総武高校の弟達 (スポポポーイ)
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1話

 千葉の『兄』が得てしてシスコンであるならば、千葉の『弟』とはどういう存在であろうか。

 『姉』から溺愛されるのだろうか、あるいは、虐げられるのだろうか。

 まあ、俺はシスコンでもなければ弟でもないので知る由もないのだが、多分きっとおそらく総じてシスコンなのではないだろうか(偏見)。

 

 例えば、いま目の前にいるコイツ。川崎沙希の弟である、川崎大志なんかそうではなかろうか。

 

「つまり、お兄さんの彼女に一番相応しいのは家の姉ちゃんなんすよ!」

 

 あるいは、俺の右手側で抗弁しているソイツ。一色いろはの弟を名乗る、一色 一葉(いっしき かずは)もそうだろう。

 

「いやいや、ウチのクソ姉を御することができるのは、兄貴だけだから! ここは譲れねえよ!!」

 

 もしくは、俺の左手側で形振り構わず土下座を決め込むコヤツ。海老名姫菜の弟らしい、海老名 日向(えびな ひなた)だって負けてはいまい。

 

「お願いします。兄上にもらってもらえないと、誰もあの腐った姉を引きとってくれる人がいないんです」

 

 彼らは必死だった。冷やかしでもなければ、ふざけている訳でもない。

 いたって真面目に、彼らは俺に自身の姉を売り込んでいた。

 

 そんな彼らに、俺から言えることがあるとすれば──

 

 

「とりあえず、お前ら全員後ろ見ろ。そして、いますぐ帰れ」

 

 

 額に青筋を浮かべて、彼らの後ろに仁王立ちする姉の存在。

 瞳から光を失くして、俺の後ろからプレッシャーを放ってくる部活メイトの存在。

 

 

 ……小町。お兄ちゃん、今日は生きて帰れないかも。

 

 

 

 *   *   *

 

 

 

 三月に行われたプラムだかプロムだとかいうイベントも何やかんやで何事もなく終わって季節は四月を迎えていた。

 奉仕部は何だかんだで昨年度から引き続き生存しており、今年度の初仕事は入学式のお手伝い。無論、依頼者はあざと生徒会長こと一色である。

 その入学式では小町の晴れ舞台を記憶だけでなく記録にも残すため、生徒会のお手伝いという立場をフル活用し、文化祭でも使った一眼レフを拝借して夏とか冬になると出現するローアングラー並みにシャッターを切りまくってやった。なぜかその後で雪ノ下から拘束されて画像データを没収されたが。解せぬ。

 

 総武高校に入学した小町は誰よりも高校生活を謳歌している。

 ある時は奉仕部にお邪魔して紅茶とお菓子を貪り、ある日は生徒会室に乱入してコーヒーとお菓子を啄む。そんな毎日を送っているようだ。……これお菓子食べ歩いてるだけじゃね?

 

 俺は俺で相も変わらず、部室で紅茶を啜りながら読書に耽る日々。

 そんな感じで概ね平和な日常だったのだ。今日、ここにこいつ等が現れるまでは……。

 

 最初に顔を出したのは、川崎の弟である大志だった。

 

「比企谷先輩! お久しぶりっす!!」

「帰れ」

「は?」

「良く来たなゆっくりしていけよ大志もう帰って良いぞ」

「あはは……。ヒッキー、沙希が反応した途端、一瞬で掌返して……返し過ぎじゃない!?」

 

 どういう訳かこの大志まで総武高校に合格してしまった。

 小町だけで良かったのに。小町だけが良かったのに……。

 

「遅ればせながら合格おめでとう。それと、いらっしゃい、川崎さん。なにか依頼かしら?」

「どうも。いや、あたしは大志に頼まれてここまで案内しただけだから」

「あ? 小町ならここにはいねーぞ?」

「いや、今日は比企谷先輩に相談があってきました」

「……退学の相談か?」

「しないっすよ!? ナチュラルに俺を排除しようとするの止めてほしいっす……」

「……比企谷」

「うし、なんだどうした言ってみろよ聞くだけなら聞いてやるぜ聞くだけだが」

「……この男、本当に聞くだけに留めるつもりね」

「うう……まあ、とりあえず聞いてもらえるだけで良しとするっす」

 

 雪ノ下から差し出された紅茶を一口飲み、意識を切り替えたのかキリッとした表情を浮かべた大志が口を開く。

 もしこれで『妹さんを僕にください』とかだったら、目の前の長机をひっくり返して塩を撒くところだったのだが……。

 

 

「比企谷先輩……いえ、お兄さん、姉ちゃんの恋人になってほしいっす」

 

 

 なんかガラスがひび割れるような音とともに、部室の空気が凍りついた。

 

 

「ちょっと待ったぁあああああああああああ」

 

 

 そんな空気をぶち壊す勢いで突如部室に乱入してきたソイツは、部室内を見廻し、そして俺と目が合うと猛々しく笑いながら言い放つ。

 

 

「兄貴には、是非ともウチのクソ姉と恋人になっていただきたく!!」

 

 

 滅茶苦茶な敬語とともに現れたのは、亜麻色の髪を短く逆立てて、どこか幼さの残る端正な顔立ちをした少年だった。

 こいつはあれだ、年上のお姉様から可愛がられる感じの奴だ。もちろん、同年代からもモテる。……つまりはイケメン。慈悲は無い。

 

「ちょ、一葉!? な、なななななに言ってんの!?」

 

 思わず初対面の少年に対して呪詛を放っていると、もはやこの半年ほどで聞き慣れてしまったあざとボイスが部室に響き渡る。チラリとそちらに目を向ければ、顔を真っ赤にした一色いろはがなんかオロオロしてた。……なんだこの状況。

 

「……あなたは、一色さんの弟さん、でいいのかしら?」

「あ、ご挨拶遅れました。そこの姉貴の弟で、一色一葉です」

 

 いち早く復帰した雪ノ下の問い掛けに、未だテンパっている一色を指差しながら丁寧な自己紹介で返す一色弟。……紛らわしいから一葉でいいか。

 

「くっ……、もう来たのかよ」

「当たり前だ、抜け駆けなんてされてたまるかよ! 姉貴探してここまで案内させるのスゲー大変だったんだからな!!」

「けど残念! 既にお兄さんは家の姉ちゃんの彼氏だ!!」

「な、なんだってー!?」

「……いや、なってないから」

「……」

 

 なんか、大志と一葉が喧々と言い争っている。どうやら顔見知りらしい。

 そして俺はその依頼を承諾したつもりはないぞ、大志。既成事実を作ろうとするのは止めろ。俺がお前の姉ちゃんに殺されちゃうだろ。ほら、いまもこうして睨まれてるし。……あの、もう八幡の防御力ゼロだから。そんなに睨んでも効果ないよ?

 

「ほら、姉貴もいつまでオロオロしてんだよ。今は慌ててるわたし可愛いアピールしてる場合じゃないだろ」

「そ、そんなのしてないからね!?」

「だからいーから。そんなことより、姉貴も一緒に頭下げろよ。ほら、恋人になってくださいお願いします」

「え? あ、うん。先輩、わたしと恋人になって…………はあっ!?」

「姉貴、キャラ崩れてるぞ」

「うるさいよ、このバ一葉!! あんた、わたしに何言わせようとしてんの!?」

「大志が動いたんだぞ、もう形振り構ってる場合じゃないだろ。死活問題なんだよ。……主に俺にとって」

 

 そして若干遠い目をした一葉から語られる一色姉弟の残念すぎる半生。

 一葉の話では、物心ついた頃には既に姉である一色のあざとさの片鱗は見て取れたという。恐らく、父親を手玉にとる母親から自然と学んだんだろうとのことだった。それは小学校高学年に上がる頃には顕著になり、中学校に進んだ時には学年全員の男子をジャグラーの如くグルングルン転がし倒していたというのだから始末に負えない。

 なぜ、それほどまでに一色いろはのあざとさが洗練されたのか? それは偏に弟の尊い犠牲の賜物だった。

 日夜あざとい仕草の研究に余念がない一色と、毎日のように姉につき合わされる弟の一葉。一葉も年頃の少年らしく、最初はドキドキすることもあったらしいが、それが数年も続けば達観もする。気付けば、姉の繰り出すあざとい仕草に男目線からのアドバイスや反省点などの批評を語るマシーンと化していたらしい。

 

「そこまでは、まだ耐えられたんです」

 

 問題は、一葉が中学校へ入学したときに発生した。

 そのとき既に上級生すら手玉に取っていた一色いろは。小学校上がりの初心な男子など、良いカモでしかなかったのである。

 

「毎日のように、上級生や同級生の男子から言われましたよ。姉貴を紹介してくれって」

 

 その時のことを思い出したのか、一葉の目の端に涙が溜まってゆく。それを袖で拭いながら、それでも震えるような声で話を続ける。

 

「俺は言ったんです! みんな騙されてるだけだって……本当の姉貴は、そんな可愛らしいモノじゃないってっっっ!!」

 

 きっと、こいつは根が真面目なんだろう。そして、優しい奴でもある。

 クルクルと良いように踊らされている友人や先輩を見捨てられなかったのだ。

 

「何度も説得しました。姉貴のあの親しげな仕草や時折垣間見せる可愛らしさ、一見すると自分に対する好意に見えなくもない振る舞い。あれは全部演技なんだと、狙ってやっているんだと、俺は何度も何度も必死に声を荒げました。でも、その度に声を揃えてこう言われるんです」

 

 いっそ悲壮な面持ちで、一葉はポロリと一筋の涙を零しながら語る。

 

「──『出たよ、シスコン』って」

 

 一葉が一色の真の姿を暴露する度に囁かれるシスコン疑惑。

 ときには姉の目の前で真相を語ったこともあるらしいのだが、『もう、一葉ったらぁ~。いい加減に姉離れしないとダメだよ? みんな、ゴメンね~? この子、昔っからお姉ちゃん子だったから』と躱され、終いには姉を取られたくない弟が必死にあることないこと騒いでる扱いされる始末。

 ……部室にいる全員の冷たい視線が姉である一色いろはに突き刺さった。

 

 だが、悲劇はそこで終わらない。

 一色いろはが中学を卒業し、一葉が三年生になった頃。ようやく姉の呪縛から解放された一葉は自分の青春を追い求めた。

 それまで姉のこともあり、何となく同級生の女子からは避けられていたという。だが、そこはイケメンである。新入生の女子からはすぐさま人気になり、夏休みに入る前には告白されることが多くなったというのだからまったく爆ぜろリア充がっ!!

 

「……でも、ダメだったんです」

 

 一葉だって男だ。普通に見た目が可愛い女子が好みである。

 だが、自分を可愛いと自覚している女子は自分磨きに余念がない。そして、下級生にも広まる一葉のシスコン疑惑。

 一葉はシスコン=一色いろはみたいな女の子がタイプという図式が導き出され、誤解は瞬く間に広がった。

 

「告白してくれる子の姿が、もれなく姉貴とダブるんです……」

 

 結果、大量生産される量産型いろはすの群れ。

 自分に近づいてくる女子から垣間見えるあざとい仕草。透けて見える女子の可愛さアピールと本心。一色いろはによって鍛えられた一葉に、一般JC程度の拙いあざとさなんぞ、話にならんかった。

 

「なんか見えるんですよ……楽しそうにお喋りしてる女子たちのドロドロした女子同士の本音とか、純粋そうなフリして告白してくるけど俺のことをステータス程度にしか考えてない本心とかが……」

 

 ……全俺が泣いた。

 一葉の容姿なら、華やかなリア充ライフが約束されていただろうに。

 

「一色さん……」

「いろはちゃん……」

「……お前、実の弟にとんでもないトラウマ植えつけてんじゃねえよ」

「うえっ!? や、違いますよ! わたしだってこんなことになるなんて思ってなかったと言いますか……」

「あんた、自分の弟をなんだと思ってるわけ?」

「え? それは、まあ…………都合のいい手駒?」

「ちくしょうめぇぇええええええ」

「いろはちゃん、反省する気ゼロだっ!?」

 

 頭を抱えて膝から崩れ落ちる一葉と、あ、やっべぇ素で答えちまったって表情の一色。

 川崎姉弟が呆れたような視線を一色へと向けて、由比ヶ浜が驚きの声を上げる。

 そんな中、雪ノ下がすっくと席を立つと一葉の下へ静かに歩み寄り、そっと肩に手を置いた。

 

「……分かるわ。姉に振り回されるあなたの気持ち。とてもよく分かるの。あなたは泣いていい…泣いていいのよ」

「ゆきのんが感化されてる!?」

「うわああああああ! こんな姉貴、大っ嫌いだ!」

「そうよ! すべて吐き出しなさい!! 姉への不満を溜め込んだって、何一つ良いことはないのよ!!!」

「……雪乃先輩って、どんだけはるさん先輩に虐げられてきたんですか?」

「……俺に聞くな。察してやれ」

 

