比企谷小町の入学祝い! (スポポポーイ)
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比企谷小町の入学祝い!

 四月を迎え、入学式とか始業式が滞りなく終わったある日のこと。

 前触れもなく彼女は奉仕部の部室へとやってきた。

 

「やっはろーでーす!」

 

 真新しい総武高校の制服を身に纏い、ピョコンと揺れるアホ毛と、チラリ覗く八重歯を煌めかせた一人の少女。

 比企谷小町。奉仕部に所属する比企谷八幡の妹であり、今年入学したてのピッカピカの一年生。

 元気よく右手を頭上に掲げて挨拶をする姿はまさにナチス式敬礼そのもの。きっとヨーロッパ辺りからクレームが届くに違いない。

 

「小町ちゃん、やっはろー!」

 

 真っ先に応えたのは今日も元気だお菓子が美味い。

 色んな意味で総武高校の最終兵器の名を欲しいままにする由比ヶ浜結衣。

 

「入学おめでとう、小町さん」

 

 そう言って、華麗に優美にいそいそと、手早く素早く紙コップに紅茶を注ぐのは奉仕部部長たる雪ノ下雪乃。

 なんかちょっとそわそわしてるのは、きっとこういう形で彼女に紅茶を飲んでもらう機会があまり無かったからだろう。

 

「お前、何しに来たの?」

 

 無愛想全力全開で気怠く疑問を呈するのは主人公の比企谷八幡。

 でも内心、妹の制服姿が感慨深くて油断すると涙がちょちょぎれちゃう今日この頃。

 

「今日は、色々とお世話になる予定の皆さんへ小町の入学祝いを渡しにきました!」

「……は?」

「え?」

「うん?」

 

 よくぞ聞いてくれましたとばかりに、腰に両手を当てて質問に答えた比企谷小町。

 雨後の筍の如く、頭上でクエスチョンマークをニョッキニョキ生やして首を傾げる奉仕部の三人。

 

「小町さんや、入学祝いは入学する奴が貰うもんであって、引っ越しソバみたいに御裾分けするもんじゃないのよ」

「何言ってるの、お兄ちゃん。そんなの知ってるよ。当然じゃん」

「……なあ、雪ノ下。俺の妹は受験ノイローゼで認知症にでもなってしまったんだろうか」

「素人判断は禁物よ、比企谷くん。まずは一度家に帰ってもらってご家族で話し合ってもらいましょう。それが一番だわ」

「真っ当なアドバイスと見せかけた面倒事の押し付けをどうもありがとう」

 

 とりあえず、隙さえあればイチャイチャ軽口を叩くスタンスの二人。

 

「あー……、小町ちゃん。あたしたちは気持ちだけもらっておくよ。だから、あたしたちの分は小町ちゃんの学校生活に役立ててもらえたら嬉しいかな」

「由比ヶ浜が……」

「至極真っ当な返答をしているですって……」

「どういう意味だっ!?」

 

 愕然とした表情を浮かべる二人に対し、激おこ分福茶釜並みのプンスカで抗議する由比ヶ浜結衣。きっとお臍でお茶とか沸かせるに違いない。

 

「そーですか、わかりました。結衣さんがそこまで言うなら、小町も無理にとは言いません」

 

 残念そうに溜息をひとつ。比企谷小町が踵を返し、奉仕部を去ろうとして──

 

「せんぱーい。お仕事いかがですかー?」

「間に合ってまーす」

 

 比企谷小町は新たに登場してきた人物を獲物へと定めた。

 

「これはこれは生徒会長様。こちら小町からの入学祝いです。お近づきのしるしにどうぞどうぞ」

「え? あ、はい。これはご丁寧に……」

 

 ペコペコ頭を下げ合いながら、比企谷小町が制服の内ポケットから取り出した封筒を受け取る一色いろは。

 彼女の頭の中で『仕事を頼みにきたら入学祝いをもらった件』というタイトルのスレッドが立ったとか立たないとか。

 

「おいなんだ、それ?」

「まさか、現金の類ではないでしょうね……?」

「お米券とか……?」

 

 果たして、入学祝いにお米券をもらって喜ぶ女子高生はいるのだろうか。いや、いない……はず。

 

「なんですか、これ」

「どうぞ、遠慮なく使ってくださいね!」

「……使う?」

 

