実りの季節の風吹けば 実りの季節シリーズ1.5 (きゃら める)
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第一章 ~夏の終わり~

 

           *

 

 うるさく鳴り始めた目覚まし時計を潜り込んだベッドから手を伸ばして止めた。うなりながら薄く目を開けてみると、部屋の中はもう朝日で明るくなっていた。

「朝か」

 つぶやいて身体を起こす。

 どうも頭が働いてない。思考も視界もぼぉっとしている。寝不足が祟っているらしい。

「三月十四日、だよなぁ」

 寝起きで霞んでる目でミニコンポのデジタル表示を見てみたが、やっぱり今日は三月十四日、ホワイトデーだった。

 オレの寝不足の原因はただひとつ。それは――。

「あぁ、思いつかねぇ。マルチになにを返しゃぁいいんだ」

 大学に入って少し経った頃、オレは念願だったマルチを買った。紆余曲折はあったものの、オレはHMX―12マルチと一緒に生活するようになっていた。それも、ほとんど親が仕事で家にいない――それどころか、いまじゃ海外転勤みたいな状態のため、オレはマルチとふたりきりで暮らしていた。

 さらになにがあったかは知らないが、ちょうど一年かそこら前から、それまでおっちょこちょいで掃除以外まともにこなせなかったマルチの家事の腕をメキメキと上がり始め、いまではその辺りのことに関してはなに不自由なく生活ができるようになっていた。

 ――方向音痴がいまもって治らないのが気になるけどな。

 まぁそれはともかく、そんなこんなで一緒に暮らし始めてもうすぐ三年、いまからきっかりひと月前のバレンタインデーに、オレはマルチからチョコレートをもらった。

 いつの間にかあかりにつくり方を習っていた(後で聞いた話によると、毎年習ってたそうだ)というそれは、クッキーの上にチョコを被せたような、ずいぶん手の込んだ奴だった。

 前年、さらにその前の年もビターよりも遥かに苦いチョコレートを食べてきたオレは、今年はどんな味がするかと……、期待をして食べた。

 正直、美味かった。

 クッキーはスーパーで売ってる材料でつくったものだし、チョコも市販のものを溶かした奴だ。でもマルチがつくったそのチョコは、それまで食べてきたどんなチョコよりも美味かった。

「こりゃぁなにかお返しをしなくちゃな」というオレの言葉に、「その言葉だけで充分ですー」とマルチは言っていたが、そういうわけにはいかない。絶対なにかお返しを、オレの身の回りの世話をしてくれてることも含めて、してやりたかった。

「ふぅ」

 ベッドに座った格好のまま、オレは額に手を当てて溜息をついた。

 マルチになにをプレゼントしていいのかわからなかった。

 昨日一日考えて思いつかず、ベッドに入ってからも考え続けていて、寝つく直前に見ていたのは、朝焼けで赤く染まっていくカーテンの模様だった。

「キャンディとかは食べられねぇし、かといって指輪とかネックレスとかは、なんかマルチにはあわねぇんだよなぁ」

 再び溜息をついたオレは、目覚まし時計の長針の位置を確認した。

 ――もうそろそろか。

 頭まで隠れるように布団を被った。

 直後、寝坊対策用の目覚まし時計がまた鳴り始めた。

 それを無視してオレは布団の中でじっとしている。

 そうしているうちに、ベルの音に混じって階段を上がってくる足音が聞こえてきた。

 部屋に入って開口一番、

「ご主人様、朝ですよーっ!」

 マルチが声を張り上げた。

 それでもオレは寝返りを打ってみせるだけで、起きようとはしない。

「うぅーん」といつものように困った声を上げたマルチは、ベッドに近づいてくる。

「起きて下さい、ご主人さ――わあぁーっ!」

 布団に手をかける瞬間を見計らって、オレはマルチの腕をつかんで布団の中に引っ張り込んだ。

 かすかにみそ汁のいい匂いがするエプロンをしたマルチを抱き締めながら、額と額をつけて「おはよう」と言った。

「起きてらっしゃったんですか」

「そっ」

「い、いじわるですー」

「ちょっとしたいたずらだよ、マルチ。……嫌か? こーゆーの」

「そうじゃ、ないですけどぉ」

 もう朝日とは言えないくらい強くなった日差しでうっすらと明るい布団の中、マルチは頬を赤く染めてうつむいた。

 たまらなくなったオレは、マルチの額に口づけしてさらに強く抱き締めた。

「ご主人様ぁ~」

 情けない声のマルチ。

 こんな生活を始めて三年。オレはこれまでずっと幸せだった。

 マルチのこの柔らかい抱き心地は、オレにとってなくてはならないものだった。

 