 それから一葉が立ち直るまでの数分間、雪ノ下による対姉カウンセリングが続いた。

 



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2話

 あれから一頻り姉への不満をシャウトした一葉(かずは)

 いまは雪ノ下からもらった紅茶を啜り、ようやく落ち着きを取り戻したのか再び口を開き始めた。

 

「でも、そんな姉貴が去年の十二月くらいから変わり始めたんです」

「……そう。去年の十二月から、ね」

「それって……」

 

 ねえ、ちょっと。何で雪ノ下と由比ヶ浜はその台詞と一緒にこっちを見てくるわけ? あとその白けたような視線止めてくんない? なんか、すごく心が痛いんですけど。

 

「か、一葉!? あんた、それ以上言ったら……」

「大志のお姉さん。ちょっと、ウチの姉貴を取り押さえといてもらえます?」

「……任せな」

「川崎先輩!?」

 

 慌てて席を立って一葉の口を塞ごうとした一色が、川崎によって羽交い絞めにされてんだけど……。やだ、もうなんか嫌な予感がひしひしと感じ過ぎて、もはやこの先の話聞きたくない。

 

「高校に入学した姉貴は、サッカー部の葉山先輩をターゲットにしていました。ちなみに、俺のこのヘアスタイルも葉山先輩を真似たものです。葉山先輩への対策として強制的に髪を切らされました」

 

 そう言いながら自らの頭頂部へ手をやり、呆れたような表情を見せる一葉。

 一色のことだから、弟にヘアスタイルを真似させることによって、葉山と相対したときのイメージトレーニング代わりにしていたのだろう。唯でさえライバルは多いのだ。クラスメイトはもちろん、総武高校中の女子生徒が恋敵であると言っても過言ではなく、なんなら学外にも葉山ファンの影がちらついている。唯一の救いは、葉山のガードが某公国の宇宙要塞並みに堅いこと。さすがディフェンスに定評のある葉山と言いたいところだが、それはそっくりそのまま一色にも跳ね返ってくる。

 故に、葉山への可愛さアピールは万が一にも失敗できない。だからこそ一色は実の弟を犠牲にしてでも対策を立てた。用意周到、準備万端、徹頭徹尾抜かりなく、そなえよつねにの精神で……。

 その発想と実行力には脱帽であり、さすが一色と言わざるを得ない。やだもう、いろはすったらマジ健気。そこに痺れる憧れ…………いや、やっぱないわ。なに対策って。適当にそれっぽい理屈考えてみたけど、弟のヘアスタイルを葉山と同じにするメリットってなんだよ? もはや次元が違い過ぎて霊圧が感知できないレベル。

 

「……あんた、弟にそんなことまで強制したわけ?」

「アハハ……。チガイマスヨー、カズハニ、ニアウトオモッタカラデスヨー」

「目が泳いでるけど?」

「……まあ、これはこれで周りからの評判も良かったんで別にいいんですが」

「だ、だよね!」

「一色さん、ちょっとは反省しなさい」

「……ふぁい」

 

 一葉からの肯定的な意見に息を吹き返しかけた一色が速攻で雪ノ下に黙らせられた。

 ただ、内容が内容だけに誰もフォローしない。あの由比ヶ浜ですら気まずそうに苦笑いを浮かべるだけだし。川崎に至っては侮蔑の視線を向けている。まあ、ブラコン気質な川崎からしたら弟を利用する一色のスタイルは相容れないのだろう。

 誰も擁護してくれないと悟ったからだろうか、ショボーンと顔文字みたいな表情でしょぼくれる一色。だが、一葉はそんな姉を相手にすることなく話を続けてゆく。

 

「クリスマスの時期を前後して、姉は徐々に変わっていきました。これまで男を手玉にとることだけに心血を注いでいたあの姉貴が、夜な夜な少女漫画を読み始めたんです」

「……一葉。あんた、わたしのこと何だと思ってるわけ?」

 

 勿体ぶった割には、なんか微妙にショボイ変化だった。

 他の奴等もそう思ったのか、何となく白けた視線が一葉に集中した。ついでに言うと、一色は頬を引き攣らせて口角がピクピクしている。大分ご立腹らしい。

 

「待って! 待ってください!! これまで『自信がない? そんなアナタにこれ! カワイイ私発見メイクで彼氏をゲットだ!』だとか『恋の季節! 胸キュン春コーデを大特集!!』なんて頭の悪そうな字面が並ぶ雑誌を愛読していた姉貴ですよ!? それが少女漫画? ……俺は直感しました。これは異常事態だって!!」

「で、でもほら、マンガぐらい誰だって読んだりするし?」

「……私はあまり読んだ記憶がないのだけれど」

「ゆきのんは、ほら……ちょっと特殊だから」

「……そう」

 

 必死な顔で力説する一葉の気迫に押されたのか、エア・リーディング検定準一級を誇る由比ヶ浜には珍しく、踏まなくてもいい雪ノ下の地雷を勢いよく踏み抜いた。

 ……おい、止めろ。心なしか部室の気温が下がっただろ。俺たちを巻き込むな。これ対人地雷とちゃう、対戦車地雷や。

 無表情な雪ノ下から放たれる冷え冷えとした冷気。不穏な空気を察した由比ヶ浜が強引に話を進める。

 

「か、一葉くん! それでそれで!?」

「あ、はい。え…と、俺だって姉貴が普通に漫画を読んでるだけだったら、そこまで気にしませんでした」

「……つまり普通じゃなかったと?」

 

 俺の確認にコクリとひとつ頷いた一葉が、なんだか微妙な表情で一色を一瞥すると、身内の恥と言わんばかりに溜息まじりに愚痴をこぼす。

 

「はい。なんかニヤニヤして読んでたと思ったら、ときたまフヒッて笑うんです。ぶっちゃけ不気味です」

「うわあああああああああああああああ」

 

 うわぁ……。それは確かに不気味…………あ、それラノベ読んでるときの俺じゃん(涙目)。

 俺が自分を顧みて地味にダメージを受けている横で、羞恥によるものなのか、顔を赤くして絶叫する一色。しかし、そんな姉にはかまうことなく弟は容赦なく追撃していく。

 

「かと思えば、感情移入し過ぎたのか鼻水流してボロクソ泣いてるときもあって……。それで、気になって姉貴が読んでた漫画を調べてみたんですよ」

「ぎゃあああああああ!? ちょっ、一葉待ってそれストップだめぇええええ」

「……一色さん、ちょっと黙りなさい」

「ふぉがむもっ!?」

 

 およそ年頃の女子高生が出しちゃダメな感じの叫び声を上げていた一色の口へ、雪ノ下がお茶菓子として用意していたマフィンを無理矢理捻じ込み、物理的に黙らせた。

 ……あの、マフィンを二つは流石に窒息すると思うんですけど。それでなくても顎が外れちゃう。一色を羽交い絞めしてる川崎もドン引きしてるぞ。

 

「どうぞ、続けて?」

「う、うす。姉貴が読んでた少女漫画なんですけど、タイトルが『Crooked☆まいんど』っていって……知ってます?」

「……壊滅的なネーミングセンスね」

「うーん。そんな漫画あったかな……? 沙希はどう?」

「あたしも、読んだ記憶は無いかな」

 

 一葉が口にした漫画のタイトルを聞いて、雪ノ下がそのタイトルセンスを全否定し、由比ヶ浜と川崎が脳内ライブラリーを検索するもヒットせず、首を傾げている。

 俺も小町が持っていたであろう少女漫画を思い出してみるが、残念ながら該当する作品はなかったように思う。

 

「どうもウチの母親くらいの世代のときに流行った少女漫画みたいです。母さんが全巻揃えて保管してたのを姉貴が引っ張り出してきたみたいで」

「そーなんだ。それで、どんなストーリーなの?」

「大雑把に言えば、よくある学園恋愛モノなんですけど……」

「けど?」

「んーっ! んんーーーっ!?」

 

 一葉がストーリーを説明しようとした途端、それまで諦めたようにモグモグしていた一色が突如暴れ出した。どうやら、よっぽど俺たちに知られたくないらしい。

 しかし、その想いが弟に届くことはなく、呻く姉をサクッと無視して一葉が一息にストーリーを解説する。

 

「内容がですね、いつも八方美人で、それでいてちょっと自分の気持ちに素直になれない女の子が主人公なんです。で、その女の子がイケメンで学園のアイドルでもある先輩に一目惚れするんですけど、次第に捻くれてて普段は無愛想だけど、不器用で優しいもう一人の先輩に気持ちが傾いていって……ていうちょっと変則的な三角関係がメインの物語なんです」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……んもむぅー」

 

 俺の何とも言えない微妙な視線が、大志の居た堪れない様な視線が、雪ノ下と由比ヶ浜、それに川崎からのジトッとした視線が一色へと注がれた。

 なんなの、これ。どういう反応を返すのが正解なのん?

 

「……んんっ。これはあくまで参考として聞くのだけれど、その本のタイトルと作者名を正確に教えてくれるかしら」

「あ、あたしもちょっと気になるかなーって」

「……」

 

 おい待て。何で雪ノ下と由比ヶ浜はこっちをチラチラ見ながらその漫画について詳しく聞くんだ。あと川崎はどうして大志を睨んで……ああ、アイコンタクトなのね。大志がサムズアップしながらスマホをいじりだしたわ。

 

「まあ、そんなわけで俺は確信したんです。この姉貴、絶対恋してやがるって……」

「そ、それはちょっと早計なんじゃないか? 別に漫画読んで感情移入することだってあるだろ。俺なんて最近、三十路の引きこもりニートが家ごと異世界に行くWEB小説で号泣したことがあるぞ。主に自分の将来を悲観してだが……」

 

 誰もが人に優しくなれた世界だった。だからこそ、あれが虚構の世界だと理解させられる。いつだって真実は残酷だから、あの物語を読んで改めて思ったのだ。……現実ってやっぱりクソだわ、て。

 でもまあ、密かにいつ家ごと異世界転移しても大丈夫なように、非常食代わりのマッ缶を備蓄しちゃうあたり、俺も大分毒されていると思う。だって思わず異世界転移に備えて、また犬を飼おうか真剣に悩んじゃったもん。俺とカマクラだったら絶対に一年でギブアップしてる自信があるし。コタロー可愛いよコタロー。

 ただ、あの淡々とした文体でさらっといい話を突っ込んでくるのは止めてほしかった。不意打ち過ぎて涙腺が対処できないから。名前もないモブキャラが定時制高校を卒業する回とか、電車の中で読んでて涙を堪えるの超苦労したもん。娘からの卒業証書とか反則過ぎる。

 そんな益体もないことをつらつら考えていたら、一葉が苦笑しながら更なる状況証拠を並べていく。

 

「いやだって、これまで自分磨きに費やしてた努力が花嫁修業にシフトチェンジしてるんですよ。母さんに肉じゃがの作り方を聞いて、”一番の隠し味は愛情!”なんていう世迷言を真に受けてメモってるし……」

「あ、それうちのママも言ってた!」

「……」

「……姉ちゃん?」

「……うちもだよ」

 

 呆れたような一葉とは対照的に、嬉々として同意を示す由比ヶ浜。視界の隅では弟の問いかけに川崎が恥かしそうに頷いていた。

 ちなみに雪ノ下は何やら深く考えに耽っており、当事者である一色はと言えば口に詰め込まれたマフィンをモゴモゴ食みながら完全に目から光が失せていた。俗にいうレイプ目である。……なんだこれ、おらゾクゾクすっぞ!

