ごちうさ世界ならば、どんなに重い設定も浄化してくれる (Scharn_BC)
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第一羽

初投稿です。
重さが足りないかもしれません。
鬼滅世界に慣れてしまった。



朝五時。

私の一日はいつもこの時間から始まる。

 

けたたましく鳴り響く目覚まし時計を思い切り叩く。そのせいで少し赤くなった手に気を使いながら、いまだに眠気を訴える体をどうにか起こし、この後の予定を簡単に頭の中で整理する。

 

自室に備え付けられた洗面台で顔を洗い、寝癖を整えた後、お気に入りである黒とピンク色のトレーニングウェアに着替え、ランニングに出かける。これが、私がこの屋敷、天々座(てでざ)家で働き始めてから続けているルーティンワークだ。

 

今日は平日だからそのあとは制服に着替えて……などと考えながらカーテンを開ける。

朝のさわやかな日差しが目に染みて、思わず顔をそらしてしまうほどに良い天気だった。

窓を開け、早朝の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込み、眠気とともに一気に吐き出す。

 

「すぅ~……はぁー……よし」

 

深呼吸をして頭と体のスイッチを入れた後、頭の中で組み立てた予定を実行に移す。

朝日が一段ときれいだったからか、外の空気がこの季節にしては冷たかったからか、いつもよりも眠気がきれいに飛んでくれた。

 

鏡を見ると、そこには寝起きにしてはすっきりとした大きな翠色の目、自分でも割と整っているとおもう顔に寝癖で爆発している銀髪の少女が映っている。

目はしっかり冴えているのに寝癖だらけの髪が台無しにしていて少し笑ってしまった。

腰まで届く長さで若干癖のある銀髪を整える。くせ毛の宿命である手ごわい寝癖を整え、大きな花の髪飾りを左側につける。

……うん、いい感じ。

さて、お嬢様が起きる前に早くランニングに行かないと。

 

 

 

 

 

ランニングへ行く前に、作っておいたヨーグルトドリンクを飲むために食堂へ向かう。

 

この広い屋敷では私のほかにもメイドと料理人が数人、厳ついサングラスを掛けた一見ヤバ目なガードマンが数人働いている。私がここに来て間もないころはなんだかとんでもない所に来てしまったなとか、いったい私は何をやらされるのだとか、なかなかに失礼なことを考えてしまったが、話してみると案外(これも失礼か)礼儀正しく、紳士的に接してくれた。人は見かけによらない、なんて考えているうちに食堂に到着した。

 

そこにはすでに黒いスーツに身を包んだ数人のグラサン男が朝食を取っていた。

そのままそっと横を抜けて厨房へ入ろうとしたが、黒服が私に気づいた瞬間、

 

「おはようございます、イオお嬢!」

 

と勢いよく起立し深々とお辞儀をする。

 

「おはようございます、皆さん。……何度も言っていますけど、メイドである私を「お嬢」と呼ぶのはなぜなのですか?」

 

「ははは、何をおっしゃいますか。イオお嬢はこの屋敷のご家族じゃないですかい」

 

「ですかいですかい」

 

「いや、私はただのメイドなのですけどね……」

 

私はただの住み込みメイドなのに、なぜか「お嬢」と呼ばれる。お嬢だとか、「ご家族」だとか、私がそんなわけがない。この屋敷に来たのだってたった三年前だし、家族と呼ばれるほど打ち解けられていない。

微妙に居心地が悪く感じられたため、ヨーグルトドリンクを一気飲みし、早く食堂を離れることにする。

 

「では、私はランニングに行ってきます」

 

「ああイオお嬢、お気をつけて。それと今は晴れていますが午後から天気が崩れるそうです。学校には傘をお持ちになってください」

 

「えっ、そうなんですか。こんなにいい天気なのに……もし私がいない間に雨が降ってきたら、洗濯物をお願いします」

 

午後から雨が降るから傘を用意する……忘れないようにしないと。

 

 

 

 

 

私の名前は伊笛 衣緒(いふえ いお)

この春から中学二年生になる。

 

「はっはっ、ふっふっ」

 

ひんやりとした空気に触れながら木組みの街を駆ける。

日課である朝のランニングは、いつもならもやもやした気分を吹き飛ばしてくれるが、今日は私の心に黒い雲が覆いかぶさっているかのようだった。

 

私は以前、母と田舎の小さな町で暮らしていた。

父は私が四歳の頃に事故で無くなったと聞いている。

 

母は厳しい人だった。

運動でも勉強でも毎回クラスで一番になれるくらいに、何事にも妥協をせずに全力で取り組めと常々言われていた。

それに加えて掃除、洗濯、料理など、一通りの家事をマスターするように訓練させられた。

 

私はそんな母が嫌いだった。

当時小学生であった私はたとえテストで99点を取ったとしても、100点を取らなければだめだと怒られたし、家事よりももっと友達と遊ぶ時間が欲しかった。

 

こんな生活がずっと続くのだろうか、と何度も考えた。

ただ、そんな生活も中学卒業までだ。

母は「中学を卒業したら、自由にしていい」と言った。

 

この息苦しい生活のゴールが見えた気がして、ただただうれしかった。

 

しかし、この生活は私が思っていたよりも早く終わりを迎えた。

 

母が病気で亡くなった。

 

その知らせを学校で聞いた時、何を言っているのか理解できなかった。

 

なぜなら私は母が病気だったことを知らなかったからだ。

確かに最近は仕事に行かないで家にいることが多かったなとか、何か薬を飲んでいるなとか、後から思えばそうだったかもしれない。

 

だが、命に関わるほどの病気を患っているようには見えなかった。

 

訳も分からないまま葬儀が終わり、母の遺品を整理しているときだった。

 

母の遺書を見つけた。

 

そこには、母が昔から病気を患っていたこと、私が高校生になるまでは生きられない体だったということ、最近はそれを隠すのも難しくなるほど悪化していたことが書かれていた。

 

最後に、今まで厳しく接していたのは、せめて私が一人で生きていけるように、親として最低限のことをしてあげたかった、ごめんね、よく頑張ったね、と書かれてあった。

 

その時、母が亡くなって初めて泣いた。

 

あの母の厳しさは母なりの愛の形だった。

母を愛することができなかった自分に腹が立った。

謝らなければならないのは私の方だったのだ。

 

そして父と母の友人であるリゼお嬢様のお父様――ご主人様に拾っていただき、この街にやってきた。

母から教わった家事を活かしてメイドとして働かせてもらっている。

 

リゼお嬢様は私を妹として迎えてくれた。

私を家族として接してくれることはとてもうれしいし、暖かさを感じる。

 

でも、母を愛することができなかった私に、お嬢様方を家族と呼ぶ資格はない。

 

「はっはっ、ふっふっ……ふぅ」

 

木組みの街を見渡せる高台で一息つく。

いつもならばすっきりとした気分になれるランニングも、今日はあまり効果を感じない。

なぜなら、この春から私は中学二年生になるからだ。

 

母が言っていた、「中学を卒業したら、自由にしていい」という言葉が、私の心に重くのしかかっていた。

 

今ならその言葉の真意が分かる。母は自分が死んだ後、私に自由に生きてほしいと願ったのだと。

 

今まで下ばかり見て歩いてきた私に、そんなことができるのだろうか。

 

 

 

 

 

「おはようございます。リゼお嬢様」

 

「ああ、おはようイオ……お嬢様はやめてくれっていっただろ?」

 

「いえ、そういうわけにはいきませんよ、お嬢様」

 

「「お嬢様」だなんてなんだか他人行儀な気もするが……普通に呼び捨てでも構わないぞ?」

 

「いえ、これは私の問題なのです。それでは朝食をお持ちしますね」

 

「…うーん、そういうことなら仕方がないか。ああ、準備手伝うよ」

 

リゼお嬢様は優しい人で、メイドの私の仕事を手伝ってくれる。

また、私がリゼお嬢様を家族として見られないことに気づいていて、深く踏み込んでこないところもリゼお嬢様の優しさ、思いやりなのだろう。

 

「ところでイオ。イオは将来の夢ってあるのか?」

 

「……どうしてまた、急に?」

 

「いや、私も高校二年生になるだろ?そろそろ将来のことを具体的に考えないとなって思ってさ」

 

将来の夢。

私は今までそんなことを考えたことがあっただろうか。

今までの私はただただ母から認められることだけを考えて生きて、母が死んだ後は一人で生きていかなければならず、目の前のことでいっぱいだった。

 

「……具体的には、まだないですね」

 

具体的でなく、ぼやっとしたものならあると、そういう感じでお茶を濁す。

 

「そっか、まるで「今まで考えたこともなかった」みたいな顔しているけど、そんなことはなかったか」

 

「うっ……」

 

バレてる。

 

「……どうして?」

 

私はあまり感情が表情に出る方ではないはず。なんなら表情筋は動かな過ぎてガチガチなくらいだ。

 

「いや、イオは目や仕草を見てれば何となくわかるよ」

 

「むぅ……」

 

なんだか無性に悔しい。それに恥ずかしい。

 

「なら、このお屋敷でずっと働かせてください」

 

紅くなった顔を見られないように背を向けながら言った。

 

「それはいいけど……ここはイオの家でもあるんだぞ?メイドじゃなくても家事くらいしていいし、何よりイオは要領もいいし、頭もいいからいろいろな選択肢があると思うな」

 

「……はい。ありがとうございます」

 

……こんな私でもリゼお嬢様は家族として見てくれる。この暖かさが心地よい。

私は何も浮かばない将来のことを考えながら、この暖かさがずっと続けばいいなと思った。

 

 

 

 

 

「ふふっ。少しは悩みもすっきりしたか?」

 

「……ええ、今朝よりもずっとスッキリしました」

 

「それは良かった。もっと、お、お姉さんに頼ってもいいんだからな?」

 

……リゼお嬢様、顔真っ赤ですよ。

でも、気にかけてくれるのはうれしい。

 

「はい。何かあったら頼らせていただきます。リゼ()()()

 

「おねっ……!ああ、きょ、今日は早く学校に行かないといけないんだった!先に行く!」

 

リゼお嬢様ったら、もう湯気が出るほど顔が赤いです。……私もですが。

 

「はい。行ってらっしゃいませ」

 

さて、私も買い出しに行かなければ……と、何気なくテレビに目をやる。

 

「……あっ、傘準備するの忘れてた」

 

……まあ、忘れてしまったものは仕方がない。用事が終わったら傘を持って迎えに行けばいいか。

事前に聞いていたリゼお嬢様の予定表を取り出す。

 

「今日の放課後は……ラビットハウスでアルバイトですか。なら、ついでにコーヒーでも飲んでみようかな」

 

今日の予定を簡単に頭の中で整理した。

 

ラビットハウス……少し楽しみだ。

 

 

 

 

 

「すごい雨だな」

 

「そうですね」

 

私、天々座 理世(てでざ りぜ)はざあざあと音を立てて降る雨を睨みながらチノに話しかける。

 

「午前中はあんなに晴れていたのに、急にこんなに雨が降ってくるなんて」

 

「そうですね。お客さんも慌てて帰ってしまいました」

 

「洗濯物でも干しっぱなしだったのかもな」

 

「……喫茶店としては、雨宿りがてらコーヒーを飲んでいって欲しかったです」

 

閑散とした店内で取り留めの無い会話が続く。

喫茶店としては緩すぎる雰囲気が、妙に心地良かった。

 

しばらくして、ギギーッと来客を知らせるドアの開く音が鳴り、雨が降り始めてから久しぶりのお客さんが来店した。

 

「いらっしゃいませ……って、イオじゃないか」

 

普段のメイド服ではなく、緑を基調にしたどこか上品さを感じさせるような服を着た彼女は、買い物帰りなのだろうか大きな買い物袋を手に提げていた。

 

「こんにちは、です。お嬢様」

 

「?リゼさん、お知合いですか?」

 

「ああ、チノとは初対面だったか。紹介するよ。妹のイオだ」

 

「リゼさんに妹さんがいたんですか?」

 

「あの、いえ、……わけあってリゼお嬢様の家でメイドとして働かせてもらっているだけですよ。改めまして初めまして。伊笛 衣緒と申します。イオと呼んでください」

 

ほんの少し頬を赤らめた顔でイオは言う。今朝の仕返しだ。

イオは表情硬いけど礼儀正しくていい子だからな。チノとも仲良くしてくれるだろう。

 

「イオさんですね。私は香風 智乃です。ここのマスターの孫です。こっちがティッピーです」

 

「チノさんとティッピーさんですね。いつもリゼお嬢様がお世話になっています」

 

「いえ、リゼさんにはいつも助けてもらってばかりで……ところで、イオさんは本物のメイドさんなんですか……!?」

 

チノが見たこともないようなキラキラした目でイオに尋ねる。

 

「そうですね。一応掃除、洗濯、料理、護衛なんかをやっていますよ」

 

「護衛?」

 

「ああ……ほら、私と同じでイオも親父に護身術を叩きこまれたんだよ」

 

私は小さいころからやっていたがイオは三年で私よりも強くなった。もともと運動神経が良く、物覚えもいい方だったからかメキメキと上達した。今では親父の部下たちとも互角に渡り合えるんじゃないか。

 

「メイドさんとはいったい……」

 

「チノちゃんこそ、小さいのにもうお店を手伝っていて偉いと思います」

 

そうそう。小さいのに……って、うん?

