CRY'sTAIL (John.Doe)
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混迷のアンガージュマン 混迷のアンガージュマン-1

 気が付けば。あるいは瞳を開ければ、そこは暗闇の世界だった。よく見れば遥か彼方に光が見える。宇宙空間で太陽を見れば、こんな感じだろうか。そこまでぼんやりと認識したところで、頭がようやく働き始める。

 

「……ここは、どこ?」

 

 

 宇宙のような感覚さえあったが、宙に浮いたタイルの塊のような足場を踏んでいる。いや、普通は足場が宙に浮いていることは無いから、やはり宇宙にいるのだろうか?

 その割には周りには妙な黄金の巨大な剣が浮いていたり、光が穴から入り込んでいるかのように見えたり。

 

 私のかけている眼鏡か、あるいは私の目や脳みそがおかしくなったのでないならば。一言で言えば「現実的ではない」というのが、今目の前に広がっている風景への感想だ。そう思うと私は死んでしまったのだろうかなどと考えるが、そもそも今から少し前の時間、自分がどういう状況にいたのか……まるで思い出すことができない。

 

 

 

「戸惑っておるようじゃな」

「うふふ、ようこそぉ」

 記憶を辿ろうとしていた私の背後で、ふと誰かの声がした。反射的に振り向けば、そこにはいつの間にか少女が2人。

 

 白と赤を基調としたピエロのような服と──私と違い伊達であろう──細いフレームの丸眼鏡が特徴的なのが1人。

 ゴシック調のドレスと、どこか不気味な黒いぬいぐるみを抱えているのが特徴的なのが1人。どちらも第一声だけで、何というか人を小馬鹿にしているのかという印象を持たせている。

 

 何より驚いたのは、突然後ろにいたことでも現実離れした見た目でもなく。彼女らがさも当たり前のように宙に浮いていることだ。

「……戸惑う要素を、増やさないで貰いたいのですが」

「ふむ。やはり覚えておらんようじゃな。まあよい」

「ボク達のことは後にして……今はキミのことを話そうよ」

 わざとらしさすら感じる、古風を気取った口調とどこまでも間延びした口調。一応初対面の相手なので出来る限り丁寧に接したいところだが、苛立ちが募るのを抑えることができない。

 

 

「キミは覚えてないみたいだけど、キミはボク達と契約を結んだんだよ」

 黒いドレスを着た方の少女が、よく分からないことを言ってくる。契約、という言葉の意味を私が勘違いしていなければ、そもそも私は彼女たちと面識があるようだが。

 

「契約の内容は単純じゃ。ここ、辺獄で、お主は望みを叶える。そのためにワシらは力を与える」

「その代わり……キミは代行者として、幽鬼や幽者を倒す。ふふ、シンプルだよね」

 

 望み……彼女らの言う望みが私のものならば、私は一体何を望んだのだったか。お金? 不老不死? 恋人? いや、全て違う気がする。もっと、何か大切なもののような気がしてならない。金銭以外の物を……あるいは私自身を代償にして結ぶ契約なんて、そうでなくては悪ふざけか友人同士の約束事位だろうから。

 

 

「貴女達、随分と回りくどいやり方がお好きなんですね。私が覚えていないと知っていながら、契約の内容に関して、一切教えてくれないのだから」

 苛立ちを隠すこともなく目の前の2人──人、なのか怪しいが──にぶつける。気にした風もない、よりもむしろ私の苛立ちが愉しいとでもいうようにクツクツと嗤う2人。

 

 異様な場所に立っていることも忘れるくらいに、私は目の前の2人に意識が向いていた。

 

「くく、まあそう目くじらを立てるな。無論、契約内容を読み上げることに不満はないが」

「そろそろ、キミの魂が危ないんじゃないかな」

 黒いドレスの方が言うのを聞いて、意味を問おうとしたその瞬間。ぐにゃりと世界が歪んだような気がした。そして

 

 

 

 

────ワタシは わたしは なんだっけ?

 

 

 

 

「……あれ。思ったより深いところまで忘れちゃったかな、メフィス?」

「そうじゃなフェレス。一足跳びに「蝶」になるとはのう」

 目の前を揺蕩うように飛ぶ、淡い光の蝶を見て互いに愉しそうな笑みを浮かべる2人。

 相変わらず趣味の悪い2人だ、と思う。アレに付き合わねばならない被害者が増えたと思うと、その被害者には同情する。だが被害者なのは自分も同じだ。

 

 光の蝶になった少女にどこか見覚えがあって、そのまま去るのも名残惜しかった。が、私も暇を持て余しているわけではない。

 既に見慣れてしまったこの辺獄の景色を一瞥して、合口を構え直した私は代行者としての仕事に戻った。

 

 

 

「このまま眺めてるのもいいけど、そろそろ続きを話そうか、メフィス?」

「そうじゃなフェレス。さて、どういう状態になっているか、自分自身よく分かっておらんじゃろうが……」

「まずは分かる状態になるところから始めようね。自分の記憶を取り戻しておいで」

 

 

 うながされるがままに わたしは ただようように とんでいく

 

 めのまえに でてきた ひかるほん……そっと私は、疑うこともなく手を伸ばす

 

 

 

『大嘉……授業参観の件だが、もし辛いならその日だけは保健室に居てもいいんだぞ』

『大丈夫です、先生。私は両親がいない方が、長いんですから。それに、院長先生が代わりに来てくれると』

『そうか。そう言ってくれると、先生も気が楽だ。いい院長先生だな』

 

 直接、頭の中に映像が浮かぶかのように「誰か」の記憶が再生される。大嘉……と記憶の中の少女は呼ばれていた。

 

 

 

『お前にとってあまり思い出したくない話かもしれないが……お前の 両 や姉 を  した が  った』

『まだ 決が ったわけ   いが、時間の問 だろう。これはまだ、お前と だけの 密にしておいてくれ』

 

 今度は、少し途切れ途切れの記憶だ。黒く塗りつぶされているかのように顔を思い出せない少女と、先程も見た大嘉と呼ばれた少女の記憶。これらが「記憶」だと直感できているのは、理由は分からないが今はそれでいいと思う。

 

 

 

 

『掬いあげることができたのは貴女だけだけど……それでも、本当によかった……』

『ごめんなさい。私は、私の手は で れて  から……きっともう、 えないけど。それでも』

『どうか きて。  せになって。私の、私の大切な ……小夜』

 

 

 

 

 小夜……小夜……? そうだ。私は

 

 

 

「私は大嘉 小夜(おおか さよ)……そうだ、思い出した……」

 名前を。私が誰なのかを思い出した途端、視界の高さが少し変わった。視界の淵に映る、眼鏡のフレーム。しっかりと地を踏む足の感触。ほんの少し離れていただけのはずなのに、ひどく懐かしい。

 

「思い出したようじゃな? では改めて話を進めるとするかの」

「君が契約した内容も思い出した?」

 問われて、私は記憶を軽く漁る。全く思い出せなかったはずの記憶が、私の脳に蘇っていた。

 

 黒く焼け落ちた児童養護施設、状況を周りに聞いて呆然と立ち尽くしていた私。唐突な別れに哀しみがついてこなかったのを思い出した。

 そしてそんな私のところへ現れて契約を持ちかけた、2人の「悪魔」メフィスとフェレス。

 

 私は、そう。焼け落ちた施設と運命を共にした、院長先生のヨミガエリを望んで2人と契約を結んだのだ。

 

 

 院長先生は、私に、あるいは施設にいた多くの子供たちにとって恩人だ。日本中から児童養護施設にまつわる問題点をかき集めてその解決に力を尽くし、施設の子供たちのことを誰よりも考え、愛してくれた。

 施設を出た後のことも、態々法定代理人を立てて1人1人の生きる道へ歩くことを支えてくれるほど、愛と見識に満ちた人だった。最期も、施設から全ての子供と職員を誘導して取り残されたという……

 

 だからこそ、今度は私が先生に報いる番だと思った。契約を持ちかけてきた時に2つ返事で返したことは、後悔していない。そんな私の表情を見て、メフィスとフェレスは口角を釣り上げていた。

 

「では、契約をここに結ぼう。メフィスと」

「フェレスの名において宣言する」

 

 

「「汝、大嘉 小夜を代行者として認めよう」」

 2人の声が重なった。

 

 

 その瞬間、私の視界は一瞬眩い光に包まれたかと思うと、まるで波打ち際で波が引いていくかのように視界を去っていく。何事かと脳みその処理がようやく追いつこうとしたとき、ふと体に違和感を感じた。視線をやれば、そこで私の身体を包んでいたのは、先ほどまで着ていたラフな私服では無かった。

 

 身体の急所を中心に、数か所程小さな装甲のついた軽い鎧を着ていた。

 黒を基調にところどころ青の装飾が入った服の上に、更に濃い、鉄紺色とでもいうべき装甲が着いているといった様子だ。

 スカート状の腰部位はどちらも膝程まではあるが、右側だけは脛まで届きそうなほどのロングになっている。スカート状の部分は幾重にも布が折り重なったような意匠で、さながら竜か蛇かの鱗を彷彿とさせる。

 

 衣服が変わったことにも驚いたが、いつの間にか右手におそらく武器であろうものが握られていた。

 確かハルバード、と呼ばれる類のものだろうか。同じく黒を基調に、刃の内側や持ち手などところどころに青い装飾がなされている。斧になっている部分はまるで何かの翼を模したかのような形になっていて、対になる鉤の部分も、大きさこそ異なれど同じような意匠になっているようだ。

 

 

「……これは?」

「代行者のお仕事はね、幽鬼や幽者を倒すこと……つまり」

「敵となる者を倒すための武器と身を護る防具、ということじゃな」

 それは何となく察しがついている。が、どうせこの2人のことだ。そう言うことを聞いているのではないと分かったうえで、こう返してきたに違いない。

 ほんのわずかな時間の付き合いだが、それくらいは何となく掴めてきた。

 

 

「改めて説明しておこう。ワシらが管理しているこの辺獄には、幽鬼や幽者と呼ぶ秩序を乱す存在がおる」

「幽者はそこらへんにうじゃうじゃいる方で……幽鬼はちょっと特別。頭に輪っかが乗ってるよ」

 秩序を乱す、と言うからには、彼女らにとっては都合がよくない存在ということだ。だから、彼女らの代行としてこれを倒す。そういうことだろう。

 

 うじゃうじゃいる方が幽者と言っていたが、彼女らの対応を見るに、時折その辺りを漂っている光る蝶のことではないようだ。防具がいる、ということは幽者や幽鬼と言うのはこちらに害をなそうと襲ってくるのだろうが、蝶達からはそんな気配を感じなかった。

 

 

「幽鬼や幽者を倒せばいい、と言うのは分かりました。けど、それらは一体何者なんです?」

「それは倒していくうちに分かるよ。言葉で説明するのも、少し難しいんだよね」

「何より、倒す者のことを知ったところで、何かが変わるわけでもあるまい。そして契約の対価じゃが」

「まずはヨミガエリの前提として……魂が「再生の歯車」に到達する前に見つけ出して確保すること」

「そして理念(イデア)を7つ、確保すること。理念(イデア)がどんなものかは、実際に見つかった時に教えるのが良かろう」

 

 つまるところ、見つける方法に関しても道中で分かるということだろう。拳を握ったり開いたり、或いは少し体を捻ったり伸ばしたりしつつ調子を確かめる。

 アウトドアやスポーツが嫌いなわけではないが、どちらかと言えばインドア派の私にとって、武器を持って戦えというのは中々に辛いことだ。が、契約の効果かあるいは代行者としての能力なのか、少し身体が軽い気がする。

 

 

 それから、ようやく先程武具が突然現れたことの説明を受けた。何でも、契約を結ぶと代行者としての力を得るが、同時に守護者と言うものを得るらしい。得る、と言っても元々は代行者自身の内なる精神に宿るものが形になったものらしいが。

 

 そしてその守護者の力の一部として、代行者はこういった武具を纏うことができるのだそうだ。

 普通の金属とは異なる物理的性質を持っていると言う。実際、身の丈を超えようかというサイズの武器だが、私のひ弱な腕でも大男のように振り回せそうな感触がある。

 

 最後に、守護者が「具現」するには感情の昂ぶりが関係するから感覚をそのうち掴め、とだけ説明を受けて、メフィスとフェレスは文字通り消え去った。

 一体どこに消えたのかとか、どうやって消えたのかとか、疑問に思ったところで尋ねたとしても、はぐらかされるかそもそも答えてはくれまい。

 それこそ、幽鬼や幽者の正体以上にどうでもいいことでもある。

 

 私はこの異質な光景の世界を、一度しっかりと目に焼き付けてから歩き出した。

 

 

 

 しばらく、光の差してくる穴の方へ向かってこの不気味な世界を歩き始めた頃。

 階段のようになっていた道を降りると、不意に殺気を感じた。考えるよりも早く体を投げ出して飛び退く。着地のことなんて考える前に飛んだせいで、体が痛む。が殺気が消えたわけではない。動きたくないと訴える体の悲鳴を無視して、転がるように起き上がった。無様この上ない動きであっただろうが、命を失うよりずっといい。

 

「あれが……幽者?」

 たった今襲ってきた何者かを見据えて、私は直感した。

 

 明らかに、人ではない姿。地に足を着けていないソレは、身の丈だけならば私の胸くらいまでの高さしかないだろう。布団だかローブだか分からないが布のようなものを被っている。覆われた顔のような場所からは、瞳のように光が覗く。背筋に悪寒が走る見た目だった。

 

 感情の読めない……あるいは感情がそもそもないのだろうか。ゆっくりと、漂うような速度でこちらとの距離を詰めるソレを認めて、私は心臓の脈が早く大きくなるのを感じる。ハルバードを握る手が汗で湿り、思わず後ずさる。感情は読み取れないが、害意や殺意のようなものは、恐ろしいほどはっきりと感じた。

 

「来ないで……!」

 柄を両手で握ったハルバードを、横薙ぎに振るう。

 技術的なものは一切ない恐怖感と力任せの横薙ぎはしかし、私に鈍い感触を返した。当たった、と理解したと同時に、目の前を漂っていた幽者と思われるソレが軽く吹き飛ぶ。地面に叩きつけられたと思えば、紫色の不気味な煙に包まれて――消えた。

 

 逃げたのか死んだのかは分からないが、周囲を見回してもそれが再び姿を見せる様子はない。少なくとも倒したのだ、と理解した瞬間に私の膝は役目を放棄した。

 

 

 

「あれが幽者、でいいのよね……?」

 動悸と汗が落ち着くまで暫く、そのまま座り込んでいた。ようやく頭が回り始めて状況を整理する余裕ができる。

 

 異様な世界に、異様な存在。辺獄とメフィスとフェレスは言っていたが、辺獄に現実の概念を当てはめるのは難しそうだ。

 

 それでも、やることは単純明快な分有り難い。院長先生の魂を見つけて、7つの理念(イデア)を集める。同時に、今襲ってきたような幽者と幽鬼を倒していく。

 

 

 敵を倒せなどと言われて少し不安だったが、この辺りにいる幽者が先程倒した程度の者だとすれば、それらを相手にしている中で私の身体もある程度順応していくだろう。

 汗と滲んだ涙を拭い、脱力していた膝を叱咤する。ハルバードの柄を握り直して、私はもう一度歩き出した。それは同時に、私の辺獄での旅路が始まった、ということでもあるのだろう。




 以降、書き貯めが残っている分は日、水、金曜日AM0時に投稿予定です。次回更新予定は10/20日曜日AM0時です。


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混迷のアンガージュマン-2

 最初に遭遇した幽者を倒してからほんの少し歩いてきた辺りで、階段に差し掛かった。その先は少し足場の開けた場所になっているようで、広場はどこか町の交差点のような印象を覚える。

 

 道が浮いているのならば浮かんでいない理由もないとでも言いたげに、家や信号、標識のようなものまで宙に浮いている。もはやここまでくると、道や家などのオブジェクトだけを現実世界から抜き出して、何もない空間に配置したかのような印象さえ覚えてきた。

 

 何より、その広場には入る前から幽者が数体うろついているのが見える。初遭遇だった布を被ったような幽者と瓜二つ──あるいは、全く同じ見た目の幽者だ。

 先程遭遇した単独の幽者と今目の前にいる複数の群れ。そのどちらがイレギュラーなのか、あるいは双方そこそこの割合で有り得るケースなのかは分からないが、どちらにせよ初遭遇が単独の時でよかったと思う。

 

「大丈夫。動きは鈍かった……後ろに回り込まれないようにだけ気を付ければ」

 自らに言い聞かせるように呟きながら、ハルバードの柄を両手で握りしめる。見える範囲に3体、きっと死角になっている場所にもいるだろう。一つ大きく息を吸って私は広場へと飛び込んだ。

 

「まずは、ひとつ!」

 ハルバード、という名称は知っていても使い方なんて全く知らない。から、とりあえず両手で握って思い切り振りかぶり、如何にもここを使ってくれと言わんばかりの刃を叩きつける。

 地面諸共両断しそうな、でもきっと傍から見たらへっぴり腰気味だろうその一撃はしかし、動きの遅い幽者を捉えて叩き伏せる。初めて遭遇した幽者を斬り捨てた時と同じ、肉の塊に包丁を勢いよく切りつけたかのような鈍い手ごたえが返ってくる。

 

 私は別に、人を傷つけることに快楽を見出す主義でもなければ、殺人鬼でもない。思わず顔をしかめて、それでも最初に自分に言い聞かせた通り周囲に気を配る。

 叩き伏せた幽者を無視して飛び退いた私。一瞬前まで私がいた場所を、思っていた通り幽者が囲み始めているところだった。

 囲んで攻撃してくるという明確な害意、或いは殺意。私は命の危険を再び目の前に感じて、思わず笑いそうになった膝に辛うじて気合を入れて持ち直した。

 

 

 知能があるのかないのか分からないような、鈍く光る黄色い双眸達が私にゆらりゆらりと近づいてくる。やはり突き刺さるような殺意は感じるが、流石に三度目ともなれば多少は体も心も慣れてくる。

 迎え撃つ姿勢で私は横薙ぎにハルバードを振るって、一番接近して来ていた幽者を吹き飛ばす。さっきより少し手ごたえが浅い。派手に転がっていったはいいが、仕留めたかと言われればそうではないと言い切れる程度の浅い感触だった。

 

 一撃で仕留めることができなかったとはいえ、私は密かに自信を抱いた。正確には、私の持つ得物にだが。

 扱い方なんてこれっぽっちも知るはずもないハルバードという武器だが、幸いにして金属の塊を振るっているとは思えない軽さと、私の身の丈程もある長いリーチが手助けしてくれていた。闇雲に、技術のぎの字もないやり方で振るっても幽者には致命的な損傷を与えられている。その自信は、この異常な世界の中不安で揺らいでいた私の心を少しだけ繋ぎとめてくれた。

 

 

「やあっ!」

 自信のロウソクが消えない内に、私は幽者に囲まれないように次の一手を打つ。吹き飛んだ幽者が起き上がってくる前に、少しでも頭数を減らそうとした。

 最も遠くにいる幽者に狙いを定め、駆け寄り、ハルバードの刃を叩きつける。今度は確かな手応えがあった。

 

 幽者の輪を突っ切る形になったのは勿論意図的なことだ。私は幽者を斬った勢いを使ってそのまま180度向きを変える。やはり、彼らの動きは緩慢だ。

 代行者としての能力なのかいつもより身体が良く動くが、それを抜きにしても、彼らが私の方を振り向いたのは私が勢いを殺し終わってからだった。

 

 今度は、一番近い幽者に狙いを定める。大きく上段に振りかぶって、突っ込む勢いそのままに振り下ろす。今度はそこで終わらない。幽者の芯を捕らえて倒したことをチラリと見ながら、ハルバードを自分の体ごと一回転させるように振り抜く。遠心力の乗った翼のような刃は幽者を上下に両断し、一気に二体の幽者を消滅させた。少しは、ハルバードの扱いというものが馴染んできたというところだろうか?

 

「……これで最後!」

 最初に仕留め損ねた幽者がにじり寄ってきていた。と言っても、最早今の私にとって単独の幽者なんて敵ではない。向こうがこちらをリーチ内に捕捉するより先に、飛びかかって所謂袈裟斬りのように叩き斬った。難なく、あるいは呆気なく、その幽者もまた煙となって消滅する。

 

 

 脳内で描いていた数秒先の未来が、ことごとく綺麗にその通りになっていった。

 単独で怪物の敵陣に乗り込んで、それを全滅させる。まるで映画か何かの主役になったようで、最後の幽者を倒してから私の胸は達成感と爽快感に浸っていた。

 戦い方がまだ不格好だったかもしれないが、初めての戦いなのだ。ここから成長していけばいい。最初に幽者と相対した時が馬鹿らしくなってくるくらい、テンションが高揚しているのが自覚できる。どこか期待感のようなものすら抱えて、私はこの辺獄を進む歩みを早めた。

 

 

 

 

 辺獄を歩くうちに、私は2度3度と幽者の群れと遭遇していた。布を被ったような見た目の幽者の他に、デフォルメされた竜のような幽者とも遭遇したが、それでも敵ではなかった。

 幽者は全体的に動きが鈍いようで、それこそ囲まれさえしなければ勝てる要素しかなかった。

 

 ゲームで人型のキャラクターと戦うことすら恐怖を覚える私にとって、ホラー作品やSF作品のモンスターのようなものではなくて、どこか愛嬌すら覚えるような見た目なのも私にとっては助けだった。

 

 

 ──後から考えれば、これは慢心だったのだろうと思う。少し最初に上手くいったからといって、調子に乗りすぎた。

 

「痛ぁっ!? ……あれも幽者なの?」

 背中を取られないように、なんて格好つけて立ち回っていた。はずだったのに、戦闘中に突如私の背中は強烈な痛みを感じた。石か何かを思い切り投げつけられたような痛みだ。

 涙で滲む視界で後ろを確認すると、巨大なバラを思わせる何かが、花弁の中央にある大きな口をこちらに向けていた。

 幸い、防具のおかげで大きな怪我はしていないようだが、それでも痛いものは痛い。

 

 状況からしてあのバラのような存在が私に攻撃してきた犯人なのは間違いないだろう。

 痛みをぐっとこらえて睨んでみても、向こうの表情はうかがえない。花弁と口しかないのだから当たり前と言えば当たり前だが、やはり幽者達の無表情は恐怖を煽る。

 

 表情はなくとも、攻撃に際して動作はある。バラの幽者が大きく息を吸い込むような動作を見せた。きっとあれが、私に攻撃してきたときの動作に違いない。もたげた首が振り下ろされるその瞬間を狙って、私は軸をずらす様に横へ跳んだ。

 

「やっぱり、あいつも幽者!」

 拳ほどはあっただろうか、という黒いつぶてがいくつか飛んできたのを見た。壁や地面に当たって音を立てて砕け散る。植物の種のようにも見えたが……今その正体を探っていてもどうしようもない。兎に角近寄って斬り捨てるしかない、と私は地を蹴るべく脚に力を入れた。その瞬間──

 

「うっ!?」

 またも後ろから、今度は強く突き飛ばされるような感覚と共に、地面が迫ってきた。咄嗟に手をついて、顔面から倒れることは避けられたが背中が痛む。

 

 忘れていた。あのバラの幽者だけを相手にしていたわけじゃない。囲まれないように、なんて言いながらこの短時間で二度も背中を取られた。

 だが敵は悔む時間はくれはしない。再び、大きな息を吸い込む音にハッと顔を上げる。バネのように腕を使って飛び起きた私は、そのまま再度横っ飛びに飛び退く。

 

 痛む体に鞭を打ち、まずは周囲に漂う幽者達の数と位置を見渡した。交差点のような地形で、見渡しは良い。私は壁を背にした状態で、バラのような幽者までは少し距離がある。そのほかの幽者は4体ほど。

 ならば、まずはバラの幽者に突撃するための道を作らねばならないだろう。大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。バラの幽者の動きを中心に、幽者達の挙動を探る。

 

 

「今なら!」

 攻撃の予備動作──バラの幽者が大きく息を吸い込むのを見て、すかさず私は斜めに軸をずらしつつ距離を詰める。その先には頭巾をかぶった幽者がいるが、そこ目掛けて突っ込んだのだからこれでいい。

 吐き出された黒いつぶてが脇を掠めていくのを感じながら、ハルバードの槍のようになっている先端部を幽者に突き刺す。元々、こちらの攻撃を回避するという思考自体見受けられなかったこともあって、ど真ん中を捕らえたハルバードが返した手ごたえは重い。突き刺した幽者は振り払うより先に煙と消えたが、戦いはむしろ始まったばかりだ。

 

 振り払う手間が省けた分、私にとっては猶予が増えたことを意味する。まだバラの幽者はつぶてを吐き出す準備が整っていない。一気に踏み込んで、ハルバードの射程内まで持ち込んだ。それでも尚、恐怖を含めた感情の変化を見せない幽者達は相変わらず不気味だ。

 とは言え私がやることに変わりがあるわけではない。一切躊躇することもなく、私はハルバードの刃を袈裟斬りの要領で振り抜いた。

 

 

「さあ、あとは貴方達だけ!」

 バラの幽者が陣取っていたのは、私がいたのと真反対の壁側。つまり、残りの頭巾をかぶった幽者達には一時的に背中を向けることになっていた。大した時間ではなかったこともあって囲まれる程距離を詰められていた訳ではないが、警戒に越したことは無い。何せ先程は、私の慢心で立て続けに攻撃を受けたのだから。

 

 両手で握ったハルバードの柄を振り、刃を振り上げるのと同時に私は地を蹴る。特別妙なことをしてこない上に動きも鈍いこいつらならば、今の私にとっては3体いたところで大した障害にはならなくなっていた。

 ひとつ。振り上げたハルバードを脳天から垂直に振り降ろし、両断した。ふたつ。振り降ろしたハルバードを接近しながら今度は振り上げ、吹き飛ばすような勢いでこれも両断する。みっつ。振り上げたハルバードの柄を右肩を使って受け止め、振り向きざまに横薙ぎに切り払い、これも両断した。

 この広場にもう敵は残っていないことを改めて確認して、私は呼吸を整えながら次の広場へと続くであろう道を見据えていた。

 

 

 

 

「ふふふ、調子いいみたいだね小夜ちゃん?」

 いくつかの広場を切り抜けた私の前に、不意にメフィスとフェレスが現れた。SF作品などでよく見られるワープ、と形容するほかない方法で。道理で最初にここで2人と顔を合わせた時に、いつの間にか後ろにいたはずだ、と私は妙な納得を得る。物理法則とか方法論とか、そういう現実的なものが通用しないのも、短い時間ながらよくよく身に染みている。

 

「今度は一体何です? 有益な話じゃないなら急ぎたいんですけど」

「有益かどうか、は小夜自身に決めてもらうとしてじゃ。この先にある広間についてのことを話しておこうとな」

「覚えてるかな……? 小夜ちゃんが倒してきた幽者とは別に、辺獄には幽鬼っていう存在がいるってこと」

 幽鬼。確かに、幽者と連ねて説明を受けた。そこら中にいる幽者と異なる、少し特別なものだと聞いた。

 ついでに、頭に輪っかを乗せている、とも。頭に輪っかと聞いただけでは、俗に言う天使のようなものを私としてはイメージしているが、実際にどうなのかはまだ知らない。

 そして2人の話はきっと、その幽鬼とやらがこの先に待ち受けているということなのだろう。でなくば、私にはこの2人を殴り飛ばしたい衝動を抑えられない。

 

