スピリッツ・オブ・ミュージック♪ (水狐舞楽)
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〜第一楽章・波乱だらけの駆け出し〜
イントロダクション


 正月明けの小学校の体育館の中は、キンとした空気に包まれている。だが、舞莉(まいり)の心はポカポカしている。今のクラリネットのソロを聴いてからだ。

 

「クラリネットっていう楽器、あんなあったかい音がするんだ。」

 

 今日は『音楽鑑賞教室』として、今年はお隣の中学校の吹奏楽部の人たちが演奏しに来てくれている。あと3ヶ月で舞莉もそこの中学校に入学する。

 

 40人くらいのお兄さんお姉さんが奏でる音は、今まで聞いたことがないくらいの爆音でもあるが、何かわくわくする様でもあり、心地よいものでもあった。

 司会のお姉さんのうちの一人が、頭から水色のスカーフをかぶって前に出てきた。

 

「アンコール、ありがとうございます。最後にお送りするのは、先輩方から代々受け継がれてきた、南中吹奏楽部のテーマソングです。」

 

 曲名は『ユーロビート・ディズニー・メドレー』。『ユーロビート』とは、電子楽器 (シンセサイザーなど)を多く使った、速いテンポの曲である。この曲は、吹奏楽のサウンドかつユーロビートのテンポでディズニーの楽曲が楽しめる、といったところだろうか。

 

 トロンボーンという楽器の方から誰かが叫ぶ。

 

南吹(なんすい)パワー全開でー!」

 

「「「ユーロビート!」」」

 

 部員全員が声を揃えた。

 ドラムの人がバチどうしを叩き、拍をとる。

 

 振り付けつきの『ユーロビート』が始まった。彼らはキビキビした乱れぬパフォーマンスをしているにも関わらず、今までと変わらない演奏自体のクオリティを兼ね備えていた。

 

 舞莉は小学生でありながら、この人たちから何かを感じたらしい。

 

「あの人たちと一緒に部活をやりたい。あのクラリネットを吹きたい。」

 

 この曲の中にはクラリネットだけで演奏するところがあるのだが、それを聞いてなおさら、その意欲が高まった。

 

 演奏が終わると、舞莉は全力で拍手をしていた。音楽でこんなに感動したのは初めてだったのかもしれない。音楽の授業で散々聞いてきた、合唱曲やオーケストラよりも。生演奏だったからでもあるだろう。

 

 

「今日来ていただいた吹奏楽部の方々に向けて、この紙にメッセージを書いてください。学年から20人、南中に贈りたいと思います。」

 

 教室に戻って、音楽鑑賞教室の後で恒例の、お手紙を書く時間がやってきた。昨年までは書き始めから何を書こうか迷っていたが、今年は気がつけば鉛筆が紙の上を走っていた。

 

「今日は来ていただき、ありがとうございました。私はクラリネットという楽器が好きになりました。中学生になったら吹奏楽部に入りたいです。」




お久しぶりなmairinです!
今回はずっと書きたかった吹奏楽のお話です。まだあらすじとイントロダクションだけですが、続きも執筆中なので頑張ります。

トリップレッツの方も近々投稿するので、もうしばしお待ちください。

【音源】
ユーロビート・ディズニー・メドレー→ https://youtu.be/jPaktZbnrVY


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01:入部

《登場人物紹介》
〇羽後 舞莉(ひばる まいり)……主人公。クラリネットの音色に惹かれ、吹奏楽部に入部したいと思っている。


 ぶかぶかの制服を身にまとった舞莉は、入学式を終えて教室にいた。制服の袖のボタンと机がこすれて、カチャカチャと鳴るのがまだ慣れない。隣の人は外国人、いえ、苗字は漢字なのでハーフの女の子。

 

 すると、さっき紹介された担任が入ってきた。新採用の先生である。

 

「あまり時間がないのですが、軽く自己紹介します。名前は田辺(たなべ)淳史(あつし)と言います。今年から先生になったばかりで慣れない面もあると思います。ですが、お互い『1年生』です。助け合いながら中学校生活を送りましょう。よろしくお願いします。」

 

 小学校の時は、一度も新採用の先生が担任にはなっていなかったので、不安もあるが、先生としてどのようになっていくかと思っていた。

 

 ……完全に上から目線である。

 

 今までのことで気づいたかもしれないが、舞莉の思考は、同級生より大概年上な発想をする。良く言えば大人な発想ができるといえるが、悪く言えば ばば臭いといえるだろう。同級生には「よく分からない人」や「不思議ちゃん」とも思われているらしい。

 

 まず舞莉にはほとんどの人が寄らなく、流行りに鈍感な舞莉はすぐに話題からついていけなくなる。そんなこんなで友だちがいないのだ。

 

 当の本人は、どうすれば寄ってきてくれるのか、未だに見いだせずにいる。

 

 

 今日から舞莉が待ち望んでいた、仮入部が始まる。廊下に掲示してある仮入部勧誘のポスターに、初日はミニコンサートと書いてあった。

 

 またこの間の演奏が聴ける!

 

 周りがどの部を見学しようか迷っている中、舞莉は真っ先にB校舎4階の音楽室に向かった。

 

「ここが……音楽室。」

 

 音楽の授業がまだ始まっていない上、学校探検の時には時間がなくて中まで見られなかったので、こんなに中をじっくり見たのは初めてだ。

 

 中に入ったのはいいものの、この後どうすればいいのか分からない。

 

「1年だよね。じゃああっちの椅子に奥から詰めて座って。」

 

 大きな楽器を抱えた先輩が向こうを指さした。あの楽器は確かチューバだったような。

 

 会釈をして舞莉がそっちに目をやると、箱椅子がずらりとならんでいる。既に2人が座っていた。舞莉が座った席は運よくクラリネットパートのそばになった。

 

 5分も経たないうちに満席となり、立ち見をする人も出てきた。

 

「それでは、ミニコンサートを始めます。リクエスト演奏なので、その紙の中から吹いてほしい曲を言ってください。」

 

 手元の紙には、手書きで曲名が20曲ほど書いてある。舞莉が知らない曲の方が多い印象だ。

 

「『R.Y.U.S.E.I.』やってください。」

 

 どこからか声が飛んできた。

 この曲は知っている、私でも。例のダンスが流行った曲だ。

 

「『R.Y.U.S.E.I.』やります。」

 

 トロンボーンパート辺りから指示が聞こえ、先輩全員は「はいっ」とキレのある返事を返す。

 

 譜面台の上にあるファイルのページを先輩たちがめくる。男の先輩が3人、隣の準備室へと消えた。

 舞莉はそれよりも、トランペットやトロンボーンの後ろにいる、キーボードに手を置いている人の方が気になった。

 

 ドラムの人がバチを叩く。先輩は楽器を構える。もう3回叩くと(この曲はアウフタクトから始まるので)演奏が始まった。

 

 最初の効果音。あのキーボードの音だ。しかし、他の楽器が入ってくると聞こえなくなってしまった。その後は気になっているクラリネットの音を聞いていた。

 

 サビの手前で、準備室から男の先輩たちが出てきて踊り始めた。ああ、やっぱり。

 

 その後、4曲演奏すると、『ユーロビート・ディズニー・メドレー』を吹いてくれた。久しぶりに聞いたせいか、または目の前で見ているせいかもしれないが、迫力にまたも驚いてしまった。

 

 私もこんな風になりたい。

 

 

 仮入部2日目。ポスターによると、今日から仮入部が終わるまで楽器体験ができるらしい。

 舞莉はもはや当たり前のように音楽室にいた。

 

「何の楽器吹けるのかな。クラリネット吹いてみたい。」

 

 机の上の4本のクラリネット。舞莉には、それらしか見えていない。

 

 舞莉の見えていない領域には、ドアから見て 前の方に木管楽器、中央にホルン、後ろの方にトランペットとトロンボーン、右の方にユーフォニアムとチューバ、左の方にパーカッション、という具合で体験スペースが設けられている。

 

「そこの5人、フルートに行ってくれる?」

 

 舞莉の近くにいた人も含め、先輩に手招きされて連れていかれた。

 

 写真とか、遠目の実物なら見たことがあったけれど、近くで見るとこんなに細かいパーツがあるんだな、と舞莉は思った。

 

 まずは頭部管という、息を当てる部分だけで音を出す練習をした。先輩がお手本を見せ、舞莉たちはそれを真似する。

 音が出る構造としては、ペットボトルの口に息を吹きかけるとボォーっと音が鳴るのと同じ仕組みだ。

 

 頭部管で音が出せた舞莉は先輩に全てを組み立ててもらい、それを構える。ここで気づいた。

 ……指を押さえるところが指の数より明らかに多い。どこを押さえるんだ?

 

「ここと、そうそう、あー、こっちを押さえて。」

 

 先輩に指示されるがままに押さえて、これが「ド」の音らしい。

 

 しばらくして、トロンボーンの人が手を叩いた。

 

「回してください。」

 

 「ド」と「レ」の音を出しただけで、もう次の楽器のところに行かなければいけなくなった。

 

「ありがとうございました。」

 

 教えてくれた先輩に一応、お礼を言っておく。

 

「はいはーい、次は隣のクラのところね。」

 

 クラとはクラリネットの略称である……えっ、クラリネット!?

 ついにあの、クラリネットが吹けるんだ……!

 

 さっきのフルートパートは一人一人に先輩がついてくれていたが、クラリネットパートは先輩1人で教えるらしい。

 

「パートリーダーの山下(やました)真帆(まほ)です。」

 と言って、ジャージの名前の刺繍を指さした。

 

「じゃあ、この『マウスピース』、略して『マッピ』って言うんだけど、これで吹いてみようか。」

 

 フェイスタオルの上に5つころがっているのがマウスピースと言うらしい。

 

「これは『リード』と言って、マッピにつけて吹くと、これが振動して音が鳴るんだ。で、これを留めるのが『リガチャー』。」

 

 木の薄い板のようなリード、金色の輪っかにネジがついているリガチャー。フルートよりパーツが多そうだ。

 

「あっ、マッピにつける前にリード舐めてもらおうか。」

 

 な、舐める!?

 

 舞莉たちにリードが手渡される。山下先輩は自分のリードで手本を見せる。

「ほら、こんな感じで。」

 

 舞莉たちは目配せをして先輩の真似をする。もちろん味がする訳でもないが、これはどういう意味でするのだろう。

 

 30秒ほど経って先輩が、「もういいよ。リード私にちょうだい。」と言ってきたので、端の人から順にリードを渡していった。先輩はそれをマッピにつけ、リガチャーを上から通してネジで固定する。

 

「よし、音出してみようか。こうやって下唇を巻いて、そのままマッピを咥えて。そしたら息を入れて。」

 

 ピーッ

 

 こんな音がするのか、意外と高い音。

 

「みんなもやってみようか!」

 

 先輩に促され、またも目配せをした。下唇を巻いて、咥えて、息を入れる。

 

 スゥー

 ……出ない。もう1回!

 スゥー

 あれ、ほんとに音出るのか、これ。

 

 他の人を見ても、みんな音が出ていない。舞莉と同じように息が漏れる音がするだけだ。

 どうしよう。これで音が出なければクラリネットは吹けない。私の憧れが……。

 

 こんな状態が5分くらい続く。舞莉は1回だけまぐれであの音が鳴りかけたが、それきりだ。

「真帆、1年どう? 音出せた?」

 

 準備室から3年生が出てきて、山下先輩に尋ねる。

 

「それが……、1回前の1年も、この子たちもできなくて。どうしたらいい?」

 山下先輩は目を伏せる。

 

「うーん……。1回みんなやってみて。」

 

 マッピを咥えて息を入れても、やはりあの音は鳴らない。その先輩は何か閃いたようだった。

 

「みんな息の量が足りないよ、真帆。これじゃあ弱すぎる。」

 

 その先輩は舞莉たちに向き直って言った。

 

「みんな、もっと息を入れて!リコーダーと違って、たくさん息を入れないと鳴らないんだよ。」

 

 もっと必要なのか……。それなら。

 

 スゥー、ピィッ

 

「あっ、もう1回もう1回!」

 

 山下先輩が私を見て小さく拍手をする。

 

 ス、ピーッ、ピーッ

 

「出た出た!よかったぁ。」

 

 山下先輩は胸を撫で下ろす。

 

「ジャスミン、ありがとう! 助かった……。」

 

「どういたしまして。じゃあね、真帆。頑張ってねー!」

 

 そう言って、また準備室へと消えていった。

 

「次はバレルつけて吹いて……」

「回してください。」

 

 山下先輩の言葉に食い込むように、トロンボーンの先輩の声が響いた。

 

 えっ、もう終わり? もう15分経っちゃった?

 

「あー、終わっちゃったか。」

 

 山下先輩は音楽室の後ろの壁にある時計を見て、ため息混じりに呟く。リガチャーのネジを緩めてリードを外すと、マッピとともに舞莉に渡した。

 

「これ、向こうの水道で洗ってきて。リードの薄いところは触らないでね。」

 

 先輩の目の先には入口近くにある2つの洗面台がある。既に誰かが何かを洗っている。

「あっ、はい。」

 

 舞莉は、洗い終わって先輩のところへ戻ると、リードとマッピを返した。

 

「ありがとね。またよかったら仮入部来てね。」

 

「はい、教えてくれてありがとうございました。」

 

 舞莉が軽くお辞儀をすると、先輩はリードを拭いていた手を止めた。少し間が空いてから、

「じゃあね、次はそこのホルンに行ってね。あのカタツムリみたいなやつ。」

 と指をさす。

 

 舞莉は返事をし、口を真一文字に結んだ。

 

 結局、舞莉は5日間の仮入部を音楽室で過ごした。体験できる全ての楽器を回り、フルートとクラリネットは2回目も体験できた。

 

 2回目のクラリネット体験ではすぐにマッピから音が出て、それからは、ド、レ、ミの音が出せるようになった。

 

 

 仮入部最終日の終了後、校内放送で「仮入部が終了しました。1年生は速やかに下校しましょう。」と流れた直後のことだった。

 

「あれ、仮入部、毎日吹部に来てるよね?」

 

 廊下の端に並べてあったリュックサックを背負っていると、2年生の先輩が舞莉に話しかけた。その先輩は近所に住む、明石(あかし)(たえ)先輩だ。小さい頃から一緒に遊んでいたせいか『先輩』と呼ぶのに抵抗がある。敬語で話すのも。

 

 帰る気マンマンですっかりオフモードだった舞莉に不意打ちが来た。

 

「はい、吹奏楽部にしか目がないので。」

 

「ていうことは、舞ちゃん、吹部に入るの?」

 

「そうですね、入部届はもう書いたのであとは提出するだけです。」

 

「もう入部届書いたの? 嬉しいなぁ! 何の楽器やりたいの?」

 

「クラリネットです。」

 

「えっ、ほんとに!?」

 この反応で言うまでもなく、明石先輩はクラリネットパートなのだ。

 

「来週の本入部、楽しみにしてるね!」

 

「はい! では、さようなら。」

 

 先輩に手を振られ会釈すると、階段を降りていった。




 今日は後輩たちのアンサンブルコンテスト県大会でした。会場に行って演奏を聴いてきました。結果はダメ金(金賞だが上の大会に進めない)でした。
 全然私の代の人たちよりは上手いのですが、何か足りない。そんな感じでした。
 表彰式後の後輩たちの姿を見ていると、なぜかこちらまで泣けてきました。あともう一歩が届かなかったのです。
 これが来年のコンクールの糧になればいいです。

 ……なぜこの小説と関係ない現実の話をするのかというと、この小説は今現在へと繋がっているからです。そう、この小説は私の実体験を元にして書かれているのです。

 次回は「⒉ 選考」です。舞莉は吹奏楽部に入部し、クラリネットを第1希望にしてオーディションを受けます。

【音源】
R.Y.U.S.E.I.→ https://youtu.be/F7K349oJyys

ユーロビート・ディズニー・メドレー→ https://youtu.be/jPaktZbnrVY


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02:選考

《登場人物紹介》
〇羽後 舞莉(ひばる まいり)……主人公。1年生。クラリネットの音色に惹かれ、吹奏楽部に入部した。

〇明石 妙(あかし たえ)……2年生。クラリネットパート。舞莉の家の近所に住んでいる。

〇三宅 香澄(みやけ かすみ)……3年生。クラリネットパート。あだ名はジャスミン。


 そして迎えた本入部当日。

 音楽室に今年度の吹奏楽部員が集まった。

 

 1年生は教壇に体育座りで身を縮めている。この人数でこの教壇の中に収まるように座らなければいけないって、結構キツいよね。

 

 舞莉は頭を動かす。誰が入部したんだろう。

 

「ねぇねぇ。」

 

 舞莉の左肩が誰かに叩かれた。

 

「名前なんていうの。」

 

 左を向くと、隣に座っているミディアムくらいの髪の長さの人が舞莉を見ていた。

 

「私は羽後舞莉。」

 

「私は上野(うえの)茶羽(さわ)。舞莉ちゃん、よろしくね。」

 

「こ、こちらこそ。」

 

 茶羽は舞莉のジャージの刺繍を見ている。

 

「羽に後って書いて『ひばる』って読むんだ!珍しいね。」

 

「そうだね。漢字だけ見ても絶対に読めないと思う。『上野』だったら絶対に読んでもらえるのに。」

 

「上野は読んでもらえるけど、名前はすぐには読んでもらえないよ。茶羽ってお茶の茶に羽って書くんだけど、読む人は一瞬『ちゃば』とか思ってるはず。」

 

 そう言って、茶羽は笑った。自虐でも『ちゃば』はないだろと、舞莉も笑った。

 

 見ず知らずの人に話しかけるなんて、私にはそんなのない。社交的な人だな。

 

 ぼっちの舞莉にとって、他人に話しかけられるのは一体何日ぶりだろうか。いや、最後に話しかけられたのは小学校の卒業式だから、1ヶ月ぶりくらいだ。

 そんなレベルで人と話してないのか、私。

 

 すると、例のトロンボーンの先輩が手を叩いた。あの動物園のようにうるさかった音楽室が一瞬で静かになった。

 

「これから歓迎会を始めます。黙想。」

 

 この学校では、朝の会や帰りの会の始めに黙想が取り入れられている。確か、朝の会は「今日1日どのように過ごすか考える時間」で、帰りの会は「今日1日どのように過ごしたか振り返る時間」とか言っていた気がする。

 

 そんなことを考えていたら「やめ。」の声が聞こえた。

 

「それでは部長・副部長の紹介です。」

 

 長めのポニーテールに黒いメガネをした、いかにも賢そうな人が1歩前に出た。

 

「部長の上野(うえの)亜結(あゆ)です。トロンボーンパートのパートリーダーです。よろしくお願いします。」

 

 上野……あれ、聞き覚えが……。そうだ、私の隣に座っている人。もしかしてお姉ちゃんだったりして。

 

「副部長の弓削(ゆげ)夢羅(くらら)です。フルートパートリーダーです。よろしくお願いします。」

 

 弓削先輩もポニーテールで黒メガネをしているが、割と小柄な方だろう。それより、こんなにフルートが似合う人はなかなかいないだろう。

 

「同じく副部長の松本(まつもと)塁斗(るいと)です。トランペットのパートリーダーです。よろしくお願いします。」

 

 吹奏楽部に数人しかいない男子のうちの1人である。ピアノに寄りかかりながら言ったせいか、ぶっきらぼうに聞こえた。

 

「次は2・3年生に自己紹介してもらいます。えっと、学年と名前と今年の抱負を言ってください。」

 

 上野先輩の言葉にブーイングが上がる。

 

「上野たち抱負言ってないじゃん。ずるいよ。」

 

 膝の上にサックスを乗せた1番前に座っている先輩が、上野先輩を指さす。

 

「分かった、分かった。お手本として私たちが抱負言うから。」

 

 上野先輩はその先輩をなだめると、少し考えてから抱負を言う。

 

「私の今年の抱負は、部長としてみんなを引っ張っていくのと、東日本に行くことです。」

 

 東日本って何だ? コンクールのことか? 入部したばかりだからあまりよく分からない。

 

 部長と副部長に続いて他の部員たちも自己紹介をする。3年生は全員「東日本大会に行く」という目標を立てていた。本心から思っているのか、流されて言っているのかは分からないが。

 

「すみません、遅くなりました。」

 

 みんな一斉に声の方を向いた。白髪でスラッとしたおじいちゃん先生だ。

 

「上野さん、どこまで進めましたか。」

 

「今、2・3年生の自己紹介が終わって、これから1年生にやってもらおうとしたところです。」

 

「分かりました。続けてください。」

 

 先生はピアノ椅子に座り、足を組んだ。

 

「次は1年生に自己紹介をしてもらいます。1年生は名前と何か一言、例えば抱負とか入りたいパートとか、そういうのを言ってください。」

 

 松本先輩が上野先輩に耳打ちをする。微かに「誰からやるんだよ。」と聞こえた。

 

「じゃあ、1年生から見て右から。1番前の人から順番に横に言って行ってください。」

 

 よかった、反対側だ。だいたい真ん中くらいだから、前に言っていたやつをパクればいいか。

 

 そして、舞莉の番が来た。

 人前で発表するの、まぁ発表じゃないけど、ホントに苦手だなぁ。心臓の音がはっきり分かる。唾を飲んで立ち上がった。

 

「羽後舞莉です。クラリネットを希望しています。練習を頑張って先輩方と早く一緒に演奏したいです。よろしくお願いします。」

 

 おぉ。と声が上がる。他の人より一言多く言ったからだ。

 ふう、何とか自分で考えたことも入れたし大丈夫だよね。

 

 しかし、次の茶羽の番で、その考えは脆くも崩れ落ちた。

 

「私は顧問の森本(もりもと)清朗(せいろう)です。今年から南中に赴任しました。よろしくお願いします。」

 

 先生は「さて。」と手を叩く。

 

「今年は26人の1年生が入部しました。1年生も合わせて74人の仲間とこれから過ごします。みんなで協力し、互いに上達していきましょう。」

 

 すかさず、先輩たちが返事をする。

 

「高橋先生、お願いします。」

 

 上野先輩が促すと、高橋先生は「あっ。」と少し驚いた様子で1歩前に出る。

 

「副顧問の高橋(たかはし)亜彩美(あさみ)です。美術部の副顧問と兼任しているのであまり顔は出せないと思います。たまに子どもを連れて来ようかと思っているので、その時はよろしくお願いします。」

 

 高橋先生が『子ども』と言ったとたんに、先輩たちの頬が緩んだ。何せ、ここの吹奏楽部は9割が女子部員だからだ。小さい子が好きな人も多いだろう。

 

「あと、外部指導の荒城(あらき)政男(まさお)先生もいらっしゃいます。土日にいらっしゃると思います。」

 

 森本先生が付け加えて、上野先輩に振る。

 

「それでは、3年生は楽器体験の準備、2年生は個人練、1年生は楽器体験の準備が終わるまで待っていてください。」

 例のごとく「はいっ!」の声が響いた。

 

 舞莉たち1年生は3・4人のグループを組まされ、15分ごとに各パートを周り、楽器体験をした。今週の土曜日の『パート決め』、通称『オーディション』まではずっと続くらしい。

 

 

 入部から3日後、舞莉のグループは入部後3回目のクラリネットを体験している。クラリネットの時はいつも調理室で体験する。

 

「あれ、今日 真帆いないの?」

 

 三宅先輩が、偶然調理室にいた明石先輩に声をかける。

 

「えっと、塾があるみたいで。」

 

「また塾?しょうがないかぁ。今日、3年で部活出てるの私とますかだけだよ。人足りないから、妙ちゃん、1年生に教えてあげてくれる?」

 

「えっ! 私ですか? 分かりました。」

 

「じゃあ、あそこの舞莉ちゃんよろしく。あの子よくできるから、あまり教えなくても大丈夫かも。」

 

 と、微笑する。

 

 明石先輩が対面で座り際に「舞ちゃん、そんなに上手いの?」と聞いてきた。

 

「さぁ? ……分かりません。」

 

 上手いかどうか聞かれても、よく分からない。

 ……当たり前だ。

 

 楽器経験は、幼稚園の時にベルリラという鉄琴のような鍵盤打楽器、小学校の時に鍵盤ハーモニカとソプラノリコーダー、昨年クラスで発表した時にやった小太鼓 (スネアドラム)くらいしかない。クラリネットの経験は皆無である。

 

 マッピにリードとリガチャーをつけてもらい、下唇を少し巻いてマッピを咥える。息を吹き込む。

 一発で音が鳴った。

 

「えっと、クラ吹くの何回目なの?」

 

「多分5回目くらいです。仮入部と合わせて。」

 

「そんなにやってるんだ! 2年はいつも個人練だから、全然1年のこと分からなくてさ。」

 

 マッピにバレルをつけてもらう。それを吹く。

 

「すごい、早いね!」

 

 そして、また音階の練習だ。前回はドからラとドから低いソまでは出たが、今回はどうだろう。

 

「まずはドからやってみようか。」

 

 さすがの5回目なので、もう覚えている。勝手に指で押さえた。

 

「そうそう、吹いてみて。」

 

 一発で音を出してみせる。

 

「じゃあ、次、レ、ミ、ファ。」

 先輩が言った後に追いかけるようにして音を出す。

 

「ソ。」

 ソってどう押さえるんだっけ。

 

「えっと、全部離して。」

 そうだった。

 

「ラ。」

 ラは上のキィを押さえるから……。

 

「そうそうそう。すごいなぁ、ラまで出るんだ!じゃあシもやってみようか。」

 

 でもこれが難しいんだよね、と明石先輩。

 

「ここと、ここと、ああ、小指はここで、そうそう。」

 いきなり指で押さえるのが複雑になった。

 

「これで吹いてみて。」

 そう言われたので、息を吹き込んだ。

 

 耳を貫くような、尖った音が出た。リコーダーの穴がしっかり塞げていない時に鳴る音と似ている。

 

「ここが塞げてないよ。」

 

 そう言われて直しても、あの音は出てしまう。

 

「まあ、難しいよね。私なんか、クラ吹き始めて1ヶ月でやっとシが出たんだもん。」

 

 指の位置を修正しながら何度か挑戦する。

 

「あっ、今ちょっと音出たよ!」

 

「本当ですか!」

 

 つい嬉しくなって、もう1回吹いてみる。

 

 スゥー、ピッ、スー、ピィ

 

「えっ、すごいすごい!」

 と、明石先輩が興奮気味に手を叩いた直後。

 

「もう時間だから終わりにしてー。」

 

 三宅先輩の声が聞こえた。

 

 マッピとリードを調理室の水道で洗って、三宅先輩に渡した。

 

「ジャスミン先輩、舞ちゃんすごいですね。」

 

「でしょ? 飲み込み早いよね。」

 

「シがもうすぐで出せそうなんですよ。」

 

 調理室の去り際に、先輩たちの会話が耳に飛んできたのだった。

 

 

 1年生たちを5時に帰した先輩たちは、あと残りの1時間でパート練習をしていた。

 

 クラリネットパートの練習場所である調理室では、2・3年生の8人が1つの机を囲んでいる。机の上には1枚の紙。それには名前と、音量・音色・出だしの3項目が◎、〇、△の3段階で表されている。

 

「この子欲しいよね。」

 

「誰ですか、ああ、舞莉ちゃんですね。」

 

「まずは舞莉ちゃんだよね。センスあると思うなぁ。」

 

「次は……。」

 

 

 パート決め前日。最後の楽器体験が終わり、1年生が帰ろうとしているところだった。

 

「舞ちゃん!」

 

 振り返ると、クラリネットの先輩が手を振っている。

 

「舞莉ちゃんだよね?よかったぁ、やっぱそうだよね!」

 

 舞莉が頷くと、先輩が胸を撫で下ろす。

 ジャージの刺繍を見ると「三宅」と書いてある。

 

「明日オーディションだけど、何のパート希望してる?」

 

「クラリネットにしようと思います。」

 

「ほんとに! 確かにクラっぽい感じだよね。」

 舞莉は返答に困り、そうですか、と苦笑する。

 

「舞莉ちゃん、頑張ってね!」

 

 舞莉は、はい、と返事をしてお辞儀した。

 

 

 パート決め当日。

 

 上野先輩から紙が渡された。希望の楽器を書くらしい。第4希望まで書く欄があり、マイ楽器 (学校の楽器ではない、自分が所有している楽器のこと)かどうかを選ぶ項目もある。

 

 そっか、小学校とかそれ以前からやってる人もいるのか。あんまり聞かないけど。

 

 都会では、小学校から吹奏楽部があるところもあり、中学生顔負けの演奏をするところもある。ここは田舎なのでそんな学校はなかった。

 

 第1希望はもちろんクラリネット。

 あと3つ、どうしよう。

 

 サックスとフルートはまぁまぁいけるかな。どちらかと言えばサックスかな。

 第2希望はサックス。でもサックス人気らしいし、無理かもしれないなぁ。

 第3希望はフルート。

 

 第4希望は……。困ったなぁ。金管楽器は全般無理そうだなぁ。

 去年小太鼓やったし、パーカッションでいいかな。

 第4希望はパーカッション。

 

 マイ楽器はどれも持ってないから、なし、っと。

 顧問の森本先生に渡した。

 

 いよいよオーディションが始まった。1年生は相変わらず、教壇の上で体育座りをして待機だ。

 

 フルートのオーディションが終わった。

 

「次はクラリネットを第1希望にしている人、前にお願いします。」

 

 結構いる。自分を含めて6人だ。

 山下先輩がクラリネットを持って準備室から出て来た。

 

「先輩が指を押さえてあげてください。」

と、外部指導の荒城先生が言った。

 

 えっ、自分でするんじゃないの!?それじゃあみんな出来ちゃうんじゃない?

 指で穴を塞ぐのが難しいのに、それを先輩がやったら……。

 

 山下先輩も少し戸惑っている。荒城先生に返事をして、マッピを逆向きに付け直した。

 

 端の人から順にオーディションが始まった。

 

「次は羽後さん、お願いします。」

 

 山下先輩と至近距離で対面になる。

 マッピを咥える。

 

「いいよ。」

 先輩がうながす。

 

 不安が入り交じるこの状況で、オーディションなんて最悪にも程がある。でも、やるしかない。

 

 舞莉は息を吹き込んだ。

 出だしは少し弱くなってしまった。

 

 すると、荒城先生に質問された。

「緊張してますか。」

 

 不安はあるが、緊張はしていない。

 この質問の意図はなんだろう。

 本番で緊張しちゃいけないのかな。緊張で上手く吹けないっていうのはダメなのかな。

 

 正直に答えた。

「緊張はしてません。」

「わかりました。」

 

 それしか返って来なかった。

 

 

 第2、第3希望の楽器のオーディションを受けている人もいたが、フルートの時にもサックスの時にも第1希望の人が優先で、それ以降の人は呼ばれもしなかった。

 

「パーカッションを希望している人、前にお願いします。希望者全員です。」

 

 パーカッションに限っては、希望している人全員に声がかかった。舞莉は再び前に出る。

 

 端の人にバチ (スティック)が渡され、その人の前に小太鼓 (スネアドラム)が置かれ、1つの机も置かれた。

 

「テンポ72で。」

 荒城先生の指示に、パーカッションの先輩がメトロノームの重りをずらして、机に置いた。

 

 カチ、カチ、カチ……

 

「メトの音と同じタイミングで叩いてみて。」

 

 なるほど、こういうオーディションなのか。

 テンポは1人ずつ変えるらしい。あの人は速かったりあの人は遅かったり……確かにリズム感が必要だ。

 

 ついに舞莉の番が来た。

 

「テンポ120で。」

 

 カチ、カチ、カチ、カチ……

 

 バチを持って、小太鼓の前に立つ。

 ずれないようにメトロノームの音に耳をすませた。

 

「はい、大丈夫です。」

 叩いていた時間はわずか10秒程だった。

 

 終わった。オーディションが。これで決まるんだ。妙先輩のあとを追うんだ。

 

 

「1年生は廊下にお願いします。」

 森本先生が指示を飛ばした。舞莉たちはゾロゾロと音楽室をあとにする。

 

 

 10分後。

 

「1年生、中にどうぞ。」

 

 決まったのか、ついに……!

 

 例によって舞莉たちは教壇の上で体育座り。先輩全員が目の前にいる。

 

「1年生のパートが決まりました。木管から順に発表します。」

 

 森本先生は、人数の割に狭い音楽室の隅にいる。その手には紙がある。

 

「まずはフルートです。」

 

 3人の名前が呼ばれ、その3人は立ち上がって、フルートの先輩が固まっているところに行った。

 

「次にクラリネットです。」

 

 1人ずつ呼ばれていく。5人呼ばれたところで、

「以上です。」

 と言った。

 

 え。

 嘘でしょ。

 クラリネットじゃないの!?

 

 次のサックスの時も呼ばれず。

 金管楽器の時も呼ばれず。

 

 まさか、いや、マジかよ。

 他の人は既に呼ばれて、それぞれのパートの方へ行ってしまった。

 

 残されたこの4人って。

 

「残りの人たちがパーカッションです。」




 次は『⒊ 一ヶ月』です!
 こんなにクラリネットのことを書いておいて、まさかのパーカッションだったとは……。
 そろそろ「音楽の精霊(自称)」を出してあげてもいいかな←上から目線


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03:一ヶ月

《登場人物紹介》
〇羽後 舞莉(ひばる まいり)……主人公。クラリネットを吹きたくて吹奏楽部に入ったが、パーカッションパートになる。

〇大山 隼人(おおやま はやと)……1年生。パーカッションパート。

竹下(たけした) 菜々美(ななみ)……1年生。パーカッションパート。

〇平田 亜子(ひらた あこ)……1年生。パーカッションパート。のちに司とパートを入れ替わる。

〇高良 祐介(たから ゆうすけ)……3年生。パーカッションパートリーダー。舞莉や大島先輩に些細なことでも怒鳴り散らし、舞莉の心を疲弊させた張本人。

〇細川 志代(ほそかわ しよ)……2年生。パーカッションパート。高良先輩と一緒になって嫌味をぶつけてくる。

〇大島 和樹(おおしま かずき)……2年生。パーカッションパート。高良先輩から理不尽にいじめられている。

〇高橋 司(たかはし つかさ)……1年生。パーカッションパート。元はトロンボーンだったが、事情で亜子とパートを入れ替わる。


 舞莉は立ち上がって、他の3人を改めて見る。

 全員同じ小学校出身の人。

 

 そう、この南中学校は、舞莉たち南小学校出身の人と、お隣の桜小学校出身の人がいるのだ。

 

 大山(おおやま)隼人(はやと)竹下(たけした)菜々美(ななみ)平田(ひらた)亜子(あこ)。なるほど、この3人か。うわ。

 

「これからパート練にするので、1年生との自己紹介も兼ねてお願いします。」

 

 森本先生の指示の直後に、他のパートの人たちが移動し始めた。

 

 パーカッションパートは移動する必要がない。ここがパート練習の場所だからだ。

 

 

「みんな真ん中に集まって。」

 

 そう言ってその先輩は教壇の上の椅子に座った。1人だけ上にいるので、恐らくリーダーなのであろう。

 

「じゃ、先輩から自己紹介。誰からやる?」

 

「高良からでいいでしょ。パーリーだし。」

 

 3年生の女の先輩がその人を指さす。

 

「わかった。パートリーダーの高良(たから)祐介《ゆうすけ》です。よろしく。」

 

 やっぱりそうだった。この人がパートリーダーか。

 

「3年の高橋(たかはし)亜香音(あかね)です。」

 

「同じく3年の桑原(くわばら)清和(せいわ)です。」

 

 パーカッションパートの3年生は3人。腰パン気味のパートリーダーの高良先輩、ふくよかで優しそうな高橋先輩、小柄で黒いメガネをしている桑原先輩の3人だ。

 

「次は2年よろしく。」

 

 高良先輩が促す。

 

「2年の細川(ほそかわ)志代(しよ)です。よろしくお願いします。」

 

「2年の大島(おおしま)和樹(かずき)です。」

 

 2年生は2人。ハキハキ話す明るい人柄そうな細川先輩、ぽっちゃりで少し緊張してそうな大島先輩の2人だ。

 

 1年生も自己紹介をし、全員の名前が分かったところで、高良先輩がパートのメンバーに尋ねる。

 

「自己紹介終わっちゃったけど、何やる? アップ教える?」

 

 先輩たちはうなずくと、準備室に入っていった。

 

「1年生、自分の分の机運んでくれる?」

 高橋先輩が手招きをしている。

 

 先輩たちは机ではなく、別の物を持ってきた。

 

「いずれはみんな買うと思うんだけど。1人1台、基礎打ちの練習台ね。」

 

 黒い円い木の板に、もう1回り小さな円いゴムのパッド。それがスタンドの上に付いていて、持ち運びできるようだ。

 

「あとはこのスティックも。1人1人自分に合うやつが違うから、なるべく早く買って合うやつで練習したいところだね。」

 

 よく分からない単語が飛び交い、舞莉は困惑している。ただえさえ人や物の名前を覚えるのが苦手なのに。

 

 まぁ、そのうち慣れるだろう。

 

 舞莉たちは机を半円に並べ、先輩たちは1年生の間に入った。

 

「楽器体験の時みたいに、このパテを丸めて潰してくれる?」

 

 桑原先輩から手の平サイズの黒いケースを受け取る。

 

 蓋を取ると、中にはオレンジ色の粘土のようなものが入っていた。ただ、粘土と違って粘り気があり、独特の臭いがする。

 軽く丸めて机に置き、上から潰す。このパテを使って基礎打ちの練習をするのだ。

 

 スティックを渡されると、まずはスティックの持ち方から教わることになった。

 

「仮入部とか楽器体験でやったと思うけど、スティックの下の3分の1くらいを持って。」

 

 高良先輩が自分のスティックでお手本を見せる。舞莉たちもスティックを見ながら真似をした。

 端ではなく、少し真ん中よりの方を持つ。

 

「それで、親指と人差し指でつまむように持って、他の指は添えるだけ。」

 

 そうそう、と高良先輩はうなずく。

 

「最初の方は小指が立ちやすいから、気をつけて。」

 

 言われて、舞莉はサッと小指をしまう。小指立ってた……。

 

 次は手首のほぐし方を教わる。これをしないと、上手く叩けなかったり手首を痛めてしまったりするらしい。

 

「スティックを2本、両手で下から掴んで、こうやってぐるっと回す。」

 

 えっ、どういうこと?

 

 他の1年生も混乱しているようだ。舞莉は左隣の桑原先輩に尋ね、ゆっくりお手本を見せてもらう。

 

 なるほど、スティックの端っこを内側に倒して、ぐるっと。ああ、腕の筋肉が伸びて痛い。

 舞莉は体が硬いので、途中までしか伸ばすことができなかった。

 

「どう、痛い?」

 

 右隣の細川先輩が話しかけてきた。

 

「結構痛いです。」

 

「これ以上は?」

 

「……キツイです。」

 

「だんだん慣れると思うから大丈夫。」

 

 細川先輩は微笑む。

 

「あとはスティックの真ん中を片手で掴んで、横にブンブン振ったり。風の音が出るくらい振っていいよ。」

 

 そこで高橋先輩がつけ加える。

 

「これやる時は、周りに人とか楽器がないか確認してね。」

 

「何気にすごい重要なこと言うね。」

 

 と、桑原先輩がツッコんだ。

 

 確かに、あの勢いで振り回して人とか楽器にぶつけたら……。

 

「舞莉ちゃんもやってみて。」

「……はいっ!」

 

 細川先輩から腕をつつかれて我に返る。

 

「羽後さん、もっとやっていいよ。ほら、音するでしょ。ブンブンって。」

 

 高良先輩から指摘され、舞莉はなるほど、とうなずく。

 

 

「次は楽器体験の時もやった、基礎打ちのパターンをおさらいしようか。テンポ60で。」

 

 メトロノームが時計の秒針と同じ速さで動いた。

 

「先輩たちがお手本見せるから見ててね。」

 

 右、右、右、右、右左、右左、右左、右左。

 

「始めの右4回は四分で、その後の右左は八分で。よし、みんなでやってみるか。」

 

 舞莉は頭の中で、『右、右、右、右、右左、右左、右左、右左』と唱えながら叩く。

 

 ふと、小指が立っていることに気づき、慌てて しまう。どうやらバレなかったようだ。

 

「今のを俺らは『1番』って言ってるんだけど、『1番』って言われたらこれをやってね。」

 

 その次に、『1番』の逆パターンの『2番』を習った。

 左、左、左、左、左右、左右、左右、左右とやるらしい。

 

 舞莉も含めて飲み込みが良く、すぐにできるようになった。

 

「みんなできたから、1番と2番続けてやってみようか。」

 

 うん、そんなに難しくないかも。

 

 しかし、1番から2番に移るときに、左手がもつれてズレてしまった。1番の終わりと2番の始めが両方とも左なので、連続して叩かなければならないからだ。

 

「できてた人もいたけど、1番と2番の繋ぎがズレやすいから気をつけて。」

 

 あと、と高良先輩は続ける。

 

「大島、2年のくせにズレてんじゃねぇぞ。」

 

 

 パートが決まってから始めての部活が終わった。

 

「舞莉ちゃん!」

 山下先輩に呼び止められる。

 

「舞莉ちゃん、クラじゃなくてパート全員びっくりしてるよ! 何になったんだっけ?」

 

「パーカッションです。」

 

「パーカスかー、舞莉ちゃん何でクラになれなかったんだろう。」

 

 舞莉が首をひねると、「真帆ー!」と誰かが山下先輩を呼んでいた。

 

「呼ばれちゃったからじゃあね! 舞莉ちゃん、頑張ってね!」

 早口でまくし立てられて行ってしまった。

 

 

「また黙って帰ってきて。それで、楽器決まった?」

 

 家に帰ると、母は夕食の支度をしていた。

 

「……パーカッション。クラリネットじゃなかった。」

 

「パーカッション?」

 

 母は中高運動部だったため、音楽の知識は義務教育レベルだ。

 

「打楽器だよ。太鼓とか木琴とか鉄琴。」

 

「なるほど。オーディションはどういう風にやったの?」

 

「それがさぁ。」

 

 舞莉はオーディションの経緯を説明した。

 

「自分でやらないの?舞莉、それが難しいって言ってたよね。」

 

「うん、例えばリコーダーも穴がちゃんと押さえられないと変な音鳴るでしょ? 小学生の始めたてはそれが難しかったし。」

 

「そうだよね。」

 

「それを先輩がやっちゃうんだよ。おかしくない?」

 

「うん、それができるかどうかも実力の内だもんね。」

 

 母はタオルで手を拭くと茶碗を取った。

 

「まぁ、クラリネットには縁がなかったのよ。決まったものだし、もう割り切るしかないわね。」

 

「そうなんだけど……。」

「はい、手洗ってきてご飯よそって。ご飯できたから。」

 

 舞莉は渋々キッチンを後にした。

 

 

 今日のオーディションでおかしかったところは、クラリネットだけではなかった。もう1つはそもそもオーディションをする意義が問われるものだった。

 

 それは、オーディションを受けていない人がクラリネットやサックスパートになっていることだった。サックスは1番人気、クラリネットもそれに引けを取らない程の人気だった。それにも関わらず、オーディションを欠席した人がそれらのパートになっているのだ。

 

 舞莉は布団を頭まで被って考え込んでいた。

 

 荒城先生の質問、あれは緊張している、で答えた方がよかったのかなぁ。純粋に今の気持ちを聞きたかったのかもしれない。緊張していないのにあの音じゃあダメだって思われたかも。

 て言うか。

 

 何でオーディションを受けた人が落とされて、受けてもいない奴が落とされないんだ……。

 そのことについては全く答えが出ることはなく、迷宮入りしたのであった。

 

 でも、なったからにはもう変えられない。どう足掻いても。頑張らないとな。

 

 

 次の日のパート練習の時間。少し休憩をとると言って、舞莉たちは準備室にいた。

 

 1年生同士で話していると、高良先輩が声をかけてきた。

 

「あっ、そうだ。みんなさ、パーカス第何希望だったの?」

 

 すると、菜々美が「第1希望です。」と答えた。

 大山も「俺も第1希望です。」と続ける。

 

「平田さんは?」

「私は第2希望です。」

 

 えっ、みんな第1か第2希望……。

 

「羽後さんは?」

「……第4希望です。」

 

「あっ……そう。」

 

 高良先輩の表情が一瞬変わったのを、舞莉は見逃さなかった。

 

 正直に答えただけなんだけどなぁ。

 

 場の空気が悪くなったのは誰でもわかった。しかし、高良先輩が一瞬見せたあの表情、蔑んでいるような顔は舞莉にしかわからなかった。

 

 

 次の週からは、先輩たちはコンクール曲の練習で1年生とは別々に練習するようになった。

 そこで新たな練習場所になったのが集会室だった。

 

 元々は第2音楽室だったらしく、黒板に五線が書かれていたり、壁が防音仕様になっていたり、アップライトピアノがあったり、1段高い教壇があったりと、今でも名残を残している。

 

 集会室の準備室にはバスドラムやドラムセットも置いてあるが、まだ使わせてはくれないようだ。1年生はしばらく基礎打ちの練習が続く。

 

「どうする? 1番からやる?」

 

 基礎打ちやって、としか指示されていないので、何からすれば良いか迷っていた。

 

 長机に4人が横に並ぶ。

 

「まず60からやるか。」

「そうだね。」

 

 舞莉は性格柄、リーダーのようなことはしないので、菜々美や大山に任せている。

 

「1、2」

 

 菜々美がメトロノームを見てカウントを出す。

 

 このカウントの仕方は複数人が出だしのタイミングを合わせる時に使うものである。1・2は誰か先導する人が言って、3は心の中で数え、4でスティックを両方振り上げる。

 

 実はこのテンポ60、舞莉にとっては遅すぎて苦手としている。しかし、速くても遅くてもパーカッションは特にズレてはいけないので、練習しない訳にはいかないのだ。

 

 何回か繰り返しているうちに段々とズレてきてしまった。

 

「羽後、ズレてる。」

 大山に注意される。

 

「舞莉、ちゃんと合わせて。」

 菜々美にも言われてしまった。

 

「うん。」

 

 とりあえず返事はしておくが、そもそもこの2人も合っているかはわからないので、何だか腑に落ちない。

 

「高良先輩が言ってたけど、60ができないとテンポ上げて練習しちゃいけないんだって。みんなが合うまではずっと60だって。」

 

 えっ、遠回しに私に圧かけてない?

 

 焦れば焦るほど、舞莉のミスが目立つようになった。

 この後もテンポ60で練習は続いたが、さすがにみんな飽きてしまったようだ。

 

 舞莉への注意も段々苛立ちを乗せるようになった。

 

「もう、羽後だけで60やれよ。俺らは63でやるから。」

 

 舞莉そっちのけで、メトロノームの重りを1目盛下げた。

 

 ちょっと、と反論したかったが、そもそもできなくて迷惑をかけているのは自分である。言いかけた言葉を飲み込んだ。

 

 仕方なく昨日届いたばかりの電子メトロノームを取り出して、練習を始めた。ここでも舞莉は『ぼっち』だった。

 

 

 基礎打ちの練習も並行しつつ、ついにあの練習が始まった。『返事』の練習だ。

 

 吹奏楽部ならどの学校でもする、返事の練習である。全パートの1年生が誰しも経験する。

 

 はっきりとお腹を使って返事をすることで、楽器を吹く時にはっきりと音が出るようになるそうだ。

 

 ……パーカッションには関係ない気はしなくもない。

 

 上野先輩と弓削先輩が教えてくれるようだ。

 

「みんな1つの円になって。」

 

 既に椅子や楽器を出した後だったので、それらを避けながら何とか円を作る。

 メトロノームは120に設定されている。

 

「メトに合わせて『はいっ!はいっ!』って返事をして。最初はみんなでやるよ。」

 

 カチ、カチ、カチ……

 

「1、2」

 

 上野先輩がカウントを出す。

 

「はいっ、はいっ、はいっ、はいっ……」

 

 30回くらい返事したところで、「やめ。」の合図が入った。一旦メトロノームを止める。

 

「もっとお腹使って。歯切れよく『はいっ!』って言ってください。」

 と、弓削先輩。しかし、この後は何も言わない。

 

 沈黙が続く。

 

 待ちかねて先輩がボソッと言う。

「……返事。」

「はいっ!」

 1年生は反射的に返事をした。

 

「~してくださいって言ったらすぐ返事してください。」

「はいっ!」

 

 弓削先輩、怒らせると怖そう……。

 

「次は1人ずつ順番に返事をするよ。私、夢羅(くらら)……って右回りで言ってってください。」

「はいっ!」

 

 メトロノームを動かす。

 

「1、2」

 再び上野先輩がカウントを出した。

 

「はいっ! はいっ! はいっ、はいっ!」

 

 舞莉は返事する人を目で追い、タイミングを掴む。

 

 舞莉の番が来た。

「はいっ!」

 

 危うく声が裏返りそうになった。普段人と話さない舞莉が大声を出すことは、運動不足の人がいきなりマラソンをすることと同じようなものだ。

 

 返事リレーが1周終わった。

 

「声が小さい人がいるのでもう1回やります。小さかった人はそこで止めて注意します。」

「はいっ!」

 

 やばいって、それはやばい。

 

 この後やり直しが10回も続いて、先輩たちがため息をついたのは言わんでもなかった。

 

 

「1週間経ったから、みんながどれくらいできるようになってるかテストするよ。」

 

 まず60から、と高良先輩。

 

 舞莉には4文字の言葉が浮かぶ。『公開処刑』。60もできないなんて、と思われたら……。

 

「1番から4番まで通します。」

「はい!」

 

 舞莉の不安など容赦なしにメトロノームを動かす。

 

「1、2」

 何としてでも合わせないと……。

 

 緊迫した空気には、スティックで叩く音しか聞こえない。

 

 あっ……。

 スティックを振り下ろすタイミングがズレてしまった。

 音でバレる。

 

 4番まで通した後、高良先輩から講評が入る。

 

「大山くんと菜々美ちゃんはだいたいできてたね。亜子ちゃんはちょっとズレちゃってたかな?」

 

 そして、舞莉を見た。

 

「羽後さん、もっと合わせて。」

 舞莉だけ、声色が違う。低くて、ぶっきらぼうな言い方。

「はい。」

 

「大島!」

 

 いきなり高良先輩が怒鳴り声を上げる。

 大島先輩は身を震わせる。

 

「2年にもなってまだ合わせられないなんて、恥ずかしくないの?」

 

「……恥ずかしいです。」

 

「1年が入ってきたから、少しは恥ずかしくないようにすると思ったのに、ちっとも変わってねぇじゃん。これから改善がないと思ったら、1年の前でも怒るからな!」

 

 下を向いて、高良先輩と目を合わせないようにしている大島先輩。

 

「おい、返事も出来ねぇのか?」

「……はい、すみません。」

 

 か細い声で返事をした。

 

 練習が終わり、片づけの時間になった。この後の反省会までには片づけ終わっていないといけない。だいたい5分しかない。

 

 でも、何をどこに片づければ……。

 

 キョロキョロしていると、

「棒立ちしてないでちゃんとやって!」

 シンバルを持った細川先輩が舞莉に怒鳴る。

 

「えっ、でも……。」

 

 細川先輩の背中に虚しく問いかける。

 

 片づけの仕方教えてもらってないのに、どうしたら……。

 

 とりあえず、タンバリンと学校用のスティックを手に取って、準備室に入った。棚に置いてある、ピンクのカゴに入れる。

 

 確かここだったよな……。

 

「邪魔、どいて。」

 高良先輩がスネアドラムをスタンドごと運んできた。

 

「は、はい!」

 

 スネアってそこにしまうんだ。

 棚の下の空間にパズルのごとくしまい込む。

 

「そこに突っ立って何やってんの?」

 

 横目で睨むと、音楽室に入ってしまった。

 何をすればいいのか分からないのに。

 

 歯を食いしばり、肩を震わせる。痛めた左手首のサポーターを撫でた。

 

「舞ちゃん……?」

 

 明石先輩がクラリネットをしまいながらつぶやいた。

 

 

 そんな調子が続き、パート決めから1ヶ月経つ頃にはパーカッションパートでハブられる存在になっていた。自分のスティックを買ったのが1番遅く、やる気がないと思われたのかもしれない。

 

 パート練習の時は必ず大島先輩と一緒に注意される。楽器を使わせてくれるようにはなったが、許可を取らないと使わせてくれない。許可を取ろうにも、いつも先輩が陣取っているので声をかけづらい。

 

 仕方なく、基礎打ちの練習をするしかなかった。

 

 

 その頃、亜子とトロンボーンの高橋(たかはし)(つかさ)がパートを入れ替わった。亜子がトロンボーン、司がパーカッションとなった。

 

 舞莉としては、苦手な人が1人いなくなってくれて嬉しかったのだった。大山と司の男子同士で仲良くしてくれるはずだから、少しは大山からの視線も減るだろうと思った。

 

 始めこそ司は遅れを取ったものの、あっという間に舞莉に追いつかれてしまった。先輩に取り入るのも上手く、楽器も存分に使っているので、実質抜かれているのかもしれない。

 

 

 司が入って少し馴染んだある日のこと。例の片づけの時間である。

 

 先輩たちはコンクール曲の練習をしているので、舞莉たち1年生はそれが終わるまで、準備室から音楽室に入るドア付近に待機している。最近はそういう日が多い。

 

「「「ありがとうございました!」」」

 ドアの向こうから先輩たちの挨拶が聞こえた。

 

「よし、入るぞ。」

 

 大山がドアノブをひねる。地獄の時間の始まりでもある。

 

 明日の朝練で使わない楽器や道具をしまうので、教えてもらわなくても少し把握できていた。しかし、曖昧なものは聞かなければならない。

 

 もはや「棒立ちするな」と細川先輩に言われることもなくなった。完全無視だ。

 

 今日は4Toms(フォートム)(大きさや音の高さが違う太鼓が2つずつ連結している楽器)を片づけている人がいないので、舞莉はそれに近寄る。

 

 一瞬早く、高良先輩がそれに手をかけた。また片づけるものがなくなってしまった。

 

「えっと、高良先輩、何を片づければいいですか?」

 

 周りを見ても、片づけるものは先輩たちか同級生の3人の手にある。舞莉では片づけるべきものが見つからない。

 

「そんなの自分で分かるでしょ? 自分で考えれば。」

 

「分からないので聞いたんですけど……。」

 

 高良先輩の背中に虚しく問いかける。

 

 またダメだった。他の同級生は指示をもらっているのに、私だけ、ない。昨日ドラムをちょっとぶつけただけで、ドラム使用禁止になったし、触ることさえ許してもらえなくなったし……。

 

 

 顧問の森本先生に相談しても、返ってきた答えは「もっと積極的に質問して指示を出してもらう」だった。質問したら門前払いなのに。

 

 

 パート練習があれば、舞莉と大島先輩だけ怒鳴られて2人でやり直しさせられる。

 

 集会室練習なら、他の1年生に楽器を占領され、譲ってほしいと頼めば「先輩に許可取った?」と言われてしまう。許可を取ろうにも先輩が無視するので、結局できない。1年生の冷ややかな目も耐え難いものだった。

 

 片づけの時は、毎日の練習で使う楽器が固定化したためか、片づける人も固定化して舞莉がする余地はない。かと言ってぼうっとしているわけにもいかない。

 

 

 バスドラムなどの1人では片づけられない楽器は、舞莉も何とか片づけに入らせてもらえた。しかし、それを準備室に運んでいる時、入口にぶつけてしまった。

 

 運悪く、高良先輩も細川先輩も見てしまっていた。

 

「ぶつけといて何にもないの? 楽器に謝って。」

 と、細川先輩。

 

「……ご、ごめんなさい。」

 

「あーあ、チューニング変わっちゃってる。もう楽器触らないでほしいんだけど。」

 

 ビーター(バスドラムを叩く道具)で高良先輩は音を確かめている。

 

「何回ぶつけてんの? 反省とかはないの?」

 

 そう聞いておきながら、高良先輩は舞莉に答える隙も与えなかった。

 

「使えないなら、明日から部活来ないで。上達しないし、楽器はぶつけまくるし落とすし、反省しないでまたやるし。」

 

 細川先輩も高良先輩に続けて言った。

 

「そう。パーカスにいらないから。」

 

 視界が霞む。歯を食いしばり、顔を見られまいと下を向く。

 

 確かに、他の人より楽器をぶつけたり落としたりしたのは多いかもしれない。自分でも細心の注意を払っている。楽器の扱いに慣れていないせいでもあるのに……。

 

 

「そこ棒立ちしないで」

 

「使えないな」

 

「遅い! 早く動いて」

 

「邪魔」

 

「そんなの自分で分かるでしょ」

 

「使えないなら明日から部活来ないで」

 

「パーカスにいらないから」

 

 2人から言われたことが頭から離れない。

 

 パーカスに入ってから1ヶ月と少し。毎日のように言われ続け、いや、暴言を浴び続けた。寝不足が慢性化し、朝食は食パン1枚を吐きそうになりながら口にねじ込み、朝練に遅刻しないよう、走って学校に行く。常に胃痛がして、1日1回は顔をしかめる程の痛みに襲われる。

 

 部活から帰ってきても、寝ても取れない疲れが蓄積しているので、夕食で座ってしまうともう立てない。

 

 

 舞莉はベッドに腰掛けていた。月明かりは入ってこない。立ち上がって窓に手を添えた。

 

 昨日は夕立があったが、今日は満天の星空。月は見えないが、その代わり星がいつもより綺麗に見えた。目の悪い舞莉でも分かるくらいに。

 

「えっ……涙……?」

 

 いつの間にか流れた涙を拭う。キリキリとみぞおちの辺りが痛む。

 

「そっか。これが欲しかったんだ、私。」

 

 拭ったはずなのに、涙が滴り落ちる。

 

「ココロが、泣いてる。」

 

 後ろから聞きなれない、男らしき声がした。



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04:秘密

《登場人物紹介》
〇羽後 舞莉(ひばる まいり)……主人公。クラリネットを吹きたくて吹奏楽部に入ったが、パーカッションパートになる。

〇カッション……人間に音楽の楽しさを知ってもらうため、パートナーの人間を探しにやってきた、自称音楽の精霊。

〇大山 隼人(おおやま はやと)……1年生。パーカッションパート。ドラムの練習ができない舞莉にマウントをとってくる。トラブルメーカー。

竹下 (たけした)菜々美(ななみ)……1年生。パーカッションパート。高良先輩から好かれていて、ドラムも鍵盤楽器もこなす。1年生の学年リーダー。

〇高橋 司(たかはし つかさ)……1年生。パーカッションパート。元はトロンボーンだったが、事情で亜子とパートを入れ替わった。

〇森本 清朗(もりもと せいろう)……吹奏楽部の顧問。今年から南中学校に来たおじいちゃん先生。トランペット奏者。

〇荒城 政男(あらき まさお)……森本先生と一緒にやって来た、外部指導の先生。会社の社長で、マイ楽器をたくさん持っている。ホルン奏者。


 舞莉は後ろを振り返る。明らかに誰かいる。

 身長153センチの舞莉より圧倒的に背が高い。

 

「だ……誰ですか……。」

 

 舞莉は窓に背中をピタリとくっつけている。

 

 いつの間にか私の部屋に泥棒が入ってきた?いや、誘拐犯?