 

「俺、思ったんです。もしこのまま姉貴の恋が成就すれば、俺は姉の呪縛から解放されるんじゃないか。逆に、これで失恋でもされたら、今以上に俺への被害が増えるんじゃないかって」

「なるほどわからん」

「だから、俺は姉貴の恋路が上手くいくように情報収集を開始しました。幸いにも恋愛脳に陥った姉貴のガードは緩かったので、機嫌が良いときに『なんか良いことでもあった?』と聞けば、ペラペラと喋ってくれました」

「うわぁ……」

 

 やると決めたら手段を選ばないあたり、さすが一色の弟と言わざるを得ない。

 ……あ、一色が白目剥いてる。

 

「衝撃でした。まさか、あの姉貴のあざとさを見破るばかりか、剰え誘導してコントロールしてのける男子がいるなんて……。そして同時に確信しました。この姉貴を押し付け──ゲフンゲフン。任せられるとしたら、この人しかいないと!!」

「……おい本音漏れてんぞ」

「姉貴の口から飛び出すキーワードは『先輩』。葉山先輩のことは『葉山先輩』と呼称していたので、これは別な先輩が相手だと察しました。また、姉貴の行動範囲から総武高校内の先輩であることが窺えます。そして、俺は決意しました」

「……何をだよ」

「俺も総武高校に入学して、姉貴の恋路をサポートするしかないと!」

「なるほどわからん」

 

 駄目だこいつ…早くなんとかしないと……。

 俺が思わず頭を抱えて項垂れていると、ヒソヒソと囁き合いながらこちらに冷たい視線を投げつける三人の娘さんの存在に気が付いた。

 まあ、言わずもがな雪ノ下と由比ヶ浜と川崎である。

 

「……そう。『先輩』ね」

「『先輩』かぁ……」

「さっきの漫画のストーリーって……」

 

 いや、まあ……うん。言いたいことは分かる。

 俺はどこぞの鈍感系主人公ではないのだ。一色が慕う葉山ではない『先輩』に心当たりが無いわけじゃない。どっちかと言うと心当たりがあり過ぎて、さっきから冷や汗が止まらないまである。

 まさか、一色も実の弟から暴露されるなんて想定外だっただろう。もしここまで含めて一色の戦略だとしたら、もはや脱帽を通り越して恐怖である。今すぐ脱兎のごとく逃げ出したい。

 

「事前に姉から集めた情報で、入学して数日で兄貴のことは特定できました。本当は一年間かけてじっくり進めていく予定だったんですが、思わぬ邪魔が入りまして……」

「それはこっちも同じだっての!」

「とにかく、これ以上の邪魔が入る前に勝負を決める必要があるわけです」

「……待て、いまこれ以上って言ったか?」

「そんなことより! さあ、兄貴!! 俺を助けると思って、ウチの姉貴と恋人に──」

 

 どこか焦燥を誤魔化すように力説しながら、こちらに決断を迫ってくる一葉。そのときだった──

 

 

「待てぇい、待てえいぃ……。あいや、待たれぇえええい!!!」

 

 

 一葉の言葉を遮るように部室の扉が盛大に開かれ、新たな乱入者の声が部室へと響き渡ったのだった。

 



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3話

「待てぇい、待てえいぃ……。あいや、待たれぇえええい!!!」

 

 そう叫びながら、荒々しく開かれた扉からズカズカと部室へ足を踏み入れた一人の少年。

 現れたのは、材木座……ではなく、材木座を二回りくらい小型化して愛嬌を足してデフォルメしたような……それもう材木座要素残ってねえな。だってアイツに愛嬌なんてないし。

 

「は、はろはろー……」

「姫菜っ!?」

「海老名さんが一緒に来たということは、そこの彼は……」

 

 そう、どちらかと言えば海老名さんを男にして、少し幼くしたような小太りの少年……もう、これほとんど答え言ってるよな。これがアンサーだろ。

 

「ああぁ……、やっぱり来やがった」

「クソッ、一葉(かずは)が邪魔するから……」

 

 どうやら顔見知りらしい一葉と大志。新たに現れたソイツを苦い顔で出迎えた二人が、忌々しそうな顔で言葉を投げている。

 一瞬、喧嘩でも始まるのかと警戒したが、すぐにそれは杞憂であると思い直す。この三人が醸し出している雰囲気が険悪という感じではなく、むしろ気心が知れた仲のように感じられたからだ。

 

「ちょっと、一葉も大志もその反応酷くない? 僕、打たれ弱いから泣くぜ? ウォンウォン泣いちゃうぜ?」

「泣けよ」

「喚けよ」

「おおぅ、辛辣ゥッ!?」

 

 何なんだろう、このズッコケな三人組……。三人揃ったら面倒臭さが天元突破した気がしてならない。

 

「あんたも…弟いたの?」

「……不肖の弟、だけどね」

 

 驚愕を露わにする川崎からの問い掛けに、不承不承といった感じで頷く海老名さん。

 いつも飄々としている彼女には珍しく、どんよりと疲れたような表情をしている。おそらく先ほどの川崎への返答も誤用ではなく、そのままの意味で使ったのだろう。だって眼鏡越しでも分かるもん。海老名さんの目が俺並みに濁ってるわ。

 

「むむむっ!」

 

 そんな会話が聞こえたからだろうか、未来から来た青いネコ型ロボットが友達な国民的認知度を誇る小学生と同じ縁なし丸メガネをクイッと中指で押さえ、最後の乱入者たるコヤツは口を開いた。

 ちなみに”最後の”というところで、どこぞの遊戯部のS君が頭を過ったが一瞬過ぎて誰なのか思い出せないので気にしないことにした。フリじゃないぞ、フリじゃないんだからな!!

 

「……先輩が、ヒキタ…いえ、比企谷先輩ですね?」

「そ、そうだが……」

「僕はそこにいる海老名姫菜の弟で、名を海老名日向(ひなた)と申します。今日は、比企谷先輩に折り入ってお願いがあって参りました」

「……願い事ならちゃんと星が入ったボールを七個集めてこい」

「そこを何卒、どうか…どうかここはぁーーーっ!!!」

 

 そう叫ぶなり、俺の前まで移動した日向が徐にしゃがみ込む。

 瞬間、ゾワリと背筋を撫でる悪寒。直感する。これは…この体勢は……俺の十八番であり、いまや禁じ手と成り果てたあの……ッ!?

 戦慄する俺を置き去りにして、日向の準備が整った。整ってしまった。その体勢から繰り出される技は──

 

 

「比企谷先輩……いえ、兄上! お願いですから、家の姉を貰ってあげてください!!」

 

 

 ──初手、土下座。何なら靴舐めも余裕でやる勢いだった。

 こ、こいつ……、負けることにかけては最強を自負する俺に、あろうことか土下座を決めやがっただとっ!?

 

「……ヒキタニくん、無視していいよ」

「海老名さん……」

「折角の僕のお願いを無視してなんて、何を言うか姉上! 僕は姉上のことを思って……」

「無視して、これの存在」

「存在を否定されたっ!?」

 

 実姉である海老名さんからの辛辣な扱いに愕然とする日向。そして、そんな日向を指差してプギャーと爆笑する大志と一葉。

 どうでもいいが、大志は体育会系敬語キャラだと勝手に思ってたけど、同級生相手ならそんな砕けた態度もするのな。なんとなく新鮮というか、意外な一面を見た気分だ。

 俺がそんな風に大志を見ながらのほほーんと唸っているのとは対照的に、海老名さんが日向を見ながらどよよーんと呻くように溜息を吐く。

 

「……はあ。日向に奉仕部の部室に案内してくれってお願いされたときに気付くべきだった」

「腐ってやがる。遅すぎたんだ……気付くのがwww」

 

 頭痛を堪えるように項垂れる海老名さんの周りをスキップでグルグル回りながら、日向が指で突いて煽るようにおちょくる。なんと言うか、切替が早い奴である。そんでもってリアルで『ねぇねぇ今どんな気持ち?』を見たのは初めてです。うわぁ……。これはウザい……。

 どうやらそう思ったのは俺だけではないらしく、スッと真顔になった海老名さんが呆れたように様子を見ていた川崎へ懇願した。

 

「……ねえ、サキサキ。ちょっと弟交換しない?」

「絶対ヤダ」

「そうか、その手があったか! なあ大志。ウチのクソ姉とお前の姉ちゃん交換しねえ?」

「断固拒否!」

「川崎姉弟の人気に嫉妬なう」

「日向は黙って」

「日向は黙れよ」

「僕の扱いが酷いっ!?」

 

 海老名さんと一葉からの扱いに涙目で憤慨する日向だが、自業自得だと思うの。

 俺が割と本気で、もうこいつら帰ってくんねーかなと考えながら遠い目をしていると、それまで霊圧が消えたかのように存在感の無かった一色が復活を果たした。

 

「もがもが…んくっ……んはぁっ!? よ、ようやく食べ終わったーーー!」

「あ、姉貴まだ食べてたんだ。おかわりいる?」

「いるかぁ! 水分ゼロでマフィンが二つとか軽い拷問だったんだからね!?」

 

 喧喧囂囂と部室で繰り広げられる姉弟によるコント劇。

 部室に勢揃いした川崎姉弟と一色姉弟に海老名姉弟という総勢六人が織りなすこのカオス。もはや混沌から這い寄ってくるはずの神様が裸足で逃げ出すレベル。なんだったら俺も今すぐ逃げ出したい。

 けれど、現実というのはいつだって不条理で理不尽で残酷なのである。逃亡を図ろうとする俺を嘲笑うように、ひしひしと真横から感じるプレッシャーの正体。途中から命の危機を感じて、あえて触れないようにしていたけど、それももう限界だろう。とりあえず、あれだ。まずはこっちをどうにかしないと拙いと俺のサイドエフェクトがそう言ってる。

 はちまん、おうちに帰る!!! と泣き叫びたくなる衝動をなんとか堪え、戸塚が俺に向かってにっこにこにーと笑ってくれる姿を想像してどうにか自分を奮い立たせる。恐る恐るそちらに視線をやり、やっぱり見なければ良かったと即座に後悔した。

 

「……ねえ、ゆきのん。こいつら、どうしたらいいと思う?」

「そうね……。とりあえず、全員の口にマフィンを詰め込めばいいのではないかしら」

「じゃ、あたしがいろはちゃんと姫菜たちをヤるね」

「そう、なら私は川崎さんたちをヤるわ」

 

 待て待て待て!

 雪ノ下、マフィンを制圧の手段に使うのは止めろ! 

 由比ヶ浜、ハイライトが消えた瞳でマフィンを掴むんじゃない!

 

 

 ふぇぇ…小町ぃ……お兄ちゃん一人じゃツッコミが足りないょぉ……。



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4話

 小麦粉に卵と牛乳、ベーキングパウダーとかをブチ込んで、カップ型に入れて焼くお菓子ってなーんだ?

 そう、この問題の正解は『マフィン』だ。ここで『カップケーキ』とか『マドレーヌ』と答えた奴はマフィン愛が足りない。マフィン美味しいよマフィン。コ●トコマフィンとか、あまりの美味しさに胸焼けして半分くらい残すレベル。……あれ、六個入りなんだよなあ。マジ持て余す。

 

「じゃ、もう一度聞くぞ雪ノ下。マフィンについて述べよ」

「1.薄力粉とベーキングパウダーをふるう。

 2.オーブンを180度に予熱する。

 3.マフィン型に薄紙を敷くか、バターを塗る。

 4.バターをクリーム状にし砂糖を入れて混ぜる。

 5.白っぽくなったら溶き卵を数回に分けて入れる。

 6.1の粉と牛乳を数回に分けて交互に入れ混ぜる。

 7.型に入れて180度で25分間焼く。

 8.焼きあがったマフィンを黙らせたい輩の口に捻じ込む。」

 

 ──REPLAY

 

「1.薄力粉とベーキングパウダーをふるう。

 2.オーブンを180度に予熱する。

 3.マフィン型に薄紙を敷くか、バターを塗る。

 4.バターをクリーム状にし砂糖を入れて混ぜる。

 5.白っぽくなったら溶き卵を数回に分けて入れる。

 6.1の粉と牛乳を数回に分けて交互に入れ混ぜる。

 7.型に入れて180度で25分間焼く。

 8.焼きあがったマフィンを黙らせたい輩の口に捻じ込む。」

 

 ……お分かりいただけただろうか?

 

「残念だが、雪ノ下。最後の方の工程に誤りがある」

「……そう。なら、こうかしら。

 7.型に入れて180度で25分間焼く。

 8.帰ってもらいたい客人の口内に焼きあがったマフィンを詰め込む。」

 

 ヒドイ論理の飛躍をみた。

 

「正気に戻れ雪ノ下! マフィンにぶぶ漬け的な意味合いはないぞ!!」

「……え?」

 

 おい、そこで可愛らしくこてんと首を傾げるのは止めろ。

 思わず俺が間違ってるのかと不安になっちゃうだろ。

 

「マフィンをセンターに入れてスイッチ、マフィンをセンターに入れてスイッチ、マフィンをセンターに入れてスイッチ…」

「由比ヶ浜もいい加減戻ってこい。虚ろな瞳でマフィンを振り回すな。その訓練の先に未来はないぞ」

 

 なんかもういろいろ面倒になったので、とりあえず雪ノ下と由比ヶ浜のお口にマフィンを押し込んで落ち着かせることにした。なにこれスゴイ便利! 雪ノ下の理論は正しかったんや!! マフィンってすごい!!!