「幽鬼は数が少ない代わりに、幽者より数段強力な力を持っておる。個体にもよるが……」

「場合によっては、代行者も一撃でペシャンコ……うふふ、気を付けてね」

 何でもないことのように、あるいは私がそうなる未来を望んでいるかのように語る彼女ら。対する私は実感がまだ湧かないでいた。

 彼女らが言うには幽鬼は強い。頭では分かるし、気を付けようとも思うが、何せ幽者には苦戦らしい苦戦もあまりしてこなかったのだ。これで実感を持て、と言われても無茶と言うものだろう。

 

 そんな戸惑いが顔に出ていたのだろうか。愉しそうに笑うメフィスとフェレスが、道の先にある開けた場所を指差す。

「あそこに、小夜ちゃんが初めて会う幽鬼がいるよ」

 

 

「一応聞くが、勝手は掴めてきたとみてよさそうじゃな?」

「とりあえず私でも戦えるってことは分かりました。ここの幽者が強いかは知りませんが」

「察しておるように、辺獄の一番浅いこの辺りは幽者の力は強くはない。幽鬼もそうじゃが、基本的には深い所へ行くほどその力も増すと言ってよいじゃろう」

「つまり、ここはまだまだチュートリアル、ってこと。でもその方が都合はいいよね」

 それについては、概ねフェレスの言う通りだろう。きっと最初に遭遇した幽者が強い力を持つそれだったとすれば、今ここに私は立っていまい。

 

 つい先ほど、強さに対して実感が沸かないと思っていたばかりだったが、それでもやはり慢心を諫める心がけが必要なのだろう。背後につぶてをぶつけられた時のことを思い出して、私は少しだけ身近に、自身の慢心を戒める術を見つけたような気がした。

 深く息をひとつ。余計な考え事を身体から押し出すかのように、長く息を吐く。フェレスが指した先にある道を見据えて、私は歩き出した。

 

 

 

 

 気持ちの整理をつけるために歩いて通路を渡った先に、果たして幽鬼と思われる存在は確かに居た。しかし正直に言えば、イメージしていたものと全く違った、と言っておこう。メフィスとフェレスにまんまとしてやられたと言うべきだろうか。

 全体的なシルエットは、今までに倒してきた幽者達とあまり変わらない。むしろある一点を除けば完全に同一の見た目だと言っても差し支えはない。

 

 では何がしてやられたのかと言えば、頭に乗っている"輪"だ。確かに、彼女らの言った通り、頭巾を被った幽者のような見た目の幽鬼の頭上には輪が浮いている。それを乗っていると形容したところで何もおかしくはない。

 しかし私は勝手な先入観で、あるいはそう思い込むように話した彼女らの話を聞いて「輪の色は白色だ」と思っていた。天使のような見た目なのではないかと思っていた。あれではそれと正反対の印象を抱かせる。

 

「あいつら、ロクな性格じゃないわ」

 どうせあの悪辣な2人のことだ。私がそう思い込むように言葉を選んでいたに違いない。沸々と怒りがこみあげるのを感じながら、目の前の幽鬼を睨む。

 こちらにまだ気付いていない彼には申し訳ないが、八つ当たりの対象になってもらおうと決めた。

 

 

「たあぁぁぁっ!」

 今までの戦いの中で分かったことだが、幽者達の視界と言うのは相当悪いらしい。精々自らの居る広場の中くらいしか他の存在を捕捉できないようで、幽鬼も同じらしい。

 だから私は、通路から全力で地を蹴り奇襲をかける。斜めに振り上げたハルバードを肩で担ぎながら突撃。僅かに跳躍し、体全てを使ってハルバードの刃を叩きつけた。

 手応えは良好。地面に叩きつけられた幽鬼はバスケットボールよろしく反動で宙に舞い、その隙にハルバードを持ち直して横薙ぎに振り抜く。派手に吹っ飛んでいった幽鬼が倒れ伏すが、未だ消える素振りを見せない。

 渾身の二薙ぎだったのだが、メフィスとフェレスが言っていた幽者の数段強力というのは間違いではないようだ。

 

「くっ!」

 周囲にわらわらと、頭巾を被った幽者達が集ってきたのに気付いて、慌てて背後の幽者を斬りつけながら離脱する。幸いにしてバラの幽者はいないようだが、幽鬼がいる影響なのか数が多い。ざっと見るだけでも2桁に届きそうな数だった。

 まずは数を減らして、土俵を作らざるを得ないだろう。私はきっと、まだ代行者としては未熟もいいところなのだ。油断と無謀は避けるに限る。

 

 

 ひとつ、深い呼吸を挟む。焦りと恐れを共に吐き出して、前を見据える。背には壁、良くも悪くも背中を気にする必要はなかった。

 

 ハルバードを斜めに振り上げる。初撃だからこそ全力で行こう。膝を沈め、腰から腕をたわませて、思い切り地を蹴って距離を詰める。着地と同時に振り降ろしたハルバードが幽者を捉え、一撃のもとにその命を刈る。手応えだけでそれを認識して、地面に食い込んだ刃を支点に私の身体を前に投げ出す。

 柄を滑っていった右手は刃より少し手前で止めて、刃を持ちあげつつ短く持ったハルバードを横に薙ぐ。眼前に迫った幽者のこめかみにめり込んだ刃をそのまま止めることもなく、自分の身体ごと一回転。

 今度は右手を少し手前に手繰り寄せ、遠心力に任せて後ろに控えていた幽者を二体、一息に煙へ変える。

 今度は左手を滑らせて、刃の勢いを止めながら構え直す。

 

 

 考えるよりも先に身体が動いたような感覚だった。戦い方を知っているかのように身体は動く。代行者、あるいは守護者とやらの力であろうかと考えを巡らせるが、一拍を置いて今はそんな場合じゃないと思い出す。

 しかし無駄なことではなかったようだ。実際に私は、あるいは私の中の何かが、戦い方を知っていたのを思い出したかのように閃く。

 

「墜ち……ろおっ!」

 魔力──突然頭の中に降って湧いた言葉の意味を理解するよりも先に、その使い方を実践する。

 編んだ魔力が竜の翼となって、左手の動きに連なって眼前を叩き伏せた。巻き込まれた何体かの幽者が地面に伏したかと思えば煙と消える。

 魔法(スペル)攻撃という単語が、やはり唐突に私の頭の中に入り込む。代行者としての力を体が理解してきたのだ、と思う。

 

 ともあれ、目の前にいた幽者達は残り2体と言ったところだ。幽鬼も距離を詰めてきていたが、問題ない。もう一度、竜の翼(ウイングプレス)を使おうかと思ったが、うまく力が入らない。よく分からないが、連発は出来ないようだ。魔法(スペル)攻撃と言うからには、お約束のリソース、つまり魔力が溜まっていなければならないらしい。

 

 諦めて私は、ハルバードを構え、眼前の幽者に突き込む。竜の牙を思わせる鋭い槍部が幽者を貫き、手応えが返ってきたと思った瞬間にはその姿は煙となる。きっと人を突いていれば振り払う必要があっただろうから、そういう意味ではやりやすいと思った。勿論、人を貫くなんてしたくもないが。

 ハルバードを突き出した姿勢のまま、遠心力にモノを言わせて斧刃の部分を残った幽者に叩きつける。

 

「これで、残りは一つ」

 流石に私も、全力でハルバードを振るい続けてきたツケが来ていた。意図的に深く、大きく、息を吸って吐く。肩が上下する度にどうにか手に力が戻ってきた。

 

 

 相変わらず、幽鬼の表情は読めない。そう思っていたが、不意に。迫ってきていた「彼」は「言葉」を発した──

 

 

『お家に帰して……』



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混迷のアンガージュマン-3

『お家に帰して……』

 

 

 背筋が氷ついたかと思うほど、ゾッとした。聞き間違いなんかじゃない。口らしい部分こそ動かなかったが、確かに目の前の幽鬼は「喋った」のだ。振り上げようとしたハルバードを、思わず取り落としそうになる。

 

 罠? それとも本当に助けを求めている? 私はどうすればいいの?

 

 色々な感情が渦巻いて、気持ちが悪い。思わず、後ろへ大きく跳んだ。距離を取らないと、何か大きなモノに飲み込まれそうな。とにかく怖くて仕方がなかった。

「帰してって……どういう、こと……?」

『帰りたい……お家に、帰して……』

 私の問いかけに応える素振りはない。ただ同じような言葉を、うわ言のように繰り返した。意思疎通ができないのか、するつもりがないのか、分からない。その奥にある真意も見えてこない。

 

 ぐるぐると頭の中で考えが蠢く。ゆっくりと近づいてくる幽鬼に、後退りするしかできない。

 

 分からない。分からない、分からない! 私はどうするべきなのか、どう受けとるべきなのか、誰か教えてよ!

 

 

 今にも喉から飛び出しそうな叫びが、冷や汗となって皮膚を冷たく伝っていく。

 

 怖い。恐い。来ないで、近づかないで!

 

 

 ああ、分かった。こうするしか、ない────

 

 

 

 

 気付けば私の目の前には、突きだされたハルバードの穂先。それを握っていたのは、当たり前だけど、私の両手。汗が大粒の玉を形作っていた、私の両手。

 

「やっ……た…………?」

 

 微かに残っていた、幽鬼が消えるときに発した煙が吹き消えて、ようやくそう確信した……して、しまった。

 その瞬間。私の心が動き出す前に、私の「中」に何かが入って────

 

 

『お家に返して』

 

『僕を置いてかないで』

 

『僕のお家はどこ……?』

 

「い、や……入って、くるな……っ!!」

 

 

 喉に何かがこみ上げてくる。気持ち悪い。私の中に、誰かが……さっき貫いた子供が、入ってくる……!

 

 頭を振って、地面に膝と手をついた。吐き気と得体の知れない恐怖と痛みに、視界が滲んだ。私の中で、入り込もうとしてきたソレを閉め出したくて、必死に拒絶する。

 

 考えるより先に分かってしまった。ソレを、私の中に入れてはいけない! 私を壊させてはいけない!

 

 踞って、叫んで、何もかもを拒む。鍵をかけた扉を全力で押さえるように、ソレが入り込むのを抑え込む。

 

 

 

 どれくらい、そうしていただろう。いつの間にか涙を溢していた私は、少しだけ落ち着いてきた。でも。

 

「私……私が()した、のは…………!」

 

 

 

 これもまた、考えるより先に、分かってしまった。私がハルバードで貫いた幽鬼は、倒してきた幽者達は────

 

 

「ひ、人……人間なんて、そんなの、聞いて、ない……!!」

 

 

 

 

「ふ、くく……これは存外、面白いことになったのう」

「うふふ、そうだね。まさか、完全に拒んじゃうなんて」

 愉快、愉快。実に愉快だ。笑いがこみ上げて堪らない。そう、その調子。もっともっと────

「「その心の強さ(エゴ)を見せ続けて」」

 

 

 

 

 傍らにハルバードを置いたまま、私は座り込んでいた。立ち上がる気力も湧いてこない。

 

 直感に近いが、これは正しい答えだと、認めざるを得なかった。幽鬼と幽者は、元々人だったものだ。

 そして私が貫いた幽鬼は、少なくとも子供のそれだ。町にあるはずの自分の家へ帰れなかった子供の記憶が、私のことのように流れ込んできた。

 その子は理解ができなかったのか、したくなかったのかは分からないけど。多分、その子の「家」は、もうなくなってしまったのだ。でもそれは、つまり。

 

 

 

「酷い顔ね。幽鬼と繋がったのが初めてなら、当たり前か……」

 

 不意に、誰かに声をかけられた。ゆっくりとそちらを見ると、女の人が1人立っている。

 少しだけ緑がかった黒髪を後ろで大きく三つ編みに束ねた、背丈は同じくらいだけど、多分年上の人。

 黒に近いわずかに緑を感じる塗装の、急所を守る鎧。それと対照的に純白のセーターのような服とマント。懐に差した剣と鞘。それらが彼女も代行者だと教えている。

 

「こんにちは、大喜 小夜。私は貴女の代行者としての先輩、と言えばいいかしら」

 屈んで目線を合わせた彼女はそう言った。何となく、落ち着く声色と顔立ちだ。

 視力の悪さが原因で目付きが悪いとよく言われる私とは違う、少し大きめの丸みを帯びた瞳がそう感じさせるのだろうか。

 

「貴女、は……」

「私は千暁。相楽 千暁(さがら ちあき)。さあ、まずは深呼吸して。そうしたら、楽になる方法を教えてあげる」

 楽になる方法と聞いて、私は深く考えるより先に大きく息を吸って、吐き出す。2、3回ほど繰り返した。

 

「うん、素直ね。じゃあ、約束を守るわ。まずは、思い切り泣きなさい。それが今できる、一番確実で必要なこと」

 

 泣けと唐突に言われても、と言おうとした私の唇は、私の言うことを聞いてはくれなかった。

 堰を切ったように、心の奥底から声を上げて泣くのが止まらなくなって。相楽さんが背中を優しく叩いてくれるのを感じながら、訳も分からず私は泣き続けた。

 

 

 

「……落ち着いたかしら」

「あの、すみません。私、止められなくて……」

 そうさせたのは私だもの、と気にしていないような表情を見せる相楽さん。とは言われても、見知らぬ人の前でぎゃんぎゃん声をあげて泣いたというのは、やっぱり恥ずかしいというか……

 

「幽鬼の思念に触れるというのは、それを解決するのは、そういうもの。だから、気にすることはないのよ」

 思念、という単語に首を傾げそうだったが、すぐに思い当たる。私の中に入り込んできた記憶や感情のことだろう。

 

「幽鬼や幽者は、生前の未練を果たそうと……具体的には、ヨミガエリを狙う魂達のこと。例外も、まあ無くはないけれど」

 そう言えば、メフィスとフェレスが「再生の歯車」という場所について言及していた。そして生前の未練、つまり死者の魂が幽鬼や幽者の正体で、私の願いは亡くなった院長先生の"ヨミガエリ"だ。と言うことは。

 

「私がやらされるのは、正常に所謂輪廻転生を行う為のこと、ということですか」

「私の知る限りはね。死んで、時が経ち欠けてしまった魂でも、周りの魂を喰らって完全な形になれれば、生き返ることができる」

 唖然とするほかなかった。さっき私の中に入り込もうとした子供の魂ですら、他者を喰らい生き返ろうとしていたということだ。

 

 

「ヨミガエリは、死んだことそのものが無かったことになる。死んだことを知っている全ての人間の記憶や、生活の痕跡に影響があるわ」

 ……相楽さんの言うことが本当ならば、それは私の周りにもヨミガエリした人がいるかもしれないということだ。

 少し背筋に寒気を感じた私だったが、相楽さんの次の言葉に、より悪寒を感じる。

 

「……ヨミガエリの問題点は、力をつけた幽鬼の捕食は、生きている人間の魂を引きずり込むことがあること。事故や事件として起きるから、普通認識はできないけれど」

 

 ゾッと、どころではない悪寒が身を強張らせる。死ななかったはずの人も、死んでしまうということではないかと気づいてしまった。

 

 

 私の親と姉は、事件に巻き込まれて死んだ。強盗殺人で、家族では私だけが怪我で済んだ事件だ。施設に入る前、まだ小さかった頃だが、鮮明に記憶にこびりついている。

 目の前で刺殺される家族。飛び散って私の頬を染めた赤い血。すぐ後に私を襲った、脇腹への熱と痛み。声を掛けても反応を反さない、倒れ伏した家族。

 今でも、はっきりと覚えている。忘れようがない。事件という単語で、私はその記憶に釘付けになってしまっていたようだ。

 

 

「大丈夫? 顔色が悪いわ」

「……っ! すみません、少し嫌なことを思い出して」

 今では、どうにか過去の苦い記憶として抑えることはできるようになった。心配そうにこちらを覗きこんだ相楽さんに、話の腰を折ったことを申し訳なく感じる。

 

「……相楽さん。それで、思念に触れるとこうなるのが当たり前というのは?」

「思念は果たせなかった未練の塊で、幽鬼の原動力。純粋な意思のそれは、触れた者の意思に干渉するの」

 だから、あの時私は、私の心の中に入り込もうとした感覚を覚えたのか。どうにか拒めたからいいものの、入り込まれていたらどうなっていたのだろう。

 

 

「思念の干渉を防ぐことは出来ない。でも、振り払うことは出来る。その方法は干渉されたら────」

「泣くこと、ですか……」

 ひとつはね、と相楽さんは応えた。多分、他の方法は良くない方法なのだろう。だからか、相楽さんはふたつめ以降の方法は喋らなかった。

 

「幽鬼の未練は、干渉された側の感情に蓄積される。大抵は、負の感情としてね」

 負の感情。未練なのだから、当たり前と言えばそうかもしれない。もし、その負の感情を溜めこんだらどうなるか、は容易に想像できる。

 

「代わりに流した涙そのものは、貴女自信の感情じゃない。でも、貴女の感情として、代わりに意味を与えることはできるわ」

「意味を与える……」

「でも、それは思念が、幽鬼が抱いていた思いと向き合うことでもあるわ。抱え込んでも、押し流しても、とても辛いこと」

 まるで念を押すように、一字一句ゆっくりと私に告げる相楽さん。私の瞳をじっと見て、問うてくる。

 

 

「その辛さを乗り越えてでも、叶えたい願いの為に代行者を続ける自信はある? 引き返せるのはここまでよ、小夜」

 

 私はそれに、たった一度の頷きだけで、迷うことなく返答した。

 私の瞳を見据えたまま、相楽さんはしばらく黙っている。沈黙の間、私も相楽さんから目を逸らさない。私の眼鏡越しの瞳を、試されているのだから。

 

 

「……分かった、いいわ。改めて、私は相楽 千暁。悪魔共に貴女の補助を頼まれたの。これからよろしくね、小夜」

 その唐突な発表に、彼女の柔和な微笑みと真逆に私は呆気にとられた間抜け面を晒しているだろう。

 というか、さっきまでの私への優しい語り口が、メフィスとフェレスを指すときだけやたら殺意を感じさせるトーンだったのは、果たして気のせいだろうか。

 

 そんな私をよそに、相楽さんはそうそう、と言葉を続けた。

「私ね、相楽っていうのは事情があって名乗ってる親の旧姓なんだけど、あまり好きな呼ばれ方じゃないの。出来れば千暁って呼んでくれる?」

「あ、はい。さ……千暁、さん」

 その突然の申し出に、思わず名字で呼びかけてしまったが、特に気にしていないようだ。理由は……深く聞かない方が良さそうだ。

 そういえばさっきから私を小夜と呼んでいるのは、もしかしたらこのことの裏返しなのかもしれない。

 

 じゃあこれから暫くよろしくね。と差し出された手を取り、握手を交わす。ここから、私の本格的な代行者としての活動が始まった。



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交わるアポステリオリ 交わるアポステリオリ-1

 相楽さん、もとい千暁さんが代行者の任務──メフィス曰く「シレン」と呼ぶ──の補助を申し出てくれた後、私達は一度辺獄を出て元いた世界である現世に戻り休息することにした。

 辺獄への出入りの方法を教えてもらうことを兼ねていたが、実際のところは代行者として本能のように身に付いていた知識の実践、といったところだ。

 

 

「すごく……疲れたな……」

 現世に帰って来て食事などを済ませた私は、ベッドに寝転び意味もなく天井を見上げている。

 高卒のひとり暮らし、それも正社員登用を目指してアルバイト中の身だから、あまり良い部屋ではない。味気ない天井や壁紙、すこし硬いベッド、引き出し一つ無い机。そもそも賃貸だし。それでも、立派な私の城だと胸を張って言おう。

 

 

 寝転がり、次第に瞼が重くなってきた頃。シャワーは明日浴びればいいか、このまま眠っちゃえ。なんて時だった。

「うわっ!? え、携帯? 誰、もう!」

 デフォルト設定のままの電子音が、充電コードに繋いでいたスマートフォンから鳴り響く。

 時刻としてはそろそろ22時。微睡みを邪魔した相手が相手なら文句の一つも言ってやろうと画面を見ると、心当たりの無い番号。それでもコール音が途切れることはなく、少し慎重に受信ボタンに触れる。

 

『夜遅くにごめんなさい。大喜 小夜さんの携帯でよろしいですか』

「……千暁さん?」

 スピーカー越しに聞こえた、聞き覚えのある柔らかな声。私の返答に千暁さんが、ああよかった、と安堵の声を漏らした。

 

『ごめんなさい、少し確認したいことがあったの。少し時間いいかしら』

「はい、大丈夫ですよ。仕事も暫くお休みを頂いたので、明日は早くないですし」

『そう、良かった。小夜、貴女理念(イデア)については2人から聞いている?』

「それを集めろ、とは聞きました。ただ、現物は見ればわかるって言われて、どんなものかは……」

 スピーカー越しにため息が聞こえた。あれは多分、私じゃなくて悪魔2人へ向けたものだと直感した。

 

『どうりで気付かなかったわけね。実は、貴女に会った場所にちょっと気になって戻ってきたのだけど。貴女が生み出した理念(イデア)が放置されてたの』

 ……今千暁さんは何と言った? 私が理念(イデア)を生み出してて、それを置き去りにしてた?

 今度は、私が大きなため息をつく。これは当然、あの悪魔共へ向けた呆れと怒りのため息だ。

 

 

 ため息の意図を向こうも察したらしくて、詳しい理念(イデア)の説明と回収を明日行うことになった。

 それから悪魔共への愚痴をお互い少しこぼしあって、千暁さんの労いの言葉をもらったのを最後に、通話が終わる。

 ……しまった。千暁さんにどうして私の携帯番号知ってるのか聞きそびれた。しかしどうせ明日千暁さんと会うし、と自分で答えを出して、私は膨らんできていた睡魔に身を任せることにした。

 

 ほんの少し横になっただけで、瞳が開けられないほど重くなる……おやすみなさい。

 

 

 

 

「つまり、高まった純粋な感情の塊、それが理念(イデア)の考え方ね」

「感情の、塊……ですか」

 翌日。辺獄で千暁さんと合流した私は、予定通り理念(イデア)の説明を受けていた。と言っても、あくまで千暁さんなりの答えだと前置きをされた以上完全な正解ではないらしいし、そもそも感覚的な概念でもあるからイマイチ理解もし難いのが正直なところだけれど。

 

 曰く、理由はどうであれ純粋な感情は辺獄では結晶のようなものになるらしい。事実、千暁さんが回収してくれた理念(イデア)は、小さな宝石のような見た目だ。

 曰く、代行者であれ幽鬼であれ、感情が高まりさえすれば理念(イデア)を生み出すことはできるという。逆に、代行者や幽鬼であるからといって無条件に生み出すことはできないらしいが。

 そして曰く、理念(イデア)を生み出せる感情は須く全ての人間が秘めているが、理念(イデア)を生み出す具体的な条件は悪魔の2人ですら把握できないらしい。

 

「……つまり、この理念(イデア)を7つ集めるなら、その分感情を高めなきゃいけないってことですか」

「そうね、仮にどこかに落ちてでもいなければ。他の人のものだったとしても、契約違反にはならないと悪魔共は言うけど」

 改めてまじまじと手の中にある理念(イデア)を観察する。ダイアモンドや水晶のような透明感もあるが、同時にルビーやトルマリンのような色鮮やかさも感じる。表面への光の当たり方なんていう、しょうもない理由でそう感じるわけではなさそうだ。

 

 

「……ひとつだけ、気をつけて。理念(イデア)として生み出された感情は、紛れもなくその人の感情が外に出された証拠」

 手のひらの輝く結晶を見つめる私に、千暁さんが語りかけてきた。

「生み出したからといってその感情全てが一度に無くなるわけではないけれど、確実に摩耗していくものはある。それが酷すぎれば……」

 言い淀んだ千暁さんの言葉の続きは、具体的な内容は分からないが、きっと楽観できる意味ではないのだろう。固唾を飲んだ私は、その先を聞く覚悟を整えておく。

 

 

「摩耗しすぎることは、魂の死よ」

 

 

 

 言い終えてから、どれだけの時が過ぎたか分からない。ほんの数秒かもしれないし、数分ほどだったかもしれない。

 とにかく私は、千暁さんの「魂の死」という表現に、言葉が見つからず口が開かなかった。言い表し様のない恐怖が私の頭の中を埋め尽くしているのだから。

 

「一応、7つの理念(イデア)を全て自力で生み出したとしても……そこまでいくとは思えない。けど、それ以外に心を傷つけられたり、強烈な感情の理念(イデア)を生み出してしまったら、分からない」

「……魂が死ぬと、どうなるんですか?」

 考えるより先に訊ねてしまった。後悔しても、私の口から発された言葉は、既に千暁さんの耳に届いてしまっている。いつもは柔和な千暁さんの顔を覆っていた神妙な表情が、一層深くなる。

 

 

 

「輪廻の輪からすら外れる……生まれ変わりすらできなくなる、と言って良いかしら。孤独にこの辺獄をさ迷うことになるわ、永遠に……」

 

 

 

 さっきよりも長い沈黙の中で、言葉が出ないなりに、頭の中で様々な想像が巡る。

 辺獄を永遠にさ迷い続ける……それはたださ迷うだけではないはずだ。私が倒した幽鬼と同じ……いいや、きっともっと酷い存在となるだろう。

 

 思わず、拳を握る力が強くなる。だけど……それは「最悪のパターン」の話だ。そう口に出さずに何回も唱えて、ようやく整理がついてきた。

 そして浮かんできた、希望の光を確かめるための質問を掴みとる。

 

「そういえば、千暁さんは何を望んで代行者に? もしかして、そのときの対価も……」

「そう、ね……私は家族のヨミガエリを望んで、貴女の想像通り理念(イデア)を集めた」

 少し表情に陰を落とした千暁さんだったが、私にとってはそれは希望を掴みとれる答えだった。

 千暁さんが見たところ問題無さそうということは、私が理念(イデア)を7つ生み出したとしても問題ない可能性が高いということだ。

 

 ただ、その質問が少し軽率だったことを、千暁さんが続けた回答で思い知ることになってしまった。

 

「私は、家族……両親と妹のヨミガエリを望んだ。けど……間に合ったのは、妹だけだったの。両親は既に、幽鬼になっていた」

「……っ! すみません、こんな質問……

「知る由もなかったもの、しかたないでしょう? でも、覚悟はしておいて。再生の歯車にたどり着く前でも、魂が未練に飲み込まれてしまえば、もうヨミガエリは望めない」

「でも、幽鬼自身はヨミガエリを望んでいるんですよね?」

「ええ。でもそのヨミガエリは許されてはいけない。私達代行者はそれを止める代わりに、他者の魂に依らない特例のヨミガエリをしてもらうだけ」

 

 あの時の悪魔達との契約の意図するところを、思いもよらないところで聞かされた。なるほどと思う。けれど……

 理性的には無駄のない話だけど、あの2人にとってはもっと別の、私からすればきっとどうでもいいとか何でそんな理由でとか、そんな動機がありそうな気がして仕方がない。

 

 

 

「さて……理念(イデア)に関する話、思ったより長くなっちゃったわね。ごめんなさいね、小夜が……そう、少し妹と似てるから、つい話が長くなっちゃうのかな……」

「そうなんですか? とにかく、今はこの先に進んでいけばいいんですよね?」

「そうね。この層を抜けて、メフィスとフェレスが次の層とシレンを見つけ出したら、そこを攻略していく。その繰り返しになるわ」

 その言葉を聞いて、私はやるべきことがはっきりした分躊躇することなく歩き出した。

 

 

 

 以前と同じ、家の近所を思わせる景色のなかを進んでいく。細い道は幽者が出てこないが、迷路のように行き止まりへ向かう道があって油断はできない。

 辿り着いた広間はやはり行き止まりになっていることがあるし、幽者がうろうろしていた。

 

 今目の前にある広間は行き止まりではないが、枝分かれした道全てが幽者に見張られ、そして──

「幽鬼……」

「一応忠告しておくけど……あいつらの言葉に耳を貸しては駄目よ。見た目も声も、あいつらは中身と合致させずにいられる。言葉はこちらを揺さぶる罠よ」

 

 千暁さんの忠告を背に受けて、私はハルバードを持ち上げる。握る両手の位置は少し離して、右半身に構えをとった。

 最も警戒すべきは幽鬼。しかし周りの幽者も無視はできない。こちらに幽鬼達も気付いて、相変わらずゆっくりとだが向かってくる。

 

 

「たああぁぁっ!」

 向かってくるうち、一番近い幽者へ力一杯踏み込みながらハルバードを叩きつける。天から振り下ろされた刃が一撃のもとに幽者を消し飛ばす──ことはできなかったが、大きく吹き飛ばすことはできた。

 今回は薔薇の幽者はいなかったが、竜の幽者はいる。あいつらも、恐らく魔力で構成された刃を飛ばしてくるので油断ならないのだ。

 

 吹っ飛んでいった布被りの幽者をよそに、竜の幽者目掛けて飛び込むように踏み込む。その勢いのまま逆袈裟に斬り上げる。重力がないのかと思うくらい宙に高く浮いた幽者を、ぼうっと眺めるほどのろまなつもりはない。

竜の翼(ウィングプレス)ッ!!」

 魔力で編まれた竜の翼が私の腕と連動して、宙の幽者を地面に叩きつける。それがとどめとなって、竜の幽者は煙と消えた。その瞬間。

 

「小夜、後ろ!!」

 千暁さんの声に咄嗟に後ろを振り向く。そこには、いつの間にか背後をとっていた竜の幽鬼がいた。

 少しコミカルな、棘の生えた口が開かれている。ハルバードを反射的に振り抜こうと腕が動く。でも────

(間に合わない!)

