Dies irae Alter ipse amicus. (青嵐未来)
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PROLOGUE
この平和な日常を、守りたいと思った。
この日常が、何か微細な切っ掛けで揺らいでしまう陽炎のようなものだとしても。
たとえ、そのとき私が皆にとっての異物になってしまうとしても。
何も知らずに、何も気にせずに笑い合えるあの場所を、自分を偽らずにいられるあの平穏を、そして何よりもあの優しい人たちを、美しいと、何にも代えることの出来ないこの世で最も尊いものだと思ったんだ。
この陽だまりはいつか必ず消えてしまうものだとわかってはいる。
仮に、一億分の一の確率をつかみ取って、何も起きなかったとしても、先輩たちが卒業してしまえば霞のように消えてしまうだろう。
けれど、いつか必ず無くなるから、いつ失ってもいい訳じゃない。
あいつらが、いつか、近いうちにこの諏訪原の街に現れる。
そのときには、私は、皆と、何よりも温かいこの場所を護るために戦う。
何があっても、この陽だまりだけは守り切る。
──けれど、今は、今だけは──と。
私はあいつらと本質的には同じなのに。
甘い誘いばかりが胸に漂う。
センパイのせいだ。
センパイが、俺は一人がいいんだなんて嘯きながら私なんかに優しくしてくるから。
全部、センパイのせいだもん。
だから、今だけは。
この温かい日常が、何時までも続いて欲しいと。
願うだけなら、許されるかな……?
◆◆◆
時間が止まればいいと思った。
矢鱈と口うるさい幼馴染みと、口の悪い悪友。
俺なんかにくっついて何が楽しいか分かんないけど、よく懐いてくる後輩に、そんな馬鹿みたいな俺たちを後ろから見守る電波な先輩。
このかけがえのない時間が何時までも続けばいいと。
別に、俺だけがこんなことを思っているんじゃあないだろう。
大学受験への不安とか。
毎日の平平凡凡さとか。
将来への微かな期待とか。
子供とも大人とも断言できない自分たちの微妙な立ち位置とか。
そういうこの時期特有の、一種のアンバランスさがそうさせる。
何時までも続くなんて都合のいいことは思ってない。
だから俺は、その分、知っている道、歩んだことのある道、選んだことのある選択肢を選んできた。既知のイベントだけを。
その永遠には続かない時間を限りなく長く味わえるように。その一瞬を一分一秒でも多く引き延ばせるように。
だというのに、あいつは──。
司狼は。
「じゃあお前、自分の人生を小説だと考えてみろ」
急に屋上に呼び出して追いて、何言ってんだよお前は。
「うるせえ、黙って聞いてろ? ……まあ、ゲームだろうがマンガだろうが、何でもいいがよ。とにかく一人称語りで進む長編だ。自分をその主人公だと考えてみろ」
一人の人間の、誕生から死亡までを綴る巨編。読めばその人間の人生を知ることが出来る物語。
自分の人生をそう仮定しろと、コイツは言う。
「そこで質問。お前が今歩んでる物語は面白いのか? 物語として売れそうな棘なり花なりを持っているか?」
お前は、急に何言って……。
「語彙が貧弱だとか、表現が下手くそだとか、そういうことを言ってるんじゃないぜ、オレは。お前はその中でキャラが立ってるのか? 何か特別なものがあるか? はたまた同じようなジャンルを囲った中でも、何か抜きん出ているものがあるのか?」
司狼は俺の返答も待たずに続ける。
いや、ハナから返答なんて期待していないのかもしれない。
「他の誰かがやるような人生なら、別に俺らがやる意味はねーだろ? 連れと駄弁って馬鹿やって。女作ってよ。そんなありふれて珍しくもない、こんなの日本中で俺らの同世代が同時に経験している」
司狼がなんの脈絡もなくこんな話をするときは、決まって俺や香純をからかうときだ。
「薬になれなきゃ毒になれ、なんて言葉もあるけどよ。
誰でも出来る人生やってても、つまらねーだろ? けど俺はなぁ、薬も毒も飽きてるっつーか。なんつーかなぁ、デジャヴるんだよ」
はあ?
「だから、デジャヴるんだよ。この人生、前にも体験したんじゃねーかなーって」
だからどうしたんだよ。
「まあ聴けよ。お前、無駄にせっかちなとこあるよな? ──好きだろ、それ」
それって?
「何もかもが既知の範疇。率先して楽しまない代わりに、知らない不幸は近づけない。一から十まで知ってることを飽きもせずに繰り返す。そんな頭涌いてるようなやつ、お前以外に知らんし」
……。
「だから、ちょいと手伝ってくれよ」
何を?
「フラグ立てと、フラグ折りさ」
それはどういう……。
「言っても分かんねぇだろうなぁ。……そもそも、オレの話に出てくるお前は、なんかズレてるトリックスターみたいなもんなんだよ」
それは、俺も同感だった。
何か、別の物語の登場人物というか。
コイツは、分からない。
本当なら俺の話に出てくるはずもないような存在なのに、気付いたらその中核に位置している。
喩えるならそう、誤植のような……。
「そんなお前をここでどかせば、何かしら変わるかもしれない。それにオレらはガキの頃にいろんなものから弾かれてる。本当ならこんなとこで気楽に学園ドラマやってられるような身分じゃねぇんだ」
ああ。
「だからこそ、今まで普通をやってきた。なのにデジャヴが止まらない。泣きそうだよ、笑えねぇ。だから抜けるぜ、オレは。根性なくて悪いけどな。……人生は短い。選択肢の総当たりをやらせてくれ」
それは、いつも通りの不敵な笑み。
「この一本道、何処かに別ルートがあるはずだ……。オレはそれを見つけたい。それがたとえオレが望むようなものじゃないとしても」
いつもの、軽い、こっちを挑発するような表情。
「だったら、ここでお前と切れるのも、面白いとオモウだろ?」
ああ、確信した。
何を言っているのか分からない──。
ただ、俺とコイツの生き方はもう決定的にズレたのだと、その確信だけがあった。
「死んだら化けてでてくれよ? オレ、まだユーレイ見たことねーし」
そして。
普通、素手の喧嘩は限界がある。
生身の体を使う以上、それがイカレたら、続けることは出来ないからだ。
俺たちの躰は限界を迎えたから、今回はここで痛み分け。勝負はつかなかったけど。
俺たちに限って、そんな殊勝な結末はあり得ないと思っていた。
俺たちがやっていたのは殺し合いじゃなく、互いの身体機能を一つ一つそいでゆく、言うなれば潰し合い。
血ィ吐いて屋上に転がって。
折れた手の骨は肉を突き破っていたし、幾つか内臓をかすっていた骨もあったろう。
肩は脱臼し、アキレス腱はブチ切れ、筋肉は痙攣して。
そんな状態でもあのバカは。
「ハハッ、楽しィなぁ、蓮」
巫山戯んな、楽しいわけねぇだろ、この馬鹿が。
ただ、この勝負は正真正銘どちらも動けなくなるまで続行したと記憶している。
ボロ雑巾みたいに成り果てて、放置されてたらどっちもそのまま死んでたんじゃねぇかと思って。
「──!? センパイ!? どうしたんですか! 大丈夫ですか!? え、えと──どういう状況なのぅ?」
「落ち着いて、まずキミは救急車を呼んで。私はその間にこの馬鹿な二人から事情を聴いておくから」
と、見慣れた二人がやってきて、そのクソみたいな結末は回避されたのだった。
共通√は本編と殆ど被ってしまいますが、気にしないでください。
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第一話
「それじゃあ、お世話になりました」
そういって、この二ヶ月間ずっと滞在していた病室を見渡した。すると、何人かの患者さんが、気を付けて帰りなよだの、随分怪我治るのが早いねぇだの、香純ちゃんを待たなくてもいいのかい? だの、それぞれ思い思いの言葉を返してくる。
「今日平日ですよ、あいつだって学校行ってるに決まってるじゃないですか」
「そうかなぁ? おじさん、あの子なら学校休んで蓮くんを迎えに来ると思うけども」
「ははは、いくら香純でもそんなことしないと思いますよ。だって、退院するだけですよ?」
「そう? まあ、包帯ぐるぐる巻きだったのにたったの二ヶ月で退院できて良かったじゃない。毎日のようにお見舞いに来てくれた香純ちゃんとか暮阿ちゃんとかのおかげかな?」
「まさか、うるさいだけですよ、あいつは。……まあ、暮阿のほうは節度を守ってたんでそうでもなかったですけど」
「ふふ、いいなぁ! 若い若い! 実際、あの子たちに一番元気づけられたのは僕たちのほうだろうけどね。明るくっていいねぇ。院内の何処か陰気さまで吹き飛ばしちゃうみたい」
「そうですかね。それならあの二人の進路に、看護師って入れておくよう言っときますよ」
「うん、とにかく、退院おめでとう。……そういえば、キミと一緒に入院した……遊佐くん、だっけ? 急に病院から抜け出すなんて、どうしたんだろうね?」
「さあ? ……俺にはさっぱりですよ。きっとどっかでまた馬鹿やってんじゃあないですかね」
「ははは、彼ならそれもありそうだねぇ」
司狼。あの馬鹿野郎──。
◆◆◆
と、まあそんなこんなで、学校が終わって香純が来る前に病院を抜け出した訳なんだけど。
「……なあ、なんでお前らここにいんの?」
「なんでって、蓮、あんた本気で言ってるんじゃないでしょうね?」
一言で言えば、なぜか香純と暮阿に出くわした。
「本気でも何も今日平日だぞ。学校はどうした学校は」
「あんったねぇ~っ、勝手に病院抜け出しといてどの口が言うのよっ!」
あのなぁ……。
「勝手に抜け出すもないだろ、人聞きの悪い。俺はちゃんと手続きに従って退院しただけだ」
「アタシが迎えに行くって言ってたでしょ! なんだかんだ言ってちゃんと人の話聞いてるクセに、なんでこういう所素直じゃないかなぁ」
お前は人の話もよく聞かないけどな。
「──あのっ、香純先輩も蓮センパイもっ、こんなところで言い争わないでくださいよぅ」
ま、確かに。
こんな往来で何時までも駄弁ってる訳にもいかないし。
帰るか。
「あ、そうだ。待って、蓮」
そう言うと香純は、自分の服のポケットから何かチケットのようなものを3枚取り出す。
「──なんだよ、それ?」
「ジャッジャジャーン。世界の刀剣博物かーん」
「イェーイ!」
イェーイ! じゃねぇよ。
「なぁ、香純、暮阿」
「どうしたんですか、センパイ?」
「ん、なに?」
「それ、さ……」
「──あぁ、はい。玲愛先輩に貰ったんですよ。偶々余ったからって」
「でも玲愛さんもちょっと意地悪だったわよねー。暮阿ちゃんの分はあげないよ、なんて」
「玲愛先輩とはあんまり馬が合わないんですよぅ」
確かに、それはそうだけど。
暮阿と先輩の仲が微妙に良くないのは知ってるけどさ?