 口に詰め込まれたマフィンをモキュモキュしてる二人から視線を外し、俺は今回の元凶となった奴らに向き直る。

 

「姉ちゃん、このマフィンすげー美味いよ?」

「……ほんとだ。後でレシピとか教えてもらえないかな」

「しっかし、本当にウマいよなこれ。姉貴より上手なんじゃね?」

「ぐぬぬ……。流石は雪乃先輩、やりますね……。でも正直、当分マフィンは食べたくない……」

「ねえ、マフィンってやっぱり総受けだと思うんだ。ほら、チョコチップでもドライフルーツでも何にでも染まるし」

「……あの、姉上? 僕がマフィンを口に入れるタイミングでそういうこと言うの止めて。美味しい筈なのに、全然味が感じられない」

 

 おい、和気藹藹とマフィン食ってんじゃねーよ。

 ぶっ飛ばすぞ、お前ら。

 

 

 

 *   *   *

 

 

 

 どうにかこうにか全員がマフィンで冷静さを取り戻したところで、まずはコイツから話を聞くことにした。

 

日向(ひなた)だったか? お前はどうして海老名さんと俺を恋人にしようとするんだよ」

「よくぞ聞いてくれました! それを説明するには、まずは僕と大志と一葉(かずは)の出会いから話すことにしましょう」

 

 そして語られる弟連中の出会い。

 あの、正直興味ないんですけど……。

 

「実は三人とも同じクラスでして、僕の前の席が一葉で、後ろの席が大志なんです」

「最初の数日間は挨拶くらいしかしてなかったよな。なんか全員タイプが違ったし」

「そうだね。一葉はすぐクラスの人気者になっちゃったし、日向は気ままに色んなグループを渡り歩いてたっけ?」

「……だな。あれ、俺たちどーして会話し出したんだ?」

「あー、日向が俺に『つかぬことを伺いますが……君ってお姉さんいない?』って聞いてきたのが切っ掛けじゃないかな」

「ザッツライ!」

「おー、そうだった! それで俺が『姉』ってワードに反応して……」

「そして盛り上がる姉談議」

「日向の兄弟姉妹有無判定法とかね」

「ああ、あの的中率六割という微妙なヤツな」

「微妙とは失礼な。あれのおかげで僕は大志に姉がいると確信して声を掛けたというのに」

「あれ、なら俺は?」

「一葉にも姉がいるとは思ったけど、イケメンオーラが眩しくて話しかけ辛かったので」

「……ねえ、それ遠まわしに俺はイケメンじゃないってディスってない?」

「大志は顔は整ってるけど、何というか……」

「地味だよな」

「うん、地味」

「ヒデェ!?」

 

 あー、うん。仲良いな、お前ら。

 ちなみに、日向が考案したという兄弟姉妹有無判定法というのは、教室に入室する際に自分で扉を閉めるかどうか、丁寧に閉めるか乱暴か……などで兄弟姉妹の有無を判定するものらしい。

 自分が開けたんじゃなくても、丁寧に閉める奴は姉がいると判定されるそうだ。理由は家で姉に強制されてるから。……つらたん。

 

「そこから三人仲良くなって、ある日大志が僕らに相談してきたんです」

「ああ、姉ちゃんの恋路が上手くいくにはどうすれば良いかって相談したんだよね」

「それは俺も他人事じゃなかったからなー。全力で協力しようって思ったわ」

「はあっ!? 大志、あんた友達にそんなこと相談してたの!?」

 

 日向の説明に被せる形でさらっとカミングアウトした大志の言葉に、思わずと言った風に川崎が驚愕の声を上げた。まあ、弟が姉の恋愛相談を同級生としていると知ったら驚くわな。

 

「あ、うん。姉ちゃんのバイト問題をお兄さんが解決してくれたエピソードも添えて」

「その話を聞いて、あれ? これウチの姉貴の想い人の『先輩』と同じ人じゃね? って気がついて……」

「途端にいがみ合う大志と一葉を僕が諌めてたんです」

 

 ふむ……。ここまで聞いている限りでは、日向が動く要素は特にないように思えるが……。

 そう思ったのは海老名さんも同様だったのか、海老名さんが日向に疑問をぶつける。

 

「……ねえ、日向。それが何で私とヒキタニくんを恋人にしようなんて話になるの?」

「いや、最初は僕も『へー、そんな先輩もいるんだー』ぐらいにしか考えてなかったんだけど、ある日、僕は見てしまったのです」

「小太りは見た!」

「あらやだ、死んでる」

「……第一発見者が犯人というのは常道だね」

「姉ちゃん、何言ってんだよ。日向がそんなことするわけ……う、嘘だろ日向? 俺、信じてたのに……」

「ち、違う! 僕じゃない!! それでも僕はやってない!!!」

「マジかよ日向最低だな」

「わたしは前々から日向くんが怪しいって思ってました」

「……日向。自首しよ? ほら、私も一緒に付いて行ってあげるから」

「あ、姉上ぇ……」

 

 ……イイハナシダナー。

 そんなわけあるかです。日向の回想を遮るようにボケを挿む大志と一葉。そして、あろうことかその流れに悪ノリする姉連中。

 

「いや、会話の流れおかしくないっ!?」

「……あなた達の仲が良いのは分かったから、話を前に進めてもらえるかしら。全員、マフィンを口に詰め込むわよ」

 

 ほらー、お前らがふざけてるから雪ノ下がまたマフィンのダークサイドに落ちちゃったじゃないですかー! やだー!!

 俺は一個では飽き足らず二個三個と日向の口へマフィンを詰め込もうとする雪ノ下をなんとか宥めすかす。

 

「……もぐもぐ、ふう。それで、たまたま移動教室で三年生の教室がある階を通ったときでした」

「こいつ……捻じ込まれたマフィンを三口で食べきっただと……」

「ば、馬鹿な!? しかも、平然と続きを話し始めやがった!」

「マフィンは飲み物」

「さすが日向! おれたちにできない事を平然とやってのけるッ」

「そこにシビれる! あこがれるゥ!」

 

 ようやく話が再開したと思ったのも束の間、光の速さで話を脱線させる三馬鹿ブラザーズ。

 おい、いい加減にしろよ……。俺が雪ノ下を宥めるのにどんだけ苦労したと……いや、もしかして態とか? 大志と一葉がグルになって日向の話の腰を折ろうとして、そんで日向もそれに気付いてるけど、フラれたからにはボケずにはいられないと……うん、ねーな。こいつら、多分普段からこんな感じなだけだろ。

 俺が弟連中のボケ体質について考察している横で、ダークサイドに堕ちて暗黒卿と化した雪ノ下がゆらりと無言で席を立つ。

 

「…………」

「落ち着いて、ゆきのん! 気持ちは分かるけど! 分かるけど落ち着いて!! その厚さの本で叩いたらケガしちゃうから、ハードカバーの角は凶器だから!!」

「……そこの三人組。マフィンで済んでるうちにさっさと話を進めろ。それ以上やると、雪ノ下に泣くまで殴られるぞ」

 

 荒ぶる怒のんは由比ヶ浜にまかせて、俺は日向に話の続きを促す。

 ついでに、これ以上余計なボケを挿まれないように、大志と一葉の口にはマフィンを詰め込んでおく。

 

「ではでは……。そこでですね、廊下の隅で男子生徒と会話してる姉上を見つけたのです」

「そりゃ、海老名さんだって男子と会話ぐらいするだろ。同じグループだった葉山とか戸部がいるわけだし」

「……いや、話の流れ的にその男子ってヒッキーだから」

「え? マジで?」

「ザッツライ!」

「先輩、いったいどんな話してたんです?」

「んなこと言われてもな、いつの話か知らんし」

「……そう。つまり、日時を特定しないと判断できない程度には海老名さんと会話していると」

 

 由比ヶ浜の指摘でえっ? となり、一色の質問にふえっ? となって、雪ノ下の断定にヒェっ!? となった。やだ、このゆきのん怖い。マジ怖い。あと怖い。 

 

「邪推し過ぎだろ、雪ノ下。そこまで海老名さんと廊下で会話なんてした記憶ないぞ。なんだったら女子と廊下で会話するイベント自体が滅多にないまである」

「……滅多にない会話なら、何を話したか覚えてるもんじゃないの?」

「いや、全然」

「がーん。うう……。結衣、ヒキタニくんが酷いよぉ……」

「ヒッキー最低!」

「うわー、先輩それはないですよー」

「……あのな。そうは言っても、海老名さんとの会話ってあれだぞ。九割方が葉山と俺の組んず解れつな話だぞ。聞き流すに決まってるだろ」

 

 俺が顔を顰めながら告げた言い分に、女子連中の咎めるような視線が海老名さんに突き刺さった。

 

「……姫菜?」

「あはは……。いやー、つい?」

「……はあ。それで、その光景を見たから日向くんはお姉さんと比企谷くんを恋仲にしようとしたのかしら?」

「まあ、当たらずと雖も遠からずと言いますか。そのときの姉上の表情ですね」

「……表情?」

「そうです。兄上、さっき姉と会話するときは腐った系の話がほとんどだって言いましたよね?」

「そうだが……それがどうした?」

「おそらく、僕が目撃したときもそうだったと思うのです。姉上、鼻血出てたし」

「まあね!」

「何で海老名さんはそこでドヤ顔なんですかねえ……」

「でもですね、姉上が腐った話をするパターンって、実は二通りあるんですよ」

「……え? 日向?」

「一つは純粋にBL展開に興奮してるとき、もう一つは何かを誤魔化したいとき。兄上と話していたときは、後者でした」

「ちょっと、日向? 何を適当なこと言って……」

「これでも十五年以上も弟をやってるんだから、それくらい分かるよ」

「……」

 

 姉弟で静かに躱される視線での応酬。

 だが、おそろく日向の言い分は正しいのだろう。昨年、何度か交わした海老名さんとの会話で、そういう節は確かにあった。

 

「誤魔化すと言っても色々あります。嫌な話題から逃げたいときだったり、嘘を見破られないためだったり、場の雰囲気を変えるためだったり……」

「じゃあ、姫菜がヒッキーと話してたときは?」

「──ッ! 日向っ」

「……照れ隠し」

「は?」

「照れ隠しです。大事なことなので二回言いました」

 

 照れる? 海老名さんが? 俺と会話して? なんで?

 日向が指摘した言葉の意図をはかりかねて、その答えを求めるようにチラリと海老名さんを窺い見る。

 

「っ……」

 

 あの、なんで海老名さん顔真っ赤にして俯いてるの。なんかプルプル震えてるし。え、なに。図星だったの?

 なぜだ……。俺との会話で海老名さんが照れる要素なんてゼロだろ。それとも、あの海老名さんを照れさすほどのセクハラ発言か下ネタでも俺が言ってしまったのだろうか。

 

「……比企谷くん。セクハラは立派な犯罪よ。内容によっては刑法に抵触するものもあるのだから覚悟なさい」

「ああ、うん。だよな。そういう反応になるよな」

「……その反応。本当に心当たりがないのね」

「少なくとも、俺が意識してる範囲ではな。無意識でやらかしてるって線はあるけど」

「そうなると、比企谷くんの存在自体が猥褻ということになるわね。これは由々しき事態だわ」

「いや、ならないから。なるわけ……え、ならないよね?」

「そこは自信持ちましょうよ、先輩……」

 

 一色からの呆れまじりな視線をスルーして、俺は日向に向き直る。

 結局は主観の話なわけだし、俺がいくら考えても答えが分かるもんじゃないだろう。『下手の考え休むに似たり』って言うしな。

 

「で、なんでお前は照れ隠しだって思ったんだ?」

「なんでと聞かれましても、雰囲気でとしか答えられないのですが……。まあ、論より証拠ということで実践してみるのが手っ取り早いかと」

「実践って言われてもな……。海老名さんと会話しろってことか?」

 

 俺の疑問に、日向は首を左右に振りながら自信あり気な様子で答え告げる。

 

「いえ、そこまでは。ただ見つめ合うだけでいいです。但し、姉上は腐女子モードになるの禁止で」

「な、私はやらないからね?」

「……大志のお姉さん。悪いのですが姉上が逃げ出さないように拘束してもらえますか?」

「いいけど……あたし、こんな役ばっかり」

「サ、サキサキ!?」

 

 溜息交じりに立ち上がった川崎が動揺する海老名さんの後ろに回り込んで、先ほどの一色と同じように羽交い絞めにする。

 それを確認して、日向が俺を手招きし、海老名さんの真正面に立たせる。その距離二十センチ弱。……あの、ちょっと近すぎない?

 

「僕がいいと言うまで、見つめ合ってください。目を逸らしたらダメですよ。会話も禁止です。では……どうぞ!!」

「……」

「……」

「……」

「……っ」

「……」

「……ギブ」

 

 三十秒足らずでギブアップされた件。

 

「つまりはそういうことです」

「どういうことだってばよ」

 

 したり顔で頷く日向に疑問を重ねる。いや、これだと雪ノ下による俺卑猥物説が立証されただけなのでは?

