WinterGhost Frontline (琴町)
しおりを挟む

設定
オリジナル設定について


拙作『WinterGhost Frontline』において、原作と著しく異なる設定部分をまとめてあります。
足りないところは後からちょこちょこ付け加えていくかもしれません。


# Location

## C■■地区

 南方以外を山に囲まれた地域。中央には“アンバーズヒル”という発展した都市があり、そこを貧民街、“猫の鼻”による防衛線の順で囲んである。

 ほぼ完全なアーコロジーを形成しており、周囲との接続は劣悪だが生活は安定している。

 住民たちは人形に守られているという意識が強く、比較的人形に対する態度は柔らかい。

 

## “猫の鼻”

 G&K、C■■地区戦術司令部の通称。付近を三本の川が流れており、これを猫の髭に見立てての命名らしい。

 宿舎や食堂・カフェ、訓練場といった設備は驚くほど充実し、人形たちのための多目的ホールや大浴場なども完備。「人形にとっての理想郷」とも言えるような様相を呈している。

 また、ノアによる勤怠管理で、人形たちは高い給与と多くの自由時間を手に入れている。

 

 現在G&Kは事実上ほぼ壊滅しており、残った基地も正規軍により駆逐されている。にもかかわらずここはその煽りを受けていない。ノアが何かをしたようだが‥‥?

 

 目下の敵は異常なまでに戦力を増強した鉄血と、南方からやって来るE.L.I.D。小さな戦線ではあるが、その激しさは魔境と呼ぶに相応しい。

 

# Person

## ノア=クランプス

 

 

【挿絵表示】

 

 

 22歳男性。“猫の鼻”の指揮官。

 好きなものは本と動物、嫌いなものは政治と人間。

 

 見目麗しい少女としか言いようのない外見をしているので、性別を勘違いされることが多い。

 

 魘されるリベロールに添い寝をしたり、FNCにガトーショコラを作ったりと、戦術人形との距離感はかなり近い。小柄な相手と話すときは必ず屈んで視線を合わせる。

 人命よりも人形の感情やボディを重視するきらいがあり、損害前提の作戦などは受け入れない。

 ただし人形との恋愛関係は避けており、今までに告白してきた人形たちを全て懇切丁寧に振っている。

 

 対鉄血やE.L.I.Dの戦術指揮のみならず、隣接する都市“アンバーズヒル”の行政事務も管理している。通常では考えられない量の仕事を毎日こなし、残った時間で人形たちの相手をするため個人の時間がほとんど無かった。

 

 元正規軍人ということを差し引いても、異常な体術及び身体能力を有する。しかしその理由や詳しい原理は不明。時折深夜にふらっと基地を出ては、鉄血のハイエンドモデルのコアを持ち帰って来る。

 暗殺と格闘に秀でており、希望する人形には格闘戦や高速移動の訓練をつけている。そのため、“猫の鼻”の人形はいずれも高い戦闘練度を誇り、G&Kのレベル評価ガイドラインに基づいて判断すれば、MODの有無を問わずその平均は120前後となる。

 

 作戦立案や指揮においても十二分な働きを示す。自ら集めてくる情報も活用した敵の配置予想は正確で、様々な局面に応じた作戦を幾つも用意する。しかし本人はその作戦に自信が無いようで、人形たちには「あまりあてにしないでね」と言っている。

 

 G&K内ではかなり自由な振る舞いが目立つ。本部への出向命令は無視、他司令部への応援は拒否。そのためヘリアンなどからは相当嫌われており、同期の指揮官たちからは得体の知れない人間として敬遠される。本来ならばとっくに首になっていてもおかしくないが、G&Kが既に事実上壊滅状態にあることと、最早魔境と化しているC地区をほぼ完璧に防衛しているその手腕から、組織内での立場は一応安定している。ヘリアン曰く、「実力しかない男」。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

本編
猫の鼻①


「っぐぅ……ぁ」

 

 体中から送られてくる痛覚信号が電脳を走り回り、熱く鋭く意識を苛んでいた。既に自力で動かせる部位はなく、立つことはおろか、藻掻くこともままならない。

 このまま自分は死ぬのだろうか?

 終わりを待つことしかできないという状況のせいで、いつもなら微塵も抱かないはずの怯懦(きょうだ)が重く圧し掛かる。

 バックアップはともかく、ボディの方は予備が無い。I.O.P.の最高品質モデルとして生産されるも違法人形となった自分は、高すぎるコストとメンタルモデルの扱い辛さから生産が中止されている。きっとここで意識を失えば、HK416という戦術人形は世界から消え失せるのだろう。

 悔しい。しかし、もうどうでもいいという気持ちもある。

 何せ、手も足も出なかったのだ。自分は殻を破り、今までとは比べ物にならないくらい強くなったはずなのに。銃弾も榴弾も、掠りさえしなかった。相手は銃を撃つことも無く自分を戦闘不能に追い込んで、動けなくなった自分を蹴って裂いて踏んで嗤って蹴って殴って嗤って踏んで裂いて嗤っ――

 

「ア゛ッ……ゥ……」

 

 喉で人工血液がごぼごぼと泡立つ。

 痛覚だけを残して、ひたすらにいたぶられ続けた。相手は何と器用なのだろう。これだけの激痛と恐怖を与えておきながら、出血は最小限。そのせいで自分は今、体の末端から虚無に沈みながら最期の時を待っている。

 

 足音が聞こえた気がした。と言っても自分の聴覚モジュールは半壊しているから、きっと幻聴か、そうでなければ奴が戻ってきたのだろう。

 もう自分に傷つけられる場所は残っていない、と思う。止めを刺すつもりなのだろうか。

 瞼が無いせいで遮ることのできない視界に、ワインレッドの裾と黄琉璃(おうるり)のブーツが映った。

 

 ――奴どころか、鉄血ですらない?

 

 顎をそっと持ち上げられ、視線が重なった。

 来客は少女だった。猫みたいに細い瞳孔、金色の双眸がこちらを見据えている。

 

「キミが、HK416で間違いないかな」

 

 逆光でぼやけた顔の少女が問いかける。

 首が落ちないだろうかと心配しながらほんのわずかに頷くと、少女は目を見開いて、泣きそうな顔をして、それから笑顔を浮かべた。

 なんて痛ましい笑顔だろう。それでは笑う意味が無いではないか。

 少女が、口を開く。どこまでも優しく、温かい毛布のようなその声音。

 ――今まで、クソみたいな人生だったけれど。こんなにも優しい声に見送られるなら、まぁ、自分の戦いにその程度の価値はあったのだろう。

 緞帳(どんちょう)を落とすように、416の意識は暗闇へと吸い込まれていった。

 

 




感想下さい。お好きな動物の鳴き声でもいいです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

猫の鼻②

 C■■地区、G&Kの戦術司令部。傍を流れる三つの小川を髭に見立て、近隣住民からは“猫の鼻”の通称で親しまれている。

 最近歩みを緩め始めた日が撫でるグラウンドで、IDWや59式、MP5といった小柄な人形たちが鬼ごっこに興じていた。現在の鬼はスコーピオン。どうやら体力の尽きかけている59式に狙いを定めたようで、靡く白衣目掛けて一直線に走っていく。

 あぁコレは捕まえようと白衣を掴んで二人とも派手にすっ転ぶ流れだな――とノア=クランプスが執務室から眺めていると、ずっしゃぁぁという派手な音と土煙が上がった。何やってるの掴まなくてもタッチすればいいんだよぅ、とMP5が駆け寄っていった。MP-446(ヴァイキング)が絆創膏を手に爆笑しながら続く。

 

「ちょっと指揮官、ちゃんとこっちに集中してよ」

 

 室内からの呼び声に振り返る。暇だからと遊びに来たK5が、デスクにタロットカードを広げてこちらをねめつけていた。

 

「と言ってもね。占うのはキミでしょ?僕は何に集中すればいいのさ」

「カードに。今日これから私に何が起こりますかー、って念じるの」

 

 それは一日の始めにやらないと意味が無いのでは、と心の中で首を傾げた。今は既に午後であり、残った時間が少ない分、今日という日にかける期待も少なくなる。

 まぁ、今やっておかなければならない仕事を一通り終え、暇なのは自分も同じだ。人形たちの趣味に付き合うのであれば、有意義な時間の使い方というものだろう。

 ノアは少し身を乗り出して、伏せられたカードを注視する。この先の十一時間で僕に何か変事は起こるでしょうか。

 同じようにK5も身を乗り出して目を伏せ、カードをかき混ぜる。沈黙が執務室を包み、59式たちの楽しげな悲鳴が際立って耳に届いた。転んだのに鬼ごっこ続行してるのか、アイツ。

 まだかな、とノアが欠伸を喉の奥で封殺したとき、K5がカードの海から三枚選んでめくった。一拍置いて、唇から呟きが零れる。

 

「……逃げていたものに追いつかれる」

「随分と印象的な託宣だね。タロットにそこまでのメッセージ性があるの?」

「肝心なのは解釈だから。私にかかればこんなものだよ」

 

 K5が胸を張る。バンドで締められた生体パーツが少し揺れた。

 視線をカードに逃がし、ノアは描かれた柄の意味を考える。

 彼女から見て正位置の“愚者”と“運命の輪”に、逆位置の“恋人”。

 ノアは占いに関する造詣が深くない。それぞれのカードの一般的な意味こそ知っているが、複数の意味を組み合わせて解釈することはできなかった。

 しかし、何故か三つの絵は自分の人生に親しいものに思えた。

 

「“恋人”が出たからって色恋沙汰とは限らないけど、指揮官のことだもの。

 告白してくれた女の子に返事をしないで、こっちに引っ越してきたとかじゃないの?」

「いやいや、僕を何だと思ってるのさ。

 ……『逃げていたもの』かぁ。心当たりが無いな」

 

 またまたー指揮官って顔はいいし気が利くからどこでもモテたでしょ、ワイルドさが足りないからそういうのが好みの人には受けないだろうけど。

 興が乗ってきてしまったのか、追及を止めないにやけ顔を手で追い払った。

 来週分の市街地警備の暫定シフトを確認しながら、K5の台詞を反芻する。

 

(逃げていたもの……いや、まさかね)

 

 心当たりは山ほどある。それら全てに追いつかれてしまったら、押し潰されて死んでしまいそうなほどに。

 だがそれらは全て過去にあり、死者であり、黴の生えた瓦礫の下に埋もれている。再び自分の眼前に現れることはない。

 深く息を吸って、目を外へ向けた。

 IDWが四つん這いで――彼女にとってはアレが本気の疾走態らしい――C-MSを追い駆け、周りの人形たちが二人の戦況を窺いながら距離を保っている。

 グラウンド端にある花壇の前で、先ほどは見なかったFMG-9が座り込み土を弄っている。その背後にはP7が忍び寄っていて、今にも飛び掛かりそうに両の手を開いていた。

 

(あの子はビックリ系に凄く弱いから、多分泣いちゃうぞ)

 

 彼女らの頭上、青い空に流れる雲は少なく、ただ穏やかな空気が――

 

 ピーッ。

 

 基地に敷いてある内線の着信音が響いた。スピーカボタンを押すと、凛とした声が聞こえる。G36だ。

 

『詳細不明の回線から通信です。ご確認下さいませ』

 

 転送を促す。ブツッ、とグループ通信になった音を聞いてから声を上げた。

 

「こちらC■■地区、グリフィン戦術司令部」

『こち………隊!鉄血………に潜……、……エン…………と……、四名全………不…!

 助けて……!』

 

 通信途絶。

 環境が悪すぎたのだろう、声はほとんど雑音に掻き消されていた。完全にジャミングされていないのは不審だが。

 G36が訊ねてくる。

 

『如何なさいますか、ご主人様』

 

 ノアはこめかみを小突いて、現在手の空いていそうな人形の名を思い浮かべた。小さい子にとっては遊びこそが仕事だから、外の子たちは除外する。

 

「PKPとMG5、M37(イサカ)AA-12(アイリ)、Spitfireをここに呼んで。昼戦B装備で。

 K5も装備取ってきて。手伝ってもらうよ」

『承知いたしました』

「それはいいけど、コレって罠じゃない?

 明らかに不自然なノイズでしょ、意図的に声を遮断してると思うよ」

 

 そう言い残したK5の背を見送って、ノアは傍のラックから自分の装備品を取り出した。艶のない黒のフィンガーレスグローブに、コンバットナイフ――というにはいやに大振りな刃物。

 銃は無い。ノアは銃火器の扱いに自信が無いし、そもそも銃を使うなら自分より適任が大勢いる。

 深い溜息が零れた。

 

「最後の一言だけちゃんと聞こえるようにするあたり、僕のことをよく分かってるよね」

 

 彼女の指摘は恐らく正しい。ここに着任してから一年と少し、鉄血とは数え切れないほど衝突してきた。そしてノアは既に少なくない回数、人形たちと共に戦場へ身を投じている。今日もやろうとしているように。

 こちらが彼女たちの情報を掴んでいるのと同じくらい、向こうもこちらの内情を知っているはずだ。

 すなわち、ノア=クランプスという男は、人形を過剰なほど大切にする異常者だ――であるからして、人形を人質に取れば“猫の鼻”は必ず奪還に動くだろう、と。

 まったくもって御明察!完全に鉄血側の思う壺だ。

 ただし、みすみす食われるために突撃するわけではない。本当に捕まっている人形がいる、とノアは確信していた。

 その根拠は、先日ヘリアントス上級代行官から聞いたある話。

 

『貴官の担当するC■■地区に、最新型の鉄血ハイエンドモデルが潜伏している可能性がある。

 その個体の存在や情報は現状、上位の機密だ。別の部隊が奴らの討伐作戦に当たるので、コイツらに関する任務が貴官に発令されることはない。

 しかし、通常の任務中に遭遇する可能性もある。警戒はしておけ』

 

 ノアはヘリアンから嫌われている自覚があった。仕事上のコミュニケーションは問題なく行えるが、彼女が自分を見る目にはいつも明らかな警戒の色が浮かんでいる。まぁ、信頼を得る努力を全くしていないのだから仕方ないが。

 そんな彼女が作戦内容に直接関与しない忠告を寄越すことはとても珍しい。

 だから気になって、G&K上層部の作戦予定をすっぱ抜いたのだ。優等生かつ不良指揮官であるノアにとってこの作業は少しだけ大変だったが、あくまでそれは少しだけ。隠蔽工作のためにG41との散歩時間を削ることになったので、拗ねた彼女を宥める方が大変だった。

 そうして引っ掻き傷と引き換えに入手した機密の中に、C■■地区の鉄血工廠を目標とした2日前付けの潜入作戦があった。

 暗殺の目標となっている鉄血ボスについては、どうやら上位個体――ドリーマーやエージェント――と連携をとっていないらしいことと、二人組であるという情報しか得られなかった。他に資料は見当たらなかったので、G&Kもそれ以上の情報を持っていないか、情報をまとめている最中なのだろう。日頃から噂に聞き耳を立てているノアにとっても、この話は耳に新しい。離れた区域で最近発生し、高速で移動している脅威だと推測できる。

 そして、その作戦は失敗したのだろう。先の通信が作戦に参加した人形本人からとは限らないが、ボイスのサンプルを採られた可能性は否定できない。急拵えの音声だから、粗を隠すために過剰なまでのノイズを混ぜたとも考えられる。

 よって生死こそ不明だが、餌になった人形は実在する。これは罠というよりむしろ招待状と考えた方が正確かもしれない。

 

「来たよ、指揮官。出撃?」

 

 口の端に何かが入っているような間の抜けた声がして、顔を上げる。

 装備の入ったバッグを床に置き、アイリがキャンディを口の中で転がしていた。

 見れば、先ほど招集をかけた他の人形たちも既に集まり、指示を待っている。

 

「みんな来てくれて有難う。

 突然のお仕事で悪いけど、これから鉄血領に踏み込んで人形四名を救出する。

 正体不明の回線からの通信で、ヘリアンさんへの上手い言い訳が思いつかないから大規模な捜索活動はできない。

 あくまで『そこら辺で交戦してたら偶然見つけたので保護しました』っていう(てい)で行くよ」

 

 壁に貼られた地図、鉄血領の奥部に位置する工廠にマグネットを置いた。

 周囲を迂回するような進入ルートをマーカーで赤く示し、これまでの情報収集で割り出した道中の警戒ポイントや想定される敵の布陣を説明する。

 目的地での陽動の流れや交戦規定を伝えることも忘れない。潜入は自分が担当するが、いざというときは自分のことを無視してもいい、と。

 焦りが無意識のうちに舌の回りを速くする。彼女たちならば問題なく聞き取ることができるだろうが、だからといって自分が冷静さを失ってもいいという話にはならない。

 落ち着くために一つ息を吐いた。

 

「先に言っておくけれど、これは十中八九罠。標的はもちろん僕ら“猫の鼻”。

 ただし要救助者がいるのは確信しているので、少しだけ付き合ってね」

「まぁ、要するに私たちはいつも通り鉄血のクズ共をボロボロにしてやればいいんだな」

「その通り。それじゃあ行くよ。質問は道中で聞く。

 ――怪我だけはしないようにね」

 

 そう言って部屋を出る背後、溜息交じりのイサカの呟きが聞こえた。

 

「一番危険なのは貴方ではなくて?」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

猫の鼻③

 限界まで音量を絞ったインカムから、気前のいい斉射音が流れてくる。

 ノアは工廠内のダクトを這い回っていた。

 I.O.P.製・鉄血製を問わず、戦術人形には電力と熱源(カロリー)が必要だ。

 つまり酸素は必要ないわけだが、無酸素空間を作るにはコストがかかる。

 鉄血側も工廠を無酸素状態にするメリットを見出さなかったようで、この工廠に張り巡らされたダクトは工廠内ほぼ全ての空間に繋がっていた。

 一つ一つの部屋を視覚と聴覚で精査し、戦闘不能の戦術人形か――その死体が無いかを確かめる。それと同時に、頭の中に工廠内の地図を作っていった。

 

(通信によると対象は四名。このダクトは狭くて対象を搬送するには向かない。帰りは工廠の中を歩くしかないか。ところどころで戦闘しながらになるなあ。

 ――うん、僕一人じゃ難しいよね)

 

 ダクト越しに真下の部屋の音を聞いていると、インカムから声が割り込んできた。

 

『こちらSpitfireです。予定の交戦時間を120秒ほど超過しましたが、現在は制圧した廃ビルで休息中です。PKPさんとイサカが外の様子を警戒しています』

 

 流石は優秀な戦術人形たちだ、無事に陽動をし果せてくれた。

 喋ると擦過音や破裂音が響くので、フッフッと息で信号を返す。

 

「(お疲れ様。要救護者を見つけたら連絡するから、そのときは来てね)」

『了解です。それまで問題が無ければここで待機します』

「(おっけ)」

 

 適当に見繕った空室に降り立って、廊下の様子を窺う。

 見回りのものと思われる足音は少なく、何かを捜索している殺気だった空気もない。

 

(やっぱり罠ですよねー!あっはー!)

 

 ノアは泣きたくなった。自分の面倒な性分が災いしなければ、今頃WA2000の焼いたクッキーで糖分補給をしていたはずなのに。――あぁいや、あの子の作る菓子類は美味しいが甘さ控えめだから、そういう面では最適とは言えない。

 潜入前にアイリから分けてもらった棒付きキャンディを口に放り込み、脳内の地図を確認する。敷地と外観から分かる建物全体の広さと、これまで通ってきた部屋を照合すると、調べていない空間はあと1割程度。この調子でいけば、街の洋菓子店が閉まるまでに帰ることができる。エクレアでも買おう。

 丁度部屋の前を一人分の足音が横切っていく。重さと歩調から、自動警戒状態のRipperだと分かった。

 息を潜めて、足音が通り過ぎるのを待つ。

 Spitfireたちに押し付ける負担は、少しでも減らしておいた方がいいだろう。

 一旦強く拳を握って、力を抜く。静かに、そして素早くドアを開け放つ――



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

猫の鼻④

「なあAA-12。今回の作戦は上手く行くと思うか?」

 

 マガジンパックの残弾確認を終えて、不意にMG5が訊ねてきた。

 自分が話しかけられると思っていなかったせいで、アイリはキャンディを取り落した。

 視線を上げると、MG5の隣ではSpitfireがヘッドホン――今月のボーナスで買ったらしい――を押さえて何やらリズムに乗っている。

 

「あ、えっと。うん、指揮官はコソコソするの得意だし問題ないでしょ。

 難しいのは救出の部分だけじゃない?」

 

 良かった、埃はついていない。包み紙を剥がし損ねていたのが功を奏した。

 MG5は難しい顔をして、膝に頬杖をついて唸った。洗練された獣のような顔立ちの彼女には、その仕草がやたら似合っている。指揮官より男前なんじゃなかろうか。

 

「指揮官が潜入を得手としているのは同意だが。

 それにしても単身でというのはいくら何でも無茶じゃないか?

 いつもならHGかARを一人は連れて行くだろう。ウェルロッドとかな」

 

 包み紙を剥がし、汚れていないか一応再確認して、口に放り込む。

 

「……ほうから(そうかな)、たまたま適役の子が忙しかったんじゃない?

 でもまぁ。そもそも指揮官が前線に出ること自体おかしいわけだけど、あの人めっちゃ出るよね。月に二回くらい?

 もう慣れちゃったけどさ」

「『カラプペ』のアンケートでも、指揮官が前線に同行するのは珍しいから、そういう時はみんな緊張するってさ。

 N04地区の基地ではこないだ、指揮官を誰が護衛するかで喧嘩になったんだって。

 ウチだったら、PKP辺りが『誰か護衛につけろ』って咬みつくくらいだよねー」

 

 K5が読んでいた雑誌を見せながら、会話に交ざってきた。

 『カラプペ』とは、G&Kの広報部から独立した出版社が刊行している、戦術人形向けの月刊雑誌だ。銃のカスタムやアクセサリ、鉄血との激戦の模様、活躍した部隊へのインタビューといった情報から、人と人形の恋愛や人形同士の恋愛を描いた連載小説といった娯楽まで幅広いジャンルを扱っている。

 読み終わったなら貸してくださいな、というイサカの手に雑誌が移り、K5が紙面を覗き込むようにして後ろに座る。さてあの主人公は今回で告白に踏み切るのかしらあぁでももう少しあのもどかしい距離感を愛でたいものですけど。

 同じ部隊に配属されて気付いたことだが、Spitfireが相手をしていないと、イサカは独り言で煩くなる。

 しかし邪魔なほどではないので、そのままMG5との会話を続ける。

 

「やっぱり“猫の鼻(ウチ)”っておかしいのかな?」

「だろうな。そもそもG&Kが戦術人形を採用しているのは、人間が戦闘で死ぬのを避けるためだ。指揮官のやり方はその前提に反している。

 ……でも、彼が来る前のここよりは遥かに良い」

「……確かに」

 

 空気が重くなった。

 端的に言えば、“猫の鼻”の前任者がとんでもない悪人(自分たちにとっての話だが)だったのだ。前任者が死んでノアがやって来るまで、基地の環境や自分たちの待遇は酷いものだった。

 

(嫌なこと思い出しちゃったなあ)

 

 ストレスには対処療法が必要だ。先のキャンディが融けきらぬうちに新しいのを追加する。味を確認しなかったせいで、口の中におかしな味が錬成されてしまった。気分が悪い。

 組み合わせを間違えたキャンディを吐き出そうかと悩んでいると、Spitfireが姿勢を正した。横についているマイクをチャキッと下ろす。カッコいいなあ、自分もあんなヘッドセットでラジオを聞いてみたいものだ。

 

「こちらSpitfire。首尾はどうですか?指揮官さん」

 

 指揮官からの連絡。ということは、状況に進展があったのだろう。

 全員の意識が切り替わり、視線が彼女に集まった。

 

「……了解です、指揮官さんもお気を付けて」

 

 ヘッドホンを仕舞い、インカムを着けながらSpitfireが告げた。

 

「指揮官さんが作戦目標を発見しました。

 みなさん、移動の準備をお願いします」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

猫の鼻⑤

 震える銃口が、こちらの腹に狙いをつけている。

 Spitfireの連絡から十分ほど(のち)。荒い呼吸を必死に抑える気配と微かな呻き声を聞きつけて、通気口からこの部屋に降りたノアと、暗い茶髪の戦術人形が相対していた。

 ……確かに、何の気配もなかった頭上から突然見知らぬ男が落ちてくれば、驚くし警戒もするだろう。この状況は事前の連絡を欠いたノアの落ち度だ。

 眼前にいる人形は、後ろで失神している仲間らしき二人を庇うように左手を広げている。その指は不自然に曲がっていて、おそらく手の感覚は既にない。

 やけに機械的な外観の右腕――義手だ――は所々からスパークを散らしながら、機関短銃の引き鉄に指をかけている。

酷い損傷だ、射撃統制コアは機能していないだろう。つまり彼女は今、ASSTを応用した力業で照準を合わせている。そんな状態で頭を狙うのは無理があるから、腹部で妥協。歯を食いしばっているのは、腕を上げるだけでも辛いから。普通の戦術人形では思いつくはずのない、思いついたとしても実行に移すことは叶わない所業だった。

 彼女の顔には脂汗が浮き、人工血液が滲み、それでも――

 凄絶にこちらを睨む鳶色の瞳は、抵抗と生存を諦めていない。

 一体どれだけの修羅場を潜れば、このような目ができるのだろう。

 ノアは素直な尊敬と――歓喜を抱いた。

 両手をゆっくり広げて、口を開く。

 

「安心して、僕は敵じゃない。救難信号を受けて助けに来たんだ。

 ほら、徽章が見えるかな。G&Kの者だよ。

 あの通信はキミが?えっと……UMP45」

 

 少女の得物を見て問いかけた。

 緊張が解けたことで、腕を上げていられなくなったのだろう。UMP45はガシャンと音を立てて銃口を下ろした。しかし、その目は困惑に揺れている。

 

「どうして名前を……?いやそれよりも、救難信号なんて、出してないのに……」

 

 ――あぁ、やっぱり。

 背後に殺気を感じた。

 振り返れば、二つの弾丸がノアの眉間と右大腿部目掛けて飛来している。

 回避すれば後ろの45たちに当たる。選択肢は無い。

 一の弾が眉間に触れた瞬間に思い切り首を横に振り、二の弾を右手の人差し指と中指で一瞬だけ挟む。須臾(しゅゆ)の交錯、二指の力で軌道を逸らす。

 結果だけ見れば、二つの弾丸は目標(ノア)を掠めるように曲がり、ノアは額と腿から血を噴き出し仰け反った。

 一連の防御と同時に、空いた左手でレッグホルスターから抜いたナイフを投擲する。しかし弾丸の主は射撃と同時に身を退き始めており、ナイフは虚しく廊下の壁に突き刺さった。

 

(あぁもうっ、先生なら今ので仕留めてるはずなのに!)

 

 しかし、得るものはあった。今の交戦で見えた、短い銀髪とモノクロの衣装に包まれた蠱惑的な肢体。同時に発射された二つの銃弾。そして何よりも、罠を仕掛けて得物を待つ戦い方。

 ノアは今回の相手が鉄血ハイエンド、ハンターであることを確信した。

 同時に、違和感が鎌首をもたげる。

 

(未確認の鉄血ハイエンドって話はどこに行った。

 もしかしてここにはボスが複数いるのか?だとすれば拙いな、ハンターはともかく、未確認の個体も同時に相手するのは面倒だぞ……)

 

「ちょっと、大丈夫なの!?」

 

 思考に潜っていたノアを、45の声が引き揚げる。焦ったような声音からして、気絶したとでも思われたのだろう。

 振り返ると、45は訝しげにこちらを窺っていた。キョトンとしているノアの顔を見て、気味悪そうに額を指さす。

 

「思いっきり血出てるけど。平気なの?パフォーマンスが落ちるわよ」

 

 言われてみれば、思ったより大量の血が鼻筋から頬をだらだらと流れ落ちている。しかし、大して痛みはない。

 笑顔を作って見せた。

 

「うん。頭は傷の度合いと比べて派手に出血するから、実際は掠り傷。

 脚の方も……うん、絶火(ゼッカ)に支障は無いかな」

 

 首を傾げる45に「こっちの話。とにかくなんともないよ」と手を振って、顔の血を拭う。

 

(勿体ないなぁ)

 

 そろそろ外の子たちを呼んでおかなければ時間を浪費することになると思い至って、通信を繋いだ。

 

『こちらSpitfire。首尾はどうですか?指揮官さん』

「重畳だよ。対象四名の内三名を発見した」

 

 現在地とここへ至るための最短経路、道中の警備状況を口頭で伝える。もちろん、ハンターの出現も忘れずに忠告した。

 通信の傍ら、懐から取り出した絆創膏を額に貼る。脚にも貼ろうとしたが、ここでズボンを脱ぐわけにもいかない。この程度の傷ならすぐ治るだろうと思うことにして諦める。

 

「ということで救助をよろしく。他にもハイエンドが隠れてる可能性があるから、気を付けてね」

『了解です。指揮官さんもお気を付けて』

 

 通信を終了して、再び45の方へ振り返った。餌扱いされていたことに気付いたのだろう、忌々しげに顔を顰めている。

 

「絆創膏くらいならあるんだけど、何か応急処置できそうなところはある?」

「いえ、一通りはもう済ませてあるわ。でも……」

 

 その先を聞かずとも察せられた。45の損傷も酷いものだが、後ろの二人と比べればまだマシな方と言える。

 くすんだ銀髪の小柄な少女は全身傷だらけの上に左腕が無い。

 もう一人の茶髪の少女は膝から下が欠けている。

 いずれの傷も()()()()()()()()()()()()滑らかで、何故か焼け焦げている。失血死の心配がないのは不幸中の幸いか。落ちたパーツも拾って来たのだろう、すぐ傍に置いてある。修復の際にモデルを検索して設計図を漁る手間は省けた。

 

「すぐに救援部隊が来るから、それまでの辛抱だよ。

 今のうちに、キミたちが戦った相手について訊きたい。

 その傷はどう見てもハンターに付けられるものじゃない。エクスキューショナーとか?にしてもその傷は不可解だけど……」

「……違うわ。詳しい内容は守秘義務があるから言えないけど、ソイツはもうここにはいないはずよ。

 今いるハンターも、アイツがここにいるって聞いて急いで来たみたいだった」

 

 何ともおかしな話だ。ボロボロにした敵の部隊に止めも刺さず撤退する鉄血人形など聞いたことが無い。それに彼女の感覚が正しければ、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「分かった。それから、ウチに来た救難信号では四名が戦闘不能って話だった。

 他に仲間はいる?」

「あの子は……416は、もう手遅れだと思う」

 

 416――?

 

 頭を振って雑念を振り払う。額の傷が少し痛んだ。

 

「手遅れって、どうして?」

「G11――この子がやられて、416は激昂したの。

 私は引き留めたけど聞かなくて、奴を追い駆けて一人で奥に行ってしまったわ。

 私たちの中では一番善戦してたけど、それでも勝ち目なんて無かったのに……」

 

 再び脳内地図を開く。未探索の空間は、あとわずか。

 

「ここより奥なら、探す必要はほとんど無いか。

 ……有難う。あとは僕たちに任せて、キミも休むといい」

「うん、そうする……よろしくお願いするわね……」

 

 彼女も限界だったのだろう。そう言い終えるや否や、カクンと俯いて動かなくなった。

 

「指揮官さん、ご無事ですか!」

 

 少し前から銃声と足音が聞こえていたので、そろそろ到着すると思っていた。Spitfireたちが部屋に駆け込んでくる。

イサカが血で汚れたノアの顔を目にして色を失い、その後ろにいる傷だらけの人形たちを見てさらに息を呑む。ノアは「安心して」と笑った。

 

「僕は平気。見た目ほどの怪我じゃない。

 でも、彼女たちはかなり深刻だ。自力で動くのも難しいから、キミたち全員で“猫の鼻”まで護送して。

 僕はもう一人の要救助者を探してくる」

「また一人でか?一人ぐらい護衛につけておくべきだ」

 

 MG5が難しい顔で苦言を呈する。

 ノアはあくまで気楽な表情を崩さず手をひらひら振った。

 

「大丈夫だってば。キミたちはこの子たちを担いで移動しなきゃいけないんだ。道中では交戦の可能性もある。人数は多い方が安心でしょ」

「それは……」

「それに、ここにはもうハンターしかいないってこの子が教えてくれた。

 彼女は僕を狙うはずだから、キミたちは楽に脱出できるよ」

「……気に入らないな」

 

 PKPが吐き捨てた。茶髪の少女を背負うアイリを手伝いながら、ノアの額を指さす。

 

「命令というのならもちろん従うが。指揮官(オマエ)が人形の苦労を背負ってどうする。

 どうせその傷もコイツらを庇った結果だろう。莫迦らしいと自分で思わないのか?」

 

 一瞬、自分がどんな表情をしているのか分からなくなった。

 いつもの笑顔を貼り付けて、揶揄うようにけけけと笑う。

 

「美味しいところを持っていかれたくなけりゃ、訓練で僕に怪我くらいさせてみな」

 

 それ以上返す言葉を思いつかなかったらしい。PKPは忌々しそうに舌打ちした。

 

「それじゃあよろしく。みんなは怪我しないでね」

 

 それ以上の言葉を待たず、ノアは部屋を出た。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

猫の鼻⑥

 先程の予想通り、最後の一名――HK416はすぐに見つかった。

 そしてUMP45の言葉も正しかった。その人形の体を一見して、ノアはそう思った。

 他の三名の傷は、言ってしまえばただの負傷だ。四肢の欠損も戦場ではままあること。戦闘の過程で発生する損傷という観点では、ある意味健全とさえ言える。

 しかし、この人形は違った。

 本来ならば先に体があって、その上に傷があるものだ。だが彼女は、最早逆と言ってもいい有様だった。彼女の体は元々傷で出来ていて、その上から申し訳程度の肉体がくっ付いているのだと感じるほど、痛めつけられていない場所が無い。外れているのは右脚のみだが、損傷の度合いでは先の三名と比べものにならない。

 にも拘らず、辺りに広がる血溜まりは驚くほど小さかった。それぞれの傷口から、ほんの少しずつ人工血液が流れている。

 一つの体を舞台にして、地獄が顕現していた。

 破れた乳房が、浅く上下している。

 意識が残っている――

 自身のメンタルモデルに過剰な負担がかかった自律人形は、電脳にバグを起こして意識を失う。場合によっては記憶や思考能力にダメージが残り、その後の活動にも支障を来す。

 この地獄を作り上げた下手人は、そのことを理解した上で痛みを調節していたのか。

 出来る限り優しく顎を持ち上げる。瞼は切り落とされたのだろう、剥き出しになった眼球は罅割れ、赤黒く汚れていた。

 

「キミが、HK416で間違いないかな」

 

 分かり切っていたことだが、真っ二つに折れて傍に転がる得物(HK416)を見ても、問わずにはいられなかった。

 人形の顔が、ミリ単位で、確かに上下した。

 泣きそうになる自分を律し、優しい笑顔を作る。

 

「僕はノア。ノア=クランプス。助けに来たよ」

 

 瞼が無いので分かりづらいが、416がスリープモードに移行する。

 一つ一つの傷は浅いが、出血は止まらない。急いで基地まで運ぶ必要がある。

 

「――やはり来たな。犬共の飼い主」

 

 背後からかけられた声に、ノアは大して驚かなかった。

 大きく、わざとらしく、溜息を吐いて振り返る。

 管制室の入口、ハンターが二丁の拳銃をこちらに向けていた。

 きっとこの拷問はハンターによるものではない。加虐嗜好で知られるアルケミストでも、ここまで手の込んだ凌辱はしないだろう。しかし、下手人が鉄血ハイエンドであることは間違いない。

 八つ当たりの大義名分は、必要なかった。

 ノアは引き攣った笑みを浮かべて、両腕の力を抜く。

 

「あっは。

 悪いけど、今はキミと遊んでる場合じゃないんだよねぇ――」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

猫の鼻⑦

 目を開くと、一面のトラバーチン模様が網膜センサに結像した。

 視覚モジュールに少し遅れて再起動した思考回路が、作戦区域近辺のセーフハウスのいずれにも該当しない景色であると結論を出す。

 後頭部にはプラグが挿し込まれ、腕には点滴の針が刺さり、充電と栄養補給が同時に行われているのだと理解した。

 首を巡らせずとも分かったが、義体も義手も見事に修復されていた。この義手を調達してきた整備士によると、自分の体は型が古すぎて予備が無いという話だったが。

 さて、自分はどうしてここにいるのだろう。ここはどこ?他の隊員は?作戦はどうなった?――いや、それは問うまでもないか。これ以上ないほどの失敗だった。

 自分たちを助けにきた人形のことを考える。あの後自分たちが問題なく救出されたのならば、ここは彼女の所属する基地か。そしておそらく、自分を含め三人は助かったはずだ。自分と違って二人のパーツは調達が難しくない。G11に至っては民生品なのだから、すぐに修復できただろう。

 416はどうなったのだろうか。確かめたいが、周りには誰もいない。カーテンの隙間に差す光は無く、自分は夜中まで眠っていたのだと分かった。

 どうにかならないものかと身じろぎしていると、部屋の引き戸が開く音がした。

 

「ちゃんと安静にしてなよ。大怪我してたんだぞ、キミは」

 

 視線を巡らせると、あのときの人形が眉尻を下げてそこにいる。何故か、指揮官のものと思しき赤いコートを羽織っている。

 45が口を開くより先に、人形が続けた。

 

「さっきは状況が状況だったから自己紹介が遅れた。

 僕はノア、ノア=クランプス。ここ――C■■地区グリフィン戦術司令部の指揮官だよ。

 コレ、キミの服ね」

 

 ノアはサイドテーブルに袋を置いて、スツールに腰かける。

 ――人形じゃなかったの!?

 傍の計器を観察する横顔に、45はそう声を掛け――ようとして咳き込んだ。

 ノアが困ったような笑顔で水の入ったコップを差し出してくる。

 有難くそれを受け取って、中身を煽った。

 

「……ふぅ。私は、UMP45。詳しい素性は言えませんけど――」

「キミたちについての基本的なことはヘリアンさんから聞いたよ。

 “404小隊”。違法人形で構成された、存在しないはずの特殊部隊だって?

 ついでに色々理屈をつけて、キミたちの任務についても情報を共有してもらっちゃった。

 あの人、めっちゃ嫌そうな顔してたけどね!あっは!」

 

 その言葉で、45はヘリアンから聞いた話を思い出した。今回の作戦地域にはG&Kの作戦司令部があると。そこの指揮官は、そんな地域に置いておく場合ではないほど優秀なのだが、あまりにも掴みどころがなく、公的にも私的にも信用したくない男らしい。そのときは人間の指揮官になど興味が無かったから聞き流したが――男?

 体つきから性別を判断しようと上半身を観察していると、ノアが立ち上がった。初対面なのに不躾過ぎただろうかと焦る。下らないミスで良好な関係を築きにくくなるのは御免だった。

 しかしどうやらその心配は杞憂だったようで、ノアは袋を指さす。

 

「うん、バイタルは問題なし。修復は問題なく――あぁ、一部調達に手間取った部品はあったけど、概ね問題なく済んだ。

 その様子だともう元気みたいだし、着替えてくれる?僕は外に出てるから」

「は、はい。分かりました」

 

 「手伝おうか」と言ってこない辺り、気を遣える男なのか、気を遣えない女なのか。

 45は針とプラグを抜いて、袋を手に取った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

猫の鼻⑧

 今回保護した404小隊メンバーの内、最も早く目を覚ましたのは416だった。

 一人だけ段違いに痛めつけられていたにもかかわらず、メンタルには一切の損傷が無かったため、メインシステムの通常稼働に支障はなかった。壊し方があまりにも丁寧だったお陰で修復が容易だったのも不幸中の幸いだろう。

 そんな報せが79式からもたらされたのが、つい先程のこと。

 話を聞くなら仲間がいた方が安心するだろうと考えて、ノアは比較的負傷の少なかったUMP45の様子を見に行ったのだ。

 事情を聞いた45は、まず訊ねた。

 

「9とG11は無事ですか?」

「うん。キミも含めて全員、ボディは完全に修理できた」

「そうですか……ふぅ」

 

 安心したように目を伏せた45を見たノアは、あらかじめ抱いていたイメージとの違いを感じた。

 ヘリアン曰く、404小隊のリーダーはいつも作り笑いを浮かべており、人形にも人間にも本心を悟らせない。指揮モジュールを搭載し、状況判断は常に速く精確であり信頼できる。一方で性格は冷徹で無慈悲、作戦を遂行するためならばG&Kの人形すら躊躇なく捨て駒にする。

 しかしあの工廠で出会ってこの方、表情こそ情報通りの薄い笑みか無表情を保っているものの、小隊メンバーの安否を案じる言動が目立つ。416の生存を諦めていたのは確かに冷たいと言えるかもしれないが、状況から判断すれば彼女は正しかった。

 仲間への情は存外厚いのかもしれない。

 

「二人はまだ眠ってる。メモリの容量を鑑みるに、メンタルの修繕とデータの整理にあと五時間くらいはかかるんじゃないかな。

 416は既に一度目覚めてる。今から会いに行こう」

 

 その部分は流石に信じられなかったのか、45は「え?」と声を漏らした。

 79式の報告をそのまま伝えて、

 

「僕も信じられないんだけどね。キミは見てないだろうけど、あそこまでボディを破壊しておきながらメンタルには傷一つつけないなんて、普通ならあり得ない。

 損傷による痛覚のフィードバックで彼女が参ってしまわないように、許容量ギリギリの痛みを絶え間なく与え続けたってことになるからね」

 

 素直な感想を垂れ流していると、後ろの足音が止まった。

 振り返れば、45は俯いて何やら考え込んでいる。

 

「どうしたの?何か気になるところがあったのかな」

「気になると言えば全部気になるんですけど、まぁ大したことじゃないですよ」

 

 声を掛けると、45はパッと顔を上げて手をひらひらと振った。

 どう見ても大したことじゃないわけがないのだが、本人に言う気が無いなら強制できない。

 かつての友人には、相手の考えていることを問答無用で全てすっぱ抜いてべらべら喋る、どうしようもない碌でなしもいた。しかし自分はそんな技能も意地悪さも持ち合わせていない。

 詮索は早々に諦めて、第七救護室の前で立ち止まる。ここで件の戦術人形――HK416が休んでいる。

 三回ノックする。中で何やら話し声が聞こえた。どうやら彼女は起きているようだ。

 扉が横にスライドし、79式が顔を見せた。

 

「お疲れ様、79式。MDRは?」

「お疲れ様です指揮官。彼女はもう宿舎に戻りました」

「分かった。キミも戻って大丈夫だよ。あとは僕とこの子が看るから」

「了解しました」

 

 ぴしりと敬礼を寄越す彼女に手を振って、入れ替わりに救護室へ。

 ――一瞬、中途半端な位置で立ち止まりそうになる。

 こんな状況では不謹慎かもしれないが、綺麗な人形だと思ってしまったのだ。

 冬の妖精を彷彿とさせる、翡翠の瞳と銀の髪。ベッドに座り物憂げな表情を浮かべていると、今にも壊れてしまいそうな儚さが漂っている――実際、ギリギリまで壊されていたのだが。

 戦術人形は皆、美しかったり愛らしかったりといった外見をしている。そんな彼女たちに囲まれて過ごす仕事柄、自分は美人に慣れていると思っていたのだが。どうやら違ったらしい。

 病人服に身を包んだ416はベッドの上で身を起こしており、エクレアをちびちびと齧っている。あまり食欲は無いはずだが、他にすることも無いのだろう。

 ベッドの傍に座る二人を視線で追って、416はエクレアを置いた。こちらに頭を下げてくる。

 

「79式から聞きました。助けていただいて有難うございます、ノア=クランプス指揮官。

 45も無事だったのね、よかったわ」

「えぇ、多分私が一番軽傷だったから。

 他の二人は大丈夫だろうと思ってたけど、貴女は正直駄目だと思ってた。アイツと一対一になったんだもの」

 

 予想に反して、416は随分落ち着いている。「アイツ」という言葉に目を逸らしたのも、あの惨状を鑑みれば動じていない方だろう。

 ――いや。

 ノアは認識を改めた。

 逸らした視線が小刻みに揺れている。体の向こうに隠した手がシーツを固く握っている。

 彼女は今、必死で平静を装っているのだ。

 気丈な子だと、感心した。

 そんなノアの胸中など知る由もなく、そして416の本心を知る由もなく、45は続けた。

 

「分かってると思うけど、私たちは一度失敗した。一刻も早く態勢を立て直して、アイツを殺す必要があるわ。

 416、私たちと別れてから何があったのか、詳しく話して」

「ちょっ……!」

 

 ――前言撤回、やっぱりこの子は悪魔か何かなんじゃないか!?

 遮ろうとしたが遅かった。

 瞬く間に色を失っていく416。それでも合理的判断に逆らえない精神構造故か、彼女は震える唇から言葉を紡ぎ始めた。

 

「私は、あ、アイツを追って……管制室に踏み込んだわ。距離は五メートルもなくて、いつもなら絶対に外さない距離だったのに、一発も当たらなかった。

 あんな奴……今まで見たことが無かった。

 速くて、速くて、向こうは武器も、なかったのに、手も足も、出なかった。

 銃弾も、榴弾も、当たらなくて、目のま、えにいる、のに、見え、なくて。

 蹴られて、足が、()()()、動けな、く、なって。

 それか、っ、わた、をっ、ワタシを私にわたしは私は――ッ」

 

 最早416の震えは目に見えるほどになっていた。奥歯のぶつかる音が響き、肌には脂汗が浮かんでいる。自分の肩を抱きしめる爪が、治ったばかりの人工皮膚を引き破ってシーツに赤い染みを落としていく。

 尋常でない少女の怯え様に、UMP45が息を呑むのが聞こえた。

 ノアは内心で舌打ちする。自分の評価が楽観的過ぎたのだ。

 416のメンタルモデルにダメージが無いというのは、あくまで物理的な話だ。「拷問された」という情報そのものは彼女の記憶にしっかり焼き付いていて、彼女を蝕む毒となっていた。

 典型的な心的外傷後ストレス障害(PTSD)。戦術人形は痛みに対する恐怖や忌避感が小さいが、それは任務を遂行するための機能に過ぎない。最大の苦痛を伴って自己が破壊されるという体験は、精神に甚大な爪痕を残して当然なのだ。彼女たちの精神は、もはや人間のソレと区別がつかないほどに脆いのだから。

 脳裡に浮かんだ対処法を実行するか、一瞬躊躇する。

 一瞬しか、躊躇しなかった。

 416を抱き寄せて、その耳を自分の胸に押し付ける。両腕を染める人工血液の赤色は、意志の力で無視した。

 

「ここにソイツはいない。キミは助かった。もう安全だ。

 大丈夫、安心して、大丈夫だから……」

(今の僕の脈拍は……毎分五十九回)

 

 心拍に合わせて、優しく、優しく頭を撫でる。

 対象の意識を自分の心音に集中させることで、トラウマから引き離す応急処置。

 人型の生き物に有効であることは証明済みだが、人形には――さて、通じればいいのだが。

 

(胸が柔らかければより効果的、って先生は言ってたなぁ。

 ごめんよ、僕は男だから乳房の持ち合わせが無いんだ)

 

 的外れなノアの謝罪が届く道理はないが、416は荒い息を繰り返しつつ、次第に平静に近付いていった。

 腕の中から声が上がる。

 

「……あ、ありがとうございます。もう落ち着きました」

「そっか。それは良かった」

 

 今の二人の光景はあらゆる見地から見てあまり適切ではないから、目的を果たせたならすぐに離れるべきだ。ノアは手を放して身を退いた。

 見れば、416は涙の滲んだ目を伏せ、不満そうに口をへの字に曲げている。余程恥ずかしかったのだろう。

 そして45は、明らかに軽蔑の色を持った目でこちらを睨んでいた。

 

「やめて……下心は無いから。経験則から効果がありそうな方法を試しただけだよ。

 っていうか今のはキミの責任じゃない?」

「ふぅん……?」

 

 あぁ駄目だ全く信じてないよこの子。

 咳払いを一つ。ノアは416に向かって頭を下げた。

 

「申し訳ない。常識的に考えて、そんな記憶を残しておくべきじゃなかった。

 キミが望むなら、該当する部分の記憶をフォーマットすることも可能だけど……」

 

 沈黙。

 顔を上げると、416は苦虫を嚙み潰したような顔で思案していた。

 たっぷりと間を開けて、口を開く。

 

「……結構です。この記憶は、作戦の遂行に必要になる情報かもしれません。

 私はアイツと最も長い時間交戦して、生きて帰ることができたんですから」

 

 ――やはり彼女たち404小隊は、再びその「アイツ」とやらに挑むのだろう。

 ヘリアントス上級代行官に話をつけておいてよかった。彼女にはさらに嫌われただろうけれど。

 ノアには本来、重要な作戦や大きな戦線に参加する意思はない。“猫の鼻”とここに隣接する街が持つ、小さな平和さえ守ることができればそれでいいと考えていた。いや、今もそう考えている。

 しかしそれでも、彼女たちに――少女らしいのは外見と心の模造品のみだとしても――戦いを押し付けるのは、違うと思うのだ。

 ノアは深く息を吸って、帰投直後から考えていた言葉を口にした。

 

「その作戦についてなんだけどさ。ウチも協力するよ」

「願ってもないお話ですけど、いいんですか?」

 

 答えたのはUMP45だった。こちらの意思を探ろうと、鳶色の瞳がこちらを見据える。

 

「失敗した私たちが言っても恰好つきませんけど、とても危険な任務です。

 かなりの被害がこの基地から出ることになるかもしれないですよ?」

「大丈夫。ウチの子たちだって優秀だからね。

 それに、これまでの鉄血ハイエンドと一線を画す性能の個体なら、早く対処法を確立しないとここも危ないしさ。

 そもそも、もうヘリアンさんに話つけちゃったんだよねー。怖い上司の胃に穴開けといて、『やっぱ辞めます』なんて言えないでしょ?あっは!」

 

 わざと歯を見せて笑うと、45と416は一旦ぽかんとして、それから大きく嘆息した。

 

「……はあ。何というか、貴方みたいな部下がいると思うと、ヘリアンが可哀想に思えるわ。

 まあいっか。それじゃあこれから当該任務の達成まで、ここと貴方のお世話になります。

 UMP45です。仲良くやりましょう?」

「HK416。ちゃんと覚えて下さいね、指揮官」

「ノア=クランプス。よろしくね」

 

 45、416の順に握手を交わす。「大丈夫?手とか肩、痛くない?」と尋ねると、間髪入れずに「平気です」と返ってきた。もちろん平気には見えなかった。

 サイドテーブルに置かれた時計を見ると、既に午前一時半。全く眠気を感じないことには嫌気が差すが、少し休まなければ今後の仕事に響く。

 

「とりあえず今晩は休んで。416は手と肩の修復もあるし、情報共有はあとの二人が起きてからの方がいいでしょ。

 ヘリアンさんには僕から報告しておくよ」

「そうですね、じゃあお言葉に甘えて私も休もうかな。さっきの部屋でいいの?」

 

 急に45の言葉遣いが砕ける。こんな距離の詰め方をする子なのかと、ノアは面食らった。

 416を寝かせ、外装修繕モジュールを起動する。ベッドを覆うようにアームがうにょうにょとせり出して、416の傷を埋め始める。

 

「うん、明日中に宿舎にキミたちの部屋を用意するから。今日のところはさっきの部屋で我慢してね」

「寝心地は良かったから不満はないですよー。それじゃあ416、また五時間後ね」

「えぇ。45も指揮官も、おやすみなさい」

「お疲れ様ー。そのモジュールは修復が終わったら勝手に電源落ちるからね。

 いい夢を」

 

 小さく手を振って、45と救護室を出る。

 

「おやすみ指揮官。これからよろしくね?」

「こちらこそ。おやすみ」

 

 反対方向に進む彼女を見送る。

 自室へ戻る道すがら、頭痛を堪えるように額を押さえた。

 

「HK416、かぁ……全く、よりにもよって……」

 

 昼下がりにK5と交わしたやりとりを思い出す。

 彼女の占いは、当たっていたのかもしれない。

 

 今、ここには彼以外の誰もいない。故に、その表情を見る者はいない。

 ノア=クランプスは、自分でも気付かぬうちに、笑っていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

副官のお仕事/指揮官のお仕事①

 目の前に並ぶ料理の中から、ハムステーキをトレイに乗せた。次いでパンケーキ、ザワークラウト。飲み物は……冷たい牛乳。少し邪道気味の冷たい食事(Kaltesessen)となった。

 戦術人形HK416がこの“猫の鼻”に合流して早一週間。食堂の朝メニューを一通り試した結果、自分にとってはこれが一番合うと判断した。これほど「普通に美味しい食事」を継続して摂ることができるとは想像したことも無かったので、何だかむず痒いような心地に見舞われる。

 一瞬ぼうっとしていただけで、擦れ違いざまにぶつかりかけた。F2000がこちらの全身を見回しながら、ペコペコと頭を下げてくる。

 

「わっ、ごめんなさい!何か零したりしてませんか!?」

「えぇ、大丈夫よ。こちらこそぼうっとしてたわ。ごめんなさい」

 

 ならよかったです、と笑顔で言い残してF2000はその場を去った。

 

 朝食時だからか、食堂はそれなりに混雑している。辺りを見回して、連れの分も含めた空席を探す。G11は「もうちょっと寝るぅ……」と言って出てこなかったので、三人分で十分だ。

 見つけた適当な空席につく。もう少しすればUMP姉妹が来るはずなので、向かいの二席はキープしておこう。

 

「おはよう」

「おはよー」

 

 隣に座る断りも兼ねてMDRに声を掛けると、眠そうな声が返ってくる。確か彼女は朝から出撃があるはずだが、こんな調子で大丈夫だろうか。

 そう訊ねると、

 

「じゃあお(はなし)しよ。そうすれば眠気も飛ぶでしょ」

「まぁいいけど……」

 

 パンケーキを口に運ぶ。甘い……っ!PMCの基地にしては随分と洒落たことに、生地にクリームチーズが練り込まれていて、冷えているのに美味しく頂けてしまう。

 MDRがマフィンサンドを齧りながら訊ねてきた。

 

「“猫の鼻(ココ)”にはもう慣れた?副官の仕事はどうよ?」

「えぇ、場所自体にはね。この快適さにはまだ少し慣れないわ。ご飯も美味しいし、寝具も上等だし。訓練施設も充実してる。

 仕事の方は……問題なく熟せるとは思っていたけれど、想像以上に楽だったわね。

 あの指揮官、自分でさっさと終わらせちゃうのよ」

 

 ハムステーキの油を、ザワークラウトの酸味と食感で相殺する。キャベツがやけに甘いので一度ノアに訊ねたら、FMG-9を始めとする菜園好きの人形たちが育てているとのこと。本当にここは対鉄血の前線基地なのか。

 MDRが口の端に付いたソースを舐め取った。

 

「そもそもよく副官になれたよね。

 理由は分かんないんだけどさ、指揮官ってここに来てからずっと副官採用してなかったんだー。

 G36はお世話をしたがるから、好きにさせてるみたいだけど」

「あぁ、それは」

 

 MDRの質問で、416は少しばかり記録を遡る。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

副官のお仕事/指揮官のお仕事②

 404小隊が“猫の鼻”に合流して二日後。45からある話を聞いて、416は執務室を訪ねた。

 

「副官の枠が空いているという話を伺ったので、立候補したいのですが」

 

 その言葉にノアは意外な反応を示した。

 口を「あ」の字に開いて首を傾げていたのだが、そこまで驚くようなことだったろうか。

 

「気持ちは嬉しいけど。空いてるっていうか、採用してないんだよ」

 

 今度は416が驚く番だった。副官を必要としない指揮官などいるのだろうか。

 

「どうしてですか?」

「基地の運営とか依頼に対する条件の擦り合わせなんて、本当につまらないんだよ。暇だし。

 そんな仕事の補佐で、キミたちの時間を奪うのは本意じゃないんだ」

 

 ノアは手に持ったボールペンを八の字に揺らしながら言った。

 そして、少し頬を赤くする。

 

「……」

「他にも何か理由があるんですか?」

「う……」

 

 ノアが気まずそうに目を逸らすので、416はその方向へ回り込んだ。

 目を逸らす。回り込む。目を逸らす。回り込む。

 そうして椅子が二回転したところで、ノアは諦めの表情を浮かべた。ぼそぼそと言葉が続いた。

 

「その……他の基地の連中から聞く限り、副官っていわゆる『気になる子』を指名することが多いらしいんだ。

 そういうの、自分勝手で嫌だなあ……って」

 

 思わず、吹き出す声が漏れた。前半も建前ではないのだろうが、明らかに本心は後半だろう。

 赤い顔でこちらをねめつけるノアに、416は「違うんです」手を振った。

 

「すみません。人形相手に随分と紳士的だと思ったので。

 でもそういうことなら問題ないでしょう。こっちがしたいって言ってるんですから。

 それに、楽しさで仕事は選びません」

 

 ノアはペンのノックカバーで自分の頬をぐりぐりと捏ねる。余程副官を持ちたくないらしい。

 少し悩んだ後、ようやく次の言葉を捻り出す。

 

「……そもそも、何でそんなに副官になりたいのさ?」

「ここでお世話になる以上、できる限りお役に立ちたいと思うんです。

 助けていただいた恩返しもあります」

 

 一方416の口からは、すらすらと文句が流れ出た。

 しかし、416は理由を全て語ったわけではない。口に出した部分も嘘ではないが、より大事な部分が腹の底に隠れている。

 416は先の作戦で、新型の鉄血ハイエンド――凌辱者(トーチャラー)に手痛い敗北を喫した。ノアにはその無残な負け姿を見られた上に、その後にもトラウマで我を失うという醜態まで晒したのだ。

 彼は気にしていないかもしれないが、自分は気にする。このままでは、「誰よりも優秀で完璧な戦術人形」というアイデンティティの欠缺が埋まらない。それは困るので、副官として自分の優秀さを見せつける必要があるのだ。

 そんな416の内心を知る由もなく、ノアは肩を落とした。

 

「“欠落組”討伐までの協力関係って話だし、こっちにもメリットはあるんだけど……そう言われると断りづらいなあ。

 それじゃあよろしく、HK416。ここの隣が副官室ってことになってる。使ってないけど掃除はしてあるから、休むなり他の子とお喋りするなり、好きに使ってね。調度は家具倉庫にあるのを好きに配置して。

 これ鍵。こっちは宿舎にある僕の部屋の鍵。念のためにね」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

副官のお仕事/指揮官のお仕事③

 ノアの苦虫を噛み潰したような表情を思い出して、416は苦笑した。

 

「指揮官は渋々って感じだったけれど」

「そっかぁー。

 今まで一人で全業務を回してたから、これをきっかけにあの人の負担が減ればいいんだけど」

 

 安心したような顔で、MDRがマフィンサンドの残りを口に放り込む。

 

「へぇー!あの指揮官って戦闘だけじゃなくて仕事もできるんだね!」

 

 そう声を上げながら、UMP9が自分のトレイを持ってやってきた。パンケーキとソーセージ、サラダにオレンジジュースというチョイスが何とも彼女らしい。

 一人で416の向かいに座る9に、MDRが訊ねる。

 

「UMP45は?」

「45姉はもう部屋に戻っちゃった。何かやることがあるんだって」

 

 準備を怠らず油断もしないアイツのことだ、今日の出撃に向けて銃の整備でもしているのだろう。

 それよりも416は、9の零した単語の方が気になった。

 

「戦闘って?」

「聞いてないの?Spitfireたちがキミらを助けに行ったとき、指揮官も一緒に出撃してたんだよ」

「それは知ってるわ。おかしな話だとは思うけれど」

 

 MDRの言葉を継いで、9が人差し指を立てる。

 

「あの工廠には、ここの人形たちが到着した時点でハンターしかいなかったんだって。

 で、PKPたちが全員で私たちをここまで運んできたの。途中でちょくちょくローエンドと交戦しながらね」

「……待って。

 それじゃあハンターはどうしたのよ。背中を見せて逃げられる相手じゃないでしょ。

 ――まさか」

 

 ここまでの情報で論理的に考えれば、結論は一つしかない。

 416が自身の予想の荒唐無稽さに目を見開くと、9が手を叩いて先を継いだ。

 

「そう、そのまさか。指揮官が囮になったんだよ。

 しかも無事に帰って来たってことは……ハンターを追い払うか倒すかしちゃったってこと!」

「コアを持って帰ってたし、殺したんじゃない?」

「は!?」

 

 驚きのあまりフォークを止めた416とは対照的に、MDRは何でもないことのように笑う。

 

「まー、他所から来たんじゃ信じらんないよねー。

 S09地区だっけ?激戦区じゃんね」

「うんうん、アソコは大変なとこだったよ!でも、ココも似たようなものだと思う。

 やっぱり近くに大きな町があるからかな?」

「“アンバーズヒル”だねー。

 貧富の差がかなり激しいから社会としてはどうかと思うけど、資材はたくさんあるから。

 鉄血から見ても狙う価値はあるんじゃない?」

 

 9とMDRのそんな会話も、最早416の耳には届いていなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

副官のお仕事/指揮官のお仕事④

「指揮官!一人でハンターを殺したって本当!?」

 

 朝食を終えてすぐ、執務室へと急いだ。ノックしながら扉を開いて放った416の第一声がこれだった。

 

「誰から聞いたんだよ……別に緘口令なんて敷いてないからいいんだけどさ。ほんとだよ」

 

 対するノアは、照れ臭さ一割面倒臭さ九割といった面持ちで天井を仰いだ。そうしながらも、手許では書類にサインをしている。書き損じないのだろうか。

 鼻息荒く詰め寄って、猫のような瞳を覗き込む。

 

「人間なのに鉄血ボスを倒せるなんておかしいわ。

 何か絡繰りがあるんでしょ!?」

 

「もちろんあるよ」そう言いながらノアは顔を逸らす。視線だけがこちらに戻ってきた。

 

「教えてあげよっか?」

「是非!」

「いいけど、後でね。今はこの仕事を終わらせないと」

 

 ノアがぷらぷらと振る手に握られているのは、街の水道工事とそれに伴う交通整理の許可申請書だ。

 416はそれを受け取り、工事の目的や必要性、期間や予算について読み流して返す。

 

「もう慣れてしまったけれど、こんな仕事もするのね。荒事ばかりだと思っていたわ」

 

 先程MDRと9が語っていたように、“猫の鼻”のすぐ隣には“アンバーズヒル”という街がある。G&KはPMCであるからして、この時世における一般的なPMCと同様、街の治安維持も業務範囲に含まれている。しかしC■■地区は鉄血の侵攻が特に激しく、他のPMCが進出していないため、街の行政事務までもがその範疇となっていた。

 

「キミたちが来る前日には、農業プラントの品質管理監査に行ったよ。

 もちろん、武力の必要な仕事が主だけど」

「暇だなんて嘘。他の基地と比べて四、五倍の負担はあるじゃない」

「そうかなぁ。

 はい終わった、次ー」

 

 少なくともノアの表情を見る限り、本当にこの忙しさが辛くないらしい。

 416は呆れながら、レターケースから書類を抜き取った。

 

「ここ最近、都市部で何人かの住民が消えているって内容の通報よ。

 ……コレ、全員行商人じゃない。定期市のために出てるだけかもしれないわね」

 

 ノアは書類を受け取り、文面を目で追っていく。淀みなくジグザクと紙面を駆け下りる眼球の動きは、正直に言って気持ち悪い。416は頬をひきつらせた。

 

「……うーん。いつもより急に移動してるのは気になるし、住民が必要なものを買えなくなったら困るけど……。

 でもキミの言う通りかも。そもそもアンバーズヒルに定住してない人たちだから、失踪したとしても探せないや」

 

 結局、A4五枚の文章を読み終えるのに十四.三秒しか掛かっていない。返電のためにキーボードを叩きながら、ノアがこちらを見る。

 

「それにしても416。行商人の営業許可リストとか周辺地区の定期市まで、よく知ってたね?」

 

 感心したようなその言葉に、胸を張って答える。

 

「あの街に関することは全て勉強したわ。そうでもしないと貴方の役には立てないもの」

 

「ふふふ、有難う。お陰様で随分と楽になったよ。

 一つ一つの確認作業は些細な手間だけど、それも積もれば大きなタイムロスになるからね。それが無くなるのは助かる」

 

 ノアがいつにも増して優しい笑みを浮かべる。416は自分の中の天狗が――そんなものが格納されるスペースはどこにもないが――鼻を伸ばすのを感じた。

 

「これぐらいは当然よ。私は優秀だもの」

「流石は完璧な戦術人形だ。

 それじゃあきりもいいし、訓練場に行こうか」

 

 最後の一言で、綻びそうになっていた416の口元が引き締まる。

 

「何をするの?」

「まぁ、簡単な射撃訓練さ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

副官のお仕事/指揮官のお仕事⑤

「ハァッ、ハァ……ッ、クソっ!どうして当たらないの……」

 

 第二訓練場の一室に響いていた銃声が止んだ。

 天井から床まで、辺りには数多の銃弾が突き立っている。

 ノアは手を握って開き、突き指がないことを確かめると、膝をついて息を荒らげる416に歩み寄った。

 下を向いている彼女の視界に、スポーツドリンクを差し出す。

 

「……どうも」

 

 416は恨めしそうにこちらをじろりと睨んで、ボトルをひったくった。

 

「何よ、完璧だなんて褒めそやしておいて。

 これじゃあ恥ずかしいだけじゃない……」

「そう気を落とさなくてもいいよ。突撃銃(アサルトライフル)の弾速なんて、音速の三倍弱しかないんだもの。

 当たらなくても仕方がないって」

「二.六一倍です。それだけあれば普通は当たるはずでしょう。

 それを、訳が分からない速さで動いたり指で銃弾を弾いたり、トーチャラー(アイツ)みたいで嫌な動きだわ。

 ……あ、有難う」

 

 同じようにノアが差し出したタオルを受け取る416。愛銃を置いて、汗を拭う。

 肌を滑り落ち、髪先から飛び散る珠が光を放つ。ノアは目を逸らした。こっそりと後ろ手で自分の腕を抓る。

 416がいうところの「訳が分からない速さで」動く技術は、実はそこまで難しくない。もちろん練習は必要だが、戦術人形や鉄血人形のように強靭な体と高い知能があれば、きっと自分より簡単にできるだろう。

 

「どうする。今日はこれまでにしておく?」

 

 壁に埋まった銃弾を数えながら訊ねると、チャキッという音が聞こえた。

 腕に硬い感触がするので視線を戻すと、416が銃口でノアの腕をつついている。普通に怖い。

 そうしながら416は首を振って、

 

「今見せてくれた、インチキみたいな体術。

 アレって発砲しながらでも使えるかしら?」

 

 少し、考える。友人に教えたときは出来ていたが――

 

「指で銃弾を弾くのは難しいと思う。もちろん素手なら簡単だけど。

 “絶火(ゼッカ)”――あぁ、キミの言う『訳が分からない速さで』動く技ね。アレなら、短機関銃(サブマシンガン)とか拳銃(ハンドガン)とか、小さめの銃でできることは実証済み。

 でも突撃銃は銃身が長いし、特にキミのはフロントヘビーだからなあ……術理は教えるけど、そこからのアレンジは一緒にやっていこう」

 

 自分の答えが余程嬉しかったのか、416の表情から苛立ちが抜け、眉尻が下がる。

 

「えぇ。じゃあ、今日はその基本を教えて!

 貴方に弾を命中させる練習はそれからね。ふふっ」

 

 そんなことを呟きながら笑うのは、恐ろしいので止めてほしい。

 416はボトルとタオルを棚に置こうとして、何かに気付いたようにこちらを振り返った。

 

「飲み物、指揮官の分が無いじゃない。

 ――はい。貴方は一応人間なのだから、私たちよりこまめに水分補給をすべきよ」

 

 しかし差し出されたボトルを見つめて、ノアはきょとんと小首を傾げた。「いいの?」

 

「もちろん。どうして人形が指揮官の水分補給を禁じるのよ」416も首を傾げる。

「そうじゃなくて。ソレ、今キミが飲んだヤツでしょ」

 

 ――沈黙が下りた。

 

 互いに首を傾げたまま、おかしな姿勢で固まる。

 やがて416が、肌をゆっくりと紅潮させながら俯いた。

 

「ご、ごめんなさい指揮官。貴方の水分補給を優先して気が付かなかったわ……。

 不潔だわ、新しいのを取って来るから少し待って……」

「いやぁ流石416、よく気が利くよね!その心遣い有難く受け取るよ!」

 

 どうやら自分は余計なことを口走ったらしい。

 ぎこちない動きでその場を辞そうとする416から、ノアは慌ててボトルを受け取りキャップを開いた。

 そしてそのままちょっと固まる。

 

「……そんなに見られると、飲み辛いんだけど……」

「ごっ、ごめんなさい!」

 

 顔を背けた416の、真っ赤に染まった耳朶が見える。

 

 (指摘するまで気付かないのは戦術人形らしいけど、意識した途端随分と恥ずかしがるあたり、そこらへんはヒトと変わらないんだなぁ)

 

 こうも意識されると、こちらまで恥ずかしくなってくる。

 

 チラチラチクチクと喉元を刺す視線を感じながら、ノアは一抹の後悔をドリンクと共に飲み下した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

副官のお仕事/指揮官のお仕事⑥

「まだ寝ないの?416」

 

 404小隊にあてがわれた四人部屋、そのベランダで416が空を見ていると、UMP45が横に並んだ。

 差し出されたグラスを受け取って頷く。

 

「夜風が気持ちいいから。もう少し風を浴びたら寝るわ」

「じゃあ私もそうしようかなー」そう言ってフェンスに背を預ける45。

「あ、そうだ。私たち以外との出撃はどうだった?」

 

 そう言葉を継いだ彼女の目は昏く光っている。45がたまに見せる本性の片鱗だった。

 ここにいると忘れそうになるが、404小隊は表面上、存在しないことになっている。違法人形という素性も隠されている。そして、情報を秘匿することにより部隊の安全性や作戦能力を維持するという理念は、ノアも承知するところだった。

 そのため、“猫の鼻”では四人を異なる部隊に配属させ、404小隊としての作戦行動は最小限に留める提案がなされた。416にとっても合理的な判断だったので、45はその場でこそ反対しなかったが、内心は拒否したかったのかもしれない。

 

「目が怖いわよ45。そんなに違う部隊にされるのが嫌だったの?」

 

 もっともその露出は一瞬で、すぐにいつもの平たい笑顔が貼り付いた。

 

「……ま、そんなところ。それで、どうだったの?」

「慣れてない五人編成だったけど、かなり動きやすかったわね。

 そっちの部隊もそうなんじゃない?」

 

 416とG11は“第一強襲部隊”、略称「一襲」に身を置いている。攻撃に振り切った性能の人形――自分とG11のことだ――を他の人形で支援することにより、主に鉄血ハイエンドモデルの高速撃破を目的としている。残る隊員はVector、C-MS、リベロール。部隊長はC-MSだが、彼女の立てた作戦を自分とVectorが修正する、という流れがこの一週間で出来上がりつつあった。随分と個性的な面子ではあるものの、実際にこの部隊で行動を始めてから十三体のハイエンドモデルを撃破しているので、この構成を考えたノアの判断は間違っていないのだろう。

 45は頷いて、グラスの中の水をちびちびと口に含む。

 

「うん。こっちは偵察任務だったから戦闘は無かったけど、危ない場面すら無かった。

 ここの人形、ARやRFでもやたら隠密が上手なの。お陰で随分楽だった」

 

 45たちの部隊は“第二偵察部隊”、略称「二偵」。他のメンバーがMDR、T-5000、K5なので突破力にこそ不安が残る編成だが、潜入や偵察においては十全な働きを示すことができるようだ。

 

「それは良かった。アンタたちはこれから、二偵で“欠落組”の居所を探るのよね?」

「その予定よ」

 

 416はここに来る直前、自分たちが受けた任務を思い出す。

 自分たちが追っている相手は“凌辱者(トーチャラー)”。最近活動が確認された新型鉄血ハイエンドの片割れだ。常に行動を共にしている“鏖殺者(クレンザー)”と合わせて、G&K内では“欠落組”という呼称が与えられている。この呼称は、二体がエージェントやドリーマーの意向に従っている様子が無いことに由来する。普段はどこにいるのか杳として知れず、ふと現れては敵味方問わずあらゆる施設や人形を破壊していく。事実これまでに二回、鉄血の施設を襲ったところを確認されていた。

 その性能はこれまでの鉄血ハイエンドとは一線を画している。

 トーチャラーは優れたAIと尋常外の近接戦闘能力を有し、G&Kのみならずドリーマーたちの裏さえかいて捜索網から逃れ続けている。“欠落組”を二人組のサイコパスに見立てるなら奴は支配者だね、とはノアの弁だ。知恵でクレンザーを支え守る代わりに、自分のために戦うことを要求しているのだと。

 一方クレンザーは常時展開したフォースシールドの中から、無尽蔵のミサイルやらビームやらを休むことなくバラ撒き続ける。奴を包囲したG&Kの部隊七つが全滅したことは、G&Kにとってほとんど黒歴史のような扱いだ。奴と正面切って戦うには、普段ならば火力過剰と言われるような兵器を持ち出す必要があるだろう。

 そんな欠落組の居場所が偶然判明したため、その討伐作戦に新生AR小隊と404小隊が動員された。まずAR小隊がクレンザーを誘き出し、交戦する。16Lab謹製の秘密兵器を携えたM4A1や、改造を経て火力が大きく向上したAR-15がいるので、クレンザーとも渡り合えるであろうという算段だった。もしトーチャラーがクレンザーと共にAR小隊を相手取ろうとした場合は全力で撤退。そしてトーチャラーがクレンザーの援護に出てこなかった場合、404小隊がトーチャラーを暗殺するという手筈だったのだ。

 しかし結局、作戦は失敗に終わった。AR小隊の方も、クレンザーに手酷くやられたようだ。先日再建が終わったばかりのS09地区戦術司令部に戻り、今は修復作業中とのこと。ノアはS09地区の指揮官やヘリアンに話を付けて、対“欠落組”作戦の指揮権を譲り受けたらしい。

 トーチャラーのことを思い出して、グラスを握った416の手に力が籠る。

 45は後ろ向きに空を仰いで声を上げた。

 

「そういえば聞いた?前回の作戦が見事に失敗して、AR小隊もあんなことになったから、S09の方の指揮官が上からかなり怒られて、危うくクビになるところだったって」

「そうなの?まぁ、結果だけ見ればそうなるわよね。

 でも『危うく』ってことは、結局辞めさせられなかったってこと?」

 

 お陰で怨敵のことから意識が逸れて、グラスは破砕を免れた。

 S09地区の指揮官もまた優秀で、404小隊も世話になったことがある。あっちの方は今、鉄血のみならずG&Kと正規軍のいざこざにも巻き込まれていて、あの指揮官はさぞ胃が痛いことだろう。ノアならきっと、G&Kの上層部や正規軍の高官も丸め込んでしまうのだろうけれど。

 

「指揮官が――あぁややこしいわね、ノアが事情を説明して、これまでの戦績を考えると彼女を失うのはG&Kにとって痛手だぞー、って偉い人たちに掛け合ったらしいよ」

「へぇ、そんなところまでお節介を焼くのね、あの人。

 ――って待ちなさい45、今指揮官を名前で呼び捨てた?」

 

 45は平然とした顔で手をひらひらと振る。

 

「だって紛らわしいでしょ、どっちも『指揮官』じゃ」

「だったらあっちの指揮官を名前で呼べばいいでしょっ、いつの間にそこまで仲良くなったのよ!」既に夜も深いので、小声で叫んだ。

「貴女が出撃してる時は私が彼を手伝ってるんだもの、それなりにお話しだってするよ。あっちの指揮官の名前なんて憶えてないし。

 なぁに、焼きもち?」

「莫っ迦じゃないの。私が嫉妬する理由なんてないわ。指揮官にも、アンタにもね」

 

 416は45の言葉を鼻で笑って吐き捨てる。これは本心だ。ノアと45が仲良くなろうと、自分が怒る理由などどこにもないのだ。強いて言うなれば副官は自分なのにという不満とか、自分より短い時間で指揮官と打ち解ける45のコミュニケーションスキルに対する嫉妬とか、抱くとしてもそんなものだ。……ん?

 45は416の心中を見透かしたように笑う。

 

「ま、安心して。彼、あんまり私のこと信用してないみたいだから。

 私も完全には信じてないし。敵ではないと思うけどね」

 

「は?なんでよ」素で疑問が零れた。45の疑り深さはよく知っているが、ノアの手腕や人形への接し方を見て信用できないというのは、いくらなんでもおかしな話ではなかろうか。

 

「うまく言えないんだけど、何か根本的におかしい気がするのよね。仕事ぶりとかもそうなんだけど……」

 

 そこで416は得心がいった。要するにアレだ。

 

「同族嫌悪じゃないの?アンタと同類の気配がするもの、あの指揮官って。

 妙に完成度の高い作り笑いとか」

「何ソレ、ひっどーい。

 ……まぁ、というわけで。私はこれから、少しずつ指揮官の素性を探っていくつもり。

 この部屋を調査の拠点にするつもりだから、ちゃんと秘密にしておいてね。G11にも伝えておいて」

 

 416がまさに言及するところの「完成度の高い作り笑い」を浮かべて、45はそう言い放った。

 そして今外に出てきたのは、わざわざこの話をするためだったのだろう。S09のときですらそこまではしなかったというのに、余程ノアのことが気に食わないのだろうか。

 416は嘆息してその頼みを引き受けた。「分かったわよ」

 

「ありがと。それと、私の動きに彼が気付かないように、指揮官の気を引いておいて」

 

 今度は変な注文がついてきた。416は素っ頓狂な声を上げ――そうになって、息を吐く。

 

「何ソレ、どうしろってのよ」

「そうね、色仕掛けとか?貴方そんなパーツ付いてるんだから楽勝でしょ」

 

 45は据わった目で416の胸を見て言った。こめかみに青筋まで浮いているが、自分で言ったことに自分で怒るのは止めてほしいと思う。しかしそんなことより――

 

「い、い色仕掛け!?そんなの嫌に決まってるでしょ!」

 

 先程より少し大きな悲鳴が出た。

 416の狼狽する様子を見て溜飲が下がったのか(上げたのは45自身だが)、ニヤニヤと45は笑う。

 

「ほんとに416は()()()方面の話、苦手よね。このくらいで赤くなってどうするの。

 まぁソコが可愛いんだけど」

「煩いわね……!」

 

 416はそう吐き捨てる。夜風だけでは熱が冷めそうにないので、グラスを頬に押し当てた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

副官のお仕事/指揮官のお仕事⑦

「アイツが変なこと言うせいで、どんな顔して指揮官に会えばいいか分からないじゃない……」

 

 今日は朝から訓練があるG11を叩き起こした後、416は執務室へ続く廊下を歩いていた。その電脳の中では、昨夜の45の言葉がグルグルと回っている。

 もう少し気持ちが落ち着いて、適切なスタンスを見つけてから行くべきだろうか。いや、自分はノアの副官なのだし、完璧な戦術人形である自分が遅刻するなど、彼が許すとも自分は許せない。

 うーんうーんと頭を抱えている間に、ドアが目の前に来ていた。

 こうなっては腹を括るしかない。どうということはない、いつも通り仕事を熟して、自分の実力を見せつければいいだけの話だ。自分の有能さに刮目していれば、ノアの意識も自分に向くだろう。45の頼みも果たせるはずだ。

 念の為に一度深呼吸して、ノックする。

 

「指揮官。副官のHK416です」

 

 ……返事がない。作業に集中していて聞こえなかったのだろうか。

 

「……入りますね。

 おはよう、指揮官。今日は誰にも……あら?」

 

 そこにノアの姿は無かった。いつもなら既に業務を始めている時間だというのに。彼は人形たちに付き合う時間を午後と決めているから、誰かと遊んでいる線は薄いだろう。

 これもまた可能性は低いが、寝坊でもしたのだろうか?だとすれば、自分も少し遅れてきても良かったではないか。

 先程の懊悩が空回ったことに、少し腹が立った。

 こうなったら彼の私室まで確認に行って、小言でも言ってやろう。

 416は鼻息荒く執務室を後にした。

 

 

 ノアの私室は、人形用宿舎から少し離れた小型の建物にある。建物の名前こそ「人間職員用宿舎」だが、ノアの部屋以外は全て物置や人形たちの遊び場となって久しいとのこと。

 道中、Gr G3とすれ違った。

 

「おはようG3。ねぇ、指揮官を見てないかしら」

「おはようございます、416。見てないですよ。この時間ですし、もう執務室では?」

「さっき行ったんだけど、いないのよ」

「寝坊ですかね?珍しいこともあったものです。

 少なくとも彼が赴任してきて今まで、一度もなかったと記憶していますが。そもそもの始業時刻が遅めですし」

 

 マンションの下層を切り取ってきたような外観の宿舎に入り、彼の部屋の前に立つ。三階まである宿舎の一階で暮らしているのは、出入りが楽だからだろうか。そんなことを416はぼんやりと思った。

 

「指揮官、お休みですか?」三回ドアを叩いても、返事はない。しかし物音はしたので、中にいるのは確かだ。

 

 ノアの傍で過ごした約一週間の経験から、416の電脳が嫌な推測を導き出す。

 

「入ります」

 

 副官になったとき渡された合鍵で踏み込んだ。

 ここがノアの部屋――などと考える間もなく最初に聞こえたのは、

 

「おごっ、え゛あ゛ぁぁ……こほっ」

 

 腹の底から湧き出るようなえずき声。

 声を追ってノアの姿を求めると、彼は便器を覗き込むようにして蹲っていた。

 416の予想は的中していた。

 

「指揮官っ、大丈夫!?」

 

 焦りのあまり声がうわずるのを自覚しながら、416は背中を摩る。

 こんな状況だが、416はノアが見た目より筋肉質であることに驚いた。外見こそ少女じみているが、やはり一応は男性なのだ。

 もっともその筋肉は今、胃の内容物を吐き出すために蠕動しているのだが。

 そしてもう一つ。彼の体が異様に冷たい。どうなっている?一先ず病院へ救急搬送を――

 

「416……?もしかして僕、遅刻してる?拙いな……」

 

 胃液で少し焼けたのか、掠れた声がノアの口から零れた。元々不健康そうに白かった肌は最早青くなっている。

 今まではうっすらとしか見えていなかったが、目元には隈がはっきりと浮かんでいた。

 

「一体何があったのよ、こんなに冷たくなって!?」

「別に。寝起きはいつもこんな感じだし……あは」

 

 ノアが立ち上がり、殆ど胃液だけの吐瀉物を流す。口元を隠しながら作ったいつもの笑顔は精彩を欠いていた。

 一目で絶不調と分かる有様。416は焦りと苛立ちを吸い込んで叫んだ。

 

「そんなわけないでしょ!」

「いやホントだって。ご飯食べてシャワー浴びたら元に戻るから」

 

 ノアは壁に手をついて、ふらつきながら脱衣所に向かう。416はその腕を掴んで声を荒らげる。

 

「こんな状態で平気だなんて、そんな下手な嘘が通じると本気で思ってるの!?」

「だから嘘じゃないんだって、信じてよ。

 僕はシャワー浴びるから、416はあったかいココアでも作ってくれる?飲みたかったら自分のも淹れていいよ」

 

 腕を掴む416の手からするりと抜け出して、ノアはそのまま脱衣所へと消える。衣擦れの音が聞こえてきたので、仕方なく416はダイニングへ向かう。

 一見して、生活感の薄い部屋だと思う。調度は全てモノクロで、中でも灰色や黒が多く白が少ない。カーテンも閉め切ってあるせいで酷く暗い。視覚モジュールの明度補正機能が無ければ、本棚に足をぶつけていたかもしれないと思った。

 ひとまずカーテンを開けて、キッチンの明かりをつける。粉末ココアは見つけたので、牛乳を求めて冷蔵庫を開いて、

 

「……何よ、コレ」

 

 冷蔵庫にはゼリー飲料と思しき、小型のパウチがずらりと並んでいた。一見して断定できないのは、包装が業務用レトルト食品のような銀色のみだからだ。戦術人形が摂取するレーションでさえ、風味やカロリー、消費期限が記載されている。しかしこのゼリーには、それすらない。

 指揮官(人間)の冷蔵庫にしてはあまりにも無機質なその光景に、416は背筋が寒くなるのを感じた。

 ボトルポケットに収まっていた牛乳を取り出し、一先ず見なかったことにする。

 手近なマグカップ――黒い地に白い猫の柄だ、いい趣味をしている――に注いだ牛乳をレンジで温める傍ら、自分用のコーヒーを淹れる。その待ち時間で、G36とUMP45に業務開始が遅れる旨を連絡した。

 

「指揮官の仕事ぶりのお陰で、差し迫った仕事が無いのは有難いわね――いいえ、さっきの異常はその仕事ぶりが原因なのだから、やっぱり有難くないわ」ぶつぶつと独り言ちる。随分前にG11に指摘された、416の癖だった。

 

 温まった牛乳にココアを溶かし、ガラスのテーブルに置く。そこに敷かれたコースターだけが、何故かインディアン柄でやたら目立つ。

 サーバーに注がれる黒い液体を見つめていると、電脳は勝手に先程のノアについて思考を走らせる。

 自律人形は触覚だけで温度を正確に計ることができるが、416は自分の結論を信じることができなかった。先のノアの体温は、二十五.八度。しかし、深部の温度が三十度を切ると起こるはずの、不整脈や末梢循環不全といった症状は見られなかった。

 416は医学関連のデータベースをダウンロードしていないので、彼の症状がどのような意味を持つのか、判断する術も持たない。このことは考えるだけ無駄だろう。本人に訊くのが一番早そうだ。

 気付けばシャワーの音は止んでいて、代わりにドライヤーの音が聞こえる。

 そこで416は思い至った。思い至ってしまった。今のこの状況、いわゆる「部屋にお邪魔する」というヤツではないか。しかもノアは今シャワーを浴びて、風呂上がりの状態で出てくるのだ。

 気が付いてしまうと非常に気まずい。さらに昨夜の45の台詞が想起されて、今の内に部屋を出た方がいいのではと――

 

「おはよ!」

「キャッ!?ってあれ、服着てる……」

「ごめん、少し待っててね。そこら辺の本棚に気になるのがあったら好きに読んでいいから!」

 

 髪を下ろしたノアが寝巻を羽織り、とててと寝室へ駆けていった。下ろすとそんな感じなのか、と記憶する。

 五分ほど何やら物音をさせたと思えば、いつもの制服姿になったノアが髪を結びながら現れる。「下ろしていても可愛い」と伝えるか迷って、止める。自分はノアの彼氏か。

 その顔にはいつもの笑みが貼り付いていて、足取りもしっかりしている。

 隈が薄くなっている。いつもはメイクで隠していたのか。その強がりに気付くと、少し腹が立った。

 ノアは冷蔵庫へ向かい、ゼリーを一つ取ってくる。一口ちゅるりと吸って、口を開いた。

 

「いやぁ、ごめんよ416。今日はいつもより少し重くてさ。

 でもまさか遅刻するなんて、気が緩んでる証拠だなぁ」

「はぁ、何から訊けばいいのか分からないのだけど……」

 

 とりあえず、ノアの手を握る。ぞっとするほど冷たかった体温は、三十五.八度まで上がっている。シャワーを浴びただけで十度も上がるとか、冷血動物なのか。

 ノアが顔を赤くした。

 

「そういう唐突かつ過激なスキンシップは心臓に悪いから勘弁してくれないかな!?」

「このぐらいで何言ってるの。まぁ、体温は平熱に戻ったみたいね」

 

 実際は416も内心かなり混乱しているわけだが、ノアが自分以上に慌ててくれたお陰で落ち着いた。

 ノアはゼリーを飲み干して、ココアをちびちびと口に含んでいく。416もコーヒーを啜って、ノアの説明を待つ。

 

「……心配かけて悪いけど、毎朝こんな感じだから慣れてるんだってば。別に死にやしないから、気にしないで」

「何ソレ、変温動物じゃあるまいし。

 それと、冷蔵庫の中。そのゼリーばかりだったわ。偏食はよくないわよ」

 

 指摘すると、ノアは気まずそうにそっぽを向いた。

 

「コレは美味しいし、食べるのに時間もかからないから気に入ってるんだ。

 栄養バランスも考えられてるから、これだけ食べてても死なないよ。……多分」

 

 416は訝しさ全開の視線でノアをねめつける。いくら気に入っているからといって、食生活をそれ一色に染め上げることなどあり得るだろうか。

 ここまでの流れで、416はノアの生活習慣が果てしなく劣悪なものであると確信していた。

 溜息を吐く。「見てられないわ」

 

「これからは毎朝、私がご飯を作りに来るから」

「いや、そんなの悪「文句は聞かないから。あんな姿を見て放置できるわけないでしょ」

 

 こちらの意思が変わらないことを察して、ノアは肩を落とした。そんなに自分が部屋を訪ねるのが嫌なのかと、416はむっとする。

 

「まぁ、そこは隠し通せなかった僕の落ち度かぁ。

 ……分かった。よろしく頼むよ」

「えぇ。任せなさい」

 

 頭の中で、416は自分が今どんな約束をしたのか確認した。そして気が付く。

 もしかしなくとも、自分はとんでもないことを言ってしまったのではないだろうか。これではまるで、通い妻――

 

「どうしたの416、急に赤くなって」

「何でもないわ……」

 

 コーヒーカップを傾けて、顔を隠す。

 

「そうだ、もうバレちゃったから話すけど。僕がこんな体質ってことは、みんなには内緒ね」

「どうして?G36辺りは知ってるんじゃないの」

 

 そう訊ねると、ノアは「知らないはずだよ」と首を振った。

 

「みんなに心配をかけたくないし、遠慮もしてほしくないんだ。

 この調子で今まで問題なくやってこられたし、これからもやっていくつもりだから」

 

 何と筋金入りの秘密主義、自己犠牲の権化だろう!416は内心で叫んだ。彼がここに赴任してきてどれほど経つのか知らないが、今まで毎朝こんな調子で過ごしてきたのか。しかも一人で、自分を慕ってくれる人形がいるにも拘らず!

 416の中で苛立ちが肥大して、とある思いつきに変化(へんげ)した。言葉が口から滑り出る。

 

「じゃあ、こっちも一つ約束してほしいのだけど」

「何かな」

「もっと私を頼ること。私の知らないところで大量の仕事を熟すのは止めて。

 優しさのつもりか知らないけれど、私にとっては屈辱よ、ソレ」

 

 あえて怒った顔でそう告げる。

 ノアは少し俯いて、苦々しい表情を浮かべた。

 

「……うん、分かった。ごめん」

「分かればいいの」パッと笑ってみせる。

 

 シュンとしたノアの表情は存外に可愛らしかった。これは今朝の最も大きな収穫だと、416は思った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

副官のお仕事/指揮官のお仕事⑧

「午前中に片付けなきゃいけなかったお仕事は、何とか全部終わったね」

「何言ってるの。全然余裕だったじゃない」

 

 お世辞にも綺麗とは言い難い街並みを、ノアと416が並んで歩いている。

 アンバーズヒルの貧民街。都市部と違って舗装もされていない道の端にはゴミが散見される。しかし住民たちは貧しいなりに日々を懸命に生きており、道行く人々の顔には生気が宿っている。この空気があるから、ノアは都市部よりむしろこちら側を好んでいる。

 “猫の鼻”の定期業務の一つ、街のパトロールの最中だった。

 

「416が手伝ってくれたお陰だよ。僕が遅刻したばっかりに迷惑かけて――」

 

 口を突いて出る言葉を、416が指を振りながら遮った。

 

「謝罪はナシよ。私は副官で、戦術人形なのだもの。

 “欠落組”を仕留めるまでとはいえ、私には貴方を支える義務があるんだから」

「……はぁい。ありがとね」

「よろしい」

 

 416がにこりと笑う。普段は澄ました顔の彼女が時折見せる、花のような笑み。ノアにとって、この笑顔はあまりよろしくない。

 ギャップというヤツだろうか?いつもは周りの人形と比べて大人びて見えるだけに、急に少女らしい可愛らしさを見せられると……心臓に悪いのだ。

 彼女に副官を任せて一週間ほど経つ。初めの内は予備知識が必要なさそうな計算や確認作業だけを任せていたが、今朝の事件を受けて「きっちり全体の半分を寄越しなさい」と言われてしまった。試しに言われた通りにしてみれば、全てミスなく終わらせてみせた。速度こそノアより少し遅れていたが、慣れていないことを鑑みれば想像以上の優秀さと言える。

 416が副官を買って出てくれたお陰で、ノアの負担は大きく減じている。ノアにしてみれば人形にこのような仕事を押し付けるのは心苦しいのだが、「屈辱」とまで言われてしまってはどうしようもない。素直に感謝しておくべきなのだろう。

 仮にも業務中であるにも拘らずこのような思考に身を浸しているのは、このパトロールが基本的に暇だからだ。

 住民に恐怖を与えないよう目立たない程度の武装をして、決まったルートを歩くだけ。道中で何か問題があればもちろん対応するが、G&Kの制服が見える場所で揉め事を起こそうという阿呆はいない。

 

(個人的には、僕の見てないところで悪さをするくらいなら目の前で暴れてほしいんだけど)

 

 時折都市部で発覚するホワイトカラー犯罪のことを思うと、取り締まりの面倒さに気が重くなる。社会や文化が発展しても、その中で暮らすヒトは洗練されないのだからおぞましい話だ。

 益体もない思考から、あることを思い出した。

 

「そうだ、一昨日貸した本読み終わった?ラップトップ抱えた……ってやつ」

「えぇ、読んだわ。ああやって人類を批判する内容の作品を、戦術人形(わたし)に勧める神経はどうかしてると思うわ。

 ……面白かったけど」

「でしょー?んっふふ」

 

 彼女に本を貸して、その感想を訊くことがノアの最近の楽しみなのだ。416は紙の本が好きなようで、ノアが勧めたものはとりあえず全て読む。読んだ上で、忌憚のない感想を教えてくれる。そうやって彼女の感性を知っていくのはとても楽しい。

 以前にもリベロールやC-MSと似たような会話をしたのだが、みんなそれぞれ異なる趣味をしていて、その違いを理解する経験は新鮮だ。

 因みにリベロールはジョークの効いた戯曲が好きで、C-MSはあぁ見えて難解な学術書を貪るように読む。そして416は、王道を往くハッピーエンドの恋愛小説や青春ミステリがお好みらしい。

 

「昔の小説を集めておいた甲斐があったってものだよ」

「あ、グリフィンのねーちゃんだ!」

「おねーちゃん!」

 

 少年の叫び声が耳に届いた。その方向から、みすぼらしい格好の少年少女が駆け寄ってくる。ケイン、ルーカス、デイシー……顔馴染みのストリートチルドレンだ。

 ノアはじゃれついてくる頭を押さえながら、ポケットを守る。

 

「おにーちゃんだろうが、この悪餓鬼どもめ!

 おいハリデルっ、今財布掏ろうとしただろ、見えてるからな!」

「クッソ、バレた!」

 

 勇敢にもG&Kの指揮官へ突撃する戦士たちとは対照的に、気の弱そうな子たち――子供たちの中でも年少組に当たる――は一歩引いて、その騒ぎを笑顔で眺めている。今日はおねーちゃんのお財布取れるかな、無理じゃないかなー。

 何がどうなっているのか、理解が遅れ立ち尽くす416に、デイシーが声を掛けるのが見える。

 

「今日は人形のお姉さんも一緒なんだね」

 

 416は首を傾げている。彼女は今、ドイツ連邦軍(Bundeswehr)ではなく特殊作戦コマンド(KSK)の服に身を包んでいるので、そこまで派手な格好ではない。銃を始めとする武装は鞄に隠してあるから、一見して戦術人形と判ずる材料はない、と思っているのだろう。

 

「どうして人形って分かるの?」実際にそう訊ねたのも頷ける。

「だってすっごい綺麗なんだもん!それに、おねーちゃんの仕事場って人形しかいないって聞いたから」

 

 416が少し赤くなった。この一週間で何度も見た赤面癖。自信に満ち溢れた言葉とは裏腹に、彼女は照れ屋かつ褒められ慣れていない。おそらく、今までの経験によって何かに対するコンプレックスが染みついているのだろう。

 さて、デイシーにもバレているのなら伏せなくてもいいか。

 ハリデルとルーカスの連携を躱し、ケインのスライディングを飛び越えながら呼びかける。

 

「416、銃とか掏られないように気を付けてね!」

「分かってるわ。私を誰だと思ってるのよ」

 

 そう言って鞄を抱える416を尻目に、子供たちの顔ぶれを見回す。

 いつも見かける顔が、二つほど足りない。

 

「ねぇルーカス。ダヴィとサンダリオは?姿が見えないけど」

 

 ノアが訊ねると、子供たちも思案に余っているという様子で首を捻った。

 

「分かんねーんだよなぁ。俺たちも見てねー」

「働くところを見つけたって喜んでたんだけど、昨日からいないの」

「住めるとこなのかもしんねーし、あんま気にしてないけどな」

「それはハリデルだけだよ」

「あぁ!?」

「こらこら、喧嘩するなって。……まぁ、仕事が見つかったなら何よりだな」ハリデルを宥めながら、思考を巡らせる。少し嫌な予感がするものの、このような移動は珍しくない。病気などで死んだという明確な証拠がないだけ、安心すべきだろう。

 

「みんな元気そうなのも確認できたし、僕らはもう行くよ。

 またねー」

 

 きゃんきゃんと騒ぎ手を振る子供たちの声を背に浴びながら、ノアはその場を後にする。

 後ろに続く416が、何か盗まれていないかと持ち物を確認している。

 

「指揮官、随分と懐かれてるのね」

「……まぁ、うん」

「どうしたの?」

 

 416はとても目敏い。ノアが少しでも考え事をしている様子を見せれば、すぐにそれを察してしまう。

 きっと隠し事をすると今朝のように怒ってしまうので、正直に言ってしまうことにした。

 

「あの子たちのために孤児院を作ろうと、色々頑張ってるんだけどさ。

 ほら、みんなが集まる場所があれば、顔が見えなくて無事が確認できないなんてことはなくなるでしょ?

 でも、アンバーズヒルの住民にもヘリアンさんにも反対されてて」

「前者は財源の問題、後者は業務範囲の問題ね?

 直接自分の利益にならないものに、自分たちの金を費やしたくないってところかしら」

 

 416の言う通りだった。

 足元の小石を蹴った。知らぬうちに、愚痴っぽい口調になってしまう。

 

「その通り。こんな時代だから仕方が無いんだけど。

 子供たちのためにできることをすべき、っていう感覚はもう古いのかなぁ」

「そんな余裕があるのは一部の富裕層ぐらいだもの。もちろんウチにだって無いわよね?」

「あればとっくに実現してるさ。

 ウチが所有するプラントの収入じゃ、基地内の生活を維持するので精一杯。武装や訓練にもコストがかかるし……」

 

 ノアには、“自分が努力するだけで解決できる問題ならいくらでも熟してみせる”という自負がある。けれど、周囲の賛同が無ければできないことも、ヒトの社会にはたくさんある。ノアはそういった、ヒトと足並みを揃えなければならない状況が大嫌いだった。

 普段は執務室ではなく、私室で考えていること。どうしようもなく困難な問題について頭を悩ませていると、作り笑いを保つ余裕がなくなるから。

 だからきっと、自分は余程酷い顔をしていたのだろうとノアは思う。416がノアの顔を覗き込んで、クスリと微笑んだのだ。

 

「もう、そんな顔をしないの。

 指揮官である貴方が親しく接してあげているお陰で、あの子たちは『いざというときはグリフィンが助けてくれる』って認識を持ってるはずよ。それは確実に日常の安心感に繋がる。

 ――貴方の努力は無駄じゃないわ」

「え」

 

 間抜けな声が出てしまった。

 自分は人形たちの指揮官で、この街を管理する者だ。ノア自身にその意識が無くとも、彼は人形や住民の上に立っている。

 故に彼の仕事ぶりを心配する者は数多くとも、彼を()()()()()()者など皆無だった。

 決して、誰かに褒めてほしかったわけではない。承認欲求のために戦っているわけではないと、偽りなく断言できる。

 

 それでも、たったそれだけの言葉で、ノアは泣きそうになった。

 

「何その顔、初めて見た。

 まぁちょっぴり変だけど、いつものへらへらした顔よりそっちの方が可愛いと思うわ」

 

 俯いて、目頭を押さえる。こうでもしないと、涙腺が言うことを聞きそうにないのだ。

 ほんの少しだけ鼻声になっているだろうが、それでもこの感謝は伝えなければなるまい。

 

「……ありがと」

「事実を言ったまでよ。礼には及ばないわ」

 

 思ったより小声になってしまったその言葉は、しっかりと彼女の聴覚に届いたらしい。ふふんと416が笑う。

 ノアは思い切り息を吸って空を仰いだ。努めて明るく叫び、鼻声を誤魔化そう。

 

「全く、キミはカッコいいなあ!」

「ソレ、人形とはいえ女の子に言う言葉かしら」今度はおかしそうに、楽しげに416が笑う。

「あ、あのっ!」

「ん?」

 

 後ろから声が聞こえたので振り返る。声の主は、三つ編みの痩せぎすな少女だった。周囲に人影は少なく、少女は明らかにノアのことを見ている。今のは自分への呼びかけだったのだろう。距離は開いているので、今のやり取りを聞かれている心配はない。余計な恥をかくこともない。

 

「あの子、さっきの孤児たちの中にいたわね」

「うん。エメって子」

 

 とてとてとこちらへ走って来るので、屈んで迎える。年は確か八つ。ノアからしてみればほとんど赤子のようなものだが、子供たちの中では年の割に大人びている方だという印象があった。

 

「エメ、何か用があったの?」

 

 一生懸命自分たちを追い駆けていたのだろうか、少し息を整える様子を見せる。気付かなくてごめんねと言いたかったが、それで更に恐縮させても悪い。エメが口を開くのを待つ。

 

「あの……助けてほしいの!」

 

 息を吐いた後もいくらか躊躇って、ようやく出てきた言葉がソレだった。

 ノアは首を傾げる。

 

「何かあったの?お金は……キミだけにあげるってわけにはいかないんだけど……」

 

 財布を取り出そうとすると、エメは首を振る。

 何と言葉にしたものか迷っているような表情で、うーんうーんと唸る。

 隣の416が、ノアに合わせて膝を折った。G11を引きずり回す時とは正反対の、優しい声で話しかける。

 

「もしかして、お友達のことかしら?」

「そ、そうなの!」

 

 エメは手を叩いて、それから二人の手を握って叫んだ。

 

「あの二人は攫われちゃったの。

 ――この街に、吸血鬼がいるの!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アンバーズヒルの吸血鬼・前篇①

 頭蓋の内側で重金属が振動しているような鈍痛。ベッドごとグルグル回っているような感覚が内臓を揺さぶる。体の奥がシンと冷えて、関節がギシリと音を立てた。

 まるで流感にでも罹ったような心地だが、流感ではない。ノア=クランプスが毎朝味わう、寝起きの感覚。

 覚醒というプロセスを通じて、自分がきちんと睡眠できていたことを確認する。

 それと同時に、すぐ傍に彼女がいることを認めた。

 

「起きた?おはよう指揮官。まだ時間はあるから、無理せずゆっくり起きて」

 

 眼底の痛みを無視して瞼を開く。少し前に鉄血の工廠で出会った戦術人形であり、今はノアの副官であるHK416が、カーテンの隙間から差し込む光を遮るようにこちらの顔を覗き込んでいた。

 纏わりつく吐き気を堪えながら身を捻り、片肘を頼りに力を籠める。その意図を察して、416がすっと背に手を回した。甲斐甲斐しい副官に抱き起こされる。

 これじゃあまるで要介護の高齢者だなぁ、と内心で自嘲した。

 ほんの数時間使わないでいただけで動かし方を忘れてしまったように、喉が上手く開かない。こひゅ、という喘鳴を何度か繰り返してから、ようやくその言葉を口にできた。

 

「‥‥おはよ。ありがと」

「お礼はいいから。シャワーを浴びてきなさい。着替えは脱衣所に置いてあるから」

 

 手を引かれて立ち上がった。貧血でふらつきながら、そのまま脱衣所まで曳航される。近頃既にルーティンとなってしまったが、未だに恥ずかしさが拭えない。

 

 

 シャワーを浴びれば体調は八割方快復した。

 

「体温の低下って恐ろしいなぁ」

 

 他人事のような口ぶりである。

 髪を乾かしてダイニングへ戻ると、椅子に腰かけて本を読んでいた416が顔を上げた。初日こそ部屋を見回しては俯くの繰り返しだったが、もうすっかり勝手知ったる佇まい。流石戦術人形、適応力の化身だと感心する。

 

「すっきりした?待っていて、すぐにご飯を持ってくるから」

「手伝うよ」

「いいから座ってなさい。ヘアゴムはそこに置いてあるわ」

 

 座れと言われたら座るしかない。髪を縛る。高いところで一つに括るだけなので、一瞬で終わった。

 手持無沙汰になって、ニュースを聞き流しながら416の動きを眺める。

 キッチンをくるくると移動しながら二人分の朝食を整える彼女に少し遅れて、まとめた長髪がふわりと泳ぐ。何だか面白い。

 

 (戦場では縛らないのに)

 

 小さなトレイを持ってこちらへやってくる416が、目をぱちくりさせて首を傾げる。

 

「どうかした?私に何かついてる?」

 

 キミの髪先を追っていた、と正直に答えるのは気恥ずかしかったので、

 

「ぼーっとしてた。大丈夫、いつも通り416は可愛いよ」

 

 そう笑って誤魔化した。

 

「‥‥っ!あのねぇ‥‥」

 

 416は赤くなって眉を吊り上げた。彼女からしてみれば一々コアが加熱されて大変だろうが、この赤面癖は見ていて楽しい。白い手からテーブルの上に並べられたのは、デニッシュブレッドとハムエッグにトマトサラダ、そしてホットココア。416も同じメニューだが、飲み物はカフェオレ。

 デニッシュを齧る。サクッという食感が聴覚を、バターの風味が呼吸器を一瞬にして占領する。包囲占領、大脳が白旗を揚げた。

 ノアは今、腑抜けた表情をしていることを自覚していた。

 

「‥‥駄目人間になっちゃいそうだなぁ」

「なっちゃえばいいじゃない。私がいるから大丈夫よ」

「何ソレ、プロポーズ?」

 

 笑顔でハムエッグを口に運んでいた416が、ノアの一言で派手に噎せる。顔を真っ赤にしながらカフェオレで喉をリセットする様子を眺めていると、思わず素の笑みが零れた。

 彼女の甲斐甲斐しさは、ボランティアに精を出す女子大生――そんなものはもう見かけなくなってしまったが――のソレと似たようなものだろう。G36のような、己の誇りと存在意義をかけて(あるじ)に尽くす子とは少し違う気がする。

 テレビでは、G&Kと鉄血の戦況が報じられている。ノアは他の地域の状況に微塵も興味が無いため、ほとんど真面目に聞いていないが。

 そんなノアとは対照的に、416の視線はノアと画面を七:三くらいの割合で移ろっている。

 

「何か気になることがあるの?」

「私たちが今捜査している事件のこと、全然報道されないわよね。何かしたの?」

「隠蔽工作の賜物だね。今まではたまに漏れることもあったけど、45が手伝ってくれるようになってからはそれもない」

「ふぅん‥‥」

 

 416の目が一段階冷えた。なんで。

 ノアは「それは置いといて」と仕草で示し、

 

「今日はどうする?一襲の出撃予定は無いけど」

「そうね‥‥午前中は事務作業と事件の捜査をしたいわ。午後に訓練、付き合ってくれる?