「いや、そうじゃなくて……。お前ら、俺が刃物嫌いなの知ってるよな?」
「いいじゃない、行こうよっ。だってさ、世界のだよ!? 村正ーとか、エクスカリバーとかあるかもしれないじゃない」
「そうですよぅ! 折角先輩が3枚もくれたんですよ!? 使わなきゃ損です!」
あーもう、分かったからあんまりひっついてくるな、その犬の尻尾みたいなポニテを振り回すな。
周りの男の目が痛ぇんだよ。
お前ら見た目だけだったらかなり可愛い方なんだから。
「っていうか、そもそも、なんであんたは刃物がそんなに嫌いなわけ?」
「なんでっつうか、生理的に無理なんだよ。お前だってムカデとか蜘蛛とか芋虫とか、無理だろ? それと同じ」
「え? かわいいじゃん。なんで?」
「いやぁ、可愛くは、ないと……思いますよ……?」
ハハハと苦笑する暮阿。
コイツのこういう所にいちいち驚いてたらきりがないんだけどな。
「……はぁ。ま、別にいいけど……。ここまで来て使わないってのも先輩に申し訳ないし」
と、まあ記念すべき退院一日目に、どうやら俺は苦手な刃物を見せに行かされるようだった。
◆◆◆
三人でやってきた刀剣博物館とやらは、平日の昼間らしくかなり閑散としていた。
「わわっ、見てください先輩っ。本物の虎徹ですよ!?」
「こっちには世界で一番最初に作られたハサミなんてのもあるよ!」
にしても、女がこういうの見て楽しいもんなのかね。
まあ剣道部の主将なんてやってるあいつは別として、暮阿なんてものっそい楽しんでる感じだけど。
「…………」
ま、何時までもぶーたれてても仕方ない。あんまなさそうだけど、刃物じゃない展示品でも探して……。
「……も、…………」
「──ッ。……なあ、香純、暮阿。……なんか聞こえないか?」
「どーしたのー! アタシにはなんにも聞こえないわよー!」
「私にも、聞こえないですよー!」
じゃあ、今のはなんだったんだ?
幻聴……か?
「……と、…………」
──やっぱり幻聴なんかじゃない。
こっちだ。
微かに聞こえた声に導かれるように館内を走って進んでいく。
自分の躰が、自分のものではないような感覚。
いや、確かに躰を動かしているのは俺だが、まるで別人が俺にそうすることを強制しているような、そんな感覚。
俺が彼女と出会うのは既に決定しているような……。
「ちょっ、れーん! 待ちなさいよーーっ」
「待ってくださいよーっ」
そんな感覚だけが俺の躰を支配すること数十秒、気付けば俺は、180cmほどはある大きな展示物の前にいた。
これは……。
「ギロチン……か?」
人の頸を刈り取る処刑具。
「蓮、あんた急に走り出さないでよ。何処に行くのかと思ったじゃない」
罪人への慈悲を求めて設計された無慈悲な断頭台。
「…………悪い」
「…………先輩、これって……」
「ギロチン……だな。ボワ・ド・ジュスティス、正義の柱。フランスの恐怖政治を敷いたマクシミリアン・ロベスピエール、あのルイ16世の処刑にも使われたって書いてある」
幾多もの罪人の頸を切り落とし、その血を吸い込んだ残酷で無垢な処刑の刃。最後にはその所有者にも牙をむいた冷酷な道具。
「…………もしかして」
と、暮阿が何か呟くが、それを気にする余裕はなかった。
「…………」
誕生から終焉まで頸をはね続けることだけが存在理由だったモノ。
一体、これは──
どれほどの
魂を──
「ねぇ、蓮……? 大丈夫? こんなところにずっといたら気分悪くなっちゃうよ。帰ろう? 暮阿ちゃんも、ね?」
「──あぁ、そう……だな」
「…………」
「……暮阿?」
「っごめんなさい。そう、ですね。早く、かえりましょう」
そうだ何時までもこんなことを考えてどうする。
そう思い頭をふって──
視界が、揺れた。
ザザザッと自分の五感にノイズが走る。
目の前にいるのは蒼白い少女。
頸には紅い断痕。
惹きつけられる美貌。
物質的にそこに存在している訳ではないのに、感じる、息の詰まるような圧迫感。
非現実。非日常。なのに。
知っている。俺は、これを、この感覚を──。
そして、彼女は。
「あなたも、おなじ」
──と。ただ、一言。
「かれと、おなじ」
違う、俺は、あいつとは──。
やあ、彼女はどうかね? ツァラトゥストラ。
俺と彼女は、こうして奴に出会わされた。
思えば、これが、全ての始まり。
>後輩ちゃん
名前:藤堂暮阿
蓮たちの一個下の後輩。
長い黒髪を後ろで結んでポニーテールにしている。
明るく快活で元気がいい。
香純とは特に気が合うが、玲愛先輩とはあまりそりがあわない。
メタ的にはベアトリスとも話が合いそう。
司郎にはからかわれやすい。
好きな人には尻尾をぶんぶん振る子犬タイプ。
ギロチンについて何か感じたようだが……?
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第二話 黄昏の浜辺
その後は特に何もなく、アパートまで帰ってきた。
香純でさえ、何も言葉を発せないようだったし、暮阿は何かを考え込んでいるようで、当然俺もあのギロチンについて思索を巡らせていたから、そこに会話はなかった。
あのギロチン。
そして、そこから現れた頸に傷のある蒼白い美しい少女。
答えは出ない。
答えはない。
知らない。
ただ、何か奇妙な縁のようなモノは感じていた。
まるで、かつてあそこで同じように、同じモノを見たことがあるような。
自分は何回繰り返しても、あのギロチンからは逃れられないような。
そんな感覚。
ともかく。
帰ってきたとは言っても、どうせ香純は隣の部屋だし、暮阿は真上の部屋なわけで。ついでに言えば、少なくとも香純のほうは俺の部屋や司狼の部屋まで含めて自分“たち”の部屋だと思っている節がある。
要約。
只今、この部屋の男女比1:2。
「ねぇ、蓮……? 大丈夫……?」
「俺は大丈夫だよ。これぐらいで体調崩すほど軟弱じゃあないぞ?」
「……うん、そうだけどね。……暮阿ちゃんも、大丈夫?」
「──……」
「……暮阿?」
「──あっ、はい! なんでしょう!?」
「いや、だから、大丈夫か? 気分悪いんならいろいろやってやるけど」
「だっ、だだだ大丈夫ですっ!」
おーけー。
大丈夫ならいいんだ。
「つーことだし、今日は取り敢えずお前らも自分の部屋に帰れ。俺はとっとと寝たい」
そう言うと、香純は露骨に心配そうな顔をするが、問答無用で部屋に帰す。暮阿は、聞き分けが良いから自分から帰ってくれるしな。
……あれ、まだいた。
「どうした? 帰んねぇのか?」
「ねぇ、センパイ……」
「なんだ?」
「もし、もしですよ? わた、し、が……」
そういって俯く暮阿。
「わた、しがっ、────…………ぇへへ、やっぱり何でも無いですっ」
「……なんでも、いいけど、さ…………なんか気になってることとか、悩んでることとか、そういうのがあるならいくらでも、言ってくれて良いからな? 香純もそうだし、俺も。玲愛先輩だって聴いてくれる。……あんまり、抱え込むなよ?」
「────ありがとう、ございますっ」
そう言うと暮阿はちゃんとドアから自分の部屋に帰っていった。
今日一日は疲れたし、俺も、もう寝よう。
おやすみなさい。
◆◆◆
「あれは、やっぱり」
暗闇のなか、少女は己の認識を確認する。
「聖遺物。しかも、あの場所は……」
魂、が。
「……なら、アレが見えてたセンパイは、なに?」
私は……どう、すればいいの?
「センパイは、あいつらとは違う。あいつらの仲間でもない」
だけど。
分からないことばかり。
聖遺物、数多の魂と怨念を吸収した特級の魔術品。
聖遺物を利用して、魂を燃料にして発動する総合魔術、
でも、センパイがこんなことに関わってるはずがない。
あのとき驚いていたし、何よりもしもそうだったとしたら私でも流石に気付いている。
それくらいは距離が近かったと自負してる。
じゃあ、なんだったんだろう。
わからない。
わからない。
答えは出ない。
でも、──。
「──はいはーい、久しぶりねぇ」
────っ!?