 ちなみに海老名さんはと言えば、ギブアップ宣言によって川崎の拘束から解放されるやいなや、紅潮した顔を隠すように両手で覆って膝から崩れ落ちてしまった。

 第三者が見たら完全に加害者と被害者の構図である。もちろん、前者が俺で後者が海老名さん。訴訟待ったなしの事案が発生なう。

 

「……だがちょっと待って欲しい。一人だけなら単なる照れ屋さんかもしれない」

「むっ? 一葉よ、それは僕の姉上だけでは立証にならないと?」

「そうだ。検証に対照実験は付き物だろ? ……というわけで、二番手として姉貴いってみよう!」

「姉ちゃん、生徒会長を確保して!!」

「……はあ」

「ちょ、一葉!? 川崎先輩!?」

「ではでは、条件は先ほどと同じということで……どうぞ!!」

「……」

「……」

「……」

「……っ」

「……」

「……ムリ」

 

 また勝ってしまった。……敗北を知りたい(涙声)。

 

「生徒会長がやられたようだな…」

「フフフ…姉貴は四天王の中でも最弱…」

「兄上ごときに負けるとは姉の面汚しよ…」

 

 言いたい放題だな、お前ら。怖いもの知らずか。

 ……あ、なんか復活した海老名さんと一色が目配せして互いに頷いてる。

 

「……対象実験なら、被験者は多い方がいいですよねー」

「腐ふふ……。さあ、次はサキサキの番だよ」

「はあ!? あ、あたしはそういうのいいから!! ちょ、離してよ!?」

「なに他人事みたいなこと言ってるんですか、川崎先輩。……死なば諸共ですよ」

「ほら、ヒキタニくんも早くスタンバって!!」

「えー……」

「それでは第三ラウンド。ファイッ!!!」

「……」

「……っ」

「……」

「……セイッ」

「ぶふぉあっ」

「あ、ゴメ……つい」

 

 開始十秒くらいで動揺し出した川崎から繰り出されたハイキックが俺の側頭部に炸裂した。

 こいつ……ノーモーションでとんでもない蹴り技を放ってきやがった!?

 

「ダッーーウン!!」

「姉ちゃんはニュートラルコーナーに戻って!!」

「カウント、ワン…トゥ…スリー…」

「おお、良いの入ったね。サキサキ」

「なんですか、そのしなやかで長い脚。自慢ですかこんちくしょう」

「ぐ…おぉ……っ」

「立て…立つんじゃ、小僧ぉー!」

「勝ってください! お兄さん!!」

「俺たちは、負けてるアンタなんて見たくないんだよ、兄貴!!!」

 

「「「 ヒッキッガヤ! ヒッキッガヤ! 」」」

 

 なにこれ、どこのボクシング漫画? お前ら講●社の回し者なの? だとしたら決め手がハイキックっておかしくない?

 ふらつく脚で踏ん張り、なんとか立ち上がった俺に、日向が爽やかな笑顔でサムズアップしながら告げる。

 

「どうです、兄上! お分かりいただけましたか?」

「……ああ、よく分かった。……やっちまえ、雪ノ下ァ!」

 

 よろしい、ならば戦争だ。

 ボケてもいいのはボケ倒される覚悟がある奴だけだ。

 

「──フッ!」

「ぶへらっ!?」

「ああっ…!? 本を人に向かって投げちゃダメだよ、ゆきのん!!」

 

 由比ヶ浜の制止を振り切り、流麗なフォームから繰り出される雪ノ下のサブマリン投法。

 我が千葉県が世界に誇るアンダースロー投手並みに低いリリースポイントから放たれた厚書が、綺麗な弧を描いて日向の眉間に命中した。

 

「……え? なんか本が当たった日向くんが壁の方まで吹っ飛んで行ったんだけど」

「ハハッ、何言ってんだよ、姉貴。そんなことあるわけ……日向ァァァアアアア!?」

 

 驚愕した一葉が見たのは、数メートルの距離をぶっ飛んで部室の壁に激突する日向の姿。

 だが、狼狽える一葉とは対照的に、冷静な眼差しで分析する猛者が一人。

 

「……いや、これは違うね」

「知っているのか姉ちゃん!?」

「さすがはサキサキ。何を隠そう、日向は本が当たる瞬間に自ら後方へ飛ぶことによって、衝撃を最小限に止めたんだよ」

「これが『動ける小デブ』と俺たちの間で名高い日向の実力か……」

「ふふ……。僕はこうみえても、中学生時代、ピンポンやっとったんや」

「それ関係なくないっ!?」

「あれが、ピンポンで己の限界を超えた者だけが踏み入れられる場所という『無我の境地』か」

「『無我の境地』の奥には三つの扉があっとた──」

「──フンッ!」

「ふぉむまっ!?」

「問答無用でゆきのんがマフィンを投げた!?」

「さすが雪乃先輩、なんて正確無比なコントロール! 見事に日向くんの口にマフィンを投げ入れた!!」

「それでも日向なら…」

「日向ならきっと何とかしてくれる……!!」

「……もぐもぐ、ふう。マフィンは飲み物」

「さすひな!」

「さすデブ!」

「日向は私が育てた」

 

 俺と雪ノ下が自重という二文字を投げ捨てたおかげで、唯一残された由比ヶ浜が懸命にツッコミを入れるが、そんな彼女を嘲笑うように弟達はここぞとばかりに畳み掛けていた。

 まだだ、まだ終わらんよ!

 

「ピッチャービビってる。へいへいへーい。ピッチャービビってるぅ!」

「この……」

 

 とりあえず、アンコウ踊りで雪ノ下を挑発している日向を成敗するか。

 俺は暴徒鎮圧用の最終兵器を手に取り、今にもマフィンを握りつぶさん勢いでプルプル震えてる雪ノ下に声を掛ける。

 

「雪ノ下ァァァ!! そいつをよこせェェーーー!!!」

「──っ! 比企谷くん、新しいマフィンよッ!」

 

 某パン工場のバターなお方並みに正確無比なコントロールで投げられたマフィンが、空中へ差し出した俺の左手にピタリと収まる。

 普段は腐りきっている瞳に炎を灯し、俺は渾身の一球を日向へと投げ放った。

 

「どっせい!」

「ふぉもぉっ!?」

「いま…比企谷が投げたマフィンが消えた? あれは……」

「知っているのか姉ちゃん!?」

「……終の秘球『神・●竜』。まさか比企谷の奴が習得しているなんて」

「さすがヒッキー! あたしたちにできない事を平然とやってのけるッ」

「そこにシビます! あこがれますゥ!」

「あ、とうとう結衣もツッコミを放棄した」

「くっ……、だが俺たちの日向にマフィンが効かないことは証明済み!」

「日向は滅びぬ! 何度でも蘇るさ! 日向の力こそデブの夢だからだ!」

「……もぐもぐ、ふう。マフィンは飲みm──ごばぁっ!?」

「なっ!? ひ、日向ぁぁああああ!?」

「あ~あ~胃がぁ~、胃がぁ~!!」

「馬鹿な……鋼鉄の胃袋を持つと俺たちの間で評判の日向がただのマフィンなんかで……」

「今のはただのマフィンではない。由比ヶ浜の奴が家で作って持ってきたけど雪ノ下が頑なに食べるのを拒んで残っていたガハマ印の手作りクッキーを挟み込んだマフィンだ」

「結衣の手作りって…ハーグ陸戦協定でも、CWCでも禁止されてる非人道的兵器のはず……。そんな危険物を私の弟に食べさせたっていうの、ヒキタニくん!!」

 

 日向が腹を抑えて転げまわる原因を察したのか、冷や汗を流した海老名さんが非難めいた眼差しを俺に向けた。

 だがしかし、それこそが俺の狙いだと、なぜ気付かない。

 

「弟の心配をしてる場合か? お前らに、そんな余裕があるとでも?」

「──まさかッ!?」

「俺による日向への強襲はデコイ。本命は……」

「由比ヶ浜さん……あなた力、借りるわ! フンッ!!」

「モガッ!? ぐぼふっ……」

「モゴッ!? ぼふぁっ……」

 

「「 大志(一葉)っ!! 」」

 

「雪ノ下さんによる……結衣の手作りクッキーの投擲ッ!?」

「ちょ、クッキー食べただけで気絶って、結衣先輩のクッキーどうなってるんですかっ!?」

「大志ー! しっかりして、大志ーーっ!!」

「残りは……あと三人ね」

 

「「「 ひ、ヒィッ!? 」」」

 

 そして、奉仕部の部室に再び平穏が訪れた。

 最終兵器ガハマによる手作りクッキー。非人道的兵器の使用は遺憾ではあったものの、その結果がもたらした平和は言うに及ばず。

 

「……虚しい、戦いだった」

「ええ…。人って、なぜこんなにも愚かなのかしら……」

 

 死屍累々な部室の中で、何かを悟ったような表情で佇む俺と雪ノ下をよそに──

 

 

 

「あたしのクッキーの扱いっ!?」

 

 

 

 ただ一人、由比ヶ浜だけが涙目で荒ぶっていた。

 

 

 

 *   *   *

 

 

 

「んで、話を戻すけど……」

 

 猫の仙人が栽培している豆代わりのSAY☆RO丸を口に放り込み、全員が覚醒したところで話を再開する。

 

「うーん……。どこまで話しましたっけ?」

「あー、なんだっけか? 海老名さんの照れ隠しがどうとか」

「おう、そうでしたそうでした」

「……なぜその話題から、あんな血みどろの戦いに発展したのかしら」

「本当にな……」

 

 思わず遠い目をする俺と雪ノ下。由比ヶ浜は未だに部室の隅でいじけている。

 混ぜるなキケンを地でいく三人の弟達とその姉によるボケラッシュによって、俺たち奉仕部は疲弊していた。主に精神が……。

 

「まあ、その場の雰囲気を一舐めして僕は悟りました。『ペロッ……こ、これは、恋する乙女!!』って」

「もうツッコまないからな」

「それは残念……。まあ、そんなわけで家に帰った僕は、早速両親とともに家族会議を開くことにしました」

「……何やってるの、ウチの家族」

「議題はもちろん『あの姉が人並みに片思いしてる件』について。いやいや、そんな馬鹿なと疑う父上と、その好機逃してなるものかと意気込む母上。結局、朝方まで及んだ議論の末、姉の内面を察してなお普通に接してくれる兄上なら、任せてもいいという結論に至りました」

 

 なんとなくだが海老名さんの両親の苦労が察せられる話だった。当人たる海老名さんは頭を抱えているが……。

 あと、別に普通に接しているわけじゃないのよ。諦めてるだけです。

 

「僕たち家族も必死なのです。これ以上、姉がBL趣味を拗らせたら薄い本でいつ家の床が抜けるかと戦々恐々なんです」

「どんだけだよ、海老名さん……」

「いや、でもそれは大袈裟だろ、日向」

「そーだよ。それにさ、趣味趣向は人それぞれだし……」

 

 日向の訴えに待ったをかける一葉と大志。おそらくは日向の話を誇大広告だと、ただの誇張だと、そう受け取ったのだろう。きっとそれは仕方のないことなのかもしれない。いくら仲が良い友人だと言っても、所詮は他人事なのだ。日向がどれだけ真剣に悩んでいたとしても、それを共有なんてできるはずがない。むしろ、日向が声を大にして訴える程に『あ、これJAROに通報しなきゃ』となるのがオチだ。

 だから二人は気が付けない。それが藪蛇であり、逆鱗であるばかりか、虎の尾であると……。

 

「……一葉と大志には分からないさ! 僕や両親がどれだけ姉上の将来を心配しているか!!」

「な、なんだよ。俺だって、こんな姉貴だけど心配ぐらいはしてるぞ」

「うん。俺も家族を心配する気持ちなら分かるつもりだよ」

「いいや、分かりっこない! 分かってたまるか!!」

 

 それまで飄々としていた日向の突然の憤り。涙まじりの目で友人である二人を睨みつけ、日向は言い放った。

 

 

「お前らに、実の姉からBLで掛算させられる僕と父上の気持ちが分かるかぁっっっ!?」

 

 

 日向の魂の叫びが、部室に木霊した。

 あれ、なんだこれ心が痛い。自然と俺の頬を伝うこれは……涙?