 

「俺は精霊だ。しかもお前にしか見えない。」

 

 初対面なのに「お前」呼ばわりなんて、失礼な。

 とりあえず近くの机の電気をつけてみる。

 

 精霊は人間の姿をしている。茶髪でミディアムくらいの長さ。大きい瞳で、イケメンの部類に入るかもしれないくらいだ。あまり芸能人には詳しくない舞莉だが。

 

「部屋の電気ここか?つけるぞ。」

 

 カチッ

 

 精霊って、羽とか生えてて浮かんでて、もっとかわいくなかったっけ。それは妖精か。

 気づくと目の前に精霊がいた。

 

「夜空見てたけど、泣いてるからさ。」

 

 精霊の手が伸びてきて、舞莉の頬に残っていた涙を拭った。

 

「あっ、紹介が遅れた。俺は音楽の精霊のカッションだ。」

 

 手を胸に当てて、サラっと話す。

 

「音楽の精霊……ですか?」

「ああ。とりわけ俺はパーカッションの精霊だ。」

 

 パーカッションの精霊だから名前がカッションって、そのまんますぎだろ……。

 

「名前は?」

「羽後舞莉です。」

「舞莉か、うん分かった。あと、タメでいいから。」

「う、うん。」

 

 カッションは顎を掻きながら、「とりあえずどっか座る場所が欲しいな。」と言ってベッドに座った。

 

 舞莉は机の電気を消すと、カッションの隣に座った。

 

「えっと、何しに来たの。」

 

「あっ、そうだよな!それを言わないと。」

 

 カッションは誤魔化すように笑って話し始めた。

 

 俺は音楽の精霊としての使命を果たすために、人間界にパートナーを探しに来た。俺の使命は、音楽を始めたばかりの人間をサポートして、音楽の楽しさを知ってもらえるようにすること。俺はパーカッションの精霊だから、音楽初心者がたくさんいそうな中学校や高校を転々とした。

 

 でも、俺にピンと来る人は見つけられなかった。人間同士で教え合って、みるみるうちに上達するから、俺なんかいらなかった。

 

 それで、たまたま舞莉の中学校に来たんだ。窓から覗いて見たら、1人で基礎打ちをしている子を見つけた。グロッケン(持ち運びできるくらいの小さい鉄琴)の方をキョロキョロ見てたから、練習したいんだなっていうのは分かった。だけど、誰も貸してくれないし、その子が話しかけても素っ気ない感じだから、何かおかしいって思った。楽器を片づける時にようやく分かった。きっとこの子はいじめられてるんだって。

 

 俺はピンと来た。こんな状況じゃ、音楽の楽しさなんて分からないし、楽しむ余裕がないなって。こういう子こそ俺が必要なんじゃないかって思った。

 

「そういう訳で、声をかけてみた。」

 

「なるほど、って、どうやって私の家を?」

 

「学校から後をつけてた。」

 

「えぇっ、ストーカーしてたの!」

 

「ダメだった?」

 

 舞莉はうなずくと、カッションは手を合わせて謝った。

 

「ごめん、俺、他の人間からは見られないから分かんなかった。もし俺が他の精霊に後つけられてたら、って思うと……怖いな。」

 

 馴れ馴れしい人――精霊かなって思ったけど、ちゃんと謝ってくれるし、案外真面目さん?

 

「それで、今日の部活しか見てないんだけど、前からああいう感じ?」

 

「……うん。最初はあんな感じじゃなかったけど、何か急に変わっちゃって。」

 

 舞莉はこの1ヶ月半にあったことを話していった。

 話していくうちに涙がこぼれ、嗚咽を漏らした。

 

 今まで独りで抱え込んでしまった。小学生の時からいじめられっ子だったので、親にそのような話をすると嫌な顔をされる。顧問に相談しても効果がなかったから、あれから誰にも言えなかった。

 

 カッションは逐一うなずき、舞莉が話につかえると「ゆっくりでいいからな。」と優しい口調で話しかけた。

 

 舞莉が話し終えると、カッションは自分の胸に舞莉の顔を埋めさせた。

 

「カッション……?」

 

「ほら、あったかいだろ。もうお前は独りじゃない。これからは技術的なことも人間関係も、俺でよければ相談にのるからさ。」

 

 胸に響く声を直で聞いた舞莉は、また嗚咽を漏らして泣いた。

 

「もうちょっと、こうしてていい?」

 

「いいよ。」

 

 カッションは柔らかな笑顔をして、舞莉の頭を撫でた。2つ結びをしていた髪は癖がついている。

 

 ひとしきり泣いて落ち着いた舞莉は、ふぅ、とため息をついた。

 

「ありがとう。楽になった。」

 

「あのさ、話してくれた感じだと、全然練習できてないんじゃないか?」

「うん。特に楽器では。」

 

「じゃあさ、今から練習しよっか。」

「えっ! 今から?」

「スティック持ってきて。」

 

 舞莉はタンスに立て掛けてある『吹部バッグ』から、スティックを抜き取った。

 

「ここだと近所迷惑だから……『セグレート』に行こうか。」

「セグレート?」

「まぁ……俺たちだけの練習場所ってとこだな。」

「どういうこと——」

 

 舞莉の質問には答えず、カッションはおもむろにブローチらしきものを取り出した。

 

 正方形の金色の板に、1回り小さなダイヤ型の銀色の板が重なっており、中心にスネアドラムと木琴のようなものが彫られている。

 

「これに最初に触れた人間が、俺のパートナーになる。セグレートに連れて行ける人間は、精霊のパートナーになった人間だけだ。」

 

 顔をブローチに向け、目線だけ舞莉の方を向く。鋭い視線が舞莉を貫いた。

 

 これは私にとっても、カッションにとっても重要なことなんだ。

 

「カッションは、パートナーが私なんかでいいの?」

 

 舞莉の問いかけに、カッションは鼻で笑った。

 

「『私なんか』ってなんだよ。俺はお前がいいと思ったから、声をかけてこうやってブローチを差し出してるんだよ。」

 

「セグレートってとこに行っても、ここに戻って来られるよね?」

「もちろん。俺はパートナーに不利益になるようなことはしない。」

 

 それならと、舞莉はブローチに手をかざし、そのまま下に下ろして触れた。

 

 その瞬間、ブローチから光が飛び出した。

 

 キラキラとした旋律が舞莉の頭に響く。この楽器はグロッケンだ。その後にヴィブラフォンやバスドラム、スネアドラムが加わる。時々シロフォンやティンパニの音も聞こえた。

 

「これは……。」

「俺が作ったアンサンブル曲だ。」

 

 アンサンブルとは、数人で楽器を演奏したり歌ったりすること。同じ楽器で組み合わせたり、木管楽器同士・金管楽器同士で組み合わせたり、組み合わせ次第で曲の雰囲気が変わるのも特徴だ。もちろん、打楽器だけのパーカッションアンサンブルもある。

 

 光が収まると同時に頭の中で流れていた曲も終わった。

 

「噂には聞いていたが、本当に流れるんだな。」

 

「かっこいいい曲だね!」

 

 カッションのつぶやきに食い込むようにして、舞莉が褒める。

 

「……お、おう!ありがとな。ほ、ほら行くぞ。」

 

 褒められるのに慣れていないのか、カッションは誤魔化すように先を促す。

 周りの空間が歪み、景色が自分の部屋から何かに変わっていった。

 

 

 歪みが収まると、舞莉は見慣れたところに立っていた。

 

「……えっ、学校の音楽室!?」

 

 部活から帰って来たのに、何でまた音楽室……。

 

「だって、舞莉が使うのは学校の楽器だろ?それなら学校のやつで慣れといた方がいい。」

 

 確かにそうか。カッションなりに考えてここに来たんだな。

 

「あと、ここは本物の音楽室じゃない。あくまで仮想空間だ。他の人が入ってくることはないし、万が一楽器をぶつけても、現実世界の方に影響はない。」

 

「だから昼間みたいに明るいんだ。」

 

 冷房がきいていて涼しい。さっきまでいた自分の部屋はエアコンがついていないので、少し暑かったのだ。

 

 いつの間にかジャージを着ていた。靴下も上履きも、いつ履いたのかは分からない。半年前から伸ばし始めた髪も、いつものように2つに結ばれていた。

 

「格好も部活の時と合わせたから。」

 

 いつものセッティングで楽器が出されている。部員がおらず、椅子も出されていないことだけが、いつもと違う点だ。

 

 試しに、舞莉は持ってきたスティックでスネアドラムを叩く。

 

 ポンッ

 

 少し間抜けな音が、だだっ広い音楽室に響く。

 

「あっ、響き線つけないのか?」

「なんとなく叩いただけ。」

 

 響き線というのは、スネアドラムの裏側についている金属の線で、スネアドラム独特の『ザッ』という音を加えることができるもの。

 

「あのさ、まずは基礎打ちができてるかどうか見てほしいんだけど、いいかな?」

 

 舞莉は準備室からパテを持ってきた。

 

 6月に入ってからも、未だに自分の練習台を買っていないのだが、土日の休みがないので買いに行けないのだ。

 

「ここにメトがあるから、これでやるか。お前のところの基礎打ちってどんな感じなんだ?」

 

 カッションは、いつもパーカスが使っているメトロノームを手に取った。

 

 舞莉は1番から4番までを教えた。

 

「なるほどな、分かった。よし、まずは60からやるぞ。」

 

 カッションとのマンツーマンレッスンが始まった。

 

「うんうん、できてんじゃん!次は72にしてみるか。」

 

 カッションは高良先輩とは違って、顧問用の椅子には座らないし、褒めてくれる。

 

「スティック同士が平行になりがちだから、気をつけて。」

 

 フォームについての指摘もしてくれた。

 

 パート練習の時は、『1人ずつ』が大嫌いだった。自分のダメなところが露わになるからだ。

 

 みんなで1番から4番までを通す。次に1人ずつ同じことをやらせる……。誰がズレているのか犯人探しをして、ズレていた人は怒鳴られる。最近はコンクール曲の練習ばかりで、先輩たちとは別々に練習するからパート練習が少ないのだが。

 

 今は違う。目の前にいるのは、ただ怒鳴るような人ではない。ここができていない、と具体的に教えてくれる精霊だ。

 

「うーん、基礎打ちは結構できてるよ。何でパートリーダーに怒られるんだろう。」

 

 カッションは少し考えたが、答えは思い浮かばなかったらしい。

 

「今度は楽器使ってみるか!えっと……練習したことあるやつは何?」

 

「確か……、バスドラ、スネア、グロッケンは基礎合奏の時に使ってるよ。シロフォンとヴィブラフォンはちょこっと触っただけ。ドラムとティンパニは全くやってない。」

 

「オッケー。マリンバは?」

「マリンバ……あぁ、うちの学校にはないよ。」

「そ、そっか。」

 

 カッションは顎をかく。

 

「と、とりあえず楽器の名前は覚えてるからよかった。」

 

 覚えたのはつい最近だけど、と舞莉。小学校までは木琴と言っていたものが『シロフォン』だったり、鉄琴が『ヴィブラフォン』だったり。他にも、小さくて高い音を出す『グロッケン』や、学校にはないけれど、シロフォンよりも大きい『マリンバ』っていう楽器もあると知った時は、頭がこんがらがった。

 

 小太鼓ではなく、スネアドラム。大太鼓ではなく、バスドラム。パーカッション故の楽器の多さが、暗記が苦手な舞莉を苦労させた。他にもタンバリンなどの『小楽器』たちがあるが、まだそこまでは覚えきれていない。

 

「ドラムやってみるか?」

 

 その言葉に舞莉の目が輝く。

「いいの!」

 

 舞莉はその後も片っ端から楽器に触った。

 

 ドラムは、基礎パターンの8ビート。

 

 ティンパニは、叩く場所やマレット(鍵盤打楽器やティンパニを叩くバチ)の振り方。

 

 バスドラムやスネアドラムは、叩き方の確認。

 

 グロッケン、シロフォン、ヴィブラフォンの鍵盤打楽器は、鍵盤を半音ずつ正確に叩く練習。

 

 今まで楽器の練習の仕方を、ここまで教えてくれる人はいなかった。

 

 夢中になって、いつの間にか時間が過ぎていた。

 

「舞莉、そろそろ終わりにしようか。明日も部活だろ?」

 

 その声に反射で時計を見る。1時を指している。

 

「この時計は、現実世界と連動してるから、今は午前1時だな。」

 

 えっ、明日は7時起きなのに、あと6時間しか寝られないじゃん!

 

「ちょ、ちょっと!早く寝ないと!」

「ごめん、ごめん。今すぐ帰ろう。」

 

 カッションはブローチを取り出して、手をかざした。

 

 周りの景色が歪んで、舞莉の部屋に戻った。

 

「あっ! 楽器片づけてなかった!」

「大丈夫。あそこは仮想空間だから、ホコリがつくこともないし、日光で楽器が痛むこともない。セグレートに行く度に、部屋や楽器の状態が現実世界のものと同期するから。」

 

「どうき……?」

 

「要は、いつセグレートに行っても、学校の楽器とおんなじ状態の楽器が使えるってこと。」

 

 舞莉は頷くと、ハッと何かに気づいた。

 

「ていうことは、私や誰かが学校の楽器をぶつけたりして凹ませたら、セグレートの方もそうなっちゃうの!」

「そういうことだな。」

 

 カッションはニヤリと笑った。

 

「そこはどうにかしてよ、カッション……!私ばかりぶつけてるんじゃないのに!」

 

「直すこともできるけど、そうしたら楽器を大事にしないだろ。他の人がぶつけても、連帯責任ってことで。」

 

「えぇーっ!」

 

 思わず声が大きくなってしまい、隣の部屋で寝ている母と弟を起こしそうになったことは、言うに及ばない。

 

 

 カッションとの出会いから数日後。

 

 今日は6月14日。平日だが、学校にはいない。舞莉たちは電車に乗っている。私鉄の東武東上線の川越駅で降りた。

 

 これから向かうのは『西部支部吹奏楽研究発表会』の会場の、『ウェスタ川越』である。西口から徒歩5分くらいの場所だ。

 

「なぁ、舞莉。これから行くとこ、行ったことあるんか?」

 

 スクールバックから聞こえるカッションの声。

 舞莉は黙っている。

 

「おーい、聞こえてるかー?」

 

 いつもは登下校も1人だったから、ささやき声でも会話できたけれど、今日はムリ。

 

 周りにパートの人たちがいるのに、独りでブツブツ喋ってたらもっと変人だろ。

 

 舞莉はスクールバックから水筒を取り出すついでに、スティックの先を少し出した。

 

「あ……。ごめん。」

 

 なぜ舞莉はスティックの先をバックから出したのか。なぜカッションはそれで理解できたのか。

 

 

 舞莉とカッションが出会った次の日に遡る。

 

 前日に「部活に来るな」と言われたので行きにくかったが、カッションが背中を押したので行くことができた。

 

 1日練習が終わり家に帰ると、舞莉はスクールバックを投げ捨てて、ベッドにうつぶせで倒れ込む。

 

「1日中集会室とか、飽きるし疲れる。」

 

 舞莉がボヤいていると、舞莉の体育着の袖が引っ張られた。

 

「お前に相談したいことがあってさ。」

 

「暑い、ここ。」

「聞いてる?」

「カッション、リビング行って話そ。」

 

 父は土曜出勤、母は買い物、弟は外に遊びに行っていて、家には舞莉とカッションしかいないのだ。

 

 舞莉は冷房をつけ、ミルクたっぷりのアイスコーヒーをコップ半分まで一気飲みした。

 

「それで、相談って何?」

 

 ソファーにボスンと座った舞莉の隣にカッションも座った。

 

「俺って舞莉以外の人間からは見えないけど、触ることはできるんだよ。本当は、今日から舞莉と一緒に学校に行きたかったんだけど、もし誰かとぶつかったらいけねぇって思って。」

 

「ふうん。それで?」

 

「俺たち音楽の精霊は、パートナーの持ち物に宿ることができるんだ。」

 

 カッションは上を指さした。

 

「さっき放り投げたスクバの中に、スティックがあるだろ? それに宿ろうかって思ってるんだけど、いいか?」

 

「スティックに?」

 

「ああ。なるべく持ち主の念が宿りやすいものがいいからな。」

 

 確かに、パーカスの道具で自分のものといったら、あのスティックくらいしかないよね。マレットとかは学校のものだし。

 

 お店の中で1番細くて軽いものを選んだ、あのスティック。痛めた左手首に負担をかけたくなかったからだった。他のスティックより一際目立つ白いスティック。オンリーワンな感じがして、愛着が湧いていた。

 

「うん、分かった。でも、宿ったまま楽器叩いても大丈夫なの?」

「それは……分かんねえ。」

 

 

 そんな訳で、外出する時はスティックにカッションが宿る、という形になった。

 

 舞莉が水筒をしまうついでに、スティックの先もしまわれた。

 

 周りに人がいても、口を開かず声を出さずに会話できる方法があればなぁ。

 そんなことを考えていると、ウェスタ川越に着いていた。

 

「まだ開館前なので、ここで少し待っていてください。」

 

 パートごとに部員を座らせた森本先生は、そう言ってどこかに行ってしまった。

 

 パーカッションパートの1番後ろに座る舞莉は、先輩たちの背中を見る。

 今日の発表会に出る2・3年生の全員が、制服ではなく黒い服を来ている。黒いシャツに黒い長ズボン。靴下も黒で黒いローファー。かつ女子はお団子。顧問が変わった今年からこうなったらしい。

 

「先輩たちすげえな。まさに全身黒ずくめだな。」

 

 部員の塊から少し離れたところから、カッションの声がした。舞莉がバッグのチャックを開けっ放しにしていたので、勝手に外に出てしまったらしい。

 

「皆さん、行きますよ!」

 

 森本先生が帰ってきて、部員に伝えた。

 カッションが慌てて舞莉のスティックに帰還する。

 

 

 舞莉は先輩たちの演奏が終わるまでは暇だった。

 

 先輩たちは演奏の準備で別行動。先輩たちについていける1年生は、楽器を運ぶ『補助員』だけ。パーカッションは楽器の数が多いため、出演者に加えて楽器運びの人が必要なのだ。

 

 補助員は、大山、菜々美、司のパーカッションパート、他にも2人ほど他のパートから指名された、計5人の1年生である。

 

「何でパーカスの舞莉を差し置いて、パーカスじゃねえ奴が補助員なんだよ。意味分かんねぇ。」

 

 大ホールの客席に座った舞莉は、足元にスクールバックを置き、ファイル、しおり、シャーペンを取り出す。補助員以外の1年生たちと固まって座っているが、1人だけパーカッションパートなので虫の居所が悪い。

 

 カッションは人間に聞こえないのをいいことに、さっきから高良先輩への悪口しか言っていない。

 

「はぁ、何でこんな差別をするんだか。マジでムカつく。」

 

 私には聞こえてるんですけど。うるさいなぁ。

 

 演奏開始のブザーが鳴った。

 

 舞莉は心の中で叫ぶ。

 

『カッション、もうすぐ演奏始まるから静かにして!』

 

 すると、カッションの声がピタリと止んだ。

 

「ご、ごめん。」

 

『あれ、もしかして、聞こえてる? 私、声出してないし、口動かしてないよ。カッションに語りかけるようにしてるだけなのに。』

 

「お前の声が頭の中で響いてる。これなら人気が多いところでも喋れるな。ちょっとここじゃ演奏が見えないな。」

 

 次の瞬間、舞莉の肩に3頭身ほどのカッションが座っていた。

 

「これで演奏が聴けるし、見える。」

 

 舞莉は、驚いている様子をなるべく顔に出さないようにしている。

 

 3等身で小さくなったカッションが可愛すぎて悶絶しそうなのを、なんとかこらえている舞莉。顔は1・2歳くらいの幼さだが、聞こえてくるのは声変わりした声なのでアンバランスである。

 

 

 何校かの演奏を聞いて、ついに先輩たちの番が来た。

 

 演奏するのは、矢藤学さん作曲の『マーチ・スカイブルー・ドリーム』、天野正道さん作曲の『沢池萃(たくちすい)〈吹奏楽版〉』だ。

 

 先輩たちがステージに入場し、舞莉はパーカッションの方を見る。そこには補助員の5人の姿。

 

 カッションは舞莉の横顔を、感情の読めない顔で見ていた。

 

 先輩たちの演奏が終わると、1年生は次の演奏が始まる前にサッと大ホールを後にする。

 

「ねぇ、楽器置き場ってどこ?」

 

 その人の手には、今日の日程などが書いてあるしおりがある。

 ホールから出たのはいいものの場所が分からず、1年生は迷子になっているのだ。

 

「こっちじゃない?」

 

 そう言って1人で勝手に歩き出してしまった。他の人もついていくが、結局同じところに戻ってきてしまった。

 

 ピリピリとした空気が流れる。

 

 最終的には、大階段の下で待つことにした。そこでようやく先輩たち、森本先生、指揮をした荒城先生と合流できたが、後で1年生は森本先生から怒られるハメとなったのだった。

 

「森本先生、指揮しないんだったら1年の面倒見てればよかったのに。」

 

 スクールバックの中から正論が飛ぶが、もちろん森本先生の耳には届かなかった。




【音源】個人的におすすめのところを貼ります。
マーチ・スカイブルー・ドリーム→ https://youtu.be/3gDxuIaebwI

沢池萃〈吹奏楽版〉→ https://youtu.be/hplBjoW4SPQ


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05:尊敬

《登場人物紹介》
〇羽後 舞莉(ひばる まいり)……主人公。クラリネットを吹きたくて吹奏楽部に入ったが、パーカッションパートになる。
〇カッション……舞莉に音楽の楽しさを知ってもらうため、パートナーになった。舞莉のスティックに宿る音楽の精霊。
〇細川 志代(ほそかわ しよ)……2年生。パーカッションパート。高良先輩と一緒になって嫌味をぶつけてくる。
〇大島 和樹(おおしま かずき)……2年生。パーカッションパート。高良先輩から理不尽にいじめられている。


 『西部支部』から2日後、いつものように練習(楽器は使わせてもらえない)していると、突然声をかけられた。

 

「舞莉、ちょっと来てくれない? 準備室で話すから。」

 

 その人に舞莉は顔を強ばらせる。

 亜子だけではなく、亜子といつもつるんでいるフルートの人とホルンの人も一緒だった。この3人には悪い思い出しかない。

 

「何か嫌な予感がするな。」

 

 カッションは宿り主のスティックから離れ、3頭身の姿で舞莉の肩に飛び乗った。

 

 舞莉は3人について行き、集会室の準備室に入った。

 

「舞莉、クラに行きたいって聞いたんだけど。」

 

 ……クラに行きたい?そんなの言ったことないけど。

 

「えっ、言ってないよ。」

 

「嘘言わないでよ。先輩とうまくできないし、上達できないからクラに行きたいって聞いた。」

 

 ただ自分が言ったのを忘れてるだけかな……。あっ、パートが決まって何日か後に……。

 

「前に『本当はクラがよかったんだよね。』とは言ったと思うけど、『クラに行きたい』とは言ってないよ。」

 

 そう弁解しても、この3人は舞莉が「クラに行きたい」と言ったという方向に話を持っていってしまう。

 

 しかし、覚えていないだけでそう言ってしまったのかもしれない。実際、カッションと出会う前は「もしクラだったらどうなっていただろう。」「クラだったら今頃1年生の中で1番上手かったかもしれない。」と思っていた。

 

「あのさ、先輩と仲良くできないとか、うまくならないからってパート移動するなんて、そんなのができるんだったらうちらだってしたいよ。」

 

「そうだよ。確かに先輩は怖いし、できなきゃ怒られるし、でも、うちらはなんとかやってるんだよ。逃げるわけ?」

 

 そこにもう1人ホルンの人が入ってきた。 亜子が今までの経緯を説明すると、その人は「はぁ? ホントに?」と言って舞莉を睨む。

 

「あのさ、私だってホントはサックスになりたかったんだよ。オーディションでホルンになったけど。なかなか上手く吹けないし、サックスがよかったなぁって思う時もあったけど、だからってわざわざ『サックス行きたい』なんて言わないし。わがままじゃん。」

 

 舞莉に反論する隙も与えず、亜子たちはガミガミと責めてくる。

 

 今度はクラの人が入ってきた。この人は桜小出身の人なので人柄は分からないが、気が強そうな感じだ。この人も経緯を聞かされた。

 

「たぶん舞莉が思ってるよりも、クラの先輩怖いよ。聞いたことあると思うけど、クラの先輩は代々怖いから。自分が大変だからって他のパートがよく見えるだけでしょ。」

 

 そう言って、この人も続けて舞莉への批判をぶつけてくる。

 

 亜子たちも苦労しているのは本当だろう。自分も同じはずなのに自分はできていないことが不甲斐なく、気づけば泣いていた。

 

 5対1、人数的には圧倒的に不利な状況。「クラに行きたい」って言ったのを認めない限りは終わらない気がする。嘘だとしても認めないといけないのかな……。

 

 肩の上に座るカッションがため息をついた。

 

「なぁ、舞莉。本当に言ってないのか。」

 

『言ったのを忘れてるだけかもしれないけど……でも今はそんなこと思ってない。』

 

「よし、分かった。」

 

 カッションは舞莉の肩から降りて元の姿に戻ると、準備室の廊下側のドアに立つ。

 

「確かに、先輩と上手くやりくりするのは大変だろうな。」

 

 亜子たちが一斉にカッションの方を向いた。突然の声に亜子たちは混乱している。しかしカッションの姿は見えず、声だけ聞こえているようだ。

 

「でもさ、練習できない環境って考えたことあるか?」

 

 フルートの人は怯えながら「あ、ありません。」と答える。

 

「まだ楽器の扱いに慣れていないから、どこかにぶつけることもあるだろう。だからといって先輩が『もう楽器に触るな』って言って、練習させなくするなんてないだろ?」

 

 亜子がうなずく。

 

「舞莉は今、そういう状況なんだよ。楽器に触れられないから、練習もできない。練習させないくせに先輩は『何でこんなのもできないのか』って怒る。楽器の片づけ方も教えないくせに『使えない』と言われ、終いには『使えないなら明日から部活来るな』と言われる。こんな理不尽あるか?」

 

 亜子たちが舞莉の方を向く。

 

「お前たちだって、楽器の構え方からいい音で吹くコツ、それこそ楽器の片づけ方だって先輩に教わっただろ。どうやってやるのかって先輩に聞いても、『自分で考えろ』なんて言われたことないだろ。」

 

 亜子たちはついに黙ってしまった。

 

「舞莉は『クラに行きたい』とは思ってないらしい。それが本当だったとしても、『自分も苦労してるのにずるいなぁ』って"思う"のは自由だ。だからって、その人の気持ちをろくに汲み取らないで、本人に問いただすのは止めた方がいいな。」

 

 カッションは亜子たちの近くまで歩いてきた。

 

「早く練習に戻ったら? 人を批判してる余裕があるなら、合奏中に先生から注意されないはずだよな?」

 

 集会室側のドアを開けたカッションだが、亜子たちには勝手にドアが開いたとしか見えていないだろう。

 

「な、何? お化け? もう、戻ろう。」

 

 亜子たちは去り際に舞莉を横目で睨んだ。

 

 舞莉の顔はとても練習を再開できる顔ではなかった。カッションはひとまずドアを閉める。

 1人準備室に残された舞莉の頭を、カッションは撫でた。

 

「カッション……ありがと。」

 

 反論したかったこと、全部言ってくれた。でも、私が言うとただの言い訳にしか聞こえないけど。

 

「とんでもねえ野郎ばっかだな、この学校。」

 

 舞莉の嗚咽が止まるように、背中を撫でるカッションだった。

 

 もともと、集会室があるC棟は幽霊が出ることで有名だったが、この件で「幽霊の声は霊感あるなしに関係なく聞こえて、悪行をすれば祟りに遭う」と言われるようになったのだった。

 

 カッションの成果もあり、あれから亜子たちが舞莉にとやかく言ってくることはなくなった。

 

 

 数日後、コンクールメンバーを決めるオーディションが行われた。オーディションに関係ない1年生は、集会室に追いやられている。

 

 張り詰めた音楽室に森本先生の声が響く。

 

「確認しますが、A部門ではなくB部門に出るということでいいですか。」

 

 部員たちは顔を合わせる。

 

「そんな、Aじゃ地区大すら突破できないし。」

「まぁ、Bだよね。」

 

 部員の意見は同じのようだ。

 

「何で『マーチ・スカイブルー・ドリーム』を練習したか分かってる?」

 

 外部指導の荒城先生が腕を組む。

 

「そうは言っても、決めるのは君たちだから。」

 

 部長の上野先輩がスっと立ち上がる。

 

「Bに出ます。なるべくみんなと楽器を吹き続けていたいです。」

 上野先輩の言葉にうなずく部員たち。

 

「分かりました。去年に引き続き、B部門にしましょう。」

 森本先生に続いて部員たちが返事をした。

 

「えっ、この学校ってAじゃなくてBに出るのか!」

 

 3頭身のカッションはグランドピアノの天板に座っている。オーディションを見たいと言って、舞莉に了承を得てカッションは音楽室にいるのだ。

 

 

 埼玉県の吹奏楽コンクールにはAからDの部までがあり、中学校の部では、Aの部は1団体50人以下、Bの部は30人以下、Cの部は20人以下、Dの部は人数制限なしとなっている。Aの部は最高で全日本大会、Bの部は最高で東日本大会まで勝ち上がることができ、C・Dの部は地区大会まで。Aの部は課題曲と自由曲を1曲ずつ演奏するが、Aの部以外は自由曲のみを演奏する。マーチ・スカイブルー・ドリームは、今年の5曲ある課題曲の1つである。

 

 吹奏楽コンクールといえばAの部が注目されがちだが、実はBの部も負けてはいない。この沢戸市立南中学校吹奏楽部は、自由曲1曲で勝負する学校なのだ。

 

 オーディションの結果、3年生27人のうち24人が、2年生は6人がコンクールメンバーとなった。コンクールメンバーではない先輩たちが、集会室に入ってきた。

 

 そこには大島先輩の姿もあった。

 

「これからCメンは合奏だってさ。一応楽譜持ってきたから。」

 

 大島先輩の手には何枚かの紙の束がある。長机に楽譜を並べてくれた。

 

「『涙そうそう』、『青い珊瑚礁』、『PERFECT HUMAN』、『FLASH』……。とりあえず全部知ってる。よかった。」

 

 これらの曲は、来月末の地域の夏祭りで演奏するらしい。今年初めて依頼されたらしいが。

 

「もしかしたらパーカスだけ1年も出るかもしれないから、これさらっておけだって。」

 

「先輩はもうこれの合奏してるんですよね。教えてくださいよ!」

 

「えっと……俺、あんまり楽譜読むのは得意じゃないっていうか……。」

 大山にお願いされた大島先輩の顔が曇る。

 

 コンクールメンバーではない人たちで、主に夏祭りの準備をすることになった。もともとコンクールメンバーは『Cメン』と呼ばれていたが、そうでない人をFestival(祭り)から取って『Fメン』と呼ぶ文化はここから始まったのだった。

 

 

 夏休みに入ったばかりの7月半ば。3年生は北辰テスト(埼玉県の中学3年生が受ける模試)を受けるため、今日の部活は1・2年生だけだ。

 

 高良先輩がいないので堂々と楽器を使える。

 

 大島先輩は家の用事で休んでいるので、音楽室には細川先輩、大山、菜々美、司、舞莉しかいない。

 

 先ほど基礎合奏を終えたばかりである。1年生が音楽室で基礎合奏をしたのは初めてだった。集会室にある楽器では舞莉たち5人でするには足りず、バスドラム、スネアドラム、グロッケン、基礎打ち台2つをローテーションしていた。基礎合奏で全員が楽器を使えるのは久しぶりだった。

 

「何か久しぶりに午前中で帰れるね!土日はいつも1日練だったから。」

 

「でも、反省会までずっとパート練も飽きるけど。」

 

 3年生なしでは沢池萃の合奏も、夏祭りの曲の合奏も成り立たないのである。細川先輩は1人で、沢池萃のハイハットとヴィブラフォン、PERFECT HUMANのドラムの練習をしていたが、飽きてしまったようだった。

 

「ねぇみんな。準備室に来てくれる?」

 

 そう言って、細川先輩はドラム椅子から立ち上がった。

 

「あっ、はい。」

 

 舞莉たちはそれぞれスティックやマレットを小物台に置き、細川先輩についていくように準備室へ入った。床に腰を下ろすと、細川先輩は声をひそめて言った。

 

「みんなさ、正直、和樹のことどう思ってる?」

 

 最初に大山が口を開く。

「……俺は、先輩のくせに基礎も鍵盤もできないのはどうかと思います。」

 

「やっぱりそうだよねー!」

 相槌を打って、細川先輩は続けて話す。

 

「ここだけの話、あいついらないって思うんだ。ほら、あそこに和樹の黄緑のメトがあるでしょ。」

 

 棚の奥にあるメトロノームを指す。

 

「あれね、たかぴー先輩が壊したの。床に落としたり壁にぶつけたりして。もうばかになっちゃって使えないよ。和樹にパーカス辞めてもらいたかったんでしょうね。ついでに、基礎打ち台のパッドの部分とスタンドのネジを外して隠したの。」

 

 肩の上に座るカッションの息を飲む音が聞こえた。

 

「それで、大島先輩のだけメトの種類が違うんですね。」

 

 菜々美が、高良先輩の黒いメトロノームと大島先輩の白いメトロノームを交互に見ている。

 

 舞莉は2週間前のことを思い出して、複雑な気持ちになった。

 

「そういえばこの間、大島先輩が『新しい基礎打ち台を買った』って、喜んで私に言ってきたんですよ。そういうことだったのか……。」

 

 腕を組んだ舞莉は、あのことが脳裏をよぎった。

 

 大島先輩がパート練習で理不尽に叱られ、集会室に戻った後、カーテンにくるまって泣いていたのを目撃した舞莉。それを見て自分も泣きそうになったのだ。

 

 きっとこの1年ちょっとの間、ずっとあんな扱いを受けて来たんだろうな……。

 

「今日は珍しくあいつがいないからさ、やりたい放題なんだよね!」

 

 細川先輩の手には、まだ新品であろう白いメトロノームがある。

 

「あいつが練習できないように、メトの重り抜いちゃおうか!」

 重りを抜くと大山に渡した。

 

「はーくん、これどっかに隠しちゃって!」

「分かりました。」

 

 司は重りがなくなったメトロノームを動かす。すごい速さで動くメトロノームを見て笑った。

 

「これじゃあ練習どころじゃありませんね!」

 

「うーん、何かもの足りないから、メトごとやっちゃうか! はーくんやって。たかぴー先輩と同じやつで!」

 

「先輩、こうですか?」

 

 大山がゼンマイが切れたメトロノームを取り、腰の高さから手を離した。

 

 ガシャン!

 

 細川先輩と司が茶々を入れるように、手を叩く。

 

「いいよいいよ、もっと!」

 

 今度は胸の高さから落としてみる。

 

 ガシャン!

 

「俺もやっていいですか。」

「おう、司。やっちゃえ!」

 

 司は大山からメトロノームを受け取って、胸の高さから落とす。司の方が背が高いので、さっきより高い位置だ。

 

「司、それじゃあ弱すぎる。こうだよ!」

 

 大山が下投げでメトロノームを放った。メトロノームは転がって、楽譜がしまってある棚にぶつかった。

 

「マジかよ……こいつら……。」

 

 カッションは言葉を無くしている。

 

「先輩、もっとやっていいですか。」

 

 大山の質問に細川先輩は首を縦に振った。大山はメトロノームをコンクリートの硬い壁に向かって振りかぶる。

 

 ガシャン!

 

 いつの間にか菜々美も笑って見ていた。

 

「せっかくならこれも。」

 

 と言って大山は、大島先輩の新品の基礎打ち台を思いっきり倒した。

 

 これは、どうすればいいんだろう。

 

 舞莉は呆然と目の前の惨状を眺めているしかなかった。

 本当は止めに行くべきものだが、自分は止められるような立場ではない。弱すぎる。

 

 メトロノームの悲鳴に舞莉は目を伏せ、奥歯を噛んで耐えた。

 

 すると、カッションは元の姿に戻り、大山の腕を掴む。

 

「うわっ!」

 

 驚いた拍子に手から離れたメトロノームを、カッションが床スレスレでキャッチした。そして、床に置いた。

 

 カッションと目が合った舞莉は、メトロノームを拾い上げて棚に戻した。

 

「おい……今のって例の幽霊か……?」

 

「幽霊じゃないな。見えなかったし……。」

 

 大山と司がヒソヒソと話している。

 

「何か怖いから音楽室に戻った方がよさそうだな。」

 

 細川先輩と菜々美は、男子たち以上に状況が分かっていないので、首を傾げている。

 怯えて準備室を後にする大山と司につられるようにして、女子たちも音楽室に戻った。

 

 

 反省会の後、舞莉は準備室にいた。忘れ物をしたふりをして、下駄箱から戻ってきたのだ。

 

 舞莉の手には、大島先輩の白いメトロノーム。重りがなく、振り子の部分が少し曲がっている。

 

 横にいるカッションは、黄緑色のメトロノームを持っている。

 

「両方ともこんな目に遭っちまったな。」

 

 白いメトロノームを元の場所に置いた舞莉は、カッションに向き直る。

 

「カッション、一緒に重りを探してほしいんだけど。」

「分かった。」

 

 記憶を頼りに、大山が隠したメトロノームの重り(遊錘)を探し回った。

 

 5分ほど経って、カッションが棚の上のゴミ袋の中にあるのを見つけた。

 

「あいつ、見てた感じ、こんなところに隠してなかったぞ。場所変えたな。」

 

 踏み台にしていた椅子から降りた。

 

「背のちっちゃい女子たちには届かないところだからな。あとこれも。」

 

 見覚えのある、基礎打ち台のパッドだった。

 

「これってまさか。」

 

「あいつが言ってた、大島先輩の基礎打ち台のやつだろ。」

「こんなところに。」

 

「性格悪いよなぁ。奥の方にあったぞ。俺でギリギリだったから、大島先輩は届かないな。」

 

 パッドの部分はいくつも傷が入り、裏側の木の部分にヒビが入っている。

 

「あれ、羽後さん、忘れ物ですか。」

 森本先生が準備室に顔を出した。

 

「あっ、えっと、スティックを忘れてしまって。取りに来ました。」

「そうなんですね。気をつけて帰るんですよ。」

 

 舞莉は返事をしてドアが閉められると、胸を撫で下ろす。

 

「……重りとパッドさ、元の場所に戻して、明日大島先輩に教えてあげるか。」

 

「せっかく見つけたのに?」

 

「あいつはまた隠し場所を確認すると思う。あるべきものがなかったら……。」

 

「そっか。そうだね。」

 

 結局カッションに、重りはゴミ袋、パッドは棚の上の奥に置いてもらった。

 

「帰ろう。」

 

 カッションが宿ったスティックをスクールバッグに入れ、舞莉は重い足取りで帰路についた。

 

 

 次の日。

 舞莉はカッションに起こされ、15分早く家を出た。まだ音楽室には数人しかいなかった。

 

 廊下にスクールバッグを置くと、準備室に入る。

 

 1人、メトロノームを持ってうつむいている人がいた。

 

「大島先輩、おはようございます。」

 

「おはよう、羽後。俺のメトの重り、どこいったか知ってるか?」

 

 さっそく、大島先輩が口にした。

 

「棚の上にある、ゴミ袋の中です。」

 

 椅子を持ってきて、棚の上のゴミ袋を掴み、『それ』を大島先輩に差し出した。

 

「ありがとな。……羽後、昨日なんかあっただろ。」

 

 大島先輩に切り出された舞莉は、少し考えた後、昨日のことを話した。

 

 重りを振り子に通して、動かしてみた。

 

「動くには動くけど、転んじゃってるよな。基礎打ち台も、ほら。」

 

 大山に倒された基礎打ち台は、歪んで、一部がもりあがっている。側面に巻かれている金属の板の繋ぎ目が、5ミリほどあいている。

 

「こんなに間あいてなかったのに。さっき頑張って曲がってたのを直したけど、完全には無理だな。」

 

 大島先輩の口調は悲しみだけでなく、諦めも感じた。

 

「先輩、止められなくてごめんなさい。先輩の大事なものが……。」

「いいよ。前にもあったから。」

「あの、先輩。それだけじゃなくて。」

 

 そう言って、舞莉は机を持ってきた。上履きを脱いで机に乗ると、棚の上の奥の方から例のものを取った。

 

「これ、先輩のですか。」

 

 大島先輩は目を見開く。

 

「見つからないと思ってたのに……。でも、基礎打ち台としては使えないなぁ。」

 

 黒いパッドを他の人のものと比べて分かった。大島先輩のものは裏側にあるはずのネジ穴がない。何者かによって外されている。

 

「スタンドのネジも見つかってないし、やっぱり使えないよ。」

 

 うなだれているところに細川先輩が入ってきたので、自然と会話が終わった。

 

 

 今日もパーカッションパートの3年生たちは部活にいない。3人とも塾があるらしい。

 

 何事もなかったかのように基礎合奏を終え、10分間のロングトーンも終わった。

 しかし、パート練習が始まってから30分くらいで、森本先生が音楽室に入ってきた。

 

「あの、大島くんから聞いたのですが。」

 

 舞莉たちの顔が固まる。

 

「ちょっとここに集まって。」

 6人はピアノの周りに集められた。

 

「大島くんがさっき部活に来てメトを見たら、こんな風になっていた。どういうことか説明しなさい。」

 

 森本先生は、舞莉たちに重りがない白いメトロノームを突きつける。

 

「…………。」

 

「…………。」

 

「…………。」

 

「…………。」

 

「…………。」

 

 誰も言い出さない舞莉たちに、森本先生はため息をつく。

 

「まぁ、羽後さんが昨日のことを、大島くんに言ってくれたというのも聞いています。羽後さんの口から説明してくれますか。」

 

「……はい。」

 

 森本先生から指名された以上、口を閉じている訳にはいかない。舞莉は順を追って説明した。

 舞莉が話し終わると、すぐさま大山と細川先輩が声を荒らげる。

 

「そんなことやってないですよ!」

 

「私だって大山くんに『やれ』なんて言ってません!」

 

「高橋くんもやったのですか。」

 

 森本先生に聞かれている司だが、目を合わせようとしない。

 

「俺は……やってません。」

 

 この後も「やったかやらなかったか」の言い合いは続いたが、もちろん話は進まない。

 

「竹下さんはその時何をやっていたんですか。」

 

「……私は、ただ見ていただけです。」

 

「そんな。一緒に笑ってたじゃん! 楽しそうに。」

 

 舞莉が説明したことが全否定され、涙が浮かんでいた。

 

「みなさん知っていると思いますが、前にも大島くんはメトを壊され、基礎打ち台の部品を隠されたことがあります。大島くんのためにも本当のことを話しなさい!」

 

 普段は滅多に怒らない森本先生が、音楽室に響き渡る怒鳴り声を発した。

 

 またみんなは黙り込んでしまった。

 

『カッション、私の説明間違ってないよね。』

 ふと不安になって、心の声でカッションに聞く。

 

「俺が見てた限りでは間違ってない。大丈夫だ。」

 

 ビーター置き場として使っている椅子に、カッションは足を組んで座っている。

 

「じゃあ羽後さんは何をしていたんですか。」

 

 森本先生が舞莉に疑いをかける。

 

「見ていました。止めようとも思ったのですが、私では聞く耳すら持ってくれないと思ったので何もできませんでした。」

 

 すると、菜々美が首をつっこんできた。

 

「何言ってんの? 舞莉だって面白がって笑ってたよ。」

 

「あんなことのどこが面白いの。人の物を壊したり隠したりして。」

「羽後、嘘言うのもいい加減にしてよ。」

 

 その言葉に舞莉は大山を睨みつけた。

 

「それはこっちのセリフだよ! 親が買い与えたメトや基礎打ち台、2回も壊されて! ……自分がそうされた時の気持ち、考えてよ。」

 

 舞莉は自分の目頭が熱くなっているのを感じた。

 

「いくら大島先輩が下手だからといって、馬鹿にしたり物を壊していいわけがない! 私も止めようとしないでただ見ていたから同罪だけど……。」

 

「羽後……。」

 

 大島先輩が小さく舞莉の名を呼ぶ。

 

「毎日のように先輩から怒られて、それでもちゃんと部活に来てる。私だったらできないと思う。」

 

 舞莉は大島先輩をちらりと見た。

 

「そんな先輩でも弱みを見せるところがありました。この前、集会室の隅で、カーテンにくるまって泣いてたのを見たんです。毎日怒られてるのもこの目で見てますし、自分のこととも重なって心が痛みました。」

 

 舞莉は「すみません。」と謝って涙を拭う。

 

「私は大島先輩を尊敬しています。実力がどうであれ、先輩は先輩ですから。」

 

 カッションがぽかんと口を開けて舞莉を見ているが、涙で曇った視界にその姿はない。

 いつもなら何かしら言い返してくる大山も、なぜか黙っている。

 

「……物は大切に扱ってください。他人の物を壊すなんてもっての外です。またこういうことがあったら、ただではおきません。」

 

 きっぱり言った森本先生は、大島先輩をつれて音楽室を出て行った。



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06:夏

《登場人物紹介》
〇羽後 舞莉(ひばる まいり)……主人公。クラリネットを吹きたくて吹奏楽部に入ったが、パーカッションパートになる。
〇カッション……舞莉に音楽の楽しさを知ってもらうため、パートナーになった。舞莉のスティックに宿る音楽の精霊。
〇高良 祐介(たから ゆうすけ)……3年生。パーカッションパートリーダー。舞莉や大島先輩に些細なことでも怒鳴り散らし、舞莉の心を疲弊させた張本人。
〇細川 志代(ほそかわ しよ)……2年生。パーカッションパート。高良先輩と一緒になって嫌味をぶつけてくる。


 パートリーダーの高良先輩は、大島先輩のメトロノーム事件について、「自分がいない時に起こったことだから関係ない。」として、後輩たちを叱ることはなかった。

 

「自分も前に同じことやったから、怒れないんだろ。」

 

 部活からの帰り道、カッションはスクールバッグの中でため息をつく。

 

『多分ね。そういえば、大島先輩の私への接し方が、少し柔らかくなった気がしたんだけど。』

 

「言われてみればそうだな。昨日、お前が味方についたからじゃねぇのか?」

 

『うん、私以外は揃いも揃ってあんな態度だったし。』

 

 舞莉はずり落ちたスクールバッグの紐を、また肩にかける。

 

 

 夏祭りの発表まで、あと2週間。舞莉はある違和感を感じていた。

 

 それは、1週間前に夏祭りの曲の合奏をした時である。

 

 大島先輩から言われた通り、パーカッションパートは1年生も合奏に加えてくれた。しかし、ここで食い違いが起きる。

 舞莉がするはずだった、カバサやタンバリンといった楽器を、先輩たちに全て取られてしまっていたのだ。

 

「くわ先輩、そこのタンバリン、私がやる予定だったんですけど……。」

 舞莉は桑原先輩に尋ねてみる。

 

「えっ、俺は高良から、やってくれって頼まれたんだけどなぁ。」

 

「そうですか……。」

 

 舞莉は肩を落とす。

 夏祭りの曲は、2・3年生で1度楽器担当を振り分けて、余ったものを1年生に回してくれたはずだ。

 

