バビル・イン・ザ・ブラッド (橡樹一)
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序章
最強の過適応能力者


 バビル2世の性格が柔らかくなっていますが、年月のせいであると脳内補完してください。

 2020/3/5 用語集追加

 2020/3/10 大幅な加筆修正


 太平洋に浮かぶ人工の大地。鉄と、金属と樹脂と魔術によって作られたその島は、絃神島と呼ばれていた。

 世界でも珍しい、魔族の研究と保護を目的とした魔族特区として指定されているその島は、尋常の手段では治安を維持することはできない。対魔族用に選び抜かれ、鍛え上げられた特区警備隊(アイランド・ガード)達が整列しているのは、島の主な移動手段として親しまれている港区域だ。熱帯に属する気候の関係上、常夏と呼ぶにふさわしい温度で住民にある種の爽快感と不快感を同時に与える空気も、熱源が水平線に沈んでからしばらくたった現在、僅かに肌寒い微風となって心地のいい眠りの助けとなっている。

 だが、海風の強い港区画に居並ぶ特区警備隊(アイランド・ガード)の表情は一様に硬く強張っている。周囲の温度にも拘らず、冷や汗を流す隊員すら見受けられた。

 彼らの緊張の源は、今から出迎える存在にある。歴戦の戦士たちをもってしてなお恐れられる存在。重苦しい雰囲気が漂う港の一区画に、突然不釣り合いな存在が現れた。人形と見紛う美しい顔に、豪華なフリルで飾られたドレスを身に纏った少女だ。日が落ちているにもかかわらずさされたレースの日傘が、身に纏う神秘性を際立たせている。

 

「さて……そろそろ予定の時間だが、準備の方は万全だろうな?」

 

 不遜な物言いの少女、南宮那月がこの場に展開する部隊の長へと物聞きをする。知らない者が見れば、背伸びをした少女そのものの言動だろう。しかし、問われた隊長は敬礼をして返答を行った。まるで上官に対する作法であるが、それを受ける那月もまた、それを当然としている。

 

「南宮攻魔官、事前準備は既に完了しています。人払い、認識阻害の結界は正常に作動中。広域警戒網にも異常は見受けられません」

 

 隊長の回答に無言で頷き、国家攻魔官の資格を持つフリルの女性は海へと視線を投げかけた。この場にいる誰よりも強力な能力を持つ女性への緊張を隠せない隊長は、無線通信でもたらされた情報に表情をさらに硬くすることとなる。

 

「南宮攻魔官、来客のお目見えです。到着までの予想経過時間、約3分となります」

「そうか、いよいよだな」

 

 長いようで短い時間が過ぎ、隊長の目が海面上の異常を捕らえた。黒い海の上に仁王立ちする人影が、滑るようにこちらへと近づいてくる。襟詰の学生服に似た戦闘服に身を包んだ、赤い目と髪が特徴的な青年だ。よく見れば海面下に鈍色の足場があり、それに乗って移動していることがわかるのだが、夜の闇も手伝ってそれを捕らえられた者はいなかった。

 

「総員、捧げ(つつ)!」

 

 隊長の号令を合図に、整列した特区警備隊(アイランド・ガード)隊員が一斉に銃を立て、体の前で保持する。全ての銃に銃剣が装着されており、上層部の政治的配慮が透けて見えるようだ。

 きっかり3分後、青年は港付近の海面で動きを止めた。そして跳躍。

 高々と舞い上がった体は空中で1回転し、丁度隊長と那月が並び立つ正面へと着地した。

 

「日本国家公安委員会からの依頼で来た、バビル2世だ」

 

 並の獣人を軽々と超える身体能力を見せつけたにもかかわらず、バビル2世は何事も無かったのように会話を切り出した。

 

「久しぶりだなバビル2世。動きを見るに、実力に陰り無しといったところか」

「お久しぶりです南宮攻魔官。1年前の事件以来ですね」

 

 緊張する隊長を放置し、2人の超人は親しげに会話を重ねていく。

 

「最強の〝過適応能力者(ハイパーアダプター)〟を名乗り続けているだけはある。今回の入島に際して、当然〝しもべ〟は連れてきているんだろうな?」

「その肩書は、ぼくが言い出したものじゃないですよ。

 しもべは連れてきています。ぼくの仲間であり、部下であり、護衛ですから」

 

 バビル2世の言葉に反応してか、空からは突風が吹き、海面が大きくうねり、コンクリートのはずの地面が波打った。息を呑む特区警備隊(アイランド・ガード)達とは対照的に、那月は笑みすら浮かべている。

 

「愚問だったな。

 さて、お前はここでしもべの紹介でもしておけ。私は別件があってな。馬鹿な野良猫の躾をしに行かねばならんのだ」

 

 それだけ言い残し、那月はその場から文字通り消失した。空隙の魔女と呼ばれる所以である、空間転移の魔術によって移動したのだ。

 入れ替わるようにして、特区警備隊(アイランド・ガード)の隊長が進み出た。背後に複数の機材を持った部下を引き連れ、緊張した面持ちでバビル2世と向き合う。

 

「バビル2世、あなたとしもべを絃神島のデータベースへ登録します。しもべたちを呼び出していただきたい」

「ああ、では少し広い空間を作ってくれ。今のままでは全てのしもべを呼び出すだけの余裕が無い」

 

 バビル2世の言葉に従い、隊長が隊員たちを下がらせる。十分な空間を確保し、それを確認したバビル2世がしもべを招集する。

 

「ロデム! ロプロス! ポセイドン! 僕の元へ来い、今すぐにだ!」

 

 主の命に従い、控えていたしもべたちが集合を開始する。天高くから、すぐそばの海中から、何もなかったはずの地面から。

 数分もたたず結集したしもべたちはその威容を露とし、記録係がおっかなびっくりといった様子で機材を操作している。

 

「バビル2世、拠点となる宿は既に確保してあります。登録が終わり次第向かうことが可能ですが、どうしますか?」

「ああ、登録が終わり次第向かうことにしよう。どのくらいかかる?」

「もう終わります。登録といっても、大層なものではありませんから」

 

 隊長の言葉通り、会話を終えてから1分もしない間に登録が完了したとの報告があった。

 

「協力感謝します。車を待たせていますので、こちらへ」

 

 促されるままに車に乗り込み、バビル2世は絃神島へと入島を果たした。

 世界最強の〝過適応能力者(ハイパーアダプター)〟が何故魔族特区へ来訪したのか、国の依頼とは?

 まだ、それらを知る者は少ない。

 

 

 

 うだるような暑さの中、ギラギラと照りつける日光から逃れるように、2人の男女が日陰でおあつらえ向きに据えられたベンチに並んで座っている。モノレールの駅が大きな日陰をつくり、2人以外にもちらほらと待ち合わせの影が見える。

 

「で、その補充傭員とやらはまだ来ないのか?」

 

 白いパーカーを着た学生、暁古城が気の抜けた声と共に疑問を発し、隣に座る女子学生、姫柊雪菜はため息をつきながら返答した。

 

「もう、その質問は3回目ですよ?

 そろそろのはずなのですけど……」

 

 膝上に抱えたギターケースを押さえつつ、雪菜の目線は所在なさげに周囲を彷徨う。

 一見すると待ち人を待ちつつイチャくつカップルにも見える2人組だが、その実態は大きく異なる。

 暁古城の正体は吸血鬼。災厄の化身たる12の眷獣を従え、破壊と殺戮を撒き散らすと言われる第四真祖。そしてそれを監視し、怪物が無節操に力を振るわんと暴走した際にはその息の根を止めることを使命とする、獅子王機関より派遣された剣巫が、姫柊雪菜なのだ。

 本来であれば肩を並べてベンチに座るなどあり得ないはずの2人の関係は、しかし世間的には彩海学園に通う先輩後輩でしかない。古城に破壊を引き起こすつもりが無く、雪菜が古城を危険な吸血鬼と判断しない限り、敵対する理由は無いのだ。

 

「てかモノレールの時間見て来ればよかったじゃねえか。せっかくの休みなんだからもっと寝てたかったぜ?」

「だめですよ、先輩。最近夜更かしが過ぎるって、凪沙ちゃんが言っていました。吸血鬼とはいえ、規則正しい生活は重要ですから」

「吸血鬼的には、早寝早起きの方が不規則な気もするけどな」

 

 他愛ない会話を繰り返し、時間を潰すこと数分。高架が振動を始め、モノレールの車体が駅へと滑り込んだ。

 

「これで来たんじゃないか?」

 

「そうですね、時間も合っています」

 

 2人並んで、駅の改札へと向かう。そこそこの人が下りて来るものの、すぐに人波は途切れた。2人に向かってくる人はおらず、無人の改札に取り残される形となる。

 

「なあ、まさかその補助要員とやら遅刻してるんじゃないか?」

「そんなはずはないのですが……」

 

 古城の推測に、雪菜は自信を持って反論できなかった。初めて訪れる街で、電車やバスを間違える経験は誰にでもあるだろう。獅子王機関の人間であっても、そういったケアレスミスと無縁だとは考えにくい。

 雪菜はどこか心許なげな視線で周囲を見渡す。ふと古城の背後に視線が向き、突然目を見開いた。

 

「姫柊、どうした?」

 

 訝しげな古城の言葉に一切の反応を返さず、雪菜は一目散に走りだした。

 

「おい姫柊!?」

 

 そこまで長い付き合いでは無いものの、今までにない雪菜の行動に古城は混乱する。直前まで彼女が見ていた自分の背後へと振り返ると、1人の男性がこちらに向かっている様子が見て取れた。他に人影は無い。

 

「まさかテロリストじゃないだろうな!?」

 

 遅まきながら、古城も走り出す。突拍子もないように思えるかもしれないが、実際テロリストと遭遇してからあまり期間が開いていないのだ。もしも本当にテロリストであれば雪菜だけに任せるわけにはいかないうえ、万が一実行犯であったロタリンギア殲教師、オイスタッハ並の敵であった場合、雪菜だけでは不覚を取りかねない。

 未だ古城が援護に回ることができない状況で、ついに雪菜が槍の射程に男を捉えた。

 

「お久しぶりです、浩一さん!」

「…………は?」

 

 雪菜の弾んだ声に、思わず古城の足が止まる。

 

「久しぶりだね姫柊。ずいぶんと大きくなった」

「何年ぶりだと思ってるんですか?

 もう中学生ですし、剣巫としても活動してるんですから!」

 

 見たことのない笑顔で男性と談笑する雪菜とは対照的に、古城はどこか疲れたような表情を浮かべた。親しげな様子から察するに、例の待ち人がこの男性なのだろう。

 

「で……そちらが補助要員なのか?」

 

 ようやく追いついた古城に、我に返った雪菜が恥ずかしそうに身を竦ませる。

 視線を受けた男性が、一歩古城へと近づいた。

 

「ああ、私は獅子王機関の山野浩一だ。この度第四真祖監視役補助者として赴任した。

 君が第四真祖の暁古城君だね?」

「ああ、よろしく……でいいのか?」

 

 予想と違う反応に、古城は困惑したまま会話を続ける。補助要員とはいえ監視役なのだから、ある程度の警戒はされると思っていたのだ。

 あらためて正面から見ても、山野浩一と名乗った補助要員はどこにでもいるような男性にしか見えない。染めた様子の無い茶髪に、たれ気味の目くらいしか特徴的な点が無い。まるで特徴を削ぎ落としたように顔だが、妙な存在感だけは持っている。

 僅かに警戒する古城に対し、浩一は微笑みながら手を伸ばした。

 

「よろしく頼むよ暁君。遠目から見ても、姫柊が楽しそうだってことは伝わってきた。このまま良好な関係を続けてもらいたいね。

 会って早々に申し訳ないだけど、この後赴任先に挨拶する必要があるんだ。私はこれで失礼させてもらうよ。

 また今度、機会があればゆっくりと話そう」

「あ、ああ。よろしく」

 

 古城と軽く握手を交わし、少し慌てる雪菜をおいて、さっさとその場を離れる浩一。

 去っていく背中を眺めつつ、古城は浩一という男性にどこか漠然とした違和感を覚えた。

 

「姫柊、なんかあの人……っておい。顔が赤いけど、大丈夫か?」

「な、なんでもありません!」

「そ、そうか?」

 

 2人のほほえましいやり取りを背に、浩一はビルの合間に消えていく。いっそ不自然なほど、その動きは誰にも目撃されていなかった。

 

 

 

 未だ人通りの少ない道で、浩一が足を止める。古城たちを前に浮かべていた笑みは消え、まるで能面のような無表情だ。纏う雰囲気も柔らかなものから鋭い刃物のように変化し、顔の造形以外まるで別人のように様相を変える。

 彼は人目を避けるようにふとわき道に逸れ、視線が周囲から遮られる場所を選んでビルにその身を預けた。

 

『ロデム、お前から見て暁古城はどうだった?』

『はい。今まで見た事のある吸血鬼と比較しても、別段異常な点は確認できませんでした。細かい検査や生体サンプルなどがあれば、また結果は変わると思われますが……。

 私に気がついた様子も見受けられず、少なくとも平時においては探知能力がずば抜けて高いというわけではなさそうです。

 魔力に関しては私に感知能力が無いため、明確な判断はできていません』

 

 浩一……いや、バビル2世の脳内に直接声が響いている。今も地面と同化して彼の傍に侍るしもべ……ロデムとの間に繋がれた、精神感応(テレパシー)を使った無言での会議が続く。

 

『そうか。こちらとしても一般的な吸血鬼と大きく異なった部分は発見できなかった。引き続き観察を続けるが、油断だけはしないよう心掛けるぞ。

 相手が相手だけに、どんな隠し玉を持っているのか想像もつかない。警戒が空振りするだけならば、それに越したことはない』

『了解しました、バビル2世様。こちらとしても最大の警戒を持って事に当たります』

 

 脳内での会議を終了し、意識をバビル2世から山野浩一へと切り替えた。鏡を取り出して顔を確認すると、筋肉が動き出しあの柔らかい笑みを形作る。同時に、雰囲気も威圧的なものからどこにでもいる青年といった様子に変化した。

 変装というよりもはや変身といえる過程を踏み、山野浩一は目的地へと歩を進め始めた。

 

『しかし、顔面操作の応用でここまで自然な笑顔を作れるとは意外だったな。何でも試してみるものだ』

『できる事が増えて困るということはまずありません。新しい試みはぜひ今後とも続けていくべきです。

 ところでバビル2世様、そろそろ約束の時間が迫っています』

『ロデム、時間はきちんと計っているさ。獅子王機関の山野としては、つまらない遅刻はできないからな』

 

 精神感応(テレパシー)を使ったしもべとの雑談を交えつつ、浩一は大通りへと合流し歩き続ける。最強と呼ばれる過適応能力者(ハイパーアダプター)は、まるで溶けるように人ごみの中へと消えていった。

 たとえ異物が入り込もうとも、魔族特区の日常は何も変わらずに過ぎていく。




 あいうえお順の解説となります
 また、非常に簡易的な解説となりますので、ご了承ください。

 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 暁古城 あかつき-こじょう
 ストライク・ザ・ブラッド主人公。
 数か月前、あるきっかけで第四真祖の力を譲り受けた。血を吸うことを忌避しているため、その身に宿す眷獣のほとんどを制御できていない。
 気だるげな雰囲気の男子高校生だが、第四真祖となる直前までバスケットにのめり込んでいたので意外と鍛えられている。

 暁凪沙 あかつき-なぎさ
 暁古城の実妹。ある事件がきっかけで魔族恐怖症を患っているが、事件の後遺症治療のために魔族特区である絃神島で暮らしている。
 料理が得意なしっかり者。

 オイスタッハ
 フルネームはルードルフ・オイスタッハ。
 本作品では都合により削られた、ストライク・ザ・ブラッド第一巻聖者の右腕の敵。
 ロタリンギア国出身の殲教師であり、絃神島の人工島を繋ぎ止める要石として利用されていた聖遺物の奪還を目的として島を襲撃した。

 姫柊雪菜 ひめらぎ-ゆきな
 ストライク・ザ・ブラッドメインヒロイン。
 獅子王機関から派遣された第四真祖の監視役。
 第四真祖である暁古城が日本国に害をなす吸血鬼と判断された場合、その身を滅ぼす使命を受けている。
 実力は確かであり、呪力で底上げした体術で並の獣人ならば一方的に打ち倒すほどの腕前を持つ。
 関連書籍全てで表紙を飾る、作品の看板娘でもある。

 南宮那月 みなみや-なつき
 暁古城の担当教師であり、空隙の魔女の異名を持つ凄腕の国家攻魔官。
 まるで人形のように整った顔と、ビスクドールのようなフリルまみれの服が特徴。

 施設・組織

 特区警備隊 アイランド・ガード
 その名の通り、魔族特区である絃神島を護るために組織された警備隊。特殊な訓練と豊富な装備を備えた実戦部隊であり、並の魔族では相手にならないほどの戦闘力を誇る。

 絃神島 いとがみじま
 東京の南方海上330キロメートル付近に浮かぶ人工島。東西南北の主要な巨大人工島と、それらを繋ぎ止める中央の計5つの人工島、さらに小型の数多い人工島からなる。
 魔族特区と呼ばれる特殊な行政区であり、住民に魔族が多いことが特徴。また常夏の島であり、四季の区別は薄い。

 国家攻魔官 こっかこうまかん
 術を扱い、魔道犯罪者や魔獣の捕縛・殺傷を行うための国家資格。魔族特区である絃神島では、必然的に需要が高い。

 彩海学園 さいかいがくえん
 暁古城たちが通う中高一貫校。校風は自由であり、国家攻魔官の資格を持った教員が多数常駐している。

 獅子王機関 ししおうきかん
 日本国国家公安委員会内に設置された特務機関であり、大規模な魔導災害や魔導テロの対策を行っている。
 第四真祖出現を魔導災害と認定し、姫柊雪菜を派遣した。

 種族・分類

 吸血鬼 きゅうけつき
 魔族の一種族。肉体的には脆弱な部類に入るものの、異界からの召喚獣である眷獣をその身に宿すために最強と謳われる魔族。最弱の眷獣でも、最新鋭の戦闘機に匹敵する戦闘力を持つ。
 物語に謳われるような弱点はほとんど持たないため、吸血衝動と上記の眷獣が象徴的な特徴となっている。

 獣人 じゅうじん
 魔族の一種族。力を込めることにより、人間そっくりの外見から獣の特徴を多く持つ戦闘形態へとその身を変ずることが可能。
 肉体的に頑強な種族であり、粗暴な性格をしているものが多い。

 真祖 しんそ
 3人の始まりの吸血鬼の総称。それぞれが広大な領地を持ち、支配者として君臨する。身に宿す眷獣は、天災に例えられるほど強大である。

 第四真祖 だいよんしんそ
 存在しないはずの4人目の真祖。時代の節目に出現し、12の眷獣と共に大規模な破壊と殺戮を振りまいたとされる伝説上の存在。特徴として、一切の血族同胞を持たないとされている。

 過適応能力者 ハイパーアダプター
 魔術や呪術とは異なる、先天的に異能を扱うことができる人間。特徴として、能力の発動に詠唱やポーズといった予備動作を一切必要としない他、その能力の多くは魔術科学共に再現不可能、あるいは困難であることが挙げられる。

 バビル2世 用語集

 人物

 バビル2世
 バビル2世主人公。
 様々な超能力を操る作中最強の超能力者。世界平和のため、宿敵と戦い平和を守り抜いた。
 戦いぶりから冷酷な戦闘マシーンと誤解されがちだが、相手が油断できない強敵であるために手段を選んでいられないことが主な原因であり、本質は正義感溢れる心優しい少年。

 種族・分類

 ポセイドン
 本文登場まで、解説は控える。

 ロデム
 バビル2世の側近ともいえる存在。
 不定形の生命体であり、よく黒豹の姿をとる。他のしもべと比べると破壊力で大幅に劣るが、その分知性で勝る。劣るとはいえ、訓練を積んだ人間を一度に数名戦闘不能にする程度の戦闘力はある。

 ロプロス
 本文登場まで、解説は控える。

 用語

 3つのしもべ
 バビル2世に仕える3体の手下の総称。ロデムもここに属する。
 1体1体が驚異的な戦闘力を有し、バビル2世を陰になり日向になり守る、忠実な配下たち。
 バビル2世も、愛情を持って接している。


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戦王の使者編
1話 バビルと山野


 2020/3/5 用語集追加


 暁古城は獅子王機関の補助要員から挨拶を受けた翌日、球技大会にクラスメイトの藍羽浅葱(あいばあさぎ)とバドミントンのダブルスで出場することになった。放課後着替えに手間取る浅葱を待つため自販機コーナーで時間を潰していたのだが、突如飛来した矢の狙撃により窮地に陥ることとなる。

 

「どっから撃ってきた!?」

 

 目の前に突き立つ洋弓の金属矢は、間違いなく古城を狙って放たれた物だ。吸血鬼の反応速度で回避したものの、狙撃地点がわからない以上危機的状況に変わりは無い。とっさの判断で近くの植え込みに隠れた結果狙撃は収まったものの、迂闊に移動できない状況だ。

 膠着状態になったかと思われたが、狙撃手は次の手をすでに仕込んでいた。地面に突き刺さっていた矢が解けるように開き、まるで折紙のように形を変えていく。

 

「狼……それに、ライオンか!」

 

 二体の鋼鉄の獣が吠え、古城を視線の先へと捉える。薄い鉄板は刃となり、下手をすればただの獣よりも危険な存在となっている。

 古城の脳裏に眷獣の行使が選択肢として浮かぶが、すぐに却下される。たしかに唯一掌握している眷獣〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟の力であればこの程度の存在を消し飛ばすことは容易いが、余波で学園に被害が出ることは確実だ。下手をすれば、学園が獣と共に瓦礫も残さず消滅しかねない。世界最強の眷獣は、破壊は得意でも手加減は大の苦手なのだ。

 

「くそったれ、なんだってんだ一体!」

 

 古城の口から悪態が漏れる。今にも襲い掛からんとする獣に対し、古城は何の装備も持たない身だ。いざ二匹が襲い掛かって来れば、あっという間に血にまみれることになるだろう。古城が真に恐れているのは、その際に起こるであろう〝眷獣〟の暴走行為の方であるが。

 もう待てないと言わんばかりに、金属の獅子が吠えた。それを合図にしてか、二体の獣が同時に跳躍する。咆哮に対して反射的に身がすくんだ古城に、その同時攻撃を避ける手段は無い。鋼の爪が肉を引き裂かんと迫り、吸血鬼としての間隔が時間を引き延ばす。

 どこか緩やかに感じる時間の中で、古城は痛みに耐えるために歯を食いしばる。

 

「先輩、伏せてください!」

 

 聞きなれた少女の声が、古城を反射的に行動させた。その場に屈んだ僅か上空を、銀色の槍が風を切り裂いて飛ぶ。全金属製の槍は空中で身動きできない獅子を粉砕し、地面へと突き刺さった。

 槍が獅子を貫いたとほとんど同時に、駆け寄っていた小柄な女子生徒が跳躍し狼へと跳び膝蹴りを叩き込む。

 

鳴雷(なるいかずち)!」

 

器用に刃が構成されていない部分を狙った攻撃は、少女が繰り出したとは思えない衝撃を生み出した。狼が紙きれのように吹き飛ばされ、校舎の壁に叩きつけられる。

 

「姫柊!?」

 

 古城の声に目線だけを向け、女豹のようなしなやかさで地面に突き刺さった槍を確保。勢いのまま狼めがけて刺突する。

 

「〝雪霞狼(せっかろう)〟――!」

 

 〝神格振動波駆動術式( D O E )〟を刻印され、あらゆる結界や魔力を切り裂く刃が鋼の狼を貫く。それだけで狼は身体を構成する魔力を消滅させ、一瞬で砕け散った。

 

「先輩、無事ですか?」

 

 周囲を警戒しながら、雪菜は古城に訊いた。鋭利な雰囲気とは裏腹に、身に纏うのは可憐なチアリーディングの衣装だ。

 そのちぐはぐさに古城の緊張が和らぎ、埃を払いながら立ち上がる。

 

「ああ、おかげさまで何ともない。

 ありがとう、姫ら……」

 

 古城の言葉を遮るように、大量の紙片が降り注いだ。吸血鬼の動体視力が、紙片すべてに文様が描かれていることを捉える。

 

「これは、獅子王機関の呪符!?」

 

 雪菜の驚愕の声をよそに、呪符は群体のような動きで地面に張り付く。数秒もしない内に、大きな模様が呪符によって描かれた。

 

「警戒もいいけど、人が多い場所での戦闘では警戒と同時に人払いを迅速に行うべきだ。〝雪霞狼〟や異形との戦闘を見られた場合、記憶消去の処理も楽じゃないからな」

 

 どこかで聞いた声がする。古城が声の主を思い出すよりも先に、雪菜は驚いた表情で声の方向を見た。

 

「浩一さん!?」

 

 昨日赴任のあいさつを交わした山野浩一が、用務員の服装で立っていた。

 

「どうしてここに。というかその恰好は?」

 

 何故か硬直したままの雪菜の代わりに、古城が聞く。

 

「昨日付で彩海学園の用務員として赴任してね。今回みたいな状態になった時、サポートをするのが主な仕事なんだ。

 ほら、見てごらん」

 

 促されるままに視線を巡らせると、すぐ近くを二人組の女子生徒が通り過ぎて行った。しかし、札でできた文様の中心に立つ古城たちを、まるで気が付いていないかのように何の反応もない。

 

「今回は学園内での戦闘だったからね。意識を逸らす結界を張った。本当であれば、戦闘終了時すぐにでも展開するべきだったぞ?」

 

 浩一が雪菜の対応に対しての小言を始めた。雪菜も自分で考えていた部分が多いのか、反論せずに粛々と聞いている。

 

「ところで、さっきのはなんだったんだ?」

 

 このままでは長くなると直感で判断し、古城は状況の説明を求めた。獅子王機関の二人も我に返ったのか、少し気まずそうに居住まいを正す。

 

「見たところ、手紙を届けるための式神です。本来であれば、あそこまで攻撃的なはずはないのですけど……」

 

 雪菜は説明しつつ、砕け散った金属の破片を拾い上げる。

 

「だめです、完全に術式が死んでいます。浩一さんは、追跡できそうですか?」

「いや、今その手の魔具を持っていない。それにほら、手がかりならそこに落ちているよ」

 

 2人が浩一の視線を辿ると、地面に一枚の手紙が落ちていた。

 

「さっきの式神はこれを届けるために?

 でもこれだけなら一体でいいですし、襲い掛かってきた理由が……」

 

 考え込む雪菜をよそに、古城は手紙を拾い上げた。真新しい封書であり、金の箔押しが施された豪華なものである。宛名は暁古城。

 

封蝋印璽(スタンプ)の刻印で差出人がわかるはずだ。見せてくれるかい?」

 

 銀の封書に刻まれた刻印は、蛇と剣を模した紋章だった。

 

「なあ、これなんか嫌な感じがするんだけど?」

 

 古城が困惑の声と共に雪菜と浩一を見ると、2人揃って苦い表情を浮かべていた。

 

「浩一さん、この紋章って」

「ああ、戦王領域(せんおうりょういき)アルデアル公国君主のものだ。

 ディミトリエ・ヴァトラー直々の招待状とは、すこし厄介だね」

 

 獅子王機関の関係者は当然のように話を進めるが、知識量はあくまで一般人でしかない古城にとっては何もわからないまま話が進んでいる状況だ。はっきり言って面白くない。

 

「なあ2人とも。悪いんだけど、少し説明してくれないか?」

 

 少し不機嫌そうな古城の声に、雪菜は申し訳なさそうに肩をすくめる。対照的に、浩一は腕時計を見ながら踵を返した。

 

「申し訳ないが、攻魔師としての仕事があってね。細かい話は姫柊から聞いてくれ。

 それじゃあ、これで」

 

 地面の札がひとりでに舞い上がり、浩一の持つ書類入れに収納される。そのまま校舎の影に消えていく。

 

「あの人、攻魔師だったんだな。獅子王機関って言ってたから、何かしらの技は使えると思ってたけど」

 

 呟く古城に対し、雪菜はおずおずと訂正した。

 

「先輩、あの、浩一さんはかなり強いですよ?

 なんと言っても、客員とはいえ徒手空拳の先達ですから」

「先達?」

 

 聞きなれない言葉に、古城がオウム返しで聞き返す。

 

「はい。獅子王機関の、教導担当のようなものです。浩一さんは獅子王機関正規の所属ではないのですが、客員としても群を抜いた実力者ですので、特例として選ばれています」

「正規じゃないのに、教導として選ばれるほどの実力者か」

 

 監視役の補助。いざとなれば敵に回る可能性のある人物の予想を超える実力を知り、古城は何か背筋が寒くなるような感覚を覚えた。

 

「先輩、とりあえず手紙を調べましょう。藍羽先輩には少し悪いですが、今日の練習は中止ということで」

「ああ、そうだな。

……あの、姫柊さん?」

 

 携帯を取り出し浅葱の番号をコールする直前で、古城が硬直した。何かに気が付いたような表情で、どこか恐ろしげに雪菜を見ている。

 

「はい、どうかしましたか?」

 

 不思議そうな雪菜に対し、恐る恐る切り出す。

 

「なんで、今日俺が浅葱とバドミントンの練習をするって知ってるんですかね?」

 

 しばしの沈黙が場を支配する。

 

「……私は、先輩の監視役ですから!」

「理由になってねーよ!

 てか、学校内での行動まで把握されてるのは普通に怖いんですけど!?」

「任務ですので!」

「お前それ言えば何とかなると思ってないだろうな!?」

 

 この後、古城はバドミントンの練習を中止すると浅葱に連絡を入れるのだが、連絡が遅いと怒鳴られるのはまた別のお話。

 

 

 

 

 

 薄暗い部屋で、男性が巨大なモニターを睨んでいる。謎の文字の羅列が映し出されたそれは、研究室にいる男性が全力を挙げて解読に挑み、未だ目立った成果を挙げられていない太古の言語である。

 

 改めて男が作業を再開しようと椅子に座るが、何の前触れもなく隔壁が開いた。慌てて振り返ると、得体の知れない4人組が無遠慮に部屋へと踏み込んでくる。黒い背広の男2人はまだわかるが、残る2人が問題だった。1人はフリルまみれのドレスに身を包んだ若い、幼いとも表現できる女性。もう1人は、詰襟の学生服に似た戦闘服を身につけた青年だ。どちらも、この場に相応しい格好ではない。

 

「なんだ君たちは。ここはクラスⅥの機密区域だぞ?

 一体誰の許可でここへ――」

 

 男の言葉を遮るように、黒服の男1人が進み出た。男の威嚇するような目線を気にも留めず、懐から身分証を突きつけるように提示する。それを見た男の表情が凍りついた。

 

「カノウ・アルケミカル・インダストリー社開発部所属、槙村洋介だな」

 

 抑揚の乏しい男が持つ身分証に刻まれているのは、護身用簡易魔方陣を兼ねた五芒星。国際魔導犯罪を担当する、国家攻魔官の紋章である。

 

「この度魔導貿易管理令違反の物品が運び込まれた疑いがある。速やかに全資料の開示、並びに物品を引き渡してもらいたい」

 

 一方的な通達に、槙村は泡を食ったように立ち上がる。

 

「待ってくれ、何かの間違いじゃないのか? ここでは古代語の解析業務以外行っていない!

 貿易物品ならば総務部の方が――」

「貴様がクリストフ・ガルドシュの部下と接触した証拠は既に揃っている。特区治安維持条例第五条に基づき、貴方の身柄を拘束する。抵抗するとためにならないぞ」

 

 もう1人の黒服の男が、手錠を取り出しながら威圧的に告げる。槙村の反応を待たずに、両手を拘束する……と思われた瞬間、手錠ごと黒服の男が吹き飛んだ。

 

「なにっ!」

 

 訓練が活きたのか、もう1人の黒服がとっさに拳銃を構える。射線の先にいたのは、数秒前とは似ても似つかない変貌を遂げた槙村だった。獣人化。ある種の魔族は脳内で念じれば、それだけで獣の力を持った恐るべき戦士へとその身を変ずることができる。

 

「未登録魔族か。黒死皇(こくしこう)派の賛同者(シンパ)なんだろうが、ぼくから逃げられると思っているのか?」

 

 詰襟の青年が一歩踏み出す。たかが子供と侮り、笑みすら浮かべていた槙村の目の前で異変が発生した。

 

「お前、その眼に髪……まさか!」

 

 青年の髪が燃えるように赤く染まり、ゆっくりとたなびく。瞳が物理的に輝き、次の瞬間槙村の身体は天井に叩きつけられた。頑丈なはずの獣人が喀血し、肉体が天井にめり込む様子から、かなりの威力だったようだ。

 

「アスタルテ、はやく気絶でもさせてやれ。流石に殺すと後が面倒だ」

 

 呆れたようなドレスの少女――南宮那月の命令に従い、部屋の外で待機していた小柄な影が室内に突入した。

 

命令受諾(アクセプト)

 

 妖精のようなと形容できる少女は、天井にめり込み続ける獣人を一瞥し、続く言葉を紡いだ。

 

「――実行せよ(エクスキュート)、〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟」

 

 その言葉に従うように、アスタルテの背中から一対の翼が出現する。肉体を突き破るようにして現れたそれ(・・)は瞬く間に巨人の腕へと変化し、天井の獣人を殴りつけた。

 

「……バビル2世に、〝眷獣〟を扱うホムンクルスだと……。いったい、なにが…………」

 

 それだけを絞り出すように呟くと、槙村の肉体が人間のそれへと戻っていく。どうやら気絶したらしく、全く動く気配を見せない槙村を、無事だった黒服が拘束した。

 

「南宮教官、助かりました。バビル2世も、協力ありがとうございます」

「ああ、気にしないでいい」

「こちらもだ。働いたのは私じゃない」

 

 両者からそっけなく扱われたのだが、黒服はどこか満足げだ。世界でも有数の実力者と共に仕事をしたという高揚感のせいだろう。

 そんな黒服をよそに、バビル2世と那月はモニターに表示された石版を睨むように見ていた。

 

「これが例の密輸品か。現物は?」

「対象確認不能。既に運び出されたものと推測されます」

「塔のコンピューターも同じ結論だ」

 

 那月の呟きにアスタルテが反応し、バビル2世が続いた。3人はそろってモニターを見るが、そこには一部分だけ解読された文字が表示されている。

 

「〝ナラクヴェーラ〟だと?」

 

 那月の眉間に皺が刻まれ、不機嫌そうにその名を呟く。その様子を見たバビル2世は、この仕事終わりに相談するつもりだった封筒を改めて学生服の内ポケットにしまいなおした。

 金の箔で豪華に飾り付けられた封筒には、獅子王機関の宛名と共に、蛇と剣を模した紋章が刻まれていた。

 




 あいうえお順の解説となります
 また、非常に簡易的な解説となりますので、ご了承ください。

 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 藍羽浅葱 あいば-あさぎ
 ストライク・ザ・ブラッドヒロイン。
 暁古城のクラスメイトであり、電子の女帝の異名を持つ凄腕のプログラマー。
 古城に恋心を抱いているのだが、古城の鈍さとタイミングの悪さ、なによりも浅葱自身の思い切りの悪さが重なり思いを告げられてはいない。

 暁古城 あかつき-こじょう
 ストライク・ザ・ブラッド主人公。
 吸血鬼となる前から運動神経は良くスポーツは得意だったが、魔族と化した身体能力で普通の人間に交じるのは不公平ではないかとの悩みから運動とは距離を置いている。
 恋愛模様には鈍く、特に身近な相手からの好意は親愛方面だと思い込む傾向がある。
 異性に人並みの興味はあるものの、興奮によりすぐに鼻血を出す体質からスケベと誤解されることも。

 アスタルテ
 ルードルフ・オイスタッハによって調達されたホムンクルスの少女。本来吸血鬼以外には扱えない眷獣をその身に宿しており、召喚及び使役に必要な生命エネルギーを古城が肩代わりしている。
 オイスタッハの事件後那月が後見人として引き取っており、メイド及び助手として仕えている。

 クリストフ・ガルドシュ
 本文登場まで、解説は控える。

 ディミトリエ・ヴァトラー
 本文登場まで、解説は控える。

 姫柊雪菜 ひめらぎ-ゆきな
 ストライク・ザ・ブラッドメインヒロイン。
 美人過ぎる転校生として男子生徒から絶大な人気を誇り、非公認のファンクラブが存在するほど。
 戦闘は槍と近接格闘術を駆使した近・中距離戦闘が得意。反面、遠距離攻撃法をほぼ持たないため、術に頼らざるを得ない。
 ただし、敵の遠距離攻撃は槍でほぼ無効化できるため、防御に関しては鉄壁に近い。
 古城への複雑な感情を持て余しており、女性と親しげに話す様子にやきもちを焼くことも多々ある。

 南宮那月 みなみや-なつき
 彩海学園教師にして国家攻魔官の資格を持つ凄腕の魔女。
 主な仕事は教師なのだが、行政からの要請により国家攻魔官として活動することが多々ある。
 空間魔術を得意とし、瞬間移動や物体の召喚、空間を歪めた簡易的な衝撃波などその応用技は多岐にわたる。
 傲岸な性格をし、常に存在な口調を崩さないのだが、生徒からは信頼される良き教師でもあるようだ。

 施設・組織

 アルデアル公国
 戦王領域を構成する自治領の1つ。
 統治する吸血鬼の性格から、戦争時には隣国と血で血を洗う戦闘を行っていたとされる。

 国家攻魔官 こっかこうまかん
 絃神島において、常に需要が存在する国家資格。獅子王機関とは仕事の関係上商売敵の間柄であり、互いの組織の人間は互いの事をあまり快く思っていない。

 黒死皇派 こくしこうは
 本文登場まで、解説は控える。

 獅子王機関 ししおうきかん
 姫柊雪菜が所属する公的機関。活動を覆い隠すためのダミー会社や、組織の攻魔師を育成するための学術機関等も保有している。
 秘匿組織ではあるが機密組織ではないため、一定以上の社会的地位を持つ者の間ではある程度の知名度はある模様。

 神格振動波駆動術式 しんかくしんどうはくどうじゅつしき
 DOEとも呼ばれる、特殊な術式から発せられる波動。その波動に触れた魔術、結界はほとんど例外無く消し去られる。
 同質の術式以外抗えない強力な武器であり、実用技術として確立しているのは現在獅子王機関だけだとされている。

 戦王領域 せんおうりょういき
 第一真祖によって支配されている帝国。東欧に存在し、一般的な吸血鬼のイメージをそのまま形にしたような吸血鬼たちが暮らしている。

 未登録魔族 みとうろくまぞく
 絃神島で暮らす魔族の中で、公的に存在が登録されていない魔族を指す。暁古城もここに分類される。
 言うまでも無く違法であり、判明すれば処分は免れ得ない。

 種族・分類

 吸血鬼 きゅうけつき
 その多くが爵位を持ち、多くのモノを統べる魔族の一種。
 特徴の一つである吸血衝動は性欲と密接に関わっており、そのため異性に対して行うことが多い。尚、吸血衝動はあくまで血を求める欲求というだけであり、たとえ自らの血を含んだ場合でもその衝動は解消される。

 眷獣 けんじゅう
 吸血鬼がその身に宿す、異界からの召喚獣。
 召喚と使役のたびに生命エネルギーを捧げる必要があり、例えば一般的な人間が使役した場合僅かな時間で生命エネルギーを吸いつくされて死んでしまうほどの燃費の悪さを誇る。故に、従えることができるのは無限の負の生命を持つ吸血鬼だけだとされている。

 雪霞狼 せっかろう
 姫柊雪菜の主兵装であり、獅子王機関の秘奥兵器。3本存在する七式突撃降魔機槍の一本であり、普段はギターケースに収納されている。
 神格振動波駆動術式が刻まれた刃は、魔の存在尽くを切り裂く絶対の刃となり、霊力を増幅させる触媒としても優れている。
 適正が存在し、相性が悪いものは上手く使いこなすことができない。雪菜が古城の監視役として選ばれた大きな要因として、適性がとても高かったことが挙げられているほど。

 ナラクヴェーラ
 本文登場まで、解説は控える。

 獅子の黄金 レグルス・アウルム
 12体存在する第四真祖の眷獣が1体。雷撃と見紛うほどの電流で構成された獅子の姿を持つ。掌握した際に取り込んだ雪菜の血がよかったためか、非召喚時でも宿主の危機に反応して防衛することがある。
 雷撃を駆使した広域破壊が得意であり、暴走した際は絃神島の倉庫区画を焼き払い億単位の損害をもたらした。

 薔薇の指先 ロドダクテュロス
 アスタルテがその身に宿す眷獣。巨大なゴーレムのような外見をしており、宿主であるアスタルテを包み込むようにして顕現する。応用として、腕のみを実体化させることも可能。
 オイスタッハが再現した神格振動波駆動術式を刻まれているため攻撃、防御の両面で優れた眷獣といえる。
 非常に強力な眷獣であるが、遠距離攻撃手段を一切持たない。

 バビル2世 用語集

 人物

 バビル2世
 バビル2世主人公。
 数多くの超能力を操り、敵対者には容赦をしないあまり見かけないタイプのヒーロー。
 残虐趣味などは持ち合わせていないため、制圧できる場合は一切の遊び無く瞬時に制圧する。
 今回披露した念動力は出力が非常に高く、軍事要塞を崩壊させ立てこもる敵ごと押し潰すことも可能としている。

 山野浩一 やまの-こういち
 バビル2世の本名。ある種のパラレル作品である、その名は101で判明した。
 偽名ばかり名乗ることも変な話なので、公的機関に所属する場合は本名を使っている。

 用語

 コンピューター
 バビル2世の居城を護る存在。非常に高い情報分析能力を誇る。


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2話 船上の邂逅

 2020/3/8 用語集追加


 謎の式神から古城へ届けられた手紙には、夜に行われる船上パーティーへの招待状が同封されていた。何故か獅子王機関から送られたパーティードレスに身を包み、古城と雪菜は指定された港へと向かっていた。パーティーの開始時刻は午後10時となっており、到着まで余裕を持たせた行動となっている。

 

「しかし、なんで獅子王機関からドレスが送られてきたんだ?」

 

 古城の呟きに、雪菜は思わずため息をついた。

 

「先輩、いい加減自分の立ち位置を自覚してください。アルデアル公は第一真祖の使者という扱いでこの島に来ています。その場合、まず挨拶し尊重するべきはこの島を縄張りにしている第四真祖なんですよ?

 今回のパーティーのメインゲストは先輩になるんですから、獅子王機関としても相応の格好をしてもらわないと困るんです。会場に入っても、堂々としていてくださいね?」

 

 悪戯を注意する教師のように、雪菜は古城に人差し指を突きつけた。どこか幼い雰囲気を残す容姿の雪菜がするとどこか背伸びした印象になるポーズも、パーティードレスを着ているからか不思議な魅力を醸している。

 思わず見とれる古城に、雪菜は不審そうな表情を浮かべた。

 

「あの、やっぱりこのドレス似合っていませんか?」

 

 古城の沈黙を勘違いしたらしく、雪菜の顔が曇る。

 

「いやいや、すごく似合ってるって街中でその槍はまずいからやめろ!」

 

 褒めていたはずなのに、何故かギターケースへと雪菜の手が伸びるのを見て古城が慌てる。格納状態でケース内に収納されている槍の穂先をイメージし、古城は表情を引き締めた。

 

「顔がいやらしいですよ。本当にわかりやすいんですから」

「そ、そうですか」

 

 少し遅れて、古城は鼻の奥に血の気配を覚えた。吸血鬼のサガである吸血衝動は、性欲がトリガーとなる。これを見越しての牽制だったのかは不明だが、おかげで衝動に呑まれずに済みそうだ。

 そんな古城を見て、雪菜は心配そうにドレスを見る。

 

「やっぱり、このドレスはまずかったのかもしれません。生地も薄いですし、背中とスカートがこんなに……」

 

 雪菜はスカートの端を押さえながら、僅かに前かがみになる。

 

「いや、動きやすくていいんじゃないか? 似合ってるし」

 

 古城がフォローするが、雪菜はどこか納得していない。

 

「まあ、先輩がいやらしい人だということはわかりきっていましたから、今さらそれはいいです。アンダースコートも穿いてますし」

「アンスコなのかよ!?

 ああいや、別に変な期待をしてたわけじゃなくてな? 男ならそういう気持ちになるというか、そもそもそういう衣装でアンスコは反則というか、なんか知らないままの方がよかったというか」

「あまり女性の下着について大声で話さない方がいいですよ。まったく、先輩は……」

 

 必死の弁明で墓穴を掘りまくる古城に、呆れたようなため息をつく雪菜。見る者が見たらいちゃつくカップルにしか見えない光景なのだが、これで当人たちは至って真剣なのだ。

 ふと、古城の目が雪菜の髪飾りを捉えた。私物を持たず、着飾るといった行為に殆ど無頓着である雪菜の持ち物としては珍しい、どこか洒落っ気のある十字架を模した品である。

 

「姫柊、その髪飾りは?」

 

 古城の指摘に雪菜は驚いたような表情を浮かべ、すぐに懐かしそうな眼をした。

 

「高神の杜にいた頃、紗矢華(さやか)さん……ルームメイトの子から貰ったんです。変ですか?」

「いや、似合ってると思うぞ。

 でもルームメイトってことは、その子も剣巫なのか?」

 

 古城の返事に、雪菜は素直に嬉しそうな笑みを隠さない。どこか友人を自慢するようにも見える。

 

「いえ。獅子王機関の攻魔師ではありますが、剣巫ではありません。私よりも1つ年上で、もう正式な任務に就いているんですよ?」

「へえ、そこまで言うってことは仲が良かったんだな。ちょっと会ってみたい気がする」

 

 その言葉を聞き、雪菜は表情を曇らせた。

 

「どうした?」

 

 雪菜の豹変ぶりに古城が足を止め、顔を覗き込む。

 

「合うとすれば、浩一さんに同席してもらった方がいいですね。下手をすれば、命を狙われかねませんから……」

「は?

 おい姫柊、それってどういう」

「ほら先輩、船が見えてきましたよ?」

 

 古城の疑問を封殺するように、雪菜は目的地である巨大なクルーズ船を指差した。古城は出鼻を挫かれた形となり、仕方なく話題を切り上げて歩調のペースを上げることとした。

 数分後、招待客で賑わう桟橋に到着した2人は、招待状の確認が来るまでの時間を持て余していた。

 

「オシアナス・グレイヴ……洋上の墓場か。吸血鬼の船とはいえ、趣味の悪い名前だ」

 

 古城の呆れた声が響く。

 不吉な名前とは裏腹に、洋上でライトアップされている船体は宮殿のような華やかさと城の如き威容を周囲に誇示している。

 

「しかしこれが個人の持ち物か。戦王領域の貴族ってのはどれだけ金持ちなんだか」

「これだけのものを動かせるという、示威行為も目的なんでしょう。吸血鬼が海を超えられないというのは迷信ですが、能力が制限される海上を堂々と船……それも武装の無い民間船で渡ってくるだけの余裕と力がある。そういったメッセージを周囲に与える事ができますから」

「ふーん……貴族ってのも色々と面倒なんだな」

 

 雪菜の解説に感心しつつ、古城は周囲の招待客たちを見渡す。ニュースでよく見る顔、絃神島の要人たちが殆どだ。

 

「姫柊はメインが俺って言ってたけど、どうにも浮いてるな」

「もう、先輩がそんな気構えでどうするんですか!」

 

 気後れした古城とはっぱをかける雪菜。その様子を船上から眺める影があることに、2人は気が付かなかった。

 

 

 

 それからすぐに招待状のチェックが終わり、船上に上がった古城はさらに強くなった場違いな雰囲気を全身で感じていた。料理も調度品も一流のものが揃えられており、その間を歩くゲストはそれを当然のものとして扱っている。

 

「はぁ……で、俺を招待した張本人はどこにいるんだ?」

 

 居心地の悪い会場を見渡しながら、古城はひとりごちる。このどうにも慣れない華美な空間で、自分を招待したアルデアル公なる人物を探すだけでも一苦労だろう。

 

「恐らくアッパーデッキに……先輩!?」

 

 雪菜は古城の顔を見ると、突然表情を引き締め腕をつかんだ。乗船してから、どこか違和感を覚え続けてきた古城は抵抗せず視線を雪菜と合わせる。心配そうな雪菜の瞳には、うっすらと赤みが差した瞳を持った、犬歯が伸びつつある古城の顔が映っている。

 

「ああ、心配かけてごめんな。おかげで少し落ち着いてきた」

 

 目を閉じ数度の深呼吸の後に瞳を覗くと、そこにはいつのも通りの古城の顔が映っていた。

 船に乗ってから古城が抱き続けていた奇妙な感覚。かつて所属していたバスケチームで味わった、試合直前の高ぶりに似ている。強大な同胞の接近に、古城の吸血鬼としての〝血〟が――血に眠る眷獣達が、強敵との遭遇を予想し滾っているのだ。

 間違いなく、吸血鬼の貴族はこの近くにいる。

 

「姫柊、たしかアッパーデッキって言ってたよな。どうやって行くんだ?」

「こっちです、先輩」

 

 雪菜は上層部に繋がる階段を指差し、招待客で込み合う通路を先導する。すぐ後をついていこうとする古城だが、人が多いせいかうまく進めない。雪菜はそんな様子を見てクスリと笑い、古城に手を差し出した。古城も何の疑問も持たず、握り返そうと手を伸ばす。

 殺気と共に振り下ろされた銀の光が古城を襲ったのは、その直後だった。

 

「せいっ!」

「うおっ!」

 

 咄嗟に飛び退いた古城の眼前を、鋭く研がれたフォークの先端が通りすぎる。

 下手人は若い女性だった。女性にしては高い身長に、チャイナドレス風の衣装がよく似合っている。

 

「あら失礼、手が滑ってしまって」

 

 悪びれない女性に、古城も不快感を覚える。

 

「いったいどう手が滑ったら人に向かってフォークを振り下ろせるのか教えて欲しいんだが?

 てか、気合入れてたよな聞こえてたぞ!」

「あなたが、欲望剥き出しの手で雪菜に振れようとしたからよ。暁古城」

「なに?」

 

 見知らぬ少女に名を呼ばれ、古城は警戒を強める。冷ややかな目をした少女と睨みあう形となり、互いの空気が張り詰めていく。

 

「誰だ、お前?」

 

 警戒を続けながら古城は問う。周囲にいた招待客も、剣呑な空気を感じ取ってかざわめきだす。

 招待客に流されていた雪菜がその場に戻ってきたのは、2人が行動しようとした瞬間だった。

 

「紗矢華さん!?」

 

 変化は劇的だった。今まさに古城へと踏み込むはずだった少女の脚は角度を変えて雪菜へと向かい、ポニーテールでまとめた長い髪をたなびかせながら抱きついた。

 

「雪菜、久しぶり!」

 

 花のような笑みを浮かべ、頬を雪菜へと擦り付けている様子は、飼い主にじゃれつく大型犬をイメージさせる。

 

「ああ、無事でよかった。獅子王機関が私の雪菜を第四真祖の監視役に選んだって聞いた時は、なんてむごい仕打ちをするのかって思ったわ!」

「あの、紗矢華さん?」

「でももう安心してね雪菜! ここの変質者があなたに指の一本でも触れようとしたら、社会的にも肉体的にも即座に抹殺してあげるから!」

「さ、紗矢華さん! さすがにちょっと……」

「おい、誰が変質者だ」

 

 無防備な紗矢華の後頭部に、古城の手刀が吸い込まれた。雪菜にむしゃぶりついていた紗矢華はその一撃で我に返ったように振り向き、雪菜を庇うように背に隠す。

 

「そうね。失礼したわ、ド変態真祖。とりあえず5メートルほど離れていただけるかしら? それと両目を抉っていただけると有難いわ。雪菜が穢れてしまうもの」

「抉るか! おい姫柊、なんなんだよこいつは!」

 

 うんざりした古城に対し、雪菜は申し訳なさそうにしている。

 

煌坂紗矢華(きらさかさやか)。獅子王機関の舞威媛よ。あほつき古城」

「あ、か、つ、きだ。言うほど似てないだろ!」

 

 何故か険悪さを隠さない紗矢華に対し、古城も一切の遠慮をしない。衆人環視の状態でこんな言い争いをしていれば悪目立ちをしそうなものだが、雪菜がいつのまにか人払いの呪術を使ったらしく、周囲の人間がこの騒ぎを気にする様子は無い。

 

「ったく。

 姫柊、舞威媛ってなんだ? 剣巫とは違うのか?」

 

 先程のやり取りを無視するように古城が雪菜に聞く。意図を読み取った雪菜は小さく首を振った。

 

「はい。どちらも同じ攻魔師ですけど、修めている業が違うんです」

「業?」

 

 古城の疑問に、紗矢華はどこか得意げに胸を張る。

 

「舞威媛の真髄は呪詛と暗殺よ。私が来たからには、もう雪菜に破廉恥なまねができるとは思わないことね!」

「したこと無いわ! なんなんださっきから!」

 

 互いに激高し、睨みあう古城と紗矢華。その様子にため息をつきながら雪菜が割って入る。

 

「ところで、紗矢華さんはどうして日本に? 外事課で多国籍魔導犯罪を担当していたんですよね?」

「今もそうよ。あなたと同じ、吸血鬼の監視役としてこの島に来たの」

「私と、同じ?」

 

 アッパーデッキへ通じる階段の前に立ち、仕切り代わりのパーテーションロープを取り外しながら紗矢華は続ける。

 

「この船の持ち主であるアルデアル公の監視よ。彼に絃神島の住民を害させないよう、監視するのが私の任務。

 今は彼の頼みで、貴方たちを案内しに来たのよ」

 

 敵意を隠そうともせず、紗矢華は2人を先導して階段をのぼる。本来であれば不機嫌さを隠さないであろう古城が、その後を黙ってついていく様子を雪菜は心配そうに見つつ後に続いた。

 古城が紗矢華に敵意を向けなくなった理由は1つ。強大な吸血鬼に近づいていると、真祖の血が知らせているからだ。貴族と呼ばれこれだけの権力を許されている以上、生半可な実力ではないだろう。対する古城はまともに操れる眷獣は一体のみの名ばかり真祖である。まともに戦っては勝ち目など無い。

 不安を押し殺しつつ、ついに古城は上甲板へと出た。

 広々とした空間に、男が一人立っている。下手のいい白スーツを着こなす美男子で、高い身長に反して威圧感は無い。

 

 瞬間、男の身を閃光が包み込んだ。

 

「――先輩!」

 

 真っ先に反応したのは雪菜だった。ギターケースから槍を引き抜き、古城を庇わんとする。その雪菜を庇うために、紗矢華も動いた。どちらも瞬きする間の反応だ。

 しかし、その機敏さを持ってしても、閃光は防げない。

 

 男が放った閃光の正体は、輝きを放つ炎の蛇だ。灼熱を纏う吸血鬼の眷獣が、流星と見紛う速度で撃ち出される。狙われた古城は反応すらできず、何が起こったのか理解もできない。

 

「ぐ……ああっ……!」

 

 反応したのは古城の眷獣だった。第四真祖の使役する十二の眷獣の内、唯一古城が制御できる五番目の眷獣〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟の雷槌(いかづち)が、宿主を守らんと外敵を弾いたのだ。反発し合う魔力が床を焦がし、大気を揺らす。

 ほんの数瞬の内に、眷獣は互いを喰らい合うようにして姿を消した。

 

「流石は第四真祖。この程度の眷獣では傷もつけられないねェ」

 

 今しがた眷獣を放った下手人が、拍手をしながらゆっくりと古城たちへ歩み寄る。上甲板に上がった時の、威圧感の無い姿からは想像もできない圧倒的な魔力。放たれた眷獣など、この貴族が持つ力のほんの片鱗だということを否が応にも理解させられる。

 警戒をする古城を前にした男がとった行動は、古城の意表を突いた。

 

「御身の武威を検するが如き非礼な振る舞い、衷心よりお詫び申し立奉る。わが名はディミトリエ・ヴァトラー、我らが真祖〝忘却の戦王(ロストウォーロード)〟よりアルデアル公位を賜りし者。今宵は御身の尊来をいただき恐悦の極み」

 

 片膝をついた恭しい貴族の礼から見事な口上を述べられ、古城の方がうろたえることとなる。

 

「あんたが、俺を呼んだアルデアル公なのか?」

「そうとも。

 初めましてと言っておこうか暁古城。我が愛しの第四真祖よ!」

 

 受け入れるように両手を広げ、ヴァトラーは愛おしげに古城を見つめた。あまりの衝撃に古城は固まり、雪菜は唖然とし、紗矢華は頭を抱える。

 そんな混沌とした空気を破壊したのは、再び響く拍手だった。

 

「ふうん。誰かな君は? ここは今客人の立ち入りを制限しているはずなんだけどねェ」

 

 ヴァトラーの視線が捉えたのは、いつのまにか階段傍に立っていた中年男性だった。傍には美しい女性をつれ、どこか不敵な表情を浮かべている。

 

「誰とは失礼だな。君が招待してくれたんじゃないか」

 

 ヴァトラーの問いにも一切怯まず、男性は言葉を続ける。胸には人工島管理公社の社章が輝き、樋口源次郎の名が記されていた。

 

「たしかに、人工島管理公社の樋口源次郎氏は招待した。でも、たかが公社の上級役員であるはずのあなたが、どうやってこの場の誰にも気取られずに階段を上がってこられたのかな? しかもお連れの女性まで」

 

 ヴァトラーの指摘に、古城ははじめて獅子王機関の攻魔師2人が臨戦態勢を取っていることに気が付いた。武器こそ抜いていないものの、何かあればすぐさま取り押さえられる位置を確保している。

 

「それに、樋口氏は今下の階でプールを楽しんでいるようだ。化けるならばもっと慎重に相手を選ぶべきだったね!」

 

 樋口の姿を借りた男に対して、ヴァトラーは容赦なく眷獣を解き放った。人間が受ければ一瞬で塵も残らず焼き尽くされるであろう熱量が、大気を駆ける。

 

「やめ……」

 

 古城が言い終わる前に、眷獣は四散した。目標に命中したわけではない。突如出現した壁に阻まれ、その身を散らしたのだ。

 

「これは……」

 

 それは、巨大な掌だった。金属で構成された右手が海中から伸び、ヴァトラーと男を隔てている。それもただの金属では無く、表面に数多の術式が刻まれた魔術装甲である。

 

「招待されたと言ったはずだぞ。騒がれても面倒だから、この姿を借りたに過ぎない」

 

 宙を舞うように1枚の紙がヴァトラーへと届けられた。明らかに自然の動きではないのだが、一切の魔力反応が無い。

 ヴァトラーは無造作に紙を手に取り、それが自身の出した招待状であることを確認した。そして招待客の名は――

 

「ふ、ふふふ……」

 

 ヴァトラーは不気味に身を震わせ始めた。あふれ出る歓喜を押さえきれず、ついには爆発する。

 

「ハッハハハハハハ! まさか来てくれるとは思っていなかった! よく来てくれた! 招待してみるものだ!」

 

 掌がゆっくりと動き、隠されていた男が露わになる。そこに樋口と名乗っていた男、そして傍にいた女は存在していなかった。

 

「これだけ荒っぽいまねをされるとは。ポセイドンを控えさせていて正解だった」

 

 赤く燃える髪に、うっすらと輝く瞳。傍には黒豹を従えた、青年がそこに立っていた。

 

「よく来てくれたバビル2世。最強の〝過適応能力者(ハイパーアダプター)〟よ!

 一度話してみたかったんだ!」

 

 ヴァトラーの声に、雪菜と紗矢華は驚きを隠せなかった。獅子王機関の所属する国家安全委員会が協力を要請する個人。ほとんど噂でしか知りえなかった人物が、目の前にいるのだ。

 暁古城、ディミトリエ・ヴァトラー、そしてバビル2世。それぞれ単独でもこの人工島を沈める事ができる3者が一堂に会している。何かの間違いで戦闘が始まれば、会場である〝オシアナス・グレイヴ〟は一瞬で消し飛ぶだろう。

 

「さて、どのような用件で招待したのか。聞かせてもらおうか、アルデアル公?」

 

 バビル2世の言葉が、甲板上に響き渡る。

 会談は、今から始まるのだ。




 魔術の存在する世界で塔やバビルが何の対策も立てないとは思えなかったため、ポセイドンに魔術装甲が追加されました。
 ほかにも強化された部分はありますが、作中で追々出していきます。


 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 煌坂紗矢華 きらさか-さやか
 ストライク・ザ・ブラッドヒロイン。
 獅子王機関所属の舞威媛であり、雪菜の元ルームメイト。
 並々ならぬ実力を持つ攻魔師であり、吸血鬼の要人警護を任されるほどに一定の信頼もある。
 雪菜に対して変質的な執着を見せ、無意識に仲の良さを見せつける古城を目の敵にしている。

 ディミトリエ・ヴァトラー
 アルデアル公国の君主であり、第一真祖の臣下。
 〝旧き世代〟に分類される強力な吸血鬼であるが、その中でも武闘派として知られる。
 重度のバトルジャンキーであり、戦いこそ最高の暇つぶしと認識している。

 忘却の戦王 ロスト・ウォーロード
 第一真祖の通称。72体の眷獣を従える吸血鬼の覇王であり、現在の世界情勢を形作った聖域条約の立役者でもある。
 彼の系譜からなる吸血鬼はD種と呼ばれるが、彼らのイメージが吸血鬼全般のそれに最も近いため、広義では吸血鬼全般をD種と呼称することが多い。

 施設・組織

 洋上の墓場 オシアナス・グレイヴ
 ディミトリエ・ヴァトラー所有の豪華客船。
 船上でパーティーを開けるほどに設備は充実しており、屋外プールや大規模な浴室といったレジャー設備も備えている。

 種族・分類

 剣巫 けんなぎ
 獅子王機関に所属する攻魔師の肩書の1つ。
 対魔族戦闘のエキスパートであり、近接格闘戦のほか霊視能力を利用することで、魔族を打ち倒す戦闘職。
 雪菜は剣巫を名乗っているものの、修業期間を正式に終える前に監視任務へと送り出されたため厳密には剣巫見習いであった。

 過適応能力者 ハイパーアダプター
 魔術や呪術に頼らず異能を引き起こす人間。発揮する能力に統一性が見られないため、研究自体がほとんど進んでいない。

 舞威媛 まいひめ
 獅子王機関に所属する攻魔師の肩書の1つ。
 呪詛と暗殺を得意とする後方支援型の職。現在の情勢下では暗殺任務はほとんど発生せず、大半が潜入や要人警護といった公になる任務となっている。


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3話 三者会談

 2020/3/8 用語集追加


 ひたすらに重い沈黙が、周囲を覆っている。互いの牽制が危うい均衡を保ち、奇妙な平穏を作り上げている。

 沈黙を破ったのは、この場のホストであるヴァトラーだった。

 

「立ち話もなんだ。部屋を用意させてあるから、続きはそこで話そうじゃないか」

 

 自ら船内へとつながる扉を開き、芝居がかった動きで入室を促す。

 以外にも、始めに動いたのはバビル2世だった。無言で歩を進め、黒豹と共に室内へ消えていく。

 

「先輩、私たちも行きましょう」

 

 古城も雪菜に促され、後に続く。

 通された部屋は、贅を尽くした貴族の来賓室に相応しい部屋だった。

 

「で、いい加減ぼくを招待した理由を言ってほしいものだな」

 

 バビル2世の要求に、ヴァトラーは笑顔で答える。

 

「君と話してみたかったんだよ。滅びの王朝に隣接しながら、一切の侵攻を跳ね返し続ける砂漠の主。世界最強の過適応能力者(ハイパーアダプター)とね。

 噂は数多く聞いているが、実際に会ったことは無かったから楽しみだったよ」

 

 優雅なしぐさでワインを注ぎ、来賓2人に差し出す。古城は未成年を理由に断り、バビル2世はワインを一瞥もしない。

 

「そんな理由でぼくを呼んだのか? なら目的は果たしただろう」

 

 それだけ言うと立ち上がり、バビルは出口へと歩いていく。黒豹も伏せていた状態から素早く起き上がり、主の傍を付き従う。

 意外なことに、ヴァトラーは止めなかった。

 

「ああ、政府筋から獅子王機関に招待状を出したからね。少なくとも連絡を取る手段がわかっただけでも僥倖としておこうじゃないか」

 

 その言葉にバビル2世は足を止め、ゆっくりと振り返った。ヴァトラーはその視線を正面から受け止める。

 

「はっきり言っておこう、ディミトリエ・ヴァトラー。

 お前がどんな目的でこの島に来たのかは別にいい。だが、もしもヨミのように一般人を巻き込むような真似をしてみろ。ぼくが貴様を許すと思うな」

 

 蚊帳の外にいた古城達が、思わず身構える威圧感。魔力も、霊力もほとんど持たないはずの人間から発せられた牽制に、流石のヴァトラーも表情を変えた。

 

「素晴らしい……。ああ、君に愛想を尽かされないよう気を付けるよ。バビル2世」

 

 ただし、歓喜に歪む方向へと。

 

「では失礼する。行くぞ、ロデム」

 

 彼は振り向きもせずに部屋を去り、歓喜に振るえるヴァトラーと警戒を強める古城たちが室内に残された。

 

 

 

「いや、お見苦しいものを見せたね。さあ、共に愛を語ろうじゃないか」

 

 数分後、上機嫌のヴァトラーがとんでもない発言をした。

 

「おい待て、俺にそっちの趣味は無いぞ!」

 

 慌てる古城に、おかしそうに笑いながらヴァトラーは続ける。

 

「君が喰ったアヴローラ……先代の第四真祖を、僕は愛しているんだ。だから彼女の〝血〟を受け継いだ君に愛を捧げる。強い血族が生き残り、より強くなるのが吸血鬼というものだろう?

 力で言えばバビル2世も捨てがたいけど、やはり吸血鬼同士の方が相性もいいだろうしね」

 

 ヴァトラーの出した名に、以外にも古城は食いついた。

 

「そうだ、さっきのバビル2世ってやつは何者なんだ? 威圧感の割に魔力や霊力を感じなかったし、眷獣を防いだでかい手も異常だ」

 

 古城の問いに、ヴァトラーは嬉しそうに反応した。

 

「そうか、君は知らないんだね。では教えてあげよう。これを知った君が、危機感からより強くなってくれるかもしれないからね」

 

 ヴァトラーが指を鳴らすと、どこからか召使が世界地図を張った仕切りを運んできた。その横にヴァトラーは立ち、1つの夜の帝国(ドミニオン)を指差す。

 

「中東に存在する滅びの王朝。そこに隣接する砂漠に、砂嵐が絶えない地区がある。通称不可知領域とも、ポイント101とも呼ばれている魔の区域でね。いかなる方法をもってしても内部に砂漠以外の存在は認められない」

「おい、いきなり何の話だ?」

 

 突然始まった地理の講義に古城が疑問の声を上げるが、ヴァトラーは意に介さず話を続ける。

 

「しかしおかしな点が1つある。何かしらの資源が無いかと多くの地質学者や探索部隊を送り込んでも、何もなかったとしか報告が上がらなかったんだ。同時に、観測機器の類は全てがデータ破損していた」

「全てが? ひとつ残らずか?」

 

 いくらなんでも異常だ。いつの話かは分からないが、部隊全員の観測機が全て故障するなどまずありえない。

 

「疑問が膨らむ中、その不可知領域から通信が入ったんだ。その領域を支配する者からね」

「それが、さっきのバビル2世ってやつか」

「その通り。彼は自分の支配領域を異常性を出さないまま隠し続けることを諦め、代わりに確実な独立を望んだのサ。まあ、それを聞いて支配領域を増やすチャンスと考えた滅びの王朝の王族が1人暴走してね。自分の親衛隊を動かしてバビル2世の居城、砂漠に聳えると言われているバベルの塔に攻め入ったんだよ」

 

 聞いたことがない事件に、古城だけでなく雪菜と紗矢華も聞き入っている。

 

「どうなったんだ?」

「まあ、ああして彼が独自に行動していることから想像はできるだろうけど、結果はバビル2世側の完全勝利に終わった。滅びの王朝側の軍はバベルの塔内部に侵入することすらできなかったらしい。王族の1人の暴走とはいえ、夜の帝国(ドミニオン)の面目は丸つぶれだ。軍部が中心となって戦線の1つにバベルの塔方面が加わったんだけれども、他の戦線と違って一切戦局を好転させることができなかった。どれだけの大部隊を送っても、砂嵐に埋もれるようにして消えていく。そうこうしている間に聖域条約が締結され、砂漠は正式にバビル2世の領地となっている。世界の影ながらね」

 

 古城たちは絶句する他なかった。当時夜の帝国(ドミニオン)が多方面と戦争を行い、その分兵力は分散していたとはいえ、決して侮れない戦力が動いたはずだ。その全てを飲み込む力を持ったバベルの塔。その力は計り知れない。

 

「自身が国際的に認められた後、彼は攻魔師の真似事を始めてね。多くの無法な魔族が捕まり、時には殺されたそうだ。そんな存在がこの島に今来ている。ぞくぞくしないかい?」

 

 実に嬉しそうなヴァトラーとは対照的に、古城は頭を抱えた。どう考えても厄介ごとの匂いしかしない。少なくとも攻魔師のように魔族を狩るだけの実力があるのは間違いない。先程の威圧感から考えて、かなりの実力者だろう。ヴァトラーとは別の意味でぞくぞくする。

 

「そんな彼の使役する、僕たちにとっての眷獣のようなものの1つがさっきの手さ。あれは海の支配者ポセイドンだろうね。ほかにもさっきまで彼の傍に控えていた変幻自在の黒豹ロデムや未だ姿を見せていない怪鳥ロプロスがいる。合わせて3つのしもべと呼ばれる、彼の護衛であり戦力だ。一般的な眷獣なら相手にもならない怪物揃いだと聞いているよ」

 

 ヴァトラーは笑顔のまま話を続ける。強者について話すのは性格上楽しいのだろう。脳内ではどう戦うのかを考えているに違いない。

 

「そう暗い顔をするものじゃない。彼自身は実に理性的で紳士だと聞いている。君が狙われることは無いと思うけどね。

 まあ、君が世界から危険視された場合はどうか知らないけど」

 

 実に不安になる一言を添えて、ヴァトラーの話は終わった。

 話すタイミングを見計らっていたのか、雪菜が古城の前に出る。

 

「恐れながらアルデアル公、お聞きしたいことがございます」

 

 雪菜の質問に、ヴァトラーが不思議そうな表情をする。今この場で発言するとは思っていなかったのだろう。

 

「君は?」

「獅子王機関の剣巫、姫柊雪菜と申します。第四真祖の監視役として、今夜は同行させていただきました」

「紗矢華嬢の御同輩か。今は類稀な強者たちと出会えて機嫌がいい。答えられる質問なら答えようじゃないか。

それで、なにを聞きたいのかな?」

 

 ヴァトラーの返事に、雪菜は一呼吸おいて青年貴族を正面から見据えた。

 

「此度の絃神島訪問の理由をお聞かせください。強者との会談であれば、他に相応しい場所がいくつもあるはずです」

 

 ヴァトラーの笑みが深くなる。

 

「ああ、もちろん本題は別にあるさ。会談も同じくらい重視していたけどね。

 建前としては根回しさ。この島が第四真祖の領地であるなら、何か行う前に話を通しておかないのは不義理だろう? バビル2世も、下手な行動から敵対されると少々面倒になりそうな相手だからね」

「何か行動する予定があると?」

 

 警戒を強める雪菜を、何か面白いものを見るかのようにヴァトラーの目が細まる。

 

「こちらとしても無視できない情報が入ってきたものでね。我が第一真祖を殺そうと画策するテロリスト集団、黒死皇派のクリストフ・ガルドシュがこの島にいるという情報なんだけど、流石に無視はできないだろう?」

「まさか、ガルドシュの暗殺を?」

「いやいや、そんな面倒なことはしないさ。こちらとしても、あくまで主目的は魔族特区との国際交流となっているからね」

 

 雪菜の剣幕を軽く流し、運ばれてきたワインを飲みながらヴァトラーは続ける。

 

「でも万が一、テロリストたちがこっちを襲ってきたら反撃しないわけにはいかないだろう? 自衛権の行使ってやつさ。

 ただ、ボクの宿す九体の眷獣はそうなった時に何をしでかすかわからないからね。島を沈めるかもしれないし、先に謝っておこうというわけさ」

「なにを……」

 

 絶句した古城を責めることはできないだろう。既に一度壊滅寸前にまで追い込まれているテログループである黒死皇派、総数にして百人もいないであろうテロリストを滅ぼすため、最悪島を沈めると宣言されたのだ。正気の沙汰ではない。なにより恐ろしいのは、その発言に一切の嘘も冗談も含まれていない点だ。

 

「あまり派手にやると、何が出てくるかわからないからできる限り抑えるつもりではあるけど、それでも街の一区画くらいは簡単に消し飛んでしまうからさ。

 ああ、安心してくれていいよ。万が一そうなった場合はきちんと避難要請を出すつもりだ。間に合うかはわからないけどね」

「せっかくですが、そのお気遣いは無用です。

 アルデアル公。第四真祖の監視役として、私が黒死皇派の残党を確保します。真祖の暗殺を狙う集団を、監視対象へ接触させるわけにはいきませんから」

 

 ヴァトラーの言を切り捨てるように、雪菜が力強く宣言した。一見暴挙を止めるための行動にも見えるが、ある程度の付き合いがある古城にはわかる。半ば意地になっており、思い込みで行動している状態だ。

 どう止めるべきか悩む古城だったが、以外にも雪菜の頑固な状態はすぐに解けることとなった。

 

「ふぅん……君、古城と同じ血の匂いがするね。ボクの眷獣を防いだ雷から察するに、君が〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟の霊媒だったりするのかな?」

「血の匂い? そんなものまでわかるのか!?」

 

 思わず反応した古城は、すぐさま後悔することになった。背後から紗矢華の放つ凄まじい殺気が叩きつけられている。雪菜をまさに目に入れても痛くないだろう彼女が、その血を吸った吸血鬼を前にして冷静でいるはずがない。ここは誤魔化すべきだったと後悔するも、時すでに遅しだ。

 

「少しの鎌かけでここまでわかりやすく反応してくれるとはね。

 でも、君が古城の〝血の伴侶〟候補であるというのなら、君はボクの恋敵ということになるね」

「え? いえ、別にそういう関係というわけでは……」

 

 先程までの張り詰めた空気はどこへやら、雪菜は面白いようにヴァトラーの掌の上で転がされている。

 

「姫柊、別に俺はガルドシュとかの相手をする気は無いぞ。なんでお前が動く必要がある」

「そうよ雪菜! この男と同意見なのは癪に障るけど、雪菜が危険なことをする必要は……」

「先輩たちは黙っていてください!」

 

 思いとどまらせようとする古城と紗矢華の2人を、雪菜は一言で切って伏せた。多少気恥ずかしさを誤魔化すためかもしれないが、その気迫は思わず古城が押し黙るほどだ。一方で、紗矢華は軽い放心状態のまま固まっている。雪菜に黙っていろと言われたのが相当なショックなのだろう。

 

「まあ、別にボクとしては君が黒死皇派を捉えてくれれば、その分手間が省けるってものかな。自分の手で処断できないのは少々残念ではあるが、獅子王機関の剣巫である君の実力を見るのも一興か。

 よし、ではまずは君の実力を見せてもらおうか。ボク自身の目で、君が古城の伴侶として相応しいかどうか、見極めさせてもらうよ」

 

 勝手に決めるなという古城の呟きは、その場にいる全員から無視されることになった。眼前では古い吸血鬼と真祖を滅ぼしかねない槍を振るう剣巫が睨み合い、後ろからは放心状態から回復したのか、未知の力を持つ舞威媛が今にも襲い掛からんという目つきで背を睨んでくる。

 

「……勘弁してくれ」

 

 実に精神的に優しくない空間で、思わず古城の口から弱音が漏れた。

 

 

 

 夜の港で美しく船体を照らされている〝オシアナス・グレイヴ〟から、直線距離にして数キロ地点のビジネス街。林立するビルの1つ、その屋上。バビル2世とそのしもべロデムは、通信機から聞こえてくる会話を分析していた。

 

「機材を仕込んでおいて正解だったな。ロデム、この手の行動でお前の右に出る者はいない」

「ありがとうございます、ご主人様」

 

 ロデムの不定形という特性を利用し、伏せている間に腹から盗聴器をカーペットに埋め込んだのだ。どの程度の情報が得られるかは未知数だったが、行動に対して十分な対価を手に入れていた。

 

「まあ、あの吸血鬼もこの程度の行動は予想しているだろうし、盗聴器にも気が付いているだろう。あくまで参考程度に留めるぞ」

「わかりました。すでに塔のコンピューターへと情報は送信していますので、すぐにでも分析結果が出るでしょう」

「よし、それは明日南宮攻魔官との情報共有時に使おう。そろそろ撤収だ」

「はい、バビル2世様」

 

 黒豹と青年の会議は終わり、即座に機材は焼き尽くされた。鉄をも溶かす高温を放ったバビル2世はそれを気にした様子もなく、黒豹に跨ると共にビルの影へと消えていった。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 アヴローラ
 先代の第四真祖。古城に力を譲渡したという事実以外は、謎に包まれている。

 施設・組織

 夜の帝国 ドミニオン
 吸血鬼の真祖が統治する帝国の総称。
 意外なことに、住民の中には魔族ではない純粋な人間も多く、統治機構もそれぞれの真祖によって違うためけっこうな多様性がある。

 滅びの王朝
 第二真祖が統治する夜の帝国。
 中東に存在する。

 黒死皇派 こくしこうは
 差別的な獣人優位主義者たちの集団。
 第一真祖から戦王領域の支配権を奪うために活動していたが、ディミトリエ・ヴァトラーに指導者を暗殺され、組織力は著しく弱体化している。

 種族・分類

 血の伴侶 ちのはんりょ
 吸血鬼が共に歩むことを願い、自らの血を分け与えた異性を指す。
 婚約相手がイメージに近く、血を与えた吸血鬼が死なない限り寿命で死ぬことがなくなる。

 バビル2世 用語集

 人物

 ヨミ
 かつて世界を支配するために、帝国とも呼べる組織を造り上げた強力な超能力者。
 バビル2世と敵対し、幾度も争ったが4度目の敗北でついにその野望の火を消すこととなった。
 敵対者に対して容赦はしないが、部下には寛大に接しその能力を最大限引き出すことに長けていた。

 種族・分類

 ポセイドン
 バビル2世のしもべが1体。
 海中を自在に移動し、堅牢な装甲と比類なきパワーで敵の守りを突き崩すしもべの中でも最強の存在。
 海神の名を冠してはいるが、人型であるため陸上でも活動可能。

 ロデム
 バビル2世のしもべが1体。
 主に黒豹の形をとる不定形生命体。
 人ごみに紛れる際には、人間に擬態して主に同行することも可能。戦闘力こそ低いが、狭い場所でも十全に戦闘を行い、知能も高いため側近の名にふさわしい能力を持っている。

 ロプロス
 バビル2世のしもべが1体。
 金属でできた巨大な鳥の姿をしており、その飛翔能力から主にバビル2世の移動手段として重宝されている。
 ポセイドンほどではないもののこちらも堅牢な装甲を持っており、対空砲やミサイル程度では傷一つつけることはできない。

 用語

 発火能力 パイロキネシス
 バビル2世の超能力の1つ。
 身体から炎を発する単純な能力だが、その威力は同系統の発火能力者を抵抗すら許さず焼き殺すほどの火力を誇る。

 バベルの塔
 バビル2世の居城であり、砂漠に聳える。
 様々な防衛装置により、難攻不落の要塞としての一面を持つ。


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4話 執務室にて

 ヴァトラー、そしてバビル2世と船上での会談があった翌日、古城と雪菜は自身が通う彩海学園の職員室棟校舎、その最上階にいた。学園に似つかわしくない重厚な木製扉が、2人の眼前に立ち塞がっている。

 

「なあ、那月ちゃんの執務室ってここで合ってるんだよな?」

「ええ、そのはずですが……」

「なんで学園長室よりも上の階にあるんだ?」

「さ、さあ?」

 

 見ればただの扉ではなく、表面に彫刻の施された高級感漂う逸品だ。正直な所、学園長室の扉よりも遥かに価値がありそうである。

 気を取り直し、古城が先に扉を開ける。

 

「那月ちゃん、悪いんだけどちょっと聞きたいことが……」

 

 扉を潜った古城の頭部に、不可視の衝撃が叩き込まれた。

 

「先輩!?」

 

 声も上げられず転倒した古城に、慌てて雪菜が駆け寄る。

 

「南宮先生、流石に生徒に対して魔術行使はどうかと思いますよ」

「あれは言っても聞かない獣の類だからな。躾けは大切だぞ、山野攻魔官」

「学園では用務員と呼んでください。下手に聞かれると面倒だ」

 

 学生2人をよそに、呑気な会話が聞こえてくる。聞き覚えのある声に古城が顔を上げ、雪菜と同時に驚いた声を出した。

 

「浩一さん、なんで那月ちゃんの部屋に!?」

「浩一さん、どうしてここにいるんですか!?」

 

 獅子王機関の先達である浩一が、何故か那月の執務室でくつろいでいる。那月と獅子王機関とは商売敵の間柄であり、あまり快く思っていないはずなのだが。

 

「なんだ、こいつがここにいるのがそんなに不思議か?