「へぇ、暮阿ってば、あなた、こんな所で生活してるんだぁ。ワタシ、もっといいところに住める程度には助けてあげてると思うんだけどなぁ」
振り向けば、視線の先にいるのは、赤髪の魔女。
一見可憐にみえる年端もいかぬ少女の外見でss軍服を羽織るその奇妙は、市民にどう写ったのだろう。
魔女らしく魔術でなんとでもしたのだろうが。
一体いつの間に部屋に入ってきたのか、なんて問いはこの魔女に対しては意味を成さない。
彼女は、
「な……んで」
「ベイと一緒に来る予定だったんだけどねえ。貴女がどんな状態か気になったから、見に来たのよ。」
「……私に、攻撃されるとか、考えなかったの」
「あら、貴女、ワタシにひとりで挑みかかってこれるような勇気があったかしら?」
「……うるさい」
「だって、今までだって、ぜーんぜん仕掛けてこなかったじゃない。ちっちゃかった頃はもうちょっと素直で可愛かったのにねぇ」
「そんなくだらないことを言うためにわざわざ来たの」
「だ・か・らぁ」
人を馬鹿にするような甘ったるい猫なで声で魔女は言う。
「貴女の様子を見に来ただけって言ったでしょう? それとも、他に何か理由がいるかしら?」
「だから──っ」
「んもぅ、うるさいわねぇ」
魔女は私に指先を向ける。
「寝ちゃいなさい。おやすみぃ」
歴戦の魔女を相手に私は抵抗も出来ず、意識は闇に包まれていった。
◆◆◆
波の音が聞こえる。
ザザァ、ザザァと海水が波打ち際にやってくる音。
どことなく重い瞼を上げれば、俺は黄昏刻の波打ち際にいた。
果ての果てまで広がる水平線は、その先にある太陽によって、橙赤色に色づけられ、何処か幻想的な雰囲気を醸し出していた。
そして──。
ギロチンの前で出会った少女。
白磁の肌に、対照的な美しい金色の長い髪。
エメラルド色をした両眼は吸い込まれるような美しさで、身に巻き付けているそのぼろ布も彼女の美にはなんの影響ももたらさない。
その程度で彼女は地に落ちない。
彼女を眺めていると、何かを口ずさんでいることに気が付いた。
「……………………」
可憐な、けれどひ弱という印象は持ち得ない少女の唇から紡がれる調べはまるで小鳥のさえずりのよう。
「……………………」
フランス語らしき言葉は、俺には何と言っているのかはわからない。
「……………………」
けれど、どういう理屈か、彼女の紡ぐフランス語はやがて俺の知る言語に置き換わっていく。
「…………………い」
けれど、これは──。
「血、血、血が欲しい」
──────ッ。
「ギロチンに注ごう、飲み物を」
奏でられるは血のリフレイン。
「ギロチンの渇きを癒すため」
血の断頭台に捧げられる聖句。
「欲しいのは血、血、血」
「キミ、は──」
と、言おうとしたところで。
ガタンっと何かが嵌まる音とともに、頸が何かに覆われる感覚。これは、木か?
そして。
こちらを血走った目で見上げ、何かを叫び続ける群衆。どことなく現れる過去の亡霊。
彼らは。
「「血、血、血」」
「「血が欲しい」」
俺を──
「「ギロチンに注ごう、飲み物を」」
「「ギロチンの渇きを癒すため」」
ギロチンを──見ているんじゃあないか?
「「欲しいのは」」
「「「「血」」」」
そうして、直感する。
俺は今──ギロチンにかけられているんだ。
それも、博物館のあのギロチンに。
どういう理屈が伴っているかなんて、わかるわけもなかった。
「ま、待て──これは、どういう──!」
相手は、処刑に酔った亡霊。
そんな言葉が聞き届けられるわけもなく。
ひとりでに切り落とされる縄。
支えを失う断頭の刃。
重力に従い落下する無慈悲な慈悲の刃は。
そこに嵌まっていた俺の、頸を。
一刀のもとに切り落とした。
「ッ──ガアァアッ──」
何が、どうなっているんだ。
わからない。
わからない。
何もかも。
そうか、これは──夢か。
なら今までの不可思議も得心出来る。
そう、これは夢なんだ。
睡眠中の脳が記憶の整理とともに見せるある種の幻覚。なら、別に。
「──いいや、夢ではない」
なん、だ。
「これより、オペラの開幕と行こう」
この全身の毛が逆立つような感情は。
「──主役は、君だよ」
待て。
「ツァラトゥストラ──」
待て。
「では、オペラの終焉で」
待て。
「また、会おう」
待、て。
声の主が遠ざかるのとほぼ同時に、俺の意識は再び眠りに落ちていった。
◆◆◆
「シュピーネがこの街に何度も訪れていた理由も気になるし、何か使えるものがあるかも♪ 私は、手段は選ばない、わよ?」
魔女の独り言が、宙を舞った。
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第三話 クローン
聖槍十三騎士団黒円卓。
戦争の遺児たち。
かつてのナチスドイツ高官たちが創設した当時、黒円卓は彼らの、秘密クラブとでもいうような、与太話を主に扱う部署であった。
しかし、彼らは気付かなかったのである。自身の内側に人のガワを被った獣──破壊の申し子がいることに。
さらに魔術師サンジェルメン──カール・クラフトは彼に魂を以て駆動する総合魔術、
カール・クラフトは自身の目的のために、そして友人の目的のために黒円卓を魔人の巣窟へと作り替えた。
人の形でありながら、人を超えた──魔人の力を揮う黒円卓の団員を、人々は恐れ戦いた。軍人でさえ。
それも致し方ないことだろう。
彼らの力の源は
彼らが保有した魂は、最も少ない団員で千人規模。
それは、言い換えるならば最低でも千人を同時に殺傷できる武器でなければ、彼らに小さな傷でさえ与えることが出来ないと言うこと。
恐らく、最上位の団員となれば核爆弾の直撃でも倒せないのではなかろうか。
そんな聖槍十三騎士団黒円卓の団員たちだが、彼らは全員、カール・クラフト若しくは破壊の君ラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒに出会うまで、ラインハルトを含め、魔の道にはいなかった。
つまり彼らの運命はカール・クラフトによってねじ曲げられたと言っても過言ではないわけだが……。
その中にもただ一人だけ、例外は存在する。
といっても彼女の人生もまたカール・クラフトにねじ曲げられたわけだが、そちらではなく。
聖槍十三騎士団黒円卓第八位。
ルサルカ・シュヴェーゲリン=マレウス・マレフィカルム。
彼女だけは、黒円卓創設以前から魔術を知る真性の魔女であった。
そんな彼女は、現在諏訪原の街を歩いていた。
常の軍服は脱ぎ捨て、見た目相応の可愛らしい装いを身に纏っていた。
髪色と同じ臙脂色のドレスを着た彼女は誰から見ても美しく、女性であっても視線を奪われるだろう。
「さぁ~って、シュピーネの仕込みはどこかしらねぇ」
今日一日で諏訪原の殆どを回り終えた彼女は、けれど歩き疲れたような様子もなくそういった意味では不気味であった。
街で彼女とすれ違った人は知り得ないことだが……。
そして、通行人の目を惹く存在が、彼女の後ろにもう一人。
「………………」
そこには、生気を失ったような様子の
暮阿は明るい色の私服を着ているが、そこに常のような明るさ、陽のイメージはまるでなかった。
「んー、あとは向こうの方だけかぁ。シュピーネが本当に何もしていないって展開もなくはないのよねぇ」
そんなことはないと思うけど、とルサルカは独りごちる。
「シュピーネって、臆病だったし」
「………………」
「──この子の仕込みもちゃんと生きてるし、それが確認できただけでも良しとするかしらね」
と、歩いていると。
「────あら?」
廃工場らしき建造物の前で足が止まる。
建物外周の柱には何か文字が彫ってあるように見える。
「諏訪原遺伝子工学研究センター……ね」
どうやら研究所のようだが、管理人がいなくなったのだろうか?
「……ふぅん、これはアタリかしら」
一見何もない捨てられた研究所のように見えるが、彼女の使徒としての鋭敏な感覚は周囲に満ちる魂のなり損ない──奇妙な言い方だが未完成なそれ──を感じ取っていた。
昆虫を引き寄せる樹液のように人目を集めてしまうほどの美貌を持つ二人であるが、ここには人の気配がない。人の視線を気にしなくてよいというわけでは、彼女らが何かをするには都合が良いのではなかろうか。
まあ、彼女が彼女たる証の魔術を揮えばそんな問題はあってないようなものだろうが。
「それじゃ取り敢えず這入ってみますか」
何やってたかまでは知らないしぃ? と研究所の内部に侵入しようとすると、当然と言うべきかあるいは何故かというべきか、電子ロック形式の扉に阻まれた。
「なぁ~んで明らかに捨てられているのに鍵がかかってるかな~ぁ?」
しかし悲しいかな、彼女ら
ドゴォォッンと音がしてみれば、扉は奥に倒れ、一点でぐにゃぐにゃにひしゃげているのが見える。
「さて、行きますか」
空間には暗闇。
奥には何が。
◆◆◆
魂の濃度のようなもの──言うなれば淀みを追って彼女たちは闇の中を進んでいく。
「……こっちね、何がいるのかしら」
鬼が出るか、蛇が出るかって言うんだったっけ? この国じゃ。
なんてことを呑気に考えながら先をゆく魔女と、そのあとを何も言わずに幽鬼のように追ってゆく暮阿。
そして、追っていった先には。
◆◆◆
果たして、暗闇を進んでいった先には人型のナニかがあった。
「……へぇ?」
暮阿の意識が鮮明ならば、酷く混乱したことだろう。
なぜならソレは、藤井蓮と全く同じ顔をしていたからである。
「すごいわね、コレは。シュピーネのやつ、クローン作成なんてやってたんだ」
それだけでなく、手足の長さまで同じに見える。
それもそのはず、彼は真実藤井蓮のクローンであるのだから。
「しかもこの顔……この子がお熱になってる子かしら? ってことは──」
ザラストロ計画。
諏訪原を設計した
しかし、この計画は失敗し凍結され、自我を持つに至った個体も、遊佐司狼と本城恵梨依によって殺されたはずだが──。
「悲しいわねぇ……悲劇のヒロインって感じ?」
また、別の個体なのだろうか?