 

 朝食は白いご飯とみそ汁、卵焼きに漬け物が少々、それからなんと言っても焼き具合のいい油が乗ったイワシだった。

 一番最初につくってもらったミートせんべいから、会えなかった間二年を除いた三年のうちに、マルチは格段に料理の腕を上げていた。

 マルチのつくってくれた美味い料理を箸でつつきながら、しかしオレは、さっきと違って幸せな気分にはなれなかった。

 本来家族三人で住むためにつくった一軒家の広いリビング。そこにいるのは、オレひとりだけだった。

 マルチは今、洗濯物を干してるはずだ。だがそれが理由で、オレがひとりになってるわけじゃない。

 ……マルチは、やっぱりメイドロボ。食べ物は食べられない。

 食事の時だけだ、マルチの奴がメイドロボなのを認識しちまうのは。それ以外のときにそう感じることなんてない。

 いや、もうひとつ、マルチがメイドロボなのを感じるときがある。

 それは――。

「電話か。こんな日に」

 土曜日で大学の講義がない日に電話をかけて来る奴なんて誰だろう。

 オレは朝食を食べかけのまま席を立ち、玄関先でけたたましく鳴っている電話に足を向けた。

「はい、もしもし。ご主人様ですか? はい。いますー」

 どうやらもう洗濯物を干し終えたらしいマルチが先に電話を取っていた。

「誰からだ?」

「あ、ご主人様。あかりさんからお電話です」

「あかりから?」

 なんだってんだろうか。

 あかりとは学科こそ違うが、同じ大学に行ってるし、通ってるところも同じだ。なにかと一緒に行動することが多いし、もちろん昨日も顔を合わせていた。

 隣に住んでるあいつが、わざわざ電話をかけてくる理由がわからなかった。

 マルチから受話器を受け取る。

「あかりか?」

『浩之ちゃん?』

「あぁ。わざわざなんの用なんだ?」

『えっと、あの、……そんなに、たいしたことじゃないんだけど』

「だったら電話なんてかけてくんなよ」

『あっ! ひっ、ひとつ用があるの』

「なんだ?」

 まったく、あかりはなんだってんだ。わけがわからねぇ。

 ――そう思えば、近頃のあかりはちょっとヘンだったような気がする。理由はわからないが、なにかあったんだろうか?

『……今日、三月十四日だよね』

「あん? オレとお前のとこのカレンダーが狂ってない限り、今日は三月十四日、ホワイトデーだろ?」

『うん。それでさ――』

「あぁ、わかってるよ。大丈夫」

 そういうことか。あかりがなんで電話をかけてきたのか、いまやっとわかった。

「大丈夫、バレンタインのお返しなら用意してあるよ」

 小さい頃からもらっていたが、あかりからは今年もバレンタインチョコをもらっていた。やっぱり今回も手づくりだったから、おいそれと安物で済ますことができず、しっかりとデパートでけっこう値の張ったキャンディを買ってあった。

