へ進んだ。

 洞窟の中は思っていた以上に魔物達が巣食っていて、ドワーフ殿が言う通りここへ来る事は危険しかないだろう。かつてはそうではなかったのかもしれないが、それでもだ。

 

 しばらく進み下への階段を見つけたのだが、何と二つもあった。とりあえず向かって左側を下ると、また下への階段があったので下る。その先には宝箱が一つあるだけでその先には上への階段。階段を上って進んだ先にも上への階段。結局最初の階層まで戻ってくる事になった。

 

「で、またここへ戻ってきた訳ね」

「次は右側でしょうか」

「そちらが当たりだろう」

「だといいんだがなぁ。それにしても、ここの魔物はちと厄介だ。あのこうもりおとこの強化体は呪文を使ってくるわ、おばけキノコの強化体はあまいいきで眠らせてくるわと」

「そうですね。勇者様がご自分で回復出来るから良かったですけど、そうでなかったら……」

 

 ステラがそこで口を閉じた。実は一度魔物の攻撃でステラが眠ってしまったのである。幸い大事はなかったが、いざと言う時の回復役がいなくなると苦しくなったのだ。分かっていた事ではあるしこれまでもそうだったが、やはりステラの存在は大きいのだと改めて実感したものだ。

 

「本当にこうなるとステラの眠り易さは問題ねぇ。いつもちゃんと寝てる?」

「ね、寝てますっ! それにこれはそういう問題じゃないと思いますからぁ!」

「うむ、私もそれには同意見だ。人間、寝たくないのに寝てしまう事はある。私など気が付いたら眠っていた事が多々あるぞ。がははっ!」

「ドルバさんは簡単に寝過ぎなのよっ!」

 

 豪快に笑うドルバ殿へやや怒り気味にフォンが指摘した言葉にステラが苦笑する。私もフォンに同意見ではあるが、そこまで言う事だろうか? あのカタリナの騎士など見かける度に寝ていたような気さえするのだが……。

 

 そこまで考え、私は彼とドルバ殿の違いを思い出して言うべきだと考え直す。彼は不死だった。だから寝ている間に殺されても心が折れてさえいなければ何度も立ち上がる事が出来たのだ。

 

「ドルバ殿、分かっていると思うが眠っていい時といけない時がある。フォンは貴公の事を心配しているのだ」

「うむ、分かっておるよアルス殿。なぁに、私とてフォン殿を義娘として迎えるまでは死ぬ訳にはいかぬ」

「な、何言ってるのよ。べ、別にあたしはマイヤーのお嫁さんになるって決まった訳じゃ」

「マイヤー殿を呼び捨てているのか?」

「っ?!」

「勇者様……」

「ふむ……アルス殿は女子の相手をある意味不得手としているようだな」

 

 私の疑問に真っ赤となってフォンが黙るのを見て、ステラとドルバ殿が似たような表情で私を見つめてきた。

 

 何か問題があったのだろうか? 私には特に分からないのだが、二人の反応を見るに今のは口にしてはいけないものだったのだろうな。

 

 こうして私達は先程と逆の階段を下った先で奇妙な場所を目にした。明らかに何者かの手で整備されたと思われる柱を四本と、その中心に微かな光が帯のように生じている場所があったのだ。

 

「あれは……?」

「分かりませんが、強い魔法力を感じます」

「行ってみる?」

「そうだな。確かめておいた方がいいだろう。アルス殿、構わないか?」

 

 ドルバ殿の確認に頷き、私達は柱の中心を目指して歩き出す。と、そこでステラが何かに気付いて足を止めた。その視線はその場所の周囲を流れる水へと向けられている。

 

「分かりました。この水があの里の池へ沸き出しているんです。この水がこの場所の魔法力を含んで流れているから、あの池の水は魔法力を宿していたんでしょう」

「では、この場所はエルフ達が?」

「かもしれません。もしかすると何百年も前にこの場所を作ったのかも」

「それが魔物が蔓延るようになって忘れられたか、あるいは放置されたってとこか」

 

 フォンの言葉には微かな悲しみが宿っていた。おそらくだがシャンパーニの塔を思い出しているのだろう。あそこも似た理由でカザーブの民からは放置されたのだ。

 

「それにしても、この場所は一体何のために?」

「分かりませんが、きっとここにある地底湖への休憩地だったのでしょう。あの中心は結界が張られているようです。そこで体を休めるためかと」

「では、我らもそうさせてもらおうか。実はあのあまいいきのせいで眠くて仕方ないのだ」

「ホントドルバさんって……」

「フォン、もしかするとそうやって眠れる時に寝ているからドルバ殿は眠りに強いのかもしれない」

「…………否定出来ない」

 

 がっくりと肩を落としてフォンはそう呟いた。それを見てステラが小さく笑い、それに気付かずドルバ殿は意気揚々と歩き出していた。

 

 中心部はステラの言った通り静かであり、不思議と体の疲れなども消えていった。ステラ曰く、強い魔法力で回復魔法に近い効果が出ているのだろうとの事。

 なのでドルバ殿ではないが私達も仮眠を取る事にし、少しの間そこで休息を取った。目を覚ました後、そこの水を少しだけ飲み、私達は先を進む事にした。

 

 洞窟の中はそこまで入り組んでおらず、何度か道を間違える事はあったものの苦戦せず進んでいく事が出来た。やがて、広い湖が見える場所まで辿り着くと、複数の柱の中心にそれまで見てきた宝箱と少しだけ異なる宝箱が置いてあるのが見えた。

 

「……ドルバ殿、あれをどう見る?」

「そうさなぁ……明らかに今まで見てきた物よりも新しい。それに、置かれている場所も妙だ」

「そうね。あそこってもしかして重要な場所なんじゃない?」

「だと思います。弱いですがあの休憩を取った場所と似た空気を感じますし、もしかしたらここは元々エルフにとっての聖域だったのかもしれません」

 

 言われて見ればここも水に囲まれている場所だ。成程、確かにここはエルフにとって何らかの意味を持っているのかもしれない。

 

 魔物に注意しつつ進んで宝箱の前まで到着するも、何故かいつも真っ先に開けるだろうフォンが大人しい。

 

「フォン、どうした? 開けないのか?」

「え? あ、うん。何て言うか、これだけはいつもみたいな感じで開けられないのよね。何て言うの? 勘かな。これ、絶対気楽な気持ちで開けていい物じゃないって思うんだ」

「ふむ、ではこの中身がもしゆめみるルビーであったら、フォン殿の勘は当たると言えるな」

「勇者様、開けてみてください」

 

 ステラに促され、私は宝箱を静かに開ける。鍵などかかっておらず、あっさりと箱は開いた。中からは真っ赤な宝石が現れる。覗き込むと吸い込まれそうな、不思議な力を感じる宝石だ。

 

「……見事なルビーですね」

「うむ、どうやらフォン殿の読みは当たったようだ」

「うわぁ、立派なルビーね、これ。ん? まって。箱の裏側に何か書いてあるわ」

 

 フォンの言葉で皆の視線が箱の裏側へと集中する。そこには、たしかに文字が書かれていた。

 まだ読み書きが完全ではない私のためか、ステラが書かれていた内容を読み上げてくれた。

 

 その内容をまとめると、まずアン殿達はここへやってきたらしい。それは、この世で添い遂げる事が出来ないのならせめて死後の世界で結ばれたいというものだった。

 

「……つまり、二人はここで身を投げた訳か」

 

 ドルバ殿がそう言って地底湖を見つめた。静かなその水面の底には、悲しいエルフと人間の遺体が眠っているのだろうか。

 

「悲しすぎるわよ、こんなの。何で、何で二人が死なないといけないの? 二人はただ、好き合って一緒に居たかっただけじゃないっ!」

「フォンさん……」

「どうするのよ、これ……。あたし達、どう伝えればいいの? あのお爺さんにも、女王様にも、辛い結果しか、話せないじゃない……」

「フォン……」

 

 膝から崩れ落ちるフォンを、私は支えてやる事が出来なかった。どう言葉をかければいいのか。何を彼女が泣いているのか。それが私には正しく理解出来なかったからだ。

 

「アルス殿、今は泣かせてやろう。あの優しい少女は、死した者達の分まで泣いているのだ。本当に、良い娘だ。リンデがマイヤーの事を抜きにしても気に入るはずだ。私も、改めて我が家に欲しくなった」

「ドルバ殿……」

「人は、大抵は自分のために涙を流す。だから人のために泣き、笑い、怒る事が出来る人間は強く優しい。フォン殿は正しく強く優しい心を持っている。私も、ああでありたいものだ」

「……私も、そうなれるでしょうか?」

 

 ドルバ殿の言葉は私には重く響いた。他者のために泣き、笑い、怒る事。私には、ほど遠い感覚だ。そもそも自分のためにさえ涙など出せるのだろうか?

 不死であったからこそ、私は未だ感情というものが希薄だと思う。それ故にステラやフォンに呆れられる事もあるのだろう。

 そんな私が、果たして強く優しい心など持てるのだろうかと、そう思ったのだ。

 

「なれるかは分からぬが、なろうと思い続けていれば近付く事は出来ると私は思うぞ。アルス殿、決して勘違いしてはならぬが、人のために泣き、笑い、怒る事は何も顔や声に出す事だけではない。時には胸の内にそれを秘める事もある。特にそなたは勇者だ。皆が涙し、あるいは激怒していても、それらをまとめ上げ先へ進ませなければならぬ時もあるだろう」

「……心を強く持てと、そういう事だろうか?」

「今はそれでいい。忘れてはならんぞアルス殿。勇者とはどういう意味か。その呼び名に託されたものや込められたものは、いかなるものか。私はそなたならばそれを決して間違わないでくれると信じている」

 

 私の目を真っ直ぐ見据えて告げられた言葉には、思いの外重たいものが込められていた。私がドルバ殿と話している間にステラがフォンに寄り添っていたらしく、振り向いた時にはフォンが目元を拭って立ち上がっていた。

 

「フォン、もう大丈夫なのか?」

「すんっ……うん、大丈夫。ごめんなさい、心配かけて」

「フォン殿、気にする必要はないぞ。女子は少し涙もろいぐらいが丁度いいのだ。がははっ!」

「はいはい、どうせあたしは涙もろいですよ~っだ。勇者もありがとね。そっとしておいてくれて」

「いや、私はドルバ殿に言われた通りにしただけで」

「それでもよ。ステラもありがとね。あのままだったらずっと引きずってたもの」

「いえ、私も同じ気持ちでしたから。女としては、アンさんの嘆きと想いは胸に迫るものがありましたし」

 

 言われて見ればステラの目も少し赤い。おそらくだが二人で涙を見せ合ったのだろう。涙、か。今の私は体がアルス故に涙も流せるだろうが、本来の私では無理だったろうな。

 そんな事を思いながら来た道を戻る。心なしかフォンの動きが行きよりも鋭い。それとステラの行動も幾分早い気がする。

 

「ドルバ殿、フォンとステラの様子が行きと違うような気がするのだが……」

「おそらくだが、アンというエルフの娘に想いを重ねているのだろう。だからこそ、その無念を確実に女王へ伝えなければと、そう思っているからこその現状だ」

「成程」

「ん? 不思議に思わないのか?」

「何をだろう?」

「ステラ殿は何故エルフの娘に感情移入しているのか、だ」

 

 ドルバ殿はどこか楽しそうにそう告げて歩みを早めた。私はそれに置いて行かれぬように足を進める。

 それにしても、ドルバ殿にしては珍しく声が抑えめだ。何かフォンやステラに聞かれて不味い事でもあるのだろうか?

 

「フォンと同じではないのか?」

「がははっ。アルス殿は女心が分からぬようだ。私でも分かるというのにそれが見えぬか。どうやらアルス殿の恋愛方面はかつての私よりも情けないと見える」

「恋愛……」

 

 アルスならともかく私にはたしかに縁のないものだ。色恋、というものはそれだけあの世界では珍しいものであった。

 

「エルフと人間。今回は種族違いの恋だったが、ある意味で身分違いの恋とも言える。エルフの姫と平民の男だからな」

「そうだな」

「ステラ殿は、おそらくそこに気付いて二人へ気持ちを重ねたのだろうなぁ。もしかすると、自分も似た立場になるかもしれないと」

「似た立場?」

「好きな男が最終的には各国の姫をあてがわれるような存在になるやもしれん。そうなれば自分など相手にならないと、そういう事だ」

 

 そこまで言うとドルバ殿は私へ振り向いてこう締め括った。後は私が自分で考えなければいけないと。よく分からなかったが、ドルバ殿の言う事だそうしよう。そう思って頷いておいた。

 そこで隊列を少し乱していると気付いて私は少しだけ後ろへ下がった。すると、フォンが近付いてきたらしく背後に気配を感じた。

 

「勇者、一体何をドルバさんと話していたの?」

「それは……男同士の話だ」

 

 一瞬正直に答えるべきだと思ったのだが、ドルバ殿が声を抑えた事を思い出して誤魔化す事にした。フォンはその答えに少しだけ驚いたが、すぐに苦笑して納得するように頷いてくれた。

 

 何となくだが、その表情は私が隠し事をした事を察した上での笑みだと分かった。これも、きっと成長なのだろうな。そんな事を思いながら私は歩く。背中から小さく聞こえるフォンの抑えたような笑い声を聞きながら……。

 

 

 

「……そうですか。アンがそんな事を……」

 

 洞窟から戻ると既に日が暮れていて、エルフのかくれ里に辿り着いた時にはやや夜になろうとしていた。それでも女王に急ぎで伝える事があると告げ”ゆめみるルビー”を見せたところ、傍付きのエルフ達が慌てて謁見の許可を取りに行き、女王はこちらの渡した”ゆめみるルビー”とステラの伝えたアン殿の遺言を聞いて涙を流した。