それは不明だが、しかし。
彼は間違いなく、運命の車輪に巻き込まれるのだろう。
「ふぅん……どうかしら、使い物になるかどうか。まあ、ダメならダメで良いしね」
そういって彼女が自身の影から取り出したのは、無骨な斧。
ギロチン以前に使われていた処刑斧。
彼女が隠し持っていた、紛れもない聖遺物である。
「……うーん、死んでないんだったらどうとでもなるんだけど──」
そう言うと彼女は自分の指に傷をつけた。
このときの彼女の行動は、何か理由があってのものではなかった。
強いて言うのであれば、以前に見た《現代の魔女》──聖遺物と肉体を物理的に融合させることで
しかし、それはあくまで打算的なものでしかなく。
直感、といえば良いのだろうか。こうすれば自身にプラスな何かが起きるという根拠のない確信。
彼女はそんな自身の感覚を信じて、彼──言うなればクローン蓮の口に血を流し込んだ。そしてその上でその場に漂っていた魂を、自身をパイプ代わりにして吸収させた。
「よし、こんなものでしょ。あとは、
思いつく限りの手を尽くし、クローン蓮を起動──ある意味ではそれも正しい──しようとするルサルカ。
暮阿は操られているかのように、肉体の主導権を他人に奪われているかのように動かない。
どれほどの時間が経っただろうか。
「────くはっ……」
クローン蓮の口から漏れる空気を吐き出す音。
「──成功したわね? よし」
魔女は自身のとれる
「……俺は」
「は~い、藤井蓮くん? 目が覚めたばっかりで悪いんだけど、ちょっと聴いてくれるかしら?」
「──誰だ……──っ!?」
「ふうん、クローンなのにいろいろ知ってるのね、あなた。──まったく、シュピーネのやつ、一体何をしようとしてたのかしらね──まぁ、今はどうでもいいか」
「初めましてね、藤井蓮くん? 私の名前は──」
と、ここで口が詰まる。
なぜ──なぜ、彼は、自分の心をこんなにも、揺さぶるのか──。
彼女は率直に言って困惑していた。
だから、その名を口にしてしまった。
「──アンナ。アンナ・シュヴェーゲリンよ」
その出会いは偶然か必然か。
答えは、
名前のルビは念のためです。
暮阿の可愛いシーンも書いていきたい。
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第四話 諏訪原タワー前にて
そして、時計の針はその瞬間まで進む。
◆◆◆
連続殺人事件。
頸を切り離された死体。
聖遺物。活動位階。
聖遺物に憑かれた香純と、ようやく舞台に上がった主役。
暮阿はその行方を眩ませている。
ギロチンの所有権は藤井蓮へと移り、或いは本来の役割通りになり。
形成位階に至った藤井蓮は紅蜘蛛を打倒し。
黄昏の少女、マリィとの絆を得た。
そして、悪友、遊佐司狼との再会をはたす。
その日の夜。タワー前にて。
ヴィルヘルム・エーレンブルグと対峙したその時間まで。
ここで、ようやく彼と彼女の運命の歯車は絡み合う。
そこで紡がれる物語は果たして喜劇か、悲劇か。
◆◆◆
藤井蓮は、今現在、ヴィルヘルム、櫻井螢の二名と諏訪原タワー前で三つ巴の構図をうみだしている。
少なくとも螢のほうは、可能なら穏便に聖餐杯のもとへ連れて行こうとしている──当然、抵抗されるのならば別にそんなことどうでもいい──が、蓮は完全にやる気であるし、ヴィルヘルムは言わずもがな。
「藤井くん、念のためもう一度聞くけれど、大人しく私に着いてくる気はない?」
「あるわけないだろう。なんで俺がお前らの都合でいちいち動かなきゃいけないんだ」
「……そう、ならしかたないわね」
そう言うと、螢は全身の隅々まで神経をいきわたらせて──
「──無理矢理、連れて行かせて貰うわ」
と、蓮へと下段蹴りを放つ。
──が。
ガキイィインッ。
蓮がそれに反応するよりも早く、一振りの劔が、差し込まれた。
「──ふっ──!」
劔の所有者は、そのままその蹴りを跳ね返すように劔を振る。螢はそれに逆らうことなく、そのまま距離をとり、乱入者を視界に入れる。
その反応が咄嗟に出てきたのは、螢の戦士としての十一年間の経験が物言ったというところだろう。聖遺物を形成していないとはいえ、その膂力は常人が対抗できるような代物ではない。よって、闖入者は聖遺物と契約した人間のみ。
しかし、この局面で黒円卓の面々がわざわざ螢の攻撃を止める意味はない。さらに言えば、螢が蹴りを放った瞬間、その人物が明らかに人外の膂力を以てわっていったのをヴィルヘルムは見ていた。
驚愕に支配されていたのは、自分たち以外に使徒がいないことを知っていた螢、そしてその人物を一応見たことだけはあったヴィルヘルムだけではない。当然、その人物とつい数日前まで普通に喋ったり付き合いがあった藤井蓮もまた、自分の目で見たものが信じられないようだった。
「お前、なんで──」
という彼の口から漏れ出た言葉は、はたしてどういう意味を孕んだ言葉だったろうか。言葉通りの困惑か、驚愕か。それとも、また別種のものだったか。
わからない、わからないが、それは。
「──暮阿」
ほぼ消えかかっていた彼の日常を破壊する、最後の引き金だったことは確かだろう。
「──先輩」
対して暮阿の方も彼と同種の感情を覚えただろう。
彼女は彼を絶対に自分の運命に巻き込みたくなどなかったのだから。
「なんで、お前がこんな所に──しかも、あいつのアレを受け止められたってことは」
そこにたどり着き、その先まで進もうした彼の思考は、しかし。
「いつまでオレから目ェ逸らしてんだァ──ッ?」
その言葉とともにそのかぎ爪のような手で突進してきたヴィルヘルムによって遮られる。
横合いからの意識の間隙を突くような攻撃ではあったが、二人はそれをすんでの所で躱した。
「そいつがなんだろォと関係ねぇ──とっととオレを熱くさせろや」
犬歯を剥き出しにしながら獰猛に嗤うヴィルヘルム。
彼の思索は極めて単純であった。
螢のようにその聖遺物の出自や、彼女の所属──黒円卓側の誰かの仕業なのか、ツァラトゥストラの側なのか、それとも全くの第三者か──に思いを巡らせてその戦場の意味を考えることなど、やるだけ無駄だというように。
コイツがなんであろうと誰であろうと、関係ねェ。コイツがそそるか、そそらねぇか。まだまだのトコで中断させられたが、ツァラトゥストラはどの程度のモンか。
彼にとっては必要な情報などその程度のものだ。
対して、螢は彼女の意味を考える。
目的や意味のない人間はいない。彼女にはここに来た理由、目的があるはずだし、それに加えて、なぜ彼女が永劫破壊を使えているのか、という疑問もある。
が、それもあくまで知られればいい。気にはなるが分からないのならそれはそれで別に良い。戦場に不確定要素がいるのは気になると言えば気になるのだから、殺してしまえばそれでいい。
暮阿は、ヴィルヘルムのほうを見て、考え込んでいる螢を警戒しながら、
「──説明も弁明も全部後で必ずします。先輩に嘘なんてつきません……だから、だから。今は私のこと、信じてくださいっ」
と。
「私は──先輩の味方だからッ」
その声を聞いて、蓮も吹っ切れたようで、
「……ああ、分かった。お前がなんでここにいるのかとかは後で洗いざらい全部喋って貰う。だから──今だけはお前を信じる」
そして、ギロチンを形成する。
「で? もうお話は終わりってことでいいんだよなァ?」
「俺があいつを担当するから、お前は櫻井を──頼む」
「分かりました──気を付けてくださいね、先輩」
どちらがどちらを相手するか、二人はうなずき合って、それぞれの方へ駆けだした。
「いィねェ。オレの相手はお前かァ……こいや」
向かってくる蓮に対して、迎撃姿勢をとるヴィルヘルム。
暮阿は螢と対峙し、形成している劔を構える。
「一つ、いい?」
「いいえ、良くないです。死んでください」
と、一つ問答をしたところで。
また新たな乱入者が一人。
「よぉ、懐かしいな、元気してたか、暮阿」
重厚な銃撃音を伴って、0.54インチの銃弾が吸血鬼目掛けて一直線に向かっていく。
「なっ、お前、司狼──」
あれだけ忠告したのにまだ頸を突っ込むのか──と、思う蓮であったが、思っただけ。
「ん? なんだよ、蓮。お前もいい加減付き合いなげぇんだからよ、あんな言い方だとオレの興味の火に油注ぐって分かってんだろ? いちいちリアクションとんな、鬱陶しい」
と、捲し立てた司狼の言葉に塞がれた。
しかし、暮阿は意識をそちらへ向けず、螢の方へ斬りかかった。
「あーあー、オレ、そんなに嫌われることしたっけねぇ。ま、いいけど」
暮阿と螢はそのまま切り結びながら、橋の方へと、戦場を移した。
そして、司狼は歯で五十口径の弾を受け止めているヴィルヘルムを見て、笑った。
「お前、やっぱり小魚とか好きなんじゃねえ? 歯ぁ堅すぎんだろ」
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第五話 彼女
暮阿は緋々色金を形成した螢と切り結びながら、タワーを離れてゆくように彼女を誘導する。
彼女たちのその姿は、一般人には到底認識できないであろう速さにまで加速している。しかし、もし見えたのならこう感じただろう。
まるで二人の天女が雄々しく、それでいて美々しく舞っているようだ──と。
その最中、螢は彼女に問う。
「あなた、一体誰なの? 藤井くんの後輩みたいだけれど、彼みたいな人はあなたみたいな逸脱人を半ば嫌ってそうだし。それも、病的なまでに」
「──うるさいですよ」
天女たちの剣戟は、さらに苛烈さを増していく。
「さっきから……黙ってください──」
彼女は攻撃の手を緩めず、さらに激しく螢を攻め立てていく。当然螢も黙って攻撃を受けているわけがなく、連撃の隙間隙間に自分の攻撃を差し込んでいく。
二人の闘いは頭脳戦と化していた。お互いに剣の実力は五分。攻撃を防ぐことは出来るし、その間隙を縫って自らが攻めに転ずることも可能。けれどそれ故に相手に有効な斬撃を当てるのはどちらにとっても難しかった。
どう相手を罠にかけ、自身の優位を築き上げるか。
この闘いに於いては、それが勝敗を大きく分かつことになるだろう。