 こいつの所属は厳密には獅子王機関ではないからな、そこまで警戒する必要が無いだけだ。そもそも、こいつが獅子王機関に出向する前からの知り合いでもある」

 

 那月の思わぬ一言に、古城と雪菜は衝撃を受けた。横でただ微笑む浩一の反応からしても、嘘や冗談ではないようだ。かの勇名を誇る空隙の魔女と繋がりを持つ浩一に驚くべきか、獅子王機関において客員にも拘らず先達の地位を送られるほどの猛者と知り合う那月を恐れるべきか、悩ましい所である。

 古城はその2択を頭を振るって追い払い、改めて教師2人と向き合った。

 

「なつ……南宮先生。教えて欲しいことがあるんだ」

 

 真剣そのものの古城に対し、那月はどこか面白がっている。

 

「なんだ。中等部の転校生をつれてきたことろを見ると、子供のつくり方でも訊きに来たか?」

「んなわけあるか!」

 

 古城が反射的に否定すると、那月はつまらなそうに扇子をいじり始めた。

 

「南宮先生、このご時世だとセクハラで問題になりますよ」

「相変わらず堅いな。まったく堅苦しい世の中になったものだ」

「まったく……で、古城君。質問はなんだい?」

 

 見かねた浩一が那月をなだめ、会話を促した。

 

「ありがとう浩一さん。

 改めて南宮先生、クリストフ・ガルドシュって男を探してるんだ。何か手がかりがあったら教えて欲しい」

「お前、どこでその名を聞いた?」

 

 那月が真剣な目で古城を射抜く。普段の、どこか見守るような目ではない。国家攻魔官、欧州で恐れられた、空隙(くうげき)魔女(まじょ)の目だ。

 

「昨日、ディミトリエ・ヴァトラーから聞いたんだよ。知ってるだろ? 今馬鹿みたいにでかいクルーズ船で来てる、戦王領域の貴族。この島にそのガルドシュとかいうやつがいるって聞いたのが、訪問の目的の1つとか言ってた」

 

 古城の話が進むにつれ、那月の表情が段々と険しくなっていく。

 

「あの蛇使いめ、余計な事をしてくれたものだな」

 

 那月の悪態から、古城は確信を強めた。那月は目的の獣人について何か知っている。

 

「知ってるんだな、クリストフ・ガルドシュについて。多分、この島に潜伏しているって言うのも前から知ってたんだろ。ひょっとしたら、そのアジトも」

「ああ、お前たちが何を持ってあの獣人を追っているかは知らんが、聞いてどうするつもりだ?」

 

 どこかけだるげな那月の問いに、雪菜が答えた。

 

「居場所を突き止め、アルデアル公と接触する前に捕まえます」

 

 その一言で、那月は大体の事情を察したようだ。万が一ヴァトラーとガルドシュが率いる黒死皇派の残党が戦闘をした場合、周囲の被害は甚大なものとなる事は想像に難くない。ヴァトラーは嬉々として眷獣を開放するだろうし、テロリストが周囲の被害を気にするとは思えない。最悪の場合、昨晩ヴァトラーが予告した通り余波で島が沈みかねない。

 その惨劇を事前に阻止しようとする雪菜の決意は固く、その意気込みが表情に出ている。

 だが、対する那月の返答はそっけないものだった。

 

「やめておけ、時間の無駄だ。

 ああアスタルテ、私に新しい紅茶を頼む。ついでに無駄足を踏んだ哀れな若人にも適当になにか出してやれ」

命令受諾(アクセプト)

 

 特徴的な声に、2人が揃って振り向いた。左右対称の人形めいた顔に、特徴的な青い髪。眷獣をその身に宿した人工生命体(ホムンクルス)の少女が、エプロンドレスに身を包んでいた。

 

「アスタルテ、どうしてここに!?」

 

 叫ぶ古城とは対照的に、雪菜は声も出せないほど驚いている。

 

「そういえばお前たちは顔見知りだったな。オイスタッハに使役されていたこいつは保護観察処分となったんだが、そこを私が身元引受人となったわけだ。丁度メイドの1人も欲しいと思っていたしな」

「明らかに最後の1言がメインだろ、恰好から見ても」

 

 古城は胡乱な目で那月を見るが、見られている本人はどこ吹く風である。視界の端で細々と動くアスタルテも、どこか満足そうにしている以上、あまり悪いようにはなっていないようだ。

 

「ところで、先程のガルドシュを捕まえようとするのが、時間の無駄とはどういう意味ですか?」

 

 雪菜が、気を取りなおして先程の言葉の意味を問う。それに答えたのは、意外なことに騒ぎを微笑ましげに見守っていた浩一だった。

 

「言い方に語弊があったね。正確には動く必要がないんだ。

 既にこの島の警備隊が動いているし、潜入場所の候補地も絞りきっている。今日明日にでも、特区警備隊(アイランド・ガード)が動いて事態は収まるはずだよ」

「でも、黒死皇派の彼岸は第一真祖の抹殺と聞いています。それを実現するだけの何かを求めてこの島へ来たのではないのですか?」

「ああ、それもわかっているから問題ないんだ。彼らの目的は島に運び込まれた古代兵器ナラクヴェーラだからね」

「ナラクヴェーラ、ですか?」

 

 聞きなれない名前に、雪菜は思わず聞き返した。その様子に微笑みながら、浩一は説明を続行する。

 

「そう、神々の兵器と呼ばれている先文明の遺産だ。かつて数多の都市や文明を滅ぼしたと言われている」

「なんでそんな物騒な代物が、この島に運ばれてるんだよ!」

「研究目的というのが表向きの理由だね。すでに強奪された後だったけど」

 

 古城のツッコミに対し、浩一は冷静に反応する。話している内容は、もっと真面目な空気で進めるべき内容だが。

 

「まあ、所詮は遺跡から発掘された骨董品だ。まともに動くとは思えんし、そもそも動かしたところでまともに制御できないだろう?」

「しかし、その制御する方法を見つけたからこそ黒死皇派は島に潜伏しているのではないですか?」

 

 雪菜の質問に、説明を引き継いだ那月が蔑むように言い放つ。

 

「ほう、流石にカンが効くな。たしかに最近発見された制御法が書かれた粘土板が、ナラクヴェーラと共に強奪されでいる」

「では、その制御法を解読されたら……」

「専門家ですら失われた古代文明の文字を解読することが一苦労なのに、知恵の足りんテロリスト風情がその説明を解読できると思うか? そもそも世界中の言語学者や研究機関が寄ってたかって研究しても、解読の糸口すら見つからない代物だ。素人集団に何ができる」

 

 押し黙る雪菜に、那月はさらに続けた。

 

「解読の協力をしていた研究員はすでに捕獲しているし、残党共の隠れ家もそう長く隠し続けることはできないさ。この島に馬鹿でかい骨董品を抱えたまま潜伏できる場所はほとんどないからな。特区警備隊(アイランド・ガード)も面子がかかっている。下手をすれば今日の夜までに片が付くだろう。お前たちは、せいぜい自棄になった獣人共の自爆テロにでも気を付けておけ。

 それよりもだ古城。」

 

 急に雰囲気を変えた那月が、古城と向き合った。真剣な目つきに、古城も思わず居住まいを正す。

 

「お前はディミトリエ・ヴァトラーに警戒をしろ。やつは自分よりも格上の世代〝長老(ワイズマン)〟――真祖に次ぐ第二世代の吸血鬼を、これまでに2人も喰っている。ただの戦闘狂では説明がつかない、奴の不可解な戦果だ」

「吸血鬼を、喰ったのか? あいつがか!?」

 

 古城が息を呑む。雪菜も、流石に驚愕の表情を浮かべている。

 

「ディミトリエ・ヴァトラーが〝真祖に最も近い存在〟と呼ばれている所以だ。精々お前も喰われないように気を付けるんだな。

 同時ではないとはいえ、格上の世代2人を喰って取り込んだ化け物だ。本来であれば起こり得る、喰った相手に上書きされる現象すらも起こさずに自分の力としている。喰い返しが起きていない以上、真祖が喰われない、喰っても内側から喰い返せる保証などどこにも無いのだからな。

 話は以上だ。アスタルテが出した茶を飲んだらとっとと教室に戻るんだな。そろそろ予冷が鳴るぞ」

 

 那月は不敵な笑みを浮かべ、窓の外を眺めはじめる。既に話すことは無いという意思表示だろう。

 話の途中で運ばれたのか、よく冷えた麦茶が学生たちの前に置かれていたが、2人ともとてもそれを飲む気分ではなかった。

 

 

 

 古城と雪菜が執務室から去ると、那月が扇子を軽く振る。扉に刻まれた魔術文様が反応し、部屋の内部が魔術的密室となった。生半可な方法では内部の音は拾えないし、硝子越しでも観察は難しくなる。これを刻むためにわざわざ欧州から古木を取り寄せたのだから、彼女が権力をいかに活用しているかが窺える。

 

「で、なにか申し開きはあるかバビル2世。私はヴァトラーが来ていたとは聞いていたが、古城と接触したとは報告を受けていないぞ?」

 

 不敵に笑う那月だが、ある程度の付き合いがある者が見れば即座に平謝りするだろう。内部に怒りを溜め、いつ噴火するのかわからない状況だ。

 

「ああ、それを報告するためにここに来たんですが、話を始める前に彼らが来たので話ができなかったんです」

 

 その怒れる那月に対し、平然と言葉を返すバビル2世も並大抵の肝っ玉ではない。いつの間にか顔が浩一からバビル2世のものとなっており、服も用務員服が溶け落ちるように執務室の床へと消え、その下から詰襟の戦闘服が現れる。

 

「相変わらず、ロデムの変身能力は驚くな。服に変身しておけば万が一の時も即座に護衛に回れるということか」

 

 那月の言葉に応えるように、床から黒豹の姿をとったロデムが出現した。那月を警戒するわけでもなく、床に腹ばいになる。

 

「この方法を考えてから、不意打ちや強襲では不可欠になりました。

 さて、昨日ヴァトラーの船で手に入れた情報です」

 

アンティークの執務机に、資料が無造作に置かれた。仕入れた情報、船内の地図、ヴァトラーや古城の言動が事細かに記されている。

那月は一通り目を通し、感心したように纏めた資料で手を叩いた。

 

「流石はバビル2世だ。よく調べてある。

 ところでだ、資料では私たちがあの研究員を捉える前にはヴァトラーの蛇使いから招待状が送られたとあるな」

「ええ、学校の用務員室に獅子王機関の式神が届けに来ましてね。その後ロプロスから異常事態があると報告を受けて隠蔽工作のために現場に向かったんです。それがなにか?」

 

 疑問を呈するバビル2世に対し、那月は不満げな表情を浮かべる。

 

「そこは相談するのが筋というものだろう。古城……第四真祖をあのディミトリエ・ヴァトラーが呼び出していると知っていれば、対策を考えた」

「研究員捕縛後に伝えようとしたんですが、あまりに不機嫌そうだったので言い出せなくて」

 

 ほとんど悪びれていないバビル2世に、那月も諦めたようだ。ため息を1つ吐き、冷めてしまった紅茶をすする。

 

「まったく、報・連・相はきちんとしてほしいものだな。ヴァトラーとお前がぶつかれば、必然的に眷獣としもべもぶつかることになるだろう。蛇使いも並大抵の相手ではないからな、絃神島が沈んでもおかしくないんだということをわかっているのか?」

「たしかに、国からストッパーとして指名されている南宮攻魔官を連れずに行動するのはまずかったですね。次は伝えますよ」

 

 さすがに思う所があるのか、バビル2世に反省の色が見える。それを見た那月は邪悪な笑みを浮かべ、バビル2世は嫌な予感を感じ取った。

 

「そうだな、では反省の証として……なんだ!?」

 

 突如、学園全体を莫大な魔力を伴った高周波と轟音が襲った。那月の発動した魔術すら簡単に引き裂いたそれは学園中でほとんどの硝子を粉砕し、発生源付近に至ってはコンクリートに亀裂すら発生している。

 

「屋上で異変があったようです。ぼくが向かいますので、南宮攻魔官は何かがあった場合に備えてください」

 

 すでに浩一へと顔を変え、ロデムが変化した作業服を身に纏ったバビル2世が扉を蹴破る勢いで開き、それだけを言い残すと廊下へと消えていった。那月がふと横を見ると、粉砕された硝子は全てが床のある線から内側へは飛び散っていなかった。

 

「あいつの念動力(テレキネシス)か。相変わらず器用な奴だ」

 

 那月はどこか満足そうな表情を浮かべ、アスタルテに掃除の指示を出す。

 

命令受諾(アクセプト)

 

 アスタルテは黙々と掃除を行い。ガラス片を全て片付ける。

 数分後、集まったガラス片を空間制御魔術で廃棄所へ飛ばすという魔術の無駄遣いを披露した那月は、この騒ぎで発生したかもしれない生徒のため、アスタルテを保健室へと飛ばした。

 

「さて、バビルへの貸しを作る機会を逃したこの騒ぎ……起こした馬鹿にはどんな仕置きをくれてやろうか」

 

 彼女が発した怒気を含む独り言を聞いた人間がいなかったことは、数少ない幸運といえるかもしれない。



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5話 保健室での遭遇

 2020/3/10 用語集追加


 学園全体に広がる破壊痕から中心地点を浩一が割り出したのとほとんど同時に、遥か上空に待機しているロプロスからの通信が入った。耳につけた無線機を操作し、ロプロスの情報を受け取った浩一の顔が一瞬で表情を無くす。動きを止めることなく、ロプロスからの情報を元に破壊の中心点であった屋上に向かうと、そこではすでに人払いの結界が貼られていた。

 浩一が結界内に足を踏み入れると、そこには何故か正座した古城と紗矢華が並んでいた。2人の前には仁王立ちする雪菜の姿がある。背後になるため表情を伺うことはできないが、槍を持ち怒りのオーラを撒き散らしているのだから、おおよそ察しはつくだろう。

 どこか間の抜けた空気に、浩一から怒りが抜けていく。しかし気を取り直し、即座に表情を切り替えた。

 

「姫柊、状況の説明を」

 

 不意にかかった声に対し、雪菜が振り向いて槍を構えるが、すぐさま戦闘態勢を解いた。怒りの表情を消し、獅子王機関の剣巫に相応しい表情を浮かべている。

 

「はい。剣巫姫柊雪菜、報告します」

 

 引き締まった表情で話を聞く浩一だったが、あまりの内容に頭を抱えたくなった。敵対状態ではない魔族、それも第四真祖に攻撃を仕掛け、負傷させたことにより眷獣の暴走を誘発した結果がこの惨状だ。しかも、暴走時に付近の学生一人が巻き込まれている。

 

「獅子王機関舞威媛、煌坂紗矢華だな。獅子王機関客員先達たる山野浩一が命じる。状況の釈明をせよ。十分な釈明が得られない場合、相応の処罰があることを覚悟せよ」

 

 先程雪菜が発していた怒気など及びもつかない重圧が、浩一から発せられた。紗矢華と雪菜の事情は把握しているものの、今回の被害はそれで帳消しにできる範囲を遥かに超えている。巻き込まれた生徒が人の形を保っているのも偶然が重なった結果に過ぎない。それがわかっているからこそ、この場の誰も声を挙げられなかった。

 古城は重圧の中雪菜の言っていた意味を改めて理解した。先達、ただの教導ではないある種の精鋭として、客員にもかかわらず選ばれた意味を。

 

「姫柊、あの生徒を保健室へ。僕も同行する。

 煌坂はこの場で待機しろ。屋上の修復及び隠蔽工作はこちらが受け持つので必要ない」

「では、先輩と紗矢華さんは〝雪霞狼〟をお願いします。くれぐれも変に移動して騒ぎにならないでくださいね?」

 

 雪菜は小言と共に格納状態の〝雪霞狼〟を紗矢華へ手渡す。収納用のギターケースを置いてきてしまったようで、流石にこれを剥き出しのまま校内は歩けないだろう。そのまま倒れていた生徒――古城にナラクヴェーラの情報収集を頼まれ、共に行動していた藍羽浅葱――を抱え、浩一と共に屋上から立ち去った。

 少しすると古城の耳に聞きなれた妹の声が響き、すぐに再びの沈黙が訪れた。

 

「なあ、なんで俺まで屋上で待機なんだ?」

 

 日差しの強い絃神島の日差しは本日も絶好調であり、吸血鬼である古城には些か辛いものがある。現在意気消沈の紗矢華が反応してくれるはずもなく、古城は黙って体を日にあぶられ続けた。

 

 

 

 浅葱を保健室に運ぶ途中、突然いなくなった雪菜を探していた凪沙と合流した浩一たちは、保健室で何故かエプロンドレスのままであるアスタルテに遭遇していた。困惑する一同をよそに、元は医療メーカーに製造されたアスタルテは、植えつけられた知識を活用した診断を終えていた。

 

診察を終了しました(メディカルチェック・コンプリート)。衝撃波、及び急激な気圧変動にさらされたことによる軽いショック症状と推定されます。後遺症の心配はありませんが、本日中の安静を推奨します」

 

 無感情な声で告げられる診断内容に、保健室内の空気が和らいだ。雪菜の強張った頬にも血の気が戻り、ホッと安堵の息を吐いている。

 その背に半分隠れて凪沙があたふたと慌てていた。

 

「ゆ、雪菜ちゃん雪菜ちゃん。メイドさんだよメイドさん。本物のメイドさんて初めて見たよ。なんで保健室にいるのかな。白衣の新型モデルなの? それともそういうサービスなのかな? あんまり驚いてないみたいだけど、雪菜ちゃんの知り合いなの?」

 

 興奮してまくし立てる凪沙と、それに圧倒される雪菜。視線で助けを求められた浩一は、苦笑しながら救いの手を差し伸べた。

 

「彼女は南宮教官が個人的に雇っているメイドです。少し落ち着いた方がいいですよ」

「山野用務員の言うとおりだ。暁凪沙」

 

 浩一の話に反応したかのようなタイミングで、那月が保健室へ入ってきた。凪沙は目を丸くし、行儀よく一礼した。

 

「南宮先生、いつもお兄ちゃんがお世話になってます! その服可愛いですね!」

「ふむ、お前は兄と違って礼儀をわきまえているな」

 

 こころなしか嬉しそうな那月の声。普段ふてぶてしく唯我独尊の攻魔官である彼女も、服を褒められると嬉しいようだ。

 

「で、このありさまはお前たちの管理不行き届きということであっているか?」

 

 ベッドで眠る浅葱を一瞥し、笑顔のまま獅子王機関の2人に対して詰問が始まった。

 

「はい、すみません」

「警戒を厳にするべきでした」

 

 2人は何の言い訳もせず、黙って頭を下げた。那月はつまらなさそうに鼻を鳴らす。

 

「なら後始末は任せるぞ。本来であれば私があのアホを直々にしばくところだが、急の用事ができたのでな」

「……黒死皇派のアジトが判明したんですか?」

 

 何の話かわかっていない凪沙を雪菜に任せ、浩一は那月と話を進める。

 

「ああ、建設途中の増設人工島(サブフロート)に潜んでいたらしい。私がいない間、学園の方を頼んだぞ」

「わかりました。大丈夫だとは思いますが、気をつけてください」

「アスタルテは置いていく。看護なら十分に役立つだろう」

 

 話が終わると、那月はすぐに保健室を出ていった。一応雪菜と情報の共有をし、一同が人心地ついたところで不意に浅葱が目を覚ました。

 

「あれ……保健室?」

 

 頭を押さえながら起きあがる浅葱を、浩一が制した。

 

「まちなさい、頭を打ったかもしれないのだから起き上がらない方がいい。アスタルテ、念のため診断を」

命令受諾(アクセプト)

 

 アスタルテの簡単な診察で問題なしと診断された浅葱は、慌てる凪沙の襲撃を受けた。

 

「大丈夫浅葱ちゃん! あたしのことわかる? この指何本に見える? 痛いところはない? 意識ははっきりしてる?」

「お、起き抜けにその質問攻めは厳しいわね。ちょっと落ち着いて」

 

 表情を引きつらせた浅葱が凪沙を引きはがし、軽く深呼吸をして頭をリフレッシュする。

 

「大丈夫かい? 屋上の配管が破裂して、近くにいた君が倒れたと聞いている」

「え、えーと……最近赴任した用務員の山野浩一さん?

 そういえば、なんか耳がキーンってなったような」

 

 不快な耳鳴りを思い出したのか、浅葱の眉間に皺が寄る。反射的に謝りかけた雪菜は、浩一に制された。

 

「けっこうな衝撃だったみたいで、学校の硝子はほとんど割れてしまったよ。屋上はもっと酷くて当面の間立ち入り禁止だ。近距離にいたのにほとんど無傷で済んだ君は運がよかったね」

 

 浩一の説明を聞いていた浅葱は少しぼんやりと考えこんだ後、保健室を見渡した。

 

「あれ、古城は?」

「どうかしたのかい?」

「えっと、気絶する前に屋上で古城……知り合いの男子生徒を見た気がして。傍に剣を持った怪しい女が居たような……」

 

 浩一は天を仰ぎたくなった。一般人に〝六式重装降魔弓(デア・フライシュッツ)〟を見られ、その後記憶処理を行っていないとは予想していなかったのだ。時間が経つほど記憶処理は難しく、違和感を覚えやすくなる。どうしたものかと悩んでいる間に、浅葱と雪菜との間で会話が進行していく。

 

「姫柊さんだっけ。前から気になってたんだけどさ、あなた古城とどういう関係なわけ? いつも2人でこそこそしてるけど、なにを知ってるの?」

「それは……すみません、私が答えるのは少し……」

「そう、じゃあいいわ。古城に直接聞くから」

 

 起き上がろうとする浅葱に、それを止めようとする雪菜。2人を落ち着かせるために間に入ろうとした浩一を、アスタルテが止めた。

 

「アスタルテ、何か?」

警告(ウォーニン)。校内に侵入者を感知しました」

 

 小声で浩一にだけ伝える判断は、おそらく那月から言い含められていたのだろう。それを聞く浩一は、表情を用務員から攻魔官のそれへと既に切り替えている。

 

「総数は3名。速度から、未登録魔族だと推定されます。予想目的地は現在地、彩海学園保健室です」

 

浩一は即座に判断を下した。

 

「姫柊、現在地点へ未登録魔族が向かっている。今すぐ暁凪沙を連れて屋上へ退避しろ! 不用意に動かせない藍羽浅葱は私とアスタルテが担当する!」

「え、あ、わかりました!」

 

 普段とは違う声音から冗談ごとではないと判断し、雪菜は状況が呑み込めていない凪沙をひっぱり保健室から脱出した。アスタルテは浅葱を抱え、入口から最も遠いベッドへ移動させる。浩一は、自らの聴力で侵入者との距離を正確に測っていた。今はバビル2世では無く山野浩一として活動しているため、過適応能力者(ハイパーアダプター)としての力は使えない。同じ空間にいるのが正体を知っているアスタルテだけならば問題は無かったが、何も知らない藍羽浅葱がいるのだ。先達を任されるまでに練り上げた、体術のみを使って場を乗り切るしかない。

 浩一の考えがまとまったとほぼ同時に、保健室の扉が勢いよく開かれた。入ってきたのは、戦闘態勢に体を変化させた黒い獣人である。

 

「獣人か」

 

 獣人は浩一の呟きを無視し、浅葱をその目に捉えると笑みを深めた。発達した犬歯が強調され、まるで獲物を前にした獣のようである。いや、首から上は獣そのものではあるのだが。

 

「見つけたか、グリゴーレ」

 

 もう1人の獣人を引きつれ、初老の男性が保健室に入ってきた。人間形態のままにも拘らず、凄まじい重圧感を放つ初老の男性だ。

 

「見つけましたよ少佐。人形と人間がいましたが、話では人間の少女と聞いているんでね。奥のベッドの上にいるのがターゲットでしょう」

 

 初老の男性は表情を和らげた。余計な手間が省けたと言わんばかりだ。

 

「これは都合がいい。最初からわかっているならば、人質と区別して運べるな。

ああ、人形とそこの男性は抵抗しないで頂けるとありがたい。ついてきてはいただくが、そこの女帝が抵抗をしなければ手荒な真似はしないと誓おう」

 

 何も安心できない台詞とともに、3人の獣人が距離を詰める。浩一は対抗しようとするが、それよりも先にアスタルテが行動した。

 

「人工生命保護条例・特例第二項に基づき自衛権を発動。実行せよ(エクスキュート)、〝薔薇の(ロドダク)――」

 

 自身の使命である生徒の保護を目的とし、身に宿す眷獣を開放しようとするも、初老の獣人に染みついた反射行動の方がさらに早かった。一切の意志を介さぬ動きで拳銃を抜き放ち、瞬きの間に6発の弾丸をアスタルテの身体に撃ち込んだのだ。

 

「アスタルテ!」

 

 浩一の絶叫に、獣人たちは煩わしげに顔をしかめる。

 

「少佐殿?」

「この人形から妙な魔力の流れを感じたのでな。護身具でも埋め込んでいたのか?」

 

 訝しげに会話を交わす獣人達と、突然の凶行に言葉も出ない浅葱。その両方を無視して、浩一は身を震わせる。

 もしも銃弾が浩一に向けて撃たれたのであれば反応ができただろう。殺気が込められていれば、アスタルテを突き飛ばすなりで対処ができた。初老の獣人が身につけた、本人ですら撃ってから気が付くほどの本能的行動だったからこそ、獣人たちはこの場におけるトップクラスの障害を排除することに成功した。

 

「貴様ら、人を撃っておいて言う事はそれだけか?」

 

 しかし同時に、この世界で有数の障害を本気にさせてしまった。

 浩一、バビル2世の脳裏に1つの光景がフラッシュバックする。自分が某国の特殊機関から101と呼ばれていた時期、潜伏していたアパートで隣だった、彼になついていたというだけの理由で1人の少女が命を散らした。人形に仕込まれた爆薬で跡形もなく吹き飛んだはずの少女と、血みどろで倒れるアスタルテの姿が彼の脳内で重なり、当時の怒りを噴出させたのだ。

 

人工生命体(ホムンクルス)を人形呼ばわりし、あげくためらいなく撃つとは……」

 

 怒りに身を震わせる浩一に、グリゴーレと呼ばれた獣人が近づいた。元々黒死皇派は差別的な獣人優位主義者達であり、たかが人間が怒った程度で獣人を相手にどうこうできるとは思いもしないのである。

 今回は、その思い上がりが運命を決定した。

 

「このくず野郎!」

 

 怒りのあまり浩一の顔を維持すらしなくなったバビル2世の鉄拳が、油断しきっていたグリゴーレの腹部を捉えた。何の抵抗も無く食らった獣人は紙切れのように吹き飛び、保健室の扉を突き破って廊下の壁に叩きつけられる。

 

「その腕力、赤い髪、光る瞳……さては貴様、バビル2世!」

 

 初老の獣人がいち早くバビル2世の正体に行き付き、瞬時に戦闘形態に入る。同時にもう1人の獣人も戦闘形態に身を変え、相手の出方を伺い始めた。

 殺気と闘気がぶつかり合い、バビル2世の怒りで暴走しかけている念動力(テレキネシス)が保健室を軋ませはじめた。

 

「貴様らが何者かは後で聞こう。無事にこの学園から出られると思うなよ」

 

 宣言と同時に、空のベッドが弾かれたように浮き上がった。勢いのまま獣人達を押し潰さんと迫るが、殴られた衝撃から回復したグリゴーレが力任せに粉砕する。

 

「よくもやってくれたな、過適応能力者(ハイパーアダプター)ふぜいが!」

 

 怒りに燃えるグリゴーレの叫びが、保健室に轟いた。

 

「ふぜいか。どの程度の力か、改めて思い知れ!」

 

 負けじとバビル2世の怒号が響く。

 その光景を余さずに見る浅葱は、ただベッドの上で震える事しかできなかった。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 暁凪沙 あかつき-なぎさ
 暁古城の妹。
 気に入った相手には過度なまでに距離の近い話し方をし、マシンガントークで相手を困惑させることが多い。
 治療のために魔族特区で生活しているが、魔族恐怖症であり近距離で魔族を認識すると恐慌状態に陥る。

 グリゴーレ
 黒死皇派の副官的立ち位置にいる獣人。
 地位にふさわしくよく訓練された戦士だが、獣人優位の思想から相手を見下す傾向があり、結果的に隙を突かれることがある。

 種族・分類

 六式重装降魔弓 デア・フライシュッツ
 煌坂紗矢華の主武装である、煌華麟の正式名称。
 扱いが難しかったため、正式生産は見送られた不運な兵器だが、使いこなせる者が持った場合恐ろしい制圧兵器と化す。

 バビル2世 用語集

 人物

 101
 某国の諜報機関がバビル2世に与えた、彼を指し示す識別コード。
 バビル2世の血を輸血すると対象の治癒力が上がるのだが、一定量を超えて輸血した場合バビル2世と同質の能力が発現する。これを知った諜報機関がバビル2世を騙して超能力工作員を量産するも、バビル2世がそのたくらみを知り逃亡、全工作員を抹殺した。

 少女
 本名はキャシー。
 上記の逃亡中、潜伏したバビル2世のアパートが隣だったためバビル2世になついた少女。
 バビル2世をおびき出すために誘拐され、お気に入りの人形に爆弾を仕込まれる。
 引き渡しの際にバビル2世は爆弾に気がつき取り上げようとするも、事実を知らないキャシーは抵抗し、起動した爆弾によって死亡する。
 高威力のためか遺体すら残さず爆死したキャシーを見たバビル2世は珍しく怒りを露わにし、隠れて観察していた工作員は恐怖のあまり逃亡、後に仲間からも裏切られバビル2世の手により抹殺された。


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6話 想定外の再会

 時は僅かに遡り、屋上で待機する古城と紗矢華へと視点は移る。

 雪菜に叱られ、浩一から怒りを向けられた紗矢華は沈んでいた。それはもう盛大に落ち込んでいた。傍にいる古城が声をかけることにためらうほどに。

 しかし、このまま沈黙が続くことに耐えられなくなった古城は意を決した。正直炎天下にも拘らず、紗矢華の纏う闇が湿度を感じそうなほどに濃くなってきたのが怖くなったという理由もある。

 

「な、なあ。紗矢華、だっけ?」

 

 恐る恐る声をかけるも、反応無し。心が折れそうになるが、諦めず続ける。

 

「お、俺はもう気にしてないからさ。浩一さんにも掛け合うから、そう落ち込むなって」

「………………」

 

 結果は変わらない。どうしたものかと思考を巡らせ、1つ思い当たる話題があった。

 

「そういえば姫柊と親しげだったけど、けっこう長い付き合いなのか? 姉妹みたいに見えた」

「長いなんてもんじゃないわ!」

「うおっ!」

 

 紗矢華がいきなり復活した。思わず飛びのく古城を後目に、勢いよく立ち上がった紗矢華はまるでミュージカルのように手足を動かす。

 

「私と雪菜は7歳のころから獅子王機関で一緒に育ったのよ。いつも一緒に行動したし、同じ師匠の元で修業を積んだわ。当然今もだけど、あの頃の雪菜も本当にかわいくて、まるで天使と一緒に居るみたいだったのよ!初めて式神の扱いに成功した時なんて、2人で大はしゃぎして……」

 

 水を得た魚のようにいきいきと紗矢華はエピソードを語る。先程までの反動なのか、少し不安になるほどの勢いだ。軽く引いている古城はまるで目に入っていない様子で、とてもうれしそうに話を続ける。

 

「…………で、その時に撮った写真がこれなの!」

 

 宝物を自慢する子供さながらの表情で、携帯電話に保存された写真を古城めがけて突き出した。移っているのは7歳ほどの2人の少女だ。寒々しい冬景色を背景に、裸足の少女たちは堅く手を握って寄り添っている。2人だけで他の全てと対峙するように。面影から、幼い頃の雪菜と紗矢華であると古城はすぐに理解した。

 

「ふーん、たしかに可愛いな」

「でしょう!? ほかにもこんな写真もあって……」

「いや、姫柊も可愛いけど、お前もこのころから美人だったんだなってさ」

「はぁっ!?」

 

 不意に褒められた紗矢華は、思わず操作していた携帯電話を取り落した。顔を真っ赤に染め狼狽えている。

 

「え、あ、き、急に何言って……」

 

 古城としては、その反応が理解できなかった。事実を言ったまでであるし、嫌っている相手から褒められても大した反応はしないと踏んでいたのだ。

 想定外にうろたえる紗矢華は一旦置いておき、取り落とした携帯電話を先に拾う。画面に映る写真は、どうやら修業後の休憩シーンのようだ。

 

「ん? おい煌坂、ちょっといいか?」

 

 ふと顔を上げると、紗矢華は何故か剣の収納ケースに手をかけていた。

 

「なにしてるんだ? まさかさっきけっこう真剣に説教されてたのをもう忘れたんじゃ」

「わ、忘れてないわよ! で、なによ?」

「ほんとか? まあいいや。これなんだけど」

 

 古城が見ていた写真には、休憩する雪菜と紗矢華。そしてその少し奥でお茶を飲む浩一が映っていた。

 

「それがどうかしたの? まさか、汗に濡れる雪菜を見て欲情したとか」

「しねーよどんだけ想像力豊かなんだ俺は!

 そうじゃなくて、浩一さんだよ浩一さん。先達って言う教導員みたいなものってのは聞いてたけど、こうして見ると体育の練習を指導してるお兄さんにしか見えないと思ってな」

「そういえば、あんた真祖のくせにそういったこと何も知らなかったわね」

 

 呆れたような紗矢華の物言いに、ムッときながらも古城は話を続ける。

 

「いや、今でも普通の用務員にしか見えないし、魔術とか異能とかとは無縁って言われたらそのまま信じそうでさ」

「それはある意味合ってるわよ。本人が隠してないから言うけど、浩一さんの魔力は素人に毛が生えたレベルよ。せいぜい魔具を起動できる程度の力しかないわ。才能が無いって自分で笑ってたし」

 

 何でもないような口調で、紗矢華が衝撃の事実を告げた。

 

「はぁ!? いや、それけっこう知られたらまずい奴じゃないのか?」

「そう思うでしょうね。それがあの人の狙いなのよ」

 

 慌てる古城に対し、紗矢華は何故かどこか遠い目をしている。

 

「そう聞いたほとんどの魔導犯罪者や魔族は、あの人を侮って見るわ。魔術を使って攻撃すれば大丈夫とか、その程度の魔力しか持たないのであれば大した身体強化もできない、地力で押し潰せるとかね。

 で、侮った所をあの人間離れした身体能力で叩き潰すのよ。魔術の発動は速さで許さず、人間を遥かに超える身体能力を持つはずの魔族は正面から圧倒してね」

「ちょっと待て、素人に毛が生えた程度の魔力なんだろ? どうやってそこまでの身体能力を引き出してるんだ?」

 

 当然の疑問に思わず古城が声を上げる。人間が魔族の身体能力に追いつこうとすれば、なにかしらの強化手段が必須なのだ。まっとうに鍛える程度では、その絶対的な差を埋めきることなどできはしない。

 

「それが判れば攻略法を思いつけると思って調べてはみたけど、何もわからなかったわ。もしもあれで何も強化してないなら、はっきり言って人間かどうか怪しいほどの身体能力よ。並の獣人程度なら軽く上回るわ。魔具で防御を固めたとはいえ、体術で魔術を弾くんだから、噂を聞いて油断した相手は大体一発で決着よ。

 で、この信じられない話を聞いた他の犯罪者たちは負けた連中が流した嘘だった思うわけよ。体面を取り繕ったんだろうってね」

「で、実際に戦う時には聞いたやつらも油断しきってるってわけか」

 

 思わずぼやいたが、直接聞いた古城も正直なところ信じられない。先達という地位も、魔術が使えないのならば武道の達人で体の動かし方などを教えていると思ったのだ。

 

「まあ、こうして噂を流すのもあの人の戦略の一つだから気にしないでいいわよ。聞いた時点で否定から入るだろうけど」

「想像つかないな。姫柊とかお前も俺からしたら十分強いし」

「はあ?

 あのね、基本的に先達はその道のトップが襲名する地位なのよ? 仮に私と雪菜が2人掛かりでも、術を発動する前に殴られておしまいよ。さっきも言ったけど対魔術の魔具があるから、魔術もあまり意味が無いし。連続で魔具が飽和するくらい当て続けるか、そもそも魔具の防御を無視するほど強力な一撃を当てれば話は別だけどね」

「そんなにかよ……」

 

 紗矢華の口から判りやすい強さの指針が語られ、古城は戦慄する。先も言ったように雪菜も紗矢華もかなりの実力者であることは古城も理解している。その2人掛かりでも倒せないと言われるほどの実力者が、真祖を滅ぼせる槍を持った少女の助力として傍にいるという状況に、改めて身の危険を感じたのだ。

 

「まあそういうことだから、せいぜい雪菜に不埒な真似は」

 

 紗矢華の言葉を遮るように、突如屋上の扉が蹴破られた。凪沙を背負った雪菜が勢いよく着地し、それを見た古城は血相を変える。

 

「凪沙! おい姫柊、何があったんだ!?」

「落ち着いてください先輩、ちょっと眠ってもらっているだけです。

 それよりも紗矢華さん、緊急事態です!

 保健室に向かって未知の魔族が進行中。狙いは不明ですが、今は不用意に動かせない藍羽先輩を浩一さんとアスタルテさんが護衛中です!」

「なんですって!?

 了解、急ぎましょう!」

 

 雪菜の手短な説明を聞き、駆け出そうとする紗矢華達を古城が呼び止めた。

 

「待ってくれ! 浅葱もいるんだろ? 俺も行く!」

「何言ってるんですか! 監視対象を危険な場所へ連れていけるわけないじゃないですか!

 それに、凪沙ちゃんはどうするつもりですか!」

「凪沙は近くの教室傍に寝かせておく。まだ避難が終わってないから、移動する先生が見つけてくれるはずだ!」

「ですから、先輩を連れて行けないと言っているんです!」

「オイスタッハのおっさんの時も言ったけど、姫柊たちだけを行かせるのは違うだろ!

 前と違って今なら眷獣も1体は扱えるし、そもそも浅葱を放っておくわけにはいかない!」

 

 数秒の睨み合いの結果、折れたのは雪菜だった。

 

「こうしている時間が惜しいです。紗矢華さん、凪沙ちゃんを降ろしたら簡易的なもので構いませんので、防護結界をお願いします」

 

 雪菜が向き直ると、紗矢華は不機嫌そうな表情を浮かべていた。

 

「さ、紗矢華さん?」

「き、気にしないで雪菜。この男が悪いのよ、全部ね!」

「おい、俺が何したってんだよ」

「うっさいわね! 行くんでしょ!?」

 

 不機嫌そうに駆け出した紗矢華を見て、古城と雪菜は不思議そうに後を追った。

 

 

 

 保健室での戦闘は、結果的に言えばほとんど拳を交えずに終わっていた。

 

「見上げた忠誠心だな。まさか2人掛かりでぼくからガルドシュを逃がすとは」

 

 淡々と告げるバビル2世の前には、黒焦げで瀕死になった獣人2人が転がっていた。かろうじて死んではいないようだが、意識不明の重体である。彼らが決死の覚悟で挑んだ代償に、廊下には巨大な穴が開いている。あの後僅かな戦闘で彼我の戦力差を認めた獣人達が、初老の獣人――クリストフ・ガルドシュを逃がすため、2人が僅かな足止めをした隙を突いてガルドシュ本人は壁を突き破り逃走したのだ。差別的な獣人優位主義者とはいえ、戦闘訓練を受けている以上、彼我の戦力差から撤退を選べないほどに無能ではないらしい。とはいえ、バビル2世もむざむざ無傷でガルドシュを逃がしはしなかった。彼の左肩には、念動力(テレキネシス)で射出された金属片がいくつかめり込んでいるはずだ。

 

「まあ、こいつらはどうでもいい」

 

 バビル2世の視線の先には、かろうじて命を繋いでいるアスタルテの姿があった。すでに意識は無く、呼吸も浅くなっている。

 

「応急処置が間に合うか?」

 

 とりあえず止血を行い、気道の確保をする。そしてバビル2世は悟った。失血量から見て、このままではアスタルテは死ぬ。

 

「そこの女子生徒!」

 

 突然声をかけられた浅葱は、恐怖から身を竦ませた。

 

「この部屋に注射器はあるか?」

「ち、注射器ですか?」

「そうだ。注射器と針のセットだ」

「そ、それならこっちに」

 

 言葉遣いの丁寧な新入用務員だった男が、いきなり顔を変え獣人を一方的に叩きのめしたことは浅葱にとって衝撃だった。しかし、それが自分とアスタルテを守るためだったということだけは浅葱にも理解できており、とりあえず敵ではないと考え指示に従ったのだ。

 注射器セットを差し出されたバビル2世は、躊躇無く自分の血を抜き、それをアスタルテに注射した。

 

「ちょ、待ちなさいよ! 人工生命体(ホムンクルス)に適合検査もせずにそんなことしたら、拒絶反応でどうなるか!」

「大丈夫だ。ぼくの血に限ってはその心配はない」

「何の根拠があって……やだ、嘘でしょう」

 

浅葱の眼前で、アスタルテの肉体が少しずつ修復され始めた。血は止まり、肉はスローの逆回しを見ているように盛り上がり始めている。明らかに異常な再生に、浅葱は声を失う。

 

「後は血に適合しないことを祈るか。

 さて、君に1つ頼みたいことがある」

 

 なにやら不穏な一言を呟き、バビル2世は浅葱へと向き直った。何を頼まれるかと身構える浅葱だったが、その内容は拍子抜けするものだった。

 

「ぼくが用務員の山野浩一であることを誰にも話さないでほしい。今正体がばれると活動しにくい理由がある」

「え、それだけでいいの?」

「それ以外は別に隠すようなものじゃない。もちろん断っても構わないが、その場合は記憶を消させてもらう。

 このお願いは1つの誠意であり僕にとってある種の協力者を作りたいという目論みもある。記憶操作も絶対というわけじゃない」

 

 言外に騙す意図は無いと伝えるバビル2世に、浅葱は沈黙する。当然だろう。この状況下で眼前の人物の言葉を鵜呑みにできる者はよほど肝が据わっているか、底抜けのお人よしである。

 

「返答は? 後数分でこの保健室には人が来る。沈黙が続くようならば、無理にでも記憶を消させてもらう」

 

 バビル2世の発する圧が強くなった。時間が無いというのは本当なのだろう。

 

「いいわ、その条件飲む。私が誰にも話さなければいいのよね」

「そうだ、ありがとう。これから君とぼくは協力関係だ。

 一方的な協力は破綻するものだからな……これを渡しておこう。身の危険を感じたらそれを折ってくれ。君の腕力でも簡単に折れるだろう」

 

 少し言葉遣いの柔らかくなったバビル2世が、小さな樹脂の棒を差し出した。浅葱は不審げに棒を眺めるが、下手をするとケミカルライトの方が頑丈そうということしかわからない。

 

「折ると発信機が作動する。死なれては困るから、できる限り迅速に助けに向かおう」

 

 酷く物騒なボディーガードが付いた事実に表情を引きつらせる浅葱だが、近づいてくる足音に気が付き入口へ向く。バビル2世も当然気が付いていたようで、すでに自然体で立っていた。

 

「山野用務員が魔術に関係する人物であることを黙っている必要はない。これから入ってくる者にはぼくの話に合わせればそれでいい」

 

 徐々に近づく足音に気を取られながら、浅葱は何とか頷く。そして。

 

「浅葱、無事か!?」

 

 扉が壊れかねない勢いで開かれ、真っ先に古城が飛び込んできた。次いで各々の武器に手をかけた雪菜と紗矢華が踏み込んでくるが、保健室が無事とわかると即座に武器を収納ケースへと仕舞い込んだ。幸いにも、古城に気を取られていた浅葱には気づかれなかったようである。

 

「わ、私は無事だけど、アスタルテが!」

 

 突入してきた3人は、血まみれでベッドに寝かされているアスタルテを見て絶句する。

 

「安心しろ、ぼくが治療しておいた。命に別状はない」

 

 そして、その横に立つ赤い髪の青年をみて息を呑んだ。

 

「バビル2世、何故ここに……?」

 

 思わずといった様子で、紗矢華が呟く。

 こうして〝最強〟の称号を持つ、かつて人間であった2人は場違いにも再会を果たした。



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7話 解読要求と怪鳥飛翔

 2020/3/10 用語集追加


 予想外の人物の登場に硬直した古城たちだったが、間違いなく獣人よりも高い脅威度を持つ人物がいるために警戒態勢を解いていない。

 先程の呟きを誤魔化すような咳払いと共に、紗矢華が口を開いた。

 

「ご存じとは思いますが、獅子王機関の舞威媛、煌坂紗矢華です。国家安全委員会の協力者である貴方が、何故この場にいるのかお聞かせ願えますか?」

 

 相手が相手だからか、紗矢華の言葉が堅い。緊迫感の中、バビル2世が口を開いた。

 

「そう警戒しないでほしい。ぼくがここにいるのは山野から頼まれたからだ」

 

 予想外の名を告げられ、紗矢華は目を見開いた。古城と雪菜も同様に、驚きを隠せないでいる。

 

「では、何故山野攻魔官はこの場にいないのですか? 私が〝雪霞狼〟回収のために保健室から移動したときは、彼がこの場に残っていたはずです」

「ああ、それは山野がガルドシュを追っているからだ。この場を完全に空にしないために、ぼくが来てから急いで追っていった。そうだろう?」

 

 急に話を振られた浅葱だが、バビル2世との約束通り頷いて話を合わせる。それを見た古城たちは、一応の納得を見せた。

 

「なるほど、貴方が山野攻魔官と知り合いとは知りませんでした。

 では、状況の説明をお願いします」

 

 雪菜の要求に、バビル2世はかいつまんで保健室で行われた戦闘……一方的な蹂躙に近いものではあるが……について語った。当然アスタルテが撃たれたことにも言及したが、職務上人体の生き死にに詳しい紗矢華の診断で問題無しとわかったために大きな騒ぎにはならなかった。

 

「少し意外です。あなたは孤高の人だと聞いていましたので、こういった自分の行為に対する確認を頼まれるとは思いませんでした」

 

 うつぶせに寝かせたアスタルテの服を戻しながら、訝しげに紗矢華が呟く。大口径の銃で撃たれたということが信じられないほどに、アスタルテの身体は回復していた。床や服の痕跡が無ければ、強力なゴム弾を撃ち込まれたとしか思えない。

 

「ほとんどの場合、目が多くて困ることは無い。より詳しいものが診断した方が安心材料になる」

 

 バビル2世の本心は自分の血が適合したことによる予兆が読み取れないかの確認がしたかっただけなのだが、輸血の事実を語っていない以上、聞こえのいい言葉でとりあえずのその場しのぎを行ったようだ。医療面の知識に乏しいため、本当に治っているのかの確認がしたかった点も嘘ではない。

 どこか納得できていない紗矢華だが、証拠無しに追求は失礼にあたるためとりあえず話を進めることにした。

 

「ところで、この獣人2人はどうすればいいかしら?」

「そのうち来るだろう特区警備隊(アイランド・ガード)にでも引き渡す。指導者のガルドシュといっしょに行動していたんだ。黒死皇派の戦闘員としては中々の地位にいただろうから、情報はある程度持っているだろう」

 

 念のため紗矢華が鍼と魔術による拘束処置を行い、保健室内に放置することになった。

 ふと、バビル2世が懐から通信機を取り出した。二言三言交わし、元通りに仕舞いなおす。

 

「今山野から通信が入った。ガルドシュの逃走先が判明したらしいが……煌坂といったか、君にはあまり良くない知らせだ」

 

 本当は追跡を命じたロプロスからの情報だったが、わざわざ真実を話す必要はない。

 

「やつが逃げ込んだのはアルデアル公所有〝オシアナス・グレイヴ〟だ。下手をすれば外交特権程度で庇えるものでは……いや、上手いな」

「何があったんですか?」

「観測できる範囲に限るが、現在〝オシアナス・グレイヴ〟にいるのは全員獣人だ。乗っ取られた形になっているな」

 

 動揺する紗矢華とは対照的に、バビル2世はヴァトラーの狡猾さに賞賛の念を向けていた。これで万が一テロリストとの繋がりを指摘されても、自分も騙された被害者であると喧伝できる。趣味の悪い名の船を沈めればより被害者側であることを強調できるだろう。

 とりあえず後手に回ってしまっていることを認め、バビル2世は思考を切り替える。本丸を攻めてもいいが、今迂闊に攻撃し言いがかりの口実をヴァトラーに与えるのも癪だろう。ならば、ひとまず手足をもぎとり相手の行動を鈍らせる方がいい。

 

「よし、ぼくは今から黒死皇派のアジトを潰しに行く。君たちは」

 

 バビル2世を制止するように、浅葱の携帯が着信を知らせた。その場の全員から視線を向けられた浅葱は、慌てて画面を見る。そこには、黒死皇派の文字が浮かんでいた。

 

「うそ、なんでこの番号を?」

 

 浅葱は伊達に電子の女帝と呼ばれてはいない。その異名に相応しいだけの知識と技術を併せ持っており、相応のネットリテラシーも持ち合わせている。その彼女が自らの情報端末を市販のセキュリティシステムに任せるはずもなく、自作の防御プログラムで下手な企業機密よりも頑丈に防護しているのだ。

 その防御を易々と突破した相手からの呼び出してあり、それだけで無視するという選択肢は無い。

 

『やあ、先程満足に話もできなかったのでね。こういった形での挨拶となることを失礼させてもらおう』

 

 携帯のスピーカーから、ガルドシュの慇懃無礼な挨拶が響いた。

 

『実は君に頼みがあってね。単刀直入に言おう、ナラクヴェーラに関する石版を解読してほしい。もちろん報酬は払うし、この功績で君の名はさらに高まる。悪い話ではないのではないかね?』

「昨日趣味の悪いパズルを送ってきたのはあんたたちだったわけね。女子高生の個人情報を無断で見るような連中の頼みを聞いてもらえると思っているのかしら?」

『すまないが、我々には時間が無いのだ。まさかバビル2世がこの件に関わっているとは思っていなかったものでね。バビル2世はそこにいるんだろう? こうなった原因の1つは彼にもあるのだよ』

 

悪びれもせず責任転嫁を計るガルドシュに、一行の心象はさらに悪くなる。

 

「ガルドシュ、今ならまだ五体満足は保証してやる。武装解除して投降しろ」

『その声はバビル2世か……やはりまだそこにいたな。時間が無いと言ったが、それは我々にとってだけではないのだよ』

 

ガルドシュの宣言と同時に、窓の外で閃光が空を切り裂いた。距離があるためか音も熱もないが、尋常の攻撃ではない。同時に、ロプロスからの通信が入った。端末を介した映像情報には、黒死皇派のアジトから這い出る機動兵器……ナラグヴェーラが映っている。付近に展開していた特区警備隊(アイランド・ガード)に襲い掛かろうとしているものの、どこかぎこちない行動のせいで未だ被害は出ていないようだ。しかし、それも時間の問題だろう。

 

『我々は女帝殿の協力でナラクヴェーラの機動コマンドは手に入れている。しかし困ったことに起動はできても制御ができない。我々が残りの石版を解読し正常に制御を行ってもいいのだが、はたしてそれが終わるまでこの島が、市民は無事で済むかな?』

 

 どこまでも冷酷なガルドシュの手口に、浅葱は嫌悪感を丸出しにする。それは、その場にいた全員に共通する感情でもあった。

 

「最低です。自分たちの目的が果たされれば、貴方たちはそれでいいんですか!」

『愚問だな顔も知らぬお嬢さん。魔族特区という名の檻に囚われた者たちを殺すことに戸惑いなどありはしない。だからこそ我々はテロリストと呼ばれているのだよ。

 さあどうするかね女帝殿。あまり時間は残っていないが』

 

 雪菜の激昂も涼しい声音で受け流し、ガルドシュは改めて浅葱に選択を迫る。

 

「1つだけ聞かせて」

『なんだね?』

「どうやって私の電話番号を知ったの? そう簡単にハックされるようなセキュリティ組んでないんだけど」

『ああ、簡単な話だよ。学校側の情報データベースを踏み台に、君のクラスの生徒が所有している端末から抜き出しただけだ。呼び出し機能をいじって我々の名を出せば、反応してくれると思ってね』

「そう、よっくわかったわ」

『話はそれだけかね? 石版の画像データはこの端末に送ろう。

 老婆心ながら1つ忠告をしておこう。急いだ方がいいぞ』

 

 浅葱の皮肉を意にも介さず、ガルドシュとの通話は切れた。絶対に学校のセキュリティに口を出すと心に決めた彼女の元へ、数秒もせずに画像データが送られてくる。

 

「なにこれ、何枚あるのよ!」

 

 全部合わせて石版53枚分ものデータが送信され、予想外の量に浅葱が呆れ、次いで苛立つ。ほとんど手がかりなしの状態からこれだけの量の解読を行えるのか。

 

「考えても仕方ない。とにかく今は公社に……時間が惜しい、パソコン室!」

「パソコン室って……それで解読なんてできるのか?」

「それを何とかするんでしょうが!」

 

 駆け出す浅葱に、バビル2世が1枚のメモを手渡した。

 

「パソコンを起動したらこのURLを入力しろ。こっちから手を貸すよう伝えてある」

「わかった。避難はじまってるみたいだから、あんたたちもはやく動きなさいよ!」

 

 そう言い残し、浅葱は駆けだした。100mをスパイク無しで13秒台の俊足を活かし、数分かからずにパソコン室へと到着する。当然の権利のごとく扉をハッキングでこじ開け、教員用のパソコンを起動し音声入力をONにした。

 

「モグワイ、どうせ私の携帯から話は聞いてるんでしょう? 公社のスパコン利用してとっとと石版の解読急ぐわよ!」

『一応の流れとして状況説明くらいは欲しかったぜ嬢ちゃん。石版とやらのデータはこっちに移行しておいたが、こりゃ並のプログラマーじゃ手が付けられない代物だぜ?』

「うっさいわね、やらなきゃならないでしょうが!」

 

 モグワイ、この人工島を管理するスーパーコンピューター5機からなる人工知能は、ふざけた外見と言葉回しとは裏腹に超高性能の情報処理能力を誇る。現在浅葱の相棒としてスーパーコンピューターを間借りしながら解析を進めつつ、同時進行で人工島の被害をコントロールしている。

 

『連中が古代兵器を解き放ったのが建造中の増設人工島(サブフロート)で助かったぜ。被害がほとんど出てない。

 そういえば嬢ちゃん、あのバビル2世とかいう奴からもらったメモは使わないのか?』

 

 モグワイの指摘に浅葱は言葉を詰まらせる。

 

『まあはっきり言って怪しいが、このさい使えるものは全部使わないとまずいと思うぜ?

 ちなみに今の処理速度だと、解読が終わるころには増設人工島(サブフロート)が沈んで本島にもけっこうな被害が出る計算になるな』

「うっさいわね、使えばいいんでしょうが!」

 

 モグワイの焦燥感をあおる物言いもあり、浅葱はメモを開いた。そこにはごく短いURLと、数桁の数字だけが示されていた。

 

「何よこれ。あいつは手を貸すとか言ってたけど、本当に大丈夫なんでしょうね」

 

 ぼやきながらURLを入力し、表示された枠に数字を打ち込む。エンターを押し込むと、かなり変わったチャットルームが開かれた。

 

〔こんにちは藍羽浅葱。私はバビル2世の協力者です。予想よりも接触が遅かったですが、どのような助力をお望みですか?〕

 

 一面黄土色の画面に、ただメッセージだけが表示される。不信感だけが膨らむが、今は猫の手でも借りたい。現状を端的に告げ、コピーしたデータを送付する。

 

「言葉はわかるのよね。じゃあこれを表示しながら指示に従って!」

〔わかりました〕

 

 やけに静かなモグワイを一旦横に置き、浅葱はふと思いついた。

 

「ねえ、あなた名前は無いの?」

〔名、ですか?〕

「ないと不便じゃない? あるんだったら教えてよ」

 

 少しの沈黙。

 

『な、なあ嬢ちゃん。こいつ、俺の予感が正しければなんだが……』

〔そうですね、では塔守と呼んでください。私の役職のようなものですが〕

「そう。じゃあよろしくね、塔守!」

 

何故か怯えたようなモグワイを黙らせるように、塔守が自己の呼び名を指定した。それに気づかず浅葱は笑顔で塔守の名を呼び、作業を再開した。

その背後の窓を巨大な鳥の影が一瞬通り過ぎ、床が一瞬怪しく蠢いたことを、浅葱はついぞ気が付かなかった。

 

 

 

 浅葱の去った保健室で、残された4人の行動は速かった。手早く装備の確認を行い、その間にバビル2世は古城と向き合う。

 

「舞威媛と剣巫は当然同行するつもりだろうが、第四真祖はどうする?

 この2人は獅子王機関の人間としてこの魔導テロに対応する義務があるが、君にはなんの義務もない」

 

 まさか話を聞いてくれるとは思っていなかったのか、古城は驚きのあまり口を開けている。

 

「待ってください! 第四真祖をテロの中心点に連れて行くつもりですか? いくらなんでも危険すぎます!」

「そうですよ! もしもこいつの眷獣が暴走したら、どんな被害が出るか!」

「君たちの意見ももっともだ。しかし、ここに第四真祖を放置して行動しないと言い切れるか? 何が起こっても死にはしないのだから、近くの方が監視しやすい。

 それに被害というが、すでにあの古代兵器が動いている以上今更誤差だ。現在被害の出ている増設人工島(サブフロート)はテロの舞台になった上に建造途中でまだ本格運用されていない。しばらくの観察後破棄が妥当だろう」

 

 雪菜と紗矢華が反対するが、バビル2世は涼しい顔で受け流す。

 

「さて、どうする第四真祖。君の選択を尊重する」

 

 バビル2世の問いに、古城は覚悟を決める。

 

「連れて行ってくれ。ここでただ待ってるなんてできるかよ!」

「いい返事だ」

 

 古城の返事を聞き、バビル2世の脳裏に古い記憶が浮かぶ。たった1人で世界を牛耳らんとした巨悪との戦いの日々。日本国内に協力者を作ったとはいえ、今思えば独善と衝動でずいぶんと無茶をした。あのころの埋め合わせと考えれば、ここで前途ある若者を支援してもばちは当たらないだろう。

 

「さて、一刻も惜しいからな。驚かないでくれ」

 

 バビル2世が窓を開き、天を見上げた。不思議そうな表情の古城たちを一瞥し、肺一杯に空気を吸い込む。

 

「ロプロス、ロプロス! ぼくの元へ来い、今すぐにだ!」

 

大声が空へと吸い込まれ、それに応えるように突風が巻き起こる。思わず古城たちは顔を庇い、再び顔を上げると巨大な鳥が窓の外に鎮座していた。

 

「ぼくのしもべ、怪鳥ロプロスだ。これなら増設人工島(サブフロート)まで大した時間をかけずに行ける」

 

 古城たちは絶句している。古城はその存在をいまいち咀嚼しきれていないためだが、獅子王機関の2人は違う。表面に施された緻密な魔術様式は、ある種の芸術といえるほどの精巧さを誇っている。一部が解れたとしても、すぐさま周囲がそれを繕うだろう。そしてこの怪鳥が降り立ったというのに一切の混乱が起きていない以上、効果が目晦ましであることは明白だ。この移動する巨体を隠しきっている事実に、魔術を理解している2人は戦慄を隠せない。

 

「ロデム、石版の解読をしている女子生徒を守れ。ぼくは今からここを離れる」

 

 床を同化していたロデムに指示を出し、バビル2世は窓枠を蹴って外に出た。

 

「さあ、ロプロスに乗れ。出発するぞ!」

 

 その言葉に顔を引き締め、古城が、その後に雪菜と紗矢華が続いた。

 ふと、何かに気が付いたように雪菜が足を止める。

 

「……待ってください。ひょっとして、飛ぶんですか?」

「何を今さら言っている? 怪鳥が走ったり地に潜るわけがないだろう」

「えっちょっと待ってください、待ってください! いえこれは怖いとかそういうのではなく撃ち落とされる危険性を考えると二手に分かれた方がいいですしそうだ学園を空にするわけにもいきませんしここは私が」

「なあ、ひょっとして姫柊って」

「言わないであげて。けっこう恥ずかしいと思ってるみたいだから」

 

 何かを察した古城と紗矢華の眼前で、バビル2世の指示によりロプロスの足で捕獲された雪菜が古城に助けを求める。古城はなだめすかしてなんとか共にロプロスの背に移ったが、雪菜のあまりの取り乱しぶりに内心驚愕していた。

 

「じゃあ行くぞ。

 ロプロス!」

 

 バビル2世の一声で、怪鳥が古代兵器が暴れる増設人工島(サブフロート)めがけて勢いよく飛翔した。

 余談ではあるが、この日絃神島の各地で女性の叫び声が聞こえたとの報告があったが、テロに怯えるものだろうと大きな話題も無く処理されたらしい。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 クリストフ・ガルドシュ
 現在黒死皇派の指導者として活動するテロリスト。
 前指導者であった黒死皇とは盟友の間柄だった。
 差別的な獣人優位主義者であると共に、自らの理想のためには犠牲を厭わないテロリストとしての思考を併せ持つ。
 自らも戦闘訓練によって鍛え上げられており、並の戦士では一方的に打ち倒される。

 種族・分類

 ナラグヴェーラ
 かつて数多の国や文明を滅ぼしたと言われる神々の兵器。
 現代ですら再現不可能、あるいは最新鋭に匹敵する装備で武装し、自らの判断で行動を起こす無人機でもある。


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8話 古代兵器との戦闘

 2020/3/18 用語集追加


 黒死皇派のアジトを包囲し、完全に優勢のまま戦闘を進めていた特区警備隊(アイランド・ガード)達は、現在壊滅の危機に瀕していた。断っておくが、彼等は決して脆弱な組織などではない。むしろ対魔族戦闘においては世界的に見ても、かつての対魔族最前線国家を除けば世界最高峰といえるだろう。

 しかし、その精鋭たちでも古代の遺物……神々の兵器と呼ばれるナラクヴェーラが相手ではなすすべがなかった。装甲車両すら一撃で粉砕する〝灯を吹く槍〟――大口径のレーザーに、携帯火器では傷一つつかない堅牢な装甲。唯一の付け入る隙は動きのぎこちなさだが、それも大した障害にはなっていない。

 その絶望的な状況下でほとんど死者が出ていないのは何故か。それはひとえに彼女の努力の結果に他ならない。

 

「β地点の撤退は終わったか。次は……チッ、手が足りんぞ!」

 

 南宮那月。空隙の魔女と称されるその魔術を駆使し、特区警備隊(アイランド・ガード)の効率的な撤退を支援し続けていた。大口径レーザーに対してはその位相をずらし、建造物の屋上を絶え間なく移動し続けることで全体の状況を把握している。

 だが、それも絶対ではないのだ。いまも一機、戦闘ヘリがレーザーの直撃を受けてあっけなく爆散した。幸い無人機だったために人的被害は無いが、地上では装甲車の爆発に巻き込まれた瀕死の隊員が少なくない。

 

「1体ならばまだしも2体となると……!」

 

 らしくもない弱音を吐きそうになるが、尽力の甲斐あって特区警備隊(アイランド・ガード)の撤退はほぼ完了している。その事実が気の緩みにつながったのだろう。自身めがけて発射されようとしているレーザーに対する反応が、僅かに遅れた。

 

「しまっ!」

 

 遅れたとはいえ那月も名の知れた猛者だ。とっさに死の閃光を回避するが、問題はその先だった。未だ撤退中の部隊を狙ったかのように、レーザーは飛翔する。1秒経たず、何が起こったかもわからないまま隊員たちは塵へと帰るだろう。

 しかし、レーザーが直撃したのは隊員たちでは無く巨大な装甲だった。装甲車を粉砕する程度の火力では傷をつける事すら不可能な強度のそれは、雄々しい鳥の姿をかたどっていた。鈍い真鍮色の装甲を装飾するような魔術様式は、先の攻撃でも一切のほころびを見せていない。

 

「遅いぞ、ばかものが」

 

 言葉とは裏腹に、那月の口元には小さな笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 つるりとした装甲のためろくにしがみつくところが無い状況で高速移動した一行は、手慣れた様子のバビル2世以外疲労困憊状態だった。

 

「は、早いな。まだ5分経ってないぞ」

 

 吸血鬼の身体能力を持つ古城は比較的余裕があるのか、思わずといった様子で感想を漏らす。紗矢華は元より飛び立つ前から難色を示していた雪菜に至っては、離陸後1分もしない内に限界に達したためか古城と紗矢華に縋りつき一切の反応を示さなくなってしまった。

 

「さあ早く降りろ。このままだといい的だ」

 

 バビル2世が能力を駆使しつつ3人をロプロスから降ろす。その間にも2体のナラクヴェーラからの攻撃は継続中なのだが、ロプロスは小揺るぎすらしていない。飛翔する兵器として、驚異的な装甲である。その安心感からか、どこか間の抜けた空気が漂い始めている。

 

「しっかりしろ、南宮攻魔官と合流して状況を把握するぞ!

 ロプロス、あのガラクタ共を引きつけておけ! 攻撃する必要はないぞ、被害が広がる」

 

 全員が下りたことを確認し、バビル2世はロプロスを突撃させた。その巨体で1体のナラクヴェーラを押し潰し、もう1体の攻撃を翼で受け、突風を引き起こし牽制を続けている。その隙に彼らは那月との合流に成功した。那月の方でも合流タイミングを計っていたのか、着陸地点から大して動かない内に眼前へ那月が現れたのだ。

 

「遅いぞバビル2世、攻撃が始まってから5分以上たっている。しもべの飛翔能力を考えれば3分かからないはずだが、おおかたそこのガキ共と問答でもしていたんだろう? まったく物好きなものだ」

 

 出会い頭に那月は毒舌を吐くが、雰囲気はどこか柔らかい。

 

「まあ、そんなところですよ。

 特区警備隊(アイランド・ガード)の撤退状況は?」

「この増設人工島(サブフロート)からの撤退はほとんど完了している。あのデカブツを片付ければひとまずこの場は収まるな」

「へえ、中々面白いことになってるじゃないカ」

 

 バビル2世と那月の会話に、若い男の声が割り込んできた。古城たちは弾かれるように声の主を見るが、大人2人は呆れたように振り向いた。

 

「ディミトリエ・ヴァトラーか。自分の船を明け渡しておきながら、よくものうのうとこの場に顔を出せたものだな。ぼくの宣言を忘れたわけじゃないだろう」

「その殺気をひっこめてくれ、憧れの過適応能力者(ハイパーアダプター)よ。連中に騙され船を乗っ取られてしまったことは確かだが、非戦闘員に被害は出ていないだろう?」

「どの口がいうか。蛇使いが」

 

 那月の吐き捨てるような侮蔑を無視し、ヴァトラーは大仰な身振りを交えつつ話を続ける。

 

「まあ、それでもこうして連中のアジトを突き止めて来てみれば、なんとあのバビル2世のしもべが見られるとは! いやあ、君たちの国ではこういうのを人間万事塞翁が馬というんだっけ?」

「やたら詳しいなお前。で、わざわざここに来た用はなんだよ?」

「そう怖い顔をしないでくれ愛しの第四真祖よ。お詫びといってはなんだけど、そこで暴れている古代兵器を破壊しようと思っていてね。

 ああそうそう、道中でこんなものを拾ったんだけど」

 

 ふと思い出したように右腕を振り、足元の人間を1人投げてよこした。バビル2世の力か、空中で動きを止めた男子生徒はゆっくりと古城の前に降ろされる。

 

「や、矢瀬!?」

「あれ、知り合いかい? これは拾って正解だったね」

 

 慌てて紗矢華が駆け寄り軽い診察を行うが、とりあえず命に別状はないとしてひとまず那月がこの場から遠ざける。

 

「さて、予想外の話を挟んだけど、そろそろあれを破壊しないとね。安心してくれ第四真祖、責任はしっかり果たすさ」

「安心できるか! お前最初からあれと戦うことが目的だっただろう!」

「おや、流石にばれるか」

「当たり前だろうが!」

 

 楽しそうなヴァトラーとは対照的に、古城はおちょくられていると感じているのか怒り心頭だ。

 

「あれの相手は俺達がする、お前は引っ込んでろ!」

「おや、人の獲物を横から掻っ攫うわけかい? 礼儀が疑われるよ?」

 

 古城とヴァトラーの言い争いが段々と熱を帯びてくる。戦いの主導権を握る話に那月とバビル2世の眉が顰められたが、ひとまずは事の推移を見守ることにしたようだ。

 

「だったら、俺の縄張りで好き勝手暴れようとするあんたの方が礼儀知らずだろうが!」

「ふむ、それを言われると立場が無いな」

「話は終わったか? いい加減押さえ続けるのも難しくなってきているぞ!」

 

 バビル2世の苦言に、古城は思わずロプロスを見た。巨体でナラクヴェーラを押さえているものの、抑えられていないもう1体が直接とりつき引きはがそうとしている。傷こそつかず力も負けてはいないが、このままではどちらかに逃げられ破壊活動の再開は防げないだろう。

 

「まあ、今回は君たちの顔を立てるとするよ。ついでに領主たる君に贈り物を献上しようじゃないか。

 来い――〝摩那斯(マナシ)〟! 〝優鉢羅(ウハツラ)〟!」

 

 膨大な魔力と共に顕現した眷獣に、古城は言葉を失った。全長数十メートルはくだらない2匹の蛇は荒ぶる海のような黒と、凍りついた水面のような青でそれぞれその身を染め上げている。蛇使いの異名に相応しい2匹の眷獣は空中で身を捩らせ絡み合い、巨大な1体の龍へとその姿を変貌させた。

 

「眷獣を合体させた!?」

「なるほど、これが〝長老(ワイズマン)〟を喰らった絡繰りか」

 

 驚愕する古城と納得する那月。そんな2人を無視し、真祖の眷獣と遜色ない魔力を撒き散らしながら、荒れ狂う群青色の龍が降下する。

 

「さて、こんなものかな」

 

 あっさりとしたヴァトラーの言とは反対に、降下地点は凄惨たる有様になっていた。絃神本島と増設人工島(サブフロート)を連結するアンカーが、コンクリートと金属ワイヤーで構成されたそれがまるでガラス細工のように粉砕され、おまけとばかりに本島と増設人工島(サブフロート)双方に少なくない被害を撒き散らしていた。

 

増設人工島(サブフロート)を絃神本島から切り離したのか」

 

 思惑に気が付いた古城へ、青年貴族はニヤリと笑いかける。

 

「さて、これで本島への影響を気にせず戦えるだろう?

 ああ、安心してくれバビル2世。人的被害は出していないとも」

「被害総額を考えると十分な破壊だと思うが、今回は見なかったことにしておこう」

 

現状の収拾を優先し、バビル2世はこの場を預けることにした。無意味かもしれないが、追及は後々にできる。視界の端で古城と雪菜が何か話しており、古城が驚いたように紗矢華を見ているが、気にする事でもないだろう。

 

「行くぞ第四真祖。1体はぼくとロプロスで相手をする。もう1体は3人でなんとかしろ。南宮攻魔官は、街に被害が行かないようにお願いします」

「ポセイドンは使わないのかい? せっかくなんだから、最強と名高いしもべの力を見ておきたかったんだけど」

「ポセイドンを使えばこの島程度簡単に沈む。それに、今はさせることがあるからな」

「人を良いように使うな。この対価は高いぞ?」

 

 ヴァトラーからの問いを1言で切り捨て、那月が跳んだことを確認してからバビル2世は走り出した。狙いは押さえつけられていないナラクヴェーラだ。

 

「ロプロス、自由なナラクヴェーラを攻撃しろ! ポセイドン、この増設人工島(サブフロート)を少しでも絃神本島から離すんだ! ある程度離したら沿岸で待機しろ!」

 

 しもべ達は命令を忠実に実行する。ロプロスが地面にほぼめり込んでいるナラクヴェーラを無視し、いまにも取りつかんとしていたナラクヴェーラを尾の一撃で弾き飛ばした。そこへバビル2世が操る大量の瓦礫が豪雨のように古代兵器の全身を打ち据える。そして、大きな揺れと共に絃神本島が遠ざかり始めた。徐々に揺れは収まるが、速度はかえって上がっている。

 

「あれが、過適応能力者(ハイパーアダプター)の力だって……?」

 

 古城は唖然としてバビル2世の戦闘を見ていた。ロプロスが狙われれば瓦礫の渦がナラクヴェーラの体勢を崩し、ナラクヴェーラが向きを変えればロプロスの鍵爪がナラクヴェーラを引き裂く。内部機構まで破壊しきれていないためかナラクヴェーラが行動不能になることは無いが、あの古代兵器を相手に一歩も引かず、あろうことか圧倒しているのだ。

 

「暁古城、ぼさっとしてない!」

「先輩、こっちも来ますよ!」

 

 各々の武器を構えた少女たちの声に、古城が慌てて前を向く。眼前に、地面から抜け出したナラクヴェーラの威容が迫っていた。銃口が3人を睥睨し、大口径のレーザーが射出される。しかし、それよりも早く、紗矢華が飛び出した。獅子王機関の剣巫女、そして舞威媛は、霊視により一瞬先の未来を視通す。たとえ光速の攻撃であろうとも、彼女たちの行動はそれに対して先手を打つことが可能なのだ。

 

「紗矢華さん、お願いします!」

「もちろん!」

 

 雪菜の声と共に飛び出した紗矢華へと、ナラクヴェーラのレーザーが射出された。焦点温度2万度を超える熱量により、通常であれば人間の肉体など塵1つ残りはしない。

 しかし、死の熱戦は紗矢華の眼前であっけなく霧散した。

 

「なっ!?」

「紗矢華さんが持つ〝六式重装降魔弓(デア・フライシュッツ)〟――〝煌華麟(こうかりん)〟が持つ能力の片割れです。疑似的な空間の断層を生み出し、あらゆる物理攻撃を無力化する」

 

 驚愕する古城に対し、冷静な雪菜が機械槍を持って吶喊する。レーザーを射出し無防備となったナラクヴェーラの胴を剣巫の技術で強化された雪菜が突き上げ、隙を大きく広げる。我に返った古城がそれに続き、真祖としての身体能力を遺憾なく発揮し拳で巨体を一瞬ながら宙に浮かせた。

 

「そしてあらゆる攻撃を防ぐ障壁は、この世で最も堅牢な刃となる。たとえ神々の兵器だろうと、私の剣舞に斬れないものなど無いわ!」

 

 まさしく舞うような動きで、ナラクヴェーラの太い脚が1本切断された。バランスを崩したのか、轟音と共にナラクヴェーラが擱座した。驚異的な実力を見せつけた紗矢華に加え、比肩する実力の雪菜、さらに制限付きとはいえ第四真祖の古城がいる。このまま倒せるのではないかという希望が見えてきた。

 

「すごい、これが舞威媛の力か」

「ふふん、これが私の雪菜のコンビネーションの成果ね」

 

 得意げな紗矢華とそれを素直に褒める古城。そんな2人をどこか不満げに見る雪菜だったが、突如轟音と共に島が揺れた。3人はそろって音の発生源を見るが、そこではすでに装甲をズタズタに引き裂かれたナラクヴェーラが地面にめり込んでおり、バビル2世が丁度とびかかる寸前だった。

 

「ロプロス、いい位置に落とした。後は任せろ」

 

 一際大きく裂けた頭部らしき部分へとバビル2世が飛び移り、両腕を装甲内部にねじ込んだ。

 

「動きを鈍らせてしまえばこちらのものだ。エネルギー衝撃波を喰らえ!」

 

 瞬間、轟音と閃光が周囲に撒き散らされる。数秒の後、完全に動きを止めたナラクヴェーラを足場に、バビル2世は悠然と立っていた。

 

「こちらはもう大丈夫だ。内部機構を完全に破壊したから、もう動きようがない。

 そっちももう少しみたいだな」

 

 しもべと共同とはいえ、古代兵器にとどめを刺した事実を何とも思っていない。圧倒的な実力差を直に見せつけられた古城たちの背中を、冷たい汗が滑り落ちた。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 種族・分類
 
 優鉢羅 ウハツラ
 ディミトリエ・ヴァトラーが操る眷獣の一体。
 外見は氷面のように荒々しい、蛇の姿をしている。
 作中では召喚後すぐに下記の摩那斯と融合したため詳細は不明。

 摩那斯 マナシ
 ディミトリエ・ヴァトラーが操る眷獣の一体。
 外見は荒ぶる海のように黒々とした、蛇の姿をしている。
 作中では召喚後すぐに上記の優鉢羅と融合したため、詳細は不明。

 バビル2世 用語集

 用語

 エネルギー衝撃波
 バビル2世の象徴的な技であり、強力なエネルギーを対象に流し込む大技。
 相性の問題もあり一概には言えないものの、バビル2世が持つ能力の中でも特に生物に対して最大の威力を発揮する。受けた相手は数秒で内臓がズタズタに裂け、表皮は黒ずみ血反吐を吐きながら絶命する場合が殆ど。万全の状態でこの攻撃を受けて耐えられる存在はそう多くない。
 欠点はバビル2世を超人たらしめるエネルギーを使用するためか、消耗もまた非常に大きい点。連発できなくはないものの、放てば放つほど威力は下がってしまう。


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9話 激戦

 今回は私の力量不足により説明文が多くなってしまっています。
 ご了承ください。


 彩海学園の保健室で、浅葱は驚愕していた。塔守と名乗ったバビル2世の協力者が、自身の予想をはるかに超えた情報処理能力を有していたためだ。

 

〔独自性BFアルゴリズム換算からの予測データは8割の処理が終了しています。このまま言語的データ称号を続行し、エラーが出現した場合順次投影情報フォーマットに当て嵌め処理を進めます。

 以上の行程に当たり、何か注意等はありますか?〕

「いえ、その調子でこっちが流したプログラムの精査を続けて。

 ちょっとモグワイ、あんた見ず知らずの相手に情報処理能力で負けてて悔しくないの? スーパーコンピューター5基分の並列人工知能として恥かしくないの?」

『あのな嬢ちゃん、できれば比べないでほしいんだが……』

「何弱気になってんのよ! 塔守のおかげで都市管理領域に負荷かけないで処理できてるんでしょうが!

 ほら、全データの統合性のチェックと細かい不確定要素の洗い出しよ!」

 

 モグワイに対して容赦なく仕事を割り振りながら、浅葱の中でも疑念が膨らみ始めていた。明らかに塔守の処理速度がおかしいのだ。何故か本調子でないモグワイと比較しても、異常なほど速い。

 

「……ねえ塔守、ちょっと聞いていいかな」

〔なんでしょう浅葱さん。今集中しているので、手短にお願いします〕

「たいしたことじゃないんだけど、これが終わったらあなたの使ってる機材知りたいなと思って。そろそろ愛用の機体バージョンアップしようと思ってたし、その処理速度は魅力的なのよ」

〔残念ですが、使用機材はこちらの生存に直結するので教えられません。バビル2世からの命令があれば別ですが、彼も自身の安全面から許可を出すことは無いと思いますよ〕

「そう、なら無理に聞くこともないからいいわ。変に聞き出して藪蛇になっても嫌だしね」

 

 塔守の正体からして聞き出しても再現はできないと思われるが、その内容からして世界的に狙われることは確実な情報を浅葱は手に入れそびれた。塔守のやんわりとした拒絶と浅葱の持つ無意識の危機回避能力がもたらした帰結である。

 

『ところで嬢ちゃん、そろそろ解読自体は終わりそうだが……まさかこのまま大人しく渡すわけじゃないだろう?』

「当然じゃない。でも下手に時間をかければそれだけ被害が広がるし、なんかいい手が無いか考えてるんだけどね」

〔では、こういった手段はいかがでしょうか?〕

 

 作業を止めずに進む悪巧みは、結果として浅葱の案を中心に進むことになった。それがどのような芽を出すことになるのかは、今はこの3者しか知らない。

 

 

 

 一方、増設人工島(サブフロート)での戦闘は新たな局面を迎えていた。バビル2世があっさりと1機のナラクヴェーラを行動不能に追いやったため、危機感を募らせた黒死皇派は潜んでいた戦闘員をほとんど全て動かしたのだ。その結果負傷こそしなかったもののバビル2世と古城たちは2つに分断され、古城たち対ナラクヴェーラ、バビル2世対黒死皇派戦闘員の戦いが個別に発生することとなった。

 

「獣人なだけあってタフだな。殺してしまえればすぐにでも終わるが、流石に皆殺しにするわけにもいかないだろう。

 この数をエネルギー衝撃波ですべて処理していてはこっちが持たない」

 

 意外にも、バビル2世相手に戦闘員たちは均衡を保っていた。決してバビル2世が弱ったわけでも戦闘員たちが並外れて強者だったわけでもない。いくつかの要素が重なった結果である。

 かつてバビル2世が戦った相手は、公的には存在しないはずの秘密組織だった。バビル2世に匹敵する強大な過適応能力者(ハイパーアダプター)に率いられた彼らは、法や一般社会の拘束を受けないが故にそれらの加護を受けられない。故にバビル2世は全力で闘争し、悉くの息の根を止めてきたのだ。

 しかし今戦っている相手はそう簡単な存在ではない。たしかにかつての敵と同じく法の拘束を受けない組織である。

 だが、彼らは公的に脅威と認められるテロ組織の構成員であるが故に、国が裁きを与える必要がある。そのためにも、またテロ組織の内情を引き出すためにも、迂闊に殺すわけにはいかないのだ。

 結果として、バビル2世の主な攻撃手段は念動力(テレキネシス)を使った間接的攻撃になるのだが、人間を遥かに超える身体能力を誇る獣人相手では手加減が難しく、虫の息にするか戦線復帰可能な負傷しか与えられないというジレンマに陥っていた。公的な立場を得てしまったが故の、バビル2世に生まれた新しい弱点だ。

 しかし、獣人側からすれば事態はバビル2世が考えている以上に深刻だった。訓練を受けた獣人が数十人掛かりの上、全力の攻勢でやっと足止めできている状況である。戦闘復帰可能とはいえ負傷は蓄積する上に武器弾薬も無限ではない以上、いずれやって来る敗北を引き延ばしているにすぎないのだ。

 

「ロプロスでもたかが数人拘束するか爪で引き裂いてしまうかしかできない。まったく、強い力も制御しきれなければ宝の持ち腐れだな」

 

 バビル2世のぼやきの通り、今動かせるしもべはロプロスとポセイドンだけである。どちらも対軍や対要塞といった辺り一面を破壊しつくす攻撃は得意であるものの、殺さない壊さない戦いは極めて向いていない。浅葱の護衛につけたロデムであればこういった戦いに適任なのだが、無い物ねだりをしても仕方がない。

 

「拙いな、こちらはまだしも、第四真祖側も余裕があるわけではない」

 

 バビル2世の焦りの原因は、分断された古城たちにもあった。擱座したと思われたナラクヴェーラが突如瓦礫を取り込んで再生し、何事も無かったかのように古城たちへと襲い掛かったのだ。直後に戦闘員の横槍が入ったため、今現在の状況が全く分からない。

 

「仕方がない。ロプロス、上空から情報を逐一送れ!」

 

 命令に従い、暴風と共に鋼の怪鳥が天へと舞い上がった。戦闘区域全体をカメラアイに収め、映った情報を分析しバビル2世へとリアルタイムで送信する。それを元にして戦闘員や古城たちの位置を把握し、反撃や援護を行い続ける方針へと転換した。直接古城たちの手助けに向かわせないのは、初対面の彼らとロプロスとではうまく連携が取れないであろうとの判断である。逆に互いの攻撃が互いを傷つけかねない。

 

「ちっぽけな力しか持っていないくせに、調子に乗るな!」

 

 ロプロスの目から得た情報を元に念動力(テレキネシス)を発動する。瓦礫が津波のように蠢き、数人の獣人が巻き込まれかけて跳躍した。追撃のために数個の瓦礫を飛ばそうとするも、無事だった獣人達からの射撃を防ぐために断念する。この隙に跳躍した獣人も安全圏に引いており、その高い身体能力で正確な射撃を打ち込んでくる。互いの精神を削る戦いは決定打を欠いたまま、徐々に激しさを増していた。

 

 

 

 一方古城たちの戦況は、御世辞にも良いとは言えない状況に陥っていた。紗矢華が瓦礫から再生した脚に向かって切りかかったのだが、装甲に触れるかどうかの位置で弾き返されたのだ。勢いを利用して再び切りかかるも、やはり斬撃は弾かれる。

 ナラクヴェーラの表面装甲を見れば、うっすらと奇妙な紋様が全身に浮かび上がっている。舞威媛としての知識から、その正体を即座に悟った紗矢華は思わず呻いた。

 

「斥力場の結界!?」

 

先程までナラクヴェーラの装甲を易々と切り裂いていた〝煌華麟〟の刃は、空間の連結を斬り裂く刃である。刃という形を取っている以上、斬り裂くためには刃が対象に触れる必要があるのだ。ナラクヴェーラはそれを察知し、刃先に触れられる前に斥力場で刃そのものを弾きかえすように()()したのだ。

 

「これが、神々の兵器……でもね」

 

 もはや紗矢華の刃はナラクヴェーラに通用しない――紗矢華1人だけであったのなら。

 不敵な笑みと共に、紗矢華は信頼する剣巫の名を叫んだ。

 

「お願い、雪菜!」

「はい、紗矢華さん!」

 

 即座に飛び出した雪菜が〝雪霞狼〟を振るい紋様の浮かぶ装甲を斬りつけた。とたんに、紋様が力を失い掻き消される。

 

「たとえ神々の兵器が進化によって生み出そうとも、魔力を使用する結界である以上は〝雪霞狼〟で無効化することができます。

 紗矢華さん!」

 

 瞬時に飛び退いた雪菜と入れ替わるようにして紗矢華が飛びかかる。紋様が力を失い結界が消失している以上〝煌華麟〟の刃に物理的な装甲はほとんど意味を為さない。コツをつかんだのか、振るわれた刃は一太刀でナラクヴェーラの脚を切り落とした。だが、ナラクヴェーラも学習したためか切断面を地面に押し付け、瞬時に脚の再生を成す。連携を駆使しつつ即座に別の脚を切り落とすも、より素早く脚を再生された。

 その光景に動揺し、雪菜と紗矢華の行動が一瞬鈍った。それを隙ととらえたナラクヴェーラは、沈黙していたレーザーを2人めがけて放つ。

 

「危ない!」

 

 光線が照射されるよりも一瞬早く、駆け寄っていた古城が2人を引き寄せ射線からずらした。焦ったために安定性を欠き2人分の体重を支えきれずによろめくが、逆に雪菜から手を引かれ持ち直した。そのまま3人そろって素早く瓦礫の影に隠れる。

 

「悪い姫柊、ありがとう」

「いえ。それよりも、少しまずい状況ですね。このままではこちらが持ちません」

 

 無尽蔵の体力を持ち自己進化を続けるナラクヴェーラは、まさしく神々の兵器と呼ぶにふさわしいと言えるだろう。対して古城たちは体力も装備も限られている。今は〝雪霞狼〟で無効出来る程度の進化しかしていないが、いつ対応不可能なほどに力を伸ばすかわからない。

 

「……仕方ない。姫柊、あの結界を斬ってくれ。煌坂、胴体部分にできるだけ大きな傷を頼む。その傷口から、眷獣を流し込んで内側から破壊する」

「何言ってるの!? そんな危険な事、させられるわけないでしょう!」

「そうです先輩! もしも失敗したら、近距離から攻撃をもろに受けることになるんですよ!」

「でも今はそれくらいしか思いつかないんだよ! さっきバビル2世がやってたから、内側への攻撃なら少しは効果があるだろ?

 それに失敗しても、俺は死なないから大丈夫だ」

 

 僅かに睨み合いが続き、最初に口を開いたのは意外にも紗矢華だった。

 

「わかった。失敗した時を考えて、私はその場に待機するわ。雪菜は切ったらすぐに下がって」

「紗矢華さん!?」

「雪菜、確かに今はこの作戦が一番効果的よ。

 大丈夫よ。私の〝煌華麟〟があれば、失敗しても身を守りつつ戻ってこられるから」

「でも、紗矢華さんは、その……」

「大丈夫よ! 流石に状況が状況だしね。

 さあ雪菜、行って!」

 

 追及を笑顔で封じられ、作戦の決行を促された雪菜は気持ちを切り替えて走り出す。すぐ背後から紗矢華が、そして少し間を置いて古城が続く。

 

「雪菜、下がって!」

 

 雪菜の接近を感知したナラクヴェーラの銃口が輝き、レーザーを射出する直前に紗矢華が飛び出す。

 

「煌華麟!」

 

 次元の断層に阻まれ、空しく霧散するレーザー。その残光を纏いながら。雪菜は疾走する。

 

「――獅子の神子たる高神の剣巫が願い奉る」

 

 祝詞と共に雪菜の霊力が練り上げられ、増幅器でもある機械槍を白く発光させていく。一歩踏み出すごとに、祝詞を唱えるたびにその光は強く、輝きを増していく。

 

「破魔の曙光、雪霞の神狼、鋼の神威をもちて我に悪神百鬼を討たせ給え!」

 

 最大にまで増幅した霊力で全身を強化し、剣巫の霊視によって得られる疑似的な未来予知を活用しナラクヴェーラの懐深くまで入り込む。速度と予知に阻まれ、ナラクヴェーラの迎撃は見当違いの地面を叩くだけだ。

 

「雪霞狼!」

 

 裂帛の気合と共に銀の閃光が奔り、古代兵器を守護していた結界はその全面から取り払われた。流れのままに雪菜は雌鹿のようなしなやかさで跳び去り、続いて紗矢華が走り寄る。

 

「結界さえなければ、どうってことないのよ!」

 

 雪菜と同じく霊力によって底上げされた身体能力で、侵攻の邪魔になる脚を斬り落とし胴をがら空きにする。称号に相応しい舞うような動きで装甲を切断し、内部機構を大きく露出させた。魔力の輝きの中で紗矢華は振り向き、控える本命へと声を張った。

 

「やりなさい、第四真祖!」

「ああ!