 大山、菜々美、司は何かしらの楽器をやらせてくれているのに。自分だけ、ない。

 

 そこで高良先輩に詰め寄ったが、無視するので話にならない。

 

「あいつの魂胆丸見え。どんだけ舞莉に楽器やらせたくないんだよ。」

 

 舞莉の肩の上で、カッションはポキポキと指を鳴らした。

 

 演奏しない1年生は手拍子やダンスをするらしい。舞莉が『演奏しない1年生』の中に放り込まれることは確定しているが、もう1人、司もそうなるかが決まっていなかった。

 しかし、いつの間にか司は先輩たちとの合奏に引き抜かれ、パーカッションパートでは舞莉だけになってしまったのだ。

 

 また『ぼっち』なのである。

 

「自分だけ一緒に合奏できなくて、ダンスもひとりぼっちなら、私いらなくない? 空気じゃん。」

 

 舞莉は家に帰ると、冷房の効いたリビングで大の字に寝転んだ。

 

「そういえば、このところ大山が部活来ないけど、どうしたんだろ。」

 

 

 そして、夏祭り本番。

 

 オープナーは、西部支部でも演奏した『マーチ・スカイブルー・ドリーム』。森本先生が指揮をした。1年生は手拍子をせず、ただ片膝をついて座っているだけである。今は夕方だが、じっとしているだけで汗が流れる。

 

 次は『涙そうそう』。この曲は大山が「俺、この曲もう叩けるから。」と、ドラムの練習ができない舞莉にマウントを取ってきた曲である。手拍子をしながら、この曲はカバサをする予定だったことを思い出す。

 

 その次は『PERFECT HUMAN』。スピーカーを通して、高良先輩の下手クソなラップが聞こえてきた。アルトサックスのソロもあるが、ラップのせいで台無しである。

 

「あいつさ、自分が上手いって思ってやってるから痛えよな。」

 

 舞莉の隣で手拍子をするカッションが、舞莉の耳元で叫ぶ。

 この曲は、舞莉がタンバリンをする予定だった曲だ。

 

 次の曲は『FLASH』。サビからの、アゴゴベルとタンバリンの掛け合いが好きな曲である。舞莉は、この曲のタンバリンもする予定だった。

 

 その次の曲は『青い珊瑚礁』。楽譜はもらっているものの、もとから小楽器が少ない曲なので、1年生には振り分けてもらえなかった。しかし、楽譜はあるので、タンバリンなら舞莉でもできた。

 

 ここまでずっと手拍子だった1年生は、流石に疲れた様子だった。頭の上で、腕をピンと伸ばして手拍子をしなければいけない。曲だけで13分は手拍子をしていた。

 

 最後の曲は『Sing Sing Sing』。高良先輩のノリノリなドラムから始まり、クラリネットの長いソロが見せ場である。西関東アンサンブルコンテストで金賞を取った、山下先輩のソロが辺りに響く。

 

 ソロの時はダンスが休みなので、舞莉はクラリネットの音色に聴き入っていた。

 舞莉がクラリネットを吹きたいと思わせてくれたのが、この曲のクラリネットの、山下先輩のソロだった。

 

 吹き終わると、1年生も含め、部員全員が立ち上がった。

 

「ありがとうございました!」

「「「ありがとうございました!」」」

 

 上野先輩に続いて、全員で声を合わせ、礼をする。

 

「はい、南中学校の皆さん、ありがとうござ――」

「アンコール、アンコール!」

 

 アンコールを知らない、夏祭りの司会のおじいちゃんが終わらせようとするが、誰かのお母様方の声で遮られる。

 

 森本先生が司会の人と何かを話し、うなずいた司会のおじいちゃんが「すみません、もう1曲演奏してくれるそうです。」と、訂正した。

 

 先輩たちはスカーフを被る。

 

「アンコール、ありがとうございます。最後にお送りするのは、先輩方から代々受け継がれてきた、南中吹奏楽部のテーマソングです。」

 

 例のセリフを、トランペットパートの清水先輩が言った。

 

「南吹パワー全開でー!」

「「「ユーロビート!」」」

 

 ちなみに、先輩たちのユーロビートは、もはやユーロビートではないのだ。

 

 ユーロビートのテンポは、120から160くらいなのだが、先輩たちの演奏は160より速いのだ。指定のテンポが152で、大体1.1倍の速さで演奏している。

 

 疾走感が否めない。

 

 演奏が終わり、拍手にかき消されそうになりながら、上野先輩が言った。

 

「これからも、南中吹奏楽部を、よろしくお願いします!」

「「「お願いします!」」」

 

 入部してから初めての、お客さん側ではない演奏が終わった。

 

 

 4日後、舞莉たちFメンは西武新宿線に乗っていた。これから舞莉たちが向かうのは、『所沢市民文化センター ミューズ』。

 

 今日は、埼玉県吹奏楽コンクールの地区大会である。

 

 何の前触れもなく、いきなりコンクールの日を迎える書き方には待ったが入りそうだが、出場しない1年生にとってはそんなもんである。数日前の夏祭りの方が、自分たちにとっては重要なのだ。

 

 航空公園駅で降り、東口から歩いて15分くらいのところだ。

 

 先輩たちはトップバッターで演奏する。地区大会の演奏順はクジで決めるそうだが、森本先生は1番を引いてしまい、先輩たちからのブーイングが絶えなかった。

 

 Cメンだけ朝早くに集まり、舞莉たちより早く現地に着いている。

 

『あかりん先輩、地区大すら突破できるか、って言ってたけど。』

 

 舞莉は、演奏順が決まった日から弱気な、高橋先輩を思い出した。

 

「去年は県大会行って、銀賞取ったんだろ。県大会は行くと思うぞ。」

 と、スクールバッグの中のカッション。今日ももちろん、スティックは持ってきている。

 

 今日も、パーカッションの楽器を運ぶ『補助員』が必要だが、また舞莉はそこに入っていない。

 

 着いてすぐに、補助員の人たちが連れていかれた。入場券をもらったFメンかつ補助員ではない人は、さっそくホールの中に入った。

 

「すごい! あれってパイプオルガン?」

 

 1年生の誰かが、声をひそめつつ驚いている。

 ステージの後ろいっぱいにある、巨大なパイプオルガンに目を奪われていた。舞莉も本物を見たのは始めてだったが、視力が悪い舞莉には、はっきりと見ることはできない。

 

 

 開会式が終わると、さっそく先輩たちが入ってきた。

 

「それでは、演奏を開始致します。1番、沢戸市立南中学校。天野正道 作曲『沢池萃』。指揮、荒城政男。」

 

 アナウンスが流れると、拍手の中で、荒城先生がこちらを向いて一礼した。

 荒城先生の合図で、先輩たちは一斉に楽器を構える。

 

 最初のフォルテの音が、1発響いた。

 

 演奏が終わると、舞莉たちは足早にホールから出る。

 写真撮影や楽器の片づけを終えた先輩たちと合流した。

 

「ここ、よく響くホールだな。残響が長い。」

 

 制服を着崩しているカッションが、舞莉の隣で腕を組んでいる。

 

『そうなの?』

 

「ただ、演奏する側は大変だと思うぞ。」

 

『ふぅん。』

 

 生返事しかできないのは仕方がない。舞莉が行ったことがあるホールと言えば、沢戸市文化会館、西部支部の会場だったウェスタ川越と、ここだ。残響など、意識したことがないから分からない。

 

 

 この後は、閉会式までずっと演奏を聞いていた。

 正直、飽きてきてあくびが止まらない。隣の司は寝ていた。

 

 同じことを私がしたら、きっとうるさく言われるんだろうな。人によって態度を180度変えるパートリーダーなら、普通に有り得る。

 

 半分寝かけた、最後の学校の演奏が終わった。

 

 

 30分間の休憩を挟み、結果発表がある閉会式が始まった。埼玉県吹奏楽連盟の副会長のお話が終わると、先輩たちはソワソワし出した。膝にはプログラム、手には3色ボールペンを持っている。

 

「それでは、結果発表に移ります。」

 

 地区大会では、金賞・銀賞・銅賞があるが、賞なしと呼ばれる、何も賞がもらえないものもある。

 

「銅賞から発表します。」

 

 ここで呼ばれてはいけない。

 出演順で発表するので、南中は賞を獲得できれば、1番先に学校名を言われることになる。

 

 銅賞は6校が受賞した。

 

「次は銀賞です。」

 

 ここでも呼ばれてはいけない。

 

 銀賞は2校が受賞した。呼ばれていない学校は、あと17校もある。

 

「最後に金賞です。」

 

 ここで1番最初に呼ばれなくてはいけない。

 

 先輩たちは両手を握って祈っている。出ていないはずの舞莉も緊張していた。

 

「出演順、1番。沢戸市立南中学校。」

 

 『1番』の『い』が聞こえた瞬間、先輩たちが「キャー!」と悲鳴なるものを上げた。隣に座っている高橋先輩は、少し涙ぐんでいる。

 

 金賞は、舞莉の学校も含めて5校が受賞した。

 

「次に、8月8日に行われます、第57回埼玉県吹奏楽コンクールへの推薦団体を発表します。こちらも出演順となります。」

 

 ここでも1番先に呼ばれないといけない。

 

「出演順、1番。沢戸市立南中学校。」

 

 先輩たちは、再び悲鳴を上げる。

 

 あと3校が呼ばれ、「以上を推薦致します。」と言って締めた。1校だけ、ダメ金のところがあったのだ。

 

 ダメ金とは、金賞を受賞したものの、上位大会には進めないことである。

 

 

 閉会式が終わり、ホールを出て人口密度が高い階段を降りていると、黒服姿の先輩たちの会話が聞こえてきた。

 

「1番始めに吹く学校って、審査の目安にされちゃうから不利だって言われてたけど、よかった!」

 

「ホントだよね。もりもってぃーが1番を引いてきたって言われた時は、正直終わったと思ったよ。」

 

 『1番最初の学校は上に行けない』というレッテルが剥がれた結果だった。

 

 

 地区大会が終わったころ、舞莉の手元には、『沢池萃』の楽譜があった。A4の大きさで3枚。1枚目の左上には、『2nd Percussion』『Bass Drum』『Vibraphone』の文字。

 

「たかぴー先輩が、もう割り振りしてくれたの。菜々美ちゃんはたかぴー先輩がやってた『フォートム』、司くんはあかりん先輩がやってた『ティンパニ』。」

 

 集会室に来て、そう説明する細川先輩。

 

「私は、コンクールと一緒でシンバルとヴァイブ。で、問題なのがバスドラなんだけど。」

 

 残っているのは、大島先輩、舞莉、部活に来ない大山である。

 

「ここはオーディションにするらしいの。まぁ、さらっておいてだって。」

 

 自分の相手が大島先輩と大山なんて、この時点で結果は分かっているようなものだ。

 

「舞莉、これはセグレート行きだな。」

 壁に寄りかかって話を聞いていたカッションは、ブローチを持って指さした。

 

 

 なぜあの楽譜があるとかというと、10月の始めにある『全日本ブラスシンフォニーコンクール』の予選大会に出るつもりだからだ。1・2年生だけで出場する予定だが、自由曲として『沢池萃』を演奏することになった。

 

 実は、かなり無謀なことをやろうとしているのは、初めての合奏までの秘密である。

 

 

 8月8日、県大会の日がやってきた。

 

 今日も舞莉たちFメンは、会場までは電車で移動する。

 武蔵野線の南浦和駅で降りた。

 

「今日の会場は『さいたま市文化センター』か。」

 

 歩きながらしおりを読む舞莉の横から、カッションが覗き込んでいる。

 

 県大会から上の大会は、午前と午後で入場券が別々になっている。先輩たちの演奏は午後なので、午後の部の入場券で中に入った。

 

「ここはいわゆる『普通』のホールだな。」

 

『いや、私にとっては、2階席とか3階席まである時点で、普通じゃないんですけど。』

 

 舞莉たちパーカッションパートは、3階席に座っている。

 審査員や、だいたい2階席で聞いている顧問の目につかないからだ。

 

「おっ、もうすぐ午後1の演奏が始まるぞ。」

 高良先輩が足を組んで、目を閉じた。

 

「こいつ、寝る気マンマンだよ。まだうちらの演奏も終わってないのに。」

 次の移動時刻を確認した高橋先輩が、高良先輩をつつく。

 

 

 演奏準備に行ったCメンと補助員を見送り、舞莉たちはまたホールに戻った。

 カッションはいつものように、舞莉の肩の上に座っている。

 

「で、舞莉は相変わらず補助員じゃねぇのかよ。」

 

『頑なに触らせたくないみたいだから。』

 

「俺が運び方教えてやったから、もう平気なのにな。」

 

 補助員に関しては、もう諦めていた。

 

『あれは、ただの嫌がらせ。』

 

 カッションに教えてもらったかいがあり、実力は上がった。が、それを見せる場がないことに、カッションはもどかしさを感じている。

 

 

 先輩たちの番が来た。

 

「26番、沢戸市立南中学校。天野正道 作曲『沢池萃』。指揮、荒城政男。」

 

 最初の1音の響きで、カッションの言っていたことが分かった。先週の地区大会よりは、確かに残響が少し短い。

 

「音楽の楽しさって、楽器を演奏することだけじゃないだろ。聴くことだって楽しさのうちに入ると思う。聴く側としての楽しみ方を、ちょっと教えただけさ。」

 

 聴くことの楽しさ……。

 そう思うと、このアルトサックスのソロも変わって聴こえた。

 

 

 先輩たちの演奏が終わり、再びホールに入る頃には、閉会式前の30分間の休憩に入っていた。

 この沢戸市立南中学校は、昨年の県大会銀賞が1番良い成績である。

 

「ああ、ヤバい。緊張してきた。」

 舞莉の後ろにいる先輩が、そう言いながら手を擦り合わせる。

 

『ねぇ、カッション。昨日の夜も言ったけどさ。』

 舞莉は結果発表の前に、カッションへ内心を吐露してみる。

 

『ここで終わっても、そうじゃなくても、複雑だって。』

 

「ああ、言ってたな。」

 

『高良先輩に早く引退してほしいんだけど、それだけでは解決しない問題。』

 

「あいつがいなくなっても、グルになってる細川がいるから状況は変わらない、だろ。」

 

 舞莉は足元に視線を移す。

 

『私さ、そんな人ともう1年、一緒にやっていかなきゃいけないんでしょ。できる気がしなくて。』

 

 珍しく自分から弱音を吐いた舞莉に、カッションは返す言葉が思い浮かばなかった。

 

 

「ただいまより、第57回埼玉県吹奏楽コンクール 中学校Bの部、閉会式を始めます。」

 

 今年は、埼玉県から12校が西関東大会に進める。35校が県大会に出場しているので、約3割の学校が西関東大会に行けるというところだ。

 

 今日の県大会は、埼玉県吹奏楽連盟の会長が話をしてくれた。県大会ともなると会長が出てくるらしい。

 

「次に、審査結果の発表及び表彰を行います。」

 

 県大会から上の大会は、失格さえなければ、金賞・銀賞・銅賞のいずれかの賞がもらえる。

 

 この広い空間が張り詰めた空気で覆われた。

 

 それぞれの学校の代表の生徒が、拍手で迎えられながらステージ上に現れた。前から出演順に並んでおり、上野先輩は後ろの列の、真ん中より右の方にいる。

 

 最初に演奏した学校の生徒が、連盟の会長とマイク越しで対面した。こちら側から見ると、右に会長、左に生徒が立っている。

 

「金賞と銀賞の聞き間違いを防ぐため、金賞は『ゴールド金賞』と言わさせていただきます。」

 最初に会長から言づけがされる。

 

 南中が呼ばれるまで、9校が金賞を受賞した。

 

「切符はあと3枚だな。」

 足を組み、頬杖をつくカッション。

 

 上野先輩がマイクの前に歩み寄って一礼をする。

 

「沢戸市立南中学校。」

 

 息を殺した先輩たちを見て、舞莉は一瞬時間が止まったように思えた。

 

「ゴールド金賞!」

「「「きゃー!!」」」

 

 舞莉は他人事ながら、少し暖かいものを感じた。

 

 涙が溢れて止まらない先輩、ハグし合う先輩、ガッツポーズをする先輩、胸を撫で下ろす先輩。

 

 忘れかけていたけど、自分に優しくしてくれた先輩もいたんだった。自分だけの欲望のために、そんな先輩まで巻き込むのはいけない。早く引退してくれ、なんて考えちゃいけない。

 

 コンクールメンバーになれなかった3年生の先輩も、一緒に喜んでいる。本音か建前かは分からない。それでも、仲間の頑張りを讃えあえるのって、いいことかも。

 

 コミュ障だから、口に出しては言いづらいけど。

 

 

 もう少し、頑張ってみよう。東日本大会まで進めば、あと2ヶ月。2ヶ月、耐えればいいんだよね。

 

『カッション。私、先輩のために他人の不幸を願うのは止めた。その代わり、私が盾となって、あの暴言を浴び続ければいい。』

 

「あのな、そういうことじゃねえんだよ。」

 

 金賞を取った全ての学校が、西関東大会に進むことが決まった。ちょうど12校が受賞したからだ。

 

 

「あいつには、実力で言わせるしかない。せめて……沢池萃のバスドラで。」

 

 胃痛と熱帯夜でなかなか寝つけなかった舞莉だったが、ようやく寝られたようだ。そんな舞莉の頬には涙の跡があった。

 

 カッションはブローチを握りしめ、小雨が降る外に目を移した。

 

 

 お盆休みの初日の夜、みんなが寝静まった頃。

 

 舞莉の部屋に、精霊服姿のカッションと、部屋着姿の舞莉が並んで立っている。

 カッションの手のひらの上にあるブローチに、舞莉は手をかざす。

 

 周りの空間が歪んで、学校の音楽室へと変わった。

 

「えっと、『お盆休みの特訓 at セグレート』って?」

 

 2つ結びに体育着、白いくるぶしソックスに上履きの格好の舞莉が、カッションに尋ねる。

 

「そのまんまだよ。俺らだけの秘密の特訓で、沢池萃のバスドラを譲ってもらおう!ってことだ。」

 

 両腕を広げて、高らかに説明するカッション。

 

「本番でやりたいだろ? そうすれば、少しは高良先輩も見直してくれるよ。」

 

「うん!『なんだ、結構できるじゃん!』って言わせたい!」

 

「よし、さっそく練習開始!」

 

 今までのセグレートでの練習通り、カッションが頭の中に曲を流してくれる。

 

「くわ先輩に教えてもらって、ちょっとはできるんだよな。じゃあ曲に合わせて、手を叩いてリズムの確認をするぞ。俺も一緒にやるから。」

 

 四分音符だけのところなどの簡単なリズムはできたが、裏拍のところがつまずいた。

 

「ここのH、裏拍だらけだからやっておこうか。声に出しながらだとやりやすいからな。」

 

 舞莉は必死にリズムを覚える。

 

「次は、パーカスソリのJ、タン、タン、タン、ンターン、タンタンタン。」

 そこの部分だけ、重点的に確認した。

 

「オッケー。今度はバスドラでやってみるか。」

 こんな感じで、毎晩セグレートでの練習が続いた。

 

 

 1週間後のお盆休みの終わりには、ほぼ完璧にできるようになっていた。

 

 

「舞莉、起きろ!練習の成果を見せに行くんだろ?」

 

「分かってる……って、やばい、20分寝坊した!早くお弁当作らないと!」

 

 ガバッと起き上がり、舞莉は階段を駆け下りる。

 

『ちょっと、もっと早く起こしてよ!』

 

 冷凍食品をレンジで温めながら、舞莉はブツブツ文句を言った。

 

「俺は、ずっと起こしてたよ。30分くらい。」

 

 両親や弟が起きていないことを確かめたカッションは、1リットルの水筒いっぱいに、冷えた麦茶を注いであげた。




【音源】
マーチ・スカイブルー・ドリーム→ https://youtu.be/3gDxuIaebwI

涙そうそう→ https://youtu.be/EVbx4ZLDMRA

PERFECT HUMAN→ https://youtu.be/B-eggiZWOyk

FLASH→ https://youtu.be/kdJFhnVUous

青い珊瑚礁→ https://youtu.be/o5forSsBE7c

Sing Sing Sing→ https://youtu.be/DQ9lvWMa4rU

ユーロビート・ディズニー・メドレー→ https://youtu.be/jPaktZbnrVY

沢池萃〈吹奏楽版〉→ https://youtu.be/hplBjoW4SPQ


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07:初舞台

「なぁ、羽後、羽後ってピアノ弾けるか?」

 

 休みボケで危うく寝坊しかけた舞莉は、息が上がったまま司の質問を受けていた。前髪が汗で貼りついている。

 

「えっ、ピアノ!?」

 

「これさ、パーカスの中で弾ける人いないかって、もりもってぃーから聞かれたんだけど。」

 

 司が持っていたのは、ブラスシンフォニーコンクールの課題曲、『ムーンライト・セレナーデ』のピアノの楽譜だった。

 

「ちょっとだけね。趣味程度なら。」

 

「お、マジか! 先輩も竹下も俺も弾けないから助かった!」

 舞莉は楽譜を受け取る。

 

「最初はいけそうだけど、えっ、途中から難しそう。」

 

 楽譜を凝視しながら、定位置にスクールバッグを置いた。

 

「最初の和音、右手が低いシから高いド!」

 

 1分前の返答を悔やむ舞莉。

 そう、舞莉は致命的な小指の短さで、ピアノのオクターブが届かないのである。いや、全体的に指が短い。

 

「終わった……。」

 

 舞莉は、引き受けたものは断れないものだと勘づき、肩にLLサイズのティンパニ (40キロ超)を乗せられたように感じた。

 

 

「そっか。大山、いなくなったんだな。」

 

 お盆前は数日置きに来ていた大山だったが、どうやら退部届を出して辞めたらしい。

 

『先輩のメト事件から全然来てなかったもんね。他にもトラブル起こしてたみたいだし。』

 

 基礎打ちをしながらなので、カッションの声はスティックから聞こえてくる。ロングトーンの間、パーカッションパートはずっと基礎打ちをしているのだ。

 

「舞莉、これで相手は大島先輩だけになったな。」

 

『でも、大島先輩だって、西部支部でバスドラやってたからなぁ。』

 

 ロングトーンが終わるとすぐに、細川先輩が集会室の中に入ってきた。

 

「あの、沢池萃のバスドラなんだけど。」

 

 次の瞬間、細川先輩の口から出たのは……。

 

「はーくんが辞めちゃったから、和樹やって、ってたかぴー先輩が。」

 

 舞莉の鼓動が激しくなった。

 

「西部支部でもやったし、できるよね?」

 

「ま、まぁな。」

 

 大島先輩がうなずく。

 

「あ、あの、私は?」

 

 舞莉は細川先輩に尋ねるものの、細川先輩は「じゃあねー。」と言って踵を返した。

 

「舞莉、『高良先輩が』って言ってたよな。ちょっと、俺言ってくる!」

『待って!』

 

 宿り主のスティックから離れ、人間姿になったカッションに、舞莉は叫ぶ。

 

『この間の亜子に責められた時みたいに、脅すつもりでしょ。脅してまで私にバスドラを譲らせるなんて……。』

 

 舞莉はカッションに背を向け、スティックを握る。

 

「あんなに練習したのに、オーディションもしないで決めるなんて理不尽じゃねぇかよ!」

『分かってる。でも、私がバスドラになっても、大島先輩は何やるの?それは先輩としてやりにくいんじゃないの?』

 

「……。」

 

 基礎打ちのパテがある机に、舞莉は片手を置いた。

 

『私は先輩にやってもらいたい。先輩にとっては、やっと来た高良先輩がいないステージなんだよ。西部支部でやったバスドラだって、くわ先輩の補助的なものだったから。』

 

「……お人好しすぎるんだよ、お前は。」

 

 そう言って、カッションはスティックに宿り直した。

 

 

 1週間後、ムーンライト・セレナーデの初めての合奏をした。

 1週間でピアノを猛練習した舞莉は、素人ながら、8割は弾けるようになっていた。

 

 ……もちろん、セグレートにも行ったのだが。

 

 オクターブのところは左手で補った。楽譜通りの音の高さで弾いていれば、問題ないという。

 

 ムーンライト・セレナーデの合奏は好調に進んだが、沢地萃の合奏はのろいというような早さではない。

 半日かけても8小節ほどしか進まないのだ。1週間経ってもそんな調子で、あまり感情を表に出さない森本先生でさえ、イライラしているようだった。

 

 そんな中、舞莉たちパーカッションパートは暇でしかない。割とできているのだろう。注意されるのは管楽器の人たちだけである。

 

「つまんねえ。」

 

 カッションが窓の桟に座ってあくびをした。

 

 

 夏休みが終わる頃に、やっと舞莉の楽器担当が決まった。

 

 ムーンライト・セレナーデは、ピアノ。

 沢地萃は、ウィンドチャイムとトライアングルだけだ。

 

 舞莉は、バスドラムとヴィブラフォンが書いてある楽譜しかもっていない。それに加え、ウィンドチャイムとトライアングルは1stや3rdの楽譜に分担して書かれているため、その2つの楽器のために楽譜を刷り直すのも手間だった。

 

 よって舞莉は、桑原先輩に教わって、タイミングやリズムを暗記――すなわち暗譜をする羽目となった。

 

 

「せっかくパーカスのソリがある曲なのに、私だけおまけだよ。太鼓系やシンバル系は目立つのに。カッションを引き止めておいてなんだけど。」

 

 練習し直しになった舞莉は、セグレートで愚痴をこぼす。

 

「カットして7分半くらいの中で、舞莉の出番は2分もないなんてな……。盛り上がるところで、全然出番がないってのはないぜ……。」

 

 カッションは座りこんで頭を抱えた。

 

「音楽の精霊失格だ……。」

「そんなことないよ。」

 

 舞莉もカッションの隣に座る。

 

「私は沢地萃の演奏に加われるだけでいいよ。それだけでも楽しいし。」

 

 カッションは舞莉の言葉を否定するように首を振る。

 

「こんなんじゃダメなんだ。音楽の楽しさはこんなもんじゃない。」

 

 いつも明るいカッションが、ここまで落ちこむのは初めてである。

 自分のために悩んでくれるのは嬉しい舞莉だったが、カッションに頼ってばかりだったことを反省した。

 

「俺は、お前みたいな境遇の人間を助けるために来たんだ。俺が来ても何も変わりやしない。舞莉がつらい状況なのは変わってないんだ。」

 

「すぐに結果は出るはずないよ。相手が厄介すぎるもん。私自身も頑張るから。」

 

 舞莉はカッションの手を握り、カッションの目を見てそう告げた。

 

 

 9月10日、西関東大会の日がやってきた。

 会場は、山梨県のコラニー文化ホール(山梨県立県民文化ホール)なので、今回はさすがにバス移動である。

 

「そういえば私、山梨行ったことなかった。お隣なのに。」

 

 バスの中は耳を塞ぐほどうるさいので、舞莉がボソッと喋ってもバレない。

 

 Cメンは、昨日から泊まりである。演奏は午後だが、大事をとって泊まりにしたのであろう。高速道路が渋滞して、演奏に間に合わないなんてことは、あってはならない。

 

 到着すると、Cメンと合流した。

 

「ついに山梨まで来ちゃったよー!」

 

 高橋先輩が興奮気味である。

 

「よし、じゃあ他の学校のやつ聞きに行くか。」

 

 高良先輩の指示で、パーカッションパートは2階席の後ろの方に座った。ここは3階席がないらしい。

 

「これは……1階席の後ろの方がよかったか。」

 

「えっ、移動するの?」

「いいよ、しなくて。みんなを動かすのはめんどい。」

 

 高橋先輩は「あっそ。」と言って前を向いた。

 

「もしかしたら、今まで振り回されたことがあんのかもしれないな。」

 

 カッションがやり取りを見て、苦笑いをした。

 

『うん。私もそう思った。』

 

 隣に細川先輩がいるので顔には出せないが、舞莉も心の中で苦笑した。

 

 

 3校の演奏を聞いて、パーカッションパートは何故かホールを出た。

 

「あんまり他の学校のやつ聞きたくねぇ。」

 

「あー、分かる。上手い学校の演奏聞くと、ここに勝たなくちゃなって思うよね。」

 

「うん、プレッシャー感じる。」

 

 2階にあるソファーに座り、3年生が口々に言った。

 

「あっ、そうだ。これみんなに。」

 

 桑原先輩がスクールバッグの中から、いくつかの小さな封筒を取り出した。

 

「手紙書いてきたんだ。もしかしたら、って思って。演奏前だから言っちゃいけないけど。」

 

 舞莉は、猫のシールが貼ってある、ミント色の封筒を受け取った。

 

「先輩、読んでいいですか。」

 

 菜々美の質問に、桑原先輩はうなずいて了承した。

 舞莉もシールを剥がして封筒を開けた。

 

 

 しずかでいつも練習をまじめにやっている羽後ちゃんへ

 最初羽後ちゃんがパーカスにきてくれてくれたときに、しずかな子だなあって思ったよ。けっこうお上品だなあ〜って。ブラスシンフォニーもピアノがんばってね! 応えんしているよ。これからいろいろ大変なことがあるかもしれないけれど、それをパーカス全員でのりこえていくんだよ。がんばってね!

 くわより

 

 

 桑原先輩の、少し不器用な性格がこの文面にも現れている。

 

 ……言い回しがおかしなところは飲みこむとして。

 

 舞莉にとっては、上辺だけの文章でも嬉しいのである。

 

「ありがとう……ございます。」

 

 まさか手紙をくれるとは思っていなかった舞莉は、お礼の言葉が動揺してうまく言えなかった。

 

「大変なことか。これからもっと大変なことが起こらないといいけどな。」

 

 舞莉の膝に座る、3頭身のカッションがつぶやいた。

 

 

「23番、埼玉県代表、沢戸市立南中学校。天野正道 作曲『沢池萃』。指揮、荒城政男。」

 

 30人のCメンが、こちらを向いてピシッと背筋を伸ばして座っている。

 

 アナウンスが終わり、荒城先生が礼をし、後ろを向く。

 

 

 演奏が終わり、いつものようにホールを出て、先輩たちを待っていた。

 

『そうだよね。先輩たちは埼玉の代表だもんね。吹奏楽王国の中から勝ち上がってきたんだよね。』

 

 学校名の前に『埼玉県代表』の言葉がついただけで、ここまで重みがあるのか、と思った舞莉。独り言のつもりで言ったのが、カッションに届いていたようだ。

 

「来年、また西関東(ここ)に来られるか分かんねぇし。来られたとしても、会場はここじゃないかもな。」

 

『じゃあ、ちゃんと見ておこう。』

 

 先輩たちが写真の背景としているところは一面ガラスで、木漏れ日が差しこんでいる。

 天井には大きなシャンデリア。その真下には銅像があり、それを囲むようにソファーが置いてある。

 

 十分目に焼きつけたところで、写真撮影が終わった。

 

「これから自由時間だって。閉会式前の休憩でみんなと集まるらしい。」

 

 高良先輩が森本先生からの伝言を、舞莉たちに伝える。

 

「高良、またさっきの場所で、演奏が終わるまで待つ?」

「そうだな。」

 

 

 ソファーに座っているだけで、特に会話はされなかった。いや、先輩たちはスピーカーから流れる、他校の演奏を聞いていたのだろう。

 

 すると、ある学校が沢池萃を演奏するアナウンスが聞こえた。

 

「えっ、沢池萃だって!」

「マジで?」

「うん、今言ってた。」

 

 眠気を覚ますような話である。地区大会で他校と曲が被ることはよくあるが、西関東大会で被るのは珍しい。

 

「よし、よく聞いてよー。」

 

 高橋先輩が立ち上がって、スピーカーの真下に移動した。舞莉も耳を傾けてみた。

 

 カットしているところが、先輩たちより少ない。先輩たちのカットされた『沢池萃』しか聞いてこなかったので、舞莉の知らないフレーズが聞こえてくる。

 

「……うちらの方が上手いよね。」

 

「確かに。」

 

「これ、演奏時間大丈夫か?」

 

 Bの部の演奏時間は8分以内で、それを1秒でも過ぎるとタイムオーバーで失格になってしまう。

 

「これは勝った。」

 

 高良先輩はドヤ顔をして、ソファーに座り直した。

 

 

 休憩に入り、南中は2階席の前の方に固まって座っている。

 

「ここまで来たなら、東日本行きたいよね!」

「それな! しかも、東日本行ったらシード権もらえるんでしょ?」

「来年、地区大 免除、だったよね。」

 

 カッションとしか話す相手がいない舞莉は、先輩同士の会話を盗み聞きしている。

 

 長年、舞莉はこの方法で情報収集をしてきた。

 

『そういう制度もあるんだね。なるほど。』

 1人でうなずいている舞莉だった。

 

 

「大変長らくお待たせいたしました。ただいまより、第22回西関東吹奏楽コンクール、中学校Bの部、閉会式を始めます。」

 

 開始予定時刻より10分過ぎて、ようやく閉会式が始まった。

 

 今日は西関東吹奏楽連盟の会長が話をした。

 

「それでは、審査結果及び表彰に移ります。」

 

 県大会と同じように、各学校の代表生徒がステージに出てきた。

 

 最初の学校から、何と金賞を受賞した。

 

「初っ端から金か!」

 

 高良先輩が小さく叫んだのが聞こえる。

 

 南中学校の前までに、金賞を取ったのは7校。

 

「ちょっと、多くない?」

 

 前にいる先輩が、金賞の学校を数えて困惑している。

 上野先輩が出てきた。

 

「沢戸市立南中学校。」

 

 舞莉も固唾を呑んだ。

 

「ゴールド金賞!」

 

 先輩たちの顔が一気に晴れる。

「「「きゃーっ!」」」

 

 これで、東日本大会への道が少し開けた。

 

 この後、南中学校も含めて4連続で金賞を取った。金賞の学校は30校中11校。これらの学校全てが、東日本大会に行ける訳ではない。

 

「次に、10月9日に行われます、第16回東日本学校吹奏楽大会への推薦団体の発表です。」

 

 ここで、呼ばれなくてはならないのだ。今年は西関東から選ばれし6校が、東日本大会に出場できるらしい。

 

「金賞の中から、半分くらいしか選ばれないのか……。」

 

 流石のカッションにも、狭き門だと分かったのであろう。

 

 南中学校の前までに、4校の名前が呼ばれる。

 金賞の学校は残り4校。推薦枠は残り2つ。確率は2分の1だ。

 

「23番、沢戸市立南中学校。」

 

 呼ばれた。

 東日本大会への切符を掴んだ瞬間だった。

 

 

 学校に戻り、短めの反省会が始まった。

 

「みなさん。何と、西関東大会第1位でした。」

 

 森本先生の言葉に、部員一同凍りつく。

 

「えっ、1金!?」

 

 アルトサックスのソロを吹いた先輩が声を上げる。

 

「おめでとうございます。」

 

 音楽室は拍手で包まれた。

 

「ですが、ここで気を緩めてはいけません。東日本はどんな結果であれ、最後の演奏です。悔いの残らない演奏にしましょう。」

 

「「「はいっ!」」」

 

 時刻は既に夜の9時をまわっている。

 疲れを感じさせない、はっきりとした返事が学校の外まで響いた。

 

 

 舞莉たちは、来月末にある校内の合唱コンクール、通称『水明祭』で演奏する曲の練習にも取りかかっていた。

 

 東日本大会が終わった後なので、3年生が引退している時期だ。よって、司会者も世代交代である。

 

 今のこの時期から、新体制で動いていく準備が着々と進んでいる。

 

 それに並行して、ブラスシンフォニーの2曲も練習しなければいけないので、FメンもCメンに引けを取らないほどの多忙さを極めていた。

 

 

「ムーンライト、Gの前まででよかった……。」

 

 ムーンライト・セレナーデだが、課題曲では珍しく、大幅なカットや他の楽器での代用が効く編曲なのだ。

 

 そこで南中学校は、最初から4分ほどまで演奏し、残りは丸ごとカットすることにした。

 舞莉が苦手なところは4分から後だったので、ホッとしているのである。

 

「午後から沢池萃の合奏だって。」

 

 次期部長候補に上がっている先輩が、集会室のドアから顔を出して言った。

 

 

 そして10月2日、1年生の初舞台である、ブラスシンフォニーコンクールの予選大会の日がやってきた。

 

 今日は舞莉も黒服に黒ズボン、黒の靴下に黒のローファーを履いている。スクールバッグには、コンクール用の楽譜を入れる黒いファイルと、出番がないはずのスティックも入っている。

 

 真夏や残暑には暑かったであろう黒服も、10月に入ってちょうどよくなっている。

 いつもは2つに縛っている髪が、今日は1つに結ばれている。まだ、ポニーテールにするには長さが足りない。

 

 会場である、東京の文京シビックホールに着くと、パーカッションパートだけ別行動を始めた。

 

「楽器の搬入行くよー!」

 

 舞莉にとって、学校の外で楽器を移動させるのは初めてだった。

 

 細川先輩についていくようにして、搬入口へと向かう。楽器を下ろすと、舞台裏にそれらをまとめて置き、そこで楽器やスタンドを組み立てた。

 

 司はティンパニ、菜々美はフォートム、大島先輩はバスドラムのチューニングを始める。トラックの運搬で、少なからずチューニングがズレてしまうのだ。

 

「ねぇ、菜々美ちゃん。もりもってぃーの話だと、演奏までここで待つってことでしょ?」

 

「そうですね。前の学校が演奏している時に、管の人たちが来るんですよね。」

 

「うんうん。ありがと。」

 

 細川先輩は何かと心配性なところがあるので、この会話がなされるのは2回目である。

 

 

 ブラスシンフォニーコンクールは、夏のコンクールでA部門に出ている学校もいるので、森本先生から「この学校は聞いておいた方がいい」と言われたところが2校あった。

 

「ああ、やっぱり上手いなぁ。」

 

 そういう細川先輩だが、吹奏楽1年目の舞莉にはさっぱりだ。舞台裏にいるので、客席で聞いている感覚とは違うのである。

 

 そこに、管楽器の人たちが2列に並んで来た。

 

「こんな学校の後に演奏するなんて、舞莉たちの下手具合が際立っちまうな。」

 

 スティックは楽器置き場のスクールバッグの中だが、舞台裏に来る前に、カッションは舞莉の肩の上に乗り移っている。

 

『演奏前からやめてよ。』

「緊張で指が動かなくなっても知らねぇぞ。」

 

 なんだ。そういうことだったのか。

 客席から拍手が聞こえ、舞莉はティンパニに手をかけた。

 

 

 舞莉が移動しやすいよう、ピアノはパーカッション側に置いてもらった。が、なぜかピアノの椅子は客席側に置いてあり、舞莉は聴衆者に背を向けてピアノを弾く配置になっている。

 

 椅子の位置を確認しながら、ピアノの中を覗いた。

 

『うわ……すごいきれい。』

 

 学校のホコリが被っている、全然手入れがされていないピアノとは、まるで違った。ホールのピアノを弾くことはもうないだろうと、舞莉は目に焼きつけておいた。

 

「次の演奏は、埼玉県沢戸市立南中学校のみなさんです。」

 

 管楽器の人たちが全員座ると、アナウンスが始まった。事前に頼まれて書いた、学校紹介の文が読み上げられる。

 

「私たちの学校は、合唱が盛んであいさつがよくできる学校です。南中学校吹奏楽部は、『心で奏でる』をモットーに掲げ、毎日楽しく活動しています。今回初めてブラスシンフォニーコンクールに参加することになりました。この大きなステージで演奏できることを楽しみに頑張って練習を重ねています。当日は、ステージでの演奏を思いっきり楽しもうと思います。」

 

 舞莉は、『毎日楽しく……って、笑うしかない。』と心の中で思っていた。

 

「自由曲は『沢池萃』です。指揮者は森本清朗。では、埼玉県沢戸市立南中学校による演奏です。お願いいたします。」

 

 舞台の下手側から森本先生が登場し、指揮台の横で、客席側に礼をした。

 

 最初から12小節のソロを吹く、クラリネットの先輩が立ち上がる。

 森本先生の合図で一斉に楽器を構え、舞莉は鍵盤の上に手を置いた。

 

 

 舞莉は、ムーンライト・セレナーデをノーミスで弾ききった。しかし、最後の1音のトランペットが盛大に音を外してしまった。締まりがよくないまま、課題曲は終わってしまった。

 

 舞莉は、出番が終わった楽譜のファイルを小物台に置き、ウィンドチャイムのところに移動した。

 舞莉にとっては暇である、沢池萃が始まった。

 

 

 途中のユーフォニアムのソロは、コンクールと同じくトロンボーンのソロに、チューバのソロは1音吹いてカットした。

 

 『一音入魂』とばかりに、舞莉はウィンドチャイムの鳴らし方や、トライアングルの音色を研究していた。音楽室や集会室では響かないトライアングルも、ホールではよく響いてくれる。

 

 最後のウィンドチャイムを鳴らし、余韻を持たせてしっかり音を切った。

 

『私1人じゃ、カットの位置とかタイミングを把握するだけで精一杯だった。ありがとう、カッション。』

 

 

 全11校の演奏が終わり、30分の休憩を挟んで、審査発表の時間になった。この中から2校が、本選大会に進める。

 

「まずは、第2位からの発表です。」

 

 選ばれたのは、南中学校の前に演奏した学校。先月の西関東大会で、南中学校と同じく、東日本大会への出場が決まっている学校だ。

 

「それでは、第1位の発表です。」

 

 第1位は、南中学校の2つ前に演奏した学校だった。夏のコンクールではAの部に出ている上、全日本の常連校である。今年も全日本に出るらしい。

 

『やっぱり。もりもってぃーが言ってた通り、あの2校だったね。』

 

「別格だったな。多分、3年生も出てる。」

 

『えっ! コンクールあるのに?』

 

「強い学校は、年間で何十公演もしてるらしいぞ。南中(なんちゅう)みたいに、ずっとコンクール曲をやってる訳じゃない。」

 

『そうなんだ……恐ろしい。』

 

 カッションからの情報で、舞莉は納得した。

 そんなところに勝てる訳がない、と。

 

 東京地区からは、そんな強豪2校が本選に勝ち上がった。




【音源】
ムーンライト・セレナーデ→ https://youtu.be/NDUJEOlZcV4

沢池萃〈吹奏楽版〉→ https://youtu.be/hplBjoW4SPQ


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08:新体制

《登場人物紹介》
〇羽後 舞莉(ひばる まいり)……主人公。クラリネットを吹きたくて吹奏楽部に入ったが、パーカッションパートになる。
〇カッション……舞莉に音楽の楽しさを知ってもらうため、パートナーになった。舞莉のスティックに宿る音楽の精霊。
〇高良 祐介(たから ゆうすけ)……3年生。パーカッションパートリーダー。舞莉や大島先輩に些細なことでも怒鳴り散らし、舞莉の心を疲弊させた張本人。
〇細川 志代(ほそかわ しよ)……2年生。パーカッションパート。高良先輩と一緒になって嫌味をぶつけてくる。


 それからちょうど1週間後の10月9日。

 

 舞莉はまた東京に来ていた。と言っても、今度は『府中の森芸術劇場』である。中に入ってすぐに、吹き抜けのまるい広間がお出迎えしていた。舞莉1人では、確実に迷子になる造りである。

 

「どりーむホールは……あっちですね。」

 

 列を先導する森本先生も、少し迷っている様子。

 

「今日で終わりなのか……。長かったんだか、短かったんだか分からないけど。」

 

「ちょっと、まだ演奏してないのに。感傷に浸るの早くない?」

 

 また、舞莉は先輩の会話を盗み聞きしている。

 

『早く引退してくれって思ったこともあったけど、結局、1番長くいたんだね。』

 

「結局な。早ければ8月の始めで終わるけど。」

 

 舞莉のスクールバッグの中で、スティックがぶつかり合う音を立てた。

 

「羽後、またスティック持って来てんのか。」

 

 前を歩いていた大島先輩が振り向いた。

 

「あ、はい。まぁ、お守りみたいなもんなので。」

 

 大島先輩は不思議そうな顔をして、前を向いた。

 

『お守りじゃなくて、パートナーだけど。』

 

 

 舞莉は小学生の時、仲が良いと思っていた友達から仲間はずれにされたり、鬼ごっこの鬼を押しつけられたりと、意地悪を受け続けた。それから他の人にも関わってみたが、どの人とも上手くいかなかった。舞莉は孤立し、下校後に誰かと遊ぶことはしなくなった。いつしか、人の顔色を伺って生活するようになっていたのだ。

 

 そのせいか、舞莉は表情から微妙な感情を読み取れるようになった。今日の先輩たちは、今までとは違かった。

 

『カッション。何か先輩たち、いつものわくわくした感じとか、やる気が感じられないんだけど……。』

 

「そうか? まさか、演奏前から燃えつきてるのか?」

 

 これが演奏に影響してこないといいな、と思う舞莉だった。

 

 

 先輩たちは10番目に演奏する。

 

 9番目の学校の演奏が終わった。すると、前の人が小さな声で話し始めた。

 

「次、埼玉の……沢戸?の南中……聞いたことないね。」

 

「沢戸ってどこにあるんだろう。」

 

 2人の間から見えたパンフレットには、東京都のとある学校に丸がつけてあった。その学校の生徒の保護者なのだろう。

 

「まぁ、他県の人にはマイナーすぎるもんね。」

 

 舞莉はひそめ声で言い、口角を上げた。

 

「10番、西関東代表、沢戸市立南中学校。天野正道 作曲『沢池萃』。指揮、荒城政男。」

 

 3年生のラストステージ。始まりの1音が、ホールに響いた。

 

 

 演奏後の、最後の写真撮影。既に顔を濡らし、目が腫れぼったくなっている先輩もいた。

 

『あのさ、東京の学校の演奏って東日本か、全日本まで行かないと聞けないんだね。』

 

「そういえば……そうだな。同じ関東だけどな。」

 

『……先輩たちの演奏、終わったね。』

 

「急に何だよ。お前にとっては、この日を待ちわびてたんじゃねぇの?」

 

 肩に乗るカッションは、舞莉の頬をつんつんした。

 

『待ちわびてはいたよ。先輩からのいじめが減るから。でも、何か寂しいような感じもして。』

 

「ふーん、変な奴。」

 

 そうは言っても、最近は高良先輩からのいじめは減っている。コンクールや受験で、それどころではないのかもしれない。

 

 

「ただいまより、第16回東日本学校吹奏楽大会、中学校部門、前半の部、閉会式を開会いたします。」

 

 東日本大会は、前半の15校の演奏が終わった時点で、結果発表を行うらしい。

 

 3年生の先輩たちは、今までのような、緊張した素振りではなかった。むしろ、リラックスしているようにも見える。

 

 今日は、東京都吹奏楽連盟の会長のお話である。

 

「まずは、素晴らしい演奏ありがとうございました。中学生は、このコンクールが終わったら引退、という学校が多いのではないかと思います。3年生、今日までお疲れ様でした。拍手。」

 

 どりーむホールが拍手の音に包まれる。

 

「この後、審査結果の発表があり、金・銀・銅と順位づけされてしまいますが、今日この東日本大会まで勝ち上がってきたこと自体が、とても素晴らしいことです。誇ってください。」

 

 いつもは頭に入らない話も、3年生の最後のコンクールだと思うと、スルスル入ってくる。

 

「ぜひ、高校でも吹奏楽を続けて、高等学校部門でまた戻ってきてください。」

 

 この中で、高校でも続ける人ってどれくらいいるんだろう。全員ではないと思うけど。

 

「次に、結果発表及び表彰を行います。」

 

 こうやって賞をもらえるのも、3年生にとっては最後だもんね。

 

「西関東代表、沢戸市立南中学校。」

 

 同じ西関東の、あの学校でさえ銀賞だった。先輩たちは、もう分かっている様子だった。

 

「銅賞。」

 

 上野先輩が賞状をもらい、こちらを向いて一礼した。目が悪いのと遠すぎることもあり、表情までは伺えない。

 

 先輩たちの演奏は、東日本銅賞だった。

 

 

 帰りのバスは、お弁当を食べているにも関わらず、静まり返っていた。Fメンと副顧問しか乗っていないバスだが。

 

「結果もそうだし、今日で引退する先輩のこと、考えてるんだろ。」

 

『ふんっ、他の人は先輩との思い出があるもんねっ!』

 

 舞莉は嫌味ったらしく心で叫び、ご飯の塊を飲みこんだ。喉に詰まって、慌てて水筒のお茶を飲む。

 

 

 学校に着いて、楽器を片づけ、しんとした反省会が始まった。

 

 各パートのリーダーから、自分の後輩に向けての言葉が述べられた。何人かは嗚咽で言葉が詰まってしまった。

 

 高良先輩は、特に他愛のない言葉だったが。

 

「今日の演奏、最後だからってちょっと気が抜けちゃったかな。でも、ここまでよく頑張った。」

 

 外部指導でコンクールの指揮をしてきた荒城先生が、Cメンに向けて言った。

 

「確か、今度の水明祭で沢池萃やるんだよね? 週に何回かは集まって合奏することになると思うけど。じゃあ、これからは受験勉強頑張ってください。」

「「「はいっ!」」」

 

 昨日までの返事とは、また違うものだった。

 

 その後、副顧問の高橋先生からも言葉をもらい、最後に森本先生が総括して、言葉を送った。

 

「起立!」

 

 上野先輩が、涙声で最後の号令をかける。

 

「ありがとうございました!」

「「「ありがとうございました!」」」

 

 次の瞬間、上野先輩は泣き崩れて、また椅子に座った。

 

 

 先輩・後輩同士で余韻に浸る中、舞莉は1人、さっさと音楽室から抜け出した。

 

「おい、とりあえず挨拶くらいはした方がよかったんじゃねえのか?」

 

 階段を急ぎめで降りる舞莉に、カッションは尋ねる。

 

『いいよ。私がいない方が高良先輩、かわいい菜々美との別れを惜しめるでしょ。』

 

「……否定はできない。」

 

 早く自分の部屋でカッションと話したいので、舞莉は急ぎ足で帰路に着いた。

 

 

 舞莉は、スクールバッグをベッドに放り投げた。

 

「あーーーー、終わったぁぁぁぁああ!」

 

 制服のまま、舞莉はうつ伏せでベッドにダイブした。しばらく突っ伏して「着替えよ。」と言ってベッドから降りた。

 

「おーい、まだかー?」

 

 カッションは舞莉の着替えが終わるまで、スクールバッグの中で待機である。

 

 着替え終わり、バッグのファスナーを開けると、カッションが人間姿で現れた。今月から着始めた冬服を、早速着崩している。

 

「って、ジャージかよ。」

 

「だって、この方が楽だし。」

 

 自分の部屋なので、心の声ではなく、声を発している。

 

 ジト目で探るようにうなずくカッションは、一瞬で舞莉と同じジャージに着替えた。初対面の時の精霊服ではない。

 

「明日から、あの顔を見なくて済む。まだ嫌がらせは続くと思うけど、1人いなくなってくれてマシになるかな。」

 

 舞莉はベッドに座った。

 

「そうなるといいけどな。」

 

 カッションもあの時のように、舞莉の隣に座った。

 

「今振り返ってみると、色んなこと言われたよな。そもそも舞莉だけ、ちゃんと呼んでもらえなかったし。今日も。」

 

「そうだよ、結局ね! 最初は『羽後さん』だったけど、なぜか『君』になってたし。挙句の果てには顎クイ。私の名前は『君』じゃないんですけど!」

 

 舞莉の拳がマットレスの上に落ち、ボフッと音を立てる。

 

「……なぁ舞莉、あいつが引退するしか、本当に方法はなかったのか? 俺がいた意味あったのか?俺は――」

 

「カッション。」

 

 舞莉は目を伏せるカッションに呼びかける。

 

「確かに『私へのいじめをなくす』っていう意味では、引退するまで解決しなかった。でもね、私はカッションがいたおかげで、色んなことができるようになったよ。」

 

「舞莉……。」

 

 舞莉に目を合わせるカッション。

 

「カッションが来るまでは、そもそも練習させてくれなかったんだから。まぁ、カッションに教えてもらったのに、パート練の基礎打ちの時にやり直しをされることもあったけど。今から思えば、あれは私への嫌がらせ。」

 

 カッションの指導の前は、やり直しの理由が『ズレていたから』だったが、指導後はただ『ダメだから』に変わっていたのだ。

 

「くわ先輩からもらった手紙、『いつも練習をまじめにやっている』って書いてあったでしょ? もしそうじゃなければ、お世辞でもあんなことは書かない。くわ先輩はちゃんと見てくれてたよ。」

 

 カッションに少し笑顔が戻る。

 

「それに、土日練の朝のトイレ掃除の時に、あかりん先輩がクラの先輩に『舞莉ちゃん、どう?』って聞かれてた時は、『すごくいい子だよ。真面目だし、一生懸命だし、かわいいよ。』って言ってた。私が見てる前だからって思うかもしれないけど、言ってる目は嘘じゃなかった。」

 

「ああ、舞莉が言うならそうなんだろ。」

 

 この数ヶ月間で、舞莉が顔から感情を読み取り、当たってきたことは何回もあった。今日もそのうちの1回だ。

 

「カッションがいなければ、練習を真面目に頑張れなかったかもしれない。体調崩して部活に行けなかったかもしれない。精神面でもだいぶ支えてくれたよ。ありがとう。」

 

 舞莉はカッションに抱きついた。

 