 ……マルチへのお返しを探すついでに買ったもんだったりするんだがな。

「夕方には届けるよ」

『あっ……ありがとう』

 これであかりのことはすっきりしたな。

 ――そうだ。ついでにあかりにも訊いてみよう。

 まだそこにいるマルチにちらりと目をやったオレは、受話器の口を右手で覆った。

「ちょっといいか? あかり。訊きたいことがあるんだけど」

『なに?』

「あのさ、マルチにホワイトデーのプレゼントするとしたら、なにがいいと思う?」

 考えているのか、あかりが答えるまで少し間があった。

『……それは、私じゃわかんないよ。浩之ちゃん、自分で考えて』

「そっか。いや、つまらねぇこと訊いて悪かったな」

『うぅん。別にいい、けど。あと、あの……』

「まだなんかあんのか?」

『浩之ちゃん。今日、暇?』

「すまねぇな。今日はマルチと出かけるんだ」

『そう、マルチちゃんと――』

「プレゼントの方は夕方には届けるからな」

『うん』

 覆っていた手をどけて「じゃあな」と言って受話器を置いた。

「あかりさん、なんですって?」

「たいしたことじゃねぇよ。それよりマルチ、準備はできたのか?」

「はい! わたしの方は大丈夫ですー」

 オレはすっかり準備ができてるらしいマルチを見下ろした。

 マルチが着ているのは、高校に通っていたわりにはずいぶんかわいらしい感じの服だった。高校生というよりも、中学生、場合によると小学生にも見えなくない。

「よし。オレの方も早く飯食べ終わんねぇとな」

 今日はこれから、マルチと定期点検のために来栖川の研究所に行く。

 人間が病院に定期健康診断に行くと思えばいいんだろうが、この半年に一度の定期検診のときが、食事以外にマルチのことをメイドロボと認識してしまう瞬間だった。

 オレを見上げるマルチは、小さい。初めて会ったときとなにも変わってない。

 オレの身長は高校の頃からさらに伸びて、顎の辺りにあったマルチの頭が、いまでは胸の真ん中くらいにあった。

 ――マルチはやっぱり……。

「どうしたんですか? ご主人様」

「なんでもないよ、マルチ」

 不思議そうな顔をしているマルチに、オレは笑みを返した。

「さぁ、ちゃっちゃと飯食って行くか!」

「はいっ!」

 

          *

 

「お待たせしたね、藤田君」

 いつも飄々としてつかみどころのないおやじ、もとい、マルチの父親である長瀬主任が部屋に入ってきた。その後ろには、検査を終えたマルチがついてきている。

 三時間くらいだったろうか。オレは最新型のセリオ(確かHM―21「セリオⅡ」だ)が出してくれるお茶を飲みながら、長瀬主任専用の仕事部屋でマルチが検査を終えるのを待っていた。

 たぶんメイドロボによって整理の行き届いているその部屋で、いろいろと考えながら三時間を過ごした。

 ……まだ、マルチへのお返しは思いつかなかったが。

「検査の結果はいつもの通り、マルチのサポートボックスの方にメールで出しておきます」

 ユーザー登録したマルチには、来栖川のネットにサポートボックスと呼ばれる専用の電子メールのボックスがある。メイドロボのユーザーは、そこからサポート情報を受けたり、逆に問題が起こったときそこにメールを出したりするようになっている。

 各メイドロボごとに設置されたサポートボックスは、細やかなサポートで有名な来栖川ならではのサービスだった。

「お願いします」

 応えてマルチの方を見た。

 やっぱり生みの親に会えるというのは嬉しいらしい。定期検診の後はいつも、マルチは嬉しそうな笑顔で帰ってくる。

「無事終わりました~」

「おぅ」

 今回も例に漏れず嬉しそうなマルチに、オレは微笑んだ。

「ご主人様、この後はどうします?」

「あぁ、オレはちょっと主任に用事があるから。マルチ、先にバス停に行っといてくれ」

「はい。わかりましたー」

「それでは、失礼します」と戸口で礼をして、マルチは部屋を出ていった。

 それを見届け、マルチの足音が聞こえなくなってから、オレの方に注目していた長瀬主任に向き直る。

 いつもはマルチひとりで行かせる定期検診にオレもついてきたのは、主任に訊きたいことがあったからだ。

「なにか御用ですか?」

「いや、たいした用じゃないんだが……」

 目を細めて少し険しい顔をした主任に、オレはこめかみの辺りを人差し指で掻きながら言った。

「あのさ、マルチの父親と思って訊くんだけど」

「はい」

「……マルチにバレンタインデーのお返しをしたいと思うんだけど、なにがいいと思います?」

「はぁ」

 途端に表情を崩す長瀬主任。

 オレは主任にバレンタインデーやら近頃のマルチの様子やらを語った。

「そういうことですか。マルチにプレゼントをねぇ」

 主任は器用に眼鏡の下の片目だけを細くして考え込んだ。

「わからなくってさ。アクセサリーとかそういう仰々しいもんは似合わなぇような気がするし、……そんなに、財布に余裕があるわけでもねぇし。気の利いたものが思いつかなくって」

