怪獣総進撃2020 (マイケル社長)
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ープロローグー

・7月10日 金曜日 0:31鹿児島県霧島市溝辺町 鹿児島空港

海上保安庁 第十管区海上保安本部 鹿児島航空基地

 

 

 

 

 

 

本日の日報を書き上げると、鹿児島航空基地うみつばめ機長・照屋幸三はふうっと大きく息を吐いた。パソコンの電源を落とし、事務所の電気も節電状態にする。

 

「あー」と1人言葉を発し、背伸びをする。仮眠の前に一服すべく、照屋は外に出た。夜半まで降り続いた雨も上がり、蒸された空気が照屋を包む。雲の切れ目から星が顔を覗かせた。この分なら、明日は久しぶりに晴れ間を拝むことができるだろう。

 

観測史上初の「梅雨入りなし」が宣言され、3ヶ月近くまともに雨が降らなかった昨年から一転、今年は早々に九州の梅雨入りが宣言された。それから2カ月近くになるが、太陽が顔を出すことのない、しとしとと霧のような雨が降る毎日だった。

 

そして今朝から、鹿児島県一帯に大雨警報が発令され、1時間に50ミリを上回る激しい雨が続いた。豪雨のため基地に併設される鹿児島空港は午前中から離発着便すべてが欠航となり、振り替え手続きのため日付が変わる頃まで乗り損ねた乗客たちと、対応に追われる係員の姿があった。

 

だが振り替え手続きも終わり、JAL・ANA、並びに両社から委託を受けている南国交通のスタッフたちがクタクタの様子で帰路に着く頃には、雨も上がってきた。

 

明日も豪雨だった場合を懸念する地上係員の声もあったが、この様子なら明日はまともに旅客便も運航されることだろう。

 

湿気った空気のためか、なかなかタバコに火がつかない。ようやくタバコの先端が熱せられ、五臓いっぱいに主流煙を満たしたとき、警報が鳴った。照屋の注意は一気にそちらに向けられた。

 

チッ、と舌打ちして、忌々しげに吸い始めたばかりのタバコを揉み消す。事務所に入ると、管区保安本部からのアナウンスが流れた。

 

『救難信号。北緯29度35分東経127度22分。奄美大島より北北西215キロ地点。当該船舶、大和客船所属大型旅客船「あかつき号」。鹿児島航空基地所属うみつばめ隊に出動命令』

 

貴重な一服を邪魔された気分は一気に吹き飛んだ。照屋は宿舎に待機する隊員に召集を告げ、自身も航空救難用のフライトジャケットに身を包んだ。

 

それから10分と経たぬうち、照屋を機長とする海上保安庁鹿児島航空基地所属・うみつばめ1号と2号が慌ただしく鹿児島空港を離陸した。雨が上がってくれたのはありがたかったが、いまだ雨雲が低空に浮かび、操縦士は緊張した面持ちで操縦桿を握っている。

 

飛行中、管区海上保安部より続報が入った。

 

「応答が途絶えた、ですか?」

 

副機長であり通信手の濵田が怪訝な顔をした。

 

「おい、どういうことだ?」

 

照屋が訊くと、濵田は自身も納得していない様子で応える。

 

「救難信号を発したあかつき号からの通信が途絶えたそうです」

 

「あかつき号のスペックを」

 

濵田からあかつき号に関する資料を渡されると、照屋は目を細めた。

 

「NK,JG・・・ぱしふぃっくびいなすと同タイプか。乗客573名、乗員194名。これほどの大型船が、通信に応じない。濵田、お前どう考える?」

 

そう問われたが、濵田は押し黙った。ややあって「通信機器の故障、か何かでは?」と自信なさげに答えた。

 

「これだけの情報化社会だ。仮に船の通信機器が壊れたとして、乗客たちがSNSで発信するだろが。その兆候は?」

 

濵田は額に汗を浮かべ、照屋の言うことを管区海上保安部に問い合わせた。照屋はしかめ面で黙り込んだ。

 

「本庁でもインターネットなどの確認を行なってるそうですが、まだなんとも・・・。また、海自の鹿屋航空基地からも、災派として救難機と、P3Cが離陸、当方と並行して調査・救助任務に当たるとのことです」

 

「なんでP3Cが来るんですか?あれは対潜哨戒機じゃないですか」

 

任官して2年目の特殊救命士、庭瀬が声をあげた。新人が仕事を覚え、生意気の盛りである頃だ。最近は上司にも臆せず質問や提言をするようになった。

 

「バカたれが」

 

照屋の一喝にも、庭瀬は承服しかねる様子で顔を俯けた。だが庭瀬以外の人員は、全員が今までにない緊張感を覚えた。

 

「間もなく現場海域です」

 

副操縦士の松田が声を出した。うみつばめ二機は高度をやや下げ、黒くうごめく海面により接近する。

 

「レーダー、船体を捕捉できず。救助灯や発煙も確認できません」

 

「注意しろ」

 

松田に短く言うと、照屋は庭瀬に顔を向けた。

 

「いいか坊主、NK級の大型客船が、これほどの短時間で沈没するなんて、普通は考えられねえ。だがな、それをいとも簡単にやってのけちまう奴がいるんだ。お前だって、去年イヤってほど目にしたはずだぞ」

 

最初は意味がわからない様子だった庭瀬も、得心したように顔面が青くなった。

 

「救難信号を発信した海域です」

 

うみつばめからサーチライトが海面に向けられた。船体こそないが、大小さまざまな漂流物が目視できた。

 

「こりゃあ、ホントに一気呵成に沈んだんだな」

 

照屋の声が強張った。操縦士の加藤は、顔中に油を塗ったように肌が濡れていた。

 

「漂流者、生存者は?」

 

松田が海面とモニタ両方に目を配らせた。

 

「確認できません。とにかく撮影を続行します」

 

松田も汗で顔がびっしょりだ。加藤に至っては、必死に吐き気を我慢している。

 

照屋自身、胃がこみ上げてきそうな不快感を押して、海面を注視する。船体から流出したと思われる重油が海面に浮かび上がっていた。とにかくいまは、生存者の探索と、現場状況確認しかできることがない。いずれにせよ、夜が明けて本部から巡視船おおすみ、さつまの到着を待たねばなるまい。

 

「海上保安部より。こちらでも映像を確認。いま5分捜索の後、一旦基地へ帰投せよとのことです」

 

やはりそうなったか、もう少し早く帰してほしいー照屋は心の中でつぶやいた。

 

ちょうど、レーダーに別の機影が映った。海自の対潜哨戒機P3Cだった。沈没したとされる海域をやや避け、海中探査用のソノブイをいくつか投下したようだった。

 

「機長、人です!」

 

松田が怒鳴った。全員が松田の視線を追った。

 

海面に漂うコンテナの上に、たしかに人の姿があった。それも2人。

 

「至急、至急!乗客と思われる人2人を確認!回転翼機まなづるを繰り上げ要請!」

 

濵田が興奮気味に無線機に言った。加藤は機体を旋回させた。固定翼機であるうみつばめでは救助は不可能なため、鹿児島からヘリコプターを寄越す必要がある。

 

帰投はお預け、救助機到着まで現場を旋回しながら待機となった。

 

「生死は不明。当方への反応なし」

 

松田の報告を、濵田はそのまま伝令する。

 

「女性か・・・女性2名と思われます。横たわったままです」

 

海上自衛隊機からも、サーチライトによる照明が加わった。照明弾でも上げればより確認が容易だが、船舶からの重油が流出していて引火の危険性がある。

 

 

 

 

 

2:04、管区海上保安部所属の回転翼機まなづるによって女性2名が引き揚げられた。

 

意識は失っていたが生命に別状はなく、ただちに鹿児島市の日赤中央病院へ搬送された。

 

所持品から身許が判明し、東京都渋谷区在住の大学生で、伊藤まさみ・ちひろという双子の姉妹であることがわかった。



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主な登場人物・架空の設定解説

~主要登場人物~

 

 

 

檜山 徹之

 

年齢:52歳

 

ICA(イメージアクター):堤 真一

 

国土交通省 運輸安全委員会 海難事故調査官。

元海上保安庁 国際刑事課。

 

 

 

緑川 杏奈

 

年齢:46歳

 

ICA:篠原 涼子

 

KGI損害保険株式会社 大阪本社海損部部長。

独身。

 

 

 

秋元 眞砂奈

 

年齢:29歳

 

ICA:深川 麻衣

 

ミステリー雑誌『UTOPIA』記者。

酒豪。

 

 

 

伊藤まさみ・ちひろ

 

年齢:共に19歳

 

ICA:清原 果耶

 

共に城南大学1年生。

『あかつき号事件』における生存者。

 

 

 

尾形 大助

 

年齢:60

 

ICA:片岡 愛之助

 

京都大学大学院 生命科学研究科教授。

ゴジラ研究の第一人者。

山根恭平博士の孫。

 

 

 

斉田 公吉

 

年齢:46

 

ICA:大泉 洋

 

調査事務所『斉田リサーチ』代表取締役。

元KGI 損保社員で緑川の同期。

 

 

 

東野 修武

 

年齢:55歳

 

ICA:緋田 康人

 

大和客船旅客部門『JOTツアーズ』第二営業部長。

 

 

 

高橋 仁雅

 

年齢:62歳

 

ICA:石橋 凌

 

防衛大臣。

 

 

 

北島 佳澄

 

年齢:50歳

 

ICA:羽田 美智子

 

総務大臣。

 

 

 

佐間野 力哉

 

年齢:53歳

 

ICA:北村 一輝

 

国土交通大臣。

 

 

 

進藤 英作

 

年齢:46歳

 

ICA:小藪 千豊

 

KGI損害保険株式会社 欧州支社長。

緑川の同期。

 

 

 

ベン・ビグロウ

 

年齢:50歳

 

ICA:サイモン・ペグ

 

ケンブリッジ大学動物学教授。

イギリス人。

 

 

 

望月 馨

 

年齢:73歳

 

ICA:志賀 廣太郎

 

内閣官房長官。

 

 

 

瀬戸 周一朗

 

年齢:72歳

 

ICA:渡 哲也

 

内閣総理大臣。

 

 

 

三蔵院 永光

 

年齢:64歳

 

ICA:佐野史郎

 

新興宗教団体『黄金の救い』教祖

 

 

 

三上 紀明

 

年齢:68歳

 

ICA:鹿賀 丈史

 

民俗学者。

 

 

 

近藤 悟

 

年齢:46歳

 

ICA:反町 隆史

 

フリーのジャーナリストでありユーチューバー。

元共同通信社記者。

 

 

~架空の設定解説~

 

 

・ボーフヂェーティ島

 

 

クリル列島(千島列島)に浮かぶ島。

 

旧日本名は「神子島」。

 

海流と大陸からの風により、夏場でも最高気温が10℃前後であり、一年の大半は雪と凍土に覆われている無人島。

 

1955年、大阪を襲ったゴジラが現れ、航空自衛隊の戦闘機部隊と対決。

 

2019年、突如として眠っていたゴジラが復活。

 

 

 

・KGI損害保険株式会社

 

 

KG(海洋漁業)ホールディングス傘下企業。

 

主に国内外の船舶保険、自動車保険を取り扱う損保会社。

 

英国の損保大手「ランスロット生命保険」を買収し、世界有数の規模を誇る損害保険会社となる。

 

大阪に本社を置き、東京、札幌、福岡、上海、シンガポール、ドーハ、ロンドン、トロント、マイアミに支社、その他親会社のKGホールディングスのネットワークを活かし、大きく展開中(名古屋支社は2019年、焼失)。

 

社訓は「窮すれば通ず」。

 

 

 

・ゴジラ

 

水爆実験によって恐竜の生き残りである水棲生物が突如変化した怪獣。

 

1954年、太平洋上で多数の船舶を襲った後、小笠原諸島・大戸島を経て首都・東京を襲撃。

 

その後東京湾に潜伏するも、或る科学者が開発した「水爆以上の兵器」で葬り去られる。

 

 

翌1955年、東京を襲ったものとは別のゴジラが出現。

 

同じく水爆実験により変異したアンキロサウルス=通称アンギラスと激しく争いつつ、大阪に上陸。

 

大阪でアンギラスを屠ると北方海域へ進行、当時日本領であった千島列島・神子島へ上陸(この際海洋漁業北海道支社の船舶を沈没させる等猛威を奮う)。

 

神子島で航空自衛隊・海上自衛隊と対決、人工的に引き起こされた雪崩に巻き込まれ、完全に沈黙する。

 

 

千島列島を治めるソビエトの調査団による幾度かの調査の末、1967年、凍土の下で生命活動を停止しているとされていたが、2019年6月に復活。

 

宇宙から飛来したと思われるアメーバ状の生命体によって進化を遂げたカマキリ―カマキラス、ガイガン、そしてダイオウイカが変異したと思われるゲゾラと茨城県・東京都において交戦。

 

これをいずれも屠るも、多大なダメージとエネルギー放出のため、日本海溝へ沈む。

 

死亡したかと思われたが、1カ月後、フィリピン沖より現出した黄金の三つ首龍と示し合わせるかのように再出現。

 

東海地方を壊滅させた黄金の三つ首龍と浜松市郊外にて対戦する通称『浜名湖決戦』が勃発。激闘の末、三つ首龍と共に遠州灘へ沈み、以後行方不明。

 

※いわゆる浜名湖決戦は2日間に渡り、浜名湖周辺は完全破壊され、浜名湖は消滅、浜名湾と呼ばれる入り江となる。また防衛出動した陸海空自衛隊はこの戦いにより、全兵力の24%を損耗するに至った。

 

 

 

かつて出現した個体はいずれも推定身長50m、体重2万トン。

 

2019年に再出現した際は、身長90m、体重4万トンまでに達していた。

 

水爆実験の影響で全身から強い放射能を発し、口からは強烈な放射能を含んだ超高熱の息、白熱光を出す。

 

またガイガンとの決戦時、白熱光を凝縮・強化したと思われる放射能熱線を披露。その恐るべき破壊力は汐留、新橋、そして浜名湖決戦時に浜松市・湖西市を焦土と化してしまった。

 

 

 

 

 



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ーChapter 1ー

・7月10日 14:32 群馬県渋川市渋川辰巳町 JR渋川駅

 

 

「ちょっと、どういうことですか!?」

 

秋元が上げたあまりの大声に、改札近辺の乗客、キオスクのおばさん、駅員が目を丸くした。

 

『いやあ、上から突かれちまってねえ、出張費使いすぎだって。だからさ、新幹線はやめて、在来線、普通列車で戻ってきてよ』

 

電話の向こうで、編集長の藤田がいつもの通り軽い口調でまくし立てる。

 

「だって・・・!そしたら東京着くの夜になりますよ!?」

 

『夜になっても良いよ。それから原稿、仕上げてもらえば良いんだから。ね、会社に貢献すると思ってさ。言うこと聞いてちょうだいな』

 

「・・・・・わかりましたぁ」

 

口をすぼめ、「もうっ」と電話を切る。秋元は駅の電光掲示板を見た。本来乗車しようとしていた上越線の次に、特急くさつがある。

 

ノコノコ在来線で東京まで戻るなど以ての外だが、かといって新幹線料金自腹というのもキツい。多少の持ち出しは覚悟した上で、折衷案である特急くさつの自由席を利用することにした。新幹線の速度には及ばぬにせよ、普通列車よりいくらか早いはずだ。

 

(どっちにしても、また徹夜かなあ)

 

ため息をつくと、秋元は不謹慎にもキオスクで500ミリのビール2缶購入すると、早速駅の待合室で封を開けた。

 

苦くてうまい液体が豪快に喉元を流れ去り、大きく息をつく。苛立つ心もこの爽快感の前で払拭される。

 

列車が入るまで、秋元はこの2日間取材した内容のおさらいをすることにした。

 

A5サイズのノートにビッシリと書かれたメモに、旅館の旦那から思わず聞き及んだ内容を収めたスマホのメモ帳を照らし合わせ、頭の中で原稿の雛形を組み立てる。

 

主に超常現象やオカルト、不思議体験や古代文明などを取り扱う雑誌『UTOPIA』編集部に勤めて6年。元々ミステリアスな話が大好きで、人の話を聴くことが得意だった秋元には天職ともいえる仕事だったが、雑誌編集の常として、時間があまりにも不規則かつ長時間に及ぶことにだけは未だ慣れなかった。

 

その上、上司である編集長の藤田は人使いが荒い上にシブチンで有名で、今回のように煮え湯を飲まされることはしばしばだった。

 

「あんたそれ、ブラック企業じゃない?」

 

昨年、久しぶりに顔を出せた高校の同窓会にて、同級生に憐れみの目でそう指摘されたことは今でも気にかかる。

 

それでも、こうしてデスクに座ってばかりではなく、アクティブに動き回れるところは嫌いではないし、しょっちゅう行われるカンフル剤的な飲み会や書店組合、印刷所の接待なども、酒好きの秋元にはむしろご褒美であった。

 

こうして取材の合間、こっそりとひとりで乾杯できるのも、モチベーション維持のために必要不可欠だった。

 

とはいえ、昨年からそうした飲み会、接待も控えめになってきた。ただでさえ出版不況と言われる時代である上、昨年続けて起きた大事件、すなわちカマキラスによる東京大停電からのゴジラ東京上陸(いわゆるガイガンショック)、黄金の怪獣による東海地方壊滅以来、日本経済は底を打った状態で推移していた。ここ最近、今回のように取材費が搾られるのも、単に藤田がケチなだけではあるまい。

 

実は、昨年のガイガンショック以前は、ゴジラ、そしてかつて現れたアンギラスといった巨大怪獣を積極的に扱っていたのは、他ならぬUTOPIAであった。ゴジラ、アンギラスの生態に迫ったものから、古代から伝わる怪物、妖怪伝説に絡めたもの、果ては宇宙人による生物兵器説を取り上げるなど、大きく特集を組めば雑誌の売り上げが期待できるキラーコンテンツであったのだ。

 

ところが、昨年再びゴジラが現れてから、ゴジラの扱いは一般的な週刊誌や新聞、ネットニュースにお株を奪われていった。逆に、従来UTOPIA が特集していた内容には『不謹慎』だの『被害者の心情に沿ってない』だの謂れてしまう有様だった。

 

その他、国内外の未確認生物ネタなども、実際に現れた超常生物の前には霞となって消えてしまうのだった。

 

いまでは細々と、日本各地に伝わる妖怪伝説を特集するばかり。以前秋元も携わっていたゴジラ専従班も肩身の狭い思いをしていた。

 

今回、群馬県の榛名山に伝わる巨人『ダイダラボッチ』伝説の取材に訪れたわけだが、地元に語り継がれてきた民話に触れられて内容こそ充実したものの、1年を経てもいまだニュースの中心を占めるゴジラ、ガイガン、そして黄金の怪獣ネタにははるか及ばぬインパクトだろう・・・。

 

いつのまにかビールを空けてしまった。秋元は席を立ち、ビールのお代わりに目を丸くするキオスクのおばちゃんに千円札を渡し、対価として500ミリ缶2本を受け取った。

 

待合室のテレビでは、昨夜九州南西海域で沈没した豪華客船『あかつき号』沈没事件を大きく報じていた。

 

コメンテーターの落語家が、乗客乗員約600名がほぼ犠牲となる大惨事の中、双子の姉妹が助けられた奇跡に触れていた。

 

また沈没原因も、船体の老朽化から、操船ミス、はたまたゴジラ犯人説など、多岐に及んだ。

 

列車待ちの乗客も、この話題でもちきりだった。人が3人も集まれば、自然とこの話題になるほどだった。

 

「オレこの落語家嫌いだ」

 

そう言いながら、地元民と思われる老人がテレビのチャンネルをNHKに変えた。

 

ちょうど国会中継の最中で、あかつき号事故、ならびに昨今の日本経済弱体を徹底的に攻める野党連合のヤジが飛ぶ中、冷静に答弁する瀬戸内閣総理大臣が映し出された。

 

その老人以外、品位のない国会中継に興味を失った待合室の乗客たちは、テレビから視線を外して各々のおしゃべりをし始めた。

 

仕方なく、秋元はスマホで原稿執筆を始めた。遅くなるのはやむを得ないとして、徹夜は勘弁したいところだ。移動中にいくらかでも執筆しておきたかった。

 

周りの雑談が気になるので、イヤホンでラジオを聴くことにした。

 

『はぁーいみなさんこんにちはー!CFM「kimmy’s garden」パーソナリティの吉住紀美子です。まずはいつものコーナーから。「kimmy’s breakin'news」!ロシア連邦北部ムルマンスクにて、氷漬けのマンモスが発見されたそうです!ロシア科学アカデミーのイワン・ライコフ教授は「古代地球の謎を解くことが大いに期待できる」と興奮気味だとか。早速、世界各国の著名な動物学者が調査を行うべく続々とロシア入りしているそうです。ねー、マンモスにしては鼻が長くないとか、大きさが不自然とか言われてるようですが、真相は如何に!?』

 

 

 



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ーChapter 2ー

・7月10日 14:37 東京都千代田区永田町1丁目1ー7 国会議事堂 衆議院

 

 

「国民行動党、鳩中幸成君」

 

櫻井衆議院議長に促されると、国民行動党党首、鳩中はマイクの前に立ち、対面に座りうつむき加減の内閣総理大臣、瀬戸周一朗を見据えた。

 

「えー、先ほど我が党の野村副党首が質問したことと関連しますが、総理!IMFによれば、今年度の日本の国内総生産はイギリスの後塵を拝する6位に落ち込むと発表がありました。これはつとに、昨年我が国を襲った相次ぐ怪獣災害。カマキラスによる東京大停電での経済活動停滞に加え、ゴジラ、ガイガンの出現、さらには、愛知県、岐阜県、静岡県西部を完全破壊してしまった黄金の怪獣による被災が原因でありますが、あれから1年が経つというのに、東海地方の復興は遅々として進まず、我が国屈指の工業地帯が稼働しないことで、GDPが一昨年の8割強にまで落ち込んでしまいました!」

 

「前置きが長いぞー」という与党側のヤジを受け、鳩中はコップの水を少し含むと、続けた。

 

「復興推進を公約に政権を勝ち取りながら!まったく公約が果たされぬどころか、わずかな見通しすらついていない!これは現政権ひいては、与党の怠慢であり、国民に対する裏切りと言えるのではありませんか!?」

 

「そうだそうだ!」「どうしてくれるんだ!」と激しくヤジが飛ぶ中、瀬戸は目を閉じた。

 

「総理にお尋ねしますが、今後の具体的な復興案、そして国内総生産の嵩上げを如何にして行うのか、ぜひお答えいただきたい!」

 

怒鳴りつけるような声でマイクを離れ、鳩中は席に着いた。

 

「内閣総理大臣、瀬戸周一朗君」

 

櫻井から声を掛けられたが、瀬戸は補佐官とのやり取りがやや長引き、すぐには席を立てなかった。

 

「早くしろー」「自分の言葉で答弁しろよ」とのヤジは意に介さぬフリをして、マイクの前に立った。

 

「現在、新幹線が開通した静岡県西部に関しては、法人税減税特区構想に基づき、従来の工場地帯復旧並びに、新たな工場建設を希望する企業を募り、復興の最前線とする計画であります。また特に被害の大きかった愛知県については、地元財界との協議の上で、構想を固めて参る所存でございます」

 

瀬戸の落ち着いた答弁に、「質問の答えになってないぞ」「前も同じこと言ったな」と声が上がり、与党側からも応戦が入る。

 

「誠に残念ながら、名古屋市を中心とした地域は瓦礫などの撤去、死者行方不明者の捜索、遺体の収容すら完了しておりません。本年度末を目処に完了する予定ですが、その後の復旧工事に関しては、今月末に競合入札を始める予定でおります」

 

すかさず鳩中が挙手した。櫻井に促され、マイクを前にする。

 

「仮に復興したとして、愛知県だけで延べ120万人の死者が出ております。名古屋市を元通り復旧させた場合、その都市機能も元通りになるのでしょうか?」

 

今度は素早く反応する瀬戸。

 

「遺憾ながら、名古屋市を元通りということにはなりません。が、地域の均衡に合わせた都市を造ることで、地元経済、ひいては、日本経済の成長に貢献できるものと考えております」

 

一気に院内がざわついた。突っ込むべき部分は多いが、鳩中の隣に座る野村が挙手したことで、鳩中は席に下がった。

 

「総理にお尋ねします。復興が果たされたとして、これ再びゴジラなどの怪獣が現れた場合、また日本は甚大な被害を受けることが予想されます。予想される事態に対応するには、自衛隊の装備拡充及び、有効な作戦が打ち立てられる保証があるのか、国民が安心して暮らせるのか、お答えいただきたい」

 

「事業見直しで防衛予算削ったのあなたたちでしょ!」

 

瀬戸の後ろに座る、北島香澄総務大臣がドスの効いた高音を上げた。

 

瀬戸はふたつ隣の高橋仁雅防衛大臣に視線を向けた。高橋は短く頷くと、右手を上げた。

 

「高橋仁雅防衛大臣」

 

高橋は立ち上がり、傍若無人にヤジる野党議員たちに射るような目を飛ばした。

 

「昨年来、陸、海、空、全自衛隊、並びに、在日米軍、韓国軍と連携し、日本近海での怪獣警戒を続けております。同時かつ多重なる捜索警戒網により、日本本土上陸前に軍事行動を取り、撃滅を期する作戦も、自衛隊で立案されております」

 

我慢ならん、とばかりに野村が立ち上がった。

 

「果たして自衛隊の装備はゴジラに対して有効なのですか?我々が事業見直しで仕分けしたゴジラ貫通弾は、まったく通用しなかったことが昨年の浜名湖で証明されたではありませんか!」

 

高橋は野村を睨み、食い気味にマイクを握った。

 

「浜名湖決戦においては、自衛隊の行動展開が充分ではなく、結果的に軍事行動の禁忌とされる、戦力の逐次投入となってしまったことは、大いなる反省点でありました。またその際、対象はゴジラだけではなく、黄金の怪獣も存在したことに加え、激しく争う2匹に照準を合わせることがいささか困難であったことも、本来の兵力が充分に活かされなかった理由でありました。現在、ゴジラ及び黄金の怪獣を早期発見に努め、航空、そして海上からの火力集中投射によってこれに対抗できるものと想定しています」

 

「本土に近かったらどうするんだー!」「また同時に現れたらどうするんだー!」

 

ざわつく院内だったが、「静粛に、静粛に!」と櫻井が呼びかける。本来であれば審議のメドがつくまで議会は行われるのだが、瀬戸始め主要閣僚が午後4時から駐日米大使との会談を控えているため、午後3時を期して審議を終了させなくてはならないのだ。

 

それでも、とても終了まで持っていける雰囲気ではなかった。与野党共に質問、そしてヤジの応酬合戦となり、静粛を呼びかける櫻井の声も次第に大きくなっていった。

 

 

 

 

 

半ば強制的に議会は終了、明日へ持ち越しとなり。瀬戸以下閣僚は国会議事堂から首相官邸へと戻っていた。

 

昨年、カマキラスによって頂点を穿たれた国会議事堂中央塔を仰ぎ見ながら、瀬戸は疲れた様子でため息をついた。歩きながら、米沢首相補佐官がまくし立てているのは、本日未明に沈没した豪華客船、あかつき号に関する内容だった。

 

「状況はわかったが、運輸安全委員会の調査はどうなっている?」

 

瀬戸が訊くと、背後を歩く佐間野力哉国土交通大臣が答えた。

 

「鹿児島の第十管区海上保安部所属の調査官、並びに、霞ヶ関の委員会所属の次席調査官が本日夕刻より、関係者への事情聴取を行うことになっております」

 

「そうか。事故原因の究明は本日中には難しいかね?」

 

「はい。現場では、生存者捜索が最優先で行われております。早くて1週間を期して、沈没船の引き揚げを行う予定です」

 

瀬戸は頷くと、今度はそばに控える望月官房長官に向き直った。

 

「明日の審議では、対怪獣の防衛計画が問われるだろうね?」

 

「でしょうな。明日朝一番で、防衛省による総理レクを行いましょう」

 

瀬戸は頷き、再びふうっと息をついた。

 

「それにしても、よくもいけしゃあしゃあと私たちを非難できますよね、鳩中さんたち」

 

国会を出てから、険しい表情を崩さない北島が誰にともなく口にした。

 

「与党時代の事業見直しで、防衛予算削ったの自分たちでしょーが」

 

「まったくですなあ、困ったものだ」

 

望月が同意したが、瀬戸は前を向いて歩くのみ。北島の怒りが伝染したかのような、険しい表情をしていた。

 

「総理?」

 

自身への同意を求めるのが半分、北島は瀬戸の顔を伺った。

 

「ん?ああ、すまない。いささか疲れてね」

 

瀬戸ははにかむと、腕時計をチラと見た。

 

「デリンジャー大使との会談には必ず向かう。皆、先に執務室へ行っていてほしい」

 

本来は閣僚全員で向かうはずだったため、SPが虚を突かれたように足を止めた。

 

「突然すまない。10分で良いので、総理と話すべき事案があってね」

 

望月がフォローを入れると、SPは短く打ち合わせ、陣形を整えた。

 

瀬戸と望月、そして補佐官の米沢は4階の官房長官執務室へ向かった。残された閣僚たちはSP先導の下、5階を目指した。

 

「総理レクなんて予定にあったかしら?」

 

北島が隣を歩く佐間野に訊いた。

 

「デリンジャー大使への手土産が必要だろうからな」

 

佐間野は言いながら、一緒に歩く閣僚が全員揃っていないことに気づいた。

 

「気に入らないな。相手を選別する内容のようだ」

 

高橋防衛大臣、そして岡本文部科学大臣が見当たらないのだ。

 



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ーChapter 3ー

・7月10日 15:23 東京都千代田区永田町2丁目3ー1 首相官邸5階 総理大臣執務室

 

 

国会を出る際、マスコミからの執拗な追撃をかわすのに時間がかかってしまい、高橋は遅れをとり戻せぬまま先に向かった閣僚を追うように官邸入りした。

 

「デリンジャー米大使との会談前に、話しておきたいことがある。総理執務室へ」

 

最後までヤジが収まらなかった衆議院を出る直前、望月に耳打ちされた。予定にはないことだったが、SPと秘書たちはそれでも都合をつけてくれた。

 

SPを先頭に早足で官邸の廊下を歩き、執務室のドアをノックした。

 

「高橋です。到着しました」

 

「どうぞ」と瀬戸の声がして、ドアが内開きに開いた。

 

執務室に入り、高橋は息を呑んだ。瀬戸、望月に、米沢首相補佐官、岡本文部科学大臣、氷堂外務大臣、そして大臣以下各省の事務次官、審議官、島村防衛装備庁長官、警察庁次長と公安局長、宮澤内閣情報調査室長、また瀬戸の向かいには、見慣れない男性2人が座っていた。見覚えはあるが、素性は思い出せない。

 

そして瀬戸の背後、年齢こそ重ねているが存在感と威厳に満ちた老人が、高橋を見据えてきた。瀬戸以外全員が立ち上がって高橋を迎える中、その老人だけはどっしりと腰を下ろしたままだった。この老人も見覚えがある。

 

「遅くなりまして、申し訳ない」

 

高橋が頭を下げると、「忙しいところすまない」と瀬戸から返事があった。

 

すかさず防衛審議官の村田が高橋に、瀬戸の向かいで頭を下げる男性2人を紹介した。三菱重工の菅原会長と、難波重工の浜岡社主取締役だった。

 

日本はおろか世界有数の重化学企業代表とはいえ、あくまで民間人である菅原と浜岡がここに居る意味を、高橋は図りかねた。

 

村田に促され着席すると、瀬戸は望月に目配せをした。望月は頷き、高橋を見やった。

 

「時間がありませんので、本題からお話します。我が国の安全保障、ひいては国家存亡に関わる事態です」

 

望月は口調こそ穏やかだが、えも言われぬ迫力を湛えた。

 

「高橋さんは、メーサーに関して説明は受けてますかな?」

 

一瞬面食らったが、「ええ」と短く答えた。すかさず村田からA4サイズに綴じられた資料が手渡された。

 

昨年10月、ゴジラ、ガイガン、そして黄金の三つ首龍襲来後、衆議院解散総選挙が行われ、与党が辛くも勝利した。その際、組閣が大幅に変更され、高橋は本来自身が歩んできた司法畑に則った席であった法務大臣に就任した。

 

だが先月、前任の大家防衛大臣が脳梗塞を発症して大臣職を辞したため、横滑りで高橋が防衛大臣に就任したのだった。

 

防衛省に席を着けて、最初の大臣レクの際、メーサーに関しては説明を受けていた。マイクロ波を増幅して誘導放出し、対象を破壊することができるとされる次世代兵器だ。有効射程が従来の砲弾、誘導弾よりも長い上、近来出現が相次ぐ怪獣に対して、絶大な効果があるとされている。

 

だが兵器試験をした結果、理論上放てるというだけで、実用化は困難とされているはずだった。放出されるレーザー光線状のマイクロ波を精製するには、膨大な電力を必要とする。防衛予算を度外視しても、そのような兵器は既存の発電所近くにしか展開できず、ゴジラなどの怪獣が都合よく展開場所へ現れない限り、移動もできず役に立たない上、日本国家全体が緊縮財政を強いられる中では、国民の理解は到底得られない、という結論となったのだが。

 

「うちの村田審議官からも説明を受けましたが、そのメーサーが、何か?」

 

すると望月は村田に目配せをした。村田はゴクリと唾を飲み込むと、高橋にクリアファイルを手渡した。最初のページには、痩せ型で白髪を七三分けにした、やや気難しそうな男性の顔写真が印刷されていた。

 

「矢野健成、城南大学の生物科学科教授。この方とメーサーと、何の関係が?」

 

高橋は村田に、そして列席の閣僚、官僚全員に訊いた。

 

「現時点で、メーサーは実用化は困難と、私は大臣レクの際申し上げたと思います。この矢野教授は、つい5日前ですが、メーサーを兵器として実用化できる理論を解かれたのです」

 

驚いた、というより、すぐさま疑問が浮かび上がった。

 

「この矢野教授は生物学が専攻だそうだな。それがなぜ、物理化学であるメーサーに関連づいてくるのだ?お門違いでは・・・・」

 

言いながらページをめくると、答えに辿り着きそうなことが記載されていた。

 

「未知の元素によるメタンハイドレート抽出・・・・?」

 

元々弁護士から政界入りした高橋は、学生時代から法務学が専門であったため、物理化学の分野に明るいわけではない。それでも、矢野教授の論文を官僚が噛み砕いた資料は、素人にも充分理解できる内容となっていた。読み進めるほど、高橋は食い気味にページを開いていく。

 

「これは、本当、なのですか?」

 

再び、揃いの全員に向けて訊いた。望月が静かに頷いた。

 

「記載の通りです」

 

望月が言うと、岡本文部科学大臣が補足した。

 

「高橋さんもお耳にしたことはあるでしょうな。メタンハイドレート、通称燃える氷のことを」

 

岡本はねっとりとした口調で、上半身を高橋に向けた。

 

「主に海底、永久凍土に存在する、メタンガスが氷結した固体でしたな。次世代のエネルギー源として期待される一方、常温では気化してしまうため、技術的に実用化には壁がある、とは聞いてましたが」

 

「その通りです。そして我が国近海には、日本全体の電力消費量、延べ90年分に相当するメタンハイドレートの埋蔵が確認されている」

 

頷きながら補足する岡本に、「それが原因で、中国や台湾が南沙諸島の領有権を主張していることもご存知ですな」と、氷堂外務大臣が口を挟んだ。

 

「・・・・どうやら見えてきました。この矢野教授は、経緯は不明だがメタンハイドレートを気化させず採取し、エネルギーとして使用できる方法をつかんだ、ということですか」

 

全員が頷いた。高橋は興奮が抑えきれず、ファイルを置く手が震えた。

 

「これは世紀の発見と言えますね。我が国のエネルギー問題が一挙に解決するばかりか、生産国としてだけではなく、資源国としての発展が見込める。ゴジラ、ガイガンによる被災からの復興にも大いに貢献できますね。だが・・・この雰囲気では、なんらかの由々しき事態となっているのですね?」

 

そこから先は、渡された資料にも書かれていないことだった。

 

「矢野教授ですが、現在消息不明なのです。昨日、福岡に寄港していた豪華客船へ乗船したまでは把握しているのですが」

 

宮澤情報調査室長の言葉に、高橋は募る期待をかなぐり捨てられた気分になった。

 

「まさか、その豪華客船とは」

 

「そうです、昨晩沈没したあかつき号です」

 

得心がいった。ここに警察上層部、内調の重鎮が顔を揃えているのは、それが理由だったのだ。

 

「矢野教授は、この論文を学会ではなく、うちに寄越してきたのです」

 

岡本が言った。

 

「ノーベル賞よりも、国家に寄与したい、とね。それが5日前でした。そこからの動きは目まぐるしかった。極秘且つ壮大な計画です」

 

岡本の話を聞き及び、高橋は村田に向き直った。

 

「わからんのは、なぜ防衛省がこの話に乗っかったのかね?」

 

すると村田はもうしわけなさそうに唇を噛み、「なにぶんにも極秘事項ですので、コンセンサスが得られてから大臣にご説明をと考えたのですが」と前置きした。

 

「確証は得られないが、この新元素はメタンハイドレートの抽出を可能にするばかりでなく、メタンハイドレートをさらに凝縮させ小型化できる可能性が大きいと、矢野教授はおっしゃいました。使用できるエネルギーはそのままに、例えば、10の大きさが3にできたとすると、自動車や航空機の燃料に大革命が起きるばかりでなく・・・・戦車に搭載した場合、メーサーを主砲として運用することも可能という結論に至ったのです」

 

高橋は息を呑んだ。そうか、それで重化学工業の大家が2人、この場に居合わせているのだ。

 

「この仮定を基に算出した結果、メーサー射出機を搭載した戦車は、およそ23億円で製造が可能という見積もりを当研究所が弾き出しました。戦車としては極めて高額ですが、最新鋭戦闘兵器としては、画期的なものとなるのです」

 

難波重工の浜岡社主が、興奮気味に言った。

 

「陸自の主力である10式が1台でおよそ10億円です。2倍強ですが、1台でも保有した場合のメリットは計り知れません」

 

村田が付け加えた。これほどの新発見に、誰もが浮き足つのは理解できた。

 

「米国の介入は免れないとしても、日米及び同盟国で共有できれば防衛面ではもちろん、産業としても画期的すぎる。その上、ゴジラやアンギラス、はたまた、あの黄金の怪獣へ太刀打ちも期待できる。これは、同盟国以外にも、垂涎且つ脅威ですな」

 

望月が言った。これは、これから会談するデリンジャー駐日米大使に顔を合わせたくなくなる。高橋は額に汗を浮かべた。

 

「あかつき号の事故は原因が不明、生存者は2名だけ、と聞いてます。矢野教授の消息もですが、事故原因にもきな臭さを感じますね」

 

なぜ身柄を拘束してでも、矢野教授の行動を制限しなかったのか、非難の視線を警察庁次長に向けた。米沢首相補佐官が立ち上がり、今朝の新聞を持ってきた。

 

【中国、北海・カムチャッカ半島沖合にてメタンハイドレート抽出実験】

 

いよいよ、全身から汗が噴き出してきた。

 

「ひとつ、お訊きしたい」

 

警察、あるいは文科省、官邸の不始末はこの際槍玉には上げまい。高橋は全員を見回した。

 

「こんな奇跡のような物質、矢野教授はどこでどうやって発見したのです?」

 

おいそれと口にできないのだろう、『あんたが言えよ』そんな無言の押し付け合いが始まった。

 

「すべては、学者としての好奇心から、じゃったんだろうなあ」

 

おもむろに、瀬戸の後ろに座る老人が口を開いた。全員の視線を集める老人は、一気にこの密室で繰り広げられる緊張感溢れる即興劇の主人公となった。

 

「去年、浜名湖・・・今で云う浜名湾か。そこで採取した、あの黄金の怪獣の破片から発見されたそうだ。人類にとって毒にも薬にもならない、宇宙由来の体組織。研究を重ねた結果、そう結論付けられた細胞組織は、半ば捨て置かれるように保管されていた。まあ、あの頃は研究よりも、この国が被った災いをどうするか、皆、必死だったからな。先刻、たまたま、矢野くんが保管室から取り出し、暇つぶしに金色の体組織をバーナーで炙ったところ、ガスが気化することによる発火をしたそうだ。あの黄金の怪獣、果てのない宇宙を旅する中、虚空に漂う様々な元素を付着させていたのだろう。真っ先に電話を寄越したワシに、勢いのまましゃべり出したなあ」

 

まるで孫に昔話をする老人のような口調だったが、高齢に似合わず言葉尻ははっきりしている。高橋はどこかで、この威厳ある喋りを聴いたことがあった。

 

あっ!と声が出そうになった。

 

大澤蔵三郎、今年96になったはずだが、政界を引退した今でも、与野党はおろか日本の中枢に隠然たる力を誇る老人だ。昨年の浜名湖決戦以来、消息がわからないと言われていたはずだが。

 

米沢の電話が鳴った。短く応答すると、瀬戸に耳打ちした。デリンジャー米大使との会談時間が迫っている。

 

ほぼ同時に、岡本の秘書官も電話口で少し言葉を交わした。やはり岡本に耳打ちしたが、ヒソヒソ声は苦手なのか、他者に聴かれても問題ないのか、丸聞こえであった。

 

「尾形教授が、ボーフジェーディ島へ到着されたそうです」



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ーChapter 4ー

・7月10日 17:24 ロシア連邦 クリル列島 ボーフジェーディ島

(日本名:千島列島 神子島)

※日本より2時間進んでいることに留意

 

 

ボーフジェーディ島が見えてきました、との報告を受け、尾形はロシア科学アカデミー所有観測船『ラートカ』の船内から灰色の空の下に見える景色を感慨深く仰いだ。

 

海岸線は周囲7キロに満たず、千島列島に数えられる島の中では小さいが、海岸線から急にそびえる双頭の山が特徴の島は、薄く漂う霧の向こうにはっきりと姿を見せてくれた。

 

かつて船から、そして空から観測したことはあっても、上陸だけは叶うことがなかった。学術的調査の理由でもロシアからの上陸許可が下りなかった上、ある意味でチェルノブイリ、あるいはフクイチ以上に人類が近づくことが憚られる土地であった。

 

この1年、北方領土開発や極東地域と日本との経済交流など、外交的に軟化の姿勢を取り始めたロシア政府が、とうとう旧神子島への上陸を許可してくれたのだ。文科省の担当者の話では、日本政府とロシア政府とで極秘の取り決めが交わされたともっぱらの噂だったが、外交的な駆け引きはこの際どうでもいい。

 

尾形は防寒着を羽織ると、デッキに降りた。大型の漁船クラスであるこのラートカ号は、乗り心地はお世辞にも良いとはいえず、尾形は何度も食事を逆流しかけた。まあ、観光船ではないのだ。贅沢は言うまい。

 

夏だというのに湿気た冷たい風が、尾形をまとった。温度計をたしかめると、わずか8℃。風速は4メートル。体感的には5℃を下回るだろう。

 

この凍てついた空気とは裏腹に、尾形は湧き上がる熱い期待を抑えきれずにいた。

 

「これはこれは、少年のような瞳をしておいでですな」

 

観測船の責任者であり、ロシア科学アカデミーのアガフォノブナ・グラーニン博士が厚いコートに身を包んで現れた。傍らには、防弾衣のようにいかついコートを着用した兵士が2名。いずれも、軍の御目付役だ。

 

「船酔いも吹き飛びましたかな?」

 

グラーニン博士は流暢な英語で問いかけてくる。外務省からロシア語に精通したロシア課の職員も通訳として随行してはいるが、グラーニン博士との会話は英語で事足りた。

 

「いやはや、お恥ずかしい。どうも船に弱くて」

 

照れ笑いを浮かべる尾形。グラーニンは豪快に笑い、懐からステンレス製のスキットルを取り出した。

 

「ロシアでは、船で酔う前に酒に酔ってしまえば大丈夫と云いましてな」

 

そう言ってひと口ウオッカをあおると、「教授もいかがです?」と薦めてきた。

 

「いえ、結構です。ありがとうございます」

 

グラーニンは少し不満気にスキットルをしまった。酒は好きだが、ウオッカは苦手なのだ。

 

「先にお話しましたが、ゴジラが出現してから、島の中央に存在していた氷の層はすべて溶けてます。昨年はこの辺りでも珍しく、昼の気温が25℃にも達する日が続きましてな。おそらく60年ぶりでしょう、氷に閉ざされないボーフジェーディ島は」

 

だんだんと近づいてきた島へ視線を向けたまま、グラーニンは言った。

 

「ところで教授、我が国の頑固な政策によって調査がままならなかったとはいえ、なぜ今になって島の現地調査を?日本政府たっての希望とはうかがっているが」

 

グラーニンが訊いた。ウオッカで温まっても、寂しい頭は別なのだろう、暖かそうな毛糸の帽子をかぶった。

 

「仮死状態にあったとはいえ、ゴジラはこの地で60年あまり存在したのです。ゴジラの生態に関する謎が少しでも解けるかもしれない。その上、かねてより、不思議に思えてならないことがあるのです」

 

やはり島へ視線を向けたままの尾形はそう答えた。二の句を継がない尾形を、グラーニンは怪訝に見つめた。

 

「あの無敵ともいえるゴジラの数少ない弱点は、低温です。生態活動から、ゴジラは恒温動物と考えられますが、それでも、極端な低温下では動きが鈍ってしまうのは、65年前の神子島爆撃で証明されています。果たしてゴジラはなぜ、大阪襲撃後自身にとって過酷な環境である神子島を目指したのか。私の長年にわたる疑問でした。その答えが解けるかもしれない」

 

「ほう。さしずめ、ゴジラをシベリア以北の永久凍土まで誘導できれば、活動を封じることができそうですな」

 

「実は似たような案を、日本政府と自衛隊に提出しています。もし、この神子島にゴジラを惹き寄せる何かがあれば、65年前と同じ作戦でゴジラを再度凍結させることが充分可能です」

 

だんだんと語りが熱くなってくる尾形に、グラーニンは口元を歪ませた。

 

「まわりくどいことをせず、私なら、ゴジラ討伐に戦術核兵器の使用を提案しますね。まあ、核を持たぬ貴国ならではの発想ですか」

 

グラーニンは軽い皮肉のつもりだったが、尾形の顔は険しくなった。

 

「それだけは、絶対にしてはならない」

 

語気が強まったのがわかり、グラーニンは背を正した。

 

「だが人類が保有する兵器では、核兵器以外にゴジラに通用する兵器はないこともたしかでしょう。ゴジラを海上誘導の後、原潜からの戦略核弾頭にて公海上で駆逐する作戦は、ロシア軍でもたびたび議論されています」

 

「あなた方は、核兵器が使われた後の恐ろしさを知らない」

 

尾形は語調だけでなく、視線も強めてきた。これ以上は怒らせてしまうだろう。グラーニンは口を結んだ。

 

「それに、私はゴジラを倒そうなどとは考えていません」

 

「どういうことです?」

 

尾形の意図がわかりかね、グラーニンは訊いた。

 

「厚い氷に閉ざすことで、ゴジラを倒すのではありません。元の場所へ、還してやりたいのです」

 

ますますわからなくなり、「元の場所とは?」と訊いた。

 

「深い眠りです。人類が核を使わなければ、ゴジラは太古の地層で眠り続けたはずなのです」

 

グラーニンは首をすくめた。事前のレポートは読んだが、噂通り、やや変わった思考の持ち主のようだ、この尾形という男は。

 

そういえば、本来この調査に混ざるはずだったオックスフォード大学のビグロウ教授も、似たような主張をしていた。幸か不幸か、ムルマンスクで発見されたマンモスの調査に駆り出されてしまったが、もしこちらへ参加していたら、変人だらけの調査団となるところだった。

 

 

 

 

 

 

到着後、ロシアと日本の調査団一行はただちにゴジラが眠っていた氷河跡を歩いた。残留放射能はすでに問題のないレベルまで低下していた。

 

「放射能防護服が無駄になったのは良いことだ」

 

グラーニンはそうぼやくと、海岸線から急に角度がきつくなる坂を登り出した。

 

日没前までのおよそ2時間にわたり、氷河跡の調査が行われた。だが、氷が溶けた山の谷間は荒涼とした土と岩の世界だった。時折、神子島爆撃の際に犠牲となった日本の戦闘機の残骸が見つかる程度だった。

 

「特段、目新しいものはないな」

 

グラーニンはそう結論づけた。骨折り損のくたびれ儲けとはこのことだろう。こんな場所を調査したいなどと、日本政府と尾形は相当なもの好きだ。

 

調査の後、尾形たち日本の調査団はここからウルップ島へ移動、ウルップにあるセベロスコフ飛行場から専用機でアメリカのアラスカを目指すらしい。そろそろ飛行機の時間も考慮すべきだ。ここに長居は無用。

 

「博士」と、随行している科学アカデミーの職員が声を上げた。

 

「何だねそれは?」

 

グラーニンは職員が手にする、人の顔程度の大きさの物体に目を剥いた。

 

「わかりません。虫にしては大き過ぎます」

 

見た目以上に重量があるらしく、支える手が震え、顔が歪んでいる。

 

「こんな昆虫、見たことないですね」

 

随行の兵士が職員に手を貸した。

 

「いや昆虫ではないな。とはいえ魚介でもない。甲殻類、むしろ、ゴキブリか・・・」

 

皆が首をかしげていると、日本の調査団員も同じ物を持ってきた。

 

「あちらにもありました。これ以外にも数体。すべて死んでいるようですが」

 

ロシア語で説明する日本の職員だが、やはり正体をつかみかねているようだった。

 

「まあ、本国へ戻り研究してみよう。して、尾形教授は?そろそろウルップへ向かわないと」

 

グラーニンが訊くと、日本の職員たちは気まずそうに背後を向いた。

 

はるか先、山の尾根に佇む尾形の姿が見えた。

 

「まったく、何を時間喰っているのやら」

 

やや憤慨気味につぶやき、「尾形教授!」と大声を張り上げた。好奇心は学者に必要不可欠なものだが、度が過ぎるのも考え物だ。

 

しばらくして尾根を降りてきた尾形は、写真に収めた画像をグラーニンに見せた。

 

「博士、この尾根の反対側。ここは、元々これほど急な断崖でしたか?」

 

そう言われ、グラーニンは目を近づけた。

 

「むむう、なんとも。これが、どうかしましたか?」

 

「これほどのがけ崩れ、気候によるものとしては不自然ではありませんか?」

 

ロシア側はもちろん、日本側の調査団も不思議そうな顔をした。この画像にではない。尾形の言動にだ。

 

「この辺りは海流も激しく、強い波で島が削られることは珍しくありません」

 

随行の兵士がロシア語で答えた。外務省の職員は忠実に通訳し、尾形に伝える。

 

だが尾形は得心がいかぬらしく、首をかしげるばかりだ。

 

「この島の地形を観測したデータがあれば、よりわかりやすい。データはありますか?」

 

今度は尾形の言葉を、グラーニンがロシア語に通訳して兵士に話した。

 

「そりゃあ、エトロフとウルップの観測所で撮影したものが本国に転送されてますが・・・」

 

いい加減尾形の意図がつかみかね、不機嫌そうに答える兵士。尾形はかまわず、画像に見入るばかりだ。

 

陽が落ちてきたのか、ただでさえ曇り空の神子島は薄暗くなってきた。暗くなる前にウルップへ、と船を出航させたが、ウルップまでの航路及び、アラスカまでの飛行中も、尾形は顔が晴れないままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 5ー

・7月10日 16:08 鹿児島県鹿児島市東郡元町 鹿児島第二合同庁舎 第十管区海上保安本部

 

 

所属する管区本部とはいえ、現場で育ってきた照屋にとっては、海上保安本部は緊張で居心地の良くないところだった。

 

深夜の出動後基地へ帰投してわずかな仮眠を取った程度で、昼前にはもう一度あかつき号沈没現場を飛行、生存者の捜索と現場海域の調査を行うと、休む間もなく鹿児島市の海上保安本部へ事故調査委員会による事情聴取のため招集されたのだ。

 

聴取を行う小会議室へ入るよう促され、照屋は軽く咳払いをして入室した。自分は犯罪者ではないし初動飛行でも特段問題があったとは思えないが、やはりこういった機会は内心穏やかではいられないものだ。

 

「お座りください」

 

コの字に組まれたテーブルの向かい側に、見慣れないスーツ姿の男性が腰掛けていて、照屋に着席を勧めた。

 

第十管区保安本部所属の事故調査官は3人、いずれも見知った顔だが、彼らは照屋から見て左側に並んで座っている。実質、照屋の向かいに座る男が1人で事情を訊いてくるようだ。

 

「照屋幸三一等海上保安正ですね。国土交通省運輸安全委員会、海難事故調査担当次席調査官、檜山です」

 

檜山と名乗るその調査官は、厳しい顔をしながらも、朗らかな口調だった。自分でもあまり呼ばれない階級で人を呼びやがって、この野郎。

 

「まずはじめに申し上げますが、海難事故調査の原則に則り、本調査では照屋保安正以下鹿児島航空基地の航空救難隊による現場対応、救助活動に問題があったか否かを判断する性質のものではありません。あくまで事故発生当時の現場確認と、事故発生原因究明のために行う聴き取りです。現地調査の様子のみ、正確にお答えいただきたい。よろしいですね」

 

語り口だけでなく、檜山は喋り出すと表情も朗らかだ。言動も聴取対象を安心させるためのものらしいが、しゃらくせえ。

 

そう心の中で毒づきつつも、照屋は了承した。

 

「すでに当時の報告書は上がってますが、いま一度、保安正の口から現場の様子を説明してください」

 

檜山に言われ、照屋は今朝自身が仕上げた報告書の通りしゃべった。こうして面と向かうと、自分が書いた内容通りだったかと不安になり、どうしても狼狽えてしまうものだ。まったく、早く終わらせてくれよ。

 

「ありがとうございます。報告書と差異はありませんね」

 

何のための報告書だよ、余計な時間取らせやがって。

 

「では保安正にお尋ねします。沈没したあかつき号は目下事故原因は不明ですが、保安正はなぜ沈没したとお考えですか?」

 

いきなり妙なことを訊くものだと、照屋は面食らった。

 

「もう少し突き詰めてうかがいます、現場海域には、みなさんの他には誰もいませんでしたか?」

 

檜山は顔つきが真剣になった。こんなことを、調査官が尋ねてくるものだろうか。保安本部の調査官たちも、東京から派遣された調査官の問いかけに動揺しているのが見てとれた。

 

「そりゃあ・・・誰もいなかったと思いますが」

 

「海面下に影を目視できたとか、レーダーに反応は?」

 

そこは、敢えて報告書にも記載していない部分だった。やはり政府は、原因がアイツだと考えているのだろうか。

 

「なかったですよ、そんなもの。あれば当然報告しますし、それに現場には、海自のP3Cも捜索に参加したのですよ」

 

「わかりました、突然もうしわけない」

 

個人的な質問だったのですかと問いかけかかったところで、照屋はアッ!と声を上げそうになった。思い出した、この檜山とかいう調査官。前は同じ海上保安官だったではないか。去年、『あれほど』の騒動の渦中にいて、庁内で一躍時の人となった、アイツだ。

 

その辺りを訊くのはどうしたものかと考えていたところ、ドアがノックされた。管区海上保安本部の飯嶋三等海上保安監だった。

 

「調査中、失礼します」

 

折り目正しく頭を下げると、檜山と列席の調査官たちに何かを告げた。

 

檜山は驚きの表情を浮かべたと思いきや、険しい顔つきになった。保安本部所属の調査官は「えっ!?」と声を上げ、目を丸めた。

 

「照屋保安正、聴取を一度中断します。重大な事案が発生しました。失礼します」

 

立ち上がりながら言うと、檜山は保安本部所属の面々に目配せをした。それぞれ慌てて立ち上がり、檜山の後を追った。

 

「飯嶋課長、いったい何事ですか?」

 

ただならぬ気配に、照屋は思わず訊いた。

 

「2つ」と、飯嶋はピースサインを作った。

 

「まず、救難艇の深海カメラで沈没したあかつき号を確認したところ、船体の真下に、人工物と思われる地形が見受けられた」

 

照屋は呆気に取られた。何だそれは?そういえば十数年前、与那国島近海で海に沈んだ文明跡が発見されたことがあるが。

 

だがロマン溢れる想像をする間もなかった。飯嶋はさらに衝撃的な内容を告げた。

 

「もうひとつ。あかつき号沈没海域付近に、中国海軍所属の094型原子力潜水艦が現れた。明らかな領海侵犯だ」

 

自分でも血の気が引くのがわかった。

 

「ま、君は調査官が退室している間、こちらの方々から話を聴いてくれたまえ」

 

飯嶋はいつのまにか部屋の外に待機していた面々を招き入れた。スラッとした紺色のスーツを着た女性を筆頭に6名。先頭の女性が会釈して、照屋に名刺を差し出してきた。

 

「KGI損害保険海損部の、緑川と申します」

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 6ー

・7月10日 18:18 東京都文京区小石川5丁目 ツインセゾンビル5階 『UTOPIA』編集部

 

 

陽が落ちても汗ばむ空気の中、秋元は水道橋から春日通りを歩いて会社まで戻ることにした。

 

通常なら最寄りの茗荷谷駅まで地下鉄で向かうが、汗をかかないと、電車の中(あるいは乗る前)にたらふくビールを飲んだことがバレてしまう。

 

少しでも酔いを醒ます必要があったのだ。

 

歩きながら、スマホの通知を確認する。九州南西海域、ちょうど豪華客船が沈没した辺りに中国海軍の潜水艦が現れたことで、内閣官房長官が緊急の記者会見を行なっているらしい。

 

秋元はそれより、あかつき号が沈んだ海域に、古代文明の建造物と見られる地形が発見されたというニュースが気になっていた。

 

ちょうど去年の6月、沖縄・奄美群島付近にかつて存在したとされる古代文明、ニライカナイの取材をするために、沖縄北部に1週間滞在したのだった(しかもガイガン、カマキラス出現の混乱で東京へ戻れず、仲良くなった現地の老人たちと毎日酒盛りできた)。

 

これはひょっとすれば、取材で再度沖縄へいけるかもしれない。また、沖縄北部の民宿で泡盛が飲めるかもしれない。

 

淡い期待を抱きながら、秋元は編集部に戻った。相変わらず編集長の藤田は電話越しに誰かとケンカをしている。

 

「だーかーら!部数部数ってそれしか言うことねーのかよ!そんな部数気にすんなら、お前らでもっと書店組合にでもコンビニへでも営業かければ良いだろ!」

 

言うだけ言って、電話を切った。相手はおそらく営業部か販売部だろう。マイペースでいい加減な藤田とは、折り合いが良くないのだ。

 

「まったく、部数って単語しかしゃべらんからブスなんだよアイツは」

 

独りで毒づきつつも、「おう、秋元っちゃん」と、威勢良く手を挙げた。この機嫌がコロコロ変わるところが、良くも悪くも彼の特徴だった。

 

「お疲れ様です。仰せの通り、新幹線は使いませんでした」

 

ツカツカと編集長デスクに歩み寄ると、秋元は恨み節を隠すことなくぶつけた。

 

「おう、ご苦労さん。でさあ、ちょっと、急な取材なんだけどさ」

 

不貞腐れた顔をしていた秋元は、ほのかな期待が芽生えた。もしかして、例の海底遺跡取材で沖縄出張だろうか。

 

「明日、岩手へ行ってほしいんだよ」

 

「岩手、ですか」

 

アテが外れた。露骨に顔に出たのが藤田にもバレ、不思議そうな顔をする藤田。

 

「そう。三上先生からもらった話なんだけどね」

 

今度は秋元の顔が晴れやかになった。三上紀明、東海大学や千葉大学で講師をしつつ、趣味の民俗、民話を研究している学者。『UTOPIA 』にも度々寄稿、またはネタを提供してくれるお得意様であり、何より酒好きだ。秋元とは気が合い、時折取材に随行してくれたりもするのだ。

 

「秋元っちゃん、天気みたいに表情変わるよな」

 

藤田に突っ込まれ、秋元は破顔した。

 

「でね、三上先生、花園学園大学のミステリーサークルがクラウドファンディング使って主催する昔話研究ツアーに出資したみたいでさ、明日から岩手行くから、ぜひウチからも誰か来て欲しいって話なんだよ。秋元っちゃん、行ってくれるよな?」

 

「はい、行きたいです!それで、何時にどこへ行けば良いですか?」

 

「明日10時、先生のお宅へ。出発前にレクチャーしたいって。そこから、2時の新幹線で盛岡へ」

 

既に用意された切符を、藤田は手渡してきた。どうやら旅費も、三上が持つらしい。今度は新幹線利用できる。前に青森へ取材の際ですら、藤田は夜行バス利用しか認めてくれなかったが、今回は大手を振って新幹線に乗れる。

 

それに三上のレクチャーも楽しみだった。レクチャーとは名ばかり、要するに呑みながら話をしたいということだ。勤務中の飲酒はあまり褒められたものではないが、取材対象が勧めてくるのなら話は違ってくる。

 

「わかりました。じゃあ、今日はこれで上がって、明日の支度を・・・」

 

そこまで言いかけたところで、「ダメだよ。明日朝までにダイダラボッチの原稿仕上げなさい」と釘を刺されてしまった。向かいに座る事務の蜂谷がクスクス笑っている。

 

「編集長、営業の井上さんから。電話じゃラチ開かないって長文きましたよ」

 

蜂谷は笑いながら、パソコンを藤田に向けた。藤田はキーボードひとつ叩くことすら苦手な極度の機械オンチで、パソコンが必要な仕事はすべて蜂谷に振っているのだ。

 

「いい、いい。無視だ無視」

 

大袈裟に手を振り、藤田は顔をしかめた。

 

「部数は売り込みや宣伝も大事だけどな、一番は面白い記事が載るかどうかだよ。そしてオレたち編集部の仕事は?」

 

藤田はデスクでパソコンを起動させた秋元に訊いた。

 

「面白い記事を書く、ですよね」

 

もう何千回と行ったやり取りだ。

 

「そう。とんでもなく面白い記事書けば、部数なんて後からついてくるんだ。さ、頑張るぞ、今夜も」

 

秋元と蜂谷は顔を見合わせ、クスクス笑った。毎度のことだが、徹夜仕事を乗り切るための奮起剤になっている。

 

「こんばんはー」

 

原稿の整理に取り掛かったところで、編集部に誰か入ってきた。

 

「稲村さん!」

 

秋元は黄色い声を上げた。フリーライターの稲村友紀だった。『UTOPIA 』の社員ではないが、よく記事を寄越してくれたり、はたまた人手が必要な取材にはよく手伝ってくれる。

 

「やあ、まーちゃん」

 

よく日焼けした顔を満開に明るくして、稲村は挨拶した。藤田へも挨拶して2、3言会話すると、藤田はどこかへ電話をかけ始めた。

 

「まーちゃん、どうだった、ダイダラボッチの取材は?」

 

「上々です。良い記事書けそうです。特に、榛名山に伝わるダイダラボッチが興味深くて」

 

「へえ、どんな?」

 

稲村は好奇心そのものといった性格で、どんな話にも乗ってきてくれる。

 

「実は地元の郷土研究家が言うには、榛名山にはダイダラボッチが2人いるって新説が出てきたんだそうです。民話によれば、山に隠れたダイダラボッチと、榛名湖に棲むダイダラボッチは兄弟かもしれない、とか」

 

「面白そうじゃん。これ、まーちゃんの腕の見せ所だね」

 

「面白い記事、徹夜で仕上げますよ」

 

「そっか。がんばって」

 

稲村はバッグからオロナミンCを出すと、秋元と蜂谷のデスクに置いた。取材から戻らない他の部員のデスクにも、置いて歩く。

 

「ありがとうございます!あの、稲村さんはどこかへ取材ですか?」

 

「うん。富士山麓の『黄金の救い』本部にね」

 

「黄金の救いって、あの?」

 

蜂谷が傍から口を出してきた。ここ半年ほどで急に勢力を伸ばしてきた新興宗教団体で、噂によれば、去年名古屋を滅ぼした黄金の怪獣を神と崇め奉っているそうなのだ。

 

「そう。どうも、例の団体はあの黄金の怪獣について情報持ってるらしくてさ。まあ、伝説にこじつけただけかもしれないけど。ただ、巷であの怪獣が呼ばれてる『ギドラ』て名前を広めたって話も聞くからさ」

 

秋元は神妙に頷いた。黄金の怪獣、正式な呼称はなくいまだそう呼ばれているが、誰が言い出したか、twitterなどでは『ギドラ』だとか『オロチ』などと呼ばれている。オロチはともかく、ギドラとはどこに出自があるのか、秋元も気になっていた。

 

「でも大丈夫ですかあ?捕まって洗脳されたり生贄とかにされませんかあ?」

 

蜂谷がからかうように言った。

 

「ははは、ま、大丈夫でしょ。お、そろそろ行かないと。ああ、そうそう。まーちゃんに蜂ちゃん、近いうちにさ、アッと驚くスクープ記事書くよ」

 

「ええ?どんな内容ですか?」

 

秋元は食い気味に訊いた。

 

「いま話したらスクープにならないだろ。ま、そのうちわかるよ」

 

じゃ、と手を挙げ、稲村は踵を返した。ちょうどどこかから電話がかかってきたらしく、スマホをタップした。

 

「もしもしー、ああ近藤さん、ご無沙汰してます。はい、その件でこれから、是非」

 

話しながら、稲村は部屋を後にした。

 

秋元は早速差し入れのオロナミンCを一気飲みすると、気合いを入れて原稿作成にかかった。

 

 

 

 



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ーChapter 7ー

・7月10日 20:02 富山県高岡市伏木錦町 第九管区海上保安本部 伏木海上保安部

 

 

『こちら巡視艇たちかぜ、救難信号を発した魚津漁港所属漁船「第六八幡丸」発見。魚津市より北西17キロ海上。これより着船し、船内臨検に当たる』

 

「本部了解」

 

伏木海上保安部・通信担当の幕田は短く応答すると、気を揉んで通信室に集まってきた保安部の首脳と顔を見合わせた。

 

熱い海風混じりの空気が淀む19時少し前、富山湾で漁を行っていた第六八幡丸より、救難信号が発せられた。ただちに伏木海上保安部より巡視艇を派遣、現場海域を捜索していたところだったのだ。

 

「ひとまず、船体は発見できて良かったな」

 

保安部長の仲谷二等海上保安監は一息つくと、安堵したように言った。

 

「おおかた、通信機器の故障、あるいは蜃気楼による電波障害でしょう」

 

保安部次長の倉田三等海上保安監も同調した。陸地と海上の気温差が激しい富山湾では、海水の急激な蒸発による蜃気楼が発生することがある。夏場のうち10日あるかないかの頻度だったが、今日は日中富山市で最高気温34℃を観測、富山湾には綺麗な蜃気楼が浮かび上がった。空気中の湿気が多いためか、こういうときは海上との通信に難儀することがある。

 

「とはいえ・・・救難信号を通報したのはたしかです。何かあったことに違いはないのでは・・・」

 

通信手の幕田はあくまで冷静だった。仲谷と倉田は口を結んだ。

 

だが責任ある立場として、2人の懸念も幕田は理解できた。昨夜沈没した豪華客船あかつき号、そして今日の午後、九州南西海域に領海侵犯した中国海軍所属の原潜騒動で、海上保安庁は創設以来もっとも緊張感溢れる1日を送ったといえる。

 

そんな中、救難信号を発した漁船の捜索、救助任務に当たり、部長と次長が何事もなく、あるいは問題が深刻でないことを祈る気持ちもわかる。

 

もしこの1日を後日映画化するとなれば、「海上保安庁のいちばん長い日」だろうなと、映画好きの幕田は1人妄想した。

 

『こちら巡視艇たちかぜ、第六八幡丸に移乗。巡視艇の救難隊員3名で船内を探索中』

 

「了解。探索終了次第、報告せよ」

 

一旦通信を切った幕田は、ふと胸騒ぎがした。たとえ通信が途絶していたとしても、海上保安庁の巡視艇が接近すれば船から顔を出すなり、あるいは手を振るなり何がしか行動を取るはずだ。ましてや、船内に保安官が乗り込んできたのだ。何のアプローチもないのは不自然だ。

 

幕田の懸念は、仲谷と倉田にも伝播したようだった。最初の楽観に満ちた顔から一転して、冬の立山連峰にかかる雲のように表情を曇らせた。

 

『至急至急、こちら巡視艇たちかぜ』

 

沈黙を破ったたちかぜの通信手は、明らかに気色ばんでいた。

 

「至急至急、どうぞ」

 

『船内で乗組員と思われる複数の遺体発見!その、様子がおかしい!」

 

不安は的中した。だが、尋常ではない様子も伝わってきた。

 

「たちかぜ、どうした?具体的な報告をせよ」

 

緊張は幕田にも伝わったが、なんとか冷静を保った。

 

『えー、船内からの報告では、遺体に不審箇所多数。・・・・なに?腐敗?・・・・えー、腐敗です、遺体が腐敗激しいもよう』

 

「そんなバカな・・・」

 

倉田がつぶやいた。

 

「幕田、たちかぜに確認しろ。救難信号を受信してから1時間で遺体が腐敗などするものか。映像回せるなら寄越せと言うんだ」

 

仲谷に促され、幕田は頷いた。

 

「至急至急、たちかぜ、より詳細な報告を・・・・」

 

『至急至急!』

 

幕田を遮り、たちかぜの通信手は金切り声を上げた。

 

『はっ・・・・発砲許可を、発砲の許可を求む!』

 

「たちかぜ、なにがあった!』

 

『ほ、本艇は、攻撃を受け・・・攻撃を!漁船から飛び移ってきたぞ!』

 

背後で怒声が飛び交う。だが怒声に混じり、おぞましい悲鳴も聴こえてきた。

 

『救援を!本艇は攻撃を受け・・・・・!』

 

その直後、金属をこするような音がして、通信手の絶叫が無線機をつんざいた。

 

幕田は呆然と、マイクを握ったまま動けなくなった。

 

「何をしてる、至急、調査に向かわせろ」

 

仲谷が慌て気味に指示をしたとき、外からサイレンの音が聞こえてきた。港の方向へ、パトカーが列をなして走っているのが見えた。

 

 

 

 

 

・同時刻 富山県魚津市本新町 魚津新川温泉『胡蝶の館』

 

 

大広間の座敷で夕食をとる参加者の中、2席だけポッカリ空いていた。旅行会社JOTツアーズの添乗員三芳綾はため息をつくと、もう一度旅館の内線電話を回した。324号室のご夫婦で参加しているお客様2名が、まだ夕食に現れないのだ。

 

夕食そのものは19時からだったのだが、その際にも会場へ来なかったため、内線で電話をしたところ、『必ず向かうのでお膳はそのままにしろ』とぶっきらぼうに言われた。仕方なくお待ちすることにしたのだが、もう1時間も経過している。

 

早いお客様はもう食事を終え、お部屋や大浴場へと向かう方もいらっしゃる。「いい加減片付かないので・・・」と焦れる旅館の仲居に急かされ、三芳は嫌々ながら電話をしているのだ。

 

だが今度は電話に出ない。

 

「でしたら、添乗員さんお部屋へうかがっていただけると・・・」

 

年配の仲居に言われ、三芳は大きくため息をついた。

 

本来、3日後に名古屋港へ寄港する豪華客船あかつき号の北回り航路ツアーへ添乗するため、一昨日イタリアツアーの添乗から帰国後、休暇となるはずだった。

 

ところがあかつき号が沈没してしまったため、社内は大混乱に陥った。社員、嘱託の大半は沈没事故の対応に回ったため、休暇を取るはずだった三芳も召集され、新人が添乗するはずだった今回のツアーを担当することになったのだ。

 

東京から一泊二日で富山県へ向かい、日本一の落差を誇る称名滝やトロッコ電車に乗車する、比較的難易度の低いツアー内容だ。従来なら、ベテランである三芳には回らない仕事だったが、会社の危機であるため、そこに異論は挟まないつもりだった。

 

だが、ただでさえ海外ツアーや豪華客船の旅とは客層が違う上、あかつき号沈没事故が起きた当日の出発だったため、お客様からJOTツアーズへの不信感が最高潮の中出発することとなってしまった。バス車内はお通夜のような雰囲気、あるいは「もし事故起きたら、どこまで補償してくれるんだ?」と訊かれるばかり。車内を盛り上げる役割のバスガイドも、早々にマイクを置いて補助席に座ってしまった。

 

とりわけ、324号室の新島様ご夫妻はやかましかった。「事故を起こすような会社のバスなんか乗りたくない」「こんな中出発する私たちへの慰謝料はどうなの?」と出発時から口うるさく、余計にバスの中の空気が悪くなった。

 

そのようなこともあり、お部屋へ直接うかがって夕食を勧めることは憚られた。だがお客様が「夕食は不要」と進言しない限り、無断で片付けてしまうわけにもいかない。

 

これから絞首台へ上がる囚人のような気分で、三芳は大広間から3階のお部屋へ足を運んだ。いまごろ、ストレスフルだったイタリアツアーを癒すため、オイルマッサージとヘッドスパサービスの後、去年ゴジラに倒壊されられるも先月再建されたコンラッド東京でワインでも飲んでいるはずだったのに・・・・・あたしだって被害者だよ、と毒づきたくなった。

 

部屋の前につき、ドアをノックする。

 

「新島様、添乗員の三芳でございます」

 

心とは裏腹に、猫なで声で呼びかける。

 

ドタドタと音がして、ドアが空いた。

 

「何?」

 

無愛想なご主人は、顔中汗だらけだった。思わず三芳は視線を外した。

 

「あの、お夕食の用意が整ってます。どうかお早く・・・・」

 

「言われなくても、いま行くよ。ったく」

 

乱暴にドアを閉めると、部屋の中から音がした。続きだろうか。

 

恥ずかしいやら腹ただしいやら、三芳はドアを蹴り上げたくなった。

 

(こっちは待ってるんだよ!)

 

心の中で絶叫し、ドアに背を向けた。部屋の中で物音がして、奥様の大声がした。聴きたくない、聴きたくない・・・。

 

怒り心頭で大広間へ戻る途中、旅館の外から何やらサイレンの音がした。救急車とパトカーが、海沿いの大通りを疾走している。暴走する地元の若者が車を横転でもさせたのだろうか。

 

非常階段越しに、階下から騒ぎ声がした。宴会が盛り上がっているには、ずいぶんと騒ぎが甲高い。

 

エレベーターで下へ下ろうとしたとき、上がってきたエレベーターのドアから年配の男性客数名が飛び出してきた。皆、血相を変えている。

 

「どうしたんですか?」

 

そう訊く三芳の声も耳に入らないのだろう、一目散に廊下を駆けていく。ムッとして廊下の先を凝視すると、曲がり角の先で悲鳴が上がった。今度は駆けた廊下を走り戻ってきたが、1名少ない。

 

下の騒ぎがより大きくなった。何かが割れる音が断続的に耳に入った。どうやら何かあったらしい。

 

(まさか、火災?)

 

グループ企業保有の豪華客船が沈んだばかりだ、三芳は慌てて非常階段を駆け下り、未だ夕食を取っているツアー客の元へ急いだ。だが非常階段を必死に昇ってくる宿泊客とぶつかり、転がるように踊り場へなだれ込んだ。

 

左の腰を打ち据え、さすりながら立ち上がると、宴会場は非常口やエレベーターへ殺到する宿泊客や仲居、板前でごった返していた。

 

「助けて、助けて」

 

三芳に飛び込んできたご婦人が、顔中血まみれになっていた。三芳は短く悲鳴を上げた。

 

混乱の中、ツアー客のいる大広間へ向かうと、お膳をひっくり返しながらツアー客が飛び出してきたところだった。

 

「み、みなさん、どうされました!?」

 

三芳が声をかけると、「助けてくれー!」と、皆裸足で駆け出してきた。大広間で甲高い悲鳴があがった。

 

状況が把握しきれない、旅館の関係者を捕まえようとしたところ、階段から大勢の宿泊客と旅館の従業員が上がってきて、階段へ殺到するツアー客ともみ合いになった。中には、さきほどの女性と同じく血が付着した人もいる。

 

とにかく大広間でツアー客の安全を確保しようと倒れたふすまをまたいだとき、金属をこするような音があちこちで聞こえた。

 

大広間では、数名のツアー客が畳の上に倒れていた。ビールやら刺身やらあちこち撒き散らされ、相当に混乱したことが窺えた。

 

「大丈夫ですか、どうし・・・・・・!ああああああー!!」

 

倒れているツアー客を抱き起こした三芳は、思わず悲鳴を上げた。もはや人ではなかった。まるでミイラ、あるいはゾンビのように顔が灰色になり、眼球が窪んでいた。

 

また、金属をこする音がした。それも複数だ。

 

三芳は血の気が引いた。大広間の窓ガラスが割られ、そこからスイカほどの大きさの虫が入り込んできた。

 

エビ、いや、前に泊まった新潟の旅館で見たことがある。フナムシに思えた。だが大きさが段違いの上、窓に近い席で倒れているツアー客の後頭部に食いついていた。

 

誰かにズボンの裾を引っ張られた。ツアー客の老人が血まみれになりながら、「助けてくれ・・・」と弱々しくつぶやいている。

 

三芳は必死に老人を抱き起こし、老人は這々の体で立ち上がった。

 

一緒に逃げようと背を向けたとき、後ろの首筋に何かが突き刺さった。

 



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ーChapter 8ー

・7月10日 20:42 東京都千代田区永田町2丁目3ー1 首相官邸5階 総理大臣執務室

 

 

「富山県警からの報告では、高岡市から黒部市までの富山湾沿岸にて、同様の通報が複数発生、110番通報の受理処理が追いつかず、回線がパンク状態とのことです」

 

権田行政改革担当兼国会公安委員長がメモを読み上げた。

 

「富山県消防本部からです。20:30時点で、富山県内にて確認された死者は59名、重軽傷者394名、富山県ほぼ全域で救急車の回線がパンク状態となり、死傷者は今後も増大するものと思われます」

 

北島が淀みなくメモを読み上げた。

 

「また二宮富山県知事を本部長とする緊急災害対策本部が富山県庁に設置、石川、新潟など隣県への県警へ応援を要請すると共に、自衛隊に対し災害派遣要請が為されました」

 

続けて飛び込んできたメモにも、北島は慌てることなく対応した。

 

デリンジャー駐日米国大使と会談中、中国海軍東洋艦隊所属の原子力潜水艦『武侯』が日本の排他的経済水域を領海侵犯し、九州南西海域へ進行中との報せが入り、瀬戸を始めとする閣僚は会談を切り上げて官邸対策室を設置、外交ルートで中国への確認をするも応答がなかったため、瀬戸は海上警備行動を発令、海上自衛隊による中国原潜の追跡を行った。

 

17時過ぎ、中国原潜は針路を南西へ向けて公海へ逃れたが、日本政府は嶺駐日中国大使を召集、領海侵犯を抗議するも、「原因がわからないため抗議は受け入れられない」とにべもなく突っ撥ねられた。

 

その後の閣議で中国への対応と今後の措置を検討する中、瀬戸は限られた閣僚にしか提示していなかったメタンハイドレート採取法を発見した矢野教授の理論、通称矢野論文の存在を閣僚全員に提示(ただしメーサー兵器に関しては軍事機密のため非公開)、あかつき号沈没に関しては中国の関与が疑われるという外務省の報告も同時に伝えられた。

 

中国からの返答は「原因調査中」ながら、デリンジャー大使と会談のタイミングであかつき号沈没海域に領海侵犯(こともあろうに原子力潜水艦)を行うなど、もはや何をか言わんや、領海侵犯は確信犯と見做されてもまったく不思議ではなかった。

 

中国への抗議方法で閣議が紛糾する中、富山県沿岸に発生した異変が報じられ、内閣はそのまま富山湾での災害対応を執ることとなり、官邸内には領海侵犯と富山湾事変ふたつの対策室が設けられていた。

 

現状、中国への抗議以上に、現在進行系で発生している富山での異変の確認作業が最優先で行われていた。

 

「フナムシ?」

 

岡本文科大臣からもたらされた情報に、少なくない閣僚が疑問を呈した。

 

「ロシア科学アカデミーからの情報です。本日、日本時間で15時過ぎに行われたボーフジェーディ島の調査で、昆虫とも甲殻類ともつかない生物の死骸がいくつか発見されたのですが、遺伝子配列を検査した結果、フナムシが異常進化したものと判明しました。今回富山湾一帯に現れたのは、確認された形状から、異常進化したフナムシとほぼ一致すると思われるとのことです」

 

一気に喋り、岡本は水を口に含んだ。緊張で口の中がカラカラだった。

 

「しかし、なんだってフナムシが?」

 

「まさか、去年カマキラスになった宇宙由来のアメーバが原因じゃないのか?」

 

閣僚が口々に質問し始めた。

 

「異常進化の原因こそ不明ですが、その後もたらされた情報では、ロシア側が採取したフナムシの死骸からは通常では考えられないほどの放射線が検出されたそうです」

 

岡本の言葉は、場を凍りつかせた。

 

「放射能で進化したと?それじゃ、まさか」

 

閣僚一のうるさ方である柳農水大臣が口を尖らせた。

 

「フナムシはゴジラと同じく放射能によって進化した、と仮定して、ゴジラが眠っていた場所で発見されたものと同じ生物が、富山湾に現れた。これが意味することとは」

 

佐間野が閣僚ひとりひとりに視線を這わせて、言った。

 

「左間野さん、確証のない発言はやめていただきたいですね」

 

皆が佐間野から目をそらすが、隣に座る北島だけは冷静だった。

 

「それに、フナムシが進化した理由よりも、現状をどうするか、議論すべきでは」

 

口調こそキツイが、北島の意見は正しかった。佐間野は首を傾げて淡い苦笑いを浮かべ、柳は咳払いした。

 

「総理、警察力だけでは、現状への適切な対処は不十分だと考えられます。ここはやはり、自衛隊による避難支援、併せて駆除を目的とした出動を命じる必要があると考えますが」

 

望月は瀬戸に顔を向けた。

 

「総理、二宮富山県知事から災害派遣要請は出ています。現況では、災害派遣で充分対処が可能です」

 

高橋が後押しすると、瀬戸は縦に頷いた。

 

「総理、別件ですが、中国外交部のスポークスマンが中央電視台で記者会見を行なっています」

 

氷堂が手を挙げた。一度に2つも爆弾を抱え気が滅入りそうだが、官邸の職員が中国の国営放送にチャンネルを合わせた。

 

 

 

 

 

・同日 19:52 中華人民共和国北京市西城区新興華大街 国家外交部分室公館

※日本より1時間遅れていることに留意

 

 

『我が原子力潜水艦「武侯」は公海上より日本及び米国海軍の監視及び威嚇を受けたため、通常の軍事行動として相手艦船、航空機への警戒行動を取ったがため、結果的に追跡のため日本領海へ進行した。領海侵犯とは謂れなき濡れ衣であり、誤解を招きかねない行動を起こした日本にこそ原因があり、すべての責任は日本側に帰する』

 

中国中央電視台にて、外交部のスポークスマンが原稿を手に語気を強めた。

 

実際のところ、強気の会見は日本への牽制以上に中国国内向けのパフォーマンスとして機能しているに過ぎない。

 

中華人民共和国外交部の氐外交部長は中継されている威圧的な会見を観ながら、弱り顔で腕を組んでいた。

 

「失礼します」と外交部の職員がドアを開け、軍服姿の2名が入室した。中国人民解放軍海軍の田海軍司令員、趙海軍政治員だった。

 

2人に座るよう促すと、岩のような表情のまま腰を下ろした。

 

「田同志、趙同志、前置きはなしに、なぜこのようなことになったのか、ご説明願おう」

 

氐は負けじと威厳にあふれた表情を作った。

 

「原潜「武侯」所属の東海艦隊司令によれば、詳細を確認中。ただし、軍の独断ではないことは確かだと、報告を受けている」

 

趙が硬い顔を崩さず、言った。

 

「氐同志、どこの軍隊も、外国との交戦を望むことはない。いつの世も交戦を命じるのは軍人ではなく、政治だ」

 

傍から田が口を挟んだ。

 

「田同志、責任転嫁をするのか。実際に軍を動員するのは誰か。貴殿の命令なしに艦隊が動くのだとすれば、指揮系統が形骸化しているということですぞ。一軍の長として、それはまずかろう」

 

田はムッとした様子で、眉を吊り上げた。

 

「良いですか、我が国は明日、他国に先駆けて北海とカムチャッカ半島にて、メタンハイドレートの大規模な抽出実験を行う。これは党指導部肝煎りの国家的事業で、世界中から注目を集めている。その時節に、いたずらに国際問題を引き起こすのは党指導部の本意ではない。外交部として、厳正なる調査と反省を海軍に要求する」

 

とどのつまり、氐が言いたい部分はそこだったが、一筋縄ではいかないことも、氐は理解していた。そこまで物分かりと聞き分けが良いのなら、この国で出世はできない。

 

「氐同志、あなたも党政治局員ならご理解いただけるだろう。上海閥、福建閥の政治闘争、そして東海・南海海軍の不仲と競争を。そこまで責任の所在と対処を要求するということは、あなたは党の左半分を完全に敵に回すこととなる。わたしなら、落とし所を探り、落ち着くところへ落ち着かせるのが賢明と考えますぞ」

 

趙は口調熱く反論してきた。趙の言うことももっともだったし、氐にもわかりきった話だ。現指導部と対立する政治勢力が、他艦隊との抜け駆けに躍起になる艦隊に日本への領海侵犯を命じたのだろう。

 

政治の中枢に籍を置けば誰もがわかりきったことだったが、外交部にも面子がある。抗議のひとつでもしなければ、外交部の権威に関わる。

 

さらなる調査を要求するとして、もうひとつ、重大な懸案があった。

 

「ではもうひとつ。「武侯」帰還中、何と接触事故を起こしたのか」

 

むしろ、こちらが本題だった。田と趙はこの1時間で同じ説明を何度もした。

 

さすがに2名の海軍首脳は気まずそうに目を閉じた。

 

「幸いにして放射能漏れはなく損害も軽微とのことだが、「武侯」は対象を事前に探知できなかったのか。また対象は何であったのか。言っておくが、外交部としても自国の恥を隠すべく、事情に通じておらねばならない」

 

「氐同志、弁解ではないが、「武侯」は接近する対象を探知できていた。だが適切な対処ができる前に、相手が艦に迫ってきていたのだ。驚くべき速さだった」

 

田は苦々しそうな顔で説明した。原潜の能力を上回る相手では当方に瑕疵はないが、それでも忸怩たるものがあった。

 

「では、接近してきた相手とは何か。また相手はどこへ行ったのか」

 

氐はさらに訊いた。

 

「対象は現段階で不明。ただし、潜水艦等他国勢力ではないことはたしかだ。また、相手は東シナ海を東に向かったところまでは確認している」

 

趙が答えた。少なくとも、対象が中国海域から離れたことはたしかのようだ。

 

「さらに尋ねるが、対象とは、ゴジラではあるまいね」

 

氐は田の目を覗き込んだ。ゴジラ、という単語に、鉄のような表情だった海軍司令は明らかに動揺した。

 

「それも不明だが、「武侯」艦長から報告が上がっている。一瞬だが、艦外カメラに対象が映り込んでいたのだ。詳細は解析中だが、分析を担当した東海艦隊の電子分室担当官がこうつぶやいたそうだ、『龍だ、赤い龍だ』と」



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ーChapter 9ー

・7月11日 8:03 鹿児島県鹿児島市千日町 天文館サンシャインホテル

 

 

真っ暗な廊下の先に、ぼうっと灯りが見えた。

 

成城の自宅だった。玄関からまっすぐ通じるリビングまではしかし、不自然なほど暗い。

 

なぜか、自身は実働用の第三種制服を着用していた。このまま自宅へ戻ることはありえない。

 

どうして、自分はこんなことをしているのだろう。

 

檜山はとりあえず靴を脱ぐと、漆黒の廊下を進んだ。スリッパまで黒かった。

 

リビングに入ると、誰かがソファに座っていた。同じく、第三種制服だった。

 

「屋代、屋代なのか?」

 

そんなハズはなかった。だが呼びかけて振り向いたのは、たしかに屋代だった。

 

「課長、お元気そうで」

 

屋代は青白い顔をして、笑いかけた。

 

「屋代・・・すまなかった」

 

檜山は腰を90°に折り、首を垂れた。

 

「なんで、あやまるんですか?どのことに対する謝罪ですか?」

 

屋代は立ち上がり、頭を下げたままの檜山に上からしゃべりかけた。

 

「課長、いや檜山さん。あんたはオレのこと、なんもわかってなかった。あんたは悲劇のヒーローを気取ってるのかもしれないが、オレからすればね、部下のひとりも守れない無能な上司だ。いや、あんたが守れなったのは、オレだけじゃないけどね」

 

屋代の息が後頭部にかかる。生暖かったが、同時に冬の北風のように凍てついていた。おかしな感覚だった。

 

「おかえり」

 

懐かしい声がした。檜山は頭を上げると、キッチンから妻の美佐枝が顔を覗かせた

「美佐枝・・・」

 

「なんで帰ってきたって訊きたそうな顔ね。なんでだと思う?」

 

美佐枝は口元に笑みを浮かべた。白い歯がのぞいた。こういうとき、妻の内心は表情と正反対だった。

 

「ズルいよ、パパ」

 

思わず全身を振り向かせた。屋代の向かいに、娘の真希と真子が座っていた。

 

「ズルいってか卑怯だよね」

 

「嘘までついてあたしたちと離れて、それで何が残ったの?」

 

娘が二人で責めてくる。いつも優しい娘たちだったが、時折二人がかりで自身を追求してくることはあった。

 

だがそれは、うっかり頼まれてたデザートを買い忘れたり、授業参観に間に合わなかったときに双子ならではの連携で問い詰めてくる程度のものだった。今回の娘たちの表情、声色はいままで檜山が見たこともない、冷酷なものだった。

 

「自分だけ残って良かったじゃない。あなた、自分が傷つくのが一番イヤなんだものね。そのために、あたしたちにどんな苦労強いても知らんぷり。わかってるの?真希と真子、もうすぐ高校卒業するんだよ?」

 

美佐枝がキッチンから出てきた。

 

「一番大事なときに父親らしいことできてない。檜山さん、あんた見損ないました」

 

意地悪く、屋代が笑った。

 

「ねえパパ、何か言うことないの?本当のことだから何も言えないの?」

 

娘二人が、檜山を覗くように下から視線を差してくる。

 

「ち、違う。そんなことでは・・・」

 

だが四人は、疑いと蔑みの目を一斉に向けた。あまりの迫力に、檜山は言葉を失った。

 

「ま、仕事まで奪われることはなかったんだ。そこは感謝してほしい」

 

いつの間にか、リビングに佐間野が座って、ワインを傾けていた。

 

「そこまで奪ってしまったら、お前こそみずから命を絶ってしまいかねなかったからな」

 

檜山以外の全員が声を上げて笑った。檜山は視界がぐるぐる回り出した。いっそこのまま、地獄の底まで引きずり込んでくれ・・・!

 

 

 

 

 

 

次に目を開けると、クリーム色の壁紙だった。強烈な日差しがカーテン越しに差してきて、檜山は目を背けた。

 

奈落のような夢は、鳴り続ける電話によって醒まされた。部屋の電話が鳴っていたのだ。

 

「はい?」

 

寝起きを悟られぬよう、努めて声を張った。

 

「おはようございます、檜山調査官」

 

今回のあかつき号沈没事故に際し、調査官付として鹿児島海上保安部から付いてきた三島だった。

 

「おはよう。どうした、9時に迎えのはずだが?」

 

ひどく寝汗をかいていたようだ。檜山はタオルで首筋を拭った。

 

「鹿児島日赤病院に搬送されたあかつき号の生存者が意識を取り戻しました」

 

一気に悪夢の残滓と眠気が消し飛んだ。

 

「わかった。15分で下に降りる。救難隊への聞き取りは、管区本部の調査官に振ってくれ」

 

短く指示して電話を切ると、檜山はシャワーを浴びるべく浴室に入った。

 

 

 

 

 

40分後、三島の運転する車で、檜山は鹿児島日赤病院に到着した。

 

海上保安大学校時代に身につけた3分で全身を洗う技を駆使し、15分どころか9分で支度を済ませたのは良いが、朝から気温が高く、しきりに汗を拭う。

 

三島は気を使ってエアコンを強くしてくれたが、この汗は暑さのためだけではなさそうだった。

 

檜山は三島の案内で総合案内から入院対応へ向かい、自身の身分を明かして生存者への面会を求めた。だが病院の事務員は、なんとも言えない微妙な表情をするばかりだ。

 

「恐れ入りますが、少々お待ちくださいますか」

 

そう断り、病棟へ電話をかけ始めた。

 

個人情報保護法が施行されて以来、入院患者への見舞い、面会はややこしくなったが、檜山はれっきとした海上保安調査官だ。事故の聞き取り調査という正当な事由がある。意識こそ戻ったものの病状に難があるのかもしれない。

 

ちょうど隣では、髪の長い紺色のスーツを着た女性を筆頭に、やはり受付と問答している一団がいた。この暑さだというのに、お互いピッチリとスーツを着なくてはいけない。因果な商売である。

 

「あのう、誠にもうしわけありません。主治医の先生が出勤したので、先生のご意見をうかがいます。それからのお返事となりますが・・・」

受付の女性は遠慮がちに、檜山とスーツの一団に目配せをした。どうやら、目的は同じらしかった。

 

体調が思わしくないのなら仕方がない。檜山は主治医の判断を待つことにした。隣の女性も同様に、部下と思われる男女と何やら話し、書類の束をめくっている。

 

「あの、もしかして伊藤まさみさん、ちひろさんに面会の方ですか?」

 

一団のリーダー格と思われる女性が声をかけてきた。

 

「ええ。失礼だが、関係者ですか?」

 

檜山が訊くと、女性は名刺を差し出した。

 

「KGI損害保険の緑川と申します。今回のあかつき号沈没事故において、弊社の船舶保険をご利用いただいている上、救助された伊藤様お二人の旅行傷害保険も、弊社の商品でしたので」

 

檜山は名刺を受け取り、感心した。女性なのに、と言っては失礼だが、海損部部長とは、かなり役職が上だ。通常なら現場まで出てこないはずだが、今回のような重大インシデントの場合、部門の責任者が直接出向いてもおかしくはなかった。

 

「なるほど。事故の物証も証言も得られない状況では、生存者の証言に頼りことになりますからね。僕は運輸安全委員会調査官の、檜山です」

 

檜山は身分証明書を提示した。

 

「僕も、今回の事故調査において、あまりにも調査材料が少なくて難儀していたところです。ぜひ、お二人にお話をうかがいたいと思いまして」

 

「・・・でしたら、調査にご一緒させていただけません?差し支えなければ」

 

そう微笑む緑川の背後で、部下と思われる男性が「部長!」と窘めた。

 

「良いじゃない、お互いの利害一致してるんだし。それに、何度も事情を訊かれる方は負担も大きいんだから」

 

KGI損保といえば、日本でも1,2を争う規模の損害保険会社だ。にもかかわらず、良い意味でフランクな会社だと聞いている。この女性部長も様子を見る限り、合理的でさっぱりしている。

 

「かまいません。一緒に」

 

檜山が頷くと、緑川は一礼した。あとは面会の許可が下りるかどうかだ。

 

朝から診察を待つ人々の頭上には、大型のテレビが備え付けられている。昨夜、富山県一帯で発生した異変のニュース一辺倒であった。

 

富山県全域に沿岸から10キロ内陸まで避難指示が発令される中、夜が明ける午前5時を以て、自衛隊の普通科部隊と富山県警、及び隣県からの応援による小型の怪獣駆除が実行された。駆除作戦は順調に進んでいるらしい。

 

だが今朝になり、県内での死者が3千名を上回ることが必至と判明し、北陸地方では避難の指示や勧告が及んでいない地域まで自主避難する人や車両で混乱が起きていた。無論、過剰ともいえるこの反応は、昨年発生した一連の怪獣災害によるところが大きい。日本に植え付けられたトラウマは計り知れない上、いつまたどこに、ゴジラや黄金の怪獣が出現するかわかったものではない。

 

「えーっと、緑川様、檜山様」

 

受付から声がかかった。

 

「主治医の先生から許可が下りました。T病棟の154号室へどうぞお進みください」

 

 

 

 

 

 

案内のあった病棟へ向かうと、白衣姿の医師が待っていた。松田と名乗り、すぐに病室へは向かわず談話スペースへ通された。

 

「お待たせして大変もうしわけない。それで、話を聞きたいのは山々でしょうが、どうしても私から説明しなくてはならない事情があります」

 

松田の眼鏡の奥の柔和そうな瞳には、疲労と困惑が見て取れた。

 

「もしかして、予後が思わしくないのでしょうか。それなら、また改めてうかがいますけど」

 

緑川が言うと、「いえいえ、違うんです」と手を大げさに振った。

 

「奇跡的に怪我も擦り傷程度で、意識を取り戻した後も血圧、バイタルともに異状は見られません。ただ・・・」

 

そこで松田は言い淀んだ。

 

「ただ、何ですか?」

 

檜山が身を乗り出した。

 

「意識障害というか・・・はっきりしないのですが、言語機能に問題がある上、空間認知能力に著しい障害が見られるのです」

 

そう言われても、檜山も緑川も何が何やら、さっぱりわからなかった。

 

「まるで、急に言葉の通じない外国に放り込まれたような感じで、こちらが申したことにも反応せず、どうして良いかわからない、といった様子なのです。私は外科医ですから、院内の精神科医や臨床心理士にも意見を求めましたが、こんな症状はごく稀だということで、はっきりとした診断ができかねていたところなのです。そのような状態でも、彼女たちに話をしてみる、とおっしゃるなら・・・」

 

檜山は考えあぐねた。事故による混乱なのだろうか。そうならば、あまり無理を強いるのは良くないかもしれない。

 

そう口にしようとしたとき、「かまいません。ぜひ、お話をさせてください」と緑川が言った。

 

「やれることはやりましょう」

 

反論しかけた檜山に、緑川ははっきりした口調で言った。

 

「それに、事故後に何らかの障害が残る場合、保険金支払い判断に大いに影響がありますから」

 

極めて現実的な理由もあったのか。檜山は立ち上がり、後に続いた。

 

「・・・ちょっと?誰か何か言った?」

 

緑川が訊いてきた。「いえ、何も・・・」と、部下たちは戸惑った。

 

「どうかしましたか?」

 

檜山が訊くと、不思議そうに「誰かに話しかけられたような気がしたんだけど・・・空耳だったみたいです。ごめんなさい」と緑川は苦笑いした。だがそんな緑川に向き直った松田は、真剣そのものな顔をしていた。

 

「ちょっと待ってください。何か聴こえたのですね?」

 

「ええ?ええ」

 

緑川は怪訝な顔をした。松田の勢いに、やや引き気味に身を逸らせた。

 

「・・・実は、患者が目を醒ましてから、院内で何か聞こえた、誰かが喋りかけてきたという看護師や研修医が何人かいるんです。どのように、聞こえましたか?」

 

「さあ・・・ただ、たしかに人の声だったように思うんですけど」

 

困惑しきりの緑川。檜山は薄気味悪さを覚えつつ、とにかく病室へ、と一行を促した。

 

病室では、2台のベッドに伊藤まさみ、ちひろがそれぞれ横たわっていた。目は開いており、こちらをパチクリと見てくる。

 

双子とは聞いていたが、紛うことなき双子だった。顔はもちろん、表情も仕草もウリふたつであった。

 

大勢が部屋に入ってきたことで、二人は身を起こした。明らかに警戒するような、怯えた表情をしている。

 

「気分はどうですか?」

 

松田が笑顔で訊いても、二人で顔を見合わせるばかり。まるで極度に人見知りの幼児のようだった。だが彼女たちは幼児などではない。大学一年生、立派な大人だ。

 

「初めまして」

 

今度は緑川が歩み寄り、頭を下げた。同じ女性だからなのか、松田ほど身を引かず、戸惑うような顔をしてきた。

 

「この度はご災難でした。大変でしたね」

 

緑川は顔を上げると、申し訳なさそうな、悲痛そうな顔で言った。この手の挨拶は相当慣れているのだろう。事務的な感じがせず、同情と誠意が伝わってくる。

 

緑川には幾分心を許したのか、身体を背けることはしなくなった。ここは、緑川を通じて話を聞いた方が良いのかもしれない。檜山は一歩下がった。

 

「あの、ご気分はどうですか?」

 

さらに訊いたが、やはり反応はない。答えられない、しゃべることができないというより、本当に何を言われているのか、どうしているのかわからないようだった。

 

ふいに緑川の表情に変化があった。「まただ」とだけつぶやいた。

 

驚くべきことに、随行の看護師の1人も「あなたもですか」と訊いてきた。

 

檜山はもちろん、松田も緑川の部下たちも、何も聞こえないしわからない。

 

「伊藤さん・・・まさみさん、ちひろさん、あなたたちは何か聴こえましたか?」

 

緑川は膝を折り、二人に目線を合わせた。相変わらず答えはないが、じっと緑川の目を見てくる。あまりに強い視線に、緑川は目を逸らしたくなった。

 

「お名前で呼びかけても反応がないなんて・・・」

 

緑川は檜山に振り返った。ちょうどそのとき、別な医師がやってきて、松田に何か耳打ちをした。

 

松田は二人に近寄ると、自分の顔を指さした。

 

「マツダ。僕は、マツダ」

 

すると指を動かし、緑川を指した。

 

「ミドリカワ」

 

そうしてさらに指を移動させ、檜山を指す。

 

「ヒヤマ」

 

そのまま、伊藤まさみに指を向けた。

 

「・・・ミラ」

 

初めて言葉を発した。松田は若干怪訝な顔をしつつも、今度はちひろに指を向けた。

 

「・・・リラ」

 

全員が互いに顔を見合わせた。

 

「・・・ミラに、リラ?」

 

松田が指さして訊くと、二人とも頷いた。

 

「おかしい。記憶障害にしては妙だ」

 

精神科医だろうか、後ろで見守っていた男がつぶやいた。

 

今度は看護師が紙にニッコリと笑顔マークを描いてみせた。そのまま紙とペンをミラと答えたまさみに渡す。

 

二人は戸惑いつつも、何かを描いた。恐る恐る差し出す紙を、緑川は「ありがとう」と笑顔で受け取った。

 

とても大学生が描いたとは思えない、ひどく前衛的な絵だった。それも、何を現しているのかさっぱりわからない。

 

「外的あるいは精神的ショックのあまり、脳の機能が退化、または不全となる場合があるが、いずれにせよ心理的診察と治療をする必要があるな」

 

医師たちが打ち合わせを始める中、檜山は黙って絵を見続けていた。

 

「看護師さん、カラーペンを持ってきてくれませんか」

 

ふいに檜山は言った。

 

「どうかしたんですか、その絵?」

 

緑川が訊いた。

 

「いや、まさかとは思うが」

 

看護師がペンを用意すると、檜山はぐにゃぐにゃの線で描かれた絵の一部分を青く塗って、二人に見せた。

 

明らかに反応が違った。仕草こそなかったが、訴えかけたかった部分を突いたのだろう、檜山は自身のスマホを出し、グーグルマップを起動させた。

 

「絵はわかりづらかったが、世界地図に似ていたんだ。特にユーラシア大陸の海岸線が特徴的だったので、ピンときた」

 

そう言って、緑川は色がついた絵を見た。

 

「言われてみれば。でも、これ、日本がないし、南極がせり出てません?」

 

「そう。実はこの大陸分布、数十万年前の地形に似てるんだ」

 

興奮気味に言うと、檜山はグーグルマップを二人に見せた。世界全土が見える状態にしたところ、リラと自称するちひろがイギリス沖、北海を指さした。ミラと自称するまさみは、千島列島北部、カムチャッカ半島沖合を指さした。

 

「・・・ここが、どうしたの?」

 

緑川が訊いたが、二人はじっと目をみつめてくるばかりだ。

 

「おい、ここは・・・」

 

わきから檜山が口を開いた。

 

「今日、メタンハイドレート抽出実験が行われる場所じゃないか」

 

檜山は二人に視線を合わせた。それぞれを指さしたまま、彼女たちは険しい顔を作った。

 

そうしてペンを持ち、おぼつかない手つきで紙に何かを描いた。それぞれが緑川に紙を渡した。

 

「・・・これは?」

 

檜山が覗き込んだ。とても大学生とは思えない稚拙な絵だった。幼稚園児でも、もう少し上手く描くだろう。

 

「・・・犬?に、これ・・・蝶?蛾?こんな黒い・・・」

 

誰に見せても、それ以上の感想を得られなかった。

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 10ー

・7月10日 17:04 アメリカ合衆国アラスカ州アンカレッジ イースト6thアベニュー

シェラトンアンカレッジホテル ボールルーム

※日本より17時間遅れていることに留意

 

 

乾杯前の挨拶を終えると、会場に集まった人々から大きく拍手が上がった。

 

思わず一礼すると、尾形はステージを降り、最前列のテーブルに戻った。

 

ボーフジェーディ島の調査を終え、ロシアのウルップ島を出発してアラスカ時間の今朝早く、アンカレッジに到着した尾形と文科省、外務省、内閣官房の職員はシェラトンホテルに入った。ここで1泊の後、明日朝アンカレッジからカナダのバンクーバーへ飛び、当地で開催される『巨大生物に対する国連会議』、通称『怪獣コンベンション』へ出席するのだ。

 

いささか強行軍であったが、日本からはどう飛んでも北極圏周りで北米へ向かうことになる。今回の調査と合わせ、行程としては合理的といえた。

 

だがアンカレッジ在住の日本人会が「あの尾形教授がいらっしゃるなら」と、地元政財界を巻き込んで歓迎会を開催してくれたのだ。

 

アンカレッジ副市長、アラスカ州産業局長の挨拶が終わり、アンディ・澤部アラスカ日本人会会長の音頭で乾杯が行われると、立食パーティが始まった。この手のパーティの常で、主賓である尾形はなかなか料理と酒に在り付くことができない。

 

続々と挨拶に訪れる地元政財界の重鎮たちの対応にいささか恐縮しつつ、やんごとのない雑談を交わす。あまりこういうことは得意ではないのだが、失礼のないよう、尾形は努めようとしていた。

 

「失礼します。ハードコアアラスカ支局のユアン・ホルムズですが」

 

石油精製大手のケイン社部長と雑談を交わしていたとき、割り込むように白髪を短く刈りそろえた痩せ気味の男性がマイクを向けてきた。会話中に失礼なものだが、尾形は愛想笑いで応えた。

 

尾形自身は詳しくなかったが、ハードコアとはアメリカとカナダで放映されているケーブルテレビ局で、しょうもないスキャンダルや噂レベルの話を大袈裟に報じることで、刺激を求める視聴者にはウケるが、社会的な評判はあまり良くない。

 

とんでもない奴らが取材に来たものだ、と、日本人会の面々は気が気ではなかった。

 

「尾形先生、明後日の‘怪獣コンベンション’ではどんなことをお話になるんですか?やっぱりゴジラに関する内容ですか?」

 

「いやいや、会議の中で明らかにすることですから、今は明かせませんよ」

 

ズケズケと入り混んでくるホルムズ記者にも、尾形は苦笑いしつつ穏やかに答えた。

 

「ではですね、昨日ロシアの片田舎にある、ゴジラが眠っていた島を調査した手ごたえはどうです?」

 

「調査は、さらに長い時間を必要とすることが判明しました。これからも粛々と行って参りますよ」

 

「しかしねえ、ロシア側は必ずしも調査に協力的ではないみたいですよ?次、調査の許可が下りるのはいつなんですか?」

 

「それは、日本の外務省とロシア国務省との話し合いで決められるものですから、私の一存では何とも」

 

尾形は片手を挙げ、もうこれで、と取材を打ち切ろうとしたが、ホルムズはなおも食い下がってきた。

 

「教授ねえ、ミスターゴジラとしてお答えくださいませんか。ゴジラはいま、どこに居て何をしてるんですか?」

 

澤部会長がホテルのセキュリティを呼んだ。この連中、この場には相応しくない。そんなことを訊いて、尾形がしゃべったことを、後で面白おかしくスタジオでネタにするに決まってる。

 

「詳しくは正確な調査が完了してからですが、ゴジラは間違いなく、日本近海に存在していると確信しています」

 

その答えにはホルムズだけでなく、周囲の人々もどよめいた。随行の外務省職員は目を丸くし、内閣官房の職員は慌てふためいた。

 

「こりゃ驚いた!ミスターゴジラは日本にゴジラが居るって話したぞぉ。ミスター、その根拠はやっぱり、日本の北部に現れたフナムシの化け物と関連してるんですかい?」

 

「フナムシについては、ロシアと共同調査中ですから、ノーコメントです。ですが、ホルムズさん。敢えてあなたにこのようなことを話したのは、私なりの警告です」

 

今までの柔和で穏やかな雰囲気が変わった。尾形の口調が強くなり、さすがのホルムズもすぐには反応できなかった。

 

「ゴジラに関しては、日本だけでなくあなた方アメリカ、引いては全世界で相手をしなくてはならない。いいですか、たとえ面白半分でも興味本位でもいい。1人でも多く、ゴジラに関して考える人が増えてくれれば良いのです。どうか、自分たちの価値観に合わないからと笑うばかりでなく、将来のことも考えていただきたい」

 

尾形にそのような意図はまったくなかったが、ホルムズも含めてその場は凍りついた。ミスターゴジラは頭のネジがいくつか抜けてるのか、などと、あちこちでヒソヒソ声が囁かれた。

 

ホルムズはしばし呆気に取られていたが、ミスターゴジラが想像以上にエキセントリックなことがわかり、笑みを浮かべた。

 

「ほほ。では最後にひとつ。先ほど、なぜゴジラは北方海域という、自らの弱点である気温の低い地域を目指したか、その答えに近づいた、と話してましたねえ?」

 

この男、さり気なく盗み聞きしていたのか・・・周囲の面々は敵意溢れる視線をホルムズに送った。

 