そして、こうも考えられた。
どちらか一方が自身の渇望を曝け出せば──創造を使えば、この局面は大きく動く。
それは両者ともに理解していた。しかし、螢は動かないし、暮阿も同様。
螢が知るよしもないことだが、暮阿の位階は形成──彼女は自身のルールを創造出来ない。それは彼女が内なる狂気を受け入れていないからだが──重要なのはそこではなく、螢がそうしない理由であった。
大橋にて向かい合いながらどちらともなく距離をとる二人。
螢はバランス型。自分から手札を曝すのは出来るだけ避けたかった。可能なら相手の手の内を見尽くしてから──最低でも、向こうの創造を理解してから──と、冷静に判断を下していた。
そして、このまま切り結んでも盤面はなかなか動かないだろう、とも。
暮阿もまた同様の結論に至っていた。ただ螢と異なっているのは、相手に対する優先順位。
螢の目的としては、藤井蓮、彼を連れて行ければそれで自分の任務は一旦終わりなのだ。勿論その後にスワスチカを開いていくだとか儀式自体は続いていくけれど。少なくともこの場では彼だけが目当てだったといってもよい。
対して暮阿はといえば、彼女の目的は徹頭徹尾変わらない。そしてその優先順位に螢の名前は入っているし、後のことを考えても、このまま螢を逃がすという選択肢は彼女としてはなかった。
「ねぇ、あなた──」
螢は十年間磨いてきた自身の剣技に自信を持っている。そして、それについて来れている暮阿についても疑問を持つ。
「くどいかもしれないけれど、あなたは何者?」
その疑問に、暮阿は答えない。
「黙れ、と言っているんです──」
ただこう返し、颶風と化して劔をふるった。
「黙って──死ね」
そして、螢に向けられる強烈な生の否定。研ぎ澄まされた矢のような殺意を一身に受けてなお、螢は動じない。ソレなど、これまでに幾度となく対峙してきたのだ。
動じない、が──。
「────ッ」
その、あまりにも急激な暮阿の変化には、いささか驚愕を覚えざるをえなかった。
それまでのまるで舞いのように軽やかな動きから一転、自身の防御などどうでもいいといわんばかりの猛攻だった。
それまでは防御を考えた上での攻撃だった──そう、まるで受けては攻め受けては攻めるオセロのような二人零和有限確定情報ゲームの様相を呈していた──が今の彼女に受け身の意志など微塵も感じられない。
そうなってしまえば螢も当然受けに回らざるを得ない。同等の技量を持つ相手が全力で攻めに回っているのだから。
その理由は、わかる。大方、あまりにも動かない戦況に痺れを切らしてアクションをとることで少しでも自分に有利になるように、という立ち回り。
だがしかし解せないのは、その殺意。螢とて、自分が誰からも恨まれることのない人間ではないということなどとうの昔に知っているし、だからどうということも全くないのだが、それでもその螢が分からない程度にはその大本は奥深く、さらに複雑に絡んでいるのだろうと思った。
「あなたは、どうしてそこまで
だから、思わず口をついて出た言葉はただの悪態のようなものだった。まるで正体はわからず、敵か味方なのかも判然としない(まあ、こうしているからにはほぼ百パーセント敵でまちがいないだろうが)、さらに剣技は自分と同等。ここまでこちらを困らせる役に即いていながら、合理的に此方を追い詰めると言うよりは自分の感情に身を任せるような今現在の戦い方。
その状態でこうまでピンポイントな言葉が出てきたのだから、彼女もまあたいしたものだろう。
「……憎んでいる? 私が、
「そうでしょう? 私としてはなんでもいいけれど、やっぱり理由は気になるわね。──あなたが、なぜ
「…………ええ、そう。私は貴女たちが憎い」
だからまあ読み違えたのは彼女のその感情の大きさだ。螢には、自分の意志で戦うことを選んだ、自分の力で愛する人を救わんと立ち上がった螢には。悪魔に魂を勝手に売られた──彼女の心情までは理解が及ばなかった。
「──憎いなんて言葉で足りるわけがないのにね」
どだいわかるはずがないのだ。暮阿は蓮と同じく強制的に聖遺物の使徒に仕立てられたなどということは──。
「私から平穏を奪った貴女たちが憎い」
巫山戯るな、私の日常を返せ。
「私から幸せを奪った貴女たちが憎い!」
私は貴女たちを皆殺す。
「私をこうしたあの魔女が憎いッ!」
死ねよ、屑共が。
「そして──」
あの人から、私の大切な人から──。
「日常を奪った貴女たちが憎くて憎くて仕方がないのよ──ッ!」
そう言い放って振るった剣先は、先ほどまでのものよりも数段速く、研ぎ澄まされている。
さらに劣勢に陥る螢。
「自分の不死のため? 失った家族を取り戻すため? 貴女たちのそんなくだらないもののために私は、私たちは生きてきたんじゃないッ。赦さないし赦せない。貴女たちなんて、そのまま何も出来ずに惨めに酷たらしく死ねばいいッ」
「──なんですって? くだらない? あの人たちを取り返すのが?」
ただしそのまま三流映画の敵のように退場するなどあり得ない。
彼女も彼女で譲れない理由などいくらでもあるのだから。
「────取り消せ」
あの人たちは、あの二人はあの生活は──何も知らない貴女に馬鹿にされていいものじゃない──私が必ず取り返す。
ああ、確かに私のほうこそ貴女の事情なんて知らないし知りたいとも思わない。その上でこんなにも激しているのだからまだ、私は私の炎をなくしてない。道化にもほどがあると自分でも思うが、関係ない。関係ないのよ。
この情熱はなくさない。だから、貴女はそのまま焼き尽くしてあげる。貴女は今、私の逆鱗に触れた──。
切り札を出し惜しみする理由など、それの前に完膚なきまでに、木っ端微塵に、砕け散った。
それは彼女の渇望を具象化する祝詞。
内に眠る情熱を、永劫絶やさず燃やし続けること。
今、彼女のルールは現出する。
焔に包まれていく、いや、正確にはその躯体そのものを焔に変えてゆく。
さらにその聖遺物までもが姿を一変させ、大太刀というような長さまで伸張している。
自らとその聖遺物を炎に変生させる──それが櫻井螢の創造だった。
「撤回しろ、なんて言わないわ」
「…………そんな馬鹿げたことするとでも?」
「ええ、しないでしょうね……だから、自分の発言を後悔しながら泣き叫んで死んでくれれば結構よ」
そう言い放つと、螢は跳ね上がった身体能力を以て、暮阿に接近する。
「────っ」
彼女が振り上げた斬撃を暮阿は弾こうとするが──。
すり抜ける。まるで陽炎のように。
「──これ、はっ」
虚をつかれた暮阿だったがすんでの所で躰を捻り、辛うじてではあるが、直撃は避けた。しかし無傷とはいかない。
左腕は出血し、けれどそれが地に落ちる前に蒸発した跡があり、切り裂かれた箇所が熱によって引きつったようになっていた。
「これが、貴女の創造……」
決して目で追えなくなるほど速度に差があるわけではない。
見えるし、反応も出来る。けれど暮阿にとって最も厄介だったのは、螢の剣が炎と化していたことだった。
相手の斬撃は弾き、そのまま切り返して攻撃する。これが剣と剣の攻防の基本であるが、この状態では暮阿はそれが出来ない。
なにせ、弾こうとしても相手の大太刀は自分の劔をすり抜けてしまうのだ。
これではまともな攻防が出来るはずがない。
このままでは不味い、主導権を握られてしまう。防げないなら一先ず相手の間合いから逃れなくては、と一足に距離をとる暮阿だったが、しかし。
「距離なんて関係ない。……今の私は炎。炎は広がるもの、よ」
その宣言通り。相手との距離など関係ないのだ。今の螢にとっては。
彼女の振るう斬撃が、伸びた。
「────なっ……ぐ──っ!?」
完璧に意識の間隙を縫われた暮阿にそれを回避するのは不可能だった。
「あっ……ぎ──ッ…………ァッ」
左の肩から右の脇腹にかけて袈裟に肌を焼かれ肉を裂かれる。いくらいずれはその傷も癒えるといっても、その痛みまでが消えるわけでは断じてない。
常人では、というか普通にいくら魔人と雖も、そこまでの裂傷を負って動けるはずはない。
「このままさらに苦しんで死ぬ? それとも泣き叫んで自分の言ったことを悔やみながら無様に死ぬ? 嫌いな方を選ばせてあげる」
暮阿を見下ろしながら、そう迫る螢。それに対し暮阿は。
「…………いいえ……まだよ────私は、まだッ」
立ち上がって。
普通ならば動けなくなる傷など、知ったことかと。
「なっ──」
「ここで死ぬわけには、いかないんだから──あああぁぁぁぁああッッ!!」
迸る銀の燐光。
疾駆した銀の剣先が、彼女を見下ろす螢の胸先を切り裂いた。
「ぐっ……」
「──づ……あァっ」
地面のコンクリートに染みていく血液は螢のものだけではない。むしろ、暮阿のそれのほうが圧倒的に割合は大きい。
しかし──。
「そんなこと……知るもんか──っ」
その不当の精神を以て、ただ只管に我慢する。
こいつらを倒すためならば──先輩の、藤井蓮の、彼らの平和、日常を護るためならば、復讐を果たすためならば、こんな身などどうなろうが知ったことではないと。
「──貴女たちは、殺すんだよ、私がッ」
そして、もう一度切り結ぼうとする彼女ら二人の斬撃は──而して横合いから挟み込まれた二メートルほどの大男の躰を以て、止められた。
「そこまでです、レオンハルト」
現れた大男──聖餐杯、ヴァレリア・トリファ=クリストフ・ローエングリーンは、自身の背中側にいる精神面に於いても技術面に於いても未だ未熟な
「それ以上は私闘の域に入ってしまう。勿論、始まったのならばそれも構いませんが、今宵の我々の目的はあくまで藤井さん──ツァラトゥストラにあることを忘れてはいけません」
「──ッ」
「あの方々を蘇らせようという貴女の願いを侮辱されたことを到底我慢ならないのは理解できる。しかし、それとこれとは別のことです。収めなさい、レオンハルト」
そして──と。
悩める迷い仔を導く教会の神父は、今なお傷口から鮮血を散らして自分に劔を振るう、眼前の哀れな羊を見て、こう言った。
「まるで子供の癇癪ですねえ……。マレウスの落とし子よ、貴女はまるで変わらない。あのときから貴女の時間は止まっている」
「黙りなさい……」