 そう言われると気になっちゃうお年頃の一色いろはが、封筒を開いて中に入っていた数枚の券を取り出した。

 出てきたのは、こちら。

 

 

 【お兄ちゃんが膝枕してくれる券(一枚一時間)】

 

 

 奉仕部の部室が静まりかえった。

 

「なん…だと……?」

 

 寝耳に水な様子の当事者代表お兄ちゃん。

 

「ヒッキーの…膝枕……?」

「なん…ですって……?」

 

 まさかの中身に唖然とするお二人。

 

「ちなみに、ここに余ってる入学祝いがまだ二つありまして……」

 

 

 【お兄ちゃんが腕枕してくれる券(一枚一時間)】

 【お兄ちゃんを膝枕させられる券(一枚一時間)】

 

 

「……ほう?」

「「 っ!? 」」

 

 ニヤリと意地悪そうに笑う比企谷小町と一色いろは。

 反対に、愕然とした表情でそれを見つめる雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣。

 

「本当は雪乃さんと結衣さんに渡そうとしたんですが、お気持ちだけで……と断られてしまいまして」

「な、なんだってー!? もったいないお化けが守護霊なわたしとしては放っておけない問題ダナー。よーし、ここは生徒会長であるわたしが全部貰ってあげm」

 

 

「「 一色さん(いろはちゃん)? 」」

 

 

 即興の茶番劇は強制終了となった。

 

「……」

「……」

「……」

 

 無言でプレッシャーを放つ奉仕部二人と、引き攣った笑顔で応える生徒会長。

 比企谷小町はそんな三人を眺めながら満足そうに一つ頷き、兄である比企谷八幡へと向き直る。

 

「じゃ、小町は用事終わったから先に帰るであります。お兄ちゃんは?」

「……今すぐ帰りたいけど、それやったら後が怖いから最後まで見届ける」

「了~解! 生きて帰ってきてねー!」

 

 その後、ガンジーが裸足で逃げ出すレベルの超平和的な話し合いによって、比企谷小町の入学祝いは彼女たち三人による厳重管理のもと、三等分されることと相成った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──あ、お久しぶりです! これ、小町からの入学祝いなのでどうぞ!!

 ──え? あ、うん。ありがと?

 

 

 彼女たちはまだ知らない。

 後日、比企谷小町が行く先々で散蒔いた入学祝いが、奉仕部へ風雲急を告げることになると……。



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城廻めぐりの入学祝い!

 新入生も新しい学校生活に馴染んできたであろう今日この頃。

 絶賛開店休業中ないつもの奉仕部へ、一人の依頼者がやってきた。

 

「こんにちはー」

 

 ふわっとほわっとほんわかと、にこやかに挨拶しながら入ってきたのは前生徒会長でもある城廻めぐり。

 卒業生なので、その出で立ちは制服姿ではなく私服姿である。淡い色のシャツワンピとレギンスに白のロングカーディガンという春コーデが実にラブリーでチャーミング。別にポケットなモンスターで悪事は働かない。

 

「あれ、城廻先輩?」

「……お久しぶりです」

「久しぶりだねー」

 

 お菓子をポリポリしながらぽややんと問いかける由比ヶ浜結衣と、どこか怪訝そうな表情で挨拶を交わす雪ノ下雪乃。

 

「比企谷くんもお久しぶりだー」

「……うす」

 

 のんびり依頼者用の椅子に座りながら、城廻めぐりは小首を傾げるように比企谷八幡へと声を掛ける。彼女の特徴でもある二つのお下げがユラリヒラリと左右に揺れて、ふわりとリズミカルに踊るそれはマジめぐリズム。

 

「それで、卒業した城廻先輩がなぜここに? なにか依頼でしょうか?」

 

 紙コップに注いだ紅茶を差し出しながら、部長の務めとばかりに雪ノ下雪乃が確認の声を上げた。

 渡された紅茶をフーフーしながら一啜り、美味しいねとふにゃりと笑った彼女は、何やら持っていたトートバッグの中をガサゴソと。

 

「実は、今日はOGとして様子を見に来てね。さっきまで一色さん達の生徒会室にいたんだ」

「なるほど。それで……?」

「そしたらね、比企谷くんの妹さんを名乗る子が遊びに来てて、ちょっとお話したんだよ」

「……なにやってるの小町ちゃん」

 