「まあこれは私の仮説ですから、お話ししても支障はないでしょう」

 

尾形はスーツから一枚の写真を取り出した。

 

「ボーフジェーディ島の、ゴジラが眠っていた地点近くを収めました。この大規模な土砂崩れ、あなたはどう考えますか?」

 

「どう、って・・・・・」

 

「降雨が少ないボーフジェーディ島では、このように尾根の内側から土砂が崩れ落ちるような現象は起こり得ません。もしここに、ゴジラとは別の怪獣が眠っていて、65年前、ゴジラはここを目指したとすれば、どうでしょうか?そして崩れた箇所の具合から、比較的最近、眠っていた怪獣が目を覚ました、とすれば?」

 

「そ、それは・・・・・」

 

飛躍し過ぎ、と言いかけたところで、ホテルのセキュリティがやってきた。

 

「許可のない取材はお断りする。どうか、お引き取りを」

 

いかつい男3名に囲まれ、ホルムズは舌打ちをすると、「放送をお楽しみに」と不敵に笑い、会場を後にした。

 

「尾形先生、誠に申し訳ない」

 

澤部は土下座せんばかりに頭を勢い良く垂れた。

 

「いえ、気にしないでください」

 

尾形は笑顔で応えた。だが、澤部を始め臨席の誰もが、尾形の仮説にはとても賛同しかねた。可能性のひとつとしてはあり得るし、ゴジラは自分以外の怪獣には激しい対抗意識を持つ習性は、かつてのアンギラスやガイガンと争った際に証明されている。

 

だがいくら怪獣学の権威とはいえ、あまりに斜め上の推論を披露されても・・・と、会場は微妙な空気になった。

 

改めて三々五々、雑談が始まったとき、1人の老人が尾形に近寄った。

 

「眠っている怪獣へ、ゴジラは向かったとおっしゃったな」

 

声を掛けられた尾形が振り向くと、黒のタキシードに身を包んだアジア系と思われる老人が佇んでいた。

 

「尾形先生、こちらはエスキモーのシナモ族の指導者で、コトラン氏です」

 

澤部に紹介され、尾形は握手を求めた。コトランは笑顔で握手を交わしてきた。

 

「尾形先生、かつてのゴジラは別な怪獣を屠りに日本から北を目指した、というあなたの説通りだとして、我がシナモ族にはこんな伝説がある。エスキモーの大地からはるか北西に、魔神が眠っている、とね」

 

そういうと、コトランはスマホを取り出し、古い本に描かれたと思われる絵を尾形に見せてきた。

 

「これは・・・・?」

 

尾形は一気に写真に引き込まれた。まるで犬と爬虫類を掛け合わせたような、四足の怪物の絵だった。

 

「アンギラス、とも違う。背中の棘がないですね」

 

「我が部族には、こう伝わっている。はるか昔に、この世を荒らした魔神がいた。山を砕き、海を破り、空を切る、恐ろしい魔神」

 

コトランはまるで子どもに昔話を聴かせるような喋り方をした。

 

「何より恐ろしいのは、魔神から発するこの紅き風。この風に包まれ、大勢の人々が倒れたそうな。善の神は、この魔神と、大地をいくつも沈めるほどの激しい争いを繰り広げた末、氷結の闇に封じ込めた、と。そして魔神が眠る大氷結が、いまのアラスカから西にあり、決してこの大氷結を荒らしてはならない、とな」

 

その語り口に、興味深く聴き入る尾形に対し、「いやなあに、ワシが子どもの頃から伝わる昔話だがの」と言った。

 

尾形はいま一度、コトランのスマホを注視した。

 

「この四足の怪物が、その魔神ですか?」

 

「左様。ここよりさらに北方に棲むベチバ族には、さらに詳しく伝わっているそうだ。ダガーラ。この魔神の名だ。そしてダガーラが吐き出すこの紅き霧、ベーレムの霧こそ、古代の人間を滅ぼした、と」

 

「ダガーラ・・・」

 

尾形は魔神の名を反芻した。強力な言霊を帯びているような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 11ー

・7月11日 9:57 東京都新宿区神楽坂6丁目

 

 

なんだかんだ、会社を出たのがギリギリになってしまった。

 

群馬県取材の成果を今朝8時までかかって仕上げ、仮眠と簡単な朝食を取ると、秋元は茗荷谷の編集部を出て、拓殖大前を通って神楽坂を下った。

 

戦前から変わらぬ路地の中、築50年は経過している木造の民家がある。ここが、三上の自宅だった。

 

「酒が飲める〜酒が飲める〜酒が飲め〜るぞ〜」

 

秋元は機嫌良く歌いながら、三上邸に辿り着いた。快晴の都内は、今日も皮膚を刺すような日差しが降り注ぎ、汗がどんどん吹き出す。

 

チャイムを鳴らすと、「どうぞ」と中から声がした。

 

「おはようございます。先生、秋元です」

 

声を掛けると、甚兵衛姿の男性が引き戸を引いた。

 

「さ、どうぞどうぞ」

 

ニンマリ笑うと秋元を居間へ通し、三上は茶碗を2つ、用意した。

 

「先生、お線香上げさせてください」

 

秋元はそう断ると、仏壇の線香2本に火をつけ、両手を合わせた。肩までの髪をわけて、にこやかに微笑む女性が仏壇の飾られている。

 

三上は神楽坂一帯に多く不動産を持つ地主であり、邸宅こそ質素で古いが土地の賃料だけでかなりの収入があり、それを財源に趣味であった考古学、民俗学の研究に没頭する毎日を送っている。

 

数年前に日本アルプスに棲息するとされる雪男の取材を通じて知り合って以来、三上夫妻は秋元を実の娘のように接してくれた。

 

だが昨年、三上が北海道のコロポックル伝承の取材に1人で出掛けた際、カマキラス騒動が発生、留守番をしていた妻の芳江は運悪く、新宿で買い物中犠牲になってしまったのだ。

 

居間に座ると、三上は一升瓶を取り出し、早速秋元の茶碗に注いできた。

 

「先日、福島の会津を訪れてね。南会津の銘酒、国権を思わず買ってきたんだ」

 

そう言いながら自分の茶碗にも日本酒を注ぐと、2人は茶碗を重ねた。喉元に熱いものが流れ去り、一気に身体中の血液が騒ぎ出した。

 

「今日も徹夜かね?」

 

「わかります?ちょっと、群馬県のダイダラボッチ伝説に熱が上がっちゃって」

 

三上は嬉しそうに頷くと、駆け付け3杯、即座に日本酒を注いできた。

 

「地域伝承家の、本間篤次郎先生が提唱してる話だね。榛名山に住むダイダラボッチは2体いて、兄弟で土地を守っていると」

 

「そうなんです。兄のダイダラボッチは榛名の山に、弟は榛名湖に住み、土地に危機あれば姿を現して怪力で皆を助ける、と」

 

うんうんと頷き、三上はさらに秋元の茶碗に注いだ。

 

「私は、榛名と赤城に分家した説を採ってるんだがね」

 

「先生、あまりお話をうかがうと、また群馬へ行かなきゃ行けなくなります」

 

2人は笑い、秋元は御返杯、とばかりに三上の茶碗になみなみと日本酒を注いだ。

 

「そうそう、先月の奄美大島の記事、すごく良くできていたよ。個人的にも、妻のことを書いてくれて嬉しかった」

 

「ありがとうございます!」

 

先月、三上からの情報を受け、奄美大島にある不思議な岩の取材に訪れた。

 

南国の深い森の中、落花生のような形をする巨大な岩があり、かつて遭難した営林署の職員がその岩影で休んでいたら傷が癒えた、とか、ハブ取り名人がしくじってハブに咬まれてしまった際、岩に咬まれた部分を当てていたら不思議と痛みが消え、後日病院へ向かったら毒が抜けていた等、地元でも『癒しの岩』として有名な場所だ。

 

三上自身、噂を聞いて妻の芳江と訪れたところ、芳江の持病だった神経痛が治ったというのだ。

 

秋元自身、特に持病もなく訪れたが、岩に近づくと不思議と心が安らぐのを感じた。三上は「まるで揺り籠の中の赤ん坊になった気分」と喩えていたが、その通りだった。

 

しばし思い出話をしたところで、「先生、酔わないうちに今日の取材に関して、教えてください」と、秋元は切り出した。

 

「おう、そうだったね」

 

7杯目をあおったところで、三上は書斎からやや黄ばんだ書物を出してきた。

 

「遠野物語は、秋元君も聞いたことがあるだろう」

 

「岩手県に伝わる民話、伝承ですよね」

 

「そう。河童伝説から、珍妙な婿殿の話、雪女になった母親と再会する働き者の息子など、レパートリーにこと欠かない。その中で、岩手県北部に語り継がれている、山の神伝説に関して詳しく聞いてみようと、花園学園大のサークルが話を持ってきてね」

 

さらに茶碗をあおると、三上は黄ばんだ書物を秋元に渡した。

 

だが、おそらく何十年も前に書かれたとおぼしき書物は岩手言葉で書かれており、秋元には到底解読不能だった。

 

「先生、ちょっとこれは・・・・」

 

「ハッハッハッ、酔ってなくてもわからんだろうね。どれ、私が話をしてあげよう」

 

明るく笑うと、三上は咳払いをして喉の調子を整えた。三上は民俗学者として研究、講義を行う一方、日本全国の昔話の語り部として、幼稚園や児童館を訪ねては語り聞かせる活動を行なっている。

 

難解な表現で書かれた古文も、三上の語り口で聴くとすんなり頭に入ってくる。

 

「では・・・むがす、あっだずもな・・・」

 

枕詞のみ、実際の岩手言葉で喋り出すと、三上は滔々と語り出した。

 

 

“今の岩手県八幡平市辺りに、民衆想いの殿様が治める国があった。

 

その国では老若男女、皆働き者で、皆兄弟親子のように仲良く暮らしていた。

 

だがある日、余所の国が攻め入ってきた。元々争いを好まぬその国はアッと言う間にせめたてられ、殿様は殺され、新たに殿様が入ってきた。

 

新しい殿様は横暴で乱暴者だった。逆らうものは容赦なく首を刎ね、年貢である米や野菜の取り立ても厳しかった。

 

男衆は一揆を起こして殿様を倒そうとするも、兵法に長けた殿様の兵隊たちには敵わず、謀反人として老人たちを皆殺してしまい、残った若い者はさらに過酷な労働に駆り出された。

 

寒く雪が降る季節が去る頃には、ほとんどの男衆は身体を壊し病に倒れてしまい、殿様は年端もいかぬ男児たちを新たな働き手としてこき使い出した。

 

ある時、新しく城を建てるために、殿様は山を切り崩せと命じた。男児ばかりでは足りず、病に伏す男衆や女たちもけしかけた。

 

ところが山を崩したところ、大きな山の神が眠っているのが見つかった。

 

山の神には矢も刀も歯が立たず、とうとう殿様は山ほどの稲藁を集めさせると、城を造るのに邪魔になるとうそぶき、山の神を焼いてしまおうとした。

 

必死に反対する国の祈祷師たちを殺してしまい、殿様は兵に命じて稲藁で山の神を覆ってしまうと、火を放った。

 

ボウボウと燃える中、山の神は目を覚ました。

 

燃える姿を見て酒盛りをしていた兵たちを踏み潰すと、様子を見ていた殿様に襲いかかった。

 

兵たちは矢を雨のように放つが、山の神にはまったく刺さらない。男衆が何人でかかってもかなわなかった兵たちは山の神に蹴散らされ、殿様は頑丈な城の中に逃げていってしまった。

 

ところが山の神は城も崩してしまい、逃げ回る殿様を見つけると、丸太のような爪で突き殺してしまった。

 

山の神はそれでも怒りが収まらなかった。女子供しかいない村を壊しても、大事な田や畑を荒らしても、暴れ続けた。

 

そんな中、村の若い娘が山の神に参った。

 

山の神様、どうか、私を食ってください。食ってお怒りが収まるなら、どうか食ってください。もう、私のばあちゃんたちもおっかさんたちも、妹たちも踏み潰さんでください。

 

娘の祈りが通じたのか、山の神は娘を食うと、怒りが鎮まったように大人しくなり、山へと帰っていった。

 

それから残った国の者たちは、一生懸命になって国を興しながら、山の神と娘を奉り、絶やすことなく祈祷を捧げたそうな・・・・・”

 

 

「どんど晴れ」

 

聴き入っていた秋元は、ふうっと大きく息を吐いた。

 

「山の神、ですか。どんな姿をしていたのでしょう?」

 

「はっきりとはわからないが、花園学園大のサークルが調査したところによれば、鬼のような姿だったとか、獅子のようだった、とか、様々な形で伝わっているそうだ」

 

「もしかして、今で云うところの、怪獣だったのでは?」

 

「だとすれば、非常に面白いね。この物語に限らず、日本各地には怪獣と表現して良いような生き物の伝承が存在している。ゴジラやアンギラス、ガイガンが現れるずっとずっと前から、この国には怪獣が存在していたのかもしれないね」

 

三上は口を潤そうと、日本酒をぐいっとあおった。

 

「今回は、その山の神伝説の掘り起こしですね」

 

「そう。現地の民話作家や、伝承家から話を聴いてみるつもりだ。気になるのは、いま見せたその書物。江戸時代から伝わる話を太平洋戦争中に書き起こしたものらしいんだがね、そのときの語り部いわく、江戸時代前、先祖代々語り継がれてきた内容だそうだ」

 

「ですよね。統治者が殿様なのに、藩じゃなくて国、という表現が気になってました」

 

「うむ。もしかしたら、江戸時代よりはるか以前、それこそ鎌倉や平安、いや奈良時代から伝わっていたのかもしれん。攻め入って来た殿様というのは、奥州藤原氏を討ち滅ぼした源氏方かもしれないね。あるいは、蝦夷平定に訪れた大和朝廷の坂上田村麻呂かもしれない。実際にあった出来事にいろんな話が肉付けされていった結果かもしれないのが、昔話の面白いところだよね」

 

酒の力もあるのか、三上は饒舌になってきた。いずれも想像でしかないのだが、こういうときの三上のはるか昔をまなざすような輝く瞳が、秋元は好きだった。

 

「そうそう。花園学園大のサークルリーダーが、今朝になって新たな説を見つけたとメールしてきたのだよ。この山の神伝説の裏付けとなるような信仰が、岩手県の北上郡に伝わっているそうだ」

 

そう言うと三上は、 iPhoneを手繰ってみせた。

 

「これは・・・・?」

 

メールに添付された画像には、険しいような、滑稽なような表情の像が写っていた。この像が鳥居の手前、まるで狛犬のように鎮座しているのだ。

 

「北上山地深くの集落にある神社だそうだがね、この地域に伝わる山の神を祀った祠のようなんだ。婆羅蛇魏さま、あるいは、婆羅蛇魏山神という名で崇められているらしい」

 

「バラダギ、さま・・・・」

 

秋元はつぶやいた。少し回ってきた酔いが醒めるような、神秘性を感じる名前だった。

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 12ー

・7月11日 12:03 鹿児島県鹿児島市山下町 鹿児島宝山ホール

 

 

駐車場からホールまでの間、うだるような熱気と南国特有の強烈な日差しが刺さる中、檜山はハンカチで額を拭うと、ホールの中へ足を踏み入れた。

 

『あかつき号沈没事故に関する説明会』

 

そう書かれた立て札に従い、檜山は会場を進む。冷房がだいぶ効いてるらしく、汗は一気に引いた。

 

沈没したあかつき号に乗船していた旅客・乗員の家族や関係者へ対し、客船を運営する大和客船の子会社で、7日間に渡る豪華客船ツアーを主催したJOTツアーズが、ここで説明会を行うというので、檜山は日赤病院に入院している双子姉妹の調査を保留とし、主催者であるJOTツアーズへの聞き取り調査を行うことにした。

 

会場となっている中ホールには、中へ入り切れない人々が苛立たしげに難しい顔を作っていた。

 

JOTツアーズへはアポイントは取ったが、果たしてこれだけの騒ぎで聞き取り調査が可能かどうか。

 

「もうしわけございませんでしたぁ!!」

 

会場の奥で、ひときわ大きな声が上がった。そちらを見遣ると、キッチリとしたスーツを着た男が、床に額をこすりつけんばかりに土下座をしていた。

 

「あんたが土下座して何になるんだ!」

 

「娘夫婦を帰してちょうだい!」

 

参列の人々から罵声が上がる中、檜山は人の波をかき分けるように身を進めた。

 

「お取込み中、失礼。国土交通省運輸安全委員会の者ですが」

 

土下座する男の傍らで、悲痛な顔で顔を下げる女性に声をかけた。首からJOTツアーズの社員証を下げている。

 

「あ・・・お待ちください」

 

女性は土下座を続ける男性に声をかけた。顔をくしゃくしゃにした男性が頷くと、集まった人々に向き直った。

 

「誠にもうしわけありません。一度、中座させていただきます。引き続き、個別応対はこちらの西村と、菅家で行わせていただきます」

 

なお改めてお辞儀をする男性に、「なんだ逃げるのか!」「早く情報をくれよ!」と怒声が浴びせられる。

 

涙目で頭を下げると、檜山に向かい、「どうぞ、あちらへ」と小会議室を掌で示した。

 

檜山が座ると、随行の社員が冷茶を差し出してきた。

 

さきほど土下座していた男が、おそるおそる名刺を差し出した。

 

『株式会社JOTツアーズ 第二営業部長 東野 修武』

 

そう印字されていた。

 

檜山は身分を明かし、手順に則り調査目的を説明、会社側からの報告書を求めた。

 

もうしわけなさそうに、東野はA4で綴じられたファイルを渡してきた。

 

「状況は理解しました。少なくとも、整備不良・過積等、そういったものが原因ではなさそうですね」

 

一通り読み込んだ上で、檜山は東野を安心させるべく笑顔を見せた。

 

「とはいえ、現時点で原因が不明、船の引き揚げも為されていない以上、あらゆる可能性を考慮しなくてはなりません。さきほど、本委員会にも通達がありましたが、来週にも大阪の南海サルベージによる引き揚げが実施されるそうですね」

 

檜山は笑顔を封じた。見据えられた東野は肩をやや竦め、視線を下に向けたままだ。

 

「はい。これ以上引き揚げは早められない、とのことで。当社におきましても、一刻も早くと申し上げたのですが」

 

「いえ、やはり引き揚げには一週間はかかるでしょう。その点は、問題はないと考えてます。ただ懸念されるのは、再び中国原潜による領海侵犯などが起こり得るかどうか、その部分です」

 

「はい。あの、やはり、当社の客船が沈没したのは、噂されるように中国による国家的関与があったということなのでしょうか」

 

「いえ、それはまだわかりませんが、その可能性は低いと考えられます。原潜による領海侵犯はさておいて、中国があかつき号を沈没させる理由が見当たらない」

 

事件以降、ネット上ではあかつき号沈没は中国のしわざと決めつけるような書き込みも散見される。だが、700名ほどの人間を船ごと沈めたところで、中国にどんな利益がもたらされるというのか。

 

とはいえ、わざわざ狙いすましたようにあかつき号沈没海域へ原子力潜水艦が侵入してくるなど、事故への関与を疑われてもしかたがない状況であることも、たしかだ。

 

「あ、あのそれと、入院中の伊藤様ご姉妹に関して・・・」

 

「ああ、それは、こちらが落ち着いてからでも問題はありません。第一、二人とも事故のショックによるものか、病状が安定していません」

 

檜山は今朝から彼女たちに面会してからの、不可解な出来事は話さなかった。

 

「それに、ここへ集まるあかつき号の家族や関係者は今日も増えるそうですね。なかなか、ここから離れられないのでは?」

 

東野は無言で頷いた。胃酸がこみ上げてきたような顔だった。

 

「さきほどニュースでやってましたが、富山県に出現した小型怪獣の群れによって、JOTツアーズの参加者数名と添乗員が犠牲になったそうですね。そちらへの対応も、さぞかしお忙しいこととお察しします」

 

「はい。本当にもう、さまざまなことが・・・」

 

辛そうに顔をしかめる東野。

 

「沿岸に上がった小型怪獣たちはほぼ駆除が完了したそうですから、いずれ現地へどなたかを派遣なさることでしょうが・・・」

 

そのとき、檜山と東野、及び会議室で待機するJOTツアーズ社員たちの携帯電話に一斉に通知が入った。

 

【速報 カムチャッカ半島におけるメタンハイドレート抽出作業で大事故】

 

【中国籍の採取船数隻が沈没 死者130名と中国当局が発表】

 

 

 

 

 

 

・同日 12:54 中華人民共和国北京市西城区新興華大街 国家外交部分室公館

 

※日本より1時間遅れていることに留意

 

 

中華人民共和国外交部の責任者氐は、両手で顔を隠したままため息をついた。

 

昨日から東海艦隊の原潜による日本海域侵入及び、巨大生物との原潜接触と重大案件が続き、その対応指揮に当たりほぼほぼ不眠状態であった。

 

顔は火照り、普段痛まない歯がジンジンと疼く。

 

このまま誰も部屋へ入ってこなくて良い、ひとりにしてもらいたい・・・そんな希望は、ドアをノックする音で打ち砕かれた。

 

万・産業技術部長と、苑・共産党資源部会長だった。いずれも氐より身分が高い上、なんだかんだ愚直である軍人たちとは違い、高圧的で一筋縄ではいかない連中だ。

 

「氐同志、諸外国へは、どの程度情報が伝わっているのかね」

 

苑があいさつも無しに訊いた。

 

「抽出作業中、大事故発生。死者130名。それだけです」

 

党の方針に従い、事実のみ記載した簡潔な発表しかしていない。

 

「知っての通り、採取船及び随行の調査船は全滅、実際には死者が千名を上回っているなどとは、どこも知らないだろうね」

 

万がわきから訊いてきた。

 

「諸外国はあれやこれやと予想を立てるだろうが、いつも通り一切を認めてはならぬよ?こちらから真実を明かさない限り、誰が何をどう騒ごうとも、噂は噂だからな」

 

わかりきったことを、苑は言う。

 

「苑同志、こちらで情報は抑えますが、確認しておきたい。メタンハイドレート抽出が可能と謳ったいわゆる≪矢野論文≫は机上の空論であったのですか?」

 

「それはわからぬ。それ故、より詳しい情報を集めなおすよう、指示を出したところだ」

 

「外交部としては、どうか穏便に事を進めるよう願います」

 

「愚問だな。党中央委員会も、同様の見解だ。問題は、矢野論文を最初に入手した福建閥の連中だ。この事故で面目を失い、その躍如に躍起になっている。党の調査より先んじて、日本国内で諸々動いているそうだ」

 

氐は苦虫を噛んだような顔をした。気持ちはわからないでもないが、なりふりかわまぬ行動は慎んでもらいたい。党としても国家としても、国際問題を拡大させることは大いに不本意なのだ。だが連中は手段を選ぶこともするまい。政治闘争はこの国において如何なるすべてにも勝る行動原理だ。

 

「それと、軍からも聞いているとは思うが・・・沈没の原因はそちらでも掴んでいるね?」

 

万が訊いてきた。

 

「全13隻のうち6隻は、急激なメタンハイドレート蒸発による気化によって浮力を奪われ沈没、他は・・・まったく度し難いのですが、沈んだのではなく沈められた、と聞きました」

 

「誠に遺憾だが、その通りだ」

 

苑はファーウェイ製のタブレットをタップし、動画を再生させた。

 

「・・・これは!?」

 

思わず大声を上げた氐を、万と苑は睨みつけた。声が大きすぎる。

 

「良いかね、これは最重要機密事項だ。おしゃべりな外交部の責任者にこれを見せた理由は、この事実を一切公にしないように敢えて、だ。君たちはすべてを知り、すべてに口を閉ざさなくてはならない」

 

「わかるね?事実として、我が国の行為によって怪獣が目覚めてしまった。こんなことを国際社会に発信することは許されない。上手く隠蔽をするのだ」

 

氐は頷いた。これまででもっとも重たい頷きだった。

 

動画は自動でリピート再生されている。調査船に搭載されたヘリコプターからの映像で、激しく泡立つ海面から逃れる船舶の中心から、犬のような、龍のような巨大な顔が姿を現し、周囲の船を次々と海へ引きずりこんでいる。

 

『逃げろ!』

 

ヘリのパイロットが叫ぶ。大きく旋回する中、カメラは海と空気が赤く染まる、異様な光景を映し出した。

 

『ううっ!?』

 

直後、カメラを持っていた観測手が鋭い呻き声を上げ、画面がひっくり返った。床に落ちたカメラは、同じく床に倒れ、喉を両手で覆いもがく観測手を映している。

 

操縦席からも『げげぇー!』と、喉が出てこんばかりの嘔吐をするような声がして、ヘリが大きく揺れた。衝撃音と共にカメラが跳ね上がり、一瞬で水が溢れ込んできたところで、映像は途絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 13ー

・7月11日 13:03 東京都千代田区永田町二丁目 

ザ・キャピタルホテル東急 日本料理「萬壽」

 

 

エレベーターを降りると、護衛のSPと望月が先に降り、瀬戸を促した。

 

すっかり憔悴しきった瀬戸は大きく息をつくと、上品に仕付けられた廊下を進んだ。

 

本来なら、12時から品川のホテルで中華料理をつつきながら、大橋経団連会長と会食の予定だったが、急遽キャンセルとなった。

 

通常、総理大臣といえど経団連会長との会合を土壇場でキャンセルするなどということはありえない。

 

だが昨夜発生した富山県における小型怪獣襲撃事件もあり、それを理由に頭を下げたところ大橋会長から苦言を呈されることはなかった。

 

実際は、大橋会長以上の大物と会食することが決まったからである。しかも、翌日の新聞に掲載される首相動静にも記載がされない、まったくお忍びの会食だ。

 

とはいえ富山の件もあるため、できることなら、瀬戸も国会と予算委員会以外は官邸に詰めていたいところだった。

 

今回は会食を誘った相手と、瀬戸、望月の三名のみ。他の閣僚は誰も同席することはない。瀬戸は離れの個室へ向かう間、固唾を呑んだ。

 

「失礼します。総理が参りました」

 

望月が障子越しに声をかけると、すべてを心得た体格の良い男が障子を開けた。

 

大澤蔵三郎、100歳を前にしてなお国家中枢の陰に鎮座する、総理大臣以上の権力者・・・巷の雑誌などでは、そう紹介されることも多い。

 

緊張した面持ちの瀬戸と望月に「よく来た。入りなさい」と大澤は声をかける。

 

すぐ食事ができるよう、焼物、揚物、煮物以外の料理は既に配膳されていた。

 

「料理をすべて出すように」

 

大澤の付き人が仲居にドスの利いた声で指示し、障子を閉めた。

 

「お誘いくださり、ありがとうございます」

 

瀬戸は恭しく頭を下げると、望月もそれに倣う。たしかに、瀬戸は日本国家の最高権力者である内閣総理大臣だ。だが何がしかの事情で総理大臣の座を降りた場合、最高権力者は他人に移る。瀬戸が前にしているこの老人は、総理大臣の椅子取りゲームを司ることができる、次元の違う権力者だった。

 

「富山の対応、ご苦労だね」

 

朗らかな声だったが、瀬戸は返事をせず頭を垂れた。まさか、対応をめぐり苦言でも呈してくるのだろうか。

 

瀬戸に限らず、歴代の総理大臣経験者も、この老人を前にしては誰もが自身の進退を念頭に置きながら対峙したことだろう。

 

「今日の昼前には、鎮圧できたときいたが?」

 

箸で香の物をつまみながら、大澤は訊いてきた。

 

「は。県警、及び自衛隊による合同駆除部隊によって、鎮圧は完了しております。幸い、銃弾を使用せずとも駆除できた例も多く、本日夕刻とした満了時間前に終了できました。ただ、駆除に当たった自衛隊員や警官にも少なからず犠牲が出た上、犠牲者が6千名を上回る事態となったのは、痛恨の極みです」

 

瀬戸は目を閉じ、顔を垂れる。大澤は瀬戸と望月に食事をするよう手で促すと、運ばれてきた天麩羅をつまんだ。

 

「その小型怪獣、人間の体液を吸い尽くしてしまうそうだな。おぞましい限りだ」

 

天麩羅はかなり上質で、衣を噛むたびに音がする。

 

「一説によると、ゴジラに何らかの影響を受けた生物だと聞くが?」

 

「目下、自衛隊と文科省にて調査中でございます」

 

望月が答えた。彼も緊張はしているようだが、瀬戸は望月に対しどこか胆の据わりを感じた。

 

「ふむ。あのゴジラが活動を開始したのかもしれぬか・・・」

 

天麩羅を楽しむのを止め、大澤は口を結んだ。

 

「さておいて、今日、君たちを呼び立てたのには理由があっての。本題はこれからなのだが・・・」

 

再び、大澤は箸を動かした。最高級のマグロの刺身を咀嚼する。その間、瀬戸はとても食事どころではなかった。いったいどんな内容の話題なのか、気が気でならなかった。

 

「米国を安心させる手立てはできたかね?」

 

ゆっくりとマグロを味わった大澤は、たっぷりと間を使って口を開いた。

 

「残念ながら・・・メタンハイドレート抽出技術が日米外に流出した事実は動かしようがない上、事故が起きたカムチャッカ沖はともかく、北海における抽出実験は順調とのことです。そのうえ、デリンジャー大使との会談を狙ったかの如き中国原潜による領海侵犯に、ホワイトハウスは深く失望している様子です」

 

口にするのも忌々しかった。瀬戸は自身の言葉で汚れた口の中を洗い流すように、緑茶を含んだ。

 

大澤はじっと瀬戸を見据えた。食事を楽しんでした好々爺然とした振る舞いは消え失せていた。

 

「瀬戸くん、君も重々承知しておろう。この国で総理の座を長く守る秘訣。それは秀逸な政策を実行することでも国民の篤き支持を得ることでもない。ホワイトハウスに気に入られるか否か、であるということだ」

 

いよいよきたか、瀬戸は唇をきつく閉じ、覚悟を決めた。

 

「良いかね、こういうときのため、手札は何枚も隠し持っておくことだ」

 

大澤は言うと、付き人から何かを受け取り、瀬戸に見せた。透明なアクリルケースの中に、透き通るように青く、極限まで研磨したような丸い石がある。

 

「これは・・・?」

 

宝石のようだが、トルコ石ともアメジストとも違う。翡翠、はたまた琥珀のようでもあるが、こんな青い色をしていただろうか。

 

「宝石や装飾の類ではないよ。いやいや、無論、ウランなど危険物でもない。このままではな。良いかね、この青い石こそ、我が国の生殺与奪を握る存在なのだよ」

 

そう言われても、瀬戸は何とも答えようがなかった。

 

「これは、ある宗教団体が標榜していることだったのだが、太古の昔、黄金の神が空より舞い降りた後、地の神と激しく争ったそうだ。そうして、黄金の神の傷から落ちてきたものが、見惚れるように美しい青い石だった。誰が唱えたかわからぬ、あるいは金を吸い寄せるために教祖が作り出した三文にもならぬ筋書きにしか思えぬのだったが・・・」

 

今度は、付き人から複数枚の写真を渡された。どこかの浜辺、あるいは瓦礫の中に、いくつか転がっている青い石の様子だった。

 

「・・・まさか、ここは」

 

顔を上げた瀬戸に、「左様」と答える大澤。

 

「いまで云う、浜名湾だ。昨年、ゴジラと黄金の怪獣が激しく争ったかの地で、この青い石が至る所で発見された。数こそ多くはなかったが、先の宗教に伝わる伝承が気になり、ちと集めてみようとしての」

 

今度は、数枚の新聞の切り抜きだった。

 

【国粋主義組織“真国の政”“水明会”被災した浜松市・湖西市にて炊き出し】

 

【民族団体“倭国隆盛団”災害支援NPO法人設立。旧浜名湖畔に】

 

国内の有力な右翼団体が、静岡県西部に続々と集まり災害復興支援に携わっている、という情報は、昨年来警察庁より報告を受けていた。この老人は、自身の手先を使って宝石拾いをさせたのだろうか。

 

「この石、こうして存在しているのみでは、せいぜい珍しい宝石だ。だが・・・先に話したはずだが、矢野教授による研究で、例の黄金の怪獣の肉片が燃え上がった件だ。矢野くんによれば、細胞組織さえ劣化しない限り、怪獣の肉片はとてつもなく頑丈で傷がつくことはないが、劣化によって細胞組織を構成していたメタンなどの可燃物が放出された結果、バーナーであぶったところ燃え上がったのだそうだが・・・」

 

次に、黄金の怪獣のものらしき金色の皮膚片の写真を見せられた。

 

「あの黄金の怪獣、メタンや水素などが極限まで凝縮された体組織で構成されているらしいのだ。そして、この青い石だが・・・地球の大気に触れるとこのような個体となるが、黄金の怪獣の体内においては、血液のような役割を果たしていると考えられる。機関車に例えよう。メタン、水素が石炭だとして、この青い石・・・未知なる元素なのだが・・・これこそが、石炭を燃料として機関車を動かす炎なのだ、ということまで、矢野くんは解明していた。すなわち、あの怪獣の恐るべき能力、口から電撃のような熱線を吐き散らし、向かう先を灰燼と化してしまうエネルギーを生み出す源なのだ」

 

瀬戸は完全に箸が止まった。元より食欲はあまり沸いていなかったが、最初の報告とはまた違う内容に全神経が集中していた。

 

「最初の話と違う、という顔をしているね。そう、メタンを凝縮させる作用を持つ未知の元素は、あくまでこの研究過程に発見された副産物だ。この青い石の科学作用こそ、偶然とはいえ矢野くんが発見した成果なのだよ」

 

しばし、沈黙が訪れた。よその席からかすかに聞こえる談笑の声、そしてほのかなBGM以外、耳に入ってこなかった。

 

「あとは、この青い石を如何に作用させれば、あのような膨大なエネルギーを産み出せるのか。そこまで解明できれば、我が国は世界一のエネルギー大国となるばかりか、メ―サー兵器製造による軍事大国化も夢物語ではなくなる。だがこの研究を察知したのは、必ずしも我が国の利益に期する者たちばかりでもなかった。そこで、わしは矢野くんの行方をくらませるべく、しばらく着岸のしない豪華客船を隠れ蓑にして、いずれ追手を撒いてしまう算段を取ったのだったが・・・」

 

「しかし大澤先生、そのために追手は教授が乗り込んだ船もろとも葬ってしまったとは考え難いのですが・・・」

 

「左様。この際明言するが、中国による矢野教授拉致計画が存在したことはたしかなようだが、あかつき号の沈没は他に原因があったと考える方が自然だ。沈没の原因に関しては、わしにもわからんがな」

 

大澤は椀物に口をつけると、「食事を進めよう。あまり時間はないはずだ」と瀬戸と望月を気遣った。

 

「瀬戸くん、気を悪くしないでもらいたい。この事実を隠して、メタン抽出技術のみを政権に広めたのは、敵を欺く前にまず、という理由からだ」

 

「いえ、深く理解しました」

 

瀬戸は頭を下げた。そして瞬時に勘付いた。いま、大澤は『自分にだけ』気を悪くするなとしゃべった。隣の望月に目を向けると、望月はその視線で察したようで、目を閉じるとゆっくりと頷いた。

 

「瀬戸くん、君は宰相として良くやっているが、いま少し周囲にも気を配ることをしてもバチは当たるまいて」

 

カッカッカッ、と大澤は笑った。

 

「安心したまえ、望月くんは良い女房だ。一歩下がり、主人を出し抜くようなことはしないのを、きみ自身よく理解していると思うがね。それに、いまは政権交代よりもやるべきことが山ほどある。」

 

「総理、もうしわけはございません」

 

望月は目を開けると、軽く頭を下げた。だが目は鋭い光を湛えていた。望月という男、総理大臣の最側近として申し分はないが、いつ、寝首を掻かれてもおかしくはないこともたしかだ。

 

「君には話しておく。政権には時を見計らって話すことだ。わしが採取した青い石はすべて、京葉工業地帯にある難波重工の本社研究所に保管されている。矢野くんの論文を元に、お国の役に立てるべく研究が進められているところだ。そして青い石に関する矢野くんの論文だが、信頼できる民間人に預けられている。その人物は追手に追及されることのないように、わしの息がかかったある国へ逃れることになっている。問題は、メタンハイドレート抽出に失敗したことで、中国の一部勢力が、既に強硬な手を講じてきたとの情報が入ったことだ。矢野くんの生存は望めぬだろうが、彼周辺の人間に危害が及ぶことも充分に考えられる。無論表沙汰になることはないだろうが、幾人かの国民の生命が奪われてしまうことも、覚悟してくれたまえ」

 

瀬戸は無念そうに眼を閉じた。大澤がこう言うとなれば、既に手遅れな対象が存在するのだろう。

 

「止むを得ません」

 

言うと、瀬戸は緑茶を一気に飲み干した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 14ー

・7月11日 14:05 鹿児島県鹿児島市平川町 鹿児島日赤病院

 

 

午後の昼下がり、鹿児島市内の暑さもピークに達する中、檜山は三島の運転する車で難しい顔をしたまま目をつむっていた。

 

事故調査が進まないことについて、国交省から尻を叩かれたのだが、沈没原因は目下不明な上に、唯一の生存者である双子の姉妹からは何の証言も得られていない。報告としては調査中以外、何も上げられる文言がないのだ。

 

後続のタクシーに乗る東野も同じだった。どこからも何も情報が上がらず、遺族や関係者への説明も限界があった。昼過ぎの暑さで訪れる関係者もくたびれたため、少しでも情報が入れられることを期待しつつ、檜山と共に日赤病院を訪れることにしたのだ。

 

『次のニュースです』

 

NHKラジオではちょうどニュースの時間らしく、堅い口調のアナウンサーが原稿をめくる音がする。

 

『ロシアの赤十字に相当する機関によれば、ロシア連邦極東部、カムチャッカ半島南端の都市サボロジエにて、住民が突然昏倒する原因不明の健康被害が続出しているとの報告が入っているそうです。またこれに関連し、ロシア極東軍はカムチャッカ州全域に非常事態を宣言、伝染病・生物化学兵器に対応できる部隊をユジノサハリンスクから現地へ派遣したとのことです。次のニュースです。アメリカ地質監査局によれば、ワイオミング州に広がるイエローストーン国立公園にて、小規模な噴火と見られる熱水に噴出が複数確認されたと発表しました』

 

どこもかしこも、不穏なニュースばかりだ。檜山は目を開くと、いやな空気を吐き出すようにため息をついた。

 

「豪華客船の沈没に、富山ではフナムシの化け物、世界では奇病に噴火。なんだか、世界のタガが外れてしまったようだな」

 

運転する三島はルームミラー越しに檜山を見た。

 

「でも、ロシアじゃ氷漬けのマンモスが発見されたそうですよ。地球の歴史を紐解くチャンスです。決して悪いことばかりでは・・・」

 

三島は気を遣ってくれているのだろう、意気揚々と話してくる。

 

「そう信じたいが・・・。ま、まずは双子ちゃんの回復を願うばかりだな」

 

「そうそう、さきほど管区本部に連絡がありました。生存者の伊藤姉妹に対し、DPAT(災害派遣精神医療チーム)の派遣が決定したそうです」

 

「なるほどな。現在の症状は、事故のトラウマによるものだと考えられるしな」

 

病院の精神科医もお手上げなのだろうが、それにしても、と檜山は違和感をぬぐえなかった。

 

あの2人、ただ事故のショックでああなったというより、何かの拍子にまったく別の誰かが憑依した、と表現するのが正しいようにも思えるのだ。

 

やがて続く二台は日赤病院に到着し、檜山は東野を案内するように病棟へ向かった。伊藤姉妹の病室がやけに騒がしく、檜山は足を止めた。ちょうど、スーツ姿の男女が慌て気味にどこかへ電話をすべく病室から出てきたところだった。さっき面会に立ち会った、KGI損保の社員だったはずだ。

 

「あ、檜山さん」

 

病室から緑川が顔を出した。

 

「たったいま、2人とも言葉を発したんです」

 

興奮気味に話す緑川に追い立てられるように、檜山は急ぎ病室に入った。

 

ベッドから身を起こしている双子の姉妹は、険しい顔をしている。

 

傍らでは、主治医の松田と看護師がカルテに書き込みをしていたところだった。

 

「先生、言葉を発したそうですね?」

 

檜山が訊くと、松田は頷いたが、まだどこか腑に落ちない表情だった。

 

「そうなんですがね、言葉を発せるだけです。単語をいくつか並べるばかりで、まるで正しい日本語教室の初心者コースだ」

 

「30分ほど前なんですが、ちょうど清掃係が病室に入ったとき、お二人が大声を出したんです。午前中描いたこの絵、ですか。ここを指差して、もうすごい形相で声を出すものですから、清掃の人もビックリしてしまって」

 

看護師が脇から説明してきた。午前中描いた絵、ひどく下手だが、世界地図のような絵だったものだ。

 

檜山はそのことを思い出し、自身のスマホを出すとグーグルアースを開き、画面を大きくしてカムチャッカ半島を指差し、姉妹に見せた。

 

2人の反応はまったく同じだった。我が意を得たり、とばかりに頷き、「ダメ」と口にした。

 

「これは、いったい・・・・?」

 

不思議そうにスマホを覗いてくる緑川に、檜山はスマホを渡した。緑川は目を細め、やがて目頭を押さえると、バッグからハズキルーペを出した。

 

「ごめんなさい、あたしもいい加減年で」

 

そう苦笑いすると、改めてスマホを見る。だが檜山は、スマホを持つ緑川の手が震えているのを見逃さなかった。午前中も気になったのだが、この女性、妙に酒の臭いがするのだ。

 

「ロシアのカムチャッカ半島、ですか。ここが何したのかな」

 

檜山の視線に気がつき、緑川はそそくさとスマホをまさみの方に向けた。

 

「ダガーラ」

 

まさみ・・・ミラと名乗った彼女は、強張った表情でカムチャッカ半島を指差した。困惑する緑川だったが、檜山は先程ラジオでやっていたニュースを連想した。

 

「ダガーラ?ダガーラって、何?」

 

そう訊く緑川に、まさみは「目覚めた あぶない 」とたどたどしい答え方をする。

 

「別の 神 目覚める」

 

初めて様子を見た東野は首をかしげるばかりだったが、真剣そのものな表情のまさみに、気圧されたように動きを止めた。

 

ちひろ・・・リラと名乗った彼女は、手描きの地図の別な箇所を気にしているようだった。檜山はスマホを手繰り、今度はイングランド沖合の北海をグーグルアースに表示させた。

 

「ここ」

 

ちひろはブリテン島沖、まさしく北海を指差した。

 

「バトラ」

 

檜山と緑川、そして松田は互いを見やるしかなかった。

 

「何か、固有名詞でしょうか」

 

松田は困惑しきりだが、檜山も緑川もそうとしか思えなかった。

 

「バトラって、何?」

 

動揺と困惑を悟られぬよう、努めてにこやかに緑川は訊いた。

 

「バトラ 我らが 神」

 

「バトラ だけ あぶない 」

 

「神・・・」

 

檜山はつぶやいた。

 

「どちらも、メタンハイドレート抽出作業が行われている場所なんだが・・・」

 

独り言とも、誰かに問いかけたともつかぬぼやきをすると、檜山は頭を掻いた。

 

「あら?」

 

看護師が声を上げた。ちひろは檜山のスマホをいじり、九州南西海域、ちょうどあかつき号が沈没した辺りを表示した。

 

「守護者 目覚めた あとは 神」

 

すると隣からまさみが身を乗り出し、奄美大島を探った。

 

「ここ」

 

「奄美大島?ここが、どうしたんだ?」

 

檜山は湧き上がる興奮が抑えきれず、訊いた。

 

「モスラ」

 

「我らが神」

 

 

 

 

 

 

・同時刻 東京都新宿区市ヶ谷本村町 防衛省本庁舎

 

 

統合幕僚長、並びに陸海空の各幕僚長との懇談を早めに切り上げ、高橋は秘書と側近を伴い、公用車に乗り込んだ。後続車には統合幕僚長を始め、制服組首脳が並ぶ。

 

数分前、防衛省の情報本部より報告が為された。それと同時に、官邸からも「安全保障会議召集」が告げられ、慌てて車両を手配した。

 

高橋は同乗する蓮城防衛審議官に、具体的な報告を求めた。

 

「30分前です。ロシア連邦軍が同盟国及び近隣諸国の軍へ向けて警告を発しました。外務省にも、外交ルートを通じて通告がありました」

 

「日本時間本日9時、カムチャッカ半島南部、ザボロジエ市との連絡が途絶え、ロシア極東軍による現地調査が行われました」

 

隣に座る渡部防衛大臣秘書官からも説明があった。

 

「ロシア空軍所属観測機による先遣調査の結果、ザボロジエ市複数箇所にて市民が倒れ込んでおり、ただちに陸軍生物化学兵器対応部隊がウラジオストクを出発。日本時間13時前、未知の大気組成による窒息死が市外域まで及んでおり、この報告を受けたロシアは国家安全保障会議を緊急開催したとのことです」

 

「また同時間帯、千島列島・セベロクリリスク空軍基地にて、カムチャッカ半島南端沖合から空へ向けて飛び立つ未確認飛行物体を観測しました」

 

黙って報告を受けていた高橋は眉を顰めた。

 

「大きさは?」

 

「正確な観測は困難とのことですが、物体は少なくとも直径50メートル前後、海面より浮上の後、ベーリング海を東へ向けて飛び去るのが確認されました」

 

再び高橋は押し黙った。未確認飛行物体、と聴いて、去年東海地方を壊滅させた黄金の怪獣を想定したが、どうもそうではなさそうだ。黄金の怪獣は、体高だけで150メートルとされている。それよりは小さいが、海面から空へ舞い上がることができる兵器や航空機など、聞いたことがない。

 

「ロシアの見解は?」

 

高橋は渡部に訊いた。

 

「断言こそできないが、怪獣の可能性が大、とのことです」

 

高橋は頷き、目を閉じた。場合によっては、再びこの日本で、対怪獣戦闘が行われる可能性を大いに想定しなくてはいけない状況だ。

 

ちょうど渡部の電話が鳴り、短い応対を終えると、「情報本部からです」と耳打ちしてきた。

 

「ノルウェー空軍が、北海上空で未知の飛行体を確認。未確認情報ですが、交戦状態に入ったとの報告です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 15ー

・7月11日 15:37 山梨県南都留郡鳴沢村大坂道

 

 

調査会社『斉田リサーチ』社長の斉田公吉は、富士山麓北側の高原道路を富士山方面へと車を走らせていた。

 

かつての同期であり、KGI損害保険の緑川から電話があったのは、今朝10時過ぎ。ちょうど依頼を受けた、江東区にある商店街のドブさらいを終えたときだった。

 

『昨晩沈没したあかつき号の生存者である双子の学生を調査してほしい。至急よろしく』

 

そんな内容だった。相変わらず緑川は無茶で忙しない依頼ばかりだが、同期のよしみもある上、KGI損保のような大手保険会社からの依頼は断ることはできない。そうでなければ、調査会社とは名ばかり、ひたすら炎天下の中公園の清掃やドブさらい、お祭りの手伝いなど、便利屋の如き仕事しか舞い込んでこないのだ。

 

依頼着手後、早速双子が通っていた城南大学へ向かい、友人たちへの聴き込みを行った結果、双子揃って最近勢力を拡張させている新興宗教団体“黄金の救い”に顔を出していることが判明した。

 

一昨日依頼を受けて手伝った、農産物マルシェを主催する目黒区の婦人会長が黄金の救いの信者であり、彼女を通じて教団への調査を申し込むことができた。そのため、こうして山梨県の富士山麓にある教団総本部へと向かっているのだ。

 

かつては広大なゴルフ場を擁するリゾートホテルだった教団総本部に到着した。イスラム教のモスクを思わせるタマネギ型のドームの頂点に、巨大な青い球が据え付けられている。あの青い球が、エネルギーを集める役割を果たしていると聞いたことがある。

 

白を基調に、金色の刺繍が施されたローブを着た教団関係者の誘導に従い、車を停車させる。

 

降りるなり、威圧感漂う体格の良い信者3名に囲まれた。

 

「あ、あの、目黒の梨元さんから紹介をされた斉田ですが・・・」

 

話が通じているのだろう、強面の男は頷くと、斉田を中へ案内した。広大なホールを抜け、学校の講堂を思わせる部屋には、青い球を祀った祭壇がある。100名は超えると思われる信者たちが、なにやら祈りの言葉を唱えている様は、圧倒的な迫力と不気味さを醸し出していた。

 

「こりゃあホント、カルト宗教だよ」

 

思わず口にしてしまい、強面の案内役に鋭い視線を向けられてしまった。

 

ホテル現役時代には小会議室だったと思わせる部屋に案内された。鼻腔がくすぐられるような、不思議な御香が焚かれ、斉田は緊張感が薄らいだ。

 

とはいえ、世間ではカルト宗教と揶揄される教団である。安心しつつも、意識ははっきり保っておく必要がある。斉田は両頬を叩き、深呼吸した。

 

「ようこそ、黄金の救いへ」

 

部屋に入ってきた男を見て、斉田は思わず立ち上がった。最近テレビや雑誌にもよく出てくる、黄金の救い教祖、三蔵院永光だった。黒に金の刺繍が施されたローブは、他の信者と一線を画す迫力があり、白髪の割合が多い髪をオールバックにしている。

 

教団の広報、あるいは総務の者が対応するだろうと考えていただけに、斉田は虚を突かれた。

 

「お座りなさい。目黒の梨元婦人から話は聞きました。伊藤まさみ、ちひろさん姉妹のことだそうで?」

 

眼鏡の奥から、鋭い眼光を向けて来る。

 

「は、はい」

 

「あかつき号沈没事故は本当にお気の毒だった。だが2人が生存者として救助されたのは黄金の神の思し召し。黄金の救いあれ」

 

三蔵院は目を瞑ると、二本指を額に当てる独特の祈りを切った。

 

「それで・・・・・伊藤姉妹の学友に聞いたところ、よくこちらの教団総本部、あるいは東京の祈祷本部に顔を出していたそうですね。彼女たちは、それほど熱心な信者だったのですか?」

 

斉田が訊くと、三蔵院は目を開けた。じっと斉田を凝視するその視線は、斉田を射るかのようだった。

 

「それを聞いて、どうなさる?」

 

「どうって、それは・・・」

 

「斉田さん、とおっしゃったかな。あなたはあかつき号沈没事故に関する調査をしていて、なぜ我が教団へ?当教団はあかつき号には何も関わっていない。まずそこは、はっきりさせておきたい」

 

三蔵院は声色強く言った。かねてから、カルトだ危険思想集団だと叩かれていることに、少なからずナーバスになっている部分があるのだろう。

 

「三蔵院教祖、本来これは調査対象のプライバシーに関わることなんですが」

 

斉田は意を決して言った。

 

「実は、2人とも意識は回復しましたが、深刻な記憶障害を患ってしまってるんです。2人から沈没の様子など、詳しい話を聞くことができない。一緒だったご両親は不幸にも発見されていないし、親族も少ない。そのため、手がかりとなるものにはとにかく当たってみる方向で進んでいるんです。大学での生活は話を聞けたので、今度は2人とも興味を持っていたこちらの教団について調べておきたいんです」

 

「なるほど・・・まあ、良いでしょう。彼女たちはここ1カ月、我が教団に入信、というより勉強をしによく訪れていたのです。ギドラについて」

 

「ギドラ・・・」

 

斉田は思わずつぶやいた。この教団が本尊、あるいは神と位置付ける、昨年東海地方を襲った黄金の三つ首竜。幾度と聞いた単語ではあったが、やはり教祖の口から聴くとなんとも言えぬ迫力を感じる。

 

「我が教団は、本部の頂上にあるような青い球を神聖な存在としてます。彼女たちはその青い球を持って現れたのです。いわく、去年壊滅した浜松で採取したそうで。我々は神聖なる球を持ち込んだ彼女たちを歓迎し、教団の原典である黄金の書を見せました」

 

三蔵院は懐から、ハガキサイズの分厚い書物を取り出した。

 

「本来入信者以外には明かさないのだが、あなたも情報を開示してくれたのだし、他ならぬ伊藤姉妹に関わるならば特別に赦しましょう」

 

三蔵院から受け取った書物は、アラビア語にも似た言語に日本語訳のルビが振られていた。中身は理解できないが、どことなく聖書を思わせる文体だ。

 

「この文字は・・・?」

 

「古代ヘブライ語。1947年、いまのパレスチナにある洞窟で発見された文書のひとつに混じっていたものだ。聖書とも関わりがなく、当時のキリスト、ユダヤ教研究者の目に止まらなかったものらしく、テルアビブの図書館にある民話コーナーに置かれていた。当時キリスト教の神父をしていた私は、古代キリスト教研究に没頭していてね、他の神父なら適当に読み飛ばすような古代文書にも熱心に目を通した。そうして、この文書に出会った」

 

三蔵院の説明を聴きながら、斉田は文書を読み飛ばすような速さでめくっていたが、どことなく物語めいた構成になっていることはわかった。

 

「小説、というか、日記、みたいですねえ」

 

「諸説あるが、私はこれは記録書だと解釈している。すなわちかつて、旧い時代、ギドラは地球にやってきていたのだ」

 

話も文書も半可だったが、文言の中に『ギドラ』という単語が現れたことに、斉田はギョッとした。

 

「驚いたようだね。そう、ギドラとは私たちが勝手に付けた名前ではない。その文書に記されていたことなのだ」

 

あるいは信者獲得の為捏造したものでは、そう邪推したくなった。そしてさらに、破壊の限りを尽くしたギドラは地球の守り神と戦った上、傷を負った箇所から青い球をいくつもこぼしたと記載がある。

 

「どうかね、私たちの教義は、少なくともその黄金の書を基にしているということがわかってもらえただろうね」

 

それはそうだが、かといってこの話を純粋に信じてしまうこともできない。荒唐無稽もいいところだった。

 

「そんなバカな、と言いたそうな顔だね」

 

ズバリ言い当てられ、斉田は大きく手を横に振った。

 

「だが我々は信じています。いずれこの世は、ギドラによって滅ぼされる。そのとき滅びを嘆くことしかしないのか、滅びを受け容れ、より高次元の意識を以ってそのときを迎えるのか、私は後者を取った。そうして、昨年本当にギドラが現れたことで、この教えを広めるべく活動を始めたのだ」

 

三蔵院の御高説はわかるが、滅びの前には欲など無用と、入信者からお布施として財産を巻き上げる辺りはどうなのかと問い質したかった。

 

 

 

 

 

 

教団を出た斉田は、運転しながら緑川への報告を脳内にまとめていた。

 

伊藤姉妹が黄金の救いを懇意にしていたのは、教団が神聖視する青い球を持っていて、その青い球が何なのか、教団の教義から探り当てようとしていたのだろう。

 

すると伊藤姉妹はその青い球をどうやって入手したのか。浜松で採取したというが、ゴジラの発した放射能の影響により、立ち入りが制限されている浜松でそんなことが可能なのか。

 

ひとまず東京へ戻り、もう一度姉妹の交友関係を調査してみることにした。斉田はラジオをつけると、河口湖を仰ぎながらアクセルを踏み込んだ。

 

『この時間はCFM“紀美子の時間”パーソナリティの吉住紀美子です。ここでCFMニュースです。今日午後、山梨県鳴沢村の山林で「男性が倒れている」と通報があり、警察と消防が駆けつけたところ、男性の死亡が確認されました。所持品などから、男性は東京都在住の文筆業、稲村友紀さん33歳であると判明、遺体に暴行を受けたような跡があることから、警察では稲村さんの周辺でトラブルがなかったか、捜査を進めています。続いて、中国吉林省、長白山で、古代の昆虫と思われる化石が発見されました。化石は直径が10メートル近くに及ぶ大きさで、吉林省の学術部によれば現在判明している昆虫に該当するものがなく、さらなる調査が必要ということです。ねー、先日はロシアで氷漬けのマンモスが発見されるし、古代からのメッセージでしょうかねー。時刻は間もなく、午後4時50分でーす』



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ーChapter 16ー

・7月11日 0:07 アメリカ合衆国アラスカ州アンカレッジ イースト6thアベニュー

シェラトンアンカレッジホテル

※日本より17時間遅れていることに留意

 

 

まどろみから目を覚まし、尾形は身を起こすと一杯の水を飲んだ。

 

時差の関係で熟睡とはいかない上、どこかの部屋で盛り上がっているのだろう、かすかに賑やかな声がする。

 

宴会を終えて二次会を辞退したのだが、4時間ほどしか休めていないが、それも仕方あるまい。ルームサービスで頼んでいたマッカランを開けると、何で割ることも氷を入れることもなく、グラスを口にした。喉を焼くような液体の刺激が何とも言えず、満足気に息を吐いた。

 

このまま、午前4時前にはホテルを出て、早朝の便でカナダのバンクーバーへ飛び、国連主催の巨大生物対策会議に出席しなくてはならない。熱いシャワーを浴びる前に、至福の一杯をやった上で、移動時間を睡眠に費やすことにした。

 

緯度が高いアラスカでは日付が変わる時間でも西の空が仄かにオレンジ色をして、もうじき東の空が白くなってくる。完全に夜にはならないのだ。

 

静かな夜の街を窓から見ていると、テーブルにあるスマホが鳴った。“ビグロウ教授”と表示されている。

 

『お久しぶりです尾形教授、そちらは夜でしょう、遅い時間に申し訳ない。しかもボーフジェーディ島調査もご一緒できませんで、失礼しました』

 

明るい声が響いてきた。ケンブリッジ大学教授で、巨大生物に造詣が深いベン・ビグロウだった。去年、ゴジラとガイガン襲来後にイギリスから調査のため来日したときに知り合って以来、怪獣という謎の多い生物に関して意見を交わしたところ意気投合してからというもの、しょっちゅう連絡を取り合う仲になった。

 

「いやいや、お気になさらず。時差のせいですかな、どうもまんじりとしませんで」

 

尾形は笑った。半分は苦笑い、半分は遠くとも近い友からの連絡に喜んだためだ。

 

「ビグロウ教授、今日はバンクーバーでお目にかかれることを楽しみにしてますよ」

 

言いながら、ビグロウがスマホから電話していることに気がついた。時間的に、機上のはずなのだが。

 

『そ、それがですね、バンクーバー行きも取りやめになってしまって』

 

「おや、それは残念ですが、どうしましたか?やはり、ムルマンスクのマンモスは一筋縄ではいきませんでしたか?」

 

『い、いえいえいえ、ムルマンスクはとりあえず落ち着きました。ちなみにアレはマンモスではありません。前脚が二足歩行から退化し、鼻が短い。アレを角があるというだけでマンモスと呼ぶんなら、羽根のある鳥はみんなカラスになってしまう。アレは既存の生物学に当てはめてはいけないという結論を出したんです。そ、そ、それで、僕はこう考えたんです。北欧の神話に伝わる巨獣・ベヒモスにもっとも近い存在だと』

 

尾形は黙って聴いているが、研究分野となると興奮のまましゃべり倒す上に、よくどもるビグロウの癖に内心苦笑していた。ビグロウは世界最高水準の大学を出ていながら、中身は知識欲と好奇心に満ち溢れたオタク学生そのままなのだ。

 

しかも動物学を専攻していながら、古今東西の伝記や伝説マニアで、日本を訪れたときも尾形の教え子とドラゴンクエストやモンスターハンターのことばかり話していた。

 

ひとしきり伝承に基づいた持論を展開したところで、『アレ?何の話でしたか・・・・そそ、そうだそうだ、バンクーバーへ行けなくなってしまったんです』と自己完結した。

 

『今日、中国の吉林省で未知の化石が発見されました。そ、そ、そ、それで中国政府から急遽調査協力の依頼があったんです。エエ、そ、そりゃ僕も是非バンクーバー行って尾形教授とお目にかかりたかったんですが。な、なな、なんせ、中国政府はうちの大学に巨額の支援をくだすってますからね、断れないだろって学長がおっしゃるモンですから・・・』

 

「学術に政治や金銭を持ち込むべきではないのですが、まあ、お立場はよく理解できます」

 

尾形自身、政治の介入によってゴジラの論文を差し替えた苦い過去がある。

 

『そ、そうおっしゃっていただけると、きょ、きょ、恐縮です。実はいま、日本の成田なんです』

 

「なんと・・・ロシアから日本で乗り継ぎですか」

 

『ひ、ひ、飛行機が取れなくて、今日は成田に1泊です。本当に残念です、せっっかく日本に来れたのに、教授はいらっしゃらずバンクーバーへも行けなくて』

 

「仕方がありません。また、機会を作りましょう。それにしても、中国は発見された化石が何なのか、つかめていないのですか?」

 

『え、え、ええ、ええ。そうらしく・・・・でで、でも僕も未知で大型とはいえ昆虫は詳しくないですから、今晩ホテルで一夜漬けですよ。もっとじ、じ、人選があったでしょうに』

 

尾形は少し考え込むと、「いかがでしょう、私の方でも、昆虫学に詳しいうちの教授に訊いてみましょうか?」と話してみた。

 

『ほ、ほほ、本当ですか!それならぜひ!』

 

しばしお待ちを、と一旦電話を切り、尾形はスマホをタップした。深呼吸して気を落ち着かせないといけない相手だった。

 

相手は3コールで電話に出た。

 

『これはこれは尾形先生、どのような風の吹き回しで?』

 

尾形と同じく京都大学教授で、昆虫学の権威である釼崎だ。この時間、まだ研究室にこもっているだろうという予想は当たった。

 

尾形は経緯を話し、「是非、釼崎先生のご意見を」と言った。

 

『尾形先生、吉林省で見つかった化石なんて、私もニュースで観た程度ですからね、それほど情報があるワケではないが・・・』そう前置きしてから、釼崎は一気に喋り出した。

 

『いまから20年ばかり前になりますがねぇ、古代地球に生息していたとされる大型昆虫の論文を書いた人がいるんです。城南大学の中村教授といってね、まあ私が言うのも何だが、昆虫学者の間でも異端視されてたような方でしたがね。残念ながら学会で否定された論文のためデータベースにも残ってないが、非常に獰猛で攻撃的な昆虫種が古代地球に存在したとする内容だったんです。中村教授はそれをメガニューラと命名し、約10万年前に地球規模の生態系激変を起こした存在だと主張したんです。当然、学会から猛反発を喰らい、教授は職を追われるハメになりましたがね、生涯かけて自身が提唱したメガニューラの研究を絶やさなかったそうです。ま、尾形先生のように聞き分けが良かったら、中村教授も学会で生き長らえたでしょうになあ』

 

相変わらず会話の端々に厭味を混ぜてくるが、「そのメガニューラという存在が、今回発見された化石だとおっしゃるのですか?」と冷静に訊いた。

 

『そうです。私も報道で知った限りの映像と画像を集めましてね、データこそ残ってないが記憶にある中村教授の論文を照らしてみたんですが、細部こそ差異はあるものの、あの化石は仮説の上でしかなかったメガニューラと説明しても差し支えない、そう考えたんです』

 

控え目には話していたが、おそらく釼崎は未知の化石に関して相当興味を持っているようだった。

 

「・・・わかりました。釼崎先生、ありがとうございます。ビグロウ教授には、仮説としてですが情報を提供します」

 

『そりゃ、世界的に権威ある教授のお役に立てれば光栄です。それとこれは蛇足ですがね、メガニューラは幾多の昆虫の例に漏れず、女王蜂に準ずる存在を基に繁殖するようなんですが・・・その女王蜂が、生態上この上なく危険で凶暴なだったのではないか、という中村教授の仮説もあります。もし発見されたのがその女王なる存在であれば、これは古代地球の生態を解き明かす大チャンスであり、中村教授の名誉も回復できるってはなしです』

 

では、と釼崎は電話を切った。

 

「ベヒモス、メガニューラ、か」

 

尾形はこの数分の間耳にした、古代地球に存在していたかもしれない生物の名前を口にした。

 

マッカランを含むと、部屋の明かりをつけた。シャワーでも浴びながら、2人の変わり者教授が話した情報をより咀嚼するとしよう。

 

残りのマッカランを嗜むべくソファに腰掛け、テレビをつけた。ちょうど英国BBC放送だった。女性アナウンサーが緊迫の表情でカメラを向いている。

 

『繰り返しお伝えします。オランダ国防省によれば、オランダ王立空軍が、オランダ上空において未知の飛翔体と交戦状態に入ったとのことです。これを受けてオランダのルッテナン首相はオランダ全土に非常事態を宣言した上で、NATO・北大西洋条約機構へも協力を・・・ただいま入りました、速報です。オランダの首都アムステルダムで、大規模な爆発が起こったとの情報が入りました。たったいま入りました情報によれば、アムステルダム中央駅付近で爆発が発生したと・・・え、訂正します。オランダ王立空軍のFー16戦闘機が、アムステルダム中心部に墜落したとの情報です。えー・・・情報が錯綜してます。また新たな情報です。アムステルダム市によれば、巨大な黒い蛾のような生物が市街地上空を飛んでいるという複数の目撃情報が入ったそうです。また、速報です。アムステルダム市消防本部によれば、市内数箇所にて火災が・・・・・』



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ーChapter 17ー

・7月11日 9:21 英国 シティ・オブ・ロンドン コプトホール・アベニュー

クラブハウスタワー27階 KGI損害保険欧州支社

※日本より8時間遅れていることに留意

 

 

「ほうか。いろいろ大変やなあ」

 

KGI損保欧州支社長の進藤英作は、出勤するなりかかってきた国際電話に相槌を打っていた。

 

昨年、所謂ガイガンショックによる為替相場での日本円暴騰の恩恵を受けたKGI損保は、莫大な為替差益を使って英国の大手保険会社・ランスロット生命を買収して傘下に収め、旧ランスロット生命本社を欧州における拠点として機能させることとした。

 

以来、ガイガンショックとその後発生した黄金の三つ首龍襲来による日本経済沈降を尻目に、KGI損保の影響力が及んでいなかった欧州・中東地域へ進出することに成功し、株価はうなぎ上り、危機的状況にある日本企業の中でも突出した成長を叶えたとして国内外から熱視線を向けられていた。

 

今年4月、人事異動により大阪の本社海損部長だった進藤が欧州支社長に就任。本人が信条としているガンガンいきまっせ、というスローガンを掲げ、ブレクジットによるロンドンの経済的地位低下などどこ吹く風、急成長を遂げる格安航空会社向けの保険商品を製造、契約締結を破竹の勢いでこなしていた。

 

今日もデンマークを拠点に新規就航を目指す新興航空会社との打ち合わせがあり、朝から資料に目を通しながら準備をしていたところ、同期であり自身の前職を引き継いだ緑川から電話があったのだ。

 

日本の九州南西海域で、豪華客船が沈没したニュースは英国でも大きく報じられていた。しかも、当該船舶の各種保険はほとんどがKGI損保が受け持っている。進藤自身も大阪時代、船舶を運用している大和客船と保険契約締結の場に幾度か立ち会ったこともある。

 

「まあ生存者おったのはホンマ良かったが、記憶障害は参るわなあ。聴き取り調査もでけへんしなあ」

 

『んー、記憶障害っていうか・・・なんか、変なんだ』

 

「変、て、どないな?」

 

『おかしな話だと思うでしょうけど、まったく別人が乗り移ったみたいな、そんな感じなの』

 

「なんやそれ。ほな何か、幽霊か何かが取り憑いたみたいなモンかいな」

 

進藤は冗談めかして笑ったが、向こうの緑川はつられることはなかった。冗談では説明できないほどの真剣味が伝わってきた。

 

「まあ、きいた話やけど、人間死ぬ思いするほどの出来事に直面すると、人格やら思考やら変わってまうってこともあるらしいで。あるいは、ホレ、臨死体験で人が変わってもうたー、的な感じかいな?」

 

『うーん、うまく説明できないんだけど・・・。そういう類でもなさそう。とにかく、災害精神医療専門のチームによる診察が決まったんだ』

 

「ふうむ。しかし、アレやなあ。沈没の原因もわからんでは、何ともしゃあないわなあ。アレやないか?ゴジラとか、黄金の怪獣の線を考えたらどーやろか」

 

『説明はつけやすいけれど、それだと思考停止になっちゃうでしょ。もう、今回ほど頭抱えた案件は初めて』

 

ちょうど、秘書のジェニファーが会議の時刻が迫っている旨を伝えに来た。

 

「緑川すまんのう。いまから会議や。くれぐれも無理せんで、原因と対処案突き詰めてや」

 

だが、電話口から返事がこない。なにやら騒がしく、驚嘆気味な声色の緑川が何かを話している。

 

『進ちゃんごめん、またかける』

 

慌てた様子で、電話が切れた。お互い忙しない身であるとはいえ、なんとも尻切れとんぼな通話に後味の悪さを感じた。

 

「なんや、ゴジラでも現れててんやわんやになっとるんちゃうやろな」

 

冗談ぽく独り言をつぶやいた。北陸地方にて、小型の怪獣が群れをなして沿岸部を襲撃したというニュースも、こちらで報じられた。いまのところ、世界で一番怪獣の脅威に肉薄しているのは日本だ。自分で叩いた軽口が、真にならぬことを進藤は願った。

 

「ミスター進藤、ロイズ(ロンドンに本拠がある、世界最大級の保険請負組合)から緊急の通知です」

 

ジェニファーがタブレットを見せてきた。

 

北海にてメタンハイドレートを採取し、成功を報告後ノルウェーへ向かっていた中国の船団が、ノルウェー沖で謎の遭難を遂げたという内容だった。ジェニファーからタブレットを手に取り、詳細を読み込む。ロシア東北部と違い、北海では成功したときいていたが、どういうことなのか。

 

「当該事業の保険請負を担っていたリバプールのハードキャッスル卿が、破産確実とのことです」

 

ジェニファーが隣で補足した。

 

「だろうな。無限責任ではそうなってしまうだろうな」

 

同業者として暗澹たる気分になってきた。

 

「では、会議室へ」

 

ジェニファーに促されて立ち上がったとき、けたたましくサイレンが鳴った。

 

「なんやこの音、エライやかましいな」

 

思わず日本語で口にしたが、ジェニファーも、オフィスのスタッフも顔が真っ青になっている。

 

「空襲警報だ!」

 

データ処理室から、初老の社員が血相を変えて飛び出してきた。

 

「空襲警報とは、何が飛んできたんだ?急に戦争でも始まったのか?」

 

進藤は訊いたが、誰も答えなかった。否、答えられなかった。

 

東側に位置している、ロンドン五輪スタジアム付近から轟音が鳴り響き、全員がそちらに注意を傾けたのだ。

 

スタジアム近くから、黒い筋がいくつか天を目指している。

 

「火事だ!」

 

「まさか、爆撃か?」

 

社員が口々に思ったことをしゃべるが、進藤はひときわ大きな声を上げた。

 

「そんなバカなことがあるか。ロンドンに来る前に、とっくに空軍が対応してなきゃおかしいじゃないか・・・・・・!」

 

自分で口にして、進藤は恐ろしい想像に行き着いた。空軍の対応が追いつかないほどの相手を、去年日本で目撃したことがあったのだ。

 

「これを見ろ!」

 

若い男性社員がiPhoneを差した。BBC放送は黒煙が複数立ち昇る都市の様子を放映していた。

 

『ご覧いただいているのは、いまから20分前のアムステルダムの様子です。街のあちこちで火の手が確認できます。新たな情報です。オランダ上空に現れた未知の飛翔体が、高速で英国へ向かっていると・・・え、ただいまロンドンで爆発がありました。いまここ、ロンドンで爆発が確認できました。英国国防省によれば、オランダから英国へ向かう飛翔体をドーバー海峡上空で迎撃すべく、空軍機編隊を出動させましたが、飛翔体は防衛網を突破、ロンドン上空への侵入が確実となったため、国防省はグレーターロンドン全域に空襲警報を発令しました・・・・・いまここ、BBCのスタジオからも火の手と爆発音が!』

 

ちょうど上空から空を切り裂く音がして、タワーの真上をトーネード戦闘機が編隊を組んで飛んで行った。

 

「なんやあれ!?」

 

日本語が飛び出した進藤だったが、言語でなく感覚で全員が進藤の指先を追った。

 

灰色と所々覗く青い晴れ間を縫うように、黒い物体が悠然と現れた。まるで鋭利なナイフのように尖った羽根はテムズ川を覆うほどに大きく、見る者が萎縮するほど凶暴な顔つき。蝶、あるいは蛾のようなその飛翔体はしかし、不可思議なことに紫色の電気を帯電するように纏っていた。

 

数秒でタワー上空を飛び去り、ロンドンブリッジ付近に達したとき、黒い蛾にいくつかの白い筋が走った。トーネードが対空誘導弾を放ったのだ。直撃したらしく、一気に黒煙が膨れ上がり、進藤たちは耳を塞いだ。爆発の衝撃波はタワーのガラスを揺らし、全員がガラスから距離を取った。

 

恐る恐る目を開けると、反転した黒い蛾は羽根を羽撃かせていた。一層紫色の帯電が強くなった。パッ!と紫色の筋が二本空に伸びたかと思うと、テムズ川の真上で花火が上がったように何かが砕け散った。

 

紫の筋がさらに放たれた。角度が斜め下を向いており、川の対岸、聖トーマス教会付近に突き刺さった。

 

土砂と瓦礫がまくれ上がり、爆発の衝撃波と轟音がタワーを揺らした。紫の筋はそのまま途切れることなく、第二次攻撃に移ろうとしたトーネード戦闘機を粉砕、そのまま地に突き刺さったまま、大英帝国戦争博物館から対岸のコヴェントガーデン、オペラハウス付近までなぞった。

 

線で引いたように瓦礫と煙が天を突き、続くように炎が上がった。

 

「アカン!地下や!」

 

進藤は興奮のあまり日本語で怒鳴ったが、その気迫は言語を超えた。皆がエレベーターを目指したが、どこかで停止したのか停電したのか、ボタンを押しても作動しない。

 

「階段だ!地下なら安全だ!」

 

やや落ち着きを取り戻した進藤は英語で叫び、全員がそれに倣った。上階から逃れてくる人々に混じり、非常階段を駆け下り出したが、下るに従い次第に人が増えていってしまう。

 

タワー全体が揺れ、ガラスが派手に割れる音がした。幾人かが悲鳴を上げて階段にしゃがみ込んでしまったことで、流れが完全に狂ってしまった。

 

「落ち着けー!落ち着けー!伏せろ、エエから伏せろ!」

 

英語と日本語入り乱れて怒鳴る進藤は、粉々になったガラスの向こうに見える光景を見て慄然とした。

 

ウエストミンスターからヴォクソール辺りが燃え上がっていた。片翼を失ったトーネードが燃えながら落ちていき、ウエストミンスター寺院に直撃する様子も目に入った。

 

シュルシュルと妙な音が聞こえた。軌道を失った対空誘導弾が、タワーに迫ってきたのだ。

 

「アカン!みんなジッとせい・・・・!」

 

自分の声すら聞こえないほどの音が、鼓膜を叩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 18ー

・7月11日 17:37 岩手県八幡平市平笠第24地割 焼走山麓荘

 

 

花園学園大学のサークルメンバー10名と東京駅で合流し、東北新幹線で盛岡へ到着後、三上が手配した民宿の迎車に世話になって腰を落ち着けたときには、17時近くになっていた。

 

秋元は新幹線の車中にて、ミステリーサークルのメンバーから今回取材する伝説の神、婆羅蛇魏山神に関して詳細な情報を聴くことができた(話を聴きながらビールをガバガバ開けてしまい、酒を飲まないメンバーから呆れられてしまったが)。

 

今日は民宿で明日訪れる北上山地、及び県北部竜ケ森の情報を皆で確認する手はずとなっていた。

 

かつて岩手山が噴火した際、流れ出た溶岩(通称焼き走り)によって形づくられた尾根の麓にあるこの民宿は、白樺の林に囲まれた上、岩手山はもちろん、北に連なる八幡平の峰々も仰ぐことができる、景観も空気もこの上なく素晴らしいところであった。

 

しかも湧き出る温泉はほのかに硫黄の香りがして、今夜は温泉を楽しみながら地酒でも一杯、などと想像をめぐらしていたとき、上司である藤田から電話があった。

 

『稲村君が遺体で発見された』

 

それからしばらく、秋元は記憶になかったが、サークルリーダーいわく「顔面蒼白になり、無表情で涙が流れてきた」らしく、呆然自失の状態であったようだ。

 

だが、悲しみに暮れるうち、居てもたっても居られない感情が沸き起こってきた。

 

藤田の話では、遺体は自宅のある大田区蒲田へ移されるらしく、天涯孤独ではあるが母方の従妹夫妻が身元引き受けの手続きに当たるらしかった。

 

どうしても、稲村に会いたくなった秋元は、三上に正直に打ち明けた。

 

三上もかつて稲村と秋元を交えて取材に同行した縁で面識があるため、「こちらは大丈夫だから、行って良いよ」と言ってくれた。秋元が稲村に対して、記者の先輩以上の感情を抱いていることを見抜いていたのだ。

 

ここにきてしこたま酒を飲んでしまった自分を呪ったが、民宿の主人が「駅まで一緒にあべ(行きます)」と言ってくれたので、厚意に甘えることにした。

 

「先生、本当にもうしわけありません」

 

秋元は主人が手配したワゴン車に乗り込むと、見送りにきた三上に頭を下げた。

 

「いや、大丈夫。こちらは心配しないで良いから」

 

三上はそういって、ワゴン車のドアを閉めてくれた。

 

「しかし、稲村くんはなぜ、山梨に?」

 

そう訊かれて、秋元は昨日の夕方、編集部を訪ねてきた稲村を思い出した。

 

「そういえば・・・黄金の救い教団へ取材へ行くとか、話してました」

 

「黄金の救い・・・」

 

三上は秋元の口から出た単語を反芻した。ここ最近、急速に教義を広めている新興宗教団体であり、去年現れた黄金の怪獣を神と奉る、怪しげな団体、邪教、そういった認識を少なからず持っていた。

 

とはいえ、古代より伝わっていたとされる黄金の怪獣伝説を経典としている説もあり、三上としても興味をそそられていた。

 

「・・・先生、まさか稲村さん、黄金の救い教団に・・・?」

 

「秋元くん、それはまだわからない。たしかに良い話が聞こえない団体ではあるが、いささか早計だ」

 

「ですよね・・・すみません。あ、そういえば・・・」

 

秋元は昨晩、稲村と交わした会話の内容を思い出した。

 

「先生、稲村さん、近いうちに世の中をアッと言わせる記事を書くって話してました」

 

「んー、それだけではなんとも雲を掴むような話だが。秋元くん、その内容が内容だったがために、稲村くんが命を落とした、と?」

 

「わかりません。でも、もしかしたら・・・」

 

秋元は言いながら俯いた。宿の主人が運転席からこちらを見てきた。三上は頷くと、「何かあれば、連絡をよこしなさい」と秋元に言った。秋元は軽く会釈をすると、主人は前を向き、ワゴン車を発進させた。

 

道の先を見えなくなるまで見送ると、三上は宿へと身体を向けた。急に足元が揺れ出し、地面から鈍い音がした。

 

「またか」

 

実は盛岡駅に降り立ってから、震度2から3程度の地震が頻発していた。活火山である岩手山が活動を活性化させたのでは、という説は、八幡平の麓にある気象庁滝沢測候所が否定した。

 

とはいえ震源が岩手山、八幡平付近に集中しており、原因のわからない群発地震に気象庁も地元民も首をかしげるばかりだった。

 

陽が落ちてきて、高原地帯特有の冷涼な空気が漂い始めた。三上は宿へ入ると、学生たちと明日の打ち合わせをすべく奥の広間へ向かうことにした。

 

その間も揺れは続いていた。時間にすれば、すでに1分以上揺れていることになる。

 

怪訝に思いながらも、三上は帳場に座る宿の女将へ目をやった。女将が夢中になっている地元局である岩手山めんこいテレビでは、東京のフジテレビ報道局からの中継を放映していた。

 

『お伝えしております通り、イギリス・ロンドンにおいて、未知の怪獣とイギリス空軍が交戦したことにより、ロンドン市街地に甚大な被害が出ております。これを受けてイギリス国防省は、イングランド全域に住民の外出を禁じる戒厳令を発表、また防空レベルを、戦争状態に準ずる7に引き上げました。現在、未知の怪獣を駆除すべく、イギリス海軍イージス艦による、トマホーク艦対空誘導弾の多重攻撃を実施しているとのことです。また現地の日本

大使館によりますと、在英邦人、並びに日本企業の安否確認を進めており・・・』

 

女将に倣い、三上もテレビに注目していると、続く揺れがひときわ強くなった。大地を揺るがす音も、重く強いものになった。

 

「なんぼにも続くのぅ」

 

岩手訛りで女将がつぶやいた。地響きに混じり、なにかがぶつかり砕かれるような、奇妙な音もする。

 

「あっぱ!」

 

勢いよく帳場裏の勝手口が開き、主人の父親である老人が女将を手招きした。

 

「なぁんした・・・じぇじぇ!?」

 

呼ばれて外に出た女将は、素っ頓狂な声を上げた。

 

「どうかしましたか?」

 

つられて勝手口から顔を出したとき、揺れがひときわ強くなった。板場で茶碗が転がり、広間からは学生たちが飛び出してきた。

 

そんな宿の中も気にならぬほど、三上は絶句していた。眼前に広がる八幡平が大きく盛り上がり、あちらこちらで土砂崩れが発生していたのだ。岩手から秋田へと抜ける八幡平アスピーテラインを覆う森林が盛り上がり、溢れかえるように麓へなだれ込んだ。

 

轟音の後、土砂が降り注いだ辺りから土煙が昇った。あの辺りに存在する集落があったことを思い出し、三上は背筋が痺れるような戦慄を覚えた。

 

「先生、八幡平が噴火があ!?」

 

女将がすがりついてきたが、三上はゴクリと唾を呑んだ。

 

「いや、噴火にしてはおかしい。溶岩も、噴煙も昇らないというのは・・・!?」

 

三上が再び絶句するより早く、外に出てきた学生が「あれ!?」と指差した。膨大な土砂の中から、なにかが姿を見せたのだ。

 

直後、地響きとも土石流とも異なる音がした。獣が吠えるような、声帯を介した音だ。

 

揺れが収まり始めたのだが、三上も周囲も、まったく気がつかなかった。いま一度土砂が膨れ上がると、パッ、となにかが空に浮かんだ。

 

山の中から現れたソレが、宙に舞ったのだ。翼、というより、ムササビのように皮膜を広げ、そのまま風に乗ったような滑らかさで岩手山の真上まで来ると、ちょうど三上たちの頭上で旋回し、盛岡市はるか上空をかすめると北西の方角へと飛んで行った。

 

呆気にとられたように全員が上空を仰ぎっぱなしだった。そこでようやく、さきほどテレビで報じられていたロンドンと同じく、いまここ岩手に怪獣が出現したのだと認識できた。

 

だが不思議と恐怖心はなかった。高空へ舞ったことで小さく見えたこともあるが、それだけではない、不可思議な感覚だった。

 

「婆羅武(バラン)さまだあ」

 

ふいに、宿の老人が天を仰いだまま手を合わせ、飛び去った怪獣を拝みはじめた。

 

「バラン?」

 

三上は老人に向き直り、おうむ返しに訊いた。

 

「んでがんす。いがーどう、さっぎくっしゃべっでだ婆羅蛇魏さまな、オラほでは婆羅武さまって言うんでがんす」

 

空から目を離すことなく、老人は言った。

 

「バラン・・・」

 

まさか、この地に伝わる伝説の神が、本当に現れたということなのか・・・。三上は怪獣、バランが向かった北西の空を仰ぎ見た。うすうすと、夜が迫る空だった。

 

 

 

 



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ーChapter 19ー

・7月11日 17:51 鹿児島県鹿児島市平川町 鹿児島日赤病院

 

 

伊藤姉妹が病院から姿を消した、という連絡が檜山にもたらされたのは、管区海上保安部に戻りがけの車内であった。

 

昨夜あかつき号救助に当たった海保職員が全員集められたとのことで、伊藤姉妹はKGI損保の緑川に対応を任せ、17時過ぎに檜山は管区海上保安部へ戻ることとなった。ちょうどJOTツアーズの東野も関係者応対へ戻るとのことで、彼を同乗させ市内を経由して保安部へ向かう手筈を整えた。

 

市内へ向かう道中、隣席の東野が面白いことを話してきた。

 

伊藤姉妹の語るところによる、奄美に眠るとされる神について、奄美に癒し岩と称されるピーナッツ型の巨石がある、という話だった。

 

「実は私、オカルトや都市伝説の類が好きでして。檜山さんもご存知ですかね、よく『UTOPIA』を読むんですが、去年奄美の癒し岩に関する記事が印象に残っていたんですよ。伊藤様姉妹が話すことが本当だとすれば、あの癒し岩と何か関係あるんじゃないか、そう思ったものですから」

 

普段なら笑い飛ばす類の話だが、伊藤姉妹の表情を見ると、強い確信の元に話していることがうかがえたため、どうにも気になっていた。

 

東野を送り届けた後、運転手を務めている三島が車を発進させたタイミングで、緑川から連絡があったため、檜山は鹿児島海上保安部への聴取を管区の調査官に任せ、三島を伴って鹿児島日赤病院へと逆戻りすることにした。

 

焦る気持ち、はやる気持ちを抑えるように、檜山は後部座席で目を固く瞑った。ここまで安否が気になるのは、彼女たちが聴取対象であるからだけではないことは自覚していた。いまは理由があり離れて暮らしているが、檜山もまた、年頃の双子姉妹の父親でもあるのだ。

 

そんな檜山を察したのか、少しでも気が紛れるようにと三島はナビに付けられたテレビのスイッチを入れた。映し出されたNHKでは、災害時に表示される青L字のテロップに囲まれたアナウンサーが時折原稿に目を落としながら読み上げていた。

 

『ありがとうございました。安全保障会議が開催されている総理大臣官邸から、能條記者でした。お伝えしております通り、さきほど17:45頃、岩手県八幡平市の松尾八幡平付近より、ムササビのような巨大飛翔体が出現しました。これにより航空自衛隊三沢基地からF35が緊急発進、飛翔体への警戒に当たっています。なお、交通機関への影響も出ております。東北新幹線は八戸〜仙台での上下線で運行を停止。また三沢飛行場、岩手花巻空港、仙台空港を発着する便にも・・・・・』

 

檜山は目を開き、テレビを注視した。その視線は内容への感心ばかりではなく、次第に険しい顔になる檜山を見て、三島は気まずそうに首をすくめた。

 

車は日赤病院の玄関に到着した。檜山は車を降りると、受付前の待合室でどこかに電話をかけている緑川に歩み寄った。

 

「ごめん、また後で折り返す」

 

電話を切った緑川は、檜山に顔を向けた。

 

「伊藤姉妹は?」

 

檜山が訊くと、緑川は首を横に振った。

 

「5時過ぎに、夜勤看護師の回診で部屋に入ったときには、もぬけの殻だったみたいです。入院服から、洗濯したての窓が空いていたから、そこから抜け出したんじゃないかって」

 

この病院の救急病棟が1階にあることは、救急指定である以上やむを得ないのだが、檜山は病院の構造を呪った。

 

「防犯カメラの確認と、警察へは?」

 

「いま警備室で確認中です。警察への通報はしたみたいだけど・・・」

 

緑川が言い淀むのも理解できた。入院患者とはいえ身体は満足に動ける上、2人とも19歳。分別のある大人だ。緊急配備など敷かれるはずもないだろう。

 

檜山が戻ったということで、松田を始めとする病院関係者らも待合室にやってきた。担当看護師はしきりに「申し訳ありませんでした」と悲痛な顔で言った。

 

「どこか、彼女たちが行きそうな場所となると・・・」

 

檜山が言うと、緑川は目を逸らさずに答えた。

 

「これ、私の勘ですけど。もしかしたら奄美大島へ向かおうとしてるんじゃないかって」

 

「実は僕も、そう思っていたところだ」

 

緑川は部下からタブレットを受け取ると、鹿児島空港から奄美大島行きの時刻表、そして鹿児島港からのフェリー時刻表を開いて見せた。

 

「檜山さん、あなたを待ってる間に調べてました。彼女たちが話す内容の是非はともかく、行ってみる価値は充分あると思うんです」

 

檜山は頷いた。

 

「時間的に、鹿児島発18:30発のフェリーがもっとも直近です。奄美大島行きのフライトは19:20ですから、フェリーターミナルを探してからでも間に合います」

 

テキパキと話す緑川に、檜山は感心した。

 

「彼女たち、金は持っているのだろうか?」

 

そこで素朴な疑問を口にする檜山。

 

「あ、たしか、荷物の中にお財布はあったように思います」

 

と、それを受けて看護師が答えた。

 

「となれば・・・とにかくフェリーターミナルへまずは行ってみよう。三島、ここからフェリーターミナルまでどのくらいかかる?」

 

檜山は背後に立つ三島に顔を向け、訊いた。

 

「この時間だと、20分程度です」

 

すかさず、檜山は時計を確認した。間もなく18時になろうとしている。

 

「よし、急ごう。緑川さん、おたくの会社から誰か来て欲しいんだが」

 

「なら、私が」

 

そう宣言すると、緑川は目を丸くしている部下たちに短く指示を飛ばし、三島の車に乗り込んだ。三島は勢いに呑まれるように車を出した。

 

「本当にフェリーターミナルにいると思うか?」

 

走り出した車の中で、檜山は緑川に訊いた。

 

「確信はあるかと訊かれれば厳しいです。でも、空港よりは可能性は高いと思うんです。ここからフェリーターミナルまでは近いですが、鹿児島空港は1時間弱かかる距離です」

 

「そうだな。だがしかし、航路では半日かかる。飛行機なら1時間だ。そのあたりをどう捉えたか、他に金銭的問題もある」

 

とにかくいまは、フェリーターミナルへ行ってみるしかなさそうだ。信号機にひっかかる度に、檜山も緑川も苛立った。夕闇が広がりつつある鹿児島市内はちょうど退勤ラッシュの時間であり、余計に気を揉んでしまう。

 

それでも、出航のちょうど10分前にはターミナルに到着した。三島にはひとまず駐車場へ車を入れるように伝えると、檜山は緑川を伴ってターミナルへ走り込んだ。鹿児島フェリーターミナルはそれほど大きくはなく、地方都市の鉄道駅といった趣きだったが、それでも急ぎ、乗船手続きへと向かった。

 

檜山は身分証を出した。個人情報保護の観点から、関係者以外にはフェリーの乗客に関する情報は伝えられないはずだが、公僕であることを証明すれば、どうにかなるはずだ。

 

だがその懸念は杞憂に終わった。乗船手続きのカウンターで、係員に何かを訊かれ困惑する伊藤姉妹がいたのだ。

 

「君たち」

 

語気鋭く、檜山は駆け寄った。檜山と緑川に気づいた2人はこわばった顔を柔らかくした。

 

「あんた、こんボンさん方の保護者じゃっとな?」

 

受付している年配の男性が、鹿児島の言葉そのままで苛立ち気味に訊いてきた。檜山が身分証を見せると、「あ、こや失礼しもした」と態度を改めた。

 

「この2人が何か?」

 

「いやあ、乗船券なしで乗船しようとしたもして、券買うように案内したらば、要領得なくて」

 

「君たち、お金もなしに乗船しようとしたのか?」

 

檜山が訊くと、ミラと名乗るまさみの方が「お金・・・」と、財布を見せてきた。

 

「なんだ、2千円も入ってないじゃないか。これでは船には乗れないぞ」

 

「でも、この船に乗って、いかないと、バトラ、果てしなく暴れる」

 

「モスラ蘇らせるの、わたしたちの役目」

 

2人がかりで懇願するような目を向けてくる。檜山は顔をしかめ、ため息をついた。困惑と同時に、どこか懐かしく嬉しそうな表情を見せ、緑川は怪訝に感じた。

 

「バトラやらモスラやらよくわからんが、君たちは病院へ戻る必要がある。さ、行こう」

 

檜山は子どもを宥めすかすように言った。だが姉妹は一度顔を見合わせると、再びそれぞれ檜山に目で訴えてきた。

 

「お願い。世界、滅んでしまう」

 

「モスラがいないと、バトラ、ダガーラにも、キングギドラにも勝てない」

 

よくわからない単語を言われても、と檜山はめんどくさそうに眉を顰めたが、あまりにも真剣な姉妹の表情に、コクリと頷いた。

 

「すまないが、一等船室に空きは?和室があったはずだが」

 

檜山は受付の男性に訊いた。

 

「は?はあ、ありもうすが、乗船で?」

 

「では4名。奄美大島の名瀬港まで」

 

受付の職員は戸惑い気味にそれぞれを見たが、檜山は黙って一万円札を数枚出した。乗船券を持つと、そのまま乗船口から船へと向かった。

 

「「ありがとう」」

 

2人は微笑みながら、檜山に礼を言った。照れたのか、檜山は顔を天井に向けた。

 

「緑川さん、巻き込むわけにはいかない。ここで戻ってもらって大丈夫」

 

「いいえ。私も行きます。お2人は大切な顧客ですし。それに・・・・変な話、女の勘みたいなもので、2人が話す内容はともかく、嘘だとは思えないんです」

 

「実は僕もだ。それに、2人にねだられるのが、どうにも弱くて」

 

若干はにかみながら、檜山は答えた。4人は船内の一等船室へ入ると、とにかく腰を落ち着けた。

 

「ああ。僕はしばらくしたら二等船室行くよ。ここは君たちが休めば良い。それにしても、君たちが奄美へ行きたがるのはわかるが、どうしてフェリーにしたんだ?飛行機なら、今日のうちに現地へ着くんだぞ」

 

檜山が訊くと、姉妹は頷き合い、まさみの方が答えた。

 

「飛行機、飛ばない。飛べなくなるから」

 

「どうして?」

 

「もうすぐ炎の獣が目覚める。そうなると、飛行機は飛べない」

 

「それだけじゃない。私たち、看護、してくれたあそこ、もうすぐ死の土地になってしまう」

 

「ええ??」

 

檜山は緑川を見やった。突拍子のない話だが、姉妹はヨーロッパで怪獣が目覚めることを既に言い当てていた。まったく信憑性のない話ではなさそうだ。

 

「死の土地になるって、どういうこと?」

 

緑川が訊くと、リラと名乗るちひろは黙って窓の外を差した。フェリーはすでに出航し、錦江湾中央付近に達しているが、窓の外には雄大な桜島が広がっている。

 

「飛行機が飛べなくなると言ったな。それは、まさか・・・!」

 

檜山が言おうとしたとき、桜島が小刻みに揺れ出したように見えた。山の左右、中腹と複数の箇所から、きのこの如き噴煙が上がり始めた。

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 20ー

・7月11日 18:41 東京都千代田区永田町2丁目3ー1 首相官邸5階 首相執務室

 

 

岩手県に出現した未知の怪獣に関する安全保障会議はひと段落した。三沢基地をスクランブル発進した航空自衛隊のF35は下北半島上空で怪獣を見失い、えりも岬の防空レーダーからも外れたことから、公海上へ飛び去ったと見られた。一時は再度の怪獣襲撃なるかと緊張の高まった会議であったが、ひとまずはその懸念も薄まった。

 

とはいえいつ、岩手の怪獣がいつまた飛来するかは不明。目下英国が未知の怪獣と交戦中である上、ロシア北東から現出したとされる怪獣に至っては存在の真偽すら問われる状況ではあったが、日本を取り巻く環境は予断を許さぬままだ。

 

随行の国交相担当課長からJRおよびいわて銀河鉄道、三陸鉄道が運行の再開を19時頃と定めたと報告を受け、国交相の佐間野はひと息ついた。他の閣僚も同じで、それぞれの役所から怪獣出現に関する対応の報告、連絡を受けている。瀬戸総理は5分間の総理レクを防衛省から受けるとあって、執務室の奥へ引っ込んだ。

 

秘書の尾関がスマホを持ち、「どうしても話をしたいとおっしゃってます」と差し出してきた。表示される相手先を見て、佐間野は席を立ち、執務室を出た。

 

「オレに直接連絡するとは、どういった風の吹きまわしだ?」

 

挨拶もなしに、佐間野は相手先である檜山に訊いた。

 

『もうしわけありません。緊急の要件なんです』

 

「執務室を出たから、タメ口で良い。閣議はまたすぐ始まるから、3分以内で頼む」

 

『・・・そちらでは、桜島が噴火したことはつかんでいるか?』

 

「桜島が?いや、オレは耳にしてないが。だが、あそこの噴火はしょっちゅうだろう?」

 

訊きながら、佐間野は檜山があかつき号調査のため鹿児島にいることを思い出した。

 

『信じられないかもしれないが、これから大噴火が起きるそうだ。従来ならルールに反するが、時間がないからお前に直接電話したんだ』

 

「ちょっと待て、何を根拠に大噴火などと?お前、いま測候所かどこかにでもいるのか?」

 

しばし沈黙があったが、意を決したような口調で檜山は喋り出した。

 

『先入観なく聴いてほしい。いまヨーロッパに怪獣がいるよな。その怪獣・・・バトラとかいうらしんだが、その出現を予言した人物がいる。その人物が、桜島の大噴火と・・・そこからの新たな怪獣出現を予言したんだ』

 

佐間野は思わず電話を切ってやりたくなった。そんな話につきあってる暇はないのだ。

 

「檜山、自分の状況はわきまえているはずだ。お前が去年、怪獣という言葉のためにどんな目に遭ったか。お前は怪獣の出現、存在に関して、他の誰よりも慎重であるべきなんだぞ。それともオレをからかってるのか?お前の怨みは買うが、後にしてもらいたい」

 

『なら、防衛大臣にでも訊いてみろ。報道によれば、ヨーロッパの怪獣はイギリス海軍の対空ミサイルによる多重攻撃で大西洋に落下したそうだな。実際は違うはず、だそうだ。いまでも大西洋上に存在していて、北米を目指している。報道と異なる理由は不明だが、とにかく黒い蛾は健在』

 

「ハッ、それもその予言とやらか。いい加減にしてもらおう。檜山、時間だ、切るぞ」

 

『待ってくれ、いずれにせよ、大噴火まで時間はなさそうだが、内閣が情報を把握してるかどうかで初動は違うはずだ。どうか』

 

佐間野は黙って、スマホの赤いボタンをタップした。檜山め、貴様まで頭がおかしくなったのか?