 

「女王よ、全ては些細な事で上手く収まったのだと思います。掟は大事でしょうし、守っていかねばならぬ事もあるかと思います。人間の中には確かに邪悪な心を持つ者もいるでしょう。ただ、これだけは言えます。アン殿の相手を見る目は正しかったのだと」

「そう、かもしれません。人間だからと偏見の目で見るのは愚かな事でした。あの子、アンは私よりも王に相応しい器だったのかもしれません」

「あの、女王様。あたし達が言える事じゃないけど、もう少し人間をちゃんと見てください。アンさんが選んだ相手のように、種族に囚われず思い合う事が出来る人もいるんだって。そして、もうこんな悲しい事が起きないようにしてください」

「……約束は出来ません。ですが、今後もしこの里へ人間が来る事があれば、その者を邪険にはしないと約束しましょう。ただ、人間が私達へ危害を加えなければです」

「それで構いません。むしろ、そういう人間がここへ近付かないよう、私達もここの事は口外しないようにします」

「そうしてくれると助かります。では、ノアニールの村へかけた呪いを解きましょう」

「待って欲しい。エルフの女王よ、呪いを解くのは明朝にしてくれまいか? おそらくだが呪いをかけたのは日が昇っている頃だったはず。今解いては村の者達が何かあったと察してしまう。そうすれば、今回の悲劇を話さねばならん。それは、あまりお互いによくない結果へ結びつかないとも言えないのではなかろうか?」

 

 ドルバ殿の言は一理あった。いくら眠らされていただけとはいえ、長い年月を無為に過ごされた事に変わりはないのだ。エルフへの要らぬ悪感情を抱かぬとも言えない。

 女王もそれを察したのか、小さく息を吐いて頷いてくれた。その後、女王は”ゆめみるルビー”を私達へ返そうとしたのだが……

 

―――それはアンさんの遺品って面もあると思うの。だから、お母さんが持っててあげて。

 

 そうフォンが悲しげな笑みで告げると、女王は無言でルビーを抱えて頷いたのだ。こうして女王の前から失礼した私達はあのご老体へと二人の事を話し、呪いを朝に解いてもらう事を告げた。

 ご老体はしばらく黙っていたが、静かに涙を流すと私達へ感謝を告げてきた。その背中が急に小さくなったような気がして、私は思わず明日の朝になったら村まで護衛すると申し出た。

 

「それは助かるのぅ。すまないが、よろしく頼みます」

 

 そう言って頭を下げる姿が、私にはやけに寂しそうに見えた。

 

 翌朝、女王は約束通り呪いを解いてくれ、私達はエルフのかくれ里を後にした。リアラが次はいつ来てくれるのかと聞いてきたので、いつかは分からないとだけ返すとその笑顔が曇った。

 ただ、その後ステラがまた必ず来ると言うと輝くばかりの笑顔へと戻った。里を出て行く私達へいつまでもリアラは手を振ってくれた。振り返すフォンとステラはどこか寂しそうに見える。

 

「ドルバ殿、リアラとの約束は……」

「アルス殿、世の中には誰かのためにつく嘘も必要な時がある。だが、間違えてはいかん。最初から嘘にしようと思う嘘と、結果的に嘘になってしまう嘘がある。ステラ殿のは後者になるかもしれないな」

「……では、私がそれを真とすればいいだけか」

「ほう、アルス殿も少しは女心が、いや人の心が分かるようだ。そう、それでいい。女子の嘘を嘘にしないために男は汗を流すのだ。そして、自分の告げた言葉も嘘にしないようにも、な」

 

 ドルバ殿の言葉は私には難しい事が多い。だが、それを理解しようとすればきっと私も人間らしくなっていけるのだろう。そう思って私は頷いた。

 チラリと振り返ればリアラの姿が小さく見える。なので私も一度だけ手を上げ振り返した。気のせいか、リアラがその瞬間嬉しそうに飛び跳ねてくれた気がする。

 

「勇者、良かったわね。リアラ、凄く嬉しそうにしてたわ」

「そうか」

「ふふっ、もしかしたらあの子、勇者様を好きなのかもしれませんね」

「だとすれば嬉しい事だ。あの子には、人間を嫌いにならないでもらいたい。そして、あの子を人間が傷付けないようにも」

「そうね。とりあえず、今はノアニールの村へ戻りましょ」

「お爺さん、奥様へ今回の事はどうお伝えするのですか?」

「……黙っていようと思う。わしがこうして老いてしまった事で、あいつもどこか悟るかもしれんがの」

 

 ご老体の声には小さな諦めが宿っていた。私も内心で同意したのだ。女性は他者の心を読む事や察する力に長けていると。

 

 ステラやフォンが何も言わない事がそれを裏付けているように思える。ドルバ殿も無言で頷いていた。どうやら私の感じた事は間違っていないらしい。

 森を進み、途中で出現する魔物達を撃退しながら歩いているとやがて森を抜けた。久しぶりの平原はとても解放感があり、そして同時に警戒心を持たねばならないと思い出させてくれる。

 森の中では木の葉や樹木などが音を鳴らして魔物達の接近などを教えてくれていたのだ。だが、平原にはそれがない。そう思うと、見通しがよく障害物がないのも考え物かもしれない。

 

 ただ、森の中での戦いや洞窟での戦いなどを経験したからか、ドルバ殿以外の強さが上がっているように感じられた。レベルアップをしたのだろう。

 と、そこで思い出した。あの村には教会がなかった事を。もしかして、それもエルフのかくれ里が近くにある影響なのだろうか。あの村では、教会が必要とされない理由があるのかもしれない。

 

「ご老体、少しいいだろうか?」

「何かな?」

「その、村には教会がなかったが、それには理由があるのだろうか?」

「ああ、その事か……ふむ」

 

 何故かご老体は私達を見つめ、やがて目を一瞬閉じたかと思うと息を吐いてこう告げた。

 

「息子の事もある。あんた達は信じるに値すると思って話そう。実はの、昔から村にはエルフの里の事が知られておった」

「そっか。考えてみれば、あの狩人のお爺さんも知ってたもんね。それに、あまり驚いてもいなかったし」

「では、村では神を信じる事はなかった?」

「少し違うの。村では教会を必要とする事がなかったんじゃ。神を信じていないのではなく、十字架に祈る事を必要としなかった。わしらの村では神とは女神であり、それも森の中にいると言われていての。おそらく、古にわしらの先祖が森の中でエルフを見たのじゃろう。それを神と勘違いしたんじゃろうて」

 

 ご老体の話は納得出来るものだった。確かにあの成人したエルフの姿は、何も知らずに見たら女神と思ってもおかしくない。

 彼らの中では祈るべき神は森の中に住まうエルフであり、教会にある十字架ではなかった。だから教会が根付かなかった。彼らにとって教会はむしろ異端であり、自分達と他の者達が祈るべきものが明確に異なるという証明でしかなかったのだろう。

 

 ただ、ご老体曰く教会の関係者達へは正直に話すのではなく、教会建設のための土地がない事やそのための人手も割けないという理由で断ったと教えてくれた。

 教会を敵に回すのは色々な意味で禍根を残すと思ったのだろう。ステラは複雑な表情をしていたが、教会の元々の意義は人々の心の安寧を保つ事だと言って村の人々の考えを受け入れていた。

 

「土着の信仰と言う訳だな。ふむ、話に聞いた事はあったが本当にあるのだなぁ」

「あたしはそういうのあまり詳しくないけど、ステラは何か知ってる?」

「私もそこまでは。ただ、世界には独特の信仰を持つ場所があるとは聞いた事が」

「僧侶のお嬢さんや。あんたに言っても仕方ないとは思う。ただな、教会だけが神の教えとは思わんでくれ。みな、それぞれの中に信じる神がある。古くには邪神を崇めた者達もいたと言うし、異形の者を神とした者達もいたと聞く。だが、それもその者達には神の教えだったのじゃ」

「……間違っていると、そう正すだけではダメ。そう言いたいのですね?」

「そうしてくれると助かると言う事じゃ。その者達が何故その教えに走ったか。どうしてそんな教えが根付いたか。それを知った上で間違っているのなら正してやればいい。お嬢さんなら、それが出来るとわしは思うよ」

「そう、ですか。ありがとうございます」

 

 どこか嬉しそうな顔でステラは微笑む。私はそれを見て視線を前へ戻した。もう村は目の前に迫って来ていた……。

 

 

 

 村へ到着した私達はご老体を家まで送り届けた。するとこれまでの疲れからかご老体はすぐにベッドへと入って眠ってしまったのだ。

 ただ、奥方には感謝を告げられた。だがそこで、また胸の苦しくなる言葉を聞く事になった。

 

―――あたしの息子はエルフの娘と駆け落ちしちゃったんだよ。二人が愛し合ってるなら認めてあげようと、うちの人が探しに行ったけどみつからなくて。おかげでうちの人も随分フケちゃったよ。

 

 あのご老体がエルフのかくれ里へ向かった最初の理由が分かったのだ。そして、もっとも私達の心に残る言葉はこの後だった。

 奥方はご老体をチラリと見やってどこか苦笑すると、こちらへ向き直って困ったような笑顔でこう締め括ったのだ。

 

―――あんた、どこかでうちの息子に会ったら伝えておくれ。二人一緒に帰っておいでって。

 

 その言葉を聞いた瞬間、私は即座に頷いて奥方へ背を向けてその場を後にした。

 

 家を出るとフォンがステラへ抱き着いた。その肩が震えていたのできっと泣いているのだろう。ドルバ殿も空を見上げて動かなくなっていた。私でさえも、何とも言えぬ気持ちで言葉がない。

 

 あったのだ。あの二人が幸せに暮らせる場所が、迎え入れてくれる場所が。ああ、あのご老体の言った通りだ。

 もっと早く二人を受け入れてやれば、少なくても誰も訪れる事のない地底湖に若い男女が身を投げる必要などなくなったのに、と。

 

 そう思った瞬間、私の頬を何かが伝った。触ってみれば、それは熱く指を濡らした。

 

「……これが、涙か」

 

 小さく呟く。私は、今、何に泣いているのだろうか? 死した二人にだろうか。それとも何も知らず二人の帰りを待ち続ける事になる奥方にだろうか。あるいは、全てを知った上でそれを胸に秘め続けるご老体にだろうか。

 

 いや、きっと私が涙しているのはこの世の不条理にだろう。ほんの些細な事で得られたかもしれない幸福があったのだ。もしかすれば、アン殿がエルフと人間の新しい時代を切り開いたかもしれない。

 

 人とエルフ。異なる種族がその手を取り合って微笑み合うような、そんな時代を……。




きっとノアニールのイベントにこんな背景はないと思います。ただ、色々と考えた結果自分はこうだったんじゃないかと思いました。


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忍び寄る謎

ほしふるうでわ

身に着けた者は恐ろしい程の身軽さを手に入れると言われている腕輪。
名の由来は星が降る。つまり流星である。流星のような速度になれるという事だろう。
どんな装備をしていてもすばやさが上昇するため、この腕輪に何らかの魔法が込められていると思われる。

だが一説には、そもそもこの腕輪自体の材質に秘密があるのではないかと言われている。
金属で出来ているはずなのに身に着けた時に重量を感じない事がその理由らしい。

もしかすると、星降るとは身に着けた際の状態を意味するのではなく……?


 ノアニールからロマリアを経由し、魔法の鍵を求めてピラミッドと呼ばれる場所へ向かった私達はアッサラームと呼ばれる街に到着していた。

 ここに来るまでで大分疲弊したが、不思議と足を止める事はなかった。

 誰も何も言わなかったが、やはりノアニールやエルフの隠れ里での出来事が根底にあるのだと思う。

 不死であった私でさえ、心に感じるものがあったのだ。フォンやステラは言うまでもなく、ドルバ殿までもロマリアで自宅へ戻った際にリンデ殿やマイヤー殿と無言で抱き合ったそうだ。

 これはフォンから聞いたのだが、ドルバ殿はフォンへ本当に嫁としてジーク家へきてくれないかと頼んだらしい。

 

――正直頷きそうになったけど、魔王退治なんて目指してるでしょ? だから無事に旅から戻ってきてからにしてもらったわ。

 

 そう私やステラへ気恥ずかしそうに教えてくれたフォンは、どこか覚悟を決めた顔をしていた。

 ステラもそんなフォンに思う事があったらしく、その日の夜はジーク邸の客間一部屋を二人で使い、夜遅くまで話し合っていたようだった。

 私は一人で寝ようとしていたのだが、マイヤー殿が訪ねてきてフォンの事を尋ねられた。

 

――もし良ければ、フォンさんの事をアルス殿が知る限りでいいので教えていただけませんか?