 

「確かチノとイオは同い年だったと思うが……」

 

「「えっ」」

 

「二人とも春から中学二年生だろ?」

 

たしかにこの二人が同い年には見えない。

 

チノは身長が低い方(144cm)で、コーヒーに砂糖とミルクが欠かせない所や、意外と表情が豊かな所がある。言動が大人びているので、大人びて見えるところがあるが、イオに比べたらやはり年相応の幼さが残る。

 

一方のイオは身長が高い方で、確か156cmはあったと思う。それに過去にいろいろあったからか、周囲から一歩引いて周りを観察できる冷静さがある。感情があまり表情に出るタイプではないし、艶のある銀の長髪も合わさって年齢以上に大人びて見える。

 

「そうだったんですね。小さいとか言っちゃってごめんなさい」

 

イオにしては慌てた様子でチノに謝る。表情は少ししか変わってないけど。

 

「いえ、私も高校生ぐらいかなと思ってしまったので……」

 

「イオが大人びて見えすぎるだけだから大丈夫だよ」

 

「うぅ……本当にごめんね……」

 

「イオもそんなに気にするなって。ところで、わざわざラビットハウスまで来て何か用があったんじゃないか?」

 

「あっ、そうです。お嬢様に傘をお持ちしました」

 

「わざわざ届けてくれたのか!ありがとうイオ!」

 

「いえいえ、私もコーヒーを飲みに来たついでみたいなものですし」

 

「とりあえず席へどうぞ。こちらがメニューです」

 

わざわざ傘を届けに来てくれるなんて。今日は私がおごってやろう。

 

 

 

 

 

伊笛 衣緒さん。リゼさんの妹?さん。

 

第一印象は私よりも10cmほど背が高く、スタイルもよい美人さん。表情があまり変わらず、少し怖い人だと思いましたが、話してみるとそんなことはなく、むしろ私のペースに合わせてくれるおかげかとても話していて面白いと感じました。ただ、常に何とも言えぬ暗いオーラをまとっているような、不思議な人でした。

 

リゼさんはイオさんが傘を届けてくれたのがうれしいのか心なしか機嫌が良いようです。さっきからこちらをみてニヤニヤしているのが気になりますが。

 

「このコーヒー、とってもおいしいです」

 

「ありがとうございます。うちのオリジナルブレンドなんですよ」

 

「オリジナルブレンド……!やっぱり喫茶店で飲むコーヒーは違いますね」

 

目を閉じて良く味わうように、そして何かを感じ取るかのようにコーヒーを飲むイオさんはとても絵になっていて、本当に同い年なのかと思ってしまいます。

 

「……あの、イオさんさえよければ、うちで働いてみませんか?リゼさんもいますし、コーヒーもサービスしますよ……?」

 

普段の私からは考えられないような言葉だった。人見知りの私がその日出会ったばかりの人に「うちで働かないか」なんて声をかけるなんて。

 

「……ふふっ、それは魅力的な提案だけれど、チノさんも忘れてないですか?普通バイトは高校生からなのですよ?」

 

「あっ、そ、そうでしたね……すみません、忘れてください」

 

「……そうですね、人手が足りない時に声を掛けてください。手伝います。もうお友達ですから」

 

「……はい!ありがとうございます!」

 

あの時どうしてこんなことを言ったのだろう。いつか、わかる日が来るのでしょうか。

 

 

 

 

 

ラビットハウスには緩やで暖かい時間が流れていた。チノちゃんからマスターだったお爺さんの話を聞いた。お爺さんから受け継いだコーヒーの淹れ方、オリジナルブレンドはラビットハウスに詰まった想いを感じることができる深い味わいだった。

 

 

今朝、お嬢様との会話の中で感じた暖かさに似ている。この暖かさはいったい何だろう。

小さいころを思い出す。母との生活はつらいことの方が多かったけれど、楽しかったこともあったな、と思い出した。

 

 

父が亡くなったばかりの頃、私が母に初めてコーヒーを淹れてあげた時だ。あの時私は誰かに教わった手順通りにコーヒーを淹れた。そのコーヒーを飲んだ母は泣いたのだ。泣きながら私を抱きしめた。その時にかけられた言葉は最後まで思い出せなかったが、その温もりが胸に蘇った。

 

 

ラビットハウスで働かないかと言われたときは、正直かなりうれしかった。この暖かさに触れていれば、母との楽しかった思い出をまた思い出せるかもしれない。

 

 

中学を卒業したらラビットハウスで働くという具体的なやりたいことができた。夢、と言われたら違うかもしれないが、それでも少し前に進める気がした。




すでに少し浄化されてるやん!


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第二羽

ココアさんの姉力は普通に高いと思います。
モカさんと比べるのはやめて差し上げろ。


新学期が始まるまであと一週間を切った。

街を包んでいた澄んだ空気は日を追うごとに暖かくなり、桜が花を開かせようとしている。

この街のとある高校は街の外から多くの学生を迎え入れる習慣があるらしく、また新生活の舞台にこの街を選ぶ人も多いのか、この季節は木組みの街に新しい風を運んでくれる。

 

この数週間で私はすっかりラビットハウスの常連になっていた。

落ち着いていて、コーヒーの香りが広がる暖かい雰囲気。コーヒーも美味しいし、ティッピーさんをモフモフするのも好きだ。

ただ、学校が始まったら昼間は学校に行き、放課後はメイドの仕事をしなければならなくなるため、今よりも頻度は落ちてしまうだろう。

ラビットハウスでお手伝いする件は、チノさんから頼まれなくても私がラビットハウスに行ったときに忙しそうだったら手伝おうと思っていたが、まだ一度もその機会はなかった。良くも悪くも静かな喫茶店だ。

 

私は今日もラビットハウスに来ていた。いつも通りお客が少なく静かな店内のカウンター席でチノさんにコーヒーの淹れ方を教わっていた。

初めの頃は「プロのメイドさんに教えるなんて……」と言われてやんわりと断られてしまったが、メイドの本業は家事全般であり、コーヒーを淹れることにおいてはチノさんもプロだし、私よりも上手だと思ったままの考えを伝えたところ、少しうれしそうな顔をして教えてくれるようになった。

 

あの時のチノさんは可愛かった。

 

「あの……私の話、聞いてますか?」

 

「ええ、もちろん聞いていますよ。ただ少し考え事をしていたのも事実ですが」

 

「そうですか……少し楽しそうな感じでしたが、何かあったんですか?」

 

おっと、半分バレてる。表情には出していないはずだが。

リゼお嬢様といい、チノさんといい、相手の気持ちを察する能力が高すぎませんか?

 

「いえ、本当に何でもないただの考え事です。気にしないでください」

 

さて、集中集中。プロから教わる機会なんてめったに無いのだから。

と気合を入れなおしたところで、ギギィーと来客を知らせるドアの開く音が聞こえた。

 

「いらっしゃいませ」

 

流石にお客さんが来たら中断せざるを得ない。仕方がないのでチノさんの接客を観察することにした。

 

「うっさぎーうっさぎーっ♪」

 

肩にバッグをかけ、かわいらしいピンク色のスーツケースを引いているそのお客さんは席に座る前にあたりを見回し始める。スーツケースを持っているということは旅行客か、引っ越してきたばかりの人のどちらかだろう。

 

「うさぎがいない……」

 

慌てた様子で店内を見回すお客さん。何かあったのだろうか。

 

「うさぎがいない……!」

 

とうとう机の下まで覗き込んでいる。チノさんが少し引いている。ここ喫茶店だぞ。普通うさぎはいない。ティッピーは別。

 

「うさぎがいない!」

 

((なんだこの客))

 

おそらくチノさんも同じことを思ったのだろうか、やり辛そうな顔をしている。

頑張れ。ちょっとあれなお客さんでもしっかり対応できるようになるんだ。

 

 

 

 

 

そのあとお客さんはティッピーをモフモフするためにコーヒーを三杯注文した。一杯で一回モフモフできるシステムらしい。知らなかった。

 

お客さんに入れたてのコーヒーを出すためにカウンターに戻ってきたチノさんは準備に取り掛かる。プロの技を観察しようと思い前を向いたとき、そのお客さんが声を掛けてきた。

 

「こんにちはー!」

 

「えっ、あ、はい。こんにちは」

 

声を掛けられることはないだろうと無意識で思っていたため、変な声が出てしまった。少し恥ずかしい。

 

「お一人なんですか?良かったらこっちのテーブルでお話しませんかー?」

 

「え、ええ。じゃあ、お邪魔します……」

 

こんな誘われ方初めてだ。

一瞬断ろうとも思ったが、あのすごくいい笑顔を見たら自然と承諾してしまった。

どうしよう。初対面の人と話すのは苦手だ。どんな人なのか分からないから、何を話せばいいかも分からない。

そんなことを考えているうちにお客さんが話し始めた。

 

「私、春からこの街の学校に通うことになって、下宿先を探しているうちに迷子になっちゃったんだよ」

 

春から、ということは中学か高校の新一年生だろうか。大学生には見えない、中学生で下宿というのもあまり考えられないし、高校生だろうか。

 

「街の外からの生徒をたくさん募集している高校があると聞いていますが、そこの生徒さんでしょうか?」

 

「うん!たぶんその学校だよ!」

 

「なるほど。でも、どうしてわざわざこの街の学校に?」

 

「えっとね~、昔木組みの街に旅行しに来たことがあって。その時にこの街で暮らしたいって思ったんだ!あなたも高校生?」

 

「いえ、私は春から中学二年生になります」

 

「えーっ!中学生なの!?すっごく大人っぽいから年上に見えてたよ~!」

 

年上に見えていてもあの口調だったのか。でも不快感は全く無い。彼女の笑顔や驚く表情、仕草の一つ一つに不思議な力があるかのようだった。

 

「よく大人っぽいとは言われますよ。あの、私は伊笛 衣緒といいます。お名前を伺ってもよろしいですか?」

 

「イオちゃんだね!私はココアだよ!よろしくね!」

 

「はい。よろしくお願いしますココアさん」

 

「イオちゃん、私に敬語はいらないよ!ココアお姉ちゃんって呼んで!」

 

「お姉ちゃん!?ええと……それはちょっと……」

 

そう言い淀んでいたら、ココアさんは私の頭を撫でてきた。

ビクッと驚いてしまったが、ココアさんの手は何故かとても暖かく感じた。

「えへへ~」と笑う顔に少しばかりの心地よさを感じたが、次第に恥ずかしさが勝っていく。

 

「イオちゃんはクールな美人さんだけど照れ屋さんなんだね~」

 

「っ!はい!もうおしまい!これ以上頭撫でるの禁止!」

 

めちゃくちゃ恥ずかしい。

 

「あっ、敬語やめてくれた!うれしいなー!」

 

「うぅ、も、もう!からかわないで下さいよ!」

 

自分でも顔が赤いのが分かる。涙目になりながらそう訴えた。

私はどうも恥ずかしかったり、慌てていたりして余裕がないときは敬語が取れてしまう癖があるらしい。

一応プロのメイドなのだ。克服せねば。

 

「あはは、ごめんね」

 

と、ココアさんは笑いながらも少し申し訳なさそうにする。

 

その表情はすこし、ずるい。

 

「もう、次は怒りますからね!」

 

――――――

――――

――

 

「お待たせしました。コーヒーをお持ちしました」

 

チノちゃんがコーヒーを三杯運んでくるわずかな間の会話だったが、とても楽しかった。

私は初対面の人と話すのが苦手だが、ココアさんは初対面なんてことはお構いなしというほどに自分から歩み寄ってきた。

推測だが、最初の挨拶の時に私が会話することが得意な方ではないと感じ取ったのだと思う。それでココアさんから話を振ってくれたのだ。

同年代の友人がほとんどいない私にとって、会話が楽しいと思えるのはずいぶんと久しぶりに思えた。

どんな人からも好かれる人間はいない。でも、もしそんな人間が実在するならば、それはココアさんのような人なのだろう。

ティッピーをモフモフするココアさんを眺めながら、そんなことを考えていた。

 

ココアさんの下宿先は何とチノさんの家だった。

高校の方針で、下宿させてもらう代わりにその家でご奉仕をするルールがあるらしい。

もしうちのお屋敷に下宿していたら、ココアさんとメイドをしていたのか。少し楽しそう。

 

「イオさん、すみませんがココアさんに制服を用意するので少し待っていてください」

 

「あれ、二人はお友達なんだ」

 

「そうですよ。同級生なんです」

 

「コーヒーを淹れる技術を教わっています」

 

「へ~、なんだかすごいね~」

 

ココアさんの制服を準備するために二人はバックヤードに入っていった。

店員がいなくなったがいいのだろうか。

そういえばリゼお嬢様がいない。おそらくまだ制服に着替えている途中なのだろう。お嬢様、ココアさんに「お前は誰だ!」とか言いながら銃を突き付けてないといいけれど。

 

 

 

 

 

しばらくすると、制服姿のチノさん、ココアさん、リゼお嬢様の三人が戻ってきた。

チノさんは私の隣に座って宿題をやり始めた。ココアさんはカウンターに立ってカップなどの場所を確認している。

ココアさんとお嬢様はもう仲良くなっているようで、改めてココアさんはすごいなと思った。

 

「ああ、イオ。いらっしゃい」

 

「こんにちはです。お嬢様」

 

「お嬢様!?」

 

「イオさんはリゼさんの家で働いているメイドさんなんですよ」

 

「メイドさん!?すごーい!メイドさんもすごいけど、家にメイドさんがいるリゼちゃんもすごい!」

 

「すごいって、別に私は何もすごくないぞ。それよりほら、メニュー覚えとけよ」

 

そう言ってお嬢様はココアさんにメニューを渡す。

 

「コーヒーの種類が多くて難しいね……」

 

「そうか?私は一目で暗記したぞ」

 

「えっ、すごい!」

 

「お嬢様は暗記の訓練をしていましたからね」

 

「まあな。でもチノもすごいぞ。香りだけでコーヒーの銘柄を当てられるし」

 

チノさんは少し照れているのかノートで顔の下半分を覆ってしまった。かわいい。

 

「私より大人っぽい!」

 

「ただし砂糖とミルクは必須だ」

 

「うぅ……」

 

「ふふっ」

 

とても恥ずかしそうにしているチノさんを見て少し頬が緩んだ。

 

「むう……」

 