 

佐間野は執務室に入った。米沢総理秘書官から、総理レクがあと1分で終わる旨、説明があったところだ。

 

ちょうど隣が北島総務相だった。さきほど檜山からもたらされた件を、訝りながらも佐間野は声をかけてみることにした。

 

「北島さん、桜島が噴火したという情報は聞いてるか?」

 

すると北島は目をパチクリさせ、こちらを向いた。

 

「情報早いわねぇ。いま、鹿児島の消防本部から連絡を受けたとこよ。あ、そっか、そっちは気象庁も管轄してるもんね」

 

ふと、佐間野は傍らの存在に気がついた。島崎気象庁予報課長が驚きの表情を浮かべていたのだ。

 

「大臣、いま私も報告差し上げようとしてました。2分前、桜島複数箇所から噴煙が昇ったそうです」

 

「そうか。で、噴火の規模は?大噴火の予兆は?」

 

「は、はあ。噴煙はいずれも2000メートル上空に達しました。これだけなら通常の噴火ですが、今回は複数の地点で噴火があったものですから、火山灰降下による鹿児島市内の混乱は予想されます。しかし、大噴火の予兆とは・・・・・」

 

ふむ、と佐間野は顎に手を当てた。

 

「何か、情報でも?」

 

北島が訊いてきた。

 

「ああ。しかし、鹿児島市内に降灰となれば・・・・」

 

「これくらいなら大丈夫よ。鹿児島の人たちも慣れっこだろうし。まあ、最悪去年みたいに、鹿児島空港は封鎖されちゃうかもだけどね。そうなったら、お仕事増えて大変ね、佐間野さん」

 

いたずらっぽく、北島は笑った。そうなのだ、たしかに、規模の多少はあれど桜島が噴火することは、鹿児島の人々にとっては日常茶飯事なのだ。昨年5月、桜島で観測史上最大規模の噴火があった際も、わずか4日で復旧したほどだ。東京で同規模の降灰があった場合、復旧まで少なくとも2週間は要すると言われている。

 

だが、佐間野は言いようのない不安が、それこそ噴火のように湧き上がってくるのを感じた。檜山とは海上保安大学校の同期で、佐間野が親の地盤を継ぐべく海上保安官を退官して政治家の道を歩むまで、しょっちゅう酒を酌み交わした仲だ。多少堅物なところはあるが、常識外れなことはしない男だと、去年の件を踏まえたいまでも思っている。

 

ちょうど総理レクが終了し、高橋防衛相が出てきたところだった。佐間野は席を立ち、高橋に歩み寄った。

 

「高橋さん、ロンドンを襲った黒い蛾の怪獣ですが、報道とは異なり、現在も大西洋上を飛んでいて、北米を目指しているのですか?」

 

佐間野は小声で訊いた。すると高橋は顔面が蒼白になり、佐間野を見る目が鋭くなった。

 

「佐間野さん、何故それを?」

 

高橋は必要以上の小声で訊いてきた。どうやら檜山の話していたことは正解らしい。

 

「私の情報網に、チラッと」

 

すると高橋はグッと佐間野に詰め寄った。

 

「現在、大西洋を西に向かう黒い蛾の怪獣を迎撃すべく、フィラデルフィア郊外に設置された米軍の多重対空迎撃システムを準備中です。ですがこれは、同盟国軍にしか明かしていない米国の国家機密です。そのため報道による情報操作を行なったのです。ただいまの総理レクはまさしくその件でした。佐間野さん、素晴らしい情報網をお持ちのようだが、他言は無用ですぞ?」

 

佐間野は神妙な顔で頷いた。檜山の話したことが事実とわかったが、ここで必要以上に喋ると自身の政治生命にも関わる。思わぬところで他国の機密に抵触してしまったからだ。

 

奥から瀬戸と望月が出てきた。閣議が始まるようだ。佐間野は席に戻ったが、なおも高橋は睨むようにこちらを見てくる。

 

そのとき、北島に総務省の役人が駆け寄った。併せて佐間野にも、気象庁の島崎が耳打ちしてきた。

 

「桜島で再び噴火を確認しました。かなり大きいようです」

 

 

 

 

 

・同時刻 鹿児島県鹿児島市平川町 錦江湾公園展望台

 

 

「じゃあ、いくよー」

 

セルフィーでスマホをかざすと、優里はシャッターを押した。ちょうど3人の背後には、夕焼けと藍色の空に、雄大な桜島が写っている。

 

「やったあ、良く撮れたじゃん!」

 

万理華がはしゃいだ。

 

「飛行機遅れなきゃ、こんな写真撮れなかったねー」

 

玲香が売店で購入したマンゴージュースを飲みながら、早速写真をインスタグラムに上げた。

 

東京で看護師を勤める3人は、4日間の休暇を利用して鹿児島旅行を計画していた。本来なら16時過ぎには鹿児島空港に到着していたが、羽田空港を出発する際、積乱雲発生に伴い1時間ほど遅延したのだ。

 

今日、宿をとった指宿温泉へは到着後まっすぐ向かおうとしたが、ちょうど夕刻で桜島が美しく見えたため、砂蒸し風呂は明日に回し、夕焼けの桜島を収めることにしたのだ。

 

「ここからだと、指宿は7時まわっちゃうねー」

 

「いいじゃん。着いたらすぐ夕食にしてさ、それからお風呂にしよ」

 

「でもさあ、夕食の後お風呂入れるかなあ?たっぷりいも焼酎呑んじゃう予定でしょ?」

 

「明日は二日酔いかなあー?」

 

3人ではしゃぐ様を、売店の老婆は微笑ましげに見ている。

 

日頃、日勤と夜勤の連続な上、ストレスを溜めやすい職業であるため、3人はここぞとばかりに遊び、食べ、呑むつもりでいた。

 

そのとき、ポン、ぽん、と泡が弾けるような音がした。

 

「あれ?何あれ」

 

玲香が指差す先では、桜島のあちらこちらから丸い煙が飛び出していた。

 

「やだ、噴火じゃない?」

 

「ウソ、もうあんな高く煙上がってるよ」

 

すると売店から老婆が出てきた。

 

「おはんら、たまげっな。あげなこといっものことだあ、だいじょ」

 

3人は老婆の言葉がわからずキョトンとしたが、笑顔で寄ってくるところを見ると、大したことはないらしい。

 

「きゅは店閉じる、今日はつけて」

 

老婆はガラガラとシャッターを下ろし始めた。

 

最初は驚いたが、噴煙は澄んだ空の先で横に広がり始めた。

 

「なあんだ、桜島っていっつも噴火するらしいよ」

 

万理華がスマホで調べたことを話した。

 

「なんかみんな慣れっこっぽいね」

 

そう言うと、優里はマンゴージュースを飲み干した。他の2人も倣い、売店のゴミ入れに捨てた。

 

「おばあちゃん、ご馳走様」

 

そう言うと老婆はニコニコ笑い、手を振った。レンタカーに向かったが、噴煙を上げる桜島をバックにもう一度、3人は写真を撮った。

 

展望台を下り始め、坂道を進む中、後部座席の優里が声を上げた。

 

「すごーい!もうインスタにいいねついてる!」

 

先ほど撮影した、噴煙をバックにした写真だ。

 

「病院戻ってみんなに自慢しよー!」

 

車は数分かけて展望台からの道を下ると、国道226号線に当たった。ここを右折して1時間弱で、指宿温泉に通じるはずだ。

 

「これ旅館着くの8時くらいになるね」

 

「旅館に電話しとくね。夕飯待たせちゃう」

 

助手席の万里華がスマホを出し、予約サイトから今日宿泊する旅館の電話番号を引っ張り出した。

 

「あ、すみません。今日宿泊するんですけどー」

 

一瞬、通話に『ザッ』というノイズが走った。ドン!という地響きがして、車が上下に揺れた。後部座席で悲鳴が上がり、玲香はハンドルに頭をぶつけた。

 

「いったーい」

 

「ちょ、大丈夫?」

 

万里華が玲香を見ると、おでこが赤くなっていた。後部座席の優里も顔を上げ、辺りに目を配ると、フロントガラスが黒く染まるのがわかった。

 

眼前に広がる景色に、3人は息を飲んだ。桜島の山頂から、空いっぱいに噴煙が上がっていた。先ほど見た噴煙より、はるかに大きかった。

 

再びドン!という音がした。今度はフロントガラスが紅く染まった。

 

噴煙の左脇から、真っ赤な柱が昇り出した。

 

 

 

 

 

 

・同時刻 鹿児島県鹿児島市城南町45ー1 鹿児島新港フェリーターミナル

 

 

ドン、という激しい音とともに、三田園脩三は椅子から転げ落ちた。ようやくありつけた今日の夕食であるアジフライ定食が、無残にも床に散らばった。

 

今日は苦情電話の応対で昼飯を食べ損ね、夕方の奄美行きフェリーの手続きを素早く終わらせて食事にしたかったのだが、お金が足りないのにフェリーに乗ろうとする双子姉妹の応対に時間を食ってしまった。今日は乗客が少ない上、彼女たち以外はとっくに乗船手続きを終わらせていたので、鳴り続ける腹を少しでも早く癒してやりたかったのだが。

 

食事の直前、食堂から桜島がポコポコと噴火するのが見えた。あちこちで噴煙をあげるのは珍しいが、あれくらいの噴火ならいつものことだ。明日は出勤時、いつもより10分早く起きて、フロントガラスの灰を拭いてやるくらいで済む、そう思っていた。

 

外の船員たちが騒がしくなった。三田園は裏口を開けた。着岸したばかりの貨物船の向こうに、黒く、灰色混じりの煙が見えた。

 

思わず口を開け、上を仰いだ。去年5月、桜島は大きく噴火したが、今回はそれよりも規模が大きい。パラパラと小石が降ってきた。

 

外の連中に中へ入れと声をかけて、三田園は自身も中に引っ込んだ。じきに火山灰が降ってくる。あれほどの噴火なら、量も相当なはずだ。去年の噴火では丸2日、奄美行きと那覇行きのフェリーが欠航したが、今回はもっと長くなるかもしれない。

 

欠航処理に思わず頭を悩ませたそのとき、強い縦揺れがターミナルを襲った。噴火している脇から、火柱が上がった。

 

「あっ!!」

 

三田園は悲鳴のように甲高い声を上げた。火柱ではなく、噴き上がった溶岩だった。

 

赤い筋が伸びてきたかと思うと、いくつかが市内に落ちたのが見えた。火山弾だ。

 

しかも火山弾は、一気にその量が増えた。大小様々な赤い筋が四方に飛び、ビルの向こうが赤い空気に包まれるのが見えた。

 

再度、破裂するような音がした。地響きは小さかった。まるで山の蓋が外れたように、巨大な噴煙が上がった。

 

遠くでサイレンの音がした。山は黒く、そして山頂からじわじわと赤くなっていった。溶岩が溢れてきたのだ。

 

船から乗組員が走ってきた。彼らを出迎えるべく三田園が外へ出たとき、噴き上がった煙は重さに耐えきれなくなったように崩れ落ちた。そのまま桜島全体を包み、斜面を降り始めた。

 

三田園は呆気に取られた。顔と腕に熱気を感じた頃には、崩れた噴煙は猛烈な火砕流となって島伝いに錦江湾になだれ込み、地を這いながら一気に迫ってきた。

 

慌てて背を向けたとき、背中が焼けるように熱くなり、吸った空気が三田園の気道を焼き尽くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 21ー

 

 

鹿児島市東半分、そして桜島をはさんだ対岸の垂水市全域は壊滅状態となっていた。プリニー式噴火と呼ばれる、凄まじいエネルギーが火口から一気に放出されたのだ。

 

18:47、大爆発を起こした桜島から発生した、高濃度の火山ガスと大質量の火山灰を含んだ摂氏927℃の火砕流は、時速140キロという猛烈な速度で桜島360度四方に放射状に広がり、途上に存在する建物や山林、田畑を焼き尽くした。

 

とりわけ桜島東部へ流れた火砕流は膨大だった。火砕流発生後わずか5分の間に、桜島東部から大正の大噴火で陸続きとなった垂水市が飲み込まれ、噴煙と火山灰に覆われた灰色の世界と化してしまった。市街地を囲むように広がる森林は一気にオレンジ色の炎を噴き上げ、黒く染まった市街地を不気味に照らしていた。

 

対岸の鹿児島市も被害は甚大だった。

 

もうもうと膨れ上がる火砕流は鹿児島市湾岸部をアッという間に嘗め尽くし、内陸まで達した。県庁所在地ということもあって建造物が多いことと、垂水市と違って比較的火砕流が小規模だったこともあり、錦江湾から内陸へ150メートルほどで火砕流の勢いは削がれたが、このうちJR鹿児島駅付近から、市内を南北に走る鹿児島市電の東側一帯は高熱の火山灰に埋め尽くされた。

 

噴火発生後、市民は通常の噴火とは様子が異なる状況を理解し、慌てて走り出す頃には噴煙が地を這い出した。ビルも家屋も、車両も人も、ごく短い時間で噴煙に呑み込まれてしまった。

 

また、鹿児島市側は溶岩が噴き出した火口から飛んでくる火山弾の被害が顕著だった。

 

摂氏1000℃を上回る溶岩の塊が、バレーボール大から4トントラック大のものまで無数に飛んできたため、辛うじて火砕流を免れた地域もあちらこちらで火災が生じた。

 

大混乱に陥った鹿児島市内に、容赦なく火山灰が降り注いだ。豪雪のごとく一気に40センチ積もり、重みに耐えきれず電線ははち切れてしまい、道路に積もった灰は市民の避難を大いに妨げることとなった。要請を受けた救急車や消防車両、パトカーも走ることができず、救援の見込みがないまま火山ガスによる窒息、熱傷で亡くなる市民はかなりの数に上った。

 

加えて19時過ぎから夕立が降り始めた。豪雨は火山灰と混ざってぬかるみ、移動しようともがく車両や市民の足にからみついた。ドロドロの火山灰は数歩で避難しようとする市民を困憊させ、水道や排水溝に流れ込んだ。

 

これにより、市内は電気・ガス・水道すべてのライフラインが使用困難となった。漆黒と灰色に染め上げられた鹿児島市内において、無事な人々は為すすべなく建物内に逃れ、復旧の見込みのない停電の中、時折聞こえる爆発音と地響きに震えるしかなかった。

 

建物内へ逃れることが適わず、熱傷と火山灰によって目と肺が傷つけられた人々は、目を覆ったまま血を吐きながら火山灰のぬかるみに倒れていった。

 

昨年5月の噴火はおろか、1914年、桜島を大隅半島とつなげた大正の大噴火を超える、有史以来最大規模の噴火となった。

 

 

 

 

 

・7月11日 20:07 鹿児島県鹿児島市平川町 鹿児島日赤病院

 

 

「痛ひいぃぃぃ!」

 

「目が、目が痛い!」

 

廊下いっぱいに集められた人々から悲痛な声が上がる中、病院の医師や看護師たちは急ぎ足で院内を駆け回っていた。

 

鹿児島市でも比較的南に位置する日赤病院は、火山弾や噴石、火砕流の被害を免れることができた。

 

それでも、噴火による地震で院内のガラスは砕かれ、停電によって照明も医療機器も機能しなかった。自家発電装置は稼働しているが、治療を優先するため、院内の照明は最小限にしぼられていた。

 

噴火からしばらくして、徒歩で駆け込んだ市民で院内は騒然としていた。最初の頃は車でやってくる患者が多かったが、やがて火山灰でタイヤがスリップし、国道220号線が果てしない渋滞となる頃には、車を捨てて病院を訪ねる人々ばかりとなった。

 

患者の大半は、火山灰を吸い込んだことによる体内損傷、皮膚や気道熱傷、あるいは火山灰が目に入ったことで、角膜や水晶体が傷つけられていた。

 

火山灰は極小のガラス質で構成されており、体内に入った場合は呼吸器や上気道、食道に刺さり、目に入った場合は小さく細かい傷を作ってしまう上、除去は極めて難しい、厄介な物質であった。

 

日赤病院では病院を抜け出した伊藤姉妹の捜索に当たっていたが、桜島噴火後はそれどころではなくなった。担当医科に関わらず、全医師、看護師で殺到する患者の手当てに奔走していた。ベッドはすぐに満床となり、会議室や廊下に患者があふれ返った。

 

雨混じりの火山灰は、割れたガラス窓から容赦なく侵入してくる。医師たちは出来る限り患者を窓から遠ざけ、廊下や外に通じていない部屋へ収容する他なかった。

 

ちょうど展望台を下る際に噴火に遭遇した優里、万里華、玲香の3人は、近くにあったこの日赤病院に駆け込んだ。自分たちが看護師である旨を伝え、次々とやってくる患者の介抱に貢献していた。

 

とはいえ火山灰による怪我をした治療など、看護学校の教科書にほんのわずか触れてあった程度だった。最初は途方に暮れたが、鹿児島では噴火を想定した治療マニュアルが存在する上、地元の医師・看護師ともに知識が豊富であったため、指示通り処置に当たることができた。

 

ふいに地鳴りがして床が揺れ、どよめきや小さな悲鳴が上がった。

 

「まさか、また噴火するんじゃ?」

 

万里華が不安げに外を見て、言った。停電は鹿児島市全域に広がったため、ここからは一切の灯りが途絶えた市内と、真っ黒な錦江湾、そして地獄の蓋が開いたように空を赤く照らす桜島山頂付近が見えるばかりだ。

 

「いや、さっき大きくエネルギーを放出したんだ。少なくとも24時間は同規模の噴火が起こることはあり得ない」

 

そばにいた医師が、万里華の不安に応えた。どうやら地元の人間らしい。

 

「先生、電話かけられもはんか?」

 

噴火の仕組みを説明した医師、ネームプレートに「松田」と書かれた医師に、右手を火傷して優里に包帯を巻かれている老人が訊いた。さきほど優里に、娘夫婦と孫たちとはぐれてしまったと話していた。

 

「そやだめだ。噴火のせいで携帯もつながいない」

 

松田医師は地元の言葉で、老人に言った。言う通り、停電で普通電話は不能となっている上に、携帯電話基地局も破壊されたらしく、誰の携帯電話も圏外と表示されていた。唯一、緊急用の衛星電話が日赤病院にはつながっており、それによる電話は可能だったが、あくまで緊急用であるし、噴火の影響でドクターヘリも飛ばせず消防や警察の救援も期待できない状況では、赤十字本部への報告以外に用途がなかった。

 

再び地響きが起こった。どこかで何かが倒れる音がして、病院の看護師が駆け寄っていく。

 

痛む目をこすろうとする小学生くらいの男児を励まし、洗浄液で眼球をすすがせると、ふいに優里は外を見た。

 

「見て。雨が上がったみたい」

 

どうやら夏の時期特有のにわか雨だったらしく、チラチラと細かい雨粒が落ちる程度になっていた。火山灰混じりの雨がもっとも厄介だと、地元の医師たちは話していた。

 

立て続けに地響きが起こる。目を洗浄した男児が、優里にしがみついてくる。

 

「大丈夫だよー、もうちょっと我慢すれば目も見えてくるからねー」

 

優里は男児を励ましたが、実際のところは応急処置に過ぎず、詳しくは眼科医による診断と治療が必要だ。だがいまこの鹿児島で、この男児と同じような症状の患者がどれほどいるのかを想像すると、優里は暗澹たる気分になった。

 

「ねえ、ちょっと」

 

玲香が声をかけてきた。

 

「山から何か落ちてきてない?」

 

そう言われて、優里は桜島を見やった。流れ出る溶岩は山腹にまで達している。言われてみればたしかに、溶岩に照らされて何かが山を転がっているように見えるが・・・。

 

「何あれ?落石?」

 

万里華も気が付いたようで、顔を向けた。

 

「ちょっと待って、落石にしては変じゃない?」

 

「何か・・・落ちてくるっていうより・・・アレ、自分で動いてない?」

 

優里はじっと、赤く染まる桜島に目を凝らした。雨上がりの風が吹いてきて、顔を背けた。火山灰を含んだ風は危険だ。

 

地響きは断続的に鳴り、やがてシンバルを力いっぱい叩いたような音がした。

 

優里は風が目に当たらぬよう、左手で覆いつつも音が鳴った方を見た。噴煙とも違う煙が上がった。山から出てきた何かが、海に入ったためか、海水が一気に蒸発したようだった。

 

「なに、あれ」

 

思わず優里はつぶやいた。溶岩に覆われた山容以外は漆黒の闇夜なのだが、それでも溶岩の灯りでわずかに見える限りだが、噴気が上がりながら、移動を始めたように見えるのだ。

 

 

 

 

 

・同日 20:21 鹿児島県鹿児島市山下町 鹿児島宝山ホール

 

 

東野は咳き込みながら、大ホールの扉を開けた。

 

日赤病院から戻り、あかつき号の乗客関係者の応対に追われていたとき、大轟音の後、猛烈な暴風と粉塵が建物を包んだ。

 

幸いにもほとんどの関係者は大ホールに詰めており、観音開きの扉を閉めたことで室内まで粉塵は侵入しなかったが、一瞬で照明が落ちてしまい、悲鳴とどよめきが起こった。

 

建物の自家発電装置が稼働したのか、非常灯がついたことである程度の視界は確保できたが、外から聞こえる暴風が収まるまで扉を開けることはできなかった。

 

暴風の音が落ち着き、何かが焦げるような音と臭いがホールを包んだ。意を決して扉を開けると、ホールの職員らしき年配の男性と若い女性が廊下に倒れていた。全身が埃まみれになっており、低い唸り声を上げている。

 

東野は部下と関係者で職員二人を介抱したが、粉塵が呼吸器を侵したらしく、上手くしゃべることができない上、女性の方は目から血が滲んでいる。

 

「いったいどうしたんだ?」

 

「地震か?」

 

ホールでは集まった人々が口々に状況を探ろうとしている。東野は外の様子をうかがうべく、玄関へ向かった。

 

ロビーのガラスはすべて砕かれており、熱気を帯びた灰が一面に広がっていた。紙が焦げる臭いがする。どうやら思った以上に、この灰は高温らしい。

 

どうにか玄関へたどりつくと、灰と闇に染まった市街地の向こうに、真っ赤に染まった桜島が仰げた。革靴から熱が伝わってくる。ここに長居は危険のようだ。

 

東野が踵を返したとき、中華鍋で炒めるような音が聞こえてきた。音と共に煙が上がっているようで、ひときわ目立つ桜島が霞んで見える。

 

「部長、反対側の職員通用口の方は、安全そうです。どこかへ避難した方が・・・」

 

部下の久我が息を切らせてやってきた。

 

「まあ待て。周囲の様子も何もわからん。はっきりするまで、ここで待機した方が・・・」

 

そのとき、再び轟音が耳を叩いた。重たい何かが勢いよく崩れるような音と、内臓を揺らすような、重く耳障りな音だった。

 

何かが崩壊するような音は続けて聞こえる上、振動が足元を揺らす。そしていま一度、あの重たく奇妙な音がする。

 

東野はどこかで、こんな音を聞いた気がした。今年の春先、得意先の接待で北海道へ添乗したとき、クマ牧場で似たような音を聞いた。ヒグマの鳴き声を何倍も大きくしたような・・・少なくとも、声帯を介した音であることは間違いない。

 

ホールに再び粉塵が流れ込んできた。東野と久我は思わず顔を手で覆った。すぐ近くで何かが崩れた。というより、破壊されたようだった。

 

そして灰色の風の向こうに、赤く燃える炎が見えた。地響きは激しくなり、天井から蛍光灯が外れかかってぶら下がる。

 

熱い足湯につかったような足元にかまわず、よろめきながらも東野は玄関を出た。交差点をはさんだ向こう側には、鹿児島東郵便局がある。その郵便局から湯気が上がるのが見えた。

 

刹那、郵便局は熱に耐えきれぬかのように突然発火した。高熱の空気は宝山ホールにも迫ってきた。物が焼ける臭いが鼻にまとわりつき、東野は後ずさった。

 

また、あの声がした。燃え上がる郵便局が弾け飛び、瓦礫が燃えながら飛び散った。自身の数メートル先にコンクリート片が落ちてきても、東野は微動だにしなかった。崩れ去った郵便局はより激しく炎上し、炎に照らされた「それ」と目が合った。

 

紅蓮の炎の中で、尖ったものが黄色く光った。それは「それ」から生えた、角のようだった。角の後ろに、巨大な耳が見える。そして炎に照らされる表皮は負けじと赤く、その中で異様に白と黒の目がギラついているように思えた。

 

紛れもない、怪獣だった。大きく吼えたその怪獣は、四つ足で南の方角へと歩み出した。進みながらビルをなぎ倒し、そして何もかもが燃え上がる。まるで溶岩がそのまま怪獣となり、突き進んでいるかのようだった。

 

 



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ーChapter 22ー

・7月11日 20:47 東京都千代田区永田町2丁目 首相官邸5階 総理執務室

 

 

桜島の大噴火を受け、岩手に出現した怪獣に関する会議から、そのまま緊急災害対策本部が設置され、閣僚たちは省庁からの情報を汲み上げ、20:30からの官房長官緊急会見へと繋げることに奔走した。

 

官房長官会見は5分で終了し、気象庁担当による会見で詳細を語ってもらうこととし、20:40から再び緊急の閣議となった。

 

「現在、鹿児島県全域で鉄道の運行を停止、また鹿児島空港は滑走路に許容量を上回る火山灰が降り積もったため、閉鎖されています。上空1万メールに達した噴煙の降下により、明日には種子島、屋久島から宮崎、熊本の各空港も、滑走路の使用が不可能となる見込みです」

 

佐間野は官僚から渡されたメモを読み上げた。何人かは交通網の破断による経済的損失を憂い、目を覆った。

 

「20:45現在、鹿児島県庁と連絡がつかない状況です。火砕流の直撃を受け、機能を果たせていないことが考えられます。市消防本部も、同様の状態です」

 

北島が続いた。いつもは冷静な彼女も、珍しく声が上擦っている。

 

「陸自の国分駐屯地から、第12普通科連隊が装甲車両で鹿児島市へ向かってますが、避難に伴う渋滞が深刻である上、火山灰が予想以上に多く、市内到達にはさらなる時間がかかると報告を受けています。また鹿屋航空基地は同じく火山灰の影響により、機能不全に陥ってます」

 

高橋が述べたところで、「防衛大臣、何も、ヘリなら低空だし滑走路を使わん。さっさと飛ばして被害状況を確認させてはどうだ」と柳農水相がダミ声を上げた。

 

「残念ながら、噴火による火山灰降下中はヘリであろうと飛行はできません。エンジンに火山灰が入り込んだ場合、噴射熱で溶解の後エンジンにからみつき、墜落の恐れがあるためです。いずれ、火山灰が落ち着く頃にはヘリを飛ばせますが、少なくとも今夜のうちは不可能でしょう」

 

高橋は威圧感ある柳に負けじと、威厳を含ませた口調だった。

 

「噴火の規模や損害はともかく、人的被害は?避難は、順調なのだろうか」

 

瀬戸は関係閣僚を見ながら訊いた。だが佐間野は天井を仰ぎ、高橋は下を向いた。

 

「残念ですが、現地の行政、消防とも連絡がつかないため、正確なことはわかりかねます。ただ、噴火の規模から考えた場合、相当数の犠牲者、あるいは怪我人が出てると思われます。また避難活動も、行政の初動を待つことなく住民による避難が始まったと考えれば、統制が為されたものとは言い難いと考えます」

 

北島は無念そうではあるが、はっきりと言った。

 

「そうか、わかった」

 

瀬戸は目をつむり、言った。米沢が瀬戸に近寄り、なにかをささやいた。

 

「閣議の途中ですが、火山学の有識者が到着したため、これより10分、有識者会議を設けます」

 

望月が宣言し、瀬戸を促した。宰相が席を外したため、各大臣たちはそれぞれ情報収集と報告事項申し送りの時間となった。

 

「ねえ、いまさら火山学者と懇談しても、正直無駄だと思わない?」

 

隣席の北島が喋りかけてきた。

 

「仕方がないさ。文科省は噴火予知のため、昨年から莫大な予算を計上してる。いざ想定外の噴火が起きたときには、最高責任者へ言い訳する時間も必要だ。状況に則してない、と言われてしまえばそれまでだがな」

 

PTA連合会から政界入りした北島とは違い、佐間野は親子三代続く政治家一家だ。一見無駄とも思える行動にも、それなりの政治力学や省庁の思惑が働くことを理解していた。だがそrでも、現況では北島の言葉が正しいだろう。

 

尾関が再びスマホを見せてきた。

 

『落ち着いたら連絡がほしい』

 

檜山からSMSが入っていた。

 

「すまない、2分時間をくれ」

 

報告に訪れた官僚に断りを入れ、佐間野は廊下に出た。檜山は3コールで電話に出た。

 

『忙しいところすまない』

 

開口一番、檜山が言った。

 

「むしろ、こちらこそだ。お前の言った通りになった」

 

『オレだって本音言えば、半信半疑さ。それより、桜島の状況はどうだ?』

 

「報道の通りだ。鹿児島の第十管区海上保安部とも連絡がつかない。というか、お前はいまどこにいるんだ?噴火は大丈夫なのか?」

 

『・・・奄美に向かう船の中だ』

 

「何だと?」

 

『場合によっては職務放棄かもしれんが、訳がある』

 

一瞬、佐間野は二の句が継げなかった。

 

「お前、今度こそ左遷では済まんぞ」

 

『覚悟はしてる。実は、あかつき号の生存者である双子の姉妹による進言なんだ。2人して著しい記憶障害を罹患していると、報告をあげているが』

 

それは、今朝報告を受けている。

 

『実は、その姉妹が言った通りの状況になっているんだ』

 

「すると、お前の言う予言者というのは、生存者であるその双子なのか」

 

『そうだ。これも信じられないかもしれないが、姉妹にはまったく別の人格が現れている。精密治療が必要かもしれないが・・・今のところ、彼女たちの言った通りになっている』

 

「オカルト雑誌にでも寄稿できそうな話だな。信じられんが、その後彼女たちはなにか予言したのか?」

 

『桜島の噴火は、火山に眠る神・・・というか、怪獣によるものだそうだ。そしてその怪獣は、すでに現れたと話している』

 

「ちょっと待て、怪獣だと?」

 

『ああ。えっと、何と言ったか・・・』

 

近くに誰かいるのだろうか、檜山は誰かに訊いている様子だった。

 

『バラナスドラゴン、あるいはバラゴンとかいうらしい。とにかく、怪獣が』

 

「ちょっと待て」と、佐間野は遮った。

 

「鹿児島とは連絡が断絶していることもあるが、怪獣が出現したとの報告は受けていない」

 

『あの噴火規模では、そうだろうな。明日にならないと、現地へ行くことはできんだろう』

 

「・・・なお確認する。そして、お前はなぜ奄美に向かってる?まさか、奄美にも怪獣がいるとか?」

 

『どうやらそうらしい。だが奄美に眠る怪獣は、少なくともオレたちに敵対する存在ではなさそうだ。そして他の怪獣を鎮める力を持っているらしい。断片的な話だが、その怪獣が復活する鍵を、双子姉妹は握っているようだ』

 

「いずれにせよ、とても閣議で話せる内容ではない。だがこれからも逐一、情報を伝えてほしい。すまないがタイムリミットだ」

 

檜山の短い返事を聞き、佐間野は電話を切った。まったくバカげた話だが、こうも言った通りになるのであれば無視するわけにはいかない。とはいえ閣議で発言できるはずもない。

 

情報は独占することに価値がある。さきほどは防衛機密に触れたことで高橋の逆鱗に触れてしまったが、佐間野自身、官邸と共有する機密を持っている。

 

現在極秘のうちに、米国籍の時価総額世界一であるIT企業、ガルファーと共同で中部日本再興計画をブチ上げているが、官邸と国交大臣の佐間野、そしてごく一部の官僚のみ知りうる計画だ。

 

予言など非科学的だが、上手く情報を握り操ることができれば、佐間野にとって今後政界を生き抜くことが容易くなるだろう。

 

執務室からは、早く報告したくてたまらなさそうな官僚が顔を覗かせている。佐間野は手を挙げ、執務室に戻った。

 

 

 

 

 

・同時刻 新潟県佐渡市両津福浦 居酒屋『まつや』

 

 

昨夜富山で発生したお化けフナムシ襲撃により、安全のため今日一日の禁漁が漁協より伝えられたため、漁師たちは朝からまつやに入り浸り、酒盛りをしていた。

 

漁に出なければ金にならないが、1日くらい朝から酒ざんまいなのも悪くない。両親から居酒屋を受け継いだ若夫婦は苦笑いしながらも、漁師たちの要請で朝から店を開けていた。

 

漁師たちの酒量は底無しで、夕方過ぎまで賑やかに酒盛りしていたが、海外から伝わった怪獣出現、そして桜島噴火のニュースが報じられると、酔いが醒めたようにテレビに夢中になった。

 

「こりゃあ、去年のゴジラとガイガンに黄金龍以来の大事だっちゃ」

 

漁師の棟梁である武蔵が揚げ出し豆腐をつつきながら、言った。

 

「あーあ、ありゃあ鹿児島もうダメだな」

 

「オレ、かあちゃんと冬に南九州旅行いくはずなんだけどなあ」

 

カウンターの漁師たちも、口々に言いながら日本酒を含む。

 

『ここで、速報です』

 

いままで鹿児島のニュースを報じていたアナウンサーが言うと、全員がテレビに注目した。

 

『アメリカ連邦危機管理庁によれば、アメリカ中西部、イエローストーン国立公園にて、小規模な噴火が相次いでいるとのことです。スポークスマンによれば、これがただちに大噴火となるかは調査中だが、予断を許さぬ状況だと・・・・・』

 

「おいおい、アメリカでも噴火だってよ」

 

「そういえば、『2012』って映画でやってたなあ。イエローストーン国立公園が噴火すると、世界滅亡するらしいっちゃ?」

 

「じゃあ、明日にでも世界の終わりが来るっちゃね?」

 

「おい若、後悔しねえよーに今晩のうちに嫁さん抱いとけ」

 

全員が爆笑し、若夫婦が苦笑いしたとき、「おーい、政二だあ」と、外から声がした。

 

「政二のヤロー、言いつけ守んねーで船出しやがって」

 

文句を言いながら武蔵が戸を開けると、思わず腰を抜かした。

 

「ま、政二、オメエそれ」

 

震える指で、政二が持っている物を指した。巨大な甲殻類のような、フナムシだった。

 

色めき立つ漁師たちだったが、「大丈夫、もう死んでる。こいつら、海いっぺぇに浮かんでやがる」と説明した。

 

「若、駐在さん呼べぇ」と、武蔵が言った。

 

「政二、オメエ顔青いぞ」

 

言われた通り、青白い顔をする政二。

 

「どうした、フナムシのバケモノにビビったか」

 

「ち、ちがう」

 

大げさに首を振る政二。

 

「海に浮かぶこいつらに気がついたとき、海が光ったんだぁ」

 

「・・・・はぁ?」

 

「海が、青く光ったんだよぉ」

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 23ー

・7月11日 22:18 鹿児島県屋久島沖 マルエーフェリー『あけぼの』

 

 

夜も更けたが、船内では眠る乗客は数少なかった。

 

ほとんどの乗客はロビー、広間にしつけられたテレビにて、桜島噴火のニュースに見入っていた。

 

航路の特性上、ほとんどが鹿児島県民ということもあり、不安に顔を曇らせつつ、繋がらない電話に気を揉む状況が続いていた。

 

あるいは、噴火の影響が及んでいない地域では連絡が取れても、鹿児島市や垂水市の具体的な被害状況は報道以上のことはわからなかったり、ツイッターでも現地の状況はなかなか上がってこない。

 

火山灰は現代のような情報化社会では、停電や通信の遮断によって被害が顕著になると、テレビに映る防災学の専門家が話している。

 

しばらく檜山もテレビを注視していたが、一等の和室にいる伊藤姉妹が気になった。9時前に床についたようだが、よく眠っているだろうか。あるいは・・・。

 

そっと戸を開けると、布団の中ですやすやと寝息をたてている。ホッとして戸を閉め、檜山は思い出していた。そういえば、仕事で遅くに帰ってきたとき、娘たちがよく眠っているかを見るため、同じことをやったものだ。

 

そこで気がついた。部屋に緑川の姿がなかった。

 

トイレだろうか。いや、電気はついていなかった。

 

嫌な予感、というか、妙な予感がして、檜山は辺りを見回した。少なくともロビーには、緑川の姿は見当たらない。

 

今日会ったばかりだが、どことなく彼女には気になる部分があった。テキパキとしていていかにもなキャリアウーマンだが、去年、檜山が見てきたとある人物に通じるような感じもしていたのだ。

 

ロビーでないなら・・・檜山はロビーから廊下を通り、船内前方へ向かった。職業柄、こうした船舶の構造は頭に入っている。

 

二段ベッドになっている船室が並ぶ先に行くと、椅子が10脚程度しつけられたスペースがある。あまり知られてないが、この手の客船はかつて懇談室があった名残で、こうして船室の先に不可解な休憩スペースがあることが多い。

 

薄暗い照明の下、ポツンとスーツ姿の女性が座っていた。傍らには、どこかで購入したのか芋焼酎の瓶が置かれている。

 

入ってきた檜山に気づき、緑川はバツが悪そうに顔を背けた。

 

「酒、うまいか?」

 

檜山は柔らかい口調で訊いた。叱責も覚悟していた緑川は、意外そうに顔を上げた。顔はだいぶ赤いが、意識はハッキリしているようだ。

 

「酒に頼るのは間違ってない。しかし人間、何か悲しいことや苦しいことがあると、なかなか酔えないものだ」

 

気まずそうに顔を俯かせる緑川。少し前に檜山が佐間野に電話していたとき、桜島噴火の報せを聞いた緑川は、鹿児島に残してきた部下たちに連絡が取れない、と話していた。その上、ロンドンにいる同期も、やはり消息不明だということもわかった。

 

その頃から気落ちしていた様子をうかがわせていたことが、檜山に懸念を持たせていた。そもそも、最初に顔を合わせたときから、緑川は酒の臭いを漂わせていた。

 

「ごめんなさい・・・どうしても、お酒が毎日手放せないんです」

 

昼間の気丈な口調はナリを潜めていた。

 

「わかるよ。オレの部下にも、そういう男がいてね」

 

言いながら、檜山は隣に腰を下ろした。

 

「まあ、その男は仕事上のストレスによるものだったんだけど、やっぱり酒がないとダメになってしまってね。職務中にも酒臭いことが多かったから、処分の対象にもなりかけた。オレはどうにか粘って、処分より本人の治療を進める方向に持って行ったんだが」

 

そこで言い淀んだ。緑川は檜山の顔を覗き込んだ。

 

「私は・・・なんていうか、これ以上、近しい人がいなくなることが怖くて」

 

自分で口にしたことが辛くなり、緑川は焼酎の瓶に口をつけ、グイッと呑んだ。何も割らず、ストレートなのはさぞかし効くだろうが、そこまでしても心は満足しないのだ。

 

「去年、部下を喪ったんです。名古屋で」

 

酒の作用ではなく、話すことで精神を落ち着けようとした。檜山には、話しても大丈夫そうな感じがした。

 

「私が転勤したてで、たまたま出張で名古屋に来てくれて、一緒にまた呑みましょうって誘ってくれたんです。ちょうど、私もロンドン出張から戻って、空港を出て市内に向かう途中、あの黄金の怪獣が現れて」

 

緑川は左手で頭をかきあげた。

 

「私はどうにか助かったんですけど、乗っていた電車が横転して、血まみれのまま亡くなる人、助けてって、叫ぶ声が弱々しくなっていく人・・・。それから、名古屋の支店にやっとたどり着いたんですが、支店のあったビルは完全に吹き飛ばされてて・・・。私を訪ねてくれた部下は、1ヶ月後に発見されました。ビルから、3キロも離れたところで」

 

たまらず、もう一度瓶ごと焼酎を飲み込んだ。

 

「なんだか、あれからおかしくなっちゃったの、自分でもわかるんです。悲しいのに涙は出ないし、そんな自分が情けないし。仕事に打ち込んで忘れようとすればするほど、お酒の量も増えちゃって。ロンドンの同僚と、鹿児島にいる部下たちを考えたら、もう止まらなくって・・・」

 

こんな自分、おかしいでしょ、と言いたげに、自嘲気味に笑った。

 

「よくわかるよ。オレも酒に逃げたことがある。どうしようもないんだ、そうわかっていてもね」

 

そう言うが、檜山は緑川の持つ瓶を取ると、キャップを閉めた。

 

「でも今日はこのくらいにしておいた方が良い。明日、身が持たなくなる」

 

残念そうな、悔しそうな表情の緑川だが、檜山の表情を察したのか、訊いてきた。

 

「檜山さんて、お酒に逃げたことあるって、いま話しましたね?」

 

そう言われて逡巡したが、檜山は頷いた。

 

「 オレも去年、部下を亡くしたんだ。ただし、それは部下の自殺でね」

 

押し黙る緑川。彼女は身の丈を話した、自分も話さねば、何となくそう思い、檜山はかまわず話すことにした。

 

「去年、ゴジラとガイガン、そしてあの黄金の怪獣によって日本がひどい目に遭わされた後のことだ。海保は海自と協力して、日本近海の警戒に当たった。そうなったことで、各所で極度の人手不足になってね、当時本庁の国際刑事課長補佐だったオレは、8月になって臨時に小樽の第一管区保安本部付首席管理官に任命された。そこで後輩だった屋代という男に再会できたんだが・・・奴は、心を病んでしまっていてね」

 

話すことでホッとできるかと思ったがとんでもなかった。檜山は緑川が呑んでいた焼酎を呷りたくなった。

 

「激務もあったが、当時の異様な緊張感に、彼だけじゃなく他の連中もおかしくなっていた。真っ先に弱った彼に対する、いじめもあったようだ。上司として、オレは彼をかばい、休職も提案した。責任感の強いあいつは、耳を貸さなかったけどな」

 

緑川は神妙な顔をしていた。檜山にも、その部下であった屋代という男にも、興味がわいてきたようだった。

 

「そんなとき、去年の9月はじめだ。奥尻島沖合で北朝鮮と国内の反社会的勢力による、覚醒剤取引が行われるとの情報が入った。人手不足の折、オレが船長代行になり巡視船で現場へ急行し、現場を押さえようとした矢先、屋代が叫んだんだ。怪獣を見た、と」

 

緑川は全身を檜山に向けた。

 

「無論、レーダーや観測機器には何も反映されなかった。だが屋代は間違いなく、トカゲのような怪獣が海に沈み込んでいったと話した。本来、薬物取引捜査を目的としていた本船だったが、怪獣の探索に当たるか、捜査を優先させるか。オレに判断が委ねられた。オレは前者を選んだよ。精神を病んでいたとはいえ、屋代は嘘をつくような男じゃない。それに怪獣が近くにいるのなら、なおさら報告と探索を行わなければ、また日本は怪獣の奇禍に巻き込まれる恐れがある。だが、ついぞ怪獣は発見されなかった」

 

「そんな話、初めて聞きました。北海道沖に怪獣が?」

 

「理由がある。人手と船が不足していたこともあり、管区保安部だけでは探索に充分な力を注げなかったことは事実だ。だが・・・上まで報告が行ったところで、報告は握りつぶされた」

 

檜山は瓶を握る手に力がこもった。

 

「たしかに、観測機器には反応がなかったことは間違いない。だがそれでも、せめて海自も探索に加わってくれればと思ったが、確たる証拠もなく怪獣出現を発表することによる人心の動揺、パニックを回避することにしたらしい。無理もないとは思う。その2ヶ月前には、ゴジラと黄金の怪獣によって東海地方が壊滅していたからな。まあ、そのためにオレたちは怪獣の証拠を特定できないばかりか、本来の任務だった覚醒剤取引捜査すら果たせず、陸に戻ったんだ」

 

少しもらっていいか、と檜山は緑川に訊いた。頷いた緑川を合図に、檜山は焼酎を呷った。数ヶ月ぶりの酒の味だった。

 

「早速聴聞会が行われ、屋代は徹底的に糾弾された。精神状態が不安定な中、幻覚を見たんじゃないのか、はたまたサボタージュのつもりで、アリもしないことを話したのではないか、とね。オレはそんな屋代を見ていられなくて、すべてオレの責任ということで結論を出してもらった。だが、屋代はそこに強く、責任を感じてしまったのかもしれない。オレに無期限休職処分が決まったその夜、屋代は、宿舎で首をくくってしまった」

 

たまらず、檜山はさらに焼酎を含んだ。

 

「東京に戻ったが、オレは後悔やら何やらで、酒に沈んでな。元々小樽へ単身赴任した頃から、妻とケンカが続いていた。彼女もそれまでの怪獣騒動もあり、不安だったんだろうが・・・」

 

檜山はスマホを操作して、写真を出した。

 

「オレの元の妻と、娘たちだよ。よく似てるだろ。双子でね、2人で同じこと言ってくるんだ」

 

檜山は笑ったが、どこか寂しそうな、乾いた笑いだった。同時に、なぜ檜山が伊藤姉妹の言うことを聞いたのか、緑川は理解できた。

 

「酒に溺れる姿をこれ以上見せたくなくてな、情けなくなって、去年の秋、離婚したんだ。でも今でも思う。こんな夫でも、あるいはこんなパパでも、一緒にいてくれって、素直に話していれば良かったってね。その後、海保から国交省の運輸安全委員会へ出向が決まり、閑職とはいえ仕事は安定してきたのだから、なおさらそう思うよ」

 

もう一杯呑んだところで、「すまない、オレの話が長くて」と、檜山は頭を下げた。

 

「ううん、ありがとうございます。話してくれて」

 

緑川は微笑んだ。

 

「だから、伊藤姉妹の頼みに弱かったんですね」

 

敢えて、緑川は訊いた。恥ずかしそうに、檜山ははにかんだ。

 

「ああ。年頃もちょうど、娘たちと同じくらいだし。変に聞こえるかもしれないが、彼女たちはこれから眠る怪獣を起こしに行くだろ。まあ、それを守ってあげたい、というか、な」

 

「いいえ、よくわかります。よし、私も今夜はお酒、これっきりにします。明日、着いてから大変そうだし」

 

檜山は笑顔で頷いた。

 

「彼女たち、ちょっと様子を見に行こう。そうしたら、今夜はもう休もう」

 

よく寝てると良いんだが、と、檜山は立ち上がった。緑川も続いた。

 

伊藤姉妹の寝室を覗くと、2人とも身を起こしていた。目が完全に覚めている。

 

「あら、どうしたの?」

 

酒の臭いを気にしつつも、緑川は2人に寄った。

 

「「ダガーラ」」

 

「え?」

 

2人の目は、はるか遠くを見るように強張っていた。

 

 

 

 

 

・同日 7:30 アメリカ合衆国コロラド州コロラドスプリングズ 北米防空司令部(NORAD)

※日本より15時間遅れていることに留意

 

 

ロンドンを襲撃し、アメリカ東部へ向かっている黒い怪獣を掃討すべく、NORADでは最新の対空ミサイルによる迎撃を指揮していた。

 

フィラデルフィア郊外の空軍戦略防空師団による地対空ミサイル群の攻撃は20分前に行われ、多重攻撃によって怪獣はレーダーに反映されなくなった。だが着弾直後、大西洋上空の成層圏に大気の乱れが観測され、怪獣はミサイルの届かないはるか高空へ逃れたことが予想された。

 

NORAD戦略作戦部隊の責任者であるギャリスン大佐は、ただちに合衆国東部の全空軍基地に出動待機を発令。大統領並びに国防長官への報告を行うと共に、再度怪獣が大気圏内のレーダーに捕捉された場合、東部諸州への警告と報道規制の解禁を決定した。

 

だが1分ほど前より、大西洋とは正反対の北太平洋に全員の注目が集まっていた。

 

「現在高度5000。徐々に降下中」

 

「アラスカ・ヘンダーソン基地よりF22中隊離陸。迎撃に当たります」

 

オペレーターが矢継ぎ早に報告する中、洋上はるか上空の未確認飛行物体は、猛烈な速さで北米大陸に迫っていた。

 

「速度・・・ウソでしょう、マッハ9を上回っています!」

 

オペレーターの女性がヒステリックな声を上げた。ギャリスン大佐は受話器を上げ、国防長官への緊急回線につないだ。

 

「長官、NORAD・ギャリスンです。緊急の報告です。合衆国西部及びカナダ西部に、非常事態を宣言してください。北極海より重大な脅威が迫っている上、相手は当軍の迎撃能力をはるかに上回っております。はい・・・そうです、遺憾ながら、合衆国が保有する如何なる攻撃能力も追尾できぬ速度です。ただちに、非常事態の宣言をなさってください!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 24ー

・7月11日 7:00 カナダ連邦 ブリティッシュコロンビア州バンクーバー市 ウォーターフロント駅

※日本より16時間遅れていることに留意

 

 

深い霧に覆われた昨夜から一転、バンクーバーは絵に描いたような青空に覆われていた。

 

昨夜行われたパーティの疲れは残っているが、鈴木陽子は留学先であるヘレフォード大学へ向かうべく、駅のホームがある地下から地上へ続く階段を昇った。

 

突き抜けるような青空に、陽子は思わず顔をほころばせた。スマホを取り、空とビル群を撮影する。この陽気なら、バンクーバー湾の景色も素晴らしそうだと思い、パンパシフィックホテル脇にあるバンクーバー五輪モニュメントに向かった。

 

思った通りだった。バンクーバー湾をはさんで対岸のノースバンクーバーまで、ハッキリとよく見える。穏やかな水面と空を写真に収め、早速インスタグラムにアップした。日本にいる友人たちも見てくれているだろうか。

 

「ちょっと、お金恵んで」

 

背後から声をかけられた。自分と大して年齢が変わらないと思われる、金髪の女性が虚ろな目を向けていた。

 

「持ってない、ごめんね」

 

早口で言うと、陽子はスマホを仕舞った。この付近によくたむろしている、ホームレスだった。

 

最初は自分と変わらぬ歳でホームレスになっている彼女たちを不憫に思い、1ドル程度だがお金を恵んでいたが、ホームレスたちはそのお金で薬物を買っているという事実を知ると、適当にあしらってその場を去ることにしていた。

 

「あんた日本人でしょう?お金持ってないわけないじゃん」

 

その女性が食い下がってきた。たいていは一言ふた言で済むのだが、よく見るとさして暑くもないのに汗をかいており、それでいてガタガタと震えている。それにレザーのジャケットは明らかに季節を違えている。

 

「ごめんなさい、本当にないの」

 

足早に去る陽子に、ホームレスは放送禁止用語を叫んできた。聞こえないフリをして横断歩道を渡ると、バンクーバーのダウンタウンへ向かう。

 

去年、カナダでは大麻の使用が合法化されて以来、あの手のホームレスは増える一方な気がする。去年から留学している陽子だが、誘われるいろいろなパーティでは前にも増して大麻を嗜む人が多い(実際は非合法時代から変わらない、とバイト先の先輩は話していたが)。

 

留学生である日本人の多くは「合法だから」「断ると気まずい」との理由で大麻をよく吸っているが、陽子は断固として吸わなかった。

 

せっかく気分良く写真撮ったのになあ、と不貞腐れもしたが、気を取り直してダウンタウンのにある日本人向けのお店「こんびにや」へ向かうことにした。今日はあそこでおにぎりでも買って、学内で食べることにしよう。

 

ふいにサイレンが鳴った。どこかで火事なのだろうか。周囲の人々も、突然の音に驚いたようで、辺りをキョロキョロしている。

 

交差点を渡りきると、ちょうどイタリア料理店でテレビが流れていて、何人かが不安そうな、あるいは困惑した顔でテレビを見ている。

 

カナダのクレーバー首相が何かをしゃべっている。かなり深刻そうな顔だ。

 

突然、大地が揺れ、轟音が陽子の耳を叩いた。驚いてしゃがみこんだ。周りの人々は悲鳴を上げて、轟音が響いた先を見ている。

 

顔を上げると、青い空に黒煙が立ち込めていた。ノースバンクーバーの方角だ。そして地響きは鳴り止まず、なにかが壊れるような音もする。

 

ウォーターフロントの方から、大勢の人が走ってきた。車も混乱しながら、何台かは信号を無視して曲がろうと交差点に進入していた車に激突していた。迷走する車に轢かれてしまう人もいて、陽子は目を覆った。

 

地響きが強くなり、灰色の煙が舞い上がっている。陽子は似たような光景を見たことがあった。

 

そうだ、去年留学する直前。首都圏に発生した大規模な停電で大学が休校となり仙台の自宅で暇を持て余していたときだ。

 

教科書でしか聞いたことのない怪獣、ゴジラが、汐留でガイガンという怪獣と争っている様子を、YouTubeで配信しているジャーナリストがいた。思わず見入ったその映像に似通っていた。爆発的に広がる土煙に、絶え間のない轟音。

 

あれ以来、「KAIJUU」は世界共通語となった。そして、いま海辺から逃げてくる人々は、その「怪獣」という単語を口にしている。

 

水飛沫が雨のように降ってきた。陽子は走り出したが、道路いっぱいに人と車が溢れ、思うように走ることができない。気持ちばかり焦るのは皆同じだったようで、転倒する人が続出、助け起こそうにも人の波に押され、より混乱する結果を招いていた。

 

背後を向くと、土煙に混じって、赤い煙も見えた。そしてその煙は、次第にこちらへ迫ってくる。

 

フェアモントホテルの交差点まで逃れたとき、一層の轟音が地を揺らした。パンパシフィックホテルが崩壊し、瓦礫とコンクリートの土煙から姿を現した怪獣は、龍のような、あるいは猛犬のような、険しい顔をした四足歩行の生物だった。

 

首と肩の辺りから赤い煙を噴き出しつつ、ウォーターフロント駅を突き崩すとこちらへ向かってきた。

 

陽子は思わず足を止めた。赤い煙に巻き込まれた辺りで、人々が大勢倒れていた。皆、苦しそうに首を押さえ、助けを求めるように手を伸ばしながら這いつくばっている。

 

頭の中が真っ白になり、陽子は走り出した。先ほどのホームレスが隣を走っていて、彼女が赤い煙に包まれた。

 

ヒュ、と短く悲鳴を上げ、ホームレスは倒れた。

 

突然、喉と気道が締め付けられるように痛み出した。たまらず陽子はその場に膝をついた。自分の前を走る人々がバタバタと倒れていくのがわかったが、そのあと視界が狭まり、やがて真っ赤になったところで、陽子はその意識を永遠に失ってしまった。

 

 

 

 

 

 



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―Chapter 25-

・7月11日 8:34 アメリカ合衆国コロラド州コロラドスプリングス 北米防空司令部(NORAD)

※日本より15時間遅れていることに留意。

 

 

「カナダ空軍太平洋司令部より報告。バンクーバーに出現した怪獣は市内を南北に横断し、現在市内キツラノ付近に達した模様」

 

「カナダ空軍のF16、怪獣要撃のため出撃するも、市街地において市民の避難が間に合わず、攻撃不可能」

 

続々と悪いニュースが入ってくる。ギャリスン大佐は眉間をつまんだが、さらにもたらされた情報には愕然とした。

 

「報告は確かか?」

 

情報担当副官に、鋭い目付で尋ねた。

 

「間違いありません。バンクーバー市内で、多数の市民が犠牲になっています。怪獣の移動に伴う建造物倒壊ではなく、怪獣の胸部器官より発せられる未知の気体によって市内中心部は汚染され、大気を吸い込んだ市民はおろか、救援に駆け付けた消防や警察にも多数の犠牲者が出ています」

 

ギャリスンは顔が強張った。怪獣が北米に出現することは初めてな上、報告の通りだとすれば、致死性のガスを噴出しながら怪獣は移動しているということだ。

 

「バンクーバー中心部との連絡が途絶えました。怪獣が発する赤い気体は市内各所に広がり、収束の見通しは立っていません」

 

軽く眩暈がした。状況から推測すると、事実上バンクーバーのダウンタウンは壊滅したということだ。それも怪獣による物理的な破壊だけではなく、未知の気体によって人命が奪われる事態に陥っているとは・・・。

 

怪獣が再度飛び立つ前に、空爆を敢行すべきではあるが、大勢の市民が避難もできていないのでは、それも不可能だ。

 

極めて不謹慎だが、ギャリスンは民主主義国家を呪った。

 

「それと、さきほどアラスカ州知事から情報提供があったというが?」

 

ギャリスンは副官に尋ねた。

 

「はっ。アラスカに住む複数のネイティブ(先住民)指導者たちから指摘があり、彼らに古くから伝わる伝説の魔獣に酷似している、とか・・・」

 

「この際おとぎ話でもなんでもいい。それはどのような存在なのか、話してみたまえ」

 

副官はグッと息を呑んだ。

 

「伝承によれば、バンクーバーに飛来した怪獣はダガーラ。ひとたび現れると死の赤い霧を放ち、人も獣もすべて死においやる。そのように伝わっていると・・・」

 

いつもであれば、バカバカしいと一笑に付すところだが、そのおとぎ話がいま、現実に起きているのだ。しかも去年、日本では立て続けに怪獣が出現した。いずれ合衆国に及ぶと思われた脅威に備え、アメリカは軍備と警戒を強化していたが、敵は想定を上回る存在だったのだ。

 

忸怩たる念を振り切るように、ギャリスンは頭を振った。

 

「現在、アメリカ・カナダ国境において、両国の陸軍が迎撃態勢を整えております」

 

現実的な軍事展開だ、そう思った。このままだと、カナダ一国で怪獣を攻撃することなど不可能だ。アメリカ国境まで、人口密集地が続くのだ。

 

政治は絶対に認めぬだろうが、事実上見捨てられたに等しいバンクーバー及びアメリカ国境までに住むカナダ国民に、ギャリスンは十字を切った。無力である自分たちに許しを乞うた。神に祈ったのは何年ぶりだろうか。

 

再び、防空警報が鳴った。

 

「バンクーバー市に、新たな飛行体が接近中、バンクーバー島東部からまっすぐ向かってきます!」

 

「フェアチャイルド基地より、迎撃のためF16飛行隊発進準備」

 

 

 

 

 

・同時刻 カナダ連邦 ブリティッシュコロンビア州リッチモンド バンクーバー国際空港

※日本より16時間遅れていることに留意。

 

 

尾形がアンカレッジからの航空便でバンクーバー空港に到着したとき、ちょうど防空警報が市内に響いた。

 

とりあえず荷物を受け取り、今後の動きをどうするか確認を取るべく、随行の外務省職員が在バンクーバー日本領事館へ電話をかけたが、まったく繋がらない。

 

やがてバンクーバーに怪獣が出現したことが判明し、空港内はパニックに陥った。市内へ向かうスカイトレインは運行を停止し、道路は避難しようと飛び出した人々により、あっという間に大渋滞となった。

 

怪獣はまっすぐ、バンクーバー南部に位置するこちらへ向かっていると判明し、大勢が右往左往する中、尾形たち一行はとにかく空港に留まることにした。こういうときは、地下に逃れるのがもっとも安全だと、かつて4度に渡る怪獣出現の教訓は教えている。

 

やがてバンクーバー空港にも、怪獣が接近する微動が地面を揺らし始めた。滑走路の向こうには、黒煙とコンクリート片、そして不可思議な赤い煙が巻き上がるのが確認できた。

 

「とにかく落ち着いて。もう少ししたら、地下へ逃れましょう。地下二階程度であれば、真上を歩行しない限り生存率は飛躍的に高まるはずです」

 

尾形の説明に、随行の職員たちは頷いた。とはいえ、今回現れたのは未知の怪獣だ。どれくらいの大きさと重量を誇るのか、まったくわからない。地下ならいくらかマシ、その程度に考えていた方が良さそうだ。

 

テレビに映し出された怪獣を見てハッとした。昨夜アンカレッジで出会ったエスキモーの酋長が見せてくれた、ダガーラという伝説の魔獣によく似ていた。

 

尾形は覚悟を決めた。もはや家業となったゴジラ研究を途上で投げ出すことになるかもしれぬことを、祖父である山根恭平博士に詫びた。

 

1階ロビーの向こうに見えるビル群が崩れ去り、さきほどテレビに映った怪獣、ダガーラが赤い煙を纏いながら姿を見せた。

 

「目視のみの計算だが、ビルと比較して体高は50メートル程度。かつてのゴジラと同じ大きさか」

 

こんなときに何を、という目で、職員たちは尾形を見た。

 

上空では、戦闘機があわただしく飛び交い始めた。まさか、空爆を始めるのだろうか。

 

ロビーのガラス越しに上空を仰いでいた尾形はしかし、戦闘機とは異なる黒い点が上空から迫ってくるのが見えた。黒い点は次第に大きくなり、空港上空を滑空し始めた。

 

重低音の咆哮が、尾形たちの耳にも入った。空港に別な怪獣が現れたのだ。

 

戦闘機が放ったミサイルが何発か命中したようだが、意に介さぬ様子で大きく身体を拡げた。まるで大の字のように翼、というより腕から腹部にかけて伸びる被膜を用い、速度を落としてダガーラに一直線に向かっていった。

 

接近してくる怪獣に気が付いたダガーラだったが、向けた顔を強かに打たれた。舞い降りた怪獣の前脚が直撃したのだ。

 

「まるで、ムササビのようだ」

 

職員がつぶやき、尾形は頷いた。身体こそダガーラに匹敵する大きさだが、飛行形態からして、ムササビにそっくりだった。

 

身を起こしたダガーラは突進し、ムササビの怪獣に頭突きした。重量はダガーラの方が勝るのか、ムササビの怪獣は大きく後ずさり、数棟のアパートメントが犠牲になった。

 

ムササビの怪獣は大きく吼え、負けじと頭突きをした。やはりダガーラより軽いようで、ダガーラはビクともしない。

 

だが次の瞬間、鮮血が舞った。ダガーラの肩口に噛みついたのだ。

 

ダガーラは苦しそうに吼え、どうにかムササビの怪獣を引き剥がそうとした。猛追に一度は口を放したムササビの怪獣だったが、今度はもう片方、左側の肩口に噛みついた。

 

ダガーラは前脚を踏ん張り、ムササビ怪獣の首に牙を当てたが、血が吹き出ない。前脚でひっかいても、まったく通用していない様子だった。

 

「あのムササビ怪獣、皮膚が頑強なのか」

 

そう感心する尾形は、完全に生物学者の顔をしていた。早く避難を、そう目で訴える職員にも気がつかないようだった。

 

ダガーラの肩口を前脚の爪でえぐり、さらに出血しながらダガーラは横倒しになった。そこへ猛然と迫るムササビ怪獣。

 

だが、出血する肩口からダガーラは赤い煙を放出した。ムササビ怪獣はのけ反り、苦しそうにのたうち回った。

 

口を閉じて嗤うと、ダガーラは近寄って前脚で蹴り上げた。仰向けになったムササビ怪獣を踏みつけ、顔面に赤い煙を吹き付ける。

 

ムササビ怪獣は悲鳴を上げた。振るう爪も届かず、ダガーラの出す赤い煙に対抗できない。

 

ダガーラは力を込めて前脚を振り上げた。ムササビ怪獣の顔が滑走路にめり込んで、空港ロビーのガラスが派手に割れた。思わず怪獣同士の対決に見入っていた人々は思い出したように悲鳴を上げ、降りかかるガラスから逃れた。

 

踏みつけられていた怪獣が顔を上げ、口いっぱいに加えた滑走路の破片をダガーラの顔面に吐きつけた。それに怯んだスキに身体を転がし、両腕をはばたかせた。ダガーラを怯ませるばかりでなく、吐き出された赤い煙が風に舞って薄れた。

 

ムササビ怪獣は後ろ脚を軸にして立ち上がり、二足歩行のような体型になった。気合いを入れるかの如くひと吼えすると、再度傷口を狙って飛び込んだ。

 

すんでのところで、ダガーラは飛び上がった。目標が外れ、スカイトレインの高架橋に突っ込むムササビ怪獣に、ダガーラは上空から襲い掛かった。

 

全身を使ってムササビ怪獣にのしかかり、圧し潰そうとする。ムササビ怪獣は口から血を溢れさせ、威嚇のための咆哮もかすれてしまっている。

 

二度、三度と飛び上がっては圧し潰すことを繰り返すと、ムササビ怪獣は動かなくなってしまった。

 

ダガーラは勝利の咆哮を上げ、再び翼を拡げた。だがムササビ怪獣は力を振り絞るように顔を起こし、ダガーラの後ろ脚に噛みついた。

 

驚くダガーラだが、血を吐きながらも脚にかじりついたまま、放そうとしない。グイグイと歯が食い込み、血が流れる。

 

そのとき、ダガーラをふた筋の紫色の光線が襲った。ロケット花火が炸裂したように火花が飛び散り、その衝撃でムササビ怪獣は落下、空港ビルを挟んだフェアモントバンクーバーエアポートホテルに突っ込んだ。

 

大轟音と共に空港ロビーが揺れ、ドアが吹き飛んで土煙が飛び込んできた。ロビーにいる全員がしゃがみ、頭を覆った。尾形にも小石程度の瓦礫がいくつか当たった。

 

顔を上げると、空港上空に黒い蛾のような怪獣が鎮座していた。凶悪な顔をして睨みつけるダガーラに、目から紫色の光線を放つ。白煙が弾け、ダガーラは翼を羽ばたかせて身を翻した。黒い蛾の怪獣は同じように羽根をなびかせ、ダガーラを追って飛んで行った。

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 26ー

・7月11日 8:12 カナダ連邦 ブリティッシュコロンビア州リッチモンド

バンクーバー国際空港

※日本より16時間遅れていることに留意。

 

 

「バラン?あのムササビ型の怪獣はバランというのですか?」

 

フェアモントホテル倒壊に伴う瓦礫と粉塵の飛散によりターミナル内は危険とのことで、尾形たち一行を含めた利用客らは空港外にあるエアカナダの格納庫へ誘導された。

 

ダガーラの襲撃でバンクーバー及び周辺都市圏は大混乱に陥っており、尾形らを誘導した警官によれば「夕方までにはどこか避難場所へと移動の算段がつくと思う、早ければ」とのことだった。尾形らは2、3日は覚悟することとし、それでも外務省の職員は避難・移動の手段を模索していた。

 

そんな中、尾形の携帯に京都にいる剱崎から電話が入ったのだ。

 

『ええ。うちの学生によると、岩手県の民話に出てくる山の神と、今回岩手から出現しカナダへ飛来した怪獣は同じものではないか、伝承に則りバランと名付けよう。そんなツイートがあったようでしてねぇ。こっちではその「バラン」という単語がトレンド入りしていますよ』

 

「バラン・・・」

 

『まあ、ご無事で何より。そちらでは、怪獣コンベンションどころではないでしょうなあ』

 

尾形は唇を噛んだ。ここバンクーバーにて本日開催予定だった国連怪獣対策会議、通称怪獣コンベンションは、とても開催の目処が立つ状況ではなかった。早くからバンクーバー入りしていた動物学や危機管理学の専門家の安否を考えると、暗澹たる思いになった。

 

「剱崎先生、バランに関してはわかりました。で、アムステルダムとロンドンを襲い、ダガーラと争っている黒い蛾の怪獣について、どう思われますか?」

 

『どう思われる、って・・・』

 

電話の向こうで、剱崎が苦笑いの声を上げた。

 

『尾形先生、蝶や蛾といったものは昆虫学でも趣の異なった分野でしてねえ、私としても専門外なのですよ。まして、怪獣ともなればむしろ尾形先生が得意とされる分野なのではありませんかな』

 

「愚問でしたか。失礼しました」

 

『ひとつだけお答えしましょう。蝶・蛾といった昆虫網チョウ目は、いかなる進化を経て巨大化したとしても、目からレーザーのような光線を発射することは生物学的に考えられない。ゴジラやガイガン、巷でいわれるギドラなる黄金龍といった例外はありますがね。となれば、進化の帰結として、あるいは必要に迫られた結果、あのような攻撃能力を持つに至ったと考えれば、どうでしょう。そしてあの能力は、誰に向けられたものなのかも大いに気になる』

 

そう言われ、尾形は考え込んだ。

 

「もしや、今回出現したダガーラや、バランといった存在を想定したものでは?」

 

『いかがでしょうかな。本人に訊いてみる他なさそうですが』

 

フフ、と電話越しに剱崎は笑った。

 

「わかりました。そちらは夜ですよね?遅い時間にありがとうございました」

 

『いえいえなんの。こっちではもう誰もかれも夜更かしですよ。桜島が噴火したせいで、南九州が壊滅する騒ぎです。去年の件以来、みなヒステリックになり過ぎな気もしますがね』

 

そう言って電話は切れた。相変わらず精神がどこにあるか判然としない男だが、普段から常識外れなところは、怪獣という謎多き生態の解明に役に立つ部分もある。

 

尾形は格納庫の向こう、幾筋か黒煙が立ち込めるフェアモントホテルを仰いだ。落下した怪獣バランは瓦礫の中、動くことはなくなっている。軍の到着は時間がかかっているようで、空港警察がありったけのパトカーやバリケードで崩壊したホテルを包囲し、心許なくも拳銃や機関銃をいつでも発砲できるようにバランに向けている。興味本位で近寄ろうとする避難者たちを必死に押し返している様子も見て取れる。

 

外務省の職員から、アメリカ・カナダ両政府より北米全域に民間航空機の全面運行停止が通告され、少なくとも旅客便を利用して移動、はたまた日本への帰国は当分絶望的になったと説明を受けた。

 

致し方なかろう。格納庫にあるテレビでは、911同時多発テロ事件以来の北米本土攻撃と評する危機管理学の教授に、戦慄する米加国民の様子、そしてホワイトハウススポークスマンの談話が放映されている。

 

そこへ何かが大きく引きずられるような音がした。皆が音の方へ頭を向けると、瓦礫が崩れ転がり、バランが身を起こした。

 

「離れろー!!!」

 

バランを包囲しつつ、野次馬を侵入させまいとしていた警官隊が怒鳴ると同時に、野次馬たちは手にしていたスマホを放り投げ、悲鳴を上げて一目散に駆け出した。

 

頭を起こし、バランは吼えた。まさか通用するとは思わずとも、警官隊は拳銃や機関銃の一斉射撃を始めた。

 

案の定、鉄板に小石が当たるような音がむなしく響くばかり。その音も、さらなるバランの咆哮にかき消された。瓦礫を振り払い、被膜を拡げると羽ばたき始めた。

 

バランを囲んでいたパトカーが横転し、滑走路をのたうち回る警官たちは暴風に身体が浮いた。徐々に高度を稼いでいくと、バランは空港を半周すると南へ向けて飛び去っていった。

 

「あの方向、まさかダガーラと黒い蛾を追っているのか?」

 

暴風に身を隠しながら、尾形はつぶやいた。

 

風が落ち着き、随行の政府関係者たちが方々へ電話を始めたとき、テレビの前に群がる人たちが色めき立ち始めた。

 

『テレビをご覧のみなさん、これはドラマでも、映画でもありません。信じられないかもしれませんが、現実の映像です。今朝、バンクーバーに出現した怪獣、通称ダガーラと、ヨーロッパを襲った蛾の怪獣がワシントン州上空に達し、ついさきほど、ダガーラがシアトルに落下したとのことです。シアトル中心部で、複数のビルが倒壊した上、多くの市民が巻き込まれた模様です。また東部時間11:07、オヘア大統領より、911テロ以来となる米国全土への非常事態が宣言されました。関連してこれより、オヘア大統領による記者会見が行われます』

 

 

 

 

 

・同時刻 アメリカ合衆国ワシントン州シアトル 6thアベニュー ベルタウン

 

 

シアトルのランドマークである、高さ184メートルの鉄塔スペースニードルを巻き込んだダガーラは、アマゾン本社群が並ぶシアトルのダウンタウンに激しく滑り込みながら落下した。

 

緊急事態の宣言は発せられていたとはいえ、大勢のシアトル市民は状況を把握するのが精いっぱい、あるいはどこにどう避難すれば良いのかわからず右往左往しているうちに、空から落下してきたダガーラに驚愕して慌てて走り始める有様だった。

 

アマゾン・コーラルオフィスをなぎ倒しながら四足で立ち上がると、上空から滑空してくる仇敵に威嚇の咆哮を上げた。

 

口を閉じたダガーラは、さきほどバランに傷つけられた肩口から赤い煙を放った。すぐさま周囲は赤く包まれ、逃げ惑っている多くの人が喉をかきむしりながら地に倒れた。

 

さらに、横に広げた翼の左右からも赤い煙が発せられ、自身の巨体を隠すのに充分な量が広がった。

 

高い濃度の赤い空気で姿が見えなくなり、一瞬たじろいだが、気配で察知すると急降下しながら紫色の光線を放った。

 

だが光線は赤い煙に吸い込まれたのみで、効果のほどが確認できない。大地を震わせ、進行上のビルを叩き壊しながら、ダガーラはダウンタウンの高層ビル群すれすれに迫った仇敵に赤い煙を浴びせた。

 

急降下から急上昇に伴う衝撃波により、竜巻のような旋風が巻き起こった。

 

不敵に嗤うダガーラはアマゾン・ドリッパーオフィス、ワシントン州議事堂をなぎ倒し、片側5車線の巨大幹線であるフリーウェイ5号線の起点となるフリーウェイ公園に達した。

 

そのとき、上空に迫る気配を察知し、歯ぎしりしながら南西の方角を睨んだ。

 

F/A18戦闘機の5機編隊が隊列を組んだまま、エリオット湾から接近してきた。市街地でも比較的障害物がなく狙いのつけやすいフリーウェイに足を踏み入れた機運を逃さず、地対空ミサイルを発射した。

 

ダガーラは赤い煙を噴き出した。接近するミサイルは赤い煙の壁に吸い込まれていった。高出力の噴射口から火が消え、推進力を失ったミサイルは力なくダガーラの表皮に衝突した。弾頭はつぶれ、炸裂することなく地面に落下した。

 

手応えがなかったことを察知した戦闘機隊はダウンタウン上空を旋回すると、いま一度地対空ミサイルを発射した。

 

結果は同じだった。ダガーラに命中こそするものの、どういうことか爆発しないのだ。

 

戦闘機隊の隊長は近接航空支援を要請すると、弾倉に搭載した無誘導爆弾での爆撃をはかるべく高度を上げさせた。

 

けたたましく警告音が鳴った。レーダーが自機に接近する飛行物体を探知したのだ。

 

急に日差しが失われた。慌てて左を向くと、食いしばった歯を見せて嗤うダガーラの顔がすぐ近くに迫っていた。

 

隊長機が爆散し、残り4機は離脱をすべく旋回したが、不幸にもそのうち1機はふいに接近したダガーラに激突、空の藻屑となってしまった。

 

逃れようとする戦闘機をダガーラは許さなかった。アフターバーナーを点火して速度を上げたが、それ以上の速さで迫り、頭突きで葬り去った。

 

パニックに陥った1機は眼前のダガーラに機銃を浴びせたが、なびかせた翼に粉砕された。

 

最後の1機は必死になってその場を離脱しようとしていた。だがレーダーには、脅威的な速さで迫る存在を探知していた。

 

パイロットが心の中で妻と母を思い浮かべたとき、背後で激しい音がした。やや進んでから後方を確認すると、ムササビ型の怪獣がダガーラに両手の爪を食い込ませ、組み合ったまま空の彼方に消えていった。

 

後を追うように、上空から黒い蛾の怪獣が迫った。3匹はアッという間に見えなくなった。

 

どうにか命が助かったことに安堵しながら、怪獣たちが向かったのは東の方角であることを思い出した。

 

パイロットは無線で警告を発した。あのまま西・・・太平洋に逃れてほしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 27ー

・7月11日 13:17 アメリカ合衆国ワシントンDC ペンシルバニアアベニュー

ホワイトハウス地下1階 大統領補佐官執務室

※日本より13時間遅れていることに留意。

 

 

地上1階のプレスルームで大統領が米国本土に怪獣が出現したことによる記者会見を開いている中、国家安全保障問題担当大統領補佐官のアンドリュー・タイスはただでさえ強面の顔面をさらに強張らせていた。

 

緊張感と威厳をふりまく補佐官に、副官や顧問たちは脂汗を浮かべた。

 

「トニー、いま一度説明願おう。ダガーラに攻撃が当たらなかったり通用しなかったのではなく、攻撃が機能しなかったのだな?」

 

タイスに問われた軍事担当副官は、蛇に睨まれたカエルのような顔をした。

 

「はい。レーダーでは間違いなく着弾を確認したのですが、爆発が起こらず仕舞いだと・・・」

 

ギョロリと睨まれて萎縮した副官を助けるかの如く、受話器を置いた情報担当の副官が席を立った。

 

「タイス補佐官、カナダ科学アカデミー及び、我が国の感染症対策局から報告がありました。ミサイルが機能しなかった理由に関してです」

 

「話してみたまえ」

 

強烈な視線が自分に向けられ、副官は思わず二の句が告げなかった。

 

「ダガーラが発する赤い霧ですが、結論から申し上げれば、毒物でも感染症を引き起こす微生物の集合体でもありません。ただ単に・・・その・・・未知の大気であると」

 

言い淀む副官だったが、続きを促すようにタイスは首を縦に振った。

 

「ええと、つまり、ダガーラは酸素とも窒素とも異なる大気組成を吐き出しているそうです。現にバンクーバーでもシアトルでも、赤い霧の犠牲になった人々の死因は窒息死、あるいは低酸素症であることが判明しました。また、あれだけの破壊活動にも関わらず、赤い霧の漂うエリアでは火災が一切確認できません。これはカナダ科学アカデミーの出した仮説ですが、酸素を奪うあの霧によって火が燃える事象に至らず、我が軍の攻撃も通用しなかった、というか、肝心の弾頭着火が起こらなかったのではないかと」

 

「では、ダガーラに有効な兵器は皆無ということかね?」

 

恐ろしい事実に慄く様子もなく、タイスは訊いた。

 

「そ、それはなんとも・・・」

 

「タイス補佐官、陸軍に確認はしますが、爆発による目標破壊ではなく貫通を骨子とした徹甲弾、はたまた、日本と共同開発したゴジラ攻撃用のフルメタルミサイルであれば、活路は見出せると考えます」

 

軍事顧問が傍から口を挟んだ。

 

「では直ちに軍の方で検証をしてくれ」

 

軍事顧問が頷くと、タイスは再び情報担当副官に視線を投げ掛けた。

 

「ダガーラが出す大気とは、どの程度の脅威なのかね?」

 

副官はメールに添付された資料に目を落とした。

 

「幸いなことに、当初想定された感染症や有害汚染物ではないこと、及び風などによる空気の攪拌で霧が薄まることは確認されました。問題は・・・ダガーラは、あの霧をどれほどの量吐き出せるのか、そして吐き出す場所によっては、深刻な脅威となり得ること、だそうです。もしバンクーバーやシアトルのように大都市で吐き出された場合もですが、たとえばジェット気流が起こる上空などで吐かれ続けた場合、地球そのものの大気組成への影響は大いに懸念される、と・・・」

 

副官は一度、タイスの顔を窺った。

 

「それと、アラスカのネイティブに伝わる伝承に、あの赤い霧のヒントがあるそうでして。なんでも、ベーレムの霧といって、ダガーラは果てしなく件の赤い霧を吐き出すことで、文明を崩壊させた、とか」

 

「おとぎの世界は夜、ベッドで子どもに話してあげたまえ」

 

タイスは副官を一瞥すると、ひっきりなしに報告が舞い込むマータフ内政問題担当補佐官に歩み寄った。

 

「被害の方はどのような程度かね?」

 

大統領補佐官の中でも、国家安全保障問題担当と内政問題担当のそれはとりわけ修羅場を潜り抜けた威厳を保っている。巨漢のマータフはアラスカのヒグマの如くどっしりと鎮座したまま、タイスの問いに答えた。

 

「シアトルでは建造物の破壊に加え、ダガーラの発した霧による犠牲者数が深刻だ。現地当局によれば、ダウンタウンに居た少なくとも3万から4万の市民が窒息死したという推計を弾き出した。最初にダガーラが現れたバンクーバーでは、その倍以上と報告されている」

 

さらに深刻なのは、とマータフは人差し指を立てた。

 

「ダガーラがシアトルの心臓部を破壊したことの意味を考えることだ。アマゾン、マイクロソフト、スターバックス、コストコ、ボーイングといった我が国の企業本拠地が集まるのがシアトルだ。既に各社の株価は暴落の兆しを見せている上、3か月の短期的経済指標に照らし合わせた場合、商務省の試算では3千億ドルの損害と弾き出した。これがさらに1年、2年と積み重ねた場合・・・言うまでもあるまい?」

 

マータフは頭を振り、タイスはしかめ面を手で覆った。

 

「トニー、ダガーラと、他の怪獣たちの動向は?」

 

「はあ・・・2分前に、ダガーラと2匹の怪獣が三つ巴のように取っ組みあったまま、モンタナ州のロッキー山脈内に落下したとのことです。現在、空軍が続々と編隊を向かわせてますが・・・」

 

「また空へ飛び出したら、意味もあるまい」

 

タイスは壁を向いた。自分たち大統領補佐官はあくまで情報の収集と分析であり、そこを踏まえた結果とその先の行動決定は大統領の領分だ。

 

現時点で、合衆国にとって好材料はひとつもない。保有する兵器ではダガーラに歯が立たず、徹甲弾攻撃を行うには、どこかにダガーラを縛り付けない限り陸軍は展開できない。犠牲者は今後増大確実な上、時価総額世界有数の企業群が膨大な損失を抱え、下手をすると、ダガーラによって地球の大気が変えられてしまう・・・。

 

「マータフ、最終手段の検討を考慮しよう」

 

タイスは言った。さすがに声が上擦った。

 

「賛成だ。大統領の選択肢に加えるべきだ」

 

マータフが頷いたとき、副官が声を張り上げた。

 

「イエローストーン国立公園で、また地震です。公園管理局は、公園内を全面入場禁止にした上、噴火警戒レベルを3に引き上げました」

 

 

 

 

 

 

・同日 20:34 ロシア連邦ムルマンスク州ムルマンスク プロスペクト通り

※日本より6時間遅れていることに留意。

 

 

懐に忍ばせたウオッカの小瓶を開け、ひと口含み、熱い息を吐いた。

 

元ロシア連邦陸軍中尉で、現在は地元の警備会社に雇われている今年72歳のコンスタンティン・ソコロフは、殺風景な工場跡地の引き戸を閉め、体内から暖めるべく再度ウオッカを呑んだ。

 

ムルマンスク郊外で氷漬けのマンモスが発見され、その状態のまま閉鎖された工場に移送されてきた。

 

餓死から逃れようとする貧乏人をつまみ出す仕事が多い冬場と違い、夏場は暇を持て余すことが多いソコロフにとって、マンモスの夜警は降って湧いたような仕事だった。

 

とはいえ世界各国のプレスが集う日中とは違い、夏とはいえ低いときは夜間5℃まで下がる中、わざわざ廃工場にマンモスを見学しに来るような物好きの地元民などいない。

 

世紀の大発見だの、地球の神秘だの諸外国やモスクワのテレビは煽るが、世界でもっとも北極に近い亜寒帯の地方都市に暮らす人々はその日どうやって金を稼ぎ、どのくらいジャガイモとウオッカを買えるかしか興味がない。

 

そのため侵入者に気を使うことはなく、警備そのものは楽だったが、今夜は特別冷える上に上着をアパートに置いてきてしまったため、ウオッカで体内の血液を循環させて暖まるしかなかった。

 

食道から胃が暖まると、ソコロフは手をこすり合わせながら簡易照明に照らされるマンモスを見た。

 

工場内に収まったということは、コイツは高さ15メートルもない。両目の下から勇壮に伸びる牙は立派だが、マンモスにしては鼻が短いということが物議を醸した。

 

ロシアのエライ博士はマンモスだと言い張るが、イギリスの動物学の権威はマンモスではない、などと自説を唱える。

 

ソコロフにとっては特段、どうでも良いことだった。

 

強いて希望するなら、研究材料としてモスクワへ運ばれることなく、見世物としてここムルマンスクに置いてくれた方が良かった。そうすれば見物客で街は賑わい、ソコロフも年間通して夜警の仕事が増える。ただアパートで夜酒を嗜むより、仕事しながら酒をチビチビ楽しんだ方がよっぽど良い。

 

外から賑やかな声が聞こえる。地元の不良たちがウオッカを片手に、集団で歩いている。ここに鎮座するマンモスを何やら揶揄しているようだが、地球の歴史より今夜クラブにどんな美女が来ているか気にする方が忙しい連中だ。中に入ってイタズラなど起こすまい。

 

よしんば侵入してきたとしても、こっちは兵役が義務付けられた社会主義時代からの軍隊上がりだ。老いても若いモンには・・・。

 

などと夢想していたとき、何かが軋む音がした。

 

古い工場だ、ガタが来ているのだろう。そう思って2本目のウオッカを開けたが、まるで木の幹が割れるような音がする。

 

振り返ると、マンモスが揺れていた。というより、軋むような音はマンモスから聴こえてくる。

 

ソコロフは目をこすった。マンモスは軋むような音を立てながら、少しずつ大きくなっているように見えるのだ。おかしい、そこまで呑んじゃいないはずだが・・・?

 

だがすぐに、自分が酔ったわけではないことを思い知らされた。マンモスの頭が廃工場の天井を突き破ったのだ。瓦礫と鉄骨が降ってきて、足がもつれたソコロフは尻餅をついてしまった。

 

痛む尻をさすりながら、ソコロフは後ずさった。すぐ目の前に牙が迫っていたのだ。頭を覆って伏せた。伸びる牙は鉄製の引き戸を叩き壊した。

 

急に冷気が吹き荒んだ。まるで冬の外に出たようだった。鼻水が出てきて、身が震える。

 

なおも大きくなるマンモスに慄いたソコロフは、酔いも忘れて道路へ駆け出した。道路上では車が続々と停車し、目の前の出来事に目を白黒させていた。

 

車のフロントガラスが白くなった。肌を刺すような冷気が漂い始め、やがて空から何かが降ってきた。

 

夕方から降り続いた小雨が、この辺りだけ雪になっていた。

 

自分が酔っ払いかどうか、ソコロフだけでなく周囲の全員が自身に問うた。そうでないことはすぐさまわかった。猛烈な寒さに耐え切れず、車に転がり込み、暖房を最大にした。

 

廃工場は耐え切れぬように崩れ落ちた。山のように大きくなったマンモスは牙を揺らしながら歩き始めた。

 

たちまち、濡れる路面が氷結していき、雪が激しくなった。

 

巨体を揺らしながら歩くマンモスの周囲が氷結していくのは、夜でもわかった。7月にはあり得ない光景だった。

 

すっかり腰を抜かしたソコロフは、両手足の感覚が失われていることに気づいた。手を見ると、ひどい凍傷だった。

 

わけもわからず轟音と地響きがした方を見た。アパートよりもずっと大きくなったマンモスは、ムルマンスクの街を踏み荒らしながら海へ向かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 28ー

・7月12日 5:17 鹿児島県奄美大島名瀬湾

 

 

曇り空の向こうに、奄美大島名瀬港が見えてきた。窓から見るとすぐ近くに見えるが、本来5:30着岸の予定が20分ほど遅れるらしい。

 

二日酔い、というより昨夜の酒がまったく抜けないまま、緑川は痛む頭を押さえたままため息をついた。

 

朝になると、わけもなく悲しくなる。自制の効かない飲酒に嫌気が差し、もう今日限りでこんなことやめる、そう思い続けた朝は1年経過しても変わらなかった。

 

普段なら迎え酒を呑んでこの不機嫌さを吹き飛ばしてしまうところだが、今日はこれから檜山と伊藤姉妹たちと「大切な仕事」へ向かわなくてはならない。言い様のない悲しさと不安と虚しさを忘れさせてくれる酒に頼らず、悪感情とつきあいながら我慢することにしたのだ。

 

ロビーには下船準備をした乗客たちが集まっている。到着が近いこともあるが、立て続けに飛び込んでくるニュース速報に夢中なのだ。

 

ヨーロッパとカナダ、アメリカに出現した怪獣に、桜島噴火、そしてロシア北部の都市で発見されたマンモスが目覚め、季節外れの寒波が雪を降らせているというニュース。皆、不安げに画面に釘付けになっている。東京・渋谷や大阪・道頓堀では明け方だというのに、この世の終わりだと騒ぐ人々の狂騒が報じられた。

 

深いため息をつき、緑川はロビーの椅子に座り込んだ。アルコールの作用で悪心がすることもあるが、鹿児島やバンクーバー、ロンドンの惨状が映し出されるたび、脳を締め付けられるような苦しさを覚えるためだ。近くに座る老夫婦は、緑川から漂う酒の臭いに顔をしかめている。

 

スマホがなった。東京の斉田だった。

 

『朝早くに悪いな。大丈夫か?』

 

「ううん、ありがと」

 

『ありがとって、なんか変だなぁ。目覚ましにでもなったか?』

 

緑川は答えず、微笑んだ。斉田の声を聴き、悪感情がだいぶ萎えたのを感じたのだ。

 

「まあね。で、どう、そっちは」

 

『伊藤姉妹なあ、彼女たちはいわゆる不思議ちゃんだったようだぞ。学業や学内では評判良いんだけどな、黄金の救い教団に執心したり、2人とも経済学専攻してるのに、生物科学科の矢野って教授のラボにしょっちゅう顔出したり。それも双子揃って行動するんだ、けっこう目立ってたって話だったぞ。あ、そうそう。2人が懇意にしてた矢野教授だけどな、沈没したあかつき号に乗船してたのがわかった』

 

緑川は一気に酔いが醒めた気がした。

 

『乗船名簿はそっちでも把握できるんだろ?調べてみると良い。だが、学部違うのに仲良しの教授と学生が同じ船に乗って沈んだっての、偶然にしては妙な気もする』

 

「そうね・・・だからといって、沈没原因に結びつくこともないけれど、それにしても、て気はするよね」

 

『だよな。もうひとつ、その矢野教授、双子姉妹だけじゃなく、伊藤家とも親密な様子らしいんだ』

 

「なにそれ?」

 

『城南大学の生協店員が話してたんだけどな、大学で保護者交流会が開かれたとき、伊藤姉妹の両親と矢野教授が何やら話し込んでるのを見たっていうんだ。それも、だいぶ長い時間に及んだらしくてな、だからこそ記憶に残ってたらしい』

 

「えっと、2人のご両親て、たしか・・・」

 

『2人揃ってスマートブレイン社の研究職だ。お前も、スマートブレイン社って聞いたことあるだろ』

 

株式会社スマートブレイン。アメリカの大手商社を親会社に持つ製薬会社で、ベルギーとドイツ、そして日本に巨大な研究拠点を持つ。日本では京都府宇治市、そして茨城県つくば市に研究施設を保有し、総合感冒薬から抗がん剤まで、ありとあらゆる薬剤の開発・研究・販売を行なっている。

 

だが昨年、ドイツにて行政の許可なく大規模な研究用大麻栽培を行なっていることが発覚した。これにより多額の罰金を支払うことになったばかりか、欧州における大麻生産・流通のエージェントではないかという疑惑が持ち上がり、ドイツ司法当局の捜査を受けたことがあった。

 

また日本では研究所で人体実験まがいの研究が行われていたと、元社員による匿名の告白が週刊文春に掲載されたこともある。

 

「前に法人営業やってたときのクライアントだったもの、よく覚えてるよ、あたしも」

 

『お前ホント会社始まって以来のゼネラリストだな。まあいいや。今日はつくばへ行ってみるつもりだ。ご両親の有休取得理由や業務内容を尋ねる程度だけどな』

 

軽く話すが、斉田が学部の違う教授と学生の接点、そして学生の両親が勤める企業の構図・関係性に興味を抱いていることはわかった。彼がKGI損保の調査部にいたときからそうだった。彼がいくつかの疑問にこだわり始めた場合、上司が止めてもとことん突き詰めると、よく調査部の人間がこぼしていた。

 

「お願いね。あ、それともうひとつお願いなんだけど・・・」

 

『ああ、なんだ?』

 

「UTOPIAってオカルト雑誌あるでしょ。そこに去年、奄美大島に存在する不思議な巨石の記事が掲載されたらしいんだ。それで、その記事を書いた記者の人に詳しい話を訊いてもらいたいんだけど・・・」

 

『ちょっと待てよ、それはKGI損保からの正式な依頼なのか?』

 

「それが違うの。会社とは関係ない、あたしのお願い」

 

『お前、オレはこれから高速飛ばしてつくばへ行かなきゃならねーんだけど』

 

「ね、お願い。東京戻ったら、焼肉死ぬほど奢るから」

 

大きなため息が聞こえた。

 

『しょーがない。うちの一大クライアント様の頼みなら。ただし焼肉じゃなくて、高輪プリンスの鉄板焼きだぞ』

 

「うん、わかった。ボーナス出たらね」

 

再びため息が聞こえ、緑川は電話を切った。船は着岸間近になっていた。

 

船室へ戻ると、檜山は入り口に座ったまま舟を漕いでいた。緑川に気がつくと目を覚まし、布団に横たわる姉妹を見やった。

 

「あれからずっと寝てる感じ?」

 

「いや・・・30分前くらいかな。起きてたんだ。また何か、気配を感じたらしいんだが・・・」

 

「・・・何て?」

 

正直、尋ねるのが怖かった。彼女たちがなにかを口にした後、例外なく怪獣が現れていたからだ。

 

「ええっと、調停者が来るとか、メガニューラ?とか、どうして、早過ぎる、とか・・・」

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 29ー

・7月12日 6;43 鹿児島県沖永良部島沖合 

海上自衛隊第一潜水群第五潜水隊そうりゅう型潜水艦「はくりゅう」

 

 

緊張のため渇く口内を潤すべく唾を飲み込むと、艦長の榎並一等海佐は帽子をかぶり、操舵室に入った。

 

室内に詰めていた隊員たちが一斉に振り向き、敬礼を掲げた。同じようにして返礼すると、艦長代理である新島二佐が寄ってきた。

 

「お休みのところ、もうしわけありません」

 

榎並は右手を挙げて、頭を下げる副官を制した。

 

一昨日、日本の排他的経済水域に侵入した中国海軍の原潜はその後帰港して行ったが、海上自衛隊は引き続き警戒網を緩めることはなかった。

 

中国側の意図は相変わらず不明だが、沈没した豪華客船の遭難海域に出没したことは様々な疑念、議論を巻き起こしていた。

 

そんな中、昨夜鹿児島県の桜島が噴火したことで、中国海軍による威力偵察を目的とした領海侵犯が充分に想定されたことで、はくりゅうを始めとする潜水群は九州南西海域の警戒を厳と為せとする命令を受け、仄暗い深海を航行していた。

 

米軍と連携した探査システムにより、一昨日以降中国の軍港に不穏な動きは確認されていないが、国内で有事発生の際、近隣諸国による威力偵察は往々にして行われるものだ。近年では311震災、はたまた昨年のゴジラ、ガイガン出現による首都圏混乱時において、日本近海ないしは領空付近に中国及びロシアによる偵察が行われている。

 

非常時においても対応できると示すことが、相手国への牽制となりえる。

 

だがさすがに三日目になり、艦内にも引き揚げを要望する空気が漂い始めた。その折に榎並は規律を緩めることはしなかったが、海自上層部内でも出口の見えない警戒に疑問視の声が上がっている上、噴火した桜島を抱える鹿児島への支援を重視すべしとの意見も出始めた。

 

夜明け前、少し仮眠する旨を伝えた榎並は、陽が昇る頃には呉の潜水隊本部に申し入れを行うことを考えていた矢先だった。

 

「はくりゅう」の統合式ソナーに反応あり、本艦より南西方向へ15キロ、沖縄本島へ向けて潜水艦らしき物体が航行中、との報告がもたらされた。

 

「敵方の動向は?」

 

榎並は新島に訊いた。

 

「現在、沖永良部島と徳之島の間を航行中。対象の大きさは約90メートル。潜航深度150メートル、速度11ノットです。微弱ですが、レーダーにも反応があります」

 

榎並は口を結ぶと、右手の甲を押さえた。

 

「状況からして、再度中国艦による侵犯とは考えられません。米軍であれば信号があるはずですが、それとも異なる、というより、信号そのものの発信を認められません」

 

新島は報告しながら、榎並の表情が次第に固くなっていくのを察知した。この慇懃実直な指揮官は、何かお考えのようだ。

 

「目標、転進しました」

 

モニターに神経を集中させていた水測員が声を上げた。

 

「徳之島沖合、南東10キロ地点。北東・・・奄美大島方向へ12ノットで航行を始めました」

 

報告を聴いた榎並は咳ばらいをすると、新島に顔を向けた。

 

「どう考えるか?」

 

「私見ですが」と断りを入れた新島は、歯に衣を着せたような調子でしゃべり出した。

 

「我が方が敵方を察知したということは、当然敵方も同様のはずです。威力偵察であれば、我が国の排他的経済水域から離れていくのが一般的です。翻って、敵方はむしろ領海内深くに侵攻している。これは、我が国と戦闘状態を覚悟の上の行動、あるいは・・・人的思考では説明のつかぬ相手、ではないかと・・・」

 

「それは何であると考えるか?」

 

「・・・怪獣、であると、考えます」

 

榎並の眼光が鋭くなった。

 

「敵方の長さは90メートルと言ったな」

 

「探知の結果、そのように表示されました」

 

榎並はあごに生えた髭をさわった。去年6月、北海道、そして茨城を襲い、深刻な電力障害で機能破綻をきたした首都圏への侵攻が予想された、あの仇敵を連想していた。当時榎並は横須賀基地所属の護衛艦「たちかぜ」の副艦長を務めていた。

 

事実上、東京湾を封鎖する形で行われた水際作戦はしかし、無数のカマキラスが「渡り」を行う過程で発生したジャミングにより、すべての艦艇が機能を喪失。最新鋭の探知能力と攻撃能力を備えた艦隊群は、ただの巨大なイカダになり果てた。

 

そのタイミングを狙ったのかもしれない。「ヤツ」は水中潜航時発する強力な潜航波によって艦隊群を薙ぎ払い、易々と東京に上陸してしまった。

 

有明、豊洲、勝鬨、築地が瓦礫の山に変えられていく光景を、榎並たちは転覆寸前の護衛艦から歯ぎしりしながら眺めているしかなかった。カマキラスが発するジャミングの効力が失われ、艦が安定するころには、汐留、新橋を焼き尽くした後再び湾内へ戻った「ヤツ」が海を赤黒く染めながら湾外へ泳ぎ去っていくのを確認したにとどまった。エンジンが復帰し、スクリュ-が回転するころには、追跡不可能なほど距離が作られていた。

 

あの屈辱的な敗戦のリベンジを、榎並の険しい目はそう物語っていた。

 

「潜水隊司令に報告。徳之島沖に正体不明の航行物体。本艦はこれより追跡を開始する。取り舵一杯、両舷前進第二戦速ヨーソロー!」

 

 

 

 

 

 

・同日 7:02 東京都千代田区永田町 首相官邸5階

 

 

昨日午後から始まった安全保障会議は、昨夜半にそのまま桜島噴火対応に当たる緊急災害対策本部へと移行、瀬戸ら閣僚、そして各省庁の担当職員たちは文字通り一睡もせず、情報収集と対応協議に追われていた。

 

極度の眠気と緊張で苛立ち始める閣僚も少なくなく、さらには早朝にもおかまいなしに、国民行動党を始めとする野党連合からはすっかり中断したままになっている予算委員会、臨時国会開催を催促する声が矢のように放たれた。

 

幹事長ら党執行部に野党対応は任せ、夜が明けたこと、そして桜島の噴火が小康状態となったことを受けて、本格的な救助・支援体制構築のため討議を始めた頃だった。

 

大気中の火山灰が飛行制限レベルを下回ったため、具体的な被災状況把握のため鹿屋にある航空基地から陸上自衛隊隷下のヘリコプター3機が飛び立ち、映像が送られてきた。閣議は一時中止となり、全閣僚は重たい瞼を我慢しつつ、映像に見入った。

 

「これは・・・」

 

望月が最初に声を上げた。

 

「溶岩流にしては、軌跡がおかしい」

 

瀬戸が頷きながら言った。

 

降灰と火砕流で一面灰色に染められた鹿児島市内だったが、鹿児島港から天文館付近まで、著しい建物の倒壊が確認できた上、当該地域からは激しく燃え上がる炎と、墨のような黒煙が立ち昇っているのだ。

 

「総務大臣、もう一度、先ほどの詳細をおっしゃっていただけますか」

 

望月は北島に向き直った。北島は頷くと、半信半疑のまましゃべり出した。

 

「地元消防、各行政区からの報告によれば、大噴火から一時間ほど後、4足歩行の巨大生物が市内を蹂躙。大火災を巻き起こしながら市街地を荒らしまわった末、土砂をかき分けるようにして地中へ潜ったのを見たという市民の証言が複数、寄せられています」

 

「まさしくその証言を裏付ける映像だな」

 

隣の佐間野は腕組みをしたまま、言った。ちょうどヘリの映像は天文館付近を映しており、炎の軌跡の先に、まくり上げられた土砂が散らばる中心に空いた、巨大な穴が確認できた。

 

「市民の証言、そしてヘリからの映像から考えると、噴火による被害の上、出現した怪獣によって市内が破壊され、当の怪獣は地中に潜った、と見るべきでしょうな」

 

想定外の状況に心底うんざりするように、望月は目をつむった。

 

「我が国にも、新たな怪獣が出現したのか。しかも、火山活動によって我々は存在すら察知できなかったとは・・・」

 

瀬戸は額に手を当てた。

 

「総理、厄介なことに、鹿児島に現れた怪獣は地中に逃れました。空や海と違い、自衛隊は地中を探知する術を持ち合わせておりません」

 

なおも悪い情報をもたらすのは気がひけたが、高橋は言った。

 

「なんだ、それじゃどこに顔を出すかわからないということか」

 

良くも悪くも裏表のない柳は、苛立ちを隠さず高橋をなじった。

 

「地中を移動となれば、地震計に反応があるはずです。気象庁との連絡を密に、警戒に当たる外ないと考えます」

 

高橋は気分に左右される柳ではなく、瀬戸と望月、そして管轄省庁である佐間野を見遣った。

 

ちょうど、防衛省の担当者がメモを持ち、高橋に駆け寄った。鹿児島の被災状況で新たな情報が得られたのかと思ったが、内容を確認した高橋は血の気が引く思いがした。

 

「え、まったく別の新たな情報です。九州南西海域を警戒中の潜水艦「はくりゅう」が、徳之島近海に正体不明の航行物体を探知、追跡中とのことです」

 

場の半数が驚嘆の表情となり、柳を筆頭にもう半分はうんざりした様子でため息をついた。

 

「また中国の潜水艦か?こんなときに、まったくもって不愉快だ!」

 

吼える柳に、高橋はジッと視線を向けた。

 

「潜水艦ではない、長さ90メートルの物体、との情報です」

 

キョトンとする柳だったが、勘の良い閣僚は意味を理解し、顔が青くなった。

 

「現在、追跡中のため詳細は爾後。ただしソナー、音紋探知の結果、巨大な生物と思われる。現場では、そう報告を、上げてきております」

 

張り詰めた空気が漂い始めた。巨大な生物、とは言われたが、誰もがあの「怪獣」を連想していた。

 

望月は瀬戸に視線を向けた。瀬戸は緊張のあまりえづきそうになるのを堪えた。

 

「総理、現状では潜水艦群は追跡・調査しか行うことができません。それ以上の行動となれば、総理のご判断をいただく必要がある状況です」

 

望月は促すようにしゃべりかけ、瀬戸はやがて大きく頷いた。

 

「九州南西海中に現れた怪獣と思われる存在に対し、海上警備行動、並びに防衛出動準備命令を発令する。防衛大臣、ただちに必要な部隊・装備を動員し、事態に当たってもらいたい」

 

「承知しました」

 

固唾を呑んだ高橋は頷き、背後の官僚たちと話し始めた。

 

有事法制発動により、閣僚たちは自身の職務範囲において確認・打ち合わせを行う中、佐間野は時計を見遣った。そろそろ、部屋を出るタイミングになるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 30ー

・7月12日 7:28 鹿児島県奄美大島 国道58号線

 

 

6時前に着岸し、檜山は緑川を伴って下船しようとした。ところが伊藤姉妹がなかなか目を覚まさず、寝ぼけ眼の2人を連れて下船したときには、7時近くになっていた。

 

フェリーターミナルはす向かいにあるレンタカー店で受け付けを済ませると、檜山はレンタルした日産セレナのドアを開けた。助手席には緑川を乗せ、後部座席に伊藤姉妹を案内した。相変わらず2人は立ったまま寝ている様子で、足元も姿勢も覚束ない。

 

「ほら、きちんと目を覚まして、歩くんだ」

 

檜山はやや強めの口調で2人を促す。それを見た緑川は微笑んだ。

 

「おい、何がおかしいんだ?」

 

口を尖らせる檜山に、緑川はさらなる笑みを隠せず手を振った。

 

「だって、お父さんみたいで」

 

とうとう声を上げて笑い出す緑川。言われてみれば、と檜山は無意識のうちに自分の娘たちに声をかけるような口調だったことに気がついた。

 

苦笑いをしながら運転席に乗り込み、キーを回す。いまは手放してしまったが、離婚する前はやはり日産セレナに妻と娘たちを乗せ、貴重な休日にはよくピクニックへ行ったものだ。自身でも懐かしさと一抹の寂しさが込み上げ、微笑みながら車を発進させた。

 

レンタカーの受付に訊いたところ、目指す先の癒し岩へは途中道無き道を進むため、2時間はかかるはずだ、とのことだった。

 

焦らず行きたい上、伊藤姉妹の言う通りなら、自分たちはこれから眠る怪獣を目覚めさせる行為をしに行くのだ。内心、向かうのが憚られる気持ちもあった。話を聞く限り無害な怪獣だとはいうが、怪獣は怪獣だ。話と違い、破壊活動を始めてしまうことがないとは言えないだろう。

 

モニターに映るテレビでは、北米で争う3怪獣の最新情報を報じている。ロッキー山脈から飛び上がり、中東部の州へ向かい始めたらしく、米空軍は総力戦の用意を整えつつある、とのことだ。

 

助手席を見ると、緑川は俯いている。眠っているわけではなく、単純にアルコールの作用が苦しいようだ。

 

「ロンドンの同僚とは連絡できたのか?」

 

そう訊くと、緑川は首を横に振った。鹿児島にいる部下たちも未だ消息不明らしく、ストレスで着岸前に隠し持っていたウイスキーの小瓶を開けたため、檜山は小瓶を取り上げた。

 

神妙な顔で前を向いた檜山は、重たい雲から雨粒が降ってくるのを確認した。奄美大島は日本有数の降雨量を誇るとは聞いていたが、その通説を認識することになりそうだ。

 

「「檜山さん、緑川さん」」

 

ふいに背後から声がした。前方に注意しつつ後ろを見ると、伊藤姉妹が目を覚ましていた。どうやら意識もはっきりしているらしく背筋も伸びていたが、何よりこれまでと違い、発する声にも張りがあった。

 

「「ここまで、本当にありがとうございます」」

 

声を揃える姉妹に、緑川はアルコールのまどろみから覚醒したようだった。

 

「さっきまでと全然違う」

 

緑川は目を丸くし、檜山に言った。

 

「おい、2人とも記憶が戻ったのか?」

 

檜山が訊くと、2人は揃って首を横に振った。

 

「この時代の“言葉を介してコミュニケーションを図る”ということが、ようやく理解できたのです」

 

「いままで、よくわからないことばかりでお困りだったと思います。もうしわけありませんでした」

 

ちひろ、そしてまさみは続けて口にしたが、檜山も緑川もキョトンとするばかりだった。

 

「この時代の、て言ってたけれど、あなたたちは伊藤さん、じゃないの?」

 

緑川は息こそ酒の臭いがするが、シラフに戻ったようだった。

 

「私はミラ」

 

まさみの方が言った。

 

「私はリラ」

 

ちひろが続いた。

 

「要するに、本当に伊藤姉妹ではないということなんだな」

 

内心ふざけてるのか、と訊きたいところを自制し、檜山が訊いた。

 

「私たちは、いまから12万年前に存在した文明の人間です」

 

リラが言うと、ミラが続けた。

 

「私たちの文明はフツアといい、古来よりモスラという神を崇め、平和を祈り続けてきたのです。その頃の地球には、現在よりはるかに栄えた文明が多く存在し、時に手を取り合い、あるいは諍いながら、共存していました」

 

あまりにも常識外れな話だったが、嘘や作り話とは思えなかった。言葉を明瞭に話せるためか、より説得力が増したようにも思える。

 

「ところが12万年前、宇宙より破壊の神が舞い降りました。黄金の身体と三つ首を持つ、ギドラという神です」

 

「ギドラはわずか3日のうちに、栄華を誇った幾多の文明を滅ぼしてしまいました。我らが神、モスラとバトラ・・・雄のモスラで、戦闘力に長けたモスラです・・・地球を守るためギドラに立ち向かいましたが、力及ばず倒されてしまい、フツアの文明も危機に瀕することとなりました」

 

最初にリラがしゃべり、ミラが続くような法則らしかった。檜山も緑川も黙って聴き入っていた。

 

「フツアの大陸にギドラが及ぶ際、フツアの指導者は巫女としてモスラに仕えてした私たち姉妹の魂を、モスラの卵に込めました。肉体は滅んでも、魂はモスラと共に永遠に存在し、いつかまたモスラの下に平和な時代を築くように、と」

 

「私たちの魂が込められた直後、フツアの大陸はギドラによってそのほとんどが海に沈みました。ですが私たちはそこから2万年、モスラの卵と共に悠久の眠りにつくことで、滅びを免れたのです」

 

少しだけ後ろを振り返ると、2人とも真剣そのものな表情で語っている。檜山は敢えて問い掛けることなく話を聞いていたが、質問してみたくなった。

 

「すなわち、君たちは古代文明の人間、ということなのか」

 

「「そうです」」

 

返事が揃った。オレの娘たちもこんなときあったな、と檜山は思い出した。

 

「で、フツアだったか。滅んでから2万年眠ったと話したな。いまから10万年前、また目覚めたのか?」

 

檜山が訊くと、リラが頷いた上で話し出した。

 

「いまから10万年前、卵から孵ったモスラと共に、私たちの魂も目覚めました。そして今回と同じように、死に瀕した双子の姉妹に身体を借り、2万年ぶりに肉体を得たのです」

 

「モスラは、ギドラとは別の危機を察知し、未熟のまま産まれました。私たちはそこで、ギドラ襲来後再び栄えた文明群が、滅び去ろうとしている光景を目にしたのです」

 

「ギドラ・・・その頃には、破滅の王という意味でキングギドラと呼ばれ、いまのみなさんが使う“言語を介するコミュニケーション”を用いる文明が多数派になっていました。再興した文明は、また現れるであろうキングギドラに備え、自分たちの力で神々を創り出していました。いま現れている、バラン、バラゴン、そういった存在です」

 

「ところが、恐るべき力を持つギドラに対抗せんと焦るあまり、自分たちの手に負えない存在まで作り出してしまったのです。それが、ダガーラとメガニューラです」

 

ダガーラ・・・北米西部に甚大な被害をもたらした、致死性の赤い霧を発する怪獣がそう呼ばれていることは、檜山も緑川も報道で知っていた。だがメガニューラとは、初めて耳にする単語であった。

 

「ダガーラを産み出した文明レムリアは、母なる地球に漂う大気とはまったく異なる、ベーレムという大気を以ってしてギドラに対抗せんとしました。ですが、同じ文明内でダガーラを危険視する部族と衝突し、それは他の文明にも伝播しました。皮肉なことに、人類を守るため産み出した神々を用いて、人類同士が争い始めてしまったのです」

 

「ダガーラはベーレムを無尽蔵に作り出す機能を備えており、地球の大気組成を変えてしまうことも可能だったのです。多くの神々がダガーラによって屠られ、あろうことか守る神を失った文明に対し、レムリアはダガーラを繰り出して勢力を拡大し始めたのです。ですが、ダガーラはやがてレムリアの祈りが通じなくなりました。己の意思で、レムリアを滅ぼし始めたのです」

 

「ダガーラは保持する能力は脅威的ですが、根本的には、ギドラのように地球にとって脅威となる存在を駆逐すべく造られた存在です。果てしなく略奪と侵攻を進めるレムリアこそ、あるいは人類こそ、地球にとって脅威となる存在とみなしたようです。その頃には地球最大の文明を築いたレムリアにベーレムを撒き散らし、人々を滅ぼさんとし始めました」

 

「モスラは、助けを求めてわずかに残ったフツアの大陸を訪れた双子の姉妹に呼応するように目覚めたのです。そして、私たちも力尽きたその姉妹に魂を憑かせました。ですが、孵ったばかりのモスラではダガーラに対抗などできず、時を同じくして目覚めたバトラが、やはり不完全なまま成虫となり、ダガーラを討つべくレムリアへ向かいました」

 

「私たちはモスラに祈りを捧げ、モスラが身体を補完する時を待ちました。ようやく成長し羽根を得たモスラですが、その能力は不完全でした。それでも、戦い続けるバトラを助けるべくダガーラに立ち向かいました。それでも力及ばず、ダガーラとは相打ちとなってバトラは地に伏し、激しい争いによって地殻変動を起こしたレムリアと共にダガーラは沈んでいきました」

 

「激しく傷ついたモスラは、北の文明が産み出した神、ベヒモスにダガーラとバトラの封印を頼んだのです。ベヒモスはその能力によって多くの荒ぶる神々を眠りにつかせたことで、“調停者”とされていました。ベヒモスによってダガーラとバトラは厚い氷の下で眠りにつき、自身の必要がなくなったことでベヒモス自身も眠りについた頃には、またも荒廃した文明とわずかばかりの人類、そして傷を癒すべく眠ろうとするモスラが残されました」

 

ちょうど、朝のワイドショーで昨夜ロシア北部に雪を降らせたマンモスの話題を取り上げていた。急遽出演したイギリスの著名な学者が『あれはマンモスではなく、ベヒモスという北欧神話の神である』と持論を語っているところだった。

 

「多くの命と文明が失われてしまいましたが、そんな人類に追い打ちをかけるように、砂の大陸で産み出された神が暴走を始めました」

 

「メガニューラ。暴れ続けるダガーラを討つべく、個体能力ではなく数によって勝るとされた存在が、生き残った人類に襲いかかってきたのです」

 

「大きさこそモスラにははるかに及びませんが、1万にも2万にも達した群れとモスラは戦いました。辛くもモスラはメガニューラの群れを屠りましたが、元々手負いの身体は限界を迎え、フツアの神殿に戻ると、自身を繭で包み、再び悠久の眠りにつきました。傷を癒し、そしてギドラに備えるため」

 

「「そして、いま私たちがいるこの島こそ、モスラが眠るフツアの神殿跡なのです」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 31ー

・7月12日 7:39 鹿児島県奄美大島 大川ダム公園付近

 

 

檜山が運転するセレナは国道58号線から山あいの山道に入った。舗装こそされているが片側一車線の道路はすれ違いが困難であることが予想できるほど狭く、強まる雨脚も相俟って運転する者に緊張を強いる。

 

檜山は運転に注意しつつ、伊藤姉妹、もといミラとリラ姉妹の語る話に意識を集中させていた。助手席の緑川も同じだった。特に、3日で古代文明を壊滅させたという黄金の怪獣ギドラの話題には興味を惹かれたようだった。緑川自身、ギドラがもたらした惨状を実際目にしているのだ。

 

古代に何があったのか、それが事実かはともかく、おおまかには理解できた。少なくとも、彼女たちが話す神、現在でいうところの怪獣は実際に現れ、再び人類に脅威をもたらしている。その怪獣たちでさえ、かつての人間がつくりだしたという話が事実であれば・・・檜山も緑川も人間の業の深さに暗澹たる気分が湧いてきた。

 

「昔、何があったのかはよくわかった。話を聴いた上で、いくつか質問があるのだが」

 

檜山が言うと、ミラとリラは「「どうぞ」」と声を揃えた。

 

「君たちと、そのモスラ、バトラがこの時代に蘇った理由は何だろうか?」

 

「いまの文明が、図らずともダガーラとバトラの眠りを醒まそうとしたことが、直接の原因です」

 

リラが答えた。

 

「ダガーラとバトラを封じた氷は厚く、そう簡単には崩れないはずでした。ですが、地球が歩んだ歴史の中で地殻が変わり、地表近くまで押し上げられた上、現在の文明は封じる氷そのものを文明維持の道具にしようとしています。氷を外され、蘇ったダガーラに呼応するように、バトラも目覚めました」

 

ミラが続けると、リラは一拍置いて話し始めた。

 

「バトラはモスラと異なり、本能的には他者への攻撃のみに性質を置いた存在です。モスラが在って初めて、その気性を抑制することができます。モスラがいなければ、果てしなく争いと破壊を続けることでしょう。ですので、モスラを蘇らせる必要があったのです」

 

「くそ、世界各国、貪欲にエネルギー採取合戦を繰り広げた結果がこれか」

 

歯噛みしながら、檜山は忌々しそうにつぶやいた。

 

「私も、良いかしら?」

 

緑川が訊くと、2人は頷いた。

 

「他にもいろんな怪獣が姿を現してきたのは、なぜ?」

 

「いずれも、ダガーラの復活を察知したのです」

 

「あるいは、ダガーラとバトラの波長を察知し、再び争うべく覚醒した神もいることでしょう。神々にとってダガーラは、自分たちの同族を滅ぼしたいわば仇敵であり、自分たちにとって危険な存在を排除すべく目覚めたのです。ベヒモスは、太古のモスラとの契りを守ろうとしているようです。もう一度ダガーラを封じようとしているようです」

 

「ですがダガーラにも明確な行動原理があります。自身本来の使命である、ギドラ討伐を果たそうとしてるのです」

 

「しかし皮肉にも、自身に近寄るダガーラを察知したギドラは、いまその眠りから眼覚めんとしているのです。バトラは今度こそダガーラを倒さんとするばかりでなく、ギドラが眠る地に寄らせまいと必死です。だがらこそ早くモスラも目覚め、バトラと共にダガーラを討つ必要があるのです」

 

「おい、するとギドラはダガーラの近くに眠っているのか?いったいどこ・・・」

 

そこからは訊くまでもなかった。テレビのテロップに【米国イエローストーン国立公園、噴火警戒レベル最終段階】と流れたのだ。

 

「まさか、このためにダガーラは北米に・・・?」

 

そうつぶやいた緑川は、身体からイヤな汗が滲んだ。二日酔いのためではなく、去年じかに目撃した名古屋の様子がフラッシュバックしたのだ。

 

「しかし、なぜ君たちはそのことがわかる?」

 

檜山が訊いた。

 

「私たちフツアの文明は、言葉ではなく精神を用いることで相手と対話することができました。人間だけではなく、モスラやバトラといった神々とも呼応できるのです」

 

「この時代における人類は、そうした能力は退化したようですね。最初に私たちはみなさんの精神に呼びかけたのですが、どなたともわかりあえず・・・言葉での対話を理解するのに時間がかかってしまいました」

 

そういえば、と緑川はつぶやいた。

 

「昨日初めてあなたたちと会ったとき、あたしを含め何人か空耳っぽいの聴こえたのは・・・」

 

「はい、私たちの呼びかけです」

 

「個人差でわずかながらその能力を残していた人々も、いらしたみたいです」

 

納得したように、緑川は頷いた。

 

「話は変わるが、君たちは双子の姉妹に憑依するのだったよな。なぜ、いま君たちが憑いている2人が乗った船が沈んだのだろうか?」

 

バックミラー越しに、2人の表情が曇ったのがわかった。

 

「それは、わかりません」

 

「沈んだ船の近くに、かつて沈んだフツアの文明があります。私たちはそこに眠る卵から解き放たれ、生命が絶たれようとした2人に憑依したのです。でも、なぜ2人の命が危機に陥ったのかまでは、わからないのです」

 

知りたい部分だったが、それなら仕方がない。檜山は不服ながらも頷いた。いずれ、船体を引き揚げれば何か掴めるだろう。そしてあかつき号が沈んだ海域で発見された文明は、かつて彼女たちが暮らした文明であるらしいことがわかっただけでも、大きな収穫だ。海上保安庁の仕事ではないが、文科省やオカルトマニア垂涎の話だろう。

 

「いろいろ訊いてしまい悪いが、もうひとつ、いいか。去年、日本にギドラが現れ、やはり大きな被害を残した。ゴジラと戦って海へ姿を消したが、いまはイエローストーン国立公園で地熱から力を蓄えていると考えて良いのか、そしてなぜ去年、君たちも君たちの神も目覚めなかったのだ?」

 

するとミラとリラは不可解な顔をした。何を言われているかわからない、といった表情だった。

 

「ギドラが?」

 

「ゴジラ・・・?」

 

2人は互いを見遣った。何か答えようとしたとき、テレビのワイドショーが騒がしくなった。

 

『ええーっと、ここで速報が入ったようですね?』

 

『報道フロアよりお伝えします。報道フロアの、安住さーん?』

 

『・・・報道フロアよりお伝えします。さきほど瀬戸内閣総理大臣より、九州南西海域を航行する国籍不明の潜水艦は、潜水艦ではなく巨大生物と判明、この巨大生物に対し、海上警備行動を発令、海上自衛隊並びに海上保安庁へ対応を指示したとのことです。これを受け午前8時より、望月官房長官による記者会見が行われ・・・・・新しいニュース・・・・・え、いま新しいニュースが入りました。新潟県上越市から柏崎市の日本海沿岸に、一昨日富山を襲った巨大フナムシと酷似した物体が数多く漂着した模様です。新潟県警によれば、いずれもすべて死亡しており、現在フナムシによる被害の有無を確認中とのことです』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 32ー

・7月12日 8:58 東京都文京区小石川5丁目 ツインセゾンビル5階 『UTOPIA』編集部

 

 

「おう、秋元っちゃん。お帰り」

 