「だから……もう自分を責めないで。カッションがいなければ、今の私にはなれなかったから。」

 

 カッションは舞莉の背中に手を回す。

 

「俺も……舞莉の頑張ってる姿や、今みたいな言葉に救われた。ありがとな。」

 

 そう言う舞莉だったが、この頃から、カッションにも言えない悩み事を持ち始めていた。

 

 

 3年生が引退し、吹奏楽部は1年生が24人、2年生が17人の、計41人になった。2年生が3人減ったのは、部活をサボって遊びに行っていたことが発覚し、吹奏楽部を辞めたから――というウワサである。

 

 新部長は、トロンボーンの板倉(いたくら)聖子(せいこ)先輩。部長候補として上がっていた人だ。

 副部長は、フルートの菊間(きくま)美和(みわ)先輩と、トランペットの佐和田(さわだ)音葉(おとは)先輩になった。

 

 新体制の南中学校吹奏楽部がスタートした。

 

 

「曲順決まったから、メモっておいて。」

 

 水明祭まであと2週間と少し。

 

「行くよ、1番『沢池萃』。2番『トリプルあいす』。3番『FLASH』。4番『キセキ』。5番『学園天国』。で、アンコールが『ユーロビート』。」

 

 舞莉はドラムこそできない(本当はできるが、できることを公言していないので、他の人は知らない)ものの、他の楽器を思う存分に演奏できることを楽しみにしていた。

 

 そして、パーカッションパートに代々伝わる『ユーロビート』の振りつけも、大島先輩から教えてもらった。それがかなりハードなのだが、見る人の目を一瞬で引きつけてくれるのだ。

 

「パーカス以外の1年生は、FLASHを吹き終わったら、舞台の下で手拍子ね。ユーロビートで戻ってきてください。」

「「「はい!」」」

 

 1年生は、まだ全ての曲を吹きこなせないと判断したからだ。よって、キセキと学園天国は、2年生+3人で演奏することになっている。

 

 舞莉が演奏するのは、FLASH以降の4曲。

 

 FLASHはタンバリン、ウィンドチャイム、バスドラム。

 キセキはウィンドチャイム、クラベス、タンバリン。

 学園天国はチャイム(ヴィブラフォンで代用)とグロッケン。

 そして、ユーロビートはマリンバ(シロフォンで代用)である。

 

 特にキセキの忙しさときたら、もうやりがいしかない。細川先輩はドラム、大島先輩と司は寸劇の準備、菜々美はダンスの準備なので、小楽器をするのは舞莉しかいない。

 

「やっとパーカスらしいことができるぜ。」

 

 カッションもご満悦の様子だ。

 

 

 10月26日、水明祭の日を迎えた。

 

 午前は吹奏楽部の発表、少年の主張大会、英語弁論発表がある。昼食休憩を挟み、午後は合唱コンクールとなっている。

 

 午前の発表に出る人、生徒会、美術部は、前日にリハーサルや会場の準備に追われた。

 

 今、舞莉がいるのは、沢戸市文化会館の舞台裏。

 緞帳は降りていて、ステージには制服 (ジャケットはなし)を来たCメンと、指揮の荒城先生がいる。

 

「それでは、吹奏楽部の発表です。吹奏楽部は、今月の9日に行われた、東日本学校吹奏楽大会に出場し、銅賞を獲得しました。1曲目には、そこで演奏した『沢池萃』を披露してくださいます。それでは、どうぞ!」

 

 生徒会によるアナウンスが終わると、緞帳が上がっていき、3年生にとって"本当の"ラストステージが始まった。

 

「毎日は練習してないから、東日本みたいな演奏はできないと思うけど。」

 

 そう言って、さっきステージに向かった、クラの山下先輩。

 

「まさか、コンクール終わってから沢池萃吹くとはね。」

 

「引退したんだから、受験に集中したいのに……。」

 

 水明祭での演奏に消極的な3年生もいた。それでも了承してくれた。

 

 コンクールの大きなホールで聴く沢池萃もいいけど、地元のホールで聴くのもいいな、と思う舞莉だった。

 

 沢池萃の演奏が終わり、ステージが暗くなった。

 これから1・2年生のみで演奏するために、椅子の数を調節したり、パーカッションの楽器たちを移動したりする。

 

 客席の後ろの方で、明石先輩たち3人が『トリプルあいす』を吹いている間に終わらせなければいけない。

 

 昨日のリハーサル通りの手順で楽器を移動し、ドラムやグロッケン、シロフォン、小楽器を持ってきた。

 

「みんな入ってー。」

 

 椅子の準備が終わり、1・2年生の管楽器の人たちがステージに出てきた。

 

 トリプルあいすの演奏が終わり、拍手の中でステージが明るくなった。

 

 新司会者の2人がステージの上手側に立った。

 司会の個性的な自己紹介が終わり、フルートの司会の先輩が曲紹介をする。

 

「次の曲は、PerfumeのFLASHです。大人っぽい2人のダンスにも、ぜひご注目ください。それでは、どうぞ!」

 

 ドラムの菜々美がカウントを出し、FLASHが始まった。

 自分が演奏しない時は、頭の上で手拍子をし、作り笑顔をする。

 

「パーカスは常に笑顔でね!」

 

 細川先輩がそう言っていたのを思い出した。その細川先輩は、楽譜以外のところも即興で、メロディーをグロッケンで飾っている。

 

 最後の方に、ドラムのリズムが崩れて、菜々美が叩くのを止めたところもあったが、何とか演奏が終わった。

 

 他のパートの1年生は、楽器を椅子や床に置き、客席を囲むようにして、片膝を立てて座った。

 

 大島先輩と司が舞台裏へと消えた。

 

「次の曲は、GReeeeNのキセキです。」

 

 舞莉はクラベスとタンバリンを、すぐ取れる位置に置いた。

 

 曲の1番が終わるくらいまで、菜々美がトライアングルをやってくれるが、抜けてしまえば小楽器の担当は1人である。それでは少なすぎるので、舞莉は助っ人を頼んでいた。

 

「途中から、グロッケンとトライアングル同時にやるとか、無茶言うよな。」

 

 部活Tシャツを着たカッションは、舞莉の隣で浮遊している。精霊の力を解放すると、浮遊するカッション。その力は、『楽器を使わなくても演奏でき、同時にいくつもの楽器を演奏できる上、その音を出すところを自在に操れる』というものだ。

 

「まぁ、力を使う時が来たからには、楽しませてもらうぞ!」

 

 そんな力があることを、つい1週間前まで知らなかった舞莉。

 

 演奏が始まると、ヴィブラフォンの前に座る明石先輩が後ろを見た。誰も叩いていないはずのところから音が出ているからだ。

 

 今度は勝手にグロッケンの音が響く。

 全てカッションの仕業である。

 

 大サビに入る直前で、演奏を止める。制服を着た司と、茶髪のロングパーマのウイッグと女子の制服を着た大島先輩が、ステージと客席の間の段差に座った。

 

 テナーサックスの先輩が、ピアノでキセキを弾き始める。寸劇が始まった。

 

「この曲って、GReeeeNのキセキだよね。」

 

 マイクを持った司が、大島先輩(女)に尋ねる。

 

「そうだね。」

 

 大島先輩(女)はうなずく。

 

「俺、この曲好きなんだ。特に『♪いつまでも君の横で〜 笑っていたくて〜』のところがいいんだ。」

 

「そうなんだぁ。」

 

 すると、司は大島先輩(女)に向き直り、一言。

 

「和樹、お前のことが好きだ。」

 

 客席の色々なところから、女子たちの黄色い声援が聞こえた。

 2人は抱き合い、キスを(するしぐさを)した。

 黄色い声援は止まらない。

 

「一緒に歌って帰ろうよ。」

 

 大島先輩(女)が言ったあと、大サビから演奏が再開した。2人は上手側に、手を繋ぎながら歩いていった。

 舞莉は、少しニヤけた顔でタンバリンを叩きながら、彼らを見送った。

 

 最後の1音をフェルマータで伸ばしているところに溶けこむように、舞莉はウィンドチャイムを鳴らした。

 

 細川先輩は、ドラムのタムを1つずつ素早く叩き、その合図で管楽器の音はピタッと止んだ。

 

「これで最後の曲となってしまいました。最後の曲は、誰もが一度は聞いたことがある名曲、学園天国です。」

 学園天国といったら「ヘーイ、ヘイヘイ、ヘーイヘーイ」のかけ声を、誰もが思い浮かべることだろう。

 

「曲中で私たちが、『ヘーイ、ヘイヘイ、ヘーイヘーイ』と言ったら、『ヘーイ、ヘイヘイ、ヘーイヘーイ』と元気よく返してくださいね。それでは練習してみましょう。せーの!」

 

 舞莉たち吹奏楽部員は、「「「ヘーイ、ヘイヘイ、ヘーイヘーイ!」」」と言うと、客席の方からも同じように返ってきた。

 

「まだまだ声が小さいですねー。もう一度やってみましょう!」

 

 このセリフも、もちろんシナリオ通り。元からやり直しさせる体である。

 

「せーの!」

 

「「「ヘーイ、ヘイヘイ、ヘーイヘーイ!」」」

「「「ヘーイ、ヘイヘイ、ヘーイヘーイ!」」」

 

「いいですね! 曲中でもぜひお願いします。特に、サッカー部と野球部の人は、大きな声を出してくれることでしょう! それではどうぞ。」

 

 舞莉はマレットを持ち、カッションは再び浮遊する。大島先輩と司が帰ってくるまで、タンバリンをカッションにやってもらうのだ。

 

 曲が始まると、最初は休みのトランペットの先輩が、こちらを向いた。またしても、やっているはずのないタンバリンの音が聞こえるからである。

 

 跳ねるリズムが難しく苦戦したグロッケンを、今は克服して、もはや余裕すら感じさせる舞莉。セグレートでの練習の成果と、カッションのおかげである。

 

 曲の最後は、アルトサックスのソロで締まった。

 

「ありがとうございました!」

 

 部長の板倉先輩に続いて、ホールに「「「ありがとうございました!」」」の声が響いた。

 

「アンコール、アンコール!」

 いつの間にか客席にいる3年生の先輩が、アンコールの先陣を切った。

 

 アンコールのユーロビートの時にしていたスカーフは、昨年までの顧問の持ち物だったらしく、夏祭りの演奏のあとにお返ししている。

 その代わりに、今度はディズニーのキャラクターの、カチューシャや帽子をすることにした。

 

 舞莉は、フリルのついた赤の水玉リボンに、ピアスのようなものがついている、ミニーのカチューシャをつけた。

 

「アンコール、ありがとうございます。最後にお送りするのは、先輩方から代々受け継がれてきた、南中吹奏楽部のテーマソングです。」

 

 このセリフも、変わらず受け継いだ。

 

「南吹パワー全開でー!」

「「「ユーロビート!」」」

 

 この『ユーロビート・ディズニー・メドレー』は、伴奏の裏打ちが特徴的な曲である。舞莉が演奏しているシロフォンも、ほとんど裏打ちである。踊りながらでは叩くところがズレやすい。

 

 言ってしまえば、今日演奏した曲の中で1番難しいかもしれない。

 

 細川先輩のドラムをよく聞いて、ズレないよう、必死に食らいついた。

 

 ユーロビートを叩ききった。細川先輩がスティック同士を叩き、その合図で、最後のポーズから気をつけに戻る。

 

 ホールいっぱいに拍手が響く。

 

「これからも、南中吹奏楽部をよろしくお願いします!」

「「「お願いします!」」」

 

 

「使っていないはずの楽器の音が聞こえた。」

 

 さっきからその話しかしていない、そこの吹部の連中を横目に、舞莉は1人で――カッションもいるが――弁当を食べた。

 

 

 水明祭が終わり、先輩たちはここのホールで、アンサンブルコンテストの練習をした。それが終わるのを待ってから、トラックに楽器を積みこんだ。

 

「羽後さん、遅い! もっと早く動いて!」

「あー、もう! 何で梱包の仕方も分からないの!」

 

 高良先輩が引退してもなお、細川先輩との関係は悪いままだった。予想通りではあるが。

 

「梱包までは教えられねぇよ。学校によってやり方が違うから。それと違う梱包をしたら、また怒られるだけだろ。」

 と、カッション。

 

『細川先輩はいちいち言ってくるから、いちいちグサグサ刺さる……。教えてくれって言っても教えてくれないのに。』

 

 舞莉は、これまでよりこれからの方がきついのではないかと、恐れを感じた。




【音源】
沢池萃〈吹奏楽版〉→ https://youtu.be/hplBjoW4SPQ

トリプルあいす→ https://youtu.be/HvU1bA8g2ws

FLASH→ https://youtu.be/kdJFhnVUous

キセキ→ https://youtu.be/Xe_apH3zXy8

学園天国→ https://youtu.be/m5gCqGPvKEA

ユーロビート・ディズニー・メドレー→ https://youtu.be/jPaktZbnrVY


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09:危機

 やっぱり無理だ。

 

 反省会が終わると、舞莉はそそくさと準備室のドアを開け、中を突っ切って廊下に出る。

 

 水明祭の発表は楽しかったが、部活になると話は違う。

 

 高良先輩が作り上げたパートの空気は、彼がいなくなってもなお、色濃く残っている。菜々美への過度なひいき、舞莉と大島先輩へのいじめ。それが生み出した実力差や権力差。

 

 1年の舞莉と3年の高良先輩は、まだ関わる範囲が狭かったからよかったのだが、2年の細川先輩とは、ブラスシンフォニーの時からよく関わるようになった。

 

 無視されたり、パート練習でいびられたりはあったものの、コンクールで忙しくなると、高良先輩の暴言は減った。しかし細川先輩は、舞莉のちょっとした行動が少しでも目に障ると、徹底的に虐げるのだ。

 

「そう……やっぱり高良が引退しても、細川がいるから変わらないってことか。それで少しでも状況が変わるなら、親として飲みこもう。」

 

 両親からの許可は出ている。

 明日、もりもってぃーに相談してみよう。

 

 カッション……ごめんね。

 

 

 次の日、舞莉は部活が終わると、森本先生に声をかけた。

 

「あの……急なんですが、私、パートを移動したいんです。」

「えっ!?」

 

 驚くのも無理はないだろう。

 

「うーん、そういう話は荒城先生にしてくれるかな。荒城先生の方が把握してるから。」

 

 すぐそこに、指揮者用の椅子に座る荒城先生がいる。

 

「何ですか、森本先生。」

 

 自分の名前に反応し、荒城先生はこちらを振り返った。

 

「羽後さんがパートを移動したいって。」

 

「そうなのか。せっかく半年やったのに?」

 

 荒城先生は立ち上がって、舞莉と森本先生のところまで歩いてきた。

 

「はい……。ずっと高良先輩からいじめられて、この間引退したから収まると思ったんですけど、一緒になって言ってた細川先輩が、まだ止めてくれなくて。」

 

 荒城先生はうなずいてくれた。この反応からして、舞莉がいじめられていたことを知っているようだ。

 

「なるほどね。それで、どこに移動したいの?」

「サックスがいいかなって思うんですけど……。」

「サックスか!」

 

 意外なのか、荒城先生は目を見張り、腕を組む。

 

「そうだなぁ……。アルト・テナー・バリトンの希望はある?」

 

「移動できるなら、どれでも。」

 

 舞莉は予想していた。聞いた話によると、1年生のサックスは、この時期にバリサクになる人を決めるらしい。アルト2人とテナー1人の中から、1人選ぶという。

 

 まだそれをしていないのであれば、バリトンサックスが空いている。よって、バリトンサックスになるのではないかと。

 

「これからオーディションで決めようかと思ってたんだけど、バリサクならこっちとしても都合がいいかな。」

 

 予想通り。的中。

 

「今移動するとなると、1月の新人戦には間に合わないと思うから、新人戦はパーカス……まぁ、ピアノで出てもらうよ。それでもいいね?」

「はい。」

 

 これも案の定である。

 

 新人戦のピアノというのは、ブラスシンフォニーでピアノをした舞莉に、何となくの空気で、新人戦もピアノを任されたものだ。

 

 舞莉なしのパーカス4人では、絶対人手不足の曲なのに。

 

「森本先生、明日にでもサックスパートに 、今の旨を。」

「分かりました。」

 

 

 その夜、舞莉はセグレートでカッションと話をした。自分の部屋よりセグレートでの方が、近所迷惑を気にせずに語り合えるからだ。

 

 いつもの場所に座る。

 

「カッション。実はさ、サックスに行きたいなって思ってて。」

 

「えっ……。」

 

 カッションの表情を読み取った舞莉の心は、罪悪感でしかなかった。

 

「ごめんなさい。恩を仇で返してしまって。色々教えてもらったのに。あれだけ助けてもらったのに。」

 

 頭を下げる舞莉を見ながら、カッションは下を向いて、しばらく黙っていた。

 

 カッションが口を開いた。

「お前の人生だ。好きにしろ。」

 

「カッション……。」

 

 すると、カッションのズボンにいくつかシミができた。

 

「俺は……お前を助けられなかった……。実力を上げれば……何も言ってこなくなると思ってた……。そう簡単じゃなかった……。」

 

 カッションのむせび泣く声が、自分の心臓を締めつける。

 

「俺に気を使って……つらくないふりをしてたんだな……。そんなのも見抜けなかった俺は……パートナー失格だ……。」

 

 舞莉は返す言葉が見つからなかった。ただ、ごめんなさいと謝るしかなかった。

 

「半年前に出会って……人間と精霊っていう関係で……パートナーになったけど……、今は違うんだ。」

「えっ?」

 

 袖で涙を拭ったカッションは、舞莉の目をしっかりと見た。

 

「一緒に過ごすうちに、お前のいいところにも悪いところにも、惹かれるようになった。これが『好き』ってことなのかもな。」

「!」

 

 舞莉はゆっくりとカッションを抱きしめ、「……ありがと。」と、耳もとで言った。

 カッションの耳が赤くなる。

 

「気持ちだけ受け取っておくね。ここで『私も』って言っちゃうと、あとでつらくなるから。」

 

 舞莉の肩をカッションの涙が濡らす。

 

「カッションの役目は『音楽の楽しさを知ってもらうこと』でしょ? 十分に役目、果たしたと思うよ。部活はつらかったけど、演奏は楽しかった。パーカスの醍醐味も分かったし。」

「いや。」

 

 カッションは首を振り、舞莉の腕を解かせた。

 

「部活では一切やってなかったドラムを、みんなの前でやってほしかった。自分のドラムに他の人がついてきてくれる、あの感覚を味わってもらいたかった。」

 

「結局カッションの願望じゃん。」

「そうだな。」

 

 2人に笑顔が戻る。

 

「カッション、サックスに行ってもいい?」

「さっき言った。好きにしろ。」

 

 同じセリフでも、カッションの表情は違う。ためらいがなかった。舞莉の気持ちをしっかり掴んでくれた。受け入れてくれた。

 

 それがかえって、舞莉の心情を複雑にさせる。心から了承してくれたと分かっていながら。

 

 

「舞莉、サックス来るの?」

 

 次の日の反省会が終わった後、舞莉はアルトサックスの奥谷(おくたに)遥奈(はるな)に声をかけられた。

 

「うん。」

 

「打楽器から管楽器って大変だと思うけど、一緒に頑張ろうね!」

 

「ありがとう。よろしくね。」

 

 舞莉はホッとした。

「何で来るの?」と、奥谷がこちらの事情を聞いてこなかったのは、せめてもの救いである。こいつならそういうことは言いかねないと、身構えていたからだ。

 

 パーカスの人たちにも、移動することを伝えた。

 

 菜々美は「えー、1年で女1人?」と、冗談めかして言った。だが、菜々美は舞莉にだけ「吹部辞めよっかなぁ。」とは言っている。

 

 大島先輩は名残惜しそうにし、司は「ふぅん。そっか。」と、興味がなさそうだ。

 

 細川先輩はというと……そもそも部活に来ていない。なぜか休みがちなのだ。アンサンブルコンテストに出るにもかかわらず。

 

 

 一昨日に舞莉が話を持ち出し、昨日はサックスの人たちに、今日はパーカスに報告したところで、明日いきなり移れるわけではないらしい。

 

 なぜって……それは先輩たちのアンサンブルコンテスト(アンコン)があるからだ。

 

 南中からは2チームがアンコンに出場する。

 

 1つ目のチームは、管打楽器8重奏で、曲は『沢池萃』。コンクールで演奏したもののアンサンブルバージョンである。いや、こっちの方が原曲で、コンクールで演奏した方は『吹奏楽版』なのだが。

 

 2つ目のチームは、水明祭でも披露した木管3重奏の、『トリプルあいす』である。

 

『沢池萃』には、アルトサックスの持ち替えで、バリトンサックスを吹くところがある。そこで、唯一1本余っているバリサクを使うのだ。

 

「まぁ、アンコンでバリサク使われちゃうので、終わるまではしばらくいますけどね。」

 

 寂しい目をしていた大島先輩は、安心している様子だ。先月買ったという先輩の黒いメガネ越しに、舞莉の今月買ったばかりの赤いメガネを通して、舞莉は大島先輩の表情をうかがっていた。

 

 

 とはいえ、ずっとバリサクを使うわけではないので、使っていないときには舞莉に吹かせてくれた。

 

「舞莉ちゃん、これからよろしくね。まぁ、名前は知ってるよね。」

 

 舞莉の直接の先輩になった、バリサク吹きの古崎(ふるさき)美紀(みき)先輩だ。幼稚園が一緒にだったので、お互い吹部に入る前からの知り合いだった。

 

「はい。古崎先輩、よろしくお願いします。」

 

 長身で、静かな雰囲気の先輩。アルトの先輩とテナーの先輩が元気な人なので、彼女でパートの雰囲気を程よく保っているという印象である。

 

「仮入部とかでやったから覚えてるかな? リード1枚あげるから、これを湿らせて、リガチャーでマッピとリードを留めて。」

 

 古崎先輩は、自分のリードを外し、手順を説明しながら、また組み立てた。

 

「リードの位置は、マッピの先が少し見えるくらい。髪の毛1本分だって先輩は言ってたけど。」

 

「か、髪の毛……。」

 

 舞莉は先輩のお手本を見ながら、リードの位置を調節した。

 

「リガチャーの位置は……なるほど、ここかな。リガチャーってどれくらい締めればいいんですか?」

 

「どれくらい……うーん、そんなにギュッとはしなくていいかな。やりすぎるとリードが痛むし。」

 

 ここまでして、やっとマッピでの音出しができるのだ。

 

 こんな細かいことやってたんだ……。

 

「じゃあ、音出ししてみようか。」

 

 うなずいた舞莉は、マッピを咥えた。

 デカい。やっぱりデカい。

 

 こんなに大きなマッピは初めてなのだ。楽器体験で吹いたのは、小さなものから順に、クラリネット、アルトサックス、テナーサックス。バリトンサックスはテナーサックスより大きい。

 

 半年前の感覚を呼び起こし、舞莉は息を吹きこんだ。

 

 クラのような『ピィーッ』という高い音とは違い、角の取れた音色である。

 こんな音なんだ……。

 

「おっ、1発で音出たね!何回か続けてやってみて。」

 

 多少音が上下したが、ハッキリと出すことができたので、マッピをネックという部分に差しこんだ。

 

「これで吹いてみて。」

 

 舞莉はネックを持って吹いてみた。さっきのマッピだけの音とは違い、まろやかで優しい音色になった。

 

「うん、大丈夫そうだね。そしたら本体でやっちゃおうか。」

 

 ネックを本体に差しこんで、ネジを留め、舞莉の前に差し出した。

 

「私が楽器持ってるから、舞莉ちゃん、ストラップにつけてくれる?」

 

 サックスは真鍮 (ブラス)という金属でできているため、重いのだ。そこで、首にかけて楽器を支える、ストラップというものがある。

 

 円いリングに、ストラップのフックを引っかける。

 

「よし、こことここに手を添えて。離すよ。」

 

 古崎先輩は、ゆっくりと手を離した。

 

 ズシッ

「おお……重い。」

 

 ちなみに、バリトンサックスはおよそ6キロある。

 

「でしょ? 肩こるんだよね。」

 

 最初は、サックスでいう『高いソ』の音を出してみる。

 

「これがチューニングB♭(べー)だから、チューニングの時には、この音を出してね。」

 

 バリサクの『ソ』って、ピアノでいう『シ♭』の音なんだ。

 

 パーカッションの鍵盤楽器はピアノと同じC管(ドの運指で音を出すと『ド』の音が出る)だが、アルトサックスとバリトンサックスはE♭(エス)管(ドの運指で音を出すと、実際には『ミ♭』の音が出る)で移調楽器。

 

 舞莉はC管でドイツ音名を覚えているので、E♭管バージョンで覚え直さなければいけない。

 

「後で吹部ノートに、これをメモしておいて。」

 

 渡されたのは、『B♭、C、D、E♭F、G、A、B♭』、その下に『べー、ツェー、デー、エス、エフ、ゲー、アー、べー』、その下に『ソ、ラ、シ、ド、ミ、ファ#、ソ、ラ』、その下に運指が書いてある紙だった。

 

 舞莉は『ソラシドレミファソ』の音階をゆっくり吹いてみた。リコーダーとほとんど運指が同じなので、クラみたいに、どこを押さえるかで混乱はしなかった。

 

 低いソを、少し音が裏返りつつ出し、ラシドレミファソと、続いて吹いてみる。

 

「はぁ……。」

 

 久しぶりの管楽器なので、息が続かない。

 

「舞莉ちゃん、すごい。もうソから高いソまで吹けちゃった。」

 

 舞莉の初めてのバリトンサックスは、こんな感じで終わった。

 

 

 その後も、週に3回くらいは楽器が空くので、自主的に練習していた。

 一時的に、舞莉はパーカスとバリサクを掛け持ちすることになったのだ。

 

 この時の舞莉は思ってもいなかっただろう。毎日、掃除三昧になるなることを。

 

 

 11月も半ばに入った頃、今日はバリサクが空いておらず、パーカスの方で鍵盤楽器の練習をしていた。半音階や全調スケールを、合奏の時のテンポより速くして、正確に叩く練習だ。

 

 ヴィブラフォンを叩いていると、板倉先輩が息を切らして音楽室の中に駆けこんできた。

 

「みんな! 練習止めて!」

 

 板倉先輩の慌てように、舞莉はただことではないことを悟った。

 

「聖子、何があったの?」

 

 昨日は来ていなかった細川先輩が尋ねる。

 

「分かんない。とりあえず練習はしないで!」

 

 そう言うと、板倉先輩はすぐに音楽室を出ていった。

 

 舞莉たちはお互い顔を見合わせる。

 何やら、廊下の方から騒がしい声が聞こえる。

 舞莉はマレットを小物台に置き、音楽室のドアを少し開ける。

 

「何をしてくれたんだ!」

 

 同じ階の理科室の方から、怒鳴り声が聞こえた。 

 

「あぁ、これはまずいな。誰かやらかした。」

 カッションがため息混じりでつぶやいた。

 

 すると、他のパートの人たちが続々と音楽室に入ってきた。

 舞莉は急いでさっきの位置に戻る。

 

「何かやらかして、怒られてる感じだな。」

 

 ドアを開けた時にそっちまで聞こえたのだろう。大島先輩もカッションと同じ考えのようだ。

 音楽室は何事かとザワザワしている。

 

 サックスパートと低音パートの人だけ、戻ってきていない。

 

『サックスは第1理科室、低音は第2理科室だよね。』

 

「そうだな。もしかして、そいつらが?」

 

『たぶん……。』

 

 舞莉は床に体育座りをし、心のざわめきを感じつつ、時が過ぎるのを待った。

 

 

 しばらくして、残りの2パートの人たちが音楽室に入ってきた。目をふせ、表情は完全に暗かった。しかし、一部の人がいない。

 

「あれ、奥谷と彩花(あやか)竹之下(たけのした)先輩が来ない。」

 

 舞莉は空席になっているところを見てつぶやく。

 森本先生が早足で音楽室に入ってきた。

 

「先生、何があったんですか!」

 

 板倉先輩がそこに駆け寄る。

 

「後で他の先生方からみんなに話します。静かにして待ってください。」

「はい……。」

 

 板倉先輩は振り向き、「みんな静かに!」と手を叩いた。一瞬で静まり返る音楽室。

 

 そして、理科の尾越(おこし)先生と小崎(おざき)先生が、残りの3人を連れて音楽室に来た。

 

「いいか、こいつらは、部活の貴重な練習時間に、勝手に先生の机の扉を開け、アンモニアと塩酸とBTB溶液を混ぜて遊んでいた!」

 

 勝手に……薬品を!?

 

 ここでざわついてはいけないことを、部員たちは知っている。特に強面の尾越先生の前では。

 

「アンモニアと塩酸は……習ったよな?どれだけ危険なものなのか!」

 

 静かにうなずく部員たち。

 巨体から発せられるずぶとい声は、音楽室に嫌という程響いている。

 

「お前ら、分かってるよな。俺の授業を受けていれば。」

 

 授業中、先生に当てられて正解できなかったら、連帯責任でクラスみんなでスクワット。実験中にミスをしたら、その班は連帯責任でスクワット。何でも連帯責任をさせる先生である。

 

 もしかして……。

 

「これから吹奏楽部は、連帯責任で無期限 部活動禁止だ! その代わり、部活の時間は奉仕作業をすること。分かったか!」

 

 罵声に圧倒されて、言葉が出ない。

 

「おい、この部は返事もできねぇのか!?」

「「「はいっ!!」」」

 

 舞莉は冷や汗をかき、心臓をバクバクさせ、固唾を飲んだ。

 

「この後の行い次第では、吹奏楽部を廃部にするというのも頭に入れておけ。分かったな!」

「「「はいっ!!」」」

 

 すると、いきなりカッションは失神して、舞莉の肩から転げ落ちた。舞莉は床スレスレで掴むと、他の人にバレないよう、ゆっくりと床に横たわらせる。

 

『カッション、しっかりして!』

 

 心で呼びかけるが、返事はしない。他の人に見えないカッション、その上この状況。ヘタに動いたら怪しまれる。

 

『どうなっちゃうの……。』

 

 茜色の空。綺麗なもののはずが、心なしか怒りの色にも見える。あるいは危険信号……かもしれない。

 

 舞莉のパーカッション人生は、ここで幕を閉じることとなった。

 

 

 スピリッツ・オブ・ミュージック♪ 〜第一楽章〜 終



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〜第二楽章・まどろみとかすむ視界〜
10:再出発


《登場人物紹介》
羽後(ひばる) 舞莉(まいり)…… 主人公。1年生。サックスパート・バリトンサックス吹き。クラリネットを吹きたくて吹奏楽部に入ったがパーカッションパートになり、先輩からのいじめでサックスパートに移動した。

○カッション…… 舞莉に音楽の楽しさを知ってもらうため、パートナーになった。舞莉のスティックに宿る音楽の精霊。

○バリトン(バリ)…… カッションから頼まれて、舞莉にバリトンサックスを教えるためにパートナーになった。 サックスのストラップに宿る音楽の精霊。

古崎(ふるさき) 美紀(みき)…… 2年生。サックスパート・バリトンサックス吹き。なぜか低音パートリーダー。 舞莉の直接の先輩ではあるが、あまり絡みはない。(お互い受け身なので話さない)

森本(もりもと) 清朗(せいろう)……吹奏楽部の顧問。今年から南中学校に来たおじいちゃん先生。トランペット奏者。


『あれ、カッションがいない!』

 

 さっき床に横たわらせたカッションが、いつの間にか姿を消している。

 しかし、おもむろに捜すことはできない。今は部員全員に説教中であり、彼は舞莉以外の人には見えない。

 

 音楽室の床の段差に座る2つ結びの女の子。パーカッションパートであり、サックスパートでもある、羽後舞莉だ。赤メガネがトレードマークである。

 

「分かったか!」

「「「はいっ!!」」」

 

 理科の尾越先生と小崎先生が音楽室から出ていった。

 

「今日は、これから素早く楽器を片づけて帰りましょう。明日の朝練の時間に、奉仕作業のことを話し合います。あいさつはいらないので、片づけたら友達を待たずに下校してください。」

 

 顧問の森本先生はそれだけ言うと、2人の先生を追いかけるように、音楽室を後にした。

 森本先生も、一晩時間がほしいのだろう。

 

 

 楽器を片づけながらカッションを捜すが、やはりいない。舞莉が気づかない間に、目を覚まして家に帰ったのだろうか。尾越先生の罵声に失神してしまったのだから、心配である。

 

 

「ただいまー……って、あ、そうだった。」

 

 今朝、母が「今日も1日練でしょ? 午前中からみんなで買い物行っちゃうから。夕方には帰ってくるよ。」と言っていたのを思い出す。昼前に帰ってきてしまった。

 

 家には誰もいないのだ。いや、いなければいけない人がいる。

 

「カッション!」

 

 リビングのドアを開ける。いない。

 階段をのぼって自分の部屋のドアを開ける。

 

「え?」

 

 カッションは、舞莉のベッドに横たわっている。が、もう1人。

 

「あの……どちら様ですか。」

 

 ベッドの傍らに座っている、黒髪の真面目そうな雰囲気の男がいるのだ。

 

「これはこれは、失礼いたしました。僕は音楽の精霊のバリトンと申します。」

 

 男は胸に手を当てて、軽くお辞儀をする。

 

「あの、何でここにいるんですか。」

 

「カッションに頼まれたんですよ。『バリサクは俺の専門外だから、教えてやってくれ』って。」

 

「は、はぁ。」

 

 音楽の精霊ってカッション以外にもいるんだ……。

 

「それで、さっきあなたの元に来たら何か場が悪くて、話しかけられませんでした。急にカッションが倒れて、あの状況ではあなたは動けないだろうと判断し、引き取ってきました。」

 

「なるほど。確かに説教中は話しかけられませんよね。カッションが心配だったので助かりました。」

 

 舞莉はバリトンの隣に座る。さっきより、カッションの顔色はずいぶんよくなっていた。

 

「あっ、私は羽後舞莉です。えっと、カッションはパーカッションの精霊ですけど、あなたは……?」

 

 バリトンという名前自体は、声楽では男声の中音域の高さのことやそれを歌う人のこと、楽器ではユーフォニアムと同じ音域の楽器のこと、また、バリトンサックスの略でもある。

 

「バリトンと呼ばれるものの全般を受け持っています。バリトン歌手、管楽器のバリトン、弦楽器のバリトン、そしてバリトンサックスも。」

 

「そんなに!」

 

「まぁ、管楽器のバリトンはユーフォニアムと同じ音域なので、ユーフォニアムの精霊でもありますね。」

 

 目からウロコの情報ばかりで、脳みそがパンクしそうである。

 すると、カッションが目を覚ました。

 

「う……。」

「カッション!よかったぁ!」

 

 舞莉はカッションに抱きつく。

 

「いつの間にここに……。バリがここまで運んできてくれたんだろ。」

 

「うん。親友たるもの、助けるのは当たり前だよ。」

 

 バリトンは、カッションと話す時には敬語ではないようだ。

 

「あの、何て呼べばいいですか。」

 

「カッションがバリって言ってくれているので、バリでいいですよ。」

 

「なあ舞莉。敬語とか堅苦しくね? タメでいいじゃん。バリもな。」

 

 カッションが横からつっこむ。

 

「そ、そうだね。えっと。」

 

 バリトンが差し出した手には、例のブローチがある。大きさや形はカッションのものと同じで、中心に彫ってあるのは、紛れもなくバリトンサックスだ。

 

「舞莉とは、バリトンサクソフォンの精霊として、パートナーになるよ。」

 

 バリトンの言い方に引っかかりを感じた舞莉。

 

「今、他にパートナーになっている人はいるの?」

 

 バリトンは少し驚いた表情をする。

 

「いないよ。音楽の精霊は、同じ時に複数の人間とパートナーになってはいけない、っていう決まりがあるんだ。1人の人間に集中するためにね。」

「なるほど。」

 

 カッションだけでは知らなかったはずの情報だ。

 

「じゃあ……よろしくね。」

 

 舞莉はブローチに手をかざし、そのままバリトンの手を握る。

 

「こちらこそ。」

 

 バリトンがニッコリと笑った瞬間、ブローチから光が飛び出した。

 

 舞莉の脳内に響くこの曲は、サックスアンサンブルである。バリトンサックスのメロディも聞こえてきた。高音から低音まで堪能できるフレーズだ。

 

「かっこいい……。」

 

 ただの低音楽器のうちの1つだと考えていた舞莉だったが、すっかり魅力に取りつかれてしまった。

 

 ブローチからの光が消えると同時に、流れていた曲も終わった。

 

「これも、バリが作った曲?」

 

「そうだよ。他の人に聞かせたのは初めてだけど、どうだった?」

 

 バリトンは少し恥ずかしそうに下を向いた。

 

「バリサクって、こんなにかっこいいんだね!」

 

 キラキラした目でバリトンを見つめる舞莉に、バリトンはもちろん、カッションも困惑している。

 パートナーがもう1人増えた舞莉。もう1人増えたところで、『不思議な生活』であることには変わりないが。

 

 

 次の日、スティックに宿るカッションと、舞莉の肩に乗るバリトンと一緒に登校した。まだバリトンは宿り主を決めていない。

 

 人目につくところでは、舞莉はカッションと心の中で会話しているが、バリトンとも同じ方法で話せるらしい。

 

 重々しい空気の音楽室で、森本先生が話し始めた。

 

「さて、これからのことについてですが――」

 

 昨日は漠然と「奉仕作業をする」としか言われていなかった。

 

「休日練習の朝にやっている清掃を、奉仕作業としてやります。どこを掃除するかは、あとで言います。」

 

 と言うことは、パーカッションパートはトイレ掃除である。いや、舞莉はサックスパートでもある。今はパーカスの人と一緒に座っているが。

 舞莉は静かに、小さく手を挙げる。

 

「先生、私ってパーカスかサックス、どっちの掃除をやればいいんですか。」

「羽後さんはパーカスで。」

 

 マジかよ……。まぁ、そうなるよな。

 

 今日付で菜々美は辞めてしまったらしいし、細川先輩は来てないってことは……。

 

『1人でトイレ掃除やれってことですね、はいはい。』

 

 口に出しては言えないので、心の中でボヤく。

 

「奉仕作業は、いつも掃除しているところではなく、学校中やってもらいます。」

 

「えぇー」と言いそうになって、飲みこんだ音が聞こえた。

 パートごとに、先生から掃除する場所が告げられる。

 

「パーカスは、A棟のトイレ全部と、いつものB棟3階のトイレ。」

「「「はい。」」」

 

 今パーカスに残っている、舞莉と大島先輩と司の3人で返事をした。

 

「『掃除中に喋っていたり綺麗になっていなかったりすれば、吹部はこのまま廃部だ。』と、尾越先生が仰っていました。部活を再開したければ、誠心誠意、集中してやりましょう。」

「「「はい!」」」

 

 今日の放課後から、奉仕作業の掃除が始まった。

 

 

『何で掃除まで、2人ともついて来るの?』

 

 舞莉はまず、1年生の教室がある、A棟4階のトイレを掃除している。

 

 あの男子2人からは「羽後は1人で時間かかるだろうから、別々に行動しよう。」と言われていた。

 

『確かに2人とも見えないし、精霊だけどさ。当たり前のように、ズケズケと女子トイレに入るんだね。まぁ、いいけど。』

 

 バケツで床に水をまき、デッキブラシで床をこする。

 

「女子つっても、相手は人間だぜ? 精霊の俺らには興味もねぇし。」

 

 誰もトイレに入ってこないと油断しているカッションは、学校では珍しく、人間と等身大の姿である。

 

『へぇ? こないだのこと言っちゃうよ?』

「何だっけ……あ。」

『興味ないなら、私にあんなこと言わないよね?』

「あんなことって、何があったの?」

 

 鏡の下にある出っ張りに座るバリトンが、首を突っこむ。

 

『実はね――』

「言うな、言うな! 恥ずかしい!」

「なるほど。察したよ、カッション。」

 

 カッションの顔が赤くなり、バリトンは意地悪そうにうなずいた。

 どうやら奉仕作業は、舞莉のところだけ賑やかになりそうである。

 

 

 次の週末。舞莉は川越にある、山野楽器という店に来ていた。

 

「何か、管楽器って買うものいっぱいあるのね。」

 

 部活動停止になる前に、古崎先輩から言われていたものを買っている。

 

 今のところ、カゴの中には、サックスのお手入れセット、チューナー、チューナーマイク、リード、リードケースが入っていた。

 

「あとは、ストラップか。先輩から『アルト用とかテナー用みたいに、決まってるやつもあるから、気をつけてね』って言われた。」

 

 舞莉は見慣れたストラップを手にする。

 

「これ、サックスの人みんな、多分これだよ。でも、バリサク重いし痛くならないのかな。」

 

 古崎先輩はこれを使っている。ネットで下調べもしたが、色々な情報が出てきて結局分からなかった。

 最終手段。店員さんに聞いてみる。

 

「サックスですね。何のサックスですか?」

 

 カゴにあるものを見ただけで分かったらしい。

 

「バリサクです。」

「バリサクですか!」

 

 そりゃあ驚くのも無理はないよね。サックス初めての人が、いきなりバリトンを吹くんだもん。しかもこんなちんちくりんが。アルトとかテナーじゃなく。

 

「バリサクなら……フックがしっかりしている方がいいですね。こういうプラスチック製だと折れてしまうこともあるので。」

 

 そう言って、舞莉が手にしているストラップを指す店員さん。よく見たら、古崎先輩のものとは違っていた。先輩のはS字の金属のフックだったはず。

 

「調節するところが2箇所になっていますが、これならアルトからバリトンまで使えます。」

 

 バリサクを吹く女性の写真がある、ストラップを取ってきてくれた。写真では、片方の肩にかけて使っているが……。

 

「これ、写真みたいに肩にかけるんじゃなくて、首にもかけられますか。」

「大丈夫だと思いますよ。」

「じゃあ、これにします。」

 

 先輩が使っているやつより、パッドの部分が広めで疲れにくそう。今まで先輩から借りてたやつよりはマシだよね。

 

 少しお高めだったが、ケチるところではない。先輩のように、プラスチックのフックが壊れて買い直すよりはいいだろう。

 

「大きい楽器って、何かと高くつくのね。」

「そうですね……。」

 

 母からこぼれた言葉に苦笑いする店員さん。ストラップもそうだが、特にリード。1箱約5000円で5枚しか入っていない。クラやアルトは10枚入って3000円くらいなのに。

 

「古崎先輩が嘆いてた理由が分かった気がする。リードが高いって。」

 

 1枚1000円のリード、大事にしないとなぁ。

 

 

「おかえり。一式買ってきたんだね。」

 

 カッションとバリトンは留守番していた。

 宿り主がスティックのカッションは、宿り主なしでは、スティックから半径500メートルより外に出ることはできない。

 

 宿り主を定めていないバリトンは、宿り主を決めている他の精霊と一緒にいなければ、体の透明化が安定しないらしい。

 

 プライベートの外出で、わざわざスティックを持っていく気がしなかったので、留守番という形になった。

 

「ホントはバリに来てもらって、一緒に選んでほしかったんだけど。」

 

 舞莉は買ったもの全てを、とりあえずベッドにばらまく。

 

「うんうん。えっと……これは?」

 

 バリトンが手にしたのは、スプレータイプのマウスピースクリーナー。

 

「何か、学校用のマウスピースって、他の人も使ってたから汚れてるらしいよ。月1でこれ使うといいって言ってた。」

「確かに。白っぽい汚れつくからね。なるほど。」

 

「俺、管楽器のことは分からねぇ。眠い。」

 あくびをするカッション。

 

「うーん。僕、このストラップに宿ろうかな。」

「えっ!」

 

 カッションの眠そうな目が見開かれた。

 

「舞莉は、学校に置いてってもいいスティックを、カッションのために毎日持ち帰ってるんだよね。ストラップも、普通は楽器ケースの中に入れておくものだけど……いいかな?」

 

「まぁ、『ストラップしまい忘れてるよ!』とか言われちゃいそうだけど。いいよ。」

 

 プラスチックの箱から出し、舞莉は新品のストラップを両手に乗せた。

 

 バリトンは片手でストラップに触れると、目を閉じる。触れたところから吸いこまれるようにして、バリトンの姿が消えた。

 

「成功したみたいだね。」

 ストラップからバリトンの声が聞こえた。

 

「これでようやく、バリも正式に舞莉のパートナーだな! ひゃっほい!」

 

 カッションは3頭身の姿になると、ベッドの上で、トランポリンのごとく遊び始めた。

 

「全く、落ち着きがないなぁ。」

 白い目で見る舞莉。

 

「昔から変わらずだね。親友の僕のことを、自分のことのように喜んでくれて。分かりやすく。」

 

 いつの間にか、舞莉の隣に座っていたバリトンの横顔は、どこか我が子を見る父親のようにも見えた。

『親友』という存在を羨ましく思う舞莉だった。

 

 

 部活動停止だったが、尾越先生に交渉して、アンサンブルコンテストには出させてもらえることになった。

 会場にはメンバーだけが行き、舞莉たちは結果だけ知らされた。

 

 管打楽器8重奏の『沢池萃』は、地区大会銀賞。

 木管3重奏の『トリプルあいす』は、地区大会賞なしだった。

 

 昨年の先輩たちが西関東大会に行ったこともあり、結果にメンバーはだいぶ落ちこんでいた。

 

 

 その頃、舞莉たちパーカッションパートは、森本先生からあることを言われていた。

 

「あの、奉仕作業が始まってから、トイレの洗剤の減りが早いって怒られてしまいまして。洗剤使わないでもらえますか。」

 

「でも、綺麗になっていなければ廃部だって言われたじゃないですか。」

 

 司が反論する。

 

「毎日掃除しているので、さほど汚れないはずです。奉仕作業でより綺麗にしているので。尾越先生、そこは配慮してもらえるでしょう。」

 

 自信なさげの森本先生に、カッションはやれやれと首を振る。

 

「ホントだろうな? もりもってぃーのこと、あんま信用できねぇからなぁ。」

 

 今日の掃除場所に向かいながら、舞莉は目をふせた。

 

『顧問として、部活再開できるように、もっとシャンとしてほしいよ……。』

 

「何か、ここの吹部、大丈夫なのかな。まぁ、大丈夫じゃないから停止になってるんだけどね……。」

 

 部活動停止になってから来たバリトンも、薄々南吹が『ヤバい』ことが分かったらしい。

 

 

 部活動停止から約1ヶ月。期末テスト前で、部活動がテスト休みになる直前に、吹奏楽部員は音楽室に集められた。尾越先生と小崎先生もいる。

 

 今回の事態の発端である3人は、尾越先生に指示されて、腕立て伏せの姿勢をさせられている。

 

 森本先生は少し溜めてから、部員をしっかりと見て言った。

 

「みなさん、期末が終わった次の週の月曜日、12月5日から部活動再開の許可が降りました。」

 

 歓喜の声で溢れるはずだが、ペナルティを現在進行形で食らっている3人の目の前ではできない。そんな雰囲気である。

 

「ただし。」

 ただし……?

 

「再開してから、今までと同じような練習をするわけにはいきません。そこで、自分なりに考えた改善策をやっていきます。」

 

 先生は人差し指を立てる。

 

「1つ目、活動時間の短縮。前部長の上野さんの意向で、部活の時間を延長していました。しかし、ただ長いだけなので気が緩んでしまい、あの様なことが起こったと考えます。それでも、上野さんは、土日練を夕方の5時までしたかったそうですが、さすがにと思って却下したんですがね。」

 

 周りから「5時!?」と驚嘆の声が聞こえた。

 

『上野先輩が練習にひたむきだってことは分かっていたけど、5時って! 9時間も拘束されるとこだったんだ……。』

 

 コンクールメンバーにとっては、練習時間が長い方がいいのかもしれない。だが、メンバーではない人にとって、練習時間が長いのは苦痛だった。特に基礎練習ばかりやらされる1年生は、当然集中力は続かなかったのだ。

 

 練習時間の短縮は、何ヶ月も前からしてほしかったことだった。これは妥当だろう。

 

「2つ目、木曜日を必ず休みにし、日曜日は半日練習にする。この休みはしっかりと休息をとり、勉強に充ててもらいます。」

 

 木曜日休みは元からあったものだったが、実質休みではなかった。

 

「今までの休みなし最長記録、35日だもんな。もりもってぃーもそんなんじゃ疲れるだろ。じいさんなんだし。」

 

 人間と等身大で、あぐらをかいているカッションとバリトン。

 

「しっかり練習したくて時間伸ばしたのに、集中してできなかったら元も子もないからね。」

 

 精霊たちもうなずいて肯定している。

 

 すると、尾越先生が重そうな体を揺らして、みんなの前に立った。

 

「活動再開するにあたり、俺が吹奏楽部の"新"10ヶ条を決めたからな。ほら、部長、配れ。」

「はい!」

 

 板倉先輩は、駆け足で尾越先生の元に行き、プリントの束を受け取る。

 

『……何これ。』

 

 A4の紙いっぱいに、明朝体の太字で書かれた10か条。無駄に長い。

 

「部活動が再開してから、これを模造紙に書いて、今貼ってある旧10ヶ条のところに貼り直しておけ。部活動を始める前に、全員でこれを唱えること。いいか?」

「「「はいっ!」」」

 

 部活動が停止する時も再開する時も、結局はバレーボール部顧問で理科の先生の、尾越先生という『部外者』に支配されていた。

 

 この停止期間中に、他の部から「やらかしの吹奏楽部」と揶揄されたのは、数える程ではない。この言葉を広めたのは、尾越先生である。授業で散々、この名前で呼ばれては、難しい問題ばかり聞かれ、スクワットの羽目に遭ってきた。

 

「読み上げるぞ。南中吹奏楽部新10ヶ条――」

 

 ⒈ 理科室・技術室は使用しない 。(使用したい場合は許可を得る)

 ⒉ 校舎内のカギ締めを使用後必ず行う。(担当場所の責任者を必ず決める。正・副)

 ⒊ 使用場所の責任者を決めて、しっかり管理する。

 ⒋ 休日・祝日等、使用場所(以外も)の掃除を必ず20分間行う。(使用前か使用後かどちらか!)