そう言いながら肘で私の脇腹を小突く。かわいい。

 

「ふふっ!なんか今日一番安心した!いいな~チノちゃんもリゼちゃんもイオちゃんも。私も何か特技あったらな~」

 

あのコミュニケーション能力は特技ではないのか。誰とでもすぐに仲良くなれることはすごい特技だと思うが。

 

「?チノちゃんなに持ってるの?」

 

ココアさんがさっきからチノさんが顔を覆うために持っていたノートに気づく。

 

「春休みの宿題です。空いた時間にこっそりやってます」

 

「ああ……わかります。仕事で忙しいとどうしても宿題は空き時間とかに済ませないといけないですからね」

 

ココアさんはチノさんの宿題を覗き込む。

 

「あっ、その答えは128で、その隣は367だよ」

 

……えっ

 

「……ココア、430円のブレンドコーヒーを29杯頼んだらいくらになる?」

 

「12470円だよ」

 

「「「えっ」」」

 

「私も何か特技あったらな~」

 

コミュ力に加えて暗算まで……まさに接客業向きの特技。

と、そんな話をしているとき、ギギィーと店の扉が開いた。

 

「いらっしゃいませ!」

 

誰よりも早く反応したココアさんはカウンターから飛び出していく。

 

「あら、新人さん?」

 

「はい!今日から働かせていただく、ココアと言います!」

 

「よろしくね。キリマンジャロをお願い」

 

「はい!」

 

そんな様子をカウンター席から見ていた。

初対面の人でも物怖じせずに元気よく挨拶できることは立派な特技だなと感じる。

 

「ふ~ん。ちゃんと接客できてるじゃないか」

 

「はい。心配無いみたいですね。」

 

「私はココアさんなら接客に関しては大丈夫だと最初から思っていましたよ」

 

「そうなのか?」

 

「ええ、だって、お嬢様ともチノさんともすぐに仲良くなってしまいましたから」

 

ココアさんが急ぎ足で戻ってくる。

 

「やったー!私、ちゃんと注文取れたよ!キリマンジャロ、お願いします!」

 

ビシッと敬礼しながらココアさんは言った。

 

「ああ……」

 

「えらい、えらいです」

 

「ココアさんの笑顔は立派な特技ですね」

 

「そうかな?ありがとうイオちゃん!」

 

この春、木組みの街にやってきた少女はラビットハウスに新しい風を運んできてくれた。

 

 

 

 

 

ココアさんが接客したお客さんが来てから、お客さんが次第に増えてきた。

ココアさんがリゼお嬢様の背中にぶつかってしまい銃を突きつけられている光景を、コーヒーミルでゴリゴリとコーヒー豆を挽きながら眺めているチノさんは口を一文字に結んでいる。なんだか機嫌が悪いのかもしれない。

 

「チノさんはこういうにぎやかなお店は嫌いですか?」

 

「あっ、いえ、そういうわけではないんです。ただ、おじいちゃんは嫌がるかなって」

 

「マスターだったお爺さん……なるほど。チノさん自身は嫌じゃないということですね」

 

「……そうですね、嫌いじゃないです」

 

「そうですか。私も落ち着いた感じのラビットハウスも好きですけど、こういう空気も嫌いじゃないです」

 

「……そうか、それはよかった」

 

……うん?いまチノさんからやけにダンディーで低く渋い声が聞こえた気が……

ハッと顔を上げチノを見ると、慌てた様子で口を手で塞いでいる。

「えっと、今のは……?」

 

「腹話術です」

 

腹話術。あの渋い声をチノさんが腹話術で出したというのか。そんなわけないだろうが、私の問いかけにチノさんが反応したため、聞き間違いということでもないらしい。

……うーん。わからない。

 

悶々としていると、お嬢様とココアさんがラテアートを練習し始めた。

 

「まあ、手本としてはこんな感じに……」

 

お嬢様はうさぎの顔、ハートマーク、四葉のクローバーの三つのラテアートをあっという間に完成させた。

 

「おぉ~!すごい上手い!」

 

「お嬢様、家でいっぱい練習していましたからね」

 

「おいイオ!」

 

お嬢様に怒られてしまった。

 

「リゼちゃんって絵上手いんだね~!ねえ、もう一個作って!」

 

「しょ、しょうがないなあ……」

 

お嬢様、褒められて調子に乗っちゃうところがあるからなぁ……。

ほら、曲芸じみたミルクの淹れ方しているし。

 

「うおぉぉぉぉぉぉぉ!できた!」

 

お嬢様が描いたのは戦車の絵。気合が入りすぎてラテアートの域を超えている。

 

「上手ってレベルじゃないよ……!」

 

あのココアさんが引いているぞ、お嬢様。

 

「よーし!私もやってみるよ!」

 

そこから始まった猛特訓。お代はいいということなので頂いたが、量産された練習用のラテアートを飲み干したころには、すでにお腹がいっぱいになっていた。

 

 

 

 

 

「イオ、夕飯はあれだけでよかったのか?」

 

「はいお嬢様。ココアさんのラテアートを飲みすぎてお腹がいっぱいです」

 

「あはは……確かにあれは作りすぎだよな」

 

「ええ。でも、話していて楽しい人でしたね。ココアさんは」

 

「そうだな。にぎやかになりそうだ」

 

「私も高校生になったらラビットハウスでアルバイトしたいですね」

 

「ああ、それがいい。チノもココアも喜ぶ……初めて聞いたよ。イオが高校生になったらやりたいこと」

 

「……そうですね。私も一歩前に進めたのかもしれません」

 

「……そうか」

 

その時、ピロロロロン、ピロロロロン、とお嬢様の携帯が鳴った。

 

「……おっメール?ココアからだ。……あいつこんなの作ってたのか。ほらイオ」

 

そういって携帯の画面を見せてくる。

そこには四つのラテアートが映っていた。

 

「これ……私たちですか?……ふふっ。お嬢様そっくりですね」

 

「いやいや、イオもかなり似てるぞ」

 

ふと、写真の上の文章に気づく。

 

明日からも頑張ろうね

 

「……私、やっぱりラビットハウスで働きたいなぁ。メイドも捨てがたいですが」

 

「いつでも遊びに来なよ。コーヒーぐらいおごるからさ」

 

お嬢様は少し驚いた表情をした後、私の頭を撫でながらそう言った。

 

「……はい。ありがとうございます」

 

部屋に戻った後、ベッドに潜って今日のことを思い出す。

会って間もないのに私の心を開いて見せたあの笑顔、私の頭を撫でてくれた手はとても暖かかった。

ラビットハウスに初めて訪れたときに思い出した母との思い出の中でも、私は頭を撫でられていた気がする。

その時感じたはずの暖かさは、きっと今日みたいな感じなのだろう。

 

ラビットハウスに吹いた春風は、私の心も溶かしてくれる気がした。

 




主人公の名前は「イフェイオン」から取ってます


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第三羽

主人公がリゼの部屋で一緒にくつろいでいますが、仕事をサボっているわけではありません。
さみしがり屋なリゼの話し相手になるという大事な仕事中なのです。


新学期が始まった。

新生活の始まりに期待や不安を感じさせる季節だが、桜がまるで新たな出会いを祝福しているかのように咲き乱れ、不安だけを遠くに吹き飛ばしてくれるような春風が心地よい。

このままラビットハウスにコーヒーでも飲みに行きたいが、そういうわけにもいかない。

昼間は学校に行き、放課後はお屋敷の家事と、春休み期間に比べて自由な時間がかなり減ってしまった。

使用人は私以外にもいるので、毎日仕事をしなければならないという訳ではないのだが、宿題や勉強を休日に纏めて済ませることが多いので、自由な時間はなかなか取れずにいた。

チノさんとは別の中学校に通っているため会う機会が減ってしまった。

 

私は昔から友達を作ることが苦手だ。小学校の頃は勉強や家事を覚えることに必死で、友達の作り方を知らないまま中学生になってしまったのだ。よく私に話しかけてくれて唯一友達だと思えるような子もいたが、その子は周りによく気を配ることができる子で、その子の周りにはいつも多くの人がいた。その子にとって私はたくさんの友達の中の一人にすぎなかったのだろう。それもそうだ。私は結局一度もその子の遊びの誘いを受けなかったのだから。もしかしたら向こうは友達とすら思ってなかったかもしれない。

母が亡くなって、リゼお嬢様のお屋敷に拾ってもらって木組みの街に来た当初は、そんな自分を憐れんで、多くの子が私に手を差し伸べてくれた。でも私はその手を取ることができなかった。可哀そうな子だなんて思ってほしくなかった。

今でも私に声を掛けてくれる人はいるが、そのたびにそんなことが頭に浮かんできてしまい、心の中で相手と距離を置いてしまうような自分が嫌いだった。

 

 

 

 

「この前学校に行く途中にココアと会ったんだけど、道に迷ってたみたいでさ。別れたと思ったらすぐ別の道からココアが出てくるから驚いたよ。それも3回も。なんだか異次元空間に迷い込んだ気分だったよ」

 

リゼお嬢様の部屋でアフターディナーティーを楽しみながらお嬢様の話を聞いていた。

お嬢様は最近、ココアさんやラビットハウスでの出来事をよく楽しそうに話してくれる。

ココアさんが来てからまだ数日しか経っていないが、話題は尽きないのか、毎日面白い出来事を教えてくれる。

 

「ココアさんはまだ来たばかりなのに、周囲に馴染むのがお上手なのですね。チノさんやリゼさんともすぐ打ち解けてしまいましたし」

 

それに私とも。私には真似できないような方法で、私が心の中で距離を置く前に飛び込んできてくれた。

友達の作り方のお手本を見せられたかのように感じた。

 

「そうだな。でも、イオだってすぐラビットハウスに馴染んでたじゃないか」

 

「そうですか?私はただ隅っこでコーヒーを飲んだり、たまにチノさんとお話したりしていただけですけど……」

 

「そこだよ。チノは人見知りで初対面の人と話すのが苦手なんだ。でもイオとは普通に話せてたからな」

 

私は表情も硬いし、あまり話しやすいタイプではないと思っていただけに、少し驚いてしまった。

 

「私に話しやすいと感じる方もいるのですね」

 

「そうか?イオは聞き上手な所があるし、話していて楽しいぞ?」

 

お嬢様って、さらっとそういうことが言えちゃうのがずるい。

 

「あっ、今照れてるだろ。イオは表情が分かりづらいだけで、手とか仕草にでるからな」

 

……ほんと?うまく隠せてると思ったんだけど。なんか恥ずかしくなってきた。

 

「きょ、今日はもう遅いですし部屋に戻ります!おやすみなさいませお嬢様!」

 

形勢不利のため撤退しようと慌てて立ち上がった時、お嬢様に呼び止められた。

 

「ちょっと待ってくれイオ!明日ラビットハウスで看板メニューを作るそうなんだが、一緒に行かないか?イオは料理得意だし」

 

「看板メニューですか?……確かに料理は得意ですが、メニューを作るとなるとお力になれるかどうか……」

 

明日は当番の日ではないから時間はあるだろう。ただ、メニュー作りか……。

作るだけならレシピ通りにすれば大抵何とかなる普通の料理とは違い、ラビットハウスのイメージや雰囲気に合ったメニューを考えるのは難しいだろう。どれだけ美味しい料理でも、ラビットハウスのあのコーヒーの味と合わなければ看板メニューとは呼べない。

 

「そんなに気を張らなくても大丈夫だよ。それにチノやココアも来て欲しがってたぞ。遊びに行くと思ってさ」

 

友達からの誘い。昔のことが頭によぎる。以前の私ならば何となく距離を感じてしまい断っていただろうが、それでも久しぶりに二人に会いたいという気持ちの方が強かった。

 

「そうですね……では、ご一緒させていただきます」

 

「ああ!そうと決まれば明日の準備をしよう!イオがいればキッチンで合法的に材料調達できるからな!」

 

「合法的って……事情を話してくれれば、料理長からの許可も出ると思いますけど……」

 

私は苦笑いしながら答えた。私は知っている。嬢様は夕食後に時々キッチンに忍び込むことがある。そっちは多分許可は出ないだろうが。

 

ともかく、同年代の人たちと休日に集まるのは初めてなので、少し浮かれ気分でお嬢様とキッチンに向かった。

 

 

 

 

 

翌日。毎朝のランニングの後、いつもならお嬢様方の朝食の準備を手伝ったりするところだが、今日は当番ではないので使用人向けの朝食を済ませ、自室で私服に着替えて今日持っていく材料について考えていた。あの後聞いたのだが、ココアさんはパン作りが得意らしく、看板メニューになるパンをみんなで作るための催しなのだとか。ならば持ち込む材料はジャムとかマーマレードなどが一般的だろうが、甘いものは他の人も持ってきそうだし、何よりそれだけでは面白くない。それ自体はメジャーな料理だが、誰かとかぶることは無いと思われる食材を準備した。

 

ラビットハウスに着いたときにチノさんが出迎えてくれた。ココアさんはもう一人に声を掛けていて、高校でできた新しい友達を迎えに行っているらしい。もう友達ができたのか。

 

エプロンを着て先にキッチンで準備をしていると、ココアさんが一人の少女を連れて戻ってきた。その少女は綺麗な黒い髪におっとりとした目をしていて、大人しい雰囲気を漂わせていた。

 

「みんなお待たせ!こちら、同じクラスの千夜ちゃんだよ」

 

「今日はよろしくね」

 

見た目に違わずおっとりとしていて優しい声色をしていた。

 

「チノちゃんとリゼちゃんにイオちゃんだよ」

 

「よろしくです」

 

「よろしく!」

 

「よろしくお願いします」

 

初対面の人と話すときは少し緊張してしまうが、ココアさんがティッピーについてただの毛玉じゃないだとか、モフモフ具合が格別だとか、他愛もないような会話であっという間に私たちと千夜さんを引き寄せてしまった。