焔光の夜伯(カレイドブラッド)〟の血脈を継ぎし者、暁古城が汝の枷を解き放つ――!」

 

 走る古城の全身から、鮮やかな鮮血が吹き出す。傷も痛みも介さず排出されたそれは、即座に荒れ狂う雷光へと姿を変えた。自然が生み出す稲妻とは比べ物にならないほどの光と熱量が凝縮され、輝く獅子の姿を形造る。

 

疾く在れ(きやがれ)、五番目の眷獣〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟――!」

 

 膨大な魔力を振りまきながら、雷光で構成された獅子が顕現した。咆哮で大気を震わせながら、獅子はナラクヴェーラの内部構造目掛けて突進する。一瞬の空白。着弾と共に轟音が鳴り響き、ナラクヴェーラの破壊に注ぎ込まれなかった余波で周囲の構造物が爆ぜ飛ぶ。

 

「暁古城!」

 

 作戦通りの位置にいた紗矢華が飛び出し、飛来する瓦礫と衝撃波を空間切断の障壁で防ぎきった。

 ここで予想外の事態が発生した。ナラクヴェーラが再生の材料として取り込んでいた装甲は、当然穴埋めなどされずに空洞として残されていた。結果として骨抜き状態にされていた人口の大地が、天災に匹敵する古城の眷獣がもたらす破壊に耐え切れなかったのだ。

 

「なっ」

「う、嘘!」

 

 雷撃で動きを止めたナラクヴェーラを中心に亀裂が広がり、あっという間に崩落が始まった。そもそもがこの増設人工島(サブフロート)の建造目的は廃棄物処理殻として建造されているのだ。わかりやすく言えば巨大な中抜き構造の浮島であり、当然上層甲板で戦闘が行われることなど想定していない。

 ただでさえ比較的脆い甲板を、ナラクヴェーラが自己修復のために吸収し密度を下げたのだ。もっと早く崩壊しなかっただけましだったと言えるだろう。

 だが、そんなことは今まさに落下している古城たちには何の慰めにもならない。

 

「先輩! 紗矢華さん!」

 

 雪菜の悲鳴を道連れに、少年少女の身体は暗い穴の中へと吸い込まれていった。




 ここ数話を書くにあたり、ヨミ様の偉大さを思い知りました。
 どれだけ枷をかけて動きにくくしても、同格がいなければあっという間に蹂躙を始める超能力少年を相手に、よく組織をまとめ上げて対抗できていたものです。


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10話 地下と地上

 古城君メイン回です。

 2020/3/18 用語集追加


 突然の崩落に巻き込まれた古城は、暗い穴の底で目を覚ました。

 

「いってえ……」

 

 頭をさすりつつ身を起こすと、差し込む陽光が視界一面の瓦礫を浮かび上がらせている。上を見れば、高くに落ちてきたであろう穴がぽっかりと口を開けていた。

 

「あそこから落ちてきたのか。ってそうだ、煌坂!」

 

 眷獣の攻撃による崩落に巻き込まれ、視界の端で共に落下していた舞威媛の少女の姿を思い出し、古城は慌てて周囲を見渡す。先程見た穴の大きさからみてかなりの距離を落下してきているのだ、第四真祖として不死身の呪いを受けている古城が無事なことに対してはなんの不思議もないが、あの状況下で生身の人間が落下したのだ。最悪の状況を想定するには十分な材料がそろっている。

 顔を青くして辺りを見渡すと、少し離れた瓦礫の上に倒れる紗矢華が古城の目に映り込んだ。

 

「煌坂、おい煌坂!」

 

 駆け寄って声をかけるも、紗矢華は反応を返さない。吸血鬼としての感覚が、眼前の少女の状態をただの気絶であると古城へ伝える。ひとまず安堵する古城だが、落下に巻き込まれたとは思えないほどの健康体であることと、何故気絶しているの理由がわからない。

 頭でも打ったのかと考えた古城の目が、瓦礫の上に散らばった紙片を見つけた。

 

「これは、浩一さんが使ってた呪符と同じか? たしか姫柊が獅子王機関の呪符って言ってたな」

 

 紗矢華は落下の最中、とっさに呪符で落下速度の軽減をしたのだ。術により瓦礫に直撃こそしなかったものの無茶な発動をしたために制御に失敗し、反動で意識を失ってしまった。

 それを知らない古城は何かしらの術を使ったことまでは推測できたものの、何故意識を失っているのかがわからない。

 

「まずいな、このままここで待つわけにもいかない」

 

 当然ながら崩落現場の中心である。いつ不安定になった周囲の構築物が崩れてきてもおかしくはない場所に、気を失った少女と共に待機してもろくな結果にならないことは火を見るより明らかだろう。

 

「仕方ない、後で謝るか」

 

 古城は雪菜から伝えられた話を思い出し躊躇するも、今そこにある危険の回避を優先することにした。

 意識を失った人間の身体というものは非常に重い。悪戦苦闘しながらもなんとか紗矢華を背負い、不安定な道を歩き出した。

 

「とにかく、端に行けば、非常用の、梯子くらいは、あるだろ!」

 

 自分を鼓舞し、背中の柔らかな感触から意識を逸らすために口を動かし続ける。共に落下したはずのナラクヴェーラが見当たらないのだ。内部機構に〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟で攻撃を仕掛けたものの、破壊しきったという保証は無い。少しでも早く表層階に上がり、雪菜やバビル2世と合流したいというのが古城の本音だ。

 バビル2世に戦闘員が襲い掛かっているのは知っているものの、古城はそこまで心配をしていない。那月が認めあのヴァトラーが興奮するほどの実力者なのだ。たかが銃を持った獣人程度に苦戦するとは思えない。

 

「でも、こういうときには、第四真祖とかいう、ふざけた体質にも、感謝だな!」

 

 瓦礫のせいで不安定な道を歩いても、気を失った人間を担いでも、息も切らさず歩き続けることができるのだ。バスケで少し鍛えた程度の常人ならば、すでに動けなくなっているだろう。いや、崩落からの落下で命を落としていた可能性の方が高い。

 不安定な足場による揺れと、鼓舞のための独り言。それらを一度に味わい続けてなお意識を取り戻さないほど、煌坂紗矢華という少女は図太くなかった。最初は状況を飲み込み切れていなかったものの、古城に、いや、男に背負われている現状を認識した瞬間、顔を真っ赤に染めて暴れはじめた。

 

「ちょ、なに、降ろしなさいよ! 速く!」

「な、わっ! 暴れるな、おい!」

 

 転倒寸前になりならがも古城が屈むと、一息に紗矢華が飛び退き間合いを開いた。

 

「何する気だったのよこの変態第四真祖!」

「なにもする気なんかねーよ! あの場所にいたら危ないからとりあえず運んでただけだろうが!」

 

 古城の反論を受け、周囲を見渡し紗矢華は少し冷静さを取り戻した。

 

「そうか、私落ちる時に無理に使った術の反動で……。って、あんたがきちんと眷獣の制御をしていれば落ちることも無かったじゃないの!」

「うっ、それは……すみません」

 

 全力で眷獣を解き放った負い目がある古城は、流石に言い返すことができなかった。

 

「まあ、済んだことだしもういいわ。

ところで、上に戻る算段はあるの? 手持ちの呪符はほとんど使っちゃったから、私1人でもあれだけの高度まで飛ぶのは厳しいんだけど」

「一応非常用の梯子でもないかと思ってここまで来たけど、いまのところは見当たらない。早く上に戻りたいのはこっちも同じだけど、地道に探すしかないか」

「第四真祖の眷獣に使えそうなやつはいないの?」

「今のところ、俺が制御できてるのは〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟だけなんだ。他のヤツはまだ俺を主と認めてないから、呼び出しなんかしたら暴走してこの島を沈めかねない」

「で、その唯一制御できる眷獣の霊媒として、雪菜の血を吸ったのね?」

「それ今関係ないだろ!?」

 

 梯子を探しながら緊張感のない会話を続ける2人だが、壁から海水が染み出し始めたのを見て焦りが強くなった。

 

「まずいな、この島本格的にガタが来てる。急がないと」

 

 古城のぼやきに反応したかのようなタイミングで、突然強い揺れが発生した。徐々に強くなる揺れに、2人は警戒を露わにする。

 一際大きな揺れの直後。床を突き破り、ナラクヴェーラが姿を現した。

 

「あいつ壊れてなかったのかよ!」

「切った場所が悪かったのかしら。まったく、これじゃ舞威媛失格よ!」

 

 2人は知らないことだが、機動直後のナラクヴェーラならばすでに瓦礫の底で破壊されつくしていただろう。皮肉にも古城が参考にしたバビル2世のエネルギー衝撃波を喰らった個体からの情報で、今のナラクヴェーラはすでに進化していたのだ。内部機構には衝撃やエネルギーを逸らす紋様が浮かび上がり、装甲と二重の防護を成り立たせている。流石に真祖の眷獣が相手だったためつい先ほどまで一時的な機能停止に陥っていたのだが、逆に言えば破壊までは追い込めなかったのだ。

 臨戦態勢に入る2人に対し、ナラクヴェーラは不気味なほど反応を示さない。表面の紋様が機能している以上、眼前の2人は脅威ではないと判断しているのだろう。壁面に脚を突き刺し、上層部へと這い上がっていく。

 

「このまま行かせたらまずい、眷獣で!」

「落ち着きなさい! あんな雷の塊をここで呼び出したりなんかしたら、少なくとも私は黒焦げの上に大規模な崩壊であんたも生き埋めよ!」

 

 冷静さを欠いた古城の方を掴み、紗矢華が愚行を制止する。

 

「そうか……くそっ、どうすりゃいいんだ!」

 

 頭を掻き毟り、ただ登って行く古代兵器を睨みつける古城。其の背後で、紗矢華は覚悟を決めた。

 

「暁古城、新しい眷獣を使いたいと思ってる? 新しい眷獣を制御すれば、この状況を打破できる?」

 

 つい先ほどまでとはまるで違う雰囲気の紗矢華に、古城は思わず動きを止めた。ゆっくりと振り向きながら、目の前の少女と向き合う。

 

「待て煌坂、なに考えてるんだ?」

 

 古城が何かを察するが、紗矢華は止まらない。

 

「あ、あのさ……わたし大きいし、雪菜みたいにかわいくないけど、それでも」

「待て、なんか無理してないか? 今の状況がヤバいのはわかるけど、少し落ち着けって!」

 

 思わずといった様子で古城が紗矢華の両肩を掴み、我に返って素早く手をひっこめた。

 

「な、何よその反応。いくらかわいくないからって、それは無いんじゃない!?」

「いや、すまん。実は姫柊から聞いてるんだよ。男に触れられるのが怖いんだろ?

 非常事態とはいえ、けっこう無遠慮にしてたからさ」

 

 古城の言葉に、紗矢華の表情が人形のように強張る。しかしその硬直はすぐに解け、柔らかな笑みが古城を捉えた。

 

「なんか、雪菜があなたにそれを伝えた理由がわかった気がする」

 

 今までのつんけんした態度とはまるで違う雰囲気に、思わず古城が視線を逸らす。

 

「改めて聞くわ。暁古城、新しい眷獣を掌握すれば現状を打破できる?」

 

 紗矢華の真剣な声音に、古城は思わず正面を向いた。そう変わらない高さに、真摯な光を湛えた双眸が光っている。

 

「……正直に言って絶対打破できるとは言えない。でも、少なくともなんとかできそうなやつなら心当たりがある」

 

 危うく学校を屋上から瓦礫の山へと変えかけた眷獣を思い浮かべながら、古城は答える。予想が正しければ、瓦礫を粉砕して雪菜やバビル2世と合流するための道を作るには十分な力を持っているはずだ。

 それを聞いた紗矢華は、戸惑いなく自分の首筋に煌華麟の刃を当て、軽く引いた。あっけにとられる古城に対し、紗矢華の動きは止まらない。

 

「私の血を吸いなさい。もたもたしてれば、間に合わなくなるわ。

 大丈夫、不思議とあなたは怖くないのよ」

 

 首筋を艶めかしく露出させながら、紗矢華は微笑む。着崩れた上着の隙間から、僅かに見える肌着が目に入り、古城の瞳が赤く染まる。

 

「いいんだな?」

 

 古城の確認に、紗矢華が頷いた。吸血衝動の赴くまま、古城は眼前の少女を掻き抱く。漏れた吐息すらも、今の古城には興奮を増進させるスパイスにしか感じ取れていない。

 最低限の理性は働いているのか、ゆっくりと牙が傷口に当てられ、2人の影が溶けあうように重なった。

 

 

 

 一方バビル2世は、戦いの天秤を少しずつ傾けることに成功していた。古城たちとはぐれてしまった雪菜を引き入れたことにより、戦闘不能にはなるが命にはかかわらないという手加減できる攻撃担当と、瓦礫を自由自在に操り、戦闘員の視線から射線を見切り弾丸を防ぐ防御担当に分かれることができたのだ。

 とはいえ、劇的に殲滅速度が上がったわけではない。雪菜は一発の被弾が命取りになってしまう。防御を引き受けた以上、バビル2世は広域攻撃ができなくなっているのだ。

 

「剣巫、次はそこから4時の方向に3人だ。武器は銃2槍1」

「土雷! わかりました!」

 

 獣人に霊力の籠った肘打ちを打ち込むことで、骨ごと内臓を揺さぶって地面に沈める雪菜。バビル2世の指示を受け、的確な位置を把握され続ける獣人達にとっては悪夢であろう。すでに10人ほどの獣人が戦闘不能状態となっており、黒死皇派の焦りが強くなってきている。

 指示に従って獣人3人組に襲い掛かる雪菜を見ながら、バビル2世は援護のために瓦礫を数個放った。雪菜の死角から撃たれた弾丸は、瓦礫に阻まれ役目を果たせない。その発射角度とロプロスの情報を照らし合わせ、また1つ戦闘員の小隊を発見した。

 さっそく雪菜に指示を出そうとするバビル2世だが、突然の突風と共に何かが飛来してきていることを感知し意識を切り替える。念動力(テレキネシス)で飛来物を手元に引き寄せると、小型の通信端末だった。着信を示すランプが点灯しており、ご丁寧にバビル2世へとメモが貼ってある。雪菜へ一旦待機の指示を出し、端末の通信を開いた。

 

「どこのだれかは知らないが、ぼくに何の用だ?」

『単刀直入に伝える。人工島管理公社から、ロプロスの戦闘許可が下りた。その増設人工島(サブフロート)にいるテロリストを全員捕縛、ないし戦闘不能に追い込むまでの制限つきだ』

 

 通信先の男が伝える情報は、些か虫のよすぎる話だった。制限もバビル2世が無秩序な破壊を好まない以上、あってないようなものだ。

 

「その情報が正しいという保証は?」

『疑り深いな! お前の塔にいるメーンコンピューターで探ればすぐだろ!』

 

 自身の塔について、さらには塔の管理存在についても知っている。男の情報に対する信用が上がる一方、同じだけ警戒も強まる。即座に自前の通信機でバベルの塔のコンピューターを呼び出し、通信を逆探知させ端末の背後関係を全て洗わせる。

 結果は白。人工島管理公社製の端末に、管理公社の人間であることが確定した。同時に通信相手の簡単な情報が送られてくる。そこに添付されていた顔写真を見て、バビル2世の顔が僅かに見開かれた。

 

「確認が取れた。情報伝達に感謝しよう。

 後で話したい。今晩22時に学園の屋上、破壊の発生源で待つ」

 

 自分の用件だけを伝えて端末を握り潰した。同時に発火能力(パイロキネシス)で跡形もなく溶かしつくす。用心に用心を重ねた証拠の抹消を終えると、バビル2世は自身のしもべへと呼びかける。

 

「ロプロス、退屈させたな。できる限り被害が出ないようにとの制限つきだが、お前を動かしても問題が無くなった。調子に乗った獣人共を叩き潰してしまえ! 殺さなければそれで構わないぞ!

 剣巫、そこではロプロスの邪魔になる。こっちに戻ってくるんだ!」

 

 バビル2世の声に従い、雪菜は一跳びで戦線を離脱した。それを好機と見た数名の獣人が銃を構えるが、巻き起こった突風が瓦礫ごとその体を吹き飛ばした。大型トラック程度なら軽く宙を舞う突風を引き起こし、ロプロスの巨体が遥か上空から舞い降りたのだ。飛び立つ前は多くの制限のせいでろくに戦えなかったが、今はその鬱憤を晴らすように風を吹き荒らし、カメラアイで地面にしがみつく獣人を正確に捉える。

 

「ロプロス、殺さない程度にやってしまえ」

 

 バビル2世が促し、ロプロスの嘴が開く。口内から何かが発射された様子は無いが、口が向けられた方向では異常事態が起こっていた。風がやみ負担が減ったにもかかわらず、瓦礫が独りでにひび割れ砂と化し、隠れていた獣人たちが耳から血を流してのた打ち回っている。

 

「な、何が起こってるんですか?」

「ロプロスの超音波攻撃だ。指向性を持たせて口から発射することで、生物を気絶させることから物体の固有振動数を増幅して破壊することまで自在にできる。獣人は頑丈だが、その鋭敏な聴覚が返って弱点になったわけだな」

 

 指向性が高いため、反射音すらほとんど聞こえてこない。しかし、音も無く瓦礫が崩れ獣人が倒れ伏す光景は、剣巫の修行を受けたとはいえ少女にとっては少々刺激が強い。地面が揺れているような気さえする。

 

「剣巫、警戒しろ。何か地面から来るぞ!」

 

 バビル2世の声で、実際に地面が揺れていることに気が付いた。揺れは段々と大きくなり、訓練を受けていなければ転倒しかねない強さになっている。

 そして一際大きな揺れがバビル2世と雪菜を襲い、次の瞬間甲板を突き破ってナラクヴェーラが空へと撃ちあがった。普通であれば驚愕するところだが、今行動しているのは百戦錬磨の過適応能力者(ハイパーアダプター)と天災に匹敵する存在と戦うために訓練を受けた少女である。古代兵器をああも痛めつける相手を警戒して、ナラクヴェーラの開けた穴を睨みつける。

 

「この気配は……先輩、まさか」

 

 雪菜の漏らした言葉に対し、追及をしようとしたバビル2世は視線を穴へと戻した。全身から不機嫌そうなオーラを漂わせる少女に対し、女性関係に疎い彼はかかわりを避けたのだ。

 この矛先が向けられるであろう第四真祖の少年に対し、バビル2世はらしくもない慰めを考え始めた。




 バビル2世 用語集

 用語

 メーンコンピューター
 バビル2世の居城であるバベルの塔すべてを統括する超高性能コンピューター。今でいうAIのような疑似人格を備えており、現行の地球上ではこのコンピューターに電子戦で対抗できる存在はいない。
 塔の資源を利用し、自己修理だけでなく部品のアップデートまでこなすため、塔を含めて1つの生き物とも表現できる。

 超音波
 高周波攻撃とも呼ばれる、ロプロスの主兵装。鳴き声のように口から発し、直撃した物質を塵のように分解することから壁越しの兵士を悶絶させ行動不能にするまで出力の調整が可能。
 主な破壊力としては爪で引き裂くよりも強くないものの、速度と射程では遥かに勝る。


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11話 双角獣と女王出現

 2020/3/18 用語集追加


 ナラクヴェーラが射出された穴から、不気味な振動が唸り声のように鳴り響き始めた。加速度的に大きくなるそれは、何かが穴の出口へと近づいてきている事を容易に悟らせる。

 

「来るぞ」

 

 バビル2世が宣言した直後、振動(・・)が穴から出現した。大気を歪ませ、物体を力任せに粉砕する衝撃波そのものが勢いよく噴出し、すでに装甲が無残なことになっているナラクヴェーラを追撃する。穴を通り抜けた余波により、そこを中心として上層甲板が陥没しクレーターの生成を始めたが、それを気にする者はいなかった。少なくとも、今陽の光を浴びている者の中には。

 古代兵器を勢いのまま叩きつけた衝撃波の塊は、空中に留まったまま徐々に凝縮し形を成していく。無色であったはずの波は緋色に染まり、鬣が衝撃そのもののように靡く。雄々しく突き出た2本の角でナラクヴェーラを容易く貫き地面に叩きつける姿は、破壊の化身たる第四真祖の眷獣に相応しい双角獣(バイコーン)であった。

 

 

 

 全身から高周波振動を撒き散らす眷獣が引き起こした大陥没抗から、2つの人影が登ってくる。眷獣の召喚主である暁古城と、共に穴へと落下していた煌坂紗矢華だ。

 

「暁古城、さっきも言った気がするけどあなた手加減ってものを知らないの?

 地上まで出られたのはいいけど、私が〝煌華麟〟の障壁を使わなかったら、2人して今頃生き埋めよ?」

「だからそれはあいつに言ってくれよ。俺はここまで大規模な破壊じゃなくて、目の前の瓦礫を壊せればそれでよかったんだ」

 

 どこか情けなく言い訳を並べる古城と並び、彼のパーカーを羽織った紗矢華がどこか和らいだ表情で瓦礫をよじ登っている。互いが互いを支え合い、中々に息の合った動きで瓦礫を超える2人は、見方によっては状況を利用していちゃついているようにも映るだろう。

 そんな2人の身体が突然浮き上がり、何かに引っ張られるように動き出した。当然身構える2人だが、進行方向に立つバビル2世と雪菜が見えてくると表情を変えた。

 

「バビル2世の念動力(テレキネシス)か。助かった」

 

 安堵の声を漏らす古城だったが、対照的に何故か慌て出す紗矢華。だがどんなに暴れようとも空中で念動力(テレキネシス)には抗えず、まるで罪人のような表情で雪菜の前に着地することになった。

 

「あの、雪菜。これはその違うのよ……」

 

 弱弱しい口調の紗矢華と、それを無表情で見つめる雪菜。ようやく雪菜の纏う威圧感に気が付いたのか、古城が恐る恐る口を開く。

 

「いや、緊急事態というか……そう、海水が押し寄せてきてだな?」

「2人とも、その話は後でゆっくりと聞かせていただきます。まずは目の前の敵をどうにかしましょう」

 

 堅い口調で雪菜はバッサリと古城の言い訳を切った。後でということは、追及はかなり長くなるのだろう。戦う前から陰鬱な空気を振りまきだした古城を横目に、紗矢華は違和感を覚えた。

 

「ねえ、ナラクヴェーラが止まってない?」

「確かに止まってる。10秒近く動きが無い」

 

 バビル2世が警戒を解かず、紗矢華の疑問を肯定した。古城と雪菜も慌ててナラクヴェーラを見るが、地面にめり込んだままぴくりともしない。

 

「上手く攻撃が通って壊れたってことは……」

「無い。第四真祖の眷獣が直接内部機構を攻撃しても破壊できなかった代物が、外部から一点を貫いた程度の攻撃で仕留められたとは思えない」

 

 古城の願望も、バビル2世は視線すら動かさずに一言で切り捨てる。

 緊迫した空気の中、雪菜が視界の端に船を捉えた。

 

「あれは……〝オシアナス・グレイヴ〟!?」

 

 黒死皇派に乗っ取られたはずの巨大なクルーズ船が、いつのまにか視認可能な位置まで接近してきていたのだ。現在の所有者からして、いい兆候とは思えない。

 一行が警戒を強めると同時に、バビル2世の通信機が振動した。ディスプレイには、浅葱の文字が光っている。周囲の状況に注意を払いながら、通信を繋げる。

 

「バビル2世だ。どうやってこの番号を知った?」

『ほんとに繋がった……?

 あ、浅葱ですけど、塔守から教えてもらったんです。

 今さっき例の石版の解読が終わったから、その報告とお願いをしたくて』

「お願い?

 口調は無理に変える必要はないぞ」

『あ、ほんと?

テロリストたちに解読結果を送信したからナラクヴェーラは無秩序な破壊を止めると思う。で、あなたにはナラクヴェーラの足止めをお願いしたいの』

 

 解読結果をテロリストに送付したという浅葱の言にバビル2世は言葉を失ったが、先にお願いとやらを聞いてからでも判断は遅くないだろうと思い直す。

 

「足止めだと? 古代兵器がテロリストの制御下に移るというのに、随分とのんきな」

『解読結果を馬鹿正直に送るわけないじゃない。仕掛けをしてあるから、発動するまで被害を広めないでほしいの』

「なるほど。自信はあるんだな?」

『当然でしょ?』

 

 自信たっぷりの返答に、バビル2世は覚悟を決めた。塔守――バベルの塔を守護するメーンコンピューターと、合わせているとはいえ共同作業をやってのける存在の自信だ。乗ってみる価値はあるだろう。

 

「信じよう。どれほど持たせればいい?」

『そう長くはかからないと思うわ。通信は切るけど、何か起こったらすぐに教えて欲しいの』

「わかった。連絡すると約束しよう。切るぞ」

 

 バビル2世が通信を切ったことを見ていたかのようなタイミングで、〝オシアナス・グレイヴ〟が爆発した。沈没には至っていないものの、喫水線が目に見えて上がり始めている。10分もせず、海中に没するだろう。

 しかし、そんな未来を予想する者は今この場にはいない。ボロボロになったクルーズ船にとどめを刺すように、内部からナラクヴェーラが船体を突き破り這い出してきたのだ。寄生虫が宿主の肉体を食い破る様子を幻視させる光景は、一際大きなナラクヴェーラが這い出してきたことで終わりを告げた。

 

「ほう、あんなものを隠し持っていたのか。ガルドシュめ、なかなかやるじゃないか?」

 

 いつのまに近づいていたのか、古城の背後でヴァトラーがどこか楽しそうに呟いた。

 

「どうだい古城。僕が出た方がいいと思うんだけど?」

「お前は引っ込んでろって言ったはずだぜディミトリエ・ヴァトラー!」

 

 苛立ちを滲ませながら、古城は相変わらずの青年貴族を切って捨てる。そうしている間にナラクヴェーラ達は活動を再開し、クルーズ船の残骸も島に接近してきている。

 そう遠くない位置まで近づいたためか、ナラクヴェーラが行動を開始した。古城の眷獣から攻撃された個体も、ゆっくりと起き上がる。

 〝オシアナス・グレイヴ〟から這い出たナラクヴェーラの内、最も大きく異形の個体がブースターを吹かせ、古城たち目掛けて出力任せに飛翔する。

 

「ポセイドン、攻撃はするな。万が一仕留めきれなかった場合、お前の攻撃に対応して進化したナラクヴェーラとやり合うことになる。それは避けたい」

 

 バビル2世の指示により、海中で砲塔を静かに下したしもべがいたことを本人たち以外が気付かなかったことは幸いだろう。

 結果として何者からも妨害を受けなかったナラクヴェーラの一団は、異形の機体を守るように着陸した。そして異形のナラクヴェーラから聞き覚えのある声が響き出す。

 

『やあバビル2世。女帝殿と君の協力者が石版を解読してくれたおかげでご覧の通りだ。未覚醒とはいえナラクヴェーラを一機破壊されたのは予想外だったが、それでもこれだけの数があれば戦王領域を荒らしまわることなど造作もないだろう。

 戦争は此処の兵器の性能では無く、総合的な戦力で決まる。いかに強大な第一真祖といえど、広大な戦王領域を1人で守りきることは不可能だ。それは君にも言える事だろう?』

 

 自らの優位性を確信したガルドシュの問いに、バビル2世は答えない。つまらないものを見る目でナラクヴェーラを睥睨し続けている。

 

『気に入らんな。何をたくらんでいるのかは知らんが、少なくともこのナラクヴェーラの女王(マレカ)を倒せる戦力を持っているとは思えない。我らの活動において箔付のために、死んでもらうぞバビル2世!』 

 

 ガルドシュの声に従い、今までとはまるで違う滑らかな動きで小型のナラクヴェーラたちがバビル2世へ襲い掛かる。先頭を走る小型ナラクヴェーラの脚がバビル2世を貫かんと突き出されるが、それを横合いから雷の獅子が吹き飛ばした。獅子は勢いのまま後続の古代兵器を薙ぎ払い、とどめとばかりに高周波の双角獣(バイコーン)がその装甲を次々と貫く。

 

「俺を無視してんじゃねーよテロリストのおっさん。お前といいヴァトラーといい好き勝手しやがって。いい加減頭に来てるんだよ!」

 

 古城の心を憤怒が染め上げる。それは好き勝手に行動し、こちらを煽るような真似をする青年貴族や、友人を拉致しかけ、我が物顔で暴れまわる獣人のテロリスト、そしてそれらを相手に一歩も引かない過適応能力者(ハイパーアダプター)に比べ、情けないほどに対抗できていない自分に対して向けられた怒りだ。原始的な闘争本能が感情によって爆発し、第四真祖の〝血〟が震え、大気を軋ませるほどの魔力が溢れ出る。

 

「相手が戦王領域(ひとんち)のテロリストだろうが、古代兵器だろうが関係ねえ。ここから先は、第四真祖(オレ)戦争(ケンカ)だ!」

 

 古城の禍々しい覇気に、ヴァトラーが満足そうな笑みを浮かべる。特等席で観戦するつもりなのか、一跳びで戦域から離脱していった。

 そして戦闘態勢に入った古城の隣に、当然のようなふるまいで小柄な影が並び立った。銀の槍を構え、凛々しい表情でナラクヴェーラを睨みつける。

 

「いいえ、先輩。わたしたちの聖戦(ケンカ)です!」

 

 霊力を高める雪菜の後ろで紗矢華が〝煌華麟〟を構え、バビル2世は念動力(テレキネシス)を強める。

 

「当然、私をのけ者にする気じゃないでしょうね?」

「指名されたのに、それを第四真祖とはいえ未成年に押し付けるわけにはいかないな」

 

 並々ならぬ実力者のそろい踏みに、ガルドシュは歓喜の声を上げる。

 

『ほう、その武器。獅子王機関の剣巫に舞威媛……そして眷獣の気配からしてもしやとは思っていたが、第四真祖の噂は真実だったか!

 相手にとって不足無し。我らの悲願達成への第一歩だ、全員この場で死ぬがいい!』

 

 女王ナラクヴェーラのレーザー砲塔が光り、通常のナラクヴェーラとは比較にならない威力のレーザー光が放たれた。しかし、どんなに威力を上げようとも単調な光線でしかないため、〝煌華麟〟の障壁に空しく弾かれる。

 

「ふん、威勢のいいことを言っていた割には、他愛ないわね!」

『当然だ。ただの目晦ましを防いだ程度でいい気になってもらっては困る!』

 

 レーザーを防いだ紗矢華の表情が凍りついた。レーザー光に隠れて気が付かなかったのだが、女王ナラクヴェーラが燃え盛る戦輪(チャクラム)を一斉に撃ち放っていたのだ。着弾のタイミングを計っているのか、周囲の小型ナラクヴェーラがレーザーの砲塔を光らせている。

 紗矢華の振るう〝煌華麟〟が生み出す障壁は物理攻撃に対して絶対の防御を約束するが、発動するためには切るという動作が必要となっている。障壁が発生するのは疑似的に再現した次元の裂け目が消滅するまでの一瞬であり、再び障壁を張るためにはもう一度切らなければならない。障壁の発動には僅かなタイムラグを挟まなければならないのだ。

 通常であれば、着弾した戦輪(チャクラム)を防いだ直後の隙を突かれ、紗矢華は蒸発してしまっていただろう。しかし、この場所で戦っているのは彼女だけではない。

 

「させるかよ! ――疾く在れ(きやがれ)、〝双角の深緋(アルナスル・ミニウム)〟!」

 

 主からの命令を受けた緋色の双角獣(バイコーン)が、その体を構成する振動を解き放った。衝撃波を受けた戦輪(チャクラム)が空中で爆散する。あまりの衝撃に足場が崩れ、小型ナラクヴェーラのレーザーも明後日の方向へと飛んでいく。

 

「すごい威力だ。出力だけならロプロスの超音波よりも強いな。

 ロプロス、あのデカブツを足止めしろ。V号にやった手が通じるだろう。攻撃は出力だけではないという所を見せてやれ」

 

 バビル2世の命令に従い、ロプロスの口から高周波が放出される。

 

『ハハハハハッ!

 悪あがきかねバビル2世。すでに第四真祖の眷獣に対して耐性を付けたこのナラクヴェーラに、それ以下の威力しかないロプロスの攻撃が効くとでも思ったか!

 バビル2世のしもべといえどこの程度……?』

 

 声高に優位を主張していたガルドシュが調子を崩した。スピーカー越しでもわかるほどに困惑し、苦しんでいる。

 

『ガハッ……な、何をしたバビル2世!?』

「お前はぼくがその程度の敵を想定していないとでも思ったのか?

 かつてしもべの攻撃をほとんど受け付けなかった敵など幾らでもいたさ。そのたびに突破口を見つけ出して勝利してきたぼくにとって、ただ頑丈な表面装甲を持つだけの古代兵器などガラクタと何も変わらない」

 

 かつてバビル2世と戦った敵が作り上げた戦闘兵器群。その中に、V号というロプロスを模して造られた飛行要塞があった。しもべの攻撃をほとんど受け付けない強靭な装甲を持っていた兵器を相手に、バビル2世はロプロスの超音波を使って内部の人員を気絶させることで撤退にまで追い込んだことがあった。小型ナラクヴェーラは無人機故に使えなかったのだが、女王ナラクヴェーラは有人機に加え内部浸透攻撃を経験していなかったために成立した攻撃法だ。

 

「少しの間悶え苦しんでいるがいい。時間はこちらの味方だからな、焦らずにじっくりと攻めていくぞ」

 

 女王ナラクヴェーラの機能不全により、小型ナラクヴェーラは独立行動を開始した。それを止めるために、古城たちもまた行動を開始する。

 第四真祖の眷獣が、剣巫の機械槍が、舞威媛の空間を切り裂く剣が、そして過適応能力者(ハイパーアダプター)念動力(テレキネシス)が古代兵器を抑え込む。

 

 戦いは、最終局面へと移行していく。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 種族・分類

 双角の深緋  アルナスル・ミニウム
 12存在する第四真祖の眷獣が1体。振動と衝撃で構成された双角獣の姿を持つ。
 実体化している間常に高周波を撒き散らすはた迷惑な眷獣。
 振動で構成されているため、物理的感傷の面が強い。破壊と突破に優れるため、獅子の黄金と共に解き放たれることが多い。

 女王 マレカ
 古代兵器ナラクヴェーラの指揮官機。
 他のナラクヴェーラとは違い有人機であり、豊富な武装と統率のとれたナラクヴェーラの指揮で驚異的な戦闘力を生み出す。


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12話 佞臣と毒杯

 脳を揺さぶる高周波に苦しみながら、クリストフ・ガルドシュは必死に考えを纏めていた。

 

「ガアアアッ! とにかくロプロスを排除しなければ! 大丈夫だ、まだ負けたわけではない、1機失ったとはいえ、ここでこの女王(マレカ)が動けば数的に抑えが利かなくなるのだ! なんとしてもこの音波を!」

 

 気を抜けば意識が途絶しかねない状況下で、自分を鼓舞するためにも現状を声に出して整理している。恐ろしいまでの精神力と、それを可能とする体力があってこそ成せる行動だ。

 

「ここで負けるわけにはいかん。我が盟友、黒死皇の理想を途絶させるわけにはいかんのだ!」

 

 ナラクヴェーラの学習が少しずつ高周波を弱めている。直接には機体にほとんど影響を及ぼしていないためなのか、非常にゆっくりとした効果だが無いよりはましである。ガルドシュは、いましばらく耐え続けるためあらためて全身に力を込めた。

 

 

 

 ロプロスが女王ナラクヴェーラを押さえている隙に、残る4体のナラクヴェーラは古城、雪菜、紗矢華、そしてバビル2世が個々に足止めをしている。

 

「しかし、下手に攻撃できないってのは俺と相性悪すぎる! もっと精密な行動ができる眷獣はいないのかよ!」

「無い物ねだりをしても仕方ありませんよ! 私だってこういった敵を相手にするのは苦手なんですから!」

 

 特に相性の悪い古城と雪菜が怒声交じりの愚痴を漏らすが、それも仕方のない事だろう。

 一瞬とはいえナラクヴェーラの攻撃を悉く防ぐ障壁を張ることができる紗矢華や、念動力(テレキネシス)で機体そのものを操り押さえつけられるバビル2世とは違い、2人は有効な対抗手段が殆ど無いのだ。古城の主武器である眷獣で迂闊に攻撃をしようものならばどんな進化をするのか予測がつかず、雪菜に至っては有効な防御方法を持ってないため、攻撃を避け続け適度に術で気を引く程度に攻撃をしなければ足止めができないのだ。

 雪菜の危うさを見た古城が〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟を守護にまわし防御面では安心できるものの、雪菜の火力不足は否めない。

 

「仕方ない、か……バビル2世、少しでいいから私の相手をお願いできる?」

「少しの間ならできるが、何をするつもりだ?」

「全体の足止めをするのよ。お願いできるかしら?」

「〝六式重装降魔弓(デア・フライシュッツ)〟の能力を開放するつもりか。任せろ」

 

 念動力(テレキネシス)を強め、瓦礫で古城と雪菜の援護をしつつバビル2世は一気に2体の古代兵器を縛り付けた。流石のバビル2世の表情にも疲労が浮かび、額には汗が流れ始めている。

 そうして生み出された隙を利用し、紗矢華は〝煌華麟〟の仕掛けを発動させた。突如銀の刀身が前後に割れ、鍔の部分を中心に上下に展開する。同時に銀の強力な弦が張られ、変形は完了した。新たな姿となった〝煌華麟〟を、舞威媛の少女は頼もしげに見つめる。

 

「雪菜、いつものお願い」

「紗矢華さん、任せてください!」

 

 雪菜の力強い返事を聞き、紗矢華はスカートへと手を伸ばした。思わず古城が顔を紅くするが、それも裾に隠れていたホルスターを見るまでだった。手慣れた手つきで裾に隠れていたホルスターから金属製の矢を抜きとり、一振りで展開する。

 

「弓……洋弓か!」

 

 古城の感嘆の声を聴き、紗矢華は美しくアーチを描く弓を誇らしげに掲げる。そして、天目掛けて力強く弓を引き絞った。

 

「――獅子の舞女たる高神の真射姫が讃え奉る」

 

 紗矢華の唇が澄んだ祝詞を紡ぎ出す。彼女が体内で練り上げた呪力を弓が増幅し、それを矢に流し込んでいく。

 〝煌華麟〟の能力は2つであり、物理攻撃無効の障壁と絶対の切断攻撃は次元の断裂を魔術的に再現した1つの能力の応用である。では、今の今まで使わなかったもう1つの能力とは何か?

 それを彼女は今まさに解き放とうとしている。

 

「極光の炎駒、煌華の麒麟、其は天樂と轟雷を統べ、憤焔をまといて妖霊冥鬼を射貫く者なり――!」

 

 銀の閃光と化した金属矢が天を射抜き、甲高い飛翔音を響かせる。勇ましい音を誇らしげに響かせていた矢が直後、その音を込められた呪力により忌まわしくも呪わしい慟哭の呪詛へと変えた。この悍ましい飛翔音こそが〝六式重装降魔弓(デア・フライシュッツ)〟――呪われた魔弓の真の能力である。

 天に放たれた矢はただの矢ではなく、音を響かせるための鳴り鏑矢であり、降魔破邪の呪矢なのだ。紗矢華の修めた位は舞威媛。暗殺と呪詛の専門家は、毒を以て毒を制するように呪術によって魔を祓う。人間の声帯や肺活量では唱えられない喪われた秘呪を、呪力によって変貌した魔弾が詠唱する。増設人工島(サブフロート)全域に鳴り響く呪文は、半径数キロにも及ぶ巨大な不可視の魔法陣を生み出した。

 不可視といえども呪術によって編み出されたそれは、当然効果を発揮する。大きさに見合った膨大な量の〝瘴気〟が生み出され、直下で拘束足止めされていたナラクヴェーラ達に降り注いだ。現状を打破するために各自行動していたナラクヴェーラだったが、瘴気を浴びた傍から次々とその機能を阻害(ジャミング)され、動きを止めていく。

 

「――獅子の神子たる高神の剣巫が願い奉る!」

 

 神々の兵器を汚染するほどの瘴気を浴びれば、人間は確実に命を落とすだろう。魔術的防御は薄いバビル2世はもちろんのこと、吸血鬼である暁古城もどうなるかわからない。

 そのための雪菜であり、そのための事前の合図だった。

 

「雪霞の神狼、千剣破の響きをもて楯と成し、兇変災禍を祓いたまえ!」

 

 舞うような動きで祝詞を紡ぎ、地面に機械槍の刃を突き立てる。純白の輝きが刃から放たれ、球状の防御結界が展開される。いかに強力な瘴気であろうともその根源は呪力であり、全ての結界や魔力を切り裂く〝神格振動波駆動術式(DOE)〟の結界の前ではあっけなく消滅していった。

 

「これでわたしたちは大丈夫です。この瘴気ならばしばらくは足止めを」

『ガアアアアアアアッ!』

 

 雪菜の声を遮るようにガルドシュの咆哮が響き、女王ナラクヴェーラが動き出した。ロプロスが攻撃を中断したわけではない。古代兵器の学習により高周波が僅かに軽減されたことを肌で感じたガルドシュが、無理やり体を動かして内部から操っているのだ。非常にぎこちない動きだが、現状での危険性は言うまでもないだろう。

 

『その状態ではまともに動けまい。さあ、これを喰らうがいい!』

 

 ガルドシュの勝ち誇った宣言と共に、女王ナラクヴェーラからレーザーと戦輪(チャクラム)が乱射された。まともに狙いもつけていない攻撃のためか、直撃するようなものこそほとんどない。しかし周囲を無差別に攻撃するため、このままでは増設人工島(サブフロート)の方が持たないだろう。

 

「くそっ! 〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟! 〝双角の深緋(アルナスル・ミニウム)〟!」

「ロプロス、攻撃を続けながら飛べ! お前ならその程度、受けても問題は無い!」

 

 古城は咄嗟に眷獣を呼び出し攻撃を片っ端から撃ち落とし、バビル2世はロプロスに命じその装甲で攻撃を受け止めさせる。それでも眷獣の1体が常に古城たちを守っている以上、どうしても守りきれない部分は出てしまう。本来であれば防衛に参加する紗矢華は、術式維持のため〝煌華麟〟の形態を変形できない。

 そして。

 

「まずい!」

 

 明後日の方向に飛んで行った戦輪(チャクラム)が、あろうことか絃神島本島への直撃コースを取っている。それも1発や2発ではない。

 

「あの野郎、まさかこれを狙って!」

 

 古城が悔しげに表情を歪ませる。無差別攻撃に見せかけ、敵のリソースを削った上で民間人目掛けて飽和攻撃を行う。もはやテロリストですらない、殺戮者の所業だ。ガルドシュの狙い通り、今の古城たちに戦輪(チャクラム)を防ぐ手段は無い。

 この場にバビル2世がいなければ。

 

「撃ち落とせ、ポセイドン!」

 

 バビル2世の命令に従い、海中から計10本の光束が伸び、一気に10の戦輪(チャクラム)を貫いた。同時に、突如現れた蛇の眷属が撃ち漏らした戦輪(チャクラム)を喰らい始める。

 

 

 

「非戦闘員に被害を出すと後が怖いからね、ちょっとしたお手伝いさ。

 まあ、あの様子なら手助けは無用だったみたいだけど」

 

 戦場を俯瞰するヴァトラーの呟きは、誰にも聞かれることなく消えていった。

 

 

 

 蛇の眷獣が喰らい損ねた戦輪(チャクラム)も、海中から連続して発射される光束が余すことなく撃ち落としていく。

 苦し紛れの行動すら対処され、いよいよ後が無くなったガルドシュを、さらなる異変が襲った。

 

『おのれ……ん? なんだ、これは!』

 

 古城たちにもその異変は見て取ることができた。女王ナラクヴェーラの動きが完全に止まり、小型ナラクヴェーラを含めた古代兵器の装甲が先端から崩れ始めているのだ。

 バビル2世は浅葱との話を思い出し、通信を飛ばす。

 

「僕だ。ナラクヴェーラが突然崩れ始めたが、心当たりはあるか?」

『ああ、始まったのね。あのテロリストに言ってやりたいことがあるから、スピーカーに変えてもらえる?』

 

 浅葱の注文を受け、端末をスピーカーに切り替えると、浅葱はガルドシュに向けて今起きている異常事態の説明を始めた。

 

『テロリストさん、私たちのプレゼントをずいぶんと気に入ってくれたみたいね?』

『その声は、女帝か? 一体何をした!?』

『ふん。あんなふざけた取引をされたまま、こっちが泣き寝入りするとでも思ったわけ?

 どう? 自分の手で古代兵器を殺す毒をインストールした気持ちは』

「古代兵器を、殺す毒?」

 

 思わずといった口調で雪菜が復唱する。古城と紗矢華も不思議そうに首をかしげた。ただ1人、バビル2世はどこか呆れたような表情を浮かべている。

 

『あんたたちが送ってきたデータの解析結果に、ナラクヴェーラの自壊プログラムを分割して仕込んでおいたのよ。最初は何の問題もなく動くけれど、少ししたら全行動を中止して自壊する命令をね!』

『女帝、貴様ァ!』

『昔戦争屋が言ったそうよ。〝古来より暴王はその傲慢さ故に毒杯を呷る〟。さしずめあなたは暴君に毒杯を差し出す佞臣といったところかしらね。

自らが飲ませたその猛毒で、御自慢の女王と近衛兵が死んでいく様を目に焼きつけなさい!』

 

 得意げに言い切った浅葱は通信を切り、真実を知ったガルドシュが怒りの咆哮をあげるが古代兵器の崩壊は止まらない。紗矢華が術式を解除し清涼な海風が吹く中、自壊したナラクヴェーラたちが変じた砂は宙を舞い海原へと消えていった。

 神々の兵器と呼ばれた古代兵器の、あっけない最後である。

 

「馬鹿な。ナラクヴェーラが、黒死皇の理想が、こんな、こんなところで……」

 

 放心し、うわ言を繰り返すクリストフ・ガルドシュ。その姿は、先程までの自信に満ち溢れた獣人の戦士とは似ても似つかない、気力を失った老人のようである。

 

「なかなな面白い見世物だったよ」

 

 脅威が過ぎ去ったことで一息ついていた古城たちの前に、ヴァトラーが着地した。興奮した子供のような表情は一瞬で静まり、軽薄そうな顔で飄々と用件を伝える。

 

「そこらへんに転がっている黒死皇派の身柄は、ボクが引き取るけどいいよね。彼らは戦王領域の法で裁く。

 絃神島本島を守った程度しか働いていないんだ。船も沈められてしまった手前、このくらいはしないとボクの沽券にかかわってくるからね」

「日本国政府に対して、その条件で構わないと既に許可を出させている。とっとと持って帰るんだな、蛇使い」

 

 突然転移してきた那月が、ヴァトラーの要求を既に通っていると伝えた。ヴァトラーは少し驚いた表情をしたものの、満足そうな表情を浮かべる。

 

「では、諸々の手続があるからボクは此処で。少しすれば部下が黒死皇派の拘束をしに来るから君たちに迷惑はかけないよ。

 愛しの第四真祖に憧れの過適応能力者(ハイパーアダプター)、見ごたえのある舞台をありがとう。それではまた今度会う時を楽しみにしているよ」

 

 キザな一礼を決め、楽しそうに去っていくヴァトラーを見て、古城の両肩に疲労感が押し寄せる。

 

「さてバビル2世、お前は私と来てもらうぞ。報告書のために現場の状況と推移を説明してもらうからな」

 

 続いて、那月がバビル2世の腕を掴んで有無を言わさず転移する。あっけにとられる古城だったが、ふと1つのことが気にかかった。

 

「なんか、那月ちゃんとバビル2世って遠慮が無くなかったか? 知り合いにしてもどこか変だったし」

 

 古城の疑問に、雪菜と紗矢華が呆れたように肩をすくめた。

 

「暁古城、あんたそれ本気で言ってるの? 空隙の魔女とバビル2世の関係なんて、少し考えればわかるじゃない」

「そうですよ先輩。ちょっとその疑問は間が抜けてます」

「え? じゃあ2人は見当がついてるのか?」

 

 古城の疑問に、現役攻魔師の2人は呆れた表情を浮かべる。

 

「まったく。あのね、真祖に匹敵する戦力を国がなんの対抗策も無くただ自由にさせると思っているの?

 あなたに雪菜、アルデアル公に私、そしてバビル2世に空隙の魔女」

「恐らくですけど、南宮先生はバビル2世の監視役です。彼が力を無秩序に振るおうとした場合、対抗できる人はそう多くありませんから」

「なるほど、たしかに言われてみれば納得できるな」

 

 那月とバビル2世が立っていた場所を見ながら、古城は最強の過適応能力者(ハイパーアダプター)との共闘を思い返す。いつか、何かがあった時に周囲を守れるだけの力を、あの高みを。

 彼がいなければありえなかった力への漠然とした意識が生まれ、古城の何かが変わった。それが何を生み出すのか、どう影響するのかは、まだわからない。

 

「ところで先輩、新しい眷獣を掌握した件ですが」

 

 雪菜の言葉に動きを止める第四真祖の行く末は、今だ霧の中にある。

 

 

 

 南宮那月が所有するマンションの最上階に、バビル2世は連行されていた。

 

「ここならば防諜が行き届いている。誰かに見られる心配は無いぞ」

 

 どこか気遣うような那月の視線の先で、突然バビル2世が崩れ落ちた。

 

「やはり無理をしていたな。あれだけの能力を使っていたんだ、あのころよりも強くなって許容量も増えているとはいえ、限界が無くなったわけではないんだろう? あまり無茶をするな」

 

 普段古城たち生徒へ向けるものとは違い、優しい口調で那月はバビル2世へ栄養ドリンクを差し出す。

 

「ああ、やはりばれていましたか」

 

 バビル2世はどこかばつの悪そうな表情で受け取り、一気に飲み干した。ソファーに移動する気力もないのか、絨毯の上で大の字になっている。

 

「何年お前と行動していると思っているんだ。お前の宿敵とかいうヨミほどではないだろうが、お前の強がりなどお見通しだ」

 

 茶目っ気のある表情でバビル2世に微笑み、那月はアスタルテに命じて大量の水と食事を用意させる。

 

「アスタルテ、動けるようになったのか」

「肯定。あなたのおかげで一命を取り留めました。感謝します、バビル2世」

「調べさせた技師からの報告書に目を通したが、特に異常はない、というよりも銃で撃たれた結果が現状という点が一番の異常だそうだ。

 私にもわからない何かがあるかもしれないからな、後で読んでおけ」

 

 投げ渡された資料を受け取りながら、バビル2世は眼前に運ばれてきた料理に思わず目を奪われた。アスタルテの命を救った恩を返すためでもあるのか、量も質も並以上のものが揃っている。

 疲れ果てて今すぐにでも食事をとりたいバビル2世だったが、まずはこの部屋の主へと視線を投げかけた。バベルの塔の設備には遠く及ばないが、信用する人物の元で滋養のある食事をすることは今のバビル2世にとっては重要な休養となる。それを知っている魔女だからこそ、ここまで迅速に回復用の食事を用意できたのだろう。

 

「あの転校生ではないが、監視対象がこんなことで倒れてしまっては張り合いが無いからな。政府からの補助金も無くなってしまう」

「その補助金が僕を監視した結果出ているというならば、この食事を遠慮する必要は無さそうですね」

「そういえば、学園からおめおめガルドシュを逃がすとは珍しい失態だったな」

「仕方ないでしょう? 本気で力を使ったら余波で学校が崩壊しかねない。ただでさえ眷獣の暴走で屋上部分が崩落しかかっていたんですから」

 

 どうにか上半身を起こしたバビル2世との会話に、那月は笑いながら紅茶を啜った。

 監視対象とその監視役とは思えない和やかな話し合いは、今まさに第四真祖とその監視役の間で交わされているものとは対照的であった。



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13話 各々の戦後会談

 戦王の使者編完結となります。

 2020/3/23 用語集追加


 深夜の彩海学園。人工島管理公社所属の矢瀬基樹は、1人屋上で佇んでいた。昼にバビル2世から学園での接触を持ちかけられてから今まで、全く気が休まっていない。

 

「ったく、こちとらヴァトラーの蛇使いに気絶させられてんだぜ? 少しは労わってほしいもんだ」

「それは悪い事をしたな。そう長く話すつもりはない」

 

 夜の闇にただ消えていくはずだったぼやきは、すぐそばから返答された。驚愕に一瞬目を見開き声の主を探れば、屋上の入口にバビル2世が立っていた。傍には黒豹が侍り、いつでも主を守れるよう警戒を厳にしている。

 そして気流を操る基樹には、上空をゆっくりと旋回するロプロスの様子も把握できてしまっていた。

 

「声からして、お前が昼の通信先か。まさかこの学園の生徒だったとはな」

「何言ってんです? 用心深さで有名なあなたの事だから、赴任前にこの学園の関係者全員分の背後関係くらいは洗ってるんでしょう?」

「いや、まだ6割といったところだ。流石に時間が足りなかった」

 

 遠回しの肯定をするバビル2世に対し、矢瀬の表情が引きつる。冗談のつもりで切り出したのだが。

 

「で、こんな所に呼び出して何の用事なんでしょうか。俺、一応学生なんで早く寝たいんですよ」

 

 気を取り直し、軽薄そうな口調で矢瀬は切り出す。一般的な人物であれば侮りを誘発し会談を切り抜けるための常套手段なのだが、バビル2世は一切の反応を示さない。小手先の技術が通用する相手ではないのだ。

 

「単刀直入に聞こう。僕の塔とその守護者についてどこで知った。管理公社の人間とはいえ、簡単に手に入れられる情報ではないぞ」

 

 バビル2世の瞳が強く輝き、髪がたなびきはじめる。漏れ出した力の余波で、半壊状態の屋上が軋みはじめた。

 

「落ち着いてください、このままじゃ屋上が崩落しますよ?」

 

 矢瀬が慌てるが、バビル2世は表情を崩さない。段々と強くなる圧力に、矢瀬はついに両手を挙げた。

 

「降参です。全部話しますから、とりあえず圧を解いてください。明日登校したら学校が瓦礫の山でしたじゃあ、流石に隠蔽のしようがないんで」

 

 矢瀬の宣言で、屋上を覆っていた圧が霧散した。バビル2世は視線だけで続きを促す。

 

「ありがとうございます。こっちも手短に言いますけど、とりあえず最後まで聞いてくださいよ?

 ……俺は、伊賀野さんの後継者です。彼が持っていた貴方に関する全ての情報を唯一引き継ぎ、管理する立場にあります。本当であれば全面的な手助けをしたいんですが、家の事情でそれはできません」

 

 矢瀬の告白に、バビル2世の目が見開かれる。かつてバビル2世が経験した戦いで、何の能力も持っていないただの人間であった数人の協力者、その1人である人物の名が出てくるとは思いもしなかったのだ。

 

「……その名を知っている時点である程度の信用はできる。しかし、それでも最後の一押しが欲しい。伊賀野さんも、ただ自分の後継者と言っただけで僕が信用するとは思っていないだろう。何かあるんじゃないか?」

「はい、たしかに伝言を預かってます。

 バビル2世、宇宙ビールスの事件では偉そうなことを言っておいて、ほとんど役に立てなくてすまない。君が安らかに過ごせることを長官共々願っているが、もしもの時のために1人の協力者を厳選し継承させていく。この選択で君が少しでも孤独から脱せられれば幸いだ。

 以上です」

 

 矢瀬が話している間、バビル2世はひたすらに意識を集中していた。いざとなれば一瞬で命を奪える相手に対し、矢瀬は背中に冷や汗を流しながらも表情を崩さない。

 僅かな沈黙の後、沈黙を破ったのはバビル2世の方であった。

 

「宇宙ビールスの件から、嘘ではないことが分かった。あの事件は公的にはテロ未遂事件として処理されているはずだからな。それに、調査中の言動を知り得る方法が無い。

 矢瀬といったな。君の事を信じよう。」

「ああ、信じてもらえましたか。正直どうなることかと思いましたよ。ちなみに俺で継承者は3代目です」

 

 矢瀬の全身から力が抜ける。命の危機が去り、へたり込みそうになる体をギリギリで持ちこたえさせる。正式な協力者になった相手に、そんな無様は晒せない。

 だがそんな努力は、バビル2世の一言で無に帰した。

 

「べつにへたり込んだからといって軽視はしないさ。けっこうな精神的重圧だったようだからな」

 

 まるで心を読んだかのようなバビル2世の言動に一瞬矢瀬の頭が真っ白になるが、バビル2世の光る瞳と脳に叩き込んだ伊賀野の遺した資料から冷静さを取り戻す。

 

「そういえば読心術に催眠もできるって伊賀野の手記に書いてありましたわ。いや、仕事柄接触感応能力者(サイコメトラー)系の対策はしてるんで、ここまであっさり読まれるとは思いもしなかったです。

 そもそもそういった能力者は接触とか目を合わせるっていう条件付きの場合が多いですけど、そういうの無いんですか?」

「ああ、僕の場合は精神の集中以外条件はいらない。それと一般的な過適応能力者(ハイパーアダプター)と僕の能力は厳密には系統が違うからな。そういった対策手段が上手く機能しなくてもしょうがない」

 

 バビル2世の言うとおり、彼の能力と世の過適応能力者(ハイパーアダプター)は様々な差異がある。その中でも最大のものが、本来過適応能力者(ハイパーアダプター)が持つ能力は1人につき1つであるという点だ。1つの能力を応用して多くの現象を引き起こすことはできても、根本的に異なる多数の能力を操る存在は確認されていない。ただ1人、バビル2世を除いては。

 

「バビル2世、あなたはその差がなんなのか知ってるんですか?」

 

 矢瀬は過適応能力者(ハイパーアダプター)の家系に生まれ、一般人よりも遥かに能力者について詳しい。だからこそ聞かずにはいられなかった。はっきり言えば彼のような多能力者(マルチアダプター)などありえないのだ。

 決死の覚悟で踏み込んだ矢瀬に対し、バビル2世は取りつく島も無かった。

 

「それを伝えても何の意味もない。それに、その秘密を知った者がそれを利用して自国の利益のために非人道行為を行ったこともあった。だからこの件に関して答える気は無い」

 

 凍えるような視線に、矢瀬は思わず目を逸らした。

 

「すいません、少し不作法でしたね」

「いや、知らないことは仕方がない。まあ、次は無いぞ」

 

 きっちりと釘を刺され、矢瀬の顔に苦笑が浮かんだ。バビル2世の表情からも、それほど気にはしていない様子が汲み取れ、場の空気はひとまず和らいだ。もっとも、もしもこの件を蒸し返すようなことがあればその時点で矢瀬の身の安全は保障できないだろう。

 

「そういえば、失礼ついでにもう1つ聞いてもいいですか?」

「ものによるけれど、とりあえず言ってみてくれ」

 

 ふと、矢瀬は気になっていたことの確認をとることにした。

 

「何故今回の戦いで、読心や催眠を一切使わなかったんですか?

 極端な話、ガルドシュが学園に来た時に洗脳してしまえばそれで終わりだったでしょう」

 

 今回の騒動を監視していた矢瀬からすれば、大きな疑問だった。ヴァトラーのような戦闘中毒者(バトルジャンキー)ではなく、効率を重んじるはずのバビル2世が、何故最も効率のいい方法を取らなかったのか。

 バビル2世の答えは、簡潔なものだった。

 

「経験から使わなかっただけだ。そもそも洗脳は一定以上の精神的強さを持つ相手には効きにくいものだし、強いショックで簡単に解除される。一般的な戦闘員ならまだしも、信念を持って行動するテロリストには効きが弱いだろうし、クリストフ・ガルドシュにはまず通用しないだろう。なら正面から倒した方が早い。

 部下の行動で逃げられてしまったがな」

 

 バビル2世は事も無げに言うが、催眠のかからない基準はかなり高い。厳しい訓練で知られる特区警備隊(アイランド・ガード)の一般構成員程度では、抵抗もできずに支配下に陥るだろう。

 

「まあ、手段を選ばず戦えた相手ではなくなっているからな。迂闊に使えば信用を失うだろうし、気軽に心を読まれても面白くないだろう。今の世の中で、まず使う気は無いから安心してくれ。

 とはいえ、それも僕の身の安全が脅かされるまでだ。必要とあれば戸惑いなく使うし、万が一僕の塔に攻め込んできた相手がいた場合も同じだと考えてくれていい」

「それは、まあ……その状況下で使うなとは言えませんよ」

 

 バビル2世の言うとおり、かれの精神系の能力は今の世では非人道的のそしりは免れ得ないだろう。しかし、かれの命がかかる場面でなおそれを使うなとは言えない。自分の命を狙って襲い掛かってくる敵の権利を守るために、自分が死んでは何の意味もないのだから。

 

 これで今晩は解散かと考えていた矢瀬だったが、意外なことにバビル2世から話が切り出された。

 

「こちらからも1つ聞きたい。君以外が僕の情報を持っていることはあるか?

 当然聖域条約の上層部以外という話でだが」

「いえ、それはないでしょう。都市伝説程度ならまだしも、あなたの詳細な情報は隠蔽と抹消が徹底されていますから」

 

 矢瀬の回答に、バビル2世はどこか納得がいっていないようだ。

 

「引っ掛かっていることがある。

 ガルドシュと学園で対峙した際に、僕は変装を解いて戦った」

「報告は受けています。それが何か?」

「ガルドシュは変装が解けた僕の姿を見て、僕の名を呼んだんだ」

 

 それがどう引っかかるのかわからなかったが、矢瀬はすぐに違和感に気が付いた。表情からか直接かはわからないが、それを読み取ったバビル2世は話を続ける。

 

「そう、僕の髪と瞳からバビル2世の名を呼び、過適応能力者(ハイパーアダプター)であることも知っていたようだった。

 さっき僕の情報は隠蔽抹消されていると言っていたな。ではガルドシュはどうやって僕の特徴を知ったんだ?」

 

 聖域条約の破壊を目論むテロリストに、最重要機密事項の1つであるバビル2世の情報を流す愚か者は条約上層部には存在しない。では、いったいどうやってガルドシュは名前と特徴を知ったのか?

 

「伊賀野さんの後継者矢瀬基樹。人工島管理公社所属の立場を利用するようだが、君にこの件の情報収集を頼みたい。当然僕の方でも塔の総力を持って情報を集めているが、こと情報において手や目は多い方がいい。

 頼まれてくれるか?」

「任せてください。そういったことなら協力は惜しみませんよ」

 

 矢瀬は2つ返事で了承し、根回しのためにと言い残して校舎内へと消えていった。

 残されたバビル2世の脳内では、予感を元にいくつかの仮説が渦巻いている。紛争地域で目撃された情報から推測したのか、数年前那月と欧州での活動中に敵対した組織から漏れたのか。

 そのどれもが決め手に欠けるが、1つ突拍子の無い仮説があった。ナラクヴェーラを手に入れるために世界中の遺跡を荒らしていた黒死皇派だが、その連中がもしもかつてバビル2世と戦った男――ヨミが遺していた記録を見つけていた場合。多くの場合記録装置どころか拠点ごと破壊していたはずではあるが、破壊を免れた記録が断片でも残っていた場合、宿敵である自分の特徴が遺されていたとしても何らおかしくは無い。

 

「まさかな。だが、念のため調べる必要はありそうだ」

 

 独白するように呟き、人間離れした跳躍でロデムと共にバビル2世もまた屋上から姿を消した。

 

 

 

 テロリスト達の狂乱から一夜明けた朝。彩海学園へと向かう学生たちを満載したモノレールの中で、古城は普段の気だるげな表情とはまるで違う、どこか思いつめたような表情を浮かべていた。

 隣に立つ雪菜から見ても、監視を始めてからこれほど真剣な顔の古城を見るのははじめてであり、どうしていいのかわからない。

 

「せ、先輩! 昨日のことで、何かあったんですか?」

「…………」

「あの、先輩?」

 

 意を決した雪菜の呼びかけにも、古城の反応は鈍い。数度の呼びかけの後、やっと古城は思考の海から戻ってきた。

 

「あ、ああ、悪いな姫柊。考え事してた」

「どうしたんですか先輩。今朝からずっと難しい表情で何かを考えてるなんて。

 先輩らしくありませんし、少し心配です」

「俺らしくないってどういうことだよ!」

「先輩、公の場でいきなり大声を出すのはマナー違反ですよ?」

「原因のお前が言うかそれを」

 

 会話を続けるうちに普段の調子が戻ってきてはいるものの、やはりどこか堅い印象が拭えない。

 

「……なあ、姫柊」

 

 しばらくの無言の後、古城が口を開いた。

 

「昨日の件だけどさ、俺ほとんど役に立ってなかったよな」

「そんなことは無いですよ。眷獣でナラクヴェーラの足止めをしていましたし、私よりもずっと戦況に与えていた影響は大きかったですよ?」

「でも、ナラクヴェーラにとどめを刺したのは浅葱のプログラムだ。足止めって言っても、眷獣をもっと上手く扱っていれば地面に穴なんかあけないで、ナラクヴェーラを1機破壊できてたかもしれないだろ? そしたらもう少し楽な状態で戦えた」

 

 言葉の端々から、今の古城が必要以上に卑屈になっていることがわかる。

 

「先輩、ひょっとしてですけど、バビル2世と比べて活躍できなかったとか考えてます?」

 

 雪菜の問いに、古城の肩が僅かに揺れる。どうやら図星のようだ。モノレールの改札を抜けながら、雪菜は思わずため息をついた。

 

「あのですね、同じように世界最強と呼ばれているかもしれませんが、バビル2世と先輩とでは戦闘経験に差がありすぎます。

 そもそも、全ての眷獣を掌握していない上に吸血鬼としての能力を使いこなせていない先輩がそう思うこと自体、ちょっと思い上がりが過ぎますよ?」

 

 どこか諭すような雪菜の口調に、古城の顔が渋くなる。頭では理解しているのだが、感情的には納得できないのだ。

 

「まあ、そこまで難しく考えることは無いと思いますよ?

 今回も間違いなく先輩は絃神島のために戦って、多くの人を守ったんですから。自身を持ってください」

 

 可愛い後輩から微笑みと共に行動を肯定されれば、古城も悪い気はしない。少し気を持ち直したところで、背後から声がかかった。

 

「姫柊と古城君、おはよう」

 

 振り向けば、浩一が手をあげながら近づいてきていた。古城たちと同じく学園へ向かっているらしく、歩調を合わせる。

 

「昨日は何の役にも立てなくて申し訳ない。途中から黒死皇派の残党追跡に駆り出されてね。ナラクヴェーラが起動したときには付近にいなかったんだ」

 

 古代兵器との戦闘を手助けできなかったことを謝られるが、古城たちは慌てて頭をあげるよう頼む。

 

「いや、そんな頭を下げられるようなことじゃないですから!」

「そうですよ! それに理由あっての事なんですから、気にしないでください!」

 

 事情を知らない若者の、純粋な言葉が浩一の胸に突き刺さる。実際は共闘していたとはいえ、形式上危険極まりない戦闘を押し付けた形になっているのだ。

 

「いや、このまま済ませていいものじゃないからね。後で何かしらの埋め合わせはするよ。

 姫柊は鍛錬に付き合おうか。最近は相手をしていられなかったからね」

 

 埋め合わせとして鍛錬を提案する浩一に、雪菜の顔が喜色に染まる。

 

「なあ浩一さん。その鍛錬、ついでに俺も鍛えてもらえないか?」

 

 続く古城の言葉に、雪菜と浩一は動きを止めることになった。

 常夏の島で出会った第四真祖と過適応能力者(ハイパーアダプター)。共に世界最強の称号を持つ2人は、どのような影響を与え合っていくのか。

 物語は、未だ始まったばかりである。




 今年最後の更新となります。拙作を閲覧いただき、誠にありがとうございました。
 よいお年をお迎えください。



 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 矢瀬基樹 やぜ-もとき
 第四真祖である、暁古城の真の監視役。
 人工島を管理する通称公社の重役の息子であり、気流に関係する過適応能力者である。
 監視役として暗躍を繰り返すのだが、第四真祖周辺の人物は予想外の行動が非常に多いため苦労人としての印象が強い。

 バビル2世 用語集

 人物

 伊賀野晋作 いがの-しんさく
 原作においてバビル2世が音信不通となったF市に調査に向かう際に長官が同行させた調査員。
 特殊訓練を受けた腕利きであるのだが、相手が悪いためほとんどの場面で足を引っ張ってしまっていた。
 だが、実力差を素直に認めバックアップに努めるなど、きちんと有能な点も見せている。

 長官
 判明している名前は五十嵐。
 国家保安局局長であり、ヨミの部下に拉致される寸前バビル2世に救助された。ヨミの野望を知ったために日本でバビル2世の行動を支援し、自らもヨミがらみと思われる事件を知るとバビル2世に情報を流す心強い協力者となった。

 種族・分類

 宇宙ビールス
 宇宙から人工衛星と共に地球へと落ちてきたミクロサイズの知的生命体。
 生物に取りつくと爆発的に増殖し宿主を殺すが、適応するだけの体力があればその生命体に超能力を与え自らの版図を広げていく。また、死者を蘇らせることも可能。
 空気感染するほどに繁殖力が強いがニンニクのエキスに致命的に弱く、注射された生物には侵入できず適応した生物に注射されればたちまち死滅する。

 用語

 読心術
 バビル2世が持つ超能力の1つ。
 集中することで対象の心を読む。一般的な読心術対策のように歌などで気を逸らしても深層心理や記憶まで読み取られてしまうため、一般人にとっては特に脅威となる能力。

 催眠
 バビル2世が持つ超能力の1つ。
 瞳を合わせることで瞬時に相手を催眠状態に陥れる。
 この能力の恐ろしい点は、防犯カメラ越しであっても問題なく作用し操られてしまう点。
 上記の読心術と合わせて流石に強力すぎるため、今作では意図的に弱体化させている。


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幕間1
先達の実力


 あけましておめでとうございます。今年も拙作をよろしくお願いします。

 試験的にルビが多くなっています。

 2020/3/25 用語集追加

 2020/6/7 口調の訂正


 常夏の絃神島といえども、夜になれば暑さは鳴りを潜め、海風によって肌寒い日も出てくる。そんなある夜に、国家攻魔官山野浩一の権限によって特区警備隊(アイランド・ガード)の訓練場が貸し切られていた。照明の下対峙するのは、獅子王機関に所属する剣巫、姫柊雪菜。そして獅子王機関客員先達の地位にある山野浩一である。

 黒死皇派のテロ行為の際、傍での援助ができなかった埋め合わせとして提案されていた鍛錬だが、互いの予定や訓練場の貸出交渉等の理由から日程がずれ込み、結果として一週間ほど経過した日に行われることになったのだ。すでに双方共に戦闘準備は整っており、装備も試合用の非殺傷のものになっている。

 

「よし、ルールの確認だ。今回の鍛錬は実戦形式の寸止め、又は降参で終了とする。魔術魔具の類は互いの判断で使用可能。その他細かい部分に関しては、獅子王機関のものと同じルールで。何か加えるものはあるかな?」

「いいえ、それで大丈夫です。合図はどうしますか?」

「そうだな、コインを投げてだとタイミングを計るのは簡単だから……古城君、頼んでいいかな?」

 

 見学として壁際にいた古城は、急に話を振られたためか困惑する。

 

「え、俺ですか!

 いや、でも合図出しって結構重要だと思うんですけど、俺でいいんですか?」

「ああ、そんなに気負わなくて大丈夫だよ。単純に鍛錬する側にタイミングを読まれないことが大切だから、慣れているとかえって不向きになる時があるんだ。

 お願いできるかい?」

 

 こうまで言われると、古城としても流石に断ることもできない。おずおずと片手をあげ、向き合う2人を見ながら手に力を込める。

 

「じゃあ……はじめ!」

 

 古城が手を振り下ろした瞬間、音も無く2人の攻魔師が地を蹴る。先手はリーチの差もあり雪菜が取った。

 

「はあっ!」

 

 掛け声と共に刃の潰れた槍の連続突きが浩一を襲うが、その全てが手甲で弾き落とされていく。

 

「攻撃する先に素直に目線を置きすぎている。剣巫として目を重視することはわかるが、もっとフェイントをかけないとこうして攻撃先を読まれるぞ!」

「はい!」

 

 らちが明かないと判断したのか、返事と共に雪菜は跳躍し距離を稼いだ。槍で戦う雪菜と格闘で戦う浩一では、リーチの差が圧倒的に違う。距離は雪菜の味方なのだ。

 一呼吸で息を整え、雪菜は次の手に薙ぎ払いを選択した。浩一は飛び退いて避けるが、体を独楽のように回転させた薙ぎ払いが連続して繰り出される。

 

「なかなか面白いが、勢いに任せて精度が無い!

 きちんと槍の先まで意識を通せ!」

 

 浩一の指摘と共に槍は上へと弾かれ雪菜は胴を無防備にさらす形となった。すかさず浩一の蹴りが雪菜を襲うが、雪菜は弾かれた勢いを利用し石突きで蹴りを防ぐ。

 

「わかりました!」

 

 律儀に返事をし、再度間合いを開く。攻めあぐねているのか、今度は容易に間合いを詰めなかった。

 

「来ないのか、では今度は攻められた時の動きを見せてもらおう!」

 

 宣言と共に浩一が間合いを詰める。一跳びで槍の制空権に踏み込まれた雪菜は慌てるが、咄嗟に槍を突き出し牽制する。しかし牽制の一撃は容易に弾かれ、浩一のさらなる踏込を許す形となってしまった。

 こうなると槍はとたんに不利となる。穂先から内側に入り込まれた場合、できる事が殆ど無いのだ。

 

「素早い相手であれば、こうして掻い潜られることは容易に考えらえる。その場合の対応策を見せてみろ!」

 

 そう言いながらも、容赦のない連撃で雪菜を攻撃し続ける。雪菜もなんとか体術で応戦しているものの、防ぐことが精いっぱいで反撃に転じられない。跳躍して逃れようにも、飛び退く瞬間の硬直を見逃すほど浩一は甘い相手ではないと知っているため、間合いを離せない。

 

「どうした、このままではじり貧だぞ!」

 

 このまま決着かと思われたが、2人の間で突如強い閃光が生まれ、一瞬怯んだ浩一の隙を突いて雪菜は三度間合いを取った。息を切らす雪菜の袖口から札が落ちる。

 

「なるほど、呪符を仕込んでいたのか。呪符の補助があったとはいえ、あの状態で術を発動させるとは……腕を上げた」

「ありがとうございます」

「しかし、そう何度も使える手じゃないことはわかっているだろう。次で最後といったところかな」

 

 浩一の推測を肯定するように、雪菜は呼吸を整え瞳を閉じた。

 

「――獅子の巫女たる高神の剣巫(けんなぎ)が願い奉る」

 

 雪菜の唇から清らかな祝詞が漏れ出す。霊力を練り上げ身体能力を劇的に向上させることは剣巫の基本技能なのだ。増幅機関である雪霞狼を持っていない状態でも、効率や強化度合こそ落ちるものの使えなくなる道理は無い。

 

「破魔の曙光、雪霞の神狼、鋼の神威をもちて我に悪神百鬼を討たせ給え!」

 

 練り上げた霊力を脚に回し、先程までとは比べ物にならないほどの速さで踏み込む。狙うのは浩一の首であり、傍から見ていた古城からすれば反応すらできない速度であった。速度と威力が十分に乗った穂先が迫るが、浩一は余裕の表情を崩さない。

 

「――獅子の守人(もりと)たる高神の殲達(せんだつ)が誓い奉る」

 

 浩一が冷静に力強い祝詞を唱え始め、古城が驚愕から目を見開く。少ないとはいえ霊力を持っているとは聞いていたものの、この状況でどのような手段があるのか想像がつかない。

 浩一は静かに構え、霊力を全身に巡らせる。

 

「裁きの劫火、護りの宝玉、祓いの威光を背負いて、仇なする者(ことごと)くを打ち倒し静寂を眼前へと(もたら)さん!」

 

 浩一の身体がぼやけたように見えた次の瞬間、雪菜の槍が浩一の首を貫いた。

 

「なっ……おい、姫柊!」

 

 思わず声を荒げる古城だが、貫かれた浩一の身体がゆっくりと消えていく様子を見ていよいよ言葉を失う。貫いた本人であるはずの雪菜はがっくりと肩を落としていた。

 

「やっぱり祝詞を唱えられると手も足も出ませんね。まいりました」

「いや、まさかここまでとは思っていなかった。祝詞を唱えずに終わらせるつもりだったんだが、予想以上に実力が伸びていた。

 成長したね、姫柊」

「さっきのは幻影ですか? 私も初めて見た手ですけれども」

「秘密だ。先達といえども、いや、だからこそ手の内を明かすことは避けたい」

 

 槍に貫かれて消えたはずの浩一が、いつのまにか雪菜の背後に立っていた。後頭部には拳がそえられており、振り抜いていれば雪菜の意識は刈り取られていただろう。

 横で見ていた古城ですら捉えられなかった高速移動術に、雪菜はなんとかして対策を練ろうと難しい顔をしている。

 

「さて、次は古城君だね。行けるかい?」

 

 浩一は戦闘中の口調からいつもの丁寧な口調に戻っていた。雰囲気も柔らかなものになっている。

 

「いや、見てましたけど……俺と浩一さんじゃ俺が一方的にやられるだけのような気がしてきましたよ。第一そばで見てたのにほとんど動きが見えなかった。見えた動きにしても、反応する暇が無さそうでしたし」

 

 古城はすっかり気が引けていた。彼からすれば雪菜は接近戦においてかなりの実力者であり、純粋な格闘戦でも自身を遥かに上回る相手である。その雪菜を愛槍が無いとはいえ霊力で身体能力を増強した状態であるにもかかわらず、素手で一方的に制圧した浩一は、古城から見れば実力の隔絶した超人である。

 テロ事件の翌日はある種の熱に浮かされて鍛錬への参加を希望したが、眼前で行われた凄まじいまでの戦闘、それも両者の様子から全力を尽くしたものではなく、真剣とはいえ訓練の範囲内に抑えられていたものを目の当たりにし、驚愕と同時に心が折れかけているのだ。

 

「君は今実力差を見て諦めようとしているんじゃないか?

 私も姫柊もこの実力に至るまで年単位の血のにじむような努力を繰り返していたんだ。君は第四真祖になってからどこかその力を忌むべきものだと思っていたんじゃないか? 振るうことを躊躇し、使わないように努めていたんじゃないか?

 気持ちを完全には理解できないが、ある程度ならわかるよ。似たような境遇の人を何人も知っている。姫柊もその1人だ」

 

 浩一の言葉に、古城は思わず雪菜へと目を向けた。雪菜はいつもの変わらない表情で、古城に微笑みを返す。

 

「境遇を詳しく話す気は無い。それは姫柊が話すかどうか決めることだ。でも彼女は獅子王機関に入ってから元凶になったその力を磨き上げてここまでの実力を培ったんだ。君がしていたバスケでも、何もしていない人がいきなり強くなれるわけじゃないだろう」

 

 もっともな話である。そもそも第四真祖とはいえろくに鍛えていない少年が打倒できるほど、獅子王機関の剣巫は生易しい相手ではない。獅子王機関最上位の戦闘要員である先達であるならばなおさらである。

 

「バスケ自体も離れて久しいみたいだし、あくまで動きの感を取り戻すのと、戦闘時にどう動くかを知る練習だと思えばいいさ。

 こちらもいきなり全力で襲い掛かりはしないさ。相手をしながら、処理できるぎりぎりを探っていくよ」

 

 どうかな? と提案を向けられ、流石に古城も嫌とは言えなかった。元々自分から言い出したことに加え、きちんと段階を踏んでくれるというのだ。こころなしか重い足取りで浩一と向かい合う。

 

「古城君、姫柊からロタリンギアのオイスタッハ殲教師(せんきょうし)との戦いを聞いたよ。その中で君は眷獣の力を利用し、雷球を生み出して扱ったらしいね。監視役の補佐としては問題発言かもしれないけれど、眷獣の応用発現はもっと磨くべきだ。大規模な破壊が許されない場所での戦闘や、格闘戦での不意打ちに役立つからね。そういったことを念頭に置いて、今回の訓練に臨んでほしい。防護手段はあるから、怪我をさせる不安はしなくて大丈夫だよ。

 姫柊、合図を頼む。好きなタイミングで構わないよ」

 

 浩一の助言を聞き、古城は思考を速めた。今掌握している眷獣の数は2であり、それぞれ雷と衝撃だ。雷は雷球として活用できたが、衝撃をどう変化させるか、雷を他の方法で扱えないか。

 

「はじめ!」

 

 声と共に古城は駆けだした。オイスタッハとの戦闘を再現したように、雷の魔力が体を強化し四肢に紫電が奔っている。対する浩一は速さに驚きこそしたものの、一切の構えを見せない。

 

「おらあっ!」

 

 風のような速度で突っ込んだ古城は大ぶりの拳で浩一を狙うが、それをあっさりと躱され背中を軽く押された。

 

「攻撃が大振りすぎる。フェイントかとどめでなければ隙が大きいから控えた方がいい。

 基本は隙の小さい攻撃を連続するべきだ」

 

 振り向きざまに裏拳を振るうが、すでに浩一は間合いの外にいた。一旦距離が開けたことで古城は最後考えを巡らせる。

 

「そうだ、君の武器はその思考と行動力にある。現状をいかに打破するかを常に考え続けろ」

 

 浩一の満足そうな声も、耳をただ通り過ぎていく。そして再び行動を開始した古城の動きは、先程までとはまるで違う滑らかなものだった。

 

「なるほど、バスケットの動きか」

 

 フェイントをしかけ、意識をそらし、懐に飛び込む。自分の経験した動きを記憶から引き出し、今必要な動きに適応させる。誰にでもできる芸当ではない。

 

「そこだっ!」

 

 そして懐に飛び込むことに成功した古城の腕から、雷球が生み出される。手に持ったまま浩一に押し付けようとするが、寸でのところで躱されてしまった。咄嗟に投げつけた雷球も、籠手で弾かれてしまう。

 

「くそっ、今のも駄目か!」

「いや、今の動きは中々侮れないものだったよ。咄嗟に動きを数段上にしてしまった。僕の見立てが甘かったのか、この短期間で適応したのか。どちらにせよ、君は全くの素人として甘くみられる相手じゃないね」

 

 その言葉をきっかけに、浩一の纏う雰囲気が変わった。雪菜と戦っていた時ほどではないものの、先程まで古城とやり合っていた時とはまるで違うものへと。

 

「さあ、試したいことがあれば部屋が壊れない限りは相手になろう。来なさい」

 

 古城と相対して初めて、浩一が構えを取った。怯む古城だが、頭を振って意識を切り替える。

 

「じゃあ、お願いしますってな!」

 

 自らを鼓舞し、四肢に紫電を纏わせながら駆け出した。この数分で、古城の身体強化は少しずつ最適化されていっている。最初の突撃よりも早く、浩一に接近し今度はジャブを繰り出した。

 浩一も籠手で弾くものの、雷撃のダメージが徐々に装甲を傷つけている。並大抵の術を防ぐ特製の籠手なのだが、部分的な発露とはいえ第四真祖の眷獣が放つ魔力を完全に防ぎきれるほどのものではないのだ。

 

「驚いた。もう格闘と魔力発現の両立をものにしはじめているのか」

「自分でも驚いてるけど、そう簡単に捌かれながらだと褒められてる気がしねえ!」

 

 抗議に笑みすら返す浩一に対して、古城は最後の隠し玉を放った。

 

「吠えろ〝双角の深緋(アルナスル・ミニウム)〟!」

 

 古城の開け放った口から、衝撃と轟音が鳴り響いた。浩一は咄嗟に両腕の装甲で防いだものの、至近距離で受けた事が災いして勢いよく吹き飛んだ。しかし、空中で身を捻り何事も無かったかのように着地する。あっけにとられた古城の隙を突いて浩一は一気に距離を詰め、古城の顔面寸前に拳が突きつけられた。

 

「ま、参りました」

 

 古城の宣言で、鍛錬は終わりを告げた。

 

 

 

 古城と浩一の鍛錬が終わった後、幸い破損が無かった鍛錬場の片づけを終え、雪菜は古城の反省会を開いていた。

 

「横から見ていた感想ですけど、やっぱり先輩はもう少し避ける練習をした方がいいと思います。バスケ部の経験から回避はできているんですけど、バランスを崩したり必要以上の距離を取ったりで、その後に反撃や追撃ができていない状況が多いですから」

「ああ、言われてみれば多いな。戦ってる時は必死で気が付かなかった」

「それと実戦での話になりますが、あまり吸血鬼の再生能力をあてにしてはだめですよ。無意識かもしれませんけど、それで避けられるはずの攻撃を受けていてはすぐに治るとはいえ精神的にも肉体的にも疲労がたまります。結果として致命的な一撃を受けてしまう原因になりかねませんから」

 

 雪菜の指摘に古城が肩を落としていると、返却の手続が終わった浩一が戻ってきた。

 

「後30分で返却時間だよ。反省会はいいけれど、夢中になって閉じ込められないように気を付けて。

 古城君、先程の訓練で見せてくれた行動、どれも見事だった。

 雷球と雷の身体強化は、もっと精度を高めれば強い武器になる。特に身体強化だけど、四肢により強い電気を纏わせられるようにすると牽制になるからね。もちろん、相手を感電させられればいうことなしだ。

 最後の衝撃波には驚かされたけど、威力はまだしも少しのタメと口を開いたままという点がマイナスだよ。雷球や身体強化のように、もっと自然に出せるようにすれば今回のように防がれることも減る。指向性を持たせる工夫としては、掌を筒のようにしてそこから放つのはどうだい? 近距離でとっさの一撃であれば、口からでも十分な効果は見込めると思うけどね。

 では私はこれで。時間までに退室するように」

 

 時間が無いのかまくし立てるように最小限の指摘を終え、浩一は部屋を出ていった。

 

「強いな。浩一さん」

「ええ、私も一撃入れられたことが殆どありません。あれが獅子王機関の先達です」

 

 雪菜の言葉に含まれる畏怖に、古城は身震いする思いだった。

 

「頼めば、また訓練してもらえるかな?」

「忙しい人ですけど、時間さえ合えばきっと大丈夫ですよ」

 

 古城の呟きを雪菜が答え、2人は真剣な表情で訓練場を去っていった。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 暁古城 あかつき-こじょう
 ストライク・ザ・ブラッド主人公。
 バスケ部に所属し、優秀選手に選ばれるほどに努力しのめり込んでいたために運動神経はかなり優れている。
 とはいえ一般人としては優れていたというレベルなので、吸血鬼化して増幅された身体能力が馴染んていないために戦闘でその力を十全に発揮できるというわけではない。

 姫柊雪菜 ひめらぎ-ゆきな
 ストライク・ザ・ブラッドメインヒロイン。
 剣巫としての修業を積んでいたため、身体能力は高い。呪力で増幅した場合、人間を遥かに超える獣人と格闘戦を行い一方的に制することができるほど。
 しかし体重は増やせないので全体的に一撃が軽く、想定外の事柄には上手く対応できないなど欠点が無いわけではない。

 施設・組織

 特区警備隊 アイランド・ガード
 魔族特区という特殊な環境で治安を維持する関係上、非常に厳しい訓練と相応の装備を与えられている。
 作中描写から、中途半端な国の正規軍よりも練度装備共に高いはずなのだが、如何せん作中の敵は世界でも有数の強者ばかりのため活躍が描かれることは非常に少ない。

 剣巫 けんなぎ
 獅子王機関が誇る対魔族戦闘のエキスパートに与えられる称号。実数は少なく、現在では30人もいない希少な存在である。
 その神髄は対魔族戦闘、特に身体能力を武器にする相手と戦う際に発揮され、特殊な呪術と打法により体内機能を狂わせ再生すら阻害し敵対者を仕留める。
 術の性格上殺すだけでなく行動不能にして拘束、尋問すら行うことが可能であり、扱う側からすれば非常に便利な存在。

 獅子王機関 ししおうきかん
 主に大規模魔導災害や魔導犯罪に対抗するために設置された公的な特務機関。
 全国から資質のある人材を集めて教育するため、構成員の質は全体的に高く忠誠心も一定以上の水準を保っている。
 しかし対魔族の教育が主なため、どこかズレた性格のものが多いという難点も存在する。

 種族・分類

 双角の深緋 アルナスル・ミニウム
 12存在する第四真祖の眷獣が1体。振動と衝撃で構成された双角獣の姿を持つ。
 今回の描写のように、眷獣の力の一部のみを引き出して、もしくは眷獣の姿を意図的に変化させて戦う吸血鬼は原作でも数例ではあるが存在する。
 音波という見えない、しかも防ぐことが難しい攻撃を放てるという利点は大きく、今回披露した小技は登場頻度が高くなる予定である。

 バビル2世 用語集

 人物

 山野浩一 やまの-こういち
 バビル2世の本名であり、人間としての名前と言える。
 バビル2世本編では浩一の身体能力が一切描写されなかったためどれほどの才能があったのかは不明だが、バビル2世へと覚醒してからは文字通り驚異的な身体能力を発揮している。鎖を引きちぎり、コンクリートの壁を粉砕し、一跳びでビルの屋上まで跳び上がる姿はまさしく超人と言えるだろう。


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天使炎上編
1話 第四真祖の狼狽


 評価バーに色がつきました。
 これも読者の皆様のおかげであり、この場を借りてお礼を言わせていただきます。
 これからも精進していきますので、楽しんでいただければ幸いです。

 2020/5/3 用語集追加


 浩一との訓練の後、古城は雪菜と共に不定期ではあるが訓練を受けることになった。頼んだ雪菜も意外なほどあっさりと出た許可は、第四真祖の手の内を探るとともに監視役を鍛える意図があるのだろう。

 そして2回目の訓練の翌日、古城は浅葱に美術室へと呼び出されていた。告げられた用事は、美術の課題である友人の似顔絵。そのモデルになってくれというものだった。

 

「で、俺は絵のモデルになるのは承知したが、コスプレをすると言った覚えは無いわけだが?」

「なによ、私を楽しませようって思いやりは無いわけ?」

「あのな、モデルが画家を楽しませるとか聞いた事ないぞ」

「わがままなやつね。面白い顔は嫌だって言うからわざわざ演劇部から借りてきたって言うのに」

「我儘なのはどっちだよ! 1人でそんな格好してたら馬鹿みたいじゃねーか!」

 

 傍から見れば夫婦漫才のようなやり取りが続き、浅葱は開き直ったように改めて古城と向き合った。

 

「……わかった、1人じゃなかったらいいのね。

 あっち向いててよ?」

 

 目の前で浅葱が服に手をかけ、勢いよく脱ぎ始める。臍が見えた時点で古城が慌てて背を向け、衣擦れの音がどこか艶めかしく2人きりの美術室に響く。

 

「お、おい浅葱、何考えてんだよ!」

「なによ、あんたがひとりじゃ嫌だって言うから付き合ってあげてるんでしょうが。

 ほら、もうこっち向いていいわよ」

 

衣擦れの音が止まったことを確認して古城が振り向くと、ファミレス店員の制服をデフォルメしたような衣装を身につけた浅葱が立っていた。胸を強調したデザインに過剰ともとれるフリルで飾り付けられた服を、美術室で同級生が着ているというある種の異常さが古城を困惑させる。

 

「なにぼーっとしてんのよ。私がわざわざ着替えたってのに、あんたはただ見てるだけのつもり?」

 

 不機嫌そうな浅葱に言い(つの)られ、古城はしぶしぶ衣装箱に目を向けた。演劇部から借りてきたというだけあって、ピエロの衣装や(はかま)まである。できるかぎりましなものをと衣装箱を漁った結果、古城が選んだのは燕尾服だった。

 

「じゃあ、あっち向いてろよ」

 

 目を輝かせている浅葱に壁際を向かせ、古城は着替えを始めた。幸いといっていいのか、サイズ的には問題がないらしい。これでもしも着られなかった場合、代わりにどんな服を押し付けられたかと考えると古城の背筋に嫌な寒気が感じられた。

 一応着衣が終わり念のため鏡に映った自分の姿を見るが、燕尾服を着た吸血鬼と考えると一昔前のテンプレート的な魔族の印象をそのまま使っているようでどこか居心地が悪い。

 

「ほら、これで満足か?」

「へえ、古城のくせになかなか似合うじゃない!」

 

 何故か声を弾ませる浅葱に、古城はうんざりと視線を窓の外に向けた。日がかなり傾いてきたため、空は夕暮れに染まりかけている。

 少しセンチメンタルな気分に浸っていた古城は、視界の端でスマホを取り出す浅葱の動きに気が付かなかった。

 

「じゃあ、作画参考資料を撮らせてもらうわよ」

 

 は、と間抜けな声を出した古城の耳に、シャッター音が響く。慌てて正面を向くと、視界には何処かにやけた顔でスマホを構える浅葱の姿があった。こちらを向いたカメラには、写真機能を起動した証の赤いランプが光っている。

 

「おま、なに勝手に撮ってんだよ!」

「だから作画参考資料よ。

 べつにいいじゃない、減るもんじゃないし。クラスのみんなに一斉送信して拡散とかするつもりじゃないんだから」

「最後の一言で一気に不安になったわ! お前さらっとその考えが出てくるのが怖いんだよ真剣に!

