秋の夜の三人 (檻人)
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秋の夜の三人

 伸ばされた右手がテーブル越しに向かい合う彼女の右手と重なる。

 ほぼ同じタイミングで伸ばされた手は、ほんのちょっぴりの偶然の差により相手の方が下になっていた。

 柔らかくて、すべすべで、ほんのりと暖かいその手の感触をより味わおうとするかのように、重ねた手をぎゅっと握りしめる。対して握り締められた方の手はとくに抵抗するような素振りもなく、されるがままになっている。

 

 暫くの間、静寂が部屋を支配する。

 

 先に口を開いたのは手を握る少女の方であった。

 緑色の髪をポニーテールにまとめ、左右で色の違う瞳が特徴的なその少女は、普段は可愛らしい表情を絶やさぬ顔から一転、真剣な眼差しで向かい合う相手を見つめていた。

 

「とても……いい『手』をしているんだね。普段はあなたの『手』の方に意識を向けることってあんまりなかったんだけど、これからは、この柔かさと繊細さ、暖かさを描き漏らさないようにしっかりとリアリティとして絵に吹き込まなきゃあいけないみたい」

 

 表情の精悍さはそのままに、しかし柔かな微笑みを浮かべて相手に語り掛ける。

 いまだ手は握られたままである。

 

「知ってるフレンズさんはいない──というかあたしも実物は見たことないんだけど、ダヴィンチの『モナリザ』って絵があるんだけどね。あの絵の、もちろんそれだけじゃあないんだけど、特に一番難しいところって『手』だと思うの。手っていうのはね、その人の生き方とか、性格とか、体調とか、諸々の所が現れるっていう考え方もあるんだよ。だって、ヒトが一番自分という存在を外部に表現するときに使う部分が手なんだもん。そりゃあ、考えたりするのは頭ん中にある脳ミソなんだろうけど、脳のシワを見てもその人がどんな人かなんて、分かる人はいないんじゃないかなぁ。その点、手はすっごく正直者なんだよ。見た目とか、固さとか、暖かさとかで持ち主がどんな人なのか全部分かっちゃうの。だから、手を描く時には嘘を付けない。適当に描いちゃっても、すぐに辻褄が合わなくなって壊れちゃうから」

 

「あたしはこれからもっと素晴らしく、あなたの絵を描いて行きたいの。その為にも、あたしが握っているあなたの手をよーく見せて欲しいな。だから、手をここから動かしてくれるよね?」

 

 ぐぐぐ、と握った相手の手をその場から動かそうとする少女。

 対して手を握られている方の少女もまた、普段とは似つかわしくない程の真剣な表情で相手を見つめ返した。

 冬も間近だというのに半袖のTシャツとスパッツという挑戦的な服装の少女は、ふうとため息をつくと残る左手で頬杖を付いた。

 星柄の模様を持つ長めの前髪がはらりと揺れる。

 

「おいおい、この私の魅力にまた一つ気が付いちまったのかよ。しょうがねーなー、ふふふ。そんなに私の手がみたいなら、好きなだけ見せてやってもいいぜぇ~」

 

 ぱぁと緑髪の少女──ともえの表情が明るくなったのを見逃さず、手を握られている少女──G・ロードランナーは「ただし」と付け加えた。

 

「見せるのは手の下にあるお団子を『この私』が食べ終えた後だ。そこんとこははっきりさせておかなくっちゃあなぁ。え? ともえ……絵を描きたいんなら、別に問題はないよなぁぁぁ~~~~ッ?」

 

「……くっ!」

 

 ロードランナーの手の下には、小皿に盛られたお団子が一つ。月のように白くてまん丸でもちもちのお団子が、一つ。

 ついさっきまでは山ほどお皿に盛られていたのに、あまりの美味しさに手が止まらず、ともえとロードランナーの二人で殆んど食べ尽くしてしまった。残りは一個だけである。

 ちなみにイエイヌは既に別によけていた自分の取り分を食べ終えて、ともえのすぐ後ろの方でのんびりと本を読んでいる。時々ちらちらと視線をよこし、事の成り行きを若干の野次馬気分で見守っている。

 

「ねぇ、いいでしょロードランナーちゃん。最後の一個、あたしに食べさせてよぅ……。また今度あたしがおんなじのを作ってあげるから……」

 

「ほぉー、それじゃともえ、このお団子の中に入ってるこのあまーくて香ばしーい黒い蜜、何なのか教えてくれよ。これが特に気に入ってんだけど、こんな味食べたこと無いんだ。ジャパリまんにもこんな味があるなんて聞いたことないぜ?」

 

「え、えーとね、それは……たしか……うぅ……」

 

 答えに詰まってしまったともえを見かねて、イエイヌが本から顔を上げ「それはですね」と説明を始める。

 