 

「ふふっ。その子、ワンちゃんじゃなくてアンゴラうさぎって種類のうさぎさんなんですよ」

 

この空気が自然と私を会話に引き込んでくれたかのように、私は思わずそう言った。

 

「あら、そうなの?癒しのアイドルモフモフうさちゃんね」

 

「ティッピーです」

 

そんな会話を聞いていると自然と表情が柔らくなっていく気がした。

 

「よかったな、イオ」

 

お嬢様が耳元でささやいた。なんだか少し恥ずかしくなって、顔を隠すようにうつむいてしまった。

 

 

 

 

 

自己紹介も終わり、パン作りが始まった。

 

「各自、パンに入れたい材料提出ー!」

 

「イエッサー!」

 

「さ、さー!」

 

「暑苦しいです」

 

いつの間にこんな暑苦しいテンションになっているのだろうか。いつになく真面目なココアさんに続き、お嬢様と千夜さんが続く。

 

「私は新規開拓に、焼きそばパンならぬ焼きうどんパンを作るよ!」

 

いきなり看板メニューになるとは思えないものが来た。さっきの真面目さは何処に行ったんだと考えてしまったが、まあおいしそうだしアリと言えばアリかな。

 

「私は自家製小豆と梅と海苔を持ってきたわ」

 

「冷蔵庫にイクラと鮭と納豆とゴマ昆布がありました」

 

なんだそのチョイスは。

パンを作るチョイスではないのは確かだ。千夜さんのは小豆パンとか梅パンとか海苔パンとか聞いたことがある渋いチョイスだと思ったが、チノさんのは炊き立てのごはんに乗せた方が美味しいものばかりじゃないか。

ちなみに後でインターネットで検索したらイクラパンも鮭パンも納豆パンもゴマ昆布パンも出てきた。世界は広い。

 

「これって、パン作りだよな……」

そう言いつついちごジャムとマーマレードを取り出すお嬢様。普通にジャムとかで大丈夫か心配していましたが、杞憂でしたね。

 

「私は板チョコとカレーを持ってきました」

 

「カレー?そんなものいつの間に作ってたんだ?」

 

「夜中にこっそりキッチンで……内緒ですよ?」

 

お嬢様もたまにキッチンに忍び込んでるでしょ?黙っててあげるからさ。

 

材料確認も終わり、ココアさん指導の下でパン作りが始まった。

 

ひたすら生地をこねる作業にチノさんや千夜さんは疲れが見え始めている。

 

「パンをこねるのってすごく時間がかかるんですね。リゼさんは……平気ですね」

 

「なぜ決めつけた?」

 

「イオさんも平気そうですね」

 

「そうですね。これぐらいこなせないと、お嬢様の護衛は務まりませんからね」

 

「お嬢様?」

 

ああ、そういえば千夜さんには言ってなかったか。

 

「イオさんはリゼさんの家の妹メイドさんなんです」

 

「あとリゼちゃんの護衛もしてるんだって!」

 

私の代わりにチノさんとココアさんが答えてくれた。

妹メイドってなんだ。いかがわしさマシマシじゃないか。

 

「へー!リゼちゃんの妹さんだったのね!私、本物のメイドさんって初めて見たわ!」

 

「メイドなのは本当ですけど、妹ではな「ああ、そうだよ。仲良くしてやって欲しいな」

 

お嬢様!?

 

「わかったわ!よろしくねイオちゃん!」

 

そういって千夜さんはパン作りのせいでプルプルと震えている腕で頭を撫でてきた。

 

「ち、千夜さん!?頭は撫でなくていいですから!それよりパンをこねるの手伝いましょうか?」

 

無理矢理に話題を変える。ココアさんに頭を撫でられて以来、妙に恥ずかしく感じてしまう。

 

「いいえ大丈夫よ!ここで折れたら武士の恥ぜよ!息絶えるわけにはいかんきん!」

 

すごい気合いだ。何が彼女をそうさせたのだろう(小並感)。

 

 

 

 

 

「チノちゃんはどんな形にするの?」

 

こねた生地を一時間発酵させ終わりそれぞれパンの形を整えていた。私はカレーパンを作っているので、発酵させ終わったらカレーを生地で包み、二次発酵させてから揚げるだけ。手持無沙汰になってしまい、チノさんと千夜さんとおしゃべりをしていた。

 

「おじいちゃんです。小さいころから遊んでもらってたので。コーヒーを淹れる姿はとても尊敬していました」

 

「おじいちゃん子だったのね」

 

「ではこれからおじいちゃんを焼きます」

 

「おじいちゃんを焼くって」

 

思わず笑ってしまった。

 

「イオちゃんは笑顔もかわいいわね」

 

……ふぇあ!?

 

「そうですね。私もそう思います」

 

「チノさんまで……」

 

「イオちゃんは本当に照れ屋さんなのね」

 

「誰から聞いたんですか!?」

 

「「ココアちゃん(さん)から」」

 

ココアさん!?いつの間に千夜さんにそんなことを……というか、チノさんにまで話しているのか……。

よし、逃げよう。

 

「私、カレーパン揚げてきますっ!」

 

「あら、逃げられちゃった」

 

「逃げましたね」

 

うぅ……しょうがないじゃないか。笑顔がかわいいとか言われたことないし。というか私、笑えてたのか。

自分の頬をムニムニと触りながらカレーパンを揚げ始めた。

 

 

 

 

 

すべてのパンが焼き終わった。いろいろな種類のパンがテーブルに並び、焼きたてのパンの香りがキッチンを満たした。

 

「「「「「いただきます!」」」」」

 

まずは自分の作ったカレーパンから。外側はサクッと小気味良い音を立て、内側はふわふわな二種類の食感。カレーも甘すぎず辛すぎずちょうどいい。

 

「これなら看板メニューにできるよ!」

 

「この「焼きうどんパン」「梅干しパン」「カレーパン」「焦げたおじいちゃん」!」

 

「どれも食欲そそらないぞ」

 

えっ。自分としてはかなりいい感じにできたのだが。不服そうな顔でお嬢様を見つめる。

 

「いや、イオの作るカレーって辛すぎるんだよ。コーヒーの味が分からなくなりそう」

 

ええっ!?まじ!?そんな馬鹿な……。これくらいの辛さなら大丈夫だと思ったんだけど。

悲壮感を漂わせる私の横に、ココアさんが追加で焼けたパンを持ってきた。

 

「じゃーん!ティッピーパンも作ってみたんだ!」

 

ティッピーの形を模した普通のメロンパンぐらいの大きさのパンだった。形がかわいいし、もちもちしてて美味しい。甘いいちごジャムもコーヒーに合うだろう。何よりとてもラビットハウスっぽくていいと思う。

でも……。

 

((なんか、エグイな……))

 

ティッピーをかじって中から赤いいちごジャムが出てくる様がなんというか……ね。

中身をオレンジマーマレードにすればいいんじゃないかな。

 

 

 

 

 

一週間後、パン作りのお礼にと千夜さんの家の喫茶店に招待された。甘兎庵という喫茶店らしい。

 

「甘兎とな!?」

 

うん?いつか聞いたことがある気がするやたら渋い声が聞こえた。

 

「チノちゃん知ってるの?」

 

「おじいちゃんの時代に張り合っていたと聞きます」

 

今絶対チノさんの声じゃなかったと思ったが、ココアさんもお嬢様もまるで気にしていない様子。気にしたら負けなのか……。

 

しばらく歩くと、とても渋い看板を掲げたお店を見つけた。

 

「看板だけ和風……」

 

「面白い店だな」

 

「おれ……うさぎ……あまい?」

 

「あまうさあん、ですよ」

 

漢字が読めないココアさんは置いといて、先に入ってみる。

 

「こんにちは」

 

「こんにちはー!」

 

「みんな!いらっしゃい!」

 

そこには和服の上にエプロンを着て仕事をしている千夜さんがいた。

 

「その服、お店の制服だったんだ!初めて会った時もその格好だったよね」

 

「千夜さん、和服すごい似合ってます」

 

「ありがとう。あの時は仕事で羊羹をお得意先に配った帰りだったの」

 

「あの羊羹美味しくて3本いけちゃったよー!」

 

「3本丸ごと食ったのか!?」

 

ココアさんの食欲は一旦置いておくとして、店内を見回してみる。家具や調度品は普通の洋風の喫茶店のようだった。和風なものはバックヤードの入り口に掛けてある暖簾と千夜さんの制服くらいで、店内だけ見ると普通の喫茶店だと思ってしまうが、表の看板の強烈なインパクトが和菓子を出してくれるお店なのだということを思い出させる。

中央においてあるうさぎの置物に目をやる。あれも王冠をかぶっていてあまり和風っぽい感じではないな、と思いながら近づいたとき、うさぎの置物がぎょろりと首を回し、私と目が合った。

 

「ひょわっ!」

 

「変な声出してどうした」

 

お嬢様に聞かれてた……。

 

「うさぎだ!」

 

「看板うさぎのあんこよ」

 

置物かと思った……すごいびっくりした。

 

「あんこはよほどのことが無いと動かないのよね」

 

と、チノさんがあんこに近づいたときだった。あんこがティッピーに向かって体当たりをした。

チノさんは後ろにしりもちをついてしまう。

 

チノさんは少し驚いただけでケガはしていなかったが、あんこがすごい速さでティッピーを追い回している。

お前、そんな早く走れたのか……。

 

 

 

 

 

「私も抹茶でラテアートを作ってみたんだけどどうかしら」

 

席に座った私たちに千夜さんが抹茶のラテアートを出してくれた。

なんでも葛飾北斎に憧れているらしく、浮世絵のようなラテアートだった。

私に出されたのは富嶽三十六景、神奈川沖浪裏だろう。クオリティ高い。

 

ココアさんに出されたのは俳句だそうで、「ココアちゃん どうして今日はおさげやきん? 千夜」と書かれていた。

文字を書くなんてすごく難しそうだが。あとこれ川柳じゃないかな。

 

メニューを見せてもらったが、日本語で書かれていなかったから読めなかったよ。とりあえず適当に頼んでみた。

 

「和服ってお淑やかな感じがしていいねー。イオちゃんとか似合いそう」

 

「そうですか?実は和服って着たことないんですよね。今度借りてみましょうか……お嬢様もどうです?」

 

「うぇっ!?いや、別に私は……」

 

「着てみたいんですか?」

 

「リゼちゃんもきっと似合うよ!」

 

お嬢様はじっと千夜さんを見ていたため、着てみたいと思っているのはバレバレだ。こう見えてかなりのかわいい物好きだから。

 

「すっごくかっこいい!」

 

ココアさんがイメージしているやつ、多分違うよね。さらしとか巻いてそう。

 

「おまちどうさまー」

 

千夜さんが甘味を持ってきてくれた。

どうやら私が頼んだものは抹茶パフェだったらしい。

出された甘味はとても美味しかった。名前は読めなかったけど。

 

「それにしてもこのぜんざい美味しいな」

 

「うちもこれぐらいやらないとダメですね」

 

「たしかになにかデザートがあった方が人気が出ると思います」

 

「それならラビットハウスさんとコラボなんてどうかしら?」

 

甘兎庵とコラボか……面白そう。

「タオルやトートバッグなんてどうかな」

 

「私マグカップが欲しいです」

 

あれ?料理の話じゃない?あ、でもティッピーとあんこのマグカップとか欲しいかも。

 

 

 

 

 

「じゃあそろそろお暇するか」

 

「私の下宿先が千夜ちゃんの家だったらここでお手伝いさせてもらってたんだろうなー」

 

「あっ、それ私も思いました。もしココアさんの下宿先がうちのお屋敷だったら、一緒に働いていたかもしれないですよね」

 

「メイドのココアちゃん……いいわね……!」

 

「ココアさんは早起きできないのでダメでしょうね」

 

「辛辣だな……」

 

「ふふっ。メイドさんは無理でも、うちは常時従業員募集中よ」

 

「それいいな」

 

「同じ喫茶店ですしすぐ慣れますね」

 

「ココアさんならどこへ行ってもうまくやっていけると思います」

 

「じゃあ部屋を空けておくからさっそく荷物をまとめて来てね」

 

「誰か止めてよ!」

 

 

 

その日はそんなやり取りをしてそのまま解散した。この一週間で千夜さんという新しい友人ができた。

 

「イオって友達作るのが苦手だって言ってたよな」

 

夕食後のアフターディナーティーを楽しみながらお嬢様にそんなことを言われた。

 

「はい、確かにそう言いましたけど」

 

「それ、もう克服できたんじゃないか?」

 

「そんな簡単には克服できませんよ。それに千夜さんとお友達になれたのはココアさんのおかげです」

 

「ココアが来る前にチノと友達になってたじゃないか」

 

「そういえばそうですね。でも、私は今まで通りに話していただけです」

 

そう。今まで通りに心の中で勝手に相手から距離を取って。

 

「何を気にしているのかは分からないけど、チノはそんなイオが話しやすいって言ってたぞ」

 

「……そうなんですか。私は人と話すときに、決して自分の本心をさらけ出さないようにしている節がありました。相手に弱みを見せないように、薄っぺらい言葉を返すのが精一杯で。それが申し訳なくて」

 

「そうだったのか……でも、イオだってチノのことを友達だと思えたんだろ?それはどうしてなんだ?」

 

「そうですね……コーヒーが美味しかったから、でしょうか」

 

亡くなった祖父から受け継いだコーヒーの味。母のことを思い出させてくれた味。チノさんは大好きだったお爺さんの技術をしっかり受け継ぎ、ラビットハウスで働いている。その姿に親近感を覚えたのかもしれない。私と同じような境遇の子ってなかなか居ないし。

 

「なんだそれ」

 

微笑みながらお嬢様は答えた。

 

「今、イオは私に本音を打ち明けてくれたじゃないか。十分成長してるよ。それに、友達だからってなんでも話さなきゃいけないってわけじゃないしさ」

 