 

 結果深夜遅くまでフォンとの思い出を語り、それを聞いたマイヤー殿は最後には何か理解したように頷き感謝の言葉と共に客間を後にしていったのだ。

 

「アルス、何ぼけっとしてるのよ?」

 

 後ろから聞こえた声に振り向けば、そこにはフォンとステラの姿があった。

 私の呼び方だが勇者では色々と面倒事が起きかねないと思って変えてもらったのだ。

 ただ、何故かステラが若干困った顔をしていたのが理解出来なかったが。

 

「すまない。少し考え事をしていた」

「まったく、アルスのためにご飯食べがてら情報収集に行くんだからね? ドルバさんはもう先に宿の前で待ってるんだから」

「そうか。すぐに行く」

 

 新調した装備である”はがねのつるぎ”を腰に差して部屋を出ようと歩き出す。

 ステラとフォンが先にドアを開けて外に出て私もその後に続く。

 

「アルス様、体の方はどうですか? 少しは疲れが取れました?」

 

 こちらの顔を見ながらステラが優しく問いかけてくる。その笑顔には以前まではなかった恥じらいのようなものが滲んでいる気がする。

 

「ああ、少し仮眠を取れたおかげだ」

「ほんっとにきつかったわよね、ここまで来るの」

「ドルバさんもヘトヘトになっていましたからね」

 

 苦笑する二人だが私は笑えない。というのも道中で一度だけ遭遇した魔物が異様に強かったのだ。

 ドルバ殿も初めて見ると言ったその魔物は、見た目だけならさまようよろいに近いものがあった。ただ、形状がさまようよろいよりも大きく、戦士が着るような鎧だった。

 色合いは黒で呪文を使うその魔物は、たった一体にも関わらず私達をあわや全滅寸前にまで追い込んだのだから。

 そしてその魔物を辛うじて倒した際、私は微かに感じたのだ。二度と感じる事がないと思っていたはずの感覚を。

 

 そう、ソウルが流れ込んでくる感覚を。

 

「ドルバさん、お待たせ」

「ん? いやいやそう待ってはおらぬぞ。さて、ならば早速酒場へ行くとしようか」

 

 ドルバ殿を先頭に私達はアッサラームの街を歩く。時刻は夕刻を過ぎたにも関わらず、ここは活気に溢れている。

 だが、それはロマリアの時とは異なる類の活気だ。どこか怪しい雰囲気がある。

 心なしか露出の多い服装の女性が道行く男へ声をかけているのが目に入る。その内の何人かは女に案内されるままどこかへと消えていく。

 

「アルス、どうしたの?」

「いや、あまり良くない類と思う光景を何度か見るのだ。露出の多い服装の女性が男へ声をかけている、そんなものを」

「あ、アルス様、それは予想通りですのであまり気にしないでくださいっ!」

 

 妙に焦ったような声を出すステラにフォンが小首を傾げる。どうやらフォンも知らないらしい。

 ただドルバ殿が小さく苦笑しているのでドルバ殿は知っているようだ。

 

「ステラ、あれ、一体どういう事なの?」

「ふぉ、フォンさんには宿に戻った時に教えます」

「ではアルス殿には私から話しておくか。がははっ!」

「ドルバさんっ!?」

 

 慌てるステラと笑うドルバ殿。そして私とフォンは揃って首を傾げるしかない。

 ただ、二人で確実に良くない事だとは察しをつけてこれ以上この事を追及しないようにした。

 酒場に到着すると、私達は適当に料理と飲み物を注文してまずは無事にここまでこれた事を喜び合った。

 ここから先は砂漠となり、その道中は険しいものとなる事が容易に予想が出来る。

 目的地であるピラミッドまでは何日かかるか分からないため、まずはオアシスと呼ばれる場所を目指す事となっていた。

 

「それで、まず明日だがこの街で準備を整える。水や食料、更に移動手段か」

「移動手段?」

 

 てっきり徒歩で行くものだと思っていたが違うのだろうか?

 

「ラクダを使おうと思っている。まぁ、幾分Gは必要だが歩きよりは疲労も抑えられる」

「どんなもの?」

「街の入口にいただろう? 背中に大きなこぶのようなものがあった生き物だ」

「あれがラクダ?」

「の、乗れるのでしょうか?」

「聞けば二人で乗れるそうだ。なので私とフォン殿。アルス殿とステラ殿でどうだろう?」

 

 馬に近いのならば私にも乗れるだろう。騎士であるドルバ殿もきっとそう考えての提案のはずだ。

 フォンは迷う事なく頷き、ステラはやや迷いながらも頷いた。どうやら問題はないようだ。

 後はどれだけかかるかだ。当然資金には限りがある。今後の事を考えるとあまり大盤振る舞いは出来ない。

 ただそれはドルバ殿も重々承知しているはずなので不安はないが、未知なる乗り物を借りるのだ。それがどれだけ費用が必要かは読めないだろう。

 そこから私達は運ばれてきた飲み物や料理を食べながら話し合いを続けた。

 だが、やはり話題は否応なくあの黒色の鎧の魔物へと移っていく。

 フォンの打撃もドルバ殿の剣技も平然と受けていたあの魔物。

 倒した際に何故かソウルと思わしきものを残して消えた事も含め、私は嫌な予感がしていたのだ。

 

「あれは、一体何だったのでしょうか?」

「分からぬ。ただ、異様なまでの威圧感と強さだった。一体だったから何とか倒せたが、あれが複数いたのなら逃げの一手しかあるまいな」

「あたしの一撃を受けて平然としてた。あと、何となくだけどあいつからは不気味なものを感じたわ」

「魔法も操っていましたし、かなり高位の魔物かもしれません。ただ、あんな魔物が出没しているのなら噂にならないはずがないと思うのですが……」

 

 ステラの言う事はもっともだ。ただ、私にはそうならない可能性に心当たりがある。

 

「ステラ、それはあれと遭遇し生き残った者がいれば、だと思う」

「……そういう事ですか。ないとは言えないのが辛いです」

 

 死人に口なし。生き残った者がいなければあの魔物の存在を教える者はいない。

 

「いや、そうとも言えないかもしれぬ」

 

 が、そこでドルバ殿が神妙な表情で髭を触りながら告げた。

 誰もがその言葉の続きをと視線で求める。

 

「もし、あの魔物がこの辺りに出没しているとすれば、だ。これまでそれなりの犠牲が出ているはずだ。そうなればその犠牲者達の遺族や関係者達が騒ぎ出すだろう。だが、そんな事は起きてないだろうな」

「……そっか。街の雰囲気」

 

 フォンの指摘にドルバ殿が無言で頷いた。街は活気に満ち、恐ろしい魔物が出没しているとは思えない程だ。

 成程。あの魔物があの一体だけにしても、あれだけの強さだ。不安に思わぬ者が皆無と言うのもおかしな話か。

 

「では、ドルバ殿はあれをどう思う?」

 

 私だけでなく全員の聞きたい事を代弁すると、ドルバ殿は深くため息を吐いた。

 

「……考えたくはないが、魔王が直接送り込んできたのかもしれぬ。覚えているか? あの魔物が現れた時の事を」

「え、ええ。何もない平原で突然背後から大きな音がしたと思って振り向いたら」

「あいつがいた。そっか。あいつ、突然現れたんだ」

「うむ。奇襲と言えば奇襲だが、これまでと違って不意打ちの類ではないだろう。おそらく、ルーラに近しい呪文で現れたのだろうな」

 

 思わず息を呑んだ。そんな事が出来る存在がいるとすれば、間違いなく魔王と呼ばれる存在だろう。

 だが、何故急に? 魔王が我々を脅威に思うはずなどないのだが……。

 

「もしかして、あの一件で魔王にアルス様の事が気付かれてしまったのでしょうか?」

 

 そこへ聞こえたステラの発言に私は耳を疑った。

 一体何があったと言うのだ?

 

「可能性はある。正確にはアルス殿の事に気付いたのではなく、エルフの呪いを解いた事で興味を惹いたのだろうな」

「ノアニールの一件、ね。考えてみれば魔王がエルフを警戒してないはずないか」

 

 それで納得が出来た。つまり、私達がノアニール村とエルフの隠れ里の揉め事を何とか解決した事で魔王がその結果起きた魔力の流れの変化などを感じ取って、そこで私達の事を見つけたのだろうな。

 では、今後も似たような事が起きる可能性があると、そういう事か。魔王はもしかすると人間の事を警戒し始めているのかもしれない。

 いや、とうに警戒はしているのだろう。魔王と呼ばれてはいるが、王と呼ばれるから他者の強さに意識を向けないなど有り得ない。

 むしろ余計意識を向け、危険な芽は摘んでいるはずだ。聞けばオルテガ殿は魔王の喉元と呼べる場所まで到着していたという。ならば、それを知った魔王が人間への警戒心を弱めるはずがない。

 

「今後は文字通り奇襲してくる手強い魔物に注意する必要がある。そういう事だろうか?」

「可能性はある、と思っておくべきだろうなぁ。今回撃退した事でどうなるか、次第かもしれん」

 

 手にした杯を一気に呷り、ドルバ殿の酒がなくなったらしい。空になった杯を静かに置くと手を上げたのだ。

 会話の終わりではないが話題を変えるには丁度いいか。

 

「それにしても、ここは色々と変わっているな」

 

 言いながら私は視線を酒場の奥にあるステージへと向けた。そこでは大胆な格好をした女性達が中々扇情的な動きで踊っている。

 それを眺める男達が一様に彼女達へ熱狂的な声をかけていた。ここからは見えないがおそらく邪な視線を送っている事だろう。

 

「踊り子の方達は凄いですね。あんな言葉をかけられても嫌がるのではなく笑みを返すなんて……」

「間違いなく割り切ってるんでしょ。お金を落とす相手がいるから自分達が生きていけるって分かってんのよ」

 

 ステラの言葉とフォンの言葉は同じ女性としてのものなのだろうか。いや、人としてのものかもしれない。

 それにしても踊り子、か。私にはよく分からないがあれがどれだけ大変な事かは分かる。複数いるのに動きが揃っているのだ。きっと日々訓練を欠かさず行っているのだろうな。

 そう思いながら踊り子達を見ていると横から視線を感じた。

 

「あ、アルス様、あまりジロジロ見てはいけません」

「そうか。たしかにそうかもしれないな。彼女達も自分に興味のない男に見られるのは気分良くないだろう」

 

 熱狂的に見ている男達は間違いなく彼女達へ強い興味を抱いている。対して私はその踊りにしか興味が無い。

 視線をステージから前にいたドルバ殿へ戻すと何故か笑われた。何かおかしな事でもあっただろうかと後ろを振り返るもただ壁があるのみだ。

 

「アルス殿はその歳にしては異性に興味が無さ過ぎるな。悪い事ではないが良い事とも言えんぞ?」

「異性に興味? いや、ない訳ではないが……」

 

 ステラやフォンへの興味はある。そう思っての言葉だったのだが、何故かドルバ殿がより笑い、フォンが呆れ、ステラが苦笑した。

 

「アルスって、ホント分からないわよね。正直さ、ああいう格好の綺麗な女がいたらもっと反応があるでしょ?」

「反応? したと思うが?」

「あ、アルス様……」

「あ~あ、これは苦労するわね、ス・テ・ラ?」

「っ!? ふぉ、フォンさんっ!」

 

 私を話題にしながら何故かフォンとステラが盛り上がり始める。ドルバ殿はそんな二人を微笑ましそうに眺めて酒を飲む。

 そんな光景を眺め、私は息を吐いて手にしたコップに口を付ける。微かな酸味と甘みが口の中に広がり、何かが弾けるような感覚と共に気分をさわやかにしてくれるそれは、たしかレモネードと言ったか。好きな味だ。

 

「好きな味、か……」

 

 誰に聞かれないよう小さく呟く。気付けば好みの味というものが出来ていた。食べる事の素晴らしさと喜び。それらを当たり前のように受け止めるようになっている自分に少し驚く。

 何というのだろうな。これがきっと人間らしさと呼ばれるものなのだろう。そんな私の目の前には、大切な三人の人物がいる。

 からかうような声と表情で話すフォン。顔を赤くしながらもどこか楽しそうなステラ。そんな二人を眺めて杯をゆっくりと傾けるドルバ殿。誰も失いたくない良い人物達だ。

 そしてそんな三人を見ている私、か。何というか、奇妙な感じだ。目の前の三人と私では住む世界が違うのに、こうして同じ場所で過ごしているのが何とも不思議でしかない。

 

「ねっアルス、正直ステラの事どう思ってる?」

「フォンさんっ!」

「ステラ? 優しく立派な神官だと思うが?」

「がははっ! アルス殿、そこは嘘でも愛らしい女性だと言っておくものだ」

「ドルバさんっ!」

「愛らしい……。それは、美しいと同じ意味だろうか?」

「似てるけど違うわ。でも、そう言うって事は……?」

「ステラ殿を美しいとは思っているのか。ふむ、アルス殿はどうやら浮気性ではないようだ」

「浮気……?」

「あ、アルス様! そ、そろそろ宿へ戻りませんか! ここでの情報収集はドルバさん達に任せましょうっ!」

 

 顔を真っ赤にしたステラの言葉にドルバ殿とフォンが苦笑しながら頷いたので、ならばと私はステラと二人で宿へ戻る事にした。

 ただ、その道中ステラはどこか上機嫌だった。酒を飲んでいないのに飲んだ時のような感じで鼻歌まで歌っていたのだ。足取りまで軽いので、一瞬私の知らぬ間に酒を飲んだのかとも思ったが、どうやらそうではないらしい。

 ふと見上げれば星が綺麗に見える。思えばあの世界ではこんな光景もなかった。いや、今更か。ここでは風も木々も人々さえも生命の息吹に溢れているのだから。

 

「あの、アルス様」

 

 夜風を浴びていた私の視界へステラが顔を出してきた。何だろうか。宿はすぐ目の前で何も問題になりそうな事はなかったと思うのだが。

 

「どうかしたか?」

「え、えっと、ですね? 私の事を、その……」

 

 妙に歯切れの悪いステラに首を傾げる。ステラの事で聞きづらい事、か。何かあっただろうか?

 

「う、美しいって、そう思っているんですか?」

 

 その問いかけで理解した。ステラは私に褒められたいのだと。

 

「そうだな。ステラは美しいと思う。あの踊り子達もそうだったが、ステラも負けていない」

 

 本心を述べるとステラが慌てて顔を背けた。だが耳が赤くなっているのが分かる。恥じらいを感じているのだろうか? だとすれば、褒められる事に不慣れなのだろうか?