「動いて、生きているように見えていても、貴女の世界には色がない。貴女が世界を美しいと感じても、貴女自身は世界にとって鮮やかな彩色のないモノクロの異物だ」
「黙れ……っ」
「だからこそ貴女は、彼の世界を壊したのですから」
「黙れえぇえぇぇええ────ッッ!!」
切る、斬る。
切る斬る伐る切る斬る斬るキルキルキルキルキル──。
憤怒と、抑えきれない心の求めに従って。
自らの躰を捨て鉢にしてどれだけ斬撃を浴びせても。
聖餐杯に傷一つを負わせることすら叶わない。
「無駄ですよ。聖餐杯は壊れない」
だけど、それでも。
「私は──私はァッッ」
より一層力強さを増す剣戟。そして、それに比例して零れていく命の雫。
「だから、無駄だと言っているのに」
神父はそう呟くと、初めて反撃に打ってでた。
いや、あるいはそれも反撃などではなかったのかもしれない。なぜならば、このときの突きは彼にとって、単なる児戯にも等しいものだったのだから。
「あっ……──ぐっ」
けれど深い傷を負っている今の暮阿には児戯でも十分。彼女を地面にたたきつける程度の効果はあった。
「此方は此方で藤井さんを迎えなければならないのでね。申し訳ありませんが、少々眠っていてください」
と、振り下ろされた拳は──。
次回は野郎共サイド。
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第六話 共闘
「なアおい、お前まさかこんなちゃちい
からん、と鉄の転がる音が、誰一人として人間などいない広場に響く。
司狼の放った弾丸はヴィルヘルムにまるでダメージを与えることなく、コンクリートの地面を転がっていった。
この野郎──やっぱり。
「早く逃げろ、司狼。お前じゃあただの生け贄にしかならない」
ただ死ににきただけじゃねえか。なんのためのあの忠告だ。無駄死にしたいんだったら俺の知らないところで勝手にやってくれ。
「ああ? なんでオレがお前に指図されなきゃならねえんだ……ってこのやりとり前にもやった気がすんなぁ……ま、それは兎も角」
司狼は、ニヒルな気取った笑みを浮かべ俺に言う。
「オレの足ひっぱんじゃねぇぞ?」
「…………。……フォローなんか期待するなよ」
「ハッ、そりゃこっちの台詞だ」
そう吐き捨てると、眼前のヴィルヘルムが片手をあげて──。
「とっとと萎びて死に腐れやァ」
◆◆◆
カズィクル・ベイの右腕から、生命を搾り取る魔の杭が発射される。形成せず、それ故に不可視のそれは現状ただの人間である司狼にとって躱せるはずのないものだった。
「────司狼ッ」
既に半分以上人間を超越している蓮は、辛うじてではあるが、形成位階まで上がったことによるその霊的感覚を以て躱すことには成功した。
しかし、ああ。ただの人間ではそれを躱すことは不可能なのだ。見えもせず、感じ取ることも、音を聞くことも出来ない。そんなもの、むしろどうやって躱せというのか。
故に、幼馴染みの穴だらけになったぐちゃぐちゃの死体がそこにあることを覚悟して後ろを振り向こうとした蓮は自身の前方から聞こえてくる銃声に、一瞬間のみではあるが忘我に追いやられた。
「…………なんだ、こんなもんかよ」
そう吐き捨てた司狼の肉体に傷など全く見当たらない。司狼のほうに向かった杭の数は十しかなかったとはいえ、それは本来あり得ない自体なのだ。
「面白ェな、お前」
それだけにヴィルヘルムは久方ぶりに、あがった。興奮した。
面白い。ただの人間が、それもちびっこいションベン垂れた小僧の劣等種が、本気などでは全くないとはいえ自分の攻撃を避けたのだ──と。
片や蓮のほうはといえば。司狼のその、動体視力や勘の良さでは表すことの出来ない何かにある種の戦慄を覚えた。
「オラオラァ、どんどんアゲていくぜェ!? 躱せ躱せ躱せェ! でなきゃ死んじまうぞコラァッ」
そんな狂声と共に空間を飽和していく杭。
蓮はその隙をついて自分から打ってでることは出来ないかと好機を窺う。躱して躱して──ときには右手の鎌で打ち払って。
「──っがぁッ」
弧を描くその鎌はヴィルヘルムの頸へ。常人ならば発狂するほかない、圧迫する強烈な死のイメージを伴ってその役割をはたさんと鮮烈に奔るが──。
「甘ぇ。…………なんだこれは? てめぇホントにあの糞野郎の代替かよ?」
差し出された左手に右腕ごと止められる。
「こんなんじゃ足りねぇ。もっとよこせ──もっともっともっともっとォ。でなきゃお前もお前のダチも女も全員もれなく死んじまうぞォ? ハ、クク。クッククク、アッハハハハハハァッ──ハハハァッ」
「ぐッ────」
振り抜かれた右の拳に防御は間に合わず、そのまま吹き飛ばされる。と、同時に響く銃声は一瞬にして五発。人間ならば顔面を吹き飛ばして余りある威力のデザートイーグルの銃撃も、彼には何ら影響はない。
「はっ、なんだありゃ。あのおっさんもアレで堅かったけどよ、コイツもそうなのかよ──っと」
言いながら、跳び退り致死の杭を寸でで躱す。
その様子にさしものヴィルヘルムも異常の正体を気になったのか。
「なぁ、お前。何モンだ? 適当に走り回ってるだけで避けられるほどオレの攻撃は陳腐なモンじゃねえ。テメエの動きも、何も考えずにただなんとなく動き回ってます──ってな雰囲気でもねぇ」
単なる第六感、直感のみでこれまで完璧に躱しきることは不可能。
「ってなると、クスリか。テメエ、長くねぇぞ。戦場でもそうなった奴からどんどん死んでいった」
よって、結論としては通常の五感の極限までの鋭敏化。限界まで強化したその感覚を以てギリギリで躱しているのでは──と。
確かに、極限まで強化された感覚ならば、それとなく不可視の杭を感じ取ることも不可能ではないのだろう。
「あ? なんだ、オレの心配でもしてんのか? まあ、アタリっちゃあアタリなんだが……」
「死相が見えるぜ、ガキ」
「づォオっ」
この隙に──と、会話の間でも周囲に撒き散らされていた死の杭をかき分けた蓮が一直線にヴィルヘルムの下へ向かっていく。
殴りかかる左の拳は振り上げられた右の脚に受け止められる。
「くっそッ」
そしてヴィルヘルムの左側面から放たれた弾丸は警戒していた彼の側頭部にあたり、いい音を出してそのまま貫通することなく、舗装された広場の地面に転がった。
「──どーすっかなァ」
「──なんだこんなモンかァッ!? つまんねえ、ああつまんねぇよ。退屈だ。────飽きたしとっとと殺すか?」
瞬間、膨れ上がる狂気。形を成してその瘴気をより一層増した吸血鬼の杭が、驟雨となって点ではなく面の攻撃として蓮たちに襲いかかった。
「ふっ……よっ──と」
しかし、当たらない。司狼はその弾幕を極限のところまで引き寄せながらも直撃することなく、只管に躱し続けている。
蓮はといえば──。
「──つ……、オォッ」
被弾数が確実に増えていく。辛うじてのところで致命的な直撃はないが、四肢を削るアタリは既にいくつもあり、それ故に。
「──く、ぐッ」
体力を吸い取られる。当たった箇所から流れる血とともに、躰を動かすエネルギーもその杭に吸われていく。それによる蓮の動きの低下は著しく、躱すことの出来る杭の数が減り、被弾数は増加しまた体力を削られ──と、最悪と言って差し支えない悪循環に陥っている。
つまりは予定調和。ここ数日の戦闘の経験しか持ち合わせていない蓮と、数十年間の戦争の経験があるヴィルヘルムではこの結果になるのが当然であり、そこに不条理は一切ない。ただ単に、闘いに慣れている強い者が有利に戦況を運ぶことが出来るという真理。
故に、この場に存在する不条理とは彼そのものに他ならない。
唯一聖遺物を持たない一般人──この場にいる時点で一般人と呼ぶのは不適当かもしれないが──遊佐司狼。強化された身体能力を持たず、膨大な経験に裏付けられた読みも持たない彼が空間を埋め尽くす杭の密林を生き延びていること──道理では通らない不自然、不条理。
「ははっ──ああ、こりゃアレだわ」
まるで何処に行けば回避可能か既に知っているかのように──。
「デジャヴってやがる」
彼は知っていた──既に経験したことがある。
本人曰く、無敵モード。こうなってしまえば──死ぬことはない。否、死ねない。
そして、そのまま杭の散弾を生身でありながら踏破する。聖遺物をその身に宿す蓮ですらその場しのぎも難しいのに、だ。
「チッ──」
ヴィルヘルムの視線に宿っているのは驚嘆と思案。ただの人間がここまで自身の攻撃を如何なる方法か、完全に回避しきっていることへの驚愕と賞賛だ。そして、どのように殺すかという、いわば調理方法。
「どうやってコイツを見切ってんのかは知らねェが、これなら躱しようがねえよなァ?」
そして彼が選択するのは、空間そのものの包囲。
回避する場所を全て潰してしまえばいい。それだけでこの人間は詰む。
比喩ではなく、単純に空間を全て埋め尽くしてしまえば回避などしようもない。司狼に形成された聖遺物を受け止める術などないのだから。
「ははは、くくっ──そりゃそうだろうけどよ、中尉殿。こっちに集中させりゃああっちが空くんじゃねぇか?」
あちらが立てばこちらが立たず──司狼へ意識を向けたヴィルヘルムに、処刑の凶刃が舞い降りた。
◆◆◆
「────…………ッ!」
無言の裂帛とともに右腕に宿る処刑刃を振り下ろす。
司狼がどうやってコイツの攻撃を回避しているのかはまるで理解できないが、あいつが死ぬことはないのだという信頼にも似た根拠のない確信は常にあった。
そして司狼がヴィルヘルムの意識を自身に向けさせたのだから、どれだけヴィルヘルムの聖遺物に力を吸い取られていようと、ここは無理にでも動くべき局面だろう。いくら躱すことが出来ても、あいつらに有効打を与えられるのはこの場に俺しかいないのだから。
そして、司狼に確実にとどめを刺すために攻勢に意識を集中させたヴィルヘルムは残り数センチのところでこちらへ振り向くが──もう遅い。
このままこれをお前の頸へ落としてチェックメイトだ。
マリィの刃は処刑の刃。人の頸を切り落とすことに特化した刃は、如何なる存在であろうともその生存を認めない。
死ね────ッ。
「────こんなんで裏ァかいたつもりかよ?