 柄の長いハルバードでは、その牙が私に食らいつく方が早い。ほんの一瞬だろうけど、私は死を予感した────

 

 

 

「……あれ?」

「ぼさっとしてる暇はないよ、幽鬼はまだ生きてるわ!」

 生きてる? 幽鬼だけじゃない。私もまだ無事だった。側に立っていた千暁さんの手には、腰から抜かれた刀が握られていた。

 ようやく、私は状況を飲み込めてきた……千暁さんが幽鬼より疾く、手にした刀──刀身が短いから、所謂合口とか短刀とかの類いだろう──で斬りつけて助けてくれたのだ。

 そして千暁さんの言うとおり、吹き飛ばされはしたものの竜の幽鬼は起き上がって再び滞空し始める。

 

「……ふう。小夜、ここを切り抜けたら少し、その武器の使い方を見直さなきゃ駄目ね」

「うっ……すみません」

 てっきり、油断を咎められると思っていた。しかし千暁さんの目には違う問題点が写っていたようで、小さなため息混じりにそう言われてしまった。

 ただ、千暁さんの言うとおり、それをどうこうするのはこの状況を切り抜けてからでなければどうにもできない。

 

「私は危なくなるまでは、手出ししないわ。ここで自分の武器の扱い方に気づけたら、あとの講義は短縮ね」

 少し冗談混じりに言って、千暁さんが下がる。私はそれを感じて、再びハルバードを構え、前を見据える────



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交わるアポステリオリ-2

 幽鬼と幽者の群れとの戦闘が始まり暫く。全力でハルバードを振るい続けたかいあってか、幽者の数は残り2体といったところだ。幽鬼の方はしぶとく、何度か斬りつけたもののまだ立ち上がってくる。

 少しでも呼吸を整えて、幽者達を見据える。少し互いの距離をおいた幽者2体と、更にその少し後ろに幽鬼が連なる。

 

 ハルバードは柄の長さが取り柄のひとつだと思っている。だから、あいつらが射程にこちらを入れる前に、踏み込んでこちらが先手を取る!

「はあぁぁっ!!」

 大きく2歩踏み込み、左から右への横薙ぎに刃を叩き込む。疲労した腕が遠心力で僅かに悲鳴をあげるが、気にしない。

 刃が食い込み、幽者を煙に変えたのを見た私は、そのまま振り抜いたハルバードの柄を手繰り寄せるように上段から振り下ろす。地面から刃を振り上げる勢いで、一瞬前まで無傷だった竜の幽者を斬り上げた。

 

「いい加減に……ッ!」

 既に4、5回ほど斬りつけて尚倒せなかった幽鬼。今度こそはと言わんばかりに、肩で跳ね上げたハルバードを袈裟斬りに振り下ろした。

 

 

 

『何で認めてくれない……』

 

 

 

 まただ。誰かの……いいや、斬った幽鬼の声が私の頭の中へ入ってこようと脳を叩く。

「う、ぐ……出ていけ……!!」

 今度は少しでも入れてやるものか。お前なんて知らない、私に入ってくるな!

 

『俺の仕事だったのに……』

 

 声に耳を貸すことを拒む。どんなに辛そうな声でも、知ったことか。鍵のかかった扉を叩いてくる奴は無法者に変わりはない。

 

 暫く頭を抱えて片膝をついていたが、どうにか頭の中から声を抑え込めてきた。でも、そんな時──

 

「とどめはしっかり確認すること。厳しめに採点しなくても、30点ってところよ、小夜」

「え、あ……」

 

 いつの間にか私の後ろに立っていた千暁さんが、合口を鞘に納めていた。黒と緑の、蛇の鱗のようなものが表面を覆う鞘は、不気味さと優雅さの同居した不思議な印象を覚える。

 それよりも。今千暁さんが武器を納めたということはつまり、とどめを刺せていなかった幽者がいた、ということだ。

 

「幽鬼の前に斬り上げた幽者が、まだ生きていたの。貴女だけだったら、死んでたかもしれないわ」

 突きつけられた事実とそこから派生しえた仮定に、私は項垂れた。こんなミスをしておいて、落ち込まずにいられるだろうか……

 

 

 

「さて……小夜、次のチャンス。次の集団は私がいくわ。油断してたことよりも、私が気にかけてることがあるの。見つけられれば、お説教は少なくしてあげる」

 また少し冗談めかした口調でそう言った千暁さんは、次に見つけた広場にたむろする幽者達に突っ込んでいく。

 布を被った幽者、竜の幽者。そして薔薇の方は黒い輪っかが乗った幽鬼だ。私ならばまず、竜の幽者をどうにかするだろう。

 

 千暁さんが幽者の集団に接敵し、最初に狙ったのは案の定と言うべきか竜の幽者だった。遠目ながら、懐の合口を一閃したのが見える。

 合口を抜きつつの一閃から立て続けに、腰の捻りをそのまま回転力にして回し蹴り。立て続けに背後の布を被った幽者へ合口を突き立てた。

 

 合口を背後の幽者に突き刺すまでの一息の流れから目を逸らす間もなく、千暁さんは更に猛攻を仕掛けた。

 彼女の戦闘を見るのは初めてだ。腰に差していた合口のみならず、打撃や投げなどの素手での攻撃が混じっている。

 その全ての攻撃は流れるように幽者達を襲い、無駄なく敵の数を削ぎ落としていく。決して一撃で幽者を葬る威力こそないようだが、敵の反撃すら許さない怒濤の連続攻撃に私の目は奪われていた。

 

 

 

「どうだった、小夜? 何か掴めたものはある?」

 薔薇の幽鬼に牙のように生成した魔法(スペル)攻撃を打ち込み止めを刺して。そのまま振り返って私を呼び、そう尋ねた。

 無駄を見せない千暁さんの戦闘を目の当たりにした私は、しかし私に見出だされた問題点との相関を掴めず顎にてを当てて考えている。

 

「うーん、ならまずは、私と小夜の戦闘で何が違ったと思う?」

「えっと……武器が違うからか、私よりも手数が多かったようには思います」

 少しおっかなびっくりに答えた私を見て、ほんの少しだけ考え込んだ千暁さんの表情は未だ柔和なものだ。ちょっとだけほっとした。

 

「じゃあ、次の質問。ハルバードで手数を増やしたかったら、どうすればいいと思う?」

「ええっ……ふ、振る速度を上げる、とかですか?」

 千暁さんの表情が少し苦笑いぎみだ。しまった、見当違いの答えを返したみたい……もう一度、考えてみる。

「そ、それじゃあ……私も殴る蹴るを練習する、とか……」

 いけない。千暁さんの顔がみるみる真顔になっていく。普段怒りそうにない人が怒ると余計に怖いとよく言うけど、千暁さんもそのタイプの人だ。つまり、怖い。

 

 

「……小夜」

「は、はい!」

「貴女に足りないのは、武器への理解よ」

「武器への理解、ですか?」

 幾度かしょうもない推測を述べて、ついぞ答えを得られなかった私。半ば呆れたように、千暁さんは答えを教えてくれた。

 答えを聞いて、私は思わず首を傾げる。だが千暁さんの方は、最早私の理解が及んでいないことは既に推測済みらしく、気にすることなく続けて教えてくれた。

 

「私自身、別に武器マニアってわけじゃないから細かな話はできないけど。貴女のハルバードは長い柄、大小2つの刃、鋭い穂先、そして補強された石突がある。そうね?」

 言われて改めてハルバードを見つめると、確かにそれらが備わっているのが分かる。いや、今までだってそれは見てきたのだけれど。

 何かの翼を模したような大きな刃と、それを小さくしたかのような鉤として使えそうな小さな刃。その間にある、獣の爪のように鋭い穂先。石突きも同じように、穂先より短いながら鋭く尖っている。それらが、身の丈ほどもある長い柄に集っている。

 

「貴女はさっきの戦いで、大きな刃と穂先を、両手で全力で振るって戦っていた。それは自覚している?」

 戸惑い気味に首肯する。長い柄を生かして遠心力の乗った刃と遠くまで届く穂先をメインに据えることに、何か問題があったのだろうか。

 

「ひとつ聞くけど。疲れない? 毎回100パーセントの力で武器を振るの」

「そ、それは疲れますけど……もしかして」

「例えば私の合口でも、両手で持って思いっきり振ることは勿論できる。けど、小夜に見せたなかで、そんな振り方をしたのは何回だったか覚えてる?」

 多分……ほんの1、2回くらいだった気がする。蹴りにしたって、威力の問題があるから比較的強めの蹴りが多かったが、それでも牽制の方が多かっただろう。

 

 

「というわけで。小夜には今後、ハルバードの扱いを常に考えてもらうからね」

「でも……そんな余裕あるんでしょうか。院長先生の魂が再生の歯車にたどり着く前に、魂を見つけて理念(イデア)も揃えないといけないんですよね」

 具体的に、どのくらい猶予があるのかは分からない。もしかすると、四十九日なんて言うくらいだしそのくらいは猶予があるのかもしれない。

 しかし、期間も道のりも知らない私には、急がない理由はない。

 

「そうね、あまり余裕のあるスケジュールではないと思う。でも、だからこそ、よ」

 私の不安を取り除くかのように、千暁さんは私をしっかり見て、優しく告げる。

「急がば回れ。戦闘力に余裕があれば、それだけ一度に先に進める。それにね、何か常に考える課題があれば、心を乱す何かがあっても帰ってきやすくなるの」

 千暁さんの言ったことの、前半部分は言われて納得できる。しかし、後半はよくわからなかった。

 

 

 

 千暁さんの言葉に問いを返そうと思ったけど、私達は通路を歩き終えて広間に差し掛かる。

 今までの法則でいけば、そこは幽者達がたむろしている可能性が高い。私達は話すのを止めて、各々いつでも敵を攻撃できる体勢を整える。

 

「……これは」

「誰もいない、ですね」

 広間はそれなりの広さがあった。2車線道路がある交差点くらい、といったところか。

 そんな広々とした場所だが、不気味なくらい何の気配もしない。幽者や幽鬼にも人とは違うが独特の気配があるけれど、それもなかった。その代わりと言うべきか──

 

「奥の広間……何かいる、んですかね?」

「もうあの気配が捉えられるの? 思ったより、代行者の素質があるのかしら」

 

 まるで、黒い霧でも流れ込んできているかのような禍々しい雰囲気を、広間の向こう側から感じる。

 幽鬼にさえ余裕のある雰囲気だった千暁さんも、いつもの柔和な表情は潜み、代わりに歴戦の剣士か、蛙を睨む蛇のような視線で奥を睨んでいた。

 

 

 

 

「千暁さん……」

「小夜。この先に進むなら、覚悟しておいて。この先には、幽鬼がいる」

「幽鬼……?」

「そう。今までの幽鬼とは、別格の……この層で一番強い幽鬼が」

 

 

 

 固唾を飲んだ私は、ぎゅっとハルバードを握りしめて。広間と広間をつなぐ通路を、その先にあった階段を、降り始めた。

 

 

 

 

 

 その先にいる幽鬼がどんな存在か、この時はまだ、何も知る由がなかったから────



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交わるアポステリオリ-3

 千暁さんの警告を受けて、私は最大限注意を払いながら階段を降りていく。そして、そこにはたった1人の──少女が立っていた。

 

 

 

 

 

「千暁さん」

「油断したら駄目。見えるでしょ、頭の輪。少女のような……人のような見た目は、魂が完全に近い、強い幽鬼」

 私の微かな動揺を見逃さなかった千暁さんが、改めて私に忠告した。後ろから感じる千暁さんの気配も、より鋭く尖る。

 要所に防具のついた黒いゴシック調のドレス。そしてそれと対照的な透明感のある白い長髪の少女は、こちらに背を向けて立っていた。その腰には、ドレスと同じ漆黒に染められた、鳥か何かのような大きな翼が一対備わっている。

 広間に足を踏み入れた私達の気配を感じ取ったのか、ゆっくりとこちらを振り向いた。透き通るような、あるいは生気を感じないほどの白さの肌。そしてその手には純白に輝く片手剣が握られている。

 

「貴女達……そう。言っても退いてはくれそうにないのね、特に後ろの貴女は」

「幽鬼を見逃す理由があるとでも?」

「そうね、私が如何に特殊でも……貴女には関係のない話。だから──」

 鮮やかなオレンジの瞳が私達を──特に千暁さんを射る。足が竦みそうになるほどの鋭い視線。

「逃がしてもらうわ。貴女達を殺してでも。だから……上手く躱して」

 少女の幽鬼は、手にした片手剣を半身引くように構えて。私達へ矢のように突っ込んできた。

 

 

「小夜、下がって! この幽鬼は貴女の手に負えるレベルじゃない!」

「そんな……!」

 黒い少女の幽鬼の一閃を、千暁さんが合口の鞘で受け止める。刹那の押し合いの後、鞘で受け止めたまま抜刀、一閃したのを幽鬼は後ろへ跳んで躱した。

 下がれと言われたことは悔しい。でも……このレベルの戦いに踏み入れないことを、私自身嫌と言うほど理解してしまったことが、もっと悔しい。

 

 私の歯痒さと関係なく、戦闘は進む。

 一拍の睨み合いを挟んで千暁さんが幽鬼に斬りかかる。袈裟懸けに襲う刃を純白の剣で受け流し、引いた半身をバネに刺突を繰り出す。受け流された勢いを利用して、千暁さんは前に転がりこんでどうにかこれを躱した────

 

 

(駄目……これは、ついていけるレベルじゃない……でも、私達なら)

 

 

 代行者の戦闘は何も近接戦闘だけではない。私は2人の意識がこちらにない内に、密かに魔力を練る。攻撃に必要な魔力が練り上がり、後は待つだけ。幽鬼が隙を見せ、千暁さんが巻き込まれない位置にいるその瞬間を。

 

 幽鬼と千暁さんの幾合の斬り結びの末、ついにその瞬間は訪れる。千暁さんの蹴りを屈んでやり過ごし、反撃の一閃が千暁さんの体勢を崩した。そこへ追撃しようとした、その一瞬。

 

 

「やらせない! 灼熱の息吹(ドラゴンブレス)!!」

 

 

 練り上げた魔力は、ハルバードの穂先から火球となって放たれる。そのまま黒い少女の幽鬼にぶち当たり、爆発。炎が竜巻のように舞い上がる──

 

 

 

「え……?」

「避けて小夜!!」

 

 

 

 私の放った火球は、着弾すれば単に爆発を起こすだけだ。竜巻のような挙動を起こすはずはない。

 何が起こったか分からない混乱は、私の反応を鈍らせた。炎の竜巻を吹き飛ばしながら、幽鬼がこちらへ迫る。

「行きますよ」

 右腕を左半身側へたわめた彼女の一言が、私の恐怖を煽る。そのまま体を捻り、所謂回転斬りとして私を襲った。

 

「っ、ぐうぅ……ッ!」

 視界が飛んで、回った。自身が地面を転がっていったと認識できたときには既に私は倒れ伏していて、身体中が痛みを訴えてくる。

 辛うじて、ハルバードの柄で受け止めるのは間に合った。でも、間に合っただけ。魔力による強化を行った回転斬りだったようだ。武器ごと叩き斬られなかったのは、ある意味奇跡だったかもしれない。

 どうにかハルバードを支えに立ち上がると、吹き飛ばされる前に私が立っていた辺りで、やはり千暁さんが立ち回っている。

 

 

 私は、あの幽鬼に隙を作ることさえ出来なかった。

 

 

 そんな落胆が私から立ち上がる力すら奪っていく。片膝をついて、倒れこまないのが精一杯だ。それに思ったより、吹き飛ばされたダメージが大きい。

 

 私を置き去りに、2人の戦いは激化していた。私への竜巻や回転斬りを皮切りに、双方魔法(スペル)攻撃や強化(アーツ)攻撃を解禁したらしく、疾風のごとき連撃や派手な大技の応酬になっている。

 追尾する羽根を魔力の投げナイフが打ち落とし、跳び蹴りから続けて放たれた肘を難なく躱せば剣閃の嵐が吹き荒れる。魔力で瞬間的に強化された強烈な斬撃を、刀身の根本で受けて強化した掌底が杭打ち機のように襲いかかる。

 

「キリがないですね……そろそろ、私も行かなければならないのですが」

「貴女が行けるのは輪廻の輪の中だけよ」

 互いに後ろへ跳んで睨み合いながら、警戒は一切解いていない。じりじりと焼けつくような時間が流れ、ほんの一拍ほどの時間が永遠に引き伸ばされたような緊張感。

 ただただ千暁さんの邪魔にならないよう見ていることしかできない自分が恨めしい。どれほどの研鑽の果てに、私はこの2人に並び立てるのだろう?

 

 

 

 そして。永遠にも感じた須臾の間はついに動き出す。魔力で形作られた蛇の牙を、駆けながら振るわれた純白の剣が叩き折る。そのまま千暁さんへ襲いかかる刃を合口で受け止めた──が。

 

「なっ……!」

 驚愕の声を漏らした千暁さん。見ていた私ですら意表を突かれた。打ち合わせた刃は刹那の間を持たず引かれ、千暁さんの脇をすり抜けていったのだ。

「私はこれで。もう逢うことがないと願いましょう」

 合口で受け止められたのは、向こうの意図通りだったんだ。そう気付いたときには既に、黒い少女の幽鬼は浮いている一軒家のような建物を足場にして立ち去ってしまった。

 追いかけようにも、ワープするかのように消えてしまったのでは追いようがない。千暁さんも諦めたようで、疲れからかその場に腰を落としてしまった。

 

 

「あの幽鬼……ただの幽鬼じゃなさそう。強さだけじゃない、もっと別の『何か』が……」

「すみません、私何も出来なくて……」

「小夜が気に病む必要はないわ。貴女は貴女にできることをした。普通、こんな浅い階層にあそこまでの幽鬼は……いいえ、そもそもあんなに強い幽鬼を見たのは私も初めて」

 

 千暁さんは私のことを責めはしなかった。けど、やはり無力感は私には悔しさを刻み込む。気付けば結構な力でハルバードを握っていたようで、掌が真っ赤になっていた。

 千暁さんはあの幽鬼の正体に全く心当たりがないようで、考え込んでいたかと思えば私に疑問を振った。

 

「小夜はあの幽鬼がとった姿に見覚えはないのよね?」

「ええ……施設でも見かけた記憶はありません。名前でも聞ければ、心当たりはあったかもしれませんけど……」

「名前……はあまり意味がないかも。幽鬼としての名前は、現世での名前とは違うから。どっちも名乗る幽鬼もいるけど」

「そもそも、あの姿って現世での姿と似通うものなんですか?」

「魂がヨミガエリに近くなれば、ね。それに辺獄は一定の形ではないの。基本的に、代行者に関わりの強い場所が元になって辺獄の層を形成し続けることが多いみたい」

 

 

 それからしばらく、そのまま辺獄のレクチャーを受けつつ道を歩いていた。

 今いる層を形作っているのは、私が普段住む町が元とみて間違いないだろうこと。深い層に行けば行くほど、立ち入った者にとって深く記憶に結び付いた場所になりやすいこと。

 そしてそこにいるボスのような幽鬼もまた、その記憶に深く結び付いた幽鬼であること。

 

「辺獄は、言わば歩ける走馬灯みたいなものかも。だから、そこをさ迷う幽鬼や幽者にとって、別の景色に見えている可能性もある」

「それって、今私達は臨死体験みたいなことになってるってことですか?」

「その答え合わせはお互いもう少し先になりそうね。でも、歯車へ……転生の為の場所へ近づくって意味ではそうかも」

 

 

 あんな激闘の後だからなのか、私も千暁さんも少し脱力気味に会話が弾む。私のお姉ちゃんが生きていれば、お姉ちゃんともこんな風に話していただろうか。今更だけど、死んだ姉と偶然同じ名前だからか、そんな風に考えてしまう。

 

「小夜、大丈夫? また顔色が悪いわ」

「あ、いえ……死んだ姉のことを思い出してしまって。同じ名前なんです、千暁さんと。失礼かもしれないんですけど、お姉ちゃんが生きてたら千暁さんみたいに素敵なお姉ちゃんだったのかなって」

 千暁さんの表情が少し曇ったのを見てしまって、やはりこんなことを話すべきではなかったかなと少し後悔する。

 

「あ、ごめんなさい。嫌だったわけではなくて。私が本当に、貴女の姉でいられればと思っちゃって」

 少し放っておけないのよね、と付け足して、苦笑いを浮かべる千暁さん。

 本当は、千暁さんをいっそ千暁お姉ちゃんなんて呼んでみようかと思ったけど……何故か、そうしては取り返しがつかないほど後悔する気がして、そっと胸の内にその考えをしまいこんだ。

 

 

 

「……鏡? 」

 あの黒い少女の幽鬼以降、幽者1体も見かけなかった私達の前に、1枚の姿見がぽつんと立った場所が姿を表した。

「あの鏡が、この層の最後を示す言わばゴール地点よ。層によってはこれが何度かあるけど、この層はここで終わりね。お疲れ様、小夜」

 ……そういえば、千暁さんと初めて会った場所でも、幽鬼を倒したあとに姿見を見かけたような……? あの時は余裕がなくて、そんなことを考えることもできなかったけど。

 しかし、辺獄へ来るのにも姿見を使うあたり、まるで辺獄は鏡の中にある世界のようだ。中の景色は、鏡写しどころじゃないくらい不可思議だけど。

 行き来の方法は、代行者になった時にいつの間にか知っていたことのひとつだ。だから、当たり前として認識しすぎて気づかなかったのかもしれない。

 

 

「さて。この後は次の辺獄の層、シレンをメフィス達が見つけて繋げるのを待つしかないわ。まあ、1日か2日もすれば連絡が来ると思うけど」

「連絡、ですか」

「ええ。あの悪魔共にプライバシーって概念はないから。また辺獄で会いましょう」

 そう言って千暁さんは光に包まれたかと思うと姿を消した。そういえばメフィスとフェレスが消えるときも似たような感じだし、もしかしたら私が辺獄から帰るときも似たように写るんだろうか。

 どうでもいいことか。私も疲れがすごいし、早く帰って寝てしまおう……そんなふうに考えながら、私も現世に帰るべく姿見に手を触れる。

 

 

 

 

「……帰って来た、か」

 見渡せばそこは私の部屋。防犯目的でカーテンを閉めているから、まだ昼間だけど少し暗い。

 カーテンを開けるか悩んで、先にシャワーを浴びることにした。そのあとご飯も食べないといけないし、最近余裕がなくて読めていなかった本も、いい加減続きを読みたい。

 他の誰でもない、院長先生に言われたことをふと思い出す。

 

 

────どんなに悲しいことがあっても、食事と普段の趣味は心の支えです。後ろめたく思うことはありません。

 

 

 確か、施設に入りたての頃に言われた言葉で、その後も何回か言われたのを覚えている。

 不意に思い出したその言葉で流れた涙は、熱いシャワーで流されていく。そうだ、まだ先は長い。こんなところで泣いてるようじゃ、院長先生への恩返しなんて夢のまた夢だ。



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渦巻く万斛の格律 渦巻く万斛の格律-1

「待たせたかな? 次のシレンの用意が整ったよ。準備ができたら辺獄においでよ」

 朝、軽く食事をとって身だしなみを整えた頃に携帯電話が鳴った。出てみれば早々に聞こえる、幼さとイラつきを感じさせる間延びした声。

 文句も礼も言う暇を与えずに、フェレスの方から言うだけ言って通話が切られた。しかし────

 

 

「……まさか悪魔から電話がかかってこようとは」

 着信履歴に残る、切られたばかりの非通知着信。あの不気味な兎だか熊だかよく分からないぬいぐるみを抱いて、もう片方の手で通話するゴスロリに身を包んだ悪魔を想像すると妙な光景だ。

 とにかく、先に進む道が見つかったのなら急がねばなるまい。あ、その前に千暁さんに連絡を入れるべきかな。

 

 

「朝早くすみません、千暁さん」

「ううん、私もさっきメフィスから連絡をもらったから大丈夫よ」

 以前の着信履歴から千暁さんに電話をかけると、予想通り電話は繋がった。そして私にフェレスが電話していたタイミングで、メフィスから千暁さんにも電話はかけられていたらしい。

 お互い辺獄に行くことに不都合は無く、すぐに辺獄で落ち合うことになって通話は終わった。

 

 

 

「さて……と」

 部屋に置かれた姿見に自分の姿が映る。その状態で代行者としての証明でもある印を指で切り励起させることで、辺獄への門が開かれる。

「うっ……!」

 人によって変わるらしい代行者の印。私の場合は、右脇腹だ。服を少しめくり上げ、指で切る。励起した印が返す刺激は、まだまだ慣れそうにない。

 

 

 

 眩い光が散り、目を開ければそこは……多分辺獄だろうという場所だった。今までみてきた辺獄とは様相が大きく異なり、しかし共通して感じる非現実感はそこが確かに辺獄だと確信するに足る。

 

「お待たせ、小夜。いよいよ2層目ね、辺獄としてはまだまだ浅いけど、油断は禁物よ」

「おはようございます。そういえば、結局昨日の幽鬼は何だったんでしょう?」

 辺獄に降り立ってすぐ、千暁さんと合流できた。昨日の幽鬼のような強力な存在がもしこの層にもいるのなら、と考えると油断どころではない。

 

「待っておったぞ。ふむ、少しは代行者らしくなったかの?」

 唐突に私達の目の前にメフィスとフェレスが現れた。心臓に悪いし、そのワープでいきなり出てくるのは止めてほしいんだけれど。

 丁度いいとばかりに、千暁さんは昨日の黒い少女の幽鬼について悪魔、即ち辺獄の管理者に確認することにしたようだ。

 

 