 考えてみれば私はまだステラの事を何も知らないに近いな。丁度いい機会かもしれない。おそらくだがドルバ殿とフォンはまだ戻ってこないだろうし、文字の読み書きのついでにステラの事も教えてもらうか。

 

「ステラ、少しいいか?」

「ひゃい!?」

「? 今夜は久しぶりに文字の読み書きを教えてもらえるのだろう? もし良ければその後にステラの事を教えてもらえないだろうか」

「わ、私の事、ですか?」

「ああ。ふと思ったのだ。私はまだステラの事を何も知らないに近いと。ダメだろうか?」

 

 私がそう問いかけるとステラはまた顔を背けてしまった。それでも感じられる雰囲気からは負の気配がない。

 その感覚は間違っていなかったようで、ステラは顔を背けたまま歩き出して宿の入口手前で足を止めるとこちらへ振り返って笑みを見せてくれたのだ。

 

「なら、少しでも時間を有効に使わないといけませんね、アルス様」

 

 

 

 何て空虚な目をしているのだろう。それが私が初めて勇者様、アルス様を見た時に抱いた感想だった。

 魔物と戦った事で汚れただろう布の服に皮の盾とこんぼうを携え、どう見ても勇者なんて呼び名とは似つかわしくない印象を与えてアルス様はルイーダの酒場へ姿を見せた。

 そこにいた全ての冒険者達へ自分の目指す目標と信念を述べ、仲間を求めた姿に私は心を打たれた事を今でも思い出せる。

 大人であっても中々言える事ではない内容に、最初はアルス様を子ども扱いしていた冒険者達も押し黙ってしまうぐらいだった。

 

「これで合っているだろうか?」

「見せていただけますか?」

 

 宿の受付近くにあるちょっとした休憩所。そこに私とアルス様は隣り合って座っている。テーブルの上にはロマリアで買った世界創造の説話本などの勉強セットが並んでいる。

 アルス様の事は、私もよく分からない。出会った時から今まででこの世界を魔王から守りたいと思っている事は間違いないと確信が持てる。

 だけど、何というか悪人を人と思わず魔物と同等かそれ以下と考えている節がある気がする。あのカンダタ達への対処はまさしくそれだった。殺す事を躊躇う事なく出来る事。それが私には信じられなかった。

 あの時、心なしかフォンさんだけでなくアンナさんも息を呑んでいた気がする。

 そして、あのロマリアでの会話。悪事へ手を染めた人間は魔物と同等かそれよりも性質が悪いという考え。あれを聞いた時、私は思わず息を呑んだ。

 納得したからではない。理解出来たからでもない。アルス様の中では、人間の中に分類があると言う事が衝撃的だったからだ。

 悪事に手を染めた者でも、改心し過去を悔やんで償おうとするなら許しを与えられる。それが教会の教えであり考えだった。アルス様はそれを否定していた。いや、そもそもそんな考え自体なかったのかもしれない。

 人に更生するという発想自体がない。あの懺悔室で私はそう感じ取った。

 

「……はい、大丈夫です」

「そうか。なら次を頼めるだろうか」

「分かりました」

 

 私の話す言葉を書き出し始めるアルス様。こうしていると本当に歳相応の少年にしか見えない。

 だけど、私は知っている。この少年には勇者と呼ばれた父親に負けない程の強く立派な志がある事を。

 先程の悪人に対しての非情とも思える考えも、それだけ悪を許せないという正義感の表れと言えなくもない。

 何より、何より転んで魔物に殺されそうだった私を、武器さえ投げ捨てても助け守ろうとしてくれた人を、私は恐ろしいと思いたくないから。

 

「この世界を作った神は、女性だったのか」

「そう言われています。神父様が仰っていたのは、子を産む事が出来るのが女性なので、神様達も女神様が世界を生み出せるのではないかと」

「……成程な」

 

 まただ。時折アルス様は遠い目をする時がある。何かを思い出しているような、そんな目を。

 きっと何かを抱えている。それは私にも分かる。でも、それを聞き出すのは憚られた。

 きっとそれは……。

 

「アルス様、勉強の続きをしましょうか?」

「そう、しよう。ステラの事も教えてもらいたいからな」

 

 年下のはずなのに年上のような頼もしさを感じさせる、そんな少年を私が特別視し始めているからだと思う……。

 

 

 照り付ける太陽。その熱さに私は初めて太陽を恨んだ。あの世界であれば有り得ない気持ちだが、こちらでは珍しい事ではないらしい。

 と言うのも、後ろに乗っているステラからも小声で呪詛のように日の光への恨み言が聞こえてくるからだ。

 

「何でこんなに熱いんですか……っ。どうしてこういう時に限って雲一つないんですか、神よ」

「ステラ、あまり喋らない方がいい。喉が渇いてしまうぞ」

 

 聞こえた言葉には全面的に同意だが、出発前にドルバ殿から聞いた助言を思い出して忠告しておく。

 目指すオアシスはそこまで遠くないらしいが、あくまでそれは正しい方向へ歩いていればこそ。砂漠には目印になるものがないため、油断すると簡単に迷ってしまう。

 そして、一度迷えば待っている結末は一つだけ。砂漠にも魔物は出るらしいが、今の所は見ていない。ただ、時間の問題だろうとは思う。

 視線を動かせばドルバ殿とフォンの乗るラクダが少し先を歩いている。その背中を見失わないように意識を集中し私は手綱を握る。

 

「っ!?」

「キャッ!」

 

 視界の隅に見えたものに私はやや強引に手綱を引いてラクダの動きを止めると急いで飛び降りる。すかさず剣を引き抜きながら砂に足を取られないように気を付けつつ、私はこちらに気付いて動きを止めたドルバ殿達へ短く告げた。

 

「魔物だっ!」

 

 向かう先に見える緑色をした魔物達へ、私は先んじて攻撃を加えた。

 鋼で作られた剣の威力はやはり素晴らしい。硬そうな見た目の魔物だが、何とかその鋏を切り落とせたのだ。

 

「じごくのハサミだっ! 守備力を上げる呪文を使うらしいっ!」

 

 ドルバ殿の助言に頷き、私はその場からローリングで魔物の反撃を回避する。片方の鋏を失ったからか、その攻撃には明確な殺意を感じる。

 もう一匹は何やら動く事無くじっとしているため、おそらく呪文を使おうとしているのだろうと読んだ。

 

「フォンっ!」

「分かってるっ!」

 

 私が目の前のじごくのハサミを睨みながら片手でもう一匹を示すと、おそらく走り込んできたのだろうフォンがその勢いのまま宙を舞い、残る一匹へ襲い掛かった。

 その飛び蹴りは見事にじごくのハサミを捉え、おそらく呪文を中断させたのだろう。何故ならその口からは泡が出ていたのだ。

 これならば向こうはフォンに任せていいだろう。私は目前の、目がどこか血走った方へと集中しよう。

 

「アルス殿っ! 手を貸そうっ!」

「助かるっ!」

 

 ドルバ殿が現れた事で相手の注意が私から一瞬逸れた。そこを逃さず剣で一閃、残った鋏も切り落とした。これで攻撃能力を大きく失ったじごくのハサミは急激に殺意を失って、この場から逃げ出そうとしたのだが、そうはさせじと私はGを投擲する。

 その攻撃でじごくのハサミの動きが鈍り、すかさずドルバ殿が飛びかかるように剣で串刺しにした。あれは、私では無理だろうな。あの体を貫くには体重や重量が足りない。

 

「ならば残るは……」

 

 フォンが相手にしているじごくのハサミへ視線を向ければ、既に決着はつきそうだった。

 フォンの動きが異様に速い事から私は視線を後ろへ動かす。そこにはステラが立っていて、その手をフォンへ向けて目を閉じているのでおそらく補助呪文を使っているのだろう。

 

「終わりだな」

 

 ふと聞こえた声に視線を戻せば、フォンの爪がじごくのハサミの体を貫いていた。瞬間その体が消え、砂の上にGが残る。

 

「……先制出来たから楽だったが、奇襲されていればどうなっただろうか」

「苦戦は免れなかっただろうなぁ。アルス殿が気付かねば痛手を負っていた事は間違いないだろう」

「そうか……」

 

 剣を鞘へ納め、私はGを拾うフォンの傍へと向かいそれを手伝う。ドルバ殿やステラも参加し、私達は再びラクダに乗って移動を再開した。

 何度かの魔物との戦いを経ながら移動していると、やがて日が落ち始める。それと共にそれまでの熱さが嘘のように失せていき、夜になった瞬間に今度は恐ろしい程寒くなった。この寒暖差は異常だ。

 これが砂漠の環境かと、そう思って私はたき火を眺める。おかしなものだ。日中は熱を嫌い、夜は熱を求めるとはな。

 

「う~っ、何なのよこの違いは。昼間は灼熱、夜間は極寒。ホントに最悪な場所だわ」

 

 ラクダにもたれかかりたき火に手をかざしてフォンがぼやく。ちなみに火は私の魔法で起こした。

 ステラはその隣に座り同じように手を火へかざしている。ドルバ殿は干し肉をたき火で炙っていた。

 正直漂う匂いに腹から音が鳴り始める。と、それを聞いたからかドルバ殿が苦笑した。仕方ないではないか。生きているとは腹が空く事なのだ。

 

「アルス殿、もうしばらく待ってくれ。まずは女性が先だ」

「分かっている。ただ、こればかりは私の意思で何とか出来る事ではないのだ」

「がははっ、そうさな。さて、そろそろいいか。フォン殿、ステラ殿、熱いから気を付けて食べてくれ」

「「ありがとう(ございます)」」

 

 差し出された炙り干し肉を受け取り二人は笑みを見せた。ただの干し肉もこの寒さの中で炙れば嬉しくなるだろう。

 見上げる星空は心なしかアッサラームで見た時よりも綺麗に見える。それにしても、日中戦った魔物の中にいたあの不気味な人型の相手は何だったのか。

 包帯を全身に巻いていた人型の魔物。言葉を使う事はなく、ただただ不気味な呻きを上げるのみだったが……と、そこで目の前へ差し出される良い匂いを放つ干し肉。

 

「アルス殿、こちらもいただくとしようか」

「ドルバ殿に感謝を」

 

 今は難しい事を考えるよりも先に冷めない内に炙り干し肉を食べるとしよう。考え事はいつでも出来るが、炙った干し肉は今でなければ冷めてしまって美味しさを落としてしまうからな。

 そうやってしばらく私は食事に夢中となった。その間にもフォンとステラが中心となって会話を繰り広げていた。

 内容はやはり熱さなどの環境話に終始した。聞いている私としても同意しか出来ないもので、干し肉を咀嚼しながら何度も頷いた。

 だが、どうやら私よりも女性の二人の方が不満などが多いらしく、特に汗を掻く事が嫌らしい。ステラは初めて僧侶としての格好を心の底から恨んだそうだ。

 フォンはまだ幾分マシだったらしいが、それでも汗で服が張り付くのが気持ち悪かったそうで、可能なら裸で戦いたいぐらいだったと言うぐらいだった。

 私も不快感を感じはしたが、あの程度はあの世界で経験した様々な事に比べればマシと思えたためにそこまで気にはしなかったが、やはり普通は違うのだろうな。

 

「ドルバ殿はどうだった?」

「ん? いや、それがなぁ……」

 

 そこでドルバ殿が自身の過去を話してくれた。それはドルバ殿が騎士となって間もない頃の事。

 まだまだ未熟なドルバ殿は、せめて剣の腕だけでもと日々鍛錬に励んでいたらしく、汗を掻いて服などが張り付くなど日常茶飯事だった事があったらしい。

 故に今日はその頃を思い出して懐かしかったそうだ。何というか、やはり物事と言うのは人によって感じ方も思う事も異なるのだなと改めて思い知った。

 

「とにかく早くイシス、だっけ。そこへ行きたいわ」

「そうですね。私も水浴びがしたいです」

「水浴びと言えば、アッサラームの宿は風呂が男女共有だったな。いやぁ、あれにはまいったまいった」

 

 その話題になった瞬間、ステラとフォンが顔を真っ赤になった。そう、そうなのだ。故にかなり遅い時間まで二人は汗を流す事が出来ず、しかも私とドルバ殿で周囲を見張る形での入浴となった。

 夜も深い時間に男二人で浴室前に立っているのは中々滑稽だったと思うが、あの街はどうしてもいかがわしい雰囲気があったために私もステラ達のためにと頼みを引き受けたのだ。

 ただ、宿の主人からはそこまでして湯浴みをした女性は珍しいと苦笑されてしまったが。

 

「私やアルス殿は平気だったが、さすがに女性二人は見られて構わぬとはならんし、フォン殿とステラ殿は見目麗しい乙女故にどうしても、なぁ」

「さ、さすがにあたしも……」

「同性ならばまだしも異性には……」

 

 口ごもる二人だが無理もないだろう。いくら私とドルバ殿がバスタオルである程度隠していたとはいえ、それで完全に浴室全てを隠せた訳ではない。二人の体が完全に見える事はなかっただろうが、まったく見えなかった訳でもなかっただろうからな。

 

「こんな事ならあの踊り子のような格好を手に入れておくべきだったか」

「「……え?」」

「アルス殿は中々凄い事を言うのだなぁ。がははっ! いやぁ、これは凄い」

「? 何か間違っているだろうか? あれならば肌に張り付く事はないだろう?」

 

 あれを着た上で今着ている日よけを兼ねた外套を羽織れば、今よりは嫌悪感はかなり軽減できると思うのだが?