 

「姉が中学校の文芸部だったときに残した数々の秘伝書。僕が三年生になったとき、同級生の女子から興奮気味に見せられたときの衝撃は計り知れなかった……っ!!」

「……ぶわっ」

「ヒッキーがもらい泣きしてる!?」

「あの日、一年生のときからずっと好きだった同じクラスの中井さんから、放課後話があるからって呼び出されたんだ」

「もういい……やめろ…やめるんだ……」

「喜んださ! 嬉しかったさ! 呼び出された文芸部の部室までスキップしちゃうぐらいには有頂天だったんだよ!!!」

「ぐあ…っ! 俺の黒歴史にまで飛び火するだと……」

「ああっ!? ヒッキーが頭抱えて崩れ落ちちゃった!?」

「それがどうだ? いざ部室で二人っきり。顔を赤らめてモジモジしてる彼女。甘酸っぱい空気のなかで、おずおずと口を開いた彼女から発せられた言葉が『あ、あのね……これ、ノンフィクションってことでいんだよね?』っだったんだぞ!!!!」

「日向ぁぁぁああああ!」

「兄上ぇぇぇええええ!」

 

 共鳴した俺と日向が部室の中央でひしりと抱き合った。

 分かる…分かるぞ……お前のその気持ち。すっげー、よく分かる。女子からの呼び出しっていうシチュエーションと、それが勘違いだったときの絶望。軽く死ねるよな!

 

「ぐ腐腐腐……。はちひな頂きました……ぶはっ」

「姫菜っ!?」

「海老名先輩が鼻血吹いて倒れた!?」

「どうしましょうか、これ。三浦さんがいないから対処の仕方が分からないのだけれど……」

「とりあえず、鼻にティッシュでも詰めとけば?」

「……そうね。川崎さんの案でいきましょう」

 

 乱雑に海老名さんへ応急処置を施す雪ノ下たちを尻目に、一葉と大志が何やらボヤいていた。

 

「……俺、初めて自分の姉が姉貴で良かったって思ったわ」

「……俺も」

 

 隣の芝生は腐っているを体現する海老名さんの功罪だった。

 



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5話

 そして舞台は冒頭へと戻る。

 ……ここまでくるのすげー長かった。

 

「だいたい、大志の姉ちゃんなら兄貴じゃなくても、そのうち良い人が現れるだろ!」

「そうだ! そうだ!」

 

 一葉(かずは)日向(ひなた)が揃って大志を攻める。

 

「なっ!? 何言ってんだよ! うちの姉ちゃんの純情っぷりを甘くみんなよ!! 消しゴムのカバーの下にお兄さんの名前を書いちゃうくらい純情なんだぞ!!」

「た、大志!? あんた、アレ見たの!?」

「え? いや、京華が見つけたんだけど、漢字が分かんなかったらしくて俺に何て書いてあるか聞いてきた」

「け、けーちゃん……」

 

 弟からのフレンドリーファイアで撃沈する姉。

 

「これが川崎先輩の乙女力……」

「さすがサキサキ…やることが女子小学生と同レベル」

「…………」

「……由比ヶ浜さん。ちょっと消しゴムを貸してもらえるかしら。ええ、別に他意はないのよ。ただちょっと気になって」

「ゆきのん!?」

 

 なんかこっちにも飛び火してる件。

 

「ちっ…だがな、ウチの姉貴も捨てたもんじゃないぜ? 二月くらいから家に居てもリビングで時間を忘れてスマホに見入ってることが増えたんだ」

「それが何だって……まさかっ!?」

 

 今度は一葉が語り出した。

 はて、二月? なんかあっただろうか? 二月で思い当たるとすればバレンタインイベントかしらんと考えるも、どうもしっくりこない。

 うむむと唸る俺をよそに、一葉がニヤリと笑って答えを告げる。

 

「チラッと後ろから覗いたら、スマホの画面に映ってたの、兄貴とのツーショット写真だった」

「わーっ! わーっ!」

「なんかケーキとかも一緒に映ってたから、どっかで喫茶店デートでもしてたと俺は睨んでいる!」

「なん…だと……」

「これが、一年生ながら生徒会長を務める一色姉の行動力……」

 

 ああ、確かに行ったわ。卓球やったり一緒にラーメン食ったわ。一色もデートと言い張っていた気がしなくもない。呼び出しの口実は仕事だったが……。

 あれ? なに、だとするとあのときには既にいろはすったら俺のこと好きだったってこと? 片思いの相手と一緒に遊ぶ……どうみてもデートです本当にありがとうございました。

 

「なんか弟の俺が一度も見たことないような優しい笑顔で、愛おしそうにスマホの画面を撫でてるし。ウチの姉貴マジ乙女」

「やーめーてーぇぇ……」

「こ、これがギャップ萌え……っ」

「如何にも男慣れしてるキャラが見せる初心な感じのデレ……なかなかやりおるっ!」

 

 弟からのフレンドリーファイアで撃沈する姉が一人増えた。

 ついでに余波が俺にまでダメージ被害をまき散らしてゆく。なにこれハズい……。意識し出したら猛烈にハズい……。

 

「……そう。あなた、一色さんとそんなことをしていたの」

「ヒッキー、あたしそれきいてないよ?」

「……いや、別に報告義務とかないだろ」

 

 飛び火どころじゃない。延焼してるぞ、これ。

 誰か消防隊呼んで! がんばレスキューはどこですか!? 部活メイトの背後に地獄の業火みたいのが揺らめいているのだけれど!!

 

「……ねえ、知っているかしら比企谷くん? 私にも姉がいるのだけれど、この場に呼びましょうか?」

「おい馬鹿やめろ、この場を破壊するつもりか」

 

 なにその脅し文句。召喚した途端に勝利が確定するとか封印されし者なの? エク●ディアなの?

 誰かーっ! お客様の中にインセクトデッキが得意な陰険メガネはいませんかーっ!? 海に放り投げてほしいカードがあるんですけどー!!

 俺が『もうやめて! とっくに八幡のライフはゼロよ!』と雪ノ下を説得している横で、例の三馬鹿弟連中は絶賛デュエルを継続中だった。

 

「大志に一葉も中々やる……だが、我が家の腐れる姉を舐めてもらっては困る」

「おいおい無理すんなよ、日向。ウチの姉貴や大志の姉ちゃんならまだしも……」

「そうだね。なんか、そこまでお兄さんに固執してるようには……」

「それが甘いというのだ! 僕のターン!! 姉上の羞恥心とプライドを墓地に捨てる代わりに、トラップカードを発動! 姉上の勉強机の引き出しの二段目の二重底の中身が火を噴くぜ!!」

「……は? あ、え…? 嘘でしょ……ひ、日向?」

「なんとこの姉上、『はやはち』とか『とつはち』だとかのBL本に紛れて、こっそり自分と兄上の純愛を妄想した『ひなはち』本を執筆しておるのだ!!」

「いやあああああああああああああ」

 

 弟からのフレンドリーファイアで全姉が撃沈された。

 ていうか、何やってんの海老名さん……。

 

「ば、馬鹿な……。なんて拗らせた乙女力……」

「……こ、これが日向の姉ちゃんの実力か」

「どうよ? 僕の姉も捨てたもんじゃなかろうもん。ちなみに、発見したのは母上です」

「お、お母さん……」

「というわけで、フィクションをノンフィクションにするためにも、僕は負けない!!」

 

 なんかカッコイイ感じの台詞で誤魔化してるけど、やってることは姉のプライベート暴露大会だぞこれ。

 お前ら、普段の鬱憤をここぞとばかりに晴らしてないか? さっきからスゲー良い笑顔だけど。

 

「……姫菜」

「ゆ、結衣……」

「今度、それ見せてね?」

「それはどうかご勘弁を……」

「なら、さ」

「結衣?」

「あ、あたしが主役のヤツも描いてほしいなーって……」

「……いいよ。相手役はとべっちでいい?」

「あからさまに拒否した!?」

 

 こっちはこっちでなにやってるんですかねえ……。

 海老名先生の次回作について編集と作家がいがみ合うなか、なんか雪ノ下がモジモジして何かを言いたそうにしている。

 ……まさかだけど、ゆきのんも自分主役なストーリーが欲しいとか言わないよね? 

 

「だけど、姉ちゃんの乙女力はまだ先がある」

「なに……? さっきの消しゴムでもかなりのものだったぞ?」

「まだ、上があると言うのか……?」

「夜、妹の京華を寝かしつけるときに……」

「大志ぃぃぃ!」

 

 そのとき、それまで項垂れていた川崎が猛然と大志へと掴みかかった。……顔を真っ赤にして。

 そして繰り広げられる姉弟組手。ああ、大志も空手やってたのね。特に動揺もみせずに対処してるわ。

 しかし、ブラコンの川崎が弟に掴みかかるって、よっぽど話されたくない内容らしい。……わたし、気になります!

 

「京華にっ、よくっ、聞くらしっ、スッ!」

「大志っ、あんたそれ以上っ、言ったらっ、分かってんのっ!」

 

 川崎の下段蹴りからの前蹴り、大志が半歩下がって受けたところへ、間髪入れずに繰り出される上段回し蹴り。

 ……パターン黒! レースです!!

 

「今日のっ! 夕飯っ! メシ抜きにっ! するよっ!」

「そしたらっ! サイゼでっ! 済ますからっ! 無問題っ!」

 

 流れるようなコンビネーション空手で攻めまくる川崎と、その攻撃を悉く受けるか往なして捌く大志。

 ……なにこれ。組手自体は刃牙みたいな格闘戦なのに、会話がまるっきり姉弟喧嘩。

 

「せいっ!」

「きゃっ!?」

 

 川崎の攻撃が和らいだ間隙を縫って、それまで受け一辺倒だった大志が前に出た。

 突然の攻めに動揺を見せた川崎の眼前で、大志が勢いよく柏手を打つ。俗にいう『猫だまし』が見事に決まり、さーちゃんが予想以上に可愛らしい悲鳴とともにバランスを崩して尻もちをついた。

 というか、なんだ今のスマートな倒し方。不覚にもトゥンクして大志カッコイイとか胸キュンしちまっただろうが。さてはこいつ、存在が地味にみせかけた隠れハイスペックイケメンだな? やっぱりこいつは俺の敵だと再認識しました、まる。

 

「……姉ちゃんは言いました。『ねえ、けーちゃん。将来、はーちゃんがお義兄ちゃんになったらどうする?』って」

「おまえ……」

「ち、ちがうの! 言ってないから! 大志が勝手に言ってるだけで……」

 

 唖然として思わず川崎に声を掛けてしまった。なんか涙目でワタワタ弁明している川崎の姿が可愛くてちょっとドキッとするんでそれ止めてもらってもいいですか。

 

「喜び、嬉しそうにはしゃぐ京華。そんな妹を見つめながら姉ちゃんは頷き言うのでした。『……そっか。なら、お姉ちゃん頑張ってみるから』」

「……い、言ってないよ?」

「顔真っ赤にして、目を泳がしながら言われても……」

「念のために言うと、ネタ元は京華本人です」

「けーちゃん…内緒って言ったのに……」

 

 まさかの妹からの裏切りにショックを隠せない様子の川崎。

 ……ねえ待って。いまこいつさらっと自白しなかった?

 

「どうっすか、お兄さん! 家の姉ちゃんの純情乙女っぷり!! 天然モノですよ!!!」

「いや、その売り文句はどうなんだよ……」

「さすが、僕たちの中でも随一のシスコン。持ってくるエピソードのチョイスが秀逸ッ!」

「……だけどな、大志。そのエピソードは諸刃の剣でもあるんだぜ?」

「どういうことだよ、一葉?」

「つまり、妹をダシに理由付けしないと行動できない、お前の姉ちゃんの想いは、その程度の想いってことさ!!」

 

 どこぞの逆転弁護士よろしく、大志に人差し指を突き付けたポーズで声高に叫ぶ一葉。

 だが、そんな一葉の指摘にも大志は動じた様子もなく、むしろ不敵な笑みを浮かべて反論する。

 

「甘いね、一葉。こう考えるんだ、最愛の妹をダシにしてでも、お兄さんに恋い焦がれてる。不器用だけど一途な想いだってね!」

「そう考えると可愛く思える! 不思議!」

「ちっ…、その発想はなかった」

「逆に聞くよ。そもそも、一葉の姉ちゃんは本当にお兄さんに恋してるのか? 恋に恋してるだけじゃないのか?」

「……」

 

 羞恥で頭を抱えて転がり回る川崎を無視して、今度は大志がババーンと効果音でも付きそうな感じで一葉に指摘する。

 黙り込む一葉。あれ、わたしの弁護は? と、ちょっと不安気な一色。

 

「……確かに、その説は否定できない。だって俺が知る限り、多分これ姉貴の初恋だし。葉山先輩はノーカンで」

「あ、あの? 一葉? わたし、葉山先輩はそれはそれで本気だったんだけど……」

「だが、だからってその想いが偽物なんてことはない! 断じてない!!」

「な、何を根拠に……」

「兄貴が十八歳の誕生日を迎えたら即座に入籍できるように、妻側の欄を記入済みの婚姻届を常に携帯するほどの姉貴の想いの重さを舐めんなよ!! 男からしたらドン引きだぜ!!!」

「なんで一葉がそれ知ってんのよぉぉおおおお!?」

 