「ふむ」

 片手を顎に当てて、主任は本格的に考え始めた。

「確かに、マルチに貴金属宝石は似合いそうにありませんね」

「そうなんだよなぁ」

「かといって他のもの、となると、私も思いつきませんねぇ」

「そうかぁ」

 ふたりで考え込んでいるところに、走ってくる足音が聞こえてきた。それは部屋の前で止まり、勢いよく扉が開けられた。

「長瀬っ! 嬢ちゃんとこの二号機がたいへんなことに、って、藤田君か。久しぶり」

「あ、お久しぶりです」

 入ってきたのは音山主任だった。

 マルチの定期検診のときに一度だけ会ったことがあるくらいの人だったが、長瀬主任からセリオの開発主任であったということは聞いてる。

「ふたりで同じカッコして、おめぇらなにしてんだ?」

 言われて長瀬主任と顔を見合わせてみると、ふたりとも顎に手を当てながら考えていたことに気がついた。

 咳払いをしつつ顎から手を外した長瀬主任は、

「ちょっとマルチへのホワイトデーのプレゼントを考えていましてね」

 と答えた。

「そうかそうか。って、お前もマルチからチョコもらってなかったか?」

「えぇ。でも、もうお返しの方は手配済みです。そういうあなたも、もらっていると思いましたが?」

「え?」

 最後の疑問はオレのだ。

 マルチがそんなたくさんの人にチョコを渡してるなんて知らなかった。

 ……思い返してみれば、マルチは二月十四日の午前中、いなかったな。

「俺の方ももう手配済みだ。時間指定で送ったから、もうそろそろマルチのサポートボックスにメールが届いてるはずだぜ」

「なにを送ったんですか?」

「俺ひとりのもんじゃないが、マルチ開発に関わった人間とかのビデオだよ。応援その他いろいろな」

「少し前に撮っていたのは、そういうことだったんですか」

「そういうこと。で、お前はなにをプレゼントしたんだ?」

「新しい服をひと揃い、デパートの方に手配しておきました」

 オレの出る幕なんてねぇな。やっぱり生みの親の方がマルチのことをよく理解してる。

「それでおめぇは、なにをプレゼントするつもりなんだ?」

 音山主任がオレの方を見た。

「いや、それが思いつかないから、こうやって訊いてるんだけど」

「そりゃあそうだな」

 唇の端をつり上げて笑う彼。

「マルチにプレゼントねぇ」

 顛末を聞いた後、音山主任がつぶやいた。

「宝石とかが似合わねぇのはわかるし、ひとつ服ってのはいいが、それは長瀬の方がやっちまってるからなぁ」

「なにか、今日中にプレゼントして上げたいんですけど」

 オレはだんだん不安になってきた。今日中にプレゼントが決まるかどうか、わからなかった。

「おめぇさ、そういうのけっこう苦手だろ」

 にやけた顔をしながら、音山主任が言った。

「まぁ、そうですけど……」

 これまでにオレは何度もバレンタインチョコをもらったことがある。だが多くの場合は忘れてすっぽかすか、適当にそこら辺で買ったもので済ましてきた。

 だけど今回だけは、マルチになにか残るプレゼントをしたかった。

「もうすぐ大学四年だっけ? 若いにしちゃあおめぇ、頭がかてぇよ」

 音山主任の言った言葉の意味がわからなかった。長瀬主任もオレと同じように、疑問の表情を浮かべている。

「別にプレゼントなんてものはぁな、物でなくていいんだ。確かに心のこもったプレゼントをもらえりゃあ嬉しいが、プレゼントの本質ってのは物にあるわけじゃないだろ?」

「どういうことですか?」

「わっからねぇかなぁ。喜んでもらうことが第一。物ってなぁ手段だ。だったらよ、物以外の手段で喜んでもらえばいいじゃねぇか」

「……そうか」

 やっとわかった気がする。

 オレはマルチに物をプレゼントすることばっかり考えてた。そればっかり考えてて、他に頭が回らなくなってた。

「楽しい思い出ってのもよ、プレゼントにならねぇのか?」

「それがあった」

 思いついたオレは、すぐに腕時計で時間を確認した。

 まだ三時過ぎ。ちょっと遅い時間にも思えるが、どこかに行くにはまだまだ大丈夫な時間だ。

「ありがとうございます!」

「いや、なに。たいしたことじゃねぇよ。マルチにいい思い出残してやれよ」

 恥ずかしそうに鼻の頭を掻く音山主任。

「っつぅことで、お前は早くここから出て行け。俺は長瀬に用事がある。マルチをこれ以上待たせんのも悪いだろ?」