「黒い少女……分かんないねメフィス」

「そうじゃなフェレス。少なくともワシらが把握している中にはそんな幽鬼はおらん」

 私達が伝えた特徴に、悪魔の双子は少し真面目な表情になって答える。どうやら、結構重大なことのようだ。

 姿や使ってきた魔法、そして戦闘力をもう少し細かに伝えると、悪魔2人はより険しい表情になる。

 

 

 

「ワシらが把握できておらんのは、基本的にまだ力をつける前の幽鬼くらいじゃ」

「でも小夜ちゃんと千暁ちゃんが言うくらい強い幽鬼を、ボク達が気づけないとなると」

「私達じゃどうこうできそうにない案件ということね。もし、私達に影響がありそうなら教えなさい」

 暗にお前達でどうにかしろ、と。千暁さんはその幽鬼の調査を悪魔達に押し付ける。凄い、どっちが雇用主なのか分からない。

 しかしメフィスとフェレスにとってもそのつもりらしくて、文句が出ることはなかった。逆に言えば、それだけ重要度の高い案件という証左だ。

 

「じゃあその幽鬼はボク達に任せて。それでこの層だけど」

「特段代わり映えしない場所のようじゃ。しかし忘れるでないぞ、時間には限りがある」

理念(イデア)も忘れずに集めてきてね」

 言い残して双子は消え去ってしまった。

 

 

 改めて、降り立った新たな層の辺獄を見渡す。今までと同じように、道や建築物が宙に浮いた景色。

 しかし今までと違って、浮いているのは一般的な民家のような見た目ではなく、ビルや公共施設のようなものになっている。車も浮いていた。

 

「随分と、何というか都会的ですね」

「うん、具体的にどの辺りなのかまでは分からないけど」

 橋のようにかかる道もあるようだが、私もここがどこを元にして作られた場所なのかは思い当たらない。

 確か代行者の記憶に紐付いて形成されるケースが多い、って話だったから、多分行ったことがあるか、少なくとも聞いたことがある場所だとは思うけど。

 

 まあ、ここが何処なのか分からなくてもさして問題にはなるまい。この先に出てきそうな幽鬼の推測はできるかもしれないけど、出来なくとも進めないわけじゃないだろうし。

 

 

 

 都会らしさを感じていたのはこのせいかもしれない、と思うほど整えられた通路を進んでいく。左右に曲線を描く通路はなく、将棋や囲碁の盤上のように曲がり角も別れ道のつくりも垂直、並行に並んでいた。

「……ここまでキッチリと道があるのは初めて見るかな。少し不自然なくらい」

「広間もあまり見当たらないですね。代わり映えしない分、迷わないようにしないと……」

 

 そう言えば京都とか北海道に、計画的に道を敷いてこういう風に升目状になってるところがある、なんて聞いたっけ。

 そんな風に、子供の頃教科書で読んだことをぼんやりと思い出しながら歩くと、ついにこの層では珍しい広間に差し掛かった。

「千暁さん、あれは……」

「いい? 層が深くなればなるほど、そこにたむろする幽者も幽鬼も強力なものになる。同じような見た目だからと侮るのは駄目」

 広間にはやはりというべきか、幽者達がたむろしていた。幽鬼は確認できない。

 

 そして千暁さんとの会話にあったように……幽者達の大まかなシルエットは、昨日までに見たものとほとんど同じだ。色が違うだけ、と言っても差し支えないだろう。

 だがメフィスやフェレスも、そして千暁さんも言った。層によって幽者達は強さが異なり、深いほど強くなると。まだここは2層目だけど、その違いがどれ程なのか、私は知る必要がある。何故なら。

 

 

 

「小夜、昨日貴女に教えたこと、忘れてないわね。常に使い方を考えながら、ハルバードを使いなさい」

 

 

 

 そう。闇雲にハルバードを振るうことを咎められた私は、扱いの習熟を言い渡された。

 習熟と言っても、師もマニュアルもない中でどうすればいいのかよく分からないけど、きっと戦うなかで何か手がかりがある……と信じたい。

 

 

 ハルバードを握る手にすらも意識を向けて、私は幽者の集まるなかへ走り寄る。千暁さんが言ったことを少し踏み込んで解釈するならば、大振りの攻撃だけでは厳しいということだ。

「ふっ!」

 柄を気持ち短めに保持して、前方を小さく斬りつける。そのまま穂先を突き出して緑地に紫の水玉模様の布を被った幽者を貫く。

 

「やっぱり、仕留めきれない……でも!」

 幽者を突いた穂先を戻さぬまま、体を捻りながら後ろに回り込んでいた竜の幽者を斬りつける。今までのように全力で突いていたなら、後ろの幽者への対応は間に合わなかったかもしれない。

 

 

 数体の幽者に囲まれつつあった私。すぐにでも囲いを抜け出したいところだけれど、隙間は見当たらない。それでも。

「そこか!」

 最初に斬りつけ、突いた幽者を再度斬りつける。既に傷ついていた幽者は小さな振りの斬撃にも耐えきれず煙と消えた。

 囲いに穴が開き、左右に残っていた幽者を斬りつけながら抜け出した。千暁さんくらい身軽で戦闘慣れしていれば、あえて囲まれたままでいる選択肢もあったかもしれないけど、私にはまだ無理だ。何より、今でもやっぱり幽者は怖い。

 

 小振りな攻撃を仕掛け続け、よろけたり周りに敵が少なかったりといった隙を見つけ次第、必殺の勢いでハルバードの刃を叩きつける。

 理想を語るだけなら簡単だし、実際にそこまで上手くいっている訳ではないけれど、意識の違いは明確に戦いに出ている……と思う。

 実際前の階層で戦っていたときよりも後ろをとられることが少なくなった。考えることが増えたから負担はあるが、びっくりすることが減ったから総合的には負担は減ったと言えるだろう。

 

 

 みっつほど広間で幽者や幽鬼を倒し終わって、少し落ち着けるタイミングができた。辺獄の中では太陽の位置が変わることもないから、どのくらいの時間が経ったのかいまいちよくわからない。

 

「小夜、疲れはどう? まだ行けそう?」

「まだ大丈夫です。それに休んでる暇も無いですし」

「無理してリタイアするよりは、たまに休む方が良いことは覚えておいてね」

 それでもまだ余裕があることは事実で、千暁さんもそれを分かったらしく先へ進むことにした。

 戦い方を変えようと努力し始めたばかりだから、まだやっぱり疲れは感じるけど……こういう疲れも、今後は慣れてくるんだろうか。

 

 

 

 それからひとつ、幽鬼を倒したときの思念への対処……これはやっぱり、まだ慣れない。あるいは、慣れきってはいけないのだろうか。

 千暁さんの教えてくれた「泣く」ことによる対処は、きっと一番負荷が少ない方法なんだろう。けど、戦闘中に泣いたり抗っている暇もない。この前幽者に背後をとられ、千暁さんに助けられたときに痛感した。どうにかしなければ……

 

 

 悩んでいる私を見透かすように、到着した広間には幽者や幽鬼がたむろしている。こう何度も遭遇していると、流石に鬱陶しさを覚えてきた。

 なんせ幽鬼は中身が個体ごとに異なるとは言え、外っ面は変わらない。幽者は更に、中身を感じない。倒しても倒しても沸いてくる、言ってしまえば退治しきれない虫のような感覚さえある。

 

 倒すことだけに関して言えば、何てことはない。ハルバードを如何に上手く扱うか考えながら戦う余裕が今はある。

 袈裟斬りの剣筋を、柄を手前に滑らせながらコンパクトに振り抜く。威力は下がるが、連なるように寄ってきた幽者へ素早く身体を回すように捻りながら刃を叩きつけることができる。

「潰れろ!」

 2体目の幽者を斬りつけた直後、幽者の列の横へ回り込むように跳んだ。竜の翼(ウイングプレス)は横へ大きく広がり、列の幽者を悉く叩き伏せる。

 

 竜の翼(ウイングプレス)を以てしても、仕留めきるには届かない個体が殆どだ。けどハルバードを構え直し呼吸を整える隙が生まれた。

 大きく息を吸い込んで、吐き出しながら跳ぶ。生き残った個体はいずれも、それなりの強さの攻撃ならとどめを刺せるはず。まずは目の前、飛び掛かった個体へ体重を乗せた突きで道を開く!

 

 

「これで……終わりか……」

 数にして6の幽者を斬り伏せ、わずかに落ち着かない肩を宥めつつ周りを見渡す。残っている幽者はやはりいない。

「そわそわしてるね。何か感じる?」

「勘違いでしょうか……誰かが見ている、ような……」

 隣へやってきた千暁さんが、私の言葉を受けて周りを見る目付きが少し鋭くなる。しかし、何か感じとることはなかったようだ。

 

 千暁さんが感じない視線、あるいは気配。私が千暁さんすら感じられないものを感じ取れるものだろうか……

「多分考えすぎですよね。変なことが多過ぎて、少しおかしくなってるのかも」

「……ううん、少し警戒しておきましょう。辺獄は、反映しているものの元になった者ほど感覚が鋭くなるから」

 こちらの瞳を覗きこんだかと思えば、意外にも私の感覚を肯定してくれた。

 しかしその内容を鑑みれば、つまりこの層は私に関連しているかもしれない、ということ……もしそれが正しければ、私は次は何と向き合うことになるんだろう。



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渦巻く万斛の格律-2

 見慣れないはずの、しかし私に関与しているかもしれない都会。歪に切り貼りされた辺獄の探索を始めてから暫く。

 都会にまつわる記憶を探しながら歩く私達の前に、奇妙なものが落ちていた。

「本……ですか? なぜこんなところに」

「記憶溜まりね。この辺獄に関わる誰かの、記憶の塊、思い出の落とし物」

 

 表紙も、開かれていた頁も、淡く光を発している。本好きの身としては幻想的なそれに興味を引かれるが、千暁さんの言葉選びに引っ掛かりを覚えた。

「落とし物、ということは……これを"落とした"人の記憶は」

「うん、これを本人が見つけるか、読んだ誰かが本人に届けるまではね」

 その記憶を失うということ……決して、良い思い出とは限らない。でも、消したい記憶とは、やっぱり限らない。

 正直なところ、私自身この層と深く関わる人、つまり私と関与するかもしれない人が誰か知るヒントになるかもしれないから気にはなる。

 

 

「小夜、いい? 記憶溜まりを見るのは幽鬼の記憶を見るのと同じ」

「つまり、幽鬼を倒したときと同じくらい、覚悟して見ないといけないってことですね」

 私がそれを見たがったのを見透かしたかのように、千暁さんが忠告を寄越す。しかし止めるつもりではなかったようで、私はひとつ深呼吸を挟んで、頁へ触れる。

 

 

 

 

 

 

『へぇ、まだ 長 生続けてるんだ……』

『勿論だとも。こんな しくて、やりがいある  、辞めたくても辞められないさ』

 所々聞き取れない。でも、片方の……壮年に差し掛かろうかという男性の声を、どこかで聞いたような……?

 もう1人の子供の声には、聞き覚えがあるような、ないような……

 

『私、今とても  だよ。お  ゃんは可愛いし、ぷにぷに   だし』

『それはよかった。もう 年か。歳を食うと周 の せも不 せもあっという間だ』

『もしまたお 話になる時には、お  ゃんも一緒がいいな』

『そうだね、いつでも えてあげるから、困ったら私を りなさい』

 

 

 

 

 脳みそを直接弄くられた、なんて表現が適切かわからないけど、ともかくそんな気持ち悪さを覚える記憶の再生が唐突に終わる。

 中年から壮年と呼ばれる段階くらいの男の人と、まだ幼げな多分女の子の会話。何となく、初めて聞いたような声ではない気がした。

 

 

「どう、何か思い当たる節はあった?」

「うぅん……多分聞いたことのある声……かもしれない、くらいには」

「なら、知っている人の記憶かもしれないのね。まあ、貴女が直接立ち会った時の記憶じゃないのでしょう」

 

 奥歯に引っ掛かった食べかすが取れない時のような感じだ。似た声の人かもしれないし、テレビか何かで聞いた声かもしれない。

 辺獄を構成する層の関わりの話を聞いているだけに、どうにも引っ掛かってしまう。気にしないようにというのが無理な話だ。

 

 

 そして、やっぱり辺獄という場所は考え事を遮るのが好きらしい。記憶溜まりに触れた広間のすぐとなりの広間では、案の定幽者の群れと幽鬼がいた。

「あれは……初めて見ますね」

「まあ、戦う上での特徴は見てくれ通りよ」

 横顔がすっぽり空洞になった、ピンク地に緑のラインが骨のように入った……うん、ゴリラ。あれはゴリラの幽者とでも呼ぶべきだろう。

 見てくれ通り、というからにはきっと、パワーで押してくるタイプだろう。他の幽者よりもタフかもしれない。なら。

 

 

「燃えろ! 竜の息吹(ドラゴンブレス)!!」

 ここは初手から出し惜しみしない。あれに小手先の技だけで対処するのは難しいだろうから。

 ハルバードから放たれた灼熱の塊が、ゴリラの幽者を爆風に包む。その余波で、近くにいた頭巾の幽者や竜の幽鬼を巻き込んで吹き飛ばした。

 案の定、ゴリラの幽者はダメージを受けてはいるもののまだ立っている。ハルバードは既に、追撃の刃を天に煌めかせていた。

 

「やあぁぁっ!!」

 頭上からの渾身の振り下ろし。かわすつもりがないのか、かわす頭脳がないのか、幽者の頭蓋を砕く勢いで直撃する。

 が、まだ倒すに至れない。どころか怯みすらしていない幽者は、大木もへし折れそうな両腕を高く掲げていた。避けきれない……!

 

「ぐっ……」

 辛うじて、本当に紙一重のタイミングで、体と叩きつける拳との間にハルバードの柄を滑り込ませた。

 それでも車にでも撥ねられたかと思うほどの力を、受け止めきれるはずもなく。柄をものともせずに私の身体は浮遊感と地面にぶつかる衝撃とを立て続けに受ける羽目になった。

 

 痛みで滲む涙を堪えながらどうにか立ち上がる。背中を強かに打ち付けたせいか、強い息苦しさがある。数回の咳き込みを経ても、まだ少し苦しさがある。

 でも、まだだ。まだ私も、幽者達も、どちらも倒れていない。なら、やることは変わらない。

 

 私が立ち上がって体勢を整えていた間、千暁さんが魔力で編んだ投げナイフで援護してくれていたようだ。小ささからダメージはそこまででもないようだけど、数を頼りに足止めしてくれていたみたい。

「小夜、大丈夫? 退くことも考えて──」

「いえ、退きません。私はまだやれます!」

 

 攻撃が当たってないわけじゃない。効いてないわけじゃない。あの、黒い少女の幽鬼とは違う。それだけで俄然、やれる気がする。

 こちらから隙の大きい攻撃は駄目だ。あいつは怯みにくいようだから、私がハルバードを戻す間に殴られる。それに他の幽者達も寄り付いてきてしまう。なら。

 

 敵の懐に飛び込んで、袈裟斬り一閃。柄を短めに保持した小振りの攻撃に続けて、反対側の小さな刃で袈裟の筋を逆さに辿り切り上げる。

 すると、やはり意に介していないゴリラ型の幽者と、私を囲う頭巾や竜の幽者達。腕を振り上げるのを見て、私は隙間を縫うように後ろへ跳んだ。そして。

「墜ちろ!」

 固まった幽者達へ向けて叩きつけられる竜の翼(ウイングプレス)。地面と翼に押し潰しれ、さしもの幽者も耐えきれずに煙となって消えた。巻き込まれた幽者も、そして幽鬼も、初手に巻き込まれたダメージもあって悉くが消えたようだ。

 

「ぐっ……いい加減に……!!」

 やはり、幽鬼の魂が私に入り込もうとする。怨嗟か悲嘆か分からないが、何れであれ私の中に入ってくるならば同じだ。入れない。入れてたまるものか。

 奪わせない。壊させない。盗ませない。お前にくれてやるものは何ひとつない!

 

 

 

「相変わらず無茶なことを試みるね……」

 どこか呆れたような、千暁さんの声。吐きそうな程荒くなった自分の呼吸にようやく気づく。

 受け入れて、意味を与えて、涙を流す。千暁さんが言うには、それが1番楽なのだと。でも私にとっては、受け入れて見せられる記憶が、自分のもののように思えてしまう感覚が嫌だ。そのうち、何が自分の記憶なのか、分からなくなりそうだから。

 

 

「……行きましょう。呼吸も落ち着きました」

 立っていられない程だったのが、少し落ち着いた。頭はまだ痛むし、脂汗が眼鏡のフレームを滑らせそうになるけど、これ以上悪化はしなさそうだった。

 千暁さんはほんの少し考え込んだあと、私の後ろを続けて歩き始めた。やっぱり、先輩の意見に耳を傾けなかったのは心境に良くなかっただろうか……でも、立ち止まる時間は、少しでも短くしたいのが私の本音だ。

 

 

 

 

「あれ? 誰かいますね。幽鬼でも幽者でもなさそうな」

「あの子……まだ終われていないのね」

 広間を見渡していた、1人の女性。適当に後ろに流したような印象のセミショートのツンツン跳ねた銀髪と鋭そうな目付き。紅色の地面スレスレまで伸びたロングコートに、鈍く輝く銀色のプレート。手足に鋭い鉤爪のようなものがついている。

 千暁さんは見知った顔のようで、私を追い越して近付いていく。私もその後を追うように着いていった。

 

 

「貴女まだ辺獄にいたのね」

「……お前にだけは言われたくないな。アタシより何年長いんだか」

 狩りをする肉食獣みたいな視線がこちらを向いた。正直悲鳴を上げなかった私は褒められるべきだと思う。それくらい鋭い眼差しだ。

 

「で、だ。この辺りで幽者共を探してるんだが、お前らは先に進むのが目的か」

 手にした武器──打突面の小さなハンマーを肩で休ませながら、目の前の人はこちらへ問いかけてきた。

「はい、人を……魂ですかね、を探すために。えっと……」

「ん、ああ。アタシは哀川 天音(あいかわ あまね)。千暁の事情も知ってるしな、あんたも天音でいい」

「天音さん、ですか。私は大喜 小夜、小夜でいいです」

 

 戦っているときの千暁さんの目付きが獲物を確実に追い詰めていく蛇のそれとするなら、天音さんは苛烈に獲物へ飛びかかっていく狼あたりのそれだと思う。

 平時でそれなのだから、戦っているときの彼女は想像もつかないけど、少なくとも話していて悪い人だとは思えない。ただ────

 

 

「ま、アタシにゃ関わりないことだな」

「そうね。関わってほしくもないけど」

 何が過去にあったかは知らないけれど、千暁さんと天音さんの間に流れる重圧感たっぷりの視線のぶつかり合いは、思わず2人の間から立ち位置を逸らしてしまうほどだ。

 無条件にど突き合うようなほどではないみたいだけど、仲が悪いとみて間違いない。嗚呼、せめてこの層のボス格と戦うときに鉢合わせないことを祈ろう。

 

 

 

 

 

────そういうことを祈っちゃうから、なのかなぁ。



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渦巻く万斛の格律-3

 天音さんと千暁さんの冷戦状態を脱し、別々の方向へ向かった天音さんと私達。

「あの……」

「知りたい、よね。あの子のこと」

 相変わらず、千暁さんは私の心の中を見透かしている。私、そんなに顔や声色に出やすいのかな……

 

 

「天音は……そうね、復讐に囚われている。本人以外、終わらせようがない復讐に。私もあの子も長く辺獄にいるけど、もう3年くらいかしら、ずっと恨みを原動力に動いてる」

 少し悲しそうに、天音さんのことを教えてくれた。

 3年、ずっと1人の人間を突き動かし続ける恨み……何に対して、どんなことをされたものなのか、私には想像もつかない。

 

 

「辺獄に来る代行者には、小夜みたいに誰かのヨミガエリを望む人と……復讐を誓ってなる人がいる」

「天音さんは後者、ということですか」

「ううん。天音は最初、貴女と同じだったのよ」

 

 

 千暁さんは、そう言ってから少し黙りこんでしまった。顔色を伺う限り、少し葛藤や躊躇があるようだ。天音さんのプライバシーに関わることだし、当たり前かもしれない。

 しばらくして、伝えられる範囲がまとまったのか千暁さんはゆっくりと口を開く。

 

「あの子もある人のヨミガエリを望んで、悪魔達と契約を結んだ。けど、そのヨミガエリは間に合わなかった……目の前でその魂を壊されて」

「魂を、壊される……」

「元々彼女は、ヨミガエリを望んだ人と共に、幽鬼の起こした事故に巻き込まれた被害者で、天音だけが生き残ってしまった」

 

 幽鬼の起こす事故……前に千暁さんから聞いた。自らのヨミガエリの為、現世で生きている人間の魂を取り込むための行為が、現世では事故として現れる。

 そうして辺獄に引きずり込まれた「生きている」人間を殺して、魂として取り込む……それに、実際に天音さんと天音さんの大切な人は巻き込まれ、大切な人を喪った……

 

 言われて、その意味を理解して、私は改めて天音さんの境遇を噛み締める。もしかすると、私もまた天音さんと同じになるかもしれない。

 そしてひとつ、気になることがある。ヨミガエリを望んで代行者になった後に、天音さんは大切な人の魂を壊されたのだ。引きずり込んだ幽鬼では、ない。なら、誰が……?

 

 

「千暁さん。天音さんがヨミガエリを望んだ人の魂……壊したのって、別の幽鬼だったんですよね?」

「……そう、ね。流石、いい着眼点」

 千暁さんが思いの外ストレートに誉めてくれて、不意を突かれて少し照れてしまった。

 

「戦い方の指摘をしてからもそうだけど、小夜は周りを良く見れていると思うのは本当よ? えっと、話が逸れちゃったね。天音達を襲ったのは、実は引きずり込んだ幽鬼で間違いはないの」

「でも、引きずり込んだ幽鬼は殺した魂をさっさと取り込むんじゃないんですか?」

「その時は死んだ魂ごと引っ張って、逃げおおせたらしいわ。逃がされた、って本人は言ってた」

 随分と良い性格の幽鬼だ。泳がせて、安心させて、奪う……殺しを遊びか何かと思っているんだろうか。

 

 

 

「その後に分かったことだけど……その時の幽鬼は、ヨミガエリを果たしたらしいわ。姫、を自称する幽鬼だったらしいけど」

 姫。また随分と良い性格だ。そんな幽鬼が現世に戻ったなら、果たしてどんな厄介な人間なのだろう。

 

「私もその場には居たけど、何も出来なかった……天音が復讐に走ることを止めるのも」

 表情を曇らせた千暁さんを見て、私は咄嗟に言葉をかけようとしても何も出てこなかった。

 どんなに本を読んでいたって、勉強をしていたって、こんな時にどう言葉をかければいいのか、何も書いていなかった。もっと人生経験がある院長先生なら、何て言葉をかけて千暁さんの心を解せたのだろう。

 

 

「……とにかく、以来天音は復讐心で幽鬼や幽者を狩り続けている。まさか今もそうだなんて思わなかったけど」

「千暁さんは、天音さんがそうしていることを快く思っていない、と?」

「そうね……忘れろとは言えない。けど、復讐に囚われ続けていれば、いつかあの子は壊れてしまう。私が出来ることは何か、考えるときはあるかな」

 

 哀しさを湛えた苦笑いに、私は認識を改めざるを得なかった。きっと、天音さんも千暁さんも、お互いのことを嫌っている訳ではないと思う。

 とは言え、きっとまだ、2人の距離を縮めることはできないと思う。私にも、あまり時間の余裕は無い。だからきっと、私の目的を終えたら、何か私にもできることを探したいと思う。

 

 

 

 

「これは……」

 天音さんのことを一頻り聞き終わり、探索を再開した私達の目の前に現れた広間。そこは、辺獄という場所であることを以てしてなお異常と呼ぶべき光景になっていた。

 歪な都会という場所に代わりはなかったが、そこかしこに戦闘の形跡が残っていた。

 何か硬いものを叩きつけたようなひび割れ、大きな獣の爪跡を思わせる傷。気配すら見せない幽者達が、この戦闘で全滅したと想定するには充分な痕跡だ。

 

「天音が通ったのね。相変わらず、辺獄そのものを攻撃してるんじゃないかしらあの子……」

「天音さん、強いんですね……」

 広間の方角を考えると、天音さんは私達と別れた後にここに来たのだろう。そして幽者達を殲滅した後に、私達が来る前に立ち去るほど時間に余裕を持っていた。

 

「そうね……多分今いる代行者の中では私に次いで強いかも。年数の差を考えれば、私より上かな?」

 合口と体術で敵を圧倒する千暁さんがそう言うのだから、天音さんは相当なのだろう。

 

 

 ……冷静になって考えると、天音さんの凄まじさが恐ろしいほど分かってきた。

 何せ私がハルバードを全力で幽者に叩きつけて床ごと攻撃した時だって、床には傷ひとつ付かなかった。多分幽者を巻き込まずとも、私では床に跡を残すことは出来ないだろう。

 

 とは言え、戦闘をスルーして先に進めるならありがたいことだ。心の中で天音さんにありがとうと告げつつ、先へ進むことにした。

 

 

 

 

 2つ程幽者や幽鬼がいる広間を切り抜けて、私達は長く続く下り階段へ辿り着いた。

「珍しい地形ね……単純に層が移るときは光の渦があるから、ここは層の一部としての地形みたい」

「手すりがないのは怖いですね。お、落ちたらどうなるんでしょう?」

「……聞かない方がいいと思う」

 苦笑いでもいつもの微笑みでもなく、何かを悟らせまいとするような真顔に、私はそれ以上聞くのを止めた。

 

 それでも、落ちたらどうなるのかついつい考えてしまう。光の届かない底無しの闇。遠近感が狂い、平衡感覚が狂い、覗きこもうとした私は体が浮くような感覚が──あれ?