編集部に戻るなり、編集長の藤田が声をかけてきた。いつものような軽さはなく、心配げに秋元に視線をよこしてくる。

 

秋元は一礼だけすると、疲れと悲しみで脱力したように自席についた。

 

昨日、稲村の死を耳にして東京へ戻ろうとしたが、八幡平から出現したバランの影響で東北新幹線が2時間あまり運行を停止したため、東京には22時回る頃到着した。その頃には稲村の遺体が山梨から地元の蒲田へ移されたため、そのまま蒲田の斎場へ足を運んだ。

 

稲村は天涯孤独の身だったが、大森に住む稲村の従姉妹夫婦が斎場の手配から一切を取り仕切ってくれたため、その日のうちに葬儀や通夜の段取りを決められた。

 

稲村は秋元が予想していた以上に顔が広く、夜遅くにも関わらず報せをきいた知り合いが斎場へ訪れたため、成り行きで秋元も受付や応接を手伝うことにした。少しでも、役に立ちたかったのだ。

 

従姉妹夫婦の取り計らいで斎場にて少し仮眠を取り、改めて通夜・告別式に出席することとして、こうして会社へ戻ってきたのだ。

 

「大変だったな、ご苦労様」

 

いつもは無理難題をふっかける藤田も、こういうときは優しい。リポビタンDを手渡しながら、秋元と向かい合うように座った。

 

「今朝がた、三上先生から連絡があった。調査対象が現実に現れてしまったので、今日中に東京へ戻ることにしたそうだ。何でも、同行してる大学生の1人が鹿児島出身らしくてな、昨日からの噴火でかなりショックを受けてるそうだ」

 

藤田の話も、半ば上の空だった。斎場では応接やらで忙しかったが、こうして稲村の元を離れ、現実に戻ったことで、かえって悲しみが押し寄せてきたような気がする。藤田はそれを悟ったらしく、秋元が落ち着くまでそれ以上話しかけるのをやめた。

 

少しして、気分を振り切るようにリポビタンDを一気飲みした秋元は、「すみません」と頭を下げた。

 

「編集長、ひとまず、木曽の雪男伝説の取材準備に当たります」

 

気を取り直そうとしているのだろう、秋元は手元の資料をまとめ始めた。

 

「ああ、それより、お前に話を聴きたい人から連絡があってな」

 

そういうと、藤田はデスクからメモを持ってきた。

 

「斉田リサーチって調査会社からだ。去年記事にした、奄美大島の癒し岩に関して詳しい話を聴かせてもらいたいって、今朝の7時前に連絡があった。まったく迷惑なモンだよ、始業時間前だってぇのに」

 

とはいえ徹夜も当たり前なこの業界をよく知った者なのだろう。

 

「10時過ぎに来社するそうだ。それまで、仮眠でも取ってろ。雪男はそれからで良いから」

 

藤田は自席に戻った。他に編集部には2人いるが、いずれもテレビに夢中になっている。昨夜からの桜島噴火に関して、望月官房長官による何度目かの記者会見だった。だが聞き耳を立てると、噴火と併せて鹿児島に怪獣が出現したということらしい。

 

色めき立つ記者たちから怪獣とはゴジラなのか、なぜ事前に察知できなかったのか、怒声のような質問が浴びせられている。一昨日の豪華客船沈没事故以来、官邸もマスコミも休む間もなく続々と発生する国内外の大事件に翻弄され続けている。詳しくは11時の定例記者会見にて、と告げて望月は壇上を降りた。

 

騒然とする中記者会見は終了し、ワイドショーは続けて昨日から都内各地で活動が活発化しているという、黄金の救い教団の動きを報じ始めた。

 

そういえば、蒲田の斎場を出て会社へ向かおうとしたところ、JR蒲田駅前には独特の衣装に身を包んだ集団が声を張り上げていた。

 

「この世の終焉が近い。黄金の救いを受け入れましょう」

 

「伏して拝みましょう、黄金の終焉を」

 

宗教団体『黄金の救い』の一団だった。地元区議会議員の朝の演説を妨害するかのように声を上げていたが、ほとんどの人は奇異な視線を向けて避けて通っていた。

 

稲村は死の直前、山梨にある黄金の救い教団本部へ向かっていた(死亡したのは教団を音ずれた前か後かは、現時点で判然としていない)。憶測にしか過ぎないが、もし、この教団が稲村の死に関わっていたとすれば・・・。

 

「稲村君は、他社の依頼でこの教団へ行って『ギドラ』なる存在の話を取材してくるって言ってたな」

 

藤田が口をはさんできた。

 

「まさか、何かこの教団の秘密に触れて、稲村さんは・・・」

 

かねてからの疑念を口にしたが、「それはないんじゃないか」と藤田は否定した。

 

「そりゃ、この教団は奇想天外だが、殺人を犯してまで秘密にしなきゃならないことがあるかなあ。第一、彼はまだ変死扱いだ。いずれ警察も足取りを追って、教団に時事情聴取はするだろうさ」

 

そうなのだ。あくまで秋元の想像に過ぎない。秋元はイヤな夢を振り払うように、頭を少し振った。

 

「なあ秋元っちゃん。オレはむしろ、稲村君が話してた、世の中をアッと言わせる情報だっけか。そっちが気になってるんだが」

 

「ええ。中身は教えてくれませんでしたけど」

 

「ああ。そのたまげた情報にこそ、彼が死に至った原因があると思わないか。ま、推理小説の読みすぎかもしれんが」

 

「そういえば」と、秋元は昨夜遅くの出来事を思い出した。

 

「昨日斎場で弔問に来た人々の応接してたんですけど、香典持ってきた人の中に、誠和会の使いを名乗る方が」

 

「誠和会、ってたしか・・・」

 

「その前に訪れたOREジャーナルの大久保編集長が後で教えてくれたんです。国内最大勢力の右翼結社だって」

 

藤田は大きく頷いた。秋元の言う通り、規模・資金面では日本最大の右翼団体だが、いわゆる暴力団とは異なる、純粋なる国粋主義者の団体だと聞いている。靖国神社や皇居周辺にてしょっちゅう清掃などの奉仕活動を行っているのを見たことがある。

 

「それで、その使いの人が持参した香典が2つあって、ひとつは大澤蔵三郎名義、もうひとつは近藤悟名義だったんです」

 

「おいおいおい、一気にきな臭くなってきたな。日本のフィクサーと成金ジャーナリストの名前が出てくるとは」

 

「私も思いました。大澤蔵三郎って、日本を影で操る男、とかって聞いたことがありましたから。でも、近藤悟さんて・・・」

 

近藤悟。去年、東京に現れたゴジラとガイガンの戦い、そして浜松におけるゴジラと、いわゆるギドラと呼ばれる黄金の怪獣が争う様子をごく間近で撮影し自身のYouTubeチャンネルに投稿。いずれも4憶回以上の再生回数を誇り、一躍時の人となったジャーナリストだ。

 

だが昨年10月、水商売で働く複数の女性との逢瀬を週刊文春に報じられ、「命すら賭けるジャーナリストの鑑」から「成金ジャーナリスト」「浮気無双」などとネットで散々揶揄されたことで、ここ最近姿を見せなくなっていた。

 

「なんか解せないな。大澤はともかく、なぜ近藤の香典を誠和会が預かってきたのか」

 

「私も気になったんです。有名人の名前が一度に2人でしたし、持ってきた人も厳つい風貌だったもので」

 

そのとき、秋元の電話が鳴った。岩手にいる三上からだった。

 

「秋元です。先生、本当にもうしわけありませんでした」

 

『いやいや。それより、どうだったかね。落ち着いたかな?』

 

「はい。おかげさまで、葬儀日程もスムーズに決まりました。私もお手伝いできたし・・・。先生、本当にありがとうございます」

 

言いながら、秋元は嗚咽がこみ上げてきた。

 

『そうか。僕も葬儀にはお邪魔するよ。こちらも、今日の夕方には東京へ戻ることにした。ほら、3年生の南野さん。彼女、実家が鹿児島の霧島温泉だから、動揺してて気が気じゃなくってね。図らずも伝説は本当だったと証明もされたし、大学へ戻ろうという話になったのだ』

 

「先生、お気をつけて。戻られたら、またお目にかかりましょう」

 

『うん。それでは』

 

三上の声を聴いて、より落ち着きが戻った気がした。少し睡魔も感じてきた。藤田の言うことに甘えて、少し仮眠をとることにした。

 

三上と学生たちが戻るのなら、夕方落ち合って、改めて急遽戻ったことを詫びよう、そう思った。

 

(この時点では誰も知る由もなかったが、いずれ東京へ戻ったことを激しく後悔する結果となるのは、もう少し先の話である)。

 

 

 

 

 

 

・同時刻 茨城県つくば市赤塚 スマートブレイン社日本支社つくば研究所

 

 

当日とはいえアポイントは取っておいたのだが、通された研究所守衛室前のプレハブ小屋はお世辞にも来客用とは言い難く、斉田は怒りがこみ上げてきた。

 

KGI損保からの依頼で行方不明になっている社員の調査に来ているのだから、もう少しもてなしの精神があっても良いのではないか・・・!KGI損保の名を出したことで調査を断られはしなかったものの、自身は招かれざる客であると露骨に思い知らされた。

 

釈然とはしないが、斉田は愛想笑いを浮かべながら伊藤姉妹の両親、伊藤昭・ミチル夫妻に関して尋ねた。

 

「すると、ご夫妻そろって職場は同じだったのですか」

 

応対しているスマートブレイン社総務課長補佐で木場という男は、白髪交じりのオールバックヘアをなでつけながら頷いた。

 

「そうです。ショウジョウバエの遺伝子組み換えを行っておりました」

 

「ほう。それと、薬の製造と関連があるんですか?」

 

「斉田さん、とおっしゃいましたか。製薬の方法は、様々なところから生まれるものです。弊社は研究予算が同業他社より多額でしてね、他所で研究できないことでも積極的に研究し、社会に役立つ薬を開発していくのがモットーでしてね」

 

笑みを浮かべてはいるが、この木場という男、目は笑っていない。斉田は質問を変えることにした。

 

「伊藤夫妻は、1週間の休暇を申し出たそうですね。理由は何でしたか?」

 

木場はファイルをたぐった。

 

「旅行、とありますね。滅多にない豪華客船の旅だ、さぞかし楽しみにしていたことと思うが・・・あのようなことになって、残念です」

 

「ご遺体は上がっていないので死亡と確定されたワケではないが、残念なことに生存確率は著しく低いと言わざるを得ませんからね・・・。ところで、御社には、というか伊藤夫妻を訪ねて、城南大学の教授がいらしたことはありませんでしたか?」

 

「さあ・・・。どうでしょうかなあ。まあ、ここは御覧の通りつくばにありますから、さまざまな研究職の方がいらっしゃる。無論、保安上の理由で来社の際にすべての方に身分証明を求めてますが、当社研究員との関係性となると、すべてこちらで把握できておりません。当該部署にお問い合わせいただきたいですね」

 

部署に問い合わせてみる、といった気の利いた行動は、とってくれないらしい。

 

「そういった方々も、このプレハブ小屋で応接なさるんですかねえ?」

 

自分でも厭味だとは思ったが、そうでも言わねば気が晴れない。木場は少しムッとしたように目を逸らした。

 

「そうそう、ところでその城南大学の教授、偶然にもあかつき号に乗船してましてねえ。やはり行方不明なんですよ。しかもですよ、伊藤夫妻のご令嬢方、城南大学に通われてまして、学部がまるっきり違うのに教授と昵懇の仲だったようなんです」

 

「ほう、偶然とは恐ろしいものですな」

 

「でしょう。もしかして、その教授とは一家で家族ぐるみのお付き合いだったのではないかと思いまして。何かご存知じゃありませんか?」

 

「ですから、そこまで把握はしておりません。我々総務は、来客簿の管理を行うのみです」

 

「でもですよ、けっこうな頻度でお越しなんじゃないですか?城南大学に問い合わせたら、ここ最近つくばへ出かけることが多かったらしい。こちらへもしょっちゅう立ち寄ったのではないかと思いますが?」

 

「つくばは研究都市ですから、当社以外にも訪れそうなところは多い」

 

「じゃあ、教授はいつも松風堂の羊羹をお土産に買っていったと聞きましたが、ご存知ですか?僕はね、あれがいっとう好きでして。教授も素晴らしいセンスをお持ちだなあ、と」

 

「いい加減にしてもらえませんかな」

 

とうとう忌々しげに木場は口を尖らせた。

 

「あなたは何をしにいらしたのだ?そんなに矢野さんのことを訊いてどうなさる?」

 

「ああ、いや、お気を悪くされたらもうしわけない。とにかく、伊藤さんたちは社の業務であかつき号に乗船したのではないのですね。であれば、もう確認できました。お邪魔してもうしわけなかったです」

 

おもむろに立ち上がると、斉田は引き戸を開けた。

 

「KGI損保と打ち合わせて、問い合わせ事項が増えたら、また参ります。本日のところは、これにて。ああ、もし次、参ったときは、御社の応接間に通していただけませんかねえ。こちらもね、松風堂の羊羹を手土産にしますから」

 

素早くお辞儀をすると、木場もお辞儀で返した。上げた顔は厳めしいままだが、動揺は隠せていなかった。

 

車に乗り込み発進させると、斉田は大きく息を吸った。まさかという疑念は確信に変わりつつあった。

 

斉田は城南大学の教授としか言わなかったのだが、木場は始めこそトボけたものの自分から矢野教授の名前を出してきた。研究部署とは直接関わりのない総務課長補佐が固有名詞を知っているということは、少なくとも矢野教授は大勢の来客の1人ではなさそうだった。

 

矢野教授は伊藤一家はおろか、スマートブレイン社とも並々ならぬ関係があったとみるべきだ。もしかしたら、いまだ原因不明となっているあかつき号沈没の理由もそこにある、とは飛躍した考えだろうか。

 

ひとまず、斉田は車を東京方面へ走らせることとした。今度はKGI損保とは関係のない、緑川の依頼だ。

 

ナビを設定すると、文京区までの所要時間はおよそ90分と出た。斉田ははやる心を抑え、思わず力が入るアクセルを緩めた。

 

 

 

 

 

 

突然の来客が戻った後、渋い顔をしてプレハブ小屋を出た木場の前に、総務部長の園田が現れた。

 

「あなた何やってるの?」

 

眼鏡の奥に怒りをにじませ、園田は小さくも強い口調だった。

 

「もうしわけありません!」

 

脂汗を流し、木場は頭を下げた。

 

「あんな単純な手にひっかかるなんて」

 

悪態こそついたが、監視カメラで見ていた園田自身、内心ではあの斉田という男の一見朗らかだが、ここぞというときには蛇のような目になる様に背筋が寒くなった。

 

「監視はつけたから、必要以上の動きがあれば報告がくるはず。まあ、矢野教授の名前が出たことは失態だけど、現時点ではそれ以上相手もわからないだろうし。次、あの男は出禁。場合によっては・・・」

 

ため息をつくと、園田は研究所内専用のPHSを出した。

 

「乾所長、園田です。ええ、木場の失態こそありましたが、相手はそれ以上何も知りませんでした。はい・・・はい・・・。さきほどの男には監視をつけました・・・。ええ、いざとなれば・・・。・わかりました。Gセルのセクションは厳重に封鎖します」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 33ー

7月12日 9:46 鹿児島県奄美大島名音

 

 

モスラが眠るとされる『癒し岩』は、想像以上に山深くの場所に位置していた。所在を尋ねたレンタカー屋の店員が「あそこまで行くんですか?」と目を丸くしていたのも納得できた。しかも港のある名瀬から2時間かかると言われたが、本格的に降り始めた雨は次第に強さを増し、ワイパーを最大にしても視界不良の状態で山道を上がったため、出発から3時間近くかかってしまった。

 

降りしきる雨の中、檜山は目を凝らした。亜熱帯の深い原生林の谷間に、言われてみれば気がつく程度に落花生の形をした岩はあった。だが緑の森の一部となっており、岩場は地面近くにうっすらと確認できるだけだ。

 

「本当にアレが、モスラなのか?」

 

檜山は助手席の緑川に訊いたが、二日酔いによる悪心がピークを迎えていることに加え、山道を走行してきたことで車にも酔ったらしく、ダッシュボードに突っ伏している。

 

仕方なく後部座席を振り返ると、伊藤姉妹、もといミラとリラは目を瞑り、窓に手を当てている。

 

「おい?」

 

檜山が声をかけるより早く、2人はカッと目を開けた。勢い良くスライドドアを開け放ち、土砂降りの中もかまわず駆け出した。

 

「おい、2人とも!」

 

途中のファミリーマートで買っておいた傘を持ち、檜山も後を追った。フラフラになりながら、緑川も続く。

 

「コラ!風邪引くだろう」

 

追いついた檜山も気にならないほど、ミラとリラは岩肌に手を当てて、涙を流して感激した様子だった。

 

「「モスラ・・・」」

 

2人とも頰を岩肌に当てる。まるで、長い時間を経て親しい人と再会したようだ。

 

なおも傘をさすように2人に寄る檜山だったが、あまりの2人の感激ぶりに歩みを止めた。もし何のわだかまりもなく娘たちに会えたなら、きっと自分もそうしていただろう。

 

「これが、モスラ?」

 

檜山は眼前の岩塊を見上げた。こうして見ると、森に包まれた巨大な落花生のようだ。

 

「モスラは、傷ついた自身を癒すべく繭で身を包み、悠久の時を眠り続けてきたのです」

 

穏やかな顔をしたリラが口を開いた。

 

「でも、この波動・・・もう大丈夫です。モスラは元気です」

 

そういうミラも、元気に晴れやかな顔をしていた。

 

「繭・・・蛹みたいなものかな」

 

緑川が背後から言った。

 

「おい、具合は?」

 

心配そうに檜山が訊くと、緑川はキョトンとした顔になった。

 

「それが、この岩に近づいたら、二日酔い治っちゃったみたい。今何ともないの」

 

「ええ?」

 

怪訝な顔をする檜山だったが、言われてみれば、檜山も長い運転で痛み出した腰が違和感なくなっていることに気がついた。

 

「たしか癒し岩、だったっけ?噂は本当だったみたいね」

 

緑川もすっかり顔が晴れやかだ。相変わらず雨は強いが、熱帯の雨は不快感なく、むしろ心地よさすら感じる。これも癒し岩の効果だろうか。

 

雑誌『UTOPIA 』が記事にしたことはあっても、良い意味で騒がれず、落ち着いた環境になっているのも良かった。

 

「「檜山さん、緑川さん」」

 

ミラとリラが呼びかけてきた。

 

「「本当に、ありがとうございます。いまからモスラが目覚めます」」

 

「なあ、確かめておきたいんだが、モスラは本当にオレたちに味方してくれるのか?曲がりなりにも、これから怪獣を呼び覚ますんだろ?」

 

ずっと話は聞いていても不安だったことを、檜山は吐露した。ミラとリラは安らかな笑顔で、首を縦に振った。

 

「「大丈夫です。モスラは私たちの神であり、友です」」

 

そうは言っても、となおも不安げな檜山の肩を、緑川は叩いた。

 

「確証はないんだけど、なんだかわかる気がする。きっと、大丈夫だと思うの」

 

「本当か?もしコイツも手がつけられない暴れ方したら・・・」

 

だが、とにかく成り行きを見守るしかない。

 

ミラとリラは岩肌に手を当てた。2人とも目を瞑り、安らかな寝顔のような表情になった。

 

「ねえ、聴こえない?」

 

緑川がふいに、耳に手を当てた。

 

「何がだ?」

 

「何か、歌?みたいな・・・」

 

檜山は耳を澄ましたが、何も聞こえない。雨が地面や森に叩きつける音くらいだ。

 

「まさか、彼女たちが話してた、精神への呼びかけ、てことか?」

 

そう訊いたが、緑川は岩に手を当てたままのミラとリラを向いたままだ。

 

「何だろう・・・よくわからないけど、心の底がふうっと沸き上がるみたいな、優しい歌・・・」

 

緑川は目を閉じた。まるで揺り籠の中の赤ん坊のような、優しい顔だった。

 

檜山は思わず目を凝らした。ミラとリラが輝き始めた。というよりも、キラキラとしたラメのようなものが2人の周りに降り始めたのだ。

 

「おい、危なくないか?」

 

思わず2人に寄った檜山にも、ラメのように金と銀に輝くものが降りかかった。慌てて仰け反ったが、不思議とイヤな感じはしなかった。むしろ、身体の力がうまい具合に抜けたような、奇妙な感覚になった。

 

視界いっぱいにキラキラが舞い始めた。まぶしさはまったくないが、輝きは強さを増している。ぼうっ、と何かが目の前に浮かんできた。

 

それは懐かしい様子だった。深夜の病院だった。息を切らせて廊下を駆け抜け、新生児室へと向かう。

 

妻の美佐枝がベッドに横たわっていた。

 

「もう、遅いんだから」

 

口をついた悪態は、涙ぐむ声だった。妻の頰に手を当てた。全速力で走ってきたためにかいた汗が、すべて両目から溢れてきたようだった。

 

ボロボロに泣きながら、ガラスの向こうにスヤスヤと眠る2人の赤ん坊。産まれる前から決めていた、真希と真子、という名前。

 

どちらがどちらなんだ?いや、そんなことはいい。ガラス越しに、父として初めて顔を見せた。声にならない声が、口から溢れた。嬉しさがそのまま出てきたような。

 

「檜山、さん?」

 

ふいに呼びかけられ、ハッとして緑川を見た。気がつくと、目から涙が滝のように溢れていた。

 

「ああ、いや、その」

 

慌てて照れ隠しの笑いを浮かべ、涙を拭った。不思議そうな顔こそしているが、緑川の視線は奇異なものを見た目ではなかった。

 

「なんか・・・白昼夢ってやつかな。ちょっと、な」

 

檜山は顔を背けた。また涙が出てきた。

 

気がつくと、あれほど降っていた雨はいつのまにか上がっていた。空を見上げると、この岩塊の周りだけ、灰色の厚い雲が切れ始めていた。

 

岩塊は淡く金色に輝いている。このキラキラはどこから出ているのだろうか。

 

ふいに、輝きが失われた。ミラとリラは目を開け、手を離した。聖母のように優しい表情は、一気に凍りついていた。

 

「どうしたの?」

 

異変を感じた緑川が訊いた。

 

「「メガニューラ・・・・」」

 

2人が口にしたとき、檜山と緑川のスマホに告知が入った。

 

【速報 中国吉林省丹東市に運ばれた化石が動き出す】

 

【CCTV、丹東市街地粉砕さると報じる】

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 34ー

・7月11日 18:20 カナダ連邦ブリティッシュコロンビア州ビクトリア市

ビクトリア国際空港

※日本より16時間遅れていることに留意

 

 

ようやくウトウトとしかけたところで「間も無くビクトリア空港です」と官邸職員に声をかけられ、尾形は目を開けた。

 

太平洋時間で午前中一杯、アメリカ・カナダ全土で航空機の飛行禁止令により身動きが取れなかったが、ダガーラを含めた怪獣同士の争いは太平洋岸からアメリカ中西部へと移ったため、カナダのみ「臨時チャーター便限定」で航空便の運航を再開、激しく損壊したバンクーバー空港に代わり、ここ州都ビクトリアにて運用が開始されていた。

 

北米全土に発令された飛行禁止令を受け、同空港に着陸していたシンガポール航空機が真っ先に引き返しを決定した上、給油のため成田空港を経由するとあり、日本とシンガポールの外務省同士で協議の結果、尾形らVIPの帰国に目処がついた。

 

通常ならバンクーバーから3時間かかる道のりも、渋滞と途中経由するフェリーの遅延で5時間以上要することになったが、興奮と鳴り続ける電話への応対で気が休まらず、ようやくひと息つけると思ったタイミングであった。

 

文科省、及び官邸の危機管理室からは「九州南西海域に巨大な生物と思われる航行体発見」に伴い、尾形への意見を伺う電話が長引いた。いずれも、航行体はゴジラではないかといわんばかりの問い合わせだった。

 

だが尾形は日本海側に漂着したフナムシの件から、ゴジラは九州南西ではなく、日本海に潜伏している可能性を挙げた。そしてこうも続けて巨大フナムシの発生から、さらなる活動活発化を危惧していた。

 

車は空港正面に横付けされ、真っ先に飛び立つ臨時便に乗る人々、そして人数に対し圧倒的に足りない上に時間のかかる後発の臨時便に並ぶ人々でごった返していた。職員の案内で列を外れ、クルー、職員用の検査場へ通される。溢れる人々の中には当然日本人もおり、行列を尻目に裏口を利用する尾形らに敵意の眼差しを向ける。

 

保安検査を終え、表の喧騒とはかけ離れた搭乗口へ案内された頃、電話が鳴った。搭乗待合室のアダプタにコンセントを差し、電話に出た。

 

『お、お、お、お、尾形先生』

 

相変わらず興奮と落ち着きのなさに支配されたビグロウ教授だった。

 

「ビグロウ教授、ニュースを聞きました。中国にて発見された化石が動き出したそうですね」

 

『そそそ、そうなんです。わ、私もいまから飛行機に乗るところだったんですけど、きゅ、急遽取りやめました』

 

「それも、急激に成長して吉林省の都市を壊滅させたと?」

 

『ええ、え、ええ。昨日のベヒモスといい、ま、まま、まさかこんなことになるとは!もう世界中怪獣だらけ、まさしく怪獣総進撃ですよ』

 

「しかし、どうにも解せませんね。マンモス・・・ベヒモスといい、化石状態だった古代昆虫といい・・・なぜこうも急速に成長を遂げたのか」

 

『そそ、そうなんですよ。いえ、私が直接見たワケじゃないんですがね、先遣隊として向かったうちのスタッフによれば、卵から孵るように表面の化石を破り、みるみる大型化したとか。あ、そうそう、まるで意思を持ったかのように、東の方向を睨みつけてから飛び立ったそうなんです。ところが、残像が見えるくらい羽根を高速で羽ばたかせたかと思ったら、麓にあった街並みが一気に吹き飛んだとかでね・・・っもも、もう、とんでもない化け物だと話してましたよ』

 

「その昆虫、先にお話したように、かつて日本の学者が仮説を立てたメガニューラと呼ばれる存在かもしれません。追って、メガニューラ説を唱えた先生に連絡します。ところでそれとは別に、ビグロウ教授にご意見をちょうだいしたいことがありまして」

 

電話の向こうからも、キョトンとするビグロウの顔が浮かんだ。尾形は日本の南西海域に現れた怪獣と思われる存在を、日本政府はゴジラと推測していること、自身の仮説ではゴジラは日本海に潜伏しており、では南西海域に現れたのは何者だろうか疑念が残る旨を説明した。

 

『そのニュース、ぼぼ、僕も観ましたよ。僕は何がゴジラなのかよくわからないですが・・・。これは生物学ではなく、僕の趣味である古代からの伝承に立脚した仮説なんですけど、たたた、多分ですよ、太平洋に伝わるタイタヌスという生物じゃないかとおお思うんですけど』

 

「タイタヌス・・・?ですか」

 

『ええ、ええ、海を守る巨大な神で、温和で大人しいが、ひとたび怒り出すと海を割って大暴れする、自分の棲家を荒らした交易船に怒り、島ひとつ滅ぼした・・・。東南アジアに伝わる伝承ですよ。まま、まあ、だからといって根拠はないんですけれどね、そうかなあ、と』

 

おとぎ話と一蹴できないことは、ダガーラの出現で証明されている。尾形は息を呑んだ。

 

ひとまずビグロウとの通話を終え、尾形は京都にいる剱崎に電話をかけた。

 

『尾形先生、お早く日本にお願いしますよ。いつのまにか私まで怪獣学の権威になってしまって、取材が多くて研究がままなりません』

 

さも迷惑げに第一声を上げる劔崎だった。

 

「もうしわけない、例のビグロウ教授が、中国で復活したメガニューラに関して意見をいただきたいそうです」

 

『そんなことなら、さっきもオカルト雑誌のUTOPIA に答えましたよ。と言いたいところですがね、権威あるケンブリッジ大学の教授に敬意を表して。尾形先生、アレはもはや、メガニューラとはいえない』

 

「どういうことです??」

 

『中村教授によれば、メガニューラはせいぜいが10〜15メートルの体長だったといいます。翻って、いま中国を荒らし回っているメガニューラはいかがです?少なくとも体長40メートルはあろうかというほどですし、数少ない中村教授の資料と照らし合わせても、姿形が異なるんです。まるで進化だ。もはや怪獣・・・そうですな、アンギラス、カマキラスに倣い、メガギラスとでも名付けてはいかがでしょうかな』

 

「メガギラス・・・・・。名前はともかく、そこまで急速に進化した理由とは、何だとお考えでしょうか?」

 

『そんなこと私がわかるワケないじゃありませんか。ああ、しかしですよ、昆虫というものは概して、自身の天敵に対抗して攻撃的に進化する場合がある。もしそんな原則に当てはまるのなら、メガギラスは天敵となる存在を嗅ぎつけたのではありませんかな?とにかくねえ、何でも良いですから、日本へお戻りください。まったく霞ヶ関もマスコミも、良い大学出ているのに自分たちで考えることをしない!』

 

そのための私たちではありませんか、と劔崎を窘め、尾形は電話を切った。官邸職員が焦り顔でそばに寄ってきたのだ。

 

「尾形先生、大変申し訳ありません。臨時便の出発が無期延期となりました。中国に出現した巨大昆虫が、北朝鮮を南下して韓国上空に達したことで、政府より我が国を含めた極東アジア全域飛行禁止が通達されました」

 

仕方がありません、と尾形は頷いた。メガニューラ・・・メガギラスの猛威は日本にも及ぶのだろうか。

 

アッ!と声を出しそうになった。

 

自身の仮説通り、もしゴジラが日本海に存在したとすると、劔崎の言う通り天敵に対抗するために急速な進化を果たしたとすれば・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 35ー

・7月12日 10:45 大韓民国 仁川広域市中区 空港ゲートウェイブリッジ

※日本との時差は無い。

 

 

9時過ぎに首都ソウルのバスターミナルを出発し、多少の渋滞をかいくぐりつつ仁川国際空港へ向かうシャトルバスのハンドルを握る運転手のパク・ガンホは、先ほどまで通じていた無線から聞こえる不快な雑音に顔をしかめた。

 

今日は明け方4時前に出勤、空港発5時のバスでソウルへ向かった後、わずかな朝食休憩をはさみ折り返しの便で仁川へ戻り、正午には退勤するシフトだった。昨日は夜遅い便で上がったため、今日は早いところ乗務を終わらせて帰宅し、炎天下真っ盛りの中、缶詰めとマッコリで一杯やりたい気分だった。

 

ソウルから仁川へ差し掛かる高速道路上にて、防空サイレンが鳴ったのが10時ちょうど。この国では北朝鮮有事への備えとして、毎日決まった時間に訓練として防空サイレンが鳴ることになっている。その場合、高速道路上では路肩に停車、ないしは徐行運転することが推奨されている。

 

今日は様子がおかしかった。定時の警報から10分ほど過ぎた頃にもう一度、防空サイレンが鳴り響いた。規定に則り減速したが、それから10分ほど経過してさらに警報が鳴ったのだ。機械の故障で、こういうことは稀にあった。その都度パクを含めた人々は毒づきながら恨めしげに空を仰ぐものだ。

 

だがソウルにあるバスセンターからの無線は、明らかに尋常ではなかった。かなり慌てた様子で現在地を問い合わせてきた上、絶叫するような声とガラスか何かが割れる音が流れてきたかと思うと、無線が不通になったことを伝えるザーザーとした音が耳に飛び込んできた。

 

もう少しで空港なのだが、余計な仕事は増やさないでもらいたい、そう思いながら不快な音を発する無線を脇に掛け、運転に集中することとした。乗客は10名にも満たない。間もなく到着することを察したか、みな身を起こし、各々スマホに目を凝らしている。

 

『空港事務所よりパクさん、無線取れますか?』

 

再び無線を手に取り、迷惑そうに応答するパク。

 

『可能であればただちに停車して、乗客を避難させてください。緊急事態です』

 

空港事務所の運行管理、今日は若くてかわいいギュンホだ。いつもは今時の若者らしい口調で、自分の父親くらい歳の離れたパクをおじさん扱いする声はなりを潜め、真剣そのもの、というより切迫した様子で喋りかけてくる。

 

「なんダァ、北の将軍様が砲撃でもしてきたかぁ?」

 

おどけて返事をしたところ、ギュンホの雷が落ちた。同時に再度防空サイレンが鳴り、ジェット機の爆音が鼓膜を叩いた。

 

フロントガラス越しに、韓国空軍のF15Kが5機編隊で迫ってきた。続けて、在韓米軍のF15Eも同様の編隊飛行で向かってくる。

 

以前軍にいた頃、しょっちゅう目にした光景ではあったが、様子がおかしい。

 

周りの車も減速、中には路肩に停車する車両もあった。防空サイレンは訓練でなく本当に鳴っているのかと思ったとき、前から2列目に座るカップルの男性がスマホを持ったまま運転席に近づいた。

 

走行中は座っててくれ、と注意するパクを遮るように、若い男は「運転手さん、ソウルが、ソウルが壊滅したらしい」と言った。

 

何を言っているのかと振り返ると、他の乗客も色めき立っていた。状況が呑み込めない外国人たちは何があったのかと周囲に訊いている。

 

パクはバスを右手に寄せ、停車させた。他の車も続々と停車し、皆どこかへ電話をしたり、深刻そうにスマホに目を落としている。

 

運転席のモニターをテレビに切り替えた。KBSのアナウンサーが口泡を飛ばしながらしゃべっている。

 

『ご覧いただいているのは、現在のソウル市の様子です!江南地区を中心に大変な被害です!これを受けユ大統領は我が国全土に非常事態を宣言、中国に出現し北朝鮮より飛来した怪獣と思われる飛翔体に対し、全力をもって撃滅せよと命じました。現在、ソウルより南下し仁川へ達したと思われる飛翔体に、空軍機が・・・・』

 

背筋が凍る思いをしながら、パクは自分のスマホを確認した。同僚、妻、娘からの着信で埋まっていた。

 

空で爆音が響いた。3機編成のF15Kが2個編隊、仁川市街地へ向かっていくのだ。うっすらと白い雲が膜のように伸びる空に、赤と黒い丸が浮かんだ。続いて、打ち上げ花火のような腹に振動を与えてくる音。

 

鉄の塊がひしゃげ曲がるような音がした。全身が痒くなるような強烈な音だ。仁川市街地上空から、何かが向かってきた。明らかに戦闘機より大きい。そして、先ほどの鋭く不快な音を立てながら、パクたちがいる橋の上に羽ばたきながら停止した。

 

巨大な昆虫だった。尻尾のように伸びる胴体の先に、鋭く光る針のような尾。そして前脚は鋏のようになっており、大きな紫色の目は迫り来る戦闘機隊に向けられ、口元が嗤うように歪んだ。

 

見る間に戦闘機が発射したサイドワインダーが幾筋か巨大昆虫に走り抜け、一気に爆炎が空を包む。今度は音だけでなく、衝撃波がバスを揺らした。悲鳴をあげる乗客たちがバスの入り口に殺到し、パクも運転席から飛び降りる。だがここは橋の上だ。どこにも逃げ場がない。

 

第二陣の攻撃が行われ、巨大昆虫に命中した。橋の上の人々は為す術なくしゃがみ、気休めに過ぎないが手で頭を覆う。混乱の中、パクは不可解なものを目撃した。

 

サイドワインダーは間違いなく巨大昆虫に命中したはずなのだが、爆炎を尻目に、巨大昆虫は突き出た岬の上空にいた。

 

目をこする間、次の攻撃が命中する。だが今度は、橋を挟んで反対方向の海上にいるのだ。まるで、瞬間移動でもするかのように。

 

大きく啼いた巨大昆虫は、先ほどから攻撃を加えてくる敵に接近すると、上空に鎮座した。残像が残るほど素早く羽を動かしている。すると空気に波のような筋が見えた。

 

空気の波に巻き込まれたF15は一気に粉砕され、地上にある高層アパートメントが崩れた。ほぼ一瞬にして建物全体に亀裂が入り、みじん切りされたようにコンクリート造りの団地群が崩壊していく。

 

灰色と茶色の粉塵が舞い上がり、なおも発せられる空気の波動は海面を激しく泡立たせた。その状態のまま、半島と空港を繋ぐ橋の上空に達した。立っていられないほど橋は大きく揺れ、パクと乗客たちは必死にアスファルトにへばりついた。進行方向先に伸びる橋梁は粉々に砕かれ、揺さぶられた車両や人が海へ落下していった。

 

下降する波動は橋の先にある仁川国際空港にも広がり、ガラス張りの第1ターミナルが吹き飛んでしまった。追撃する戦闘機隊を嘲笑うかのように大きく吼えた巨大昆虫は、一気に上空へ羽ばたくとより南を目指して飛んで行った。

 

舞い上げられたガラスやコンクリート片が降ってくるのが収まり、パクは顔を上げた。昆虫が上空を通過しただけで、これから進もうとした橋梁、そして目的地である空港がミンチになっていた。呆然としつつも、空港事務所のギュンホらが無事であることを祈った。

 

 

 

 

 

 

・同日 10:58 東京都千代田区永田町2丁目 首相官邸地下1階 官邸危機管理センター

 

 

中国吉林省に出現した昆虫型の怪獣が北朝鮮を蹂躙後、韓国へ飛来したことを受け、瀬戸を始めとする閣僚は5階の総理大臣執務室から地下1階にある危機管理センターへと移動した。

 

既に外務省から高田アジア大洋州局長、防衛省からは蓮城防衛審議官、そして森本統合幕僚長が待ち構えていた。この布陣から、瀬戸はこの場で何をすべきなのか悟った。

 

「現在、ソウル市は広範囲に渡り建造物倒壊が確認され、市内交通網に著しい混乱を来しているとのことです。また詳細は不明ながら、中国国境沿いを中心に北朝鮮でも被害が出た模様です。我が国の在韓大使館には、韓国在住・在留の邦人保護に全力を尽くすよう、指示を出しました」

 

氷堂外務大臣がメモを読み上げた。

 

「カナダに居る京都大学の尾形教授によれば、被害をもたらした昆虫型の怪獣は古代に繁殖した昆虫と類似しており、仮の学名であるメガニューラに基づき、メガギラスと呼称することを提案しております」

 

待ちきれんとばかりに、岡本文科大臣が口を開く。さらに発言の機会をうかがっていた高橋が挙手した。

 

「韓国国防省からの情報です。10分前韓国空軍、並びに在韓米軍の航空隊による誘導弾攻撃が仁川市上空にて敢行されました。効果は認められず、また対象は・・・仮称、メガギラスですか・・・戦闘機の機動性を大幅に上回る能力を有する上、飛行に伴う衝撃波のような空気振動で攻撃機を撃墜しました。副次的被害として、仁川国際空港が機能を著しく損失したとの報告です」

 

高橋はじっと、瀬戸を見据えた。瀬戸は報告を聴くことに神経を費やすべく、目を瞑っている。

 

「新たな情報です。メガギラスは仁川市から京畿道水原市に達しました。韓国空軍、在韓米軍による攻撃が続けられています」

 

「すなわち、南下しているということですなあ」

 

望月が口を出した。

 

「また九州南西海域に出現した巨大生物ですが、潜水部隊、及び対潜哨戒機による威嚇に反応するかの如く、行動を開始しました。現況では、これ以上の作戦展開は実施不可能です」

 

畳み掛けるように告げる高橋。言外に、為すべきことを瀬戸に伝えるような口調だった。

 

「総理、自衛隊は九州南西、並びに日本海上においての作戦展開は同時並行可能です」

 

トドメの言葉を放った。今すぐにでも発令してもらいたいのは山々だが、慎重の上にも慎重を期すのが総理大臣の役割だ。

 

「総理」

 

望月はじっと、瀬戸に顔を向けた。

 

「・・・九州、及び朝鮮半島より迫る怪獣に対し、防衛出動を命じることとする」

 

意を決して目を開いた瀬戸は、重々しくも大きな声を発した。全閣僚が頷き、危機管理センターに雷撃のような緊張が走った。

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 36ー

・7月12日 11:12  鹿児島県奄美大島名音

 

 

ミラとリラの姉妹は、険しい顔をしたまま手のひらを岩に当て、押し黙っていた。繭の中に眠る怪獣モスラと交信しているのだろうか。

 

一度上がった雨もまたぽつぽつと降り始め、亜熱帯の山々にもやがかかりつつあった。視界が悪くなる中、どんな怪獣か知らないが現れた場合のことを考えると、檜山は気が気でなくなってきた。

 

「なあ、いい加減声をかけてみるか」

 

そう訊くが、緑川はかぶりを振る。

 

「きっと、大事なことを通じ合っているんだと思うの。そっとしておいてあげよう」

 

「しかしだな」

 

そのとき、次第に粒が大きくなる雨音に混じり、車のエンジン音が聞こえた。深緑のジープが停車し、作業着姿の男性が2人、降りてきた。

 

「あのー営林署の者ですがね、どうかしましたか?」

 

助手席から降りてきた年配の男性が訊いてきた。だいぶ意識してるようだが、言葉尻にかなり訛りが混ざっている。

 

「ああと、東京から来たんですが」

 

どう説明して良いかわからないまま、檜山は答えた。営林署の2人は顔こそ穏やかだが、訝しげな視線を寄越してくる。

 

「癒し岩観光ですか?来てもらって嬉しいが、この雨です。ほどほどにしてもらいたいんですけどねえ」

 

運転していた若い方の男性が、笑顔の中に迷惑さも滲ませて言う。

 

「「檜山さん、緑川さん」」

 

背後から声をかけられた。ミラとリラが岩から離れ、近くまで来ていた。

 

「2人とも、モスラと話していたのね?」

 

緑川が訊くと、2人は頷いた。後ろでは営林署の職員が目を潜めている。この雨の中、若い娘が傘も差さず何をしているのか、そう訊きたい顔をしていた。

 

「「そうです」」

 

2人は答えると、リラが話し出した。

 

「メガニューラが目覚めました。しかも、かつてよりはるかに大きな身体になって」

 

続けて、ミラが言う。

 

「1体だけですが、モスラによればより危険な存在になったそうです。そして、たとえダガーラを止めても、キングギドラの復活は免れそうにない、とも言いました」

 

キングギドラ、彼女たちの話によれば、去年東海地方を滅ぼし、ゴジラと相打ちのように海へ消えたあの大怪獣のことのようだ。

 

「ダガーラ、メガニューラに加えて、キングギドラまで現れてしまえば、たとえ完全に力を蓄えたモスラとバトラでもすべてを止められるかどうか、わかりません」

 

リラはいまにも泣き出しそうに項垂れた。そんなリラを励ますように、ミラは肩に手を置いた。

 

「それでも、モスラは戦うそうです。勝てそうにないのならやめて、私たちはそう言いました。でも、モスラはあきらめない、身体が滅ぶまで戦う。そう言っています」

 

ミラは顔を上げたリラの目から流れる涙を指でぬぐった。

 

「「モスラが目覚めます」」

 

すると2人は岩に近寄り、再び手を当てた。また、先ほどの優しい波動と、金銀輝く大きな粉が舞い始めた。

 

営林署の2人は驚いて後ずさったが、動きを止めた。次第に恐怖が消え去っていくのだ。

 

「また、歌が聴こえる」

 

緑川がつぶやいた。

 

「モスラヤ モスラ ドンガンカサクヤ インドゥンム」

 

意味がわからないが、聴こえたままを口ずさむ。すると営林署の2人が顔色を変えた。

 

「ちょっと、さっきからモスラって聞こえますが」

 

「ああ。モスラって、知ってるんですか?」

 

檜山が訊くと、2人は大きく何度も頷いた。

 

「この島に古くから伝わる民謡にねえ、モスラって言葉が出てくるんですよ。意味はよくわからないのだが、平和と希望を与えてくれる神様だって、じいさんが話してくれたことがあって」

 

「オレも、ばあちゃんから聞いたことあります。こないだの地区の祭りでも、いまじゃすっかりわからない歌詞を唄ってみんなで踊るんだけど、やっぱりモスラって言葉があったな」

 

檜山は感心したように聞いていると、「見て」と、緑川が空を指さした。

 

厚い灰色の雲が、岩の上空だけ晴れ出し、黄金の日差しが降り注いできた。強い日差しのはずなのに不思議とまぶしさは感じない。

 

金銀の粉がたくさん舞ってきた。ミラとリラの顔は安らかなまま、心なしか身体が淡く輝いているようにも見える。

 

ふわあっとした光が差してきた。空からではなく、岩から発せられている。岩のてっぺんが割れた。

 

半透明に透き通った大きな羽が頭上を覆った。やがて透き通った羽根は色彩を増していき、極彩色の鮮やかな羽根になった。

 

聞いたことのない啼き声がした。甲高く、それでいて優しく、やがて声の主が顔を覗かせた。大きな青い目、そして羽毛に覆われたようなふわふわした巨大な身体が岩から現れると、ひときわ大きく啼いた。

 

「「モスラ」」

 

ミラとリラは満面の笑顔でひざまづいた。完全に姿を現したモスラは触覚をふわふわさせ、2人の祈りに応えるかのようなしぐさを見せた。

 

檜山と緑川はもちろん、営林署の職員も目の前に巨大な怪獣が現れたというのに、少しの恐怖も感じなかった。むしろ、自然と笑顔すら浮かんでくるのだ。

 

周囲一帯が完全に晴れ上がり、モスラの頭上に虹がかかった。羽根をなびかせると、ゆっくりと浮き上がるように岩から飛び上がった。

 

羽根の動きによって周囲に強い風が巻き起こったが、それすらも心地よさを感じる。大きく羽根を羽ばたかせると、キラキラと輝く粉を舞い散らせながら北の方角を目指して動き始めた。

 

檜山は呆然と、一連の様子を眺めていた。あんな怪獣もいるのか、と妙に感心したところ、ふんわりとした淡い光の余韻が消え去りそうで、雑感を持ちたくなかった。

 

祈りを終えたミラとリラが寄ってきた。勝てないかもしれないけれど、戦いに向かったモスラの如く、険しくも凛々しい表情だった。

 

「モスラはどこへ向かっているの?」

 

緑川が訊いた。

 

「まずは、ダガーラを倒すそうです」

 

リラが答えた。

 

「ダガーラは、バトラだけでは勝てそうにない、自分の助けが必要だと、話してました」

 

ミラも言った。

 

檜山はスマホを開いた。ちょうどYahoo!ニュースに最新記事が上がり、モンタナ州に落下したダガーラとバトラが再び飛び上がり、サウスダゴダ州に達したため、アメリカ中東部の空軍機が迎撃に発進、中西部で食い止めるべく波状攻撃を仕掛けること、もう一体のバランと呼ばれるムササビ型の怪獣はダガーラの発するガスを浴びてワイオミング州に墜落したが、こちらも2匹の後を追うように飛び上がったと書いてある。

 

「じゃあ、メガニューラだったか?そっちはどうするんだ?」

 

その下には、瀬戸総理大臣が防衛出動を発令したこと、日本海に迫るメガニューラ・・・この頃にはメガギラスと政府が呼称し始めていた・・・に対し、航空自衛隊の対空高射砲隊、そして海上自衛隊舞鶴基地所属のイージス艦みょうこう、あたごによる艦対空誘導弾を用いた同時多重攻撃が準備されている、という記事もあった。

 

「現時点では、ダガーラの方が脅威だということと・・・」

 

リラが説明の途中で言い淀んだ。

 

「バトラを助けるのが目的、なのですが・・・」

 

ミラも同様だった。これまではっきりとした口調だった2人だったが、様子がおかしい。

 

「メガニューラは、バトラと合流してダガーラを退治してからでも大丈夫、というワケなのか?」

 

檜山が訊くと、2人は肯定とも否定ともつかぬ表情を浮かべた。

 

「実は、モスラもはっきりとわからないそうなのですが」

 

リラが口を開いた。

 

「ダガーラでもメガニューラでもない、別の脅威を感じる、そう話したんです」

 

ミラが続いた。

 

「別の脅威?」

 

オウム返しに檜山が訊いた。

 

「そうです。そして脅威となるその存在は、避けられないキングギドラの復活に関係があるようだ、とも話し、いずれ、これとも戦うことになる、とも・・・」

 

檜山は緑川の顔を見た。何だかわからないが、緑川も不安そうに檜山に目を合わせる。

 

「とにかく、これからどうする?モスラは目覚めたんだが」

 

そう言うと、ミラとリラは昨日フェリーに乗る前にしたような、懇願する視線を檜山と緑川に向けてきた。

 

「「また、お2人に力を貸してほしいのです」」

 

「お、おう。だが、どんなことだ?」

 

檜山が訊いた。ミラは檜山のスマホを指さした。

 

「これが、どうかしたか?」

 

「昨日、病院で見せてくれたように、大陸の地形を見たいのです」

 

なんだそんなことか、と、檜山はグーグルアースを起動させた。

 

「モスラは、こうも言いました。モスラはバトラと共に、キングギドラと激しい戦いに身を投じることになるでしょう、そして、脅威的な力を持つ何かがやってきて、邂逅を果たす地にて待っていてほしい、と」

 

リラが言った。檜山は適当にグーグルマップをいじくると、ミラが「この辺りのようです」と指を差した。

 

「ここって・・・」

 

緑川がつぶやいた。

 

「東京、なのか?」

 

ミラはまさしく、東京、広くいえば南関東に指を置いていた。

 

「ここへ向かって、戦いが始まったとき、祈りを捧げてほしい、モスラの言葉です」

 

檜山は緑川と顔を見合わせた。モスラの言葉通りだとすれば、あの黄金の怪獣キングギドラが復活し、モスラ・バトラと首都圏で争い始める、ということになる。檜山は脂汗が浮かび、緑川は動悸が激しくなるのがわかった。

 

「しかし、だ。モスラのいう、脅威的な力を持つ何か、とは何だ?」

 

檜山が訊くと、ミラとリラは視線を合わせ、首を横に振った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 37ー

・7月12日 11:40 鹿児島県鹿児島市平川町 鹿児島日赤病院

 

「万理華、優里、しっかり!」

 

壁にもたれ項垂れる2人を、玲香は必死に励ました。だが万理華は虚ろな目をたたえたまま下を向き、優里は頭を抱え、声を上げることなく泣きじゃくっている。

 

夜明け頃から、病院に駆け込む患者が急に増えた。市域すべて停電したことに加え、降り続ける火山灰によって足元がおぼつかない中の避難を躊躇っていた人々だろう。いずれも病院から近いところに住む人々だったが、陽が昇ったことで病院へと足を向けてきたのだ。

 

また、市街地からここまで歩いて避難、あるいは藁にもすがる思いで、自家発電により灯りがともるこの病院を目指す人も多かった。

 

火山活動そのものは落ち着いてきたが、市街地南部にあるこの地区でも降り積もった火山灰は40センチにも達した。雪と違って溶けることも、増してや水で流れることもなく、非常事態にも関わらず身動きが取れぬ状況だった。

 

中には、山から降りてきた怪獣にやられたという人もおり、一様に重度の熱傷、骨折や捻挫といった怪我を負っていた。

 

病院目指して歩ける人でこの症状であるならば、歩けない人、深く積もった火山灰で動けぬ人たちがどうなるか、誰もが考えたくもなかった。

 

懸命に治療に当たる医師、看護師にも重い疲労の色が浮かんでいた。とりわけ万理華、優里、玲香の3人は疲労もあるが、救急医療を主目的とする赤十字病院の勤務内容についていくだけで精一杯だった。その上、やってきた患者の症状から治療の優先順位を咄嗟に判断し、場合によってはトリアージ、すなわち救命の見込みなしとされた患者に黒いタグをつける作業は救急病棟にでも勤めていない限り目にすることはなく、心の痛む決断を強いられる状況で精神が崩れていくのも無理はなかった。

 

陽が昇ってから3人は両親とはぐれたと訴える小学生の兄妹の治療に当たったが、火山灰によって傷つけられた角膜は回復の見込みがなく、兄妹揃って失明が免れない。院内を飛び回る眼科医の診断を聞いた万理華と優里は、とうとう心が折れてしまったのだ。

 

懸命に2人を励ます玲香も、励ますことすら放棄して病院を飛び出したい気分だった。看護師になる際、戴帽式で誓った献身の誓いも、この惨状を前にしては空虚で無力なものに過ぎなかった。

 

顔を上げない仲間2人を前にして、玲香も涙を滲ませたときだった。失明を宣告された兄妹の兄が玲香の裾をひっぱった。

 

「愛花がトイレいきたいって・・・」

 

両目に巻かれた包帯には、うっすらと血が滲んでいる。すべてを投げ出したい衝動を必死に押し殺し、玲香は壁に佇む妹に声をかけた。

 

「一緒いこ、おトイレ」

 

努めて明るい声を出すが、兄よりも包帯に付着する血液が多いうえ、涙の筋にも血が混じっている。早晩、視力を失うであろうことは、玲香にも理解できた。

 

「あんちゃん、目痛い」

 

近くに兄がいると思っているのだろう、弱々しい声は嗚咽混じりだ。どうすることもできず、兄の方も泣き出した。

 

「さあ、行こ・・・」

 

言いかけた玲香は、ふいに涙が止まらなくなった。このまま病院を飛び出し、大声で泣きたかった。兄妹はたとえ見えなくても、涙だけは流さないと決めた玲香の決意も、とうとう崩れ去ってしまった。

 

小規模な噴火が続くのだろう、大地が揺れ、院内でざわめき声が上がる。不安そうに天井や割れたガラス窓の向こうに見える桜島を見つめる人々、沈みきったようにうつむく人。

 

「おい、あれは何だ?」

 

玄関近くで声がしたが、玲香はそれすら気にならなかった。無力感と絶望感に涙が抑えられず、その場にしゃがみ込んでしまった。

 

院内が騒がしくなった。誰もが噴煙立ち込める灰色の空へ視線を向け出した。

 

「怪獣だ」「蝶の怪獣」

 

何人かが怪獣という単語を口にする。玲香は顔を上げた。ちょうど病院の真上に、極彩色の羽が拡がっていた。ふわふわと揺れる触角と体毛、そして全体を包むように金色の鱗粉をまとっていた。

 

怪獣という単語にたじろいたが、姿を見た人々は悲鳴をあげることはなかった。

 

「あったかい・・・」

 

手を繋ぐ妹が呟いた。

 

「怪獣、出たの?」

 

兄が訊いてきた。不思議なことに院内では誰一人怖がる様子もなく、中には姿を拝んで晴れやかな顔をする人すらいる。

 

何故だかわからないが、玲香の心にも暖かい灯火がついたような気がした。

 

「怪獣?」

 

見えない分、恐怖もあるのだろう、全身をすくめる妹の手を、兄が握った。

 

「大丈夫、あんちゃんが守る」

 

静かな、しかし強い口調だった。

 

「看護師のお姉さん、愛花のことは僕守る」

 

玲香は全身に電撃が走ったような感覚になった。

 

「大丈夫、お兄ちゃんも妹ちゃんも、守るから」

 

考えるより早く、言葉が口に出た。

 

ふわあ、っとした風が院内に流れた。蝶のような怪獣は羽を上下させ、対岸の大隅半島へ飛び去った。

 

「「玲香」」

 

万理華と優里が声をかけてきた。

 

「さっきはごめん。あたしも頑張る」

 

「あたしも。なんか、急に元気でてきた」

 

2人とも先ほどまでとは打って変わり、看護師の顔に戻っていた。

 

院内もにわかに活気が出てきた。廊下に溢れる患者は皆顔を上げ、疲労困憊だった医師や看護師たちも動きに張りが戻ってきていた。

 

何とも言えない不思議な気分だった。まるであの怪獣に温かく励まされたような、そんな気がするのだ。

 

「ようし、この子たちトイレ連れてったら、血圧測定手伝おう。あたしたちもできることやろう!」

 

玲香は自分に言い聞かせるように言った。万理華と優里は力強く頷き、腕まくりをした。

 

 

 

 

 

 

・同時刻 東京都千代田区永田町2丁目 首相官邸地下1階

 

 

「攻撃はするな、だと?」

 

絶え間のない官僚からの説明に合間を作り、気になって仕方がない相手に佐間野は電話をかけていた。

 

『ああ。モスラは味方らしいんだ。いまから北米へ向かい、ダガーラと戦うらしい』

 

檜山が答えた。奄美大島から新たに出現し鹿児島市に達した怪獣に対し、築城基地のF15Jがスクランブル発進したと、たったいま報告されたところだった。

 

「そうは言うが、相手は怪獣なのだろう。いま防衛出動の範囲を拡大して、そのモスラなる怪獣への攻撃を検討する準備に入ってるんだぞ」

 

『だから・・・いやまあ、無理もないよな。ただ、モスラを止めることはできないと話しているぞ』

 

檜山、そして予言者となっている双子の姉妹にも詳しく話を聞きたいところではあったが、こんなときに危機管理センターを抜け出す国交大臣に、官邸職員と国交省の役人が恨めしげな視線を浴びせてくる。

 

『佐間野、それと、たしか今年の通常国会で、再度怪獣が国土上陸した場合の避難に関する法律が可決してたよな?』

 

「ああ。有事にはJR、私鉄各線を徴用して対象区域の住人を避難させるやつだろう。うちの役所の負担が大きくて困る」

 

『その法律の適用条件をよく確認してほしい。例の2人、物騒な予言をしたものでな』

 

「何だ、それは?」

 

『東京、あるいは首都圏が戦場になる、モスラがそう予言したらしい。もし的中した場合を考慮すると・・・』

 

「おいふざけるな。首都圏全人口を避難させろと言うのか?その予言を根拠に」

 

『検討ぐらいはしておいてほしい』

 

タイムリミットだった。電話を切った佐間野は「簡単に話してくれるものだ」とつぶやいた。

 

危機管理センターに入ると、総理レクの間を利用してほぼすべての閣僚が官僚たちとの打ち合わせをしていた。国交省にさきほどの話をすることはできないが、首都圏全域の避難運用の場合のシュミレーションくらいはできるだろうか。だが根拠となる情報がない以上、大臣の気まぐれになってしまう。通常ならともかく、この騒ぎの中では困難だった。

 

「奄美大島より飛び立った怪獣は現在、室戸岬沖を和歌山方面へマッハ3で飛行中。潮岬上空にて広域警戒中のE767より映像、きます」

 

危機管理センターのモニターに、蛾とも蝶とも思える怪獣が映し出された。おお、という感嘆の声が、あちこちから漏れた。

 

「きれい・・・」

 

隣の北島が思わず口にし、周囲の視線に気づいて口を手で覆った。

 

だがこの巨体は威圧感も恐怖感も感じさせなかった。北島の言葉通り、本当に美しいのだ。檜山の言うように、人類に友好的な怪獣だとも思えてしまう。

 

「スクランブル発進した築城のF15、目標をロストしました。レーダーに反映されません」

 

「百里よりF35上がりました」

 

「在韓米軍より報告、朝鮮半島を南下するメガギラス、日本の排他的空域に侵入確実。作戦通りイージスシステムによる米軍・韓国軍との同時多重攻撃に移ります」

 

続々と報告が挙げられる中、佐間野は国交省の審議官に「首都圏に怪獣が出現した場合の詳細な避難シミュレーション」を要求した。もし今後も檜山の言う通りになった場合、そのシミュレーションが役に立つかもしれない。

 

 

 

 

 



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ーChapter 38ー

・7月12日 12:04 種子島沖南東75キロ海底 日本列島大陸棚付近

海上自衛隊第一潜水群第五潜水隊そうりゅう型潜水艦「はくりゅう」

 

 

「電波を発した、だと?」

 

新島から報告を受けた榎並は、オウム返しに訊いた。

 

「は。40分ほど前から、目標より解析不能の電波が発せられています。同時に、他方から目標へ向けて、やはり解析不能の電波が発せられているのをキャッチしました」

 

「40分前・・・奄美大島に蝶のような怪獣が出現した時刻と一致するが、もしや、目標は彼の怪獣と交信している、とでもいうことだろうか」

 

自分でも飛躍し過ぎな発想だとは思ったが、榎並は口にしてみた。

 

「実は、私も同じことを想像していました」

 

新島ばかりでなく、CICに集った隊員全員がそう考えているようだった。

 

「目標がゴジラだとして、彼にそんな能力があったとは・・・」

 

榎並が顎の髭に手を置いたとき、ソナー担当が声を発した。

 

「目標の詳細な探知ができました。体長は113メートル、前と後ろに脚、というか・・・手足のようなものが確認できます」

 

「こちらのソナーに反応したようです。目標、移動を開始。速度を上げて黒潮に乗るように距離を置きつつあります」

 

榎並は海図を見た。新島も覗き込んだ。

 

「彼の動きは、このように黒潮に沿って動くと考えられます」

 

新島が黒潮の流れを指でなぞった。

 

「そして、市ヶ谷が指示する交戦地点は、ここだな」

 

防衛出動が発令されて以降、日本近海を動き回る対象を駆逐するべく、防衛省では潜水艦、護衛艦、対潜哨戒機を駆使した多重攻撃作戦を立案していた。いくつかの候補がある中、哨戒機、護衛艦の運用を考慮した場合の会敵地点のうち、有力な場所として志摩半島沖合80キロ地点と定められた。

 

「相手の方から向かうことになるな」

 

「はい。現在のところ、彼にもっとも近い艦船は、当艦です」

 

「よし、呉の潜水隊司令に連絡。当艦はこれより対象の追い込みにかかる」

 

新島は頷くと、通信司令担当に矢継ぎ早に指示し始めた。

 

榎並は艦長席に立つと、操舵手に命じた。

 

「両舷前進、最大戦速ヨーソロー!」

 

 

 

 

 

 

・同時刻 東京都千代田区永田町2丁目 首相官邸地下1階危機管理センター

 

 

メガギラスが日本の領海上空に達したとの報告がもたらされたため、海上自衛隊舞鶴基地所属のこんごう型護衛艦「みょうこう」、そしてあたご型護衛艦「あたご」、また滋賀県にある航空自衛隊饗庭野分屯基地に配備された第4高射群のPAC3による多重迎撃が実行されるに至った。

 

高橋より瀬戸に実行の容認を確認され、瀬戸は実行を下命した。高橋の命によりただちに攻撃準備が行われ、日本海上空を警戒中のE767早期警戒管制機からの情報如何で発射されることとなった。

 

「総理、舞鶴の護衛艦隊、並びに滋賀の高射隊共に攻撃準備を整えております」

 

高橋が報告すると、瀬戸は頷き、高橋に視線を送った。

 

「米軍と韓国軍は?用意はどうなっている?」

 

「在韓米軍においては、韓国水原の防空部隊。また釜山にて、韓国海軍のイージス艦世宗大王が同様に準備を終えています。我が国からの攻撃が行われ次第、連動して目標に対空誘導弾が発射されます」

 

高橋が説明すると、脇に座る柳が鼻を鳴らした。

 

「日本の領土に侵入してからの攻撃とは、対応が遅すぎるんではないか?韓国にいる間に発射してしまうのが危機回避ではないのかね、防衛大臣?」

 

傍らに控える防衛審議官の村田が思わず顔をしかめた。高橋は視線を向けて村田を牽制しつつ、無知な大臣を向いた。

 

「無論、技術的には攻撃対象が我が国の領域外にいても攻撃できる能力を、自衛隊は保有しております。ですが我が国の防衛はあくまでも専守防衛です。敵方が我が国へ侵入して初めて攻撃が可能となることを失念されては参りますな」

 

最後には語尾に力が入った。柳は険しく目を瞑ると、腕組みをして大きく息をついた。

 

「戦闘機のミサイルが通じなかったと聞いてますけど、イージス艦とPAC3で充分に対抗できるのですか?」

 

北島が訊いてきた。

 

「本作戦は同様のシステムを共有する我が国の自衛隊、そして米軍、韓国軍による同時多発攻撃です。数を以て対抗できますし、よしんば回避、あるいは効果が薄かったとしても、ただちに同様の攻撃が二重にも三重にも加わります。全弾命中した場合の効果は確実にあると考えられます」

 

高橋の説明に北島は頷きこそしたものの、まだどこか訝し気だった。無理もない、昨年浜名湖における作戦では、自衛隊が保有するあらゆる兵器はゴジラと黄金の怪獣にはまったく効果が認められなかったからだ。

 

だがあのときはイージスシステムを含めた同時多重攻撃を敢行する作戦が立てられなかったという事情もある。片や放射能を含んだ白熱光、片や高電力の光線を吐き散らしながら争うような状況では、自衛隊の保有する兵器の運用が満足に行えなかったこともたしかなのだ。

 

だからこそ、当時の苦い実績を踏まえ、今回対怪獣戦闘としては初めてイージスシステムを駆使した火力重視による怪獣撃滅作戦の運用が可能となった。陸海空自衛隊、そして防衛省としてはこれまでの雪辱戦となる。増して、今回は米軍と韓国軍との合同作戦である。昨年とはもちろん、かつてのゴジラ東京出現時、ゴジラとアンギラスの大阪決戦時とは事情が大いに異なる。

 

村田が緊迫した表情でメモを渡してきた。高橋はそれを受け取ると、スッと瀬戸と望月を含む全閣僚を見据えた。

 

「能登半島沖の早期警戒機より、攻撃命令の要請がありました」

 

高橋の言葉で瀬戸は口をつむぎ、望月は目を閉じた。何人かの閣僚は思わず背筋を伸ばした。

 

「攻撃を許可する。確実に当ててほしい」

 

唾を呑み込むと、瀬戸は言った。高橋は大きく頷き、同様の命令を下した。

 

 

 

 

 

 

・同時刻 石川県能登半島上空 航空自衛隊早期警戒管制機E767

 

 

「総理の指令を確認、舞鶴の艦隊司令、及び中部防空司令より発射命令が発令」

 

通信担当の隊員が読み上げ、観測手は日本全体の地図が電子的に表示されたモニター

を注視した。京都の舞鶴、そして滋賀県の高島市から幾筋か赤色の線が伸び、隠岐の島北西63キロ地点上空をマッハ1で飛行する緑色の点に向かいつつある。モニターには新たに別な地点から赤い線が伸びてきた。

 

「釜山、水原からも誘導弾発射を確認。着弾まで20セカンド」

 

発射された誘導弾は日本から7発、韓国から10発の計17発だった。もしもメガギラスにこれら誘導弾群が通用しなかった、あるいは回避された場合でも、ただちに第二波、第三波の攻撃を仕掛けることができる。モニター上の赤い線はみるみるメガギラスに接近していく。

 

モニター上の緑色の点が赤く広がる円に呑み込まれた。

 

「目標に着弾を確認。目標健在!」

 

驚くべきことに、これほどの多重攻撃を浴びせられてもメガギラスは空に存在していた。仮に回避されたとしても、容易には逃れられないほどの波状攻撃のはずだ。

 

「目標、速力低下!マッハ0.3!高度も低下しています!」

 

E767の報告を受けた舞鶴と滋賀の司令は、すぐさま第二波攻撃を命じた。舞鶴から4発、滋賀から3発が西へ向けて伸びていく。いまのメガギラスは明らかに誘導弾より遅い。

 

韓国からも、計10発の誘導弾がメガギラスを捉えた。

 

「第二波、目標に接近。着弾まで12セカンド」

 

メガギラスは隠岐の島に接近していた。幸いにも海上のため、落下した場合の被害は想定し難い。

 

「目標に着弾を確認」

 

再び赤い円が広がった。そこから飛び出してくる緑色の点は確認できなかった。

 

「目標、飛行を確認できず」

 

偵察及び効果確認のため、ただちに山陰地方を飛行中の岐阜基地所属F4支援戦闘機が2機、偵察に向かった。

 

「隠岐の島沖の偵察隊、隠岐の島沖海上に目標の体液と思われる液体を確認。目標、海へ落下した模様」

 

その様子は偵察隊に撮影され、すぐさまE767から防衛省へ転送された。舞鶴からは護衛艦あさぎり、せとぎりが現場海域に派遣され、海中の探索・警戒に当たることとなった。

 

 

 

 

 

 

・同日 12:37 石川県輪島市河井町

 

 

暑くて動けそうにないから迎えに来い、仕事中にも関わらず老齢の母に呼び出された窪山は昼休みを利用して輪島朝市へと車を走らせた。

 

たいていの職場の例に漏れず、窪山が勤める介護施設も昼休みは一時間と決められているが、良い意味で田舎の緩さがあった。雨の日も雪の日も、早朝から地元名物の輪島朝市で元気に声を張り上げる窪山の母は地元でも有名人であり、施設長から「親孝行してあげなさい」と言われたので、多少の後ろめたさはありつつも職場を離脱した。

 

今日はフェーン現象とやらで朝からうだるように蒸し暑く、出掛けに母に「この暑さだから無理するな」と釘を刺したが、「お客が待ってるから」と聞く耳を持たなかった。言わんこっちゃないの一言でも浴びせてやりたい気分だったが、当人は朝市に出ることが生き甲斐なのだ。

 

県道の路肩に車を停車させ、朝市が行われている本町通りを歩く。暑さのせいもあるが、一昨日富山県に現れたフナムシの化け物騒ぎのせいで、能登半島を訪れる観光客が極端に減ったこともあり、いつもの賑わいは影を潜めていた。

 

まったく、能登半島には現れていないし、とんだ風評被害だ、などと思いつつ、ポツポツと店仕舞いしていないテントを見て歩く。

 

「ここやここや」

 

ちょうどテントを仕舞った母の頼江が元気に手を上げた。

 

「そんなに元気なら、迎え呼ぶことなっとないやろ」

 

「せーもむな」

 

仕方がないとばかりに、窪山はテントと売れ残った野菜を車まで運び、母のために助手席を開けた。

 

「仕事あるから、早く戻るかって」

 

「おーけんで、昼飯せーかくから」

 

息子の都合などおかまいなし、ほとほとうんざりしたが、ひとまず窪山はキーを回した。そのとき、防災無線からけたまましい音が鳴った。

 

「まーそい、何ね?」

 

頼江がびっくりして訊いてきた。

 

『こちらは防災輪島市広報です。ただいま、能登半島沿岸に、津波注意報が発令されました。海岸から離れて・・・』

 

おかしい、地震などなかったはずだし、ラジオをつけてもそんなニュースはやっていない。韓国から飛来した怪獣の撃墜に成功したニュースが続報待ちでひっきりなしに繰り返されるばかりだ。

 

そのとき、通りの先を流れる河原田川が氾濫し逆流するのが見えた。通りの隙間から海を見ると、土用波ほどの大きさの波が列をなして防波堤に直撃している。

 

まさか防波堤を超えて流れ出すことはないとは思うが・・・窪山は車の向きを変え、海から離れるように進む進路を取ることにした。

 

そのとき、車が左右に激しく動いた。追いつくようにスマホの緊急地震速報が鳴り、助手席の頼江が悲鳴を上げて頭を覆った。

 

幸いにも揺れはそれ以上強くなることはなく、細かい振動がしばらく続いたが、ゆっくりと収まっていった。

 

「どうして津波の後に地震なんか起きるんだ?」

 

頼江の無事を確認すると、窪山は独り言を言った。

 

「お、な、なんねあれは!?」

 

頼江がいつも朝市で出すようなボリュームで、窓の向こうを指さした。そちらを仰ぎ見た窪山はギョッとした。

 

沖合に大きな白煙の柱が見えた。膨大な海水が蒸発して天を目指し昇っているのだ。

 

「まさか、噴火とかなのか?」

 

呆然とつぶやいた。再び足元が揺れ出した。まるで地の底を巨大な何かが這い回るような、不気味な揺れ方だった。

 

そして揺れに合わせるように、白煙が上がる範囲が広まっていく。

 

「まんで音しねえか?」

 

頼江が訊いてきた。言われてみれば、地響きとも異なる、低く重たい音がする。

 

蒸発した水煙は収まりつつあるように見えるが、いま一度、不気味な低温の響きが耳に入ってきた。まるで地の底が咆哮を上げているように思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 39ー

・7月12日 13:01 東京都千代田区永田町2丁目 首相官邸地下1階危機管理センター

 

 

「日米韓合同による誘導弾攻撃は第一波、第二波とも命中。メガギラスは隠岐の島沖合の日本海に落下しました。現在、海自と海上保安庁が落下した海域の警戒・調査に当たっております。また、メガギラスの体液とおぼしき、紫色の液体が多量に浮かんでおり、メガギラスは誘導弾攻撃により相当な損傷を負ったものと推察されます」

 

高橋はメモをチラチラ見つつ、淡々と述べながら総理以下閣僚を見渡した。昨年のカマキラス東京出現時には広域停電によって機能できず、浜名湖決戦では逐次且つ散発的な攻撃しか加えられなかった戦績を考慮すると、日米韓合同とはいえ今回のメガギラス掃討作戦は自衛隊の面目躍如とも言えた。

 

「引き続き、落下したメガギラスには注意を払うとして、九州沖を航行している巨大生物に関しては?」

 

瀬戸が訊いた。高橋は背後の村田に目をやると、すかさずメモが渡された。

 

「目下、呉基地所属の潜水隊により追跡を続行中。このまま日本海流黒潮の流れに乗り、攻撃地点として三重県志摩半島沖を想定しております。なお正確な測定の結果、対象は全身の長さが113メートル、当方の潜水艦と同程度の航行能力を備えておるものと考えられます」

 

海上自衛隊創設以来、太平洋と日本海において同時に作戦を展開することは初めてであったが、日本海側のメガギラスは掃討作戦の成功によりひとまず活動は収束したものと考えられ、目下太平洋を北上する生物への警戒・攻撃が急務といえた。

 

「太平洋の怪獣は、やはりゴジラなのでしょうか?」

 

望月が訊いた。高橋は村田を見たが、正否のはっきりしない表情だった。

 

「大きさから考えてゴジラと思われる、潜水隊からはそのような報告があります。引き続き追跡を行いつつ、観測を続行します」

 

高橋も断定を避けた玉虫色の返答をする他なかった。

 

「防衛大臣、鹿児島に出現したとされる怪獣はどうなったのかね?」

 

柳が手を上げた。この男、他者の痛いところを突いてくる。

 

「残念ながら、出現の予兆が観測されません。第一、状況証拠こそ揃っておりますが、鹿児島市の混乱もあり、怪獣が出現したという根拠すら不明瞭なままです」

 

「国交省、気象庁でも、地下を移動すると仮定して、地震計などの観測強化を行っております」

 

すかさず佐間野が助け舟を出してきた。

 

「だがなあ、地震が起きたと思ったら地中からひょっこり顔を出した、そんなことになったらどうする?すぐさま対応できるのか?」

 

柳は口をすぼめて、高橋に訊いた。

 

「現状、当方の出来うる限り観測を強化する他ないと、考えます」

 

なぜ閣議の席で、野党への答弁並に言い訳がましいことを言うのだろうか、高橋は答えながら柳を睨みつけた。

 

「鹿児島の怪獣には現状での対応として、北島さん、能登半島沖で発生した海中爆発と地震・津波による被害は?」

 

空気を換えるように望月が矛先を北島に向けた。

 

「金沢測候所によれば、震源は石川県珠洲岬沖北西15キロ、地震の規模を示すマグニチュードは4.7、石川県輪島市で最大震度4を観測しました。また石川県・福井県の日本海沿岸に高さ20センチ前後の津波が押し寄せましたが、幸い被害は確認されておりません。ただ・・・・」

 

北島は言い淀み、隣の佐間野、そして控える気象庁予報課長を見遣った。

 

「発生した津波は、震源から発生したにしては不自然な広がり方をしました。金沢測候所の報告では、震源そのものが移動をしたようだ、ということです」

 

言葉を選んで慎重に発言してくれ、閣議前に佐間野は北島に念押ししていたのだが、臆することなくそう表現した。案の定首を傾げる閣僚、思わず失笑する閣僚半々だった。

 

「また海中爆発と思われる白煙ですが、海底火山に伴う噴出物などは水蒸気以外観測されず、原因は不明とのことです」

 

場の空気を引き締めるべく、佐間野が言った。

 

「メガギラスが日本海に落下したことと、何か関係があるのでは・・・」

 

氷堂が遠慮がちに言うと、柳は鼻で笑った。

 

「あんた、隠岐の島から能登半島までけっこう距離があるじゃないか」

 

「しかしですよ、メガギラスはあれほど高速で飛行できます。海中という制約があれど、かなりの速さで泳ぐことができたと考えてはどうでしょうか」

 

そんなバカな、柳を筆頭に何人かは失笑したが、北島が手を上げた。

 

「ゴジラやガイガン、黄金龍だけでなく、これほどまで多くの怪獣が日本と世界各地に出現しています。我々の常識に当てはまるはずがないことは、我が国はとっくに実証済みではありませんか」

 

数人の閣僚が北島に険しい視線を送った。

 

「生意気な・・・」

 

ボソリとつぶやいた柳を、北島は睨み返した。

 

「まあひとまず、メガギラスに攻撃が有効だったとしても、死に至った確証もありません。引き続き、こちらへも警戒を行うとして、奄美から出現した蝶型の怪獣はいかがですか?」

 

望月がいつもの穏やかな、それでいて力のある口調で訊いた。

 

「百里基地よりスクランブル発進したF15が和歌山県沖で会敵するも、その直後姿を消しました。急にレーダーの反応もなくなったそうです」

 

高橋が答えた。一同は背筋が薄ら寒くなるのを感じた。

 

「氷堂さんのご意見を、無碍にできないと思います、私も」

 

佐間野がつぶやいた。

 

「たしかに、それまで存在していたはずの物体が急に消え去るなどと、常識の範疇では語れませんからな」

 

高橋も同調したが、佐間野を見る目は険しかった。大いに疑念を含んだ視線だった。

 

ちょうど佐間野の背後がにぎやかになった。島崎予報課長が慌ててメモを渡してきた。

 

「根室の管区海上保安署からの報告です。北海道東海岸に、流氷が流れ着いたそうです」

 

全閣僚が身を乗り出した。

 

「おい、暑さのあまり蜃気楼でも見たんじゃないのか」

 

柳の野次も、佐間野の報告にかき消された。

 

「関連して、北海道沖の海水温がこの時期として過去最低を記録。北方領土国後島では、日中の最高気温が10℃とのことです」

 

 

 

 

 

 

 

・同時刻 鹿児島県奄美大島住用町 国道58号線

 

 

「そんなことできるのか?」

 

山を下り、ようやくアスファルト舗装の国道に出たところで檜山は訊いた。

 

「はい。地球の引力圏に居る限り、モスラは地球外での活動も可能です」

 

リラが答えた。

 

「バトラとダガーラの戦いは激しさを増しています。一刻でも早くバトラを助けるため、モスラは大気圏外まで高速上昇し、衛星軌道上から降下してバトラとダガーラを目指すことにしたのです」

 

捕捉するようにミラが答える流れは、既に固定化されている。

 

つけっぱなしにしているテレビでは、米国ミネソタ州にバトラとダガーラが達し、振り落とされたバランがミネアポリスに落下、市街地に甚大な被害が出たと報じている。

 

「「とはいえ」」

 

姉妹口をそろえた。

 

「いくら元気なモスラでも、大気圏を行き来するのは大きな負担です」

 

「大気圏突破による摩擦熱に2度も耐えなくてはなりません。それだけで相当量の体力を消耗してしまいます」

 

檜山は唇を噛んだ。助手席では緑川がスマホを操作している。ミラとリラの要望に応えるべく、奄美から東京への直行便を検索しているのだ。

 

「でも、このままではバトラはダガーラに負けてしまうかもしれません」

 

「ダガーラを倒すには、モスラの力が必要なのです」

 

「力が必要、って、何か秘策でもあるのか?」

 

前方に注意を払いつつ、檜山は訊いた。再び雨足が強まり、それほど交通量の多くない国道58号線が渋滞しつつあるのだ。

 

「ダガーラを倒すには、身体から発するベーレムの霧を封じるしかないんです」

 

「それができれば、モスラはバトラと協力してダガーラに立ち向かうことができます」

 

姉妹は降りしきる雨が舞う空を仰いだ。

 

「モスラ、大丈夫かな?」

 

スマホから目を離し、緑川は訊いた。

 

「「きっと大丈夫です。ただ・・・」」

 

言い淀んだ2人に、緑川と檜山は怪訝な顔をした。

 

「私たちも、モスラが語る恐るべき波動を察知しました」

 

「何なのかわからないのですが、こんな生物が存在するなんて・・・」

 

それはいったい何だ、檜山はそう訊きたかったが、2人とも正確に理解できていない様子だった。

 

雨はより強まってきた。長過ぎる信号待ちの時間に、檜山はナビの天気予報を操作した。

 

『さきほど、鹿児島県奄美地方、そして新潟県南部地方に、大雨洪水警報が発令されました。対象地域の方は、急な大雨、川の増水、土砂崩れに厳重に警戒してください』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 40ー

・7月11日 23:57 アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ E26ストリート

※日本より14時間遅れていることに留意

 

 

『市警本部より各位、シカゴ市内全域に緊急の避難警備体制を発令。市民をただちに最寄りの建物内へ退避させること。走行中の車両はすべて停止させ・・・』

 

「簡単に言ってくれるよ」

 

同僚のアダムス巡査長のぼやきを聞きながら、シカゴ市警察第17分署のマーヴィン・スタントン巡査長はパトカーを降り、交差点で車両走行の停止を誘導し始めた。

 

「おい、なんだってんだポリ公」

 

脳味噌のほとんどがマリファナに侵されていそうな顔色の悪い白人男性が、運転席から顔を覗かせた。

 

「怪獣が飛来する可能性がある。ただちに車を捨てて屋内へ退避するんだ」

 

スタントンは毅然と言い放ったが、運転席の男はけたたましくクラクションを鳴らした。

 

「ふざけんじゃねえ、怪獣がなんだっていうんだ。空軍が掃討作戦を実施してんだろう?」

 

実際のところ、争い合う怪獣たち・・・ダガーラとバトラはミネソタ州からウィスコンシン州上空に達していた。空軍東部編成部隊がウィスコンシン州を防衛線と定め、戦闘機編隊による多重攻撃で怪獣たちの掃討を果たすべく、中西部の空を賑わせていた。

 

「いいから降りるんだ。指示に従いなさい」

 

スタントンは語調を強めた。後ろの車列からもブーイングが上がるが、男は臭い息でなおもまくし立ててきた。

 

「おいポリ野郎、こちとら仕事上がりで早いとこ家帰って一杯やりてぇんだよ!邪魔するとタダじゃおかねえぞ!だいたいな、オレも空軍にいたがあんな化け物共はミサイル目一杯尻にブチ込んでやればくたばるんだよ。いままでの連中が下手クソだから攻撃が効かねえんだ」

 

「御託はそこまでだ。車を降りろ」

 

放送禁止用語をまくし立ててやりたいのを堪え、スタントンは顔を近づけた。そこへ男は手を伸ばし、スタントンのネクタイを思い切り引っ張った。

 

「だから家に帰るっつってんだろが!」

 

そのとき、男の顔色が変わった。背後から近寄ったアダムスがグロック拳銃を男に向けたのだ。

 

「車を降りろ。公務執行妨害で逮捕する」

 

男は舌打ちすると、ドアを開けた。すかさず地面に膝立たせると、アダムスは手錠をかけた。

 

「おいスタントン、かまわねえからこんな野郎、しょっぴいてやれ」

 

「ああ、すまない」

 

アダムスは男をパトカーに連行していった。警官に逆らうとどうなるのか理解した後列の市民たちは、車を降りて近くの建物へと歩き出した。

 

スタントンは車を降りた人々を誘導しつつ、目の前にそびえるシカゴ市民総合病院に目をやった。

 

元々今日は非番だったのだが、怪獣の接近によりシカゴ都市圏に警戒体制が出されたことで、市警全警察官に出動が言い渡された。職務に忠実なスタントンが出勤しようとしたまさのそのとき、妻のシンディが産気づいた。

 

今日で妊娠9ヶ月、大きくなった妻のお腹を撫でていたところ、急に痛み出したのだ。

 

かかりつけである市民病院へと搬送されるべく救急車に乗せられる妻を見送った後、後ろ髪引かれる思いで出勤した。温情をかけられたのか、シンディが搬送された市民病院前のストリートを警備するよう言い渡されたが、正直なところ、いますぐにでも職務を放り投げて妻の元へ駆けつけたかった。

 

シンディは心臓が産まれつき弱く、出産時には相当のリスクを伴うと医師から説明があり、母子の予後を考えた場合、堕胎も選択肢に上がった。

 

だがシンディが頑なに反対した。絶対にあなたとの子を産んでみせる、そう強く語るシンディの顔は、そのころから母親になっていた。

 

僕の仕事は市民を守ることだ、君も市民の1人だ、絶対に守ってやる・・・我ながらクサイ台詞を吐いてシンディを送り出したが、苦笑いしながらもシンディは泣いていた。

 

これから自分の血を引いた子がこの世に誕生するのだ、いまこうして街にいる人々も、そうして産まれてきたのだ。たとえ犯罪者だろうと、誰一人死なせるものか・・・スタントンはそう思いながら制服を着て、街頭の警備に当たることにしたのだ。

 

さきほど連行された男のように、避難の呼びかけに悪態をつく市民もいたが、概ねスタントンたちの指示に従って屋内へと逃れる市民が多かった。やはり、午前中にバンクーバーとシアトルの惨状が報じられたことが大きかった。しかも、度重なる空軍の掃討作戦はすべて失敗に終わり、いよいよ以ってウィスコンシン州で防衛できなかった場合、東部諸州を守るためとしてホワイトハウスでは戦術核兵器の使用を本気で検討しているようだった。

 

願わくは、そんなものを使用する前に退治してほしい、中西部諸州には悪いが、怪獣たちがここまで達することがないようにしてほしい。

 

スタントンはそう願っていた。ただでさえ持病を抱えた妻に、これ以上の負担や不安を与えたくなかった。

 

ふいに、聞き慣れないサイレンが市内全域に鳴り響いた。市警のヘリが上空を飛び回り、市警本部の発する音声をそのまま流し始めた。

 

『こちらはシカゴ市警本部です。ただいま、ダガーラと黒い蛾の怪獣がウィスコンシン州の防衛網を突破し、イリノイ州への侵入が確実となりました。市民のみなさんは、ただちに最寄りの建物内へ退避してください。警察が誘導します、いますぐ、行動してください』

 

同様の内容が警察無線を通じて各所の警官へ通達された。

 

「みんな、いますぐ建物内へ!」

 

ヘリの音に負けじと、スタントンは声を張り上げた。シンディが搬送された市民病院を始めとして、周辺のオフィスビル、倉庫、アパートメントへと人々は歩き始めた。

 

轟音が上空から聞こえてきた。戦闘機が4機、隊列を崩してミシガン湖方面へと空をかすめていったのだ。続いて、低いうなり声のような音がした。

 

ビル街の真上を戦闘機よりもはるかに大きい物体が通り過ぎた。思わず視線を向けていると、火を噴いた戦闘機が回転しながらミシガン湖に落下していった。

 

非常事態とはいえそれまで歩いて退避していた市民たちは、きりもみ状態で湖面に激突する戦闘機と、真上に大きく浮かぶ巨体、そして市街地西側から紫色の雷撃を放ちながら接近する巨大な黒い蛾のような生物を見て、絶叫しながら通りを逃げ惑い始めた。

 

「みんな逃げろ、急いでー!」

 

スタントンはひときわ大きく声を上げた。ストリート上には人が溢れかえり、一気にパニック状態へと陥った。

 

夜に包まれていたシカゴ市街地が一瞬真昼のように明るくなった。蛾の怪獣が目から続けざまに紫色のレーザー光を放射したのだ。だがダウンタウン上空に居座る生物・・・テレビで幾度も連呼された、ダガーラと呼ばれる怪獣は、肩口と翼から何かを噴き出した。まるで煙のように広がる噴出物は、紫色のレーザーを包み込んだ。

 

たしか、ダガーラが発するガスは致死性のもので、殺傷力は極めて高いと耳にしていた。

 

「みんな口を覆うんだー!とにかく急げー!」

 

スタントンの怒声も、人々の絶叫や悲鳴、混乱でかき消されてしまう。

 

怪獣たちの咆哮が市街地をつんざき、続けて攻撃しようとした戦闘機隊がいくつか弾き飛ばされ、ダウンタウンに落下した。轟音、爆発音がしてビル群の向こうが明るくなった。ものすごい勢いで蛾の怪獣はダガーラに突進するが、ダガーラは後ろ向きに翼を羽ばたかせ、突進を回避すると一気に上昇、上空から突撃した。体格ではダガーラに劣る蛾の怪獣は為す術もなく吹き飛ばされ、ダウンタウンのウィリスタワーに激突した。その衝撃でタワーの真ん中から砕け折れ、地面に落下した蛾の怪獣を瓦礫と粉塵が押し潰した。

 

膨れ上がる粉塵はダウンタウン一帯に広がり、逃げ惑う人々のパニックは度合いを増した。

勝利に悦ぶように大きく吠えると、ダガーラはチャイナタウンに着地、高層アパートメントを崩壊させながらウィリスタワーの残骸に進み始めた。ストリートの向こうが一気に停電するが、暗い中でもダガーラがあの赤い霧を噴出させるのがわかった。

 

大勢の市民がダウンタウン方面から走ってくる背後から、赤い霧がじわじわと広がっていく。

 

「ちくしょうめ!」

 

アダムスが市民に混じり走り出した。

 

「おい、何をしてる!」

 

スタントンはアダムスを腕づくで止めた。

 

「ふざけんなよ、もうオレたちの仕事じゃねえ!週給850ドルで命張れるかってんだ!」

 

地響きがして足元がグラつき、ハイウェイの高架橋が崩れ、540市民公園にダガーラが達した。アダムスは悲鳴を上げてスタントンの腕を振り払い、全速力で走り去った。

 

スタントンもそうしたかった。だが彼の信念と仕事への誇り、何よりダガーラから数ブロックしか離れていない病院にいる妻を想うと、逃げてしまうことはしなかった。

 

「ひえぇぇ!助けてくれぇー!」

 

先ほどスタントンに食って掛かった男がパトカーを飛び出してきたが、慌てるあまり足元がもつれて前のめりに転んだ。

 

「しっかりしろ、さあ!」

 

強かに顔面を打ち付けて鼻血を流す男を助け起こしたスタントンは、市民公園から病院に迫るダガーラを目にした。ダガーラが移動する振動に振り回されながらも、数名の市民がこちらへ走ってきている。ダガーラの肩口から赤い霧が昇り始めた。

 

強く歯噛みすると、スタントンはグロック拳銃を引き抜き、病院に接近するダガーラに銃口を向けた。こんなものが通用などするはずがないことはわかっているが、せめて、せめてこちらに注意を向けられることでもできれば、あるいはほんのわずかな時間でも、足止めできれば・・・・!

 

だがそんな少しばかりの希望は呆気なく潰えた。ダガーラの肩口から勢い良く赤い霧が放出されたのだ。

 

「みんな伏せろっ、伏せろ!」

 

周囲の市民へ向かって叫んだ。自身も、病院のシンディも、赤い霧に包まれた。

 

だが、伝え聞くような苦しみはなかった。いつのまにか周囲は赤い霧ではなく、キラキラとした金粉のようなものが漂っていた。

 

顔を上げたスタントンは絶句した。ちょうど病院の真上に、これまでとは別の怪獣が浮遊していた。ダウンタウンに墜落した黒い蛾の怪獣とは異なる、ふわふわした厚い産毛に覆われた蝶のような怪獣だった。

 

まるで病院、そして真下の人々を守るように羽根を広げて、そこからキラキラとした金粉が放たれている。いつのまにか、赤い霧は消え去っていた。

 

ダガーラは大きく吼えた。蝶の怪獣に憎悪を投げかけるような、おぞましい咆哮だった。再び飛び上がると、猛然と蝶の怪獣に向かった。突進するダガーラをまるで市街地から引き離すように、蝶の怪獣も急上昇し、ミシガン湖へ反転した。

 

 

 

 

 



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ーChapter 41ー

三日月が浮かぶ闇夜の空を、金色の鱗粉を放ちながらモスラは上空へ滑空した。月の光に鈍い輝きを浮かぶ鋭い歯をギラつかせながら、ダガーラはモスラの後を追う。

 

飛行速度ではダガーラの方が勝るが、上昇によって空気抵抗が増してくる環境下ではモスラに分があった。翼の羽ばたきに力が入り、どうにか追いついて古くからの仇敵を嚙み殺そうとするダガーラ。

 

やがて大気圏ギリギリのところまでモスラは昇った。動きが緩慢になったモスラ目掛けてベーレムの霧を放とうとしたが、大気が薄いこの空間では上手く伝播されなかった。

 

モスラは身体を180度反転させると、思ったほど効果のないベーレムに困惑するダガーラの顔面に羽根を叩きつけた。全身がかたむき、一気に地表へ落ちるダガーラだったが、再度モスラ目掛けて上昇を始めた。鋭い歯がモスラに食い込む直前、モスラは急上昇してダガーラの犬歯を回避した。一瞬目標を見失い戸惑うダガーラに、再び降下してきたモスラが6本の脚で引っ掻いた。

 

翼に大きく裂傷が生じ、ダガーラは痛みに吼えた。自慢のベーレムの霧は地球上の如何なる生物をも倒す力があるが、空気の薄いここ大気圏では機能しないという弱点があった。

 

ベーレムの霧さえ封じれば、ダガーラは防御力を一挙に失う。モスラはそこを突いたのだ。

 

血を流しながらたまらずその場を離脱しようとするダガーラだったが、モスラはやや高度を上げてダガーラの真上に達した。そこで全身を激しく回転させながら、ダガーラに向けて降下した。

 

コマのように回るモスラとダガーラは、そのままミシガン湖畔へ落下していく。落下しながらも、モスラは羽根から鱗粉を放出している。一見無秩序に放たれた鱗粉は、回転に伴う気流に乗ってダガーラの身体あらゆる場所に付着していった。

 

地表に激突する直前、モスラはダガーラから離れた。シカゴ南部の森にダガーラは落下し、大きく穿たれた穴から顔を覗かせた。

 

真上に飛来したモスラは羽根を大きく広げ、ダガーラを挑発するように接近した。怒りに任せたダガーラの噛みつき攻撃をすんでのところで回避すると、モスラはシカゴ市街地の方向へ鱗粉を放ちながら飛行を始めた。

 

再び飛び上がったダガーラは、自慢の高速飛行でアッという間にモスラに追いついた。自身を傷つけた脚を喰い破るべく、犬歯を尖らせた。

 

ところが、今度は真下から何かが激突してきた。シカゴ市街地に降り注いだモスラの鱗粉は、大きく傷ついたバトラを即座に回復させたのだ。モスラの鱗粉を身に纏ったことでパワーが戻ったバトラは、ダガーラの腹部に頭突きしたまま回転を始めた。

 

高速回転でダガーラの腹部は出血し、たまらずその場を逃れたダガーラは、反転してくると猛然とバトラに迫り、肩口と翼からベーレムの霧を放出しようとした。

 

ところが、まったく出てこない。訝しげに肩口に目を向けると、モスラの鱗粉がギッシリと詰まり、放出口を塞いでいたのだ。モスラは先ほど落下しながら鱗粉を気流に乗せ、ダガーラ最大の武器を封じていたのだ。

 

慌てるダガーラに、バトラの光線が直撃した。白煙が破裂し、弾かれるように仰け反るダガーラ。

 

バトラは容赦せず、2波、3波と光線を放った。これまではベーレムによって酸素を奪われることで無効化されてきた攻撃が、初めてまともにダガーラに届いたのだ。

 

爆発に弾かれ、ダガーラは甲高い呻き声をあげる。バトラは攻撃を緩めず、光線を当て続ける。

 

ダガーラの胴体から火柱が上がった。飛行する力を失ったダガーラは、燃えながらミシガン湖へ落下した。激しく水柱が上がり、しばらく泡立った湖面は、やがて三日月を反映させられるほど穏やかになった。

 

モスラとバトラは顔を寄せ、邂逅の喜びを交わした後、湖面に注意を向けた。水面は穏やかで、ダガーラが浮上してくる気配がない。

 

バトラは高度を下げると、湖面近くを飛行し始めた。慌てたモスラが後を追い、バトラと共に警戒しながら湖面上を飛行する。

 

ひとしきり辺りを飛んだが、ダガーラの気配はなかった。バトラがモスラに顔を向けたとき、水面が破裂してダガーラの犬歯がバトラを襲った。

 

右前脚にダガーラの歯が喰い込み、バトラは痛みに啼いた。ダガーラはそのままバトラを水中に引きずり込むべく、すべての体重をかけた。

 

身体半分が湖水に浸かったところで、モスラの脚がバトラの羽根を掴んだ。だがモスラとバトラ2匹よりも、ダガーラは体重で優っていた。2匹まとめて引きずり込もうと、両脚で湖水を掻いた。

 

バトラの脚から紫色の血が溢れ、湖水を染め上げていく。激しく波打つ湖面はモスラまでも呑み込み、モスラは精一杯羽根を振るった。

 

沈み込むバトラは、背後のモスラに顔を向けた。察したモスラはバトラから離れると、水中でバトラは身をよじった。

 

前脚がちぎれ、ダガーラの牙から逃れる。その一瞬、バトラはダガーラの顔面に光線を放った。湖面が大爆発し、立ち昇る水蒸気炎の中バトラは浮上した。失った右前脚からはおびただしい量の血が流れている。

 

弱々しく飛行し、ミシガン湖南部の森林に身体を落ち着かせた。追ってきたモスラは同じく地に身体を降ろすと、バトラの傷口に触角を当てた。次第に流血は収まっていき、バトラは力尽きたように頭を地に下ろした。モスラは額をバトラに当てた。黒いバトラの身体に金色の筋が走り、失った力が徐々に蓄えられていく。

 

その上空を、アメリカ空軍のF15編隊が飛び去った。ダガーラにバトラ、そして新たに出現した怪獣モスラを探索するためだが、闇夜の中、黒く深い森に身を委ねる2匹を視認するに至らず、またモスラの発する鱗粉は人間が産み出したいかなるテクノロジーの探知にも引っかかることはなかった。

 

 

 

 

 

 

・7月12日 1:07 アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ シカゴ市民総合病院

※日本より14時間遅れていることに留意

 

 

ダガーラがミシガン湖に沈み、黒い蛾の怪獣とふわふわした蝶の怪獣がどこかへ消え去ってから、スタントンは妻のシンディがいる病院へ急いだ。

 

怪獣たちの激闘でシカゴのダウンタウンは甚大な被害を受けていた。墜落した戦闘機群による火災は闇夜を焦がし、チャイナタウン周辺はダガーラの進撃による倒壊、そして市のシンボルともいえるウィリスタワーはちょうど真ん中から上層が崩壊し、周囲の高層ビル群もガラスや外壁が無残にも地に落下していた。

 

だが負傷者であふれ返る病院内は、不思議とスタッフも患者も笑顔があった。清掃の従業員が院内に流れ込んだ金色の粉を掃除しているが、鼻歌すら歌っている。

 

スタントン自身、あの粉を浴びたことに恐怖はなかった。むしろ、揺り籠の中のような安心感があったのだ。

 

早足で産科病棟へ向かうと、シンディの主治医であるベルセッティ医師と鉢合わせた。

 

「先生、妻は、シンディは大丈夫ですか!?」

 

スタントンが訊くと、ベルセッティ医師はニッコリ笑いかけ、スタントンを手招きした。

 

新生児室に入る前に防護服を着用し、招かれるままに入室すると、待機していた看護師たちから歓声が上がった。

 

「おめでとう!」

 

「今日から君もパパだ!」

 

拍手が起こる中、ベッドに横たわるシンディが目に入った。慌てて駆け寄ると、シンディが目を潤ませながらスタントンの手を握った。

 

たまらず泣き出したとき、ベルセッティ医師が防護用のカバーがかけられたカートを押してきた。

 

「かわいいかわいい女の子だ。とんだ一大事の中、君の奥さんもお子さんも、とても良く頑張ったよ。妻子ともに健康だ!」

 

ベルセッティ医師がそう言って肩をポンポンと叩く。感情がそのまま口から溢れてきた。周囲が拍手や口笛を鳴らす中、スタントンは産まれてきてくれた我が子、そしてシンディに抱きつき、嬉しさの嗚咽を漏らした。

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 42ー

 

・7月12日 15:36 東京都文京区小石川5丁目 ツインセゾンビル5階 『UTOPIA』編集部

 

 

訪問を午後にしてほしい・・・斉田リサーチ社長から連絡があり、言葉通り編集部を訪れたのは午後3時過ぎであった。

 

通常であれば大幅なアポイントメント変更に当たるため、面会を拒否しても差し支えはないところだが、奄美大島から蝶のような怪獣が出現してからというもの、かつて記事にした『奄美の癒し岩』に関しての問い合わせが相次いでいた。

 

編集長の藤田が調子付いてUTOPIA公式ツイッターでその旨をつぶやいたところ、反応の多さに拍車がかかっていた。

 

それら対応にあたるべく、仮眠していた秋元も眠たい目をこすりながら起き出してきていたため、斉田の訪問が遅くなることはむしろ好都合といえた。

 

外気温が34℃に達した頃、暑い空気と共に斉田が編集部を訪れた。互いに名刺を交換し、応接室に案内した。予定を早めて岩手から三上が戻るということで、癒し岩取材に同行していた三上にも同席を依頼したところ、新幹線到着後すぐさま東京駅から駆けつけてくれた。

 

それぞれの紹介が終わると、斉田から改めて昨年癒し岩を取材したときの詳細、地元の人たちの反応などを尋ねられた。

 

「ふうむ・・・なんとも不思議な岩だったんですねえ」

 

ひとしきり話を聴いた斉田が、そう言って出されたアイスコーヒーをすすった。

 

「いやはや、まさか我々も、あの岩が怪獣だったなどとはまったく信じられませんで」

 

三上が言うと、秋元も頷いた。

 

「でも、私もテレビで観ただけですけど、あの岩から産まれた怪獣、ゴジラやガイガンのような恐ろしさは感じませんでした。むしろ・・・変な比喩かもしれませんけど、あったかいっていうか、包み込んでくれるみたいな優しさがあるように思えるんです」

 

「しかも、ですよ。その怪獣はシカゴでダガーラを倒したそうじゃありませんか。で、最初から出現していた黒い怪獣と共に姿を消してしまったらしい。少なくとも、人類に害となる存在じゃないのかもしれませんねえ」

 

アイスコーヒーを飲み干して、中の氷をボリボリと噛み砕きながら斉田は言った。

 

「新幹線の中で、こんな記事を見ました」

 

そう言って三上はスマホを寄越した。

 

【噴火なんかに負けない 奮起する鹿児島】

 

【蝶々怪獣を攻撃しないで 被災地最新事情】

 

いずれの記事も、噴火によって壊滅的被害を受けた鹿児島に蝶の怪獣が飛来した後、市民たちが元気を取り戻したように動き出し、火山灰など深刻な影響下においても救助活動が順調に進み始めたということ、怪獣を目撃した市民の「怪獣に励まされた気分」「怪獣見たら意欲が湧いてきた」という証言がまとめられていた。

 

「こりゃあ・・・話してた通りだなあ」

 

そうつぶやいた斉田に、秋元が反応した。

 

「話していたって、どなたがですか?」

 

そう訊かれてやや逡巡した斉田だったが、秋元に顔を向けた。

 

「いえね、実は今回の調査は、KGI損保からの依頼なんですよ。そこの担当者が、同じような話をしてまして」

 

そこから、あかつき号沈没事故の生存者姉妹が古代文明の使いを名乗る存在に憑依されていること、その姉妹の予言が当たり、次々と怪獣が出現していること、件の癒し岩から出現した怪獣はモスラといい、平和を愛する人類の味方だということを説明した。

 

「保険会社による調査事項ですから、許可があるまで他言はしないでほしいんですよ。まあこんな話、信じろっていう方がムリあるかな」

 

ところがそんな斉田の言動とは裏腹に、秋元の目が輝き始めた。

 

「いえ、むしろもっと詳しくお話を伺いたいです!」

 

前のめりになる秋元の様子に、斉田は笑みを浮かべた。

 

「まだ記事にしたりしないと約束できるんなら、僕から担当者に話してみますよ。実は今夜の便で、その担当者が姉妹を東京に連れてくることになってるんです」

 

「もう、ぜひ!」

 

「私も、大いに興味がありますな」

 

三上も興味深そうに言った。

 

「でしたら、ひとつ条件があるんですがね・・・」

 

斉田は人差し指を立てた。

 

「今夜羽田到着の便で戻る、ということだったが、奄美はいま大雨警報が出てるらしくてね、飛行機が遅延しているようなんですよ。到着時間がはっきりするまで、ここで待たせてもらうワケにはいきませんかねえ」

 

そう訊かれた秋元は怪訝な顔をした。

 

「図々しい話なのは承知してますが、そのKGI損保の担当者てぇのが、これまた人使いの荒い女でして、業務外のことまで急に調査を依頼してくるモンだから、もう疲れちゃいまして。おかげで御社との約束も午後になったし、まあひどいヤツなんですよ。あ、遅れたことはもうしわけないです、ホント。そんなワケでひとつ、お願いできませんかねえ?もう身体がクタクタでして」

 

「はあ・・・まあ、かまわないと思いますけど」

 

釈然とはしないが、秋元は言った。三上も首を傾げているが、斉田が深くついたため息に納得はしたようだった。

 

「そんじゃあね、早速横にならしてもらって良いですか?よいしょっと」

 

返事を待つまでもなく横になると、斉田は目を閉じた。秋元と三上は応接室を出て、編集部の入り口にあるテーブルへ移動した。

 

「なんだかおかしな人ですね」

 

「うん。ちと図々しいね」

 

2人でささやき合うと、秋元は話を変えた。

 

「ところで先生、癒し岩もですけど、山の神伝説も怪獣だったっていうのがビックリです」

 

「そうだね。いや実はずっと帰路考えてたんだけど、きみが最近まで取材していたあのダイダラボッチの件、あれも怪獣のことだったりしないかと思ったんだが」

 

「そうなんです、私も同じこと考えてました」

 

群馬県榛名山に伝わる巨人、ダイダラボッチ。一昨日まで秋元が取材のため群馬県を訪ねていたのだ。

 

「そんなこと言ったら、日本各地に伝わる妖怪や化け物の類、みんな怪獣になってしまうかもしれんがね」

 

三上は苦笑したが、どことなく否定しきれていない様子だった。

 

「もう一度、榛名山の語り部さんに訊いてみようと思います。あと先生が提唱なさった、赤城山に眠るダイダラボッチ説、そっちも突き詰めてみようって」

 

「そうかね。どれ、いつ飛行機が着くかわからんのなら、僕も手伝おう」

 

 

 

 

 

 

一方応接室の斉田は、秋元と三上が部屋を出た後、スマホで緑川にメールを打った。

 

つくばのスマートブレイン社を訪ねた後、ここの編集部に向かう前にもう一度城南大学の矢野教授、そして伊藤姉妹の両親に関して調査を行うことにしたのだ。

 

過去の新聞記事や雑誌などで矢野教授がこれまで出席した学会、あるいは勉強会を隈なくリサーチしたところ、公開されている出席者名簿に伊藤昭・ミチル夫妻の名前がある場合があった。

 

両者が出席したいくつかの学会のうち、比較的最近開催されて尚且つ主催した財団の拠点が東京の大手町にあると判明したため、学会の様子を尋ねるべく財団の拠点へ向かっていたのだ。

 

応対した担当者は両者を覚えており、学会後の懇親会でかなり親しそうにしており、深い話をしていたと証言してくれた。さらに、その学会は公的機関や企業の研究部署だけではなく、一見畑違いの難波重工やガルファー社といった国内外の大企業関係者も訪れている上、学問研究に興味がなさそうなフリーのジャーナリストたち、そして財団の名誉総裁として日本のフィクサーとされる大澤蔵三郎も出席していたことがわかった。

 

その後、大手町から文京区へ向かおうと車に乗り込もうとしたとき、ハンドルわきに銃弾が置かれているのを発見した。

 

ひとまず車を発進させ一方通行の道路に入ると、東京駅の駐車場に車を入れ、東京メトロを無駄に乗り継いで遠回りし、UTOPIA 編集部を訪れた。

 

この仕事をしているとある程度の度胸は必要になるが、車の施錠を開けられて銃弾を置かれたことは今回が初めてであり、動揺は抑えきれなかった。

 

いったいどこの誰がそんなことをしたのかはわからない。ひとまずこの編集部にいれば、相手は踏み込んでくることまではしないはずだ。その上、ビルの両側は大通りであり、地下では東京メトロに直結している。尾行する側からすれば、厄介な構造だった。

 

とにかく、矢野教授とスマートブレイン社の関係性は想像以上に闇が深そうだった。同時に、あかつき号沈没事故の原因もまた、闇深いらしいことは想像に難くない。

 

文章を打つ途中で『新潟県沖で地震 震源が移動?』『南海域の巨大生物はゴジラか? 海上自衛隊の追跡続く』という号外が飛び込んできたが、一連の事態を報告するメールを緑川に送信した斉田は、ふうっと息を吐くと目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 43ー

・7月12日 17:42 鹿児島県奄美大島笠利町

 

 

『ご覧いただいてますのは、現在のシカゴ・ダウンタウンの様子です。ダガーラと蛾の怪獣が争ったことにより、市街地中心部は大規模に倒壊。空軍のF15が数機墜落したことにより、各所にて火の手が昇っております。現在、ダガーラをミシガン湖に沈めた蛾の怪獣、そして近似種と見られる蝶の怪獣の行方を空軍が追跡中ですが、いまだ発見されず、さらなる怪獣の出現に、市民は困惑と不安を隠しきれません』

 

海外のテレビ局報道を、そのまま日本語訳で報じるNHK-WORLDに目を落としながら、檜山は外にいるミラとリラ、緑川を見遣った。

 

一時時速10キロも出せないほどの豪雨となったが、この時間には降り方も小康状態になってきていた。本来なら17時発奄美~羽田行きの旅客機に搭乗しているはずだが、大雨の影響で奄美空港発着の航空機は運航を停止している。雨が上がったとはいえ、いましばらくすれば運航再開至るだろう。ここまでくれば、空港まで10分程度で到着する。

 