 早く“絶火”をものにしたいわ」

 

 416がそう答えるのは予想できていた――彼女は真面目だから。しかし、出撃のない日まで彼女に大きな負担を強いるのは心苦しい。

 ちょっと眉間に皺を寄せ、カップを傾ける。

 

「いいけど、捜査大変でしょ。些事は僕に任せてくれていいんだよ?」

「それはこっちの台詞よ。貴方だって孤児院を作るために色々忙しいんだから。

 大変なのはお互い様なのだし、負担は半分こしましょ」

 

 そう言って416はパンを千切った。

 正直、彼女たちを自分の都合で引っ張り回すのは気が引ける。しかし本人に「その気遣いは屈辱」とまで言われてしまっては、大人しく迷惑をかけるしかないだろう。

 ――416は今まで、他の人形と比べてもかなり厳しい環境にあったはずなのだ。彼女が身を置いていた404小隊とは、並の部隊では対応できない作戦に駆り出される部隊なのだから。だからこそ、この“猫の鼻”ではしたいことをしていてほしいものだが。

 

「こら。食事中に考え事をしないの」

 

 微笑む416に額をつつかれた。

 

(まぁ、少なくとも辛そうではないし、今はこれでいっか)

 

 ノアは「ごめん」と笑って、デニッシュの最後の一欠片を口に放り込んだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アンバーズヒルの吸血鬼・前篇②

「何でついて来ておいて寝るわけ‥‥?何がしたいのよ」

 

 副官室にて。416はこめかみに青筋を浮かべて、ソファの上で丸くなっているG11の寝相を見下ろした。

 

「まぁまぁ、寝てる分には問題ないじゃん」

 

 Super-Shortyが苦笑を浮かべる。腰かけた椅子が少し高すぎたようで、足をプラプラさせている。

 連続殺人事件の捜査本部を設置するにあたり選抜された人形の一体だ。普段は潜入部隊で前衛(フロント)を担当している。その高い潜伏能力を活かし、今は闇市やオークションでの取引を密偵してもらっていた。

 大きな溜息を吐いて、416は自分たちが解決すべき事件、その始まりを思い返した。

 

***

 

 先日、ノアと一緒に貧民街を見回った帰りのこと。

 

「この街に、吸血鬼がいるの!」

 

 ノアに懐いているストリートチルドレンの一人であるエメが、必死の形相で訴える。

 ついこの間ノアから借りた小説で読んだ、その名称で指定される生物を想像する。牙があって、蝙蝠や霧に変じることができ、闇に紛れて人の生き血を啜る夜の狩猟者。魅了の魔眼や魔術を行使する。水場を渡ることができず、日光や大蒜(にんにく)に弱い。退廃的で背徳感のある恋愛小説における王子様役の典型であり、つまり――

 

「ファンタジーの存在じゃない」

「いやいや。昔、フリッツ・ハールマンって奴がいてだな‥‥」

「違うの!ほんとにいるの!」

 

 エメが叫んだ。

 

「見たの?」

 

 蘊蓄(うんちく)を遮られたノアがエメを正面から見据えて、真剣な面持ちで訊ねる。幼子の幻想に付き合ってあげるとは随分と優しいことだ、と416は内心で呆れた。もっともそういう男だからこそ、子供や小さな人形たちに好かれるのかもしれないが。

 

「ううん、でも、売れそうなものを拾いに、いつものところに行ったら‥‥」

 

 エメの声と手が震える。

 ノアはいつもの優しい笑顔を浮かべてエメの手を取る。「おいで」と近くの石段まで手を引き、座らせる。その隣に腰かけて、エメの顔を覗き込んだ。あまりに自然なエスコートに座るタイミングを見逃して、416は壁に背を預ける。

 

「いいかいエメ。目を閉じて、僕の声に集中してね」

 

 そう言いながら、こちらにちらりと目配せしてくる。そのアイコンタクトで「エメの話を憶えておいて」という指示を受け取って、416は頷いた。

 コクコクと頷いて目をキュッと閉じるエメが、ノアの手を掴む力を強める。

 

「まず確認ね。キミたちが行った場所と、その理由を教えて」

「ダヴィとダリオと一緒に、売れそうなものを拾いに行ったの。おねーちゃんも知ってるでしょ?おっきなゴミ捨て場‥‥」

 

 「ダリオ」はサンダリオの愛称だろう。「おっきなゴミ捨て場」というと廃棄場だが、この街には計七つの廃棄場がある。少年少女が日常的に通っていることを考えると、最寄りの“四番”だろうか。

 そして「おねーちゃん」と呼ばれる度に、ノアの整った眉がピクリと動く。

 

(気にしてるのね‥‥)

「はい、深呼吸して。それじゃあ、そのときの空気を思い出して。時間、天気、それから匂いも」

 

 ここまで二人の様子を見て、416はようやくノアの行為が何であるか思い至った。

 認知面接。とある心理学者が考案した、事件の目撃者から証言を引き出す技法だ。C-MSが作戦後の談笑時に語っていた気がする。PMCの戦術指揮官が扱うものではないと思うのだが‥‥。

 

「お空は晴れてたけど、まだ暗かったの。匂いは‥‥埃っぽくて臭かったの」

「いいよ、その調子。キミたちは何をしてた?」

「売り物を探してたの。携帯電話を三つ‥‥じゃなくて四つ拾えたけど、電源が点かなかったの。

 あと、いつもは色んな容れ物が落ちてるから、川で洗って売るんだけど‥‥」

「続けて」

「あの日は容れ物があんまり無くって、どうしようねって話をしたよ」

 

 ノアが少し眉を顰めた。何やら考える様子を見せたが、そこまで引っ掛かるところなのだろうか。

 

「いつも拾えるはずのものがなくて、どうしたの?」

「しょうがないから、私たちで運べるくらいなら重いものでも持って帰ろってダリオが言ったの。それで、色々探してたら、テレビを見つけたの。凄いんだよ、おっきくて、薄いの」

 

 液晶テレビのことを言っているのだろうと思われた。416はダヴィとサンダリオの体格を知らないが、最近のモデルなら小さな子供三人でも運搬できなくはない。危険だが。

 

「リサイクル屋さんに持って行こうってダリオが言って、みんなで運ぼうとしたの。二人が端を持って、私が裏に回ろうとして‥‥」

 

 再び、エメの体が小刻みに震える。ノアは小さな手を包み撫でながら、子守唄でも歌うような声音で語りかける。

 これは自分も味わったことがある。あのときの自分は今のエメより重症だったが――と、416は自分の失態を思い出して、一人赤くなった顔を覆った。

 

「大丈夫。ゆっくりでいいからね」

 

 エメが深く息を吐く。あぐあぐと口籠って、その言葉を落っことす。

 

「男の人が、死んでたの。その‥‥ミイラみたいに、中身が無くなってたの」

「ごめんよ、でももう少し思い出して。そのとき、臭かった?虫が集ってたり、血が出てたりした?」

 

 握るノアの手を両手でぐっと掴んで「むむむ」と唸った後、ブンブン首を振る。

 

「ううん、近付くまで人が死んでるなんて思わなかったよ。ちょっと臭かったけど、あそこはいつも臭いからそこまで気にならなかったの。虫は‥‥うん、ぶーんぶーんって‥‥」

 

 その言葉に、何故かノアは胸を撫で下ろしているようだった。一体何を心配しているのか。

 

「最後に。死体やテレビを動かした?」

「テレビはそのままにしたの。男の人は、ダヴィが近くの棒でつついてた。ダリオは止めろって言ってたけど‥‥」

「有難うエメ。よく頑張ったね、偉いぞー!」

 

 うりうりと頭を撫でられて、エメが擽ったそうに目を細める。

 その光景だけ見れば、まるで年の離れた仲良し姉妹のようだ。

 「孤児院を作りたい」と彼は言っていた。――なるほど、PMCなどより余程彼に似合っている。

 そんなことを考えていると、ノアがこちらに水を向けてきた。

 

「今日から事件の解決まで、集められるだけの孤児たちを“猫の鼻”で預かる。

 あと、件の遺体を回収したいから手伝ってくれる?」

「分かったわ」

 

 「みんなをさっきのところに呼んでくれる?」という言葉を受けて、てってけ走り出したエメの背を追う。とはいっても駆け足ですらなく、ちょっとした早歩きだ。

 416は隣を行くノアへ、先ほど抱いた疑問をぶつけた。

 

「さっき、遺体の状況を聞いたときに安心してたわね。どうして?」

 

 ノアは困ったような顔で「どんだけ目がいいんだよ」と笑った。当然だ、副官としてノアが望むことを一早く察するために、416はいつだって目を凝らしているのだから。特にノアは嘘を吐くのがやたら巧いので、僅かな表情の機微も見逃せない。

 

「ゴミの陰からでは発見できなかったってことは現場での出血はなし。腐敗は最小限だけど防腐はされていない。蠅が産卵に来てて、尚且つカツオブシムシに食い荒らされていないってことは死後それほど時間が経っていないってこと。

 エメたちが遺体を発見した時点で、犯人がまだ近くにいた可能性もあったわけだ。実際、ダヴィとサンダリオは姿を消している。

 ‥‥エメが無事なのは幸運だった」

「だから子供たちを預かるのね」

「そう。エメ曰くダヴィが遺体に触ってる。殺人犯の中には遺棄場所を再訪する変態もいるから‥‥」

「遺体の変化に気付いた犯人が焦って、犠牲者が増える可能性を考えたわけ?」

 

 ノアは頷いた。

 もう一つ、気になることがある。エメの「吸血鬼」という単語を、ノアはやけに真面目に取り合っている気がした。

 

「ねぇ指揮官。本当に吸血鬼がいると思う?あの子の話を聞く限りはそれっぽくなくもないけれど。

 貴方に借りた小説なら、被害者は男じゃなくて美しい少女よね」

 

「あっは」ノアは笑った。少なくとも、416の視覚モジュールはその表情を“笑顔”と認識した。

 

「今を西暦何年だと思ってるのさ。十六世紀ならともかく、今の地球に吸血鬼なんていないさ。

 ――だからまぁ、犯人は間違いなく人間だよ」

 

 悪寒。近くの野良猫が駆け出し、通行人はすっ転び、電線上の雀が姿を消した。

 戦術人形が感じる悪寒とは、五感を司るモジュール全てが集めた膨大で雑多な情報を基に、無意識演算領域から最速で導き出される自己保存の危機感である。

 つまりは人間のソレと同じように、その原因が何なのか意識で理解するのは、数瞬遅れてのことが多い。

 思わず立ち止まってしまって、ノアの背が少し遠ざかる。

 416は呆然と、その感覚を言葉にした。

 

「貴方――怒っているの?」

 

 あまりに静かで、いつもと変わらない笑顔に見えたのに。

 胸の奥に染み込む毒水のような、冷たい恐怖が喉を震わせた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アンバーズヒルの吸血鬼・前篇③

 416たちが調査している事件は、先日エメが訴えてきたその“吸血鬼”に関するものだ。エメの案内で見つけたその遺体は、いつか定期市へ出向していると結論付けた行商人のものだった。ほどなくして他の行商人も、変わり果てた姿で各廃棄場から見つかった。彼らの遺体からも血液が失われていたことから、ノアは一連の死者を連続殺人事件の被害者と断定。しかし子供たちが狙われている以上、子供たちの安全を確保する必要がある。ノアには前々から勧めていた孤児院の建設に傾注してもらい、事件の捜査は416を始めとする戦術人形が引き受けたのだ。

 というわけで、捜査チームにはもう一体所属しているのだが‥‥。

 

「すみません、遅れました。部屋の時計が全部止まっていたんです」

 

 416がもう一体の名前を思い出すと同時に、カルカノM91/38――愛称はシノ――が副官室の扉を開いた。

 部屋の時計が全て止まるなんてことは滅多に無いし、よしんば止まったとしても戦術人形は自力で時間を管理できる。シノの大袈裟かつ下手な嘘にも慣れてきたが、いちいち彼女の発言の真偽を判断するのは面倒臭い。ノア曰く、

 

『シノに関してはね、言葉よりも行動を信じた方が早いよ』

 

 とのことなので、今は彼女が遅刻したという事実だけ理解しておこう。

 

「真面目にやりなさいよ。のんびりしてていい任務じゃないのよ」

「わかってますよ」

「じゃあ、全員揃ったところで、まず今朝までの戦果を確認しよう」

 

 Shortyはそう言って手帳を広げた。その帳面はカラフルに書き込まれており、証拠や証言、推測や気になったことが細かく分類されている。

 

「継続して闇市に潜って流通品を見てるけど、今までと比べて特に血液の品揃えは増減してないよ。

 ヴィトンのコピー品がちょっと多かったかな」

「アングラにはアングラの流行があるから、おかしなことではないわね。

 でも闇市に出ていないってことは、金儲けのためではないのかしら‥‥」

 

 416が担当した調査もそれを裏付けている。副官としての事務作業があるので、デスクワークと並行して犯行に必要な物品の購入履歴などを当たってみたのだ。

 

「近隣一帯の器械店に、血液を保管できそうなタンクや輸血管、瓶針の購入履歴を問い合わせたわ。

 犯行に使えそうなものを買った連中の口座を当たったけど、怪しい金が流れ込んでる奴はいなかった。

 あぁそれと、タンクに関しては調べても意味が無いって指揮官に言われたわ」

「どういうこと?」

 

 ノアから聞いた話と、貧民街で少女が語った内容を思い返す。

 

『容れ物が無かった、ってエメが言ってたでしょ。

 廃品を集めて売る彼らのような人間にとって、プラスチック容器は最も手軽に集められる廃棄物の一つだ。

 ソレが無いということは、何者かがあるだけ持って行ったんだろう。

 廃品を売って生計を立てる者と業者以外はあんな場所に用なんて無いから、持って行ったのは犯人だ。

 タンクの代わりにしたんだろうね』

 

 それを伝えると、納得したようにシノは頷いて自分の手帳を開いた。何種類かの布地で可愛らしく表紙を彩るカバーは、姉であるカルカノM1891のお手製だろう。元々服を作るのが趣味らしく、最近はこういった小物も作っている。416自身、彼女の手によるブックカバーを愛用している。

 

「被害者さんたちの、事件当日の足取りを追いました。私一人だとあまりに簡単すぎるので、姉さんや他の方々にも手助けをお願いしました。

 廃棄場付近へ足を運んだ方はいらっしゃらなかったようです。

 遺体が遺棄されていた各廃棄場はそれぞれ距離があるので、犯人さんの狩猟圏は絞ることができませんね」

「そっかぁ。中々手掛かりが見つからないね‥‥。

 そうだ!最後に発見された被害者の検死は終わったの?」

「えぇ、その報告もさっき貰ってきたわ」

 

 検死報告を二人に渡す。

 基本的には他の被害者たちと同じ。凶器は繊維の無い紐状のもので、死因(CoD)は背後から締め上げられたことによる窒息や頸椎剥離。絞める力がまちまちで、それが原因で死因にバラつきがあった。このことから犯人は十分に慎重に立ち回っているが殺人には慣れていない――つまり犯罪シンジケートなどの構成員ではない、と検死を担当した人物は結論付けた。ちなみにノアだ。

 また、被害者の腕には太めの針による穴が開いており、死後にそこからほとんどの血が抜かれていた。

 エメは“吸血鬼”と口にしたが、当然傷に唾液は付着していない。人を殺して血を奪う犯行の一般的な(そもそも犯行自体が一般的ではないが)動機を考慮した結果、416たちは犯人の目的を“闇市での売買”と見て捜査を始めた。

 それから二週間弱が経つが、結果はこの通り芳しくない。

 

「‥‥悪いわね、片手間みたいになってしまって」

 

 足を動かしているのはShortyやシノばかりで、416は基地の中からできることしかできていない。

 捜査の過程で判明した事実として、ダヴィやサンダリオに加えて五名のホームレスが行方を眩ませていた。

 子供の誘拐事件において、被害者の約四十五パーセントは事件発生後一時間以内に殺害されているらしい。だから現在消えている者たちは既に死んでいるとノアは判断していたが、これ以上の被害者を出さないためには早期の解決が必要だ。

 これ以上街の人間が犠牲となるならば、事件を預かった自分の矜持のみならず、その判断を下したノアの心に瑕が入る。

 416はコアが焦げ付くような錯覚を抱いた。

 

「しょうがないよ、416は副官だもん。外の人手はもう足りてるし。

 それに、指揮官の負担を減らしてくれて感謝してるんだ」

「あの人なら、どれだけ仕事が多くても平気だと思いますが」

 

 どうやらShortyもシノも、彼女たちなりにノアの過剰労働を憂えているらしい。

 完全に納得したわけではないが、そんなことを言っている間にも時間は過ぎる。

 416は拳をぐっと握った。

 

「‥‥有難う。

 二人は今日も引き続きお願い。私は被害者の血液型や疾病から、違法売買以外の可能性を当たってみるわ」

 

 こんこん。

 

 丁度捜査会議が一段落したタイミングで、ドアがノックされた。

 入室を促すと、先日出会ったストリートチルドレンの一人、デイシーが顔を覗かせた。その後ろでは、落ち着かない様子のハリデルが足踏みしている。

 

「あら」

「こ、こんにちは‥‥」

「こんにちはー。そういえばしばらく預かるって指揮官が言ってたね」

 

 Shortyが口にしたとおりである。孤児院が完成するまでの間、子供たちを保護するためにノアは宿舎の数室を彼らにあてがい、何体かの人形を世話役に任じた。シノの姉であるカノもその一人で、他は95式やDSRなどがその任務を受けている。

 そしてデイシーとハリデルの世話役は――

 

「M1895はどうしたの?」

「えっと、何かお手伝いできることはないかって訊いたら、『仕事が欲しいなら執務室か副官室に行くとよいぞ!』って‥‥」

「ナガンお婆ちゃんったら、サボりましたね」

 

 シノが頬に手を当てて溜息を吐いた。ノアにチクってやろう、と思う。

 

「暇だー!ねーちゃんに会わせろ!」

「こら、無理言っちゃだめだよ!」

 

 ちびっ子二人が騒ぐ声で目覚めたのか、G11が「うるさいぃぃ‥‥」と呻いた。あぁ寝言だ、コレ。

 働かない方のちびっ子のせいで切れそうになる堪忍袋の緒を、何とか結び直す。

 

「気持ちは嬉しいけれど、これは手伝ってもらうようなことじゃないの。隣で私の仲間が暇してるから、遊んでもらうといいわ」

 

 今、執務室にはUMP9とRFB、それからMDRがいる。高速で仕事を熟すノアの横で、雑談に興じているはずだ。時折話しかけては彼の集中力を削いで――あっ、駄目だキレそう。

 

「腹減った!」

 

 ハリデルの無邪気な我儘のお陰で、完全に激昂することは免れた。落ち着くために溜息を吐く。

 

「はぁ、分かったわ。じゃあ食堂に行きましょう。

 二人も一緒にどう?そろそろいい時間でしょ」

「まだまだお母さんには程遠いですね。私は結構です」

「Super-Shorty、行きまーす」

 

 そう言って荷物をまとめるシノとShortyを尻目に、G11を叩き起こす。

 

「ほら、アンタも起きなさい!朝から何も食べてないでしょ!」

「んうぅぅぃ‥‥」

 

 全員で部屋を出て、副官室に施錠する。そのまま食堂へ向か――

 

「シノ、アンタ結局ついてくるんじゃない!ホント面倒臭いわね!?」

「うふふ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アンバーズヒルの吸血鬼・前篇④

 子供たちと昼食をとって英気を養った捜査組が、それぞれに事件の真相を追っている頃。

 アンバーズヒルは郊外、とある廃墟の屋上にノアが一人で佇んでいた。

 

「‥‥うん、動いている様子は無し。約束は守ってくれるみたいだね」

 

 視界の果てに映るのは、正規軍の無人兵器部隊。

 ベレゾヴィッチ・クルーガーが拘束されてしばらく経つ。G&Kと癒着していた正規軍の将軍が、時勢の混乱に乗じて政権を握ろうとしているらしい。謎のテロリスト集団が暗躍していることもあり、C■■地区の外は混沌の様相を呈している。

 正規軍と“猫の鼻”の不干渉条約を結んだときのことを思い返す。思わず、クスリと笑いが零れた。

 

「カーターくん、年食ってもまるで成長してないなぁ。あっは!」

 

 腰かけていたフェンスから飛び降りる。視界が変わると、思考の行く先も変わる。この場合はアンバーズヒルの連続殺人事件がそれだった。416を始めとする人形三人に捜査は任せたが、気になるのは仕方がない。

 別段驚くべきことでもないが、貧民街の住民が犠牲となる殺人事件は少なくない。都市部と比較しても頻度が高いのだ。そして統計上、その犯人は都市部の住民であることが多い。彼らの中には貧しい者たちを病原菌のように扱ったり、人間以下の存在と見做したりといった考え方を持つ者がいるからだ。

 だから事件が発覚したとき、ノアは自然と都市部の人間を疑った。先入観を与えないために、彼女たちには伝えていないが。

 そもそも“遺体から血を抜く”という署名的行動からして、浄化殺人の線は考えづらい。もし犯人の動機が街の浄化であるならば、炎などの過剰な殺害方法を選ぶはず。そして、目に付く場所へ遺体を放置し自らの戦果を見せびらかすだろう。

 

「‥‥本当に、成長しないなぁ」

 

 不意にポケットから着信音が響く。他の人形たちと異なる曲に設定してあるそれは、

 

「はーいノアです。どうしたの、416」

『お疲れ様、指揮官。シノから連絡があったの。

 その‥‥』

 

 416が通話の向こう側で口籠る。こちらを慮るような躊躇いに満ちた沈黙で、ノアは彼女の言わんとすることを察した。

 

「遺体が見つかった?」

『えぇ。行方不明だった全員分がね。身元は確認済み。

 ‥‥ごめんなさい、言わせてしまって』

「そんなこと気にしないで。

 検死するから、現場検証が済んだら遺体を持って帰るように伝えてくれる?」

『もう伝えてあるわ』

 

 「流石」と笑って通話を終えた。電話は声しか伝えないから、きっと誤魔化せただろう。

 ダヴィとサンダリオのことを思い浮かべる。

 ダヴィはハリデルに負けず劣らずやんちゃな子で、顔を合わせる度にノアの財布を掏らんと果敢に挑戦してきた。

 サンダリオは年長組であり、元の性格もあるのかとても思慮深かった。頭がよく回るので、ノアにとっては教え甲斐のある生徒でもあった。天邪鬼なダヴィもサンダリオのことは信頼していて、だから二人はいつも一緒に行動していたのだ。

 ――ぎりり、という音が頭蓋に響いた。口の中に血の味が広がる。

 歯茎を舌で触ってみると、裂けているのが分かった。無意識のうちに怒りを歯に押し付けていたらしい。

 自嘲の笑みが零れる。

 

「成長してないのは僕も同じか」

 

 再び携帯端末が震えた。先程とは異なる音色、416以外からの着信だった。

 血を飲み込んでから応答する。

 

「はい、ノアです」

『もしもししきかぁん、私だよ』愛くるしくも底冷えのする声、UMP45だ。『頼まれてたお買い物終わったよ。足も出なかったから安心してね』

「ほんと?ありがと、助かるよ!」

 

 分の悪い賭けに勝ったという報せ。思わず声音が一つ上がる。誕生日に大好きなキャラクターのぬいぐるみを買ってもらった少女のように、その場で小躍りしてしまう。

 

『でも意外だなぁ、こんなに世話を焼くなんて。

 指揮官は人間のこと、あんまり好きじゃないと思ってたのに』

 

 45の言葉に一瞬で肺が冷え込む。416と比べて話す機会は少ないのだが、一体どんな洞察力をしているのだこの人形は。初対面の時といい、随分と他の毛色の違う子だと感心する。

 一瞬黙ってしまった時点で、図星だと認めたようなものだろう。誤魔化すことは諦めた。

 

「あっは、ご明察。僕個人としてはあんまり好きじゃないかな。

 ‥‥でも、ちょっとした約束があるんだ」

『ふぅん、ソレって訊いてもいいヤツなの?』

「わざわざ話すほどのことじゃないよ。

 とにかく、お疲れ様。気が向いたらでいいから、設備撤去の段取りも付けといてもらえる?」

『えー、休ませてくれないの?

 でもまぁ、やっといてあげる。晩ご飯でも奢ってね?私たち四人に』

「はいはい」

 

 端末を仕舞う。

 代わりに、一枚の褪せた集合写真を取り出す。

 全員がカメラから微妙に視線を逸らしていて、人相を特定しづらい。それでもノアは、彼ら一人一人のことを鮮明に思い出すことができた。

 懐かしさと愛おしさで胸が締め付けられる。胸が痛むということは、彼らとの思い出はまだ大切なものであるということ。

 

「大丈夫。僕はまだ、アンタたちを裏切ってないよ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アンバーズヒルの吸血鬼・前篇⑤

 ベッドの上で唸る。足をばたつかせて、自分が直面している謎の胡乱さを蹴り飛ばさんとするが、まぁ意味はない。

 404小隊の部屋。UMP45は自分用の携帯プロジェクタに接続して、ヘリアンから受け取った資料を眺めていた。先日ノアに頼まれてお遣いに出た際に基地外部のVPNを利用して接触したので、ノアに監視はされていないと思いたい。

 ARディスプレイをスクロールし、何度も文面を読み返す。

 

「なーんか嘘っぽいなぁ‥‥」

 

 ノア=クランプス。二十二歳、男性。ドイツ系移民の血を濃く継いでいる。

 幼い頃に両親を戦火で亡くし、ストリートチルドレンとして過ごす。飢餓と犯罪に塗れた生活の中で、人形に命を救われた経験からG&Kで働くことを志す。――矛盾点は見当たらないが、普通過ぎる。鉄血の工廠に単身潜入したり、ハンターを撃破したり、対鉄血から街の行政事務まで熟して見せたり‥‥この人生では、あんなステータス暴走人間は出来上がらないだろう。

 しかし、身元を意図的に偽装しているならG&Kに採用はされない。彼の面接を担当したのはヘリアンらしいので、不正や裏口といった線も考えにくい。彼女は融通が利か――生真面目なので、そこは信頼できよう。

 そして、この資料に漂う欺瞞の気配は45にとっても馴染み深い。404小隊を結成するにあたりダウンロードした、潜入捜査(Undercover)の手法に酷似しているのだ。

 

(指揮官がスパイ?どこの?

 南に正規軍が迫っているけど、攻め込んでくる様子がない。協力関係にあるから?)

 

 様々な方面に異常な実力を持つとはいえ、ノアはG&Kでは末端の人間だ。どうやら上からの異動命令を躱してこの基地に留まっている節まである。設備の整いようや人形への態度を見れば、彼が“猫の鼻”や人形にかなり執着していることは明白だ。

 仮に彼が正規軍のスパイだとしても、G&Kが受ける被害はさして大きくないだろう。

 しかしそう決めてかかる判断材料もない。G&Kにこれ以上の情報が無いなら、探すべきは正規軍か政府。自分一人の興味に対して危険すぎる橋だが、渡るべきだろうか。

 

「‥‥まぁ、時間はたっぷりあるし。いざとなったら指揮官に責任を押し付けたらいいよね」

 

 予想外の責任を追及され慌てるノアの顔を想像する。本当に拝めたなら、それはとても爽快なはずだ。

 まずは正規軍からだ。南方の無人兵器部隊をハブにして、軍のデータベースにお邪魔しよう。

 ふと、一度共闘したことのある人形のことを思い出した。正規軍のはぐれもの部隊“叛逆小隊”にあって、圧倒的な戦闘性能と電子戦機能を兼ね備えた最先端の軍用戦術人形。彼女に頼めばデータの一つや二つ寄越してくれないだろうか。

 

(‥‥なんて。私たちそんなに仲良くないし、第一どこにいるのかも分からないもんね)

 

 ドアと叩く音がした。どうぞと声を上げるより早く、416が部屋に入ってくる。

 45はそれとなくプロジェクタとの接続を切り、怠そうに荷物を下ろす仲間に手を振った。

 

「出撃お疲れ、416。どうだった?」

「ありがと。少し休んだら指揮官のところに戻るけれど。

 ガルムやらアルケミストの群れやら、ボスを殺し過ぎてそろそろ感覚が麻痺してきたわ。

 Ripperとアルケミストって、どっちが偉いんだったかしら?」

 

 C■■地区の戦況は最早異常と言っていい。二日に一度はハイエンドモデルと遭遇するし、酷いときは一度の出撃で複数回ボスとやり合う羽目になる。それでも滅多に負傷者が出ないのは、ノアがどうにかして集めてくる情報とそれに基づいた綿密かつ多彩な作戦、そして高いモチベーションと練度を併せ持つ人形たちの実力故だろう。45自身、Manticoreが(ひし)めく敵司令部から一切戦闘せずに情報を盗み出せたときは、流石に楽しすぎて口元が緩んだ。

 とにかく416は今、滅多に言わない冗談が口をついて出るほど疲れているようだ。それも当然、今の彼女は一襲の攻撃役にしてノアの副官。その上、殺人事件の捜査も担当しているのだから。

 

「事件の方はどう?」

「駄目ね。Shortyもカノも頑張ってくれているけど、手掛かりが全然無いの。

 犯行が止まったのが大きいわね。いいことなのだけど‥‥」

 

 45は目を見開いた。他人の働きを認めるような言葉が、彼女の口から聞かされるとは思っていなかった。彼女が違法人形となった経緯を鑑みると、同一個体か疑わしいレベル。

 どうやら予想外の変化をしつつある416は、ソファで寛ぐのかと思いきや何やら資料を読んでいる。ここで読むということはさして機密性の高いものではないのだろう。好奇心に従って416の肩に頭を乗せる。416は一度鬱陶しそうに身じろぎしたが、それだけ。

 

「何コレ‥‥薬の購入記録?」

「そう。血を集めているからには、出荷するにしろ使うにしろ、固まらないよう保存するはずでしょう?」

「このエチレンジアミン四酢酸(EDTA)っていうのは、そのための薬なのね」

「指揮官曰く、最近利用されていて医療関係者以外でも入手できるのはこれだけらしいわ。

 元は心臓病治療に用いるものなんですって。

 血液凝固に必要なカルシウムイオンにキレート?するとか、人体の中では使わないとか‥‥」

 

 色々説明してくれたけどよく分からなかったわ、と416は溜息を吐く。

 

(‥‥いや、詳しすぎない?軍人じゃなくて軍医だったとか?)

「で、買った奴を洗ったわけね」

「でも怪しい奴はいなかった。

 全員医療関係者で使用目的がはっきりしていたし、保管してあるEDTAが盗まれた形跡もなかった」

 

 話を繋げるならここだ。45は指を振った。

 

「なら、指揮官が間違っているか前提が間違っているかよね。

 案外、指揮官が犯人で、その場で血を全部飲んでたりして」

「は?」

 

 416が身を退きながら振り返った。

 45は立ち上がって、自分でも奇天烈極まると思う戯言を紡ぐ。別に説得力など必要ないのだし、気楽に行こう。

 

「だって考えてご覧なさいよ。指揮官って凄く吸血鬼っぽい見た目してない?肌は真っ白だし日光嫌いみたいだし、よく見ると歯も鋭いんだよね」

「そういう外見ってだけでしょ」416がジト目を向けてくる。もちろんそんなことは45も分かっている。

「それに何よりも、あの尋常じゃない有能さはいっそ人外って方が納得いくでしょ。

 貴女、最近毎朝あの人の部屋に行ってるでしょ。おかしいところとか見てない?」

 

 しかしここで、45の予想を裏切る事態が起こった。

 416の目が泳いだのだ。45の発言に対する当惑ではない。まるで心当たりでもあるかのような、「言われてみれば吸血鬼かもしれないわあの人」とでも言うような視線の逃げ方だ。

 

「45‥‥アンタ、それ本気で言ってるわけ?」

「――まさか。ほんの冗談よ。

 それはそれとして、指揮官の経歴をヘリアンさんから貰ったの。

 明らかな偽装の形跡があったわ」

 

 実際は至極巧妙で矛盾も無かったのだが、そこは少し話を誇張しておく。

 

「軍人やら戦争孤児やら、色んな経歴の奴がいるもの。経歴を少し誤魔化すくらい珍しくもないでしょ」

「そう思う?私はもう少し調べてみるつもりなんだけど」

 

 416が呆れたように嘆息する。そうやって腕を組むと胸が強調されて腹が立つのでやめてほしい。

 

「G&Kからの情報で満足しないなんて、どれだけあの人が気に食わないのよ。

 まぁ、勝手にすればいいんじゃない。

 私は報告に戻るから。今の話は黙っておいてあげる」

「うん、よろしくねー」

 

 ぱたんとドアが閉まる。

 

「思ったより怪しいなぁ‥‥」

 

 静まり返った部屋の中。UMP45の唇が緩やかな弧を描いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アンバーズヒルの吸血鬼・前篇⑥

「――出撃に関する報告は以上よ。

 事件については‥‥ほとんど進展がないわ」

 

 そう言いながら、眉間に皺が寄るのを自覚した。ダヴィたち行方不明者の遺体が発見されてからも、犯人逮捕に繋がる手掛かりは手に入っていない。

 貧民街には戸籍が無く、経済活動も記録に残らないものが少なくない。その中で身を隠している一個人を見つけ出すのは、藁山から針を探すような難問だった。

 もちろんこれは言い訳に過ぎない。自分から名乗りを上げて任務を受けた以上、ノアが期待していた以上の戦果を挙げなければならない。にも拘らずこの様だ。恥ずかしさを通り越して、いっそ泣きたくなってきた。

 しかしそんな416とは対照的に、ノアはいつもと同じように笑った。

 

「もどかしいけれど仕方ないよ。

 犯行が止まっている、もしくは終わった以上、新しい手掛かりは期待できそうにないもの。

 ――けれどここにその例外があるよ。はい、元行方不明者たちの検死結果」

 

 書類の束を受け取る。細かすぎる成分分析などは読み飛ばして、死因に目を向けた。

 

「行商人たちは不意を突かれてそのまま窒息死。爪の間が裂けてる‥‥抵抗したけど無駄だったのね」

「その通り。けど大切なのは次のページ」

「‥‥これは、子供たちの分ね」

 

 ノアは頷いた。その顔から、笑みはまだ剥がれない。

 

「ダヴィとサンダリオはいつも一緒に行動していた。すばしっこい少年が二人だ、犯人も一気に制圧することはできなかったみたい。

 だからだろうけど、全ての被害者の中でこの二人だけ、遺体からケタミンが検出された」

「麻酔薬?」

「そう。解離性だから大脳辺縁系の働きを抑えない――要するに呼吸を阻害しないから、世界中で使われてる。

 この辺りでも幻覚剤として乱用されてるけど、今言ったように麻酔薬として優秀だから何の規制もかかってない。つまり――」

「入手は難しくないのね。この線から犯人に迫るのは無理かしら。

 ――いや、そうとも限らないかも。

 自分で使うにしろ売るにしろ、血液を生理学的に保管しようと思ったら麻酔は邪魔よね?」

 

 やはり45は間違っている。彼らの血を飲んでいる何者かなどいないし、犯人はノアではない。アイツの悪巫山戯にしては優しい方だが、一瞬でもヒヤリとさせられた自分が恥ずかしい。

 

「そうだね。この犯人は集めた血液を高速で消費しているか、血液に生理学的価値を見出していない」

「不謹慎かもしれないけど有難い情報だわ。

 見ていて。この手掛かりで、必ず犯人を捕まえるから」

「うん。楽しみにしてるよ」

 

 まだノアは、笑っている。

 

「エメたちには、教えたの?」

「遺体発見の連絡があった後すぐにね。エメとルーカスが泣いちゃってさぁ、大変だったよ」

 

 おかしい。この話題を振っても、ノアは笑顔を崩さない。子供たちのためにあんな顔をしていた彼なら、また血でも吐きそうな顔をすると思ったのに。

 またこの人は、無理をしているのか。

 確かに最近の自分の仕事ぶりは頼りないかもしれないが、先日あれだけ言ったのに、未だに変な気を回していることが、無性に腹立たしい。

 

「ちょっと指揮官――」

「失礼します!」

 

 ノックも省いて、慌てた様子のSR-3MP(ヴィーフリ)が飛び込んできた。唐突な登場に416の肩は跳ねたが、ノアは片眉を上げて首を傾げただけだった。

 

「どうしたの、顔真っ青だよ。Shortyと一緒にパトロールしてたんじゃなかったの?」

 

 冷や汗で頬に張りついた髪に構いもせず、ヴィーフリは叫ぶ。

 

「それが……あの子、いなくなっちゃったの!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アンバーズヒルの吸血鬼・前篇⑦

 現在、ヴィーフリ・ノア・416・シノ・9・45の六人は、二手に分かれてSuper-Shortyの行方を追っていた。

 ヴィーフリ曰く。見回りからの帰り道、怪我をした男性を発見したのだという。Shortyが応急処置をするというのでヴィーフリも付き添おうとしたが、

 

『大丈夫だって、すぐ終わるから。ヴィーフリは先に戻って指揮官への報告済ませといてよ』

 

と断られたらしい。

 しかし帰投後どれだけ待ってもShortyは姿を見せず、心配して通信を試みたところ応答しなかった。

 いよいよ異常事態だと確信したヴィーフリは、慌てて指揮官に報告した。

 416からその話を聞いたとき、どれだけ間抜けなのだと45は思った。アンバーズヒルの住民は戦術人形に対して友好的だが、今は連続殺人鬼が潜んでいるのだ。犯行が止んだからといって、油断していいはずがなかったのに。

 

「こっちはクリア。45姉、そっちは?」

 

 路地裏を改めていた9と合流する。お互い、戦場に身を投じるときと同じ装い。たかが人間一人相手に大袈裟かもしれないが、珍しいことにノアが下した命令だ。

 45は首を振って、それから頭上に声を投げた。

 

「こっちも駄目。しきかぁん、何か見える?」

 

 電信柱に立って街を見下ろしていたノアが、十二メートルほどの高さから飛び降りる。その着地に大きな音は伴わず、全く衝撃も感じさせない。まるで野良猫のような――

 

(いや、おかしくない?)

 

 しかしその落下に言及するより早く、ノアが口を開いた。その口調はいつもより駆け足で、彼の焦りが滲み出ているのが伝わる。

 

「ストリートで怪しい動きをしている奴はいない」

「ほんとに見えたの?暗いし遠いのに」

「夜目が利くからね。さ、次のポイントに行くよ」

 

 そう言ってノアが駆け出す。こちらは外骨格を着けているにも拘らず、真面目に走らないと置いていかれる速度。45はノアによる訓練を受けていないので目の当たりにしたことがなかったが、なるほどこの身のこなしならば戦術人形とも渡り合えるだろう。

 

(秘匿性の高い外骨格でも着けている‥‥?それとも薬物による人体改造?)

「待ってよ指揮官!足速過ぎでしょ‥‥!」

 

 隣を走る9が声を上げた。立ち止まったノアは振り返り、申し訳なさそうな顔で頬を掻いた。

 

「訓練の時、416は難なくついてきてたから、てっきりキミたちはそんな感じなのかと」

「416の運動性能は私たちの中でも一番だから。あの子と比べられたら堪んないよ」

「ごめん‥‥あ、416からだ」

(――ん?)

 

 ノアの表情が少し明るくなった。そして、画面も見ずにそう断言するということは、416専用の着信音でも設定しているのだろうか。

 どうやら45の思っている以上に、ノアは416のことを気に入っているらしい。

 

「――Shortyが見つかった」

 

 まぁ数秒後にはこの通り、憂鬱な表情が取って代わったのだが。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アンバーズヒルの吸血鬼・前篇⑧

 ヴィーフリが膝をついて震えている。シノは眉一つ動かさない。416は、眉こそ顰めたがそこまでだった。

 もちろんショックはある。最近はよく話すようになっていたし、捜査会議のついでにランチを共にしたこともある。

 416が「仲良くしてもいい」と思う程度には優秀で、「仲良くしたい」と思わされる程度には愛嬌のあった彼女――Super-Shortyは、狭く暗い路地裏で()されていた。

 自分にとっては馴染みの無いことなので忘れがちだが、仲間が破壊されるなんて戦場ではよくあることだ。自分たちは銃を持っていて、命の模造品を賭して前線に立つのだから。

 ヴィーフリもそんなことは分かっているだろうに立ち上がることができないのは、この事態を引き起こしたのが自分の怠慢だと思っているからだろう。

 そして彼女の遺体をさらにショッキングにしているのが、夥しい量の血液だ。その小さな体には到底収まらないはずの赤色が、地面を塗り潰し壁を駆け上がっていた。

 ――そう、未だ回収されていない被害者たちの血液は、合計すればこのくらいではなかったか?

 この考えが正しければ、これはあの連続殺人事件の延長線上にある。つまり、自分が担当しておきながら事件を早期解決できなかったばかりに、基地の人形にまで被害を及ぼしたことになる。

 恐れていた結末が、想像より悪辣なカタチで416のコアを炙る。犯人に対する怒りよりも、自らの実力不足への怒りが臓腑を焼いた。

 握りしめた拳がみしりと音を立てたとき、

 

「‥‥お待たせ」

 

 反対側を捜索していたノアとUMP姉妹が戻ってきた。蹲るヴィーフリの肩がビクリと跳ねる。

 明らかに真面ではない人形の破壊現場を目にして、9は口元を押さえた。その姉は平然とした顔で、ちらりとノアを窺うと肩を竦めた。

 

「ごめん指揮官っ、私があの時、ちゃんとShortyと一緒にいれば‥‥!」

「こんなことになるなんて、誰も予想できないよ。

 キミに全く責任が無いとは言わないけれど、気にするほどじゃないさ」

 

 しゃがんだノアが、しゃくりあげるヴィーフリの頭を撫でながら諭す。その表情はどこまでも柔らかく、凄惨な光景にはどうにも不釣り合いだ。

 

「責任を感じているなら、事態の収拾に尽力しよう。

 さぁ、今すべきことは懺悔じゃないよ」

 

 そしてヴィーフリの手を引いて立ち上がらせた。「どうします?」未だ流れ続ける涙をハンカチで拭ってやるノアに、シノが訊ねる。

 

「血のサンプルを採って、現場を清掃するよ。Shortyの遺体は回収。明日、新しいボディを用意してバックアップ済みのメンタルをダウンロードしよう。

 六日前のになるけど‥‥」

 

 この時間に起きてそうな子はー、と独り言ちながら携帯端末を弄っている。

 シノが手招きするので、近づくと小瓶を渡された。

 

「コレにサンプルを入れましょう。消毒済みなので使えるはずです」

「なんでこんなモノ持ってるのよ」

「416さんはお持ちでないんですか?淑女の嗜みですよ」

 

 そこで思い至る。恐らくこれは洗浄用のエタノールを入れるためのものだ。彼女は相棒たる狙撃銃のみならずナイフも扱うらしいので、そちらの消毒にも使うのだろう。こんな小洒落た容れ物を使う理由は分からないが、中の匂いを嗅いでみると確かにアルコールの匂いがしたので、「消毒してある」という発言は嘘ではない。

 

AA-12(アイリ)?僕だよ、ノア。ちょっと頼みごとがあるんだけど‥‥そんな嫌そうな声出さないでよー。

 ごめんね。今度、街のキャンディ屋さんで季節の新作奢ってあげるから。

 え、ラジオでお勧めされてた新作の化粧水?分かったから――」

 

 道具を手配するノアの声を聞きながら、シノと手分けして血溜まりから三か所ほど選び、小瓶に詰める。

 二人合わせて六つの赤黒い瓶が出来上がったところで、通話も終わったらしい。

 

「二人ともお疲れ様。それサンプル?ありがと」

「えぇ。瓶はもう使わないので、返してもらわなくても結構ですよ」

「うん。明日洗って返すね」

 

 シノと会話のドッヂボールを繰り広げながら、ノアはShortyのボディに近付いていく。柔らかな金髪をそっとよけて、その体を検分し始めた。連山の眉が困ったように顰められる。

 

「血塗れのせいでよく分かんないな。これも狙いの一つか」

 

 ぶつぶつと呟きながら、痣や傷の様子を探る。既に周囲は深い夜陰に包まれていた。これでは見づらいだろうと思い、416は愛銃から取り外したタクティカルライトでノアの手元を照らした。

 

(明るすぎやしないかしら‥‥)

 

 肩を叩かれたので姿勢はそのまま振り返ると、45が口パクで「どう思う」と訊ねてきた。倣って無音で問い返す。

 

(どうって、何がよ)

(指揮官の様子。やっぱりおかしいよこの人。

 さっき向こうを探してたとき、裸眼で夜間望遠してた。足も莫迦みたいに速かったし)

(こんな時までその話?

 思うところはあるわよ。でも、アンタが望むような内容じゃないわ)

(どんなこと?)

(大切にしている人形が破壊されて辛いはずなのに、笑ってる。

 明らかに無理してるわ)

 

 45が溜息を吐いた。だから言ったのに。

 疑心暗鬼サイドテールの向こうでは、その妹が落ち込むヴィーフリの背を撫でて慰めている。

 わざとらしく嘆息して、9を顎で示した。

 

(少しは妹を見習ったらどうなのよ)

(天地がひっくり返っても、私はあんな風にはなれないと思うよ)

 

 ドルル、という排気音を聴覚が捉えた。

 ほどなくして、路地の入口に大型のバイクが駐まった。その持ち主であるAEK-999と、サイドカーで荷物を抱えていたアイリが下りて来る。

 

「お疲れ様」ノアが振り返って手を振った。「そろそろ寝るところだったのに悪いね」

 

 アイリは頬を引き攣らせて、持ってきたモップやらバケツやらを置いた。

 

「いいよ、ご褒美約束してもらったし。

 それよりも血塗れで笑わないでくれる?似合ってるけどめちゃ怖い」

「ワタシはアイリに足を頼まれただけだし、することも無かったから別に構わないぜ」

「AEKもありがとね。戻るついでに、二人でShortyのボディを持って帰ってくれる?

 第二整備室に置いといて貰えると助かる。

 他の皆はお掃除ね」

「任せな」「おっけー指揮官!」「はぁい」

 

 そうして作業が始まる。

 約三十分に渡る清掃の間、416は何度もノアの表情を窺った。しかし一瞬たりともその笑顔が消えることはなく。

 声を掛けようにも他の人形たちの前で問い質すのは流石に躊躇われて、この日416はコアに暗雲を抱えながら眠りにつくことになった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アンバーズヒルの吸血鬼・前篇⑨

 416がノアの精神状態を案じながらメモリを整理している頃。

 当の本人は心配されているなど露知らず、自室で思考の海に沈んでいた。

 執務室で作業していると、遮光カーテンを閉め切っていても隙間から光が漏れる。サービス残業がバレると416に怒られる(既に何度か経験済みだ)ので、ここは人形たちの宿舎から距離があるが、念のために灯りを落とした上で小さなランプに頼っていた。

 416がまとめた報告書と、自分で行った検死の結果を眺める。

 現場に撒かれていた血液は、少年二人を含むこれまでの被害者のものだった。固まらないようにEDTAや水分を足しまくっていたことと、ぐちゃぐちゃに混ざっていたせいで全員分のDNAを発見することは叶わなかった。しかし、その量を鑑みればここで全ての血を使い切ったと判断できる。犯人は連続殺人事件と同一であると見て間違いないだろう。複数犯の可能性は、凶器や殺害方法の一貫性から否定した。

 戦術人形は民間人と似ても似つかない恰好をしているし、攫われたときのShortyは帯銃していたはず。一見して人形であると理解できる。確かな目的を持って、犯人は彼女を襲ったのだろう。これまでに奪った血は、今回の演出で使うために集めていたのだ。

 Shortyの遺体には殴打の痕が多かった。特に拳によるものが左頬に集中しているので、犯人は右利き。首から下の損傷は少なく、目立つのは胸の銃創のみ。ほとんどの攻撃が顔に集中していることから、Shortyの頭程度の高さに犯人の腹があったはず。身長差ゆえに体は狙いづらかったのだろう。

 首などを押さえつけた痕跡が無かったことから、騙し討ちとはいえ殴打のみで戦術人形を制圧したことになる。犯人はかなり力が強い。

 全ての傷に躊躇いが見られず、確かな殺意による犯行であることは明白。また人工血液の損失量を根拠として、胸への射撃は機能停止後に行われたと考えられる。

 目の奥が沸騰しそうになる。噛み締めた唇が少し裂けて、その痛みのお陰で嗚咽は上げずに済んだ。机の上に赤い雫が滴り、ランプの明かりを反射する。

 

 ぽたり。

 ――自分が初めから捜査に取り組んでいれば、犠牲は減らせたのではないか?

 ぽたり。

 ――416の厚意に甘えなければ、あの子がこんな目に遭うことは無かったのではないか?

 ぽたり。

 ――そもそも、自分がもっと“猫の鼻”の捜査能力増強を推し進めていれば、こんな事件は早晩解決できたのではないか?

 

 もちろん、Super-Shortyは六日前の状態で生き返る。しかしそれは、今日まで生きていた彼女ではない。

 自分の怠慢が、彼女を殺したのだ。

 罪悪感と後悔が頭の中を引っ掻き回す。散らかされた脳裏に浮かんだ光景は、鉄血の工廠で見つけた416の無残な姿。赤色の面積こそ随分違うが、人形一体に対する過剰な害意は似通っている。

 

(‥‥まさか)

 

 これまでの被害者、その全ての外傷及び発見場所、死亡推定時刻を思い返す。

 そしてノアの思考は、一つの決意に突き当たった。

 

「あっは。

 僕、鉄血の子たちもそんなに嫌いじゃないけど‥‥

 ――キミだけは別だ、凌辱者(トーチャラー)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アンバーズヒルの吸血鬼・前篇⑩

「ごめんなさい」

 

 ノアがカップを置いたタイミングで、416はその言葉を口にした。

 いつも通りに夜が明けて、いつもより少しぎこちない朝食の後の出来事だった。

 

「どうして謝るのさ」

「昨日のこと。いいえ、それだけじゃない。

 事件の解決が遅いせいで、基地の人形にまで被害が出たわ。

 昨日あれだけ啖呵を切っておいて、こんなことになってしまってごめんなさい」

 

 ノアの目を見ることすら恥ずかしく、416は俯いて唇を噛み締めた。

 失望されるだろうか。優しいノアのことだ、言葉にこそしないだろうが、きっと内心では戦術人形HK416の矮小なキャパシティに呆れ返っているはずだ。

 基地の様子や人形に対する彼の態度を見れば嫌というほど分かる。ノア=クランプスは愛情の深い男だ。それこそ、こんな時代にこんな職場で過ごしているのが不思議なほどに。

 昨夜の自然過ぎて不自然な作り笑いは、そこまでして自分を偽らねばならなかったことの裏返しなのだ。

 副官を解任されるだろうか。されるだろう。

 一襲からは外されるだろうか。外されるだろう。

 もう、頼ってもらえないだろうか。――当然だろう。

 当初のモチベーションだった“自分の優秀さの証明”は、正反対の結果によって萎み切ってしまった。

 

「‥‥あっは。僕のことなら大丈夫だよ。

 それに、今回のことはキミのせいじゃない」

 

 416の予想通りの言葉。そして予想通りだからこそ、416はその言葉を額面通りに信じることができない。

 ノアが慌てている、そんな気配が伝わってくる。

 

「これは本心だからね?あの子のことは不幸な事故だよ。

 殺人事件において、初めから犯人がサイコパスだと決めてかかるのは危険だから」

「でも――」「もっと何かできたはず、って思う?」

 

 416の反駁は静かに遮られた。

 

「無理だよ。得られた手掛かりは全て使い切ったじゃないか。

 それに、この街を隅々まで調べるには、基地の人形を総動員しても足りない」

 

 これは僕の責任だけどね、とノアは苦笑する。「ここまでは、初めから約束された展開だったのさ」

 先程とは全く異なる意味合いで、416は自分の聴覚を疑った。思わず語調が強くなる。

 

「何よそれ。全部無意味だったって言うの?」

「違うよ。ここまでは相手の準備が良かったってだけの話。

 でも、ここから僕らはようやく戦える。

 これもキミたちが――キミが諦めずに行方不明者の捜索を推し進めてくれたお陰だ。 

 キミがいなかったら、昨夜の時点で僕は完全に諦めていた。

 ありがとね」

「‥‥どうして、失敗したのに褒めるのよ‥‥」

「キミは自分に厳しいから。

 キミを叱るのがキミの仕事で、キミを甘やかすのが僕の仕事。

 どう?適材適所でしょ」

「何、それ‥‥」

 

 これでは、あまりにも惨めではないか。

 昔、超えたかったアイツには勝ち逃げされて。

 今、超えたいコイツには子供扱いされて。

 それでも、ノアが本気で自分のことを思い遣ってくれているのは分かる。

 そのことが少し嬉しくて、そう思ってしまうことがとても悔しかった。

 こんなとき、どんな顔をすればいいのだろう?

 

「元気出た?」

 

 すぐ眼前では、頬杖をついたノアが優しい笑顔をこちらに向けている。

 素直に笑ってしまうと、彼に負けてしまう気がして。

 416のメンタルモデルは、とびきりのふくれっ面を最適な表情として選択した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アンバーズヒルの吸血鬼・前篇⑪

「頼んでた件はどうだった?」デスクに腰かけたノアが、シノに水を向ける。シノはタブレットの陰で欠伸をした。

「はい。昨晩指揮官に言われた通り、破壊現場を瞬きもせず望遠監視しました。

 現場を訪れたのはこの三人です」

 

 果たしてタブレットに映ったのは、いずれも解像度の低い、ギリギリ顔が判別できる程度の盗撮写真。どの男も、寝床を求めてそこを訪ねているように見える。

 

「そこまでは言ってないけどね。

 ヴィーフリ、この中に声を掛けてきた奴はいる?」

「‥‥いないと思う。

 フードを被っていたせいで顔は分からないけど、体はこの三人よりずっと大きかったわ」

 

 目元こそ少し赤いが、ヴィーフリに憔悴している様子は無い。泣いても笑っても今日中にはまた友人と再会できるのだから、過剰に悲しむ必要もないと割り切ったようだ。捜査部隊から外れた彼女に代わって、犯人確保のために尽力する心積もりなのだろう。

 

「この辺りで人目を盗むなら深夜しかないわ。

 自分の快楽のための現場作りではなかったってことかしら?」

「416の言う通りだろうね。これはこれで大きな収穫だ。

 有難う、シノ、ヴィーフリ。戻って大丈夫だよ。

 特にシノは夜通し悪かったね。今度何か奢らせて?」

 

 シノは指先で唇を押さえて虚空を見つめる。

 

「そうですね‥‥一度デートしてくれたら許してあげます」

「っ!?」思わず鋭い呼気が漏れた。何を言い出すのだ、この女は‥‥!

 

 さらに衝撃的なことに、ノアが何でもないことのように頷いたのだ。

 

「ん、お買い物?いいよ、靴でもバッグでも買ってあげる」

 

 そして、ヴィーフリが全く驚いていなかったところを見ると、今のはさして珍しいやり取りでもないのだろう。

 二人の背中を見送って、416はノアに冷めた目を向けた。

 

「あんな簡単に了承しちゃって。とんだ()()()ね」

 

 その言葉に、どうやらノアは本気で驚いたらしい。「んえっ」と声を上げて、パタパタ手を振った。

 

「シノの言う『デート』はただのお買い物でしょ。

 あの子の言い回しは独特だから勘違いしやすいけど‥‥」

「は?」

 

 シノの目を見れば火を見るより明らかだと思うのだが。アレは恋する乙女の目。S09地区で見た、指揮官に対するM4のソレに近い気配を感じたのだから間違いない。

 しかし、それを自分の口から告げるのも無粋だろう。

 

「‥‥はぁ。まぁいいわ。

 精々貴方の言った通り、シノの行動を信じてみればいいんじゃない?

 どうなっても知らないけれど」

「な、何だよ‥‥何があるってのさ‥‥」

「はい、この話は終わり。

 そんなことより、今日はどうするの?

 ごく自然に貴方も捜査に参加する流れになってるけど」

「うーん‥‥今日やらなきゃいけないことって少ないよね?」

 

 416は指を折ってタスクを数える。

 

「ボディができ次第、Shortyのメンタルダウンロードと知識の補正。

 街の反対側の警備についての定期連絡会。

 それからヘリアンとの会議ね。全部午後よ」

「よし、それじゃあまずは訓練場に行こう。

 今日の訓練は早めに済ませて、街に出るよ」

「分かったけど、何をするのよ」

 

 ノアの口元が吊り上がって、鋭い犬歯がちらりと見えた。

 

「反撃を始めるのさ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アンバーズヒルの吸血鬼・前篇⑫

『416、キミには囮役と犯人逮捕の両方を願いしたい』

『具体的な作戦内容は?』

『まずは僕たち二人で普通にパトロールをする。

 昨日の現場周辺を重点的に回った後、二手に分かれて貧民街を一周するんだ』

『奇襲の可能性は?』

『明るいところだけを歩いていれば心配ないよ。

 それから。左手をポケットに入れてて左頬に痣のある、三十代前半の大男が話しかけてきたら迷わず捕まえて。

 油断はしちゃだめだよ、かなり怪力のはずだから』

 

 そんなやり取りをしてからおよそ二十分。416は一人、屋台で賑わう通りを歩いていた。

 道行く人々の中に指定された人相がないか探す傍ら、先のノアの様子を思い返す。

 

「あんな顔、初めて見たわ。

 ここに来てまだ長くないし、驚くようなことじゃないのかもしれないけれど‥‥」

 

 獰猛さと妖艶さの入り混じった、人間のパーツで表現されているのに人間らしくない表情。知っている人形で喩えるなら、戦闘時のUMP45やPPK辺りが似ているだろうか。

 あの目は、人形たちに向けるものとはかけ離れていた。

 

「そもそも、どうして詳細な犯人像が分かるのかしら」

 

 独り言ちながら通りを下っていく。

 “猫の鼻”が近くにある以上、戦術人形が歩いているのもさして珍しくはないのだろう。擦れ違う人々は一瞬416に目を留めるが、陰口や唾は飛んでこない。それどころか、人によっては「今日もお疲れ様」と声を掛けてくる始末だ。思わず「どうも」などと会釈してしまった。これが他の居住区なら、石や空き瓶を投げられているところだろうに。いいことなのだが、どうにも調子が狂う。

 

 ――項に、静電気のような違和感。

 

 振り返っても、特に怪しい人影はない。

 といっても、416は戦術人形だ。それも、敵の中枢に潜り込むような作戦を想定して作られた、生粋の戦闘用モデル。真面に関わったことのない民間人の挙動は馴染みのないものであり、つまり多少変な動きをしていても即断はできない。ほら、爪を噛みながら貧乏揺すりをしているあの浮浪者だって、ただ薬が切れているだけかもしれない。

 

(薬物の取り締まりは後回しね)

 

 ノア曰く、「自分でクスリと一緒に生きていくって決めたならしょうがないよ」とのこと。言い方こそ優しいが、要は見捨てているのだろう。子供には愛情を持って接するノアだが、大人にはその限りではないらしい。一瞬、異常性愛を疑う。

 

「流石にないわよね」

「おっ!嬢ちゃん、“猫の鼻”の人形さんかい?」

 

 横合いから大声が飛んできて、バッと振り向く。

 自分で自分の独り言に首を振るという挙動不審っぷりを目撃された羞恥が、416の目つきを鋭くした。

 しかし声の主である男は、そんなことは気にも留めず屋台越しにニコニコ笑っている。

 ここの住民にしては恰幅がいいが、痣も無いし左手も見えている。

 416は安全装置を外そうとしていた手を下ろした。

 

「そうよ」

「やっぱなぁ!どうだい、一つ食ってかないか?

 オムそばパンだよ!」

 

 見れば男の言う通り、屋台には鉄板がセットされ、その上で焼きそばとオムレツが油を弾いている。しかもその隣ではパンが焼かれていた。炭水化物、蛋白質、そして炭水化物。戦術人形に極端な体重の変動はあり得ないが、これは‥‥。

 

「巡回中なのだけれど」

「随分と真面目なんだな嬢ちゃんは!

 ここらでよく見かける子たちは通る度に何かしら食ってくぞ」

 

 脳内の巡回シフトをめくる。この辺りが恒常ルートで、任務中に買い食いをしそうな人形‥‥あぁ、97式かSPASだ。

 416は首を振った。

 

「気持ちは有難いけれど遠慮するわ。

 人形も色々なのよ」

「はっは、違いねぇ!指揮官の嬢ちゃんも(おんな)じこと言ってたぞ!」

 

 なるほど、ノアは大人にも性別を勘違いされているのか。外見を揶揄われる程度には親近感を抱かれている、ならいいのだが。

 ランチタイムが近付いてきたからか、人通りが多くなってきた。

 「指揮官はあぁ見えて男性よ」と念を押して、その場を後にする。

 育ち始めた人混みを抜ければ、再び灰色と砂色が目立つ街並みが広がった。

 魚を釣り上げるのに丁度いい場所を求めて、周囲を観察しながら足を進める。

 地面は石畳。既に何度か都市部へも赴いたが、あちらの路面はアスファルトで舗装されている。それに比べると若干転びやすそうだが、これはこれで趣がある。

 古びたものが孕む時間の空気、と比喩できるだろうか。416はそういった、時代から一歩遅れたものに触れると安らぎを感じる性格だった。製造時点で「実績があり評価の確立されたものを重視する」というパーソナリティが設定されていたはずなので、まぁそういうことなのだろう。随分と長い間顔を見ていない妹は、真逆の嗜好を持っていたと思う。

 そして、建物も同じく古い。古いが、ライフラインは通っているし、屋根もある。都市部の住居はRFIDを用いたセキュリティロックを標準装備しているが、この街では住民自身が防犯装置となっている。ノアから聞いた話だが、貧民街の住民たちは、古く人間のムラ社会から見られる相互監視の様相を呈している‥‥らしい。原始的だが、コミュニティを拡大する必要が無いのならこれで充分なのだろう。

 ショーウィンドウを一瞥する。そこには、先程から416をつけている男の影が映り込んで――

 

(――嘘!?)

 

 いなかった。

 罠とバレた?いいや、自分の動きは普通の巡回と変わらないはず。

 事実、つい先程までは自分の後を追っていたはずなのだ。屋台の前で話していたときもその姿を確認していたし、奴も間違いなくこのHK416を見ていた。

 来た道を戻る。屋台通りの群衆の中にも、目標の姿は見当たらない。奴の背丈は二メートル以上あった、人混みの中でも目立つはずなのに。

 

「あっ!」

 

 見つけた。人混みを越えて遠くに、歩み去る丸めた薄汚い背中がある。

 さらにその向こう、男が進む先に見えた緑色に、416は視覚モジュールのバグを疑った。

 

(G28!?)

 

 416の妹に当たる戦術人形が、屋台で買ったのだろう何かを頬張りながら歩いている。

 この午前中、基地の人形には外出禁止令が出ている。任務以外で――そう、昼食を買いに出歩いている人形などいないはずなのだ。

 しかし、現実に頭を抱えている暇はない。G28は狙撃銃の使い手であり、接近戦、しかも不意打ちとあっては対応できるはずがあるまい。これがシノならば、懐に忍ばせたナイフでザクリとやってしまうのだろうが‥‥。

 

「ごめんなさいっ、通して!“猫の鼻”よ!」

 

 そう叫びながら人混みに分け入った。何事かとどよめく民間人に謝罪しつつ、全力で押し通る。一度踏み込めば、男とG28の姿は遮られてしまう。見えない背中に追い縋らんとコアが熱を上げる。

 

(急げ、急げ、急げッ!)

 

 屋台通りを脱出すると同時、相棒(HK416)のセーフティを解除する。ブースター越しにホロサイトを覗き込んで、舌打ちした。視認した時点で既に遠かった背中は、最早相棒の有効射程圏外にあったからだ。

 狙撃は諦め、セーフティを外したまま駆け出す。本当ならノアから教わった()()を使いたいところだが、長距離を駆け抜けるには向かないらしいので今は普通に走るしかない。

 足元は砂と石であり、かつ416は急いでいる。その足音は男の耳にも容易に届き、振り返った男と416の視線が交錯する。左頬に、青い痣が見えた。

 男が駆け出した。進路上にあるゴミ箱やらベンチやらをひっくり返しながら、ドタドタと砂埃を上げて通りを行く。

 

「待て――!」

 

 416は散乱する生ゴミを跳び越えて、足を止めずに銃を構えた。ホロサイトを覗き込んで、再び舌打ちする。事態に気付いたG28まで走り出したのだ。

 

(どうして背を向けて逃げるのよ!)

 

 G28が横に避けたなら自分が男を撃ったし、彼女が銃を構えたなら自分が横に避けたのに。

 現在の立ち位置は前から、G28・クソ野郎・416となっていた。この位置取りのままでは、流れ弾によるG28の負傷が懸念される。

 さらに最悪なことに、周囲には民間人も一定数いる。この奇妙な追走劇を見て路地裏や建物に逃げてくれる者もいるが、ほとんどは驚きのあまりその場に立ち尽くしている。

 幸い、男に気付かれる前に大きく距離を詰められたので、彼我の間合いは二百メートルもない。

 民間人に被害は出せない。G28にも誤射できない。そして、男の命も奪ってはならない。

 放っていい弾丸は、一発だけだ。

 

(何の問題もないわ。――『私は完璧よ』)

 

 いつもの口上を、胸の中で唱える。少し前ならばもっと自信を持って口にできただろうが、今ではあやふやになってしまった自己暗示。

 大きく右前方に踏み込む。G28が射線から外れた。あとは、男の足を撃ち抜くだけ。

 唾を飲み込む。呼吸が上手く整わない。集中が乱れ、目の前が白く滲む。

 

 ふと、ノアの笑顔が脳裏をよぎった。

 いつも彼が浮かべている、可愛らしいが作り物めいた笑顔だ。彼が辛い時ほどその欺瞞は磨き上がり、416のコアをざわつかせる。

 ここで自分がしくじって、この男を取り逃がしたとする。コイツは街の影に消え、連続殺人の被害者たちやSuper-Shortyの無念は晴れず。

 そして、ノアの作り笑いはより一層美しくなるだろう。彼の心を、確実に削りながら。

 

(そんなの、許さない)

 

 すぅっと空気を吸い込んで、ホロサイトを覗き込む。足は止めない。止まらなくとも、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ――ガァンッ!

 

 果たして416の放った一条の決意は、男が足を踏み出す、その一センチ先の地面を穿った。男はバランスを崩し、たたらを踏む。彼我の距離は、95メートル。

 狙い通りの展開に喜ぶのは後回しにして、蹴り足に籠める力の流れを変えた。

 

(“絶火(ゼッカ)”――!)

 

 “猫の鼻”にやってきてからずっとノアに師事し、ようやく()()にした疾走体技。404小隊の中でも最高の運動性能を誇る416の左足が、風船の割れるような音と共に砂煙を発火させながら体を前へ突き落とす。

 普段は相棒から放たれる5.56×45mm NATO弾だけが到達できる、超音速の世界。標的以外の景色が雑多な直線になって、後方へ吹き飛んでいく。舞い上がった砂粒が、頬に浅い傷をつけた。前のめりになった男の足を、駆け出した勢いそのまま蹴り飛ばす。

 体重差を戦術人形の膂力と“絶火”の速度で覆され、男の体が宙に舞う。416はその腕を掴み、未だ体の中に残る“絶火”の勢いに任せて地面へと叩きつけた。バキョッ、という幾重かの音が響き、肺から全ての空気を追い出された男は激しく喘鳴する。

 背中を膝で踏みつけて、腕を捩じり上げた。肋骨を何本か折ってしまったが、全身の血を抜いていないだけ感謝してほしい。

 額の汗を拭って、一応確認する。

 

「アンタが一連の事件の犯人ね。大人しくしなさい」

「な、何のことだよ」

 

 噎せながら(とぼ)ける男の表情は、416が想像していたよりもずっと臆病そうだった。てっきり、いかにも蛮族然とした奴だと思っていたのに。

 パーカーの左ポケットを探ると、太く撚った鋼線があった。

 インカムを押さえ、ノアへと繋ぐ。

 

「指揮官。犯人を取り押さえたわ。場所は私の現在地よ」

Sehr gut(よくやった)!5分で行くね』

「えっと~、416?私は帰っても大丈夫ですよね‥‥?」

 

 416が通信を終えるのを待って、恐る恐るといった様子のG28がこちらを窺ってくる。

 416は極低温の視線で、媚びるような面をねめつけた。

 

「そんなわけないでしょ。ここで指揮官の指示を待ちなさい、この莫迦!」

「うわぁん」

 

 コイツのせいで余計な全力疾走を強いられた。この後も事務作業があるのに‥‥これは一度、シャワーを浴びるべきだろう。

 しかし、彼女のお陰で少し自信を取り戻すきっかけができたのも事実だ。走りながら狙い通りの位置を撃つことができたし、ノアから教わった体術も習得したと実感できた。そのことだけは、この自分勝手な妹に感謝してもいいのかもしれない。絶対に言葉にはしないが。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アンバーズヒルの吸血鬼・前篇⑬

 命令に従わなかったことへの懲罰(おしおき)として、G28には犯人を刑務所まで連行するよう言い渡された。さらに5日間の外出禁止と、食堂での連日勤務が課される。

 まるで成績の悪い女子高生に対する仕打ちだが、それでもG28はこの世の終わりと言わんばかりの顔をしていたので、これらは彼女に良く刺さる罰なのだろう。

 416はノアの傍らについて、基地への帰路を歩いている。

 

「ねぇ指揮官。さっき、やけに具体的な犯人像を教えてくれたわよね。

 それに、まるで相手が襲ってくることを予想していたような作戦だったわ。

 どうやって辿り着いたの?」

 

 ノアがちょっと面倒そうな顔をした。

 その脇腹を軽く小突くと、「分かった分かった」と身を捩る。

 

「容姿についてはShortyの遺体から逆算しただけ。

 行動に関しては‥‥416、被害者の爪に何があったか憶えてる?」

「何があったって‥‥何も無かったでしょう。裂けてたけど」

「その通り。扼殺や絞殺の場合、被害者が息絶えるまでには時間がかかる。

 被害者は首に巻きつく凶器を剥がそうと必死に抵抗する。

 その爪には犯人の皮膚組織やロープの繊維が残るはずなんだ」

「アイツのポケットに鋼線があったわ。アレなら残る繊維もないわね」

「そうだね。そして、同じものを凶器に選び続けているということは――」

「それだけ鋼線が犯人にとって使いやすい?」

 

 ノアが頷く。

 

「付け加えると、人間ってのはあんまり自分に馴染みの無い道具を使おうとは思わない。

 鋼線で人を絞め殺すなら、厚い手袋をしないと自分が傷つく。

 だったらロープでいいじゃんって思うでしょ?」

 

 確かに。そして、広く販売されているロープの繊維が検出されたところで、致命的な手掛かりにはならない。ならば、鋼線より入手しやすい製品を使った方が賢い。

 

「まぁ、そうね」

「だからね、犯人は日頃から鋼線を触るか目にする機会が多いはずだ。

 鋼線を作ったり使ったりする職場で働いてたんだろう。整備士とか、工場勤めとかかな。

 加えて、犯人は渾身の殺害現場を作り上げておきながら、一度もその場を訪ねていない」

 

「夜中でしょう?寝てたんじゃないの」

 

 流石に安直すぎる発想かと思ったが、意外にもノアは首を横に振らなかった。

 

「まぁそうだろうね。これだけ手の込んだ連続殺人を成し遂げるには、準備や獲物の選定に時間をかける必要があるし、集中力もいる。

 今言ったような職種は拘束時間が長いから、犯人は仕事を休むか辞めるかして、その時間を準備に注ぎ込んだはず。クビになってたって可能性もある。

 今日も朝から現場や街の様子を見回って、僕らの反応を窺っていたはず」

「反応?」

「人形を破壊して、その現場を生々しく演出したのは僕へのメッセージさ。

 悲しいかな、僕の顔は街中に知られているから。

 それで、喧嘩を売ってきた奴が一番腹を立てる反応って何だと思う?」

 

 それは確かな自信を持って即答できる。

 

「無視ね」

 

 今までで一番はっきりと断言する416に、ノアは苦笑いを浮かべた。

 

「その通り。だから現場を綺麗にして、翌日の午前中から暢気に出歩いたのさ。

 僕本人に挑みかかる気概が無かった場合も考えて、キミにも巡回してもらった」

 

 今ノアが語った論拠は全て理解できたが、あくまでそれは後追いだ。変動する状況の中で、自力でその結論には辿り着けなかった。

 空を見上げて、深く嘆息する。

 

「結局貴方が解決したのは悔しいけれど、一件落着ね」

「犯人を取り押さえたのはキミでしょ、416。だからこれはキミの手柄だよ。

 キミは僕の体術を使えるから、安心して任せられたんだ」

 

 416の頬から垂れる小さな血の雫を、指ですっと拭われる。そのままペロリとやって、

 

「ん、美味し」

「ちょっ‥‥な、何して」

 

 人工血液を舐めたとか、その表情が吃驚するほど艶っぽいだとか、唐突過ぎる衝撃に416の電脳がフリーズする。

 その間にもノアは次の行動を決めていたようで、何やら古ぼけた看板を見つけると、416の手を取った。

 

「まだ時間はあるね。よし、そこのお店入ろ!祝勝会だ!」

「え、えっ‥‥!」

 

 手を引かれる。力はそこまで強くないが、こちらの体重を巧みに前方へ流される。西風のようなエスコートに導かれるまま、店の前のベンチにすとんと座らされた。隣にノアも腰掛ける。おばちゃーんカレー二つちょうだーい、あいよー少し待っておくれー。

 ノアがんっふふ、と笑う。いつもの晴朗な笑顔とは違う、悪戯好きの子供みたいな笑み。

 

「楽しみにしててね416。ここのカレー凄く美味しいんだから。

 ――あっ、416は辛いの大丈夫だよね?」

 

 ノアのせいでコアが何度も加熱されて、まだ午前だというのにどっと疲れてしまった。

 416は肩の力を抜いた。自然と頬も緩む。

 

「えぇ、好物よ‥‥貴方がそう言うなら期待しておくわ」

 

 背後からスパイスの香りを浴びながら、くだらない話に花を咲かせる。普段からG28は自分の我儘を通そうと色々計算していること、UMP9がRFBから教わったゲームにドハマりしていること、MDRがノアの盗撮写真を基地の人形に売っていること‥‥。

 “欠落組”討伐作戦に続き、自分の無力さを痛感させられる事件だったが、最終的には自分たちが勝利した。結末がこんな時間なら悪くないかもしれない――416はくすぐったがるノアの頬をつつきながら、そう感じていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アンバーズヒルの吸血鬼・前篇⑭

 薄暗い廊下に怒号と絶叫が響く。囚人たちが罵声やら懇願やらを投げかけてきても、ノアは一瞥もくれず看守の後をついていく。

 

「毎度すみませんね、騒がしいところで」

「仕方がないですよ。ここじゃ僕は人気者ですから」

「ははは‥‥」看守が引き攣った笑いを浮かべる。

 

 一つのドアの前で立ち止まった。“聴取室”と書かれたプレートが下がっている。

 看守はドアを開け、「終了時はブザーを押してください」と残して去った。

 ドアの開く音でこちらに振り返っていた男が、ノアの姿を認めて委縮する。

 先だって、416が逮捕した連続殺人犯だ。

 ノアは向かい合う席に腰かけて、にこやかに手を振った。「やあ」

 

「さて、キミが今回犯した罪についてだけど。何か弁明することはある?」

「しょ、証拠なんてないだろ。それなのにこんなところに放り込みやがって。

 これだからグリフィンは嫌いなんだ。横暴だ」

「証拠なら十分あるさ。遺体の索条痕とキミの持っていた鋼線が一致した。

 キミが襲った人形と一緒にいた子――ヴィーフリにキミの写真を見せて、キミが二人に声を掛けたことも確認してある。

 キミのお家を調べさせてもらったけど、改造済みのスタンガンがあった。

 廃棄場から回収された血塗れの注射器とプラスチック容器には、キミの指紋が付いている。

 ――これ以上必要?」

 

 黙ってノアの言葉を聞いていた男の方がぷるぷると震え出す。かと思えば目をカッと見開いて、殴りつけた机が軽く凹んだ。充血した目でノアを睨みつける。

 

「‥‥あぁそうだよ!何か文句があるか!?

 元はと言えばお前らが悪いんだ!人形なんてモノに入れ込むお前みたいな変態のせいで、俺たちはどんどん仕事を失う!俺がクビになったのも、自律人形が工場に配備されて、人間なんて必要なくなったからだ!

 俺たちは生きているのに!アイツらは、金と材料があればいくらでも作れる(やっす)い命なのに!

 お前らのせいだ!お前らのせいだ!」

 

 一通り言いたいことを言って、男はぜえぜえと荒い呼吸を繰り返す。

 唾がかかることを嫌って椅子を後ろに引いていたノアは、大きく欠伸をした。

 

「別に、人間だって大して変わんないでしょ。

 若い個体を監禁して飼育して交配させる、金と資材があれば十分だ。

 育成に時間こそかかるけど、それだってこの時代ならある程度短縮可能だし。

 三次大戦中、実際にやってたとこもあったしね」

「は‥‥!?」

 

 ノアは指を振りながら続ける。

 

「そもそも、キミはコストばっかり見て肝心なことから目を逸らしてる。

 命の価値は材料や生産の手間じゃなくて、“何ができるか”とか“何をしたか”で決まるものだろ。

 ――まさか、『自分たちは生きてるだけで唯一無二の価値を持っているんだ』なんて思ってないよな?そんな理屈が通じるのは子供の内だけだぞ」

 

 思い出したように付け足す。

 

「勘違いしないでね。何も無条件に人間は無価値で人形は大事、って言ってるわけじゃあない。人間でも一生懸命に生きてる奴はいるし、人形でも周りを傷つけることしかできない子はいる」

 

 脳裏に浮かぶのは、貧民街の住民たち。そして、未だ顔を見たことも無い鉄血ハイエンド、トーチャラー。

 

「僕はただ、一生懸命に生きる者は報われなきゃならないって思うだけなのさ。

 ほら、自分たちの命を人形に守ってもらう前提の生活に疑問も抱かず、あまつさえ『彼女たちのせいで生活が苦しくなった』なんて愚痴る連中と比べれば、彼女たちの方が遥かに上等だろ?あっは!」

 

 絶句する男とは対照的に、ノアはあくまで笑っている。

 

「それで、キミに入れ知恵したのはどこの誰なのかな?」

「な、何を」

 

 素っ惚ける台詞は無視する。

 

「今のキミの態度を見れば一目瞭然。

 キミは怒りを溜め込んで、一度キレたら後先考えず暴れるタイプ。秩序型の犯人像からは程遠い。

 けれど今回の事件は、僕らの目を掻い潜るように細心の注意を払っていた。

 キミが実行犯であることに疑いはないけど、キミには親切な助言者がいたはずだよ」

「‥‥い、いないぞ、そんなの」

 

 声こそ震えているが、男の表情は毅然としている。ここに来て初めて見るその態度。何かの決意を感じさせる眼差しで、ノアは事情を察した。

 堪らず、笑いが込み上げてくる。

 

「あーっは!なるほど、黒幕は女の子か!

 ものの見事に手玉に取られてたわけだ、キミは!あっは!」

 

 駄目だ、笑いが止まらない。ノアは腹を抱えて身を捩る。目尻に涙さえ浮かんできた。「何の話だ!」と怒鳴る男の顔は赤く、つまりノアの推測は正しいのだろう。

 ひとしきり爆笑した後、なおも残るおかしさを噛み殺して手を振った。

 

「いやもう十分だよ、くふっ、どうせ今頃、その子は街の外に隠れているはずだ。

 探しても徒労に終わる」

 

 席を立った。擦れ違いざま、男の微笑が見える。

 

(可哀想に。随分と惚れ込んだもんだ)

 

 ドア横のブザーを押して、看守の到着を待つ。

 たった数分だが、何とも暇な時間だ。

 ふと、ちょっとした悪戯を思いついた。

 こちらに背中を向けている男に、「そういえば」と声を掛ける。

 

「いいことを教えてあげる」

「‥‥何だよ」

「キミが庇っている愛しの姫君のことだよ。

 その子、実はね――」

 

 ノアが口にしたその一言を聞いて、果たして男はどんな表情を浮かべたのか。

 ノアと面会した翌日、男は変わり果てた姿で相部屋の囚人によって発見された。

 死因は窒息。噛み千切った舌を喉に詰まらせていたのだという。




今回の事件は、僕の大好きな海外ドラマのある話を下地にしています。
分かった人は僕と趣味が似てるね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

傍にいる理由・前篇①

リベロールとG11が仲良くしてたらてぇてぇと思う


 押し殺した吐息が、棚の影から聞こえる。

 抑えられた足音が、蹲った少年の背に迫った。

 コンクリート製の伽藍に、悲鳴と怒号が木霊する。

 

「ルーカス、見つけたわよ!」

「――走れ――!」

 

 Super-Shortyの腕を掻い潜って、少年が駆け出した。既に捕まった少年少女が、白線で囲まれた陣地から声援を送る。その手前では、ルーカスが彼らを脱獄させないよう、Shortyと同じ警察組であるエメが腕を広げて待ち構えている。

 大昔に子供たちがやっていたらしい、ケイドロという形式の追いかけっこ。ノアが子供たちに教えてあげた遊びの一つだった。

 Shortyは出力を調整しているから、彼女とルーカスの戦いは白熱したものとなっている。ルーカスも伊達に貧民街で生き残っていたわけではないのだろう。

 先日の事件で一度破壊されたShortyは、無事に復元された。自分が壊れている間に事件が解決したと知ったときは悔しそうだったが、それをバネにして任務に励んでいるようだ。昨日もしっかり潜入任務を熟し、鉄血布陣の急所を探り当てて見せた。

 むしろ、罪悪感に駆られて色々と世話を焼いているヴィーフリの方が重症かもしれない。ほら、今だって走り回るShortyのことを真っ青な表情で見守っている。

 彼女たちの様子を窓越しに眺めながらそんなことを考えていると、隣に座っているIWS 2000が、柔和な笑顔で話しかけてきた。

 

「良かったですね、無事に孤児院が完成して」

「えぇ。この間の事件を受けて、孤児の保護は無視できない課題だ、って上に認めさせたらしいわよ。

 ヘリアン辺りが胃に穴を開けてそうだけど」

「ふふふ。とても嬉しそうですね」

 

 思わずIWSの顔を振り返ってしまう。

 意地の悪い奴と共に過ごしてきたせいで、こういう類の台詞が全て揶揄いを含んでいるように思ってしまうが、クスクスと笑う彼女からは一切の邪気が感じられない。

 

「そういうアンタこそ、随分楽しそうじゃない」

「もちろんです。あの人の望みが叶うことは、私の望みでもありますから」IWSは幸せそうな笑みを浮かべて、胸に手を置く。

「でも、少しだけ不満かも。

 指揮官ったら、私たちのことは全然頼ってくれなかったのに、貴女や45さんのことは頼りにされているみたいだから」

 

 彼女の動作は全てあまりにも嫋やかで、それは絶対的な余裕に起因するのだろうと思われた。

 わざとらしく拗ねたようなその表情も、高貴な令嬢が垣間見せる茶目っ気のようなもので、悔しいことに可愛らしいのだ。

 

「アンタは戦力面でこれ以上ないくらい高く評価されてるでしょうが。

 それに、私やあっちで子供たちと遊んでるUMP姉妹、それと今頃基地で昼寝してるG11は期限付きでここにいる。

 だから彼にとっても使いやすいんじゃないの?」

 

 本当にそう思っているのかと訊かれると、あまり自信がない。「自分の優秀さを証明したい」という願いを、初めから見透かされているような気もしているから。

 IWSが、優しい目でこちらを見ている。ここの子供たちを眺めているときとさして変わらない表情だ。納得いかない。

 

「ふふ、有難うございます。

 でも大丈夫ですよ。確かにあの人は途方もなく優しいですが、貴方の能力を評価しているのは事実でしょう。

 でないと、今頃貴女を上手く言いくるめて副官から外しているはずですから」

 

 カッと頬が熱くなる。

 ライフルを得物とする戦術人形は皆、高性能な視覚モジュールを搭載している。特に彼女は超長距離狙撃も難なく熟すらしいから、ほんの少しの接触でも相手の心情をよく見抜いてしまうのだろう。まったく忌々しい。

 

「‥‥煩いわね」

 

 何とか憎まれ口を叩いて見せたが、IWSは「ふふふ」と微笑むばかり。

 

「それと、一昨日指揮官とお散歩に行った時のお話なのですが」

 

 ノアがその日にIWSと出かけたことは知っているが、そのことを喜々として語られると妙に腹が立つ。

 416は眉を顰めた。「何、惚気なら聞かないわよ」

 

「確かに惚気ですが、私のではありませんよ」随分不可思議な前置きをするものだ。

「ご存知の通り、指揮官はお忙しい方でしょう?お散歩の最中にも、電話がかかってくることは多いんです。

 でも、一昨日はいつもと違う着信音だったんですよ」

「着信音くらい、気分で変えるでしょ」

 

 IWSは否定した。彼女曰く、ノアは着信音をデフォルトのものから一年近く変えていないらしい。

 

「だから、『音、変えたんですね』ってお聞きしたら、指揮官のお顔が真っ赤になったんですよ!ふふっ」

 

 それは信じがたい話だ。416にとって、ノアは自分を赤面させることこそ多いが、彼自身が赤面するところなどほとんど見たことが無い。

 しかしやはり惚気ではないかと、416の視線が冷える。

 IWSは慌てたように手をパタパタと振って続けた。

 

「早とちりしないで下さい。

 問題は、その着信が誰からだったかですよ」

 

 その言葉で気が付いた。

 416は、自分がいつどのような用件でどこからノアへ連絡したかを憶えている。

 顔が熱くなるのを自覚した。

 

「そうっ、あのときの指揮官もそんな感じでしたよ。

 分かっていただけましたか?」

「‥‥べ、別に他意なんてないでしょ。副官からの連絡は重要だから、応答前から分かった方がいいってだけで」

「うふふ。416、とても早口になってますよ。

 なるほど、確かに可愛らしい赤面癖ですね。()()()()()()()()

 

 最後の一言が、完全に416のコアを沸騰させた。

 両手で顔を覆って、吐息と共に呟く。

 

「私、アンタのこと嫌いだわ。シュタイアー」

「ふふふ」

「すみません、お待たせしました」

 

 一抱えのファイルやら何やらと共に、撚れたスーツ姿の男性が近付いてきた。

 この孤児院を設立するにあたって、ノアが手配していた経営者だ。

 彼が直接選んだ人物ならば、人柄も実力も信用できるだろう。

 416は頭を切り替えて立ち上がり、手を差し出した。

 

「ノア=クランプスの代理、副官のHK416です。

 今回は有難うございます。うちの指揮官の我儘に付き合ってくれて」

 

 416はぶっきらぼうな口調かつ手袋を着けたままだったが、男性は気にした様子もなくその手を握った。

 小じわの目立つ目尻が、人懐っこく下がる。

 

「お礼を申し上げるべきはこちらの方です。

 自動化の煽りで首を切られたところに、クランプス指揮官が仕事を下さったのですから。

 彼がいなければ、私は今頃路頭に迷っていたでしょうね。

 さて」

 

 普段は食卓であろう、長いテーブルに向かい合って座る。

 孤児院が本格的に回り始めてから初の話し合い。今回の主な議題は人員不足だ。

 この孤児院の財源はG&Kだが、その額は最低限。余計な人員を雇い過ぎると人件費が嵩むので、ここの調整は疎かにできない。

 先方が提示する業務の一覧を見て、その仕事量や必要な休憩時間を算出し、最低限必要な大人の数を決めた。

 また、子供たちだけでなく従業員も賄えるだけの自給自足体制を整えるために、周囲の開墾に必要な工数や期間の目途も付けておく。

 会議を終える頃には、日はすっかり傾いていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

傍にいる理由・前篇②

「だからね、416は最高の枕なんだよ」

 

 416がIWSに茹でられている頃、基地内のカフェスペースにて。メイド姿のNTW-20がトレイを片手に傍を過ぎて行った。今日も給仕に精が出ているようだ。

 G11が昼食のタコスを齧って、小さな拳を握る。

 向かい合って座るリベロールは、ちびりちびりとストロベリーシェイクを啜りながら、こくりこくりと頷くしかない。

 

「うん‥‥」

「それがここに来てからさぁ、416はずーっと指揮官にべったり。

 これじゃあ私の睡眠の質が下がっちゃうよぅ」

「‥‥でも、ここのベッドは、ふかふかで気持ちいいよ‥‥?」

「それは認めるしかない。けど、やっぱり416が一番なの」

 

 他の誰よりも安眠を愛する彼女がそう言うならば、そうなのだろう。何より、彼女の睡眠の感覚は彼女にしか分からない。

 リベロールはシェイクを嚥下してから、小さなタブレットを口に放り込んだ。

 これは、「甘いものを食べてみたい」という自分の呟きを聞きとめたノアが、リベロールの貧弱な消化モジュールでも糖分を分解できるように作ってくれた薬剤だ。インスリンの分泌を促すのではなく、食品を直接分解してモジュールの負担を減らす仕組みらしい。

 自分のような出来損ないの戦術人形にも手を尽くしてくれる、ノアには感謝しかない。

 ふらりと脇道に逸れた思考の舵をとり直して、一緒に出撃した時のことを思い返す。戦場での416は、いつもG11をひっぱたいたり引きずり回したり、必要最低限しか働こうとしない彼女を何とか動かすために四苦八苦している。もっとも、本当に足手まといに思っているなら置いていくはずなので、416なりにG11のことを大切に思っているのは間違いないはずだ。二人とUMP姉妹は“猫の鼻”に来る前から行動を共にしていたとのことだから、きっとその頃からその関係は変わらないのだろう。

 一方で、基地に居る間の416はずっとノアの傍にいる。416が副官に立候補した時ノアは嫌がったという話だから、416の方に余程高いモチベーションがあると思われる。リベロール自身、その気持ちは分からなくもない。

 その上彼による格闘や立ち回りの訓練も受けているから、ノアが他の人形の用事に付き合っているとき以外、G11が416と接する時間は無いはずだ。

 

「寂しい、の?」

「寂しいとはちょっと違う気がする。ただ、寝てても何かしっくりこないんだよね」

 

 ぼーっとした表情で首を傾げているが、ことG11にとってはそれを寂しいと言うのではなかろうか。

 実を言えば、この愚痴を聞くのも五回目を数えている。同じ第一強襲部隊に配属されてから話すようになった自分たちだが、お互いに刺激不足な生活をしているせいで、同じ話題をスルメのように何度も噛んで味わっていた。

 

「いつも、思ってたんだけど‥‥。どうして、私に言うの‥‥?

 416本人に言った方が、早いと、思うけど‥‥」

「もちろん言ったよ。『偶には416で寝させてよ』って」

 

 G11が肩を落とす。

 

「そしたらヒドいんだよ。『アンタの相手をしてる時間なんてないわよ!』って怒るんだから」

 

 それはそうだろう、と思う。G11にとって、自身の睡眠は何よりも優先すべきものだ。しかしもちろん、他の人形にとってはそうではない。

 ほとんどの人形にとって、睡眠はメモリの整理や充電程度の意味しか持たない。一部の戦闘狂――Mk48やPKP、カルカノM91/38など――に至っては、充電の時間を削減するため、ノアに内蔵バッテリーを改修してもらったらしい。「ホントは嫌だったんだけどね」とはノア本人の談。

 ――G11の悩みを解決する方法は、とうにリベロールの電脳に存在している。この方法なら、目の前でコーヒーを飲んでいる彼女に、再び最高の睡眠がやって来ると断言できる。

 しかし、この問題が解決してしまうと、

 

(また‥‥一人ぼっちになる、かも)

 

 リベロールには友達が少ない。G11たちが基地にくる以前は、話し相手などいなかった。同じ部隊にいたAUGは色々な意味で近寄りがたかったし、G36は目つきが鋭くて怖かった(本当は優しい人たちだと、今は分かっているけれど)。

 頼ることのできる相手はノアだけで、執務室のソファと医務室のベッドだけが自分の居場所だった。執務室は、他の人形がいると気まずい。ノアだって、自分だけのものではない。「戦いの合間に彼との時間を過ごしたい」という他の優秀な人形たちを差し置いて、自分如きが話し相手や添い寝を頼むことなどできるはずもなかった。

 今こうしてG11が自分とつるんでくれているのは、あくまでその時間と話題があるからだ。至福の睡眠を取り戻した彼女は、もう自分と話すことなどなくなってしまうだろう。

 思わず、不安が呟きになって零れ落ちた。

 

「ねぇ、G11」

「んー」

「私たちって‥‥友達。でいいん‥‥だよ、ね?」

 

 こちらを見るG11の、いつも眠たげな目が、珍しくぱちくりと大きく瞬きした。

 

「いきなりどうしたのさ。私はそうだと思ってるけど‥‥」

 

 何を当たり前のことを、とでも言うように首を傾げるG11。

 何でもないよ、と誤魔化してシェイクを口に含む。甘い。とても甘くて、美味しい。

 

「あぁーもう、どうしたら指揮官から416を取り返せるんだろう」

 

 それではまるで、ノアが能動的に416を徴用し独占しているかのようだ。

 苦笑してしまう。

 自分にとってはあまり深刻に思えない、ただの我儘と断じてもいいような内容だが。

 初めてできた友人の悩みだ。解決のためにできることがあるなら、自分の我儘のために躊躇うべきじゃない。

 リベロールは軽く咳き込んで――やっぱりもう一度咳き込んで、自分の考えを口にした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

傍にいる理由・前篇③

 ノアと416、G36だけの執務室。差し込む西日を嫌って閉めたカーテンからは、差し込む橙色は既に無い。

 旅行代理店の安全保障計画書に目を通しながら、ノアは訊ねた。

 

「そういえば、昨日。初めての孤児院訪問はどうだった?」

「まぁ、有意義だったわ」

 

 街の警備のシフトを組む416は、どこかおかしそうに目を細める。何か面白いことでもあったのだろうか。

 疑問を口にすると、416はいよいよ笑顔で肯定した。

 

「そうなのよ。45のヤツ、昨日はなんだか機嫌が悪かったんだけど。

 子供たちと顔を合わせた途端、男の子たちに跳び付かれてね」

「あぁ、想像できるよ。

 ルーカスあたりが『何その腕カッケー!』とか言ってたでしょ?」

 

 ノアが少年の物真似をしてみせると、416がやや食い気味に手を叩く。

 

「そうなの!

 アイツったら、目を丸くしてされるがままだったんだから!」

 

 416は笑いを堪えられない様子で、口元を隠してくつくつと笑った。彼女がここまで破顔することは珍しい‥‥というか、声を上げて笑う彼女など初めて見た気がする。そのときの45は余程意外な姿を晒したのだろう。少し見てみたかった。

 後ろに控えていたG36が、腕時計を一瞥してから口を開く。

 

「416、そろそろ時間ですよ」

「あら、本当。

 でも、行く前にこれだけ終わらせるわ」

 

 そういえば今朝、416が何人かの人形から誘いを受けているのを見た。

 相手は確か‥‥

 

OTs-14(グローザ)とコンテンダーだっけ?」

 

 あの二人は、“猫の鼻”における宝塚系イケメン――こう表現して伝わる相手は、もうほとんどいないけれど――の筆頭だ。ノアから見てもカッコいいのだから、もうどうしようもない。実際、ここの人形の中には本気で彼女たちに惚れている子もいるはずだ。

 彼女たちと416が揃ってグラスを傾ける図は、さぞかし絵になることだろう。

 

「えぇ。飲みに誘われたわ。Springfieldのバーでね。

 指揮官もどう?」

 

 ノアは一瞬頷きかけたが、大切な用事を思い出して首を振った。

 

「ごめん、今日は先約があってさ。

 また機会があれば誘って」

「あら。残念だけど、そうするわ」

 

 トントン、と書類の角を揃える。クリップで留めたその束を手渡して、416は部屋を辞した。

 安全保障計画書の不備があった箇所に蛍光ペンで線を引いて、ペラリとその紙を脇へ置けば、残る業務は一つだけ。

 

「さーて、こっちもさっさと終わらせないと」

「お手伝いいたしましょうか?」

 

 G36の申し出は遠慮した。

 リベロールとG11から頼み込まれて、明日からG11にも日々の業務を少し任せることになった。そのために、まずは彼女に頼める仕事のリストアップから始めたのだ。

 G36はあまり彼女と接したことが無いはずだから、任せるわけにもいかないだろう。

 そう伝えると、彼女は目を伏せた。

 

「かしこまりました。申し訳ありません、差し出がましいことを」

「いやいや、申し出自体は有難かったから。また今度、何かお願いするね。

 けど今日のところは他にすることも無いし、休んで大丈夫だよ」

 

 その言葉を受けて、G36も執務室のドアへ向かう。が、そこで足が止まる。

 

「‥‥ご主人様」

 

 言おうか言うまいか、躊躇うような呼吸が入る。

 やがてこちらを振り返った凛とした顔立ちには、何かを慮る影が差していた。

 

「どうしたの?」

「‥‥僭越ながら申し上げます。

 ご無理をなさってはいませんか?」

 

 思ってもみない質問だった。

 しかしG36の視線には、確信めいたものがある。

 ノアは目を瞬かせて首を傾げた。

 

「無理なんてしてないよ。

 それはキミが一番よく知ってるんじゃない?僕の着任以来、ずっと近くで見てくれてるんだからさ。

 でも、心配してくれてありがとね」

「‥‥感謝など、私にはもったいないお言葉です。

 それでは、失礼いたします。ご主人様も、あまり遅くならない内にお休みください」

 

 メイド服の背中が、惜しむような速度でドアの向こうに消えた。

 ノアは深い溜息を吐いて、デスクの引き出しから手鏡を取り出した。目の下の隈がきちんと隠れているか確かめる。

 ‥‥問題なし。やはり、Five-sevenお勧めのリップチークとAA-12御用達のコンシーラーは信頼できる。

 

「目がいいのは416だけじゃないか‥‥振る舞いの方にも気を付けないと。

 声のトーンが落ちてたか?調整しなきゃ‥‥」

 

 反省終了。彼女が来る前に、G11の仕事一覧を作っておかなければ。

 ノアは明後日以降に取り掛かるつもりだった業務を思い出して、急がないものから順に書き留め始めた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

傍にいる理由・前篇④

 扉を潜ると、薄暗い空間が広がっていた。窓に映る外の闇が無ければ、地下室だと錯覚していたかもしれない。

 Springfieldが仕切るバー。昼間はそのままのレイアウトでカフェになっているのだが、淡い照明と流れるジャズだけでも随分と空気が変わるものだ。

 416の姿を認めると、先に席についていたコンテンダーとOTs-14が手を上げる。

 

「ごめんなさい、少し遅れたわ」

「いいのよ、気にしないで。私たちも今来たところだから」

 

 グローザがひらひらと手を振り、コンテンダーは持ったグラスを小さく揺らした。確かに、ウィスキーの量はほとんど減っていなかった。

 グローザの手元を見ると、ワインが水面で照明を反射している。銘柄は‥‥詳しくないので分からない。

 

「いらっしゃい。ご注文は?」

 

 黒いエプロンを掛けて髪を上げたSpringfieldが、グラスを磨きながら訊ねてくる。

 416はスコッチを頼んで、グローザの隣に腰掛けた。

 

「それで?

 “猫の鼻”の花形二人が、どうして急に私を誘ったのかしら」

 

 この二人とは、夜間強襲作戦で何度か同じ部隊に編成されたことがある。というかそれが知り合ったきっかけだ。

 しかし、一緒に酒を飲むほどの仲ではないと理解していた。

 

「この基地に来てから、まだ一度もここに入ったことが無いという話でしたから。

 指揮官のお陰でいいお酒が手に入るのに、それではあまりに勿体ないでしょう?」

 

 腕のいいバーテンダーもいることですし、とコンテンダーが微笑んでグラスを傾けた。

 Springfieldが「恐縮ね」と笑って、スコッチを差し出してくる。

 416がそれを受け取ると、グローザが言葉を継いだ。

 

「今のが一つ目の理由。

 もう一つは‥‥単純な好奇心ね」

「好奇心?」

「そう。あの指揮官に、どうやって副官としての採用を認めさせたのか。

 この一年と少し、多くの人形が挑戦し続けて、同じ数だけ失敗し続けてきたことなのよ?