 

 

 

 

「ちょっと! 何を考えてるの!?」

 腰を引き寄せられて、我に帰る。焦った千暁さんの声で、自分がどういう状況になっていたか──バランスを崩して、自ら闇の底へ落ちていこうとしていた状況を把握した。

「す、すみません……いつの間にかバランスが……」

 階段に座り込んだまま、呼吸が荒れ放題の肩を抱く。あの闇へ呑まれることがどういうことか、嫌でも理解してしまった。

 

 

 

 あの闇は地獄より深い底無しの闇だ。沈み続け、落ち続ける無限の谷。

 代行者は辺獄においては身体能力にある程度補正を受けることができるが、翼を得て飛べるなんてことはない。あそこからは、帰ってくることができない。

「気を付けてね小夜……そのうっかり癖はもう治せないかもしれないけど」

「本当に助かりました……気を付けます」

 

 呼吸と脂汗がどうにか落ち着くまで、階段に腰掛けていた。幽者に初めて遭遇したときにも感じた、明確な死へのイメージが脳裏にこびりついて離れない。

 足を踏み外したら。降りている途中で躓いたら。嫌な想像ばかりが巡るのを、頭を振って追い払う。

 幽者のように、攻撃してくるわけじゃないんだ。足元まで暗いわけでもない。気を付ければ、避けられる。そう考えると、少しずつ落ち着けてきた。

 

 

「すみません、行きましょう千暁さん」

「わかった。少しゆっくり行こうか。急がば回れ、よ」

 少し膝が言うことを聞かないのを叱りつつ、ゆっくりと立ち上がる。それからそっと1歩目、2歩目と脚を下ろして、次第にいつも通りのペースで階段を降りていく。

 

 

「これは……地下に入ったみたい、ですね」

「ますます珍しいね。同じ層でここまで明確に景色が変わるなんて見たことがない」

 今までのビルがそこかしこに浮いていた景色からうって変わった。所々穴の開いた天井、不規則に配置された柱や店舗の入り口。私はあまり経験が多くないが、地下のアーケード街を彷彿とさせる。

「ここまで明確に、地図のように位置関係のしっかりした層……ここに関与している存在は相当強いみたい」

「つまり、奥で待っているだろう幽鬼も強いかもってことですか?」

「戦闘能力に直結するかはわからないけど……小夜」

「……はい」

 

 辺りを見回す私達に、幽者達を引き連れて幽鬼が姿を表した。ここに来てから見かけるようになった、ゴリラ型の幽鬼だ。

 初めて遭遇して苦戦した相手である以上、苦手意識はある。けど、避けられる相手じゃないし、私なりに戦い方を覚えてきた。ハルバードを左半身に構え、不揃いな足並みでこちらへ近づく幽鬼達と相対する。

 邪魔をするなら倒すだけ。私は思い切り地面を踏み切り、敵の集団めがけて突っ込んでいった。

 

 

 初撃、まずは竜の幽者。突っ込んだ勢いを乗せた、威力重視の突きを見舞う。まだ層の薄い中だから囲まれることもない。

 倒しきるには至らなかったが、遠くまで吹き飛ばすことができた。概ね想定通り。突き出したハルバードを手元へ滑らせつつ、魔力を編み上げる。

「燃えろ!」

 再び小さくハルバードの穂先を突き出し、竜の息吹(ドラゴンブレス)を撃ち出す。灼熱の火球が襲うのは幽鬼とその周囲にいた数体の幽者達。

 如何に魔法(スペル)攻撃と言えど、倒しきれるものではない。けど、燃え盛り、爆風を伴う攻撃は足止めには十分だ。

 

 ハルバードの刃を右半身側に掲げ、別方向から寄ってきていた頭巾の幽者へ振り下ろした。コンパクトさを意識した袈裟斬りは、そのまま剣筋をなぞるように反対側の小さな刃で振り上げて繋ぐ。

 振り上げた刃の勢いを使って時計回りに体を捻り、翻すように入れ替えたメインの大きな刃で回転斬りを叩き込む。

 続けざまに3度の斬撃を受けた頭巾の幽者は煙になって消え去り、同時に竜の息吹き(ドラゴンブレス)で足止めをした幽鬼達が距離を詰め始めてきた。

 

「数は多くない……試してみるか」

 少し後ろへ距離をとって戦況を把握し直した私は、ひとつ試してみたい技があることを思い出す。

 代行者としての経験を積んだからか、頭の中にいつの間にかあった強化(アーツ)攻撃。千暁さんや黒い少女の幽鬼が見せていた、魔力を別の形で使う方法。

 

 

 魔法(スペル)攻撃と同じで、やり方は分かる。魔力を練り上げ、武器と身体へ纏わせる。そして。

 

 

「はあぁぁっ!!」

 強化した脚力で空へ跳ぶ。代行者であるだけでも身の丈の倍近くまでジャンプはできるが、もっと高く、もっと鋭く。

 空を飛んでいると錯覚しそうな程の高度はしかし、重力によって限度を迎える。その力に任せて急降下し、魔力を帯びたハルバードの穂先を地面に、否、真下に来ていた幽鬼に叩きつけた。

 

 穂先を突き刺した幽鬼を蹴り飛ばして離脱した私は、幽鬼の周りにいた幽者達も魔力の衝撃波でダメージを負っているのを見た。

「……あの時私、相当運が良かったんだ……」

 自らの攻撃の威力に、改めてあの時、黒い少女の幽鬼に攻撃を受けたときのことを思い出していた。いやいや、そんなこと考えてる場合じゃなかった。

 

 

 2度に渡って巻き添えを食らった幽者達は、耐えきれずに消滅したようだ。後は最初に突き飛ばした竜の幽者と、ゴリラ型の幽鬼だけ。

 ただでさえタフだったゴリラ型の、幽者よりタフな幽鬼と考えただけで緊張が走る。だけど、当たりさえしなければ怖くはない。

 竜の幽者も最早瀕死。まずはあちらをどうにかするべきだと踏んで、タイミングを計るべくゴリラ型の幽鬼へ注意を向ける。

 固唾を飲み込んで、私はハルバードの柄をしっかりと握り直した────



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渦巻く万斛の格律-4

 ゴリラ型の幽鬼は今までの戦いから、こちらへ寄る速度は速いものの小回りが効かない、ということは分かっている。

 私は地面を蹴って、ゴリラ型の幽鬼へ向かって走り出した。案の定、迎撃するべく四つ足でこちらへ走り寄るゴリラ型の幽鬼。

 

「貰った!」

 

 僅かに走るコースをずらして、脇をすり抜けていく。後ろでは幽鬼がこちらへ振り向こうとしているだろうが、間に合いはしない。

 竜の幽者へと間合いを詰め、走る勢いを使った素早い薙ぎ払いを見舞う。左から右へと振り抜かれた斧刃が竜の胴体を捉え、煙へと変える。これで幽者は全滅した。

 

 

 残るはゴリラ型の幽鬼だけだ。背後にいるそれに相対するべく振り向いた、その瞬間────

 

 

 

「小夜、逃げて!」

 千暁さんの声と同時に、天井を突き破り"何か"が幽鬼の上に落ちてきた。

 

 

 

 非常に堅牢なはずの、辺獄の天井、あるいは床をブチ抜いて落ちてきたのは、動いているからと辛うじてそう判断できる、生き物だった。

 左右の半身で本数の異なる、複数の丸太のような腕。身体のあちこちから覗く、歪な幾つもの顔。醜悪という言葉すら生温い、幾人もの人間を切り裂き繋ぎ会わせたような黒ずんだ巨大なバケモノがそこにいた。

 

「な、何なんですかこれは……」

「恐らく、この層のボス格ね。異形化してるわけじゃなさそうだけど」

 趣味の悪い化生を前に動じる様子を見せない千暁さん。辺獄で出会う強い幽鬼って、こんなのがデフォルトなの……?

 そして当の幽鬼は、ゴリラ型の幽鬼を腕の1本で押さえつけていた。そのままミシミシと音が聞こえてきそうな程押し潰し続け、しばらくするともがき抵抗していたゴリラ型の幽鬼は力尽きたようだ。

 幽鬼を煙に変えた巨大な幽鬼は、いくつあるか分からない全ての濁った瞳でこちらを睥睨する。空気が軋むような音を立てたと錯覚する程の威圧感の壁が、私の脚から力を奪おうとする。

 

「こんなの……勝てるんですか……?」

「勝つよ。小夜、恐れては駄目。前に言ったでしょ、幽鬼の見た目に騙されてはいけない」

 見上げるほどの幽鬼を前に、やはり千暁さんはいつも通りの柔らかな声で、私の隣へ立った。

 柔らかな声ながらも強気なその言葉に、私ははっと思い出す。そうだ、幽鬼の見た目は生前のそれと関わりがない、こちらを惑わすためでもある見た目。つまり、ハッタリをかけるためにも使えるってことだ。

 

「いい? 幽鬼としての強さは確かに、そこいらの幽鬼より上。でも、異形化をしていない以上、そこそこ止まり。油断しなければ決して恐れる相手じゃない」

「……はいっ! 行きます!」

 

 

 隣に立った千暁さんが合口を抜き、私もハルバードを構える。今回ばかりは千暁さんも、隣で戦ってくれるようだ。今までの戦っているところを見てその強さを知っているから、心強いことこの上ない。

 構え、並んだ私達から敵意を感じ取ったのか、幽鬼が空気の震えを叩きつけるかのような咆哮をあげる。身体中が音ではなく振動として受け止め、後退りそうになるのを堪え、敵を見る。

 

「まずは出方を見ます!」

「うん、遠距離攻撃があるかもしれない。気を付けてね」

 黒い少女の幽鬼のことを思い出す。彼女は、それこそ代行者のようなバリエーションの魔法攻撃や強化攻撃を行ってきた。強力な幽鬼の特徴ならば、目の前の幽鬼もそうかもしれない。

 ただでさえ、あの幽鬼の剛腕と巨体から繰り出される膂力はゴリラ型すら圧倒する威力を見せつけられている。慎重にならざるをえない。

 

 

 千暁さんと共に、挟み込むように回り込む。すると巨体中の数多の顔達は私達を分担して睨み、腕をそれぞれに構えてくる。どうやら挟み撃ちによる不意打ちには期待できない。

 人の顔を持ちながら、人として有り得ない構造、行動に恐怖を感じる。しかし恐れているだけでは駄目だと言い聞かせるように、ハルバードの穂先を突きつける。手応えは微かだが、全く効いていない程ではなさそうだ。

 

「こっちの合口じゃ駄目ね。小夜! 私が後ろから魔法(スペル)攻撃で援護するから、前衛(まえ)を頼める?」

「分かりました!」

 そうして攻撃を加えようとした途端、視界の端で黒ずんだ何かが持ち上げられるのを見た。咄嗟に、転がるようにその場を大きく離れる。

 

 

 体勢を立て直した私の視界に、つい一瞬前までいた場所に黒い巨腕が落ちてきたのが写った。あまりにも強い力で、空気を叩き潰した衝撃波が身体を揺さぶる。

「絶対に当たる訳にはいかない……」

 あれに当たったらどうなるか。考えるまでもない、死を押しつける鎚。しかも、思っていたより動作が早い。

 

 幽鬼の腕の位置と数を確かめながら、肉塊へ走り、ハルバードの刃で斬りつける。焼きすぎた肉にナイフを走らせるような、堅い手応えが返ってきた。

 何度斬りつけても、皮だけを切り裂き肉や骨を斬れていない、そんな気がしてきた。

 

 

『ドウシテボクガ……』

「え……?」

「っ! 小夜、避けて!!」

 

 

 声が聞こえて、思わず気を取られた。千暁さんの声に反応する間もなく、 強い衝撃と共に視界がぐるりと回り、飛んでいく。

 こんなことが最近にもあった、なんてぼんやり考える内に視界がひっくり返ったまま止まった。すると思い出したように、身体中を激痛が走り回る。あの腕に殴り飛ばされた、そう気づくと途端に痛みが増してきた。

 

 遠くで何か叫ぶ千暁さんの声が聞こえるけど、それどころじゃない。声が出ない、力を入れられない、息が出来ない……涙が視界を滲ませるのを、止められない。

 きっと声が出るなら、今にも叫んでいると思う。叫べない声が私の中で暴れているような気さえする。いっそ楽にしてくれと喚いてしまいたい。

 

 

 滲む視界の中で、千暁さんがあのバケモノ相手に立ち回っているのが見えた。痛さに加えて、申し訳なさがこみ上がってくる。前衛を任せてくれた期待を裏切って、千暁さんに戦いを押しつけているんだ。

 駄目だ。それは、駄目だ。でも立ち上がろうとしても、激痛が力を奪う。視界がどんどん滲んで、ようやく酸素を取り戻した肺がまた悲鳴を上げる。

 

 

 ふと、右手を見る。まだその手には、ハルバードを握っていた。気のせいだろうけど、ハルバードが震え、熱を発したような気がする。

「まだ……何も、出来てない……!」

 気のせいでもいい。震えと熱が、私に立ち上がるだけの力をくれたような、そんな気がした。石突きを地面に突き立て、どうにか立ち上がる。

 

 代行者になった恩恵なのか、トラックにでも撥ねられたような衝撃でも骨折ひとつない。痛いのは確かだが、まだ戦える。このままくたばってやるものか! 奴に転がされたまま嘲笑われてたまるか!!

 

 

 ひとつ、呼吸を挟む。同時に魔力を練り上げ、狙い、解き放つ。

「燃え落ちろ!!」

 竜の息吹(ドラゴンブレス)、業火の塊として現れた魔力が肉塊から伸びる腕の1本を焼く。

 

 気づけば、口の中に鉄分の味が満ちていた。噛み合わせた奥歯が軋み、頬を熱い滴が伝っていく。私の中にいる「誰か」が、我が名を呼べと叫んでいる。

 

 

 

「理念、解放……ヘーゲル!!」

 

 

 

 身体から何かが解き放たれたような感覚と共に、視界は涙で滲み、何かを考えようとする前に身体が動く。

 肉塊の懐へ潜り込み、ハルバードの刃で薙ぎ斬りつける。力任せの斬撃にも怯むことなく、幽鬼が腕を振り上げたのを見る。

 

「邪魔、するなぁッ!」

 

 滑るように後ろへ下がり、竜の翼(ウイングプレス)で振り下ろされた腕を叩き潰す。自らの限界を越えた勢いで地面を叩くことになった腕に、軽くはないダメージを押しつける。

 様子見なんてしない。地面に叩きつけた腕をかいくぐり、飛び込んだ勢いで刃を振り下ろす。続けざまに穂先を突き込み、魔力を滾らせる。

 

「燃え散れ!!」

 

 突き刺さった穂先から球を形成するより先に爆炎が吹き上がる。反動を利用し、後退して掴みかかろうと迫る腕をかわした。

 

 名前を叫んだときから私の後ろに立つ、青く透き通り竜を思わせる翼と鱗を持った男。彼が私の考えより早く私を動かし、私の攻撃に連なるように鋭い爪や牙を振るう。説明されずとも分かった。理念解放によって具現化した私の守護者。それが後ろにいるヘーゲルだ。

 視界は益々滲み、荒げた声が喉を枯らしていくが、それらを越える目先の敵を討ち取ろうという衝動が私を突き動かし続ける。

 

 

 そんな折、新たな闖入者が目の前に飛び降りてくる。

 

「やっと見つけたぜ……悪いが横取りさせてもらう!」

 

 哀川 天音、それが闖入者の正体だった。幽鬼全てに復讐を目論む彼女がここに現れるのは、ある意味必然なのかもしれない。

 普段ならば、代わりに倒してくれるというならそっと身を引いたかもしれない。だが、今の私は彼女に近い(やり返そうとする)衝動に突き動かされている。

 

「……はっ。理念解放してる奴に言っても無理か。ま、幽鬼をぶっ殺せるなら構いゃしねぇ」

 

 天音さんの脇をすり抜け、ハルバードの刃を幽鬼に叩きつける。即座に下がり叩きつけられた腕を躱し、直後に天音さんが突撃していた。

 手首の捻りで小さく回転させた戦鎚を振り抜き、返す振りで追撃する。宙返りしながら幽鬼を蹴り、そのまま後ろへ跳んだと思えば飛び込んで左拳に備えた爪を食い込ませる。

 負けじとハルバードの穂先を突き刺し、手繰り寄せながら身体を捻り小さな刃を使い斬りつける。向かい側では千暁さんが魔力を刃から伸ばして斬りつけている。

 幽鬼は私達3人を、多腕にものを言わせて同時に押し潰そうとしてきた。それぞれが横や後ろへ飛び退き、やり過ごしたと共に反撃を試みる。しかし。

 

『ワタシハナニモシテナイノニ!!』

 

 回りの空気ごと震わせる慟哭と共に、全ての腕が叩きつけ、殴りつけ、掴みかかるべく迫り来る。怒濤の腕の嵐は私達を回避に徹させ、間合いを離さざるを得なくなった。

 

 

 ふと気づく。私を突き動かしていた激情が、次第に理性に蝕まれていく。チラリと後ろへ視線を向ければ、心なしかヘーゲルがより薄く透けるようになっていた。

(理念解放……感情の爆発。終わりがあるってこと?)

 理性を感情が上回る状態がいつまでも続くわけがない。暴れ狂う腕を躱し続けながら、頭のどこかでそんな考えに至る。予備の薪が切れた焚き火のように鎮まろうとしている「怒り」が、まだ身を突き動かす熱を持っている内に、決着を着けなければ。

 

 

「小夜、私達があいつを止める!」

「勝手に決めんじゃねえよ! っち、まあいい、ぶちかませ!」

 ほんの少し千暁さんに遅れて、文句混じりに魔力を溢れさせる天音さん。激浪の腕を縫うように、深緑と白銀の魔力でできた杭がそれぞれ同時に肉塊を貫き、幽鬼の動きが縫い止められる。

 

 数多の腕による波濤が収まり、恐らく長くはない凪へと滑り込む。

 

「指し示すは万象の事解──」

 右から横薙ぎに刃を走らせ、逆の刃で返し斬る。そのままハルバードの柄を回し翻した斧刃でもう一撃。

「其が行き着くは真なる精神──」

 手繰り寄せながら鉤刃で斬りつけ、脇へ戻ったハルバードの穂先を突きつける。刃で抉るように抜き去りながら、後ろへ身体を捻りつつ下がる。

「我が成すは自らの意志! 絶対精神(アブソルチュア・ゲイスト)!!」

 身体を軸にハルバードを1回転、飛んだ勢いも乗せて渾身の刃を叩き込む。全ての攻撃に乗った魔力が、先の腕の乱舞に負けず劣らずの勢いを以て襲いかかった。

 

 

 

 感情の残り火すら全てを注いだ連撃。脱力感と言うには生ぬるい感覚が襲い、どうにか折れそうな膝で念のため距離を取る。そこで限界だった。膝を着き、ハルバードを支えにしてどうにか倒れこむことを防ぐのが目一杯。

 同じく、自重を支えきれずどこからか土煙を巻き上げながら、肉の塊が沈む。その土煙が晴れたとき、勝者はどちらかに決まる。果たして────



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渦巻く万斛の格律-5

 肉塊の幽鬼が倒れ伏した土煙が晴れたとき、まだ相手が健在ならば余力のない私にはどうしようもない。千暁さんと天音さんもいるが、それは生き残れると言うだけで、私の負けということに変わりはない。

 立ち上がり後退しようと試みるもその元気すら残っていない私には、ただ祈るように視界が晴れるのを待つしかなかった。

 

 土煙が収まろうとした直前、土煙を上回る量の紫色の煙が吹き上がる。幽者や幽鬼を倒したときと同じ色の煙だ。ということは……

 

「倒し、た……?」

 煙が晴れた場所には、バレーボールくらいの大きさの黒と紫のいり混じった塊だけが落ちていた。あの塊が幽鬼の残した思念であると認識して、ようやく倒したことに確信を持つ。

 思わず安堵から力が抜け、辛うじて立てていた片膝も倒れそうになる。けど、気を抜くのは誤りだったと、後になって気づく。

 

 

「うぐっ……待っ、て、入ってこない、で……!」

 

 

 すっかり気を抜いてしまったところに、近くに転がり落ちた思念が私に吸い込まれるように入り込んでくる。

 ただでさえ緩んだ心持ちのところへ、今までに経験したことがない強烈な意思を持った思念が心を抉じ開けようとする。止めきれない……!!

 

 

 

 

 

 

『い、嫌! 離して! ひっ、嫌、嫌あぁぁ!!』

『痛い! 痛い痛い痛い!! 許しっああぁぁぁぁっ!!』

『やだ……やだ、もう許してください……楽に……』

 

 

 閉め出しきれず流れ込んでくるのは、私とそう年の変わらない男女の、様々な惨い記憶──望まぬ男女の営みの強制、麻酔も無しに臓器を切り取られる痛み、得体の知れない薬と病への恐怖……

 そしてその何れもが、私と同じく児童養護施設で育った子供達の行き着いた地獄だった。

 頼る親がいない、足場のあやふやさを盾にとられた子供達。そんな彼ら彼女らを食い物にした大人達。ある者は慰みものとして。ある者は移植用の臓器として。またある者は人体実験の贄として。

 

 ヒビを入れられた心の扉から流れ込み続ける記憶の奔流は、両手の指の数を超える人数分流れ続けてくる。

 何れも嫌悪感や恐怖、痛みで心が磨耗し、次第に反抗したり許しを乞うたりする気力すら削がれ用が済めば人知れず処理される。

 

 私は何も悪くないのに。僕は一生懸命生きてきたのに。俺は何でこんなに痛めつけられるんだ。あたしがこんなに虐げられなきゃいけないのは何故だ。なんで。どうして。辛い。助けて。苦しい。いっそ、もう……

 あの幽鬼ヴィルヘルムを構成していた彼らは、そういった人身売買の被害に遭った施設出身者の魂達の集合体だった。

 

 

 私もそうなっていたかもしれない末路を辿った怨嗟が、悲鳴が、流れ込み続けてくる。理不尽への恐怖、苦痛、恨み……全てが、誰のものだったか分からなくなってきた。自らを含めて混じりあい、1つの渦になり、そして戻ってくる。そんな感覚。

 分かってる。これは私の記憶じゃない。分からない。これは本当に私以外の記憶? 分からない。苦しい。悲しい。痛い。辛い。辛い、辛い、辛い────

 

 

 

 

「……夜! 追っちゃ駄目、戻ってきて! 小夜、小夜!!」

「……っ! あ、私、私は……違う、あれは私じゃない……!!」

 いつから声をかけてくれてたんだろう。千暁さんの声が聞こえて、踞っていた私ははっと意識を浮上させる。

 まだ頭の中で、ヴィルヘルムの魂達が喚く。やめろ、やめろ、やめろ! 私の中で、私の声で、私じゃない奴が話すな!! お前は私じゃない、私はお前達じゃない!!

 

 今までのように追い出すことができない声と記憶。なまじ「児童養護施設にいた」ことが共通点になっているからなのか、未だに私のものじゃないはずの記憶が、本当に私のものじゃないのか分からない。

 冷静に記憶を整理して自分に言い聞かせようとする度に、頭の中で私の声が悲鳴や呪詛で喚き散らす。その度に頭がぐちゃぐちゃにかき混ぜられるような感覚が襲って、思考を奪っていく。

 

 

「落ち着いて、私の声を聞いて。深呼吸して、ゆっくりと」

 私の身体を優しく包み込んで、ゆっくりと語りかける声が聞こえた。よく馴染み、落ち着く優しい声。

 声に従って深く息を吸い、吐き出す。もう一度、またもう一度。繰り返すごとに呼吸は深く、しかし緩やかになっていく。自然と頭の中で響く声が、自分と同じ声色の別の声として聞こえてきた。

 

「……大したもんだな、よくもまあそこまで的確に人を落ち着かせる」

「小夜にこうするのは、初めてじゃないもの。小さな子が泣き止まないときと同じ、寄り添って支えてあげればいいのよ」

 傍らに腕を組んで立つ天音さんの声も聞こえてきた。ちょっと千暁さんの理論に物申したさはあるけれど、それで助けられているので何とも言えない。

 

 

「……すみません。お手間をとらせて」

「ううん。放っておく方が夢見も悪いし、私にとっては当たり前のことをしただけ」

「それより、まだ思念の声は聞こえるのか? ならアタシらの目は気にしなくていいんだぞ」

 ……そう。幽鬼の思念を押し出し、浄化する最も確実な方法は泣くことだと教わった。天音さんはつまるところ、泣けと言っている。

 

 いや、気にしなくていいと言われましてもね。

 

 そんな風に思ってみても。やっぱり、千暁さんと会った時のように。私の唇は、喉は、肺は、涙腺は。私の知らない感情に動かされて、私の言うことを聞いてはくれなくなってしまった。

 理不尽への怒りや悲しみ、痛みへの辛さや苦しみ、その全てが混じり同時に私を伝い溢れてゆく。

 

 今は、私の感情として。私の身体を使って哭いて、泣いて、思いを全部涙にして。声をあげて、鼻水をすすって、止められない涙を流し続ける。

 

 

 ごめん、ごめんね。私も貴方達も、きっと同じように施設で育ってきたのに。私は貴方達の魂を殺すことでしか、助けてあげられないから。

 同じ施設だったら、平和におしゃべりできたのかな。悩みを相談しあえたのかな。一緒に笑って、一緒に泣いて、こんな結果にはならなかったのかな。

 

 

 ごめんね。ごめんなさい。どうか、安らかに────

 

 

 

 

「……これは」

 泣き続けてようやく落ち着いてきた私の目の前に、小さな結晶が落ちていた。色もなく透き通り、同時に鮮やかな色彩を放つ。

理念(イデア)……幽鬼の記憶に、感情が引っ張られたのかもね」

「……そう、かもしれません。院長先生の下でなければ、私もこうなっていたかもしれないから」

 今は感情ではなく記憶として覚えている、ヴィルヘルムを構成していたもの。思い返しても、小さくない怒りが湧いてくる。

 

 児童養護施設には当然、何らかの事情──現代は虐待や経済面などで引き取られる子が多いらしい──で親と引き離された子供が集まる。つまり施設の大人達が頼るべき最後の砦になるんだ。

 しかしその最後の砦をチラつかせて、その心身を傷付けられたのがヴィルヘルムになった子供達。外道や下衆という言葉すら生温い、そんな大人達の毒牙にかかったのが彼らだ。

 

 私は……きっと運が良かった。院長先生は里親を探すにしても自立の道を探すにしても親身になってくれた。きっと彼の下で共に暮らせていれば、良い友達になれただろう。

 同時に、私がもし彼らと同じ施設の子供であったなら。そう考えるととても他人事と思えず、つい感情がより引っ張られたのかもしれない。

 

 

 

「……とは言え、お陰でヨミガエリの対価をひとつ、手に入れることができました。彼らのためにも、きっと無駄にしません」

 落として失くさないように、胸へ理念(イデア)の結晶をかき抱く。決して忘れない。流した涙に意味があるなら、きっと泣いたことそのものだって、意味がある。そう信じる。

「そいつは良いがな。あまり忘れることを恐れるんじゃねぇぞ。まいいや、アタシはそろそろ行くよ、じゃあな」

 

 意味深なことを言い残して立ち去ろうとする天音さん。呼び止めたけど、千暁さんの方をチラっと見て、無言で立ち去ってしまった。

 やっぱり、天音さんは千暁さんのことを快くは思っていないみたいだ。恨んでいる、みたいな様子ではないみたいだけど。

 

 

 

 

「2つ目の理念(イデア)を手に入れたようじゃな」

 天音さんが立ち去ったすぐ後。背後から唐突にメフィスが現れ、話しかけてきた。相変わらず心臓によろしくない。あと趣味が悪い。

「メフィス……そういえばアンタ、小夜に理念(イデア)の説明サボったらしいじゃない」

「んん? おお、すまんすまん。あんなに分かりやすい物を見落とすと思っておらんかった」

 怒気を孕んだ千暁さんの苦情を飄々と受け止めたメフィス。違和感を覚えた私は、その正体に辿り着く。

 

「そういえば今回は、フェレスと一緒ではないんですね」

「うむ。あやつには天音の方に言ってもらった。今回の話はそれぞれ伝えた方がいいじゃろうからな。前に話した、黒い少女の幽鬼の件じゃ」

 

 

 黒い少女の幽鬼。私達が以前出会い、交戦した後に逃げられた幽鬼。私は手も足も出ず、千暁さんと互角以上の渡り合いを見せて虚を突き突破した恐るべき強さの敵。

 そんな強力さながらメフィスらに補足されていなかった、正体不明の幽鬼だ。千秋さんは彼女との交戦の後、ただの幽鬼ではないと判断していた。

 

「結論から言おう。ワシらでもお主らの言う幽鬼は見つけられなかった」

「既にヨミガエリを果たした可能性は?」

「ヨミガエリを果たしたことはこちらで感知できるが、それも無かった。つまりじゃ」

 固唾を呑む。この時ばかりは、僅かばかりか悔しそうな顔に見えた。

「ワシらを出し抜けるほど、幽鬼ながらに強力な力をつけておるか……幽鬼のようで幽鬼ではない者であるか、じゃ」

 

 

 幽鬼のようで幽鬼ではない、という仮定を提唱したとき、メフィスは間違いなく悔しげであった。辺獄の管理者を自称していた2人のことだ、その力が及ばぬことは想定外なのだろう。