 ⒌ 一週間に一度は、使用場所の責任者(吹奏楽部)は、部屋の担当の先生に使用の許可・報告を必ずする。

 ⒍ 今後また、部活動において、トラブルが発生した場合、改善を図れたと認められるまで奉仕活動を行う。(?ヶ月間)

 ⒎ ⒍と同様に、トラブルが発生した場合、大会への出場を自粛する。

 ⒏ 昨年同様の「あいさつ」をしっかりする。

 ⒐ 授業にしっかり取り組む!(授業態度・提出物・定期テスト等)

 ⒑ すべての吹奏楽部員!一人一人!学校に貢献できる行動をとる。(委員会・清掃・行事・学級活動等)

 

 再出発の南吹だったが、これからもあの『部外者』から睨まれるのかと思うと、寒気がした。

 

『新10ヶ条が残る限り、吹部がやらかしたというレッテルは、これを知らない後輩にも背負わせることになるんだね……。』

 

 今日で最後になった奉仕作業。舞莉は1人、窓を拭きながらため息をついた。



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11:暗雲

《登場人物紹介》
羽後(ひばる) 舞莉(まいり)…… 主人公。1年生。サックスパート・バリトンサックス吹き。クラリネットを吹きたくて吹奏楽部に入ったがパーカッションパートになり、先輩からのいじめでサックスパートに移動した。

○カッション…… 舞莉に音楽の楽しさを知ってもらうため、パートナーになった。舞莉のスティックに宿る音楽の精霊。

○バリトン(バリ)…… カッションから頼まれて、舞莉にバリトンサックスを教えるためにパートナーになった。 サックスのストラップに宿る音楽の精霊。

古崎(ふるさき) 美紀(みき)…… 2年生。サックスパート・バリトンサックス吹き。なぜか低音パートリーダー。 舞莉の直接の先輩ではあるが、あまり絡みはない。(お互い受け身なので話さない)

矢萩(やはぎ) ルイザ…… 1年生。低音パート・チューバ吹き。 1年にして、先輩を押しのけてアンサンブルコンテストに出るほどの実力者。


 今日12月5日、部活動再開という日に、舞莉は学校を休んでいる。

 

「ああ、もう最悪。うつされた。」

 

 38度5分。冬の時期にこの熱は、完全に『アレ』だろう。

 

「基本精霊は病気にはかからないけど、人間には、冬に流行る『インフルエンザ』っていうのがあるんだね。」

 

 バリトンは何やら本を片手に、デジタル体温計とにらめっこをしている。

 

 

 舞莉の前に、舞莉の弟がインフルエンザにかかっていた。

 一昨日、舞莉は母に頼まれて、隔離されている弟に食事を届けたのだ。

 

 もちろんマスクをし、その後に手は洗っている。

 

 しかし高熱が出てしまい、今日病院に行ったらインフルエンザだと診断された。

 

 

「抵抗力弱すぎだろ。弟と同じ部屋で寝てるお前の母さん、何でかからないんだろうな?」

 

 さっきカッションは、バリトンからインフルエンザのことについて少し教えてもらっていた。

 

「仕方ないよ。部活であんなことされて、肉体的にも精神的にも弱ってて、しかも吹部の活動停止。これからどうなるかも分からなかったんだから。」

 

「確かに、そうだな。」

 

 カッションはふぅ、とため息をつき、「今のうちに休んでおけよ。」と舞莉の頭を撫でる。

 

 

 1週間後、出席停止期間が終わり、12日から登校できるようになった。登校許可証をもらいに行ったので、朝練は出なかったが。

 

 本格的に、舞莉のサックス人生がスタートした。

 

 

 1週間ぶりに音楽室に足を踏み入れる。

 

『よし、今日からサックスだ。……サックスでいいんだよね。』

 

 舞莉は、既に来ていた古崎先輩にあいさつをした。

 

「そっか。舞莉ちゃんが来たから、椅子の配置変えないとね。ここを詰めて……じゃあここに座って。」

 

 テナーの席を少し詰めて、舞莉の場所を確保してくれた。

 

「あ、ありがとうございます。」

 

 てっきり自分がするつもりだったので、何だか申し訳ない気持ちになる。

 譜面台を立ててから、舞莉はストラップを持って楽器を取りに行った。

 

『学校のバリサク、久しぶりに見たはずなのに、そう感じないんだよね。』

 

 塗装がところどころはげていて、金属光沢などとっくの昔に失ってしまったであろう、このバリサク。

 

 部活動停止期間中に、舞莉はセグレートでこのバリサクを使って練習していたのだ。

 

『でも、この首にくる重みは久しぶりな感じ。』

 

 古崎先輩は、舞莉の慣れた手つきに首を傾げる。

 

 

 この1ヶ月間、舞莉はバリトンと一緒に『再開してからみんなに迷惑がかからないようにする練習』をしていた。

 

 そもそも、部活動停止になる前は最低音の『ラ』が出せなかったのだ。舞莉が苦戦していると、

「最低音、結構出てくるよ。」

と古崎先輩に言われて、舞莉は肩を落とした。

 

 それを聞いたバリトンは苦笑した。

 

「バリサクは基礎合奏じゃ、最高音から低いドまで使うからね。結局、全部出せるようにはしておかないとか。」

 

 まだ全然慣れていなかった舞莉は、右手のひらで押すキィを間違って押してしまって、音がひっくり返っているくらいだった。

 

 しかし、今は最低音はしっかり出せて、最高音は少しなら出せるようになっている。

 

 ロングトーンは、低い音域ではテンポ60で8拍は続かないものの、調子が良ければできるようになった。

 たった1ヶ月で。

 

 そんなことを思い出しながら、舞莉はバリサクに息を吹きこもうとした。

 

「『コソ練』の成果、セグレートじゃなくても見せてね。」

 

 バリトンの声に、舞莉は吹き出しそうになる。

 

『ちょ、ちょっと!圧かけないでよ。』

 

「先輩がお前の『アンブシュア練習』を聞いたらびっくりすると思うぞ!」

 

 吹部バッグにこっそり入っているスティックから、カッションの弾んだ声が聞こえた。

 

『全く、2人して……。』

 

 軽くため息を吐いた舞莉は、よく息を吸って、低い『ソ』の音を出した。

 

 しばらくして部員全員が集まると、部長が手を叩いた。

 

「今日はパート練にしてください。」

「「「はい!」」」

 

 黒板には、各パートの練習場所が書かれている。新10ヶ条で理科室が使えなくなり、練習場所が変わったからだ。

 サックスは理科室前の廊下である。音楽室を出てすぐそこのところだ。

 

「多分最初は基礎練やると思うから、サックスの方行こうか。」

 

 古崎先輩は譜面台を持って立ち上がった。

 あの言い方だと……ずっとサックスと一緒に練習してないってこと?

 

 ……え?

 

 舞莉は心がモヤモヤしたまま、マッピにキャップをつけ、先輩と同じように譜面台を持った。

 

「あ、譜面台、大変なら別々で持ってきていいよ。」

「大丈夫です。」

「そっか。ゆっくりでいいよ。」

 

 これも練習のうち。

 

 譜面台をバリサクにぶつけないように注意しながら、ゆっくり練習場所に向かった。

 テナーの先輩が用意してくれていた椅子に座り、パート練習が始まった。

 

「羽後ちゃん、サックスに来てから初めてのパート練だから……自己紹介するか。と言っても、私と古崎は知ってるよね。」

 

 テナーの先輩も同じ幼稚園だったので知っている。浅木(あさき)百合(ゆり)先輩だ。

 

「あと知らないのは高松だけか。」

 

 そう言って、親指をアルトの先輩に向けた。

 

「アルトの高松(たかまつ)真由(まゆ)でーす! よろしくね〜! パートリーダーでーす!」

 

 高松先輩は朗らかに笑って、こちらに手を振ってきた。

 

「よろしくお願いします。」

「ちょっとー、堅いよぉ〜」

 

 肩をすくめた高松先輩に、浅木先輩がつっこむ。

 

「舞莉ちゃんは真面目だからね。高松と違って。」

 

「私だって真面目だよ! あっ、そうだ。なんて呼んだらいい?」

 

 突然話が変わって、少し混乱する舞莉。

 

「普通に、名前でいいですけど――」

「『ひばるん』とかどう?」

「ひ、ひばるん!?」

 

 思わず声が裏返る。

 奇想天外な発想をするのが、この高松先輩なのだろう。

 

「私もひばるんって呼ぶ!」

 浅木先輩が手を挙げた。

 

「私は……舞莉ちゃんでいいかな。」

 苦笑いをする古崎先輩。

 

 同級生でアルトの古井(ふるい)優花(ゆうか)奥谷(おくたに)遥奈(はるな)とテナーの三村(みむら)瑠衣(るい)も、高松先輩の案に乗った。

 

 どうやら、古崎先輩以外は、舞莉のことを『ひばるん』と呼ぶことになったらしい。

 

「あのさ、さっきの基礎合奏、舞莉ちゃんが結構できててさ。」

「えっ、古崎、マジで?」

 

 大袈裟かというほどに驚いている浅木先輩。

 

「ひばるんすごいじゃん!滅多に褒めないコイツが褒めてるよ。」

 

「滅多に褒めないって……褒める相手がいなかっただけだよ。直接の後輩になったの、舞莉ちゃんが初めてだからね。」

 

 なかなか練習が始まらない上に、先輩たちがおしゃべりなので、サックスパートでは舞莉は空気になってしまいそうである。

 

『予想通り、サックスってにぎやか。』

 

 舞莉は思わず微笑んでいた。

 

「そろそろ始めないと怒られそうだから、やろうか。まずロングトーンから。」

 

 音楽室の方を見やった高松先輩は、廊下にぽつんと置かれた机にピンクのメトロノームを乗せ、テンポ60で振り子を動かした。

 

「あっ、そうだ。これ。三送会でやる曲の楽譜。先週決めたからさ。」

 

 古崎先輩は、自分のファイルから3枚くらいの紙を取り出した。

 2曲分の楽譜らしい。

 

「『キミの夢は、ボクの夢。』と『全力少年』ですか。」

 

「楽譜は読める……よね。多分、来週くらいには合奏するって言ってたから。」

 

 ら、来週……。

 バリサク歴、まだ1ヶ月なんですけど……。

 

「やっぱり。部活がなかった時に基礎やっておいてよかったね。」

 

 首元から聞こえるバリトンの声。

 基礎に特化して練習させていたバリトンの意図が、ようやくここで繋がった。

 

 こうなることを予測してたってことか。

 

 

 基礎練習が終わると舞莉と古崎先輩は、準備室に移動した。曲練習は低音パートの人たちとするらしい。

 

 舞莉は戸惑った。

 

 あの時、舞莉が森本先生と荒城先生にパート移動の件を話した後、森本先生からこっそり言われたことがあった。

 

「荒城先生は承諾してくださいましたが、先生としては、ユーフォに行ってもらいたいんですけど……。ユーフォはどうですか?」

 

 舞莉は、金管楽器が全体的に手応えがなかったことと、低音パートには舞莉の苦手な人が数人いることを伝え、ユーフォニアムに移動するのは断った。

 

 バリサクが低音パートの人と一緒に練習することを、舞莉は知らなかったのだ。

 

「古崎先輩、バリサクって低音にいる方が多いですか?」

 

 ドアを開けかけた古崎先輩に、怖々聞いてみる。

 

「そうだね。基礎よりは曲練の方が長いからね。だいたいは低音の方かな。」

 

 舞莉の心に、何か重い物がのしかかる。

 

 ドアを開けた先には、ユーフォニアム・チューバ・コントラバスの3つの楽器から成る、低音パートがいた。

 

 もう1人、バスクラリネットの高良(たから)和香奈(わかな)もいる。高良先輩の妹である。

 

 狭い準備室では横1列に並ぶのが精一杯で、舞莉は端っこに椅子を置いて座った。

 

「今日は個人練で。」

「はい」「はい」「はい」

 

 何ともまぬけた、揃っていない返事である。

 ちょっとしたカルチャーショックを感じる。

 

『返事ゆるっ……。まぁ、始めるか。』

 

 舞莉はシャーペンを持って、さっきもらったばかりの楽譜に音階を書きこみ始めた。

 

 

 低音楽器のバリトンサックスだが、楽譜上ではト音記号で書かれている。フルートのように加線が多いわけでもないので、舞莉は難なく音符を読めている。

 

 シャープがつく音には□、フラットがつく音には○をつけて、指を間違えないようにした。

 

 まずはまだ吹きやすそうな、『キミの夢は、ボクの夢。』から練習することにした。曲名だけでは、どんな曲かは分からない舞莉。

 

 頭の中にバリトンの声が響いてきた。

 

「リズムは大丈夫かな。四分と八分だけだから。」

 

『たぶん。最初は……タン、タン、タン、タター、タン、タン、タンで合ってる?』

 

「合ってるよ。タイに気をつければ。これ、Bはメロディぽいね。珍しい。」

 

 確かに、そこの部分だけ八分音符が多い。低音楽器にはあまりメロディがなく、楽譜が配られたらダメ元でメロディや裏メロを探すらしい。

 

「他のところはAの繰り返しみたいだね。初心者の舞莉にはぴったり。あまり難しくなくてよかった。」

 

『そうだね。全力少年の方が難しそう。』

 

 とりあえず、吹いてみることにした。

 

『あれ、意外とキツい。』

 

 今まで基礎しかやってこなかった舞莉は、タンギングが苦手だったのだ。たかが四分音符でも、間延びしたり早く切りすぎたりしてもかっこ悪い。

 それに加え、休符が少ないので息を吸うところが少ないのである。

 

 隣の古崎先輩の音も聞いて、リズムや音一つ一つの長さを確認した。

 

 舞莉がCからの所を練習していると、隣から視線を感じ、マッピから口を放した。

 

「えっ、すごい。」

 

 他の楽器の音にかき消されるくらいの微かな声で、確かに古崎先輩はそう言った。

 

 でも、さすがにBのメロディ(っぽい)のリズムがあやふやだけど。

 

 すると、古崎先輩が、まさにあやふやなところを練習し始めた。それを聞いた舞莉はハッとした。

 

『何か聞いたことある! CMで流れてるやつだ!』

 

 たくさんの高校生がこの曲を歌いながらダンスをしている、某スポーツドリンクのCMだ。

 

 そうと分かれば!

 

 頭の中で階名を口ずさみ、音は出さずにキィを動かしてみる。

 その後にしっかり吹いて練習した。

 

 ゆっくりのテンポだが、舞莉はサックスパート1日目で、この曲を一通り通すことができた。

 

『ふぅ、バリ、どう?』

 

「初日にしてはかなり上出来だよ。まだバリサク歴1ヶ月だとは思えない。」

 

『ホントに!? じゃあ、今日のセグレート練習は免除?』

 

「なわけねぇだろ。」

 

 パーカスの棚の上で、3頭身の姿で寝ていたはずのカッションの声が、後ろから聞こえてきた。

 

「今日も基礎やるよ。半音階と全調スケールもね。あとアルペジオ練習もやってみようか。」

 

『やるの? あのくそムズいやつ!』

 

 テンポ80くらいで、指の動きを滑らかにする練習である。十六分音符のオンパレードなのだ。

 

「パーカスの時は全部できてたんだから、バリサクでもできるようになるだろ。」

 

『カッション、無茶言わないでよ……!』

 

 その夜のセグレートでの練習で、舞莉が悲鳴を上げたのはご想像の通りである。

 

 

 舞莉は目を見張るスピードで上達していった。

 曲練習も平行し、1週間で半音階が、冬休みに入る直前には全調スケールが半分くらい吹けるようになった。

 

 舞莉のあまりの上達ぶりには、サックスの先輩はもちろん、他のパートの先輩も感心していた。

 

 そして、バリトンも。

 

「他の1年生は夏までじっくり基礎練習できるけど、舞莉はそうはいかない。心配してたけど、全然大丈夫そうだね。」

 

「舞莉ってパーカスの時もそうだったな。しっかり教えれば飲みこみ早いし、すげぇ教えがいがある。なぁ、バリ?」

 

 カッションはドラム椅子に足を組んで座り、頬杖をついている。

 

「うん。教えてて楽しいよ。」

 

「舞莉、久しぶりにドラムやるか?」

 

 その問いに舞莉は目を輝かせる。

 

「いいの!?」

 

「ずっとバリサクの練習も疲れるだろ。たまにはドラム叩いて気分転換もしてくれよな。」

 

 舞莉は床にそっとバリサクを置くと、カッションからスティックを受け取る。

 

「バリサクの練習しかしちゃいけないって思ってた! 久しぶりだから、カッション、多目に見てね。」

 

 手首をぐるぐる回してから、セグレートの中に心地よいビートが響き渡った。

 

 そう。舞莉は飲みこみが早いだけでなく、ブランクがあってもそれを感じさせない才能と技術をもっていた。

 

 趣味でピアノも嗜み、合唱コンクールでは指揮を務め、根からの音楽好きになっていたのだ。

 

「何か楽器に触ってる時が、舞莉が一番輝いている瞬間かもね。」

 

「ああ、ドラムもバリサクも、すごく楽しそうにやってるもんな。バリの言う通りだぜ。」

 

 2人の精霊は目を細めて、舞莉の奏でるリズムにノリノリで体を揺らし、指を鳴らした。

 

 

 そんな舞莉をよく思わない人が1人。

 入学した時の最初の席で、舞莉の隣だったハーフの女の子、矢萩(やはぎ)ルイザだ。

 

 チヤホヤされている舞莉を見て、楽器を片づけながら舌打ちをする。

 

「私だって、先輩押しのけてアンコン出たのに。」

 

 アンサンブルコンテストに出たメンバーの中で、唯一の1年生だった。

 

「パート移動、私だってしたいし。こんなヘタクソな先輩の元でやりたくないし。」

 

 リュックサックを背負うと、チューナーやストラップをしまっている舞莉を後ろからにらみつける。

 

「うわ、雨降ってる!」

「うそ! 傘持ってきてないよ!」

「私の傘に入る?」

 

 午前中まで晴れていた空は、だんだんどんよりとして、ついには雨も降り出していた。

 

 最近肩こりが気になり始めた舞莉。

 

 置き勉禁止をしっかり守っていてリュックサックが重たいせいもあるが、バリサクのせいでもあるだろう。6キロを首1本で支えているのだから。

 

 舞莉は暗雲を見上げ、片耳が欠けたネコの折りたたみ傘を開いた。




【音源】(フルバージョンがこれしかなかったので泣く泣く……)
キミの夢は、ボクの夢。→ https://youtu.be/DP3_HQjnlUQ


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12:居睡

《登場人物紹介》
羽後(ひばる) 舞莉(まいり)…… 主人公。1年生。サックスパート・バリトンサックス吹き。クラリネットを吹きたくて吹奏楽部に入ったがパーカッションパートになり、先輩からのいじめでサックスパートに移動した。

○カッション…… 舞莉に音楽の楽しさを知ってもらうため、パートナーになった。舞莉のスティックに宿る音楽の精霊。

○バリトン(バリ)…… カッションから頼まれて、舞莉にバリトンサックスを教えるためにパートナーになった。 サックスのストラップに宿る音楽の精霊。

古崎(ふるさき) 美紀(みき)…… 2年生。サックスパート・バリトンサックス吹き。なぜか低音パートリーダー。 舞莉の直接の先輩ではあるが、あまり絡みはない。(お互い受け身なので話さない)

大島(おおしま) 和樹(かずき)……2年生。パーカッションパート。高良先輩から理不尽にいじめられていた。

矢萩(やはぎ) ルイザ…… 1年生。低音パート・チューバ吹き。 1年にして、先輩を押しのけてアンサンブルコンテストに出るほどの実力者。

森本(もりもと) 清朗(せいろう)……吹奏楽部の顧問。今年から南中学校に来たおじいちゃん先生。トランペット奏者。


 2ヶ月前あたりから、舞莉に異変が起き始めていた。授業中に居眠りする回数が増えているのだ。

 

「羽後さん。」

 

 ……はっ!

 

「ここの空欄に入れてください。」

 

 え、どこまで進んじゃった!?

 

 黒板を見る。なるほど、そこか。

 急いで教科書を速読する。あ、これか。

 

「偏西風です。」

 

 合ってるかな……。

 

「はい、そうですね。ヨーロッパは一年中、大西洋からの強い偏西風が吹いています。次、ここの海流の名前を――」

 

 どうやら合ってたらしい。よかった。

 

 ちょっと物音がすれば起きられる。誰かがシャーペンを落としたくらいでも。

 起きた後は結構すっきりしているが、その10分後にはまた眠くなってウトウトしてしまう。

 

 舞莉は明確な原因が分かっていた。

 

『毎晩のセグレートでの練習だ……。』

 

 サックスに移動したことにより、パーカスの時よりも練習時間が増えていたのだ。

 

 睡眠時間の確保のため、練習は1日おきだった。が、舞莉の意思で毎日に変更した。

 

 カッションやバリトンは、舞莉が授業を受けている時は寝て、部活が始まる時間までには起きて、舞莉に教えてくれている。セグレートでの練習の後も起きていて、今日の振り返りや明日の練習メニューを考えてくれているらしい。

 

 睡眠時間を削って上達した代償に、ツケが回ってきたのだ。

 

「また寝てるよ。」

 

 どこからかのささやき声にも目を覚ます。

 

「え、また? さっきの時間も寝てたじゃん。」

 

 寝てはいけない、そんなの分かりきったことだ。でも、セグレート練習を減らすことはできないし、みんなに追いつくにはまだまだ遠すぎる。

 

 あと……自分から言い出しておいて、今さら「やっぱりキツい」なんて言えない。バリトンにだいぶお世話になってるし、夜中に私の机を借りて、「今日はここまで進んだから……」などとつぶやきながらノートに書いているのを知っている。

 

 そもそも、2人は私が授業中に寝ていることすら知らないと思うけど。

 

 寝てすっきりした舞莉は寝ていた分の板書をとった。しかし追いかけている途中に、またミミズが這ったような字になり、目が塞がる。

 

「きりーつ!」

 

 ハッと起きて、立ち上がる。

 

 授業が終わってしまった。まだ板書は取り終わっていない。急いで書き写すも、日直に容赦なく消された。

 ノートを写させてくれるような友だちもいないので、これは完全に終わった。

 

 年が明けて、本格的に『3年生を送る会(三送会)』の準備が始まった。注文していた楽譜も届き、水明祭以来の曲数となった。

 

 その上、マーチの練習として、「マーチ・スカイブルー・ドリーム」、「コンサートマーチ『アルセナール』」という曲をやり始めた。

 

「こ、これ全部吹けるようにしろってこと?」

 

 いきなり増えた練習量に、舞莉は目が回りそうである。

 

「これは……大変だ。セグレートでも練習しなきゃいけないかなぁ……?」

 

 首元から発せられるバリトンの声は、どこか暗い。

 

「初心者にしてはだいぶキツイぞ……。初心者の量としては俺も未知数だな……。」

 

 いつも「舞莉なら大丈夫だろ!」と言って元気づけてくれるカッションでさえ、この反応。

 

「本番まではあと2ヶ月あるし、そこまで急がなくてもいいんじゃないかな。」

 

 いつも冷静沈着なバリトン。確かに一理ある。

 しかし、これだけでは終わらなかった。

 

 

 1週間後、舞莉たちは合奏の前に、ある重要なことを決めようとしていた。

 

「これから、今年のコンクールの曲を決めます。先生が選んできた曲と、事前にやりたいと申し出があった曲の、合わせて5曲あります。」

 

 森本先生が黒板に曲名を書いていく。

 

梁塵秘抄(りょうじんひしょう)〜熊野古道の幻想〜

○マードックからの最後の手紙

○スクーティン・オン・ハードロック 

○斐伊川に流るるクシナダ姫の涙

○マゼランの未知なる大陸への挑戦

 

「全部聞いてもらい、多数決で決めてもらいます。」

 

 膝に座る3頭身のカッションがニタニタしている。

 

「これ全部、吹奏楽の王道の曲だな!」

 

「森本先生はオーソドックスなものを集めてきた感じだね。個人的にやりたい曲もあるけど……。」

 

 カッションの隣に座る3頭身のバリトンは、あごをかいてから、「まぁ、実際にやるのは舞莉たちだからね。影響しないよう、言わないでおくよ。」

 と、人差し指を口に当てる。

 

「まずは、『熊野古道』から。」

 

 CDを入れると、左右にあるスピーカーから、ティンパニを皮切りにして流れ始める。

 

 その後も曲が終わる度、次々と曲が流れた。

 

 時間の都合で最後まで流さなかった曲もあったが、全部聞き終わった。

 

『うーん、耳に残ったのは、ハードロックとクシナダかなぁ……。最初の熊野古道もよかったかも。どの曲も低音もムズそうだからなぁ。』

 

「では顔を伏せてください。」

 

 やべ、決めないと。

 

 舞莉は体を丸めるようにして、顔を伏せた。

 うん、あれにしよう。

 

「この多数決で、まずは2曲まで絞ります。1人1回だけ挙げられます。では、熊野古道がいいと思った人。」

 

 舞莉はスっと手を挙げた。他の人はどれくらい挙げてるんだろう……。

 

 5曲の多数決の結果が出た。

 

「顔を上げてください。」

 

『マードック』と『クシナダ』の2つに丸がつけられている。

 

 あぁ、熊野古道ダメだったか……。

 

「それでは、この2曲のどちらかを選んでください。」

 

 それならもう、2回目の多数決では迷わない。

 

「あの2つだったら、俺はあの曲だな。」

 

「僕は……あっちかな。」

 

「さて、舞莉はどっちを選ぶのか!」

 

 舞莉の膝の上で勝手に実況が始まったが、もう決まっている。

 

『2曲に絞ったし、もう言っていいよね? 私、クシナダがいいかな。』

 

「おお、舞莉はクシナダを選びました。どう思いますか、バリ?」

 

「え、えぇ!? 僕に振るの!……えっと、どちらも作曲者が同じこともあり、接戦になりそうですね。」

 

「なるほど、どちらも樽屋(たるや)雅徳(まさのり)ですからね。」

 

 実況が聞こえていないフリをしつつ、舞莉は、カッションが作曲者の名前を呼び捨てしていることに、少し違和感を覚えた。

 

「はい、顔を伏せてください。」

 

 舞莉はもちろん、『クシナダ』の方に手を挙げた。

 みんなはどっちにしたんだろう。

 

「顔を上げてください。」

 

 音楽室の空気は明らかに緊張している。

 

「多数決の結果――」

 

 どっちだ……?

 

「『クシナダ』に決まりました。」

 

 おお、よかった……!

 

 自然と拍手が起こり、他の人の反応からして、そこまで接戦ではなかったのかもしれない。

 1月の半ば、舞莉たちは既に夏のコンクールに向けても動き出していた。

 

 

「あの2つだったら『クシナダ』だよな。パーカス楽しそうだし。」

 

「あー、やっぱりパーカス視点で考えてたんだ。」

 

「いや、僕も『クシナダ』がいいと思ってたよ。」

 

 え、バリはてっきり『マードック』の方かと……!

 

「僕ね、『クシナダ』みたいな日本風の曲が好きなんだ。僕の髪も、日本人の黒髪に憧れて染めたんだよ。」

 

「そうなの!? わざわざ黒染めしたんだ!」

 

「うん。ストパかけて、『日本人の真面目な男子高校生』をイメージしてるんだけど、どうかな。」

 

 言われて気づいたが、髪の毛の根元の方の色が違うのだ。

 

「バリの雰囲気にすごい合ってると思う。てことは、地毛は茶髪?」

 

 なぜか、バリトンではなくカッションが答える。

 

「ああ、俺と同じ感じ。この間久しぶりに会って、髪が黒いし癖毛じゃないからびっくりしたんだよ!」

 

 茶髪のくせっ毛のバリ、想像できない……。

 

 

 後日、楽譜を注文し、届いてからは三送会と平行してコンクール曲も練習することとなった。

 

 ……忙しい。

 

 体調を考えて、セグレート練習の頻度を減らそうと考えていた舞莉だったが、これでは減らすどころか、もっと増やしたいところである。

 

 練習曲の増える量と、舞莉が授業中に居眠りする頻度が比例していってしまった。

 

 

 念入りにパート練習をし、いよいよ舞莉がサックスに移ってから初めての合奏の日になった。

 

「今日は、先に練習していた2曲を合奏します。『キミの夢は、ボクの夢。』は午前、午後は『全力少年』の合奏をします。」

 

 基礎合奏と30分のロングトーンが終わり、森本先生からそう告げられた。

 

 あまりにも単調なロングトーンなので、舞莉は起きているのに必死だった。目を擦り、押さえた手からはみ出すほどのあくびをする。

 

「この後、10分の休憩をとりますので、10時15分から合奏を始めます。それまでに用意しておいてください。」

「「「はいっ!」」」

 

 初めての合奏だということで、舞莉はワクワクしていた。が、1つ不安なことがあった。

 

 こいつら、リズム間違えてないか?

 ……先輩に向かっては失礼か。

 

『キミの夢は、ボクの夢。』は舞莉でも分かるくらいリズムは簡単なのだが、『全力少年』はところどころ難しく、タイ(隣同士の同じ高さの音を繋げて、1つの音として演奏する記号)もあるので、リズムが掴みづらいのだ。

 

 舞莉のような新参者が指摘できるような立場ではないので、仕方なく『こいつら』に合わせるしかなかった。

 

 正直言うと、ここの部分は古崎先輩でもあやふやで、何となくで吹いているところである。もう1人のチューバの先輩は……後輩のルイザに抜かされたくらいだから言うまでもない。ああ、むずがゆい。

 

 まぁ、もりもってぃーが合奏の時言ってくれるだろ。

 

「合奏始めます!」

 

 森本先生は指揮棒で譜面台を叩いた。

 

「それじゃあ、えっと、まずは頭から全員で。」

「「「はいっ!」」」

 

 参考音源もなかったので、曲の雰囲気が分からなかった舞莉。

 マッピをくわえる。

 

 どんな感じかな。

 

 アンプから、ハモデのメトロノームが大音量で鳴り始めた。

 

「ワン、ツー、さん、し」

 

 舞莉は息に圧をかけ、楽器に吹きこんだ。最初からフォルテの曲だからである。

 

 横からは木管の音、後ろからは金管の音が、舞莉の背中を震わせた。

 

 今までは打楽器という、別陣営から曲に参加していた。管楽器の音色を飾り、ペースメーカーとしての役割であったが、どうしても『一体感』というものが感じられなかった。

 

 しかし、管楽器の『輪』に入ってみると、世界は全く違っていたのだ。

 

 低音楽器に中低音楽器が乗っかって、その上にメロディの高音楽器が乗っかってくるこの感じ。いかにも「自分たち低音が曲を支えてます!」っていうような。この感覚は一体……?

 

 舞莉がこれに堪能していると、森本先生が指揮棒で叩いて曲を止めた。

 

「すごい……。」

 

 マッピから口を離した舞莉の最初の言葉である。

 低音パートだけでは掴みづらかった曲も、合奏してしまえば丸わかりだ。

 

「頭から低音全員で。」

「「「はい」」」

 

 最初から低音パートに指導が入るらしい。

 

「ワン、ツー、さん、し、」

 

 最初からの8小節間を吹くと、また止められた。

 

「そこの四分は、書いてませんけどマルカートで。あと、アクセントはもっと出してもいいです。」

「「「はい」」」

 

『バリ、マルカートって何?』

 

 パーカッションでは、あまりマルカートという言葉は使わない。

 

「音ひとつひとつをはっきり演奏することだよ。音が短すぎたり、間延びしすぎたりしたらマルカートにならないから気をつけてね。」

 

『なるほど。』

 

 舞莉はボールペンで『音をはっきり!』と書いておいた。と言っても、五線に重ならないところに。

 

 それ以降の午前中の合奏では低音パートの直されるところはなかった。

 

 他のパートが指摘されるばかりで眠くなってくる。

 午前中でも眠いのに、午後も合奏って……。

 

 主に「〜から全員で。」と言われた時にしか出番がない。

 

『午後もこんな感じなのかな……。』

 

 舞莉は、音楽室の後ろにある時計を何度も振り返って見て、お昼休憩の時間を今か今かと待っていた。

 

「きりーつ!」

 やっと終わった。

 

「ありがとうございました!」

「「「ありがとうございました!」」」

 

 先生に向かって礼をすると、音楽室は一気ににぎやかになり始めた。

 

「あー、お腹空いたーっ!」

 と、足を投げ出して伸びをする高松先輩。

 

 狭い音楽室の少しのスペースを使って、みんなは弁当を食べる。サックスパートは入口付近で食べるらしい。

 

 自分からは話さないものの、舞莉は会話を聞いているだけで、冷たい弁当がおいしく感じられた。

 

 そうだった。パーカスの時は、こういう会話の中にすら入れさせてもらえなかったもんね。

 

 冷たい集会室の床で、壁に背中をつけて食べていた。お腹は空いているはずなのに、ご飯が喉を通らなかった。

 カッションが来てくれてからはマシになったけど。

 

 午後の『全力少年』の合奏は、低音パートに全然指摘が入らなかった。

 

『ねぇ、バリとカッション。やっぱり1番カッコのリズム違うよね。まだ合奏では吹いてないけど。』

 

「ああ、本当はセグレートで教えたリズムが合ってる。」

 

 そう言って、カッションは階名でそこの部分を歌ってみせた。

 

「このペースだと、今日はCの前までしかできなさそうだから......。1番カッコは次回以降の合奏になりそうだね。」

 

 元はもう1箇所間違って吹いていたところがあったが、そこは和香菜が気づいて、パートみんなで修正済みだ。

 

「今度のパート練の時、しれっと吹いちゃいなよ。間違ったリズムが癖になっちゃう前にな。」

 

「うんうん。個人練でいきなり静かになっちゃった時に、苦手なところを練習してるように見せかけて、お手本吹く、とか。」

 

 自分から言えないなら、分かってもらえってことか。

 

『何か、面白くなってきた。』

 

 顧問の専攻がトランペットということもあり、元からあまり低音には指摘してこないらしい。

 指摘されるのを待っているようでは、遅くなってしまうかもしれない。

 

『明日のパート練にでも、しれっとやってみるか。』

 

 本来なら眠くなるはずの今日の合奏は、カッションはバリトンにつき合ってもらい、乗り切ることができた。

 

 だが、眠気覚ましで話し相手にさせられていることを、この精霊たちは知らない。自分たちが寝ている間に、パートナーが居眠りで悩み、ルイザを筆頭に陰口を叩かれていることも。

 

 

 次の日。日曜日なので半日練習だった。基礎合奏とロングトーンの後は、ずっとパート練習である。

 

 もうすぐ2月。さすがに暖房なしの準備室では、指がかじかんでうまく動かないことはよくある。

 おまけに低音域のピッチが壊滅的に合わない。

 

 11時までは個人練習になったので、舞莉は昨日話し合っていたことの潮時を待っていた。『前前前世』を練習しながら。

 

 みんなの集中力が途切れ、音が止まった。

 

 よし、今だ。

 

 舞莉はいきなり『全力少年』の1番カッコを吹いてみせた。迷っているふりをして、もう1度吹いてみる。

 

「あれ、舞莉ちゃん、それじゃない?」

 隣の古崎先輩がハッとしたように、こちらを振り向く。

 

「舞莉ちゃん、もう1回やってみて!」

 

 チューバの竹之下先輩に催促され、「あまり自信ないですけど……。」と言いつつ、カッションから教えてもらったリズムで正確に吹いてみせた。

 

「1番カッコの2拍目の裏の『レ』、『F』の音を長めにとる感じですかね。」

 

 舞莉はそこを指さす。

 

「2拍目の裏のF……。なるほど! さすが元パーカス!」

 竹之下先輩と古崎先輩は、すぐに楽器を構えて、そこの練習をし始めた。

 

「吹けた!」

「うんうん。」

 

 竹之下先輩の顔がパッと明るくなり、古崎先輩はホッとしたように、うなずいている。

 

 地獄耳の舞莉は聞き逃さなかった。

「ちょっと褒められたくらいで調子乗りやがって。」

 

 

 また別の日の合奏。身内の問題が解決した舞莉は、『全力少年』の合奏がより暇になってしまった――はずだった。

 

 舞莉はふとパーカスの方に目を移す。

 

 今日も細川先輩がおらず、大島先輩と司の男子2人だけのパーカス。

 

『大島先輩がドラムやってるって、あの時は考えられなかったことだよね。』

 

『全力少年』のドラムを務める大島先輩は、3年生が引退して、細川先輩が来なくなってから練習を始めていた。

 

『今はすっごくのびのびしてる。ドラムの練習も楽しそうにやってる。本来は、大島先輩ってあんな感じなんだね。』

 

 まだテンポが大幅にブレるが、ドラム歴3ヶ月ならば仕方がない。

 

 

「いくら大島先輩が下手だからといって、馬鹿にしたり物を壊していいわけがない!」

「私は大島先輩を尊敬しています。実力がどうであれ、先輩は先輩ですから。」

 

 

「羽後、昨日は……ありがとな。」

「いえ、大したことは言ってないので。」

 

 やっぱり、元凶は高良先輩だった。高良先輩さえいなければ、こんなに輝いてる大島先輩をもっと早く見られたのに。

 

 舞莉は改めてそう思い、羽を伸ばす大島先輩を見てこみ上げるものを感じた。




【音源】
梁塵秘抄〜熊野古道の幻想〜→https://youtu.be/QvLuzbtSNBk

マードックからの最後の手紙→ https://youtu.be/oU6TN5SuzxA

スクーティン・オン・ハードロック〜3つの即興的ジャズ風舞曲→ https://youtu.be/SfT49Daq6ns

斐伊川に流るるクシナダ姫の涙→ https://youtu.be/_vuHQGpLvp4

マゼランの未知なる大陸への挑戦→ https://youtu.be/cTjeE0GP3cM

キミの夢は、ボクの夢。(パーカスがうるさすぎますが……)→ https://youtu.be/DP3_HQjnlUQ

全力少年→ https://youtu.be/NeJ_oAY7IMA

前前前世→ https://youtu.be/lZCObPU7IMU


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13:三角関係

《登場人物紹介》
羽後(ひばる) 舞莉(まいり)…… 主人公。1年生。サックスパート・バリトンサックス吹き。クラリネットを吹きたくて吹奏楽部に入ったがパーカッションパートになり、先輩からのいじめでサックスパートに移動した。

○カッション…… 舞莉に音楽の楽しさを知ってもらうため、パートナーになった。舞莉のスティックに宿る音楽の精霊。

○バリトン(バリ)…… カッションから頼まれて、舞莉にバリトンサックスを教えるためにパートナーになった。 サックスのストラップに宿る音楽の精霊。

古崎(ふるさき) 美紀(みき)…… 2年生。サックスパート・バリトンサックス吹き。なぜか低音パートリーダー。 舞莉の直接の先輩ではあるが、あまり絡みはない。(お互い受け身なので話さない)

矢萩(やはぎ) ルイザ…… 1年生。低音パート・チューバ吹き。 1年にして、先輩を押しのけてアンサンブルコンテストに出るほどの実力者。

高橋(たかはし) (つかさ)……1年生。パーカッションパート。元はトロンボーンだったが、事情で亜子とパートを入れ替わった。

森本(もりもと) 清朗(せいろう)……吹奏楽部の顧問。今年から南中学校に来たおじいちゃん先生。トランペット奏者。


「舞莉、どうした? 音が弱々しいぞ。」

 

 2月に入り、三送会まであと1ヶ月というところ。朝練習で舞莉が出していた音が、いつもと違った。

 

『ちょっとね、胃が痛くて。何かちゃんと息が入らない。』

 

 ロングトーンをしていると、舞莉は意識が遠のきそうになる。

 ついに目を閉じてしまった。

 

「舞莉、舞莉。」

 

 バリトンの声にハッと目を覚ます。

 

「大丈夫? 寝不足?」

『分かんない。具合が悪いんだか、ただの寝不足か。』

 

 ロングトーンが終わった直後、舞莉の後ろから誰かの独り言が聞こえた。

 

「楽器吹きながらよく寝られるよね。ある意味尊敬だわ。」

 

 どう聞いてもルイザの声だ。

 

 舞莉は痛みに顔を歪め、みぞおちの辺りを押さえる。

 

「アンブシュア練習1番からやります。」

 

 もちろん、そんな舞莉をよそに、朝の基礎合奏は進められていく。

 

「「「はいっ!」」」

 

 肩で息をする舞莉は、再びマッピを咥えた。

 昨日まで普通にできていたはずだったが、うまく息のコントロールができず、音が裏返る。

 

 

 その日の午後練習。パートで三送会の曲を合わせていた。

 

 と言っても、この曲練習でさえつまらないものになっていた。楽譜を見ればスラスラ吹け、大部分は自然と暗譜もできているからだ。

 

 メロディを吹いているならば、音に表情をつけることもできるが、低音はそうはいかない。つけようものなら土台が崩れてしまう。

 

 ハーモニーを作るなら、ピッチを少し高く・低くなどの意識をしなければいけないが、低音は常にピッタリの高さ。チューナーの針が真ん中を指さなければいけないのだ。

 

 正しい音の高さで、正しいリズムで、正しいアーティキュレーション(音と音の繋ぎ方や音の切り方で、音に変化をつけること)で吹けていれば、それ以上のことは求められないのだ。

 

 だから、吹けるようになってしまえばつまらない。巷では有名な『前前前世』でさえ。

 

「意見ある人……はいないよね。」

 低音パートリーダーである古崎先輩が舞莉たちに尋ねる。

 

「特に言えることはないですね……。」

 ルイザは申し訳なさそうに肩をすくめる。

 

『えっと……バリからは何かない?』

「それがさ、パートではちゃんと合ってるから、言うことないんだよ。あとは個々の問題。」

 

 そっか……と舞莉はつぶやく。

 

『カッションは――』

「俺は管楽器のことは分からねぇって。それより、隣から聞こえるテンポブレブレのドラムの方が、気になってしょうがねえ。」

 

 このドラムは『前前前世』である。が、テンポが速い上に十六分音符のスネアが遅れている。

 

『しょうがないよ。司だってドラム初めてなんだから。初めてのドラムが前前前世って、かわいそうだけど。』

 

 代わりに私がやってもいいんだよ、と、舞莉。

 

「『Under The Sea』のダンスも、ここじゃ狭くてできないから……とりあえずまた合わせてみる?」

 

 古崎先輩は、メトロノームのゼンマイを巻き直し、テンポ200で振り子を動かした。

 

「最初は休みだから、5小節目のアウフタクトからやります。」

「「はい」」

 

 吹き終わると、また沈黙が流れる。

 

「……大丈夫そうだね。ユーロビートやろうか。」

 

「何だかんだ、ユーロビートが1番難しいですよね。」

 舞莉はファイルをめくりながら言った。

 

「分かる。ずっと裏拍だからね。」

 と、竹之下先輩。

 

「やりまーす。」

「「はい」」

 

 メトロノームがテンポ152で動き始める。

 吹き始めて、やっと課題が見つかった。

 

「ストップ、ストップ!」

「裏拍が遅れるー!」

「最近やってなかったからダメだぁ!」

 

 勝手に個人練習が始まった。一方、舞莉はというと。

 

『バリ、カッション、私できてた?何とか食らいついたんだけど。』

 

「「他の人よりできてる。」」

 

 首元と吹部バッグの中からの声が重なってハモった。

「まぁ、パーカスの時も裏拍でタンバリン叩いてたからな。慣れっこだろ。」

 

「普通は息のスピードが足りなくて遅れてくるんだけど、舞莉は速いからできてるんだよ。」

 

『そんなに速い?』

 

「正直言うと、古崎先輩より速いと思うよ。」

 

『そうなんだ。裏拍はできるけど、まだ低音域の部分が安定しないから練習はするけど。』

 

 舞莉も個人練習を始めた。

 意外なところに節穴があったみたいだ。

 

 しかし、個人練習をしていくうちにまた退屈になり、目が塞がる。

 

 何かが舞莉の肩に乗った。いつもなら居眠りして起きた後の目はパッチリしているが、今日は完全に据わっている。

 

「起きろー。」

 3頭身姿のカッションが舞莉の頬をつつく。

 

「……舞莉、テスト2週間前だし、セグレート練習は一旦中止にしよう。」

 

 ストラップから離れたバリトンが、3頭身の姿で、目の前のクラリネットの棚に座った。

 

『でも……まだマーチとかが全然吹けてないよ。』

 

「舞莉は学生だ。部活はその付随にすぎないからね。」

 

『……分かった。』

 

 部活は学業の付随にすぎない――。言われてみればそうだった。吹部に入ってから部活中心の生活をしてきたけど、本業は勉強だもんね。部活で無理して、それが勉強に影響が出ちゃったら元も子もないか。

 

「今日は早く寝よう。朝から体調悪そうだし。」

 

 

 部活が終わって家に帰り、モコモコのパジャマを来た舞莉は、夕食を食べないまま自分の部屋に入ってきた。

 

 2階は人気もなく冷えきっている。

 

「舞莉、もう寝るの? 夜ご飯は?」

 

 舞莉の机を借りて、何やら勉強をしているようなバリトン。

 

「胃が痛くてお腹空かない。」

 

「食欲ねぇのか?」

 

 舞莉のベッドに座って、カタログのようなものを見ているカッション。

 

「うん……。」

「ねぇ、舞莉。何か隠してることない?」

 

 舞莉のこめかみがピクっと動いた。

 

「カッションから聞いたよ。舞莉はストレスを抱えると、胃が痛くなって食欲もなくなるって。」

 

「いや、部活には関係ないから。大丈夫。」

「舞莉。」

 

 カッションの隣に座った舞莉を、バリトンの鋭い視線が貫く。

 

「実際、今日の部活でも出てたからね。隠さないで教えてほしい。」

 

 これはもう、言うしかない。

 

「実はね……さっきの部活みたいに寝ちゃうやつ、今日だけじゃなくて――」

 

「ずっと前から。でしょ? 授業中に。」

 

 どうして……。

 

「いつもの感じからしてね。少しでも退屈な時間があると、あくびして眠そうにしてたから。これなら授業中もそうじゃないかなって。」

 

「だったら、何でバリもそのことが気になってるって言わなかったの。」

 

 バリトンは「それは……」と言って黙りこむ。

 

「……それを気に病むほど気にしてるとは思わなかった。居眠りがストレスになってるとは考えもしなかった。疲れてるんだろうけど、セグレート練習のことは何も言ってこないし、大丈夫なのかなって……。」

 

「じゃあ、舞莉は何で俺たちに相談してこなかった?」

 

 カッションがパタッとカタログを閉じ、横にいる舞莉の方を向いた。

 

「早くみんなに追いつきたかった。遅れてる分、練習量を増やさないといけないって……。確かに先輩から褒められるくらい上達したのかもしれないけど、代わりに寝不足になって、授業中もよく寝ちゃうようになった。それでもセグレート練習は減らしたくなくて。」

 

 今まで我慢していた気持ちが、涙に変わってあふれ出す。

 

「あと……毎日、こうやってバリが頑張ってくれてるから、自分から弱音が吐けなかった……。」

 

 すると、バリトンはサッと立ち上がって、舞莉の頭にポンと手を置いた。

 

「なるほど。そういうことだったんだね。」

 

 舞莉と目を合わせず、バリトンは口を開いた。

 

「僕はカッションみたいに勘が鋭くないから、こうやって色々知識として勉強しなきゃいけないんだ。人間のこととか、日本の部活事情とか。……知識で補ったが故に、相手の気持ちに気づけない。感覚として。」

 

 確かに、カッションは見た目とは裏腹に勘が鋭い。初対面の時だって、自分のあの説明でよく分かってくれたよね。部活の事情も高良先輩のことも何も知らないはずなのに。

 

「ごめんね。努力はしてるんだけど……まだ鈍感なんだね、僕。」

 

「でも、さっきはまるで、とっくに気づいてたような感じで言ってたけど。」

 

「ああ、あれはカッションが『セグレート練習を毎日にしてから、舞莉が疲れてそうにしてる』って言ってくれたんだ。」

 

 カッションが……?

 

「ほ、ほら、結局あいつが引退するまで、舞莉の問題は解決できなかったんだからな。だから、その反省としてバリに言ってやっただけだ。」

 

 少し顔を赤らめて、カッションはそっぽを向く。

 

「管楽器はどれくらい練習しなきゃいけねぇのか、俺にはさっぱりだからな。あくまで助言だ、助言。」

 

 舞莉の目にはまた大量の涙が浮かんだ。

 

「カッション、ありがとう。バリも、分かろうとしてくれてありがとう。あと、パートナーなのに相談しなくてごめんなさい。決して、信用してないとかそんなことじゃなくて――」

 

 バリトンはいきなり舞莉を抱き寄せた。

 

「お互いを思いやったが故に、すれ違った。そういうことだね。」

 

 カッションはあんぐりと口をあけ、目も見開いている。

 

「どう? 話して少しは楽になった?」

 

 バリトンの鼓動を感じ、呼吸ができなくなる舞莉。

 

「ちょっと、違う意味で苦しいかも。」

 

「ば、バリ!お前っ!」

 

 カッションの声に我に返ったバリトンが、慌てて舞莉を突き放す。

 

「ぼ、僕ってば、な、何を……。」

 

 舞莉は、こちらをにらむカッションと、パニックになっているバリトンを交互に見つめる。そのバリトンの顔は真っ赤になっていた。

 

「これは……三角関係? 私みたいな変人を?」

 

 間に挟まれてしまった舞莉は、あることを思いつく。

 

「あ、そうだ。2人とも、学校の時みたいにちっちゃくなって。」

 

 舞莉は3頭身のバリトンを拾い上げ、3頭身のカッションを手に乗せ、2人まとめて抱きしめる。

 

「さっき泣いちゃって眠いから、このまま一緒に寝よう。」

「「ちょっと!」」

 

 精霊たちの声が重なる。

 

「あー、2人の間で寝られるなんで、幸せ。」

 

 そんな舞莉に、カッションとバリトンは抵抗することができなかった。

 

 結局、セグレート練習は前の1日置きに戻し、定期テスト2週間前からなしとなった。

 

※本日の睡眠時間:12時間

 

 

 期末テスト直前、ようやく三送会の曲順が決まった。

 

「曲順言うから、メモってー」

 

 舞莉は、三送会で演奏する曲の楽譜すべてを、ファイルから抜き出している。

 

「1番『マーチ・スカイブルー・ドリーム』、2番『キミの夢は、ボクの夢。』、3番『Under The Sea』、4番『全力少年』、最後が『前前前世』で、アンコールは『ユーロビート』です。」

 

 言われた通りに楽譜を並び替え、またファイルにしまった。

 

「テスト休みに入る前に、Under The Seaのダンスをもう1回やっておきたいので、午後の1時間、ダンスやります。お弁当食べて、1時半から始めます。1時半から始められるように時間厳守でお願いします。」

「「「はいっ!」」」

 

 そういう時に限って、最高気温6度とかおかしいだろ。絶対ピッチ合わないって。

 

「こんな寒いんじゃ、フルートとかクラとかのトリルキツそう。」

 

 なぜか他人の心配をする舞莉の目の先には、案の定渋っているフルートとクラリネットの人たち。特にクラリネットは寒暖差に弱いことを、クラリネットが吹きたかった舞莉は知っている。

 

「私も、なるべく息入れてネックあっためておこ。」

 

 暖房がなく、ストーブ1台しかない音楽室では、低音域のピッチを合わせるのをほぼ諦めている。ストーブは、寒暖差に弱いクラリネットのそばに置いているため、反対側の低音パートの方には届くはずもない。

 

「今日の個人練は、曲順に吹いてみよっかな。」

 

 どうやら、今日は寝ないで済みそうである。

 

 司会の2人は、司会進行の原稿や、イントロクイズやら寸劇やらの発表原稿を作り、『キミの夢は、ボクの夢。』で3年生を数人巻きこんで一緒にダンスをするとか、演奏以外のことも、舞莉の知らないところで着々と進んでいる。

 

 

 午後のダンス練習の時間になった。舞莉は唾ぬきタオルを持って中庭に行った。

 

 他の人が並んでいる配置からして、これは曲の最初から通してやりそうだ。

 

「それじゃあ、最初からやりまーす。」

「「「はいっ!」」」

 

 最初は自分の席で座って吹き、順番に立ち上がって、3年生の席を囲むような配置で吹く。……ここは外なので最初から立って吹くが。

 

 今日は珍しく細川先輩が来ている。この曲のドラムをする細川先輩は、スティックどうしを叩き合わせてテンポを示す。

 

 曲の2番に入ると、まずはトランペットとトロンボーンが、次にホルンとユーフォニアムが、その次にクラリネットのセカンド・サードとバスクラリネットとサックスと低音が、最後にフルートとクラリネットのファーストが、移動を始めた。

 

 他の人より少し移動距離が長い舞莉は、少し早足で歩く。何とか間に合った。

 

 まだ立奏に慣れない。座って吹くのとは少し楽器の角度が違うからだ。

 

 ユーロビートより同じ音が連続しない上に、低音域の音ばかり吹くので、息が持っていかれる。

 

 ダンスではベルアップ(楽器と上半身の間に90度以上の角度をつけること)や、しゃがむ動作もあり、バリサクを地面や隣の人にぶつけないように細心の注意を払わなければいけない。

 

『はぁ、やっぱりキツい! 絶対下に長い楽器の人のこと考えてない振りつけだよ……!』

 

 しゃがむ時に中腰になる舞莉は、既に足が痛くなっている。

 

 「もう1回やります!」

 

 え……?