そのためか、ミラとリラは外に出たがった。モスラと交信するため、精神を集中させたいらしい。国道から少し脇に逸れた路側帯に停車すると、大雨で冷やされた空気とにわかに暖かい海風が入り混じった、なんともいえない大気が漂っている。

 

緑川が助手席に乗り込んできた。

 

「いまメールきた。私たちの便、20:20出発に変更だって」

 

檜山は声を出さず、首を縦に振った。どのみち空港へ着いたところで、遅れに遅れた離発着便を待つ旅客でごった返しているはずだ。このままのんびり二人につきあうのも良いだろう(レンタカー代金はかさむが)。

 

「二人は?何かわかったのか?」

 

檜山が訊くと、緑川は首を横に振った。

 

「まだ話してる最中みたい。いろいろ、話が尽きないんじゃない?」

 

相変わらずテレビではシカゴの様子を報じている。レポーターの女性が警察官の制服を着た男性にインタビューしている。

 

『ああ、そうだよ。子どもが産まれたんだ。怪獣たちが争ってる最中にね。いまはとても幸せな気持ちだよ。聞いてよ、僕の妻は出産に耐えられるかわからなかったんだ。その上こんなひどいときに・・・いやだからこそ、がんばってくれたんだ。これからは妻も娘も、しっかり大事に守っていこうと思う』

 

『新たに出現した蝶の怪獣が病院の真上を飛び去ったそうですが、大丈夫でしたか?』

 

『それが、そのう・・・変な話に聞こえるだろうけれど、あの怪獣は僕たちを守ろうとしてくれたように感じるんだ。彼女・・・なんで彼女って言っちゃったのかな?まあ、彼女が羽根から鱗粉のようなものを撒き散らしたとき、緊迫した状況だっていうのに心が安らいだんだ。それだけじゃない、ダガーラが発したガスも薄れたように見えたんだ。僕だけじゃない、出産中の妻も不思議と陣痛が収まり、安らかさを感じたみたいだよ。彼女の姿も見えなかったはずなのにね』

 

『実は、複数のシカゴ市民に尋ねても、あの蝶の怪獣に恐怖や畏怖を感じなかった、むしろ懐かしい友に出逢ったみたいだ、そんな声が少なくありません』

 

インタビューの内容に、檜山も緑川も妙に納得した。岩状の繭から現れたモスラに、二人とも似たような雰囲気を感じていたからだ。

 

「すべての怪獣が人間にとって相容れない存在ではないってことなのか」

 

檜山がつぶやいた。

 

「そうなのかも。彼女たちの話だと、かつての文明はモスラと共存していたっていうし。そもそも、他の怪獣たちだって人間が造り出したものらしいじゃない?」

 

「あんな恐ろしいものを造り出すだなんて、その頃、いったいどんな世の中だったんだろうな?」

 

トントン、とドアを叩く音がした。ミラとリラだった。モスラとバトラがダガーラを湖に沈めたとわかったときの表情とは大きく異なり、暗く神妙な顔つきだった。

 

「もう大丈夫なの?」

 

緑川がセレナに招き入れ、訊いた。

 

「前脚は失ってしまいましたが、間もなくバトラの傷が癒えるそうです」

 

「モスラは、大気圏突破の疲れはありますが、同じく元気です」

 

そうは言うが、どこか奥歯に物がはさまったような印象だ。

 

 

「だが、まだ何かあるのか?ダガーラはまだ死んでないとか?」

 

檜山が訊いた。

 

「それもありますが・・・」

 

「モスラもバトラも、空を自在に飛ぶことはできますが、水中に潜ることは苦手なのです。海の神がいれば、ダガーラの生死をたしかめられるのですが、はるか遠い地ですから・・・」

 

「でも、傷は負ったけれどひとまず撃退できたんでしょ。モスラもバトラも、ゆっくり休んだらどうかな?」

 

緑川が訊くと、二人はかぶりを振った。

 

「「もうすぐ、モスラはこの大陸に戻ります」」

 

意味をつかみかねた檜山と緑川は、後部座席を向いた。

 

「恐ろしい存在が間もなく現れ、大きな混沌と叫喚がこの地を包む。モスラはそう言いました」

 

「その存在を倒さない限り、ギドラは目覚め、この大地から地球すべてが滅んでしまう。けれど、モスラとバトラが力を合わせても、抗えるかどうか・・・」

 

あまりにも不穏な話に、檜山も緑川も顔を曇らせた。

 

「君たちの話をきくと、つまりこの日本で、間もなくそんな事態が起きる、という意味に聞こえるんだが?」

 

檜山が額に脂汗を滲ませつつ、訊いた。

 

「そうならないように、モスラ、そしてバトラ、がんばります」

 

「いまは、私たちもモスラとバトラを信じるのみです」

 

車内を沈黙が包んだ。一度止んだ雨は霧雨となり、再び奄美の大気を冷やし始めた。

 

NHKに速報のテロップが入り、アナウンサーが原稿を手にした。

 

『ただいま入りましたニュースです。政府は今夜9時を期して、現在和歌山県沖を東へ航行している巨大生物に対し、志摩半島沖南東80キロの海底にて一斉攻撃を仕掛けると発表しました。この決定に伴い、三重県志摩地方、和歌山県沿岸、並びに旧愛知県知多・渥美半島、浜名湾一帯には避難勧告が発令されます。該当区域にお住いの方は自治体、テレビ・ラジオの情報に従い・・・続けてニュースです。海上自衛隊によれば、和歌山県沖の巨大生物は体長から推察した場合、ゴジラである可能性が高まったとして、作戦展開のより一層の・・・・・・』

 

 

 

 

 

 

・同日 17:51 新潟県十日町市小出葵 十日町市立清津倉下小学校

 

 

『時刻は17:51、東京半蔵門のスタジオから吉住紀美子がお伝えします。この時間は通常の放送を変更して、NFN、日本エフエムネットワーク報道特別番組をお送りしております。いま入りましたニュースです。世界各地で相次ぐ怪獣出現により、国連安全保障理事会は緊急招集を決定、日本時間明日午前9時にニューヨーク国連本部にて緊急会合を開催する運びとなりました。ただ米国内の飛行禁止令がいつ解除になるかは現時点で不明のため、開催時刻の遅延も充分に予想されるとのことです。続いてのニュースです。韓国大統領府は、メガギラス襲来による首都ソウル・仁川広域市における犠牲者が3万人を突破、なおも救助要請が絶えないことを踏まえ、首都非常事態宣言を維持したまま首都広域圏の消防・警察を総動員する法律に基づき・・・』

 

ラジオから不穏な情勢が伝えられる中、倉下小学校ただ一人の教諭、棚倉亜由美は猛烈な豪雨に耳を塞ぎながらスマホを耳にしていた。

 

「はい、児童は全員無事です。いま視聴覚室に集めています。ええ、ええ・・・はい、調理実習用の食材がありますから、今晩は大丈夫です。そちらは・・・はい」

 

1時間に260ミリと、この地域では前例がないほどの降雨量は通話先の校長との会話を極めて聞き取りにくくしていた。

 

「わかりました、万が一浸水したら、2階の図書室へ避難させます。はい・・はい・・・」

 

途中で通話がプツリと途切れた。折り返しかけようとしたが、不通を知らせる音が鳴るばかりだ。電波状況を確認すると、圏外と表示されていた。

 

棚倉は想像をめぐらせた。もしかすると、最寄りの基地局も土砂崩れで流されてしまったのだろうか。

 

今日の13時過ぎだった、天気予報通り、あるいは予報を上回る雨が一帯に降り始め、麓と学校を結ぶ唯一の道路である市道389号線が土砂崩れで通行不能となってしまった。

 

ここは観光地である清津峡の近く、市道のどん詰まりに位置しており、周辺は観光客をアテにした土産物屋やドライブインが3軒あるのみ。他は清津川と、このまま新潟・群馬県境にかけて広がる深い山脈が連なるのみ。児童たちは市が運営するスクールバスで麓の集落から通学している。

 

唯一の交通路が塞がれた上、折からの怪獣騒動で観光客が少ないらしく、近隣の店舗はいずれも休業していた。さらに学校のすぐ目の前で別の土砂崩れが発生、電柱が倒され、電気も電話線も寸断されてしまった。

 

そして携帯電話も通じないとなったいま、乾電池で稼働するラジオのみが情報源となってしまった。

 

清津倉下小学校は6年生2名、5年生3名、3年生1名、1年生3名の全校児童9名の学校で、学年の枠を取り払い、校長と教頭を除くとただ一人の教諭である棚倉がクラスを受け持っている。学年間で授業内容は異なるが、校長、教頭も授業に参加し、少ないながらも児童たちが困らないように対応していた。

 

棚倉は大学を出て念願だった小学校教員となり、初任地が想像を絶する僻地であったことに最初は戸惑ったが、学年は違っても児童たちは皆仲が良く、校長も教頭も立場関係なしに授業や行事に協力してくれる。児童の保護者や地元の人たちも非常に好意的で、硬直化した教務体系やいわゆるモンスターペアレントに頭を抱える大学の同期たちとは一線を画した、充実した教師生活を送れていた。

 

だがそんな清津倉下小学校も、今年度をもって閉校が決まっていた。今年卒業する6年生はともかく、下の子たちはスクールバスでここよりさらに麓にある小学校へ統合されるのだ。

 

取り巻く環境は人々も含めて良好だったが、深い山脈地帯の底を流れる清津川に沿った渓谷は、大雨となるとひとたまりもなかった。斜度の高い山々は崩落の危険がつきまとい、清津川はひとたび大雨が降ると荒れ狂うような流れとなる。学校は山から離れた台地にあるため土砂崩れに巻き込まれる心配はないが、土砂崩れによる道路寸断で完全に孤立してしまった上、間の悪いことに校長も教頭も市の教育委員会会合に出席のため、学校には今日一日不在だったのだ。

 

棚倉は不安に押しつぶされそうだった。胃が重たくなり、呼吸が苦しくなったが、ここで自分が不安そうな顔をするわけにはいかない。

 

保護者のお迎えも、スクールバスも望めない以上、今夜は学校に全員で泊まり込むしかない。古い木造建築だが、麓への道はいつまた土砂崩れが発生するかわからない。

 

両頬を叩くと、棚倉は児童たちの元へ向かった。視聴覚室の長椅子にみんな並んで座っていた。

 

「みんなごめん、先生のスマホも繋がらなくなっちゃった」

 

正直に伝え、不安で泣きそうになる子、イマイチ状況が呑み込めない子、どうするか考える子、たった9人でも反応はさまざまだった。

 

「なので、今日はこのまま学校にお泊りしようと思います。ご飯はあるから、こないだみんなで調理実習やったよね?あのときみたいに、みんなでご飯の支度して、明日まで頑張って我慢しよう!明日になったら、きっと助けに来てくれるからね」

 

これほどの雨量だ、明日になっても救助が来るかは未知数だったが、少なくとも雨は夜早い時間に上がる予報だった。事実、18時近くなって雨量は弱くなりつつある。

 

「よし、じゃあみんなでご飯作ろう!一緒に家庭科室にいくよ」

 

「はーい!」と子どもたちは元気に返事をした。年長の子たちが低学年の子たちをしっかりフォローしてくれるのはいつものことだが、この状況下では非常に頼りになる。

 

「ほら、調理実習のときは手を洗って、エプロンするんだよ」

 

「包丁はオレたち使うから、みんな茶碗と皿並べて」

 

先日の調理実習さながら、テキパキと下の子たちに指示する。だが本当は彼らも不安なはずだ。

 

(ここは、私がしっかりしなきゃ)

 

棚倉は決意を込め、右こぶしを握った。

 

「先生、じゃんけんするの?」

 

そんな棚倉を見て、1年生の三友紀ちゃんが無邪気にパーを出してきた。

 

「あはは!そう!先生負けちゃったね」

 

こんなときでも純粋な子どもたちに、棚倉の心はほぐれた。幸いにもガスはプロパンガスなため、煮炊きは可能だ。もう30分もすると陽が落ちて暗くなるが、非常用電灯とろうそくである程度の灯りは保持できる。乾電池も事務室に豊富にあるので、なんとか今晩は乗り切れそうだ。

 

そのとき、携帯ラジオから緊急地震速報が流れた。

 

【緊急地震速報です。強い揺れに警戒してください】

 

棚倉も児童たちも、不快な速報音に凍り付いた。揺れは感じない。

 

とりあえずガスを消し、ラジオの音量を上げた。

 

『ただいま新潟県中越地方で地震が発生しました。新潟県小千谷市で、震度4を観測しました。震源地は・・・震源地は新潟県長岡市沖20キロ、地震の規模を示すマグニチュードは5.0と推定されます。この地震による津波の心配はありません。また稼働停止中の東京電力柏崎刈羽原子力発電所は・・・』

 

小千谷が震度4、ということは、この辺りは大したことはないだろう。棚倉は安堵してガスの火をつけた。

 

緊急地震速報で動揺したのか、小さい子たちに不安の色が見られる。

 

「さ、美味しいの作ろ。みんな、サラダ盛りつけてくれるかな」

 

サラダといってもキャベツの千切りだが、調理自習で学んだように、人数分均等にキャベツを盛りつけ始めた。

 

それにしても、昨日から新潟県沖で地震が相次いでいるのは気になった。もしかしたら、十数年前の新潟県中越、中越沖地震のような強さの揺れが来る前兆だろうか、この雨で地盤は大丈夫だろうか。あるいは・・・今日の昼、韓国から南下して日本海で自衛隊に退治されたメガギラスが生きていて、海底に地震を引き起こしながら動いているのだろうか・・・。努めて明るい表情を作るが、棚倉は頭の片隅に不安の残滓がこびりついていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 44ー

・7月12日 19:04 新潟県新潟市中央区万代1丁目 新潟交通万代シティバスセンター

 

 

シャトルバスを待つ行列は歩道まで伸びる中、並ぶ人々の誰もがそうであるように新潟大学3年の上坂優也は滲み吹き出る汗をスッキリシートで拭うと、臨時に設置されたゴミ箱に投げ入れた。

 

ファンであるご当地アイドルグループ『GATAKKO』が夏のスーパーライブと銘打ち、新潟市朱鷺メッセで一大イベントを開催するとなり、4日ほど前から講義終了後直行すべ下準備を進めてきた。ゼミの課題を仕上げ、急に頼まれたレポートも死にものぐるいで完成させると、午後5時過ぎには大学を出ることができた。

 

午後6時半からのライブには充分余裕があったのだが、残念ながら努力は無駄になってしまった。ご当地アイドルとはいえ既に全国区人気であるGATAKKOは今日の午前中、在京キー局のワイドショーに出演後新潟へ戻る手筈だったのだが、午後になり新潟県中部に大雨洪水警報が発令された影響で帰路の新幹線が遅れたのだ。

 

1時間開始時刻が遅れたため、近くのカフェで涼んでいたのが運のツキだった。アイスコーヒーを嗜んでいると、自分たちと同じ(ただし容姿では自分の方がはるかに勝っていると自負しているが)GATAKKOファン、通称ガタヲタが臨時シャトルバスに乗るべく行列を作り始めた。

 

慌ててカフェを出たが、開始時刻が遅れたことで却って混雑したのだろう、シャトルバスはおろか近隣バス停である朱鷺メッセ・佐渡汽船行きの路線バスにもガタヲタたちが並び始めた。止むを得ず行列に加わることにしたのだが、バスの乗車率は200%程度だろうか、すし詰め状態で朱鷺メッセへと向かうハメになりそうだ。

 

ふと、優也の数人前に並ぶ男女がやかましくなった。

 

「すみません、やめてください」

 

恐らく自分と同い年くらいの女性2人組に、2人の男性が声をかけているのだ。

 

「いいじゃん、オレらと一緒だと早く着くって絶対」

 

「満員バスに乗りたくねぇろ?」

 

しつこさに辟易したように、女性たちは顔を背けて無視の姿勢を取った。声をかけた男性を優也はよく知っていた。新潟大4年の安城輝羅と、フリーターの栃尾梨杏だった。

 

2人とも相当なガタヲタなのだが、メンバーの自宅を特定して待ち伏せしたり、はたまたとあるメンバーと夜遊びを派手に行っているなどの目撃情報も複数寄せられ、ガタヲタの間でも悪い意味で有名だった。2人とも父親がそれぞれ県議会議員、地元ゼネコンの社長とあって、遊ぶ金には不自由していないのだ。

 

ナンパが上手くいかず舌打ちすると、2人は行列を離れてタクシーをつかまえて走り去った。

 

傍若無人な2人を非難する声がそちらこちらで聞こえたが、やがてバスの順番がやってきた。どうにか乗り込めたが、座席を詰めないと乗り切れないにも関わらず、リュックやバッグを座席に置いて相席を拒否するガタヲタには面喰らう。つり革につかまり、それを退けてくれれば座れるのに、と恨めしそうな視線を向けているとバスは発車した。

 

国道113号線に入ると、夕方のラッシュによるものか渋滞が始まった。ライブ開始まで時間がないのだ、やきもきしながら前方を見ていたとき、バスのフロントガラスに水滴が叩きつけられた。

 

また雨かと運転手が怪訝な顔をした。そのとき、バスの中でもわかるくらいの強風が通りを吹き巡った。

 

少しして強風が収まったが、今度はバス後方から吹きすさんだ。バスの外ではゴミやら帽子が巻き上げられ、歩いている人々がしゃがみこんでいる。

 

やがて前方の車列から人々が降りてきた。何やら上空を指差している。

 

同じように窓から外の様子を伺おうと乗客たちが身をよじらせ、より窮屈になった。バランスを崩してポールに手をかけてバランスを保とうとしたとき、ちょうどフロントガラスの向こう、空の上に何かが動いた。

 

通り全てを覆い尽くすほどの羽根を拡げた紫色の生物が、上空を飛び回っていた。

 

同じように生物を見た乗客たちが騒ぎ始めた。上空を通り過ぎる度に強風が巻き起こり、何人かは車内だがそのまましゃがみ込んだ。

 

もう一度フロントガラス越しに見えたその生物、たしかレポートを作成する合間にスマホのニュースで見たヤツだ。韓国を襲い、自衛隊と米軍、韓国軍のミサイル攻撃で退治されたといっていたが・・・・・。

 

「メガギラスだ!」

 

ガタヲタの1人が叫んだ。そんな名前がついていたとは。

 

車内は騒然となり、バスの運転手は前後のドアを開けた。外へ逃れるべく通路がもみくちゃになり、身体のあちこちを痛めながら優也も外に出た。だが外へ出たところで、安全だという保証もない。

 

ひとまず最寄りの建物へ急ごうとしたとき、足元が揺れた。気のせいかと思ったが、ズン、という音がして強く揺れた。

 

優也、そして周りのガタヲタたちも戸惑い気味に足を止めた。

 

ズン・・・ズン・・・ズン・・・!

 

地の底から鈍い音が響いてくる。周囲の誰もが、夜空を飛び回るメガギラスよりも、足元から聞こえる不気味な重低音に耳を澄ませた。

 

 

 

 

 

 

・同時刻 新潟港上空 BSN新潟放送ヘリコプター

 

 

BSN新潟放送レポーターの佐藤は、眼下に見える朱鷺メッセの賑わいをマイクに伝えていた。

 

「ご覧ください、収容人数を上回るかのようなファンの数!これこそGATAKKO、そして新潟の力、団結力です!」

 

生中継ではなく、今週末に放送枠が設けられた30分の特別番組で放映される映像を撮っているのだ。

 

「本日は日本海に怪獣出現、そして県南地域では豪雨に見舞われる中、中止も検討されましたが、ファンのため、そして新潟のため、GATAKKOたちが今夜、熱唱します!」

 

これは佐藤自身の言葉ではなく、台本である。元々新潟県民でない佐藤にとっては正直どうでもいいイベントなのだが、GATAKKOは県内の複数有力企業がスポンサーになっており、やはり広告収入を見込むBSNとしては無視できないイベントだった。今年の春に北海道STVテレビから移籍して以来、レポーターとしての仕事しかない佐藤にとっては、身の入らない仕事でもしっかりこなさなくてはならなかった。

 

元々、今年にはSTVテレビでアナウンス室主任への昇進が内定していたのだが、去年夏に網走で『死ぬほど恐ろしい目に』遭って以来、PTSDを発症してしまいSTVテレビを退職してしまった。半年ほど療養した後、縁もゆかりもないがここ新潟でレポーターの求人があったことで、この地に移り住むことにしたのだ。

 

自分ほどのキャリアがあれば入社後すぐに主任くらいにはなるだろうと考えていたが、キャリアはあれど最初は新人がこなすような仕事をさせる方針ということで、ここ数ヶ月は県内をドサまわりさせられる日々だった。

 

札幌ではローカルとはいえ夕方に自身の名を冠した番組を持っていたというのに、と腐る気持ちもあるが、まずは与えられる仕事をこなすことに専念、当分は修行だと割り切ることにした。

 

ヘリコプターにも会場の熱気が伝わってくる。ヘリは旋回し、次の台詞を読み上げるべく台本に目を落としたとき、マリンピア日本海水族館の向こうで海が破裂した。黒い海面に白い飛沫が上がったのだ。

 

思わずそちらへ視線を向けると、海面を割って何かが現れた。刺々しい羽根を拡げた、昆虫のようなものが目に入った。だがここから見ても、明らかにヘリコプターよりも大きい。

 

「あれは・・・・・メガギラス?」

 

隣のカメラマンがレンズを目に当てたままつぶやいた。

 

凶悪な面構えを歪ませると、こちらへと向かってきた。

 

「うおおおおー!!」

 

操縦士が怒声を上げながら操縦桿を傾けた。幸いヘリの上空を飛び去ったことで、衝突は免れた。

 

去年の出来事が記憶から呼び起こされ、佐藤は気道が締め付けられるような苦しさを感じた。冗談じゃない、また過呼吸か!そしてまた怪獣か!

 

「間違いない、メガギラスですよアイツは!」

 

ヘリの音に負けじとカメラマンが怒鳴った。

 

「ミサイルでやられたんじゃなかったのかよ!」

 

恐怖を忘れたくて、佐藤は力の限り大きな声を出した。

 

メガギラスは亀田付近まで行くと、羽根を大きくなびかせてまたこちらへと向かってきた。

 

「ぬわわわわー!!」

 

操縦士が絶叫する。一瞬、目の前が強烈な青い光に染められた。

 

明らかに網膜に害のある光だった。全員が手で目を覆った。気がつくとメガギラスはいつの間にかはるか上空に昇っていた。

 

ズン・・・

 

・・・ズン・・・ズン・・・!

 

仄暗い夜の海から、鈍く重い音が響いてきた。佐藤は口の中が一気にカラカラに渇いた。

 

このそこはかとなく気味の悪い音、たしか去年の網走で耳にしたものだ。

 

「まさか」

 

ポツリとつぶやいた。隣のカメラマンが怪訝な顔をした。

 

また、強烈な青い光が網膜を照らした。信濃川河口やや先が鮮やかな青色となり、猛烈な水蒸気が上がった。

 

・・・ドン・・・ドン・・・ドン・・・!

 

音が次第に大きくなってきた。

 

フッと視界を何かが横切った。メガギラスが降下してきたのだ。ヤツは吹き上がる水蒸気に釘付けになっている。

 

耳元で強風が吹いたような音がした。海面から青い光が一直線に放たれたのだ。メガギラスは急回避して、新潟空港方面へ飛び去る。

 

「あああああ・・・・」

 

カメラマンが声にならない声を上げた。海面が十戒の如く割れ、ドス黒い何かが姿を見せた。激しくしたたる海水を振り払うように動く背鰭、そして、忘れもしない、暗闇でもはっきりとわかる、あの白と黒の瞳。

 

重く、そして高い咆哮が響いた。間違いなかった。去年もこの咆哮を直に聞いたのだ。

 

「ゴ、ゴ、・・・ゴジラ・・・!」

 

カメラマンがかすれそうな声で言った。

 

再びあのおぞましい咆哮がヘリを揺らした。慌ててヘリは反転した。あのときと同じだった。あの姿、あのドス黒い塊から少しでも離れないと、急いで逃げねば・・・極めて本能的な退避行動だった。

 

ガタガタと震える歯を鳴らしながら、佐藤は新潟空港上空からメガギラスが滑空してくるのを目撃した。ゆっくり顔を向けたゴジラの背鰭が青い閃光を放った。

 

猛烈な勢いで口から青く太い光の筋が放射された。すんでのところでメガギラスは回避し、行き場を失った光の筋は昭和シェル備蓄基地を直撃した。

 

一気に新潟の夜空が真昼のように明るくなり、押し寄せる熱気に佐藤とカメラマンはたじろいた。爆炎の波は一気に拡大した。円錐形の石油タンク群が連鎖反応を起こすように炎を炸裂させ、膨大な火球が基地施設を呑み込んだ。

 

さらに放射された青い光はメガギラスの軌跡を追うように空を嘗め尽くした。東北電力新潟火力発電所の煙突が一撃で粉砕され、新潟西港、臨海町が文字通り吹き飛ばされた。

 

「ああああああ!!!!!」

 

完全にパニックを起こした佐藤の絶叫は、そのまま拡がる放射熱線が朱鷺メッセ万代島ビルを直撃した爆音にかき消された。日本海側最大の規模と高さを誇る万代島ビルはちょうど真ん中付近が爆砕、支えを失ったビル上部は炎を吹き上げながら落下し、朱鷺メッセコンベンションセンター、そして雪崩のように拡がる瓦礫の津波は万代島美術館から佐渡汽船ターミナルまで一瞬のうちに押し潰してしまった。

 

爆発と轟音に負けぬ咆哮を上げたゴジラは、黒い巨体を前進させた。激しく炎上する臨海地帯と朱鷺メッセの業火に照らされながら、信濃川河口付近より新潟市に上陸した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 45ー

・7月12日 19:26 東京都千代田区永田町2丁目 首相官邸地下一階 官邸危機管理センター

 

 

新潟港付近よりメガギラス現出との報告がもたらされたのは、2日前に発生した富山湾一帯の小型怪獣群出現および、昨夜発生した桜島噴火に対する激甚災害指定を決定する閣議の設置を協議している最中であった。新潟県庁より報告を受けた総務省自治局及び消防庁は、ただちに所管官庁の長である北島へと報告を上げた。

 

同時に、TBSで新潟市に怪獣出現の速報を流したとの情報も入り、危機管理センターのテレビが点けられたのだが、飛び込んできた映像はメガギラスではなかった。一同青ざめ、センター内の喧騒も静まり返った。

 

紅蓮の炎に照らされた黒くゴツゴツした皮膚、白と黒はっきり識別できる眼、大きく振り上げられた太い尾。60年以上前に東京、大阪、そして昨年やはり東京と浜松、湖西市を灰燼に帰した、恐るべき怪獣・・・。

 

「ゴジラ・・・」

 

そちらこちらから、乾いたつぶやきが上がった。

 

「バカな、和歌山県沖じゃないのか」

 

瀬戸が驚愕と憤りの混じった表情と声色でつぶやいた。

 

「すると、和歌山沖の怪獣は、なんなんだ?」

 

氷堂がつぶやいた。

 

にわかに閣僚周辺が慌ただしくなった。とりわけ総務、国土交通、防衛の各大臣にはペーパーを握った官僚が列をなすほどだった。

 

急遽官邸入りした荒川統合幕僚長が危機管理センター入りしたことで、事態の深刻さがはっきりした。高橋に書類を渡し、報告聴取に追われる各大臣たちの喧騒の中で、荒川は低くそれでいて野太い声で荒川への報告、説明を始めた。

 

「和歌山県沖のゴジラと見られていた怪獣に関しては、改めての詳細調査を命じました。また出現したメガギラスに対しては引き続いて航空戦力を以ての対応を行うとして・・・防衛省の幕僚会議では、かねてより省内でシミュレーションしていた複数の対ゴジラ作戦行動のうち、山岳地帯でのゴジラ封じ込めを骨子とした作戦が最適であると結論が出ました」

 

「すると、幕僚長。作戦Bー02を適用ということだね?」

 

高橋が訊いた。この場に及んではどうぜ閣議で説明するのだから声を潜める必要もないのだが、防衛機密を扱う職務上、つい小声になってしまう。

 

「左様です。山地に囲まれた新潟県の場合、東西南北いずれかの方角へ進行したとしても作戦Bー02での対応が最適と考えられます。また距離的にも、習志野と宇都宮の陸上総隊拠点から移動、作戦実施が充分に可能です」

 

慇懃な口調の荒川に、高橋は頷いた。

 

「わかった。総理始め閣議の席で私から説明する。具体的な作戦行動の立案を至急、頼む」

 

「承知しました」

 

 

 

 

 

・同時刻 新潟県新潟市中央区古町通り8番町 ラウンジ『サードプレイス』

 

 

市内随一の繁華街、古町通にあるラウンジ『サードプレイス』では、午後8時の開店前にママの希美とスタッフの瑛里華が支度をしていたところだった。

 

お通しのスナック盛り合わせを仕込み、制服であるドレスに着替えたとき、東の方から轟音と、猛獣が吼えるような音がした。

 

瑛里華が店の外に出て様子をうかがうと、同じように異様な音と地響きに戸惑う近隣のラウンジやスナック、キャバクラのスタッフや馴染みの居酒屋の大将らが顔を出していた。

 

明るいオレンジ色に染まる方向では、炎が天を突かんとばかりに立ち昇っている。新潟空港、はたまた西港の石油備蓄基地の辺りだろうか。鼻腔を刺すような焦げた臭いが漂い始めた。太鼓を力一杯叩くような音が2、3度響き渡り、都度風船のように炎が膨れ上がった。

 

砂埃がサッと立ち昇り、一陣の風が通りを走った。ネオン越しに空を見ると、何か大きなものが空を舞っている。

 

「おい、瑛里華ちゃん!」

 

向かいの水炊き店の大将が声をかけてきた。

 

「早く逃げなんせ、ゴジラ出たすけ!」

 

「はあ?ゴジラ?」

 

瑛里華が眉を顰めたとき、また耳をつんざくような轟音と、全身に発疹ができるような咆哮が聞こえてきた。何かを破るような大きな音がして、地響き、そしてパラパラと小石のようなものが降ってくる。

 

音がした方を見ると、通りの先、古町12番町辺りに蠢く、黒く大きな何かが見えた。

 

再び風が吹き、空を舞う羽根のようなもものが目に飛び込んでくる。怒号が通りを震わせ、黒い巨体が動いた。

 

これまで報道、そして動画サイトで見た存在でしかなかった、あのゴジラが通りの先にいる。そして空から急接近する、昆虫のような怪獣。

 

周囲の人々は息を呑んで見守っていたが、東堀前通り付近まで迫ったとき、上の階のママが悲鳴をあげた。思い出したようにゴジラと反対方向へ駆け出す人々。瑛里華は店に入ると、誰かと電話してる希美ママの肩をつかんだ。

 

「ママ大変!」

 

ちょうど電話を切った希美ママが、恐怖と困惑を混ぜたような表情で言った。

 

「新藤ちゃんから電話だったの。万代にゴジラが出たって・・・・・」

 

先ほどより激しい地響きがして、2人はよろめいた。水炊きの大将が店の中に駆け込んできた。

 

「あたけねで!逃げねとあぶねぇっけよ!」

 

まだ状況を呑み込めていない希美ママの手を引くと、瑛里華は外に出た。通りいっぱいに人が拡がり、一目散に走っている。地響きはより近づき、ゴジラは10番町付近まで達していた。足元の建物が激しくめくれ上がり、乗り捨てられた車両がおもちゃのように吹き飛ぶばされている。

 

人の流れに従い、とにかく国道116号線方面を目指して走り出す。目の前で横転したサラリーマンをよけると、とにかく瑛里華はママの手を引いた。いま気がついたが、ママはすっかりドレスアップしており、足元がヒールだ。瑛里華はドレスこそ着ているが、靴はスニーカーのままでトラックパンツを履いたままだった。

 

アパホテル前まで走ってきたとき、瑛里華は足を止めた。市のシンボルともいえる高層ビルのNEXT21方面から大勢の人々が駆けてくる上、暴走する車があちこちで衝突事故を起こしていた。地響きはより激しくなってきた。ビルの影で見えないが、ゴジラはここより北側の西堀通り辺りを進んでいるらしかった。

 

とにかく先の萬代橋を渡り、新潟駅方面へ逃れようとしたが、人の多さは年末の渋谷以上だった。萬代橋の方向は人の頭で埋め尽くされ、徒歩よりも動きが遅い。

 

アッ、と瑛里華は声を上げた。新潟空港方面から炎と黒煙が昇り、朱鷺メッセは無残にも途中から消失していた。焦げ臭さは勢いを増し、人の多さも相俟って息苦しい。

 

地面が波打ち、多くの人がよろけた。鼓膜が破れそうな大きい音がして、土煙が周囲に拡がった。反射的に、瑛里華はママの手を引いて大通りを外れ、脇の小道を縫うように信濃川を目指した。逃げる先は、むしろゴジラがやってきた古町10番町、東堀前通りだった。人の流れに逆流するが、全員が同じ方向へ逃れるより安全かもしれない、という咄嗟の判断だった。

 

自分もママもだいぶ息が切れてきたが、死にものぐるいで走るとやがて信濃川河川敷に出た。ここも大勢の避難者が溢れており、皆萬代橋を渡って逃れようとしている。

 

歩きづらいヒールのため、ママは壁にへたり込んだ。瑛里華が肩を支えたとき、再び鼓膜が揺れた。何かキラキラと輝くものが飛散し、土埃が破裂した。瑛里華は希美ママと抱き合い、死を覚悟した。揺れと埃が落ち着くと、河川敷の人々は足が止まっていた。顔や腕、足が赤く染まり、絶叫がこだまする。

 

瑛里華は建物わきから顔をのぞかせた。通りの先に普段見えるはずのNEXT21がなくなっており、ゴジラと昆虫型の怪獣・・・たしかメガギラスとかニュースでやっていた・・・が揉み合い、旧新潟三越が倒壊した。

 

人々は巻き上がったガラスの破片で怪我をしていたのだ。そして、ママが建物にもたれたことで、自分たちは無傷だったのだ。

 

それでも這々の体で河川敷を先へ逃れようとしたとき、猛烈な突風が周囲に拡がった。ゴジラとメガギラスはもみ合ったままホテルオークラ新潟を突き壊すと、萬代橋を押し潰した。バランスを崩したゴジラは信濃川に倒れ、メガギラスは勢い余って対岸のマンションをなぎ倒し、クラウンプラザ新潟に突っ込んだ。轟音と共に破片が周辺に降り注ぎ、瑛里華と希美ママはなす術なく地に伏せた。腕と背中に激しい痛みを感じ、瑛里華は一気に気が遠くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 46ー

・7月12日 19:36 新潟県新潟市中央区東大通

 

 

新潟大学3年、上坂優也はむせ返るような熱気と息苦しさ漂う国道7号線から一本裏路地へ逃れた。万代島から逃れてきた人の波、そして渋滞に業を煮やし車を捨てて逃げ出す、あるいは反対車線を走行しようと無茶なハンドルさばきをして電柱やガードレールに激突する運転手らの喧騒が少しは静かになる。

 

改めて北の方角を仰いだ優也は短く悲鳴を上げた後、二の句が継げなかった。朱鷺メッセは崩落し、暗闇でもわかるほど太く大きな黒煙が昇っている。愛するGATAKKOが辿った運命は考えるまでもなかった。

 

そして自宅がある臨海町付近は昼間のような明るさの炎が夜空を照らし上げている。もはや騒ぎが落ち着いたとしても、自宅へ帰ることは絶望的だった。

 

警察、救急車、そして消防車両が狂ったようにサイレンを鳴らしながら通りを駆け抜けるが、いずれも逃げ惑う群衆に行く手を阻まれてしまった。大きく木の幹が折れるような音がした。さっき頭上を飛び回っていた怪獣メガギラス、そしてこの目で見るのが信じられないのだが、黒い巨体を揺らしながら万代島に上陸した怪獣、ゴジラが信濃川対岸でもみ合っている。

 

ホテルオークラ新潟を巻き込んで倒れ込んだ2匹は萬代橋を押し潰し、吹き飛んだメガギラスがこちらへ飛んできた。クラウンプラザ新潟に激突し、瓦礫に埋もれるメガギラス。猛烈な土埃は一気に周囲へ拡がり、逃げ惑う人々の視界を奪い去った。

 

目前の埃煙を振り払い視界を確保すると、信濃川にそそり立つ黒い巨体がうなり声を上げていた。背鰭が青く発光し、同じ色の放電現象が起こる。恐怖を覚えるほど鮮やかな青い光だった。

 

背中一面じっとりとした汗をかいた優也が唾を飲み込んだとき、すぐ近くで爆発が起こった。瓦礫から飛び出したメガギラスが目にも止まらぬ速さでゴジラへ向かった。いま気が付いたのだがメガギラスの両腕は鋭利なハサミのようになっているのだ。

 

ゴジラの顔面めがけてハサミを突き刺そうとしたが、すんでのところで回避したゴジラは、口から青い閃光と共に熱線を吐き出した。メガギラスが飛び出したことで、ゴジラの熱線はこちらから闇夜へ飛んでいったことは幸運だった。

 

とにかくこの場から少しでも離れようとしたが、東大通から駅前通りに向けて避難する群衆が合流し、至るところで怒号と悲鳴が上がっていた。おしくら饅頭状態で交差点まで辿り着いたが、目の前がクラクラした。新潟駅までの通りはこれまで以上に人の頭でいっぱいであり、人の流れは新潟駅でせき止められているようだった。

 

左右両方に伸びる自由通路以外に駅を抜ける方法がない上、駅周辺の通りはどこも狭く、これほどの群衆が殺到しては動ける術がなかった。

 

甲高い咆哮が上空から耳に不快な刺激を与えてくる。舞い戻ったメガギラスが空中に滞留していた。やがてゆっくりと羽根を上下に羽ばたかせ始めた。

 

髪の毛が引きちぎられるほどの強風が吹いたかと思うと、耳が痛くなった。優也も周囲の人々も耳をふさいだ。不快な音が物理的に耳を攻撃してきた。

 

羽根の上下運動が激しくなると、やがて目にも止まらぬ速さで羽根が上下する。空気が波となり、メガギラスの真下を叩いた。超高速の振動がそのまま衝撃波となってLoveLa万代、新潟交通バスセンター、新潟日報ビル、新潟伊勢丹を粉砕した。大小無数の瓦礫が降り注ぎ、群衆が身を伏せた。

 

辛うじて歩道橋の陰に身を寄せた優也は、メガギラスがその状態でゴジラの頭上に迫ったところを目撃した。

 

信濃川の水面が派手に波打って堤防を襲い、T・ジョイ新潟万代が粉微塵になったが、ゴジラはうなり声を上げつつ歯ぎしりしている。

 

そのままゴジラの背後へ回り込んだメガギラスは尻尾の先端を尖らせた。獰猛なオオスズメバチの攻撃を思わせる速さでゴジラへ向けて急降下した。

 

ゴジラの咆哮が甲高くなった。メガギラスの尾が背中に刺さったのだ。大きく身をよじるが、メガギラスの尾は簡単には抜けないようで振り回されながらも口元を妖しく歪めている。

 

ふらつきながら八千代橋を川面に沈めたゴジラは、NST新潟総合テレビに倒れ込んだ。引っ張られるようにメガギラスも巻き添えとなり、粉塵の中ゴジラに尾をつかまれた。

 

そのまま乱暴に引っこ抜くと、ゴジラは尾を振り回し、市立南万代小学校にメガギラスを叩きつけた。

 

地面が大きく揺れ、優也たち避難民が倒れ込んだ。また青い光が輝いた。背鰭の放電が激しくなり、大砲を撃つような衝撃音が放たれた。

 

間一髪メガギラスは飛び上がり、的を外した青い熱線が春日町から弁天、そして新潟駅を直撃した。

 

一直線に大爆発が巻き起こり、優也はその場に頭を抱えてしゃがみ込んだ。歩道橋、動かない車列、そして通りにあふれる人々に瓦礫とガラスが燃えながら降り注ぎ、絶叫がこだまする。髪の毛が焦げる臭いがする。

 

轟音が止んできて、倒れた人々のうめき声、そして巨体の咆哮が遠くで聞こえた。メガギラスが燃え盛る炎のはるか上空へ飛び去り、ゴジラが背鰭を揺らしながら後を追い始めたのだ。

 

咳をしながら立ち上がった優也は、左足にズキンとした痛みを感じた。ガラス片が膝下あたりに突き刺さっている。

 

顔を上げて呆然とした。新潟駅万代口は業火に包まれ、群衆が横倒しになっている。嗅いだことのない焦げた臭いがしてくる。

 

痛む足を引きずりながら、とにかく少しでもこの場から離れようとした。だが交差点の先は倒壊したクラウンプラザホテルの瓦礫がすべてを埋め尽くしており、何人かが泣き叫びながら瓦礫の下へ声を上げたり、瓦礫を持ち上げようとしている。

 

優也は瓦礫に歩み寄り、ひしゃげた大きな鉄骨を持ち上げようとする人々に加わった。わけもなく涙が出てきた。

 

 

 

 

 

 

「・・・ちゃん!瑛里華ちゃん!!」

 

聞き覚えのある声でフッと意識が戻った瑛里華は、激痛にうめき声を上げた。

 

「瑛里華ちゃん!!」

 

希美ママが泣きながら自分を揺さぶっていたのだ。脇腹に鈍く強い痛み、そして左腕に焼けるような疼痛がある。

 

「ママ?」

 

吐き気を催すほどの痛みで声がかすれた。希美ママは額から血を流しているが、軽傷らしかった。

 

「瑛里華ちゃん!誰か、誰か救急車ー!」

 

ママの絶叫も、地獄の底から聞こえてくるようなうめき声と風の音で良く聞こえない。

 

顔を倒すと、自分と同じように地面に倒れた人たちが目に入る。数メートル先で倒れている中年の女性は驚愕に見開いたまま動かない。下半身が瓦礫に潰されているらしく、じわじわと赤い血が広がっている。

 

「おお!おおーい!希美ママだぞおー!!」

 

そのとき、水炊き大将の声がして、ドヤドヤと数人が駆け寄ってきた。近隣の飲食店組合の人々だった。

 

「ママ!大丈夫か!?」

 

「あっ、おい、瑛里華ちゃん怪我してるぞー!」

 

「救護班ー!来てくんなせー!!」

 

続々と馴染みある声がして、安心したのか希美ママが抱き着いてワンワン号泣し始めた。

 

 

 

 

 

 

・同日 19:58 鹿児島県奄美大島笠利町 奄美空港

 

 

『間もなく午後8時になりますが、NHKでは予定を変更して、このままニュース7を続けます。お伝えしてます通り先ほど午後7時17分頃、新潟県新潟市に韓国より飛来したメガギラス、そして和歌山県沖太平洋を航行していたと思われたゴジラが続けて現れ、新潟市中央区、西区、南区に甚大な被害が出ております。その後ゴジラとメガギラスは争うように南へ進行し、現在新潟県南蒲原郡田上町に達した模様です。なおゴジラの出現を受け、昨日発生した桜島噴火への対応を協議していた瀬戸内閣総理大臣はそのまま官邸危機管理センターにて緊急の閣議を開催、現在対応を協議中です。なおゴジラ、メガギラスの進行に伴い進路と予想される新潟県南蒲原郡、燕市、三条市、加茂市、見附市に避難指示、長岡市、小千谷市に避難勧告が発令中です。え、いま入りましたニュースです。被災対応に当たる新潟市消防本部及び新潟県警察本部からの情報によると、被害の大きかった新潟市中心部の放射線モリタリングポストに、著しい反応があったとのことです。これを受けて五十公野新潟県知事は・・・・・・』

 

離陸を待つ空港出発ロビーでは、これから東京へ向かおうとする人々がテレビに釘付けになっていた。

 

ここ数日日本を含む世界各地で怪獣出現が報じられたが、ゴジラ出現の報は別格だった。不安そうに連れ合いと語り合う人、テレビとスマホを交互に見て情報収集に努める人、真剣な表情でどこかへ電話している人でいっぱいだ。

 

飛行機へ乗る前に一杯ひっかけようとしていた緑川は、気の抜けたビールもすっかり忘れてテレビに夢中になっている。電話をかけに行った檜山が戻ってきた。

 

「やはりダメだ。佐間野・・・国交大臣含め閣僚には如何なる電話も取り次げないらしい。無理もないがな」

 

ため息混じりに言うと、椅子にかけているミラとリラに視線を向けた。一見眠っているようにも見えるが、固く閉じた目は意思があることを物語っていた。

 

やがて目を開くと立ち上がり、檜山と緑川に近寄ってきた。青白い顔をしてテレビに映る黒い巨体を見た。

 

「ずっと気になってたんだが、もしかしてお前たち、ゴジラを知らないのか?」

 

檜山が訊いた。これまで彼女たちからモスラ・バトラだダガーラだベヒモスだといった怪獣たちの名前は聞いていたが、思えばゴジラの名前が出てこなかったのだ。

 

「「ゴジラ・・・・・」」

 

力なくつぶやくミラとリラ。

 

「ねえ、モスラは何か話してたの?」

 

緑川が訊いたが、息を吸い込んだまま表情が硬い。

 

「こんな恐ろしい存在が、この世界に存在してるなんて・・・」

 

リラが絞りだすような声でつぶやいた。

 

「ダガーラともメガニューラとも・・・いえギドラとも違う。禍々しい波動を感じます」

 

ミラが2人に顔を向けた。

 

「言われてみれば、ゴジラは君たちの時代には存在しなかったんだろうな」

 

檜山は自分で言って納得した。

 

「この、ゴジラという存在はどうして産まれたのですか?これほどまでに慄き恐るべき存在を、地球が自然に育んだとは思えません」

 

「この時代の文明は、かつての文明よりも恐ろしい神を作り出したのでしょうか?」

 

2人の問いかけに、檜山も緑川も説明に窮した。

 

「話せば、長くなるんだけれど・・・それより、モスラは?」

 

「「到来を拒否しました」」

 

「・・・なんだって?」

 

「モスラは、相手がどうであれ戦うと言いましたが、私たちは来ないで、と説得したのです」

 

「モスラでもバトラでも・・・いえ2匹がかりでも敵いそうにありません。そんな相手に、みすみす死ににいくようなものです。来てはダメ、と祈りました」

 

緑川は絶句し、檜山はテレビに映る、古代文明の申し子すら戦慄する化け物を見遣った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 47ー

・7月12日 20:43 東京都千代田区永田町2丁目 首相官邸地下一階 官邸危機管理センター

 

 

「現在、新潟県内を進行中のゴジラに対し、かねてより防衛省内、並びに自衛隊幹部幕僚会議にて立案されたいくつかの作戦群のうち、出現地域、並びに予想進路を複合的に勘案した結果、対ゴジラ作戦B-02号の適用を提案いたします」

 

緊急安全保障会議の場において、高橋が時折メモに目を落としながら話した。

 

「具体的な作戦内容は、どのようなものですか?」

 

望月がうかがいがちに目を細めた。

 

「そちらに関しては、わたくしから」と、荒川統合幕僚長が挙手した。

 

「山岳地帯への侵攻を想定し、地の利を活かしたゴジラ封じ込め、及び動作を停止したところへの集中攻撃によって撃滅を図ることを目的とした作戦であります」

 

具体的には、と言いかけたところで、すかさず防衛省の官僚がA4の冊子を閣僚に配布した。

 

「まず、ゴジラを山岳地帯の溪谷、あるいは尾根の谷間へ誘導します。こちらの誘導は木更津と八戸の混成ヘリコプター隊が行いますが、指定された地点にゴジラが達した際、陸上総隊隷下の特殊作戦群、並びに第一空挺団により・・・資料3ページにある99式高性能単一指向性破裂弾、通称ブラスト・ボムを複数設置いたします。これによりゴジラへの直接攻撃を行うと共に、両側の尾根に仕掛けられた埋没式破裂弾を爆破することで、人工的に山崩れを誘発させます。多量の土砂によってゴジラの動きを封じたところへ、三沢基地所属のF2支援戦闘機による集中爆撃を敢行することで、ゴジラの行動を封じることを骨子とします。併せて、ゴジラと並走するように飛行するメガギラスに対しても、ゴジラ要撃地点付近にて航空攻撃を実行します」

 

普段から慇懃な荒川の説明に得心したように頷く閣僚、柳を筆頭に、効果に疑問を感じ首を傾げる閣僚、あるいは北島や佐間野のように、作戦実施に伴う住民の避難活動、交通機関への影響を懸念する閣僚など、反応は様々だった。

 

「防衛大臣、統合幕僚長。まず確認したいのだが」

 

瀬戸が口を開いた。

 

「この作戦によって、ゴジラを倒すことは可能だろうか?」

 

瀬戸だけではなく、誰もがまず疑問に感じたことだった。

 

「忌憚なく申し上げますが」と、実直な荒川は前置きをした。

 

「現時点では、このブラスト・ボムをゴジラに対して使用した実績がなく、効果の程は不確定要素が存在します。とはいえこのブラスト・ボムは、厚さ10メートルのコンクリート壁すら破裂させるほどの威力があることを実験で立証しておりますので、複数同時に炸裂することにより、ゴジラへの損害を多大なものにできると考えられます。また山崩れによるゴジラ封じ込めにより、少なくともある程度の侵攻阻止を果たすことは期待できます」

 

「しかしだねえ、去年の浜松では、ゴジラにはヘリのミサイルも富士からの誘導弾も効果なかったじゃないか。私はピンとこないがねえ」

 

柳が口を尖らせた。

 

「柳大臣、この作戦はゴジラ駆除も目的としておりますが、何よりも侵攻阻止を主眼としています。第一、戦車及び機動戦闘車、特科大隊の榴弾砲隊を配備するには、距離も時間も足りないのです。現状では、この作戦が機動性・即応性含めもっとも適当だと考えられます」

 

高橋がフォローしたが、柳は面白くなさそうに目をつむった。

 

「効果の程は別にして、この作戦、具体的にどこで実行に移されるのですか?それにより、該当地域の避難徹底を図る必要があるのですが」

 

北島が訊いた。

 

「作戦実行地帯はいま少し検討の余地があります。現在ゴジラは三条市まで達しましたが、予想進路の確定にはより詳細な分析が必要とされます」

 

「わかりました。作戦実行となった場合、避難指示の範囲が拡大される上、地元自治体との協議が必要です。総務省としては、可及的速やかなご検討を望みます」

 

北島の要望を受けて荒川は頷き、高橋は実行地帯の特定を急がせるよう村田に目配せした。

 

「総務大臣、新潟での避難は順調かね?」

 

瀬戸に訊かれ、北島はさきほど巡ってきたメモに目を向けた。

 

「避難指示が長岡、小千谷市へと拡大したことで、各地で交通渋滞、避難所の収容能力が限界を迎えるなど混乱が生じています。対象地域をより絞ることが可能であれば良いのですが、ゴジラとメガギラスがどこを目指しているか不明なため、一元的な発令しかできかねる状態です。逆に、独居世帯、高齢世帯を中心に、避難指示が出ても避難を拒む例もいくつか報告されています」

 

「生ぬるいこと言ってないで、さっさと避難命令を出せば良いだろう。こういうときは有無を言わせず避難所へ引っ張り出さんと」

 

柳の野次に、北島は険しい視線を向けた。

 

「我が国には避難命令のような、行政によって避難を強制する制度は存在しません。それに地震や台風と異なり、どこへ向かうかわからないゴジラのような怪獣出現による避難活動はある程度の『ブレ幅』が必要だと、昨年の閣議で決定したはずですが」

 

この無知で浅はかな老人を、いますぐにでも叩き出してやりたい衝動を、北島は抑え込んだ。

 

「とはいえ、せめてゴジラの進路がある程度予想ができればありがたいことはたしかです。それによって運行・通行が可能な交通機関・道路の活用が検討できますから」

 

佐間野は腕組みをして、北島と高橋に視線を向けた。

 

「それに関して・・・・・有識者をお招きできました」

 

岡本文科相があわてた様子の所管官僚からメモを受け取り、思わず立ち上がった。

 

「京都大学の尾形大助教授が到着されました」

 

米沢が危機管理センターに尾形を招き入れた。閣僚たちは立ち上がると、尾形を出迎えた。

 

「尾形先生、ご足労をおかけしまして」

 

そう言って頭を下げる望月に、尾形は一礼をして返した。メガギラス出現によって東アジア全域における商用航空便飛行停止措置が発令されたが、外務省が手を尽くし、たまたま日本へ戻ろうとプライベートジェットに搭乗していた在大阪カナダ領事の便に尾形を同乗させてもらい、商業便よりもやや早く日本へ戻ることが叶った。

 

ちょうど羽田に到着したタイミングでゴジラ出現の報告がもたらされ、外務省と文科省で尾形を安全保障会議へ招集することにしたのだ。

 

「お疲れのところ、誠に恐れ入ります」

 

氷堂が頭を下げた。

 

「いえ。それより、羽田からの車内で詳細はうかがいました。ゴジラの進路予想に関して、ですか」

 

尾形が言うと、特に高橋と佐間野、北島が感心強い視線を送った。

 

「・・・では、まずはこちらのモニターにご注目ください」

 

尾形が言うと、官邸の職員がモニターにとある写真をいくつか表示させた。いずれも白黒写真であり、停電したのか暗いビル街、ひときわ明るく目立つ火災、そして川を巻き上げながら争い合うゴジラとアンギラスが写っていた。

 

「これらは65年前、大阪に現れた2頭目のゴジラを捉えた写真です。ご覧の通り、大阪湾から上陸したゴジラとアンギラスは、淀川を遡上しながら内陸部に達し、中之島から大阪城へと到達したところでゴジラが勝利しました。その後、こちら右下の写真にある通り、ゴジラは淀川を下って大阪湾へ逃れました」

 

「尾形先生、65年も前の写真を引き合いにして、要するに何を言いたいのですかな」

 

瀬戸と望月以外には誰にでも不平をぶつける柳が、忌々しそうに毒づいた。

 

「ちょっと待って」と、北島が写真に集中した。

 

「・・・ゴジラは、いずれも淀川を移動している・・・・?」

 

そうつぶやいた高橋に、「その通りです」と、尾形は言った。

 

「便宜上、私はこの個体を2代目と呼称しておりますが、一番初めに東京を襲撃し東京湾底に沈んだ初代と異なり、移動経路がある程度一定しています。かつて水棲生物だった頃の名残なのでしょうか、2代目は水のある場所を好んで移動していると考えられます。もちろん、仮説の域は出ませんし、昨年の東京・浜松でも上陸後すぐ会敵したためなお議論の余地はありますが、今回新潟から上陸したゴジラの経路をご覧いただきたいと思います」

 

おそらく移動の車内で書いたものだろう、手書きの簡素な地図にゴジラが進んだ経路が表示された。

 

「そうか、今回ゴジラは上陸後、ほぼ信濃川に沿って進んでいる・・・」

 

佐間野のつぶやきに、尾形は我が意を得たりと頷いた。

 

「申し上げたように、仮説の域を出ませんが、より確度が高まったと私は考えております」

 

尾形が話す間、高橋は最新のゴジラ侵攻地点を問い合わせた。

 

「20:42現在、ゴジラは燕市を侵攻中。やはり、信濃川を南下しているとのことです」

 

高橋の報告に、北島が挙手した。

 

「すると、ゴジラは今後も信濃川を遡上するように侵攻する、と考えてよろしいのですか?」

 

「ええ。私はそう見てます。そして今後ゴジラがさらに侵攻した場合、ここが分岐となると考えられます」

 

表示されたグーグルマップのとある地点を、尾形は指した。

 

「長岡市、小千谷市を通過後、ここ越後川口付近で信濃川が分岐します。ここからJR飯山線に沿うように長野方面へ向かうか、はたまた魚野川に沿って魚沼・越後湯沢方面に抜けるか・・・私は後者を推します。なぜならば、いずれの方角へ進んだ場合も山脈地帯にぶつかりますが、地形上もっともゴジラが進みやすいのは、この地点だからです」

 

次に指したのは、新潟県南部・清津峡だった。

 

「険しい谷間ではありますが、川沿いを進むとなった場合、このルートになることでしょう。三国峠を超えるとは思えませんし、長野方面である津南・飯山よりも進みやすいはずです」

 

尾形の話は仮説の域を出なかったが、これまでのゴジラの行動からすると説得力があった。高橋と荒川はただちに作戦実施地点の特定にかかり、北島は消防庁担当者と該当区域の避難状況に関して素早く打ち合わせた。

 

「それであれば、信濃川沿いに避難指示を徹底させることで、地元自治体の避難対応における負担は軽減されます」

 

北島に続き、高橋が手を挙げた。

 

「現在、作戦を実施する特殊作戦群と第一空挺団が入間で合流、群馬県相馬原駐屯地を目指しています。相馬原からであれば、ゴジラがいずれかの地域に進んだとしても作戦展開・実施が可能です。陸上総隊指令部には、各所の地形を調査し作戦に当たるよう、通達しました」

 

ある程度だが先が見えたことで、閣僚たちは活気づいた。

 

「現在新潟県南部には、大雨洪水警報が発令中です。現在も十日町市と越後湯沢で一時間に200ミリを超える雨量が観測されていますが、警報発令に伴い既に避難が為されています。作戦実施による避難活動もスムーズに進むと考えられます」

 

気象庁の担当官と話した佐間野が答えた。

 

そのとき、血相を変えた官邸と防衛省の官僚がメモを握って高橋に駆け寄った。

 

「なにッ・・・!海上自衛隊横須賀総監部より緊急連絡です。志摩半島沖で巨大生物警戒に当たっていた護衛艦はたかぜといずもが沈没、海中を航行していた潜水艦群にも損害が出た模様」

 

続いて、青い顔をした佐間野が発言した。

 

「三重県志摩市に津波到達、高さ8メートル。気象庁より、東海地方沿岸に大津波警報が発令されました」

 

北島にも、消防庁の職員が駆け寄った。

 

「和歌山県那智勝浦町、新宮市に津波被害。未確認ですが、旧浜松市・湖西市にも津波が到達したとの情報が寄せられています!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 48ー

・7月12日 21:04 三重県志摩半島沖南東60キロ海底

 

海上自衛隊第一潜水群第五潜水隊そうりゅう型潜水艦「はくりゅう」

 

 

艦内の揺れも収束し、榎並は「被害状況確認!」と幾度か叫んだ。

 

「左舷損傷、若干の浸水あり!」

 

「魚雷発射口、破損!修復中!」

 

続々と報告が上がるが、エンジンやローターに損傷は認められず、再浮上が可能であることは確認できた。

 

榎並は制帽を直しながら、忸怩たる思いを隠さず歯を食いしばった。

 

当初、九州南西海域から追跡してきた巨大生物は、大きさからゴジラかと思われる、と報告したことは間違いない。その報告がひとり歩きしたことは事実ではあるが、榎並自身、追跡する対象がゴジラであってほしかった。昨年、東京湾にてみすみすゴジラの東京上陸を許してしまった出来事が念頭にあったのだ。

 

だからこそ、志摩半島沖の駆除作戦にて決着を着ける思いで後を追ってきたのだ。だがゴジラが新潟県に上陸したという報せを受け、再度追跡対象の詳細調査を命じられたときは愕然とした。アレがゴジラでないのなら、一体なんだというのだ?ゴジラに匹敵するほどの怪獣だとでもいうのか?

 

それでも、志摩半島沖での駆除作戦は予定通り実行されることとなり、なおも追跡を続けたときだった。先方が急に速度を速めて東へ向かい始めたのだ。

 

艦の最高速度を以てしても追いつけない速さであったため、上空で作戦実行待ちの対潜哨戒機P-3C、そして駿河湾上で待機していた護衛艦はたかぜ、いずもに対し威嚇のための爆雷投下を要請した。

 

水中では地上以上に音と振動が伝わる。30キロも離れた場所で炸裂した爆雷群がこちらでも確認できたとき、猛烈な海流が確認された。

 

はくりゅうは突如巻き起こった海流に為すすべなく航行不能となり、海底に激突、これ以上の追跡は困難となった。

 

それでもはくりゅうは幸運だった。猛烈な海流は海中だけでなく海上にも巻き起こった。駿河湾に大津波が発生し、護衛艦はたかぜ、いずもが転覆。そのまま和歌山県、三重県、静岡県に津波が襲来したのだ。

 

だが・・・榎並は唇を噛んだ。目標がゴジラではなかった上、作戦展開上仕方がなかったとはいえ自身の要請で攻撃が行われた結果、護衛艦2隻が失われ、昨年の黄金龍による被災からようやく復興し始めた東海地方は希望の芽を摘まれることとなった。

 

そもそも、攻撃に反応して如何なる手段で大津波を引き起こしたというのだろうか。ゴジラではないとはいえ、いったい自分たちはどれほどの相手と相まみえているというのだろうか。我々の常識が通用しない相手だというのか・・・。

 

「艦長、横須賀の総監部からです」

 

副長の新島が話しかけてきた。

 

「爾後の追跡・攻撃は横須賀の第二護衛隊、並びに第二潜水隊群、厚木の第三航空隊が引き継ぐとのことです。当艦には、呉への帰投が命じられました」

 

目の前が暗くなった。固く目を閉じたまま、「わかった」とだけ答えるのが精いっぱいだった。

 

「再浮上後、当艦は呉へ帰投する。最後まで、諸君一層、気を引き締めるように」

 

目を開いた榎並は、自身に言い聞かせるように宣言した。

 

 

 

 

 

 

・同日 22:07 東京都千代田区永田町2丁目 首相官邸地下一階 官邸危機管理センター

 

 

「現在、巨大生物は旧浜松沖50キロ海中を東へ向けて航行中。横須賀の艦隊群と厚木航空隊にて対象の追跡を継続しております」

 

高橋の報告はいつもの淡々としたものではなく、焦りがいささか滲んだものだった。

 

「攻撃は?再度、行われるのか?」

 

瀬戸が訊いた。

 

「進行方向次第ですが・・・首都圏への接近が確実となれば、千葉県館山沖10キロの地点にて総攻撃を実施する方針です。横須賀の総監部に近く、いわばホームグラウンドでの迎撃となるため、同時多重攻撃によって撃滅を期すことを目的としております」

 

今度は荒川が答えた。

 

「とはいえ、相手は先の攻撃に反応してあれほどの津波を引き起こしたのだろう。もし東京湾にて同規模の津波が拡がった場合、湾内沿岸は壊滅的な被害を受けるはずだが」

 

瀬戸の懸念はもっともだった。ようやく機能が回復し始めた東海地方の自治体から寄せられる津波被害は、極めて深刻だったからだ。

 

「先はあくまで威嚇のための爆雷投下でした。今回は集中投下型の爆雷に加え、同時展開する潜水艦群からの魚雷にて対応します。また相模湾手前にて、対象の詳細を明確にすべく潜水カメラ、ソナー群での調査を行います」

 

そう答える荒川にも、若干の焦りと緊張が見られた。正直なところ、相手が未知数すぎるのだ。恒例の同時多重攻撃を敢行して撃滅できる保証もない。できることを精一杯こなすのだ、そう言外に聞こえてきた。

 

「津波の被害は、その後どうかね?」

 

瀬戸が訊くと、北島の背後からメモが渡された。

 

「22時現在、死者340名、負傷者・行方不明者は相当数に上っています。新宮市では熊野速玉大社まで浸水被害、旧浜松、浜名湾では建設会社の復興拠点が津波で複数流され、静岡県焼津市でも床上浸水が報告されました」

 

北島の報告で、深刻な嘆息があちこちから漏れた。

 

「作戦上とはいえ、自衛隊の攻撃で相手が怒り心頭となったわけだ。これは不可抗力だろうが、批判は今後大いに予想されますなあ」

 

柳が誰ともなくつぶやいた。高橋と荒川は目を伏せ、北島は冷たい視線を柳に向けた。

 

「ゴジラの状況は?」

 

瀬戸が空気を変えるように、高橋と荒川に訊いた。

 

「22時現在、見附市から長岡市へ達しました。上空ではメガギラスが旋回、ゴジラと小競り合いを繰り返しながら南下を続けています」

 

高橋が答えた。

 

「長岡市では避難に伴う混乱が発生。交通渋滞はもちろん、複数の事故と・・・駅前では群衆雪崩によりけが人が多数出ているとの報告です。現在近隣の消防、警察・・・予想進路外の柏崎や米山といった自治体ですが・・・応援を要請しているものの、引き続き混乱は避けられないものと思われます」

 

「現在、関越自動車道は新潟県内全域で通行止め、上越・北陸新幹線も運行を見合わせてます。避難誘導は信濃川沿いを中心に行われてますが、避難対象地域外でも自主避難を始める住人が多く、交通統制の徹底を図ることである程度の鎮静化を進めております」

 

北島、次いで佐間野が答えた。

 

「報告によれば、新潟市、長岡市はともかく、周辺自治体の避難活動は比較的順調と聞いておりますが?」

 

望月が北島に訊いた。佐間野が頷き、代わりに答えた。

 

「新潟県は道路交通網が他県に比べて発達してます。バイパスの多い国道・県道共に高規格である上、日本一ともいえる水田地帯を抱えるため、広域農道も多く郊外へ逃れやすい環境です」

 

「田中角栄に感謝すべきだな」

 

柳のつぶやきはさておき、高橋に新たなペーパーが届けられた。

 

「作戦B-02を実行すべく出動した特殊作戦群、第一空挺団が群馬県相馬原駐屯地に到着しました。これにより、ゴジラの進行方向如何での作戦実行地帯へ迅速に向かうことが可能です」

 

「折からの新潟県南部の豪雨災害により、既に陸上自衛隊高田駐屯地の第二普通科連隊が災害派遣で十日町・石打地域へ出動しています。ゴジラの進路を調査・分析するよう、現地行動隊に追加で命じました」

 

高橋と荒川が答えた。

 

「いずれにせよ、山岳地帯での作戦実行となるため、明日明け方に作戦開始となります。必要な装備・兵器はそろえておりますため、あとは飯山方面か、十日町方面かで実施個所の見極めを行うのみです」

 

荒川の言葉に頷くと、瀬戸は北島に向き直った。

 

「飯山・十日町地域は、豪雨によって既に避難活動が行われているが、ゴジラ接近による再避難への対応はどうなっているかね?」

 

「尾形教授が話された通り、ゴジラは信濃川沿いを進んでいるため、飯山・十日町各所において比較的河川に近い避難所はより内陸への避難を進めております。再避難場所の選定に手間取る自治体もありますが、今夜半には目処がつくそうです」

 

「わかった。なおも速やかな対応を頼みたい。自衛隊の作戦実施時、住人が逃げ遅れているといったことのないように」

 

瀬戸が言うと、北島は頷き、消防庁の担当者と短く打ち合わせた。

 

「これは私の素朴な疑問ですが」と、望月が口を開いた。

 

「ゴジラは何か、明確な意思を持ってどこかを目指しているのでしょうか?」

 

誰に訊いたわけでもなく閣僚たちは返答に窮したが、高橋が気を取り直して言った。

 

「ゴジラに意思はあるか、どこへ向かおうとしているのかは不明です。ですが、防衛省では今後、首都圏への侵攻を念頭に対応を図っております」

 

「国交省でも、ゴジラが新潟の防衛網を突破した場合を考慮して、総務省・警察庁と連携し首都圏における鉄道網・道路交通網を駆使した避難計画の策定・確認を既に行っております」

 

佐間野が言うと、縁起でもない、と言いたげに高橋と荒川が睨みつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 49ー

・7月13日 3:20 新潟県中魚沼郡津南町下船渡 津南町文化センター

 

 

「田沢地区と堀ノ内地区は・・・了解、避難完了な。あと、西田尻と倉俣は・・・ひっちゃかめっちゃかか。よし、引き続いて確認頼むすけ」

 

自家発電機のエンジン音に片耳を塞ぎながら通話を終えると、十日町市防災安全課長の相山慎平は建物を出て、続々と避難者が集まる文化センター駐車場に目を馳せた。

 

ゴジラが新潟市に出現した際、市役所で折からの豪雨災害指揮を執っていた相山だったが、ゴジラの進行方向によっては十日町市への襲来が予想されたこと、総務省及び新潟県庁から信濃川・清津川沿いの避難徹底を要請されたこともあり、主に河川沿いの指定避難所となっている行政センター、小中学校から別な避難場所への選定・移動計画を速やかに作成、実行に当たっていた。

 

河川流域地域避難徹底要請が出されたことは、信濃川沿いに街が開けた十日町市にとって街を捨てることに他ならなかったが、豪雨によってある程度避難が進んでいたことは助けにもなった。そもそも信濃川の水位が増しており、住民の抵抗が予想よりも少なかったことは幸いと言えた。

 

午前1時過ぎ、ゴジラの十日町市侵入が決定的となったころには、最大の人口を有する市の中心部から国道253号線を経て塩沢地域、湯沢地域への避難を済ますことができていた。その先で予想進路とされる清津川流域は上流からの土石流に加えて土砂崩れが至る所で発生していたことで道路の寸断、停電が生じていた。石打方面へ逃れられる国道353号線が土砂によって封じられてしまったため、避難経路が断たれてしまったのだ。そこで近隣の津南町へ避難受け入れを要請したところ、津南町はこれを了承。十日町警察署と連携し飯山方面への二車線一方通行という交通規制が行われた国道117号線を利用して避難を図ったことで、十日町市南部の避難も順調に進んでいた。

 

だが津南町も豪雨によって生じた土砂崩れで町内全域が停電しており、自家発電による不安定な電力供給では有線による電話・ネット回線が心許なく、市内各所及び県庁、警察・消防との通信は各々携帯電話に頼るしかない有様だった。

 

「慎ちゃん」

 

背後から声をかけられた。消防の合羽を着用した同級生の芳沢順だった。

 

「おお分団長。避難誘導おごったね」

 

「だすけさー、ばか雨降ったすけよぉ。でも上がってくれたのが何よりでぇがて」

 

芳沢が言う通りだった。日付が変わる頃には雨が上がり、3時を回ったころには雲も晴れて星空が見えてきた。

 

豪雨によって大地も空気も冷やされ、夏にも関わらず肌寒かった。半そでで避難している中学生たちが両腕をさすりながら車を降りて、避難所として開放された文化センターや商工会議所へ入っていく。

 

「慎ちゃん、避難の目処はついたがい?」

 

「おお、西田尻と倉俣地区の安否確認できれば完了だすけ」

 

「あそこばか土砂崩れ起きてひっちゃかめっちゃかだすけよぉ、あっちの分団ごーぎに忙しかったがーて」

 

「しかもゴジラ、そっちへ向かうって県警から連絡きたすけよぉ、確認急がしてぇがーて」

 

事態は深刻だったが、相山も芳沢も同級生同士顔を合わせたことで、避難の混乱が続いた中で一息つけられた気分になった。

 

そのとき、商工会議所の玄関が騒がしくなった。誰かが大声を上げ、眠たい目をこすりながら会議所の職員がこちらを指さしていた。

 

「あれ?あのおんつぁ、倉下小学校の田口校長先生でねすか?」

 

芳沢が言った。あちらも気が付いたらしく、こちらへ駆け寄ってきた。

 

「相山課長ー!おごったー!!」

 

「どんげしたの校長先生、でぇっこい声出してぇ?」

 

駆け寄ってきた田口校長は、息も切れ切れに話し始めた。

 

「あ・・・あれ、消防と警察よばってくんなせや!」

 

「先生落ち着いて。どんげしたのよ?」

 

校長の勢いを落ち着かせるべく、相山は穏やかな声色で訊いた。

 

「しょ、小学校に児童9人と、棚倉先生が取り残されてるんらて」

 

「えっ!?どうしょば・・・」

 

相山は芳沢を見遣った。芳沢も愕然とした表情をしていた。倉下小学校は県道389号線、清津峡手前にあり、当の389号線は道中至る所で土砂崩れが報告されていた。そのうえ清津川と山の畝から流れる支流の水量は危険水位を迎えており、夜間ということもあり、二次災害を防ぐべく下流域で侵入を防いでいたのだ。

 

加えて清津峡は自衛隊によるゴジラ要撃地点に指定されたこともあり、午前2時過ぎから自衛隊の特殊部隊がヘリで降下し、攻撃の準備を進めていると通達があった。

 

「たしかあそこの子ら、西田尻地区から通学してたすけ・・・」

 

芳沢がつぶやいた。

 

「親御さんたちの何人かが県道上ったんだけども、ちっとばかも進まねぇて。土砂崩れひどくて・・・」

 

息切れしながらもそう話す校長。芳沢は消防無線で清津地区の分団に連絡を取ってみた。

 

「ダメだ、つながんねぇすけ」

 

「課長、何とかしてくんなせ!子どもらと棚倉先生危ねぇすけ!」

 

必死の形相で迫る校長。とにかく県庁へ連絡をしようと電話を手に持ったとき、電話がなった。新潟県庁からだった。

 

「十日町、相山です・・・。えっ!ゴジラが清津川へ進みだして・・・夜明けを期して攻撃!?」

 

相山は東の空を仰いだ。うっすらと明るくなりつつあり、夜の闇が押し出され始めていた。

 

風が心なしか強くなってきた。清津峡の方を向くと、まだ暗い空に点が見える。そしてその点は、ゆらゆらと空を舞っている。かすかに猛獣の吼えるような声がした。そして、地の底から聞こえてくるような、ズン・・・ズン・・・という、不気味な振動音。

 

空がけたたましくなった。明け方の空に、戦闘機の爆音が響き出した。

 

 

 

 

 

 

・同日 3:34 東京都大田区羽田空港3丁目 羽田エクセルホテル東急

 

 

うつらうつらとベッドの中でまどろんでいた檜山は、隣室の緑川から電話を受けたことで飛び起きた。

 

羽田に到着したのは昨夜23時近かった。当初はその日のうちに緑川の知り合いである興信所の社長と雑誌『UTOPIA』担当者に落ち合う予定だったが、夜遅くなったことと、雑誌記者が取材の精査を行わせてほしいと要請してきたことで、一晩羽田に宿泊し翌朝合流することとした。

 

熱いシャワーを浴びて床についたが、まんじりともできなかった。ゴジラが新潟県を縦断して未明に掃討作戦が開始されると繰り返すニュースが気になること、そして隣室の姉妹も気になっていた。

 

同じ人間なのだろうが、夜はしっかり休むのだろうか、モスラと交信することで疲れてはしないか、気になるというか、心配してしまうのだ。

 

それでも明け方になり、意識が飛び飛びしていた矢先だった。

 

「どうした?」

 

『起こしてごめんなさい。ちょっと来てもらえる?ミラとリラがケンカしてるの』

 

どうにもため息が出そうだった。昔、宿直先へ妻の美佐枝が娘二人のケンカ仲裁してほしい、と夜中にしてきたことを思い出した。

 

ホテルのガウンを羽織ると、一杯の水を飲んで隣室へ向かった。緑川が出迎えて室内へ入ると、檜山が想像していたケンカではなかった。

 

自身の娘である真希と真子は普段とても仲が良いが、ひとたびケンカとなれば取っ組み合いひっかき合いのケンカを繰り広げる。だがミラとリラは互いに向かい合い、ミラがリラの肩に手をかけていた。リラは泣いていた。

 

「私、そんなの我慢できない・・・。ミラはモスラもバトラも死んでしまって良いの?」

 

涙声のリラだったが、そんなリラをミラが窘めているようだった。

 

「リラ、私だってモスラもバトラも大事だよ。でも、モスラはどうしてもゴジラと戦うって話してる。守らなきゃいけない命があるから戦うんだよ」

 

「でも・・・でも・・・」

 

「思い出して。私たちに古来から伝わる伝承を。モスラは、自分よりも他者を愛し大事にする私たちを守ってくれる存在だって。皆が大事な人を命に換えても守るんなら、私はそんな皆を守ります、って。守るために傷ついた私たちの祖先を、優しく癒してくれたことを。やっぱり、私たちが何を言っても、モスラは私たちを暖かく守ってくれるんだよ。もう一度考えようよ?私たちは、モスラの無事を祈ることも大切だけど、私たちのために戦い傷ついてしまうモスラのために祈るのが使命なんだよ?」

 

リラは相変わらず涙を流すが、やがて泣きながらも頷いた。ミラはそんなリラを抱きしめると、リラを促し、檜山と緑川に向き直った。

 

「「檜山さん、緑川さん。やはり、モスラもバトラも戦います。いまから、ゴジラとメガギラスが争う地へ向かいます」」

 

2人はいつの間にか、普段の使命感溢れた巫女の顔になっていた。

 

「「でも、勝てないかもしれないけど・・・きっと負けません。負けないように私たちが祈ります」」

 

そう言うと、ベッドの上にひざまづき、目を閉じて祈り始めた。悲壮感、あるいは必死ともいえる覚悟を込めた祈りなのだろうが、不思議と心が安らぐような心地を檜山と緑川は感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※おごった → 大変だ


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ーChapter 50ー

・7月13日 4:30 新潟県十日町市小出葵 十日町市立清津倉下小学校

 

 

『この時間は予定を変更して、東京半蔵門のスタジオから吉住紀美子がNFN、日本エフエムネットワーク報道特別番組をお送りしております。お伝えしております通り、昨夜新潟県新潟市に上陸したゴジラは、4:20現在新潟県十日町市付近を侵攻中。政府はゴジラと、争いつつ侵攻を続けるメガギラスに対し4:40を期して総攻撃を実施すると発表しました。こちらに関しては続報が入り次第お送りします。この時間の最新ニュースです。新潟県警察本部の発表によれば、昨夜上陸したゴジラにより、新潟市だけで犠牲者が5万人に及ぶとのことで、現在犠牲者の身元確認と負傷者の救助が夜を徹して行われております。ただ、ゴジラが発した放射能熱線により、市内中心部では高濃度の放射能汚染が深刻さを増しており、救助活動に著しい支障が生じております。続いてのニュースです。米国自然災害危機管理庁は、ユタ州イエローストーン自然公園噴火の兆候が一層高まったとして、ユタ州、ワイオミング州、アイダホ州全域に避難勧告を発令しました。続いて、インドネシア・西パプア州政府は、ニューギニア島山間部で発生した大規模火災が消火活動の甲斐なく今後さらに拡大するとし、西パプア州全域に非常事態を宣言しました。この火災は、放火による人為的なものであるとの情報も寄せられ、インドネシア政府は・・・・・・』

 

棚倉はラジオに耳を傾けながら、はやる心を必死に押し殺していた。豪雨の情報が気になり、児童たちを休ませてからもずっとラジオを聴き続けていたのだが、ゴジラが新潟市に現れ、県南地域に侵攻しているとのニュースが入ってからはより一層目が冴えた。

 

午前2時、ゴジラが越後川口から十日町方面へ向かい始めてからというもの、情報源がラジオしかないため気が気ではなかった。もし、この清津峡に侵攻してきた場合を考え、児童たちが休んでいる隙に外へ出て、避難路の確認に動いたのだが、普段児童たちの遊び場になっている裏山では土砂崩れがあちこちで起きており、のどかな遊歩道は完全に流出していた。

 

下流に注意を向けたが、清津川は濁流となって県道の橋すぐ真下に迫っていた。さらにその先では、県道が堤防ごと川に雪崩れ込んでおり、下流へ逃れることもできそうになかった。

 

夜半になって雨が上がったのは幸いだが、濁流がすぐに収まる保証もない。とにかくこうしてラジオに耳を傾け、ゴジラの進行方向に神経を集中させるしかなかった。

 

だが3時過ぎ、低学年の子どもたちがトイレに起き出してきた。子どもたちに余計な不安を与えぬべくラジオの音を極めて小さくはしていたが、棚倉はしばらくの間ラジオの電源を切り、夜のトイレに怯える子どもたちを励ましつつ用を済ませた。

 

その後も上空を何度か戦闘機が飛び交い、子どもたちが目を覚ましてしまった。そのたびにラジオを切り、話し相手になることで不安を和らげようとする。そのため満足にゴジラの進行状況が把握できない時間が続いていた。

 

海外のニュースも気になるが、とにかくゴジラの情報をもっと報じてほしかった。十日町に侵入したらしいことはわかったが、どこへ向かおうとしているのか。飯山方面へ抜けてくれるなら・・・だがどこへ抜けようとも、ゴジラが歩くだけで家が潰され、道路が踏み抜かれ、その後残留放射能に苦しめられる土地が増えるばかりだ。

 

昨年、大学4年の夏休みを利用してサークルの仲間たちとゴジラに蹂躙された北海道の厚岸町に災害復旧ボランティアとして行ってきたのだが、町の中心部は放射能除染が遅々として進んでおらず(東京の除染が優先されたため)、今後数年に渡り帰還困難区域となってしまっていた。復旧の手伝いどころか、仮設住宅で炊き出しの手伝いをするだけに終始してしまった。

 

『・・・いま入りましたニュースです。防衛省によれば、新潟県清津峡にて実行される予定だったB-02作戦、ゴジラ撃滅作戦を一部中止、指向性爆弾のみの攻撃とすることを決定しました。現在、作戦実行地点である清津峡にて、昨日の豪雨災害により孤立していた小学校に児童・教師が取り残されているとのことで、陸上自衛隊特殊作戦群による救出活動が行われる見通しです』

 

全身に衝撃が走った。同時に、昇降口から人の声がした。

 

「誰かいないかあー!」

 

棚倉はラジオを切り、子どもたちが雑魚寝している教室へ急いだ。

 

「先生、誰か来たみたい・・・」

 

案の定、子どもたちは声に反応して全員が目を覚ましていた。恐怖で顔が引きつる子もいた。

 

「大丈夫、だからね」

 

そう言う棚倉も一瞬言葉が詰まった。

 

ドヤドヤと音がして、全員が身を強張らせた。ずぶ濡れ、泥まみれの男性2名が入ってきた。

 

「棚倉先生ですか?」

 

恐怖のあまり、声も発せず頷いた。子どもたちが怯えるように身をすくめたので、棚倉は守るように手を広げた。

 

「陸上自衛隊の者です。ゴジラが近づいています。一緒に来てください」

 

先に教室へ入ってきた男が声を上げた。よく見ると小銃を携行しており、顔は黒く塗られている。助けに来てくれたとはいえ、いままで自分たちしかいなかった空間に他人が入ってくるのは、いささかの恐ろしさがあるものだ。

 

「は、はい。でも、土砂崩れで逃げ場が・・・」

 

「大丈夫です。ヘリを要請しました。間もなく校庭に参ります。降りたらすぐ、乗ってください」

 

後ろの隊員が落ち着いた声で言った。

 

「・・・わかりました。みんな、支度して、行くよ」

 

「先生、ゴジラってどぉしたの?」

 

「ゴジラ、またきたの?」

 

子どもたちにはゴジラが迫っていることを話していないのだ。低学年の女の子が涙を流し始めた。

 

「こわい・・・ゴジラこわい」

 

「大丈夫だよ萌絵ちゃん。ゴジラが来る前に助けに来てくれたんだから、ね。みんな一緒だから、行こ」

 

棚倉が励ますと、高学年の子どもたちが「ほら、大丈夫だよ」「泣かないで」と一緒に励ましてくれた。

 

『T-01、こちらブラックホーク2号。メガギラスはF-15の誘導により越後川口方面へ向かった。ゴジラは西田尻付近を侵攻中。あと3分で現着予定。送れ』

 

隊員の無線が鳴った。

 

「T-01了解。児童・先生全員の無事を確認。校庭にて待機する。送れ」

 

『ブラックホーク2号、了解。終わり』

 

「さ、先生。お早くお願いします」

 

隊員に促され、棚倉は子どもたちと昇降口へ向かった。たしかに、ヘリの音がする。

 

「あの、ここでゴジラを迎え撃つってラジオでいってましたけど?」

 

棚倉が訊いた。隊員が県道の突きあたり、清津トンネル付近を指さした。

 

「つい先ほどまで、あの山の裏側から徒歩で侵入し、山の尾根伝いに爆弾を設置しました。ゴジラがあそこに足を踏み入れたが最後、強力な爆風でゴジラ抹殺を図るのです」

 

「もしゴジラが突破しても、さらに奥の尾根にて現在爆弾を設置中です。人工的に山崩れを起こし、ゴジラを生き埋めにしてしまうのです」

 

私たちが暮らす清津峡でそんなことを、と棚倉は非難しかけて言葉を飲み込んだ。複雑な表情の棚倉を察知した隊員2人は、軽く咳ばらいをして校庭に誘導した。

 

『至急至急、こちらブラックホーク2号!』

 

「至急至急、送れ」

 

『メガギラスが急遽転進、清津峡方面へ向かっている!救出を急ぐ・・・肉眼でメガギラスを確認!くそう、ここまで来て・・・!』

 

周囲に一陣の風が舞った。地面の雨粒と砂が巻き起こり、久しぶりに仰いだ夜明け近くの青空が一瞬霞んだ。

 

紫色の何かが上空を旋回すると、不快な音を立てて西田尻方面へ飛んでいく。しばらくしてまた頭上に飛んできたかと思うと、戦闘機の爆音が近づいてきた。

 

「こちらT-01、救出がまだ完了していない!上空での攻撃は・・・」

 

隊員が悲鳴のような声で無線に怒鳴ったとき、耳をつんざくような鈍い音がした。耳を塞いだまま目を開けると、真っ二つになったF-4戦闘機が川の向こうに墜落し、真っ黒な煙が吹き上がった。

 

頭上のメガギラスは、上空に滞留したまま挑発するように羽根を上下させている。背中がかゆくなるような啼き声を上げると、羽根の上下が激しくなった。

 

強風でゴールポストが倒れ、体育用具入れが軋み声を上げる。隊員に誘われ、校庭の隅に集まって身を低くした。

 

「先生―!」

 

子どもたちが叫ぶ中、棚倉は必死に子どもたちの肩を撫でた。

 

『こちらブラックホーク2号、校庭に接近できない!繰り返す、メガギラス接近により校庭に着陸できない!送れ!』

 

「こんちきしょう!」と短くつぶやくと、「こちらT-01、子どもたちを連れて退避する、終わり!」と無線に怒鳴り、「先生、山の向こうへ逃れる道はありませんか!?」と訊いてきた。

 

「大雨で裏山の道が寸断されてます!それに、あっちの山は土手が険しくて・・・とても子どもたちには・・・」

 

言いながら、棚倉は強風に混じり、地面が揺れるのを感じた。ズン・・・ズン・・・ズン・・・。不気味な鳴動が足元から鼓膜を揺らす。

 

「おい、オレたちが伝ってきた道は・・・」

 

「ダメだ。レンジャー課程修了したオレたちだから山越えできたんだ。とても・・・」

 

隊員2人は唇を噛み、絶句した。立っていてもぐらつきを感じる。

 

「先生!」

 

子どもたちがしがみついてきた。

 

「みんな一緒になって!大丈夫だから!」

 

焦りと恐怖で声が上ずったが、それでも棚倉は子どもたちを鼓舞した。

 

「先生、他に隠れられそうな場所はありませんか!?」

 

「そんなこと言われても・・・」

 

必死に頭を巡らせたとき、ふと思い浮かんだ。体育館には舞台袖から半分地下に埋まっている通路があり、その通路にある倉庫なら、あるいは・・・。

 

「た、体育館に地下通路があって、そこなら・・・」

 

迷っている暇はなかった。隊員2人は頷くと、「よし、子どもたちと一緒にすぐそこへ!」と動きだした。隊員たちにサンドイッチされながら、棚倉は子どもたちを連れて小走りに動いた。高学年の子たちも、顔が土色になっている。自身も恐怖で叫びたくなったが、唾と一緒に叫び声を飲み込んだ。

 

「みんな、大丈夫だからね。先生がついてるから!」

 

声をかけながら体育館に入ると、舞台袖に子どもたちと隊員を進ませて、倉庫の鍵を取りに舞台袖の用具室に急いだ。

 

ドンッ、という音がして、体育館の照明がブランブランと揺れた。子どもたちが悲鳴を上げるが、棚倉は悲鳴を押し殺した。

 

鍵を手に取り子どもたちの元へ戻ろうとしたとき、一層の揺れが体育館を襲った。そして揺れは一瞬だけではなく、ズズズズズ、と奇妙な地響きが聴こえた。

 

下流の先に、黒い巨体が姿を現した。建物が細かく揺れるほどの唸り声を上げつつ、こちらへ迫ってくる。

 

強風が体育館の屋根を叩いた。メガギラスがゴジラへ突進し、激しく競り合う。急ぐ棚倉は足がもつれ、前のめりに転倒した。

 

「先生!」

 

子どもたちが声を上げる。

 

「先生、しっかり」

 

隊員に助け起こされた。

 

「ありがとうござ・・・あっ」

 

全身に寒気が走った。体育館の上窓から、ゴジラの背後が青く発光しているのが見えたのだ。

 

ニュースなどで、何度も見た姿だった。隊員たちも、子どもたちも時が止まったように顔を強張らせた。

 

「伏せて、伏せろ!!」

 

隊員が怒鳴った。棚倉は子どもたちに覆いかぶさるようにしゃがんだ。ゴジラの光が強さを増した。絶叫を上げる子どもたちを強く腕で囲い、目を閉じた。

 

一瞬、強烈な青い光が体育館を照らした。だが、それ以上何も起こらない。

 

もしかしたら、痛みも感じる間もなく死んだのか・・・そう思って目を開くと、青い光ではなく、金色の光が周囲に溢れていた。

 

呆気に取られて顔を上げると、不思議と恐怖心がなくなった。金色の雪が絶え間なく体育館の外に舞っているのだ。その先では、全身から白煙を立ち昇らせたゴジラが唸り声を上げている。

 

ゴジラの背後向こうに、メガギラスが飛び去っていくのが見えた。そして、それを追うように飛んでいく、黒い羽根を持った怪獣。

 

子どもたちを見ると、恐怖が消え去ったように驚き、というより感心したように金色の雪を見ている。

 

「きれい・・・」

 

女子たちが口にする。甲高い、それでいて心地よい啼き声が体育館の真上から聞こえた。柔らかい風が舞い込み、ゴジラの頭上に何かが現れた。白と黄色、赤と黒・・・とにかく極彩色に彩られた全身から金色の雪を溢れさせる、蛾、というか、蝶のような怪獣。

 

ゴジラの全身が再び青く光った。一気に恐怖が蘇り身体を身構えたが、発せられた青い光の筋は一直線に伸びず、分散して四方八方に飛び散った挙句、次々とゴジラの身体に突き刺さった。

 

白煙が炸裂し、大きくうめくゴジラ。蝶の怪獣は急降下してくると、ゴジラの顔面に羽根をぶつけた。仰向けに倒れ込んだゴジラに地面が揺れ、棚倉たちはたじろいだ。

 

起き上がろうとするゴジラに、前脚で頭をひっかく蝶の怪獣。うざったげに咆哮を上げつつ、でんぐり返り清津川に転がるゴジラ。

 

「先生、いまのうちだ、早く倉庫へ」

 

隊員が言った。

 

「・・・よし、みんな、先生についてきて」

 

自分でも驚くくらい、力強い言霊を帯びていた。

 

「はい!」

 

児童たちが元気よく返事する様は、いつもの授業風景そのままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 51ー

 

 

起き上がったゴジラは、金色の鱗粉が舞い飛ぶ中、太陽のように輝くモスラを睨みつけた。

 

突然の闖入者に戸惑いつつも発した放射能熱線がはじき返され、睨みつつも様子をうかがう。

 

モスラは大きく羽根を拡げ、真下の小学校を守るように浮遊している。ゆっくりと羽根をはばたかせつつ、西側の山腹尾根に移動する。

 

ゴジラは動き出したモスラに反応して一瞬背鰭を光らせたが、すぐにエネルギーをひっこめた。

 

モスラはゆっくりと学校から遠ざかると、より多くの鱗粉を発した。羽根から輝きながら鱗粉が舞い散り、ゴジラの周囲に降りかかる。ゴジラの全身がまばらながらも鱗粉に覆われた。

 

まとわりつく鱗粉そのものには特に効果がなく、ゴジラは訝し気に唸り声を上げる。

 

そのとき、モスラの触覚が揺れ出した。ふわふわと揺れる触覚からは、肉眼では確認できず聴覚にも反応はないが超音波が発せられているのだ。空気を伝播しながら強く振動する音波は、目標目掛けて放たれている。

 

ゴジラが大きく呻いた。全身、まとわりついた鱗粉から白煙が昇り始め、苦しげに吼えながら上半身を上下させる。

 

モスラは触覚からの超音波出力を上げた。鱗粉も超音波も、それぞれ単体では特に害はないが、対象に鱗粉をまとわりつけた上で超音波を当てることにより、鱗粉が原子レベルで振動する。これにより相手を原子振動熱で攻撃することができるのだ。

 

ゴジラの全身から圧力鍋のような音が出始めた。苦しそうに咆哮すると、もんどり打って山に倒れた。

 

モスラはその機を逃さず、ゴジラの背後に回った。尻尾を脚でつかみ、浮上した。ゴジラは振動熱に苦しみつつ、モスラに引きずられて学校からさらに奥地へ引きずられていく。

 

ゴジラほどの巨体が引きずられたため大地が連動して揺れ、体育館に潜んだ棚倉と児童たちは倉庫の中で抱き合って伏せた。やがて揺れは遠ざかっていく。

 

学校からやや離れたところでゴジラを放すと、モスラはさらに鱗粉を放った。清津川の流れでゴジラの身体から鱗粉がある程度洗い流されたのだが、再び鱗粉にまみれたところで超音波を放出する。

 

たまらず尻尾をのたうち、甲高い咆哮を上げるゴジラ。怒りに任せて放射能熱線を放つが、太く青い光の筋はモスラの鱗粉に直撃すると、幾何学模様を描いて分散、断続的にゴジラに跳ね返った。

 

自身が発した熱線に全身を穿たれ、ゴジラは怒りと苦痛に大きく吼える。モスラは降下しながら速度を上げ、ゴジラの顔面に体当たりした。

 

仰向けにひっくり返り、清津峡溪谷にもんどり打つゴジラ。夜が明けて快晴だが、昨晩降り続いた雨は渓谷の土砂を緩くしていた。

 

土砂と岩石がゴジラに雪崩れ、うざったそうにのた打つ。モスラの超音波振動波は容赦せずゴジラに降り注ぎ、ゴジラと、鱗粉が混ざった川の水を熱した。濁流は猛烈な水蒸気となって舞い上がり、鱗粉が付着した岩石は融解し始めた。

 

疎ましげに尻尾を振り上げるゴジラだったが、モスラは尻尾を回避すると攻撃の届かない辺りまで上昇し、絶え間なく鱗粉を放ちだした。

 

 

 

 

 

 

 

なす術なく渓谷で苦しむゴジラと、鱗粉大盤振る舞いのモスラの上空では、逃げ回るメガギラスをバトラが追っていた。

 

飛行速度はほぼ互角だが、空間を縦横無尽に動き回るメガギラスの回避能力を前にして、バトラは自慢のプリズムレーザー攻撃が当たらず終いだった。

 

限られた時間ではあるが、メガギラスは瞬間移動の如く素早い回避行動を取ることができるのだ。従って狙いを定めて攻撃を放っても、着弾したかと思いきやまったく別なところに鎮座している。

 

この驚異的な回避能力にはゴジラも手を焼いていたのだが、バトラはメガギラスと同じく飛行能力を持っている。そして少なくとも動体視力では、バトラはゴジラを上回っていた。

 

両目からプリズムレーザーを放ちつつ、メガギラスに接近する。次々と避けたメガギラスだったが、バトラが接近すると急速移動を始めた。

 

一瞬にして視界から消えたメガギラスにバトラが戸惑った瞬間、バトラは苦痛に呻いた。

 

メガギラスが下方から急接近し、尾の先端をバトラの腹部に突き刺したのだ。

 

黄色い血液が流れだした。メガギラスは刺した尾からバトラの血液を吸収し始めた。

 

苦しみの咆哮を上げるバトラと、眼を細めて嗤うように表情を歪めるメガギラス。

 

だが次の瞬間、メガギラスは笑う目を大きく見開いた。

 

バトラが拡げた羽根から、紫色の雷撃が放たれた。プリズムレーザーほどの威力はないが、近接戦闘で放てるバトラのエネルギー放出だった。

 

今度はメガギラスが苦しげに吼えた。バトラは5本の脚でメガギラスの尾を引き抜くと、固い顎でメガギラスの左腕を咥えた。

 

金属がこすれ合うような鋭い音が響き、バトラの顎がメガギラスの左腕を噛み破った。

 

絶叫を上げて蛇行するように離れていくメガギラスを、バトラは追った。レーザーを回避する能力は失われていないが、動きが鈍り始めていた。

 

 

 

 

 

 

一方、モスラによる絶え間のない超音波振動熱攻撃で、とうとうゴジラは動きを止めた。全身から湯気が立ち昇り、ゴジラの周囲は濁流が蒸発していた。

 

モスラは用心のために鱗粉を放出しながらも、ゴジラをさらに上流へ運ぶべく尻尾に近寄った。夜明け前に自衛隊が設置した指向性爆弾の存在を、モスラは感じ取っていた。そこまでゴジラの巨体を持っていけば、ゴジラに強烈な爆風が四方から炸裂することになる。

 

尻尾をつかもうとしたとき、動かなかったゴジラが泰然と身を反転させた。怒りに歯を震わせ、怒号を上げる。

 

モスラは上昇しつつも、鱗粉をゴジラの全身に降りかける。ゴジラの背鰭が青く光った。だが発光が青から白く変わったことにモスラが気づいたとき、ゴジラは怒声と共に口を大きく開けた。

 

だがゴジラの口から溢れ出たのはチェレンコフ光によって彩られた青く太い放射能熱線ではなかった。

 

昨年、ガイガンとの決戦で身に着けた熱線攻撃より以前、従来より口から発していた灼熱の吐息、白熱光だった。

 

空気を伝播する白熱光はモスラの鱗粉に反射せず、モスラの胴体と羽根に炸裂した。

 

モスラは悲鳴を上げ、力なく清津峡尾根に落下した。胴体は焼け爛れ、羽根はところどころが燃え上がっている。

 

熱傷に苦しみつつ、斜面をゆっくりと登ろうとしたモスラに、ゴジラは怒りに任せ尻尾を振り下ろした。

 

大地を割るほどの一撃が加わり、モスラの悲鳴が渓谷に木霊する。続けて尻尾を振り下ろし、一撃によって生じた振動によって大規模な土砂崩れが発生した。

 

モスラの身体は土砂と共に滑り落ち、溪谷に雪崩れ込んだ。全身を震わせながら再び飛び立とうとするモスラだったが、背部に強烈な一槌が食い込んだ。

 

ゴジラが右脚でモスラを踏みつけたのだ。

 

苦しさのあまり絶叫するモスラ。ゴジラは一切の躊躇なく、振り上げた脚をモスラに叩きつける。

 

そのとき、ゴジラの右頸部が爆発した。

 

一瞬の出来事に戸惑ったゴジラは、背鰭付近に何かが炸裂したのを感じた。

 

顔を上げると、バトラが真っ逆さまに降下しながらプリズムレーザーを放ってきた。モスラの悲鳴を聞きつけたのだ。

 

新たな敵に怒り、ゴジラは放射能熱線を放つ。バトラは回避し、ゴジラは背を向けたバトラを追撃しようとしたとき、背後に気配を感じた。

 

混乱に乗じてメガギラスが尾を尖らせて迫ってきた。バトラに放とうとした熱線をそのまま振り向き様に放つ。サッと回避したメガギラスだったが、別な敵の存在を失念していた。避け切ったところに、バトラのプリズムレーザーが炸裂したのだ。

 

右腕が弾け飛び、火花を散らしながらメガギラスは落下した。そこはちょうど、ゴジラ迎撃のために指向性爆弾ブラスト・ボムが複数設置された場所だった。

 

渓谷に閃光が走り、猛烈な爆風はすべて一直線に罠にかかった獲物に直撃した。あまりの威力に周囲の山が地滑りを起こし、爆煙が渓谷を包んだ。

 

ゴジラは唸り声を上げつつ、爆発が収まったところへ歩み寄った。

 

いままで自身を翻弄していたメガギラスは尻尾が喪われ、両方の羽根があちこち穿たれていた。

 

口から紫色の血液を噴き出しながら、降り注いだ土砂から逃れようともがくメガギラスを、青い光が包んだ。

 

背中を青く光らせたゴジラが近寄り、ゴジラの口が一気に青くなった。

 

大きく見開かれたメガギラスの目に、猛烈な放射能熱線が炸裂した。一気に全身が焼かれ、メガギラスは自身を埋め尽くした大量の土砂ごと吹き飛ばされた。火柱が天高く立ち昇り、ゴジラは勝利の歓びを上げるかの如く、何度も大きく吼えた。

 

燃え上がるメガギラスと山林から首を反転させ、溪谷に落ち微かに羽根をバタつかせるモスラを向いた。

 

もはや自身より低い場所にいれば、鱗粉攻撃も放てまい。

 

ゴジラは怒りに歯を鳴らし、背鰭を発光させた。口いっぱいに青い光が拡がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 52ー

唸り声と共に口から熱線を放射しようとしたゴジラだったが、首筋に紫色のプリズムレーザーが直撃した。

 

バトラが高速で接近しつつ、ゴジラに注意を向けさせた。振り向いた頃にはゴジラの頭上を通過し、急旋回してレーザーを放つ。ゴジラの後頭部で爆発が起き、うるさそうに首を振る。

 

バトラのプリズムレーザーはメガギラスやダガーラにこそ有効だったが、ゴジラに対しては注意を引くものの皮膚を穿つほどの威力ではなかった。古代に対峙した怪獣たちは行動、能力を把握していたが、モスラもバトラもゴジラとの対決は初めてだった。

 

少なくとも自身最大の武器ではゴジラにダメージを与えられそうもないことを悟ったバトラは、大きく上昇するとゴジラめがけて急降下を始めた。上空から空気を裂いて接近するバトラを察知したゴジラは、鬱陶しそうに唸ると放射能熱線を吐き出すべくエネルギーを貯め始めた。背鰭が発光し、放電現象が起こる。

 

いままさに放射能熱線が吐き出されようとしたとき、バトラが素早くプリズムレーザーを放った。だが紫色の光線はゴジラを目指さず、周囲の谷間、山の尾根を嘗め尽くした。

 

雨混じりの土砂が激しく巻き上がり、豪雨で緩んだ尾根が崩落を始めた。ゴジラの周囲に大規模な地滑りが起きたのだ。

 

下半身が土砂に埋まり、ゴジラは熱線放出を中断、足元に視線を送った。その眼前にバトラが立ちふさがると、力一杯羽根を羽ばたかせた。

 

土砂が風で巻き上がり、ゴジラの顔面にまとわりつく。視界が奪われたことで混乱したゴジラは咆哮を上げたが、その隙にバトラは谷底で横たわるモスラを脚でつかんだ。

 

モスラを持ち上げたまま飛び上がったとき、視界が開けたゴジラがバトラを察知した。反撃の熱線を撃ち出そうとしたとき、モスラが弱々しくも羽根を振るった。

 

鱗粉が舞い上がり、ゴジラは熱線を引っ込めた。そこにバトラがプリズムレーザーを放出した。モスラの鱗粉に反射し、幾多もの光の筋がゴジラに突き刺さる。四方から直撃するレーザーにゴジラは怒り、土砂に埋まり不自由な下半身をもがかせた。

 

バトラはゴジラ両脇にそびえる山の頂上付近にプリズムレーザーを当てた。山体崩壊が起こり、膨大な土砂がゴジラを埋め尽くした。

 

怒りと困惑に雄叫びを上げるゴジラはとうとう首筋から下が土砂に埋まり、身動きを封じられた。その間にバトラはモスラを抱えて清津峡を離れ、越後湯沢上空を通過して新潟・群馬県境の三国峠付近に着陸した。

 

ゴジラの白熱光で爛れたモスラに、バトラは顔を寄せて羽根から雷撃を放った。モスラの傷が徐々にだが治癒していき、モスラは感謝するように啼いた。バトラも啼き返すと、顔を近づけてモスラと額を合わせた。バトラの全身から紫色の波動が拡がり、周囲の森が優しくざわついた。

 

 

 

 

 

 

・7月13日 5:27 東京都大田区羽田空港 羽田エクセルホテル東急

 

 

「ミラ、ミラ!」

 

祈りの途中で崩れ落ちたミラを、リラは泣きながら抱き起こした。

 

「大丈夫・・・ありがとう、リラ」

 

息も絶え絶えだが、ミラはリラの手を握ると微笑んだ。緑川は水を持ってきてミラに飲ませ、タオルを濡らして額に当てた。

 

「おい、いったいこれは・・・」

 

檜山が心配そうに訊いたが、ミラは微笑みを檜山に向けた。

 

「大丈夫です、心配してくれて、ありがとうございます」

 

「ミラ、大丈夫じゃないでしょう!力の限界以上祈ったら、貴女の身体は・・・」

 

「リラ」と、ミラは諭すような視線を向けた。

 

「モスラもバトラも戦ってくれてるの。私たちに出来ることは、祈ることだけ。でも、強く念じれば、モスラもバトラも強くなれる」

 

「だからって、ミラの命を削ってまで・・・!まさか・・・私に無理をさせまいとして?」

 

ミラは答えず、リラを抱きしめた。

 

「おい、よくわからないが、無理はしないでくれ」

 

諭すような、怒るような檜山の表情は父親のそれだった。

 

「檜山さん、私は」と言いかけたミラに「しゃべるな」と制止する檜山。

 

「どんな理由かわからんが、自分を犠牲にしてまで何かを成そうとするのはよくない。自分を大事にするんだ」

 

これまでにない強い口調だった。ミラは黙って目を閉じ、リラはミラを強く抱いた。

 

緑川はタオルを替えた。冷たいタオルを当てられて、ミラは多少は気分が戻ったようだ。

 

付けっ放しになっているテレビでは、ゴジラとモスラが争った新潟県の様子を報じていた。

 

『こちらは新潟県津南町です。たったいま、昨夜の豪雨によって孤立していた小学校から、自衛隊のヘリコプターが到着しました。児童も先生も全員が無事ということで・・・親御さんと、校長先生でしょうか、ヘリコプターから降りた子どもたちに駆け寄っています。十日町市では念のため救急車を待機させていたということで、これから児童と先生の・・・』

 

「良かった・・・」

 

ミラが微笑んだ。だいぶ体調が良くなったらしい。

 

「大丈夫?」

 

緑川が訊くと、笑顔で頷いた。顔色も良くなっている。

 

『怖くなかったですか?』

 

テレビでは、レポーターが母親に抱かれた女児にマイクを向けた。

 

『ゴジラとトンボみたいな怪獣は怖かったけどね、ちょうちょの怪獣が守ってくれたから大丈夫だった。みんなと先生も一緒だったから、みんなで頑張った』

 

ミラとリラは手を合わせた。

 

「モスラは、大丈夫なの?」

 

緑川が訊いた。テレビでは、清津峡奥深くで繰り広げられた怪獣たちの戦いまでは放映できていなかったのだ。

 

「深い傷を負いましたが、バトラと一緒です。ゆっくりですが、治っていきます。それに、みんなに想われると、モスラは元気になるんです。大丈夫です」

 

ミラが答えた。

 

「モスラは、自分よりも他者を思いやれる私たち人間を守ってくれます」

 

檜山と緑川は困惑したような、安心したような不思議な感覚になった。ちょうど緑川のスマホが鳴った。昨日落ち合うはずだった調査会社と、『UTOPIA』の記者が文京区の会社を出発したらしい。ゴジラ出現で都内にも動揺と混乱が拡がっており、道路が混まないうちに、とのことだった。

 

「ところで」と、檜山はミラとリラに顔を向けた。

 

「ゴジラはどうなったんだ?」

 

「残念ながら、モスラもバトラもゴジラには及びませんでした」

 

顔を下に向けたリラが答えた。

 

「バトラの機転で身動きを封じましたが、そのまま動けなくなるのか、また動き出すのか、それはわかりません」

 

ミラが言い、「「ただ」」と姉妹は声を揃えた。

 

「ゴジラは、先へ進もうとすることだけはたしかなようです」

 

「先って、どういうことだ?」

 

言いながら、檜山は昨日モスラが示した言葉を思い出した。たしか、東京、あるいは首都圏で再び怪獣同士が激突するといった内容だった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 53ー

・7月13日 6:27 東京都港区高輪台2丁目 国道1号線

 

 

昨夜出現したゴジラの影響は、首都・東京にも及び始めていた。新潟県を縦断し群馬県境で立ち往生してはいるものの、ゴジラが目指す先は首都圏であるため、夜遅くのうちに都内から避難する人々は決して少なくはなかった。

 

渋滞を見越して5時過ぎに茗荷谷の『UTOPIA』編集部を出た斉田だったが、見通しは甘かった。首都高速は軒並み渋滞、一般道もこの時間帯にも関わらず進みがイマイチで、信号の度に止まる程度しか進まない。

 

本来なら首都高湾岸線、あるいは羽田線へ出れば緑川らが待つ羽田空港まではさほど時間がかからないが、昨年6月のゴジラとガイガンの戦いで有明、汐留、新橋地区がかいめつにちかい被害を受けたことでいずれの路線も破断、並走する国道15号第一京浜や357号線も全線復旧には至っていなかった。当初の予定では昨年9月までには復旧するはずだったのだが、翌月のゴジラと黄金龍による東海地方襲来で工期が無期限に近く伸びていた。

 

「こりゃあ、羽田着くのは8時くらいになりそうですよ」

 

斉田は後部座席の三上と秋元に言った。

 

「仕方がない、辛抱しますよ」

 

三上が手を挙げた。昨日から徹夜に近い状態で何かの記事をまとめている。群馬に伝わるダイダラボッチだかいう巨人のことらしいが、正直そこまで興味が湧かない。

 

記事の内容に関して盛り上がる2人を差し置き、斉田はナビに映るテレビに目を向けた。一昨日からの報道特番は桜島噴火から欧州・米国での怪獣出現に近畿・東海沿岸に押し寄せた津波被害、そしてゴジラ新潟上陸のニュースと移り変わっている。朝のワイドショーがそのまま特番の形式を取っているようで、普段原稿読みを噛んでははにかむ下手くそなフリーアナウンサーがヘルメットをかぶり、深刻な顔で画面に向かっていた。

 