 私達にとっても、ショッキングな話ではある。見てくれは確かに幽鬼のものであった。頭の輪が他の存在にも装着されるものでなければ。

 

「メフィス。貴方達としては、どちらの可能性が高いというんです?」

「正直なところ、幽鬼のままでワシらを出し抜く程力を持つのは不可能じゃ。真理念(アレセイア)を保持したとしても、ひとつでそこまでの力を持てるとは思えん」

「つまり、後者を有力視しているのね。対策はありそうなの?」

 私の問いに答えた後、千暁さんの問いかけには首を横に振った。つまり対策も見つかっていないということだ。

 

「……辺獄の管理者の肩書が泣くわね。で、態々私達に進捗無しを懺悔しに来たわけ?」

 相変わらずメフィス達を相手にしたときの千暁さんが怖い。私の前で普段見せる、あの穏やかで和やかで優しい千暁さんと本当に同じ千暁さんなのか。そしてそれをそよ風のように受け止めているメフィスもメフィスで不気味だ。

 

 

「対策、という程でもないが……千暁の話を聞くに幽鬼と同じ攻撃方法で対処ができる、というのは確かじゃろう」

「……まあ、攻撃が当たれば倒せる、という意味では確かにそうですね」

 物理的に攻撃が効かない訳ではない。つまり腕次第ではあるが倒せはするということだ。それが分かっているだけでも違うだろう。

 しかしだ。冷えきった視線が千暁さんからメフィスに向けられているのを、私は果たしてどうすればいいのだろう。

 

 

 

「……この件に関してはワシらの力不足を素直に詫びよう。辺獄そのものの危機も有り得る以上、ワシらは調査を続けるつもりじゃ。他に何か分かれば、その時は伝えよう」

 1つため息をついた千暁さんも、流石にこれ以上責めるのは止めたらしい。正直なところ、内心でホッとした。隣にいるだけでプレッシャーが凄いのだ、この状態の千暁さんは。

 

 

 

「ともあれ、このシレンの執行はこれで完了じゃ。またシレンの準備が出来次第連絡するぞ」

 そう言い残し、メフィスは姿を消した。この都会染みた辺獄の層ともお別れだ。来ようと思えば来られるようだが、今のところその必要もない。

 

「……私達も、帰りましょうか」

「そうしようか。お疲れ、小夜」

「お疲れ様でした。またよろしくお願いしますね」

 千暁さんがメフィスと同じく姿を消し、現世へと帰還したのを見送って、私もそれに続いて現世へと戻る。

 ふと思えば、現世と何とはなしに呼んでいるが……果たして辺獄ではないこの世界は何と呼ぶのが正しいんだろう。

 

 うーん。我ながら、すごくどうでもいい疑問だ。帰り着いた我が城のベッドに座り、疑問を投げ捨てる。

 疲れているとどうでもいいことが気になるものだ。さっさとシャワーを浴びてご飯を食べて、ゆっくりと寝てしまおう。そうすればきっと、どうでもいいことは気にならなくなる。

 

 

────お休みなさい。



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霧中の妥当性 霧中の妥当性-1

 枕元に置いていた充電中のスマートフォンが、不在着信があったことを示す青いLED灯を点滅させていた。非通知着信だが、メッセージが残されている。

『しくしく……出てくれないなんて小夜ちゃんはいけずだなぁ。次のシレンの用意が整ったよ、早くおいでよ』

 誰のメッセージかと思えば、フェレスの間延びした声だった。わざとらしい泣き真似のおまけ付きで。どうやらシャワーを浴びていたタイミングと重なってしまったらしい。

 

 

 

 部屋の隅に佇む姿見の前に立つ。乾かして整えたばかりの、弱めにレイヤーをかけた僅かに青さを含む黒髪。眼鏡の奥に見える、ド近眼によって生まれた目付きの悪い顔。

 辺獄へ赴くには、この自分の顔とご挨拶させられた後に、身体に刻まれた印を指で切らねばならない。いつか鏡面に拳を叩きつけないようにしたいけれど。

 

 

 

 

「おはよう、小夜。昨日は眠れた?」

「おはようございます。昨日は……いえ、少し妙な夢を見てしまって、あまり」

 そう。今でもまだ覚えているほど、強烈にこびりついた夢。どう考えたって、辺獄での活動が原因だ。

 

「……私の居た施設と、私が今住んでいる家。その両方に、昨日見た記憶の子達が押し掛けてくる夢でした。最後には、燃え落ちる施設の中にいる夢でしたけど」

 どう見積もっても良い夢ではない。炎に包まれた建物の中で、たった独りで死んでいった院長先生を見せつけられたせいで、最悪な目覚めだったのだ。

「そう……なら、今日は気をつけて。そういう心の不安定なタイミングは、幽鬼の思念に囚われやすくなるから」

 ゆっくりと、気を引き締めながら首肯する。無理をするな、なんてことは言われなかった。それはあの時、引き返すつもりがないと答えたのが理由なのだろう。

 

 

 短い会話を終わらせて辺りを見回す。前回探索した都会のような景色からうって変わって、今度は木々の生い茂る山の中のような風景だった。

「やあ小夜ちゃん、千暁ちゃん。順調そうでなによりだよ」

 最初に降り立った広間を抜けようとした途端、目の前にフェレスが姿を見せた。今度はメフィスが天音さんの方に向かったみたいだ。

 

「君達に伝えなきゃいけないことがあってね。幽鬼の姫、って千暁ちゃんは覚えてるかな?」

「……ええ。3年前、天音達を襲った幽鬼ね」

 かつて天音さんとその大切な人を辺獄に引きずり込み、弄び、踏みにじったという、悪辣な自称姫。

 

「その幽鬼の姫が、また辺獄に現れたみたいなんだよね。モチロン、またヨミガエリを企んで」

「それって……ヨミガエリを果たした結果また死んで、更に生き返ろうとしてるってことですよね」

「そういうことだね」

 

 

 

「……これ、天音にも伝えたの?」

 

 

 

 私の質問に答えたフェレスに、苦虫を噛み潰したような顔で千暁さんは訊いた。その質問の意図を掴みあぐねていたのか、それともどう返すべきか迷ったのか。メフィスはしばらく声も表情も時を止めたように間を置く。

 

 

 

「……勿論、メフィスは伝えるよ」

「……っ、そう。そう、よね……」

 そうして出された返答は、結局いつも通りの笑みを浮かべながらの短いものだった。

 しかし千暁さんの表情は当然優れない。天音さんがこの話を聞いてどうするか、私にも容易に想像がつくのだから。しかし止めに行こうにも、天音さんの所在は不明、メフィスへの連絡手段は目の前にいるフェレスだけ。

 

「……貴女にメフィスを止めろと言っても無駄でしょうね」

「ボクとしても、天音ちゃんには知ってほしいからね」

 要は止めるつもりがない、と言われた千暁さんは、握りこんだ拳を震えさせていた。怒り、というよりは焦りや不安が強いのか、悪魔達と会話するときの千暁さんから普段感じるプレッシャーは感じることができない。

 

 

「でも千暁ちゃん、考えてみてよ。これで天音ちゃんの復讐も、終われるかもしれないんだよ」

 それはきっと、正しく悪魔の囁きなのだろう。心の傷を癒すと嘯き、つけ入るための。だけれど、私も側で聞いていただけではあったが、振り払うことが出来なかった。

 恐らくは私の反応まで含めて、目の前の悪魔にとっては掌の上なのだろう。千暁さんが今までに見せたことがない、葛藤の表に出た表情が、殊更にそう思わせる。

 

「君も……心配だったんだよね? 天音ちゃんが復讐しか見えなくなっていくのが。でも、復讐相手を自分で倒すことが出来たら?」

 相変わらずの間延びした声が、しかしいつもより心に楔のように深く打ち込まれる。これはまるで、幽鬼の思念が入り込んでくるかのように────

 

 

 

「入って……来ないで……!」

 そうだ。思念のように入り込んでくるならば、追い出せる。閉めさせまいとドアに挟み込まれた足を蹴り出し、ドアを引き閉めて鍵をかける。

 すると、執拗に入り込もうとする思念の時と異なり、こちらの様子を認めるなりフェレスはあっさりと出ていく。

「……やっぱり小夜ちゃんは凄いねぇ。もう思念の締め出し方、理解してるんだ」

 

 肩で息をする私を、いつもの不気味な薄ら笑いと共に褒めてきたフェレス。千暁さんからも退いたらしく、いくらか顔色が元に戻ってきた。

「全然嬉しくありません……それに、天音さんに伝えようということは変わらないのでしょう」

「ボク達も、幽鬼の姫は警戒しなきゃ危ないからね。当然、強力な幽鬼の活動は小夜ちゃん達代行者にも知らせなきゃ。君達が死んじゃうと悲しくて泣いちゃうかも」

 確かに、その理屈には理がある。筋が通ってしまう。どうせ、本心が別のところにあるとしても。

 

 

「でも、ボクが言えるのは……幽鬼の姫が活動を再開したことと、それでも小夜ちゃんには時間がないことだけだよ」

 そう……その通りだ。天音さんのことも、天音さんと千暁さんの関係も、出来るなら解決に協力したい。けれど残された時間も分からない今は、それができない。

 今は、天音さんのことを信じるしかない。まだ彼女のことをよく知る訳ではないけれど、それでも強い人だとは思う。だから、今は信じて……機会が来るその時まで、信じるしかない。

 

 

 

 

「ごめんね、小夜。取り乱してしまって……」

「いいえ。正直私も心配ではあります。むしろ私に付き合わせている訳ですし……」

 時間がないことを告げたあと、フェレスは姿を消した。それを見届けて、 千暁さんが珍しく落ち込んだ様子で私に謝ってきたのだ。

 千暁さんはそもそも、あまり感情の揺れを見せることがほとんど無いように思う。喜怒哀楽を溢れないようにコントロールしている、と言うべきか。

 だから、今回ほど表に感情を出しているのは、少し意外だった。それだけ天音さんのことを大切に思っている、ということなのだろうか。

 ……何故か少し、悔しさを覚える。別に私は同性愛(そっち)の気はない、はずなんだけど。これは間違いなく嫉妬と呼べる感情だった。

 

 

 

 気を取り直すように、改めて周りを見渡す。日の当たりが悪い薄暗い山の中に、以前までの層で見かけたような材質で色が土色になっただけのタイル床。

 言ってしまえば自然の中に人工感溢れる床がある状況で、不気味というよりは不自然な景色だ。

 

 続けて記憶を軽く漁ってみても、山での思い出というのはあまりない。施設の遠足で山に登ったことはあれど、こんなに薄暗い山は記憶に無かった。

「相変わらず、この山の景色に見覚えはないみたいね。と言うことは、小夜の知り合いだけが見た景色かもしれないけど」

「うーん……前回の幽鬼の子達も覚えがないので、何とも……やることに変わりがある訳ではないんですけど、こうも千暁さんの経験則から外れると不気味ですね」

「私も自分の観測した範囲でしか識らないから、ね……」

 

 

 景色が変わると言えど、辺獄に幽鬼と幽者が彷徨いていることに変わりはない。たどり着いた広間では、数体の幽者と1体の幽鬼が漂っている。しかし。

「……数が少ないですね」

「広さの割にはそうね。さして珍しい話でもないけれど」

 幽者は隠れてでもいなければ3体しかいなかった。ゴリラ型の幽者がいると幽者の数は少ない傾向にあったが、ここには頭巾の幽者と幽鬼しかいない。

 

「……兎に角、幽者を倒してから考えるしかないか」

 自分に言い聞かせるように呟いて、私はハルバードを手に最も近くにいた幽者に斬りかかる。

 小さく振るった袈裟斬りの手応えが硬い。僅かな、しかし無視のできない違いがある。2層目までよりも敵がタフになってきたのだ、という考えに辿り着くと同時に、ならばとばかりに鉤刃で振り返すように斬りつける。

 

 手応えの悪さと他の敵との位置関係の変化から少し後ろへ飛び退いた私は、しばし計を練る。

 魔法(スペル)強化(アーツ)攻撃を交えながらでなければ、少々効率が悪い。だがそれらに必要な魔力(リソース)は無限ではなく、普通に斬りつけてこぼれ落ちたものを吸収しなければ枯渇する。

 

 やること自体はシンプルだ。魔力を使った強力な攻撃でダメージを稼ぎ、合間にハルバードで攻撃を加えて魔力を確保しつつ細かくダメージを重ねる。

 しかしタイミングや攻撃の選択は複雑だ。幽者達の行動がそこまで複雑ではないのが救いだけれど、万が一当たればどのくらいのダメージなのか、まだこの層では分からない。

 

 

 緩慢だが確実に迫る幽者に意を決し、行動に移す。

「燃えろ!」

 縦列を描き寄ってくる幽者の先頭に、竜の息吹(ドラゴンブレス)を放つ。豪炎が爆ぜ、後ろの1体を巻き込んで灼熱が襲う。ほんの瞬間的な時間だが、足を止め隙を生んだ。

「逃がさない!」

 魔力的に、まだ行けると確信があった。強化した脚力で空へ跳ぶ。前方へ大きく弧を描きその頂点で、手にしたハルバードの穂先をターゲットにした幽者へむける。

「やあぁぁっ!!」

 エアリアルストライク。魔力を纏った鋭利な穂先が幽者を貫き、衝撃波が周りもろとも揺さぶる。突き刺さった穂先を幽者を蹴り飛ばす勢いで引き抜き、地へ足を着けた。

 立て続けに魔力を込めた攻撃を受け、列の2番目だった幽者が煙として消え行くのを認めながら、後ろにいる先頭だった幽者を斬りつけつつ横へ離脱した。

 

 

 距離を取るまでの流れは概ね成功と言えるだろう。もう少し消耗した魔力を回復したかったが、残りの幽者は2体、なおかつ内1体は既に死に体。

「……竜の翼(ウイングプレス)は流石に無理そうか」

 誰にともなくに呟いて、改めてハルバードを構える。当然、最初の標的は決まっている。瞬きするより短く膝をたわめ、地を蹴って突撃する。

 

「どいて!」

 小さく鋭く、水平に斧刃を薙ぐ。人で言えば腹部の辺りを切り裂き、血飛沫の代わりに煙が吹き出し瀕死だった幽者は消滅する。

 続けざま、僅かに開いた距離を詰める中でハルバードを思い切り突き出す。当然穂先が勢いよく幽者を襲い、幽鬼の後方へと吹き飛んだ。

 

 幽鬼がこちらを射程に捉えるより速くハルバードを手元に手繰り寄せて、次の一手を打つ。袈裟斬りと逆袈裟斬りを両の刃で立て続けに、そのまま流れるように右から左へと薙ぎ払いへ刃を運ぶ。

「くっ!」

 順調にダメージは与えたが、幽鬼とてやられ放題ではない。薙いだハルバードが穂先で食らいつくより速く、頭部が後ろへ反り振り下ろされる。

 頭突きを間一髪で避ける。反撃と天秤にかけ、よろめくように後ろへ距離を離す。

 

 油断していた訳ではない。予想もしていた。だからすぐに体勢は立て直せたが、幽鬼へのダメージは芳しくないようだ。逸る心を深呼吸で落ち着かせる。既に突き飛ばした幽者も起き上がり、幽鬼と同じ速さで歩み寄ってきていた。

 もうひとつだけ深く呼吸をしてから、再び地を蹴る。幽鬼へ再び袈裟斬りから逆袈裟、横薙ぎに斬りつけ、更に脳天へ斧刃を振り下ろす。地面に着く前に刃を引き、腕を突きだして後ろの幽者諸とも穂先で貫いた。2つの煙の塊が溢れ、吹き消えていく。

 

「終わった……」

 私自身、今までよりも攻撃毎のダメージが上がった自覚はある。しかしそれを上回るタフネスの伸びは、この層を進む上での壁になりそうだ。

 そして当然、戦闘が終わった、厳密には幽鬼を倒したことで、思念が私の中へ入り込もうとしてくる。

 

 

「貴方に構っては……いられない!」

 扉を叩く音に構うことなく、鍵をかけて追い返す。漏れ聞こえてくる幽鬼の記憶に揺さぶられてはいけない。

 

『子供が中に! 助けて、誰か!!』

 

 火事になった我が家の前で、母親が叫んでいた。周りの制止を振り払って、愛しの我が子を救うべく焼け落ちていく中へ飛び込んでいく。

 

 当然そんなことをして、助かる筈はなかった。ベビーベッドに取り残された次男に辿り着くことなく、その身を炎が包んでしまう。

 その熱さ、後悔、無念が幽鬼となった。愛しの夫と、愛しの2人息子と、まだ幸せな暮らしを続けたかった。

 

 

 

 それでも、声に耳は貸さない。漏れ聞こえてくる声が、今までの幽鬼よりはっきりと聞こえてくるけれど。同情を示し鍵を開けてしまえば、私は私ではなくなりかねない。

 

 

 ようやく、幽鬼の思念が形を保つことが出来なくなって、声が聞こえなくなった。肩と膝から力が抜けて、思わず座り込みそうになる。

 今までより、幽鬼達が強力になってきたことを、こんな形でも認識させられるとは……呼吸を落ち着けながら、私は改めて気合いを入れ直さねばならないようだ。



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霧中の妥当性-2

 あの少数の戦いから暫く、何事もなく──と言っても勿論幽者幽鬼との戦闘はあったけど──進み、区切りである姿見を見つけて私達は現世へと戻ってきていた。

 辺獄で小規模な戦闘以外に何事もないというのは、何というか少しの安堵と拍子抜けしたという感情が混じって複雑な感覚だ。

 

 とは言え、区切りを迎えるまでにはそれなりの時間を要したから、昼前には探索を開始したもののすっかり陽が傾いてきていた。

「あ、夕刊……」

 夕方を知らせるメロディ放送が流れ出したのを耳にして、ふと玄関に届いているであろう夕刊の存在を思い出す。

 アルバイトだが本屋に勤める私にとって、新聞は客との話題にも昇るニュースや、世間を賑わせる作家の新作の情報などの入手源のひとつだ。夕刊まで購読する必要があるかはともかく、読み物としても読むのは嫌いではない。

 

 

「バス事故……そっか、もう1年経つのね。追悼か……」

 たった1人の乗客を除いて、運転手を含めた2桁の命を奪った事故。大々的に報道されたのを今でも覚えている。命は助かった1人の乗客、恵羽さんも、もう少し救助が遅ければ危なかったらしい。待って。恵羽? どこかで聞き覚えがある。そうだ、思い出した。

 

 恵羽 千、私の中学時代のクラスメイトでもある女子高生が追悼式に出席した旨のニュースだった。しかし見出しや本文を読むと、ただそれだけではなかったと分かる。

 追悼式の最中、彼女は唐突に意識を失い倒れ、まだ安否も原因も不明だと言う。あまり関わりのある方ではなかったとは言え、かつてのクラスメイトがそんな状況になったと聞けば流石に心配だ。

 中学時代の緊急用の連絡網を探そうかと思って書類を入れた棚を漁る。確か色紙に印刷されて、配られていたはず。

 

 

「……無い、か」

 流石に必要ないと思って、施設を出るときに捨ててしまったみたいだ。

 そもそも、意識を失った状態のところへ連絡したってどうしようもないし、関わりの薄かったクラスメイトより然るべき人間がとっくに連絡しているだろう。

 新聞で名前を読んで、思い出そうとしないと分からなかった同級生が我が物顔で連絡するのもどうかと思って、私は連絡先を探すのを止めた。

 

 

 

 何かちょっと、ニュースを見て思い出しそうなことがあった気がしたんだけど……何だったんだろう。

 

 

 

 

 次の日。辺獄に戻り千暁さんと合流した私は、その景色を見てようやく昨日思い出しかけたことを思い出した。

「……まさか、ね」

「小夜? どうかした?」

「いえ、ちょっと思い出したことがあって。千暁さんは1年前のバス事故って覚えてますか?」

「えっと……何だっけ、山の中で起きたやつ?」

 どうやら千暁さんは世間にあまり関心が無かったようで、事故が起きたことは知っているがあまり覚えていないみたいだ。

 

「詳しいことは覚えてないけど、それがどうかしたの?」

「いえ、あの事故が起きた山、私も遠足で登ったことがあったなぁって。ただ全く別のルートで、景色なんかも全く違ったと思いますけど」

 非常にどうでもよい思い出しだった。でも、辺獄にそんなに都合よく山が背景として現れたものだから、少し気になってしまった。

 目の前に広がる山に見覚えはないし、バス事故だって恵羽さんを除けば知り合いはいなかったはずだ。恵羽さんだって今のところは生きている訳だから、こんなところにいる筈もない。

 

 

 あまり関係のなかった記憶を振り替えるのもほどほどにして歩き始めた私達の前に、大きさはさほどではないものの、通路よりは明確に広い程度の場所が現れる。

 竜の形をした幽鬼が1体だけ漂っていた。妙だ。他に幽者は見当たらず、幽鬼はまるで迷子になった子供のような印象すら覚えるほど。

 

 それでも幽鬼は幽鬼だ。私達が来た通路と、反対側へ伸びる1本しか通路を持たないこの小部屋では、あの幽鬼を避けて通ることはできなさそうだった。何より、幽鬼を見逃してやれる立場でもない。

 

 

「……え?」

 しかし、幽鬼の行動はこちらの予想を裏切った。私達が足を踏み入れたのを認識した幽鬼は、私達に向かってくるのではなく、先へ続く通路へゆっくりと飛んで行く。

 不審な行動の幽鬼を当然追いかけようとした私達だったけれど、その行く手を阻むかのように、薔薇の幽鬼とゴリラ型の幽者が2体、突然姿を表す。

 

「……あの幽鬼、何かあると見て間違いないわね。もしかしたら、この層の中核を担う幽鬼かもしれない」

「なら、ここを突破して追う他無いですね」

 既に構えていたハルバードを脇に、巨体の幽者のペアへと突っ込んでいく。魔力による強化はしていない、ただの跳躍。しかし代行者ならば彼らの頭上を取るには十分な脚力が得られる。

「たああぁっ!!」

 ボクシングで言うところのフック、に近い殴打を躱した私は、そのまま斧刃をゴリラ型の幽者の片割れに振り下ろす。重力を味方につけた斬撃だが、やはりこの層の幽者にはあまり手応えがない。

 

 どうしてもその剛力から慎重にならざるを得ない、このタイプ(ゴリラ型)の幽者。そこに薔薇の幽鬼が飛ばしてくる礫が飛んでくるのだから戦いにくいことこの上ない。

「片方は私が抑える。そっちは小夜に頼むわ」

 苦戦を見かねてか、あの逃げ去った幽鬼を重要視しているのか、千暁さんが2体いるゴリラ型の幽者の片方に攻撃を始めた。

 少し不甲斐なく思いながらも、あの人が背中を守ってくれる安心感が私の背中を押す。

 

 

「燃えろ!」

 薔薇の幽鬼に火球を放ち、一切の間を置くことなくゴリラ型の幽者に斬りかかる。振り抜かれる剛腕をくぐり抜け、袈裟懸けに斧刃を振るう。

 後ろで軽くも鋭い打撃音がするのを聞きながら、逆袈裟に鉤刃を振り抜き横薙ぎへ。私が行えるなかで最も素早く振り抜ける連撃は更に脳天への振り下ろしへ繋がり、更に渾身の突きへと移ろうかという直前に後ろへ跳ぶ。

 

 ほんの瞬きするよりも短い瞬間、私がいた場所を腕が通り抜ける。思ったより多く斬りつけることは出来たが、やはり与えたダメージは全体で見れば小さいようだ。

「何か……見落としている……?」

 何かのゲームを弱い武器のまま進んでいるようなものではないか。そんな懸念が頭に過る。しかし、その疑念が合っているのかも解決法があるのかも、今考えてもどうしようもないのは確かだ。

 

 

 リソースを使わない攻撃が通りにくい以上、適所で魔力による攻撃を織り込む他無い。しかし前後大小差はあれど、どの魔力を使う攻撃も足を止める必要が、即ち隙が生まれる。

 飛来する礫を回避し、剛腕の隙間を縫いながら、虎視眈々と機を狙いハルバードを振るい続ける。横薙ぎに振るった斧刃が幽者の腕をすり抜け、胴体を傷つけたその一瞬。

「ここ!」

 練り上げた魔力で空へ跳ぶ。眼下に捉えた獲物めがけ、鷹の如くハルバードの穂先で食らいついた。蹴りつけて穂先を引き抜き、そのまま後ろへ着地するのではなく更に脳天へ斧刃を叩きつける。

 

 

 真っ二つに切り裂く勢いで叩きつけられた斧刃が幽者を煙に変え、後ろの気配へと振り向く。私が倒すより早く千暁さんは幽者を倒しており、既に薔薇の幽鬼を警戒していたようだ。

 流石の実力だと思う。判断の早さも、技術の高さも、私からすれば雲上のそれだ。少しでも高み(千暁さん)へと近づく為には、今は経験を積むよりない。

 荒くなっていた呼吸を整え、改めて左半身にハルバードを構え直し、残る薔薇の幽鬼へ踏み込むべく、礫を吐くタイミングを測る。

 

 

「今!!」

 礫を撃ち出す為の大きな吸い込みを開始した瞬間を狙い、私は強く地を蹴って突進する。薔薇の幽鬼は礫を飛ばす予兆が分かりやすい。ならば、対処はゴリラ型と真逆でいい。

 近寄る勢いを乗せた渾身の薙ぎ払い、頭上からの叩きつけを続けざまに食らわせる。相変わらず鈍い手応えも、比較的には良好だ。

 

 叩きつけたハルバードを手元へ戻し、更なる連撃を食らわせようとしたその直前。僅かに花弁が、牙だらけの口が、後ろへと反るのを見て、悪寒が背を走る。

 考えるより早く咄嗟に軽く後ろへ跳んで、それからその動作が未知なる攻撃の予兆だと考えが及ぶ。

「こんなことまで出来たの……!?」

 私が跳んだほんの一瞬の後に、目の前で大口の中で剥かれた牙がガチリと音を立てた。僅かながら魔力が込められた、見るからに凶悪な攻撃。

 

 

 今までに見てきた薔薇の幽者も幽鬼もしてこなかった攻撃だ。偶々見なかっただけなのか、それとも──ううん。

「分かれば怖くない!」

 答えが分かったところで、やってこなくなるわけじゃない。予兆の動作もしっかりと見た。なら、いつも通りだ。

 斧刃でコンパクトな袈裟斬りをしかけ、続けて逆袈裟に鉤刃を振るう。礫を飛ばすより動作の間隔が短いようで、再び口だけの顔を後ろへ反らしたのを見て退がる。

 

 大丈夫、ちゃんと回避できる速度と範囲だ。横から礫でちょっかいをかけられるより大分御しやすい。後ろへ距離をとった分の踏み込みを勢いに変えて、身体を軸に勢いよく回転斬りを食らわせる。

 大分弱ってきたように見える。攻勢の掛け時とみて、私はハルバードの穂先を勢いよく突き刺す。魔力を練り上げ──

「燃えろ!」

 魔力は赤き焔となって穂先で爆ぜる。草木とは言え炎に弱いなんてことはないようだけれど、それでも威力は十分だ。薔薇の幽鬼はとうとう煙となって消えた。

 

 

 

『もう少し……もう少しなのに……』

 

 

「あ、ぐ……っ!!」

 勝利を確信した私に流れ込んでくる、幽鬼の残した思念(記憶)。やはり、今までのように閉め出しきれず漏れ聞こえてくる。

 

『お願い。あとほんの1週間……いいえ、3日だけでいいの……』

 