「……今のままでも良いってことですか?」

 

「ああ。その証拠に、話しやすいって思ってくれる奴がいるんだからな」

 

今のままでいい。そう言われたのは初めてだった。

その一言で、ずいぶんと心が軽くなった。

 



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第四羽

今回はほとんどオリジナル回です。



千夜さんと知り合い、甘兎庵に遊びに行った翌日の夕方。

夕飯の準備をしていた料理長に急に買い出しを頼まれた。というのも、先日ラビットハウスで看板メニューを作る際にカレーを作って持参したのだが、その時にスパイスの類を無断で大量に使用した結果、本日のカレーを作る分が無くなってしまったので責任を取って街に買いに来たのだ。

急いでいたためメイド服のまま飛び出してきてしまったので周りからの視線が恥ずかしすぎる。無断で各スパイスの小瓶をすべて消費してしまった罰なのだと自分に言い聞かせ、駆け足で通り過ぎる。

 

スパイスを購入し、走って屋敷に帰る途中に白いブレザーに身を包んだツインテールの少女の背中を見つけた。お嬢様だ。私が見間違えるはずがない。その隣には同じく白いブレザーを着た金髪の少女が歩いていた。

お嬢様と金髪の少女に追いつく直前、減速しハンカチで額の汗を拭い、髪と呼吸を整えてからお嬢様たちの前方へ出る。

 

「おかえりなさいませ、お嬢様」

 

「あぁイオ、ただいま。そんな恰好でどうしたんだ?」

 

「夕飯の買い出しに行っていたのです。……そちらの方は?」

 

金髪の少女はこちらを見てぽかんとしている。汗や髪は整えたから何処も変ではないと思うが。あ、メイド服か。

 

「こっちはシャロ。私の学校の後輩で、この前うさぎに「それ以上言わないでください!」」

 

うさぎ?うさぎに襲われていたとか?そんなわけないか。

 

「シャロ様ですね。私は天々座家でお世話になっております、伊笛 衣緒と申します」

 

「私の妹だ」

 

「天々座先輩の家ってメイドさんがいるんですか!?しかも妹さん!?」

 

「リゼでいいよ。言い辛くて噛むし」

 

「ただのメイドです」

 

ここで改めてシャロという少女を見る。カールした金髪に綺麗な碧眼、そしてお嬢様の学校の後輩という白い制服にどことなく漂う風格。この人も間違いなくいい所のお嬢様なのだろう。さらにはお嬢様のご友人。失礼の無いようにしないと。私のメイド魂に火が付いた。

 

「お嬢様、シャロ様を夕飯に招待なさるのはいかがでしょうか」

 

「それはいいな!どうだシャロ、うちで夕飯食べて行かないか?」

 

「ええっ!そんな、悪いですよ!急にお邪魔してその上お夕飯までごちそうになるなんて!」

 

「いいえシャロ様。その様なことを気にする必要はございません」

 

「そうだよシャロ。それとも、この後用事でもあるのか……?」

 

ナチュラルに寂しがり屋が発動して、かなり断り辛い雰囲気を醸し出すお嬢様。これには誰もが予定があってもOKしてしまうだろう。

 

「いえ、別に予定は無いですけど……。わかりました、じゃあお言葉に甘えて……」

 

さすがお嬢様。そうと決まればやることはひとつだ。

 

「はい。それで申し訳ありませんが、私は夕飯の材料を届けるためお先に失礼します。お嬢様もシャロ様もお気をつけてお戻りくださいませ」

 

「わかったよ」

 

私は可及的速やかに料理長にスパイスを届けなければならない。お二人の前で全力疾走するわけにもいかないので、早歩きでその場を離れた。

 

その後屋敷に帰った後、料理長や黒服達にお嬢様のご友人がいらっしゃること、夕飯を一緒に食べることを伝えた。

黒服達には普段通りにガードマンとして門にいてくれればいい。お二人の給仕は私がやるからね。私は何処で食事を取っても良いように食堂とダイニングルームとお嬢様のお部屋を軽く掃除した。

 

来客を知らせるチャイムが鳴った。私は急いで玄関に向かう。

 

「ただいま~」

 

「お、お邪魔します……」

 

「ようこそいらっしゃいました、シャロ様。お荷物をお持ちいたします。お嬢様、お食事はどちらでなさりますか?」

 

「そうだな、3人で私の部屋で食べるか」

 

「は、はい」

 

3人で。なるほどそう来たか。給仕する気満々だったが、優しいお嬢様のことだ。私に気遣ってくれたのだろうが、今ばかりはシャロ様にお仕えしたかった。しかしお嬢様のご厚意を無下にするなどできるわけがない。

 

「承知いたしました。では、準備ができ次第お持ちいたします」

 

「悪いな」

 

「あ、ありがとうございます」

 

お嬢様とシャロ様の後を、シャロ様の荷物を持ってついていく。シャロ様は落ち着かない様子で家の中をきょろきょろと見渡している。まさか大きい家に慣れていない……?私が初めてこの屋敷に来た時と同じ反応だからもしやと思ったが、あの時感じたお嬢様オーラは本物だったから、その線は無いだろう。

 

「ここが私の部屋だ。ゆっくりしていってくれ」

 

「ほわぁ~、ここがリゼ先輩のお部屋……!」

 

シャロ様はお嬢様の部屋に感激しているようだ。他の部屋や廊下などとは違って、お嬢様の部屋は少し広いだけでごく普通の女の子の部屋といった感じだが、いったい何が彼女の琴線に触れたのだろうか。

おっと、カレーの準備をしてこないと。というかシャロ様にお出しするのがカレーで大丈夫なのだろうか。

料理長の作るカレーは本格的で美味しいが、もっと高級なものの方が良かったのではないか?

急にメニューの変更はできないから仕方がないとはいえ、少し不安になった私は荷物を返してからキッチンに向かうことにした。

 

 

 

 

 

なし崩し的に先輩のお家で夕飯を食べることになってしまった。

下校中にリゼ先輩に出会え、それだけで割とお腹いっぱいだったんだけど、帰る途中にリゼ先輩の妹さん兼メイドさんと出会って夕飯に誘われた。それからどんどん話が進んで、気づいたら私はリゼ先輩の家の大きな廊下を歩いていた。

そこまでの会話は正直覚えてない。緊張と幸福感で訳が分からなかったが、前を歩いて自分の部屋まで案内してくれているリゼ先輩を見て正気を取り戻せた。広いエントランスや長い廊下に幾つもの窓、高そうな調度品など、リゼ先輩の家はとても立派で、いわゆる豪邸、お屋敷という感じだ。

周囲を見渡しながら歩いていると、妹さん兼メイドさんと目が合う。伊笛さん、と言ったか。私よりも少し背が高く、長い銀髪がメイド服の白に映える綺麗な子だ。胸は私よりもある。悲しい。リゼ先輩の妹でもあるらしいので私と同い年か、それより年下か。いや、年下には見えないか。

 

「ここが私の部屋だ。ゆっくりしていってくれ」

 

「ほわぁ~、ここがリゼ先輩のお部屋……!」

 

すごい広い。この部屋だけでうちより広いかもしれない。家具は白とピンクで統一されていたり、奥にあるベッドの枕元に置いてある軍隊風のうさぎのぬいぐるみや、ソファに座らせてある大きいクマのぬいぐるみなど、イメージと違いリゼ先輩は結構かわいい物好きなのかもしれない。これを知れただけでもここに来た甲斐があった。

 

「とりあえず座りなよ」

 

リゼ先輩に促されてソファに座る。なにこれすごいフカフカ。私のベッドよりフカフカ。

……座ったら少し緊張もほぐれてきたので改めて状況を整理しよう。

まず今日分かったことは、私なんかと違ってリゼ先輩は本物のお嬢様だということだ。

門で話した、見た目は怖いが意外と紳士的だったガードマンやメイドさんが居て、こんな立派なお家に住んでいる。

普段から上品で凛々しい立ち振る舞いで、もしかしたらそうかもしれないと思っていたが予想以上だった。

一方私はよくお嬢様だと勘違いされる。確かにお嬢様学校に通っているが、ボロボロで隙間風が吹き込んでくる様な家に住んでいるし、端的に言ってしまえば貧乏なのだ。

そんな私と先輩を比べてしまうと、天と地ほどの差、月とすっぽん、鯨と鰯、雪と墨……。

私を助けてくれたリゼ先輩はとてもかっこよかった。一目惚れだった。とにかくお近づきになりたいと思ったが、私が貧乏だと知ったらリゼ先輩は……。

落ち着くたびにマイナスな考えが浮かんでしまい、気分が沈んできたとき、先輩が声を掛けてくれた。

 

「今日は無理矢理誘っちゃってごめんな」

 

「い、いえ、そんなことないです。私も誘ってくれてうれしかったです」

 

「そうか?それならよかったよ。……私、あんまり友達を家に誘ったことなくってさ。イオに誘ったらどうだって言われて、浮かれてたのかも」

 

「そうだったんですか?私はリゼ先輩のお誘いなら喜んで受けますよ」

 

「それは、なんというか、ありがとう」

 

少し照れた様子でリゼ先輩は言う。今の一言で沈んでいた気分は一気に急上昇。リゼ先輩かわいい。

 

「それに、イオもお客さんが来ると張り切るんだ。メイドの腕の見せ所、とか言ってさ。今日もシャロが来るからえらく楽しそうにしてるし」

 

「イオさんですか。妹さんなのにメイドさんもやっているんですよね。そういえば苗字が違ったような……」

 

そこまで言って、しまった、と思った。苗字が違うが姉妹の関係にあるということは、何か深い事情があるのではないか。

 

「ご、ごめんなさい!い、今のは……」

 

私があたふたしていると、リゼ先輩はふふっ、と微笑みながら言った。

 

「いいよ。誰だって気になると思うし。……私とイオは本当の姉妹じゃない。訳があって、3年前からうちで住み込みで働いてるんだ」

 

住み込みで働いているとなると、それなりの理由も推測できる。私と同じか、それ以上にお金に困っているだとか、そもそも住む場所がないとか、住む場所もお金もない、という場合もある。それに加えて、リゼ先輩は姉妹だと言っていること。普通、住み込みで働いているだけの人を姉妹とは言わないだろう。良くて家族だとか、そんな感じだと思う。だとすれば、イオさんにはもう……。

 

ここまで考えて思考を中断する。これ以上は、いくら推測でも失礼だと思ったから。

 

「とにかく、イオとも仲良くしてやって欲しいな」

 

「……はい。わかりました」

 

私は笑ってそう答えた。

 

「失礼します」

 

ノックとともにイオさんの声が聞こえた。

 

「どうぞ~」

 

リゼ先輩がそれに答えると、カレーを3皿とティーセットを乗せた、レストランとかホテルでよく見る食事などを乗せて運ぶカートを引いたイオさんが部屋に入ってきた。

 

「遅くなってしまって申し訳ありません」

 

「そんなに待ってないから平気だぞ」

 

イオさんは慣れた手つきでカレーとティーカップを机に並べていく。

 

カレーか。いったいどんな高級そうな料理が出されるのかと内心ドキドキしていたが、カレーでよかった。あまり高そうなものだと却って申し訳なく感じてしまう。

 

……と、イオさんがこちらを不安そうに見つめている。

 

「どうかしましたか?」

 

「あ、いえ。ただシャロ様のお口に合うかどうか……」

 

……そういえばこの子、出会ってからずっとシャロ「様」と呼んでいる。それにカレーを見る私を不安げに見つめる様子。ああ、この子も私のことをお嬢様だと勘違いしているのか。

 

「私、カレー大好きですよ」

 

リゼ先輩に庶民バレするのは絶対に防がなければならないし、先輩曰く、メイドの腕の見せ所だと張り切っているイオさんの期待を裏切るわけにはいかない。はあ、しんどい。

 

 

 

 

 

食事が終わって、ティータイムを楽しんでいた。

お嬢様とご友人の会話に混ぜてもらうのは少し気が引けたが、お嬢様に誘われたら断れない。

それにしてもシャロ様がカップを持つと仕草のひとつひとつが優雅に感じられ、すごいお嬢様している(語彙力)。

 

「ええっ!?中学二年生だったの!?」

 

「はい、そうです。誕生日が来れば14歳になります」

 

「とてもそうは見えない……身長も私より高いし、それに胸も……」

 

闇オーラがすごい。シャロ様に今後胸の話はしないようにしないと。

 

「そうだったのね……なら、シャロ「様」はやめて、普通に呼び捨てで呼んでいいのよ?私もイオちゃんって呼ぶし」

 

シャロ様を呼び捨て!?恐れ多すぎる。

 

「いや、それはちょっと……なら、シャロさん、でどうですか?」

 

「まあ、それでもいいか……じゃあ、今後「様」付けは禁止ね」

 

「私もお嬢様呼びじゃなくて「それは無理です」……そうか」

 

リゼお姉ちゃんとか呼ばせるつもりだろうけど、本当に恥ずかしいから無理です。

 

「……では、時間も遅いですしそろそろお暇しようかと思います」

 

「もうこんな時間か!今日は楽しかったよ。またいつでも遊びにこいよ」

 

「では、車を出すように言ってお家までお送りします」

 

私がそう言った瞬間、シャロ様……シャロさんの顔が固まった。

 

「い、いえ!歩いて帰るので大丈夫です!」

 

?何か変なことを言ったかだろうか。シャロさんのようなお嬢様を夜道一人で歩かせて帰らせるわけにはいかない。

 

「大丈夫か?もうあたりも暗いし、無理しないでも……」

 

「無理なんてしてないです!ご、ご馳走様でした!お邪魔しました!」

 

「なら、途中まで歩いて送ります。シャロさんの家はどの辺りですか?」

 

「ええ!?ええっと、公園まで!公園まで送ってくれたら大丈夫だから……」

 

「そうなのか?なら私もついていくよ」

 

「リゼ先輩も!?ええっと、イオちゃんとリゼ先輩二人だと危ないですよ?私は大丈夫ですから!」

 

「私とイオは護身術を仕込まれてるから大丈夫だ」

 

「護身術って何ですか!?」

 

 

 

 

 

そのあと、妙に慌てているシャロさんを公園まで送って行った。なぜあれほど慌てていたのかは結局分からなかった。

その日は疲れていたため、いつもより早くベッドに入った。

目を閉じて、瞼の裏に今日のことを思い浮かべる。

そういえば、シャロさんとは初対面だったけど結構話せたな。なぜだろう。うーん、と考えるように寝返りを打つと、わずかに足に疲れを感じる。今日は久しぶりに張り切ったから……そうか、今日はメイドとしてシャロさんと接したんだ。

これも一種の心の距離の置き方なのだろうか。確かに仕事モードの時はそれなりに人と話すことができていたと思う。「今のままでもいい」と、いつだったかお嬢様は言ってくれたが、今までの無意識的な忌避感によるものよりもずっといいなと思えた。ただ、いつかはメイドとしてではなく、ありのままの自分で人と接することができるようになりたいと思った。

 

 

 

 

 

それから数日後。

今日は当番の日なので、屋敷の家事をしていた。この屋敷の家事で一番大変なのは間違いなく掃除だろう。

廊下は長いし、窓は多いし、部屋は広いし、おまけに高級な調度品があちこちにある。

体力的にはもちろん、高級な品物を手入れするときは集中して気を付けながらやらなければならないため、精神的にもきつい。

その後は食器を洗う。お嬢様方や使用人が使った食器を洗って、水気を拭き取って棚に戻すだけだが、これもなかなか大変な作業だ。

なぜならこの家の食器はひとつひとつが高級品であり、単体で数万円するものばかりだからだ。

まあ、掃除に比べたら大したこと無いか。なんて考えながら作業をしていたら、洗剤で滑りやすくなった手から、ツルッ、とティーカップが滑り落ち……。

 

ガシャン!