 

「あー、うん。アルスはそういえば下心とかなしでこういう事言う奴だったわ」

「そうですね。何というか、だからこそある意味困ってしまうんですが……」

 

 苦い顔をするフォンとステラに私は自分が失言の類をしたのだと理解した。

 と、そう思ったのだが、すぐに二人は笑みを浮かべたのだ。

 

「まぁ、たしかにあれなら動き易いだろうし、下着姿で戦うよりはマシか」

「ですね。ただ、あれで街を歩くのは遠慮したいですけど」

「それは……うん」

「アッサラームならばまだ良いが、他の街では……なぁ」

「そういえば踊り子など他の街では見なかったな。となると、あの格好は高いか。買うとしても一着が限度かもしれないな」

 

 その瞬間、三人が揃って目を点にしたかと思うと同時に笑い出した。

 砂漠の夜空に三人の笑い声が響き渡る。それを聞きながら私は何故笑われているのかが理解出来ないまま、ただただ三人を見つめるしかない。

 

「何かおかしいだろうか?」

「あははっ、ううん。アルスは……っは~、ちっともおかしくないから」

「そ、そうです。ふふっ、アルス様は非常にらしいですから」

「アルス殿はそのままでいて欲しいような、変わって欲しいような複雑なところだな。まぁ成人まではまだ時間があるし、それまでにはある程度男になれればいいか」

「……よく分からないが、ドルバ殿がそう言うのなら努力してみよう」

 

 私がそう言うとステラが複雑な表情を浮かべ、フォンが苦笑し、ドルバ殿が楽しげに笑い、たき火の炎が微かに揺れた。

 

 

 

 アッサラームを出発して三日目。何とか水や食料が尽きる前に、私達は目指していたオアシスと呼ばれる場所へと辿り着いた。

 見慣れない木々に守られているようなそこには大きな湖が見え、そこだけ気温が違うような印象を受けたのだが、それだけここが過ごし易い気候になっているのだと分かった。

 街の者達も活気を持ち、話を聞くと城にいる女王の統治の下、平和に穏やかに暮らしているそうだ。

 その女王というのが話によれば絶世の美女らしく、それを目当てにやってくる者もいると言っていた。

 

「謁見は明日にするとして、問題はピラミッドだな」

 

 宿の部屋を二部屋取り、少しだけ休んで私とドルバ殿の部屋にステラとフォンを入れての話し合い。

 ドルバ殿が年長らしく会話の切っ掛けを振る。

 簡単な聞き込みで得た情報だが、それでも十分過ぎる収穫があったと言える。

 

「ここから北に行けば一日ぐらいで着けるんだっけ?」

「そうらしいです。ただ、盗掘者対策にかなり罠が仕掛けられているそうですけど……」

「罠、か。落とし穴や毒霧などはあるだろうな。後は……」

 

 脳裏に過ぎるあの恐怖。盗掘者対策と言われて宝箱に何も細工をしないなど有り得ない。

 と、そこで気付いた。ドルバ殿なら何か知っているかもしれないと。

 

「ドルバ殿、一ついいだろうか?」

「ん?」

「盗掘者対策となれば、まず宝箱へ何か仕込むはずだ。魔物をその中に閉じ込めておくなど可能だろうか?」

 

 その問いかけにドルバ殿だけでなくフォンやステラまでも目を見開いた。

 

「……アルス殿の思考には時折驚かされるばかりだ。私もそのような事は知らないが、可能性はある」

「宝箱に魔物、かぁ。そんな事されたらあたし、真っ先に引っかかるわ……」

「ふぉ、フォンさんは宝箱に目がないですからね」

「ならば、ピラミッドでは宝箱に注意を払った方がいいだろう。フォン、気を付けてくれ」

「わ、分かった」

 

 神妙な顔で頷くフォンに私は息を吐いた。あの世界で私が経験したような恐怖を味わう事がないように出来たと安堵して。

 それにしても、ここは本当に不思議だ。どことなく懐かしい感じもする。だがそんなはずはない。今まで訪れたどんな街や村とも似ていないし、あの世界にこんな安らぐ場所はなかった。

 なのに、どうして私は懐かしさのような感覚を抱いているのだろうか。その答えはきっと城の方にあるような気がする。

 

「それにしても、心配してた事はありませんでしたね」

 

 その言葉に私だけでなく全員が頷いた。

 あの謎の襲撃。あれに似たような事が砂漠でも起こるかもしれないと思っていたのだ。何せ一度戦闘して分かったが砂地は思った以上に足を取られる。

 ローリングでの回避は砂地故にこちらへのダメージなどはないに等しいが、陽射しで熱を与えられたために触れているだけで体力を奪われてしまうのだ。

 つまり、砂漠での戦闘は有利な点よりも不利な点が多い。対する魔物達は当然だが砂漠に適応しているためにこの劣悪な環境をものともしないという面も辛い。

 だからこそ、砂漠であの魔物に襲撃されたくはないと思っていたのだ。ただ、それはあの魔物が砂漠向きではないからかもしれないな。

 

「だが油断は出来ん。下手をすればピラミッドで襲ってくるかもしれん」

「有り得る話だ。とにかく、まずは体を休めて明日の謁見に備えよう。それに買い出しもしなければならない」

「そうね。じゃ、あたしとステラは汗を流しに行ってくるわ。ね?」

「はい。では、また後で」

 

 揃って部屋を出ていく二人を見送り、私はドルバ殿へ視線を向ける。それに向こうも気付いて視線を向けてくれた。

 

「ドルバ殿ならば、いつ襲撃を仕掛ける?」

「ピラミッドからの帰路。あるいは、アッサラームへの帰路」

 

 こちらの問いかけに驚く事もなく即答する、か。どうやらドルバ殿も私と同じ危険性に気付いていたらしい。

 そう、ただの奇襲では撃退されるのなら、次はもっと勝率を上げる状況を作り上げるかその状態で仕掛けるだろうと。ならば、もっとも油断するか疲弊している時が危険だ。

 特に砂漠での戦闘は普段よりも注意を払うべき事が多い。ならば、目的の物を手に入れた後か、もしくは厄介な環境から脱して街を前にした時だろう。

 

「アルス殿は、どちらが可能性が高いと見る?」

「……正直分からない。確実性が高いのはピラミッドからの帰路だろう。ただ、一番不意を突けるとすればアッサラームへの帰路だろうか」

「ふむ、理由を聞かせてもらえるか?」

「厳しい砂漠を抜け、目の前に街が見えてくればどうしても気は緩む。対してピラミッドからではまだ砂漠の中で疲労などがあっても警戒心などは高いはずだ」

「うむ、私も同意見だ。疲弊度合で言えば未知の場所からの帰りだろうが、気の緩みなども考慮すれば砂漠を抜けた後の方が危険だろうなぁ」

「だからこそ、ステラやフォンには教えておかない方がいいと思うのだ」

「……要らぬ心労をかけぬため、か?」

 

 本当にドルバ殿は凄い。こちらが何も言わずでも察してくれるとはな。

 ステラやフォンに今の話を聞かせても、杞憂に終わる可能性がないとは言い切れない。そうなればただでさえ危険なピラミッドなどで余計に疲弊してしまう事となる。

 もし実際に起きたとしても、私とドルバ殿が警戒していれば最悪の状況は避けられるだろう。こう言っては何だが、精神面はまだフォンも甘いところが窺える。

 いざとなった時、非情な決断を下せる事。それが出来るのはおそらく私とドルバ殿だけだろう。アンナ殿がいればもっと安全だったのだが、今そんな事を言っても仕方ない。

 

「杞憂となってくれる事を願います」

「そうだな、私もそう願う。アルス殿は本当にこういう時は年齢以上の配慮を見せるな」

「……父のような立派な勇者を目指しているからです」

 

 違う。あの世界で何度も経験した下地があればこそだ。そう思うもそれを言う事は出来ない。あの世界での話など、信じてもらえるはずもない。

 そもそもそれはアルスではなく私の話だからだ。その説明から始める事になる以上信じられる要素が無さ過ぎる。

 ただ、あの時にもしドルバ殿達がいてくれればどれ程心強く、また希望となったかと思わないでもないとそう思うも、どこかでいなくて良かったとも思う。

 終わらせるしかなかった世界にドルバ殿達のような者達がいたら、私は火継ぎを終わらせる事を躊躇ってしまったかもしれないからだ。

 

「アルス殿、あまり気に病まない方がいい」

 

 こちらが黙ったからかドルバ殿が神妙な表情で声をかけてきた。

 その内容は、まるで私の内に秘めている事を感じ取っているような印象を受ける。

 私が何も言わない事をドルバ殿はどう取ったのか分からないが、そのまま言葉を続けてきた。

 

「たしかにオルテガ殿は立派だったろうが、それはアルス殿とは異なる人間なのだ。それを目指す事は否定しないが、オルテガ殿にはなれない事を忘れてはいかんぞ。アルス殿はアルス殿だ。何があろうと他の誰もそなたと同じにはなれぬ」

 

 その最後の言葉が私には衝撃だった。何があっても他の誰も私にはなれない。あの世界では言われる事のなかった言葉だった。

 もしかすると、この言葉が出てくるというのがこの世界が光に溢れている理由なのかもしれない。

 私に出来たのは無言で頷く事だけだった。ただ、それを見たドルバ殿がどこか嬉しそうに笑みを浮かべた事が印象的だった。

 

 

 

 イシス城は城下街で感じた雰囲気がより濃くなった感じがした。

 ステラ曰く魔力に近い何かを感じるらしい。エルフの隠れ里に似ている気もすると言っていた。

 城内に入ると何匹もの小動物がいた。長い尾を持つそれは、それぞれで寝そべったり伸びをしたりと自由気ままな印象だ。

 

「「可愛い~っ!」」

 

 ステラとフォンがその小動物へ近付いていくも、向こうは人に慣れているのか平然とその場から動かず欠伸をしている。

 どうやら二人に構われるよりもそこで眠る事が重要らしい。中々胆の据わっている生き物だ。もしくは我がままな生き物だろうか。

 

「ドルバ殿、あれは?」

「うむ、私も初めて見るな。どれ、少し聞いてみよう」

 

 そう言ってドルバ殿は衛兵へ近付いていき小動物について尋ね始めた。その間にもステラとフォンは眠る小動物を見つめて笑みを浮かべていた。

 うちの何匹かはステラの傍へ寄って体などを擦り付け始めていたが、当然のように私の傍には一匹もおらずむしろ距離を取っているように感じる。

 試しに近付いてみると怯えるように離れるのだ。これはもしかするとアルスの中にいる私に気付いているのかもしれないと思った。

 

「アルス殿、その生き物はネコと言うそうだ」

「「「ねこ?」」」

 

 私達の疑問の声にそこにいた全てのねこが一斉に鳴いた。その声に二人がまた表情を緩ませる。

 何というか、気が抜ける声だった。たしかにあの声を聞いて表情を険しくする者はいないだろうな。

 謁見の許可が出るまでそこで過ごし、私達は二階に上がって女王の前へと案内された。

 肌が褐色の女王はたしかに美しいと言えた。どこか神秘的な雰囲気もあり、私達が魔法の鍵を求めている事を告げると、ピラミッドへ行く事を許してくれた。

 とはいえ、どうやらピラミッド自体は魔物が巣食う場所となっており、その探索の安全は保障出来ないと断言されたが。

 

「昔から王家の墓は不届き者に死の呪いを与えると言われています。ないとは思いますが、あなた方が墓を荒らせば必ずや災いが振りかかるでしょう」

「心得ておきます。決して墓荒らしをしたい訳ではありませんので」

「その言葉を信じます」

 

 柔らかく笑みを浮かべる女王へ跪いたままで頭を下げる。

 謁見を終えその場を後にしようとした私達だったが、ふと聞こえてきた子供の歌声へ顔を動かした。どうやらわらべ歌のようで、二人の子供が楽しげに歌っている。

 ただ、その内容が些か理解出来ないものだった。ボタンの名前と方角の歌なのだ。おひさまボタンで扉が開く。東の東から西の西。

 一体何の意味があるのか分からないが、こういう一聴すると意味がない事が後で活きてくる事もある。あの世界でも時折あった事だ。

 城内から出て城門まで歩いていると、ステラが突然足を止めた。その視線を追うと城壁へと向いている。特に違和感などないが、何か気になる事でもあっただろうか?

 

「ステラ、どうかしたか?」

 

 こちらの問いかけにも答えず、ステラは黙って視線をゆっくり動かしていく。

 やがてその視線がある場所を見て止まった。

 

「……アルス様、あちらから不思議な力を感じます」

 

 すっと指をさした方向は城壁沿いに歩いた先と思われる場所だった。

 柱で隠されているがよく見れば道らしきものが見える。顔を動かしドルバ殿やフォンへ目を向ければ、二人も無言で頷いてくれた。どうやら見に行く事に異論はないようだ。

 なのでそこから城壁へ向かって歩き出す。柱の間を通り抜け、隠されているような道を歩く。それにしても、どうしてこんな道を作ったのだろうか?