「『ホテル名物 ゴマおろし団子』。ゴマという植物の種を加工して作られた黒い蜜がお団子の中にたっぷりと入った、元はホートク地方で人気だったお菓子です。そのあまりの人気っぷりから、ホートク地方だけでなく他の地方にも噂が広まって、今では各地方のフレンズたちが旅行のお土産目当てとしてホテルにやって来るとか……。ちなみに、食べるときは奥歯でやさーしく噛んで食べること……間違っても勢いよく前歯で噛んではいけません。こうなりますからね」

 

 イエイヌの白い毛皮、もとい服に付いた数々の黒点のごとき滲み。これは彼女自身が付けてしまったものではない。

 お菓子に目のくらんだともえとロードランナーが、イエイヌの説明も聞かずに団子にかぶり付いてしまったせいである。

 ブッチュウウウっと、飛び散った蜜が引っ掛かってしまったのだった。

 

「ともえ……何を食べてるかも分からなかったのに、お前にこれが作れるのか? というかそもそも、お前あんまり料理得意じゃねーだろ。イエイヌが作るってんなら、考えてもいーけどよう」

 

 ロードランナーがイエイヌへと視線を向けるも、イエイヌは無言で再び本を読み始めていた。

 声や表情には表さないものの、間違いなく機嫌が良いとはいえないだろう。

 彼女は、綺麗好きな性格である。

 

「うわぁーん!! ごめんねぇイエイヌちゃぁぁぁん!!! あたしっ、今度から気を付けるからぁっ! ちゃんと綺麗に、前歯じゃなくて奥歯で食べるからぁぁぁ!!!」

 

「……っ! い、いや、ダメです! ここで許してしまっては教育によくありません! 二人ともきちんと反省してくだいっ!」

 

「ごめんよぅ! ごめんよぉ──ーう!!」

 

 必死に後ろにいるイエイヌに詫びを入れるともえ。

 お団子への食い意地は別として、イエイヌには本気で申し訳ないと思っているのは間違いないだろう。

 けれども、食への執念が失われたという訳でもない。

 何故ならイエイヌへと謝罪をしながらも、今まさに最後のお団子に最も近づいたロードランナーの手をガッチリと掴んで離さないのであるから。

 

「くっ! なんて凄まじいパワーをしてやがる……! 普段はのほほんとしてて闘争とは無縁の所にいそうな雰囲気をしてるってのに、この圧倒的破壊性をも感じさせる握力……! さすがだぜともえッ! ……って痛い痛い痛ーいっ!!」

 

「あっ、ごめんね!」

 

 ロードランナーの悲鳴に思わず手の千からを緩めるともえ。

 その一瞬の隙を、ロードランナーは見逃さなかった。

 

「バカめッ 勝ったッ!」

 

 前方にあるお団子。それを得る為にロードランナーは、敢えて後ろへと飛び退いた。

 いくら握力を緩めたとはいえ、そのまま下へと力を向ければともえは直ぐ様反応して力を込め直すかもしれない。

 つける隙は一瞬。その一瞬に自身の最大の力を発揮するにはどうすればいいのか──

 ロードランナーは簡単に答えに辿り着いた。自慢の脚力で、『跳べ』ばいいのだと──

 

 ドンッ! 

 

 後ろへと跳びともえの拘束から逃れると同時に背後にある壁を蹴り、前方へと爆発的な加速。

 いかに警戒していたともえといえども、フレンズの本気の入った特技を前にして、生身の人間が取れる対処には限りがある。

 

「きゃあっ!?」

 

 最優先にしてしまうのは自身の身の安全だ。

 大きな音に驚いたともえは本能的に危険を感じ取り、とっさに側にいたイエイヌの懐へと飛び込んでしまった。

 

「やはり身を守る為にテーブルから離れたなともえ───ッ それはつまり、お団子からも距離を離したということだぁ──ッ! このままこのロードランナーがッ 最後のお団子を手に入れてやるッ!」

 

 お皿の上のお団子に向けて全身で突っ込むロードランナー。

 胸元へと飛び込んできたともえを咄嗟に庇うようにして抱き締めるイエイヌ。

 イエイヌのその柔かな温かみを享受し顔をだらしなく綻ばせるともえ。

 三者三様の刹那を繰り広げたのもつかの間、激しい音と衝撃共にロードランナーがテーブルに激突した。

 手を伸ばし、そのままお団子を手中へと納めようとしたものの勢いが付きすぎた為か目測を僅かに見誤る。

 狙っていた場所よりも僅かに横にそれた箇所に右手を着地させたせいでお皿は弾き飛ばされ、お団子は宙を舞う。

 しかし、ロードランナーはすかさず残る左手を振るい空中のお団子をキャッチしようとする。

 鞭のようにしなる左手が的確にお団子を捉え、そして見事に命中させた。

 だがそれは、柔らかいお団子を掴むには、あまりにも勢いと力が強すぎた。

 ロードランナーの手のひらに上から叩き付けられる形となってしまったお団子はその衝撃に耐えられず破裂するように生地は破れ、中にたっぷりと詰まったゴマ蜜が炸裂する。

 そして、丁度その真正面にいたイエイヌにそれは容赦なく降り注いだ。

 頭に、顔に、上着に、スカートに余すところなく、蜜が着弾し黒く染められていった。

 ちなみに──イエイヌに深く抱き締められていたともえは幸いにも、この甘く黒いコンタミからは守られていたのであった。

 