『江崎さん、ありがとうございました。先ほど救助された小学生が避難した、新潟県津南町からの中継でした。さて、幸いにも無事救助された小学生と教諭ですが、twitterでは[避難が遅れたせいで自衛隊の攻撃が満足に行えなかった]、[なぜ避難できなかったのか、責任は重大]などといった声が出ておりますが、社会学者でゲストコメンテーターの新市寿憲さん、ご意見をいただきたいのですが』

 

『これね、とんでもないですよ。昨日からの大雨で孤立してたかどうか知りませんけどね、結果的に自衛隊が避難に手を貸したためにゴジラへの攻撃が不十分になっただなんて、まともな判断じゃないと思いますよ。仮にですよ、外国と同様に政府も自衛隊も腹くくって地上での爆弾攻撃と空からの爆撃行っていれば、ゴジラを倒せていたか、少なくとも侵攻を阻止できていたかもしれない。10名の命と、首都圏に住む何千万の命と、天秤にかけることがそもそもおかしいと思いますね』

 

『まあ、今回はゴジラの他にもメガギラスですとか、2匹の蝶怪獣が同時に出現しましたから、作戦の想定を上回ったと、先ほどの会見で官房長官による説明が行われましたが』

 

『そんなことは問題じゃないですよ。怪獣が多数出現したとしてもですよ、新潟で食い止めることはできたはずです。何のための怪獣対策基本法ですかと問いたい』

 

『あの新市さん、10名とはいえ同じ日本国民ですよ。政府の基本方針として、国民を等しく守るという発想に立って行われたことですから、一概に攻撃しなかったことは愚かと断じるのはどうかと思うんですけれども』

 

黙っていられなくなった様子で、隣に座るコメンテーターが口を出した。

 

『いや、ね、こんなときに国民が平等とかそんなことを気にするから対応が後手に回るんですよ。犠牲を払ってでも断固たる姿勢をみせなかった瀬戸内閣の責任は大きいですよ。だいたい僕、いつ判断が愚かだって言いましたか?』

 

『愚かだって言ってるようなものでしょ』

 

『いやだから、愚かだとは明言してないですよね!』

 

『明言はしてないけれど、あなたの言動がそう言ってるように聞こえるんですよ!』

 

次第に感情的になる両コメンテーターと、苦笑いするアナウンサー。観てられないとなかりに斉田はテレビを消した。

 

「困ったものですなあ。報じるべきことはもっとたくさんあるでしょうに」

 

斉田はため息混じりにぼやいた。

 

「みんなゴジラが出ておかしくなってるんですよ。昨日からスーパーやコンビニじゃ食料やトイレットペーパーの買い占め、避難しなくても良い連中が避難して混乱する、避難先で自衛隊の対応がヌルいと関係ない役所の人間に食って掛かる。まあなんとも、いつから他者を思いやれない国になっちまったんでしょうねえ」

 

噴飯やるかたなさそうに、斉田はなおもぼやく。

 

「個人的な意見ですが」と三上が口を出した。

 

「目に見えないものを敬う心をなくしてしまってるんです、みんな。即物でなく、ある種の信仰というか、拠り所のある人は肝が据わってます。今回はその目に見えない信仰の対象が本当に現れたのは実に示唆的だと考えてます」

 

「ああ、さっきお話なすってた岩手のバランですか。さしずめ、いまお2人がまとめてる群馬のダイダラボッチも姿を現わすやもしれませんなあ。何でしたっけ?」

 

「伝承は様々ですが、ダイダラボッチは兄弟と謂れてましてね。赤城に山娜(サンダ)、榛名に海羅(ガイラ)なる巨人が眠るとされています。バランや、奄美から現れた蝶の怪獣に倣い、これらも怪獣なのではないかと」

 

三上の説明に、斉田は苦笑いした。これ以上、怪獣が現れてどうなるものか。

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 54ー

・7月13日 7:47 東京都千代田区永田町2丁目 首相官邸地下一階 官邸危機管理センター

 

 

「それは、事実なのだね?」

 

急遽設けられた防衛省・国家安全保障局による総理レクの場で、瀬戸は緊張した面持ちで高橋に訊いた。

 

「間違いないようです」

 

瀬戸に劣らず、高橋の表情も強張っている。

 

本来は個別省庁による総理レクどころではないのだが、防衛機密に抵触する内容であることと、閣僚とはいえ全員には聞かせられない内容であるため、5分と時間を限って行われることになった。瀬戸と望月、そして防衛省と同様に案件の所管官庁となる外務省からは氷堂外務大臣と審議官以上の役職が同席することとした。

 

今朝7時過ぎだった。アメリカ国防情報局DIA、並びに中央情報局CIAからそれぞれ防衛省、外務省北米局に情報がもたらされた。

 

一昨日、九州南西海域に現れ日本の排他的経済水域を侵した中国海軍の潜水艦が、日本領海内で怪獣と思われる巨大生物と接触していたこと、その際にわずかながらも対象の撮影に成功しており、体長こそ似通ているものの、ゴジラとは明らかに異なる赤い皮膚が確認されたというのだ。

 

「防衛省からの報告を受け、うちの北米局でも確認を取りましたところ、アメリカ国務省より同様の回答が寄せられました」

 

氷堂が前のめりに報告した。

 

「だがなぜ、中国は警告を発しなかったのだろうか」

 

瀬戸が揃いの面々に目を寄せながら訊いた。高橋は氷堂と目を合わせたが、そちらでどうぞ、と顔で示した。

 

「もし我が国にありのままを警告した場合、中国艦船が日本の領海を侵犯していながら、接近する巨体を感知できなかった、あるいは感知に手間取ったとこが明るみに出ます。さすれば中国海軍は海中での索敵能力が粗末であると宣言するようなものです。また我が国、ないしは米国がこの件に問い合わせたとしても、中国は否定するでしょう」

 

高橋が答えると、瀬戸は強く目をつむった。

 

「この赤い皮膚を持つ怪獣が、昨夜東海地方に津波をもたらし現在伊豆半島、下田沖を航行している巨大生物と同様である可能性が高いです。もしも中国からあらかじめ警告が為されていた場合、志摩半島沖での作戦展開含め考慮の余地はあったものと思われますが、いまとなっては結果論です」

 

さらに高橋が言うと、瀬戸は強く閉じた瞼を開いた。

 

「腹ただしい限りだが、いまは中国を責め立てるよりも、ゴジラを含め国内に出現している怪獣への対応を協議するべき、だろうね」

 

顔を洗うように両手で顔を覆う瀬戸。周りの望月らは首を縦に振った。

 

「まずは、いまそこにある危機への対処ですな」

 

望月の言葉に瀬戸は頷くと、高橋に顔を向けた。

 

「例の、メーサー兵器に関しては、開発はどうなっている?」

 

「現在、防衛省兵器開発室と共同で、京葉工業地帯にある難波重工本社で開発が進められております。試作機の完成は早ければ近日中に・・・」

 

答えながら、高橋はCGプリンタで印字された戦車画像を瀬戸に見せた。

 

「現時点の仮称ですが、メーサー攻撃車と呼称しております。陸上自衛隊の16式機動戦闘車をベースに、キャタピラではなくタイヤ走行にて進行することにより、最大時速60キロで走行可能。砲身が長いためバランスが取りづらく、悪路走行はさらなる研究を要しますが、こと関東平野においては、移動に関して問題はないと考えられます」

 

「願わくは、この兵器が必要となる前にゴジラ掃討を果たしてもらいたいものだがね」

 

瀬戸の言う通りだった。近日中、と高橋は言ったが、仮に完成まで1週間程度要するとして、その間ゴジラが暴れ回ったとすれば、被害は計り知れない。

 

「おっしゃる通りです。先ほどの閣議で申し上げたように、ゴジラが今後いずれかの方向へ侵攻したとしても、対戦車ヘリ部隊と陸上部隊が連携した集中攻撃を骨子とする作戦を既に準備中です。その場合の基幹部隊となる宇都宮駐屯地では、いつでも出動できる態勢を整えております」

 

高橋が話し終えると、望月が「そろそろお時間です、閣僚ルームへ」と促した。

 

 

 

 

 

一方総理レクの間、その他の閣僚が所管官庁と打ち合わせる中、佐間野は檜山からのメールを見返していた。

 

かねてより、檜山が行動を共にしている双子姉妹の予言は気になっていたが、今後首都圏が戦場となるなどといった話にはこれまで懐疑的だった。だがいまは予言をなぞるかのように現実になりつつある。ゴジラと2匹の蝶怪獣(モスラとバトラなどと呼ばれているらしいが)が争った結果、土砂崩れでゴジラは身動きが取れず侵攻が妨げられているが、急遽入った総理レクの前、ゴジラの侵攻再開は時間の問題と報告を受けていた。そして、清津峡を抜け群馬県へ達する可能性が高い、とも。

 

ゴジラが出現する前に行っていた、首都圏における避難活動での交通規制のシミュレーションがここに来て役に立った。日付が変わる頃には、ゴジラ首都圏侵攻を想定しJRおよび私鉄各線、NEXCO東日本とのコンセンサスは得られていた。あとは、首都圏全域を対象とした怪獣災害緊急事態を宣言するのか、具体的な避難対象地域をどのように決定するのかさえわかれば、実行に移すのみだ。

 

ふいに肩を叩かれた。

 

「先に確認だけど、首都圏全域に緊急事態が宣言された場合、鉄道での避難はどうなるの?」

 

隣席の北島が訊いてきた。

 

「群馬県においては、上越線と両毛線を利用することになる。上越新幹線は高崎から上りのみ運行する。侵攻具合にもよるが、東京、上野、大宮での乗り換えを用いて避難誘導に当たることとなる。避難誘導には地元県警、JRが共同で請け負うことになっている」

 

「新幹線の運行は何分単位?」

 

「当面、高崎折り返しで最大25分間隔だ。緊急事態が宣言され次第、改札を行わず非常時運行体制が実施される」

 

「去年のカマキラス騒動の際に、当時の神奈川県知事が独断で行った避難体制が基準になっってるんだっけ?」

 

「ああ、そうだ」

 

佐間野は苦虫を噛み潰したような顔をした。

 

「緊急事態とはいえ、よくも好き勝手やってくれたと言いたくなる。事態が収束して直後、うちの鉄道局が激怒してな。あれやこれや、策略や圧力を行使して知事を辞任に追いやってやったよ」

 

「でも、あの判断で助かった人も多かったんでしょう?」

 

「そうだな。個人的には、大いに評価してるんだが」

 

立場上表立って賛意を示すわけにはいかなかった。現に背後の国交官僚たちは気が気でなさそうに佐間野に視線を送っている。

 

ちょうど、瀬戸と望月が高橋と氷堂を伴ってセンターへ戻ってきた。閣僚たちは背筋を伸ばし、あちこちで咳払いが聞こえた。

 

瀬戸らが着席したとき、防衛省の役人が高橋に何かを耳打ちした。高橋の眉間に皺が寄った。あまり嬉しい報せではなさそうだ。

 

「ゴジラ哨戒中のヘリ部隊から報告です。山体崩壊により崩れた土砂を押し退け、ゴジラが行動を開始しました。間もなく群馬県境に侵入するそうです」

 

「総理・・・」

 

望月は表情を変えず、最小限の言葉で瀬戸に下駄を預けた。しばし沈黙があった後、瀬戸は小さく、しかし力強く頷いた。それはすなわち、首都圏全域への非常事態宣言発令を意味していた。望月は静かに目を閉じ、高橋は指を組む力を強めた。

 

 

 

 

 

 

8:18 ゴジラ、群馬県に侵入。

 

8:34 猿ヶ京温泉郷との連絡が途絶える。

 

8:46 水上町にて大規模火災が確認される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 55ー

・7月13日 8:47 群馬県高崎市榛名湖830 レイクサイドペンション『Tamaki』

 

 

『はい、こちらは群馬県水上町上空です!ご覧いただけますでしょうか、現在町内複数箇所

から黒煙が立ち込めています!町内全域が新たに警戒区域に指定され・・・あっ!ゴジラです!ゴジラが見えます!・・・ただいま報道のヘリも退避が命じられました。安全空域までこのまま退避をします』

 

ロビーのテレビに映るNHKを、ペンション『tamaki』オーナーの調部真作は腕組みをしたまま、固唾を呑んで見入っていた。

 

昨年のゴジラ、カマキラス、ガイガンを皮切りに続々出現した怪獣騒動の影響で客足が落ちる一方だったが、今月に入りようやく平年並みにお客が来てくれるようになっていた。だが一昨日辺りからアメリカや韓国、ヨーロッパで怪獣が現れ出してから、去年の動揺が戻ったように宿泊キャンセルが相次いだ。

 

トドメを刺すかの如く、昨夜ゴジラが新潟に出現したことで、宿泊していた客のほとんどが夜を明かさぬうちに逃げ帰ってしまった。

 

逃げ帰った客のほぼすべてが東京や神奈川なのは解せなかった。ゴジラの進路は予想困難らしいが、このまま行くと首都圏、それも東京への侵攻が充分予想されるとテレビでやっていいた。

 

バカなことをしたものだ、とばかりに調部は鼻を鳴らした。今朝から主要高速道路は大渋滞、鉄道各線も始発から尋常ではない混雑が発生し、その上首相が怪獣災害緊急事態を宣言したことで、混乱に拍車がかかり始めていた。

 

群馬県も全域に避難勧告こそ発令されたものの、まさかゴジラがこの榛名山を登ってくるとは思えなかった。昨日テレビの解説でもやっていたが、ゴジラは大きな川に沿って侵攻するとやっていたではないか。近くを侵攻こそするものの、かえって麓へ下りるよりも安全なはずだ。

 

『以上、現場からの中継でした。現在首相官邸では、ゴジラ要撃の新たな作戦展開実施に伴う閣議が催されており、午前9時の定例記者会見において、望月官房長官より発表があるものと思われます。スタジオには、野党、国民行動党の山岡蓮子衆議院議員にお越しいただいております。山岡議員、このタイミングで首都圏全域に非常事態を宣言した瀬戸内閣には、批判の声も多いとのことですが、いかがでしょうか?』

 

『はい。はっきり申し上げますが、緊急事態の宣言が遅すぎます。本来であれば、昨日ゴジラが新潟に出現した時点で発令すべきだったのです。新潟県を防衛線としてゴジラ討伐を図るとはいえ、ゴジラが警戒網を突破して首都圏へ達することは充分予想できましたし、そもそも最初にゴジラが蹂躙した新潟県を犠牲にすべきだったのでしょうか?あまりにも危機管理がおざなりになっていたと考えております』

 

「おじさーん」と、2階から声がした。昨日から宿泊している大学サークルの連中だった。

 

聞いたこともない大学のボート部らしいのだが、部活など名ばかり、昨日昼過ぎに到着してからほんの少し湖の遊覧ボートを乗り回したのみで、あとは明るいうちから部屋で飲み惚けるだけだった。

 

ゴジラ出現で東京へ逃げ帰った客ばかりだったのは幸いだった。平時なら、彼ら以外すべての宿泊客から苦情が殺到していたことだろう。

 

「ちょっといまからボート乗ってくるんでー、昼前に帰ってくるんでー、部屋にビール一箱用意しててもらえますー?」

 

いかにも偏差値が低そうな男子学生が間延びした口調でやってきた。がやがやと騒ぎながらフラフラの男女が階段から降りてくる。

 

「おい大丈夫かね?だいぶ酒の臭いするけれど」

 

「えっぐぇー、大丈夫ですよ〜」

 

彼だけでなく、ほぼ全員がゲラゲラ笑いながら玄関を出て行く。二日酔い、というより、朝まで飲み続けていたようだ。

 

観光用ボートとはいえ、これほど酔っていては転覆の危険があるが、調部はあきれ返って黙って見送った。以前、似たような学生グループに注意したことがあったが、まるで聞く耳を持たず、それどころか逆恨みした学生全員がネットの予約サイトに星ひとつ評価の酷評を書き込まれたことがあったのだ。

 

以降、こうした連中にまともに注意することはしなかった。自分は曲がりなりにも大丈夫かと訊き、彼らは実態はともかく「大丈夫」と答えたのだ。少なくとも、自分は最低限の注意喚起は行った。あとは野となれ山となれ、だ。

 

外が騒がしくなった。学生らとボート乗り場の管理人が言い争いをしていた。管理人の老人は、脱サラしてペンションを始めた調部とは違ってずっとここに住む地元の人間らしいが、いつも古くからの伝承やら言い伝えやらを語りたがる。

 

「おじいちゃ〜ん、良いでしょ〜」とバカ丸出しの口調でのたまう女子に「ダメだ!そんな酒飲んでボートに乗ったら、お前ら海羅(ガイラ)に喰い殺されるぞ!」と一喝していた。そんな子供騙しが通じるはずもなく、学生らは爆笑している。

 

何がガイラだ、と調部も鼻で笑った。ガイラとは古くから榛名湖に住む魔神らしいのだが、いまどきそんな迷信を真に受ける者がいるはずもない。学生らは老人の制止も聞かず、男女ペアになって湖に漕ぎ出し始めた。

 

「罰当たり!行ってはなんねぇぞー!ガイラが出るぞー!」

 

老人の怒鳴り声がここまで聞こえてくる。いい加減にしろよ、心の中でつぶやいた。そういえば数日前、ガイラ伝説を調べているという女性記者がここに宿泊し、ロビーで老人と酒を酌み交わしながら深夜まで語り合っていた。その記者がだいぶ酒を飲んだので儲けはしたが、最後は追い出すように無理矢理消灯したのだ。昔話に花を咲かせるのは良いが、ロビーに客がいる限り眠気を噛み殺して帳場に立つ身にもなってほしいものだ。

 

『いま入りました情報です、群馬県警によりますと、ゴジラは水上町から沼田市に侵入した模様です。ゴジラが群馬県沼田市に侵入したもようです。沼田市では住民の避難活動が完了しておらず、ゴジラの侵攻に伴い、多大な混乱が予想されます。避難される方は、自治体からの情報に従い・・・。新たなニュースです。アメリカ合衆国ユタ州のイエローストーン国立公園の噴火警戒レベルが、最大値を示す7と発表され、イエローストーン国立公園を擁するユタ州、モンタナ州各州知事は、州全土に避難を命じました。これに伴い・・・』

 

テレビがカタカタと揺れだした。フロントのキャンドルも揺れ始め、やがて建物全体が小刻みに震えた。

 

地震、それともまさか、ゴジラがここまで登ってきたとでもいうのか・・・。そんな疑念は、湖から木霊する悲鳴に打ち砕かれた。

 

岸から20メートルほど沖合で、ボートが二艘ひっくり返っていた。乗っていた男女4人がバタつきながら泳ぐが、他のボートはそんな彼らを助けようともせず必死に岸へとオールを漕いでいる。

 

「早く上がれー!!」

 

管理人の老人が怒鳴っている。湖の中央部が泡立ち、白波が溢れている。その中から、緑色の頭がヌウっと現れた。

 

呆気に取られて湖を凝視すると、醜悪、そして凶悪そうな顔をした巨大な化け物が全身を現し、岸へ向かってきた。おぞましい雄叫びを上げ、まるで腐食した海藻のような全身を乗り出してやってくる。

 

学生たちの絶叫もおかまいなしに岸へ上がると、再び雄叫びを上げて両手拳を振り上げた。深緑の顔面の中、異様にギラつく白と黒の目が東を向いた。さらに雄叫びを上げると、激しい地響きを立てながら麓へ向かい出した。

 

地響きが落ち着くと、ペンションすべてのガラスが砕けていた。あぜんとする調部の耳に、管理人の声が聞こえてきた。

 

「ガイラだ、ガイラが出たぞー!」

 

割れたガラスに注意しながら、調部は玄関からガイラと呼ばれた怪物が走り去った先に目を這わせた。榛名山の麓、沼田の市街地がここから仰ぐことができる。その市街地北側には、白と茶色が混じったような煙が確認できる。怪物・・・ガイラはまるで、麓を荒らし回る存在へ向かっていったように思えた。

 

 

 

 

 

・同時刻 群馬県利根郡昭和村糸井 特別養護老人ホーム『昭和の郷』

 

 

「所長、大丈夫ですか!?」

 

職員の大竹好子に声をかけられ、特別養護老人ホーム『昭和の郷』所長の岩井國春は頭を振って意識を覚醒させた。

 

群馬県全域に緊急事態が宣言され、昭和村もゴジラの予想進路とされてから、昭和の郷でも避難が始まろうとしていた。

 

災害発生時相互に受け入れ協定を結んでいる片品村の特養ホーム『水芭蕉園』への避難を開始していたのだが、ゴジラ接近に伴う渋滞で大型車を運転出来る職員が出勤できず、比較的身体の利く利用者から小型ワゴンで避難を始めつつ、残った職員総出で寝たきりの利用者たちを玄関ホールに集め、すぐにでも避難できる態勢を整えていた。

 

しかしゴジラが沼田市に侵攻したと防災無線で流れてからは、時間の読めない避難を断念、ゴジラがこちらへ向かってこないことを祈りつつ、施設でもっとも堅牢な中央の食堂へ利用者や職員を集め、籠城する道を選んだ。

 

残された利用者はほぼ全員が寝たきり、あるいは重度の認知症を患っていたが、ありがたいことに混乱も少なく、落ち着いた様子で食堂に会していた。

 

怯えた表情の職員に「豊子、母ちゃんがついてるきゃ」と娘の名前を出して励ます利用者もいれば、かつて大阪でゴジラに砲撃したことを誇りにしている利用者は、今度こそゴジラなんぞに負けんと息巻いている。

 

もし不幸にもゴジラがこちらへ向かってきた場合、利用者の家族になんとお詫びしようか・・・否、残った利用者を無理に避難させることもできない。安全の確保ができないからだ。

 

岩井がそんなことを考えていたとき、施設の背後にそびえる赤城山から大きな音がして、建物全体が大きく揺れた。

 

足がもつれて額をしたたかに机にぶつけ、大きな瘤ができている。

 

額をさすりながら岩井が立ち上がると、まるで大きな人間が歩くような、ドスドスという音がする。いよいよゴジラが迫ってきたのか、そう覚悟を決めた。音は次第に大きくなり、その度に施設が揺れる。

 

「所長、外に、怪獣が!」

 

大竹が叫んだ。いよいよかと岩井が外を仰いだが、そこから見えたのはゴジラなどではなかった。

 

黄土色の体毛に包まれた、柔和な、しかし怒りを湛えたような顔をした巨人が、施設外の県道に立ちすくんでいた。大きく息を吸い、ここから北西の沼田市に顔を向ける。

 

「ダイダラボッチだ・・・」

 

「山娜(サンダ)様」

 

利用者たちが異なる名称を口にしたが、全員が巨人を見て両手を合わせた。人によっては念仏のような言葉を唱えている。

 

岩井は地元の出身ではないが、昔話好きな利用者の1人から聞いたことがある。

 

赤城の山には昔からダイダラボッチという山をもまたぐ大きさの神がいて、土地に危機が訪れたときに現れる。はたまた、赤城に黄金の毛を持つ山娜、榛名に緑の毛を持つ海羅という巨人の兄弟が住み、ある嵐の年に、水に沈もうとする里を守るため、兄弟は山を下りてきて洪水を押し返してしまった・・・。

 

細部は異なるが、いずれも土地の守り神だと伝わっているようだった。そういえば何日か前、村の公民館長の紹介で東京から記者がやってきて、利用者数人から昔話を取材していたことを思い出した。

 

サンダと呼ばれた巨人は利用者たちの祈りに応えるように大きく吼えると、沼田の方角を目指して進み始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 56ー

・7月13日 9:04 東京都大田区羽田空港 羽田エクセルホテル東急 小会議室

 

 

『ご覧いただいておりますのは、現在の群馬県沼田市の様子です。市内北西部、え、ゴジラが侵攻中と思われる地域から、いく筋かの黒煙と、土埃が昇っております。市内各所から、パトカー、あるいは救急車でしょうか、サイレンの音がひっきりなしに聴こえてきます。え、そして、さきほど榛名山、赤城山より突如として出現した獣人型の怪獣に関して、新たな情報が入ってますでしょうか。NHK群馬放送局の遠山記者です』

 

緑川の依頼でホテルが用意した会議室で、檜山はテレビに見入っていた。アナウンサーは続々と舞い込む原稿を戸惑い気味に処理しながら、努めて冷静に読み上げる。

 

『群馬放送局よりお伝えします。20分ほど前、赤城山、榛名山両山から突然怪獣が現れました。群馬県警、沼田市消防本部に寄せられた情報によりますと、赤城山より出現した怪獣は身長が推定50メートル、榛名山より出現した怪獣は推定45メートルの大きさです。いずれの怪獣も現在、沼田市をそれぞれ関越自動車道、国道120号線沿いに進んでおり、ゴジラ侵攻を受けて行われている市内の避難活動に大きな影響が出ております』

 

『遠山さん、遠山さん。一部情報によれば、それぞれ出現した怪獣は姿が酷似しているとのことですが、行動、生態に関して類似点は認められますか?』

 

『えー・・・姿が似ているということに関しての情報は寄せられてますが、それ以上に関しては現在はっきりとはわからないですね』

 

『遠山さん、またその2匹は沼田市を南下しているゴジラに向かっているのではないかという情報もありますが・・・?』

 

『そうですねえ・・・進行方向を考えるとその可能性があるようですが、はっきりしたことはなんとも申し上げられません。ただ、ゴジラから避難する経路である国道、県道いずれもこれら怪獣出現によって大混乱に陥ってます。沼田市では怪獣の進行に厳重な注意を払いつつ、避難を的確かつ迅速に行うとのことでした』

 

『わかりました、遠山さんありがとうございました。群馬放送局、遠山記者でした。政府の動きです。望月官房長官はさきほど9時の定例記者会見にて、群馬県内に新たに出現した怪獣に対して、引き続いているゴジラ掃討を含め自衛隊に対応を指示したと発表しました。ただ現時点で即物的な対応を取れる部隊が周辺に存在せず、防衛省内では・・・』

 

続々と悪い情報ばかり飛び込んでくる。檜山はうんざりしたように首を回すと、窓の外に広がる羽田空港の滑走路に目をやった。

 

昨日のメガギラス出現で北陸、北日本には飛行制限が出されたが、首都圏の3空港は平常通り運航されている。だがゴジラ出現に加えモスラ、バトラの行方が分からず(ミラとリラによれば群馬県の谷川岳付近に身を潜め傷を癒しているらしいが)、山形以北と富山、小松への便は欠航となっている。また桜島噴火の影響で、南九州3県の空港も閉鎖されてしまった(奄美空港に影響がなかったのは幸いだった)。

 

これにより、通常運航しているのは羽田以西、関西三空港あるいは広島、岡山、北九州に福岡といった西日本拠点空港程度となっている。

 

この会議室を開けてくれたホテルのスタッフによれば、ここへきてゴジラが首都圏へ向けて侵攻を始めたことで、始発から羽田を発つ便に混雑が見られているらしい。ターミナル内も心なしか旅客で溢れているようにも思えた。

 

会議室のドアが開き、ミラとリラが入ってきた。後ろから緑川もついてくる。

 

「2人とも、具合はどうだ?」

 

檜山は立ち上がって訊いた。ミラの体力消耗が激しかったようだが、リラが付き添って休んでいたのだ。

 

「「もう平気です」」

 

2人声を揃えると、檜山は安心したように息を吐き出した。

 

「心配させやがって。でも顔色も良さそうだし、良かったよ」

 

そう言って2人の頭をそれぞれポンポンと叩いた。不思議そうな顔をするミラとリラに、つい思わず娘たちによくしていたことをやってしまった、とやや顔をしかめる檜山。そんな姿を見て、ミラとリラは顔を見合わせて微笑んだ。

 

「ちょうど私のお客さんも来たし、2人も体調良さそうだから連れて来たの。いま案内するね」

 

緑川の案内で男性2人、女性1人が入ってきた。

 

男性の片方は天然パーマなのか、くしゃくしゃの頭を無造作に伸ばした風貌。学生時代によく読んだ小説に出てくる、探偵の金田一耕助の挿絵がこんな感じだった。

 

年配の方は、豊かに刻まれた皺と、穏やかかつ聡明な瞳を湛えた男性だった。傍らの女性は若く、好奇心旺盛なのか滑走路に広がるANAの機体群に視線を走らせている。

 

「紹介するね。私の同期で、いまは調査事務所の社長してる・・・」

 

「斉田といいます」

 

緑川より言うが早く、斉田という男性は檜山にお辞儀してきた。つられるように檜山もお辞儀する。緑川の同期、ということは、KGI損保にいたのだろうか。およそサラリーマンには見えない男だ。

 

「国土交通省、運輸安全委員会調査官、檜山です」

 

職業柄、どうしても長い役職を名乗ってしまう。ついつい敬礼しそうになる海保時代のクセもなかなか抜けない。

 

「それから、民俗学を専攻なさっている三上先生と、『UTOPIA』記者の秋元さん」

 

緑川の紹介に、2人は会釈した。

 

「檜山です。お二人は先に、モスラが眠っていた癒し岩を取材なさってたとか?」

 

「ええ、そうなんです。ここにくるまでの車内で、モスラのことや、モスラの巫女として古代文明の双子がいるとか、もういろいろお話をうかがいたくて」

 

秋元という記者は好奇心を隠せないようで、ウキウキした様子だった。ミラとリラを守るように目配せした檜山を見て、秋元は気まずそうに肩をすくめた。

 

「早速いろいろお話をうかがいたいところですが・・・先ほどからテレビが気になってまして」

 

一行が席に着くなり、檜山が切り出した。深緑の体毛を揺らしながら、送電線の高圧鉄塔をなぎ倒し進む怪獣の様子が映されている。

 

「これも、古代の神なの?」

 

緑川はミラとリラに訊いた。

 

「私たちも詳しくはわからないです」

 

リラが答え、「おそらく、伝え聞くところによるモスラが眠りについてから創り出された神々だと思います」とミラ。

 

「そうか。最初に君達が眠りについてからまた目覚めるまで、2万年経過してたんだったよな」

 

檜山の言葉に、斉田は訝しげな視線を送り、秋元は興味津々といった様子で檜山と双子姉妹に視線を這わせた。

 

「秋元くん、これは伝承通りだね」

 

今度は三上が、檜山と緑川の好奇に溢れた視線を受けた。

 

「そうですね・・・。黄土の体毛に包まれた山娜(サンダ)、黒い緑の毛を生やした海羅(ガイラ)・・・。取材の通りです」

 

「こりゃまず、そっちの話を聴くことにしませんか。ちょうどテレビでやってることだし」

 

様子をまとめるように、斉田が言った。

 

「この2匹、ゴジラに向かってるのかしら?」

 

緑川がミラとリラに訊くと、2人は戸惑いながらも頷いた。

 

「どうやらそのようです。意思を読み取ることはできませんが、ゴジラと戦おうとしているようです。あと、そして・・・」

 

ミラの言い澱む姿に、全員の視線が刺さる。

 

 

 

 

 

 

・同時刻 群馬県沼田市東原新町 市立沼田中学校

 

 

『消防本部より各隊、赤城並びに榛名より現れた怪獣により国道17号高崎方面、国道120号片品方面への避難移動は不可能。昭和村、赤城高原方面に避難路を集約させ市民の誘導に当たるよう指示』

 

無線から聞こえてきた指令に、沼田市消防本部消防士長の白鳥航平は無線機を握りつぶしたい衝動を覚えた。

 

「こちら本部車両4号車、具体的にどの道路を以って避難誘導すべきか、具体的な指示を請う」

 

同様の問い合わせが、他複数の車両からも寄せられたようだった。

 

『現在警察と共同で避難路の特定中。追って指示を待たれよ』

 

半開きのドアを拳骨で叩き、「それじゃ間に合わねえよ!」と怒鳴った。無線のスイッチを入れたままだが、反応はなかった。

 

白鳥の班がいる沼田中学校の校庭には、三方から迫る怪獣によって逃げ場をなくし、どうしようもなく集まってきた車両や人々が大勢いる。皆、途方に暮れたように消防車両を囲み、不安そうに佇んでいた。

 

時折地響きと、板が割れるような音が聞こえてくる。沼田市北部を受け持つ班と消防団は、ゴジラ通過によって発生した火災を消し止めるべく出動したようだが、ゴジラ侵攻で上水道に損傷が生じた上、散乱する瓦礫で防火水槽などの水利の確保がままならず、延焼を防ぐ手立てがないと報告があった。

 

だが市内北部は比較的スムーズな避難が行われていた。問題は2つの国道と関越自動車道が交差する市内中央部だ。元より市街地は道が細い上に四角四面な区画となっていることで、混雑が始まるとアッという間に渋滞してしまう。

 

そこへ赤城と榛名両方向から別な怪獣が現れたことで市内はパニックとなり、車を乗り捨てて避難する人が出たことで、もはや市内からの迅速な避難は絶望的だった。

 

このような状況下、普段から避難場所となっている中学校に市民が集まるのは自然なことだった。問題は台風や水害などと違い、堅牢なコンクリートの建物に逃れたとしてもまったく安心できないことだ。

 

『消防本部より各隊、市内中央部の避難路として、県道・・・』

 

そこで激しくノイズが走った。白鳥は思わず耳を覆って仰け反った。轟音とともに土埃が上がり、次いでおぞましい咆哮が聞こえてきた。

 

「ゴジラだ、ゴジラがきたぞー!!」

 

乗り捨てられた車両で動かなくなった国道を、反対側から何人かが全速力で横断してきた。ゴジラがきた、という叫びに、校庭に集う人々のざわめきが強くなった。

 

「おい、どういうことだ!ゴジラがきたのか!?」

 

白鳥は走りこんできた男性の腕をつかみ、訊いた。

 

「も、もうすぐそこだ。ゴジラが関越道の高架をぶっ壊したんだ」

 

息も絶え絶えに答える男性。

 

ズン・・・ズン・・・ズン・・・!

 

強く不気味な足音が聞こえてきた。

 

「くそったれ!」

 

罵り声を上げて、白鳥は消防車両のマイクをオンにした。

 

「ゴジラが近づいています!すぐそこまできています!いますぐ、学校か体育館に入ってください!」

 

もはや避難路を訊き返す時間もなかった。建物ごと壊されたらひとたまりもないが、屋外よりは屋内の方が・・・という、絶望的な選択だった。

 

白鳥の声で、人々は建物へ走り出した。だが人に揉まれて転倒する者、高齢者や小さい子どもは出遅れ、家族とはぐれたであろう小さい子どもが泣き出した。

 

白鳥は班の隊員たちと協力して逃げ遅れた人々を体育館へ誘導する。何かが倒れる音がして、校庭を走る全員が身をすくめた。

 

振り返ると、国道を挟んだ住宅群の屋根から、黒い何かが見えた。白と黒、はっきりと分かれた目玉が見える。

 

咆哮を上げるゴジラに、人々は足を止めた。というか、足が止まってしまった。蛇に睨まれたカエルとはこのことだろうか、白鳥はイヤな汗が頬を伝うのを感じた。

 

そのとき、一瞬頭上を何かが横切った。パラパラと小石が落ちてきて、白鳥のヘルメットを叩いた。

 

鉄がひしゃげる大きな音がした。ゴジラに鉄塔が当たったのだ。

 

驚いたように周囲をうかがうゴジラ。川向こうの高台から、ゴジラとは異なる咆哮が聞こえた。

 

全身、黄土色の体毛をたたえた怪獣、というか、人間のような怪獣が雄叫びを上げていた。右手に握った鉄塔を放り投げ、ゴジラの顔面に直撃した。

 

怒りの咆哮をゴジラが上げたとき、国道の向こうからもう1匹現れた。黒い緑の怪獣だった。高台から鉄塔を投げつけた怪獣に似ているが、こちらの方が獰猛な顔つきをしている。

 

様子をうかがうように唸るゴジラに、緑色の怪獣は気合を入れるように叫ぶと、右手拳を振り上げてゴジラに襲いかかった。

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 57ー

 

 

 

拳を振り上げたガイラはゴジラに突進すると、ゴジラの正面腹部に殴り込んだ。

 

衝撃に揺れつつもゴジラは耐え、自身のちょうど半分ほどの体高を誇る闖入者に両手を振り下ろす。

 

すんでのところでガイラはそれをかわし、鋭い手の爪を立ててゴジラの腹部に振り下ろした。刃物のように鋭利なガイラの爪でもゴジラの皮膚を切り裂くには至らなかったが、それなりに効き目があったのかゴジラは鋭い雄叫びを上げ、後ずさった。

 

すかさずガイラは飛び上がり、ゴジラの腹部に強烈な飛び蹴りを食い込ませた。5、6歩さらに後ずさるゴジラへ、立て続けに蹴りを入れる。体格に差が大きいとはいえ、ガイラの全重量以上の質量を持った蹴りはゴジラを大きくたじろかせた。

 

勢いづいたガイラはドスドスと音を立てて走り込み、ゴジラの腹を蹴った上、宙返りをするように身を回転させ、もう片方の足がゴジラの顎に炸裂した。したたかに顎を蹴り上げられたゴジラは上半身がのけ反り、薄根川河川敷に足を踏み入れた。重量のある尻尾がなければ、仰向けにひっくり返っていただろう。

 

攻勢の手を緩めることなく雄叫びを上げたガイラは、河川敷に飛び込むとゴジラの首めがけて爪を振るった。やはりゴジラの強固な皮膚は破れなかったが、間髪入れず飛び上がって右手拳をゴジラの頬に叩き込んだ。

 

横からの攻撃にゴジラはバランスを崩し、薄根川に横倒しになった。

 

マウントポジションを取ったガイラはゴジラの胸部に跨ると、ゴジラの両頬をそれぞれの拳で殴り始めた。一撃一撃の威力はゴジラを怯ませる程度だったが、とにかく手数でガイラはゴジラを凌駕していた。川の水を跳ね上げながらゴジラは顔面を川面に叩きつけられる。やがて口を閉じると歯ぎしりを始め、唸り声を上げ始めた。

 

動物的本能でガイラは攻撃の手を止め、ゴジラの身体から後ずさった。仰向けのままゴジラは唸り続ける。背鰭が発光し、口から青い煙が昇り始めた。

 

背鰭の高熱で川の水が一瞬で蒸発し、川底の泥が干上がった。

 

ガイラに顔を向けたゴジラが熱線を吐き出さんとしたとき、ゴジラの顔面が大きく横に逸れた。顔の側面をゴジラの顔ほどはある岩石が直撃したのだ。

 

思わぬ攻撃が仕掛けられた方を向くゴジラだったが、再度、同程度の岩石が口と鼻に直撃した。

 

河川敷から高台になってる場所から、サンダが砕石工場の岩を拾い上げ、性格に狙いを定めてゴジラに放っているのだ。

 

新たな標的に怒りの咆哮を上げるゴジラに、サンダが投擲したブルドーザーやユンボが叩きつけられる。

 

サンダの遠隔攻撃でゴジラの気が逸れたのを見逃さず、ガイラはゴジラの腹部を思い切り踏みつけた。苦し気な咆哮を上げるゴジラの顔面に、トレーラーや4トントラックが降ってくる。

 

再びゴジラの背鰭が光った。怒りのためか背鰭のエネルギーは一気に口から放出され、高台のサンダ目掛けて迸った。

 

サンダはゴジラがこちらに顔を向けた瞬間に走り出し、砕石工場から高台の土手が一瞬で抉られた。サンダが逃れた方向へ顔をなぞらせると、青い光の渦はサンダを追って土手を激しく削り始める。吹き飛ばされていく道路や住宅は逃げるサンダに降り注ぎ、うるさそうに手を払う。

 

これ以上の攻撃をさすまいと、ガイラは両手を握ってゴジラに叩きつけた。熱線放出が止まり、ゴジラの注意はガイラに向けられた。

 

ガイラは踏みつけるようにゴジラの腰辺りを蹴りつけるが、より威力の高い蹴りを放とうと右足を振り上げ、力を込めたところをゴジラの尻尾が直撃した。

 

ガイラの身体は薄根川の上流方向へ跳ね飛ばされ、派手に転がった。

 

ゴジラは立ち上がり、身を反転させるとガイラに向かい始めた。

 

ガイラに初めて直撃したゴジラの一撃はしかし、これまでガイラが放ったどの攻撃よりも力強いものだった。悶え苦しむガイラを見下ろし、ゴジラは背中にエネルギーを集中させた。

 

刹那、ゴジラは前のめりに倒れ込んだ。高台を滑り降りたサンダが、その勢いのままゴジラにタックルを仕掛けたのだ。

 

倒れ込んだゴジラの尻尾を両手で持つと、サンダはそれ以上進ませまいと両足を踏ん張ってゴジラを引きずり始めた。その間にガイラは回復し、仕返しとばかりに顔を引きずらせているゴジラの顔面を横払いに蹴った。

 

 

 

 

 

 

怪獣同士が争うことで時折よろけるほどの地震が起こる中、白鳥ら消防士たちは沼田中学校に避難してきた大勢の市民を移送させることにした。

 

消防本部からの通達で、関越自動車道昭和インターそばの味の素、キャノンの工場が臨時の避難拠点となり、そこまでの避難・移送を要請されたのだ。

 

轟音と地響きがひどく、市民たちはおののきつつも移動を始めたが、もしもゴジラ、あるいは赤城・榛名から出現した怪獣たちがここから遠のいていかなかったら、とても避難移動の決断は下せなかったことだろう。

 

あるいは・・・途中で合流した5班の消防士長によれば、赤城と榛名から現れた怪獣たちは、2匹で協力してゴジラを沼田市街地から引き離すように争っているように見える、とのことだった。この辺りには昔から土地の守り神として、巨人兄弟が住んでいて土地に危機迫れば山から下りてきて土地と人々を守ってきたという民話を耳にしたことはあるが・・・。

 

とにかく、怪獣たちが市街地から遠ざかっていることは好都合だった。途中、国立沼田病院で入院患者と病院関係者が大勢合流してきたが、付近を警戒していた沼田警察署のパトカー数台も混じったことで、警察が先導、白鳥ら消防隊がしんがりを務め、人が増えつつも避難誘導が適切に行われつつあった。

 

激しい爆発音と怪獣たちの咆哮が背筋を冷たくするが、白鳥は歯を食いしばった。

 

 

 

 

 

 

サンダがゴジラの尻尾をつかみ上げている隙に、ガイラがゴジラの首に手を回し、ヘッドロックをかけるように締め上げていた。

 

ゴジラは立ち上がろうにも、自身の重心を司る尻尾の自由が利かず、サンダとガイラにされるがままの状態だった。

 

どうにか体勢を変えようと両手を地につけると、ゴジラは全身をよじらせた。ガイラは振り回されて土手に投げ出され、サンダはゴジラの勢いに尻尾から手を放してしまった。

 

もんどり打ってゴジラは立ち上がると、両足に力を込めて全身にエネルギーをみなぎらせた。

 

ガイラは自分が標的になっているのを察知し、寝転がりながら河川敷を転げ回る。ゴジラは狙いすまし、口にエネルギーをたくわえていく。

 

だが派手に動くガイラは囮だった。側面からサンダが迫った。サンダは河川敷の森から巨木を二本引き抜くと、片方でゴジラの脇腹を叩いた。

 

ゴジラにダメージはなかったが、ゴジラの注意を引くには充分だった。

 

ゴジラの口に巨木を突っ込ませた。何やら口に詰まったゴジラは慌てて巨木を抜こうとしたとき、背後からガイラが飛び掛かった。

 

ゴジラの背中をよじ昇り、再びヘッドロックをかける。

 

かすれた咆哮を上げるゴジラは背中のガイラを振り落とそうとするも、がっしりと首を絞めるガイラの腕が食い込むばかりだった。

 

苦し紛れに熱線を吐こうとし、背中が発光する。ガイラは絶叫を上げながらゴジラの背中から転げ落ちた。背鰭の発光は熱線ほどの威力はないが、ガイラの皮膚を焦がすほどの熱を持っていた。

 

熱線はゴジラの口に詰まった巨木を一瞬で炭にした。そのまま吐き出された熱線は地面に突き刺さりながらサンダとガイラを狙った。

 

慌てて逃げ出すサンダとガイラを舐めるように追う熱線は、周囲の道路や建物を吹き飛ばし、広がる森を燃え上がらせた。

 

正面180度に熱線を吐き散らしたところ、爆煙と山林火災が巻き起こった。ゴジラが周囲をうかがう中、直撃は避けられたものの爆炎に呑まれた左足をさするガイラと、掘り起こした土をガイラの足にかけて火傷を冷やすサンダは息を潜め、薄根川に流れ込む発知川沿いの山尾根に逃れていた。

 

ゴジラは«本来向かうべき»方角へ向かうことはせず、突然現れた2匹の闖入者を屠るべく周囲に目を凝らした。やがて炎の中に足跡を見つけ、発知川を上流に向けて歩み始めた。

 

その様子をうかがうサンダは、手負いのガイラを気にかけつつもゴジラの進行方向に注目した。

 

サンダは近くの巨石を握ると、ゴジラの顔面に投げつけた。

 

投石攻撃を受けたゴジラは石が飛んできた方を見遣ると、尾根から飛び出したサンダはゴジラの前を横切り、川を渡るように走り出した。

 

怒りに吼えたゴジラはサンダを追い始めた。だがサンダが決して足を踏み入れなかったところに達したとき、足元が大きく掬われた。

 

沼田市北部は古代から残る古墳が散在しており、サンダは地下古墳群にゴジラを誘いだしたのだ。

 

地下空洞はゴジラの体重を支え切れず、ゴジラの右足を呑み込んだ。

 

突然のことに驚くゴジラに、側面からガイラが襲い掛かった。左足の傷をかまうことなく放たれた飛び蹴りがゴジラの脇腹に炸裂する。

 

右半身の自由がままならぬゴジラは激しくうめく。サンダがゴジラの頭頂部に殴りかかり、ゴジラの身体はさらに地中に食い込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 58ー

・7月13日 10:03 東京都大田区羽田空港 羽田エクセルホテル東急 小会議室

 

 

「本当なの、それ?」

 

少し話がある、メールでは言えなかったことだ・・・そう告げられて隣の部屋に入り話を聞いた緑川は、目を丸くして斉田に訊いた。

 

「ああ。これが証拠だ」

 

斉田はポケットから、布に包んだ銃弾を広げて見せた。緑川の表情が強張るのがわかった。

 

「じゃあ、命を狙われっている、ってこと?」

 

上目遣いに緑川は訊いた。

 

「いや、命を取るつもりなら、とっくに仕掛けてるだろう。あくまで警告なんだろうが、殊に日本でこんなことがまかり通るとはな」

 

斉田は苦笑いを浮かべるが、どこかひきつっている。

 

「じゃあ・・・どうするの、これから?」

 

暗に、これ以上の調査は勘弁してくれ、緑川は斉田にそう言わせたかった。

 

「こんなことをしてくるってことは、だ。スマートブレイン社と矢野教授の関係性は誰かの命を奪ってでも重要、そして暴かれたくないということを証明したようなものだ。奴等が進めようとしていた研究は・・・いまは別人格のようだが・・・伊藤姉妹も関係してくる上、あかつき号沈没の原因となった可能性も充分出てくるとオレは思う」

 

「でも・・・弊社は・・・ていうか、私はあなたの命を危機に晒してまで調査してほしくないんだけれど」

 

「それはオレも同じだ。そりゃしがない調査会社経営してて借金まみれだし、家では妻のデカイ尻に敷かれる毎日だが、オレだって命は惜しい。それに、奴等が伊藤姉妹が健在と知った場合、何をしてくるかわからないからな。なので、ここから先はお前の出番だ」

 

そう言われ、緑川は目をキョトンとさせた。

 

「勘違いするな、直接スマートブレイン社に改めて調査協力を依頼しろってワケじゃない。そんなのがいまのお前の仕事か?損害保険最大手の海損部長の肩書きはどうした?」

 

「わかった、スマートブレイン社日本法人の資金の流れを追えば良いわけね?」

 

「察しが良いのは昔からだな。あそこはKGI損保だけじゃない、日本海洋銀行(KGI損保のグループ企業)にとっても大事な取引先だからな」

 

「早速やってみる」

 

言うが早いか、緑川はスマホを取り出し、日本海洋銀行本店の調査部へ連絡を始めた。

 

それにしても、と斉田は頭を掻いた。顔こそシラフだが、かつての同期で現海損部長様はとにかく酒臭い。酒量が増えて、とのたまっていたが、話は本当のようだ。

 

斉田がKGI損保に勤務していたころ、部署こそ異なるが同期の中でも特に仲の良かった斉田と進藤、緑川はよく本社のある大阪キタで朝まで飲み明かしたものだったが・・・。あの頃と酒量は変わっていないらしい。

 

そういえば、昨日電話で話した際、ロンドンの進藤といまだ連絡が取れない、と泣きそうな声でしゃべっていた。その頃も飲んでいたのだろうか。

 

電話に夢中になる緑川をそのままにし、隣室へ入った。秋元がテレビに映る人型の怪獣2匹について、何やら熱く語っていた。これまで自身が取材していた対象だったらしく、だいぶ興奮気味だ。傍らの三上と、向かいに座る檜山は話に聴き入るばかり。というか、檜山の方は半ば聞き流してすらいるように思える。

 

とりあえず座ろうとしたとき、緑川が戻ってきた。

 

「詳細は調査結果を待つとして・・・。銀行の調査部に呑み仲間がいてね。いま把握できる情報だけは仕入れた。スマートブレイン社への融資が、ここ1年で前年の3倍に増えてるの」

 

「ほう。研究熱心なこった」

 

「それもある時期から、ね。借り換え含めた巨額融資の申し入れが、昨年7月に打診があって、翌月に追加融資を受け付けてるの」

 

昨年7月何があったか・・・考えるまでもなかった。

 

ゴジラとカマキラス、ガイガンの争いによる混乱もひと段落つき、首都機能不全と怪獣災害からようやく復興の芽が育まれようとした矢先の、あの黄金の三つ首竜襲来で東海地方が壊滅。日本経済の凋落が決定づけられ、政府による歴代最大規模の赤字国債発行で官民金融機関を通した災害緊急時融資が乱発した頃だ。

 

怪獣災害による損害対策とされた史上最大規模の補正予算だったが、罹災の有無おかまいなしに融資を求める企業が少なくなかったことも事実だ。

 

「あと、気になることがある、とも言ってたの」

 

緑川の言葉に、斉田は顔を向けた。

 

「スマートブレイン社への融資を実行してからしばらくして、スマートブレイン社と、融資を実行した日本海洋銀行の本店に右翼団体の街宣車が乗りつけたんだって。罹災証明に乏しい企業への融資を乱発してる国賊、とか怒鳴られたって」

 

斉田は俄然興味を持った。

 

「もしかしてそれ、誠和会じゃないのか?」

 

「わからないけど・・・誠和会って、けっこう大きな国粋主義団体だったっけ?」

 

首をかしげる緑川に、斉田はスマホを手繰って写真データを引っ張り出した。

 

「メールでも報告したろ、例の矢野教授、シンポジウムやらで伊藤姉妹の両親と接触した可能性が高いって。そのうち比較的最近行われたシンポジウムの資料なんだが・・・列席者に矢野教授と、伊藤夫妻の名前もあるが、発起人の名前を見ろ」

 

「大澤蔵三郎・・・これって」

 

「現代の妖怪、日本を影から操る男・・・。お前も聞いたことはあるだろ。そしてこの、稲村友紀ってフリージャーナリストなんだが、数日前変死体で発見されてる」

 

緑川の顔色が変わった。

 

「しかも見ろ、あの近藤悟の名前もある。去年YouTubeの視聴回数で数億稼いだ野郎だ。狂ったような風俗通い報じられて最近見かけなかったが・・・とにかく、胡散臭い連中がよくもマジメなシンポジウムに集まったものだと思わないか」

 

緑川は斉田の話に反応しなかった。

 

「おい?」

 

怪訝に思った斉田が顔を寄せると、ハッとしたように緑川は我に帰った。

 

 

「あ、ごめん。とにかく、その街宣車は誠和会のものだったか、こちらから問い合わせてみるね」

 

取り繕ったような顔でそそくさとスマホを握ると、緑川は再び電話をかけ始めた。

 

彼女のいまのような顔を、斉田は昔一度だけ見たことがある。

 

『斉田、ちょっと今夜つきあってくれへんか?』

 

15年前、まだ斉田がKGI損保の調査部にいたころ、同期の進藤から電話があった。

 

なんでも、緑川は当時在籍していた第1法人営業部の先輩とイイ仲になっていたが、一方的にフラれたらしく、ひどく落ち込んで酒に呑まれてるから一緒に励ましてくれんか、という話だった。

 

『あたしが悪いの、アハハ!仕事頑張り過ぎちゃったから、アハハ!』

 

しこたま呑んだ挙句、そう泣き笑っていた緑川だったが、遠からずして真相が明らかになった。彼氏だったその先輩社員は取引先の重役の娘と二股をかけており、相手に結婚を迫られたことで緑川をフッたということが判明した。

 

「なんでそんな男をかばったんだよ」

 

後日斉田と進藤に問い詰められた緑川は、さきほどのような取り繕ったような顔で笑うばかりだった。

 

斉田が電話中の緑川の背中に猜疑の視線を強めたとき、背後で椅子が倒れる音がした。

 

振り返ると、伊藤姉妹が立ち上がっている。

 

「どうしたんだ、いきなり」

 

驚きと若干の憤りで檜山が語調を強めた。同時にテレビから速報を伝える音がした。

 

【速報 群馬県前橋市上空に2体の飛翔体。行方不明の蛾の怪獣か】

 

【速報 米国 イエローストーン国立公園で爆発的噴火が発生】

 

 

 

 

 

・同時刻 群馬県沼田市奈良町

 

 

片足を地下古墳に沈めたゴジラは、サンダとガイラに為されるがままとなっていた。

 

正面からサンダが突進してゴジラの胸部に肘を食い込ませ、背後からはガイラがゴジラの首筋に噛み付いている。

 

一見ゴジラが完全に劣勢へと追い込まれたように見えるが、サンダもガイラも焦りを滲ませていた。

 

あらゆる攻撃を駆使してゴジラを痛めつけているはずなのだが、ゴジラが一向に倒れないのだ。

 

最初こそうるさそうに身体を揺らしていたが、やがて反撃することもせず唸り声を口から漏らすようになった。

 

そしてガイラの鋭利な歯も、ゴジラの皮膚を貫くことはかなわず、噛み続けるガイラの方が音を上げて田圃に倒れ込んだ。自慢の強靭な歯もゴジラには文字通り歯が立たず、顎の筋肉が限界を迎えたのだ。

 

立ち上がったガイラは、息が上がりつつも爪を立ててゴジラに手刀を食い込ませた。それでもゴジラは動かず、眼だけは凄まじい怒りの色を帯びたまま唸り続けていた。

 

ゴジラの口から青い煙が昇り始めた。サンダもガイラもゴジラの異変に気がつかず、尽き始めたスタミナを振り絞るようにゴジラを殴りつけまくる。

 

そのとき、ゴジラは首を捩り、東の方向を向いた。

 

サンダとガイラの手も止まった。東の方角を向き、息を呑んだ。

 

低く唸るゴジラは口を閉じ、沈んだ右足を持ち上げた。そんなゴジラには目もくれず、サンダとガイラは東の方向を睨みつけるばかりだった。

 

ややあってサンダとガイラは頷きあうと、ゴジラを放って走り出した。

 

ゴジラもそんな2匹を追うように、というよりも東のはるか果てに意識を向けるかのように、歩みを始めた。

 

それまで湛えていた忿怒の色ばかりか、激しい憎悪すら滲ませた眼をたぎらせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 59ー

・7月12日 19;03 アメリカ合衆国ユタ州ソルトレイクシティ ジョセフ・スミス記念館

※日本より15時間遅れていることに留意。

 

 

『ハードコアのユアン・ホルムズだ!テレビの前のヘイ、あんた!さあ〜イエローストーン国立公園が噴火間近ということで、もっとも近い大都市のココソルトレイクシティはご覧の通り、天地ひっくり返ったような大騒ぎだよ!』

 

ホルムズの右手が指し示す先には、通りいっぱいに並んだ車両がピクリとも動かず、ただのアイドリング発生装置と化して一面に排気ガスを撒き散らす様子、そして歩道はおろか車道にも溢れかえり逃げ惑う市民が映し出される。

 

『街全体に避難命令が出されたんだがねえ、なんてったってそりゃ、ひとたび噴火すればアメリカが壊滅するってほどの火山だ、逃げようがなくてみんなてんやわんや、あちこちで小競り合いだあ!』

 

混乱の様子を嬉々として伝えつつ、ホルムズは右往左往する若い男の腕をつかんだ。

 

『よぉ兄さん、住む街が吹っ飛ぶ寸前を迎えた心境を聴かせちゃくれんかねえ!』

 

男は焦りと恐怖と怒りで言いようのない表情になった。

 

『さあさ、現場の生の声ってヤツだ!ほら!』

 

グイグイとマイクを突きつけるホルムズを、カメラマンのハンソンは引き離した。

 

「おいユアン。あくまで混乱の現場を映すだけで、避難の支障をきたすことのないようにって方針を忘れたか?」

 

そう訊かれたホルムズはマイクを離した。

 

「ハンソン、このヒヨッコが。いいか、オレたちはな、とにかく過激な映像をこれでもかと流して視聴者に訴えかけるのが仕事だろうが。現場に出もしねえ堅物のお上が決めた礼儀正しい方針なんざクソくらえだ」

 

それだけ言うと、通りの向こうで衝撃音が響いた。業を煮やしたピックアップトラックが歩道を走ろうとして迷走、銀行に突っ込んだのだ。

 

『さあさあ!より混沌が広がってきたよ!地獄が訪れる前にソルトレイクの街は地獄になっちまったってワケだあ!』

 

事故の現場はガラスが散乱、不幸にも巻き添えとなった避難者が歩道に倒れ、地面に鮮血が広がる様子を収める。

 

『ソルトレイクはあと1時間で日暮れ。今日がソルトレイクで拝める最後のサンセットだってのに、市民の誰も夕陽なんぞ拝む余裕がないってのぁ、ご覧の通りだ』

 

リポートしながら、ホルムズは片手でポケットのスマホを見た。局から電話がかかってきている。かまわず保留にすると、人を撥ねた運転手が警察に取り押さえられる現場に迫った。

 

『よう間抜け、こんなときに留置場行きだなんてツイてないな!』

 

警官2人に両腕をつかまれた運転手にマイクを向ける。

 

「この野郎、撮ってんじゃねえ!!」

 

運転手はこめかみが破裂せんばかりに怒鳴った。

 

「邪魔だ、あっちへ行け!」

 

警官の1人が邪険にホルムズを追い払おうとしたが、めげずに警官にマイクを向けるホルムズ。

 

『よっほいお巡りさん!こんな小物釈放してやったらどうだい!獲物はもっともっとデカイんだからさあ!』

 

「ユアン!」

 

ハンソンがたまりかねてホルムズの肩をつかんだ。

 

「ほどほどにしろよ」

 

「ハッ!いいか、こういうときこそ人間の本性が現れるってモンだ。その様子をカメラに収めるまたとないチャンスだぞ!」

 

ついていけない、とばかりにハンソンは下唇を噛んだ。

 

「去年の東京で、ゴジラとガイガンが戦う様子を至近距離で報じたジャーナリストいただろ!まあアイツはYouTubeに載っけて5百万ドル稼ぐなんて邪道な手を使いやがったが、なんだかんだみんなキワドイ映像観たいんだよ、なあ!いいか、それがオレの仕事だ。オレは仕事をトコトン突き詰めたいんだよわかったか!」

 

笑みを浮かべながら怒鳴りまくるホルムズ。元から奇人、変人を通り越して狂人じみた部分があり、それが原因でアラスカ支局へ飛ばされたと耳にしている。

 

数日前アラスカを訪れた日本の怪獣博士へのインタビューは、博士がホルムズの挑発にも乗らずソツなくマジメに答えたため、放送の評判は芳しくなかった。

 

そこへきて北極海から出現した怪獣ダガーラがカナダからシアトルに押し寄せた後、ホルムズはアラスカを飛び出してシアトルへ。被災した市民にイラがらせのごときインタビューを行なった後、イエローストーン国立公園噴火が取り沙汰されたソルトレイクへやってきたのだ。

 

本来なら局のメンバー全員ととっくに避難しているはずのハンソンだったが、アラスカからやってきた鼻つまみ者に運悪くつかまり、こうして行動を共にするハメになったのだ。

 

『さあさ、渋滞で逃げ場なく我先にと車を捨てて走り去る市民!この哀れな狂想曲はいつまで続くのやら!』

 

そんな様子をさも嬉しそうにしゃべるホルムズ。ふと、通りに広がる人々が足を止めた。

 

ホルムズも、そしてハンソンも違和感が足元から昇ってくるのを覚えた。地面が小刻みに揺れているのだ。

 

ドンっ!と、花火が炸裂するような音がした後、市街地を波のような揺れが襲った。片目をカメラ越しに望むハンソンは、北の方角に真っ黒い煙が噴き上がっているのを目撃した。

 

『おあお!噴火だ、噴火が始まったぞぉー!!』

 

嬉々として叫ぶホルムズ。周囲の市民は絶叫しながら、もはや無駄だとどこかでは理解しつつも本能的に噴煙から少しでも距離を取ろうとし始めた。

 

クラクションが鳴り響き、中には強引に車を発進させて前の車両にゴツゴツとぶつける車も多い。理性なき混乱に恍惚の表情を浮かべるホルムズだったが、ハンソンはまた別のことが気掛かりになっていた。

 

イエローストーンから噴き上がった噴煙は300キロも離れたここからでも見えるのだが、ドス黒い噴煙が次第に晴れ上がり、夕暮れ時のオレンジがかった空が垣間見えるのだ。

 

逃げ惑う市民たちも、その異様な様子に気づく者が増えたようで、何人かは北の方角を凝視したまま立ち止まった。

 

ハンソンはカメラから目を離した。一度高く膨れ上がった噴煙は、大気と混ざり合って薄まりつつある。通常、噴火といえば噴火口から絶え間なく噴煙が昇り、まるできのこが成長するように膨れ上がっていくものであるはずだ。

 

ところが、様子を見る限り一度大爆発こそ起きたものの、噴煙も、あるいは溶岩や火山弾が飛び出す様子もない。地響きも収まり、まるで一度の爆発で噴火が終わってしまったような感覚なのだ。

 

「な、なんだあ?これでおしまいかあ?」

 

拍子抜けしたような、間の抜けた声でホルムズがつぶやく。

 

「噴火はこれで収まったってのか?なんだよオイ、せっかくソルトレイクシティくんだりまでやってきたのに」

 

呆気にとられたホルムズの顔は、やがて失望と怒気を帯びた表情になる。

 

大気圏ギリギリまで昇った噴煙は、縦から横に広がりつつあった。この調子なら、イエローストーン周囲に火山灰こそ降るだろうが、いわゆる破局噴火など起きず、ソルトレイクシティ壊滅には至ることはなさそうだった。

 

恐怖に顔を引きつらせていた市民たちにも安堵の色が広まりつつあった。

 

『ええーっと・・・締まらないことになったが、ちくしょう』

 

心底悔しそうに、ホルムズはリポートを始めた。北の方角から風がなびいてきた。

 

『まあ、知っての通りオレはアラスカに名誉ある栄転を果たしながらも使命を帯びて災害の最前線を目指してきたわけだが・・・こうなりゃ、とんだ間抜けだとみんなで笑いやがれ』

 

半ばヤケクソ気味に笑みを浮かべるホルムズ。なびく風が次第に強くなり、砂埃と紙がダウンタウンに舞い始めた。

 

自嘲気味にカメラに向かうホルムズの背後で、再び煙が舞い上がるのをカメラは捉えた。だが火山噴火による噴煙ではない。砂埃が爆発するように、というより、空に吸い上げられているようにも見える。

 

砂埃に混じって、黒い粒が同じように巻き上げられている。地響きが聞こえてきて、吹き付ける風は強風を通り越し、ハリケーン並になってきた。

 

暴風吹き荒ぶダウンタウン。市民たちは風から逃れるべく車や建物に入っていく。

 

『ええいなんだこの風は!竜巻かあ!?』

 

暴風で目を開けるのもひと苦労らしく、ホルムズは目を細めた。

 

「見ろ、何か近づいてこないか?」

 

ハンソンが北の空を指差した。空中に砂、そして黒い粒はどうやら岩石らしく、派手に舞い上がる中、夕陽を浴びてひときわ輝く『何か』が見える。

 

「雷・・・?晴れてるのに・・・?」

 

ハンソンがつぶやいた。夕陽を受けてオレンジ色に輝く物体から、絶え間なく雷が広がり、それは大地に広がると地表の物体を等しく空へ浮かべているように思える。

 

ホルムズ、そして周囲の市民たちが暴風に身を外らせつつも不思議そうに空を見つめる中、ハンソンは背筋をすうっと冷たい汗が流れるのを感じた。

 

去年、日本中央部を滅ぼした怪獣・・・怪獣という表現すら当てはまるのかわからない、圧倒的な災厄そのもの・・・CNNがそう報じたことを思い出した。

 

テレビで見ただけだが、あの怪獣は日本に出現していたゴジラやアンギラス、ガイガンなどとは根源的に異なる、恐怖や畏怖をはるかに超越した・・・たとえるなら、地獄の獣がこの世に具現化したような存在だと思った。否、思わされた。

 

まるで、生命が生きていることすら許さぬとばかりに破壊の限りを尽くすかのように、雷を吐き散らす・・・そんな地獄からやってきたような恐怖が、こちらに迫りつつある。

 

周囲も、そしてホルムズも、何が近づきつつあるか理解したようだ。あのホルムズが、言葉を失い驚愕に顔を引きつらせている。

 

ハリケーンを10も20もかき混ぜたような音が近づき、夕暮れに照らされるソルトレイクの街はアッという間に黄金の光に包まれた。

 

カメラを携えたまま固まったハンソンは、地面と靴が乖離したのを理解した。直後、ホルムズがカメラに突き刺さった。

 

 

 

 

 

 

ちょうどそのころ、イリノイ州シカゴ、そしてミネソタ州ミネアポリスでは再び市内に混乱が訪れた。

 

ミシガン湖が泡立ち、赤い煙が立ち上ると、湖面を割って黒い何かが飛び出した。

 

眼下に広がるシカゴ市街地を一瞥することなく、復活したダガーラは一目散に西へと向かい始めた。

 

そしてミネアポリスでは、ダウンタウンの州議会議事堂付近に落下し、警察と州軍に包囲されていたバランが起き上がった。

 

ムササビのような皮膜を広げると、大きく吼えながら上空に舞い上がった。

 

 

 

 

 

 

・同日 19:58 アメリカ合衆国コロラド州コロラドスプリングス 北米防空司令部(NORAD)

※日本より15時間遅れていることに留意。

 

 

イエローストーン国立公園噴火に備えていた北米防空司令部では、噴火こそ発生したもののすぐさま収束したこと、同時にユタ州上空に未確認飛行物体が出現し、猛烈な速さで南進を始めたこと、そして未確認飛行物体を囲むようにカテゴリ7のハリケーンが巻き起こったこと、ソルトレイクシティのデンハーグ空軍基地との連絡が途絶え、同時にソルトレイクシティがハリケーンに呑まれたことを事実として認識していた。

 

だが合衆国が崩壊するほどの火山噴火を覚悟していた面々は、誰もが噴火が不発に終わったことへの安堵と、説明不可能な現象が立て続けに起こる事態への困惑で頭を抱えていた。

 

「ネリス基地を発った観測機、応答ありません」

 

「ハリケーン接近に伴い、カリフォルニア州知事が非常事態を宣言しました」

 

いつも口酸っぱくして指示する通り、部下たちは淡々と事実のみを報告する。だが次第にその声色に焦りと驚きが混じるようになってきた。

 

NORAD責任者のギャリスン大佐は腰に手を当てたまま、最悪の想像をしていた。

 

緊急回線の受話器を取ると、首都ワシントンDCの米国国防総省にいるクーリッジ空軍大将を呼び出した。

 

「はい・・・はい・・・間違いありません。我が国は火山噴火による壊滅は免れましたが、新たな、そして別な脅威に晒されています。ええ・・・ただのハリケーンではありません。そうです・・・ええ、そうです、去年日本に現れた、あの怪獣です。それが我が国に出現したのです・・・承知しました。はい・・・はい」

 

受話器を置くと、周囲の部下は固唾を飲んだ。

 

「全軍に指令が下った。カリフォルニアに達したこの怪獣に対し、合衆国軍は持てるすべての戦力を投入する。合衆国西部全域に・・・」

 

ワシントンからの指令を伝えるギャリスンは言葉を詰まらせた。既にハリケーンはカリフォルニアを離れ、太平洋に達していた。

 

「カリフォルニア・ファデマ通信施設からです」

 

もはや感情をなくしたかのような無機質な声で、オペレーターが口を開いた。

 

「サンフランシスコ都市圏をハリケーンが直撃。サクラメント、サンノゼ、オークランド、サンフランシスコとの通信が途絶えました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 60ー

・7月13日 11:12 東京都大田区羽田空港 羽田エクセルホテル東急 小会議室

 

 

『・・・ご覧いただいておりますのは、現在のサンフランシスコ市の様子です。いまからわずか10分ほど前、イエローストーン国立公園から出現した黄金の怪獣により、サンフランシスコ及び周辺の都市圏が壊滅状態となりました。現在、サンフランシスコ沖100キロ沖合にまで達した黄金の怪獣に対し、米軍の攻撃が行われようとしております。この怪獣は、昨年フィリピン沖から出現し日本に飛来、ゴジラと争ったことで東海地方を壊滅させた怪獣と同一の存在と見られます。現在北米から西へ向けて猛烈な暴風雨を伴いながら進行しており、飛行ルートによっては再び日本への襲来も懸念されます。ここまでは、米国に出現した怪獣のニュースでした。続いて、ゴジラ関連のニュースです。11:00現在、利根川沿に進行を続けるゴジラは群馬県前橋市に到達、進行方向と見られる利根川から5キロ圏内に避難指示、10キロ圏内には避難勧告が発令されております。またゴジラに先駆け、群馬県山間部より出現した2体の怪獣も利根川を南進しており、今後の首都圏への侵入、避難に伴う混乱が大変心配されております。なおこれを受けて瀬戸総理大臣を本部長とする官邸の緊急災害対策本部は、今後の避難活動及び、自衛隊による防衛作戦展開を決定するための閣議を始めたとのことで、望月官房長官による定例会見が・・・』

 

テレビに映し出されたサンフランシスコの光景に、一同は言葉を失っていた。特に昨年、黄金の怪獣による惨劇を直視した緑川は小刻みに身体が震えている。

 

ミラとリラはモスラと交信してるらしく、目を閉じているが深刻な表情を増している。

 

「モスラは、何か話していたか?」

 

やがて目を開いた2人に、檜山は訊いた。

 

「やはり・・・こちらにギドラが飛来することは避けられぬようです。それを察知した他の神々・・・ベヒモスに、火の神バラゴン、海の神タイタヌスも動き始めています。モスラとバトラはギドラに立ち向かいますが・・・時間稼ぎくらいにしかならないだろう、と」

 

「これほどの暴虐を伴いながら飛ぶギドラには、モスラの鱗粉もバトラの閃光も効果が見込めません。動きを止められれば、可能性はあるかもしれませんが・・・復活したダガーラもギドラに向かっているようですが、どうなるかは・・・」

 

かつて、ギドラと呼ばれる暴虐の神を討つべく造り出されたダガーラだったが、彼女たちの話ではギドラと交戦した機会はこれまでなかったようだ。

 

「さきほどからの話を総合すると、ギドラというのか?あの黄金龍が日本、それも東京へ飛来するということかね?」

 

サンフランシスコ壊滅が報じられるまで、檜山たちはミラとリラの存在、怪獣たちのことを本人たちを交えて三上らに説明していた。それを受けた三上の問いかけだった。ミラとリラは無言で頷いた。

 

「おいおい、だとすればかなりヤバイな。我々も避難・・・ってもなあ」

 

斉田は外を見て、もじゃもじゃの髪の毛をボリボリ掻いた。ゴジラ、そしてサンダとガイラの首都圏接近を受け、JAL、ANAが緊急時の政令による北日本と西日本への臨時便増便を決定したことで、羽田空港には続々と避難者が押し寄せていた。ロビーに入り切れない避難者はホテルにも入り出し、騒然とし始めている。

 

また首都圏の鉄道も、怪獣対策基本法に基づく緊急時無料開放により、JR私鉄問わず混雑は深刻さを増している。ギドラなる黄金の怪獣が現れてからはその傾向に拍車がかかっている。言わずもがな、高速・一般道の渋滞は警視庁・各県警本部の交通管制も虚しく、いたずらに伸びるばかりだった。

 

「逃げようにも、いったいどこへ、て話だよなあ」

 

心底困り果てたように口を曲げる斉田だった。傍らの秋元は、先ほどの説明をまとめ、自社のツイッターにて特ダネ級の投稿を続けている。

 

「怪獣たちは、ギドラがここへ来ることを察知してるってことなのか。だがなぜ、ギドラはここを目指すんだ?」

 

檜山が訊くと、ミラとリラは顔を曇らせた。

 

「私たちにも、はっきりとわからないのですが・・・」

 

「ギドラは、見境なく暴れ回り、すべてを破壊し尽くす行動しかとらないはずなのです。今回のように、何かを目指して向かってくるなどといった動きは、私たちもモスラもバトラも初めて察知するものです」

 

「まさか・・・」と、恐怖と過去のトラウマに苛まれていた緑川が口を開いた。

 

「去年の浜松でもそうだった。ゴジラに向かっているんじゃ・・・?」

 

「おい、何か根拠でも?」

 

斉田が訊いた。

 

「確証はないけれど・・・でも・・・」

 

緑川は偏頭痛を抱えるように、頭の片方を手で覆った。

 

「そうかもしれません・・・他の神々と異なり、ギドラもゴジラもその意思を読み取ることはできませんが、まるで互いを目指して行動してるように思えます」

 

「すると・・・ゴジラと、モスラやその他大勢の怪獣たちが、ギドラと戦うってのか、この東京で?」

 

口にした斉田自身、言いながら顔が青ざめていった。

 

「あるいは・・・それぞれが殺し合う、などということもなりかねん」

 

三上が深刻な表情で口を開いた。

 

「なんですかそれ、何の因果でここで怪獣どもがバトルロワイヤル繰り広げなくちゃいけないんですか」

 

心底うんざりとばかりに、斉田は声が上擦った。

 

檜山はスマホを取り出し、つながらないとわかっていながら佐間野へかけた。檜山のいう通りに事態が進行することもあり、閣議中でも秘書が対応するから、連絡をあげてくれと言われていたのだ。

 

 

 

 

 

・同日 11:20 東京都千代田区永田町2丁目 官邸危機管理センター

 

 

国内に複数出現した怪獣に対し、作戦展開中の相模湾における海上自衛隊を除き、自衛隊は怪獣への攻撃行動を断念、首都圏の住民避難に注力をする方針・・・。幕僚本部から上がった方針を高橋が読み上げたところ、閣僚一同が一瞬凍りついた。

 

「高橋さん、それは自衛隊が仕事を放棄したということか!」

 

真っ先に柳が金切り声を上げた。

 

「ゴジラが進行している群馬はともかく、入間と、習志野・木更津の部隊で防衛線を構築する能力は保有しているはずだ。それに富士教導団の特科高射部隊もあります。まだ打つ手はあるのではないですか?」

 

感情を荒げる柳と違い、防衛政務官を務めたこともある氷堂が声を上げた。

 

「攻撃地点さえ特定されれば、地元自治体への避難徹底を要請します。攻撃へ舵を切ることはできないんですか?」

 

北島は怒りで声と手が震えている。

 

「遺憾ながら、攻撃は現実的ではありません」

 

苦渋半分、毅然半分といった具合で高橋が答えた。

 

「国民がどうなっても良いのか!」

 

激昂する柳を、高橋は鋭く睨みつけた。

 

「第一に、比較的速度の遅いゴジラだけならともかく、ゴジラに先んじて進行する二体の怪獣を迎撃する準備が整っておりません。第二に、昨年の浜名湖決戦に於ける戦力の逐次投入という悲劇を繰り返してはならないということ。何より、いまは武力行使よりも国民保護に全力を傾けることが肝要。以上が、幕僚本部の結論であり、自衛隊を預かる身としても、当方針を推挙したいと考えます」

 

「そんな弱腰で国民保護などできるものか!」

 

「自衛隊は武力行使がすべてではない!無為無策の攻撃行動に走るよりも、少しでも国民の避難に協力することが真の国民保護ではないのですか!」

 

声を荒げ続ける柳に耐えられんとばかりに、高橋は堪忍袋から声を吐き出した。

 

「私も、防衛省方針に同意します」

 

紅潮した空気を冷ますように、佐間野は冷静に声を絞った。

 

「ゴジラが前橋、二体の怪獣は高崎にまで達したため、上越・北陸新幹線はおろか、高崎線、両毛線が全線で運行停止を余儀なくされている上、北関東・関越道も通行止めになりました。今後も進行に伴い、さらなる交通網の破綻が避けられません。自衛隊が避難活動に加わることで、少しでも迅速な避難が実施されることが最善と考えます」

 

佐間野が語るわきで北島は悔しそうに握り拳を作ったが、埼玉県にて避難停滞の報告が寄せられ、ため息をつくばかりだった。

 

「首都圏における避難状況は?」

 

瀬戸が訊いた。

 

「小嶋埼玉県知事より、県内の避難遂行率が想定の17%との報告が上がりました。大沼都知事にも報告を求めておりますが、都内の混乱は埼玉を上回っており、正確な状況すら把握困難です」

 

唇を悔しそうに噛むと、北島は答えた。

 

「群馬・埼玉からの避難者は武蔵野線、湘南新宿ラインへ誘導し、極力都内進行を避けるよう指示しております。都内においては、群馬方面を除いて放射状に避難が可能であるため、JR私鉄各線とも保有車両を最大限活用して避難行動に尽力してますが、すでに全路線がパンク以上の混雑となっており、また今後ゴジラと他の怪獣が埼玉まで達した場合、東北新幹線、宇都宮線も運行取り止めとなります。いま以上の混乱は、避けられません」

 

佐間野が答えた。ちょうど秘書がメモを持って走ってきた。檜山からのようだ。

 

それとは別に、新たなメモを受け取った北島が挙手した。

 

「ゴジラ、先んじる二体の怪獣が進行する利根川に、避難ぜず近寄る住人が多数報告されています」

 

「どういうことだね?」

 

瀬戸が眉を吊り上げた。

 

「YouTuberを名乗ってます。既にインターネット上にて、ゴジラと二体を捉えた映像が多数配信されている模様です」

 

「なんという・・・」「逮捕しろ」と、吐き捨てる閣僚。

 

「去年、ゴジラとガイガンが争う最接近映像を流したYouTuber・・・近藤悟でしたな。あれで数億も稼いだせいでしょう」

 

高橋が険しい顔をした。そこへ新たなメモが届けられた。

 

「総理、首都圏の各師団は、既に避難援助態勢を整えております。また今後の避難混乱、非常事態下における治安低下を考慮し、現行の防衛出動から治安出動への切り替えを進言します」

 

進言を受けた瀬戸は、かたわらの望月に視線を向けた。望月は黙って首を縦に振る。

 

「相模湾での作戦行動を除き、現時点をもって、対怪獣への武力行使を中断。爾後は自衛隊に対し防衛出動から治安出動を命じ、首都圏住民の避難、治安維持に全力を尽くすよう」

 

そのとき、高橋がメモを片手に顔を強張らせた。

 

「相模湾の怪獣が急速に進行、警戒網を突破し三浦半島に接近しています」

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 61ー

・7月13日 11:42 神奈川県逗子市山の根1丁目 メゾングレープヴァイン 302

 

 

「うるせえなあ・・・」

 

目をこすりながら、市来龍弥はベッドから起き上がった。喧騒響く外を見ると、JR逗子駅からファミリーマートまで人だかりができている。

 

外は抜けるような青空だが、海水浴にも少し早い。そもそも、逗子海岸で遊ぶような格好ではない人ばかりだ。

 

「ああ、そうか・・・」

 

そういえば、始発で帰ってきた時耳にした。昨夜新潟に上陸したゴジラが首都圏へ侵攻を始めたとのことで、首都圏のJR各線が避難行動に利用されることになったとか・・・。逗子駅はダイヤにもよるが、横須賀線・湘南新宿ライン終点の駅だ。とにかく終着駅まで乗っかる人も多いのだろう。だが徹夜明けの市来にとっては、はた迷惑な話だ。

 

新宿にあるシステムメンテナンスの会社に勤める市木にとって、夜を明かした仕事は珍しくなかった。顧客となっている企業に赴き、オフィスのネット環境のメンテナンスをするわけだが、当然相手先が勤務中であれば仕事に取り掛かることができない。必然的に社員が退社した夜間に行うことになる。それも、日中は顧客への営業とシステムのプレゼンテーションをこなした上で夜間も業務を遂行する。夜勤明けは休みになるとはいえ、なかなかのブラックな職場環境だった。

 

しかも昨夜は、メンテナンスを請け負った大塚の企業へ向かう途中でゴジラが新潟に出現したことで、同僚の川村が「家族が心配だ」との理由で帰宅してしまった。

 

『川村は所帯持ちだからな。頼むよ、市来』

 

上司の畠中が電話越しに頭を下げてはきたが、渋々了承しながらも不貞腐れたまま市来1人でメンテナンスに取り掛かることにした。

 

2人でやれば日付が変わる頃には終わる量だったが、完了したときは空が明るくなっていた。おかげで行きつけのガールズバーにも行けず、ふくれ顔のまま疲労をまとって始発の山手線に乗り込み、新宿で乗り換えて帰ってきたのだ(そもそもガールズバーも、ゴジラが出たからといって店を休んだらしい)。

 

「ふざけんなよ、ゴジラが出たなんて北陸だろ。ったく・・・」

 

不機嫌が最高潮に達し、電車の中で独り言が出ていた。

 

そうして帰宅し、シャワーを浴び酎ハイを開けて就寝したのだが、外の喧騒にこうして目を覚まされたというわけだ。

 

避難してきたは良いが、どこへ誘導・収容するかといったところで問題があるのだろう。車道にまで溢れた人々、うち何名かは整理に出ている警官に喰ってかかっている。

 

ガラス戸を閉めて冷房のスイッチを入れ、冷蔵庫から酎ハイを出すとテレビをつけた。どこもかしこも、ゴジラやら怪獣やらの報道特番ばかりだ。アメリカにも怪獣が出たのか、大変な被害だーなどと報じている。

 

舌打ちをしてテレビ東京にチャンネルを合わせた。案の定、通常営業だった。

 

『それでは、今日横浜の南部市場からレポートでーす!南部市場の腹筋崩壊太郎さーん!?』

 

『はぁいど〜も〜!腹筋パワー!腹筋崩壊太郎でーす!今日はここ横浜南部市場から、美味しいレポートお伝えしま〜す!』

 

テレビで映される光景は夜勤明けにはキツイテンションだが、他のチャンネルで報道ばかりな中、贅沢は言うまい。そういえば昼どきなのだ。

 

背伸びをして酎ハイをあおると、外の喧騒が増してきていることに気がついた。ちょうど列車がホームに入ったところで、満員以上の乗客がドアから溢れるように降りてくる。この大勢の避難者、いったいどこに行くことになるのだろう。近所には小中高校とある。そちらへ収容するにしても、とてもまかないきれる人数とは思えない。

 

「ま、関係ないか」

 

そう独り言をつぶやいた。駅の向こうには逗子海岸、そして相模湾がよく見える。心なしか、先ほどよりも白波が立っているようにも思えた。

 

『うん、美味しいー!腹筋パワー!』

 

大袈裟なリアクションを取るレポーターの頭上に、テロップが入った。

 

【瀬戸総理会見 自衛隊による怪獣攻撃を断念 防衛出動から国民避難を目的とする治安出動に命令を切り替える】

 

【神奈川県西部に怪獣接近か】

 

前者はともかく、後者のテロップには首をかしげた。スマホを開いたが、群馬県を進むゴジラ関連の報道ばかりだ。ここには怪獣の影もないではないか。

 

「テキトーなこと言いやがって」

 

そう毒づいて酎ハイを飲み干した。ここ数日、世界各地で怪獣出現が続いているが、いま自分の目の前に現れたわけでもないため、いまいち実感も共感も湧かないのだ。

 

昨年のカマキラス騒動時には福岡に勤務していたことで直接被害を受けたわけではない。その後東京へ転勤となってから、カマキラスが発したジャミングの修理に駆けずり回ることにはなったが、どうにも世間の怪獣被害を受けた流れには抵抗がある。

 

とにかくいまは、ぐっすり眠らせてもらいたかった。酎ハイをもっと開けようとしたが、冷蔵庫にあった最後の一本を飲み干してしまったようだ。

 

舌打ちすると、市来は財布を持ち、歩いてすぐのファミリーマートへ向かうことにした。酎ハイ数本と、昼飯でも買おうと考えてふいに海の方を見遣った。

 

白波が壁を作って迫りつつあった。強風でもないのに、と怪訝に思ったところ、スマホが何やら聞き慣れない音を発する。スエットのポケットから取り出そうとしたが、手を滑らせてしまった。床に落ちたスマホを拾おうと屈んだとき、市の防災無線が鳴り響いた。

 

【こちらは、防災逗子広報です。ただいま、政府より、当市に、怪獣接近に関する緊急事態が宣言されました。市民のみなさまは・・・】

 

市来は当惑し、窓の外に目を這わせた。逗子駅前の群衆は防災無線を聞いて不安げな表情を浮かべている。はるか先に白い壁が見えた。

 

相模湾一面に波の壁がそそり上がっていた。みるみるうちに逗子海岸が白波に打ち砕かれ、田越川から逗子開成学園付近にまで波が達したのがわかった。

 

ガラス戸を開け、その様子に目を凝らす。その頃から妙な地響きがしてきた。せり上がった海面が逗子海岸を呑んだ先に、再び白壁が盛り上がった。今度は津波のように、海一面に広がるものではなかった。そそり立った海面が割れ、赤い何かが現れた。

 

聞いたことのない、甲高い音が市來の元にも聴こえてきた。立て続けに聞こえるその音は、海面から出現した赤い存在から放たれていた。

 

象が鳴けばこんな感じだったろうか。赤い存在が岸に迫りつつあった。

 

二足歩行、やや細身の巨体に、胴体から首が長くそそり立っている。相変わらず甲高い咆哮を上げつつ、逗子シンボルロード辺りに足を踏み入れた。周囲の住宅街が踏み潰されたのか、水煙と土煙が巻き上がった。

 

逗子駅の群集が悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように道路に広がり出す辺りで、市来も我に返った。赤い存在・・・どう考えても怪獣と比喩することしかできない・・・それがこちらに迫りつつあるのだ。

 

財布とスマホをひっつかみ、サンダルをつっかけると慌ただしく玄関を開けた。ちょうど隣室の住人が廊下を走ってきたところで、開けたドアをぶつけてしまうところだったが、お互いそれどころではなかった。

 

エレベーターを待つこともせず、他の住人と共にアパートの外階段を駆け下り道路に出ると、住宅地と横須賀線の線路の向こうに怪獣の姿が仰げた。かなり近くまで上陸してきたようだ。とにかく走り出すが、逗子に避難してきた人々が交差点で立ち往生していた。突然の怪獣出現で混乱したのか、何人かが車に轢かれたまま放置されており、クラクションや悲鳴で埋め尽くされていた。

 

そんな混乱を貫くように、あの甲高い咆哮が近づいてくる。

 

「どけ!どけよ!」

 

群衆を必死にかきわけ、とにかく山の手、聖和学園の方向へ逃れようとしたが、勢い余ってガードレールに激突してしまい、派手に車道に転げ回った。

 

激痛に立ち上がれずいるところ、自分と同じことを考えた群衆が車道に溢れ出してきた。倒れている市来にもかまわず大勢の人々が必死に走ってくる。

 

全身を踏み付けられ、市来は息ができない。痛みと怒りで叫ぼうとするが、声が出ないのだ。腹をしたたかに踏まれ、何かが腹部から口に噴き出してきた。

 

殺到する人の波が収まってきた。咳き込みながらもんどり打ったとき、周囲が不自然に暗くなった。目の脇にできた擦り傷が痛むが、市来は顔を上げた。巨大な赤い存在が眼前に迫っていた。

 

 

 

 

 

 

・同日 11:57 東京都千代田区永田町2丁目 首相官邸1階 官房情報センター

 

 

ゴジラの関東地方侵入以後も、有識者として官邸に残りゴジラの進路を中心に検討を重ねていた尾形だったが、どうか教授も避難を、と告げられたときに、神奈川県逗子市に未知の怪獣出現という一報が入り、官邸はハチの巣をつついたような騒ぎになった。

 

用意されたテレビ、そしてモニターに映された赤く巨大なその怪獣を見て、尾形はふと思いつき、自身のスマホを取り出した。

 

『あ、ああ!尾形教授!』

 

しばらくコールした後、ビグロウ教授が電話に出た。

 

「良かった、たしか午後に出国でしたね」

 

『そそ、そ、それが、羽田がとんでもなく混んでまして・・・そ、そそ、それに、新たに怪獣が出たってニュースで、も、も、もっと大騒ぎですよ。し、しかも羽田に近いところに出たらしいですから』

 

ちょうど情報センターのモニターに、逗子に出現した未知の怪獣が横須賀市に達したこと、併せて羽田空港の滑走路閉鎖の情報が表示された。

 

『ま、まあ、そ、祖国は蛾の怪獣によってけっこうな被害を受けてますし、ぼ、ぼくもパリまで飛ぶのがやっとだったところですから・・・』

 

「そんな中もうしわけない。ビグロウ教授、先ほど三浦半島に現れた怪獣ですが、先日あなたがお話なさっていた伝説の怪物なのでは、と思ってお電話をしたんです」

 

『え、ええ、ええ。僕も空港のテレビで観ましたが、ま、まま間違いないでしょう。タイタヌスと呼ばれる、海の神でしょう』

 

「タイタヌス・・・。お話をうかがった通り、恐るべき怪物のようですね。映像で見た限りだが、地上建造物と対比して計算したところ、身長は90メートルほど。ゴジラに肩を並べる大きさです。教授は、これまでにもこのタイタヌスをご覧になったことが?」

 

『そそ、そそりゃあ実物は見たことないですよ。でもね、東南アジア、ポリネシアに伝わる伝記、おとぎ話に描かれる姿によく似ていますから。それに、ひとたび怒れば大いに海が荒れたと伝わってますが、きき、昨日の津波は彼が巻き起こしたものらしいですね。ああ、そそ、そうだ。パラオやフィジーなどには、“荒ぶる龍神”“恐龍”などといった呼称で伝わっているとか』

 

「わかりました。教授、私はいま日本政府の意思決定の場におります。政府首脳にその情報を伝えますから、わかっていることをもっとお伝え願えませんか?」

 

『ななななな、なるほど!ええっと、そうそう。フィジーでは“TITANO DRAGON ”とか呼ばれてるそうで・・・。でで、でも、あれはdragonというよりは・・・適当な訳語をつけるとすれば・・・』

 

 

 

 

 

 

・同 官邸地下1階 危機管理センター

 

 

「JR及び京急電鉄は、未知の怪獣が三浦半島に上陸したことでそれぞれ大船、能見台以南への運行を停止しております。横須賀線利用の避難者は大船にて東海道線への乗り換えを案内してますが、既に殺到する避難者で破綻をきたしている状況です」

 

佐間野は暗澹たる感情を隠し、淡々と告げた。

 

「逗子、横須賀の各消防本部からです。現地では怪獣の進行に伴う避難で多数の死傷者が出ているとのことです。都内からの避難者が殺到しているところに怪獣が現れたことで、住人の避難を想定した避難行動が役に立たない、との声も上がっております」

 

次いで北島も焦りを呑み込むように言った。

 

「現在、怪獣は横須賀市田浦地区に侵攻。このまま進めば、東京湾に達するものと見られますが、その進路上には海上自衛隊横須賀総監部、そして在日米軍横須賀海軍基地が位置しております。当該怪獣に対する防衛作戦は継続中ですので、横須賀で保有する火力を以っての攻撃は可能ですが、人口密集地である上、作戦展開まで時間がなさ過ぎます」

 

苦渋の表情で、高橋が言った。

 

「防衛大臣、すると横須賀においては攻撃よりも避難に尽力すべきと判断して良いものか」

 

黙って聴いていた瀬戸が訊いた。

 

「・・・誠に遺憾ながら、そうすべきだと考えます」

 

閣僚が一斉にため息を漏らした。

 

「在日米軍横須賀基地においても、軍事作戦行動の準備は行われておらず、基地内の隊員には非常退避命令が告げられたとのことです」

 

氷堂が挙手して言った。

 

「我が国も米軍も、横須賀という軍事上の要衝を放棄せざるを得ないのか」

 

瀬戸はそう言うと、下を向いた。

 

文科省の役人が動きを慌ただしくしたのは、ちょうどそのときだった。

 

「総理、尾形教授からです。来日中のケンブリッジ大学、ベン・ビグロウ教授が、逗子に現れた怪獣に関して情報を寄せてくれたそうです」

 

全員の視線が、岡本文科大臣に注がれた。

 

「どんなことでも良い。教えてほしい」

 

「はい、っと、名前が・・・えー・・・」

 

官僚が寄越したメモが細かかった上、アルファベット表記であったことで、岡本は手元の老眼鏡をかけた。

 

「名前は、何だね?」

 

瀬戸に催促され、岡本は慌て気味にメモに目を落とした。

 

“TITANO SAURUS”

 

「チタノザウルス、チタノザウルスというそうです」

 

慌てたことで大声で宣言する岡本。ローマ字読みでなくタイタノザウルスです、と、文科省の官僚が訂正する遑もなかった。

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 62ー

・7月13日 12:15 東京都大田区羽田空港 羽田エクセルホテル東急 小会議室

 

 

『えー、ありがとうございました。横須賀市役所防災課、羽鳥さんでした。神奈川県警察本部からの情報によりますと、12:10現在、神奈川県逗子市に上陸した怪獣はJR横須賀駅付近から海上自衛隊横須賀総監部、米海軍施設を損壊させた後、横須賀市小川町付近を侵攻中とのことです。このまま進路を取った場合、東京湾へ進入すると見られております。現在横須賀市全域は特別警戒区域に指定され、警察・消防による避難誘導が行われております。該当区域にお住いの方は、防災無線等行政機関の指示に従い、至急の避難行動をお取りください。命を守る行動を、とってください。えー、いま入りましたニュースです。官邸の発表により、以後横須賀を侵攻中の怪獣をチタノザウルス、チタノザウルスと呼称することといたします。NHKでは政府の通達に従い、横須賀を侵攻中の怪獣をチタノザウルスと呼称します。続いて、ゴジラ関連の情報です。群馬県警察本部、並びにNHK群馬放送局からの情報によれば、12:10現在、利根川沿いに侵攻中のゴジラは前橋市から佐波郡玉村町に達しました。なおゴジラ侵攻に伴い、JR両毛線、北関東自動車道が破断。群馬県内の交通機関に深刻な損傷が発生したことにより、今後の避難行動への影響が大変心配されております。またゴジラの予想進路に基づき、伊勢崎市、桐生市、太田市の利根川河畔より半径5キロ圏内を中心とした地域に新たに避難指示が・・・・』

 

テレビ画面に映し出された赤い表皮の怪獣を見て、斉田が口を尖らせた。

 

「これが、君らがさっき話してたタイタヌスか。全然違う名前になってるじゃないか」

 

そう言うと、モジャモジャの髪の毛を掻きむしった。

 

「こんなバケモノがうじゃうじゃ闊歩してたなんて、君らの時代は全世界サファリパークだたのか」

 

そんな斉田に怪訝な表情を浮かべるミラとリラだったが、タイタヌス、もといチタノザウルスの姿を凝視している。

 

「タイタヌスは大人しく温和な海の神です。ですが、自身に危害を加える相手には容赦しません」

 

「一度怒り出すと、海に壁を作り出して大陸を押し流すこともありました。今回も、続けて攻撃されたこと、そしてモスラとの交信を妨害されたことで、ものすごく怒ってしまったみたいです」

 

ミラとリラが答えた。

 

「何とか、怒りを鎮めてもらうことはできないかね?」

 

三上が席を立って、ミラとリラに訊いた。

 

「ええ、モスラに諭されたことと、陸に上がったことで、怒りは収まりつつあるみたいです」

 

「このまま海へ戻ってから、タイタヌスを再び怒らせない限り、また荒れだすことはないでしょう」

 

「そうは言っても」と、斉田が口を挟んだ。

 

「こんなのが東京湾に潜んで、自衛隊が攻撃しないワケがない。湾内であんな津波を起こされちゃ、ゴジラどころの騒ぎじゃないぞ」

 

斉田の懸念はもっともだった。テレビでは東京湾アクアラインが全面通行止め、羽田空港発着の避難臨時便の運航制限を報じ始めたのだ。

 

「どうだろうな」

 

檜山は傍から疑義を唱えた。

 

「ゴジラとサンダ・ガイラの首都圏接近で、自衛隊は攻撃から国民の避難誘導へと方針を切り替えている。その上、チタノザウルスには攻撃を加えたことで状況が悪化したという事実があり、迂闊に手を出しにくい状況だ。第一、海上自衛隊の指揮統合を担当する横須賀の総監部が機能不全に陥っているからな」

 

言いながら、檜山は会議室の入り口でホテルの支配人と話す緑川に視線を向けた。何言かやり取りした後、緑川がやってきた。

 

「ホテル、閉鎖するって。間もなくしたら、ここも待機場所として開放させてほしいって」

 

入り口では、支配人がもうしわけなさそうに頭を下げてきた。羽田には時間を追うごとに避難者が溢れてきており、空港に併設されているこのホテルのロビー、レストランにも避難待ちの人々が流入してきている。

 

「やむを得ないだろうな。しかも喉元に怪獣が現れたんだ」

 

ちょうど空港のアナウンスが入り、チタノザウルス出現により空港の滑走路閉鎖を告げていた。空港内のざわめきと動揺が、この部屋にも聞こえてきた。

 

「だがね、この状況ではどこにも行きようがないのでは・・・」

 

三上はホテルの外に見える東京モノレールを仰ぎながらつぶやいた。滑走路閉鎖を知る由もない避難者が、すし詰め状態で車両に乗っている。また地上階には、やはり臨時運行している都バスや京急バスが続々とバスターミナルに進入、炎天下の中空港を目指す避難者がアリの行列よろしく続いている。

 

「車も、出せそうにありませんねえ」

 

斉田が駐車場を見ながら言った。ここから見える首都高羽田線、国道357号線では車列が上下線共にまったく動くことなく並んでいる。

 

ここにいる誰もが、モスラと交信するミラとリラを気遣っているのだ。

 

「・・・あの、こんな状況の中、ギドラが東京にやってきたら・・・?」

 

秋元が一同面々、顔を見回して訊いた。

 

「想像したくもねえな」

 

より激しく頭を掻きむしる斉田。

 

「・・・もうすぐ、モスラとバトラがギドラに戦いを挑みます。でも、すごく疲れてる・・・」

 

リラが半ば放心状態でつぶやいた。

 

「再び、大気圏外から飛行する方法を取ったんです。ゴジラとの戦いで負った傷も、満足に癒えてないのに・・・」

 

補足するようにミラが言った。リラと違い、表情に確固たる意思が滲み出ているようにも見える。やはり何がしか思うところがあるのか、そんなミラを心配そうにリラは腕をつかむ。

 

「でもその前に・・・ダガーラ」

 

ちょうど、テレビの画面が切り替わった。

 

『いま入りましたニュースです。アメリカ軍統合参謀本部の発表によると、日本時間のついさきほど、ハワイの米軍太平洋司令部指揮による黄金の怪獣掃討作戦をハワイ沖北西200キロの海上において実施したものの、効果が見られず失敗に終わったとのことです。これはホノルル基地所属の米空軍F22中隊、同じく米海軍の艦対空誘導弾による同時且つ多重攻撃によって撃滅を図ったものですが、全弾命中したものの勢力が弱まらず・・・続けてのニュースです。イラオニハワイ州知事は、ハワイ州全域に緊急事態を宣言・・・新しい情報・・・?え、たったいま入りましたニュースです、ハワイ州ホノルル市に、怪獣と思われる飛行体が落下した模様です。この怪獣は昨日、カナダ・バンクーバーからシアトルを襲撃した怪獣、ダガーラであると思われ・・・・・』

 

 

 

 

 

 

・7月12日 17:15 アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市ワイキキビーチ

ヒルトンハワイアンビレッジ ワイキキビーチリゾート

※日本より19時間遅れていることに留意。

 

 

けたたましいサイレンを鳴らしながら市警察のパトカーがホテルの前を走り去っていくと、続くように住人や観光客が避難場所として指定されたコンベンションセンターを目指して駆け足で向かっている。

 

そんな様子を見て自身も逃げ出したい衝動を堪え、JOTツアーズワイキキデスクのシーファー・由紀は情報を求めてデスクに殺到する日本人に現状を説明するのにてんてこ舞いだった。

 

「ここから1キロ先のコンベンションセンターが避難場所に指定されましたから、そちらへ向かってください、そこからは警官の指示に従って行動してください」

 

「それなら地図をくれ!」

 

「英語話せないんだけどどうしたら良いの!?」

 

デスクに群がっているのはほとんどが中高年であり、英語が話せる、あるいはとにかくなんとかしようとする人々はグーグルマップを開いてコンベンションセンターを目指し始めている。

 

「市警察には日系の警官もいますから、とにかくいまは避難場所へ向かっていただけますか?」

 

そうは言うものの、まるで通訳として同行してもらいたい、そんな空気が漂い始めている。中には、明らかに自社の顧客ではない日本人観光客も少なくない。そうこうするうちに、日本人が固まっている様子を見た別の日本人観光客が集まり始め、どうすれば良いのか問い合わせてくるのでまた一から説明をするハメになる繰り返しだ。

 

何度目かの案内をすべく声を張り上げたが、上空を空軍の戦闘機が慌ただしく飛び交っており、「聞こえないぞ!!」と怒号が上がる。

 

一瞬怒鳴り返そうとしたが、由紀はグッと我慢した。数日前に自社がツアーを造成した豪華客船あかつき号が沈没してからというもの、JOTツアーズへの信頼は著しく揺らいでしまっている。ここでさらに信頼を毀損させてしまうわけにはいかない。

 

同時に、ホテルの上空を戦闘機が飛んでいくたび、ホノルル基地に勤める夫のクリス・シーファーのことが気になって仕方がなかった。夫は兵装担当でコクピットに座り怪獣と戦うことはないが、それでも最後の最後まで避難できない立場である。

 

さきほどまでの陽光が急に影を差したかと思うと、大粒の雨が降り始めた。南国のホノルルでは突然のにわか雨は珍しいことではないが、由紀も、そしてデスクに集う中高年たちも突然の雨に背中が冷たくなるのを感じた。

 

思わず席を立ってロビーから空を仰ぐと、ひっきりなしに飛び立つ戦闘機の先に、もくもくと広がる黒雲が見えた。時折、雲の隙間から金色の稲妻が走っている。風が強まり、ビーチのパラソルやベンチが吹き飛ばされ、空高く舞い上がった。

 

雨まじりの強風がロビーのガラスに叩きつけられ、危険を感じた由紀はガラスから後ずさった。黒雲から何かがこぼれ落ち、そのままこちらへ落ちてくるのが見えた。

 

豆粒ほどの大きさだったが、やがてダイヤモンドヘッド山頂に激突、轟音を上げながらカピオラニ公園に落下した。

 

デスクの棚が床に落下し、由紀はその場に身を伏せた。恐る恐る顔を上げると、カピオラニ公園から赤い煙が昇りはじめ、獣のような咆哮が上がった。

 

赤い煙が何を意味するのか、ここ数日アメリカ西海岸で起きた出来事をニュースで観ていた人々はパニックになり、叫び声をあげながら煙から逃れるべく暴風雨の中を駆け出した。つられるように、日本人観光客たちも蜘蛛の子を散らすように走り出した。

 

由紀も外へ出たものの、通りを吹き荒ぶ横殴りの風で転倒する者が続出する中、全員が目指すコンベンションセンターは却って危険と感じたことで、北側のハワイ大学方面へ走り出した。数メートル先の視界確保もままならない土砂降りだったが、アラ・ワイ公園に達する頃には急に雨が小降りになった。

 

違和感に足を止めたとき、赤い煙の中から翼が広がるのが見えた。だが翼はところどころ朽ち果てたように破れ、どうみても空を飛ぶことは叶いそうにない。

 

周囲が黄金に照らされた。まるで宗教画の如く、黒雲を割って黄金の巨体が舞い降りてきたのだ。あまりに美しく神々しい姿だったが、由紀は全身がしびれたように身動きができなくなった。雨に打たれ顔はびしょ濡れなのに口の中が渇き、言いようのない恐怖に身体が小刻みに震え出した。

 

黄金の巨体が舞い降りるために羽ばたかせたことで、赤い煙が晴れた。朽ち果てた翼の持ち主、ダガーラが後ろ脚で立ち上がり、絶叫するような咆哮をあげる。だがそれは威嚇するようにも、はたまた命乞いするようにも思えた。

 

よく見ると、ダガーラは全身あちこちが血にまみれ、片眼が潰されていた。ゆっくりと狙いを定めるように黄金の怪獣が3つの首でダガーラに焦点を合わせる。

 

ダガーラの肩口、そして翼から赤い煙が勢いよく放たれた。それはダガーラの倍以上はあると思われる黄金の巨体を包み込むほどの広がりを見せたが、黄金の怪獣はまったく意に介さない様子だった。苛立ち気味にさらなる煙を放出するダガーラを嘲笑うように3つの首で吼えると、黄金の怪獣はそれぞれの首から稲妻を放った。

 

地をなぞるように這う稲妻は、酸素を奪い燃焼という現象を無効化するダガーラの赤い煙などおかまいなしにダガーラの周辺を大地ごと巻き上げた。

 

吹き飛ばされたダガーラはハレ・コア・ホテル、そしてさきほどまで由紀がいたヒルトンに激突しながら落下した。

 

飛んできた破片に思わず身を屈めた。道路上の車両にコンクリート片が激突し、目の前の看板が火花を上げて倒壊する。

 

悲鳴のような絶叫が鳴り響いた。見ると、黄金の怪獣は3つの首でダガーラをくわえ上げていた。噛み付かれた状態そのまま、ダガーラの全身が稲妻に包まれた。断末魔の雄叫びを上げたかと思うと、ダガーラは弾け飛んだ。だがバラバラになったというレベルではなく、まるで粒子が飛散するように細かく飛び散ってしまったのだ。

 

一瞬静寂が訪れた。黄金の怪獣は大きく吼えると、自身ほどはある羽根で飛び上がった。その羽ばたき一度でプリンス・ワイキキからアラモナビーチ、そしてコンベンションセンターからダウンタウンまで吹き飛んでしまった。叫びながら地面に這いつくばる由紀。

 

次の羽ばたきは周辺を嘗め尽くした。

 

轟音が収まり、由紀は顔を上げた。全身が痛むが、どうやら命は助かったらしい。

 

立ち上がると、自分以外すべてのものが横倒しになっていた。さきほどまで周囲にいた人々もいない。車両もガラス片を残して消え去っている。辺りを見回すと、何人かが建物だった瓦礫に打ち付けられ、赤い塊になっている。

 

状況が理解できぬまま、由紀は夫が勤めているホノルル空軍基地・ダニエル・K・イノウエ空港の方を向いた。ここから望めるはずの滑走路は瓦礫が散乱し、至る所で火の手が上がっている。

 

急に雨が降り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 63ー

・7月13日 13:14 東京都千代田区永田町2丁目 首相官邸 危機管理センター

 

 

「流氷?この時期に?」

 

驚きで目を丸くする瀬戸に、佐間野は黙って頷いた。

 

「それも、宮城県金華山沖です。また岩手・宮城地方気象台は、両県太平洋側の気温が14℃と、この時期としては記録的な低温となっていると報告してきております」

 

「空自松島基地からです。三陸沿岸の海水温が8℃まで低下。上空との温度差により、三陸沿岸は著しい濃霧に見舞われているとのことです」

 

メモをつかみ上げた高橋が言った。

 

「海水温低下による濃霧は既に福島県北部にまで達しております。東京から常磐線を利用した避難行動が実施されておりますが、今後影響が出ることは必至の情勢です」

 

再び佐間野が言った。

 

「原因は、いったい何かね?」

 

瀬戸の疑問は、この場に会した全閣僚の総意であった。

 

「原因の特定には至っておりません。しかしながら推測で申し上げることを御赦しいただけるのなら、数日前にロシア・ムルマンスクより出現したマンモス型の怪獣による現象なのではないかと」

 

閣僚会議の席では、事実のみを告げ憶測でしゃべることは許されない。佐間野の言動は極めて異例なものだったが、さもありなん、と納得する閣僚は少なくなった。

 

「異常現象をなんでも怪獣に結び付けるのはいかがなもんかねえ」

 

柳のねちっこい独り言の後、氷堂が挙手した。

 

「仮に佐間野さんの言うことが正しいとなれば、首都圏にさらなる脅威が迫っているということになりますが」

 

氷堂の言葉を受け、佐間野は唇を真一文字に結んだ。高橋は同席している防衛審議官に三陸沖の調査・警戒強化を命じ、北島は東北の当該自治体に情報を上げるよう要請に走った。

 

佐間野の秘書がメモを持ってきた。内容を確認した佐間野は、挙手をして発言の許可を請うた。

 

「どうぞ、国交大臣」

 

望月が右手を差し出した。

 

「イエローストーン国立公園より出現した黄金の怪獣ですが、日本へ向かうのではないか、という話がTwitterで拡がりつつあるようです」

 

さすがにそれは、と、望月は怪訝な顔をした。

 

「ネット情報なので確証はありませんが、もしこのまま黄金の怪獣が我が国へ飛来した場合、どうなるか、真剣に議論すべきと考えますが、いかがでしょうか」

 

「まだ北太平洋だろ、どこへ行くかわかったもんじゃない」

 