 城廻めぐりの口から飛び出た実妹の存在に顔を顰める比企谷八幡。お兄ちゃんは気苦労が絶えません。

 

「あ、その反応は本当に兄妹なんだね?」

「うちの妹が迷惑をかけたみたいでスミマセン」

「ううん、全然! 私もいろいろお話が聞けて楽しかったから」

「……そっすか」

 

 ふんわり朗らかに微笑む城廻めぐり。

 どうにも気恥ずかしくなって顔を背けてしまう比企谷八幡。

 

「そ、それで! 城廻先輩はどうして奉仕部に!?」

 

 なんかいい雰囲気を感じ取ったらしい恋する乙女が割って入った。

 そのツッコミにそうだったそうだったと頷きながら、城廻めぐりはトートバッグから取り出した一枚の紙を奉仕部三人の前に掲げる。

 

「そのときに、比企谷くんの妹さんからこの入学祝いをもらったんだー」

 

 

 【お兄ちゃんがあすなろ抱きしてくれる券(一枚一時間)】

 

 

 その瞬間、奉仕部の空気が凍りついた。

 

 

 

 *   *   *

 

 

 

 『あすなろ抱き』

 まあ、簡単に言えば男性が後ろから女性を抱きしめる構図である。詳しくはネット見ろ。

 

「それでね、貰ったのに使わないのもどうかと思って。それにほら、私はもう卒業しちゃったから、なかなか比企谷くんを捕まえられないから余計にね?」

 

 なんか部室の気温がガクッと下がったのも気にせず、城廻めぐりは話を続ける。

 

「だからといって……」

「そ、そーですよ、先輩。その券はこちらで回収しますから、先輩は気にしなくて大丈夫ですよ!!」

 

 難色を示す二人の部員。

 それもそのはず、実は以前配られた入学祝いはまだ誰も使っていないのだ。

 気恥ずかしかったり、なかなか勇気が出なかったり、平然と使おうとして他の二人から睨まれたりした所為で……。

 

「ね、どうかな? 比企谷くん」

「どう、と言われましても……」

 

 お客さん第一号と、まさか本当に使う奴なんていないだろと高を括っていた担当者。

 

「ぜ、絶対にダメよ、比企谷くん! そんなことをしたら、事案として通報するわよ!!」

「そーだよ、ヒッキー! まじキモいから!!」

「……態々言われんでも分かってるよ」

 

 軽く溜息を吐きつつ、いまもニコニコと和やかに微笑む城廻めぐりへ彼が向き直る。

 

「まあ、という訳なんで入学祝いは無かったことに……」

「ヤダよ」

「……してほしいんですけどぉぉぉお?」

 

 入学祝いの利用を断る比企谷八幡と、それをお断りする城廻めぐり。

 おや? 雲行きが怪しいぞ……?

 

「……城廻先輩。奉仕部部長としてその依頼はお断りさせていただきます」

「これは私が比企谷くんの妹さんから貰ったもので、そのサービスの担当者は比企谷くんだよね? なら、奉仕部は関係ないよ」

「ひ、ヒッキーも嫌がってますから!」

「なら、その言葉は入学祝いを配り歩いてる妹さんに言うべきじゃないかな? 自分たちが貰って使うのは良いけど、他の人はダメなんて通らないと思うけど?」

「……キョウモイイテンキダナー」

 

 頑なに抵抗する女子高生二名と、頑として譲らない女子大生が一名。

 唯一の男子は現実逃避するように遠い目をしている。

 

「どうしてもダメ?」

「ええ、認められません!」

「そ、そうだし!」

「そっか……」

 

 やがて、何かを諦めたように首を左右に振る城廻めぐり。

 彼女はトートバッグからスマートフォンを取り出すと、二人の前で意味ありげにフリフリする。フリフリ!

 

「本当はこんな手は使いたくなかったんだけど……」

「こ、こんな手……?」

 

 フリフリしながら残念そうに俯く城廻めぐりと、フリフリが気になって警戒する雪ノ下雪乃。フリフリ!