 隠したい道とは正直思えない。ならばこんな風に注意深く見ただけで分かるようにはしないだろう。と言う事は、これは何か定期的に通っている道と考えるべきだ。

 そんな事を考えながら歩いていると、やがて向かっている方向に入口のようなものが見えてきた。

 

「さて、ここまで来てなんだが、この先は入ってもいい場所なのだろうか?」

「ドルバさん、それを今言う?」

 

 フォンが呆れたように眉を顰める。ステラはただ何も言わず入口らしき場所を見つめていた。

 どこか今のステラからは普段とは異なる雰囲気がする。どこか普段ない神聖さというか、神秘性があるというのか。とにかく何か違和感のようなものを覚える。

 ただ、今はドルバ殿の疑問を消すとしよう。

 

「もし問題であるならば、ここに衛兵を配しているはずだ」

「ふむ、一理ある」

「じゃ、先に進みましょ」

 

 そうして進んだ先は、城内よりも更に不思議な雰囲気が強く漂っていた。

 道なりに進んで行くと途中下への階段が見えてきた。どうするべきかと思ったが、ステラが先んじて降りていくので後を追う形で私達も階段を下りる事に。

 それにしてもステラはどうしたのだろうか? ここへの道を見つけてから様子がおかしい。一言も話さず、無言で先を急いでいるようにも見える。

 地下へ下りるとステラが少し歩いた先で立ち止まっていた。その視線の先は通路となっていて、そこからは冷たい空気が漂っている。

 

「ステラ」

「……この先です、アルス様」

「何があるんだ?」

 

 その問いかけには答えずステラはそのまま歩き出す。まるで何かに操られているようにも見える。

 

「アルス、ステラどうしちゃったのよ?」

「分からない。ただ、様子がおかしい」

「足取りはしっかりしているが……」

「とにかく今は後を追おう。何となくだが危険はないと思う」

 

 言いながら歩き出してステラを追う。ドルバ殿の言う通りステラの足取りはしっかりしているが、どことなく瞳に輝きがないようには見える。

 ステラの後を追っていくと、十字架がついた墓らしきものの前にまた下への階段があり、彼女はそこへ躊躇いな下りていく。

 十字架、か。よく分からないが何となく違和感を覚える。ピラミッドが王家の墓と女王は言っていたが、ここはそもそも一体何のために作られた場所なのだろうか?

 

「アルス殿、いかがした?」

「いや、何でもない」

 

 考え事をするのは後にしよう。今はステラだ。

 階段を下りた先にはステラが立っていたのだが、無言ですっと腕を上げて視線の先を指さした。

 

「……宝箱?」

 

 私と同じようにステラの指さす方を見たフォンが疑問符を口に出した。フォンの言う通り通路の奥には一つの宝箱が置かれている。

 

「ステラ殿、あれは?」

「アルス様の手助けになる物が入っています」

「アルスの?」

「ステラ、どうしてそれが分かるのだ?」

 

 その問いかけをした途端ステラが目を閉じてぐらりと体を揺らしたので咄嗟に受け止める。

 以前抱えた時よりも僅かに重くなっているような気もするが、これぐらいならば平気だ。

 

「ステラっ!?」

 

 突然の事にフォンが慌てるが、私の腕の中でステラがゆっくりと目を開けた。

 

「……フォンさん? え? あ、あの、何で私はアルス様の腕の中にいるんですか?」

 

 何度も瞬きをして状況を理解しようとするステラを見て、私はようやく普段の彼女が戻ってきたと確信出来た。

 

「どうやら戻ったようだ」

「そのようだ。で、アルス殿、どうする?」

 

 ドルバ殿の言葉に顔をステラから宝箱の方へ向ける。明らかに異質な空気を放つそれを見つめ、私はそっとステラを立たせた。

 

「ステラを使ってここまで案内してくれた者の思惑は分からないが、私達へ害を為すとすれば些か回りくどいと思う。なら、本当にあの中身は私達の役に立つものなのだろう」

「あ、開けるの? 呪われたりしない?」

「可能性はあるが、その場合は教会へ駈け込んで解呪を依頼すればよかろう。がははっ!」

 

 豪快に笑うドルバ殿をフォンが訝しむような眼差しで見つめ、ステラはまだ周囲を見回している。そんな三人に私は笑みが浮かぶ。

 本当に不思議だ。こんな時間が私には堪らなく愛しい。それと視線の先にある宝箱にも不穏な気配がないのも分かった。

 迷いなく歩を進め、宝箱を開けるとそこには不思議な輝きを持つ腕輪があった。

 

「……これは」

”何者だ?”

 

 腕輪を手に取ると聞こえる声に顔を上げれば、そこには白いもやのようなものが浮かんでいた。

 あまりの事にさすがの私も反応出来ず、ただ目の前の謎の存在を見つめる事しか出来かなかった。

 

「お、お、オバケ!? 呪われるっ!?」

「い、いえ、悪意のようなものは感じられません」

”我が眠りを妨げたのは、お前達か?”

 

 その問いかけで私は女王の言葉を思い出した。今手にしている腕輪はこの存在の大事なものなのかもしれない。それを取り出した事が墓荒らしになってしまったのか。

 

「いや、妨げたのは私だけだ。他の者達は関係ない」

「っ!? 勇者様!?」

”そうか。正直な奴だな。それはもう我には必要ないものだ。好きに持って行くがいい”

 

 その言葉と共にもやは消えた。それと同時にその場を包んでいた雰囲気が心なしか優しいものへ変わった。

 私の手には不思議な腕輪が残されたが、一体これはどういう物なのだろうか。今の我にはと言っていたが、つまりあのもやは今も存在しているのだろうか?

 

「あ、アルス? それ、大丈夫なの? 呪われてない?」

 

 腕輪を見つめていると後ろから怯えた声のフォンが顔を出してきた。その視線は腕輪へ注がれている。

 

「問題ないと思う。試しに着けてみよう」

「「えっ!?」」

 

 やけに軽い腕輪をはめると不思議と装備の重量が減ったような気がする。まさかと思って剣を引き抜いてみるとそれさえも感じる重量が少ない。

 そのまま振ってみれば恐ろしい速度で振り下ろせた。その瞬間背後から三つの息を呑む声が聞こえた程だ。

 

「……アルス殿、今のは?」

「分からないが、この腕輪を着けた時から装備の重さが軽くなったように感じた。おそらくその効果だろう」

「嘘っ!? ねっ、ねっ! あたしにも装備させて!」

 

 言われるまま腕輪を外してフォンへ渡す。フォンは腕輪を持つなり小首を傾げ、その場で蹴りを放った――と思う。

 と言うのも、気付いた時にはフォンの足が目の前にあったからだ。本当に見えなかった。やった本人さえも驚きを隠せないままでこちらを見つめている。

 

「し、信じられない。何よこれ……? 動きが、嘘みたいに速くなった……」

「これは凄い物を手に入れたなぁ。もしかするとこの国に伝わる秘宝かもしれん」

「あ、有り得そうです……」

「フォン、それはそちらが装備していてくれ。私よりもフォンの方が活きる気がする」

「い、いいのかな? あたしとしては嬉しいけど……」

「なぁに気にする事はない。武闘家は素早さが命。その腕輪の力はこの中にいる者達ではフォン殿がもっとも活用出来ると私も思うぞ」

 

 ドルバ殿の言葉に頷いて私はフォンを見る。フォンは私とドルバ殿の意見にどこか躊躇いながらも腕輪をそっと撫でてから深呼吸一つすると力強く頷いてみせた。

 こうして私達はその場を後にした。それにしてもステラをあそこまで導いたのは何だったのだろうか? 心当たりは一つだけあるが、当然ながら確かめる方法はない。

 だが、操られたステラが私の役に立つと発言した事から、おそらくこの世界で私が初めて言葉を交わした存在だと思う。

 

 その後城を出て宿へと戻った私達は明日ピラミッドへ向かう事にし、今日一日は出立の準備に費やす事にした。

 フォンは早速とばかりに腕輪を着けた事でやってみたい事があると言って宿を出て、ステラは妙に疲れたと言って部屋で休み、ドルバ殿はならばと買い出しへと向かってくれた。

 なので一人部屋で考え事をする事にした。考えるのは勿論今日の事だ。ステラを操ったのがもしあのルビス様の使者とすれば、どうして急にそんな事をしたのか。

 そうなってくると一つだけ浮かんでくる事がある。例の謎の襲撃だ。もしかするとあれが起きた事であの使者が手を貸してくれた? となると、あの襲撃は魔王の差し金であり今後も起きうる?

 

「……あの時感じたのはソウルだと思う。もしや、魔王は王のソウルを持っているとでも言うのか?」

 

 何を馬鹿なと思うかもしれないがそうでなければ説明がつかない。あれはたしかにソウルだった。

 だがここは私がいた世界ではない。となるとこれはどういう事だろうか。まさか、この世界があの世界と繋がっているとでも? この光溢れる世界が? あの火を消して暗闇だけになった世界と?

 

「有り得ないと思いたいが、逆にもしそうなら私がした事は意味があったと言える……か」

 

 火継ぎを終わらせた結果がこの世界なら、私の決断は間違っていなかった。だが、どこかで違和感も覚える。

 もし仮にここがあの世界と繋がっているとするなら、何故ソウルは失われたのか。そして何故あの魔物からは感じられたのか。

 

「……魔王の前へ辿り着けばはっきりするか」

 

 全てはそこだ。魔王も王ならあの世界で散々やった事だ。そう、王を倒す。そう考えれば私が何故呼ばれたかは納得しか出来ないな。

 そしてきっとそれが出来ればはっきりするだろう。この世界があの世界と繋がっているのかどうかも、何故私が呼ばれたのかも。

 

「ルビス様がこの世界を創造した女神だとすれば、その正体は彼女だったりするのだろうか……」

 

 そう、私と共に火継ぎを終わらせてくれたあの火防女だとすれば、この上なく納得出来る話になる。

 そんな事を考えながら私はベッドへと横たわる。そんな事はないと願いながら、どこかでそうであってもいいと思う自分に気付きながら……。




更新が遅れて申し訳ありません。ただ、おそらく次回もかなり遅くなるかと思います。
それと謎の魔物の正体はあくまのきしです。ラリホーを使う厄介な相手で、しかも攻撃力もかなり高いモンスターで、ドラクエ1でロトの鎧を入手する際に戦う事になる存在でした。


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呪いと祝福

まほうのかぎ

名の通り、魔法のようにほとんどの扉を開ける事が可能な鍵。
鍵と名付けられているが、その実態は鍵開けの魔法を基に作り出された“実体化された呪文”ではないかと考えられている。
ただし、完全な形で再現は出来なかったらしく全てを開ける事は叶わない。

かつて完全なる形でその呪文を内包した鍵があったらしいが……。


「いやぁ、まさか宝箱が魔物とはなぁ」

 

 そう言ってドルバ殿が苦い顔をした。

 

 私達は今、ピラミッドに来ている。

 まずここまでの道中はいきなり出鼻を挫かれた。

 中の探索を始めてすぐに落とし穴に落ちたのだが、そこは呪文が使えない場所だと分かり、急いで上への階段を探した事がここの探索の始まりとなったのだ。

 故に戻った後は慎重に歩き、今度は落とし穴を回避し、その分かれ道をフォンの勘に従い左へ曲がると行き止まりとなったのだが、そこには宝箱があった。

 

 当然フォンはそれを開けようとしたのだが、ステラがそれを制止したのだ。

 

――待ってください! ……ここは王家の墓でもあります。墓荒らし対策をしていないとも限りません。

 

 その言葉に私も賛成し、あの世界での出来事を思い出したのだ。

 なので私もフォンの傍へ行き、宝箱をじっくりと調べてみた。

 おそらく開けなければ罠は作動しないはずと思い、私は宝箱の後方へ回り込んでみたのだが、そこであの頃は出来なかった事を試そうと考え、フォンとドルバ殿へこう頼んだ。

 

――宝箱を蹴飛ばすぅ?

――それで何事も起きなければ安全と?

 

 あの頃は私一人だった故に攻撃する時は中身を破壊するような攻撃を加えるしかなかったが、こちらでは仲間がいる。

 フォンとドルバ殿の攻撃力は場合によっては私よりも上だ。

 だからもしもの時は遠慮なく魔物を倒してくれるだろうと考えた。

 

 結果として、私が蹴飛ばした宝箱は魔物ではなかったが空だった。

 だがその後見つけた宝箱は蹴飛ばした途端その本性を露わにし、私へ襲い掛かろうとしたのだが……

 

――こんのぉっ!

 

 フォンが風のような速度で動き、縦回転するように蹴って魔物を床へ叩きつけ――

 

――ふんっ!