『だから少しだけ耐えて……私の、身体……』

 

 

 何かを作り上げようとして、心血を注ぎ込んできた。掌にこびりついた自らの吐いた血は、自身のタイムリミットを見せつけてくる。

 机に置いた薬と水を流し込んで、立てられた試験管を睨むように見つめる。追い求めたものが、あと少しで完成する。だけど心の中では、その前に自分が死ぬことが分かってしまっていた。

 

 

「出て、行け……私は、お前じゃ……ない!!」

 強い未練を訴える声を、耳を塞ぎ蹴り出す。ゴールを目前に若くして病に倒れた未練。明日には自分が死んでいるであろうことへの恐怖。

 違う。それは私の記憶じゃない。お前の人生は、私のものじゃない。その感情は、私は抱いていない。だから。

「私に、入ってくるな!」

 

 扉を、窓を、全てを締め切ってシャットアウアト(否定)する。やがて思念はその存在を維持できず、私の耳から離れ落ちてゆく。

 声が聞こえなくなって、私はようやく安堵のため息をついた。これで私達を邪魔するものは、ひとまず打ち倒したと言って良いだろう。

 

「……行きましょう、千暁さん。また幽鬼達に阻まれるかもしれませんが」

「そうね。早く追い付ければ、それだけリスクも減るわ」

 

 私達は幽鬼が去っていった道に踏み込み、追走し始めた。



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霧中の妥当性-3

「やっと追い詰めた……!」

 私達はあの幽鬼に散々に振り回され、ようやく行き止まりに追い詰めた。追い付きかける度に他の幽鬼が何処からともなく現れ阻み、その間に件の竜の幽鬼は逃げ続ける。

 頭巾、竜、薔薇、ゴリラ、それから新しく見かけはじめた魔術師のような幽鬼。実に様々な幽鬼達が私達を足止めし続け、その果てにようやく今に至る。

 

 あの幽鬼が何者なのか分かったものじゃないし、逃げるのに必死だったのか私達を嘲笑っていたのかも知らないけれど。ここまで手間をかけさせられて、イライラが募っているのが私の本音だ。

 逃げ道が既にないと気付いた竜の幽鬼はこちらへ向き直ると、ようやくまともに戦う気になったようだ。大きく羽ばたいて見せたかと思うと、広間にいくつも新たな気配が現れる。

 

「そう……まだ手間をかけさせるのね」

 現れた気配は当然のように幽者のものだ。私達を取り囲むかのように、かなりの数と種類が虚空から出現する。

 更に怒りが募るのを感じる。ただでさえ今まで散々振り回され、挙げ句の果てにこれだ。噛み合わせた奥歯から軋むような音が聞こえた気がする。

 千暁さんも少なからず怒りやら呆れやらを抱いていたようで、いつもより更に鋭い気迫で合口を抜いた。

 

 

「周りの幽者は私が止める。小夜は幽鬼に集中して」

「分かりました、お願いします」

 流石にこの量の幽者をまともに相手にしていたら、私だけでは幽鬼を取り逃がす可能性もあっただろう。千暁さんの提案は有り難かった。

 幽鬼へ走り寄るより先に、向こうが先手を打ってきた。細かな羽ばたきと共に僅かに体を反らし、魔力で出来た刃を回転させて飛ばしてくる。

 初見の行動じゃない、対処はできる。強く地を蹴り、独楽のように回転する刃を飛び越える。そのまま地に落ちる勢いをのせて、頭蓋を叩き割る勢いで斧刃を振り下ろした。

 

 

「邪魔!!」

 竜の幽鬼が吹き飛び、近くにいた幽者が立ちはだかるように道を塞ぐ。幽鬼と同じ、竜の見た目をした幽者だ。瞬間的に加速したストレスをぶつけるように、横薙ぎの刃が別の方向へと吹き飛ばした。

 吹き飛んだ幽者が地に着くより先に、千暁さんが飛ばしたらしい魔力のナイフがとどめを刺す。いったいどういう反射神経なんだろうか。

 

 意識の先を幽鬼に戻し、私は追撃を試みて駆け出す。起き上がるより先に斧刃が幽鬼をカチ上げた。そして空中で姿勢を整えきれない幽鬼を、魔力で編まれた翼が襲う。

「まだまだ!」

 竜の翼(ウイングプレス)が与えたダメージはそれなりに大きかったはずだが、まだ倒すには至らなかった。倒せる、とは思っていなかったから予想通りだけれど。そして魔力にはまだ余裕がある。

「燃えろ!」

 竜の息吹(ドラゴンブレス)が着弾した周りを巻き込み吹き上がる。すかさず間合いを詰め横薙ぎに斧刃を一閃、鉤刃で剣筋をなぞるようにもう一閃。振り上げた斧刃を叩きつけ、すぐに後ろへ回避する。

 

 

「小夜、そっちはどう?」

「大丈夫です! 少し時間はかかりそうですが」

 さっき立ち塞がってきた幽者以外、妨害らしい妨害もない。千暁さんが背中を守ってくれていることの安心感を改めて感じる。

 同時に、少し違和感がある。千暁さんの腕ならば、もう幽者は半分を切ってもいい頃合いのはずだ。けれど幽者は数を減らしている気配がない。

 

 足止めに徹して、それほど数が減っていないだけなのか。それとも。幽鬼を袈裟懸けに斬りつけながら、千暁さんが戦う幽者達に視線をほんの少し向ける。

 合口で斬りつけ、鋭い蹴りを差し込み、そして再び合口で斬り止めを刺す。次の幽者へ向かい、他の幽者の動きへ気を配りながらも着実にダメージを与える。

 

 いつも通りの流麗な戦闘に安心しつつも、嫌な予感の的中に、私は冷や汗が流れるのを感じた。

「千暁さん、幽者の新手がどんどんと……!」

「そうね。恐らく幽鬼を倒せば止まるはずよ。今は集中して幽鬼を叩いて!」

「分かりました!」

 

 とは言え。ただでさえ通したダメージに対してタフさを感じるようになってきた幽鬼に加え、この幽鬼は並みの幽鬼とは違う。魔法(スペル)攻撃も数多の斬撃も、効いてはいるが届いていない。そんな感覚すら覚える。

 攻撃し続ければいつかは倒せはする。早く倒さなければ千暁さんに負担を強いる。そんな混じり合う楽観と焦燥は、確実に私の心を急かしていく燃料に変わる。

 

 

「ああ、もう!」

 半ば、ヤケクソになりつつあると認めざるを得ない。やらなきゃいけないことがある。きっともっと効率的なやり方がある。けどそれが思い付かない。だったら、地道にでもやるしかない。

 袈裟斬りから逆袈裟、横薙ぎに刃を振るい、距離をとって竜の息吹(ドラゴンブレス)でダメージを稼ぎ怯ませる。極めていつも通りの、定型にはまった連続攻撃を繰り返していく。

 

 幽鬼に集中できるから、定型のコンビネーションだけでもどうにかなる。繰り返しが10回に達しようとした頃、ようやく弱ってきた素振りを見せてきた。

 ようやく見えてきたゴールに、思わず頬の力が緩む。代行者としての作用で強化された体力でも汗をかいてきた今、爽快感すら感じる。改めてハルバードの柄を握り直し、いざ攻め込まんと膝をたわめ、その瞬間。

 

 

「……えっ?」

 

 

 目の前で起きたことが、しばらく分からなかった。懐へ飛び込もうとした直前、幽鬼が目の前から消えたのだ。死角から攻撃を仕掛けてくる様子もない。

 と、言うことは。これは。つまり。

 

 

 

「逃げられた、みたいね」

「そんなのアリですか!?」

 無尽蔵に沸いていた幽者もパッタリと姿を消し、辺りはしんと静まりかえっていた。合口を納める千暁さんの冷静な状況確認に、思わず大きな声をあげてしまったけど、これは私は悪くないと思う。

 

「余程執念深い幽鬼みたい。区切りを越えて移動したなら特に……」

「もしかすると、この層のボスがあの幽鬼かもしれないってことですか」

「可能性はあると思う。行動の複雑さも、ヨミガエリが割りと近いと見て良さそうなほど」

 前に聞いた話だと、ヨミガエリの為には他の魂でも何でも使って、魂を完全な形にしなければならないという。欠けた部分が少なければ、それだけ生前の人間に近しい行動が取れるようになる。そういうことだろう。

 

 

「しかも区切りのゴールはここじゃないみたいですね。はぁ、とんだ無駄足……」

「まあ、あの幽鬼は先に進めば会えると思うから。今は先に……小夜!」

 落胆に肩を落とした私達だったけれど、不意に千暁さんが私の名前を呼ぶ。緊迫した声に危機感を覚え、飛び退こうとした。けれどそれは遅すぎて、頭の中に何かが入り込むのを感じた。これは────

 

 

 

『出して! 出してよ! 助けて、誰か!! 先生! 院長先生!!』

 鍵のかかったドアを叩く。外から返事はない。ドアを叩くのを止めて周りを見渡す。

 窓は外からテープで隙間を閉じられて、つっかえ棒と荷物か何かで念入りに塞がれている。流し台と蛇口はあるけれど、水は滴ひとつ出てこない。

 換気扇からは何かが流れ込んでくる音がしている。何が流し込まれているかは分からないけど、体に良いものなはずはなかった。

 

 

『うぅ……どうして……僕は何も……』

 遠足で山に登ることになって、お昼ご飯を皆で食べて……その後、ちょっとお腹が痛くてトイレに入ったのは覚えている。

 けれどいつの間にか眠っていたらしくて。気付いたらこの……この、多分プレハブか何かの中にいた。頬をつねってみても、痛みがこれが現実なのだと突き付けてくる。どうして。何のために。誰が。

 

 外に出なければ。ここにいてはいけない。そう思っても、窓もドアも閉じられていて、壁や窓を壊せそうな物も無い。椅子どころか、ペン先の乾いたペンすら落ちていない。

 携帯電話は持っていない。中学校の登下校も施設の仲間と一緒だったし、習い事もしていなかったから、今まで必要なかった。こんなに困ることになるなんて。

 

 

 次第に、視界がぼやけてくる。きっと換気扇から流されているのは、毒ガスか何かなんだろう。まさか自分が、こんな風にサスペンスドラマの被害者みたいなことになるなんて。

 嫌だ。嫌だ。怖い。助けて。苦しい。出してくれ。誰か。誰か!!

 

 

 

 

 

「小夜、しっかり。小夜!」

「う……何、が起き、て……」

 気付けば、千暁さんが私の肩を揺すっていた。そう、そうだ。私は大喜 小夜、少なくとも中学校の男の子ではない。じゃあ、あれは。

 

「大丈夫? まさか、頭上から記憶溜まりが降ってくるなんて思わなかった」

「それじゃあ、あれは幽鬼の記憶だったんですね……でも、あれは……」

 記憶に混じり込んできた"彼"は、またも私と同じく児童養護施設の子だった。そして、彼が助けを求めた院長先生という人物。彼の記憶が、中途半端に私のものと混じりあったのでなければ。

 

 

 

「彼は……あの幽鬼は、私と同じ施設にいた子……?」

 

 

 

 世代は分からない。私がいたより前なのか、私が施設を出た後なのか。けれど彼が思い描いた院長先生は、私の知る院長先生と同じ頃の同じ人物だった。

「駄目だ、手がかりが思い出せない……」

「小夜、本当に大丈夫? どんな記憶だったのか分からないけど……」

「私は大丈夫です。ただ、あの幽鬼が知り合いかもしれなくて」

 私は記憶溜まりから得た記憶を、千暁さんに伝える。私の記憶と混じりあっているかもしれないことと共に。

 

 千暁さんも、やはり幽鬼と私の記憶が混濁している可能性を肯定した。私が彼の名前を思い出せないのは、本当に知らない人物の可能性が高いとも。

 記憶の内容が確かならば、これは事故ではなく事件だ。だから、幽鬼による事故のように、死んだことが無かったことになる記憶の改変が起きることは考えにくいという。

 ただし、記憶溜まりから得た記憶は、必ずしも正確ではないらしい。そもそも曖昧な「記憶」という概念が、更に一部だけが欠落したのが記憶溜まりだ。欠落したのが連続した記憶とは限らない。自らの名前でさえ、他の人物と混ぜ合わされる可能性だってあるのだそう。

 

 

「どのみち、正体を知りたければあの幽鬼を倒さなくちゃいけない。知りたくなくても、代行者である以上あの幽鬼を倒さなくちゃいけない。そういうことですね」

「概ねそうね。立てる?」

「はい。行きましょう」

 

 

 

 あの幽鬼が逃げ去ってから、先ほどまでの幽鬼達の足止めが嘘のように静かだ。幽者の1体も見かけない。

 こうなってくると、暗い山中のようなこの層は不気味さを増してくる。辺獄だからか、動物の鳴き声だってしない。お化けでも出てきそうな……いや、幽者や幽鬼はある意味お化けか。なら安心だ。

 

「小夜、どうかした?」

「いえ、単純にお化けでも出てきそうな雰囲気だなぁと。ただ、幽者がいるので今更だなって」

「それは……まあ、確かにそうかもね。小夜はお化け駄目な方だっけ?」

「そうですね、あまり得意では……あれ、こんなこと千暁さんに話したことありましたっけ?」

「ん、ううん。言葉の綾。でも、幽者達は倒せるから平気かもね?」

 つい幽者達が出てこなくて、話が弾む。辺獄ではない場所で千暁さんと出会えていたら、きっとこんな会話をカフェかどちらかの寝室なんかで続けていたんだろうか。それくらい、辺獄とは思えない穏やかな時間だった。

 

 

 しばらく探索を続けると、ついに幽者との戦闘を行わないまま姿見へ辿り着いた。まさかこんなことがあろうとは……それでも、この区間に逃げ去った幽鬼がいなかったのは確かだ。また先の区間で探すしかない。

 千暁さんの見立てでは、現世は既に夕方だろうと言う。また、明日から探索再開の約束をして、私達は姿見へそれぞれ触れて、各々の家へ帰還した。



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霧中の妥当性-4

 カーテン越しの僅かな陽光を感じて、瞼を開く。見慣れた天井、見慣れた家具。そして温もりを蓄えた寝具。ようやく、今までに見ていたのが夢なのだと認識できた。

 

「……ここのところ、夢見が良かった日が無いな……」

 今日の夢も、昨日も、その前も。辺獄へ探索に行くようになって、まともな夢を見なくなった。代わりに見るようになったのは決まって、私や私の大切な人が死んでしまう夢。

 夢診断の観点で言えばもしかすると吉兆なのかもしれないけれど……とてもじゃないがそんな生温いものと思えない。

 

 焼け落ちる建物に閉じ込められていたり、誰とも分からぬ人に唐突に刃物で刺されたり。人物にしろシチュエーションにしろ、明らかに私の過去が元になった夢だ。

 目が醒めて早々、喉の奥から込み上げるものを感じて洗面台へ走る。空っぽの胃袋から胃液だけが食道を上ってきて、洗面器へぶち撒ける。

 

 

 

「本当に、最悪……」

 爽快感とは真逆の目覚めだ。胃液で痛んだ喉を水で洗いながら、鏡に写る自分の顔を見る。

 顔色は当然のように悪い。眼鏡をしていないこともあって、いつも以上に悪い目付きの女がそこにいる。血色が悪いのと目頭に涙を湛えているのも、目の前の面の不健康さに拍車をかけていた。

 

 

 吐き気と動悸がどうにか収まって、そのまま洗顔やら寝癖直しやらを終えた私は、いつも通りの軽めの朝食を摂る。

 インスタントの汁物に昨晩炊いて冷凍しておいた米、それからコンビニで買っておいた出来合いの焼き魚と少々の漬物。独り暮らしの朝食なら、まあこんなものじゃないかと思う。

 吐いた直後で喉を通るか怪しかったが、とりあえず問題なく食べ終えることができた。流し台の水を張った洗い桶に食器を放り込んで、着替えればいつも通り朝の支度は終わりだ。

 

 

「さて……と。千暁さんとの待ち合わせよりは少し早いか……」

 時計はまだ、7時を少し回った程度だ。待ち合わせには2時間近くある。しかも合流地点には部屋から直通、徒歩0分だ。

 もっとも、別に朝仕度を終えたからと言っても他にやることがない訳じゃない。新聞なりインターネットなりでニュースを仕入れたり、夕方の買い物に必要なメモを揃えたり、日常的な部屋の掃除を済ませたり。

 そんなことをしていれば待ち合わせの時間まではあっという間で、その作業の中でメンタルを出来るだけ平常に整えた私は、姿見に自らの姿を写していた。

 

 

「……今度こそ、あの幽鬼を仕留めないと」

 前回取り逃がした幽鬼のことを思い出し、小さな決意と共に私は服の裾をつまみ上げる。右の脇腹、そこにある複雑な印を指で切り、励起させる。

 僅かな熱と、くすぐったいような感覚が体に走る。すぐに鏡面に引き込まれるような感覚と共に、私は辺獄へ引きずり込まれていった。

 

 

 

「おはようございます、千暁さん」

「おはよう、小夜。また顔色が良くないみたい。夢、また良くない感じかな」

「ええ、最近はずっと……これも辺獄にいるから、なんでしょうか」

「辺獄にいるから、というよりも……辺獄でストレスを溜めているから、の方が合ってるのかもね。どうしても代行者をしていると、心は負担を受け続けるから」

 辺獄で千暁さんと合流して早々、私の夢見の悪さを言い当てられた。そしてしの原因も、私以上に正確に把握している。

 

 やっぱり、以前の千暁さんもそうだったのだろうか。あるいは、今も。私からすれば、千暁さんの顔色はいつも通りだ。少し儚げなところがありつつも、包容力のある暖かな優しさのある、いつも通りの千暁さん。

 もしかすると長い代行者活動で、上手いことストレスを逃がす術を身に付けてきたのかもしれない。でなければ、ストレスを抱えたままこんな柔和な笑みを浮かべていられるだろうか。

 

 今の私にとって、千暁さんは頼れる先達であり、優しき姉のような人であり、憧れる師でもある。そして、いつか追い付き、肩を並べられるような立派な人間になりたいという目標でもある。

 だから千暁さんの過去については、興味が無い訳がない。どんな親のもとに生まれ、どんな学校で学び、どんな友と遊んだのか。

 でも、たったひとつだけ聞いたことがある(知っている)過去の話が、それをしてはいけないと教えてくれている。

 

 

 千暁さんもまた、家族を喪っている。しかも、両親は幽鬼となっていて、彼女自らの手でその魂を壊さざるを得なかった。妹だけをどうにか掬い上げたというけれど、その時の千暁さんの心苦しさは想像もできない。

 

 そういえば、ヨミガエリさせることができた千暁さんの妹さんってどうしているんだろう。お世辞なのかもしれないけれど、私に似てるところがあるって言っていた気がする。

 眼鏡でもしているんだろうか。あるいは、姉妹なのに敬語で話してる、とか。それとも私みたいにインドア派だったりするのかな。聞いてみたいという興味が首をもたげてくるけれど、でもやっぱり聞いてはいけないと、本能が警鐘を鳴らして抑え込む。

 

 

「小夜。小夜? おーい、聞こえてる?」

「あぇっ!? す、すみません、考え事を……」

「そ、そう……? また足場から落ちそうにならないでよ?」

 痛いところを突かれた。言い返すつもりは無かったけれど、思わず呻き声が上がってしまった。

 

 さて。千暁さんが私に声を掛けたのには理由があったらしい。歩いていた私達の少し先にある広場で、幽者達が佇んでいる。そして中央にいる幽鬼は。

「……あの幽鬼、ですよね」

「多分、ね。ただ、今回は2つ出口があるから、挟み撃ちも駄目そうかな」

 

 広場で揺蕩う竜の幽鬼。見た目から完全な判別ができる訳ではないが、私達は前回逃がした幽鬼そのものだと揃って直感している。

 前回追い掛けていたときには不可能だったが、今回は向こうがこちらに気付くまでのタイムラグを使って先回りが出来るだろう。

 しかしこれもまた前回と異なり、今回は広場から伸びる通路は私たちがいるところを含めて3本。全ての道を塞ぐには手が足りない。とは言え、逃げるより先に道を塞ぐには足の早さは足りるだろう。

 

 

 私達は視線を交わし頷き合って、互いの考えが同一であることを確信する。ハルバードと合口をそれぞれ構え、幽鬼の左右を目指して走り出す。

 

 広場から伸びる道は丁字路のように左右と入ってきた道とで別れている。もし入ってきた道へ幽鬼が向かうなら戻る。左右どちらかの道へ向かうなら、私か千暁さんのどちらかが立ちはだかる。

 果たして、私達の目論見は効果を表した。幽鬼がこちらに気付くのとほぼ同時、左右を挟み込んだ私達に狼狽える様子を見せる竜の幽鬼。

 

『来ないで……来ないで!』

 

 しかし。目論見は効果を表しはしたが、十分ではなかった。狼狽えた幽鬼は何れかの道へ逃走を図ると、そう踏んでいた。狼狽えた隙に攻撃を加えられるとも。

 幽鬼は道の無い、私達の入ってきた通路の正面側へタイルを越えて逃げ去ってしまったのだ。木々の隙間をすり抜けるように飛び去る幽鬼を追う術を私達は持っていない。

 あの木々の陰が覆う山は、一見ただの薄暗い山だ。しかし辺獄でタイルの道から外れればどうなるのか、代行者としての知識なのか朧気ながらに知っている。

 

 

 辺獄で道の外に広がる光景は、見た目だけのものだ。実態はこの前に見た、底知れぬ闇と同じ。落ちることはなくとも、再び戻ってこれることは恐らく無い。

 幽鬼はそうではないらしい。死者の魂だからなのか、辺獄に適応しているのか。理由は知らないが、迷うことなく移動できるようだ。でなくば、躊躇せずに道から外れて逃げることはしない……と、思う。

 

 

 

 ともかく。結果として幽鬼に逃げられた私達に残されたのは、同じ広場にいた幽者に囲まれた状況だ。このまま振り切って追いたいところだけれど、そうもいかない。

 しらみ潰しに辺獄を探す必要がある以上、幽者の有無は探した場所の目印になる。何より、代行者としての契約をした以上、幽者の始末もまた仕事の内だ。

 

 だらりとぶら下がっていた腕を引き上げ、周りを見渡す。数は大したこともない。どうせタフさは前回と同じで時間はかかるだろうが。そういえば千暁さんに聞かなきゃと思って、すっかり忘れていた。

 

 

 さて。幽者はと言えば唖然としていた私達に近寄ることもせず、囲ってはいるがこちらの様子を伺っているようだ。少し不気味だけれど、前回のことを踏まえれば、ここの幽者達はあの竜の幽鬼の手下のような振る舞いをしているのだろう。

 つまり彼らの目的は足止め。もしかすると、この層の幽者、幽鬼の強烈なタフネスはそれが由来かもしれない。単純に強力になってきているだけかもしれないけれど。

 

 

 考え込むのはここまで。ハルバードの柄を握り直して、ひとつ深呼吸を挟んだ後に、正面にいる幽者を視界に捉える。

 今回は最初から最大火力で畳み掛ける。腰の捻りを転換し、飛び込んだ勢いと共に横薙ぎに斧刃を魔術師型の幽者に打ち込む。下手に手を緩めればこの幽者は、距離をとり妙な効果をもつ遠距離技を撃ってくるので厄介なのだ。

 

 魔術師型は厄介さと引き換えに、守りは薄い。横に薙いだ刃を翻し、掬い上げるように斬り上げる。魔力で強化した脚力で飛び上がり、ハルバードの穂先で杖のように細い体を突き刺して、そのまま地面へと串刺しにした。

 蹴り飛ばすより先に、幽者は形を保つことができず霧散する。まずは1体。

 

 

 まずは幽者のいない方角へ跳び、改めて状況を確認する。先程とは異なり、こちらへ距離を詰め始めた幽者達は、私達への包囲網を縮めつつある。

 であれば、厄介なゴリラ型の幽者はここでは後回しにして、少し数を減らそう。そう考えて、私は頭巾を被った幽者へと距離を詰める。

 

 物理的には、先程の魔術師型よりタフな頭巾の幽者。焦らずコンパクトな袈裟斬り、逆袈裟斬りで牽制し、横薙ぎに刃を走らせつつ後ろへ下がる。案の定他の幽者が来ていたのを確認し、補給した魔力を練り上げる。

「潰れろ!」

 竜の翼(ウイングプレス)で多数の幽者にまとめてダメージを稼ぐことができた。しかし幽者が固まった状況は良くない。どうするか……

 

 ほんの僅かな時間の中で頭をフル回転させる。答えが導き出されるよりも早く、幽者は起き上がってくる。いや、ならば。

「少し賭けになる……けど!」

 再び、魔力を制御して脚力を増す。目一杯地面を蹴り飛ばし、幽者の遥か上空から狙いを──寄り集まった中心にいる幽者にハルバードの穂先を構える。

 

「たあぁぁっ!!」

 両手で保持した穂先が魔力を帯びて幽者へ食らいつき、衝撃波が辺りを吹き飛ばさんと迸る。穂先が食い込んだ頭巾の幽者を蹴り飛ばして着地すると、目論見通り弾き飛ばされた幽者達はそれぞれ距離が離れたようだ。

 この隙を逃すわけにはいかない。未だ起き上がりきれない頭巾の幽者へ、渾身の振り下ろしで斬りつける。叩き潰すつもりで振り下ろした斧刃が食い込むが、まだとどめには至らない。

 めり込んだ斧刃を引き寄せながら、身体を捻るように回転させて跳ぶ。当然ハルバードの刃は身体に合わせて天に向かい1週し、重力を味方に再度頭巾の幽者に叩きつけられる。これでようやく、幽者は力尽きたようだ。

 

 

 残るは竜型とゴリラ型、そしてもう1体の頭巾の幽者達だ。そう認識した瞬間、竜の幽者が煙となって消える。

「千暁さん!」

「あの幽鬼を放っておくわけにはいかないから。流石に私も手を貸すわ」

 改めて見れば、いつの間にか竜の幽者も姿を消している。竜の翼(ウイングプレス)の後に、千暁さんがとどめを刺したのだろう。

 

 つまり残るはゴリラ型の1体だけだ。ハルバードを構え直し、深い呼吸で余計な力を抜いて、私は千暁さんと共に幽者と対峙する。

 千暁さんとアイコンタクトを交わして、千暁さんの魔法(スペル)攻撃である魔力でできた投げナイフの援護と共に駆け抜ける。射程距離に捉えた。

「これならば!」

 走る勢いを乗せて、穂先を鋭く突き出す。2枚の刃と共に穂先に魔力の炎が燃え盛り、威力を底上げした新たな強化(アーツ)攻撃。フレイムブレード。そんな名前が、頭を過る。安直だけど、それは今更だから気にしない。安直な方が、むしろ良いのかもしれない。

 

 燃え盛る穂先が幽者の巨躯を穿ち、炎熱が追撃する。けど、まだ終わらない。引き裂くように鉤刃を斜めに振り上げる。そしてだめ押し。右足を強く踏み込み、燃え盛る斧刃が袈裟懸けに幽者を斬りつける。

 単体相手に特化した、強烈な3連撃。タフなゴリラ型の幽者にも流石に大きなダメージがあったようだ。仕留めきることはできなかったが、もう数回と斬りつければ決着は着く。

 

「小夜、今よ!」

 千暁さんがいつの間にか幽者の後ろへ回り込んでいた。逆手に持った合口で目にも止まらぬ剣撃を浴びせ注意を逸らしたのだ。

 応えなければ。身体を捻り、回転する勢いを乗せた全力の斬撃が、背後を見せた幽者に直撃する。確かな手応えを感じ、それでも倒せたか分からない幽者をしっかりと視界に留める。