 

と床に衝突し、割れた。

 

やってしまったあぁぁぁぁ!

 

「イオお嬢!大丈夫ですかい!?」

 

食堂に居た黒服がキッチンに飛び込んできた。

 

「はい、大丈夫です。ケガもしていません」

 

「それは良かった。今新聞紙と掃除機を持ってきます」

 

「すいません、ありがとうございます……」

 

その後、てきぱきと割れたティーカップの処理をする黒服にお礼を言いながら、割れたカップについて考えていた。

よくお嬢様とのティータイムで使う物ではなく、この前シャロさんが来た時に使った来客用のカップだ。

あれ絶対高いやつだよね。

そんなことを考えながらその日の仕事を終えた。

 

「今日はティーカップを割ってしまってすいませんでした」

 

「いえいえ、そんなに気にしないでいいですよ。イオお嬢もケガが無くてよかった」

 

気にするよ。あれ絶対高いやつだもん。でも黒服さんにこうも言われたら仕方がない。

私はその日、もやもやしながら床に就いた。

 

 

 

 

 

その翌日、昨日割ってしまったティーカップを可能ならば弁償しようと思い、街で見つけたお店を訪れた。

 

「あら、イオちゃん?」

 

店に入ってすぐ、誰かに話しかけられた。振り返ると、そこには先日出会ったシャロさんがこちらに向かって小さく手を振っていた。

 

「シャロさん。こんにちは」

 

「奇遇ね。イオちゃんがいるってことはリゼ先輩も?」

 

「いえ、今日は一人で来ました。うちで使っていたティーカップを一つ割ってしまって……それで、同じものがあればと思いまして」

 

「そうなの?」

 

シャロさんはティーカップに詳しいらしく、一緒に探してくれることになった。時々カップを愛でるように扱うことが気になったが、まあ趣味は人それぞれだと思うよ。

 

「あ、これなんていいかも……」

 

と、シャロさんが手を伸ばすと、ほかのお客さんの手とぶつかりそうになる。よく漫画とかで見るシチュエーションだな、とか思っていたが、相手は女性か……って、ココアさんだ。

 

「あれ、よく見たらシャロじゃん」

 

「リゼ先輩!?どどどうしてここに……」

 

私が今日は一人で来たと言ったから油断していたのだろう。悪いことをした。

 

「こんにちはです。お嬢様、チノさん」

 

「イオも来てたのか」

 

「はい。シャロさんとはさっき偶然会って、私の探し物を手伝ってくれていたんです」

 

「探し物ですか。何を探しているんですか?」

 

「あ、もしかして昨日割ったカップを探しているとか?」

 

「うぅ……そうなんです……」

 

「そうなんですか。ところで、あちらの方は知り合いですか?」

 

「ああ、私の学校の後輩だよ。ココアたちと同い年」

 

「……え?リゼちゃんって年上だったの?」

 

ココアさんの今更感がすごい発言は、まあ、ココアさんって誰と話すときもあんな感じだから。

 

「二人は学年が違うのにいつ知り合ったんです?」

 

「私が暴漢に襲われそうになった所を助けてくれたの」

 

「暴漢!?お嬢様、いくら護身術が得意だからってあまり無茶しないでください!何かあったらどうするんですか!?」

 

「違う違う!本当は――「あ、言っちゃだめです!」」

 

どうやらシャロさんはうさぎが苦手らしく、帰り道に道の真ん中で座っていたうさぎが怖くて通れなかったらしい。

うさぎ……まあ、思うことはあるが、暴漢でなくてよかったと思う。

 

 

 

 

 

その後、シャロさんがティーカップのおすすめを教えてくれたり、ティッピーをカップの中に入れてみたりしながら5人で店内を見て回った。

 

「あのカップおしゃれだよ!みんなどうかな?」

 

と、ココアさんがあるカップを指さす。確かに凝った意匠が施されており、美しささえ感じられるカップだ。

どことなく昨日割ってしまったカップに似ているが、気のせいだと思いたい。

値段は……5万円!?

 

「と思ったら高い!」

 

「アンティークものはそのくらいするわよ」

 

そうなんですか!?昨日割ったカップも5万円くらいするんですか!?血の気が引いた。

 

「あ、これ昔的にして撃ち抜いたやつじゃん」

 

打ち抜いた!?これを!?というかうちに在ったんですねこれ。ということは割ったカップもやっぱりこのくらいするのでは……?いやいや、現物を見るまではまだ希望はある。

 

「このカップもおしゃれだよ!ってこれも高い!」

 

そういってココアさんが次に指さしたのは、間違いなく昨日私が割ったカップだった。もう、正直値段を見るのが怖い。恐る恐る値段を確認すると……。

 

「8万円!?」

 

さっきのより高いじゃん!

おお……もう……。

急に大声を出してしまった私を見たシャロさんは何かを察する。

 

 

「あ、これ昨日イオが割ったやつじゃん」

 

 

お嬢様の無慈悲な一言がトドメとなった。

 

 

「そうなんだ、イオちゃんでもそんなことってあるんだねぇ」

 

 

よしよし、とココアさんが頭を撫でてくる。恥ずかしさと8万円のカップを割ってしまったという事実に、私はその場で崩れ落ちた。

 



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第五羽

とりあえずここまでがチュートリアルです。
こんな感じで各話の伏線(?)を拾いつつ浄化ターンへ。
こういう流れでやっていこうかなと思います。
最終回みたいな雰囲気ですけど、まだ続きますよ。


ある日の放課後、私は勉強をするために図書館を訪れていた。

普段は仕事などで纏まった時間が取れないことが多く、仕事の休憩時間や寝る前に少しずつ宿題を片付けるくらいしかできないので、仕事の当番ではない平日は図書館で勉強や宿題を集中してこなすのが習慣となっていた。

最近では休日にラビットハウスでコーヒーを飲むという新しい習慣ができたため、なるべく仕事のない平日の放課後に済ませたいという思いが強く、そのような日は学校が終わるとすぐに図書館へ向かうため、クラスメイトからの遊びの誘いをすべて断ってしまう。

仕事がある日も当然断っているから前よりもクラスから孤立した気もするが、最近はチノさんやココアさん、千夜さんにシャロさんと、お友達と呼べるような人達ができたため何もつらくない。つらくないのだ。

 

「この図書館大きいね!」

 

不意に知っている声が聞こえた。ココアさんの声だろう。そちらへ顔を向けると、ココアさんに加えて、チノさん、シャロさん、千夜さんが図書館に入ってきた。

 

「あ、イオちゃん!奇遇だね!」

 

「こんにちはです。皆さん」

 

広い机を一人で使っていたため、皆さんを手招きした。

 

「イオちゃんが居るってことは、リゼ先輩も……?」

 

「いえ、今日は一人ですよ。……本当ですよ」

 

この前のティーカップを売っているお店でのことを気にしているのだろうか。今日はさすがにお嬢様は来ないと思う。

 

「イオちゃんとシャロちゃんはお知合いだったのね」

 

「そうですよ。以前シャロさんがうちに遊びに来たことがありまして」

 

そういえば千夜さんとシャロさんは幼馴染だったっけ。この前お嬢様がラビットハウスで泊まったときの土産話で聞いた。お嬢様とチノさんとココアさん、千夜さんにシャロさんの5人でのお泊り会はとても楽しかったと言っていた。

その日私は強くなっていく雨を見て、お嬢様に傘をお持ちしようと思いラビットハウスに向かおうと準備していた時、お嬢様から『今日は泊っていくから迎えに来なくていい』という電話があった。

あの時もっと早く準備を済ませ、電話が来る前に出発していればお泊り会に参加できたかもしれないのに!

お嬢様の話を聞いていてそう思った。みんなとお泊り会したかったよ。つらい。

 

「イオさんは勉強してたんですね」

 

「そうですよ。皆さんも勉強ですか?」

 

「私と千夜ちゃんはそうで、シャロちゃんは本を返しに来たの」

 

「私は小さいころに読んだ本を探しに来ました。でもタイトルが思い出せないんです……」

 

小さいころ読んだ本……、私も小さいころはよく本を読んでいたので、力になれるかもしれない。

 

「どんな内容かは覚えていますか?」

 

「えっと……――」

 

チノさんは目を輝かせながらお話の内容を詳しく話してくれた。

それはもう、なぜそこまで覚ええいるのにもう一度読みたいのかと思うくらいには。本でも映画でも少し忘れたくらいに見直すぐらいが一番面白いと思う。

というか内容はそこまで覚えているのにタイトルだけ覚えていないのか……。

かなり詳細に語ってくれたが、その内容の本に心当たりはなかった。

 

「ごめんない、私、多分読んだことないです……」

 

「そうですか……気にしないでください」

 

「そういえばチノちゃんもテスト近いって言ってたよね」

 

「それならシャロちゃんに教えて貰ったら?」

 

「シャロさんにですか?」

 

「ええ、特待生で学費が免除されているくらい優秀なの」

 

それはすごい。シャロさんが通っているお嬢様学校は普通に入るだけでも難しいと聞いている。

その中でも特待生となると、人よりも努力するのは当然で、自分に合った勉強法などの工夫ができて初めて合格するレベルじゃないだろうか。努力する秀才。まさしくシャロさんはそんな感じなのだろう。

 

「美人で頭までいいなんて!」

 

「非の打ち所がないです!」

 

「おまけにお嬢様だなんて、完璧すぎるわ。まぶしー」

 

3人が目を隠しながら言う。なぜ千夜さんだけ棒読みなのだろうか。

 

「それじゃあココアちゃん、今日はよろしくね」

 

「うん!」

 

「え?千夜が教えてあげるんじゃないの?」

 

「違う違う、私が教えてもらうの」

 

「嘘でしょ!?」

 

「私、数学と物理が得意なんだー」

 

ああ、あの暗算能力とか、なんか数字に強そうな感じはする。

 

「なら、ココアさんがチノさんに教えてあげればいいのでは?」

 

「ココアさんは教え方がアレなので頼りになりません」

 

「アレ!?」

 

確かに教えることが絶望的に下手な人もたまにいる。ココアさんの教え方ってなんかパンみたいにふわふわしてそう。(偏見)

 

 

 

 

 

「この問題はさっきの答えをここに当てはめて……」

 

5人で勉強を始めた。5人と言っても2人と2人と1人といった感じだが。

 

「シャロさんの教え方、すごく分かりやすいです!」

 

「うれしい!チノちゃんみたいな妹が居たら毎日だって教えるのに」

 

「私もシャロさんみたいな姉が欲しかったです」

 

姉と妹。そのやり取りを聞いてふと思った。

 

「やっぱり姉なら妹に頼ってほしいものなんですか?」

 

「えっ?そうね、私は一人っ子だから分からないけど、普通はそういうものなんじゃないかしら?」

 

「そういえばイオちゃんはリゼちゃんの妹なんだよね。家ではリゼちゃんに甘えてたりするの?」

 

「妹ではありませんし、甘えてもないです」

 

「なら、勉強を見てもらうとかは?」

 

「それもないですね。お嬢様の勉強法はまず体力をつける所から始まるので参考にならないですし」

 

「体力をつける!?」

 

「あー、私もリゼちゃんにお願いしたことあるんだけど、『まずは徹夜に耐えられる体力からつけなきゃ』って言ってたよ」

 

「そうなんです。体力をつけても徹夜で勉強したら翌日のお仕事に支障が出てしまいますし」

 

体力をつける時間も勉強に回した方がよさそうだし。

 

「リゼ先輩らしいというか……なら、せっかくだしイオちゃんの勉強も見てあげるわ」

 

「ありがとうございます。でも、勉強で分からない所って無いんですよね……」

 

「あら、イオちゃんも優秀なのね」

 

「じゃあ、やっぱりリゼちゃんやシャロちゃんと同じ学校目指してるの?」

 