 てか俺の肖像権とか無視してんだろその発想!」

 

 どこかずれたツッコミを入れつつ、なんとかして撮影を中断、あわよくばスマホを取り上げ写真を消させようと古城は手を伸ばした。

 

「なによエッチ! 女子のスマホを取ろうとか何考えてるわけ!?」

「何がエッチだ! てか写真消すだけだっての!」

 

 浅葱は当然抵抗し身を捻るが、古城は何故か浅葱の動きがおぼろげに予想できた。特に目標のスマホを持っている浅葱の手は、どう動くのかがより正確に予測できたのだ。

 結果として、じつにあっけなく浅葱の携帯は古城の手の中に納まった。滑らかにスマホを取り上げられた浅葱はもちろん、実行した古城も驚いた表情で握りしめたスマホを見ている。

 

「古城、あんたそんなに動けたっけ?」

「いや、自分でも驚いてる」

 

 どこか間の抜けた会話をする2人だが、思い出したように浅葱は古城からスマホを奪い返した。

 

「わかったわ。絶対人には見せないし、ネットリテラシー的にも下手な扱いはしないって約束する。これでいい?」

 

 真剣な表情に変わった浅葱を見て、古城は渋々頷いた。これ以上駄々をこねられても面倒であることに加え、浅葱はこうした約束を破る人間ではないと古城は信じていた。

 そもそも写真を撮られたこと自体は驚きこそすれ不快であったわけではないし、今は思わぬ訓練の成果で少し浮かれていたのだ。

 

「じゃあ古城、もう1枚だけいい? 作画参考だから、1枚じゃ少し不安でさ」

「ああ、1枚くらいなら構わないぞ」

 

 古城の生返事に、浅葱は素早く反応した。古城の隣に立つと、腕をからめて体を密着させる。そしてシャッターを押すと、燕尾服の執事とファミレス店員という謎のツーショットが撮影された。言葉だけでは謎のシチュエーションだが、目にしてみると意外なほどにしっくりとはまっている。

 

「よしよし流石は私、よく撮れてるわね」

「お前さ、それ撮る必要あったか?」

 

 古城は湿度の高い目で睨みつけるが、何故か上機嫌の浅葱はどこ吹く風だ。

 

「じゃあほどよく緊張もほぐれた所で、ラフから」

 

 ノートを開き古城と向き合った浅葱のやる気に水を差すように、校舎内を長いチャイムが鳴り響く。下校時間になったのだ。

 

「え、もうこんな時間? 全然終わってないんだけど。

 まったく、古城が駄々こねなければ少しは進んだのに」

「俺のせいかよ!? 流石に理不尽すぎるだろ!」

「まずったわね。私明日は用事あるから手を付けられないし……」

 

 珍しく、浅葱は本気で困ったように呻いている。そもそも彼女が課題をさせれられている発端は、先のテロ事件関連の事情聴取が原因である。誘拐されかけるだけでなくこのような不都合を被った友人をこのまま見捨てるほど、古城は冷酷にはなれなかった。

 

「あー……じゃあ今度の週末にでも手伝うか? モデルくらいなら俺の家でもできるし、丁度予定無いしさ」

 

 古城の提案に、浅葱は表情を(ほころ)ばせた。先程までの苦々しい顔が嘘のようである。

 

「ほんとにいいの!?」

「あ、ああ。べつにそこまで食いつかなくてもいいだろ」

 

 喜色満面の浅葱とは対照的に、古城は少し引いていた。

 

「用事が無いってことは、まさか、ふ、2人っきりなんてことも」

 

 浅葱が小さく呟く声は吸血鬼の古城ですら聞き取れない。なにか致命的な間違いを犯した気がする古城だが、今さらやっぱりやめたなどと言えるはずもなく、あれよあれよと浅葱主導で予定が詰められていく。

 

「じゃあ、土曜の朝10時にお邪魔するからね! 寝坊しないでよ!」

「お、おう。気を付けて帰れよ」

 

 美術室に施錠し、去り際に念を押して浅葱は軽い足取りで鍵を返却しに職員室へと向かった。残された古城はあっけにとられ、生返事しか返せなかった。

 

 

 

 浅葱と別れた後、古城は気持ちを切り替えるために廊下の手洗い場で顔を洗うことにした。出る水はぬるいがしばらく出し続ければ冷えてくる。数回顔をこすり、水気を拭こうとしたところで後ろから声がかかった。

 

「どうぞ」

 

 水でぼやけた視界の端には淡いブルーのタオルが差し出されており、古城は条件反射的にタオルを受け取り顔を拭く。

 

「ありがとう、って姫柊!?」

 

 タオルを返そうと振り向くと、どこか不機嫌そうな雪菜が立っていた。いつ近づいてきたのか、古城はまったく気が付かなかった。特にやましいことがあるわけでもないのだが、何故か頬を冷たい汗が流れる。

 

「姫柊、こんなことろで何してるんだ?」

「私は先輩の監視役ですから。そういう先輩は、こんな時間まで、一体なにをしていたんですか?」

 

 監視役を自称する国家公認のストーカーともいえる彼女が、古城の行動を把握していないわけがない。柱の陰となっているせいで、表情が全く読めないことが余計に古城の恐怖心をそそる。

 

「あ、いや、クラスメイトが美術の課題を手伝ってくれってしつこくてな。美術室でついさっきまでつき合ってたんだよ」

「そうでしたか。高校で出される美術の課題は、異性にコスプレをさせて写真を撮る必要があるんですね」

「全部見てたんじゃねーか!

 いや、見てたのならあれが浅葱の悪ふざけだってわかるだろ?」

 

 どこか言い訳がましい古城を一瞥して、雪菜は溜息を吐いた。

 

「べつに謝ってもらう必要はありません。それにしても、随分と楽しそうでしたね」

「え?」

「いえ、最近の鍛錬の成果を初めて発揮するのが女子生徒のスマホを奪い取る時というのが、実に先輩らしいと思っただけです。いやらしい」

「見てたんなら悪意があったわけじゃないってわかるだろ!

 そうだ、話は変わるけど、少し相談したいことがあるんだ」

 

 これ以上話していたらどんな曲解からの非難がとんでくるのかわからない。古城は強引に話題の転換を図った。雪菜が訝しげな眼をしているが、構わす話を進める。

 

「浅葱に対しての相談なんだ。俺が最近あいつにいろいろと情報面で頼ってるのは知ってるだろ?」

「はい。たしかに藍羽先輩には助けてもらいました。それで御礼でもするんですか?」

「ああ、それも考えてはいるんだが……力を借りてばかりなのに、今回みたいにあいつを中心に事件が起こった時、咄嗟に助けられないのが気になってさ。

 保健室にガルドシュが来たとき、浩一さんの代わりに俺がいたらと考えると、あいつに俺が吸血鬼だってことを隠してるから上手く助けられないと思ってな」

 

 すこし沈んだ表情の古城に、雪菜は少し強張った表情になる。

 

「藍羽先輩に、自分が第四真祖だということを話すつもりなんですか?」

「正直なところ悩んでる。それであいつに避けられるようになっても、それは仕方ないことだしな」

 

 自嘲気味に古城は笑う。この絃神島において吸血鬼こそ珍しくないが、未登録の上にそれを隠していたとなれば話は別である。一種の裏切り行為であり、浅葱が怒り狂っても何の不思議もない。

 

「で、それを話すと姫柊と浩一さんにも影響あるだろ? 相談しないとまずいと思って」

 

 古城はちらちらと雪菜の反応を確認するが、雪菜は意外なほどに表情を変えなかった。正確には、難しい表情を浮かべたままだった。

 

「わたしのことは、お気遣い無用です。もともと公表されて困る身分ではありませんし、必要に応じて所属を明らかにする許可もいただいています。

 問題は浩一さんです。立場が立場なので、うかつに部外者に話すわけにはいきません」

「そうだよな。姫柊の返事は予想外だったけど、やっぱり浩一さんが問題か」

 

 獅子王機関の先達としての一面が強く思い浮かぶが、そもそも浩一は客員先達であり正式な所属は国家公安委員会なのだ。獅子王機関の裁量で動くことができる雪菜とは違い、彼に関しては命令系統すら不明瞭なのである。迂闊な行動がどういった形で迷惑になるのかすらわからない。

 

「相談した場合、まず藍羽先輩に正体を明かすことを止められると思いますよ。第四真祖ほどの魔族の関係者となれば、恒常的にこちら側へ引き込むことになります。

 正直に言いますと、私も正体を明かすのではなく誤魔化す方法を考えるべきだと思います。守ろうとしているのに、危険にさらされやすい魔導関係者にしてしまっては本末転倒ですから」

「じゃあ、とりあえずは誤魔化す方向で、か」

「それがいいと思います。それに藍羽先輩に正体を話した場合、先輩にとって問題なのは私たちよりも凪沙ちゃんですね」

「そうだよな」

 

 雪菜の指摘に、古城は頭を抱える。

 古城の妹である暁凪沙は、魔族特区の住人でありながら極度の魔族恐怖症なのだ。かつて魔族に瀕死の重傷を負わされた実体験から生まれた、自己の体験に強く根ざしたものである。古城が第四真祖であることを隠して生活している理由の1つがこれなのだ。

 もしも古城の真実を凪沙が知ってしまった場合、古城たち兄妹が一緒に暮らせなくなるだけではなく、凪沙の精神に深刻な傷を与えかねない。雪菜としても、それは望ましいものではないのだ。

 

「あー……どうすっかな」

 

 実は古城が浅葱に正体を明かそうとして理由はもう1つある。テロ事件が解決した後、浅葱の見舞いに行った際、彼女からキスをされているのだ。どういうわけなのかを問いただす間もなく、やってきた凪沙と雪菜が古城の鼻血を見たことによる騒ぎでうやむやになっていたのだが、このまま真意を無視し続けるわけにもいかない。

 上手くいかない現状を嘆いて視線を窓の外に向けると、見知った女子生徒が校舎の死角となっている中庭に立っているのが見えた。

 

「凪沙か、なんであんなところに?」

 

 噂をすれば影というが、丁度話題に出していた人物の発見に、古城は眉を顰める。そしてその眼はすぐに見開かれることになった。小柄な凪沙のすぐ横に、運動部のジャージを着た男子生徒が立っていたのだ。

 人の少ない中庭で、見知らぬ男子生徒と2人きりの妹。古城が暴走するには条件が整い過ぎていた。

 

「野郎!」

「先輩、何をするつもりですか!」

 

 校舎4階の窓から飛び降りようとする古城を、最近の鍛錬で瞬発力が上がった雪菜が廊下に引き戻して拘束した。興奮冷めやらぬ古城を、雪菜は必死で押さえつける。

 

「なんだあの男。なんで凪沙とあんなところで」

「見覚えがあります。同じクラスの高清水君ですね」

 

 雪菜の冷静な声が告げた名前は、古城に覚えがあった。たしかバスケ部時代にグラウンドで何度か見た顔だ。その手の話が好きなチームメイトから、女子生徒からの人気もなかなか高いと聞いた記憶がある。

 

「いったい凪沙になんの用だ」

 

 古城が食い入るように見つめる先で、高清水が凪沙へと白い封筒を手渡した。凪沙は嬉しそうにそれを受け取り、満面の笑顔を浮かべている。

 

「手紙ですか。凪沙ちゃん、嬉しそうですね」

 

 雪菜の言葉は、硬直している古城には届いていないようだった。封筒を受け取った凪沙は高清水と二言三言交わし、小走りで校舎の影へ消えていった。満足そうな高清水が反対方向へと去り、中庭は無人となった。

 

「どうやら今日は手紙を渡しただけみたいですね」

 

 硬直している古城を見ながら、雪菜は実況を終えた。その眼が残念なものを見るような目つきになっていることは、決して気のせいではないだろう。

 夕日で赤く染まる校舎の中、第四真祖は今までの戦いの中でも最大級のショックを受けていた。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 藍羽浅葱 あいば-あさぎ
 ストライク・ザ・ブラッドヒロイン。
 電子の女帝の異名を持つ凄腕のハッカーであり、彼女から情報を隠し通すことは不可能に近い。
 現在の派手な格好は古城に言われたアドバイスが下地となっており、本来は地味な性格と外見を持つ目立たない存在だった。

 暁古城 あかつき-こじょう
 ストライク・ザ・ブラッド主人公。
 親が仕事漬けのため妹である凪沙と2人でいたことが多かったためか、シスコン気味の愛情を注いでいる。
 恋愛感情に関しては鈍い面が目立つが、恋愛以前に対処しなければならない問題が多すぎるため、情状酌量の余地はある。

 暁凪沙 あかつき-なぎさ
 暁古城の妹であり、家庭内の権力を一手に握る才女。
 実は貴重な過適応能力者と霊媒体質のハイブリットであり、魔族恐怖症の原因となる事件に巻き込まれる前まではその体質を活かして遺跡発掘の手伝いをしていた経験がある。
 明るく話しやすい性格の上顔も整っているため、クラスでは結構モテているらしい。

 高清水 たかしみず
 暁凪沙のクラスメイトであり、運動部所属の男子生徒。
 古城ともバスケット部時代に面識があり、面倒見のいい性格から女子生徒に人気があったとのこと。

 姫柊雪菜 ひめらぎ-ゆきな
 ストライク・ザ・ブラッドメインヒロイン。
 第四真祖の監視役として派遣される前の学校では、美貌と冷徹な雰囲気からあまり人との交流が無かった。さらにルームメイトである紗矢華の偏愛もあり、恋愛経験は皆無となっている。

 施設・組織

 獅子王機関 ししおうきかん
 魔導テロや大規模魔導災害に対処するための国家機関。
 界隈では有名らしく、特に国家攻魔官とは互いを商売敵として嫌い合う間柄である。

 国家公安委員会 こっかこうあんいいんかい
 獅子王機関の上位組織であり、日本国の安全のため活動している。
 明確な命令系統は不明だが、下部組織へある程度の命令権は有しているようだ。

 種族・分類

 第四真祖 だいよんしんそ
 世界最強と称され、災厄そのものである12の眷獣を従える吸血鬼。
 暁古城はその力を引き継いだのだが、先代の知識を不自然なほど一切記憶しておらず、思い出そうとすると頭痛に苛まれる。
 何故古城に力を引き継がせたのかを始めとした、一切の情報が謎に包まれている。

 バビル2世 用語集

 人物

 山野浩一 やまの-こういち
 バビル2世の本名。
 家族は両親だけの3人家族であり、バビル2世として覚醒する前に夢で見た情報を打ち明けた際に心配し、不安を取り除くため夜通し部屋の前で見張るほどの行動を見せた。
 この1点から十分な愛情を持って育てられたことがわかるのだが、浩一がバビル2世として覚醒してからは戦いに巻き込まないようにか一切の接触を見せなかった。


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2話 湧き上がる疑念

 キャラクターの言にそぐわない表現を一部変更しました。

 2020/5/3 用語集追加


 暁凪沙が高清水なる男子生徒から手紙を受け取った翌日、古城は放課後の中等部校舎で凪沙を探していた。周囲にやたらと視線を飛ばして妹を探す古城の姿は、控えめに言って完全なる不審人物だった。当然、こんな悪目立ちする行動をとっている人物が隠れて行動できるはずはない。

 

「何をしているんですか、暁先輩」

 

 聞き覚えのある声に呼び止められ、古城は思わず硬直する。

 

「古城君、中等部でその行動はちょっと考えた方がいいよ。不審行動をとる先輩として有名になりたくはないだろう」

 

 聞き覚えのある声が増えた。現実を認めたくはないが、見なければ事態は悪化するだろう。ぎこちなく振り向くと、呆れた表情の雪菜と苦笑いを浮かべた浩一が立っていた。

 

「いや、その、これはだな……」

「下手な言い訳は立場をより悪くしますよ?

 まったく、本当に先輩は世話の焼ける人ですね」

 

 呆れかえる雪菜と慌てる古城を見て、浩一は微笑を浮かべる。

 

「どうやら何か共通の認識があるみたいだけど、どちらか説明してくれるとありがたいかな」

 

 古城が止める間もなく、雪菜は昨日のやり取りをすべて浩一に伝えた。

 

「そうか、そんなことが。

 古城君、部外者が口を出すものじゃないかもしれないけれど、少し自分の行動を顧みた方がいいと思うよ」

 

 いたわるような視線を向けられ、古城は今更ながら羞恥で悶えはじめる。

 

「そういえば、浩一さんはここで話していていいんですか? 屋上に用事があるのでは?」

「ああ、別に急ぎというわけじゃないんだ。生徒が何かを持って屋上に向かったと小耳にはさんだから、念のため見回りに向かおうと思っていただけさ」

「それって凪沙ちゃんのことかもしれません。さっき授業が終わった後に屋上へ向かっていましたから」

「なにっ!」

 

 雪菜の言葉に古城が反応し、屋上へと駆け出すが。

 

「廊下では走らないだよ、古城君」

 

 直後に浩一に襟首を掴まれ、派手に転倒した。

 

 

 

 一度古城を落ち着かせた一行は、屋上の入口で立ち止まっていた。

 

「べつに立ち入り禁止というわけじゃないけども、これで何か問題行為があった場合は制限か封鎖を考えないとな」

「問題行為って、凪沙に限ってそんな」

「凪沙ちゃんは大丈夫でも、相手が何を持ち込んだかがわかりません。流石に違法物品である可能性は低いですが、校則違反の何かである可能性は否定できませんね」

 

 雪菜のどことなく不安をあおる言葉に、古城は表情を凍らせる。

 

「おい姫柊、不安になるようなこと言うなよ」

「可能性の話ですよ。私だって凪沙ちゃんがそんな事をする相手との付き合いがあるとは思っていません」

 

 不安げな会話を続ける学生を置いて、浩一は静かに耳を澄ましていた。そしてクスリと笑うと、2人に向き直る。

 

「さて、どうやら丁度話をしているみたいだ。2人とも、ここで話し合うよりも直接見た方がいいんじゃないかな?」

 

 どこか面白がっているような浩一の笑顔をいぶかしみながら、古城と雪菜は扉へと近づいた。浩一が勢いよく扉を開くと、驚いた顔をした凪沙と高清水が何か黒いものを抱きかかえている。

 人間を超える吸血鬼の瞳と、訓練された剣巫女の視力は同時にその正体を捉えた。

 

「ね、猫?」

 

 古城の声に反応してか、2人に抱えられた子猫たちが小さくミャアと鳴いた。

 

 

 

 彩海学園は自由な校風となっているが、当然いくつかの禁則事項は存在する。その内の1つが、動物の校内持ち込み禁止である。

 

「そこまで目くじらを立てるものじゃなかったからいいが、一応教員に話は通しておいてほしかったな。子猫だから心配はないかもしれないが、もしも逃げ出して人を引っ掻きでもしたら相応の対処をする必要があった」

「ごめんなさい……」

「すいません、軽率でした」

 

 すっかり消沈した。凪沙と高清水がそろって肩を落とし、それを見て3人目の中等部女学生が一歩前に出る。

 

「すみません、でした。私が2人に頼んだことが原因ですので、怒るのは私だけにしてください」

 

 銀髪に碧眼を併せ持つ、涼やかなという表現が似合う少女。話を聞くと、どうやら彼女が面倒を見ていた猫の引き取り手を探していたことが騒動の原因だったようだ。高清水が凪沙に手渡した封筒も、中身は引き取り手になれそうな運動部員の名簿だったらしい。

 

「まあ、今回は見逃そう。今度からは事前に教員に話を通してもらえれば職員室で預かることができるはずだから、気を付けて。えーっと」

「叶瀬夏音、でした。ありがとうございます、用務員さん」

 

 浩一へと頭を下げる夏音の動きに、古城は思わず目を奪われる。幸いと言っていいのか、それを見る雪菜が不機嫌そうなことに古城が気付くことは無かった。

 

「本来であれば子猫はこっちで預かりたいところだけど、今回は僕が職員室へ話を通しておくよ」

「何か用事があるんですか?」

 

 言い方に疑問を持った雪菜の質問に、浩一はばつが悪そうに苦笑いした。

 

「いや、昔から動物には嫌われるたちでね。子猫にあまりストレスを与えるのもよくないだろう」

 

 見ると高清水に抱えられた子猫は、警戒心を丸出しにして浩一を見つめていた。僅かな動きでびくりと過剰な反応を続ける様子を見るに、たしかに預からない方が子猫にとってはいいだろう。

 

「す、すみません!」

「いや、昔からだから気にしていないよ。じゃあ、僕は仕事があるからこれで。

 繰り返しになるけど、次回からはきちんと学校側に話を通しなさい」

 

 そう言って屋上を去る浩一の背中は、どこか寂しげだった。

 

『バビル2世様……申し訳ありません。私の匂いで動物に警戒されるため、不快な思いをさせてしまっております』

『構わないさロデム。それほど気にするような問題じゃないし、お前の方が重要だ』

 

 動物に避けられるたびに繰り返された会話を交わしながら、浩一は指定された場所へと歩を進めた。

 

 

 

 絃神島人工島(ギガフロート)の中枢、キーストーンゲート内に、人工島管理公社の施設はそのほとんどを集約している。その数多ある施設の1つである人工島管理公社保安部に、場の雰囲気にそぐわないフリルまみれの女性が向かっている。

地下16階層でエレベーターを降りた女性を待っていたのは、軽薄そうな雰囲気を漂わせた青年だった。場所を無視すれば美しい幼女を誑かす人間の屑と言った構図だが、実際の立場と関係は大きく異なる。

 

「ヘーイ那月ちゃん、こっちだぜ!」

 

 軽薄そうな青年――矢瀬基樹が声をかけると、フリルまみれの幼女――南宮那月は忌々しそうに舌打ちをする。

 

「お前といい古城といい、担任教師をちゃん付けで呼ぶな!」

 

 睨まれた矢瀬はニヤリと笑う。服装はいつもの着崩した制服では無く管理公社の制服であることが、今の矢瀬がどの立場で話しているかを端的に表していた。

 

「管理公社直々の呼び出しと聞いて来てみれば……お前とはな、矢瀬」

「すいませんね、理事会(ウチ)も人手不足なもんで。こういった細々とした仕事はこっちに回ってくるんですよ」

 

 一切悪びれない様子の矢瀬に諦めたのか、那月は続きを促す。それに従い、矢瀬の先導で1つの部屋に通された。

 まるで手術室のような室内には、1人の先客が硝子越しの室内を鋭い目で見つめていた。それも矢瀬たちが入室する音に気が付いたのか、視線を2人へと向ける。

 

「ああ南宮攻魔官、早かったですね」

 

 いつもの学生服のような戦闘服に身を包んだ、バビル2世が意外そうに眼を開く。彼の予想では、もう10数分は遅く来ると予想していたのだ。

 

「管理公社直々の呼び出しだからな、少し急いだ」

 

 那月は何でもないような様子で隣に立ち、先程までバビル2世が注視していた存在に目を向ける。強化ガラスで隔離された室内で、まだ10代前半であろう包帯まみれの少女は、最新鋭であろう医療器具に囲まれたベッドで眠っている。

 そしてその手足は分厚い特殊合金の枷によって封じられ、身じろぎすら許されない状況下におかれていた。

 

「で、これが5人目と言うわけか。昨晩はずいぶんと派手にやらかしてくれたと聞いているが」

「ええ、確認できている限りでビル2棟が半壊、延焼7棟、停電や断水その他諸々の被害は集計中ってとこです。

 これでも被害はまだ少なめですね。夜間に人が少ない商業地区だったのが幸いしました」

 

 矢瀬は皮肉めいた表情で眼前の少女が引き起こしたとされている被害を淡々と語った。

 一昨日の深夜、絃神島西地区(アイランド・ウエスト)で1つの事件が発生したのだ。高い戦闘力を持つ未登録魔族と思わしき存在が上空で長時間にわたり交戦し、その余波で上記の被害が発生したのである。拘束されている少女は、負傷状態で確保された容疑者の片割れなのだ。

 

「で、その対戦相手はどうした」

「正体不明の上、捜索も難航中です」

「なんだ、お前でも追いきれなかったのか?」

「勘弁してくださいよ、相手が悪すぎました」

 

 からかうような那月の笑みに、矢瀬は頭を掻く。

 矢瀬基樹は過適応能力者(ハイパーアダプター)――先天的に異能を持って生まれた人間である。一種の念動力(サイコキネシス)で聴力を拡張し、半径数キロ圏内という広範囲を精密レーダーのように監視することが可能な人間集音機と呼べる存在なのだ。

 そんな矢瀬の能力が持つ欠点は、先のテロリスト事件の際にディミトリエ・ヴァトラーに簡単に捕まったように直接戦闘力に欠けていること。そして、あくまで聴力が元となっている能力の制約上、音速を超えて移動する存在には無力であることが挙げられる。

 

「ふむ……バビル2世。こいつの結界がだめでも、ロプロスなら容易に捕捉できるんじゃないか? たしか島の上空に待機させていると言っていたはずだが」

「残念ながら、丁度ロプロスは国外へ派遣しているので捕捉はできませんでしたよ」

 

 那月は予想外の返答に目を見開いた。バビル2世が、自身の兵士であり護衛である3つのしもべを遠く離すとは考えられなかったからだ。

 

「何があった?」

「日本国とアルディギア王国の連名で依頼がありまして……ある人物の捜索に出しています。詳しいことは国家機密に当たるので、国に直接問い合わせてください」

 

 最悪ポセイドンが近海に控えていますからという言葉を、矢瀬は聞かなかったことにした。ロプロスの代わりにポセイドンが暴れる事態を想像したくなかったのだ。絃神島本島を構成する4つの人工島(ギガフロート)が1つ沈んでもおかしくない。

 

「しもべを私に相談もせずに国外へ動かした件は、後できっちり追及させてもらうからな。

 ところでそこの小娘、未登録魔族と報道されていたな」

「絃神島のデータベースに該当個体が無いんです。まあ、魔族じゃないんで当然なんですが」

「魔族ではないだと? お前やバビル2世の同類か?」

 

 ジト目でバビル2世を睨んでいた那月が、珍しく驚きを表に出した。音速を超え、ビルを数棟破壊する行為など、並の魔族にすら不可能だ。

 

「公社の見解としては、ちょっとした魔術的肉体改造の痕跡以外は通常の人間と変わらないらしいです」

「ちょっとした改造を受けたただの人間が、超音速で空を飛びビルをなぎ倒したのか。笑えるな」

「まあ、それで公社の連中も頭を抱えてるんですけどね。笑えませんけど。

 どちらにせよ、まともな相手じゃないっすよ」

 

 那月と矢瀬の会話を聞きながら、少女を観察していたバビル2世が口を開いた。

 

「少女の負傷具合は?」

「命に別状はないみたいですが、横隔膜と腎臓の周辺……いわゆる腹腔神経叢(マニプーラ・チャクラ)のあたりを派手に欠損してました」

「喰われたのか」

 

 怪我の情報から、那月は吐き捨てるように呟いた。

 突然、バビル2世が振り向いた。視線の先から、男の声が響く。

 

「なるほどなるほど、つまり奪われたのは内臓では無く彼女の霊的中枢……いや、霊体そのものということか。なかなか興味深いじゃないか」

「何故貴様がここにいる、ディミトリエ・ヴァトラー」

 

 那月の詰問に、声の主は芝居がかったしぐさで肩をすくめた。

 

「ずいぶんな言い方じゃないカ。君たちの国の組織に頼まれて、わざわざ見舞いに来てやったっていうのに」

「こちらが頼んだ覚えは無いぞ蛇使い。いつから獅子王機関の女狐に飼いならされた?」

 

 険悪な2人の雰囲気に、バビル2世は呆れ矢瀬は頭を抱えている。

 

「外交機密上ノーコメントとしておこうか」

「ほう、貴様の真祖絡みといったところか? 面白いじゃないか」

「ふふっ、あるいは()()()()とも無関係じゃないかもしれないね」

 

 ヴァトラーの言葉に、那月だけでなくバビル2世すらもしばし絶句した。2人の反応に、矢瀬は怪訝な表情を浮かべる。

 うっすらと殺気すら漂わせ、那月が口を開いた。背後では、バビル2世が精神を集中している。

 

「蛇使い――貴様、何を知っている」

「まだ正式に発表されていないが、3日前にアルディギア王国所属の装甲飛行船〝ランヴァルド〟が消息を絶った。この島の西方160キロ地点とのことだ。バビル2世は知っているだろう?」

 

 急に話を向けられたが、バビル2世は何の反応も返さない。一見無関係な情報を出された那月は、表情をさらに険しくする。

 

「なんだ、この件にアルディギア王家が関わっているとでも?」

「証拠は無いけどね。タイミングから考えても、何かしらの関与はあるんじゃないかな?

 まあ、ボクはしばらく静観させてもらうよ」

戦闘狂(バトルマニア)の貴様が、どういった風の吹きまわしだ?」

 

 かけらも信用していない表情で、那月は追及した。退屈しのぎに戦闘を選択したこの貴族の青年が、ここまで面白そうな事柄に関わらないはずがないのだ。

 

()()()()は君たちの敵じゃない。放置したままの方が、あんがい面白いものが見られるかもしれないぜ?」

「貴様の言を信用しろと?」

「忠告はしたからネ。それをどう扱うかは任せるよ」

 

 そう言って踵を返したヴァトラーだが、扉の前で不意に立ち止まった。

 

「情報の見返りと言うわけじゃないけれど、1つ頼みと警告がある」

「聞くだけ聞いてやろう。なんだ?」

 

 振り向いたヴァトラーの碧眼が、一瞬だけ本物の殺意で赤く染まった。警告のつもりだろうか、噴き出した荒々しい魔力の波動が、ただでさえ那月とバビル2世の圧力に耐えていたキーストーンゲートの建物を揺るがす。どこかに無理が生じたのか、警告音と退室を促すアナウンスが鳴り響く。

 

「この事件に、第四真祖を巻き込むな。それとバビル2世、君も関わらない方がいい」

「2人をか。何故だ?」

 

那月の意外そうな視線を受けて、ヴァトラーは忌々しげに肩をすくめた。

 

「古城では()()に勝てないからさ。バビル2世は相性が悪すぎる。

 最愛の第四真祖に憧れの過適応能力者(ハイパーアダプター)、まだ2人に死んでもらっては困るんでね」

 

 警告音が響く中、ヴァトラーは優雅に去っていった。

 

「ふん、頭には入れておいてやろう。

 先に戻らせてもらうぞ」

 

 吐き捨てるように言い残し、那月も空間転移でこの場を去った。残されたバビル2世も歩き出そうとするが、それを矢瀬が手で制す。

 

「権限で一切の記録監視機器は止まっています。

 バビル2世、伊賀野の後継者として報告することがあります」

 

 矢瀬の雰囲気が変わり、バビル2世も眼光を鋭くして向き合った。

 

「黒死皇派の件ですが、連中が中東の砂漠地帯で戦場跡を襲った記録がありました。ポイントはここに。

 それと、今回の件で気になることが。この事件を起こした少女たちから、バビル2世に近い精神的反応が検出されました。まだろくに確認できていない情報ですが、一応サンプルはとってあります。

 今回は以上ですが、なにかわかり次第迅速に伝えますよ」

 

 記録装置を受け取り、バビル2世は珍しく笑みを浮かべた。

 

「君は僕が思っていたよりも優秀だ。伊賀野さんの遺志はしっかりと受け継がれているわけか。

 今更になるが、何かできる事があれば遠慮なく言ってくれ。できるかぎりの力にはなる。頼ってばかりだと申し訳が立たない」

「そう言ってもらえるとやりがいがありますよ。では、気を付けて」

 

 最後に言葉を交わし、バビル2世は区画を去った。残された矢瀬はどこか満足そうな笑みを浮かべ、設備の復旧指示を出し始めた。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 叶瀬夏音 かなせ-かのん
 彩海学園中等部に所属する少女。
 日本人離れした容姿を持つ美少女であり、元々教会が経営する孤児院に住んでいたことから〝彩海学園の聖女〟との異名を持つ。
 周囲の人間が気後れしてしまいあまり接してこない理由を、自分が嫌われていると勘違いする自己肯定力の低さを持つため、今回の一件で知り合いが増えたことを純粋に喜んでいる。

 南宮那月 みなみや-なつき
 彩海学園に所属する教師であり、国家攻魔官として随一の実力を持つ〝空隙の魔女〟としての一面を持つ。
 人工島管理公社からよく依頼を受けるものの、公社正規の組織である特区警備隊との無用な軋轢を避けるために知恵を回す苦労人でもある。
 加虐趣味の一面を見せることがあり、主に暁古城が被害にあっている。

 矢瀬基樹 やぜ-もとき
 彩海学園高等部に所属する少年であり、暁古城の友人の1人。
 その正体は人工島管理公社の上層部に君臨する矢瀬一族の庶子であり、第四真祖の真の監視役。
 過適応能力者としての能力を利用するために、公社からの指令を受けることが多々ある。その際には、公社所属の代理人として普段の飄々とした性格は鳴りを潜める。
 今作ではバビル2世の支援者である、伊賀野の後継者として公社にも秘密裏に活動している。

 ディミトリエ・ヴァトラー
 第一真祖の配下であり、夜の帝国の一部を構成するアルデアル公国の支配者である旧い世代の吸血鬼。
 無類の戦闘狂として欧州では恐れられているが、自らが楽しむためには下準備に手を抜かない等知略に関しても侮れない一面を持つ。
 黒死皇派の事件直後、第一真祖から外交官としての立場を手に入れ、自らの望むがままにその特権を利用している。

 施設・組織

 アルディギア王国
 北海に存在する王国であり、国境線の一部が夜の帝国である戦王領域と接している。
 そのため古来から人類の前線国家として戦闘の歴史が古く、対魔族に関する技術は世界最高峰となっている。

 管理公社 かんりこうしゃ
 正式名称は人工島管理公社であり、俗称では単に公社と呼ばれることが多い。
 人工島である絃神島を管理する行政組織であり、島内において絶大な権力を保有する。
 公になっていない研究や組織も多いが、島のために行動していることは確であるため一概に悪と断じることはできない清濁併せ持つ組織である。

 ランヴァルド
 アルディギア王国に所属する装甲飛行船。
 王国の技術の結晶ともいえる空中要塞であり、搭乗している聖環騎士団はその精強をもって国内外に勇名を轟かせている。

 種族・分類

 過適応能力者 ハイパーアダプター
 魔力を使用せず、異能を行使する人間の総称。
 一口に過適応能力者と言っても様々な能力が存在し、系統立てることが難しい。
 そのため、研究はほとんど進んでおらず、その能力を活用する方法が模索されることが多い。

 バビル2世 用語集

 人物

 バビル2世
 バビル2世主人公。
 砂漠に聳えるバビルの塔の主であり、世界最強の超能力者。
 宿敵との戦闘が本格化する前までは人間らしい表情の変化があったのだが、戦闘が激化するにつれて徐々に感情を表に出すことが少なくなっていった。
 戦闘時にもためらいや迷いは一切なく、冷静に最適解を導き出し続ける驚異的な戦闘センスを持ち合わせている。

 種族・分類

 ポセイドン
 バビル2世に仕えるしもべの1体。
 あまり使用しないため忘れられがちなのだが、海戦を主眼にしているため魚雷を発射することが可能。人類が海戦として想定するほとんどの装備を持ち、またそれらに対抗するための装置も搭載しているため、海戦という土俵でこのしもべを倒すことは不可能と言ってもいい。

 ロデム
 バビル2世に仕えるしもべの1体。
 戦闘力に劣るとされることが多いが、ポセイドンとロプロスが対軍隊ともいえる殲滅力を持つだけでありロデムが弱いというわけではない。
 むしろ破壊が制限される場所に置いてこれほど有用な存在はおらず、戦闘訓練を受けた人間であっても数人程度であれば一瞬で制圧できる小規模殲滅力を誇る恐るべき存在である。

 ロプロス
 バビル2世に仕えるしもべの1体。
 空中を飛べるという唯一の特性を持つため、バビル2世の移動強襲要因としての印象が強い。
 口に人を入れて飛ぶことも可能であり、非戦闘員の要人を輸送する際に本編で使用した。


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3話 狩りの準備

2020/5/5 用語集追加


 猫の里親探しが発覚した翌日。関わってしまった学生たちが知り合いに片っ端から声をかけたかいもあり、無事に引き取り手が見つかった。

 待ち合わせの時間に古城が夏音を伴って向かうと、引き取り手を買って出た内田遥と、その付き添いらしき棚原夕歩がすでに待っていた。

 

「悪いな内田、助かった」

「いや、こっちこそ助かったよ。家族はみんな動物好きだから、何か飼おうかって話してたとこなんだ」

 

 朗らかに笑う内田は、2匹の子猫が寝息を立てる段ボール箱を抱えている。

 そんな内田をうっとりとした目で見つめる夕歩が、不意に古城へ話しかけた。

 

「なんか意外ね。中等部の聖女ちゃんと暁が仲良しなんて」

「叶瀬のこと、知ってるのか?」

「高等部でも噂になってるからね。あの見た目、ハーフだって言っても反則よね」

「まあ、それは俺も思う」

 

 視線の先では先輩たちに気を使ってか、少し離れた所で待機していた夏音がいる。視線に気が付き、銀髪を揺らして優雅に一礼した。

 

「実はあたし、あの子のこと、少し苦手なんだよね」

「苦手?」

 

 普段教室で見る、気の強い彼女らしからぬ言葉に古城は首をかしげる。

 

「べつに嫌いってことじゃないのよ。ただ、あの子が子供のころに暮らしていた修道院、知ってる?」

 

 夕歩の問いに、古城は頷いた。昨日浩一と別れた後、雪菜を伴って猫の世話を手伝いに廃墟と化した修道院に寄っていたのだ。そこで世話をされていた猫たちを見て雪菜がはしゃいだのだが、それは割愛する。

 

「あそこがああなった事故で私の知り合いもいなくなっちゃって……彼女を見てると、思い出しちゃうのよね。

 あの子が悪いわけじゃないんだけど」

 

 思わぬ過去を聞かされ青ざめる古城に、夕歩は無理やりに微笑んだ。

 

「そんな暁が気にするようなことじゃないから、今のは忘れて。

 それよりも、あの転校生ちゃんといい今回の聖女ちゃんといい、あんまり浅葱をいじめないであげてね」

「なんでそこで浅葱が出てくるんだよ。俺はただ凪沙に頼まれて猫の里親探しを手伝っただけだっての」

「はいはい」

 

 古城の言い分を雑に流し、夕歩は内田の元へ駆け寄っていった。古城は改めて内田に礼を言い、彼らと別れる。

 

「これで、里親は全員見つかったんだっけか?」

 

 樹の陰で待っていた金瀬と合流し、古城が聞いた。

 

「はい。今の子たちで最後でした。お兄さん、本当にありがとうございます」

「いや、俺が見つけられた里親はさっきのあいつらだけだけど……」

 

 丁寧に頭を下げる夏音に、古城は苦笑を隠せない。修道院で世話をされていた猫の数は10数匹に及んだのだ。それだけの数を引き取る里親を探したのは凪沙と夏音であり、古城は最後の2匹の分を偶然見つけたに過ぎない。

 

「まあとりあえず、片付いてよかったな」

「はい。あとは、さっき拾ってきたこのこだけですので、私1人でも大丈夫です」

「え、また拾ってきたのか!?」

 

 見ると、たしかに夏音の腕の中には毛布にくるまれた子猫がいる。動物1匹の世話を見るのにもかなりの労力が必要なはずなのだが、こうも次から次へと拾っていてはばかにならない負担がかかるはずだ。

 どうしてそこまでするのかと古城が口を開いた時、背後から不敵な声が聞こえた。

 

「ほう……猫を配って歩いていると聞いていたが、本当だったようだな」

 

 反射的に古城が振り向くと、そこにはレースの日傘を差した南宮那月が実に楽しそうな笑みを浮かべて立っていた。

 

「な、那月ちゃん。なんでこんなところに?」

「担任教師をちゃん付けで呼ぶな」

 

 古城の疑問に肘打ちで答えた那月は、夏音が抱えている子猫を嗜虐的な瞳で凝視している。

 

「知っているか、古城? 中国では猫は薬膳としてよく食べられていたそうだ。

 異国の文化を教える教師として、実食をしてみるというのも面白そうだとは思わないか?

 丁度今晩は鍋の予定だったしな」

 

 よくわからない理屈と共に猫を差し出せと迫る那月に、夏音は小さく悲鳴を上げた。淡々とした口調が一層の恐怖を演出している。

 舌なめずりする那月を見て、夏音は耐え切れなくなったのか怯えたように後ずさりする。

 

「すみませんでした、お兄さん。私は逃げます」

 

 踵を返して駆け去る夏音を見ながら、那月はどこか傷ついたように口をとがらせた。

 

「なんだ、緊張をほぐすための小粋なジョークだというのに。真に捉える事もないだろう」

「あの言い方で迫られたら普通に怖いわ。冗談に聞こえなかったぞ」

 

 那月は古城のツッコミに睨むことで返答した。実に心外そうである。

 

「ところで今の小娘は誰だ。見慣れない顔だったが」

「自分の学校の生徒に小娘は無いだろ。

 中等部の叶瀬夏音だよ。3年生の」

「ふむ。随分と気合の入った反抗期のようだが、不良が動物を助けて好かれるのは物語の中だけだぞ」

「そんなわけねーだろハーフだよハーフ。詳しくは本人も知らないみたいだけど」

「そうか」

 

 僅かに考え込むそぶりを見せた那月だが、すぐに興味を失ったのか顔をあげた。

 

「まあいい。それよりもだ暁古城、今晩私に付き合え」

「え、つきあうって……まさか」

「何を勘違いしているのかは知らんが、いつもの要件だ」

「あ、攻魔官の?」

 

 実に嫌そうな古城に対し、那月は気にしたそぶりも無く話を続ける。

 

「数日前に西地区(ウエスト)で戦闘があったことは知っているな?」

「ああ、未登録魔族が暴れたってのはクラスの奴らから聞いたけど」

「あれは未登録魔族の仕業じゃない。容疑者の片割れが捕まったが、その調査で判明した」

「未登録魔族じゃないって、じゃあいったい誰の仕業なんだよ?」

「それを確かめるために今晩動く。

 伏せられてはいるが、同様の事件がここ2週間ですでに5件起きている」

「5件……!?」

 

 古城が顎を落とす。3日に1回は戦闘が行われている計算になるのだ。スポーツのリーグ戦のような頻度である。

 

「法則性から、今晩戦闘があるって踏んだわけか」

「察しがいいじゃないか。そういうわけで、お前には私の助手として来てもらう。いくら私でも、複数の犯人を1人でとらえるのは難儀だからな」

「ちょっと待ってくれ、他にもっと戦力になる人がいるだろ?」

 

 古城は今までのこうした手伝いの記憶を思い返した。

 那月は古城の正体を知る数少ない大人の1人であり、攻魔官としての立場を使って、古城ができるだけ普通の生活を送れるよう尽力してくれているのだ。ただし、その代償として今回のように攻魔官の仕事に手伝いとして駆り出されてきた。どれも非常に苦々しい経験であり、できれば関わり合いたくないというのが古城の偽らざる本音である。

 

「いるにはいるが、今回は少しでも人手が必要だ。お前が抜けるとなると、ガルドシュに銃で撃たれたアスタルテの手を借りることになるな。傷はバビル2世の特殊な治療で塞がっているが、それの副作用がないかの調整中なのだが、まあお前が嫌と言うなら仕方がない」

 

 怪我人を人質にする悪辣な交渉術に、古城は戦慄を隠せない。

 

「それにディミトリエ・ヴァトラーからお前をこの件に関わらせるなと忠告を受けているからな。嫌がらせとして一石二鳥だ」

「言ってることむちゃくちゃだぞあんた!」

 

 あまりの傍若無人ぶりに古城は頭を抱える。最近は、ここまでになる前に浩一が諌めていたので実に久しぶりの感覚だ。まったく嬉しくないが。

 

「……そうだ、浩一さんはいないのか?」

「何故急にあいつの話になったのかわからんが、当然今晩合流予定だ。今は政府から呼び出されていてな、明日以降島の外へ行くことになっている。今晩しかないというわけだ」

 

 どうやら那月の無茶な召集にも、戦力が減る前に動くためという理由があったようだ。

 

「反論は無いな? 今晩9時にテティスモール駅前で集合だ。1秒でも遅刻した場合、お前と藍羽が美術室で生着替えをしている動画をクラスの連中にばら撒くからな」

「ちょっと待て、なんであんたがそんなもの持ってるんだよ!」

「担任を舐めるな。

 遅れるなよ、古城」

 

 得意げに笑い、日傘を揺らしながら去っていく那月を、古城は疲れ切った眼で眺めるしかなかった。

 

「…………勘弁してくれ」

 

 

 

 那月が集合場所に指定したテティスモールは、絃神島西地区(アイランド・ウエスト)の中枢にして繁華街の象徴ともなっているショッピングビルである。ここに来ればほとんどの娯楽施設が集まっているという利便性から、混雑がひどいため古城はあまり得意ではない。ましてや金曜日の夜ともなれば、混雑は殺人的なものとなる。

 にもかかわらず、那月が集合場所に現れたのは午後11時少し過ぎ。実に2時間以上の遅刻である。

 

「いくらなんでも遅すぎだろ! しかもなんだその恰好、攻魔官の仕事じゃねーのかよ!? 浩一さんだけ仕事着で、逆に浮いてるじゃねーか!」

 

 華やかな浴衣姿の那月を発見し、周囲に一切配慮しない大声で古城が叫ぶが、那月はなんの反応も無く受け流した。隣を歩く浩一は訓練場でも見る簡易戦闘服であり、デザインは街中を歩けるものではあるものの、祭りの場で浴衣と並ぶと何かのコスプレと間違えられてもおかしくはない。

 

「なに、すぐそこの商店街で祭りをやっていてな。アスタルテに夜店を堪能させてやっていたのだ」

「だったら連絡くらいよこせよ!」

「すまないね古城君、例の事件の影響か電波障害でつながらなかったんだ。アスタルテの様子から切り上げようとも言い出せなくてね」

 

 ふてぶてしい那月と、素直に謝罪する浩一が実に対照的である。たしかに那月から古城の携帯に送られた資料によれば、被害の中に中継局の一部が含まれていた。とはいえ、納得できるかは別の話である。

 

「そうカリカリするな。ほら、お前の分のたこ焼きだ」

「……どうも」

 

 憮然とたこ焼きのパックを受け取る古城の前に、アスタルテが歩み出た。こちらも浴衣姿であり、淡いラベンダー色の生地が藍色の髪によく映えている。

 

「合流時刻に2時間11分の遅延がありました。謝罪します、第四真祖」

「いや、アスタルテは悪くない。……楽しかったか?」

「――肯定」

 

 無表情で分かりにくいが、一応喜んでいるようだ。

 

「さて、込み入った話になるから移動でもと思ったのだが……どうしてお前がここにいる、転校生?」

「私は第四真祖の監視役ですから」

 

 古城の陰に隠れていた制服姿の雪菜が、ギターケースを背負ったまま現れた。古城が那月に呼び出されたと聞いて、当然のようについてきたのだ。2人の間に漂う謎の緊張感に晒され、古城は思わず息を呑む。

 

「まあいいか、人手があるに越したことはない。お前も浴衣を着るか? 駅前でレンタルしていたが」

「……いえ、結構です」

 

 僅かな沈黙に、浴衣への未練を感じさせる。だがこれから戦闘があるかもしれないという状況で、機動力が命の雪菜が着物を着るわけにはいかないだろう。

 

「それよりも、どうして暁先輩をこんな危険な仕事に呼び出したんですか。戦闘で眷獣が暴走でもしたら、どんな被害が出るのか……」

「こいつが何も知らずに戦闘に巻き込まれる方が問題だろう。わけもわからず眷獣を召喚し、辺り一帯を瓦礫に変えかねん。違うか?」

「それは、そうかもしれませんが……」

 

 想像よりもまともな理由を告げられ、雪菜の勢いが削がれていく。

 

「目の届く範囲であれば、私の能力である程度のフォローができる。訓練を見ている浩一がいれば、できる範囲での指示も出せるだろう。

 下手に見えない位置に置くよりも、よほど安全だ」

「うー…………」

 

 あっさりと論破され、雪菜は肩を落とした。那月は勝ち誇るでもなく、浩一と今回の作戦を話し合いながらエレベーターへと向かう。すぐ後ろで内容を纏めるアスタルテが続き、その後ろを古城が雪菜を元気づけながら歩く。

 ふと古城が目線を前にやる。

 

「なんか、ああしてみると家族みたいだな」

 

 思わず感想が古城の口から漏れた。しっかりした父親に話したがりの妹、そして大人しい姉が連れ立っているように見えなくもない。思わず笑う雪菜を見て、古城は気を紛らわせることに成功したと内心ガッツポーズをとった。

 

「聞こえているぞ阿呆」

 

 直後、不可視の衝撃を額に受け蹲ることになったが。

 どこか不機嫌そうな那月は、リンゴ飴を舐めながら思い出したように口を開いた。

 

「古城、メールで送った資料は読んだか?」

「一通り目は通した。〝仮面憑き〟だっけ? そいつを捕まえるのが目的なんだろ?」

「2体とも、だ」

 

 〝仮面憑き〟とは、都市上空で戦闘行為を行う怪物につけられた通称(コードネーム)だ。記録では必ず2体同時に現れ、どちらかが敗れるまで戦闘を続行している。当然、今回も同時に現れる可能性が高いと那月は踏んでいるようだ。

 

「でも、捕まえるったって空を飛んでるやつ相手にどうするんだよ。バビル2世に頼んでロプロスでも呼ぶのか?」

「撃ち落とせ。お前の眷獣なら容易だろう」

 

 あっさりと酷く物騒なことを言い放つ那月に、古城は無茶を言うなと思わず呻く。

 

「相手も大概化け物だ。そう簡単には死なんさ。うっかり殺してしまっても、刑務所に差し入れくらいはしてやる。安心して撃ち落とせ」

「どこに安心できる要素があるんだよ! そこは無罪にしてくれ頼むから!」

 

 那月は古城との漫才を続けながら、最上階からさらに業務用のエレベーターへ乗り換えた。そのまま屋上まで上がると、見事な星空が一行を出迎えた。テティスモールはこの一帯で最も高い建造物であり、上空を見張るというのなら最適と言えるだろう。

 

「でも、変ですね」

「何がだ。俺が指示に従っただけで殺人犯にされる可能性があることか?」

「いえ、それではなく」

 

 古城の抗議をさらりと流し、雪菜は〝仮面憑き〟に破壊されたビルを指差した。上層部がごっそりと抉られており、瓦礫は未だに路上で放置されている。隕石が直撃でもしたかのような光景に、雪菜は眉をしかめた。

 

「あれだけの破壊があったというのに、私は気づきませんでした。魔術や召喚術を行使してあれだけの破壊を生み出すには、相当な魔力が放出されるはずです」

「獅子王機関の剣巫にも感知できていなかったのか。絃神島内部に設置されている魔力検知器も、一切の反応を示さなかった。民間の警備会社が倒壊したビルで騒ぎ出して初めて異変が判明したほどだ」

「どういうことだ……?」

「わからん。詳しくは本人たちに聞けばいいだろう。

 殺すなよ、古城?」

 

 那月の視界には、繁華街はずれの巨大な電波塔が映っていた。その上空で、何かがぶつかり合っているのが見える。常人の視力では夜の闇に紛れて何も見えないだろうが、この場には人間離れしたものしか存在しないのだ。

 

「〝仮面憑き〟!?」

「思ったよりも早かったな。

 アスタルテ、公社の連中に花火の時間だと伝えろ」

命令受諾(アクセプト)

 

 言われるままに、アスタルテは袖口から通信機を取り出し操作を始める。

 

「那月ちゃん、花火って?」

「古城、流石に花火を知らないとは世間知らずにもほどがあるぞ?

 丁度いい、今から見られるから後学の助けにしろ」

 

 何かを言い返そうとした古城が口を開くよりも早く、古城たちの背後で爆音が轟いた。同時に色とりどりの光が乱舞する。

 

「打ち上げ花火って……まさか、この辺で祭りなんかあったかと思ってたけど」

「これで庶民共の目はあちらを向く。ある程度のカモフラージュにはなるだろう」

 

 那月の周到さはもちろんだが、この作戦の規模に古城は背筋が寒くなった。この事件は、これほどの作戦が許されるだけの重大さを秘めているのだ。

 

「さて、ハンティングの始まりと行こうか」

 

 そんな古城の戦慄をよそに、那月は不敵な笑みと共に魔力を開放した。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 アスタルテ
 吸血鬼にしか扱えないとされる眷獣をその身に宿す人工生命体。
 人工生命体として生み出されたため、誕生してから未だ1年と稼働していない。
 普段は植えつけられた知識によりその実年齢を思わせないが、実体験に薄いためイベントごとに参加する際は静かにはっちゃけた行動をすることが多い。

 種族・分類

 仮面憑き
 次回本文まで、解説は控える。


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4話 空中戦勃発

2020/6/4 用語集追加


「庶民の目が異変に気づく前に片をつける。跳ぶぞ」

「跳ぶ?」

 

 古城が疑問と共に振り返るが、直後に強烈な違和感に襲われる。強烈な眩暈と自由落下の不快感を合わせたような感覚は数秒で消え去り、古城は気がつくと高い塔の真上に放り出されていることに気が付いた。

 

「――な、え、はぁ!? い、いつの間にこんな!?」

 

 足を踏み外しかけ、古城は慌てて近くにあった剥き出しの鉄骨にしがみついた。

 赤と白に塗り分けられた鉄骨と、視界の端に映るテティスモールから、今いる場所が先程まで見ていた電波塔であることがわかる。那月が得意とする空間制御魔術により、一瞬で移動させられたのだ。

 

「先輩、上です!」

 

 一緒に移動させられた雪菜が、頭上を見上げ警告を飛ばす。声につられて顔をあげた古城は、予想よりも近くで〝仮面憑き〟を目撃し、息を呑んだ。

 2体の〝仮面憑き〟は、どちらも小柄な少女の姿をしていた。しかし、その背からは醜悪に歪んだ翼を何対も生やし、目玉を模した模様がいくつも彫り込まれている仮面が頭部を覆っている。剥き出しの四肢には不気味な紋様が幾重にも浮かび上がり、四肢や翼を振るうたびに歪な光刃や光球が放たれ、障壁によって打ち消されていく。

 打ち消された攻撃がその場で消えるはずもなく、炎の塊と化したエネルギーが周囲に降り注ぎ、周囲の建造物や道路を瓦礫へと変化させていく。戦いが激しくなっていく中、周囲へと飛び散る炎は勢いと数を増し、倉庫街へと降り注ぎ始めた。今の所、人的被害が確認できていないことが幸いと言えるだろう。

 

「なんだ、この違和感は。このような魔術の術式、私は知らんぞ」

「僕も見たことがない。魔術や呪術では当てはまる系統すら見当がつかないのは初めてですね」

「私も見たことがありません。あれは魔術と言うよりも……どちらかといえば、私たちが使う神憑りに……」

「たしかに神憑りが一番近い。しかしそう簡単に神々は降ろせないし、神憑り特有の感覚がどうも違うような……」

 

 那月と浩一が傍観者のように感想を言い合い、横合いから雪菜が声を挙げ槍を構える。浩一が考えを口に出しながらも、四肢の装甲に魔力を送り込み起動する。

 

「〝七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)〟か……ちょうどいい。姫柊雪菜、手を貸せ。山野は右を、お前は左の〝仮面憑き〟を狙え。纏めて仕留めるぞ!」

 

 那月は、返事を待たずに腕を振るった。

 瞬間、彼女の周囲の空間が水面のように揺らめき、なにもない虚空から銀色の鎖が矢のように射出される。蛇のような機動で空中を舞う2体の〝仮面憑き〟をそれぞれ絡め取り、鎖はまるで虫を捕らえた蜘蛛の糸のように宙でその身を固定する。

 直後、雪菜と浩一が同時に鉄骨を蹴り跳び出した。唖然とする古城を後目に、かたや女鹿のようなしなやかさで、かたや獅子のような力強さで細い鎖へと降り立ち、猛然と〝仮面憑き〟目掛け迫る。

 各々(おのおの)自らの武器を振り上げ、十全の威力を発揮するよう霊力を流し込む。

 

「――〝雪霞狼(せっかろう)〟!」

「――ハアアァァァッ!」

 

 雪菜、そして浩一の詠唱する祝詞に反応し、彼女の槍が、彼の手甲が光を放つ。

 〝雪霞狼〟の銘を持つ銀の機械槍――〝七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)〟は、獅子王機関の秘奥兵器である。魔力を無効化し、あらゆる結界を切り裂く能力は、対魔族戦闘における切り札と言えるだろう。魔術的方法では、いかなる手段をもってしてもその一撃を押し留めることは不可能なのである。

 浩一の身につける装甲もまた、通常の魔具ではない。霊力を通す事により起動するそれは、試作型の結界発生装置なのだ。真祖の操る眷獣でもなければほとんどの魔術的攻撃を防ぎ、真祖の眷獣であっても、逸らす程度であれば数回は耐える傑作である。それを客員先達の身体能力で叩きつける戦法は、単純であるが故に対処が難しい。

 突然の乱入者に戸惑う〝仮面憑き〟に、鍛え上げられた2人の攻魔師の一撃を防ぐだけの余裕は無かった。それぞれの武器が吸い込まれるようにその頭部へと向かう、そして。

 

「えっ!?」

「くっ!」

 

 そのどちらもが、鎖に囚われた〝仮面憑き〟の体を覆う禍々しい光の障壁によって阻まれていた。

 浩一の振るう結界発生装置は、あくまで盾を腕力に物を言わせて叩きつけているようなものであるため、防がれることも当然ある。しかし、あらゆる結界を切り裂くはずの刃が、障壁と擦れ合って火花を散らしているのだ。

 数秒にも満たない思考の空白だったが、それを眼前の敵が見逃すはずがない。悍ましい咆哮と共に〝仮面憑き〟が翼を広げると、衝撃波と共に拘束していた鎖が千切れ飛ぶ。当然至近距離にいた雪菜と浩一も巻き込まれ、その体は宙を舞った。

 

「姫柊! 浩一さん!」

「ばかな……〝戒めの鎖(レージング)〟を断ち切っただと!?」

 

 古城と那月が同時に叫ぶ。

 空中に投げ出された雪菜は、槍を振るった反動で軽やかに電波塔に着地した。浩一は、戦闘服に仕込んであった鎖を利用し電波塔へ復帰する。

 鮮やかな技を繰り出した2人の表情は、酷く強張っていた。それも当然と言えるだろう。必殺のはずであった自らの刃は通用せず、絶対の信を置いていた友の鎖は容易に砕け散ったのだ。

 攻め手2人が硬直する中、こちらの番とばかりに〝仮面憑き〟の1体が電波塔目掛けて突っ込んできた。もう1体は状況を把握するためなのか、高度を上げて制止している。

 

「いかん!」

 

〝仮面憑き〟の全身が紅く発光し、咆哮と共に繰り出された光弾が電波塔の根元部分をごっそりと抉り取った。当然バランスは崩れ、塔全体が徐々に傾きはじめる。

 

「暁、奴らは任せた。殺さないようになどと考えるなよ、お前が死ぬぞ!」

 

 珍しく焦りを見せる那月は、一方的に言い残すと空間転移を発動し、そのまま姿を消した。どうにかしろと言われたものの、今の古城は傾く塔から落ちないよう鉄骨にしがみつく事しかできない。

 しかし、鉄塔の傾きが突然止まった。地面から突如出現した無数の鎖が、絡め取るようにして固定したのだ。

 ピサの斜塔のように不安定な状況ながらも、鉄塔はなんとか倒れず踏みとどまっている。鎖からして那月の尽力だが、彼女をもってしてもここまでが限界だろう。いくら空隙の魔女と言えども、推定数百トンを超える物体を固定しつつ、飛びまわる〝仮面憑き〟を相手にするほどの余力は無い。

 好機と見たのか、先程電波塔を抉り取った〝仮面憑き〟が悍ましい笑い声と共に降下を開始した。みるみるうちに距離を詰め、体も先ほどより強く発光している。それを見る古城の瞳が、怒りと恐怖で紅く染まった。

 

「くそっ! 疾く在れ(きやがれ)、九番目の眷獣〝双角の深緋(アルナスル・ミニウム)〟――!」

 

 主の呼びかけに応じ、古城の血に宿る眷獣が迸る血流を媒介に顕現する。まるで陽炎のような印象を与える不安定ながらも力強い巨躯に、雄々しく伸びる2本の角。緋色の双角獣(バイコーン)が、膨大な魔力と衝撃波を撒き散らす。

 並大抵の相手であれば、この衝撃波だけでも決着はついただろう。しかし、〝仮面憑き〟はそれをものともせずになおも距離を詰める。

 吸血鬼の眷獣を知るものであれば、呆れかえるほどの愚策である。魔族の中でも最強と謳われる吸血鬼。身体能力的にはむしろ脆弱な部類に入る彼らが、それでもなお最強と呼ばれる所以こそが眷獣なのだ。最弱のものですら、その攻撃力は最新鋭の戦闘機を凌駕すると言われる異世界からの召喚獣。世界最強と謳われる第四真祖のものともなれば、それはもはや荒れ狂う天災と何も変わらない。

 全身を振動で構成した破壊の化身が、迫る〝仮面憑き〟を睨みつけ咆哮を放った。指向性を持たされた衝撃波の塊は、不可視の砲弾と言っても差し支えない。その余波ですら周囲一帯の窓ガラスを粉砕し、脆い壁面には亀裂すら刻み込む。古城たちの乗る電波塔も、激しく振動した。

 だが。

 

「なにっ!?」

 

 衝撃波の奔流が通り過ぎた後には、無傷の〝仮面憑き〟が悠然と宙を舞っていた。牽制とはいえ、第四真祖の眷獣が放った攻撃を真正面から受けたにもかかわらずだ。

 

「そんな、真祖の眷獣の攻撃に、無傷で耐えるなんて……!?」

 

 雪菜が声を震わせる。なまじ古城の眷獣が引き起こす破壊を繰り返し間近で見てきただけに、その動揺は古城以上かもしれない。

 咆哮ついでの牽制とはいえ、自らの攻撃を無傷で凌いだ小癪極まりない敵を睨みつけ、双角獣(バイコーン)は角を振りかざし突撃する。しかし、結果は先程と何も変わらない。破滅的な振動波を纏った眷獣の突撃を、〝仮面憑き〟は悠々とすり抜けたのだ。〝雪霞狼(せっかろう)〟のように力を打ち消したのではなく、同等のパワーで威力を相殺したわけでも、結界を使って防いだわけでもない。ただ、荒れ狂う衝撃波そのものであるはずの眷獣を、微風かなにかのように受け流したのだ。

 眷獣の攻撃が〝仮面憑き〟に通用しない。いや、触れる事すら叶わない。その事実に古城は絶句する。

 

「――やばい!」

 

 古城の眼前で、〝仮面憑き〟が巨大な光の剣を生み出した。ただ振り下ろすだけでも電波塔直下の倉庫街は壊滅するだろうし、僅かに離れた大通りも被害を免れ得ないだろう。結果としてどれほどの被害が出るのか、古城には想像もつかない。

 剣を構える〝仮面憑き〟を打ち落とすべく、雪菜は槍の投擲体勢に入った。しかし、〝雪霞狼(せっかろう)〟が彼女に通用しないことは既に証明されている。歯噛みする雪菜の横で、古城が反射的に口を開いた。

 

「――――――!」

 

 初めての訓練で、浩一から駄目出しを喰らった簡易的な衝撃砲だ。口腔を即席の砲口とし、指向性を持たせて解き放つ。あの時と違うのは、衝撃波はあくまでおまけであり、主眼を攪乱に置いている点である。眷獣の能力で増幅された高周波が、耳から体内を直接揺さぶる。古城たちの目の前で、〝仮面憑き〟が僅かに体勢を崩した。

 

「叩き落とせ! 〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟! 〝双角の深緋(アルナスル・ミニウム)〟!」

 

 眷獣として実体化させる時間すら惜しいと感じる古城の意を()んでなのか、腕先の血を媒介に荒れ狂う電磁波の竜巻とでも表現するべき破壊の渦が〝仮面憑き〟を飲み込んだ。視認できるほどの衝撃波に大量の雷撃が付加され、生半可な眷獣であれば宿主ごと消し飛ばすに足る暴虐の嵐が荒れ狂う。

 

「おい、嘘だろ!?」

 

 しかし、それでもなお〝仮面憑き〟は健在だった。何事も無かったかのように無傷で羽ばたき、勢い任せに剣を振り下ろそうと腕を掲げる。

 次の瞬間、その無防備な背を数発の光弾が貫通した。突然の不意打ちに対応できず、光の剣を霧散させながら〝仮面憑き〟は落下し、電波塔の中層部へと叩きつけられた。

 驚きに声も出せない古城を後目に、雪菜と浩一は鋭い目を空中に向けていた。

 高所から推移を静観していたもう1体の〝仮面憑き〟が、追撃のために電波塔目掛けて突っ込んでくる。血を流しのた打ち回っている〝仮面憑き〟は、それを避けるどころか察知することすらできなかった。宙にいた〝仮面憑き〟の勢いに乗せた膝蹴りが、撃ち落とされた〝仮面憑き〟の胸部に深くめり込む。衝撃で鉄塔が揺れるほどの1撃を急所に食らったにも拘らず、落ちた〝仮面憑き〟は未だに抵抗ができるだけの余力を残している。

 恐るべきタフネスに戦慄する獅子王機関の2人だったが、古城は別の点に思考が向かっていた。

 

「今、俺達を助けてくれたのか……?」

 

 不意打ちをするのであれば攻撃を放った直後、古城たちを仕留め、最も気の緩んだ瞬間を狙うのが賢いやり方だろう。上空から見ていたのであれば、古城たちの攻撃が通用しないことはわかりきっており、助ける意味などどこにも無い。

 にもかかわらず、攻撃の直前という最も気が張り詰めているタイミングで〝仮面憑き〟は行動を起こしたのだ。それが、古城には腑に落ちなかった。

 古城の疑問をよそに、電波塔の中腹で〝仮面憑き〟たちは接近戦を行っていた。とはいえ、すでに勝敗は決していると言っていいだろう。打ち落とされた〝仮面憑き〟はすでに動きが鈍くなっており、もう一方はまだまだ余力を残している。打ち落とされた方の苦し紛れの一撃も易々と避けられ、仮面を掠る程度の損傷しか与えられなかった。

 最後の力を振り絞ったのか、力なく倒れ込んだ〝仮面憑き〟に馬乗りとなり、もう一方の〝仮面憑き〟は執拗に攻撃を続ける。その衝撃で傷が広がったのか、大振りの攻撃の直後、音も無く仮面が剥がれ落ちた。

 淡く光を放つ体の紋様が、露わになった素顔を照らし出す。

 

「……なんで、あいつ、あの顔!」

「嘘……」

「馬鹿な……」

 

 〝仮面憑き〟と呼ばれていた少女の素顔は、この場の3人には見覚えのあるものだった。月明かりを美しく反射する銀色の髪に、氷河の輝きを思わせる淡い碧眼。幼さを残した美貌は、返り血に塗れてもなお、妖しい魅力を放っていた。

 歪な翼を背負い、奇妙な紋様を素肌に纏う少女は、叶瀬夏音だった。

 あまりの衝撃に言葉を失う傍観者たちをよそに、穏やかな笑みを浮かべていた顔に歪んだ笑みを張り付けた夏音は、倒れ伏した〝仮面憑き〟を足で踏みつける。動物好きの彼女からは考えられない行動に、雪菜の口からは小さな悲鳴が漏れた。

 

「やめろ、叶瀬……」

 

 古城が夏音の視線に気が付き、震える声で制止する。

 整った顔立ちを歪め、夏音は口を大きく開いた。口腔には鮫のような無数の牙が密生し、否が応でも次に起こる光景をイメージさせる。

 

「叶瀬―っ!」

 

 古城の声も届かず、夏音の牙は倒れ込んだ同類(なかま)の白い喉を食い千切った。大量の血を吹き出しながら、喉を裂かれた〝仮面憑き〟の身体が激しく痙攣する。夏音は肉を咀嚼しながら、碧眼から大粒の涙を流す。

 古城は、雪菜は、浩一はここではっきりと〝仮面憑き〟の目的を思い知った。彼女たちは喰らい合うために戦っていたのだ。必ず2体で出現し、どちらかが倒れるまで戦い続けていた理由としては、納得がいく説明だ。だが、何故。何の目的で?

 疑問に埋め尽くされる古城たちを後目に、浩一は行動を開始した。とにかく今は共食いを止めなければならない。四肢の装備はまだ生きており、即座に霊力を流し込んで起動する。

 

「浩一さん!?」

 

 雪菜を無視し、結界の力場をブーツ代わりに夏音の頭部目掛け跳び蹴りを放った。しかし、浩一渾身の一撃は紋様の障壁に阻まれあっさりと受け止められてしまう。あろうことか、夏音は視線を向ける事すらせず、捕食を続けている。

 ならばと両腕の装置を組み合わせた浩一の前で、捕食活動を終えた夏音が立ち上がった。構える浩一をよそに、彼女は歪な翼で空へ飛び立つ。淡い光とともに飛び立った夏音は、あっという間に夜闇に紛れて見えなくなってしまう。

 現状考えられる最高戦力での作戦失敗。古城と雪菜は、夏音の飛び去った方向をただ見つめる事しかできなかった。

 残されたのは、大規模な破壊の跡と、瀕死の〝仮面憑き〟だった少女のみ。あまりにも苦い、完全な敗北だった。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 種族・分類

 双角の深緋 アルナスル・ミニウム
 第四真祖がその身に宿す12の眷獣の内9番目の眷獣。
 今作オリジナルである口から放つ怪音波は、古城がロプロスの攻撃を参考にして編み出した。
 この小技のように、部分的に眷獣の力を引き出す行為は原作でもあまり見られない高等技術である。

 仮面憑き かめんつき
 未知の術式で宙を舞い、一切の攻撃を受け付けない謎の存在。
 ただの人間である叶瀬夏音がその身を変じていることから、何かしらの魔術的改造の結果とみられる。

 七式突撃降魔機槍 シュネーヴァルツァー
 世界に3本しか存在しない、獅子王機関の秘奥兵器。
 この槍を操る使い手はその全てが特殊任務に動員されるほど、替えの利かない特殊兵装である。
 貴重な兵装をただ大切に保管するのではなく常に実戦投入し続ける点で、獅子王機関の覚悟と対面している現状の危険性がわかる。

 雪霞狼 せっかろう
 姫柊雪菜が持つ七式突撃降魔機槍の銘。
 この槍に強い適合性を持ったことが、未だ剣巫見習いだった雪菜が第四真祖の監視役として抜擢された大きな理由の1つである。

 獅子の黄金 レグルス・アウルム
 第四真祖がその身に宿す12の眷獣の内5番目の眷獣。
 本来であれば第四真祖の眷獣の中でも一際狂暴であり制御が難しいとされる存在なのだが、霊媒として与えられた雪菜の血をよほど気に入ったのか古城が掌握している眷獣の中でも特に扱いやすい一体となっている。

 戒めの鎖 レージング
 南宮那月が振るう魔術道具の内、最も多く扱われる武装。
 神々が鍛えたとされ、那月の反応から断ち切られたことはほとんどなかったほどの頑強性を誇り、捕らえられれば脱出はまず不可能といえる。


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5話 メイガスクラフトにて

2020/6/5 用語集追加


 〝仮面憑き〟に対しての完全敗北から一夜明けた土曜の朝、古城と雪菜はモノレールに揺られていた。結局あれから一睡もできなかった2人は、朝一番で凪沙から猫のためと偽って夏音の住所を聞き出し、話をするために向かっているのだ。

 

「メイガスクラフト?」

「はい。凪沙ちゃんから聞いた叶瀬さんの住所は、そこの社宅でした」

 

 手書きのメモを見ながら、雪菜は降りる駅を確認している。古城は、うろ覚えの記憶から該当する名前を引っ張り出した。

 

「たしか、清掃ロボットの会社だっけ? 最近業績を伸ばしてるって、ニュースでやってたな」

 

 数日前のニュースで、メイガスクラフト社のV字回復と銘打った特番が組まれていたのだ。古城としては興味が無かったために聞き流していたのだが、こんなことならばしっかりと見ていればよかったと歯噛みする。

 

「そうですね。産業用機械人形(オートマタ)の製造業を主力としている企業で、研究施設が絃神島北地区(アイランド・ノース)にあって、そこに叶瀬さんの現在のお父さんが勤めているみたいです」

「で、その施設近くの社宅が現住所ってわけか。

 今の父親ってことは……」

「はい。修道院が閉鎖された後、叶瀬さんは今のお父さんに引き取られたと聞いています」

 

 雪菜は少し困ったように目を伏せた。彼女も幼少期に獅子王機関へ引き取られたのだ。境遇からして似ている夏音は、同情というよりは共感の対象なのだろう。

 丁度モノレールが目的の駅に到着し、古城は降りながら渋い顔になって頭を掻いた。

 

「それだけ聞けば、いい話なんだけど……昨日のあれを見た後だと、どうにもな……」

「同感です。少し引っかかりますね」

 

 後に続く雪菜は堅い表情で頷き、ふと不安そうな表情で古城を見上げた。

 

「あの、先輩。叶瀬さんのこと、南宮先生には?」

「俺からは話してない。でも、浩一さんが話してる可能性は高いと思うぞ」

 

 古城の顔が苦悩に歪む。古城とて、自分の判断がグレーゾーンであるということは理解している。被害を食い止めるためにも、本来であれば知る限りの情報を那月に渡し、特区警備隊(アイランド・ガード)に動いてもらうことが一番なのかもしれない。自分が感傷で話をしなかったために、結果として生まれたタイムラグが被害を広げる可能性もある。それに古城が黙っていたとしても、あの時浩一も夏音の顔を見ているのだ。彼が情報の共有を怠るとは考えにくい。

 だが、それでも古城は見知った後輩を、何の事情も知らないまま管理公社へと引き渡すことはできなかった。

 

「まあ、那月ちゃんも強引な所はあるけど、決めつけで動く人じゃないからな。あの人が動くための下調べが済む前に、なんとか直接話せるといいんだけど」

 

 古城のぼやきに対して、意外にも雪菜は仕方のない人だと呟いただけだった。

 

 

 

 それから数分後、夏音の住所に到着した2人は、少しの間立ち尽くすことになる。

 

「姫柊、本当にここで合ってるのか?」

「聞いた住所では、ここでいいはずなんですけど……」

 

 古城たちの目の前には、殺風景なオフィスビルが建っていた。2人が立ち尽くした理由は、壁全体を覆う鏡面加工された硝子が生む、温かみや生活感を削ぎ落としたような雰囲気と、夏音が住む建物と言うイメージが一致しなかったためだ。社宅ではなく、研究施設に住み込んでいると言った方が正しい表現になるだろう。

 

「とりあえず、入ろうぜ」

 

 古城が先陣を切り、ビルの中へと入る。

 内部は一般的な企業の入口と似通った形をしており、入ってすぐの受付に待機していた女性が古城へと近づいてきた。

 

「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」

「あ、すみません。こちらに住んでる、叶瀬夏音さんに会いたいんですが」

 

 ぎこちない愛想笑いに対して、受付嬢は無機質な笑みを浮かべた。どこか人形を連想させる、堅い笑みだ

 

「申し訳ありません。叶瀬夏音はただ今外出中となっております」

 

 なんの資料も確認せずに返答され、古城は面食らう。

 

「いつ帰ってくるかとか、わかりますかね?」

「わかりかねます」

 

 表情を一切変えない受付嬢に、古城はどこか違和感を抱く。同時に、何故か眼前の女性に嫌悪感を抱いていることに気が付いた。

 

「叶瀬賢生氏は、ご在宅ですか?」

 

 不快感から押し黙った古城に変わり、雪菜が口を開いた。夏音の父親らしき人物の名を挙げている。

 

「失礼ですが、どのようなご用件でしょうか」

「私は獅子王機関の姫柊です」

 

 受付嬢に、雪菜が自らの所属組織を告げたことに古城は驚いた。あくまでも私的な行動中である今、獅子王機関の名前を出すことは、雪菜の生真面目な性格らしからぬ行動だったからだ。

 数秒の沈黙の後、受付嬢は雪菜に向き直る。解答は、古城たちの予想を外れたものだった。

 

「承っております。こちらで少々お待ちください」

 

 受付嬢が来客用のソファに先導し、古城と雪菜は困惑して顔を見合わせる。

 

「承ってるって、どういうことだ?」

「わかりませんが、好都合です。何か聞き出せそうですよ」

 

 とりあえずこの場は大人しくしておこうと、古城と雪菜は座って待つことにした。

 

 

 

 座り始めて10数分後、古城が退屈を覚え始めた頃に、エレベーターの扉が開いた。視線を向けると、ワインレッドのスーツに身を包んだ外国人の女性が此方に歩いてくる。金髪の華やかな美女であり、スーツから窺える体のラインが肉欲的だ。

 

「親父さんじゃないのか」

 

 訝しげな古城の呟きは、隣の雪菜が肘打ちで中断させた。

 

「登録魔族ですね」

 

 言われて手首に視線を向ければ、金属の腕輪(ブレスレット)がはめられていた。人工島管理公社から支給される魔族登録証だ。

 これをつけている限り、肉体の監視や特殊能力の発動制限を受けるが、代わりに普通の人間と同じ権利が与えられる。

 魔族特区で暮らす古城にとっては珍しいものではない。それよりも古城の目は女性の肉体が放つ存在感に吸い寄せられていた。

 

「先輩、見すぎです。失礼ですよ」

「いや、ゴージャスな人だと思っただけで、べつに言われるほど見てないだろ!」

「目つきがいやらしいです。犯罪ですよ」

 

 そこまで言われるかとショックを受ける古城を後目に、どこか不機嫌そうな雪菜は立ち上がり、眼前で足を止めた女性と向き合った。女性は蠱惑的笑みを浮かべる。

 

「お待たせしてしまい申し訳ありません。」

「いえ……こちらも突然訪問してしまったので」

 

 獅子王機関の名を出した以上弱みを見せられないと判断したのか、雪菜の表情は真剣そのものだ。一切の気おくれをせず、堂々と向き合っている。

 そんな雪菜の顔を見た女性は、僅かに表情を崩した。

 

「あなたたち、昨日の……」

「はい?」

「いえ、ごめんなさいね。獅子王機関の方が、こんなにお若いとは思わなかったもので」

 

 お茶を濁すような社交辞令を述べ、女性は事務的な口調で続けた。

 

「あらためまして、開発部のベアトリス・バスラーです。叶瀬賢生の、そうですね……秘書のようなものです。

 そちらの受付用機械人形(オートマタ)に不備はありませんでしたか?」

 

 ベアトリスの言葉に、古城は勢いよく振り返った。彼女が示しているのは、古城たちをここまで案内した受付嬢である。

 

「え、機械人形(オートマタ)なんですか!?」

「はい。わが社の新開発したモジュールを使用した最新型となっています」

 

 そう言われてよく見てみると、瞳がカメラになっていることに古城は気がついた。声も口内に仕込まれたスピーカーから発せられているのだろう。古城は元より雪菜ですら気が付かなかったのは、一般的な機械人形(オートマタ)とは一線を画した動作のためだろう。

 古城は、自分が感じていた嫌悪感の正体に気が付いた。人工的に作られた人型の物体が、人間そっくりに振る舞っている状況を無意識に感じ取っていたのだ。この会社全体を取り巻く雰囲気とよく似たそれは、古城にとっては決して好ましいものでは無かった。

 

「ああ、申し訳ありません。開発品の事になると意見を聞きたくなってしまうのは悪い癖です。

 本日は、叶瀬にどのようなご用件でしょうか?」

「申し訳ありませんが、ご本人に直接お話しする類のものですので、今は言えません」

 

 雪菜の返答に、ベアトリスは困ったように眉を下げる。

 

「そうでしたか。しかし困りましたわね、本日、叶瀬は不在となっています」

「不在、ですか?」

「ええ、叶瀬はただ今島外におりますの。弊社は〝魔族特区〟の管理区域に、独自の研究施設を持っておりますので、そちらに」

「絃神島の外に? ひょっとして、娘の夏音さんも一緒ですか?」

「はい。そのように伺っておりますわ」

 

 ベアトリスは、微笑みと共に肯定した。

 海洋を流れる龍脈の上に浮かぶ絃神島は、魔術的優位と共に人工島ゆえの欠点も併せ持っている。精密部品製造等の天敵である揺れは潮流から生み出される以上打ち消しきれないことに加え、大地への直接干渉を前提条件とする魔術は一切の使用が不可能だ。

 故に絃神島に本拠地を置く企業の多くは、付近の無人島を借り上げて〝管理区域〟とすることが認められている。ベアトリスの言う研究施設も、そう言った無人島の1つにあるのだろう。

 

「あの、2人が絃神島にいつごろ戻ってくるのかわかりますか?」

 

 緊張を滲ませた古城の質問に、ベアトリスの返答は無情だった。

 

「申し訳ありませんが、未定となっております。叶瀬が現在関わっているプロジェクトについての詳細は、私たちにも知らされていない機密事項ですので」

「そう、なんですか……」

 

 落胆する古城に、彼女はおかしそうに笑って続けた。

 

「お急ぎのご用件でしたら、研究施設へ直接向かっていただいた方が早いと思いますわ」

「そんなことが可能なんですか?」

 

 古城が目を丸くする。

 

「ええ。1日に2往復、連絡用の軽飛行機を飛ばしていますので、そちらに同乗していただければ問題なく。今からならば、まだ午前の便に間にうはずですので」

「では、同乗許可をお願いできますか?」

「かしこまりました。では、こちらへ」

 

 古城たちを先導して、ベアトリスが歩き出す。それに続いた古城は、背後で雪菜がこわばった表情をしていることに気が付かなかった。

 

 

 

 人工島である絃神島において、飛行機は非常に身近な移動手段である。とはいえ飛行場の数は6ヶ所と限られており、大型の飛行機が発着できるのとなれば中央空港のみだ。その他の空港は、最低限の設備のみの民間飛行場なのだ。古城たちが案内された北地区産業飛行場も、例に漏れず小規模の飛行場だった。

 飛行場の敷地内には、薄汚れた4人乗りの軽飛行機がぽつりと止まっているだけだった。その横で、革ジャンを着た長髪の男性が待機していた。

 

「まさか、あれが社用機か?」

 

 古城は自分の予想が外れるよう祈ったが、現実は非情だった。

 

「よう、あんたらが今回のお客様か? 俺はロウ・キリシマ。ベアトリスの使いっ走りみたいなもんだが、まあよろしくな」

 

 メイガスクラフトのロゴが入ったジャケットを見て、古城はこの機体に命運を託すことになる事を知った。眼前の男が醸し出すだらしなさが、不安に拍車をかける。

 差し出された手を握り、古城は男のはめた腕輪に気が付いた。ベアトリスと同じく、この男も登録魔族だ。おそらくはL種――獣人だ。

 

「ところで、そっちの嬢ちゃんは大丈夫か? すごい顔色だが」

 

 キリシマの視線の先には、顔を紙のように白くした雪菜が立っていた。不安そうに眉を顰め、祈るように両手を握り合わせている。普段の凛々しい雰囲気が嘘のようだ。今までの敵対者たちと対面した時でも、ここまでの取り乱したことは無かったはずだ。

 いや、古城には1つだけ心当たりがあった。ナラクヴェーラとの戦いで、バビル2世のしもべを使って戦場へと移動した時だ。

 

「姫柊、そういえばお前、飛行機が……というよりも、高い所が苦手みたいだったな」

「そんなことはありません! わ、わたしは獅子王機関の剣巫ですから!」

 

 姫柊の稚拙な言い訳に、古城は思わず苦笑する。意外な弱点を必死で隠そうとする雪菜を、古城は馬鹿にする気にはなれなかった。

 選択の余地なく剣巫として生きる事を強要された少女。例え仲間であろうとも弱音を吐くことが許されない孤独を、古城はバスケ部時代の経験から知っていた。その孤独に耐え切れず逃げた身として、古城はある種の共感を覚えたのだ。

 

「……そういや凪沙も飛行機苦手だったな。ほら」

 

 古城が震える雪菜の手を取った。驚いた雪菜は古城の顔を見る。

 

「せ、先輩!?」

「いや、こうすると安心するって凪沙から聞いた事があってな。嫌だったか?」

「そんなことは言ってません!」

「おうバカップル! そろそろ出発するから、乗ってくれや!」

 

 いつのまにか飛行機のエンジンをかけていたキリシマの声に、2人は慌てて機体へと走ることになった。

 

 

 

 空港から出発し、数分もすれば絃神島は水平線に消え、見渡す限りの大海原となった。海上ゆえの強風で機体は揺れ、それが旧式機体の薄っぺらさを助長させる。雪菜の不安が伝染(うつ)ったのか、古城は改めて無事に帰れるのか不安になった。

 

「姫柊、ちょっといいか?」

 

 古城は開いている手でジェスチャーをし、雪菜はその意を汲んで呪符を光らせた。これで、こちらからの声は遮断される。

 

「叶瀬の親父さんの研究って、やっぱり〝仮面憑き〟と関係あるのかな」

「状況的に見ても、その可能性は高いです」

 

 雪菜の口調は重い。夏音や戦っていた少女の全身に浮かび上がっていた紋様は、高度な魔術儀式が関連している。また、大企業の魔導技師である賢生が、共に生活してる夏音の魔術的変化に気が付かないとは考えにくい。

 

「自分の娘を改造して、殺し合わせて何がしたいんだ」

 

 古城の呟きに、姫柊は悲壮感の籠った表情で首を振った。

 

「多分、順序が逆です」

「え?」

「自分の娘を改造したのではなく、改造するために引き取ったとは考えられませんか?」

「そんな……」

 

 絶句する古城だが、状況証拠がその仮定を裏付ける。孤独な少女が、やっと引き取られた先で実験体とされる。一度希望を持っただけに、その悲しみと絶望は想像を絶するだろう。

 怒りに身を震わせる古城の横で、雪菜は目を伏せた。

 

「私と叶瀬さんは、どこか似ているんです。だから……」

 

 雪菜の漏らした呟きで、古城は彼女の本心に気が付いた。

 霊媒としての体質ゆえに獅子王機関に引き取られた雪菜の境遇は、たしかに今の夏音に重なるのだ。一歩間違えれば、雪菜も魔術の実験台にされていてもおかしくなかった。らしくない獅子王機関の名前を出したことも、彼女なりに夏音を救おうと必死だったからなのだ。

 

「……昨日の夜、叶瀬は俺達の事を助けてくれたよな」

 

 昨日の戦闘を思い起こしながら、古城はぼそりと確認する。つないだままの手が握りしめられ、雪菜は顔をあげた。

 

「今度は、俺達が助ける番だ」

 

 決意に染まった古城の表情に、雪菜は力強く頷いた。

 

「ようバカップル。見えてきたぜ!」

 

 そんな雰囲気に横槍を入れるように、キリシマが機体を傾け始めた。ゆっくりと旋回する機体の窓から、ぽつりと浮かぶ島が見える。研究所があるという無人島だろう。三日月状の小さな島で、上空から民家の類は確認できない。

 

「あれが俺達の島だ。勝手に金魚鉢と呼んでる」

「金魚鉢?」

 

 古城の疑問をよそに、飛行機は高度を下げ始めた。だが、古城の目に滑走路らしき場所は見当たらない。

 

「そろそろ着陸するが、舌噛むなよ!」

 

 キリシマの言を最後に、機体は無人の原野へと突っ込んでいく。異変に気が付いた雪菜が古城にしがみつくが、それに照れる余裕すらない。

 ろくに整備されていない原野で跳ねながら、機体はゆっくりと速度を落としていく。そしてがけっぷちぎりぎりて制止し、古城は胸をなでおろした。

 

「ほら、抱き合ってないでとっとと降りろバカップル。後の予定がつかえてるんだ」

 

 慣れた手つきで扉を開けるキリシマに促され、古城は雪菜を支えながら機体を降りる。堅い地面が、これほど頼もしく感じたことは無かった。

 

「で、この島のどこに研究所があるんだ? 上からはそれっぽいものも見えなかったけど」

「さあな。そのうち誰かしら来るだろ。生きてればな」

「……キリシマ?」

 

 意味ありげなセリフに振り向くと、キリシマが飛行機の扉を閉めるところだった。そのままプロペラが回りはじめ。機体が進み出す。

 

「悪いなバカップル。恨むならベアトリスの奴を恨んでくれや。俺は命令されただけだからな」

 

 窓越しに手を振りながら、キリシマは嫌味な笑みを浮かべ、次いで表情を驚愕に歪めた。

 

「待ちやがれこの野郎!」

 

 学生とは思えない俊敏性で動いた古城が、操縦席の扉に取りついたのだ。よく見れば四肢に雷を纏っていることがわかるが、それに気が付くだけの余裕はキリシマにはなかった。

 

「機体を止めろ! さもないと……」

「さもないとなんだってんだ? 舐めるなよガキが!」

 

 窓越しに腕を突きだす古城に対し、なんとキリシマは扉を開け放った。あっけにとられる古城の腹目掛けて、キリシマの蹴りが叩き込まれる。

 たとえ人間体であろうとも、獣人の脚力は脅威だ。まともに喰らった古城は弾き飛ばされ、異物を排除した飛行機はあっという間に島から飛び去ってしまった。

 獣人の脚力と飛行機の加速で地面に叩きつけられた古城は、なんとか受け身を取ることで致命傷から免れていた。咄嗟に動けただけ、浩一との訓練は成果が出ていると言えるだろう。とはいえ骨が数ヵ所折れており、吸血鬼の再生能力をもってしてもしばらくは動けない。

 

「まったく、勘弁してくれ」

 

 仰向けになった視界で、慌てた雪菜が駆け寄ってくる姿を見ながら、思わず古城は呟いた。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 叶瀬賢生 かなせ-けんせい
 本編登場まで、解説は控える。

 ベアトリス・バスラー
 メイガスクラフトに勤める吸血鬼の女性。
 派手な外見と物腰柔らかな人当たりを併せ持つが、古城たちを無人島へ置き去りにするよう指示するなど本性は冷酷。

 ロウ・キリシマ
 メイガスクラフトに努める獣人の男性。
 獣人らしく粗暴だが、どちらかといえば体育会系の気のいい男。
 しかし、その気質のまま少年少女を無人島へ放置する計画を何のためらいもなく実行する、ある意味で恐ろしいしい性格をしている。

 施設・組織

 メイガスクラフト
 掃除用の自動人形を製造する中堅企業。
 技術競争の遅れで経営が危ぶまれていたのだが、最近業績を回復させ新たな産業にも手を伸ばしていると噂されている。

 金魚鉢
 メイガスクラフトが所有する無人島であり、絃神島に存在する多くの企業が所有する管理区域の1つ。
 実態は人の手がほとんど入っていない孤島であり、外部への連絡手段は皆無の理想的な隔離施設となっている。

 種族・分類

 機械人形 オートマタ
 人間を機械のみで再現した存在。
 人工生命体との最大の差はまさしく命が存在するか否かであり、機械であるが故に過酷な条件下でも問題なく活動できる長所を持つ。
 反対に、事前にプログラムされた行動以外に対応できない脆弱さも併せ持つため、状況に応じて大量の個体を投入する運用法がよくとられる。


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6話 捜索のきっかけ

2020/6/19 用語集追加


 古城が地面に叩きつけられたのとほぼ同時刻、夏音が子猫を世話していた元修道院前に、1人の女性が立っていた。モデルのように整った肢体を持ち、長髪をポニーテールに括っている。獅子王機関の舞威媛、煌坂紗矢華だ。

 

伝令使の杖(ケーリュケイオン)のレリーフ……間違いないわね」

 

 廃墟と化した修道院を眺め、崩れていない壁面に杖の紋様を確認する。目的の建物であることを確認した紗矢華は、迷いなく扉を潜って内部に入った。

 

「ここが叶瀬夏音の暮らしていた修道院か。何年も前に廃墟になったと聞いていたけれど、その割にはずいぶんと綺麗ね」

 

 この修道院が閉鎖される原因となった謎の爆発事故が発生してから、すでに年単位の時間が経過している。当然人や生活の痕跡が残っているはずもない。

 だが、舞威媛の目は微細な変化をも逃さず捉える。入口周辺に限ってだが、頻繁に人が出入りしていること、そしてごく少数の人間が、定期的にこの修道院を訪れていることを紗矢華はすでに把握している。廃墟内部に入ってからのごく短い時間でここまでの情報を捉えるのは、紗矢華が持つ舞威媛としての高い実力の証明である。

 そして彼女の持つ情報から、現在ここに足しげく通う人物はただ1人、叶瀬夏音だ。彼女が現在遂行する任務において重要な手掛かりになるはずの人物を追い、わざわざこの廃墟に足を運んだのだ。

 

「――っくしゅ」

 

 床を調べていた紗矢華は、突然のむず痒い感覚におもわず小さなくしゃみを漏らした。彼女の動きによって舞い上がった微細な浮遊物が、鼻の粘膜を(くすぐ)ったのだ。そして鍛えられた彼女の聴覚は、反響する音にごく小さな異音を感じ取った。

 

「誰!?」

 

 違和感の先に視線を向け、油断なく構えを取る。伸ばされた手は、背負ったキーボードケースから覗く長剣の柄にすでに添えられており、何かが起きれば瞬時に抜き放つことができる。

 

「隠れても無駄よ?