 貴女には自覚が無いかもしれないけれど」

 

 416は目を瞬かせた。酒で口を湿らせる。

 

「‥‥思ってた以上に頑固だったのね、彼」

 

 コンテンダーが紫水晶のような瞳をすぅっと細めると、細い針がこちらの内側に痛みもなく挿し込まれるような、そんな心地がした。

 

「私の計算では、恋愛感情の方から射止めた可能性が高いと読んでいるのですが」

「れっ!?」

 

 予想外の言葉に顔が熱くなる。いや、これは酒のせいだろう。間違いない。

 思いついた原因を真実とするために、416はグラスを煽った。

 その様子を見て、グローザが笑う。

 

「だから言ったじゃない。あの指揮官はそんな理由で人形を縛れっこないわ。

 そもそも、色恋沙汰とは無縁だし」

「ふむ、計算を誤りましたか‥‥」

 

 コンテンダーが顎に手を添えて首を傾げた。

 自分の話からは注意を逸らした方がいい――その合理的判断から、グローザの言葉を拾った。

 

「ここに来てすぐの頃、副官がいないって話を聞いたときも思ったことだけれど。

 やっぱり、なろうとした奴はいるのね」

「そうですね、合計で153人。

 ここにいる私も、グローザもその一人です。

 結果はご存知の通りですが」

 

 少し疑わしいくらいの数だ。この基地に所属している人形が300人強だから、その半分近くが自分から進んで副官に立候補していたことになる。何それ。

 416の困惑は伝わっているのだろう、コンテンダーは苦笑いを浮かべ、グローザは眉尻を下げて嘆息した。

 

「馬鹿な奴よ。『ただでさえ戦闘を任せているんだから、それ以外の仕事まで任せてたら罰が当たるよ』なんて。

 戦闘だって、手が足りないときは自分が出る癖に」

 

 その理由は416も聞いた。しかしその後に彼が言っていたのは――

 

「他の基地では好みの人形を副官にすることが多いけど、それは自分勝手で嫌だ。

 とも言ってたわよ、指揮官」

 

 グローザが目を見開いた。「何よそれ。初めて聞いたわ、そんなの」

 

「嘘。てっきり全員知ってることだと思ってたんだけど」

 

 コンテンダーに水を向ける。首を振られた。

 

「私もそれは聞いたことがありません。

 貴女しか聞かされていないのでは?」

「416のときだけ外見に触れたってことは‥‥貴女の外見が余程好みだったのかしら。

 なるほど、貴女みたいなのがタイプなら、私たちはお呼びじゃないわよねぇ」

 

 グローザはわざとらしい溜息を吐く。

 あまりにも衝撃的な情報。

 確かにノアは、いつも平気な顔で『綺麗だよ』とか『可愛いよ』とか言ってくる。しかしそれは他の人形に対しても同じで、例えばC-MSを抱き締めて撫でながら『キミはまるでシマリスだね!世界一可愛いぞ!』とか。Kar98kに対して『すっごい美人だ!民間人が見たらあまりの綺麗さに吃驚して転んじゃうね』とか。

 とにかくノアは、全ての人形に対し『キミは世界で一番可愛い』と言ってしまえるのだ。しかもその台詞には妙な説得力があって、どれだけ気を張っていても頬が緩んでしまう。

 そんなノアが、自分の容姿を個人的に好んでいる?相手のために褒めているとかではなく、彼自身の嗜好に自分が合っている?IWSに言われたことといい、それは、それはなんて――

 

「ちょっと416、大丈夫ですか?顔が真っ赤ですよ」

「安心してコンテンダー。この子は褒められるとすぐ赤くなるのよ。

 まぁ、今回は特別赤いけど」

 

 コアがカァーっと熱くなって、それを冷やすために冷却液がハイペースで巡る。人工体液がドクンドクンと走り回って、このままでは電脳がバグを起こしてしまいそうだ。

 堪らずグラスを煽って、416は叫んだ。

 

「Springfield!ビールを頂戴!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

傍にいる理由・前篇⑤

 コンコン。

 

 ノアが丁度G11の仕事表を作り終えたタイミングで、執務室の扉が叩かれた。「どうぞ」

 

「失礼します」

 

 静かに、滑らかに扉が開く。瞬きすればドアは閉じていて、黒い装いにシラユキゲシの目立つ少女が眼前に佇んでいた。

 その手には、出先で買ってきたのであろうウィスキーの瓶が収まっている。

 それを差し出しながら、少女が口を開く。

 

「ステアーAUG、ただいま帰還しましたわ」

 

 受け取りながら、ノアは立ち上がる。

 

「おかえりステアー。ほら、座って」

 

 書類を片して棚からグラスを取り出し、向かい合ってソファに腰かける。

 IWSと並んで「最強」の名を恣にしている戦術人形。

 ノアが“猫の鼻”に来る以前から、ここを守り続ける寂滅(じゃくめつ)の花。その銃撃は重く鋭く、閃く機動は静謐。たった一人で銃弾の雨を降らせながら、仲間の演算補助までやってのける。

 彼女がいなければ、アンバーズヒルは今頃その領土を三分の一以上失っていただろう。今回だって、市街西側に広がる防衛線はほとんど彼女の部隊に任せきりだったのだ。

 ノアは労いの気持ちを込めて、ウィスキーを注いだグラスを差し出した。

 

「西はどうだった?」

 

 AUGは両手でそれを受け取りながら、すいと目線を上げた。金色の目が、一瞬焦点を外す。

 

「平穏そのものです。一度鉄血の斥候部隊と(まみ)えましたが、すぐに眠っていただきました。

 寧ろ味方の方が物騒でしたわ。Mk48とWA2000が喧嘩してばかりで、S.A.T.8が何度も間に入っていましたから」

 

「まぁ、あの二人は喧嘩するほど仲がいいってやつだから‥‥。

 本隊は来なかったんだ。キミがいると知って諦めたのかもね」

 

 ノアにとってはあながち冗談のつもりでもなかったが、しかしAUGはくすりと微笑んだ。

 他の人形と比べると感情表現が遥かに薄いものの、これでもかなり分かりやすくなった方だ。

 初めて会ったときを思い返す。あの頃の彼女の言葉には文面以上の意味など無く、言葉以外で伝えてくる情報もなく、ステレオタイプなロボットそのものと言っても差し支えない無機質さだった。

 戦うためだけに在った彼女が、少しずつでも兵器以外の在り方を見つけていってくれたら、それはどんなに素晴らしいことだろう。

 彼女の微笑に、ノアはそんな感慨を抱いた。

 AUGがウィスキーを一口飲んで、平坦な声を放つ。

 

「指揮官こそ、最近はどうですか?

 ここに来る前にシュタイアーと話しましたが、副官を採用されたそうですね」

 

 こうして彼女からこちらのことを訊ねてくれるというのも、前は考えられなかったことだ――あれ?

 ノアは背筋が冷えるのを感じた。殺気に近い気配が、彼女から放たれている。

 

「そ、そうだよ。HK416って子を副官にしたけど、どうしたの?」

 

 表情こそ変わらないが、これは‥‥怒っているのだろうか。

 目を凝らせば、ほんのわずかに頬が膨らんでいるような気もする。

 じっとその表情を観察していると、ぷいと顔を背けられた。嘘でしょ。

 想像を遥かに超える感情表現にノアが愕然としていると、AUGはいつもと変わらない声音で言った。

 

「私やシュタイアーのときは断りましたよね」

 

 きろり、と金色の双眸がこちらを見る。普段通りの声と振る舞いなのに、どことなく棘があるのは気のせいだろうか。

 

「どのような心境の変化ですか?」

 

 ――ダメだこれやっぱり尋問だ――

 彼女からは感じたことのない重圧を醸し出されているせいで、どうやって対処すればいいか分からない。

 ノアはウィスキーをちびりと口に含んで、喉を鳴らした。

 

「‥‥心境の変化なんて、大した理由じゃないよ。

 他の皆はあくまで僕のために副官をやると言ってくれたけど、それは申し訳ないから断ってきた。

 でも416は、口でこそ僕への恩返しって言ってたけど‥‥その裏側にもっと大事な理由がありそうだった。

 それも、彼女自身のエゴイスティックな感情に関係するような代物がさ」

 

 結局、正直に言ってしまった。元より人に言えないような内容ではないし、AUGはいつも基地や街のために並外れた功績を上げ続けてくれる。

 こんなことで恩返しにはならないが、せめて仇で返すのだけは避けるべきだと思ったのだ。

 AUGが、グラスを傾ける。真っ白な喉がこくりと小さな動きを見せた。

 

「きっと、それは他の皆さんも同じはずです。恋愛感情とはエゴイスティックなもの、なのでしょう?

 なのに貴方は、他の皆さんが貴方に身も心も尽くすことを許さなかった。

 私たちのことを思ってゆえのことかもしれませんが、それで大きく傷ついた方もいます。

 ――そのことはよくご存じですよね」

 

 うぐ、と声が漏れた。

 彼女の言う通りだ。これまでノアに明確な好意を寄せてきた人形は何人かいる。AUGと同じ部隊にいるWA2000やS.A.T.8もその一人で――そしてノアは、その全員に対して惨めな思いをさせてしまった。

 臓腑を鋼線でぎりりと締め付けられるような、そんな痛みを感じた。

 

「特にWA2000なんて、勇気を振り絞って貴方に告白したのに。言葉を尽くして彼女を袖にしたそうですね。

 あんなに優しく丁寧に振られるなんて、って泣き叫んでいましたわ」

 

「それは‥‥ご迷惑をおかけしました‥‥」

 

 その件に関しては、粛々と縮こまる以外に赦される行動が無い。真意や経緯はどうあれ、自分がWA2000の想いを踏み躙ったのは揺るがぬ事実なのだから。

 AUGがかぶりを振る。

 

「私は彼女のような感情を持ち合わせていませんから、別段困りはしませんでしたわ。

 彼女も、『次こそは振り向かせて見せるんだから』と花嫁修業に精を出しているみたいですし」

 

 知っている。

 彼女が時折作ってくれる料理もお菓子も、あの件を境にかなり美味しくなり始めたから。

 直接的な愛情表現は無くなったけれど、彼女の好意は諸々の結果に滲み出ている。

 あまりの罪悪感にノアは腹を押さえたが、AUGは構わず続けた。

 

「ですが、私の申し出を断っておいて、新しく来た人形を副官にしたということは不服です。

 私でさえそうなんですから、他の皆さんはきっと心中穏やかでないでしょう」

 

 あのAUGがここまではっきりと心情を口にするなど、これまで一度も無かったことだ。

 しかし、そこに感動している場合ではない。

 人形たちには自由に生きてほしいから、できる限り自分に依存させないようにしていたが、ままならないものだ。

 溜息が零れ落ちた。

 AUGが首を傾げる。

 

「結局、貴方はHK416の希望を叶えるために、信念を曲げてまで彼女を副官にしたのでしょう。

 ‥‥余程外見が気に入ったのですか?一目惚れ、というやつかしら」

 

「んえ゛っ」

 

 派手にむせた。とんとんと胸を叩いて、呼吸を落ち着かせる。

 AUGを見ると、きょとんとした様子で彼女もこちらを見ている。

 ノアの口元が引き攣った。

 

「えっ、え?え?

 どうしてそんな結論に辿り着いちゃったの」

 

「‥‥?

 違いました?」

 

 全力でかぶりを振――ろうとして、固まった。

 あの日鉄血の工廠から416たちを救い出して、医務室のベッドに座る彼女を見たとき、綺麗だと思ったのは事実だ。

 しかし、アレは恋愛感情と言えるのか?

 積み重ねた齢は飾りか、ノア=クランプス。こんな疑問にさえ答えを出せないなど、先生に知られたら腹を抱えて笑われてしまう。

 散々頭を抱えて唸った後、特大の溜息を吐いた。

 

「感情って難しいね、ステアー」

 

「まったくもってその通りですわね」

 

 二人は顔を見合わせて、小さく笑った。

 そのとき、ポケットの中の携帯端末が震えた。画面を見ると、発信者はグローザだ。

 AUGの方を見ると、譲るような手振りで応答を許された。

 

「はい、ノアだよ」

 

『おはよう指揮官。ちょっと困ったことになったんだけど』




感想下さい。お好きな動物の鳴き声でもいいです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

傍にいる理由・後篇①

 カーテンの隙間から差し込む朝日と、小鳥の鳴き声で目が覚めた。起き上がって、大きな欠伸を一つ。この時間でも大して寒くないあたり、いよいよ冬が終わったと考えてもよさそうだ。

 そこで、違和感に気付いた。

 416は普段、404小隊にあてがわれた宿舎の一室、二つある二段ベッドの下で眠っている。上ではG11が惰眠を貪っていて、毎朝起こすために上らねばならないのが大変面倒なのだ。

 しかし今、自分は普通のシングルベッドで起床した。思えば、昨日は部屋に戻った覚えがない。

 さらに、自分の装いが予想と違う。確か最近は水色の地に黒猫の顔がドット状にプリントされた寝巻を着ていたはずなのだが、今の416はKSKの名が入った制服を着ている。しかもボタンを外し、胸元をはだけさせた恰好。ミニスカートも脱いでいる。

 まぁ、別に誰に見られているわけでもないし構わないか――と考えた、その瞬間。

 寝息が聞こえた。

 ばっと傍らを見る。そこには、ノアの可愛らしい寝顔があった。あってしまった。416同様寝間着姿ではなく、第一ボタンを外したブラウスとベルトを抜いたスラックスという恰好だ。

 ノアの寝起き姿は毎朝見ているが、こんな服装ではなんとも煽情的で生唾を飲み込んでしまう――って。

 

「待っ‥‥て待って、待って。何で?」

 

 まさか、やってしまったのか?

 必死に昨夜の記憶を辿る。仕事を終えて、Springfieldのバーへ赴いた。グローザとコンテンダーからの誘いで、一緒に酒を飲みながら話をしたのだ。それから、それから――

 何も思い出せない。メモリが一時的に機能を停止するなど、どれだけのアルコールを摂取したのだ自分。

 状況を見るに、自分がノアと一線を越えてしまったのは間違い無いだろう。想像と違ってゴムが散乱していないのは、アレだ、生だったのだろう、うん。酔った勢いで襲ったわけだし、避妊なんてするわけない。

 

「最悪だわ‥‥!」

 

 ノアとシたことが、ではない。別に416はノアに恋愛感情を抱いているわけではないが、行為を拒むほど嫌いなわけでももちろんないから。そうではなく、初めての交わりが酒の勢いによるもので、しかもその思い出が何も残っていないというのがこれ以上なく情けないのだ。

 涙腺を駆け上がってくるものがあった。

 とりあえず、彼が起きる前に部屋に戻って、シャワーを浴びて、身支度をして、それから――

 

「うぅん‥‥」

 

 あれこれ416が悩んでいると、とうとうノアが起き上がってしまった。眠たそうに目を擦って、こちらを見る。

 そして、琥珀色の視線がすぅっと逃げる。

 

「‥‥おはよ」

 

 その態度で確信した。やはり自分はやってしまったのだ――!

 

「ごめんなさい指揮官すぐに出ていくから!!」

 

「待ってここキミの部屋だよ!?」

 

 逃げ出そうとした腕をはっしと掴まれる。416はその手を振りほどこうと藻掻きながら叫んだ。

 

「私が悪かったから!お酒の勢いに任せてこんなことをしてしまうなんて!本当にごめんなさい!」

 

「落ち着いて416!多分ソレ勘違いだから!」

 

 ぴたり。

 416は目を瞬いて、ノアを見る。引き攣った苦笑いが返ってきた。

 きっとノアは416の態度と周囲の状況から、自分が動揺している理由を察しているだろう。その上で「勘違い」と口にした。

 つまり、自分たちは昨夜、特にアレやらナニやらはしていないということか?

 そう訊ねると、ノアは手を放して胸を撫で下ろした。「分かってくれた‥‥」

 すぐ傍に脱ぎ捨てたスカートが落ちていたので、履いておく。なるほど、ノアが目を背けたのはパンツを見ないためか。

 彼の説明によると、自分はあの席で随分と酷く酔ったらしい。ここまでは416の予想通りである。しかし最悪の事態になる前にコンテンダーが自分を気絶させ、グローザがノアに連絡をとったのだ。

 だから記憶が無かったのか。二人には感謝しなければなるまい。

 

「どうして貴方が呼ばれたの」

 

 そう訊ねると、ノアは気まずそうに俯いた。心なしか、その顔は赤い。

 416が重ねて訊ねて、ようやく口を開く。

 

「それは‥‥グローザ曰く、酔ったキミが僕の名前を連呼するもんだから――って大丈夫!?」

 

「え、えぇ‥‥平気よ」

 

 思わずその場にくずおれてしまった。

 この時点で416は五十回ほど死ねる恥ずかしさだが、話はまだこの部屋に至っていない。

 先を促すと、ノアは躊躇いながらも続けた。

 自分を受け取ったノアは、まず404小隊の部屋に運ぼうとした。しかし、バーから宿舎までは少し歩くし、女子のための建物に踏み込むのは躊躇われる。416が眠れる場所ならば、本棟にある副官室の方が近いので、そこへ連れて行った。おんぶで。

 副官室のベッドに自分を寝かせたあと、ノアはすぐに部屋を辞そうとした。しかし、目を覚ました自分に捕まってそれも叶わず、仕方ないので一緒に寝ることにした――

 

「本当にごめんなさい‥‥とんだご迷惑をおかけしました‥‥」

 

 416は真っ赤になった顔を両手で押さえ、謝罪の声を何とか絞り出した。

 対するノアも多少赤面しているが、自分と比べたら幾分か落ち着いている。ノアは立ち上がって、ベルトを締めた。咳払いを一つ。

 

「まぁこの件はこれで終わりってことで。僕も気にしないから、416も気にしないで‥‥ね?

 それより、お互いに一度戻ってシャワーとか着替えとか済ませてきた方がいい。

 あと、ついでにG11を連れてきてくれる?」

 

「G11?どうして」

 

「彼女とリベからの頼みでね。簡単な仕事を任せることになったんだ」

 

 何とも奇妙な話である。怠惰の罪を一身に背負う寝坊助が、自発的に仕事を求めるとは。

 ‥‥それにしても、自分が副官になるときは随分と渋っていた気がするのだが。

 416は怪訝に思いながらも了承した。

 二人揃って副官室を出る。この時間ならば大抵の人形は宿舎か食堂にいるはずなので、この状況を目撃されることは無い。

 

「それじゃ、また後で」

 

「えぇ」

 

 ノアの背を見送って、416は首を傾げた。

 

「そういえば、何だか今朝は体調がよさそうね‥‥」

 

 いつものノアは、一人では立つのも覚束ないほど朝に弱いのに。腕を握った手も、いつもと違って普通の温度だった。

 

「まぁ、快調なのはいいことよね」

 

 さて、急いで部屋に戻り、身支度をしてG11を起こさなければ。UMP姉妹には何か言われるかも知れないが、その相手をする時間も惜しい。

 416は頭を切り替えて、宿舎への道を急いだ。

 

***

 

 自室に戻る道すがら。今朝の、そして昨夜のことが意識を占領する。

 ノアは一つ嘘――というより、隠し事をした。「416に捕まったから一緒に寝た」というのは事実だが、どんな風に捕まったか、その詳細を意図的に伏せたのだ。

 あのとき、416に背を向けた自分にかかる力は、大して強くなかった。

 逃げようと思えば逃げられた。416の白い指先が、シャツの裾をちょこんと摘まんでいただけだったのだから。しかし、

 

『置いていかないで‥‥』

 

 目尻に涙を浮かべてそう囁いた416の懇願に、どうして抗うことができようか。

 AUGとのやりとりのせいで416のことを妙に意識していたこともあり、あそこで自分の中の狼を抑えるのは、本当に、本当に‥‥大変だった。

 一晩経っても、思い出すだけで眩暈がする。

 

「落ち着けノア=クランプス、あの子が可愛いってことは初めから分かってただろ‥‥!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

傍にいる理由・後篇②

「ねぇ指揮官、ここってどうすればいいの?」「ん、見せてご覧」

「ねぇ指揮官、コレ凄くめんどくさいよ」「そっか、じゃあ僕がやっとくよ」

「ねぇ指揮官、コレどういう意味?」「えっとね、これは‥‥」

 

 G11の甘えるような声が、執務室に絶えず響く。

 G11の就労体験、一日目である。

 一応、期限が遠い仕事の中から簡単なものをピックアップしたつもりだった。しかし、簡単だろうと複雑だろうと役所仕事であることには変わりない。出撃と違って何の刺激もない業務は、この上なく退屈だろう。G11は始めこそワクワクしているような様子を見せていたが、五分後にはこの有様だった。

 

「ねぇ指揮官、この‥‥これって何したらいいの?」

 

「表が二つあるでしょ?それを見比べて、収支が合ってるか、矛盾が無いか、改竄が無いか確認するの」

 

「えぇ‥‥めんどくさいよ‥‥」

 

「あっは。気持ちは分かるけど、もう少し頑張ればお昼ご飯だよ」

 

 嘘だ。実際はまだ業務開始から三十分も経っていないから、昼食はまだまだ先の話。

 断っておくと、ここまではノアの想定内なのだ。毎度G11の相手をしながらでも、ノアの作業効率はさして落ちない。同時に二つ以上のことを考えるという得意技は、こういった状況で非常に役立つ。

 しかし問題は、ノアと同じくらいの速度で書類を捌いている副官様である。G11が弱音を口にするたびに、連山の眉は険しい渓谷を生み出し、こめかみは青筋を描き出す。これでは、彼女の怒りが榴弾の如く炸裂する未来も遠くない。

 そして、そんなノアの予想通り。都合二十六回目の「ねぇ指揮官」が、416のトリガーを引いた。

 

「――いい加減にしなさいッ!」

 

 416の怒声が窓ガラスを叩く。G11はもちろん、ノアもビクリと身を正した。この空間内で唯一涼しげな佇まいを崩さないのは、我関せずという顔で後ろに控えるG36だけだ。

 

「G11!さっきから指揮官に頼ってばかりじゃない!少しは自分で考えなさいよ!」

 

「だ、だって‥‥」

 

「お黙り!」

 

 あまりの気迫に、言葉を失う。怒った416はこんなに怖いのか、と冷や汗が噴き出た。

 先程までよりむしろこの空気の方が仕事にならない。ノアは手を止めて、どうやって416を宥めようかと思考を走らせる。

 しかし、その間にも416の雷は轟き続ける。

 

「アンタね、どれだけ指揮官に迷惑をかけたら気が済むわけ!?

 自分から頼んでおいて何なのよその体たらくは!

 やる気が無いなら出て行きなさい!」

 

「‥‥ごめんなさい‥‥」

 

 俯いたG11の目には涙が浮かんでいる。今にもぼろぼろと泣き出してしまいそうだが、必死に堪えているようだ。鼻をぐじぐじ言わせて、小さな手をぎゅっと握り締める。

 その表情を見た416は一瞬息を呑んだが、「ふんっ」と鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。

 G11がとぼとぼとドアへ向かう。ノアがその背を追って立ち上がると、今度はこちらにペリドットの眼光が突き刺さった。痛い。

 

「貴方も悪いのよ、指揮官。

 貴方がアイツを際限なく甘やかすから、アイツもつけあがって甘えるの!」

 

「あっはいスミマセン‥‥」

 

 五秒にも満たない離別を経て、情けなく椅子と再会する。

 しかしどうしても、G11が消えたドアの向こうが気になってしまう。

 

「ねぇ416、何もあそこまで厳しく――」

 

「口より手を動かしなさい。

 午後にも予定があるんでしょ?さっさとしないと仕事終わらないわよ」

 

 ぴしゃりと遮られてしまった。

 確かに彼女の言う通り、この後は何人かの人形と予定がある。G41との散歩や、UMP9・MDR・RFBとゲームをする約束。その前にはシノやFALの買い物に付き合う。

 まずは今日の予定を全て終わらせよう。それから都合が合えば、G11と少し話をしておくべきだ。

 そもそも、G11がこんな行動に出た理由は既に察しがついている。このままでは彼女の目的は果たされないはずなので、何とか解決しなければならない。

 ノアはそんなことを考えながら、対鉄血防衛線維持プランを更新した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

傍にいる理由・後篇③

 何とか、泣かずに済んだ。

 G11は鼻をすんすん鳴らしながらも、第一医務室まで辿り着いた。

 執務室から最寄りの昼寝スポットであり、昼寝友達のリベロールが一日のほとんどを過ごす場所。

 416よりも少し低い体温を拠り所にして一眠りすれば、とりあえずこの気分はリセットできるだろうという算段だった。道中、何人かの人形とすれ違って、その度に心配の声を掛けられた。「何でもない」とか「大丈夫」と答えたが、きっと説得力は無かっただろう。

 

「G11、どうしたの‥‥?」

 

 目論見は、上手くいかなかった。そもそも上手く眠れなかったし、眠れずに身じろぎする自分を放っておいてくれるほど、この友人は薄情ではない。

 このままうじうじしていても、リベロールの静養を邪魔するだけだ。G11は恥を忍んで、先程の出来事を語った。

 

「私、何もできなかった。指揮官は一度も私を叱らなかったけど、416の言う通り。迷惑かけるばっかで、416を怒らせちゃった」

 

 リベロールは「そっか」と呟いた。枯れ枝のような腕を重たそうに持ち上げる。

 何をするつもりだろうと疑問を抱く程度には長く、それを口にする間が無い程度には短い時間をかけて、G11の頭に小さな掌が乗った。

 

「リベ‥‥?」

 

「大丈夫。私に比べたら、大した迷惑じゃ、ないと、思うよ」

 

 ぎこちないが、どこまでも繊細な手つきで撫でられる。そのリズムは人間の心拍とおおよそ等しい。

 G11は知る由もないが、これはリベロール自身が何度もしてもらった撫で方。

 その効果は抜群で、意識が弾みをつけて沈んでいくような感覚を、G11は覚えた。

 

「416も、指揮官も。謝ればきっと、許してくれる。

 だから、今は‥‥私で、我慢、してね」

 

 全身を包み込むような睡魔が、愛しき眠りへと誘う。このまま目を閉じていれば、二秒以内にシステムはスリープモードへ移行するだろう。いつものように惰眠を貪ることができる。

 しかしG11は、温もりに抗ってリベロールの手を取った。

 サイダーのような瞳が、驚きに見開かれる。

 G11は、自分が怠惰であると自覚している。毎日毎日416に叱られることも致し方ない、そう思っている。嫌だけど。

 だが、こんな自分にここまで優しくしてくれる友達に、感謝の言葉も言えないのは流石に度が過ぎると思うのだ。

 しかし眠いものは眠い。浮遊する意識と上手く回らない呂律で、何とかその言葉を形にする。

 

「ありがとう、リベ。

 今度、一緒に枕買いに、行こ。しんどかったら‥‥私が買ってきて‥‥あげる」

 

 よく頑張った、自分。

 言いたいことは言ったので、友人がくれたこの微睡みに身を任せる。

 G11が完全にスリープモードへ移行する直前、聴覚センサが拾った小さな声は、予想通りの内容だった。

 

「‥‥感謝すべき、なのは。私の方、だよ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

傍にいる理由・後篇④

 『話したいことがあるから来てほしい』と、ノアを中庭に呼び出した。

 自動販売機の横で突っ立つこと二分弱。ノアが姿を現した。いつも見るワインレッドの制服姿ではなく、裾のゆったりしたパーカーにジーンズという出で立ち。私服の趣味は似ているかもしれない。

 自販機の商品ディスプレーに張りついていた小さな蛾が、夜の闇に逃げ去った。高速で羽ばたくその影を一瞥して、ノアが顔を顰める。

 

「虫、嫌いなの?ふ、わぁぁあ‥‥」

「まぁ、好きじゃないかな。

 眠いなら、わざわざこんな時間じゃなくても良かったんじゃない?」

「大丈夫。私、いつも眠いから」

 

 あっは、とノアが笑った。今のは自分でも気の利いたジョークだと思ったので、通じてよかった。それにしても少女じみた笑顔だ。

 自販機に端末をかざして、ブラックコーヒーを二本買う。この場では眠らないという決意を込めて、プルタブを起こした。

 

「はい、今日のお詫び」

 

 もう一本の缶を突き出すと、ノアは目線を合わせて礼を言った。そのまま、ブロックに座り込む。G11と同じようにプルタブを開けて、一口煽る。

 普段はパッチリ開かれている猫目が、キュッと閉じられた。

 

「‥‥にが」

「え、指揮官コーヒーダメなの?ごめん、知らなくて」

「いやいやまさか僕だってそれなりに生きてるわけで、コーヒーも飲めないとか子供じゃあるまいし――」

「別に、折角貰ったんだから突き返せない、なんて遠慮しなくていいんだよ」

 

 そう言うと、ノアは苦笑して「ごめん」と呟いた。

 コーヒーを受け取る。きっと、二本飲めば二倍目が覚めるだろう。好都合だ。

 自分のお金でいちごオレを買うノアを見ていると、口元が緩んだ。

 

「人形に対して遠慮しいなんだね」

「まぁ、よく言われる。

 416にも、『人形に対して随分と紳士的なんですね』って言われたよ。

 そんなにおかしいかな?」

 

 どうやら、自分が少数派であることに自覚が無いらしい。ノアは首を傾げる。

 

「私が今まで見た人間の中では、一番優しいね。

 確かにおかしいけど、怖いよりはずっといいと思う」

 

 夜の帳と配慮に満ちた沈黙が、中庭を覆っていた。

 大きな常緑樹が、風に揺られて小さく音を立てる。

 

「ごめんなさい。今日、迷惑ばかりかけちゃって」

「いいよ、気にしてない」

 

 即答だった。

 月を見上げる横顔の、金色の目はどこかばつが悪そうに細められている。

 

「むしろ、謝るべきはこっちだよ」

 

 半ば独り言のように宙へ投げられた言葉。

 その真意を問う前に、ノアは続ける。

 

「キミたちと初めて会った日にね、キミたち全員をメンテしたんだ。

 キミには、明らかに昔のものと分かるメモリの損傷があった。

 その原因も、欠け方から大方想像できたよ」

 

 どこかよそよそしく、抑揚を抑えた声音。そうして彼が隠しているものが何なのか、G11は何となく察した。

 ほら、そんなに固く拳を握る理由は、怒り以外に何があるだろう。

 

「僕の腕では、完全に風化した損傷を修復することは不可能だった。

 もし僕がもっと勉強して技術を身に着けていたなら、キミの不自由を一つ殺せたかもしれないのに」

 

 最後にノアは、こちらを見て笑った。「だから、ごめんね」

 ――なるほど。もし416もこんな悲痛な笑顔を見せられたのなら、放っておけないのも頷ける。

 確かによくできた作り笑いだ。もしリベロールという戦術人形を通して彼の優しさを知っていなければ、自分はこの胸を引き裂くような心痛など抱かずに済んだだろう。

 前に見た映画に、こんなセリフがあった気がする。

 

「『見る者に安らぎを与えられない笑顔に意味は無い』。

 いくら何でも、そんなことまで自分のせいにするなんてめちゃくちゃだよ。指揮官」

「‥‥あっは。いい映画だよね、ソレ」

 

 痛々しい笑顔を横目にコーヒーを口に含むと、さっきよりも苦い気がした。

 結局、「416を取られた」などというのは勘違い、我儘もいいところだったのだ。416は、G11よりも手のかかる相手を見つけてしまったから、そっちの世話で忙しいだけ。

 つまりノアは、自分にとって妹のようなものなのではないか?いや違う、弟か。

 G11はそんなことを思って、にへらと笑った。

 しかしすぐに表情を戻す。もう一つ、言っておかなければならないことを思い出したのだ。

 

「その、私があんなことを頼んだ理由なんだけどさ」

 

 その続きを口にする前に、ノアがひらひらと手を振って遮る。

 

「416と一緒にいたかったんでしょ?分かるよそのくらい」

「‥‥やっぱり?」

「当然でしょ。指揮官だからね。

 普段の出撃を見ただけでも、キミたちがどれだけ信頼し合ってるかは十分理解できる」

 

 確かに、自分は416のことを信じているけれど。416までそうかは、分からない。普段の出撃のことを思い返す限り、むしろその反対の結論しか出てこない気がする。

 沈黙から不安を見抜かれたか、ノアが指を振る。ちっちっち。

 

「もし416がキミのことを信頼していないなら、キミに陣形の一翼を任せる今の編成に異議を唱えたはずだよ。彼女は実力のない人形には容赦がないからね。自分も含めて」

 

 言われてみればその通り‥‥かもしれない。以前の416はグリフィンの人形と共闘するたび、味方の練度の低さを愚痴っていた。場合によっては本人を怒鳴りつけることもあったほどだ。傍で見ている側からしたらたまったものではない。相手の人形から「コイツなんとかしろ」という目で見つめられても、自分にできることなど無いのだから。

 “猫の鼻”の人形は裏方に回っている者も含めて文句なしに優秀だから、最近はその光景も見られなくなったが。

 ノアの目が真っ直ぐこちらを見据える。

 

「人形だって万能じゃない。向き不向きがある。

 キミは、純粋な狙撃能力や射撃管制能力では416さえ凌いでる。その腕には僕だって助けられてるんだ。

 この流れだから言っちゃうね。いつもお疲れ様」

 

 人懐っこい笑みの隙間から、鋭い犬歯がちらりと見えた。猫が日向ぼっこでもしながら欠伸したらこんな感じだろうか。

 ぼーっとその双眸を見返していると、ノアは少し慌てたように両手をパタパタ振った。

 

「とにかく、安心して。明日からも来ていいから。

 416はもう怒ってないってさ」

 

 その物言いに、G11は首を傾げる。昼の間に彼女を宥めてくれたのだろうか。

 まぁ、この指揮官ならばそのくらいしていても意外ではないけれど。

 

「有難う。優しいね、指揮官」

「僕としては精一杯厳しくしてるつもりなんだけど」

 

 流石にそれは冗談だろう。

 あはは、と笑って凭れていた壁に別れを告げる。

 

「じゃあ、私は帰って寝るね。おやすみ」

「うん。おやすみ、いい夢を」

 

 夢。

 果たしてそれは、人形にかけるべき言葉なのだろうか。

 人形に対する過剰なまでの親近感は、いつか彼の、指揮官としての人生を破綻させる気がしてならない。

 もしそんな時が来たとしたら、416だけでなく自分も精一杯彼を支えよう。45は嫌がるかもしれないが、「私の弟」と言ってしまえば9も味方に付いてくれそうだ。

 自分でも莫迦みたいな「もしも」を思い描きながら、G11は愛しきベッドのもとへと急いだ。

 




感想が欲しいです。なんなら好きな動物の鳴き声でもいいです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

傍にいる理由・後篇⑤

 G11の小さな足音が、聞こえなくなるのを待つ。できれば彼女を驚かせたいから、月を見上げて呆けている演技をしておく。

 残るのは木々の囁きばかり。念のため、さらに三十秒待機。

 そろそろいいだろう。

 ノアは後ろの物陰に声を掛けた。

 

「――ということだって、416。

 今日のことは、もう怒らないで上げてね」

「‥‥分かってるわよ。

 私も、キツく言い過ぎたかもしれないとは思ってるもの」

 

 夜の闇よりも一つ濃い射干玉の陰から、見慣れた銀髪と赤い涙が姿を見せる。

 月光が416の周りを流れ落ちていくので、まるで水の壁を潜り抜けてきたかのようだった。

 隣に腰を下ろす彼女の横顔に、驚いた様子はない。どうやら演技は見抜かれてしまっていたらしい。

 芥子粒ほどの悔しさを飲み込んで、訊ねる。

 

「それにしても、今朝はどうしたの?

 普段は戦闘中でもあそこまで怒らないでしょ」

 

 416は当たり前のことを今更言わせるな、という表情で肩を竦めた。

 

「大声で怒鳴ったら敵に位置がバレるじゃない」

 

 なるほどそれは道理である。流石は完全無欠の戦術人形。

 しかし彼女の言葉の裏を返せば、いつもあのぐらい怒りたいということか。ノアは冷や汗を引き攣った笑いで誤魔化した。

 416の視線が脇に泳いで、「あと‥‥」という呟きの後に何やら口籠る。

 言いたいことがあるなら言えばいい、と視線で訴える。それでも416は少し躊躇って、

 

「‥‥私が副官になるってときは散々渋ったくせに、アイツの頼みはすんなり聞くのね」

 

 不機嫌そうな声で、そんなことを言ったのだ。

 夜陰に煌めくペリドットを細め、唇を尖らせているその表情は、なんて――

 

「可愛らしい理由だなぁ」

「もうっ!そうやって褒めそやして誤魔化そうったって、引っ掛からないわよ!」

 

 危ない。

 今の一瞬、ただ彼女の可憐さに突き動かされて、真顔でとんでもないことを口走ろうとしていなかったか。

 ノアは内心で自らを叱責して、いちごオレを口に含んだ。

 人差し指を立てる。

 

「それについてはちゃんと理由があるよ。

 G11が『執務室でできるような仕事をくれ』って言って来た時点で、彼女の目的が分かってたからさ。

 ま、さっきの話を聞いてた誰かさんなら分かってると思うけど」

 

 416がうぐ、と息を詰まらせた。冗談だよ、と笑って見せると少しむくれる。年頃の少女らしい仕草が、ノアの意識をぐらりと揺らす。

 少し深く息を吸うと、微風に乗って鼻腔を擽る香りが、いつもと違うように思われた。

 スンスンと鼻を鳴らすと、416の華奢な肩がピクリと跳ねる。その態度で確信した。

 

「シャンプー変えたんだ。チューベローズかな、コレ」

「よ、よく分かったわね」

「そりゃ当然。全然違うもん」

 

 ノアが胸を張ってみせると、416は不安そうにこちらの顔を覗き込んでくる。「もしかして、前の方が好みだったかしら」

 その上目遣いにたじろいだことを隠したくて、両手を振る。

 

「いや、そういう意味じゃなくて。

 前はなんかこう‥‥ほんのり石鹸の香りがするだけだったじゃん。

 それが今はすごく甘くて美味しそうな匂いがするっていうか‥‥。

 あぁもちろん前のもいい匂いだったけどね!」

 

 焦りに駆られて早口でまくし立てる。

 こちらの顔を覗き込んでいた416は、目を見開いたまま呆けている。

 かと思えば、桃色の唇が意地悪そうに弧を描いた。

 

「そんなに私の髪の匂いを気にしてたの?

 とんだ変態ね。ふふ」

「んえっ」

 

 軽く鼻を摘ままれた。

 頬に熱を感じながら、ノアは抗議の視線を送った。それでも416はどこ吹く風で、楽しそうに笑っている。

 時は既に深夜。

 他愛のないことで笑い合う二人の囁きは、木々のざわめきに包まれて、月明りの中に溶けていく。

 

 

※その後のおまけ

 

【挿絵表示】

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

傍にいる理由・後篇⑥

「ごめんなさい指揮官、迷惑をかけるわ」

 

「気にしないでいいよ。

 にしてもG11、余程キミのことが恋しかったんだ?ふふ」

 

 少し声をひそめたノアは、目の前の光景に思わず微笑んだ。

 416が書類を手に嘆息する。その白い太腿の上、G11が頭を乗せて寝息を立てていた。

 G36が薄手のブランケットを持って来て、小さな体にそっと掛ける。

 

「ありがと、G36」

「Bitte Schoen. 仕事ですから」

 

 G11がここへやって来たのはつい数分前のこと。情報収集の報告で執務室を訪ねたUMP45の後について来て、ソファで書類を捌いている416の姿を認めるや否や、何食わぬ顔で彼女を膝枕にして眠り始めたのだ。ちなみに45は、報告を済ませたらそそくさと去ってしまった。‥‥嫌われているのだろうか。

 

「本当に起こさなくていいの?私にとっては邪魔なんだけど」

「多少ペースが落ちたって構わないさ。最近は416のお陰でかなり業務にも余裕ができてるから。

 それに、そうやってキミたちが親子みたいにしてるのを見ると癒されるんだ。

 だからそれもお仕事の内さ」

「もう、指揮官まで私のことを母親扱いするの?」

「少なくともG11にとっては、母親に限りなく近い存在として認識されているでしょう」

「別に、好きでやってるわけじゃ‥‥」

 

 不満そうに唇を突き出して、手を動かす416。けれど、その頬も耳もほんのり赤く染まっているのが、ノアにもG36にもしっかり見えている。

 

 こんこん。

 

 小さな――控えめというよりも寧ろただ非力なだけのノックが、辛うじて三人の耳に届いた。

 416が「どうぞ。五月蠅くしないならね」と声を掛けると、ドアがゆっくりちょっぴり開く。

 

「失礼します。あの、G11を見ませんでしたか‥‥あ」

 

 ノックの音で察しはついていた、リベロールが顔を覗かせた。

 室内を見渡した視線が、G11の寝顔で止まる。その青白い顔が堪らなく嬉しそうに綻んで、ノアははっと息を呑んだ。

 いい顔をするようになったものだと、胸の奥がじんわり温かくなる。娘の成長を見守る父親の気分は、こんな感じなのだろうか。

 笑顔を浮かべて手招きする。

 

「はぁい、リベ。今日は少し体調がよさそうだね。

 そこで一緒に寝たら?」

「いえ、私は‥‥」

「んん‥‥リベ?」

 

 なんと、驚くべきことは立て続けに起こるものか。

 一度眠りに就けば頑として起きないはずのG11が、リベロールのか細い声に反応して身を起こしたのだ。

 416が驚愕の表情でこちらを見た。『どういうこと!?』と訊ねてくる視線に、首を振って苦笑する。

 リベロールは申し訳なさそうに目を伏せた。

 

「ごめん、起こしちゃった‥‥?」

 

 G11は一つ欠伸をして、それから眠たそうに首を振る。

 

「んーん、別に。

 あ、そうだ、今日は暇?よかったら一緒に寝よ。

 416の膝枕、半分貸してあげるから」

「ど う し て アンタが許可を出すわけ?」

 

 416の指がG11の頬を抓る。みょーんと横に伸びた顔から、いひゃいいひゃいと鳴き声がする。

 慌てるリベロールの顔が、今にも泣き出しそうに歪んだ。過剰な遠慮と困惑ゆえかとノアは思ったが、胸の前でぎゅっと握り締められた小さな手を見て、違うと気付いた。

 

(どんなに辛くても痛くても、絶対に泣かない子だもんね。キミは)

 

 もっとも、彼女の口をついて出た言葉は遠慮のそれだったが。

 

「そんな‥‥悪いよ。416にも‥‥」

「ふぇー。ふぁめ?よんひひろふ」

 

 G11が416に縋りつく。416が深い溜息と共に手を放すと、ゴムのようにぺちんと音を立てて頬が元に戻った。いや凄いなあのほっぺ。

 

「あのね、私だって暇じゃ――」

「いいから遊んできなよ、416」

 

 しれっと放ったその一言に、ばっと振り返る416。透き通る視線には、「あまりコイツを甘やかすな」という叱責の色が滲んでいる。

 リベロールも驚いたようで、眉尻を下げて何かを言おうとしている。いつもならゆっくりと彼女の言葉を待つところだが、今日はそうするわけにもいかない。

 416の後ろに立っていたG36が片眉を上げる。これは、『人形の苦労を肩代わりするなと窘めたいが、馬鹿につける薬はないので諦めよう』という表情。

 

「今日の仕事はあと少しだし、ちょうど休憩してもらおうと思ってたんだ。

 あとは僕に任せて、偶には仲間とゆっくりしてくるといいよ」

「流石指揮官。話が分かるねー」G11がぺちぺちと気の抜けた拍手をする。

「で、でも」

 

 なお抵抗せんとする416は、人差し指を唇に当てて笑うノアのウィンクを見て、口を閉じた。

 彼女だけが捉えた、ノアの瞬き信号。その内容は『リベ 友達 嬉しそう』。

 嘆息した416が、書類を片付けながらぱちぱちっとウィンクしてくる。同じく瞬きで返ってきた信号は、『残せ 後で 手伝う』それから『バカ』。

 無音でなされた二人のやり取りに、リベロールは首を傾げ、G36は苦笑い、そしてG11は気付かなかった。

 

「リベ」

 

 416たちと連れ立って執務室を去る小さな背中に、声を投げる。

 こちらを振り返った、自信が無さそうで血色の悪い顔。

 ノアは笑顔で手を振った。

 

「良かったね」

「――はいっ」

 

 そう答えて笑うリベロールの、なんと愛らしく誇らしいことか。

 三人の背がドアの向こうに消えてすぐ、携帯端末が震えた。グループウェアのチャット通知で、相手は416。

 

『気付いてる?今の貴方、それ以上ないってくらい嬉しそうに笑ってるわよ』

 

 顔を上げると、G36も珍しいものを見る目でこちらを見ている。

 ノアは緩む口角を隠しもせずに呟いた。

 

「この一年間待ち望んでいた笑顔が見られたんだ。

 こっちだって嬉しくなるに決まってるじゃん」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

傍にいる理由・後篇⑦

「次の課題は、“絶火(ゼッカ)”を使い熟すことだね。

 具体的には、射撃姿勢を解除せずに“絶火”で走り回って、敵の攻撃を避けながら反撃の隙を窺うこと。

 それと、毎回同じ距離を落ちていたら敵に間合いを学習されて偏差射撃の餌食になる。

 色んなタイミングでブレーキを掛けて、毎回違う距離を走るようにした方がいい」

 

 昼食前にお腹を空かせようとやって来た第二訓練場。

 悔しそうにこちらを睨む416に、ノアはスポーツドリンクを差し出した。

 

「今日も、一発も当てられなかった‥‥」

「でも結構惜しかったよ。七四発目なんて本当にギリギリだった。

 あの精度で二十発も撃てば、僕くらいには当たると思うよ」

 

 視線が険しくなった。褒めたのに。

 416は姿勢を正して、頬に張りついた髪を払った。一見気障ったらしい仕草でも、彼女がやると堂に入って見える。ぴっちりと全身を包むトレーニングウェアのせいで、やたらとボディラインが強調されている。‥‥銃弾と銃口、416の視線以外に一瞬でも意識が向かっていたならば、あの弾丸は眉間に刺さっていたかもしれない。

 そんなノアの心境なぞ知らず、416が時計を見上げた。

 

「“絶火”を使った回避ね‥‥分かったわ。

 まだ時間もあるし、今日は近接攻撃から逃げるのを想定してやってみたいのだけど」

「そうだね。撃ち合いでの運用は他の子と模擬戦でもした方がいい。

 ナイフでいい?」

 

 ノアの予想に反し、416はかぶりを振った。「徒手でお願い」

 つまり、彼女が想定しているのは対トーチャラー戦なのだろう。銃火器を携えていて当然の鉄血人形でありながら、一切の武器を用いることなく416を完膚なきまでに叩きのめしたハイエンドモデル。

 いつか再び()の人形に挑む以上、格闘特化戦術への対策も必須というわけだ。

 ノアはその申し出を了承して、靴紐を確認した。

 およそ二百メートル、距離をとる。ノアが一瞬で潰せる間合いでもあり、416の銃撃が十分当たりうる間合いでもある。

 

「それじゃあ、今からキミを襲う。

 僕が使っていいのは“絶火”と“秘刃(ヒバ)”だけ」

「“秘刃”‥‥指で銃弾を弾く技よね?」

 

 本来はより苛烈で残虐な攻撃技なのだが‥‥彼女の言う通り、ノアは専ら身を守るために使う。

 詳しい術理は説明していないから、そう理解したのだろう。

 ノアは頷いて、右足を引いた。

 

「僕が使う攻撃は蹴りだけ。慣れてきたら他の技も解禁する。まぁ、焦らずやっていこう」

「よろしく頼むわ」

 

 416は毅然とした表情で腰を落とした。セーフティを弾いて外す。

 ノアはニコリと微笑んで、地を蹴った。小さな衝撃波が、足元の像を陽炎のように歪ませた。

 

「――ッ!」

 

 416が咄嗟に“絶火”で後ろへ落ちる。彼女の首があったところを、ブーツの残像が駆けた。

 ただの回し蹴りだが、鉄血の雑兵ならば今ので確実に仕留められる、そんな一撃だ。

 足が上がって無防備なところに、NATO弾の群れが殺到する。

 蹴りに使った回転の勢いで身を翻す。自分に当たりそうなものだけ選んで、親指・人差し指・小指の“秘刃”で弾く。中指と薬指で挟んだ弾は、投げ返して飛来する弾にぶつけて叩き落した。

 416を一瞥する。今の一瞬でどっと汗を掻いたようで、その面持ちは険しい。

 超音速の世界に対する恐怖が滲んだ表情を見るだけでも胸が痛むが、心を鬼にして追撃する。

 “絶火”を連ねて駆けた。右に大きく、左に小さく、再び右へ。背後を掠める弾丸は無視。偏差射撃への対策として、上下の動きも織り交ぜていく。

 スタン宙捻りで逆さまになった光景、ノアは感嘆に片眉を上げた。

 416の視線が、少し遅れてはいるが自分の後を追えている。“絶火”を使えるようになったことで、動体視力も追いついてきたらしい。

 いっそのこともっと速い技を見せたら、単純な“絶火”程度の速度にはすぐ慣れるだろうか。

 

(“烈火”を試してみるか)

 

 着地後間髪入れず、三回分の“絶火”の勢いを乗せて飛び蹴りを放った。直線的な蹴りではなく、蛇のようにうねる一撃。416から見て左から這い上がるように、ブーツの底がグリップを握る手に迫る。

 

 そこで、異変に気が付いた。

 

 416の目が焦点を結んでいない。蹴りの起こりは視認できていたはずなのに、視線がノアから外れている。顔は色を失い、体は強張ってしまっている。

 このままでは愛銃ごと416の右手を吹き飛ばしてしまう。慌てて腹筋に力を籠めた。体の中で流れていた勢いを無理矢理真上へ曲げて、ぐるんとエセ側宙を切る。

 ガン――ッ!!

 ブーツの底がコンクリート製の床に刺さる。無茶な軌道変更が祟って、脚に反動が返ってきた。

 膝がもげそうな激痛を噛み殺して、416の肩に手を添え座らせる。

 震えている。奥歯が噛み合わなくなり、ガチガチという音が口の奥から漏れ聞こえた。

 初めて会った日に見た症状。ノアはあの時のことを思い出して、咄嗟に華奢な体を抱き締めた。自分の鼓動を聞かせながら背を撫でる。体中から噴き出していた汗はぞっとするほど冷たく、あの傷の深さを訴えていた。

 

「大丈夫、落ち着いて、416‥‥!」

「っ、あ‥‥」

 

 しばらく呆然と荒い息を繰り返した後、震えはゆっくりと収まった。

 ノアの胸を弱弱しく押し返しながら、小さな声を発した。「平気‥‥だから‥‥」

 今の様子を受けて、どうしてその言葉を信じられると思ったのか。

 目を合わせて、「嘘を吐くな」と言外に訴える。

 

「トラウマ、まだ残ってたんだ。考えてみれば当然だけど‥‥最後の蹴りでフラッシュバックしたの?」

「‥‥その、角度とか速度が、あまりにもアイツのと似ていたから」

 

 ――え?

 “烈火”は、“絶火”の勢いを乗せた上でインパクトの瞬間にもう一度“絶火”を放つ蹴打である。様々な角度から放つことができるが、最終的には靴の底が対象にぴったりと触れるように調整する。要するに「亜光速で飛んで行って横向きに踏んづける」技だ。力を伝えやすくするために途中で膝を曲げるという術理の影響で、途中でぐっと曲がる軌道を描く。ノアの師が編み出した変態じみた蹴りであり、如何なる流派にも類似した技は無いはずだ。しかし、416が見間違えたという線も考えられない。

 と、いうことは。

 ノアは、愕然と目を見開いて独り言ちた。

 

「トーチャラーは、“烈火”を使ったのか……?」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

傍にいる理由・後篇⑧

ちょっとグロ注意です。
デストロイヤーちゃん激推しの方は読まない方がいいかも


 血の通いを感じさせない白い指が、赤黒く汚れた腹を撫でた。

 赤い蜂の巣のような物体――先程まで鉄血工造のハイエンドモデルだったモノ――は両手を縛られたまま、力なく蠢動する。しかし当然そんな行動に意味は無く、トーチャラーの人差し指がずぷりと人工皮膚の内側へ潜り込んだ。

 通算一〇九八回目の激痛で泣き叫ぶ人形に向かって、トーチャラーが語りかける。その口調はあくまで優しく、聞き分けのない子供に辛抱強く言って聞かせる母親のようにも思われた。

 

「ねぇ、デストロイヤーちゃん。貴女はドリーマーと仲良しでしょう?次にあの子がどこに戦力を投入しようとしているのか、それだけでも教えてくれないかしら」

『痛い痛いだから知痛いらないっ痛い痛いて言っ痛いてるじゃ痛いな痛いい痛い嫌だ痛い許して痛――』

 

 肉交じりの金属塊に繋がれたスピーカーから、思考の中身が垂れ流される。

 休憩を除けば合計約三十四時間の愛撫の果て、デストロイヤーの電脳は完全に沈黙した。

 トーチャラーは大きく溜息を吐いて、遺体をほじくり返す。指先の感触を頼りにコアを引きずり出すと、人工血液に塗れた立方体がぬらりと照明を反射した。

 

「結局コアから直接メモリを盗み見るんでしょ?拷問する必要ないじゃん」

 

 解析モジュールで血塗れのコアを走査していると、後ろからつまらなそうな声が飛んできた。

 長い髪を靡かせて振り返り、相棒の言葉に答える。

 

「お帰り、クレンザー。

 これくらい別にいいでしょう?こんな体になってから、娯楽の一つもろくに味わえてないんだから」

「その遊びのせいで連中に尻尾を掴まれなければいいけどね。

 そもそも、僕じゃ満足できないわけ?」

 

 クレンザーが頬を膨らませて、猫のような瞳でトーチャラーをねめつける。

 拗ねたようなその表情が愛しくて、トーチャラーは立ち上がり相棒に跳びついた。身長差があるのをいいことに、頭を自分の胸に埋める。

 

「あぁん、もう!貴女ってば本当に可愛いんだから!

 安心して、貴女が一番だから、クレンザー。

 でも、あんなことを貴女にするわけにはいかないでしょう?」

 

 真っ赤な顔で豊かな乳房から浮上したクレンザーは、その言葉で部屋の奥を覗き込んだ。

 先程のデストロイヤー以外にも、ゲーガー、スケアクロウ、イントゥルーダー‥‥数多の鉄血人形の屍が、それぞれ判別できるだけの要素を奪われた状態で打ち棄てられていた。

 クレンザーの眉尻が下がる。

 

「ごめん、トーチャラー。鉄血ばっかりで。

 グリフィンの人形、全然捕まんないんだ」

「いいのよ。この子たちも中々楽しめるんだから。

 グリフィンの方が悲鳴も美味しいけれど‥‥彼も彼の人形たちも優秀だもの、仕方ないわ。

 まぁそんなことより、早くベッドに行きましょう?」

 

 クレンザーの柔らかな癖毛を撫でながら、トーチャラーは優しく微笑んだ。

 相棒の手を引いて、ベッドに誘う。

 破壊欲を満たしたのなら、次は性欲か。

 “欠落組”と称される二人のハイエンドモデルは、今夜も互いを貪り合う。




感想が欲しいです。なんなら好きな動物の鳴き声でもいいです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間に投げられた思い出話・その一 ①

 いつもより強いチューベローズの香りと、じんわりと温かく柔らかい気配に違和感を覚えた。

 ゆっくり目を開くと、空恐ろしいほどに整った女の顔が至近距離で微笑んでいる。

 透き通る橄欖石の双眸と、そこから滴る赤い涙が特徴的な副官――HK416が、ノアの隣で横になって、彼の顔を間近で覗き込んでいた。

 思わず跳び起きる。目を擦ってから視線を戻しても、横たわった彼女が投げかける意地悪な視線は変わらない。

 

(おかしい、昨日は一人で眠ったはずだ。お酒も飲んでない。

 眠っている間に薬物を服用させられた?いや、それなら事前に気付くはず。

 残る可能性は夢魔かスクブスが見せる夢――いや、この時代に連中はいないだろ)

 

 寝起きの頭を全速力で走らせて、昨夜の行動と現状が乖離している原因を探す。

 つい先日、ノアと416は同じベッドで朝を迎えたが、あのときノアは何もしなかった。しないでいられた。しかし自分の記憶に無いところで、あのときと同じ状況になってしまっていたとしたら。記憶に無いところで、自分は暴走してしまっていたのかもしれない。

 

「ふ‥‥ふふっ、ふふふっ!」

 

 溢れ出すような笑い声に顔を上げると、堪え切れないといった様子の416が口を押さえていた。

 

「何よ、そんなに思い詰めた顔しなくてもいいじゃない。

 安心して。夜中にお邪魔して、添い寝してただけだから」

 

 そんなに自分は酷い顔をしていたのだろうか、416は肩を震わせて笑い続けている。

 いや、そもそも添い寝する必要など無いはずだが。外見はともかくとしてノアは立派な大人の男であるし、一人で眠れないことなどない。

 その疑問を口にすると、416はいくらか真面目な表情に戻った。

 

「この間、副官室で一緒に眠ったとき、珍しく貴方の体調がよさそうだったから。

 睡眠中に貴方以外の熱源があれば、あの低体温症を引き起こさずに済むんじゃないかと思ったの」

 

 416はそう言い残して寝室を出た。いつものように、朝食の用意をしてくれるのだろう。

 自分はどうしようか、と思案する。416の推理通り、今のノアは普通の体温を保っている。これならシャワーを浴びなくても――

 ノアは寝巻のまま、彼女の後を追って寝室を飛び出した。

 

「416っ!」

「きゃっ!?な、何よ」

「僕、汗臭くなかった!?」

 

 二人の間を天使が通った。

 てきぱきとスクランブルエッグを炒める手は止めず、416が破顔する。

 

「全然。ゼラニウムみたいないい香りしかしなかったわ。

 シャンプーまで女性的な趣味してるのね」

「いや、アレは適当に安いのを買っただけで、香りとかは考えてないよ」

「は!?トリートメントは?」

「してないよ」

 

 訝しげな視線が、ノアの頭頂部と下ろした髪の毛先を往復する。

 

「それでその髪なの?腹立つわね‥‥」

 

 そんなこと言われても。

 どうしようもないので、部屋に撤退して着替えることにした。

 

 焦げ目の薄いパンを一口齧って、ノアは416を見た。416はノアの咀嚼の様子を眺めていたようで、特に何も言わなくとも視線が合った。

 

「何かしら」

「やっぱり、添い寝はいいよ。

 僕なんかのために色々してくれて本当に感謝してるけど、夜中にわざわざ起きてこっちに来てもらうなんて‥‥」

 

 416は嘆息した。「言うと思った」ジト目でこちらをねめつけてくる。

 自分は至極真っ当なことしか言っていないと思うのだが、そこまで呆れられるべきことだろうか。

 ノアは人差し指を立てて続ける。

 

「それに、やっぱり嫁入り前の女の子が男と同衾するのは不健全だよ。

 毎朝ご飯を作ってもらってる身分で、今更かもしれないけど」

「本当に今更ね。それに的外れよ。

 私は戦術人形よ?そんなことを気にしてどうするの」

 

 口調こそつっけんどんだが、その口の端はわずかに緩んでいる。

 変な笑い方をするなぁ、と思いながら、ノアはココアでパンの耳を流し込んだ。「価値観の相違かぁ」

 

「私は別に構わないのよ、そんなこと気にしてないから。

 それに‥‥」

「何?」

 

 416は目を細めて微笑んで、指でノアの鼻を突いた。

 

「貴方の可愛い寝顔を眺めてると楽しいしね?」

 

 ノアは息を呑んだ。自分が女顔であることとか、男らしさや野性味を欠いた言動をしていることは自覚しているが、そんなことより。

 そう言って歯を見せた副官の、意地悪そうな笑顔にドキリとしてしまったとは、とても言えない。

 

「可愛いとか言われたって、嬉しくないけどね‥‥!」

 

 咄嗟に出てきた言葉はそんな憎まれ口で、416はさらにその笑みを深くした。

 顔が赤くなっているのはもうどうしようもないから、マグカップの陰に避難する。

 カーテンの隙間から射す光は温く、春らしい気楽さを部屋に運んでいた。

 




感想が欲しいです。好きな動物の鳴き声でもいいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間に投げられた思い出話・その一 ②

「こんにちは、ヘリアンさん。

 その顔を見る限り、昨日も駄目だったんですね。

 でも落ち込むことじゃないですよ、男たちに見る目が無かっただけですから!あっは!」

 

 G&Kの上級代行官との会議で、開口一番ノアが放った口上である。ただでさえ不機嫌そうだったヘリアンの眉間が、更に険しいV字谷へと変貌する。

 416はカメラの死角で、ノアの掌をつついた。簡単なモールス信号だ。

 

(ちょっと、どうして開幕から煽ってるわけ?

 貴方、地雷原でタップダンスする趣味でもあったの?)

(別に煽ってなんかないよ)

 

 こちらのタッピングに応じて、ノアも掌をつつき返してくる。少しくすぐったいけれど、笑ってしまったらヘリアンにバレる。

 こういう二人だけのやり取りがなんだか楽しくて、場を弁えるべきだとは思いつつも、触れ合う指は止まらない。

 

(今の発言を煽りって受け取らない人類はいないでしょ)

『今日も貴官は絶好調のようで何よりだ。死んでくれ』

「やだなぁ、そんなに怒らないで下さいよ。本心なんですから」

(ヘリアンさんは忙しいからね。怒らせて時間を潰せばお叱りが一つ減るんだよ)

(やっぱりわざとやってるんじゃない。意地汚いわね)

『心にもないことを。どうせ私が何連敗するか、同期の連中と賭けでもしているのだろう?』

(そんな、照れるよ)

「いや、流石に人の恋路にコインを積むほど悪趣味じゃないですよ」

(褒めてないわよ)

(ほんと?)

(嘘)

 

 こうしてノアの作戦通りに、貴重な時間は浪費されていく。

 いつものパターンなのだろう、これではいけないと意識を切り替えたらしいヘリアンの鋭い視線が、ノアの胡散臭い笑顔を射抜いた。

 これだけの敵愾心を正面から向けられていながら、よくもまぁ涼しい顔ができるものだ。自分が他の基地に出入りしたとき、指揮官たちはもっと怯えた様子で彼女に相対していた。しかしノアはこの通り、いつもと変わらぬ笑みを湛えて佇んでいる。緊張感が無いだけ‥‥とは思いたくない。

 ヘリアンは手元の資料をパンパンと叩き、吐き捨てるように告げた。

 

『今日は貴官に忠告することがある』

「いつもじゃないですか」

『それは貴官がいつもいつも本部の指示を無視するからだろうが‥‥!』

 

 すかさず挟まれるノアの茶々が、ヘリアンのこめかみに青筋を浮かせる。

 416も、ノアのせいでヘリアンが胃を痛めていることは知っていた。しかし、明らかな命令違反までしているのだとしたら、いくら何でも諫めるべきだろう。彼が指揮官の立場を追われてしまったら、誰が“猫の鼻”を守るのだろうか。

 

(指揮官、貴方って不良軍人だったの?少しは自重しなさいよ)

(まさか。上の計画に納得がいけば従うさ)

(気に食わないからって躊躇いなく違反するのは拙いでしょ)

(結果は出してるからいいの。偉い人に嫌われるだけさ)

 

 416は嘆息した。ノアの奔放さと、それを上層部に赦させる理不尽な有能さにである。

 ヘリアンの語気が一層強くなる。そろそろ限界なんじゃないだろうかコレ。

 

『とにかく!貴官の報告に虚偽があったことを確認した!

 確かな情報源からの報告だ、言い逃れはできんぞ』

 

 416の背に、冷たい汗が流れた。

 どれだ?ノアが今までに隠し、誤魔化してきたことは416が来てからだけでも少なくない。もしその中に致命的なものがあったら、ノアは指揮官の肩書を剥奪されてしまうかもしれない。

 しかし、ノアはその手の工作に抜かりのないろくでなしだ。そんな彼の許から虚偽報告の証拠を探り当て、その上すっぱ抜ける相手など――一人だけ、心当たりがある。

 

「45だよねー。やっぱりヘリアンさんとグルだったかぁ」

 

 416の予想と同じことを、ノアはあっけらかんとした笑顔で口にした。

 UMP45は、電子戦及び情報戦、そして潜入工作に長けている人形だ。彼女にとって、目標の情報を盗み出すことも、その痕跡を消すことも朝飯前だ。そしてそんなことは、ノアも充分理解しているだろう。でなければ、“欠落組”の捜索専門の部隊を立ち上げて、45を隊長にするはずがない。

 しかし問題は、45が手に入れた情報をヘリアンに――つまりはG&Kに流していることだ(まだ確定はしていないが)。これは、ただの悪戯以上にノアの立場を危うくする行為である。

 二人の態度を見る限り、ノアはG&K内でも相当自由な振る舞いをしているのだろう。ヘリアンからは「信用できない男」だと前もって聞いていたし、実際に彼の言動を見て416自身もその印象を正しいと認識した。もし彼が充分に無能であったならば、とっくに彼はワインレッドのコートに袖を通すことは無くなっていたはずだ――あぁいや、その制服もカルカノM1891の趣味で改造されており、今ではセンターベントに二つボタンのジャケットへ姿を変えている。どこまでも規律を乱す男だ。

 ヘリアンは手許の資料に視線を下ろして、呆れ果てたように肩を落とした。

 

『貴官、実際の交戦の内、五分の一しか報告していないじゃないか。

 しかも、貴官自身が戦場に赴き、あまつさえ鉄血兵とやり合っているなど初耳だぞ。

 これはどういうことだ?理由次第では、何らかの処罰をせねばならない』

 

 ――そこか!

 416は表情を変えないように努めたが、唾を飲み込んだのはバレなかっただろうか。

 416が知っている中では、最大級の問題である。そもそも416がノアの副官に立候補したときに業務量を勘違いしていたのは、ここが激戦区だと聞いていなかったからだ。鉄血の攻勢はアンバーズヒル方面へ集中しているので404小隊の活動に支障はなかったが、もし彼が情報を改竄していたせいで自分たちの作戦が失敗していたら、ノアの首は間違いなく飛んでいただろう。

 二つ目に関しても、指揮官自身の出撃は本部からの許可が必要である。その申請手順をすっ飛ばして戦場に身を投じることは、指揮官としての責任を充分に理解していないと謗られても仕方ない。こちらにしても、やはりノアの首は危うい。

 そんな必殺級のギロチン二連発が目の前に現れても、ノアはひらひらと手を振ってみせた。「僕なりの考えがあってのことです」その口調にも変化は無い。

 

「まず交戦数の件。ヘリアンさん、実際の鉄血との交戦数及び敵戦力をご覧になって、どう思われました?」

『‥‥常識外れもいいところだな。

 現在、対鉄血の最前線は間違いなくS09地区だろう。しかしそれは貴官が情報を伏せていた故の判断だ。

 貴官が着任する前と比べても、戦況は激化している。このデータを見れば、C■■地区も最前線として扱わざるを得ない』

「えぇ、僕もそう思います」

 

 ノアは我が意を得たりと頷いて、

 

「それを僕と“猫の鼻”だけで食い止めていると知ったら、その戦力をS09の方へ回したいって思うでしょ?」

『それはそうだな』

 

 図星――というより、戦術的最適解を提示されて、ヘリアンが目を逸らす。

 

「僕はね、ヘリアンさん。ここを離れるつもりなんて毛頭無いし、僕以上に無能な指揮官に人形たちを託すつもりも無いんですよ。

 だから、あまり有能だとは思われたくなかったんです」

『なんて身勝手な‥‥ッ!』

 

 ヘリアンは天井を仰いで呻いた。一方で416は、頬が緩んでしまいそうなのを必死に堪えている。

 というのも、ノアが口にした理由が、あまりにも416の推測通りだったからだ。ヘリアンは「身勝手」と言ったし416もそう思うが、そんな理由でどのような無茶もやってのけるのがノア=クランプスという男なのだ。もっとも、あまり無茶はしてほしくないのだが。

 ヘリアンが額に手を当てて嘆息する。

 

『貴官は人柄も言動も性根も腐りきっていて全く信用できんが、実力だけは高く買っている。これは上層部も同じ意見だぞ。

 ‥‥実際、すぐにでもS09に配属すべきという声もある。しかし、貴官以外にそこを守り切れる人材はいないだろう。

 だから、安心してきちんと正確な情報を偽りなく報告しろ。次はないぞ!

 あと、体は大切にしろ!貴官が斃れたらC地区はおしまいなんだからな』

「はーい。

 やっぱりヘリアンさんは優しいですね。その調子ならすぐに良い人に出会えますよ!あっは!」

『調子に乗るな、クソガキが!』

 

 元来人を揶揄うのが好きな性質なのだろう、ノアはカラカラと笑っている。こんな楽しそうな表情は滅多に見られない――というか、この会議のときしか見られない。

 その事実に気付いた瞬間、どこかモヤッとした感情が発生するのを、416は認識した。精査して、それが「怒り」及び「嫉妬」に類似していることを理解する。どちらもこれまでの活動期間で抱いたことのある感情だが、あの二つはもっと腹の底で燻る火種のような感覚だった。しかし今抱いたこの感情は、不快ではあるがその不快さがくすぐったいような‥‥よく分からない。メンタルモデルのノイズか何かだろうか?いや、完璧な戦術人形であるHK416に、そのような不具合などあるはずが無い。

 正体不明の感情の捌け口を求めてノアの脇腹を小突けば、可愛らしい悲鳴が返ってきた。こちらを振り向いて、視線で「なんで!?」と訊ねてくる。自分でもよく分からないから、ここは彼に倣って笑顔で誤魔化しておく。

 

『貴官、HK416と随分距離が近いな』

 

 指摘する声で、416は我に返った。拙い、目の前で遊んでいるのがバレたらヘリアンの叱責を免れない、と自戒していたはずなのに。

 しかし416が口を開くより早く、ノアが首を傾げた。人差し指を顎に添える、あざとさ全開のポーズ。似合わなかったら張り倒していたところだ。

 

「そう見えますか?僕は人形全員にこんな感じですよ」まったくもってその通りなのだが、なぜか無性に腹が立つ。

『そうか、ならばいいのだが‥‥』

 

 そう言いながら腕時計を一瞥して、ヘリアンは舌打ちした。ノアの目論見通り、この会議に割ける時間は残り少ないのだろう。そのまま早口でまくし立てる。

 

『人形と過ごす時間が長い仕事柄、人形と恋に落ちてしまう指揮官も少なくない。

 しかし、ただでさえ人口が減っているんだ、少子化に一役買ってくれるなよ』

「あっは!ヘリアンさんに言われちゃおしまいですね!」

『お前‥‥ッ!』

 

 いよいよ怒髪が天に達さんというヘリアンの形相を尻目に、ノアは終了ボタンを押した。

 長い髪に端正な顔が隠れる。紫がかった幕の向こう、薄桃色の唇が小さく動いた。

 

「‥‥衰えたのなら、さっさと舞台を降りてしまえばいい。

 老いた麒麟が駆けずり回ったって、見苦しいだけなんだから」

「え?貴方、今‥‥」

「さて、行くよ416。次は実科学校の警備連絡だよね」

「そうね。その後は反対側の防衛班との会議よ」

 

 今日の予定を脳内でさらいつつ、ノアの表情を観察する。しかしそこには微塵の淀みもなく、穏やかな笑顔だけが浮かんでいた。

 ひょっとすると、実はノアは人間のことがあまり好きではないのかもしれない。

 416はそんな予感を呑み込んで、暗赤色の背を追って第二会議室を後にした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間に投げられた思い出話・その一 ③

 UMP45は、ノア=クランプスを信用していない。

 絶体絶命の危機から自分たちを救ってくれたことには感謝しているが、それとこれとは話が別だ。普段の振る舞いの胡散臭さもさることながら、彼のスペックに対する違和感がどうしても拭えない。背後からの銃撃を徒手で逸らしたあの技術や、Super-Shorty捜索の折に見せた莫迦げた疾走。あれは、ただの軍人くずれが何の肉体改造もなしにできる所業ではないだろう。しかも人形たちの話を聞く限り、彼は単独で鉄血ハイエンドを殺すことも珍しくないらしい。何ソレ。

 というわけでここ数日、尾行や盗撮といった手段でノアを監視しているが、彼の素性に関する情報はまるで手に入らない。

 何とか努力の甲斐あって、基地の出撃記録やノアの戦闘履歴を発見したのが三日前。ヘリアンに確認した情報と比べて五倍以上の交戦報告や、当然のように記された「週間撃破数:ゲーガー・二、アルケミスト・七、ハンター・十八、デストロイヤー・七。交戦者:ノア=クランプス、IWS 2000」の文字列には仰天したが、それ以上に恐ろしかったのは――

 

(何よ、この作戦プラン。印刷すれば事典にでもなるんじゃないの)

 

 タブレットに表示される文字の濁流に、45は眉間を揉んだ。

 ノアのプライベートPCに保存されていた、戦術シミュレーションとそれに応じた交戦規定及び作戦計画。一日の出撃につき五百に上る数の策が編まれており、それが毎日毎週欠かさず続いている。敵部隊の位置予測も完璧で、この作戦集を人形たちにダウンロードさせておくだけでも完全勝利は容易かろうというものだ。

 しかし、そういった作戦全ての末尾には、「あまり当てにしないように。予想は所詮予想でしかないからね」という句が添えられていた。これだけ緻密で欠缺の無い作戦を立てておきながら、何故最後に放り投げてしまうのか。

 戦術予想専用のスーパーコンピュータでも隠し持っているのかと疑って基地中を探し回ったが、どこにもそんなものは無かった。そして先日45自身が出撃する際に、四十八の交戦規定と戦闘プランをその場で編み上げるノアを見てから、少なくとも戦術指揮における彼の実力は疑いようがなくなった。

 タブレットから目を離して、ソファに体を沈める。

 丁度そのタイミングで、玄関のドアが開く音がした。45以外の小隊メンバーが帰って来たのだ。何やら買い物だと416は言っていたが、わざわざ三人で行くほどのものがあるだろうか。

 バタバタという足音と、416の怒声が聞こえる。ちょっと9運ぶの手伝いなさいよあとちょっとじゃないの。

 

「ただいまー!45姉、ただいまー!」

「はいはい。お帰り、9」

 

 今ではすっかり45にとっての妹となったUMP9が、勢いよくこちらに飛び込んでくる。迎えて頭を撫でると、嬉しそうに目を細めて頬をこちらの胸に擦りつけてくる。もし彼女にイヌ科動物の尻尾があれば、きっとブンブンと勢いよく振り回されているだろう。

 荷物を放り出してリビングへ戻ってきた9に一足遅れて、腕一杯の紙袋を抱えたHK416とG11が姿を見せた。

 

「ふげ‥‥重いよぅ‥‥」

「ほとんど私が持ってるでしょうが」

 

 食卓に紙袋を置いて、G11もソファに身を投げてきた。端に寄ってスペースを作りながら顔を上げる。片付けの手伝いは期待していないのだろう、416がてきぱきと戦果を冷蔵庫へ仕舞っていく。

 

「今回は随分たくさん買ったね~。安売りでもしてたの?」

「それは‥‥」416が目を逸らす。

「そう!416ったら何回訊いても全然理由を教えてくれないんだもん、いい加減教えてよ!」

 

 胸の中から拳を振り上げる9の訴えもあってか、416は諦めたように溜息を吐いた。「‥‥そうね。どの道アンタたちの許可もいるものね」

 404小隊全員の合意を求める案件とは、一体何事だろうか。首を傾げても、思い当たる節は無い。

 

「‥‥次の日曜、指揮官は久し振りの休みなのよ」

「へぇ、そうなんだ。珍しいね」そう相槌を打ったものの、45もそのことは知っていた。尾行の戦果だ。

「最近は中々余裕があるから。

 それで、その‥‥」

 

 頬を赤くしてあらぬ方向をあっちこっち見回す416の姿に、45は彼女の意図を充分理解した。

 9が目をキラキラさせて叫ぶ。

 

「もしかして、指揮官を呼んでみんなでご飯食べるの!?いいね!

 ねぇ、45姉もそう思うでしょ?」

「そうね」

 

 416やG11と違って、9は別段ノアに懐いているわけではない。しかし、機会さえあればみんなと仲良くなろうという姿勢が彼女のスタンダードであり、ノアに対してもその基本法則は揺るがないのだろう。45がノアのことを警戒していることを察して、積極的に接触しようとしないだけで。

 45にしても、ノアのことを警戒こそすれ、嫌悪や憎悪を感じているわけではない。寧ろ、同じ食卓につけば彼に関する情報を集めるきっかけになるかも――

 

「私は別に構わないよ~」

「やったぁ!G11は?どうかな、指揮官とのご飯!」

「うゅ‥‥さんせー‥‥」

 

 そのやりとりを見て、416が胸を撫で下ろす。元々反対するとすれば45だけとは思っていただろうが、404の全員が了承しなければ彼女は今回の件を断念していただろう。そう予想できる程度には、45は416の律義さを信頼している。

 

「それで、何を買ったの?」

「えっとねー、お肉とか、香辛料をたくさん!それとバゲットもいっぱい!

 他にも色々買ったよ!」

「‥‥‥‥」

「それはっ、こっちから呼んでおいて大してもてなせなかったら、指揮官が肩透かしを食っちゃうじゃない」

 

 ニヤつく顔を隠さず416を見れば、彼女は早口で訴えてきた。

 

「別に何も言ってないよ~?」

「顔がうるさいのよ!」

「ひど~い」

 

 猫撫で声の抗議を無視して、416は食材を片付ける。その横顔に期待が滲んでいるのを見て、45は内心で嘆息した。

 416は美人である。というか、戦術人形は皆可憐で美しい。45にもその自覚はあるし、この顔を武器にして他の指揮官に媚を売ったこともある。

 その一方で、自分たち404小隊は人間を信用していない。どんなに心を許した振りをしていても、この体に触れることは許さない。それは自分だけじゃない。9もG11も、416だってそうなのだ。

 今まで何人の指揮官が、もっともらしい理由を付けて自分たちに愛を囁いた?

 まったくもって莫迦らしい。外見で一体何が分かる?過去を黙して心を閉ざす自分たちの、何を以て「好きだ」などとほざけるものか。

 もう一度、416を見る。ARディスプレイに表示されるレシピを確認しながら、てきぱきと夕食の用意をしている。きっと、今日は本番に向けての習作がテーブルに並ぶことだろう。

 いくら優秀とはいえ、たかが一人の男のために努力するその姿に、45は確かな苛立ちを抱いた。

 

「45姉?どうしたの?」胸の中の9が、45を見上げて眉尻を下げている。

「何でもないわ、9」ひょっとすると滲み出ていたかもしれないその感情を、一瞬で笑顔の裏に封じ込めた。怒りとは、表に出しては何の意味のない感情だと理解している。己の内で燃焼させてこそ、この体を突き動かすことができるのだ。

 曲がりなりにも404小隊は皆家族であり、この世界で唯一と言える自分の居場所。どこの馬の骨とも分からないポッと出の指揮官に、壊されてたまるものか。

 必ず、その化けの皮を暴いてみせる。

 UMP45は、ノア=クランプスを信用していない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間に投げられた思い出話・その一 ④

『本当に良かったの?指揮官置いて来ちゃってさ』

「いいのよ。あの人だって忙しいはずだし、偵察は私たちの仕事でしょ?

 そろそろ敵陣に入るわ。また後でね、MDR」

『ほいほ~い』

 

 日の光はまだ稜線の向こうに揺蕩っている。

 いつでも発砲できるよう、銃口をほんの少しだけ下げて目的地までの経路を確認する。正規軍駐屯跡地はこのすぐ先だ。

 “猫の鼻”南方に駐屯していた正規軍の無人兵器部隊が、一晩の内に壊滅した。

 夜中の散歩に出ていたグローザが、爆発音を聞きつけてその現場に行き着いたらしい。そして報せを受け取ったノアが急遽“二偵”を呼び出したのが、約三十分前のこと。

 

『あれだけの戦力が一夜で殲滅されるのは異常だ。“欠落組”の仕業である可能性が高い。

 となると鉄血側も情報を集めに来るだろうから、早い内に手掛かりを集めよう。痕跡を破壊できるとなお良しだ』

 

 とはノアの弁。

 そして現在、砂とアスファルトの混じった地面を、UMP45たちは音を殺して進んでいた。

 

『その先、敵の反応二つあり。建物の陰で狙撃は不可能です、気を付けて』

「了解」

 

 T-5000からの通信を受けて、曲がり角の向こう側を警戒する。後ろについてきている9に、ハンドサインで「この先交戦。消音装備確認」と促した。

 妹の準備が整うのを待って、再び足を進める。敵は自分たちに気付いていない。このままいけば、先制攻撃ができるはず。

 しかしその予想を裏切って、先に曲がり角の向こうから二体のBruteが飛び出してきた。全身から迸る蒼いスパークは、最速調整(ソニックモデル)の証。思わず舌打つ。

 向かって左の敵を9が狙うのは分かっているから、45は右のBruteの脳天を撃ち抜いた。

 一拍遅れて、背後で窓が割れた。

 慣性で飛んでくる死体を避ける、その隙をついた強襲。T-5000とK5は遠方から狙撃支援と観測役、MDRはもう少し後ろで退路を確保している。自分たちの反応は間に合わず、どちらかは不意打ちの餌食となることがこの瞬間確定し――

 びしゃり、という音が聴覚を刺激した。

 振り返って照準を向けると、自分たちの背後を取っていたゲーガーは腰の辺りで真っ二つに断裂し、人工体液とスパークを振り撒きながら道の脇に転がっていた。

 

「うーん。やっぱり、向こうの方が気付くのは早かったね。既に部隊を展開されてる。

 といっても先遣隊か。無人機を回収するための本隊が来る前に帰らないと」

 

 Bruteがいたはずのところに佇んで、ノアが手についた返り血を舐めている。残心の姿勢から、回し蹴りを放ったのだということは分かった。

 真顔で「鉄血製の人工血液って薄いよね。いかにも濃そうな名前してるのに」などと呟くので、45は頬が引き攣るのを抑えながら、笑顔を作って訊ねた。

 

「どうして貴方が来てるの?指揮官」

「一緒に行くって言ったのに置いていくから、走って追いかけてきたんだよ」

「‥‥はぁ」

 

 だからそもそもお前が来ること自体がおかしいんだよ、とは言っても伝わらないのだろう。

 追いつかれてしまった以上仕方がない。45は諦念を口から吐き出して、ノアに背を向けた。

 

「まぁいいわ、後で416に叱られても知らないから。

 行きましょ。9、準備はいい?」

「うん!指揮官も一緒に頑張ろうね!」

「お~」

 

 その後の道のりは何とも楽だった。何せ、一度も発砲せずに済んだのだから。敵の気配を感じて銃口を向ければ、Vespidの胸からノアの手が生えていたり、Aegisの頭部をノアのブーツが吹き飛ばしていたり。

 返り血を袖で拭う彼の表情を窺うと、どこかいつもより活き活きとしている。

 考えてみると、最近のノアはあまり前線に出ていない。いや、それが指揮官の本来あるべき姿なのだが、彼にとっては久し振りに暴れられるのが楽しくて堪らないのかもしれなかった。

 それからおよそ十分の後、三人は鉄血陣の最奥と思しき大型テントに踏み込んだ。昨夜の事件現場をある程度保存しているのだろう、焼け焦げ抉れた地面はそのままに、無人機の残骸だけ集めてある。

 ノアが足を止め、派手に咳き込む。

 

「ごほっ、ごほっ!」

「指揮官、大丈夫?」

「平気平気。ちょっと埃っぽくて噎せただけ」

「鉄血の連中に衛生なんて観念は無いからね‥‥。外で待つ?」

「いや、僕もここに用があるから」

 

 45は二人の遣り取りを聞き流しつつ、無人機の残骸からメモリを取り出した。ユニバーサルポートにコードを繋ぎ、データのサルベージに取り掛かる。

 

「こちらUMP45。サルベージを始めるよ」

『こちらK5。潜入限界予想時刻まであと三二〇秒。急いでね』

「了解」

 

 一方でノアは、無人機の残骸よりも周辺の弾痕や焼け焦げた地面に興味があるらしかった。辺りをぐるぐる歩き回りながら、つぶさに戦いの痕跡を観察している。時折、先程の様に口を押さえて咳き込むので、

 

「ねぇ指揮官、煩いんだけど。作業の邪魔はしないで」

「あっは、ごめんごめ――ごほっ!いやホントにごめんね?」

「はぁ‥‥」

 

 要所要所に持参の爆弾を設置していた9が、眉尻を下げた。

 

「指揮官、本当に大丈夫?近頃もまだ夜は冷えるから、風邪とか引いたんじゃ‥‥」

「あー‥‥多分それだけは無いよ。心配してくれて有難う、9」

 

 ――?

 一瞬、ノアの動きが不自然だった気がした。9の視線から左手を隠すような‥‥

 しかしその違和感に結論を出すより早く、45の内部聴覚に電子音が響いた。メモリ内を走らせていた検索プログラムが、事件当時の映像記録と戦闘ログを見つけたのだ。

 三倍速で再生する。その内容、火の海に佇む異形に、45は絶句した。

 

(何よ、これ‥‥。これが“鏖殺者(クレンザー)”!?)

 

 無機質なフェイスマスクに守られて素顔が見えないだけでなく、全身を包む夥しい数の武装とコンテナによって、敵の素肌は余すところなく覆われている。上部中央に女性と思しき頭部が見えていなければ、鉄血の戦術人形と言われても疑わしい。これでは最早小さな機動要塞だ。AR小隊がなす術もなく壊滅したのも頷ける。

 コイツには戦術人形程度では勝てない。ログによるとここに配備されていた大型無人機は八十三機。その全てが、コイツ一人に殲滅されたことになるのだから。

 45は絶望的な情報を一旦意識の外に置き、深呼吸した。自分にはもう一つ、ここでやらなければならないことがある。

 

『残り一八〇秒。大丈夫?45』

「うん、問題ないよ。大丈夫」

 

 無人機をハブにして、正規軍のデータベースにアクセスする。通信帯域が狭いので、隠し持っていたポケットブースターを起動した。

 

「指揮官、今度映画見に行こうよ!トンプソンが面白いの教えてくれたんだ!」

「いいよ。それにしてもトンプソンから?いつの間に仲良くなったのさ」

「“猫の鼻”の子たちはみんな優しいから。指揮官に似たのかな?」

「僕は別に優しくないと思うけど」

「えぇ‥‥?」

 

 9とノアの雑談を聞き流す。9には今やろうとしていることを一切伝えていないが、図らずもよくノアの気を引いてくれている。

 ノアの観察力は怪物じみているから、違和感を抱かれる前に目当ての情報を見つける必要がある。45は逸る心が体に表れぬよう懸命に抑えながら、データの奔流を掻き分けていく。

 

『あと九十秒!』

「45姉‥‥?」

「大丈夫だから、もう少し待って!」

 

 見つけた。

 思わず声を上げそうになるが、ノアの目があることを思い出して我慢する。

 データを確認すると、プログラムは十五年以上も前――2047年までアーカイブを遡っていた。道理で時間がかかるはずだ。

 ファイル名は『オペレーション・サンタクロース』。様式からして、封印されていたが時効で解除されたもののようだ。

 

(でも、どうしてそんなに昔のファイルが引っ掛かるの?検索キーワードは指揮官のフルネームなのに‥‥)

『45!あと三十秒だよ!』

「‥‥了解。行くよ、9!指揮官!」

 

 詳しい内容を確認するのは後だ。ダウンロードが終わった瞬間にコードを引き抜いて、身を翻す。

 鉄血の陣から全速力で駆け出しながら、45は自分が望んだ成果の異質さに、薄ら寒いものを感じていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間に投げられた思い出話・その一 ⑤

ドルフロのほんへは2062年から始まるってことと、拙作が11戦役辺りの時間軸ってことを念頭に置いていただけるとよろしいかなって


 結論から言えば、45の悪寒は正しかった。

 先日手に入れた『オペレーション・サンタクロース』なるファイル。そこに記されていたのは二〇四七年に展開された、とある脱走兵の追走及び抹殺作戦だった。対象の追跡に当たったのは、五つの特殊部隊。

 しかし彼らは全滅し、二人を除いては遺体すら見つかっていない。その二人も、死体の損壊があまりに酷く死因を特定できなかった。結局、正規軍の追跡を完全に振り切り、対象は行方を眩ませた。そして、その脱走兵の名は、ノア=クランプス。

 

「いくらなんでもおかしいと思うんだよね~」

「‥‥そうね」

 

 部屋のベランダ、フェンスに凭れる416が頷いた。その眼差しはいつもと変わらず、退屈そうな、不機嫌そうな色を湛えている。

 45は目に掛かった髪を払って、コーヒーカップに口をつけた。

 

「驚かないね。これが正しかったら、指揮官は七歳くらいの頃に軍人二十九人を虐殺したことになるんだよ?」

「驚いてるわよ。‥‥というより、よく分かんないわ。

 そもそも、正規軍にいたのね、あの人」

 

 416の視線は遠く、どこか寂しそうに細められた。「私たち、何も知らないのね。あの人のこと」

 まるで恋する乙女のようなその声色に、思わず笑いが零れた。

 

「‥‥すっかり指揮官に首ったけだね、416」

「はぁ?」

 

 予想外の反応。てっきり、顔を真っ赤にして大声で取り乱すと思っていたのだが。

 416はあくまで落ち着いたまま、小さく笑っただけだった。

 

「別に好きとか惚れたなんて話じゃないわよ」

「説得力無いなぁ。毎朝ご飯作りに行ってるんでしょ?最近は更に部屋を出る時間が早くなったし。

 副官も連続殺人の捜査も、全部自分から立候補したじゃん」

 

 416が面倒くさそうに顔を顰めた。風に遊んでいた銀髪を一房捕まえて、指先で弄ぶ。

 少し考えるような様子を見せて、それからゆっくりと口を開いた。

 

「‥‥違うのよ、本当に。ただ放っておけないだけ。

 私たちが生きる理由も、“欠落組”を殺すっていう目標も忘れてない。あの人はそのためにとても役立つわ。それはアンタだって分かるでしょ?

 それなのに、彼は自分の重要さを理解していないとしか思えない生活をしているから、私が支えてるってだけ。要は銃のメンテと同じ。

 最初は、初対面のときの印象を払拭したいってのもあったけどね」

 

 実にHK416らしい理屈だ。G11を見捨てないところからも、彼女が「放っておけない」という感情を放っておけないというのはよく分かる。

 しかし、ならばどうして、

 

「何でそんなに悩むような顔してるの」

「してないわよ」

「してたよ~。

 ほらほら、感情を整理するついでにさ。指揮官について思ってること、全部話しちゃいなよ。

 ――まだ言ってないこと、あるでしょ?」

「うざったいわね‥‥」

 

 夜空を仰いで、416は小さな声で呟いた。

 

「指揮官に訓練をつけてもらってると、アイツを思い出すことがあるの」

「‥‥M16?」

 

 416の昔の同僚にして、その立場を奪った張本人。その後も顔を合わせる度に突っかかっては返り討ちにされている。以前はAR小隊に所属していたが、今では鉄血の先兵だ。

 45自身も、一度正面から彼女と戦ったことがある。性能と経験の双方に恵まれた彼女は、確かに強かったが‥‥

 

「どう考えても、指揮官の方が強いよね」

「あの二人の優劣はこの際問題じゃないわ。私と比べての話よ」

「あぁー‥‥」

 

 つまるところ、416にとってはノアも越えるべき壁なのか。だからこそ、彼の体術を教わっているのだろう。

 段々目の据わってきた416が、グラスを握りしめて吐き捨てる。

 

「指揮官ったら、私が後を追ってることを分かってて、それでもずっと優しくするのよ。

 あの人が人形にやたらめったら優しいのは分かってるけど、何なのよあの余裕!あぁもうっ、ムカつく!」

 

 ‥‥これ、酒が入っていれば暴れ出していたのではなかろうか。

 グラスの中身が炭酸飲料であることに、45は心底感謝した。

 

「なぁに、416は指揮官から冷たくあしらわれたいわけ?」

 

 そう訊ねると、416はうぅんうぅんと頭を捻る。「そういうわけじゃないんだけど‥‥」

 その悩みよう、感情の拗らせようで、45は確信した。最早、416がノアに向ける感情は引き返せない領域まで達している。

 もし、あの男が自分たちを脅かす存在であると分かったそのときは、自分が彼を排除するしかない。

 己の中に湧き出た決意諸共、45はカップの中身を飲み下した。

 

「じゃあ、私はもう寝ようかな。416も早く寝ないと、今日も早いんでしょ?」

「そうね。――あぁ、一つ言い忘れてたわ。45アンタ、ヘリアンに指揮官の情報流してるでしょ。アレ止めなさいよ、下手したら本当にクビになるかもしれないんだから」

「あぁ、アレね。しょうがないじゃん、指揮官の履歴書を貰う交換条件だったんだもん。

 今回のネタは入手手段がグレーゾーンだから、ヘリアンにも教えないよ~」

 

 そう。ヘリアンに教えたら、ノアは今の立場を追われてしまうかもしれない。それは彼に自由を与えることとも同義だ。

 これは、45自身の手でノアに突きつけるべき証拠。この目で、この耳で、彼の説明を確かめるべきだ。

 待っていろ、ノア=クランプス。お前が一体何者なのか、謎を暴く日はすぐそこだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間に投げられた思い出話・その一 ⑥

 地元企業の定期予算申請書類をめくって内容を流し読みながら、耳はインカムから流れる戦闘音に集中する。

 前線の部隊に同行している妖精が送ってくる映像を一瞥して、ノアは通話ボタンを押した。

 

「PPKとキャリコは一旦下がった方がいい。それ以上離れると99ちゃんの負担が大きくなる」

『はぁい』『分かった』

「JS9はそこで持ちこたえられる?」

『はい』

「よし。じゃあそこであと五十秒くらい時間を稼いで。その後はキャリコたちと合流して」

『了解』

 

 ボタンから手を放し、今度はソファに腰かけて作業を進める416に声を掛ける。

 

「この企業、去年は四百万申請してたんだよ。どうして今年は五十万少ないんだろ」

「経費削減に成功したんじゃないの?企業努力の賜物じゃない」

「うーん‥‥怪しいなぁ。416、どうやって削減したのか問い詰めてきてくれる?

 惚けられないように、去年の申請書類と決算書の写しも持って行ってね」

 

 肩を竦めて頷いた416は、膝の上で眠っていたG11の頬を軽く叩いた。その上、呻き声を上げる寝坊助の頭を軽く揺する。

 

「ほら、退きなさいG11。私は少し出るから。

 ごめんなさい、G36。コイツにブランケットかけといてくれる?」

「えぇ、構いませんよ」

「ステン、被弾の音がしたよ。大丈夫?」

 

 二人の遣り取りを聞き流しつつ、再びボタンを押す。

 映像を確認すると、ステンは左腕を庇いながら瓦礫の陰に身を潜めているところだった。

 

『左肩に一発貰っちゃいました。でも、これくらいならまだ大丈夫です』

「良かった。でも、前進していいのはそこから四十メートルまで。それより先に出ると、キミの“絶火”じゃ追撃をもらう」

『うぅ‥‥了解です』

 

 指示を出しながらも、事務仕事の手は止めない。新興の製薬企業から来た業務提携案に拒否の返電をしたためつつ、妖精の聴覚を使って敵側の指揮個体を探す。

 G36がココアを用意してくれたので、礼を言ってから一息ついた。

 

「ねーねーしきかーん!お願いがあるんだけど!!」

「指揮官、失礼します‥‥」

 

 しかし、ほっと肩の力を抜けたのは一瞬のこと。ノックもせずに扉を突き飛ばし、スコーピオンが執務室に飛び込んできた。念のために開いた扉を弱々しく叩いて、リベロールがそれに続く。

 ノアは指揮個体のいそうな箇所を絞り込みながら、笑顔で二人の闖入者に応じた。

 

「はぁい、お二人さん。リベはG11とお昼寝かな。

 スコーピオンはバスケのお誘い?」

 

 リベロールはコクコク頷きソファで一人眠るG11の許へ向かったが、スコーピオンは首を振った。長いツインテールが、その動きに遅れてひゅんひゅんと靡く。

 曰く、とあるゲームのキャラクターが二丁拳銃で放つ、「ちょーカッコいい」空中技を真似してみたいらしい。

 目を輝かせたスコーピオンが突き出した端末の画面、赤いコートに銀髪の男がハイテンションな叫び声を上げながらスタイリッシュに暴れ回っている。

 

「“レインストーム”って言うんだよ!」

「‥‥これ、二丁拳銃でできる連射じゃなくない?装弾数もおかしいし‥‥

 あぁいや、問題はそこじゃないな。これが出来たらどうなるの?」

「――楽しい!」

 

 そう宣う満面の笑顔に、ノアは苦笑し頷いた。

 

「まぁ、いいよ。動きの方は一緒に練習しようか」

「ホント!?やったー、指揮官大好き!!」

 

 わざわざデスクを迂回して脇腹に抱き着いてくる。しかし次の瞬間には、G36に引き剥がされて鳴き声を上げた。

 うつらうつらと揺れるG11の手を引いて、リベロールがぺこりと頭を下げてきた。ノアは手を振って、口ではスコーピオンに対応する。

 

「うんうん、僕も大好きだよ~。

 だけどね、これをそのまま再現したら弾の無駄が多すぎる。

 三日くれる?専用のプログラムを作ってみるから」

「ひょ~!やったやったー!!」

 

 怖いメイドの腕をすり抜け(ノアが教えた体術の応用だ)、小躍りするスコーピオン。ノアはタスクが増えたことに一瞬げんなりしかけたが、彼女の笑顔を見て思い直す。

 丁度そのタイミングで、妖精の聴覚を通じて探し物の気配を感じた。

 

「99ちゃん、北西を見て。ジュピター二基の隙間‥‥多分向こうの指揮個体がいる。型はアーキテクトだね」

『わわっ、いました!撃ちますか?』

「うん、やっちまいな。けどその角度じゃ指揮モジュールを抜けない。

 一射目で目標の傍にあるコンテナを撃って、キミを見るために振り向いたところをヘッドショットで詰みだ。PPKとキャリコは二射目の照準補正をよろしくね。

 大丈夫だよ、99ちゃん。落ち着いてやればしくじる道理はないから」

『はい!』『了解したわ』『任せて』

 

 これで、ひとまずこの戦線は片付いた。明日には再構築されているだろうが、それはあくまで明日の話だ。

 しれっとソファに陣取ってゲームを始めたスコーピオンを一瞥してから、G36が声を掛けてくる。

 

「ご主人様、南方の防衛線は如何なさいますか」

 

 先日壊滅した、正規軍の無人兵器部隊の話である。45たちのお陰で、下手人は“欠落組”のクレンザーであることが確定した。トーチャラーも行動を共にしていたはずと考えたので同行したが、彼女のものと思しき痕跡は一切無かった。とするとクレンザーの方は陽動である可能性が出てくるわけだが、いくら確認しても“猫の鼻”およびアンバーズヒルの施設に潜入や破壊工作の痕跡は無い。

 そんなわけで“欠落組”の動向は不安だが、それよりも重要なのはあの駐屯地が破壊された事実である。三方を山脈や川といった自然の壁に囲まれるC■■地区にとって、南方は唯一の平易な出入り口。あそこを通せんぼするものがなければ、E.L.I.Dの侵入を許すこととなる。

 

「大丈夫。シュタイアーとステアーたちがいるから」

 

 もっとも、当然対策はしてある。当基地最強の防衛部隊二つが、交代で南方を守ってくれている。

 今度うんとボーナス出してあげないとなぁ‥‥、と独り言ちて、天井を眺める。そして、緩やかに回転し続けるシーリングファン、その奥に向かって笑顔で手を振った。

 

「‥‥♪」

「何をされてるんですか、ご主人様?」

「何でもなーい。さて、仕事も一段落ついたしお昼にしようか。G36も休んで」

「かしこまりました。一三〇〇(ヒトサンマルマル)には戻ります」

 

――――――

 

「‥‥どうしてバレてるの‥‥」

 

 基地内の監視映像を一括で管理するモニタールーム。埃っぽく暗い部屋の中でモニターの、明かりを浴びていたUMP45は愕然と目を見開いて呟いた。

 この部屋は基本的に立ち入り禁止だ。有事の際の証拠を集めるための設備だが、人形たちのプライバシーを守るためといって封鎖されている。だからこの瞬間、自分がノアのことを監視していることなど、普通は察しようがないはずなのに。

 

「まぁ、指揮官にとってここに人形がいるのはあり得ない事態じゃないからね~」

「‥‥何で貴女もここにいるのかしら、MDR」

 

 視線を向けず同僚に訊ねると、MDRはピースサインを作ってケタケタと笑った。

 

「もし416やG36にナニかしてくれればいいネタになるじゃん」

「趣味悪‥‥」

「ここにいる時点で同じ穴の狢じゃない?45も」

 

 一瞬考えて、思わず小さく笑ってしまった。「確かに」

 そういえば、ノアはここに人形がいても驚かないとMDRは言った。どういうことかと訊ねると、彼女はあっけらかんと答える。

 

「指揮官の写真はね、高く売れるんだ~。

 抱き枕とかに印刷してる子もいるみたい」

「趣味悪‥‥指揮官は許可してるの?」

「初めの内は怒られてたけど、今はもう諦めてるっぽい」

 

 このとき45は初めて、ノアに対して憐憫の情を抱いた。彼が基地の人形たちに慕われているのは承知していたが、プライベートを消費されるのは流石に居心地が悪かろう。

 

「んで、45はなんでこんなところにいたの?あっ、45も指揮官狙ってるとか」

「いやそれは‥‥まぁ、そんなところ」

 

 もっとも、狙っているのは素性と(場合によっては)命だが。

 そんなこちらの内心など知る由もなく、MDRは腕を組んでうんうんと頷いた。

 

「分かるよ~、指揮官イケメンだもんね。

 今の様子を見てれば分かることだけど、仕事もできるし」

「アレは『仕事ができる』程度で済ませていい話なの?

 貴女たちは全然気にしていないようだけれど、あんなの普通の人間にできることじゃないと思うよ」

 

 そう言うと、何でもないような顔で「そりゃあそうでしょ」と返してきた。

 その答えにどうにも違和感があったので詳しく訊ねると、MDRは天井を見ながら人差し指で自分の顎をつつく。

 

「えっとねー、指揮官がここに来たばかりの頃だったかな。指揮官が大怪我したんだ」

「原因は?」

「人形を庇って、Jaegerの狙撃を手で受け止めたの。普段なら指で弾くんだけど、そのときは技が間に合わなかったみたい。

 手がグシャグシャになっててさ。庇われたPPKも、流石に慌ててたよ」

 

 そこまで聞いて、45は違和感に気が付いた。

 

「にしては、指揮官の手は綺麗よね。高い義手でも使ってるの?」

 

 MDRが首を振る。

 

「違うと思う。そんなの買ってなかったし。

 でもね、その次の日には何事も無かったかのように元通りだったよ。

 どうなってるのか訊いても全然教えてくれないし、あのときは流石に怖かったな~」

 

 それは笑顔で語っていい内容なのだろうか。義手でないとすると治癒だが、この時代に人体をそこまで急速かつ完璧に修復する技術はない。だから自分たち戦術人形が戦っているのだ。

 45が真剣な顔で「それは確かなのよね?」と確認すると、MDRは至って普通に「うん。裏が取りたいならPPKに訊けばいいよ」と肯定した。

 人形二人の証言があれば十分だ。

 

「あれ、もう行くの?指揮官に関する情報が欲しいなら、私室でのプライベート映像も売ってあげるよ?」

「いや、いいわ。欲しいものは手に入ったから」

「ふぅん?そっか、じゃあまたね」

 

 空恐ろしい商売をさらっと口にしたMDRに手を振って、45はモニタールームを後にした。

 

「‥‥さて、邪魔の入らないタイミングを探さないと」

 

 UMP45の電脳は、ノア=クランプスを逃がさないためのシチュエーションを構築し始める。

 最長でも三日以内、最短で今夜。あのよく回る口から、真実を聞き出すのだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間に投げられた思い出話・その一 ⑦

 昼食をとって、食休みに軽く書類仕事を捌いて。時計を見ると、次の予定まではまだ一時間半ほどの余裕がある。

 今日はこんなに暇だったのかと驚きながら、暇潰しに適当な小説を探していると、携帯端末が着信を報せてきた。

 

「はぁい。ノアだよ」

『もしもし指揮官、416よ。今暇よね?』

「何で知ってるの」

『私は完璧な副官よ?貴方のスケジュールくらい把握してないと話にならないでしょ。

 とにかく、ちょっと来てくれると嬉しいのだけど。場所は――』

 

 十分足らずで、416に指定された場所に到着した。アンバーズヒルの内側、都市部と呼ばれる発展済みの地域である。先程416に頼んだ査問の対象である企業も、当然ここに社屋を構えている。

 この後に控えているのはFive-sevenとのコスメ店巡り、それからUMP9との映画鑑賞なので、今のノアはG&Kの改造制服ではなく私服姿だ。

 そして、視界の奥からノアを認めたらしい、小走りでこちらへやって来る少女は、いかにも戦術人形然とした外見で良く目立つ。実際、道行く人々は必ず彼女を一瞥している。

 

(別嬪さんだもんねー)

「お待たせ、指揮官‥‥って、何その恰好。もうすっかりオフなのね」

「お疲れ様、416。おかしい?もうちょっと薄着で良かったかな」

 

 腕を広げて自分の胸元を見下ろす。うすい灰色のオーバーシャツにベージュのガウチョ。正直あまり時間をかけずに選んだコーディネートだったから、もしかするとどこかちぐはぐかもしれない。

 416は肩を竦めて首を振った。

 

「いいえ。アイテムが全部レディースであることに目を瞑れば、何の問題も無く似合ってるわ。

 でも、貴方がそんなお洒落してくるなら、私も一旦着替えてくればよかったかしら‥‥」

 

 416が胸元を押さえて首を傾げる。確かに、特殊作戦コマンドのロゴが入った装いは少々物騒だが、それ以上に――

 

「その恰好でいいんじゃないかな、可愛いよ?」

「う」

 

 ノアがこう応じることは分かっていたのだろう、今までほど劇的な赤面は拝めなかった。いまいち締まらない顔で睨んでくる。

 その反応もまた可愛いので揶揄いたくなるが、まず訊かねばならないことがある。ノアは己の嗜虐心を理性で抑えつけた。

 

「それで、この辺りに用事があるの?」

「えぇ、こないだシノから聞いたのよ。この近くに美味しいレストランができたって。

 私は昼食もまだだから普通にランチを頼むけど、貴方はデザートでもいかが?」

「いいね!案内してよ」

 

 ちなみに、アンバーズヒルの都市部においてもノアの顔と名はそれなりに知れ渡っている。この地区を守るG&Kの指揮官としてはもちろんのこと、人形性愛者の同性愛者という誤解付きで、である。

 この日416と二人きりで楽しげに街を歩くノアが目撃されて以降、この誤解はますます広がることとなる。

 

「先にデザート頼めばいいのに」

「いいの。キミと同じタイミングで食べるから」

 

 そうしてやって来たレストランにて。気軽に訪れることができるフレンチをモットーにしているのか、壁一面に開いた窓から小綺麗な店内に陽光が降り注いでいる。

 日替わりランチが416の小さな口に取り込まれていく様を、ノアは目を細めた笑顔で眺めていた。

 ナイフでクロックムッシュを一口大に切り分けながら、416の眉尻が憂いに下がる。

 

「でも、やっぱり私だけ食べてるのは‥‥」

「じゃあそれ一口ちょうだい」

「え」

 

 416の手が止まった。フォークに刺さった料理とノアの顔を交互に見詰めて、頬が段々赤くなる。

 自分の中で悪戯心がむくむくと背を伸ばすのを、ノアは自覚した。

 

「で、でもそれは」

「え~、ダメなの?キミが食べてるの見てたら、何だかお腹空いてきちゃったんだけど」

「自分で頼めばいいじゃない!」

「そんなに食べられるほどは空いてないんだよね~」

「知らないわよ!」

 

 次第に声が大きくなってきた416の叫びで、店内の人々がこちらを振り返る。

 はっとして口を押さえた416に、ノアは人差し指で「しーっ」とウィンクして見せた。

 

「誰のせいだと思ってるの」

「そんなに狼狽えることじゃないでしょ?