 

「この券を使わせてくれないなら……」

「なら……?」

「ここに、はるさんを呼ぶよ?」

「…………た、大変不本意ですが、その券の使用を認めます」

 

 ──めぐりん は 魔王を 召喚しようとした。

 ──ゆきのん は 逃げ出した。

 

「ゆきのん!?」

「良く考えてちょうだい、由比ヶ浜さん。もしこの券の存在を姉さんに知られたら、絶対に今以上に面倒臭いことになるわ」

「……うっ、否定できない」

 

 ペロリと舌を出して、小悪魔めいた笑みをみせる城廻めぐり。

 彼女は茫然とする比企谷八幡へとすすすっと近づき、先ほどの券を彼へ手渡しながら告げた。

 

「という訳で、お願いね? 比企谷くん!」

「……マジか」

 

 こうして、記念すべき一人目のお客様は、城廻めぐりと決まった。

 

 

 

 *   *   *

 

 

 

「これは……あすなろ抱きと呼べるんでしょうか?」

「後ろから抱き締めてくれてるから、まあ同じじゃないかな?」

 

 彼女が言ったのだ。

 お互い、さすがに一時間も立ったままなのは辛いから椅子に座ってやろうよ、と。

 

「比企谷くん、重くない?」

「……いえ、全然平気です」

「いまの間はどう解釈すればいいのかな?」

「めぐりんマジ羽のように軽すぎて羽毛布団の如し」

 

 彼女の提案に、少しでも楽ができるならと比企谷八幡は頷いた。

 そして、彼女に促されるまま椅子に座った彼の膝の上へ、城廻めぐりは腰を下ろしたのだ。あまりの事態に彼は珍しく思考を放棄したけど。

 

 ちなみに、見られるのは恥ずかしいからと他の部員二名は部室から退出させられている。

 梃子でも動こうとしない乙女二名だったが、城廻めぐりが無言でスマホをフリフリしたらスゴスゴと出て行った。フリフリってすごい!

 

「ねえ、比企谷くん。このまま寄りかかっても良い?」

「え? あ、はい。……はい?」

 

 状況についてゆけず、さっきから困惑しっぱなしの比企谷八幡。

 上の空な返事を肯定と受け取り、城廻めぐりがヨイショと深く座り直し、背中を彼の胸へと預ける。

 

「……よし、良い感じだ!」

「……うっす」

 

 あすなろ抱きをしている関係上、彼の両腕は城廻めぐりの肩から前へと渡され、彼女の胸の前で交差している。

 そのため、どうしても前屈みな姿勢となっている比企谷八幡。今、彼の眼前には彼女のうなじがダイレクトアタックで比企谷八幡の精神が刻々とゴリゴリ音を立てて掘削中。ゴリゴリ!

 目のやり場に困った彼が、思わず天を仰ぐ。

 

「……」

「……」

 

 預けられた彼女の背中から、ほんのりと感じることができる城廻めぐりの温もり。

 制服越しであるはずなのに、ポカポカと伝わるその温かさがどうにも落ち着かない。

 

「城廻先輩は……」

「うん……?」

 

 ゆっくりと流れる二人きりの時間。彼は考える。自分の膝の上で鼻歌を歌いながら、機嫌良さそうに足をプラプラさせている彼女のことを……。

 

「どうして、この券を使おうなんて思ったんです?」

「どうしてかー。どうしてだろうねー?」

 

 彼が知っているのは、昨年まで見ていた彼女の背中だけ。

 全校生徒の代表として、最上級生として、前を歩く彼女の後ろ姿は、小柄な彼女に似合わず、とても大きな背中だったと比企谷八幡は思い出す。

 

「……そうだね。もう、卒業したからかな?」

「卒業したから……ですか」

 

 いま彼の目の前にいる彼女の後ろ姿。

 小柄で、華奢で、とても生徒会長なんて重責を全うしたとは思えないほどの小さな背中。

 

「あ、念のために言っておくけど、私は誰にでもこんなことをお願いするような子じゃないよ?」

「っ……。そうっすか」

 

 器用に首と肩だけを捻らせて、城廻めぐりは振返る。

 抗議するように少しだけ頬を膨らませて、彼女は比企谷八幡を仰ぎ見た。

 

「比企谷くんはさ、成長したよね」

「……そうですか?」

 

 再び正面へと向き直って、彼女は懐かしむように言葉を紡ぐ。

 