「あ、はい」

 ふたりに丁寧に礼を言ってから、オレは部屋を出た。

 ――そうか。マルチと一緒にどこかに行くってのもあったな。

 やっと悩みが解消されたオレだったが、ひとつ、音山主任が部屋に入ってきたときの言葉が気になっていた。

 ――嬢ちゃんとこの二号機。

 それは確か、来栖川先輩んとこのセリオだったと思う。マルチから二機つくられた試作型セリオの両方が、先輩のところでいまも使われているということを聞いたことがある。

 オレは振り返っていま出てきた扉を見ていた。

 

 

「それで、なんの用ですか?」

「俺が持ってきたのはいい話と悪い話、ひとつずつだ」

 藤田君がいなくなった途端に真剣な表情になった音山が言った。

「悪い話の方は、さっき藤田の奴にもちょっと聞かれちまったが、来栖川の屋敷で継続試験中だったセリオのことだ」

 五年前に開発された試作型セリオは、一度量産型開発のためにデータの抜き取りなどが行われた後、モニターテストとして二機つくられた両機とも来栖川会長の屋敷で使用されていた。そのモニターテストと同時に、セリオにはメイドロボの寿命についての試験も行われていた。

「なにか悪いことでも?」

「あぁ。セリオ二号機、つまり『HMX―13H セリオプラス』だが、廃棄処分が決定した」

 一瞬、身体に電撃が走ったような気がした。

 関節などの可動部分については劣化するため、どうしても交換が必要だった。しかし他の部分については、無交換ということで試験は行われていた。

「お前も理由はだいたいわかってんだろ?」

 真剣な眼差しを向けてくる音山。

 その意味を理解している私には、返す言葉がない。

「一号機の方はまだ正常に稼働中だ。予測では後一年くらいは保つ」

「そうですか」

 セリオ一号機と二号機は、二号機の方が二週間ほど後につくられた程度で、ほとんど時間差なく完成したと言っていい。それなのにこれほどまで稼働限界に差があるのは――。

「やっぱり二号機に追加したシステムが祟ったな」

 セリオ二号機に追加したシステムとは、強いて言うなら「気を利かせる」システムだった。ユーザーの行動パターンを記憶して、状況に応じてお茶を出したりするというものだ。初期型のセリオではコンピュータに対する負荷が予想されたため、大幅に性能アップ、一部仕様変更が行われた「HM―21 セリオⅡ」から「ヒューマニティシステム」と名づけられて搭載されていた。

 そのシステムを初期型であるのに搭載していたセリオ二号機のコンピュータにかかっていた負荷は、かなりのものになっていたはずだ。

「ほぼ予測で出てた通りだ。プロトタイプでもあのシステムはコンピュータにかなりの負荷を与えていた。最後はコンピュータが暴走しかけて安全装置が働いたそうだ。暴走で半分以上解析用のデータが飛んじまってたが、残った情報を解析した結果、ヒューマニティシステムがコンピュータに与える負荷は俺たちが予想してたよりかなりのものだった」

「そうですか」

 音山は天井を仰ぐ。

「よく保ったと思うよ、セリオは。解析結果からわかったことだが、二号機のコンピュータが負荷限界に達したのは、停止する二ヶ月も前だったよ」

 人は涙を流さなくても泣けるということを、音山はまざまざと見せてくれた。

 重苦しい沈黙。

 私もまたなにも言えず、眼鏡を取って閉じた瞼を指で押さえた。

「人が死ぬように、メイドロボも死ぬんだ。それもメイドロボの寿命は、人のそれより遥かに短い」

「えぇ」

「たとえセリオ以上のコンピュータ性能を持ったマルチといっても、二号機以上に負荷がかかってるはずの彼女の寿命はあと何年あることか……」

「けれどマルチは――」

「って、長瀬。ちょっと待て」

 それまで天井を見ていた音山が険しい顔をして耳を澄ました。

「どうかしましたか?」

「……いや、なんでもない。そうだな、マルチはまだまだ保つだろう。それからいい知らせの方だ」

「はい」

 音山は小脇に抱えていた書類を机の上に置いた。

 紐で綴じられたその書類には、「HM―32 Ayano計画」という表題と、「発案者 音山彰次 長瀬源五郎」という連名、それから企画進行として「株式会社 来栖川HM」と、「ニューラルネットワークコンピューティング・インコーポレーション」とあった。