手ェ抜いて相手してりゃあ舐めた勘違いしやがってよォ──ッ!」
喝破とともに、ヴィルヘルムの周囲に展開される致死の杭。これを掻い潜ってこちらの攻撃を当てるのは不可能だと理解して────。
杭が全方位に放たれる寸前、辛うじて距離をとることに成功した。
しかし、それはそのまま一直線にこちらへ向かって飛んでくる。
「ぐっ……おおおあぁあああっ────!」
「あぁ、ムカつく、ムカつくぜ。…………決めた、クリストフが何言おうが関係ねぇ──やっぱここで殺すか」
間一髪で直撃だけは避けたが、四肢の末端の被弾は避けられなかった。そこから一気に流れ出ていく生気。
「おーおー、こりゃいかんわ。奴さん、何が不満なのか知らねぇけどよ、フラストレーション貯まってるぜ。ああいう奴は何するか分かんねえ」
ザッと横に誰かが並ぶ気配を感じ、そちらを流し見るとどんな奇跡を起こしたか、全くの無傷の状態で司狼が佇んでいた。
「ここは一旦尻尾巻いて逃げちまおうぜ、蓮」
「逃がすと思ってんのかァ」
「悪いけど、アンタの遊びに何時までも付き合う気はねーよ」
寸前まで展開されていた本物の殺し合いを遊びと言ってのけた司狼は、懐から取り出した魔法瓶を眼前の男へ放り投げた。空中で放物線を描くそれを、司狼はそのまま左手に持つ銃でなんの躊躇いもなく撃ち抜く。
「な────」
ピキピキと、凍っていくヴィルヘルムの肉体。
「────」
「液体窒素だ。いくらてめぇが人外の膂力を持ってたとしても凍っちまえば関係ないだろ。…………ま、これが効かなかったら次はねぇんだが」
「────っああァァァッッ」
司狼が自前のバイクに乗り込むのを視界の端に収めて、動きを止めたヴィルヘルムへ疾走した。
一歩、二歩、三歩──と、脚を進めるほどに縮められていく距離。極限まで一分一秒が引き延ばされた主観の光景の中、奔る右の腕に宿るギロチンはその存在理由を全うすべく眼前の男の頸へ吸い込まれるように向かっていく。
あと一歩────あらゆる物がスローモーションに見える世界の中で、断頭の刃を振り下ろした瞬間。
確かに、聴いた。吸血鬼の自己証明を。
紡がれる
瞬間、夜が爆発した。
「ガっ──ぐ、──つ」
周囲の空気は俺たちの生命を奪っていく瘴気に変換され、ここら一帯がすべてヴィルヘルムの体内と同じになったのだとどうしようもなく理解した。
何よりも大きな変化といえば薄らと街を照らしていた月が、薔薇のようなクリムゾンレッドに染まりその威圧感と存在感をそれまでとは比にならないほど増したことだった。
「──せめてオレを楽しませてから苦しんで逝けや」
こちらへ迫ってくる吸血鬼の魔手。
こちらの体力を吸い、さらに創造を発動したことで基礎能力を増大させたヴィルヘルムは、このままの俺では回避不可能といえる凶手を放ってくる。
「くっ──そ……──ッ」
数瞬ごとに肥大していくそれが俺の胸を突き破る──刹那に。
「はぁ~い、そこまでよベイ。それ以上は命令違反だってあなたも分かっているでしょう?」
現れたのは、影の怪物を携えたルサルカだった。
「お前、は……」
「──う~ん、ま、いろいろ聞きたいことはあるんだけどねえ」
そういって小首を傾げる動作はそこだけを切り取って見れば純真無垢な妖精に見えるだろうが、この場面に限って言えばただの一般人であってもその異常を感じ取り、怖気が奔るに違いなかった。
ルサルカの足元から伸びる漆黒の影は光の差す方向など無関係に、無秩序に散逸して実態のない怪物を形作っている。
猛るヴィルヘルムを如何なる術理でか──いや、それがルサルカの創造なのだろう──制止したルサルカは警戒する俺に向かい、その小ぶりな唇で言葉を紡いだ。
「
「何処だよ、あいつは」
もし真実なら無視することは出来ず、嘘ならばそもそもここにいる理由もないはずなのだ。仲間であるはずのヴィルヘルムを自身の創造で制止する理由も、また同じく。
気になるのは櫻井が言っていた、
それでも、構わないから。
だから、問いただす。
「何処だよ、早く答えろ」
「──……あの子も相当幸せ者ねえ。……橋よ。あの子はそこに居る」
「──ッ」
そこまで聴いた俺は、全速力で橋へ向けて駆けていく。
くそっ、巫山戯んな、巫山戯んなよ──。お前、後で全部説明するんだろ。そう言ったじゃねえか。このまま終わりなんて許さねえぞ……。
お前だって、俺の、大切な────。
◆◆◆
疾走していく蓮を眺めたルサルカは、ヴィルヘルムへの縛を解いた。といっても抑えているのが正直キツくなってきたというのも多分にあるが。
「…………おい、マレウス」
「悪いわねー、ベイ。ワタシだってアンタの気性は知ってるわよ? でも、ホントに任務をほっぽり出されても困るのよ。こっちだって彼にはもっと強くなって貰わなきゃ困るわけだしさ」
「テメエのせいでオレの得物にまんまと逃げられたわけだが?」
「アンタがずっと遊んでるからでしょー? そこまでは知らないわよ、私も慈善事業やってるんじゃないんだし」
「じゃあ、テメエが代わりになると?」
「嫌よ、何でアンタみたいな危険極まりない奴と戦わなきゃならないのよ。スワスチカの取り合いならまだしも」
司狼は自分のバイクに跨がり、そのまま蓮の後を追って橋へ向かっていった。よってこの場には、得物を逃した吸血鬼と、その原因の魔女の二人のみ。
「さ、戻るわよ。たぶん明明後日辺りから、早ければ明日にはスワスチカの開放を許可されるでしょうし。…………あの普通の男の子でしょう? 譲ってあげるわよ、今回は私の都合も多少あったわけだし」
「……チッ」
舌打ちを一つ残し、ヴィルヘルムはその場を去って行った。
ルサルカは、タワーの方へ首を向け、
「さあ、あなたも行くわよ。彼はちゃんと見られたでしょう」
そこに
「ああ……俺は、自分というものが欲しい」
彼は、
「だから、俺以外のオレは邪魔なんだ」
唯一の自己を望む彼の声は、星を孕む夜空に浮かんで消えていった。
◆◆◆
聖餐杯が、藤堂暮阿に振り下ろした拳は────。
文章がシルヴァリオになんか似てきてますね……。なんとかしなきゃ。
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第七話 破壊の君
振り下ろされた正拳は、しかし暮阿を打ち倒すことはなかった。
「……おや、なかなかお早いご登場だ。正直に言わせてもらえるのであれば、貴方の到着はもう少し後になると思っていましたよ」
拳の主はこちらを哀れむように、そして何処か羨むように声を出す。
けれど、そんなことはどうでもいい。結果がどうあれ、コイツを護ることが出来たのだということを両手から感じる確かな熱が教えてくれるから。
「ベイにマレウス……私だって
ゆっくりと割れ物を扱うように丁寧に、暮阿をアスファルトの地面に横たえる。気を失っているようだ。しかし外傷は、蛆虫が這うようにゆっくりとではあるが
何がどう作用してこうなっているのかは分からないが、このまま死ぬなんてことは無さそうだと安堵した。
つまり、次に考えるべきであるのは、現在この場に居る残りの人間についてであり────。
「こんばんは、藤井さん。幾日かぶりになりますが息災なようで何よりです」
この場にトリファ神父がいること、だろう。
タワー前からここまで全力疾走し、時間を遅らせているような感覚の中にいた俺は、暮阿に振り下ろされた拳の主をしっかりと認識していた。
どうしてアンタがここに居るんだとか、アンタは何を知っているんだとか、先輩はどうしたんだとか、聴きたいと思ったことはそれこそ二十じゃ利かなかった。
けれど──。
「……神父さん、一つだけ教えてくれ」
「ええ、ええ。一つと言わず二つ三つとどうぞ。私はそのためにこの場を設けたのですから」
ですが、と前置きし。
「こちらも一つ、たった一つでいいですから貴方に伺いたいことがあります。ゆえ、そちらの質問にすべて答えた後で構いません、こちらの質問にも答えていただきたい」
「……分かった」
「よろしい、では貴方からどうぞ。なんでも──とまでは言えませんがそれでも大半のことには真実を伝えられるでしょう」
「じゃあ、答えてくれよ。……──何でコイツがこんなになってるのか、なあ」
自分が酷く自分を制せていないことが分かる。
その反面、寧ろ世界がクリアに見えることに気付いた。分かっていたことだが、俺はキレると逆に冷静になる性質らしい。
ああ、そうか、俺は怒っているんだ。
「なんで、と仰いましてもその子が此方へ攻撃したから、としか表せませんね。そも、ここは戦場。聴けば彼女は自ら戦闘の火種に飛び込んだそうではないですか」
「……それで?」
「彼女は弱かった、我々はそれを上回った。それだけの話でしょう」
「ああ、そうかよ」
だから痛めつけたって?
お前らからしてみれば取るに足らない
俺たちにとってみれば大事な欠かせない後輩なんだよ──。
「──では追加の質問もないようですので、此方から一つ」
「私があなたに訊ねたいこと──それは我々共通の隣人、テレジアについてのこと」
どんなことを言うのかと構えていた俺は、出てきた氷室先輩の名前に思わず硬直する。
「その前に一応私もちゃんと名乗っておきましょうか──私は聖餐杯。聖槍十三騎士団黒円卓第三位ヴァレリア・トリファ=クリストフ・ローエングリーン」
あなたの父祖に等しい副首領閣下からは邪なる聖人──などと
そして、トリファ神父が黒円卓のメンバーなのだとしたら、それはつまり先輩やシスターも無関係じゃないってこと、なのか…………?