 素直に出て来てくれれば、とりあえず乱暴なことはしないで済むんだけど」

 

 紗矢華の冷ややかな警告が響く。

 僅かな沈黙の後、石柱の影から1人の男性が現れた。短髪を逆立てた頭を掻きながら、苦笑いを隠そうともしない。首にかけたヘッドフォンが印象的だ。

 

「……ちっす。まさか見つかるとは思ってなかったぜ」

「私も、猫の毛に助けられたのは初めての経験よ」

 

 互いに軽口を叩いてはいるが、女性の目には剣呑な、男性の目には諦めと対照的な光が宿っている。

 ふと、紗矢華が眉を顰めた。

 

「暁古城と同じ制服? ……あなた、たしかディミトリエ・ヴァトラーに回収されていた」

「ああ、そういえばいたのか。あの時はどうも」

 

 ばつのわるような表情で矢瀬基樹は苦笑した。

 先の黒死皇派が引き起こしたテロ事件の際、紗矢華と矢瀬は顔を合わせているのだ。とはいっても、何故かディミトリエ・ヴァトラーに回収されていた矢瀬が、那月によって退避させられるまでの短い間だったが。

 

「戦王領域の貴族がわざわざ担いでくるくらいだから、ただの高校生じゃないって思ってたけどね。あなた、一体何者?」

「何者ね……暁古城のクラスメイトとしか答えられないんだが、納得してくれなさそうだな」

「そう、素性を明かす気は無いってこと?」

「いやいや、お互いに詮索はなしにしようぜ。そっちも色々と聞かれても答えられないだろ?

 獅子王機関の舞威媛が、こんな所で何やってるかとかさ?」

 

 苦笑いをしながら、矢瀬は至極あっさりと紗矢華の肩書を言い当てて見せた。何もかもを知っているといわんばかりの物言いに、紗矢華は苛立ちを募らせる。

 

「……あなた、何が目的なの?」

「あんたと取引がしたい。ちょっとばかし面倒なことになっていてな」

「内容は?」

「俺からの条件はたった1つだ。俺の正体を口外しないでもらいたい。古城にも、姫柊雪菜にも、誰にもだ」

 

 妙に回りくどい矢瀬の言い回しに、紗矢華はなるほど、と納得した。この男は、暁古城と姫柊雪菜の関係を知っているのだ。そしてそれを感付かれてはまずい立場にいるのだろう。人工島管理公社から派遣された、第四真祖と獅子王機関双方を監視するための人員だと、紗矢華はおおよその見当をつけた。

 このわずかなやり取りで、当たらずとも遠からずの結論を導き出す。やはり紗矢華は非凡な才能を持っているのだ。

 

「条件を飲んでくれるのなら、俺からは情報を提供する用意がある。あんたにとって価値のある内容だとは思うぜ」

「……情報って?」

 

 自分の口から思ったよりも冷ややかな声が出たため、紗矢華は驚いた。だが構わないだろう。今この状況で彼女が譲歩する必要はどこにも無いのだ。

 矢瀬はどうでもよさそうに肩をすくめ、返答を短く済ませた。

 

「暁古城の居場所だ」

「――は、え、なんで、私が暁古城の居場所なんか」

 

 いっそ見事なまでの取り乱しようを見て、矢瀬は虚ろな笑い声を漏らした。言外にめんどくさいと主張している。

 

「今古城は、島の外にいる」

「……〝第四真祖〟が〝魔族特区〟の外に?」

 

 なげやり気味に放たれた言葉を聞いて、紗矢華は一瞬で冷静さを取り戻した。目の前の男が言う話を全面的に信じられるわけではないし、彼女の任務に何ら関係はない。だが、それが本当なのだとしたら大きな問題である。

 

「もちろん姫柊雪菜も一緒だ。

 実はあいつら、今ちょっと叶瀬夏音絡みの事件に巻き込まれてて……」

 

 不意に、矢瀬が言葉を切った。切る直前に出された叶瀬夏音の名に紗矢華の目が鋭くなるが、それすらも気にせず矢瀬は頭を抱える。

 

「嘘だろ……てか最悪だ。なんであいつらがここに来るんだよ!」

「ねえ、どうしたの? あいつらって?」

 

 流石に不審に思った紗矢華が首をかしげるが。脂汗を流す矢瀬は反応する余裕も時間も惜しいとばかりに紗矢華に詰め寄った。

 

「いいか、今から一切音を立てるなよ。ここで何かあったら流石にフォローしきれない。わかったな!」

 

 返事を待たずに矢瀬は踵を返した。壊れた扉へ向かって跳びかかるように移動し、ちょうど建物へ入ろうとしていた2人組を押し留めることに成功する。

 

「わっ、矢瀬っち。なんでここに?」

「基樹、あんたなんでここにいるの?」

 

 約束をすっぽかされ、文句を言うために古城を探しに来た浅葱と、心当たりの修道院へと道案内をしていた凪沙は口を揃えて疑問を(てい)した。夏音が、もしくは古城がいると思っていた建物から、突然関わりの無さそうな知り合いが飛び出してきたのだ。誰でも驚くだろう。

 

「い、いやあ俺も古城を探しててな。前にここで猫の世話をしてたって聞いてたんだが、誰もいなくて帰ろうと思ってたんだよ。は、はは……」

「ねえ、あんたなんか挙動不審じゃない。何か隠してるんじゃないの?」

 

 浅葱の脳裏に、古城とよく一緒に居る雪菜の姿が浮かんだ。考えにくいが、矢瀬がごまかしを頼まれたのだとすれば。

 

「ちょっとどきなさい基樹。誰もいないなら見ても問題ないでしょう?」

「いや、そのちょっと待てって!」

 

 慌てる幼なじみを押しのけ、室内を覗いた浅葱の目に飛び込んできたのは状況を掴み切れていない紗矢華の姿だ。入口を見ていた紗矢華も、矢瀬を押しのけて入ってきた浅葱の姿を認識する。

 数秒の沈黙。

 

「「あーっ!」」

 

 ほとんど同時に声が上がり、押し潰されるように矢瀬はしゃがみこみ、力なく頭を抱えた。

 

「こないだ古城に斬りかかってた通り魔女じゃない!」

「あ、暁古城の浮気相手がなんでここに!」

 

 互いの発言を聞いてしばし絶句し、再びほぼ同時に声を張り上げた。

 

「だ、誰が浮気相手よ誰が!」

「こっちこそ、通り魔なんかじゃないんですけど!」

 

 今にも取っ組み合いの喧嘩を始めそうな2人を見て、展開に置いて行かれている凪沙は目を丸くしている。

 

「ね、ねえ矢瀬っち、何がどうなってるの? ねえ、矢瀬っちってば!」

 

 視界の端で蹲る矢瀬の背を叩くが、気の抜けたような矢瀬は何の反応も返さない。

 互いを呪い殺さんといわんばかりの目つきで睨み合う2人の少女に、うずくまる男を乱暴に叩く少女。そして叩かれながらも反応を返さない青年と、実に混沌とした場が形成されている。

 

「……もう知らん」

 

 せめてもの抵抗とばかりに呟いた矢瀬の声は、誰に聞かれるでもなく喧騒の中へと消えていった。

 

 

 

「〝焔光の夜伯(カレイドブラッド)〟の血脈を継ぎし者、暁古城が汝の枷を解き放つ――!」

 

 荒く波が打ちつける海辺の岩場で、古城は右手を掲げていた。指先からは霧と化した血が舞い、大気を深紅へと染め上げる。

 宙に浮いた血霧は即座に魔力へと変換され、異界より呼び出される召喚獣の身体を形作っていく。物理的になるまで圧縮された莫大な衝撃波が、周囲の大気を震わせ、海面を荒らし、雲すらも揺るがし始めた。

 

疾く在れ(きやがれ)、九番目の眷獣〝双角の深緋(アルナスル・ミニウム)〟!」

 

 呼び出されたのは衝撃の双角獣(バイコーン)。古城が受け継いだ〝第四真祖〟の眷獣の1体にして、直近のテロリスト騒動で掌握した新しい力――〝双角の深緋(アルナスル・ミニウム)〟である。

 自らの頭上に顕現したそれを、古城は細心の注意を払って操る。万が一制御を誤って暴走させた場合、この程度の島ならばその衝撃波で壊滅させてもおかしくない存在なのだ。掌握し操れるようになったということと、自在に制御できるということは違う。

 古城は両腕を海水に突っ込み、眷獣に指示を出す。双角獣(バイコーン)は前足の蹄を宿主の背につけ、ギリギリまで絞った自らの能力を解き放つ。

 瞬間、途方もない衝撃波が古城の腕を伝って水中を蹂躙した。伝達棒となっていた古城の両腕の間の海水は爆発的にその体積を増し、古城の腹を直撃。与えられた衝撃の勢いそのままに古城の肉体を天へと打ち上げる。

 消えていく〝双角の深緋(アルナスル・ミニウム)〟の目が、どこか呆れをはらんでいるのは気のせいだと思いたい。そうくだらない事を考えながら古城は自由落下を全身で楽しみ、岩場から僅かに離れた砂浜に背中から着地した。

 

「何をやっているんですか、先輩?」

 

 呆れかえった声が響き、古城は衝撃でうまく動かない首で声の主を探す。

 砂浜を挟んで海と反対方向に広がる森から、雪菜が此方に歩いてきている。冷ややかな目線は、いたずらに失敗した子供を見るものと同質だ。

 

「いや……食うものを探してたんだけど見つからなくてな。そういえば電気とかダイナマイトで漁をする方法があるって聞いた事があったから、試してみたんだけど……」

「なるほど、それでこの惨状ですか」

 

 雪菜の目線につられた古城の視界に、無残に姿を変えた海岸の姿があった。古城の腕があった付近の岩は粉砕され、跡形もなくなっている。美しく澄んでいた海水は、蹂躙された海底から巻き上げられた土砂で濁っていた。

 

「ま、まあ、とりあえず魚は取れたし、次からはこうならないように気を付けるからさ!」

 

 古城の言うとおり、そこそこの数の魚が腹を上にして浮かんでいる。だが、破壊された規模に対して明らかに少ない。大半の魚は衝撃波によって粉砕され、今浮かんでいるのは運よく内臓だけが傷ついた個体なのだろう。さばくまではわからないが、可食に耐える傷しかついていない確率を考えれば、食べられたとしても数匹だ。

 

「次があっては困ります! 数匹食べるためにどれだけの犠牲を出すつもりですか。まあ、魚はありがたくいただくことにしましょう。

 私の方でも食事を用意できましたので、お誘いに来ました」

「そうか、サンキューな」

 

 礼を言いながら、古城は破壊された岩場を後にした。

 キリシマに置き去りにされた後、島を探索した2人は、トーチカを発見しそこを拠点としたのだ。

 

「でも、先輩は眷獣の使い方を少し間違えてる気がします。破壊の規模を考えてください。〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟の雷で火をつけようとして、枝を一瞬で焼き尽くしてましたよね。灰すら残さず」

「制御の練習はしてるから、上手くいくと思ったんだけどな」

 

 島で行った失敗を語られ、古城はばつの悪そうな顔をした。獅子王機関でサバイバル訓練を受けたという雪菜の知識を元に行動したのだが、どうにも眷獣の力が強すぎたために失敗しかしなかったのだ。先程の魚とりは実績を挙げられたので、古城としては少し救われた気分になっている。

 

「あ」

 

 不意に古城が立ち止まり、間抜けな声を出した。

 

「どうしたんですか、先輩?」

 

 雪菜の声も耳に入っていないのか、頭を抱え悶絶を始める。

 

「今日たしか土曜だったよな。まずい、浅葱の美術の宿題手伝うのすっかり忘れてた。あいつ絶対怒ってるよ」

「約束、ですか?」

 

 気の抜けた声を出した雪菜は、少し真面目な表情になった。

 

「それは、少し希望が持てそうですね」

「だといいけどな」

 

 約束をすっぽかされたと知ったら、浅葱は怒り狂って行先を調べるだろう。電子機器に関して超一流の腕前を持つ彼女ならば、古城がメイガスクラフトに訪れたことまで突き止めるかもしれない。

 

「だけど、下手にメイガスクラフトに近づいたら浅葱も危険だ。つってもこのまま叶瀬を放っておくわけにもいかなかったし……」

 

 誰かを助けるために誰かを危険にさらさなければならない。そのジレンマに頭を抱える古城を見て、雪菜は微笑を浮かべた。

 

「……他人の事ばかりですね。先輩も、今無人島に流されてどうなるかわからないのに」

「人の心配してる場合じゃないってのはわかってるよ」

 

 決まりの悪そうな古城だが、雪菜は静かに首を振り、ほとんど聞き取れない小さな声で呟いた。

 

「先輩のそういう所、ちょっとだけ、いいと思います」

「え?」

 

戸惑う古城にごまかすような笑みを返し、雪菜は丁度開けた森から見える海と空を眺めた。

 

「いい景色ですね」

 

 幼さを残した少女の横顔を、夕日が美しく照らしている。潮風に髪を遊ばせる雪菜は、どこか幻想的な雰囲気を纏っていた。

 

「ああ、そうかもな」

 

 おもわず見とれていた古城は誤魔化すように頷き、雪菜が見るものと同じ景色を視界に収めた。

 この後、雪菜が用意したヤシの実フルコースの夕食を見て古城が苦言を漏らすのだが、それはまた別のお話。

 

 

 

「ロプロス、この辺りでもう一度旋回しろ。海面の異常を一切見逃すな」

 

 雲よりもわずかに低い高度を、バビル2世を乗せたロプロスはゆっくりと飛行していた。カメラアイの性能を十全に生かし、バベルの塔のメーンコンピューターがほとんどリアルタイムで映像を分析している。

 

「ん?

 ロプロス、真下になにか見える。高度を下げろ」

 

 ロプロスとはいえ視界には限度がある。その死角を補っていたバビル2世が、異物を捕らえた。

 指示に従い徐々に高度を下げるロプロスのカメラアイを通じて塔のメーンコンピューターがその正体を即座に突き止め、タイムラグなくバビル2世にその正体を知らせる。

 

「アルディギア王国の装甲飛行船〝ランヴァルド〟だと!

 でかしたぞロプロス、コンピューター!」

 

 消息を絶っていた飛行船を発見し、バビル2世は笑みをこぼす。高度を下げると、船体は完全に破壊されたわけではなく、僅かに見える船内情報から生存者の可能性も期待できると解析された。

 

「よしコンピューター、この辺りの海域一帯の海流を調べておけ。誰かが流されていた場合必要になる」

 

 バビル2世は指示を飛ばしつつ、透視能力で船内をくまなく見通す。メーンコンピューターの解析通り、船内に僅かながらの生存者を確認。主な依頼先であるアルディギア王国から渡された通信機を使い、救助の要請を出す。

 同時に発信器を設置するために船に近づくが、そこでバビル2世は異変に気が付いた。

 

「脱出ポッドが1機無いだと?

 まさか」

 

 日本国とアルディギア王国、2ヵ国連名の捜索依頼の中で、最重要とされていた人名がバビル2世の脳裏に浮かぶ。咄嗟に船内を再び見渡すが、資料に掲載されていた顔は見当たらない。

 

「コンピューター、海流のデータを割り出し次第演算に入れ。救助隊が到着次第移動する!

 ポセイドン、船が沈まないよう支えておけ!」

 

 終わったと思った仕事が実は核の部分だけ抜けていた。脱力と苛立ちに苛まれつつ、バビル2世は船上に降り立ち、救助と応急処置を始めた。

 太陽は海面下に姿を隠し、夜が始まろうとしている。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 煌坂紗矢華 きらさか-さやか
 ストライク・ザ・ブラッドヒロイン。
 獅子王機関の舞威媛であり、現在はディミトリエ・ヴァトラーの監視を行っている。
 生真面目な性格で優秀な攻魔師なのだが、それだけに奔放な性格の人間には振り回されがちという大きな弱点を持っている。

 バビル2世 用語集

 用語

 メーンコンピューター
 バビル2世が棲むバベルの塔全てを管理するコンピューター群の内、その中核となる存在。
 人格を持っており、状況に応じた助言や指示をバビル2世に与えることが多かった。
 情報処理能力では比類なき存在であり、与えられた写真や動画からその本質を導き出しバビル2世の勝利のきっかけとなったことも1度や2度ではない。


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7話 新しい脅威

2020/6/19 用語集追加


 薄暗いネットカフェのブース。個人用のはずのそこで、3人の少年少女が顔を突き合わせてモニターを睨んでいた。

 

「あった。多分これよ」

 

 浅葱は動画データから1つの画像を切り出した。荒れた画像データには、離陸直後の軽飛行機が映し出されている。

 

「メイガスクラフトの社用機だな」

 

 機体に描かれたロゴを見て、矢瀬は不敵な笑みを浮かべた。

 頷いた浅葱は無言でキーボードを操作し、飛行機後部座席に座る2人組を拡大する。パーカーを着た気だるげな少年と、ギターケースを背負った小柄な少女だ。

 

「映りは悪いけど、たしかに古城と転校生ね」

「そうみたいだな。行先はわかるか?」

飛行計画(フライトプラン)は提出されてるけど、ちょっと信用できないわ。往復時間は誤魔化せないから、そこから見るとあんまり遠くへ入ってないわよ。とはいっても、飛行機のあんまり遠くだから……」

 

 浅葱は会話を続けながら、即興のプログラムを使い次々とメイガスクラフトの関連施設へハッキングを続ける。

 さらに、自らの管理者権限を使い人工島管理公社のサーバー経由で、相棒の補助人工知能(AI)を起動した。絃神島を管理する5基のスーパーコンピューターの現身(アバター)――モグワイだ。

 

「モグワイ、そっちはどう?」

『ああ、流石に大企業なだけあって、上っ面の帳簿は綺麗なもんだ。だがな』

 

 モグワイが調べ上げたメイガスクラフト社経理部門の帳簿データを復元させていく。何重ものプロテクトを破って引きずり出された裏帳簿は、(なお)も通し名で誤魔化されていた。

 

『ケケッ、臭ェな。怪しい臭いがプンプンするぜ』

 

 モグワイは開いたのは、1枚の地図と顧客リストだ。

 

「買収した子会社の私有地と、アメリカ連合陸軍(CSA)の発注記録?

 島まで片道30分……たしかに丁度いい時間ね。でもこの軍隊がお掃除ロボット大量発注って何よ?」

「なるほどな。絡繰りが見えてきたぜ」

 

 困惑する浅葱の後ろで、矢瀬は不機嫌そうに鼻を鳴らした。メイガスクラフトの裏稼業に心当たりがあるらしい。

 

「藍羽浅葱、あなた何者?」

 

 2人、モグワイを含め3人のやり取りを黙って聞いていた紗矢華が口を開いた。

 電子機器に疎い彼女からしても、浅葱の手際が常軌を逸していることは理解できた。〝魔族特区〟の住人である以上常人ではないと思ってはいたが、予想以上である。古代兵器(ナラクヴェーラ)を破壊するプログラムを組んだというのも納得だ。

 

「何者って、普通の高校生よ。たまにバイトで管理公社の手伝いをしてるだけ」

「ば、バイト?」

 

 浅葱の返答の軽さに、そして口調からたいしたことではないと本気で思っている事実に紗矢華は戦慄した。情報が物を言う現代において、圧倒的な能力を持つ彼女はまさしく強大な怪物だ。捉えようによっては〝第四真祖〟に匹敵するだろう。だが、浅葱自身はそれを自覚していない。

 沈黙した紗矢華を、浅葱は胡乱気にじっと見据える。

 

「煌坂さん……だっけ? そっちこそ何者よ。本当に古城を助けられるの?」

「それは任せてもらっていいわ。私のコネで沿岸警備隊(コースト・ガード)を動かすから。居場所がわかればすぐにでも」

 

 紗矢華の所属する獅子王機関において〝第四真祖〟である暁古城の監視は最優先事項である。彼だけでなく、監視役の雪菜まで連れ去られたとあっては、彼女たちを救出するのは紗矢華にとって当然の義務なのだ。

 それに紗矢華自身の任務とも、古城たちの失踪と無関係ではなさそうなのだ。獅子王機関の名で叶瀬賢生との面会を予約していたのは、紗矢華だったのだ。もしも先にメイガスクラフト社へ到着していたら、島外へ連れ出されていたのは彼女だった可能性が高い。

 

「……コネで、ね」

 

 浅葱は全く信用していない口調で呟いた。肩書も名乗らず、不幸な行き違いとはいえ思い人に剣を向けている姿を目撃しているのだ、当然だろう。

 だが、浅葱は紗矢華の正体を追及する気は無いようだ。その代わりに、彼女は紗矢華の目を正面から見つめる。紗矢華も同じように、浅葱の目を見つめ返した。

 

「「それで――」」

 

 ほぼ同時に切り出し、互いに眉をしかめる。だが、どちらも引くことなく自分の疑問を相手にぶつけた。

 

「あなたと古城はどういう関係なわけ?」

「あなたと暁古城はどういう関係なの?」

 

 互いに一歩も引かず睨み合う。目を逸らした方が死ぬと言わんばかりの気迫に、耐えかねた矢瀬が割って入った。

 

「ま、まあまあまあ」

 

 どもりながらも軽薄な声と引きつった笑顔で気を引き、軽い口調で雰囲気を壊す。

 

「それは古城が無事帰ってからゆっくりと、な? こうしている間にも、あの野郎は無人島で姫柊ちゃんと、こう……青い春てきな展開を迎えている可能性が無きにしもあらずと言うか」

 

 矢瀬の無責任な発言に、2人がピクリと反応した。

 

「……そうね、それはまずいわね」

「貴方の言うとおりね、矢瀬基樹」

 

 とりあえずの危機を脱し、矢瀬は内心安堵の溜息を吐いた。彼の脳裏に古城の顔が浮かんだが、今そこにある危機を脱することが先である。

 

「手を貸してくれてありがとう。感謝します、藍羽浅葱」

「どうしたしまして。最後に1つだけ質問いいかしら?」

 

 ブースを去ろうとした紗矢華を、浅葱が引き留めた。

 

「――ええ、私が答えられることであるなら」

 

 振り向けば浅葱の挑発的な視線に晒されたが、紗矢華はそれを正面から受け止める。

 浅葱は満足そうに頷いた。

 

「あなたはどうして叶瀬夏音について調べていたの?」

「それは……」

 

 紗矢華は言いよどむ。任務内容を一般人に話すことは(はばか)られるが、現状彼女に大きな借りを作ってしまっている。既に部外者であるとは言い切れず、危険な橋を渡らせてしまった以上、真実を知る権利はあるだろう。

 

「彼女に会いたがっていた人がいるからよ。その人の護衛が、私の仕事だったの」

「……護衛?」

「ええ。でも、その人はこの島に来る前に消息不明になってしまった」

 

 紗矢華の口調からは、隠しきれない悔しさがにじみ出る。島に来る前の事件である以上、彼女に一切の責任は無い。だが、護衛対象を護れなかった悔しさが消せるわけではないのだろう。

 

「じゃあ、あなたが来た理由は」

「叶瀬夏音について調べれば、失踪の原因がわかると思ったからよ。おかげでメイガスクラフトを疑えばいいとはっきりしたわ」

「なるほどね」

 

 腑に落ちた、と言った表情の浅葱は、ついにその質問を口にした。

 

「で、その護衛対象って言うのは誰なの?」

「それは――」

 

 僅かな逡巡の後、紗矢華はその名を告げた。

 情報通の矢瀬だけではなく、一般人の浅葱ですら顔色を変えるその名を。

 

 

 

「眠れねえ……」

 

 木々の葉を敷き詰めた簡素な寝床で、暁古城はぼんやりと天井を見つめていた。光源が消えかけのたき火しかないため、トーチカの中は非常に薄暗い。時計が無いため正確な時間はわからないが、恐らく午後8時前後といったところだろう。いまどきの高校生が寝る時間ではないし、夜行性の吸血鬼にとってはこれからが本番となる時間だ。

 トーチカの内部に雪菜の姿は無い。万が一船が通りかかった時に見逃さないよう、交代で海を見張っているためだ。古城からすれば昼間全く通らなかった船を期待するだけ無駄だと思ったのだが、狭いトーチカ内部で2人きりは気まずいこともあり、強くは反対しなかったのだ。

 ふと、古城は喉の渇きを覚えた。雪菜の様子見がてら水でも汲もうと腰を上げる。

 

「おーい姫柊……起きてるかー?」

 

 段差に躓きながらトーチカ外部に出た古城の呼びかけに、答える声は無かった。不審に思った古城は海側に回りこみ周囲を見渡すが、雪菜の姿はどこにも無い。

 

「姫柊?」

 

 ただの見回りや、トイレに行っているだけという可能性もある。しかし、話し合いの際に夜の見張りを強固に主張し、先に眠るよう話を進めたことに、古城は今更ながら違和感を覚えた。

 古城の胸に漠然とした不安が広がっていく。雪菜はあまり呪術の類が得意ではないと聞いている。しかし、全く使えないわけではないのだ。遠距離と連絡を取るための呪術、たとえば精神感応や幽体離脱と言った呪術を使おうとしているのなら。そして、それらの呪術にリスクが生じるとしたら。彼女は使用を戸惑わないだろう。古城に心配させないため、ばれにくい状況を作り上げるはずだ。

 

「姫柊……監視役が監視対象から目を離してどうするんだよ!」

 

 的外れな不満を漏らしつつ、古城は勘だけを頼りに夜の森へと駆け出した。月齢の若い月明かりの下では濃い闇に包まれる夜の森でも、吸血鬼の視界では昼間よりも鮮明に見える。普段卑下する吸血鬼の力も、こういう時には役立つのだなと古城は自嘲気味に笑った。

 しばらく走ると、不意に視界が開ける。霧が立ち込める泉が、静かに広がっていた。透明度の高い水面からはいくつかの石柱が伸びており、霧と淡い月光があいまって幻想的な風景を生み出している。

 思わず見とれる古城の耳に、水が跳ねる音が聞こえる。反射的にそちらを向いた古城は、思わず息を呑んだ。

 泉の中に、女がいた。

 銀髪碧眼の、日本人離れした端正な顔つき。月の女神と言われれば納得してしまいそうな美貌の少女は、泉に沈めていた体を引き上げ、しなやかな体つきを月光に晒した。

 

「叶瀬……」

 

 思わず古城が呟くほどに、少女は叶瀬夏音に似ていた。だが、絶対的な相違が両者には存在する。例えばその長髪であり、夏音よりも高いであろう身長であり、身に纏う覇気である。たとえ一糸纏わぬ姿であっても、圧倒的な存在感として彼女を取り巻いている。

 

「っ……こんな時に!」

 

 状況を理解した古城を、強い吸血衝動が襲った。吸血鬼の吸血衝動は主に性欲と強く結びついている。月光の下泉で身を清める美女を覗いている今、高校生である古城が情動を持てあますことを責めることは酷だろう。

 古城の呻き声が聞こえたのか、美女が顔をあげた。毅然とした碧い瞳と、古城の視線が交わる。

 直後、口の中に広まった血の味に、古城は安堵を覚えた。吸血衝動の簡単な解消法として、血を含むことが挙げられる。それに難しい条件などは無いのだ。たとえ自身の血だとしても問題ない。

 興奮すると鼻血を出すという、情けなく見栄えが悪い体質に感謝しつつ血を拭い視線を戻すと、少女の姿は消えていた。言い訳できなかったことが口惜しいが、今はそれよりも雪菜を探しているのだ。古城が動こうと足を踏み出す。

 

「動かないでください」

 

 背後から、探し人の声が聞こえた。同時に、首筋になにか冷たいものが当たっている。視線を僅かに下げれば、見慣れた槍の穂先が顎を掠めていた。

 

「ひ……姫柊、さん?」

「動かないでください。動いたら刺します。生き返ることはわかっていますので」

 

 口調は堅く、怒りに満ちている。古城は混乱するばかりだ。

 

「えーと、その、姫柊はここで何を?」

「それはこちらのセリフです。先に休んでくださいとお願いしましたよね?」

 

 身じろきの気配と共に、小さなくしゃみが聞こえた。同時に、首筋に水滴が飛ぶ。

 

「ひょっとして、姫柊も水浴び中だったとか?」

 

 ピクリと反応する穂先から、古城は推察が当たっている事を悟った。思わずため息が出る。

 

「言ってくれればいいだろう。なんで黙ってたんだ? 変に心配したぞ」

「行ったら先輩は覗きに来るじゃないですか!」

「なんで決定事項なんだよ! べつに姫柊のことなんか覗こうとしてねーよ!」

()()()()()()、ですか。そーですか!」

 

 苛立ちを露わにする雪菜だったが、ふと首をかしげた。

 

「では、先輩は誰を覗いていたんです? 興奮した時鼻血が出るって言ってましたけど、妄想でそこまで興奮するわけはないですよね?」

「なんだそのレベルの高い変態は。いまそこに叶瀬みたいな子がいたんだよ……って覗いたわけじゃない! 偶然目に入っただけだ!」

「叶瀬さん、ですか?」

「いや、叶瀬にしては大きかった。髪も長かったし、背も少し高かったような気がする」

「偶然目に入ったにしては、随分しっかりと見ていますね。大きかったですか、背が高かったですか」

「ありのままを言ってるだけだろ!」

 

 だんだんと雪菜の声が持つ温度が下がり、古城は意味も無く焦り始める。

 

「それで、その女性は今どちらに?」

「さっきまでそこにいたんだけど……」

 

 古城の視線の先には、無人の泉しかない。

 

「先輩、そのパーカーお借りしてもいいですか?」

「え? 構わないけど」

 

 古城がパーカーを肩越しに差し出すと、衣擦れの音と共にファスナーを上げる音がする。

 

「もう大丈夫です。こっちを向いてもいいですよ」

 

 首の刃が光れ、安堵の息と共に古城は振り返った。月明かりの下、髪を湿らせた雪菜が、槍を片手に立っている。背後の黒い森から浮き出るような身体には、パーカー以外に身につけていないようだ。裾から裸足の脚がすらりと伸び、思わず古城は凝視してしまう。

 

「あ、あんまり見ないでください! 今制服に着替えてきますから、覗いたら本気で怒りますよ!」

「あ、ああ。待ってるよ」

 

 雪菜は小走りで森に消えていき数分もせずに戻ってきた。

 

「パーカーありがとうございます。ああしないと、振り向かれた時に隠せませんでした」

 

 何故パーカーを着たのかという疑問を先に封じられ、古城は押し黙った。

 

「少し先に人が通れそうな道がありました。先輩が見たという女性はそこかもしれません。追いかけましょう」

「信じてくれるのか?」

 

 古城は少し驚いた。雪菜はむしろ不思議そうに古城を見返す。

 

「覗きは仕方ないとしても、先輩は意味のない嘘はつかない人ですから。

 それと……心配してくれて、ありがとうございます」

 

 耳をほのかに赤く染めながら、雪菜は先に道を進み出した。信用されているのかいないのかよくわからない返事をされ、古城は首をかしげながら後を追う。

 雪菜の見つけた道は、島の反対方向に向かって伸びていた。海岸線が見える位置まで進んだところで、古城と雪菜は重々しく響く騒音に気が付いた。

 

「この音……?」

 

 古城が近くにあった岩によじ登り周囲を見渡すと、沖合から何かが近づいてくる。

 

「救助か!?」

「待ってください先輩、あれは……!」

 

 走り出そうとした古城を制止し、雪菜は目を凝らした。落ち着いた古城もそれにならって目を凝らす。

 徐々に近づく船は、好意的に見ても救助用のそれでは無かった。黒い船体に、高速移動のための大型ファン。エアクッションで滑るように海面を移動するそれを、古城は戦争映画で見たことがあった。

 主に海軍で運用される、兵士上陸用のエアクッション型揚陸艇である。そしてその船体には、見覚えのあるロゴが描かれていた。

 

「メイガスクラフト……!」

 

 雪菜の呻き声に反応したかのように、船上のサーチライトが一斉に点灯した。訓練の成果もあり、古城と雪菜は反射的に身を伏せた。夜の森を照らす光が数度行き来するが、古城たちを照らし出すには至っていない。

 

「先輩、今のうちに移動しましょう。岩陰ならば見つかりにくいはずです」

 

 雪菜の先導で古城は先程よじ登った岩まで移動し、その陰に身を顰めた。

 数秒ほどサーチライトは捜索を続けていたが、突然船上全てのサーチライトが起動し、古城たちの隠れる岩を照らし出した。

 

「見つかった! でもどうして!?」

「先輩、見てください」

 

 慌てる古城とは対照的に、雪菜は注意深く揚陸艇を観察していた。

 古城たちの隠れる岩をめがけ突っ込んできた揚陸艇は、勢いのまま岸に乗り上げ正面のゲートを下した。そこから鎧に身を包んだ兵士が降りてくる。全兵士が握る大型の軍用ライフルに、古城と雪菜は呆然と顔を見合わせた。

 

「メイガスクラフトの兵隊が、なんで今ごろ!? 置き去りにしただけじゃ不満だってのか?」

 

 古城の悪態をよそに、降りた兵隊たちは船の前で隊列を組み始めた。整列が終わると、最後に2つの人影が下りてくる。

 まるで双子のようにそっくりな人影は、周囲の兵士よりも頭一つ分大柄だった。屈強な体つきをした兵士に相応しい外見の男たちは、何故か上半身を晒しズボンも短い物しかはいていない。極めつけは、手に持つ異常な武器だ。棘のついたスイカほどの鉄球が、鎖に繋がれている。

 

「先輩、森の奥へ。このままではいい的です」

 

 雪菜の忠告に従い、古城たちは森へと駆け出した。なんらかの方法で動きを察知されたらしく、背後から発砲音と追跡者の足音が続く。

 夜の無人島を舞台に、命を賭けた逃走劇が幕を開いた。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 モグワイ
 浅葱の相棒ともいえる、絃神島を管理する5基のスーパーコンピューターの現身。
 人工知能とは思えないほどに高度な会話を使いこなし、時に悪戯心で無用な煽りを入れるなど性格はいたずら小僧と変わりない。
 しかし、ひとたび電子戦を行えば戦いと呼べる抵抗を行える者自体が少ないほど高度な技術で、軍事プロテクト程度ならば苦も無くこじ開ける性能を持つ。

 施設・組織

 沿岸警備隊 コースト・ガード
 絃神島の領海を守護する組織。
 その領域争いから、特区警備隊とは仲が悪い。


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8話 王女登場

2020/6/20 用語集追加


 深夜の森を奥へ奥へと古城は走る。すぐ後ろを雪菜が続き、間を置いてメイガスクラフトの兵隊が追う形だ。鎧に身を包んでいるはずの兵隊は、意外なことにかなり素早く移動している。直線状の道であれば引き離すことはもとより、距離を保つことすら難しかっただろう。

 

「先輩、伏せて!」

 

 雪菜の警告に従い頭を下げると、そのすぐ上を何発もの弾丸が通過していった。牽制替わりに放たれる弾丸は、確実に古城たちの移動速度を下げている。木々の密集具合からか、足元を狙われていないのは幸いだ。

 

「問答無用かよ!」

「先ほどから数回斉射されましたが、すべて実弾でした。私たちを生け捕るつもりは無さそうです」

 

 雪菜の冷静な分析に、古城は叫び出したい衝動に駆られた。〝第四真祖〟となってからは多くの厄介ごとに関わってきたが、武装した群体に襲撃されるのは初めてである。つい先日テロリストに襲われたが、それと比べても状況が圧倒的に不利だ。

 

「くそっ、眷獣じゃ皆殺しになっちまう」

 

 真祖の眷獣は、手加減とは無縁の破壊装置なのだ。兵隊が身につけている鎧程度では、気休めにすらならない。

 兵隊たちは森林の移動に慣れてきたのか、徐々に古城たちとの距離が縮まりだした。弾丸も断続的に放たれ続けており、そう遠くない内に追いつかれるだろう。雪菜の顔が決意に染まった。

 

「先輩、少しだけ耐えてください」

「え、おい姫柊!」

 

 困惑する古城を無視し、雪菜は頭上の枝へと飛び移った。音で居場所を把握されたのか、古城めがけて弾丸が撃ち込まれる。死なないとはいえ、痛いものは痛い上に再生するまではただの傷なのだ。古城は慌てて身を伏せ、近場の木の影へと身を滑り込ませた。

 無遠慮に撃ち込まれ続ける弾丸は、永遠に続くかもしれないと錯覚するほどだったが、雪菜が兵の隊列へと猛禽のように飛び込んだことで終わりを告げる。

 

「――鳴雷!」

 

 勢いそのままに兵士の後頭部を蹴り飛ばす。呪力で増幅された衝撃は人一人を軽く吹き飛ばし、数人を巻き込んで地面へと転がった。その隙を逃さずに槍が振るわれ、ライフルが次々と切り裂かれる。無力化された兵士にも容赦せず、石突きで急所を突きあっという間に隊列を組んでいた兵隊は全員地面へと倒れ伏した。

 

「姫柊、無事か!?」

 

 古城が駆け寄るが、一瞬で4人の兵士を無力化した雪菜は警戒を解いていない。

 

「避けてください!」

 

 叫びに従って飛び退いた古城の足元に、棘つきの鉄球がめり込んだ。船から降りてきた、異様な兵士の片割れた。それが合図だったかのように、次々と倒れ伏した兵士が起き上がる。首が曲がり、腕が折れているにもかかわらず、痛みを感じさせない動きは不気味の一言に尽きる。

 

「くっ……土雷!」

 

 立ち上がった兵士の脇腹へ、雪菜の肘打ちが突き刺さった。鎧が持つ構造上の弱点を突いた攻撃は、装甲をすり抜け兵士の身体をくの時に折り曲げる。剣巫の使う格闘術の例に漏れず呪力で増幅されている打撃は、内部に浸透し内臓へと直接衝撃を伝える。たとえ獣人が相手だとしても、まともに入れば骨を砕くだけの威力を誇るのだ。

 だが、それにもかかわらず兵士は動きを止めない。歪んだ身体を無理矢理動かし、雪菜の脚を掴んで宙吊りにした。

 

「きゃあああっ!」

 

 雪菜は思わず悲鳴を上げるが、槍を旋回させ脚を掴む腕をへし折った。そのまま猫のように着地する。

 

「姫柊――ぐっ!」

 

 着地の僅かな隙を狙い、雪菜目掛けて再び飛来した鉄球を古城は真正面から受け止めた。魔力で強化した膂力でも受け止めきれないそれは、腕のガードを弾き飛ばして古城の胴体に直撃した。棘が肉体に突き刺さり、血が噴き出す。

 

「先輩!」

 

 雪菜が悲鳴を上げるが、ゾンビのように起き上がる兵士の処理で近寄ることができない。鉄球が引き戻され、古城が膝立ちに崩れ落ちる。吸血鬼の回復力ならば数秒で癒える傷だが、今はその数秒が惜しい。

 

「うおおおおっ!」

 

 古城は痛む身体を無視し、雷を纏った四肢で雪菜を囲む兵隊を一息に弾き飛ばした。手加減など全く考えていない全力の攻撃に、兵士たちは紙切れのように吹き飛ぶ。

 

「嘘だろ、不死身かよこいつら!」

 

 そして、兵士たちは何事も無かったかのように起き上がった。歪んだ身体を無理矢理動かし、どう見ても折れている足で立っている。いつの間にか合流していた新手の兵士たちと並び、古城たちに銃口を向けた。周囲から聞こえる足音からして、苦戦している間に2人は完全に包囲されてしまったようだ。

 

「すみません先輩、私の判断ミスです」

 

 雪菜が悔しそうに顔を歪める。彼女の想定よりも、異常なまでに兵士が頑丈だったことが招いた結果だ。予想外が過ぎた結果なのだが、生真面目な雪菜としては耐えられない失態なのだろう。

 

「こうなったら……」

 

 古城が手に力を込める。人間程度一瞬で消し飛ばす力を持つ眷獣ならば、この程度の兵士が何人いようと本来は無意味なのだ。宿主である古城がただ攻撃を命じれば、地形ごと蹂躙されておしまいだろう。

 だが古城がそれを選ばない以上、死なないように眷獣の力を抑えるしかない。理論上ではあるが、力の制御さえできれば殺さずとも気絶で済ませることも十分に可能であるはずだ。今見せられている兵士たちの耐久性から、多少の暴走ならば死なないと古城は判断した。

 万が一の暴走。その可能性が古城の行動を縛り僅かに逡巡させる。

 直後。

 

「な、なんだ!?」

 

 閃光が奔り、古城の周囲一角にいた兵士たちが爆散した。どす黒いオイルと金属片が撒き散らされ、包囲網に穴が開く。

 

「先輩!」

 

 反射的に駆けだした雪菜が、古城の手を引いて包囲網からの離脱を計った。後を追おうとする兵士たちは、再び飛来した閃光が纏めて薙ぎ払う。兵士たちは瞬時に散開するも、数体は避けきれずに爆散し、生き残りも余波で大きく体勢を崩している。

 

「2人とも、無事ですか?」

 

 緊張感のない、おっとりとした声が響いた。古城が視線を上げると、付近にあった岩の上に銀髪の女がいた。古城が泉で遭遇した叶瀬夏音に似た顔立ちの少女が、ブレザーに似た儀礼服を纏い立っている。手には、金の装飾が成された美しい拳銃が握られている。

 単発式と思わしき拳銃に黄金の弾薬(カートリッジ)が装填され、無造作に引き金が引かれると銃口から凄まじい閃光が放たれる。掠っただけでも兵士たちを薙ぎ倒した閃光の正体は、弾丸だったのだ。

 

「呪式銃!?」

 

 銃の正体に気が付いた雪菜が、驚愕する。

 

「2人とも、こちらへ」

 

 少女の手招きに従い、古城たちは岩場へと駆け込んだ。兵士を容赦なく撃ち抜いた相手を信用はできないが、今は他に選択肢が無い。

 

「また会えましたね、暁古城?」

 

 突然名前を呼ばれ、古城は驚きに目を見開いた。

 

「どうして俺の名前を? あんたはいったい?」

「日本に現れた第四真祖で間違いないようですね。わたくしはラ・フォリア・リハヴァインです」

 

 マイペースに話を進めるラ・フォリアに、古城と雪菜は顔を見合わせた。

 

「今のが最後の呪式弾(たま)でした」

 

 戸惑う古城たちを放置し、ラ・フォリアは話を進める。自分のペースに相手が合わせることを当然と思っているようで、雰囲気もあいまって育ちのいい令嬢のようだ。

 

「あの兵隊は自動人形(オートマタ)です。わたくしを追ってきたのでしょう」

自動人形(オートマタ)? どおりで」

 

 古城の脳裏に、先程オイルと金属片を吹き出して爆散した兵隊の姿が浮かぶ。人間であれば動く事すらままならない衝撃を受けても、自動人形(オートマタ)ならば内部機構が無事である限り行動を続けることができる。兵士たちが見せていた不死身の秘密は、案外と単純なものであった。

 

「あの船は無人です。母船から遠隔操作され、内部には未だ多くの自動人形(オートマタ)が収納されているでしょう。あなたの眷獣ならば沈められますね?」

 

 ラ・フォリアの視線の先にでは、鉄球を持つ自動人形(オートマタ)の片割れが守護する揚陸艇の前で新手の兵隊型自動人形(オートマタ)が整列を始めていた。

 

「先輩、来ます」

 

 雪菜の視線の先では、呪式銃で薙ぎ払われた生き残りの自動人形(オートマタ)が列を組み直し、鉄球の自動人形(オートマタ)を置いてこちらへ向かってきている。迷っている時間は無い。

 無防備に姿をさらした古城に対し、自動人形(オートマタ)が一斉射撃で迎え撃つ。しかし、弾丸は古城へ一発たりとも届かなかった。古城が解放した魔力が雷の壁となり、触れる傍から焼き尽くされているのだ。

 

「悪いな。恨むなら命令を出してる操縦者を恨んでくれ。

 ――疾く在れ(きやがれ)、〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟!」

 

 古城の腕から魔力が迸り、雷の獅子を形成する。咆哮と共に駆け出した巨体に、あっさりと自動人形(オートマタ)の兵隊は蹴散らされた。いかに自動人形(オートマタ)が頑丈であっても、天災に匹敵する真祖の眷獣には無意味だったのだ。

 勢いのままに獅子は揚陸艇へと突撃し、立ちはだかる自動人形(オートマタ)ごと跡形もなく粉砕した。満足そうな咆哮が周囲に響くが、古城は自らの眷獣が引き起こした惨劇に頭を抱えた。

 美しかった森は抉り取られたように焼け焦げ、揚陸艇が乗り上げていた砂浜はクレーターが刻まれている。制御する努力を怠ったつもりはないが、後ろから雪菜の責めるような目線に若干の後ろめたさを感じるのだ。

 

「……せ、先輩」

「いや、これは俺としても最大限の努力はしたうえでのことであって、ほら戦場でもコラテラルダメージとかいうあれと考えれば」

「先輩、見てください」

 

 古城が反射的に並べ立てた言い訳を、まるで聞こえていないかのように雪菜は遮った。その震える指先を古城が追うと、黒焦げになり、もはや鉄くずと呼んでもいい自動人形(オートマタ)が一体倒れ伏していた。

 

「嘘だろ……場所からして直撃してなかったのかもしれないけど、原形を保ってるのか?」

 

 体格からして、あの鉄球を扱う自動人形(オートマタ)だろう。他の自動人形(オートマタ)は例外無く爆散しており、直撃したらしい揚陸艇の前にいた同型のものは他の自動人形(オートマタ)と同じく原型すら残さず破壊されていることから、偶然残っているだけのようだ。

 だが、偶然とはいえ真祖の眷獣の攻撃から原形を保っている時点で異常だ。古城の目にも警戒の色が強まる。

 

「……念のため、破壊するか。

 ――疾く在れ(きやがれ)、〝双角の深緋(アルナスル・ミニウム)〟」

 

 緋色の双角獣(バイコーン)が放った咆哮混じりの衝撃波で、至極あっさりと残骸は崩れ落ちた。だが、古城たちの言いようのない不安感は拭い去れていない。

 

「〝第四真祖〟の眷獣の力、見せていただきました。〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟に〝双角の深緋(アルナスル・ミニウム)〟……アヴローラ・フロレスティーナの眷獣、その5番目と9番目ですね?」

 

 堅い表情の2人を気にかけた様子も無く、銀髪の少女は満足げに微笑んでいる。古城はため息をつき、胡乱気な目でラ・フォリアを見る。

 

「で、あんたは何者なんだ?」

 

 古城の疑念は最もである。ただのお嬢様が、無人島でメイガスクラフトの戦闘用自動人形(オートマタ)に追われているはずがない。さらには先代の〝第四真祖〟アヴローラの名まで口にしたのだ。古城の背後では、構えこそしていないものの雪菜が油断なく槍の柄に手を添えている。

 古城の誰何(すいか)に、ラ・フォリアは氷河の瞳で見つめ返した。透き通る碧は、どうしても叶瀬夏音を思わせ、古城の警戒心を鈍らせる。その瞳を見て、雪菜がはっと息を呑んだ。脳内で心当たりを見つけ出したのだ。

 

「ラ・フォリア・リハヴァインと名乗りました。

 北欧アルディギア国王ルーカス・リハヴァインが長女ラ・フォリア――アルディギア王国で、王女の立場にある者です」

 

 悪戯っぽい笑みと共に明かされた正体に、古城は絶句するしかなかった。

 満足そうな笑みを浮かべ、ラ・フォリアは短いスカートの裾をつまみ、肩書に相応しい優雅さを持って一礼をした。

 

 

 

 古城が驚きから復帰し、ラ・フォリアの先導で森を抜けると、王女が使用する救命ポッドが打ち上げられていた。外壁には金箔が張られ、王家の紋章が大きく刻印されている。

 

「あんた、本当に王女様だったんだな」

 

 王族が使うにふさわしい豪華な救命ポッドを見て、古城がどこかひきつった表情を浮かべた。聞くに外部の純金は装飾では無く、落雷や腐食対策とのことだったが、古城からすれば対策のために金を使う時点で王族の発想である。

 

「で、あんたの事はなんで呼べばいいんだ?」

「そうですね、異国の友人くらいには堅苦しい呼び方で呼んでほしくはありません。2人ともですよ?」

 

 不意に視線を向けられ、雪菜が慌てて首を振る。

 

「え、いえ、そういうわけには……」

「そうですね、愛称というのはどうでしょう。こう見えてわたくし、日本の文化には詳しいんですよ?」

 

 話を聞かず、ラ・フォリアは1人で段々とテンションを上げていく。こうなると何と呼ばされることになるのか予想もつかない。

 

「僭越ながら、御尊名で呼ばせていただきますラ・フォリア」

 

 先んじて名を呼ぶと、どこか不満そうではあるが、なんとかラ・フォリアは納得したようだ。

 

「じゃあラ・フォリア、聞かせてくれるか。なんであんたはこんなところにいるんだ?」

 

 古城の問いかけに、どこか浮ついていたラ・フォリアの雰囲気が引き締まった。真剣な表情で、事のあらましを離し始める。

 

「わたくしが絃神島に向かう途中、使用していた飛行船が撃墜されたのです。おそらく、わたくしを拉致するためにメイガスクラフトが襲撃したのでしょう」

 

 一度言葉を区切り、犠牲となった乗組員に哀悼するように瞳が閉じられた。高度千メートルへの急襲で、同行していた騎士団は戦力の大半を喪失。不利を悟った従者の手でラ・フォリアはこの救命ポッドに詰め込まれ、有無を言わさず射出されたのだ。

 

「メイガスクラフトの連中は、なんであんたを攫おうとしたんだ?」

「彼らの狙いはわたくしの身体――アルディギア王家の血です」

「血?」

 

 古城は眉を顰めた。彼の知識では、吸血鬼でもなければ血を利益にする者はいない。たかが血のために、王族襲撃などというハイリスクな行為を企業が容認するとは考えられない。

 納得したように頷いたのは、隣で話を聞いていた雪菜だった。

 

「アルディギア王家といえば、ほぼ例外なく強力な霊媒です。効果的に使用する魔術を扱えるのであれば、襲撃をする価値はあると考える者も出てきます」

 

 雪菜の推察に、ラ・フォリアは深く頷いた。

 

「その魔術を扱える者がメイガスクラフトにいます。かつてアルディギアの王宮に仕えていた宮廷魔導技師、叶瀬賢生です。

 彼の知る魔術奥儀は、ほとんどが霊媒として王家の血を必要とします。危険を冒してでも、襲撃をするだけの理由にはなるでしょう」

「叶瀬賢生って、叶瀬夏音を引き取った男か?

 なあ、あんたと叶瀬夏音はどういう関係なんだ。いくらなんでも似すぎてる」

 

 古城の疑問に、ラ・フォリアは目を見開いた。

 

「似ている、ですか。そこまで知っているのならば、かえって話さない方が後々問題になりそうですね」

 

 僅かな沈黙の後、思い切ったようにラ・フォリアは話し始めた。

 

「叶瀬夏音の本当の父親は、わたくしの祖父です」

「そふ……お祖父さんってことか?」

「はい。15年前に、祖父が当時アルディギアに住んでいた日本人女性との間に作った娘が、叶瀬夏音です」

「ちょっと待て、あんたの祖父が父親ってことは……」

「彼女は私の叔母、ということになります。王位継承権こそありませんが、立派な王族の一員です」

「だからあんたは絃神市に行こうとしてたのか。叶瀬夏音を迎えるために」

 

 後輩が異国の王族だった。スケールが多きすぎたためか、一周回ってか古城は冷静を保っていた。

 隣で静かに会話を聞いていた雪菜が、交代するように口を開いた。

 

「叶瀬賢生が使う魔術には、アルディギア王族の力が必要とおっしゃいましたね。ラ・フォリア、あなたは今叶瀬賢生が行っている術に心当たりはありませんか?」

「叶瀬夏音を助けたいんだ。どんな術かはわからないけど、今叶瀬は……羽の生えた化け物みたいな姿にされて、同族と殺し合ってた」

「そうですか……やはり賢生は模造天使(エンジェル・フォウ)を」

模造天使(エンジェル・フォウ)?」

 

 禍々しい術式名に、古城と雪菜の眉間に皺が寄る。

 

「賢生が研究していた魔術儀式です。人間を霊的に進化させ、より高次の存在へと生まれ変わらせることを目的としています」

「あれが、高次への進化だと?」

 

 歪な羽を生やし、同族を貪る姿と、高次存在という言葉は似ても似つかないだろう。冗談にしても質が悪い。

 重苦しい沈黙の中、雪菜が突然立ちあがった。槍の穂先が展開し、刃が顔を覗かせる。

 

「姫柊?」

「先輩、船です」

 

 メイガスクラフトのロゴを刻んだ揚陸艇が、水しぶきを上げて接近してくる。

 

「また自動人形(オートマタ)か?」

 

 古城が右手に力を込める。上陸されるよりも、海上で攻撃してしまう方が破壊の痕跡は少なく、制御にも気を使わずに済むのだ。

 ラ・フォリアの救命ポッドには救難信号の発信機も備え付けられていた。居場所発覚の危険から使っていなかったらしいが、古城たちと合流しここに戻った時点で起動している。古城がいる以上、自動人形がいくら来ようとも脅威にはならないと王女が判断したためであり、今まさにその証明が行われようとしている。

 

「先輩、待ってください!」

 

 いざ眷獣を放とうとした瞬間、雪菜から待ったがかかった。彼女が船上を指差し、その指先では大きな旗が振られている。

 それは無地の白い布旗。停戦を示す白旗だった。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 ラ・フォリア・リハヴァイン
 ストライク・ザ・ブラッドヒロイン。
 アルディギア王国の王女であり、美の女神の再来とも呼ばれる美貌を持つ女傑。
 黙っていれば王族特有の雰囲気から凛々しく冷静な印象を受けるが、実際は楽しげなイベントを優先する享楽主義の一面を持つおてんば娘でもある。

 種族・分類

 模造天使 エンジェル・フォウ
 本編登場まで、解説は差し控える。

 呪式銃 じゅしきじゅう
 呪力が封じられた弾丸を打ち出す魔具の一種。
 骨董品として美術館に収められるほど貴重な品だが、その性能は現行の魔術兵器に劣らない破壊と射程を持つ。

 土雷 つちいかづち
 獅子王機関に伝わる体術の一種。
 肘打ちと共に対象の体内に呪力祖衝撃を打ち込む業であり、体表が堅い相手でも有効な攻撃手段となる。

 鳴雷 なるいかづち
 獅子王機関に伝わる体術の一種。
 足技に呪力を纏わせて打撃力を上げるシンプルな業だが、それだけに増幅率が高く侮れない一撃を放つことができる。


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9話 降臨

2020/6/20 用語集追加


 白旗を振る揚陸艇は、古城が眷獣で荒地へと変えた砂浜へと接舷した。クレーターに海水が溜まり簡易的な入り江になっていたため、揚陸に適していたのだ。

 船からはまずベアトリスが下りてきた。続いて聖職者を思わせる男が上陸し、最後に白旗を担いだキリシマが砂浜へ足をつける。

 

「ようバカップル。人目を気にしないでいちゃついてたか?」

「てめえ……よくもぬけぬけと」

 

 古城はキリシマを睨みつけた。無人島に置き去りにした実行犯であり、個人的には飛行機から蹴り落とされた恨みもある。吸血鬼でなければ死んでいてもおかしくはなかったのだ。

 

「待て待て、恨むならあの女を恨めって言ったろう? 俺だって命令されてやったんだ」

 

 白旗を盾に上司を売ったキリシマを、ベアトリスは横目で睨みつける。気持ちを切り替えるように髪をかき上げるしぐさからは、どこか退廃的な色香が感じられる。思わず視線がつられた古城は、雪菜の肘打ちで小さく悶絶した。

 

「久しぶりですね、叶瀬賢生」

 

 コントじみたやり取りをする4人を放置し、ラ・フォリアが黒服の男を見つめる。男――叶瀬賢生は胸に手を当て、恭しく一礼を返した。

 

「殿下におかれましてはご機嫌麗しく……もう何年ぶりになるでしょうか、お美しくなられましたね」

「わたくしの血族をおのが儀式の供物としながら、よくもぬけぬけと言えたものですね」

「お言葉ながら殿下、私は夏音をただの供物として扱ったつもりはありません……むしろ実の娘も同然に思っています。あなたにはその理由もお判りでしょう」

「実の娘も同然の子を、人外のものへ仕上げようというのですか」

 

 ラ・フォリアの非難に、賢生は静かに首を振った。

 

「むしろ、実の娘も同然であるからと言えましょう」

「……叶瀬夏音はどこです」

 

 ラ・フォリアの質問に答えず、賢生は自らが行った実験の内容を語りだした。

 

「我々は模造天使(エンジェル・フォウ)の素体を7体用意しました。戦闘の結果、夏音は6体の霊的中枢を手に入れその合計は13、それらを繋ぐ小径(パス)は30。これは人間を霊的に一段階引き上げるのに十分な数です」

 

 宮廷魔導師らしい丁寧な口調で語られた内容に、雪菜は突然青ざめる。

 

「まさか、叶瀬さんはそのために自分の同類(なかま)を……!? なんて、ことを……!」

「姫柊?」

 

 見開かれた瞳に、恐怖と驚愕、そして賢生への怒りを湛える雪菜。普段他人に対して強い感情をぶつける事のない彼女の様子は、話の内容を理解できていない古城を動揺させるには十分だった。

 

模造天使(エンジェル・フォウ)はいわゆる蠱毒の応用です。候補者を殺し合わせ、霊的中枢を取り入れさせ続けることで、最良の一体を選別する」

 

 困惑する古城に、ラ・フォリアが説明する。

 

「霊的中枢とは、霊力によって奇跡を生み出す回路だ」

 

 ラ・フォリアの言葉を、賢生が引き継いだ。

 

「人間には等しく備わっているが、それを活用できている者はほとんどいない。一流と呼ばれる霊能力者も、その3割でも引き出せていれば上等だろう。全てを使いこなせれば、神仏にも等しい力を得られるはずだ。

 そこでだ……出力が足りないのならば継ぎ足せばいいという仮説を元に、模造天使(エンジェル・フォウ)の儀式を設計した。魔術的に限界まで強化した1つの中枢を持つ候補者を争わせ、それを奪って取り入れる。そうすることで人間の肉体が持つ霊的容量(キャパシティ)を超えることなく、霊的進化を可能とする。ヒトよりも神に近い存在、すなわち天使へ」

 

 思いのほかわかりやすい賢生の説明により、古城はようやく夏音の現状を理解した。あの殺し合いにも、倒した相手を喰らった事にも納得がいく。

 

「だけど、その儀式になんでメイガスクラフトが関わってくるんだ? 聞いた限りじゃ、掃除ロボットには何の関わりもないぞ」

 

 古城はキリシマを睨みつつ疑問をぶつける。儀式の内容を聞いたため、余計に疑問が深まった。ただの営利企業が、何故危険を冒してまでこのような非合法の実験に協力をしているのか。発覚すれば、並大抵の罰則では済まないだろう。

 

「いや、それがな……うちの企業の経営のためなんだわ」

「……は?」

 

 いきなり見当違いの回答をされ、古城はあっけにとられる。

 

「いや、あんたの所経営回復してるだろ。奇跡のV字回復とかってニュースで特集組まれてたぞ」

 

 古城の指摘通り、メイガスクラフトはここ数カ月で驚異的な経営の立て直しに成功していた。主力である掃除ロボだけではなく、自動人形(オートマタ)産業において革新的な技術を開発したと噂されている。その企業が、リスクの高い行為をしているという矛盾が、古城たちを悩ませているのだ。

 

「その回復を続けるためだよ。数か月前まではうちの企業は斜陽もいいとこだったんだ。掃除用ロボなんて、価格競争は激しいわ技術革新は速ェわで利幅が薄くてな……仕方なしに戦争用の自動人形(オートマタ)なんてのも開発したんだが、それがまた売れなくてよ。まあ、当時の性能じゃ仕方なかったけどな」

 

 雪菜は眉を顰めた。直接自動人形(オートマタ)と戦った彼女からすれば、その動作が決して油断ならないものだと理解している。キリシマの言を信じるならば、たった数ヶ月で自動人形(オートマタ)の性能が飛躍的に上昇したことになる。通常ではありえない技術革新の謎は、得意げなキリシマが明かした。

 

「それが獣人の伝手で俺が拾った技術者が持ち込んだ技術を流用したら、あっという間に世界有数の戦闘能力を誇る化け物に早変わりだ。情けは人のためならずってのは本当だな。自分じゃあの黒死皇派の残党とか言ってたが、案外吹かしじゃなかったのかもしれねえよ。やつの言ってた廃墟から発見したデータで、あの鉄球使いの自動人形(オートマタ)も開発できたことだしよ。

 で、この調子でメイガスクラフト製次世代兵器の目玉として天使を開発しようって話が持ち上がったわけだ」

「兵器って……どういう意味だ!?」

 

 古城の背に冷たい汗が流れる。那月の鎖、雪菜の槍、浩一の結界、そして古城の眷獣すら寄せ付けなかった〝仮面憑き〟――あれがもしも兵器として量産されたら。既存の軍事バランスなど容易く崩壊するだろう。買い手など幾らでも湧いてくるに違いない。

 

「ったく長いのよ話が。どうせガキにわからない話は置いておいて、こっちの要求を伝えるわ。

 まずアルディギアのお姫様、無駄な抵抗はやめて投降しな。大丈夫、大人しくしてれば命までは取らないからさ。

 で、残りのお2人にはチャンスを上げるわ。ちょっとこの子と本気で戦ってもらえる?」

 

 沈黙を続けていたベアトリスのふざけた物言いに、ラ・フォリアが冷たい視線を向ける。それを無視し、彼女はわざとらしい動きで小型の制御装置(リモコン)を取り出し賢生へと手渡した。キリシマがいつの間にか船から棺桶のようなコンテナを運び出し、丁度古城たちと自分たちを遮るように置く。

 蓋が開けられ、冷気を纏いながらゆっくりと小柄な人影が体を起こした。簡素な服装、剥き出しの手足、零れ落ちる銀髪、不揃いな醜い翼。

 

「――叶瀬!」

「叶瀬さん!?」

 

 古城と雪菜が同時に叫ぶ。ベアトリスはつまらなさそうに目を細める。

 

「世界最強の吸血鬼と、獅子王機関の剣巫の2人掛かりで敵わない最新の兵器。宣伝としては中々洒落た文句だと思わない?」

 

 古城と雪菜が弾かれたようにベアトリスを睨む。

 

「ふざけんな! そんなこと聞かされて、はいそうですかとでも言うと思ってんのか!」

「叶瀬さんを兵器として売り出すつもりですか!」

 

 2人の怒気を、ベアトリスは涼しい顔で受け流す。

 

「まあ、当たらずとも遠からずってところかしらね。

 戦う気が無いなら、そのまま死んでもらうだけだからいいんだけど……彼女はすっかりやる気みたいよ?」

「なに……?」

 

 夏音が発する瘴気に気が付き、古城は愕然とした。不揃いな翼を動かし、ゆっくりと浮上する夏音の目に光は無く、焦点も結ばれていない。

 

「賢生、あなたはそれでいいのですか?」

 

 制御装置(リモコン)を持つ賢生へとラ・フォリアが問いかけるが、彼はその視線から逃れるように背を向け、制御装置(リモコン)へと呼びかけた。

 

「起動しろ、XDA‐7.最後の儀式だ」

 

 その言葉を合図にしたかのように、古城のすぐそばを銀色の閃光が駆け抜けた。銀の残光を残しながら、雪菜がかまえる槍〝雪霞狼(せっかろう)〟の刃が夏音へと迫る。

 あらゆる魔力を無効化し、結界を切り裂く破魔の槍。夏音に刻まれた天使化の術式を断ち切ろうと、先手必勝とばかりに雪菜は槍を突き立てた。

 

「くうっ!?」

 

 しかし、その刃は届かなかった。肌に触れた瞬間、まるで磁石が反発するかのように槍ごと弾かれた雪菜は、驚愕の表情を浮かべたまま体制を立て直し着地する。

 

「これは、そんな!?」

 

 痺れる手の感触を誤魔化しつつ、雪菜は思考を巡らせる。そんな彼女をまるで認識していないかのように、夏音は空へと舞い上がった。

 

神格振動波駆動術式(DOE)……獅子王機関の秘奥兵器〝七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)〟か。

 無駄なことを。人の生み出した神の波動が、本物の神の加護を受けた模造天使(エンジェル・フォウ)に届くものか」

 

 賢生の独白に、雪菜はどうしようもない衝撃を受けた。彼女の主武装である〝雪霞狼(せっかろう)〟が、ここまで完全に無効化されたのは初めてのことだ。

 

「戦闘結果に影響が出ないってわかった所で、私の相手でもしてもらおうかしら?」

 

 唇を噛む雪菜と賢生の間に、深紅の槍を持ったベアトリスが割って入った。兵器を止めるため術者を仕留めるのは当然考えられる戦術であり、それを守りきることは兵器を使う側にとって前提条件だ。ベアトリスの背後で、賢生が船の搭乗口付近まで下がる。

 雪菜は一刻も早く賢生を無力化するため、長槍を構えるベアトリス目掛けて踏み込んだ。

 互いに槍を構えているとはいえ、雪菜とベアトリスには20センチ近い身長さがある。さらに、構える槍もベアトリスの方が1.5倍ほど長いだろう。まさしく大人と子供並みにリーチの差があるにもかかわらず、雪菜の目に恐れは無い。

 ベアトリスの構える槍からは、禍々しい魔力が放たれている。なんらかの魔力により生み出されている以上、雪菜の〝雪霞狼(せっかろう)〟が持つ降魔の力が一瞬で打ち砕くだろう。槍へと信頼と自らの技量への信頼を持って、雪菜は打ちかかる。

 そんな雪菜の思いを嘲笑うかのように、ベアトリスが叫ぶ。

 

「〝蛇紅羅(ジャグラ)〟! 串刺しにしてやんな!」

「――ッ!?」

 

 雪菜の槍がベアトリスの槍に触れる瞬間、深紅の槍が突如蠢き、蛇のような動きで雪菜目掛けて穂先を突き出した。咄嗟に回避できたのは、剣巫の持つ未来視の恩寵だ。

 ベアトリスがまともに腕を動かさない状態で、生き物のように槍は伸び、しなり、薙ぎ、突く。

 

「まさか、槍の姿をした眷獣……意志を持つ武器(インテリジェント・ウェポン)!」

「ご名答。そこまで珍しいものでもないし、そう驚くことないだろう?」

 

 そう言葉を交わす間にも、槍の猛攻は続く。いや、より激しさを増していっている。傍から見ている古城の目には、もう軌跡すら捉えられない。

 古城も、ベアトリスが吸血鬼であると薄々気がついてはいたのだ。おそらくヴァトラーとは違う血族、眷獣の特徴から〝第三真祖(ケイオスブライド)〟の末裔だろう。

 雪菜にとって、吸血鬼との戦闘が初めてというわけではない。古城の眷獣が暴走した際の鎮圧をはじめ、幾度かの戦闘経験を持っている。その中で、ベアトリスの眷獣は弱い部類と言えるだろう。

 だが、その弱い眷獣に雪菜は圧倒されていた。ただ破壊を撒き散らす眷獣と、意志を持ち自ら敵を襲う武器とでは、攻撃そのものは前者の方が上だ。だが、対人戦においてその破壊はほとんどが周囲に散り無意味となってしまう。弱くはあるが、その力の全てを一点にぶつけることができるベアトリスの眷獣は、対人戦と言う土俵においては前者を上回る脅威となるのだ。

 

「さて、こっちはこっちで仕事をしますかね」

 

 雪菜がベアトリスに苦戦していることを確認し、キリシマがラ・フォリアへ近づく。当初の予定に基づき、王女を確保するつもりなのだろう。

 

「離れなさい、獣人」

 

 腰から銃を引き抜き、ラ・フォリアは警告を発した。愛用の呪式銃ではない、通常の機関拳銃だ。

 警告の後ににやけながら一歩踏み込んだキリシマに対し、王女は一切の躊躇なく引き金を引いた。至近距離からのフルオート射撃により、一瞬で17発の弾丸がキリシマに降り注ぐ。常人ならば間違いなく即死の攻撃を受け、しかしキリシマは平然と立っていた。

 

琥珀金弾(エレクトラム・チップ)か。いい弾だが……こんな安物になんで頼る? ご自慢の呪式銃は弾切れか?」

 

 放たれた弾丸を獣人化した腕で掴み取り、嘲るように笑うキリシマの身体が徐々に黒毛の獣へと変わっていく。それを見るラ・フォリアは、王女とは思えない手際のよさで拳銃の再装填を終え、じりじりと間合いを取る。

 そして、彼女の視線がキリシマの背後に釘付けとなった。それに興味を持ったキリシマが背後を見上げる。

 視線の先では、叶瀬夏音が浮かんでいた。全身を魔術の紋様で輝かせ、口を大きく開いている。

 

Kryiiiiiiiiiiiiii(キリイイイイイイイイイイイイイイ)――!」

 

 開かれた口から、甲高い絶叫が迸った。人間の声帯では発音不可能な、苦痛と悲嘆と荘厳とを併せ持った悲鳴だ。それを呼び水にしたように、夏音を覆う光が強まり、変化が始まった。

 口内の牙は抜け落ち、幼さを残していた顔立ちは黄金比を湛える美貌へと変じていく。醜く不揃いだった翼は、美しく整った三対六枚の翼へと生え変わる。そして生え変わった翼の表面で、巨大な眼球が見開かれた。

 

「これが、模造天使(エンジェル・フォウ)……」

 

 眼前の変化に圧倒され、古城が絶えるように歯を食いしばる。精神的な圧だけではない、古城の吸血鬼としての肉体が、夏音の光に対し強い拒絶反応を起こしているのだ。焼かれるような痛みが、光の当たる部分から全身に広がる。彼女の発する光は、既に神気と呼ぶべき代物へと変化している。

 その場の誰もがその変貌から目を離せなかった結果、戦場は小康状態となっていた。そこで真っ先に雪菜が我に返ったのは、他の者と比べて神と係わりが深い巫女であったからなのだろう。その直感は神の使いの狙いを正確に捉えていた。

 

「先輩気を付けてください! 彼女の狙いは――!」

Kryiiiiiiiiiiiiii(キリイイイイイイイイイイイイイイ)――!」

 

 雪菜の言葉が終わる前に、再び夏音が咆哮を発した。同時に彼女の翼面に生じた眼球が輝きを発し、羽ばたきに連動して剣と化した光を次々と射出し始めた。

 

「やめろ、叶瀬!」

 

 咄嗟に回避した古城のすぐそばに、光剣が着弾する。凄まじい爆発が発生し、岩盤が砕かれ、紅蓮の炎が周囲を舐める。明らかに古城を狙って放たれたそれは、次々と舞い落ちるように降り注ぎ始めた。模造とはいえ神の御使いにとって、呪われし吸血鬼は滅ぼすべき仇敵なのだろう。

 回避を続ける古城だったが、意を決して夏音を見上げる。このままでは雪菜やラ・フォリアに流れ弾で被害が出かねず、島そのものが消滅してもおかしくないのだ。出し惜しみができる相手ではなく、古城は魔力を高ぶらせ叫ぶ。

 

疾く在れ(きやがれ)! 〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟! 〝双角の深緋(アルナスル・ミニウム)〟!」

 

 雷の獅子と振動の双角獣が、先を争うようにして夏音へと迫る。天災に匹敵する破壊を秘めた眷獣は、しかし夏音に触れる事すらできなかった。まるで蜃気楼のように、夏音は眷獣をすり抜けたのだ。その肉体には傷一つ無い。

 

「無駄だ第四真祖よ。すでに夏音の身体は我々とは異なる次元に昇りつつある。いかに強力な眷獣であろうとも、この世界に無い者を破壊することなどできまい」

 

 淡々と紡がれる賢生の言葉に、古城は歯噛みする。

 そして、高音を伴う暴風が戦場全体を襲った。天使の発する絶叫ではない、どこか威嚇するような鋭さを持つ高周波だ。

 

「この音は……まさか!?」

 

 古城と雪菜が、反射的に空を見上げる。

 悠然と浮かぶ夏音よりも遥か上空から、巨大な鋼の怪鳥が姿を現した。夏音目掛けて咆哮と体当たりを敢行するも、それは古城の眷獣と同じ結果に終わる。しかし、異物の襲来に夏音の意識が僅かながら逸れる。その隙に、古城は比較的まともな足場へと移動した。

 数度跳躍し岩場へと陣取った古城すぐそばに、黒い詰襟の戦闘服を纏った人影が降り立った。赤い髪をたなびかせ、目は髪と同じ色に輝いている。

 

「バビル2世、なんでここに!?」

「よくよくトラブルに巻き込まれているな、暁古城。

 ラ・フォリア・リハヴァインを探してこの島に来たが、第四真祖とその監視役が何をやっている?」

 

 思わずと言った様子で古城が呼んだその名を聞き、メイガスクラフト所属の人間が表情を歪ませ、剣巫と王女は驚きを隠せずにいる。

 

「状況から見て、王女誘拐未遂の実行犯だな。無駄だろうから抵抗するなとは言わない。覚悟しろ」

 

 敵対者へ向けられたバビル2世の怒気に応えるように、ロプロスの咆哮が響き渡った。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 叶瀬賢生 かなせ-けんせい
 叶瀬夏音の保護者にして、元アルディギア王国宮廷魔導技師。
 研究者然とした見た目と相違なく、理知的な性格をしており高い魔導技術を誇っている。
 模造天使を実用化したことからもその技術の高さがうかがえるが、義理とはいえ娘を魔術改造するなど倫理観には問題点が見受けられる。

 種族・分類

 意志を持つ武器 インテリジェント・ウェポン
 武器の形をした眷獣の総称であり、主に第三真祖の血族に連なるものが多く所有する。
 武器としての性質に加え、武器そのものが攻撃することができるため多彩な攻撃が可能となっている。

 模造天使 エンジェル・フォウ
 仮面憑きと呼ばれていた存在の正式名称にして、完成形の呼び名。
 人間をその限界を超えずに霊的進化をさせることによって疑似的な天使状態にする術式であり、ひとたび完成すれば高次存在となるが故にこの次元の存在では干渉すら不可能になる。

 第三真祖 ケイオスブライド
 中央アメリカの夜の帝国「混沌界域」を支配する真祖。
 27体の眷獣を従え自在に自らの姿を変えることができ、血族には意志を持つ武器を宿す者が多い。
 血に連なるものはT種と呼ばれ、第三真祖は血族を娘たちと呼称する。

 蛇紅羅 ジャグラ
 ベアトリス・バスラーが宿す槍状の眷属。
 意思を持つ武器特有の、宿主と武器が別々の思考を持つが故の動きを読ませない連撃が強力であり、不意打ち気味とはいえ雪菜を撃退した。


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10話 ありえざる状況

2020/6/21 用語集追加


 夜の闇に包まれた無人島に、バビル2世のしもべが1体、怪鳥ロプロスの咆哮が響き渡る。怪鳥の咆哮は、威嚇と共に高周波を含んだ攻撃でもある。狙いを定められれば、鍛え抜かれた獣人ですら一時的に行動不能状態へ陥らせることが可能な咆哮。それを正面から受けた賢生が膝から崩れ落ちた事を、誰も責めることはできないだろう。

 

「お前のような後方にいる人間が持つ制御装置(リモコン)は、大抵ろくなことに使われていないからな。まず無力化させてもらうぞ」

 

 淡々と告げられるバビル2世の宣告に反応すらできず、賢生は片腕で頭を押さえる。十分に手加減されているためか制御装置(リモコン)に異常はないが、このままではそう遠くない内に制御装置(リモコン)か賢生の脳どちらかに深刻なダメージが入るだろう。

 実は賢生を仕留めたとしても既に夏音は制御を外れており、制御装置(リモコン)を使ったとしても止めることはできないのだが、それをバビル2世は知らない。心を読めば容易く把握できるだろうが、わざわざそれをする理由が無いのだ。

 極論的にはこの場で賢生が倒れても戦局に影響はないのだが、今後の開発を考えるとメイガスクラフト社としては多大な損失となる。そればかりか、今回の兵器は実験段階で使用者を守りきれなかったと瑕疵がつくのだ。それを許容するベアトリスではない。

 

「やらせるか、出て来な商品たち!」

 

 ベアトリスが懐から新しい制御装置(リモコン)を取り出し、勢いよく起動スイッチを入れる。

 停泊していた揚陸艇の上層甲板を突き破るようにして、2体の〝仮面憑き〟がロプロスへと襲い掛かった。結果として高周波から解放された賢生は、頭を振りながら天を見上げる。

 

「〝仮面憑き〟だと!?」

 

 古城の声に、雪菜とラ・フォリアも眼前の敵から視線を外し、ロプロスへと襲い掛かる2条の光を目視した。

 

「どういうことだよ、さっき模造天使(エンジェル・フォウ)の素体は7体って言ってただろ!」

「そのはずだ。私は儀式に必要な最低数しか用意していない」

 

 古城たちだけでなく、味方のはずの賢生からも睨まれたベアトリスは、どこかやけくそ気味に怒鳴り返す。

 

「量産しないと兵器として売れないでしょうが!