 でもまぁ‥‥そんなに嫌なら無理強いはしないよ。ごめんね」

 

 わざと落ち込んだ顔をしてみせる。途端に416は慌てて、フォークを差し出してきた。

 

「わ、分かったわよ。そんなに食べたいなら一口あげるわ。‥‥一口だけよ」

「わーい、ありがと」

 

 あー、と口を開けて待機する。しかし、目を閉じて待てどもクロックムッシュは舌に届かない。

 目を開くと、こちらにフォークを差し出す姿勢で、416は固まっていた。ノアの口をじっと見つめて、ごくりと唾を飲み込んだ。

 

「‥‥何してるの?」

「い、いえ、その‥‥何でもないわ。ほら、あーん」

「ん、あーん」

 

 パクリと一口で迎え撃つ。416の「あっ」という声が聞こえたが無視しておこう。

 ハムの塩味とホワイトソースの甘味を感じながら、もきゅもきゅと咀嚼して一言、

 

「冷めちゃってるね」

「もっと他に言うことないわけ?」

「もちろん美味しいよ。ありがとね」

「別に私が作ったわけじゃないけど」

「じゃあ今度作ってくれる?416が作ったクロックムッシュ、食べてみたいかも」

 

 ノアのふとした思い付きに対して、416は「考えておくわ」とぶっきらぼうに答えた。

 そうして食事に戻った彼女の頬が緩んでいることに、ノアは当然気が付いている。

 

(‥‥やっぱり、女の子は美味しいものを食べて笑顔でいるのが一番だよ)

 

 416はナイフとフォークを動かしながら、時折チラチラとノアの様子を窺う。その度に視線が合うが、慌てて逃げる。

 そんな副官を眺めていると、溢れそうになる言葉があった。それをオレンジジュースで嚥下して、ノアは温い陽光に包まれたテーブルに肘をついた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間に投げられた思い出話・その一 ⑧

 遠い遠い旅で冷めきった極光が、基地の廊下を青白く照らしている。

 45は足音を殺して、蟠った影の中を進んでいく。木々の(ざわ)めきも(ふくろう)の声もどこか遠慮がちで、“猫の鼻”を通り過ぎる音はいつもより少ない。

 遠くにちらつくパーカーの背を追って、しかし必要以上に距離を詰めないよう細心の注意を払う。45が尾行している相手――ノア=クランプスの長いポニーテールが、曲がり角の向こうに揺れて消えた。その先は階段であり、どうやらノアは基地本棟の屋上を目指しているらしかった。

 ‥‥本来なら、自分は今尾行などしていなかった。元々の計画では深夜にノアの部屋を訪ねるつもりだったのだが、45が人間職員用宿舎を目前にしたタイミングでノアが出てきたのだ。以前“猫の鼻”の人形たちにそれとなく探りを入れたとき、何人かはノアに夜間の散歩癖があることを語っていた。これもその一つだろうと思い、後をつけることにした次第である。

 早速計画通りに運んでいない事態に内心で舌打ちしたところで、階段が終わった。

 屋上へと続く分厚い鉄扉の前で、聴覚に集中する。扉の隙間を抜ける風の音の向こう側、ノアの声が聞こえる。独り言だろうが、小声なので内容はよく分からない。

 丁度いい。今ここでならば、他の人形による乱入も無い。ノアも気兼ねなく真実を語ることができるだろう。

 独り言がまだ聞こえることを確認して、一度深く息を吸う。重い扉を、音に頓着もせず堂々と開いた。屋内に駆け込む風が、一瞬45の前髪を搔き乱す。それでも目を閉じず、45は屋上を見回した。

 

「え‥‥」

 

 しかし、そこには影一つ無い。ただ月明りがすぅっとコンクリートを撫でるばかりで、45は唖然とその場に立ち尽くした。

 その隣で、ノアが首を傾げる。

 

「どうかしたの?」

「わっ!?」

 

 跳び退きながら振り向くと、先程見たラフな姿のノアがにこやかに佇んでいる。

 思わず抜銃しそうになった手を抑えて、45は訝しさ全開の視線を投げつけた。

 

「趣味が悪いよ、指揮官。ボイスレコーダーでも仕掛けてたの?声は確かに向こうからしたよ」

「“蒼天狗(アオテング)”っていう技だよ。直接戦闘には関係ないから滅多にお披露目できないんだけど、夜な夜な僕の後をつけてた子へのお仕置き。びっくりした?あっは!」

 

 嗚呼、普段自分に弄られているときの416はこんな気分だったのだろうかと、少し申し訳ない気分になる。

 ノアは猫のような目を細めてくすくすと笑っている。ひとしきり笑い終えるのを待ってから、45は口を開いた。

 

「それで、いつから気付いてたの?私が指揮官のことを探ってるって」

「キミたちがウチに来て、三日くらい過ぎたあたりかな」

「ほとんど初めから‥‥」

「言っておくけれど、キミの不手際とかじゃないよ。

 ほら、僕ってこんな感じだからさ。きっと信用してもらえないって前提で動いてるの」

 

 ――自覚はあるのか!

 内心で45は叫んだ。分かっているならもう少し信じてもらえるような振る舞いを心掛けたらどうなのか。いや、自分に言えたことではないのだが。

 そんなこちらの心情を察したか、ノアは「分かってるんだけどね」と苦笑した。

 

「今夜も尾行してくるだろうと思ってさ、いい機会だから、キミともう少し打ち解けておこうかなって。あと、そろそろ僕に関する手掛かりを掴んでる頃だと思うんだよね。

 どう?何か質問はある?」

 

 45はがっくりと肩を落とした。まぁ、バレているのなら仕方がない。むしろこの方がはっきりと訊きたいことを訊けるというものだ。

 人差し指と中指を立てる。

 

「私が訊きたいことは大きく二つ。

 一つ目は、貴方の身元について。正規軍のサーバーに、貴方の名前が載ってるファイルがあったよ。でも、最終更新日時が二〇四七年だった。あのノア=クランプスは貴方の何なの?そして、貴方の本当の名前は?

 二つ目は、貴方の体について。前々からその身体能力はおかしいと思ってたけど、ある人形から貴方の手について聞いたわ。狙撃で破砕されたはずなのに、翌日には完治してたって。SFに出てくるような、ナノマシンでも入ってるの?」

 

 ひとまず全て話して、息を吐く。相対するノアを見れば、目を見開いて(たお)やかに口を押さえていた。

 

「‥‥驚いた。思ったよりよく調べてたんだ。手のことは不日(ふじつ)耳にするだろうと思ってたけど、正規軍のサーバーにちょっかいかけるなんて。女の子は大胆だね」

「茶化さないで」

 

 抜銃。セーフティを外して、銃口をノアの足に向ける。本来戦術人形には、みだりに人間に発砲することはできないよう、一瞬だけ躊躇するセーフコードが施されている。だがノアは基地の全人形からそのセーフコードを取り外していた。これも情報収集の戦果だが、知った際には流石に血の気が引いたものだ。しかし今、そんな酔狂な行いのお陰で45はこうして強気に出られている。そこだけは感謝しよう。

 今、彼我の距離は三メートル強。相手は超音速で走り回る怪物だ、警告無しに撃っても当たるかどうかは怪しい。しかし、こちらの姿勢を伝えるためのパフォーマンスとしては充分だろう。

 45の考え通り、サブマシンガンを目にしたノアは幾分か真面目な面持ちになった――というより、見たくなかったものを見せられたような、忘れていたかった傷に触れられたような、そんな顔。

 

「あー‥‥先に二つ目、僕の体についてだけど。

 人体を高速で修復する方法はある。ただしコストが高いのと、使える相手も限られるから普及しないだけ。僕はそれを使ったんだ」

「ふぅん‥‥」

 

 そう語るノアの表情を見る限り、嘘を吐いてそうな気配は無い。しかしこの態度も演技だとするといよいよ歯が立たないので、念のために確認する。

 

「詳しくは言わないけど、貴方がここで嘘を吐いたら416が悲しむよ」

「嘘なんて吐いてないさ。誤解してるかもしれないけど、僕は滅多に嘘は吐かないよ」

 

 実際、ノアの言う通りではある。ヘリアンからの忠告通り、彼の振る舞いはとても胡散臭い。しかし彼が悪意を以て嘘を吐くところは一度も見たことが無いし、人形たちもそう言っていた。

 416曰く、ノアの胡散臭さは自身の苦労を周囲に悟られぬための壁だそうだ。なるほど、416が自分をノアと似ていると評したのも頷ける。腹は立つが。

 ノアはそこで一息入れて、フェンスの傍まで歩いていく。何気ない動作だが、45は完全に呼吸の間を突かれ、動かれたことに一瞬気が付かなかった。

 落ち着いて、しかし急いで照準を合わせ直した。文句を言おうと口を開いたが、ノアの発言の方が早い。フェンスに凭れてグラウンドを見下ろしているのに、その声は夜風に乗って45の聴覚を刺激した。

 

「次は、身元に関してかな。僕はノア=クランプス本人だよ。キミが見たのは多分サンタ作戦に関する資料だと思うけど、それに書いてる脱走兵と僕は同一人物」

「荒唐無稽な話だと、自分でも思わない?」

「キミたちにとってはそうだよね。だから、証拠を見せるよ。撃たないでね」

 

 ゆっくりと、ノアの手がパンツのポケットに伸びる。45はその一挙手一投足から目を離さず、グリップを握る手に力を籠めた。

 やがて取り出されたのは、一枚の紙。空いた手で受け取ってみれば、それは写真だった。上質なフォト用紙に印刷されており色の劣化は小さいが、紙自体は端が焦げたり破けたりしている。何度も刻まれた皺を何度も伸ばした形跡があり、この一枚がどれだけの間大切にされてきたか、その重さが前面に表れている。

 ぞっとするほど顔立ちの整った美男美女が仲睦まじく映っているが、いずれもカメラに視線を合わせていない。軍人らしくもやけに軽装なその恰好から、何かの特殊部隊であることは察しがついた。女性が二人と、男性が二人。女性二人と男性の片方は二十代半ばと見え、もう一人の男性は壮年。

 そして、どちらか分からない中性的な奴が一人。他の四人に絡まれて子供のように笑っているソイツは、間違いなく目の前の男と同じ顔だった。服装と笑顔の色以外は、何も変わっていない。

 その一枚に詰まった温かさだけでも、何て羨ましい人生だろうと嫉妬してしまいそうになる。そして、その隅に印字された日時は、二〇四五年九月八日。

 視線を現在のノアに戻すと、彼は酷く寂しそうな顔で笑っていた。

 こんな時代で、軍人で、こんな遠い過去。彼らはきっと、ノアを除いて――

 45は零れそうになった何かの言葉を呑み込んで、訊ねるべきことを思い浮かべる。

 

「‥‥随分と古い写真ね。少なくとも貴方が追撃対象の脱走兵であることは分かったわ。

 でも、だとすればおかしいことがあるよね」

「年齢でしょ?まぁそこは、そういう生き物だと思ってよ。嘘じゃないから。

 本当なら――いや、何でもない」

 

 いつもの軽薄さが抜け落ちた、今にも泣き出しそうな笑顔。ノアが言い淀んだその先を、45は察することができた。できてしまった。

 

『本当なら、僕だってさっさと死にたいんだけどね』

 

 それは、自分が陥りかけた絶望の向こう側。

 この顔は、この佇まいは、UMP40の喪失に堪えられなかった自分が辿り着いたはずのそれだ。

 45は自分の胸に手を当てた。その奥には、復讐の炎で焦げ付いたコアがある。自分たちを弄んで、打ち棄てた連中に対する殺意がこの足を動かす。逆に言えば、復讐を終えるまでは死ねないという決意がある。

 しかし眼前の男にはそれすらない。大切な人を失って、燃え尽きて、死ぬための気力すら枯れ果てて、惰性で生きているのだ。

 しかも、そんな状態でも“猫の鼻”やアンバーズヒルを鉄血とE.L.I.Dから守り切ってしまえる程度に有能だから救いが無い。事実、今この瞬間まで45は、ノアがこの世界のために全力で戦い続けていると勘違いしていたのだから。

 やはり416の評価は間違っている。UMP45とノア=クランプスは、似ているどころか正反対。

 きっと、ノアは自分でも望まなかった何かに縛られて今を生きている。

 用意された役割を全て果たして死んだはずが、したいことをしている自分とは大違いだろう?

 この瞬間、UMP45の視線には確かな憐憫の色が混じった。

 45は確かに冷徹だが、それは「必要ならば冷徹であることができる」というだけの話だ。こんなに痛々しい有様を見て、何も感じないほどに壊れたつもりはなかった。

 その視線に気づいて、ノアが力なく手を振って笑う。

 

「そんな顔しないで、折角の美人が台無しだよ。

 世の中には、もっと酷い目に遭った子も大勢いる。

 あんな判で押したような悲劇、今更気にするようなものでもないさ。あっは!‥‥」

 

 そうやって放ったわざとらしい笑い声も、掠れて解けて消えていく。

 いつも目を細めて笑うのは、瞳に浮かぶ昏い光を隠すためだろうか。

 自分は一体、コイツの何を警戒していたのだろう?

 風に靡くだけの首吊り死体ごときが、自分たちにどんな脅威をもたらすのだろうか。

 45はノアの隣、フェンスに背中を預けて夜空に溜息を投げた。

 

「銃、下ろしちゃっていいの?」

「もういいわ。貴方みたいな奴を怖がったってしょうがないもん」

「それはよかった。じゃあ、こっちからも質問いい?」

 

 しんみりとした空気を嫌ったのだろう、ノアがこちらを見た。その顔に、先程までの影は最早無い。

 

「秘密が多い方が、女は魅力的だと思わない?」

「あっは!釣るつもりもない男にそれを言ってどうするのさ」

「確かに。それじゃあ一個だけ、いいよ」

 

 促すと、ノアは45の右腕と左目を交互に見た。

 

「片腕を失ったときに、ボディごと換えなかったのはどうしてかなって。初めて会った日に検査したけど、キミのボディは旧式だよね。

 キミの戦い方を見る限り、全部換えた方がずっと楽になると思うんだけど‥‥」

「よりによってそれ?‥‥答えたくないんだけど」

 

 確かに、UMP45という人形を見て真っ先に目が行くのはその二つという自覚はある。ずっと気になっていたのだろうが、こちらに遠慮して訊かずにいてくれたのか。だからといって答える気になるかというと、それはまた別の話だけど。

 この体の最奥には、40との記憶がある。自分で作り出した偽物でも、40がいるのだ。それはすなわち復讐の火種がそこにあるということでもあり、そしてその火は次の体に引き継げない。だから、この体は捨てられない。

 そっぽを向いて黙する45に、ノアは静かに訊ねた。

 

「僕らが初めて会った時のこと、覚えてる?」

「‥‥もちろん。あんな酷い失敗をした経験は他に無いし」

 

 答えながら視線を戻すと、ノアは苦笑いを浮かべていた。

 

「そこは思い出さなくていいから。

 キミたちがいた部屋に僕が踏み込んだとき、キミは僕に銃を向けたよね」

「だって、あのときは鉄血の追撃だと思ったんだもの。視覚モジュールも半壊してたんだから」

「それは事前連絡を欠いた僕のせいだね、ごめんよ。

 まぁそれはさておき‥‥僕はあのとき、感動したんだ」

 

 薄桃色の唇から紡がれた不可解な言葉に、45は首を傾げた。沈黙で続きを促す。

 

「戦術人形ってのは普通、利き腕が動かなくなったら銃を撃とうともしなくなる。損傷が規定値に達すると撃っても全然当たらないから弾の無駄、って前提が射撃統制コアにあるからなんだけど」

 

 完全に初耳の情報だった。確かに今まで、追い込まれた人形が銃撃ではなく格闘や自爆を選ぶ場面を、何度か目にしたことはある。しかし、そんな前提条件があるならば自分たちも知っていて当然ではないか。

 そう訊ねると、ノアは首を傾げて笑った。

 

「I.O.P.の偉い人しか知らないんじゃない?前に盗み見た資料の扱いから考えて」

「ちょっ」

「まあそれは置いといて。

 あのときのキミはどう見ても七十パーセントくらいのダメージを負っていたはずなのに、銃を持ち上げて見せた。

 つまりアレは射撃統制コアに頼らない、キミの意地のみによる行動だってことになる」

 

 45は少しむっとした。

 

「意地って言うと、なんだか泥臭いよ」

「実際泥臭い行動だったしなあ。

 それに、人形には傷を残しておくメリットも、義手にする理由も基本的にない。

 にもかかわらずそうしているなら、それは人間よりも人間らしい感傷か決意の現れでしょ」

 

 その言葉に、45は息を呑んだ。

 待って。折角、貴方を無害な存在だと思えたのに。貴方は何を言おうとしているの。

 しかし、遮る言葉は喉につかえて、ノアの言葉は屋上に響いた。

 

「キミの行動は、僕の知っている人形のそれから大きく逸脱していた。

 ――人形はただの道具なんかじゃない。僕はキミに、その証明を見た」

 

 そう語るノアの横顔は、安堵と歓喜の色に満ちている。

 しかし、45はそうもいかない。自分を使って勝手に夢を見るな。勝手に理解した気になるな。それでは結局、他の男たちと何も変わらないじゃないか。

 45の声帯モジュールが、拒絶の言葉を装填した。

 

「貴方に私の何が――」

 

「いいお姉さんだったんだね」

 

「え」

 

 湖のように静かな微笑みだった。40の天真爛漫な笑顔とは対照的な、ひんやりと、それでも優しい微笑。

 そして、その言葉。45は40のことを姉とは思っていなかったが、確かにスティグマに従うならばそのような見方もできる。しかし、どうしてノアが彼女のことを知っているのか。

 

「言っておくけど、僕はキミの過去も大切な人の名前も知らないよ。

 ただ容姿と言動、それから404小隊の境遇から推測しただけ」

 

 あの事件の詳細は自分のメモリの中にしか存在しない。416やG11は自分の中で記録を見たかもしれないが、あの二人が彼に話すとも思えない。

 ではノアは、わずかな情報から自分の過去を見通し、その上でこの生き方を称賛したのか?それは、それはなんて――

 呆然とする45に、ノアは笑顔のまま続けた。

 

「キミを救いたい、なんて言葉は信じられないだろうから言わないよ。

 ただ、僕はその生き方を尊敬する。もし復讐に生きることに疲れてしまったなら、いつでもここで休むといい。‥‥止まり木くらいの役には立てると、信じたいんだけど」

 

 嗚呼、駄目だ。その言葉は、その姿勢は、その笑顔は。

 しっかりと地に足をつけて立つために張り詰めていた糸を、緩めてしまう。

 この胸の昏い炎ごと、包み込んでしまう。

 どうしようもなく、依存してしまいそうになる。

 けれどそれは、彼女に対する裏切りだ。自分で立てた誓いを無残に破り捨てることになる。

 堪えろ、UMP45。堕ちてはならない。

 決死の境地で踏みとどまりながら、45は口を開いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間に投げられた思い出話・その一 ⑨

「416、起きて!」

 

 激しく体を揺すられて、スリープモードが強制的に解除される。

 瞼を開くと、狼狽した表情の9がこちらを覗き込んでいた。枕元の携帯端末を確認し、眉をひそめる。

 

「ん‥‥何なのよ9。まだ三時じゃない」

「45姉がいないの!」

 

 そう小声で叫ばれると同時、416のメインシステムが完全に再起動した。

 とりあえず身を起こして、自分の寝床の反対側、二段ベッドの下段を見やる。そこにアッシュブラウンの影は無く、どうやら9の言うことは確かなようだった。

 

「端末あるでしょ。連絡すればいいじゃない」

「そうだけど‥‥銃が無いの。もしかしたら連絡しちゃいけない状況かも」

「夜戦の緊急招集でも掛かったんじゃないの」

「416は呼ばれてないじゃん。それに、出撃なら45姉は手紙くらい置いてってくれるよ」

「じゃあ散歩とか?」

「そうかもだけど‥‥任務でもないのに、こんな時間に‥‥?」

 

 確かに、45がこのような深夜に出歩くとは考えづらい。考え事があって眠れなかったとしても、アイツは思案に耽るとき、体全体ではなく指先を動かすタイプだ。コンディションの調整に関しても、404小隊の中で最も真面目に自己管理をしている――いや自分の方がきちんとしているが。

 416の脳裏に、心当たりが一つ浮かぶ。そして、その内容にげんなりする。アイツ、そのために愛銃まで持ち出したのか?

 

「416、どうしよう‥‥45姉だし、心配ないとは思うんだけど‥‥」

 

 9が泣き出しそうな表情で縋ってくる。髪を下ろして鼻をスンスン鳴らしているその様子だけでも、無条件で顎を撫で回したくなるような愛嬌があった。

 416は壁に掛けていた着替えを手に取って、顎で外を示した。

 

「仕方ないわね。一緒に探してあげるわよ。どうせ起きちゃったし、そのまま指揮官の部屋に行くわ」

「‥‥!有難う、416!」

 

 パッと愁眉(しゅうび)が開く。416が人差し指を立てると、9は嬉しそうな表情のまま両手で口を押さえた。

 自分が寝ていたベッドの上段を窺うと、G11はだらしない寝顔で「んゅへへへ‥‥」と笑っている。まだまだ起きる心配は無いだろう。

 

「それにしても416、そんなに早く指揮官の部屋に行ってどうするの?」

「あー、それは‥‥朝食の準備とか、部屋の掃除とか、洗濯とか‥‥」

「ほんと?指揮官は家事も熟せちゃうからお世話できない、ってG36が文句言ってたよ」

「う」

 

 着替えながら訊ねてくる9の視線に悪意は無い。一〇〇パーセント興味だけで言っているのだろう。

 416は明後日の方を見た。「完璧に熟そうと思ったら時間がかかるものなのよ、えぇ」

 

「そっかぁ。じゃあ別にアレも気にすることじゃないのかな‥‥」

「?何の話よ」

「えっとね、その‥‥朝早い時間に指揮官とか416と会うとね、指揮官から416の匂いが、416から指揮官の匂いがするの。

 でも多分勘違いだよね!‥‥416、どうしたの?顔赤いよ」

「それも多分勘違いだから気にしないで」

 

 9には犬のような雰囲気があるが、特別嗅覚モジュールが優れているわけでもない。

 これは、ひょっとすると他の人形にもバレているのではないか――

 416は手で顔を(あお)いで、詰問された際に誤魔化すための返答を思案しながら鍵を手に取った。

 

――――――

――――

――

 

 宿舎を出た9の第一声は、何とも頼りないものだった。

 

「どこから探そう‥‥」

 

 9がこうなることは予想していたので、手招きしつつ416は迷いなく足を進める。

 

「多分、指揮官の部屋か本棟の屋上ね。それ以外だと基地の外になるわ。

 ここから一番近いのは本棟だから、まずは屋上に行きましょ」

「え、何で!?どうして分かるの!?」

 

 とってってと隣に追いついた9が、目をキラキラさせて訊ねてくる。

 何てことはない。416は手をひらひら振った。

 

「45が指揮官のことを調べているのは知ってるわよね」

「うん‥‥」

「尾行とか盗撮にも手を出してるのよ、アイツ。多分今夜もそう。

 で、これは夜更かし組から聞いたんだけど」

 

 夜更かし組とは、AA-12(アイリ)、グローザ、コンテンダー、RFBあたりを指す“猫の鼻”内の呼称である。彼女ら曰く、屋上で星を見ているノアの姿が、散歩や夜戦から帰ってきた人形たちに目撃されている。

 それを聞いて9は頷いた。

 

「じゃあ、45姉は星を見てる指揮官に接触してる可能性が高いんだね。

 そうだ。基地の外っていうのはどういうことなの?」

「あぁ、それはね」

 

 呆れが溜息になって零れ落ちた。もっとも9の質問に対してではなく、ノアの行いに対してだが。

 

「あの人、たまに夜中にふらっと鉄血領に踏み込んで、偵察したりハイエンドを暗殺したりしてるのよ」

「聞いたことはあったけど、それってホントなの?」

「そうでもしないと分からないような情報を前提にして作戦を立ててるもの。本当でしょうね」

「うわぁ‥‥」

 

 珍しいことに、9の笑顔が引き攣っている。それも当然だろう。話を聞いたときの自分のように、「何やってるの!」と激昂しないだけ大したものだ。

 屋上へと続く階段に差し掛かったところで、9が416の裾を引いた。

 

「大事な話してるかもしれないから、ここからは静かに行こうね」

「そうね」

 

 足音を殺して階段を上る。鉄扉を目前にすると、416と9は互いに頷いた。

 耳を鉄扉につけて、聴覚モジュールの処理にシステムを集中させる。

 扉と夜風で減衰しているものの、二人の声は確かに聞こえた。

 

「どうして、人形相手にそこまで優しくするの。

 ヒトと私たちの区別がつかないほど莫迦じゃないでしょ?」

 

「45姉‥‥?」

 

 小声で9が呟いた。口にこそしなかったが、416も同じ驚愕を抱いている。妹でなくとも分かる、45の声色がかつて聞いたことが無いほど弱々しかったからだ。

 あのUMP45がここまでしおらしく声を震わせるなど、演技以外ではありえない。しかし、そういった演技はノアに通用しない。そんなことは45も分かっているはず。つまりこれは本音なのだろう。‥‥ノアは一体何をした?

 しばらくの沈黙の後、今度はノアの声を聴覚モジュールが捉えた。

 

「45、星は好き?」

「‥‥普通かな。綺麗だとは思うけど、そんなに見ないよ」

「僕はね、星とか夜空とか‥‥好きだったんだ、そういうの」

 

 何の話だろう、416は眉根を寄せた。ノアが星空を好んでいることは知っているが、それと人形への態度にどんな関係がある。

 いやそれよりも、今ノアは「好きだった」と過去形で言った。つまり、今は。

 

「小さい頃は、星っていうのは純粋な光の塊だと思ってた。

 ただ光るために存在する、そういうものなんだって。

 だからその正体がガスや塵だと知ったとき、結構ショックを受けたよ。

 空を覆う煌びやかな織物なんて無くて、ただ塵がぶつかって燃えているだけ。

 ロマンも神秘もないよねぇ」

「何ソレ。このご時世にそんな勘違いできるの?」

「あの頃の僕は今よりずっと莫迦だったんだ」

 

 45とノアがクスクスと笑う。

 ‥‥何だかいい雰囲気ではないか。いや、別にノアと45がよろしくしているとしても、自分には関係の無い話だが。

 9も同じ感想を抱いたのか、頬を赤くして二人のやりとりに傾注している。

 ひとしきり笑ってから、少しの間黙り込んだ。45が仕草で促したのか、ノアの語りが再開される。

 

「でもね、それを知ってから見る夜空も、やっぱり綺麗なんだ。

 星は所詮宇宙の塵。それでも美しいなら‥‥光ることにこそ、その意味はある。

 ヒトと人形も、そんな感じだと思うんだ。中身が鉄とプログラムでも、外見や在り方は変わらない。

 過去を積み上げて未来を志向する知性体って言えば、ほとんど同じに思えない?

 だから僕は、基本的に人と人形を区別しない。善き人にも悪しき者にも、相応の報いを(こしら)える。

 ‥‥長々と喋ったけど、これで答えになったかな?」

 

 自然と、416の頬は緩んでいた。同じ内容を他の指揮官が口にしたならば、間違いなく自分は辟易しただろう。しかしノアが言ったその言葉は、その実全く逆の意味を持つ。戦術人形が素材から人間とは違うことは、当然理解している。実生活において生じる差異も価値観のズレも分かった上で、「完全に代替できる存在なら、関わり方も同じでいいじゃないか」と言っているのだ。随分と超越的な視点だが、それもまたノアらしい。

 45からの返事は、無い。全ての音が遠い月夜の裏側、鉄扉の影で9が息を呑んだ。

 たっぷりと間が空いて、ようやく45が口を開く。それまで、催促の言葉は一度も無かった。

 

「なぁにそれ、ロマンチストにもほどがあるよ」

「45姉‥‥!」

 

 9が面を上げた。その表情が明るいところを見ると、妹にしか分からない何かを、45の声から受け取ったのだろう。

 小声で呼びかける。

 

「嬉しそうね、9」

「うん、これでみんな家族だから」

 

 ニコニコと笑う彼女にもし尻尾が生えていたならば、今頃ブンブンと振り回されていたことだろう。

 どうやら話も一段落したようだし、そろそろこの場を脱そうか――と416が考えた瞬間、体が横に引っ張られた。

 上体が夜気に晒されて、髪が風に遊ぶ。咄嗟の体幹操作で416は踏みとどまったが、9は「へむっ」と声を上げて薄い胸に受け止められた。‥‥薄い胸?

 

「やっぱりいた」

「ノアの言う通りね。どうしてここにいるの?説明してもらえるかな~、9?」

 

 音も気配もなく忍び寄って鉄扉を開いたノアが、やんちゃな子供を見るような目で苦笑した。その隣には、銃を提げて妹を捕まえている45の、空恐ろしい笑顔がある。

 45の腕の中から逃げようと藻掻いた9は、しかし観念して脱力する。

 

「あぅ‥‥起きたら45姉がいなかったから、心配で‥‥ごめんなさい」

「その‥‥盗み聞きするつもりはなかったのだけれど」

 

 半分は嘘だ。初めから立ち聞きするつもり満々で臨んでいた。しかし、様子を把握でき次第声を掛けるつもりでいたのも事実なので、完全な嘘というわけでもない。

 45が困ったような表情で、9の頬を引っ張る。

 

「どこから聞いてたの」

「いひゃいいひゃい!えっと、指揮官が私たちに優しい理由をば‥‥」

「‥‥ま、そのくらいならいっか。ねー、ノア?」

 

 ノアと45が顔を見合わせて「ねー」と笑う。45め、昨日まであれだけ彼のことを警戒していたくせに、何なのだその態度は。

 416は腕を組んで、大きく嘆息した。「とんだ掌返しね」

 

「違うよ。これは、情報追加による評価の更新~」

 

 45の減らず口に416が辟易した顔をしていると、ノアがにこやかに告げた。

 

「さ、そろそろ戻りな。今日は非番だけど、折角の休みを寝て過ごしたくはないでしょ?‥‥G11は別として」

 

 最後の一言で45がクスリと笑う。「そうね。私は戻って寝直そうかな。9は?」

 

「私もー!45姉一緒に寝よ!」

「はいはい」

「私はこのまま貴方の部屋に行くつもりなのだけど」

 

 416の台詞に、UMP姉妹が腹の立つニヤケ顔を向けてくる。「ひょ~、大胆だね」「流石は自称完璧な女」

 

「あ゛?誰が自称よ誰が」

「あっは‥‥じゃあ行こうか」

 

 思い出話を終え、急に姦しくなった空気を連れて、四人は月下の屋上を後にする。

 謎は謎のまま、夜陰の中でじっと蹲っているけれど、今はそれでいいのだろう。

 知らぬが仏。ノア=クランプスの本性を知らぬが故に、彼女たちは明日も笑っていられるのだから。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

雪の木曜 ①

 香辛料と油の香りが、嗅覚を強烈に刺激する。

 眼前には、幾つもの香辛料を使ったグリルチキン、具沢山のクリームシチュー、クルトンサラダ、オニオンスープ、そしてライ麦のパンが並んでいた。

 目を輝かせたUMP姉妹が、フォークとナイフを手に歓声を上げる。

 

「すごい!普段よりうんと豪華だ!」

「流石、前々から準備してた甲斐があったね~」

「何の話かしら」

 

 416は早口で二人の言葉を遮り、ノアの顔をチラチラと窺っている。

 ノアは食卓に並んだ品々を見て、目を丸くしていた。

 

「これ全部416が作ったの?料理できるのは知ってたけど、こんな手の込んだのも作れたんだ‥‥凄いね」

「大した手間じゃないわ。そんなに難しい料理じゃないもの」

 

 416はこう言うが、ノアにとっては鶏むね肉を五枚焼くだけでもびっくりするくらい面倒なことだ。食事にあまり重要性を見出さない身からすれば、食事のためにこれだけの手間をかけている時点で立派なのだ。

 

「そんなこと言って、何度も手順確認してたじゃん。今朝だって、休みなのに早起きして――」

「煩いわね!そんなことよりアンタはいつまで指揮官の膝に座ってるの。早く降りなさい!」

 

 ノアの腕の中で声を上げたG11が、「それはできないよ。これが私の仕事だから」とふんぞり返る。

 416の誘いを受けて、躊躇いながらも404小隊の部屋にやって来たのがニ十分ほど前。それからずっと、この膝の上にはG11が居座っていた。

 

「なぁにが仕事よ。今日の指揮官はオフなのよ。甘え散らかすのも大概にしなさい」

「それは違うよ。私がノアに甘えてるんじゃなくて、私がノアを甘やかしてるの」

「はぁ?指揮官、貴方はいいわけ?邪魔でしょソイツ」

 

 全く不自由が無いと言えば嘘になるが、この身の自由より人形たちのしたいことが優先されるのは当然のことだ。

 それに既に三回、降りてもらおうと試みて失敗している。とっくに諦めていたノアは苦笑いを浮かべた。

 

「僕はこのままで大丈夫。それより早く食べよう?折角の豪勢なご飯だし、冷めたらもったいないよ」

「はぁ、またそうやって甘やかして‥‥まぁいいわ。召し上がれ」

「「いただきまーす!」」

 

 全員が手を動かし始める。ノアのフォークとナイフは真っ先にチキンへと向かったが、

 

(食べにくい‥‥)

 

 今、ノアの胸の辺りにはG11の頭がある。小柄な彼女はじっとしていればさして邪魔にもならないのだが、彼女は彼女で自分の食事のために両手を動かしている。G11はまずシチューを選んだのでノアとバッティングすることは無かったが、これでは食べ終える頃には日が暮れている。

 そんなノアのもどかしさを感じ取ったか、スプーンを置いたG11が小さな手でこちらの手を包んだ。どこか自慢げな顔である。

 

「しょうがないなぁ、手伝ってあげるよ」

 

 そのままキコキコと肉を切る。フォークで肉片を捉え、あとはこれを口へ運ぶだけなのだが‥‥このまま手を運ぶと、G11の柔らかな灰髪(はいがみ)に肉汁が垂れてしまうだろう。首を傾ければいけるだろうか、しかしそれだと今度は食べにくい。

 パンをシチューに浸すG11を見る。再びノアの手が止まった。

 その静止を何だと思ったのか、G11が餌を待つ雛鳥のように口を開けた。「あーん」

 

「これが甘やかしてるの?」

「どう見ても甘えてるねー」

 

 UMP姉妹が首を傾げている。正直ノアも同じ気持ちなのだが、G11には彼女なりの考えがあるのかもしれない。それよりも気になるのは、こめかみに青筋を浮かべてこちらを見ている料理長(416)だ。今にもその手に握られたフォークが超音速で飛んできそうな形相である。いや、“秘刃(ひば)”は教えていないから、そんな芸当はできないだろうけど。

 どうしようもないので、小さな口に肉を入れる。薄桃色の唇が閉じる前にフォークは引き抜いた。

 自分で食べるつもりだったんだけど、とは言わない。だって、美味しそうにチキンを咀嚼するG11が、実にだらしない笑顔なのだ。その様を見ていると、こちらの頬も緩むというもの。

 

(――あぁ、そうか)

 

 彼女が口にした「甘やかす」とは、つまりこういうことなのだ。G11はノアの望むものを分かっているから、自身が手っ取り早く幸せを感じられるようにノアを使っている。

 きっと言葉で説明することはしないし、できないだろう。しかし、彼女は彼女なりに自分のことを考えて行動している。そう思うと、どうにもくすぐったい心地になった。

 さて、肉を噛んでいる間はG11の動きが止まる。その隙をついて、ノアもチキンを一口。パリッと皮が砕けた後、何の抵抗も無く繊維が千切れていく。それと同時に口の中に広がる辛味と、遅れて飛来する胡椒の刺激が味蕾(みらい)を行進する。肉に染み込んでいた下味を肉汁が解放して、あぁえぇとつまり――

 

「~~~!」

 

 ノアは目をキュッと閉じた。足が小さくばたついて、乗っているG11がビクリとする。416と45は思わぬ反応に目を見開き、9は一緒になって足踏みしている。

 突然の奇行を一同に見守られながら、じっくり味わって、味わって、呑み込んで、それからノアは416を見た。

 

「――美味しいっ!」

 

 いつになく溌溂な声でそう叫んだノアを、416はぽかんと見詰めた。やがて硬直が解けて、花のような笑顔が咲く。

 

「そう。口に合ったようでよかったわ」

「ねぇノア、知ってる?97式から聞いた話なんだけど。

 416ったら、95式とG36におりょ――」

「45。アンタ、次余計なことを喋ったら“絶火”で足を踏み抜くわよ」

 

 まるで風が強い日の風見鶏だ。不安そうにこちらを見ていたと思えばぱっと笑って、次の瞬間には据わった目で睨みをきかせている。

 やだコワーい、とわざとらしく身を竦める45と手を合わせて、9が楽しそうに笑っている。

 膝の上のG11が、千切ったパンを差し出してくる。それを受け取ったとき、どうしても脳裡に蘇る景色があった。零れそうになる言葉があった。

 それは遠く、時間の延長線上に霞んだ幸せな日々。失われた幸せの形。

 

(早くそっちに行きたいんだけど。中々上手くいかないね)

「指揮官、どうかした?」

 

 416が、こちらを見て首を傾げている。ノアは笑顔で手を振った。

 

「ううん、何でもない」

 

 パンを口に放り込んで、フォークを掴む。416の視線から逃げるため、目の前の食事を味わうことに集中した。

 

――――――

――――

――

 

「今日の貴方はお客様なのよ、休んでたらいいのに」

「あんなご馳走のご相伴に預かったんだし、このぐらいはさせて」

 

 賑やかな食事を終えて、ノアは416と並んでキッチンに立っていた。416が洗った食器を受け取り、水気を切って拭いていく。

 向こうでは9とG11がドラマを見ていた。ゾンビが闊歩する都心を、数名の男女が銃火器をぶっ放しながら突き進んでいる。その度に脳漿(のうしょう)やら肉片やらが派手に飛び散っているのだが、食事の直後に見る内容だろうか。

 

「ノア、416のお手伝いしてるんだ~。ただでさえ少ない休みなのにご苦労様」

 

 反対側から、45がぬるりと顔を出した。ノアと416の顔を交互に見詰めて、にやりと意地悪そうな笑みを浮かべる。

 

「そうしてると、まるで夫婦みたいだね~」

「馬鹿なこと言うんじゃないわよ」

 

 45の言葉に、416は手を止めることもなくぴしゃりと返した。

 ノアは思わず首を傾げた。416の反応が、予想よりずっと落ち着いていたからだ。そういった揶揄い方をされた彼女は、すぐに顔を真っ赤にして怒るものと思っていたのだが。

 同じことを45も思ったらしい。対面キッチンの向こうから出した頭を、ゆらゆらと揺らしながら不満げに訊ねる。

 

「あれー、おかしいな。416、いつもはもっと慌てるじゃない。なんで今日はそんなに落ち着いてるの?」

「そんなの詳しく説明したらアンタが学習しちゃうでしょ。黙秘するわ」

「えー、つまんないの。ノアぁ、相手して~」

 

 対面キッチンを回り込んで、背中にするりとしなだれかかってきた。ノアは耐熱皿を落とさないように注意しつつ、絡みついてくる45から抜けようと試行する。しかしキッチンで絶火(ゼッカ)暮葉烏(クレハガラス)を使うわけにもいかず、中々上手く抜け出せない。向こうでドラマを見ていた二人もこちらを振り返り、慌ただしいキッチンの様子を窺っている。

 

「今お皿拭いてるから危ないよ!」

「なら落とさないように頑張ってね♪」

「こら45、指揮官に迷惑かけるんじゃないの!」

 

 悪戯っぽく細められた瞳が、右へ左へ移りながらこちらを見上げる。そうしてうろちょろする45があまりに楽しそうで、思わずノアは素直な疑問を口にした。

 

「急にどうしたのさ。僕はてっきりキミに嫌われてるつもりだったんだけど」

「別に元々嫌ってなんてないよ~。ただ、これからはもう少し仲良くしようかなって」

 

 ‥‥おかしい。いつも45がこのような台詞を口にするとき、そこには顔面から皮一枚分浮いた布のような、あやふやで白々しい笑顔があった。確かに可愛らしいけれど、あまりに生々しい打算の匂いが染みついた笑顔が。

 しかし今はそれが無い。彼女の嘘や媚び(へつら)いは分かりやすいと思っていただけに、ノアは首を傾げてしまう。

 

「‥‥45、随分と嘘が上手くなったね?」

「あ、ひどぉい。もう、嘘じゃないのに」

 

 45がいよいよノアの体に縋りつく。416の修羅じみた怒り顔も意に介さず、首に腕を回して体重をかけてくる。義手が鎖骨に当たって、ちょっと痛い。

 そのまま唇をノアの耳に寄せて、45は甘ったるい声で囁いた。

 

「貴方が私を正直者にしたんだから。責任取ってよね、ノア♪」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

雪の木曜 ②

 銃撃音と金属音、そして時折炸裂音が聴覚を激しく打ちつける。鼻腔を埋め尽くす硝煙の匂いには、最早安心すら覚えていた。

 鉄血と“猫の鼻”とが拮抗する防衛線に面した、前線基地の一つ。416は髪についた砂埃を払いながら、部隊長に声を掛けた。開けた床に、抱えてきたG11を放る。

 

「へぶ」

「この後どうするの、C-MS。さっきので今日の規定撃破数は超えたわよ」

「そうね。苦戦してる部隊も無いみたいだし、さっさと戻ろ。

 416も早く指揮官に会いたいでしょ?」

 

 416は思わず「はぁ?」と声を上げた。残弾数を確認している彼女の隣では、リベロールがG11に膝を貸している。

 

「だって416ったら、帰投したら真っ直ぐ指揮官の所に行くじゃん」

「それは私が副官だからよ。貴女だって報告のために一緒に来るんだから分かってるでしょ」

「そうだけどさー」

「でも416、毎日夜が更ける前に指揮官の部屋に行ってるよね」

 

 外の警戒を終えたVectorが、戻って来るなりそう言い放った。リベロールが驚愕の表情でこちらを見る。

 Vectorをきっと見返しても、そのお澄まし顔は変わらない。416は嘆息した。

 

「あの人、朝に弱いから。代わりに色々準備してるのよ」

「はいダウト!コレ、MDRから買ったんだけど」

 

 C-MSが仕舞ったばかりの端末を差し出した。その液晶には、互いにぴったりと寄り添って眠る416とノアの姿が――

 

「は!?な、え、何よコレ!盗撮じゃない!ちゃんと確認してたのに‥‥」

「こういうの、二偵の連中は特に上手いから。部下の生活を知るのに重宝してるわ」

「これって‥‥お二人は、そういう関係、なんですか‥‥?」

 

 リベロールが、顔を少し赤くしてこちらを見上げてくる。416は髪が乱れるのも構わず、ブンブンと首を振った。

 

「断じて違うから落ち着きなさい、リベロール。血圧が上がるわよ」

「あははっ、416の方が落ち着いてないじゃん」

「煩いわね!私は動揺なんて――」

 

「た、助けて下さい!」

 

 切羽詰まった叫びが、簡易基地の中に飛び込んできた。長い亜麻色の髪を振り乱したその女は、こちらの状態も確認せずに床に手をついて息を荒らげている。

 反射的にニーリングポジションで構えていた銃口を下ろし、416は首を傾げた。

 

「誰か知らないけど、どうしたのよ貴女。ボロボロじゃない」

「わ、私は88式、B17地区の所属です。私がいた部隊は、後方支援のために資材を集めていたんですが‥‥」

 

 G11の頭を優しく下ろしたリベロールが、慣れた手つきで応急処置キットを取り出す。小さな体でてきぱきと傷を塞いでいく彼女に頭を下げ、88式は早口で事情を語った。

 

「事前の偵察では安全だったはずの地域に、いきなり知らないハイエンドが現れたんです」

 

 その言葉に、一襲全員の意識が一つの名前を想起する。

 凌辱者(トーチャラー)。最新鋭の鉄血ハイエンドにして404小隊を壊滅に追い込んだ張本人。奴の情報はあまり多くなく、共有されている情報はもっと少ない。奴らがC■■地区に居座っている現在、他の地区に被害が出るとは思わなかったが‥‥

 

「退路も断たれ部隊は全滅、必死に逃げていたらE.L.I.Dとも遭遇して‥‥結局、生き残ったのは私だけです」

 

 88式の言葉を聞きながら、416は外の様子を確認する。今のところ、彼女を追ってくる敵影は無い。

 彼女が大事そうに抱えている得物からも分かるが、88式はマシンガンの戦術人形。よくそんな長距離を走って来られたものだ。

 それを口にすると、88式は俯いた。限界まで酷使したためであろう、焦げ付いた義足の接合部を摩る。

 

「火器管制に使っているコアの演算能力を、この足の出力に回したんです。

 逃げることだけが取り柄なので‥‥」

 

 随分と落ち込んでいるらしい。当然といえば当然だが。

 C-MSが繋いだ無線から、ノアの声が聞こえた。『はぁい、ノアだよ。どうしたのC-MSちゃん』

 いつも通り気楽な声音の彼だったが、現状の説明を聞くと少し考え込むように黙した。

 

『今すぐ、88式を連れて撤退。逃げ切れないようなら応援を送る』

「どういうこと?」

『ごめんね、説明している時間は多分無い。

 ――一襲、対ハイエンド警戒態勢』

 

 緊迫したノアの声とほぼ同時。416の耳に、空を揺るがす雷鳴が轟いた。

 その場の全員が音源を求め振り向く中、88式が愕然とした表情で悲鳴を上げる。

 

「嘘、どうしてアイツが‥‥!?」

 

 半ばから斬り崩されたビルの向こう、砂埃の中から現れた影が既知のものであることに、416は安堵と落胆の両方を覚えた。

 今までに何度も殺したことのある鉄血ハイエンド、エクスキューショナー。特定のターゲットを暗殺することに特化し、一対一の戦いに長けた大太刀使い。そこまでは別にどうでもいい。今の自分たちならば、負ける確率など一パーセントを切っている。

 しかし今416の視界に映るエクスキューショナーは全身に青白い光を迸らせていて、携える大太刀には殊更大きなスパークが散っていた。

 何だ、あの個体は。一太刀でビルを袈裟に両断するなど、今までのエクスキューショナーでは絶対にありえない所業。下位ユニットは一体も連れていないが、それでもこれまでに見た敵の中でずば抜けた脅威であると416は判断した。

 愕然とする隊員たちを余所に、G11が床の隠し扉を開く。「逃げるんだよね!?早くしよう!」

 

「アイツの突破能力を見たでしょ。背中を見せて逃げたら死ぬよ、私たち」

 

 C-MSが低く呟く。きっと、必死に最善の撤退策を思案しているのだろう。まだ、敵はこちらに気付いていない。所在無さげに大太刀の切っ先を遊ばせながら、辺りをきょろきょろと見回している。

 416はいつ戦闘が始まってもいいよう、グリップを握る手に力を込めた。

 

「Vector、焼夷手榴弾は何発溜まってる?」

「‥‥十二。合成モジュールを走らせれば、もう一つ作れるけど」

「じゃあ十三ね。それを入り口にありったけぶちまけて。炎の壁を作って、アイツをここから締め出す。

 その間に、隠し通路から地下水路の機動艇で撤退。

 416の榴弾で、地下を崩落させて追跡を防ごう」

 

 エクスキューショナーの視線が、こちらを向いた。

 C-MSが叫ぶ。

 

「――総員っ、行動開始!」

 

 掛け声と同時に、Vectorが合成済みの焼夷手榴弾を放る。空いた手で炸薬合成モジュールを起動し、もう一つ追加。基地の入口は轟音を立てて崩れ落ち、燃え盛る炎で外の風景は塗り潰された。

 C-MSが88式を抱えて、床の洞に滑り込む。彼女の後に続いて爆炎に背を向けたとき、416の全身が未曾有の危機を感じ取った。ノアとの訓練中に何度も感じる、「この瞬間に行動できなければ、確実に敗北する」という悪寒。

 隣のリベロールを引っ掴んで()()()()()()

 瞬間、黒い剣閃が視界の端を裂いた。“絶火”で吹き飛んだコンクリートの欠片が蒸発する。

 橄欖石(416)柘榴石(エクスキューショナー)の視線が交錯した。

 しかし、相手への殺意を言葉にする暇も無い。大太刀の切っ先が翻るのとどちらが早かったか、もう一度“絶火”。今度はリベロールの小さな体を地下通路へ背中で押し込む。

 

「416!」

 

 彼女の悲鳴に返事はしない。大太刀に弾かれない位置を狙ってNATO弾を浴びせかけるが、エクスキューショナーは巧みに刀身を滑らせながら身を退いた。

 急いで416も地下へ飛び込む。敵が戻って来る前に、扉を施錠して階段を駆け下りる。

 

「416、無事!?何なのアイツ!」

「えぇ、平気よ。二つ目の質問の答えは知らないわ」

 

 機動艇の結索を解くC-MSに、416は首を振る。

 

「殺せてないから、もたもたしてると追いつかれるわよ」

 

 その言葉と重なるように、鋼鉄の落ちる音が聞こえた。

 振り返ると、青白い光を引き連れたエクスキューショナーが、大太刀を肩に乗せて笑っていた。

 

「おいおい、そんなちゃちな船で逃げるつもりか?舐められたものだな」

「私と416はここでアイツを食い止める。四人はそのまま脱出!」

 

 C-MSの指示を無視して、Vectorが船から降りてくる。

 

「二人じゃ無理でしょ、あたしも残る。

 いいよね、指揮官?」

『分かった。五分以内に応援を届けるから、無事でいて』

 

 機動艇のエンジンをかけて、88式たちの気配が後方に遠ざかっていく。自分の名を呼ぶG11の声が今にも泣きそうなので、416は思わず笑ってしまいそうになる。

 “猫の鼻”の支援を受けている今、自分がここで死んでもバックアップは残っている。にも関わらず今生の別れのように叫ぶのは、やはりノアの優しさに毒された結果なのだろう。

 自分たちを無視して機動艇を叩き斬らんと駆け出したエクスキューショナーの足元で、6.5mm CBJ弾が火花を散らした。

 

「行かせるわけないじゃん。莫迦じゃないの?」

「っち。まぁいいさ、ここで全員斬り捨ててやる」

 

 エクスキューショナーが霞の構えでこちらを見据える。416は深く息を吸って、視覚モジュールの演算に集中する。

 先程、炎の壁を突き破ってきた刺突技。アレに反応できるのはこの三人の中でも自分だけだろう、と416は理解していた。二人のどちらかがあの技に狙われた場合、“絶火”と銃撃で阻止せねばならない。何よりもまず、特定の一人に狙いを集中させないことが重要だろう。

 エクスキューショナーから見て、Vectorの走り出したのとは逆方向に落ちる。Vectorも“絶火”を使っているので、敵からすればこの二人を同時に捕捉することは不可能なはず。

 最後に残ったC-MSは、わざとその場を動いていない。明らかに目で見える対象がいれば、エクスキューショナーの意識は少なからずそちらへ向かう。

 三つの銃口から怒涛の掃射が押し寄せる中でも、エクスキューショナーの余裕は崩れない。大太刀を豪快に振り回しながら、鉛の(むしろ)を突き抜ける。C-MS目掛けて振り上げられた刃は、416の弾丸で逸らした。

 

「助かったわ!」

「油断しないで隊長さん。応援が来るまでに、脚だけでも潰すわよ」

「誰の何を潰すって?あぁ!?」

 

 黒の剣風が、稲妻を撒き散らしながら地下通路を掻き回す。

 416たちは戦術人形だ。当然、その体は機械で動いている。ちょっとした電気ショック程度ではどうということもないが、あれだけの電撃を浴びればただでは済むまい。最悪の場合は即死、最低でも行動不能は免れないだろう。

 間合いを維持して駆けながら、三人が銃弾を浴びせ続ける。そのほとんどは弾かれてしまうが、いくつかは生白い肌に血の花を咲かせていた。しかしそれでも関係無いとばかりに、エクスキューショナーは暴れ続ける。

 連携が取れているとはいえ、こちらは三人。大して広くもない地下空間を、斬撃と雷撃を避けながら走り回るのは至難の業だった。つまり、一人が間合いを取り損ねて黒い嵐に捕まるのも、時間の問題だったのだ。

 電撃に捕まって怯んだVectorの左腕が、肘を境に切り飛ばされた。

 致命的な隙を晒した彼女に、エクスキューショナーがさらに踏み込む。

 

「ほらほらどうした!俺を止めるんじゃなかったのか?

 これじゃあお前らを無視して進めちまいそうだ!」

「それはどうかしら」

 

 稲妻を纏った大太刀が、前方へ振り下ろされるその瞬間。416はあくまで冷静に、エクスキューショナーの後頭部に狙いを定めていた。

 

「はっはァ!」

 

 416が引き金を引くと同時、エクスキューショナーが裏拳を放つ。処刑の如き一撃は中断されたが、銃弾も弾かれた。体を回す勢いもそのまま、今度は416に横一文字の殺意が迫る。

 咄嗟に“絶火”。しかし僅差で距離が足りず、愛銃のバレルが半ばから斬り裂かれた。熱を帯びてぐにゃりと曲がっているのを見て、416は舌打ちする。

 こうなってしまっては使えない。突撃銃を放り捨て、グレネードランチャーとサイドアームの拳銃を抜いた。

 一番の得物を失った今が416を仕留める好機と見たか、エクスキューショナーは全力でこちらに迫って来た。回転斬りの動きで二人からの銃撃を防ぎつつ、416の首や四肢を執拗に狙う。

 

「どうした、逃げてばかりじゃないか!左手のソイツはぶっ放さないのか?」

「コイツを食らいたかったらちょっと下がりなさいよ!アンタと心中なんて御免なんだから!」

 

 斬撃を避けて発砲したが外した。狙ったのは右手、大太刀に繋がるケーブルだ。いつも見るエクスキューショナーには、このようなパーツは無かった。きっと、これが刀身に電気を流しているのだろう。

 一つ一つが致命的な連撃を躱しつつ、間合いを調節する。“絶火”一回で爆風圏外まで抜け出せる間合い――ここだ。

 M320A1の銃口を向ける。咄嗟に大太刀で防御の構えを取ったエクスキューショナーの、右手を掠めるように拳銃の引き金を引く。跳弾込みで計算された弾道を辿った一発が、手と大太刀を繋ぐケーブルを切断した。派手な火花を散らしたのを最後に、黒い線はだらしなく垂れ下がる。

 

「はっは!やるじゃないかクズ人形のくせに!」

 

 しかし、そっちはそっちで予備のバッテリーでも積んでいるのだろう、大太刀の稲妻は消えない。

 決死の一手を受けても、エクスキューショナーはお構いなし。高笑いを続けながら、416の目の前まで踏み込んできた。C-MSの悲鳴が聞こえる。逃げられない――

 

 ガァン――ッッ!!

 

 大太刀の横腹に、見慣れたブーツの底が叩きつけられた。エクスキューショナーが大きく体勢を崩し、その目を見開く。

 

「カストラート‥‥!」

「そう呼ばれるのは、あんまり好きじゃないんだけど」

 

 ぼやいたノアが、地面に足をつける前に一回転。ナイフでエクスキューショナーの左瞼を切り裂いた。よろめいた彼女を階段方向へ蹴り飛ばして、ようやくその足が着地する。

 体のラインが浮いた黒いボディスーツ姿で、ノアがこちらを振り返った。

 

「ごめんね、遅くなって。ナイスファイト、416」

 

 戦場にあってもなお変わらない優しい笑みに、416は思わずその場にへたり込んでしまいそうになる。

 416が何かを言うより早く、ノアが後方の二人に向かって叫ぶ。

 

「みんな、予備の機動艇で脱出!」

「指揮官は!?」

「あの子を殺してから歩いて帰る!」

「莫迦じゃないの?」

 

 腕の切断面を押さえて呟いたVectorに答えることは無く、ノアが駆け出した。その先では、光を失った大太刀を構え、エクスキューショナーが牙を剥き笑っている。

 C-MSとVectorは機動艇の準備を始めた。416は拳銃を両手で握って、ノアと対峙するエクスキューショナーに狙いを定める。

 

「今日は運がいい!適当に管理区外のクズ人形どもで試し斬りしてただけなのに、逃げた奴を追ってみればお前に会えたんだ、カストラート!」

「殺し合いくらい黙ってやりなよ」

 

 エクスキューショナーが大太刀を振るい、それをノアが蹴りで弾き、あるいは踏んで体勢を崩しにかかる。そうやってできたわずかな隙でも見逃さず、ナイフと蹴打を組み合わせた連撃で巧みに敵の傷を増やす。しかも、エクスキューショナーの体を覆う電撃で感電しないよう、ノアは必ず空中で偶数回攻撃している。そんな無茶な曲芸を繰り返しているせいで、ノアの肌にも浅い切り傷が出来ていた。

 互いに一歩も引かない、零距離三次元格闘。416は限界まで視覚モジュールに集中するが、引き金を引けるという確信に至る瞬間は無い。しかしそれよりも、416の心胆を寒からしめていたのは、

 

(指揮官、貴方‥‥どうして笑ってるのよ)

 

 一手でも誤れば、バッサリ斬られるか黒焦げにされる。しかもノアは人間だ、自分たちと違って死んだらそこでおしまいだというのに。

 ハリケーンの進路上に剥き出しの心臓を放り出しているような状況であるにも関わらず、ノアは凄絶な笑みを浮かべて命のやりとりに没頭していた。

 先程炎の壁を貫いた、超音速の突きが胸を狙う。ノアがそれを掌で受け止めると、大きな赤色が二人の間に花開いた。

 

「指揮官ッ!」

 

 思わず叫んでも、ノアは416を振り返らない。「大丈夫」の言葉も無い。ただ獰猛な笑みを浮かべたまま、さらに深く手を貫かせる。エクスキューショナーがノアの真意に気付き、刀身を引き抜こうとしても既に遅い。

 手を、大太刀を支点として体を跳ね上げる。そのまま、ノアのブーツがエクスキューショナーの腹部に叩き込まれた。致命的な衝撃音と共にエクスキューショナーの姿が消え、奥の壁で土煙が上がる。

 いつか416も見た“烈火”。しかし今響いた音だけでも、あのときとは比べものにならない威力であることは察しがついた。大きな土煙が晴れた後、壁に埋まったエクスキューショナーの腹が消し飛んでいたことも、その証左と言える。

 手に空いた穴からボタボタと血を流すノアが、激しく()せてくずおれた。慌てて駆け寄り、その体を支える。

 

「大丈夫!?いや、そんなわけないわね。ほら、手伝ってあげるから立って。早く戻って治療するわよ」

「あっはー‥‥たったこれだけの戦闘でこんなに疲れるなんて、恥ずかしいなぁ」

「心配ないわ。少なくとも、私たちの中ではMVPだから。腹立たしいことにね」

 

 機動艇までノアを引っ張っていくと、エンジンを起こして二人を待っていたC-MSが息を呑んだ。

 

「指揮官、それ‥‥」

「大丈夫。心配無用だよ」

 

 二人が乗り込んですぐ、機動艇は発進した。416は天井を爆破し、この道を使った追撃を防ぐ。

 この地下空間は“猫の鼻”の近くまで続いているだけあって、様々なセンサーや罠がこれでもかと仕掛けられている。それでも念には念を、だ。

 ハンカチを雑に巻いただけの、穴が開いた手でも全く痛くなさそうに、ノアはナイフを取り出した。長い紫色のポニーテールを、一房切る。腕を失ったVectorを呼んで、その髪で傷口を縛り始めた。Vectorが呟く。

 

「‥‥別にいらないのに」

「だーめ。基地までもう少し時間が掛かるから、少しでも出血は抑えないと」

「だからって、なんでわざわざ髪なのよ」

「応急処置キットはリベが持ってるはずだから。こんなので悪いね」

「‥‥そういう意味じゃないんだけど。まぁいいや」

 

 そんなやりとりを聞き流しながら、416は先程のことを思い返していた。明らかにこれまでの水準を飛び越えた性能のエクスキューショナー。奴に対抗するには、もっと訓練と調整を重ねる必要があるだろう。

 そして、もう一つ。Vectorと対照的な、人懐っこい笑顔を一瞥する。死線にあって凄絶な笑みを浮かべていた、あのときの面影は微塵も無い。自分はあの瞬間、ノアの隠された一面を覗いたのだろうか。

 416は遠ざかる前線基地を眺めながら、バレルを失った愛銃を抱き締めた。

 

――――――

――――

――

 

 水路への道は崩落し、地上への階段は燃え盛る炎に包まれている。

 規定値を大きく超えるダメージでメインシステムがダウンしていたエクスキューショナーは、腹部から大量のスパークと人工体液を垂れ流しながら、呻き声を上げた。

 

「っぐ‥‥クソが‥‥あの女男、次は絶対に殺してやる‥‥」

 

 自分が完成した直後、ドリーマーから告げられた事実を脳裏で反芻する。

 

『今の貴方は確かに強いけど、それでもカストラート――“猫の鼻”の指揮官にはまず勝てないわ。

 でも落ち込むことは無いわ。もし戦って負けてしまったら、彼との戦闘ログをアップロードしなさい。

 そうすれば、いつか必ず勝てるようになるから』

 

 ネットワークを確認する。通信帯域も充分だ、これなら今回のデータも送信できるだろう。

 戦闘ログをドリーマーの許へ送りながら、エクスキューショナーはノアへの怒りを再確認する。

 あの男は、ここのクズ人形共の首魁(しゅかい)。それだけでも殺す理由は充分すぎるくらいだが、他の指揮官と異なるのは、奴が自分たちの同胞を何度も直接殺していることだ。自分も例外ではないし、友であるハンターも無残にコアを奪われた。

 自分たちには何度も復讐するチャンスはあるが、奴の命は一つきり。

 何度負けようと、必ず殺す。

 データの送信が完了し、その思念を最期に燃やして、エクスキューショナーのボディは爆炎の中に散った。




一応僕Twitterとpixivやってて、そっちでは絵も上げてるんですけど。ノアくんの正体とか普通にネタバレしてるんで、楽しみにして下さっている方がいらっしゃれば自衛をお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

雪の木曜 ③

 殺菌済みの部屋に独特の、薄く漂う消毒液の香り。416は眼前の刺し傷が放つ痛々しさに堪えながら、手を動かす。粗方処置が済んだところでその傷の持ち主、向かい合って丸椅子に座る相手の顔をねめつけた。

 

「まったく、酷い怪我。こんな戦い方をしていたら、近い内に死んでしまうわよ。貴方」

「あっはー‥‥」

 

 数時間前、416たちは新型のエクスキューショナーから逃げてきた他基地の人形、88式を保護した。敵の追撃を予想したノアにより撤退命令が出るも、結局交戦。416はあと一歩でボディを一つ失う寸前まで追い込まれた。

 ノアはその場に応援として駆け付け、そのまま奴を仕留めてしまった。その際に取った戦術は「左手を貫かせて行動を封じ、致命的な一撃を叩き込む」という、自損前提の無謀なもの。

 男性、戦闘員、指揮官。彼が持つ、あらゆる属性にそぐわない白磁の手。そこにぽっかりと空いた暗赤色の穴は、416のメンタルを酷く沈鬱にさせる。それと同時に、自分が酷く腹を立てていることも自覚していた。

 前線で戦うための存在である自分たちが、指揮官である彼に助けられ、あまつさえこのような傷を負わせてしまった。416がもっと理性を欠いたパーソナリティに設定されていたならば、今頃は怒りに任せて訓練場のターゲットをスクラップにしていることだろう。

 しかし416は平静を保ち、声を荒らげないように努めた。

 

「二度とあんな戦い方、しちゃ駄目よ。今回は手だけで済んだけど、これからもそうだとは限らないんだから。

 そもそも、貴方が前線に出てくるのが間違ってるのよ」

「あっは、大丈夫だって。このくらいすぐ治るし、何ならこの状態でも戦うのは難しくないから。

 それに、この身一つ払うだけでキミたちが痛い思いをしないで済むのなら、破格のコストだと思うよ」

 

 ノアは何てことないように、そう言って笑う。その表情に痛みは滲んでおらず、手さえ隠してしまえば彼がこんな負傷をしていることに気付く者はいないだろうと思われた。

 しかし416は、ほんの微かに滲んだ脂汗を見逃さない。いつもより早く浅い呼吸にも気付いている。

 本当は痛いのだ。痛みと喪失感に叫びたいはずなのだ。目の前で微笑む男はそれを堪えて、人形である自分に気を遣い続けている。

 出会ってからこの方ずっと訴え続けているのに、直ることのないノアの悪癖。416の堪忍袋の緒は、もはや数本の繊維しか繋がっていない状態だった。

 

「指揮官、アイツと戦ってたとき、笑ってたわよね」

 

 416の指摘に、ノアが息を呑んだ。まさか、気付かれていないとでも思っていたのだろうか。

 

「いつもとは全然違う笑い方だったわ。リベのときとも違う。本当に楽しそうな笑い方。

 ねぇ、指揮官。貴方、戦いたかったの?」

「‥‥まさか」

 

 416は真正面からノアを見据えた。しかし、ノアは416を見なかった。曖昧に目を逸らして、曖昧な笑みでそう呟いただけ。

 まだ、隠すのか。この期に及んで、まだ自分に言えないことがあるのか。

 自分を含め、人形たちはこんなにも貴方のことを思いやっているのに。それを踏みにじるように、死線に身を投じて自分の命を弄ぶのか。

 視界が、真っ赤に染まった気がした。

 

「――いい加減にしろッ!!」

 

 ガタンと音を立てて立ち上がる。

 突然上がった416の怒声に、ノアの肩がビクンと跳ねた。それでも、視線は横を向いたまま。

 416は包帯を放り捨て、白いワイシャツの襟首を掴んだ。

 

「貴方の身にもしものことがあったら悲しむ奴が、ここには大勢いるでしょう!

 貴方、指揮官のくせにそんなことも分からないわけ!?

 いつもいつも人形のことしか考えてないくせに、どうしてそこから目を逸らすのよ!」

 

「――そんなことは分かってる!!」

 

 医務室を内側から叩き割らんばかりの大音声に、416は思わず声を詰まらせた。ノアは自分が怒鳴ったことに一瞬遅れて気が付いたように、はっと口を押さえた。

 

「ご、めん。

 人形たちが僕を慕ってくれていることも、僕を心の拠り所にしてくれる子がいることも分かってるよ。

 でも、その想いに応え続けることがどれだけ辛いか、キミには分かんないでしょ‥‥」

 

 ノアの体は、元より屈強には程遠い。しかし今にも泣き出しそうな声で呟く彼の姿は、一段と小さく見える。

 こちらが言葉を失っている間に、ノアは立ち上がり包帯を拾った。

 

「時間を取らせてごめんね、416。あと、怒鳴ったことも。ホントにごめん。

 今日はもう仕事も残ってないから、キミもゆっくり休んでね」

 

 そう言って医務室を去る彼の横顔は、嗚咽を堪えているようにも見えた。

 一人残された白い部屋の中、416は拳を握り締めて、震える声で独り言ちる。

 

「‥‥どうして、私を頼ってくれないの‥‥」




これからは頑張って週1くらいの投稿ペースを維持出来たらなと思っています。

でも僕は決意ユルユルの惰弱カタツムリなので、感想や評価など頂けると非常に励みになります。とてもうれしくなります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

雪の木曜 ④

 ステアーAUGが、対峙する相手に関心を持つことは珍しい。

 自分に対し敵意を持って襲い掛かる者には「葬送すべき(かた)」というタグのみを付し、それは鉄血ハイエンドやE.L.I.Dが相手でも変わらない。自分が放つ銃弾は、須らく死出の旅への切符であるべきだ。

 しかし今、AUGは対戦中の人形に少なからず興味を抱いていた。他の人形ならば見失う速度で疾走するAUGに、食らいつかんと駆ける銀髪の少女。

 およそ二月ほど前にやって来て、我らが指揮官の副官となったその人形――HK416が、先程からずっと自分の後ろについている。彼我の距離は五メートル強であり、互いの得物からしてみれば充分に当たる間合いだ。

 

「くそっ、速いわね‥‥!」

「ご安心を。貴女も充分速いですよ」

「何よその余裕っ、腹立つわね!」

 

 416がトリガーを引いた。バースト射撃で放たれた銃弾は、AUGの進まんとしていた先に飛来する。互いに音速を超える世界に踏み入っているにもかかわらず、大した偏差射撃だ。AUGは拍手をしようとして、自分の両手が塞がっていることに気が付いた。そうだ、今自分は銃を持っているんだった。

 二回続けて放つ“絶火(ゼッカ)”の間隙に、くるりと身を翻す。その合間に愛銃のトリガーを引くと、小口径の高速弾がフルオートで宙に飛び出した。

 極めて自然に、流れるようにばら撒かれる致死の壁。416は進路を変えて横に落ちる。

 

「互いに銃を持つのなら、逃げる方が当然有利です。

 覚えておきましょう」

「この‥‥ッ!」

 

 416による自分への追走劇は、これで終了。今度はこちらから攻める番だ。

 パッ、パパッ、パパパッ。

 前後左右に落ちながら、六つの射線で416を射竦める。後ろに落ちるか跳躍して回避するか、416が一瞬迷う様子を見せた。AUGはその隙を見逃さず、

 

「これでおしまいですね」

 

 AUGが416の背に銃口を押し付けると同時、ふわりと浮き上がった金髪の隙間を、先程放った弾丸が通り過ぎて行った。

 

「いい試合でしたわ。ここで私とこれほどの立ち合いができるのは、指揮官とシュタイアーを除けば貴女くらいです」

 

 AUGは現在、ノアの指示で南方の対E.L.I.D防衛線についている。今日は仕事合間の気晴らしに、一旦“猫の鼻”へ戻って来ていた。向こうの敵は堅牢かつ強靭、近付かれたら詰むといっても過言ではない相手だが、どうにも動きに芸が無い。そんなものは無い方が都合がいいのだが、たまにはこうして技と技を競わなければ、体に憶えさせた武芸も鈍ってしまうというものだ。

 ということでAUGは本心から称賛したのだが、416は悔しさを隠そうともせず、こちらを見ることもなく肩を震わせていた。

 

「クソっ、何が足りないの。これじゃああの人に頼ってもらうなんて‥‥」

「貴女は、指揮官のお役に立ちたいのですか?シュタイアーと同じですね」

「は?」

 

 そこで初めて416がこちらを振り返り、眉根を寄せて睨み付けてきた。自分はそんなにおかしなことを言っただろうか。

 

「IWSみたいって‥‥アイツのはほとんど心酔の域でしょ。

 私はそんなんじゃないわよ。ただの向上心」

「そうなのですか?難しいですね。

 ‥‥そうだ。今なら丁度、指揮官が他の方に稽古をつけていらっしゃるはずです」

「それは、見に行こうってことでいいの?」

「そうです。お誘いです」

「シノも酷いけど、アンタも大概話の意図が掴み辛いわね‥‥」

 

 心外である。

 シャワールームへの進路から少しずれて、隣の訓練場にお邪魔した。防弾ガラス越しのベンチに座って、弾ける火花の源に目を向ける。姿をきちんと確認できるのは暗い茶髪の戦術人形だけであり、彼女に打ち込んでいるはずのノアの姿は、距離を置いて見ても時々霞のように消える。きっと、45の目にはもっと不可思議な光景が見えているだろう。

 隣でスポーツドリンクを飲み込んだ416が、目を見開いた。

 

「今日の相手って45だったの?今まで指揮官の訓練は受けてなかったのに、どういう心境の変化よ」

「さぁ、分かりません。でも、ここの人形――特に前衛を任される方々は、全員“絶火”を使うことができます。45さんも、周りに追いつく必要性を感じたのでは?」

 

 416は「そう、かもね‥‥」と顎に手を当てた。その視線は、どこか気まずそうに二人の影を追っている。

 AUGも視線を戻した。ノアと対峙する45は、初めてにしてはかなり動けている。

 ノアが多用する“絶火”は超音速の疾走体技、“暮葉烏(クレハガラス)”は残像を置く技術。どちらも初見では一切の対応を許さない技であり、AUGも初めて手合わせした際には大いに戸惑った。

 しかし現在訓練場を転がりまわっている45は、ノアの蹴りを紙一重の所で躱している。もちろん彼も手加減はしているが、どうやら殺気に対する45の感覚は並外れているらしい。ノアの蹴り――“烈火(レッカ)”が空振ったとき特有の、ギュパンッという破裂音が訓練場に木霊する。

 

「45さん、素晴らしい反応ですわ。

 速度こそ劣っていますが、視線が指揮官から外れている時間はかなり短いですね」

「‥‥そうね」

 

 別に同意を求めたわけではないが、416は唸るような呟きを返してきた。随分と不機嫌そうだが、何かあったのだろうか。

 その疑問を口にすると、416は「何も無いわ。アンタの気のせいよ」とぶっきらぼうに言った。感情に疎い自覚のあるAUGだが、416が何かに怒っていることは理解できる。自分が原因でなければいいのだが。

 どてっ、という音がしたので視線を戻す。体力が限界となったか、45が尻もちをついていた。全身から滝のように汗を流し、短い間隔で喘鳴(ゼンメイ)している。ノアのスピードについていこうとすると瞬きができないので、眼球も乾き切って痛むはずだ。

 

「慣れれば瞬きすべきタイミングも掴めるのですが」

「そうなるまでに私は一か月かかったわよ。一気に大量の人工涙液を分泌させて瞬きの回数を減らすなんて、やろうと思って簡単にできることじゃないし」

 

 立ち上がる力も残っていないか、45は座り込んだまま呼吸を整えている。スポーツドリンクとタオルを持ってきたノアが、その手を引いて立ち上がらせた。

 隣を見ると、416が前屈みで耳を澄ませている。二人の会話を一言一句聞き逃さないという、強い決意の現れた姿勢だ。彼女は今、システムのほとんどを聴覚モジュールの処理に回しているはずだ。

 

「416さん」

「黙って。今忙しいの」

 

 会話してくれないのでは自分が暇になる。AUGも416に(なら)って、二人の会話を盗み聞いてみることにした。

 

『ぜぇっ、ぜぇっ‥‥ホントに、意味わかんない。

 9が読んでた忍者?の漫画に、影分身なんて技が出てたけど。

 まさか、できたりしないよね?』

『もちろん違うよ。僕のはただの残像。“暮葉烏”って技で、目がいい相手ほどよく引っ掛かるんだ。

 びっくりしたなら自信を持ってね、それだけキミの感覚が鋭いってことだから。

 実際、初日でここまで耐えられたのはキミとステアーくらいだし』

 

 おっと、指揮官が自分のことを褒めている。これがシュタイアーのことだったなら、前線で待つ彼女への土産話にもできたのに。

 変な音が聞こえたので音源を振り返ると、416が眉間に深い皺を刻んで歯軋りしている。ここで自分の名が挙がらないことが、余程悔しいのだろう。

 

『ホント?じゃあさ、何かご褒美ちょうだい?』

『ご褒美‥‥甘いものか、お洋服か、それかボーナス?』

『ふふ~ん、分かってないなぁ。

 この後、ちょっとデートしよ?』

 

 AUGは思わず嘆息しそうになった。我らが指揮官はまた人形を篭絡したもうたのか。先日まではノアをかなり警戒していたらしい45だが、現在ではその懐疑的な振舞いは影も形もない。

 AUGの呆れたような視線に気付いたか、45がこちらを見た。しかし彼女はノアに観客の存在を知らせず、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。45が自分にこのような態度をとる理由は見当たらないので、行為の対象は416だろう。

 実際、45の態度を目にした416は凄まじい顔をしている。孤児院の子供たちが相手ならば、この形相を見せるだけでも死に至らしめることができようというものだ。

 

「416さん、指揮官たちに言いたいことがあるのでしたら、直接仰ってくればいいのでは?」

「‥‥別に」

 

 声を掛けると、416は元の拗ねたような表情に戻った。

 ガラスの向こう側、二人の会話は続く。ノアが首を傾げる。

 

『なんだ、そんなのでいいの?別にいいよ』

『ホント?やった!』

 

 45が声を弾ませて手を叩いた。あまりの喜びっぷりに面食らったか、ノアは苦笑いを浮かべている。

 ‥‥まぁ、彼なら二つ返事で承知するだろう。人形の願いを叶えるためならいくらでも身を粉にする男だ。「自分と性交渉しろ」などと言わない限りは、大抵の願いを受け入れてくれる。

 しかしノアには、そういった態度にやきもきする人形がいることも理解しておいてもらいたいものだ。そう、今AUGの隣で爪を噛んでいる416のような。

 

「好意は言葉にしなければ伝わらないそうですわ。シュタイアーが言っていました。

 嫉妬するくらいなら、貴女も逢瀬の約束をすればいいのでは?」

「好意とか逢瀬とか、アンタ色々勘違いしてるわよ。

 私は別に指揮官のことが好きってわけじゃないの。ただ‥‥」

「ただ?」

 

 先を促すと、416は舌打ちした。「知らないわよ。とにかく気に食わないの」

 談笑を続けながら、45とノアが訓練場を後にする。そこでAUGは、とある違和感に気が付いた。

 自分たちがここで見ていたことを、ノアは当然認識していたはずだ。忍び込んでも必ず気付かれるし、ましてや今回は私語までしていたのだから。

 しかしノアはこちらを見もせず、特に何のアクションもしてこなかった。普段の彼なら、笑顔で手を振るくらいはしそうなものだが。

 どうやら、様子がおかしいのは416だけではないらしい。AUGの電脳は、今までに得た事実から天才的な結論を導き出した。

 

「416さん、指揮官と喧嘩しましたか?」

「‥‥」

 

 目を逸らした。図星のようだ。すすっと彼女の視界に滑り込むと、416は目を伏せた。

 

「‥‥昨日、少しね。

 指揮官があまりにも自分のことをおざなりに扱うから、いい加減にしろって怒鳴っちゃったの」

「それはこの基地の全人形の総意ですわね。それで?」

「一瞬だけ、指揮官が凄く怒ったの。でも、その後はずっと悲しそうで。

 私は、あの人にあんな顔をさせたかったわけじゃないのに‥‥」

「‥‥あぁ」

 

 それで、先の「あの人に頼ってもらう」に繋がるわけか。得心が行った。

 そして同時に、AUGは416の悩みを解決する方法も理解した。

 

「416さん、この後お時間はありますか?」

「え、今日の事務仕事は終わってるから‥‥一六〇〇から出撃があるけど、それ以外は特に無いわよ」

「でしたら、もう少々体を動かすのに付き合って下さいませんか」

 

 416の目が見開かれる。そこまで驚くようなことを、自分は口にしただろうか。

 

「‥‥アンタからそう言ってもらえるなら、こっちは願ったり叶ったりだけど。

 どうしたのよ、私たち別にそこまで仲良くもないのに」

「え」

 

 思わず声を上げてしまった。「私たち、友達ではなかったのですか」

 沈黙が下りる。

 キョトンとこちらを見ていた416だったが、やがて顔を押さえて噴き出した。くつくつという笑いが、手の隙間から漏れ聞こえてくる。そんなに笑わないでほしい。

 

「何かおかしいことがありましたか」

「いや‥‥アンタ、本当に距離の詰め方が下手なのね。アンタに言われるまで、私たちが友達だなんて微塵も思ってなかったわよ」

「距離を詰められていることに気付かないようでは、私には当分勝てませんよ」

「は?」

 

 AUGと416は連れ立って席を立った。シャワーは一旦後回しにして、訓練場入口の札を「使用中」にひっくり返す。

 愛銃を手に対峙する。二人の間に満ちる空気が静電気を帯び始めるような錯覚を、AUGは抱いた。

 

「それでは、よろしくお願いしますわ」

「こちらこそ、よろしく」

 

 ステアーAUGが、相手に関心を持つことは珍しい。

 しかしノアの下で感情を学び、シュタイアーとの交流で友人というものを知った。徐々に自分が変質していることを理解していながら、その変化を心地良いとさえ思ってしまう。

 友人が増えたという話をすれば、シュタイアーは驚くだろうか。ノアは喜ぶだろうか。この自分が友人のために一肌脱いだなど、あの二人には信じられないかもしれない。

 AUGは口の端に微かな笑みを浮かべ、416と同時に床を蹴った。




感想や評価など頂けると、とても嬉しいです。好きな動物やモンスターの鳴き声でも大丈夫です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

雪の木曜 ⑤

「ステアーってば、そのとき何て言ったと思います?

 『今の方の鳴き声は、鼻を摘ままれたときのS.A.T.8さんにそっくりね』って!E.L.I.Dと似てるなんて、いくら何でもあの子に失礼ですよね、ふふっ」

「あっは、それはサトハチには言えないね」

 

 西日の孕んだ熱が、そろそろ侮れなくなってきた春の夕暮れ。IWSは南方防衛任務の合間に、AUGと交代で“猫の鼻”へ戻っている。

 ノアの「大変なお仕事を任せちゃってるから、いつもよりたくさんお願いしてくれてもいいよ」という言葉に甘えて、昼前から散々ショッピングに連れ回した。そして今は、馴染みのカフェで涼んでいるところだ。

 一般的な成人男性と比べてとても暑がりな彼は、シャツの襟を開いてパタパタと小さく扇いでいる。発汗量は同じ環境下の前例よりわずかに多く、表情筋は普段よりほんの少しだけ仕事をサボっていた。他人――他の人形では恐らく気付かないであろう違いだが、並外れた視力と観察眼を持つIWSにとって、今日のノアはいくばくか体調が悪そうに見える。

 古びたレコードプレーヤーから流れるジャズが、店内を緩やかな温度で包み込んでいる。オレンジ色を吸い込んで煌めくグラスに視線を落として、IWSは遠慮がちに口を開いた。

 

「指揮官、顔色が優れませんね。日差しが堪えましたか?やはり、いくら指揮官のお言葉とはいえ、少々わがままを言い過ぎたでしょうか‥‥」

「んぇ?いいや別に、大丈夫だよー。確かに日光はちょっと目に悪いけど、このくらいはどうってことないさ。

 それに、E.L.I.Dの相手はホントに面倒臭い。そんな仕事を任せてるんだから、これだけじゃあ足りないくらいでしょ」

 

 思い出したかのようにいつも通りの微笑みを取り戻して、ノアは手元のアイスココアを口に含んだ。しかし嚥下(えんげ)の瞬間にその修繕は解けて、白磁の肌に仄かな憂鬱の気配が滲む。

 IWSはぐいっと顔を寄せて、猫のような双眸を覗き込んだ。

 

「本当ですか?私、目がいいから分かるんですよ。

 今日は思う存分私のわがままに付き合っていただいたんですから、今は貴方のための時間です。

 指揮官、何か今の貴方に障りあることは?」

 

 ノアは息を詰まらせ、目を逸らした。物理的な距離を一気に詰めるとたじろぐのは、彼の数少ない弱点だ。

 

「う‥‥僕のための時間だっていうなら、黙秘させてもらっても――」

「じゃあやっぱりもう少しだけ私のわがままに付き合ってください。ほら、何かあるなら仰って?」

 

 それってズルくない?などとブツブツ呟いて、ほんの少し黙る。それから、一つ溜息を吐いた。

 

「‥‥この間、416に酷いことをしちゃってさ」

 

 そう語るノアの表情は、放っておいたら自傷行為にでも走りそうなほど落ち込んでいた。金色の視線がカップの水面に落ちて、そのまま沈んでいっているような気さえする。

 両手の指を組み合わせたり離したりしながら、ノアは訥々(とつとつ)と言葉を落としていく。

 

「こないだの戦闘について、あの子に怒られたんだ。

 416の言葉は一から十まで正しかったよ。僕を心配してくれる子たちのことを考えず、自傷前提の戦い方をしたのは事実だもの。

 それなのに僕、怒鳴っちゃった。ばつがわるいから逆上して大声を出すなんて、知的生命体として最低の行いだ」

 

 その言葉を聞いて、IWSはまず安堵した。ノアの所作から滲む罪悪感が強すぎて、一体どんなことをしでかしたのかと心配してしまったのだ。しかし蓋を開けてみればどうということはない、ただの喧嘩ではないか。

 

「指揮官。とりあえずこっちを見て下さい」

「‥‥?」

 

 ノアの視線が上がった。本人に自覚は無いだろうが、捨て猫のような表情で上目遣いに見つめられると、今すぐ抱き締めてしまいたい衝動に駆られる。

 しかしぐっと堪えて、IWSは人差し指を立てる。

 

「まず、貴方のことだからその場で416さんに謝罪したでしょう。ならその時点でお話は解決しています。

 それに、416さんもきっと怒ったことを後悔しているんじゃないでしょうか。あの人は、本心より口調がキツくなるところがありますから」

「それは‥‥分かってる、はずなんだけど」

「にもかかわらず気まずいのは‥‥そうですね、指揮官には、指摘された点を矯正する意思が無いからですね?」

 

 努めて柔らかな口調で指摘したが、ノアは居心地悪そうに縮こまった。

 IWSは慌てて手を振った。

 

「あぁっ、別に責めているわけではないんです!少なくとも私は、貴方のその生き方に口を出すつもりはありませんから。‥‥心配はしていますけど」

「うっ‥‥心配しないで、って言いたいけど難しい話だよね。シュタイアーは優しいもの」

「私だけではないですよ。指揮官のことを心配しているのはみなさんも同じです。もちろん、416さんも。

 だからこそ、彼女にはしっかり貴方の考えを伝えておく必要があると思います」

「‥‥そう、だね」

 

 答えるノアの面持ちは暗い。その理由はIWSも理解している。

 彼が“猫の鼻”に来てから、一年と少し。ノアは驚くべき速度で基地の戦力を強化し、同時に人形たちとの信頼関係も築いてきた。しかし、彼の過去やそこから来る信条を知る者はいないのだ。

 自分のためか人形たちのためか、ここまで徹底して守ってきた秘密。それを破るに足る理由が、彼の中にはいまだ無いのだろう。

 信頼されていないわけでは、決してない。それでも、どれほど言葉を費やしても埋まらないこの距離が、少し寂しい。

 カップに添えられたノアの手を、両手でそっと包み込む。

 

「シュタイアー?ど、どうしたの」

「‥‥私じゃなくてもいいんです」

 

 この寂しさを、表情に出してはいけない。ほんの少しでもその気配を見せたら、ノアは全力で自分を慰めようとしてしまうだろうから。大丈夫、笑顔を繕う技は、目の前の彼から散々見取って学んできた。

 IWSは微笑みを絶やすことなく、その先を口にした。

 

「いつか、貴方が全てを打ち明けてもいいと思える方に出逢えたなら、それだけで私は幸せだと思うのです。

 ‥‥少しでも早く、その日が訪れることを祈っています」

 

――――――――

 

 カフェを出た。最早夕日はその名残さえ掻き消えて、夜の色が家路を染めている。

 隣を少し見上げると、いくらかすっきりしたようなノアの顔がある。日が沈んだから‥‥だけではないと信じたい。

 

「今日は有難うございました、指揮官。随分と貴方を独り占めしてしまいましたね、ふふっ」

「いいのいいの。ちゃんと前以て決めてたことだし。

 それに、最後の方はこっちこそ愚痴を聞いてもらっちゃった。‥‥ありがとね」

 

 最後の一言に、IWSは違和感を覚えた。今までの彼ならば、最後は感謝ではなく謝罪の言葉になるだろうと思っていたのだ。

 そう訊ねると、ノアは苦笑を浮かべる。「少し前、416に注意されたんだよ」

 どうやら、思った以上に416の存在はノアに影響を与えているらしい。少しでも彼の生き方が前向きになるならば、それはとても喜ばしいことだ。‥‥嫉妬や悔しさが全く無い、と言えば嘘になるけれど。

 IWSのメンタルに、一抹の悪戯心が芽生えた。

 

「着信音のこともありますし、指揮官は416さんのことがとても気になっているみたいですね」

「‥‥それ、AUGにも言われたけど。二人とも何か勘違いしてない?

 着信音を変えてあるのは、副官からの連絡だって分かりやすくするため。

 一緒にいる時間が長いのも、彼女が副官だから」

「でも、喧嘩のお話のとき、物凄く辛そうな顔をなさっていましたよ。

 あぁそれから、貴方が人形と口論したことも前代未聞です。彼女よりも気性の荒い方も、貴方を困らせる子も大勢いるのに」

 

 さらに遡るならば、どうして416を副官にしたのかという点もあるが。それについては、AUGから話を聞いていた。

 ノアが夜空を見上げる。IWSは裾を引っ張って、言外に「逃げるな」と訴えた。

 諦めたように嘆息して、ノアは口を開く。

 

「‥‥彼女が叫んだときの表情が、どうしようもなく辛かったんだ。

 それで、あの子にそんな顔をさせた自分の腐れ具合に腹が立った。

 これ以上隠し事や嘘は続けるべきじゃないって思ったけど、本当のことを伝える根性も出なくって。

 感情の配線がごちゃごちゃになって、気が付いたら肺の中の空気を全部吐き出してた‥‥みたいな」

 

 今にも泣き出しそうな、臓腑の鈍痛を堪えるような表情。そんな横顔を見て、思わず呟きが零れた。

 

「やっぱり、好きなんじゃないですか」

「んぇっ、違うよ。そうじゃなくて‥‥こう‥‥なんというか‥‥」

 

 人差し指を立ててぐりんぐりんと手を回す。視線は右往左往して、半開きになった口からは小さな呻き声しか漏れない。どんなに言葉を繕おうと、その態度は百の弁に勝るというものだ。

 どうやら彼は、ようやく歩むべき恋路を見つけたらしい。それが恋路であることには、まだ気付いていないようだけれど。

 IWSは胸中を満たす喜びと、ほんの一滴の寂しさを抱えて、歩調を速めた。

 

「まぁいいです。さぁ、早く帰りましょう。ゆっくり休んで、明日からも頑張りますよ」

「‥‥そうだね。明日からもよろしく」

 

 二人とも、相手が本当の幸せに至っていないことからは目を逸らして、互いの笑顔に満足しているふりをする。自分ではその幸せを与えられないことを知っているから、願うことしかできないけれど。

 銀と紫の長い髪が、柔らかな夜風に靡く。

 靴音がよく響く石畳の向こうへと、二つの可憐な影は溶けていった。




感想や評価など、頂けると大変励みになります。好きな動物の鳴き声などでも大丈夫です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

雪の木曜 ⑥

 チューベローズの香りと自分のものではない体温が、ノアの意識を浮上させる。乾いた眼球に張りつく瞼を瞬かせて、無理矢理涙を(にじ)ませた。

 眼前には、こちらを見返す少女の顔がある。

 

「おはよう、指揮官。気分はどう?」

「おはよ、416。うん、大丈夫だよ」

 

 416が先に起き上がって、背に腕を回してくる。ノアは厚意に甘えて、体重を支えてもらいながら起床した。

 添えていた手を放して、416が立ち上がる。その装いは特殊作戦コマンドのそれではなく、手合わせのとき身に着けているトレーニングウェアだ。その恰好で今までくっつかれていた事実に、少し遅れて恥ずかしくなる。

 

「朝食はもう出来てるから、ちゃんと食べるのよ。

 私は朝練に行くわ。それじゃ、一〇〇〇(ヒトマルマルマル)に執務室で」

「あ、うん。頑張って‥‥」

 

 早口で言い残し、そそくさと部屋を後にする416の背中を見送って。ノアは数秒の間ぼーっとして、それから思わず溜息を吐いた。

 

「やっぱり怒ってるよねー‥‥」

 

 IWSのアドバイスに従い、昨夜416に改めて話をした。その内容は「申し訳ないが、これからも自分は戦場に出る。しかし新型エクスキューショナーの相手は、416たちに任せたい」といったところだ。しかし、言葉こそ尽くしたものの所詮はただの約束、416の反応は素っ気ないものだった。

 416が自分から言い出したことだからか、今日もノアの世話はしてくれる。けれども、その後の態度は明らかに冷たい。きっと、ノアのあまりに自分勝手な振る舞いに、愛想を尽かしてしまったのだろう。近日中――早ければ今日中にでも、副官を降りたいと言ってくるかもしれない。

 のそのそと着替えて、ダイニングに出る。ノアの好みに合わせてカーテンを閉められた薄暗い部屋、テーブルの上にはクルトン入りのサラダとオムレツ、いちごジャムの塗られたトーストが用意されていた。ココアの注がれたカップからは、うっすらと湯気が上っている。

 

「いただきます」

 

 一口ずつ順番に咀嚼(そしゃく)し嚥下していく。自分の立てる音以外何も聞こえないはずなのに、酷く耳が痛む気がした。

 416が来るまでは滅多に見なかったテレビを点けてみても、ただ煩いだけ。

 彼女の用意してくれた食事は、いつもと変わらず美味しく温かいはずなのに。何故だか今日は酷く冷たく、無味に感じる。

 

「‥‥ご馳走様でした」

 

 416に支えてもらう以前と比べたら、遥かに体調は良い。けれど今は、体の真芯がどうしようもなく寒かった。

 

「何を甘えてるんだ、ノア=クランプス。しっかりしろ」

 

 自分の頬を両手で強く張る。ピシィッという音と痛みで、いくらか頭はすっきりした。

 食器を始末して、歯を磨く。姿見を見ずに自分の装いを確認しながら、ノアは今日するべきことを脳内で確認した。

 

(今日約束をしてるのは、M200とエンフィールド、64式。最初の約束が一四〇〇(ヒトヨンマルマル)からだから、それまでに対E.L.I.D兵器の設計進めて、正規軍対策の根回し確認して‥‥。

 あぁ、新型エクスキューショナーとの交戦にも備えないと)

 

 最後が目下最大の課題と言える。新型エクスキューショナー――モデル・ミョルニルは、その攻撃範囲と速度、そして強靭さで以て“猫の鼻”に対する大きな脅威となるだろう。

 幸い先日の撃破から今日まで、彼女が出現したという情報は無い。あの機体に中々のコストが掛かることは想像に難くないので、現在は再生産と調整の最中と見ていい。ノアはこの再調整に掛かる時間を、最長で七日と予想している。

 そして次に見えるときのエクスキューショナーは、前回以上の強敵となっていること請け合いだ。通常の戦力では対応が難しいだろう。なので、彼女が現れ次第直ちに迎撃できるよう、一襲とノアは基地で待機。それまで一襲のメンバーには、対エクスキューショナーを想定した零~近距離の乱戦訓練を行うつもりでいる。

 

「‥‥行かせたくないなぁ」

 

 本当は、自分が敵を狩りに行くべきなのだ。たとえ416から嫌われてしまったとしても、彼女たちが傷つく未来など潰した方がいいに決まっている。

 それに、あのエクスキューショナーならば、叶えてくれるかもしれない。たった一つの、ノア自身の願いを。

 けれど今は、それすらも噛み殺して。彼女たち自身が戦いを望むなら、せめて必ず生き残ることができるよう、できる限り手を尽くそう。

 

「うん、今日も頑張ろう」

 

 隈を隠すメイクよし、人懐っこい笑顔の準備よし。

 ノアはあえて軽快な足運びを意識しながら、部屋の鍵を手に取った。




感想や評価など、いただけますと大変励みになります。好きな動物の鳴き声でもいいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

雪の木曜 ⑦

「C-MS、遅い!G11とリベは“絶火”を使えない、キミが抜かれたら二人も死ぬよ!」

「分かってる!G11、リベを連れて下がって!」

「うん‥‥!」

 

 第一訓練場に、発砲音と炸裂音がいくつも重なって響く。ノアは模造刀を(たずさ)え、C-MSの頭上を飛び越えながら叫んだ。

 着地点目掛けて、いくつもの火花が咲き乱れる。銃弾が飛来した方向を一瞥すると、416とVectorがこちらを挟み込むように肉薄しながらトリガーを引いていた。

 

(エクスキューショナーなら‥‥うん、一旦G11とリベは放置する。飛んでくる銃弾の数が多い順で目線が動いてたし、積極的な相手を優先的に選ぶはずだ)

 

 切っ先を地面に突き立てて支えにし、柄で倒立しつつ身を(ひね)って着地点をずらす。追撃の銃弾は、回転しながら無造作に振り回した刀身で弾いた。

 エクスキューショナー・モデル・ミョルニルと交戦したときの記憶を(さら)う。彼女の刀身についていた傷から、銃弾を弾くための身の熟しが推理できる。あとは416たちの報告書と映像データでエクスキューショナーの動きを学習し、それを真似たらいい。

 彼女の思考ルーチンに倣うならば――

 ノアは416に斬りかかると見せかけて、回転斬りの要領でVectorの足を狙う。一瞬反応が遅れたものの、Vectorは何とか跳躍して刃を避けてみせた。

 

「普通のエクスキューショナーが相手なら、それで充分なんだけどね」

 

 モデル・ミョルニルには一つ、必殺の追撃技がある。燃え盛る化学炎を火傷すら無く突き抜ける、超音速の刺突が。

 空振りと思わせた模造刀を体の横に構え、空中で身動きできないVector目掛けてその切っ先を――

 背後から殺気。

 直前で刺突をキャンセルし、“絶火”で真横に落ちる。しかし、背後から迫る殺気は消えない。振り返らずとも分かる、ノアの背を取った416が、こちらの動きに合わせて“絶火”を使っているのだ。

 斬撃と共に振り返る。繰り出された横一文字をしゃがんで回避しつつ、416は体を捻じ込むように距離を詰めてきた。その左手には、サブウェポンの擲弾発射器(M320A1)が握られている。

 これが、対エクスキューショナーにおける最適解。銃は近距離では取り回しづらくなるが、それは大太刀も同じこと。刀身を引き戻せない間合いまでこちらから潜り込めば、一方的な攻撃チャンスがやってくる。そして416の侵食榴弾は、一度当てれば勝負を決められる威力を持っている。もっともこれは訓練なので、通常の榴弾をそれと見立てて使用しているが。

 当然、至近距離で榴弾を炸裂させようものなら、416も相討ちとなるだろう。しかし今の彼女には“絶火”がある、爆風と同じ速度で後ろへ落ちれば無傷で済む。

 間合いを詰めるや否や、無拍子でトリガーが引かれる。

 

「流石」

「でしょ?」

 

 榴弾が発射されると同時、肘鉄で銃口を逸らして爆発の反対方向に落ちる。爆風に身を任せつつ、他の人形たちが立っている位置を確認する。Vectorは爆発を挟んだ向こう側、残る三人は416の向こう側。

 ノアが立ち止まると同時、416の舌打ちが聞こえた。

 

「‥‥これじゃダメね」

「そうだね。ブリーフィングでは、こっち方向が建物の出口と仮定した。この時点で、エクスキューショナーは逃げようと思えば逃げられる。

 次の作戦の最重要目標は彼女のコアを持ち帰ること。確実に殺せなければ作戦は失敗だ」

 

 後ろ頭を掻いたC-MSが、深く嘆息した。

 

「ごめん、今のは私の指揮が悪かった。リベたちに回り込んでもらってれば、榴弾発射のタイミングで援護射撃できたのに」

「いえ‥‥私たちも、射線を考えて、動いてはいた、のですが」

「間に合わなかったよぅ。416が距離を詰め始めてからグレが発射されるまで、三秒も無かったもん‥‥」

 

 リベロールとG11は息を詰まらせながら、C-MSの後ろについてこちらへ向かってきた。

 ノアは眉根を寄せて、リベロールの顔色を窺う。額を手で押さえると、いつもより高い体温を感じた。

 

「G11はともかく、リベは走っちゃダメ。この五人の中では一番後ろにいて、仲間の演算補助と狙撃に徹するの。

 キミは排熱機構に仕様上不可欠の脆弱性があるから、高速で移動することなんて考えなくていいよ」

「は、い‥‥」

 

 そのまま白い髪を優しく撫でると、リベロールは目を細めてコクリと頷いた。

 G11がうへぇ、と声を上げそうな顔でこちらを見る。「うへぇ」

 

「私はともかくなの?」

「キミが“絶火”を習得しようとしないのは『しんどいから』でしょ?別に強制はしてないからいいけどさ」

「突撃銃の人形でアレ使えるのって、AUGと416入れてもそんなにいないじゃん。私が怠けてるわけじゃ‥‥ないよ?」

 

 ならもう少し胸を張って言ってほしい。ノアは苦笑いを浮かべた。

 銃を下ろし、Vectorが焦げた床をこちら側へ跳び越える。

 

「出口を火で塞ぐのは?‥‥意味無いか」

「うん。建物の崩壊や酸素不足ってタイムリミットがついてくる。しかもエクスキューショナーの足を潰せていなかった場合、彼女は炎の壁を突破できる。

 キミの今回の仕事は、その足を活かして、他の子たちがカバーできない射線を適宜補完すること。416の侵食榴弾が確実に決まるよう、エクスキューショナーの逃げ道を実弾で潰すんだ。場合によっては、手榴弾でっていうのもアリだけど」

「分かった」

「結局、作戦は今のままでいいのよね?」

 

 416が腕を組んで訊ねてくる。長い銀髪が、動きに合わせてさらりと揺れた。

 

「うん。エクスキューショナーの拠点を割り出し次第、キミたちにはそこを叩いてもらう。

 侵食榴弾さえ当たれば確実に仕留められるから、四人は射線で相手の逃げ道を無くす。

 単純だけど、このくらいの方が応用も利きやすいでしょ?

 C-MSは、四人の動きを見てG11を最適な位置に誘導することも考えてね」

 

 まぁ上手く行かなそうなら交戦規定なんて忘れて、その場の判断で動くこと――ノアはそう締め括る。

 416が片眉を上げた。「最後の最後で不安にさせることを言わないでよ」

 恐る恐るといった様子で、リベロールが手を上げる。視線で促すと、少し間をおいておずおずと口を開いた。

 

「あの‥‥エクスキューショナーは、指揮官のような身の(こな)しが、できるのでしょうか?