そう毒づく柳だったが、高橋は米軍へ問い合わせ、北島はネットの動きを確認すべく指示を出した。

 

「ハワイにおける掃討作戦は失敗、オアフ島全域に甚大な被害が出たことで、米軍はグアム・アンダーセン基地の第36航空団を以てして新たな掃討作戦を実行中です」

 

高橋が言うと、続けて北島が挙手した。

 

「真偽はともかく、『UTOPIA』という雑誌の公式アカウントが今回大量に出現した怪獣の裏付けとなるような情報を流しているようです。黄金の怪獣が日本へ飛来する懸念も書き込んでいるようですね。また、『黄金の救い』教団が、教団本部のある富士山麓へ信者を誘導しているようです。避難行動に相俟って、かなりの人数が釣られるように向かっているとのことです」

 

「いずれもネット情報とはいえ、かつてない危機的状況だ、流される国民も多いようですね」

 

岡本が同調した。

 

「ある民間の研究者からですが」と、佐間野が再び口を開いた。

 

「このままゴジラ、そして黄金の怪獣が向かってきた場合、首都圏・・・それも東京都内で激突する可能性が高い、とのことです。そして他に出現した怪獣も、そこに集結するのではないか、とも話しております」

 

柳を筆頭に「混乱の中デマなのでは」「可能性だけで政府決定はくだせるのか」という声も多かったが、高橋は佐間野を睨むように見た後、2、3言荒川と言葉を交わした。

 

「防衛省としては、国内においては攻撃より避難誘導に注力しておりますが、外部より接近する怪獣に対しては、イージス艦の艦対空誘導弾並びに、第一・第四高射群によるペドリオットの多重攻撃を行うことは可能です」

 

「あの黄金の怪獣が日本に飛来した場合、昨年の名古屋において地下へ逃れた市民が多く生存していた事実、また時間的猶予の問題から、地下への避難が適切であるとされています」

 

高橋、北島が続けて答えた。

 

「確証はともかく、幾多の怪獣が日本・・・それも東京を目指していると考えられる状況です。政府としては、最悪の事態を想定した行動を為すべきと考えます」

 

そう答える佐間野に、新たなメモが届けられた。

 

「気象庁、八王子測候所からです。東京都北部にて、震度1~2の地震が頻発しているそうです。震源が地下を移動しているという、極めて異例の地震です」

 

意思決定に不可欠な確証に欠けるのは違いないが、もはや誰もが、最悪の結果を想定していた。

 

「今後、国民への避難行動指示、報道発表を考慮し、各怪獣に名称をつけるべきと考えます」

 

佐間野が言った。

 

「名前などつけている場合か」

 

そう柳が口角を尖らせた。

 

「ゴジラには名前があります。これまで出現したアンギラス、ガイガンにも。いま、国内外に存在する怪獣にも名称がないと、避難への影響が必至です」

 

「そうだな、佐間野くんの言う通りだ」

 

瀬戸がそう言うと、柳は気まずそうに黙った。

 

「件の『UTOPIA』にて拡散している名称をそのままつけるのが早いと考えます」

 

続々と提案する佐間野。高橋は何も言わず、そんな佐間野に強い視線を向けていた。そこへメモが届けられた。

 

「米軍アンダーセン基地からです。ミッドウェイ島北西200キロの海上で、黄金の怪獣と2体の蛾に酷似した怪獣が交戦状態に入ったとのことです」

 

 

 

 

 

 

雷鳴と暴風が渦巻く黒雲は、北太平洋を日本へ向けて進んでいた。

 

中心に居座る存在が吐き散らす稲妻状の光線は、突き刺さった海面を吸い上げ、巻き込んだ大気を渦巻かせることで超大型で猛烈な台風となっていた。

 

ミッドウェー島は直撃こそしなかったものの暴風圏内に巻き込まれ、駐留の米国環境局職員がシェルターから出ると、ミッドウェー飛行場の施設が半壊している有様だった。

 

暴風雨の主、ギドラは進撃の最中、黒雲を割って接近してくる存在に気が付いた。

 

右の首がそちらの方向に顔を向けると、自身が放つ黄金の光とは異なる、強烈な光が現れた。

 

一啼きするとそちらへ口から稲妻・・・引力光線を放出する。一瞬雲が攪乱し、上空から金色の粉が降りかかった。

 

モスラだった。

 

この暴風では、攻撃手段である鱗粉も吹き飛ばされて効果が望めない。

 

引力光線を回避したモスラは、一度急上昇してから降下、自由落下の勢いをつけてギドラの眼前で急反転した。ギドラの3つの顔に鱗粉が叩きつけられ、わずかだが勢力が弱まる。

 

だがせいぜいがこけおどし程度の攻撃だった。進行方向へ先回りし、鱗粉の結界を張ろうとするも、ギドラを中心に発生する猛烈な低気圧には効果がなく、放たれた引力光線をかわすのに精一杯だった。

 

刹那、ギドラの背中に紫色の光線が炸裂した。上空から接近するバトラが急降下しながらプリズムレーザーを続けざまに放ってきたのだ。

 

ダガーラに大きくダメージを与えたバトラのプリズムレーザーも、ギドラはうるさそうに3つの首を唸らせるばかりだった。大きく翼を跳ね上げると上昇を始め、中央の首が引力光線で応戦した。

 

すんでのところで回避したバトラ。身体を回転させ、固い羽根でギドラの身体に斬り込む。だがその斬撃も効果がなく、転進したギドラが迫ってくる。

 

そこへ、高速で接近するモスラが3つの首に体当たりを仕掛けた。注意を逸らされたギドラがモスラに意識を集中させる。そこへプリズムレーザーを当てるバトラ。

 

ギドラの下半身、右の翼に命中するが、白煙が勢いよく爆発するばかりで、ギドラは再び西の方角へ進みだした。

 

後を追うモスラとバトラ。飛行速度はモスラ・バトラの方がやや速いのだが、ギドラが発生させている暴風にうまく飛ぶことができない。2体とも重量がないため、身体が安定しないのだ。

 

そこへ、大きく咆哮を上げながら何かが突進してきた。下から突き上げるように腹部を激突させられたギドラは苦痛の咆哮を上げた。

 

米国本土から飛来したバランだった。自身の3倍ほどもあるギドラにしがみつき、腹部に鋭い爪を突き立てる。

 

たまらずギドラは左の首を伸ばし、バランに引力光線を当てた。激しく火花が飛び散り、呻き声を上げるバランだったが、ギドラに刺した爪を離そうとはしない。

 

後尾から追撃するバトラがプリズムレーザーを放ち、バランの援護に回る。

 

2、3発の引力光線には耐えたが、真ん中の首も加勢して2筋の引力光線を当てられたバランはたまらずギドラから離れてしまった。全身から白煙を上げながら海上へ落下するも、海面へ激突する寸前で身を持ち直し滑空を始めた。

 

追撃するモスラとバトラは一度高度を上げ、そこから降下することでギドラに追いつくことにした。

 

その時点で日本列島まで述べ700キロ。だが出現後数時間でソルトレイクシティからハワイ沖まで進んだギドラにとっては、目標に到達するまでさして時間のかかる話ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 64ー

・7月13日 14:07 埼玉県熊谷市妻沼 国道407号線刀水橋

 

 

『刀水橋は閉鎖されています!危険ですから、いますぐ離れてください!』

 

埼玉県警のパトカーが橋のたもとから、橋の上にいる人々に拡声器を用いて呼びかけるも、素直に従う者は誰もいなかった。皆一様にスマホ、あるいはタブレットをかまえ、地響きと土煙が昇る利根川上流にカメラのレンズを向けている。各々、その様子を実況する者もいた。

 

浜野江麗(エレン)もその1人だった。都内の大学に通いながら、チャレンジ動画や友人たちとのイタズラを動画サイトに投稿する、いわゆるYouTuberであった。

 

元来の顔の良さと学内外の交友関係の広さから、チャンネル登録者数10万人に到達するのにさほどの苦労はなかった。だが視聴回数を常に追求しなくてはならないYouTuberのジレンマは彼とて例外ではなく、投稿する動画が次第に過激化していくのは宿命ともいえた。

 

イタズラをする相手も友人や知り合い程度だったところ、他人を巻き込む形になっていくのだった。

 

1週間前には、都内のデパートでエレベーターに乗り込もうとするお客を、乗る手前で閉まるボタンを押す、あるいは最上階から下る際、すべての階数ボタンを押して翌階で下り、乗り合わせたお客の反応を見る、という動画を上げてみた。かなりの低評価、非難が集まったが、視聴回数は50万回に達する勢いで広告料をそこそこ稼ぎ出すこともできた。とにもかくにも、法律違反ギリギリの際どく面白い動画を撮影することに躍起になるのはYouTuberの常とも言えた。

 

そこへ昨夜のゴジラ上陸である。昨年、ゴジラとガイガンが汐留で争い合う様子を至近距離で撮影し動画に配信したジャーナリストがいた。彼が撮影した動画はその後数億回再生され、年収も数億だったという話を聞き、浜野も含めたYouTuberの間では『次回ゴジラが出現した場合、より近距離で撮影したい』という声が高まっていたのだ。

 

避難者でごった返す高崎線上りを尻目に、高崎線が全線運行停止となる前に東京から熊谷までやってきて駅前に乗り捨てられた自転車で利根川河畔を目指した。日本一暑いと揶揄される熊谷は駅前の気温が39℃に達する中、ゴジラ接近で避難する市民の中には熱中症で倒れる者も多く、市にとって前例のない避難行動も相俟って渋滞で身動きできない救急車のサイレンが鳴り響くのみ。救助態勢は完全に破綻していた。

 

浜野も気温と人々の熱気で汗だくになったが、混乱で半ば暴徒と化した市民が殺到するコンビニからミネラルウォーターをくすねた。混乱でそれどころではないのか、はたまた店員も避難したためか、咎められることはなかった。

 

ゴジラが侵攻するとされる利根川河畔に来る頃には、自分と同じことを考えたであろうYouTuberが何人も河川敷、あるいは利根川にかかる橋にたむろしていた。避難誘導をしていた埼玉県警、対岸の群馬県警の警官たちは必死にYouTuberや野次馬を押しとどめてたが多勢に無勢、本部に応援を要請するもどこも手一杯の状態らしく、取り締まることは困難だった。

 

人と車で溢れ返る国道407号線を北上し、利根川の手前で警察が規制線を張っていたが、避難の混乱に紛れてすり抜けた。反対方向へ逃れる人々を強引にかきわけ、利根川河川敷に達した。

 

「邪魔だオラ!」

 

背後で乱暴に人を押し退ける若い男性がいた。いつだかのオフ会で見かけたことのある、やはりYouTuberだった。

 

人より少しでも刺激の強い映像を、と浜野はその様子を動画に収めた。すぐさまライブ配信にし、「こいつ後で逮捕!」と怒鳴った。

 

「ナニ撮ってんだ、オラ!」

 

男性が殴りかかってきた。浜野は河川敷に並行する道を遡上するように走り出した。その先には警官がいて、追いかけてきたYouTuberはそれ以上の追跡をためらった。

 

「何してるんだ、早く避難しなさい!」

 

警官はそんな浜野らに気づき、誘導棒を大きく振った。ちょうどそのとき、上流で大きな音がした。一気に土煙と水柱が天を突く。どうやらゴジラはすぐ近くまで迫っているようだった。

 

国道の橋から何人か走ってきて、その様子をスマホに収め出した。浜野は絶妙なタイミングでその場面を捉えており、後の再生数に大きく期待した。

 

地響きと土煙が激しくなってきた。足元がカタカタ刻むように揺れ出したと思ったら、大きく黒いものが利根川、そして川沿いの住宅街向こうに見えた。

 

「来たぞ!」

 

「ゴジラだー!」

 

十数人が一斉に走り出した。警戒に当たっていた2名の警官が慌てて押しとどめるも、勢いと人数に押されて倒れ込んでしまう。

 

負けてなるものかと浜野も上流へ向かって走り出す。倒れた警官に「邪魔だ!」と蹴りを入れると、スマホを眼前に構えたまま走る。

 

しばらく走ることに夢中だったが、ふいに気がついた。地響きが収まったのだ。足元の揺れも、不思議と消えていた。

 

前の方でどよめきが聞こえた。黒い巨体・・・ネットやテレビで何度も目にしてきた、恐るべきゴジラの全容が見えてきたのだ。

 

だがどよめきの理由はそればかりでもなかった。ゴジラが利根川上で歩みを止めていた。目と口を閉じ、背鰭だけが静かに、それでいて細かく青く放電している。

 

たしか、白熱光だか放射能熱線だかを吐き出す予兆に見えた。ゴジラはただ利根川を進むだけだと耳にしていたが、急にどうしたというのか・・・。

 

その姿を唖然と見る者、配信そっちのけでそんなゴジラをバックに自撮りを行い、Instagramに載せようとする者、ここに集った者たちの行為はスマホという機械を介して恐怖を捉えているせいか、切迫感、現実感に乏しかった。

 

いや、と浜野は考えた。昨年ゴジラの様子を配信した近藤とかいうジャーナリストの映像からは、もっと恐怖、スリルを感じた。ガイガンとの生死を賭けた争い、あるいはいつ自分の命も奪われるか、といった極限の緊張感が伝わってきたからだ。

 

様子からゴジラは熱線を吐き出そうとしているようだが、吐き出した現場を配信できれば、あのような過激な映像を収めることができるかもしれない。悪くすれば命を失うが、成功すれば自分も億万長者になれるし、大きく話題も集められる・・・浜野を始めとした、いまここにいる十数名の男女は、そのような思考だった。

 

ならばもっと接近しようとしたとき、河川敷の下が騒がしくなった。迷彩色のジープがやってきて、やはり迷彩色の戦闘服に身を包んだ自衛隊員が数名、降りてきたのだ。

 

「何をしているー!」

 

「避難しなさい!」

 

そう怒鳴りながら、さすがにゴジラ相手には心許ないながらも3名がゴジラに小銃を向け、他の隊員はYouTuberらを確保にまわった。

 

ここへ向かう高崎線の車中で見たネットニュースを思い出した。自衛隊に治安出動が発令され、国民の避難誘導、並びに治安維持に当たる、そんな記事だった。ということは、自衛隊員は警察官と同様の権限を持っている、ということになる。

 

さすがに小銃を携えた屈強な自衛隊員にはかなわず、YouTuberたちは大声で喚きながら抵抗するも、身を拘束されていった。浜野は後退し、巻き込まれまいとする。浜野に気づいた隊員がこちらに気づき、怒鳴りながら近づいてきたときだった。

 

空気が揺れ始めた。これまで体感したことのない奇妙な感覚だったが、ブルブルと大気が浜野の身体を揺らしているのだ。

 

およそ1キロ先のゴジラは全身に青い放電をまとわり始めた。大きく唸り声を上げると、空気振動はより強さを増した。

 

手前のYouTuberらと自衛隊員、そして河川敷のたもと、避難しようとする市民や誘導の警官たちも足を止めて、その様子を注視していた。

 

ゴジラの周囲、利根川の水が瞬時に沸騰した。猛烈な水蒸気が昇り、やがてそれすらも強さを増した放電現象に霧散してしまった。

 

ゴジラの全身を青い放電が駆け上がり、それはすべて口に集中しているようだった。

 

恐怖が一帯を包んだ。浜野も配信より、本能的な恐怖とその場からの脱却を感じ、踵を返したとき、土手から足を踏み外した。土手を転げ回り、住宅のブロック塀に激突する。

 

足と肘に強い痛みが走った。どうにか起き上がろうとし、放り出されたスマホを握って立ち上がろうとした刹那、周囲が青く光り、膨張した空気が身体を押すのを感じた。

 

 

 

 

 

 

次第に避難範囲が拡大する中、自主的に避難を始めたことで同じように混乱する埼玉県東部から茨城県南部、そして千葉県の人々は、空を割るような青い光の筋が、凄まじい勢いで東へ伸びていくのを目撃していた。千葉県九十九里では多くの町民が、渦巻く青い光が太平洋をはるか先に向かっていく様子を目にした。

 

ゴジラはこれまでにない壮絶な威力の放射能熱線を放ったのだが、その瞬間を目撃した者は誰もいなかった。

 

暴走するように伸びる渾身の熱線はしかし、正確に標的を捉えていた。日本列島から500キロ南東の太平洋上空では、暴風圏を増しながら近づくギドラと、必死に阻止すべくあらゆる攻撃を仕掛けるモスラとバトラがいた。

 

だがモスラとバトラは異様な空振を察知した。一瞬で危機を悟りギドラの眼前から離脱する。

 

ギドラは6つの眼で、見たこともない青い光の渦が自分に飛び込んでくるのを目撃した。

 

太平洋上で青い爆発が起こった。円形の青い衝撃波が一瞬で暴風圏を発生させる黒雲を薙ぎ払い、炸裂した青い光は爆炎となって空を赤く染め上げた。

 

全身から白煙を上げ、ところどころ黄金の皮膚を焦がし、翼のあちこちに穴が空いたギドラがその大爆発から姿を見せた。身を包んでいた猛烈な台風は消え去り、ボロボロになった翼のため飛行速度は大幅に落ちている。幾度か血反吐を吐きつつ、3つの首は目指す先に存在する相手に強い憎悪の咆哮を上げていた。

 

 

 

 

 

 

ひんやりとした空気が頰に触れ、浜野は意識を取り戻した。どのくらい時間が経ったのかわからない。

 

身を起こすと、全身すり傷だらけだった。あちこちが痛むが、立てないほどではない。

 

傍らにスマホが転がっていたが、画面は大きくヒビ割れて起動してくれない。

 

舌打ちしたところで気がついた。不思議なことに、さきほど激突した民家のブロック塀がなくなっている。いや土台はあるのだが、そこから上の塀、それどころか民家もなくなっている。

 

わけがわからず、河川敷の土手を登ってみた。東の方に、ゆさゆさとゴジラが背びれを揺らしながら進んでいる。

 

それ以外、何もなかった。

 

さっきまで存在していた利根川にかかる橋、それから対岸の群馬県側はもちろん、土手からしばらく先まで、あったはずの住宅やビルが消え失せていた。

 

さっき自衛隊員とYouTuberが押し問答していた辺りには、誰もいなかった。よくよく近づくと、アスファルトに影のみ残っていた。

 

こういうのを、浜野はどこかで見たことがあった。

 

あれは高校のとき、修学旅行で訪れた広島だった。核爆発によって人は跡形もなく吹き飛び、影のみ道路や残った建物に焼き付けられている、という説明だったはずだ。

 

後頭部が寒くなった。どこか頭を打ったのか、さきほどから鼻血が止まらない。

 

大きな咆哮が聞こえた。橋がなくなった利根川を闊歩するゴジラの後ろ姿を、浜野は誰もいなくなった河川敷でしばらく呆然と見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 65ー

・7月13日 14:42 東京都千代田区永田町2丁目 首相官邸 危機管理センター

 

 

「核爆発?」

 

もたらされた報告ワードに、瀬戸の声は甲高くなった。普段から冷静で落ち着き払っている声色で定評のある瀬戸らしからぬ声だった。

 

「いえ、正確な核爆発とは考え難い部分もあるのですが」

 

尋常ではない瀬戸の声色に、報告を読み上げる高橋は狼狽えた。

 

「宇都宮駐屯地所属の偵察航空隊によれば、熊谷市刀水橋付近、周囲3平方キロが完全破壊されましたとのことです。現在大宮化学学校所属の化学科部隊による調査が行われておりますが、えー・・・爆炎及び爆破現象こそ認められないものの、爆風と閃光による強力な衝撃波により熊谷市北部が壊滅。極めて高濃度の放射能汚染も記録されております」

 

瀬戸は血の気が失せた表情をし、ワナワナと震え出した。

 

「ぼ、防衛大臣。まさか、どこかの国がゴジラに核兵器を撃ち込んだのではあるまいな!?」

 

動揺を抑えきれないのは瀬戸ばかりではなかった。よりヒステリックな声で、柳が詰問するように訊いてきた。

 

「我が国の防空警戒システムには、飛翔体の接近、あるいは着弾などといった、そういった事象は確認されておりません」

 

強調するように声を張り上げる高橋だった。

 

「念のため現在、米国及び周辺国への調査依頼、事実確認を行なっております」

 

氷堂がここぞと言った。そんな彼の顔にも、汗がにじんでいる。

 

「関東地方複数の自治体からです。熊谷で核爆発と思われる事象が発生したとほぼ同時刻に、北西から南東方向へ伸びる極大の青い光の筋を目撃したという通報や問い合わせが各地の気象台や天文台、警察、消防に寄せられております」

 

北島が慌ただしく動き回る官僚から寄せられたメモを、慌てた口調で読み上げた。

 

「気象庁、米軍太平洋気象調査部からの情報です。ハワイ蹂躙後、マッハ1.5の速度で日本へ向かいつつあった黄金の怪獣ギドラの速力が著しく低下。その前後、犬吠埼南東沖合500キロの太平洋上にて、やはり核爆発と思しき大爆発が観測されております。爆発との関連は不明ですが、小笠原諸島各島において、潮位の上昇が確認されました」

 

佐間野は混乱と焦燥に包まれる中、ただ1人といって良いほど落ち着き払っていた。実際はいますぐにでも、羽田にいる檜山に電話をかけてやりたいところだったのだが。

 

「総理、これは状況証拠からの憶測ですが、熊谷市を侵攻中のゴジラは周囲を壊滅させるほどの極めて強力な放射熱線を放出したことで、南東海上のギドラに攻撃を仕掛けたと見るべきではないでしょうか」

 

いつもながら落ち着いた望月の言動だったが、かくいう望月自身、口の中はカラカラに渇いていた。

 

「そんなことが・・・」

 

傍らの岡本がつぶやいた。あるいは普段瀬戸や望月には物を申さない柳が「そんなバカなことが・・・」と口にするのが精一杯だった。多くの閣僚は、突拍子も無い出来事とそれを巻き起こしたであろう存在にただただ絶句するばかりだった。

 

「・・・それでいま、ゴジラはどうなっている?熊谷市の被害は?避難は、順調に進んでいたのか?」

 

ゴクリと喉を鳴らした瀬戸が、焦燥感そのままといったような訊き方をしてきた。

 

「未確認情報ですが」と、北島が断りを入れた。

 

「核爆発と思われる事象が発生した熊谷市北部では避難が完了しておらず、爆心地とされる利根川から四方約4キロメートル付近にて重傷者多数・・・おそらく、相当数の避難者が犠牲になったと思われます・・・・・」

 

言葉を詰まらせた北島。瀬戸は固く目を閉じた。

 

「熊谷駐屯地の陸上部隊より報告が上がりました。爆発により市内の消防・救急体制が機能しておらず、広範囲に渡る通信障害も発生している模様です。また今後発生し得るとされる、放射性物質を帯びた降下物・・・いわゆる死の灰による放射線障害に備え、現場判断で避難者を屋内へ退避させる処置も行われているそうです」

 

高橋の報告にも、瀬戸を始めとする閣僚は暗澹たる表情を隠し切れていない。

 

「ゴジラの状況は?」

 

目を真っ赤にさせた瀬戸が、気力を振り絞るように訊いた。

 

「立川駐屯地所属の偵察航空隊によれば、ゴジラは進行速度を低下させながらも利根川を東に移動中。間もなく群馬県館林市に達します」

 

「核爆発と思われる事象と前後して、先行するサンダ・ガイラの利根川南下により東北自動車道、国道4号、東北・山形・秋田新幹線と宇都宮線及び東武伊勢崎線は完全に通行止めまたは運行を停止。いずれ、ゴジラの侵攻により寸断されることは不可避の状況です。これにより東北地方への避難は不可能。またチタノザウルスによって横須賀線が大船以南への運行が困難となり、避難活動に著しい支障が発生しております」

 

高橋に続いて発言する佐間野は、気が滅入りそうな閣僚を見渡して咳払いした。

 

「現状を踏まえた上で、提案します。首都圏住民の避難方法を根本から変更する必要があると考えますが、いかがでしょうか」

 

全員が佐間野に視線を注いだ。

 

「どういうことだ?」

 

柳を皮切りに、閣僚がざわめき始めた。

 

「昨年のギドラ東海地方襲撃を思い起こしていただきたいのですが、地域ごとの指定避難所へ避難したとしても、ギドラの飛行に伴う衝撃波、並びに3つの首から放たれる稲妻状のエネルギーには、避難所ごと吹き飛ばされた事例が多数報告されました。今回も怪獣襲来に備えて当該地域からの退避を骨子とした避難行動を取っておりますが、避難経路が刻一刻と閉ざされつつある上、件のギドラが日本に到達するのも時間の問題となれば・・・」

 

そこまで佐間野が言うと、数人の閣僚が得心したように表情を大きく動かした。

 

「昨年の名古屋では、堅牢な建物もしくは、地下へ逃れた市民の生存率が高かったと報告があります」

 

北島が言うと、佐間野はひとつ頷き、ひときわ声を大きくした。

 

「幸い都内には地下鉄構内外、ビルの地下街などが多くあります。いまからでも、地下や堅牢な建造物への避難を呼びかけるべきです」

 

「ちょっと待て、そんなことをいまから発表したら、都民は余計に混乱するんじゃないのか!」

 

柳が慌てた様子で金切り声を上げた。

 

「このタイミングで避難方針変更しろというのか・・・」

 

氷堂も顔を覆った。

 

「ですが・・・佐間野さんの言うことももっともです。状況は変わりつつあります」

 

渋い顔をしつつも、高橋は言った。

 

「だがそれは、政府への非難となって後々の政権運営にも響いてきますぞ」

 

岡本の言葉に、閣僚は揺れた。

 

「現実問題、都内及び首都圏各自治体における防災無線、あるいはテレビ、ラジオ、インターネットなどによる呼びかけ、消防、警察による誘導でどこまで実現可能か、ですが」

 

そう言う北島に、官僚がいくつかメモを手渡した。

 

「首都圏各自治体へは、概ね10分で通達が可能です。特に甚大な被害が予想される都内に於いては、一刻も早い方針転換及び周知活動が必要だと考えられます」

 

「だがだね、問題はいまさら方針転換をして良いものかどうか、だぞ!野党に格好の政権批判要素を与えることにもなる」

 

柳の言葉に、幾人かの閣僚が頷いた。

 

「このままギドラが東京に飛来し、ゴジラと争った場合、政権運営どころではなく、我が国の存亡が問われる事態となります。いまは、いかにして都民国民を保護するか、そこへ重きを置くべきだと考えますが」

 

佐間野は冷静な口調を維持することに努めた。

 

「都内外に展開中の陸自各部隊は、地下及び建造物への避難誘導をただちに行えるだけの指揮系統、遂行能力を保持しております」

 

高橋の言葉に、氷堂と岡本は顔を背けた。

 

「しかしだよ!ギドラだかがやってくるまでに1千万の都民をすべて地下に避難させることなどできるものかね。ゴジラだっていつ南へ転進して都内に侵入するかわかったもんじゃないんだぞ!」

 

なおも噛み付く柳だったが、北島がテーブルを強く叩いた。

 

「すべて避難できるかどうかじゃなくて、1人でも多く避難させるしかないでしょう!時間がないんですよ!」

 

北島の迫力に気圧され、柳はたじろいた。北島の一喝が答えと踏んだ望月は、「総理」と瀬戸に顔を向けた。

 

「・・・たったいまより、避難方針を転換させよう。都民は地下・建造物への避難誘導。自衛隊、警察消防、各自治体には速やかに行動してもらいたい。すべての責任は、私が取ろう」

 

瀬戸が宣言すると、北島と高橋の界隈は慌ただしくなり、柳を筆頭に今後の再選の可否に頭を抱える者もいた。その折に、気象庁予報課長の島崎が血相を変えて佐間野にメモを渡してきた。

 

「たったいまの報告です。東京東部から千葉県にかけて、震源が移動する群発地震が数分のうちに発生。また千葉県銚子市で・・・・降雪を確認しました」

 

 

 

 

 

・同時刻 千葉県銚子市西芝町 JR銚子駅

 

 

「嘘だろうが」

 

駅長の坂田のつぶやきに、助役の小森は坂田の視線を追った。数十分前から不自然なほどに気温が下がってきたことは気になっていたのだが、我が目を疑う、とはこういうことなのか。

 

空から降ってくる白いものは、明らかに雪だった。しかも時を追うごとに量は多くなり、地面にうっすらと積もりつつある。

 

「信じられない・・・」

 

他の駅員も呆然としている。半袖では我慢できず、ロッカーに駆け込みジャケットを羽織る者が続出した。

 

「駅長、ダメだあ!」

 

路線保守担当の井関が飛び込んできた。黄色いヘルメットにも雪がまとわりついている。

 

「電線の積雪量が4センチになってる!線路も余山辺りまで埋まってきてる!」

 

井関の言葉が意味することは、総武本線、成田線の運行を停止しなくてはいけない、ということだった。

 

駅の外には、都内から避難してきた溢れんばかりの人々が逃げ場なく雪と寒さに凍えている。

 

「運行本部に連絡する。総武線も成田線もダメだ」

 

どの道、続々とやってくる避難者に対応しきれず、銚子の街はパンク状態だったのだ。だが高崎線、宇都宮線が避難に利用できなくなったとなれば、常磐線、中央線、東海道線くらいしか逃れられる路線がない。しかもこの季節外れでは説明がつかない降雪が広がれば、常磐線もどうなるかわかったものではない。

 

意を決して運行本部への直通回線を押したとき、地響きと共に人々の悲鳴が聞こえてきた。駅前大通りいっぱいに人が広がり、利根川河口から放射状に逃げてきている。雪に足を取られ、転倒する人も多く、阿鼻叫喚の騒ぎになっていた。

 

坂田と小森以下、職員たちは目を疑った。駅前大通りの向こう、利根川を巨大な何かが闊歩していた。

 

「なんだありゃ・・・」

 

「マンモス・・・?」

 

逃げ惑う人々には目もくれず、マンモスと思しき巨大な生物は氷を巻き上げながら利根川を上流に向けて進んでいた。寒さが一層強くなり、駅舎の窓に霜が張り付いた。

 

 

 

 

 

 

・同時刻 千葉県柏市柏5丁目 柏市広域消防本部

 

 

「いったいどういうことだ?」

 

消防司令室長の田中は、ここ数分で続々と寄せられる119番通報に困惑していた。柏市も他聞にもれず首都圏の避難活動による混乱に巻き込まれていたが、数分前から市内東部で火災通報が相次いでいた。

 

「さっきの地震と何か関係があるのか?」

 

そう訊いたが、司令部主任の遠藤も首を大きく傾げるばかりだった。

 

「震度4ですから、火災の原因とは考えられません。避難活動による副次的被害だとしても、ここまで件数が多いのも不自然です」

 

ヘッドホンを外し、頭を掻く遠藤。そこへ、千葉県消防本部より大規模災害発生を告げるサイレンが鳴った。一瞬にして、司令室は今まで以上の緊張に包まれた。

 

『消防本部より各局。柏市手賀沼付近地下より、怪獣と思われる巨大生物が出現。怪獣自身が発する高熱により広範囲に火災が広がっている模様。県防災ヘリによる上空からの消火活動を骨子とする消化態勢を・・・・・』

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 66ー

・7月13日 15:07 東京都大田区羽田空港第二ターミナル

 

 

『えー、千葉県庁危機管理室、猪瀬室長でした。お伝えしております通りさきほど14:45頃、千葉県銚子市、並びに柏市に怪獣が出現しました。銚子市に上陸した怪獣は先日ロシア・ムルマンスクにて発見された氷漬けの怪獣と思われます。また柏市に出現した怪獣は、先日大噴火を起こした鹿児島県桜島より出現したとされる4足歩行の機怪獣であるとされています。怪獣出現に伴うものか不明ですが、千葉県銚子市から成田市までの広い範囲に積雪、柏市一帯には大規模な火災が発生しております。また降雪により、成田国際空港は滑走路が閉鎖され・・・ここで、新たな情報です。以後政府の通達に従い、銚子市に上陸したマンモス型の怪獣をベヒモス、柏市に被害をもたらしている怪獣をバラゴン。また、本日神奈川県逗子市・横須賀市を襲った首長龍型の怪獣をチタノザウルス、本日群馬県より出現した怪獣がそれぞれサンダ・ガイラ。また奄美大島より現出した蝶のような怪獣をモスラ。このモスラに酷似し、ロンドンを襲撃した怪獣をバトラ。岩手県八幡平より出現したムササビ型の怪獣をバラン。また、米国西部・ハワイ州を壊滅させた黄金の怪獣をギドラと呼称します。NHKでは政府の通達に従い、以降の報道においてご覧の名称にて怪獣を呼称します。また警察庁、東京消防庁より、怪獣の首都圏蹂躙に伴い、これまでの避難行動を刷新。地下、堅牢な建物への避難を呼びかけるとして・・・・・』

 

ホテルのテレビに目を通す人が、果たしてどのくらいいただろうか。

 

羽田空港は第一、第二、第三ターミナルいずれも避難者でごった返していた。

 

羽田空港は昼間のチタノザウルス出現以降、滑走路を制限。またギドラの日本接近により、航空機を用いた避難の中止をアナウンスしていた。

 

日本航空・全日空他格安航空会社は16時を以てして羽田発の避難用臨時便を運航中止を決定していた。これほどの緊急時でも保安検査を行うため検査場からの列は施設外まで伸びており、増して航空機での避難すら間に合わない雰囲気が漂い始めると、あちらこちらで小競り合いが起きていた。

 

空港警察は取り締まりを強化し、職員に怒鳴りながら食って掛かる避難者を暴行罪で連行するという強硬手段を取っていた。故に表立って騒ぐ避難者こそ減ったが、避難者も空港職員も取り締まる側も、緊張と不安は極度に達していた。

 

「本気なのか?」

 

そんな中、羽田エクセルホテル東急を出た檜山たち一行の中で斉田が素っ頓狂な声を上げた。

 

「「はい。いざギドラと戦うこととなれば、近くにいた方がモスラへの祈りが通じるのです」」

 

さも当たり前のように答えるミラとリラだった。

 

「だからって・・・避難の動きに逆らって怪獣たちが暴れ回る間近へ行くってか!」

 

怒り半分、斉田は声を張り上げた。入口付近で避難者をさばいている警官がこちらに鋭い視線を向けてきた。

 

「おかしな話に聞こえるだろうけれど」と、緑川が言った。

 

「2人の望み通りにしたいの」

 

「正気の沙汰じゃない。何考えてんだァ!」

 

斉田と緑川のやり取りを見ていたミラとリラは、互いの顔を見遣ると頷きあった。

 

「「ご迷惑であれば・・・私たちだけでもモスラとバトラのそばに行きたいんです」」

 

「だから、そういう問題じゃねえんだって」

 

エキサイトする斉田だったが、「私が一緒に行く」と緑川が言った。そんな緑川に、斉田は奇異な視線を向けた。

 

「お前、それ業務外だろが。労災下りねえぞ?」

 

「大丈夫。ノルマ達成のために自分にもうちの会社の保険かけてるから」

 

「そういう問題じゃねえって言ってんだろが・・・」

 

弱り果てた斉田は、くしゃくしゃの髪の毛をボリボリ掻き始めた。

 

「斉田さん、彼女たちの面倒はオレがしっかり見る」

 

それまで黙っていた檜山が言った。

 

「檜山さん、あんたまで・・・何なんだよ、もう!」

 

「オレは彼女たちの保護者だしな。危険な目に遭うようなら守らなきゃいかん」

 

「あのー」と、今度は秋元が口を出してきた。

 

「私も、一緒に行きます」

 

照れたように笑みを浮かべているが、眼は真剣だった。

 

「取材にもなるし・・・それに、女の勘、なのかな?2人が言うこと、なんだかわかる気がしてならないんです」

 

あきれたような斉田に、追い打ちがかかった。

 

「こうなれば乗りかかった船だ、私もお相伴に預かろう」

 

三上が声を上げた。

 

「なあに、私も妻を亡くした身だ。誰も悲しむ人はいないし、私もその、KGI損保の生命保険に加入してるからな」

 

「ありがとうございます」と、緑川は反射的に頭を下げた。

 

「そんなわけで公ちゃん。こっちは心配しないで、避難してもらって大丈夫だからね」

 

半ば本気で緑川は言うが、斉田は頭をブルブルと振るった。

 

「ここまできたら、オレだけ逃げたらなんか卑怯者じゃないか!それに仲間外れにされたみたいで感心しないな!!」

 

一緒行けばいいんだろもう、と毒つくと、斉田は妻にLINEを打ち始めた。

 

「ねえ、やはりギドラは東京に来るの?」

 

緑川はミラとリラに訊いた。

 

「・・・なんとも、言えないです」

 

「ゴジラの攻撃で、ギドラは相当なダメージを受けたようです。もしかしたら、ここまでたどり着く前に、地上へ降りるかもしれません」

 

「そうか。それにしても、ゴジラにあれほどの能力があったとはなあ」

 

檜山は繰り返し映される、霞ケ浦上空を猛烈な勢いで流れる青い熱線の映像を見ながらつぶやいた。

 

「じゃあ、ギドラが降りた場所で、モスラとバトラは攻撃を仕掛けるってこと?」

 

緑川が訊くと、2人は頷いた。

 

「となれば・・・現時点でどこへ向かえば良いのかはわからないってことか」

 

檜山と緑川は困惑気味に顔を見合わせた。

 

「「あるいは」」と、ミラとリラが口を開いた。

 

「他の神々の中には、ギドラが舞い降りる土地を察知している者もいるのかもしれません」

 

「そうなのか?いや、もしそうなら・・・」

 

檜山はテレビに目を走らせた。柏市の定点カメラが、住宅街の先にそそり立つ炎の波を映し出している。また別のテレビでは、成田空港のカメラに収まっているベヒモスを報じていた。すっかり雪化粧を施した広大な滑走路の向こうを、悠然と進んでいる。

 

「ったく嫁のやつ、オレに何かあったら後は頼むって言ったら、生命保険で借金清算しとくときやがった」

 

苛立ち気味にぼやく斉田がスマホをしまった。

 

「でもまあ、君たちはその、モスラの巫女なんだろ?なら、この状況なんとかしなきゃいけないのもわからなくもないな」

 

斉田の背後では、空港職員に「せめてこの子だけでも乗せてあげてください!」「お願いします、どうか妹を飛行機に乗せてください」と悲痛に訴える家族の姿があった。

 

ふいに空港の滑走路が濡れ始めた。

 

「嵐がくるな・・・」

 

檜山がつぶやいた。風雨は少しずつ強まりつつあった。

 

 

 

 

 

 

15:39、航空自衛隊第一高射群によるPAC-3を用いた波状攻撃が、千葉県九十九里沖50キロにまで迫ったギドラに対し実施された。従来なら横須賀の海上自衛隊及び在日米軍第7艦隊所属のイージス艦による対空ミサイルも同時に展開していたのだが、チタノザウルスによって横須賀の艦隊制御機能は喪われていた。

 

入間、習志野、霞ケ浦に展開している高射砲隊は、東部方面総監の命により一斉に誘導弾を発射。それから2分後、太平洋上のギドラに次々と着弾した。幾度も炸裂する誘導弾だったが、ギドラは速力を落とすことなく日本本土に迫った。

 

すかさず第二波攻撃が実施され、誘導弾発射より前に出撃していた航空自衛隊百里基地所属のF15、並びに三沢基地所属のF35がギドラ迎撃に当たった。

 

サイドワインダー、そして空対空中距離誘導弾が続々発射され、ギドラを爆炎に包んだ。それらの攻撃も意に介さぬギドラだったが、飛行高度が徐々に落ち始めていた。ゴジラが放った超長距離熱線の直撃を受けたことで羽根を大きく損傷していたギドラは、地上に足をつかせまいと大きく羽根を振るいながら千葉県九十九里・茂原市に達した。

 

風速100メートル近くの暴風は家屋も山林も根こそぎなぎ倒し、また本能の破壊衝動に従ったのか、3つの口から引力光線を吐き散らしながら房総半島を縦断するギドラ。暴風と引力光線を受けたF15、F35数機が空中分解しながら落下していく。

 

ギドラはそのまま市原市から千葉市へと進み、狂ったように吐き出される引力光線が地上をなめ尽くした。そのうちの幾筋かが京葉工業地帯に炸裂し、石油コンビナート群が大爆発を繰り返しながら炎上していく。

 

その間もギドラは高度をさげていき、両脚がビル群を引きずるように破壊していく。

 

16:08 ギドラはその巨体を船橋市宮本町・JR東船橋駅付近に滑り込ませた。大地に舞い降り、3つの首で大きく吼える。一帯に豪雨が降り始め、耐えることのない雷光と雷鳴が空を轟かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 67ー

・7月13日 16:38 千葉県船橋市浜町1丁目

 

 

『ただいまららぽーと東京ベイ、船橋競馬場が臨時待避所として開放されています!市民のみなさんは、速やかに建物内部の、可能な限り奥まった場所へ退避してください!押さないで、押さないで!』

 

市役所の広報車に備え付けられたマイクに向けて、船橋市役所下水道計画課主査の小泉晴樹は声量の限りを繰り返しぶつけていた。

 

ギドラが船橋市に舞い降りる前後から滝のような豪雨となり、小泉の必死の呼びかけも雨垂れの音にかき消されんばかりだったが、声帯を潰す覚悟で小泉はマイクに向かった。

 

本来、住民の避難誘導といった業務は市役所防災課、あるいは警察・消防の仕事なのだが、小泉を含めた市役所職員は本日午前中のうちから、担当部署の枠組みを取り払って怪獣接近に伴う避難活動支援に当たっていた。もともと南関東地震や昨今の風水害に備えて有事の際に対応可能なように訓練を進めていた上、昨年のゴジラ、ガイガン騒動もあり、近隣自治体と比較しても効率的に有事への対応をこなせていた。

 

だが鉄道による市民の避難を想定した行動は完全に破綻していた。京葉・武蔵野・総武の各JR線、もしくは京成電鉄を利用して市街へ逃れようにも、東京都内から膨大な避難者を満載してくるため、市民が乗り込める余地など皆無だった。その上、とにかく東京から脱出せんとする多くの都民が船橋・南船橋で降りてくるため、いずれの駅舎も避難者で押し合っていたのだ。

 

そして30分前、ギドラが暴風を伴いながら船橋にやってきた頃から、千葉県庁、千葉県警察本部との交信が途絶えた。電話線・携帯基地局損傷によるものと思われたが、千葉市中枢が全壊したという噂も流れてきた。

 

かかる事態に至り、小泉たち市役所職員は“お上”からの情報・指示を得られなくなったことで、とにかく現場レベルで避難支援に取り組もうということになったのだ。

 

「小泉さん、雨が弱まってきましたよ」

 

隣でハンドルに手をかけたまま、後輩職員の香藤乃が口を開いた。言った通り、フロントガラスに叩きつけられる雨粒が小さくなってきた。外のアスファルトも、水柱の勢いが弱まりつつあった。

 

「おい、外の様子見てこい」

 

もはや声を出すだけで喉から出血しそうだったが、咳払いをしながら小泉は言った。

 

「外、出るんですか?」

 

香藤乃は戸惑い気味にフロントガラスと小泉に視線を逡巡させた。

 

「あのギドラの野郎に何かあったのかもしれねぇからな。あんなのがまた空飛び始めたら、この辺みんな吹っ飛んじまう。ホラ、早く確認しろよ」

 

香藤乃はいやそうな顔を隠さなかったが、渋々といった様子でドアを開け、ここから北東の方角へ視線を這わせた。雨は細かい霧雨が風に巻き上げられて横から降っている状態で傘も役に立たないが、土砂降りよりかはマシといえた。

 

「さっきより電撃が減ってるようですよ。相変わらず動きはなさそうです」

 

豪快な体格の割に臆病な香藤乃は、ガラリとドアを開けて車内に乗り込むなり、言った。

 

船橋に飛来したギドラはその巨大な翼を閉じ、自身の身体を包むように覆うと金色に発光し始めた。まるでテスラコイルのように空中放電を繰り返し、どういうわけか周囲の車両やビルの看板が吸い寄せられた。昔、砂場に磁石を持って行ったら砂の中の砂鉄だけくっついてきた様子を、小泉は思い起こしていた。

 

「あの野郎、エネルギー充填中ってか?ふざけやがって」

 

そう毒づいたが、もしまた活動を再開したら、この辺りも一瞬で吹き飛ばされてしまうだろうことは容易に想像がつく。昨年現れたときはほんの10分で名古屋を滅ぼし、ゴジラと激突した浜松に至っては3分ですべてを吹き飛ばされたとの報告もあった。

 

いま小泉たちがいる浜町一丁目交差点も、ギドラがいる辺りから1キロと離れていない。飛来前と違い渋滞はしていないが、乗り捨てられた車両で市内の道路は溢れていた。いざとなれば広報車を捨て、手持ちの拡声器で何とかする他あるまい。喉が使い物にならなくなろうが、もはや知ったことでは・・・。

 

突然、地面が揺れた。地震ではない。車両が縦揺れ、というよりも持ち上がったように飛び跳ねたのだ。一拍置いて、もう一度。

 

「どど、ど、どうしたんでしょう・・・」

 

運転席の香藤乃が泣きそうな顔になっている。周囲の人々も動揺し、歩む足を止めて狼狽えている。

 

咄嗟に小泉はららぽーとの方を見た。無作為に道路に捨てられた車両ばかりで、車を走らせることはできなさそうだ。第一車を出したところで、またあの揺れが起きた場合、運転操作が狂って避難する市民を巻き込みかねない・・・。

 

「くそったれ!」

 

喉に鉄の味が広がるのもかまわず、小泉は怒鳴った。

 

「おい降りるぞ!みんなを建物ん中に入れろ!」

 

言いながら拡声器をひっつかみ、『いますぐ建物に入ってください!急いで!』と叫んだ。

 

「ちょ、車どうすんですか」

 

事態についていけない香藤乃が訊いてきた。

 

「そんなモン捨てろ!ホラ早く手伝え」

 

小泉の呼びかけで周囲の市民たちは手近の建物に入っていき、ある者たちはここから見えるより堅牢な建物、船橋ららぽーとへと向かい出した。

 

『ギドラだ!急いで!』

 

先程からの揺れは、ギドラ以外に思いつかない。とにかく路上から逃れるように・・・と思っていたところ、ららぽーとの方から踵を返した市民たちが「ヤバい!」「逃げろ逃げろ逃げろ!」「急ぐなっしー!」と絶叫しながらこっちへ戻ってきた。

 

「おい!何で戻ってきてんだよ!」

 

思わず傍らを抜けようとした男性をつかみ、訊いた。

 

「かか、怪獣が、海から・・・!」

 

男性は声がかすれていた。揺れがより激しくなってきた。

 

「こ、小泉さんアレェ!」

 

香藤乃が素っ頓狂な声でららぽーとの方を指差した。ビルを突き抜けるほど巨大な首がそびえ、大地を揺らしながら向かってきたのだ。まるで首長龍・・・たしかチタノザウルスとかテレビで言ってた・・・は甲高い咆哮を上げながら、京葉線・東京湾岸道を突き崩し、船橋埠頭付近に上陸してきた。

 

「しゃらくせえ!」

 

小泉は拡声器をつかみ、『とにかく離れて!急いで!』と声を張り上げる。船橋高校付近にギドラが鎮座し、埠頭からチタノザウルスが現れたなら・・・小泉は瞬時に判断した。

 

『北だ!みんな湊町の方へ逃げるんだ!』

 

ギドラがいる場所より東は飛来時の衝撃で混乱をきたしている。北ならば・・・そう考え小泉も走り出したとき、前方で市民の足が止まり始めた。

 

「おいどうした!何やって・・・」

 

小泉も絶句してしまった。船橋競馬場駅の向こう、宮本町辺りに2匹の怪獣が立っていた。毛むくじゃらの全身を揺らしながら、東を目指している。あれは午前中のニュースでやってた奴らだ。ゴジラと群馬県北部で交戦してた、サンダとガイラだったか・・・。

 

「おお!?」

 

香藤乃が声を上げた。彼が仰ぐ東側、ビル群の先から、3つの首がゆっくりと伸びてきた。

 

一斉に怪獣たちが雄叫びを上げた。あまりの轟音と光景に市民は呆気に取られ、小泉は歯噛みし、その場にたたずむ他なかった。

 

 

 

 

 

 

3つの首を伸ばして身を起こしたギドラは、迫ってきた存在に各々首を向けた。

 

海からはチタノザウルス、利根川方向からはサンダ、ガイラ。

 

ギドラの全身をまとう放電は鳴りを潜め、威嚇するように3つの首が吼える。反応したかのようにサンダ、ガイラ、チタノザウルスも天に大きく吼えた。

 

ギドラは獲物を物色するかのように、それぞれの怪獣を舐め回すように見る。体格の差は比べ物にならないが、3匹とも動じず吼え続けている。

 

切り込み役を果たしたのはガイラだった。本町通りを駆け出し、京成電鉄の高架橋を飛び越えた勢いでギドラの土手腹に正拳突きを叩き込んだ。助走つけた一撃にギドラが怯むと、追って拳骨を叩きまくる。

 

反撃とばかりにギドラは3つの首で噛みつかんと首を振り下ろす。わきに逃れたガイラは両脚で踏ん張り、ギドラの脇腹に飛び蹴りを喰らいこませた。

 

自身の3分の1ほどに過ぎないガイラの攻撃では地に伏せることもないが、2、3歩よろけて大きな隙を作った。

 

ガイラは背後に回り込み、ギドラの背中を駆け上がるとボロボロの両羽根にしがみつき、中央の首付け根に噛み付いた。ギドラからすれば死角であり、左右の首が後ろを向いてもガイラまで牙が届かない。ガイラは噛む力を強め、さらには鋭い爪をより食い込ませた。ところどころ破けた羽根を拡げたが、ガイラは手を離さない。

 

そんなガイラの背中を、ギドラの2つの尻尾が殴りつけた。一撃目は耐えたが、続けざまの2本同時攻撃にはたまらず牙と爪を離してしまい、市立宮本中学校に吹き飛ばされた。

 

逆襲すべくガイラに近づくギドラだったが、右の首に何かが激突した。サンダが脚元の車両をつかみ、ギドラの顔に当てたのだ。ガソリンを満載したタンクローリーを嗅ぎつけると、サンダは力いっぱい投げつけた。ギドラの胸元に激突し爆炎が上がる。

 

サンダに標的を定めたギドラが大きく口を開いたとき、前のめりになってバランスを崩した。身を立て直したガイラが2本の尻尾を引っ張り、進撃を妨害したのだ。

 

それでもギドラは馬力で勝り、尾をつかんだまま引きずられるガイラ。そこへ左脇からチタノザウルスが突進を仕掛けた。体格的にサンダ・ガイラを上回る突進力にギドラはバランスを崩し、横倒しになった。

 

サンダは首を踏みつけ、ガイラは背中を蹴りまくる。たまらず空いた首がサンダに喰らいつこうとしたとき、チタノザウルスの一突きがギドラの土手腹に炸裂した。横倒しのままビル群を薙ぎ倒しながら滑り行く。

 

怒りに唸りながら立ち上がったとき、チタノザウルスが懐に入り込んだ。中央の首に噛み付き、上半身を振り上げる。噛みつかれたままギドラの身体が宙に舞い、さらに首を振りかぶるとチタノザウルスはギドラを放り投げた。およそ1キロほど吹き飛ぶと船橋駅前から市役所にかけて倒れ込み、瓦礫の中でギドラはもがいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 68ー

・7月13日 17:02 東京都大田区 東京湾海上 調査船「けんざき」

 

 

「先生、あれ・・・・」

 

船が動いてから、秋元が三上に呼びかけ、東の方を指さした。千葉・習志野・市原といった千葉県沿岸部から猛烈な黒煙が上がっていた。とりわけ京葉工業地帯からは黒煙の下にもうもうと盛る炎の筋がここからでも確認できた。

 

「やはり報道の通り、ギドラによって・・・」

 

固唾を呑む秋元に、三上は口を真一文字に結び、頷く。傍らでは緑川がうずくまり、手で口を押えた。

 

「おいおいどうした、二日酔いか?」

 

タラップから降りてきた斉田が、緑川の背中をさする。

 

「ううん、ごめん・・・ちょっと気分が・・・」

 

さんざん二日酔いになった緑川を介抱してきたが、雰囲気がこれまでとまるで異なっている。

 

口にこそしなかったが、昨年名古屋において同じように燃え盛る都市の光景を目撃した緑川は、当時の記憶がフラッシュバックしたことによって眩暈と吐き気を催していた。

 

「船酔いか?すまないな。昔からどうも操舵は苦手でな・・・」

 

操舵室で舵を握る檜山が声をかけてきた。

 

「なんでもない、もう大丈夫だから」

 

無理やり立ち上がった緑川だが、口元の手を離そうとはしていない。

 

「それにしても・・・よくこの船借りられたよな、ホント」

 

呆れ気味に斉田は言った。

 

「檜山さん、立場的に強権駆使できたとはいえ、いろいろマズイんじゃねーの?」

 

ミラとリラの要望で怪獣たちが争う場所に近づくことになったが、道路も鉄道も果てしない混雑が続いている。平時と異なり、千葉まではどのくらい時間を要するかわかったものではない。

 

そんな折、羽田に停泊していた海上保安庁所属の調査船を見つけた檜山は、自身の立場と(ごく内密なやり取りとはいえ)佐間野国交大臣の承認をチラつかせたことで、調査船を借り上げることに成功した。

 

「まあな。そもそも混乱下とはいえ、事故調査をほっぽり出して奄美から東京に来てるんだ。間違いなく懲戒免職ものだろうが・・・このままいくと処分を下すはずの海保どころか、日本て国が吹き飛んでしまいかねん。もはや何でもありだ」

 

半ば諦めて自嘲気味に檜山が言った。

 

「「檜山さん」」

 

ミラとリラが口を揃えた。

 

「「本当にありがとうございます」」

 

檜山はまんざらでもなさそうに微笑んだ。

 

「それより、モスラとバトラは?」

 

「もう少しです」

 

リラが答えた。

 

「ゴジラがギドラへ向けて放った熱線の余波で、一時海中へ逃れたのです。いまこちらへ向かっています。力を温存するため、成層圏ではなく雲の中を飛んできています」

 

ミラが続いた。

 

「願わくは、早く来てもらいたい。あの様子だと、すでに怪獣たちが争い始めているようじゃないか」

 

荒れ始めた波に苦戦しながら、檜山は言った。目指す先、船橋方向には時折土煙と轟音が空に広がっている。

 

「しかし大丈夫なのか?モスラはともかく・・・バトラだっけ?あのオランダとイギリス襲ったヤツ、どう見てもギドラより悪者だぞ」

 

モスラとバトラについての話は一通り聞いていたものの、斉田が訊いた。

 

「バトラは、攻撃と破壊本能に司られた存在です」

 

「ですがモスラと一緒にいることで、本能を抑え行動できるのです」

 

「カミさんに頭上がんねぇのは怪獣も一緒か・・・」

 

そうボヤくと、頭を掻きながらタラップに出た。船内にいると波による揺れと檜山の腕前で嘔吐しかねなかったこともあるが、数十分前から気になることがあるのだ。

 

「ギガ数持ってくれよな」

 

そうつぶやきながら、YouTubeを開く。三蔵院永光が主宰している宗教団体『黄金の救い』が持っているチャンネルでは、富士吉田にある教団大講堂にて演説する三蔵院の様子が映し出されていた。

 

『滅びの刻は救いの刻です。みなさん、どうぞここ富士の地へお越しください。そして共に祈り、滅びと救いを共に享受するのです』

 

すると秋元が顔色を変えてやってきた。

 

「これって・・・」

 

「ああ。救世主到来 救いの集い100万人運動だかって、昼過ぎから始めてたんだけどな・・・。既に富士山麓に、数万も集まってるらしい。JR各線動かなくなってるが、中央線だけは動けてることも拍車をかけてるみたいだぞ」

 

秋元は憎悪に満ちた顔で、澄まし顔で語る画面先の三蔵院を睨みつける。

 

「なあ、気持ちはわかるが稲村さんの死に彼らが携わってる証拠はない」

 

普段の秋元らしからぬ表情に、斉田は窘めの言葉を投げた。すぐさま穏やかないつもの秋元に戻ったが、斉田は気分をなんとか保っている緑川に目を向けた。

 

まだ確証はないが、緑川と関係があるらしき近藤というジャーナリストが稲村の死にまつわる何らかの秘密を握っているのではないかと、斉田は睨んでいた。折からの首都圏混乱でこの独自調査はストップしたままだが、思わぬところに糸口があるのでは・・・。

 

名探偵でもあるまいに、そんなことを考えたせいか、思わず身震いした。

 

だがその身震いは、周囲の空気が引き起こしたものだった。

 

「ねえ、なんだか寒くない?」

 

緑川が両腕をさすりながら、立ち上がった。

 

「え・・・うそ」

 

手のひらに舞い降りた物体を見て、秋元がつぶやいた。

 

「・・・雪?」

 

ちょうど向かう先の船橋付近では、金色の光が幾筋か伸び、鈍い地響きが巻き起こっていた。

 

 

 

 

 

瓦礫に埋もれたギドラは動きを止めていた。チタノザウルスは低く唸ったままギドラを睨みつけ、ガイラは警戒しながらギドラににじみ寄る。

 

一瞬金色の閃光が四方に走り、瓦礫がさらに細分化されて吹き飛んだ。近づいていたガイラは勢いで吹き飛び、マンションに背中から激突する。

 

まだ不完全だが、あちこち破けた羽根が回復しつつあるギドラが宙に浮いていた。大きく羽根を動かしつつ、ゆっくりと上昇している。

 

サンダとガイラ、そしてチタノザウルスが恐れていたことだった。大きくダメージを受けたギドラがその傷を癒さぬうちに叩き潰さんとしたのだが、相手の回復速度は予想を上回っていた。

 

雄大に羽根を前後に動かすギドラ。道路上の車両やビル屋上の看板、家屋の屋根瓦が砂のように舞い上がり、サンダとガイラは怯んだ。

 

雄叫びを上げながらチタノザウルスは尾の先端を拡げた。背鰭の先端が鈍く光り、眼にも止まらぬ速さで身を翻す。尾の先端がギドラの右脚を切り裂き、苦痛に吼えるギドラ。高空へ上がらぬうちにと、チタノザウルスはギドラの左脚に喰らいついた。

 

暴風から逃れたサンダとガイラはチタノザウルスをまね、ギドラの尾にそれぞれしがみついた。

 

だが空へ昇ろうとするギドラの力は、3匹の抵抗を上回った。噛みついたまま、そしてしがみついたまま、脚が大地を離れてしまった。

 

そのときだった。局地的に大地が揺れ、いくつかのビルが突然生じた地割れに沈んだ。

 

異変に気付いたギドラの左首が大地を睨んだとき、裂けた大地から一気に溶岩が噴き上がり、何かが飛び出した。

 

溶岩に彩られたバラゴンだった。チタノザウルスが作った右脚の裂傷に矢の如く角を突き刺したのだ。

 

ギドラは叫び、痛みのためか浮力が奪われたように降下を始めた。バラゴンが作った地割れに脚が食い込み、横倒しになる。

 

ビルと大地を崩しながらギドラは身を起こす。周囲を4匹の怪獣が囲んでいた。上空を覆っていた黒雲から止んでいたはずの雨が滴り始め、やがて白い個体となる。

 

急激に冷えた空気に、ギドラは東を仰いだ。強烈な冷気を纏いながら2本の巨大な牙を揺らしつつ、ベヒモスが悠然と向かってきていた。

 

そして中央の首は上空を向いた。黒雲を破り、バランがらせんを描くように舞い降りてきたのだ。

 

力を充填させるかのように全身を電撃が走るギドラ。合図するかのようにサンダとガイラが吼えると、囲んだ怪獣たちが一斉にギドラへ進んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 69ー

・7月13日 17:37 東京都千代田区永田町2丁目 首相官邸 危機管理センター

 

 

「・・・間違いないんだね、氷堂君」

 

顔を強張らせた瀬戸が訊いた。閣僚一同、瀬戸のように息を呑むか、沈痛な表情で眉間を波打たせている。

 

「はい。あ、ただいま米国ローゼンバーグ国務長官より正式な通達が参りました」

 

氷堂は大慌てでメモを握った外務官僚からそれを受け取ると、メガネを合わせた。

 

「貴国において複数出現している怪獣群、とりわけ我が国イエローストーン国立公園より出現した怪獣ギドラに対し、米国議会は20〜30発の戦術核兵器を用いた一掃作戦を提案しオヘア大統領がこれを承認、米国東部時間13日午前10時を期して貴国内において作戦を決行する。ついては、当該地域の国民の避難誘導を徹底いただくよう・・・・」

 

「バカな!」

 

普段温厚な岡本が吐き捨てるように怒鳴った。瀬戸は深いため息をつき、北島は東部時間が日本時間で何時になるのか計算すべく宙を仰いだ。

 

「彼奴ら、また日本に原爆を落っことすつもりか!」

 

金切り声で書類を叩きつける柳。その激昂もどこか白々しく、同調する閣僚は少なかった。

 

「・・・本作戦は日米安保条約に基づく、両国間における毀損なき行動であること、貴国内に在住、滞在する多くの米国民保護に当たる行動であること、また何より、ギドラによってソルトレイクシティからサンフランシスコに至る広範囲とハワイ州が壊滅的被害を受け、またチタノザウルスの襲撃で横須賀の在日米海軍司令部並びに第7艦隊司令部を喪失したことに対する、正当な報復行動であること。以上3点を骨子として、作戦の実行を決定した次第」

 

反吐を出したくなるのを堪え、氷堂は淡々と読み上げた。

 

「在日米空軍司令部によれば、いまから10分前、フィリピンのパルオネオ基地から戦術核弾頭を搭載したB2爆撃機1個編隊5機が出撃、我が国首都圏を目指し飛行中とのことです。防衛省情報分析室の見立てでは、グアム・ヘンダーソン基地がギドラ余波により損傷を受けたため、フィリピンの第3航空爆撃隊に白羽の矢が立ったとしています。我が国到達まで5時間強・・・日本時間本日23時頃かと」

 

顔に油を塗ったように汗が滲むのもかまわず、高橋が告げた。ハンカチで汗を拭うと、深く項垂れた。

 

「あと5時間で完全に避難を完了させられるのか・・・第一、怪獣たちは動いているんだぞ」

 

誰にともなくつぶやくと、瀬戸は顔を上げた。

 

「千葉県内の避難状況は?」

 

「千葉県庁、千葉県警、兼消防本部いずれも連絡が取れません。正確な情報ではありませんが、船橋市役所によればギドラ飛来で千葉市が大きな被害を受け、いずれの機関も機能を喪失した可能性が高いそうです。現在、船橋市役所との交信も途絶えています」

 

北島が答えた。本来なら総務省が県庁を介せず直接市役所とやり取りするなど御法度なのだが、現状況下では従来の慣習に捉われる場合ではなかった。

 

「災派で出ている習志野と市川の陸上部隊から情報です。千葉県東部は極めて深刻な交通渋滞、あるいは怪獣出現による交通網破断によって避難活動が停滞中。また銚子市犬吠埼より上陸してきた怪獣ベヒモスが巻き起こしている寒波で降雪が確認され、これによってより避難が困難となっております」

 

「まさか7月にスタッドレスタイヤが必要になるとは」

 

高橋が答え、岡本がぼやいた。

 

「現在、南関東上空にこの時期では考えられないマイナス35℃の寒気が流入。元からギドラが巻き起こしていた積乱雲がそのまま雪雲となり、ご報告のような状態を引き起こしていると考えられます」

 

「みなさまのご報告をまとめますと、残念ながら首都圏の避難活動は順調どころか、避難状況の把握すら正確に機能せず、また避難徹底の見通しも極めて不透明、ということですな」

 

佐間野の報告を受け、全体を見渡した望月が言った。より沈痛な空気が閣僚を包んだ。

 

「緊急事態法22条に則り、当内閣も本センターから退避。優先順位により立川の政府予備施設へ政府機能を移管すべき事態ではありますが・・・」

 

淡々としゃべると、望月は高橋に焦点を当てた。

 

「木更津航空隊はギドラ余波と降雪により滑走路が使用不能。立川では降雪こそ確認されませんが、上空の温度差による激しい降雨でヘリの離陸が困難。え・・・宇都宮もしくは三島からならヘリが用意できますが、政府機能の移管先が、となれば、それは防衛省が判断できる範囲ではございません」

 

暗に決意を込め、高橋は答えた。それを汲んだように望月は頷いた。

 

「総理、逃れる場がないのは、国民も我々も同じです。ですが官邸地下シェルターであれば、仮に都心で戦術核が炸裂した場合でも耐えられるはずです。それまで1人でも多くの国民を逃すべく、ギリギリまでここを機能させるべき状況かと」

 

望月は静かに言った。

 

「わかった。みんな聞いて欲しいのだが、限られた中でやれることをやる他ない状況だ。シェルターの収容人数を把握し官邸職員の退路を確保した上で、最後までやり遂げてもらいたい」

 

瀬戸は覚悟を決めたように淡々と、しかし厳かに言った。幾人か顔を曇らせる閣僚こそいるが、全員が首を縦に振った。一拍おいて、防衛省の官僚が動いた。

 

「空自百里基地からです。房総半島沖合100キロ上空に、未確認の飛翔体2体を探知。高速度で首都圏を目指しています」

 

高橋が告げた後、間髪入れず次のメモが渡された。

 

「霞ヶ浦偵察航空隊からです。千葉県野田市、守谷市で大規模火災発生。これと前後し、利根川を侵攻中のゴジラが突如発光、移動速度を上げて進行を開始したとの報告です」

 

ややざわめいた後、情報収集に当たりながら北島は佐間野にささやいた。

 

「不謹慎かもしれないけどさ、怪獣同士争い合って同士討ちの共倒れになってくれれば、米軍機も大義名分失って帰っていくんじゃない?」

 

「だとしてもだ、どの道日本がメチャクチャになるのは避けられないだろ。引導渡すのが戦術核か怪獣かってだけで。第一、戦術核が怪獣にどれだけ有効なのか何の根拠もないんだぞ」

 

言いながら、佐間野は米軍の戦術核使用が決して怪獣掃討を目的としたものばかりではないであろうと思案していた。瀬戸も望月も把握しているだろうが、時間がない上にこの状況下とはいえ米国に抗議もしないところを見ると、彼ら首脳は既に【如何にして日本を立て直すか】の段階に進めているのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 70ー

 

ギドラが巻き起こしている低気圧は、ベヒモスが纏う冷気によって夏にも関わらず一帯に雪を降らせていた。

 

ギドラを囲む6体の怪獣が睨みを利かせる中、先陣を切ったのはガイラだった。

 

正面から走り込むと、咥え上げんと首を伸ばすギドラをかわして地面に滑り込み、左の首にしがみついた。

 

左腕で首を羽交い絞めにしたまま右腕でその頭を何度も殴りつける。他の2本が牙を剥き出しにしてガイラに喰らいつこうとしたとき、背中を駆け上ってきたサンダが2本まとめて羽交い絞めにし、全体重をかけて後方にのしかかった。

 

苦しげにうめくギドラの左脚にバラゴンが角を突き刺し、全身を発光させる。

 

超高温の熱波が角を通してギドラの体内に浸透する。それでも首に纏わりつく2体を振り回し、大きく羽根を動かす。暴風が建物のガラスや道路上の車両・標識を吹き飛ばし、加勢しようとしたチタノザウルスが大きく怯んだ。

 

もがくギドラの背後に衝撃が走った。背後から迫ったベヒモスがその巨大な2本の牙を突き立て、ギドラの背中に刺したのだ。

 

ガラガラヘビのような音を口から出し、傷口からは青い血液がにじみ出した。

 

破れかぶれの如く左首を振り回しているうちにガイラが手を放し、首都高湾岸線をなぎ倒して栄町の倉庫群に倒れ込んだ。

 

羽根のはばたきはより強さを増し、瓦礫を巻き上げて立ち上がろうとするガイラにぶつける。不敵に吼える左首だったが、上からの一撃に弾き飛ばされた。上空を旋回していたバランが急降下し、すれ違いざまに鋭い爪をギドラの首に突き立てたのだ。

 

みるみるうちに左首の黄金の鱗が、青い血液に染め上げられていく。

 

立ち上がったガイラは大きく吼え、仕返しとばかりに正面からギドラに突進、頭突きした。

 

苦痛にのけ反る左首を、再度旋回したバランが弾く。強固なバランの体当たりに左首は眩暈をしたまま垂れ下がる。

 

すかさずガイラは左首に噛みつき、ギドラの腹に脚をかけて踏ん張る。

 

じわじわと流れ出る青い血液。それでも一度短く吼えると、ギドラは2本の尾を振り回し、ヘッドロックを決め続けるサンダを背後から殴りつけた。

 

返す尾でベヒモスの顔面を強かに殴りつけ、自由になった中央と右の首がガイラの腕と足に喰らいついた。

 

悲痛な叫びを上げるガイラ。比較的自由ができたギドラは左脚を振り上げ、バラゴンを放り出した。いすゞ船橋工場にバラゴンがなだれ込み、バラゴンの体熱で周囲が発火、炎上し始めた。

 

立ち上がったサンダはガイラを助けようと、右と中央の首をつかみかかる。だが自由になった右の首はサンダがしがみついたまま振りあがり、勢いで潮見町の埋立地へ吹き飛ばしてしまった。

 

苦痛に耐えて噛みついたままのガイラもとうとう耐え切れず落下、地面に倒れたところをギドラの右脚が踏みつけた。

 

ガイラの身体が地面にめり込み、抉られた大地でもがくところを再度踏みつける。

 

ガイラの口から鮮血がほとばしり、喉を鳴らしたままうめき続けることしかできなくなってしまった。

 

空いた背後から攻撃すべく接近するバランには中央の首が動いた。最接近した際に頭を突き上げ、バランの腹部にめり込んだ。

 

野太い悲鳴を上げて西船橋方面に落下していくバラン。

 

ギドラは低くうなると、全身に雷撃を走らせた。黄金に輝き、各所の傷口から出血が止まる。朽ちた羽根は完全に塞がった。

 

そこを背後からベヒモスが急襲、2足で立ち上がり前脚を立てると、太い鉤爪でギドラの背後を引っ掻いた。

 

サンダやガイラ、バラゴンとバランよりも一回り大きいベヒモスの一撃は堪えたのか、ギドラは前のめりによろけた。ふらついたところを前方からチタノザウルスが接近し、正面から体当たりした。

 

跳ね飛ばされたギドラは仰向けに倒れ、そこをベヒモスの前脚が踏みつけた。鉤爪がグイグイとギドラの右首に食い込み、舌を出してのたうち回る。

 

チタノザウルスは起き上がろうとする左と中央の首に尾の一撃を放ち、ギドラの脇腹を蹴り上げた。

 

仰向けのままギドラの巨体は吹き飛び、幾棟のビルをなぎ倒しながら湾岸市川ICに墜ちた。

 

瓦礫と粉塵が弾け飛び、ギドラがうめき声を上げる。ベヒモスとチタノザウルスは勢い進み、さらなる攻撃を加えようとした。

 

そのとき、黄金の一閃が一直線に伸び、地面と建物が粉砕された。

 

爆発にたじろいだベヒモスとチタノザウルスに追い打ちをかけるように、瓦礫混じりの暴風が叩きつけられた。

 

粉塵と絶え間ない雪空に、黄金の巨体が浮かび上がっていた。体格差は歴然とはいえ6体もの怪獣がかかっても、度重なるダメージを受けつつも、ギドラは完全に身体とエネルギーを回復させていた。

 

再度吼えると、3つの首がうねりながら引力光線を放出した。

 

地を走る引力光線は見境なくすべてを巻き上げ、直撃した際の熱で爆炎がほとばしる。ベヒモスとチタノザウルスは爆発の勢いに呑まれ、地面に伏した。降りしきる雪は瓦礫や土砂と共に空へ舞い戻り、一帯を包んでいた冷気は爆炎で一気に消し去られた。

 

天をつくような炎の先に浮かぶギドラはしかし、自由を得ても飛び去ろうとはしなかった。ここまで自身を散々弄ってきた怪獣たちに報復すべく、不敵に嗤う。

 

だが爆炎の中立ち上がったベヒモスとチタノザウルスは、ギドラのさらに上空に目を馳せた。雪空の中、ふんわりと光ったかと思うと雪に混じり煌めく何かが混じり出した。

 

今また引力光線を放とうとしたとき、3つの首に紫色の光線が直撃した。2度、3度とギドラの皮膚から激しく白煙が昇り、思わず体勢を崩し江戸川へ落下していく。

 

雪空を割り、颯爽とバトラがギドラの頭上に現れた。怒りを露わにするギドラに、雪とも異なるものが降り注いだ。

 

暖かな光と共に、モスラが天から舞い降りてきた。溢れんばかりに鱗粉を放ちながら、ギドラを見据える。

 

バトラと並んだモスラに、敵意をにじませ6つの目で睨みつけるギドラ。

 

モスラはゆっくりと旋回するように飛び、周囲に満遍なく鱗粉をふりまいた。ギドラの引力光線で一瞬のうちに変わり果てた一帯から、次々と傷ついていた怪獣たちが立ち上がり始める。渦巻き燃え上がる炎も、モスラの鱗粉で収まっていく。

 

短く、そして鋭く啼くと、モスラは全身を震わせ始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 71ー

・7月13日 17:58 千葉県市川市塩浜1丁目 福山通運塩浜倉庫付近

 

 

「バカヤロー、こんなとこ命がいくつあっても足りねえ!」

 

拝借した巡視艇が市川市沿岸部の倉庫街に着岸し、檜山ら一行が上陸した直後、ギドラが縦横無尽に吐き散らかした引力光線による破壊力を目の当たりにした斉田が、おののきながら怒鳴った。季節を無視した寒気に覆われながらも、膨れ上がった爆発の焔が空気を焦がすのが伝わってくる。

 

秋元と三上は呆気に取られ、緑川は寒さのせいばかりではなく、カタカタと小刻みに震えている。

 

そんな中、ミラとリラは互いに頷き合うと手を繋ぎ、目を閉じた。

 

爆炎のせいではない、ふわりとした暖かさが上空から伝播した。雲を割ったモスラとバトラが、祈りを捧げるミラとリラに呼応するかのように現れたのだ。

 

ミラとリラは目を開けた。目一杯鱗粉を繰り広げるモスラに、スッとした視線を向ける。

 

バトラの攻撃でギドラは江戸川に落下し、地面が大きくバウンドする。倉庫街のガラスが一斉に砕け、降り積もった雪が小麦粉のように舞い上がる。

 

通りの先には、なす術なく逃げ惑っていた大勢の人々が上空を旋回するモスラに、惹かれるような目を向けている。ギドラや他の怪獣の脅威を忘れさせてくれるような、不思議な魅力を感じているかのように見えた。

 

「モスラとバトラは、勝てるのか?」

 

固唾を呑んだ檜山が訊いた。

 

「モスラは、自信がないけれど、命を懸けて立ち向かうそうです。バトラも」

 

リラが不安げに答える。

 

「私たちも祈ります」

 

対するミラは、決意固く答える。檜山は不思議と、ミラとモスラが重なって思えた。

 

モスラが鋭く啼いた。それだけで周囲の空気が浄化されたように思える。気がつくと激しく燃え上がっていた江戸川対岸の船橋・市川方面がいつのまにか炎が静まっていた。

 

繋がるミラとリラの手が、より強く握られた。どちらかと言えばミラが強く握ったように見えた。

 

モスラとバトラが同時に吼えたかと思うと、直近に雷が落ちたような凄まじい音と光が迸った。全員が目を覆い、ついしゃがみ込む。恐る恐る目を開ける檜山。ギドラを金色と紫色の閃光が包み込み、幾筋かが矢のようになってギドラに突き刺さる。光の矢が直撃するごとにギドラの表皮が爆発し、3つの首が天を仰いで吼える。

 

「・・・すごい」

 

思ったままの言葉を口にする檜山。雪雲とギドラの光線で昇った黒煙でいつもより早く闇が近づく中、極彩色の光に身を穿たれるギドラ。

 

モスラとバトラの羽根から雷撃のような光が放たれ、ギドラを纏う鱗粉に注がれると粒子状になって鱗粉に反射を繰り返し、中心のギドラへ向かっていくのだ。

 

より一層強くギドラの身が爆発し、古い電話のような奇妙な音を口から鳴らしつつ横転する。

 

「おお・・・!」

 

感嘆の声を上げる三上。

 

「やった!・・・のか?」

 

猛烈な白煙に包まれたギドラを見て、思わずガッツポーズをした斉田だったが、真剣な表情のミラとリラに気圧されたように訊いた。

 

地響きと共に甲高く、それでいておぞましい雄叫びが空気を揺らした。空に向かって3方向に引力光線が迸り、すんでのところで回避するモスラとバトラ。

 

急旋回したモスラが檜山たちの頭上で旋回し、10センチほど積もった雪が浮かび上がって激しい地吹雪となる。

 

「こんなことならブルゾン羽織ってくるんだった・・・!」

 

半袖のまま身をすくめる斉田が歯を鳴らした。

 

 

 

 

 

 

ゆっくりと浮遊しながら態勢を整えたモスラは、再びギドラと睨み合った。羽根から絶え間なく鱗粉が放たれ、ギドラの身体にまとわりついていく。

 

怪訝に首をかしげるギドラに、モスラの触角から超音波が放出された。分子レベルで鱗粉が振動し、ギドラの身体から白煙が上がった。身を焼く強烈な熱に苦痛の雄叫びを上げ、反撃とばかりに3つの首から一斉に引力光線を放つ。

 

通常であれば光を介した光線や熱線の類を乱反射して弾き返すモスラの鱗粉なのだが、ギドラが放つ引力光線は構成される物質そのものが光や熱とも根本から異なっており、鱗粉の性質をまったく無視してモスラへ一直線に向かっていく。

 

直前で回避したモスラは超音波を緩めず、むしろ増幅して放つ。江戸川の水面が波打ち、周囲のガラスが一瞬でひび割れる。

 

舌を出して苦しむギドラがいま一度発光したとき、急降下してきたバトラの脚がギドラの頭部を斬り裂いた。青い血が噴き上がり、虚を衝かれたギドラが急上昇するバトラを見据える。

 

そこを背後から猛スピードで突っ込んでくるモスラが両翼で殴りつけた。前のめりになったギドラは再度転倒し、河川敷の野球場に突っ伏した。

 

好機とばかりに容赦なく超音波振動熱で攻撃するモスラ。高熱で野球場のスタンドライトが真っ赤になって熔け落ち、アスファルトが蒸気を上げて煮上がった。

 

唸りながら首を起こすが、全身を分子振動による超高熱に支配されたギドラは動きが鈍い。続々と音波を送り込むモスラ。大勢は決したかと思われたとき、突如ギドラは3つの首で天を向き、一斉に引力光線を発射した。モスラにもバトラにも照準を合わせていない、苦し紛れの一撃なのかと思われたが、奇妙なことが起きた。

 

3つの光線は途中で絡まり合い、竜巻状の渦となって天を目指す。そこにモスラの鱗粉が巻き込まれ、極大の光の渦と共に空へ昇っていく。3筋の光線をひとつに合わせることで強力な引力の渦となり、空気中に漂う鱗粉はおろか、周囲の土や江戸川の水、はては家屋や倉庫、道路までが引き込まれて浮かび上がった。

 

接近していたモスラの身体も自由が利かず、慌てて離脱する。状況悪化を悟ったバトラがプリズムレーザーで牽制するも、一心不乱に引力光線を吐き続けるギドラは微動だにしない。

 

とうとう撒き散らされた鱗粉のほとんどが周囲から消滅した。光線を吐き終えたギドラは不敵に嗤い、仕返しとばかりに正面のモスラへ引力光線を放射する。

 

回避して逃げ回るモスラだが、3つの首があらゆる方向から迫り、いつ直撃してもおかしくない。ギドラの背後からバトラが接近してプリズムレーザーを放つが、気配を察知したギドラの右首が後ろを向いて引力光線で応戦する。

 

バトラの両目から繰り出されたレーザーより、引力光線はその威力で優っていた。光が激しく弾けてバトラが吹き飛ばされ、回転しながら墜落しかかったところに引力光線が炸裂した。

 

悲鳴を上げながらバトラは2本の脚を砕かれ、 白煙を纏いながら東西線行徳駅、ドン・キホーテをなぎ倒して瓦礫に埋もれた。

 

悲痛な声を上げてモスラが飛び寄って、バトラに覆い被さる。失った脚から紫色の血液が大地と瓦礫を侵している。

 

ギドラは大地を震わせながら、妙典から2匹が降りた行徳を目指して進撃を始めた。巨体が移動するだけで建物は砕け去り、地面が波打つ。

 

苦痛に声を上げるバトラと、必死に癒そうとするモスラだったが、バトラが顔を上げた。モスラもバトラが顔を向けた方角を向く。ギドラとはまったく異なる、おぞましくすさまじい殺気を察知したのだ。

 

ギドラが迫る揺れとも異なる振動が地を震わせている。気づいていないのか、モスラとバトラに報うべくやってくるギドラはその歩みが止まらない。

 

突如空気が大きく波打ち、ギドラの背中が大爆発を起こした。青い光がギドラの羽根以上に拡がり、次いで爆炎が空気を焼き打つ。ギドラは前のめりに倒れ、焼け焦げた背中を露わにした。モスラとバトラはグッと身構えた。

 

 

 

 

 

バトラが墜ちたことで悲痛な表情だったミラとリラだったが、即座に表情を凍りつかせた。バトラが傷を負い悲しむ様子ではなかった。蛇に睨まれた蛙、あるいは獅子に対峙する草食動物が本能的に恐怖を感じるならば、こんな表情になるだろうか。

 

「おい、どうした?」

 

そう檜山が訊いた直後、青い閃光が周囲を照らし、檜山も目を覆った。膨れ上がった爆発は空気を焼きつかせ、皮膚がヒリヒリする。

 

何事かと目を開けたとき、ズン・・・ズン・・・ズン・・・と腹の底に響くような足音がする。

 

ギドラとも、はたまたモスラ・バトラとも違う咆哮が轟いた。これまで報道、あるいはネット映像でしか耳にしていないが、トラウマのように鼓膜にまとわりつく、あの声だった。

 

足音と建物が崩壊する音がしたかと思うと、「あああ!」と声を上げた斉田が北の方を指差した。

 

イオン市川妙典店の向こうにヌッと姿を現した、黒い巨体。再度雄叫びながら地に伏したギドラへ向かい始める。逃げ惑っていた住民たちも、その咆哮と異様な威圧感、迫力にただただ佇み、その正体を凝視することしかできなかった。

 

「「・・・あれが、ゴジラ」」

 

氷のような顔をしたミラとリラがつぶやいた。いま一度吼えるゴジラに、唸りながら立ち上がったギドラが怒りの雄叫びを上げる。

 

ゴジラとギドラは向かい合ったまま吼えあい、ゴジラは全身に青いチェレンコフ光を、ギドラは雷のような光を纏い始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 72ー

・7月13日 18:14 東京都千代田区永田町2丁目 首相官邸2階 官邸秘書官室

 

 

「詳しい情報をいただけませんか?」

 

尾形は官房長官秘書官の西條に訊いた。

 

「いや、私も又聞きですし、なにせ情報が殺到している上、刻一刻と変化する状況への対応で精一杯ですから、正確な情報とも言えないのですが・・・」

 

西條は口を尖らせた。面倒くさい相手にしゃべってしまったものだ、といった後悔がありありと顔に浮かんでいる。

 

「総務省からうちに出向しているリエゾンからの話ですが、いまから30分ほど前に千葉県野田市付近でゴジラが突然発光したかと思うと、全身から猛烈な熱波・・・というか、核爆発に酷似した衝撃波を放出して、周囲が壊滅状態になったというのですよ。自衛隊の化学科部隊に調査が命じられたようですが、この混乱ですから・・・」

 

「確認しますが、口から熱線を放射したのではないのですね?」

 

「そ、そのように聞いてます」

 

あまり自分の口から余計なことは言えませんよ、言外に匂わせて西條は忙しいフリをして尾形の元を離れた。

 

尾形はソファに腰かけると、顎に手を当てた。

 

昨年7月、浜名湖を崩壊させながら3日にわたりゴジラとギドラが争った際、ゴジラが不可解な爆発を起こしたという未確認の情報が寄せられた。詳細は不明な点が多いが、全身を一気に爆発させた、ないしは全身から放射熱線を発射した、などという報告があったのだ。

 

自衛隊の波状攻撃もことごとく失敗した上にゴジラとギドラによって多大な損傷を受けたことで、横須賀と呉から向かいつつあった海上自衛隊のイージス艦に攻撃を引き継いで撤退中であったため、まともな観測が為されずじまいだったようなのだが、その直後にギドラが遠州灘へ逃れ、追うようにゴジラが続いて太平洋へ消えたのはたしかだった。

 

未知の部分も多く仮説と推測になってしまうが、利根川から江戸川に入ったゴジラがギドラとの邂逅を前に、攻撃の準備をしたとすれば・・・。

 

尾形は席を立ち、防衛省から出向している首相秘書官が電話を切ったタイミングで声をかけた。

 

「現在の市川市付近の避難状況は、どうなっていますか?」

 

「確認しますが、かなりの混乱が生じていると報告を受けてますが」

 

なぜそんなことを訊くのか、不思議そうに上目遣いを向けてきた。

 

「可及的速やかに避難を実施するよう、閣僚と自治体へ進言してください。去年の浜名湖のようなことが起きるかもしれません・・・」

 

秘書官は怪訝な顔で首を傾げるばかりだったが、ゴジラとギドラが激突したことで浜名湖一帯がどうなったかは理解していた。総務省と防衛省の担当を内線で呼び出すと、尾形の言うことを繰り返した。

 

 

 

 

 

 

全身に熱量を溜め込んだゴジラとギドラは、同時に口から放射熱線と引力光線を放射した。2匹のちょうど中央で青と金色の光波が衝突し、光波同士が圧し合う。ギドラは3つの首から引力光線を放つのだが、ゴジラも負けずに熱線の放射を続けている。

 

やがてゴジラの熱線が引力光線を押し始め、ギドラは放射を止めて首をひねって熱線を回避した。そこから再度引力光線を放ち、ゴジラの脚に当てる。火花と白煙が弾け、ゴジラは叫びながら熱線を放った。ギドラの右脇腹付近に命中し、熱線の勢いもあって後ずさるギドラ。

 

怒りに吼えながらゴジラは突進し、ギドラの胸元に牙を当てようとした。暴風を伴いながらギドラは飛翔し、3つの首がゴジラめがけて引力光線を発射する。

 

首筋から腹部をなぞるように金色の光線が命中し、ゴジラは甲高く絶叫しながら倒れる。満足げに大地へ降りようとするギドラは、周囲が揺れていることに気がついていなかった。

 

ギドラが着地した大地が陥没し、半身がめり込んだ。驚くギドラの腹部に牙が突き立てられた。地中に潜航していたバラゴンが空洞を作ったところにギドラが沈んだのだ。地中から噛みつかれたギドラは3つすべての首が地中のバラゴンに向かっている。

 

そこを正面から走り込んできたサンダとガイラが正拳突きで首の付け根を叩いた。左右の首を大地に叩きつけ、脚で踏みつけることで動きを封じる。中央の首が怒り狂って口を開けたところ、滑空してきたバランが爪で喉元を切り裂いた。青い血がほとばしり、上空のバランを討たんと狙いを定めたとき、ベヒモスが大きな牙を突き刺してきた。

 

悲鳴を上げるギドラ。サンダとガイラは脚を離し、その場を逃れた。地中からバラゴンが姿を現し、全身の熱を放出する。

 

周囲の大地が熔け、溶岩のように煮えたぎる。その高熱がベヒモスの冷気と衝突し、猛烈な上昇気流が発生した。

 

上空のバランが上昇気流に乗ったかと思うと、急速に減退する上昇気流が崩壊することによって猛烈なダウンバーストが発生した。

 

衝撃波となって地表へ叩きつける暴風に乗ってバランは両手の爪を立て、ギドラの背中に突き刺した。

 

青い血が噴水のように飛び出し、大きく吼えるギドラにチタノザウルスが向かってきた。

 

中央の首に噛みつくと、ギドラの巨体を咥え上げて全身を陥没した大地から引っこ抜く。絶叫するギドラの首を3つまとめてつかみ上げると、背負い投げのようにギドラを大地に激突させた。

 

叫ぶ咆哮もかすれ、どうにか首をもたげて身を起こそうとしたとき、青い光がギドラに炸裂した。起き上がったゴジラが放射熱線を当てたのだ。

 

ギドラは熱線に圧されるまま大地を引きずられ、南行徳から湾岸線を叩き壊して新浦安方面へ吹き飛ばされた。

 

大きく吼えてギドラを追うゴジラに、サンダとガイラが襲い掛かった。ゴジラによじ登り、爪で皮膚をえぐる。身体を大きく振るいながら吼えるゴジラに、空からバランが攻撃を仕掛けた。切り裂かれた背中に火花が散り、足元からはバラゴンがゴジラの脚にかじりつく。

 

一方手負いのギドラが再び立ち上がったとき、失った脚から血を流しながらも飛び上がったバトラが羽根で殴りつけた。住宅や街灯を吹き飛ばしながら低空を高速で飛行してきたモスラがギドラの腹部に体当たりをし、仰け反ったところをバトラのプリズムレーザーがギドラの皮膚を焼いた。

 

大きく吼えながら突進してきたチタノザウルスがギドラの正面に頭突きを喰らわせた。仰向けに倒れたギドラは新浦安駅、オリエンタルホテル東京ベイと浦安ブライトンホテルをなぎ倒しながら瓦礫に身を沈めた。

 

 

 

 

 

 

塩浜から怪獣同士の戦いを見守っていた檜山たちは、ゴジラとギドラが怪獣たちに蹂躙する様子を目撃したまま立ち往生していた。

 

「めちゃくちゃだな、こりゃあ」

 

斉田がぼやいた。浦安ではギドラが、行徳ではゴジラが雄叫びを上げてたかりくる怪獣たちを威嚇している。

 

「だが、このままいけば、ゴジラもギドラも倒されるのでは・・・」

 

三上がつぶやいた。

 

「もしそうなれば、少なくとも2つの脅威が消失することにはなりますね」

 

檜山が言った。

 

「いやでも、残ったアイツらが暴れ続けないって保証はないでしょうが」

 

いまひとつ怪獣に懐疑的な斉田が口をすぼめた。

 

「ねえ、この戦い、どうなると思う?」

 

緑川がミラとリラに訊いた。心なしか、ミラの額にじっとりと汗が浮かび、呼吸が乱れている。檜山は険しい顔でミラを見遣った。

 

「・・・わかりません。わからないですが・・・」

 

リラが答えた。

 

「私たちもモスラも、ゴジラの思考がまったく読めないですし、意思の疎通を図りようもありませんが・・・」

 

やはり、どこかミラは息遣いが苦しそうだ。

 

「「少なくとも、共通の敵はギドラであることは違いありません」」

 

2人が答えたとき、浦安と行徳の2カ所同時に爆発が起きた。ゴジラとギドラがそれぞれ熱線と光線で周囲を薙ぎ払ったようだった。爆風と飛んでくる破片に身をすくめる檜山たち。まとわりついていた怪獣たちが怯んだ隙に、炎の中をゴジラが動いた。旧江戸川を渡らんとしたとき、上空にモスラが羽根を拡げた。

 

いきり立って熱線を放たんとするが、モスラが鱗粉をまき散らしたことで、忌々しげに唸る。そのままモスラはサンダ・ガイラたちの方へ向かった。

 

「「モスラは、まずギドラを倒そうと話してます」」

 

どうやらすぐに意思が伝わったのだろう、バラゴンとバランがゴジラの後に続いた。

 

「サンダとガイラ、あいつら言葉通じるのか?」

 

斉田の懸念は杞憂に終わった。2匹もギドラに向かい始めた。

 

「「意思の疎通はできませんが、本能が察知したようです」」

 

「聞き分けの良い奴らで良かったぜ」

 

斉田がそういって頭を掻くわきで、秋元が微笑んだ。

 

「おい、少し下がろう」

 

檜山が全員を後退させた。バトラが背後から、ゴジラが正面から飛び道具で攻撃を仕掛けたのだ。

 

爆炎に包まれたギドラが羽根を動かした。飛び上がらんとしたが、脚が大地を離れない。回り込んだベヒモスがギドラの足元に牙を向け、大地ごと下半身を氷漬けにしたのだ。

 

怒りに吼えるギドラに、次々と放射熱線とプリズムレーザーが命中していく。

 

「よっしゃ!」

 

斉田が感嘆の声を上げた。

 

「行けるぞ」

 

檜山も目を輝かせた。

 

だがミラとリラは唇を噛んだ。表情を輝かせない2人に、緑川は一抹の不安を覚えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 73ー

・7月13日 18:51 東京都千代田区永田町2丁目 首相官邸地下1階 危機管理センター

 

 

「そんなバカなことが」

 

柳の一声は常に否定から物事に構える彼の特性に止まらなかった。閣僚一同、驚き半分、疑問半分に尾形を仰ぐ。

 

「はい。ギドラは本来の力をまだ出し切っていない可能性があります。昨年の東海地方を壊滅させた際のことを思い起こしていただきたいのですが」

 

官邸にあるありったけの資料から抜き出した写真をモニターに映し出す。

 

「ギドラの脅威はふたつ。まずはゴジラの放射熱線と同等、あるいはそれ以上の威力を持つ雷撃状の光線。もうひとつは、あの巨体がはばたくことで発生する猛烈な衝撃波です。ご存知のように、ものの30分でギドラは名古屋から愛知県の東半分、岐阜県・長野県南部を経由して浜松でゴジラと激突するまで、飛び回った地域を灰燼に帰してしまっています。翻って今回は、千葉県を東西に蹂躙こそしましたが、日本へ至るまでにゴジラの超遠距離射撃でかなりの損傷を被ったためか、船橋へ降り立つまで飛行速度が低下した状態であった上、複数の怪獣たちと会敵するまでエネルギーをチャージするかの如く動かなかったと聞いておりますが」

 

「たしかに、木更津の偵察航空隊からは、雷撃を走らせながら眠るように動かぬうちに、身体の傷が回復していったと報告を受けています」

 

高橋が補足するように言った。

 

「そしていま、ゴジラを始めとする複数の怪獣と争っている状態ですね」

 

モニターには昨年の激闘で地形が変わり、大きな入江となった旧浜名湖、浜名湾が映される。

 

「ご覧のように、昨年2日にわたる争いで地形が変わった浜名湖ですが、かねてより私が不思議に思っていたことがあります。ギドラ攻撃に出動した陸自第1飛行隊の観測によれば、双方熱線と光線を入り混ぜた激しい応酬を続けながら浜松市街地から浜名湖へ至るまでの数時間、一見互角の争いを繰り広げたように見えますが、湖西市付近でギドラは一時光線の放射を中止しています。その後ゴジラの熱線攻撃で多大なダメージを負いながらも肉弾戦を仕掛けるかの如くゴジラに襲いかかりました。この際生じた衝撃波で飛行隊が墜落してしまったためここから再展開までの述べ10時間、2体の争いを観測できなかった空白の時間が生まれました。御殿場の特科射撃部隊による遠距離攻撃を経て、浜名湖を包囲するように10式戦車隊が配備される頃には、再びゴジラとギドラが熱線と光線の応酬を交わしております」

 

スクリーンの画像を指しながら饒舌に語る尾形の姿は、彼の本業でもある京都大学で教鞭を取る普段の姿を彷彿とさせた。

 

「すると先生、ギドラはゴジラとの争いでエネルギー切れのような状態を起こし、そこから数時間後に何らかの方法でエネルギーを充填して光線を放射できた、というようになりますか」

 

岡本が挙手した。

 

「はい。そのように考えております。問題は如何にして、ギドラはゴジラと争いつつエネルギーを蓄えられたのか、といった部分です。船橋飛来後の充足期間を考慮すると、負傷の回復を優先しているように思える上、ゴジラを始めとする複数の怪獣を相手にする現状から、完全な状態に回復することは困難ではないかと考えられます」

 

「これほどの力を持ちながら、いまだ完全な状態ではないとは・・・」という氷堂のつぶやきが聞こえ、一同沈黙に包まれた。

 

「では、その完全な状態となるまでどれほどの時間を要するのでしょうかねえ」

 

岡本の疑問に、尾形は目を光らせた。

 

「実は本題の核心はそこです。昨年、そして今回。ゴジラもギドラもまるで惹かれ合うかのように接敵しています。当初、私は互いの動物的闘争本能、あるいは外種に攻撃的な本能に従って衝突したものと考えておりました。ここでひとつ、私の推論に過ぎないのですが・・・昨年の浜名湖において、ギドラは如何にしてゴジラと争いながら力を蓄えたのか」

 

「そんなこと言われてもねえ・・・」

 

柳が困惑したようにつぶやいた。だが望月や北島をはじめ、ピンときたように表情が強張る閣僚も何名かいた。

 

「まさか・・・ギドラはゴジラからエネルギーを得たんでしょうか?」

 

北島が尋ねると、尾形は我が意を得たりとばかりに首を縦に振った。

 

「もし、ギドラがゴジラを目指す理由が闘争本能ではなく、エネルギー確保、あるいは、捕食という表現を用いましょうか。とにかくゴジラの膨大なエネルギーを欲していると考えた場合、いかがでしょうか。無論、現状では私の推論でしかありませんが、ギドラが火山活動を起こしながら休眠する性質を鑑みれば、仮説としてあり得ぬとも言い切れないのではないかと考えられます」

 

「そんな荒唐無稽な・・・」と首を振る柳。

 

だが瀬戸と望月、高橋が顔を背けたり、苦虫を噛んだような顔をしたのを、尾形は見逃さなかった。尾形ばかりではなく、北島もそんな3人に怪訝な表情を作り、佐間野は鋭い眼光でその様子を見遣っていた。

 

「そしてギドラ会敵前、ゴジラが小型の核爆発に似た事象を巻き起こしながら埼玉・千葉を進んだという報告もあります。この不可解な動きを説明するとなれば、ギドラに対抗すべく・・・」

 

そこまで言い淀んだとき、血相を変えた防衛省と総務省、警察庁の役人が走り込んできた。

 

「浦安で大規模な爆発が断続的に発生しているそうです」

 

眉を吊り上げた高橋が言った。

 

「東京消防庁からの報告ですが、浦安市で大規模広域火災が発生したとのことです」

 

どよめく閣僚。尾形は息を呑んだ。自身の仮説が、残酷な現実となって証明されたような感覚に囚われた。

 

 

 

 

 

 

遡ること20分ほど前になる。

 

浦安市今川・富岡地区の住宅街、鉄鋼通りと呼ばれる鉄鋼倉庫街を突き崩しながら、怪獣たちはギドラを追い詰めていた。

 

バラゴンが足元から、バランが空からギドラを切り裂き、ベヒモスの突進とサンダ・ガイラの猛攻に後ずさる。

 

モスラが円を描くように飛来すると、大量の鱗粉がギドラとその周囲を包む。そこをゴジラの放射熱線とバトラのプリズムレーザーが見舞った。

 

いずれも鱗粉に幾度か反射してギドラを360度全方位から突き刺す。もがくギドラに容赦することなく、3、4度と熱線、レーザーを撃ち込むゴジラとバトラ。地響きを巻き起こしながら、とうとうギドラは倒れた。そのまま大地から黒い泡が噴き出し、ギドラを、そして周囲の建物を呑み込んでいく。

 

激しい振動と爆発により、元来脆弱だった浦安の地盤が崩壊、いわゆる液状化現象を起こしていたのだ。弱々しくうめきながら、どす黒い水に沈んでいくギドラ。

 

対岸に当たる南行徳付近からその様子をうかがっていた檜山は、ゆっくりと地に沈んでいくギドラを見つめていた。

 

「おい、これやったんじゃないか」

 

歓声にも似た声を上げる斉田。

 

まるでマラソンを走り終えたランナーのように息遣いが激しいミラは、顔いっぱいに浮き出た汗を拭おうともせず、沈みゆくギドラの様子を凝視していた。そんなミラに、心配そうに寄り添うリラと、詰るような視線を向ける檜山。

 

浦安の一部が海に呑まれるように水が広がり、建物が傾いている。ギドラを渦の中心に巻き起こるかの如くだったが、やや離れた場所から様子をうかがうゴジラは口を閉じたままだった。

 

空を舞うモスラもバトラも訝しそうに黒い瓦礫まみれの水面を窺っている。

 

大地の崩落がゆっくりとゴジラを目指し始めた。足元の異変に首を傾げたゴジラは目を見開いた。

 

気がついたときにはゴジラの巨体が大地に沈み、バランスを崩したゴジラは甲高く吼える。

 

プリンのようになった地盤は周囲ごとゴジラを完全に沈め、混乱したらしいゴジラは放射熱線を撒き散らす。黒い水の中で青と金の閃光が幾度か瞬いた。

 

「なんだ、ありゃあ?」

 

斉田が目を凝らした。

 

「・・・まさか」

 

荒い息を押し殺すように、ミラがつぶやいた。

 

ミラの疑念はモスラとバトラにも伝わったらしい。沈んだゴジラとギドラを警戒していたが、急いで後ろに下がった。それを察知したように、チタノザウルスとベヒモスも吼える。

 

大音量と共に、土砂まみれの黒い水が天に向けて大きな柱を作った。眩く、それでいておぞましさを感じさせる黄金の光が走り、土砂と水を瓦礫ごと巻き上げる。

 

やがて黒い水はきのこ雲状の白煙となり、ややあってその白煙すら黄金の光が破裂することでかき消された。

 

「「ギドラ・・・!」」

 

ミラとリラが憎悪に満ちた顔で、闇夜に浮かぶ黄金の巨体を睨みつけた。そしてその3つの首は、背鰭を青く光らせるゴジラを咥えあげていた。

 

低く鈍い絶叫を上げるゴジラの背中が激しく光る。だがそれ以上にギドラは黄金の輝きに包まれ、やがて満足したようにゴジラを離した。液状化現象で崩落した新浦安駅付近に落下し、暗黒の水柱が立ち昇る。

 

これまでになく、ギドラは吼えた。傷だらけだった全身は輝き、傷など最初から存在しなかったようだ。羽根も皮膚が張るようにシワがなく、血管のように雷撃状の引力光線が身体全体に走っている。

 

その光景は脅威という単語を実体化させたように思えた。檜山たちばかりでなく、本能的に脅威より先に叩かんとしたバトラがプリズムレーザーを放射する。

 

だがひと啼きしたギドラはレーザーが当たってもたじろぐことなく仕返しの引力光線を一閃吐き出す。黄金の光が炸裂し、悲鳴を上げて東京湾に落下するバトラ。水柱に消えたバトラに追いすがるモスラに接近すると、3つの首が極彩色の羽根に喰らい付いた。

 

モスラの羽根が引き裂かれ、鱗粉を撒き散らしながらモスラも海面に落下する。

 

「「モスラー!!」」

 

ミラとリラの叫びをあざ笑うようにギドラは高らかに吼え、地上でいきり立つ怪獣たちに引力光線を見舞った。光線が地を這うだけで大地ごとめくり上げられ、軌跡を追うように煉獄の炎が広がる。バラゴンは為すすべなく吹き飛ばされ、ベヒモスは牙を二本とも砕かれた。光線は浦安から市川市、その北の松戸まで到達し、一帯は大爆発ののち昼間のように明るくなった。

 

炎に包まれる怪獣たちと地表を舐めるように見回したギドラは、これまで散々自身を嬲ってきた連中に復讐するかのように燃え盛る大地に降り立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 74ー

・7月13日 18:58 千葉県市川市塩浜1丁目 福山通運塩浜倉庫付近

 

 

爆風が幾陣もなびき、大小の破片が降り注いだ後、檜山たちは恐る恐る顔を上げた。

 

新浦安から北にかけて市街地が激しく炎上し、炎と煙の中にうごめくいくつかの巨大な影。そして天を支配せんとばかりに存在感を溢れさせているギドラ。

 

金色の稲妻を全身に走らせ、ギドラは大きく吼えた。負けじと地上の怪獣たちも吼えるが、どこか慄いているかのようだ。

 

海上では羽根を破られたモスラを、白煙を上げながらも救い出そうとしているバトラが海面を波立たせている。

 

「ギドラが、なぜゴジラを目指すか、ようやくわかりました」

 

膝立ちになっているミラが、息も絶え絶えに言った。

 

「おい、どこか怪我したのか?」と心配そうに支える斉田だったが、檜山は険しい顔でミラを見遣る。

 

「ゴジラが、ギドラにとって捕食の対象、というか、力の源だったなんて・・・」

 

檜山の視線に気づかないのか、あるいはわかっていて無視したのか、ミラは荒い息のまま立ち上がった。

 

「すごい、まるで段違いの力だ・・・・・」

 

三上が埃に染まった髪を気にも止めず、ただただ感心したようにつぶやいた。その傍らで、一心不乱にその様子をシャッターに納める秋元。

 

対岸で大きな音がした。ガイラが叫び、炎と瓦礫の中を駆け出した。勢い良く飛び上がり、ギドラの腹部に正拳突きを打ち込む。

 

だがギドラはまったくひるまず、舐めずるようにガイラを見遣ると、間髪入れず二打目を放とうとしたガイラの右脚に喰らいついた。

 

そのまま持ち上げると、頭上で振り回してから放り投げた。鮮血が溢れ出し、苦しげに瓦礫の中でもがくガイラ。対象を見据えたギドラは口内を発光させた。

 

右脚の機能を失ったガイラは這いずり回って逃れようとするが、ギドラの攻撃範囲から逃れられるはずもない。引力光線を放射され運命は決したと思われたとき、ガイラの前にサンダが立ちはだかった。

 

ガイラをかばうように両腕をいっぱいに拡げ、歯をくいしばるサンダに3筋の引力光線が直撃した。

 

サンダの唸り声と、ガイラの悲痛な慟哭が木霊したが、全身を引力光線に穿たれたサンダの肉体は黒炭となり、塵になって崩れ去るように霧消した。

 

「サンダ・・・!」

 

シャッターを切り続けた秋元が呆気にとられたようにつぶやく。

 

ガイラは悲しみと怒りに吼え、片脚だけで立ち上がると血塗れの右脚を犠牲にして飛び上がり、忿怒に満ちた表情でギドラに正拳突きを叩きこまんとした。それより速く3つの首でガイラを咥えあげたギドラは、3方に首を振りかぶった。

 

ガイラの身は3つに引き裂かれ、無惨にも大地に叩きつけられた。

 

「ガイラ!」

 

秋元の叫びも、血をしたたらせながら満足気に吼えるギドラにはまるで届かない。羽根をひと振りさせて飛び上がると、炎と瓦礫の中で懸命に動こうとしている瀕死のバラゴンを踏みつけた。

 

血を噴き出しながら絶叫するバラゴンだったが、骨と内臓が圧壊する音が響くと、眼の輝きを失って地面に伏した。

 

これ以上の暴虐は許さんとばかりに上空から迫るバランにカウンターから噛み付き、そのまま引力光線を放つ。全身を弾かれたバランは白煙を上げながら江戸川に没した。

 

「バランまで・・・」

 

力なくつぶやく三上の傍で、息を荒げて姿勢を正し眼を瞑るミラ。

 

満身創痍でありながらも羽根を食い破られて自由を失ったモスラを引き揚げたバトラだったが、炎が尽きるかのように眼の輝きが失われつつある。モスラが呼び掛けるように啼くも、弱々しく吼えるばかりだった。

 

そんな2匹を残酷にもギドラは睨み付け、口内を発光させた。と、そこを青い光の濁流が直撃し、圧されるように弾かれた。海面から身を起こしたゴジラが2発目の放射能熱線を放とうとしたとき、目標を変えたギドラの引力光線が3筋、ゴジラをなぞった。

 

爆発の勢いでゴジラは転倒し、再び海中に沈んだ。邪魔者がいなくなったとばかりにギドラはモスラとバトラへ再度狙いをすました。妖しく嗤うと口内に引力光線を迸らせ、首を引いて大きく口を開いた。

 

刹那、眼の輝きを取り戻したバトラは渾身の力で羽根を振るい、モスラを守るべくギドラに全身を向けた。放たれた引力光線に身を焼かれながらもバトラは耐え、突進してきたチタノザウルスの一撃で吹き飛ばされ、ギドラの放射が終わるまで引力光線を浴び続けたバトラは木の葉が舞うように空中を漂うと、東京ディズニーリゾートに静かに墜ちた。

 

甲高いモスラの慟哭が空気を揺らした。

 

「バトラー!」

 

絶叫するリラの傍で、膝をつき崩れ落ちるミラ。顔中に玉のような汗を浮かべながらも、顔を上げて眼を閉じた。

 

「ミラ、ミラ!!」

 

リラの呼びかけにも応じず、必死に念じ続けるミラ。

 

「もうやだよぉ!!ミラばかりこんなになるの」

 

泣きながらミラに抱きつくリラ。対岸では地に伏せたギドラとチタノザウルスが揉み合い、モスラは地を這うように震えながらバトラへ歩み寄っている。

 

「おい、どういうことだ?」

 

泣き叫ぶリラに、檜山は訊いた。

 

「モスラの巫女として・・・やるべきことをやるんです」

 

息づかいに任せるような絶え絶えの状態で、ミラが答える。

 

「ダメ!もうミラ限界じゃない!やめて、お願い!」

 

ミラを揺らしながら必死に呼び掛けるリラだったが、ミラは頑なに首を横に振ると、なおも眼を固く閉じて立ち上がろうとする。

 

そんなミラの肩をつかみ、檜山は向かい合った。

 

「ミラ、もうよすんだ。お前が身を削ってモスラとバトラを助けるのは」

 

檜山が言うと、ミラは眼を開けた。

 

「大丈夫です・・・モスラとバトラは、命をかけてでも・・・」

 

「ふざけるな!」

 

檜山は一喝し、ミラの肩を揺らした。

 

「オレはこうなるような気がして、お前たちについてきたんだ。命棄ててまで祈るのを止めるためにだ。ミラ、自己犠牲は尊いかもしれんが、正しいとは限らない。自分の命を大事にすることの方が尊いんだぞ」