 ロウ、お前もとっとと呼びな!」

 

 名を呼ばれたキリシマは眼前のラ・フォリアを無視し、船へと跳躍した。

 

「ヘイヘイっと。BR‐N型、展開しろ!」

 

 キリシマの声に反応し、鉄球使いの自動人形が群れをなして揚陸艇から現れる。それを見たバビル2世の顔が驚愕に歪んだ。

 

「馬鹿な、何故お前たちがそれを従えている!?」

 

 バビル2世の見せた動揺に、愉悦を隠しきれないベアトリスが醜悪に笑む。

 

「廃墟の技術者も、あんた相手の設計なんだから喜ぶだろうよ。BR‐N型――バラン、やっちまいな!」

 

 鉄球使いの自動人形(オートマタ)――バランが一斉に鉄球を振り回し、バビル2世目掛けて投擲した。当然跳躍してそれを避けるが、次々と投げつけられるそれにバビル2世も迂闊に近づけない。賢生の前に、バランの群れという厚すぎる壁が形成された。

 空ではロプロスと模造天使の攻防が続いている。小回りの利く模造天使(エンジェル・フォウ)は、大振りな怪鳥の攻撃を掻い潜り的確に攻撃を当てている。だが、ロプロスの魔術物理複合装甲を貫くだけの火力は無いらしく、未だその装甲は健在だ。これが完成間近の夏音であれば話は別だっただろう。結果ロプロスは攻撃がさほどの脅威でないと判断し、命令遂行のために賢生を狙うが、高周波が放たれる前に模造天使(エンジェル・フォウ)が顔面を攻撃し狙いを逸らす。互いに決め手がない、泥仕合の様相を呈している。

 地上では、雪菜がじりじりと追い詰められていた。

 ベアトリスが握る眷獣は、槍の常識から外れた変幻自在の動きで雪菜に襲い掛かり、剣巫の未来視を持ってしても対応し回避するのが精いっぱいなのだ。反撃に転じることができない以上、雪菜は敗北へゆっくりと近づいている。

 

「その顔、そそるわぁ……もっといろんな表情を見せてもらえると嬉しいんだけど」

 

 悦に歪んだベアトリスの笑みに、雪菜は嫌悪感を露わにする。嗜虐心を満たすため、より一層激しく責めるベアトリスを弾丸が襲った。眷獣が反射的に弾き落とす。結果として追撃が緩み、雪菜は間合いを開け息を整えている。

 

「助太刀します。元々はわたくしを追ってきたようですので。

 個人的な恨みが無いわけではありませんし」

 

 雪菜の背後に、銃を構えたラ・フォリアが立っていた。肉体的には人間に近い吸血鬼にとって、拳銃は即座の致命とはならなくとも十分に負傷しうる武器だ。それを弾くとなると、眷獣も今までのように変幻自在の動きができるわけではなくなってくる。雪菜&ラ・フォリアとベアトリスの戦いも、膠着状態に陥り始めた。

 女性たちの戦場から僅かに離れ、古城は夏音が振りまく光の刃をひたすらに避けていた。天から降り注ぐ光は勢いこそ変わらないものの、正確性は段々と増している。時折眷獣で反撃をするも、最初の焼き増しのように何の効果も発揮しない。逆に眷獣制御に意識を割いた一瞬の間に、光の刃が古城の眼前に迫って来た。

 

「くっ! 〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟!」

 

 咄嗟に召喚された雷の獅子が、光の刃へ真っ向から襲い掛かる。だが、仮にも神の御使いが生み出した奇跡のかけらに、そうそう対抗などできるわけがない。獅子は振り下ろした爪を真っ向から両断され、そのまま首を落とされて消滅した。しかし、その反応中にはわずかとはいえ時間が経過する。そのわずかな時間を利用し、古城は刃を回避。攻撃が効かない以上、定められた敗北を僅かにでも遠ざけるため、古城の耐久戦が再開された。

 そしてバビル2世は、バランへと正面から挑みかかっていた。

 バラン、というよりも自動人形(オートマタ)は、味方の損失に酷く無頓着な行動パターンを組まれていることが非常に多い。人的被害と比べて、同系統のものを造り上げればすぐに穴埋めできるため、同士討ちを恐れて攻撃を取りやめるより無視して味方ごと破壊した方が有意義な場合が多いのだ。バランも例外ではなく、かつてバビル2世が多数のバランに囲まれた時も同士討ちで数を減らした。今回もその狙いは正しく、バビル2世が飛びかかり盾にしたバランが鉄球の雨を受け文字通り粉砕される。

 残された破片が宙を舞い、模造天使(エンジェル・フォウ)たちに襲い掛かった。夏音へと飛来した破片は空しく透過し、2体の模造天使(エンジェル・フォウ)は視線すら向けずに無造作な動きで叩き落とす。

 

念動力(テレキネシス)の無駄遣いだな」

 

 飛ばした破片の戦果を見届け、バビル2世は次のバランへと飛びかかった。そこで、予想外の事態が発生した。バビル2世の飛びついたバランが、突如自爆したのだ。大量の煙と多くの破片が撒き散らされ、至近距離で食らったバビル2世はたまらず吹き飛ばされた。揺れる視界では、文字通り船上でキリシマがニヤついている。手には、ごてごてとした制御装置(リモコン)が握られていた。

 

「貴様、やってくれたな!」

 

 見た目から、以前のバランと同じだと無意識に思い込んでいたのだ。自らの失態に臍を噛むが、事態はそれだけに留まらなかった。

 自爆の音に気を取られた古城が、脚をもつれさせたのだ。

 

「しまっ……」

 

 普通であればすぐに立て直せるが、足場は天使の刃でボロボロになった砂交じりの岩場なのだ。踏み出した足は脆くなっていた岩を踏み砕き、古城が決定的な隙を晒してしまった。

 天使の光刃が、無防備となった古城の胸を容易く貫通した。直後に巻き起こる爆風に、死に体の古城はされるがままに吹き飛ばされる。

 

「せ、先輩!」

「古城!」

 

 悲鳴を上げる雪菜の動きが止まり、その隙に襲い掛かる槍をラ・フォリアが本体を射撃することで防ぐ。

 2人はベアトリスを牽制しながら、古城へと駆け寄った。

 夏音の光が着弾した地点は高熱で融解し、白煙が立ち上っている。古城の身体は吹き飛ばされ、その地点から離れたことは不幸中の幸いと言えるかもしれない。だが、受けたダメージは深刻なものだ。光の刃が貫通した胸部は元より、全身に爆風で飛ばされた破片が突き刺さり、傷口自体が引き裂かれたように大きく歪んでいる。原型を留めていることが奇跡と言ってもいいだろう。

 

「先輩、暁先輩!」

 

 古城の身体に縋り、雪菜は叫ぶ。ラ・フォリアは憂いを秘めた目で、上空の夏音を見上げた。

 

「もう終わりか。世界最強の吸血鬼とか言われてる割には随分とあっけなかったな。そう思わないか?」

 

 バビル2世に向けて、キリシマがしらけたように声をかける。バビル2世はそれを無視してバランの鉄球を捌き続けるが、キリシマは思い出したようにバランを自爆させるため思うように攻め込むことができない。

 突然、暴風が戦場全体を襲った。

 

「なんだ?」

 

 キリシマが最初に気が付いたのは、船の上から戦場を俯瞰していたからだろう。徐々に強くなる風の中に、白い模様が浮かび始めている。獣人の視力で捉えると、それは氷の粒だった。

 

「おいおいおい……BB! 賢生! 何かヤバいぞ!」

 

 第四真祖の眷獣が暴走した可能性を視野に入れたキリシマは同僚に警告を発し、同時にバビル2世に近かったバラン数機へ向け一斉に自爆の信号を送る。爆風と破片でバビル2世の動きを阻害し、同時に広がった濃い煙幕を突き破って大量の鉄球が飛来する。

 予想していたのか軽々と回避するバビル2世だったが、突然その動きが止まった。

 

「氷、だと!?」

 

 地面につけた足が氷漬けになっている。咄嗟に頭上を見上げると、上空に絶叫する夏音の姿があった。

 

OAaaaaaaaaaaa(オアアアアアアアアアアアア)――!」

 

 血の涙を流し、模造天使が慟哭する。一秒ごとに強くなる風と氷に、バビル2世が能力を使おうと力んだ瞬間。自動人形(オートマタ)ゆえの捨て身で接近していたバランの1体が放った鉄球が、ついにバビル2世を捕らえた。凍結で鈍くなっていたバランが投げたものとはいえ、鉄の塊が直撃したバビル2世はたまらず吹き飛ぶ。鉄球から生える棘が身を抉り、戦闘服が血で濡れる。さらに、吹き飛んだことで冷気の発生源である夏音により近づいてしまった。竜巻のような風と氷の渦が、あっという間に周囲を凍結させ始める。

 

「くっ……」

 

 悔しそうな表情を浮かべ、バビル2世は氷に飲み込まれた。彼を追撃していた多数のバランも、同じく埋もれていく。

 最大の障害が氷に埋まった様を見て、ベアトリスと賢生は揚陸艇へと引き上げていった。が、ここで上空のロプロスが行動した。氷に埋もれた主を救うべく、バビル2世が倒れた地点を爪で削り始めたのだ。

 

「丁度いい。ロウ、バランにもあの鳥をやらせな。商品ちゃんにも攻撃を続けさせるよ」

 

 言うが早いか、模造天使(エンジェル・フォウ)2体がロプロスへ追撃を開始した。ロプロスが上空を迎撃するために首を上げると、隙のできた足もとに鉄球付の鎖がまきつく。空へと舞いあがろうとするロプロスをさらに鉄球が襲い、さらに上空から模造天使(エンジェル・フォウ)の攻撃が降り注ぎ、ロプロスの離陸を全力で阻止し続けた。その結果、何体ものバランと共にロプロスの脚が凍りついた。膨らむように氷は侵食を続け、ついにロプロスをその場に縫いとめることに成功する。

 

「これであの鳥もじっとしてるしか」

 

 ベアトリスの言を遮るように、ロプロスが高周波で周囲を無差別に薙ぎ払った。凍りついた木も、海も、岩も一瞬で砕け散る。さらに口内からロケット弾を発射し、動きを封じる氷の破壊を開始したのだ。

 

「なんだい、あの化け物は……ロウ、攻撃を揚陸艇に向けさせるんじゃないよ!」

 

 自らも模造天使(エンジェル・フォウ)に指示を出し、動きを封じられたロプロスに多数のバランと2体の天使が襲いかかった。固定砲台と化したロプロスは、足元に埋まる主を守るためか、今まで以上に荒々しく抵抗をする。

 全てを包み込む吹雪は激しさを増し、つられるように戦闘も激化の一途を辿っていった。

 

 

 

 夜の闇に包まれる海上に浮かぶ船で、銃声が響いていた。船体に刻まれた社章から、メイガスクラフト所有の船であることがわかる。

 

「しつこいわね!」

 

 その船内、煌坂紗矢華は愛用の〝煌華麟(こうかりん)〟を振り回し、容赦なく放たれる銃撃を空間断層で防いでいた。

 

「もう、何体いるのよ!」

 

 彼女が愚痴をこぼす。浅葱の情報を元に沿岸警備隊(コースト・ガード)の巡視船を動かしたのだが、移動中にこの船に遭遇したのだ。メイガスクラフトの社章を掲げている以上、今の紗矢華に見逃す選択肢は無い。事情聴取のために船内に乗り込んたところ、大量の自動人形(オートマタ)から熱烈な歓迎を受けたのだ。

 

「まったく、なんでこんな所で銃撃戦の的にならなきゃいけないのよ! それもこれも暁古城が……」

 

 自動人形(オートマタ)を一旦振り切り、物陰で一息つく。

 

「なにやら暴れている奴がいると思えば……獅子王機関の舞威媛がこんな所で何をしている?」

「っきゃあああああ!」

 

 突然声をかけられ、紗矢華が思いっきり悲鳴を上げた。とっさに剣を構えるが、声が聞こえたはずの方向には誰もいない。

 

「いきなり剣を向けるとは、ずいぶんと物騒な教育をされているようだな」

 

 視線の先で空間が揺らぎ、ビスクドールのような少女が出現した。フリルで飾られたドレスを身に纏い、夜にも拘らずレースの日傘をさしている。

 

「南宮那月、どうしてここに……?」

 

 構えた剣を引きながら、紗矢華は尋ねた。那月は問いかけを無視し、紗矢華目掛けて鎖を放つ。

 

「何を……!」

 

 鎖は紗矢華を通り過ぎ、背後に迫っていた自動人形(オートマタ)数体を纏めて貫いた。鎖が引き戻され、残骸と化したそれを那月は真剣な目で観察する。

 

「なるほど、たしかに既存の技術ではないな。連中が開発できるようなものでもない。矢瀬の資料通り、バビル2世の案件か」

 

 那月は眉をしかめて残骸を投げ捨てる。行儀悪く落ちた部品を1つ蹴り、紗矢華の足元へと転がした。

 

「連携と状況通信に通信魔術を利用している。これをどうにかするのはお家芸だろう?

 既に船内にいた人間は確保してある。存分に働け」

「押し付けないでほしいんだけど!?」

 

 那月の傲岸不遜な物言いに、紗矢華は文句を言いながらも〝煌華麟(こうかりん)〟を変形させた。〝六式重装降魔弓(デア・フライシュッツ)〟は剣から弓へとその姿を変え、同時に能力をも変質させる。

 スカートの下から縮められた鏑矢を取り出し、展開させて弓につがえる。この鏑矢によって人間には不可能な詠唱を行い、失われた大規模魔術を行使する。それが〝煌華麟(こうかりん)〟のもう1つの能力である。

 紗矢華の唇から澄んだ祝詞が唱えられ、天高く矢が打ち出される。鏑矢の効果は如何無く発揮され、上空に展開された魔法陣から放たれた呪力により、呪力装置だけでなく駆動系までもを焼き尽くされ、自動人形(オートマタ)はその全てが沈黙した。

 

「よくやったな。褒美にいくつか情報をやろう。

 数時間前に、バビル2世が失踪していたアルディギア王国の装甲飛行船〝ランヴァルド〟の残骸を発見した。少ないが、無事だった乗組員は全員救助されている。

 さらに、沿岸警備隊(コースト・ガード)が小1時間前に遭難信号を受信した。発信先はアルディギアの救命ポッドからだそうだ。丁度、お前が向かおうとしている島から出されたようだぞ?」

 

 紗矢華の表情が目まぐるしく変わった。王女の無事を喜んだ直後、古城と同じ島に閉じ込められていることが分かったのだ。女神の再来とまで讃えられる美姫と、あの暁古城が無人島で出会ったらどうなるのか。彼女の脳内で記録されている古城の性格では、どう楽観的な想像をしてもろくな結果にならないと結論付けられた。

 

「もうこの船の乗員は制圧したんでしょう? 速く迎えに行って、一件落着にしましょう!」

「さて、そう上手く行くかな」

 

 行動を急かす紗矢華に、那月は冷たい返事を返した。その眼は丁度紗矢華の背後を捕らえている。つられて振り向くと、彼女の視界に異物が飛び込んできた。

 

「なによ、あれ」

 

 水平線の彼方にあってなお、異様さに気が付く異常現象が発生していた。

 数キロに及んで海面が凍りつき、さらにはねじれた氷の塔が天を貫くように聳え立っている。この船に乗り込んだ時点では影も形も無かったため、氷の塔は1時間もしない内に出現したことになる。この大異変の発生源が目的地の無人島であることは疑いなく、雪菜やラ・フォリアも巻き込まれているということになる。

 

「どうやら、あの第四真祖(バカ)はまた厄介ごとに巻き込まれたようだな」

 

 那月の呟きに応えるように、船が大きく揺れ動いた。突然のことにバランスを崩し、紗矢華はしりもちをつき、那月は近くのコンテナに捕まって揺れを凌いだ。

 

「今の揺れは、海中を何かが通ったのか!?」

 

 珍しく焦った様子の那月と慌てた紗矢華がほぼ同時に船の淵から海面を覗くと、海中を巨大な何かが凄まじい速度で島へと進んでいく様が見えた。魔術を扱う2人には、その物体が魔術的に非常に高密度の術式を纏っていることがわかる。

 

「なるほど、呼び寄せていたのか。これなら、船が着くまでに事は収まるかもしれないぞ」

 

 どこか得意げに笑う那月へ、紗矢華は何が何だかわからないといった表情を返した。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 種族・分類

 煌華麟 こうかりん
 獅子王機関が実用化した武神具の1つに付けられた銘であり、獅子王機関の舞威媛である煌坂紗矢華に授けられた制圧兵器。
 使用難度の高さから量産されなかったため、実質的に煌坂紗矢華の専用武具と化している。

 六式重装降魔弓 デア・フライシュッツ
 獅子王機関が開発した武神具であり、空間切断による高い近接性能と鏑矢の呪術詠唱による広範囲制圧能力を併せ持つ優秀な兵器だったのだが、使いこなせる人員がいなかったために量産されなかった悲運の兵装。

 バビル2世 用語集

 用語

 バラン
 ヨミの帝国が対バビル2世対策に生み出した戦闘ロボット。
 巨漢を模した外見であり、当時鉄壁を誇っていたバベルの塔防衛装置のすべてに耐え抜く装甲と装置の尽くを破壊する鉄球による恐ろしい戦闘力を誇った。
 ヨミ配下の工作員と共に塔に潜入し、工作員が全滅する中バビル2世を打ち取る戦果を挙げるがそれはロデムが変身した囮であり、塔から出てきたところをポセイドンに捕捉され抵抗すらできずに文字通り磨り潰された。


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11話 対抗手段

2020/6/21 用語集追加


 模造天使(エンジェル・フォウ)と化した夏音が放つ低温波が、赤道付近の島を凍りつかせていく。神力を伴った極低温は、生物無生物の区別無く氷の檻へと閉じ込めていった。

 だが神力を持つということは、神力によって弾くことができるということでもある。

 

「――獅子の神子たる高神の剣巫が願い奉る!」

 

 担い手の霊力が流し込まれ、金属製の槍が神々しい光を発する。詠うような祝詞を唱え、雪菜は〝雪霞狼(せっかろう)〟を振るう。舞うように、優雅な動きで力を練り、その力が増幅され一際強く穂先が輝く。

 

「雪霞の神狼、千剣破の響きをもて楯と成し、兇変災禍を祓い給え!」

 

 祈りの言葉と共に振り下ろされた刃は、地面を抉るとその切先を起点に神力の結界を生み出した。吹き荒れる冷気は神力が含まれており、だからこそ生み出された神力の壁に阻まれる。壁を覆うように氷が張りつき、あっという間に結界の外は氷で埋め尽くされた。吹き荒れる風の音が聞こえるが、氷の壁が崩れる心配はないだろう。

 

「大義でした、雪菜。これならしばらくは持ちそうです」

 

 ラ・フォリアが氷の壁から、結界の中心で倒れる古城へと視線を移した。胸を貫かれただけならば、真祖の再生ですでに起き上がってもおかしくない。だが、古城は未だに意識を取り戻さず、ぴくりとも動かない。

 

「古城の様子はどうですか?」

「それが、まだ目を覚まさないんです。体の傷はほとんど治っているんですが……」

 

 雪菜の目線の先で、古城の胸に十字の傷が穿たれている。引き裂かれたような裂傷も、破片が突き刺さり抉り取られた痕も全て治癒しているのだが、この十字傷だけは一切の治癒を拒むようにそこにあり続けている。

 雪菜の目には、傷口から漏れ出す神気が映っている。その神気は不浄の肉体を許さないつもりか、不死身のはずの古城の肉体を徐々に消滅させているのだ。

 ラ・フォリアも、霊視により漏れ出る神気に気がついた。

 

「古城の肉体にはまだ剣が刺さっているのです。私たちには、触れることも見ることもできない剣が」

 

 そう王女が告げる間にも、傷口から漏れる光は古城の肉体を消失させていく。このままでは、そう遠くない内に暁古城は完全に消滅することになるだろう。

 

「……どうすれば、助けられますか」

「残念ながら、わたくしたちに古城の傷を癒す手段はありません」

「そんな……!」

 

 縋るような雪菜の問いを、ラ・フォリアは一言の下に切って捨てた。そもそも模造天使(エンジェル・フォウ)はアルディギアに伝わる秘奥儀である。その王女に手段が浮かばないのであれば、望みは断たれたと言っても過言ではない。

 

「ですから、彼を救うことのできる存在(モノ)を呼び起こします。本来であれば、剣に貫かれた時点で古城の肉体は消滅しているはず。それを防いでいるということは、不完全ながらも古城がその力を使っているということです」

「先輩の力……まさか、第四真祖の眷獣が!」

 

 雪菜の推測に、ラ・フォリアは満足げに頷いた。

 

「でも、眷獣を呼び起こすと言ってもどうやって……? 宿主である先輩は意識を失っていますし、外部から眷獣に干渉することは理論上不可能と聞いています」

 

 雪菜の疑問を聞き、ラ・フォリアも真剣な表情で頷いた。

 

「わたくしも初めてなので上手くできるか不安ですが、やり方だけならば侍女たちの噂話から聞いています。やってみる価値はあるでしょう」

 

 そう言って王女は、古城の服を脱がし始めた。雪菜も無言で促され、2人掛かりで古城の上半身を露わにする。

 衣服が取り去られ、古城の傷跡は一層痛々しく存在を主張している。

 

「これが、殿方のお身体なのですね」

 

 恐る恐ると言った様子で、ラ・フォリアが古城の身体をつつく。ひょろっとした印象とは逆に意外と引き締まっているのは、吸血鬼と化す直前までバスケに明け暮れていたからだろう。

 

「あの、ラ・フォリア?」

 

 流石に様子がおかしいと感じ始めた雪菜を後目に、ラ・フォリアは自らの服に手をかける。

 

「失礼、学術的好奇心に呑まれていましたわ」

「はあ……ってどうしてあなたまで服を脱ぎ始めているのですか!」

 

 ブラウスを脱ぎ、下着を露出し始めたラ・フォリアを雪菜は慌てて制止する。肌と肌の接触が必要な術の可能性もあるが、これ以上は流石に見逃せない。

 

「眷獣の覚醒として最も確実な手段は霊媒の血を吸うことなのでしょう?

 吸血衝動は性的興奮によって引き起こされると聞いています。意識を失っているとはいえ、感覚と本能は生きているはずです。外部からの刺激があれば、相応の欲求が発生するはずです」

「欲求って……」

「侍女たち曰く、体は正直、だそうですわよ」

 

 悪戯っぽく微笑むラ・フォリアを見て、アルディギア王家はもう少し侍女の選定に気を使った方がいいのではないだろうかと雪菜は訝しんだ。

 

「安心してください雪菜。わたくしも今はまだ本気で古城と交合する気はありませんから」

「あたりまえです!」

 

 言い合っている間にも、王女は気前よく服を脱いでいく。露わになるのは新雪のような肌に、予想外のサイズを持つ胸の膨らみだ。

 

「では雪菜。少し目を瞑っていてもらえますか。人前でこのような行為をするのは、流石にその、恥ずかしいので……」

 

 古城の上半身を抱えながら、ラ・フォリアは恥ずかしげに頬を染めた。雪菜の答えを待たず、ゆっくりと顔を近づけていく。

 

「駄目です、ラ・フォリア!」

 

 唇が触れる瞬間、雪菜は制止した。古城の身体を奪い返すように抱え、雪菜は必死に叫ぶ。

 

「貴方がそこまでする理由はありません。何か方法があるはずです!」

「しかし、古城と貴方、そして叶瀬夏音とわたくしが助かるためには必要な行為です」

 

 ラ・フォリアの冷静な瞳に、雪菜は息を呑んだ。どこかふざけた雰囲気に騙されていたが、彼女は真剣に考えて行動を起こしていたのだ。自らの血を吸血鬼の贄としても、助けるべき人間を救うためならばためらいを持たず実行に移す。王女の仮面を被り、これまでも、そしてこれからも様々なものを背負い続けるのだろう。

 だが、これは違う。その決意は、彼女が決めるべきものではない。

 

「わたしがやります」

 

 雪菜の言に、ラ・フォリアの瞳が見開かれた。

 

「先輩を救うのは私の役目です。私は、第四真祖の監視役ですから!」

 

 高らかな宣言に、ラ・フォリアは蕾が綻ぶような笑みを浮かべた。

 

「それでは、お任せしますわ。あなたならきっと、古城を救えるはずです」

 

 あっさりと引き下がったラ・フォリアに、雪菜はあっけにとられる。

 

「王女……まさか、最初からこのつもりで……」

 

 雪菜の言葉に、ラ・フォリアの曖昧な笑みが返された。

 

 

 

 僅かな間を置いて、雪菜は古城を抱き上げていた。結界外を覆う氷は雪菜の術式でも容易くは破ることができない厚さとなっており、結界内の酸素も徐々に減っている事だろう。

そんな危機的な状況にもかかわらず、古城は静かに眠り続けている。痛みすら感じていないのか、その顔はいっそ安らかですらあった。

 

「本当に、世話の焼ける人ですね」

 

 自分たちが悲壮な覚悟を決めたことが、どこか馬鹿馬鹿しく思えてくる。

 

「さあ、雪菜」

 

 王女に促され、雪菜は槍の穂先で指を浅く切った。鋭い痛みと共に、紅い血が滲み出る。血が雫を作るのを待ち、雪菜は指を古城の口へ含ませた。

 死んだように眠る古城の身体が、ぴくりと反応する。やはり古城は生きているのだ。しかし、それ以上の反応は無い。血の量が足りないのだ。

 

「思ったよりも古城の反応が悪いですわね。やはり刺激が足りないのではないですか?」

「し、刺激とは?」

「やはり露出度、そして密着度でしょう。もしくはマウス・トゥ・マウスとか。

 ふふっ……手伝いますか?」

 

 からかうような王女の案に、雪菜の顔に朱が混じる。出来る限り冷静にと考えていたのだが、台無しだ。

 

「い、いえ。これは私の使命ですので……やりますから、その手の動きを止めてください!」

 

 わきわきと手を動かすラ・フォリアを牽制し、雪菜は制服のリボンに手をかけた。衣擦れの音と共に制服をはだけ、雪菜は古城に覆いかぶさる。露出が足りないと不満そうな王女を無視し、雪菜は手首の内側を治癒できる限界の深さまで切り裂いた。溢れる血を含み、古城の口内へ口移しで流し込む。

 まるで死体のように冷たい感触が、古城の唇から伝わる。残された微かな熱を逃がさないよう、雪菜が強く古城を抱きしめる。やがて、古城が鮮血を嚥下する感触が伝わってきた。

 

「先輩、聞こえますか!?」

 

 雪菜が呼びかけるが、反応は帰ってこない。

 

「続けなさい雪菜。古城はあなたを感じています」

「感じているって、どういう……というかなんで見ているんですか!」

「あら、見てはいけないと言われていないので」

「そういう問題……!?」

 

 雪菜の言葉を遮るように、古城が強く雪菜を抱き返した。まるで血の残り香に引かれるように、唇を貪り始める。手首の痛みもあり、まともに抵抗できない雪菜は、されるがままになってしまう。視界の端で、爛々と目を輝かせる王女に意識を割く余裕すらない。

 やがて、古城の唇が首筋へと位置を変えた。尖った犬歯が皮膚に当たり、動きが僅かに止まる。雪菜は古城の頭を抱えるようにして、犬歯を僅かに肌へと押し当てた。促されるままに、古城の牙は首筋へと突き立てられる。

 古城が雪菜の首筋に歯を当てた時点で、ラ・フォリアは背を向けていた。だが、背後に感じていた神気が不意に途切れ、ゆっくりと振り向く。

 ぐったりと抱き合って2人は倒れていた。古城の胸からは傷が消え去り、代わりに雪菜の手首からは鮮血が滴り続けている。このまま失血死では、いくらなんでも恰好がつかないだろう。

 

「天使の剣を喰いましたか。これだけの眷獣を従えているとは……やはり、あなたなら……」

 

 雪菜の手首を魔力で癒しながらの呟きは、氷の壁へと消えていった。

 

 

 

 どこかで鳥の鳴き声が聞こえ、低い地鳴りのような音と体が揺れる感触がする。古城が目を開けると、氷に閉ざされた空間に仰向けで倒れていることが分かった。同時に、全身を引き裂くような痛みが襲う。

 この痛みには覚えがある。即死級のダメージを負った後、復活したのだ。

 

「目が覚めましたか?」

 

 痛みをこらえて声の方を向くと、ラ・フォリアがこちらを見ていた。傍では雪菜が横になっている。

 

「ラ・フォリア……姫柊は、どうしたんだ! ……いってえ!」

 

 古城は思わず飛び起き、痛みに悶絶した。よほどおかしかったのか、王女は口に手を当てて体を震わせている。

 

「落ち着いてください、古城。雪菜は貴方を救うために自らの血を提供したのです。でなければ、あなたは今ごろ模造天使(エンジェル・フォウ)の力で消滅していたでしょう」

「姫柊が……俺のために?」

 

 吸血鬼の視力で見れば、雪菜の首筋に牙の跡が残っている。以前にも見たことがある、古城自身がつけた傷だ。

 無力感に(さいな)まれ、思わず頭上を見上げた古城の動きが止まった。天を突くねじれた氷柱、その中で眠る夏音の姿に気がついたのだ。太陽光が透け、黄金の輝きに包まれ背を丸めている。身を守るように閉じられた羽にあるはずの目も閉じられている。そちらも眠っているのだろうか。今の夏音にとって、周囲を見張る必要が無いだけなのかもしれない。

 

「あなたを刺した直後、彼女の自我が暴走し、今の状態になりました。雪菜の結界が無ければ、私たちも氷漬けになっていたでしょう」

「暴走ってことは……叶瀬の意識はまだあるのか!」

 

 ラ・フォリアの説明に喜色を浮かべた古城は、ふと気がついた。今この空間にいるのは3人だ。だが、あの戦場ではもう1人戦っていたはずではなかったか。

 

「なあ、バビル2世はどこだ? 今も氷の外で戦ってるのか?」

 

 目覚めてから断続的に響く轟音と揺れが、古城の勘違いを引き起こした。ラ・フォリアは静かに首を横に振る。

 

「いえ……彼は鉄球の自動人形(オートマタ)、バランと呼ばれていたものに弾き飛ばされ、真っ先に凍り付いてしまいました。この揺れは、おそらくしもべが彼を助けようと戦い続けているのだと思います。

 凍ってしまった彼もですが、叶瀬夏音の意識もそう長くは持たないでしょう。いずれ彼は凍死し、彼女の意識も消失します」

「……その前に助けなきゃならないってことか」

 

 古城の呟きに、ラ・フォリアはふと笑みを浮かべた。一度は自らを殺した相手を、それでも救おうと考えられる。そうそうできる事ではない。

 

「暁古城、わたくしの血を吸いなさい」

 

 いつのまにか、古城のすぐそばに王女の顔があった。思わず後ずさる古城は、王女の目に浮かぶ決意の色に気がつき動きを止める。

 

「あなたの様子を見るに、新たな眷獣が目覚めていないことはわかります。今はわたくしの事を信じてください」

 

 一切の偽りを感じさせない声に、古城が息を呑む。

 

「アルディギア王国が長女、ラ・フォリア・リハヴァインの名において命じます。第四真祖・暁古城、わたくしの血を吸いなさい」

 

 再度の宣告を受け、古城はラ・フォリアの両肩に手を置いた。

 

「それは、今必要なことなんだな。この状況を何とかするために」

 

 古城の問いかけに、王女は首筋を露出しながら答える。

 

「ええ、その通りです。暁古城……わたくしの目に狂いが無いことを、見事証明してみせなさい」

 

 どこか楽しげな口調と共に、王女は古城へと体を押し付ける。目を紅く光らせた古城が反射的に王女を抱きしめ、急激に伸びた犬歯が新雪のような肌に突き立った。

 

 

 

 一面が氷景色となった島で、鋼鉄の巨鳥が荒れ狂っていた。本来であれば成果物である〝娘〟の観察をするつもりだった賢生だったが、この状況ではそう言っている余裕などない。

 

「来るぞ、頭下げろ!」

 

 キリシマの警告に従って床を這い、そのすぐ頭上をロプロスの怪音波が通り過ぎて行った。その一瞬で揚陸艇の壁は崩壊し、すでに数度の攻撃を受けた船は廃船一歩手前の状況にまで追い込まれている。海洋航行が不可能な状態になっていないことが奇跡だ。

 バランの被害は無視できないほどに広がり、天使は船への被害を逸らすことが精いっぱいとなっている。

 

「クソが、まだぶっ壊れないのかよ!」

 

 暴れ続けるロプロスに対し苛立つベアトリスの声が響き、それに反応したかのように氷柱で眠っていた夏音が動き出した。目が覚める前の身じろぎにも似て、僅かな反応ではあるが確実に覚醒へと近づいている。

 

「ついに動くか。これで最後だ、夏音」

 

 どこか安心したような賢生の言葉は、ロプロスの引き起こす破壊音を超える轟音と衝撃波に掻き消された。

 音の発信源は氷柱の根元付近だ。ロプロスがいる地点からさほど遠くない部分の氷を緋色の双角獣(バイコーン)が突き破り、巨大な穴からは3人の男女が這い出してきた。敵対者以外の出現により、ロプロスの動きが鈍くなる。一旦様子を見るためか、2体の模造天使(エンジェル・フォウ)とバランたちも遠巻きに距離をとった。

 

「生きていたのか、第四真祖!」

 

 賢生の声に反応し、ベアトリスとキリシマも驚きに目を見開いた。

 

「流石は世界最強の吸血鬼といったところか。ありがたい、あの怪鳥に加え、君と――強敵と戦い霊的中枢を全開にすれば、今度こそ夏音は最終段階へと進化するだろう。それでもう誰も傷付ける必要はなくなる!」

 

 古城が反論を組み立てる前に、ラ・フォリアが一歩進み出た。

 

模造天使(エンジェル・フォウ)を兵器として売り出す男の言葉とは思えませんわね」

「それはメイガスクラフトが勝手に行った事です。私の与り知るところではありません」

「勝手なことを言わないでください!

 娘として育ててくれていた相手に実験体にされ、道具のように扱われて、彼女がどんな気持ちだったか……!」

 

 悲痛な雪菜の叫びが、2人の会話に割り込んだ。構える槍は小刻みに揺れ、黒い瞳は涙に濡れている。獅子王機関に引き取られ、剣巫という名の退魔の道具として育てられた雪菜の弾劾は、容易な反論を許さない響きを含んでいた。

 にも関わらず、賢生は意外なほどにあっさりと応答を口にした。

 

「お嬢さん、君は1つ勘違いをしているようだ。私はあの子を実の娘も同然に思っている。今でもな」

「今の彼女を見て、その言葉を信じろと?」

「あの子の母は私の妹だ。実の姪を、愛さない伯父がいるかね? あの子は知らないことだがな」

 

 雪菜が虚を突かれたように目を見張った。入れ替わるように、古城が語気を荒げる。

 

「なおさらだろ! なんであの子を実験に使ったんだ!」

「娘の幸福を望まない親がいるかね?」

「あの姿の、どこが幸福だ!」

「夏音は、人間を超えた存在へと進化する。誰にも傷つける事は出来ず、やがて神の身元へと召され真の天使となる――これが幸福でなくてなんだというのだ!」

 

 賢生の言葉が終わり、古城があっけにとられる。

 突如熱風が吹き荒れた。その場にいた全員がその発生源に目を向けると、ロプロスが足を囚われていたはずの氷塊が跡形もなく融けている。そして露わになった地表に、人影が見える。

 

「娘の幸せを勝手に決めて押し付けるとは、道具扱いしていると言われても文句は言えないぞ」

 

 体全体に炎を纏い、放射熱で尚も周囲の氷を溶かし続けながら、バビル2世が事も無げに立っていた。服こそ破けているものの、その身体には傷跡すら残っていない。

 

「お前までも……」

 

 あまりの衝撃に賢生は言葉を失い、古城は嬉しそうに顔を綻ばせる。

 

「無事だったのか、バビル2世!」

「状況を待っていた。救助が長引いたせいか、到着が遅れたんだ」

 

 バビル2世の視線の先には、海原が広がっている。

 そこへ、ベアトリスとキリシマが揚陸艇から飛び降り古城たちへと余裕を持って近づく。

 

「教育方針について話し合ってるところ悪いんだけど、とっととぶっ殺されちゃってくれない?

 そこの〝過適応能力者(ハイパーアダプター)〟も殺しておかないと、商品に箔がつかないじゃない」

 

 ベアトリスの態度は、明らかにバビル2世を下に見ている。バランの猛攻で一度は地を舐めさせていることに加え、完全体に近づいた模造天使(エンジェル・フォウ)がいることで優位性に確信を持っているのだろう。傍に控えるキリシマも、ニヤついた表情を隠そうともしない。

 

「お前たちが船を降りてくれて助かったぞ。これで気兼ねなく攻撃ができる。船の中に生き物はいないようだしな。

 やれ、ポセイドン」

 

 対するバビル2世は、愉快そうに笑っている。

 次の瞬間、揚陸艇が何の前触れもなく吹き飛んだ。

 状況を飲み込めていない面々とは違い、古城は思わず海を見る。吸血鬼の動体視力には、揚陸艇が爆散する瞬間、海から巨大な何かが船に撃ち込まれた光景が捉えられていたのだ。

 

「ラ・フォリア……海に、何かが……」

「見えていますわ、雪菜」

「あれは、いったい……」

 

次いで、魔術に造詣が深い3人が反応した。海水越しでもわかるほど、濃密な魔術の術式が海中を蠢いているのだ。

 

「なんだい、あれ……」

「おいおいおい、今度はなんだってんだ?」

 

 最後に、揚陸艇に背を向けていたため、爆散の瞬間を見逃した2人が掠れた声を出す。大量の海水を撒き散らしながら、巨大ななにかが島へと上陸しようとしているのだ。

 能面のようなのっぺりとした顔に、ライトのように光る2つの目。全身を覆う滑らかな装甲は継ぎ目すらほとんど無く、その表面を大量の術式が覆いつくしている。一歩踏み出すたびに地面が揺れ、途方もない重量を誇ることは疑いの余地が無いだろう。海中から現れた鋼の巨人は、ただ主の下へと歩を進める。

 

「あの手は、ヴァトラーの眷獣を防いだ……」

 

 古城はその手に見覚えがあった。初めてバビル2世と出会った船上で、ヴァトラーが放った眷獣を事も無げに防いだものと同じだ。

 

「よく来たポセイドン。

 さてメイガスクラフト、貴様たちには話してもらうことが山ほどあるぞ」

 

 バビル2世最強のしもべ、海の支配者ポセイドンが、ついにその姿を公衆の面前に表した。




 バビル2世 用語集

 用語

 発火能力 パイロキネシス
 バビル2世が持つ超能力の1つ。
 尋常ならざる高温を発する単純な能力なのだが、余波で鉄を溶かし同質の能力者ですらあまりの高温に逃げ出すほどの出力を誇る。
 描写を見るに、バビル2世が持つ超能力の中でエネルギー衝撃波を除けば最高位の攻撃力を持つ能力。


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12話 蹂躙する海神

 UA一万突破しました。より多くのかたに楽しんでいただけるようこれからも頑張りますので、よろしくお願いします。

 2020/6/21 用語集追加


 海中から出現し、主のもとに馳せ参じた巨兵へと下された命令は非常に単純なものだった。かつての戦場で幾度も下したように、ただ自らの意思を伝える。

 

「ポセイドン、やれ」

 

 主の言葉に従い、巨躯を誇る鋼のしもべはその剛腕を一切の躊躇なく振るった。並の人間を超える大きさの拳が、恐ろしい速度でベアトリスたちへと迫る。

 

「止めな!」

「防げ!」

 

 防衛本能からか、一切の遅滞無くベアトリスとキリシマが配下に命令を下す。2体の模造天使(エンジェル・フォウ)の放つ光の刃が、未だ数多く残るバランの鉄球が、繰り出された槍の眷獣が一斉にポセイドンへと襲い掛かる。

 

「うそ……だろ……?」

 

 古城は引きつった表情で、その結果を見た。

 ポセイドンの拳が、ベアトリスとキリシマを掠めるようにして地面に突き刺さっている。拳を僅かでも逸らそうと繰り出された攻撃は、その全てが何の痛撃も与えられなかったのだ。光の刃は砕け散り、鉄球は空しく弾き返され、眷獣の斬撃すら通用しない。装甲に刻まれた紋章でさえ、僅かな陰りすらしていない。

 そして直接狙われた2人は理解していた。今生きているのは自分たちの抵抗が実を結んだわけではないと。最初から、ポセイドンはギリギリの位置を狙って拳を振り下ろしていたのだ。

 

「気は済んだか?」

 

 バビル2世は、力を見せつけることで反抗心を折るつもりだったのだ。彼に仕えるしもべたちは、主の言葉の裏に含まれた意図を忠実に読み取って行動する。

 しかし、いつの時代も追い詰めすぎた者は予想外の反撃を受けるもの。窮鼠猫を噛むとはよく言ったものだ。

 

「嘗めやがって……もう知るか!」

 

 もともとプライドの高いベアトリスは、自らが窮地に追い込まれたことを認められなかったのだ。衝動のままに、手元の制御装置(リモコン)につけられていた赤いボタンを押しこむ。

 突然、天を舞っていた模造天使(エンジェル・フォウ)たちが動きを止めた。空中に制止したまま、がくがくと痙攣を始めている。

 

「BB、何してんだ!」

 

 キリシマが慌てて制御装置(リモコン)を取り上げるものの、彼の手の中で制御装置(リモコン)は跡形もなく崩れ去った。獣人の握力で握り潰したのではない、そもそもの機能が働き、自壊したのだ。

 

「お前、今の状況判ってるのか!」

「うるさいね、もうどいつもこいつも死ねばいいだろうに!

 ここで連中が全滅すれば、それで目的は果たせるんだよ!

 死体からでもクローンは造れる!」

 

 ラ・フォリアは突如言い争う魔族に疑念の目を向け、賢生へ無言で状況説明を求める。

 

「愚かなことを……。

 あれは恐らく自滅装置の類でしょうな。制御装置(リモコン)が自壊した以上、命令の上書きはできません。最後の命令は、周囲の敵対者を皆殺しにしろといったところでしょう」

 

 その推測を裏付けるように、2体の模造天使(エンジェル・フォウ)がめちゃくちゃな機動で古城へと襲い掛かった。狂ったように動かされる羽からは絶え間なく光刃が飛び、手には巨大な光の剣を構えている。狙いをつける事すら放棄しているようで、撒き散らされた刃はポセイドンと向かい合うバランへも降り注いでいる。

 そしてその動きに同調するように、夏音が氷を吹き飛ばして飛翔した。

 

「邪魔だ!」

 

 古城が激昂のままに腕を振るうと、降りそそいでいた光刃の内、古城へと向かっていた一群が消失した。空間ごと抉り取られたかのような光景に、命令者であるベアトリスが目を剥く。

 

「さっきから聞いてれば、殺すだの死ねだの勝手な理屈押し付けてきやがって……こっちはいきなり無人島に置き去りにされるわ人形に撃ち殺されかけるわで迷惑被ってんだよ。

 それに天使化だの兵器に改造するだの、叶瀬もラ・フォリアも普通の女の子だってのに好き勝手言いやがって……」

 

 古城の瞳が紅く染まり、闘争本能のままに魔力が噴き出す。怒りによって増幅された魔力の奔流は、それだけで敵対者を怯ませる。

 わかってしまえば、至極簡単なことなのだ。第四真祖という規格外の化け物を利用し、それと戦うことで夏音は天使へと昇華する。そして第四真祖を倒した天使と同じものを兵器として売りさばく。両者の根底には夏音が第四真祖である古城を打破することが前提として存在している。

 ならば、その前提を覆してしまえばいい。たかが模造天使(エンジェル・フォウ)程度では世界最強の吸血鬼にはかなわないと証明すれば、それで敵対者たちは行動理由の根底を失うのだ。

 

「いい加減頭に来たぜ! 叶瀬を助けて、お前らのくだらない計画なんてぶっ潰してやる!

こっから先は、第四真祖(オレ)戦争(ケンカ)だ!」

 

 覇気と共に、古城は吼えた。その魔力の高ぶりに反応し、模造天使(エンジェル・フォウ)たちの攻撃が激しくなる。古城は再び迎撃しようと構えるが、それよりも先に銀の閃光が迫る光刃を全て弾き落とした。

 神気は神気で弾くことができる。雪菜の持つ〝雪霞狼(せっかろう)〟は、彼女たちの攻撃に対する強固な守りとなりえるのだ。

 一息に攻撃を打ち落とした雪菜は、寄り添うように古城の隣で構えた。

 

「――いいえ、先輩。わたしたちの、です!」

 

 互いに背中を預け、古城は天使を、雪菜はベアトリスを睨む。

 

「ふふっ、わたくしを仲間外れにしないでくださいませんか?」

「これは僕の仕事でもある」

 

 ラ・フォリアは微笑みながら、バビル2世は油断なく敵を睥睨して古城たちの後ろに並び立った。

 ベアトリスやキリシマを無視し、古城は天を舞う夏音だけを見ている。砕け散った氷柱の上空から、夏音は温度の無い瞳で古城を見つめ返した。

 

 

 

「先輩は叶瀬さんをお願いします。地上は私たちが何とかしますから」

「2体の模造天使(エンジェル・フォウ)とバラン、ついでにあの獣人は任せろ」

「なら、わたくしは雪菜のサポートということで」

 

 背後からの声に、古城は振り返らずに駆け出した。その背後を狙う攻撃は、その全てが防がれる。

 槍の眷獣は銀の槍に、天使の光刃は怪鳥に、バランの鉄球は巨人に、そして獣人の放った弾丸は空中で制止している。

 怒りを隠そうともしないベアトリスの相手を雪菜に任せ、バビル2世はキリシマとバラン、模造天使(エンジェル・フォウ)たちに向き合った。

 

「おいおい、さすがに話が違うぜ? お前の話は聞いてたが、このバランとかいう自動人形(オートマタ)がこれだけいれば十分に足止めできるって分析だったんだが?」

「誰から聞いたかは知らないが、バランと戦った時と比べて僕自身も成長しているんだ。たしかに出力装甲共に向上しているみたいだが、かつての敵に負けるとでも?」

「おいおい、そんな理屈が通じるのは漫画だけだろ」

 

 どこか投げやりなキリシマが、雑に腕を振るう。動きに反応し、バランたちが一斉に行動を開始した。連携を取るつもりなのか、不気味な痙攣を続ける模造天使(エンジェル・フォウ)もほぼ同時に空中からの効果を開始する。

 それを迎え撃つのは、2体のしもべだ。ロプロスがその身を使った体当たりと超音波を含んだ咆哮で天使たちを牽制し、ポセイドンは両の指先をバランへ突きつける。

 巨兵の指先が輝き、一度に10以上のバランが薙ぎ払われた。ポセイドンの指先に供えられた光学兵器は、魔術科学によって強化され、余波であれば真祖級の眷獣が起こす破壊にすら耐えるバランの装甲を簡単に蒸発せしめ、数体纏めて貫いたのだ。ついでとばかりに貫通した光束は、バランが展開していた岩場を溶解させ、海面に水蒸気爆発すら引き起こしていた。

 先の古代兵器(ナラクヴェーラ)戦で、バビル2世が直接的にポセイドンを戦わせなかった理由がこれだ。3つのしもべ中最強の呼び名高い海神だが、その攻撃は対要塞の性質を持っている。直撃したとしても、周囲に余波だけで甚大な被害をもたらすのだ。人工島である絃神島で暴れさせようものならば、誇張抜きにして区画が崩壊するだろう。当時の戦場であった増設人工島(サブフロート)程度では、耐えられるはずがない。

 

「冗談だろ……」

 

 水蒸気爆発の熱風に耐えながら、キリシマの唖然とした声が空しく響く。一撃で地形を変えるその攻撃に、心が折れかけているのだ。

 

「ポセイドン、ここは連中の無人島だが、あまり破壊すると南宮攻魔官に文句を言われかねない。あまり派手な攻撃は慎め」

 

 バビル2世の指示により、ポセイドンの指先から光が消えた。その巨大な指で手刀が形作られ、バランが一度に薙ぎ払われる。既にほとんどのバランが戦闘不能に追いやられており、数少ない戦闘可能な個体もポセイドンにより丁寧に踏み潰されていく。

 

「次は天使か。

 ロプロス、もう少し低空に引きつけるんだ!」

 

 空中で模造天使(エンジェル・フォウ)たちと激戦を繰り広げていたロプロスが、バビル2世の声に反応し高度を下げ始める。つられて地面に近づく模造天使たちへ、バランの使っていた鎖付の鉄球が蛇の用に襲い掛かった。地上では、髪をたなびかせたバビル2世が天使を睨み、念動力(テレキネシス)で次々と鎖やバランの残骸を宙へと放っている。

 

「無駄だバビル2世。神の波動で守られた模造天使(エンジェル・フォウ)は、その程度で傷つきはしない!」

「そんなことはわかっている。ロプロス、ポセイドン、やれ!」

 

 賢生の声を切り捨て、しもべに呼びかけるバビル2世。名を呼ばれたロプロスは、ポセイドンの肩へと降り立った。両肩を掴まれたポセイドンは、激しく羽ばたくロプロスの脚を掴み固定している。

 

「なんだ、風圧で天使を落とすつもりか? 無駄なことを……はあっ!?」

 

 キリシマの嘲りが、驚愕の声へ塗りつぶされる。いかなる力か、ポセイドンの足が地面を離れたのだ。苦も無く飛び立ったロプロスは、大質量を保持しているとは考えられない速度で飛翔を再開する。その進路上には、バランの残骸と鎖によって宙に拘束されている模造天使(エンジェル・フォウ)がいた。迫り来る2体のしもべに対し当然離脱を試みる天使たちだったが、鎖を断ち切っても残骸を粉砕しても、次から次へと代わりが襲い掛かる。地面では、バビル2世がその様子を見ていた。彼の念動力(テレキネシス)により、空中の1点から離脱できないよう仕組まれていたのだ。

 

「やめろバビル2世!」

 

 キリシマが獣人化して襲い掛かるも、まだ地面に放置されていた鎖がひとりでに巻きつきあっという間に拘束される。船から引きだしたバランが、結果としてバビル2世の武器と化しているのだ。キリシマは悔しそうに歯を食いしばるが、バビル2世はその表情を崩しもしない。

 

「叶瀬夏音は攻撃を防ぎもしなかったが、あの2体はわざわざ弾いていたな。攻撃が効かなくとも、機動をずらされないためだろう。

 つまり、最終段階前の模造天使(エンジェル・フォウ)は物理的に干渉可能というわけだ。だったら、そこを突かない理由は無い」

 

 宙を舞う巨兵が、その巨大な掌で瓦礫ごと2体の天使を握り潰した。器用に顔だけが出されており、首から下は完全に覆い隠されている。身動き1つとれない状態であり、すでに抵抗はできそうにない。だが、鋼の手の中で天使は暴れ続けている。神の波動により攻撃が通用しない以上、こうして拘束し続けるしかない。無駄な抵抗にも思えるが、ポセイドンの手がどれほど持つのか。規格外の装甲を持つポセイドンといえども、機械で再現された手は基本的に構造が複雑であるため強度が落ちる。しかもこの指には砲撃機能が備えられている以上、空洞も多いはずだ。万が一拘束が破れた場合、再び取り押さえることは難しいだろう。

 

「まあ、出来る限りそいつの手が長く持つよう祈っておくんだな!」

 

 轟音と共に着地したポセイドンを見て、キリシマは負け惜しみを吐く。そのどこか嘲るような獣人に対し、バビル2世は小ばかにしたような表情を浮かべた。

 

「なんだ、馬鹿正直に拘束を続けるとでも思ったのか?

 ポセイドン、最後の仕上げだ」

 

 両手に天使を握りしめたまま、ポセイドンが大きく腕を広げた。何をするつもりなのか、半分蚊帳の外となっている賢生が訝しげな表情を浮かべる。

 

「あの仮面が思考拘束具(ブリンカー)と聞いているが、間違いないな」

「ああ、あの仮面で模造天使(エンジェル・フォウ)を操っている。

 だがそれを聞いてどうする? 神の波動は装飾品をも覆っている。いかに君のしもべでも、あれをはがすことは至難のはずだ。君は敵対者以外、特に被害者が傷つくことは極端に嫌うと聞いている。無傷で外す方法は、少なくとも私にも思いつかんぞ?」

「いや、間違いが無いかの確認をしただけだ。これで実行に移せる。

 待たせたなポセイドン。やれ」

 

 腕を大きく広げたポセイドンが、勢いよく両腕を閉じた。見方によっては太鼓のバチのように握られた模造天使(エンジェル・フォウ)の顔面が、凄まじい勢いで打ち合わされる。何とも表現しにくい、歪な音が響き渡った。それを見ていた男2人が、あっけにとられる。

 

「神の波動といっても、同質の存在ならば干渉できることはあの槍で証明されている。ならばこうして同質の存在をぶつけ合えば、少なくとも衝撃は伝わるだろう。天使の素体自体は波動に守られて無事だとしても、あくまで異物である仮面は、そこまで強固に守られているかという話だ」

 

 バビル2世の視線の先では、仮面の破片を撒き散らしながら、ポセイドンに握られて気絶する模造天使(エンジェル・フォウ)の姿があった。

 たしかに有効な手段なのだろう。無敵と思われていた模造天使(エンジェル・フォウ)を、一度に2体無力化したのだ。だが、その手段を見た賢生とキリシマは実行者の思考回路が理解できなかった。万が一波動の保護が十分でなかった場合、天使たちの頭部はトマトのように潰れていただろう。勢いからして、血煙となって消失していた可能性すらある。危険性を無視して戸惑いなくその手段を実行したバビル2世を、自分の立場を棚に上げた2人はなにか異質なモノを見る目で見ている。

 

「さてキリシマ、お前の手足だったバランは全滅し、強力な護衛だった天使はこの通りだ。そしてお前の最後の武器は」

 

 敵からそのような目を向けられることに慣れているのだろう。バビル2世は動じることなく、鎖に絡め取られたキリシマが取り落とした銃を拾う。そしてその手の中で、銃は粘土細工のように握り潰された。

 

「このざまだ。

 獣人化しても勝てないことはわかっているだろう。最後の警告だ、投降しろ」

 

 キリシマを見るバビル2世の目からは、一切の感情が感じられない。ここで断ったが最後、キリシマの命運は尽きるだろう。もちろん殺されはしないはずだが、無力化のためにどのような手段を講じられるのかわかったものではない。賢生に視線すら向けないのは、戦力として数えていないのだろう。事実、彼が敵意を向けた瞬間、付近の残骸が襲い掛かり1秒もしない内に意識を刈り取られるはずだ。

 

「くそっ、選択肢なんて最初から無いじゃねーか!」

 

 キリシマの遠回しな投稿宣言を受け、バビル2世は容赦なく鎖の拘束を強める。意識を奪われ倒れ伏した獣人から視線を逸らし、彼は未だ戦っているであろう学生たちへと目を向けた。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 種族・分類

 古代兵器 ナラクヴェーラ
 かつて天部と呼ばれる存在が造り出した自己進化する戦闘兵器。
 進化の果てには吸血鬼の真祖すら打ち倒すと予想された恐るべき兵器群であり黒死皇派によって運用されていたが、第四真祖である暁古城を始めとした黒死皇派への抵抗により、進化を待たずして自己破壊プログラムを仕込まれ自壊した。

 思考拘束具 ブリンカー
 模造天使として改造された少女の顔に付けられた仮面状の思考誘導装置。
 兵器として運用するつもりであったメイガスクラフトの面々は、これで模造天使を自在に操る予定だったのだが、最終段階に到達した模造天使にはそもそも効果を発揮できないという致命的欠陥を開発者である叶瀬賢生が意図的に伝えていなかった。


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13話 次元を喰らうもの

2020/6/22 用語集追加


 時は僅かに巻き戻り、雪菜はベアトリスと睨み合っていた。互いの手には槍があり、間合いの点から見て雪菜は不利である。背後にラ・フォリアという協力者がいることを加味しても、ベアトリスの槍は眷獣として管槍もかくやの変幻自在な攻撃を仕掛けてくる。客観的に見た場合、ベアトリスが僅かに優勢といったところだろう。

 

「ねえあなた、愛しの彼氏が別の女に駆け寄ってるのに、私なんかと見つめ合ってていいの?

 こう見えて優しいから、後ろの雌豚を引き渡してくれるなら彼氏と最後の思い出くらいは作らせてあげるわよ?」

 

 ベアトリスの安い挑発を、雪菜は槍を握りしめることで耐える。感情に流された状態で戦闘しては、勝てる戦いも勝てない。そう教えられてきているのだ。

 

「ラ・フォリア、タイミングはお任せします。発砲して、あの眷獣を僅かでいいので逸らしていただけますか?」

「構いませんが、雪菜はそれでいいのですか? あなたの実力なら……」

「楽に勝てるなら、それに越したことは無いと教えられていますから」

 

 ラ・フォリアの疑問を、微笑さえ浮かべて雪菜は遮った。その瞳に油断の色は無い。確実に勝利するための方程式が組み上がっていることを確信し、ラ・フォリアも微笑を返した。

 

「作戦会議は終わったかしら? ロウも情けない結果になりそうだからさ、そろそろこっちから行くよ!」

 

 痺れを切らしたのか、ベアトリスが眷獣を構え駆け出そうとする。まるでそれを妨害するかのようなタイミングで、海から熱風が凄まじい勢いで吹きつけた。

 動作に支障の出るほどの強さではないが、確実に意識が割かれ体制も僅かに崩れる。その隙を見逃すラ・フォリアではなく、手にした自動拳銃をフルオートで撃ち放った。

 完全にベアトリスの隙を突いた射撃だが、主と眷は意識が別だ。主の隙を突こうと、眷獣の隙を突けるわけではない。そして主が体勢を崩そうと、眷獣にとっては大した障害ではない。即座に槍が蠢き、迫る弾丸を一発残らず叩き落とす。

 だが、そこに宿主眷獣に共通した決定的な隙が生じた。僅かに開いた槍の制空圏を、呪力で強化した脚力に物を言わせた雪菜が駆け抜ける。敵の接近に気がついたベアトリスが、意外にも愉悦を隠しきれないといった様子で蔑みの表情を浮かべた。

 

「この隙にとでも思ってるのかい? 〝蛇紅羅(ジャグラ)〟っ!」

 

 ベアトリスが握る槍は、外見こそ槍の姿をしてはいるがその本質は眷獣……すなわち異界からの召喚獣だ。ベアトリスの手の中でうねり伸びきった槍は溶けるように姿を消し、瞬きの間に再び出現した際には迎撃に最適な形状へと形を変えていた。眷獣の召喚をし直すことにより、状態をリセットし相手の不意を突く。小手先の技術ではあるが、こういった形で意表を突かれると、近接戦闘時は不覚を取りやすくなる。

 

「さあ、今度こそ串刺しになりな!」

 

 ベアトリスが浮かべた勝ち誇った表情は、即座に驚愕へと塗り替えられることになる。雪菜にとって主武装であり、現状唯一の対抗手段である〝雪霞狼(せっかろう)〟が投擲されたのだ。至近距離での突飛な行動であっても、眷獣は的確に最大の脅威を防ぐため軌道を変える。

 だが、そのためにどうしても大きな隙を晒すことになる。一層強く踏み込み、ほぼ懐に入り込んだ雪菜相手に、眷獣の再召喚をする時間は残っていない。

 

「黒雷!」

 

 呪術により雪菜の身体はさらに加速する。恩恵を受ける距離が踏込一歩分と短いため十分な加速こそ得られなかったものの、相手が反撃するだけの隙を潰す最適解を彼女は選び取ったのだ。風と見紛うだけの速度を乗せた肘打ちが、ベアトリスへと突き刺さる。

 

「土雷!」

 

 瞬間、さらなる呪術により衝撃が底上げされた。少女の細腕から放たれたとは思えない重い一撃を受けたベアトリスの骨が砕け、痛みと衝撃で強制的に全身の動きが止められる。剣巫の少女は、駄目押しとばかりに掌を吸血鬼へそえた。

 

(ゆらぎ)よ!」

 

 体内に直接衝撃を送り込まれ、ベアトリスの両足が僅かに地面を離れた。そのまま人形のように地面へと手足を投げ出す。

 

「冗談、だろ。こんな小娘如きが、私を、素手で……?」

 

 混乱するベアトリスを、雪菜は無表情で見下ろす。

 彼女の肩書は剣巫、獅子王機関が誇る、対魔族戦闘のエキスパートだ。呪力を利用し、魔族特有の再生力すら掻き乱すその打撃は、鍛え上げられた獣人達ですら打ち倒す。魔族としては脆弱といえる吸血鬼が、耐えられるものではない。特に、ベアトリスのように眷属頼りで肉体をろくに鍛えもしない者には、動きを捕らえる事すら難しいのだ。

 

「あなたが眷獣を十全に扱い、慢心せずに挑んで来れば勝負はわからなかったでしょう。でも、強力な眷獣だけしか持たないあなたに、負ける道理はありません」

 

 ベアトリスが訓練を積んでいれば、槍を効果的に扱い、その隙を眷獣が埋める強力なコンビネーションが発揮できていたはずだ。だが、現実は槍に戦いのすべてを任せる吸血鬼という連携など望めないコンビだ。それが対峙するのは、槍を十全に扱う対魔族戦闘の専門家。さらにその後方には銃を使う支援者が控えている。槍以外に有効打を持たない者と、最悪の場合生身でも相手を打ち倒せる者。勝負の行方など決まりきっていたのだ。

 そして、歪な轟音が響き渡った。3人が其方へと視線を移すと、ポセイドンが気絶する模造天使(エンジェル・フォウ)を完全に掌の中へと握り込み、鎖に巻かれ倒れ伏すキリシマの意識をバビル2世が完全に刈り取るところだった。

 

「ロウ、いざという時くらい役に立てないのかよこのカス野郎!」

 

 吸血鬼の再生力で怪我を癒したベアトリスが立ち上がろうとするが、体の軸はぶれ、今にも崩れ落ちそうな様子だ。雪菜が叩き込んだ打撃は再生力を持つ魔族に対する術式であり、体を傷つけるのではなくその機能を狂わせるものだ。物理的破壊ではないため吸血鬼の再生能力も役には立たず、ベアトリスはまともに立ち上がることすら難しい状況に追いやられている。

 

「もういいわ、皆殺しにすれば後でどうとでもなるんだからね!」

 

 ベアトリスの手に深紅の槍が召喚された。宿主の怒気を汲み取ってか、シンプルだった外見は刺々しい、殺意を隠そうともしないものへと変化している。ろくに移動もできない状況下ではあるが、彼女としては槍が攻撃を行う以上、その場から動けなくともそこまでの影響はない。むしろ、槍が好きに動くことができる分戦闘力としては向上するのだ。

 そんなベアトリスに向けて雪菜が槍を構えるが、それを手で制してラ・フォリアが進み出た。手には呪式銃が握られ、備え付けられた銃剣(バヨネット)の切先は真っ直ぐにベアトリスを指し示している。

 

「美味しい所だけ持っていくようで心苦しいですが、覚悟はよろしいですか?」

 

 涼しげな笑みとは裏腹に、その眼は色に相応しい冷気を湛えている。槍の眷獣の制空圏にいることは王女にもわかっているはずなのだが、そのことに関する恐怖を一遍も感じ取ることができない。

 

「そんなちんけなナイフであたしの眷獣を止める気かい? ずいぶんと舐めてくれるじゃないか!

 〝蛇紅羅(ジャグラ)〟、臓腑(はらわた)ごとぐちゃぐちゃにしてやんな!」

 

 ベアトリスの絶叫に従い、眷獣は倍近くの大きさにまで膨れ上がる。生やした棘すべてが鋭利な小型の槍へと姿を変じながら、王女目掛けて殺到する。直撃すれば、穴だらけの判別不能な死体へと変ずるだろう。雪菜が庇うように槍を構えて駆け出そうとする。

 だが、ラ・フォリアは再び雪菜を制した。その唇が美しい祈りの(うた)を紡ぎ出し、光が身を包みだす。

 

「――我が身に宿れ、神々の娘。軍勢の守り手。剣の時代。勝利をもたらし、死を運ぶ者よ!」

 

 詠唱半ばの時点で、呪式銃の銃剣からも青白い光が溢れ出した。太陽のように周囲を照らし出しながら、刃渡り十数mの巨大な光剣を形成する。

 無造作に降られた刃の一閃は、迫る槍の眷獣を容易く両断し、その身を消滅せしめた。

 眼前の光景を受け入れられず、呆けたような顔のベアトリスはその光の正体を知っていた。ありえない現実を否定するように、ラ・フォリアへと喰ってかかる。

 

「ヴェルンド・システムの疑似聖剣……!? 馬鹿な、それは聖霊炉付の母船が無いと使えないはずだろ!」

「知っていましたか。賢生の入れ知恵ですね。

 たしかに、炉心の存在がこのシステムには必要不可欠。ですか知っているのでしょう? アルディギア王家の女子は強力な霊媒であると」

「……まさか、自分の中に精霊を召喚したってのか!」

「正解ですよ、ベアトリス・バスラー。今は、わたくしが精霊炉です」

 

 その色に相応しい、青白い光を湛えた瞳でベアトリスを射抜きながら、王女はその手に握る光の剣を高々と掲げる。

 

「騎士のみならず、非戦闘員まで手にかけたあなたの所業――ラ・フォリア・リハヴァインの名において断罪します。我が部下たちの無念、その身で思い知りなさい」

 

 未だ立ち上がることすらできないベアトリスに、その一太刀が躱せるはずがなかった。疑似聖剣の刃が女吸血鬼の肉体を袈裟懸けに切り裂き、光は吸血鬼の肉体を容赦なく灼く。

 しかし、ベアトリスは生きていた。全身に光を浴び、胴体に深い切り傷を残しながらも、意識を失っただけで命に別状はない。ラ・フォリアが振り下ろした刃を寸前で止めたせいだ。

 断罪した罪人にもはや目もくれず、王女はいざという時に備えていた雪菜へと向き直る。

 

「ありがとうございます雪菜。わたくしの我儘を聞いてくださって」

「いえ、当然の権利でしたから。

 それよりも、御身体は大丈夫なのですか?」

 

 倒れ伏すベアトリスを一瞥し、雪菜は王女体を気遣う。

 

「ええ。精霊召喚自体は、短時間であれば悪影響はありません」

 

 雪菜の疑問に笑顔で返答し、2人は同時に天を見上げる。視線の先には、3対6枚の翼を広げた叶瀬夏音の姿がある。雪菜の〝雪霞狼(せっかろう)〟も、ラ・フォリアの疑似聖剣も、人工の天使と化した今の夏音には通用しない。彼女を助けられる可能性を持つ者はただ1人。

 

「信じていますよ、古城」

 

 首に残る傷を愛おしげに撫でながら、王女は花のように美しく微笑んだ。

 それを見た雪菜が何か言いたそうに口を開くが、思い直したように口をつぐんだのは関係のない話だろう。

 

 

 

 3人の声に背中を押された古城は、ついに夏音の足元までたどり着いた。彼女の覚醒により、吹き荒ぶ風には氷の粒が混じり、吹き散らされた雲の隙間から陽光が柱のように差し込んでいる。

 その光を背に、夏音は古城を見据えていた。

 

Kryiiiiiiiiiiiiii(キリイイイイイイイイイイイイイイ)――!」

 

 黄金律の表情を歪ませ、夏音が咆哮する。甲高い声に誘われるように、全ての翼に存在する巨大な目がゆっくりと開き、古城を捕らえた。計8つの目は、一切の温度を感じさせない冷酷なものだ。だが、その内の2つだけが、涙を流していた。赤い、鮮血の涙を流す夏音に向かって、古城は話し始める。

 

「苦しいか、叶瀬」

 

 ぽつりと漏らした声は、風と距離に阻まれ消える。普通であれば聞こえるはずのない言葉だが、古城には確信があった。自分の声は、確実に夏音へと届いている。

 猫を育て、捨てたはずの無責任な飼い主に向けた文句すら言わなかった彼女が、体を改造されて同族と戦わされているのだ。それがどれほど辛く、苦しかったのか。今もなお流れ続ける血の涙が、その感情の発露といえるだろう。

 

「神と呼ばれる連中が、自分の気に入らないモノを滅ぼさずにはいられないなら、お前をそんな連中の使い走りになんかさせない」

 

 古城の声に反応するかのように、翼の眼球から光の剣が出現した。夏音の意思ではない、吸血鬼という神敵に向けて天使としての本能がそうさせているのだ。天使は、神の意思を伝えるただの現象にすぎない。人が天使になるということは、生命を現象に貶めることに他ならないのだ。神の身元で使えると言えば聞こえはいいが、それを望まない者からすればこれ以上の責め苦は無い。

 

「今、お前をそこから引きずり降ろしてやる!」

 

 次々と放たれる光の剣は、古城からある一定の距離に入った瞬間にすべて消失している。剣を防ぐ存在を暴こうとでもするかのように、翼の眼球が光彩を細めた。

 その眼球目掛け、古城が左手を突き出す。鮮血が吹き出し、古城を覆い隠すように血煙が漂う。

 

「〝焔光の夜伯(カレイドブラッド)〟の血脈を継ぎし者、暁古城が汝の枷を解き放つ――!」

 

 中を漂う血煙は、瞬時に膨大な魔力へと変換され、魔力は召喚獣の身体を形作る。先程から古城が見せていた空間の異常現象、それを操る第四真祖の眷獣。美しい銀の鱗に覆われた、その姿を。

 

疾く在れ(きやがれ)、三番目の眷獣〝龍蛇の水銀(アルメイサ・メルクーリ)〟!」

 

 自らの名を呼ばれ、ついに眷獣は顕現した。うねる蛇身に鉤爪のついた四肢を持ち、禍々しい巨大な翼を生やしい龍だ。

 その龍が、2体出現している。

 同時に出現した2体の龍は、その身を絡ませ前後に顔のある1体の巨龍へと変じた。即ち、双頭の龍へと。

 雪菜の血だけでは目覚めなかった理由がこれだ。双頭であるこの眷獣は、1人の血では1つの頭しか満足させることができない。異なる血を両の頭に与えなければ、完全に従える事は出来なかったのだ。それを見抜いて血を捧げた、ラ・フォリアの慧眼を讃えるべきだろう。

 

Kryiiiiiiiiiiiiii(キリイイイイイイイイイイイイイイ)――!」

 

 眼前の龍が持つ脅威を感じとってか、天使が光剣を撃ち放った。迫る剣に対し、龍たちはそれぞれがその咢を開き口内へと剣を誘う。そして咢が閉じられ、剣は欠片すら残さず消失した。天使の光剣を、喰ったのだ。

 その光景に動揺したのか、天使の翼に存在する眼球が見開かれる。

 双頭龍の巨体が、そこへ轟然と襲い掛かった。

 咄嗟に身構えた天使の身体が、黄金色の輝きを強める。高次元から流入する神気の光は、この世界に顕現しながらも高次元世界の存在として振る舞うことを可能とする。たとえどのような破壊力を誇ろうとも、水面に映った虚像は破壊できないように、この世界の攻撃で天使を傷つけることは不可能だ。

 ――そのはず、だった。

 

「ば、馬鹿な! 模造天使(エンジェル・フォウ)余剰次元被膜(EDM)を、喰った……だと!?」

 

ありえないはずの光景に、賢生が驚愕の声を漏らす。

水銀色の龍が、触れる事すら叶わないはずの天使の翼を、その光ごと食い千切っていた。模造天使(エンジェル・フォウ)の絶叫が響き、鮮血の代わりに光が漏れる。

バランスを崩して落下する天使を、双頭の龍は尚も追撃する。上下前後左右から、光の防護膜をその咢を持ってこそぎ落としていく。

その光景から、ついに賢生は古城の眷獣が持つ属性に気がついた。

 

「あの眷獣……まさか、次元喰らい(ディメンション・イーター)か! 存在する全次元ごと、空間を喰ったのか!」

 

 そう、他の眷獣と比べれば、その攻撃は地味ですらある。周囲を焼き払う雷光も、広範囲に響き渡る衝撃も生み出すことは無い。だが、その凶悪さという1点においてはこの水銀の双頭龍は群を抜く。

 この眷獣に喰われた空間は、世界から消失するのだ。創造主たる〝神〟からすれば、これほど呪わしい眷獣もいないだろう。

 だが、今の古城にとってはこの眷獣こそが、夏音を救う切り札なのだ。高位次元に立つ天使をこの世界に引きずり降ろし、その加護を失わせたことによって彼女に攻撃が通用するようになった。既に彼女は無敵ではないのだ。

 しかし、その努力を嘲笑うかのように模造天使(エンジェル・フォウ)が放つ光が強さを増した。神の波動が肉体を焼き、古城が苦しみの声を上げる。

 燃えるように神気の炎を吹き上げ、夏音の背中の翼が再生する。

 

「そうだ、まだ同じ次元に落ちただけ……高次空間から流入する神気が失われたわけではない。

 そうだとも。たとえ真祖の眷獣が相手だろうと、我々は負けない、負けられないのだ!」

 

 賢生の満足げな笑いの先で、再生を完了した夏音が攻撃を再開する。乱射される光の剣は余さず双頭の龍が呑み込んでいくが、その量に陰りが出ることは無い。むしろ、徐々に量を増やしてすらいる。失われた防護被膜こそ回復していないものの、神気の流入を止められたわけではないのだ。

 

「やめろ叶瀬!」

 

 慟哭の叫びと共に攻撃を続ける夏音に、古城は叫び声を上げる。

 無限の再生を続ける模造天使を倒すためには、彼女の霊的中枢を破壊するしかないだろう。しかし、それをしてしまえば今の彼女にどのような影響が出るのか予想もできない。

 夏音を救うために戦う古城にとって、彼女が傷ついてしまうのならばそれは敗北と同義だ。ましてや今の古城に使える攻撃手段は眷獣のみ。強すぎる破壊力は、間違いなく彼女の身体を跡形もなく粉砕するだろう。

 彼の習得してきた眷獣の部分召喚や能力の利用も、相手がある程度の頑強性を持つことが前提となっている。巨獣であれば怯ませる程度の攻撃であっても、ただの人間が受ければそれは致死の一撃となるのだ。今の夏音は保護膜を失っている。天使として相応の強度を持っているのか、あるいは神気を扱うことができるただの少女と化しているのかの判別は不可能だ。

 今の古城にこれ以上の打つ手はない。古城では彼女に勝てないのだ。

 

「くそっ、なんでだ!? これでも駄目なのかよ! 叶瀬!」

 

 古城が絶望の表情を浮かべ、静観していたバビル2世が動いた。

 彼からすれば、叶瀬夏音は絶対の救出対象ではない。たしかに守るべき民間人であり、境遇に同情が無いと言えば嘘になる。しかし今現在の最優先対象であるラ・フォリア王女への危険度に加え、第四真祖が敗北した場合世界に与える影響と比べては、どうするべきかはわかりきっている。

 主の苦渋の決断を感じ取り、傍に控えるポセイドンが腕を上げた。模造天使(エンジェル・フォウ)の被検体を握っているとはいえ、指一本ならば展開できる。伸ばされた指先に光が集まり、狙いが定められた。主の一声さえあれば、哀れな少女の肉体は一瞬で消し飛ぶだろう。

 しかし、幸いにも非情の命令が発せられることはなかった。

 

「いいえ、先輩。私たちの勝ちですよ!」

 

 制服姿の小柄な少女が、天使と巨龍が荒れ狂う戦場へと駆け出した。

 

「姫柊!?」

 

 銀の槍を構え、微笑すら浮かべて彼女は宙を舞った。

 

「――獅子の巫女たる高神の剣巫が願い奉る」

 

 雪菜の手の内で、機械槍が祝詞に反応して白く光を放つ。あらゆる結界を切り裂き、魔力を無効化する神格振動波の輝きだ。

 

「破魔の曙光、雪霞の神狼、鋼の神威をもちて我に悪神百鬼を討たせ給え!」

 

 美しい弧を描いて放たれた一撃は、夏音の身体を薄皮1枚斬り裂いた。たったそれだけで、夏音を天使たらしめていた術式が全て破壊される。

 声も出ない賢生の前で、1人の少女が雪菜に抱きとめられた。地面に降り立つ雪菜の背後で、夏音から抜け落ちた翼がその霊的中枢と共に暴走を開始し。

 

「喰いつくせ、〝龍蛇の水銀(アルメイサ・メルクーリ)〟!

 

 主の命を受けた眷獣により一片の残滓すら残さず喰いつくされ、この世界から消失した。満足そうな咆哮を残し、双頭の龍が姿を消す。

 それを見届けたバビル2世が、ポセイドンに腕を下げさせた。表情には満足そうな笑みと、僅かな安堵が浮かんでいる。

 

「終わりだな、オッサン」

 

 眷獣を消した古城が、放心したように座り込む賢生へと歩み寄った。右の拳を握りしめ、眼前の研究者を見る。

 

「ああ、そのようだ」

 

 だが、喪失感に満ちたその目を見た古城は、手の力を抜いた。手段は最悪でも、彼は間違いなく娘を愛していたのだ。そうである以上、その裁きは被害者である夏音が決めるべきであり、古城が手を出すのは間違いだろう。なによりも、少女を見つめる賢生の目には、確かな愛情が浮かんでいた。

 

「夏音……」

 

 黒服の魔導技師が呟く。その視線の先では、かつて天使だった少女が、自ら愛する猫のように背中を丸めて眠っている。

 どこからか飛ばされてきた氷の欠片が眠る少女の頬に舞い降り、まるで涙のようにその頬を伝った。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 種族・分類

 龍蛇の水銀 アルメイサ・メルクーリ
 12存在する第四真祖の眷獣が1体。
 絡み合う双頭の翼持つ蛇の姿をしており、2つの思考を持つが故に霊媒の血が2人分必要という難儀な性質を持っている。
 次元喰らいとしての性質を持っており、喰らいつく以外の目立った攻撃法こそ持たないものの、存在を次元ごと喰らうため凶悪性という一面ならば第四真祖の眷獣の中でも上位に位置する。

 ヴェルンド・システム
 本来であれば精霊炉という特殊な動力炉から取り出したエネルギーを利用し、武装疑似的に聖剣クラスにまで強化し、身体を破邪の光で覆うことにより攻守共に大幅に向上させるアルディギア王国の機密技術。
 対魔族用技術の粋とも呼べる存在であり、この状態となった兵士は並大抵の魔族ならば簡単に滅ぼすことが可能となる。

 黒雷 くろいかづち
 獅子王機関に伝わる体術の一種。
 呪力で全身を強化し、残像すら生み出す速度を得る呪法。
 直接攻撃力は皆無だが、補助技術としては優秀の一言に尽きる。

 響 ゆらぎ
 獅子王機関に伝わる体術の一種であり、その中でも基本に位置する業。
 対象に触れた手のひらから呪力を送り込み、体内で炸裂させることによって内部に直接ダメージを与え体内機能を狂わせる。
 直接触れてから呪力を打ち込むという性質上、手加減がしやすい。

 余剰次元被膜 よじょうじげんひまく
 別名EDMと呼ばれる、模造天使を取り巻く一種の力場。
 翼を核として模造天使全体を覆っており、それによって模造天使は高次元の存在でありながら地上に存在することができている。
 これを失った場合、あくまでも天使の力を持ったこの次元の存在と化すため、干渉を防ぐことができなくなる。


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14話 緞帳の後ろで

 天使炎上編完結となります。


 沿岸警備隊(コースト・ガード)の船が到着したのは、決着がついてからしばらく経っての事だった。すでにバビル2世は打ち倒した敵を鎖で拘束し、ロプロスとポセイドンはその場を去り、上空と海中で待機している。本来であればしもべと共にラ・フォリアを絃神島まで送還する予定だったのだが、王女本人がそれを拒否。友人と共に罪人を護送すると言って聞かなかったため、彼は護衛として残ることになったのだ。

 接舷したゴムボートから真っ先に紗矢華が飛び出した。驚いて動けなかった雪菜に正面から突っ込み、押し倒さんばかりの勢いで頬をこすりつけている。

 

「雪菜! 無事でよかった大丈夫何も起こらなかったわよね雪菜雪菜雪菜!」

「ちょ、紗矢華さん! 落ち着いて……聞いてますか!?」

 

 混乱した雪菜は紗矢華の暴走を上手く止めることができていない。それを良いことに暴走娘は更なる行為に及ぼうとしたが、流石にそれ以上は見過ごせなかった古城が割って入った。

 

「そこらへんで止めとけ」

「痛っ」

 

 無防備な後頭部に手刀を入れられ、紗矢華が思わず動きを止める。その隙を突き、雪菜は無事拘束を脱した。同時に落ち着きを取り戻した紗矢華が、周囲の目に気がつき咳払いで誤魔化す。まったく誤魔化せていないことを誰も指摘しないのは、武士の情けだろう。

 

「き、気軽に触らないでほしいんだけど!

 まあいいわ。生きていたのね暁古城」

「ああ、おかげさまでな。わざわざ迎えをよこしてくれてありがとう、助かったよ」

「べ、べつに暁古城のためじゃないんだけど! 雪菜のついでよついで!」

「あーはいはい。わかってるよ」

 

 顔を赤くして反論する紗矢華を、どこかぞんざいに古城は対応した。短い付き合いではあるものの、こうなった紗矢華が面倒くさいということがわかる程度には、彼女の性格を把握しているのだ。

 若者のやり取りを横目で眺めながら、バビル2世と那月もまた会話を続けていた。傍には気絶したベアトリスとキリシマが鎖で縛られたまま宙に浮いており、足元には模造天使(エンジェル・フォウ)の被検体が寝かされている。

 

「とりあえず、実行犯の2人です。傷は深いですが、死にはしません。協力者の賢生はほぼ無傷なので、絃神島に戻った後に当局へと引き渡す形になります。

 被検体は管理公社預かりになるでしょう。元の身体には戻れないでしょうが、日常生活に復帰するだけの支援は受けられるはずです」

「まあ、妥当な処置だな。

 しかしこの惨状はなんだ?」

「天使の暴走としもべの戦闘を考えてください。この程度で済ませられたのは幸運ですよ」

 

 無残にも荒れ果てた島の一角を見る那月に、バビル2世は肩をすくめる。那月としても場所と状況を鑑み、深く追及するつもりは無さそうだ。

 2人が話している内に、紗矢華の調子が戻ったようだ。王女と向き合い、護衛に相応しい凛とした雰囲気に切り替わっている。今更手遅れだと言えなくもないが。

 

「ラ・フォリア王女、獅子王機関の舞威媛を拝命しております、煌坂紗矢華と申します。これよりアルディギア王国への帰国まで、御身の護衛を務めさせていただきます」

「よろしくお願いしますね、紗矢華。わたくしのせいであなたにも苦労をかけてしまいました」

「いえ、けしてそのようなことは……」

 

 王女と護衛のやり取りを見た古城は、公私の切り替えを完璧にこなすラ・フォリアに驚く。

 

「流石というか、やっぱりあのはっちゃけた物言いは普段は出してないんだな」

「なにを当然なことを言ってるんですか。私的な面を見せてもらえることは、名誉なことですよ」

 

 古城と雪菜の会話に気がつき、ラ・フォリアが2人に向き直る。

 

「お2人とも、この島から出たからといってあまり態度を変えないでくださいね? せっかくのお友達からそのようなことをされてしまったら、わたくしはとても悲しいですわ」

 

 どこか芝居がかった言い回しの王女は、ふと目を伏せるとうるんだ瞳で爆弾を投げ込んた。

 

「特に古城。あなたはその……わたくしの、初めての殿方なのですから」

 

 遠巻きに聞いていたバビル2世と那月すら凍りつく言い回しに、紗矢華が平常心を保てるはずがない。顔を真っ赤に染め、古城へと食ってかかる。

 

「初めてって……ちょ、ちょっとあんた、この人にいったい何をしたの! どんなお方だかわかってるの!?」

「待て待ておちつけ! ほらラ・フォリアの顔見ろ思いっきり笑ってるから! このやり取り診て絶対楽しんでるからあの王女!」

 

 今にも武器を抜きかねない紗矢華を古城は必死に止めるが、火に油を注ぐように那月が茶々を入れる。

 

「ほう、昨晩はお楽しみだったようだな古城。協力者であるこの男は氷の下で耐えていたと聞いているが」

「ちょっと待ってください紗矢華さん! ラ・フォリアも、あまり紗矢華さんをからかわないでください! 南宮先生も、悪乗りをしないでください!」

 

 嗜虐に染まった笑みを見て、古城の顔から血の気が引く。段々と収拾がつかなくなる現状を止めようと雪菜が古城を庇う。背に隠すような動きで、雪菜の首筋が一瞬露わになった。その一瞬視界に入った、吸血痕を見逃すほど紗矢華は甘い相手ではない。

 瞬時に痕跡の正体に気がついた紗矢華は、弾かれたような勢いでラ・フォリアの首筋を確認する。共通する痕跡を確認した彼女の表情が抜け落ち、雪菜は慌ててフォローに回る。

 

「いえ、これはあくまで救命行為のようなものでしたので! 王女のものも同じですので、決していかがわしいものではないんです! ね、先輩!」

「そうそう! いやらしいものじゃないから、な!?」

 

 息ぴったりの言い訳に、紗矢華は無言で剣を抜き放った。繰り出される斬撃を紙一重で避ける。

 

「ちょっと待て煌坂、その剣たしか当たったらヤバい奴だよな!」

「何避けてんのよ暁古城、死になさいよもう!」

「紗矢華さん、落ち着いてください!」

 

 3人組の追いかけっこを楽しそうに眺め、ラ・フォリアはシートに寝かされていた夏音へと近づいた。この騒ぎのためか、彼女がうっすらと目を開けたことに気がついたのだ。

 

「悪夢からは目覚めましたか、夏音?」

 

 自分そっくりな少女の顔を、まだ眠たげな眼で夏音は見つめる。

 

「ゆ……め……? そうでした、お父様が、わたしを救うと……私は……」

「大丈夫です、夏音。古城たちがあなたを救ってくれました。

 

 ラ・フォリアの指先では、なんとか落ち着いた紗矢華が、古城と雪菜の2人掛かりで取り押さえられていた。

 

「お兄さん……?」

「彼等だけではありません、わたくしもついていますわよ?」

 

 女神さながらの美しい笑みを浮かべ、ラ・フォリアは夏音の手を取った。

 

「え……あなた、は……?」

 

 現状を上手く呑み込めていない夏音の疑問に、ラ・フォリアは少し考えてから口を開いた。

 

「わたくしは、そうですね……あなたの家族です」

 

 その言葉が、大切な何かであるかのように、夏音はゆっくりと繰り返した。

 

「家族……」

 

 その様子を、バビル2世と那月は慈しむように見守っている。大人たちに見守られ、少女は新しい繋がりを噛みしめていた。

 

 

 

 古城たちを乗せた船が絃神島に到着したころには、すでに太陽は水平線へと消えようとしていた。那月と紗矢華、そしてバビル2世が後始末を引き受けたため、これでも早く解放された方なのだ。

 下船する古城は、派手なアロハシャツに身を包んでいる。南国的というよりも、安っぽいチンピラ風と言われた方がしっくりくる格好だ。

 

「なあ、これもう少し何とかならなかったのか?」

「仕方がないですよ。先輩の服はボロボロでしたし、他に服が無かったんですから」

 

 船の船長が善意で譲ってくれた手前文句も言いにくいのだが、それでも愚痴の一つくらいは出るファッションセンスだ。デコトラの代わりに船の運転手になったと言われても頷けてしまう。

 

「まあ、貰いもんだから文句は言えないけどさ。

 そういえば、叶瀬はどうしたんだ?」

「しばらく入院することになるみたいです。衰弱に加えて、魔術の影響を調べると聞いています」

 

 言われてみれば当然のことだ。魔術でその身を変化させられていたのだ、影響が出ない方がおかしい。唯一の救いは、本来あるべき魔術の反動すら〝雪霞狼(せっかろう)〟が消し去ったことだろう。

 

「それもあるけど、体以外の事もあるだろ。あいつ、大丈夫かな」

 

 思わず漏れた言葉に、聞いた雪菜は元より言った本人である古城の表情が沈む。夏音は洗脳状態だったとはいえ、自らの手で多くの人間を傷つけているのだ。しかもその下手人は信じていたであろう養父。衰弱している彼女にとって、過酷な現実だろう。

 だが、雪菜は少し表情を明るくした。

 

「彼女のお父様の裁判が終わるまで、南宮先生が後見人になってくれるそうです。きっと大丈夫ですよ」

「那月ちゃんが? そうか、なら少しは安心できるな」

 

 その態度で誤解されがちだが、南宮那月は面倒見がいいのだ。そのことは古城がとてもよく知っている。第四真祖である古城が普通の学生生活を送ることができているのも、彼女のおかげなのだ。異国の王族程度、災厄の化身と呼ばれる吸血鬼と比べれば大した問題ではないだろう。

 

「ラ・フォリア王女は残念がってましたけどね。アルディギアの王太后様もがっかりしているみたいです。ずいぶんと会いたがっていたらしいですから」

王太后(おくさん)がか? 前国王(ちちおや)が会いたがってるならわかるけど、どうして?」

 

 旦那の浮気相手の子供と会いたがる。少々不自然な情報に、古城は首を捻る。

 

「叶瀬さんのお母様は、王太后様のご友人だったそうです。それに、今の叶瀬さんの境遇を知って、とても心配していたそうですよ」

「へえ、できた人なんだな。前国王は浮気がばれて逃げたって聞いたぞ。夫婦でずいぶんと差があるんだな」

 

 古城が素直に感心する横で、雪菜は抑揚のない声でぽつりと漏らした。

 

「本当に許せませんよね。そういった無責任な人は」

「あ、ああ。そうだな……」

 

 謎の危機感に、古城の身体がこわばる。鍛えられた危機察知能力を頼りに即座に周囲を見渡し、船上からこちらに近づく銀髪を発見した。雪菜が次の言葉を発する前に、古城は慌てて船上を指差す。

 

「お、おい姫柊! ラ・フォリアがこっちに来るぞ! 何か用事があるんじゃないか!?」

 

 意外にも素直に振り向いた雪菜は、古城の言葉通り歩み寄るラ・フォリアに驚いたようだ。目を丸くする雪菜を見て、ラ・フォリアはおかしそうに口元を押さえた。その背後には、護衛であり案内役の紗矢華が騎士の用に付き従っている。彼女の身長もあり、中々絵になる光景だ。

 

「こちらにいましたか古城。それに雪菜も」

「ラ・フォリア、もう帰るのか?」

 

 脂汗を拭う古城を怪訝そうに見て、王女は小首を傾げながらも優雅に微笑んだ。

 

「いえ、これから病院に向かいます。救助された飛行船の乗組員が収容されていると聞きました」

「助かった人たちがいたのか」

「その後は東京に。非公式の訪問だったのですが、こうも騒ぎが大きくなると、どうしても」

「外交ってやつか。王族も大変だな」

 

 飛行船の襲撃、海上漂流、そして古城へ血を分け与え、短時間とはいえ戦闘までこなしているのだ。疲れていないはずがないのだが、ラ・フォリアの顔から疲労の色は読み取れない。

 無理をしていないかと心配する古城へ、王女は花のように微笑んだ。

 

「お別れは申しません。あなた方のおかげで、無事にこの島へとたどり着くことができました。今回の事件が繋いだこの縁、いずれ意味を持つこともありましょう」

 

 気品溢れる口調で言い切り、傍にいた雪菜を抱き寄せた。そして左右の頬に順にキスをする。驚いたような表情の雪菜は、黙ってそれを受けた。挨拶であると分かっていても、見女麗しい彼女たちが行うとそれだけで映画のワンシーンのようにも見える。

 そして王女は古城に近づいた。緊張する古城は、王女の目に宿った悪戯っぽい光を見逃してしまう。一瞬の隙を突き、王女は古城の唇へと自らの唇を押し当てた。

 実行犯である王女以外、すべての人間の時が止まった。

 邪魔されないことを良いことに、王女は思う存分唇の感触を堪能し、気が済んだのか古城を開放した。

 

「わたくしの父は、娘に手を出す不埒物は騎士団と軍の総力を持って叩き潰すと公言しています。単体で国と渡り合う吸血鬼の真祖として、その活躍に期待しますわ」

 

 古城の耳元でそう囁き、周囲の時が動き出す前に軽やかにタラップを降りていく。

 

「それでは、ごきげんよう」

「あ、王女、お待ちを!