「テレジアが私たちのことを知っていたのか──は、この場ではどうでもよい。むしろ私はそれに関係なくあなたに答えて貰いたい」
「──何を」
「あなたはテレジアをどう思っておいでか?」
なんでここで先輩の話なのか──と思わなかったと言えば嘘になる。櫻井はともかく、ヴィルヘルムみたいなヤツをわざわざ動かして俺と話すような内容なのか? と一瞬思った俺がいたことは確かだ。
だけど、そんなことは知ったことじゃない。
「あなたは私を敵と認識し、殺す大儀を見つけつつある。ならば彼女にも、同じことが言えますか?」
あんたらと先輩がどういう関係なのかなんて関係ない。
ただ、あの人は俺の日常の一部だから。
だからこれ以上俺に失わせるな──。
「我々と戦うとはそういうことだ」
「──知らねえよ」
ああ、そうだ。
「俺はお前らのことなんて知らないし、先輩がどんな立場かなんて分からないけれど──」
先輩は、先輩だから。
「それに」
そうだ、そもそも──日常が戻ってくれば、それでいい。
「死なせないし、殺させない。……あんたらに勝ってすべて終わらせる、すべて元通りにする──当たり前のことだろうが──!」
先輩がお前らの仲間だろうがなんだろうが関係ないんだ。ただ、奪われてしまったものがあるから──それを取り戻すだけだ。
「く、はは……ハハハハハ──我々に、負けぬと……勝つと! そう言いましたか!」
狂騒する神父は何かを言祝ぐかのように哄笑し、狂信者のように──それ以上相応しい形容はこの神父に限って言えば、皆無のように感じられた──天を仰ぎ、どこか遠くの存在に語りかける。
「──どうですか、これがあなたの盟友の代替、我々と対峙する
そして、彼方からやってくる特大の威圧感。莫大な圧力とともに此方を観察している──。
「────ッ」
その感覚にこれまでの人生で体験などしようも無いほどの、リアルで巨大な怖気が体全体を覆った。
『悪くない──』
思わず膝をついて見上げた空で、光を伴う圧力が像を成して一人の男を影のみとはいえ顕現させた。
「──あ、あぁ……っ」
神父の隣に居る櫻井なんかもその常軌を逸した圧力に膝を屈して、苦しそうに息を吐き出している。
『名乗ろう、愛しい我が贄よ』
しかし、奴らの首魁はそんな櫻井の様子など気にもとめず──実際眼についても居ないのだろう──、声を発する。
『私は聖槍十三騎士団黒円卓第一位、
厳かな名乗りが空間に響く中、俺はかつてその名が、第三帝国の将軍の一人であったことを思い出した。
『卿の縁者からは
空気が震える。空間が軋む。世界がその存在に耐えられない──。
これ、は。
『ねえ……レン──これはなに……?』
カタカタと小刻みに震えるギロチン。そして、同時に頭に響くマリィの強張った声。
『なにか、変なの──おかしいの。あの人を見てると、おかしくなりそうなの』
魂レベルまで繋がっているが故に、マリィ自身では言葉に出来ないその感情も俺には分かった。
それに──それは俺が一瞬でもヤツに感じてしまったから。
「それは──」
恐怖、という感情で──それを自覚し、受け入れた途端に俺の中で何かの
『これ、が
「あ……っがああぁあああああ──!」
◆◆◆
『──ほう』
マルグリッド・ブルイユと藤井蓮が異形の変化を──進化を遂げているなか、黄金の獣は自らの友人が生み出した代替の変遷を眺め、その仕事に感嘆の息をもらした。
『さすが、と評しておこう──報告を受けた時点では取るに足らないようだったが』
「では、これはハイドリヒ卿の予想通りだったと?」
『そうではない。卿に語ったことは真実だ。──愚か者ならその場で喰らう。そう言ったな』
「ええ。すなわちこの展開を予想した上での御発言かと」
『私とて全知全能ではない。そも、この儀式は私の
「では──」
『概ね期待通り、と言っておこうか』
絶大なる力を有した黄金の獣は、その双眸をわずかに細めると眼下にて異形の変化を終えた藤井蓮へ向かう。
『
「ええ──彼らは自己を変革した。今のあなたのレベルまで」
今この場にあるラインハルトは単なる写像。あくまで本体の数十分の一しか力を持たない分体にほかならない。
しかれども、元の実力差を鑑みればそのレベルアップは些か
当たり前と言えば当たり前だが急激な変化には必ず揺り戻しが存在するのだ。急に強くなりすぎれば躰はそれに耐えられない。人間を含む生物が何世代もかけて変革を行うのは、遺伝子の変化には時間がかかるという事実はもとより、その揺り戻しを防ぐため、と言う理由も一面では存在するだろう。
だが、この局面に限って言うのであれば
「ぐっ……がああぁああぁぁあああ──ッ!」
天を睨んで咆哮し、藤井蓮は一条の光となって宙の階段を駆け上る。
必要に駆られて巨大化した右手の鎌は黒い閃光だけを残して首へ。
「──死ね」
◆◆◆
超速でラインハルトまで接近した俺は、その速度のまま右手の死神を奔らせた。
刃の速度は最大最速。マリィとの同調はこれまでで最高レベル。これまでで最も研ぎ澄まされた力の塊は、俺の右手の動きを追随してラインハルトの首を刈り取る──はずだった。
「──なッ」
はずだったとは、つまりそうならなかったということであり──けれどこの場合、それはギロチンを回避されたということではない。
ラインハルトは迫り来るギロチンに反応もせず、そのまま首を差し出したのだ。そして当然俺はそれを外さない。
従って吸い付くように首へ向かうギロチンはそのまま直撃して──なんの影響も与えなかった。
『ふむ、今はまだこんなところか』
「くっ……そ──」
慌てて右手を引くが既に遅く、俺の聖遺物はラインハルトの左腕に摘ままれた。
そう
『恐れで私は倒せんよ』
次瞬、幾つかのことが一瞬にして過ぎ去った。
「な──っ」
『私の愛は破壊の情。愛でるためにまずは壊そう』
ピキ、ピキと致命な傷を刻み込まれていく
そんな馬鹿な、と驚愕するよりも先にその末路を俺に幻視させた。
破壊される聖遺物、契約者の末路。
俺とマリィは文字通り一心同体。ならばその片割れが破壊されてしまえばどうなるのか。
馬鹿でも分かる、答えは──。
『ああ、そうだ──私は総てを愛している!』
瞬間、増大していく圧力とともに、ついに
「──やらせない」
轟き響く魔の宣誓。
暮阿からあふれ出した温かい光が俺とマリィを包み込み──人の気配を感じ、横を向けばそこには決意のともる光を称えた暮阿が立っていた。
「先輩──良か、ったぁ……」
しかしこちらへ視線を向けた途端、その体は一瞬にして頽れた。
『ほう? これは──瞬間移動の類いか』
「──暮阿ッ」
慌てて支えるも、そこからは力が感じられない。
「これ、は──」
奴らが何かしたわけではない。奴らの意識は完全にこちらを向いていた。
だから──今、暮阿の体に力が無いのはとても自然なこと。
恐らくあの光は、俺たちを包み込んだあの優しい光は、ヴィルヘルムやルサルカが見せた
けれど奴らのそれに比べて、
傷ついた体でそんなことをすれば、どうなるかは自明なんだ。
馬鹿野郎。
「……お前、終わったら全部説明するって言ってたよな」
神父やラインハルトは動かない。何を考えているのかは知ったことじゃないが、こちらをただ見ている。
「何もかも、知ってることは全部教えるって」
だから、だから。
「……そんなこと言わないでくださいよ、先輩」
「──っ」
瞼を開いた暮阿は弱々しくも力強く口を動かす。
「それじゃあ私、死んじゃいそうじゃないですか」
「……それもそうだ」
じゃあまず、この場を生き延びるために──。
と、少し冷静になれた頭でもってもう一度ラインハルトに向かい合う。
相手の強大さは依然変わりなく、こちらの卑小さもまた変わらない。
けれど、この手の内にある温かさを喪うことに比べれば、恐怖なんてものはもう、欠片も無かった。
『──いい顔だ、代替よ』
「知らねえよ、黙ってろ」
先刻は押さえられない感覚に流されて飛びかかっていったが、今となってみればそんなの悪手も悪手だろう。なにせ此方は暮阿という怪我人がいるのだ。暮阿も純な人間ではないとはいえ、放置しているわけにはいかないだろう。
そもそも単純に人数差がある。こちらで戦えるのは俺一人。
故に今この場でとるべきなのは交戦では無く。
「──司狼!」
「遅ぇんだよ──待ちくたびれちまったじゃねえか!」
「──ほう」
橋を横断して現れる司狼。
『ふむ、それもまた一興か』
「そいつは後ろに乗せろ、テメェは自分の脚で走れ!」
「るせぇ言われるまでもねぇんだよ──ッ」
◆◆◆
そして走り去る彼らのツァラトゥストラ。ラインハルトの顕現から茫然と身動きの取れない四人目の櫻井はもとより、成り行きを眺めていた神父も、得物を破壊する直前に逃した獣も共に彼らを見逃していた。
「よいのですか、ハイドリヒ卿。彼らを逃がしてしまっても」
『当初の目的は達成した。それ以外は気まぐれだ』
無聊の慰みにはなったと語る黄金に、控える神父は言葉を返す。
「それでは、後のことはどうなさいますか?」
『卿に一任しよう』
「は」
恭しく跪く神父を大上段から見下ろし、獣は脇の辛うじて平伏できているレオンハルトを流し見る。
『卿はたしか、
「──拝命いたしました、総首領閣下」
とだけ残し、震える声で辛うじて返した彼女にはもはや一瞥もくれず、獣は煌めく夜空へ溶けていった。
今宵、交差した運命の刃。
彼ら彼女らがどのような劇を演じるのかは、未だ未知。
「──さて、如何しましょうか」
思索に耽る神父の呟きが、宵闇に紛れて消え去った。
シルヴァリオRTA 書いてたら投稿前に別の人が書いていたのでヤケクソでこっちを書ききりました。
くそぅ!
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