 全てが終わった後、イエイヌは微動だにしなかった。俯いた姿勢故にその表情も窺えない。

 受け身を取りテーブルへと着地したロードランナーは、一瞬遅れて現状を把握すると直ぐ様青ざめた。

 顔も分からないし、特に何か声を上げた訳でもない。けれども、イエイヌから次第に量を増しながら発せられていく何かが、ロードランナーの背筋を凍り付かせる。

 いつもはこんな時、軽く冗談を混ぜつつ謝るか逃走するかが十八番だったというのに、一歩も足が動かない。喉が震えて、声どころか息も上手く吐き出せない。

 イエイヌがぽつりと、しかしはっきりと聞こえるように呟く。

 

「一度ならず二度までも・・・・・・ロードランナーさん?」

 

 ──ぴくりとイエイヌの手が動いた瞬間、ロードランナーは自身に訪れる運命を確信した。

 

 あ、狩られる──

 

 そのロードランナーの予感が現実のものとなろうとした、まさにその瞬間、ともえがイエイヌの顔を両手でがっしりと掴んだ。

 

「イエイヌちゃん? 確かに今のはロードランナーちゃんのおいたが悪いけど、女の子がそんな顔をしちゃ、めっ! だよ! 汚れたのが嫌だったんなら、あたしが綺麗にしてあげるから、ロードランナーちゃんを許してあげて?」

 

 そう言うと、ともえはイエイヌの頬についていたひときわ大きなゴマ蜜の汚れをペロッと舌で舐め取った。

 

「えへへ……ワンちゃんは、お友達が汚れちゃった時はこうして綺麗にしてあげるんだよね……! たまにイエイヌちゃんがあたしにしてくれるみたいに、あたしもイエイヌちゃんに、こうしてあげたいと思ってたんだっ♪」

 

 突然のことに呆気にとられたイエイヌ。少し遅れて、ともえが自分に何をしたのか理解して、顔が紅葉の如く紅く染め上がる。

 

「ぁぅ……うぅ……あぅあ……!」

 

 目を白黒させて、口をぱくぱく開いて羞恥のうめき声を漏らし続けるイエイヌ。

 それにより、それまで纏っていた圧力も何処かへ消え去ってしまった。

 

「た、助かった……さんきゅーな、ともえ……」

 

 腰を抜かしたロードランナーは、やっとのことで言葉を絞り出す。

 今までちょくちょくイタズラでイエイヌにちょっかいを出すことはあったが、ここまで本気で怒らせてしまったことはなかった。

 これからは二度と、イエイヌだけは本気で怒らせないようにしよう──そう心に固く誓う。

 

「ロードランナーちゃんも、いくらお団子が食べたかったからって、危ないことしちゃダメでしょ! 周りにいたあたしやイエイヌちゃんももちろんだけど、あんな無茶な動きをするロードランナーちゃん自身が一番怪我しちゃうかもしれないんだから!」

 

「お、おぅ……すまん」

 

「よし! じゃ、次はイエイヌちゃんにも謝らなきゃね」

 

「……あーでも、今謝ってもイエイヌの奴、聞こえないんじゃないかなぁ?」

 

 膝を抱えて丸くなり、カーペットの上で転がっているイエイヌ。大人しくなっている本体とは裏腹に、彼女のしっぽは今にもちぎれんばかりに激しく振り揺らいでいる。

 確かに、思考がショートしてしまっている今の彼女には何を言っても聞こえないだろう。

 

「ありゃー、ちょっとあたしもやり過ぎちゃったかな……大丈夫イエイヌちゃん?」

 

「よせ、撫でようとするんじゃあない。ますます酷くなると思うぞ」

 

「うーん、でも、なんか撫で足りないよぅ……ねぇ?」

 

「それは残念だったな。……おい、なんだよ? こっちにじわじわと近付いてくるんじゃねぇ!」

 

「いいでしょ。ちょっとだけ、ちょっとその頭のてっぺんのふわふわしてそうな所をもふもふするだけだから!」

 

「私のそばに近寄るなああ─────ッ!」

 

 絶叫と共に、おうちの外まで響き渡る激しいどたばた騒ぎが始まる。

 高く高くで輝く満月に照らされた秋の夜長は、そうしてますます更けていくのであった。



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