 暁古城、後でどういうことなのかきっちりと説明してもらうからね!」

 

 我に返った紗矢華の刺すような目線を受け、古城はようやく再起動に成功した。去り際に、とんでもないことを伝えられた気がする。

 

「先輩……?」

 

 うっすらと殺気の乗る雪菜の声に、弁解しようとした古城へ予想外の声が叩きつけらえた。

 

「古城君、今の人誰!? すっごく綺麗だったけど、夏音ちゃんにそっくりだったよね! 外国の人みたいだったけど、なんか王女様みたいっていうか、どこであんな人と知り合ったの。何で古城君はキスしてたの。ていうか、なんで昨日帰ってこなかったの。その恰好なんなの!」

「な、凪沙! どうしてここに!?」

 

 あふれるような言葉の洪水を発する妹に、古城は度肝を抜かれる。何故この場に妹がいるのかよりも、よりにもよって最悪の場面を目撃されたという事実が重く古城へとのしかかる。どう誤魔化しても、納得させられそうにない。

 そして、妹の背後に立つ人影を見て、古城は今の今まで忘れていた約束を思い出した。

 何故か普段よりも着飾った浅葱が、一切の感情を感じさせない透明な笑みを古城へと向けていたのだ。

 

「私が連れてきたのよ。煌坂さんからここに着くって教えてもらったの」

「あ、浅葱……お前、いつから煌坂と……?」

 

 横目で雪菜の様子をうかがうも、彼女も困惑の表情を浮かべている。古城が島を離れている間に、ややこしい事態になっていたことだけは推察できる。

 

「後ろ暗い企業に誘拐されたって聞いて心配してたけど、余計なお世話だったみたいね。可愛い外国の女の子とあんなに仲良くなってるんだから」

「そうですね、私が思っていたよりも、先輩は彼女と親密な関係を築いていましたね」

「ひ、姫柊!?」

 

 監視役の少女すらも即座に敵にまわり、古城は目の前が真っ暗になっていく。絶望の表情を浮かべた古城に、浅葱は淡々と沙汰を告げた。

 

「絵のモデルでもしながら、ゆっくりと話を聞かせて頂戴。幸い時間なら一晩中あるしね」

「モデルって……」

 

 自分が言い出した約束だけに、古城は無碍に反論できない。しかしこの状況下で絵のモデルをするということは、浅葱が絵を描き終わるまで延々と訊問され続けるということだ。

 

「まさか嫌とは言わないでしょうね。提出期限は明日なのよ?」

 

 指を鳴らしながら、浅葱がゆっくりと距離を詰めていく。

 神の御使いに逆らった神罰にしては、まだましなのだろうかと古城は天を仰いだ。藍色に染まる空が、どこか同情的にも見える。

 例え天使すら打ち倒すことができる力があっても、女友達の燃え盛る怒りを消すことはできないのだ。

 

 

 

 停泊する船の中で、賢生は個室で拘禁されていた。手足の拘束こそされていないが、殺風景な部屋で一人きりというのは精神的にこたえるだろう。

 退屈しのぎに窓から沈む夕日を眺めていると、ふとコーヒーの香りが漂ってきた。怪訝な表情で賢生が視線を室内へ戻すと、机の反対側に一人の男が座っている。見た目と纏っている制服から、高校生であると賢生はあたりをつけた。逆立てた短髪に、首にかけたヘッドフォンが特徴的だ。

 

「飲むかい?」

 

 少年が差し出すコーヒーを差し出す。

 窓の外を向いていたとはいえ、扉の開く音くらいは聞こえるはずだ。椅子を引く音も、インスタントとはいえコーヒーを入れる音すら聞こえなかった。眼前の少年は、発するべき音を一切立てていないのだ。

 

「何者だ?」

「矢瀬基樹。暁古城のクラスメイトってことで納得してもらえるか?」

「その制服……なるほど、第四真祖の監視役というわけか。人工島管理公社の間諜だな」

「まあ、それで納得してくれるのならそう思っておいてくれ」

 

 賢生は無関心に頷いた。今の彼にとって、夏音の処遇意外に興味など無い。

 洗脳状態であったとはいえ彼女は島の上空で戦闘を行い、少なくない被害を出していた。なんらかの罪に問われる可能性は十分にある。

 

「あんたの娘なら心配はいらない。未成年ってことも加えて、洗脳装置……思考拘束具(ブリンカー)も抑えてある。むしろ被害者ってことで、まず罪には問われんだろうさ。今の彼女には、アルディギア王宮の後ろ盾もあるしな」

「そうか……」

 

 賢生は安堵の息を吐いた。これでもう彼が思い悩むことはない。

 そんな賢生を見て、矢瀬は言いにくそうに頭を掻いた。

 

「それで、あんたの処遇なんだが……」

「かまわんよ。覚悟はしている」

「だろうな。違法な人体実験に殺人教唆。国内法だけでもけっこうな重罪だが、それに加えて聖域条約違反が笑えるくらいの数ある。おまけに国際法上の禁呪の使用だ。普通に考えれば、実刑で死ぬまで檻の中ってところだが……」

 

 唐突に矢瀬は言葉を切った。

 

「問題はあんたの動機だ。叶瀬賢生、あんたいったい何を知っている?」

「……何の話だ?」

「とぼけるならもっと上手く言えよ。愛する娘を天界に送り込む。まるっきりの嘘じゃないだろうが、他に大きい理由があるだろ。娘を実験台にしてまで、模造天使(エンジェル・フォウ)の実用化を進めるほどに焦っていた理由がな」

 

 矢瀬の問いに、賢生は沈黙を返した。

 そう、ベアトリスやキリシマは賢生を利用したように言っていたが、それは賢生にも言えるのだ。彼はメイガスクラフトの資金を利用し、研究を進める必要があった。たとえその結果どのような災禍が生み出されようとも、模造天使(エンジェル・フォウ)を実用化するために。

 しばらくの後、賢生は重い口を開いた。

 

「きみたちも本当は理解しているのだろう。真祖は3名しか存在してはならない。第四の真祖が目覚めたということは、それが戦うべき敵が出現するということだ。我々にはもう時間が無いのだよ」

「それが理由か。あんたは兵器としての天使を欲したのか、ヤツを滅ぼすために」

「第四真祖()()()を倒せない兵器では、どのみちあの御方には歯が立たん。笑うがいいさ。私の研究は、全くの徒労だったのだからな」

「一通りの調書はこれで書けるだろう。

 賢生、続きを話してもらうぞ。あの御方とやら、僕と全くの無関係ではないだろう?」

 

 自嘲に歪んだ賢生の表情が凍りついた。扉を開き、室内へと踏み込んだ男と目が合ったからだ。

 

「バビル2世……! 矢瀬とやら、君は一体……」

 

 驚愕に目を見開く賢生へ、どこか得意げに矢瀬は笑みを返した。

 

「さて、ここからはこの場の3人以外に知られることはない。話してもらうぞ叶瀬賢生、少しでもあの御方とやらに対抗するためにな」

 

 迫る危機に対抗するべく、3人の男達の会議が始まった。

 バビル2世の予感は告げる。近い将来、かつての戦いの日々に匹敵する困難が待ち受けていることを。



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幕間2
蒼き魔女の迷宮編・その裏で


 蒼き魔女の迷宮編は島にバビル2世がいない状況のため、幕間となりました。
 また視点がバビル2世側であるため、古城君たちの出番は前半のみです。



 魔族特区である絃神島は、様々な点で一般的な行政区とは異なる。例えば魔族の扱い、例えば旅行の際に行われる検査、例えば行政の権力構造。そしてそのような差異があるために、絃神島へ渡ることは中々難儀なものなのだ。特にビジネスチャンスをものにしようと考える人間にとって、多少の手間でも中々の障害となる。

 そのため、普段であれば厳しいといえる入島チェックが多少緩まる時期というのは、観光客や企業の人間で島内は溢れかえることとなる。

 その入島チェックが緩まる日、波朧院フェスタの開催準備期間である現在、島内は島外から訪れた人でその人口を大きく増やしていた。当然、波朧院フェスタ本番に近づくにつれてその人数は増え続けることになる。

 そのあおりを喰らい、古城たちが普段投降に利用しているモノレールも利用者が溢れんばかりとなっている。座ることなどできず、乗り込んだ入り口付近で押し潰されないよう耐えている状態だ。

 

「くそっ、流石に人が多いな……」

「文句を言っても仕方ありませんよ。

 波朧院フェスタでしたっけ。お祭りが近いんですよね?」

「ああ、毎年この時期は憂鬱になるぜ。まあ、本番は結構楽しめるんだけどな。そういえば、姫柊は初めてか」

 

 古城の目線の先では、車内広告で波朧院フェスタの広告が流れているところだった。出店やパレードが華やかに街を彩り、島全体が祭一色に染まるのだ。去年のナイトパレードの様子を見て雪菜は目を輝かせる。だが、何故かすぐに眉を顰め落ち込んだ様子を見せた。

 

「姫柊、どうした? 酔ったのか?」

「いえ、お祭り自体は楽しみなんですが……」

 

 どこか言いにくそうな雪菜に、古城は急かすことなくただ発言を待つ。

 

「浩一さん、このままだと参加できなさそうだと思いまして。つい先日、国家公安委員会から呼び出されたばかりなので」

「そういえば、外国でメイガスクラフトの違法研究施設根絶に駆り出されたとか言ってたっけ」

「はい。浩一さん、お祭りは楽しむ人なので……残念だなと。波朧院フェスタの事は南宮先生から聞いていたみたいですし、きっと楽しみにしていたと思いまして」

「そういえば、那月ちゃんとアスタルテに付き合ったとはいえ、お祭り会場に結構な時間いたみたいだったな」

 

 親しい知り合いが、仕事で好きな行事を楽しめないことを気に病んでいたようだ。そんな雪菜を元気づけるように、古城はことさら明るい表情を作る。

 

「気にしすぎだろ。浩一さんも、自分が参加できないせいで姫柊まで楽しめなかったって知ったら、そっちの方が落ち込むと思うぞ? 浩一さんの分までってわけじゃないけど、楽しんだ方がいいって。

 それに波朧院フェスタは数日かけてやるんだし、ひょっとしたら開催中に帰ってこられるかもしれないだろ?」

 

 そう言っても雪菜の表情は晴れない。焦る古城は、話題を変えることにした。

 

「そういえば、波朧院フェスタのモチーフはハロウィンだったな。なんでなんだろう?」

 

 露骨な話題逸らしだったが、雪菜はしっかりと反応してくれた。古城の気遣いを汲んでくれたのかもしれない。

 

「ハロウィンは元々古代ケルトで行われていた魔除けの儀式です。魔族特区で行われるお祭りのモチーフとしては、ふさわしいと思いますよ?」

「へえ、そうだったのか。初めて聞いたぞ」

「古代ケルトでは、新しい冬が訪れるこの時期に、この世界と霊界を繋ぐ通路が開くと考えられていました。通路を通ってやってくる怪物から身を守るため、自分も怪物の格好をして襲われないようにしたと言われています」

 

 剣巫として身につけた知識から、由来を語る雪菜はどこかいきいきとしている。真面目な性格からして、人にものを教えることが好きなのかもしれない。落ち込んだ様子も鳴りを潜め、古城が胸をなでおろしていると、急に話の内容が古城へと向いた。

 

「ですから、先輩は気を付けてくださいね?」

「気を付けるって……この祭りの間は島全体で警備もかなり強化されるはずだし、流石にこの間に騒ぎを起こす連中はそうそういないと思うぜ?」

 

 古城の返答に、雪菜は呆れたように溜息をついた。

 

「まったく……今この島で一番不安定かつ危険な魔力源である先輩が何を言っているんですか! ただでさえ不安定になるであろう空間で、うっかり眷獣を暴走させでもしたら大惨事なんですよ!」

 

 雪菜の主張に釈然としない古城だが、悲しいことに実績が反論を許さない。

 

「わかりましたか?」

「はい……十分に気をつけます……」

 

 情けなくも、最強の吸血鬼である第四真祖は年下の女の子に向かって窮屈に頭を下げるしかなかった。

 この後古城は痴漢を止めようとした結果、おとり捜査をしていた那月と確保役の笹崎教員に誤認確保されることになるのだが、完全な余談となるのでここでは割愛する。

 

 

 

 不正行為というものは、往々にして多大な利益を生み出すことが多い。他の者がルールに従って行動するよりも、速さや利率といった点で優れることが多いのだから当然と言えば当然だ。だが、その利益を全ての者が狙わないのはなぜか。利益を得られるのであれば、ほとんどの者が不正行為をするはずである。

 当然、それには理由がある。不正行為は行っている間は利益を生み出し続けるが、一度発覚すればその利益を超える損失を出すことが殆どだからだ。当たり前の話だが、利率を超える罰が設定されている以上、リスクと利益を天秤にかけることになる。

 そして今、利率を取った者たちが、ツケの清算を迫られていた。

 

「第七防衛隊、壊滅しました!」

「最終防衛ライン持ちません!」

「すでに傭兵は全滅、警備隊も動けるものはほとんどいません!」

 

 夜の闇に包まれたメイガスクラフトの極秘研究所で、怒号と悲鳴が響き渡っていた。巧妙に隠された研究所では、各支部から集められた違法性の高い物品や情報を安全に管理し、それらの研究を行いメイガスクラフトへと多大な利益をもたらしていた。業績回復の決め手となった自動人形(オートマタ)と関連して持ち込まれた新技術も、この研究所で開発、解析されたものだ。

 だが今、完璧だったはずの偽造網は暴かれ、幾重にも作られていた防衛線も全てが破壊しつくされていた。

 

「化け物が……!」

 

 呻くような警備主任の声に、反論する者は誰もいない。あまりの戦力差に沈黙が支配する指令室で、モニタに1人の男が映し出された。学生服と見紛う詰襟の戦闘服に、燃えるような赤い髪。瞳を髪と同じ色に輝かせたバビル2世が、しもべを従えて研究所正面に立っている。暗い闇の中、僅かな光に照らし出される3つのしもべたちは、えも言えぬ威圧感を放っている。

 

「いい加減無駄な抵抗はやめろ。すでにメイガスクラフト本社から、お前たちはテロリストとして切り捨てられている。義理立てする必要はないぞ。

 それに、その程度の建物に立てこもった程度で僕に抵抗できるとでも思ったか?」

 

 バビル2世の瞳が一際強く輝き、髪がうねるようになびく。それだけで、違法研究者たちにとって最後の砦である研究所が揺れた。地震ではない、バビル2世の規格外ともいえるほどの念動力(テレキネシス)によって、建物全体が揺さぶられているのだ。実行者からすればほんの小手調べ程度なのかもしれないが、天井から瓦礫が落ちる程度の被害は出ている。

 

「くそっ、まるで戦いにならない。なにがあの過適応能力者(ハイパーアダプター)だけならばなんとかなるだ! しもべと比べても遜色ない化け物じゃないか!」

 

 そう叫んだ直後、警備隊長は落下してきた瓦礫に頭を強打し倒れ伏した。

 意識を失う寸前、彼の脳裏にはバビル2世の襲撃から今までの光景がありありと浮かぶ。並の傭兵による襲撃ならば簡単に弾き返す防衛線はポセイドンにより一瞬で突き崩され、展開していた4組もの傭兵部隊はロプロスに手も足も出ずにあっさりと壊滅した。なんとかバビル2世に接近した傭兵も、地面に化けたロデムに対応できず一瞬で姿を消す。この惨状ですら、死者が出ていないことから手加減されている事すらわかる。悪い夢でも見ているような光景を思い返しながら、隊長の意識は途切れた。

 彼は知らないことだが、基地の割り出しにはバビル2世の本拠地であるバベルの塔のメーンコンピューターが行っている。基地の規模に対して過剰すぎる戦力だが、この基地で研究されていた技術をバビル2世がそれほどまでに重要視している事の証左だ。

 警備隊長の気絶から、基地の全面降伏までそう時間はかからなかった。その気になれば施設ごと押し潰されると、その場の全員が理解していた点は大きいだろう。

 

「投降する! 命だけは勘弁してくれ!」

 

 鳴き声交じりの叫び声が響き、バビル2世が念動力(テレキネシス)を止めると、次々と投降者が施設から駆け出してくる。1人残らずロデムによって捕縛されていく横で、バビル2世は塔のメーンコンピューターと通信を始めた。

 

「コンピューター、たしかに情報が外部に漏れた形跡はないんだな?」

『はい、出荷されたバランも例の無人島ですべて破壊が確認されてします。残骸も例外無く収容済みです。残るデータは、その施設に保管されているもので全てでしょう』

「そうか。しかし例の獣人の研究者を雲隠れさせたのはらしくない失態だな」

『申し訳ありません。こちらが例の島でバランと交戦した日から3日前にはすでにメイガスクラフトを退社したと記録されています。

 調べたときには既に……』

「責めているわけではないさ。流石に時間を遡れとも言うわけにもいかない」

 

 流石のコンピューターも、すでにいない人物を捕まえることはできない。捜索が振り出しに戻り、バビル2世は苛立ちのままに研究所を睨んだ。同時に内部機構を透視し、潜んでいる者がいないか隅々までチェックする。

 一通りチェックが終わり、誰もいないことを確認したバビル2世が容赦なく研究所を念動力(テレキネシス)で揺さぶり始めた。数秒もせずに外壁に亀裂が走り、そのまま轟音と共に崩落する。危険物質を扱う事もある関係上、一般的な建物よりも頑丈に作られているはずの研究所も、軍事要塞すら破壊する力の前には無力だったのだ。

 無言のまま研究所跡地を見つめるバビル2世の背後から、巨大な影が進み出る。万が一に備え控えていたポセイドンの全指先が光り、計10本のレーザーが瓦礫と化した研究所を直撃し、高熱と爆風で跡形もなく粉砕する。止めとばかりに上空からロプロスが高周波を放ち、地上部分が砂と化した研究所は完全に破壊しつくされた。高温のためにぼんやりと発光する瓦礫の様子から、埋まった資料を再利用することは不可能だろう。

 

「これで、ヨミの技術がこの研究所から流出することは防ぐことができた。

 お前たちは後から来る警察にでも助けてもらえ」

 

 ロデムの手によって縛られた敵を赤く光る目で見た後、バビル2世はロプロスに飛び乗った。その足にはポセイドンが捕まり、ロデムは既にバビル2世の服と同化している。飛び立ったロプロスは数度旋回した後、北極へ向けて進路を取った。

 後に残された者たちは、1人残らず放心してへたり込んでいた。到着した警察に1人残らず捕縛された彼らの記憶から、研究内容と襲撃者に関する記憶が全て抜け落ちていた事を知る者はいない。

 

 

 

 見渡す限りの氷と雪が広がる大地。海には流氷が浮かび、空気は触れるものを凍えさせる冷気に満ちている。環境に適応した生物でもなければまともに生きてはいけない極限の環境下で、ぽつりと明かりが灯っていた。

 北極のとあるポイントに建てられたこの小屋は、たった1人が年に数度利用するためだけに造られたものだ。暖を取るための燃料と保存食量しかない小屋に、その持ち主であるバビル2世がロデムを背に座っている。

 この小屋から半径数キロは、聖域条約で認められたバビル2世の領地、その飛び地になっている。そしてバビル2世の領地ということは、完全に立入が禁止されているということだ。

 当時の会議ではこの要求に多くの国が首を捻り、最終的に認められたこの領地こそ、バビル2世の好敵手であり遠い遠い親戚、ヨミが設けた最後の基地があった地点である。

 透視と監視装置を併用し、最後にこの地点を訪れてから一切の変化が無いことを確認し、バビル2世は安堵の息を吐く。その表情はどこか柔らかなものであり、懐かしい記憶に浸っていることが見てとれる。

 

「今のところ侵入者はいないか。まあ、この基地を知っている者も今はいないはずだが、念には念を入れないとな」

 

 バビル2世は、ヨミが復活して活動しているとは考えていない。最後の決戦時、自らが弱った姿を見せてまで、あの男は敗北を告げに来たのだ。最後に静かに、誰にも知られず眠りたいという言葉に、嘘は無かった。

 それだけに、バビル2世はヨミの技術を悪用されていることが許せないのだ。この地はヨミ最後の本拠地であり、彼の男が築き上げた技術のすべてが眠っている。彼の墓であり夢の跡を荒らされた場合、ヨミの帝国復活が冗談ではなくなるだろう。

 

「しかし、ヨミも自分に関わる者全員を殺したわけではないだろう。むしろ出来る限り生かそうとしたはずだ。その残党が生き残っていたとすれば……」

 

 ヨミは能力絶対主義の男であり、出自での差別は行わなかった。彼の配下には人間魔族が混在しており、普通であれば反目し合い殺し合う種族を己のカリスマでまとめ上げていた。要であったヨミが死んだ以上異種族が手を組む心配は無かったが、時代が流れ人間と魔族が協力することは不可能ごとではなくなっている。

 

「いずれ追い詰め必ず倒す。

 ヨミ、ゆっくり眠れ。お前の眠りを妨げることが無いよう、僕は努力するさ」

 

氷の下に沈む大要塞を一瞥し、バビル2世は小屋から去った。部屋には一束のドライフラワーが供えられた以外に変化はない。ヨミは、これからも氷の下で眠り続けるのだろう。彼の夢が詰まった要塞と共に。

 吹雪の中、ロプロスに跨ったバビル2世は表情を凍りつかせた。心を研ぎ澄ませ、いつ何時戦闘に入っても対応できるよう周囲に気を配る。

 

「ロプロス、絃神島に戻るぞ。今からなら波朧院フェスタのナイトパレードには間に合いそうだ。

 ポセイドン、お前は一度塔で点検を受けてから来い。半日程度のズレなら許容範囲だ。

 ロデム、島に着いたら拠点の掃除だ。しばらく放置していたからな、汚れから間諜の類まで全て洗うぞ」

 

 バビル2世の指示が終わり、ロプロスが宙へと舞い上がった。ポセイドンは足元の分厚い氷を粉砕し、その下に隠れる海へと潜る。

 吹雪に身を隠し、ロプロスは一路絃神島目指して加速を続けた。そこで今何が起きているのか、通信可能地域にいなかったバビル2世は知る由もない。

 魔女に危機が迫る中、最強の名を持つ男の帰還が刻々と迫っていた。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 暁古城 あかつき-こじょう
 ストライク・ザ・ブラッド主人公。
 第四真祖の力を受け継いだ少年であるのだが、吸血鬼としての力を忌避している。
 容姿、性格共に悪くないため女性に好意を持たれやすいが、何故か一定以上の交流を持つことはなかったらしい。
 普段の気だるげな印象とは逆に、仲が良い友人のためならば多少の危険は無視して行動する熱血漢でもある。

 アスタルテ
 世にも珍しい眷獣を埋め込まれた人工生命体。
 成長の過程で研修医程度の医療知識を埋め込まれているため、学園では保健室で働くこともある。
 宿す眷獣〝薔薇の指先〟は改造により神格振動波を身に纏っており、魔術的攻撃で傷つけることが不可能な強力な眷獣となっている。

 笹崎岬 さささき-みさき
 彩海学園中等部の教師であり、接近戦闘術〝四拳仙〟の達人。
 国家攻魔官の資格を持ち那月と共に行動することもあるが、その独特の性格から邪険に扱われることが殆どである。
 担当生徒である雪菜のことはよく気にかけているようだ。

 姫柊雪菜 ひめらぎ-ゆきな
 ストライク・ザ・ブラッドメインヒロイン。
 獅子王機関から派遣された剣巫の少女であるが、実は修行完了を繰り上げて派遣されたため全行程を完了していない見習いである。
 見習いとはいえ十分な実力を持ち、実戦において魔族に引けを取ることはまずない。
 少々やきもち焼きな性格もあり、古城に八つ当たりすることがしばしばある。

 南宮那月 みなみや-なつき
 空隙の魔女の異名を持つ凄腕の攻魔官。
 高位の魔女として年を取らないため、幼い姿のまま生活をしている。
 傲岸不遜で誰に対しても高圧的な態度を崩さないが、笹崎に対しては若干の苦手意識を抱いている。

 種族・分類

 波朧院フェスタ
 絃神島で行われる大規模な祭り。
 島全体が盛り上がり観光客も押し寄せるため、毎年それ専用のナビゲーションシステムを開発するなど実行組織は苦労しているらしい。
 また、期間中は島への入島検査が若干ゆるくなるため、入国管理官も激務に追われる。

 バビル2世 用語集

 人物
 バビル2世
 バビル2世主人公。
 世界平和のために戦った正義の超能力者だが、覚醒した時点で人間としての基盤をすべて放棄させられた孤独の人でもある。
 敵対者には容赦しないが、協力者を決して見捨てず戦いに巻き込まれた人も助けようと十全の努力をするまっとうな倫理観も持ち合わせている。

 山野浩一 やまの-こういち
 バビル2世の本名。
 判明したのはパラレル的作品である〝その名は101〟であり、バビル2世本編では浩一という名前だけしか存在していなかった。

 ヨミ
 バビル2世に登場する作品通しての宿敵。
 バビル2世と同質の超能力を持ち、カリスマと天才的な組織運営能力を駆使して世界征服を策謀した。
 実はバビル2世とヨミは共通の先祖、バビル1世とも呼ぶべき人物の遠い子孫であり、そのために同じ能力を持つことが判明している。
 敵には容赦なく非道な作戦も多く行うが、部下を無駄死にさせることだけは絶対にしないため、一部では理想の上司と呼ばれている。

 用語

 ポセイドン
 バビル2世に従うしもべの1体。
 海の神の名を持つだけあり、陸上でも比類なき力を発揮するが水中ではまさに無双の性能を誇る。
 バビル2世本編で多くの攻撃にさらされるも、その装甲に傷一つつくことはなかった。

 メーンコンピューター
 バビル2世の居城、バベルの塔を統べる存在。
 バビル2世に忠実なことは間違いないのだが、バビル1世に指令をされているのか重要な情報を意図的に公開しないことがあり迂闊に信用すると痛い目に合うタイプの部下。ただし、裏切りは行わず情報公開以外は求められた仕事を十全以上にこなしていた。

 ロデム
 バビル2世に従うしもべの1体。
 黒豹の姿をよくとる不定形生命体であり、当然人間の姿を取ることも可能。装飾品すらかたどることが可能なため外見での判別は不可能であり、破壊工作を効率的に行うことが可能だった。

 ロプロス
 バビル2世に従うしもべの1体。
 バビル2世を人から超人にするため迎えに行ったしもべであり、最初に姿を見せたしもべである。
 ロデムと同じくらいバビル2世と行動を共にしており、深い絆で結ばれていた。


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観測者たちの宴編
1話 予期せぬ救援


 本来であれば夜の闇に街が包まれている時刻に、ライトアップされたパレードがにぎやかに通りを練り歩く。陽気な音楽とそれに浮かれる人々の歓声が通りを埋め尽くし、不夜城さながらの光景が生み出されていた。絃神島で年に一度開かれるイベント、波朧院フェスタではおなじみの光景ではあるが、それにしてもここまでの盛り上がりはそうあるものではない。

 この熱狂の原因は、ある事件の隠蔽が深く関わっている。魔女たちによって引き起こされた、監獄結界と呼ばれる結界を破壊するテロ行為だ。その守護者である南宮那月の抹殺阻止に動いた特区警備隊(アイランド・ガード)と魔女の戦闘が派手なイベントごとと勘違いされ、隠蔽はできたものの熱狂が抑えられなくなっているのだ。

 そんなことはつゆ知らぬ群衆が盛り上がる表通りから離れ、藍羽浅葱は人気のない路地裏を必死に走っていた。片手で見知らぬ少女の手を握り、転ばないよう注意しながら出すことのできる限界の速度で走り続ける。

 

「サナちゃん、絶対守ってあげるから、もう少し頑張って!」

 

 自らが仮称として名付けた少女に向け、また自分の心も同時に鼓舞する。背後から迫る追跡者の気配に怯えつつも、自らが信ずる相棒が導き出した逃走経路を忠実に走り続けている。

 

「モグワイ、次はどっち!?」

『十字路を右に曲がって地下水路に入ってくれ。水は今流れてないから、そこのところは心配いらないぜ』

 

 ついに路地裏から地下へと人気がどんどん少なくなる逃走経路ばかりを指示される。周囲の人を巻き込まないことはいいのだが、最短経路とはいえ祭りの最中に暗い方暗い方へと逃げる人間の心理を理解しろとは、スーパーコンピューターの化身とはいえAIには期待しすぎなのかもしれない。

 

「っ、サナちゃん!」

 

 いきなり下り坂になったためか、幼い同行者が足をもつれさせたことを浅葱は見逃さなかった。咄嗟に少女の身体を庇うが、浅葱も運動神経がいいとはいえあくまでも身体能力は一般的な高校生の枠を出ない。少女を抱きかかえるような形で、背中から転倒してしまった。同時になにかが割れる感触。

 

「やだ、ケミカルライトが……」

 

 祭りの喧騒に僅かでも雰囲気を出そうと、偶然部屋にあったケミカルライトを服のポケットに入れておいたのだが、感触からして今の衝撃で割れてしまったようだ。ほんのりと服越しに光が漏れるが、この状況下でのんびりと観賞している余裕はない。

 

「どうした、もう終いか?」

 

 追跡者が、そう遠くない位置まで迫っているのだ。見た目は既に老齢に達しているはずの男からは、無形の威圧が漏れ出している。明らかに常人ではない。

 だが、その程度の相手に屈する浅葱ではない。不敵な笑みを浮かべ、正面から男を睨み返す。

 

「そんなわけないでしょ? モグワイ!」

 

 浅葱の宣言と共に、突然隔壁が閉鎖された。得意げな浅葱とは対照的に、サナは目を丸くしている。

 

『非常用の隔壁だ。吸血鬼の眷獣でも、そう簡単に破れるシロモノじゃないぜ』

 

 モグワイの得意げな声も響く。しかし悲しいかな、その声に反応する物はこの場にはおらず、浅葱の声によりその響きも掻き消されてしまった。

 

「モグワイ、あの人なんなのよ! 明らかに普通の人間じゃないんだけど!?」

『今検索が終わったぜ。あの爺さんはキリガ・ギリカ。体内に炎精霊(イフリート)を埋め込んだ化け物だ。6年前に、この島でテロ未遂を起こして監獄結界に収監されてる……いや、今の様子からされてたってのが正しいか?』

「監獄結界って、あれ都市伝説じゃなかったの?」

 

 浅葱が疑問を浮かべるのも当然の話だ。絃神島に数多ある都市伝説の中でも、比較的有名な話なのだから。

 曰くこの人工島の中には島ごと隠された特別な区画があり、そこには通常の手段では無力化できなかった犯罪者たちが収監されているという、突拍子もない噂話。追ってきた老人が只者ではないと分かっても、その区画からの脱獄囚と突然言われて納得はできないだろう。

 しかし現実として特異な力を持った老人は実在し、モグワイが虚言を吐く理由は無い。

 

「まあいいわ。とにかく今のうちにEエントランスへ行きましょう。

 サナちゃん、行こう」

 

 今は一刻も早く目的地へと逃げることが先決だ。転んだサナを引き起こし、歩き出そうとしたところでモグワイの切羽詰まった声が響いた。

 

『拙いな。嬢ちゃん、急いでそこから移動しろ。あの爺さん、隔壁を正面から破るつもりだ』

「はぁ? 吸血鬼の眷獣でも食い止めるための隔壁よ。高硬度鋼の表面にガチガチの魔術防壁を重ね掛けしてあるってのに、どうやって破るのよ?」

『その鋼鉄を物理的に破るつもりらしい。表面温度が設計限界を超えてるぜ』

「魔術便りが仇になったわけね……まさか単純な熱量で押し切るつもりだなんて」

 

 いかに魔術で強化された隔壁であっても、いや、魔術で強化され魔術特化となった隔壁だからこそ、物理的な力には基礎となった素材の強さでしか抵抗できない。

 おそらく、ギリカは魔術の類を使えないのだろうと浅葱は予測した。使えるのであれば追ってくる際に使わない理由が無い。体内に召喚した精霊は、ただの熱源として周囲に熱を放出しているだけなのだろう。単純な攻撃ではあるが、それだけに防ぐことは難しい。

 

「ママ……」

 

 浅葱は、自分の手を引くサナの目を見た。不安で押し潰されそうになりながらも、自分が囮になると言わんばかりの決意を秘めた目だ。

 思わず浅葱は息を吐いた。少女がこのような覚悟を決めていながら、自分が諦めて逃げるわけにはいかない。

 

「大丈夫よサナちゃん、あなたの事はちゃんと守ってあげるから。魔族特区育ちを甘く見ないでよね?」

 

 ぽかんと口を開けるサナにウィンクを送り、浅葱は走り出した。幸い、ギリカの足はそう速くない。今のままであれば、目標地点であるEエントランスまで逃げ切ることはそう難しくないだろう。

 

「逃がすわけにはいかん。ふんっ!」

 

 隔壁をその熱量で引き裂いたギリカの腕から、灼熱の炎が噴出された。熱量としてはすぐに拡散してしまうため直接的なダメージは無いものの、その勢いは小柄な少女たちの身体を揺るがすには十分だ。悲鳴をあげることもできず、浅葱とサナは熱風にあおられ速度を落とす。当然、発生源であるギリカの速度はおちない。数度熱風を使い、そのたびにゆっくりと距離が詰められていく。すでにギリカの体から発する熱が、浅葱にも感じられる距離にまでその差は詰まっている。

 

『嬢ちゃん、このままじゃ追いつかれるぜ? 後10メートルってところだ』

「うっさいわね! モグワイ、準備できてるの!?」

『安心しろって。当然万端に……』

 

 モグワイの軽口が突然止んだ。不審に思った浅葱は、危険を承知で意識を通信しているスマートフォンへ向ける。

 

「モグワイ、どうしたのよ?」

『あー……嬢ちゃん、準備は無駄になったみたいだ』

 

 突然の発現に、思わず浅葱は取り乱す。

 

「ちょ、何言っているのよモグワイ! それができなかったら、私追いつかれるのよ!?」

『ああ、勘違いしないでくれ嬢ちゃん。もう逃げる必要が無いってだけだ』

「え、どういうこと?」

 

 モグワイの発現を理解できない浅葱だったが、その回答はすぐに返されることになった。

 

『いや、そういえば嬢ちゃん契約してんだったな。しかし、運がいいというか相手が律儀というか』

 

 モグワイの声が響く中、地下通路の天井が熱を発し始めた。丁度浅葱とギリカの中間地点に出現した熱量は、徐々にその範囲を広げ、温度も凄まじい勢いで上昇している。

 そして、熱に耐え切れなかった建材が溶け落ちると同時に、1人の男が飛び降りてきた。

 

「ここまで来るのに時間がかかったぞ。今度はできるだけ地上を逃げて欲しいな」

 

 これはあくまでも偶然が呼んだ救援だ。偶然浅葱がケミカルライトに似た装置を間違えてポケットに入れ、偶然サナの転倒を庇った際にその装置が作動し、そして偶然救援先が付近の上空を捜索中だった。

 そして救援が間に合ったのは、浅葱の逃走が功を奏しただけだ。

 

「さて、特殊魔道犯罪者キリガ・ギリカだな。こっちは人を探しているんだ、大人しく再収容されるか、無理やり取り押さえられるか速やかに選べ」

 

 絃神島に帰島してすぐに協力者から異常事態を知らされ、上空から友人を探していたバビル2世が、炎使いの老人へと対峙した。

 

「貴様、何者だ? だが儂の前に立ちはだかるとは面白い……同じ炎使いとして、儂の熱量と貴様の熱量、どちらが高いのか試させてもらおう!」

 

 眼前の敵に向かい、躊躇なく炎を放つギリカ。炎が拡散する前にバビル2世を包み込み、余波が浅葱の肌を炙る。

 

「バビル2世!?」

 

 浅葱の悲鳴に、反応したのはモグワイだけだった。

 

『安心しな嬢ちゃん。ほれ、心配するのはあの老人の方だろうよ』

 

 モグワイの言葉が終わらない内に、炎の中から平然とバビル2世が歩を進め始めた。驚愕に目を見開くギリカに対し、バビル2世はどこまでも冷めた目で眼前の炎使いを見据えている。

 

「この程度か。せめて余波で鉄を溶かせるようになってから出直してくるんだな!」

 

 突如ギリカの炎が押し返された。バビル2世の身体から噴出した炎が、通路を埋め尽くすようにギリカへと迫る。

 

「馬鹿な、これは、儂の炎よりも……!」

 

 驚愕を露わにし、逃げようとするギリカ。しかし、その判断は遅すぎた。

 

「逃がすものか!」

「な、離せ! あ、熱、熱い! 馬鹿な、熱いだと!?」

 

 背後からバビル2世に組み敷かれ、ギリカはその炎を全身で味わうこととなる。体に術式を刻んでから、感じることが無くなったはずの熱がギリカの身体を痛めつけ、火傷すら刻んでいく。

 

「さあ、監獄でゆっくりと傷を癒すがいい!」

 

 もはや声も出ないギリカにバビル2世の声が聞こえたのかは定かではないが、その声と同時にギリカの左腕にはめ込まれた手枷が発光し、空間に巨大な魔法陣が出現する。陣から伸びる鎖に体を絡め取られ、ギリカの身体は虚空へと引きずり込まれていった。

 

「ば、バビル2世。なんでここに……?」

 

 唖然とする浅葱に、バビル2世は珍しく不思議そうな表情を浮かべた。戦いの余波で赤熱化し、一部は溶け落ちてすらいる地獄のような壁面を背にしているため、背後と表情とでミスマッチをおこしている。

 

「君に渡した装置から救難信号を受けて急行したんだ。ポケットで光っているだろう」

 

 バビル2世の指摘に従い、浅葱がポケットから光源を引っ張り出す。ケミカルライトだとばかり思っていた物体は、たしかによく見ればまるで違うものだと分かる。

 

「なんで発動中は光るの?」

「起動状態をわかりやすくするためと、暗闇で持ち主を発見しやすくするためだ」

「なんで見た目がケミカルライトそっくりなわけ?」

「あまり特異な見た目だと持ち歩きにくいだろう。大きさと形から持っていてもライブの準備とでも言って誤魔化すことができる」

 

 浅葱の疑問に、思いのほかバビル2世は過不足なく応えてくれた。

 

「ところで、早く地上へ行こう。実行した本人が言うのも変な話だが、焼けた壁からの放熱と脆くなった壁が原因で崩落してもおかしくはない」

 

 徐々に冷えてきているとはいえ、壁が放つ熱量は依然触れれば火傷する程度を保持している。最後にギリカを押さえつけた床などは、大きく陥没し周囲が焼けただれるほどの惨状だ。

 

「そ、そうね。ここからならすぐにEエントランスまで行けるし。

 サナちゃん、もう安心していいよ」

 

 被害に顔を引きつらせる浅葱だったが、気を取り直すように脚にしがみつく少女へと声をかける。

 

「待て、その子は?」

「あ、ちょっと街で懐かれちゃって。さっきの老人に狙われてたみたいだし、特区警備隊(アイランド・ガード)に保護してもらおうと思ってるのよ」

「そうなのか……。

 まあいい。どこから地上に上がるんだ?」

 

 バビル2世が何か言いたそうな表情で口ごもり、結局後で話すことにしたようだ。浅葱の指示に従い、先に目的地への梯子を上る。その超人的な腕力でマンホールを軽々と動かし、一息で浅葱とサナを纏めて引き上げた。

 

「さて……モグワイ、話は通しておいてくれたのよね?」

『ああ、包囲も終わってたんだが……無駄足になっちまったな』

 

 マンホールの外は、特区警備隊(アイランド・ガード)の出撃口になっていた。Eエントランスとは、緊急時に備えて特区警備隊(アイランド・ガード)の主力部隊が常に待機している詰所なのだ。ここにギリカをおびき寄せ、彼らの力で一気に叩いてもらう予定が、彼らを遥かに超える戦力によってギリカは叩き潰されることになったのだ。

 民間人保護のために周囲を警戒する特区警備隊(アイランド・ガード)の中に、異質な存在が混じっていることを浅葱は見逃さなかった。藍色の髪をなびかせ、人形のように左右対称の顔をした人工生命体(ホムンクルス)の少女は静かに浅葱の傍に近づく。

 

「ミス藍羽。お怪我は?」

「大丈夫よ。

 えっと、アスタルテさんだっけ。どうしてここに?」

「回答。教官の捜索中でした」

 

 彼女の主である南宮那月が特区警備隊(アイランド・ガード)の指導教官を務めていることは浅葱も知っている。主人に届け物でもしたのかと思っていたのだが、アスタルテからの回答は予想とは違うものだった。

 

「捜索って……那月ちゃん、行方不明なの?」

「肯定」

 

 頷くアスタルテ。その宝石のような瞳がサナを見据え、それを察知したバビル2世が口を開いた。

 

「ある程度の概要は僕も聞いている。

 アスタルテ、君から見てこの子から何か感じるものはあるか?」

「生態的特徴が、極めて高確率手教官と一致します。ミス藍羽、説明を要求しても?」

「いや、彼女も街で偶然保護したらしい。特区警備隊(アイランド・ガード)の設備を借りれば、すぐにでも結果が出るだろう。

 指揮官は誰だ?」

 

 バビル2世の問いかけを遮るように、彼らの背後で何者かの着地音が響いた。特区警備隊(アイランド・ガード)たちが即座に銃口を向けた先で、1人の女性が立っている。菫色の髪を伸ばし、コートを纏った吸血鬼の女性だ。美しい外見にもかかわらず、コートの下に身につけているのは露出多過な衣装だけだった。パレードの衣装にしても過激に過ぎる。

 

「調べる必要はないわよ。私が教えてあげる」

 

 どこか余裕を感じさせる口調とは裏腹に、纏う雰囲気は剣呑なものだ。獲物を狙う猛獣のような目で、サナを見つめている。

 

「ほう、では教えてもらおうか?」

「あらあら、素直な男って好きよ?

 いい男に免じて素直に教えてあげるけど、その娘は空隙の魔女本人よ。似てるも何もないでしょう? ちょっと呪いで小さくなったくらいで、主を見分けられないなんて従者としてどうなのかしら?」

 

 小ばかにしたような言い方で、驚きの事実が明かされた。

 

「で、私はその子を引き取りに来たのよ。この島にも貴方たちにも恨みは無いから、大人しく空隙の魔女を渡してもらえないかしら?」

 

 妖艶な笑みと共に提示された条件は、当然彼女の友人に切って捨てられた。

 

「馬鹿を言うな。見たところ犯罪者のようだが、そんな相手に友人を渡すわけがない。情報の礼に、大人しくしていれば無傷で監獄に送るだけで済ませてやるぞ?」

「あら、交渉決裂ね」

 

 バビル2世の面前で、女の目が赤く染まった。魔力が高まり、手にはいつの間にか鞭が握られている。

 脱獄囚とバビル2世による連戦が幕を開けた。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 藍羽浅葱 あいば-あさぎ
 ストライク・ザ・ブラッドヒロイン。
 今はギャルのお手本のような派手な見た目をしているが、中等部までは地味な外見の冴えない女学生だった。古城に振り向いてもらうためにファッションを勉強し現在に至るのだが、当の古城からは大人しい外見の方がモテるのではと言われてしまう報われない女の子である。

 アスタルテ
 体内に眷獣を埋め込まれた人工生命体。
 医療用として生物の仕組みを記憶されているためか、花壇や生き物の世話を進んで行っている。
 無表情のためわかりにくいが、メイド業と並んで中々楽しんでいるようだ。

 キリガ・ギリカ
 監獄結界に収監されていた魔道犯罪者の1人。
 炎の精霊であるイフリートを体内に召喚し、炎を自在に操る凶悪な術式を体に刻む小柄な老人。
 特殊配合された鋼鉄すら溶かす高温を武器とする強力な犯罪者だったのだが、如何せん相手が悪かった。

 サナ
 浅葱が波朧院フェスタのナイトパレードで保護した少女。
 その正体は呪いによって幼児と化した南宮那月。魔女としての力も使えない正真正銘の一般人、しかも非力な少女となっているため、浅葱の保護が無ければギリカにあっさりと殺されていただろう。

 南宮那月 みなみや-なつき
 空隙の魔女の異名を持つ凄腕の攻魔官。
 現在失踪中とされており、その実呪いによって幼児となってしまっている。サナの様子から見るに、幼い頃は気弱で素直な性格だったようだ。

 モグワイ
 絃神島を統括する5基のスーパーコンピューターの化身であるAI。
 AIにしてはどこか人間臭い皮肉気な口調で話すが、話し方とは裏腹に相棒である浅葱の事は大切に思っているようだ。
 口調通りからかい好きで、浅葱はよく餌食になっている。

 施設・組織

 監獄結界
 南宮那月によって維持されている特殊な結界領域。
 通常の手段では無力化できなかった凶悪な魔道犯罪者たちを人知れず収監していたが、管理者である那月が呪いによって無力化されてしまったために実体化し数人の脱獄を許してしまった。
 実体化したとはいえシステム自体は生きており、脱獄したとしてもシステムに抗えるだけの体力魔力を失えば即座に再収監される。

 種族・分類

 波朧院フェスタ
 絃神島で開かれる大規模な祭り。
 元々は歴史が無い島で経済活動を目的とし、ハロウィンをモチーフに生み出された。目論見は大成功をおさめ、現在では島の一大イベントとして島外からも観光客が訪れるほどの知名度を誇っている。

 バビル2世 用語集

 人物

 バビル2世
 バビル2世主人公。
 彼の持つ能力はほとんどが他の追随を許さない程に強力であり、原作でも同系統の能力者を正面から圧倒するシーンが多々見られた。
 特にパラレル的続編である〝その名は101〟では顕著であり、炎が得意な能力者には炎で、速度自慢は速度でと相手を上回りそのまま倒すシーンが数度描かれている。


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2話 選択肢は1つだけ

 バビル2世と女吸血鬼が向かい合い、女吸血鬼が鞭を構えた。

 

「その鞭で攻撃するつもりか。そんな武器に当たるとでも思っているのか?」

「あら、だれも鞭であなたを打つとは言ってないわよ?」

 

 見せつけるように女吸血鬼が鞭で地面を叩く。突然、バビル2世を弾丸が襲った。咄嗟に回避するバビル2世だが、次々と弾丸は発射される。

 

「なんで、特区警備隊(アイランド・ガード)が!?」

 

 バビル2世と協力するべき特区警備隊の隊員が、全員でバビル2世へ射撃を続けている。浅葱の驚愕も当然のものだろう。

 

「くっ、アスタルテ! 藍羽浅葱を保護するんだ!」

命令受諾(アクセプト)実行せよ(エクスキュート)、〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟」

 

 バビル2世の援護に回ろうと跳び出しかけたアスタルテだったが、当のバビル2世から出された指示に即座に反応、現状最も危険である浅葱とサナの元へと眷獣を纏って移動した。そのまま2人を抱えて離脱しようとするも、動きに反応した特区警備隊(アイランド・ガード)隊員に捕捉され銃弾が放たれる。迂闊に動いた結果の跳弾を警戒し、アスタルテは動きを封じられる形となる。

 一方のバビル2世は念動力(テレキネシス)を利用しアスファルトを破壊。即席の壁として弾丸を防いでいた。

 だが、特区警備隊(アイランド・ガード)に配備されている小銃は対魔族用。アスファルト程度であれば容易に削り取り、数秒もしない内に貫通を許してしまっている。次々とアスファルトがめくれあがり、その破片が銃弾によって粉と化していく。

 

『痴女めいた服装、鞭の眷獣、能力は多分だが精神支配。

 嬢ちゃん、一件ヒットしたぜ』

 

 〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟の腕の中で、さらにサナを抱きしめる浅葱の耳に、モグワイの声が響いた。激しい銃撃の中、吸血鬼の基準としても高い聴覚を持つ女吸血鬼の耳がその合成音声を捕らえる。

 

「あら、せっかくなのだから自己紹介はワタシからさせてもらうわよ。

 お嬢さん、ジリオラ・ギラルティという名に心当たりはあって?」

「……クァルタス劇場の歌姫!

 なんで……どうして絃神島に!?」

 

 告げられた名に、浅葱は聞き覚えがあった。幼い頃に繰り返しニュースで流されていた事件、当時の浅葱に恐怖を植え付けた惨劇の実行犯だ。事件の後、捜査によって数々の猟奇殺人を行っていたことが発覚し逮捕されていたはずの犯罪者が、何故か今浅葱の眼前にいる。

 

「あら嬉しいわ。まだワタシの事を覚えていてくれていた子がいるなんて!」

 

 ジリオラが無邪気に手を叩く。背後で鳴り続けている射撃音との差が、言い表せない不快感を生んでいる。

 

「ヒスパニアの魔族収容所でちょっとやりすぎちゃったのよ」

「やりすぎた……?」

「そう。監獄全体を支配して好きに暮らしてたら、派遣されてきた空隙の魔女に監獄結界に閉じ込められちゃったのよね。

 そういうこともあって、ワタシが恨んでるのは空隙の魔女だけよ。この島に来たっていうか、監獄結界に閉じ込められて、出たらこの島にいただけ。くり返すようだけど、その子を大人しく渡してくれれば、あなたたちは見逃してあげるし、なんならこの島から出て行ってあげてもいいわよ?」

 

 ヒスパニアの魔族収容所と言えば、生きて出た者がいないとまで言われる欧州の監獄だ。魔族にとって恐怖の代名詞ともいえる監獄を支配したと豪語するジリオラだが、特区警備隊(アイランド・ガード)の主力部隊をいともたやすく操る光景から、その言葉に嘘は無いと確信できる。

 血の色をした目をサナへと向け、ジリオラが裂けたような笑みを浮かべた。もしも引き渡された場合、サナがどのような目に合うのか。容易に想像できる光景に、浅葱がサナを強く抱きしめる。

 

「そんなこと言われても、はいそうですかって渡せるわけないじゃない!」

「同意。もうしばらく耐えてください、ミス藍羽。彼がもう少しで事態を収束できます」

 

 浅葱の叫びに、冷静なアスタルテの声が重なる。いつのまにか嵐のような銃撃は止み、〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟はその腕の中から浅葱を開放していた。

 

「へえ……やるじゃない、名前も知らないお兄さん」

 

 ジリオラと向かい合うバビル2世の足元には、金属が溶け落ちた後が残っている。そしてジリオラに付き従うよう並んだ特区警備隊(アイランド・ガード)たちからは、主武装のはずの射撃武器の類が全て失われていた。

 

『いや、流石は過適応能力者(ハイパーアダプター)だな。念動力(テレキネシス)であっという間に全員から銃を奪いやがった。

 回避に専念してたのは、特区警備隊(アイランド・ガード)の位置を把握するためだったみたいだな』

「そんなことができるの? 特区警備隊(アイランド・ガード)には遠距離の魔術に対する保護策が何重にも掛けられてるはずじゃない」

『実際目の前で実行されてるだろ?

 それに警備隊の連中が施してるのはあくまでも対魔術の類だ。過適応能力者(ハイパーアダプター)対策なんてしてないし、第一そういった対策が無いからこその過適応能力者(ハイパーアダプター)だからな』

 

 浅葱とモグワイが話している間にも、バビル2世とアスタルテ、そしてジリオラと背後に控える特区警備隊(アイランド・ガード)の睨み合いは続いている。明らかな強敵2人に挟撃される形になっているにも関わらず、ジリオラの余裕は崩れない。

 

「あら、そっちの眷獣付き人工生命体(ホムンクルス)も動いちゃうのね。

 でもいいの? こいつらはワタシに操られているだけなのよ?」

 

 そう、ジリオラの自信の根拠はそこだ。いかにバビル2世とアスタルテが強かろうと、彼女は現在大勢の人質を取っている状態なのだ。洗脳下にある隊員たちは、ジリオラの指示1つでバビル2世やアスタルテを襲い、最悪の場合自らの命を絶つだろう。

 

「さあ、これだけの命とそこの小娘1人の命、どっちを優先するかなんで決まっているでしょう? はやく渡してくれないかしら?」

 

 優越感に染まったジリオラが、最後通告とばかりに浅葱を見る。背後に居並ぶ特区警備隊(アイランド・ガード)が、互いの首に手をかけ始めた。

 

「いい加減にしろジリオラ。今ならまだ投降を受け入れるぞ?

 最後の警告だ、大人しく投降し、監獄結界へ戻れ。従わない場合、実力を行使する」

 

 バビル2世の警告に、足を止めたジリオラは不機嫌そうに振り向いた。完全に優位に立っている状況下で、まさかこうも上からの物言いをされるとは思っていなかったのだろう。

 

「あらあら、そこの男は状況がわかってないみたいね。

 こう見えてもワタシは旧き世代の吸血鬼なのよ。眷獣をもう1体従えていても不思議はないと思わない? 来なさい〝毒針たち(アグホイン)〟よ!」

 

 苛立ちに表情を歪ませて、ジリオラは新たな眷獣を召喚した。深紅の蜂の群れが顕現し、上空に展開する。一匹が五、六十㎝にも達するであろう巨大な蜂十数匹がゆっくりと降下してくる悍ましい光景は、本能的な嫌悪感を刺激する。

 

「さて、最後の警告ですって? この眷獣を見て、まだそんな口を利けるのなら大したものね!」

 

 嘲るような口調のジリオラに対し、バビル2世はつまらなそうに溜息を吐いた。

 

「ならば実力を行使する。ロデム、死なない程度にな」

「ロデム? あなたまさか!」

 

 呟かれたしもべの名に、ジリオラが初めて焦りを露にする。咄嗟に眷獣へと指示を出そうとするが、すでに遅きに失していた。

 地面がまるでアメーバのように盛り上がり、瞬きの間にジリオラを包み込んだのだ。完全に無抵抗のまま飲み込まれたジリオラは、黒い波にその姿を完全に覆い隠されている。数秒もしない内に、蜂の眷獣が消失し、特区警備隊(アイランド・ガード)がその場に崩れ落ちた。肉体の負荷から、眷獣を維持的できなくなったのだ。微かに波打つばかりのロデムの表面からは、内部を窺い知ることはできない。浅葱にとって、それは幸運だった。

 内部からの悲鳴すら漏れない黒の牢獄は、数十秒後に内部から広がった魔法陣で終わりを告げた。突然展開した魔法陣は、同じく突然収縮し消失。そして魔法陣の消失と同時に、黒い不定形存在は黒豹の姿をとる。

 

「バビル2世様、ジリオラ・ギラルティは鎖によって魔法陣内部に引きずり込まれました。状況から見て、監獄結界に再収容されたものと思われます」

「よくやったぞロデム。眷獣のコントロールをさせない速度が重要だった今、迅速な行動のおかげで被害はほとんどない。理想的だ」

「ありがとうございます、ご主人様」

 

 報告を受け、バビル2世は満足そうにロデムを労った。突然始まった黒豹と青年の会話に、浅葱はあっけにとられている。

 

「あの、その黒豹って」

「ああ、そういえばきちんと紹介はしていなかったな。

 ぼくのしもべの1体、ロデムだ。こう見えて気が利くから、そう怖がらないでくれ」

「よろしくお願いします。藍羽さん」

 

 紹介を受けたロデムは、浅葱へと一礼する。人が乗れるほどに大きい黒豹の姿を取っているが、大人しく頭を下げる姿にサナの目が輝く。

 

「あ、ちょっとサナちゃん!」

 

 浅葱の制止が送れ、サナはロデムへと飛び付いた。突然のことにバビル2世もあっけにとられ、誰の妨害を受けることなく、サナはロデムの毛並みに突っ込んだ。

 

「すごい! 豹さんふわふわ!」

 

 全身で毛並みを堪能するサナの様子に、バビル2世と浅葱は毒気を抜かれる。

 

「あの……バビル2世様?」

「すまないロデム、保護の観点から見ても今の状態は有効だ。しばらくその状態で護衛を続けてくれ」

「か、かしこまりました」

 

 豹の顔のまま、ロデムは困惑の表情を浮かべる。主の命に従いサナにされるがままになっている様子は、少女にじゃれつかれるぬいぐるみそのものだ。

 そんな2人に背を向け、バビル2世はアスタルテへ視線を向ける。すでに眷獣の召喚を止めている彼女からは、どこか疲労の色が窺える。

 

「アスタルテ、動けるか?」

「肯定。しかし眷獣を利用した戦闘は難しいと判断します。仮に召喚し戦闘に入った場合、召喚持続時間は1分を切ると予測できます」

「えっ、アスタルテさん、大丈夫なの!?」

「肯定。現在のままであれば、生命維持に支障はありません」

「な、ならいいんだけど……」

 

 慌てる浅葱に、アスタルテは冷静に回答した。安心する浅葱だったが、バビル2世は眉間に深い皺を刻んでいる。

 はっきり言って現状はあまりよろしくない状況なのだ。助けになると思っていた特区警備隊(アイランド・ガード)の主力部隊はジリオラの精神支配で壊滅し、眷獣の性質上護衛としてあてにしていたアスタルテも限界が近い。バビル2世自身も、迎撃としては力を発揮できるものの護衛としてはあまり向いていないのだ。

 悩ましい現状に頭を回転させるバビル2世は、接近する気配に顔を上げた。人通りのない道を、ゆっくりと人影が接近してくる。

 

「おや、お悩みかな? 憧れの過適応能力者(ハイパーアダプター)よ」

「何故ここにいる? ディミトリエ・ヴァトラー」

「いや、島の中で吸血鬼が暴れているようだったらネ。善意から、協力できることが無いかと思ったんだけど……どうやら遅かったようだ」

 

 ヴァトラーは戦闘の後を見て、残念そうに首を振る。

 

「魔力の感覚からしてただの吸血鬼じゃない、旧き世代級の力はあったと思ったんだけどネ。流石に君じゃあ相手が悪かったか。勝てないとは思ってたけど、もう少しばかり粘ってくれると嬉しかったな。

 それにしても、どうしてロプロスを使わなかったんだい? ロデムよりも迅速に敵を排除できたと思うんだけど?」

「勝手なことを。ロプロスは周辺への被害が大きすぎる。単体の吸血鬼を仕留めるなら、ロデムの方が適任だ。

 それにお前のような乱入者が来る前に勝負を決める必要があった。お前が来た時に敵が健在なら、援護と称して何をされるのかわからない」

 

 バビル2世の言及を、ヴァトラーは否定せずに笑みで返した。2人の間で緊張が膨らみ、危険を感じ取った浅葱はロデムにしがみついているサナを庇うよう駆け寄る。その緊迫した空気を破るように、自転車に跨った人影が飛び込んできた。

 

「ヴァトラ――ッ! って、バビル2世!?」

 

 勢いよく乱入してきたのは、第四真祖である暁古城だった。膨れ上がった魔力からヴァトラーの存在は予期していたものの、相手がバビル2世だとは予想外だったらしく、空中でバランスを崩し着地に失敗。少々不格好な登場となってしまった。

 

「やあ、古城。中々良い夜だとは思わないかい?」

「いや、なんでお前バビル2世と睨み合ってるんだよ!」

「別に戦おうとは思ってないさ。僕はね」

 

 飄々とした態度で古城の気迫を受けながし、ヴァトラーは満足そうな笑みを浮かべる。その様子を見たバビル2世は、ため息をついて説明を始めた。

 

「やあ暁古城。監獄結界の件は概要ながら把握している。

 藍羽浅葱を保護して特区警備隊(アイランド・ガード)の詰所であるここに避難したんだが、脱獄囚の1人と遭遇してね。囚人を監獄結界へ送り返した後にアルデアル公が来たんだ。君が来る少し前だから、君の懸念しているような事態は起きていない」

「そうだったのか。ありがとう」

 

 浅葱に心配そうな視線を送る古城へと、バビル2世は簡潔に説明を済ませる。友人を守ってくれたことに礼を言いつつ、古城は浅葱へと駆け寄った。

 

「浅葱、大丈夫だったか?」

「大丈夫なわけないでしょ!

 ……来てくれてありがと」

 

 どこか照れくさそうに礼を言う浅葱を、古城は苦笑しながら引き起こした。突然現れた古城を不思議そうな顔で見上げるサナを確認し、古城は安堵の息を漏らす。

 

「那月ちゃんも無事か。

 浅葱、なんで那月ちゃんと一緒だったんだ?」

「那月ちゃんって……サナちゃんのこと?」

「サナちゃん?」

「そうよ。幼い那月ちゃんだから、おサナちゃん」

「あー……」

 

 謎の呼称に古城は納得した。記憶を失っている以上、別の名をつけるというのは理に叶っていると言える。

 

「南宮那月……なるほど、脱獄囚の狙いは〝空隙の魔女〟の抹殺か。

 それにしても、その少女が〝空隙の魔女〟だったとはね」

 

 古城と浅葱の会話を聞いていたヴァトラーが、納得したように呟いた。その言葉に、古城は危機感を抱く。同時に、バビル2世とロデムも古城の同じ考えを抱いたらしい。自然とサナと浅葱を庇うように、3つの影がヴァトラーの前に並ぶことになった。

 

「はっ、ははははは、あっははははははははははははははは!」

 

 緊迫する空気の中、ヴァトラーが突然噴出した。そのまま実に愉快そうに、大声で笑い始める。

 

「なんて姿だ〝空隙の魔女〟! まるで見る影もないじゃないか! あっははははははははは!」

 

 よほど予想外だったのだろう。戦王領域の恐るべき吸血鬼とは思えない様子で、ヴァトラーは笑い続けている。

 

「ヴァ、ヴァトラー?」

 

 古城は困惑の表情で呼びかける。この戦闘狂(バトルジャンキー)から、敵意以外の反応を向けられるとは思っていなかったのだ。バビル2世に至っては、あっけにとられたまま声も出せていない。

 

「いや失礼、流石に笑い過ぎた。

 古城、見たところ君も手負いのようだし、彼女を連れて僕の船へ来るといい。狙いが彼女である以上、脱獄囚たちは必ず襲ってくる。市街地で一般人を巻き込むよりは安全だろうし、迎撃もしやすいだろう?」

「襲って来れば、お前は大義名分を得て戦えるってか?」

 

 古城の問いに、ヴァトラーは笑みを返した。

 確かに悪くない申し出だろう。ディミトリエ・ヴァトラーの実力は世界的にも有名であり、脱獄囚たちと言えどもそう簡単に襲撃できる相手ではない。時間を稼げば、那月の現状をどうにかする方法も見つかるかもしれないのだ。

 

「もちろん、バビル2世も一緒に来るといいさ。古城が望むなら後から人を乗せてもいい。どうだい?」

 

 更なる条件を付けるヴァトラーだったが、意外なことにバビル2世が賛成に回った。

 

「暁古城、アルデアル公の申し出は悪くないと思うぞ。拠点で身を休めることは重要だし、敵の接近を察知できるのは大きい。この男のことだから、食事に細工をされる心配もない」

 

 バビル2世の説得が、最後の一押しとなった。そもそも現状選べる選択肢は無い。あくまで感情的な問題で行きたくないだけであり、理由ができれば即座に決断ができた。

 

「……わかった。お前に借りを作るのは癪だが、頼むぜ」

「はぁ!? ちょっと待ちなさいよ!」

 

 古城の決定に異を唱えたのは、完全に蚊帳の外だった浅葱だった。

 

「なんで私を無視して勝手に決めてるのよ! だいたい、なんであんたが〝戦王領域〟の貴族と知り合いなのよ! バビル2世とも顔見知りみたいだし!」

「いろいろ事情があるんだよ。後で全部説明するから」

「あんたね、それで私が納得するとでも思ってるの?」

「……無理だよな」

 

 古城が力なく肩を落とす。現状誤魔化すことが不可能である以上、古城は自分が吸血鬼であることを話すべきなのだろうと腹を括った。

 災厄の化身と恐れられる第四真祖が自分の正体であり、これ以上は一般人である浅葱が介入できる話ではないと突き放せばいいのだ。古城にとってかけがえのない友人を失う代わりに、その友人は安全を得ることができる。

 覚悟を決めた古城が口を開く前に、浅葱が人差し指を古城へと突きつけた。

 

「いいわ。条件として、私を一緒に連れて行くならサナちゃんを任せてあげる。さっきアルデアル公が、古城が望むなら人を乗せてもいいって言ってたしね」

「……なんだって?」

 

 いきなりの条件に、古城は言葉を失った。自分が決めた覚悟を正面から否定されたようなものだ。

 感情のままに口を開こうとした古城の肩に、バビル2世が手を置いた。

 

「暁古城、彼女はこのまま同行させた方がいい。

 2人の囚人に襲撃されている以上、相手に情報が共有されていない保証が無い。共に行動して護ることが、今は一番安全だ。アスタルテが万全なら同行させて守らせるという手もあったが、疲弊している今は一緒にヴァトラーの船で休憩させたい」

 

 古城は、浅葱とサナが共に行動していることをテレビのライブ報道で知った。ここで解散したとして、それを見ていた脱獄囚が浅葱を襲わない保証は無いのだ。

 振り向けば、浅葱は我が意を得たりと笑みを浮かべ、ヴァトラーが意味深な笑みを浮かべている。

 自らに選択肢が無いことを悟り、古城は思わず天を仰いだ。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 暁古城 あかつき-こじょう
 ストライク・ザ・ブラッド主人公。
 自分の正体が第四真祖であることを隠して性格しているが、それは生まれつきではなく突然吸血鬼と化してしまった事が理由。
 人間であったころからの友人たちに離れられ、魔族恐怖症の妹から拒絶されることを恐れているからこそ人間としての生活を望んでいる。

 ジリオラ・ギラルティ
 旧き世代に分類される女吸血鬼。
 残忍な性格であり、元高級娼婦の肩書からは想像できない猟奇殺人を大量に犯した過去を持つ。
 第三真祖の系列であるため意思を持つ武器の眷属を宿しており、本文で紹介できなかった鞭の眷獣の名はロサ・ゾンビメイカー。能力である精神支配を使って監獄であろうとも支配下に置いてしまうため、支配される心配のない監獄結界へと収監されていた。

 ディミトリエ・ヴァトラー
 戦王領域アルデアル公国の主。
 自らの快楽のためならば、意外と地味な作業も楽しんで行うまめな面がある。
 一部からは男色との噂も出ているが、真相は闇の中である。

 種族・分類

 毒針たち アグホイン
 ジリオラ・ギラルティの眷獣の一体。
 巨大な蜂が群れをなした眷獣であり、群全体で一体とカウントされる。
 能力を発揮する前に本体が倒されてしまったが、名前からして毒を操る能力であったと予想される。

 過適応能力者 ハイパーアダプター
 現代の科学魔術では再現不可能、又は再現が難しい能力を操る人間の総称。
 バビル2世もこの名で呼ばれているが、本質的には別物であるため過適応能力者対策をかけられた場合でもその対策が正常に作動しない場合が多い。

 薔薇の指先 ロドダクテュロス
 アスタルテに植えつけられた眷獣。
 眷獣の特性である物理攻撃の遮断に加え、その身に刻まれた神格振動波駆動術式により魔術的攻撃を無効化するため防御に関しては鉄壁の性能を誇る。
 しかし、宿主であるアスタルテが人工生命体故に脆弱であるため、長時間の召喚が不可能という致命的な弱点を持つ。

 バビル2世 用語集

 人物

 ロデム
 バビル2世の誇るしもべが1体。
 意外と茶目っ気のある性格をしており、人間に近い精神構造から会話を楽しむことが可能。
 護衛としての適性は極めて高く、擬態して潜伏している場合生物ゆえの体温や呼吸のガス以外での判別は不可能。

 ロプロス
 バビル2世の誇るしもべが1体
 本文でも言及されていたが、大抵の吸血鬼は瞬時にひねりつぶす力を持つものの、破壊が大きいために人質を取られた場合運用がほぼ不可能となる。
 この弱点はポセイドンも同様であり、そういった状況を打破できるロデムの重要性を高める要因ともなっている。


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3話 船上のひととき

 箸休め回です。


 人工島である絃神島へのアクセス手段として、主に利用されているのは飛行機だ。速度と利便性から、島民の身近な移動手段として親しまれている。とはいえ、島外からの物流すべてを航空機に頼っているわけではない。大規模な輸送に関しては、当然ながら大型のタンカーがコスト面からして有利なのだ。

 そのため、絃神島では区画全てを港と化し、海からの物流をコントロールする湾岸地区(アイランド・イースト)が存在する。大小さまざまな船が存在する港で、一際目立つ船。アルデアル公ディミトリエ・ヴァトラー所有のメガヨット〝オシアナス・グレイヴⅡ〟だ。大型客船の寄港が多い絃神島においても、これほどの豪華客船はまずお目にかかれない。個人所有であることを抜いても、軍用駆逐艦に匹敵する規模からして人目を引く。

 その規格外の船の中で、暁古城は居心地悪そうにしながら携帯電話を握っていた。

 

「というわけで、今はヴァトラーの船にいるんだ。姫柊たちが来たら乗れるよう頼んでおいたから、合流はできる」

『状況はわかりました。でも、もう少し早く連絡してくれてもよかったんじゃないですか?』

 

 通話相手である雪菜からは、隠しきれない苛立ちが滲み出ている。バビル2世と脱獄囚の戦闘は、互いの実力からすれば異様なほど小規模な破壊しか生まなかった。さらに戦闘区域は人工島管理公社及び特区警備隊(アイランド・ガード)の管轄下で発生していたため、無理な権力を使うことなく即座に隠蔽できたのだ。

 それにより混乱や騒動は発生しなかったのだが、困ったのは雪菜たちだ。彼女たちからすれば、戦闘が発生すれば脱獄囚の実力、そして古城の眷獣の破壊力からして何かしらの騒動が発生すると踏み、古城だけを単身送り出したのだ。その結果、一切の騒動が発生しなかった上に何の連絡も無いのだ。雪菜たちからすれば、古城が忽然と消えたようにしか思えなかったのだ。

 

『暁古城、本当に大丈夫なの? 私は監視役として少しの間一緒に行動してたけど、あの男は真性の戦闘狂よ。バビル2世が一緒に居るって言ってたけど、強者目当てに襲われるかもしれないのよ?』

 

 電話から聞こえる紗矢華の声に、古城は思わず表情をゆるめた。普段はあれほどつんけんしていても、いざとなれば心配してくれるのだ。

 

「それは心配ないと思う。今あいつの興味は脱獄囚に向かってるし、バビル2世を攻撃したら俺達を連れて逃げるってわかってたみたいだしな。脱獄囚をおびき寄せるためにも、サナちゃんを船に留めておきたいだろ」

『サナちゃん、ですか?』

 

 雪菜の怪訝そうな声に、古城は慌てて説明した。

 

「ああ、浅葱がつけたあだ名だよ。幼い那月ちゃんだから、略しておサナちゃんなんだとさ」

『ああ……』

 

 何故か即座に納得したようなため息を吐き、雪菜は改めて現状の問題点を上げ始めた。

 

『提案なんですが、藍羽先輩と南宮先生は無事とのことですので、藍羽先輩だけでも家に送ることはできませんか? そこにいたら、確実に戦闘に巻き込まれることになります』

「それは俺も考えたんだけどな……」

 

 てっとり早く、古城はバビル2世の論法を持ち出し説明する。以外にも、雪菜はあっさりと納得した。

 

『なるほど……たしかに、脱獄囚からすれば襲わない理由がありませんね。共に行動していなかったとしても、人質として抑えられてしまえばこちらから迂闊に攻撃できなくなります。

 とにかく、私と紗矢華さんは急いでそちらに向かいます。くれぐれも、今以上の問題を起こさないようにお願いしますね?』

「今以上の問題ってなんだよ?」

『たとえば、その……藍羽先輩に対して吸血衝動に襲われるとか……』

「しねーよ小さい子供の前だしバビル2世もいるんだぞ!?」

『それは、2人きりならそういった衝動に襲われかねないということですか?』

「揚げ足取りみたいなこと言うな!」

 

 コントのようなやり取りの後、くれぐれも気を付けてと言葉を残して電話は切れた。どうにも変な方向で誤解を生んでいるような気がする古城は、疲れのままに壁に背を預けた。

 

「誰と電話してたの?」

「うおっ!」

 

 それを傍で見ていた浅葱が声をかけると、完全に不意を打たれた古城は弾かれたように首を動かした。視線の先ではロデムに乗ってご機嫌なサナを連れた浅葱が、訝しげな表情で古城を睨んでいる。背後には、メイド服のアスタルテまで控えている。

 

「よ、よう浅葱。着替えて来るんじゃなかったか? ヴァトラーのとこの従女の人が服を貸してくれるって話だったろ?」

 

 苦し紛れの古城の話題転換は、思いの他効果的に働いた。

 

「その前にお風呂借りることになって、船の中の大浴場を貸してくれるって話になったのよ。金持ちは違うわね、色々と」

 

 どこかご機嫌な浅葱だが、それも無理はないだろう。火炎を放つ老人に襲われ地下水道を走り、地上に出たと思えば精神を支配する女吸血鬼に襲撃され、意地で思い人に同行を申し出れば、世界的な著名人が個人所有する豪華客船に案内されたのだ。服を着替える間もなかったため逃走中の汚れはそのままであり、船の雰囲気に相応しい服装であるとは言えない。

 そこに、船の主から体を清め服も貸してくれるというのだ。年頃の女子生徒として喜ばない者はそういないだろう。

 

「なるほどな。で、サナちゃんはいつまでロデムにべったりなんだ?」

「この子気に入っちゃったみたいで、全然離れようとしないのよ。

 まあ、バビル2世は護衛にちょうどいいって言ってたから、いいんじゃない?」

 

 あっけらかんとした浅葱の主張だが、主であるバビル2世が許可している以上口を出すものではない。たとえ、べったりと抱きつかれているロデムが疲れているように見えても。

 

「そ、そうか。じゃあ気を付けてな。まあ、船の中で襲われることもないだろうけどな」

 

 少し引きつった笑みの古城を、浅葱はどこか見透かすような目で眺めた。

 

「なんでこんな船を持ってる人と古城が知り合いかは、お風呂の後でゆっくりと聞かせてもらうからね? まさか逃げられるとは思ってないでしょうから、覚悟してなさいよ。

 さ、行こうサナちゃん、アスタルテさん。お願い、ロデム」

 

 恐ろしい宣言を残し、浅葱は軽い調子でロデムに指示を出す。この短時間で、随分と適応したようだ。単に諦めただけかもしれないが。

 そんな浅葱と入れ替わるようにして、今度はバビル2世が廊下の角から姿を現した。

 

「暁古城か。今人工島管理公社に連絡を入れ終わった。空隙の魔女回復のために協力してほしいんだが……」

 

 真剣な表情で話し始めたバビル2世を遮るように、1人の少年が現れた。状況を見て少々気まずようにしているものの、バビル2世が無言で話を促すと苦笑を漏らして口を開く。

 

「暁さま、バビル2世様、お話を遮り申し訳ございません。湯浴みの準備が整いましたので。お召替えの前に宜しければと案内に参上いたしました。

 申し遅れました、私は〝忘却の戦王(ロスト・ウォーロード)〟の血族、キラ・レーベデフ・ヴォルティズラワと申します。御身の領地、極東の魔族特区に罷り越しながらご挨拶が遅れた非礼、どうかお許しください」

 

 小柄な美少年に仰々しい挨拶と共に礼をされ、古城はあっけにとられた。隣に立つバビル2世は平然としているので、この少年がことさら丁寧すぎるわけではないようだ。

 

「えーっと、湯浴みって風呂のことだよな?」

「はい。僭越ながら、お召替えの準備が整いましたので。血まみれのそのお姿も、猛々しく魅力的ではありますが。

 バビル2世様も、ぜひどうぞ」

 

 そういいながらキラが微笑み、古城は改めて自分の状態を確認する。バビル2世と合流する前に少々の小競り合いがあったせいで、服はボロボロの上血がこびりついている。

 

「暁古城、ここは話を受けておこう。気分転換も必要だ」

「ああ、じゃあ遠慮なく。正直ありがたいよ。

 案内は君がしてくれるのか?」

「はい、御迷惑でなければ」

「いや、迷惑なわけないよ。この船、広いから迷いそうでさ」

 

 バビル2世も無言で頷き、キラの先導で2人は歩き始めようとして、古城は自分に注がれる視線に気がついた。敵意が剥き出しになっているそれを辿ると、階段の上で1人の青年が古城を睨み続けている。

 

「……なあ、あいつは?」

「トビアス・ジャガン卿です。おそらく嫉妬しているだけなので、気にしないでください」

「嫉妬?」

「はい。アルデアル公は、古城様やバビル2世様のことをよくお話になりますので。同じ吸血鬼である分、古城様への嫉妬心が強いのだと思います」

 

 そうキラが告げられ、古城は困惑する。ヴァトラーはたしかに古城に執着している気があるものの、それはあくまで強者への興味が強いはずだ。そして現段階で圧倒的に強いバビル2世がそばにいる状態で、古城の話のみをするわけがない。にもかかわらず、同種族の古城だけに嫉妬を向けている。

 

「……すまん、今の話は聞かなかったことにさせてもらう」

 

 何か嫌な予感が脳裏を掠め、古城は思考を中断した。キラを促し、バビル2世と共に浴場へそそくさと移動を開始する。そんな古城を、ジャガンは見えなくなるまで睨み続けていた。

 

 

 

 豪華客船と言えば、一般的にプールを思い浮かべる人が多いだろう。しかし、意外と入浴施設が充実しているタイプの船も多い。オシアナス・グレイヴⅡも、その入浴施設に力が入っている船の1つだった。娯楽施設に力が入っている以上、日用施設にも同等以上の力を入れなければバランスが悪く、ともすれば見栄えのみを追求したと侮りを招きかねない。そういった事情もあってか、船内に設置された浴場は中々の豪華さを誇っていた。

 

「おお……」

「船内でこの規模か。流石は公国の主が利用する船だな」

 

 キラに案内され入浴準備を済ませた男2人組の前には、日本旅館の大浴場には及ばないものの、船の中とは思えない規模の浴場が広がっていた。風呂の文化に馴染みの深い日本人からすれば浴槽が浅めに感じられるが、広さは十分以上にとられている。

 湯に浸かる前に汚れを落とす。バビル2世は長旅でついた汚れを、古城はこびりついた血を洗い流す。バビル2世の主な移動手段はロプロスを使った高速空輸であるが、飛行機と違い外壁は一切ない。風が直接当たるため、長時間の移動はどうしても汚れが溜まってしまうのだ。戦いに急行することが多い以上文句を言っては入れられないものの、戦闘後の風呂は日本出身であるバビル2世にとって癒しの時間なのだ。

 内心上機嫌で体を洗うバビル2世の横で、古城は身体から流れ落ちる血を見つめていた。浴場の床が白いタイルで覆われているため、湯に溶けた血が強調されたように映えてしまう。

 

「ユウマ……」

 

 今流されているのは古城の血だけではない。古城の親友、仙都木優麻(とこよぎゆうま)を助け出した際に付着した血も含まれている。

 母親を監獄結界から救出するためだけに生み出され教育されたユウマは、最後にその母親……仙都木阿夜(とこよぎあや)に利用される形で使命を果たした。呪いを受けた那月と瀕死の優麻に助けられ、空間跳躍後の逃走中に優麻の流した血は当然彼女を抱えていた古城に付着している。

 

「あまり考えても仕方がない」

 

 思いつめたように血の流れるタイルを見つめる古城に、バビル2世は静かに語りかける。古城へと視線は向けず、ただ伝えるべき事だけを伝えようとする口調に古城は黙って耳を傾ける。

 

「僕も助けられなかった人は多いし、助けた人間が目の前で殺されたこともある。それは悔やむべきことかもしれないが、そればかりに囚われれば必ず失敗する。

 君の力を正しく使えば何とかなるさ。今は体を休めることだ」

 

 それだけ言って、バビル2世は浴槽へと向かった。

 

「……たしかに、今悩んでもしょうがないか」

 

 気分を変えるために冷水で顔を流し、早く体を洗ってしまおうとしたところで背後から足音が聞こえた。浴槽とは反対方向のため、バビル2世ではない。

 

「キラ君か? なにか……」

 

 振り向いた古城は思わず硬直した。

 

「お背中お流ししますか、第四真祖?」

 

 色とりどりの水着を着た若い女性が5人、浴場内に乱入してきたからだ。いずれ劣らぬ美女揃いであり、年頃の古城にとっては刺激が強すぎる。下半身に遮るものが無いことに気がつき慌ててタオルを巻く古城の隙を突き、女性たちはあっという間に距離を詰めた。

 

「な、なんだあんたたちは!?」

「どうした、暁古城?」

 

 古城の叫びに反応し、バビル2世の声が響く。気配から古城の身に危機が迫っているわけではないと感じ取っているのか、のんびりした声音だ。

 

「気にしないでくださいバビル2世様、アルデアル公にお仕えするメイド軍団です。第四真祖様のお世話に上がったのですが、少々驚かれてしまいまして」

「……そうか、あまり騒がしくしないでもらいたい」

「いや止めろよバビル2世!」

「なんだ、水着を着ているのなら問題ないだろう?」

「そういう問題じゃないだろ! てか入浴の世話とかどう考えてもメイドさんの仕事じゃないよな!」

「あら、やっぱりばれてしまいましたか」

 

 年長者らしき、水色の水着を着たお嬢様風の女性があっさりと答えた。あっけにとられる古城を置いて、話は流れるように進んでいく。

 

「私たち、アルデアル公に差し出された人質なんです」

「〝戦王領域〟周辺国家や、アルデアル公が個人的に滅ぼした国の王族重鎮の娘たちです。まあ、国の安全のために売られたんですよ」

「でも肝心のアルデアル公が強さ至上主義のせいであんまり女性に興味ないみたいでして、私たちはけっこう好きにさせてもらってます」

「で、ここらで一発下剋上でも狙おうかとなったわけです」

 

 打ち合わせでもしたのか、女性たちは黄、黒、白と順番に自分たちの立場を説明する。最後に金髪の赤いビキニを着た女性が堂々と胸を張る。グラビアアイドル顔負けのプロポーションを誇る女性の胸が強調され、古城は不意に喉の渇きを覚えた。

 吸血鬼の吸血衝動は、性的欲求と深く結びついている。風呂場で水着という異常なシチュエーションだが、それでも水着軍団は年頃の男を誘惑するには十分すぎる美貌と体形を持っている。

 

「下剋上って何の話だよ?」

「はい。第四真祖の子種をいただければと思いまして」

 

 極めて冷静に勤めようとした古城の覚悟を、あっさりと赤ビキニは打ち砕いた。流れるように腕をからませ、胸を古城へと押し付ける。

 

「真祖の子であれば、アルデアル公を超える吸血鬼になる可能性は高いですし」

「私たちが血をいただいて、血の従者になるという手もありますし」

「というわけで、イッパツどうです?」

 

 自らを差し出してでも力を欲する姿勢は、ある種の清々しさすら感じられる。まったく隠すことのない欲望を前にドン引きする古城を見て、不味いと思った赤ビキニが口を開く前に浴槽からバビル2世が口をはさんだ。

 

「待て待て、流石にそれ以上は看過しかねるぞ。

 どうせヴァトラーがそそのかして乗っかった形なのだろう。侵入のタイミングが良すぎる」

 

 バビル2世の指摘に硬直した水着軍団の隙を逃さず、古城は拘束から逃れ距離をとった。その際に赤ビキニから艶っぽい声が漏れたのだが、古城の精神は既にそんなことに気を取られる状態ではない。

 

「そんな警戒しなくても……って言っても駄目ですよね。今回は諦めます」

「利害の一致があっただけで、害する気は無かったんですけど、信じてもらえなさそうですね」

 

 赤と黄が残念そうに声を漏らす中、警戒状態の古城から疑問が漏れる。

 

「おい、どうしてヴァトラーはここまでして俺に血を吸わせようとしてるんだ?」

 

 考えてみればおかしな話である。強い敵と戦いたい欲求を持つヴァトラーだが、今古城に固執する必要はないのだ。他の強敵、たとえばバビル2世と戦って無聊を慰め、その間に古城が成長するのをゆっくりと待てば済む話なのだから。

 そんな古城の疑問に、青ビキニのお嬢様が答えた。

 