 

 

 ズシン、と低い音を立てながら、地面へ倒れこんだ幽者。刹那の後に巨大な体は紫色の煙へ変わる。終わった、とようやく確信した。

 

「お疲れ様、小夜」

「ありがとうございました。しかし、あの幽鬼はどこへ……」

 軽く周りを見渡しても、当然幽鬼の姿はない。手掛かりも全く無かった。やはりしらみ潰しに探すしかなさそうだ。

 ほんの少し、呼吸を整える程度の休息を挟み、私達は再び辺獄の探索を再開する。




 申し訳ありませんが、この話で書き貯めていた分が底をついた為、以降は不定期の更新になります。
 今まで通り日、水、金曜日のAM0時何れかに書き上がり次第投稿する予定ですので、更新のご確認の際にご参考ください。また、SNSで投稿の予告をする予定ですので、プロフィールに記載されているアカウントも是非ご参照頂ければと思います。


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霧中の妥当性-5

 手掛かりもなく幽鬼を探し続けてしばらく。いくつ目かの広場で戦闘を終えて、私はようやく思い出したことを千暁さんに聞くことにした。

「そう言えば……随分と幽者もタフになってきましたけど、私の攻撃はそこまで強くなっていない気がするんです」

「うん? そうかな……?」

「何となく何かを見落としてそうと言うか……それとも単純に、私の成長より遥かに幽者達の強さに幅があるだけでしょうか」

 

 私の悩みに、しばらく考え込む様子を見せる千暁さん。ふと何かに気づいたように私の方へ視線を向け、具に観察し出した。

 

「小夜。貴女、思装はちゃんと整えている?」

「思想、ですか? どういう意味でしょうか」

「思いの装備、それが思装よ。思念を完全に拒んでしまえる小夜は、縁が薄かったか……」

 千暁さんの口ぶりからすると、その思装というのは思念絡みの概念らしい。メフィス、フェレスからも聞いたことの無い話だ。

 

「辺獄では、思い……信念、願い、欲望、自我……そういうものが強い意味を持っているのは分かる?」

「ええ、まあ……何となくですけど」

「そして、そういった思いは、辺獄では身を守る盾にも、他の思いを切り裂く矛にもなる。幽者や幽鬼は、未練や無念という思想の塊だから」

「ええと……要はその思装というのが、鎧や武器として使えるということですか」

 

 それで、私はその思装を全く知らず、鎧や武器の強化をしていなかった。だから幽者達が強くなっていくのに追い付けていない……という理屈か。これはメフィスとフェレスをぶん殴りたい理由がまた増えたようだ。

 ところで思装が武器になるなら、私が今持っているハルバードは何だろう? 私の思想が反映されているということなのかな。

 

「代行者は強い願いを以てなることがほとんどらしいの。そこへ他者の思いを積み重ねて、より強くより深い願いに変えていく、と考えればいいかもね」

「分かったような、分からないような……」

「私も完璧に理解しているわけじゃないし、多分理解できるものではないと思う。大事なのは、思装は整えれば自らの力になるってこと」

「そうですね。それで、その思装はどうすれば手に入るんですか?」

「……思念の浄化。それが私が知る限り唯一無二の方法ね」

 

 少し陰を落とした顔で告げた千暁さんを見て、私はようやく、先程私が思装と縁が薄いと言われた理由がわかった気がした。

 私は今まで、思念を自らに入れずに消滅させてきた。それはつまり、思装を手に入れる為に必要な、浄化できる思念を持っていないということに他ならない。

 

 しかしそうなると、私は取捨選択をしなければならない。私が思念を取り込むのを頑なに避けてきたのは、彼らの記憶がまるで私自身の記憶のように混じり合おうとするからだ。

 天秤にかけられたのは、つまり。拒んできた思念の対処を、取り入れ受け流す方向へ変えるのか。思装の入手を諦めるのか、だ。理性だけで考えるなら、当然前者を選ぶべきだと分かっている。でも。

 

「……他に、思装を入手する手は、本当に無いんですよね」

「私が知る限りは。私としては、小夜の為にも思念を拒み続けるのはやめた方がいいと思うけど」

 まるでティーカップを手にしているときのように落ち着いた口調だけれど、その表情は堅い。含まれた真意が、それだけ重大な意味を持っている、のだろうか。

 

「いい? 小夜がやっているのは、心と心を真正面からぶつける方法。砦を構えて、入られる前に迎撃するようなもの」

 人差し指を立て、私の方法を言葉にする。立て続けに、中指を伸ばして千暁さんは別の……多分千暁さんや天音さんが取っている方法を示す。

 

「普通はもう1歩退いたところで思念を処理するの。心をぶつけ合うのではなく、受け入れた後に外へ逃がしてやる方法……受け流すと言ってもいいかな」

「受け流す……」

「さっきの例えに倣うなら、砦ではなく誘導路を作って、最終的には別のところから外へ追い出す形になるかな。途中で少しずつ、相手の勢いを削いでいく」

 

 あくまでどちらも例えの話だから、技術的にどうこうという話ではないと思う。やれと言われて、はい分かりましたとできる訳じゃない。

 

 

「どうして小夜の方法は良くないのか、だけど。前に理念(イデア)の話をしたとき、魂の磨耗のことを話したのは覚えている?」

「ええ、磨耗し過ぎた魂は死んでしまう、と……」

「そう。そして少しずつだけれど、思念の処理でも魂は削れてゆく。小夜の方法は、そのダメージが大きくなりがちなの。特に今後は顕著にダメージになる筈」

 

 

 

 ほんの少し……千暁さんが何を言ったのか、分かるまでに時間がかかった。理解したくなかった、のかもしれない。

 待って。私は今までにどれだけ思念を拒み、どれだけ傷を蓄積してきたんだろう。知らぬ間に、私はどこまで踏み込んでいったのか。

 

 いや、重要なのはそこじゃない。私が傷付くことより、私が傷で動けなくなって、院長先生を助けに行く力が無くなる方が問題だ。

 正直なところ、やはり思念を受け入れることには抵抗を覚える。けれど、道半ばで苦労を水泡に帰す可能性が高いのはもっと嫌だ。

 

「……分かりました。やってみます、理念を受け流す方法」

「うん、ありがとう。素直に聞いてくれて」

 安堵の笑みを浮かべた千暁さんに、どうしてかこちらまで嬉しくなってくる。でもやっぱり千暁さん、私を小さな子供のように見てないだろうか。

 だったとしても、今までの沈み気味だった空気は和やかなものになり、私の肩の力も抜けた気がする。何より、千暁さんに可愛がられるのは……嫌ではないと言うか、満更でもないと言うか。

 

 

 

 しかし和やかな雰囲気は、目の前に現れた広場を認めてあっという間に緊張感のある空気に変わる。

 ぱっと見ただけでは、単なるハズレ……幽者も幽鬼もいない広場だ。しかし、残り香のような気配が、ただの誰もいない広場ではないことを告げている。

 

「また、誰かがこの層にいるんでしょうか」

「分からない……天音じゃない、とは思うけど」

「まさか、幽鬼の姫とか……?」

 

 言葉を交わしながら、背中合わせに辺りを警戒する。幽鬼の姫というワードを口にした瞬間、緊張感が一層張り詰める。否定しきれる材料が無かったからだ。

 しかし気配の残滓以外に何かが姿を現すことはなく、ここを無人の広場に変えた何者かの痕跡や気配も感じ取れない。

 互いに背中を預けたまま周囲を暫く警戒した後、どちらからともなく武器を下ろす。

 

 

「ここにはもう居ないみたい。メフィス、フェレス。見てるんじゃないの?」

 誰もいないはずの暗い空に向かい、声をかける千暁さん。すると小さく光が瞬いた後に、悪魔の双子がその姿を見せる。

 

「ふむ、千暁からこちらを呼ぶとはな」

「うふふ、もしかして寂しくなっちゃった?」

「馬鹿なやりとりをするつもりはないの。この広場の異常な気配、心当たりは?」

 フェレスの軽口を正面からバッサリ切り捨てて、千暁さんは本題へ入る。普通なら呼び出しておいてその対応はどうなのか、と思うところだが、相手が相手なので諌めようとする気もない。

 

 悪魔達も千暁さんの辛辣な口撃を全く意に介した様子を見せず、すぐに答え始めた。

「ワシらが以前伝えた幽鬼の姫を懸念しておるようじゃが」

「多分この層には今はいないんじゃないかな。ここに残った気配は多分……」

「ここの主とも言えるあの幽鬼じゃろう。あの幽鬼は癇癪持ちのようじゃ」

 

 じゃあ後はよろしく。または後は頑張ってね。そんな投げやりな雰囲気と共に、有無を言わさず悪魔達は姿を消してしまった。

 呆れと怒りの入り交じっているため息が聞こえた。当然千暁さんのものだ。毎度ながら余程あの双子への嫌悪感は凄まじい。何年も代行者をやっていれば、私も同じくらいの反応になりそうな気はするけれど。

 

「とりあえず、あいつらも嘘は吐いてないでしょう。そうする意味がなければね」

「じゃあ、とりあえずはこのまま進むしかない、ってことですね」

「この辺りも大分回ったし、もうそろそろ見つかってもいい頃合いだけど……」

 

 

 通路を進み広場に出ては幽鬼や幽者を倒す。今までにこの層で……いや、辺獄に来てからずっと変わらずにやってきた行動だ。そこに今は特定の幽鬼を探す目的もあるだけで。

 しかし、明確に変えようと試みていることがある。思念の対処の変化。拒絶から、受け入れ押し流す方法へ。この広場にも、幽鬼がいた。そして、今目の前で煙となって消えて行く。

 

 

 

『帰りたい……』

 

 

 聞こえてくるのは男性の記憶。部下と上司の板挟みになった、管理職の嘆き。

 

 

『何で俺ばかり……』

 

 

 以前よりも鮮明に入り込むのは、やり場の無い怒り。真っ暗な中真上で唯一灯りが照りつける、理不尽への文句。

 

 

『こんなことをするためじゃなかった』

 

 

 すべての感情が、次第に絶望へと収束していく。妻からのメッセージも素直に受け取れなくなっていた。子供の顔だって、もう何ヵ月も見れていない。

 

 机の引き出しに、突き返されてしわくちゃになった退職届が眠っていた。身勝手だと、無責任だと、罵られた声が甦る。

 

 

 

 

『もう、疲れた……』

 

 

 

 記憶の中で男性が、机に忍ばせたもう1つの封筒を取り出す。真っ白で、何も書かれていない封筒。いざというときに、2文字のそれが書かれていて決意が鈍ってしまう、というのを避けるためだ。

 

 

 封筒を手にした後は、何も考えずともスムーズに体が動いた。目の前のパソコンの電源を落とし、スーツジャケットを慣れた手つきで羽織り、部屋の電気を完全に落とす。

 

 非常灯だけが仄かに廊下を照らす中、鳴るはずの無い時間に革靴が足音を立てる。自分の足音なのに、どこか他人のもののように聞こえていた。

 階段を登り、少し重い灰色のドアを押し開ける。鍵が随分前から壊れているのは、管理職の職務の内として教えられていた。

 

 

 夜風が頬を撫で、薄曇りの夜空が出迎えてくる。屋上はダクトが入り乱れ、どこへ向かおうにも行く手を遮ってくる。

 周りのビルを見ると、何ヵ所かまだ灯りが漏れている。美しい夜景は誰かがそこで残業して生まれるのだ、とはよく言ったものだと思う。

 そこで残業している名前も知らない誰かも、俺と同じように苦しんでいるんだろうか。耐えられないのは、俺だけなのか。俺は甘ったれなのか。

 

 僅かに決意が鈍った途端、脚が眼下の光景にすくみ始める。遥か遠くに見える、足元の道路。信号機と街灯が照らす、普段見ているのと印象が異なるコンクリートの道。

 恐怖を呼び起こす光の連なりは、暫くすると蛾を誘うように俺の心を惹く光に感じられた。あそこへ行けば、楽になれる。苦しみが終わる。

 

 脚から震えが去って、後戻りをしようなどという考えもまた抜け落ちる。ビルの縁から少し下がり、脱いだ靴を重しにして白封筒を置いた。中にある文書は、言うまでもない。

 

 

 

 晴れやかな気持ちだった。躊躇も、恐怖も、全く無い。ただ足を踏み出せば、全てが終わる。体の重心を前に傾けていくと、面白いように視界が流れて行く。道路が視界を埋め尽くし初めて、いつの間にか意識は────

 

 

 

 

 

「う、ぐ……こんな、に……」

 

 

 今までと比べて段違いに鮮明な記憶が、未だ私の中で声をあげる。感情の仔細な動きまでもが、まるで自分のことのように思い出せる。

 年上の人間の記録、記憶、その全てが脳に入り込んでくるかのような。いや、まだ。これで終わりじゃない。私はこれを、押し出さねばならない。

 受け流し、押し流す。受け流すにはどうすればいいのか、聞いておくべきだった。聞いたとしても、方法として言葉にはできないかもしれないけれど。

 

 

『誘導路を作って、最終的には別のところから外へ追い出す』

 

 

 千暁さんの言葉を思い出し、イメージする。

 私と彼は別人だ。私は女で、彼は子持ちの既婚者。出身も、好きなものも、得意なことも違う、全く別の人間だ。

 私と彼の記憶が段々と別れ、彼の記憶が行き場を無くして暴れ始める。何を訴えているのかが、今までと違ってよく分かる。

 

 妻と子供と、もっと穏やかで安らかな暮らしを。恨みではない、優しさがある未練が聞こえる。

 その温かな未練だからこそ、逆に悲しい。それを叶えることは、他人から温かさを奪うことだから。

 

 ゆっくりと、私のなかに思念の居場所を作ってやる。別人の記憶として分けていられる、意識を向けていられる心のどこか。

 すると、次第に私の動悸が収まってきた。思念の声はずっと聞こえるが、前のように苦しさで動けないほどではない。

 

 

 

「お休みなさい、名も知らない人。千暁さん、これでいいんですよね?」

「うん、お疲れ様。初めてやって上手くやれるとは、ちょっと驚いたけど……」

 千暁さんは私がどうしようもない場合に備えていたようだ。どこからか取り出していたタオルや水筒を手にしている。いや、本当にどこから取り出したんだろう?

 

「それで、どう? 前と比べて負担は感じる?」

「正直慣れていないので、まだ辛いです。でも……千暁さんの言うことを聞いていれば、それはきっと正しいやり方だと思うんです」

「そ、そこまで買い被られると照れるね……うん、でも、小夜が何ともなさそうで良かった。進めそうなら、次の広場を探そうか」

 

 微かな手応えを感じた、思念の対処。これを確かなものにしていけば、きっと院長先生も助けられる。私の辺獄探索はまだ時間がかかるだろうけれど、微かな希望が見え始めてきた。



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霧中の妥当性-6

 例によって逃げ続ける竜の幽鬼を追うこと暫く。思念を慣れない方法で処理する中で、酷い疲れを感じていた。

 拒み切らずに受け入れた思念が、私の頭の中で声をあげ続けている。最早混じることは無いが、怨み辛みを耳を塞ぐことも出来ず聞き続ける羽目になっていた。

 

「小夜、少し休憩を挟もうか」

「っ、いえ、まだ……まだ大丈夫です」

「意地っ張りというか何というか……大丈夫な顔色じゃないよ、汗くらい拭こう?」

 通路を繋ぐ階段に半ば無理やり座らされて、ハンカチで額を拭われた。払い除けるのは流石に気が引けるし、正直そんな元気もなかった私は、されるがままに座り込む。

 

 

「ん、こんなものかな。どう、少しは楽になった?」

「そうですね、多少疲れは抜けたと思います……相変わらず頭の中がうるさいですけど」

「部屋に帰るまでの辛抱よ。今後は少しずつ、慣れて疲れにくくなると思う」

 これも千暁さんの経験談なのだろうか。どうであれ、そうでなければ身体が耐えきれないし困る。

 

 2、3分くらいだろうか、休憩を挟んで大分呼吸も落ち着いてきた。膝に力を入れて、服を手で払う。シワや埃は実際には着いてなかったようだけれど、ほとんど無意識にそうしていた。

 相変わらず私の頭を思念の声が我が物顔で占領しているが、呼吸が整ったお陰で冷静に意識の外へ追いやることが出来る。千暁さんが無理やりにでも休ませてくれたことは正しかったようだ。

 

 

 

 休みをとった階段から少し歩くと、今までより一際広い広場に差し掛かった。そしてここにはいないようだが、とても強い気配を向こう側から感じる。

 

「多分、あいつ(竜の幽鬼)のものですよね、この気配は」

「そうだと思う。ここを手短に突破して、あいつを追い詰めるチャンスね」

 

 千暁さんが合口を抜くのに合わせるように、私もハルバードを構える。広場にいる幽者は10近い数だ。とはいえ幽鬼の姿は見えない。千暁さんの言うとおり、さっさと突破してしまおう。

 数が数なので無策で突っ込んでどうにかなる戦況ではない。千暁さんは遠距離から狙い撃ちしてくるバラの幽者をターゲットに走り出し、私は突破する千暁さんの援護に回る。

 

 無論千暁さん単独でも、難なく幽者の群れを突っ切ってバラの幽者に斬りかかることは出来るのだろう。だから私の役割は、援護と共に戦線を形成することだ。

 今までの戦いの中で、幽者がそこまで複雑な思考のもと戦うことは出来ないと分かっている。強力な幽鬼なら話は別だが、基本的にはただ自らの有利な距離へ移動して攻撃を行うだけだ。

 

 千暁さんが踏み越えていった竜の幽者へ斬りかかり、注意をこちらに向ける。案の定周りの幽者諸とも視線が私へ集中して、それぞれ好き勝手ににじり寄ってくる。これでいい。

「潰れろ!」

 編み上げた魔力を竜の翼(ウイングプレス)として出力し、目の前に集り始めた幽者数体を押し潰す。

 

 

 魔法(スペル)攻撃を用いても、幽者を単発で倒すことは不可能だ。立て続けにハルバードの刃を振るい、確実にダメージを積み重ねる。

 焦らない。斧刃と鉤刃、穂先を細かく鋭く振るい、確実に体力を奪っていく。焦らない。要所で渾身の攻撃を行い、無駄な体力の消耗は避ける。焦らない。テンポ良く、自らのリズムを崩さない、崩させない。

 

 

 どれくらいの時間が経っていたのか分からないが、幽者の視線が次第に私ではない方向へ向かう個体が出始めた。それに気付いて、私達の目論見が上手くいったことを知る。

 私は真正面から、千暁さんは竜の幽者を仕留めた後に反対側から、幽者達をそれぞれ攻撃していたのだ。次第に私と千暁さんとどちらを標的にすべきか迷い、幽者の隙が多くなってくる。

 

「小夜、魔法(スペル)を!」

「はい! 燃えろ!!」

 揃って後ろへ距離をとって、魔力を練り上げる。竜の息吹(ドラゴンブレス)が灼熱の衝撃波となって襲いかかり、息つく間もなく魔力で出来た刃が切り刻む。

 追撃の手を緩めず、立て続けに魔力を操り脚と穂先へ集中させる。空高く跳び上がり、幽者達の中心に狙いを定める。千暁さんが魔力で延伸した刃を横一閃に振り抜いた直後、ハルバードの穂先が中央にいたゴリラ型の幽者に突き刺さった。

 

 

「……終わり、ましたね」

「そうみたい。お疲れ様」

 エアリアルストライクを最後に、広場からは幽者が全ていなくなっていた。辺りに幽者が隠れている様子もなく、それを確認して各々武器を納める。

 広場の先からは相変わらず猛烈な気配が主張していて、決して私達は緊張を解ける状況にはなかった。だが、意を決し気配のもとへ向かおうとした私達の行く手を塞ぐかのように、淡く光る本が落ちているのに気付く。

 

 

「これは……またあの幽鬼のものでしょうか」

「状況的にはそうだろうね。触れずに通るのは無理そう」

 記憶溜まりは、通路の入り口に横たわっていた。早く触れろと言わんばかりに、頁が開かれた状態だ。

 私達は目配せを交わして、千暁さんが辺りを警戒するのを背に、そっと本に指を触れる。

 

 

 

 

 

『あれ、明るい?』

 

 

 陽射しも灯りも静まり返った、トイレから続く廊下。壁に手を触れてそっと部屋へ戻る途中に、光が中から漏れている扉があった。

 記憶が正しければ、ここは2歳くらい年下の女の子の部屋だ。この施設は住んでいる生徒の内中学生以上には小さいながら個室が貰える。この部屋で寝ているはずの彼女は個室を貰えたことではしゃいでいたのを今でも覚えている。

 

 消灯時間はとっくに過ぎている。起床時間の方が近いくらいだ。消し忘れならそっと消して、明日こっそり教えてあげよう。起きているなら、年上として注意の声くらいはかけるべきだろう。

 足音を忍ばせながら、光の漏れている扉をゆっくりと押す。暗がりに慣れた視界が眩しさを感じて、思わず目を細める。

 

『あれ?』

 

 居ない。半分ほどめくれた掛け布団が部屋の主はここには居ないと主張している。俺と同じようにトイレかな。いや、男子トイレの隣にある女子トイレは真っ暗だった。

 部屋の窓は閉まっている。少なくとも窓から出ていったわけではなさそうだ。そもそもここは3階だから、窓から出るのは「そういう」意味になってしまうから、その形跡がないことは良いことだ。

 

 

 部屋の中を見渡しても、彼女の姿は見えない。机は整頓され椅子も行儀良く収まっているし、クローゼットは人が入れるほど大きくはない。

 部屋に居ないことを確信すると、途端に不安になる。どこに行ってしまったんだろう。ふと、部屋のカーペットに染みが出来ているのが目に入った。

 

 

『……ごめん、入るね』

 

 明らかに作られたばかりの染みだと、遠目でも分かる。女子の部屋に入る罪悪感と緊張感を連れて、染みのある所までゆっくりと歩く。

 触れると、やはりまだ湿っている。手触りも匂いも、よく分からないものだ。少なくとも、オシッコを漏らしたとか鼻血が出たとか、そういうのじゃないみたい。

 

 後ろを振り向くと、しゃがんだから見えたのだろう。点々と染みが続いている。染みを気付かず踏んでいたのか、足形になっているものもあるようだ。

 自分が探偵になったかのようなワクワクと、何とも言い難い不安が募る。好奇心を抑えきれず、その染みを辿っていくことに決めた。

 

 

 

『もう……し……さい……お……いしま……』

『お前……権は……と……っている……が……のか……かにし……』

 

 廊下の染みを辿って暫く、微かに声が聞こえてきた。物音と共に聞こえてくるそれは、どうやらあそこの部屋から漏れているようだ。

 そっと部屋の扉に忍び寄り、耳を当ててみる。がたがたと机か何かが揺れるような音と、くぐもった人の声、微かな水をいじるような音とお尻を叩いているような乾いた音もする。

 

 俺だってもう、思春期だし興味がない訳じゃない。扉の向こうで何をしているのか、何となく察しがついてしまった。察した途端に、顔が熱くなってきた。扉に当てている掌も、じわりと汗で湿り始めたのが分かる。

 状況から考えると、中にいる片方はあの子しか浮かばない。実際にはそうじゃないかもしれないと自分に言い聞かせても……彼女には悪いけど、どうしても想像してしまう。

 

 

 

 

『……あれ?』

 

 

 

 

 もうひとつ、俺は気付いてしまった。今まで顔が熱を持っていたのが嘘のように、血の気が引くのを感じる。もし、部屋の中にいる片方が本当に彼女だとしよう。

 でも。じゃあもう片方は誰なのか。背筋が凍る。だって、この部屋が誰の部屋なのか、俺は当然知っている。だって、この部屋は。この部屋は────

 

 

 

 

「……これ、は……」

「大丈夫? 顔が真っ青よ」

 そうだろうと思う。とんでもないものを見せられた。肝心なところで記憶は途切れたが、それでも推測できる結末は多くない。

 彼がそのあとどうしたのか、どうなったのかは定かじゃない。けれど、最終的にどうなったのか(殺害されたの)は既に見ている。

 

 吐き気がする。最初に見た彼の記憶溜まりでは、彼は閉じ込めた犯人に心当たりがなかったようだけれど。今見た記憶を考えるならば、彼はこの後、部屋の中にいた人間に気付かれたのは容易に想像がつく。

 具体的に名前や顔が分かるわけではないけれど。彼が気づいた部屋は、彼が居た施設の重要人物が使う部屋だったようだ。児童養護施設の重要人物。つまり。

 

 

「まさか、彼を殺したのは……」

「心当たりがあるの?」

「名前を知ったわけではないんですけど……彼の居た施設の管理者。私にとっての院長先生みたいな立場の人だと思います」

 

 以前戦ったヴィルヘルムと同じ、施設の人間に裏切られた子供だったのだろう。

 彼には申し訳ないが、少しだけほっとした。彼の記憶にあった「院長先生」は、やはり私の記憶と中途半端に入り交じった結果による誤認だったようだ。

 彼のことを私は知らないし、院長先生はそんな不埒なことをしなかった。けれど、施設の……逃げ場のない子供にそんな仕打ちをした院長がいるという事実は、同じく施設の出身である私に沸々と怒りを沸かせる。

 

 

「行こうか、小夜。もう事件は起きてしまって、犯人も分からない。私達は彼を眠らせてあげることしかできないから」

「はい……」

 幽鬼の魂集めは、どんな形であれ他者の魂を喰らう行為だ。生きている罪の無い人を巻き込み、死者の魂の循環すら乱す。

 彼は被害者として殺されたのだろう。しかし、だからと言って無関係な人の魂を喰らうことは許されない。今私にできるのは、彼にこれ以上罪を背負わせることなく安らかに眠らせてやることだけだ。

 

 短い通路を進み、渦巻く光の柱を見つけた私達。視線と頷きだけを交わして、渦の中へ進んで行く。

 視界から眩さが去り、大きな広場へ通じる道だけが伸びる辺獄のエリアへ辿り着いていた。相変わらず不気味なほどに静まり返った薄暗い山の中で、複雑な思いを胸に広場へと歩いて行く。

 

 

「もう逃げるつもりもなさそうですね」

 

 短い階段を登った先の広場は、かなりの広さだった。その中央で、こちらを待ち受けるかのように、竜の幽鬼が静かに羽ばたいている。

 

『何であんなことに……』

 

 不意に呟かれた言葉は、目の前の幽鬼のものだろうか。

 

『どうして俺が……』

 

 怒りや不安がこもったというよりも、くたびれたような声。最期の記憶だったあの小屋の中で、ガスか何かで朦朧としつつも悟った己の死。

 

『俺が何をした……』

 

 逃れることが出来ない最期の数分。足掻き生き残ることも、それを諦めることもできず、無駄な抵抗を続けた疲労。その疲れが癒えたのは、きっと。

 

 

『お前も……お前も、理不尽に死ね!!』

 

 

 彼の中で膨れ上がった、理不尽への怨嗟。声を荒げた直後、よく見慣れた小さな体躯の竜は、原形すら残さぬほどに変わり果てる。

 

 小指側が歪に歪んだ握り拳と、妙な方向に捻れた脚で地を掴む。あちこちにぶつかったかのように身体中を生傷が走る。背中から生えた翼は、2度と羽ばたけないように半ばほどでへし折られたように折れ曲がっている。

 4つ脚の翼を持った巨大な竜の幽鬼は、まるで満身創痍の様相で、しかし苛烈な怒りを纏い私達に立ち塞がった────



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