「文化祭で知って、体育祭で気がついて、生徒会選挙で思い知った」

「……」

 

 黙り込む彼を慮るように、城廻めぐりは自身の眼前で所在なげに揺れる比企谷八幡の両腕をそっと抱き締める。

 

「きっとそれ以外にも、君は奉仕部で……雪ノ下さんと、由比ヶ浜さんの三人で、私の知らない色々な経験をしてきたんだよね」

「そう……ですね」

 

 まるで成長した小さな子どもを褒めるように、慈しむように、彼女は優しくふわりと笑う。

 

「真面目な子かと思ってた、危なっかしい子だなって思った、盲目的な子なんだなって思えた」

 

 一般生徒と生徒会長。部員と依頼者。それがこれまでの彼と彼女の関係だった。

 

「確かに私は君のことを全部知っているわけじゃないよ。むしろ知らないことの方がいっぱい。でもね、それでも推測することはできるんだ。近くに居なくても、傍に居られなくても、遠くから見守ることはできたから」

「それは……」

「雪ノ下さんと由比ヶ浜さんはもちろんだし、一色さんにはるさんや平塚先生だってそう。比企谷くん、君は依頼を通して色々な人から影響を受けたはずだよ」

「……はい」

「そして、それは君だけじゃない。雪ノ下さんと由比ヶ浜さんの二人や、依頼に関わった様々な人たちが比企谷くんから沢山の影響を受けている」

「……」

 

 もちろん、私もその一人、そう言って彼女は比企谷八幡の腕に抱かれたまま体を横に向け、横座りのような態勢で座り直す。

 先ほどまでと違い、二人の顔が至近距離で向かい合った。

 

「女の子はね、そうやって自分に良い影響を与えてくれる男の子は、大なり小なり気になるし、どうしたって意識しちゃう」

 

 動揺と羞恥と疑心が支配する彼のパーソナルスペースに、彼女がするりと入り込む。

 目と目が合えば、お互いが相手の瞳の中に自分の顔を視認できる距離。

 城廻めぐりが、はにかむように頬をほんのりと赤らめて、それを誤魔化すように彼女は悪戯気に微笑んで、潤んだ瞳でぽそりと囁く。

 

「君は、そういう男の子なんだよ」

 

 彼女の濡れそぼった唇が、そっと彼の唇と重な──

 

 

「「 だ、ダメェェぇえええええええええええええええええええええええ 」」

 

 

 ──る直前で、二人の乙女が待ったをかけた。

 

 

 

 *   *   *

 

 

 

 ジト目を向ける城廻めぐりに、顔を真っ赤に染めてプシュープシュー頭から蒸気を出してる由比ヶ浜結衣が声を荒げる。

 その横には、同じく顔を赤くした雪ノ下雪乃が何か言いたいけど言葉が出て来なくて口をパクパクさせていた。ポンコツのん!

 

「じ、時間! もう一時間経ちましたから! だから、そこまでだし!!」

「……なら、仕方ないか」

 

 溜息一つ、名残惜しそうに彼女は比企谷八幡の膝の上からすっくと立ち上がった。

 そして、彼はと言えば、こちらはホッと安堵の溜息を吐きながら彼女と同じく立ち上がる。

 

「比企谷くん、今日はありがとうね」

「……う、うっす」

 

 覗きこむようにして顔を近づけ、柔らかく微笑みながら城廻めぐりがお礼の言葉を述べる。

 対する比企谷八幡は、もうなんか居た堪れないぐらい語彙力皆無な反応しか返せなかったけれど……。

 

「あ、そうだ。ねえ、比企谷くん?」

 

 帰り支度を整えた彼女が、ふと何かを思い出したように比企谷八幡へと声を掛けた。

 

「……なんすか?」

「実はこれなんだけど……」

 

 警戒心バリバリな彼の返答に苦笑しながら、城廻めぐりが両手で彼の目の前へと差し出したモノ。

 

 

 【お兄ちゃんが遊園地デートしてくれる券(一枚半日 ※お泊りNG!)】

 

 

「私が貰ったのはさっきの一枚だけじゃないよ? はいこれ、次の予約だから!」

 