 

檜山の迫力は怒りによるものばかりではなかった。そこを察したかのように表情を変えたミラだったが、なおも眼を閉じ、唇を結ぶ。

 

「ミラ、いい加減に・・・」

 

頑ななミラに対し、さらに声を荒げた檜山の腕を、緑川がつかんだ。

 

「ミラ、あなたが守ってるのはモスラとバトラだけじゃない、そうでしょ?」

 

緑川が訊くと、ミラは目を大きく見開いた。

 

「自分を犠牲にしてでも、リラを守ってるんだね」

 

ミラの肩に手を置き、そう問いかける緑川。図星を突かれたように下を向くミラと、驚いたようにミラを見つめるリラと檜山。

 

「ミラ、なんで・・・」

 

リラが訊いたが、ミラは答えない。

 

「リラ、サンダはガイラを守ろうとした。バトラはモスラを守ろうとした。ミラはずっと同じことをしてたんだよ」

 

緑川が代わって答えた。「えっ・・・」とつぶやくリラ。

 

「ミラ、お前」

 

檜山が訊こうとすると、ミラは頷いた。

 

「力を使って、モスラとバトラを助けるのは、私だけで良いんです。だから・・・」

 

歯を食いしばるミラに、リラは抱き着いた。やがて声を上げて泣き出した。檜山はミラとリラの頭に、ポンと手を置いた。

 

自身の娘、真希と真子によくしていたことだったと、檜山は思い出した。

 

「リラ、良いから。あなたには・・・」

 

そう微笑みかけるミラ。リラは泣き顔を引き締めた。決意を込めたように唇を結ぶと、ミラの手を握った。

 

「リラ・・・」

 

呆気に取られるミラに、意志がこもった目で頷き、静かに目を閉じるリラ。

 

何かを感じ、通じたのだろう。ミラも目を閉じた。2人の身体が淡く光り始めた。

 

「おい、お前たち」

 

なおも止めようとする檜山だったが、緑川が檜山の腕をつかみ、静かに頷いた。

 

ミラの顔から汗が引き、淡い光はそのまま輝きを増した。

 

バトラまでたどりついたモスラが呼び掛けるが、全身を焦がされたバトラは動かない。対岸では揉み合っているうちにギドラがチタノザウルスの首と肩に喰らいつき、宙に浮かせて地面に叩きつけている。

 

バトラと向き合い、涙を流すような声色で吼えるモスラ。ふいにバトラの身体が優しく輝き出した。自身を彩る紫ではない。ミラとリラ、そしてモスラと同じく、淡い金色の光を纏い始めたのだ。

 

少し驚いたように触角を震わせたモスラだったが、まるで納得したようにバトラに顔を付き合わせた。モスラの青い目が金色に変わり、バトラの身体が輝いたまま崩れ出した。

 

金色の粒子になり始めたバトラは、モスラを包むように撫でた。引き裂かれたモスラの羽根が伸び出し、元に戻る。バトラの身体が消滅すると、モスラの身体が波状に光を放ち始めた。

 

途中苦しそうに顔を歪めるミラの頭を、リラは抱きつつんだ。檜山たちはそんな2人とモスラの神々しい様を見つめた。

 

チタノザウルスを放り投げ、とどめの引力光線を放たんとしたギドラは、異様な雰囲気を察知してディズニーリゾートの方へ目を向けた。

 

弾けんばかりの金色の粒子が撒き散らされ、太陽のように強烈な光を放つものが飛び上がった。

 

だがその姿は従来のモスラではなかった。すべてのものを弾かんとばかりに硬質化した身体に、鋭利な刃の如く鋭さを誇る羽根。白銀と青、そして本来の金色を施したようなそのモスラの姿に、ギドラは身をたじろがせた。

 

即座に引力光線を浴びせるが、派手に火花を散らすばかりでモスラはまったく動じない。いきり立ったギドラは宙に飛び上がり、モスラに向かった。

 

「こんなことって・・・」

 

接近するギドラを軽くあしらい、その羽根でギドラを地に沈める新たなモスラに、緑川は驚嘆していた。

 

「まるで鎧をまとったようだ・・・」

 

三上の比喩に全員が得心したように頷いた。再度攻撃を仕掛けるギドラは返り討ちに遭い、東京ディズニーシーに落下した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 75ー

・7月13日 19:15 千葉県市川市塩浜1丁目 福山通運塩浜倉庫付近

 

 

淡く輝くミラとリラは、互いの手を繋いだまま目を開けた。

 

「「檜山さん、緑川さん、みなさん・・・本当にありがとうございました」」

 

そう言われ一瞬キョトンとした檜山は、目を強張らせた。

 

「おい」

 

2人の肩に手を置いた。奄美でモスラの繭に触れたときのような、暖かく優しい感触が伝わってきた。

 

「「モスラとバトラ、そして私たちの、最後の力です」」

 

対岸から轟音が響いた。ギドラが立ち上がり、上空のモスラに向けて飛び上がったのだ。

 

3本の首から引力光線が断続的に放たれたが、モスラはすべてかわし、頭の上の触角から光線を発した。これまでバトラが放っていたプリズムレーザーとは違う、青く半透明の光線だった。

 

ギドラの引力光線とぶつかり合い、破裂する。ひるむギドラにモスラの光線が直撃した。プリズムレーザーより数段上の光線はギドラを大きくたじろがせたが、いきり立ったギドラは速度を上げてモスラに追いすがる。

 

モスラは垂直に上昇し、その軌跡をギドラが追う形になったが、成層圏直前で急反転すると、目にも止まらぬ速さでギドラの背後に回るモスラ。察知したときには既に遅く、モスラの光線でギドラの背中が大爆発した。

 

力を失い落下を始めるギドラだったが、モスラは羽根を拡げて回転を始めた。銀と青の粒子が渦となってギドラを包み、落下が止まりモスラの回転になすがままのギドラの全身を粒子が斬り裂く。絶叫するギドラは超高速回転したまま大地へ落下していったが、地表寸前で持ち直しモスラに怒り狂った顔を向けた。

 

だが宙にはモスラの姿がなかった。いつの間にか地表スレスレまで下りたモスラが素早く接近し、ギドラの胴体を鋭利な羽根で斬った。

 

火花と青い血が飛び散り、悶絶するギドラはディズニーリゾートラインに突っ込み、そのままディズニーシー・マーメイドラグーンまで滑り込んだ。

 

起き上がろうとするギドラにモスラの光線が突き刺さり、爆発しながらセンター・オブ・ジ・アースとタワー・オブ・テラーになだれ込む。唸りながら立ち上がったギドラは全身を帯電させると、3本同時に引力光線を発射した。相殺すべくモスラも光線を放射する。

 

綱引きのように空中で圧し合う互いの光線だったが、光線の威力では渾身の力を3本に込めたギドラの方がやや上回っていた。

 

やがてギドラは3本の首をくっつけ合った。引力光線がひと筋にまとまり、ドリルのように回転しながらモスラの光線にねじ込んでいく。危うく逃れようとモスラが光線放射を止めた刹那、ここぞとギドラは光線の勢いを強めた。極大の引力光線がモスラに命中し、仰向けになったままモスラは吹き飛ばされ、ヒルトン東京ベイホテルに倒れ込んだ。

 

ミラとリラの輝きが止まった。

 

「これほどか・・・ヤツの、ギドラの力は」

 

斉田が唾を呑み込み、言った。

 

瓦礫に埋もれたモスラは全身から白煙を上げ、どうにか起き上がろうとしている。

 

「いいえ」

 

粗い息を振り絞るように、ミラが言った。そんなミラを抱くリラ。

 

「モスラだけじゃ、ありません」

 

リラも呼吸が乱れ、額に汗を浮かべている。もどかしそうに2人を見遣る檜山。

 

再び対岸のディズニーリゾートで雄叫びが上がった。牙を折られ、背中を焦がされつつもベヒモスがギドラに突進したのだ。

 

不意打ちを喰らい崩れ込むギドラに、折れた牙を突き立てる。同時にチタノザウルスが首から出血しつつもギドラに向かい、右の首に喰らいつく。

 

悲鳴を上げつつも乱暴に首を振り回し、チタノザウルスを引き離そうとするギドラ。左の首はベヒモスの背中に引力光線を吐きつけた。重苦しい悲鳴をあげるベヒモスは横向きに倒れ、アラビアンコーストに半身を沈めた。

 

再びモスラが宙に浮いたとき、ミラとリラは目を閉じた。モスラの光線が立て続けにギドラの表皮を焼き、ギドラ中央の首が引力光線で応じる。だがひと筋だけではモスラに効果はなく、逆にモスラの光線がギドラの身を焼いていく。

 

ギドラは大きく羽撃き、チタノザウルスに噛まれたまま飛び上がった。中央、そして左の首がチタノザウルスに引力光線を当て、力を失ったチタノザウルスが東京ベイ舞浜ホテルに落下する。

 

いよいよ以ってモスラに逆襲しようとしたとき、猛烈な青い熱線がギドラを直撃した。

 

ゴジラだった。海面を激しく泡立たせるほど背鰭を青く光らせ、渾身の熱線を放射したのだ。

 

ディズニーアンバサダーホテル、イクスピアリに落下したギドラを討つべく、ゴジラはディズニーシーに上陸し、ホテルミラコスタを突き崩してギドラに突進した。

 

身を起こしたギドラは大きく後ずさり、ディズニーランド・シンデレラ城を倒壊させてカリブの海賊で踏みとどまる。全神経をゴジラに向けたが、そのため背後に回ったチタノザウルスを察知するのが遅れた。

 

チタノザウルスの頭突きで弾き飛ばされたギドラを、ゴジラは身を反転させ振り回した尻尾で薙ぎ払った。ビッグサンダーマウンテンに沈み、地に伏したところをベヒモスがギドラを圧し潰すように乗っかった。

 

周囲ごとギドラを氷結させ、身動きを取らせまいとするベヒモスだったが、既に限界を迎えていたのか、羽根と左脚を凍結させたところで崩れ落ち、眠るように目を閉じた。

 

凍てついた身体を揺り動かし、どうにか逃れんとするギドラをゴジラとチタノザウルスが踏みつけた。青い血を吐き散らしながらギドラは悶え、暴れ回ったことによって氷結から逃れたが、2本の尾をつかんだチタノザウルスがギドラを持ち上げ、二度、三度と激しく大地に叩きつけた。

 

血を吐きながらも激しくいきり立つギドラは、首を上げてチタノザウルスに引力光線を当てる。身が爆破されるのもかまわず、チタノザウルスはギドラの背中を蹴り上げる。

 

たまらず飛び上がり、空に逃れようとするギドラ。チタノザウルスは胸部から白煙を上げ、呻きながらうつ伏せに倒れた。

 

そのとき、江戸川から何かが飛び出した。腹部を穿たれながらも飛膜を広げたバランだった。ギドラの背中に爪を立て、しがみつく。バランがくっついたことでギドラの飛力が落ち、ゆっくりと降下を始めた。

 

そこを、ゴジラの熱線とモスラの光線が捉えた。夜空を焦がしながら身を破裂させたギドラはたまらず落下、JR舞浜駅を圧し潰して地に沈んだ。

 

死してなお背中に喰いつくバランを疎ましげに振り払おうとするギドラに、モスラが立ち塞がった。羽根をいっぱいに広げ、全身を青く粒子化させる。

 

やがて半透明の状態となり、引力光線も透過させる姿に慄いたギドラは再度逃れようとしたが、チタノザウルスが最後の力を振り絞ってギドラの脚にしがみつき、大地に引き摺り降ろした。

 

怒り狂うギドラに、粒子状のモスラが体当たりを仕掛けた。捨て身覚悟でギドラを捕らえたチタノザウルスが粒子状に弾け飛び、全身を金色、続いて青く光らせたギドラが苦しげに呻く。

 

やがて大きな青い渦となり、強烈に光を放ちながらモスラは身を以てギドラを光の渦に包み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 76ー

・7月13日 19:40 千葉県市川市塩浜1丁目 福山通運塩浜倉庫付近

 

 

対岸のディズニーリゾートにそそり立つ青い光の柱を、檜山たちは無言で凝視していた。ミラとリラは膝をつきながらも、ホッとしたような視線を青い光に向けている。

 

緑川が2人の背中をさすると、安心したように微笑んだ。

 

「やった、のね」

 

緑川が訊くと、2人は頷く。

 

「「モスラの、最後の技です」」

 

青い光は地響きと共にその高さを収めつつある。

 

「こりゃ、思考が追いつかねえ」

 

斉田がぼやいた。

 

「光がすべて呑み込んだのかな。ギドラも、他の怪獣も」

 

三上が誰にともなく訊いた。

 

「まるで、怪獣みんなでギドラを倒したように、私には見えました」

 

秋元がカメラから目を離し、言った。

 

「私にも、そう見えた」

 

立ち上がろうとするミラとリラを支える緑川が口をはさんだ。

 

「おい、あれは・・・」

 

光が淡くなりつつある中、檜山がその先を指さした。廃墟と化したディズニーリゾートにただ1匹、大きな黒い塊がたたずんでいた。

 

ゴジラだった。

 

だがゴジラは歯ぎしりをしたまま、低く唸り続けていた。

 

「まだ安心できるわけじゃないってか。一番厄介なのが残っちまった」

 

斉田は埃まみれになった髪の毛をボリボリ掻いた。

 

「いや、なんだかそれにしては妙じゃないか・・・」

 

檜山は眉間に皺を寄せた。何度か動画サイトで見た、昨年ガイガンを倒した後も凶暴な顔を崩さなかったゴジラの顔が、青い光に照らされてはっきりと見えるのだ。

 

光が渦状になって消え去ろうとする中、何かの影が動いた。

 

瞬間的に檜山は背筋に悪寒が走ったような感覚になった。壊れた古い電話が鳴るような、不快な音が周囲に木霊する。

 

ゴジラが首をすくめたそのとき、3本の光がゴジラの胴体に炸裂した。爆発でゴジラが転倒し、もがくところに追い撃ちをかける3本の光。

 

瓦礫と砂塵を吹き飛ばし、大きな黄金の巨体が舞い上がった。ギドラだった。

 

羽根のそちらこちらが朽ちかけ、全身を青い血に塗れながらも、その巨体を宙に浮かせる能力、そして引力光線を放つ能力は健在だった。

 

倒れながらも放出したゴジラの放射能熱線をかわし、地を這うような低空を滑り込むようにゴジラにまとわりついた。

 

「そんな・・・」

 

ようやく立ち上がったリラはしかし、顔を青くしてへたり込んだ。

 

「モスラの、命を賭した技も、私たちの祈りも・・・」

 

ミラは茫然自失、倒れこむこともなく硬直していた。

 

「・・・違う」

 

急に頭を抱えるミラ。リラは不安そうにミラを見上げた。

 

「ゴジラが、いるから?ゴジラから力を得たから、耐えられたの・・・?」

 

「おい、何を言って・・・」

 

肩に手を置く檜山を、ミラは泣きそうな顔で見つめた。

 

「昔だったら・・・かつてのギドラだったら、倒せたのでしょう。しかし、いまは・・・ギドラは、ギドラだけのエネルギーで生きているわけではないようです・・・」

 

「じゃあ、ギドラはゴジラのエネルギーを奪ったから、モスラの一撃にも耐えられたってことなのか?」

 

ミラは答えず、涙を溢れさせた。

 

「ゴジラ・・・なぜ、あれほどまで恐ろしい怪物が、この世に・・・」

 

リラが消え入るような声でつぶやく。

 

顔を背けるほどの突風が周囲に迸った。ギドラがゴジラを抱えたまま飛び上がったのだ。

 

そのまま3本の首はゴジラの左胸、背中、首筋にそれぞれ噛みつき、再度ゴジラからエネルギーを吸収しているようだった。

 

ゴジラは最初こそ振り解こうと必死にもがいたが、やがて口から泡を吹き出し始めた。せめてもの抵抗の証なのだろうか、背鰭の発光も輝きを失いつつある。

 

「おいおい、今度こそやべーんじゃねぇのか・・・」

 

斉田がたじろいだ。ゴジラにがぶりついたままのギドラが、みるみるその身体を回復させつつあるのだ。

 

朽ちた羽根が膜を張り、再生しつつある。身体中の傷もみるみるうちに塞がっていく。対照的に、ゴジラは頭が垂れ下がり、背鰭の発光も風前の灯火だった。

 

「みんな、下がろう」

 

思わず三上が口にした。あのままギドラが完全に回復したらどうなるのか、説明するまでもなかった。

 

絶望に苛まれるミラとリラを、檜山と緑川が抱えた。秋元はせめてこの様子だけでも、とシャッターを押し、機能しているかどうかわからない編集部にデータを送信した。

 

「言いたかないが、緑川!ちょっとだけお前を恨むぞ」

 

恐怖に顔を痙攣らせた斉田が言った。

 

「とにかく、こっちへ」

 

三上が指さすのは、倉庫内の地下変電施設だった。こんなところでもギドラの引力光線が直撃すれば元も子もないだろうが、地下へ逃れる、というのは妙な安心感があることもたしかだった。

 

ゴジラの苦しげな呻き声が耳を突いた。手も足も垂れ下がり、ギドラに噛み吊るされるばかりとなったゴジラ。だが檜山は、そんな中ゴジラの背鰭が輝きを取り戻していることに気がついた。

 

「檜山さん!」

 

足を止めた檜山を、緑川が倉庫内へ連れ込もうとしたとき、ゴジラの両眼が青く光った。それだけで周囲が一瞬照らされ、美しくも不気味なまばゆい光に檜山は戦慄した。

 

とっさに緑川を抱き寄せ、目をつむった。瞼越しに感知できるほどの猛烈な青い発光だった。継いで鼓膜が破れんばかりの音響が周囲を震わせた。青い光は一瞬で収まったことを悟ると、檜山は目を開けた。

 

噛みつくギドラの口から青い波動のような光が逆流するようにギドラを嘗め尽くし、ゴジラを咥えたまま大地に落下した。土砂と瓦礫が吹き飛び、やがて火の手が上がった。ギドラの身体が燃え上がったのだ。

 

噛みついたまま、今度はギドラが悲鳴を上げていた。ゴジラは高らかに吼えると、全身を青く光らせた。その光が弾けるようにゴジラから迸り、ギドラの巨体を弾き飛ばした。全身から発せられるその青い光は、ギドラも周囲も焼いた。

 

瞬く間にゴジラとその周囲が燃え上がり、黒い海面は白く泡立った。かつてディズニーランドだったところに立ち上がったゴジラ。燃えたぎる炎に包まれながら怒りに歯を喰い縛らせると、たまらず逃れようとするギドラに熱線を浴びせた。

 

一撃で羽根が焼け落ち、大地に沈むギドラ。ゴジラは容赦せず、熱線をギドラめがけて吐きつける。

 

炎と青い血がギドラから噴きあがり、3つの首が絶叫する。吐き出そうとした引力光線はギドラの口から外へ出ることなく、光を失った。

 

だがゴジラも全身を震わせていた。傍目から見ても立っているのがやっとというように見えた。それでも怒り任せに熱線をギドラに浴びせ続ける。右の首が熱線に引き千切られ、勢いよく燃え上がった。

 

対岸の炎は檜山たちにも感じるほどの熱だった。

 

「いいぞ、ゴジラ!」

 

言いながら、檜山は内心首をひねった。なぜゴジラに喝采を浴びせるのか。

 

のたうち回るギドラは最後の力を振り絞って海へ逃れようと、ディズニーシーを這いつくばる。ゴジラは逃すまいと背鰭を光らせるが、もはや限界を超えていた。ゆっくりとボルテージを上げるように、口から光の渦を作り出していく。

 

そのとき、ゴジラは身を引いた。同時にミラとリラが顔を上げた。

 

「「モスラ・・・!」」

 

「なにぃ、どこに・・・」

 

檜山はハッとした。燃え盛る炎に浮かぶように、青と金の粒子が漂い、流れるようにゴジラへ向かい始めていた。

 

リラはスクっと立ち上がり、ミラと手を合わせた。静かに力強く目を閉じ、意識を集中させる。

 

光の粒子はその密度を高めていき、やがてゴジラの眼前でモスラの形となった。

 

ひと吼えの後、ゴジラは熱線を絞り出した。粒子状のモスラを巻き込むと、勢いが何倍にも増したように一直線にギドラへ向かう。

 

一瞬の静寂の後、ギドラの甲高い叫びが木霊した。見たこともない青い爆炎が空にそそり立ち、一拍の後紅蓮の爆炎と化した。その火流は渦を巻くように立ち昇り、周囲ごと焼き尽くした。絶え間なく火柱が天を焦がすと、やがて一帯に拡がり炎上を続けた。

 

炎の中、満足したように吼えたゴジラはゆっくりとうつ伏せに倒れ込んだ。背鰭の光も消え去り、立ち昇る炎に包まれた。

 

「・・・やった・・・」

 

檜山は静かにつぶやいた。ギドラは炎の中、その姿が見えない。

 

安堵したかのようにミラとリラは互いを見つめあい、静かに抱き合った。

 

そんな2人の肩に手を置くと、檜山は抱き寄せた。ふいに自分の娘たちでないことを思い出し手を引いたが、2人は優しく微笑みかけた。

 

ややあって、ミラとリラは静かに頷きあった。向き直った2人に檜山はただならぬものを感じた。それ以上に緑川は顔を強張らせた。

 

「「わたしたちの役目は、終わりました」」

 

そう言うと、フッと微笑む。檜山は戸惑ったが、緑川は悲しげな顔をして歩み寄った。

 

「そっか・・・」

 

緑川の言葉にゆっくり頷くと、2人は困惑する檜山に向き直った。

 

「まさか・・・」

 

2人の達観したような微笑みに、言いようのない衝撃を受けた。

 

「お前たち、力を使い果たして・・・」

 

絶句すると、「なんでこんなことになるんだ!」と怒鳴った。

 

「私たちは、ギドラから地球を守るためにモスラと共に蘇りました」

 

「身を賭してでも守る。それが私たちの役目なのです」

 

そう言うミラに、リラも力強く頷いた。

 

「だから、なんでそこまでして」

 

そう食い下がる檜山だったが、ミラとリラはそんな檜山の手を握った。

 

「始めは、わたしたちもその役目のため、そう思っていました。でも、どうして役目を果たそうとするのか、よりはっきりわかったのは・・・檜山さんのおかげなんです」

 

「・・・オレの?」

 

きょとんとする檜山。

 

「わたしたちのこと、檜山さんは本気で叱ってくれたり、心配してくれました。これまで感じたことのない嬉しさ、暖かさでした」

 

「そんな檜山さんを、そしてみなさんを、お守りしたかったんです」

 

「いや、オレは・・・」

 

戸惑い気味の檜山は、握られる手の感触が薄くなることに気がついた。2人の身体が透明になりつつあったのだ。

 

「おい」

 

檜山は2人の肩に手を置こうとした。その手は空をむなしく切った。

 

「「檜山さん、緑川さん、みなさん・・・ありがとうございました」」

 

そのまま金色の粒子が昇り始め、みるみるうちにミラとリラは消え去っていく。

 

たまらず檜山は泣き出した。

 

ゆっくりと空へ昇った粒子は、モスラの形となった。

 

ー目を閉じてみてくださいー

 

声が聞こえたわけではなかった。だが檜山と緑川には、そんな声が聞こえた。

 

そのまま目を閉じてみた。

 

柔らかな青い海の底。神殿のような建物の中に、虹色の球体が見えた。大きな卵のようだった。

 

ーわたしたちは、いつでもいつまでも、みなさんと共にー

 

また、声が聞こえた。

 

檜山は口を閉じ、静かに涙を流した。緑川も涙していたが、空に向かって微笑んでいた。

 

秋元は穏やかに空を仰ぎ、三上も微笑んだ。

 

目の前で2人の人間が消え去るという信じられない現場を目撃した斉田は、呆気に取られたまま髪の毛をボリボリ掻いていた。

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 77ー

・7月27日 18:15 東京都千代田区永田町二丁目 ザ・キャピタルホテル東急 日本料理『萬寿』

 

 

「いやしかし、エラいことになったものだな」

 

供された冷酒をちびちびやりながら説明を受けた大澤蔵三郎は、苦笑気味に破顔するとカッカッカッと笑った。

 

俯きがちな瀬戸と望月に盃を勧めると、とっくりを持ちそれぞれに注いでやった。

 

「殊に、首相。まずは交通網の復旧がならんことにはいかんがね。どうかな、その辺りは」

 

そう訊かれ、瀬戸は軽く一礼すると口を開いた。

 

「国交省からの報告ですと、東北道、関越道、常磐道いずれも、開通は来月上旬となるそうです。国交省並びに警察庁といては、現在関西・北陸ルートを用いての交通路確保に全力を挙げておりますが、連日の交通渋滞が解消される見通しが立っておりません」

 

瀬戸の説明通りだった。ゴジラが新潟から利根川沿いに侵攻したことで、首都圏への交通網は軒並み寸断されていた。銚子から上陸したベヒモスに破壊された常磐道の復旧は比較的早かったが、肝心の東京外環道、首都高速湾岸線は千葉県北西部を中心としたゴジラとギドラ他の怪獣たちの激闘で復旧の見通しすら立っていなかった。

 

「首都圏の鉄道各線も、同様です。こちらも東京へ乗り入れる各線の運行再開は、早くとも来月下旬とのことです。壊滅的被害を受けた千葉県内の運行路線に至っては、復旧の目処すら立っておりません。また鉄道・道路の損壊によって成田空港の休港も、無期限の延期が決定されました」

 

傍らの望月が言った。軽く息を吐くと大澤は盃を飲み干し、キビナゴをつまんだ。すかさず瀬戸が酌に回り、盃になみなみと注いだ。

 

「交通網の復旧もだが、なにせ千葉県そのものを復旧させんとな。頭の痛い限りだ」

 

笑みこそ浮かべるが、大澤の言葉は深刻だった。ギドラ飛来による被害だけで千葉県中央部が甚大な被害を受けた上、千葉県庁に引力光線が直撃したことで早見千葉県知事以下自治体首脳が死亡したことで、総務大臣による暫定的自治管理が行われるという極めて異例の事態を引き起こした。

 

加えて船橋市から市川市、浦安市は怪獣たちの決戦場となったことでより被害が激しく、房総半島南部を残して文字通り千葉県は機能を失ってしまった。

 

ゴジラが侵攻した上に極大放射熱線に伴う衝撃波によって熊谷市が崩壊した埼玉県、またゴジラが最初に上陸しメガギラスと争い続けることで被害が拡大した新潟県、バラゴン出現による桜島の大噴火によって都市機能を消失させた鹿児島市を抱える鹿児島県の被害も極めて深刻だった。

 

無論、チタノザウルス上陸によって分断された三浦半島、またチタノザウルスが引き起こした津波被害を受けた愛知県、静岡県、ゴジラ由来のフナムシ襲撃を受けた富山県の被害も無視できず、すべての被害総額は60年以上前のゴジラ、アンギラス襲来、昨年のガイガンショックおよびギドラによる東海地方襲撃すべての被害総額に匹敵するものとなった。

 

「東京に被害がなかったのは幸いだった」

 

定例会見でこのようにのたまった柳農水大臣は、野党連合やマスコミ各社、世論から矢のごとき非難を受け、先日大臣職を追われることとなった。またチタノザウルスに海上自衛隊横須賀総監部、在日米軍司令部を破壊された責任を取る形で、高橋防衛大臣も当月を以って内閣を去ることとなり、政局も混迷を極めていた。

 

「諸外国の動きは、どうかね?」

 

大澤が盃を舐めた後、訊いた。

 

「米国は我が国と同程度の怪獣被害を受けたことで、いまも浦安で活動を停止しているゴジラに対し核攻撃を加えるべきだとの強硬論も根強いです。またメガギラスによってソウルを壊滅させられた韓国ですが、我が国以上に政治も経済も混乱をきたしております。ここにきて数日前から、北朝鮮と中国による領空侵犯が激増しており、米軍の極東展開にまで影響が出つつあります」

 

「バトラによって攻撃を受けたロンドンも都市機能回復に時間を要しており、欧州全体の金融システムに支障が出始めています。FRB(米国連邦準備制度理事会)と日銀による資金供給でどうにか糊口をしのいでますが、財務省の分析ですとこのまま来月末まで状況が続いた場合、EU加盟国内でデフォルトを生じかねない上、米国と我が国の経済にまで悪影響が波及しかねません」

 

瀬戸と望月の報告を受け、大澤はまたも乾いた笑い声を響かせた。

 

「まともに機能しとるのは中国くらいなものか。いや、たまらんなこれは」

 

そう言って再び盃を舐めると、笑みを消し去り真顔になった。

 

「本題に入ろう。今日の話題は他でもない。その、中国のことだがね」

 

大澤は控える付人を促した。A4サイズに象られた写真が数枚、並べられた。

 

「彼らの動きは実に素早い。既にギドラを構成する例の青い石を解析し、見ての通り兵器化までもっていきおった」

 

おそらく中国内に存在する大澤の息のかかった政府関係者がよこしてきたものだろう、原子爆弾よりひと回り小さい程度の円錐形の爆弾が写されていた。

 

「矢野教授が偶然にも発見した技術から、ここまで作り上げたようだ。詳しい方法は不明だが、ギドラを構成するメタンや水素が極限まで凝縮された例の青い石を用いたものらしい。実際の威力はまだ未知のものだが、放射能を出すことなく原爆と同程度の威力を発揮できるらしい。そして既に実用化されているとすると、どういうことかわかるな?」

 

大澤の説明で、瀬戸は額に汗を浮かべた。

 

「核という最終兵器の一歩手前に、新たな手段が追加されたということだ。こうなるともはや対怪獣兵器の開発どころではない、我が国の安全保障が根本から覆されることになるな。だからこそ、我が国はメーサー兵器の開発を急いでいたわけだが」

 

大澤は盃をあおると、今度は男性の写真を見せてきた。

 

「稲村友紀、わしの子飼いだった男だ。知っての通り、怪獣たちが現れる少し前に変死体として発見されたがの。この男に、つくばにあるスマートブレイン社を探らせておった。そこで何が行われていたか・・・」

 

食い気味に顔を乗り出す瀬戸に、『途中経過』とだけ書かれた稲村の署名入りレポートを見せた。

 

「恐ろしい奴らよの。ギドラの細胞組織を研究し、兵器にもなり得る生物を作らんとしていたとはな」

 

レポートに目線を這わせる瀬戸と望月に、大澤は語りかけた。

 

「スマートブレイン社の主要株主になっているZAIAエンタープライズは、中国国有企業から多額の出資を受けていましたな」

 

望月が言った。

 

「左様。彼奴等め、我が国の怪獣復興資金を使ってな、去年日本海洋銀行からの融資を元にこの研究を進めよったのだ。追加融資を受ける前に、わしの団体が街宣活動したことで融資が滞り、この研究は進まぬままだったようだがの。いずれにせよ、生物兵器開発の成果は滞ったが、別の方向で中国は兵器開発にはこぎつけられたのだ。暗澹たる思いだが、これを補完するレポートを稲村から預かった男はいますこし身を隠しておいてもらう」

 

ふう、とため息をつき、続けて今朝の新聞をよこしてきた。

 

『難波重工、米国大手IT企業ガルファー社傘下に』

 

「千葉の京葉工業地帯にあった難波重工本社がギドラによって破壊されたことで、我が国における自力でのメーサー兵器開発は絶望的になった。かのガルファー社が参入することで開発そのものは進むのだろうが、わしは再び、敗戦を迎えた気分だがね」

 

そう言うと目を伏せ、大澤はしばし押し黙った。

 

「ガルファー社に関しては、現政権の佐間野国交大臣が窓口となり、旧遠州地域にガルファー社と連携した復興特区を造成して産業振興を図ることになっております。来月末の組閣で、佐間野くんはそのまま経済産業大臣兼復興担当特命大臣に横滑りすることが内定しております」

 

望月が神妙な面持ちで言った。

 

「また米国頼みの復興とはなりますが、現在の日本は、そうするより他に生き延びる術はありません」

 

瀬戸はそう言って頭を下げた。大澤は再びカッカッと笑い、顔を上げさせた。

 

「ダガーラによってGoogleもAmazonもマイクロソフトも倒産の危機を迎える中、彼奴等の食い扶持を奪うことで世界一の企業となるガルファーに魂を売る。情けない話だが、君らの言うことも事実じゃろうて。黙って軍門に下ろう」

 

国粋主義者の頂点であり、かつて戦った米国を憎み続けた大澤だったが、自身を納得させるように言うと2人に酒を注いでやった。

 

「こんな世になれば、好きも嫌いもない。今後また現れるやもしれぬ怪獣に加え、軍事的にも経済的にも脅威的な力を蓄えつつある中国と対峙するには致し方ない話だ。だがの、ひとつだけ言っておこう。国民を飢えさせることだけは絶対にあってはならない。それだけは、肝に命じておいてほしい」

 

一点を見据えた大澤の言葉に、瀬戸と望月は黙って頭を垂れた。

 

 

 

 

 

 

・同時刻 千葉県浦安市舞浜 旧東京ディズニーランド跡

 

 

夕暮れにも関わらず蒸し風呂のような熱気が漂う中、警視庁と自衛隊に護られた尾形とビグロウ教授は放射能防護服に身を包み、瓦礫と焼跡の中央に伏せている巨大な黒い生物に近寄った。

 

「空間放射線量が当初予想の倍近い数値です。予定を繰り上げ、10分だけの調査活動とさせていただきます」

 

傍らの官邸職員が告げてきた。言葉を発せず頷くと、尾形は防護マスク越しに横たわる黒い塊、ゴジラを見上げた。

 

「近くで見ると、これほど大きいのか」

 

感慨深げにつぶやくと、ガイガーカウンターをゴジラの口に向けた。空間線量以上の変動は観測されず、風量計にも反応が見られない。すなわち、ゴジラは呼吸をしていないことになる。

 

尾形はそのままゴジラの顎下まで歩んだ。

 

「先生!」「それ以上近寄らないでください!」

 

随行の政府関係者、警官から怒声が上がる。かまうことなく計測器をゴジラに向けるが、いずれも反応が見られない。半月近くにわたり炎上を続けたディズニーリゾートはまだその余熱を残しているらしく、防護マスクが汗の蒸気で曇り始めた。服内は循環扇が機能しているものの、手元の温度計は90℃に達していた。

 

「先生、お願いですから距離をとってください!」

 

大宮化学学校から派遣された年配の自衛隊員が尾形を連れ戻しにきた。自分の大声でゴジラが目覚めやしないか、と気が気でなく、強引に尾形の腕をつかんだ。

 

「放射線量に変化がありません。距離が近くとも平気ですよ」

 

「そういう問題じゃありません!」

 

数値に基づき冷静な尾形だったが、色めきだった一行は大慌てで尾形を囲み、数名の自衛隊員が89式小銃をゴジラに向けつつ陣形を組んだ。

 

「せせ、先生、まるで神風ですな」

 

あきれたように待ち構えていたビグロウが言った。

 

「ゴジラに近接してデータを採取できる貴重な機会ですからね」

 

それだけではなかった。自身の、そして山根家の生涯テーマとも言えるゴジラ研究の上で、ゴジラを間近に接することができるだけでなく、生物学の常識を軽く超越する不可思議な存在への敬意、はたまた信仰にも近い衝動からの行動だった。

 

「し、しししかし、ゴジラはやはり生命活動を停止したと見るべきでしょうか?」

 

ビグロウが訊いた。呼吸が停止しているということは、生物学の常識に当てはめればすなわち死を意味する。

 

「そうとは言えません。腐敗が見られませんし、そもそも神子島で雪崩に封じられた際も、呼吸にあたる行動が見られなかったとされています」

 

「で、でででも、でもですよ、当時のソ連がそこまで精緻な観測を行えたかについては異論もあるんです。それにここ、今回はギドラに相当量のエネルギーを奪われた上、ここここ、構造こそ不明ですが、怪獣やディズニーリゾートを原子レベルで消失させるようなモスラの攻撃もあったんです」

 

ビグロウの言う通りだった。文字通り完全に焼き尽くされたギドラは別として、モスラが身を賭した攻撃は倒れた怪獣たちを建造物ごときれいさっぱり分解してしまっていた。従って同時多発的に出現した他の怪獣たちを研究することがかなわずじまいとなってしまった。

 

「ですが、確実にゴジラが死に至った。そのような確証もありません。ゴジラの活動サイクルに関しては、謎が多い」

 

尾形の言葉に、ビグロウは肩をすくめた。

 

「時間です、お戻りください」

 

アラームに反応した自衛隊員が声を張り上げた。一刻も早くこの場を逃れようと、自衛隊員と警官たちは尾形を船へ戻るよう促す。名残惜しそうに尾形はゴジラを向いたまま、船に乗り込んだ。

 

怪獣たちの戦いで東京都から浦安へ向かう交通路はすべて破断したままだ。小型のクルーザーによく似た警視庁の船舶はけたたましくエンジンを蒸し、少しでもこの恐ろしい土地から離れようと操舵手は舵を強く握った。

 

尾形は舞浜の対岸、葛西臨海公園に展開している陸上自衛隊特科連隊に目を馳せた。0式貫通弾頭(通称フルメタルミサイル)や、3式回転弾頭誘導弾(通称D03削岩弾)といった対ゴジラ兵器群が、ディズニーリゾートに眠り沈んだままのゴジラが目覚め次第集中砲火できるよう、鋭く標的に向けられている。

 

沈む夕陽に照らされたフルメタルミサイルの弾頭が鈍く輝くが、向けられる殺気などまるで知らぬとばかりにゴジラは動きを見せない。

 

「ここ、今回はとんだ日本訪問となな、なりました」

 

ビグロウが言った。

 

「怪獣たちが暴れた現場に接して、今後の研究にお役立ちになれれば何よりですが」

 

防護服を脱ぎながら、尾形は答えた。

 

「もも、もうたくさんです!いつ怪獣たちが東京に侵攻してくるか、心配でしばらく寿司も喉を通りませんでしたから。そそそ、祖国イングランドも手酷くやられましたが、故郷へ戻れることになってひと安心ですよ」

 

ビグロウは忌々しげに頭を振った。今夜羽田空港から出発する臨時便で、ロンドンへ戻る手筈となっている。

 

尾形も明後日29日、ロシア科学アカデミーと共同で再度ゴジラが眠っていた神子島の現地調査に参加すべく、今夜のうちに羽田空港から北海道の稚内へ向かう予定だ。

 

「ややあ、相変わらず見事ですな」

 

ビグロウがお台場から先のビル群を仰いだ。怪獣たちの激闘から2週間。いまだ避難先から戻れない者も多いが、夕景に浮かぶビル群に灯りがともり始めたのだ。

 

「尾形先生のお望み通り、いい、い、いつまたゴジラが目覚めるかもわからないのに、東京の人々は豪胆ぞろいですな」

 

半ばあきれ、そして感心したようにビグロウは言った。

 

「私たち日本人の美徳であり、欠点ですよ。だからこそ、これまで何度東京を壊されてもへこたれずにやってこれたと考えてます」

 

尾形が言った。ゴジラはあのまま動かないのか。動き出したときは、今度こそ人類に牙を剥き日常を取り戻した東京を焼き払うのかもしれぬのか・・・。

 

複雑な胸中を落ち着かせるように、尾形は大きく息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 78ー

・7月28日 9:37 山梨県南都留郡鳴沢村大坂道

 

 

敷地内いっぱいに広がった仮設住宅に面食らいつつ、斉田はレンタカーを進ませた。仮設の住人たちは猜疑溢れる視線を送る者、目が合い会釈する者さまざまだが、移動販売の車両や炊き出しの準備が進められているところを見ると、ここのところ日本全土に広がりつつある物資不足とは無縁のようだ。

 

前回お目にかかれたおかげか、『黄金の救い』教祖の三蔵院永光へアポイントメントを取り付けることは思ったより簡単だった。しかしながら国家の窮状にあって10万とも20万とも言われる信者を集めたことにより、教団の不気味さ、不可解さも増しているような気もした。

 

仮設住宅が広がったことで駐車場は手狭になっていたが、白い教団服を身につけた信者が空きスペースに誘導してくれた。

 

「どうも」

 

身を乗り出して笑顔を見せたが、一瞥しただけで硬い表情に変化はなかった。

 

教団本部を案内に従って進むと、応接間のようなスペースに通された。そこには既に教祖の三蔵院が鎮座しており、窓から見える仮設住宅群を見つめていた。

 

「教団敷地内だけで3千、麓の街を含めれば2万、当教団を頼ってきた信者たちが暮らしている」

 

斉田には目を向けず、三蔵院は言った。

 

「行政として避難者の受け入れを認可してないってことで、だいぶ問題視もされてるようですがね」

 

斉田のイヤミに傍らの信者は目を光らせたが、振り返った三蔵院が視線で制した。

 

「我々が信奉する神を頼ってきたのだ、無碍にはできませんからな」

 

そう言うと斉田に座るよう促し、淹れられた茶を口に含んだ。斉田も合わせるように口に含んだ。味わったことのない、辛味と刺激のある風味だ。

 

「その神も滅びてしまいました。良かったのか悪かったのかは、わかりませんがね」

 

斉田の言葉にも、フフと微笑むばかりの三蔵院。

 

「まあ、おたくらの神はあれだけの暴れ方をしたんだ。イヤミのひとつでも言ってやりたいのが人情ってものでしょうね。ですが、何もそのために謁見を請うたワケじゃない。2つ、要件がありまして。まずは伊藤姉妹です」

 

じっくり話を聞こうとばかりに、三蔵院は目を閉じた。

 

「ご存知かと思いますが、3日前に鹿児島で遺体となって発見されました。心神喪失状態で病院を抜け出した後、不幸にも桜島の噴火による火砕流に巻き込まれたようなのです」

 

「存じてますよ。入院していた病院の管理責任を問う声が高まっているようだが、あれだけの混乱が直後に起きたのです。不幸としか申し上げようがございますまい。それはそれ、として」

 

三蔵院は信者からタブレットを受け取ると、なにやら画像を開いてよこした。

 

「伊藤姉妹について、ある信者から情報提供がありましてね。その信者のフォロワーが2週間前、羽田空港の混乱ぶりをツイッターに載せたこの写真なんだが」

 

示された画像は羽田空港第2ターミナルのチェックインカウンターに並ぶ人の列だった。

 

「ここ、フロア奥にホテルがありますね。そこにいるこの2人、伊藤姉妹に見えてならないのですよ。ぜひあなたにもご意見うかがいたいと、今日は思いましてね」

 

斉田は言葉に窮した。

 

「しかも、一緒に写っているこの女性。KGI損害保険の海損部長を勤めていて、この当日ここのホテルに宿泊し、会社名義で会議室も使用している。鹿児島で行方不明になっているはずの姉妹が、加入している保険会社の要職と東京にいるというのは、いささか不可思議だ。そもそも姉妹の調査をあなたに依頼したのも、KGI損害保険でしたかな」

 

斉田は鳥の巣のような頭をボリボリ掻いた。この宗教団体の力は、ギドラ襲来後想像以上に強まっているようだ。

 

「仕方がない。教祖様には正直にお話するしかありませんな」

 

常識を疑われそうですが、と斉田は前置きをした上で、伊藤姉妹に古代文明の巫女と思わしき別の人格が顕れたこと、モスラとバトラに祈りを捧げ、ギドラを倒しモスラとバトラも消滅すると共に、光になって消え去ったことをかいつまんで話した。

 

「こんな話、信じろというのは無理があるでしょうなあ」

 

斉田は言ったが、話を聞く三蔵院は思ったよりも不思議そうな顔をせず、時折何かを思案するように顎に手を当てていた。

 

「たしかに、SF小説のような信じ難い内容ですな。さしずめ、あなた自身もどこか信じきれていないのでは?」

 

「よくお見通しですな」

 

斉田は頭のてっぺんをポンポンと叩いた。

 

「昔、シリアで似たような話を聞きました。かつて、悪の神が大地を荒らしていた頃、1人の少女が善の神に祈りを捧げ、善の神が悪の神を滅ぼした。シリア辺境にある村に伝わる話だったのですが、もしかしたら古代にも、ギドラとモスラが争うようなことがあったのやもしれませんな。そして、怪獣の巫女となる存在も・・・」

 

斉田はポカンとした顔をしたが、三蔵院は苦笑した。

 

「いやいや、とにもかくにも、現実的でないにせよこの画像にも一応の説明はついたので良しとしましょう。これを以って私がKGI損害保険を糾弾するつもりとお考えなら、それは杞憂ですぞ。で、伊藤姉妹に関して他にうかがいたいことが?」

 

「はあ、姉妹が持参したという青い石、なのですが。あれをどこで手に入れた、という話をしていたかと思いまして」

 

「それは私も詳しくは知りません。それが、なにか?」

 

「ええ。関連してふたつめの質問ですが」

 

斉田はスマホをタップし、ある男性の写真を出した。

 

「稲村友紀。フリーのジャーナリストですが、ご存知では?」

 

「ええ。当教団に取材しに来たことが何度かあります。彼が何か?」

 

「2週間前、富士の樹海で変死体となって発見されました」

 

ほう、と三蔵院は意外そうな表情をした。

 

「その様子では、ご存知なかったですか?」

 

「知りませんでした。しかし、もし変死体なら警察が動くはずですな。あのような混乱があったとはいえ、我々への事情聴取にも来ないとなれば、自殺だったのでは?」

 

「ええ。その公算が強いようです。ですが教祖様、稲村氏は伊藤姉妹が持ってきた青い石のことをお尋ねになったのではないですか?」

 

そう訊くと、三蔵院は押し黙った。傍らの柔道選手のような信者が斉田を睨みつけた。

 

「勘違いしてほしくないですが、あなた方が稲村氏に手をかけたとは思ってません。いや、そもそも他殺だと断定もできないですからな。もう一度うかがいましょう、稲村氏は青い石に関して深い取材をしていたのではありませんか?」

 

「その通り。ですが、それ以上でも以下でもない」

 

「もうひとつ。稲村氏とは別にこの男性が取材に訪れたことは?」

 

斉田はスマホの画像を手繰った。

 

「いや、この方は把握してませんな。はて、どこかで見たような・・・」

 

「近藤悟。やはりフリーのジャーナリストで、昨年ゴジラとガイガンの決戦を動画配信した男ですよ」

 

「ああ。そういえば。たしか、水商売の女性と複数関係を持ったとかで、だいぶ週刊誌に叩かれたんでしたか」

 

「ええ。そしてこの男も、現在行方が知れません」

 

三蔵院の顔が曇った。

 

「なぜこの男の名前を出したかというと、稲村氏とだいぶ懇意にしていたことがわかったからです。そしてこの2人と関係があると思われる人物が・・・」

 

斉田はまた別の画像を表示させた。

 

「大澤蔵三郎。大物右翼で、政界の黒幕ともささやかれますな」

 

大澤の画像と名前を出したところで、三蔵院の顔が強張った。

 

「稲村氏が青い石について取材したのは、ただの興味本位などではなさそうですな。大澤の影があるということは、相当深い事情があってのこと。そしてそれは、伊藤姉妹が乗船していたあかつき号沈没事故にも関わりがある。果たして飛躍した考えでしょうか」

 

「あなたはあかつき号沈没の原因を探っていたのですか?調査対象はあくまで伊藤姉妹のはずだ」

 

「ええ、ええ。ですが調査を進めるうち、無視できないことが増えてきましてね」

 

「よろしい。はっきり申し上げましょう。たしかに我々は伊藤姉妹から青い石の提供を受けたが、ギドラを奉る上での目的を果たしたにすぎない。青い石にそれ以外の目的や用途があるのだとしても、それは与り知らぬところです」

 

斉田は三蔵院の目をじっと見つめた。三蔵院は目をそらすことも、泳がせることもしなかった。

 

「わかりました。でしたら、これ以上お尋ねすることはありません。貴重なお時間をありがとうございました」

 

斉田は一礼すると立ち上がった。三蔵院は座ったまま首を下げた。

 

「老婆心ながら申し上げよう。この件に関しては、深入りは危険を伴うでしょう。ほどほどになさることだ」

 

背中越しに三蔵院が声をかけた。

 

「ご配慮、痛み入ります。私も老婆心ながら・・・。あなた方が信じる神は消滅しました。これから、いかがなさるのですか?」

 

振り向きざまに斉田は訊いた。

 

「いかにも、ギドラはその身を滅ぼしました。しかし、神としてのギドラは我々に充分すぎるほどの印象を残してくれた。何をすべきか、どうするべきか、ますますわからなくなる世の中だからこそ、強き神を信奉するのです。その心ある限り、肉体が滅びてもギドラは神であり続けるのです」

 

「肉体が残るゴジラを神として崇める人々も出始めましたからね。とんだ商売敵ですな」

 

斉田のパンチにも、三蔵院は眉をひそめなかった。両隣のゴリラの如き信者はいまにもつかみかからん顔で斉田を凝視した。

 

 

 

 

 

車を発進させると、斉田はテレビをつけた。ちょうど朝のワイドショーをやっており、相変わらず怪獣災害の内容だった。

 

『さて、群馬県と埼玉県の怪獣被害を支える市民団体が、逃げ遅れた小学生たちを適切な行動で避難させていれば清津峡におけるゴジラ攻撃を実施し、関東地方侵入を防げたとして新潟県津南町と津南町教育委員会を提訴した件ですが、これについて新市さんいかがお考えでしょうか』

 

カツラ疑惑のあるキャスターが振ると、若い社会学者が滔々とまくし立てた。

 

『これねえ、本当にふざけた話ですよ。前日からの大雨で小学校が孤立していたって、それなら前日のうちから避難要請出すなり、いくらでもやりようはあったんですよ。訴えられて当然ですよ、この町も教育委員会も』

 

『新市さんみたいに、さっさと逃げ出してれば良かったって話ですか』

 

傍らの皮肉屋なコメンテーターが口を挟むと、社会学者は顔を紅潮させた。

 

『いや僕はですよ、逃げたんじゃなくて、講演先で交通機関が止まったから戻れなくなっただけです。そんな風に言われますけれどね、心外です』

 

『でも私も講演先で足止め食らいましたが、3日歩き通して番組に穴を開けないようにしましたよ』

 

『いやバカでしょそれ。混乱すさまじい中がんばって戻ることが立派ですか?かえって危険ですって』

 

『清津峡の小学生も先生も、豪雨の中避難しなかったのは同じ理由だと思うんですけどねえ』

 

『いやそれとこれとは違うでしょ』

 

「クソったれが」

 

テレビに毒づくと、ホルダーに設置したスマホをタップした。

 

『もしもし?』

 

3コールで緑川は出た。

 

「おうお疲れ。いま黄金の光教団を出たところだ」

 

『お疲れ様。どうだった?』

 

「やはり三蔵院教祖は青い石について、教団の目的以外に利用したことはなさそうだ。伊藤姉妹に関しても、前回以上の情報は得られなかった。連中は無関係だろうな」

 

『わかった。こちらも日本海洋銀行を通して調べてみたんだけど、去年融資を受けて右翼団体の街宣車に騒がれて以降、融資対象となったスマートブレイン社の研究実績が遅滞したみたい。新薬開発に壁ができて研究に時間がかかってる、て説明だったらしいよ』

 

「なるほどな。クサイのはそっちだな、やはり。だが、深入りは無用では、と三蔵院にクギ刺されたぜ」

 

『こちらも、伊藤一家への保険金支払いが決定したから、これ以上の調査はもう大丈夫になった。ありがとね、公ちゃん』

 

「ほう、決まったのか」

 

『うん。ただ、保険金受取人が親子間相互に設定されてたから、法定相続人になる伊藤昭さん・・・お父さんの弟さんが受取人になるんだけど・・・』

 

「何か問題生じてるのか?」

 

『弟さん、昭さんの秋田のご実家継いで漁師やってたようなんだけど、去年から精神患って精神病棟に入院してるの。受取人調査を秋田支店に依頼して、今日には報告上がる予定』

 

「そりゃ面倒だな。受取人が前後不覚なら、保険金宙に浮いちまうぞ」

 

『最終的には国庫への帰属になるでしょうね。そうなったら、手続きすごい面倒』

 

斉田はふうっと息をついた。

 

『あ、あとね、さっきロンドンの進ちゃんと連絡取れた』

 

「進藤と?あいつ無事だったのか?」

 

『ビルが半分崩れて救出されるのに時間かかったけど、怪我もないって』

 

「悪運が味方するなあ、相変わらず」

 

『3人でドライブ行ったときも、事故巻き込まれたけど進ちゃんだけ怪我しなかったもんね』

 

2人は笑いあうと、『じゃあ、またね』と緑川は電話を切ろうとした。

 

「お、その前にひとつだけ、良いか」

 

『なに?』

 

「近藤悟」

 

電話の向こうで、しばし沈黙が流れた。

 

『知らないよ、そんな人』

 

「オレは近藤悟を知ってるかどうかとは一言も訊いてないぞ」

 

さきほどまでの和やかな空気は一変した。電話の向こうで、緑川が歯噛みするのがわかった。

 

「前に近藤悟の名前を出したとき、お前の反応が明らかに妙だった。そして近藤悟は、稲村とも大澤蔵三郎とも関係があるらしい上、稲村の死について情報を持っている可能性がある。お前が彼を知ってるのなら、そのセンから情報辿れるかと思ってな。改めて訊く。近藤悟はお前の知り合いか?あるいは、彼について何を知ってる?」

 

しばらく沈黙が流れた後、普段の緑川には似つかわしくない声色で話し出した。

 

『公ちゃん、この調査は終了って話したよね?これ以上は余計なことだし、料金も発生しないんだよ?』

 

「わかってる。じゃあ最後にひとつ訊く。近藤悟を知ってても良い。彼はいま、どこにいるかわかるか?」

 

『知らない。私はわからない。これだけははっきり言っておくけど、もし彼の行方を私が知っていたら、あなたに話さないってことにはならない』

 

「・・・そうか。わかった。悪かったな、余計なことを訊いて。あ、あと次、こっち来たときは約束通り死ぬほど焼肉奢ってくれよ」

 

『うん・・・じゃあ』

 

素っ気なく電話は切れた。大きく息を吐くと、斉田はテレビのボリュームを上げた。

 

『さてCMの後は海外の話題。1週間前から続くニュージーランド沖の群発地震と、発生して2週間以上になりますね、ニューギニア島山林火災の続報です』

 

そこからCMに入ったが、怪獣災害の影響で企業広告が激減、公共広告機構のCMが繰り返されるばかりだった。アイドルグループが献血を呼びかけるいつもの内容に入った瞬間、画面が切り替わった。

 

『ここで、いま入りましたニュースをお伝えします』

 

報道フロアのアナウンサーが矢継ぎ早に渡されるニュース原稿に目を落としながら、興奮を隠せない口調で話し出した。

 

『海上保安庁・第9管区海上保安本部の発表によると、さきほど9時30分頃、石川県能登半島に、怪獣と思われる巨大な生物が漂着したとのことです』

 

画面が切り替わり、4脚で背中がひどく刳れた、豚のような醜悪な顔をした巨大生物が岸壁に押し寄せている映像が流れる。

 

『海上保安庁の発表によれば、この巨大生物はすでに死亡しているらしく、漂着の十数分前に海面に浮上、能登半島に漂着したとのことです。京都大学の劍崎教授によれば、この巨大生物はこれまで、国内外に出現したいずれの怪獣とも形態が異なる、新たな存在と見られるとのことで、防衛省と海上保安庁の要請により、本日中にも劍崎教授を中心とした調査チームが組織され・・・・・』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 79ー

・7月28日 10:25 大阪府大阪市中央区 大阪ビジネスパーク内 KGI損害保険本社

 

 

『はい、こちらは怪獣たちの争いで甚大な被害を受けた、千葉県浦安市の現場です。ご覧いただいてます通り、ここから先は液状化現象による地盤沈没で立ち入りが困難となっております。被害を受けたビルや住宅再建の目処は立っておらず、また浦安市のシンボルともいえる東京ディズニーリゾートは、深刻な放射能汚染や意識を失ったまま倒れているゴジラの存在もあり、運営するオリエンタルランドは再建の断念も視野に入れた経営計画を策定すると発表しました。また主に北関東から東北地方に避難した浦安市民は住民全体の9割にも達し、これらほとんどの世帯が現住所に戻るすべもなく、避難先では急激に増加した人口に対応できず、行政や民間の支援も虚しく問題の長期化は避けられない様相です。ここでお話をうかがいます。市内でタクシー運転手を勤める大沢木・・・』

 

テレビの内容もまったく耳に入らず、たまった灰を落とすこともなく緑川は煙草を燻らせていた。さきほどの斉田と通話してからというもの、どんな情報も頭に入ってこなかった。

 

斉田との会話に出てきた相手・・・近藤悟にメール、あるいはLINEでやり取りを試みようとしたが、やはり思い直してスマホをしまうばかりだった。

 

気がついたら5本ほど吸っていた。半分以上残る煙草をもみ消すと、緑川は喫煙室を出てオフィスに戻った。いつもならすれ違う部下に声をかけるところだが、気分的に無言でデスクに戻る。普段と違う上司に部下たちも戸惑うばかりだった。

 

「あの、緑川部長・・・」

 

今年入ったばかりの若手がおそるおそる声をかけてきた。

 

「んっ?あ、何?」

 

声を掛けられて慌てて明るく振舞おうとしたが、いつもより甲高い声が出てしまう。動揺は治まっていないようだ。

 

「今日お弁当、注文どうしますか?」

 

そういってデリのチラシを見せてきた。

 

「ああ、ありがと。ちょっと見せて」

 

受け取ったものの、普段30種類はある弁当の種類も関東地方の怪獣被害で原材料の調達に大きく支障が出ているようで、ほとんどが「売り切れ」あるいは「販売休止」とラベルが貼られている。

 

適当にサバの味噌煮弁当を頼むと、デスクに貼られたメモに気がついた。

 

『秋田支店・今田支店長 call backお願いします』

 

すぐさまデスクの受話器をあげ、秋田支店の短縮番号を押す。そのまま秋田支店長につないでもらった。

 

『あ、秋田の今田です』

 

やや秋田訛りのある声が響いた。

 

「本社海損部の緑川です」

 

『緑川部長、お待たせしてすみません。あの伊藤勝さんの件ですが』

 

伊藤姉妹の叔父で、亡くなった4人に掛けられた保険金の法定相続人であった。

 

『あとでファイル送りますからお目通し願いたいんですが、結論から申し上げると現状では相続人として不適となる可能性が高いんです』

 

ある程度予想はしていたが、これからの手続きを考えると緑川は目を覆った。

 

『勝さんは秋田の仙州総合病院精神科に入院してまして、主治医の先生とも相談したんですが、治療を継続して回復すれば良いが、見込みに関しては何とも言えねいって話なんです』

 

「わかりました。こちらとしても、並行して相続人不在の手続きを進める準備はしますが、基本方針として相続人への支払いが可能なら相続人にお支払いします。本年末まで猶予期間がありますから、治療状況に関して引き続きフォローをお願いします」

 

『わがりましたぁ』

 

ところどころに出る秋田の方言に和みつつ、「それにしても」と緑川は続けた。

 

「伊藤勝さんは元々壮健だったときいてますが、いつごろから精神疾患を罹患したんですか?」

 

『それが、去年9月だって言うんです。それまでは元気に漁をしてたっつんですが』

 

信じらんねぇ話だども、と口ごもり、今田は話し始めた。

 

『去年の9月ですが、勝さん、北海道沖で操業してたとき、怪獣を見たって言ったらしいんです』

 

「・・・北海道沖で、怪獣?」

 

『はい。勝さん、漁師仲間と漁船団で仕事してたどき、エンジン故障して漁船団から遠ざかったらしいんです。で、救援にかけつけた漁師仲間が、故障修理そっちのけで真っ青な顔してガタガタ震えてる勝さんみっけたようなんです。で、「怪獣だ。怪獣見た」って・・・。誰も信じらんねくで、そのまんま勝さん恐怖から精神病んじまったみだいです』

 

「でも、レーダーとかに反応は?」

 

『いや漁協にも確認とっだんですけども、当時そんなモン映ってながったって言うんです。病院の先生が・・・カウンセリングですか?やったとき、勝さん「でっけぇトカゲみでぇな怪獣だった。引きずりこまれるみでに、海さ沈んだ」って話したようですよ』

 

途中から、緑川は完全に言葉を失っていた。檜山が話していた、「去年9月、怪獣を目撃したと証言し自死してしまった部下」のことを思い出し、背筋に冷たい汗が流れた。『もしもし?部長?』という今田の困惑気味の問い掛けにも、しばらく反応できなかった。

 

 

 

 

 

 

・同日 11:07 長崎県佐世保市立神町

 

 

「本気で話しているのか?」

 

目的地まで移動の車中、後部座席の檜山は電話口に語気を強めた。

 

『もちろん。お前の能力を見込んだ上での話だ。形の上では職務遂行不良の責任を問う形だが、実質的に栄転だと考えてくれ』

 

佐間野の言葉に、檜山は二の句が継げなかった。かつての同期とはいえ現職の国交大臣が直々に連絡をよこしてきたかと思えば、内々に処分結果を告げてくるとは。

 

『理解してもらえると思うが、お前が本来取った行動は懲戒処分に充分該当する内容だ。そこをうまくごまかしたんだ。友人としてな。そしてこれは、友人としてお前にチームへ加わってほしいという思いの現れだ。引き受けてくれると信じているし、それ以外の方向を見つけるのは難しいと思う』

 

半ば脅しにしか聞こえないが、さりとてこの話を蹴るようなマネもできない。

 

「わかった。謹んでお引き受けしたい」

 

『感謝する。具体的なことはお前の上司を通じて説明する。よろしく頼むぞ』

 

一方的に電話は切れた。

 

桜島噴火による混乱の最中かつ事実を知る者は限りなく少ないとはいえ、調査対象を連れ出した上に事故調査そっちのけで東京へ戻ってきた檜山の行動は、たしかに問題視されてしかるべきではあった。だが伊藤姉妹、もといミラとリラの言葉から、国内に複数の怪獣出現という未曾有の事態にあって的確に行動した佐間野への政界評価は事後高まるばかりだった。檜山としてはやや不本意ながら、檜山の処分に際して強権を発動するようなこともあったらしい。

 

佐間野が告げてきた内容は『時期組閣で経産大臣に内定している。昨年ゴジラとギドラに壊滅させられた東海地方を復興特区に位置づけ、産業振興を図るため霞ヶ関を横断して幅広い部署からメンバーを集めたプロジェクトチームを作るため、檜山にはそちらへの出向をお願いする』ということだったのだ。

 

いかにも政治屋らしいやり方と発想に檜山は虫唾が走るところもあるが、形の上でも左遷として処分を受けたことになるのもたしかであるし、何より・・・ここで職を失うようなことはしたくなかった。

 

栃木県那須塩原に住む親類の元へ避難したという元妻の美佐枝と、娘である真希・真子の2人とは、1週間前に連絡が取れた。

 

既に別れた身ではあったのだが、美佐枝とzoomで対面した際、かなりホッとした顔をしたことが印象的だった。そのまま、同じく避難した人々が集まる場所へボランティアへ出掛けてたという娘2人と対面を果たせたとき、檜山は隠すこともせず涙を流した。

 

2人はだいぶ困惑していたが、落ち着いたらなすへ赴き、ゆっくり話をしたい、と素直に話すとぎこちないながらも笑顔を見せてくれた。

 

「ちょっと、だいぶ変わったんじゃない?」

 

苦笑いしながらも、美佐枝が訊いてきた。檜山は照れ笑いするばかりだったが、元とはいえ家族と話せる喜びは隠せなかった。

 

佐間野が提示したプロジェクトチームへの出向はもうあと1ヶ月先になるだろう。少しだけ落ち着けるタイミングで那須へ向かうとして、それまでは本来の仕事である、あかつき号沈没事故の原因究明を行わなければならない。

 

一連の怪獣災害で長引きはしたものの、あかつぎ号の船体引き上げ作業は5日前から行われ、昨夜のうちに引き上げを担った南海サルベージの佐世保船着所へ運ばれていた。

 

今朝のうちに長崎へ移動し、地元海上保安署の車両でドッグへと向かっているところだった。

 

「時間帯的に混雑します。もう少しかかりそうです」

 

運転役の若い海上保安官が言った。

 

「わかった。悪いが、NHKをつけてくれないか?」

 

そう頼むと、黙ってテレビをつけてくれた。

 

「なんでパパってすぐNHKにするの?」「こっち観たいのに」

 

昔、娘たちとそんなやり取りをしたものだ、と檜山はふいに思った。

 

『・・・先週財政破綻を宣言したカナダ・バンクーバー市に続き、イエローストーン国立公園から出現したギドラによって甚大な被害を受けた米国カリフォルニア州・ハワイ州も財政非常事態を宣言したことにより、米ニューヨーク市場で株価が暴落、1929年の世界恐慌や2008年のリーマン・ショックをはるかに上回る経済的恐慌となる恐れが強まりました。これにより東京市場も定期銘柄を中心に値下がりが続き、バトラの被害により機能不全を来しているロンドン市場と併せ、過去類を見ない世界的経済危機が起こるとの見方も強まっております。続いて、ニュージーランド沖で続く群発地震の続報です。日本時間昨夜9時過ぎ、3日連続となるマグニチュート7.2の地震が発生したことで・・・』

 

ニュースを聴きながら、檜山は2週間前を反芻していた。

 

「あまり報じられないですが」と、運転役の保安官が口を開いた。

 

「2週間前から、九州西方において外国漁船の違法操業が激増しています。他に比べてニュースバリューが少ないせいかもしれませんが、九州では深刻な脅威です」

 

「中国か?」

 

「はい。ダガーラとギドラの被害で米国の体力が弱まっている現状が関係していると、上司が話していました」

 

檜山は顎に手を当てた。思えばあかつき号沈没直後も、周辺海域に原子力潜水艦を派遣するなど過激とも言える中国の動きは枚挙に暇がない。

 

一昨日の会見で佐間野も有事における周辺海域への警戒を強めると話していたが、あくまで海上保安庁についての話だ。陸海空各自衛隊も統括する防衛省も、いつまた現れるか知れぬ怪獣(昨日能登半島に漂着した怪獣の死体は、これまで出現記録のない個体だった)、何より浦安で臥せったままのゴジラ警戒にかかりきりだ。第1、今回の対怪獣戦闘で自衛隊の損耗が激しく、国防上極めて不安定な状況を迎えている。

 

テレビがニュージーランド沖の地震を報じた後、ニューギニア島に広がる山林火災を取り上げたところで、車両は南海サルベージのドッグに到着した。

 

 

 

 

 

数分後、言われるがまま放射能防護服に身を包んだ檜山は、突然の事態と不愉快なほど暑苦しい防護服にムッとしながらドッグの事務所へ入った。

 

やはり防護服を着用した、応対する南海サルベージの社員は鈴花と名乗った。傍らには南海サルベージが用意したものとは異なる防護服が2名。いずれも海上自衛隊佐世保基地の自衛官だった。

 

「ご説明願います」

 

不機嫌さを隠さず檜山が言うと、恐縮しきった鈴花が口を開いた。

 

「昨夜遅くです。万が一と考え・・・本当にそう考え、船体の放射線モニタリングを行ったんです。そうしたところ、激しく損傷を受けたところを中心に1.7シーベルトの反応があったことから、船体調査を即座に中止し、作業に当たった者たちを隔離した上で、消毒を実施しました。事態が深刻でしたので、船体回収に協力してくださった海自へ報告を行いました」

 

暑さばかりでなく汗をかく鈴花を差し置き、海自の担当が一歩前に出た。清野と名乗る2等海佐だった。

 

「放射性物質が確認された事案ですので、こちらとしても情報発信には慎重にならざるを得ないという判断に至りました」

 

それがさも当然だと言わんばかりの態度に檜山は不機嫌さを強めた。

 

「でしたらなおのこと、事前にこちらへの説明があってしかるべきではありませんか」

 

「事故調査委員会といえど、直前まで伏せろ。上からの指示でしたので」

 

同じ役所勤めならわかるでしょう、そう言いたげだった。面白くはないが、ここでこれ以上詰問しても仕方がない。

 

「船体を見せていただきたい」

 

檜山がそう言うと、鈴花は事務所の扉を開け、ドッグへ一行を通した。

 

豪華客船は無残にも朽ち果て、泥や砂にまみれていたが、何よりも異様だったのは大きく穿たれた船底だった。

 

「これは・・・」

 

思わず檜山は口にした。

 

「これだけ見ると、何らかの現象で船体に大きく損害が生じたことで沈没した。そう考えられますが・・・」

 

「問題は如何にしてこのような損傷を受けたのか、ですね」

 

清野がかぶせてきた。

 

「あなた方の見解はいかがですか?」

 

あまり気に入らない相手だが、檜山は清野に訊いた。

 

「放射線量が気になりますので」と、清野は鈴花に目配せをした。鈴花はカメラ付ドローンを操作し、船体に向かわせた。隅のデスクにはカメラが捉えた映像がモニターに反映されている。

 

「放射線量だが、客船上部の客室付近は低く、抉れている船底付近が極めて高い。そして収容できる限りの遺体を調査したところ、ほとんどが溺死、もしくはどこかにぶつけた等での損傷によるもので、放射線障害が認められない。この事実を元に見解を出すというのは、困難だと考えますがな」

 

いちいち不愉快だが、沈没原因として真っ先に考えられることがある。

 

「やはり、ゴジラによるものと考えてしまいがちですな」

 

「だがそれならば、船体にもっと大きな損傷があると考えるべきでしょう。仮にゴジラの放射熱線を浴びたとすれば、その威力から船体が大きく吹き飛んでいるだろうし、高熱による船体炎上、融解などがあるべきだ。ところが実際はどうですか」

 

たしかに、そこは不可解だった。

 

「この辺りなのですが」

 

ドローンを操作する鈴花が口を出してきた。

 

「何か、鋭利なもので切り裂かれたというか・・・相当な力が加わったようです」

 

映像は船体の切断部分を捉えている。

 

「切り裂かれた、というよりも、この形・・・噛み付かれたというようにも思えますが」

 

「あなたもそう考えますか」

 

ここで初めて檜山は清野と意見が一致した。

 

「この辺りなど、歯型にも見えますね・・・まさか、ゴジラが船体に噛み付いた?」

 

だとすれば、海自が情報を渋ったこともいくらかは理解できる。

 

「そこについては、いま少し議論の余地がありまして」

 

今度は清野がタブレットを開いた。ゴジラの顔面が映し出された。

 

「ゴジラの口ですが、直径が約10メートル。そして船体の損傷箇所だが、どうやら幾度か噛み付かれた模様だが・・・もう少し接近してくれ」

 

清野が指示すると、鈴花はドローンをより接近させた。「画面停止」と言うと、より大きく損傷箇所が反映されたところで画面が止まった。

 

「接近できないので画面上での計測だが、ここの部分を噛み付いたとした場合、口径が12メートルほどになる」

 

「ゴジラより大きい?・・・だが、必ずしも口の大きさがそのまま損傷の間口になるとは言えないが・・・いや、これは?」

 

檜山が指をさした箇所。両端が大きく切り裂かれているのだ。

 

「そう。仮に怪獣が噛み付いたとして、ゴジラにはこれほど大きな牙はない。そしてこれは我々の見解だが、あかつき号が沈没した頃、ゴジラは九州南西ではなく、日本海に存在していた可能性が高い」

 

防護服内の汗が一気に冷たくなった気がした。もう少し詳しい調査が必要だが、たしかにゴジラが噛んだにしてはおかしい。すると別の怪獣が船を襲ったという仮説が成り立つようだが。

 

「この頃、チタノザウルスが九州南西海域に存在していたようだが」

 

「その可能性も検討したが、チタノザウルスはゴジラよりもっと口径が小さい。第一、船体の放射能を説明できない」

 

「すると別な怪獣・・・放射能を帯びた存在なのか?」

 

「昨日、能登半島に漂着した怪獣ならどうですかな」

 

そう言われ、檜山は考え込んだ。

 

「テレビで観た限りだが、あの未知の怪獣ならば口も大きいし、両方に牙があった。あれだというのですか?」

 

そう訊くと、清野は首を横に振った。

 

「まだ公表してないが、あの怪獣自体から放射能は検出されなかった。背中に生じた大きな傷から・・・むしろ背中を粉砕されたと言っていい。そこからは大量の放射能が確認できた。状況的にゴジラの熱線を浴びたと考えられるが・・・」

 

清野の言葉を耳にして、檜山は押し黙った。モスラが感知できていない怪獣も存在したらしいことは、ミラとリラが話していた(現にサンダとガイラ、そしてゴジラの存在を知らなかったのだ)。

 

「すると、さらに未知の怪獣が存在しているのか・・・?」

 

檜山がつぶやいた。誰も怪訝な顔をしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーChapter 80ー

・7月29日 14:24 ロシア連邦 クリル列島 ボーフジェーディ島

(日本名:千島列島 神子島)

※日本より2時間進んでいることに留意

 

 

よく晴れた空の先に、ボーフジェーディ島が見えてきた。尾形は供されたコーヒーがすっかり冷めたのもかまわず、まるで長らく会っていない恋人に焦がれるような表情で強い風が吹き荒ぶ海の先にそびえる島を眺めていた。

 

夏とはいえ千島列島に漂う海風は身を切るほど冷たく、ロシア科学アカデミーの職員や船員たちは外に佇む尾形におかしな視線を向けていた。

 

「尾形博士、もったいないですぞ、せっかく温かく淹れたコーヒーが」

 

ロシア科学アカデミーのアガフォノブナ・グラーニン博士が声をかけてきた。

 

「ああ、これは失敬」

 

返事をしつつ、尾形は振り向くこともせずコーヒーに口をつけた。すっかりアイスコーヒーになってしまっていた。

 

「いま日本のテレビを観てましたが、博士はテレビの取材におっしゃったそうじゃありませんか。ゴジラが死んだとは考えていないと」

 

相変わらず島へ目を向けたままの尾形に、グラーニンは覗き込むように詰め寄った。

 

「博士がそう答えたせいで、ようやく回復基調にあった東京の日経平均株価が急落。円安もわずか1日で6円も進行してしまった。いけませんなあ、科学者といえど、ある程度世の中を見渡した上での発言をしませんと」

 

「あらゆることに忖度して自説を曲げた結果、心無い経験をしたものですから」

 

ようやく尾形はグラーニンに視線を向けた。

 

「第一、本当にゴジラが生命活動を停止したという確証がないのです。軽々しく答えを出せるものではない」

 

「それはそうだが、怪獣によって日本は息の根を止められる寸前まできている。いま少し答えようがあったとも思いますがなぁ」

 

「我々科学者は、検証の結果導き出された事実のみに目を向けて言葉を発するものです。ロシアという国家になっても、あらゆることに忖度しなくてはならないあなた方との違いです」

 

痛いところを突かれたのか、グラーニンは仏頂面になった。

 

「そして、現在においても未だに謎が多いゴジラの生態を解き明かすべきなのは、日本もロシアも同じなのです」

 

「愚直ですな、探究心に。お祖父様そっくりだ」

 

グラーニンは頰をかいた。船は島の近くまで寄ると停泊し、そこから小型船に分乗し島へ上陸する。およそ3週間ぶりの上陸だが、夏でも冷涼とはいえ見るからに植物が成長している。かつての氷河跡も、より探索がしやすくなっていることだろう。

 

随行するロシア軍の兵士がAKー74自動小銃を片手に島へ渡り、船から即席の橋を組み立てて船への架け橋を作る。

 

放射能探知機を片手に先導する兵士に続き、グラーニンらロシア研究チームと尾形、そして官邸と文科省の職員が島に上陸する。

 

「撤収はいまから2時間と30分後。それまで各自調査と収集作業に務めるように」

 

細かい内容を話した後、最後にグラーニンが告げた。延べ40名ほどの調査隊は早速それぞれの班ごとに仕事へかかった。

 

だが、先日の調査で大方のことはつかんでいる。

 

地面の陥没状況などから、ゴジラは60年かけて氷の中でも成長したこと、摂氏0℃未満の環境下ではゴジラの活動が停止すること、周辺の残留放射能を検出の結果、休眠の間はどういうわけかその身体から放射能を発しないこと。ただひとつ、ここで発見された死骸が、日本の富山県に出現したフナムシの怪物とまったくの同種で、それはゴジラに寄生していたことで成長した結果ということは成果と言えるが、それ以外はゴジラの生態を解き明かすには程遠い物証ばかりだった。

 

そのため日本政府からいま一度の調査を依頼されたときは、ボーフジェーディ島の上陸許可を下す権限を持つ海軍はかなりの難色を示した。

 

「オガタの物見雄山ばかりに付き合ってられない」

 

そう声を上げる軍管理局をなんとか説得した。昨年日本政府と交わした忌々しい密約もあり、最終的に軍が折れた形となった。

 

だが科学アカデミーも再調査に乗り気ではなく、グラーニン自身、モスクワを出発前に本調査は日本への借りを返す、いわば消化試合だとスタッフに説明していた。

 

案の定、最初の調査以上のものを発見できる気配はなかった。放射線量もかなり低下しており、土壌発掘を行なっても氷河の名残や、65年前のゴジラ空爆戦で撃墜されたと思しき戦闘機の破片ばかり。150分の調査時間をあと6割残し、グラーニンは早くも引き揚げの段取りを軍当局と打ち合わせていた。

 

険しい断崖がそびえる島中央部とは対照的に、オホーツク海沿岸は稜線がなだらかで短い夏にはアツモリ草も花を咲かせる。不思議なことに尾形を始めとする日本の調査団はその辺りをくまなく調査していた。

 

それからしばらくして、コーヒーを沸かす間うすらあくびをしていた頃に尾形ら一行が降りてきた。

 

「尾形博士、アツモリ草ならあなたの国北東部にも咲いているでしょうに」

 

皮肉のひとつでもぶつけてやらねば、とグラーニンは口を尖らせた。

 

「いや、実はゴジラ調査もですが・・・」

 

尾形はそう言うと、デジカメの画像を展開させた。

 

「この斜面・・・そういえば、比較的最近崩れたようだと前回の調査で話してましたな」

 

「はい。私はこの崩れ方が気になってやまないのです。まるで、内側から大きな圧力で破裂したように崩れている」

 

「・・・そう見えないこともないが・・・。自然現象とも考えられる。して、これが何か?」

 

「かねてから疑問だったのです。65年前、アンギラスを倒し大阪を焼き尽くしたゴジラが、自身の活動が大きく鈍るであろうこの島を目指したのはなぜか」

 

尾形の目は真剣だった。だがなおのこと真意を測りかねたグラーニンは困惑した。

 

「ゴジラは他の種族に激しい闘争心を持ちます。アンギラスを屠った後・・・いやそもそも、現在のゴジラが北方諸島で発見されたのも、アンギラスではなく別な存在を強く意識した帰結だったとするならば・・・」

 

尾形は考え込むと独り言のように、思考したことを口に出す。

 

「すると博士は、この島にゴジラが強力な敵愾心を持つほどの何かが存在しているとおっしゃるのですかな?」

 

言葉と共に笑い声が出そうなのをグラーニンは堪えた。ちょうどひときわ冷たい風が吹き、外周の兵士たちはAKー74を強く握った。

 

「グラーニン博士!」

 

尾形らと行動していたロシア科学アカデミーの職員たちが山を降りてきた。

 

「崩落した斜面を調べていたのですが、このようなものがいくつか発見できました」

 

グラーニンは手に取ると、ルーペで覗いた。

 

「石なのだろうが・・・。自然にできたにしては形が整っているな」

 

「私も発見しました」

 

「私も・・・」

 

続々と手渡され、グラーニンは首を傾げた。

 

「尾形先生、これは・・・」

 

日本から随行している京都大学の職員が、そのうちひとつを尾形に渡した。

 

「これが何かわかるのですか?」

 

グラーニンが訊いた。

 

「そうか。みなさんはピンときませんね。これは日本の・・・・・・」

 

そのときだった。さきほどから電話を受けていた内閣府の職員が電話を切り、顔面蒼白で尾形に近寄った。

 

 

 

 

 

・同日 12:31 東京都文京区小石川5丁目 ツインセゾンビル5階 『UTOPIA』編集部

 

 

「秋元っちゃん、LINEも良いが早いとこ原稿上げてくれよな」

 

いつの間にか背後にいた編集長の藤田に声をかけられ、秋元は一瞬固まった後スマホを置いた。

 

「稼ぎどきなんだからさあ、頼むぜー」

 

そういう藤田だが、どこか楽しそうだ。

 

「稼いだ分お給料に跳ね返るようにがんばりまーす」

 

秋元は減らず口を叩き、パソコンのマウスを動かした。暗転した画面に書きかけの原稿が浮かび上がる。

 

LINEの相手は、KGI損保の緑川だった。来週、東京へ出張するというので飲みに行く約束をしたのだ。聞けば緑川も相当な酒好きらしく、美味しいお店を紹介してくれるとのことでテンションが上がってる後ろ姿を藤田に見られたのだろう。

 

一連の怪獣騒動ののち、『UTOPIA』がこれまで取材してきた伝承、とりわけ群馬のダイダラボッチ=サンダ・ガイラと、奄美大島の癒し岩=モスラだったことで過去の記事を再編集して臨時版を含め総力特集を組んだのだ。結果、創刊以来最高の売り上げに重版が追いつかず、また岩手のバランについても記事をせっつかれているのだった。

 

おかげで徹夜続きの毎日だが、かつてない活気と徹夜明けのビールで充分乗り切れていた。今日の午後にはバランの伝承もまとめられる。そうしたら、今夜と明日は会社を離れなくてはならない。怪獣騒動もあり、遅れていた稲村の通夜と葬儀が執り行われ、秋元も出席することになっているのだ。

 

「お待たせー」

 

買い出しに出ていた蜂谷が戻ってきた。

 

「はい秋元っちゃん。ごめんね、やっぱり今日もツナおにぎりなかったわー」

 

「しょうがないです、蜂谷さんが謝ることじゃないですよ」

 

秋元はおかかと納豆のおにぎりを取った。今日は2種類あるだけでも幸せだ。

 

「それにしても今日も暑いわー」

 

蜂谷はぽっちゃりした皮膚にシートを当てた。

 

「大学の友達ニュージーランドにいるんですけど、あっちは雪模様らしいですよー」

 

おにぎりを頬張りながら、秋元が言った。

 

「おい最近地震多いじゃないか。大丈夫なのか」

 

言いながら藤田はパソコンでネットニュースを見ているらしく、「なになに、オーストラリア沖に爆弾低気圧」などと独り言を口にしている。

 

「編集長、お仕事中ですよ〜」

 

いたずらっぽく言う秋元に「オレのは大事なネタ探しだ」と反論してきてあきれ笑ったところに、来客のベルが鳴った。

 

「三上先生!」

 

麻のスーツを着た三上は勝手知ったる他人の家、とばかりに応接間に向かう。秋元はガラスの器に麦茶を淹れると、お盆へ載せて応接間に入った。

 

「忙しそうだね」

 

額の汗をハンカチで拭い、三上は声をかけてきた。

 

「おかげさまで。いまも麦茶じゃなくて、アルコールと炭酸入ったヤツ飲みたい気分です」

 

「そうだね、スカッとしたい気分だ」

 

それから、互いの近況、稲村の葬儀について話した後、三上が「さて、本題に入ろう」と告げてきた。

 

「実はね、秋元くん。あれからずっと気になっていることがあってね」

 

拳を手にあて、三上は言った。この仕草をするとき、決まって話が長くなる。冗談ではなく、麦茶じゃなくて冷酒を出したい気分だった。

 

「モスラとバトラ、そしてミラとリラだが・・・。今回、ダガーラとメガギラス、ギドラ復活を察知して眠りから覚めたのだったよね」

 

「はい、たしか・・・。車の中で斉田さん・・・あ、あと羽田のホテルで緑川さんもそう話してましたよね」

 

「ふむ、そうだったよね。そこで思ったのだが、去年ギドラが現れたね。そのとき彼女たちが目覚めなかったのはなぜだろう。いやギドラだけじゃないよね。ゴジラにカマキラス、ガイガンだって出現していた。そもそも、65年前にだってゴジラやアンギラスが現れているのだ」

 

三上はバッグから大学ノートを取り出した。丸々1冊、何かを調べまとめたものらしい。

 

「昔、アメリカを旅したときに少し聞きかじったことがあってね。ユタ州の先住民族にフピ族という人たちがいて、そこに伝わる話なんだが」

 

大学ノートにはいくつか付箋がしてあり、そのうちひとつを開いた。

 

「本来なら現地へ赴くべきなんだが、ユタ州も東半分が壊滅的被害を受けていて入国が困難だ。仕方なく国会図書館やアメリカ先住民の民俗に詳しい研究者に取材した内容なんだが」

 

三上の説明を聞きながら、秋元はページにびっしり書かれたメモを読んだ。

 

フピ族の伝承によると、かつて世界を滅ぼしかけた黄金の悪魔がいた。フピの先人たちは神に祈りを捧げると、神が遣わした神獣が舞い降りた。黄金の悪魔と神獣の争いは月が3度変わるまで続き、ついには黄金の悪魔が倒れた。黄金の悪魔は争いによって生まれた炎の沼に封じられ、役目を終えた神獣は海へと去っていった・・・。

 

「ここにある、黄金の悪魔というものはギドラで疑いあるまい。そしてギドラは、神が遣わした獣に敗れ封じられたとあるね。炎の沼、すなわち現在のイエローストーン国立公園と見ることができる。何より注目すべきなのは、神が遣わした獣、というくだりだ」

 

「・・・まさか、モスラ?」

 

「とも思えるんだが、たしか緑川さんはこう話していなかったかな。かつてモスラは、ギドラに力及ばず倒されてしまい、ミラとリラの文明ごと海に沈んだ、と」

 

そういえば、と秋元は頭に手を当てた。

 

「となると、モスラやバトラとはまた異なる怪獣が存在したことになる。それもギドラを倒してしまうほどの力の持ち主だ。この世界には、まだ姿を見せていない怪獣が存在したとしても、もはや何も不思議ではない。昨日、能登半島に亡骸が打ち上げられた怪獣のようにね。また調べる対象ができて、まあ喜ばしい限りだが、それはそれとして・・・」

 

三上は顎に手を当て、憂うような表情になった。

 

「この伝承通りだと仮定すると、ギドラはイエローストーンにずっと封じられていたことになる。そこのところについて、少し考えてみたのだ。あまり良い話では・・・」

 

三上が話す途中から、秋元のスマホ通知が鳴り止まなくなった。そこへ、しばらくネットサーフィンしていたらしき藤田が駆け込んできた。

 

「先生、ごめんください。おい秋元っちゃん、オーストラリアが大変なことになってるらしいぞ」

 

秋元がスマホを開くと、【オーストラリア政府、国家全土に非常事態を宣言】【シドニー〜ニューカッスル、過去類を見ない火災発生との情報】と通知されている。

 

藤田がデスクのテレビをつけるも、同じような情報を繰り返すばかりだ。

 

秋元はtwitterを開いた。オーストラリア、シドニーといった単語がトレンド入りしている。その中でも【話題の投稿】で特にバズりつつあるアカウントを開いた。オーストラリア・ゴールドコーストに住む日系人らしく、日本語での投稿だった。

 

『私の街が、吹き飛ばされています』

 

その言葉の上、投稿された動画には、高台から映されたであろう海岸線とビーチ、そして高層マンションやビーチが並ぶ景色が表示されていた。だが空は黒雲渦巻き、雹混じりの豪雨が降りしきる。やがて風が強まり、空から黄金の稲妻がマンション群を舐め尽し、すべてを砕きながら天へ巻き上げていく様子がわかる。

 

同じアカウントが別な投稿をしたようだ。

 

『信じられない』

 

動画いっぱい金色に光った。大轟音を鳴らしながら、3本の首と巨大な羽根を大きく煽らせる存在が映し出された。

 

「・・・ギドラ?」

 

言葉に出すのも憚られた。黄金の悪魔の名を言葉にするだけで、目眩がするほどの気色悪さを覚えた。

 

「うそ・・・コラでしょ?」

 

空疎なつぶやきと願望だった。悪夢としか、言いようがなかった。

 

「まさか?いや、やはりそうだったのか・・・」

 

三上は頭を抱えていた。当たってほしくない推理だったらしく、冷や汗を浮かべている。

 

「モスラは、ゴジラを知らなかった。過去相見えた相手の存在を察知することは可能だったが、そうでない対象は認識できなかった。だとすれば、去年なぜギドラが襲来したのに覚醒しなかったのか、説明がついてしまう」

 

三上が言わんとすることは、おぼろげながら理解できた。それでも、現実として捉えたくなどなかった。

 

「かつて世界を崩壊させたギドラは、ずっとイエローストーンのマグマの下で眠りについていたんだ。去年現れたギドラは・・・それとはまったく別の存在だったのだ。だからモスラも、他の怪獣たちも目覚めなかったのだとすれば・・・!そして、封じられていたギドラは倒された。だが去年日本を襲った別のギドラが、いまこうして・・・」

 

三上は思いついたようにスマホを拾い上げ、グーグルマップを開いた。シドニー〜ゴールドコースト。ギドラはオーストラリア東海岸を北上している。そのまま北上した場合・・・地図をなぞった三上の指は日本、それも関東地方で止まった。

 

「先生・・・」

 

秋元の呼びかけに、脂汗を浮かべるばかりの三上。ギドラが何を目指しているのか、明白だった。

 

「だとすれば・・・ギドラを封じることができた怪獣というのは?ゴジラ?いや・・・それはいったい、どこに」

 

突然轟音が一帯を揺らし、ビルが大きく揺れた。テーブル上の麦茶が入ったガラス容器が砕け散り、編集部では卓上の書類が床に散らばった。突然の激しい揺れに秋元は倒れ、ふらつきながらも三上が助け起こした。

 

地震にしては奇妙だった。強い揺れは一瞬で終わり、その後は不気味な鳴動を上げる地面が縦に揺れるばかりだった。

 

「はっちゃん!おい、はっちゃん!」

 

編集部で藤田の声がした。秋元と三上が駆け寄ると、蜂谷が床に倒れ、頭から血を流して唸っている。

 

「蜂谷さん!」

 

声をかける秋元に、「救急車!」と藤田が叫ぶ。秋元がデスクの上でひっくり返っている電話で119を押したとき、外が少し暗くなった。

 

割れてしまった窓から、ドス黒いきのこ雲のようなものが東の方から上がっているのが見えた。

 

「あれは・・・浦安の方角、だな」

 

三上がつぶやいた。地上から伸びる黒い雲は上空で横に広がりつつある。不気味な大気の対流音と、外の喧騒に紛れ、おぞましい音が響いた。2度、3度と大気を通して秋元や三上、藤田の鼓膜を侵食する。

 

「ゴジラ・・・・?」

 

秋元がその名を口にしたとき、よりはっきり聞こえた。それはひときわ大きく、はるか遠くから自分を目掛けて襲い来る相手に向けられているように思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ーエピローグー

・7月29日 13:00 インドネシア共和国 ニューギニア島パプア州

州都ジャヤプラより南東へ120キロ ジュゴ村

※日本との時差はない

 

 

まどろみから目を覚ますと、すっかり嗅ぎ慣れた樹木が焼ける匂いが鼻をついた。

 

大きくあくびをすると、近藤悟は紐のような樹を編んだベッドから身を起こし、やはり樹を編み上げた屋根から差し込む日差しに目を細め、小屋を出て外で大きく背伸びをする。

 

目を覚ますのを待っていたのか、集落の少年が近藤を見るなり家へ入り、木の葉を皿にした食事を持ってきてくれた。

 

この辺りの主食であるタロイモと、やや臭みのある筋張った鶏肉と豆を煮込んだもの、甘くないもっさりしたバナナにポカリスエットを凝縮してラードを混ぜたような、まるでとんこつスープの如きココナッツミルクといった内容だ。

 

ほぼ毎日このような献立で辟易もするが、居候である身分、贅沢は言ってられない。それなりに慣れてもきている。近藤は集落に伝わる、右手を立てて前へ3回倒す独特の仕草で少年に礼をすると、ニッコリ笑う少年を見送り小屋に持ち帰り食べ始めた。

 

食べてる途中で少年があちこち欠けているカップに水を汲んで持ってきてくれた。改めて礼をし、口の中にまとわりつくバナナの残滓をゆすぎ流す。今日の朝食であり、時間的には立派な昼食だ。

 

昨夜は経験したことのないような豪雨が村に降り注いだかと思うと、数分で雨が上がり深い森とその中に存在する村は全体がミストサウナ状態となった。不快指数の極めて高い蒸し暑さに辟易した近藤はまんじりともできず、明け方太陽が顔をのぞかせた頃にようやく意識が落ち着けられたのだ。

 

食事を終え、村にただ一台ある小屋のパソコンにUSBメモリを差し込み、暇つぶしに中身を検める。ネットはもちろんスマホも通じず、有線の電話もない。外部との連絡手段はほぼ雑音しか流れない緊急用のポンコツ無線と、週に一度、70キロも麓からやってくる郵便業者兼行商屋が仲介する書簡のみ。2週間前に初めて訪れた際、この惑星にもこれほどまで文明から乖離した土地があるのだとひどく感心したものだ。

 

そんな辺境の地に、近藤が居候させてもらっているのには理由があった。

 

「面白いネタがあるんです」

 

フリーライター仲間の稲村友紀からそんな話をされたのは、今月初めだった。

 

代官山にある一見お洒落でありながら、席を仕切るべく立てられた衝立が絶好の防音効果を発揮することで知る人ぞ知る密談バルに呼び出され、ネタの概要を聞いた。

 

場合によっては知り得た相手の命を奪っても惜しくない内容に近藤は仰天したが、稲村は互いのタニマチである大物右翼の大澤蔵三郎が後見であること、大澤の思想主義にのっとり、つかんだ内容を白日の下に晒すつもりであることを話した。

 

「危険じゃないのか?」

 

そう尋ねた近藤だったが、稲村は揺るがなかった。

 

「近藤さんらしくありませんね。真実をありのまま伝える。普段から近藤さん話してることですよ。それが亡くなった仲間の供養になるんでしょ?」

 

世間をアッと言わせたい、普段から稲村はそう話していた。

 

「最後の部分、ウラを取れたら公開します。今月下旬にはやりたいっスね」

 

赤ワインの勢いも手伝い、饒舌にまくし立てていた。

 

様子が変わったのは、あかつき号が沈没した7月13日だった。

 

『近藤さん。例のアレ、あかつき号沈没の件もあって発表するつもりだったんですが、ヤバくなりました、相手にバレたらしいんです。ネタ元も両方、行方がわからなくなりました』

 

公衆電話からかけてよこしたその声は、いささか切迫していた。

 

『大澤翁の指示で、富士山麓の「黄金の救い」に信者として紛れ込んで身を隠します。近藤さん、巻き込んじゃって悪いんですが、記事を預かってほしいんです』

 

必死の雰囲気に、近藤は肚を決めた。稲村の指示通り、JR中央線高尾駅へ向かい、京王電鉄に乗り換える途中のすれ違いざまに稲村からUSBメモリを受け取った。手元が見えないようにしてほしい、という話だったが、もしかしたらその時点でマークされていたのだろう。

 

翌朝、富士の樹海にて変わり果てた姿で稲村が発見された直後、「いますぐ羽田まで来い」と大澤蔵三郎に指示された。

 

大澤の部下2人が羽田空港国際線ターミナルで待ち受けており、「しばらく身を隠していろ」とだけ指示され、既に用意されていた搭乗券といくばくかの現金をわたされた。稲村の死を悼むことも、日本に再び怪獣が現れ始めたことも気にする間もなくインドネシア・ジャカルタを経由してパプア州に降り立ち、大澤が手配した現地の部族に迎えられ、ジャヤプラから未舗装の道路を12時間かけてこの村へやってきたのだ。

 

大澤の神通力は辺境の地においても効果を発揮するらしく、村の空き小屋に住まわされ、ネット機能こそないもののパソコンと小型の発電機も用意された。

 

あれから2週間が経過した。稲村がまとめた記事をじっくり読むと、改めて稲村を喪った悲しみと、記事内容の深刻さ、重大さを強く痛感させられた。

 

まず、スマートブレイン社日本支社は去年のゴジラ・ガイガン・ギドラ出現後に怪獣たちの細胞を回収、生体組織を研究すると共に、そこから応用して生物兵器の開発に着手したこと、及び当該研究費用を政府主導の緊急災害融資に頼ったが、それを察知した大澤配下の右翼組織による圧力で追加融資が得られず、生物兵器開発が頓挫してしまったこと。

 

そこに、中国政府系企業を親会社に持つZAIAエンタープライズが出資し、たまたま城南大学の矢野教授が解明したギドラ体組織が変化した青い結晶体の研究と、結晶体の化学変化を元にしたメタンハイドレート採掘技術の確立が中国にわたってしまったこと。

 

さらに、スマートブレイン社の研究員だった伊藤昭・ミチル夫妻による、『ギドラ体組織とゴジラ細胞の結合による超高エネルギー出現』の研究・・・。特に、ギドラ細胞を構築する未知の元素と混じり合うことで、ゴジラ細胞が急速に活性化するという研究結果。

 

そして、当初何も知らず、学会の爪弾きとされていたが自身の発見を高く評価してくれたことで研究に協力していたが、研究の兵器転用に気づいた矢野教授が、自身の倫理観を基に日本政府中枢にスマートブレイン社で行われていた研究内容を密告したこと、それがスマートブレイン社、果ては中国政府の知ることとなり、大澤の手引きで豪華客船『あかつき号』に乗船、九州南西海域で極秘裏に別の船へ移り、持ち出したゴジラ細胞とギドラの青い結晶と共に日本政府監視下に置かれるはずだったこと。

 

スマートブレイン側も、矢野教授と懇意にしていた伊藤夫妻と、その娘たちであるまさみ・ちひろ姉妹をあかつき号に乗船させ、研究材料の奪還と矢野教授の「抹消」を図っていたことにも触れられていた。

 

そして原因は不明だが、矢野教授と伊藤親子らごと、あかつき号は沈没してしまった。さすがに船ごと沈没してしまうのはスマートブレイン社も、背後の中国政府も想定外だったらしく、失踪する前に話せた稲村のネタ元もかなり混乱している様子だったという。

 

小屋の外で音がした。日本製のジープが停車し、中から長い白髪頭の老人が降りてきた。グミピという、今年97歳になる村の長老だった。

 

荷物を運んできたチリチリ頭の運転手は、近藤を軽蔑した目で一瞥するとさっさと行ってしまった。村人全員に歓迎されているわけではないのだ。

 

「参った参った、昨日の大雨で山の火がすっかり消えてしもうてな」

 

グミピ長老は流暢な日本語で話しかけてきた。76年前の太平洋戦争の最中、当時陸軍曹長として参加した大澤の部隊がニューギニア戦線に投入された際、現地の先達を務めたのがグミピだったそうで、大澤とはその頃からつきあいがあると話していた。

 

戦争終了後も、グミピの土地に眠る貴重な鉱山資源を日本の商社へ売ることで大澤は政商として芽を伸ばし、戦後の日本社会に隠然たる力を保ち続けたのだという。

 

「長老、山火事が消えて参った、はないでしょう。いつこっちへ飛び火するかわかったものじゃない」

 

ここ数日、ニューギニア島に拡がり続けた山林火災は日本の四国に相当する範囲を焼き、立ち昇る煙はジュゴの村にも及んでいた。ひどいときは大気中に煙が充満して一日中目が痛み、水を浴びても植物が焼ける臭いが身体から離れないときもあった。

 

「いいや、もしかしたら、村に飛び火してしまった方がかえって安全かもしれんでの」

 

クックック、と笑うグミピ長老に、近藤は怪訝な顔をした。州政府が派遣した消防隊がこの村を拠点に山へ入っていくのを見たことがあったが、不思議なのは消防に用いるポンプも、あるいは消火剤も持たず、チェーンソーやハチェット程度の装備しか用意していないことだった。

 

「どれ、お前さんに書簡だ」

 

どうやら長老は、朝から麓の街へ降りていたらしい(といってもここから片道3時間はかかるが)。

 

「オオサワからだ。ほとぼりが冷めたから来月はじめにも戻ってきなさい、とな。支度を手伝うから、明日にでも麓のフリジャヤナまで降りなさい。3日後、ジャヤプラを出る台湾船籍の貨物船に臨時船員として乗船するよう手配してある」

 

グミピ長老が言ったことも上の空、近藤は長老が持参した幾日分かの日本の新聞と雑誌に夢中になっていた。普段は新聞など読まないが、こうして情報が極端に得られない原始生活を送る村においては、普段忌み嫌う新聞も貴重な情報源だった。

 

「日本はおろか、米国も英国もカナダも韓国も・・・。怪獣のためにひどく損耗している。元気なのは中国くらいなものだ。今朝も麓で、バチ当たりの華人商人が山に入っていきよったて」

 

言いながら、グミピ長老は荷物の中から黄色みがかった液体が入った瓶を取り出した。

 

「どれ、晴れて、お前さんの帰国が決まったんだ。旅立ちを祝して、お前さんと一献傾けたくての」

 

ココナッツを原料とする酒らしく、小さな木製の盃になみなみと注ぎ、盃を互いの額に当てる地域の乾杯に従い盃を交わした。日本のどぶろくに松脂を混ぜたような独特の風味が強いが、決して呑めない味ではない。日本式の駆けつけ3杯に慣れているのか、グミピ長老はすぐさま盃を飲み干し、近藤にも求めた。

 

軽くほろ酔い気分になったところで、またあの山火事の臭いが漂ってきた。

 

「ほう、また火を拡げたようだの」

 

グミピ長老の言葉に、近藤は怪訝な顔をした。

 

「長老、さっきも訊いたが山火事が拡がって嬉しそうにするのはどういうわけだ?」

 

近藤が訊くと、グミピ長老はじっと近藤の目を見据えてきた。

 

「太平洋戦争のとき、若きワシは初めて異国の人間に出会った。日本という国から来た若者たちでの。そのときの兵隊たちと、お前さんは同じまっすぐな目をしておるの」

 

「ん〜、悪い気はしないが、それがなんだって?」

 

「お前さんと、お前さんの先人たちに敬意を表し、事情を話すとしよう。ワシらはの、わざと山に火を放った」

 

それを聞いた近藤は顔色を変えた。その様子に、グミピ長老はカッカッカ、と乾いた笑いを発した。

 

「長老、笑い事じゃないだろ」

 

「いやなに、お前さんの国のテレビ芝居。水戸黄門が好きでの。この笑い方もクセになりよってからに」

 

グミピ長老は盃を置くと、「来なさい。お前さんを信用して、見せたいものがある」と言って小屋を出た。杖を使わず、まったく曲がっていない背筋を張って矍鑠と歩く様は威厳があり、村人たちが尊敬の眼差しをしてくるのも納得だ。

 

その後ろを歩く近藤に、敵意ある視線を向けてくる者、不可解に疑いの意識を眼差す者、あるいはにこやかに笑顔を浮かべる者、さまざまだ。もしグミピ長老の斡旋がなければ、いまごろ木に縛られて生皮を剥がれ、生きたまま首をちょん切られていたのかもしれない。

 

そんなことを想像していると、村のはずれにある山際の祠に案内された。祠を守護しているのか、腰蓑をまとっただけの2人の若者が錆びついた刀を持って立ち上がり、近藤に敵意溢れる顔を向けてくる。グミピ長老が何かを告げると納得したように腰を下ろし、近藤には興味を失ったように注意を向けて来なかった。

 

「この島に住む者たちは、部族ごとにこうして祠を祀り、大地を治める精霊に祈りを捧げる。お前さんの国じゃて、部族の集落に神社や寺があるじゃろうて。まったく同じじゃ」

 

祠の扉を開けると、グミピ長老はランプに火を灯した。陽光溢れる外とは別世界と思えるほど、祠の中は暗かった。

 

ランプが照らされると、中がおぼろげながら認知できた。中には石に彫られた文字と絵のようなものが数点、そして中央には近藤ほどの背丈をした石板のようなものが鎮座していた。

 

「・・・これ、何が書かれているんだ?」

 

内側に並べられたA4程度の石板群には、現地の文字で何かが彫られていた。

 

「ここは紙なんぞ高級品はなかなか手に入らぬ。よしんば手にしたとして、この通り高温多湿の土地じゃ。すぐ腐り果ててしまう。よって昔から村に記録を残す場合のみ、こうして古からの文字を使って石に彫っておったのだ」

 

カビのような苔が生じている石板を懐かしそうに見るグミピ長老。

 

「76年前。あのときもとりわけ暑い年じゃった。太平洋戦争が拡大しアジアからオセアニアを舞台に、連合国と日本との壮絶な戦闘がこの島でも繰り広げられた。そのことは、お前さんも知っておるだろう。オオサワの部隊が島に到着したとき、若き日のワシは日本軍の案内役に指名された。小さい頃からわんぱく坊主で、山の中を駆け回っていたおかげで地理に明るかったのが理由だろうて」

 

グミピ長老は静かに目を閉じた。瞼の裏に、当時の記憶を映し出しているかのようだった。

 

「連合国との戦闘で命を落とした兵士より、風土病や熱射病で死んでいった兵士たちが圧倒的に多かった。ワニや大蛇といった野生動物にやられる者も、な。右も左もわからぬ土地に送り込まれて、故郷を偲びつつ命を失っていく様は、いつの世も悲惨なものだの。そんな混沌と凄惨な空気を読み取ったのだろうか、滅びの獣が目覚めたのだ」

 

グミピ長老は額に指を当て、それから石板をその指でなぞった。詳しくはわからないが、死者を弔う部族の祈りに思えた。

 

「村の長老から、よく聴かされておった。その獣がひとたび目覚めれば、この世滅ぶ、とな。おとぎ話で聴いていたその獣が、あるとき突然森の中の泉で喉を潤していた日本兵を喰らった。声も上げる間もなく、一陣の風と共に喰らい去ってしまったのだ。案内役のワシも、何やらわからず右往左往しているうちに、次から次へと喰らわれる日本兵と、部族の仲間・・・。ようやく態勢を整え、歩兵銃や機関銃で応戦したが、奴らは群れで現れ、抵抗空しく次々と喰われていった・・・」

 

「長老、そりゃまるで・・・」

 

「怪獣、といいたいのかの。今の言葉で表すなら、そうなのじゃろな。ゴジラやアンギラスといった人智外の獣と同列を為す存在なのだろうの」

 

「待ってほしい。それじゃ、旧日本軍はゴジラが出現する10年前に、ここニューギニアで対怪獣戦闘を行ったってことか?」

 

「というても、ワシら人間よりチョット大きい程度。そう、この祠ほどの大きさだったがの。とはいえ奴らは群を成す上、空からものすごい速さでワシらを喰らおうと迫ってきよるでな。ようやく照準を合わせられた矢先、奴等に喰われた兵士は数知れん。それでも、生き残った部隊は谷間の岩場に逃げ込み、岩を盾に反撃を始めた。ロクに扱いもできない歩兵銃でも、1匹、また1匹と仕留めることに成功していった。だが弾薬も限りある上、この環境下じゃ。銃の不発も目立ってきよっての。ジャングルに身を潜めながら、必死に村まで戻ったときには、200名の部隊が30名足らずになっていた」

 

近藤は息を呑んだ。側から見れば作り話、あるいは突拍子もない話なのだが、とてもグミピ長老がホラを吹いているようには思えなかった。

 

「村に戻ったワシは、長老たちにありのまま起きたことを伝えた。すると長老らは血相変えて慌て出し、生き残ったワシらに水牛の血をかけて身を清め、悪魔の呪いを消し去る儀式を執り行うと同時に、近隣の部族たちに使いを走らせ、やがて山に火を放ったのだ」

 

「・・・それが意味すること、となると・・・」

 

そう言うと、グミピ長老はゆっくり頷いた。

 

「古くは部族間の大規模な争いから、強烈な寒波や熱波、大地震や大噴火。そういった異常事態が起こると、奴等は決まって目をさますらしい。伝承通り、山ごと・・・ときには山深くの村や集落ごと・・・火で焼き払うことで、奴等を焼き殺して繁殖を防いでいたらしい」

 

「繁殖??」

 

「左様。奴等が恐ろしいのは、人間を喰らうこと、矢も銃も届かぬ空から襲い来ることもあるが、瞬く間にその数を拡げる生殖能力だと伝わっておる。そしてこれらが時を経て成長さすれば、餌場を求めて他の大陸へ渡るそうな。恐ろしいことじゃて・・・」

 

「しかし、もし山火事でも焼き殺せなかったときは?というか、そいつはいったいなんなんだ?」

 

「山を大きく焼くのには、もうひとつ理由がある。かつて、天界から邪悪な獣を打ち払うべく舞い降りた【神の獣】がおったそうな。その獣は炎や火山から噴き出す火の水、あるいは落雷や山奥にある光る石を食糧としておってな。滅びの獣に対抗すべきときは、広く山を焼いて神の獣を召喚せんとせよ、とな」

 

いよいよ近藤が神妙極まる顔をしたとき、グミピ長老は大きな石板の中央、窪みになっているところに祀られた、ごく淡く緑色に輝く石を取り出した。

 

「・・・これは?まさか」

 

「日本人ならわかるかの。この石が強く輝くとき、神の獣はその力を強め、滅びに抗うそうな。そしてこれは、1年ほど前から輝き始め、ちょうど2週間前くらいかの。あかつき号が沈没したその日、ひときわ強く輝いてきた。だがの、昨日の夜、今度は急激に輝きを弱めつつある」

 

グミピ長老はその石を、近藤に渡した。

 

「ワシは村を離れられん。何が起こっているのか、おまえさんに確かめてもらいたいのだ」

 

戸惑いつつも、近藤はその石をまじまじと見つめた。どこからどう見ても、それは勾玉だったのだ。

 

「本当は聖なるもの、邪悪なものの名を口にすることは禁忌とされておるがの。この大きな石板には、こう書かれておるのだ」

 

グミピ長老は部族伝統の文字なのか、はたまた別の言語なのか判別がつかない文字を指でなぞりつつ、読み上げた。

 

「最後の希望、ガメラ。時のゆりかごに託す。禍の影、ギャオスと共に目覚めん・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




怪獣総進撃2020 完


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