 

 そこをドルバ殿が剣で追撃して、私がトドメとばかりに手にした剣で斬り付けて終わったのだ。

 

 ちなみにそこには他にも宝箱があったが一つは同じ魔物だったため、フォンはここでの宝箱がすっかり敵に見えるようになったらしい。

 ステラは墓荒らし対策としてもやり過ぎだと言っていたが、考えてみれば王家の墓に用もなく来る者など賊しかいない。

 であるのなら、これは目先の欲望に負けた者への当然の報いだと私は思わないでもない。

 

 ただ、それを口にするのは止めておいた。

 ステラの考え方こそがこの光溢れる世界では正しく、また理想なのだと私は知っているからだ。

 

「う~っ、早く目的の物を探して帰りましょ。あたしはこんなとこ長居したくないわ」

「フォンさん……」

「がははっ、フォン殿らしい。だが私も同感だ。ここはやはりイシス王家の者が静かに眠る場所。あまり騒がしくしては呪われてしまうやもしれん」

 

 有り得ると思い、私はその言葉に頷いてフォンへ宝箱への接近を控えるように告げた。

 彼女もそのつもりだったようで素直に頷いてくれた。

 

 そこからしばらく私達はピラミッドの上を目指して歩いた。

 道中出てくる魔物は砂漠に生息する物とそこまで変わらず、大きく苦戦する事もなかったものの、さすがに今までで一番苦しい環境ともあり、私達の体力は大きく奪われる事となった。

 

 それでも適度に休憩を挟み、水を四人で分け合いながら慎重に進み、私達はこれまでなかった立派な扉を見つける事が出来た。

 

「……開きませんね」

「鍵がかかってるの?」

「そのようだ。だが、鍵穴などもない」

「では、どこかに開けるための仕掛けがあるのだろう」

 

 扉の作りから私達は、きっとこの階に扉を開閉する仕組みがあると読み探索を続ける事にした。

 そして見つけたのだ。この階の東西に何らかの仕掛けと思われる物を。

 

「四つのボタン。それが東西に二つずつ、か……」

「どれが一つが当たり?」

「いえ、おそらくですがそれでは簡単に盗賊が扉を開けてしまいます。四つあるのはそれらを全て使って開閉させるためでは?」

「成程なぁ。偶然当たりの組み合わせを見つける事がない訳ではないが、一体いくつ試せばいいのか分からぬ以上、盗賊も早々手は出せぬか」

「とはいえ、おそらくその正解は王家の方達には伝わっているはずです」

「でもそれを素直に教えてくれるはずないわよね」

「そうさなぁ。女王もそんな事は一言も口にしていなかった」

 

 揃って腕を組むフォンとドルバ殿。まるで親子だ。

 そう思って二人を見つめているとステラが小さく微笑んでいるのが見えた。

 どうやら私が感じた事をステラも感じたのだろう。

 

 それにしても、四つのボタン、か。どこかでボタンに関する事を聞いた気がするのだが……。

 

「ステラ」

「はい? どうかしましたかアルス様」

「いや、あの城でボタンに関する事を聞いた覚えはないか?」

「ボタンに関する、ですか?」

「ああ。何か頭の片隅で引っかかっている気がするのだ」

「ああっ!?」

 

 そんな時、フォンが大きな声を上げた。

 魔物の襲撃かと思って身構えるも、どうやらそういう訳ではないらしい。

 

「歌よ歌っ! ほら、まんまるボタンは~ってやつ!」

 

 その言葉でステラが思い出すように声を出し、ドルバ殿と私は同時に納得するように頷いた。

 あのわらべ歌かと、そう思っている内にフォンが歌の内容通りにボタンを押してみようと提案し、私達は動き出した。

 

 何度か魔物と戦闘になりながらも歌の通りにボタンを押すとどこか遠くで音が聞こえ、あの扉の前へ行くと見事に開いていたのだ。

 

 その先には二つの宝箱があったのでフォンが一瞬警戒したものの、ここまで仕掛けをして守っていたのだからそれは魔物のはずはないとドルバ殿が告げるや安堵するように息を吐いた。

 

「……これが、まほうのかぎ?」

「ですね。不思議な魔力を感じます」

「私にはさっぱりだが、アルス殿はどうだ?」

 

 言われて鍵を見つめる。

 たしかに何か力のようなものを感じる気がした。

 

「……言われてみれば何かの力のようなものを感じます」

「ふむ、呪文を使える二人がこういうのならば間違いなくまほうのかぎだろう」

「よし、じゃあとっとと帰りましょ」

「そうだな。急ぎイシスの城下町へ戻るとしよう」

「先程見つけた上への階段はどうしますか?」

「今回の目的は達した。ならば今回は撤退するべきだと思うぞ。それに、あの魔物だった宝箱の事も謝らねばならぬし」

「うっ、そ、そうよね。墓荒らしはしないって言いながら宝箱へ手を出したんだものね」

 

 やや苦い顔をするフォンだが、私はあの女王ならば素直に話せば許してくれそうな気がしていた。

 ロマリア王もそうだったが、この世界の王座に就く者達はあの世界と違い器が大きいように思う。

 まだ行った事のない国は分からないが、少なくてもアリアハンやロマリア、そしてイシスに関してはそうだった。

 

 私達はまほうのかぎを手にし、来た道を戻る事にした。

 そうして何とか日が沈み切った頃に城下へと戻る事に成功した私達は、宿を取って早々に部屋へと入って眠る事にした。

 今回ばかりはステラやフォンも汗を流すよりも眠る事を優先したのだ。

 

 明けて翌朝、私達は女王との謁見へ臨んだ。

 ピラミッドでの事を話すと、女王は怒るどころか神妙な表情を見せた。

 

「どうかされましたか?」

「……実は私達はピラミッドにひとくい箱など配置していないのです」

 

 ひとくい箱というのは宝箱に扮した魔物の事だそうだ。

 どうやら女王の話によれば、墓荒らし対策はあのボタンと落とし穴だけであり、ひとくい箱は与り知らぬ事だそう。

 

 となるとこれは……

 

「魔王の仕業、でしょうか?」

「おそらくは。こうなるとおうごんのつめが狙われているかもしれません」

「おうごんのつめ?」

「ええ。ピラミッドの地下深くに隠してある我が王家に伝わる秘宝です」

「爪って事は武器なんですか、女王様」

「そうです。丁度貴方が持っている物と同じような作りのはず」

 

 その言葉にフォンが真剣な眼差しを浮かべた。

 

「あの、女王様。もし良かったらなんですけど」

「おうごんのつめは手にした者へ呪いを与えると聞きます。それでも良ければご自由に。この時勢です。秘宝でも魔王退治に役立つのなら使って頂いて構いません」

「ありがとうございますっ!」

 

 何とも気前の良い女王だ。王家の秘宝を一介の冒険者へ渡しても構わないとは。

 

 こうして私達は再度ピラミッドへ向かうための準備を整える事にした。

 今日一日は休養にあて、翌日出発する事に決めたのだ。

 

「ではアルス殿、私はやくそうの事を道具屋へ交渉してくる」

「頼みます」

 

 ピラミッドの地下は呪文が使えない。つまり私やステラが癒しの力を使えない事を意味する。

 そうなると頼れるのはやくそうだけだ。故にドルバ殿が明日の朝までにかなりの量のやくそうを道具屋に仕入れてくれるよう話をしてくるのだそうだ。

 

 部屋を出て行くドルバ殿を見送り、私は窓から外を見た。

 相変わらず明るい空と世界だ。夜が来なければ闇が蔓延る事などないと断言出来る程に。

 

「呪い、か……」

 

 私には馴染み深い言葉だ。呪いなど、あの世界ではそこかしこに溢れていた。

 この世界にもあるのかと、そう思って軽く驚いた程、呪いという言葉はこちらには似つかわしくない。

 

「不思議だ。あの世界とは大きく異なるはずなのに、この世界は時折あの世界を思い出させるものが出てくる」

 

 いや、もしかすると私がここにいる事がそれを招いたのかもしれない。

 そんな事を思うぐらい、この世界は明るく希望に溢れているのだから。

 

 ちなみにフォンは城へ向かった。目的はねこと触れ合う事らしい。

 そしてステラと言えば……

 

「……来たか」

 

 ノックが聞こえたのでドアへ近付き静かに開けるとステラがそこに立っていた。

 

「アルス様、お待たせしました」

「そこまで待っていない。それよりもステラに感謝を。私の読み書きを教えるために時間を割いてもらい申し訳ない」

「そんな事ありません。私としても、その、この時間は楽しいので」

 

 そう言うとステラはやや頬を赤くしながらドアを閉めた。

 何か恥らう事があったのだろうか?

 強いて言うなら私へ読み書きを教える事を楽しいと評した事か。

 

 ……もしかするとステラは本来人に物を教える事を生業としたかったのかもしれないな。

 

 まだ二回目だがステラとのこの時間は私にとっても不思議と安らぐものだ。

 と、そこでふと思った。神に仕えるステラは呪いというものをどういう風に考えているのだろうかと。

 

 私がその事を尋ねると、ステラはやや困った顔で考え込んでしまった。

 

「そんなに難しい事なのだろうか?」

「そう、ですね。呪いというものは様々な種類があるのです」

「種類?」

 

 意外だった。呪いに種類などあるとは思いもしなかったのだ。

 

「私も聞いただけですが、武具に込められた呪いがあるそうです」

「武具に?」

「はい。呪われた武具は強力な力を持ちますが、その反面装備した者を狂わせ、魔道へと引きずり込むとか。それを解除する呪文がありますが、誰でも使える訳ではありません」

「ステラは使えるのか?」

「残念ながらその呪文は使えません。教会の神父様は呪いを解けますが、あれは神のお力を借りるから出来るだけであり、呪文ではなく奇跡だと言われています」

 

 奇跡。そう聞いた時、私はまたあの世界の事を思い出した。

 魔術と呪術と奇跡。これらがあの世界には存在していた。

 もしかすると呪文とはこれら全てが溶け合った結果生まれた力なのかもしれない。

 そして、魔術や呪術に近い物は魔法使いが、奇跡に近い物は僧侶が習得するのではないだろうか?

 

 そう考えれば、アンナ殿の在り方はあの世界では珍しくもない。

 魔術を使いながら武器を振るって戦う者は大勢いたのだ。

 

「ならばステラも奇跡を使えるのか?」

「私は……まだ修行中の身ですので」

 

 どうやら使えないらしい。

 ただ、あの世界では何を使うにしろ触媒と呼ばれる物が必要だった。

 それもなく使えるのであれば、やはりここの呪文とあの世界のそれらは別物だと考えるべきかもしれないな。

 

 そんな事を考えながら私はステラの教えに耳を傾け、文字の読み書きに集中していく。

 終わった頃に部屋から出るとドルバ殿がフォンと一緒に受付近くのテーブルに座って茶会をしていた。

 するとこちらに気付いたらしく、二人揃って私とステラを見て意味ありげな笑みを浮かべた。

 

「何かあっただろうか?」

「いや、そういう訳ではないのだが……なぁ」

「そうそう。むしろ何かなかったからちょっとがっかり?」

「っ!? フォンさんっ!」

 

 ニヤッと笑うフォンにステラがやや慌てるように詰め寄るのを横目に私はドルバ殿へと近寄った。

 

「ドルバ殿、やくそうの件はどうなりました?」

「アルス殿は相変わらず、か」

「は?」

「いや、いいのだ。そちらは話がついた。前金で三十個分支払ってきたのでな」

 

 成程、先に代金を渡す事で相手が仕入れを躊躇う事がないようにしたのか。

 この後四人で昼食を食べに出かける事となる。

 そこで食べたイシス料理は中々珍しい味が多く、ステラは苦手だったらしいがドルバ殿は大層気に入り、フォンも嫌いではないと上機嫌だった。

 私は様々な味を強く感じる事が出来、色々な意味で満足だったのだがステラはそうではなかったようだ。

 

「アルス殿は本当に美味そうに食べるな」

「そうよね。アルスって食べ物には素直な反応するわ」

「そうか?」

「はい。アルス様は食事している時がもっとも歳相応な感じがします」

 

 三人揃って同意見のようだ。たしかに私は食べる事が好きだ。

 あの世界では必要のなかった行為であり、楽しめなかった事だったからだろう。

 そういう意味では睡眠も好きだ。やはり根底にはあの世界で出来なかった事や必要のなかった事に私は強い興味や安らぎを感じている。

 

 おそらくだが、それこそが“幸せ”というものなのだと思う。

 そう、それを失っていたからこそあの世界は滅ぶべきだったし滅んだのだ。

 

 そして翌日、やくそうを大量に入手した私達はピラミッドへと向かい、そこの落とし穴から地下へと降りた。

 幸いにして魔物達はそこまで手強い事もなく、私達は順調に探索を続けて下への階段を発見、更に地下へと進んだ。

 

 そこにあった扉をまほうのかぎを使って開け、進んだ先には大きな棺が置かれていた。

 

「間違いなくここよ、ね?」

「だろうなぁ。いかにも王族が葬られたと思われる棺だ」

「も、もし違えば何とも罰当たりな事をしてしまいますが……」

 

 不安そうな表情のフォンに何とも言えない顔のドルバ殿。ステラなど今にも帰りたいと言うような顔をしていた。

 

「では尋ねてみるのはどうだ?」

「「「は?」」」

 

 私の頭の中にはあのほしふるうでわを手に入れた際の不思議な出来事が思い出されていた。

 

「あの腕輪を手に入れた時、おそらく亡くなった者の声を聞いただろう。もしかするとこの国は亡くなった者がその場に留まりこちらを見ているのかもしれない」

「ふむ、だからここで亡者に問いかけてみようと?」

「それがいいと思うのです。声が返ってこなければ呪いはなく、返ってくればきっとこちらの問いに答えてくれるはず」

「ううっ、あたしとしては返ってきて欲しくないけど、いっそ返ってきて答えてくれた方が気が楽かも……。ステラはどう?」

「私はアルス様の意見に賛成です。形はどうであれ死者の眠りを妨げてしまうのなら、せめてこちらの目的と気持ちは伝えるべきかと」

 

 こうして私達は棺を前にして声をかけてみる事にした。

 その役目は私が担う事になり、立派な棺へ向かって威圧的にならない程度に大きな声を出した。

 

「イシス王家所縁の者よ。静かに眠っているところを申し訳ない。私達は今世を乱している魔王を倒す旅をしている者。もし可能であるのなら教えて欲しい。おうごんのつめはそこにあるのだろうか? あるのならそれを私達に渡して欲しいのだ」

 

 私が黙ると静寂が訪れる。

 それでも私はただ待った。あの時、私達はたしかに不思議な声を聞いた。ここでもそれがないとは言い切れぬと思って。

 

「……やっぱり駄目なんじゃない?」

「そうさなぁ。やはりあの時が」

「っ! お二人共、あれを!」

 

 棺から白いもやのようなものが浮かび上がり、こちらを見ているような雰囲気で停滞する。

 

“おうごんのつめはここにある”

 

 聞こえた声はあの時とは違うものだった。しかも、どこか警戒するような雰囲気さえあった。

 

「嘘……本当に出た……」

「申し訳ないがそれを私達に渡してもらえないだろうか?」

 

 フォンの言葉を聞きながら私は白いもやへそう切り出した。

 すると、その場の空気が変わったのが分かった。

 

“ならぬ”

「何故だろうか?」

“これは我が王家に伝わる物。お前達のような者に渡す事など出来ぬ”

 

 声に明らかな怒りを感じる。どうやらあの城で見たものとは在り方が異なるようだ。

 

「ね、ねぇアルス。もういいわよ。この感じだと魔物達だっておうごんのつめは手を出せないだろうし、女王様には不思議な存在が守ってたって報告しましょ?」

「だが……」

 

 折角ここまで来たのだ。あのほしふるうでわを手に入れたフォンは目覚ましい活躍をするようになっている。

 ここで武器まで手に入るのならそれに越した事はない。魔王退治にも、そしてまたあるかもしれない恐ろしい魔物の襲撃にもフォンの強化は助かるのだ。

 

“待て。お前のそれはほしふるうでわか?”