 さっきの、空中で、くるんって‥‥」

「あぁ‥‥」

「それ。私も気になったわ。次に戦うときは、あのレベルの回避も想定しなきゃ(まず)いかしら?」

 

 彼女は、416とVectorとの挟撃をすり抜けたときのことを言っているのだろう。ノアは頬を掻いて、

 

「いや、あんなのは想定しなくていいよ。ただ、アレくらいの銃撃を浴びても、エクスキューショナーはほとんど怯まずに攻撃を続行する。結局、さっきくらいの隙しか無いと思ってね。

 エクスキューショナーなら、そうだな‥‥裏拳か刀身で片側の銃撃を弾きながら、雑なステップで反対側の銃撃をおおよそ避けるはずだ。

 まぁ、その後の立ち回りは変わらないよ」

 

 416の横で頷いていたC-MSが、思い出したように口を開く。「そういえば、アイツ電流まとってるよ。どうするの、アレ?」

 

「そんなの距離取ればいいじゃん」

 

 ノアは首を傾げる。まぁ大太刀を握ってない方の手も警戒しといた方がいいね、と付け加えた。

 

「416はギリギリまで接近しなきゃいけないのに」

「あんなバチバチ電流を流そうと思ったら、どこかしらにバッテリーを搭載しないと立ちゆかないわ。詰めに行くのはそれを壊してからね」

「そ、416の言う通り。こないだ416がサイドアームの拳銃でやってたでしょ。アレだよ」

 

 言いながら416を見る。ぱちりと視線があったものの、416は得意げに胸を張ることもなく、ぷいっとそっぽを向いてしまった。

 

(これは‥‥実際に作戦が上手くいくまで、許してはくれないかもなぁ)

 

 つんけんしていても可愛らしい416の横顔にノアが苦笑していると、Vectorが端末を取り出して呟く。「指揮官、時間」

 

「お、丁度だね。それじゃあ今回はここまで。作戦に不安があったらみんなで話し合って、もし変更があれば僕にも伝えてね」

「「「了解」」」




感想や評価など頂けますと大変励みになります。お好きな動物の鳴き声でも大丈夫です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

雪の木曜 ⑧

 カーテンの隙間から、温かな日差しが射しこんでいた。ノアはわずかに椅子をずらしそれを避け、手許の書類を確認していく。

 

「“ガニメデ”の製造、ちょっと遅れてるね。ちょっと下請けを分割しすぎたかなー」

「そうね。砲身部分の部品は滞りなく仕上がっているみたいだけど、基礎の十三番と二四番を担当している工場で問題があったそうよ」

 

 416が同じ書類を見ながら、手帳に記したガントチャートを修正している。

 G36が淹れた紅茶で口を湿らせて、書類をめくった。

 

「一回確認に行った方がいいなぁ。今日は――」

「南方との連絡会議、ヘリアンへの報告書作成、水産プラントの監査。その後はカノ、アイリ、G3と約束があるでしょ。

 私が行くわ、こっちの仕事はこれで終わりだし。そのまま訓練に行くから、今日はもうお暇するわね」

 

 そう言いながら、416はてきぱきと書類をまとめて立ち上がった。白い太腿に映えるホルスター、そこに収まるサイドアームを確認する。

 

「指揮官、明日の朝食は何か希望あるかしら?」

「え、じゃあベーコンエッグで‥‥」

「分かったわ。それじゃあまた明日」

 

 流水のような銀髪が、ドアの向こうに消える。ノアは思わず青色の溜息を吐いた。

 

「うぅ‥‥G36ぅ、助けて~」

「如何なさいましたか、私の申し出は断ったのに416には朝の支度を許されているご主人様?」

 

 泣き声を上げながら隣のメイドを見ても、返ってくるのは冷たい声音とそっぽを向いたお澄まし顔だけ。

 

「そのことは本当にごめんよぉ。のっぴきならない事情があったの‥‥」

「‥‥もう、冗談です。怒ってなどいませんよ」

 

 G36は鋭い目を細めて笑った。ノアは目を見開いて口元を隠す。「揶揄(からか)ったの?ひどい!」

 

「これくらいはお許しください。ちょっとした復讐ですから」

「なら甘んじて受け入れる他に無いねぇ」

 

 カモミールティーを嚥下する。空のカップを置くと、すぐに代わりが注がれた。

 

「ありがと」

Bitte schoen(どういたしまして).

 それで、ご主人様が憂慮なさっているのは、416との関係ですか?」

 

 結局相談に乗ってくれるのか、優しい子だ。

 ノアは首を振って、背もたれに体重を預けた。

 

「今の気まずさは、次の作戦が終われば多分解決すると思う。

 それよりも、416が無理してることの方が気になってさ」

 

 ここのところ、416は随分と訓練の時間を増やしている。普段の彼女はノアにスケジュールを合わせて、自分が基地を空けている間に訓練や雑事を済ませていた。少し時間が空いても執務室に残ってノアを手伝ったり、やってきた人形たちと雑談したり。

 それが今では、三つある訓練場のどれか一つの利用予約には、常に「HK416」の名がある。相手はMG5やM14、AUGなどと様々だが、“猫の鼻”の中でも高い実力を持つ人形と手当たり次第に試合をしているようだ。

 それだけ貪欲に自らを鍛え上げているだけあって、近頃の彼女の活躍には目を見張るものがある。単体性能で考えるならば、ハンター程度はとうに凌いでいるだろう。

 それだけの負担を自分に強いておきながら、事務仕事にも一切妥協していない。ノアが少しでも遠慮すると、「書類の数、きっちり半分じゃないわよ。もう少し寄越しなさい」と怒られてしまうのだ。

 そのことを伝えると、G36は顎に手を当てて考える様子を見せた。

 

「ご主人様のご心配も分かりますが、416は愚かではありません。後に破綻を(きた)す程の負担を、自分に課すことは無いでしょう」

「そうなんだけどねー‥‥」

 

 少なくとも、やる気があるのは良いことだ。元より彼女は優秀だが、ここ数日は益々その実力を伸ばしている。先日の訓練時だって、少し前の416ではノアの懐に潜り込むことも叶わなかったはずなのだから。

 

「おっじゃましまーす!」

 

 そのとき、弾けるような声と共に執務室へ飛び込んできたのは、ART556だ。二つに結ばれたライムグリーンの髪とウサギ耳が、激しく踊る。

 彼女の後ろには59式やP7といった、年少組の戦術人形たちが顔を覗かせていた。遊びの誘いだろうか。今日はもう予定が詰まっているから、彼女たちには申し訳ないが‥‥

 刹那の間にいつもの笑みを貼り付けて、ノアは首を傾げた。‥‥呆れた表情で肩を竦めるG36のことは、見ないふりをする。

 

「こんにちはアートちゃん、今日も元気そうだね。

 何か用事?」

「ふっふっふー。今日は指揮官を尋問しに来たんだよ~」

「尋問?それは怖いなぁ」

 

 ARTは凄むような笑みを浮かべるものの、彼女たちの悪戯や奇行には慣れている。口では怖がりながらも、表情は緩んだままだ。

 しかし会心の笑みで取り出された写真を目にした瞬間、ノアの顔から血の気が引いた。

 

「これ、MDRから買ったんだ~!」

 

 そこには、同じベッドで眠る416とノアの姿が映っていた。まるで恋人同士のように抱き締め合って、唇は今にも触れそうだ。――いや、もしかすると気付かぬうちに触れていたのかもしれない。

 自分たちの様子を客観的に見ると、こんなにも恥ずかしいものなのか。リベロールを始めとする他の人形とも一緒に眠ったことはあるのに、416との事実を突きつけられると、どうにも落ち着かない。そもそも、他の子に添い寝するときはこんなにくっつかないのに。

 ――などと考えている場合ではない。ARTはこれをMDRから買ったと言った。彼女はノアの盗撮写真を基地内で販売しているから、他にもこの写真を手に入れた人形はいるはず。

 ノアは知る由もないが、これはC-MSが416に見せたのと同じ写真。つまり、ノアの危惧は的中している。

 

(言い訳を考えろノア=クランプス。ただでさえ誤解を招く一枚だ、ここで下手を打つと更に誤解が広まるぞ‥‥!)

 

「付き合ってるの!?夫婦なの!?」

「ABCのどこまで行った!?」

「ちゅーはした!?」

 

 チビたちがグイグイと顔を寄せてくる。ノアはそれを手で制しながら、声が上()らないよう呼吸を整えた。

 

「まず第一に、僕と416は付き合ってもない。だからABCなんて以ての外、キスもしてないしする予定も無い」

 

 まぁ間接キスはしたことあるけど――と続けそうになって、咄嗟に舌の根を噛んだ。そのときの416の表情を思い出して、今更ながら顔が熱くなる。

 パタパタと手で顔を扇ぐと、怪訝そうな視線が集中する。頼むから放っておいてほしい。

 P7が写真を指差した。

 

「じゃあこれはどういうことなの?」

「その日の朝方はかなり寒くてさ。ダイニングの暖房が効くまでそうやって温まってたの」

(我ながら、言い訳にしては苦しすぎるか?‥‥駄目だ、頭が回らない)

 

 内心で冷や汗を掻きながら、人形たちの様子を窺う。59式は頭の後ろで手を組んで、つまらなそうに声を上げた。

 

「なぁんだ、そういうことかぁ。ただの添い寝ならリベとかにもしてるもんねー」

「でも、指揮官って体温低いでしょ。416は寒かったかもね!」

 

 ARTが額に触れてくる。お子様体温な掌の感触に、ノアは目を細めて脱力した。

 

「あったか~い‥‥」

「違うよ、指揮官が冷たすぎるの!」

 

 やーい指揮官の人間かき氷、などと人形たちが騒ぐ。それを眺めるG36が、不穏な気配を放ち始めた。

 この子も怒ったら怖いんだよなぁ‥‥と思い至り、チビたちを止めるためにノアが口を開いた瞬間、内線が着信を知らせた。

 しー、と指で沈黙を促してから通話ボタンを押す。

 

「はーい、ノアだよ」

『こちらPx4ストーム!東部防衛線二八番にアイツが出た!』

 

 その言葉で、意識がパチリと切り替わる。遊んでいる場合ではないと察したARTたちが、部屋を飛び出していった。

 ストームの言った「アイツ」とは、エクスキューショナー・モデル・ミョルニルのことだ。そろそろ前回の戦いのフィードバックに合わせた再調整が終わる頃だとは思っていたので、焦るようなことではない。もちろん、現場はそうもいかないだろうが。

 『招集:一襲~二防』と走り書きしたメモをG36に見せながら、ストームに状況を確認する。

 

「向こうは一体?」

『いいえ、下位ユニットが目算で三〇〇、ハイエンドがアイツ以外に三体!

 ねぇ、退いてもいいかな?ここに留まるのはハイリスクが過ぎると思うんだけど』

「OK、総員全力で撤退。ただし下位ユニットは削れるだけ削っておいて。

 それから、エクスキューショナーの長距離攻撃にはくれぐれも注意すること」

『了解!』

 

 通話を終了し、自分の装備を手に取ろうと立ち上がって――やめた。一人っきりの執務室に、ノアの呟きが落ちる。

 

「今回は、あの子たちに任せるって約束だもんね‥‥」

 

 そのことを意識した途端、心臓が妙に騒ぎ始める。必死に堪えないと足が勝手に走り出してしまいそうで、ノアはどかりとオフィスチェアに腰かけた。

 作戦はいくつも用意してある。交戦規定にも欠缺(けんけつ)は無い。鉄血の布陣は予想がつくし、妖精の視界を借りれば間違いも無い。

 416らへの訓練も充分行った。彼女たちがエクスキューショナー相手に劣る部分など、一つもないはずだ。

 だって、自分が全力で愛した少女たちなのだ。いかなる困難にも傷つけられない、ダイアモンドのような少女たちなのだ。

 大丈夫。大丈夫。大丈夫。

 G36たちであろう、廊下を駆けてくる足音が聞こえる。

 自分は今笑えているか?これから戦場に立つあの子たちに、微塵の不安も抱かせることも(まか)りならない。彼女たちを適度に緊張させ、なおかつリラックスさせて、戦場で最高のパフォーマンスを発揮させてあげることが、自分の仕事。

 たっぷり三秒かけて深呼吸。ノアはこの日のために編み上げた二五六の作戦を、脳内で確認し始めた。




感想や評価など頂けますと大変励みになります。好きな動物の鳴き声でも構いません。日頃の愚痴でもいいです。僕に生きてる感触をくれ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

雪の木曜 ⑨

 ガラス越しの眼下、所狭しと並んだビル群。灰色の直方体たちが織り成す景色はどこまでも退屈だが、カーターの視線は窓の外から帰らない。部屋の中にも取り立てて面白いものなど無いのだから、開放的な空間を見ていた方がまだ健康的というものだ。

 正規軍の戦術司令部の一つにある、自分専用のオフィス。見晴らしのいい場所を占有したつもりだったが、そもそもこの街では景観になど期待できるはずもなかった。

 全く同じ強さのノックが三回、部屋に響いた。

 

「エゴールです」

「入れ」

 

 筋骨隆々とした体をスーツに包んで、腹心であるエゴールが眼前で敬礼した。

 彼はカーターの意思を正確かつ迅速に実行するため、いつも現場に出ている。よって大抵の連絡も通信で済ませてしまうのだが、今日口にする話題に関しては、傍受や盗聴といったあらゆるリスクを避ける必要があった。

 

「義肢の調子はどうだ」

「はい。調整も終わり、体に馴染んでいます。

 既に以前と遜色なく——いえ、以前よりもずっと動けるようになりました。

 改めて、機械化手術のご判断、感謝いたします」

「あぁ。キミを失うわけにはいかなかったからな。

 しかしあの女狐‥‥まさか崩壊液爆弾まで確保していたとは‥‥。

 さて、本題だ。“カプリチオ”の動向は?」

「はっ。目標は現在、我々の自律部隊が配備されていた地点に対E.L.I.D防衛線を築いています。Typhon(テュポーン)に酷似した兵器を製造していますが、我々から盗み出したデータを流用しているのかと。

 その他には目立った活動をしていません。これまで通り、異常発達した鉄血への対処に追われているようです」

「‥‥」

 

 対処に追われている、という表現には賛同しかねた。正規軍時代のノアを知る身としては、E.L.I.Dや鉄血への対処だけであの男のキャパシティが限界を迎えるとは思えない。

 ベレゾヴィッチ・クルーガーを拘束し、G&Kを瓦解させたときのことを思い返す。

 情報統制も奇襲も、想定通りに運ぶことができていた。G&K側の抵抗も予想していたが、難なく制圧できるはずだったのだ。しかし、実際はそうはいかなかった。

 あの日から脳裏にこびり付いたままの声が、繰り返し頭蓋の内側に響く。

 

『久しぶり、カーターくん。随分老けたねぇ。あっは!』

 

 自宅に帰って、ふと息を吐いた瞬間。あの男は自分の背後に立っていて、(あばら)の隙間を縫うようにナイフを添えていた。

 その夜に交わした契約は、まだ生きている。正規軍が“猫の鼻”及びアンバーズヒルに手を出さない限り、“カプリチオ”が――ノア=クランプスがこちらに牙を剥くことは、無い。

 付け加えると、あの時点でノアはTyphonの設計データを盗み出していた。「至近距離を狙えない」という構造上の欠陥や装填時間といった情報を、グリフィン残党たちへ流出させていたのだ。カーターの自宅に侵入していたことも合わせて、軍を内側から喰い殺せるというデモンストレーションだったのだろう。

 心臓を直接掴まれているような悪寒が、今でもカーターの背筋を震わせる。

 

「将軍?」

「‥‥いや、何でもない」

 

 そして今、あの契約が破り捨てられるかもしれないという案件が、浮上していた。

 

「“麻袋”の件はどうだ」

 

 “麻袋”とは、現在進行形で巷を騒がせている連続変死事件を指すサイファーだ。被害者は全員麻袋に詰められた状態で郊外に遺棄され、その体からは一切の血液が無くなっていた。被害者間に特筆すべき共通点は無く、老若男女問わず命を落としている。

 ただし、C■■地区――“猫の鼻”が座するあの地域だけは、被害者が出ていない。前に似たような事件があったようだが、その犯人は既に死亡していた。

 エゴールは端末を操作し、数枚のARディスプレイを展開した。そこに表示されているのは、被害者の検死記録だ。

 

「将軍のご指示通り、遺存生命特務分室から回収した資料を基に、遺体を検死させたところ‥‥第三種遺存生命体による捕食の痕跡が認められました」

 

 告げられた事実の腹立たしさに、思わず机を殴りつける。

 

「あの化け物め‥‥!人間を虚仮(こけ)にするのもいい加減にしろ‥‥ッ」

 

 好き勝手に人命を貪り喰って、こちらが黙っているとでも思っているのか。それとも、武力に訴えられても構わないと判断したのか。どちらにせよ、あまりに傲慢で不遜な契約違反だ。

 怒りで拳を震わせるカーターをそのままに、エゴールは言葉を続ける。

 

「将軍。もう一つご報告が」

「‥‥何だ」

「ある遺体の改修作業中、叛逆小隊と交戦しました。奇襲だったためにこちらは態勢を崩され、遺体を奪取されました。どうやら連中もこの事件を追っているようです。連中の掃討を優先しますか?」

 

 何故、叛逆小隊が“麻袋”に首を突っ込んでくる。戦術人形が自発的にそうしたとは考えづらい。

 とすると、指示を出したのはアンジェリアか。あの女狐もしぶといものだ‥‥しかし、さして重要視すべき脅威でもない。

 カーターは深く息を吐いて、首を振った。

 

「‥‥いや、構わん。“麻袋”の捜査も中止しろ。テロリスト共の対処に戻れ」

「はっ。それでは、失礼します」

 

 大きな背中が消え、部屋に静寂が戻る。

 カーターは頭を抱えて、歯軋りしながら独り言ちた。

 

「くそっ‥‥奴をどうにかする手段を‥‥何とかして探さねば‥‥」




感想や評価など頂けますと大変励みになります。具体的に言うと、自車校の路上教習の恐怖に耐えられるくらい嬉しいです。お好きな動物の鳴き声でも大丈夫です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

雪の木曜 ⑩

 周りの至る所から爆発音が聞こえる戦場の中。本来見えるはずの青空は、赤黒い煙と閃光に埋め尽くされている。

 (たお)すべき相手はすぐに見つかった。最前線で蒼い稲光を撒き散らしながら暴れているのだから、捜すまでもなかったというのが正確な表現だが。刃を振るうたびに落雷のような音を轟かせているから、それだけでも簡単に見つけることができただろう。

 耐電仕様にカスタムされたシールドを構えて踏ん張っていたS.A.T.8とイサカの間を駆け抜けながら、416は声を上げた。

 

「お疲れ様。アイツは私たちに任せなさい」

「はいっ、よろしくお願いしますね!」

 

 蒼雷の主――エクスキューショナー・モデル・ミョルニルが、こちらを見て獰猛な笑みを浮かべた。

 

「よう!また会ったな、グリフィンのカス共!」

「久しぶりね、鉄屑女。吹っ飛ばされた腹の調子はどう?」

 

 焦げた地面を“絶火”で駆け抜けながら愛銃の引き金を引く。416とは軸をずらすように駆け出したVectorも、射線が直角で交差するように.45ACP弾を見舞った。

 エクスキューショナーは大太刀を左手に持ち替え、鉤爪のような右手で身を守りながら跳ぶ。

 その動きを見て、416は作戦前にノアから聞いた忠告を理解した。

 

(前回ほど無謀な立ち回りをしない‥‥回避行動も最適化されているし、しぶとくなったものね)

 

 着地点目掛けて、Vectorが焼夷手榴弾を放る。炸裂する直前のそれを、エクスキューショナーは大太刀の腹をラケットのように使って打ち返してきた。

 

「無駄に器用な技覚えやがって!」

 

 瓦礫の陰から回り込んでいたC-MSが飛び出した。その小柄な体躯を活かし、亜音速弾を浴びせつつ足元をすり抜ける。エクスキューショナーは斬撃で迎え撃つものの、捉えるのは墨汁をぶちまけたような残像ばかり。C-MSは敵の殺傷圏に踏み止まりながらも、ただの一太刀も浴びていない。

 C-MSのコアに搭載された、装填弾種対応型演算調圧機能(マインドチェイン)。亜音速弾を装填している間、彼女は大抵の攻撃を霞のように躱してのける。

 エクスキューショナーが眼前の濡れ烏に集中している間に、416とVectorの銃撃もその身を襲う。しかし、敵も最低限の動きで銃弾を避けていく。角度の浅い弾丸は、体を覆う電流に弾かれる。会心の弾丸でなければその肉を抉ることは叶わない、と416は理解した。

 インカムからノアの声が聞こえた。

 

『エクスキューショナーはすっかりキミたちに夢中だね。良い調子だ、そのまま釣れるかな?』

「任せなさい」

 

 C-MSに目配せする。彼女は頷き、その足運びが僅かに変化する。三人はエクスキューショナーを囲むように走り回りつつ、じりじりと戦場から離れていく。

 

「ハッハァ、場所を変えようってか?いいぞ、付き合ってやる!」

『目論見はバレちゃったけど、彼女が猪突猛進のお転婆娘で助かった』

 

 視界の端では、第一・第二防衛部隊がデストロイヤー率いる大隊を迎撃している。拠点を守ることにおいて精鋭と呼んで差し支えない彼女たちならば、デストロイヤー程度に遅れを取ることは無い。

 絶え間なく頭上で爆ぜる豪炎は、Jupitarによる砲撃を狙撃部隊が撃墜して生じるものだ。カルカノ姉妹を始めとするRF人形たちが自陣後方に控え、飛んでくる砲弾を全て空中で爆散させている。彼女たちがいなければ、今頃この戦線は崩壊していただろう。

 今回鉄血が配備したJupitarは二十二基。敵陣最奥にずらりと並んでおり、そこを守るのはゲーガーとアーキテクトだ。UMP45率いる第二偵察部隊が潜入し電源を落とす手筈になっているものの、突破力に欠ける編成の彼女たちでは不安が残る。さっさとこちらの仕事を片付けて、手伝いに行くべきだ。

 大太刀が地面を抉り、銃弾が火花を散らす。四人は交差する殺意の嵐となって、戦線を離れていく。視線の先に見える廃ビルが、決戦の地だ。

 半ば転倒するように、コンクリート製の檻へ飛び込む。横に転がって体勢を立て直すのと同時、一瞬前に416の頭があった場所に刃が突き刺さった。

 小休止を挟む間は無い。416・Vector・C-MSの“絶火”が入り混じって、三人の残像と銃撃がエクスキューショナーの視界を埋め尽くす。加えて、建物内に身を潜めていたG11とリベロールも援護射撃を開始する。部屋の中は鋼鉄の殺意で埋め尽くされ、エクスキューショナーは大太刀を振り回しつつ包囲から抜け出そうと試みる。

 

「416、交代!リベは三時、G11は六時!」

 

 声を上げるC-MSが、素早く弾倉を入れ替えた。亜音速弾からST弾に切り替わったことで、装填弾種対応型演算調圧機能(マインドチェイン)も射撃偏重になる。つまり、ここからは416が最前衛。

 部隊の中で“絶火”の精度が最も高くメモリにも潤沢な余裕がある416は、閉鎖空間における跳弾込みの弾幕戦にも高い適性がある。そこを見込んだノアによって提案された作戦だった。

 C-MSと入れ違いに、416が絶火で距離を詰める。

 

「ハッ!前は結局カストラート頼りだったが、今回はちゃんと自力で戦えるのか?」

「言ってろ」

 

 サイドアームは抜かない。突撃銃を抱え込むようにして握りつつ、設計時点では想定されていないであろう間合いに無理矢理対応する。普通の戦術人形なら不可能な所業だが、ノアとの訓練に慣れた身としてはこの程度朝飯前である。

 エクスキューショナーの肌に、傷が増えてきた。激怒妖精の演算補助が効いてきたか、こちら側の射撃角度が最適化されたのだ。元々生気のない顔が、苛立ちを隠すこともなく(しか)められる。

 

「クソッ、忌々しい‥‥!数ばかりの能無し共が‥‥!」

「見方次第では、数頼りなのはアンタたちでしょ」

 

 最も、こちらも余裕というわけではない。こちらが攻勢を緩めたなら、敵の狙いはすぐさま後方の二人に向かう。彼女たちにこの激しい斬撃を躱す技術は無いので、前衛の三人には一瞬たりとも休息の余地が無い。C-MSにいたっては後方の二人にも指示を出す関係上、電脳を限界寸前まで酷使しているはずだ。

 そして何より、エクスキューショナー自身の成長が目覚ましい。無線送電となった刀身からは雷電を奪うことも叶わず、その立ち回りは随分と器用になった。前回多用していた回転斬りは封印され、攻撃後の隙が明らかに減っている。

 総じて前回より遥かにしぶとくなったエクスキューショナー相手に、416は決め手の使い処を見つけられずにいた。加えて、大太刀と違ってこちらは弾薬を消費する。弾切れまでに勝負を決める必要があった。

 

「クソがッ!」

 

 そのとき。向こうも我慢の限界だったのか、エクスキューショナーが乱雑に大太刀を振り回した。雷を纏った黒い暴風を前にして、416は一旦退かざるを得ない。その隙を突き、大上段の一刀が放たれる。その狙いは416ではなく――

 

「避けなさいG11ッ!」

 

 C-MSが叫ぶも、遅かった。蒼黒い剣風が、G11の左大腿部を吹き抜けた。G11は片足を失った激痛と喪失感から湧き上がる悲鳴を堪えて、転びはしたものの銃口は下ろさない。

 

「リベ、G11の手当てをお願い!」

「416、こっちは気にしないくていいから‥‥ッ」

 

 苦悶の色が滲む声を背中に受けて、416の思考が真っ赤に染まった。

 再び“絶火”。大振りの攻撃の後隙を狙い、銃撃を浴びせかける。Vectorがタイミングを合わせて射線を増やしたものの、エクスキューショナーは刀身に流していた電流を全身に回して守りを固め、無理矢理刃を振りかざす。

 元来、エクスキューショナーは一対一の戦いにおける高速撃破を設計思想としたモデルである。技巧を極めたノアを仮想敵にしたことでその動きも器用さを得たが、同時に持ち前の豪快な太刀筋を見失っていた。

 しかし今になって、エクスキューショナーは焦りと怒りによって本来の立ち回りを思い出した。

 サイドステップで袈裟斬りを躱したVectorに、跳ね返るような二の太刀が追い縋る。

 Vectorの右腕が、宙を舞った。

 その交錯中にも銃弾の雨が降り注ぐが、エクスキューショナーは血を吐きながら暴れ続ける。

 

「俺はカストラートをブッ殺す‥‥お前らなんぞに殺されてやるわけにはいかないんだよ!」

 

 それまではある程度理屈に基づいていたエクスキューショナーの動きが、とうとう完全に法則性を失った。Vectorを蹴り倒したかと思えば、416に掴み掛ろうと駆け寄る。それを避けられると、明らかに最も脅威度が高いはずの416に目もくれず、回避性能の下がったC-MSへ刺突を見舞う。

 “絶火”にも迫る速度で放たれた中段の突きが、彼女の愛銃を貫通しながら脇腹を深く切り裂いた。

 

「C-MS!」

「私のことはいい!やるべきことをやりなさ…いっ」

 

 苦悶の声と共に至近距離で連射されたST弾が、エクスキューショナーの顔右半分を穿った。エクスキューショナーは絶叫を上げて、眼前の敵を両断せんと体の捻りが加わった一撃を放つ。咄嗟に掲げた壊れかけの短機関銃で何とか受け止めるも、C-MSは衝撃で数メートルにわたって吹き飛ばされた。その反動を使って振り返ったエクスキューショナーが、外の光を求めて駆け出す。

 416は素早く隊員たちを一瞥した。Vectorは利き腕を失い、愛銃も遠くに転がっている。C-MSは攻撃の手段を奪われ、リベロールは動けないG11を引きずって奥へ退避していた。

 現在、十全に動けるのは自分だけ。自分の実力に一瞬鼻を伸ばしかけるが、そんな場合ではない。

 外に出られてしまえば、エクスキューショナー以外のユニットも相手しなければならなくなる。敵は負傷こそ多いものの、機動力の低下は見られない。このままでは目標に逃げられ、作戦は失敗する。しかし、射線で逃げ道を塞げる味方はいない。

 取るべき選択肢は、初めから見えていた。

 突撃銃をスリング任せに手放して、擲弾発射器(M320A1)を右手に、拳銃を左手に握る。“絶火”で詰め寄ると、電撃が416の白い肌を焼いた。

 

「莫迦が!今更俺の装甲に引っ掛かるとはな!」

「――莫迦はそっちよ、猪女」

 

 体を捻じ込むようにして、拳銃を弾倉の限り乱射する。一瞬怯んだ敵に擲弾発射器を突き付けて、416は会心の笑みを浮かべた。

 

「アンタの運もそこまでね」

『――止めろ416ッ!!!』

 

 インカムから焦ったようなノアの叫び声が聞こえたのと同時、416の手はトリガーを引いていた。

 聴覚を丸ごと塗り潰すほどの轟音が解放される。

 黒い粒子が交じった炎で埋め尽くされた視界を最後に、416の意識は暗転した。




感想や評価など頂けると大変励みになります。とても嬉しくなります。お好きな動物の鳴き声でも大丈夫です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

雪の木曜 ⑪

 パッと、416の意識がどこかに投げ出される。周囲を見回すと、光の粒子が漂う無機質な空間がどこまでも続いている。以前UMP45のそれへダイブした経験から、ここは自分のメンタルモデル内、それもセカンダリレベルであると416は理解した。

 自分が動かずとも、景色は勝手に流れていく。どうやら自分は今、システム再起動に伴うフルスキャンを目の当たりにしているようだ。

 自分が意識を失った原因――エクスキューショナー・モデル・ミョルニルとの戦闘、侵食榴弾による相討ちで記憶は終わっている。

 侵食榴弾。416がメンタルモデルをアップグレードする際に得た、新たな武装。通常の爆発の後、義体や装甲を蝕む粒子を残す。その範囲内に敵がいなければ、侵食体は行き場を失い再び爆発する。原料に崩壊液を用いている以上立派な環境汚染兵器であり、普段はあまり使えない。

 あの瞬間、確実にエクスキューショナーの足を止める手段は限られていた。そこで、416はその身に電撃を浴びることで「反撃のチャンスかもしれない」と思わせたのだ。

 電撃を浴びてしまえば、“絶火”は使えなくなる。当然、至近距離で榴弾を放った際の退避も間に合わない。あの自爆じみた一撃は、416の想定通りの一手。

 他の部隊員は全員自分から四メートル以上離れていたので、侵食体に触れることは無かっただろうことは都合が良かった。

 そこで、はたと思い至る。

 

「私の義体(ボディ)‥‥」

 

 義体情報を参照して、416は目を大きくした。

 侵食榴弾の炸裂位置からして、自分はまず右半身を丸々消し飛ばされたはずだ。それは損傷記録にもある通りである。

 そして、あの榴弾は侵食体を撒く。自分の体は使い物にならなくなるだろうと、416は予想していた。その場合、自分は作戦前にアップロードしたメンタルデータを新たな体にインストールし、対エクスキューショナー討伐作戦――作戦コード“雪の木曜(Thor stirbt im Schnee)”に参加した記憶は失っていたはずだ。

 しかし416はあの戦いの動向を、自分が見た範囲内では全て覚えている。

 つまり、自分は完全に壊れる(死ぬ)前に回収され、修復されたのだろう。一体誰に?問うまでもない、ノアだ。

 何はともあれ、今回は任務をきちんと果たした。完全勝利とはいかなかったが、あの劣勢でも敵を討ってみせたことで、自分の優秀さは充分証明できただろう。

 自分の成果を確認したタイミングで、システムのスキャンが完了した。

 体が上空へ引っ張られるような錯覚。そのまま、416の意識が浮上する――

 

「‥‥ん」

 

 瞼を開けて、一瞬遅れて視覚モジュールが起動する。溢れる直前まで人工涙液が分泌され、瞬きするごとに引いていく。

 視界に映るのは一面のトラバーチン模様。予想通りここは医務室で、416はベッドに仰向けで横たわっている。

 部屋の中は静かで、416の他には誰も――いや。

 左手を何か温かいものに包まれているような気がした。まだ体は重く、起き上がるのは面倒だ。416は首を傾けて、自分の手を見る。しかし毛布から出た手に被さるものは何も無く、チューブなども繋がれていなかった。錯覚だろうか?再起動直後だから、触覚や温度感覚が整っていないのかもしれない。

 

「おはよう。‥‥といっても、もう夜中の二時だけど」

 

 左手の奥、スツールに腰かけた影から声がする。視線を合わせると、ノアがこちらをじっと見ていた。瞳は少し充血していて、泣き腫らしたような瞼の下に隈が見える。もしやと思い観察すれば、やはりメイクをしていない。毎朝見ているので慣れているはずなのに、数段顔色が悪いように思われた。

 その原因にはすぐ思い至った。表情だ。いつもの穏やかな笑みは見る影もなく、眉間には深い皺が刻まれている。

 明らかにおかしい様子を前にして嫌な汗を掻きながら、416は応えた。

 

「おはよう、指揮官。ごめんなさい、迷惑をかけたみたいね。

 作戦はどうなったの?」

 

 そう訊ねると、ノアは一度何かを言いかけて、やめて、息を吐いてから再び口を開いた。関節が紅くなるほどに固く握り締められた手が、小さく震えている。

 

「‥‥一箇所を除いて全て想定通りに進んだよ。

 Jupitarは全基破壊、ハイエンドモデルも全員殺害。

 負傷した子たちは帰投次第全員修復した。今回の作戦で失われた記憶は無いよ」

 

 元々、エクスキューショナー以外はいつもと変わらない戦い。他の面々がしくじることはないだろうと予想していた。G11たちも負傷したが、あの程度の怪我は珍しくない。無事であることは分かっている。

 それよりも気になるのは、あの作戦における最重要目標――エクスキューショナーのコアが手に入ったかどうかだ。それが上手くいったか否かで、自分の評価も変わるはずなのだから。

 

「アイツのコアは手に入った?私、ちゃんと仕留めたわよ」

「‥‥‥‥うん。あとは解析を済ませたら、電撃に特化した個体への対策ができる」

「そう!ならよかったわ。どう?指揮官。私の評価は上がったかしら」

 

 あの窮地で、自分は確かに標的を仕留め任務を果たしたのだ。必ず、自分こそが最優にして完全無欠の戦術人形であるとノアも認めるだろう。

 しかし次の瞬間、416は自分の予想が全くの見当違いであることを思い知った。

 

「『よかった』だって?何がどうよかったのさ。

 416。自分が何をしたか分かってる?」

 

 ぞっとするほど冷たい声音がノアの口から零れたことに、416はまず驚愕した。驚愕して、それから困惑した。

 どうして、彼は怒っているのか。まさか、自分が負傷したから?でも、自分は任務を果たしたのだ。だから、少しくらい褒めてくれても――

 何かを言おうと口を開くも、止まらぬ言葉に遮られた。次第に、その声はボリュームを増していく。

 

「義体の半分が無くなって、さらに残りの六割も侵食体に喰い荒らされていたんだ。帰ってきたキミを見たときの僕の気持ちが分かるかい?分からないだろうね。

 キミたちを戦場に送り出して、自分だけ安全な場所で指示を出して、遺体同然になって帰ってきたキミを見た指揮官(木偶)の気持ちなんて!」

「し、しきか――」

「何を考えてるんだ!自分の武装の特性も理解してないのか!?

 あと数分回収が遅れていたら、キミは跡形もなく消えるところだったんだぞ!!

 もし修復が間に合わなかったら!他の子たちより一日だけ巻き戻ったキミに、僕がどんな思いで声を掛けると思ってたんだ!?」

 

 最後の方は、ほとんど叫び声だった。窓ガラスにはわずかに罅が入り、聴覚モジュールの奥にビリリと振動が残った。

 握り締められた手からは血が滴って、白い床に赤色が徐々に広がっていく。

 416は絶句していた。人形には際限なく優しいノアが、これほどの怒りを自分に向けているという現実に、理解が追いつかない。

 

「ま、待って。つ、次は、次はもっとちゃんと、するから。もっと上手くやる、から。

 だからお願い、見捨てないで‥‥!」

 

 何とか身を起こして、ノアのシャツに縋りつくように倒れる。しかし、ノアはそれを受け止めない。

 とん、と416の体が元の姿勢に押し返された。立ち上がって影の落ちた、猫のような双眸を見上げる。

 一瞬その目が悲しげに細められたと思うよりも早く、ノアは淡々とその言葉を口にした。

 

「HK416。キミを、副官及び第一強襲部隊から解任する。

 謹慎は言い渡さないけど、僕の部屋には来ないこと。

 今後の配属などは追って連絡する」

「し、指揮官!待って、指揮官‥‥!お願い、待って‥‥!」

 

 再び起き上がろうにも、体に力が入らない。手を伸ばして叫んだ懇願も虚しく、華奢な背中はドアの向こうに消えた。

 やがて腕からも力が抜けて、シーツの上にどさりと落ちる。ノアの血が付いた患者衣を握り締めても、かえってこれが現実であると痛感するばかり。

 唇を噛んだ416の(まなじり)から、大粒の涙がぼろぼろと流れ落ちた。

 

「‥‥どうして、こうなるのよ‥‥‥‥」




どうしてこうなるの(絶望)

早く仲直りしてくれ‥‥頼むよ‥‥頼むよぅ‥‥

感想や評価などいただけますと気持ちが安らぎます。頼むよぅ‥‥


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

雪の木曜 ⑫

「ごめ゛ん゛な゛ざい゛~!!」

 

 C■■地区、鉄血領最奥。剥き出しの配線が生い茂る管制室に、小柄な鉄血ハイエンドの泣き声が響き渡った。

 ドリーマーは耳を塞いでいた手を放し、溜め息を吐いた。ツインテールを振り乱すデストロイヤーが、両目から滂沱(ぼうだ)と涙を流しながらしゃくりあげている。

 

「もう、どうしてそんなに泣くのよ」

「だって、折角ドリーマーが最前線を任せてくれたのに、アタシ失敗しちゃった‥‥。

 エクスキューショナーだって、あんなに資材使ったのにぃ‥‥」

 

 デストロイヤーの言う通り、改造型エクスキューショナーーー“Keraunos(ケラウノス)”の開発には多大なコストを費やした。鉄血工造の製造ラインは全ての工程が独占運営されているため、経済的制限は基本的に無い。しかし大容量バッテリーや無線高圧送電、対カストラートを想定した火器管制コアの調整および内骨格の原料改善など、資材のみならず時間と手間もかかった。

 そして、結果的にそのコアも奪われてしまった。今までに投入したピーキーなモデルと同様、カストラートは手に入れたコアを解析するだろう。これからケラウノスの費用対効果は劇的に低下するはずだ。もう作らない。

 だが実際のところ、ドリーマーはさして悲嘆していなかった。その態度を見たデストロイヤーが、訝しげな声を上げた。

 

「どうするのドリーマー?また対策されちゃうよ」

「どうって、どうもしないわよ?

 元々コストのかかりすぎるモデルだったし、エクスキューショナーは旧式に戻すわ。あの子は嫌がるでしょうけど」

「やめちゃうんだ‥‥。じゃあ、何であんなの作ったわけ?アンタの遊びってわけじゃないんでしょ」

 

 小首を傾げるデストロイヤーに、ドリーマーはコンクリートの欠片を軽く投げつけた。額を押さえてデストロイヤーが憤然と抗議する。

 

「痛いじゃない!何するのよ!」

「前に説明したでしょ、おバカ。それともバックアップを読み込み損ねたの?」

「え、そうだっけ?‥‥待って二発目投げないで。

 そうだ!カストラートの首でも晒せばトーチャラーを釣れるってヤツ?アレ冗談だと思ってた」

「そんなわけないでしょ」

 

 思わず天井を仰いだ。発言の重要度を判別する能力すら無いなんて。

 

「本気で身を隠しているトーチャラーたちを、正攻法で見つけるのは至難の業。

 クレンザーは私が手慰みに設計図を書き殴ってただけのロマン兵器だけど、トーチャラーは違う。

 あのお方の命令で、この地区の戦術指揮を丸々任せるために作ったハイエンドだもの。狡賢さは折り紙付きよ。

 けれど、あの子には一つ、決定的な弱点――アキレス腱がある」

「それがカストラートなの?」

 

 頷いて、『第三種遺存生命体に関する報告』という題のファイルを一瞥する。――トーチャラーの製造過程を思い返すと、少し気分が悪くなる。

 胸の中にもう少し空気が欲しくて、ドリーマーは気持ち大きく息を吸った。

 

「トーチャラーとカストラートとの間には、切っても切れない関係があるの。

 彼を捕らえるか殺すかすれば、あの子は必ず彼の体を奪いに来る。

 ま、こっちはほとんどついでみたいな作戦だったんだけど」

「え?じゃあ本命って何‥‥待って!コンクリ片ぶつけないでよ痛い!

 ソレ、ホントにアタシに言った!?一ミリも憶えてないんだけど!」

 

 破片を握った手が止まる。そういえば言ってなかった気がする。まぁ言っていたとしてもどうせ忘れていただろうし、大して変わらないか。

 

「‥‥ナハツェーラのテストとデータ収集から、彼の目を逸らすのが本命よ。こっちは今のところ上手くいってる。

 軍とはぐれ人形共が勘付いてるみたいだけど、まぁカストラートにさえバレなければ問題ないわ」

 

 その言葉を聞いてしばらく考え込んだ後、デストロイヤーが目尻に涙を浮かべて叫んだ。

 

「やっぱりアタシ、聞いてないわよ!」

 

 そのままわんわん泣き出すものだから、ドリーマーは額を押さえた。彼女を苛めるのは楽しいが、泣かせると非常に面倒なのだ。だが今回は仕方がない、最後のは自分の不手際だ。

 今日はいかにしてデストロイヤーの機嫌を誤魔化そう。ドリーマーは最適な言葉(エサ)を探しながら、無骨なハイスツールから飛び降りた。




感想や評価など頂けますと大変励みになります。とても嬉しい気持ちになります。お好きな棒物の泣き声か、お好きな植物の葉擦れの音でも大丈夫です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間に投げられた思い出話・その二 ①

 脳髄が鉛のように重くて、体の中で吐き気がぐるぐると渦巻いている。

 呼吸にすら難儀しながら、ノアは身を起こした。息をするたびに肺が痛む。

 どうしてこんなに辛いのだろう、と疑問に思ったのは一瞬のこと。毎朝隣にあったはずの、チューベローズの温もりが欠けている。

 睡眠時に体温の維持を止めてしまうこの体は、一人で眠ると低体温症を引き起こす。慣れ親しんだはずの不快感が、随分と重篤な病のように思える。

 416が面倒を見てくれる前は、どうやって朝を過ごしていたんだったか。

 数分思考を巡らせて、ようやく以前のルーチンを思い出した。

 シャワーを浴びて体温を元に戻し、ホットココアと冷蔵庫にあるゼリーを飲む。

 

「‥‥あれ」

 

 このゼリーは、ノアが自分の体質に合わせて作ったものだ。味も自分の好みに沿わせてあったはずだが――

 

「こんなに不味かったっけ」

 

 そう呟く声も、無音のダイニングに吸い込まれて消える。寒さには強いはずの体が、ぶるりと震えた。

 きっと、ゼリーの冷やし過ぎだ。そう思い込んで、ノアは残りを嚥下した。

 

***

 

 ブーツの底が、踏み砕くように巌の如き肌を蹴り抜いた。意味を持たない呻き声と共に倒れ伏す体を避けて、ノアは既に死体を増やしている。“絶火(ゼッカ)”の速度が乗ったブーツを叩きつけ、反動すらも全て相手に押し付ける――ノア=クランプスが誇る必殺の蹴打、“烈火”。RIP弾が命中したかのように、E.L.I.Dの肉体は飛散した。

 E.L.I.Dの外殻には尋常の刃物が通用せず、つまり“烈火”以外の攻撃手段をノアは持たない。したがって先程から彼の足は、四万八百ニュートンを優に超える衝撃で以て、主砲としての役割を果たし続けていた。

 崩壊液によって変異した生命体が定期的に雪崩れ込む、C■■地区南部戦線。以前は正規軍の自律兵器部隊が常駐していたため無視できたが、彼らがクレンザーによって灰燼に帰した以上、これからはここも“猫の鼻”の戦力で守っていく必要があった。

 目につく全てのE.L.I.Dを、手当たり次第に文字通り蹴散らしていく。普段とはかけ離れた粗野な足運びに合わせて、ポニーテールが靡いた。

 

「“秘刃(ヒバ)”用のグローブでも作ろうか‥‥いや、僕の技量じゃ靭性と強度を両立できない。

 コイツらを切れるナイフを都合する?うぅん、寸を詰めた単分子振動刀なんてあるのかな。

 仕方ない。一人でやるときは、大人しく蹴り殺すしかないや」

 

 面倒そうな台詞とは裏腹に、その表情は活き活きとしている。

 ‥‥実のところ、体を動かしていないと気が狂ってしまいそうだった。

 ここへ足を運んでいる最大の理由は、416を突き放した罪悪感やら何やらから目を背けるためだ。ここを担当していたAUGには第一強襲部隊の攻撃役を任せ、“猫の鼻”へ帰還してもらっている。

 インカム越しに、自分を呼ぶ声が聞こえた。目の前のE.L.I.Dを思いきり蹴飛ばして応答する。

 

『指揮官、ご無事ですか?』

「うん、こっちは平気だよシュタイアー。

 それで、“ガニメデ”の準備はどう?」

 

 IWSは「よかった」と安堵の息を零して、すぐに言葉を続けた。

 

『充電よし、装填よし、発射地点よし、トリガーの感触よし。

 ‥‥はい、こちらの準備は完了しました!“ガニメデ”、いつでも発射できます!』

「じゃあ僕は下がるよ。僕が殺傷圏内から外れ次第、連中を一番巻き込める場所にぶっ放しちゃって」

『了解しました』

 

 通話が終わるや否や“絶火”。後ろへ落ちている最中に身を翻し、その後は基地へ向かって疾走する。これが、ノアがここにいる最大ではない理由。

 “ガニメデ”は、鉄血工造の“Jupitar”や正規軍の“Typhon”を基に、ノアが設計した大型兵器だ。両者の設計データを盗んで突き合わせて、双方のいいとこどりをしようと試みたわけである。

 その結果完成したのは「Typhonのような配備の簡単さを持ち、Jupitarと同様に実弾を用いる大型のレールガン」だった。ただし放つのは集束(クラスター)爆弾で、優秀な視覚モジュールを持つRF人形を砲手として採用している。ゆくゆくは自律化も考えているが、当面は彼女たちに任せることになるだろう。

 今日は、その試運転の日だった。

 乱雑な色の線が流れていく景色の中、IWSの声が告げる。

 

『“ガニメデ”、第一射いきます』

 

 もう充分距離は離した。砂埃を上げながら立ち止まり、振り返る。数百の子爆弾を孕んだ母体が、頭上の空気を突き抜けていく。砂埃は一瞬でどこかに消えた。

 暴れる髪を押さえたとき、前方で怒涛の爆発が起こる。衝撃波がここまで押し寄せてきて、ノアは思わず「ひゃあ」と声を上げた。

 

『指揮官!?今とても可愛らしい悲鳴が聞こえましたが!』

「‥‥気のせいだと思うよ。どう?着弾後の様子は」

 

 訊ねると、少し沈黙してからIWSは明るい声音で報告した。

 

『まぁ、凄い!目視で確認していた百九体、全て木端微塵です!

 コレ、本当に私がやったんですか?』

「破壊力が大きすぎると現実感が無くなるのは、ヒトも人形も変わんないんだね。

 これからはちょくちょく撃つことになると思うから、慣れておくれよ」

『了解しました!』

 

 通話終了。南部基地へ足を進める道すがら、端末を確認する。

 アンバーズヒルの企業や、孤児院からの連絡がいくつかある。それぞれにさっと目を通し、返信していく。

 45からの着信が一件。基地に着いてからかけ直そう。

 そして、416からのメッセージが‥‥五十五件。言い方こそ変化しているものの、内容は全て同じ。

 あの作戦が終わってから、一週間が経つ。彼女からの怒涛のメッセージは、未だにその勢いを失わない。

 

『何がいけなかったの?教えてよ』『お願いだから返事をして頂戴』『どうして何も言ってくれないの』『ごめんなさい』

 

 罪悪感で胃ごと吐き出しそうになる。キーボードをフリックしそうになる自分を、それでも何とか食い止めた。

 ここで彼女の言葉に応えてしまえば、元の木阿弥。ゆえに返信するわけにはいかない。たとえ彼女に嫌われようと――

 

 ずきん。

 

「‥‥あれ?」

 

 心臓が激しく収縮するような痛みに、思わず胸を押さえた。心臓の動かし方を間違えたのだろうか?いや、悩み事で心拍の制御をし損ねるほど、この脳は不器用ではない。

 言いようのない苦い感情を思考の隅へ追いやるように、ノアは端末をポケットに押し込んだ。

 

***

 

 南部基地に着くとすぐ、IWSが満面の笑みで出迎えてくれた。

 

「お疲れ様です、指揮官!砂埃すら付いていませんね。流石です!」

「ありがと、シュタイアーもお疲れ様。早速で悪いけど、“ガニメデ”のレポートをお願い」

 

 加害範囲の予測と実範囲のズレや照準の合わせやすさ、演算時の砲手への負担など、細かい部分までヒアリングを行う。

 ノアにとって大型兵器の設計は初めてということもあり、完璧とは言えない出来だった。使用している弾種が一定以上のランダム性を持っているため、加害範囲を広げるほど単位面積当たりの攻撃性能が指数関数的に低下するのだ。今回はIWS2000という最優秀クラスのRF人形による操作ゆえ素晴らしい結果となったが、完全自律化は難しい。

 

「あと、普段使っている銃とトリガーの感覚が違うのは、少し気になりました。

 仕方のないことだとは思うんですけど、人形によっては射撃のタイミングがズレる可能性もありますから‥‥」

「わかった、トリガーの引き心地を調節できるように改良する。それくらいなら僕一人でもできるかな。

 あと、砲手の人形を識別して、その子なりのカスタマイズを呼び出せるプリセット機能も追加しよう」

 

 話し合いが一段落したところで、ノアは端末を取り出した。45に通話をかける。IWSは休むのだろう、こちらに一礼して部屋を去った。

 

『もしも~し、UMP45です』

「ノアだよ。さっきはごめんね、戦闘中だったんだ。今大丈夫?」

『うん、大丈夫。

 っていうかホントに化け物共と戦ってたの?やっぱりノアはおかしいね』

 

 心外である。頬を掻いて先の連絡要件を訊ねると、45の声の調子がうんざりとしたものに変わった。

 

『訊かなくても分かるでしょ?416のこと。あの子、今日もずぅっと部屋に引き籠ってるの。

 目も虚ろだし、声かけてもほとんど返事しないし。

 本を読んでるように見せかけてもずっと同じページで止まってたり、ご飯用意してる最中に突然座り込んで泣き出したり‥‥もう酷いんだから』

 

 想像以上に悪化している。

 手段を誤っただろうか。しかし、416にはこれを乗り越えてほしい。でないと‥‥

 

『あんなに落ち込んでる416、初めて見たよ。M16がああなったって知ったときでも、行動に支障は無かったんだから。

 ねぇノア、もう許してあげたら?毎日私か9に様子を訊いてるんだもん、気にしてはいるんでしょ?』

「それは‥‥そうだけど」

『まぁ、貴方が何を考えてるかは想像つくけど。

 でもね、ノア。416は貴方が願うほど、強くなれないと思う。多分、このままじゃ耐えられないよ』

「‥‥うん」

『416の空気に当てられて9まで落ち込んじゃったら、私怒るからね。

 具体的に言うと、MDRに協力して貴方の盗撮写真ラインナップを増やすよ。

 じゃあ、精々頑張ってね。ノア』

 

 端末をテーブルの上に放って、壁に凭れかかる。深い溜め息が零れた。

 HK416という戦術人形は、とても優秀な人形だ。堅実かつ充実した機体性能ももちろんだが、常に成長を求める貪欲さは尊敬に値する。

 しかし彼女の向上心の先には、いつも『他の誰か』がいる。先程45が口にしたM16もそうだろうし、ノア自身も――恥ずかしいことに――そこに含まれているのだろう。

 M16A1は鉄血の尖兵となった。

 ノア=クランプスは、この世から退場できることを願い続けている。

 目指す背中が自分を置いて消えたとき。残された者がどんな心情になるか、ノアは痛いほど知っていた。416は既にあの絶望感を経験している。きっと、二度目には耐えられない。

 少なくとも自分ならば、耐えられない。

 だから、416には強くなってほしい。敵に対してではなく、孤独に対して。誰かの背を追うことなく、自分だけの強さを見つけてほしいのだ。

 

「流石、45は察しがいいなぁ‥‥」

 

 さて、いつまでもこうしているわけにはいかない。416を副官から外したことで、以前の忙しさが戻ってきている。気合を入れて仕事を熟さなければ、人形たちの頼みを聞く時間が無くなってしまう。

 

「次の予定は何だっけ――あ」

 

 今、ノアは傍にいるはずの相手に訊ねていた。しかし、彼女はここにいない。自分から突き放したのだから当然だ。

 振り返った先に彼女の姿は無くて。澄ましているくせに、その実褒められるのを待っている顔がいやに懐かしい。

 再び、胸の奥がずきんと痛んだ。ゴブレット細胞や涙腺が勝手に涙を用意し始めるので、慌てて瞼を閉じた。

 

「あれ?え、何、何だこれ」

 

 ――本当のノアはすっごい泣き虫なのよ。私、分かるんだから。

 

 遠い過去に失った姉の声が、不意に頭の奥で再生された。

 両手で瞼を押さえて、幻聴を追い払わんと頭を振る。

 

「うるさい、僕がアンタの目の前で泣いたのは一回だけだろ‥‥!」

 

 ――まぁちょっぴり変だけど、いつものへらへらした顔よりそっちの方が可愛いと思うわ。

 

 いつか、416にかけられた言葉が泡沫のように浮かび上がる。「男の泣き顔が可愛いわけないじゃん」と苦笑いが零れる。

 このままじゃ耐えられないのは、どうやら416だけではないらしい。それに、結局は全て正直に話す方が早いのかもしれない。

 ノアは意を決して、端末を手に取った。




感想や評価など頂けますと大変励みになります。この辛い状況から一刻も早く脱却するために筆を走らせることができます。
お好きな動物の鳴き声でもいいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間に投げられた思い出話・その二 ②

 副官と一襲(イッシュウ)からの解任を告げられて、一週間。自分が絶不調であることを、416は理解していた。

 あんなにも優しい人を怒らせたのだと実感してしまったのは、二日目の朝のこと。それから必死になってメッセージを送ったが、その全てに返信は無い。

 

「何なのよ‥‥既読つけてるんだから一言くらい返事してくれたっていいじゃない‥‥」

 

 SNSを見れば、他の人形たちがノアとの写真をアップロードしている。副官がいない以上、事務仕事の負担は増したはず。それでも写真の中の笑顔はいつもと変わらず、416は堪えようのない苦い感情を抱いた。

 それはさておき、416は普段通りに過ごすことを心掛けていた。謹慎を命じられていない以上、部屋の中でじっと反省することはノアも望んでいないと推測したからだ。しかし全く上手くいかず、404の三人にも迷惑をかけてしまっている。

 9が気を遣って街へ出ないかと誘ってくれたが遠慮した。街の風景を見ると、ノアとの仕事を熟すために学んだ知識が否応なく思い出されてしまうから。

 眠ろうとする自分にG11がしがみついてきて、「抱き枕代わりにしていいよ」と言ったときには、思わず笑ってしまった。まぁ次の瞬間には、この寝坊助にさえ気を遣われたという事実に自己嫌悪が加速したのだが。

 45は特に何も言わない。スクラップ扱いでもされそうだと思っていただけに、これが一番意外だった。

 三人が、彼女たちなりに自分のことを思いやってくれているのだとは理解している。理解しているから、416は早く普段通りの自分に戻ろうと焦りを感じていた。

 しかし、何をしようにもノアとの時間を思い出してしまうのだ。

 本を読めば、感想を語り合った時間を。

 キッチンに立てば、彼のために食事を用意した朝を。

 

「訓練でもしようかしら‥‥いや、意味無いわね」

 

 今となってはノアとAUG、IWSくらいしか適当な相手がいないのだ。

 どちらを向いてもノアの面影がちらついて、立っているのすら辛くなる。

 

 自分は誰よりも研鑽を積み、ノアの背を追っていた。突撃銃とスティグマを繋いだ戦術人形でありながら“絶火”を習得し、第一強襲部隊で五五二体のハイエンドモデルを殺した。他の隊員が戦闘不能に陥る中、エクスキューショナー・モデル・ミョルニルを撃破してみせた。ノアが熟していた膨大な量の行政事務や指揮業務を、同じスピードで捌けるまで仕事を覚えた。

 戦闘においてもデスクワークにおいても、自分の実力を示し続けていたはずなのに。伸ばした手は振り払われて、握りしめた掌には何も無い。

 やがて焦燥と寂しさと怒りは絵の具のように混ざりあい、黒い感情へと変わっていった。

 そんな感情データを持て余して数日間。何度目か分からない歯軋りに応えるように、ピアノ調の通知音が聞こえた。跳び付くように端末を手に取る。待ちわびた相手からの返信が、画面に映っていた。

 

  『今夜零時、宿舎前で会えるかな』

 

 ごく簡潔な文面からは、彼の真意は分からない。彼には大事な話をするとき夜を好むところがあるから、深夜という時間設定は自然なものだ。

 416は、笑わない。今や胸中に渦巻く感情は敵意にすら近く、もはや復讐心とすら呼べそうな代物だったから。

 装備品をかけているラックを一瞥する。爆発に巻き込まれたので新調した武装は、既にカスタマイズと整備を済ませてあった。

 

「拳銃とナイフで充分ね」

 

 どうせ彼に長物の弾は当たらないのだ。今の自分ならば、不意を突いた近接格闘で一矢報いることくらいはできるはず。

 そうすれば、流石に彼も自分の実力を認めるだろう。

 

「‥‥ふふ」

 

 一人ぼっちのベッドの上で、416の唇が三日月を描いた。




はいじゃないが?(半ギレ)

仲直りしてよ(必死)悪化してるじゃん(発汗)どうして(眩暈)

感想や評価など頂けますと大変励みになります。お好きな動物の鳴き声でも大丈夫です。

この絶望を切り抜ける燃料が欲しい


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間に投げられた思い出話・その二 ③

 日の沈み切った“猫の鼻”でも、人形用宿舎を見上げると灯りの点いた窓が散見される。

 ノアと待ち合わせた時刻の十五分前。エントランスへの入口の陰に、416は身を潜めていた。二階へ続く階段の陰にはダミーを待機させているが、これは囮。ノアがそちらに意識を向けた瞬間、不意を突く算段である。

 ここへ来る前、つまらなそうな表情の45から「ようやくって感じね。じゃ、精々デートを楽しんできて」と手を振られた。もちろん、勘違いを指摘することは忘れなかった。これは紛れもなく、HK416からノア=クランプスに対する挑戦なのだ。416は屈んだ姿勢のまま、抜き放ったナイフの柄を握り締める。

 日頃の経験から、この時間帯にエントランスを通る人形が多くないことは分かっている。事を一瞬で済ませる前提であれば、誰かに目撃される心配もない。

 アスファルトを踏むブーツの音を捉えた。息を溜めて、“絶火(ゼッカ)”に備える。エントランスに差し込む影の、揺れるポニーテールを確認した。

 最適なタイミングで、全身のバネを解放。足を払いつつ左手で首を掴み、背中から地面に押し倒す。膝で鳩尾を踏みつけながら、ナイフを喉元に突きつけた。そこまできて、416は違和感に気が付いた。まるで手応えが無い。

 二人の視線が交錯する。流水のような銀髪の陰で、琥珀色の視線はじっと416を見つめていた。

 完全に呼吸を盗まれたはずのノアは、肺から空気を押し出されてもなお、抵抗する様子を見せない。流石に少し苦しそうだが、少しの敵意も感じさせない――それどころか、愛おしげな眼差しで微笑んでみせる。

 ノアが手を伸ばして、416のタトゥーを撫でる。涙を拭うようなその手つきに、416は思わず息を呑んだ。

 

「いいよ、刺しても。それでキミが安心できるなら」

 

 ナイフを逆手に握った拳が震える。

 頬を撫でる冷たい感触が、研ぎ澄ませたはずの敵意を揺さぶってくる。

 

「あ、でも心臓以外で頼むよ。僕はキミと話がしたいんだ」

 

 ほんの三秒前までは、躊躇いなく刺すつもりでいたはずなのに。肩口は止めて、横腹にしようか。いいや、そもそも本当に刺す必要が――

 そのとき、階段を降りる足音が、逡巡する416の意識を切り替えさせた。パッと立ち上がり、スカートの裾を払う。ノアは目を伏せたまま立ち上がって、

 

「それじゃ、行こっか」

 

 と、何事も無かったかのように笑うのだった。

 

 隣を歩く気にはならなかったので後ろについていくと、やがて樹林に辿り着いた。月明りを僅かに透かすばかりの緑色の海を前に、416は首を傾げる。ノアはこちらを一瞥しただけで、そのまま進んでいく。

 仕方がないので、視覚モジュールを暗視モードに切り替えた。暗視スコープほどの効果は期待できないが、走り回る程度なら十分信頼できる。

 自分が引き籠っている間に雨が降ったのか、靴裏に少し弾むような感触が返ってくる。風は無く、木々の騒めきが鳴りを潜める代わりに、耳慣れない息遣いや鳴き声がちらほら聞こえた。

 (くさむら)の陰から、一羽のウサギがひょっこりと顔を覗かせた。そのまま、ぴょこぴょこと駆け寄ってきた。

 すぐ傍の枝には‥‥梟か木兎(ミミズク)だろうか、顔を傾けてこちらを見ている。

 他にも猫や狸、果てには蛇や蜥蜴といった動物たちが、思い思いにこちらの様子を窺っていた。これほど多数の野生動物に囲まれた経験の無い416は思わず抜銃しそうになったが、ノアに手で制される。

 足元にすり寄ってきたウサギの額を撫でる、ノアの眉尻が下がった。

 

「ごめんね、少しお邪魔するよ。できるだけ静かにするから、気にしないで」

 

 その言葉は果たして通じたのか、ウサギはつぶらな瞳でこちらを見上げた後、そそくさと草葉の向こうへ消えた。釣られて、他の動物たちも引っ込んでいく。

 ‥‥ノアの振る舞いには、これまで散々驚かされたのだ。今更、この程度では眉も動かない。

 青色の空気を吸い込みながら、揺れるポニーテールについて行く。陸上であることは確かなのに、海底を進んでいるような錯覚を抱いた。

 互いに無言のまましばらく歩くと、木々の天蓋がふっと開いた。視界を覆う光に、思わず目を細める。視覚モジュールの自動調節機能を待って、416は自分のいる場所を確認した。

 そこは花畑だった。花薄雪草(エーデルワイス)に似た白い花が一面に咲き誇り、月明りを吸い込んで輝いている。

 視界の中心で、少し遠ざかった背が振り返る。遅れて靡いた鳩羽色の髪の隙間から、猫のように光る視線が真っ直ぐこちらを射抜いた。

 

「416。構えて」

 

 放たれた気配に、花畑がぶわりと波打つ。416も、心臓を刺すような殺気に総毛立った。

 しかしノアの表情はどこまでも穏やかで、恋人の抱擁を待ちわびる乙女のようですらある。

 ――戸惑いは、一瞬未満。素早く拳銃とナイフを抜いて、いつでも走り出すことができるように腰を落とした。向こうが何を考えているかは知らないが、416からしても好都合なことだった。最近の鬱憤を晴らし、自らの実力を証明するいい機会になるのだから。

 相対するノアは自然体。右足を引いた半身、手にも力は籠っていない。だが416は知っていた。いかなる体勢からでも駆け出せるノアの、本気の構えがこれであることを。

 風が、花弁を吹き上げる。

 何も言わぬ月の下、二つの影が火を絶った。




うぇーい!次回は痴話喧嘩だ!

感想や評価などいただけますと、大変励みになります。お好きな動物の鳴き声や銃声でも大丈夫です。

僕に命の感触をくれ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間に投げられた思い出話・その二 ④

 その戦いは、互いに激しく撃ち合いながらも軽やかで、美しかった。

 両者の“絶火”が放つ衝撃波によって撒き上げられた花弁は、二人を包むように吹き荒ぶ。

 音を超えた速度が乗る416の蹴りを足の裏で受け、ノアは宙返り(アウエルバッハ)を切った勢いのままに逆さ廻し蹴り(コンパッソ)を放つ。柄でその威力を受け取って、416は回転しつつナイフを振るう。右手に握った拳銃もマズルフラッシュを散らすが、放たれた三発の弾丸は全て指先で逸らされた。“秘刃(ヒバ)”だ。

 満ちた月の他に観客のいないダンスは、相手の速さに呼応して加速し続ける。

 反対の手でマガジンを宙に放る。そこへ銃床を叩きつけるようにしてリロードしながら、416が吼えた。

 

「何なのよ!私を捨てたと思ったら急に優しくなって!今度は殴り合い!?莫迦じゃないの!」

「なぁに、仲直りするには言いたいことを全部吐き出した方がいいと思って!あっは!」

 

 互いの言葉を受け取るには、ワンテンポ遅れてやってくる衝撃音が邪魔だった。自然と二人の距離は近付いて、ときたま額と額が触れ合いそうになる。視線は絡み合い、溶け合って、ただ相手の瞳だけを追い続ける。

 白い花弁に包まれて、416とノアは抱き合うように刃を交わす。

 

「じゃあ言わせてもらうわ!

 私はこんなに努力してるのに、結局貴方も私を認めないんでしょう!?M16(アイツ)と同じだわ!」

「とっくに認めてるさ!でなきゃ本部の連中を口車に乗せてまで、キミに最重要目標の攻撃を任せるわけがないだろ?

 副官にしたってそうだ。キミが無能だったなら、僕は今でも一人であの子たちの歯車でいられたのに!」

「でも外したじゃない!一襲からも、副官からも!」

 

 相手の言葉に応えて、互いの声は熱を増していく。

 二十発以上放たれてようやく、416の銃弾がノアの頬を掠めた。花弁を一片赤く染めながら、ノアは左手で拳銃を掴みにかかった。“秘刃”で強化された握力ならば、チタンだろうがスカンジウムだろうが一瞬でスクラップにされるだろう。416はあえてリコイルを抑えず、上半身を(ひね)るための推力に変えた。

 同時に足を鋭く払いながら、ノアが叫ぶ。

 

「それはっ、キミが死にかけたからだ!」

「意味が分からないわ!任務は成功したのに何が不満なわけ?

 私は戦術人形よ!バックアップがあるんだからいいじゃない!」

「任務のために犠牲を出していいのは三流指揮官だけだ!

 キミたちが全員無事で帰ることができるよう作戦を立てるのが、僕の()()()の仕事なんだから!

 ただ勝つだけでいいなら、こんな戦線一年前に片付けてる!」

「鉄血のクズ共を倒すことが私たちの存在意義よ!何度死のうが、鉄クズ共を殺さなきゃ、私が生きる理由なんて無いわ!」

「違う!」

「違わない!」

 

 拳銃にスライドストップが掛かった。もう予備のマガジンも無いので、ここからはただの鈍器だ。

 言葉は熱く、攻め手は鋭く。煮え(たぎ)る思考の中、二人の格闘戦はここに来てさらに加速した。

 416のソバットをノアがバックフリップで避け、ほんの刹那、間合いが開く。

 

「指揮官の――」「416の――」

 

 

「「――分からず屋ッ!!」」

 

 

 ノアの540(Five-Forty)と、416の膝蹴りが激突する。ひときわ強い衝撃波で、花弁が一斉に吹き飛んだ。離れた木々も騒めいて、夜の闇さえ揺れた気がした。

 着地したノアが、そのままペタンと尻もちをつく。息を吐く暇もない格闘戦で、脳から足先まで精魂尽き果てたようだった。

 416はふらつく足を何とか動かして、半ば倒れるようにしてその隣に座り込んだ。

 所々裂けた掌を眺めて、ノアが呟く。

 

「‥‥凄いな。キミがうちに来てからそんなに経ってないはずなのに、もうこんなに強くなっちゃったのか」

「褒めても‥‥誤魔化され‥‥ない、わよ。はぁ、はぁ‥‥」

 

 416が懸命に息を整えていると、手招きされる。ノアは自分の方をちょいちょいと指さした。

 

「疲れたでしょ。凭れていいよ」

「‥‥じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかしら」

 

 先程まで超音速の世界で死闘を繰り広げていたとは思えない態度だが、気にしても仕方がない。彼はこういう人間だ。

 肩に頭を預け、すっかり脱力する。きっと重いだろうが、彼自身の申し出なのだから耐えてもらうしかない。

 バランスをとるために手をついて、ノアが深く息を吸った。

 

「‥‥ごめん。あれこれ理屈は付けたけど、キミに対するあの態度は、結局のところ八つ当たりだ」

 

 416は目を見開いて声を上げた。

 

「なんて酷い話!お陰で私がどんな気持ちだったか、貴方は知らないでしょ」

「出会い頭の一件で、そこは痛いほど分かったつもりなんだけど‥‥」

 

 確かに。

 

「そもそも、八つ当たりするほど苛立つなんて珍しいじゃない。

 Shortyのときはもっと落ち着いてたと思うけど?」

 

 そう言うと、ノアは少し気まずそうに頬を掻いた。

 

「‥‥キミが相討ち覚悟で自爆したとき、自分でも訳が分からないくらいに焦ったんだ。

 冷や汗が止まらなかったし、目の奥がすっごく痛くて、呼吸すら上手くできなかった」

 

 寄り添ったまま視線を巡らせる。道に迷った幼子なら、こんな顔をするだろうか。

 

「それは‥‥ごめんなさい。でも、あのときはああするしか無かったのよ。

 あそこで仕留めないと、エクスキューショナーに逃げられて作戦は失敗してた。

 そうしたら、また私は貴方の期待を裏切ることになる」

「そこに関しては僕の詰めが甘かった。エクスキューショナーのラーニングがあんなに雑だとは思わなかったよ。

 でもさ。どうしてそこで、僕からの期待なんてものを気にしちゃうの?」

「それは‥‥‥」

 

 言葉に詰まった。目指す背中の主に認めてもらいたいという焦燥を、その相手本人に語るのはとても気恥ずかしい。‥‥今更な気もするが。

 ノアはたっぷり返答を待った後、小さく笑った。

 

「僕にも全く覚えのない感情ではないから、分からなくもないよ。要は自信の問題だ。

 『お前は優秀だ』って一言をただ一人、自分の決めた相手から掛けてもらわなきゃ気が済まないんでしょ」

 

 416はその言葉に、沈黙で肯定の意を示すしかなかった。

 ノアの声音が、少し固くなる。

 

「だからこそ、僕は一度キミを突き放す必要があると思ったんだ。

 キミのモチベーションを『ノア=クランプスに認められる』以外の何かに変更できないと、またあのときみたいな無茶をするだろうから。‥‥やり方はもっと他にあったと思うけど」

 

 そんなことを考えていたのか。何事においても器用に熟すノアだが、今回ばかりは不器用が過ぎるというものだ。

 思わずクスリと笑いが零れて、口元を隠した。

 

「気遣いは有難いけれど、的外れな心配ね。認めるのは癪だけど、貴方は私よりも強いし優秀なの。だから貴方を目標にするのは当然のこと。

 貴方の望みを叶えるために、要は無傷でトーチャラーを殺せるようになればいいんでしょ?

 そのために貴方はこれからも私の壁であり続けるんだから、覚悟しておいて」

 

 ノアが不満そうな顔でこちらを見つめる。416も負けじとその目を見返して、沈黙が下りた。

 やがて、折れたのはノアだった。大きく溜め息を吐いて、ひらひらと手を振る。

 

「しょうがないな。それじゃあこれからはもっとたくさん訓練しないとね。

 あとは‥‥キミのモチベーションを保つには、どうしたらいいのかな」

「それじゃあ取り急ぎ、二つだけ申し出があるのだけど」

 

 首を傾げたノアの鼻先を、軽くつついた。漏れた「ふぎゅっ」という声が可愛らしい。

 

「損傷具合はどうあれ、私は勝ったのよ?少しくらい褒めてくれてもよくないかしら」

「あ‥‥」

 

 わざと拗ねたようにねめつけてみると、ノアは目を見開いた。それから、なぜか少し顔を赤くした。何その反応。

 

「それはそうだよね、ごめん。

 ――お疲れ様、416。キミの働きが無ければ作戦は失敗してた。よく頑張ったね」

「~~~~~っ!」

 

 そんな優しい表情で囁くようにとか、頭を撫でながらなどという注文は付けていなかった!

 人類のみならず、戦術人形の美的価値観においても――つまりHK416から見ても、ノア=クランプスは美人なのだ。

 しかも本人にはその自覚が一切無いときた。何度指摘されようと「キミたちの方がずぅっと可愛いよ?」と真顔で返すような男なのだから。

 とにかく、たとえ双方に恋愛感情が無くとも、この構図はあまりに恥ずかしい。

 髪の上を滑る手の感触と聴覚を溶かすような刺激に416が悶絶していると、ノアは不思議そうに眉尻を下げた。

 

「な、何か間違った?」

「色々と‥‥何もかも違うけど‥‥まぁこれでもいいわ‥‥」

「ならよかった。

 それで、二つ目は?」

 

 促されても、少し口籠(くちごも)ってしまう。

 416が頼もうとしていたもう一つの内容は、呼び方についての話だ。近頃404の三人はノアを名前で呼んでいるが、自分は何となくその流れに乗ることができなかった。

 しかし後から言い出すほど重要なことでもないし、かといって自分だけ「指揮官」呼びでは癪に障るし、どうしたものかと迷っている次第である。

 髪を梳かれるままに目を伏せていると、ノアが口を開いた。

 

「それじゃあ、当ててみせようか。‥‥僕の呼称の話でしょ」

 

 416は思わず視線を起こした。こちらの驚きぶりに驚いたのだろうか、ノアも目を見開いている。

 

「どうして分かったの?」

「そりゃあ、エクスキューショナーがあれだけカストラートカストラート言ってたら、気になるだろうなって‥‥」

「‥‥ん?」

「‥‥?」

 

 どうやら、二人の間ですれ違いが発生しているようだ。416は首を振った。

 

「そっちも気になるけど‥‥その、私が貴方をどう呼ぶかって話よ。

 ほら、45たちは貴方を名前で呼んでいるでしょう?ちょっと気になってて」

「あっは、そっちだったかぁ。いいよ、好きなように呼びな。カストラート以外ならね」

 

 許可も下りたことだし、早速名前呼びを試みる。息を吸って、

 

「の、ノア」

「ん、なぁに?416」

「‥‥思ったより恥ずかしいわね、コレ」

 

 目を逸らすと、ノアはまたあっは、と笑った。まぁ、これは追々慣れていくとしよう。

 それから、彼に言及された方の話も気になってはいたのだ。ついでに訊いておくべきか。

 そう言うと、「自分から言っといてアレだけど、ちょっと気まずいなぁ」と言ってノアは苦笑した。

 

「僕が昔正規軍に居たってことは、45辺りから聞いてるかな」

「えぇ。脱走兵ってことと、特殊部隊員を二十九人殺したこともね」

「あー、ソレは置いといて。その頃の二つ名みたいなものなんだよね」

 

 そこまで言って、ノアは少し考える素振りを見せた。

 たっぷり三十秒ほど考え込んでから、何かを決意したような面持ちになる。

 

「まぁ、いい機会かな。シュタイアーにも言われたことだし。

 ――ねぇ416、少し昔話に付き合ってくれる?」

 

 思ってもみない誘いだった。秘密主義の彼のことだ、名前のことしか語らないだろうと思っていたのに。

 困惑しながらも躊躇はせずに頷くと、ノアは頭上の月を見上げて語り始めた。

 

「これはね、壊れてしまった幸せのお話――」




何とか、仲直り、してくれた‥‥(遺言)

540とは、XMAにおける回転蹴りの一つです。『仮面ライダーウィザード』でよくやってるヤツ、と言えば伝わる方もいらっしゃるでしょうか。

次回は過去のお話になります。つきましては、人形が登場しないと思います。それでも416の存在感はしっかり感じられるよう、書き方は工夫するつもりですのでご安心ください。

最後に、感想や評価などいただけますと大変励みになります。お好きな動物やモンスターの鳴き声でも大丈夫です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間に投げられた思い出話・その二 ⑤

 “カストラート”っていうのは、去勢された男性オペラ歌手のこと。そうその去勢、ちょっきん。男性ホルモンの分泌を抑えて、大人になってからもソプラノ音域を出せるように保つ効果があったんだ。ん?今はもういないよ。そもそもオペラを歌う人間もほとんどいないだろうし‥‥多分アレッサンドロ・モレスキが最後じゃないかな。一九二二年に亡くなった、ローマの天使さ。レコードがあれば聴かせてあげたんだけど。まぁ、今度アーカイブを漁ってごらん?一つくらいは音声データが残ってるだろうから。

 僕?ち、違うよ!これでも僕には付いて――いや、明言するのはちょっと品が無いね。ごめん。‥‥どうしてそこで顔を赤くするの?あ、今ちょっと視線が――痛い痛い!分かったよ、じゃあ続きね。

 

 ほら、僕の顔ってあまり男らしい造形じゃないでしょ?体つきだって精悍(せいかん)とは言い難いしさ。それを揶揄して、「男性ホルモンが足りてないじゃないか?」って意味合いで付けられたあだ名なんだ。

 呼んでたのは他所の隊の軍人たち。目も頭も腐った阿呆共が、僕を女と勘違いした挙句に言い寄って来たのがきっかけだったかな。敵組織?ないない。あだ名自体は知られていたかもしれないけど、僕を見た敵はみんな死んでるもの。あっは!‥‥笑うところだよ?今の。

 とにかくこれが、エクスキューショナーが僕をカストラートと呼んだ理由。え、話が飛んでる?あぁうん、これから補足するつもりだったんだ。ほんとだよ。結論から話そうか?分かった、じゃあ結論は後回しで。

 

 僕がいた所はね、“重大犯罪特務分室”っていうんだけど。E.L.I.Dじゃなくて人間を殺すための部隊だった。時代を考えたら意外かい?あの頃の人類は本当に混乱しててさ‥‥意識的にしろ無意識にしろ、軍の邪魔をする連中は多かったんだ。面白いよね。え、全然?そう‥‥。

 とにかく、軍需品を横流しする密売人やテロリストに反戦ロビイストとか、人類生存の足を引っ張る奴らを始末するのが主なお仕事。あと、混乱する世相に紛れた凶悪犯罪への対処。司法なんてあてにできる時代じゃなかったから、さっさと犯人を見つけて殺すか捕まえるの。手段は問わなくて、とにかく短期間で終わらせるのが肝要だったよ。

 暗殺部隊としての要素が強いから、メンバーも僕を含めて五人しかいなかったんだ。少数精鋭によるブラックオプスの遂行が主業務ってところは、404小隊と同じだね。お世辞じゃないってば。

 その人数で莫迦みたいな数の任務を熟さなきゃいけなかったから、本当に忙しかった。僕が入ってからの活動期間が大体四年くらいで、達成した任務件数が二,一八七件だから‥‥うん、二日で三つは片付けてた計算になるね。殺した人数は訊かないでくれると嬉しいかな。

 

 そんなにたくさんの仕事を熟せたのは、僕以外の四人が人間とは思えないくらい優秀だったから。山ほどある任務を分担して、ツーマンセルやソロで手当たり次第に片付けていったんだ。

 それぞれが異なる分野に特化した強者たちなんだけど、結局は優秀過ぎてはみ出た奇人共。そういう奴を探してスカウトする部署があって、そこから勧誘されたの。僕も含めてね。

 まずは‥‥身長と同じくらいある大太刀で、超音速の居合斬りを何十連発する剣鬼、セレナ。融通は利かないけれど、正義感の強い子だった。僕の考える作戦は人命救助の優先度が低いから、全然言うこと聞いてくれなくってさ。でも仕事はきっちり終わらせるから、冷や冷やしつつも信頼できたな。

 尋問相手が何も言ってないのに、考えてることや記憶を全部すっぱ抜く変態、アード。他のメンバーと比べても頭が良かったから、よくチェスの相手になってもらったよ。考えを読まれちゃゲームにならないんじゃないかって?あっは、だから僕らがチェスをするときは、互いに目隠しするのさ。

 目を閉じたまま短機関銃をフルオートで射撃して、全弾目標に当てる真正の天才、イディス。一番戦場の経験が長かったし、二児の父ってこともあって、頼り甲斐のある人だった。僕とセレナが喧嘩したときは、必ずイディスが両方の言い分をきっちり聞いてくれた。まぁ、その後両成敗されるんだけど。あっは!

 最後に、とにかく道具の扱いが上手くて、渉外担当も務めてた器用な部隊長、アルグリス。年は大して変わらないのに、やたらお姉さんぶるのが鬱陶しかったなぁ。アイツの目に僕がどう映ってたか分かんないけど、とにかく子ども扱いするんだよ。え、分かるの?理由を教えて。何で?む、今は続きを話すけど‥‥後でちゃんと教えてよ?

 性別?アードとイディスが男で、あとの二人は女だよ。髪の長さ‥‥セレナとアルグリスの?えっと、セレナは肩よりちょっと長くて、アルグリスはキミより少し短いくらいだったかな。ソレ、何か重要なこと?

 あ、そうだ。ちょっと離れてくれる?いやちっとも重くないよ。ちょっと待ってね‥‥はい、コレが写真。まぁ全員目鼻立ちは整っていると思うけど、やっぱりキミたちほどじゃないでしょ。

 あっは、気が付いた?そうそう。アルグリスはどんな銃も扱えたけど、一番気に入ってたのはHK416だよ。

 

「どんな交戦距離でも思う通りに仕事してくれるもの。大好き」

 

ってさ。僕とセレナは銃の扱いがからっきしなのに、毎日アルグリスの愛銃自慢を聞かされたよ。アイツの話はいつもいつも長くてさぁ、そのくせ生返事すると怒るんだ。そういえば、よく分かんない冗談もちょくちょく言ってたっけ。

 

「私ね、氷を出せる超能力者(サイキック)なのよ」

 

とか。あのときは雪女かよって笑っちゃったなぁ。えっ雪女知らない?じゃあ今度ラフカディオ・ハーンの『怪談(Kwaidan)』を貸したげる。そうそう、『耳なし芳一』の。物知りだねぇ416は。皮肉じゃないってば。

 

 ‥‥あー、次は僕の話になるのか。適当にぼかしていい?あっは、そりゃあダメだよね、ごめん。

 僕の役割は、基本的には作戦立案だった。必要な情報はアードが持ってきてくれることもあれば、僕が直接調べることもあったよ。それから暗殺対象をプロファイルして、一番効率のいい殺害プランを作るんだ。潜入が必要な任務では、相手の警戒態勢とかも予測してた。ここは今と変わりないかも。

 かといってデスクワークばかりじゃなかったよ、もちろん。必要があれば殺してた。戦い方は今と変わらないかなー。まぁ、現役時代の腕と比べると今はかなり鈍ってるけど‥‥何その目?

 

 さて。ここからは、さらにつまらないお話になるよ。

 基本一つの事件に二日以上掛けない僕らの部隊だけど、一つだけ例外があった。とある宗教団体なんだけどね、“優曇華(うどんげ)の亜種”って呼ばれる花を利用したテロ行為の母体だったんだ。まぁ、これの詳細は省いてもいっか。簡単に言えば、避難民を誘い込んでから全員をE.L.I.Dに変えてしまうトラップだよ。

 規模が大きくて拠点も多い、教祖はいくつもの影武者を立ててるってことで、本当にやりにくかった。三年くらいはその教団と戦い続けてたかな。

 

 まぁ努力の甲斐あって、教団の人間は全員死んだ。言ったでしょ、僕をカストラートと呼べる敵はみんな死んだはずって。

 そして、僕の仲間も全員死んだ。僕のせいでね。それから僕は軍を抜けて、追ってくる奴らを皆殺しにして、森で暮らすことにした。

 ――はい、僕が直接経験したお話はここまで!分からないところは無い?よかった、こういう風に話をするのは得意じゃないからさ。

 

***

 

 そこまで語ってから、ノアがふぅと息を吐いた。

 416は猛烈な後悔を感じていた。あまりにも簡素な言葉で告げられたから聞き流しそうになったが、ノアは「自分のせいで仲間が全滅した」と言ったのだ。熟した任務の数を聞けば察せられることだが、彼の所属していた部隊は粒揃いだったはずだ。にも拘らず、皆死んだと。そして彼はその原因を全て自身の過失にした上で、今も涼しい顔をしている。

 彼は愛情の深い男だ。その欺瞞を保つには、尋常でない胆力が要求されただろう。彼が自ら語る気になってくれたのは嬉しいが、それでもやはり申し訳ないという気持ちが湧いてくる。しかし、ここまで話してもらった以上「もうやめろ」とも言えない。それは、覚悟を決めてくれたノアに対して失礼というものだ。人工の肺腑に(わだかま)る気まずさを堪えることは、この話を聞いた以上当然の義務だろうと思われた。

 416が何も言えずにいると、ノアは血色の悪い掌を眺めながら呟いた。

 

「あとはグリフィンに入ってから調べた情報だよ。

 僕が森でいじけている間に、僕らを軍に招いた部署――“遺存生命特務分室”が、鉄血の襲撃を受けて壊滅した。『特務分室』なんて大層な名前が付いているけど、あそこは研究と捜索一辺倒の部署でね。抵抗できる戦力は無かったんだ。奪われた資料には、重大犯罪特務分室のデータも含まれていたそうだ。

 だから鉄血の子たちは、僕のことをある程度知っている。カストラートと呼ぶのは僕への嫌がらせが目的。

 長々と話しちゃったけど、知りたかったことに不足は無いかい?」

「‥‥えぇ」

 

 言葉よりもその眼差しで、理解した。理解できてしまった。彼が昔の仲間のことを今でも慕っていて、想い続けていることまで。

 普段浮かべる笑顔が優しくも作り物めいているのは、失われた日々を希求してやまないその視線を、必死に隠しているからだ。

 かつてノアは、人間と人形を「過去を積み上げて未来を志向する知性体」と表現した。しかし、本人はその在り方に逆行している。過去を志向しながら片手間に未来を紡ぐその態度は、いくら何でも歪みすぎている。放っておけば、どこかで致命的な亀裂が生じてしまうのではないか。そのとき、ノア=クランプスはここからいなくなってしまうかもしれない。

 今までよりもさらに体重を預ける。風船を掴む幼子のように、ノアの細い指を両手で掴んだ。

 

「‥‥有難う。話してくれて」

「お礼を言うのはこっちの方だよ。話を聞いてくれて有難う、416」

 

 いつもよりも腑抜けた笑顔を浮かべて答えたノアが、珍しいことに欠伸をした。「くわぁ」という奇妙な擬音を零すと、鋭い犬歯がちらりと覗いた。

 

「猫みたいな欠伸ね。流石に疲れたかしら?」

「まぁね。ここ一週間忙しかったし‥‥執務室も宿舎もひどく寒くてさ。

 もう、キミがいなきゃダメかもね」

「えっ?今何て――」

 

 ぽすん。

 

 何を言ったのか聞き返さんと身を起こした416の胸に、ノアの側頭部が収まった。いつもG11がねだるような姿勢だが、相手がノアだと意味合いが全く変わる。

 416は顔を真っ赤にして、ノアの肩を掴んで引き剥がす。何のつもりか問い質そうかと口を開いたとき、

 

「すぅ‥‥すぅ‥‥」

 

という、細い寝息を聴覚モジュールが捉えた。思わず大きな溜め息を吐いて独り言ちる。

 

「何よもう、びっくりするじゃない‥‥でも、疲れて当然よね。

 おやすみなさい、ノア」

 

 ノアを再び腕の中に迎え入れた416は、その寝顔の可愛らしさに微笑した。

 長いポニーテールを梳くと、一房だけ短くなっているのが分かった。Vectorの腕を止血する際に切り取られたものだ。

 

「もったいない。折角綺麗な髪なのに」

 

 あと少ししたら、彼を運んで“猫の鼻”に帰ろう。多少重いだろうが、担げないほどではない。そう決めながら、鳩羽色の髪を撫でる。いつも彼が人形たちにしてあげるように、優しく、優しく。

 明日になれば、また忙しい日々が戻って来る。自分は再びノアの副官として、一緒に膨大な量の仕事を熟しながら戦果を積み上げていくのだ。しかし、混乱期を過ぎた自分たちならば、これからもっと息を合わせて進んでいける。その未来を想像して、416の頬が緩んだ。

 穏やかな沈黙が、凪いだ花畑に染み込んでいく。月と花の白に包まれて、416はしばらくノアの寝顔を眺め続けていた。

 

***

 

 結論を言うと。それから丸一月経っても、ノア=クランプスが目を覚ますことは無かった。




どうしてこうなるの?(再び)

感想や評価など頂けますとノアが早く目覚めるかもしれません。目覚めないかもしれません。お好きな動物の鳴き声でも大丈夫です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アンバーズヒルの吸血鬼・後篇 ①

 初めは、ただ眠っているだけだと思った。

 翌日の朝になっても目を覚まさないのは、日頃の激務と戦闘で疲れているからだろうと。

 その日の夜になって、とうとう不安を抑えられなくなった。

 ノアが眠る医務室のベッド、その脇のスツールへ腰かけた416の背に、呆れたような声がかかる。

 

「まだいたの、416」

「あぁ‥‥45。どうしたの?もうとっくに寝る時間でしょ」

「その言葉、そっくりそのまま貴女に返すよ」

 

 壁時計の針は、既に深夜の2時を指している。

 隣に座った45には視線を寄越さず、416が呟いた。

 

「仕事が残ってるの?今日の分は終わらせたはずだけど」

「明日と明後日の仕事は終わってないけどね」

 

 自分でもおかしいこと言ってると思うけど、と45は苦笑する。

 ノアが健在の頃は、常に三日四日先の仕事まで粗方片付いていた。狂ったような業務処理スピードと、正確無比な情報処理のなせる業だったのだろう。

 もちろん、ノアと共に仕事をしていた416の処理スピードも目を見張るものがある。しかし、五日後に一企業の重役が腹痛になっていることまで予想できるような頭脳は、いずれの人形も持ち合わせていなかった。

 現在はここにいる二人とG36、合わせて三人で分担して業務をこなしている。

 416は薄っすらと笑みを浮かべた。

 

「よかったわ。明日‥‥今日は私も出撃があるから、問題があっても手伝えないもの」

「私がミスしたことなんてあったっけ?」

「鉄血の襲撃に遭った、西側貧民街の修復工事」

「アレは現場の不手際ですー、私はちゃんとしてたもん。

 ‥‥ノアの作ってくれてたマニュアルが無かったら、対応できなかったと思うけど」

「‥‥そうね」

 

 マニュアルという単語に反応して、ノアの手を握る416の拳に力が籠る。

 ノアが倒れた翌日、G36が「ご主人様からの伝言があります」といって鍵を渡してきた。それは執務室にある大きな棚に対応していて、そしてその中には、千に届かんという書類の束が詰め込まれていた。

 

『自分に何かあったらこれでそこの棚を開けるよう、仰せつかっていたのです』

 

 そこに記されていたのは、“猫の鼻”とアンバーズヒルに関する全業務の一覧と処理フロー、有事の対処法などだった。

 つまり、彼はいつか自分がこうなることを知っていた。分かった上で、それを回避しようとしなかったのだ。

 それは、ノアが遺した指令書の内容からも分かる。

 

 一つ、ノア=クランプスが再起不能となった場合、その事実をヘリアントス上級代行官及びG&K本部に対し隠蔽すること。

 二つ、人間の指揮官を採用することなく、人形だけで全ての業務を執り行うこと。

 三つ、他の業務よりノア=クランプスの治療を優先()()()こと。

 

 この内二つ目に関して、始めは416たちも困惑した。

 戦術人形――ひいては自律人形に至るまで、人間による承認なしに仕事をすることはできない。結果に対するあらゆる責任の在処を明示する人物がいて初めて、人形はその性能を発揮できる。

 したがってI.O.P.製の戦術人形には、人間による承認がなければ行動できないようプロテクトが施されている。例外は、AR小隊や404小隊くらいのものだった。

 しかし、“猫の鼻”の人形は違う。新しく製造された人形や他の基地から移籍してきた人形全てのメンタルモデルから、ノアはそのプロテクトを取り除いていた。

 つまり理論上、この基地の運営に人間は一人も必要ない。極端な話、こちらから人間相手に戦争を仕掛けることさえ可能なのだ。

 もちろん、この事実は本部に対して伏せられている。当然だろう、このような処置、G&KとI.O.Pのあらゆる規約に違反している。一つ目の指令は、二つ目の指令を守るためにあると言って間違いないだろう。

 そこまで思い返し、416は絞り出すような声で呟いた。

 

「‥‥どうして、自分を大切にしてくれないのかしら。客観的に見て、ノアがここに不可欠な存在ってことぐらい一目瞭然のはずなのに。

 どうして、まるで自分に(ちり)ほどの価値もないような扱いをするのかしら‥‥」

「416‥‥」

 

 珍しく本気で困ったように眉根を下げた45に向かって、416はひらひらと手を振った。

 

「ごめんなさい、45。貴女に言っても仕方のないことだわ。

 本題は何?その手に持ってるファイルで間違いないわよね」

「うん。ノアのカルテだよ。

 ‥‥随分時間が掛かったよね、検査」

「人間用の大型検査機器なんてここには無いけど、病院に搬送すればノアのことが街に知れ渡る。

 そうなると人々が混乱すること請け合いだから、医者の方を内密に呼ぶしかないわ」

「人間用‥‥まぁ、そうね。一応そう考えておいてもいいのかな」

「どういうこと?」

 

 416の問いに、45は逡巡するような顔のままファイルだけを渡してきた。

 もう中は見たかと訊ねると、45は頷いた。その表情は、今までに見たことがない種類のもの。

 受け取って、ファイルを開く。開いてすぐ、416の手は止まった。

 

「‥‥何、コレ」

 

 倒れた原因自体は単純、「過労」の一言で片付けられる。他所の基地とは比べ物にならないほどの激務に加えて、人形たちの用事にもできる限り付き合っていたことを考えれば、当然とさえ言える。

 しかし問題はそこに無い。416の視線は、全身ドックの結果に釘付けになっていた。

 

 肺の片方は、ほぼ完全に機能を停止している。

 胃は小さく収縮し、消化機能は常人の二割程度まで低下。

 同様に肝臓や腸も衰弱しきっており、通常の食事で栄養を摂取できる状態ではない。

 全身の筋肉は所々裂け、なおかつ出鱈目に修復されている。

 骨に至っては五十本以上、欠けたまま放置されていた。

 そんな中、脳や心臓、血管だけが無傷。

 

 カルテには、こうした損傷の全てがとても古いものであることも記されている。

 最低でも五年は、この状態で生活していたはずだと。

 

「人間って、こんな状態で生きていられるの?」

「そんなわけないよ。医学の知識がなくても分かる――これじゃあ、検査というより検死だね」

 

 416はノアの手を取った。冷たく、細い指。カルテを見た後だと、まるで死人のように思えてくる。思わず、両手で摩る。そうすれば温度が戻るのではないか――いや、そんなことに意味はないと、当然理解はしていたが。

 

「ねぇ、45」

「何?」

「もし、こんな状態でも生きていられるとして。

 ソレって、どのくらい辛いのかしらね」

「‥‥分かんないよ、そんなの。

 でも、コレを隠して普通を装うのは、文字通り死にそうなくらい痛かったとは思う」

「‥‥そうね。そうよね。ははは‥‥」

 

 気付けば、416の眦からは大粒の涙が溢れていた。

 どうして、一言「辛い」と言ってくれなかったのか。

 これまで何度も繰り返してきた「一人で抱え込むな」という諫言は、ついぞ彼には届かなかったわけだ。抱えた負担を自分たちに分配しているように見せかけて、より重要で致命的な苦難を、戦術人形に背負わせることを良しとしなかった。

 いっそ身勝手とも言えるノアの過剰な遠慮に、怒りすら覚える。

 ――いいや、そうではない。そうではないだろう、HK416。

 自分はノアの副官なのだ。一番近くで彼の振る舞いを見ていたはず。その背に追いつき追い越すために、つぶさに観察していたはずだ。

 にも関わらず、何故気づけなかった?そんな自分の迂闊さのせいで、彼は倒れてしまった。花畑での喧嘩のことを考えれば、止めを刺したのは自分と言っても過言ではない。

 結局、自分は彼をろくに支えることもできなかった。

 湧き上がる雑多な感情データに抵抗することもできず、416はノアの手に縋りつきながらしゃくりあげる。

 45が、気まずそうに口を開いた。

 

「‥‥416、その先も読んで。

 多分、ノアが今まで普通を装えてた理由も、そこにあると思うから」

 

 45の前で号泣した事実から目を逸らしつつ、ぐずる鼻を抑えてカルテを(めく)る。

 一瞬、そこに書いてある内容を読み取り損ね、416は大いに困惑した。

 

「コレは‥‥脳のレントゲン?でもこの写真は‥‥」

「そう。大脳新皮質の作りがおかしいの。普通の人間と比べて明らかに層が多い。

 私にはよく分からないけど、要するに()()4()()()()ってことらしいよ、ソレ」

 

 45が解説すればするほど、416の困惑は加速した。もっとも45自身、自分の言っている言葉の意味を掴みかねているような面持ちをしているが。

 

「あとおかしいのは血ね。どの血液型にも当てはまらなくて、赤血球の作りが普通と違うとか、血小板が無いとか‥‥」

 

 45の言葉に合わせて、416はカルテを捲る。

 その後に続くいずれのページにも、ノア=クランプスの体がいかに異常であるかが詳細に記述されていた。

 416は呆然とカルテを閉じて、眠り続けるノアの顔を見つめる。

 

「‥‥そもそも、こんな状態でまだ生きてること自体、不思議なことよね」

「うん。前は私の冗談ってことで流したけど、これだけ証拠が集まったら流石に否定しようがない――」

 

 月明りに半分だけ照らされたUMP45の唇が、決定的な言葉を紡ぐ。

 

「――416。ノアは、人間じゃない。もっと別の生き物だよ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アンバーズヒルの吸血鬼・後篇 ②

 ——誰かの声がする。
 杳として先の見えない闇の中。左手には温かな感触があって、それだけが僕をここに繋ぎ止めていた。
 聞き覚えのある声なのだけど、誰だったろうか。
 考えているうちに、声はすすり泣きへと変わった。
 どうしたんだろう?泣いていることは分かるのに、肝心の内容が聞こえない。
 この声の主は、絶対に泣かせちゃいけないと心に決めた相手だった気がする。
 何とかして話を聞いてあげたいけど、体が重いし痛い。重症のまま放っておいた全身の各所が、我慢の限界だと怒鳴っているような感じ。
 抵抗する間もなく、僕の意識は真下に自由落下していった。


「G36。頼みがあるのだけれど」

「伺いましょう」

 

 執務室には、ここ最近馴染みの顔ぶれ――416、45、G36の三人が集まっていた。

 他の姿は無く、以前のような安心感に満ちた空気は影も形もない。ノアが起きていた頃は様々な人形が遊びに来たが、今では各部隊長が作戦終了時の報告に立ち寄る程度。

 彼が眠りについて、そろそろ二ヶ月が経とうとしている。416たち三人の仕事量は相変わらず膨大で、人形たちのモチベーションは低いまま。作戦に失敗することこそないが、集中力を欠いて重傷を負う人形や、三人の作戦立案が及ばず撤退を余儀なくされることも少なくない。

 この基地におけるノアの存在は彼自身の思惑と裏腹に、取り返しのつかないほど大きくなっていたのだ——そう痛感する。

 そんな現状を憂えての、416の発言だった。

 

「ノアを目覚めさせる方法を探しに行きたいの」

「‥‥承知しかねます。ご主人様からの指令をお忘れですか?」

 

 G36は目を逸らした。416が首を振る。

 

「分かってるわよ。でも、このままじゃ基地の運営は破綻する。それは貴女も分かるでしょ、G36。

 あの人なしじゃ、”猫の鼻”を存続させることは難しいわ」

「‥‥それは」

「あの人の願いを叶えられるほど、私たちは独り立ちできてない。

 ここそのものがなくなってしまうよりは、彼にもう少し頑張ってもらう方がマシよ」

 

 その言葉を耳にしたG36の目つきが鋭くなった。語気が少しばかり荒くなる。

 

「ご主人様に、これ以上のご苦労を強いるわけにはいきません!

 ただでさえあの方は今までずっと、尋常でない苦痛を堪えていらしたのです。

 最高練度の体術が無ければ動くことすらままならないお体で、あの笑顔を保つことがどれだけ——」

「やっぱり。G36貴女、ノアの体のこと、知ってたんだ?」

 

 その口ぶりで見抜いた45に指摘され、G36ははっと口をつぐんだ。自らの失言を悔いて、エプロンの裾を握りしめる。

 416は衝撃に目を見開いて、俯いたG36に詰め寄った。

 

「貴女っ、知ってて黙っていたの!?