 そう言うと、彼女は比企谷八幡の手を取って、自身の連絡先が書かれたポストイットとともにその券を手渡した。硬直する彼と唖然とする他の部員二名をさくっと無視して、城廻めぐりはスタスタ歩いて部室の扉をガラリと開ける。

 彼女が部室を出る間際、未だに固まっている彼へと視線を向けると、少し不貞腐れたように頬を膨らませた。

 

「むぅ……。比企谷くん、何も言ってくれないの?」

「マ、マタノゴリヨウヲ オマチシテオリマス」

「うん。それじゃあ、またね」

 

 そうして、城廻めぐりは登場時と同じくふわっとほわっとほんわかと、にこやかに挨拶しながら帰っていったのだった。



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川崎沙希の入学祝い!

 

 ある日、彼女はふらりと奉仕部へやってきた。

 

「これ」

 

 簡潔にもほどがある物言いで、彼女──川崎沙希が指に挟んでピッと見せつけたモノ。

 

 

 【お兄ちゃんが手を繋いでくれる券(一枚一時間)】

 

 

 何とも可愛らしいお願いだった。

 

「お前もかよ……」

 

 呻くようにこぼす比企谷八幡。

 

「……いったい、小町さんは何人に渡しているのかしら」

 

 頭痛を堪えるようにこめかみの辺りへ手を当てる雪ノ下雪乃。

 

「ちょっと小町ちゃん問い詰めるね……」

 

 ハイライトが消えた瞳で重く低く呟く由比ヶ浜結衣。

 

「……だから、早く使いましょうって言ったんですよぉ」

 

 半眼で先輩二人へ非難の眼差しを向ける一色いろは。

 

「あとこれも」

 

 だが、今日の川崎沙希はそれで終わらない。彼女の追撃の一手。

 

 

 【お兄ちゃんが帰宅デートしてくれる券(一枚四時間 ※お泊りNG!)】

 

 

 まさかの二枚同時使用。確かに注意書きには併用できないとは書いていない。

 

「でもってこれね」

 

 

 【お兄ちゃんが手料理を食べてくれる券(一枚一食分 ※おかわりは無限大!)】

 

 

 サキサキによる三位一体の攻撃はトドメの一手で決定打。

 こうして、栄えある二人目のお客様は川崎沙希と相成った。

 

 

 

 *   *   *

 

 

 

 奉仕部を後にした川崎沙希と比企谷八幡。

 他の部員+αは、なぜか川崎沙希がスマホをフリフリしたら黙ったらしい。先日、偶々出会ったとある前生徒会長が教えてくれたんだって。フリフリってすごい!

 

「……」

「……」

 

 今、彼と彼女は隣り合って歩いている。

 お互い自転車通学なお二人だけど、今日は徒歩で帰宅中。だって自転車だと手を繋げないしね!

 

「……意外だった?」

「なにが?」

「あたしがこの券を使ったこと」

「……まあ、な」

 

 口数少なめに歩く二人の男女。

 お手て繋いでるのに、全然雰囲気がルンルンしてないよ、この二人!?

 

「……あんたさ、変わったよね」

「は?」

「別にあんたのこと詳しいわけじゃないけど、変わった。そう思う」

「……」

 

 最近どこかで似たような台詞を言われた比企谷八幡。

 彼はその言葉の意味を思案するように、眉間に皺を寄せた。

 

「もしかしたら、それは単にあたしの見方が変わっただけかもしれないし、知らなかっただけなのかもしれない」

「そう、かもな」

「でも、あたしから見た比企谷は、変わったんだよ。もちろん、変わってない部分もあるけどさ」

「……」

 

 二人とも、前も向いたまま歩いていた。

 お互いに視線を交わすこともなく、ただ手を繋いで、比企谷八幡と川崎沙希は並んで歩く。

 

「少なくとも、以前のアンタならあたしと手を繋ぐなんてこと、絶対に無かったんじゃない?」

「……お前もな」

 

 苦笑する彼女と、苦笑する彼。

 似たような二人は、同じような笑みを浮かべて、夕日に照らされた帰り道をゆっくり歩いていった。

 

 

 

 *   *   *

 

 

 

 舞台は移ろいで川崎家の食卓へ。

 テーブルを囲むのは二人だけ。え? 他の家族どこいった? ……大志君が上手いことやってくれました。

 