「え? そ、そうだけど……」

“……そうか。やはりお前達は宝を狙っている賊か”

「っ!? 周囲の気配が……」

「ま、魔物がこちらへやってきます!」

「これは……呼び寄せられているのか」

 

 振り向けばミイラおとこ達が階段の方からゆっくりとこちらへ向かって来るのが見える。

 これが呪いなのだろうか。だとすれば、あの世界のとは違うな。何とも即効性のある呪いだ。

 

「アルス殿、どうする?」

「どうするも何も戦うしかないでしょ! どう見たって逃げられる感じじゃないわっ!」

「そうだな。戦うしかない。ステラは後方で必要に応じてやくそうで回復を頼む」

「分かりました」

 

 こちらを目指すように向かって来る魔物達を三人で倒していく。

 だが倒せど倒せど魔物達は途切れる事無くやってくる。

 どこかあのファランの砦の戦いを思い出すな。あの場合とは少し違う部分もあるが、同じ魔物が何度も何度も現れて戦う事になるのは近いものがある。

 

 そうやって戦ってどれ程経っただろうか。

 未だミイラおとこ達は途切れる事無く現れ、私達は疲労の色が濃くなり出していた。

 フォンは肩で息をしているしドルバ殿でさえ汗を拭う回数が増えている。

 私も少々剣を握っているのが辛くなり始めている。

 

“眠りを妨げる者に呪いあれ”

 

 時折聞こえるあの言葉で魔物達がこちらへ向かって来る。

 こうなるとまずはあの亡者の怨念をどうにかするしかないのか。

 

「ステラ、頼みがある」

「な、何ですか?」

「あの怨念を鎮めてくれ。このままでは全滅だっ!」

「あっ! アルス様っ!」

 

 後の事を神官であるステラへ託し、私はドルバ殿とフォンへ加勢するように魔物達へ向かっていく。

 

「アルスっ! どうすんのよっ!」

「今ステラに怨念の鎮静化を頼んだっ!」

「沈静化ぁ!?」

「いや、ステラ殿は僧侶だ……っ! ふぅ……ならば意外と上手くいくかもしれん」

 

 横薙ぎに魔物を一閃し、全てを薙ぎ払ってドルバ殿が息を吐く。

 私もフォンもそれに思わず目を見張った。

 同じ武器を持っているが私にはドルバ殿のような事は出来ないだろう。

 

「何? 何だか空気が少し変わった気が……」

 

 フォンの言う通り、その場の空気が心持ち軽くなった気がした。

 まさかと思い振り返れば、そこではステラが白いもやのような怨念相手に語りかけているところだった。

 

“では、お前は自らの信じる神に誓って賊ではないと言うのか?”

「はい。私の信じる神は貴方の信じる神と異なるかもしれませんが、神への信心の強さは同じはず。故に私は自らの神へ誓いましょう。貴方の眠りを妨げるつもりはなく、またおうごんのつめを奪うつもりもないと」

 

 怨念と向き合う形で凛と言葉を告げるステラの声と背には、どこか普段はない神々しさのようなものが感じられる。

 だからかもしれないが、怨念の方もステラの言葉へ耳を傾けているようだ。

 

“奪うつもりはないと言うが、おうごんのつめを手にすればお前達は二度と戻ってはこないだろう”

「ならば、魔王を倒した暁にはここへ返却すると約束致します」

“何?”

「もしその約束を違えば私達を呪い殺してください。私の信じる神も、その名を持ち出して約束を違うような私達に加護を与える事はないでしょう」

“……それほどまでの覚悟か”

 

 気付けば魔物達の気配は失せていた。

 怨念からも敵意のようなものが薄れ、ステラの事を見つめているようにも思える。

 その視線のようなものをステラは正面から受け止めていた。まったく怯みもせず、凛々しいままに。

 そうしてしばらく会話はなかった。私達も何事も発しなかった。

 この沈黙を破る権利は私達にはないと感じ取っていたのだ。

 

“よかろう。我が信じる神々がお前達の言葉を聞いた。おうごんのつめ、一時預けよう”

「……っ! ほ、本当ですか?」

 

 その瞬間ステラが普段の彼女へと戻った気がした。

 声や背からもあの神々しさのようなものが失せたのだ。

 

“我も信ず神を持ち出したのだ。ならばこの言、取り消すつもりはない。大事に使うがよい”

「あ、ありがとうございますっ! 魔王を倒した際には、ここへ立ち寄りおうごんのつめと共に改めて感謝を述べに参りますっ!」

“その日を楽しみに待つとしよう。ただ眠るだけの時に、一時の楽しみが出来たと思えば退屈も紛れると言うものだ”

 

 そう告げるや白いもやのようなものは棺の中へと戻り、その蓋が独りでに開いていく。

 恐る恐る近付いた私達が見た物は、ミイラおとこのようにされた遺体らしきものと、黄金に輝く鋭い爪だった。

 

「……フォン、有難く貸してもらおう。イシス王家の者が私達を信じて使わせてくれるのだ」

「そ、そうね。でも、これ凄いわ……」

「うむ、流石は王族の埋葬品と言ったところか。まるで太陽の如き輝きだ」

「太陽、か。ならば、この国の神とは太陽なのかもしれないな」

 

 あの世界でも太陽は信仰を集める存在だった。

 陰りを迎え、闇に包まれつつあったからこそ、それに縋るような者達もいたのだ。

 この国のように太陽の日差しが常に強く照り付ける場所ならば、太陽信仰があってもおかしくはない。

 

 こうしておうごんのつめを手に入れた私達だが、奇妙な事にそこからは魔物達の姿を見る事はなかったのだ。

 それは地上へ出るまで続き、どういう事かと首を傾げていた私達へ答えのようなものをくれたのはイシスの女王だった。

 

「それはおそらく冥府神が貴方達を祝福してくれたのでしょう」

「冥府神、ですか?」

「この国で崇められている神々の一人です。死を司る神ですから、ピラミッドの中にいる魔物達を鎮めてくれたのです。眠りに就いたかつての王の意を酌んだのだと思います」

 

 そう話してくれた女王は、おうごんのつめを見てどこか懐かしそうな表情を浮かべた。

 もしやあの棺で眠るのは女王の血縁者なのかもしれない。

 だからこそ女王はおうごんのつめをフォンへ返した際、どこか笑みを浮かべていたのだろう。

 おそらくそれを所持していた人物の事を思い出しでもしながら。

 それにしても、最後に女王の告げた太陽神の加護があらん事をとはどういう意味なのだろうか?

 まほうのかぎを入手しにピラミッドへ向かう前にも、そこから帰った際の報告の時も言われなかったのだが……。

 

 玉座の間を後にし宿へと戻った私達は食事をしながら次なる目的地をポルトガへと定めた。

 まほうのかぎを手に入れた今、ロマリア王が通行を制限した旅の扉からポルトガを目指す事が出来るからだ。

 

「さて、これで旅が再び前進する訳だが……」

「何? 何か問題でもあるの?」

 

 話し合いも終わったと思った矢先、ドルバ殿が難しい顔を浮かべた。

 フォンだけでなく私やステラも何かあっただろうかとドルバ殿を見つめる。

 

「いや、おそらくだがポルトガからは更に魔物の攻勢が強くなると思ってなぁ。何せポルトガは海洋国家として名高いが、故に魔王の侵攻へ強く抗っている国でもある。そこへ投入されている魔物達もロマリアやこの辺りよりも厄介だろうとな」

「そういう事ですか……」

「大丈夫よ。思いがけずあたしは武器と装飾品を手に入れて強くなれたし、アルスだって新しく手に入れた剣のおかげもあって前以上に強くなったわ。用心は必要だけど不安になり過ぎるのも良くないと思うわよ?」

「ふむ、フォン殿の言う事も一理ある。アルス殿はどうお考えだ?」

「私か? 私は……」

 

 あの世界であればドルバ殿の在り様と思考が必要だった。

 この世界では、フォンのような考えでもいいと思う。

 ならば、私は……

 

「基本的にはドルバ殿のような警戒心を持っておきたい。だが、いざとなればフォンのように前向きな考えで事に当たるべきかと思う」

「ほう、基本は警戒しいざとなれば楽観的に、か」

「ふ、普通逆なのでは?」

「ううん、あたしは分かるわ。普段から楽観的じゃ足元をすくわれる事もあるしミスも増える。だからこそ、追い詰められた時に何とかなるって思って事に当たるのよ。まっ、あたしが言った用心するけどそれが行き過ぎないようにってとこ?」

 

 フォンの確認に頷く。あの頃であれば私一人しかいなかった。だから楽観的になどなれなかった。

 しかしここは違う。背を預けられる仲間がいる。四人いるなら警戒し過ぎるのはかえって悪手だ。

 まぁ、あの世界での私であれば違う意味で楽観的にもなれただろうが、な。

 何度でも死ねる体故に時には相手の出方を覚える事に徹し、再戦にて勝負をかける事さえあったのだから。

 

 そんなやり方はこちらでは出来ない。第一、私が死んでしまえばアルスという名の若者の命を、本当の意味での生者を殺してしまう。

 不死者であった私ならばいざ知らず、本当の人間であるアルスを死なせる事など出来ぬ。

 この体は無事に守り抜き、アルスへと返してあのアリアハンでその帰りを待ち続ける母へ再会させねばならぬのだから。

 

 そして翌日、私達はイシスを発ってまずはアッサラームへと向かう事にした。

 らくだの操り方も最初に比べれば慣れてきた。ステラもそれを感じ取れるらしく、笑顔で褒めてくれた程だ。

 

 このまま砂漠を抜け、日付が変わる前にアッサラームへ到着出来るかもしれないと思った時だった。

 

「っ!? アルス様っ! あれをっ!」

 

 後ろのステラが声を発して体を乗り出すようにしながら指さした方へ目をやる。

 そこにはあの謎の鎧の魔物がいたのだ。いや、おそらくだが現れたのだろう。それも、突然に。

 ドルバ殿と話した通り、砂漠を抜けた辺りで襲ってくるとはな。やはりこちらの動きを監視か把握しているのだろう。

 

 らくだから飛び降りると同時に剣を手に走り出す。

 見ればフォンが私よりも速く魔物へと迫っていた。

 

「はぁっ!」

 

 黄金の輝きが閃くように動いた……としか見えなかった。

 その一撃は何とあの鎧の魔物を怯ませ、たたらを踏ませたのだ。

 

「凄いな……」

「あれがおうごんのつめの威力、といったところか。いや、これはあの腕輪の力もあるやもしれぬな」

 

 いつの間にか隣へ来ていたドルバ殿がそう感嘆するように呟いた。

 成程、たしかにそうかもしれない。

 あの腕輪によって動きが速くなったフォンに太陽の如き輝きの爪が加わったのだ。どれもあのイシスで得た力と言える。

 

「……太陽、か」

 

 そこでふと思い出す。あの女王が最後に告げた太陽神の加護とはおうごんのつめを持っているからではないか、と。

 何せ私とドルバ殿の視線の先ではあの恐ろしかったはずの鎧の魔物を相手に、フォンがたった一人で互角どころか圧倒していたのだ。

 私達はただただ黄金の煌めきが閃くのを眺めるだけだった。それ程までに今のフォンは強かった。

 魔物が呪文を使う暇さえ与えず、目にも止まらぬ速さで動き続け、あの硬かったはずの鎧を傷だらけにしていくのだ。

 

「これでぇ……」

 

 一旦距離を取ったフォンが爪を高々と掲げる。するとその爪へ太陽の光がまるで集束するように注がれ、爪の色までも黄金に変えてしまった。

 

「終わりよぉぉぉぉぉっ!」

 

 力強く地面を蹴ったフォンは、まさしく黄金の輝きとなって魔物を貫いた。

 私はあまりの事に目を疑った。何故ならその光景は例えるのなら……

 

「まるで太陽が魔物を貫いたみたいですね……」

「……ああ」

 

 ステラの言ったように、太陽が邪悪な魔物を貫いたようだったのだ。

 あるいは、激しく輝く流れ星かもしれない。

 感嘆する私達の視線の先でフォンは着地すると爪を一度だけ振り払い、息を吐いていた。

 

「フォン殿っ! お見事っ!」

「凄いですフォンさんっ!」

「あはは……自分でもちょっと驚きだけどね」

 

 ドルバ殿の声に我へと返ったのだろうステラが嬉しそうな声を出して駆け寄っていく。

 そんな彼女へフォンは戸惑うように笑みを見せていた。

 

「太陽の爪、かもしれないな」

 

 私はそう呟いて空を見上げる。

 そこには、煌々と輝くけっして翳る事のない太陽が浮かんでいた……。




お久しぶりです。とりあえず生きています。


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