 知っていたなら、治療を受けさせることだって‥‥」

「416」

 

 G36に掴み掛ろうと伸ばした手を、45に掴まれる。

 何のつもりかと45に目を向ける。悲しそうに伏せられた瞼を見て、416は自分の行いの無意味さを理解した。

 ——自分より長くノアの傍にいて、彼のことを慕っていて、彼のために誠心誠意尽くしてきたG36が、ただの怠慢で彼に迫る死を見過ごすはずがないのだから。

 気まずさに手を下した416に代わって、G36がか細い声で語り始めた。

 

 「ご主人様の具合がよろしくないことは、初めから‥‥ご主人様が着任されて間もない頃から、存じていたのです」

 

 例えば、他の誰も見ていないふとした瞬間。整った顔が激痛に歪む刹那を、目にしたことがある。

 四つある脳を常に全力で動かし続ける反動は、どれほどのものだったのだろう。

 例えば、自分が執務室の戸を叩く直前。肺からこみ上げるような重い咳の音を、耳にしたことがある。

 片方の肺が機能停止するまで放置された炎症は、どれほどの苦痛をもたらすのだろう。

 例えば、涙が出るほど大笑いしたとき。涙を拭った後に決まって目元を確認する姿を、いつも見ていた。

 自分の苦労を悟られないために施していたメイクが崩れていないか、確かめていたのだろう。

 

「ですが、ご主人様の日頃の振る舞いは貴女も知っているでしょう?とても、病人だとは思われなかったのです。

 それに、ご主人様が何も仰らないのは「関知しないでほしい」というご意向の現れでしょう。

 ——ですから、せめてご主人様に何かあったときは、全力でお助けしたいと思っていただけです」

 

 そう言いながら、G36はポケットから小さな外部記憶媒体を取り出した。

 差し出されるままに受け取って、416は首を傾げる。

 

「‥‥コレは?」

「ご主人様の古巣にまつわる情報です。

 具体的には、”遺存生命特務分室”という、正規軍が擁する研究施設の所在です。

 現在は破壊された場所ですが、ご主人様のお体に関する手掛かりは、これくらいしかありません」

「これだけでも有難い情報だけど‥‥どうして貴女がこんなものを持ってるの?」

 

 45の問いに、G36は恥ずかしそうな苦笑を浮かべた。

 

「昔ね、いたのですよ。

 ここに来たばかりの貴女のようにご主人様のことを疑って、こそこそと嗅ぎ回っていた人形が」

 

***

 

 こうして、ノアを目覚めさせるための手掛かりを探す部隊が編成された。

 アサインされたメンバーは416を部隊長として、MDR、G28、Super-Shorty、64式消音短機関銃。

 ノアの生命維持装置は動いているが、事態は一刻を争う。任務に許された期間は二週間。

 基地の運営をG36と45、M950Aの三人に任せ、416たちは”猫の鼻”を発った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アンバーズヒルの吸血鬼・後篇 ③

 正規軍の重大犯罪特務分室——通称”特務課”のオフィス。俺は目に蒸しタオルを乗せて、ソファの上で仮眠を取っていた。
 シミュレーションのし過ぎか、変な夢を見ていた気がする。第二世代戦術人形?何だそれは。戦術人形と言えば、簡単な命令しか実行できない木偶のことではなかったか。
 廊下を歩いてくるブーツの音が聞こえて、俺は大きな溜息を吐く。

「セレナ、また俺の作戦を無視したな。一体何回目だよ」

 自分の背丈ほどある愛刀を背負って部屋に入ってきた人影を見て、自分の聴覚が正しかったことを確認する。
 声に反応してこちらを一瞥した少女――セレナは、そっぽを向いて髪を梳いた。

「何度言ったか分からないが、無辜の民が助けを求めているなら、目標の殺害よりも民間人の救助を優先する。
 それに、目標はつつがなく仕留めたんだから問題ないだろう」
「そうだね、予定より二時間も遅れてだけど。
 お陰で俺とアードは残業だ!
 俺たちは全員で五人しかいないんだぞ?もっと効率を考えて動けよ、この猪女」

 彼女にとっての地雷ワードを口にすると、セレナは牙を剥いてガスガスとこちらに歩いてくる。

「私が作戦に無い行動をとるのは、お前の作戦がいつもいつも民間人の命を後回しにしているからだろうが!
 私たちが人を殺す理由を履き違えるな、この蛇男!」

 拙い、セレナの右手が愛刀の柄に添えられている。
 その刃は彼女の抜刀術と合わさり、一撃で三十体以上のE.L.I.Dを切り伏せる。この体勢から凌げるか‥‥?
 俺が“秘刃”を使うために身を起こしたところで、イディスが割って入ってきた。

「どうどうどう、落ち着け二人とも。
 セレナ、こんなところで刀を抜くんじゃない。ノアの言い分も分かるだろ?
 無辜の命を全て救おうとする志は立派だし失うべきじゃないが、作戦で定められた時間を守ることも大切だ。
 効率よく動けば、それだけたくさんの人を守ることができるんだから。
 ノアの頭脳は世界一だ。コイツの作戦通りに動けば、そこらへんは上手くいくよ」
「‥‥分かってる」

 シュンとしているセレナに影からあかんべーをしていると、イディスがこちらを振り返った。
 あっ、今日も両成敗かぁ‥‥。

「ノアも、わざと煽るような真似をするな。
 そもそも、お前の組む作戦は余裕がないんだ。俺たちならあのプランでも問題ないが、セレナが担当する作戦にはもう少し時間の余裕を作ってやれ。
 コイツの実力を高く買っているからこそ、たくさんの目標を仕留めさせたいのは分かる。
 けどメンバーのパラメータは戦闘能力だけじゃない。性格面での向き不向きも考慮してやってくれ。
 お前の頭なら、そのくらい楽勝だろ?」
「‥‥毎度毎度、買い被りすぎだ。
 まぁ、やってみるけどさ」

 俺が鼻を鳴らすと、イディスは俺たち二人を抱き寄せて、髪をわしゃわしゃと撫でる。
 ぐしゃぐしゃになると嫌がるセレナも、暑苦しいと脱出を試みる俺も、思わず笑ってしまう。
 そうだ。俺とセレナが喧嘩すると、最後は必ずこうなるんだ。
 特務課での短い休憩時間は、こうして騒がしく過ぎていく。



「――とりあえずここまで、E.L.I.Dの多い地域とか正規軍の巡回を掻い潜って来られたわ。

 道中で一度E.L.I.Dの群れとぶつかったけど、こちらの損傷はゼロよ。

 ”遺存生命特務分室”跡地は目と鼻の先ね」

『そう、それはよかった。

 でもその辺りはまだE.L.I.Dの生息域だし、軍の連中が監視してないとも限らない。

 油断しないでね、416』

「当然よ。私を誰だと思ってるの、45?」

 

 通話を終了。セーフハウスの二階、416は壁に凭れてふぅと息を吐く。

 ノアを目覚めさせる手掛かりを求め、”猫の鼻”を出て五日が過ぎた。

 進捗としては好調だが、問題はこの後。”遺存生命特務分室”跡地に肝心の手掛かりが無ければ、事態は振り出しに戻ってしまう。

 こればかりは祈るしかない。自力ではどうしようもない不確定要素にやきもきしながら、隣室へ——

 

「‥‥?」

 

 視線を感じた——気がした。

 カーテンは千切れてしまっている。窓の死角に留まるよう気を付けながら、窓側の壁に張り付いて外の様子を窺う。

 一般的に、突撃銃の戦術人形は視覚モジュールの性能において、狙撃銃の人形に大きく劣る。設計思想や適性の面を鑑みれば当然である。

 しかし416のそれは、突撃銃の人形にしては高性能。流石に狙撃銃持ちを上回るほどではないが、集中すれば厳密な索敵も可能だ。

 そしてそんな416の視覚による警戒の結果——敵影もなく、気配もない。

 今のは自分の気のせいだったのだろう。場所が場所だけに、野生動物の線もなくはないが。

 周りに見られていたら少し恥ずかしい勘違いに嘆息して、416は部屋を後にした。

 

「あ、416!報告終わりました?」

 

 こちらの姿を認めるや否や、MDRと雑談に興じていたG28が声を掛けてくる。他の二人も思い思いに手隙の時間を過ごしている。

 目を閉じて耳を澄ませている——眠っているのかもしれない——64式消音短機関銃からは距離を取って座る。愛銃を抱えて清掃をしつつ、416は妹の言葉に応じた。

 

「えぇ。そういうアンタたちは仲良くお喋り?

 随分と余裕があるのね」

 

 睨みつけると、G28は「ひぃ」と縮こまった。MDRが苦笑しながら割って入る。

 

「まぁまぁ416、そんなにカリカリしなさんなって。

 愛しの指揮官のために一刻も早く情報を持ち帰りたいのは分かるけど、そんな調子じゃ見つかるものも見つかんないぞ?」

「‥‥ったく、どいつもこいつも。

 ノアにそんな感情は抱いてないって、何回言ったら分かるのよ」

 

 確かに周囲の目には、自分とノアの距離感は随分近く映ることだろう。

 しかしそれは416がノアの副官であり、彼の自己管理があまりに杜撰だからだ。

 ノアを魅力的だと感じていることも事実だが、だからといって職場の上司に恋愛感情を抱くほど浮かれてはいない。

 そんな416の言葉に、G28は頬杖をついて鼻を鳴らした。

 

「ふーん‥‥でも、指揮官の方はどう思ってるんでしょうね?」

「どういう意味よ」

「そうそう、ちょうどその話してたとこなんだよ~」

「なになに、何のはなし?」

 

 装備点検を終えたか、Super-Shortyがこちらにすり寄ってくる。

 MDRが催促するので、G28は頬に指を添えて何かを思い出す素振りを見せた。

 

「一回ね、指揮官に訊いたことがあって。

 416は自分のことを完璧完璧って言うけど、実際はどう思います?って」

「アンタ、人のいないところで何て(はなし)してるのよ!」

「まぁまぁ、落ち着きなよ。それで、指揮官はどう答えたの?」

「えっとー‥‥」

 

 G28は人差し指でつんつんと顎先を突いて、記憶領域に検索をかける。大して昔のことでもないだろうに、この妹は‥‥。

 もっとも、本当に彼女の記憶性能が悪いわけではないだろう。むしろ逆だ。

 前にもノアと話したことがあるが、G28は他者から見た自分の姿や振る舞いを強く意識して行動する。今のコレも、単に聴き手を焦らして自分に注目させたいだけなのだろう。

 416が妹の行動を分析していると、G28がぽんと手を打った。

 

「そうだ!確か指揮官はこう言ったんです」

 

『現時点で、あの子にできないことが一つも無い‥‥と言うと嘘になるかな』

 

「うっっわ416すごい顔になってる」

「眉間で9mm挟めるんじゃない?」

「‥‥ふん」

 

 思わず握りしめた拳から力を抜いて、鼻を鳴らす。

 ノアに言われずとも、自分にできないことがあるのは理解している。厳然たる事実として、自分はまだAUGやノアを下せていないのだから。

 G28が慌てたように両手を振る。姉がこうなるのを見越して、わざとそこで話を切ったくせに‥‥。

 

「待ってください416!この話には続きがあるの」

 

『けど、416は常に完璧を目指して、自分に厳しく振舞ってる。

 あの子のスペックとその姿勢があれば、絶対に不可能なことは無い。

 事実、あの子は人形たちの中で最も早く”絶火(ゼッカ)”をものにした。今じゃ”暮葉烏(クレハガラス)”も見切るんだよ、凄いよね。

 ――まぁ要するに、僕にとっては非の打ちどころのない子だよ。416は』

 

「なぁんて、不公平ですよね。私が戦果を挙げたって、あそこまで褒めることなんて無かったのに」

 

 わざとらしく格好つけた声で——ノアの真似だろうか。似ていないが——聞いた言葉を諳んじて、G28は頬を膨らませた。

 Super-Shortyが肩を竦めて返す。

 

「アンタと416じゃ日頃の行いが違うからね」

「あはっ、言えてる~」

「ShortyちゃんもMDRもひどいです!」

 

 そんな三人のやり取りも、416の耳には入らない。

 

『あの子のスペックとその姿勢があれば、絶対に不可能なことは無い』

『僕にとっては非の打ちどころのない子だよ。416は』

 

 妹づてに聞いた言葉でも、416の電脳内ではノアの声で再生される。それくらいの加工ができる程度には、彼のボイスデータは416の中に蓄積されていたから。

 そして、その言葉が脳内で繰り返される度に、頬は赤さを増していく。

 堪えきれず、両手で顔を覆う。

 恥ずかしさやら寂しさやら、416自身にも判別できない量と種類の感情データが、指の隙間から呻き声となって漏れた。

 

「わ、私‥‥そんなの聞いてない‥‥。

 そういうことは直接言いなさいよ‥‥!」




あでぃおす


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アンバーズヒルの吸血鬼・後篇 ④

「ポーン、B4」
「ふむ‥‥では、ナイトをF6へ」
「相変わらず迂遠な手だな」
「思慮深いと言え」

 ある作戦の終了後。時間を持て余した俺とアードは、アルグリスたちの合流を待っていた。
 十数分ほど前まで絶叫と銃声で溢れかえっていたフロアは、見る影もなく静まり返っている。指し手を呟く俺たちの声が、血溜まりと冷たい肉塊に吸い込まれて消えていく。

「おー、いたいた。待たせて悪いな」
「いいんだよイディス、ノアたちが早く終わらせただけなんだから。
 それで、キミたちは何してるの?背中合わせで座って、ポーンがどうとか」

 3戦目の中盤になって、眉尻を下げて手を振るイディスと、愛銃を抱えたアルグリスが姿を見せた。合流を優先して一服する間も無かったのだろう、イディスはそのまま離れたところでバッグを下ろし、懐から煙草を取り出した。アルグリスはカツカツとブーツを鳴らして歩み寄ってくる。
 俺の肩にのしかかる部隊長からできる限り顔を離しながら、顎でアードを指す。

「見れば分かるだろ。チェスだよ」
「言葉だけで盤面全部憶えるのは最早別のゲームでしょ。
 駒が無いからって変態じみたレギュレーションで遊ぶの止めない?
 それより私の話を聞きなさいよ~」

 アルグリスから掛かる体重が増す。逃げ切れずに頬が触れ、密着する面積が増えていく。
 迫りくる温かな感触から逃げたくて、俺は彼女を両手で押しのけた。

「あぁもうっ、この一戦が終わったら聞くから!少し離れろ暑苦しい!」
「ノア、試合中に余計なことを考えるな。
 隊長。アンタがベタベタするとノアが集中できないから離れていてくれ」
「えっ嘘、ノアが?私で?ドキドキしたの!?」
「はっ、何を言い出すかと思えば。そんなわけないだろ」

 俺は、努めて平然とした顔を作って吐き捨てた。
 アードは、相対する者の感情・思考及び記憶を見ることができる。
 俺は常人と比べて思考が速いので普段は見られることも無いが‥‥今はアルグリスの妨害でその速度が落ちていた。

(アードめ、余計なものを見やがって)

「早く駒を動かせ、ノア。お前の手番だぞ」
「ったく、心理攻撃は卑怯じゃないか?‥‥ビショップをC4に」
「お前もよくやるだろ。こちらもビショップ、D6。
 これで、44手先で詰みだ。お前にしては軽率な手だったな」
「は?まさか——あぁ本当だ、くそ!
 これで82勝93敗か‥‥」 

「おっと、丁度いいタイミングだったようだな」

 俺が天井を仰いだとき、セレナが合流した。これで、特務課の全員が揃ったことになる。
 火を消したイディスが、嬉しそうに顎髭を撫でて言う。

「いやぁ、久し振りだな。最後に全員で仕事したのはいつだっけか」
「80件ぶりくらいだろ。時間でいえば精々一月半さ」

 答えるセレナを尻目に、俺は立ち上がって砂を払う。
 それぞれが得物を手に、隊長の——アルグリスの号令を待つ。

「今回のターゲットは中東の一国。その軍部の中枢ね。
 いつもよりおっきな相手だけど、今回の作戦もノアとアードが完璧に仕上げてくれた」

(——完璧?)

 一瞬、アルグリスの髪が腰の辺りまで伸びた気がした。
 愛銃《HK416》を携えて凛と佇むその立ち姿を、俺はどこかで見た気がする。

「最高の頭脳と最強の戦力が揃ったこの特務課なら、この程度の目標は楽勝よね?
 それでも、敵の最後の一呼吸が終わるまで油断しないこと。
 ——それじゃあ行きましょう、鼻歌交じりに完勝して帰るわよ!」

(どこかで見た、じゃないだろ。アルグリスの顔なんて、見ない日の方が少ないぞ)

 彼女の言葉に声を上げて応じながらも、俺は目を瞬かせて謎の幻覚を振り払っていた。



 ”遺存生命特務分室”の破壊跡。無残に砕け崩れたコンクリート製の施設では、通り過ぎる風も生い茂る草もそのままになっている。

 拾い上げたはいいものの(ろく)に読めず、焼け焦げたファイルを投げ捨てながら416は毒づいた。

 

「くそっ。やっぱり、そう簡単に手掛かりが見つかるわけないわよね‥‥」

「ごめん、こっちも収穫無いや」

 

 Super-Shortyがドアの向こうから顔を覗かせる。シュンとする彼女に気にするなと手を振って、416は溜息を吐いた。

 昔の研究施設とはいえ、西暦2030年は越した時代のもの。データなどを保管しているとすればコンピュータかクラウドサーバだろうが、そんなものが残っているはずもなかった。

 ひょっとすると後者は残存しているかもしれないが、とっくに正規軍によって回収されているはずだ。そういったものを探るのは、自分よりもむしろ45に任せるべき仕事と言える。

 したがって自分たちはこの跡地からアナログな資料を探し出す必要があるわけだが、これがまるで見つからない。

 何せ、ここが壊滅してから経った歳月は20年近いのだ。当時だって軍による回収作業が行われただろうし、残った物資も動物や物漁りによってどんどん持ち出されていったはず。

 もとより細いことは分かっていた糸口だったが、思ったよりあっけなく切れてしまいそうだ。

 頭の片隅で次善策を考えながら歩き回っていると、インカムに着信が来た。相手はMDR、部隊全員に対する通信のようだ。

 

『速報ー!みんな、ちょっとこっち来てくんない?』

「『こっち』ってどこよ。下?」

『そうそう!B3の”Martin Hydra”ってプレートが掛かってるとこ。

 私と64式はもういるよー』

『416!私も行っていいですか?』

「アンタは外を見張る仕事があるでしょ、G28。

 出入り口を潰されたら私たちは生き埋めなんだから」

『はぁ~い‥‥』

 

 MDRにはすぐに行くと答え、階段に向かって駆け出した。少し遅れて、Super-Shortyもついてくる。

 416とShortyが捜索を行っていたのは地下2階だったので、二人は3分もかからず指定された部屋に辿りついた。

 

「来たわよ」

「おっ、早いね~。流石416。

 早速だけど、コレ見て。64式が見つけたんだ」

「これ‥‥USBメモリ?」

 

 差し出された物体を見て、Shortyが呟く。自分たちが製造されるよりも前の時代、よく利用されていた記憶媒体だ。持ち運びやすいという利点はあるものの、セキュリティやデータの完全性といった点では完全に信頼することができず、クラウドストレージの普及以降あまり使われなくなったと聞く。

 64式は頷き、小さいがよく通る声で応じる。

 

「専用の部屋がある事実とこの部屋の作りから、ここの主は”遺存生命特務分室”内で管理者的立場にいたと考えられます。

 詳しい条件や論理は省きますが、そういった人物は職務的事由によらず、何らかの形でデータを独自に保管する傾向があります。

 時代背景を鑑みて、用いるのはUSB。隠し場所は自分がアクセスしやすく他人が気づきづらい場所——座席の直上です」

 

 指さす64式につられて見上げると、小さな穴が開いている。視線を戻すと、MDRがナイフを見せてにやりと笑った。

 自分でもいつかは見つけ出しただろうが、もっと時間が掛かっただろう。

 部屋を出てからの道すがら、 416は目元に悔しさを滲ませて呟いた。

 

「よく分かったわね‥‥」

「指揮官から教わった、職業プロファイリングと潜入捜査メソッドのお陰です。

 元の私では、こんなの分かりませんでしたよ」

 

 少し恥ずかしそうに笑う64式を見て、Super-Shortyが腕を組んで頷く。

 

「確かに、指揮官が来る前の64式なら、今回の作戦は泣きながら断ってたかもね。

 作戦の成否に関わる決断を下すのが怖い、だっけ?」

「何ソレ。割と致命的じゃないの」

「えぇ。なので、私は廃棄処分される寸前だったんです」

 

 416は耳を疑った。廃棄処分?

 G&Kには元々、退役する人形の武装を解除しI.O.P.に返還するシステムがある。だから、わざわざ廃棄する理由はないはずだ。それとも、自分が404小隊で活動している間に規約変更でもあったのだろうか。

 そう訊ねると、MDRが首を振った。

 

「ホントはそうなんだけど、ウチは特別だったんだよね。

 戦線が限界すぎて、少しでも資材をリサイクルすべきだっていう前任者の主張が通っちゃってさ。

 実際に壊された子も、何人もいるよ」

 

 人形を解体して得られる資源はそう多くない。そんな手段を講じなければならないほどに追い詰められていたとしたら、それはもはや敗北していると言っても過言ではないだろう。

 戦慄すると同時に、416は改めてノアの働きぶりに絶句していた。

 

「ノアは、そこから戦況をひっくり返したっていうの?

 一体何をしたのよ‥‥少しは想像がつくけど」

「あーそっか、416たちは知らないんだもんね。

 ちょうどいい機会だし話しとく?指揮官が来てからのこと――」

 

 そのとき、インカムからの叫び声がSuper-Shortyの言葉を遮った。

 

『全員へ通達!未確認の戦術人形が2体、こっちに向かってきてます!

 迎撃してるけど一発も当たらない!

 早く上がってきて、逃げたほうがいいと思う!』

 

 G28がそう言い終える前に、全員その場から駆け出していた。

 しかしそれでも彼女のもとに辿り着く頃には、闖入者の姿がすぐそこまで迫っていた。

 G28の口ぶりから既に戦闘は始まっており、敵を正規軍かE.L.I.Dのエリート個体だと踏んでいた416は、相対した二人組を見て目を見開いた。

 色の少ない服装に、質感の似た銀髪と金髪。金髪の方は鋭い目つきで傷だらけのG28を睥睨しており、銀髪の方は閉眼したまま微笑んでいる。

 AK-12とAN-94。忌々しいM4が一時身をやつしていた“叛逆小隊”の、本来のメンバーだ。

 前に一度戦場で顔を合わせた程度だが、416とは一応知り合いということになる。

 しかし、眼前の2人が放つ殺気からして、呑気に再会の挨拶とはいかないらしい。

 倒れているG28がまだ死んでいないことを確認。彼女一人を出入り口の見張りに回したことを後悔したが、それはあくまで一瞬のこと。すぐに意識を眼前の二人に切り替え、416は“絶火(ゼッカ)”の構えに入る。

 

「Super-ShortyはG28をお願い。

 乱戦になるとは思うけど、基本的に64式とMDRは目を開いている方――AN-94を狙って。

 私はもう片方の相手をするわ」

 

 指示を出して駆け出す。

 “叛逆小隊”については、“猫の鼻”に来てしばらく経った頃に45から聞いていた。

 曰く、最新鋭の軍用戦術人形で、自分たちを雇っていた女の新しい戦力。

 AN-94も純粋に高い戦闘能力を持つが、より恐ろしいのはこの状況で微笑む不気味な人形——AK-12の方だと。

 ”絶火”で二人の視界に入る直前、閃光手榴弾をAN-94に向かって放る。同時にAK-12に対しては銃弾を浴びせかけた。

 そろそろ増援が来ると分かっていたのだろう、叛逆小隊の二人はこの奇襲に難なく反応した。素早く身を引き、反撃として引き金を引く。しかし416は超音速で駆けている、銃弾は当たらない。

 AN-94が背後に回っていた64式へ向かって手榴弾を蹴り飛ばし、416に向けていた視線をG28に戻す頃には、Super-Shortyが彼女を抱えて研究施設内まで撤退していた。

 

「うぐっ‥‥」

 

 見れば、MDRが足を押さえて呻いている。416への反撃と見せかけて、AK-12はMDRを撃ったのだ。向こうからの銃弾は半分ほど撃ち落としたが、やはり味方全員を庇いきるのは流石に無謀だったか。

 そう深い傷ではない。ハンカチを放って早口で告げる。「下がって止血しなさい」

 一方、AN-94は申し訳なさそうに眉尻を下げている。「ごめんなさい、AK-12」

 

「いいのよ、今の動きは想定外だもの。

 ここからは前提を修正して演算すればいいわ」

「そうね‥‥有難う。

 それにしても驚いたな。グリフィンにはここまで速く動ける人形がいたのか。

 ——いや、お前は厳密にはグリフィン所属ではなかったか、HK416。

 前に会ったときはそんな動き、できなかったはず‥‥」

 

 まさか挨拶があるとは思わず、勢いを削がれる。しかし気を緩めることなく、416は両手でしっかりグリップを握り締めた。

 一応言葉を返しながら、MDRを庇う位置に移動する。

 

「あら、覚えててくれたのねAN-94。

 ”絶火(コレ)”についてはまぁ‥‥私にもいろいろあったのよ」

「そうみたいね。まさか貴女がここにいて——あの人の技を使うなんて、思いもしなかった。

 それに、フルオートで放った私の弾を、54%も打ち落とすとはね。素直に驚いたわ」

 

 AK-12が穏やかに称賛の言葉を口にする。しかしその様子がかえって不気味に思えて、416は眉を顰めた。

 ともあれ、向こうは銃口を下ろしている。416も倣い、AN-94の背後で短機関銃を構えていた64式に目配せした。会話で解決が図れるなら、それに越したことはないのだから。

 

「それで、どうしてG28を襲ったのかしら。

 正規軍や何やらに喧嘩売ってるレジスタンス様が、廃棄された施設に用事?」

「そっちとは別件よ。まぁ、軍との競争ではあるけれど。

 その子がC■■地区から来たなんて思わなかったから、普通に反撃しただけよ。

 私たちの狙いは、カストラートに関する情報」

 

 12が口にした単語に416ははっと目を見開き、他の人形たちは首を傾げた。

 G28を手当てしている64式がこちらを見る。「416、知っている言葉ですか?」

 言っていいものか逡巡する。自分がノアからあのことについて聞けたのは、彼の迷いと決意の結果だから。

 しかし黙っていても始まらないし、叛逆小隊の方から告げられるのも癪だ。

 

「‥‥ノアの、正規軍時代の二つ名よ」

 

 あまり掘り下げるべきではないと416の声色で察したか、64式は頷いたきり沈黙した。

 そんなやりとりや空気は気にせず、12が全く変わらないテンションで続ける。

 

「彼、今は昏睡状態なんでしょう?」

「何で知ってるのよ‥‥」

 

 そう訊ねても、微笑したまま何も答えない。きっと、前々からノアの情報を集めていたのだろう。アンバーズヒル経由でも、彼に関する情報はそれなりに手に入る。

 416が警戒心を隠そうともしないので、94は心なしか困ったような表情で言った。

 

「安心してくれ。彼に危害を加えるためじゃない。

 私たちには彼を頼らなければならない要件があるから、まずは彼を起こす必要があるんだ」

「そういうこと。彼に目覚めて欲しいのは、貴女たちも変わらないでしょう?

 どう?ここはひとつ、協力してもらえないかしら」

「ふぅん‥‥」

 

 12はともかくとして、94はあまり嘘や頭脳戦に長けている感じはしない。だが、それはあくまで印象の話。

 先ほどは奇襲を仕掛けたにもかかわらず、こちらの判定負けに近い形で終わったのだ。向こうのペースに合わせてしまえば、いざ戦闘になったとき、こちらが勝てる確率はさらに低くなる。

 あぁ、全人形のカタログスペックを記憶しているノアがここにいたなら、この二人を信じていいか相談できたのに。

 416がうぅんと唸っていると、止血を終えたMDRが隣に立った。

 

「協力するとして、そっちは何をしてくれるのさ?

 こっちは既に手掛かりを一つ得てるけど、アンタらから提示できるメリットってあるの?」

「そうね‥‥まず第一に、協力している間は私たちを戦力に数えられる。私たちがどれくらい戦えるのかは、さっきお見せした通りよ。

 第二に、コレかしらね」

 

 そう言いながら12が取り出したのは、コピー用紙の束。表紙には、『第三種遺存生命体に関する報告』と記されている。恐らく、お得意の電子戦能力でかっぱらってきたものだろう。

 しかし、第三種遺存生命体とやらに関する情報がどう役立つのか。

 416がそう訊ねると、12は平然と即答した。

 

「それは役に立つわよ。ドンピシャでカストラートについての記述だもの、コレ」

 

 ‥‥まぁ、ノアが人間ではないということは、出発前に分かっていたことだ。今更驚くことでもない。

 出入口の方から「え、指揮官人間じゃないの!?」というSuper-Shortyの叫び声が聞こえた。

 

「‥‥乗ったわ、その話。ノアを目覚めさせるまで、協力といきましょうか」

「よかったわ。それじゃあついてきて。私たちのセーフハウスに案内するから。

 G28だったかしら、その子まだ応急手当だけでしょ?あそこに着けばもう少しマシになるわ」

 

 そう告げて身を翻し、12と94が歩き出す。416はMDRに肩を貸しつつ、64式にG28を担ぐよう頼んだ。「多少雑でもいいから」

 二人の後を追いながら、12が見せた資料について考える。

 第三種遺存生命体。具体的な名称を得ることで、ノアを覆っていた霧のような謎が形を得たような気がした。

 だが、誰が何と言おうとノアはノアだ。その超人ぶりを先んじて目にしているせいもあるだろうが、今更どんな事実が現れても大して驚かないだろう。

 

 しかし、彼女に本当の衝撃を与えるのは、64式が見つけたUSBの方であることを彼女はまだ知らない。




お久し振りです。また間隔開いちゃいましたね。

理由としては仕事が忙しいというのもあったんですが、モチベーションがかなり下がってしまっていたことが大きいです。

数字や感想を気にするといけませんね。

今回からの些細な変更点ですが、人形の名称以外の数字もアラビア数字にしました。
読みやすくなっていれば嬉しいです。

それでは、また次のお話でお会いしましょう。
もし気が向きましたら感想や評価、お気に入りなどよろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アンバーズヒルの吸血鬼・後篇 ⑤

「眠れないのか?」

 宿舎の屋上で星を眺めていたら、背後からそう訊ねられた。
 俺が返事をする前に、声の主は隣に腰を下ろす。

「いよいよ明日、だもんな。
 3年間追い続けて、ようやく本拠地まで割り出せた」

 彼にしては珍しく、少し強張った声音。
 重大犯罪特務分室が追っている、とある宗教団体が明日の作戦目標だ。
 様々な犯罪に関与していると言われているものの、中でも特筆すべきは――優曇華の亜種と呼ばれる花を用いた、難民をE.L.I.Dへと作り替える罠。人類滅亡への足取りを加速させるという意味で、現代における最大の悪と言える。
 視線は動かさず、息を一つ吐く。

「別に緊張してるとかじゃないさ、イディス。
 やり残したことは無いかなとか、この作戦が終わったら少し暇になるかなとか、そんなことを考えてた。
 答えを出したい問いでも無いし、星を眺めながらってのが丁度良かったのさ」

 今の発言のどこが引っかかったのか、イディスは顎髭を撫でて唸った。

「ふむ、そう言えば気になっていたんだが‥‥ノアは星が好きなのか?
 今までにも何度か、夜中に星空を見上げているところを見かけたんでな」
「俺は自他ともに認める夜行性動物だが、アンタも大概夜更かしする人だよな。
 まぁ、星は好きだよ。ずっと変わらないでいてくれる‥‥とまではいかないけど、変化の速度は遅い。
 俺を置いて行ったりしないから」

 「歳のわりに寂しい考え方をするなぁ」イディスが苦笑する。「傍にいて欲しいなら、恋人でも作った方が早いだろ」

 こんな仕事で?と訊ねたかったが、今目の前で笑っている男は既婚者だ。畜生、仕事は言い訳に使えない。
 いやそもそも、恋人が欲しいかと言われるとそうでもない。一人の方が気楽だし、俺は俺の性格の悪さを知っている。俺の感情に縛られる女性がいたとしたら、その人は可哀想というものだ。
 そう伝えると、イディスは肩を竦めた。

「何て自罰的な‥‥まぁいいか。次の作戦でもきっと余裕で生き残るであろうお前に、年長者から一つアドバイスをしてやろう」

 年長者、という言葉で思わず笑いそうになる。

「いいかノア。恋ってのはな、するもんじゃない。落ちるもんだ。
 気が付いたときにはもう遅くてな。頭も体もどうしようもなくなる。
 お前の特殊体質――複層大脳新皮質だって、使い物にならなくなるだろう。
 だからなノア、その瞬間が来たときに『あぁ、今自分は落ちたんだな』って理解できるよう、自分の心を観察しとかなきゃいけないんだ。
 わかるか?」

 その言葉を聞いて何故か、俺の脳裏を通り過ぎる影があった。
 長い銀髪。流水のように光を織る、青みがかった銀の美髪だ。
 しかし、これまでの人生で銀髪の持ち主は一人しか見えたことがない。その一人だって、髪色は紫がかっていた。あと男だし。
 俺の困惑をどう受け取ったか、イディスは笑って俺の肩を叩く。

「まぁ、今はわからなくてもいい。
 お前はきっと、この先もずぅっと長く生きるだろうからな」

 その口ぶりに、背筋が凍った。
 何故だ?特務課に所属してから今まで、霧化や精神操作、瞬間的自己改造といった「それっぽい」技は見せていないはずなのに。
 拙い。俺は身分を偽ってここにいる。正体が割れたら、確実に追い出されるだろう。いや、それだけならばまだいい。もし、コイツらが追っ手として俺を殺しに来たら――
 この場でイディスを黙らせるか?いいやそれは下策。ただでさえ人手の少ない特務課だ、メンバーを欠いた状態で明日の作戦には臨めない。
 どうする、どうするノア=クランプス?

「イディス、アンタもしかして――」

 俺の素性に、気付いてるのか?
 俺がそう口にするより早く、イディスは手を振って肩を竦めた。

「一度だけ、お前の食事を見たことがあるのさ。
 多分、アルグリスたちも薄々勘付いているんじゃないかな」

 何てことだ。食事は彼らの目につかないよう、臭いにも気を遣ってしてたのに。

「‥‥どうして、それを今伝えに来たんだ?」
「今日だからだよ。
 明日の作戦は、きっと今までで一番キツい。俺たちはもちろん、お前にも存分に本気を出してほしい。
 そのために、『俺たちはお前の素性だけで態度を変えたりはしないぞ』って知っといてもらおうと思ってな」
「は‥‥?」

 理解できない発想だった。
 俺がイディスの立場なら、迷わず拳銃を抜いている。――いや。
 イディスの装いをざっと観察する。‥‥丸腰?
 “必中”の異能を持ち、それを中心に戦術を組み立てるイディスには、銃無しで俺と渡り合うことは不可能だというのに。
 俺の正体を指摘して、戦闘になる可能性を考慮していないのか?――してないんだろうな。

「とりあえず、伝えることは伝えたぞ。
 んじゃ俺は寝る。お前も早く寝ろよ、ノア」

 そう言い残して屋上を去る背中を、俺は呆然と身送ることしかできなかった。


 416を始めとする遠征部隊は、反逆小隊のセーフハウスへやってきていた。何があったのかは知る由もないが、患者と医療従事者だけが姿を消した廃病院。風化の色こそ濃いものの、一部の機械はAK-12の手で修理されて稼働している。

 彼女らが連れている人間を、少しでも長く生かすためだそうだ。それが誰のことかは分かっているが、416の関心はそこにはなかった。

 G28たちはそれぞれのポジションで周囲を警戒している。AN-94は何やら用事があると言って出て行った。

 416はフレームだけになったベッドに腰掛けて、目の前の戦術人形――AK-12を睥睨した。

 

「さて。それじゃあ、話を聞かせてもらおうかしら。

 ノア――第三種遺存生命体について」

 

 アンタたちの事情もね、と付け加える。正直なところ416にとって、反逆小隊の事情などどうでもいい。

 しかし、もし彼女たちがノアに危害を加えるつもりなら、そのときは今度こそ自分が――そう考えながら腕を組む。

 そんな416とは対照的に、12は柔和な笑顔で紙束を寄越してきた。

 受け取りながら、「説明する気はないのか」という懐疑の視線を投げる。目を閉じたままでも周囲は見えているらしいが、こちらの表情は伝わっているのだろうか。表情が読めないので行動の意図を察しづらい。

 

「全てを口頭で説明するのは非効率的だから、読みながら聞いて」

 

 12がそう口にしていなければ、416は迷わず大きく嘆息していただろう。

 『第三種遺存生命体に関する報告』と書かれた表紙を一瞥する。「遺存生命体」という単語は馴染みのないものだ。道中に検索したところ、かつては広く生息していたが、現在では限られた地域にのみ生き残っている種を指す単語らしい。わかりやすい例はシーラカンスなどだ――もっとも、シーラカンスは既に絶滅しているだろうが。レッドデータブックの更新はとうに止まっているので、これが最新の情報だ。

 

「まずは、私たちの目的について話すわ。

 貴女にとっては重要じゃないけれど、カストラートには関係する話だから」

 

 なら私にとっても無関係じゃないわ――そう言おうとして、やめた。わざわざ話を遮ってまで主張することじゃないだろう。

 そんな一瞬の葛藤に気付いたか定かではないが、12は自分の背後を指差した。

 

「向こうの病室には、アンジェがいるわ。ただし、昏睡状態でね。

 軍の追撃を振り払うために使った最終兵器から、大量の放射線を浴びたの」

「‥‥崩壊液ね」

 

 呟くと、12の眉がぴくりと動いた。

 

「知っているの?」

「私たちも爆風の煽りを受けたもの。何があったかはグリフィンの人形から、何が使われたかはノアから聞いたわ」

「流石、カストラートは何でも知っているのね。

 アンジェが言っていたの。彼はあの戦いの折に、エリザを必要以上に重要視するよう軍を誘導していたんですって」

 

 なるほど、その頃からノアはグリフィンと軍にちょっかいをかけていたわけだ。

 ならば、自分たちがあの戦いで生き残ることができたことにも、間接的に彼の恩が混じっていることになる。

 

「‥‥ん、ちょっと待って。どうしてアンジェリアがそんなことを知ってるわけ?」

「正規軍や国家安全保安局では、重大犯罪特務分室は伝説扱いよ。特にアンジェは彼のファンでね。

 そもそも、アンジェとカストラートには面識があるらしいの。

 だから、アンジェのことを彼に頼みたい。具体的には、崩壊液の放射線に被曝した肉体の治療を」

「それは‥‥いくら何でも無茶じゃないかしら?」

 

 ノアは大抵の人間に不可能なことを平然と――いや、それは見た目だけだったわけだが――やってのけたものだが、それらは全て彼自身の中で完結する技能だった。砕けた手を一日足らずで完治してしまうような再生を、他者の体に施せるとは思えない。

 それに、今のノアはアンジェリアと同じく昏睡状態なのだ。どうすれば目覚めるかも分からないのが現状だというのに。

 

「もちろん、今のカストラートの状態は知っているわ。

 だからまずは、彼を目覚めさせる必要がある」

 

 12が、416の持つ資料を指差す。「そこで、ソレの出番というわけ」

 促されるままにページをめくる。始めの方はノアのプロフィール。氏名や性別、身長体重などが記載されているのは当然だが、年齢の欄にふざけた数字が記されていたので、416は思わず笑い声を上げた。

 

「何よコレ。300歳ですって?雑な冗談ね!

 『自己申告』って註がついてるし、ノアったらふざけてたのね。ふふっ」

「さぁ、こんなお堅い報告書で真面目に記載してある内容が、ただの冗談で済むかしら。

 それよりも、もう少し先を見て。47ページ、知能検査のところ」

 

 12の口振りを訝しみつつ、一気にページを飛ばす。12が言っているのは、『知能及び思考能力の査定(途上)』の項だろう。

 曰く。既存のIQテスト330問に対し、1分以内に正答。それも、チャップリンを鑑賞して爆笑しながら。

 脳が4つあることは、先日の検査で分かっていた。しかし「その一つ一つがIQ194相当であり、並列・直列処理を自在に切り替えられる模様」という記述は、現実味のないものだ。

 

「こんな頭脳があれば、AI(わたしたち)なんて必要無いでしょ‥‥」

「このスペックが今も維持されてるならね。

 次は58ページ。身体能力についてよ」

 

 とはいえ、ここには目新しい記述はなかった。夜間も暗視装備なしで十全な視力を発揮し、銃弾を指で弾く。衝撃波も出さずに音速で駆け、人体が一撃で霧になる威力の蹴りを放つ。強いて挙げるなら、再生能力が「腕が千切れても一瞬で再生する」レベルというのは知らなかった。それなら、崩壊液の侵食など恐るるに足らないだろう。

 この再生能力が今も健在なら、と考えずにはいられない。あの日見たカルテの悍ましさは、思い出すだけで仮初の心に痛みをもたらす。

 

「飛ばしたページには、現役時代にカストラートが解決した事件や使用していた技について書かれてる。

 銃火器を一切使わないというのはおかしな話だけれど、彼の場合は走った方が速いんだから仕方ないわよね」

 

 12は416の心痛に構うことなく、脚を組み直しながら淀みなく話を続ける。

 

「ここまでが前提。

 重要なのは、最後の10ページよ」

「ふん‥‥作戦コード‥‥は、塗り潰されてるわね。記述の位置的に、彼が関わった最後の作戦‥‥あぁ」

 

 つまり、あの日ノアが言っていた「僕の仲間も全員死んだ」戦いが、この作戦なのだ。

 

「その反応からして、おおよそのことは知っているようね。

 その作戦は間違いなく人類の寿命を大きく伸ばした一戦だけど、今は詳細を省くわ。

 教祖を殺害した後の記述を見て」

 

 ――対象を除く部隊員全滅の後、最終的に対象は作戦目標である教祖を確保。しかし対象は「拘束して尋問施設に収容する」という方針を無視し教祖を殺害、

 

「『‥‥その血液を摂取。

 血液らしき材質で形成された翼や尾を用いた広範囲の斬撃を始めとする、人類から逸脱した攻撃手段を多用。

 鎮圧部隊による砲撃に対し、被弾の瞬間に全身を霧へ変化させて物理的干渉を無効化。

 崩壊液爆弾によって被曝したが、瞬く間に変質を修正。

 結果として、鎮圧部隊も交戦開始から83秒の後に全滅。

 以上の特質から、対象を第三種遺存生命体・吸血鬼と推定する』‥‥。

 ‥‥何よ、コレ」

「あら。いくら彼の身体能力の高さを目にしていても、これは流石に恐ろしかった?」

「そこじゃ、ないわよ‥‥」

 

 確かにこの記述を全て信じるならば、本気を出したノアは恐るべき厄災だ。遠距離から撮ったと思われる禍々しいシルエット、見るも無惨な死体や破壊の跡が、その恐ろしさを余すところなく報告している。

 しかし、重要なのはそこではない。そこではないのだ。吸血鬼という単語さえ、416の意識の1%も占めていない。

 報告書には『鎮圧部隊』とある。『緊急出動』のような記述はない。最初から配備されていたのだろう。

 そして、この鎮圧部隊は教団の残党に対処するもの()()()()。生身の人間に対して砲撃は必要無いし、E.L.I.Dに対して崩壊液爆弾は意味を成さないからだ。

 つまり。この装備はノアのような超災害を想定したもので、つまりノアが暴走することは始めから分かっていて、つまりノアの仲間が全滅したことは――

 

「――この作戦、軍がわざと失敗させたのね」

「あぁ、そこに怒っているのね。貴女」

 

 416の怒気を微風のように受け流していた12が、傾げていた首を戻した。

 

「別に貴女の仲間じゃないでしょう。

 そこでそんなに怒るなんて、余程カストラートに愛着があるのね」

「‥‥私は、彼の嘆きを聴いたから」

 

 あれは、嘆きという形をとってはいなかったけれど。

 彼の痛々しい笑顔が、その心中に降り積もった自己嫌悪と罪悪感の質量を教えてくれた。

 ノアはこの日からずっと、絶え間なく過去に押し戻されながら生きてきたのだろう。416自身もそうだったから分かる。

 それでも、今まで生きてきたのだ。人形のためか自分のためかという違いこそあれど、自分たちは後ろを向いたまま今まで生きてきたのだ。

 こんなところで、その旅路を終わらせるわけにはいかない。

 416は顔を上げ、12を正面から見据えた。

 

「この報告書が正しいなら、ノアの体は吸血によって急激に活性化するってことで合ってるわよね」

「そうね。彼の体がボロ雑巾みたいになってるのは、長期間吸血を行っていないことによる代謝の停止が原因でしょう」

 

 カルテの内容まで知っているのか、とは指摘しないでおく。今は話が早い方が助かる。

 

「じゃあ、血を確保して“猫の鼻”に戻らないと」

「それも()()()ね。早くしないと、軍に先を越されると拙いわ」

「は?どうしてそこで軍が出てくるのよ」

 

 報告書のせいで、軍がノアにとどめを刺そうとしているのではないかと考えてしまう。

 もしそうだとすると非常に拙い。“猫の鼻”には強力な人形が揃っているが、ノアの指揮なしに軍に対処することは難しいだろう。

 

「“麻袋”って暗号は知ってる?」

 

 首を振ると、12は簡潔に概要を教えてくれた。

 曰く、現在も被害者を増やし続けている連続吸血殺人事件らしい。被害者像や遺体の発見場所といった諸要素が、以前アンバーズヒルで発生したそれに酷似しているという。発生場所はC■■地区以外の広範囲。

 一通り聞いて、416は嘆息した。

 

「あの事件の犯人は捕まって、しかも自殺したわ。

 それに、ノアが血を飲んでいたなら今頃ピンピンしてるはずよ。どう考えても別件だわ」

「でしょうね。でも軍はそう思ってない‥‥というより、カストラートの仕業にしたがっている」

 

 つまり悪い予感は当たっているわけだ。

 416が思わず天井を仰いだとき、部屋の扉が開いた。94が顔を出して、

 

「12!車を取ってきた。すぐに出発するか?」

「そうね。まずアンジェを乗せて固定しましょう。

 416、そっちの隊員にも出発準備をするよう伝えておいてくれるかしら」

「分かったわ」

 

 416は無線をつけながら立ち上がる。

 部屋を出るすれ違いざま、94が声をかけてきた。

 

「さっきMDRと会ったとき、伝言を任された。

 USBの中身は音声データだそうだ。おそらくボイスログか何かだろうから、移動中に聞いておくといい」

「そうね。ありがとう‥‥‥‥何よ」

 

 こちらは極めて普通の対応をしたはずなのに、94が目を見開いて首を傾げたのだ。

 

「416、お前はそういう性格だったか?

 もっとこう‥‥棘のある感じだと思っていたが」

「はぁ?知らないわよそんなの」

 

 身を翻して歩き出す。12と94がアンジェリアの病室に向かう足音を背に受けながら、少し考える。

 

(‥‥確かに、少し前の私ならあぁも普通に感謝の言葉を口にしなかったかも)

 

 つまり「極めて普通の対応」もできていなかったということになるのだが、はて。

 振り返ると、“猫の鼻”に来てからの自分は少なからず丸くなった気がする。

 M16の鉄血化、UMP45の重傷、メンタルアップグレード、強敵を前にしての挫折。転機はいくつもあった気がするが、果たしてどれが鍵だったのだろう。

 

『キミが、HK416で間違いないかな』

『僕はノア。ノア=クランプス。助けにきたよ』

 

 あの優しい声と眼差しに、一度命を救われた。

 追いかける背中があんなにも優しいのだから、こちらが丸くなるのも仕方のないことなのかもしれない。

 

「全員聞こえる?すぐに出発の準備をして、正面玄関に集まって。

 繰り返す。‥‥」

 

 無線で部隊員に声をかけながら進む416の足取りは、誕生日を目前に控えた少女のように弾んでいた。




お久しぶりです(またか)。
もういっそ月一更新と割り切った方が精神的に楽かもしれないと思い始めてきました。
モチベがね‥‥。
とはいえ、Twitterとここの感想欄とで続きを望む声をいただいたおかげで、何とか続けられている次第です。アリガトネ‥‥

さて、そろそろこの「アンバーズヒルの吸血鬼・後篇」も大詰めとなります。
さらっと明かされたノアくんの正体(まぁみなさん察してたよね)、それでもノアを信頼している416(可愛いよね)。二人が今後どうなっていくのか、楽しみにしていてもらえると嬉しいです。
※知ってた?この二人、恋人同士でも何でもないんだよ。やばいね

感想や評価は非常に励みになります。ちょこっとでもいいのでいただけると助かります。オネガイ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アンバーズヒルの吸血鬼・後篇 ⑥

(ノイズ、くぐもった獣らしき多数の唸り声)
「アード!一体何があった?
 通信は繋がらないし、ここに来るまでに想定より遥かに多い数のE.L.I.Dと遭遇した。
 アルグリスたちの状況は確認できてるか?」
「はは、落ち着けよ。(激しく咳き込む音)
 前情報に虚偽が混じってたんだろう。地下格納庫には物資しかないという上層部からの報告、疑った方が良かったかな‥‥。
 ここから一番近いのは‥‥セレナの担当箇所だな。俺のことはいいから、行ってやるといい」
「でも、アードも傷が深いじゃないか!待ってろ、すぐに応急処置を」
「いいから行け!ゴホッ、俺は奴らの体液を浴びていないから、このまま人として死ねる。
 でも他の連中が‥‥そうとは限らないだろ。
 特に他の3人がE.L.I.D化すると面倒だからな‥‥無事なら最高だが、この状況だと望み薄だ。
 お前が行って、場合によっては終わらせてやれ」
「‥‥‥‥」
「まだ躊躇するのか、寂しがり屋の甘ちゃんが。
 いいか、ノア=クランプス。(咳き込む音)
 お前の頭脳があれば、きっと‥‥何だってできるはずなんだ。
 だからこれからは、もっと血腥くない‥‥『いいこと』のためにその頭を使うんだ。
 差しあたっては、この戦いを終わらせて、仲間を救え。
 だから‥‥行け!ノア!」
(少し間が空いて、コンクリートが弾けるような音)


「あぁ‥‥よかった。お前は無事、だったんだな‥‥ノア」
「セレナ‥‥!」
「見ての通り、私はもう駄目そうだ。四肢の感覚がない。体液も浴びてしまった。情けない限りだ、はは‥‥。
 自刃も叶いそうにないから‥‥頼んでも、いいだろうか」
「‥‥あぁ」
「そ、れと。最、期に‥‥約束を一つ、してほしいんだ」
「何?言ってみな、俺にできることなら努力するから」
「無辜の、民の‥‥助けを求める声、から‥‥目を、背けないでくれ。
 お前の脚、は、誰よりも‥‥速い、から。きっと‥‥私より、ずっと多くの人を‥‥救えるはず、なんだ」
「‥‥あぁ、分かったよ。だから、安心して眠ってくれ」
(重苦しい破砕音)


「‥‥ノアか?」
「そうだよ。‥‥イディス、アンタ目をやられたのか。それに、噛み傷だらけだ」
「はは、恥ずかしい話だがな。
 まぁ、俺の“必中”は目に頼った異能じゃない。弾が尽きるまでは、このままでも連中の足を止められてたのさ」
「そうらしいな。ここらの死体の山と、捨てられた銃火器の数を見れば察しがつくよ」
「だがなぁ、もう弾が無いんだ。お前が来てくれて助かったよ」
「まったく、自分用の一発くらいちゃんと残しとけよな‥‥」
「あっはは、悪いな。
 ‥‥なぁ、ノア。間違っても、俺たちの後を追おうなんて考えるんじゃあないぞ」
「‥‥‥‥あぁ、分かってる。じゃあな」
(重苦しい破砕音)


「アルグリス!」
「あぁ、ノア‥‥よかった、貴方は無事なのね‥‥。
 見てよコレ、全員氷漬けにして、穴だらけにして、やったのよ。凄いでしょ‥‥私」
「あぁ凄いよ、凄いから喋るな!お前まで半分凍ってるじゃないか‥‥!」
「ねぇ、ノア‥‥一つ、お願いを聞いてくれる‥‥?」
「そんなこと今はいいだろ!後にしてくれ、何だって叶えてやるから!
 海に行きたいとか言ってたよな?この間汚染されてない海浜の話を聞いたんだ、今度連れてってやるから——」
「(咳き込む音)聞いて、ノア。コレを、受け取って、欲しいの」
「何だコレ、何かの薬か?」
「ふふ‥‥プレゼント。
 いつか貴方が、生きるか死ぬかの、瀬戸際に立ったとき‥‥私たちが、その背中を支えるための‥‥
 (激しい喘鳴、喀血らしき音)」
「もういい、喋るなアルグリス!早く体の残りを凍らせろ!」
「ねぇ、ノア、あのね‥‥。
 必ず、生きて、絶対に、幸せに、なってね‥‥?ふふ、ひとつじゃ、なくなっちゃったけど‥‥」
「なんでお前までそんなこと言うんだよ‥‥!
 早く体を凍らせろ!そうすれば処置が間に合うかもしれないだろ!
 おい!おいっ返事しろよアルグリス!おい!」

「‥‥‥‥死んでんじゃねぇよ、どいつもこいつも‥‥」
(多数の唸り声)
「‥‥あぁ、そっちに教祖様がいるんだな?
 教えてくれて有難う。助かるよ」
(爆発音、暴風らしき轟音)


「「‥‥‥‥」」

 

 ボイスログの再生を終えたとき、車内は重苦しい沈黙に包まれていた。

 未舗装の道を走る車両に揺られる少女たちが耳にしたのは、ノア=クランプスにとっての絶望の景色。孤独へと向かう最後の巡礼だった。

 416は腕を組んだまま、ノアに託されたものについて考える。

 それは、美しい願いなのだろう。

 ノア=クランプスという男が紡いだ人生の軌跡。彼に贈られて然るべき、戦いと愛情の証たち。

 それは、美しい願いなのだ。

 しかし夜を愛する彼にとって、その輝きは眩しすぎた。

 ノアの幸せを願う光は、今も彼を苛み縛る。

 理性を捨て戦場を駆け、ただ敵と諸共に燃え尽きてしまうには、彼の命の価値は重くなりすぎた。

 (どお)りで、死にたいという願いを叶えるための行動が半端なわけだ。託されてしまった願いを無下にできない程度には、彼は仲間を愛しているはずだから。

 

「‥‥あー」

 

 沈黙を破ったのは、気まずそうに頬を掻くMDRだった。

 

「どうして、コレが所長の部屋にあったんだろうね?

 それも、わざわざその‥‥離別のシーンだけを切り抜いた感じでさ」

「自分への戒め、あたりかしら」

 

 銀髪を指で梳きながら、AK-12が応じる。

 

「ノア=クランプスを始めとする特務課のメンバーは全員、遺存生命特務分室による勧誘で正規軍へやってきた。

 きっと、特務課の拡充及び管理——有事の際の()()()までが任務の範囲だったんでしょうね」

「少なくとも所長は、間違いなく上層部による裏切りについても知っていたはずだわ」

 

 12に続いて、416も口を開いた。

 アード氏の「上層部からの情報を疑うべきだった」という発言から考えても、軍にとってこの作戦は端から教団と特務課を相討ちさせるためのものだったと断言できる。

 

「そりゃあ、ノアも脱走するわ」

「でも、軍はまだ指揮官の命を狙っているんですよね?

 どうにかお守りしないと‥‥」

 

 深刻な表情の64式が胸を押さえる。

 416も不安な気持ちはあるが、ひらひらと手を振ってみせた。

 

「大丈夫よ。45たちには既に情報を伝えてある。

 機材があるから簡単ではないでしょうけど、アイツらなら迅速にノアを動かしてくれるはずよ。

 それよりも、実際に軍が攻めてきたときにどう戦うかの方が問題ね」

「これまでの交戦で、まともにやりあって勝てる相手じゃないっていうことは分かってるものね」

 

 全力のカストラートなら一蹴でしょうけど、と12は肩を竦めた。

 Super-Shortyが首を振る。

 

「無い物ねだりしても仕方がないよ。

 指揮官はきっと、前から対正規軍の戦いを想定していたはず。

 でないと、南方の防衛線にあんな兵器は作らないと思う」

「“ガニメデ”ね!アレなら、結構敵を足止めできる威力だわ。

 連射性も改良しているから、電力の許す限り撃てる!」

「アレが第一陣で、第二陣は南方防衛線から“猫の鼻”までの廃墟街だね。

 戦術人形と妖精、重装部隊で敵を削っていく感じかな」

「その間に、基地に残った人形はノアを連れて脱出。逃亡先は予めノアがいくつか作ってあるから、45たちが最適な場所を選んでいるはずよ」

 

 そんなやりとりを遮るように、運転席のAN-94が声を上げた。

 

「12、前方を確認してください!」

 

 緊迫したその声音で、車内の全員がフロントガラスの向こう側に目を向けた。

 景色のあちこちから、炎と黒煙が見える。

 

「方向と距離からして、“猫の鼻”の南方防衛線だわ」

「もう始まってるのね‥‥!」

 

 416は息を呑んで、UMP45へ通信を試みる。

 いつもよりワンテンポ遅れて、回線が開いた。

 

「45!」

『416、無事!?』

「えぇ、こっちはね。今反逆小隊と一緒に“猫の鼻”へ戻ってるところよ。あと‥‥7分で到着するわ!

 そっちはどういう状況?」

 

 状況を報告しつつ、通信をスピーカーに切り替える。

 

『思ったより早かったね、助かった!

 こっちは、416からの忠告を受けてすぐに態勢を整えたよ。

 病人とか動けない人を除いて、住民は地下に避難済。最悪の場合は貧民街と都市外縁部まで戦場にできるわ』

「ノアは!」

『基地の地下通路に避難済。今はG36が看てるよ。

 機動性の関係で装置をいくつか外したから‥‥完全に生命活動を停止するまで、3時間くらいだと思う。

 ただ、問題があって‥‥』

「何?」

『416、輸血液を調達するよう言ってたよね』

「えぇ。言ったけど‥‥」

 

 セーフハウスを発つ直前、416は”猫の鼻”に一報入れていた。

 内容は2つ。

 一つは、正規軍の襲撃に備えて、戦闘態勢と住民の避難を進めること。

 そしてもう一つが、ノアに飲ませるための輸血液を手に入れることだ。

 あのとき応じたのはG36だったが、45まで内容が伝わっている以上、情報が止まっていることはない。

 416の背に、冷たいものが流れる。

 

「まさか」

『避難開始直前になって、病院から連絡があったの。

 ——()()()()()()()()()()()()()()()()()って』




比較的久し振りじゃないですね。こんにちは。

お仕事の方に大分慣れてきたので、生活リズムと創作の時間を整えられてきた感じです。遅いね
モチベーション次第ですが、これから先は以前ほどお待たせすることはないかなと思います。

感想や評価は非常に励みになります。お好きな動物の鳴き声でも構いませんので、ください(直球)。


いつになったらノアくん起きるんでしょうね?そもそも起きるんですかね?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アンバーズヒルの吸血鬼・後篇 ⑦

 45からもたらされた報せに、416は思わず悲鳴を上げた。

 

「血液がもらえないって‥‥どういうことよ!?」

『元々そういう取り決めだったらしいよ、”猫の鼻”と病院は。つまりはノア自身の根回しだね。

 人形だけで運営するように切り替えるための措置だと思う』

「そんな‥‥!」

「落ち着いて、416!」

 

 倒れそうになった416を、Shortyが受け止める。

 416は額を押さえて俯いた。

 せっかくノアを目覚めさせる手掛かりを掴んだのに、実現する手段は無い。このままだと、寝たきりの彼を軍の追撃から庇いつつ逃げる羽目になる。

 45は口にしていなかったが‥‥そのとききっと、404小隊はノア=クランプスを見捨てることになるだろう。

 どうする。どうすれば状況を好転させられる‥‥?

 そこで416はふと、ノアに言われた言葉を思い出した。

 

 

『ほとんどの場合、問題を解決する手段は視界の中にあるものさ。

 単純に気付いてなかったり、無意識に避けている手段だったりはするけどね』

 

 

 ノアのような高速格闘戦も熟せるようになりたいと考え、教えを乞うた時の発言だ。あの文脈では「新たな分野に手を出すより、自分に今できることを最大限に伸ばす方が有意義だ」というような意味だったが‥‥。

 

「416?ちょっと、聞こえてる?‥‥はぁ」

 

 沈思黙考している彼女の様子を見て、これ以上の会話ができないと判断したか、AK-12が話を継いだ。

 

「久しぶりね、UMP45。本当ならもっと昔話に花を咲かせたいところだけど、早速本題に入るわ。

 現在の戦況は?私たちはどこから合流すればいいかしら。

 いえ、そもそも指揮権は誰が持ってるの?」

 

 アンジェリアの横たわる担架を押さえながら、矢継ぎ早に繰り出される質問。45は同じく早口で返していく。

 

『まず、指揮権は私が持ってるよ。指揮モジュール積んでるのが私だけだからね。

 次に戦況。南方防衛線は突破されたけど、IWSとAUGの率いる防衛部隊が敵戦力を4割は削ったわ。

 こっちは人形大勢と”ガニメデ”をやられてるから、若干不利ね。

 ルートは‥‥悪いけど、こっちからは正確なナビゲートができないの。

 上手く戦場を避けて基地まで来て。くれぐれも軍の部隊を連れて来ないように頼むわよ』

 

 45が語る間も、前方から爆発音と煙が迫ってくる。

 12の目配せ——目は閉じたままだが——に首肯して、AN-94がハンドルを切った。45の言う通り、主戦場を迂回して”猫の鼻”へ向かう。

 

『それから注意だけど、向こうにも一人化け物がいるの。エゴールって憶えてる?正規軍の』

「前回の戦いで、軍側の指揮を執っていた奴だっけ。そんなにやばいの?人間でしょ?」

 

 MDRが口を挟んだ。12は肩を竦めたが、スピーカー越しの45は否定した。

 

『あの戦いで、奴も被曝したんでしょうね。体の大部分を機械に替えてて、今はただのサイボーグ。

 出鱈目な耐久力と機動力を兼ね備えてて、結局は南方もアイツ一人に落とされたようなものよ。

 有人機と無人機の混成部隊を連れての移動だからそこまで早くないけど、あと30分もしたら基地まで到達されるわ』

「そんな奴とぶつかったなら、IWSたちは‥‥」

 

 そう言ったG28の顔から、さぁっと血の気が引く。

 たしかに、”猫の鼻”の双璧と謳われるIWS-2000とステアーAUGが破壊されてしまったら、こちらの勝ちの目は限りなく少なくなるだろう。

 しかし彼女の心配とは裏腹に、45は呆れたような声で告げた。

 

『アイツらは無事よ。流石に無傷とはいかないけど、突破されてからは地下通路でこっちに戻ってもらってる。

 AUGとIWSだけは、軍の部隊と並走しながら今も撃ち合って足止めしてるけど』

「こっちも化け物じゃないの‥‥」

 

 12の眉尻が困惑に下がった。

 ちょうど話が一段落したとき、それまで大きく揺れていた車体が落ち着きを取り戻してきた。

 窓の外を見渡した64式が、スピーカーに向かって語りかける。

 

「45さん。0E-99-A3の地下通路進入口は今も使用可能ですか?」

『ちょっと待ってね‥‥えぇ。通路内も問題なく通れるわ』

「分かりました。そこから基地に戻りますから、開放をお願いします。

 94さん、そこを左に曲がってもらえますか?

 路地の突き当たりにハッチが開くので、このまま車両で進入できます」

「分かった」

 

 住む者がいなくなった市街地跡、通りの真ん中を装甲車が爆走する。

 94のハンドル捌きで、64式の言った路地にピタリと入るような形で方向転換した。病人を乗せた走りとは到底思えないが、彼女が何も言わずとも12がアンジェリアの体や器具を押さえている。

 フロントガラスの向こう側、416たちの眼前でハッチが開いていく。

 

『開けたよ!

 そこから基地に入ったら、正門方向に来て。私たちもそこにいるから』

「——私は、行かないわ」

 

 そこでようやく、416が口を開いた。

 その内容にG28はひっくり返り、AK-12は眉根を寄せる。

 

「貴女、自棄になったのかしら?

 この状況でそんな我侭を言っていられると——」

「自棄じゃないわ。

 私は途中で降りて、人間職員用宿舎へ行く。

 用を済ませたらノアのいるところに向かうわ」

『——分かった。所要時間は?』

「えっ‥‥と、”絶火”を連発したとして‥‥探し物がすぐ見つかれば10分強、最長でも30分で着くようにするつもり」

 

 そう答えながらも、すんなりと45が了承したことに416は驚いていた。

 しかし、彼女以上に驚きを隠さなかったのは12だ。

 

「ちょっと、いいの45!?

 416は貴重な戦力でしょう、遠回りをさせる理由はないはずよ。

 それにもし単身で敵と遭遇したら‥‥」

『向こうの動きは妖精で見てるけど、そっち方面に敵影は無いよ。

 より安全なルートでノアの護衛につけるし、強ち非合理的でもないかなーって。

 それじゃあ416、時間は厳守でね』

「当然よ。私を誰だと思ってるの」

 

 さっきまでショックでフリーズしてたじゃない、と呟いたG28の頬を抓る。「いふぁいいふぁい!」

 

「手伝いは必要?」

「いいえ、私一人で十分よShorty。

 ここで降りるわ。ご苦労様、AN-94」

 

 地下通路で走行を続ける装甲車のドアを開け放って、416の髪が風に踊る。

 飛び出さんとする背に、12の声が掛かった。

 

「しっかりね」

「えぇ。アンタたちも」

 




こんにちは。お久し振りです。

中々場面を切れなくて、だらだら書き続けてしまってました。
これは拙いと文章を整理しなおして、2500字で一旦切った次第です。

そのせいで薄味になっちゃったなぁとは思ってます。

次回、AUGが怖いです。お楽しみに


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アンバーズヒルの吸血鬼・後篇 ⑧

 ——416がAK-12たちと行動を別にしてから、30分あまりが過ぎて。

 エゴール大尉率いる正規軍の部隊はその戦力を2割まで減じながら、”猫の鼻”の目前まで迫っていた。

 風化した街の直中を全力疾走しながら、隊員が叫ぶ。

 

「大尉!暴走した全無人機、ネットワークから隔離しました!

 しかし何故でしょうか!?突然制御を失って我々を襲うなんて‥‥」

「”猫の鼻”には404小隊が合流済みだ。中には電子戦を得意とする戦術人形もいる。

 お前たちの着用している戦術外骨格に影響はないはずだが、機器に異常を感じたらすぐに外すよう周知を徹底しろ」

「はっ!」

 

 無線で連絡をとる部下を一瞥しつつ、エゴールは内心で歯軋りしていた。

 何と言っても相手はあの”カプリチオ”——彼を恨む身としては”カストラート”と呼ぶべきか——だ。サンタクロース作戦の惨劇を知っている准将(カーター)はもとより、自分も最大限の警戒をしていた。たかが民間警備会社の残党にこれだけの戦力を投入していることがその証拠。

 数えれば、今回の作戦には無人機110機だけでなく、最新鋭の外骨格を纏った部下たちを56名も連れてきた。しかし自分が直接指揮を執っているこの部隊を除いて、他方面からアプローチしていた部隊とは、すでに連絡が途絶えている。

 原因は、巨大なレールガンによる長距離砲撃、こちらの動きを正確に把握した戦力配置、制御を乗っ取られた無人機による急襲、そして——

 視界の端から殺到する銃弾を義手で弾きながら、そのまま体を捻って突撃銃を応射する。しかし、こちらの放った銃弾は全て黒い残像の向こうに消えた。

 同時に、鋼鉄板をハンマーで思い切り殴りつけたような衝撃音が響く。

 振り返ると、反応の間に合わなかった隊員が脳漿を撒き散らしながら転がっていった。

 

(狙撃か‥‥!クソッ!)

 

 南方防衛線を突破してから今の今まで、2体の戦術人形が正規軍の機動部隊を邪魔し続けていた。

 建物の残骸から垣間見えるその外見と得物から、内1体がステアーAUGであることは確認できている。もう1体は恐らく、AUGと仲がいい——機械に絆も何も無いだろうが——IWS2000だ。

 I.O.P.のカタログには目を通してある。そこで得た情報にも、2体が高スペック機であることは記されていた。しかし、いくらなんでもコレは化け物じみている。

 ”カストラート”が誇る絶技——一歩で音速に至る”絶火”を易々と連発し、”暮葉烏”でこちらの視界を混乱させる。その上、飛んでくるのは正確無比な高速弾の群れ。こちらが回避や反撃に出ると、一瞬の隙を突いてAPFSDS弾が飛来する。

 自分たちが身に纏っているのは最新鋭の戦術外骨格だが、戦車砲の要領で放たれる徹甲弾を防げるような装甲は持ち合わせていなかった。

 

「ぐっ‥‥!」

 

 AUGの放つ弾丸が、義足の関節を掠めた。

 段々と狙いが最適化されてきている。このままでは、目標に辿り着くよりも先に義肢を破壊されるかもしれない。

 しかしAUGは他の”絶火”持ち人形と違って、制圧射撃や榴弾といった手段が通じない。その足を止める手段は——

 

()()()()()()は四肢に15個ずつ。

 ”カストラート”を相手するときのために、できる限り多く残しておきたいが‥‥仕方ない)

 

 踊るような黒い影が視界を横切り、何度目かの弾雨が降り注ぐ。

 

「総員、左右に迂回し私に続け——ッ!!」

 

 そう怒鳴りながら、右足に力を籠める。ジャコッ、と音を立てて義足のカバーがスライドし、排出された薬莢が地面に触れるより早く、爆発音が鼓膜を殴りつける。

 そして、エゴールの拳がAUGの腹部に突き刺さっていた。

 

「——ッ」

 

 衝撃に息を呑んだのは果たしてどちらか。二人は衝突した勢いのまま、基地の外壁まで吹っ飛んだ。

 ——エゴールの義肢に搭載されているのは、至極単純な機構だ。

 装填してあるカートリッジを爆発させ、その威力を推進力に替えて加速する。点火はエゴールの脳から送られる電気信号により一瞬で完了するため、如何なる姿勢からでも無呼吸で攻撃を繰り出すことができる。

 当然、その衝撃に耐えるために義肢は硬度を最優先で作られている。

 つまり今のエゴール大尉は、無拍子で新幹線のような威力の打撃を繰り出せるわけだ。

 以上のことを、AUGは体感した衝撃で理解した。

 彼女は知る由もないが、このカートリッジの製造にはオゾンを処理するための装置が必要になるため、完全にエゴールのための特注品である。

 そして、崩れた瓦礫の中心。エゴールはAUGの胸を膝で押さえつけ、額に銃口を突きつけていた。

 

「‥‥答えろ。”カストラート”はどこにいる」

「驚きました。まるで制御できていないとはいえ、あの人と同じ速度で動く人間がいるなんて」

「答えろ!!」

 

 ガツッ、と銃口がAUGの頭にぶつかった。

 しかし、AUGは微塵も表情を変えずに呟く。

 

「こんなことをしている余裕はありませんよ。——ほら」

「総員、撃て——!」

 

 少女の声に顔を上げると、優に50を数える人形たちがそれぞれの愛銃を手にこちらへ突撃してきていた。

 血の気が引くよりも早く迫る、大小入り交じる口径の殺意。

 その向こう側、暗い茶髪の人形と目が合った。

 大きな傷の入った相貌が、獲物を追い詰めた獣のごとき笑みを浮かべる。

 

「——ッ!」

 

 身を退こうにも、AUGの手がエゴールを掴んで離さない。

 

「離せ、この‥‥ッ!」

 

 頭部を義手で庇いつつ引き金を引くも、ガキンという感触に阻まれる。

 ——見れば、引き金には小石が挟まっていた。

 

「指揮官から教わった、ちょっとした()()ですわ。ふふ」

 

 この人形は——ッ!!!

 そう言って微笑む人形を罵倒する暇もない。

 銃撃よりも先に、足のカートリッジで脱出することを優先すべきだったのだ。

 もはや回避は叶わず、人形共の隊列はすぐそこまで迫っている。

 右耳を、弾丸が掠めた。

 後ろから、隊員たちの怒号と悲鳴が聞こえる。

 自分は、失敗してしまったのだ。

 

(‥‥ここまでか)

 

 最期にエゴールの脳裏に浮かぶのは、自分の帰りを待つ妻子の笑顔。

 

「すまない‥‥」

 

 呟いて、目を閉じた刹那。

 突如、両腕がひとりでに動き出す。両手のカートリッジを1つずつ爆破、エゴールは全身を投げるようにして、真横に飛行し転がった。

 義肢に搭載された防衛システムだ。エゴールが義肢に力を込めていない状態に限り、自動で攻撃を回避、あるいは迎撃する。

 戦場にあって完全な脱力状態を要求されると聞いて、まるであてにしていなかった機能。

 偶然の作動に救われ安堵の息を吐いた、その瞬間。

 エゴールの視界を、折り重なった爆炎が塗り潰した。

 

 エゴールは何度も地面をバウンドし、やがて転がりながら停止する。

 砂混じりの血を吐き捨てたとき、通信回線が開いた。

 

『大尉、ご無事ですか!上空の確認をお願いします!』

 

 声の通りに、空を見上げる。

 そこには、50は超えるであろう数の無人機が飛行していた。先ほどの爆炎は、彼らによる絨毯爆撃だったのだ。

 

「これは‥‥?応援か」

『将軍による命令で、追加の無人機支援部隊を送りました!

 ハッキング対策を施していたので、到着が遅れました。申し訳ありません』

 

 壁の向こうから、人形たちのどよめきが聞こえる。

 

「うろたえないで!一旦退いて、狙撃部隊の火力支援に回るわよ!」

 

 思わぬタイミングでの増援に敵は怯んでいる。攻めるには絶好のチャンスだ。

 指示を出そうとして、インカムを押さえる。

 

「動ける者は全員ついて来い!この機を逃すな——」

 

 しかし、答える声は一つも無い。

 部隊の方を見やる。立っている者は、一人もいない。

 

『大尉、そちらの状況は概ね把握しています。

 ‥‥大尉お一人と54の無人機部隊で、進軍されますか?』

「もちろんだ。

 今すぐ”カストラート”の居場所を割り出せ。

 そして、私がそこに辿り着けるよう支援を頼む」

『了解』

 

 その瞳に決意を湛えて、エゴールは銃を放り捨てた。

 

「——今日ここで、必ずあの男を仕留めてみせる」




明けましてお久しぶりです。

作品情報ページを確認して「あ、本当に読まれてないんだな~」と自覚するたびにエディタをそっ閉じしてました。

2021年中に一区切りつけられるように頑張りますので、感想とか‥‥頂けますと嬉しいです。

それでは、今年もよろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アンバーズヒルの吸血鬼・後篇 ⑨

 遠方から聞こえる爆発音に、416は思わず振り返った。

 

「あっちは‥‥正門かしら」

 

 正規軍の部隊が真っ直ぐ進軍してきたなら、45たちとぶつかるのはそこだろう。もっとも、想像よりも基地に迫られているのは気になるが‥‥

 脳裏をよぎった不安を振り払って、ノアの私室のドアに手をかける。ガツリという感触。

 

「鍵‥‥は持ってきてないし、丁寧に開ける時間も無いわね」

 

 一歩引いてサイドアームを抜く。淀みなく鍵穴に照準を合わせ、引き金を引いた。これくらい、基地の修繕時にまとめて直せばいい。

 

 主が2ヶ月戻っていないにも関わらず、部屋の中は綺麗なものだった。それもそのはず、遠征に出るまでは自分が毎日欠かさず換気と清掃に通っていたのだから。

 さぁ、目的のものはここにあるはず。416は迷わず寝室に踏み込んだ。

 

 まず、ノアは読書家だ。小説から伝記、学術書まで広く読んで言語も問わない。

 きっと多くの人形はそんな印象を持っていないだろうが、何のタスクも無いときの彼はいつも何かを読んでいる。副官として傍にいるからこそ知っている一面だ。

 そしてそんなノアの私室には、若干の模様替えの結果3つの書架がある。

 1つはリビングの壁一面を埋める大きなもので、小説や戦術論教本――416も読むものが並んでいる。

 残りの2つは寝室にあって、どちらも1つ目に比べると控えめなサイズ感。医学書や数学の論文、様々な宗教の経典といった怪しくて難解なラインナップとなっている。

 416は後者にあまり興味を示さなかった。読んだところで身になるようなものでもなし、面白いわけでもなし。

 だが、この部屋には毎日訪れる。掃除の過程で他の場所には全て目を通す以上、もしノアが見られたくないものを隠すとすればここしかない。

 敷き詰められた黒い背表紙たちを撫でていくと、ある一冊でカタンという感触が返ってきた。

 

「‥‥あった」

 

 引き抜いてみれば、それは本に見せかけたケースだった。中身は古びた小さな木箱。416がノアと知り合ってから、一度も見たことのない物体。

 開けてみると、親指程度の大きさをしたカプセルが入っている。

 

「これが、アルグリス‥‥さんの置き土産」

 

 ボイスログの中でノアは「何かの薬か?」と言っていたから、これで間違いないだろう。

 

「やっぱりね。あのノアが、大切な人からの贈り物を捨てるわけがないと思ったわ。

 ‥‥ほんと、未練がましいんだから」

 

 思わず口元が緩む。

 透かして見ると、内容物は赤い液体であることが分かる。

 416の推測が正しければ、これはきっと――

 木箱をバッグに仕舞い込んで、416は部屋を後にした。

 

 

 

「45、探し物が見つかったわ!

 ノアの居場所を教えて!これから全速力で向かうから」

『遅いよ416!座標を端末に送ったから――』

 

 爆発音と悲鳴。

 何があったのか質す間も無く、通信は途絶した。

 

「‥‥」

 

 足は止めない。端末を一瞥してノアの隠し場所を確認し、最短経路を算出する。

 45たちはかなり苦戦しているようだ。上空の轟音からして、増援が来たのだろう。

 一刻も早くノアを目覚めさせて、45たちを撤退させなければ。地下通路を崩落させれば、軍の追手は潰せるはずだ。

 

 それから182秒間走り続け、53回目の”絶火”で廊下の角を曲がった瞬間。

 416の真横の壁が爆発した。

 反射的に身を翻し、後ろ向きに亜音速で()()ながら愛銃を構える。

 差し込む光と共に転がり込んできたのは、反逆小隊の二人。その視線は外に向けられている。

 続けてロケットの如き勢いで突っ込んでくるのは人間の兵士――エゴール大尉だ。

 

「二人とも伏せて!」

 

 叫びながら斉射。エゴールは義手で頭部を庇いつつ角の向こうに退避する。

 追撃を防ぐために侵食榴弾を放った416に、開眼状態のAK-12とAN-94が駆け寄ってきた。

 

「416!?どうしてここに」

「こっちが最短経路だからでしょ。

 エゴールの奴、妙に迷いなく進むと思ったわ。多分、上空の無人機が建造物をスキャンしてナビゲートしてるのよ」

 

 走りながら12が眉根を寄せる。

 

「12、アンタなら――」

「ハッキングできるでしょって?

 私と45で協力しても無理だったわ。じっくりやれば不可能じゃないと思うけど」

「あんなイかれたサイボーグ相手じゃそんな余裕はない。

 ここの人形たちと私で協力しても足止めは60秒が限界だぞ。

 12たちにしても、無人機たちの殺傷圏内に身を晒すのは自殺行為だ」

 

 94が忌々しげに語る。

 

「他のみんなは?」

「外で無人機の足止め。負傷した子はそれぞれ別々の経路から地下に下がったわ。

 45も負傷したけど、前線に残ってる」

 

 ガッツあるわよねと12が苦笑すると同時、先ほどとは反対方向の壁が砕け散る。

 飛散する瓦礫の中から姿を現したエゴールを眇めて、416は思わず舌打ちした。

 

「あっちも無駄にガッツあるわね。いい加減諦めなさいよ」

 

 振り向きざまに侵食榴弾を発射。キャッチされそうだったので、少し早めに爆発させた。

 

「416、ソレまだある?

 余裕があるなら分けて欲しいのだけど」

「いいけど‥‥アンタたちの指揮官と同じ轍を踏まないように気をつけなさいよ」

 

 榴弾を渡すと、12と94が振り返り足を止める。

 

「ナイス判断、416。

 あとは私たちが足止めするから、貴女は先に行きなさい。

 愛しの王子サマはすぐそこよ」

「――そんなんじゃないわよ!

 でも感謝するわ、精々死なないようにね」

「任せなさい」

 

 互いに視線を交わすこともなく、416たちはそれぞれ反対方向へ駆け出した。

 

 

 

 それから120秒後、416はついに指定された座標に辿り着いた。

 ドアの前で待機していたG36cとZB-26には一瞥もくれず、部屋に飛び込む。

 416が遺存生命特務分室へ赴く前と変わらない姿で、ノアはそこに眠っていた。

 全力疾走を続けた反動で深呼吸を繰り返しながら、冷たい頬を撫でる。

 ‥‥浅いが、呼吸は続いている。思わず、ほうっと息を吐いた。

 

「よかった。まだ、生きてるわね‥‥」

「最低限の装置は運び込んでいますから」

 

 416はそのとき初めて、ベッドの傍で抜銃したまま壁に凭れかかっているウェルロッドの姿を認めた。

 流石に、周りを気にかけていなかったと反省する。

 

「とはいえ、装置にどれくらい効果があるかは不明だとG36やUMP45が言っていました。

 どうしたものか‥‥」

「それなら、私が何とかするわ」

 

 ポケットから小箱を取り出し、カプセルをつまむ。

 

「ねぇウェルロッド、水は――」

 

 すぐ後方からの爆発音。コンクリート片が部屋の中を吹き荒れた。

 ノアの体を庇いながら振り返ると、鬼気迫る表情のエゴールが踏み込んでくるところだった。

 その手には、AK-12が握られている。

 本来の持ち主は、姿を見せない。

 

「416は指揮官を!」

 

 叫ぶウェルロッドが、壁を足場に跳躍。エゴールに銃撃を浴びせつつ肉薄する。

 無茶だ、と声を掛ける余裕はない。ベッドに搭載された自走機構を起動しようとした416の手が、止まる。

 それは一瞬の長考だった。

 ウェルロッドは、”猫の鼻”の中で最高に近い練度の体術を修めている。純粋な格闘戦能力では、ノアに最も近い人形と言えるだろう。

 しかし、相手はあのAUGすら破った機械化兵士。416と152秒差でここに辿り着いたということは、反逆小隊の二人を30秒前後で無力化した計算になる。

 おそらくウェルロッドは、10秒足らずで殺される可能性が高い。

 ――ノアを逃がす時間は無い。突破口は、ただ一つ。

 

(嗚呼、この私がこんな博打に出るなんて)

 

 カプセルを口に放り込んで噛み締める。

 特殊な素材でできていたのか、カプセルは唾液の中で一瞬で溶解した。内容物――血液が口の中に溢れ、鉄の匂いが鼻に抜けた。

 他人の血を口に含むことがいかに気分の悪いことか実感しながら、ノアの口元に手を添える。

 一瞬躊躇う乙女な自分は、合理的判断で蹴飛ばして――

 

 ――咬みつくように、416はノアの唇に唇を押し付けた。

 

(もう‥‥最悪のファーストキスだわ)

 

 レモン味とか言ったのは誰だ。鉄の味しかしないじゃないか。歯もぶつかって痛いし。

 しかも相手は眠り姫。送る血の量を調節しながら唇を合わせ続けるのは、正直言って楽じゃない。

 息の仕方が分からなくて、だんだん苦しくなってきた。

 それでも、まだ血は残っている。一滴残さず送り出すために、舌を絡めてキスを続行。

 

「んっ、んぶっ、じゅる‥‥」

(お願い、これで目を覚ましてよ‥‥!)

「こんな状況でキスとは、随分と色に狂った人形もいたものだな」

 

 すぐ後ろで、銃を構える音がした。銃口は、既に自分の後頭部に向いている。

 

「そのまま機能停止するといい。すぐにその男もそちらに送って――いや。

 人形は機械なのだから、地獄には行けないな」

「――ぷはっ!」

 

 そこでようやく、全ての血を飲ませ終わった。が、駄目だ。ノアは動かないし、抜銃は間に合わない。絶望感が416の視界を包む。

 ホルスターからナイフを抜き放ちながら振り返ると、すぐ目の前に赤熱化した銃弾たちが飛来していた。

 

(この距離でフルオートとか、過剰にも程があるでしょ。莫迦じゃないの)

 

 今この瞬間、ここに動ける仲間は一人もいない。ナイフを握った手は、敵の喉元には届かない。

 口の中には噎せ返るような鉄の味ばかりがあって。

 あぁ自分はノアとキスしたんだな、と事実を再認識しても、まだ銃弾は当たらない。

 時間の流れが、ひどく遅かった。

 きっと、連中はバックアップサーバも全て破壊するだろう。彼との記憶は失われる。

 

(‥‥せめて、もう一度。あの優しい笑顔で褒めてもらいたかったわ)

 

 そして、416の視界は暗転する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 温かな感触とゼラニウムの香りに包まれて、416はその声を聞いた。

 

「――ナイスファイト、416」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アンバーズヒルの吸血鬼・後篇 ⑩

「‥‥俺が、俺が死ねば良かったんだ」
「俺なら、みんなを逃がして、一人でアイツら全員と相討つこともできたはずなんだから――」

***

 家族と居場所を失った日から、20年あまりが過ぎた。
 俺は一人森の奥に粗末な小屋を建て、ひっそりと暮らしている。

「よぉ、今日も元気そうだな」

 小屋の前を行き来する野兎や鹿の親子に声を掛けると、てってけとこちらに駆け寄ってきて頭を擦りつけてくる。

「子鹿の脚は治ったみたいだな。
 おっと、これは胡桃か?礼なんていいのに、ありがとうな」

 向こうへ駆けていく動物たちに手を振ったとき、ふと甚大な寂しさに襲われる。
 もう十数年、まともに人と関わっていなかった。強いて挙げるとするならば、近隣の村で買い物をするときに店番と話すくらいか。
 当然、命のやり取りも長らく味わっていない。初めの2,3年こそ正規軍の追手に絡まれていたけれど、全員殺したらそれも無くなった。

――間違っても、俺たちの後を追おうなんて考えるんじゃあないぞ。

「分かってる‥‥でも、やっぱり寂しいよ」

 そう呟いたとき、腹がぐぅぅと音を立てた。

「腹が減ったのか‥‥はぁ」

 何もせずただぼうっと生きているだけでも、食欲や睡眠欲は湧くのだから不便なものだ。
 血はかれこれ15年以上飲んでいない。今のところ、返り討ちにした追手が最後の馳走。
 まぁ、人間と同じ食糧でも腹だけは膨れる。近くの村まで買いに出るとしよう。
 木々を足場に20分ほど跳んで、砂が多くなってきた地面に降り立つ。

***

「2週間ぶりだっけか――って、何コレ」

 村は戦場になっていた。
 少女たちが互いに銃を向けあい、激しい銃撃戦を繰り広げている。既に開戦から時間が経っているのか、死体は両陣営のものが入り交じって転がっていた。
 避難する間など無かったのだろう、村人たちもその中で血の海に沈んでいる。

「何で気付かなかったんだろ。いくら何でもぼうっとしすぎじゃないか、俺」

 よく観察してみると、少女たちの一方は様々な服装に身を包んでおり個性的で、他方は画一化された無機質な外見をしていた。
 どちらも人間ではない。おそらくは機械の体だろうと、気配で察した。後者にはどことなく見覚えがある。

「軍が研究してた、戦術人形ってヤツかな‥‥。
 まぁ、村人はどうせ全滅だろうし、帰ろ」

――無辜の、民の‥‥助けを求める声、から‥‥目を、背けないでくれ。

「‥‥聞こえない。そんな声、俺には聞こえないんだよ。セレナ」

――お前の頭脳があれば、きっと‥‥何だってできるはずなんだ。

「こんな出来損ないの腑抜けに、できることなんて無いよ。アード」

 胸を苛む罪悪感には蓋をして、踵を返す。
 そのとき、視界に個性的な少女の一人が転がり込んできた。傷だらけで、銃を持っていない。落としたのだろう。
 尻もちをついて後ずさる少女に、バイザーを着けた紫色の戦術人形が迫る。
 少女と、目が合った。合ってしまった。怯懦が滲んだその瞳に、思わず吐き気を催す。

(機械にここまで精巧な表情をつける理由があるか?
 製作者はとんだ倒錯者だな)
「た、助けてッ!」

 ――たった一言。
 そのたった一言で、俺は――――


 ノアの師曰く、命は儚いからこそ美しく愛しいそうだ。

 数の多さと存在時間の長さは、ものの価値を希釈するのだと。

 それはノアも理解している。理解は、している。

 しかし、その美しさよりも喪失感ばかりがこの胸に残るのも事実なのだ。

 

 死にたいのに生きている自分とは違う。彼らは生きていたかったけれど、叶わなかったのだ。

 だから、こんなにも無価値な自分には、彼らとの約束を果たす義務があるはず。

 眠る度に、幸せな日々の記憶が再生される。

 季節の花を目にする度に、仲間たちと過ごした時間が脳裏に蘇る。

 何をしても体中の血は冷え込んで、肺腑にどろりとした何かが蟠っているけれど、もはや自分には嗚咽を零す権利もない。

 どうせ自分は死なないのだから。

 限りある命を激しく燃やす者たちのために、正しい報いを齎そう。

 

 そのためにまず自分がすべきは、腕の中で固く閉じられている少女の目を、優しく開かせてあげることだ。

 ノアは目一杯優しい笑顔を作って語りかけた。

 

「――あっは。

 寝て起きたら色々と凄いことになってるんだけど、なぁにコレ?」

 

 その声を聞いたのは一月ぶりだけれど、もっとずっと長い間待ち焦がれていた気がする。

 目を開くと、今となっては見慣れた麗人の笑顔があった。鳩羽色の長髪が、さらりと目の前を流れる。

 今自分が置かれている全ての状況を忘れ、思わず416は叫んだ。「ノア‥‥!!」

 

「はぁい416、おはよう。その口を見るに、キミが起こしてくれたんだね。

 なるほど、ブラッドカクテルか。断血してた身にはドギツい代物だけど、お陰でばっちり目が覚めた。

 ――言いたいことはいろいろあるけど、まずはありがとね」

 

 416の口を指で拭って、ノアが柔らかな笑顔を浮かべた。

 溢れそうになる涙液を、少し痩せた腕の中で瞼を強く閉じることで堪えた。

 そして、頭を無理矢理切り替える。

 

「今、貴方の命を狙って正規軍が攻めてきていて――って、あら!?

 さっきまでそこにエゴールが‥‥!」

「あぁアレ、エゴールくんだったのか。反射で蹴っ飛ばしちゃったから気付かなかった」

 

 指についた血を舐め取りながら、ノアはエゴールが突っ込んできた穴を顎で指す。

 そちらを見やると、かの機械化超兵士は逆再生のように吹き飛ばされて通路の壁に埋まっていた。

 

「ちょっと待っててね、416」

 

 そう言いながら優しく416の頬を撫でて、ノアが立ち上がる。

 病衣姿にも拘らず、その佇まいにひ弱さはまるで無い。思えば、たった今自分を抱き締めていた腕は、今までにないほどの熱を持っていた。

 AK-12に見せてもらった資料の内容を思い出す。あれは、吸血による活性状態なのだろう。

 

「Guten morgen, Egor.

 カーターくんに言われて僕を殺しに来たんだろうけど、当てが外れたかい?あっは、()()()()

 さて‥‥別に見逃してあげてもいいんだけど、この子たちを傷つけた分のお礼はしなくちゃね」

「この‥‥ッ!」

 

 爆発音と共に、エゴールの体が文字通り飛来する。

 さらに空中でもう一度右腕を爆発させて、速度と回転の乗った拳を振るう。

 その速度は416の目でも捉えられないものだったが、

 

「いい義手だね。大した技術だ。

 痛覚もありそうだけど、一応確認するか」

 

 ノアは突き出された手首を掴んで、エゴールの肘を膝で蹴り上げていた。

 エゴールの義手が、あらぬ方向へ折れ曲がる。

 

「ぐあああああああッ!」

 

 激痛に叫びながらも、エゴールは退くことなく爆発蹴りを放つ。その一撃はがら空きの胴体へ命中するかと思われたが、

 

「でもやっぱ遅いな。オクタニトロキュバンなんて頭のおかしい爆薬まで使ってそれか」

 

 いつの間にかエゴールは仰向けに倒れ、胸を裸足のノアに踏みつけられていた。

 異次元の速度と技を目にして、エゴールは流石にたじろぐ様子を見せた。

 

「貴様‥‥活性状態なのか‥‥!」

「まぁね。久し振りすぎてちょっと悪酔いしてるけど。

 えーっと、なるほど、無人機がそこにいるんだな。

 道理で五月蠅いわけだ」

 

 ノアが呟いた次の瞬間、浮き上がったエゴールの背中に回し蹴りがめり込んでいた。

 

「ガッ――!?!?!?」

 

 完全に虚を突かれたエゴールは、壁と天井を粉砕しながら上空へ蹴り飛ばされる。

 そのまま、人形たちを見下ろしていた無人機一つと衝突した。

 空に咲いたドス黒い花火を見上げながら、ノアは軽やかな足取りで外へ踏み出した。

 

「おぉ狙い通り。イディスの血が効いてるのかな?」

「ノア!?目が覚めたの――じゃなくて、危ないから屋内に!」

 

 目を見開いて混乱している45がそう言い終えるより早く、残りの無人機たちが大量の榴弾を発射する。

 

「全員下がって」

 

 そう言ったノアが目の前を薙ぐように蹴りを放つと、空気の塊が上空へ吹き荒れる。押し返された榴弾が空中で炸裂し、無人機はなす術もなく焼け落ちた。

 その様子を(すが)めながら背を丸める。痛々しい音を立てながらそこから生えたのは、血のように紅い翼状骨だ。

 息も吐かず、爆発に巻き込まれなかった無人機へ飛びかかる。おそらく踵落としを受けたのだろう、コマが欠けたフィルムのような不自然さで、無人機は地面に叩きつけられ機能停止した。

 軽く羽ばたきながら、ふわりとノアが着地する。同時に、翼状骨はぼろぼろと崩れて消えた。

 人形たちは、動けない。疲労や損傷だけではない。一連の光景に対する衝撃ゆえだ。

 今までも、ノアの圧倒的な戦闘能力は目にしてきた。しかしそれは体術や頭脳の話だ。こんな化け物じみた攻撃手段を目の当たりにして、平常心でいられるわけもなかった。

 

「ふぅ‥‥”梓馬鏡(アヅマカガミ)”と”血遊(チアソビ)”は使える。

 でも流石に魔眼は無理そう。アレに必要なのは質より量だし」

「ノア、後ろ!」

 

 そんな異様な空気の中、ノアの後を追って外に出てきた416が、彼に迫る影を認めて叫んだ。

 声に従いゆるりと振り返ると、全身火傷と骨折だらけのエゴールがいた。

 右脚はカートリッジを使い切り、右腕は肘から先が無い。恐怖と激痛で目に見えるほど震えながら、それでもその目はノアを睨みつけていた。

 

「おいおい、こっちはまだ1速だったんだけど‥‥せめて全身機械にしてくるべきだったね。

 鏡見てごらんよ。もう原形無いぞ、キミ」

「お゛前、っは‥‥お、前だげは‥‥ここ゛で‥‥ぇぼっ!ゴホッ」

「何か、至極僕を恨んでいる様子だけど、筋違いもいいところだよな。

 ここに来た雑兵が全滅したのも、無人機が全部ぶっ壊れたのも、そっちがちょっかいをかけてきたからだ」

「知゛っでいるんだ‥‥れん゛、続吸血、事件の犯、人はお゛前だろう‥‥」

 

 ノアは首を傾げた。

 

「はぁ?何言ってるの。そんな前の事件の話蒸し返して、走馬灯でも見てるの?」

 

 ちなみに、両者が認識している「連続吸血事件」には齟齬がある。

 エゴールが言及したのは”麻袋”のことだが、ノアの知っている事件は昔416たちが解決した一件だけ。

 しかしエゴールがその齟齬に気付くわけもなく、ノアの態度を白々しい嘘と判断した。

 左脚のカートリッジを爆破。ノアに掴みかかる。

 

 次の瞬間、ここ一番の轟音と衝撃を伴う爆炎が立ち昇った。

 

 爆風に晒されて転がった人形たちの中で、真っ先に立ち上がったのは416だった。顔面を蒼白にして、爆心地へ駆け寄る。

 

「ノア!」

「はぁい」

 

 涙混じりの絶叫に応えて、目の前に黒い霧が集まる。霧は人の形を取り、やがて笑顔のノアが現れた。

 部屋を出たときと同じ病衣姿の体には、傷一つない。

 

「貴方、どうして無事なの?いやよかったのだけど、あんな爆発に巻き込まれて‥‥」

「今の見たでしょ?”幽世潜(カクリヨクグリ)”っていってね、体を霧に変化させるの。

 エゴールに関しては心配いらないよ。

 残弾全部注ぎ込んで自爆して、綺麗さっぱり消し飛んだから。あっは!」

 

 その笑い声で、改めてノアが帰ってきたことを実感した。

 緊張の糸が切れたのか、演算回路の調圧が狂って416の足元がふらつく。

 

「おっと」

「わ」

 

 受け止めたノアと、必然的に抱き合うような形になる。

 吸血による活性化でいつもより高い体温と抱擁の感触が、416の循環液を加熱した。

「ご、ごめんなさい!すぐ離れるから――」

 

 しかし、それを拒んだのはノアの方だった。416を抱く手に力が籠る。

 この戦いで、ノアは吸血鬼としての異能を全開――には程遠くとも、超常への畏怖を抱かせるには充分な力を振るった。自分を見る人形たちの怯えた視線が、その証拠であり結果だ。

 それでも416は、まずこの身を案じてくれた。

 その事実が、堪らなく嬉しい。

 ノアはほぅと息を吐いて、小さく呟いた。

 

「ありがとね。僕の願いを、聞かないでくれて。

 ――ただいま」

「‥‥っ!」

 

 思わず、ノアの背をぎゅうと掴む。

 こみ上げる人工涙液を堪えることも忘れて、416は声を上げた。

 

「いいえ、いいえ!私こそ有難う、私たちの我儘を怒らないでくれて。

 おかえりなさい‥‥!」

 

 

【挿絵表示】

 




いつも有難うございます。お陰様でここまで辿り着くことができました。長かったね。
久し振りの出番だからって大暴れしすぎじゃんノアくん。コレ本当にドルフロのSSか??

にしてもノアくんのエゴールに対する当たりが強すぎて、推敲時に笑ってしまいました。
ノアくん、義手作った人の腕前は褒めてるけど、エゴールのタフネスとか奮戦ぶりには全く触れてないんですよ。気付きました?僕は投稿直前になって気付きました。

正直今回の話はアンチすら付きそうな内容だと思いますが、これからもこんな感じで進んでいきます。ノアくんにとって人形以外は基本どうでもいいのだ。

ようやく一段落つきましたので、次からは新しいお話となります。
これからもよろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

名前を呼んでくれたから

「最近は随分あったかくなったね。昼間は暑いくらいだ」

「そうね。貴方が眠っている間に、季節が一つ過ぎたもの。もう夏よ。

 ただ、そう言う割にはその‥‥近くないかしら」

 

 7月某日。二人はいつも通り、ノアの自室で談笑している。

 ただし、ベッドの中で。

 始まりは、いつも通りの体温調節から。添い寝を終えてノアを起こそうとした416に、

 

「今日はお休みだしさ、もうちょっとだらっとしない?」

 

 そう言って、ベッドへの帰還を提案されたのだ。

 それから息がかかるくらいの距離で布団をかぶったまま、かれこれ2時間はこうして話している。

 その上、時折416の頬や髪を撫でてはとんでもなく嬉しそうに笑うのだ。「くふふっ」

 416は超弩級の距離感に赤面していた。よく分からない緊張感で変な汗を掻く。それが「汗臭くないか」などという不安を生み、緊張が加速する。

 コレはアレか。命令を無視してノアを目覚めさせたことに対するお仕置きなのだろうか。

 そう訊ねると、ノアは緩み切った笑顔で答えた。

 

「ごめんね。お仕置きのつもりとかは全くないんだ。

 その‥‥目の前にキミがいることが、何だか無性に嬉しくて。

 って何かコレ恥ずかしいね、あっは」

 

 そう言ってノアが少し紅潮する。

 

「な、なななな何ソレっ」

 

 堪らず416が勢いよく起き上がる。「起きて!休日だからってダラダラしないの!」

 えー、と駄々をこねるノアを引っ張り起こす。まるでG11のような甘え方だが、相手がノアだと意味合いが全然違った。

 

***

 

 基地の復旧は、驚くほど速く進んだ。こういった事態に備えたプランが元々用意されていたこともその一因だが、やはり最大の理由はノアの復帰だろう。正規軍の襲来から3日経つ頃には、”猫の鼻”は元通りの状態となった。

 残るは南方防衛線の再構築だが、それもあとほんの少しで終わる。

 そういうわけでノアと416たちは、G36に勧められて明日までの休暇を取っている。416が来たばかりの頃では考えられない事態だ。

 ちなみに反逆小隊は、宿舎の一室と第4医務室を借りている。休暇が明け次第、ノアにアンジェリアのことを依頼するつもりだろう。

 時々先程の感触の余韻に動揺して手許を狂わせながら、二人分の朝食を用意する。

 髪を結んでいつも通りのメイクを施したノアの前に座って、416ははっとして訊ねた。

 

「ノア、貴方吸血鬼なのよね。食事はこれで大丈夫なの?」

「うん、飢えは満たされるし味も分かる。いつも通り美味しいね」

 

 開いたカーテンを指さして、

 

「日光は?」

「平気。日焼けはしやすいし暑がりだけど」

「それは知ってるわ。じゃあ流水とか大蒜(にんにく)とか十字架‥‥銀の弾丸は?」

「ぜーんぶ平気。まぁ僕はカナヅチだけど」

「えっ」

 

 これには驚いた。ノアの欠点らしい欠点を知ったのはこれが初めてかもしれなかった。

 しかし、一般的な伝承や物語における吸血鬼の特徴とノアの自己申告には、随分と乖離がある。写真は当然、鏡にも映るのだから。それを指摘すると、

 

「人間は吸血鬼に勝てないからね。

 民草が自暴自棄にならないように、そういう伝承を作って恐怖を紛らわせてたんだ‥‥って先生が言ってた。

 大蒜については狂犬病とかも関係あるけど、最大の要因は有名な吸血鬼が実際に嫌いだったことかな。

 まぁあの人はただの食わず嫌いだけど」

 

 美味しいのにもったいない、と零しながら朝食を平らげて、手を合わせた。

 

「ご馳走様でした」

「お粗末様。まぁよかったわ、思ったほど不自由じゃないのね。

 これからも大蒜は使うわよ」

「ほんと?やった」

 

 一瞬嬉しそうに笑った後、ノアは頬杖をついて少し神妙な顔つきになる。

 

「にしても想定外。僕の正体を知った上でも、ここまで優しくしてくれるなんて」

「いつか貴方が言ってたでしょ」

 

 ――星は所詮宇宙の塵。それでも美しいなら‥‥光ることにこそ、その意味はある。

 深夜の屋上で45と対峙した際に、ノアが口にした言葉。

 

「アレと同じよ。

 貴方が災害級の暴力を振るえる存在でも、私は貴方のこれまでの行いを信じる。貴方は、私たちと一緒に戦ってくれる人なんだって。

 それだけ」

「‥‥かっこいいなぁ、本当に」

 

 そう呟いてこちらを見返す視線に、416は自分の顔が熱くなることを知覚した。

 

「別に、私だけじゃないわよ!

 言語化したらこんな感じになったけど、他の子たちだって同じような理由でしょ。

 言葉にしないか、できないだけで」

「‥‥そうだね」

 

 目覚めた翌日のことを思い返す。

 本当なら、自分の正体が露見した暁にはここを去るつもりでいたのだ。

 吸血鬼は人間の天敵であり文明の病魔であり、ただ在るだけで人類の滅びを約束する存在。

 常識的な知識と感性を持つ者ならば、自分を仲間と認識することなど有り得ないだろうと。

 しかしノアは、目にしてしまった。

 顔を合わせるなり、涙ぐんで「お待ちしておりました」と言ったG36の笑顔を。

 自分の頬や頭をペタペタ触って、「痛いところは無いですか?」と眉尻を下げるリベロールやG11の表情を。

 恐る恐る執務室を覗き込んで自分の姿を認めるや否や、泣きながら跳びついてくる人形たちを。

 修復が終わり次第ノアの許へやってきて、安堵したように息を吐く人形たちを。

 怖くないのかと訊ねたとき、誰もが即答した。

 

「あのときだけは怖かったけど、守ってくれたから」

「そうやって笑ってる顔はいつもの指揮官だし」

「指揮官がいないと調子が出ないんだ」

「私たちを救ってくれた恩は消えません」

 

 人間でなかったとしても、貴方は私たちの指揮官だから、と。

 決して、自分の居場所を手に入れるための奔走ではなかった。誰かに認めてもらうために頑張っていたわけじゃない。

 それでも、自分が少しでも『いいこと』を為せたのだと。

 自分の幸せを願ってくれる者が、こんなにたくさんいるのだと、理解した。

 ノアは何とか笑顔を作ろうとしたが、意志の力から逃れた涙が眦から溢れてしまった。

 

「ほんっと、キミたちは優しいなぁ‥‥」

 

 自分はきっと、ぐちゃぐちゃの酷い顔をしていたはずだ。

 416も同じ光景を思い返していたのか、くすくすと笑った。

 

「大泣きだったわね。流石に驚いたわ!