 

 無情にも、トロンボーンの板倉先輩はまた通しで吹くと言うのだ。

 

「舞莉、頑張って。それしか僕には言えないし……。」

 

 バリトンの声に少し励まされる舞莉だったが、5回連続で吹いたせいで、舞莉の腰と右太ももが悲鳴をあげた。その上、下が土なので楽器も下ろせない。首と肩もやってしまった。

 

 

 家に帰ってから提出物をやろうとした舞莉だったが、座っているだけでも腰がズキズキと痛み、仕方なく今日は断念することにした。

 

「……休みの前にたくさん練習しておきたい部長の気持ちは分からなくもないけどよ……ボーンだから分かんねぇよな。」

 

 先日、カッションは肩こりに悩む舞莉を見て、自分もバリサクを持ってみる、というのをしていた。ティンパニなどの重たい楽器を扱うのに慣れているはずのカッションが、「あっ、これは確かに首と肩にくるな……。」と言っていたのだ。

 

「冷たっ!」

 バリトンに湿布を貼ってもらっている舞莉。

 

「あのダンス考えたのって、あのフルートとアルトの先輩だよね?」

 

「たぶん。」

 

「小さい楽器だと、大きい楽器の人のことはどうしても盲点になっちゃうよね。僕たちが小さい楽器のことは分からないように。」

 

 バリトンは舞莉の肩をもみ始める。

 

「って、舞莉。バリに甘えすぎじゃね? 肩もみまでさせてよ。」

「いいんだよ、僕がやりたいだけだから。」

 

「あのなぁ…………はぁ。」

 頭を掻きむしったカッションは、何かぶつぶつ言いながら部屋を出ていった。

 

 こんな陰キャメガネに惹かれるなんて、何かかわいそうに思えてくるんだけど……。カッションはまだしも、バリは他の人間とパートナーになったことがあるはずなのに。

 

 いつか、カッションが言っていたことを思い出す。

 

「舞莉はやると決めたことには一所懸命、最後まで頑張れるよな。でも、それをやり通そうとして無理をしすぎる。疲れてるのに疲れを感じられないくらいに。何か危なっかしいって言うか、誰か見てないと舞莉の体が壊れそうで、放っておけねぇんだよ。」

 

 ああ、きっとそういうことだ。だからさっき、何も言わずにバリが肩をもんでくれたんだ。

 

 ずっと私は一匹狼だと思ってきたけど、独りじゃだめなんだね。

 

 舞莉は腰を押さえながらベッドに入り、目を閉じた。




【音源】
前前前世→ https://youtu.be/lZCObPU7IMU

Under The Sea→ https://youtu.be/izw8DHTPX8M

ユーロビート・ディズニー・メドレー→ https://youtu.be/jPaktZbnrVY


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14:三送会

《登場人物紹介》
羽後(ひばる) 舞莉(まいり)…… 主人公。1年生。サックスパート・バリトンサックス吹き。クラリネットを吹きたくて吹奏楽部に入ったがパーカッションパートになり、先輩からのいじめでサックスパートに移動した。

○カッション…… 舞莉に音楽の楽しさを知ってもらうため、パートナーになった。舞莉のスティックに宿る音楽の精霊。

○バリトン(バリ)…… カッションから頼まれて、舞莉にバリトンサックスを教えるためにパートナーになった。 サックスのストラップに宿る音楽の精霊。

矢萩(やはぎ) ルイザ…… 1年生。低音パート・チューバ吹き。 1年にして、先輩を押しのけてアンサンブルコンテストに出るほどの実力者。

古崎(ふるさき) 美紀(みき)…… 2年生。サックスパート・バリトンサックス吹き。なぜか低音パートリーダー。 舞莉の直接の先輩ではあるが、あまり絡みはない。(お互い受け身なので話さない)

高良(たから) 祐介(ゆうすけ)……3年生。元パーカッションパート。舞莉や大島先輩に些細なことでも怒鳴り散らし、舞莉の心を疲弊させた張本人。

細川(ほそかわ) 志代(しよ)……2年生。パーカッションパートリーダー。耳の病気で部活を休みがち。

大島(おおしま) 和樹(かずき)……2年生。パーカッションパート。高良先輩から理不尽にいじめられていた。

高橋(たかはし) (つかさ)……1年生。パーカッションパート。元はトロンボーンだったが、事情で亜子とパートを入れ替わった。

森本(もりもと) 清朗(せいろう)……吹奏楽部の顧問。今年から南中学校に来たおじいちゃん先生。トランペット奏者。


「はぁ、手が死ぬ!」

 

 舞莉は、A3の紙2枚と問題用紙と解答用紙と模範解答を机に広げて、ボールペンを手に格闘していた。

 

「舞莉……何これ。」

 舞莉の後ろから怪訝そうな顔で覗いてくるバリトン。

 

「いつものだよ。理科の頭がイカれてるデブ。」

 

 A3の紙のうちの1枚には、問題用紙をそのままボールペンで写したものが書かれており、もう1つのA3の紙には、間違えた問題の正答が10回ずつ書かれている。

 

「前回より問題の量すごいね……。」

 

 今回の学年末テストの理科は、50分試験で100問もある問題だった。すぐに答えられるような問題ばかりではない。計算問題ももちろんある。

 

 この問題を作ったのは、あの尾越先生だ。「30秒に1問解けば間に合う量だからな」とか、意味不明なことを言っていたが。

 

「どうしてそんな思考になるんだか。成績つけるためにこんなに問題数は必要ないし、問題用紙の写しとか、意味不明。舞莉、平均点は?」

 

「23.8点。」

 

「うわ。舞莉は?」

 

「47点。」

 

「お前、すげぇじゃん!」

 

 舞莉のベッドに当たり前のように寝っ転がっていたカッションが、いきなり起き上がった。

 

「カッション、見てやんなよ。舞莉の頑張りを。莫大な問題数に立ち向かって、テストが終わった今はこんなことやってるんだから。」

 

「へいへい。……うへぇ。何じゃこりゃ。って、解答する時ボールペンなのか!」

 

「シャーペンだと薄い奴がいるからだって。ボールペンだと慎重になるから、答えるスピードが落ちちゃうんだよね。ホントに大変だった。」

 

 同時にため息をついた3人の考えていることは同じである。

 

 バカかよ。

 

「それに吹部は目をつけられてる。点数が悪かったり、問題用紙の写しと解き直しがちゃんとできなかったら……。」

「新10ヶ条の9を破ることになる。」

 

 バリトンの真面目な答えが返ってきた。

 

「バリならこの問題、最後まで解けそう?」

 

「うーん……全部の答えは出せなくても、何かしらは書けそう。解答欄を埋める努力くらいしかできないかな。」

「バリでさえもかぁ〜。」

 

 カッションとは真逆で頭がいいバリトンでも、それが精一杯らしい。

 

「カッションには最初から聞かないけど。バリ、手伝ってよぉ〜」

 

「ダメ。字でバレるよ。」

 

「あうぅ……。」

 

 

 次の日。

 

「やばい、すごい眠い。」

 

 朝起きた瞬間からの体のだるさと眠気に、舞莉は目が回りそうになった。昨日寝たのは3時である。あの後、途中で何度もウトウトしてしまい、紙の上には修正テープがあちこちに引かれている。

 

 当然、授業中は地獄だった。

 

『ダメだ、全然集中できない。昨日セグレートに行ったわけでもないのに。』

 

 起きないと。板書とらないと。

 

「また寝てる。」

 

 少しのささやき声に眠気が吹き飛んだ。しかし5分後には突然目が塞がって、また舞莉の頭は下を向いた。

 

 

 休み時間になると、あちこちからコソコソと声が聞こえてきた。

 

「あいつほとんど寝てたぞ。どんだけ眠いんだよ。」

 

 ああ、また言ってる。

 

「先週なんて、先生の説教中に寝てたからな。ありえない。」

 

「あんだけ先生に起こされて恥ずかしくないのか? まぁ、恥ずかしくないから同じことを繰り返すんだろうね!」

 

 私だって、寝たくて寝てるわけじゃない。とても寝られないような場でも眠気が襲ってくるのだ。

 今日は寝不足というのもあり、いつもよりひどいのだが。

 

 

 音楽室の準備室に置いてある吹部バッグの中で、カッションとバリトンはそれぞれスティックとストラップに宿って寝ている。昼間寝ている2人には、舞莉が『あの時』並に心が折れそうになっているのを知らない。

 

『うっ……胃が痛い……。お腹が空くと痛くなるんだよなぁ。』

 

 風邪予防でしているマスクの裏側で、舞莉が歯を食いしばって授業を受けていることなど、知る由もない。

 

 

 結局どの授業でも寝てしまった舞莉は、起きていられなかった無念さと、周りからブツブツ聞こえてくる陰口で、すっかり沈みこんでいた。

 

「寒い。」

 

 無駄に通気性がいいジャージのせいで大してあたたかくなく、中にセーターを着ても足が冷えてしまう。

 かじかんだ手で冷えきったバリサクを持ち、少しはあたたかい音楽室でパート練習の準備をしていた。

 

 低音パートの全員が集まった。

 

「みんな、ちょっと音楽室の外に来てほしいんですけど。」

 

 ここで、ルイザが手を挙げて尋ねてきた。

 

「あっ、舞莉はいいから。」

 ルイザの声のトーンが下がる。

 

 私はいいって、どういうこと?

 

「何だ……? 舞莉だけ抜きって怪しすぎだろ。」

 

 スティックから離れて等身大の大きさになったカッションが、ルイザを目で追いながらあごに指を当てた。

 

 ガチャッとドアが閉められる。

 

「先輩、また舞莉寝てたんですよ! しかも今日は全部の授業で!」

 

 舞莉の地獄耳ははっきりとルイザの声を捉えた。

 

「えっ、またぁ!?」

 ユーフォニアムの奈乃歌(なのか)の声もした。

 

 元々耳がいい精霊たちも、どうやら聞こえたらしい。

 

 しっかり聞こうと、舞莉はバリサクを置かずにドアのそばまで近寄って、聞き耳を立てた。

 

「古崎先輩、どう思います?」

 

「ど、どうって……。」

「だって、新10ヶ条に『授業にしっかり取り組む!』がありますよね。舞莉のせいで、守れてないって見られてるかもしれないんですよ! そしたら吹部が……。」

 

 ルイザの声が震えているが、本気なのか演技なのかは分からない。

 

「それは……。」

 

 ルイザに押されて、古崎先輩は黙ってしまった。

 

「先輩からも何か舞莉に言ってくださいよ! 舞莉のせいで部活できなくなるかもしれないんですよ!」

 

「う、うん。分かった。」

「あの尾越先生の授業で寝てるんですからね! 緊張感ないし、個人練で寝るくらい集中力ないし、何のために学校に来てるんですかね?」

 

 ルイザのあざ笑う声。

 

「確かに、寝不足ならちゃんと寝てほしいよね。」

 

 ついに、古崎先輩がルイザの言うことを肯定した。

 

『……。』

 

 どこか信じていた自分を殴りたかった。古崎先輩もそう思ってたんだ。そうだよね。授業中も部活中も寝てる奴なんて、そう思われちゃうよね。

 

 違うのに。セグレート練習を止めてもどんどんひどくなるだけなのに。ちゃんと寝てるのに……。

 

 誰かがドアノブをひねった。

 

 舞莉はサッと自分の席に戻ろうとするが、

「ちょっと、聞いてたでしょ!」

 ドアから覗くルイザの声に足が止まる。

 

「聞いてたんなら、私が言いたいこと分かるよね。」

 

 音楽室に入ってきて、舞莉をにらみつける。

 

「あんたのせいで部活停止になるかもしれないんだよ! 関係ないうちらも連帯責任で!」

 

 実際寝ているのは確かだ。言い返す言葉がすぐに見つからない。

 

「……今日は本当に寝不足だった。例の理科のやつやってたから。前にも言ったと思うけど、いつもはちゃんと寝てる。だから、直せって言われても……。」

 

 チッと舌打ちするルイザ。

 

「ちゃんと寝てるなら起きてられるでしょ。そう言っといて夜更かししてるくせに。」

 

「してないよ!」

 

 舞莉はそう叫んで肩を震わせる。

 

 舞莉は家に帰ってからは最低限のことしかしていない。学校の宿題や提出物、習い事の宿題くらいだ。予習・復習など、睡眠時間を考えるとやっている暇などない。

 

「みんなだって疲れてて眠い時は結構あるけど、みんな我慢してるの。あんたは『起きよう』っていう気合とか意志が足りないんだよ!」

 

「『起きなきゃ』とは思ってるよ。居眠りがいけないことは分かってる。でも、気合とかそういう問題じゃない。気合で乗り切れるならとっくにできてる。」

 

「あのね、ちゃんと起きてくれないとこっちが困るの!」

 

 遠巻きで状況を伺っていたカッションは、強くうなずいた。ポケットからブローチを取り出して指でポンと触れる。

 

「誰がの居眠りのせいで、この間みたいな急な活動停止にはならないと思うぞ。」

 

「えっ?」

 

 ルイザは舞莉より奥の方を見ている。が、そこに人影はない。

 

「舞莉が毎時間寝てる時もあるっていうのは初耳だったけどよ、居眠りで活動停止になるか? 他の人間も、授業中寝てるだろ。」

 

 ここで初めてルイザの口が塞がった。思い当たる節があるのだろうか。

 

 バリトンもブローチに触れて、舞莉以外の人間との会話ができるようにした。

 

「吹部が目をつけられてるのは分かってるよ。でも、『〜が俺の授業で寝てたから、吹部は活動禁止だ』とはいきなりならないはず。まずは本人に忠告するだろう。」

 

 目に見えない存在からド正論を言われて、ルイザは下を向いた。

 2人のおかげでルイザの勢いが止まり、舞莉は1つ1つ言葉を考えながら言った。

 

「私は忠告されてないから平気、だとは思ってない。寝ちゃって板書が取れなくて、テスト前になって教科書読んで詰めこんだり、部活中、眠過ぎて曲1曲もまともに通せなかったりする時は、自分が嫌になるよ。2人が起こしてくれる時はあるけど、それでも限界で。」

 

「2人?」

 

「そこにいる2人。さっき喋ってた。ルイザは見えないと思うけど。」

 

 舞莉の言葉にルイザが怪訝そうな顔をしたその時、

 

「そこで何してるんですか。」

 音楽室の前から森本先生の声がした。

 

「あ、すみません!」

 

 舞莉とルイザ以外の低音パートの人たちが音楽室に入って、何事も無かったかのように、自分たちの席に座る。つられるようにして、舞莉とルイザも席についた。

 

 音楽室に先生が入ってきたので、曲練習をせざるをえない。

 

「じゃ、じゃあ、『スカイブルー』やります。」

 

 メトロノームのゼンマイを回し、テンポ126にして動かし始めた。

 

 ――堤防決壊まであと9日――

 

 

 次の日の三送会前日。午後から舞莉たちは体育館の装飾をし、2年生と合同で出し物の練習をした。

 

 それも終わって放課後になると、各部活の出し物のリハーサルだ。片づけに時間がかかる吹部は一番最後である。

 明日の本番は、開会式の直後に吹部が演奏する。

 

 部員は体育館の両端に、舞莉はステージから見て左端に並んだ。開会式はここで聞くらしい。

 

 

 とりあえず全部を通して演奏した後、『Under The Sea』のダンスをする位置を確認した。思っていたよりも移動距離が長く、さっきは間に合わなかった。

 

『よし。』

 

 今度は吹きながら歩ける最速の速さで行って、ギリギリ間に合った。早歩きでぎこちないかもしれないが。

 隣の人との間隔はだいぶ空いているので、隣の人に楽器をぶつける心配はなさそうだ。

 

「うん、みんな間に合ってたし、いいんじゃない?」

 体育館の2階から見ていた部長が、両腕で丸を作った。

 

「先生、演奏面は……」

 副部長の佐和田先輩が、体育館の後ろで聴いていた森本先生に問いかける。

 

「まず、全体的にピッチが合ってなかったですね。ここが寒いので仕方ないところもありますが、開会式中も、楽器に息を入れてあたためておいてください。」

「「「はいっ!」」」

 

「まぁ、低音パートは合ってたけどね。」

 と、首元からのバリトンの声。

 

『ほんとに?』

「ちゃんとあっためてたからね。低音域の音も合ってたよ。」

『よかったぁ!』

 

 低音域のピッチを合わせるのは半ば諦めていた舞莉だった。

 

「明日もこの調子でな!」

 

 親指を立てたカッションは、「あと、キックベースの音量がデカすぎるって言っておいてくれ。体育館だと響くからな。」とつけ加える。

 

『私が言うの?』

「ああ、よろしく。」

 

 パーカスから身を引いた私が言える分際ではないのに。まったく。

 

「あっ、そうだ、司。全体的にキックベースがちょっと出すぎかなって思ったからよろしく。」

「オッケー。てか、よく分かったな、羽後。」

 

 やっぱり気になるよね。司も元々トロンボーンだったし。

 

「ほら、休みのところでそう思っただけ。あと、ドラムとベースラインはちゃんと合わせなきゃいけないから、よく聞いてるんだよね。」

「そ、そっか……。大島先輩にも言っておくから。」

 

 それっぽい言い訳できたかな。ふう。

 もう、あの2人は私がドラム叩けること知らないんだからね。

 

 

 リハーサルが長引いてすっかり真っ暗な夜道を、舞莉は2人の精霊とともに帰った。

 

「カッション、明日も例のやつお願い。パーカス3人しかいないからさ。」

「おう、分かってる。」

「水明祭の時より忙しいけど、大丈夫?」

「俺は音楽の精霊だぞ? たった30分40分でバテてどうする。」

 

 そう笑い飛ばすカッションに、バリトンは目配せをした。

 

「僕もそろそろ……能力(ちから)出してもいいかな。」

「いいんじゃね?」

「何、バリの能力(ちから)って?」

 

 カッションの能力(ちから)は、『ノンビット演奏会』。楽器を使わなくても演奏でき、同時にいくつもの楽器を演奏できる上、その音を出すところを自在に操れる、というものだ。打楽器に限るが。

 

「カッションよりは地味だけど……、『縁の下のオーガナイザー』っていうんだけどね。オーガナイザーっていうのは『まとめ役』とかそんな意味。どうやら、僕がいるとソロの成功確率が上がったり、楽器の音量バランスがよくなったりするらしいんだ。カッションから言われて気づいたから、僕自身、どんな能力(ちから)なのかはよく分からないんだけどね。」

 

 幼いうちから能力が開花したカッションとは違い、バリトンの能力(ちから)が開花したのはつい最近らしい。ゆえにカッションほど能力(ちから)の及ぼす影響が分かっていない。気づかないだけで、バリトンの能力(ちから)が他のことにも及んでいる可能性があるそうだ。

 

「そうなんだ、ソロの成功確率が上がるのはいいね! ……バリ自身も分かってない能力(ちから)かぁ。だから今まで言わなかったの?」

 

「うん……。明日も『スカイブルー』はソロあるし、僕がサポートできればいいなって。」

 

「1週間に2回くらいしか成功できてねぇからな。バリの能力で成功させてやって、佐和田をたたせてやれ。」

 

 バリトンの肩を叩いて励ますカッション。

 

「さぁ、舞莉がサックスに移ってからの初舞台でもあるからな。舞莉、バリ、頑張ろうぜ。」

 

 舞莉とバリトンは、カッションが差し出した握りこぶしに、自身のこぶしをぶつける。

 

 ……バレなかった。い、痛い……。さっきからずっと。

 

 ――堤防決壊まであと8日――

 

 

 3月8日、三年生を送る会 本番。

 

 今日はみんな制服で、ブレザーは脱いでいる。もちろん寒い。

 舞莉は必死にバリサクに息を入れて温めている。

 

 こういう日に限って、最低気温マイナス4℃、最高気温5℃っておかしいだろ。

 

 開会式が終わり、「準備がありますのでしばらくお待ちください」の司会の言葉で、体育館の両側から自分の席に移動する。椅子の下には魚のヒレつきのポンチョ(フェルト製)、ユーロビート用のカチューシャ、つば抜きタオルが置いてある。

 

「それではさっそくまいりましょう! 吹奏楽部による演奏です。」

 

 三送会の司会の人のアナウンスで、森本先生がパーカッション側から現れて真ん中に立つと、生徒や保護者に向けて一礼をした。拍手されながらこちらに向き直り、両腕を上げた。

 

 舞莉はマッピをくわえ、低いレの運指で構えた。

 パーカッション側にいるカッションは、両腕を交差させて浮き上がった。

 ストラップから離れているバリトンは、霧状になって姿を消した。

 

 あちこちにバリトンの気配がするのは気のせいであろう。

 

 人数が足りなくてないはずのグロッケンの音が、フルートの音に乗っかってキラキラと響く。

 

 最後の佐和田先輩のトランペットのソロ。成功率7分の2だが音が上ずることなく成功した。

 

『よし!』

 舞莉は心の中でガッツポーズをし、マッピをくわえ直して吹き切った。

 

「みなさん、こんにちは! 南中学校吹奏楽部です。」

 司会の高松先輩とフルートの先輩が声をそろえた。

 

「ただいまお送りした曲は、矢藤学作曲の『マーチ・スカイブルー・ドリーム』でした。」

 

 2回目の司会だからか、水明祭の時より早口ではない。それでも少し声は震えている。

 

「次の曲は"……ゴホン、あ"ー、あれ?」

 フルートの先輩の声が急にかすれる。本番になってかすれ声のクオリティが何倍にも増している。

 

「どうしたの?」

「何だか"、のどの調子が……。」

「それなら……あの『魔法の水』を飲めば治るよ!」

 

 高松先輩は、クラリネットの先輩からペットボトルを受け取り、フルートの先輩に手渡す。

「飲んでみて。」

 

 ふたを開けて飲む仕草をすると、のどに手を当てて声を出してみる。

「あ"ー、あー、あー、あっ! 治った!」

「よかったー!」

 

「ところで、この魔法の水って何なの?」

「そ・れ・は……。」

 高松先輩はいじわるそうに笑う。

 

「♪キミは負けず嫌いなマイボーイ 夢を叶えて」

「♪あたしアンタのママじゃないわ 見つめるマネージャー」

 

 司会以外の部員全員で、『キミの夢は、ボクの夢。』の冒頭を歌った。

 

「あっ、ポカリだ!」

「……ということで、次の曲は、ポカリスエットのCMで話題になった『キミの夢は、ボクの夢。』です。」

 

 無理やり曲紹介に繋げた司会に、舞莉は苦笑いしそうになりながらバリサクを起こした。

 

 パーカッションのソリの前に、水明祭でダンスをした佐和田先輩とホルンの先輩が立ち上がった。

 2人は、ダンスが得意な吹部の先輩を連れてきて、一緒に『ポカリガチダンス』を踊り始める。

 

 さすが3年生と言わんばかりに、キレキレのダンスを披露した。

 

 

 最後の『ユーロビート』まで演奏が終わった。

 

「これからも、南中吹奏楽部をよろしくお願いします!」

「「「お願いします!」」」

 

 拍手の中で礼をし、顔を上げた。演奏中は気づかなかったが、一番前に涙目の山下先輩の姿があった。

 ふと、仮入部の時を思い出す。

 

 そう言えば、私ってクラ吹きたくて吹部に入ったんだった。メロディ吹きたかったのに、パーカスに。サックスに移ってアルトやテナーもあるのに、バリトンに。

 あはは、真逆行ってんじゃん。

 

『うわ、高良先輩あそこにいたんだ。』

 

 久しぶりに見たあの姿。見たくはなかったけど、虐げられた日々ももはや懐かしく感じるなぁ。カッションなしじゃ、ドラムの練習すらできなかったんだからな。

 

 まぁ、許しはしないけど。

 

 三送会が終わって片づけていると、家路につく3年生たちとばったり会った。その中に耳障りな声も混じっている。

 

「おーい、司! 今週の土曜もやるんだって? 俺見に行ってもいい?」

「いいですけど、三送会とやる曲同じですよ?」

「別にいいよ。さっき、前の人が邪魔で全然見えなかったからさ。てことで、頑張ってねー! 1番前で見てるから!」

 

 改めて聞くと、気持っち悪い声してるよなぁ。昼に食べた給食のクリームシチューが出てきそうだわ。

 

 舞莉はお花紙の飾りがたくさん入った、沢戸市指定のゴミ袋を持って2人の前を通り過ぎる。

 

『高良先輩、土曜日のスイメイモールにも来るらしいよ。1番前の席にいるらしいから。』

 両肩に乗る精霊たちに告げる。

 

「うーわ、マジかよ。」

 ゴールデンタイムで関わっていたカッションは、露骨に顔を渋らせる。

 

「そ、そうなんだ。」

 話しか聞いたことのないバリトンは、苦笑いをするしかない。

 

『それはともかく……ユーロビートのソロ、やっぱり物足りない感じだったよね。先輩たちの反応も悪かった気がする。』

 

『ユーロビート』のドラムは、もちろん、アンサンブルコンテストでもドラムを務めた細川先輩だった。しかし耳が悪いらしく、ドラムの爆音が耳に悪いため、耳栓をした上にドラムのソロも短めで、あまり激しく叩かないようにしていた。

 

 先輩が休みがちなのも、そういう理由なのである。水明祭の時は大丈夫そうだったので、その後に発症したのだろう。

 

「あぁ、ホントはドラムも叩かねぇ方がいいんだけどなぁ。しょうがねぇ、男2人が叩けねぇんだからよ。」

 

「これも、『あの人』のせいだね。」

 バリトンはため息をつく。

 

『結局、パーカス1年生の初期メンは全員いなくなったとさ。亜子はトロンボーンに行ったし、大山と菜々美は辞めたし、私はサックスだし。パーカスに残ったのは、耳に爆弾を持つほぼ不在のパートリーダーと、高良先輩のせいでドラムも鍵盤もできない大島先輩と、鍵盤ができなくてドラムもちょっとしかできない司だけ。ずいぶん廃れたね。』

 

 そう言えば、人がいすぎて楽器の片づけに入れなかったこと、あったなぁ。

 

 高良先輩はあんなに減ったパーカスを、音量制限したドラムを、テンポがブレブレで管楽器に合わせてもらっているドラムを、どんな気持ちで見ていたのだろうか。

 

 まぁ、許しはしないけど。

 

 ――堤防決壊まであと7日――



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15:門出

 次の日の放課後、舞莉が音楽室に行くと、朝から出しっぱなしの椅子が出迎えてくれていた。

 

「今日も合奏か。」

 

 黒板には『5時までパート練』『5時から合奏』と書いてある。

 

『吹部だけ部活あり、とか最悪。』

 

 窓から校庭を見下ろしても誰もいない。他の部の人たちはみんな下校しているのだ。吹部だけ、スイメイモールでの発表のために居残っている、というわけだ。

 

「やらかした分の取り返しかなぁ!」

といじってくる陸上部の男子を華麗にスルーして、音楽室に来た。

 

 

 ほぼやることのなかったパート練が終わり、低音パートは隣の音楽室に移動する。

 

「今日からスイメイモールバージョンにするから……、司会はこことここの言葉を変えればいいかな。」

 

 今日使った司会の原稿に、ボールペンで書きこんでいる高松先輩。

 

 合奏が始まった。どうやら顧問の森本先生は来ないようだ。

 

「まず、スイメイモールでは『ポカリ』吹きません。時間の都合上。」

 

 なるほど、『ポカリ』抜いてきたか。確かに、スイメイモールのお客さんは若者だけじゃないしね。いいチョイス。

 

「『若者』とか13歳のお前が言うなよ。ババくせぇ。」

と、年齢不詳の精霊・カッション。

 

『うそ、聞こえてた?』

「独り言と俺らに伝える念、使い分けろって。」

『はぁい。』

 

 独り言にちょっと気持ちが乗っかっちゃうと、2人に届いちゃうのかな……。まぁ、いいや。

 

「あと、今日やってみた感じ、『全力少年』を吹いてる時って何もダンスとかしないじゃん。だから何かパフォーマンスを入れようと思っててさ。」

 

 そういえばそうだった。ポップスの曲では、『キミの夢は、ボクの夢。』は『ポカリガチダンス』があったし、『Under The Sea』はダンスパフォーマンス、『前前前世』は寸劇があったもんね。

 

「だから、誰かに歌ってもらおうかなって。」

 

 う、歌!?

 

「うちらじゃ低すぎて歌えないから、パーカスの男子2人、どっちかで歌える人いない?」

「俺ドラムなんだけど……。」

 大島先輩が自分を指さして訴える。

 

「じゃあ司くんで。」

「えぇっ、俺ですか⁉︎」

「歌詞分かる?」

「と、途中までしか。」

「本番は明後日だけど、頑張って覚えてきて。覚えられなかったら歌詞見ながらでもいいから。」

 

 舞莉には、『先輩』という特権を使って、後輩に半ば強制させているようにしか思えなかった。

 

「それは、いくらなんでも無理があると思うんですけど。」

 腕を組み、舞莉はボソッと言った――つもりだった。

 

「えっ? 無理かな。」

 

 高松先輩がこちらを向いている。き、聞こえちゃった⁉︎

 聞こえちゃったんなら、とぼけられないな。しょうがない。

 

「あの……本番まであと2日なのに、まだ歌詞も分からない状態じゃキツすぎます。歌は楽器より、うまいヘタが分かりやすいと思うんですよ。司がヘタだっていうわけじゃないですが、変声期の声じゃ安定しませんし、やらない方がいい気がします。」

 

 それっぽいこと言えたかな。あっ、これもつけ足そ。

 

「それに、1曲くらい何もパフォーマンスなしで、私たちの演奏を聴いてもらってもいいんじゃないですか。」

 

 高松先輩からは何も言葉は帰ってこない。

 やべ、ぐうの音も出てない。言いすぎたかな。

 

「す、すみません。出しゃばりすぎました。」

 

「確かに、ひばるんの言う通りかもな、高松。」

 テナーの浅木先輩がうなずいている。

 

「やめた方がいい?」

 部員全員をキョロキョロ見ながら尋ねる高松先輩。

 

「うん。」

「歌いらないかもね。」

「いらない、いらない。」

 

 ど、同意してくれてる!

 

「じゃあ、この話はなしで。ごめんね、司くん。」

 高松先輩は手を合わせて謝る。

 

「やるじゃん、お前。」

 3頭身のカッションが、舞莉のほほをプニプニつついている。

 

「舞莉も、言う時はちゃんと言うんだね。」

 首元からのバリトンの声。

 

「舞莉は、ダメだと思ったことにはちゃんと言える性格だからな。」

「そうなの?」

「ああいう言葉に、俺は救われた。客観的に考えられてる。まぁ、舞莉は立ち位置がコロコロ変わるから、何考えてるのか分からねぇのが面白いんだけどな。」

 

 主体的に考えて相手に寄り添い、客観的に考えて物事に向き合う。

 

 そうは言っても、自身の問題と直面すると、その思考ができなくなるのが舞莉である。

 

 

「羽後ー!」

 

 廊下で楽器をしまった舞莉がケースを持って準備室に入ると、司から呼ばれた。

 

「さっきは助かった。もう、公開処刑になるところだった。ありがとう。」

 司は胸を撫で下ろしている。

 

「あ、うん。独り言で言ったつもりだったんだけど、聞かれちゃったみたいで。」

 

 持ってきたケースを、古崎先輩のケースの隣に滑らせるようにして入れこむ。

 

「そうだったんか! ホントに助かったよ。」

「まぁ、あの要求は無茶すぎたからね。」

 

 ため息混じりで舞莉は言った。

 

「カギ閉めるよー!」

 音楽室から部長の急かす声が聞こえた。

 

「やべっ、閉められる。じゃ。」

「うん、また明日ねー!」

 

 互いに手を少し振ると、別々の扉から準備室をあとにした。

 

 ――堤防決壊まであと6日――

 

 

 2日後、スイメイモールでの発表 本番。

 

 楽器をトラックに積みこみ、歩いてスイメイモールへと向かった。

 今日は午前と午後の2回の演奏がある。

 

「スイメイモールの裏側ってこんな感じなんだ。」

 

 水明駅と歩道橋でつながっている、まさに駅前のショッピングモール。舞莉も小さいころからよく来ているところだ。

『関係者以外立入禁止』のドアの向こうに、舞莉たちは入っていった。

 

 持ち運びができる人はトラックに積まず、ケースを持つなり担ぐなりしてここに来ている。舞莉のバリサクは、当然持ち運びできるものではない。

 

 重たく大きい楽器たちをトラックから下ろすと、舞莉は管楽器の人についていかず、またトラックの中へと入る。

 

「手伝うよ。」

 

 司がシロフォンに手をかけている。

 

「大丈夫。羽後は楽器置きに行っていいから。」

「人手不足でしょ?」

「……よろしく。」

 

 舞莉は司とは反対側を持ち、司の「せーの」の合図でシロフォンを持ち上げる。トラックと搬入口の床との段差を越えると、ゆっくり下ろした。

 

「ありがとな。」

「いいえ。他はない?」

「あとは1人でも持っていける。」

「わかった。」

 

 舞莉は、そこに置いてあった自分のケースを持つ。

 

「羽後、手伝ってくれたのか!」

 

 向こうから、ドラムを置きに行った大島先輩がトラックに戻ってきた。

 

「シロフォンだけですけどね。」

「いやぁ、ありがとう。」

 

 会釈をすると、舞莉は重たそうにバリサクのケースを持って暗がりへと消えた。

 

 

 楽器置き場にケースを置き、他の人より遅れて控え室に入った。外に出て喋っている人も多いが、何せ舞莉は精霊以外に話す人がいない。

 

 狭い6畳くらいの部屋の奥に長机が置かれてあり、机に埋めるようにして細川先輩が座っていた。

 

「志代、大丈夫?」

 

 数人の先輩は細川先輩を心配しているようだが、ほとんどの先輩は見向きもしない。

 細川先輩が顔を上げる。顔は青白く、とてもこれから演奏できそうではない。

 

 舞莉は声をかけようとした、が。

 

「パーカスにいらないから。」

 

 まさにその本人から言われたことが頭をよぎり、舞莉の歩みが止まる。

 

「……。」

 

 誤魔化すように壁に寄りかかった。

 

『散々私をいじめてきて、私がパートを移動したとたんに休み始めて。……なんなんだろ。』

 

 そう舞莉の声が聞こえても、スティックに宿るカッションとストラップに宿るバリトンは、バッグの中に閉じこめられているので状況が分かっていない。

 

 精霊たちの声は聞こえてこなかった。

 

 時間になり、舞莉たちは楽器置き場に戻って、音出しを始めた。

 

 

『関係者以外立入禁止』から、吹奏楽部員たちがゾロゾロと出てきた。すでに用意されている椅子に座り、位置の微調整をする。

 

「舞莉、今日もやっていいのか?」

 

 必死に楽器を温めている舞莉に、弾んだ声が聞こえてきた。

 

『いいよ、カッション。だけど……細川先輩にだけ、耳に届く音をちっちゃくできるかな? 無理して来たっぽいから。』

「……おう、わかった。やってみる。」

 

 等身大のカッションは、ちらりとパーカスの方を見やってうなずく。

 

『あ、バリは佐和田先輩のフォローよろしく。』

「うん。オッケー。」

 

 バリトンはスっとストラップから離れて、片足を立ててしゃがんだ。カッションはパーカスの方に移動した。

 

 目の前の客席は満席、その後ろには分厚い人垣、2階からもこちらも見下ろしている人がたくさんいる。

 そして、客席の1番前に高良先輩の姿が。

 

『宣言通りに、高良先輩いるね。』

 

 スタッフの人が、森本先生にどうぞと促した。

 

 カッションは両腕を交差させて浮き上がり、バリトンは霧状になって姿を消す。精霊たちの準備もできた。

 

 舞莉たちの演奏が始まった。

 初っ端から、叩いてもいないのにシロフォンの音が鳴り、メロディとともにグロッケンの音も鳴り始めた。

 

 今日もトランペットのソロは成功し、とりあえず出だしの調子が狂うことはなかった。

 

「みなさん、こんにちは! 南中学校吹奏楽部です。」

 

「今年もまた、スイメイモールさんで演奏させていただけること、部員一同 心より感謝申し上げます。」

 

「ただいまお送りした曲は、矢藤学 作曲の『マーチ・スカイブルー・ドリーム』でした。」

 

 この後、お決まりの司会の自己紹介があり、「どうぞ、よろしくお願いします!」の言葉で拍手が起こる。

 

「さっそくですが、ここで超イントロクイズ!」

「「「イエーーーーイ!」」」

 

「これから、次の曲の最初の部分だけを吹きます。何の曲か分かった人はーー」

「「「ハイっ!」」」

「ーーと手を上げてください。それではスタート!」

 

 冒頭は伴奏なしのクラリネットだけのメロディ。イントロの始めの4音だけ吹いた。

 

「分かった人、いますか?」

 

 お客さんがガヤガヤしだす。誰の手も挙がっていない。

 

「これでは分かりませんよね。それではもう1度!」

 

 今度は最初の2小節を吹いた。

 

「分かった人、いますか?」

 

 お客さんがまたもやガヤガヤしだす。どこからか「あー、何だっけ?」という声も聞こえた。

 すると、客席で聴いていた小学校低学年くらいの女の子が手を挙げた。

 

 高松先輩は無線の方のマイクを持って、駆け寄った。女の子は少し恥ずかしそうに言った。

 

「『アンダー・ザ・シー』。」

 

「おおっ、正解です! おめでとうございます!」

「「「イエーーーーイ!」」」

 

 でも、あめ1つもあげられないんだけどね。

 

 司会以外の部員たちは、フェルト製の、魚のヒレつきポンチョを頭からかぶった。舞莉のはフランダーを模した、水色の背びれがついた黄色いポンチョである。

 

「それでは、次の曲、映画『リトル・マーメイド』で有名な『Under The Sea』です。映画に出てくるキャラクターをイメージした衣装にも、ぜひご注目ください。」

 

と言っても、舞莉はその映画をしっかりと観たことはないのだが。

 

 耳栓をした細川先輩は、スティックを打ち鳴らしてテンポを示した。

 

 曲が始まり、5小節目からカッションのシロフォンが入ってきた。

 

 2番に入ると、まずはトランペットとトロンボーンが席を立ってステージから下りた。次にホルンとユーフォニアムが、その次にクラリネットのセカンド・サードとバスクラリネットとサックスと低音が、最後にフルートとクラリネットのファーストが、客席を囲むように移動した。

 

 三送会の時より移動距離は短い。舞莉は客席と人垣との間に歩いていく。

 

 ちなみにチューバは移動せず、座ったまま吹いているのて、踊っている人の中ではバリサクが1番重い楽器である。

 

 舞莉のバリサクを見た人が、「おぉ、デカい。」とつぶやいた声が聞こえた。

 

 人や床、客席の椅子にぶつけないように、舞莉は吹きながら踊れる極限のダンスをした。デカい楽器を吹きながら大きく踊っていたら、それはそれは見応えがあるだろう。

 

「すごい。」

 

 舞莉がバリサクを持ち上げてベルアップをすると、後ろの人垣からため息混じりの驚嘆の声がした。

 

 吹き終わると、舞莉は後ろを振り返る。溢れんばかりの拍手をもらい、会釈をして元の席に戻った。

 

「次の曲は、スキマスイッチの『全力少年』です。ここにいるみなさんに、全力でエールを届けます!」

 

 あの時私が言わなければ、ここで司は歌わなければいけなかった。

 あの時私が吹かなければ、今も間違ったリズムで吹いていたかもしれない。

 

 まぁ、どれもちっちゃなことだけど。

 

 今度のカッションの担当は、ボンゴとカスタネット(いずれも持ってきていない)だ。

 

「メロディもあるし、低音もつまらなすぎず難しすぎない、この編曲、僕は好きなんだよね。」

 なんて、バリが言ってたっけ。曲数吹いてない私には分からない。

 

 舞莉が指摘したところの楽譜は、低音パートのみんなが蛍光ペンで色をつけている。

 しかし、もう正しいリズムの方で吹き慣れたので問題ない。しっかり難所を突破した。

 

 大島先輩のドラムはどこか危なげな感じだが、三送会の時よりテンポが安定してきている。それでもテンポがだいぶ走りやすいのだが。

 

 要注意のアーティキュレーションも、体にすりこませたおかげで低音パートがひとつにまとまっていた。

 

 フェルマータののばしは、特にピッチに注意し、大島先輩のドラムの合図で吹ききった。

 

 明石先輩と大島先輩が舞台裏へと消える。

 

「最後の曲は『前前前世』です。この曲の途中で――」

 

 部員たちは手拍子しながらCメロの部分を歌う。

「「「オー、オオオーオー、オーオオオーオーオー」」」

「……というふうに歌ってもらえると嬉しいです。それでは、どうぞ。」

 

『君の名は。』のCMから引用した、瀧のセリフを佐和田先輩が、三葉のセリフをクラの先輩が読み上げた。

 

 司のスティックの合図――インテンポより少し速めになってしまった――で、吹き始めた。

 

 細川先輩はずっとグロッケンやシロフォンを叩いている。大島先輩がいなくなってしまえば、タンバリンでさえやる人がいない。

 

 今度は、ティンパニ(持ってきていない)、タンバリン、トライアングル(持ってきていない)、カウベルの4つを、カッション1人で奏でている。

 

 ドラムの細かいリズムは、司が叩ける範囲で簡略化しているらしい。無理に叩こうとしてテンポが乱れるよりはいい。

 

 大サビに入る前に演奏を止めた。

 

 ここで寸劇が始まる。

 瀧役が大島先輩で、三葉役が明石先輩。瀧の声役が佐和田先輩で、三葉の声役がクラの先輩である。

 

 映画の中の、『カタワレ時』にやっと出会えた2人の場面を、小説から引用・朗読する。それに合わせて大島先輩や明石先輩が演じるわけだ。

 

「あなたの名前は……!」

「俺の名前は、た、た……思い出せない!」

 大島先輩(瀧)は頭を抱える。

 

「吹部のみんななら知ってるかも!」

 明石先輩(三葉)は後ろを向いて両腕を広げる。

 

「「「瀧くーーーーん!」」」

「そうだ、思い出した! 吹部のみんな、ありがとう!」

 

 部員全員から呼ばれた大島先輩(瀧)は、調子に乗り始める。

 

「やっぱ、俺って人気者だよなぁ。今日ここに来てくれたみなさん、俺のためにきてくれてありがとう!」

 

「待って、あなたは瀧くんじゃない!」

 ここで、三葉(明石先輩)は自分の知る瀧と違うことに気づく。

 

「イェェェェエエイ!!」

 一呼吸置き、大島先輩はお客さん側を向いて足を肩幅に開いて大声を出した。その場で制服を脱ぎ、下に着ていた体育着の格好になる。

 

「瀧くん、どこにいるの? 瀧くーん!」

 明石先輩(三葉)は走って、本当の『瀧』を探しに行った。

 

「空前絶後のぉぉぉぉおお! 超絶怒涛の牛乳好きぃぃぃぃいい!」

 

 大島先輩は『あの自己紹介』を自分流のアレンジで、のどが枯れる勢いで叫ぶ。

 

「牛乳を愛し、牛乳に愛された男ぉぉぉぉおおー!」

 

 お客さんから笑いが起こる。

 

「成分調整牛乳、加工乳、乳飲料! すーべての牛乳の生みの親ぁぁぁぁああ!」

 

 直前まで何を言おうか迷った、牛乳三段活用を駆使する。

 

「そう、わーれこそはぁぁぁぁああ!」

 

「サンシャイーーーーン お・お・ボコッ・し・ま」

 

 大島先輩は体を仰け反らせる。

 

「イェェェェエエイ!! ジャァスティース!!」

 

 起き上がって例の決めポーズをすると、客席からも人垣からも2階からも拍手喝采が起きた。

 

 大サビから演奏を再開し、最後まで演奏が終わった。全員が立ち上がる。

 

「ありがとうございました!」

「「「ありがとうございました!」」」

 

「アンコール、アンコール!」

 1番前にいる、高良先輩がアンコールの先陣を切った。

 

「アンコール、ありがとうございます!」

 いつものセリフで司会が進行し、『ユーロビート』の演奏が始まった。

 

 細川先輩がドラム、制服に着替えた大島先輩がシェーカー、司がヴィブラスラップとトライアングルを演奏している。

 カッションの担当は水明祭よりパワーアップして、それ以外のティンバレス(持っていない)、タンバリン、グロッケン、マリンバ(持っていない)、シロフォンだ。

 

 これには吹奏楽経験者であろう、お客さんの数人が反応している。

 そして、1番前でよく見える高良先輩も。

 

『ああ、混乱してる、してる。』

 

 とてもパーカス3人とは思えないにぎやかさに、舞台裏で待機していた森本先生までも出てきた。

 

 最後まで演奏が終わった。

 

「これからも、南中吹奏楽部をよろしくお願いします!」

「「「お願いします!」」」

 

 そういえば、カッションが奏でた音って、スマホとかビデオに録音されないんだっけ。

 生でしか聴けない音、か。

 

「!」

 

 うっ……お腹が空いて……胃が痛い……! ……我慢、我慢。くっ……!

 

 舞莉はお客さんに背を向け、下を向いて歯を食いしばる。演奏して踊ったからか胃痛のせいか、汗だくで前髪が張りついている。

 

 ――堤防決壊まであと4日――

 

 

 次の週の水曜日、三送会からちょうど1週間後の3月15日。3年生は卒業式を迎えた。

 

 カッションとバリトンは、吹部バッグの中でおやすみ中。2人なしで、舞莉は退屈の極みである卒業式を乗り越えられるはずがない。

 

 2年生は、門出式の時にBGMとして演奏する。昨日はその練習に関係ない1年生までも居残りさせられ、おかげで舞莉は寝不足である。

 

 寝不足でない時であっても、このような静かで退屈な式ではウトウトしてしまうだろう。それに寝不足が重なって相乗効果を作ってしまっている。

 今の舞莉は、水泳の授業でめいいっぱい泳いだ後の、国語の授業並のだるさであった。

 

「卒業生が入場します。拍手でお迎えください。」

 これは自分の手が動いているので、まだ耐えられる。

 

 国歌斉唱や校歌合唱(この学校は珍しく合唱)も、立ち上がって自分が歌うため、平気だ。

 

「卒業証書 授与。」

 

 第1の難関がやってきた。ここから30分ほどは在校生の出番がないので座りっぱなし。退屈なのだ。

 

『起きないと。寝ちゃだめ。』

 

 何とか1組が終わるまでは耐えきったが、2組からはきつかった。

 

 舞莉のまぶたが重くなる。気づくと目が閉じていた。

 しかし、名前を読み上げる声はしっかり聞こえていた。目を開けようとするが、開かない。

 

 声も途切れる。

 

 ハッ……

 

 寝落ちた感覚に自らが驚き、一気に目が覚める。

 

 それが幾度となく繰り返された。

 

 金縛りとは逆で、目を開けたいのに開けられない。寝落ちしないと目が開かない。

 

 クラスの奴らが見てる。ルイザが監視してる。また言われる。今日もまた寝てたって……。

 

「校長式辞。」

 

 第2の関門がやってきた。この後立て続けに『お偉いさん』の話を聞かなければならない。自分たちにはほとんど関係のない話など、ただの子守歌になってしまう。

 

 卒業証書授与の時点でウトウトしていた舞莉は、校長先生の話から限界を迎えつつあった。

 

「卒業生、起立。」

 

 その声に目を覚ます。

 話を聞く、寝る、目を覚ます。もう話し終わっている。

 

『もうダメだ……。』

 

 さっきから続く胃の痛みが、腹部へと広がった。痛みが増しても眠気が勝り、また意識が飛んでいく。

 起きても朦朧とする意識で、3年生の合唱が聴こえた。

 

 

 卒業式が終わった。ひたすら自分との闘いだった。

 卒業生と保護者が退場すると、在校生は一気におしゃべりモード全開になった。

 

「あー、くっそ眠いー!」

「校長の話、長すぎて寝ちゃったよ。」

「それな! 私も寝ちゃった。」

 

 疲れ果てた舞莉だが、地獄耳は健在である。

 なんだ、他の人も寝てんじゃん。……それなら大丈夫だよね。

 

 

 3年生の教室から昇降口までの道を、在校生や先生たちが両端に並び、卒業生を見送る。

 

 特に思い入れのある先輩はいないので、舞莉はただ拍手して見送っただけだった。

 他の人は手紙を渡したり、ハイタッチしている人もいたが。

 

 給食を食べ、清掃と帰りの会をして部活に行った。

 楽器の用意をしようと、舞莉が準備室に入った時だった。

 

 そこにはまるで待ち構えていたかのように、ルイザがいた。

 

「ねぇ。」

 低い声とともに、ガンを飛ばしてくるルイザ。

 

「何で卒業式の最中に寝てた?」

「何でって……。」

「あんだけ『寝るな』って散々言ったのに、まだ分からない?」

 

 怒鳴り声を聞いたのか、向こうに置いてある吹部バッグから、3頭身のカッションとバリトンが出てきた。

 

「保護者とか先生が見てる卒業式で、何で寝てたんだか聞いてるんだよ!!」

 

 至近距離で詰め寄られ、息が止まる勢いである。

 

「……分からない。必死に起きてようとしたけど、ダメだった。」

「寝不足なんでしょ! それなら帰って寝たら? 部活中寝られるとこっちの迷惑なんだけど。」

 

 舞莉は、言い返そうとしていた言葉を飲みこんだ。

 

「ま、前にも言ったけど、部活やってる限りは……。」

「だったら、部活辞めれば? そうしたら治るんでしょ。そしたら授業中も寝なくて、クラスの人にあれこれ言われなくなるんじゃない?」

「!」

 

 確かに、そうかもしれない。

 でも……部活は辞めたくない。

 

「ルイザの言いたいことは分かるけど、じゃあ、何でクラスの人たちは私にうるさく言ってくるの?」

 

 国語の授業とかは、特に寝てる人多いのに。何で私ばかり。

 

「さぁ? 私は舞莉が寝てると目障りだから、集中できないんだよね。」

「他の人は? 他にも授業中寝てる人いるじゃん!」

「あのさ……他の人のことじゃなくて、舞莉のことを話してんの!」

 

 無意識に後ずさりする舞莉。

 

「部活で疲れてる、は言い訳にならないからね! 部活やって疲れてるのはみんな一緒。その後塾行ってる人もいるんだから、舞莉より忙しい人だっているんだよ! そうじゃないんでしょ? だったらできるよね。」

 

 どうにも分かってもらえず、話も聞いてもらえず、涙があふれ出す。

 

「そんなにひどいなら、病院行けば?」

「いつもいつも部活あるのに、行けないよ!」

「休めばいいじゃん。」

「ただでさえみんなより遅れをとってるのに、休めるわけないでしょ!」

 

 舞莉は体調を崩さない限り、学校や部活を休むことに極度な抵抗を感じていた。

 

 すると、部長が準備室に入ってきた。が、ルイザはきまりが悪そうに、無言で準備室からチューバを持って立ち去る。

 

「どうしたの?」

 そう聞かれても、今の舞莉には誰も信じられなくなっていた。

 

「……何でもないです。」

 

 どうせ部長も、向こうの味方。

 

「ひばるん、気にしなくていいよ。私もよく寝ちゃうし。」

 浅木先輩の励ましの言葉も、今の舞莉には届かない。

 

 2人の精霊は卒業式に出ていないため、舞莉を援護するすべがなかった。

 しかし、これを見た精霊たちは、舞莉が2人に話さず隠していた『本当のこと』を目の当たりにしたのだった。

 

 

 その夜、舞莉はついに隠しきれなかった。

 

 何事にも笑えなくなっていた。テレビを見ても、何も感じなくなった。

 お腹は空いているはずだが、炊飯器から立ち上るご飯の匂いだけで吐き気をもよおした。

 

「ご飯、後で食べる。」

 

 自分の部屋に行っても、吹部バッグを見るだけで過呼吸になりかけた。

 明日のことを考えるだけでもつらい。

 

 舞莉は倒れこむようにベッドに寝転がる。

 

「舞莉、大丈夫か……?」

 話しかけたカッションの言葉にも、どこかうわの空である。

 

「バリ……。どうしたら……。」

 助けを求められたバリトンだが、首を振った。

 

「僕にはどうしようもできない。専門外だし、舞莉がクラスの人からも言われてるのは知らなかった。」

 

 カッションにもバリトンにも心配をかけさせた罪悪感が、重くのしかかる。それ以上心配をかけさせないために隠していたことが仇となった。

 

「ごめん……カッション、バリ。私、もう無理。」

 

 高良先輩や細川先輩からいじめられた時は、「部活に行きたくない」だった。しかし、今回は「部活に行きたくない」を通り越して、「生きるのがつらい」になっている。そう、カッションは感じていた。

 

 舞莉は胸をさすってトイレに駆けこんだ。



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16:厚遇

《登場人物紹介》
羽後(ひばる) 舞莉(まいり)…… 主人公。1年生。サックスパート・バリトンサックス吹き。クラリネットを吹きたくて吹奏楽部に入ったがパーカッションパートになり、先輩からのいじめでサックスパートに移動した。

○カッション…… 舞莉に音楽の楽しさを知ってもらうため、パートナーになった。舞莉のスティックに宿る音楽の精霊。

○バリトン(バリ)…… カッションから頼まれて、舞莉にバリトンサックスを教えるためにパートナーになった。 サックスのストラップに宿る音楽の精霊。

古崎(ふるさき) 美紀(みき)…… 2年生。サックスパート・バリトンサックス吹き。なぜか低音パートリーダー。

矢萩(やはぎ) ルイザ…… 1年生。低音パート・チューバ吹き。 1年にして、先輩を押しのけてアンサンブルコンテストに出るほどの実力者。


 翌日、朝は何とか起きたものの、8時間寝たのに全く疲れが取れないどころか、徹夜した日の夕方並みのだるさだった。

 

「お、おはよう……。」

 

 フラフラしながらソファに倒れこんだ舞莉。

 

「ちょっと、パン食べないの?」

「ダメ……体がだるすぎるし、なんか気持ち悪い。」

「昨日の夜も食べなかったけど、具合悪い?」

 

 舞莉はか細い声で「うん」と言った。

 

 

 その日、学校にも部活にも舞莉の姿はなかった。

 

 

「舞莉、麦茶持ってきたよ。」

 

 胃痛と腹痛、激しい体のだるさで起き上がれなくなった舞莉に、バリトンがコップについできてくれた。

 

「ありがとう。」

「もどした時は特に脱水になりやすいからね。」

 

 バリトンに支えてもらいながら起き上がって、少しずつ口に流しこむ。

 

 ちなみにカッションは寝ている。その代わり夜中はずっと起きていて、トイレに駆けこんだ舞莉の背中をさすってあげていた。

 

「熱はないのに、まるで熱が出た時のようにぐったりしてる……。」

 バリトンは分厚い本をパラパラとめくって、『心の病』の小見出しのページを見ている。

 

「そっか……ストレスで胃が荒れちゃうんだね。肩や腰の痛みは、バリサクを吹いてるからってことだけじゃなくて、極度のストレスが原因でもある……か。」

 

 他のいくつかのチェック項目を見ると、そのほとんどに舞莉の症状が一致していた。これはほぼストレス性のものであろう。

 

 午後になって少し回復した舞莉は、バリトンが作ってくれたおかゆを口に運ぶ。昨日の夕食で残した白飯で作ったらしい。

 

「至れり尽くせりでごめん。」

「いいんだよ。僕にはこれくらいしかできないから。」

 

 学校を休んだことで、今日の授業の内容や明日の連絡が書いてある『連絡カード』が家に届いた。

 仕事から帰ってきた母からそれを受け取って、自分の部屋で見た。

 

 書いてくれたのは隣の席の人らしい。

 

「おう、何見てんだ?」

 カッションが起きてきた。

 

「今日やったことと明日の連絡が書いてある紙だよ。」

と、バリトンが答える。

 

「明日の連絡……球技大会なんだね。」

 舞莉がつぶやいた、その時。

 

「うぅっ!!」

 お腹に手を当て、崩れるように倒れた。

 

「舞莉!!」

 カッションとバリトンは慌てふためく。

 

「おい、どうしたら……! か、か、母さん呼んでくるか⁉︎」

 

 立ち上がったカッションに、舞莉はゆるゆると首を振る。

 

「大丈夫。いつもよりちょっと痛いだけだから。」

 舞莉は手をついて起き上がる。

 