 重い…その想いは重いよ、いろはす……。

 いや、洒落じゃない。洒落で言ってるんじゃない。洒落にならないんだよなあ……。俺は誰に弁明してるんだろう。

 

「か、一葉……。あんた、どうやってそのこと……」

「どうやってって、普通に母さんが教えてくれた。姉貴が迂闊すぎなんだよ。母さんに婚姻届を取ってきてなんて頼むから」

「だ、だって……、休日は役所やってないし。平日は学校あるし……」

「いや、調べたけど婚姻届って休日でももらえるらしいよ。あと、ネットからもダウンロードできるらしいし」

「うそ……。だって、さり気なくお母さんに聞いたら、窓口に取りに行くしかないって……」

「騙されたんじゃね? 母さん、めっちゃ良い笑顔で俺に話してくれたし」

「あ、あのクソババァ……なんて性悪なの。どういう教育受けたらそんな大人になるわけ!? 親の顔が見てみたい!」

「……たぶん、それ全部ブーメランだぞ。あと、親の顔はばあちゃんちに行けば会える。なんなら、正月に見ただろ」

 

 もはや、さっきまで転げまわっていた川崎までもが、戦慄の表情を浮かべて一色姉弟のやり取りを見守っている。

 と思ったら、一葉が葉山並みの爽やかスマイルで俺の方にやってきた。

 

「話は変わりますけど、兄貴。俺、実は兄貴の大ファンなんです。なので、ちょっとこの紙にサインもらえないっすか。フルネームで。あと、別に他意はないんですけど、できれば住所と生年月日、本籍とご両親のお名前、印鑑も……」

「書かない。書かないから。今の流れで書く訳ないだろ。めっちゃ偽造する気じゃん」

「……大丈夫です。俺、こう見えて筆跡真似て書くの得意なんで! そこは上手くやります!!」

「違う、そんな心配をしてるんじゃない。そもそも、有印私文書偽造で犯罪だから。訴訟起こせば無効だから」

「俺には見える……訴訟とか面倒で、なし崩し的に姉貴を受け入れちゃう兄貴の姿が……」

「止めろ! 遠い目をしてあり得そうな俺の未来を語るのは止めろ!!」

 

 なんだ、この脳裏を過るビジョンは……『夏休み』…『一色からの呼び出し』…『生徒会の仕事』…『手錠』…『紙とペン』…『なぜか用意されてる俺の印鑑とマイナンバーカード』……うっ、頭が……。

 

「い、いろはちゃん……恐ろしい子っ!」

「ねえ、結衣。今からでも遅くないから、あの子リコールしない? 隼人くんでもとべっちでも誰でもいいから別な人を生徒会長にしよう」

「そっか、そんな手が……」

「……あの、姉ちゃん? それは止めとこ?」

「…………」

「……ところで、ゆきのん。『婚姻届』ってワードが出てから、ずっと自分のカバンを気にしてるけど、何が入ってるの? あたし、気になるな~?」

「ゆ、由比ヶ浜さん!?」

「まさかとは思うけど、ゆきのんも同じことしてる……とかないよね?」

「……と、ととととっと当然じゃない。死亡届ならまだしも、誰があんな男のためにこっこここ婚姻届なんてそんな勘違いも甚だしいわねもう由比ヶ浜さんったら私が小町さんをお菓子で買収して比企谷くんのご両親から同意の署名捺印も受領済みなんてそんなことあるわけないじゃない誤解よ変な疑いは止めてほしいのだけれど私はやってない犯人は別にいるのよ大した推理ね由比ヶ浜さんは小説家にでもなった方がいいんじゃないかしらっ!」

 

「……」

「……」

 

「……ゆきのん?」

「……違うの」

「ゆきのん」

「ちゃうねん」

 

 ……あの、小町ちゃん? 君、もしかしてお菓子とお兄ちゃんの人生を天秤にかけて、お菓子を取っちゃったの? それは流石に八幡的にポイント低すぎるんですけど。

 女性陣が総出で雪ノ下と一色を取り囲み、何やら紙を破かせているのを尻目に、俺は最愛の妹からの裏切りに絶望していた。

 すると、途中から静かになっていた日向が俺の肩をポムポム叩く。

 

「……兄上。やっぱり、姉上にしておきましょう。それが一番無難ですよ」

「なに悟ったような顔で言ってんのお前」

「姉上、空気を読むのは得意なんです。普段は読んでも無視してるだけで」

「それはそれでどうなんだよ……。まあ、俺も言えた義理じゃないが……」

「姉上なら、一人にしてほしいときは一人にしてくれますよ? 傍に居てほしいときは、傍にいてくれます」

「……」

「こう見えても、同人界隈ではそこそこ人気作家なので、なんなら将来的に兄上を養っていくことも可能でしょう」

「養ってくれる……」

「兄上は主夫として、簡単な家事をしてくれれば良いんです。だってほら、仕事のお手伝いはアシスタントさんがいますし、炊事洗濯掃除さえやってしまえば……あとは読書でもゲームでも何してても問題ありません。働かなくていいんです」

「働かなくていい……」

「姉上はサブカル方面にも理解があるので、一緒にアニメとかゲーム談議もできますよ。ちょっと腐目線に偏りますけど、そのときは義弟たる僕が相手しても良いです。一緒に、思う存分語り合いましょう?」

「語り合う……」

「ほーら、兄上はだんだん姉上と結婚したくなる……」

「したくなる……」

「結婚したぁい……」

「結婚したい……」

「姫菜可愛い……」

「ひなかわいい……」

「姫菜と結婚したぁい……」

「ひなとけっこんしたぁ――」

 

 

「「「「「「 洗脳やめろ!! 」」」」」」

 

 

「――ハッ!? 俺はいったい……」

「……ちっ」

「……イイッテ…ワイイッテイッタ…」

 

 なんだ、なんで日向は舌打ちしてるんだ? あと、何で海老名さんはまた顔を赤くして体育座りしてるの? なんかブツブツ言ってるし。そんでもって、どうして皆はそんな怒ってるの? おこなの? こわい、この空間なんかこわいこれ。やだ、逃げなきゃ…逃げないと……。

 俺は現実から逃れるようにガハマ印のクッキーを手に取ると、震える手で口に運んで咀嚼する。きっと、覚せい剤とかドラッグに逃避する人ってこんな気持ちなのかもしれない……。

 

「はは……死んだはずの祖父ちゃんが川の向こうで手を振ってる……。待ってて祖父ちゃん。俺もいまそっちに…………ぐふっ」

「ひ、比企谷くん! しっかりしなさい!! その川を渡ってはダメよ!!!」

「先輩、SAY☆RO丸ですよ! お口開けてくださーい!!」

「ダメ……比企谷の脈がどんどん弱くなっていってる……」

「待ってて、ヒキタニくん! いま隼人くんを呼んできて人工呼吸をしてもらうから! ほら、もちろん医療行為だからなんの問題もないよ!!!」

「いや、そこは姉上が自分でやりましょうよ」

「そうだよ、姉ちゃん! 今がチャンスだよ!!」

「姉貴! 普段の無駄な行動力を今こそ発揮するときだぞ!!」

 

 

 

 

 

 

「だから、あたしのクッキーの扱いっ!?」

 



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6話

 知らない天井でもなければ、ここはドコ、私はダレ的な展開もなく、若干の胃もたれを伴って俺は現世への帰還を果たした。

 さり気なく胸元を探ってみたけど、残念ながら死の神な代行証は持っていなかった。どうやら親父が実は死神とかそういう展開は無かったらしい。

 

「で、話を続けるっすよ、お兄さん」

「鬼か貴様……」

 

 意識が戻ればこっちのもんだとばかりに、大志が話し合いを再開してしまった。

 

「お兄さん、よく考えてください。ウチの姉ちゃんを選べば、お得な特典が付いてくるっす」

「なんだよ、特典って……」

「京華がぷりてぃキュアが好きなんで、京華と姉ちゃんを連れて行けば合法的にぷりてぃキュア映画とか観に行けるっす」

「……マジか」

 

 ふと思い出すのは、小町の受験のときに川崎姉妹と過ごした一時。

 あの田舎の大型ショッピングモールとかに居そうな家族的な雰囲気を思い出し、なんともこそばゆい感覚に襲われる。いや、別にそういう雰囲気が嫌なわけじゃないけど、なんというか……むず痒いでプルンス。

 

「それにほら、京華は今が一番可愛い盛りですよ」

「でも、あと数年したら『はーちゃん、うっざ』とか真顔で言われちゃうんでしょ?」

「ところがどっこい、ウチの妹は姉ちゃんに似ず素直に育ってます」

「それな」

「ちょっと、大志? 比企谷?」

「それに万が一そうなったとしても、反抗期の娘を持った父親的な気分が味わえますよ」

「なにそれ切ない…でも憧れちゃう……」

「なに言ってんの、あんた達……」

 

 俺が、悔しい……でもビクンビクンと気持ち悪い感じに悶えていたら川崎から冷たい目でジロリと睨まれてしまった。

 そっすね、京華を持ち出すのはダメだよね。

 

「けーちゃんに反抗期とかこないから!」

「そっちかよ!?」

「だ、だって反抗期だよ? もし、けーちゃんが反抗期になって、そこの生徒会長みたいになっちゃったら、あたしどうすれば……」

「うわぁ……」

「なんで川崎先輩はそこでわたしを引き合いに出したんですかねえ……? あと、先輩のその反応はどういう意味ですか?」

 

 頬を引き攣らせながら額に青筋を浮かべる一色から目を逸らす俺と川崎。いや、だって……ねえ?

 だが、まあ……川崎の懸念も分からなくもない。実際、以前会ったときにも思ったし。あの年で自然と男が喜ぶツボをついてくる才能はマジ女子力テロリスト。

 あれだな。一色というより、城廻先輩的な感じに成長しちゃうんじゃないか。……それはそれで悲惨な末路を辿る男子が量産されるだけだわ、これ。

 

「フッフッフッ……そういうことなら、兄上! 僕の姉上を選んでいただければ、ぷりてぃキュア映画デートぐらい余裕ですよ!」

「え? ちょ、日向?」

「良く考えてください! 大志の妹君もそのうちぷりてぃキュアを卒業する日がやってくる……そうなったらいかがするのです? また高額なBlu-rayに逃げるというのですか!?」

「だが……」

「ファンとしてお布施は確かに大事です。けれど、たった数年で有効期限が切れる妹より、生涯にわたって共にぷりてぃキュアを応援してくれる……そんな伴侶がいいんじゃないでしょうか!!」

「……確かに」

 

 正直、日向の力説する夫婦でぷりてぃキュア応援フェアには心惹かれるものがある。

 そうか、そういう考え方もあるのか……。俺は想像する。還暦を迎えた俺と海老名さんが静かに映画館でキュア戦士たちへ声援を送る未来を──

 

「……いや待てこれやっぱ違和感しかないわ。第一、海老名さん今のぷりてぃキュアに興味ないだろ?」

「うん。ないね」

「だそうだ、日向」

「姉上の正直者ぉぉぉおおおお!?」

 

 頭を抱えながら膝から崩れ落ちる日向と、そんな日向へ呆れたような眼差しを向ける海老名さん。

 

「いや、そんなすぐバレる嘘ついても仕方ないでしょ?」

「そこはほら、既成事実できちゃえばどうとでも……」

「バカめ、日向。策士策に溺れたな! ……兄貴。何を隠そうウチの姉貴は根っからのぷりてぃキュア大好きフリークでして……」

「一葉、わたしに変な属性を盛ろうとするの止めて」

「姉ちゃん、何気にぷりてぃキュア好きだよね? 日曜日になると自然と京華と一緒にテレビの前で正座待機してるし」

「……え?」

「キュア戦士がピンチになると、拳を握りながらハラハラドキドキ固唾を飲んで見守ってるし。京華と一緒に声援とか送っちゃうし」

「……ち、違うよ?」

「俺はまだ何も言ってないんだが……」

 

 唐突に川崎のキュア戦士疑惑が浮上した。

 ちょっとサキサキ属性過多過ぎない? 盛り過ぎじゃない? ヤンキーチックな見た目でプリキュア大好きとかそれ萌えるだけなんでいいぞもっとやれ!