「NNC社から今朝方正式に回答があった。社長のGOサインも出た。これで、アヤノ計画が発動となる」

 音山の眼差しを受け、眼鏡をかけ直した私もそれに応えた。

「アヤノ計画」。

 それは成功すればセリオがリリースされたとき以上の反響を得ることになるだろう計画だ。

 マルチのメインコンピュータとしても使われているPNNC、パラレルニュートラルコンピュータを製造しているNNC社、そして来栖川エレクトロニクスから独立して子会社となる「来栖川HM」の共同で進められることになるこの計画は、来栖川グループのメイドロボ部門の中でも最大のものとなるだろう。

「これでメイドロボ用に特化されたメインコンピュータ、BCHMがつくれる。ヒューマニティシステムも完成する。メイドロボ業界にセリオ以上の旋風が巻き起こる。手は抜けないぞ、ゲンゴロウ」

「もちろんですよ」

 唇の端を徐々につり上げていく音山を見ながら、私は考えていた。

 ――もし、この計画の後にマルチをつくっていたら……。

 

           *

 

 話がマルチに及んだとき、オレは扉に頭をぶつけて小さな音を立ててしまった。

『って、長瀬。ちょっと待て』

 ――気づかれた?

 出来るだけ静かに扉から離れて、忍び足で出口に向かった。

 振り返ってみたが、部屋から誰かが出てくる気配はない。

 ――大丈夫か。

 胸をなで下ろしながら、ずいぶん待たせちまったバス停まで歩いていく。

 ――マルチの寿命?

 これまで、考えたことがなかった。

 オレにとってマルチはなくてはならない存在だ。マルチがいなくなるなんて、想像したくもなかった。

 エントランスを抜けて、研究所の敷地内の庭に出る。春先の明るい日差しがまぶしかった。

「あ、ご主人様。お待ちしておりましたー」

「悪かったな。ずいぶん待たせちまって」

「いえ、それはいいんですけど……、どうかしたんですか?」

 オレの暗い表情を読みとったらしい。マルチは心配そうな表情をした。

「なんでもないよ、マルチ」

 にっこりと笑いかけてやる。

「そうだ、ご主人様。梅の花がきれいですよー。ほら~」

 マルチが手で示してくれた先には、一列に並んで植えてある梅が、花を満開にさせていた。

「きれいだな」

「わたしもそう思います!」

 嬉しそうなマルチ。

 柔らかな風が吹いてきて、梅のいい香りが漂ってきた。

 こんなちょっとしたことが、マルチの思い出として残っていく。

「マルチ、遊園地に行こう」

「え?」

「オレ、バイトが忙しくてほとんどどこにも連れてってなかったろ? バレンタインのお返しとしちゃあどうかと思うが、いいか?」

「もちろんですよ!」

 嬉しそうにはしゃぎ始めたマルチは、抱きついてオレの胸に顔を埋めた。オレもマルチのことを抱き締めてやる。

「あと、あの、ひとついいですか?」

「なんだ?」

 マルチは頬を赤くしながら顔を上げた。

「あかりさんとか、他の人とかも呼んでいいですか?」

「もちろんさ。みんなで楽しく遊ぼうぜ」

 ――そして、いい思い出をつくろうぜ。

「はいっ!」

 また顔を埋めて「嬉しいですー」と繰り返しているマルチをしっかり抱き締めた。

 かすかな髪の匂い。

 伝わる暖かな体温。

 柔らかな抱き心地。

 オレはマルチを抱き締めながら、こいつとずっと一緒にいてやろうと誓っていた。

 

 

          「実りの季節の風吹けば」 了

 



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