「ほら、もう大丈夫。」

 そう言う舞莉だが、やはり玉のような汗がふき出ている。

 自力でベッドに行き、体を横たえる。

 

 トン、トン、トン……

 

 階段を上ってくる音に、精霊たちは急いでスティックとストラップに宿った。

 ノックもせずに、母が入ってきた。

 

「舞莉、明日から当分、学校休もう。」

「え?」

 

「だって、ただ風邪をひいたってことじゃないんでしょう? またルイザ?」

「うん……。ルイザだけじゃなくてクラスの人もだけど。」

 

「やっぱり……。」

 母にはお見通しだった。

 

「まぁ、舞莉も、舞莉だけどね。授業中なら分かるけど、楽器吹きながらはダメだわ。」

 

「あのね、寝たくて寝てんじゃないの!」

 自分で叫んで、またキュッと胃が痛んだ。

 

「お母さんが舞莉の部屋を見にきた時はちゃんと寝てるけど、そうじゃない時はまた本読んだりして夜更かししてる――」

「してない! ……してないったら……!」

 

 涙声で言い返された母。

 

「してないのね?」

「何度言ったら! してないよ!」

 

 ため息をついた母は、どこか面倒くさそうだった。

 

「じゃあ、何で授業中とか部活中に寝てるだけで、あんな言われようなの?」

「知らないよ! ルイザは『目障りだから』とか『また活動停止になるから』って言ってたけど!」

 

 2回目のため息をつく母。

 

「どれも根拠がないことなのよ。意味わかんない。」

 

 舞莉のもとへ来た母は、布団をかけ直してあげた。

 

「今は傷が癒えるまで、ちゃんと体を休めて。生活に支障をきたしてるから。」

「……私のこと、疑ってる?」

「そりゃあそうよ。自己管理のなさでこうなってるとしたら、自業自得なんだから。」

 

 母は、「ゼリー買ってきたから、食べたければ食べていいよ。」と言い残して部屋を去った。

 

 この苦しさを、まだちゃんとは理解してもらえてない感じ。どうやったら分かってもらえるんだろう。

 ……当事者になってみないと、分かってくれないんだろうなぁ。

 

 

 ようやく舞莉が寝つくと、カッションとバリトンはひそめ声で話し合っていた。

 

「どうしたら、また元の舞莉に戻ってくれるんだろう? あの時のキラキラした顔の舞莉を……。」

 舞莉との初対面の時を思い出して、バリトンは軽く丸めた手をあごに持っていく。

 

 少しの沈黙の後、カッションが口を開いた。

 

「俺としては、今舞莉がこうなってるのって、ルイザたちのせいもあるけど、自分との葛藤もあると思うぞ。」

「自分との葛藤?」

「舞莉自身、寝たくないのに寝ちゃうことに悩んでる。前言ってたけど、『自分でも嫌になる』ってな。」

 

 カッションの言葉に、バリトンは大きくうなずいている。

 

「そうだったね。それなら悩みに寄り添えばいいのかな。でも、そこまでひどいとやっぱり病気……?」

 バリトンはあの分厚い本をめくる。

 

「バリ、何か知ってんのか?」

「えっと……過眠症……っていうのがあるらしいよ。」

 バリトンは、背表紙に貼りつけておいた付箋を見ている。実はこっそり調べてあったのだ。

 

「居眠り病……ナルコレプシー……か。バリ、こんなのいつ調べたんだよ?」

 

「ま、まぁ。」と、にごすバリトン。

 

「もし病気だって分かったら、少し心が軽くなるかもしれないから。」

 

「そうかもな。俺も調べてみる。ルイザたちのこと考えてるとイライラしてしょうがねぇし。」

 

 普段は、細かい文がズラズラとあるものは読まないカッションだが、舞莉のためなら動くらしい。

 

「じゃあ僕はもう寝るから、朝まで舞莉の見守りよろしくね。」

 

「ああ。その本借りるぞ。」

 

「オッケー。」

 

 2人の精霊は、こぶしをぶつけてにやりと笑う。

 

 

 結局 春休みに入るまでに、舞莉が学校に来ることはなかった。

 

 

 3月も最後の週となった。舞莉の体調はほぼ良くなり、過呼吸になることもなくなった。

 

「それでさ、舞莉。パートナーの僕からちょっと言いたいことがある。」

 バリトンの優しそうな目つきが、いつになく鋭い。

 

「やっぱり……居眠りしちゃうのって、病気なんじゃないかって。」

 

 卒業式の日、ルイザから言われたことが頭をよぎる。

 

「本当はもうちょっと前から思ってたんだけど、ルイザのこと思い出してつらくなっちゃうかなって思ったから。」

 

「……やっぱり、そう思ってたんだ。バリも。」

 2つ結びの癖がついていない髪の毛のせいで、下を向いた舞莉の顔が見えない。

 

「いいの。病気だったら病気でいい。どれだけ生活リズムを整えても治らないから。でも……ルイザたちは理解してくれる?」

 

 今回の件ですっかり人間不信になってしまった舞莉。

 

「『病気なら』って理解してくれると思うよ。吹部が活動停止になることもないだろうし。」

「でも、あいつらは私を馬鹿にする! 私を病人扱いして、またどうせ『眠り姫』って言ってからかう!」

 

 顔を上げた舞莉の顔は、涙でぐちゃぐちゃになっている。

 

「そこは、先生が――」

 

「先生だって信用できない! 担任だって『学校に来い』って催促するだけだし、私に寄り添おうなんて気持ちが微塵もない! 私が学校に来なくなってどう思ってるか! ……ざまぁみろって思ってる奴だって絶対いる!」

 

「舞莉!!」

 

 バリトンが初めて、舞莉の前で怒鳴った。

 

「そういう人はいるかもしれない。でも、舞莉を心配してくれてる人だって必ずいる。」

 

 舞莉はハッとした。

 

「舞莉が助けた大島先輩、あの時舞莉を心配してくれた浅木先輩、同級生だと司もそうだと思うよ?」

 

 そっか、そうかもしれない。

 県大会の時……私がパーカスで高良先輩からいじめられてたころ……あんなこと考えてた。金賞を取って喜んでる先輩たちを見て。

 

 忘れかけていたけど、自分に優しくしてくれた先輩もいたんだった。先輩だけじゃなくて、同級生にもそういう人がいるかもしれない。

 

 ピーンポーン

 

 インターホンが鳴り、母が舞莉を呼ぶ。

 

「たぶん、ルイザだよ。」

 

 その言葉に、舞莉の背筋が凍りついた。

 気持ちの整理がついた今なら……大丈夫。

 

 舞莉は玄関のドアを開けた。

 

「久しぶり。体調はどう?」

 ルイザは入学したころの柔らかい口調で話しかける。

 

「ここ数日は大丈夫。」

 

「そう。よかった。あの……。」

 一瞬目をそらして、また舞莉の方を向いた。

 

「舞莉にあんなにキツく言ってごめんなさい! もう、責めるようなことは言わないから!」

 

 ……え? 謝ってきたんだけど。

 

「だから、もう学校は終わっちゃったけど、部活に来るの待ってるよ。みんな、舞莉のこと心配してる。」

 

 みんな、かぁ。

 

「ルイザ、あえて言わせてもらうけど。」

 舞莉は意志を伝える時の、はっきりした声で言った。

 

「私はこの件も相まって、人間不信になった。教室にも部活にも居場所がない。先生に相談しても『早く寝なさい』くらいしか言われなくて、根本の解決方法しか先生は頭にない。先生は気持ちに寄り添ってくれない。居眠りで1番嫌な思いしてるのは私なのに。……この状況、分かってくれる?」

 

 ルイザはうなずく。

 

「今謝ってくれたことも、全ては信用してない。誰かから『謝ってこい』って言われて家に来たのかもしれない、っていうほど疑ってる。でも、謝ったことが本心であっても嘘であっても、私に謝ってくれたっていう事実は消えない。言葉にして謝った以上、ルイザには言葉の『責任』を持ってほしいの。」

 

 鋭く、舞莉の視線がルイザに突き刺さっている。

 

「それでも、本当に『責めるようなことは言わない』?」

「言わない!」

 

 そ、即答したよ。

 

「……忘れないでね。いつ部活に行くかはゆっくり決めるから。それじゃあ。」

 

 舞莉はドアを閉めた。

 また自分の部屋に戻ろうと廊下に立つ。

 

 階段付近には、バリトンと寝起きのカッションがおり、2人の向こうには母の姿もあった。

 

「聞いてたんだ。」

「たまにはまともなこと、言うのね。」

「なに、言う時は言うよ。」

 

 母に言い返してから、舞莉は精霊たちの肩を叩いて階段を上がる。

 

 

 次の週。

「カッション、バリ。明日の準備登校から学校行く。」

 

「舞莉!」

 2人の顔がぱっと晴れる。

 

「明日、新しいクラスが発表されるらしいの。最初は1年の時のクラスに行くらしいんだけど、すぐに発表されるみたいだし。」

 

「それで……部活には行くのか?」

 言いづらそうに、カッションが尋ねた。

 

「朝練は行かない。まぁ、あるかどうかも分からないからね。予定表では、明日は2時から部活あるらしいから、部活には行く。」

 

 カッションの目がうるうるしている。

「よかったぁ!!」

 

「それなら舞莉、今日の夜からセグレート練習再開しようか。3週間まるまる吹いてなかったから。」

 

 不登校の期間、舞莉がセグレートに行かなかった理由は、セグレートが学校の音楽室とそっくりだからである。

 

 舞莉はバリトンの提案に、久しぶりの笑顔で返した。

 

 

 久しぶりのバリトンサックス。

『1日吹かなければ、取り戻すのに3日かかる。1週間吹かなければ取り戻すのに1ヶ月かかる』と言われる中、舞莉はどうだったのか。

 

 始めこそはアンブシュアを忘れていたが、ロングトーンを1往復すれば元の感覚を取り戻すことができた。

 指の感覚は、半音階の練習は少しつまったがほぼ元どおり、アルペッジョ練習(16分音符のオンパレード)は7割取り戻せた。

 

「あぁ、やっぱりブランクが……!」

 

 そう言う舞莉だが、カッションやバリトンから見れば「いやいや、それでもすごいよ」というレベルなのだ。明日部活で練習すればほとんどを取り戻せて、コンクール曲の『クシナダ』の練習に取りかかれそうなほどである。

 

 今度は、セグレート練習を止めてから叩いていなかった、ドラムもやってみた。

 

「やばい、何か手首が固い!」

 

 最初はそう言っていたが、叩いているうちに手首がほぐれてきて、ブランクを感じさせないほどになっていた。

 

「舞莉って、ホントにすげぇな。」

「どうしてここまで早く戻ってこられるんだろう? もう、才能だよね。」

 

 2人の精霊は首を振った。

 

 バリトンは思った。

 

 他人から邪魔されなければ、舞莉に眠っているとんでもない才能が開花するのではないのかと。

 そして、目覚める前に芽を摘み取ってしまう人を、どうにかしなければいけないことを……。

 

 

 次の日、舞莉は緊張の面持ちで通学路を歩いた。

 

 私には見えない後ろに歩いてる人、私が不登校だったことを知っているのだろうか。知っていたら、前に歩く私をどう思っているのだろうか。

 

 いやいや、そこまで私に興味ないか。

 危ない、危ない、被害妄想ダメ。

 

 相変わらず全開のドアから教室をのぞき、舞莉は入っていった。

 

 あれ、意外と大丈夫そう。

 

「あ、来た。」

 

 聞こえた声も、私に向けてだろう。でも、「来てしまった」というトーンではない。

 

 

 入学式の準備が終わり。舞莉は音楽室をのぞいてから入った。

 

「……あっ!」

 

 入り口の近くにいた高松先輩と浅木先輩が、舞莉に気づいた。

 

「ひばるん来た! 来たよ!」

「よかった! おかえり〜!」

 

 2人から肩を叩かれながら、舞莉は席に向かう。

 なんと、舞莉の席が用意されてあった。

 

「今日ね、ひばるん来ると思ったんだ!」

と、浅木先輩。

 

「舞莉ちゃんだ!」

「舞ちゃん来た!」

「久しぶり〜!」

 

 他の先輩からも、舞莉への言葉が投げかけられる。

 

 緊張の糸がほぐれた。

 

 それぞれの先輩に会釈をする舞莉の目が赤くなっていた。

 

「ひばるん、どうしたの〜! 泣かないでよぉ!」

 

 頭をポンポンされ、舞莉はバッグを置いて顔を覆った。

 

「あー、浅木、舞莉ちゃん泣かせたー!」

「わ、私じゃないし!」

 

 ただ、嫌な顔をされなければよかった。それはおろか、自分の帰りを待ってくれていたなんて。

 

「1番は明石だよ。必死に『舞ちゃんはいい子だから、悪く言わないで』ってうちらに言ってくれたんだから。」

「妙先輩がですか?」

 

 この場に彼女の姿はないが、舞莉は後でお礼をしなければ、と思った。

 

 他の同級生は、舞莉など見向きもしなかった。いてもいなくても変わらないのだ。

 舞莉は3週間ぶりに――昨日触ったばかりの――ケースを開けてバリサクを持つ。

 

「舞莉ちゃん、来て早々悪いんだけど、楽譜渡しとくね。」

 古崎先輩の手には、ざっと10枚くらいの楽譜があった。

 

「わっ、すごいですね。」

 

「今月末の4月29日の土曜日、スポーツフェスティバルの開会式で演奏することになったから、その楽譜だよ。」

 

「ほ、本番まで1ヶ月切ってますけど……!」

 

 水明祭や三送会より曲数も多く、練習期間は約3週間。他の人たちはそれでも大丈夫なのだろうが、何と言っても舞莉はバリサク歴5ヶ月。そのうち3週間は何も吹いていないブランク状態。

 

「あと、開会式終わった後に、この間みたいに発表するから。それは全部暗譜だって。」

 

 ま、マジですか。

 

 驚いて、ついに声が出なくなる舞莉。

 

「舞莉、これはやべぇぞ。」

 吹部バッグのスティックから、

 

「相変わらずの無茶振り。」

 首元のストラップから、

 

「あと……3週間で。」

 赤メガネの舞莉が、

 

 ため息をついたのだった。

 

 

『よし、とりあえず基礎からやろう。』

 久々のパート練習は、もはや個人練習になっていた。

 

 音出しの段階で、長く吹いていないと出にくくなる最低音『ラ』を太く一発で出してみせる。

 

 舞莉は半音階の練習とアルペッジョ練習を始めた。

 クリップ式の電子メトロノームを鳴らしながら、舞莉はあたかも毎日練習していたかのように、滑らかに吹いていた。

 メトロノームの拍にもぴったりと合っている。

 

『基礎は大丈夫そうかな。昨日もやったし。』

 

 今度は譜読みに取りかかる。シャーペンで音符の下に階名をふっていく。量が量なので、全てふり終わるまでに30分かかった。

 

 隣の古崎先輩が練習していた『桜color』をさらってみる。

 

『最初はのばしだから大丈夫。ここのテヌートとアクセントは注意かな。』

 

 舞莉は2つの記号に、オレンジの蛍光ペンで印をつける。

 

『Cからサビだよね。じゃあその前のBから。』

 

 ほぼ指定のテンポ(117)で、おまけにスラーもしっかりつけて吹けていた。

 

「えっ、すご。」

 かすかに聞こえる古崎先輩の声。

 

 聞こえなかったふりをして、首元のバリトンに尋ねる。

 

『バリ、Cの1小節前ってこのリズムで合ってる?』

 舞莉は頭の中でカウントし、そこの部分を吹いた。

 

「……うん、合ってるよ。他に分からないところは?」

『他はほとんど簡単だから大丈夫。』

 

 今度は『桜color』を通しで吹いてみる。

 2回つまったが、舞莉は今すぐにでも合奏に参加できるくらいのレベルまで吹けていた。

 

『このペースでいかないと、暗譜まで間に合わない。』

 舞莉は『マーチ「春風」』の楽譜を取り出す。

 

「舞莉ちゃん。」

 古崎先輩に話しかけられた。

 

「もう『桜color』吹けるようになったの?」

「まぁ、何となくは。」

 

「マッピ持って帰って吹いてたってことは――」

「してないですね。」

「えぇっ……?」

 

 舞莉は特技の、顔の表情から感情を読み取ってみた。

 

 驚きの中に、恐れや迷いも見受けられた。

 何を恐れて、何に迷ってるんだろう……?

 

 

 2月くらいに、舞莉と古崎先輩と浅木先輩で話したことを思い出した。

 

「古崎、もっと音量出せるだろ?」

『前前前世』のサビを指摘する浅木先輩。

 

「うーん、これくらい?」

「何か違う。ほら、バリサクってもっと太い音じゃない? あっ、背もたれに寄りかってるからだ!」

 

 浅木先輩は自分の座る椅子を指さす。

 

「座る位置は、椅子の3分の1! 背筋を伸ばして!」

「えー、このままがいい。」

 

 確かに古崎先輩の音は、優しい音でどの音域もムラなく出せることが良いと、バリトンは言っていた。が、この曲のようにテンポが速いと、息のスピードを速くしないと拍にはまらなくなる。

 古崎先輩の姿勢では、息が入れづらいのだ。

 

「ひばるん、前前前世のサビから吹いてみて。」

「は、はい。」

 

 舞莉がそこを吹くと、「ほらほらほら〜」と浅木先輩に指をさされる。

 

「ひばるんの方が音量出てるよ! 古崎、うかうかしてると、元パーカスのひばるんに抜かされるぞー!」

 

 

 もしかして、そういうこと?

 いやいや、さすがに抜かすことはないでしょ。

 

 舞莉は首をかしげ、『マーチ「春風」』の練習に取りかかるのだった。




【音源】
桜color→ https://youtu.be/iaKpZh-SHkg


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17:唐突

「今日から1年生が仮入部なので、準備などよろしくお願いします。」

 朝の会で、部長が告げた。

 

『そっか、私も先輩か。』

「おっ、舞莉に後輩が――」

『直接のはできない。バリサクは2本しかないからね。』

「なんだよ。ちぇっ。」

 

 興奮したカッションは、舞莉の一声で一気に冷めた。

 

「今年は初日から楽器体験やります。1……じゃない、2年は音楽室以外で個人練してください。」

「「「はいっ!」」」

 

 舞莉にとっては、誰が仮入部に来るのか見ておきたかったところだったが。

 

 

「さてと、やるかー!」

 

 舞莉はB棟1階の、技術室につながる廊下にいた。ここが舞莉のお気に入りスポットである。薄暗く人通りもないため、気が散りやすい舞莉には絶好の場所だ。

 ここでひそひそ声で喋ってもバレにくい上、バリトンがストラップから骨伝導で聞き取ってくれる。

 

 学校に戻ってから1週間。あの後、舞莉は翌日に全ての曲をさらい終わり、その直後の合奏では見事溶けこむことに成功した。

 

 低音パートは、アクセントなどのアーティキュレーションに注意することくらいしか指摘されない。指摘された後にもう一度吹いた時は、1発合格であった。

 たまにルイザと竹之下先輩のピッチが合っていないことがあるが、バスクラとバリサクのピッチは注意されたことがない。

 

 また、舞莉が合奏中に寝ないよう、精霊たちとおしゃべりしたり参考演奏を頭に流したりと、色々工夫した。

 

 ただ、この2曲だけが舞莉を悩ませていた。『斐伊川に流るるクシナダ姫の涙』と『がむしゃら行進曲』である。

 コンクール曲の『クシナダ』は、Fの4小節前からの6連符と32分音符地獄、Pからの16分音符地獄、Sの5小節目からのメロディ。

『がむしゃら行進曲』は、テンポ168で初っ端から3連符地獄、最後のバテて舌が疲れたところにまた3連符地獄。

 

 やはり、音符の密度が高くなっているところが苦手なのだ。舞莉は電子メトロノームをつけ、まずはタンギング練習から始めた。

 

「バリ、金管は『ダブル』とか『トリプル』っていうのがあるらしいけど、木管楽器はないの?」

 

 金管楽器の人は、よくタンギング練習の中に『ダブルタンギング』の練習を組みこむらしいが、木管楽器はやらない。トランペットやホルンの人が、よく練習しているイメージだ。

 

「木管もあるよ。ただ……金管より難しいし、低音になるほど難しい。やってることは一緒なんだけどね。」

「シングルで頑張るしかない?」

「そう……だね。時間もないし、シングルでもできなくはない速さだよ。」

「マジか。」

 

 舞莉はテンポ140から、3連符のタンギングを練習し出した。できたら徐々にテンポを上げていく。そんな練習をしていた。

 

 

 そんな日々が5日間続き、昨年のようなミニコンサートをするわけでもなく、仮入部の期間が終わった。舞莉はほとんど、吹部の見学に来た人の顔を知らないままだった。

 

 いよいよ迎えた本入部。

 椅子を全体的に後ろに下げた配置で、舞莉たち2・3年生は座っている。今年はもう、顧問の森本先生の姿があった。

 

『そういえば、1年前の今ごろは、クラにしか興味なかったもんなぁ。クラの音しか聞いてなかったし、見てなかった。』

 

 舞莉は両肩に乗る精霊たちを指でつつく。

 

『あと、2人にもまだ会ってなかったし。』

 

 続々新入部員が入ってくるのを見ながら、舞莉はそんなことを考えていた。

 

「おおっ、2年より多くねぇか? いや、同じくらい?」

 

 肩の上のカッションの声が弾んでいる。

 

「知ってる人、いるか?」

『そうだね……1、2、3……8人くらいかな。』

「そんなにか!」

『近所の子とか、習い事で知ってる子もいるし、あとは小学校の委員会とかで。』

「なるほどな……。」

 

 さて、この子たちの名前を覚えるのにどれくらいかかることやら。

 舞莉は、人の名前を覚えることがかなりの苦手。今はジャージを着ているので分かるが、話の途中で名前を出されても顔と名前が一致していないことが多い。

 

 部長がパンパンパンと手を叩いた。

 

「これから新入部員歓迎会を始めます。それじゃあ……何やる?」

 

 舞莉は心の中でズッコケる。考えてなかったんかい。

 

「……そうだね。まず、自己紹介やります。」

 

 昨年と同じように、部長と副部長が自己紹介をした。

 

「それでは、2・3年生にも自己紹介してもらいます。学年・名前・何の楽器か、あとは抱負を言ってください。」

 

 オッケー。学年と名前と楽器と抱負か。考えておかないと。まぁ、あれを言っておけば無難かな。

 

 舞莉の番になった。

 

「2年の羽後舞莉です。バリトンサックスを吹いています。抱負は、昨年の12月にサックスに移動したので、練習を頑張って早く同級生に追いつくことです。よろしくお願いします。」

 

 1年生から「へぇ〜」という声が色々なところから聞こえてきた。

 

 2・3年生全員の自己紹介が終わった。

 

「次は、1年生にも自己紹介してもらいます。名前と……あとは抱負とか、何か一言言ってください。」

 

 ず、ずいぶん投げやりだなぁ。

 

 昨年はこれを言う方だった舞莉。今年になって聞いてみると、1年生みんなに個性を感じた。

 この短時間で一言を考えられる人と、そうでない人。ハキハキ言う人と、ほぼ聞こえないくらいで言う人。

 

『昨年、先輩たちはこういう風に見てたのかなぁ。』

 

 舞莉は鮮明に蘇ってくる記憶を懐かしみながら、後輩たちの自己紹介を聞いていた。「この楽器を吹きたいです」と明確にしていた後輩もいて、思い出すのは昨年の楽器決め、通称『オーディション』だ。

 

『今年はクラのオーディション、どうすんだろ。まぁ、荒城先生がいなくなったからちゃんとやると思うけど。』

 

 11月にあの3人がやらかしてから、いつの間にか姿を消した外部指導。荒城先生の楽器を使っていた人たちがワタワタしてたっけ。

 

 そして、顧問や副顧問から言葉をもらった。

 

「えっと……これから楽器体験をやります。準備をしてください。2年は引き続き個人練しててください。」

「「「はいっ!」」」

 

 

 昨年は、部活の時間を1年生の楽器体験につぎこむことができたが、今年はそうはいかない。スポーツフェスティバルでの演奏が、あと1週間とちょっとに迫っているからだ。

 2・3年生の練習時間を確保するため、1年生は1日おきに来させるようにした。

 

『やばい、そろそろ暗譜していかないと。』

 

 まだ『がむしゃら行進曲』の3連符が、何となくできているようでできていない。

 

「曲順言うから、メモってー!」

 

 舞莉は例のごとく、ファイルから、使う楽譜を全て抜き取っている。

 

「最初は『マーチ「春風」』、次に『Under The Sea』、次が『桜color』、その次が『小さな恋のうた』、次に『がむしゃら行進曲』がきて、最後は『ユーロビート』です。」

「「「はいっ!」」」

 

 そう、舌が疲れる『がむしゃら行進曲』が、アンコール前にくるのだ。その前に開会式でも演奏するので、本番は持久戦になりそうである。

 

「これ、バリサク5ヶ月にしてはハードだよね。舞莉、大丈夫そう?」

『ど、どうだろ。まぁ、乗り切るしかないし。』

 

 バリトンは舞莉を気づかう姿勢だ。

 

「セグレート行くか?」

『ホントは行きたいとこだけど、個人練の時間も長いし、何とかなりそうだからいい。』

「そっか。」

 

 舞莉としては、バリサクを始めた時のようにガツガツやりたかったのだが、睡眠時間を考えて断った。

 

 

 その週の土曜日、舞莉たちは1日練習だった。午前中は1年生の楽器体験、午後は合奏という日程らしい。

 

「そうだ、今日1時間、2年生たちも教えてみない? 聖子に聞いてくる!」

 高松先輩は、通る声で部長の板倉先輩を呼ぶ。

 

「やっていいって。ほら、うちらもポップスの練習したいし。」

 

 なるほど、確かにな。

 特に高松先輩は『桜color』でソロがあるもんね。

 

「ひばるん、教えられる? じゃあ1年生4人の時には、ひばるんも入って。」

 教えられるか聞いておきながら、返事をする隙もくれなかった高松先輩。

 

「分かりました。」

 返事をしておきながら、バリサク5ヶ月の奴が教えてもよいのか疑問に思う舞莉だった。

 

 

 舞莉は昨年のサックスの体験を必死に思い出し、分からないところはバリトンに聞いた。自分が楽器を下ろしている時でも、サックスパートは部活中、常にストラップをしている。

 バリトンの声は首元から聞こえる。

 

「そうそう、これで吹いてみて。」

 

 音が出るならまだいい。アルトはバリサクの1オクターブ上の音の楽器で、運指が同じである。

 しかし、舞莉はアルトサックスを、ここ1年は吹いていない。指は同じでも、息の入れ方やストラップの調節がうまくいかない。

 

 ほぼ吹いたことのない楽器を人様に教えろって、こんな無茶ないよな。

 バリトンも、アルトは専門外である。

 だが、音が出やすい楽器なので救われた。

 

 

 1時間経つころには、舞莉はヘトヘトになっていた。

 

「おつかれ! そろそろ交代しよっか。」

 元気な高松先輩の声が聞こえてきた。

 

「そういえばひばるん、(ふる)さんみたいにアルトからバリサクになったわけじゃないのに、任せちゃった! ごめん、大変だったでしょ?」

 

 高松先輩、やっと気づきましたか。

 

「ま、まぁ。」

「ほんと、ごめんねぇ……!」

「だ、大丈夫ですよ。」

 

 手を合わせて全力で謝ってくる先輩に、舞莉はどう反応してよいか分からなかった。

 

 そして、相変わらず……パーカッションのパートリーダー・細川先輩は、週に一度しか来なかった。1年生に鍵盤楽器を教えられる人が誰もいなかった。

 

 

 本番まであと4日。今日は合奏の日である。仕上げていかなければならない時に、部員たちは顧問からの無茶ぶりに翻弄されていた。

 

 それは開会式に演奏するものである。

 

「ここでファンファーレを入れたいのですが……時間がないので先生が作りました。まずトランペット。」

 

 えっ、楽譜ないってこと?

 

 口頭でリズムと音程が告げられ、後ろを向かなくても、トランペットの人たちがあたふたしているのが分かった。混乱していて合わせてもうまくいかず、結局、五線の黒板に書くハメとなった。

 

 低音パートは、C管とB♭(ベー)管とE♭(エス)管が混ざっているので、一直線上にリズムを書き、その下にドイツ音名で音程を表した。

 

「先生、バリサクは最初ののばし、上のCか下のC、どっちの方がいいですか?」

 珍しく古崎先輩が質問した。

 

「吹いてみて。」

 

 古崎先輩は最初の4小節を2パターンで吹いた。

 

「低い方がいいね。それって最低音?」

「はい。」

「吹けるなら、最低音の方にして。」

「「はい!」」

 

 舞莉も古崎先輩と返事をした。

 

「舞莉、できる?」

『たぶん。ピッチがちょっと心配だけど。』

 

 サックスは楽器の穴がふさがるほど、音が少し低くなりやすいのだ。自分に関係ないからと寝ているカッションは置いておいて、バリトンは少しのことでも、初心者の舞莉を気づかっていた。

 

 こんな無茶ぶりや、合奏ごとに指示内容が変わる顧問のせいで、舞莉はある意味暇ではなかった。

 

 

 4月29日、スポーツフェスティバルの本番がやってきた。学校から会場までは車で行かないと遠い(舞莉の家からは自転車で行ける)ので、市の方がバスを出してくれた。

 本番の時だけ舞莉のポニーテール姿が解禁される。髪を結べる人は本番ではポニーテールにしなくてはいけない、という南吹のルールである。

 

「そりゃあ、そうだよな。演奏してもらう側なんだから、それくらいしてもらわねぇと。」

と、カッションは大口を叩いているが。

 

「舞莉、今日の仕事は?」

 バスに乗ると、足元に置いたスクールバッグからバリトンの声がした。

 

『今日はね、直射日光の下で演奏するからピッチがズレやすいし、全体的にはそこかな。個人個人だと、マーチ「春風」のピッコロのソロと最後のペットの最高音。あと、桜colorのアルトソロ。』

 

 スラスラ答えた舞莉に、カッションが驚いているようだ。

 

「舞莉、よく把握してんなぁ。直射日光だと管楽器もおかしくなるのか?」

『うん。金管楽器とかフルートとかサックスも危険だけど、クラはもっと危険らしいよ。ほら、甲子園で吹いている人たちも、楽器にタオル被せて吹いてるところあるでしょ?』

「よく知ってんな……。」

『パーカスも直射日光厳禁だったよね。』

 

 打楽器も、片づけるときは毛布などを楽器に被せ、常時パーカス側のカーテンを閉めている。

 

 感心しているカッション。だが、何か調べたのではなく、合奏中に思ったことや他のパートの会話の盗み聞きで得た情報である。

 

 

 会場の沢戸市総合運動公園に着き、トラックから楽器を下ろして運動場に運んだ。日陰に設けられたテントに楽器を置く。

 

 曇っていればまだよかったが、今日は雲ひとつない快晴。舞莉たちが演奏する角度的に直射日光が顔面直撃という、最悪なコンディションだ。

 しかも風がやや強い。これでは楽譜がめくれてしまう。

 

「なんだこれ。」

 

 舞莉は日光に目を細めながらつぶやいた。

 

「南中吹奏楽部のみなさん、準備お願いします。」

 開会式の進行を見ながら森本先生に指示を送ってくれるスタッフの人が、こちらのテントにやって来て言った。

 

「それでは行きましょう。」

 森本先生はスコア(全てのパートが書いてある楽譜)を持って、部員たちに指示を飛ばした。

 

「「「はいっ!」」」

 

 音出しとチューニングを素早く済ませる。楽譜がめくれそうになったので、舞莉は取った片方のピン留めでファイルを挟む。

 風で髪ももうボサボサだし、いいや。

 

 そんなことをしていると、進行の方の準備もできたようだ。実行委員らしき人が朝礼台の上に上がった。

 

 よし、始まる。

 

「選手、入場。」

 

 森本先生が構えの合図を出し、舞莉はマッピをくわえ、カッションは浮き上がり、バリトンは姿を消した。

『マーチ・スカイブルー・ドリーム』が始まった。

 

 開会式に参加する子供から大人まで、地域ごとに列を成して、プラカードの人を先頭に行進をしている。

 

 まさか『スカイブルー』に合わせて行進するなんて。

 まぁ、テンポがちょうどいいのかな。明るい曲調だし、合ってるのか。

 

 直射日光のせいでどんどん楽器が温まってきて、みんなのピッチがズレてくるのが分かった。

 すると、急にピタッとピッチが合った。

 

 バリトンの気配を感じる。

 

 選手が全員入場してきたので、スタッフの人が演奏を止めるようジェスチャーした。

 森本先生の指揮で演奏を止める。

 

 その後、国家斉唱や3種類のファンファーレを吹き、優勝旗などの返却の時は『特賞歌』を吹いた。またある時はカーペンターズの『青春の輝き』(顧問のチョイス)を吹く。

 

 開会式が終わった。

 

 

 主に鍵盤楽器を奏でたカッションは地面に降り立ち、バリトンは徐々に姿を現す。バリトンは少し疲れた表情をしている。

 

『バリ、大丈夫?』

「うん、大丈夫。ピッチがだいぶズレてたから、合わせるのがちょっと大変だったけど。」

 

 まぁ、自分が吹いてても、他のパートどうしのピッチが合ってないって分かったくらいだから、そりゃあ、ね。

 

「あと20分後、10時ちょうどにポップスの方の発表をします。そちらの準備をお願いします。」

「「「はいっ!」」」

 

 解散、の声に数人が運動公園内の体育館へ走っていった。まぎれもなく、トイレである。

 

 その人たちを横目に、舞莉はバリサクをテントへ置きに行った。バリトンは3頭身の姿で、バリサクのケースに寄りかかって休んでいる。かたや、カッションはピンピンしている。

 

「バリ、お疲れ!」

「カッションも、お疲れ。」

「ピッチ合わせるの、大変だっただろ? 俺の分けてやるよ。」

 

 そう言って、カッションはバリトンの小さな手を握る。

 

「よし、もうひと仕事だ! お互い、頑張ろうな!」

「うん!」

 

 舞莉はあえて声をかけずに見守っていた。

 

 カッションが手を握ったとたんにバリが元気そうになったけど……あれは力とかを分けてたのか? 精霊どうしでしか分けられないような感じ。

 

「準備してください!」

「「「はいっ!」」」

 

 森本先生の声に、部員と精霊は再び直射日光のもとへ戻った。

 

 

 開会式では楽譜を見ても大丈夫だったが、ポップスは暗譜である。

 でも、三送会もスイメイモールも暗譜だったし、大丈夫。いける。

 

 周りに、保護者や1年生たち、少年野球チームの子たちが集まってきた。

 

『カッション、パーカスの補充お願いね。バリは……無理しないでね。』

 

「いや、これは僕の仕事だから。ソロもピッチも頑張るよ。」

 バリトンはそう言うと、霧状になって姿を消した。

 

 ホントは精霊の力なんて借りずに合わせられなきゃいけないんだけど。

 

 森本先生の指揮で『マーチ「春風」』が始まった。

 グロッケンから、なぜかシロフォンの音が鳴り始める。しかし、この音はビデオカメラやスマホには残らない。

 

 菊間先輩のピッコロのソロが始まった。16小節もある長いソロだが、いつもの合奏では難なく吹く菊間先輩。

 バリトンの気配は感じないが、先輩はいつものごとくノーミスで吹ききった。

 

 繰り返しで、フルートの裏メロと一緒にシロフォンの音が重なる。

 そして、最後のトランペットの最高音はきれいにハマり、吹き終わった。

 

 司会の2人が出てきて、いつもの使い回しの自己紹介と、『マーチ「春風」』の曲紹介を終える。

 

 

「次の曲は、映画『リトル・マーメイド』で有名な『Under The Sea』です。映画に出てくるキャラクターをイメージした衣装にも、ぜひご注目ください。」

 

 今回は三送会やスイメイモールの縮小版で、ダンスはしない。

 

「次にお送りするのは、GReeeeNの『桜color』です。」

 

 曲中で2回テンポが変わるため、トランペットの先輩が指揮をする。

 カッションの出番はティンパニだけだ。どうやら小楽器は、大島先輩と司の2人でほぼ回せるらしい。

 

 ドラムのフィルインが走りやすいが、さすがは細川先輩なのでテンポがズレることはない。

 

 またテンポが変わり、高松先輩がスっと立ち上がる。アルトサックスでソロを歌うように吹きあげた。

 

「次の曲は、誰もが聞いたことのある、MONGOL800の『小さな恋のうた』です。」

 

 ドラムは大島先輩に交代する。今度はカッションの出番はない。

 

 指定のテンポは118だが、原曲はもう少し速い上に、遅いと原曲の疾走感を殺してしまうので、テンポを上げている。

 他に言うべきことは、2番の始めのメロディが低音セクションだと言うこと。低音パートにはおいしい。

 

「次で最後の曲となってしまいました。最後にお送りするのは、関ジャニ∞の『がむしゃら行進曲』です。」

 

 この曲は司がドラムを務める。三送会とスイメイモールに引き続き、アップテンポの曲である。

 

 カッションの担当は、チャイム、ホイッスル、クラベス、カバサ。シロフォンを持ってきていないので、細川先輩はそこの部分もグロッケンで演奏している。が、カッションの力でグロッケンを叩いてもシロフォンの音が出るようにするらしい。

 

 打楽器に関してはなんでもありなんかよ。

 

 最初の3連符地獄が始まった。息のスピードを上げて前につっこむようにタンギングをする。大島先輩の威勢のいい「ヘイッ!」の相打ちもあってか乗り切った。

 高良先輩が引退してからというもの、大島先輩がはっちゃけている。

 

 舞莉は休みのところで細川先輩を見る。当然、驚いていた。

 しかし、Aメロに入るとグロッケンの音に戻っている。

 舞莉は心の中でニタニタしてから、歯切れよく低音を刻み始めた。

 

 ラスサビ前はピッコロとフルートのソリ(ソロの複数形)である。2人でピッチやハーモニーを揃えられるよう、バリトンが手を貸す。

 見事、成功した。

 

 最後の3連符地獄は1回だけタンギングできなかったが、おそらくバレてないだろう。

 

 部員全員が立ち上がる。

 

「ありがとうございました!」

「「「ありがとうございました!」」」

 

 スイメイモールの時よりは控えめのアンコールをもらい、舞莉たちは『ユーロビート・ディズニー・メドレー』を吹き始めた。

『イッツ・ア・スモールワールド』から『ジッパ・ディー・ドゥー・ダー』の間奏で、今回から大島先輩が相打ちを入れた。

 

 最後まで吹き終わった。

 

「これからも、南中吹奏楽部をよろしくお願いします!」

「「「お願いします!」」」

 

 一礼をし、舞莉は椅子に座った。マッピにキャップをつけていると、バリトンが3頭身の姿で舞莉の膝の上に現れた。

 

「ちょっと、今回は仕事が多すぎた……。」

『だから、無理しなくていいって言ったのに。』

「いや、ピッコロのソロは……セーブしたんだけどね。」

 

 やっぱり。力を使っていれば、バリトンの気配を感じるから。菊間先輩は普段から上手いから、バリトンに手伝ってもらう必要はないよね。

 

 舞莉の膝から動けなくなったバリトンは、何とか宿り主に戻った。

 

 まだ力が安定しないんだな……。今度は私が助ける番か。

 

 帰りのバスで、バリトンはまたカッションに力を分けてもらうこととなった。

 

 

 ゴールデンウィークに入り、連日練習漬けの日々が始まった。今週の土曜日、6日には、市内の中学校の吹奏楽部の人で集まって合奏講習会をする。

 これからその時にする課題曲の合奏なのだ。

 

「午前中は、学年ごと、さらに楽器ごとに別々の教室で、主に基礎を練習し、午後は、2年生は武道場、3年生は体育館に集まって合奏をするそうです。」

 

 それでなんですが、と森本先生が言う。

 

「午前中の基礎練習の進行の方を、今年は南中が引き受けることになりまして。」

 

 ……へ?

 

 午前中に練習する教室には、2年のバリサクしかいなくて、そこで進行をしろってこと?

 

『だって、他のバリサク吹いてる人って、普通はアルトやテナーから移ってきた人がほとんどでしょ? サックス歴まだ半年なんですけど!』

 

 舞莉の肩が重くなる。進行のような、他人を引っ張ることなどしたことがない。

 

 終わった……。

 

 課題曲は簡単だと思った『ROMANESQUE』だが、久しぶりに胃が痛くなりそうだと思った舞莉だった。

 

 

 部活が終わり、舞莉はバリサクをしまって音楽室に戻ってきた。帰る用意をしていると、森本先生から呼ばれた。

 

 えっ、私、何かしました?

 

 カッションの宿るスティックとバリトンの宿るストラップは、もうスクバの中に入れてしまったので、2人はおいて先生のもとに行った。

 

「羽後さん、非常に言いにくいのですが……。」

 もったいぶる先生。

 

 私にとってよろしくないことだな。

 

 舞莉は息をつめた。

 

「羽後さんのバリサク、もともと深田野(ふかだの)中から借りてたものっていうのは知ってますか?」

 

 言われて納得した。確かに、ケースに『深中』と書いてあるテープが貼られていた。

 

「はい。」

「それで、土曜日の合奏講習会の時に返さなきゃいけなくなってしまって。」

 

 ……………………え?

 

「返したら、私の吹く楽器がなくなるってことですか?」

「バリサクは、ですね。テナーは空いているのでテナーでもいいですし、あとはユーフォはどうですか?」

 

 いや……そういうことじゃなくて。なんかさ、もうちょっと……なぁ。

 テナーはバリサクとは調が違うし、基本的に金管は苦手なんだよ……。サックスに移動する時も言っただろうが。

 

「今の3年生が引退したら、楽器が空くので戻れますよ。」

 

 だから、そういうことじゃなくて。

 こっちはこれからのビジョンがあったのに。コンクールメンバーにはなれないだろうから、夏休み中に上達してやろうって思ってたのに。

 

「別に、今決めなくてもいいですよ。どうするか決まったら先生に言ってください。」

 

「……はい。」

 

 返事をするしかなかった。まだ気持ちの整理がついていない状態で決めるのは危ない。

 

 あまりにも唐突すぎる、森本先生からのパート移動の命令だった。



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18:別離

 舞莉はベッドに腰掛けていた。

 

 せっかくバリサクに慣れてきたというのに。あのバリサクを深田野(ふかだの)中に返さなきゃいけないって。

 今、その楽器を使ってる人がいるのに、どうして。……やっぱり借りている身だから、返せと言われたら断れないのか。

 

「……どうする?」

 隣に座るバリトンがつぶやく。

 

「もりもってぃーから言われたのは、テナーかユーフォなんだけど、どっちもイマイチというか、しっくりこなくて。」

「アルトは?」

「今は空いてるけど、パートが決まったら1年が使っちゃうらしいから、ないって。」

 

 しばらく沈黙が続く。それを破ったのはカッションだった。

 

「なぁ、舞莉。パーカスに戻るっていう選択肢はねぇのか。」

 

 パーカスに戻る……ああ、それもありかも。

 

「だってよ、実質、今のパーカスは大島と司だけだろ? これからコンクールもあるし、『クシナダ』ってパーカスが多いらしいし。」

 

 耳が悪くて週に1度しか来ない細川先輩。学校には来ているようだが部活には来ない。

 朝練習の基礎合奏は、バスドラムとスネアドラムだけ。鍵盤楽器やシンバルがない合奏はどこか寂しかった。

 

「あと、パーカスに戻ったら、今年のコンクール出られるかもな。」

 昨年は4人が出た。今年もB部門なら、おそらく同じ人数が出るだろう。

 

「戻ったら戻ったで、すごい忙しくなりそうだけど。」

 舞莉は壁のカレンダーを見てゾッとした。

 

 今年も6月にある『西部支部』に出るのなら、1ヶ月で発表できるまでに仕上げないといけない。半年のブランクがあるパーカスで、しかもコンクール曲を。

 

「バリはどう思う?」

「えっ、僕?」

 急にふられたバリトンは戸惑う。

 

「僕としては……舞莉が決めたことに従うよ。しばらくバリサクが吹けなくなるのは変わらないし、僕は応援くらいしかできない。ユーフォをやるなら、話は変わってくるけどね。」

 

「でも、金管は苦手だから――」

「やっぱりパーカスだな。」

 

 カッションの言葉にうなずく舞莉。

 

「うん。何かわかんないけど、他の楽器よりパーカスの方がこれからのビジョンが見えてくる。」

「それは、舞莉が経験したことのあるパートだからだろ?」

「……そっか。」

 

 パーカスに行く方が、色々と利点が多い。

 まず、一時的でも低音パートを離れられること。次に、コンクールメンバーになれるかもしれないこと。あとは……。

 

 セグレートで練習したドラムを見せられるかもしれないこと。実は鍵盤やウィンドチャイムだけじゃなくて、ドラムもできるんだよって。

 

 欠点と言えば、パーカスにいる間は吹かなくなるので、肺活量が下がること。それくらいしか思いつかない。

 

「明日、もりもってぃーに聞いてみる。そもそもパーカスに行けるかどうかも分からないから。」

 

 突然立ちこめた闇だったが、その日のうちに光が差しこみ始めたのだった。

 

 

 次の日の朝イチ。森本先生が音楽室に来たところで捕まえた。舞莉を見た瞬間に、先生は話を聞く態勢になった。

 

「羽後さん、決まりましたか。」

「あの、パーカスにいくっていうのはどうですか。」

 

 先生は舞莉の言葉に固まった。

 

「パーカス……ですか。」

 

「サックスに移った時も言ったんですが、基本的に金管は音は出るんですけど苦手なんです。テナーは三村さんがいるので。」

 もっともらしい理由を言ってみる。

 

「そう……ですね。でも、また戻って大丈夫ですか?」

 

 言われるのも無理はない。人間関係の問題でサックスに移動したのだから。

 

「たぶん大丈夫です。細川先輩はあまり来ませんし。大島先輩と高橋くんの2人となら、やっていけると思います。」

 

「分かりました。今年のコンクール、パーカスなら羽後さんも出ることになると思います。ですが、あまりにも実力がともわない場合はメンバーから外しますが、それでもいいですか?」

 

 舞莉はうなずく。

 

「はい。そもそも、このままサックスにいても出られないので。」

 

 これで確実にパーカッションパートへの移動が決まった。

 

 席に戻り、床に置いたバリトンサックスを持ち上げ、膝の上に置いた。譜面台の上には黄色いファイルに入った、『コンサートマーチ「アルセナール」』。

 

『この曲を、このバリサクで吹くのはもう数えるほどしかないだろうな。』

 

 そう思いながら、ハート型のキーホルダーがついたチューナーを取り出した。

 

 ◇   ◆   ◇

 

 そのキーホルダーは舞莉が買ったものではなく、サックスの先輩3人からくれたものだった。

 

 それはまだ舞莉が不登校になる前、久しぶりのサックスでのパート練習の時だった。

 

「そういえばさ、みんなって楽器に名前つけてる?」

 話を切り出したのは高松先輩。

 

「確かに、他のパートはつけてる人いるよね。引退した先輩たちも。」

 浅木先輩は何人かの名前を口にする。

 

「それなら、サックスパートみんなで、ひとりひとりの楽器に名前をつけよう!」

「おっ、いいじゃん、高松!」

 

 高松先輩と浅木先輩だけで盛り上がっているが、舞莉も実はしてみたかったことだった。

 パーカスでは基本、『自分の楽器』というものがない。他のパートの人が、自分の楽器を我が子のようにかわいがっているのを見て、少し羨ましく感じていた。

 

 ちなみに……楽器に名前をつけることと音楽の精霊は、別物である。

 

「なんか、名前もパートで統一感がある方がいいんだよねー。何がいい?」

「それなりに種類がないといけないから……」

 

 舞莉がとっさに思いついたのは、宝石の名前だった。これなら、サックスのきらびやかなイメージとも合いそうだ。

 

「……宝石はどうでしょう?」

「宝石……いいんじゃない?」

「いいじゃん! ひばるん、やるぅー!」

 

 するすると話が進んでいく。

 

「じゃあ……古さんのならすぐに思いついた!」

 高松先輩が手を挙げている。

 

「えっ、私?」

「古さんはね、イメージカラーが青っぽいから、サファイアかな。」

「「「あー、確かに。」」」

 

 これはみんな同意のようだ。

 

「浅木はね、好きな色って紫でしょ? だからアメジスト。」

「よく覚えてたな、アメジストでいいよ!」

 

 浅木先輩のもすんなり決まった。

 

「優花はね……」

 高松先輩は、直接の後輩である古井優花をじっと見る。

 

「赤! 赤だね! 赤だと……」

 

「ルビーとか。」

 ボソッとつぶやく舞莉。

 

「それそれ!」

 

 次々と宝石が散りばめられていく。

 

「瑠衣はどう? 瑠衣も青っていう感じがするけど……」

「じゃあ、好きな色なに?」

「好きな色……緑系ですね。」

 

 めずらしっ! まぁ、緑も昔は青色の一部だったらしいし……おっと、蛇足蛇足。

 

「緑系の宝石ってない?」

 

 少し宝石に詳しい舞莉が答えてみる。

 

「有名なものだとエメラルドとか。黄緑っぽいのだと、8月の誕生石のペリドットもあります。」

 

「ひばるん、詳しいね! 瑠衣、どうする?」

「……じゃあ、エメラルドで。」

 

 高松先輩と浅木先輩の勢いに任せるような形で、1年生(当時)のものも決まっていく。

 

「えっと、遥菜はね……ピンクかなぁ?」

 

 ピンク……ピンクの宝石って何だっけ?

 

「ひばるん、ピンクは?」

 

 舞莉は少し考えこむ。あ、あれとかそうじゃない?

 

「確か……ピンクダイヤとか、濃いめのものだとピンクトルマリンとか。薄いものだとローズクォーツとかもあったような……」

 

「最初の2つは、頭に『ピンク』ってついてるからなー、最後に言ったやつって?」

「ローズクォーツです。」

「じゃあ、略してローズにしよう!」

 

 遥菜本人の意思に関係なく、勝手に決められてしまった。本人は別にどうでもいいのかもしれない。

 

「あっ、高松のやつ決めてなかったじゃん!」

「そうだった! 人のばっか決めてた!」

 

 ここで、サックスパートリーダー・高松先輩の名前が上がる。

 

「私はね、イメージカラーは黄色だって思ってる。」

「黄色ねー、ひばるん!」

 

 な、名前だけ呼ばれたよ。

 

「そうですね……トパーズとか、11月の誕生石のシトリンとか、あとはコハクとか。」

 

「コハクいいじゃん! 聞いたことあるし!」

「先輩、ちなみにコハクって木の樹液が固まったものなんですよ。」

「そうなの!? へぇ、すごぉい!」

 

 付随情報も加えておく。本当は、樹液に寄ってきた虫がそのまま閉じこめられていることがある、とも言いたかったが、止めておいた。

 

 というか、私のやつまだ決まってなくね?

 

「あのー、私のやつは……?」

 舞莉は遠慮ぎみに手を挙げる。

 

「あぁぁぁぁああ!! ごめぇん! 宝石教えてもらったのに!」

 全力で謝ってくる高松先輩。

 

「ひばるんはね……………………なんだろ?」

「確かに……………………分かんなぁい。」

「持ってきてるお弁当は黄緑だけど、筆箱は紫だし、ファイルは黄色だし……。」

 

 舐めるように見られているが、イメージカラーさえつかめないらしい。

 

「うーん、白? 透明とか?」

「あっ、それだ!」

「白! いいかも!」

 

 ……へ? ……えぇっ!