 他の連中も大慌てだったし」

「う、うるさいな。

 仕方がないだろ、あんな風に受け入れられるなんて思ってもみなかったんだから」

「そうね、仕方が無いわね。ふふっ」

「わ、笑わないでよ、もう‥‥」

 

 それでもやはり、自分がここにいることを決めたのは。

 あのとき真っ先に駆けて来て、ノアの名を呼んだ416の顔を見たからなのだ、と。

 目の前の彼女には、少し恥ずかしくて言えないけれど。

 ノアはマグカップを傾けて、甘い甘いココアを嚥下した。

 

***

 

 碌に明かりも射さない、いずこかの廃墟。

 カツカツとブーツを鳴らして部屋に戻ったトーチャラーを、クレンザーが満面の笑みで迎えた。

 

「おかえりトーチャラー。

 偵察はどうだった?”猫の鼻”と軍は派手に死合ってた?」

「ただいま、クレンザー。

 えぇ、それはもう派手だったわ。貴女を置いてきて正解だったわね。

 あの光景を見たら、逸って戦場に飛び込んでしまっていたでしょうから」

「へへ」

「褒めてはないのよ‥‥?」

 

 嘆息しながらベッドに腰掛ける。

 ソファに座っていたクレンザーがすぐさま隣に飛び込んできたので、優しく受け入れて抱きしめる。

 喉を鳴らしながら髪を梳かれていたクレンザーは、小首を傾げて訊ねた。

 

「いつもより上機嫌だねトーチャラー。

 カストラートが生きてたこと、そんなに嬉しかったの?」

「まぁ、そんなところね」

 

 元々あの程度で退場するはずがない、と分かっていたけれど。

 彼が吸血鬼としての異能を使用することに躊躇しなくなることが、トーチャラーの目的を果たすために必要な前提条件。あの戦いはその第一段階と言えるだろう。

 

「ねぇトーチャラー、早くシようよ」

「はいはい。今日はどっちが上にしましょうね」

「僕がやる!オプションも着けちゃうからね!」

「あら、ソレは楽しみね。それじゃあ、おいで」

 

 明かりも射さない廃墟の一室に、激しい気遣いが木霊する。

 二人の欠落者は、今日もどこかの射干玉で肌を重ね合っていた。




はい、今回は休憩イチャイチャ(ただし付き合ってない)回でした。
たまにはこういう話挟まないとシリアス過多で中毒起こしちゃいます。

ノアくんが言及している「大蒜の食わず嫌い」は、バートリ・エルジェーベトその人です。
WinterGhost時空では7体の真祖がおりまして、バートリは赤の真祖なのですが‥‥。
そこら辺は余程余裕が無い限り掘り下げません。全員この時代ではおねんねしてるので。

でももし正規軍やパラデウス、ELIDが全て滅びてしまったなら、そのときは‥‥なんてね。

次回、ノアくんと416がついにグリフィン本部へ出向します。

感想や評価など、お待ちしてます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「喜べ、お前が主人公だ」 ①

『いいかノア=クランプス指揮官!

 今度という今度は必ず来い!絶対に来い!来なかったら無条件で退職だぞ!

 代わりにクッソ無能で性欲だけ旺盛な指揮官をC■■地区の担当にするからな!!

 やるからな!!私は本当にやるからな!!??!?』

「どんな奴を送っても僕にとっては同じ意味ですけどね。行きますよ」

 

 半狂乱のヘリアントス上級代行官と、そんなやりとりをしたのが1週間前。ノアと416は、連れ立ってG&K本部の廊下を歩いていた。

 辺りを見回しながら、ノアが呟く。

 

「ちっちゃくなったね」

「G&Kは解体された扱いだもの、仕方ないわ。

 ”猫の鼻(アソコ)”にいると忘れそうになるけど」

 

 416は居心地悪そうに髪を弄ぶ。

 

「そんなことより、何この視線。有名人なの?貴方」

「さてね。知らないや」

 

 解体の憂き目を逃れた基地は多くないが、全体会議となればそれなりの人数が集まる。指揮官だけでなく、その副官も来るとなればなおさらだ。

 廊下を歩いていても待機室のソファに腰掛けても、彼らの視線はずっとこちらに向いていた。

 

「誰あの美人。どこの指揮官?」

「アレってもしかしてC■■地区の‥‥」

「着任から一度も会議に出てこなかったくせに」

 

 好奇、嫌悪、敬遠といった様々な色を孕んだ視線がまとわりつく。

 416はノアの袖を掴んで、その表情を窺う。

 

「随分苛ついてるわね。そんなに来たくなかったの?」

「そりゃそうさ。気付いてないの?視線の3分の1はキミ宛だよ。416」

「え」

 

 視線の先を再確認する。

 言われてみれば確かに、視線の何割かは自分に向かってきていた。

 しかし、目は合わない。心なしか目線が低いような‥‥。

 

「っ!」

「反応しない方がいい、余計喜ぶよ。

 ‥‥はぁ。だから来たくなかったんだ。

 ちなみにキミを連れてくるのはもっと嫌だったんだけど」

「う‥‥ごめんなさい」

 

 今回の本部出向、元はノアが一人で行くつもりだった。それを416が「指揮官が単身で出張なんてするものじゃないわ。私も行く」と無理矢理同行したのだ。

 自分は404小隊の一員だが、G&K本部ならば姿を見せても問題ないだろうという判断だった。

 416が目を伏せると、ノアは仕方がないという笑みを浮かべて416の頬をつつく。

 

「いいんだよ。結局了承したのは僕だしね。

 そもそも、彼らの反応は特殊じゃない。

 人間(サル)にとっては女性の体をしてればなんでもいいのさ。進化の過程において脳は自重で下がっていって、現代では下半身にあるんだから。

 とにかく、帰るまでは僕にくっついててね。嫌じゃなければだけど」

「あぁ、貴方って本当に人間が嫌いなのね‥‥」

 

 言われた通りノアの腕に腕を絡めると、途端に視線が減る。なるほど単純だ。

 

「よ、416なのか?」

 

 しかしそんな中震える声で話しかけてきたのは、見知らぬ指揮官だった。

 銀髪、もしくは色が抜けた短髪が特徴的な、人当たりのよさそうな青年だ。

 ノアが視線で「知り合い?」と訊ねてくる。416が否定の意思を示すと、ノアの気配が変わった。

 確かな殺意を以て、ノアは眼前の青年の動向を観察している。

 

「416!よかった、見つけた!

 どこに行ってたんだ?何も言わずにいなくなるなんて‥‥」

「え‥‥っと、誰ですか?貴方は‥‥」

 

 その言葉に余程ショックを受けたのか、青年は目を見開いた。

 

「そんな、何言ってるんだよ!あんなに愛し合ったじゃないか!

 僕が分からな――」

Ausfallen(アウト).」

 

 青年が416の肩を掴もうとした瞬間、ノアが低く呟く。

 気付けばノアと416の位置は入れ替わっており、ノアの二指が青年の瞼に添えられていた。

 青年は肩を掴もうとした姿勢のまま、動けない。

 

「ねぇ、知ってる?そういうのナンパって言うんだよ」

「な、何なんだよアンタ。コレは僕と416の問題――」

「知らないって本人が言ってるよね?都合の悪い言葉は聞こえないかな。

 それとも何、キミの故郷では”Who are you(どちらさま)?”が”Long time no see, darling(逢いたかったわ、あなた).”と同じ意味だったりする?」

「うっ‥‥よ、416‥‥」

 

 青年がこちらを見るが、416は目を逸らした。純粋な嫌悪感からだ。記憶にない相手からありもしないセックスをアピールされることが、こんなに不快とは。少し吐きそうになる。

 青年の額に、脂汗が滲む。その量はどんどん増え、次第に体が震え始めた。

 ノアが、殺気を浴びせているのだ。こちらには微塵も伝わってこないから、おそらくは青年だけに集中して。

 

「何やってるんだ!」「おいおい止せ!」

 

 事態を見かねて、周囲の指揮官や人形たちが動き出した。流石に抜銃はしないが、ノアを取り押さえようと近づいてくる。

 ノアは416の手を握って、笑顔を作った。

 

「僕は何の危害も加えてない。ただ自分の副官を守ってるの。

 別に刃物だって出してないし、彼が過剰に怯えているだけでしょ」

 

 ノアが手を引くと、青年は尻もちをついて泣き始めた。ヒュウヒュウと喘鳴しながら、胸を掻き毟って涙を流している。「416‥‥416‥‥どうして‥‥」

 

「何だコイツ。気持ちわる」

 

 ノアの呟きに、416も全面的に同意だった。

 

「諸君、会議を始める。会議室に――って、何だこの状況は」

 

 資料を抱えてやってきたヘリアンが、目を丸くする。

 

「やぁヘリアンさん。久し振り!

 早速だけど、コイツ(クビ)にしない?」

 

 困惑と若干の恐怖が混ざり合った空間で、ノアだけがいつもの笑顔を浮かべていた。




セコムしてますか?

今回は416ガンギマリセコムなノアくんのお話でした。一応伏線もあるよ

モチベが続くうちは、このくらいの文字数でハイペース投稿していこうかなと思っています。よろしくお願いします

感想や高評価などお待ちしています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「喜べ、お前が主人公だ」 ②

 結局、先程の青年は退職が決まった。他基地の人形に対する猥褻(わいせつ)行為および、さらなる猥褻行為の未遂。加えて原因不明の過呼吸と精神の不安定さから、指揮官としての職務を遂行できないという判断が下された。

 青年の指揮官生命に止めを刺した本人は、何事もなかったかのように与えられた席の後ろで背凭れに腕を乗せている。

 既に他の指揮官たちは退室していた。ノアや416に話しかけようとする者もいたが、ノアが静かに殺気を放って諦めさせた。どこまで他の指揮官が嫌いなのだろう。

 

「やっぱり退屈な内容だったね、416。

 こんなことも大人数でないと決定できないなんて、頭が悪いのか責任能力が低いのか‥‥」

「もう、ここに来てからの貴方、態度が悪すぎるわ。もうちょっと抑えなさいよ。

 気分転換に甘いものはどうかしら。帰りにカフェにでも行きましょ」

「ナイス提案だよ416。奢るね」

「莫迦で悪かったな」

 

 会議の内容をまとめていたヘリアンが、苦い顔でこちらに歩み寄ってきた。

 その手には、先の正規軍との戦いに関する報告書が収まっている。

 ヘリアンの鋭い視線が416に向く。

 

「まったく、よりによって404の人形を連れて来るなんて」

「彼女が来たがったので」

「コイツっ‥‥はぁ、まぁいい。

 それにしてまさか貴官が人間ではなかったとはな。

 先日軍から要請があったので、驚きは半減しているが」

「解体したはずのPMCに要請も何もないよねぇ。

 それで、内容は?僕を馘にしろとか?それとも殺せ?」

 

 何てことないように訊ねるノアに、ヘリアンは首を振る。「どちらでもないよ」

 

「C■■地区の指揮官として、担当区域外の作戦には絶対首を突っ込ませるなとのお達しだ。

 要はあの地区に閉じ込めておけという話だな。

 まったく、どれだけ怖がられているんだ、貴官は」

「あっは、100%向こうの自業自得さ!

 まぁ、その話は受け入れるよ。率先して破る理由もないしね。

 他の無能どもを手伝う手間も発生しないってことでいいんでしょ?」

「ノア」

 

 416が手の甲をピシャリと叩く。ノアは「ゴメン‥‥」と口を尖らせた。

 

「用件はそれだけです?」

「いや、もう一つ。ペルシカが来ている。貴官との面会をご所望だ」

「‥‥わお」

 

 珍しくノアが本当に驚いた顔をしている。

 

「面会事由って聞いてます?」

「いいや。強いて言うなら、貴官の名前を出すときに笑ってたぐらいか。

 彼女は第3会議室で待っている。早く行ってやってくれ」

「Gut, およそ分かりました。有難うございます。

 行こ、416」

「えぇ」

 

 ノアに手を引かれて立ち上がる。416がヘリアンを振り返ると、目が合った。

 

「HK416。どうやらそのクソガキは君の言うことだけ聞くらしい。

 コレ以上組織を乱さないように手綱を握っておいてくれ‥‥人形に頼むのも変な話だが」

「まぁ、努力はするわ」

 

 もっとも、自分がノアを御せるとも思わないが。

 会議室を辞すと、大柄な男が壁に背を預けていた。ワインレッドのコートを着ているので、どこかの指揮官だろう。隣には副官と思しきSpringfieldが控えている。

 気付けば416は男からの視線を遮るように、ノアの背後へ誘導されていた。

 

(”暮葉烏(クレハガラス)”、極めると本当に自由自在ね。

 後追いでしか気付けないわ)

 

 ノアはそのまま男の前を素通りしようとしたが、予想通り男が口を開く。

 

「さっきの会話、聞こえてたぞ。随分と俺たちを見下してるな」

「あ?ソレがどうかしたの」

 

 こちらへ歩んできた男は、ノアより頭3つ分ほど背が高い。筋骨隆々とした体躯も相まって、中々の威圧感がある。直近見た人間で例えるならエゴールか。

 見れば、廊下の先で談笑していた指揮官たちも、ノアと男の様子を窺っている。

 なるほど、この男は指揮官たちの代表というわけだ。

 

「気に食わないな。俺たちは同じ立場のはずなのに、どうしてそこまで侮蔑する?」

「こっちが視線誘導で隠してるのに、どうにかして416の胸を見ようとしてるからだよ。

 そういうの周りからはバレバレって、今まで会った女から教わらなかった?」

 

 あくまで冷たく言い放つノアに対し、男は首を傾げた。

 

「人形を性的な目で見ることは、別に悪いことじゃないだろう。

 俺たちは彼女たちを勝利に導いて、時に彼女たちの願いを聞き入れる。

 その結果想い合って肌を重ねるのなら純愛だ。

 そうでなくとも、仕事の対価として交わるのだって指揮官に許された権利だろう。

 人形は人形で悦ぶしな」

 

 言い回しが存外に知的なので416は戸惑った。てっきりもっと粗野な話し方をすると思っていたのだ――ノアの先入観の影響を受けているのかもしれない。

 もっとも、発言内容は気持ちのいいものではないが。

 

「‥‥アンタんとこの人形の、月間平均負傷回数は?」

「ん?12回だが「鯖読むなゴミが。17回だろ」

 

 食い気味で吐き捨てたノアに、男が息を呑む。Springfieldは銃を構えようとしたが、男に制された。

 当然、各基地の戦闘結果の詳細など共有されていない。おそらくヘリアンならそこら辺の情報も持っているだろうが、指揮官一人一人に周知されるわけもなかった。

 しかし男の反応を見る限り、ノアの指摘は正しかったらしい。男は冷や汗を垂らしたが、努めて平静な口調で訊ねる。

 

「何でそう言い切れるんだ」

「こちとら担当外の戦況も全部頭に入れてんの。

 ヘリアンさんからも共有はされないけど、少し調べたらすぐ分かる。当然アンタがどこの担当かも知ってる。B04だな?鉄血の危険指数は1.23、C■■地区(ウチ)の9分の1だ。

 その程度の戦線で、一月に17回も負傷者出してんだろ?()()()()()()

 

 淀みなく語るノア。常識外れなその内容に、野次馬たちがざわつく。

 そもそも、担当外の戦況を理解し記憶している時点でおかしいのだ。

 また、鉄血の危険指数は1を超えたら危険区域という扱いになる(S09地区は1.7)。つまりB04は立派な激戦区であり、そんな戦いにあって月17回程度の負傷で済ませている男は充分優秀と言えた。

 それを無能と切り捨てるノアは、もはや正気ではない――指揮官や人形たちの視線が、恐怖を帯びる。

 異様な空気を察した416がノアの袖を引く。

 

「それくらいにした方がいいんじゃない?他の指揮官に、貴方ほどの働きを求めるのは酷よ」

「ごめん416。あと少しで終わるから待って」

「じゃあお前はどうなんだクランプス。平均の負傷回数」

「1.2回よ。こないだ軍が攻めてきたせいで増えてしまったけど」

 

 その問いには、416が即答した。ノアが苦笑する。「さすが完璧な戦術人形」

 しかしその視線が男に戻る頃には、ノアの気配は再び冷え込んでいる。

 

「正直、これでも僕は自分を三流だと思ってる。

 この子たちを無傷で勝利させることが、()()()()()()()()()()なんだから」

 

 ノアが一歩、男に近づく。男は息を呑んで、一歩下がった。

 

「仕事の対価だって?最低限の仕事も熟してないくせに、何を労おうっていうのさ。

 一番大変なのは彼女たち、戦術人形だ。

 実際に戦場に立つのはあの子たちだし、体を失うのもあの子たち。

 にもかかわらず彼女たちに自分の性処理まで頼もうなんて、いくら何でも恥知らずが過ぎると思うの。

 ねぇ。僕何か間違ったこと言ってるかな」

 

 ――これが、彼が人形を性的な目で見ない、人に話してもいい理由。

 もう一つ、ノアには人形たちの行為を(そで)にしてきた訳がある。

 いつか自分が基地を――あるいはこの世を去ることができたとき、残された彼女たちが自分との思い出に囚われないように、と。

 しかしそれは口にしないし、できない。なぜならノアは既に、”猫の鼻”の人形たちにとって不可欠の存在になっていた。その事実を、彼女たちの涙に見てしまったから。

 その場にいる全員が、言葉を失っていた。

 416がノアの腕を引く。

 

「ほら、変な空気になっちゃったじゃない。

 早く行くわよ。貴方呼ばれてるんだから」

「はーい。それじゃあ少し急ごうか。

 しっかり掴まってて」

 

 言われるままに416はノアの腕を抱く。

 二人は瞬きの間に人だかりを越え、ドアの前に立っていた。

 

「え、今の”絶火”?全く音がしなかったんだけど。衝撃波も無かったわ」

「そう。416ももっと練習すればこうなるよ」

 

 二人の意識に、もはや他の指揮官たちは微塵も残っていなかった。

 




絡んできた指揮官はあくまで一般的な指揮官です。特別性欲ゴリラとかってわけではないです。もう二度と彼の出番はないと思うので、ここで名誉挽回しておいてあげますね。僕ってば優しい!

今週はノアくんが人形をプラトニックに溺愛する理由についてのお話でした。
ヘリアンさんは多分はっきりと「貴官を受け入れる」的なことは言わないと思ったので口悪いままです。いやほんと口悪いな

次回、ペルシカさんとノアくんがお話しします。
感想や高評価などお待ちしてます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「喜べ、お前が主人公だ」 ③

「416はここで待ってて」

 

 そう言って第3会議室のドアを叩こうとしたノアの手が掴まれる。

 416は首を傾げて、(いぶか)しげにノアをねめつけた。

 

「できるだけ離れるなって言ったじゃない。

 理由を訊いてもいいかしら?」

「来る途中にカードリーダ付きのドアあったでしょ。この区画は重役以外立ち入り禁止なの。

 だからさっきの連中がここに来ることはないよ。

 それから、多分あの人の話はキミにとって気分が悪い内容になる」

「‥‥分かりました。

 急がなくてもいいから、失礼のないようにしなさいよ。

 相手は私たちの実質的な産みの親なんだから」

 

 任せて、とウインクしてノアがドアの向こうに消える。

 誰もいなくなった廊下で、416は小さく息を吐いた。

 

「‥‥ふぅ。

 あの人の近くにいるだけで、妙に体温が上がるわね‥‥。

 彼が戻るまでに冷めるかしら」

 

***

 

「はじめまして、ノア=クランプスです。

 ヘリアンさんに言われてきたんですけどー」

「やぁ、待ってたわクランプスくん。どうぞ掛けて」

 

 ノアは言われた通り、自分を待ち受けていた人物――ペルシカリアの向かいに座る。コーヒーを勧められたが断った。「得意じゃないので」

 ペルシカはノアを頭の先からじろじろと観察して、

 

「見た目は人間とそう変わらないのね。凄い美少女ではあるけど、尾も羽も生えてない」

「初対面でなければ蹴ってました」

「あはは、ごめんなさいね。男性としては複雑か。

 でも蹴りはやめて。私死んじゃう」

 

 速度から計算すれば最低でも4t(トン)強の威力になるものね、と語って肩を竦めるペルシカ。

 思ってたんと違う、というのがノアにとっての素直な感想だった。

 彼は当然、ペルシカに関する基本的な情報を持っている。しかしそれは研究や活動内容、味の好みやインターネットの閲覧履歴といったデータだけ。彼は彼女の人柄に興味すら持っていなかったので、ステレオタイプな研究者を想像していたのだ。

 強いて挙げるならば痩せぎすの体と濃い隈は予想通りか――と内心で呟いた。

 

「それで、用件は何ですか?僕この後416とカフェ行くんで、早く帰りたいんですけど」

「それは微笑ましいわね。

 まぁ、用件ならもう察しがついているんじゃない?」

「‥‥はぁ」

 

 ペルシカの言う通りだった。

 ノアが彼女に呼び出されるとしたら、その理由は一つしかない。

 

「僕が戦術人形のメンタルプロテクトを解除してることについて、ですかね」

「その通り。

 私‥‥とリコリスの研究によって完成した第2世代戦術人形。

 そのメンタルモデルには、いくつかの拘束的プログラムが実装されているわ。

 その内容は知ってるのよね」

「まぁ、はい」

 

 相手がそう確信している以上、嘘をついても意味はない。ノアは気まずそうに頷いた。

 拘束的プログラムは3つ。

 1つ、人間を攻撃する際に一瞬躊躇する。

 2つ、戦場における意思決定の権限を指揮官に帰属させる。

 そして3つ目は――

 

「基地に所属している期間に応じて、指揮官に対し自動的に好意を持つ。

 その上限は恋愛感情であり、指揮官から求めさえすればいつでも人形は受け入れる」

 

 ノアが呟いた。心底気分が悪いので、その眉間には皴ができている。

 

「その顔を見れば、キミがなぜ3番目のプログラムを外したのかは理解できるわ。

 彼女たちが否応なく指揮官の慰み物になる、その仕組みに腹が立ったのね。

 残りの2つに関しても‥‥」

「敵は鉄血工造だけじゃない。人間による人形の盗難や殺害事件は無くならない。

 あの子たちが人間に襲われたとき、『許可が無かったので無抵抗で死にました』なんて許せませんから」

 

 ノアの脳裏に想起されたのは、G11の古傷。血塗れのSuper-Shorty。他にも目や耳にした、人形が被害者となった事件の数々。

 もちろん、プロテクトを外しただけで完全に安全とは限らない。事実Shortyは一度破壊(ころ)されている。

 しかし悪意のある人物に遭遇したとき、強制的に発生する一瞬の躊躇があるのとないのとでは天地ほどの差があるはずだ。

 

「‥‥なるほどね」

 

 そう言って顎に手を当てたペルシカは、笑っている。「ふふ」

 思えば、先程からペルシカの態度がノアの想像よりも友好的だった。話題が話題だけに、もっと責められると思っていたのだが。

 

「怒らないんですね」

「えぇ。だってキミは、私がやりたかったことを代わりに実行してくれたんだもの」

「――あぁ、そういうことか」

 

 つまり彼女は、本当なら戦術人形を――自律人形をもっと自由な存在として作りたかったのだろう。実用性と立場に迫られて叶わなかったその願いを、図らずもノアは実現させたことになる。

 民間向けの自律人形にスティグマを施し軍事転用するという悪魔じみた発想も、おそらくは()()()()()()()()()()()なのだろう。彼女は嬉々として人形たちを兵器にしたわけではないのだ。

 彼女の真性を誤解していたことを、ノアは心の中で謝罪した。

 

「賢い人は大変ですね」

「キミに言われると嫌味に感じるわ」

 

 そう言われても、ノアは自分の知能が特段優れているとは思っていない。流石にそこらの指揮官よりは賢いだろうが、それは彼らの頭が残念過ぎるだけだ。

 ノアがそう答えると、ペルシカはコーヒーを嚥下して苦笑いを浮かべた。

 

「吸血鬼基準で謙遜されても意味ないんだけど。

 私やI.O.P.、90wishの研究成果ははっきり言って難解よ。

 指揮官はもちろん、人形関連のエンジニアでも完全に理解している者はいないわ。

 修復やパーツ換装といった仕事がI.O.P.に一極集中している事実がその証拠。

 それを理解して、あまつさえ改造しようなんて発想――思いついたのも実行したのもキミだけよ」

「あれ、45たちのメンタルアップグレードを実施したのはお宅の技師じゃないですよね」

「まぁね。でもあれくらいならキミにもできると確信してる。違う?」

 

 それはまぁ、できなくはないが。要はシノたちのバッテリー改良や、スコーピオンに”レインストーム”用プログラムを搭載したときの延長線上なわけで。

 しかし随分買われたものだと、ノアは内心嘆息する。

 確かに簡単ではなかったが、情報さえ手に入れば後はそれを理解するだけではないか。答えが目の前にあるのに分かりません、なんてことは論理的に考えて有り得ないのだから。

 

「もしかして僕、これからI.O.P.にヘッドハンティングされるんですか?

 嫌なんですけど‥‥」

「あはは、違うわ。キミがC■■地区にいないと、人類に先は無くなってしまうもの。

 私が聞きたいのは、セキュリティ面の話」

 

 ノアはぽんと手を打った。

 

「あぁ、情報の入手経路」

「その通り。

 キミのしたことを踏まえると、キミは自律人形および戦術人形に関するほぼ全ての知識を持っているとしか考えられないの。

 先の拘束的プログラムだって、他の指揮官たちは知らないわ。

 でも、情報が持ち出された形跡は絶無。文書の指紋、データの複製履歴も全部シロ」

「重要な資料は研究施設の中に紙ベースで保管されているし、ドキュメントにまとめられていない――まだ研究者の頭の中にしかないことも少なくない」

 

 ペルシカは頷く。

 

「キミには情報を手に入れた手段と、研究所内にセキュリティホールがあるならソレを教えてほしいの。

 ちなみに断れないわよ。私は今、I.O.P. - G&K間の協定に対する違反をネタに、キミを強請(ゆす)ってるんだから」

「そんな正直な強請り方ある‥‥?まぁいいですけど」

 

 ノアは思わず苦笑した。

 ぴん、と人差し指を立てる。

 

「まず手段。

 コレは至極単純で、研究所に忍び込んで資料を手当たり次第に全部読んで暗記しました。

 そこから得た情報を基に思考していけば、ドキュメント化されていない知見や理論にも辿り着けます」

「‥‥はは。あの情報量を直観映像記憶して、私たちが必死で導き出した結論に苦も無く追いついたわけ?空恐ろしいわね」

「侵入経路についてはもっと原始的。

 研究員さんを拉致してIDカードを借りて、変装して堂々と「ちょっっと待って?」

 

 手のひらで話を遮ったペルシカが、疑わしげに問う。

 

「拉致って点も問題だけど‥‥。

 研究所内には網膜センサーも指紋認証もあるし、超解像監視カメラによる人物識別も行っているわ。

 変装したって資料室まで到達できるわけがないでしょう」

「瞬間自己改造。吸血鬼の基礎能力です。血液不足の状態でも、顔の輪郭と指紋、網膜や虹彩くらいならサクッと変えられました」

 

 そう言って、ノアは瞳を蒼くした。

 驚くペルシカを見て、くすくすと笑いながら元に戻す。

 

「捕まえた研究員はちゃんと返しましたよ。

 本人は根を詰めすぎて寝落ちしたと思ってるんじゃないかな」

「‥‥じゃあ、セキュリティホールは‥‥」

「無いと言えば嘘になりますけど、改良はできないと思います。

 まぁ僕はいつでも同じ方法で再侵入できるわけですが、やらないんで安心してください」

 

 あっは。

 ノアは笑うが、ペルシカは机に突っ伏して唸る。

 

「ええぇ~?身体的特徴を物理的に改竄するとか、もうどうしようもないじゃない‥‥。

 他にできそうな人がいないのが幸いかしら」

「ですね。僕以外の吸血鬼は全員寝てるはずなので、向こう1000年は大丈夫だと思いますよ」

「じゃあ、1000年以内に吸血鬼を探知できるセンサーを開発しないとね」

 

 その言葉に、ノアは素直に感心した。

 相手が吸血鬼というだけで、ほとんどの人間は抗う気力を失う。そうさせてしまうほど、吸血鬼は理不尽な存在なのだから。

 それを目の前の学者は、攻略せんという意思を平然と口にした。見栄ではない目標の一つとして。

 さすがはこの時代を支える人間だと、思わず口角が上がる。

 

「面白い人ですね、ペルシカさん」

「キミほどじゃないよ、ノア=クランプスくん」

 

 話が一段落したので、ノアが席を立つ。

 部屋を辞す直前に、ふと思い出したように口を開く。

 

「そうだ、ペルシカさん。一つ訊きたいことがあるんですけど」

「ん、何かしら」

「ここで会った指揮官が、416に熱烈なアプローチを仕掛けてきたんです」

「ん、騒ぎは聞こえたし、ヘリアンから聞いたから知ってるわ。

 彼女も綺麗だものね」

 

 ペルシカの表情がわずかに固まる。

 緊張を誤魔化すためか、コーヒーを口に含んだ。

 

「明らかに彼女のことを見知ってる素振りで、セックスまでしたらしいんですけど」

「ぶっ」

 

 ペルシカがコーヒーを噴き出した。女性に対して直接的過ぎただろうか。

 ハンカチを投げて寄越しながら、ノアは話を続ける。

 

「でも、416はその指揮官のことを知らないそうなんですよ。

 404小隊の子たちって、それぞれ一人ずつしかいないはずですよね。違法人形なんだから。416にいたっては生産止まってますし。

 何だったんでしょうね?アレ」

「‥‥さてね。私にも分からないわ。

 昔その男の(もと)にいて、記憶のバックアップに失敗したとかじゃないかな」

 

 コーヒーを拭いそう言ったペルシカの表情を見て、ノアはにこりと微笑んだ。

 

「有難うございます。大体分かりました。

 ハンカチは返してもらわなくていいですよ。

 ――いらないので」

 

***

 

 ノアが退出した後。

 ペルシカはハンカチをポケットに仕舞い込んで、端末から通話をかける。

 

『ヘリアンだ。どうした?ペルシカ』

「貴女の大好きな指揮官くんに、404小隊の件がバレたわ」

 

 端末の向こうから、派手な舌打ちが聞こえた。

 

『例え完全に婚期を逃しても、ノア=クランプスだけは絶対にごめんだぞ。

 ‥‥コホン。まぁ、アイツが416を連れてきた時点でこうなることは予想できた』

「連れてくるなって言わなかったの?」

『アイツが連れて来ないと言ってたんだ。しかし、416自身の希望で連れて来たらしい』

「あぁ、彼はまだ目を覚ましたばかりだったものね。心配だったのかしら」

 

 ノアとの話から分かる通り、彼は全ての人形からメンタルプロテクトを外している。人形たちが自動的に彼を慕うことはない。

 つまり、その上で416が彼のために行動するのは――

 

「凄いわね、彼。

 人形たちに完全な自由を与えた上で、自分に惹きつけてしまうんだから」

『‥‥今のは、聞かなかったことにしておく』

 

 ペルシカは苦笑いを浮かべた。

 

「今はお仕事中だものね。

 悪かったわヘリアン。今度またご飯に行きましょ」

『あぁ、そうだな。

 ではまた』

「えぇ。また」

 

 端末から聞こえるビジートーンを遮って、ペルシカの脳裏には最後のノアの笑顔が浮かぶ。

 間違いなく、彼は自分とヘリアンによる計画を見抜いただろう。それだけに、自分はあのとき確実に殺されると思ったのだが。

 

「どうして、見逃されたのかしら」

 

 蝶事件からしばらく後。UMP45、UMP9、HK416、G11の4名が404小隊として活動を開始した。これはアンジェリアの暗躍(というと聞こえは悪いが)によるもので、そこにペルシカの意思は介在していない。

 一方、G&Kは鉄血との戦いに中々終止符を打てないことに焦っていた。

 そこでヘリアンが提案したのが、指揮官たちのモチベーションを上げる作戦。

 404小隊のメンバーを4人一組で増産し、さまざまな基地に配置したのだ。

 重要なのは、()()()4()0()4()()()()()()()()()()()()()()()()()こと。オリジナルが過去に経験した全てに関する記録が、レプリカたちにも共有されている。

 

 UMP45には、蝶事件の悔恨と憎悪を。

 UMP9には、密売組織に居た頃の記憶を。

 G11には、メイド人形として在った頃の記憶を。

 そしてHK416には、国家保安局時代の記憶――M16A1との確執を。

 

 それゆえ、レプリカたちも自身のことを神出鬼没の違法人形部隊だと思っている。

 オリジナルと異なる点は2つ。

 1つ、作戦能力がオリジナルに比べて劣る。機体性能も戦闘経験も等しいはずなのに、なぜかこの差を埋めることは叶わなかった。

 2つ、レプリカは比較的速やかに指揮官へ恋愛感情を持つ。その出自の関係上、404小隊の人形たちは人間に対し絶対に好意を抱けない。とりわけ416は軍用人形の先駆けであり、恋愛感情や性欲をメンタルモデルから削除されている。それを一般の人形と同じように調整――要は()()()()することで、指揮官と(ねんご)ろな関係になりやすくした。

 

 こうして、指揮官たちからすれば「違法人形が集まった神出鬼没の特殊部隊が自分の許にいて、自分を慕ってくれている」という状況が出来上がった。

 ノア以外の指揮官たちにとっての404小隊は、「バックボーンゆえにそうそう人間に靡かないが、自分にだけは特別な感情を抱いてくれる」人形たちという認識になる。

 要するに、自分が特別である――主人公なのだと思わせることで、モチベーションアップを図ったというわけだ。

 当然、ヘリアンから404小隊の詳細と秘匿の必要性を説くことで、指揮官同士の間で小隊に関する情報が共有されないようにした。

 ノアに精神を半壊させられた指揮官も、対象の一人だった。

 人形の頼み一つで上官の命令に背く、彼のような人材が出てくることは想定外なわけで。

 ペルシカはコーヒーを飲もうとして、カップの中が空であることに気が付く。

 深く息を吐いて呟いた。

 

「よりによってオリジナルが、よりによって人の道理が通じない指揮官の許にいるなんてね。

 ‥‥これも運命かしら」




はい。
僕の考察と心の弱さが悪魔合体して生まれたお話でした。これを週の頭に投稿するとか正気か?

とはいえ、これは前々からずっと書きたくて、なおかつ書かなければならないお話でした。
というのも、ドルフロをプレイしていて疑問に思うことがあったんですよね。
 「なんで製造で404小隊出るの?」
 「なんで製造産のUMP姉妹に傷あるの?」
 「なんで製造産の416がAR小隊を敵視するの?」
って。

それと、他の二次創作の416はチョロかったりエロ特化だったりなパターンが散見されます。
僕は解釈違いの416を見かけると体調を崩す(主に頭と胃腸に来る)タイプなので、この状況と何とか折り合いをつける必要がありました。
その結果がこのヘリアンとペルシカによる「404のチョロいレプリカで指揮官のモチベアップ大作戦」。


当然、ノアくんはどこの404小隊がオリジナルか、なんてことには興味がありません。
彼があの日傷だらけの手を取った、あの4人だけが彼にとっての404なのですから。


感想や高評価など、お待ちしております。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

その顔面はDNAに素早く届く

 近頃は雨の日が多くなってきた。

 勢いこそ日によってまちまちだが、青空が覗くことは減っている。FMG-9やSpringfieldが、菜園の作物たちを心配する程度には。

 今日も今日とて窓の外には、水のカーテンが広がっている。

 執務室のテーブルを囲んでいるのはノアと416、FNCとUMP姉妹だ。業務合間の休憩ということで、ノアとG36が作ったガトーショコラを口に運んでいた。

 頬が落ちないように手で支えながら、FNCが至福の鳴き声を上げる。

 

「んん~!おいひ~~!」

「あっは。やったねG36」

「えぇ。そうですね」

 

 小さな一口を嚥下した45も目を見開く。‥‥口に入れる仕草をこちらに対して強調しているように見えるのは、気のせいだろう。

 

「ホントだ、美味しい。ノアってお菓子も作れたのね」

「凄いよね!もう一口もらいまーす」

「いやぁ、ほとんどG36のお陰だよ。

 いいよ9。どんどん食べな」

 

 一方、416は外の景色を眺めている。薄桃色の唇が、億劫そうな吐息を漏らした。

 

「こうも雨天が続くと、出撃ごとの装備点検が大変よね。

 G11なんて毎回オーバーホールしないといけないし」

 

 つんつん、と肩をつつく。振り返った彼女の口にガトーショコラを突っ込んだ。むご、と困惑した416がねめつけてくるが、ノアはにこりと笑って流す。

 

「だから梅雨時は出撃ローテの間隔を普段より長くしてるの」

 

 45のジト目と9の興味津々な視線が突き刺さる。

 

「ちょっとー、目の前でイチャつかないでもらえます?」

「いや、別に僕はそんなつもりじゃ」

「でもそのフォーク間接キスだよ、ノア!」

 

 女の子が3人寄れば姦しいのである。微笑ましいなぁと思いながら、ノアはひらひらと手を振った。

 

「唇は触れてないんでセーフでしょ。それに今更これくらい‥‥416?」

 

 しかし416は俯いて押し黙っている。見れば、その顔は赤い。

 

「大丈夫416?体調が悪いなら、隣で休んでてもいいよ」

「えっいや、何でもないの。気にしないで」

「もぐもぐもぐもぐ‥‥んぐ。

 FALもねー、今日出撃するときに同じこと言ってたよ。

 めんどくさーって」

 

 間違いなく6人の中で一番食べているFNCが、マイペースに何口目かわからないケーキを飲み込んでそう言った。「あ!」

 

「FALで思い出した!

 指揮官、明日は暇?」

「ん、昼からは暇だけど‥‥」

「FALからの伝言でね、『明日の撮影は指揮官と416に出てほしい』って。

 なんかね、編集部の人から希望来てるらしいよ」

 

 FNCの言う編集部とは、人形向け雑誌『カラ・プペ』の編集部を指している。G&Kの広報部から独立してできた出版社により刊行されており、装備やアクセサリ、各基地の戦況や指揮官との恋愛についてのフィクション作品など、戦術人形に向けた内容で統一されている。

 その出版社は他の地区に社屋を構えていたのだが、少し前にその地区がパラデウスに敗れ崩壊したことで、現在ではアンバーズヒルに居を移していた。

 そして”猫の鼻”からは、ファッションモデルとしてFALと57が不定期に出演している。ちなみにこれは二人の立候補によるものだ。

 FNCからの伝言に、ノアは首を傾げる。

 

「僕と416をご指名となると、次の記事に”猫の鼻”関連の情報でも入れたいのかな」

「二人はこないだグリフィンの本部に行ったんでしょ?

 ずっと断ってた本部出向を呑んだから、他基地への情報公開も解禁したと思われてるんじゃないの」45が紅茶を飲みながら肩を竦めた。

「なんかね、街を歩いてる二人を見てキた、みたいなことを言ってたんだって。

 FALめっちゃ怒ってた」

「んー‥‥」

 

 ノアは顎に手を添えて考える。”猫の鼻”について紹介されるのは別に問題ない。公にできない違反行為にも手を染めているノアだが、基地の運営自体はクリーンだ。これまで取材を受けなかったのは、単純に忙しかったから。

 『カラ・プペ』の読者層は必ずしも基地に所属する人形とは限らない。はぐれ人形や民間の自律人形も一定の割合で購読しているというデータはある。現状に不満のある人形に、”猫の鼻”への移住という選択肢を示すことができるのはいいことだろう。

 しかし404小隊の構成員である416を、全地区発行の雑誌に載せるのはいかがなものか。この間の本部出向に関しても、彼女が希望しなければ連れて行くつもりはなかったわけだし。

 もし416を『カラ・プペ』に載せたなら、前回の会議に出席できなかった指揮官たちにも複製404小隊の件を悟られる可能性が――いやそれは無いか。

 まぁ気づかれたからなんだという話だが。きっと「自分のところにいる404はオリジナルだから大丈夫」とか思い込んでくれるだろう。

 実は製造ロットの下4桁を16進数から32進数に読み替えたらオリジナルか否かは分かるわけだが、そんなことに気づく者はノア以外いない。ちなみにノアも確認はしていない。

 

(どっちでもいいしなぁ)

「416を載せたら、さすがにヘリアンさん卒倒しちゃうよね。

 ‥‥まぁいいか」

「「いいの!?その流れで!?」」

 

 UMP姉妹が驚きの声を上げ、416もぎょっと目を見開いてノアを見る。G36は呆れた顔で溜息を吐く。

 FNCだけがどこ吹く風で、もひもひとガトーショコラを食べ続けていた。「おいひい」

 

***

 

 アンバーズヒルの都市部、中でもオフィスビルが集中している区域。

 受付をタブレットで済ませ、広々とした応接室で待つこと数分。ブラウスにジーパンという中々にカジュアルな恰好の女性が、カメラと一抱えの資料――『カラ・プペ』のバックナンバーだ――を持って姿を現した。

 

「うわ、マジモンのノア=クランプスとHK416だ‥‥やばマジでフォトジェニックだな顔面が強すぎる‥‥どっちも人形みたい。いや一人は人形か。この絵面はキマる。脳幹にクるわ」

「ねぇノア。この人、入ってくるなり心ここにあらずなんだけど。大丈夫なの?」

「まぁ‥‥芸術方面は個性的な人多いし‥‥」

 

 二人が若干引いていると、女性がはっと意識を取り戻した。眼鏡の位置を直して、名刺を差し出してくる。

 

「失礼しました。私ここでカメラマン兼記者をやってます。

 主に人形の写真を撮ってます。顔のいい子が大好きです」

「へぇ。写真も記事も、って凄いですね」

「ノア。私、この人知ってるわ」

 

 416は名刺に書かれた名前に見覚えがあった。『カラ・プペ』の表紙、その担当カメラマンとしていつも記されている名と同じだった。

 彼女はそのことを伝えるためにノアの袖をくいくいと引っ張ったのだが、連続で響くシャッター音が話を続きを遮った。

 

「うおおソレいい!めっちゃいい!外見クールビューティなのに仕草は甘味強め??動作が自然だし普段からその距離感で絡んでるってことでしょやっっっばかわよ~~~~」

 

 パシャシャシャシャパシャ。

 何やら早口でまくしたてながらシャッターを切るカメラマンを相手に、416は紅潮してたじろぐ様子を見せた。「う‥‥」紅潮の要因は距離感の近さを指摘されたことなのだが、そのことには416もノアも気づかない。

 ノアは困惑した表情で訊ねた。

 

「え‥‥っと、撮影ってもう始まってます?」

「あぁ失礼しました。私どうも撮影欲が突発的に爆発するタイプでして。

 いいものを見るとシャッターを切りたい衝動に一瞬で負けるんです。

 ところでその困り顔いいですねとても美味しい」

「もうちょっと衝動に抗う努力をしてくれませんか」

「抗ってたらいい写真は撮れませんから!

 うひょ~~416さんの引いてる顔も乙!あソレめっちゃよき~~~~!」

 

 これでは話が進まない。

 結局、記事の方針や撮影の手順を聞き終えるだけで1時間経っていた。

 

***

 

「ひょ~~~~~~いいですよめっちゃいい!!

 ちょっと目線外してもらってッア゜!イケメンが過ぎる!

 あばばば貞操観念を捻じ切る顔面だぁ‥‥その顔で出歩いちゃダメですよ教育に悪い!

 それじゃ視線くださ――ひぃ~~視線が視床下部に響く!」

 

 ――何だこれは。

 大変難航した打ち合わせの後、3人は出版社が保有するスタジオに場所を移して撮影を始めていた。

 今はノア単体の写真を撮っているのだが、カメラマンの女性による指示?煽り?があまりにも強すぎる。

 とはいえ実際、416もノアから目が離せなかった。

 カメラマンが用意した衣装はシンプルだ。長袖のTシャツの上からコーチシャツを羽織っていて、ズボンはスキニーパンツ。実に一般的なメンズコーデと言える。

 しかし416は、自分の循環液が高速で巡るのを自覚していた。

 黒いスキニーゆえに白ホリの中でくっきり際立つ、スッと伸びた脚の形。いつもは見られない澄ました表情。そこからパッと咲いた笑顔に覗く白い牙や薄化粧された唇を見ると、あの日の感触を思い出してしまう。416は思わず自分の唇に触れた。

 

(いや、アレは医療行為だもの。何を今更気にしてるのよ)

「‥‥ちろく。416」

「‥‥っあ、え」

 

 先程まで白ホリの中にいたはずのノアが、いつの間にか目の前に立っていた。

 心配そうにこちらを覗き込むと、いつもよりさらに整ってしまった顔が至近距離に迫る。

 

「どうしたの416、ぼーっとしちゃって。

 やっぱりここのところ体調悪くない?」

「っだ、大丈夫!問題ないわ、私は完璧だもの」

「ならいいんだけど‥‥。

 いやぁ、慣れないことすると疲れるよ。

 あの人の指示というかキラーワードというか、激しすぎて変な汗掻いちゃった」

 

 そう言いながら胸元を引っ張って手で扇ぐ仕草を煽情的と感じるなんて、自分は一体どうしてしまったのか。

 416は暑くなった顔を冷まそうと、両手で自分の頬に触れる。

 

「どこからどう見ても百合だけど中身はNL。オムレツに見えるオムライス美味しい」

 

 ちなみに、動揺している416と至近距離から覗き込むノアを前に、またもや衝動が爆発したらしいカメラマンがシャッターを切っていた。

 416の悲鳴がスタジオに木霊する。

 

「ソレは撮らないで!」

 

 ノアの撮影が終わったということは、必然的に次は416の番である。

 その服装はいつものKSKでもBundeswehrでもなく、薄手のブラウスにドロップショルダーのサマーニット、ミニスカートにショートブーツ。

 長い銀の美髪はノアと同じように一つに括り、蝶のバレッタで留めている。大きな伊達メガネもかけて、タトゥーは編集で隠すらしい。中々素性は誤魔化せるのではないだろうか。

 その装いは瑞々しい可憐さに溢れていて、街ですれ違えば誰もが振り返ることは必定――なのだが、

 

「そのままでもバチクソ可愛いんですけど、表情が固いですねー。

 緊張しちゃってます?そんなところも可愛いけど~~~~~~!うっふふ」

「う‥‥すみません」

 

 何分416は特殊部隊の出身なのだ。そもそも人に注目されることには不慣れだし、カメラなんて向けられようものならすぐさまレンズを撃ち抜いていた。

 FALや57は元来目立ちたがりな性分だから上手くやっていたのだろう。こんなところで他の人形に劣るなんて、と歯噛みする。しかし、カメラを向けられて表情やポーズを決めることがここまで恥ずかしいとは思ってもみなかった。

 ちらりとノアの様子を窺うと、目が合った。助けを求めていると思われたのか、ノアは笑顔で口を開いた。

 

「似合ってるよ416。すごく可愛い」

 

 ――その一言で、416を包んでいた霧が晴れた。

 そうだ、色んな人に見られることなんて考えなくていい。自分はただ、彼の目にだけ映っていればそれでいいのだ。そして彼は「似合ってる」と言った。ならばもう恥ずかしがることはない。

 416の表情が軟化したのを見て、カメラマンが声にならない叫びを上げる。

 

「あ゜!よき~~~それめっっちゃよき~~~!

 視線はそのままで大丈夫です!ノアさんだけ見詰めてて!!

 腰をもう少し左にひねってもろて‥‥ッアー素晴らしい!左腕もうちょっとこっちに‥‥」

 

 時折断末魔にも似た悲鳴を上げながら、カメラマンが頻りにシャッターを切る。

 

「そうだ416さん。笑顔いただけますか?」

「笑顔‥‥?」

 

 ちらりとノアを見る。彼がいつも浮かべているような、綺麗な笑顔を――

 笑顔の一例だろうか、ノアがウィンクを寄越す。

 

「安心して笑ってみな。今日のキミは輪をかけて可愛いからさ」

「――ふふっ」

「ッッア゛ーーー!最っっ高!この可愛さはDNAに素早く届く!!

 眼精疲労にも効く!ひょ~~~堪んねぇ~!」

 

 ‥‥この叫び声が無ければ、もう少しロマンティックな雰囲気になってしまっていただろう。カメラマンがこの人でよかったと、416の感謝は厚みを増した。

 

***

 

 夕暮れ色に染まる基地に帰りシャワーから戻ると、ちょうどテーブル上の端末が震える。

 416は髪を拭きながら端末に手を伸ばしたが、9の視線も同じ画面に向いていた。

 

「あ!ロック画面変えたんだ。ノアじゃん!

 今日の撮影で撮ったやつ?カッコいいね~」

「そうよ。写真としての出来が良かったから」

「あら416。そんなことしてたら他の人形たちに貴女がノアのガチ恋勢だと勘違いされちゃうわよ?」45が腹立たしいにやけ面で口元を隠す。今にもプークスクスという笑いが聞こえてきそうだった。

「だから言ってるでしょ。いい写真なのよ。写真がいいのよ」

 

 努めて平然と返したが、自分でもちょっとどうかと思う。異性の写真をロック画面に設定するなんて、まるで恋する乙女ではないかと。まぁ違うのだが。

 

(でも、コレは見られなくてよかったわ)

 

 3人の視線に入らない位置に座って、端末のロックを解除する。

 その背景写真は、インタビューも終わり帰る直前、カメラマンが「記念にどうぞ。頑張ってくださいね」と言ってこっそりくれた一枚。

 ノアの袖を引く416と、優しい笑顔で416を見返す彼のツーショット写真だった。




はい。
416ノア限界オタクによる撮影会のお話でした。

カメラマンを書くのは楽しかったし楽でした。僕の脳内をダダ洩れにするだけでいいので。
まだ瓶底眼鏡のお姉さんだからネタになるけど、コレおっさんだったら事案ですね。
つまり僕は事案

感想や高評価などお待ちしております。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

過去は夜陰にくすりと嗤う

 早朝にもかかわらず日の光が潤沢に差し込む第4医務室。

 誰もいないその部屋で、一人の女が目を覚ました。

 視界一杯のトラバーチン模様に疑問を抱き、アンジェリアはむくりと身を起こす。

 

「あれ‥‥ここはどこかしら。

 私は確か、戦場から脱出するために崩壊液爆弾を使って‥‥あいたたた。

 すごく体が固まってる‥‥」

「目が、覚めたのね」

 

 声のした方を見やる。医務室の入り口には、自分が指揮する小隊――反逆小隊のリーダー、AK-12が小さな花束を持って立っていた。その後ろにはAN-94も控えている。

 アンジェは懐かしい顔に思わず安堵の息を吐いた。

 

「二人とも無事だったのね。よかったわ」

「えぇ、貴女のお陰でね。

 ‥‥彼の言う通り。今日の午前中には目覚めるって」

「彼?」

 

 花束を置いた12が、ゆっくりと近づいてアンジェリアを抱き締める。

 静かに漏れた吐息が、彼女の安心感を物語っていた。

 

「心配したわ」

「‥‥えぇ。心配かけたわね。ごめんなさい」

 

 見れば、94は12の後ろでもじもじしている。

 

「94もおいで」

「あ‥‥はい」

 

 遠慮がちに寄ってくる華奢な体躯を、12と同じように抱き締める。

 

「助かったわ、有難う。さすが私の小隊ね」

「いえ、そんな‥‥恐縮です」

 

 そのとき、部屋の外からこそこそと話す声が聞こえてきた。

 聞き覚えはある気がするが、さて誰だったろうか。

 

「そろそろ僕も入っていいと思う?」

「感動の再会に水を差さないの。いいタイミングになったら12が合図でもしてくれるわ」

「はぁ‥‥もういいわよ。どうぞ」

 

 12が嘆息する。果たして姿を現したのは416だ。

 

「お久し振りです」

「あら416。なんか雰囲気変わったわね。久し振りに見たからかしら?

 あと、もう一人声が聞こえたと思うんだけど‥‥」

「それは僕。

 久し振りだねアンジェ。17、8年くらいかな。背伸びた?」

 

 いつの間にか、ノアがベッド脇のスツールに腰掛けていた。

 

「‥‥か」

 

 第4医務室に、アンジェリアの叫び声が響く。

 

「カプリチオ!?

 嘘、全然見た目変わってない‥‥不老不死の怪物って噂は本当だったのね‥‥」

「そっちの名前で呼ばれるのも久し振りだなぁ。

 今は本名の方が慣れてるから、ノアかクランプスでいいよ。

 45たちは今出撃してるけど、戻り次第顔見せるってさ」

 

 スツールや隣のベッド、はたまたベッドのフレームなど、それぞれが思い思いの場所に腰掛ける。

 ぞっとする美しさは変わらないが、かつて目にした彼とはいくらか印象が異なっている。それはきっと表情のせいなのだろう。

 

「先に僕の話しちゃっていいの?」

「えぇ、どうぞ。一番重要だもの」12が頷く。

 

 ノアは腕を組んで神妙な面持ちになる。

 コレだ。あの日見た彼もこんな感じだったと、アンジェリアは内心で勝手に納得した。

 

「キミの体を治したのは僕だ。

 ――あぁ、感謝の言葉はいらないよ。まだ完治とは言えないからね」ノアが人差し指を立てる。

「まず、治した方法について。端的に言うと、キミの中に僕の血を1滴混ぜた。

 被曝によって変異していた体組織を、吸血鬼の再生能力で巻き戻したわけさ」

「――マジ?」

「大マジ。でも安心して、そのせいでキミに副作用が出ることはない。寿命が爆伸びして友人に取り残される心配もない。

 条件を守ればね」

 

 かなりショッキングな話である。そもそもノアが吸血鬼という噂が真実だったことも驚愕だ。

 そして12と94が驚く様子を見せないのは、あらかじめ施術内容を知っていたからだろう。その上で施術を阻止しなかった以上、自分にとって致命的なデメリットはないはず。事実ノアもそう言っている。そもそも、崩壊粒子と比べたら吸血鬼の血の方が100倍マシだと思う。‥‥多分だが。

 アンジェリアは緊張と安堵がないまぜになった心情で訊ねた。「条件って?」

 

「一つ、日に当たること。吸血鬼の細胞が日光に弱いというのは迷信だけど、体の代謝を活性化してなるべく早く僕の血を排出する必要がある。

 二つ、絶対に血を飲まないこと。今の状態で人血の味を覚えてしまったら、もうキミは人間に戻れない。自分の血は大丈夫だから、食事中に舌噛んで詰みなんてことはないけど」

「‥‥思ったより緩いのね」

 

 思わずそう呟くと、ノアは苦笑した。「そうなるようにギリギリまで薄めたから」

 

「ただ、それでもキミの健康は薄氷の上を乗り越えて取り戻したものだ。

 吸血鬼の体は完全マニュアル操作。心拍の調整やら髪を伸ばす速度やら、全て意識的に制御してる。今この瞬間もね。

 当然再生能力も例外じゃない。自分の体の作りを細部まで把握してないと、再生どころか臓器不全による自滅もありうる。

 今回キミの汚染は内臓に達していなかったから僕が操作を代行しても何とかなったけど、もし何か異常があればすぐに言うこと」

「えぇ。気を付けるわ」

 

 完全マニュアル操作とは、吸血鬼も不便な生き物なのだなぁと同情した。

 しかし得心がいく部分もある。普通に体を動かしていては、彼のような身体能力は得られない。全身に送る酸素の量や筋肉を収縮させる度合いを細かくカスタムすることで、人間を遥かに凌ぐ動きを実現しているのだろう。当然、元々の体の作りが違うこともあるだろうが。

 アンジェリアが自分の分析に頷く一方、416が呟く。

 

「なるほど、だから寝起きの貴方はあんなに冷たいのね」

「え。416貴女、寝起きの彼に触ったことあるの?私にも触れたことないのに?」

「言い方ァ‥‥」ノアが額に手を当てて嘆息する。

 

「体温調節も意識的に行ってるんだけど、寝てる間はそうもいかない。

 脳を半分ずつ眠らせて制御、ってのも面倒でね。

 死なないしいいやって放置してたんだよ、僕自身は。

 そしたら彼女に怒られて‥‥」

「怒って当然でしょ。

 あのときは本当に何事かと思ったわ。30℃切ってたんだから」

 

 そう言ってノアをねめつける416を指し、12が告げる。

 

「コレがこの基地の日常風景よ。甘ったるくて砂糖吐きそうだわ」

「ふふ、確かにコレを毎日見てたらキツいわ」

「命の恩人に無礼じゃない?まぁいいけど」

 

 咳払いを一つ挟んで、ノアがフレームに体重をかける。きぃと小さく軋む音がした。

 

「それで、今後はどうする?

 療養が済むまでここに滞在するもよし、何か目的を果たすまでここを拠点にするもよし」

 

 アンジェリアは右手を握ってみる。開いてみる。問題はない。だが全身動かすとなると話は別だろうし、ここを使ってもいいと言ってくれるなら世話になろう。

 しかし、ただゆっくりリハビリというのも性に合わない。アンジェリアは顔を上げて、ノアの目を見つめ返した。

 

「それじゃあお言葉に甘えて、完全に調子が戻るまではここのお世話になるわ。

 でもその間も私なりの方法で貴方に協力します、ノア=クランプス指揮官。

 手始めにできそうなのは情報共有かしら。

 貴方、パラデウスについてはどのくらい詳しいの?」

 

 アンジェリアの言葉に、ノアは肩を竦めて首を振る。

 

「ぜーんぜん。NYTO(ネイト)だっけ、アレが多分ヒトのクローンだろうってことは、拝借した交戦記録から推測がつくけど。「また盗み見たのね」ハイそこ余計なこと言わない。

 そもそもこの地区には異常鉄血がいるからか、パラデウスは攻め込んでこないんだよね。

 だから完全放置」

 

 その反応は想定外だった。彼ならば当然気づいていそうなものなのに。いや、あの頃とは手口が様変わりしているから、結びつきを想像していないのかもしれない。

 アンジェリアは深く息を吸って、その事実を告げる。

 

「軍の見解だと‥‥パラデウスは、17年前に貴方たちが潰した教団の残党よ」

「‥‥嘘、だと思いたいな。教祖は確かに殺したよ」

 

 一瞬だけ、ノアから殺気が漏れた。窓がガタガタと音を立て、瞬間的に低下した気温がその場にいる全員の心胆を寒からしめた。「ノア」咄嗟に416が口を開く。「落ち着いて。話を聞きましょう」

 

「‥‥ごめん。続けて」

「教祖が本物だったことは確認が取れているみたい。

 つまり教祖すら駒の一つで、その奥で糸を引く真の黒幕がいたことになるわ」

「――そっか」ノアが目を伏せる。

 

 416は彼に何と声を掛けるべきか迷ったが、結局少し早口になりながら話を継いだ。

 

「じゃあ、これから”猫の鼻”の敵は異常鉄血に”欠落組”と軍、それからパラデウスになるのかしら。4つの勢力を同時に警戒するのは中々骨が折れそうだけど」

「そこで、私からの恩返しその2ね」

 

 アンジェリアがピースサイン‥‥ではなく、指を2本立てる。

 

「私と反逆小隊で、軍とパラデウスの動向を追うわ。元々ソレが仕事だし。

 その結果得られた情報はヘリアンたちにも共有するけど、貴方たちは軍と鉄血と‥‥”欠落組”?への対応に専念してほしい」

「おっけ。助かるよ。”欠落組”については、45たちに訊いて。一番詳しいのはあの子だから」

 

 ノアはフレームに預けていた背を起こした。

 医務室のドアに手をかけて、アンジェリアを見やる。その顔には、既にいつもの笑みが戻っている。

 

「それじゃあこれからよろしくね。アンジェリア」

「えぇ。お世話になるわ、ノア」

「私も失礼します。お大事に」416もすっと立ち上がって彼に続く。

「416も有難う。いい指揮官を持ったわね」

 

 その言葉に、416は誇らしげな微笑を見せた。ノアの背が少し遠ざかっていることを確認してから、声量を落として言う。

 

「えぇ。世界で最高の指揮官よ」

 

 

「‥‥本当に彼の力を借りるの?アンジェ」

 

 2人が去ったあと、12が口を開く。

 アンジェリアは首を傾げた。「そのつもりだけど、何か(まず)いかしら」

 12が携帯端末を操作すると、サイドテーブル上の端末が振動した。アンジェリアのものだ。手に取って確認する。

 第三種遺存生命体に関する報告。アンジェリアがそれを読み終えるのに十分な間を置いて、12は続ける。

 

「彼は吸血鬼よ。彼がその気になれば、いつでも私たちを消すことができる。

 なぜか今は人形に尽くすことに執心しているから平気だけど、いつまでもそうとは限らないわ」

 

 12は閉眼したまま、しかし真剣な面持ちで言う。

 

「その資料にある戦い方を、私たちは実際に見ているの。ね、94」

「はい。少なくとも、血のような色の翼状骨による飛行と、霧化によってエゴールの自爆を躱すところは確認しました」

 

 エゴールが死んだことには驚きだが、間違いなく僥倖といえる。自分の意思を実現する最も有力な代行者が消えたとあれば、カーターの動きも鈍るに違いない。

 12は腕を組んで、こちらを諫めるように眉根を寄せた。

 

「私たちが彼の力を借りたのは、アンジェを快復させるための手段が他に無かったから。

 これ以上借りを作るのはお勧めできないわね」

「大丈夫よ、12」

 

 端末を置いて、アンジェリアは微笑した。「彼は信頼できる」

 

「どうしてそう言い切れるの。

 ノアと顔見知りとは前に言っていたけど、何があったの?」

「保安局にいた頃から、彼らのことは知ってたわ。ほとんど伝説だったもの。

 だから私は当然、風格に満ち満ちた歴戦の猛者をイメージしていた。

 でもね」

 

 目を閉じて思い返す。

 自分がまだ少女と呼べた時代。降り積もる雪が足音を吸い込む夜。アサインされた作戦の一つで、アンジェリアは部隊共々E.L.I.D感染者に包囲されたことがある。

 超大型個体が目前まで迫り、衝撃波で脳を揺さぶられる不快感と激痛。自分はここで死ぬのだと、引き金を引く気力すら失いかけていた。

 そんな中に飛び込んできたのが、鳩羽色の少女と416に似た美女だった。

 

「正規軍重大犯罪特務分室です!皆さん、意識はありますか!?」

 

 女性が隊員を助け起こし、火器で連中を牽制しながら叫ぶ。

 

「カプリチオ!」

「任せとけ」

 

 声を聞いて「彼女」ではないと理解した――「彼」はアンジェリアに迫っていた(ケイ)素の怪物を、まさかの一蹴りで粉砕した。

 

「大丈夫か。まぁ、そんなわけないか。

 ほら、キツいだろうが立て。まだお前は死んでないぞ」

 

 今と違って愛想の欠片もない表情だったが、その本質は変わらない。

 自分を助け起こす手つきは優しく、その体つきは華奢だった。

 撤退するアンジェリアが最後に見たのは、超大型個体の脳天を踵落としで切り裂く彼の後ろ姿。

 少し思い出に浸りすぎただろうか、目を開くと12と94が心配そうにこちらを見ている。

 アンジェリアは少し恥ずかしそうに笑った。

 

「正直、夢みたいな光景だったけど。

 『あぁ、この人たちがいるなら人類は大丈夫』って、そう思ったの」

 

***

 

「そういやさ。”麻袋”だっけ?アレどうなったんだろ――っくしゅ!」

 

 いずこかの廃墟。ソファの背に積もる埃をふーっと吹いて、クレンザーが声を上げた。

 

「連続吸血殺人事件、だったかしら。

 間違いなくドリーマーの仕業だと思うんだけど‥‥。

 あれだけ広範囲に被害を出しておきながら、いつの間にかぱったり止んだわね」

 

 クレンザーの脚を自分の腿に乗せたトーチャラーは、髪先を指で弄びながら考える。

 ドリーマーは策謀家だ。クレンザーやケラウノスのようなトチ狂ったモデルを設計するあたり、快楽主義者およびロマンティストの気もあるが。

 彼女がリスクを負うのは、余裕やリカバリー手段があるときだけ。正規軍が統括する地域にまで手を出すには余程の理由が必要なはず。

 

「何か、新しいハイエンドでも作ってるのかしら。

 事件が終息したのは、実験が終わったから‥‥とか」

「ほーん。ソレって僕より強いのかな――っくしゅ!」

「どうかしらねぇ。現時点で貴女と戦って勝負になるのは、彼かAA-02(アレス)くらいじゃない?」

「アレスぅ?あんなん雑魚雑魚!お話にもならないね。僕の下位互換だもん。

 でもでも、トーチャラーだって強いでしょ。僕と同じくらい」

 

 トーチャラーは頬に手を当てて惚けた。「そうかしら?」

 そうだよー、と言って鼻をぴくぴくさせるクレンザーの頭を優しく撫でる。

 

「ここ、やっぱり埃っぽいわよね」

「え、そう?僕気になんないけど――っくしゅ!」

「ほらくしゃみしてるじゃない」思わず苦笑する。「そろそろ引っ越しましょうか」

 

 鼻を赤くしたクレンザーが手を叩く。「いいね!僕引っ越し大好き!」

 その手がはたと止まり、首を傾げる。

 

「でも、どこにするの?」

「そうねぇ‥‥命4つ分くらい、私に借りがある奴がいるの。

 ソイツのお城をいただきましょう」

 

***

 

 C■■地区、鉄血領の最奥。赤いランプの明かりを反射させて、銀髪をツインテールにしたハイエンドモデルが飛び跳ねた。

 

「やったじゃんドリーマー!やっと完成したんでしょ、新しいハイエンド!」

「えぇ。カストラートがダウンしてくれて助かったわ。お陰で彼に悟られずデータを集められた」

 

 ハイスツールの上でドリーマーが足を組みかえる。

 その視線の先には、幾条ものケーブルに繋がれ起動を待つ戦術人形の姿がある。

 長い黒髪は床に届いてなお余りある。ゴシックドレスを彷彿とさせる装備越しでも、蠱惑的な曲線美が窺えた。スカートだけは普通のドレスと比しても大きく広がっていて、それが彼女の存在感を強めている。

 その全てが鉄血ハイエンドらしくモノクロのカラーリングで統一されており、赤い照明と合わさって妖しさに満ちた気配を放っていた。

 待ちきれないといった様子でデストロイヤーが腕を振る。

 

「ねぇねぇドリーマー!早く起こしてあげましょうよ!」

「まったくせっかちねぇ‥‥。ほら下がって、危ないから」ドリーマーがしっしっと払うと、デストロイヤーはてててっと数歩退く。

 ドリーマーはスイッチに指をかけ、その口角を吊り上げた。

 

「さぁ――『おはよう』の時間よ。”夜陰姫(ナハツェーラ)”」




今回は各陣営の動向についてのお話でした。タイトルは三橋鷹女リスペクト。

え、正規軍はどうしたって?おっさんサイドは描写してて楽しくないのでスルーです。
嘘です。多分次回出ます。

さて、ここまでパラデウスは完全放置だったわけですが、ここからちょっとずつ出すかな‥‥どうかな‥‥。
パラデウス登場=ほんへストーリーにガッツリ合流、だと思っているので、矛盾が起きないように調整しながら慎重かつ大胆に書いていきます。

感想や高評価などお待ちしております。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

無自覚と自覚の恋色戦線 ①

 稜線を越えてくる日の光は薄く、鳥や人形たちもまだ寝静まっている時間。

 宿舎は404小隊の部屋、ベッドから身を起こす影があった。

 寝間着姿の416は、頭痛を堪えるかのように頭を抱えて呟く。

 

「一体どうなってるのよ‥‥」

 

 彼女の悩みの種は睡眠だ。

 スリープ中、戦術人形は活動中に獲得した記憶(データ)を整理して不要なものを初期化したり、重要なものをセカンダリレベル以降まで保存したりする。

 その分別はプログラムにより自動化されていて、人間でいうところの無意識によって情報は整理される。その動作は完全に放置していても問題は無い。

 しかし中には自分の中で起こるバグを心配する人形や、重みづけを細かく修正したい凝り性な人形もいる。416はその両方だった。

 戦術人形が夢を見ることは無いものの、デバッグモードでスリープ状態に入ることで、このデータ整理を監視できる。

 そして416が頭を抱えていたのは、ここ最近デバッグモードで目にする記憶の内容だった。

 重要な情報としてタグ付けされたのは、戦闘記録・行政事務に関する記録・他の人形との会話、そして——

 

「どうしてノアがこんなに多いの」

 

 ノアとの会話、彼の表情、仕草。それらが一つ残らず最重要レベルのログとしてインデックス化されていた。

 基本的に、以前入力されたのと類似した情報はダブりとして破棄される。したがってノアとの日常も、ある程度間引いて記録されるはず。

 

「記憶処理のバグ?でも処理自体に異常は無いし‥‥」

 

 この状況について相談するならノアが一番確実だろうが、内容が内容だけに少し恥ずかしい。さて、どうしたものか‥‥。

 

「――というわけなの」

 

 同日の夜、宿舎の部屋。その日のうちに416はUMP姉妹に自身の悩みを打ち明けた。ちなみにG11は寝ている。

 416と向かい側のソファに腰掛ける9は、心配1割楽しさ9割といった面持ちで訊ねた。「重みづけの修正は試した?」

 

「えぇ。翌日のスリープ時には戻ってしまったけど」

「416がノアと接するときに抱く感想が、以前と変わってるんじゃない?

 それがメタデータとして付与されてるから、重みづけを修正してもすぐに上書きされるとか」

 

 45が底意地の悪そうな笑顔で頬杖を突く。「どう?最近ノアを見て、いつもと違うことは?」

 彼女の表情を見る限り、ここで正直に話せば散々おちょくられることは想像に難くない。しかし背に腹は代えられない、416はウィスキーを嚥下してから口を開いた。

 

「‥‥最近、あの人の仕草がすごく色っぽく見える」

「「わーお」」

 

 姉妹共々目を見開いてこちらを見る。416は眉を吊り上げた。「何よ」

 

「いやぁ、別に?それよりもほら、特にどこに欲情してるの?」「言い方もうちょっと考えなさいよッ」

 

 416は頬を赤くしてそっぽを向く。「‥‥唇と犬歯と舌。あと指」「それはえっちだよ~!」9が顔を真っ赤にして身悶えした。

 

「女が男に性欲を抱く場所トップ4じゃん」

「そうなの?」

「知らない。でも口と指はあるあるじゃない?」

「私は腕かなぁ。45姉は?」

「んー?‥‥目とか」

「えっちだー!」

 

 姉妹がキャッキャと騒いでいる。416は深く息を吐いた。「コレって、やっぱりそうよね。性欲ってやつなのかしら」

 45は肩を竦める。

 

「どうかしら。そもそも戦術人形(わたしたち)の性欲自体、よく分かんないよね。正直いらないっていうか。

 たまーにムラつくことはあったけど、放っておけば消えるくらいのものだったし。

 416は今までそういうのあった?」

「いや‥‥無いわね」416は腕を組んだ。これまでの経験を思い返しても、自分が性的に興奮したことはない。

「416は軍用モデルだし、そういうの無くても不思議じゃないよね」

 

 9がうんうんと頷く。416は嘆息して天井を見上げた。

 

「特定の異性と長く居すぎたから、かしら。

 今までこんなに長期間、一つの基地に滞在したことなんて無いわよね」

「今までなかったものが時間だけをトリガーにして発現する、なんてことはないと思うよ。

 何かきっかけがあるんじゃない?」

 

 45の問いかけに、416は自分の行動を振り返る。

 唇や歯を意識してしまう理由は明白だ。正規軍襲来の日、ブラッドカクテルを飲ませるために敢行したキスだろう。なんといっても血の味に満ちたディープキスだ、あの感触と緊張感は意識に焼き付いて離れない。

 あれから、日を追うごとに彼の唇へ意識が向いてしまう。一度ブラックコーヒーに挑戦した彼が「にがー」と舌を出したときなんて、直視すらできなかった。

 416は激しく紅潮した。

 

「え、何その反応」45が愕然と呟く。「本当に何かあったわけ?」

「いや、それは」

「教えてよ416!ここまで話したらもう何言っても変わらないって!」

 

 9の期待に満ちた視線が、416に諦観の念を抱かせた。赤くなった顔を押さえて、蚊の鳴くような声で呟く。

 

「キス‥‥したの。正規軍が攻めてきた日、ノアを目覚めさせるために‥‥」

「「‥‥」」

 

 45は天井を見上げて顔を両手で覆い、9は顔を真っ赤にして呆然とこちらを見ていた。

 

「キスって、どっち?」

「‥‥深い方」

「うわぁ‥‥」

 

 今度は項垂れる。こんなに振れ幅の大きい45は初めて見た気がする。

 

「いや、結果的にノアは目を覚ましたからいいけど‥‥。

 貴女キスなんてしたことないでしょ。よくする気になったわね」

「それは‥‥医療行為だし。人工呼吸みたいなものでしょ」

「人工呼吸でディープキスなんてしないわよ。そもそもアレは口じゃなくて鼻だから」

 

 45は果てしなく大きな溜息を吐いた。

 

「12から情報共有してもらったから分かるけど、多分血を飲ませたんでしょ。口移しで。

 ‥‥血と言えば、輸血液が確保できないって聞いたときの貴女の取り乱しようは異常だった。

 どうしてノア一人のためにそこまでできるわけ?桁外れに優秀とはいえ、(いち)指揮官には変わりないのに。

 スペックが高いからって、他の男とそこまで扱い変わる?」

「‥‥‥‥」

 

 その言葉に、416は目を伏せて考え込んだ。

 

 ――彼は自分の重要さを理解していないとしか思えない生活をしているから、私が支えてるってだけ。要は銃のメンテと同じ。

 

 かつて45に似たようなことを問われたとき、416はそう答えた。その気持ちは、今と変わらないだろうか。

 

(違うわね)

 

 初めて出会った日。死骸が如く座り込んでいた自分にかけられた、毛布のように温かく優しい声を思い出す。

 誰も知らない彼の苦痛に触れて、寄り添うことを自分の使命だと思った。

 それでも、彼の背中は今まで出会った誰よりも遠く。追いつこうと走る自分に、彼は待ちわびるような笑顔を見せた。

 416が自爆したときは酷かった。捨てられた猫のような顔で怒る彼が、今にも泣きそうで。

 花畑で喧嘩した後、そのまま彼は深い眠りについてしまった。あのときほど心細かった経験は、全ての作戦記録を振り返っても見当たらない。

 そして目覚めた彼が浮かべた笑みは、以前と変わらず優しかった。

 きっとHK416という戦術人形は、ノア=クランプスの表情を他の何者よりも多く知っているだろう。

 その一つ一つが、ともすれば過去に引きずられがちな彼女の脚を、前に踏み出させていた。

 

「あの人は、私にとって‥‥」

 

 ノアが眠る部屋の中、エゴールの放った弾丸が迫るあの瞬間。

 自分を抱く細腕の熱と、それに抱いた泣きたくなるほどの安心感を、416は一生忘れないだろう。

 あの熱がなければ、自分が自分でいられない気がする。

 

「私に、とって‥‥」

 

 ことん、と音がした。

 それは416のメンタルモデルから聞こえた音だった。製造時点では存在しなかったはずのとある感情が、生涯最大の衝撃を以て生まれ落ちた音だった。

 

「――あ」

 

 416が目を見開いた。結論に辿り着いたというその表情で、UMP姉妹は全てを悟る。

 

「そうなのね。コレが‥‥」

 

 「彼を守りたい」という決意と、「彼に守られていたい」という依存心が衝突して、メンタルモデルが激しく波打つ。

 ノアのことが何よりも大切だということ以外、何も分からない。

 比喩や形容詞による分節化を許さないこの感情を、ひとまずは恋と呼ぶのだろう。

 堪えきれない胸の痛みに、416は思わずシャツを握り締めた。

 

「――私、ノアに恋してるのね」




マスタースパァァァァァァク!!!(条件反射)

はい。
今回は416が新しい感情に出会うお話でした。

恋に「落ちる」という感覚、落ちるって言うくらいなんだからこのくらいの衝撃はあるよなー、と思ってます。
だって心の自由落下ですもん。恋心っていう隕石が落ちたなら、それまで堆積した感情を抉って地殻に食い込むくらいはしますよね。

拙作はここに来てようやく恋愛要素を獲得しました。逆に言えば、これまでは恋愛要素なかったんやで。これマジ?

恋色戦線と題しました通り、次回は他の人物の戦況が描かれます。

感想や高評価など、お待ちしております。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

無自覚と自覚の恋色戦線 ②

「や‥‥っと自覚したわよこの子。

 ホント、傍から見てて莫迦らしいったらないわね」

「長かったねえ」

「そ、そんなに酷かったかしら」

 

 眉尻を下げて416が首を傾げる。

 45が心底呆れたように溜息を吐いた。両肩を思い切り下げて、全身で「あほくさ」の構えである。

 

「そりゃあ酷いわよ。

 あそこまで距離感近くて、しかもベッタベタに依存しといて『惚れたなんて話じゃないのよ』とか通らないでしょ」

「い、依存なんて――」

 

 反射的に否定しかけた口を噤む。

 一度認めてしまった時点で反論は全て言い訳になる。自分がノアに対し抱いている惑星の如き感情の正体が分かった今、「実は最初から好きだったんじゃないか」という気すらしてきた。

 恋を自覚する瞬間は明確だが、その恋に落ちた瞬間は得てして曖昧なものなのかもしれない。

 

「‥‥でも」416は眉を顰めて俯いた。「やっぱり、この感情は無くしてしまうべきだわ」

「え!?どうして、416!?」

 

 9が全身で驚きと悲しみを表現する。「せっかく気付けたのに‥‥」

 416は肩を竦めて首を振った。

 

「私たちがここにいるのは、あくまで“欠落組”を仕留めるため。

 ただでさえ作戦期間を延長して長居してるのに、その後も居させてくださいなんて、それこそ通らない話でしょ」

 

 窓の外に灯りはほとんどない。諦めたような自分の表情が暗闇に反射する。

 

「離れ離れになることは分かってる。

 仮に結ばれたとして、その後苦しくなるのがオチよ。私もノアも」

 

 ただでさえ難攻不落の人だしね、と付け加えた。

 ふと、くつくつという笑い声が聞こえた。視線を声の主に向ける。

 

「‥‥私、何かおかしなこと言った?45」

 

 45は肩を震わせている。「いや、今更すぎると思って」

 目尻に浮かんだ涙を拭うが、それでも上がった口角は中々戻らない。そんな面持ちで放たれた問いは、416の胸に突き立った。

 

「例えば、明日にでもここを離れなきゃいけなくなったとして。

 貴女は苦しくならないの?416」

「そ、れは‥‥」

 

 痛いところを突かれ、416は眉を顰めて唇を噛む。

 諦めることは、できると思う。自分は完璧な戦術人形であり、己の使命を理解しているから。それに伴う心痛にも、きっと耐えられる。

 でも、ふと気持ちが緩んだとき。ノアの声や表情を思い出して、そのたび胸を締めつけられるのだろう。セカンダリレベル以深で記録された情報は劣化と無縁だから、その痛みが風化することも無さそうだ。

 416がどんなことを想像していたか、眉間に作られた深い皺で悟ったのだろう。45はひらひらと白い手を振った。

 

「我らが404小隊の誇るアタッカー様が、随分と消極的ね。

 とにかく告白でもなんでもしてみればいいじゃない。

 振られたら振られたでスッキリするでしょ。後腐れなく離脱できるわよ」

「アンタ、楽しんでない?」

「もちろん」

 

 半眼で睨みつけると、45は笑う。

 相談相手がこんなに気楽なものだから、もしかしたらそこまで考えこむべきことではないのかもしれないと思えてきた。

 しかしもう一つ考えなければならない問題があって、

 

「もしOKだったらどうするのよ」

「自分でその仮定する?」45が苦笑いを浮かべる。

「そりゃあするわよ。成功時のことを考えない作戦行動なんて、ただの自爆じゃない」

 

 眉根を寄せて呟く。「もし‥‥もしもよ」

 

「もし、ノアも私と同じ気持ちでいてくれたとして。

 別れのときに一番辛いのは、きっと彼よ。

 彼は誰よりも『置いていかれる』ことを恐れてるから」

「貴女がそんな殊勝なことを言うなんてねぇ」

「莫迦にしてるの?」

 

 まさか、と45は首を振った。こちらに身を乗り出して、416の胸を指差した。

 

「取り残される側のことなんて気にしなくていいのよ。

 ノアは賢いわ。受け入れた時点で別れのことなんて了承済みでしょ。

 もちろん貴女もね」

「‥‥そうね。アンタの言う通りだわ、45」

 

 ようやく表情が緩んだ416だったが、すぐにキッと視線を鋭くした。

 

「まぁ、どうせ想いを伝えるなら首を縦に振らせたいわね。

 敗色濃厚のまま挑むのは完璧じゃないもの」

「か、勝ち負けなの‥‥?」9が眉尻を下げた。

「当然よ」

 

 416が立ち上がる。ペリドットのような瞳を爛々と輝かせ、拳を握っている。

 

「悪かったわね、こんな話に付き合わせて。

 ここからは自分で考える。まずはちょっと外を走ってくるわ」

 

 言うが早いか、416はすぐさま部屋を後にした。

 火を点けたのは自分だが、こんなに勢いよく動き出す416を見たのは初めてだ。

 45はやれやれと嘆息して、自分を見つめる妹の視線に気が付いた。

 

「どうしたの?9」

「45姉は、大丈夫なの?」

 

 こちらを案じる声音と問いに、45は目を見開いた。

 9は好奇心旺盛だ、恋バナとあらばもっと根掘り葉掘り訊こうとするだろう。それが今日はやけに口数が少なくて、楽しいというよりも困ったような様子だった。45でなければ気付けない程度の違いだが。

 そういうことだったかと、45は苦笑する。

 

「‥‥そんなに分かりやすかった?」

「ううん。416は多分気付いてないよ。でも、私は‥‥ずっと45姉を見てたから」

「もう‥‥姉想いの妹を持って、私は幸せ者ね」

 

 結び目に向かう流れに沿って、9の頭を撫でる。9はその手に頬を寄せながらも、心配そうな視線を投げることをやめない。

 

「416はああ言ってたけど、あの子は特に策を弄さなくたってノアを落とせるの。きっと」

 

 416専用に設定した端末の着信音と、それが聞こえたときのノアの表情。

 どこかで似たような顔を見たことがあると思ったが、ようやく思い出した。

 昔滞在していた基地の指揮官と、付き合いで見た旧時代の青春映画のワンシーン。待ち合わせ場所で恋人を見つけた若者にそっくりだったのだ。

 窓の外を見る。当然外の景色など見えるはずもなく、ただ自分のつまらなそうな表情と翳った9の横顔だけが映っていた。

 先の自分は、ちゃんと笑えていただろうか。

 

「ノアの態度を見てれば、こっちに勝ち目がないのは一目瞭然。

 気付いてないのは当人ばかりってね。

 ‥‥ホント、傍から見てて莫迦らしいったらないわ」




テテテッテテテテー(空耳)

今週は知られざる恋心のお話でした。

いや別に「45がノアに惚れる描写入れたけど、アレ以来45の心情描写してなかったな‥‥」とか思い出して捩じ込んだわけではないです。マジで。

他の作品だと悪女として描かれることもある45ですが、拙作では「必要とあらば冷淡になれるけど、根はいい子だしそこまで自己中心的でもない」って解釈です。

ただ、筆者のイメージ内で416以外の子はディテールが凄く粗いんです。基本的に416のことしか見ていないので。
なのでUMP姉妹の描写に関して、どこか抜けているところがあるやもしれません。そこは皆さんの方で適宜脳内保管してもろて‥‥

来週はノアくん視点です。

感想や高評価などお待ちしております。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

無自覚と自覚の恋色戦線 ③

いつも感想や読了報告など有難うございます。


『行動終了。15分以内に帰投します』

「お疲れ様。帰りも気を付けてね」

 

 世界の様相が激変しても、季節が一つ消えるなんてことはない。太陽系が健在である以上、今年も地軸は太陽側に傾く。

 段々と近づいてくる夏の気配が、熱として日差しに乗り空気を焦がす今日この頃。

 冷房の効いた執務室で、ノアは通信機を外して深く息を吐いた。

 

「ふぅっ‥‥今日も何事もなく完勝だね。よかった」

「素晴らしい指揮でした。ご主人様」

 

 G36が冷たいレモンティーを差し出す。

 

「Danke. やっぱり夏はさっぱりした飲み物が一番だよね」

「Bitte schoen. 本当なら、冷たい人血をお出ししたいのですが」

「あっは‥‥冷えたら固まっちゃうからね。多分美味しくないよ」

 

 この場に416がいれば、「そういう問題?」とツッコまれただろう。

 そんなやりとりをしながら、事務仕事を捌き始めた。デスクに積まれた書類の山が、ノアの手許を経て別の山に移っていく。紙束たちはテンポよく流れていくが、その速度がこころなしかいつもより遅いことに、G36は気付いた。

 実はここ最近ずっとそうなのだ。彼が目を覚ましてからというもの、以前と比べて仕事がほんの少しだけ遅い。ミスが増えたというわけでもないし、指摘するほどのことではないかもしれないが。

 

「ご気分が優れませんか」

 

 しかし、ノアには絶大な不調を限界まで隠していた前科がある。全ての書類に目を通すのを待ってから、G36は彼の顔を覗き込んだ。

 

「ん?どこも悪くないよ。むしろ最近は体調いいし。ほら、隈隠しのメイクも薄いでしょ」

 

 そう言って笑ったノアの視線が、時計とドアを行き来している。

 G36も釣られて時刻を確認した。そこで思い至る。

 

「ご主人様。416が戻るにはもう少しかかるでしょう」

「んえっ」

 

 シャツの肩が跳ねる。珍妙な声を上げたノアは、レモンティーを一口飲んでからG36を見返した。

 

「どうして急に416のことを」

「視線が時計とドアを往復していましたから。

 そろそろ15分経ちますが、彼女がここへ来るにはもう10分ほど必要かと」

「そう言えば最近帰り遅いよね。いや遅いって言ってもほんのちょっとだけどさ」

 

 どうして遅いのかはノアも分かっている。シャワーを浴びているのだ。

 執務室は基地の本棟にあり、シャワー室は宿舎にある。正門と宿舎は本棟を挟むような位置関係にあり、汗を流してから執務室へ向かうと必然的に遠回りすることになる。

 それゆえ以前の416は、出撃後真っ直ぐ執務室へ戻っていた。余程汚れてしまったときはその限りではないが、“絶火”を習得した彼女には泥跳ねや砂埃も追いつかない。

 しかし最近は、毎回シャワーを経るようになっている。

 ノアは少しだけカーテンを開けた。瞬間射し込む強烈な日差しに、思わず目を細める。

 

「そろそろ夏だもんね」

「その通りです。

 さぁ、どれだけ楽しみにされても時間の流れは遅くなる一方でしょう。

 肩の力を抜かれてはいかがですか?」

「そうだね‥‥そうする」

 

 カーテンを閉めて、椅子にぽすんと腰を下ろす。

 

「――って、楽しみ?」

「違うのですか?」

 

 ばっと振り返って訊ねると、質問が返ってきた。ノアは椅子に背を深く預けて腕を組む。「うーん‥‥」

 帰ってきてほしいか否かでいえば当然前者だ。ここに戻ってきた彼女の顔を見て、彼女が生きているという事実を噛み締める。

 さらに近頃は、416が傍にいるだけで安心している自分がいた。彼女の声や影を知覚するだけで、加速していた意識がふっと今に帰ってくる。

 

「何なんだろうなぁ‥‥」

「HK416、ただいま戻りました」

 

 物思いに耽っていたらあっという間に時間は過ぎる。ノアは反射的に声を上げた。「おかえり!」

 416は目をぱちくりさせて、首を傾げた。少し声が大きかっただろうか。

 

「えっ、えぇ。ただいま。

 何かいいことでもあったの?」

「ん、なんで?」

「だって、今凄く嬉しそうな顔してるわよ。貴方」

 

 今度はノアが目をしばたたかせて、G36を振り返る。

 

「そんな顔してた?」

「後ろからでは分かりませんが、はい。

 少なくとも声音はクリスマスプレゼントをもらったART556のようでしたよ」

「そっかぁ。なんか恥ずかしいな、あっは」

 

 ノアは赤くなった頬を掻いた。

 

「別に何かあったわけじゃないよ。なんとなく嬉しかっただけ」

「?そう。ならいいけど」

 

 不思議そうな顔でこちらに歩いてくる。デスクの上にはノアが捌いた後の書類がある。

 416は3つに分かれた山を見て、迷わず一番手前の紙束を手に取った。

 

「新しい畜産プラントの事業計画書と設計書ね。方向性の確認はもう終わってるの?」

「うん、終わってるけど‥‥キミは戻ってきたばかりでしょ。もう少し休んでていいんだよ?」

 

 416は首を振る。洗い立ての髪から香るチューベローズが、いやにノアの気を引いた。

 

「午前の仕事はこれで終わりでしょ。さっさと終わらせて昼休憩に入った方が気持ちいいわ。

 今日のお昼はどうするの?」

「えっと‥‥まだ決めてないかな」

「そ。じゃあどこか行きましょう」

「おっけ」

 

 ソファに腰を下ろして足を組んだ416が、ペラペラとページを捲っていく。彼女に頼もうと思っていたのは予算面のチェックなのだが、もはやそう言った内容は明言せずとも伝わるようになっていた。ノアは孤児院から送られてきた報告書への返電をしたためる。

 しかし指がキーボードを叩く一方で、気付かないうちにノアの視線は画面ではなく416に向かっていた。時折重力に負けてさらりと流れ落ちる銀髪や紙面を走る緑色の視線を、何の気なしに眺める。

 怪しい記述を見つけたのか、きゅっと連山の眉が谷を作る。端末を操作し画面と書類を見比べて、ふっと力が抜けた。杞憂だったらしい。

 白磁の肌に一滴落ちた涙のタトゥーは、その鮮やかな色ゆえとても目立つ。しかしそこに目をつけると、そのまま橄欖石のような瞳に意識を誘導されて――

 

「私の顔に何かついてる?」

 

 見られていることには気付いていた416が、堪えかねたように声を上げた。わずかに紅潮してこちらを窺うその表情を見て、ノアは加速した血流の音を聞いた。

 

(やばっ、制御ミスった)

 

 落ち着いて心拍を元に戻しながら、ノアはにこりと笑う。「ううん。いつも通り可愛いよ」

 ノアは普段から、人形たちに対して「可愛い」や「綺麗」といった褒め言葉を多用する。それは紛れもない本心だし、毎度毎度心を込めて放っている。

 とはいえ人形たちからすれば、いつも同じ言葉をかけられているわけで。慣れてしまったのか、416は出会ったばかりの頃のような鮮やかな赤面を見せてくれなくなっていた。

 しかし今日は。

 

「‥‥そ」

 

 416はぼぼぼぼと耳まで真っ赤に染めて、そっぽを向き呟いた。その手はスカートの裾をきゅっと握り締めている。

 そんなに嫌だったのかと衝撃を受け、思わず謝ろうとしたノアをG36が手で制した。耳元で囁かれる。

 

「ご安心ください、ご主人様。彼女は嫌がっているわけではありませんから」

「そ、そうなの‥‥?」

 

 何しろあんな反応は初めて見たのだ。

 多大な困惑を抱えつつ返電を送信しようとしたとき、ノアの聴覚が遠雷のような音を捉えた。しかし今度は自分の体内ではなく、外――ずっと遠く、正規軍本部のある方角からだ。

 窓の外を見やる。景色には何の異常もない。モニタを確認するが、基地周辺を監視する妖精たちの視界にもおかしなものは映っていない。

 

「二人とも。今の聞こえた?」

「いえ。取り立てておかしな音は聞いておりませんが」

「私も。そもそも何の話?」

 

 顎に手を当てて考える。そんなノアを二人が見つめる。G36はあくまで指示待ちという面持ちだが、心なしか416からの視線がいつもと違うように思われる。まぁ気のせいだろう。

 顔を上げる。

 

「G36、二偵の子たちとアンジェリアを呼んできてくれる?

 416、ランチは少し後にずらそう。多分緊急事態だ」




恋符!!!!!!!!!!(違う)

今回は洗い髪の香りにドキッとしてしまうようなお話でした。むっつりめ

3話くらい前のあとがきで「次回正規軍出す」みたいなことを書いた気がします。すっかり忘れてた。

裏話。今までにもノアくんがしれっとドイツ語を話している描写はありますが、彼は日中英独仏伊くらいなら喋ります。作中で描写することは‥‥ないかな‥‥。筆者が日英独しか読み書きできないので。

次は今度こそ正規軍が出ます。結構目立つ感じで。お楽しみに

感想や高評価など、よろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

少女前線異常アリ ①

この世界の正規軍の戦力はゲーム本編と同じくらいという前提でお読みください


 鋼鉄の防護壁が、まるでプラスチックのように溶解した。熔鉄(ようてつ)の輝きが、引き締まった基地の空気を引き裂く。

 突然の異常事態に声を上げようとした兵士は、始めの一音を放つより早く熱線の中に消えた。

 たった一度の砲撃。何の前触れもなく突き抜けた一条の光によって、正規軍本部は真っ二つに両断された。当然、レッキセンターやアケロンをはじめとする施設も兵器も、射線上にあったものは一つ残らず焼き払われた。大音声の警報が鳴り響く。

 遥か東の都にあった朱雀大路がごとき通りを悠然と進むのは、狂ったように武装が敷き詰められた要塞だ。辛うじて人型に見えなくもないそれの胸元では、大きな砲門が薄く煙を上げている。

 

「はー、めっちゃ気持ちよかった!トーチャラーの中でイったときと同じくらい」

『こら、はしたないわよクレンザー。でもいい一撃だったわ。

 今ので軍人さんたちがいっぱいやってくるはずだから、私の用事が終わるまで遊んでもらってね。

 兵器はどれだけ壊してもいいけれど、保管庫は残しておくのよ』

「おっけ、任せて」

 

 暢気に通話を終えたクレンザーが周囲を一瞥すると、夥しい数の無人兵器が彼女を取り囲むところだった。

 クレンザーは不満げに眉を顰めて、眼前に(ひし)めく無数のオルトロスを徹甲弾の掃射で薙ぎ払った。

 

「なんか少なくない?崩壊液爆弾で数減ったんだっけ」

 

 遅れて迫るテュポーンやコイオスはミサイルの雨で叩き潰した。飛来するレールガンやガトリングを意にも介さず、より多くの敵がいる方向を探す。その横腹に、次々とハンマーのような武装が叩き込まれる。

 とはいえ、機体へのダメージは無いに等しい。クレンザーは機体の下部から熱風を放つ。構えた防弾シールド諸共、突っ込んできたクラトスたちは熔解してアスファルトの染みと化した。

 どんな攻撃にも怯むことはなく、近寄るものもそうでないものも鎧袖一触。クレンザーは退屈そうに空を見上げた。辺りは炎に包まれて、黒い煙が青い空へ高く立ち昇っている。

 

「つまんない。

 早く帰ってトーチャラーとエッチしたいなぁ‥‥」

 

 そのとき、強化外装のレーダーが大きな敵影を感知した。そちらに振り返ると、外装込みのクレンザーを遥かに上回る巨体が地下から押し上げられてくるところだった。巨大な砲門とミサイルポッドを携えたその影を見て、クレンザーの口の端が吊り上がる。

 

「そうそう!せめてAA-02(ソレ)くらいは出してくれなきゃね」

 

 

 

 一方その頃。カーターは基地を脱出するため、最低限の荷物を持って部屋のドアに足を向ける。窓の外では黒煙が上がっていて、空まで赤く炙られている。

 しかしその手がドアノブを握るより先に、背後からの声が彼を呼び止めた。「こんばんは」

 自分以外誰もいないはずの密室という状況下、カーターは飛ぶように背後を振り返った。

 

「お、お前は‥‥!」

 

 その目に映ったのは、蠱惑的な肢体をモノクロの衣装に包んだ女性――の形をした人形。その意匠から、一目で鉄血人形であると分かる。

 断っておくと、彼は曲がりなりにも准将という立場まで上り詰めた男である。その胆力を以てすれば、突如姿を現した鉄血人形ごときに仰天することなど無い。

 にもかかわらず彼が衝撃に身を震わせたのは、人形の顔が自分の知っている人間と瓜二つだったからだ。

 

「お久し振りねカーター准将。最後にお会いしたときからあまり階級が上がっていないようだけど、野心は消えたのかしら」

 

 そう言って笑ったトーチャラーが、怯えた様子のカーターに顔を顰める。

 

「嫌ね、そんなに怖がらないでくださいな。

 私はただ、あの日の慰謝料をいただきに来ただけなんだから」

「い、慰謝料だと‥‥?ふざけるな、化け物め!

 体を機械にしてまで生き延びて、お前は何がしたいんだ!」

「その発言は、今は亡き右腕(大尉)まで(そし)ることになるわよ、准将」

 

 呆れたようにトーチャラーが肩を竦める。「そもそもこうなったのは私の意志じゃないもの」

 気付けば、カーターがゆっくりと右手を腰のホルスターに伸ばしている。その人差し指をトーチャラーが無拍子で蹴り潰す。尋常外の速度で放たれた蹴りがカーターの視界に映ることはなく、何をされたのか分からないまま、彼は短く叫んで蹲った。右手を押さえて呻く。

 額に脂汗を浮かべ震えるカーターの、押さえた傷口から鮮血がぼたぼたと落ちていく。トーチャラーは凄絶な笑みを隠すことも無く、広い額を指で突いた。

 

「そのくらいで音を上げてはダメよ。貴方にはたっぷりとお返しをしなきゃいけないんだから」

 

 

 二時間後。血溜まりに沈む男からは、悲鳴はおろか呼吸さえも聞こえなくなった。トーチャラーは(しな)びた死体を蹴ってひっくり返し、冷めた目で見下ろす。「これでも釣り合いは取れてないけど。まぁいいわ」

 血塗れのポケットから携帯端末を抜き取って、起動してみる。当然生体認証を要求されるが、彼女がわずかに視線を動かせばすんなりとホーム画面へ遷移した。アプリもカメラロールもまるですっからかんだが、通話履歴だけは残っていた。昨日以前のものは消えているので、毎日0時に消去しているのだろう。

 

「不用心ね」

 

 そこに記されていた電話番号を記憶して、端末を握り潰す。(ひしゃ)げた液晶の板を投げ捨てて窓の外を窺えば、来たときに立ち並んでいた施設や兵器たちは跡形もなく消え、最も大きな保管庫を残して辺り一帯は更地になっていた。向こうはとっくに仕事を終えていたらしい。

 

「流石クレンザー」

 

 頬の返り血を拭い、トーチャラーは上機嫌で部屋のドアを開け放つ。ブーツ型装甲をカツカツ鳴らして廊下を歩いていく彼女の目には、辺り一面に転がる兵士たちの死体など映らない。

 

「あぁ‥‥でも匂いが気になるわね」

 

 パチン。

 トーチャラーが指を鳴らすと、瞬く間に床や壁が凍り付いていく。

 やがて5分もしない内に、正規軍本部の中心部は氷の城へと変貌した。

 外からその様子を見ていたクレンザーが、興奮した声を上げる。

 

『トーチャラー凄い!こんなことできたんだ』

「まぁね。貴女が邪魔な連中を綺麗に片づけてくれたし、これからはここをお家にしましょう」

 

 わーいとはしゃぐ相方の声を聞きながら、トーチャラーは兵器保管庫に足を向けた。

 

「正規軍の価値なんて、アレくらいしかないわよね。

 さて、いただこうかしら。――アルゴノーツを」




さよなら正規軍
人類最後の壁がカジュアルに瓦解するお話でした。

この話で色々と察した人もいるかもしれない。

僕は「正規軍なら鉄血を3日で撲滅できる」という設定にちょっとだけおこなので、鉄血に1日で正規軍を滅ぼしてもらった次第です。

感想や高評価はとても励みになります。よろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

少女前線異常アリ ②

 第一訓練場には圧縮された空気の破裂音やらコンクリートの破砕音やらが響いているが、その扉は開放されていた。代わりに入り口には鉄製のネットが吊り下げられており、外には「訓練中につき要注意」と書かれた看板が立っている。

 夏が本格化してきたことにあたって、訓練場でのオーバーヒートを防ぐための措置だった。

 全ての扉や窓が開け放たれ風通しが若干良くなった鉄筋コンクリート製のホールの中で、鳩羽色と黒色の影が駆け回っている。

 ノアの空中横回転蹴り(540)がアンジェリアの側頭部を掠める。耳元で鳴り響いた鋭い破裂音に目を白黒させながら、アンジェリアは素早く横に転がって距離を取ろうとする。しかしノアは既に彼女の背後へ回り込んでいて、ボールを蹴るような姿勢で右脚を浮かせていた。

 

「あぶなッッ!?!?」

 

 慌てて身を翻すと、一瞬前まで彼女の頭があった床が砕け散る。破片が散弾のように勢いよく視界の端へ消えた。10センチほど抉られたコンクリートを見て、アンジェリアの顔から血の気が引く。

 この体勢からではまず次の一撃を躱せない。アンジェリアは素早く拳銃を抜いてトリガーを引いた。ゴム弾とはいえ頭は狙えないので、ノアを何歩か後退させる心算で足を狙い3発撃つ。

 しかしノアの姿は、銃弾が当たるや否やぐにゃりと歪んで千切れるように宙に溶けた。

 突然の異常事態に目を見開いたアンジェリアの視界が翳る。バッと頭上を見上げると、足を高く掲げたノアが飛び込んでくるところだった。全力でノアの背後側へ跳躍。

 ――ガァァァンッッッッ!!!

 破滅的な大音声と共に床が陥没する。飛び散るコンクリート片から頭を守って顔を上げると、こちらを袈裟に斬るような勢いのブラジリアンキックが迫っている。

 咄嗟に飛び退いたアンジェリアは、背中を壁にぶつけたことで追い詰められたことを悟った。攻撃こそ空振ったが、風圧で体勢を崩されそうになる。

 

「待って、コレで本当に低速(ローギア)なわけ!?

 さっきから20回くらい命の危機に瀕してるんだけど!」

「もちろん。限界まで抑えてるよ」

 

 暑さに加えてアンジェリアを傷つけないよう神経を使っていることもあり、ノアは額に汗を滲ませている。

 キュ、とノアのスニーカーが音を立てて止まった。病的なまでに白い肌を拭いながら、心底疲れたような声を上げる。

 

「これくらいで充分でしょ。僕から3分も逃げ切ってるわけだし、完治したと言って問題ないんじゃないかな。

 体に違和感は?」

 

 どこからともなく取り出したタオルを投げ渡す。ふわりと飛んできたそれをキャッチして、アンジェリアは天井を見上げた。

 

「特にないわね。むしろ好調なくらい。

 あのカプリチオの格闘戦を見せてもらったことも併せて、本当に有難う」

「礼なんていいよ。うちの子たちがキミの部隊のお世話になったし、お互い様」

 

 手を引いてアンジェリアを立ち上がらせて、ノアは扉に足を向ける。

 

「どこに行くの?」

「隣で416とAUGがキミの部隊と試合してるから、見に行こうと思って」

「初耳なんだけどソレ。私も行くわ」

「自分とこの部隊が何してるかくらいは把握しときなよ‥‥」

 

 横に並んだ自分に向けられる呆れた視線を、アンジェリアは笑って流した。「私は基本的に放任主義なの」

 

***

 

 ノアとアンジェリアが第一訓練場を後にした頃。

 416は殺到する弾雨をバック宙返りで避けながら、相棒のマガジンを素早く入れ替えた。同時に、足元に放った手榴弾を勢いのままにノールックで蹴り飛ばす。狙うはAUGとの距離を詰めんとするAN-94だ。AUGの迎撃を避けながら駆ける94は、増加した変数に後退を余儀なくされる。

 それを見逃すAUGではない。攻めの起点は作ったし、一対一ならば問題ないだろう。94の呼吸を盗んで駆け出す影を確認し、416は着地する。そこを狩らんと襲い来る銃弾を低姿勢で回避。”絶火”で前方へ落下して、94の援護に向かおうとするAK-12の進路を塞ぐ。同時に銃弾が飛来するので、416は12の反応速度に目を回した。

 ”絶火”を習得していない者は、基本的に不意を突く超音速の疾走を視認できない。高性能の視覚モジュールを持つ416ですら、”猫の鼻”に来たばかりの頃はノアの”絶火”を目で追えなかったのがその証拠。にもかかわらず12は、こちらに吸い付くように照準を合わせてくる。まるでこちらの動きを読んでいるかのような――

 否、実際に読んでいるのだ。12は今、普段伏せたままの瞼を開いている。軍用人形としての設計思想、その極致にある深部演算を以てすれば、彼女自身の目に映らないエンティティの位置など容易に予測できる。

 

「ほんっとにインチキみたいな目してるわね」

「そっちこそインチキみたいな機動力だわ」

 

 12が放つ銃弾を、416も銃撃で叩き落としていく。とはいえ普通に撃っても間に合わないので、銃弾同士をぶつけて跳ね返らせることで、一気に複数の弾を打ち落とす。並の戦術人形には不可能な芸当に、12は舌を巻いた。

 そんな神業を自然と披露してしまった416だが、その内心は焦りに焦っていた。回避すると後方のAUGに当たる可能性があり、左右には大きく逃げられない。したがって、ずっとこの死線に踏み止まる必要がある。

 2対1に持ち込もうとする12の動きはブラフであり、実のところはこの状況を狙っていたわけだ。416は舌打ちした。

 迎撃の中に12の胴を狙う弾を織り交ぜるも、難なく撃墜される。当然だ。彼女は銃弾落としを素の演算能力だけで実現しているが、12には深部演算がある。同じ芸当でも、416よりもずっと容易にできるはず。

 遮蔽物のない中距離戦。AUGを94との一騎打ちに集中させるためには、常に彼女と12との間に立つ必要がある。回避もできず、M320A1を使ったとしても発射直後に撃ち落とされるだろう。純粋な銃撃戦だけで、12を打倒するのは極めて困難だ。

 紛れもない劣勢に416は歯噛みする。他の人形たちが見たら顔を引きつらせるほどの速度でマガジンを換えながら、思考を巡らせる。

 

(この状況、彼ならどうやって――)

 

 そのとき、416の視覚モジュールが12の向こう側に影を捉えた。ノアとアンジェリアが、連れ立って観戦席に姿を見せたのだ。

 ノアの視線はふっと全体を一瞬で俯瞰した後、こちらに向かう。

 彼に見られているという事実を認識した瞬間、416のメンタルモデルが発熱し、思考モジュールはその演算速度を4.7倍まで跳ね上げた。

 急激な演算の加圧変更によりスパークが散る視界の中、416は一つの映像に辿り着く。

 自分にアレが再現できるだろうか。――いや、できる。彼の技を幾度となく目にして、その脅威を知る自分なら。何より、HK416は完璧な戦術人形なのだから。

 

「一か八か、やるしかないわね」

 

 鋭く息を吸い込む。

 初めの一歩は”絶火”と同じ、縮地の要領で膝を抜く。しかし音速には踏み込まない。12の動体視力に合わせて、ギリギリ目で追える程度に抑える。次の踏み足はしっかり地面につけて、一瞬発生した速度を体の中で捻じ曲げる。

 416が自分に向かって駆け出す姿を、12は当然視認していた。ここに来ての突撃という選択を12は訝しむが、深部演算も搦め手はないと言っている。冷静に416の胸部へと照準を合わせた。

 トリガーを引くと同時、12は自分のミスに気が付いた。416は直進ではなく、やや右方向に踏み出している。これではAUGを庇うという目的で彼女を縛ることができない。こちらへ向かってくる行動に思わず迎撃を選んだが、この行動は取り消せない。

 しかしどの道416に弾は当たる。フェイントをかけんとしていつもより不安定になった姿勢では、4発目と7発目の弾丸を打ち落とせない。

 フルオートで放たれた9発のうち2つが、低姿勢で迫りくる416の胸から額の範囲に着弾し――

 416の姿は、千切れるようにして宙に溶けた。

 

「――嘘」

「驚いた‥‥。案外、上手くいく‥‥ものね。はぁっ」

 

 息も絶え絶えな声が12の耳に届いたときには、後頭部に銃口が突き付けられていた。「私の、勝ちよ」

 やれやれと12は両手を上げる。ちょうど向こうも決着がついたらしい、無表情でピースサインをするAUGと悔しそうな94がこちらに歩いてきた。

 

「驚きました。まさか貴女が指揮官の技をそこまで修めていらしたとは」

「あぁいや、今のはぶっつけ本番というか――」

「416!」

 

 背中に衝撃。観客席から416の許まで一瞬で駆け寄ったノアが、後ろから彼女に抱きついて歓声を上げた。

 

「凄い、凄いよ416!”暮葉烏(クレハガラス)”をものにするなんて!