「……その、せっかく来てくれたのに…地味で悪いね」

「あ? なにが……ああ、料理のことか」

 

 彼の前に並ぶ料理の数々。

 白米にお味噌汁、生姜焼きにほうれん草の御浸しと里芋の煮っ転がし等々というラインナップ。なんというか、あれである。全体的に茶色い。

 

「別にここでフランス料理のフルコースとか出されても困るけどな。俺、テーブルマナーとか知らんし」

「それでも、我ながらこれは何というか……」

 

 ──所帯染みている。

 

「あたしも最初はもっと見栄えのするものを作ろうって思ったんだけど……」

 

 川崎沙希は考えた。

 でも待てよ……普段作り慣れてないものを作って失敗したら目も当てられない。よし、とりあえず得意料理を一品入れよう。あ、でも栄養バランスも考えて……。

 

「……で、諸々考えながら作ってたら、いつもの食卓になったと」

「……うん」

 

 ズーンと気落ちしたような彼女を尻目に、比企谷八幡は『いただきます』と感謝を示して箸を取る。

 彼が真っ先に箸をつけたのは、白米が入った茶碗……の横にそっと置かれた小鉢。

 川崎沙希から手渡された醤油を適量垂らして、グルグル箸でかき混ぜてゆく。……選ばれたのは、納豆でした。

 

「川崎の家は小粒派か」

「なに? ダメだった?」

「いんや、家は小町がひきわり派だからな。久しぶりに食べるなと思って」

 

 気になる男の子へ振舞う手料理で、食卓に納豆を出しちゃう彼女のセンス……素敵だと思います。

 

「なあ、ゴマとかあったりするか」

「あるけど……鰹節とかもいる?」

「おう、あるなら使うわ」

 

 ご馳走になる他人様の食卓で堂々と納豆のカスタマイズを始めちゃうあたり、だいぶ残念さが漂う比企谷八幡。

 そんな彼をさして気にもせず、席を立ってあれやこれやの調味料を持ってくる川崎沙希もやっぱりどこかズレている。

 

「はいこれ。一応、すりおろし生姜や梅肉とか色々持ってきたけど」

「お、マジか……迷うな」

「……男って変なところでこだわるよね。大志もよくやってるし」

「そういうお年頃なんだよ。どうせ、お茶漬けとかも無駄にゴマ油とかほんだし入れたりしてるんだろ?」

「ん、正解。……あ、青じそにしたんだ?」

「主菜が生姜焼きだからな。ちょっとサッパリ風にしてみた。わさびふりかけがあればそれでも良かったんだが……」

「……のりたまで良ければあるけど?」

「ああ、けーちゃんが好きそうだもんな」

「……ゴメン。それ、あたし用」

「ねえ、不意打ちで可愛さアピールしてくるの止めてくんない。それは俺に効く」

 

 そんな会話を挿みつつ、二人は食べ進めていく。

 お世辞にも賑やかとは言えない、けれどどこか穏やかな雰囲気。

 

「……どう?」

「ん、普通に美味い。まあ、小町が作ってくれたメシの方が美味いが」

「……そ」

 

「……」

「……」

 

「あれだ、川崎だって専門店の本格的なオニギリと、けーちゃんが作ってくれたオニギリならけーちゃんの方を選ぶだろ? そう言うことだ」

「……別に、気を使ってくれなくてもいいけど」

 

「……」

「……」

 

「少なくとも俺が作るより断然美味い」

「……ばか」

 

 比企谷八幡の記憶に残る、かつて食べたことがある手料理の味。

 川崎沙希の手料理は、まるでプロの料理人が作ったかと見紛う彼女の料理とも、一口食べたら忘れられない衝撃的な彼女の料理とも違う。

 例えるなら、母親が作ってくれたいつもの料理を食べている。そんな感覚だった。

 

「……ごちそうさん」

「お粗末さまでした」

 

 特別美味しいわけではなかった。けれど、彼がおかわりを三杯もしたということは、つまりはそういうことなのだろう。

 照れ臭そうに茶碗を差し出してくる比企谷八幡の姿を思い出して、川崎沙希は柔らかく微笑んだ。

 

「……」

「……」

 

 食後のお茶を啜りながら、二人はこの団欒のような時間があと少しで終わることを肌で感じ取っていた。

 意を決したように口を開くのは、川崎沙希。

 