 

「そ、そんな『潔白』みたいなイメージなんですか?」

「そうそう。ほら、品があるし、誰にも汚されていない感じ?」

 

 他の人は汚れてるんかい。まぁ、私が汚れてないわけないんだけどね。色々あったし。

 高松先輩は、自分だけでなく、舞莉以外に失礼なことを言っているのに気づいていない。

 

「そうなったら、やっぱりダイヤモンド?」

「だ、ダイヤ!? 透明なら、他には水晶とか――」

「ダイヤだ! ぴったり!」

 

 舞莉の提案は完全スルーされ、なぜか宝石の王様・ダイヤモンドになった。

 

「よーし、今日帰ってから、名前が分かるものを作ってみるね!」

 

 そう高松先輩が言って、やっとパート練習が始まったのだった。

 

 

 次の日、舞莉が部活に来ると、準備室のサックスがしまってある棚に何枚かの折り紙が貼られていた。

 左から、黄、紫、青、赤、ピンク、緑、白。それぞれに楽器の種類、その人のニックネーム、楽器の名前が書いてあった。舞莉の白い紙には『B. Sax ひばるん ダイヤ』と書いてあった。

 

『高松先輩、仕事早っ!』

 

 それにしても、自分のイメージカラーが白や透明で、ダイヤモンドを振り当てられるなんて。

 

「似合ってるよ。舞莉にぴったり。」

 首にかけたストラップからのバリトンの声に、肩に乗るカッションは大きく首を縦に振った。

 

 

 次の月曜日、舞莉は朝練で音楽室に入る。すると、舞莉の椅子の上にハート型のキーホルダーが置いてあった。

 外枠が金色で、中にカッティングが施された透明のものがはめこまれている。

 隣の古崎先輩のを見てみると、銀色の外枠に同じくカッティングつきの青いものがはめられていた。どうやら色違いのようだ。

 

 高松先輩がこちらに振り向いた。

 

「ひばるん、昨日、2年(当時)の3人で遊びに行ったの。そしたらガチャガチャでいいやつ見つけてさ。この間みんなの楽器の名前決めたでしょ? それでみんなの分回してきたから!」

 

「あ、ありがとうございます。……って、いくらかかったんですか!」

 

「あっ、別にお金は気にしなくていいからね! うちらが遊びでやっただけだから!」

 

 それならと、先輩にあやかって費用は負担してもらうことにした。

 

 キーホルダーをよく見ると、透明のものに黒いペンで何か書かれていた。

 表には『B. Sax M』、裏には『Diamond』。

 

 舞莉はチューナーの穴に、そのキーホルダーを通す。大きめでインパクトのあるものだが、自分がサックスの一員だと認めてもらえたような感じがした。

 

 ◇   ◆   ◇

 

『このチューナーも、しばらく使わなくなるなぁ。』

 舞莉はチューナーマイクをバリサクのベルに挟み、音合わせを始めた。

 

 

 ついに、5月6日、合奏講習会の日がやってきた――いや、やってきてしまった。

 

 顧問の車に楽器を積みこみ、パートごとに自転車で移動する。向かうのは弓落(ゆみおち)中学校。マンモス校としても知られているところだ。

 中に入ったのは初めてであった。南中と違い、A棟・B棟・C棟と分かれていない。

 

 うん、何かと広い。確かに、市内の中学校の吹部を全員集めても大丈夫だな。

 

 舞莉は重たいバリサクを持って、3階の2年3組の教室に入った。机とほとんどの椅子が後ろに下げられ、椅子が4つだけ横に並んでいる。

 すでに2人、準備をしている人がいた。

 

「……おはようございます。」

 小さくあいさつをし、隣にバリサクのケースを置く。

 

「「おはようございます」」

 

 返してくれた。よかった。

 まさか、ここに音楽の精霊が2人もいるとは思っていないでしょうけど。

 

 バリトンが宿るストラップをかけ、バリサクをセッティングする。

 まず、本体を立ててストラップのフックをかけ、ネックを差しこみ、ネジを締める。そして、ネックの先にマウスピースを差しこむ。

 

『なんか、他の学校の人がいると緊張する。』

 舞莉はなんとなく周りを見渡して、椅子に座る。

 

『音出していいのかな。』

 

 舞莉は森本先生からもらった進行表を見る。時間が細かく決まっており、それによると10時からチューニング・基礎練習になっている。それまでは自由に音出しと書いてある。

 

 バリトンも進行表を見て言った。

 

「いいんじゃない?『ROMANESQUE(ロマネスク)』吹いててもいいと思うよ。」

『そうだね。軽く吹いてからROMANESQUEやってみるよ。』

 

 吹こうとすると、最後の1人が教室に入ってきた。全員そろった。

 舞莉が吹き始めると、先に来ていた2人も音出しを始めた。とりあえず最低音から最高音まで、順に吹いてみる。

 

 舞莉は『ROMANESQUE』を吹き始めた。合奏したときの音を頭に流し、スラーを意識して滑らかに吹く。

 しかし、簡単なので1回通せば十分だった。

 

 時間が余ってしまった。

 

「半音階とアルペッジョやっておく?」

 

 バリトンの提案に『うん』と返し、3Dバンドブック(基礎練習本)を開く。半分くらいは暗譜できているのだが。

 

 何回か練習していると、ちょうど10時になった。

 ああ、基礎練習の進行をやらなねば。

 

「チューニングしてください。」

「「「はいっ」」」

 

 しっかり返事をしてくれた。やはり、ハキハキとした返事は全校共通らしい。

 音出しの時間が長かったので、すぐにチューニングし終わった。

 

 そうだ。他の学校はどういう進行でやってるんだろう。

 

「えっと、テンポ60でロングトーンやります。」

 他の3人の顔色をうかがう。大丈夫そうだ。

 

 チューナーを見ながら、まっすぐブレないように気をつける。

 

「リップスラー練習やります……みんなは何番やってますか?」

 

 1番から6番まであるのだが、南中は3番→2番→4番という順番でやっている。

 

「3、2、4ですね。」

「うちも同じですね。」

 

 これも同じのようだ。もしかしたら市内で統一しているとか……?

 

「じゃあ、やります。」

 

 ただの低音域のロングトーンだが、かなり息を持っていかれる。テンポ72で8拍のばすだけでキツい。

 

「次は……アンブシュア練習やります。」

 

 これも、南中は時間短縮のため、日によって1番から3番まで・4番から6番までと分けたりしている。

 

「あの、1番から6番まで一気にやってます?」

 

「やってます。」

「やってますね。」

 

 ま、マジか! うちだけかよ!

 

「分かりました。この通りやります。みんながやってるなら、私も頑張ります。」

 

 少し苦笑いされ、マッピをくわえる。

 

 いつもの区切ったバージョンでやっているせいか、アップアップしてしまった。ちゃんとやるとこんなにキツいのか……!

 

 何とか吹ききった。

 

「アルペッジョ練習やります。」

 

 すると、他の3人の顔色が変わった。

 16分連符のオンパレードなので、とりあえずテンポを聞いてみる。

 

「テンポいくつですか?」

「あの……そもそも苦手……というか。テンポは60です。」

 

 お、遅っ!

 

「60でやってみますか。これも、リピートはありですよね。」

 

 うなずいてくれた3人。しかし、いざやってみると――

 

『……うそでしょ。』

 

 最後まで吹けたのは舞莉だけだった。しかし、リピートをする分また息が上がりそうになった。

 

『ちょっと待って! みんな元アルトかテナーだよね!?』

 

 この人たちは約1年、サックスを吹いているはずだ。

 

「……個人練にします。」

 

 舞莉はそう言うと、メトロノームを84にしてアルペッジョを吹く。さっきよりテンポアップしている。しかし、いつもはこれで練習している。

 

 吹いている途中から視線を感じた。それを意識しないようにするが、危うくミスりそうになった。この教室に舞莉の音だけが響く。

 

「すごい。」

「速くしてもできてる……。」

「南中すごい……。」

 

 5分後、次の練習にとりかかった。

 

「半音階やります。これはリピートつけますか?」

 

 他の3人はうなずく。舞莉はテンポを聞いてみる。

 

「うちはテンポ120でやってるんですけど……。」

「そうなんですか! うちは100です。」

「私のとこは同じで120です。」

 

 学校によってばらついている。舞莉はテンポの遅い学校に合わせた。

 

「遅いほうに合わせて、100でやります。」

 

 だったが――

 

『と、途中までしかできてない!』

 

 舞莉以外の人たちがどんどん離脱していく。

 

「じゃあ……個人練にしましょうか。」

 

 個人でできていなければ、合わせで練習する意味はない。

 かなりグダグダな感じで基礎練習は終わった。

 

 

 お昼休憩になった。昼食はこのメンバーと一緒に、この教室で食べる。

 

 お互いに違う学校で、お互い知り合いはいなかった。2年3組は静まりかえっている。

 

 どうしよう。何話そう。

 

「自分のこと、話してみたら? 元パーカスで、今日でまた戻るんですよって。」

 肩の上のバリトンが耳打ちしてきた。バリトンの通りに言ってみることにした。

 

「えっと……タメ使っていいかな?」

 

 舞莉は尋ねる。

 みんなが敬語だと堅苦しくなるからだ。3人はうなずく。

 

「私ね、もともと11月くらいまでパーカスだったの。」

「えっ、パーカス⁉︎」

「打楽器から管楽器って……。」

 

 それはそれは驚かれるだろう。当時、先輩たちにも驚かれたのだから。

 

「でも、さっきのアルペッジョとか半音階とか、完璧だった……!」

「えっと、うちの学校は、11月の時点で他の人はできてるんだよ。大変だった。」

 

 それが当たり前だと思っていた。もしかしてうちが厳しすぎだったり……?

 

「あと、今日でもう、このバリサクとお別れなんだ。」

「「「えぇっ⁉︎」」」

「またパーカスに戻るの。このバリサク、もともと深田野中のやつなんだけど返せって言われちゃって。」

 

 3人は固まっている。

 

「せっかく今日、合奏講習会なのに?」

「ホントだよね、だから、パーカスの方もよく聞いておこうって思ってる。」

 

 舞莉は3人を順に見て言った。

 

「うちのパーカス、今は3人しかいないから、たぶんコンクールメンバーになれると思う。来月の西部支部とか地区大会でうちの学校を見かけたら、私はパーカスの方にいるから。『ああ、移動してばっかの人、あそこにいるなぁ』って。」

 

 クスッと笑ってくれた。そして、他にも気になっていたことが。

「あっ、そうだ。みんなは最初からバリサクじゃ――」

 

「違う、違う。私はもともとアルトだった。」

「私はテナーだよ。」

「私も元アルト。」

 

 ここのバリサクメンバーは、みんな他の楽器から移動してきた人だったのだ。

 

 学校ではぼっちの舞莉にとって、同級生とここまでおしゃべりできたのは久々だった。元パーカスのバリサク吹き。そして、明日からはパーカスに。

 

 こんな経験しているの、私以外にいるのかな、と思ってしまう舞莉だった。

 

 

 午後になり、『ROMANESQUE』の合奏になった。南中とは比べ物にならない広さの武道場に行き、弓落中の顧問から教わることとなった。

 

 音出しをして、チューニングをする。

 

「みんな1回は合奏してあるよね。それじゃあ、通してやってみるか。」

 

 市内の中学2年生の吹部全員による、『ROMANESQUE』が始まった。

 

 始めから、武道場を包みこむ迫力に、演奏しながら感動してしまった。

 ここにいるのはざっと80人以上。何もかも人数がいて太い音になっている。ここで、舞莉は気づいた。

 

 フルートの列の1番前に、クラリネットに似た黒い楽器を吹く人がいることを。

 

『オーボエだ!!』

 

 公立の学校で、なかなかオーボエを持っている学校はない。さすがに同じダブルリード楽器であるファゴットはいなかったが。

 

 舞莉たちバリサクは、ピッチを合わせることくらいしか注意されなかった。が、他のパートの特にトランペットはよく先生から指摘を受けていた。

 

 ここでパーカスの方にも、ある重要なアドバイスをされていたが、肝心の司が熱で休んでいるので、明日言ってあげようと思った。

 マジで重要なのに何でいないんだよ。

 

 合奏講習会が終わり、また2年3組の教室に戻った。

 念入りに唾ぬきをし、タンポの掃除もした。借り物はきれいにして返す。そう思っているからだ。

 

『ダイヤ……もう今日でさよならだね。南中で吹いた最後の人になれてよかった。』

 

 キィについた手垢も拭き取り、舞莉はメッキが半分ほどはがれた『ダイヤ』を丁寧にしまった。

 フタを閉じたくない。

 

「舞莉……。」

 

 精霊2人は、正座をする舞莉の膝の上に座って、心配そうな顔で見上げる。

 

『うん。深中で大事に吹いてもらうんだよ、ダイヤ。』

 

 そう言って深呼吸すると、フタをパタッと閉じた。

 

 舞莉は深田野中のトラックに『ダイヤ』が積まれるまで、遠くで見送った。

 

『ありがとう。』

 

 舞莉は南中に帰ってきても、顧問の車からは下ろすものが何もなかった。

 

 

 舞莉がその日に書いた、吹部ノート。

 

 今日は合奏講習会でした。基礎練習の時、私がリーダーだったのでかなり戸惑ってしまいました。意外だったのが、私以外の3人が半音階とアルペッジョが途中までしかできなかったことです。その時間は個人練習にしました。

 またバリサクが吹ける日を楽しみにしています。

 

 サックスに移るまでも、移ってからも色々あったけれど、こんな吹奏楽人生、ある意味面白いのかもしれないな。

 

 クラリネットに憧れて入ったのにパーカスになって、いじめられてサックスに行き、楽器を返せと言われてパーカスに、そして先輩たちが引退したらまたサックスに。

 

 中学の吹奏楽人生の2年半で、3回もパート移動をする人。金管から金管でもなく木管から木管でもなく、打楽器から管楽器。

 

「こんな人、他にいたら会ってみたい。」

 

 自転車で帰った舞莉は、日がのびてまだ明るい自分の部屋のベッドで、大の字に寝転がる。起き上がって小さなバリトンを見た。

 

「バリ、しばらくは吹けないけど……。」

「うん、残念だけど……僕は舞莉を応援することが、これからの務めになるからね。」

 

 少し悲しそうな顔をするバリトン。

 

「カッション、これからはカッションの出番だからね!」

「分かってる。任せとけ。」

 

 管楽器のことは分からないとボヤいていたが、これからはカッションも忙しくなりそうだ。

 

 2人の精霊は等身大の大きさになった。2人の手にはブローチがある。舞莉はベッドから立ち上がった。

 

「パートが変わっても、このままよろしくね。」

「「もちろん!」」

 

 3人はそれぞれのこぶしをぶつけ合い、笑う。周りの景色がゆがみ始める。

 

 舞莉は思った。

 またパーカッションパートとして演奏できるチャンスを、先輩たちに消された過去を取り戻せるチャンスを、無駄にはしたくない。

 

 

 舞莉はチューナーのハート型キーホルダーを、ストラップに結びつけている。その『サックスにいたことの証』は、ずっと吹部バッグの中に入れておくことにした。

 

 またバリトンサックスが吹けるその日まで。

 

 

 スピリッツ・オブ・ミュージック♪ 〜第二楽章〜 終



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~第三楽章・本領発揮のパート革命~
19:告白


 ゴールデンウィーク最終日。長い髪を二つに結んだ赤メガネの女の子が、緊張した面持ちで通学路を歩いている。

 この女の子は、羽後(ひばる)舞莉(まいり)。吹奏楽部に所属している中学二年生だ。

 

 舞莉のスクールバッグから聞こえてきた、明るくハキハキした声。実は舞莉にしか見えない音楽の精霊である。この声はパーカッションの精霊・カッション。

 その後に聞こえてきた落ち着いた声の主は、同じく音楽の精霊でバリトンサックスの精霊・バリトンだ。

 

『今日からパーカスか……。』

 

 昨年、吹奏楽部に入った当初はパーカッションパートだったが、先輩からいじめられてサックスパートに移動した。そしてゴールデンウィークに入ってすぐに、顧問からあることを言われてしまったのだ。

 

 舞莉の吹いているバリサクを、借りていた中学校に返さなければならないことを……。

 

 吹く楽器がなくなったため、またパーカスに戻ってきたというわけだ。本格的に活動していた(一ヶ月以上)という点では、舞莉は部内唯一の管楽器と打楽器を経験しているということになる。

 

『うん、今日からはこっちだね。』

 

 舞莉は準備室を通って、音楽室への扉をそっと開けた。

 

「……おはよー。」

 

 舞莉の目線の先には二人の男子がいた。

 

「おはよう!」

「あっ、羽後、おかえり!」

 

 普通に返してくれたのは、二年生の高橋(たかはし)(つかさ)

 おかえり、と出迎えてくれたのは、三年生の大島(おおしま)和樹(かずき)先輩。

 

「ただいま戻りました。」

 舞莉はあえてかしこまった言い方で、二人に返す。

 大島先輩は頭をかく。

 

「まさか、羽後がまた戻ってくるとは思わなかったよ。」

「私もですよ。」

「ところで、今のところどれくらいできる?」

 

 司が自分の基礎打ち台を、舞莉によこした。

 

「半年はいなかったからなぁ」と、大島先輩。

 

「ちょっと待って。アップするから。」

 

 舞莉は久々の――本当は昨日もその前もしたが――ウォームアップを始めた。ウォームアップというのは、練習を始める前に手首や腕をストレッチすることで、そこを痛めないようにするためのもの。

 要は、準備運動である。

 

 舞莉はスティックを握り、基礎打ち台を何回か叩いた。

 

「えっ、羽後、叩けてんじゃん!」

 

 大島先輩と司は感嘆の声をあげた。

 

 これには舞莉のみが知る、ある理由があった。

 

 

 

 

 

 舞莉は、カッションとバリトンと『パートナー』という関係である。パートナーになった人間のみ行ける異空間『セグレート』でも、舞莉は楽器の練習をしているのだ。

 サックスにいた時も、セグレートで息抜きとしてドラムを叩いていたので、あまりブランクがない状態になっているのである。

 

 つい昨日も、パーカスに移動するということで、セグレートでドラムと鍵盤楽器の練習をしてきたばかりだ。

 

「羽後、基礎合奏からもう入れるか?」

「できるにはできるかもしれませんが……ズレちゃったらごめんなさい。」

 

 昨日練習してきたとはいえ、自分一人でやるときと他の人とやるときでは、また違う難しさがある。

 

「ローテーションしますか?」

「いや……鍵盤できないから、羽後頼む。なぁ司?」

「まぁ、そうですね。」

 

 まったく、しょうがないなぁ。私がパーカスを離れてから、ホントに鍵盤やってる様子なかったし。

 

 他のパートの人にとっても、久しぶりの鍵盤楽器込みの合奏だもんね。ちょっと緊張する。

 

「せっかくバスドラとスネアの練習もしてきたのによ……」

 

 スティックからカッションのため息が聞こえた。

 

 

 

 

 

 朝の掃除が終わり、基礎合奏の時間になった。

 

「羽後さん、ちょっと来てくれますか?」

 

 森本先生から呼ばれた。

 

「これ、『スカイブルー』と『春風』の楽譜です。」

 

 舞莉に二曲のマーチの楽譜が手渡される。『マーチ・スカイブルー・ドリーム』と『マーチ「春風」』だ。

 

「えっと、今日からもう入んなきゃいけないですか?」

「いや、今日は足踏みしてるだけでいいです。初日ですので。」

 

 足踏みというのは、毎朝基礎合奏のあとに練習するマーチの練習で、立奏して足踏みをしながら吹くのである。楽器どうしの縦のライン(楽器どうしのタイミングが合うところ)を合わせるためにしているらしい。

 

 何も演奏してないでただの足踏みとか、完全に浮くだろ。

 楽譜とにらめっこしながら、ゆっくりとパーカスのところに戻る。

 

 ……そういえば。

 

『カッション、三送会もスイメイモールもスポーツフェスティバルでも、マーチの鍵盤やったでしょ?』

「ああ、教える、教える。」

 

 舞莉の意図をくんで、カッションはスティックから離れて姿を現した。

 

「昨日はやってないから、おとといは『春風』の方で……今日は『スカイブルー』だな。」

 

 カッションは舞莉に『スカイブルー』の譜面を持たせた。

 

「さすがに全部は無理だから、ほらここ、フルートと同じ動きだからリズムは分かるだろ?」

「うん」

「あとはここもか。今のうちにそこだけ階名書き込んでおけ。」

 

 吹奏楽二年目、楽譜を読むのは小学校からやっていたからか、だいぶ速く読めるようになった。だが、ヘ音記号は読めない。

 

 譜読みが終わり、カッションはグロッケンのマレット(バチ)に宿った。

 

「シはフラットだから……。」

 

 とりあえず遅いテンポで叩いてみる。

 ……叩けた。ああ、メロディ叩いてる……!

 

「なんだ、舞莉叩けてんじゃん、一発で!」

 

 もう分かったと言わんばかりに、舞莉は指定のテンポの百二十八で叩く。……叩けた。

 感傷に浸っている場合ではない。

 

「ここもメロディと同じリズムかな。」

 

 そんな具合で、『スカイブルー』のシロフォンとグロッケンのうち、グロッケンだけは叩けるようになってしまったのだ。復帰初日で。

 

 管楽器の人たちがチューニングをし始めた。パーカスはチューニング中に音楽室で音を出したり喋ったりしてはいけないので、隣の準備室に移動する。

 

「スカイブルーのグロッケンだけ、ちょっとさらえました。」

「「マジで!?」」

「たぶん、この後の基礎合奏から入れます。」

「「すげぇ……」」

 

 まったく同じ反応を返す男子二人に、舞莉は吹き出さないようにこらえていた。

 チューニングが終わったようだ。

 

 

 

 

 

『ここからの景色、久しぶりで新鮮。』

 

 今まではこの正反対の位置にいたのだから、当然である。

 

「六十のロングトーンやります。」

「「「はいっ!」」」

 

 アンプで大きくしたメトロノームの音が、六十のテンポで刻んでいる。

 大島先輩が四分音符でバスドラムを叩き、二拍後に司が八分音符でスネアドラムを叩く。舞莉は司と同じタイミングで、八分音符てシ♭のオクターブをグロッケンで叩き始めた。

 

 本来なら、グロッケンでそれをするとガチャガチャとうるさいのだが、アンプで増幅された『シ♭』の電子音にかき消されるので、そこまでではない。

 

 グロッケンの目の前にいた明石先輩が、ロングトーンをしながら振り返った。

 

 ロングトーンが終わって、明石先輩が「そっか、舞ちゃん今日からか。」とつぶやく。

 

「何気に、俺も合奏で鍵盤ありで聞いたのは久しぶりだな。」

「僕もなんか新鮮だよ。」

『そっか、バリが来てからは一度もなかったね。』

 

 細川先輩が来たとしても、バスドラは大島先輩、スネアは細川先輩と決まっていた。司はシンバルの練習ということで、ずっと基礎合奏中はシンバルを叩いていた。

 細川先輩は耳の影響で、男子二人は頑なに鍵盤楽器をやりたがらない。

 

 昨日復習した基礎合奏の鍵盤を思い出しながら叩いていく。アルペッジョは少し間違えて叩いてしまったが、他は間違えずにできた。

 そして基礎合奏のラスト、マーチの時間がやってきた。

 

「スカイブルーやります。」

「「「はいっ!」」」

 

 ああ、何か緊張してきた。

 グロッケン込みで演奏するのはスポーツフェスティバル以来。カッションのとは違う『生音』だから。

 電子メトロノームが刻み始めた。

 

 部長の板倉先輩の合図で、『マーチ・スカイブルー・ドリーム』が始まった。

 舞莉はフルートの音に乗せるようにして旋律を叩く。バリサクの時とは違い、明らかに自分が出した音が音楽室に響いている。

 

 練習はしていないが、トリル(元の音とその隣の音を交互に細かく演奏する)のところは叩けそうなのでやってみた。シロフォンで演奏するところだが準備していないため、グロッケンで演奏する。

 

 マーチの練習が終わった。

 

「この後、一年生の楽器決めの結果を発表するので、前の人は椅子を少し後ろに下げておいてください。」

「「「はいっ!」」」

 

 部長の指示が飛ぶと、音楽室は即座にざわめきに満ちた。

 大島先輩に呼ばれて、バスドラの近くに行く。

 

「羽後、すごいな! あんなちょっとの時間であそこまでできるようになるなんてな!」

「サックスにいた時からずっと他のパートの音も聞いてきたので、音さえ分かれば。」

「それでもよく手首とか腕とか動くよな……。」

 

 それは自分でも驚いている。どうやらブランクがあっても取り戻すのが異様に速いようだ。

 不登校で三週間サックスを吹けなかった時も、復帰初日で完璧に基礎を取り戻し、新しい曲の練習に取りかかれたほどなのである。それはパーカスの方にも当てはまっている。

 

 舞莉はほめられて嬉しく思うものの、何だか申し訳ない気持ちになって苦笑いした。

 

 

 

 

 

 一年生たちが音楽室に入ってきた。緊張しているのか、表情がない。

 

「それでは、発表します。呼ばれた人はその場で立ってください」

 

 顧問の森本先生が一枚の紙ペラを片手に言う。

 フルート、クラリネット、サックス……と順に発表されていった。

 

「最後に、パーカスです。」

 

 言われなくても一人は分かっていた。舞莉の家と同じ通りに住む子がまだ呼ばれていないからだ。

 

卯月(うづき)亜由美(あゆみ)さん。」

 

 ほらほらやっぱり。亜由美ちゃんが後輩か……。

 

島中(しまなか)あかりさん、玉城(たまき)帆花(ほのか)さん、野口(のぐち)英斗(えいと)くん。」

 

 今年も一年生は四人で、そのうち男子が一人いるらしい。『今年も』ではあるが、その時からいるメンバーは舞莉、ただ一人。ただ、舞莉は一回パーカスから離れているので、初期メンは誰一人としていないに等しい。司は元トロンボーンだが、その期間は一ヶ月ほどだ。

 

「いよいよ一年生を迎えた、新体制のスタートです。この後のパート練では自己紹介などをして、親睦を深め合いましょう。」

「「「はいっ!」」」

 

 一斉に一年生がそれぞれのパートの方に移動し始める。『残り物』扱いされた昨年のオーディションが脳裏に浮かんだ。

 

 

 

 

 

 どの子も舞莉の記憶に残っていた。サックスを教えたことがあるからだ。そのときはまさかパーカスに戻るなんて思いもしなかったのだから。

 

「舞莉先輩、なんでここにいるんですか?」

 

 その声の主は亜由美だった。

 

「じ、事情があって。」

 

 舞莉が答えるより先に、司が誤魔化し笑いをする。

 

「そう、事情があって。……って、お茶を濁す必要はないんじゃない?」

「羽後がいいなら言ってもいいんじゃね。」

 

 亜由美以外の一年生もこちらを向いて聞きたそうにしている。言ってあげるか。

 

「私ね、昨年入部した時……まぁもともとはパーカスだったの。で、今は高一の、すごい意地悪で自分勝手なパートリーダーにいじめられて、サックスに移動した。何で戻ってきたかというと、私が吹いてたバリサクが深田野中からの借り物で、向こうから『返せ』って言われちゃったんだよ。それで吹く楽器がないからまた戻ってきたわけ。」

 

 へぇ〜っと、一年生はそのような反応にとどまった。

 

「だ、大丈夫? 今の私の説明で分かった?」

「はい。……ちょっと情報量が多すぎて。」

 

 と、亜由美は肩をすくめる。

 

「だよね〜、これでもかなり縮めて言ったんだけど。入部から今までのことだけで本一冊分は書けるよ。」

「おぉ……色々あったんですね……。」

 

 亜由美が反応に困っているような顔になったので、これ以上の自虐はやめることにした。

(実際に書いたら十三万字で、本当に本一冊分になったのだが)

 

 

 

 

 

 一年生を午前中で帰し、二・三年生はお昼の弁当を食べていた。

 

『あの二人に入れてもらってもいいのかなぁ……。』

 

 舞莉の視線の先には大島先輩と司。

 

「別にあの二人ならいいんじゃね?」

『だから……男子二人の中に女子が入っていいのかってこと。』

「今まで半年くらいずっとそうだろ。」

『え? …………あ。』

 

 そうだよ、カッションとバリに挟まれて生活してきてんだった。

 

「一緒に食べてもいいですか。」

「おう、いいよ」

 

 大島先輩がうなずき、舞莉は足を崩して座る。

 

「もりもってぃーから『クシナダ』の譜面もらった?」

「はい、二番と四番の。」

 

 昼食前に、舞莉は森本先生からコンクール曲の『斐伊川に流るるクシナダ姫の涙』の楽譜をもらっていた。舞莉が入ることにより、演奏できる楽器の数も増えるので、大島先輩や司が担当するものを舞莉に分散できるのだ。

 

「昼食べ終わったらパート分けする。」

「分かりました。」

 

 司が向こうの壁にあるカレンダーを見ている。

 

「羽後、あと一ヶ月しかないけど大丈夫?」

「大丈夫じゃなくて、やるしかないでしょ。」

「確か、『附け打ち』」っていうのない? この後もりもってぃーが附け打ち持ってくるって。たぶん羽後がやると思う。」

 

 舞莉は覚悟はしていたものの、想像を超える忙しさがくるのではないかと、再び覚悟を決めたのであった。

 

 

 

 

 

 昼食が終わるころ、森本先生が『附け打ち』を持ってきた。一枚の平たい板と太めの角材が二本。こ、これ……?

 それをどこに置くって言うんだ……。

 

「とりあえず床に置いて、こうやってやるみたいです。」

 

 先生は両膝を床につけ、太めの角材を両手に持つと、それと平たい板を打ちつけた。

 

 カンッ、カンッ

 

「こんな感じですかね。本当はもっといい音が出るらしいんですけど。」

「はぁ……なるほど。」

 

 クラベスとか拍子木に似た音だけど、ちょっとそれよりは重たい音かな。いや、床に置いてるからか?

 

「羽後、頑張れよ!」

「う……はい。」

 

 一から音を追求しなければならない上、発表会が来月の半ばに迫っている。

 大島先輩がにやにやする中、舞莉はこの、音が目立つ楽器に冷や汗をかいていた。

 

 

 

 

 

 附け打ちが書いてあるのは『四番』の楽譜だった。

 

「じゃあ、4thは羽後よろしく。」

「これ、羽後がいても足りないんだよなぁ。」

「私がいても、ですか?」

 

 細川先輩を入れたとしても三人で回せないのは分かっていた。

 

「ああ。俺はティンパニだからあまり動けない。司もバスドラの出番が多いからあまり動けない。」

「あ……私が色んな楽器をやれ、と。」

「まぁ、帰ってきたばかりだから……無理をさせるつもりはないけどな」

 

 いやいや、そんなことないでしょ。

 と、その時。

 

 カンッ! カンッ!

 

 舞莉はハッと附け打ちに目をやった。手に持つ太い角材が浮いている――いや、舞莉には見えている。

 

『カッション!』

「いつのまに……」

 

 舞莉は心の中で叫び、バリトンはあ然としている。

 

「おいおいおい……マジかよ……。」

 

 大島先輩は微動だにせず、

 

「ど、どうして……。」

 

 司は怖がって背中を向けている。

 

『ちょっと……どうしてくれるの。』

「す、すまねぇ。つい附け打ちに触ってみたくなって。」

 

 舞莉はため息をつく。

 

「この際だから言っちゃうよ、いい? 二人とも?」

「へい。」「いいよ。」

 

 カッションとバリトンが返事をし、舞莉が目で合図を送ると、二人はブローチを取り出す。

 

「今までの発表とかで何か不可解なこと、起きたことないですか?」

「そういえば、三送会とかスポーツフェスティバルの時、俺ら叩いてないのに色んな楽器の音が聞こえてた。」

 

 大島先輩はスっと答える。

 

「それは全部この人の仕業なんです。」

 

 舞莉がカッションの肩を叩くと同時に、カッションはブローチに手をかざした。

 

「!」

 

 茶髪で司より少し背が高い男が現れた。大きな瞳で大島先輩を微妙に見下ろしている。

 

「よっ!」

「『よっ!』って……あのね……!」

 

 悪びれていないカッションに、舞莉はまたもため息をつく。

 

「この人、精霊なんです。服装からして分かると思いますが。」

「精霊……」

 

 今はカッションもバリトンも精霊服姿である。いつもは舞莉と同じ(ような)ジャージを着ているが。

 

「昨年の六月くらいからずっと、私のそばにいて色々教えてくれていました。あともう一人。」

 

 舞莉とバリトンは互いに目を合わせると、バリトンはブローチに手をかざす。

 黒髪で切れ長の目をした、高身長の男が現れた。

 

「この人は私がサックスにいた時に、一から教えてくれた人で、この人も精霊です。」

「その人は、発表の時に何かしたのか?」

「全体のサウンドをまとめたり、ソロのところをお手伝いしたり。本番のソロ、けっこう成功してませんでしたか?」

「……言われてみれば。俺のドラムも自信がなかったところがうまくいったんだよね。」

 

 大島先輩はすぐにこの事態を飲みこんだようだ。

 

「司〜、大丈夫だよ。怖いものじゃないから。」

 

 舞莉はバスドラの影で青ざめている司に声をかける。

 第六感の持ち主で『見えてしまう』司。集会室で練習していた時には、悪いモノが見えてしまって体調を崩し、部活を早退したこともあった。

 

「この二人は『音楽の精霊』で、名前がそのまんまなんだけど……、茶髪の方が『カッション』で、背が高い方が『バリトン』って言うの。」

「よろしく!」

「半年前からお世話になっています。」

 

 二人の精霊は紹介されると、それぞれガッツポーズやおじぎをする。

 隠れている司にカッションは歩み寄り、手を差し出した。

 

「司、俺はそこら辺にうろついてるヤツらとは違うんだからな。『()()』だ。」

「あ……はい。」

 

 司はその手を取ると「さ、触れる……!」と言って影から出てきた。

 

「カッション、あれやって。男子たちに見せてやって。」

「了解。」

 

『あれ』だけで通じたらしい。カッションは両腕を交差して目を閉じ、宙に浮きあがった。

 

「う、浮いた……!」

 

 パッと目を開いたカッションはニンマリして、

「そんなもんで驚くんじゃねぇぞ、司! これから星野源の『恋』を俺一人で演奏してやるからな!」

と両腕を広げた。

 

 カッションは準備していたのだ。

 

 いつかは精霊の存在を言わなければならないと分かっていた。舞莉がブランクがないように見える理由にもなるからだ。

 カッションが『ノンビット演奏会』の能力(ちから)を使う上で、『傍から見れば怪奇現象』に留めておくわけにはいかなかった。自分だけが知っているというのはもう耐えられなかった。

 

 バリトンの能力『縁の下のコンダクター』を使い続け、「大丈夫、本番ではうまくいくから!」と過信されては本人のためにはならない。

 

 そこで、いつか二人の存在をバラした時、カッションがサプライズとして人気の曲を演奏しようということになったのだ。

 

「この学校マリンバないから、勝手にシロフォンのとこから音出しちゃうからな。」

 

 カッションの右手がドラムを、左手がシロフォンに向けられた瞬間、置いてあったスティックやマレットが動き出し、ビートやリズムを奏で始めたのだ。

 ……この前よりパワーアップしている。

 

 原曲にマリンバが入っていることもあり、曲の雰囲気はそのままにパーカッションアンサンブルとして仕上がっている。

 

「すげぇ……。」

 

 二番からカッション自身がドラムを叩き始めた。

 

『カッションが本気を出すとこうなるんだよね。』

「でも、最初は一つの楽器しかできなかったんだよ。それがここまでできるようになって。しかもスティックやマレットも操れるようになった。カッション、どれくらい練習したんだろう?」

 

 ドラム、グロッケン、シロフォン、ヴィブラフォン、シロフォン(マリンバ)、ティンパニ、タンバリン。バリトンの言うとおり、同時に演奏できる数がだんだんと増えている。

 

 その時、音楽室のドアが開いた。



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20:対峙

 ピタっと演奏が止められ、精霊は一瞬にして姿を消す。

 

「あ、明石先輩。」

「アンサンブルやってた? 練習止めちゃってごめんね。」

「いえいえ……。」

 

 クラリネットパートの明石先輩。舞莉がいじめられて不登校だった時、居眠りしてしまう舞莉を中傷する人に、「舞ちゃんはいい子だから、悪く言わないで!」と言ってくれたらしい。

 うちの吹奏楽部の中では珍しく、何でもかんでも『長い物には巻かれろ』ではない人なのだ。

 

「明石には言っていいんじゃね?」

「そうだね。僕たちが舞莉を助けてるからといって、陰口とか誰かに言いふらさない人だと思う。」

 

 実質、精霊二人からの承諾が得られた。

 

「あの、実はですね。」

 

 舞莉は言うことにした。

 

「ここに精霊が二人いるんです。さっき演奏してたのはそのうちの一人で。」

「精霊?」

 

 すると、さっきいなくなったばかりの二人が現れた。

 

「ぅわぁっ……!」

「俺がやってた。うそついてごめんな。」

 

 どこから出したのか分からないような声が出てしまった先輩は、口に手を当てる。

 

「ていうか、気づいてただろ? 発表本番の時に俺がグロッケンの音出したら、こっち振り向いてたから。」

「あ……あれ、そうだったんですか。」

「ちなみに俺はカッションだ。よろしくな。」

 

 確かに、カッションが初めて能力(ちから)を使った水明祭の時、ヴィブラフォンの目の前にいた明石先輩が驚いてこちらを向いていたのだ。

 座る席が鍵盤楽器の間近なので、明石先輩はカッションのいたずらをすべて聴いていたに違いない。

 

「あと、ソロの補佐や全体の音をまとめている、バリトンです。」

 

 フェードインで姿を現したバリトンは、胸に手を当てて一礼する。

 

「カッション……バリトン……。さっきの『スカイブルー』もすごかったし、舞ちゃんがうまいのはこの二人のおかげ?」

 

 舞莉が「そうですね。」と肯定しようとすると、被せるようにカッションが一言。

 

「違う。」

 

「違うね。」

 

 バリトンも同意見のようだ。

 

「あれは舞莉の真の実力だよ。僕たちがどんなに教えても、伸びない子は必ずいる。音楽は少なからず才能も必要だからね。」

「もともとは舞莉、クラリネットやりたかったって言ってたな。パーカスもサックスもあんなに飲みこみが早いんなら、クラリネットも仮入部の時点でよかったんじゃねぇか?」

 

 先輩はカッションの言葉にハッとしてうなずく。

 

「はい。舞ちゃん、うちにほしかったんですよ。」

「やっぱりなぁ。あと、俺たち二人のことは他の人には言うなよ。舞莉が恨まれるかもしれねぇからな。」

「分かりました。」

 

 頼みごとを引き受けた明石先輩は、「こっちこそ、ここに長く引き止めてごめんな。」とカッションから詫びをされて、音楽室を後にした。

 

羽後(ひばる)……すげぇんだな。クラもできてたんだ。」

 

 始終のやりとりを傍観していた大島先輩がつぶやいた。

 

 

 

 

 

 次の日の月曜日から、一年生は平日も舞莉たちと同じ、六時まで部活をするようになった。

 放課後、音楽室に行くとすでに楽器が用意されてあった。大島先輩や司、昨日楽器の運び方を教えてもらった一年生が出してくれたのだろう。

 

「こんにちは。」

「こんにちは〜」

 

 後輩からのあいさつににこやかに返し、舞莉は荷物を置く。

 

「今日は一年に何教えるんですか?」

「そうだなぁ……。どうしよう。」

 

 って、考えてないんかい。

 今日もパートリーダーであるはずの細川先輩が来ていない。代わりに大島先輩がリーダーをしているのだ。

 

「き、基礎教えるか。えっと……一・二番とか。」

「分かりました。スティック、向こうから取ってきますね。」

 

 舞莉は小物台に目をやり、準備室に入る。

 

 ガチャ

 

 準備室の廊下側のドアが開かれた。舞莉は息を飲んだ。

 

「あ、こんにちは。」

 

 心の中を悟られまいと、ポーカーフェイスを貫く(貫こうと努力する)。

 

「久しぶり。」

 

 サックスにいた時から遠目では見てきたが、近くで見るとより分かった。やさぐれたような顔をしていたのだ。

 

「また戻ってきました。よろしくお願いします。」

「もりもってぃーから話は聞いてるよ。おかえり。」

 

 細川先輩だった。

 舞莉がサックスに移動しようと決めた原因の、張本人である。

 前パートリーダーの高良先輩は、コンクールが終われば引退したのでまだよかった。しかし、細川先輩も高良先輩と一緒になっていじめてきたのだ。細川先輩とあと一年やっていくのは、舞莉の心が持たなかった。

 

 苗字で呼んでいるのも、そういう理由である。

 

 舞莉はスティックを持って、細川先輩に続いて音楽室に入った。さっきまでにぎやかだった一年生が静まりかえっている。

 

「みんな、あいつがパートリーダーの細川だ。」

 

 静寂を割って、大島先輩の声が響く。

 

「一年生のみんな、はじめまして。細川志代です。よろしくね。」

「「「よろしくお願いします……」」」

「志代先輩、これから一年に基礎打ちを教えようとしていたところです。」

 

 報告した司に、細川先輩はニコッとして「オッケー。」と返す。この笑顔はあの時と変わっていない。たとえ顔つきが変わったとしても。

 

 そういえば、司って細川先輩のこと下の名前で呼んでたっけ?

 

 

 

 

 

「舞莉、大丈夫か?」

 

 帰り道、肩に乗るカッションが声をかける。

 

「急に来たからね……。」

 

 バリトンの心配そうな声が脳内に響く。

 

『大丈夫。それは覚悟してたから。それよりもさ……。』

「どうした?」

『このままじゃ、昨年の悲劇をまた繰り返すことになっちゃうよ。』

「「どういうこと?」」

 

 舞莉は今日のパート練習を見ていて思ったのである。

 

『実力の差によるパート内のカースト、ドラムしかできなかったり鍵盤しかできなかったり。まさに大島先輩や司。私だってカッションがいなかったら、今ごろドラムはできてないはず。』

「なるほどな……。」

 

 今日、細川先輩が来たことにより、パーカッションパート全員でパート練習ができた。高良先輩の思考を継ぐ細川先輩が、誰がどの楽器で練習するのかを指示していた。

 

『たぶん楽器で練習させる前の基礎打ちで、誰にドラムをやらせるか見てたんだと思う。それで野口くんを選んだんじゃないかなぁ。』

「確かに、俺から見ても野口と島中がいいと思った。」

「でもまだ、そう判断するのは早いんじゃないかな?」

『今日だけだもんね。あと数日は見てみるよ。』

 

 明日も細川先輩が来るとは限らない。これからも実質的なパートリーダーは大島先輩だろう。

 

『……大島先輩自身も、ちゃんと基礎を教えてもらえなかったんだよ。特に鍵盤は。誰かさんのせいで。』

 

 舞莉もカッションに教えてもらったもので練習しているので、パート伝統の練習の仕方はあまり知らない。

 

『パートリーダーはあんまり来ないし、頼みの綱の先輩は頼りない。司も途中から来た身で鍵盤はできない。じゃあ、誰が一年生を育てていくのかってこと。』

「ああ、舞莉のやりたいこと、分かっちまった。」

「僕も……なんとなくは。」

 

 勘のいいカッションはひらめき、バリトンも薄々勘づいているようだ。

 六時を過ぎてもまだ浮かんでいる西日に、舞莉の顔がまぶしく照らされた。

 

 

 

 

 

 その後、平日の間は様子を見ていた。金曜日にまた細川先輩が来たが、今度はあかりを呼び寄せてドラムをやらせていた。亜由美と帆花は、パーカッションになってからまったくドラムを触っていない。

 

 細川先輩がいない時も、大島先輩は細川先輩のやり方にのっとってパート練習をしていた。

 

「やっぱりか……。」

 

 

 

 

 

 土曜日、舞莉は細川先輩が来ないのを確認して、作戦を決行した。

 一年生は午前中だけ練習して帰ってしまう。

 ドラムが空いていた。

 

「帆花ちゃん、ドラムやってみない?」

「えっ、私がですか!?」

「今空いてるからさ。」

 

 舞莉は、ビブラフォンで半音階の練習をしている帆花に声をかける。ちょくちょくドラムに目を向けては目を伏せていたからだ。

 

「でも、野口とかあかりとか……先輩も使いますよね?」

「いいのいいの。うちらは午後も練習できるから。私はみんなにドラムができるようになってほしいの。もちろん鍵盤もね。練習しなきゃできるようにならないから。」

「そうなんですね……。でもやってみたかったんです!」

 

 パッと笑顔になり、嬉しそうにドラムの椅子に座る帆花。

 舞莉は初めてドラムを触った時のことを思い出しながら、まずは右手でハイハットを、左手でスネアドラムを叩くことを教えた。

 

 

 

 

 

 舞莉は亜由美にもドラムのお誘いをしてみた。しかし、

 

「あっ、大丈夫です。私は鍵盤をやりたいので。」

 

 亜由美は断ったのだ。

 

「私的には、一年生にはドラムも鍵盤もできるようになってほしいんだけど……。」

「あの……本当に大丈夫なんです。」

「本当にいいの?」

「はい。」

 

 揺さぶりをかけてみたが、意志を貫いている。

 

「……分かった。じゃあ……一年の四人の中で一番鍵盤ができるようになってね。」

「は、はい!」

 

 まだパーカス七日目の彼女に言うのは無謀すぎだと、一瞬頭をよぎった。しかしこの飲みこみの早さといったら、すぐに舞莉をも抜かしそうな勢いなのだ。

 

「無理をしてやらせることはないからね。いいんじゃないかな。」

 

 肩の上のバリトンが言った。カッションは……舞莉のスティックに宿って寝ている。

 

『こういう時こそ、カッションに頼りたいのに。』

「ある意味、舞莉が成長するための試練ってことで。」

『試練……まぁ、基礎打ちしてカッション起こすか。』

 

 舞莉は小物台から細く白いスティックを手にとった。

 

 

 

 

 

 その日の昼食。一年生を見送り、舞莉たちは三人で一つに固まって弁当を広げる。舞莉の弁当は、昨日の夕飯であまったビビンバ丼の具と、冷凍食品の詰め合わせだ。

 

「大島先輩、これから一年をどういう風に育てていこうとか、そういうのってあります?」

「な、なんだよ急に。」

「いやぁ、明日で一年が入ってきてから一週間なので、そろそろ垣間見えてもいいんじゃないかって。」

「……特にない。」

 

 首を振ると、先輩はご飯の塊を口に入れる。

 

「聞くってことは、何か羽後考えてる?」

「まぁね。」

 

 司は感心するように何度もうなずく。

 

「一応考えを共有しておきたくて。ほら……先輩によって考え方が違ったら一年が混乱するだろうし。」

「それで……羽後は何を考えてるんだ?」

 

 大島先輩が、もったいぶって話さないその先を促した。

 

「今年の一年には、みんなにドラムと鍵盤ができるようになってほしいんです。それは二人が一番痛感してるはず。」

「「う……」」

 

 鍵盤楽器を教えられるのが舞莉しかいないのだ。ドラムは一つしかないが、鍵盤楽器はグロッケン、シロフォン、ヴィブラフォンの三つもある。近々マリンバも買ってくれるとのことで、それも含めば四つだ。

 

 せっかく練習できる台数はあるのに、先輩の方が人手不足だからなぁ。

 

「あと、土日の午前中は一年に優先して楽器を使えるようにしたいと思っていて。私たちは午後練習すればいいかなって。」

 

 舞莉は昨年のことを持ち出した。

 楽器を使うには先輩に一声かけないといけなかったこと。特にドラムは高良先輩の許可が必要だったこと。それにより舞莉は楽器が使いづらく、なかなか楽器での練習ができなかったことを。

 

「覚えてるかは分からないけど、司も結局は先輩に『使っていいよー』って言われてから練習してた。私は呼ばれることなんてなかったから、音楽室の楽器で練習したことは、あの時ほとんどなかったよ。」

「俺もそうだったなぁ……ずっと。」

 

 顔をしかめて大島先輩がため息をついた。

 

「だから、楽器が空いていれば誰でも使っていいっていうことにすればいいんじゃないかって。」

「なるほど。」

「楽器を使って練習できるに越したことはないですからね。」

 

 あの提案は舞莉自身の挑戦でもある。

 

 まず二年生という立場、サックスから移動してきたという立場で、先輩に意見を出すことだ。昨年のパーカスではありえなかったことである。常に高良先輩の指示で動き、高良先輩の顔色を伺って、パートメンバーは練習しなければならなかった。

 

 次に、発表が一ヶ月後に迫る中で一年生に楽器の使用を優先させることだ。ただでさえ時間がない上に、貴重な土日練習のうちの午前中をつぶすのである。しかし、

 

「昨年と同じで、一年生は集会室で練習するようになるんですよね。それまでの辛抱です。」

 

 ずっとそれが続くことはないと、舞莉は分かって言っていたのだった。

 

「そこまで考えてるなら羽後の好きにしろ。」

「でも、一年に怒らなきゃいけない時、私じゃ口出しできないです。ちょこちょこ移動してるので……。」

「俺もそんなに強く、ビシッとはいえないからなぁ。司は?」

「俺もあんまり。そこは先輩、よろしくお願いしますよ〜」

 

 誰もいわゆる『先輩』として叱れる者がいない。

 舞莉は一年生が調子に乗りすぎないよう、祈らざるをえなかった。

 

 

 

 

 

 音楽室に附け打ちの音が響く。一つ一つ噛みしめるようにまた一つ。

 

『こんな感じでいいのかなぁ? ドラム椅子の上とか、全然安定しないんですけど。』

 

 床に置いて練習していたのだが、下の階の図書室に響いてしまい、文句を言われたとのこと。机に置いてやってみたが、引き出しの部分の空間に響いたり、ギシギシという雑音が入ってしまった。

 

 そこでドラム椅子を使ったのだ。しかし、木の板が座面から微妙にはみ出しているので、叩くたびに板が跳ね上がってしまうのである。

 

「いい台ないかなぁ。とりあえず今はこれで練習して。板も他のを試してみようか。もっといい音がでるやつをね。」

「はい、分かりました。」

 

 森本先生は首をかしげる。

 技術の先生に作ってもらったお手製なので、まだ試行錯誤が必要だ。だが発表は一ヶ月後。

 しかも細川先輩はなかなか来ない。

 

『昨日、細川先輩と『クシナダ』の担当決めておけばよかった。』

「とりあえずSからのグロッケンをできるようにな。」

『分かってる。』

 

 明日は舞莉がパーカスに戻ってから初の、コンクール曲の合奏がある。

 

『最初のグロッケンから、新規だもんね。』

 

 主にグロッケンと附け打ちが加わった『クシナダ』。明日の合奏でどのように響くのだろうか。

 

 

 

 

 

 次の日の午後イチ、舞莉の顔は真剣そのものだった。

 

「久しぶりに合わせるので、まずは頭から。」

「「「はいっ!」」」

 

 舞莉はマレットを持ち、グロッケンの前に立つ。

 ピアノのアルペジオの後、フルートのソロが伸びやかに吹かれた。舞莉はマレットを構え、ピアノと同じ旋律を叩く。

 ゆっくりなテンポなので、少しピアノとずれてしまった。

 

 カン、カン、カン

 

 森本先生が指揮棒で譜面台を叩く。

 

「今のグロッケン、しっかりピアノと合わせるように。」

「はいっ」

 

 ふむふむ、こんな感じか。

 

「じゃあ続きのAからいきます。」

「「「はいっ!」」」

 

 木管楽器の人たちが一斉に楽器を構えた。先生がカウントを出すと(ピアノ)で吹き始める。三ヶ月前の初めての合奏では合わなかった出だしも、今はずれることがない。

 

 Bの二小節前からのグロッケンを六連符で叩く。

 

『(テンポ)六十だから焦らないように……。』

 

 しかし、今まで六連符の練習をしてこなかった舞莉は、まだどれくらいの速さで叩いてよいのか分かっていない。

 

 管楽器の方で注意がいくつか入り、練習番号Bから再開する。

 舞莉の出番はないので、Bの終わりのグロッケンまで待っていた。

 

 カン、カン、カン

 

「パーカッション、Bからのボンゴって誰がやってますか?」

 

 先生の指揮棒がこちらを指した。先生が言っているのは、舞莉の持っている『Percussion 4』の楽譜に書いてあるものだった。

 

「そこは……細川先輩がやるところです。」

「あの、今は代わりに羽後さん、やってくれますか?」

 

 おいおいおい……マジで言ってんの……! 全然練習してないんですけど! しかもアクセントとかついてるし!

 

「えっ! ……はい。」

「ちょっと今できますか? アクセントはつけなくてもいいので。」

 

 い、今ぁっ!?

 音楽室がザワついた。他の人も舞莉がパーカスに戻ったばかりで、ろくにコンクール曲の練習ができていないのを分かっている。

 

 舞莉は小物台からスティックを取った。いつもの持ち方で何発か叩いてみるが、音は軽く小さい。

 

「逆側の方がよさそうですね。」

 

 今度は、通常は手で持つ方で叩いてみた。芯があって大きな音が出る。

 

「『Bongos or 締太鼓(しめだいこ)』って書いてあるくらいですから、こっちの方がいいですね。次は譜面どおりにやってみてください。」

 

 こそこそと「えっ、できるの?」という声が聞こえた。

 

『八分の六拍子だから……こうかな。』

 

 タータタ タタタ……タータタ タンタタタ……

 

 舞莉はとてつもない集中力で頭をフル回転させ、八分の六拍子の跳ねるようなリズムを脳内再生する。口先からリズムがついで出た。

 

『よし。』

 

 舞莉の握るスティックが動いた。楽譜を見る目は鋭く、音楽室は張りつめた空気で覆われた。

 

「うん、いいですね。じゃあBから全員で。羽後さんも入ってください。」

「「「はいっ!」」」

 

 インテンポでメトロノームが鳴らされた。

 先生のカウントで舞莉はボンゴを叩き始めた。

 

「おぉ〜」

 

 ボンゴが入ったことにより八分の六拍子が強調され、管楽器もリズムを取りやすくなったのだろう。

 

「やるじゃん、舞莉!」

 

 スティックから飛び出してきて、カッションは舞莉の脇腹をひじでつつく。

 

『あ〜〜〜〜あ、ビビった。』

「細川がいねぇから舞莉が尻拭いか。今はちょっと力を貸してやったけど、俺がいなくても大丈夫そうだな。」

 

 カッションはスティックに戻らず、後ろの壁に寄りかかった。

 

「これからもこういうことがありそうだな。でも、舞莉ならできるぞ。追いつめられても、舞莉はつぶれない。むしろ強くなる。」

『そうかな? 自覚ないけど。』

 

 舞莉は椅子を持ってきてクロスをしき、スティックを置いた。

 

『一小節で移動……。こりゃあ忙しくなりそ。』

 

 心の声からは『イヤイヤやらされている』ようだが、舞莉の胸は高まる一方だった。



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