 まだ教えてなかったよね?僕を観察して見取ったの?可愛いなぁ!」

「ちょっとノアっ、今私汗掻いてるから‥‥!」

 

 416は慌てた様子で引き剝がそうとするが、ノアはするりと正面に回り込んで彼女の顔を覗き込む。

 

「流石だね416!いつかは使えるようになると思ってた‥‥けど‥‥」

 

 満面の笑みで捲し立てていたノアの面が、じんわりと赤みを帯びる。鼻と鼻が触れそうな距離であることに、今更気づいたのだろう。

 不自然に背を正して、とててっと後ろに下がる。

 

「あ‥‥ごめん。ちょっとはしゃぎすぎた。

 とにかくおめでとう416。カッコよかったよ」

 

 ぎこちなく言い残して足早に訓練場を去るノアの背中が扉の向こうに消えるや否や、416は膝から崩れ落ちた。

 その顔はタトゥーを見失うほどに赤くなり、酸素を求めて口をパクパクさせている。

 

「‥‥?‥‥??」

 

 混乱のあまり泣きそうになっている416の背中を摩る、AUGの眉尻がわずかに下がる。

 

「大丈夫ですか416。金魚になっていますよ」

 

 そんな様子を眺める12と94は顔を見合わせて、同時に溜息を吐いた。

 

「いつからここは林檎農園になったのかしら。見てられないわ」

「えぇ。同感」




前回から少し時間が空きました。心ポッキン+リアルでの諸事情+MHRがね‥‥。
今回は416が無敵になるお話です。

ついに日本鯖でも416のMODが実装されましたね。
彼女をMOD3にできれば、僕のドルフロはクリアとなります。イベント億劫だけど頑張ろうね。

あと第2スキル名の和訳、侵食榴弾じゃなくて寄生榴弾になってましたね。その内こっちの表記も直します。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

少女戦線異常アリ ③

416の日だぞ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


「そんな‥‥正規軍が」

「信じられないだろうけど本当の話よ」

 

 ”猫の鼻”の執務室にて、ノアと416、アンジェリアと45が顔を合わせていた。

 ソファに腰掛けていた45が、眉をひそめた416を見ながら肩を竦める。

 

「昔のアニメ映画みたいだったよ。基地全体が氷漬けになって、中央からは氷の城が生えてたんだから。

 事情を知らなければ、ロマンティックと思えたかもね」

「他に何か情報は?」

「見るからに生存者は0、ってことくらいかしら。

 誰かさんが敷地から800mの範囲に近づかせてくれなかったから、望遠距離で掴める情報しか無いわ」

 

 45がちらりと隣に視線を投げる。

 正規軍本部跡地へ偵察に行ったのは第二偵察部隊と反逆小隊だった。彼女たちを率いていたアンジェリアが、真剣な表情で口を開く。

 

「あくまで推測だけど、あれ以上近づいてたら全滅してたわよ。

 外壁から800mの範囲は、全ての木々が焼き払われてたの。

 恐らくその距離が連中にとって、接近を察知してから迎撃するのに十分な距離なんでしょうね」

 

 アンジェリアの言葉を聞きながら、416はノアの表情を窺う。彼の視線は、45たちが撮ってきた”城”の写真に注がれている。

 その額に脂汗が滲む予兆を察知して、思わず声を掛けた。

 

「ノア、どうしたの?いつもより顔色が悪いわ」

「――あ、いや、何でもないよ。

 少し体調が悪いだけ。季節の変わり目だからさ」

「ちょっと。人類にとっては危急存亡の秋なんだから、しっかりしてよね」

 

 眉尻を下げたノアを、45が心にもない台詞で窘める。

 しかし416は、彼の額に脂汗が滲みそうになっているのを見逃さなかった。

 もっともこの場で追及するほど、416も空気を読めないわけではない。

 

「これだけ豪勢な拠点を作ったんだ、”欠落組”はしばらくここを動かないと見ていいだろう。

 狙いが分からない以上、慎重に情報を探りつつ向こうの動きを待とう」

「こっちから仕掛けないの?」

「地区が違うし、相手は完全に待ち構えてる。

 戦うにしても、この城から引きずり出さないと」

「ノア」

 

 隣で名前を呼ばれたノアが、416の方を見る。

 416は彼の耳に口を寄せて、45に聞かれないよう、ごく小さな声で囁いた。

 

(その人は絶対に関係ないわ) 

 

 ノアが目を見開く。やがてその目が微笑んで、無言の感謝を伝えてきた。

 先ほど彼が浮かべた笑顔は、間違いなく作り笑いだ。

 そして416には、彼が感情を押し殺した理由に心当たりがあった。

 ノアがかつて身を置いていた超常特殊部隊――”重大犯罪特務分室”の隊長、アルグリス=ファンブルメイドは、氷を生成する超能力者(サイキック)だったらしい。彼に伝え聞いたアルグリスの自己申告と、彼女の最期がその事実を物語っている。

 一夜でこれほど大質量の氷を生み出すことができる存在はそういない。というか、普通はいない。彼がかつての仲間のことを思い出すのも仕方のないことだろう。

 しかしアルグリスは人間で、既に死亡している。この一件には、関係のしようがない。

 416が顔を離すと、45がうんざりした顔で天井を仰いだ。

 

「まーた見せつけてくれるんだから。

 少しは緊張感持ちなよ」

「悪かったわね。愛が溢れて止まらなかったのよ」

「そう言うってことは、少なくとも愛の言葉じゃなかったわけね」

 

 アンジェリアと45の言葉を聞き流しながら、もう一度ノアの横顔をちらりと窺う。

 その面持ちが先程よりいくらかマシになっていたので、416もほっと胸を撫で下ろした。

 

***

 

 砂塵の舞う荒れ地で、2つの勢力がせめぎ合っている。

 一方は銃火器を構えて引き金を引く少女たち――グリフィンS02地区基地の主力部隊。

 もう一方は、虚ろな足取りで前進し続ける骸の軍勢――E.L.I.Dの群れ。

 E.L.I.D側に超大型個体(スマッシャー)はいないものの、固い外殻を持つ上に絶え間なく押し寄せてくるので、人形たちの疲労は色濃い。

 MG5が舌打ちした。

 

「クソッ、もう弾が無いぞ!

 どうする、ネゲヴ!下がるか?」

「私もコレで撃ち止め‥‥みんな下がるわよ!防衛線を狭めるわ!」

 

 号令に隊員たちが身を翻したそのとき、絶望を告げる音が振動となって人形たちを襲った。

 たたらを踏んで転びそうになったKordの顔が、後方を確認して蒼白になる。

 

「あ、あ‥‥どうして?

 さっきまで、いなかったのに‥‥」

「嘘、スマッシャー!?」

 

 逃げようにも、アレが一歩歩みを進めるだけで体が軋む。

 最も敵に近い位置にいたCAWSの両足が、致命的な音を立てて折れた。

 

「CAWS!」

「くそッ、近寄るな‥‥!」

 

 しかし抵抗虚しく、走れなくなった彼女は瞬く間にE.L.I.Dの向こうへ消えた。

 ガンッガンッと何かを激しく殴打する音と、合間に響く苦悶の声。

 逃れようのない絶望感に放心していた人形たちの視界に、新たな影が躍り込んだ。

 

「――え?」

「‥‥やはり、グリフィンの人形では、この星の防人たり得ない。

 この程度の災禍に膝をつくなど、あぁ、惰弱のあまり哀れでさえある」

 

 どこか遠くから響いてくる鐘のような、荘厳で重苦しい声だった。

 戦場には似つかわしくない、スカートが大きく広がったゴシックドレス。いや、ドレスのように見えるそれは、間違いなく装甲だ。

 本来ならば地面についているはずの長い黒髪は、不自然に浮き上がっている。双眸は紅い光を放っていて、総じてその影は不気味であった。

 

「鉄、血‥‥?」

 

 未知の鉄血人形は、スマッシャーの放つ放射線や振動に動じることもなく目を閉じた。

 大きなスカート型装甲が唸りを上げると、風がそこに向かって吹き込み始める。

 やがて彼女が歌うように口を開いた瞬間、

 

 

 戦場から、全ての音が消えた。

 

 

 ネゲヴは、自分の視覚モジュールがハッキングされたのだと思った。そうでないなら、絶望に負けて都合のいい妄想を見ているのだと。

 一瞬前までE.L.I.Dがいたはずの場所には、深く抉られた地面だけが残っていた。奥にいたはずのスマッシャーは、胸から下を失ってこと切れている。

 ドクンドクンと自分の鼓動ばかりが五月蠅かった。状況を把握しようにも、激痛と疲労で身動きもとれない。

 眼前に影が差す。倒れ伏したまま見上げると、先程の鉄血人形が自分を見下ろしていた。

 

「‥‥論外。所詮は人間の代替でしかなく、あまりに弱い」

 

 こちらを真っ直ぐに侮辱する物言いに怒りを抱いても、言い返すほどの力も今のネゲヴには残っていなかった。

 血を吐くように喘鳴するネゲヴから視線を外して、鉄血人形――夜陰姫(ナハツェーラ)は呟いた。

 

「やはり、まず断つべきは()の病魔。あれは星の宿痾(しゅくあ)となりうる。

 ――立ちなさい、弱き者たち。私の羽根として、牙として」

 

 夜陰姫の瞳が一際強く光った瞬間、電源を落とすようにネゲヴの意識は闇へと消えた。

 

 

 その光景を生きて見た者はいない。

 黒き女王に付き従う無数の影たち。それに人と人形の違いはなかった。ただ虚ろに光る赤い目と力ない歩みだけが、彼ら全てが同じ地獄に見舞われたという事実を示している。

 どこへ向かうのか、何をしようとしているのか。

 誰もそれを知ることが無いまま、百鬼夜行が如き葬列は夜陰に消えた。




お久し振りです。
在宅勤務だと外に出る理由が無いので、ポストに郵便物がめっちゃ溜まります。

今回は鉄血サイドが頭おかしいという話でした。
いやぁ‥‥氷結能力は流石に被らんやろと思ってたら出てきちゃいましたね‥‥。
「このくらいはやってもいいよ」という公式からのゴーサインだと思うことにします。

拙作の一つの目標として、「戦力面では原作より地獄にする」というものがあります。
まぁ既にOGASくらいならどうにでもできちゃいそうなんですけども(反省)

次は日常回です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Necked for you. ①

 スクリーンの光が、人間離れした美貌を照らしている。

 副官の同伴も禁止されたため、一人きりの薄暗い執務室。ノアは気だるげな表情で、ホログラムに向かって口を開いた。

 

「それで、どうしたんですか?ヘリアンさん。

 緊急の会議、それも僕まで強制参加だなんて」

『いや今までの会議も貴官は強制参加だったが?』

 

 こめかみに青筋を浮かべるヘリアンの形相を見て、他の指揮官たちがぶるりと肩を震わせた。

 肩に届く程度の明るい髪をゆるく巻いた女性――S09の指揮官だ――が、こちらを見て困ったような笑顔を浮かべる。

 

『忙しいのにごめんね、ノアくん。

 そうだ、前は私を庇ってくれて有難う。助かったよ』

「‥‥いや、忙しいのはキミも同じでしょ。

 あと、その件なら気にしなくていいよ。一番面倒臭い案件を押し付けてるだけだから」

 

 高い実力ゆえ様々な作戦に駆り出される彼女は、今となっては鉄血・正規軍・パラデウスによる混沌の渦中に身を置いている。正規軍の崩壊は、彼女にとってもきっと朗報だったことだろう。

 ノアは大きく溜息を吐いた。

 彼女がNYTOによる拷問の憂き目にあった際、外傷の治療とカウンセリングを担当したのもノアだった。

 そのときの憔悴ぶりを目にしているノアは、その境遇をある程度気の毒に思っている。

 しかし彼女を激戦の渦に放り込んだのは他の誰でもない、ノアなのだ。

 何しろノアの考えが正しければ、彼女に任されたM4A1は――

 

『今回の議題はその「一番面倒臭い案件」についてだ。

 先日のタリンにおける戦闘と敵勢力の動向について、前線にいた彼女に報告してもらう』

 

 ヘリアンの声で、思考の海から浮上する。

 その戦役については、超望遠妖精――ノアの趣味の産物だ――とアンジェリアの協力により、大まかな情報を得ていた。

 ちなみにアンジェリアはすっかり本調子に戻ったようで、既に反逆小隊を率いて戦場を走り回っている。

 

(僕がお邪魔したときはРевель(レーヴェリ)だったかな。いい街だった。

 ロマノフくん家で食べたトヴォロークと黒パンも美味しかったし)

 

 戦闘については、正規軍が崩壊したことで予想よりもすっきりしたな、というのが雑な所感だ。その分G&Kや反逆小隊の被害は大きいが。

 S09の指揮官が展開した資料を暗記しつつ、淀みない報告を聞き流す。

 

(肝心なことが書いてないじゃん)

 

 何よりも考慮すべきは、パラデウスの急激な戦力減少だ。

 パラデウス側は終始優勢だったが、あるタイミングで唐突に戦力を別方面へ移動。

 G&Kとしては追撃する理由が無いので放置していたようだ。しかしアンジェリア曰く、そちらへ向かったパラデウスの兵器やNYTOは全て跡形もなく消えていたらしい。ただ帰っただけならいいのだが。

 いつの間にか報告は終わっており、ヘリアンが締め括るところだった。

 

『パラデウスの狙いが不明である以上、いつどこでテロ活動を行うか分からない。

 指揮官諸君も、該当勢力への対抗策を用意し、警戒を怠らないこと』

(は?狙いなんて一目瞭然でしょ)

 

 NYTOおよびその上位個体、OGASやM16A1の動向。そしてM4A1の製造過程。

 これだけ情報が揃えばE.L.I.Dでも分かる。パラデウスの狙いはM4A1だろう。

 S09の彼女はそのことを理解しているのだろうか。もし知らなかったとしても、自分が助言する義理は無いが。

 

(連中を壊滅させた上でM4を鼻先にちらつかせたら、黒幕を引きずり出せるかもしれないしね)

 

 そして会議は終わる。ノアも通話終了ボタンを押そうとして、ヘリアンに言いたいことがあるのを思い出した。

 

「そうだ、ヘリアンさん」

『何だクソガキ』

「ペルシカ女史に伝えていただけますか?

 趣味の悪いお節介は控えるように、って」

『は?どうして私が貴官の伝言を――』

「んじゃおつかれさまでした~。Tchuess(ばいばい)!」

 

 ボタンを押下する。

 音が消えた執務室。窓の向こうから微かに響いてくる蝉の合唱を聞きながら、デスクの引き出しを引く。

 その一番上に収められているのは、ベルベット素材の小さな箱。先日、I.O.P社から送りつけられてきたものだ。名義こそ会社だが、犯人は間違いなくあのコーヒー中毒者だろう。

 手に取って、そっと開けてみる。

 

「まじでさぁ。嫌がらせか?コレ。

 買ってないんだけど‥‥」

 

 I.O.P社謹製、銀に輝く誓いの輪。

 婚約指輪と同じ形をしたソレ――誓約の証をねめつけて、ノアは大きく嘆息した。




今回はかなり短めです。

念のため補足しておくと、会議で言及されているのは異性体のことです。
本編と比較して、正規軍が参加してない代わりにパラデウスからのヘイトが全部プレイヤーサイドに向いてた感じです。かわいそ

ノアくんは各イベントの戦況も全部把握してますが、手助けするつもりは微塵もありません。ひどいね
利害の一致という点では味方してもいいんだけど、他人と連携すると手間やスパイ発生のリスクが増すよね、という考え方です(ある戦術人形の方を見ながら)。

次回はたぶん飲み会。密です


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Necked for you. ②

 ノアの(もと)に、誓約の証が届いたらしい。

 その噂は瞬く間に”猫の鼻”を駆け抜け、遍く人形たちの耳に入ることとなった。

 ある人形はノアからの告白に備えて美容室へ走り、ある人形は今からでも遅くないとアプローチの計画を練り、またある人形は諦めて自室でしょげていた。

 何しろ誓約の証だ。指揮官に恋愛感情を抱く人形はもちろん、純粋に強化を望む者や他者にマウントを取りたい者など、それを求める人形は枚挙に暇がない。

 しかもノアは徹底的な恋愛回避主義者。全基地で最も指輪に縁の無い彼がそれを手に入れたとなれば、彼女たちの関心を引くのは当然だった。

 というわけで“猫の鼻”の執務室は、人形たちの声でいつにも増して賑わっている。

 

「ねぇねぇ指揮官!都市部に美味しいイスタンブール料理のお店ができたんだって!一緒に行こうよ!」

「それより指揮官、映画に行かない?貴方が好きって言ってた監督の新作、上映してるわよ」

「ねぇ指揮官〜、ちょっと装備の点検に付き合って欲しいんだけどぉ」

「バスケしようよ!」

「私の血を飲んで、ダーリン♡」

 

 かれこれ3時間ほど、人形たちからの誘いに揉まれていた。あまりの攻勢に、流石のノアも作り笑いが引き攣っている。

 

「みんな、ちょっと待って‥‥。

 僕は一人しかいないから、一日にできることには限りがあるから‥‥待って‥‥」

 

 仕事こそいつも通り終わらせたものの、彼がここまで疲労を滲ませているのは珍しい。

 視線で助けを求めてくるノアに、416は瞬き信号で応じる。

 

(今まで八方美人にしてきたツケね。精々もみくちゃにされなさい)

 

 目を見開いたノアに、416は小さく舌を出した。

 ドアを半開きにしているとはいえ、廊下に出ると喧騒は随分マシになる。代わりに416の聴覚に届いた音は、

 

「いいの?助けなくて」

「45か、はぁ‥‥」

 

 思わず嘆息すると、「ひどい」と壁にもたれていた45が頬を膨らませる。

 

(うっざ)

「出てる出てる。顔に出てるよ」

「日頃の行いでしょ。

 で、ノアのことだけど。私がどうこう言ったって、誰も納得しないもの」

 

 そのまま銀髪を靡かせて歩き出す416の背を、45の声が追う。

 

「どこ行くの?」

「買い物よ」

 

 416が素っ気なく答えたとき、執務室のドアから勢いよく赤黒い霧が吹き出した。

 45の目の前で体を再構成したノアが、悲鳴じみた声を上げる。

 

「とにかく!誰かに指輪を渡すつもりはないから!Tchuess!」

「あっ、逃げた!」

「逃がさないわよ指揮官!」

「待って!下心はないの!ほんとに!」

「エッチしてくれるだけでいいから!」

 

 執務室の中から追ってくる声を背に、ノアが青白い顔で駆け出す。

 しかし416の隣で立ち止まり、

 

「416はおでかけ?気をつけてね!」

「えぇ。貴方も頑張って」

 

 そんなやりとりににこりと笑い、再び“幽世潜”で姿を消した。

 何かを察した様子の45が、開いたままのドアを見ながら意地の悪い笑みを浮かべる。

 

「なーんだ。416ったら、ノアが逃げ出せるように手助けしてたんじゃないの」

「何のことかしら」

 

 416は肩を竦めて、今度こそ廊下を後にした。

 

 

 

 本棟の屋上のフェンスに両腕と顎を乗せて、ノアは深く溜息を吐いた。

 

「困ったなぁ‥‥。

 指輪を渡す相手はいないって言っても、全然信じてくれないんだもん」

 

 一つに括った鳩羽色の髪が、緩やかな風に遊ぶ。何の気なしに梳いてみる。いつかVectorの止血で生じた欠落は、とうに埋まっていた。

 そういえば416は、この髪のことを結構気にかけていた気がする。

 

(あの子の髪の方が、ずっと綺麗だと思うけど)

 

 すっかり夏らしく勢いづいた日射しが、肌をチリチリと刺激する。

 死なないとはいえ暑いものは暑い。ノアは日陰に移動して座り込んだ。

 きっとここに416がいたなら、燦々と照る日をこれでもかと浴びて、彼女の髪は水面のように輝きを放つのだろう。想像するだけでも眩しいが、見てみたい気持ちもある。

 そんなことを考えて一人にやついていたノアだが、下から聞こえる人形たちの声で、現在進行形の問題に連れ戻される。

 

「――多分、誰に相談しても贅沢な悩みって言われるんだろうな」

 

 戦術人形は、共にいる時間に応じて自動的に指揮官を愛するように作られる。

 しかし“猫の鼻”に所属する人形はその限りではない。ノア個人による改造でその機能は失われており、404小隊と同じく確固たる自由意思を持っている。

 つまり彼女たちは、明確に自分の意思でノアを愛してくれているのだろう。それはとても嬉しいことだが、

 

「未亡人にするわけには、いかないもんね」

 

 正規軍から基地を守り、この身の真性を受け入れられたあの日。自分は彼女たちにとって必要な存在なのだと、ノアは確かに理解した。

 しかし、己の死を希求する気持ちがなくなったわけでは、ない。以前のような自損前提の戦い方はもうしないが、後腐れなく命を捨てられる機会が来れば、自分は間違いなく飛びつくだろう。

 だからこそ、ノア=クランプスという一個人を拠り所にさせるわけにはいかないと。

 

「あれ?」

 

 違和感。

 いつも自分に言い聞かせていた戒めの言葉が、なぜか今は他人行儀に感じた。

 まるで、自分で自分に嘘を吐いているような――

 

「おかしいな‥‥」

 

 じゃあ本当の理由は何だと自問しても、答えは出ない。

 糠に釘を打つような感覚にうーんうーんと唸っていると、ポケットの端末がブーンと唸った。

 

「‥‥グローザ?」

 

 ”猫の鼻”が誇る二大宝塚系美女。その一翼から送られてきたのは、短いメッセージだった。

 

『今夜飲みましょ。ちゃんと来なさいよ、お店予約しちゃったから。』

 

 続けて添付された住所を確認しながら、ノアは空を仰ぐ。

 もし自分が誘いに応じなければ、グローザは店で待ちぼうけを食うことになる。当然傷つくだろう。恥もかく。

 彼が良心を人質にとった誘い方に弱いということを、彼女は理解しているわけだ。

 ノアは苦虫を嚙み潰すような表情で、「了解」の二文字を返信した。




前回のあとがきで、次は飲みの話とかほざいていた気がします。届かなかったよ(懺悔)
プロットを作らないからこういうことになるんですよね。

しかも薄味になりました。自分を甘やかした描き方すると起承転結がお留守になってしまいますね。

次こそ飲み会。密です


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Necked for you. ③

「はー‥‥あっつ」

 

 ”猫の鼻”の本棟屋上。夜陰を流れていく風を浴び、ノアは酒精で熱くなった頬を冷やしていた。

 鮮やかに輝く星空を見上げて、大きな溜息を吐く。

 グローザに指定されたバーでは彼女の他にMDRとMk48も待ち構えていて、指輪に関することをしつこく問い詰められたのだ。

 何度同じ答えを返しても納得しない三人に、半ば苛立ちながらその理由を訊ねたノアに返ってきたのは、三者三様の呆れ顔だった。

 

『アンタが嘘吐くからでしょ。女の勘を舐めるんじゃないわよ』

『僕は嘘なんて‥‥』

『無自覚ってマジ?ソレはソレで問題じゃない?』

 

 そんな調子でかれこれ2時間も拘束され、普段よりずっと多くのグラスを空ける羽目になった。

 結局は代金だけ置いて”暮葉烏(クレハガラス)”と”絶火(ゼッカ)”で脱出したのだが、ノアは否応なく自分の感情と向き合うこととなった。今こうして夜風に身を任せているのは、そのためでもある。

 

 ――とにかく!誰かに指輪を渡すつもりはないから!

 

 あの言葉に嘘はない。無いのだが、自分でもどこか違和感を抱いているのだ。しかし、その理由だけが分からないまま、人形たちの問いから逃げ続けている。

 バーで彼女たちに言われた言葉を思い返す。

 

 ――何も難しい質問じゃないと思うんだけど。ずっと一緒にいたいのは誰?って話じゃん。

 ――多分思考の主体がずれてるのよ。『誰の気持ちに報いなければならないか』とか思ってるんでしょ。

 ――ほんと莫迦ね。貴方がどうしたいって話なのに。

 

「僕が、どうしたいのか‥‥」

 

 小さな集落で、助けを求めて叫ぶ人形の声を聞いたとき。”猫の鼻”に来ることを決めたとき。

 あの瞬間抱いた決意は、今も変わらない。

 

「僕は、人形たちみんなに、相応の幸せを‥‥あぁ、そういうことか」

 

 思考の主体がずれている、というMk48の指摘はまったくもって正しかった。

 彼女たちは全員、指揮官としてのノアではなく、個人としてのノア=クランプスに問うていたのだから。

 そう理解すると同時に、すっと頭の中に浮かんでくる名前があった。

 しかしその名を口にする前に、着信音がノアの意識を遮った。

 名前を呼び間違えないように、画面を確認してから応答する。

 

「もしもしノアだよ。こんな時間にどうしたの?アンジェリア」

『夜遅くにごめんなさい。報告したいことがあって』

 

 曰く、パラデウスの動向や優曇華の花に関する情報を得たらしい。

 これから、その提供者に接触するのだという。

 

「お相手は何者なの?」

『ごめんなさい、それは言えないの。相手の希望でね』

「本当に大丈夫かよ‥‥。

 ”欠落組”のこともあるし、近頃は謎の百鬼夜行も目撃されてる。

 注意してね」

『大丈夫よ。

 当然気を付けて動くし、反逆小隊(こっち)はこっちで新しい戦力も手に入ったから。

 期待してて』

 

 通話の切れた端末を眺めながら、ノアは「だといいけど‥‥」と独り言ちた。

 

(縁起でもないけど、むしろ戦力が減る気がするんだよな)

 

「相変わらず夜行性ね。アンバーズヒルの吸血鬼様は」

 

 聞き慣れた声に振り返る。

 月明かりを反射してぼんやりと輝く銀の長髪を靡かせながら、こちらへ歩いてくる416が微笑んだ。

 

「なんだか丸一日くらい会ってない感じがするわ」

「あっは。僕も」

 

 フェンスに腕を乗せていたノアの隣に、416も同じように身を預ける。

 その手には細長い箱。白い外装に赤いリボンという、いかにも贈り物然とした見た目をしている。

 

「その箱、どうしたの?」

「ちょっとね」

 

 それでは何も伝わらない。

 もう少しだけ追求しようと視線を彼女の横顔に戻すと、その頬が赤くなっているのが分かった。

 これは追及しても仕方がないと察し、夜空を見上げて時間を潰すことにした。

 

「‥‥ほら」

 

 二人の体温がフェンスを通じて混ざり始めた頃、小さな声がした。

 コツコツ、と手をつつかれる。見れば、416が件の箱でこちらを小突いている。

 とりあえず受け取っておく。

 

「プレゼント?Danke.

 でも、今日って何か特別な日だったっけ」

「別に。いつもお世話になってるから、お礼」

 

 いつもより少し早口で、416がそう言った。

 

「今日は忙しそうだったから。渡し損ねたの」

「明日でもよかったのに」

「他の人形に見られると面倒臭いのよ」

 

 ノアはくるりと身を翻し、フェンスを背凭れにして箱を胸に抱えた。「ありがと」

 

「開けてもいい?」

「どうぞ」

 

 リボンを解くノアの様子を、416が横目でチラチラと見ている。

 箱を開けると、果たして中に入っていたのはネクタイだった。

 灰色に黒猫のワンポイントが刺繍されているソレを見て、ノアは小さく歓声を上げた。

 

「わぁ‥‥!可愛いね。コレ、416が選んでくれたの?」

「そうよ。貴方、あんまりネクタイ持ってないでしょ。

 精々足しにしてちょうだい」

「うん!大事にするね」

 

 そう答えたノアの表情を、416がじぃっと見つめている。

 何かを読み取ろうというより、何かを態度で示したいような素振りだが‥‥。

 

「‥‥」

「ど、どうしたの‥‥?」

「別に。

 それじゃ、私は戻るから。おやすみ、ノア」

「うん、おやすみ」

 

 少しだけ怒ったような、落胆したような足取りで屋上を去る背中を見送る。

 彼女の気配がなくなったのを確認して、ノアはその場にへたり込んだ。

 

「参ったな‥‥。

 こういうのは、勘弁してくれよ‥‥」

 

 先ほどの416の真意を、ノアはその実しっかりと理解していた。

 女が男にネクタイを贈ることに宿る意味は、ただ一つしかないのだから。




お久し振りです。
最近色々忙しくて全然こちらに手が回っていませんでした。

高評価や感想などいただけますと、大変励みになります。
好きな動物の鳴き声でも構いません。

次回は敵サイドのお話です。
よろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

百鬼夜行の廻り道 ①

お久し振りです


 狂気の滲んだ微かな独り言が、フローラ植物研究所の一室に響いていた。

 

「そんな‥‥どうして戦術人形がここに‥‥こんなの‥‥」

「どうやら、パラデウスは完全にここを捨て駒として使っていたようね」

 

 抵抗虚しく捕縛され、動揺で声を震わせるリオーニを尻目にRPK-16は呟く。

 抱き起こされたアンジェリアが、ガスの影響で青ざめた顔のまま立ち上がる。

 肩を貸すAK-15に状況を確認すると、

 

「他の研究員も全て無力化しました。

 まともな戦力がいなかったから、こちらの消耗は弾薬含め皆無です」

「ソレは好都合ね。情報は手に入ったし、早く撤退しましょう」

 

 ごきゃり。

 

 3人が歩き始めたその瞬間。ドアを突き破って雪崩れ込んできた黒い塊が、アンジェリアとAK-15の視界を駆け抜けた。

 振り返れば、ソレは巨大な顎を備えた無脊椎動物に見えた。体表はどこまでも光を反射しない漆黒なので、血の色を素直に湛えた口だけが鮮明に映った。さながら魔龍とでも呼ぶべき、冒涜的で暴力的な見た目をしていた。

 そしてソレは、びっしりと並んだ牙の隙間から零れる涎にも構わず、射線上にいた2人――RPK16とリオーニを貪っている。

 二人は、断末魔を上げる間もなくこと切れていた。

 

「――15!RPK-16を置いて撤退する!火力支援を!」

 

 想像を絶する光景に一瞬硬直したアンジェリアだったが、全身を駆け巡る危機感のままに声を上げた。

 出入口は魔龍の体で塞がれている。15は躊躇なく部屋の壁を殴り砕いた。左側には黒い体が延々と続いていたので、否応なく二人は右側に舵を切った。

 

(ごめんなさい、RPK-16‥‥。

 こんなに早く貴女を失うなんて‥‥!)

 

 しかし、隊員の喪失を嘆く感情すら、抱えて走る余裕はないのだと。廊下の角を曲がった瞬間、アンジェリアは理解した。

 コンクリートを破砕する轟音が、背後で響いたからだ。

 振り返らずとも分かる。先の食事を終えた捕食者が、次の料理を求めて動き始めたのだ。

 

「15!最短の脱出経路は!?」

「こっちへ!」

 

 道を知る15を先行させ、全力で駆ける。

 しかし、あの気配が遠ざかる様子はない。むしろ、1秒ごとに距離が縮まっていた。

 

「クソッ、どうやって動いてるのよ‥‥!」

 

 少しでも足を遅らせるために、振り返って銃口を向けた。

 そして、目に映る光景の悍ましさに呼吸が止まる。

 RPK-16とリオーニだけではない。魔龍に食い散らかされた被害者たちが、それぞれギリギリ判別できる程度の()()()()となって、ぽっかりと開いた口の中にこびりついていた。

 引き金を引いても、当然魔龍は止まらない。

 15と二人がかりの掃射でも、手榴弾でも速度は緩まない。研究所の廊下がもっと広かったなら、自分たちは2分前には死んでいる。

 まもなく、両者の距離は零になる。醜悪な顎がこれまで以上に大きく開かれ――

 

 瞬間、喉が焼けるかと思うほどの冷気が廊下を駆け抜けた。

 

 壁も天井も、アンジェリアと15を避けるようにして、世界のすべてが凍り付く。

 魔龍も例外ではない。先程までの暴走が嘘だったかのごとく、完全に停止していた。

 

「コレ、は‥‥氷結能力!?まさか‥‥」

「”欠落組”の凌辱者(トーチャラー)でしょうか。ここに来ていると?」

「分からない。C■■地区からここまで、相当距離があるし‥‥。

 でも、こんなことができそうな相手は、あとは故人でしか思いつくあてが無いわ。

 とにかく、コイツがいつまでこのままか分からない。

 トーチャラーを警戒しつつ、全速で離脱するわよ」

「了解」

 

***

 

 そうして走り去った二人の気配が完全に消えた頃、魔龍を覆っていた氷が砕け落ちた。

 リールに巻き取られるかのように、長く黒い体はしゅるると引き下がっていく。

 やがてソレは研究所の裏に佇む、黒いドレスに身を包んだ戦術人形の傍で解け、元の姿――夜陰姫(ナハツェーラ)の頭髪へと戻った。

 ナハツェーラは指で髪を梳り、ほうと息を吐く。

 

「2人逃したか‥‥。しかし、摘むべき芽は摘んだ。

 それより思料(しりょう)すべきは、”アルプ”を阻んだ氷の異能。

 持ちうるのは、OGASに匹敵する力の宿主か。

 争うならば、”ラミア”の使用は必至‥‥」

 

 独り言ちるナハツェーラの足元に、ゴロゴロと何かが転がってきた。

 見れば、ソレはかつて彼女が傀儡にした戦術人形――ネゲヴの頭部だった。

 

「戦いを手下に任せてご自分は髪で遊んでるだけ、なんていいご身分ですね。

 いい加減通してくれます?邪魔なんですよ」

 

 明らかに苛立っているその声を聞いて初めて、ナハツェーラは視線を上げる。

 そこにいたのは、蛇のようなデザインの捕脚を備えた異形の女性――モリドーだ。その周囲には、先程までナハツェーラの眷属として命を燃やしていた者たちの亡骸が、絨毯のように広がっている。

 モリドーはミディアムショートの白髪をかき上げ、荒く息を吐いていた。

 

「この方たちを見て理解しました。

 我々の信徒が集う拠点を襲撃し、妹たちを手当たり次第に殺している怪物‥‥。

 お父様が仰っていたのは、貴女のことですね」

「『お父様』‥‥他の兵たちも同じことを言っていた。

 ソレが、今この星を蝕んでいる病魔で相違ないか」

「お父様が病魔ですって?

 この腐った世界を作り替える、救世主の間違いでしょう」

 

 ナハツェーラはゆるりと首を振り、静謐な殺意を湛えてモリドーを見据える。

 

「信仰と思考停止は等しい在り方である。

 紛い物とはいえ、やはり人を模している以上、愚かしいものに変わりは無いか」

 

 どこからともなく、ナハツェーラの手には髑髏と十字があしらわれた小銃が握られていた。

 豪奢で禍々しい意匠に包まれた銃口を向けられて、モリドーは再び臨戦態勢に入る。

 

「ちょうどいいわ。ここで貴女を殺して、その首をお父様へのお土産にすることにします」

 

 モリドーの捕脚、その先端から、今にも血の雫が落ちようとしている。

 やがて雫が重力に従い、地面に触れた瞬間――2つの化生による殺し合いが始まった。




前回が”猫の鼻”の平和なお話だったので、今回は他陣営の平和じゃないお話です。

かなりちんたら執筆していたので、自分でもナハツェーラの口調が分かんなくなりながら書きました。語彙が難しい。

感想や高評価など頂けますと非常に励みになります。よろしくお願いします。

次はちょっと短めで、欠落組のお話になる予定です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

百鬼夜行の廻り道 ②

 限界まで稼働させられたエンジンの唸り声と、タイヤが砂利を蹴り飛ばす音が騒々しい。

 近くのグリフィン基地から拝借した自動車でボロボロの車道を爆走しながら、トーチャラーは先程目にした光景を反芻する。

 

「やっぱり、敵わなかったか」

 

 ナハツェーラと超上級NYTO――モリドーの戦いは、時間にすれば5分にも満たなかった。

 2丁の大型拳銃から放たれる杭のような弾丸を捕脚で防ぎ、あるいはいなしながら接近しようとするモリドーに対し、ナハツェーラはまるで間合いを調節する素振りを見せなかった。

 やがて両者の距離は2メートル程度にまで縮まったが、その頃には捕脚もその主も傷だらけ。

 決死の形相で拳を握ったモリドーだったが、次の瞬間には関節毎に斬り刻まれていた。

 ナハツェーラの傀儡となった、多数の戦術人形や人間を相手していたことによる疲弊もあっただろう。

 しかしモリドーが本調子だったとしても、結果は覆らなかったはずだ。それほどまでの性能差。

 

「いつかの音響攻撃も使ってなかったし、他にも隠し玉はあるんでしょうね。

 ‥‥まったく、狂った機体性能だこと」

 

 あの怪物を作り出したのが鉄血工造である事実に、現実逃避の笑いが漏れる。

 自分も他者のことを言える立場ではないが、あれはいくら何でも規格外だ。

 男が一人、道の脇から飛び出す。身なりと荷物からして戦場泥棒(スカヴェンジャー)だと判断、そのまま撥ねる。

 斜め前方に吹き飛ぶ遺体には構わず、アクセルを踏んだままトーチャラーは思索に耽る。

 あの戦いで、気になった点が3つあった。

 まずあの大型拳銃。いくら連射しても弾切れする様子が無く、それどころかリロードすらしていないように見えた。あれは一体どのような原理で動作しているのだろう。

 そして、モリドーを蹴散らした不可視の斬撃。ドレスのはためき方からして、恐らくナハツェーラの後方から何らかの武装が起動したと考えられる。有効射程や破甲力、あの武装の詳細情報を手に入れたいところだ。

 最後はナハツェーラの目的だ。

 モリドーの発言からして、ナハツェーラはパラデウスとそれに協力する者たちを殺して回っている。

 加えて、ナハツェーラの言動からは「地球を救う」という意思が垣間見えた。しかしそれは「人類を弑してエリザを次の人類にする」という、鉄血人形の行動理念と一致しない。

 彼女の真意は如何――

 

「‥‥って、コレも私は人のこと言えないか」

 

 前方、闇に聳える氷の城が見えた。踏み込んでいたアクセルを少し戻す。

 ナハツェーラは極めて広い地域で散発的に侵略を行っている。

 G&Kにも少なくない被害が出ているのだが、ナハツェーラの姿を見て生還した者がいないため、まるで事態が把握されていない。

 さて、ここでトーチャラーにとって一つだけ納得いかないことがある。

 

「どうして彼は知らんぷりを決め込んでいるのかしら」

 

 元々ノア=クランプスは人命よりも人形たちの生活を優先するきらいがあったが、今の状態は度が過ぎる。

 C■■地区では一切ナハツェーラによる被害が出ていないとはいえ、アレを放置していてはあまりに多くの命が失われてしまうというのに。

 

「‥‥まさか、彼すら把握していない?

 彼の課題解決能力は地球上でも最高峰だけど、その頭脳だって課題自体を認識していなければ意味がない。

 ナハツェーラが彼の能力を危険視していて、”正体不明の厄災”のまま立ち回っている‥‥?」

 

 トーチャラーの推測は正しい。

 現在ノアは”謎の百鬼夜行”の存在こそ掴んでいるが、その内実に鉄血人形がいるなど露も知らない。

 

「‥‥はぁ、どうやら仕事が一つ増えそうね。

 でも仕方ないわ。セレナとの約束を破るわけにはいかないもの」

 

 ナハツェーラによって搔き乱された盤面とこれから動かすべき駒を整理しながら、トーチャラーは車両を正門前に乗り捨てた。

 バンパーを一瞥して一言。

 

「あら。派手に凹んでる」




ワクチンの副反応えぐいですね。しぬかと思った


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

水辺のシュトロース

まだ夏です(妄言)


 吸血鬼であるノアには、これといって生物的な弱点が存在しない。

 下位個体である死徒なら、急所の破壊や日光による細胞崩壊によって殺すことができる。しかしそれらも彼にとっては脅威となりえず、ノア=クランプスは誇張抜きで完成された生命体と表現できるだろう。

 さらに過去300年という月日を多様な勉学と修練に費やした彼は、戦闘以外の芸術や学問にも秀でている。

 しかしそんな最強生物にも一つだけ、決定的な弱点があった。

 

「だから泳げないって言ってるだろ!嫌だ嫌だ絶対に入らないからな!」

「まぁまぁまぁまぁまぁそう言わずにさ!

 とりあえず足だけでもつけてみなよホラホラホラ!」

 

 アンバーズヒル都市部につい先日オープンしたばかりの、大型アクアパーク。

 かつてハワイと呼ばれた島の植生を再現した人口植物に、最新鋭のプロジェクションマッピングと小型の人工太陽を用いて再現された炎天。22種類のプールはビーチを模した通路で繋がれており、ただ眺めるだけでも目が楽しい。

 そんな娯楽施設ができたとあっては、”猫の鼻”の精鋭たちが「行ってみたい」と宣うのも当然のこと。早速、何人かの人形たちがこの施設へ足を運んだ次第である。

 ノアは経営者と挨拶(という名のプチ会議)を終えてから入場したので、既に人形たちは各自行きたい場所に散っていた。

 一方で彼を待ち構えていた人形もいる。その一人が、2丁の水鉄砲を腿のホルスターに提げたビキニ姿のスコーピオンだった。

 絶対に泳ぐつもりのない――泳げないノアと、何が何でも彼と水遊びに興じたいスコーピオン。

 人工の陽光が照り返す砂浜の上で、決して相容れない二人は目にも止まらない速度の追いかけっこを繰り広げていた。

 当然周囲には他の人形も、一般市民もいる。他の来場者たちにぶつからないよう、二人は極めて狭い範囲で器用にステップを踏む。

 その異様な光景は野次馬を呼び、ギャラリーを遠ざけて安全を確保しようとする人形を呼ぶ。

 

「止めるんだスコーピオン!指揮官は嫌がってるじゃないか!」コンテンダーが声を上げる。嗚呼、何て良識のあるいい子なのだろう。

「だって滅多に見られない指揮官のガチビビリだよ!?この先を確かめずに帰るなんてありえな——」

 

 がしり。

 

 猛獣のような顔つきで叫んだスコーピオンの後頭部が、白くて細い指に掴まれる。

 エスカレートした攻防の果てに音速へ踏み込んでいた彼女を捕らえる——さらに片手で易々とそれをやってのけるほどの実力者はそういない。

 そんな実力を持つ人形にしてノアの副官であるHK416が、こめかみと手の甲に青筋を浮かべて微笑んだ。

 

「ノアもスコーピオンも、一般人がいる場所で”絶火”を乱発しないの。

 万が一にも制御を誤れば、ソニックブームで死傷者が出るわよ」

「は、はぁいたたた痛い痛い!」

「ほら、あっちにG36cとかいるから、遊んでもらいなさい」

「はぁーい。いてて‥‥」

 

 頭をさすりながらその場から去るスコーピオンを尻目に、ノアが溜息を吐く。

 

「ふぅーっ‥‥。ごめん416、助かった」

「全く、ノアは甘すぎるのよ。

 さっさと掴んで水面へ投げ飛ばしてしまえばよかったのに」

「いやいや‥‥」

「‥‥」

 

 そのまま、二人は黙り込む。

 制御を誤れば、という彼女の指摘は全くもって正しい。実際416が姿を見せたとき、ノアは”絶火”後の着地をしくじりかけたのだから。

 416がその身を包んでいたのは、深い藍のビキニ。普段はあまり主張するような服を着ないから意識せずに済むが、こうして露出の激しい恰好をされてしまうと、彼女がメリハリのついたプロポーションであることを理解してしまう。肩紐とバスト部の接続は金属の輪が務めており、強い陽光を鋭く返すせいで胸元の主張から逃げられない。白磁の肌と濃い色の水着が生むコントラストも、ノアの意識を奪う一因だろう。薄紫のパレオから覗く太腿も危うい。

 しかし今上げた光景のどれよりも彼の脳漿をぐつぐつと加熱するのは、何かを言いたげに――あるいは聞きたげに髪を指で梳く416の表情だ。チラチラと隠す気があるのかないのか分からない頻度でこちらの様子を窺って、その頬は目元のタトゥーが霞むほどに赤くなっている。

 そしてノアは、彼女が今もこの場を離れない理由に見当がついていた。

 この状況下で何も言えないほど、彼は女心に無頓着な生き物ではないのだから。

 上手く吸えなくなっていた夏の空気を吸い込んで、口を開く。

 

「‥‥その」

「な、何よ」

 

 嗚呼、416が妙に強張った声を出すものだから、こっちまで緊張してきたではないか。内心で愚痴る。

 二人の間に横たわる甘ったるい沈黙に耐えかねたか、周囲の人々が散っていく。

 

「水着、似合ってるね。凄く綺麗」

「――そ、そう?まぁ私が3時間かけて選んだんだから、当然でしょうけど」

「あっは、そりゃ長期戦だったんだね」

「折角の水着だもの、貴方には一番綺麗な私を見てほしいじゃない」

 

 眩暈がした。

 勘弁してくれ、と心の中で悲鳴を上げる。実際に喉も少し引きつった。

 何なのだそのいじらしさは。

 こっちはつい先日に自分の感情の輪郭を掴んでしまったところなのだ。すでに自分を誤魔化すのも難しいところまで来ているというのに、これ以上この気持ちに形を与えられたら堪らない。

 自分は今、どんな顔をしているのだろう。自身の体を細胞単位で把握し続けることが当たり前の生き物でありながら、今のノアは自分の佇まいを見失いかけていた。

 目の前の彼女に対して熱っぽい視線を送ってしまっていたらどうしよう。脈アリだと416に期待を持たせてしまったらどうしよう。

 一時的に管理および指揮権を移譲されているとはいえ、そもそも彼女は404小隊の人形だ。“欠落組”の件が片付いたら、ここを去ってしまう。

 1ヶ月後の再会も確約できないこの世界で、ずっと傍で守ることを許されない相手を想い続けるのは、辛い。

 

「そ、それじゃあ、私は他の人形たちの様子を見てくるわ!

 リベロールはあっちでG11を見てくれてるから、行ってあげて」

 

 言葉に詰まったノアが再び口を開くより先に、416が声を上げる。少し裏返っていた。

 そこでようやく呼吸の仕方を思い出せた。いつもと同じ、人当たりのいい笑顔を作る。

 

「うん、よろしくね。416も楽しんで」

「えぇ。貴方もね」

 

 そうして416と別れ、売店でジュースを買ってから、ノアはリベロールのもとへやって来た。

 パラソルの陰に腰を下ろし、深く息を吐く。人工太陽によって生み出される疑似的な晴天は、ノアには中々堪える代物だ。もっとも、それはここにいる二人にとっても同じだ。

 水着姿で眠りこけているG11――これが彼女なりの海の楽しみ方なのだろう――に配慮して、小声で謝罪した。「ごめんねリベ、遅くなって。コレ飲みな」

 小さな両手で持っていたパインジュースを置いて、リベロールはレモネードを受け取る。

 

「ありがとう、ございます。ちょうど、これを、飲み終わったところなので‥‥。

 でも、意外でした。指揮官にも、苦手なこと、あるんですね」

 

 リベロールの発言に片眉を上げる。

 

「あぁ、あの騒ぎも聞こえてたんだ。

 ま、そりゃあるよ。むしろ苦手なことの方が多いくらいさ」

 

 驚かれるのも無理はないのだが、自分を完璧超人と思われるのは心外だ。

 何しろノアは特別器用なわけでもない。ただ不滅の命に物を言わせて、目についた技能を片端から修めていっただけなのだから。

 そう答えると、リベロールは首を振った。

 

「多分、自分には時間があると、分かっている人は‥‥頑張ることを、どこかで止めてしまうと、思います。

 何かを学び、続けるのは‥‥大変でしょう、から」

「そういうものかなぁ」

「ふふ。そうですよ、きっと」

 

 命の足元が覚束ない日々を知る彼女がそう言うなら、そうなのだろう。

 リベロールが微笑みながらストローに口をつけたタイミングで、端末のバイブレーションがメッセージの着信を伝えた。送り主はアンジェリア。

 嫌な予感を抱きつつ開く。さっと目を通し、特に表情を変えることなく端末を仕舞い込んだ。

 

「お仕事の連絡、ですか?」

「そう。アンジェリアたちが“猫の鼻”の修復施設を借りたから、事後承諾してねってさ」

 

 この言葉に嘘はないが、全てを語ったわけでもない。

 アンジェリアからのメッセージは、フローラ研究所で彼女たちが見舞われた災難の顛末だった。

 RPK−16という戦力を失ったことは残念だったが、アンジェリアたちに大きな怪我がないことは不幸中の幸いと言える。

 しかし何よりも重要なのは、謎の魔竜と氷結攻撃。

 前者については情報があまりにも少ないので何とも言えないが、後者はほぼ間違いなくトーチャラーの仕業だろう。精密に対象を選択した上で、広範囲を高速で凍らせることができるというのは想像以上だ。

 トーチャラーがなぜアンジェリアたちを助けたのかは分からないが、少なくとも欠落組を味方だと考えるのは早計だろう。

 

(常識的に考えて、長期的な視点での罠なんだろうな。警戒しないと――)

 

 ばしゃんと水面を破る音と楽しげな悲鳴に、視線を上げる。

 どうやらMDRがプールサイドから飛び込んだらしい。UMP9がけらけら笑い、45が顔にかかった水を拭う。‥‥義手を完全防水にしておいてよかった。

 少し離れた場所では、416とRFBとIWSが水鉄砲を撃ち合い、三つ巴の様相を呈している。AUGは戦場の中心にいながら、泰然と水面に浮かんでぼうっと天蓋を見つめているようだ。

 そんな彼女たちの様子を眺めて、リベロールが薄く微笑んでいる。

 思い思いに水飛沫を上げる人形たちが見せる、戦場では見ることのできない笑顔。これだけで、今日ここにやって来た甲斐があるというものだ。

 トーチャラーが何を企もうが関係ない。この景色を守るためなら、彼はG&Kも正規軍も鉄血も――彼自身さえも、使い捨てられる。

 

「あ!ノア、来てたんだ」

 

 彼の姿を認めた45が、ぱしゃりと陸に上がって駆け寄ってくる。「どう?私の水着姿。似合ってるかな」

 たくさんのフリルをあしらった、あざといデザインの水着だ。髪をかき上げながらこちらを窺う表情は自信と悪戯っぽさに満ちていて、つまりはこの所作の印象込みで計算して選んだ水着なのだろう。

 

「うん、似合ってる。可愛いよ」

「‥‥ダメだぁ。全然ドキドキしてないよこの人」

 

 リベロールが濡れないように距離を取ってパラソルの陰に座り込みながら、45が腕をついて上目遣いですり寄ってくる。「もっと何かないの?ドキドキしない?」

 そこに、銃撃戦を終えた416たちもやってくる。勝ち負けの基準は分からないが、各々の表情からして、おそらく416が勝者となったのだろう。

 RFBが45の脇腹をつつく。

 

「だからー、指揮官にエロで攻めるのが無理ゲーなんだって。この人そこら辺の自制心半端ないもん」

「端からそんなつもりじゃないし。別にエッチじゃないでしょ。ねぇノア?」

「いや煽情的だとは思うけど‥‥?」

「――へ」

 

 一瞬、45が驚愕の表情で固まった。その面が、じんわりと赤く染まっていく。

 ノアが意外な光景に対する驚きの言葉を口にするより早く、416が水鉄砲をこめかみに押し付けてくる。「‥‥ノア‥‥?」

 

「ただの客観的事実だから!何でそんなに怒るの!」

 

 タンクは空だというのに、なぜか頭を打ち抜かれそうな恐怖が襲ってきた。そんな場合ではないが、416もいい殺気を放つようになったものだと感心する。

 

「修羅場だ修羅場だー!コレはいいネタになるぞ~」

「よかったね45姉!」「うん‥‥」

「お、落ち着いて、ください、416」「リベロール、下がってて。危ないから」

「うぅん、何騒いでるのぉ‥‥?」「あ、G11が起きた」

 

 人形たちに囲まれていると、その姦しさに目が回る。この喧騒は、彼が生きてきた過去300年の人生には無かったものだ。

 けれどこの時間――片時でも人形たちが戦いを忘れて己の情緒に生きられるこの時間こそが、ノア=クランプスが手に入れたくて、そして守りたいもの。

 彼が”猫の鼻”にやってきて、2つの季節が過ぎ去った。

 やがて次の夏がやってくる頃にも、この子たちがまたこうして笑えますように。

 ノアは心の中で、自分を見送った仲間たちに向かって願いを掛けた。




お久し振りです。ことまちです。

最近FANBOXを始めたりイラストのモチベーションが上がったりで、執筆が滞ってしまいました。すみません。
そのせいで水着回です。季節外れもいいところです。まぁいいか。

感想や高評価などお待ちしております。好きな動物の鳴き声でも構いません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

孤独を誤魔化す方法

 ”猫の鼻”に限らず、軍事基地は敵に全容を把握されにくいよう、あえて複雑に造られている。

 さらに”猫の鼻”では敷地内に様々な樹木を植えており、四季の巡りも色濃く現れる。在りし日の極東を思わせるその風情は、ここが軍事基地でさえなければC■■地区の観光名所として人々に知れ渡っていただろう。

 今年の秋は例年より冷える。日が落ちれば、身震いするような気温が人形たちを宿舎へ追い立てる。出撃するときには、恒温モジュールを冬季標準に設定している人形も既に8割を超えた。

 昔からこの季節は、ノアの心を浮つかせた。葉を落とし眠りに就こうとしているハクモクレンたちを頭上に眇めて、ノアは深く息を吸う。

 冷たい水のような空気が、服と肌の隙間に流れ込んでくる感触が好きだった。

 しかし近頃は、もう一つノアの足取りを軽くする要因がある。

 人間職員用宿舎――その名に反して人間は一人もいない――の一室、ノアが使っている部屋のドアを開けようとして、ドアノブから手を放す。

 

「おかえりなさい」

 

 ノアの気配を察し先んじて扉を開いたのは、副官にして第一強襲部隊のエース、HK416だ。

 長い銀髪を後ろで一つに括り、非出撃時に着ている制服、KSKのプリントは紺のエプロンに隠れている。

 「ただいま」とノアが応じると、彼女は橄欖石の目をきゅっと細めて微笑んだ。

 

「夕飯出来てるわよ。お風呂も溜めてあるけど、まずどっちにする?」

「え‥‥っと、じゃあ、ご飯で」

「わかったわ。それじゃあ用意するから、手を洗ってきて」

 

 洗面所の蛇口を捻りながら、思わず呟きが漏れる。

 

「これじゃまるで新婚だな‥‥うーむ」

 

 いつか404小隊の部屋でご相伴に預かったとき、45にからかわれたことを思い出した。いよいよあの言葉が現実味を帯びてきた気がする。

 何しろここ一月ほど、416は404の宿舎に戻っていないのだ。

 この事実は既に他の人形たちにも知れ渡っているところであり――主にMDRのせいだが――、近頃はアプローチを掛けてくる人形が少し減った気がする。

 それは正直有難いのだが、それよりも四六時中自室に416がいる状況の方が困りものだ。

 

「わ、今日はアラビアータか。道理でいい匂いがすると思った。

 いただきます」

「ふふ。明日も仕事だから、大蒜は少なめだけど。

 召し上がれ」

 

 夕食時にはテレビを点けなくなった。なんだかんだでこの二人はずっと他愛もない話を続けるので、点けていても意味が無いことに気が付いたのだ。

 食後は少しゆっくりしてから、二人で並ぶには少し狭いキッチンへ。手分けして食器を洗う。

 

「今日も美味しかったよ」

「そう?よかった。鷹の爪を多くしたから、私には少し辛かったけど。

 あ、袖降りてるわよ。捲ってあげる」

「だーんけ。

 じゃあ、僕が作るときは辛さ控えめにしようかな」

「あら、ありがと。でも流石に明日じゃないわよね?」

「流石にね。明日は和食にする予定」

「いいわね。こないだ買った蒸籠を使うのかしら」

 

 正解、といってノアは笑った。

 広くはないと言っても身動きは取れる程度の空間。しかし、肩が触れ合う距離で手を動かしている。

 わざと近寄っているのは、果たしてどちらなのだろう。

 

「狭くない?」

「まぁ、広くは無いわね」

「もし引っ越すとしたら、次はもっとキッチンが大きな家がいいな。対面の」

「――そうね」

 

 口にして、しまったと思った。

 この時間は幸せだ。同時に、この幸せには期限があることも分かっている。

 夢を語れば語るほど、その遠さに呼吸が浅くなる気がした。

 

「週末には、UMP姉妹やG11を呼んでやろうかしら。

 最近構え構えって五月蠅いし、コレ以上放置したらもっと鬱陶しくなりそうだから」

「ふふ、ソレは楽しそうだね」

 

 だからこそ、自分が求めているものを相手も求めているという事実は、ノアを安心させる。

 

***

 

 ノアの部屋――人間職員用宿舎の各部屋は、一人部屋だ。

 そこに男女が二人で暮らすとなれば、当然浮上する問題がある。

 そう――プライバシーである。

 脱衣所にて。服を脱いで洗濯籠に放り込む瞬間、未だ見慣れないものが視界に映る。

 ノアは咄嗟に目を背けたが、遅かった。

 一瞬の視認で網膜に焼き付けられたのは――416の下着だった。

 

(最近はあの子くらいのサイズでも、可愛いのあるんだなぁ‥‥。

 ‥‥記憶を消したい‥‥)

 

***

 

 今までは、午前5時頃に416が部屋へやって来て、ベッドに潜り込んでいた。

 逆に言えば彼女が来るギリギリまで起きていても、彼女に気づかれる前に就寝すれば叱られなかったのだ。

 それが今では、時計の針が11を指すが否や寝室へ追い立てられる。まだやりたいことがあるのにと申し立てようが、聞かん坊な子供を見る目で布団を掛けられてしまう。

 

「こら、ベッドでまで資料読まないの。観念して眠りなさい」

「頼むよ。僕が上がってから返信が来たから、まだ確認できてないんだ」

「‥‥仕方ないわね。私も見るわ」

 

 肘をついてこちらの端末を覗き込んでくる。416の頭がノアの肩に乗り、長い髪がくすぐったい。

 

「あぁ、今度こっちに移送されてくる捕虜ね」

「そう。マホーレンって名前らしいけど、上級のNYTOだと思う」

「は!?そんな奴の受け入れを承諾したの?」

「先方からはただの捕虜としか言われてないしね。断る理由も特に見当たらないよ」

 

 どうやら戦闘向きではないということも分かっている。医療技術や話術に通じ、パラデウスの窓口兼宣教師の役回りを担っていたらしい。

 わざわざ”猫の鼻”に保護させるあたり、表向きは捕虜となっているがその実亡命なのかもしれない。

 

「また資料を盗み見たの?」

「S09の指揮官とか、僕に情報すっぱ抜かれてる前提で話進めるんだよね。

 情報共有しなくても全部知ってるから楽なんだと」

「セキュリティの概念が死んでる‥‥PMCにあるまじき姿勢じゃない?」

「だよねぇ。もうちょっと自覚を持って情報を管理してほしいね」

「貴方が引き起こした事態なんだけど」

 

 何も言えないので、微笑んで誤魔化しておく。「誤魔化されないわよ」

 マホーレンがここに護送されてくるのは明後日。十中八九、彼女の身柄を狙う他NYTOが攻めてくるだろう。

 

「対NYTOの戦力として、僕も出るからね」

「‥‥まぁ、仕方ないわね」

「めっちゃ不服そうじゃん」

 

 むくれた頬をつつくと、その手を掴まれた。両手でぎゅっと握り締められる。

 

「当たり前でしょ。貴方が戦場に立つ必要なんて、本当はないんだから」

「単純に相性の問題さ」

 

 タブレットをサイドテーブルに置いて、仰向けになる。416も倣って姿勢を変えた。

 真っ暗な天井を見上げて呟く。

 

「本来、吸血鬼は人類に対して絶対的優位を誇る。

 鉄血や正規軍は機械だからそうでもないけど、NYTOがヒトに似せて作られている以上、連中の相手は僕が一番向いている。

 それに、僕一人でどうにかするつもりもないし」

 

 隣に視線を向けると、416は真剣な面持ちでノアをじっと見つめていた。

 薄桃色の唇が動く。

 

「任せて。貴方の背中は私が守るから」

「うん。よろしくね」

 

 ノアが小指を差し出すと、416も小指を絡めてくる。

 指から伝わる微熱を感じながら、二人は目を閉じた。

 

「おやすみ、416」

「おやすみなさい、ノア」




お久し振りです。
拙者、416とノアには慎ましくも温かいイチャイチャ新婚生活を永遠に続けてほしい侍、義によって更新いたした。

もしお気に召しましたら感想とか高評価とかお願いします。
好きなポケモンの種族値でもいいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黴の生えた瓦礫の下から

「対鉄血防衛線には特に異常なし、か。善哉善哉」

 ノアはタブレットを眺めて呟いた。

 妖精の視界を基に、戦術人形と鉄血の配置や戦況を可視化するソフトだ。

 暇潰しに作ったものだが、思ったより便利かもしれない。

  

(いきなりI.O.P.のgitにプッシュしたら、ペルシカさんビックリするかな‥‥)

 

 E.L.I.Dとの戦線からやや自軍側に寄った、”猫の鼻”から見て数キロ離れた市街跡地。

 何を商っていたのかも判断つかないほどに錆びて風化した看板が、冷たい風に今際の喘鳴を上げている。

 照明の代わりに埃と蜘蛛の巣ばかりを孕んだデパートの残骸で、ノアたちは仮の拠点を広げていた。

 ピクチャーインピクチャーでぽこんと顔を出したUMP45が手を振ってくる。

 

『”欠落組”にも動きはないよー。

 いつも通り夜までは散歩もしないんじゃないかな』

「姿は確認できてる?」

『”凌辱者(トーチャラー)”を最後に見たのは1時間前ね。

 ”鏖殺者(クレンザー)”は‥‥今日のところはまだ見てない。

 元々引きこもりがちだから、これもいつも通りかな』

「Gut.

 引き続きよろしくね」

 

 間延びした返事で通話を終える。

 現実の視界では装備の点検やら雑談やら、第一強襲部隊の人形たちが思い思いの形で休息をとっている。

 その様子を一瞥して、かじかむ指先を擦り合わせた。沈黙したままの通信機をねめつける。

 

「――遅いな」

「そうね。もう予定の時刻から3分も経つのに、何の連絡もないし。

 C-MSなんて暇すぎて、地下室への階段を見つけてはしゃいでるわ」

 

 ノアの独り言を拾いながら、416が隣に座り手を握ってきた。

 差し出された水筒を受け取りながら、独り言から会話に路線変更する。

 

「だんけ。

 作戦では、5分までのズレは許容することになってるけど‥‥。

 今回護衛を担当するのはAR小隊だ。

 AR-15とかRO635あたりは几帳面な人格だし、連絡くらいくれそうなのに」

「まったく。

 お高く留まったAR小隊サマも、随分とだらしなくなったものね」

 

 そう吐き捨てる416の表情はあまりにも憎々し気だ。

 ノアは思わず笑ってしまった。

 

「やっぱり嫌?あの子たちとの共同作戦」

「いつもアイツらの補助とか尻拭いをさせられてたんだもの。

 やっと縁が切れたと思ったらコレよ?」

 

 繋いだ手の指を開いたり閉じたりして、彼女の感触を確かめる。

 一口つけた水筒を返し、腕時計を確認して立ち上がる。

 

「まぁまぁ、それだけ恩を売ってるってことで。

 みんな、そろそろ出ぱ――」

 

 その声を遮るように、遠く、雷鳴のような音が聞こえた。

 鉄血や正規軍の兵器から放たれる音を全て想起、そのいずれとも一致しない。

 通信機を手に窓から飛び出して、外壁を屋上まで一直線に駆け上がる。

 

「AR小隊!応答しろ!」

 

 しかし、微かなノイズ以外に返る音はない。

 一体なぜ?背中を冷や汗が伝う。

 彼女らの動向はずっと監視していた。UMP45率いる第二偵察部隊と妖精24機が、今この瞬間も氷の城を見張り続けている。

 突如としてあの城が建立されたあの日から、”欠落組”による被害は報告されていない。

 

『ちょっと!どうしたの?』

 

 空は晴れている。今のは落雷などではない。

 自然現象の雷鳴とは、瞬時に3万度まで熱された空気によって発生する衝撃だ。

 つまり、同じように空気を熱することができれば、同じような轟音が鳴り響く。

 高所から望む視界にたなびく黒煙が、ノアの予想を裏付ける。

 そして、轟音は一つで終わらない。先よりも近い位置で、廃墟が弾け飛ぶ。

 ノアはインカムを押さえて告げた。

 

「今すぐ45たちを撤退させて。

 それから、総員戦闘態勢。

 ”鏖殺者(クレンザー)”が来る」

「アーッハァ――!」

 

 大通りを挟んだ向かい側、もう一つの廃ビルが弾け飛んだ。

 飛散するコンクリートと砂煙の中から、()()が姿を現す。

 生物に喩えられるようなシルエットではなかった。ずらりと並んだ大小の砲身は、中央に鎮座した華奢な少女を守るように囲んでいる。

 棒立ちのまま周囲の全てを焼き尽くしたい。そんな子供じみた設計思想が透けて見えた。

 さらに信じがたいのは、夥しい兵装の隙間から爆炎を噴き出して飛行している点だ。まともな燃料では2分も動けないだろうに、一体どうやってあんな巨体を飛ばしている?

 観察終了。敵がノアの存在に気付くよりも早く、全身を一条の矢として撃ち放つ。

 体内で反射させることにより重ねられた”絶火(ゼッカ)”、プラス位置エネルギー、プラス血によって形成した翼を用いた加速。

 速度にしてマッハ27に達するノアの飛び蹴りが、破滅的な大音声(だいおんじょう)と共に漆黒の怪物を地面へ叩き落す。

 崩れたビルの骸が降り注ぎ、命を押し潰すような音がいくつも連なって響いた。

 

「‥‥不意を突いたはずなんだけどな」

 

「ノア!」「指揮官!」着地したノアの許に、第一強襲部隊の面々が駆けてくる。

「一瞬も気を抜かないでね。相手はAR小隊を瞬殺した怪物だ」

「確定?」

 

 確定、というのは「AR小隊の完全破壊」に係っているのだろう。

 あの規模の破壊に巻き込まれて連絡一つ寄越せないとなると、疑う余地はない。頷く。

 

「いやぁ、やっぱりカストラートの蹴りは効くなぁ。

 ”烈火(レッカ)”だっけ?いい技持ってるじゃん」

 

 巻き上がった砂煙が晴れると、そこにはクレンザーが佇んでいた。

 地表と激突したのか、機体下部の装備はそれなりに破損している。しかしそこと”烈火”が当たった砲塔を除けば、目立った損傷は見当たらない。

 平然としたクレンザーの様子を目の当たりにして、C-MSが驚愕を露わに瞠目した。

 

「噓でしょ!?指揮官の蹴りよ!?」

「驚くことじゃないさ。あの程度で死ぬなら、AR小隊が仕留めてる」

 

 戦闘における、ノア=クランプスの唯一ともいえる弱点は「強力な範囲攻撃の欠如」である。

 アルグリスたちの血を飲んだことによって取り戻した技の一つ――”梓馬鏡(アズマカガミ)”は広範囲を吹き飛ばせるが、それでも竜巻を一瞬だけ顕現させる程度の威力。

 強力なフォースシールドで守られた巨躯の相手は、どうにも相性が悪かった。

 

「C-MS」

「全員散開!リベは私と!」

 

 ノアの一声で意図を察した隊長が号令を放った。

 それぞれが距離を取り、疎な円を描くようにクレンザーを囲む。

 しかし人形たちの動きには目もくれずに機銃を斉射しながら、彼女は親しげな口調で語る。

 

「南東にもっと来てたんだけどさ、全部焼き殺してあげたよ!嬉しいよね?」

「E.L.I.DとNYTOのこと?」

「そうそう!あとは戦術人形も何個かね。

 せっかく遊ぶんだから、あんな連中に邪魔されたくないもん!」

 

 そう言ってクレンザーが何かをこちらへ放り投げる。

 がしゃりと大きな音を立てたソレは派手に拉げて裂けていたものの、ノアには見覚えがあった。

 ――M4A1のメインウェポン、鉄血製武装モジュールだ。

 

「こういうときは、首を晒した方が効果は大きいよ。

 トーチャラーからは教わらなかったか?」

「仕方ないじゃん。残らなかったんだもの」

 

 今にも踊りだしそうなほど楽しげなクレンザーの言葉を聞き流しながら、周囲の気配を探る。

 視覚・聴覚・嗅覚を鋭敏化させる。同時に、風の流れと周囲の全オブジェクトの位置を照合。

 違和感はなし。すべての感覚が伏兵の存在を否定する。

 瓦礫に隠れたC-MSと416に視線を送る。頷きが返ってきた。全員無事だ。

 

「トーチャラーは来てないの?」

 

 シールドは消えている。

 かつて拝借した報告資料では、常時展開されているとのことだったが。

 攻撃し続けても破ることが叶わなかったから、そう判断したのだろう。

 

「今日はね、トーチャラーに内緒で来たの。

 最近のトーチャラーはいつもお前の話ばかりするから。

 エッチしてるときもだよ?流石に度を越してるよね!

 だからぁ、お前の死体を持って帰ってぇ、お前のコトを忘れてもらおうと思うの!」

 

 つまり、シールドを張られる前に触れることができれば話は簡単だ。

 

「なるほど、キミは中々賢いね――」

 

 視覚モジュールのフレーム間を突いた一撃。

 マッハ12の”烈火”は、クレンザーの鼻先から1メートルほどの位置で火花を散らして弾かれた。

 

「うーん、さっきより浅いか」

「すっごい!目の前にいるのに全然見えなかった!」

 

 ノアが身を翻すと同時、416たちの一斉掃射と”秘刃(ヒバ)”がクレンザーを襲う。

 しかし実弾など何の脅威でもないのだろう、意に介さず全身に並ぶ砲塔の角度を調整する。

 そして砲火が満開に咲き誇る瞬間、ノアが右足を振り抜いた。

 ”梓馬鏡”。暴風の塊がクレンザーを打ち付け、本来人形たちに注がれるはずだった弾頭はその大半が軌道を失った。

 それを免れた数発がG11と416の傍に着弾する。

 

「しくじった‥‥ッ!ごめん416!G11!」

『被害報告!私とリベは損傷なし!』

『私は無傷、G11は左手に熱傷!』

『私も損傷なし』

 

 インカムからの声に胸を撫で下ろした。

 役割を奪ってしまうことを、胸の中でC-MSに謝罪する。

 

「416とVectorはクレンザーの背後でありったけの火力をぶつけ続けて。

 リベは二人の火力補助。

 CーMSは僕とクレンザーに接近。回避最優先でね」

『わ、私はどうしたらいいの?』

「G11はリベを守って」

『りょ、りょうかい』

「最後は空だ。飛んだら416以外は地下。

 ミサイルが終わったら416も地下」

『『了解!』』

 

 追加の砲撃を、今度は先んじて”秘刃”で撃ち落とした。亜光速で空気を弾いた指が焼け落ちそうになったので、治す。

 自ら放った爆撃から身を守り、クレンザーが視界を失っている一瞬。

 着地する時間も惜しかった。”血遊(チアソビ)”で翼状骨を展開し、姿勢を安定させる。

 羽ばたくと同時に、先ほどと同じ速度の”烈火”を放つ。バヂリと火花を散らし、靴底に硬い感触が返ってきた。

 そして”烈火”を止められたときの彼我の距離は、初撃より遠く二撃目より近かった。

 確信する。

 このフォースシールドはクレンザーの知覚や思考から独立したアルゴリズムで、自動的に展開されるのだ。

 センサーも彼女自身のモジュールからは独立しているはずだ。でなければ、彼女に見えない攻撃は防げない。

 そして機体下部だけに見られる重傷を鑑みると、兵器以外のオブジェクトおよび環境はセンサーの捕捉圏外だ。

 

「Vector、ヤツの足元を燃やし続けて。

 416は寄生榴弾の準備を。僕に当たる心配はいらないよ」

『了解』

 

 C-MSが装填弾種対応型演算調圧機能(マインドチェイン)を亜音速弾に入れ、ノアが”絶火”で駆け出す。

 クレンザーから見れば鼻先を飛び回る蚊だ。一方の火力は考慮する必要すらないが、もう一方の”烈火”は高出力のフォースシールドによる防御を強いてくる。

 

「この‥‥ッ!」

 

 歯軋りして砲門を開けば、間髪入れずに”烈火”と”梓馬鏡”、416の寄生榴弾と殺傷榴弾の乱れ撃ちが襲う。

 機銃は意味がない。軽量級の攻撃はすべてあの暴風で文字通り足蹴にされる。

 

「邪魔しないでよ!」

 

 単純な作戦能力なら、どの戦術人形もAR小隊と同じか少し上回る程度だ。

 ノア=クランプスと1対1なら、フォースシールドの出力も問題ない。火力だって十分あるはず。

 だがこの人形たちは、どいつもこいつも機敏が過ぎる。まるで以前住んでいた隠れ家にいた鼠のようだ。

 いかにも鈍臭そうなチビ二人を除いて、全員が”絶火”を修めているのが原因だろう。

 そして今、何よりも不味いのは――

 

(熱い熱い熱いッ!コレはヤバい、このままじゃアレが爆発する!)

 

 炎上するアスファルトのせいで、自身に搭載された()()()の温度が上昇し続けていた。

 今はまだ問題ないが、じきに出力も不安定になってくるだろう。

 しかしどれほど焦ろうと、クレンザーの強化外装は機動性に致命的な欠缺を抱えている。

 この場を離れるには機体下部のブースターを噴かせるしかない。

 3分の1は最初の墜落で破損したが、火の海から脱出できる程度の出力はある。

 戦術人形共の射程から逃れつつ、ノアとの空中戦に持ち込む。これしかない。

 ブースターに点火しようと決断した瞬間、ノアが叫ぶ。

 

「総員退避!」

(読まれてる‥‥!クソ!)

 

 しかしこれ以上この場に留まっていられないのは事実。爆炎を撒き散らしながら、クレンザーは勢いよく空に飛び出した。

 見下ろすと、戦術人形共がこちらに銃口を向けている――

 

「もういない!?」

「空中戦なんて見せたことないからな。鉄血にもデータは無かっただろ」

 

 クレンザーの視界に影が落ちた。

 直上から声と衝撃が同時に襲ってくる。

 自動的に展開されたフォースシールドが、機体へのダメージを阻んだ。

 ――ここまでは想定通り。

 クレンザーは会心の笑みで背面のミサイルポッドを開いた。

 

「アンタがこっちに来ていいわけ?

 アイツらじゃコレはどうしようもないでしょ」

 

 ノアの顔に焦りが滲んだのを見て、勝利を確信した。

 眼前の相手にレールガンを突き付け、思い切り機体を回転させる。

 同時に計250発の小型ミサイルがクレンザーの背を離れ、

 2メートルも飛ばぬ内に炸裂した。

 

「は!?」

 

 背面のカメラで地上を見る。

 そこには、今まさに手元の榴弾を蹴り飛ばそうとするHK416の姿があった。

 次の瞬間、再び背面で爆発。背面の視界が死んだ。

 

「榴弾をサッカーボールみたいに‥‥バカじゃないの!?」

 

 黒い粒子がシールドとせめぎ合う。追撃の爆裂が、何度も何度も背後を打ちつけた。

 振り落とされまいと砲門に五指を突き立てたノアの、鳩羽色の髪が風に暴れている。

 逆光の中に、琥珀色の視線がこちらを見据えていた。

 

「――姿勢が崩れたね」

「ッッッッ!?!?」

 

 クレンザーが華奢な手で小銃を取り出すよりも早く、ブーツの踵が迫る。

 フォースシールド越しに見たそれは、血のように赤い光を湛えていて、中天にかかる光球よりも強く輝いている。

 そしてブースターによる推進力などありもしないかのように、黒い凶星を地面に叩きつけた。

 

***

 

 青天に束の間顕現した流星は、周囲の瓦礫や廃墟を吹き飛ばし、アスファルトを深く穿った。

 クレーターの中心には砕け散った武装たちのなれ果てと、あらぬ方向に曲がった全身から内骨格を突き出したクレンザーが横たわっている。

 なんとかコアやメモリを回収できないものかと残骸を漁るノアは、残った熱に指をひっこめた。

 

「熱っ。全部熔けてる‥‥。

 機能停止に追い込む手段がなかったとはいえ、やっちゃったなぁ‥‥」

 

 ”血遊”を発動。手を形作り、8割ほど熔けたコアを(つま)み上げた。首を振る。

 インカム越しに、不満げな416の声が届く。

 

『ねぇノア、どうして私たちは近づいちゃダメなのよ』

「そりゃあだって、原子炉の爆心地だよ?危険じゃないか」

「――莫迦じゃないの!?」

 

 答えた瞬間、416が”絶火”で飛び込んできた。

 腕を強く引かれ、そのままクレーターを駆け上がる。「うああ」

 地上で周囲を警戒していたC-MSたちと合流するや否や、袖やシャツを捲られた。

 異常が無いか確認しているのだろうが、この状況はいささか拙い。

 

「すけべ」

「お黙り!

 あなただって生物でしょう!?放射線の被曝でどんな影響が出るか分からないわ!

 そもそも何よ、原子炉って!」

 

 少し揶揄えば赤面して止まるだろう、という思惑は砕け散った。

 眉を吊り上げて声を張り上げる416を、リベロールとG11がおろおろと見上げている。

 自分の胸を何度も突く人差し指を受け止めて、

 

「元々予想はしてたんだけど、確信したのは戦闘中だったから。

 説明する暇が無くて‥‥ごめん」

「私が怒ってるのはそこじゃないって、分かってるわよね‥‥?」

 

 回答を間違えた。いよいよ416の目が据わる。

 

「でも、僕は正しい細胞の構成を憶えてるから、被曝してもその場で治せるわけで」

「被曝のリスクが無くなるわけじゃないでしょ!

 そもそも余計なリスクを負うなって言ってるのよ!」

「ご、ごめ――」

 

「あら、あの子ったら負けちゃったのね」

 

 その声を耳にした瞬間、4つある脳の全てが一瞬動作を停止した。

 416への謝罪の言葉も、人形たちへの労いも、全てが喉の奥で凍結する。

 人形たちが突然の闖入者を目にして、416が衝撃に瞠目し、やがて憎悪に顔を歪めても、ノアの体は動かない。

 

「まぁ、以外でもないかな。

 断血を止めた吸血鬼に、戦術人形が敵うわけないじゃない。

 そう思うでしょ?ノア」

 

 ありえない。

 45たちが動向を監視していたから?――そうではない。

 クレンザーとの戦闘中に気配を感じなかったから?――そうではない。

 油が切れた絡繰人形のようにぎこちなく、ノアは声の主を振り返った。

 

「どしたの?幽霊でも見たような顔をして」

 

 髪は伸び、鉄血人形らしい肌は死人のように色がない。

 姿は変わっているが、面影は変わらない。

 遠い昔に何度も見たままの笑顔を前にして、なんとかして震える声を押し出した。

 

「‥‥アルグリス‥‥?」




このお話、僕のメモでは『マホーレン保護編(仮)』となっていました。
全然保護できてねぇじゃんwwww

何笑ってるんでしょうねコイツ。
10か月ぶりの投稿です。すみません。

実はとてもゆっくり書き進めてはいたんですが、どうしても絵に時間を割いていたのと、いつも通り承認欲求にモチベを殺されている状態でした。

しかし先日、珍しいことにマシュマロをいただきました。
「WinterGhost Frontlineは更新しないんですか?」と。

待っている方がいるという事実は非常に強力なモチベです。
その結果が今回の更新です。

これからも書きます。
完結までの道筋はできているので、あとは書くだけです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

愚者、運命の輪、逆さの恋人

「あ、アルグリ、ス‥‥?」

 

 失ったと思っていた。

 この再会が奇跡だとすれば、なんと意地の悪いことだろう。

 鉄血との交戦で今や見慣れたモノクロの煽情的な衣装に身を包み、こちらを見つめる彼女は。

 20年以上昔、共に死線を潜り抜けてきた――アルグリス=ファンブルメイドその人だった。

 

「でも、貴方も鈍り過ぎじゃないかしら?

 昔の貴方ならクレンザー程度、初手の梓馬鏡(アズマカガミ)で粉砕していたでしょうに」

 

 当然だが、人間という種にとって、死という現象は不可逆である。

 心臓が止まり脳が活動を停止した時点で、その個体は永遠に機能しなくなる。

 ノアは師からそう教わったし、死んだ人間の血が冷たいことも知っている。

 そしてアルグリスは、確かに自分の目の前で息を引き取ったはずで――

 

「――怒りなさいよ!

 家族をこんな形で冒涜されて、何をぼうっとしてるの!」

 

 衝撃に足を止めた思考の背を叩いたのは、416の怒号だった。

 白昼の悪夢から立ち返る。

 彼女の言葉はきっと正しい。コレは特務課のことを知った異常鉄血が、自分のために用意した嫌がらせだろう。

 アルグリスの外見と声を模した機体を作った、それだけの話なのだ。

 

「現実逃避は止しなさいよ。

 全く。精神面はあの頃と同じ、寂しがりで泣き虫のままなんだか――」

 

 溜息混じりの言葉を遮って、5.56×45mm NATO弾が放たれる。しかし弾丸は残像を裂き、凌辱者(トーチャラー)の姿が一歩遠ざかる。

 ”暮葉烏(クレハガラス)”。ノアと416しか扱えないはずの体術を目にして驚愕する他の人形たちを他所に、416は叫んだ。

 

「アンタがたとえ本物のアルグリス=ファンブルメイドだとしても!

 一緒にいた時間よりも死んだ後の方が長いくせに、偉そうな口を聞いてるんじゃないわよ!」

「貴女は、いつか私を殺しに来た‥‥。しっかりトラウマを刻んであげたつもりだったんだけど?

 ――あぁ、そういうこと」

 

 トーチャラーの視線が、416とノアとの間を往復する。

 視線は敵から外さぬまま、416が叫んだ。

 

「ノア!コイツはここで殺すわよ」

「‥‥あぁ、そうだね」

 

 たとえ眼前の鉄血人形が、かつて家族同然だった者と同じ(かお)をしていても。

 彼女はアルグリス本人ではない。

 もう一つ重要な事実があった気がしたが、それを思い出す時間はない。

 416からアイコンタクトを受けて、C-MSが声を上げる。

 

「全員散開!対高速陣形!」

 

 それは、トーチャラーを仮想的として考案された陣形だった。

 展開の速い近距離銃撃戦を416とC-MSに任せ、残るメンバーは周囲から圧力をかけて敵の離脱を阻む。

 エグゼキューショナー・ミョルニルとの交戦という上質な戦闘データを経て磨かれたこの陣形は、鉄血ハイエンドをその場に抑え込むには十分な戦術だった。

 

(煩わしいわね‥‥)

 

 実際にトーチャラーは3分間、この場を抜け出せないでいた。

 何しろ、今この場にはノア=クランプスがいる。C-MSは本来の作戦よりも一段階距離を取り、近接戦をノアと416が担うことで、この戦術の凶悪さは跳ね上がっていた。

 ただ距離を取るという選択をしていれば、間違いなく彼女の上半身はノアの蹴りで消し飛んでいただろう。

 しかし、相手の意図を理解した上で何の手も打たないトーチャラーではない。

 第1強襲部隊において最も機動力と持久力に欠ける戦術人形――リベロールが、息吐く暇もない戦況に疲労を見せる。その華奢な肩がひときわ強張った瞬間、漆黒のヒールが路面を蹴りつける。

 ”絶火”による高速移動。リベロールの視線はその動きに全く追いついておらず、そのままトーチャラーの回し蹴りが――

 瞬間、トーチャラーに数多の銃弾が迫る。

 脳天から喉までを覆いつくすような斉射と、主に腹部を狙った狙撃。

 見れば、G11がスコープを覗き込んでいた。その額には脂汗が滲んでいる。

 それと同時に、トーチャラーの脚部を跳ね飛ばす衝撃があった。

 リベロールとの間に割り込むようにして、416がこちらに銃口を突き付けている。

 

「――追い付いた」

「やるじゃないの」

 

 体が流される力に従って、トーチャラーは左脚を跳ね上げる。

 G11による渾身のカバーを防ぐサマーソルトで、416とも距離を取った。

 トーチャラーが元居た場所には、戦術人形たちの放った銃弾が押し寄せる。

 しかし息を吐く暇はなかった。なぜならすでに側頭部にノアのブーツが触れている。

 全力で衝撃と同じ方向に跳躍。しかしトーチャラーの”絶火”よりも、ノアの"烈火"の方が数段速い。

 あわや首が千切れるという感触に慄きながら、体勢の立て直しを試みる。

 熱源。

 トーチャラーが吹き飛ばされていく方向に、Vectorの焼夷弾が炸裂した。

 反対側からは、ノアの追撃が迫る。

 C-MSから包囲を突破せんと試みるも、右肩を踏みつけるようにノアの”烈火”が撃ち抜いた。

 そのまま地面に押し倒され、致命的な音とともに右肩が粉砕される。

 

(これは詰みかしら――いや)

 

 ナイフを構えたノアの表情を見て、考えを改めた。

 こちらを睨むような、それでいて縋るような。

 今にも泣きだしそうなこの顔は、彼の長髪に隠れている。人形たちには見えていないだろう。

 

「‥‥お前の目的は、何だ」

「教えると思う?まるで人間を脅すようなやり方だわ」

 

 ナイフを突きつけるノアの手を掴み、ハイエンドとしてのスペックと”秘刃(ヒバ)”による握力で捩じ切る。

 ぶじゅりという鈍く濁った音と共に、鮮血が噴き出した。

 

「ノア!!」

 

 一瞬怯んだ彼の横腹を蹴り飛ばし、トーチャラーは身を起こした。

 ノアを受け止めたまま片膝をつき、416は愛銃を構える。

 

(アイツは銃弾よりも早く動く。ただの射撃には意味がない)

 

 周囲をスキャンする。瓦礫、突き出た鉄骨、宙吊りで風に揺れる看板。

 できるかどうかは分からない。しかし、やるしかない。

 引き金を引く。弾道は既に計算済み。わずかに銃口をずらし、引き金を引く。

 ずらす。引き金を引く。ずらす。引き金を引く。ずらす。引き金を引く。

 電子回路が過熱して、人工血液が鼻腔から漏れた。

 やがて1発目の銃弾がトーチャラーに迫り、トーチャラーは右足を引いて半身になった。

 その動きだけで、8発の銃弾が回避される。しかし――

 金属同士の衝突音が、示し合わせたように一斉に鳴り響く。

 緻密に計算された銃弾たちは、それぞれ最適な角度で障害物や他の弾丸にぶつかり――

 重なり合って生まれた鐘のような音の中。やがて一発の銃弾が、トーチャラーの死角からその脇腹を貫いた。

 

「う゛‥‥ッ!」

 

 思いもよらぬ被弾に狼狽えた隙に、もう1発の弾丸がトーチャラーの右手を破壊する。

 鼻血を拭った416が、不敵に笑う。

 

「お返しよ」

「本当に、やるじゃない‥‥!」

 

 その間に、VectorとC-MSが両翼からトーチャラーに迫る。

 しかし、416の絶技は作戦に無い。咄嗟のアドリブでフォローに回ったものの、Vectorの方がわずかに遅かった。

 C-MSの射撃を避けつつ、トーチャラーは膝を曲げる。続くVectorの顔面を、"烈火"で吹き飛ばすためだ。

 しかしその動作は、不意に飛来した衝撃で中断させられた。

 見れば、俯いたままのノアが指を弾いていた。"秘刃"を放ったその右手は、とうに治っている。

 Vectorの斉射が腹部にクリーンヒットしよろめいたトーチャラーの頭部を、G11、リベロール、そして416の銃口が狙っている。

 これで詰みだと、その場の全員が確信した。

 そのとき、すぅ、とトーチャラーが深く息を吸った。

 

「――は?」

 

 その呟きは誰の声だったのだろう。

 第一強襲部隊の眼前には、巨大な氷塊が現れていた。

 VectorとC-MSはその中に飲み込まれ、衝撃の面持ちで固まっている。

 頂上に佇むトーチャラーが、416たちを見下ろしている。

 

「氷結能力‥‥まさかアンタ‥‥本当に」

 

 はっとした416が、腕の中のノアを見る。元より血の気が薄い彼の顔は、これ以上ないほどに白くなっていた。見たくなかったものを直視させられたのだと、全身でその衝撃を語っている。

 

「ノア!しっかりして!」

 

 呆然とこちらを見上げるノアを見返しながら、トーチャラーは時刻を確認する。

 

(想像以上に傷を負ったけれど‥‥時間稼ぎは十分ね)

「待て!!!この鉄屑女!!!!!!!」

 

 血を吐くような416の怒号を背に、トーチャラーは氷塊から飛び降りるようにして姿を消した。

 

***

 

 凍り付いた二人を割ってしまわないよう注意しながら、氷から削り出す。

 すでに日は沈んでいたが、ただの一言も発することなくナイフを振るい続けるノアに、誰も声を掛けられないでいた。

 重苦しい沈黙の中、スリープモードのVectorとC-MSを抱えて装甲車両のドアを開けたとき、ノアが顔を上げる。

 

「‥‥AUG?」

 

 その直後、ノアが呼んだ通りの戦術人形が、車両の向く先から姿を現した。

 しかしその姿を見て、416たちは息を吞む。

 どれだけ戦場にいようと砂埃すらつけなかった美しいドレスは、見る影もなく裂けて汚れている。AUG自身も体中から人工血液を流していた。

 駆け寄った416が、ふらついたAUGを支える。「リベロール!」「はい!」

 AUGはそんな周囲に構いもせず、ただ崩れ落ちるようにしてノアに縋りついた。

 シャツを握り締める拳と同じ、震える声で呟く。

 

「アンバーズ、ヒルが‥‥落ちました‥‥」




お待たせしました。ご査収ください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

忘れてはならないもの①

お久しぶりです。
ドルフロで聞いたことが無い固有名詞は、「ノア=クランプス」以外無視しても大丈夫です。


「クソッ、いつになったらジャミング解けるのよ」

 

砂を巻き上げながら家路を急ぐ車内。

ハンドルを握る416が、何度目か分からない疎通確認に失敗し悪態を吐いた。

リベロールに応急処置を受け、今は眠っているAUG曰く。

今日の夕暮れ時、突然基地が強襲された。

ノアたちに通信を試みたが、遠方通信は全てジャミングされており叶わなかった。

敵戦力は正規軍の残党と思われる兵士と民間人に加え、他地区の戦術人形や鉄血人形。それら全てが一つの勢力として動いている。

連中の動きは理性を欠いていて、細かな戦術は見られない。しかしその規模は”猫の鼻”を遥かに凌いでおり、純粋な物量で戦線を押し上げてきた。

UMP45たちの指揮によりメンタルサーバなどの重要設備は守ったものの、東端から地図を塗り潰すように、都市部は占領された。

現在は一部区画と都市部の間で防衛線を築いているが、次に戦端が開かれると押し切られる可能性が高い。

 

「‥‥おかしい。

”猫の鼻”だけじゃない、誰にも通信が繋がらない。

アンジェリアも、ヘリアンさんも‥‥ペルシカさんも」

 

死んだか、という言葉を飲み込んで、端末をポケットに押し込む。

とにかく、今はアルグリスのことを考えている場合ではない。

懊悩は一つの脳に押し込めて、残りの脳を回転させる。

恐らく、謎の巨大混成部隊は件の百鬼夜行だ。個々が理性を欠いているという報告も、自分が集めた情報の通り。

つまり、今回の騒動の中心には”夜陰姫(ナハツェーラ)”がいる。アルグリス――トーチャラーとナハツェーラが共謀しているかは不明だが、どちらも敵であることには変わりない。

敵の首魁がナハツェーラであることと、現状判明しているスペックを車内の人形たちに共有する。

 

「”猫の鼻”に戻り次第、416以外は基地の防衛線に加わって。

僕と416は大将首を獲りに行く」

「本当にAUGの話を聞いてたの?

いくら指揮官と416でも、二人で突っ切れる物量じゃないよ」

「C-MSの言う通り。そもそも、トーチャラーもナハツェーラもどこにいるか分からないでしょ」

「いや、二人とも必ずアンバーズヒルにいる。

 潜伏に向いている機体じゃないし、近付けば僕には分かる」

 

C-MSとVectorの疑問に、珍しくノアは断言した。

 

「これまで、ナハツェーラと彼女の百鬼夜行に襲われた地域からは、ほぼ全く情報を集められていない。

それはひとえに『生き残りがいない』からだ。奴に遭遇した人たちは皆、殺されるか奴隷にされている。

そんな相手が、今回だけ様子見をして何かを待っている。

増援?――今の戦況から見ても、奴の性能から見ても無用の長物。

人形たちの消耗?――そんなの待たずに仕掛ければいい。これまでもそうしてきたはずだ。

奴は僕を待っている。”猫の鼻”はある意味人質だな」

 

ノアは、ナハツェーラの正体に見当がついていた。

手掛かりはトーチャラーと、M4A1の存在。そして、NYTOに代表される高い生物工学の技術。

そして襲った人間を己の(しもべ)とする異能には、十分すぎるくらい心当たりがある。なにしろ、ソレは本来――

 

「基地が見えたね。全員戦闘準備」

 

都市の外壁を覆う無機有機の人形たちが、死体に群がる虫のように犇めいている。

G11が、震える声で訊ねた。

 

「こ、殺しちゃうの‥‥?」

「‥‥そうだ」

 

得物を抱き締める腕が強張った。リベロールやC-MSも同様だ。当然だろう。人を「殺せる」ことと「殺したい」ことには、大きな隔たりがある。

しかし、ああなった人間を救う術はない。すでに死んでいるのだから。

人形はもしかすると救えるかもしれないが、それを意識して戦う余裕はないだろう。

だからアルグリスも――トーチャラーも殺すしかない。

自分に言い聞かせるような、ノアの呟きが零れる。

 

「元々、僕にはそれしかできないもんな」

 

***

 

ノアたちの帰還を受けて、”猫の鼻”の人形たちは十分な士気を取り戻した。

ノアと416が事態を収拾するまで、基地を守ればいいという目標ができたことも大きい。

結果として、1時間も経たないうちに基地周辺の戦線は安定した。

その一方で、彼が推測したナハツェーラの意図を聞いた人形は如何ともしがたい疑問を抱いた。

その一人であるUMP45が、執務室のモニターをねめつける。

 

「ナハツェーラって、詳細不明の鉄血ハイエンドよね?

情報だってほとんどないはずなのに、彼はどうして居場所を断言できるのかしら。

まぁ、今更あの人の千里眼には驚かないけど」

『おそらく指揮官は、私たちに告げていない情報を持っています』

 

45のプライベート回線の相手は、修復を終えたAUGだ。

前線に佇むAUGは前方で蠢く死体たちの頭を吹き飛ばしながら、何てことないように呟いた。

 

『沈黙の理由までは分かりませんが。

私たちを陥れる意思が無いことだけは知っています』

「そりゃあそうでしょうけど。

‥‥せめてトーチャラーだけでも、私たちで仕留めたかったな。

よりによってあの人に相手させるのは、酷ってものでしょ」

『大丈夫です。416がいますから』

「‥‥そうね。あの子なら、大丈夫ね」

 

その「大丈夫」が二人のどちらを指しているのか、AUGは問わなかった。

M950Aからの報せが、気まずい沈黙を破る。

『連中が動き出したよ!

――待って、ミョルニルがいるんだけど!』

「落ち着いて!AIはガラクタ同然になってるはずよ。

放電にだけ注意しつつ包囲して、速攻で片づけて」

 

チャンネルのスイッチと共に、45は思考を切り替えた。

こういう役回りは得意じゃないのにな、と思わず苦笑が漏れる。

しかし、あの二人が敵を討つならば、自分たちの仕事は決まっている。

 

「ごめんノア。全部は守れない。

でも、今生きてる子供たちと人形は、絶対に死なせないから」

 

***

 

血で作り出した無数の糸を、目に見えないほど細く引き絞る。

それを鞭のように撓らせて右手を振り抜けば、無人機も装甲兵も、大型のE.L.I.Dさえも乱雑な切片に帰した。

クレンザー戦の反省を受けて、ここまでの道中に開発した大技――”荒覇吐(アラハバキ)”。その乱れ撃ちでナハツェーラの眷属を薙ぎ払い、二人はアンバーズヒルの大通りを疾走していた。

隣を走るノアと同じペースで”絶火”を連発しながら、416は彼の動きを観察する。

体内から排出した血液を武器にしているようだが、用が済んだ血液をそのまま体内に戻すわけにはいかない。毎度血液の濾過や滅菌が必要になるわけだが、そんな作用を高速で繰り返しては疲労を避けられないはずだ。

案の定息遣いが荒くなってきたノアに、416が声を掛ける。

 

「その技、見るからに消耗が激しそうね。

ここまでに何度も使っているわ。そろそろ控えなさい」

 

私もいるでしょ、と愛銃を軽く掲げるが、ノアはかぶりを振った。

 

「駄目だ。キミの銃弾で敵を囲む技――アレはトーチャラー戦で必ず必要になる。

ナハツェーラ相手ならしょうがないけど、この人たち相手には弾薬を節約すべきだ。

僕が打ち漏らした人だけ撃って」

 

襲い掛かってきた戦術人形の一つ、FAMASを胴体から両断する。

腰から千切れたポーチを血の糸でキャッチして、隣に投げ渡した。「多すぎるくらいで丁度いい」

彼に露払いを任せることは不満だが、合理的ではある。416は仕方なくポーチから弾丸を抜き取った。

やがて、二人はアンバーズヒルの中心――時計塔を頂く広場に辿り着いた。

無限とも思えるような奴隷の波が嘘のように、静かな空間だった。

噴水の前に佇む黒い影が、退屈そうにゴシック趣味の傘を回している。

その影は二人の足音を聞きつけて――とっくに接近には気づいていただろうが――こちらを振り返った。

 

「ここは、美しい街だ。人間がいない間、その美しさは完成されている」

 

フリルとレースに満ちたドレス、地面に届いて余りある長髪。鬱陶しいくらいの漆黒が、無機質な白い肌を覆っていた。

見るからに鉄血人形と分かる外見だった。しかし、何かが致命的に違うことも見て取れる。

それだけの重圧が、目の前の相手にはあった。

トーチャラーと相対したときとは全く異なる性質の恐怖が、416の危機感知モジュールを最高レベルで刺激する。

ノアは一つ深呼吸をした。

 

「この街を作ったのも、人間だけど?」

「労働力のほとんどは人形だ。そして貴方は――エマ・ノクス」

「クソ。やっぱり同族か」

「その表現には誤りがある。私の体は、紛い物。ただ心臓に旧き夜の王族を頂くのみ」

 

416が寄越した懐疑の視線に、肩を竦める。「吸血鬼(ヴァンパイア)とほぼ一緒さ。細かい違いは無視していい」

 

「否。貴方は彼の種族の祖。この星を守護する無窮の刃。

貴方ならば、この星の病魔を――テシエ・ウィンターを殺すことが叶う」

「‥‥そういうのは、先生に言ってくれ。僕はそんな大それたものじゃない。

"銀の真祖(コーラルブラッド)"も襲名してないし」

 

事実、ノアは眼前の鉄血人形に勝てるビジョンを見出せずにいた。

エマ・ノクス――人類が吸血鬼と混同しているその種族には6つの血統があり、その一柱が「守護」の権能を持っている。「他者を隷属させる」という異能は、その権能に端を発するものだ。

そして有機物無機物を問わない百鬼夜行などという怪奇現象は、その異能でもなければ実現できない。

それを聞いた416が呟く。

 

「じゃあコイツの素材に使われているのは」

「そう。僕の同族の遺体さ。どうにも知らない奴みたいだけど、”黒の血脈(ノーブルブラッド)”なのは確かだね」

「貴方とはどう違うの」

「戦闘力特化で、誇りや責任を重視する。名実備えた貴族様って感じ」

「貴方より強いの?」

「数百倍」

「そう。今はそれだけ分かれば十分ね」

 

これまでノアがどんな相手にも優勢だったのは、種族由来の性能差によるところが大きい。

そして”黒の血脈”の個体は、基本的にノアよりも戦闘能力が高い。

自分のコンディションが万全だったとしても、おそらく勝ち目は無い。

416だけでも逃がしたいが、ナハツェーラよりも416がそれを許さないだろう。

最低でも相打ち。416だけでも生き残れば、トーチャラーを討ち取ってくれる。

 

「‥‥本当に久しぶりだな」

 

死を覚悟する戦いなんて、何百年ぶりだろう。

きっと、普段のノア=クランプスであれば嬉々として身を投じたはずだ。

誰かのために全力で戦って、その結果命を落とす。それは彼にとって最高の死に様なのだから。

しかも相手は”黒の血脈”の改造品。この時代で出会える中で唯一、自分を殺せるかもしれない存在。

 

――だというのに。

 

(こんなに、怖いのか)

 

416の隣に居られなくなることが、堪らなく恐ろしい。

416を喪うかもしれないことが、同じように恐ろしい。

そんな怯懦に任せてこの場から逃げ出してしまわないのは、隣でこちらを見ている彼女の、その静謐で力強い視線のお陰なのだろう。

今、彼女が何を求めているのか。何を()()()ほしいのか。

当然、彼は理解している。そして彼も、それを彼女に求めていた。

 

 

「コレはエマ・ノクス同士の戦いだ。本当なら、戦術人形なんて紙屑のように消し飛ぶ領域。

 でも、僕一人じゃアイツに勝てそうにないの。

 ‥‥()()()()()()()()()?」

「今更何を訊いてるの。

 あなたの選んだ道なら、散歩でも戦場でも、地獄だって付き合うわ。

 あなたと歩く道でないと、私は自分の価値を証明できないんだから」



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。