 

「という訳で、お兄さん。今度の日曜日、ウチで京華や姉ちゃんとぷりてぃキュア発声上映会しません?」

「行く。絶対行くわ。ビデオカメラ持参で駆け付けるまである」

 

 なにそれスゴイ楽しそう。キラやば過ぎる。

 家でやると小町とか母ちゃんに怒られるから声出せないし。全力で応援するわ。

 

「あ、あたしも!」

「は? 由比ヶ浜?」

「あたしも実はプリってぷりてぃキュア好きなんだよね~。だ、だからもあたしも一緒に……」

「……」

「……」

「……」

「……ゆ、ゆきのんもそうだよね?」

「え? 由比ヶ浜さん?」

「ゆきのんもぷりてぃキュア好きだよね!!!!」

「……そ、そう…かもしれないわね」

「……」

「……」

「……」

「無理すんな、雪ノ下」

「……そうね」

「うう……。ごめん、ゆきのん」

 

 どこかホッとした様子の雪ノ下と、しょぼくれる由比ヶ浜。

 まあ、その……気持ちは分からんでもない。一色のときもそうだが、俺は鈍感系主人公ではないのだ。だから、こいつらがいま俺に向けている気持ちにも気付いている。

 ここで前までの俺なら、単に三人の関係が崩れることへの危機感だとか不安からくる誤想だと自分に言い聞かせていたかもしれない。でも、そんなのはもう止めたんだ。たとえその結果が俺の勘違いだったからといって、それで後悔なんてしない。そう、俺は──

 

「代わりと言ってはなんだけれど、今度、部室でパンさん発声上映会をしましょうか」

「なにキリッとした顔で言っちゃってんの、おまえ」

 

 なんかいい感じの俺のモノローグが雪ノ下のドヤ顔によって遮られた件。

 

「……ゆきのん。発声上映自体はやってみたかったんだ」

「パンさん映画を観るなら本来は私語厳禁なのだけれど……そうね、そういう応援の仕方もあるのね」

「あらやだこの子、すっごいイキイキしてる」

 

 何やらパンさん魂に火が着いちゃったらしい雪ノ下がウッキウキなんだがこれは……。とりあえず、由比ヶ浜と一緒にプロジェクターの借用について段取りを思案している雪ノ下を微笑ましく見守ることにする。

 そんな俺にスススッと近づいてきた日向が、神妙な顔でウムウム頷きながら俺に提案してきた。

 

「……ならば兄上。我が家で御面ライダーとヒーロータイム鑑賞会などもいかがでしょう?」

「あ、それはいいです」

「即答!?」

「だって、絶対に海老名さんが鼻血出して介抱とかしなきゃならんし」

「あ、姉上ェ……」

「……ぐ腐腐腐、面目ない」

 

 まったく申し訳なさそうにしていない海老名さんに、日向が絶望していた。まあ、こっちは放っておいて大丈夫だろう。

 

「……ねえ、雪ノ下」

「なにかしら、川崎さん?」

「それって、ここでやるなら京華を連れて混ざっても大丈夫?」

「……え?」

「その、うちはあんまり映画とか連れて行ってあげられないから、そういうのやるなら一緒に観させてあげたいなって……」

「……」

「あ、別に無理矢理参加する気はないから、ダメならダメで……」

「いえ、一人でも多くの子どもたちにパンさんを観てもらえるなら、それは原作者にとっても望むところでしょう。歓迎するわ」

「あ、ありがと……」

 

 いつの間にか奉仕部主催によるパンさん上映会が一般開放されることが決定していた。

 だが、この機会を逃す手は無い……。乗るしかない、このビッグウェーブに! だって三月に出た映画のBlu-ray買っちゃったし。

 

「なら、ぷりてぃキュア映画と二本同時上映にしようぜ。歴代キュア戦士五十五人出演のオールキャストだぞ」

「え、マジですかそれ? フレッシュとかファイブも?」

「もちろんマジだ、一色。ちゃんと台詞付きだぞ。まあ、メインは初代とはっぐプリだけど」

「……そのイベント生徒会も協力します。どうせなら視聴覚室借りましょうよ、視聴覚室!」

「いろはちゃんがノリ気になった!?」

「……姉貴、そんな無理してぷりてぃキュア好きなわたし可愛いアピールしなくても」

「だから、一葉はわたしのこと何だと思ってるのよ……」

 

 さっきの自分の発言を棚に上げて呆れたような眼差しを向ける一葉と、頬を硬直させて崩れた笑みを浮かべる一色。

 まあ、確かに一色だって小さい頃はアニメも観ていたのだろうし、そこまで疑うことはないだろう。

 だから──

 

「……」

「ちょっと日向。どうしてそこで私を憐れんだような目で見るわけ?」

「いえ、別に……」

「……言いたいことがあるならハッキリ言えば?」

「いや、まぁ別に」

「……念のために言っておくけど、私だって産まれた瞬間から腐女子な訳じゃないからね? 普通にぷりてぃキュアとか観て育ったから」

「ははっ……。またまたご冗談を」

「……」

「嘘…だろ……?」

 

 だから、日向。そんな驚愕な顔で姉を見るのは止めてあげろ。

 むしろ産まれた瞬間から鼻血流して『ぐ腐腐腐……』とか言ってたら怖すぎるだろ。

 

「あ、じゃあ優美子も呼んでいい?」

「それは別に構わないけれど……」

「あー、確かに優美子は好きそうだね」

「三浦先輩って最初は興味なさそうなフリして終盤とか号泣してそうですよね」

 

 それあるわー。だって序盤からクライマックスだもん。初代二人の件とか絶対にあーしさん泣いちゃうわー。

 なんなら初代が画面に出てきただけでウルウルしちゃうまである。リワインドメモリーとか流れ出したら号泣待ったなし! ……あ、それは俺だけですね。はい。

 

「……いや、あれはあたしでも泣くから」

「あ、あはは。……え? 沙希?」

「観たらマジ泣く」

「……どれだけぷりてぃキュア大好きなんですか、川崎先輩」

 

 いや、多分それあれだ。主人公が育児ノイローゼで泣いちゃうシーンとかで感情移入しまくってるだけだから。

 良く考えたら、はっぐプリのテーマって川崎的にどストライクなんだろうな。

 ……やだこのサキサキ、完全に子育てで奮闘する若ママと同じ思考回路!

 

「……あれ? いつの間にかぷりてぃキュア上映会の話がメインになってない?」

「解せぬ」

「俺たちの姉貴の押し売り……プレゼンは?」

「だから本音漏れてるっての。もういいから黙ってろ」

 

 展開についていけない三人が不平不満を言っているが黙らせる。

 そもそも、弟だからって本人の意思を無視して良い訳じゃないだろう。

 

「おまえらの気持ちも分からんでもないけどな、それ以上はあれだ……野暮ってやつだ」

「……でも、それだとウチの姉ちゃんなんか一生動こうとしないっすよ。今回の件が原因で姉ちゃんが振られて傷つくのは嫌ですけど、だからってこのまま何もしないで後悔もしてほしくないっす」

 

 大志が、ジッと俺の眼を見据えて声を上げる。

 この部室に来てからの、どこか調子に乗ったような雰囲気ではなく、かつて依頼で見た時と同じ、純粋に姉を心配する瞳。

 

「俺も……これが俺の都合っていうのもありますけど、あの姉貴があそこまで本気になってるのを見るのは初めてなんすよ。あんな姉貴ですけど、俺が受験のときは勉強みてくれたりして、良いところもあるんです。だから、弟として出来るなら姉貴には幸せになってほしいんです」

 

 一葉もまた、真剣な表情で俺に向き直る。

 確かにまあ、最初に聞いた一葉の話では、一色は碌でもない姉のようにも思える。だが、本当にそれだけなら一葉だって姉のために進学先を決めるようなことまではしないだろう。一色は一色のやり方で、きちんと弟と絆を育んできたってことなんだと思い做す。

 

「僕の場合は、父上と母上から厳命されてますからね。絶対に兄上を捕らえよって」

「お前はちょっと待て」

「ちなみに生死は問われてません」

「そこは問えよ。何のために捕らえるつもりなんだよ……」

 

 なんなの? 海老名家は伊賀忍の末裔かなんかなの? 俺は別に抜け忍じゃないんだけど……。

 俺の困惑した眼差しが面白かったのか、クスリと笑った日向が朗らかに言葉を続ける。

 

「まあ、というのは冗談でして。ただ、父上と母上がノリ気というのは本当ですよ。それは僕も一緒です」

「あのな……」

「どうしようもなく腐ってて、臆病で、歪んでて、面倒臭い姉ですけどね。それでも僕たちの大事な家族で、僕のたった一人の姉上なんです」

「……」

 

 そう言ってふわりと優しく笑う日向を見て、やっぱりこいつは海老名さんの弟なんだと、不思議とそう思えた。

 どこか飄々としていて、掴みどころが無くて、割り切った奴かと思えば、結局は割り切れないで馬鹿みたいに悩んでて……。

 

「だから、姉上がハッキリと拒絶しない限り、僕は諦めません」

「それは俺も同じっすよ、お兄さん」

「俺もだからな、兄貴」

「……そうかよ」

 

 息を揃えたかのように訴える日向と大志と一葉。

 そんな三人の視線から逃げるように、俺は額に手をやり、天井を仰ぎ見る。

 

「……なあ、兄貴。いや、比企谷先輩。もし姉貴に脈がないなら、そうハッキリ言ってくれよ」

「そうっす。それに、奉仕部のお二人は姉ちゃんに負けず劣らず美人っすから。あのお二人とずっと一緒にいたなら、好きになってても不思議じゃないっすから」

「ですなあ……。ぶっちゃけ、これまでの姉上の態度を想像するに、分が悪いとも理解しているので……」

 

 姉連中に聞かれないようにだろう。少しトーンを落とした声で、三人がそんなことを言う。

 先ほどまでの意気込みから一転、どこか諦めたような言葉。だから、俺は天井を見遣ったまま呻くように彼らに尋ねる。

 

「……仮にそうだったとして、お前らは諦めるのか?」

「まさか全然!」

「むしろ燃える!」

「目指せ略奪愛!」

「……だと思ったよ」

 

 どうやら総武高校の弟達というのは、どうにもシスコンらしい。

 

「……早速すっけど、お兄さん。参考までに、おっぱいが小さい娘と大きい娘。どっちが好みっすか?」

「ウチの姉貴ならどっちの好みにでも対応できますよ! 姉貴秘蔵の寄せて上げるブラが炸裂するぜ!」

「僕の姉上、ああ見えて脱いだら凄いんですよ……ナニがとは言いませんけど」

「おまえらな……」

 

 さっきまでの姉想いな面を捨て去り、フヒヒと作ったような下卑た笑みを浮かべ出す三人。

 何となくだが、さっきまでの真面目モードが恥ずかしくなったのだろうと察する。

 察するが……照れ隠しにその話題のチョイスは失敗だったと思うぞ。

 

「……大志。あんた何言ってんの?」

「誰が寄せて上げてるって……一葉?」

「ひーなーたー? それって、どっちの意味で言ってる?」

 

「「「 ヒィッ!? 」」」

 

 千葉の弟が総じてシスコンであるなら、姉もまたブラコンなのだろうか。

 少なくとも、弟達の本音に聞き耳を立てちゃう位には……。

 顔を赤くして怒る川崎と一色と海老名さん。目を吊り上げて怒りを露わにしているのに、口の端が微妙にニヤついているのは照れているからなのかもしれない。

 

「大志、あんた一週間メシ抜きだから」

「うぇあ!?」

「ねえ、一葉。生徒会長を敵に回して、無事に高校生活を送れるとでも思ってるの?」

「お、おおう……」

「……日向。『はちひな』って、尊いと思わない?」

「なん…だと……?」

 

 ……やっぱり照れ隠しじゃなくてマジ切れしてるだけかも。

 

「た、助けてお兄さん!?」

「兄貴! 姉貴が…姉貴がぁ……!!」

「……兄上、事件です!」

 

 おい馬鹿やめろ。俺を巻き込もうとするんじゃない。あ、止めてこっち来ないで!

 その後、なぜか俺は最終下校時刻のチャイムが鳴るまで、弟三人衆と一緒に『ドキ☆姉だらけの校内鬼ごっこ大戦! ~ 捕まったらボコリもあるよ!! ~』に巻き込まれたのだった。

 

 ……おまえら、雪ノ下に頼んで当分部室出禁にしてやるからな!

 

 

 

 *   *   *

 

 

 

「……ねえ、ゆきのん」

「なにかしら、由比ヶ浜さん」

「……千葉の兄弟姉妹って、こんなのバッカリなの?」

「それは風評被害…………待ちなさい! いまさり気なく『妹』もその括りに入れなかったかしら? 小町さんは兎も角として、まさか私もアレと同類に考えているの!?」

「うーん……。やっぱり弟がいた方が良いのかな……。ちょっとママに頼んでみようかなあ……」

「さっきのことは後で問い詰めるとして……んんっ。その件を親御さんに伝えるのは止めておきなさい、由比ヶ浜さん。仮に願いが叶っても、弟が産まれる頃には私たちは卒業しているわ」

「なら……養子とか?」

「……助けて、比企谷くん。私じゃツッコミ切れない」

 

 ついでに言うなら、千葉の一人っ子は自由気ままで、妹は気苦労が絶えないのかもしれない。

 



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