「今はまだ決めかねてます。ただ、取れる選択肢は多い方がいいと母から教わっているので勉強だけはしっかりやってるってだけですよ」

 

「イオさんは将来の事もちゃんと考えていてすごいですね」

 

そんなこと無い。これは決断を先送りにしているだけ。

どこの高校に行くと決断しても、その時に学力面で取り返しがつかないということが無いようにやっているだけだ。

私は将来や進路といった話を聞くと、自由に生きて欲しいと願った母を思い出してしまう。

具体的な夢なんて何一つ在りはしない。

今まで下を向いてばかりだった私に、急に自由に生きてと言われてもどうすればいいのか分からない。

それでも最近は幾分か前向きになれたと思う。ラビットハウスで働いてみたいと思えたし、こんな自分を変えたいとも思えた。

 

「……あの、皆さんの将来の夢ってなんですか?」

 

「将来かー。私はパン屋さんか弁護士になりたいなー」

 

「私は自分の力で甘兎をもっと繁盛させるのが夢♪」

 

「私も……家の仕事を継いで立派なバリスタになりたいです」

 

「決めた!私、街の国際バリスタ弁護士になるよ!」

 

「私は……まあ、うん。それより、イオちゃんはどうなの?」

 

シャロさんの夢も聞いてみたかったが、はぐらかされてしまった。

私の夢……。

 

「……実は私、将来の事って、このままずっとお嬢様のお屋敷でメイドとして働けたらいいな、くらいしか考えたこと無くて、今まで一度もなりたい職業とか、こうなりたい、ああなりたいって思ったことが無かったんです」

 

もちろんお嬢様の屋敷で働き続けたいと思っていることは嘘ではない。でも、それは将来なりたいものではなく、今がずっと続いてほしいと将来から目を逸らしているに過ぎない。果たしてそれは、母が言っていた「自由に生きる」ということになるのだろうか。

 

もちろんそこまでは言わないし、言えないけれど。でも、皆さんなら何かヒントをくれるかもしれない。

 

「そうなの?なら、これから見つければいいのよ」

 

「リゼちゃんには悪いけど、甘兎にスカウトしちゃおうかしら。イオちゃんとなら世界だって取れるわ!」

 

「イオさんはラビットハウスで働くという先約があります。千夜さんには悪いですが、約束しましたので」

 

「私と一緒に街の国際バリスタ弁護士を目指そうよ!」

 

千夜さんと一緒に甘兎庵を大きくして、世界中に店を出す。千夜さんが社長なら、私は秘書なんてどうかな。

ラビットハウスで働くのも楽しそうだ。大人になったらチノさんと、居るかは分からないけどココアさんとお嬢様も。4人でお店を盛り上げる。

街の国際バリスタ弁護士は……とっても忙しそうだ。「街の」なのか「国際」なのか分からないけど、事務所が喫茶店で、依頼を受けながらコーヒーを淹れるのだろうか。

 

 

「……ふふっ、どのお誘いもとても魅力的で。今すぐには選べそうにないです」

 

何というか、めちゃくちゃだな。でも、皆とならきっと楽しいだろうな。

 

 

 

 

 

「イオ、今日は何かいいことでもあったのか?」

 

その日の夕食後。いつものようにお嬢様とお茶を飲みながら会話していた時だった。

 

「そう見えますか?」

 

「ああ、見える」

 

「さすがですね。今日図書館でチノさんとココアさん、千夜さんにシャロさんと会ったんです」

 

「そうなのか?というかみんな居るなら私も呼んで欲しかった……」

 

「あっ、ごめんなさい。でも遊びに来たんじゃなくて勉強しに来てたので……。でも、お嬢様は今日は部活の助っ人で忙しかったのでは?」

 

「それはそうだが……まあそれはともかく、何があったか聞かせてくれよ」

 

それなら、まず先に話しておかなければならないことがある。

私は覚悟を決める。

 

「その前に、私の昔の話をしてもいいですか?」

 

「!」

 

お嬢様が少し驚いたようにこちらを見る。それもそうだ。私が、自分から昔の事を話すのはこれが初めてだから。

私は一呼吸置いてから、ゆっくりと話し出した。

 

 

母はとても厳しい人だったこと。

逃げ出したくなるほど勉強と家事をやらされたこと。

母が病気で亡くなったこと。

母が私に遺した言葉。

母を心から愛することができなかったこと。

母を愛せなかった私に、お嬢様を家族と呼ぶ資格はないと思っていること。

「自由に生きて欲しい」という母の願い。

今までずっと下を向いて歩いてきたから、急に自由に生きてと言われてもどうすればいいのか分からないということ。

 

すべて話した。

 

そして――。

 

 

「以前、この屋敷でずっと働きたいと言ったのも嘘じゃないです。でも、それはお嬢様が私に優しくしてくれたから。この時間がずっと続けばいいと思っていました。将来と向き合うことから逃げていただけなんです」

 

 

チノさんたちには言えなかったこともすべて話した。

私には将来の夢が無いということ。皆さんの夢を聞いたこと。皆さんの夢が、私に夢を見せてくれたこと。

 

 

どれだけの時間が経っただろうか。私の話をお嬢様は静かに聞いてくれていた。

以前までの私は、自分の弱みを見せることを極端に恐れていた。

でも、いつかありのままの自分で話せるようになりたいとも思ったから。

そんな自分を受け入れてくるだろうか。もし、あの憐れむような目で私を見るようになったら。

それでも、最初に話すのはお嬢様だと決めていたから。

 

 

「そうか……」

 

私が話し終えたとき、お嬢様はそう言って私を優しく抱きしめてくれた。

お嬢様は静かに涙を流していた。

とても暖かい涙。最初にラビットハウスに訪れたときに思い出した、ずっと昔に母に抱きしめられた記憶が過る。そういえばあの時の母も泣いていたっけ。

 

「……イオはよく頑張った。辛かったな」

 

「……いえ、私にはお嬢様がいてくれましたから。それに、今の話をしたのはお嬢様で初めてですよ。まだ、チノさんやココアさん達には話す勇気が出ないです」

 

「それでもだよ。イオは今までの辛かったことを乗り越えて、なりたい自分に向かって一歩踏み出したんだ」

 

「一歩踏み出せたのも、過去を乗り越えられたのも、全部お嬢様が背中を押してくれたおかげです……ありがとうございます」

 

やっぱり最初にお嬢様に話せてよかった。

 

 

 

 

 

「でも、どうして話してくれる気になったんだ?」

 

「……姉は、妹に頼られたらうれしいものだと聞いたので」

 

「……!ふふっ。今日は一緒に寝るか?」

 

「今日だけですよ」

 

お嬢様のベッドからは、さっき抱きしめられた時の様な暖かさを感じた。

 

「それで、何か具体的な夢はできたのか?」

 

「そうですね。街の国際バリスタ弁護士なんてどうでしょうか」

 

「一つに絞れよ!」

 

 

 

 

皆と出会えてよかった。お嬢様に出会えてよかった。いつか面と向かって、お姉ちゃんと言える日が来ればいいな。

 



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第六羽

いつものように半分原作半分オリジナルといった感じです。
バドミントンのサーブなんですけど、調べてみると打つ瞬間にシャトルが腰より完全に下の高さで打たないとダメらしいです。
要するにパトリオットサーブは普通に反則だということです。


仕事が一段落した夕方、ココアさんからバレーボールの練習に付き合ってほしいという連絡があった。

場所は河川敷の公園で、千夜さんも来るそうだ。

なんでも学校の球技大会が近いらしく、2人はクラスメイトでもあるから一緒に練習するらしい。

どうして私を誘ったのかというと、「身のこなしがただ者じゃなさそうだから」だそうだ。

仕事も片付いたし、時間はあるので公園に向かった。

 

「イオちゃん!急にごめんね!」

 

「こんにちは、イオちゃん。今日はよろしくね」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

話によると千夜さんはバレーボールがとても苦手らしく、ココアさんが教えてあげるそうだが、一人で教えながらラリーの相手をすると効率が悪いと考えたらしい。

 

「なら私が千夜さんのフォームを見ますので、ココアさんがラリーの相手になるというのはどうでしょうか」

 

「じゃあそうしようか。千夜ちゃん!まずはレシーブで返してね!」

 

「え、ええ!分かったわ!」

 

ココアさんがフローターサーブで千夜さんの少し横に向かって真っすぐボールを出す。

しかし千夜さんは間に合わず、ボールを後ろにそらしてしまう。私は走ってボールを取りに行く。

 

「千夜さん。レシーブは手だけじゃなくて、体の正面でボールを受けるように素早く動くのがコツです」

 

それから何度かやってみたが、千夜さんのレシーブはなかなか成功しない。千夜さん、もうだいぶ息を切らしている。

 

「はあ…はあ…もう無理……私当日休むから……」

 

「努力あるのみだよ!今度はトスで返してね!」

 

そういってココアさんは千夜さんに向かって大きく山なりのトスを上げた。かなり高く上げたため、落下点に入るまで余裕がありそうだ。

 

 

「トス……」

 

 

千夜さん、フォームは悪くないんだけど、一歩目が遅れることが多いな。どんな練習をすればいいだろうか。

 

 

「トス……?」

 

 

それにしてもココアさん、結構バレーボール上手いんだな。フォームもきれいだし、千夜さんの微妙に拾い辛い所にボールを出してたのも練習のためだろう。

 

 

「トス!?トスって、何!?」

 

 

その瞬間、千夜さんが飛んだ。素早く跳躍し、それと同時に大きく腕を振り抜き、最高打点でボールの芯を打ち抜いた。

 

「ウゴアッ!」

 

ボールは一直線にココアさんの顔面へと吸い込まれて行き、ものすごい音がした後、ココアさんのトス並みに跳ね上がった。

 

「ココアさん!?」

 

私は思わずココアさんに駆け寄った。それがいけなかった。

 

「トスって、何!?」

 

背後から再び聞こえる千夜さんの叫び声とボールを強く叩く音。

 

「フゴッ!?」

 

その声と音に振り向く間もなく、後頭部に衝撃が走り力が抜けていく。ココアさんに向かって走っていたため、バランスを崩し、地面がゆっくりと近づいてくる。

 

 

私はそのまま意識を失った。

 

 

 

 

 

 

「おーいイオ、起きろー」

 

あれ、お嬢様の声が聞こえる。

 

「あ、おじょうさま。おはようございます……?」

 

「ああ、おはよう。頭大丈夫か」

 

「私はなぜお嬢様に罵倒されているんです……?って、お嬢様!どうしてここに?」

 

「チノとバドミントンの練習をしに来たんだけど……3人が倒れててさ」

 

向こうの方でチノさんとココアさんと千夜さんが話している。ああ、思い出してきた。さっきの殺人スパイクの事だろう。ココアさんは元気そうでよかった。というかなぜ千夜さんまで倒れていたんだ?

 

「イオ、おでこから血が出てるぞ……ほら、動くなよ」

 

そう言ってハンカチで私の額を押さえる。

 

「あ……ありがとうございます」

 

「少し押さえてじっとしてろよ」

 

「はいー……」

 

そういえば私は顔から倒れたんだった。まだ頭がふらふらするので大人しく座って、皆の練習を見学することにした。

お嬢様とチノさんはバドミントンか。バドミントンって難しいよね。ボールと違ってシャトルは思ったよりずっと減速する気がする。

チノさんも空振りが多い。こればかりは慣れだろうか。

 

ココアさんと千夜さんのバレー組はどうだろうか。

ココアさんがサーブして千夜さんがレシーブをする練習をしている。千夜さんもだいぶレシーブできるようになってきた。

練習のレベルを上げようと、少し強めのサーブを打とうとしたココアさん。

バンッ!と力強い音が響く。ココアさんがしまった、というような顔をしている。

先ほどの千夜さんのスパイクのように鋭いサーブが千夜さんの顔面へ吸い込まれて行き……千夜さんはしゃがんで回避した。

その直後、あらぬ方向からラケットが千夜さんの顔があった場所に飛んできた。

なんだこの状況。

 

それからココアさんとお嬢様が交代して、ココアさんがチノさんにバドミントンを教えるようだ。ココアさん、バレーもうまかったし、結構運動神経が良いのかもしれない。バドミントンも上手いのかな……と思っていると見事な空振り。

 

「見ないでー!」

 

ここまで聞こえるココアさんの叫び声。きっとチノさんにかっこつけようと変なことでも言っていたのだろう。

 

そんなココアさんの後頭部にボールが直撃。再び倒れるココアさん。なんだこの状況(2回目)。

 

「あれ、イオちゃんじゃない。こんなところでどうしたの?」

 

後ろから誰かに話しかけられた。この声は……。

 

「シャロさん、こんばんは。皆さんと練習しているときに転んでしまって休憩してるんです。シャロさんこそどうしてここに?」

 

「私は千夜を迎えに来たんだけど……おーい、千夜ー。おばあさんが帰りが遅いって心配してたわよ」

 

「あら、シャロちゃん」

 

「シャロもちょっとやってくかー?」

 

「リゼ先輩!?」

 

「その格好なら動きやすいし大丈夫だよ。被害し……人数は多い方が楽しいよ」

 

「被害者……?」

 

何も間違ってないな。

 

私も動けるようになってきたので、3対3のバレー勝負をすることになった。

 

私とお嬢様、千夜さんチームと、ココアさん、シャロさん、チノさんのチームだ。

 

「シャロちゃん!今こそあの状態になるべきだよ!」

 

「あの状態?」

 

「待って!まだ使うって決めてない!」

 

「そういえば、イオちゃんの前であの状態になったこと無かったわね」

 

「シャロさんはコーヒーを飲むとハイテンションになるんです」

 

「?」

 

ココアさんが買ってきた缶コーヒーを飲んだシャロさんは普段とは別人のように、というか酔っ払いと同じようなテンションになった。

 

「バレーボール大好きー!」

 

「えぇ……」

 

あまりの変わり様に思わず目を疑ってしまう。

 

「イオちゃん!負けないからー!」

 

「は、はい。お手柔らかに……」

 

「おっ、シャロやる気だな!いくぞっ!」

 

お嬢様のサービスで試合が始まった。誰もいない所を狙い、そのまま真っすぐに地面に突き刺さると思われたが、シャロさんが酔っ払い特有のニコニコした顔で難しいボールを拾い上げる。酔っぱらってるのに上手いな!