「……知ったふうな口を利くのは好きじゃないけどさ」

「なんだよ、藪から棒に?」

「あんたにとって奉仕部は……あの二人は、やっぱり特別なんだよね?」

「……」

 

 窺うような彼女の言葉。少しだけ悲しそうな顔をして、川崎沙希は彼にとっての『特別な二人』について言及する。

 

「あたしが奉仕部の依頼に関わったのは数える程度だけど、そのどれでも比企谷は依頼を達成しようと尽力してたと思う。やり方はどうあれ、だけど」

「別に……。あれは依頼だったから……」

「でもそれは、依頼に対してだけじゃないんじゃない? あんたは、依頼を通した先に別なものを見てた」

「違う。俺は……」

「違うって言うなら、ならそれは比企谷が無意識的に雪ノ下と由比ヶ浜を依頼に重ねてたんだと思う。だからあんなに必死だった」

「っ……」

「……もし本当に依頼だからって理由だけで仕方なくやってたんだとしたら、あんなに必死にはならないし、真面目に向き合ったりもしない。少なくとも、あたしだったら絶対にやらない」

 

 川崎沙希は指摘する。所詮、高校の部活なのだから逃げ道はいくらでもあったはずだと。

 雪ノ下雪乃や平塚静という抑止力があったとはいえ、本当に嫌なら他にやりようはあったと。

 

「……勘違いしないでほしいんだけどさ、別にあたしは比企谷のことを責めてるわけじゃないし、糾弾するつもりもないよ」

「なら、なんだっていうんだよ?」

「きちんと自覚して欲しいだけ。あの二人があんたにとって、どういう存在なのかを」

「……」

「その『特別』が”恋愛”なのか、”友愛”や”信頼”なのか、それとも、もっと別な”ナニか”なのか、それはなんでもいいの」

 

 不器用な彼女は、だからこそ正面から真っ向勝負を挑む。

 

「あたしは、あの二人が比企谷にとって『特別』な存在でもいいし、あたしが『特別』じゃなくてもいい」

「……」

「でも、それでもあたしは……比企谷の傍にいたい」

「川崎……」

 

 不器用な彼へ、嘘偽りない気持ちを伝えてゆく。

 

「もし比企谷が、きちんと雪ノ下や由比ヶ浜を異性として、恋愛の対象として選ぶなら、あたしも諦めはつく」

「……」

「でも、そうじゃないなら、あたしはこの気持ちを諦めたくないし、諦められないよ」

「……そう、か」

「別に、今すぐ答えを出してほしい訳じゃないの。けど、この先、比企谷が誰を選ぶか考えるときがあったら、あんたのことを好きな女がここに居たってことだけは、忘れないでくれると嬉しい」

「……忘れねえよ」

 

 そう、ぽそりと呟いて腰を上げる比企谷八幡。

 彼の頬が薄っすらと赤みがさしていることに気が付いて、それがなんだか気恥ずかしくて、川崎沙希も誤魔化すように席を立つ。

 

「……それじゃ」

「うん。今日は、その……ありがと」

「……ん」

 

 なんだかロマンチックの欠片もなかった二人の放課後は、最後に少しだけラブコメって、ようやく終わりを告げた。

 玄関先で少し草臥れたローファーを履いていた比企谷八幡が彼女へと向き直る。

 

「その、料理……美味しかった」

「……そ」

「あー、気持ちも……なんだ、嬉しかった」

「……うん」

 

 ぎこちない二人のやり取り。

 だが、それは決して嫌な雰囲気によるものではない。だから、そんな空気に耐えられなくなった比企谷八幡が、慌てて玄関の扉に手を掛ける。

 

「じゃ、また明日な」

「……ねえ」

 

 そんな彼に取り縋るように、川崎沙希がちょこんと袖クイ。クイクイ!

 驚くように振返って目を丸くする比企谷八幡へ、おずおずとした様子で彼女が差し出したもの。

 

「今度はさ、これ……使っても良い?」

 

 

 【お兄ちゃんがピクニックデートしてくれる券(一枚半日 ※お泊りNG!)】

 

 

 不器用な彼女と、不器用な彼。

 二人のラブコメは、まだ始まったばかり。



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