 

上がったボールをココアさんがそのままレシーブでこちらに返す。これはお嬢様の正面だ。お嬢様が私に向かってトスを上げる。

 

良いボールが上がった。私は助走をつけ、思い切りジャンプ。しっかりボールを見ながらも、視界の端で相手の3人がわずかに後ろに下がるのを確認する。相手の陣形はココアさんが後列、前列にチノさんとシャロさんだ。

私が狙うのは誰もいない所、相手コートのど真ん中。わざと力を抜いて、コントロール重視で置きに行くようなスパイクを打った。

 

ボールは狙い通りにコートの中央へ。しかし、それを読んでいたかのようにシャロさんがボールに反応し、片手を出すようにしてボールに飛びつき、拾われた。シャロさん上手すぎでしょ……本当に酔ってるの?酔っているからこそ上手いとかありえそう……酔拳かな?

 

シャロさんが拾ったボールをチノさんがレシーブするも、ボールは高く上がってこちらのコートに来そうだ。助かった。そのボールを千夜さんがレシーブする。練習の成果か、うまくレシーブできた。ボールは真っすぐに私の方へ。私がトスを上げるためにお嬢様を見ると、すでに助走をつけようとしているのが見えた。

一瞬目が合った。私はそのままお嬢様に向かって低く速いトスを上げる。

ボールはお嬢様がジャンプしたときに、ちょうど手元に飛んで行き、そのままスパイクを打つ。

 

惜しくもボールはココアさんの正面だ。速いボールもしっかりとレシーブした。

次はシャロさんがトスを上げ、ココアさんのスパイク。これはお嬢様が上手く拾う。

こちらがスパイクを打ち、相手が上手く拾い、相手のスパイクをレシーブし、……と、しばらくの間攻防が続く。

 

「「フレー、フレー」」

 

コートの端から千夜さんとチノさんの応援する声が聞こえてくる。……あれ?

 

お嬢様のスパイクに合わせてシャロさんとココアさんがブロックするためにジャンプ。

 

手にはじかれたボールは隅っこの千夜さんの元へ飛んで行き、千夜さんが私に向かってトスを上げた。

 

私はそのままお嬢様に向かって再びトス……すると見せかけて、そのまま相手コートの奥に向かって大きくバックトス。

 

ボールはブロックを狙っていた2人の頭上を越え、そのままコートに落ちた。

 

 

「すごいぞ千夜!」

 

「やっとトスできるようになりましたね」

 

「レシーブもばっちりでしたよ」

 

「ええ!ありがとう、皆のおかげよ」

 

「頑張ったな!」

 

と、こちらのチーム(とチノさん)は和気あいあいとした雰囲気であった。一方ココアさんとシャロさんは疲れ果てていた。

 

「これで球技大会で勝てるかもしれないわ!」

 

ココアさんはチノさんにいい所を見せようとしていたはずなのに、チノさんに見向きもされていない。

 

「お二人とも大丈夫ですか?」

 

私は買っておいたスポーツドリンクを2人に渡す。

 

「ありがとう……」

 

2人とも完全に息が上がっており、なかなか立ち上がれないでいる。

「ココアさんもシャロさんもとても手強かったです。かっこよかったですよ」

 

「ありがとう、イオちゃん……」

 

そういってココアさんは再び気絶。ココアさん不憫すぎる……お疲れ様です。

 

 

 

 

 

球技大会の練習に付き合ったあの日から、お嬢様が家でも時々バドミントンのラケットで素振りをするようになった。あの日以降もチノさんの練習に時々付き合っているらしく、なんでも必殺のサーブを伝授するだとか。

 

「おーいイオ!ちょっと練習に付き合ってほしいんだけど!」

 

私が2階の廊下の窓を拭いていると、中庭にいるお嬢様から声を掛けられた

 

「今からですか?この窓で終わりますので、少々お待ちください!」

 

「わかったー!」

 

掃除も大切だが、お嬢様のお相手も大切な仕事だと思うので。ちょうど掃除もこれで終わりですから。決してサボるわけではない。

 

掃除道具を片付け、メイド服から着替えてから中庭へ向かうと、そこにはバドミントンのコートがあった。このネットどこから持ってきたんだ。

 

「お嬢様、いつの間にこんな……」

 

「いいじゃないか。ほら、イオのラケット」

 

そういって手渡されたラケットはどう見ても新品だった。そんなにバドミントン気に入ったのかな。

……って、よく見るとこのラケット、I.Iってイニシャルが入ってる。

 

「これって……」

 

「これからはたまにバドミントンに付き合ってもらおうって思ってさ」

 

「……ありがとうございます」

 

「よし、じゃあさっそく試合形式でやるぞ!」

 

ここまでしてもらったなら本気でやらないと失礼だろう。貰ったラケットで素振りしつつ、準備運動をする。

 

お嬢様とスポーツで勝負するのはこれが初めてだな。この前のバレーボールは同じチームだったから。お嬢様の運動神経の良さは理解している。せめて良い練習になるように頑張らないと。そう思っていた。

 

「行くぞ!パトリオットサーブ!」

 

その瞬間、私は命の危険を感じた。

ネットすれすれの高さで飛んできたシャトルと、お嬢様のラケット。

 

「きゃっ!」

 

私は寸での所でしゃがんでそれらを避けた。

シャトルはそのまま背後にあった木に突き刺さり、ラケットは跳ね返って屋敷の窓ガラスを突き破った。

 

「「あっ」」

 

なんて威力だ。シャトルが木に刺さるってなんなの?ラケットってボールみたいに跳ね返るものじゃないでしょ。

 

「……私、割れたガラスを掃除してきます」

 

「いや、私がやるよ……」

 

「なら、手伝います。というかお嬢様、まさか今のをチノさんに教えているんですか……?」

 

「そうだよ」

 

「なんてもの教えてるんですか!?」

 

「いやー。ははは……」

 

「はははじゃないですよ!」

 

そんな会話をしながら窓ガラスが割れた部屋に向かう。あっ、ここってご主人様のワインがある部屋だ。

嫌な予感を感じながらその部屋に入ると、部屋の中は割れたワインボトルの破片が散乱し、中身が床に水たまりを作っていた。

 

「お嬢様、これってご主人様のコレクションのワインですよ……!」

 

「あはは……それはまずいな」

 

「とりあえず破片を片付けましょう。ワインのことはそれからですね……」

 

そのあとはお嬢様と部屋を綺麗に掃除した。ご主人様にはお嬢様から言っておくそうだ。やっぱりワインを割ってしまったのを気にしているのかもしれない。

 

その日の晩、いつものティータイムの時に、お嬢様から相談された。

 

「なあ、イオ。少し頼みたいことがあるんだが……」

 

 

 

 

 

後日、私はラビットハウスを訪れていた。今日は客としてではなく、従業員としてだ。

お嬢様がご主人様に父の日のプレゼントとしてヴィンテージワインを贈りたいそうで、千夜さんやシャロさんの喫茶店でもバイトをすることにした。

ラビットハウスは夜からバータイムが始まるため、喫茶店としては夕方までしか営業していない。そのためラビットハウスよりも遅い時間までやっているお店でのバイトを増やそうという考えらしい。

それに、バドミントン道具一式を揃えた後だったから懐が寂しいのもあるかもしれない。

 

「イオさん、今日からよろしくお願いします」

 

「よろしくね!」

 

「よろしくお願いします!」

 

「ところで、メイドさんのお仕事は大丈夫なんですか?」

 

「はい。なんの問題もありません」

 

お嬢様が、自分の都合でラビットハウスのシフトを変えてもらうことが申し訳ないと思ったらしく、私に少しでいいからラビットハウスで代わりに働いてもらえないかと頼まれたのだ。

私の本来の仕事なら黒服の人に代わってもらった。お嬢様がしっかり根回ししていたらしい。

 

「じゃあイオちゃん!分からないことがあったら先輩である私になんでも聞いてね!」

 

「はい。よろしくお願いします!」

 

「こっちが更衣室だよ。ついてきて!」

 

ココアさんに案内されて更衣室へ。制服はお嬢様のやつを借りるつもりだ。クローゼットに入っていた紫色の制服に袖を通し、鏡を確認する。

えへへ、実は着てみたかったんだよね。チノさんと約束したあの日から、ラビットハウスで働いてみたいと思っていた。メイドの仕事があるからそれは叶わないと思っていたが、お嬢様が私の当番を代わってもらえるように黒服の人やチノさん達ラビットハウス側にも頼んで回ってくれたらしい。願っても無い機会だ。お嬢様に感謝しつつ、身だしなみを整える。

 

「着替え終わりました。どこも変じゃないですか?」

 

「とっても似合ってるよ!」

 

変な所が無いかどうか聞いたんだけど、似合ってるか。うれしい。

その後、倉庫でコーヒー豆の袋などの場所を確認してから戻った。

 

「どうですか?」

 

「いいです。似合ってます。イオさんには接客をやってもらおうと思います」

 

「じゃあお手本を見せるから、よく見ててね!」

 

お客さんが入ってきて、ココアさんが接客する。相変わらずココアさんは初対面の人と話すのが上手い。

丁寧に接客しつつ雑談も織り交ぜていて、私には真似できないなと思った。

 

「どう?こんな感じでやってみて!」

 

「はい。頑張ります」

 

正直ココアさんみたいにはできないと思うけど、精一杯頑張る。

 

緊張して次のお客さんを待つ。失敗しないようにしないと。お嬢様が折角ここで働けるようにいろいろな所に頼んで回ってくれたんだ。いつもお屋敷にいらっしゃるお客様を相手するときの様に。

しばらくして、扉が開きお客さんが入ってきた。

 

「いらっしゃいませ!お好きな席にどうぞ!」

 

いつものように、自然な感じで。いつもの振る舞いを意識する。

 

「こちらメニューです。ご注文がお決まりになりましたらお呼びください……キリマンジャロですね。少々お待ちください」

 

チノさんからコーヒーを受け取り、お客さんへお出しする。

 

「お待たせしました、キリマンジャロです。ごゆっくりどうぞ!」

 

……最初の接客が終わった。あまり緊張せずにできたと思う。

 

「イオちゃんのメイドモード初めて見るなぁ」

 

「さすがプロのメイドさんですね。立ち振る舞いが優雅でした」

 

「そ、そうですか?緊張しないように、いつもと同じ様に意識してやったんですけど」

 

「ばっちりだったよ!それに前より笑顔が可愛くなった気がするし」

 

「そうですね。私もあまり笑うのは上手じゃないですが……何というか、自然と笑えてる気がします」

 

「かわっ!?可愛いですか……?そうですかね……」

 

それに、自然と笑えてる……か。最近良いことが多かったから、表情筋が柔らかくなったとか……?

あっ、さっきのお客さんが帰るみたい。お会計に行かなくちゃ。

 

 

 

 

 

その後もお客さんの接客を担当して、その日の仕事は終了した。

 

「私たちはチノちゃんのお父さんに何贈ろうか?」

 

「実用的なものがいいんですが……」

 

「それなら、手作りネクタイなんてどうかな?」

 

チノさんとココアさんは父の日のプレゼントを考えているらしい。

 

「ネクタイを手作りするならお手伝いしましょうか?裁縫も多少の心得がありますので」

 

「本当!?実は私、お裁縫あんまり得意じゃなくて……手伝ってくれるならすごく心強いよ」

 

「ココアさんまで父の日のプレゼントに気を使わなくても良いんですよ」

 

「えぇー、そんな寂し事言わないでよ。チノちゃんのお父さんは私のお父さん同然だよ!一緒に作らせてよ!」

 

私はその言葉を聞いて固まってしまった。

 

「イオちゃんは何か父の日のプレゼント考えてるの?」

 

父の日のプレゼント……この場合はご主人様へのプレゼントだろう。

私を拾ってくださったご主人様には返しきれない程の恩がる。リゼお嬢様が私を妹として見てくれているというのなら、ご主人様は私を娘として接してくれている。

父の日でご主人様にプレゼントを贈るという考えが出てこなかったのは、やっぱり心の底ではお嬢様方を家族として見ることができていないということなのでは……。

いや、今はそれでもいいんだ。これから家族だと思える様になればいい。お嬢様に過去を打ち明けた夜、自分を変えたいと思って一歩踏み出したんだ。

 

「私は……そうですね、ご主人様に贈るのであればやっぱり実用的なものがいいですね。万年筆とかネクタイピンとかでしょうか」

 

「ご主人様……リゼさんのお父さんのことですよね」

 

「そうですよ。私が今こうして皆さんと会えるのもご主人様のおかげですので。……それに、私にとってもリゼお嬢様のお父様は私の父同然ですから」

 

「ほら!イオちゃんだって贈るって!だから一緒に作らせて!」

 

 

 

 

 

ここに来れて良かった。皆と出会えたから私は前に進むことができたんだと思う。私を拾ってくれた恩はどれだけ感謝してもしきれない。だから、せめて娘として父の日で何か贈ろう。

……あとラケットのお返しとしてお嬢様にも。ラケット以外にも多くのものを貰ったから。いい機会だと思う。

2人へのプレゼントを考えながら、私は帰路に就いた。

 




今更ですが私のマイページにある画像一覧の所に、以前WaifuLabsで作った主人公のモデルとなった画像が置いてあります。本編にはあまり関係無いですし、挿絵とか苦手な方もいるかもしれないのでここには貼りません。気になる方だけどうぞ。


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