「なんでしょう。なにかを待っているというか、強い力を必要としているような感じでした。もしかしたらですけど、真祖に匹敵するか、それ以上に危険な存在と戦おうと備えているみたいな」

 

 何気ない返答に、古城の脳裏には直近で戦った敵が浮かぶ。

 古代兵器(ナラクヴェーラ)模造天使(エンジェル・フォウ)。どちらもヴァトラーが興味を示し、運用次第では真祖を打倒する可能性を秘めていた。第四真祖である古城自身も、並の真祖を超える戦闘力を持つ。

 思考の海に沈んだ古城を見て、水着軍団は今の段階ではチャンスは無いと諦めたようだ。リーダー格らしい赤ビキニに促されるまま浴場を後にしかけ、赤ビキニが振り向く。

 

「ところでバビル2世。あなたの力も遺伝するというのなら、喜んでお相手しますよ?」

「残念だが、相手をする気は無い。早く出て行ってくれ」

「あら残念。ですがお2人とも、やりたくなったらいつでも声をかけてくださいね? 今日のところは彼女さんにお譲りします」

 

 そう言い残し、水着軍団は今度こそ浴場を去っていった。

 

「さて、やっと邪魔者はいなくなったか」

 

 いつの間にか、バビル2世が古城の傍まで来ていた。その目は真剣そのもので、思わず古城は居住まいを正す。

 

「南宮攻魔官の現状については、ある程度こちらでも把握している。それから個人的に導き出した解決策なんだが……ロデム?」

 

 突然しもべの名を呼んだバビル2世の視線を辿ると、水着軍団が去っていった扉から黒豹が顔を出していた。互いになぜ相手がこの場所にいるのかわからないため硬直し続ける主としもべ。その様子に声をかけられない古城だったが、3者ともに続いて響いた声で状況を理解した。

 

「サナちゃん、濡れてるかもしれないから走らない! ロデム、サナちゃんを止めて! 行くわよ、アスタルテさん!」

命令受諾(アクセプト)

 

 扉の向こうから響く声に、古城は猶予が無いことを悟る。このままではまずいことになるのはわかりきっているが、どう行動すればいいのか浮かばない。迅速な判断を下したのは、バビル2世だった。矢継ぎ早に指示を飛ばす姿は、歴戦と呼ぶにふさわしい。

 

「ロデム、入口を塞げ! 同時に相手方に状況説明、15分後から入浴を頼むと伝え、更衣室から出たら僕に連絡! こちらは念のため、其方が更衣室を離れてから1分後に速やかに離脱する!」

「はい!」

 

 バビル2世の誇るしもべは、下された指令を忠実に実行する。音すら吸収する身体によって通路は完全に封鎖され、互いの肌を目撃し合う年頃の子供には些か厳しいハプニングは寸前で回避された。

 

「暁古城、部屋に戻り次第、先程の話の続きをしよう。ここで話して万が一君の友人に聞かれた場合、言い訳不可能になる」

「あ、ああ。わかったよ」

 

 どこか疲れたようなバビル2世の提案に、古城はただ頷くことしかできなかった。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 煌坂紗矢華 きらさか-さやか
 獅子王機関の舞威媛。
 男嫌いで有名であったが、古城にはその嫌悪感が向かず、好意的な感情を抱いている。
 しかし、素直になれない性格とズレた知識から、古城にその感情が伝わっていない点が残念な所。

 キラ・レーベデフ・ヴォルティズラワ
 ディミトリエ・ヴァトラーに使える吸血鬼。
 若くともすれば女性にも見えるような外見をしているが、旧き世代の吸血鬼であり実年齢は不明。
 一見して大人しそうに見えるものの、ヴァトラーが傍仕えに採用していることから予想できる通り武闘派。

 仙都木阿夜 とこよぎ-あや
 本文登場まで、解説は控える。

 仙都木優麻 とこよぎ-ゆうま
 ストライク・ザ・ブラッドヒロイン。
 ボーイッシュな美少女であり、古城の幼馴染。
 その正体は悪魔と契約した魔女であり、母である仙都木阿夜を監獄結界から脱獄させるため絃神島に来島した。
 目的こそ使命だが古城への思いは本物であり、計画を阻止寸前まで追いやられたにもかかわらず逆に清々しい表情を浮かべた。
 直後に仙都木阿夜によって南宮那月ごと体を貫かれ、さらには魔女の力の象徴である守護者を霊的に引き剥がされ重傷を負っている。

 トビアス・ジャガン
 ディミトリエ・ヴァトラーに使える吸血鬼。
 キラとは逆に刺々しい雰囲気を纏う少年の外見だが、旧き世代の吸血鬼の吸血鬼であるため外見の数倍の時を生きている。
 こちらも武闘派であり、キラと揃ってヴァトラーの傍仕えとして振り回されているらしい。
 主が気にかけている古城には激しい嫉妬を覚えている。

 姫柊雪菜 ひめらぎ-ゆきな
 ストライク・ザ・ブラッドメインヒロイン。
 その判断力と知識は並々ならぬものであり、外見に惑わされた者は手ひどい反撃を受ける羽目になる。
 意外とイベント好きな面があり、波朧院フェスタも陰ながら楽しみにしていたようだ。

 水着軍団 みずぎぐんだん
 ディミトリエ・ヴァトラーに差し出された人質たちに、古城が暫定的につけた仇名。
 生贄として祖国から売られたと書けば悲惨だが、肝心のヴァトラーがあまり興味を示していないため、立場を利用して日々楽しく暮らしているらしい。

 忘却の戦王 ロスト・ウォーロード
 世界最古の夜の帝国たる戦王領域を支配する、第一真祖の別名。
 多くの謎に包まれた72体の眷獣を従える吸血鬼の覇王であり、人間と魔族の共存を謳った聖域条約成立の立役者。

 施設・組織

 オシアナス・グレイヴⅡ
 ナラクヴェーラ事件で破壊された、オシアナス・グレイヴの後継機。
 ヴァトラーの立場上、特例的に大使館としての機能を付与されているが、ヴァトラーがきちんとそれらを活用しているかは不明。

 種族・分類

 模造天使 エンジェル・フォウ 
 人間を生きながら天使と化すアルディギア王家の秘術。
 人体改造を始め非人道的観点から禁術とされているが、叶瀬賢生が実行し叶瀬夏音を昇天ギリギリの状態にまで仕上げた。
 最終段階に入った時点で神の座す高位次元に属する存在となるため、次元ごと貫かない限り干渉すら不可能な上位存在となる。

 血の従者 ちのじゅうしゃ
 吸血鬼が自らの一部を植え付けて生み出す一代限りの疑似吸血鬼。
 親である吸血鬼の格や素体との相性でその実力は変化し、真祖の血の従者ともなれば旧き世代の吸血鬼を打破することも夢ではない。

 古代兵器 ナラクヴェーラ
 神々が作り上げたとされる生体兵器。
 自己再生機能と学習機能を併せ持ち、破壊されない限りは攻撃されればされるほど強くなる。
 発掘された機体はその全てが自己崩壊プログラムによって消滅している。


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4話 混乱の目覚め

 ミスが発覚したため、バビル2世と那月先生が最後に会った時期を10年前から変更しました。これは1年前のタイプミスです。
 とても初歩的なミスなので黙って修正しようとも考えたのですが、混乱を生みかねないのでここでお知らせします。



 風呂から迅速な撤退をした男性2人は、着替えを終えて与えられた客室で腰を落ち着けていた。

 

「さて……散々邪魔が入ったが、空隙の魔女回復についての話だ」

 

 真剣な表情でバビル2世が切り出す。古城は思わず居住まいを正し、備え付けの椅子に腰かけた。

 

「あらためてになるが、僕は現在の状態をある程度把握している。あくまで伝聞での情報だから、間違いがあれば指摘してくれ。

 今空隙の魔女はなんらかの呪いで幼児化させられている。固有堆積時間(パーソナルヒストリー)を奪うなど、尋常な手段ではないだろう」

「それなら実行してた魔女が言ってたぜ。魔導書の力で固有堆積時間(パーソナルヒストリー)を奪って力と経験を失わせたって」

 

 古城からの情報に、バビル2世の眉間に皺が刻まれる。

 

「なるほど、厄介だな。

 魔導書の呪が原因となると、対抗手段はまず無い」

 

 あっさりと告げられた内容に古城が立ち上がるが、バビル2世はそれを手で制した。

 

「まだ話は終わっていない。正確には、1つだけしか対策が思いつかない。

 魔導書の呪いによって現在の状況が引き起こされている以上、魔導書を奪い効果を途切れさせればいいだけの話だ。固有堆積時間(パーソナルヒストリー)を留めておくほどの魔導書を操る魔女だ。並大抵の敵ではない点が問題だな。

 ついでに言うと、その魔女には心当たりがある」

 

 バビル2世が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。古城は思わずバビル2世の顔を覗き込んだ。優麻の話からすれば、彼の魔女は10年もの時間を監獄結界の中で過ごしていたはずなのだ。バビル2世との接点があるとは思えない。

 混乱する古城をよそに、バビル2世は話を進めていく。

 

「10年前、この島で大規模な魔導テロを引き起こした犯罪者、LCOの総記、書記(ノタリア)の魔女。あの仙都木阿夜が脱獄したんだな。

 南宮攻魔官の裏をかくとは、よほど虚を突くような仕掛けでもしたか」

「なんで……仙都木阿夜を知ってるんだ? その言い方からして、資料で知った程度の話じゃないだろ?」

 

 思わず、古城は追及するような調子で理由を尋ねた。それに対するバビル2世の返答は単純なものだ。

 

「10年前の魔導テロ、通称闇誓書事件を解決したのは当時高校生だった南宮攻魔官だ。その事件解決に、僕も協力していたのさ」

 

 目を見開く古城をよそに、バビル2世は話を続ける。

 

「だからこそ、魔導書の厄介な点は把握している。予想よりもまずい状況ではあるが、やらないよりはましだ。

 暁古城、君は注射が苦手かな?」

 

 突然話の方向性が変わった。

 

「……え、いや、別に苦手とかは無いですけど」

「ならよかった。とりあえず右腕を出してくれ。血を少し採る」

 

 懐から注射器を取り出し、バビル2世が事も無げに告げた。

 

「いやいやいや、なんでいきなり採血!? 那月ちゃんを助けるって話じゃないのかよ!?」

「そう、空隙の魔女を救うための話だ。

 端的な説明になるが、魔導書の呪いはあくまでも一時的な変容であり異常な状態ということはわかるだろう。魔導書の力によってだが、対象が魔力を回復した途端に呪いが外れるといったケースが数件ではあるが確認されている。弱った体に魔力を注いだところ、本能的にそれを操り呪いを外したらしい。

 そこでだ、君の血は魔力を多く含んでいるだろう? それこそ市販の魔力回復剤など及びもつかないほどの量だ。少し君の血を取り、カプセルに入れて南宮攻魔官に飲ませる。上手く行けば膨れ上がった魔力で呪いは外れるし、外れなくとも魔力が増えることによって有害な効果が出ることはないからな」

 

 そういいながら、採血の準備が淡々と進められていく。たしかに、吸血鬼の真祖である古城にとって採血程度で体がどうこうなるわけではないのだから、どことなく準備が雑なように見えるのは仕方がないのかもしれない。だが、それをあくまでも一般市民的思考を持つ古城が容認できるかは別の話だ。

 

「待て待て! せめてもう少し丁寧な準備してくれよ! 流石に怖いぞ!」

 

 古城が慌てる間にも、バビル2世は準備を進め古城と向かい合った。すでに採血準備は終了しており、古城が腕を出せばそれで済む。

 

「……なあバビル2世、ひょっとして焦ってるのか?」

 

 何気ない古城の一言に、バビル2世は目を見開いた。頭を振り、どこか疲れたような目で古城を見る。

 

「ああ、たしかに少し焦っていたな。さっきも言った通り、仙都木阿夜の力は良く知っている。友人でもある南宮攻魔官が、あの力を使われたと聞いて冷静さを欠いていた。すまないな、暁古城」

 

 自らの非を認め、バビル2世は頭を下げた。古城はあっさりと下げられた頭を見て、かえって慌てることになる。彼ほどの実力者が、こうも容易く弱みを認めるとは思っていなかったのだ。慌てて頭を上げるよう伝えようとし、その言葉を飲み込んだ。腕をまくり、バビル2世の前に突き出す。

 

「さ、準備ができたからやってくれ。でも、あんまり痛くしないでくれよ?」

 

 バビル2世が顔を上げると、古城は茶目っ気のある笑みを浮かべていた。

 

「感謝する、暁古城」

 

 短く感謝を伝え、手早く注射針で血を取り、懐から取り出した小さなカプセルに血を詰める。小指の先ほどのカプセルに第四真祖の血が満ち、バビル2世はそれを満足そうに眺めている。

 

「これでとりあえずの準備は完了だ。改めて、協力に感謝する」

「いや、そこまで言われると照れくさいからやめてくれ。

 そういえば、なんで俺の血にそこまでこだわったんだ? お前の血でも十分な力になりそうだけど」

「ああ、君は知らないのか。僕の力は過適応能力のみ。魔力の類は常人に毛が生えた程度しかないのさ」

 

 告げられた事実に、古城は飛び上がるほどに驚いた。

 

「まさか浩一さんと同じとは思わなかった……」

「ははは、そうでなくては世界最強の過適応能力者(ハイパーアダプター)とは呼ばれないさ。それだけで多くの魔族を打ち倒し、犯罪者共を下してきたからこその称号だ。自分から名乗ったものではないけどね」

 

 笑いながら、採血道具を片付ける世界最強の一角。現状の古城では手も足も出ずに捻り潰されるであろう相手にしては威圧感が無く、古城が知る強者たちと比較してとても常識的だ。

 

「ヴァトラーもあんたくらい常識的ならよかったのにな……」

「長く生きた者は大なり小なり歪みを抱える。僕は幸い人と関わることが多かったから、その歪みに自分で気がつくことができただけさ。

 吸血鬼の貴族のように自分の領地で好きに生きていたら、もしかすると世界相手に戦う組織の首領にでもなっていたかもしれないな」

 

 どこか寂しげに笑うバビル2世に、古城が声をかけようとしたところで扉が叩かれた。

 

「古城、入るわよ?」

「あ、浅葱か。開いてるぞ!」

 

 何とも言えない空気になった室内で、天の助けとばかりに古城は友人を招き入れた。開いた扉から勢いよくサナが室内に飛び込み、それを微笑ましく見る浅葱と無表情のアスタルテが続く。最後にロデムが扉を閉めながら入ってきた。

 

「ロデム、異常は無かったか?」

「はい、監視や盗聴の類は確認できませんでした」

「それならいい。

 アスタルテ、疲労は取れたか?」

「肯定。しかし、予想以上の回復が確認されました」

「……念のため調整槽を使って全身を調べる。この件が終わったらできるだけ早くだ」

「肯定。眷獣の使用に問題点はありません。ただし、長時間の運用は不安が残ります」

「今のところ戦闘は僕が引き受ける。部分召喚で護衛ができればそれでいいさ」

 

 状況確認をするバビル2世とアスタルテをよそに、豪華な客室にはしゃぐサナを古城と浅葱、そしてロデムは怪我をしないよう見張っている。

 

「こうしてみると、ただの子供みたいだな。元気すぎで怪我しないか不安になってくるけど」

「ほらサナちゃん、ベッドで跳ばないの。中のバネが歪んじゃうから」

 

 若夫婦のようなやり取りとする2人に、護衛の打ち合わせが終わったバビル2世が割って入った。

 

「会話中すまない。サナにこの丸薬を飲ませてくれ」

「丸薬って……え、なにその毒々しい赤色のカプセル」

「試作の魔力回復剤だ。人体への影響がないことは確認済みだから、飲んで悪い方向に向かうことはない。

 僕よりも、懐いている君の方が素直に飲むだろう」

 

 そう言って古城の血が詰まったカプセルが浅葱に手渡された。半信半疑の浅葱だったが、バビル2世を信用していないわけではないのでサナにカプセルを飲ませる。

 思いのほか抵抗なくカプセルを飲んだサナを見て、浅葱は息を吐いた。ベッドから勢いよくロデムに跳びかかるサナに聞こえないように、声を潜めて古城とバビル2世へと話しかける。気を使ってか、アスタルテがサナたちの傍にしゃがみ込み意識を逸らした。

 

「那月ちゃんが監獄結界の〝鍵〟ってのは本当(マジ)なわけ?」

「その通りだ。本来は秘匿事項に該当する情報だが、君達なら言いふらしはしないだろう」

「で、ああなったのは魔導書の呪いで経験した時間を奪われたらしい」

 

 バビル2世の肯定と古城の情報を聞き、浅葱は驚きを隠せないでいる。

 

固有堆積時間(パーソナルヒストリー)操作の魔導書なんて、禁呪指定クラスの危険物が犯罪者の手にあるっていうの?」

「残念ながら。ついでにその犯罪者は過去に魔導テロを引き起こしかけたこともある」

「で、古城は優麻さんのせいで今回の事件に巻き込まれたのね」

「え、なんで知って……?」

 

 浅葱の不意打ちの質問に、古城は素直すぎる反応を返してしまった。バビル2世が思わず額を押さえる横で、浅葱が種明かしをする。

 

「人工島管理公社の記録で見たのよ。10年前の闇誓書事件を引き起こして那月ちゃんに捕まった魔女は仙都木阿夜。この珍しい名字で、偶然ってことはまずないでしょう? ついでに、その戦闘にバビル2世が関与していることも記録されていたわ」

 

 10年前の戦闘記録が公社に保管されている可能性を、古城は完全に失念していた。ならば、闇誓書の正体も書かれている可能性がある。それを聞こうとした古城だったが、突然サナが目をこすりふらつき始めた。アスタルテが体を支え、ゆっくりと浅葱へと近づく。

 

「ママ、眠い……」

「え? ああ、こんな時間だもんね」

 

 零時近くを指す時計を眺め、浅葱はサナを抱きしめた。そのまま横になり、サナの背を軽く叩く。

 

「眠って大丈夫よ。私たちが傍にいるから」

 

 それを聞いたサナは安心したように笑みを見せ、すぐに眠りに落ちた。起こさないよう静かに離れる浅葱の顔には、慈愛の笑みが浮かんでいる。

 

「なんか、そうしてるとほんとの母親みたいだな」

 

 古城の一言に、不意打ちを食らった浅葱が顔を真っ赤に染めた。

 

「ちょ、何言ってんのよあんた!

 だいたい、私が母親なら父親はあんたってことに……」

 

 浅葱の目が一点を見つめ、声が尻すぼみに小さくなる。バビル2世は我関せずとロデムを撫で、目線を逸らした。アスタルテですら、明後日の方向を向いている。

 

「父親は、誰になるんですか、先輩?」

 

 どこまでも透明で、まるで温度を感じさせない声が響く。古城がゆっくりと目線を扉へと向けると、感情を浮かべない表情の雪菜と身を縮こまらせる紗矢華が立っていた。

 

「ひ、姫柊……いつの間にここに?」

「つい先ほどです。係の方に名前を告げたら、とてもスムーズに案内されたので」

「えーっと、怒ってますか?」

「何故怒っていると思うんですか? 何かやましいことでも?」

 

 だんだんと部屋の気温が下がっているような気さえする。流石に耐えかねたのか、バビル2世が小声で紗矢華と会議を始めた。

 

「獅子王機関の舞威媛だったな。あの剣巫を何とかできないのか? このままだと会議もままならない」

「無茶言わないでもらえます!? ああなった雪菜は、私でも怖いんですから!」

 

 そんな2人を無視し、雪菜はゆっくりと古城へ近づいていく。何故か、古城は本能的に危機を感じ取った。このままでは何かがまずい。

 

「那月先生が小さくなったとは聞いていましたが、それを利用して藍羽先輩と夫婦ごっこですか。こちらは先輩を心配して急いで駆け付けたのに、2人でずいぶんと楽しそうでしたね。同じ部屋にバビル2世とアスタルテさんもいるのに、どうして平気でそういった行為に及べるんですか?」

「まて姫柊、お前なにか盛大な勘違いをだな!」

 

 突如、何の前触れもなくサナが立ち上がった。目は大きく見開かれ、動きも不自然極まりない。

 

「えっと、サナちゃん?」

「ロデム、敵性存在の攻撃の可能性がある。油断するな」

 

 騒然となる室内で、サナは大きく息を吸った。その場の全員が警戒する中、サナは次なる行動に移る。

 

「――――ナー・ツー・キュン!」

 

 アイドルのようにかわいらしいポーズを決め、謎の宣言を大声で発する。先程までのサナとも普段の那月とも違うテンションに、室内にいた者たちは例外無く度胆を抜かれた。ロデムですら、豹の顔にも拘らず口を開けて驚いている。いや、バビル2世だけは頭を抱えている。

 

「な、那月先生?」

「サナちゃん、どうしたの?」

 

 恐る恐る話しかける雪菜と浅葱を無視し、サナの口からは言葉が止まることなく発され続ける。

 

主人格(メインパーソナリティ)睡眠状態(スリープモード)への移行を確認。徐波睡眠(ノンレムスリープ)固定(ロック)。潜在意識下のバックアップ記憶領域へと接続。固有堆積時間(パーソナルヒストリー)復旧(リストア)を開始します。復旧(リストア)完了まで残り47分」

「まさか那月ちゃんの記憶が戻ったとか? ……バビル2世、何か知ってるのか?」

 

 あっけにとられていた古城が、1人だけリアクションの違うバビル2世に説明を請う。他の女性たちも、無言で頷き同意を示した。

 

「あれほど緊急時の人格だからこそきちんと備えろと……」

「バビル2世以外ははじめまして。私は南宮那月ュンのバックアップ用仮想人格です。キュン!」

 

 バビル2世を差し置いて自己紹介を終えたサナは舌をペロリと出し、謎のかわいらしいポーズをとった。続いて堂々としたドヤ顔で、混乱する一同を見下ろす。

 頭を抱えたバビル2世の溜息が、不思議と大きく部屋に響いた。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 施設・組織

 LCO ライブラリ・オブ・クリミナル・オーガニゼーション
 通称図書館と呼ばれる、仙都木阿夜が作り上げた魔導書を管理、収集する大規模犯罪組織。
 図書館の分類法に基づいた組織体形を持っており、所属する魔女や魔導師が力の源として魔導書を利用していることが大きな特徴。

 種族・分類

 固有堆積時間 パーソナルヒストリー
 ある存在が生まれてから現在に至るまでの時間そのもの。
 これを奪われるということは、単なる幼児化ではなく記憶、経験といったその人物を形成してきたもの全てを失い、存在自体が巻き戻ることを意味する。


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5話 島に迫る危機

 仮想人格(バックアップ)がおこした突然のキャラ崩壊に混乱する一同を捨て置き、当の本人はじつに楽しそうに話し続ける。動作と口調だけが明るく、声音は一定のテンションという点がとても不気味であるが。

 

「まずはありがとうキュンバビル2世。例のお薬で魔力の回復に問題は無さそうです。おかげで復旧(リストア)が予想以上に短く済みそうだキュン!」

 

 演劇のように大げさな身振り手振りで感謝を伝える仮想人格(バックアップ)だが、バビル2世は何とも言えない表情だ。古い知り合いの顔で、本人とかけ離れた言動をされればこうもなるだろう。

 

「そうだ、復旧(リストア)ってことは、もとの那月ちゃんに戻れるのか?」

 

 一縷の望みを抱いた古城の問いに、仮想人格(バックアップ)は無駄にくるりとステップを踏んでから答えた。

 

「残念ながら、それは無理っぽいかな? 魔力こそさっき言ったみたいにお薬のおかげであるていど戻ったけど、魔術を使うには体が幼すぎるんだよね。無理に使いでもしたら、反動で体が耐えられないっぽい。

 でもでも、記憶だけなら何とかなりそうでもない、キュン?」

「そうそう上手い話は無い、か」

「でも、このまま10年くらい待てば元通りになるし、のんびり待って見るキュン?」

「待てるか長すぎるわ!」

 

 古城と仮想人格(バックアップ)のコントじみたやり取りを後目に、獅子王機関の2人は小声で対策を話し合い始めた。

 

「流石はLCOの大司書……空隙の魔女をもってしても、簡単には対処できない呪いなんて」

「紗矢華さんでも、対処できないですか?」

「ごめんね雪菜。舞威媛としてある程度の呪詛返しは修めているけど、ここまで強力で複雑な呪いはちょっと手におえないわ。受ける前に備えてたとしても、緩和くらいしかできないと思う」

 

 申し訳なさそうに眉を顰める紗矢華だが、力ある魔導書の呪いを緩和できるだけでも驚異的な対抗魔術だ。今この場では意味が無いだけであって、十二分に誇ることができる腕前である。

 

「なによそっちはこそこそしちゃって。

 というか那月ちゃんの抑圧された潜在意識って、こんな人格だったんだ。意外なような、わかるような……」

「いや、これはあくまでも魔術によって生み出された代替人格だ。友人の名誉のためにも、その勘違いは正させてせてもらう」

 

 どこか納得したような浅葱の独り言に、バビル2世は素早く訂正を入れた。

 

「……てか、これ大丈夫なのか? 事件を無事解決した場合、元に戻った那月ちゃんの反応が怖いんだけど?」

 

 古城の漏らした危機的な未来予測に、一瞬で室内が沈黙に包まれた。自分本来の人格ではないが、自分の身体が盛大に暴走した姿を見られた場合、しかもそれが普段の自分とはまるで違うキャラクターだった場合に冷静になれる人間がどれほどいるだろう。

 

『やっと見つけたぜ嬢ちゃ……なんだ、この空気?』

「モグワイ!? いいところに!」

 

 突然部屋に備え付けられていたテレビに電源が入り、画面に映し出されたぬいぐるみのようなアバターが困惑の声を漏らした。浅葱は天の助けと言わんばかりにモグワイへ話題を変更する。例えそれが問題の先送りでしかないとしても、一介の女子高生の精神に現在の悩みは重すぎたのだ。

 

『妙に食いつきがいいな、珍しい。まあいい、実は厄介な異変(トラブル)が発生してな』

「監獄結界が出現して、脱獄囚が暴れまわって、おまけに固有堆積時間(パーソナルヒストリー)操作の魔導書を持った仙都木阿夜が野放しになってるってのに、これ以上の異変(トラブル)が起きたって言うの?」

 

 皮肉を交えた浅葱の問いに、モグワイはあっさりと肯定を返した。

 

『ああ。中々にヤバい異常事態だ。嬢ちゃんたちが通っている彩海学園を中心に、妙な空間が発生してる。その空間の中だと、魔術が使用不能になってるみたいだ。魔術を利用したデバイスは全部止まるし、発動されてた魔術もキャンセルされてる』

「……魔力が無効化されてるってこと? 平和でいいんじゃない」

 

 浅葱の呑気な回答に、モグワイは重々しく頷いた。

 

『たしかに、平和でいいことだ。ここが絃神島っていう人工島じゃなくて、魔術研究の最前線じゃなければ俺も全面的に同意してただろうなァ』

「っ、強化魔術!」

『ご名答。現在の人工島維持に必要な、思いつく限りの建築魔術が軒並み機能を停止してやがる。すでに学園周囲じゃ強化切れの強度不足による破損に、悪霊除けの機能停止で怨霊発生なんてトラブルが少なからず報告されてるぜ。このまま空間が広がり続けて島を覆いつくせば、ちょっとどころじゃないくらいにヤバい状況になること請け合いだ』

「最悪ね……」

 

 いかに建造当時最先端の技術を駆使したとはいえ、科学の力だけで絃神島を構成する超大型浮遊式構造物(ギガフロート)を海上に浮かべる事は出来なかった。重すぎる重量は軽量化を、足りない強度を強化で、潮風に錆止めを、怨念に悪霊除けを駆使し、この人工の島は都市として成立している。

 科学と魔術2本の柱によって支えられている島から、その片方が突如消失すればどうなるか。それを想像できない者はこの場にいない。

 

『で、ダメコンの計算やら避難誘導のプログラムを構成できる連中をかき集めてるってわけだ。バイト代も弾むぜ』

「事情はわかったけど、公社まで行く足が無いわ。モノレールの駅までもけっこう遠いわよ?」

「ならロデムに送らせよう。ついでと言ってはなんだが、アスタルテも護衛に付ける。緊急事態だ、塔守にも計算を手伝わせよう」

 

 悩む浅葱に、バビル2世が破格の援助を申し出た。喜ぶ浅葱だったが、モグワイは訝しげに尻尾を揺らす。

 

『ありがたいが、随分と太っ腹だな』

「島1つが沈むかもしれないという状態で、出し惜しみはできない」

『なら、移動にロプロスを貸してくれねーか? ロデムも早いが、ロプロスなら数分で着くだろう?』

「落下の危険があるからな。それに、その空間とやらに万が一にもロプロスを入れるわけにはいかない」

『ならいいんだ、忘れてくれ。一応こっちからも護衛を送る予定だから……』

 

 モグワイも図々しいと思っていたのか、食い下がらずに会話を切り上げ段取りを話し始める。

次の瞬間、何の前触れもなく部屋の電気が非常用に切り替わり、モグワイを映していたテレビも電源が切れる。

 

「アスタルテ、窓から飛来物!」

命令受諾(アクセプト)――実行せよ(エクスキュート)、〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟」

 

 第六感によって異常を感知したバビル2世が飛ばした指示に、アスタルテは即座に眷獣を部分召喚し答えた。薔薇の指先(ロドダクテュロス)の顕現とほぼ同時にガラスが砕け散り、何かが室内へと突っ込んでくる。

 咄嗟に身を守る一同だったが、飛び散ったガラス片はバビル2世の念動力(テレキネシス)で、突っ込んできた物体は薔薇の指先(ロドダクテュロス)の腕が受け止めたため被害は出ていない。

 アスタルテの眷獣が受け止めた物体を見た古城は、思わず声を上げた。

 

「な、ヴァトラー!?」

 

 仕立てのいいスーツを血で染め上げ、髪が風圧で乱れたディミトリエ・ヴァトラーが眷獣の腕の中で獰猛に笑っている。

 

「ああ古城か。悪いけど今いいところでね……話はまた今度にしてもらえるかな!」

 

 濃密な魔力を身に纏い、ヴァトラーが割れた窓から飛び出していく。状況が処理しきれない古城と浅葱を置いて、他の面々は既に脱出の準備を始めていた。

 

「待て待て、何が起きてるんだよ! まさか、監獄結界の脱獄囚か!?」

「ご名答ニャン! どうやら正面からこの船に乗り込んできたみたいだニャン?」

「マジかよ……てかキャラブレてるぞ」

 

 古城の疑問に、仮想人格(バックアップ)が軽い口調で回答する。口調が定まっていない外見幼女に冷たい目を向けつつ、古城は状況把握のため窓から外を静かに伺う。

オシアナス・グレイヴⅡの甲板上で、ヴァトラーの眷獣が襲撃者に切り裂かれていた。前時代的な鎧を身に纏い、馬鹿げた大剣を振り回している様は神話の英雄のようだ。

 

「馬鹿な……眷獣を切っただと!?」

「なにをぼさっとしてる暁古城!」

 

 バビル2世の怒鳴り声と共に、古城の身体が宙に浮いた。そのまま勢いよく室内から引き出され、廊下に放り出される。

 

「今は船からの脱出が先決だ。

 ロプロス、上空からの情報は脱獄囚を重点的にだ! ロデム、藍羽浅葱と幼児化した南宮攻魔官を背中に乗せろ!」

 

 既に廊下を警戒している獅子王機関組に、しもべからの情報を処理するバビル2世が続き、浅葱とサナを背負うロデムが続く。そして、殿を務めるのは眷獣の腕を顕現したアスタルテだ。

 

「ありがとうアスタルテ」

 

 無言で頷く人工生命体(ホムンクルス)の少女に背中を守られつつ、廊下を撤退する一同の前に、彼らを浴場に案内したキラが現れた。警戒する一同に、キラは苦笑しながら道案内を申し出た。

 

「私が後部デッキに案内します。一番近い搭乗口はそちらになりますので」

「助かるけど……ヴァトラーをあのままにしてていいのか? けっこうでかいダメージ食らってたぞ?」

「ええ、まあ、いつものことですので。仲間がフォローに回っていますし、大事にはならないと思います」

 

 キラの視線を辿れば、港の倉庫に人影が見えた。眷獣を呼び出し、戦闘の余波を防いでいるところを見るに吸血鬼なのだろう。他にも数人が、散らばって余波を防いでいるようだ。

 

「いざとなれば助けにも入れますし、皆さんはどうぞ避難してください。ただ、我々は全力で市街地の保護に回りますので、護衛には手が回らないのですが……」

「いや、助かるよ。みんなもそれでいいか?」

 

 古城の問いに、一同は頷きキラに続いて船内を走る。廊下を走る間にも、船を襲う揺れは強くなり蛍光も不安定に明滅する。

 

「ロプロスからの情報を精査した。現在アルデアル公と戦闘しているのはブルード・ダンブルグラフ。龍殺しの末裔で、相性からしてアルデアル公は不利だな。たった今4体目の眷獣が切り裂かれた」

「なっ!?」

 

 バビル2世の情報に、思わず古城が反応する。吸血鬼がその身に宿す眷獣は、近代兵器など比較にならない戦闘能力を誇る。武闘派で知られるヴァトラーの眷獣ならば、街1つを軽く滅ぼすほどの力をもっている。

 その眷獣を、正面から打倒する存在。先程自らの目で見てはいたが、一度だけならばヴァトラーの油断という可能性もあった。だが2回目ともなれば、それは眷獣を超える戦闘力を持つことに他ならない。自らも眷獣を宿す古城だからこそ、反応も大きくなってしまったのだ。幸い、魔族特区育ちのため眷獣の強大さを知っている浅葱も驚いていたため、不審に思われることはなかったが。

 

「大丈夫です。あの程度の相手ならば、あの方が苦戦こそすれ負けることなどありえませんから」

 

 不安そうな様子を一切見せず、笑みすら浮かべでキラは断言する。

 装甲話している内に、一行は船のデッキにたどり着いた。既に搭乗口のタラップは降ろされており、勢いのまま船を駆け下りていく。

 

「私は主の援護に向かいますので、ここまでとさせていただきます。皆様の無事をお祈りしています」

「ああ、助かったぜ。ありがとうなキラ君」

 

 丁寧に頭を下げるキラに、古城が礼の言葉と共に手を差し出す。何故か頬を赤らめながら、その手を握り返す。思わぬ掌の柔らかさに古城は驚き、離された後に思わず手を見つめてしまった。

 その様子を見て、浅葱が疑わしげな目つきになる。

 

「ねえ古城、前から思ってたんだけど……あんた、男が好きなの?」

 

 言い放った浅葱以外の時間が止まり、当の古城は脳が質問の意味を理解できていない。生温い沈黙の後、古城が泡を喰って口を開いた。

 

「待て待て待て! 何をどうしたらそんな発想になるんだよ! てかこの状況下でいう事か!」

 

 周囲を見れば、雪菜が悲痛な表情を浮かべ、紗矢華に至っては性犯罪者に向けるような目つきになっている。アスタルテは表情が読めず、仮想人格(バックアップ)は状況を面白がっているのが見え見えだ。

 バビル2世が浅葱に残念なものを見る目をしていることを救いとし、古城は改めて問題発言をかました友人と向き合う。

 

「だって、そうとして考えられないんだもの! 〝戦王領域〟の貴族と仲がいい理由もそれで説明つくじゃない! あの人めちゃめちゃ美男子だったし、仲がいい優麻さんもボーイッシュだったしさ」

「あの馬鹿は引き合いに出さないでくれ鳥肌立っただろ! それに優麻は小学生(ガキ)のころからの友人(ツレ)だから、好きとか嫌いとかそういうんじゃないしな」

「でも!」

 

 なおも食い下がろうとする浅葱と言葉を遮り、オシアナス・グレイヴⅡで行われる戦闘の余波が轟音と共に一行近くの大型クレーンを直撃した。異音と共に鉄の塊がゆっくりと傾き、古城たちを押し潰さんと迫る。

 

「全員、念のため頭を下げておけ」

 

 落下地点から逃げようとする一行を、バビル2世の冷静な声が押し留めた。自らの念動力(テレキネシス)で崩れ落ちようとする鉄の塊を押さえつけ、出来る限り被害の少ない開けた空間へと落とす。

 

「全員怪我はないか?」

「やあやあお見事! 凄まじい力でありますな過適応能力者(ハイパーアダプター)殿!」

 

 事も無げに告げるバビル2世を褒め称えながら、赤い装甲の奇妙な乗り物が一同の前に滑り込んできた。リクガメのような外見の本体に榴弾砲が装着されている。対魔族用に試作された、市街戦用の超小型有脚戦車(マイクロロボットタンク)だ。その頭頂部にあるハッチから身を乗り出しているのは、バビル2世のそれよりも鮮やかな赤い髪を持つ、12歳前後に見える外国人の少女だった。体にぴったりとフィットするパイロットスーツの胸部には、何故か『でぃでぃえ』と書かれたゼッケンが縫い付けられている。

 

「……その喋り方、まさか〝戦車乗り〟!?」

「ご名答! リアルでお目にかかるのは初めてでござるな、女帝殿。

 拙者リディアーヌ・ディディエと申す。モグワイ殿に頼まれて、護衛に参上した次第」

 

 戦車乗りとは、浅葱と同じく人工島管理公社に雇われているフリーランスのプログラマーだ。戦車が中年男性の顔を乗せているアバターに加え、低く加工された声、さらに時代劇のような話し方から、てっきり男性だと思っていた浅葱は驚きを隠せないでいる。

 

「……お前の友人も、濃い奴が多いよな」

「うっさい! あんたが言えたこと?

 戦車乗りにまで招集がかかってるってことは、けっこうヤバい状況みたいね」

 

 浅葱の推察を、リディアーヌは真剣な表情で肯定した。

 

「その通りでござる。10年前の闇誓書事件、その再現と言って間違いないかと」

 

 客室で話していた事件名が告げられ、古城とバビル2世が顔をしかめた。資料を閲覧した浅葱も、苦い顔になっている。

 10年前に闇誓書事件を引き起こした犯罪者が脱獄し、その夜に同じ状況の事件が起きる。ただの偶然と片付けるには無理があるだろう。

 

「行ってくれ浅葱。サナはこっちで引き受けるから、島を頼む」

 

 いつになく真剣な表情の古城に浅葱は困惑するが、意を決したように頷いた。

 

「いいわ、でもひとつ約束して」

「なんだよ?」

 

 古城の背後に立つ雪菜に一瞬視線を向け、浅葱は意を決して口を開いた。

 

「この事件が終わったら、お祭りの続き、ちょっとでいいからあたしに付き合いなさいよ」

 

 言いながらも、浅葱はリディアーヌの小型戦車が持つマニピュレーターに抱き上げられる。思い切って勇気を振り絞った反動か、顔は真っ赤に染まり恥ずかしげに眼を逸らしている。

 そんな浅葱に対して、古城は力強く返答した。

 

「ああ、終わったらみんなで楽しもうぜ! パーッとな!」

 

 屈託のない笑みを浮かべた古城に、浅葱は一瞬あっけにとられる。

 

「――馬鹿っ!」

 

 怒りをむき出しにした怒鳴り声を残し、浅葱は戦車と共に去っていく。雪菜と紗矢華からの冷たい目線の理由を、古城は理解できていない。

 

「ロデム、アスタルテを乗せて並走し護衛しろ。アスタルテ、いざという時はロデムと連携し彼女たちを守るんだ」

「かしこまりました、ご主人様」

命令受諾(アクセプト)

 

 我関せずと指令を出すバビル2世も、どこか呆れたような雰囲気を漂わせている。アスタルテを乗せたロデムが去ってく様を見ながら、古城は途方に暮れた。

 

「全員構えろ、敵がすぐに来る。倉庫街の室内にいたのをロプロスが見落としていたようだ」

「おいおいおい、ずいぶんと湿気た空気になってんじゃねーか、ああ!?」

 

 バビル2世の警告の直後、突然聞きなれない粗暴な声が響き、一同は一斉に声の咆哮へと向き直る。

 

「お前は、監獄結界の脱獄囚!」

「シュトラ・Dだ!

 別に覚えなくてもいいぜ、全員ここで死ぬんだからな!」

 

 荒々しく吼えるドレッドヘアの脱獄囚と、古城を先頭とした一行は睨み合う形となる。

 絃神島を襲う危機は、佳境を迎えようとしていた。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 シュトラ・D
 次回本文まで、解説は控える。

 ブルード・ダンブルグラフ
 監獄結界の脱獄囚であり、龍殺しの一族の末裔
 圧倒的な攻撃に加え、先祖が龍の血を浴びることによって得た不死身の肉体をも引き継いでいるために防御面でも優れている。
 鎧を着ているのは防衛のためではなく、上記の肉体のために鎧以外は戦いで失われてしまうので衣装として身につけているに過ぎない。

 リディアーヌ・ディディエ
 戦車乗りの通称で活躍する、凄腕のプログラマー。侵入者を迎撃し、情報を守る防衛戦術を得意としている。
 基本的に人との交流をアバター越しに加工音声で行っていたため、正体、というよりも外見を知る者は非常に少ない。

 バビル2世 用語集

 用語

 第六感 だいろっかん
 バビル2世が持つ超能力の1つ。
 自らに迫る危険を察知する能力ではあるのだが、明確にその危険を判断できるわけではなく何かが起きること以外はわからない。そのため、この感覚が働いた瞬間に周囲を警戒する必要がある微妙に使い勝手の悪い能力である。


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6話 末裔同士の戦い

 突如現れた脱獄囚、シュトラ・Dはかなりのハイテンションでまくし立てる。

 

「ようようよう! 憎たらしい空隙の魔女を探してたら、俺のプライドを傷つけてくれた女に加えてあのバビル2世も見つかるなんてツイてるぜ俺はよ!」

「シュトラ・Dか。お前が相手となると、骨が折れるな」

 

 バビル2世の呟きに、雪菜が反応した。全ての魔力を打ち消すはずの雪霞狼で、眼前の脱獄囚が放った攻撃は防ぎきることができなかったのだ。疑惑の答えを知るかもしれない言動に興味を引かれたことを、責めることはできないだろう。

 

「バビル2世、あの男を知っているんですか?」

「ああ。南宮攻魔官があの男を捕まえたとき、僕も力を貸したからな」

 

 バビル2世の回答を、シュトラ・Dが肯定する。

 

「おうおうそうだったな。おかげで俺はあのクソみたいな監獄に何年も閉じ込められてたってわけだ。十分な礼をしないと気がすまないってもんだぜ!」

「避けろ!」

 

 バビル2世の警告と同時に、シュトラ・Dが腕を勢いよく振り下ろす。その場の全員が咄嗟に飛び退き、無人となった路上が暴風と衝撃波で粉砕された。

 

「くそっ、またあれかよ!」

 

 咄嗟にサナを庇って跳んだ古城が、破壊痕を見て憎々しげに呟く。初めて囚人たちと邂逅した時、自らを狙い放たれた攻撃。雪霞狼で打ち消す事の出来なかった遠距離攻撃は、護りの薄い古城にとって死なないまでも十分な脅威だ。

 注意深くシュトラ・Dを観察する古城の横で、紗矢華は舞威媛としての知識を総動員していた。彼女の知る現行の魔術系統に一切の類似点が無い攻撃であり、発動の際に祝詞の類も必要としていない。外見上ではあるが、特殊な武具を使用している形跡も見受けられず、能力を持った魔族というわけでもなさそうだ。

 ならば残された可能性は、魔力に依らない天然の能力者である可能性のみ。

 

「……まさか、過適応能力者(ハイパーアダプター)なの?」

 

紗矢華の推測に、古城たちの視線が一瞬ではあるがバビル2世に集中した。戦闘に特化した過適応能力者(ハイパーアダプター)の脅威は、この男が身を持って証明しているのだ。今眼前で行われた不可解な攻撃は、彼の行う念動力(テレキネシス)を使った攻撃に類似していると言えなくもない。

 その空気を、シュトラ・Dの怒声が打ち破った。

 

「俺をあんな連中と同じと考えるんじゃねえ! あんなまがいものと一緒にされるなんてよ、屈辱だぜ!」

 

 希少な戦闘特化の過適応能力者(ハイパーアダプター)を、まがいものと一言の元に切り捨てた。口調からして、誤魔化しや駆け引きの様子もないシュトラ・Dの言に、獅子王機関の攻魔師たちは混乱する。

 

「たしかに、お前の出自からすれば過適応能力者(ハイパーアダプター)をまがいものと呼ぶことはわかる。

 そのまがいものに敗北し、空隙の魔女に幽閉されていたと思うと笑えるな」

「ほざきやがれ!

 お前がただの過適応能力者(ハイパーアダプター)じゃねーってことくらい俺でも気がつくわ!」

 

 バビル2世の攻撃に、シュトラ・Dは意外な反論をした。馬鹿にするなや敗北の言い訳ではなく、バビル2世の異常性を指摘する言い方に、古城たちは強烈な違和感を覚えた。

 しかし、シュトラ・Dは間違っていない。本来過適応能力者(ハイパーアダプター)は1人1能力なのだ。能力を応用し幅広い活用法を編み出す者も少なくはないが、バビル2世のように根本から異なる能力を複数操る存在は確認されていない。

 

「ふん。天部の末裔から見れば、僕の能力もまがいものと言えるんじゃないか?」

 

 周囲の疑念をよそに、バビル2世は衝撃の事実を口にした。あまりの衝撃に、誰もが口を開くとこができない。

 天部とは、かつて地上に存在したと言われている亜神の末裔だ。有史以前に高度な文明を築き上げたと言われており、あの古代兵器(ナラクヴェーラ)も彼らの開発したものだという説すらある。

 獅子王機関でも様々な文献で彼らのことを学ぶのだが、本物と遭遇することは雪菜や紗矢華にとっても初めての経験だ。

 

「なんだ、自己紹介の手間はそっちが省いてくれるってわけだな! 楽になった礼にとっとと潰してやるからよ!」

 

 シュトラ・Dの背に突如2本の腕が出現した。生身の腕ではなく、念動力によって生み出された幻影の腕だ。六臂となったシュトラ・Dは全ての腕を勢いよく振り回し始めた。それぞれの腕から不可視の斬撃が繰り出され、辺りを面の攻撃で制圧していく。

 

「全員散らばれ! 集まっていれば集中攻撃を食らうぞ!」

 

 バビル2世の指示が飛ぶ前に、古城たちはそれぞれが回避行動をとっていた。戦闘経験が生きた形になるが、今のままではいずれだれかが被弾してしまうだろう。

 

「暁古城はこの場を離れ、姫柊雪菜は暁古城と共に南宮攻魔官の肉体を保護しろ。煌坂紗矢華には悪いが、僕と一緒にこの男を倒してもらうぞ!」

 

 バビル2世の瞳が輝き、シュトラ・Dが立っているアスファルトが一瞬で粉砕された。瓦礫の直撃こそ寸前で回避されたものの、斬撃の嵐は途切れ隙が生じる。

 

「行け、暁古城、姫柊雪菜!」

「行って雪菜! (かぎり)よ!」

 

 その隙を突いて古城と雪菜がサナをつれて戦場から退避を開始した。逃げ出す古城たちを止めようと反応を見せたシュトラ・Dに向け紗矢華が金属製の呪符を放ち、呪符が変じた鋼の猛禽が時間を稼ぐ。シュトラ・Dが即座にその六椀から生み出される衝撃波で全ての式神を打ち落とすも、古城たちへ追撃を加えられる距離ではなくなっていた。

 

「くそっ、やってくれるじゃねえかバカ野郎!」

 

 苛立ちを表すように六椀が振るわれ、衝撃波が周囲を破壊していく。しかしその攻撃に狙いなどは無く、子供が駄々をこねているようなもの。そんなものに当たる2人ではなく、衝撃波はただ道を破壊するだけだった。

 

「あんなのが天部の末裔だっていうの……?」

 

 あまりにも見苦しい攻撃に、紗矢華が失望を露にする。神秘に包まれた、超古代の超人たち。文献の端々から感じられるロマンに少なからず魅了されていた彼女にとって、眼前の実物は受け入れがたい現実だった。

 落胆に苦しむ紗矢華をよそに、バビル2世は念動力(テレキネシス)で敵の生み出した瓦礫を一斉に浮かび上がらせ、ドーム状に回転させてからその円を勢いよく閉じた。瓦礫の嵐に呑まれれば、たとえ頑丈な獣人でも瞬時に全身打撲で戦闘不能になるだろう。しかし、天部の末裔は伊達ではない。周囲全てを瓦礫で囲われたシュトラ・Dは、6本の腕を全て頭上に掲げた。迫り来る瓦礫へ見向きもせず、全ての腕を全力で振りおろす。

 

「しゃらくせえ! 行け、轟嵐砕斧――!」

 

 シュトラ・Dを中心として、凄まじい爆風と衝撃波が全方位へと放出された。彼に襲い掛からんと迫った瓦礫は全てが一瞬で粉砕され、その余波がバビル2世と紗矢華へ襲い掛かる。しかし紗矢華は煌華麟の空間切断で、バビル2世は瓦礫を集めそれぞれあっさりと余波を防いだ。もしもこれが1点集中していれば、こうも容易く防ぎきることはできなかっただろう。

 

「バビル2世、お前は俺と違って風は動かせないみたいだな。他の過適応能力者(ハイパーアダプター)と同じで、十分お前もまがいものだぜ!」

 

 互いに有効打がない状況で、シュトラ・Dは実に楽しそうに口を動かす。煽るつもりではなく、単に考えたことを口に出しているだけなのだろうが、その内容に紗矢華が喰ってかかった。

 

「なによ、あんただってバビル2世の念動力(テレキネシス)を直接は防げないじゃない!」

「てめえ、密かに人が気にしていることを……やっぱりデカ女にろくな奴はいねーな!」

「で、でかくないわよ! あんたが小さすぎるんじゃないの!?」

 

 売り言葉に買い言葉で、酷く程度の低い口喧嘩が開始された。その内容とは裏腹に、高度な戦闘が続行している。衝撃波を放ち、剣で防ぎ、隙を突いて呪符を放ち、召喚された式神をろくに視認せず叩き潰す。だが、互いに有効打が未だ無い。

 このままではらちが明かないと判断したのか、バビル2世が行動に出た。古城たちを逃がしたときと同じく、シュトラ・Dの足元を割り、隙を突いて大量の瓦礫で押し潰しにかかる。シュトラ・Dは衝撃波で全ての瓦礫を吹き飛ばしたが、量が量だけに粉塵が立ち込め一時的に互いの姿が見えなくなった。その間にバビル2世は紗矢華との合流に成功する。

 

「一旦その剣をおろせ煌坂紗矢華。1つ手を考えた」

「耳元で話さないでもらえます!? ……で、手って?」

 

 この状況でも男嫌いを隠せない紗矢華だったが、事情を知るバビル2世は特に突っ込まず作戦内容を伝える。その間に粉塵は衝撃波で散らされるも、シュトラ・Dは断続的に襲来する瓦礫を迎撃しているためこちらに気を配る余裕があまりないようだ。現状で下手な攻撃をした場合手ひどい反撃を受けかねないため、バビル2世としても策を実行する必要があった。

 

「……わかったわ、決行は今すぐで大丈夫?」

「頼んだぞ。君が鍵だ」

 

 バビル2世の髪が揺れ、シュトラ・Dを取り囲むように瓦礫が渦を巻いた。それに視界を塞がれた亜神の末裔は、しかしつまらなさそうに鼻を鳴らす。

 

「おいおい品切れか? それは効かねえってんだよ! 轟嵐砕斧!」

 

 先程の焼き増しのように、瓦礫が一瞬で吹き飛ばされる。破片が地面を叩く中、シュトラ・D目掛けて人間大の瓦礫が高速で飛来した。

 

「嘗めてんのかまがいものが」

 

 避けるまでも技を繰り出すまでもない、無造作に腕の1本を振り、不可視の刃で瓦礫を粉砕した。

 

「――――獅子の舞女たる高神の真射姫が讃え奉る」

 

 攻撃を放ったシュトラ・Dの耳に、済んだ祝詞が聞こえてきた。同時に高まる霊力に、天部の男は自らの失策を悟る。即座に回避行動に入ったシュトラ・Dだったが、その行動はすでに遅すぎる。

 

「極光の炎駒、煌華の麒麟、其は天樂と轟雷を統べ、憤焔をまといて妖霊冥鬼を射貫く者なり――!」

 

 不可視の刃が粉砕した瓦礫の影に、金属製の鏑矢が隠れていた。その後ろには、洋弓へと姿を変えた煌華麟を構える紗矢華の姿が。何かを言おうと口を開いたシュトラ・Dだったが、言葉が出る前に不可視の刃が鏑矢を直撃した。

 紗矢華の持つ煌華麟は、喪われた秘術を鏑矢によって詠唱する能力が与えられている。本来であれば十分な飛翔によって風を受けなければならないが、不可視の刃が直撃した瞬間に甲高い飛翔音が鳴り響いた。

 シュトラ・Dの放つ刃は風を圧縮し形成されるものであり、瓦礫を粉砕して威力の弱まった刃では金属の矢を切断できず、飛翔の代わりに突風を正面から浴びせる形となったのだ。

 展開される魔法陣から放たれる大規模魔術に、シュトラ・Dは覚えがあった。脱獄直後、囚人たちを混乱させるために大量展開された爆炎の古代魔法だ。本来であればその炎に身を焼かれるはずのシュトラ・Dは、現状を理解して尚不敵に笑った。

 

「残念だったな、瓦礫が少なくてよ!」

 

 全力で攻撃をしていたのならまだしも、瓦礫の迎撃に使った腕は1本なのだ。未だ5本ある腕を全力で振るい、折り重なるように放たれた刃が炎を押し留める。

 

「どうした、そんなことしかできなかったのか、ああ!?」

「もちろん、理由はあるさ」

 

 シュトラ・Dの呼吸が止まった。背後を振り向く暇すらなく、その背に強烈な蹴りが叩き込まれる。吹き飛ばされる男の進行方向には、不可視の刃と拮抗する爆炎が。

 

「能力と実力は本物のお前が、あの無造作な連携ともいえないような攻撃を防げないはずがなかったからな。眼前の脅威を払いのけた後、その者は最も油断する。お前のような単細胞が油断しないわけがない」

 

 ゆっくりと流れていく世界で、シュトラ・Dの目にはいつの間にか背後に回り込んでいたバビル2世の姿を捕らえた。悪態か、負け惜しみか、シュトラ・Dが口を開こうとしたところで、彼の身体は炎とそれを押し留める不可視の刃のせめぎ合う面へと飛び込んだ。

 

「――――――!?」

 

 身を爆炎に焼かれ、大気の刃に切り刻まれたシュトラ・Dの体が粉砕されたアスファルトの上に落下した。それでもなお監獄結界のシステムが発動していないため、未だ並の魔族を上回るだけの力は残っているのだろう。

 だが、その程度の力で、傷ついた体で世界最強の過適応能力者(ハイパーアダプター)と獅子王機関が誇る舞威媛を相手にできるはずがない。

 屈辱に口を歪めるシュトラ・Dの前に、バビル2世と紗矢華が並び立った。バビル2世の瞳は輝き、紗矢華は煌華麟に次の矢をつがえている。下手な動きをすれば、バビル2世の能力に潰されるか煌華麟に射抜かれるだろう。

 

「シュトラ・D、監獄結界へ大人しく戻れ。ここまで来て逆転できると思うほど、お前は馬鹿じゃないだろう」

 

 シュトラ・Dの顔は屈辱に歪み、しかし反撃する余力が無い。

 

「最後に聞かせろ、バビル2世。()()()()()()()()()()

 

 瀕死の男が放った質問に、圧倒的優位のはずの過適応能力者(ハイパーアダプター)が僅かに眉を顰めた。

 

「今回戦ってはっきり分かったぜ。お前の力はどっちかと言えば俺たち天部に近いもんだ。何よりも名前が最初からはっきり主張してるわな。

 なあバビル2世、天部に近いくせに絶対的に異なる力を持っているお前は一体なんだ? ()()()()()()()()()()()()()

 

 バビル2世の顔を覗き込むシュトラ・Dの顔目掛け、バビル2世は容赦なく脚を振るった。顎を掠るように蹴られ、シュトラ・Dの意識は一瞬で刈り取られる。白目をむくシュトラ・Dの右腕にはめられた鉄枷が発光し、虚空に描かれた魔法陣から無数の鎖が罪人へと伸びる。全身を絡め取られたシュトラ・Dは、無抵抗のまま監獄結界へと再収監された。

 

「……さて、脱獄囚は片付いた。早く暁古城たちと合流するぞ」

 

 奇妙な沈黙を破るように、バビル2世は古城たちが走り去った方向へと足を向ける。呼び止めようとした紗矢華は、しかし言葉を紡ぐことができなかった。彼女からすればほとんど理解できなかったシュトラ・Dの問いは、目の前の過適応能力者(ハイパーアダプター)に少なからず動揺を与えていた。再びその質問がされた場合、彼が冷静に行動する保証はどこにも無いのだ。

 

「合流のために式神を飛ばすから、少し待ってもらえると……えっ?」

 

 煌華麟を剣状に変形させ、手から式神を飛ばした紗矢華が言葉を失った。古城と雪菜を探すため、2人がサナを連れて走り去った方向へと飛び立った式神が突然札へと戻ったのだ。霊力が掻き消されたような光景に、警戒を強める彼女に更なる異常事態が襲い掛かる。

 

「重っ……煌華麟が!?」

 

 片手で保持していた煌華麟が、突然重量を増したのだ。呪力を送り込んでも一切の反応を示さない煌華麟は、輝きを失い鉄の塊へと成り下がっている。武神具としての機能が停止しているのだ。

 

「落ち着け煌坂紗矢華。おそらくこれは書記(ノタリア)の魔女の……」

 

 バビル2世は言葉を切り上げ、咄嗟に視線を違和感が生じた地点へと向けた。そう遠くない倉庫の影から天を埋め尽くすような雷光が弾け、獰猛な獅子の姿を形作る。第四真祖が誇る5番目の眷獣、獅子の黄金(レグルス・アウルム)が召喚されたのだ。

 荒れ狂う破壊の権化はしかし、何の行動もおこすことなく溶けるように虚空へと消えた。宿主である古城は無意味に眷獣を呼び出す性格ではない。何かが起こっている。

 

「煌坂紗矢華走れるか? あそこへ向かうぞ」

「言われなくても。獅子王機関の舞威媛を嘗めないでよね!」

 

 威勢よく叫び返す紗矢華と共に、バビル2世は眷獣が消えた地点へと走り出した。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 シュトラ・D
 監獄結界の脱獄囚の1人であり、超古代人類天部の末裔。
 過適応能力者をまがいものと呼ぶほどの実力を持ち、強力な念動力で大気を歪め不可視の刃を飛ばすことができる。
 また念力で2対の腕を生み出すことが可能であり、六臂全てを勢いよく振り下ろし一斉に刃を発射する轟嵐砕斧は、一点に集中して放てばたとえ防がれても周囲から衝撃波が回り込む大技。

 種族・分類

 天部
 かつて有史以前に高度な文明を築き上げたとされる古代人類。
 詳しいことはほとんど解明されていないものの、ナラクヴェーラを始めとした数多の兵器を造り上げたとされている。
 現在は僅かな末裔を残し絶滅したと言われている。


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7話 魔女の領域

 閲覧、お気に入り、感想をありがとうございます。
 モチベーションアップに繋がっているため、この場を借りてお礼申し上げます。


 時は僅かに巻き戻り、古城と雪菜はサナと共に倉庫街を逃走していた。

 

「なあ、やっぱり俺達も援護した方が」

「だめです! 私たちのために足止めしてくれている、紗矢華さんやバビル2世の覚悟を無駄にする気ですか!?

 それに、今私たちがいても何もできません。攻撃から私たちを守るために、2人の足を引っ張ってしまいます。今は、こうして逃げることが最大の援護なんです!」

 

 古城の言を、雪菜は一言で切り捨てた。言葉の端々からにじみ出る悔しさを感じ取り、古城も口をつぐむ。

 戦闘音が小さく聞こえる位置まで来たことで、どちらともなく足を止めた。

 

「一旦ここで待とう。あんまり離れても、向こうがこっちを見つけるのが大変になるだろうしな」

「そうですね。サナちゃんも休ませてあげないと」

 

 現在身体を動かしているのが仮想人格(バックアップ)とはいえ、サナの身体は幼い少女に過ぎない。当然体力もそれ相応のものでしかなく、あまり無理はさせられないのだ。先程まで好き勝手に騒いでいたとは思えないほど、仮想人格(バックアップ)は沈黙を続けている。現在別の脱獄囚に発見された場合の危険性を理解しているのだ。

 それに習って古城と雪菜も沈黙を続けるが、そのささやかな努力が実を結ぶことはなかった。

 

「ここにいたか。随分と探させてもらったぞ?」

 

 沈黙の中、悪意に満ちた禍々しい声が響く。咄嗟に身構える古城たちの視線の先で、夜の闇から滲み出るように火眼の魔女が姿を現した。黒と白の十二単を身に纏い、脱獄直後と比べて力を増しているようにも見える。

 

「仙都木阿夜!

 姫柊、サナちゃんを連れて逃げてくれ。時間は俺が稼ぐ!」

「だめです先輩! 不意打ちとはいえ南宮先生を倒すほどの魔女です、相手が悪すぎます!」

 

 魔力をたぎらせる古城の後ろで、槍を構えた雪菜が諌める。互いに警戒を切らさない2人を眺め、書記(ノタリア)の魔女は僅かに口角を持ち上げた。

 

「そういきり立つな、第四真祖。(ワタシ)は〝空隙の魔女〟を殺しに来たわけではない。むしろ感謝しているのだぞ?」

「じゃあなにか、感謝の印に那月ちゃんを元に戻してくれるとでも?」

 

 古城の皮肉に、阿夜は火眼を細めて嘲笑を返す。

 

「ずいぶんと面白いことを言うな第四真祖。

 感謝というのは、脱獄囚を引きつけ騒ぎの中心となり続けてくれたことについてだ。おかげで余計な邪魔が入ることなく、宴の仕度は整った。一度は私を裏切ったとはいえ、流石は我が盟友といったところか」

 

 暗い笑みを浮かべる阿夜に、雪菜が槍を突きつける。

 

「待ってください。まさか、脱獄囚をたきつけたのはそれが理由ですか? あなたが自由に動ける状況を造り上げるために、わざと凶悪な犯罪者達を街に解き放ったと?」

「それがどうかしたか?

 ああ、まさかあそこまで素直に信じるとは、(ワタシ)としても想定外だった。魔女の言葉を鵜呑みにするとは、度し難い愚か者たちだったよ」

 

 この場にいない脱獄囚たちに向け、蔑みの表情を隠そうともしない阿夜に向けて、雪菜は怒りを露わにする。

 

「あなたは、そのためにどれだけの人が危険にさらされたと思っているんですか! 今もまだ捕まっていない脱獄囚たちがいます。それを自分の行動のためだけに解き放って、いったい何が目的なんですか!?」

 

 涼やかな美貌が浮かべる憤怒の表情に、魔女は満足そうに頷いた。

 

「知りたいのならば教えてやろう。元々(オマエ)も招待する予定だった」

「待てよ、話を勝手に進めるんじゃねえ。お前をとっ捕まえて、那月ちゃんを元に戻せばこのバカげた騒ぎも終わるんだ。

 姫柊、力を貸してくれ」

 

 会話に割り込む古城に対し、つまらなさそうに阿夜は目を細める。

 

「ああ、そういえば(オマエ)はあの人形を助けようとしていたな。できもしないことをずいぶんと大げさに話すものだと感心するぞ」

「なんだと?」

 

 苛立ちを隠そうともしない古城に、阿夜はさらに言葉を重ねる。

 

「まあ、所詮は(オマエ)との思い出に囚われて製造理由を放棄しかけた欠陥品。その程度のものが執着する存在など、この程度か。

 あの欠陥品をきちんと制御し使命を果たさせてやったのだ、製造した(ワタシ)に感謝してもいいのだぞ?」

「てめえ、いい加減にしやがれ!」

 

 優麻を欠陥品と言い放ち、道具としか考えていない阿夜めがけて、古城が飛びかかった。雪菜が制止する暇もなく、吸血鬼の身体能力は古城の身体を弾丸のような速度にまで加速させる。

 

「愚かな。(ワタシ)が何の対策も無しに(オマエ)達の前に姿を現すとでも?」

 

 しかし、その突撃は突如古城を襲った虚脱感によって阻まれた。バランスを崩して倒れ込む古城を、阿夜は無感動な瞳で見下ろしている。

 

「だったらこっちだ! 疾く在れ(きやがれ)獅子の黄金(レグルス・アウルム)――!」

「先輩!?」

 

 驚愕する雪菜を無視し、古城は右腕を突きだす。痛みも無く噴霧された血液が一瞬で膨大な魔力へと変換され、雷光で構成された巨大な獅子の姿を形作った。

 異界より呼び出されし第四真祖の眷獣は、天災にも等しい破壊エネルギーの塊だ。その身を構成する雷光の速度で棒立ちの魔女へと突撃する獅子は、直撃すればその身を一瞬で灰燼と帰すだろう。

 迫り来る破滅を目の前にして、尚阿夜は余裕を崩さない。

 

「流石は第四真祖だな。身体強化に回すだけの魔力を失って尚これほどの力を残しているとは。

 だが、それもここまでだ」

 

 魔女の腕が閃き、空中に瞬時に文字を描き出す。その文字ごと敵対者を薙ぎ払おうとした雷光の獅子が、何の前触れもなく虚空に溶けた。風も、音も、一切の余波を残さず、まるで初めから存在しなかったかのように、獅子の黄金(レグルス・アウルム)はその姿を消失させたのだ。

 いや、獅子の黄金(レグルス・アウルム)だけではない。古城の身体に宿っていた膨大な魔力すらも、欠片も残さず失われていた。第四真祖の力を失った暁古城に残されたのは、多少鍛えられた男子高校生の肉体だけだ。

 

「これが闇誓書だ、第四真祖。すでに(ワタシ)の世界と化したこの島で、(ワタシ)以外の異能の力はすべて失われる。例え真祖の力とはいえ例外ではない」

 

 微笑すら浮かべて、絶望的な事実を事も無げに阿夜は告げる。いつの間にか出現した守護者が、無言で剣を突きだす。ただの高校生にその一撃が躱せるはずもなく、しかしその一撃は銀の閃光に阻まれた。

 

「先輩、下がってください!

 〝雪霞狼(せっかろう)〟!」

 

 呆然とする古城を庇い、雪菜が槍を構える。咄嗟に動くことができたのは、日ごろの訓練のたまものだろう。失われたはずの呪力で身体機能を底上げし、姫柊雪菜は魔女と守護者へと立ちはだかる。

 

「やはり、お前は我が世界の支配を拒むのか。獅子王機関の剣巫よ」

 

 結果を知る実験結果を見るような阿夜とは逆に、古城は動揺を隠すことができなかった。

 

「姫柊、なんで、魔力は消えたはずなのに」

 

 モグワイから聞かされた魔力消失現象。それを引き起こしているであろう阿夜がその影響を受けていないことに疑問は無いが、何故雪菜は影響を受けずにいられるのか。

 

「それでこそわが実験の客人(ゲスト)に相応しい。やれ、〝(ル・オンブル)〟」

 

 考える暇すら与えず、阿夜は守護者へと指示を下した。驚異的な速度で剣を操る守護者の動きに、雪菜は剣巫として鍛えた未来視で対抗する。ほんの一瞬未来を覗き、槍を先起きするようにして巨大な剣を弾き続けているのだ。

 

「やはり簡単にはいかぬか。それならば、だ」

 

 防ぐこと叶わぬ剛腕の一撃が繰り出され、雪菜は咄嗟にその場を飛び退く。それが失策だと気づかされたのは、すぐ後のことだった。

 

「っ、えっ!?」

 

 空中で身動きが取れないほんの数秒の間に、雪菜を閉じ込める鳥籠のような檻が実体化する。猛獣用の鉄格子は、1本の直径が雪菜の腕を超える太さはあるだろう。ただの鉄の塊ではあるが、それだけに魔力を無効化する雪霞狼(せっかろう)では破ることができない。鳥籠に囚われ睨みつける雪菜を無視し、阿夜は空間転移を発動した。

 

「さて、客人(ゲスト)と盟友を迎えたのだ。もうここに用はないが……〝(ル・オンブル)〟」

 

 背後から聞こえる魔女の声に、古城は反応することができなかった。湿った音と共に、激痛が全身に広がる。血を吐きながら体を見下ろせば、胸を貫通する巨大な件の切先が目に入った。第四真祖の力を失った古城にとって、間違いなく致命傷だ。

 

「先輩!?」

 

 悲痛な雪菜の声が空しく響く。剣を引き抜かれた古城は、支えを失い倒れ伏した。霞む視界に、サナを捕らえた阿夜の姿が映り込む。

 

「後々邪魔されては困るのでな……不安要素は取り除くに限る。

 さらばだ、第四真祖よ」

 

 顔のない漆黒の騎士が剣を振り上げ、容赦なく振り降ろす。防ぐ者のいない必殺の一撃は、しかし空中で突如軌道を変えた。

 驚愕に目を見開く雪菜の視界で、守護者の剣が主に襲い掛かる瓦礫を弾き落とす。その隙を突き、長身の女性が血まみれの古城を救出した。その奥では、赤い髪をなびかせる青年が瓦礫を周囲に浮かせては射出している。

 

「紗矢華さん、バビル2世!」

「シュトラ・Dの処理が遅くなった。すまなかったな」

「ごめん雪菜、まさか煌華麟が重りになるなんて!」

 

 囚われた雪菜を救うべく鳥籠へとバビル2世が意識を向けるが、それを阻むように石壁が出現した。

 

「全ての異能が失われるはずの(ワタシ)の世界で、(オマエ)の力が失われない理由はわからないままだった。

久しいな、バビル2世。10年前那月と共に私を裏切り、監獄結界へと押し込めた時以来か」

「10年もたてば少しは頭が冷えているかと思ったが、お前はまだ間違いに気がつかないのか。かつてのお前は聡明だったぞ」

「何を言う。(ワタシ)は盟友の盲を晴らそうとしているに過ぎない。純血の魔女どころか、魔術の深淵へまともに足すら踏み入れていない無知蒙昧の輩には、考えからしてずれているということがわからないか」

 

 突然始まったバビル2世と阿夜の舌戦に、雪菜はあっけにとられる。紗矢華は古城の応急処置を開始しており、阿夜の気がそれている間に手早く止血を済ませた。

 

「すでに(オマエ)と語る時は過ぎ去っている。追ってくるのは勝手だが、(ワタシ)の領域に(オマエ)は入ることすら叶わんぞ。魔術の才を持たぬものなど、搦め手を使えばどうとでもなろう。悲しいことだな」

 

 腕の一振りで、無数の光弾が周囲へと無差別に降り注ぐ。全ての光弾に悍ましいほどの呪力が込められおり、直撃を許せばたとえ獣人や巨人すら一撃で倒れ伏すだろう。その死の雨ともいえる攻撃を、未だ生死の境を彷徨う古城や、その治療を行う紗矢華に防ぐ手立てはない。

 

「考えたな、書記(ノタリア)の魔女」

「流石の(ワタシ)であっても、(オマエ)から離れるには手間だからな。使えるものは使えと教えが活きていたということだ」

 

 瓦礫を使い光弾を防ぐバビル2世が阿夜の言葉に動揺した一瞬の隙を突き、空間転移の魔術が発動した。術者が姿を消したためすぐに攻撃は終わるが、バビル2世はなにか思いつめたような表情を隠そうともしない。

 

「あの……バビル2世?」

 

 恐る恐る話しかけようとした紗矢華だったが、バビル2世は何事も無かったかのように指示を出し始めた。

 

「煌坂紗矢華、獅子王機関の舞威媛は救命にも技術を転用できたな。第四真祖の救命活動を続行してくれ」

「それは言われなくてもだけど、バビル2世はどうするの?」

「僕は仙都木阿夜を追う。第四真祖の容体が安定し長期間の不在に耐えうる状況になったら、どうにかして獅子王機関に救難信号を送れ」

 

 それだけ言い残し、バビル2世は夜の闇に溶け込むようにして消えた。止める間もなく姿を消された紗矢華は、溢れ出る不満を噛み殺す。不満を抑え、救命行為を出来る限り清潔に行うことができる場所を探し始めた。

 

 

 

 場面は僅かにずれ、オシアナズ・グレイヴⅡの甲板上では1つの闘争に決着がつこうとしていた。勝敗の行方はそれぞれの様子を見れば一目瞭然だろう。堅牢な鎧と不死身の肉体を誇った龍殺しは、砕けた鎧に傷だらけの身体を晒し見る影もない。一方、龍の眷属を操る吸血鬼は服こそボロボロであるものの、その体には傷一つ無い。

 

「どうしたんだい龍殺し(ゲオルギウス)の一族? ご自慢の肉体がずいぶんと傷だらけじゃないか」

「バカな……キサマがリュウのゾクセイをモつイジョウ、ワガチカラのマエにはムリョクであるはず……」

 

 からかうような態度のヴァトラー目掛け、ダンブルグラフは巨剣の一撃を振るった。直撃すれば魔族的には脆弱ですらある吸血鬼の身体程度易々と両断するであろう一撃は、ヴァトラーが背後に侍らせていた双頭の龍にあっさりと弾かれる。炎を纏った鋼の龍……炎と鋼の蛇を融合させた、ヴァトラーの合成眷獣だ。

 

「ありえん、ヘビならばまだしも、そこまでリュウのキをマトっておきながら!」

 

 合成により蛇から龍へと姿を変えた眷獣に、龍殺しの刃が通用しない。受け入れがたい現実を前にして、ダンブルグラフは動揺を隠そうともしていない。

 

「愚かな、龍殺しは無条件に龍を屠ることができる力じゃないだろう?」

「なんだと?」

 

 ヴァトラーの小馬鹿にするような物言いに、龍殺し(ゲオルギウス)の末裔は眉を顰める。

 

「龍殺しが英雄的行為とみなされるのは、たとえ龍殺しの力をもってしてもそれが難行であるからじゃないか。龍殺しの力だけで龍を確実に屠れるならば、それはもはや作業であり偉業ではない」

 

 ダンブルグラフは黙ってヴァトラーの語りを聞き続けている。余計な話をするほどの余力が残っていないのだ。

 

「ご先祖と同じ末路を辿ったね龍殺し(ゲオルギウス)。古今龍を殺した英雄の末路は多くが悲劇的なものだ。怪物を殺し人を超えたがために、人間最大の武器である知恵を失いあっさりと罠にはまる。強敵に向かうための準備を怠り、格上を屠るための狡猾さを捨てたキミは、すでに龍殺しの力を持つだけの怪物だ。怪物同士がぶつかれば、より強い方が勝つという自然の道理しか残らないさ」

 

 ダンブルグラフがはっきりと動揺を見せた。自らの力を過信するあまり、忘れ去っていた単純なルールを思い出したのだ。龍殺しは、龍に殺される危険が常に付きまとう行為なのだという事を。龍もまた、龍殺し(ゲオルギウス)を殺し得る脅威なのだと。

 

「まあ、中々楽しませてもらったよ。そろそろ……うん?」

 

 ヴァトラーの目が異変を捕らえた。ダンブルグラフの背後に広がる港には、眷獣を召喚した吸血鬼が戦いの余波を打ち落とすために展開していたはずだ。当然見えるはずの眷獣が、何故か1体も見当たらない。狼狽える配下の吸血鬼の様子から、決着と判断して召喚を止めたわけではなさそうだ。

 

「これはまた面白そうなことになっているじゃないか。試させてもらおう」

 

 ヴァトラーの合成眷獣が、正面からダンブルグラフへと突っ込んだ。剣を杖になんとか立っていたダンブルグラフが避けられるはずもなく、列車と正面衝突したかのような衝撃が不死身の肉体を襲う。船上から勢いよく飛び出した眷獣は、港に入った瞬間音も無く消失した。同時に、龍殺し(ゲオルギウス)の身につけていた鎧とこの状況になっても手放さなかった大剣が砕け散る。保護魔力の輝きは破片からすらも失せ、ただの鉄片が空しく宙を舞う。

 

「これは……バカな!?」

 

 驚愕に目を見開くダンブルグラフだったが、眷獣が消えてもその勢いが消えたわけではない。ほとんど生身のまま、勢いよくアスファルトに投げ出された。

 

「ふむ、やはり魔力の類が消失しているな。

 実験に協力してくれて感謝するよ。さあ、キミのいるべき場に戻るといい。その様子だと、監獄結界の主はまだ無事らしいね」

 

 壮絶な笑みを浮かべながら、ヴァトラーは敗者を見下ろす。ギリギリで意識を保っている男の腕で、手枷が発光し虚空から鎖が溢れ出した。

 

「ヴァトラー……そうか、キサマは、いずれアラワレるよりキョウダイなテキを……」

 

 呻くような言葉が、ダンブルグラフ最後の言葉だった。鎖によって虚空に引きずり込まれた龍殺し(ゲオルギウス)に対し、まるで興味を失った様子でヴァトラーは背を向ける。融合眷獣の召喚をやめ、つまらなさそうに火の小さくなった船を見る。

 

「トビアス、被害状況は?」

「はい。港は皆の尽力もあり、被害はほとんどありません。船もデッキの消火が終わり、航行に関しても問題はありません」

 

 ヴァトラーの問いに、いつのまにか待機していたトビアス・ジャガンが有能な秘書のように答えた。満足そうに頷いたヴァトラーは、船内へと戻りながら指示を出す。

 

「完全鎮火と船内のチェックが終わり次第、島から離れるぞ。このままだと魔力使用不能領域に捕まりかねない」

「ただちに取り掛からせます。

 差し出がましいようですが、第四真祖やバビル2世はこのまま放置してよろしいのですか?」

 

 何気ないジャガンの問いに、ヴァトラーは悠然と微笑んだ。

 

「このまま放っておいた方が、面白いものが見られそうだからね」

 

 その笑みを浮かべさせている同属に嫉妬の心を向けながら、トビアス・ジャガンは静かに一礼し、主の命を伝えるために船内へと走り出した。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 仙都木阿夜 とこよぎ-あや
〝書記の魔女〟の異名を持つ純血の魔女であり、かつての南宮那月の盟友。
 10年前に闇誓書事件と呼ばれる大規模魔導テロを引き起こし、監獄結界に収監されていた。
 脱獄のために自らのクローンである仙都木優麻を生み出し、その手引きによって監獄結界からの脱獄に成功する。
 性格は冷徹で残忍ながらも、盟友と認識している南宮那月には僅かに心を開いている。


 種族・分類

 守護者
 魔女が悪魔と契約することによって得る、特殊な使い魔。
 使い魔といっても悪魔が契約の代償に与える第三の腕のようなものであり、契約した悪魔の化身でもある。
 魔女の強大な力を支える一因であるが、契約を破棄した場合その命を奪う監視者でもある。

 影 ル・オンブル
 仙都木阿夜の守護者である、顔のない漆黒の鎧を纏った騎士。
 空間跳躍の魔術で奇襲を実行可能であり、眷獣の一撃もいなすことが可能な強力な守護者である。


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8話 世界の姿

 今回、独自設定が描写されるので注意です。原作で言及されていない部分の改変になります。


 ふと気がつくと、雪菜は夕日に照らされた校舎を1人で歩いていた。見慣れた彩海学園の校舎内を、いつも身につけている中等部の制服で。

 太陽の角度から読み取ることができる時間帯であれば、まだ校舎内に人は残っているはずであり、部活動も最後の詰めに入る頃合いだろう。しかし、校舎内に人の気配は無く、聞こえてくるはずの声や音も一切が存在しない。

 例外は、今雪菜が見ている教室内だけ。3人の影が、2人と1人に分かれ睨み合っている。

 1人は中等部の制服を着た、人形のような生徒。1人は白と黒の十二単を身に纏う、大人びた女性。そして2人の睨み合いをどこか悲しい目で見る、スーツ姿の青年だ。

 

(ワタシ)と来い、盟友(とも)よ」

 

 十二単の少女が手を差し伸べる。未だ火眼に染まらないその顔は、どこか理想と諦観を併せ持つ複雑な光を宿している。隠しきれない人懐こさと快活さを上回るその光は、一本の譲れない芯が彼女の中に存在していることをわかりやすく証明していた。

 

(ワタシ)(オマエ)は同じ……生まれつき悪魔に魂を奪われた純血の魔女だ。我らの呪われた運命を変えるためならば、(ワタシ)はこの世界のすべてを破壊することも辞さない。我らを蔑むこの世界など、贄にするに躊躇する必要もない」

「そのために、闇誓書を求めるのか?」

 

 制服姿の少女……南宮那月が問う。十二単の女性……仙都木阿夜の申し出を拒絶する光が、その大きな瞳にはっきりと表れている。

 

「なぜだ。ためらう必要などないだろう? この島の人間に下らん情でも湧いたというのか? そこの異物になにかを吹き込まれたのか?」

 

 阿夜は話を続ける。憎々しげにスーツの青年……バビル2世を睨みつけ、那月の翻意を促すために声をさらに荒げて。

 

「どのような綺麗ごとを述べようとも、公社が(オマエ)を自由にさせているのは監獄結界の管理者として設計(つく)られた道具だからだ。(オマエ)はいずれ永劫の眠りにつき、たった1人で異界に取り残されることになるのだぞ? 歳もとらず、誰にも触れられず、夢としてこの世界を認識することしかできなくなる。

 何故そのような運命を受け入れられるのだ?」

「心配してくれているのか。優しいな、仙都木阿夜生徒会長」

 

 悲鳴のような阿夜の言葉に、那月は微かに微笑みを返した。相手の肩書と名を正確に呼ぶ、訣別の宣言と共に。

 

「闇誓書を渡せ、那月。この狂った世界を容認するなぞ、例え(オマエ)とて許さぬ。いや、(オマエ)のためにも許せぬ。

 そこの異物はどのような思惑でこの場にいるのか知らぬが、貴様を気遣うほどに(ワタシ)が慈悲深いとは思っていないだろうな?」

 

 十二単の魔女が、憎しみの籠った視線を投げかけた。眼前の那月以上に、その背後に立つバビル2世へと。

 その袖口から除くのは、一冊の力ある魔導書だ。犯罪組織LCOの総記にのみ扱う事が許された禁術……相手の記憶と時間を奪う、固有堆積時間(パーソナルヒストリー)操作の魔導書だ。

 

「私の時間を奪うつもりか、阿夜」

 

 悲しみに染まった眼で、那月は阿夜を見る。

 数日前の事件を収束させるために、那月は闇誓書を焼き払っているのだ。すでに異能を秘めた力ある魔導書の一冊はこの世界から失われ、同時に仙都木阿夜が引き起こした〝闇誓書事件〟は収束し、彼女の実験は失敗した。

 しかし、闇誓約書に収められていた知識は現存している。直接書を焼き払った那月の脳裏には完全な形で、それを補佐したバビル2世の脳内には断片的な形で保管されているのだ。

 完全な形で保有していないバビル2世に用は無い。邪魔をするならば容赦はしないと視線で告げ、阿夜は最後の警告を発した。

 

(オマエ)が護ろうとしたクラスメイトたちも、いずれ(オマエ)を置いて大人になり、(オマエ)のことなど忘れる! そこの異物もそうだ。どれだけの長寿を誇ろうとも、いずれは(オマエ)の傍から去っていく!」

「お前も、かつては生徒を守っていた。何故そこまで歪んだ、仙都木生徒会長」

「黙れ異物が、我が盟友に何を吹き込んだのかは知らぬが、お前も所詮は置いていく側だろう!」

 

 バビル2世の静かな声に、神経を逆なでされたように黒衣の魔女は吼える。

 

「ふん、忘れられても未来はあるさ。

 そうさな、どうせならばこの学園の教師にでもなって、新しい生徒の成長を見守るのも悪くないかもしれんな……」

 

 どこか遠い目で清々しい表情を浮かべる那月に、阿夜は憤怒の表情を浮かべた。魔女である、ただそれだけの理由で迫害し、蔑み、都合がよくなればすり寄り、骨の髄まで利用する。そのような現状を受け入れ、笑みすら浮かべる那月の態度は、阿夜からすれば許し難い欺瞞に他ならなかった。

 

「愚かな……!」

 

 魔力を脹れあがらせ、眼を火に染め上げた阿夜の背後に顔の無い黒騎士が出現する。それに呼応するように、那月の背後にも黄金の騎士が現れた。

 

「バビル2世、手を出さないでほしい。これは私がつけるべき決着だ」

 

 視線を阿夜に向けたままの那月の懇願に、バビル2世は目の光を消し教室の隅にまで下がる。それを気配で確認した那月は、ついにその魔力を解き放ち、阿夜も対抗するように魔力を放出した。

 魔女の戦いは、一般に想像されるような魔術のぶつかり合いが行われることはほとんどない。相手の隙を突き、裏をかき、防護術をすり抜ける方法を模索し合う。状況を切り抜け、ほんの一瞬でも先に相手に魔術を叩き込んだ方が勝者となるのだ。

 魔女が持つ強大な魔力に比べて、それを操る魔女たちの肉体はあまりにも脆弱だ。どちらかの魔術が成立し行使された瞬間に、敗者は最後のあがきすら許されることなく即座に勝敗が決する。

 そしてこの戦いの結果は、見届けるまでも無くわかりきっている。闇誓書事件の後、仙都木阿夜は空隙の魔女に敗れ、10年もの間監獄結界に収監されることとなったのだ。

 傍で戦いを見る雪菜には、目の前の光景が10年前のものだという確信があった。それぞれの人影が持つ僅かな特徴が、雪菜に現在の人物との繋がりを掴む助けとなったのだ。

 しかし、1つだけ疑問が残る。南宮那月と仙都木阿夜は、先程までの姿と比べてもまだ幼い。純血の魔女は老化せずとも成長するため、当時未成年だった2人が現在の姿になったことに違和感はない。しかし、バビル2世だけは現在と外見の差異が一切存在しないのだ。成人男性の外見変化が緩やかなものとはいえ、10年の年月が外見に一切の影響を与えないことなどありえない。

 

「これが南宮教官の夢だとすれば、今のイメージに引っ張られているんでしょうか?」

 

 雪菜の呟きは虚空に溶け、声と共に教室内で向かい合っていた3人の人影も消失した。

 咄嗟に周囲を警戒する雪菜の目の前に、新しい人影が飛び込んでくる。第四真祖の力を持たず、平和にバスケを続ける古城。共に進学し、雪菜の姉代わりとなっている紗矢華。日本国政府に所属せず、ただの用務員として過ごす浩一。

 平和で穏やかな日常を象徴するような知り合いの姿に雪菜はただ困惑を返す事しかできず、しかしその表情はありえたかもしれない世界を心地よく感じている。

 その光景を、十二単を纏った火眼の魔女が向かいの校舎から観察していることに、雪菜がついぞ気がつくことはなかった。

 

 

 

 彩海学園を中心に、強力な不可視の結界が展開されている。魔力消失現象を生み出す闇誓書の知識を、仙都木阿夜は校舎全体に書き記した。学園全体を巨大な魔導書として、書記(ノタリア)の魔女は闇誓書を復活させたのだ。書を破壊されれば魔力消失現象は収まり、彼女の実験は再び失敗することになる。それを防ぐために、阿夜は少なくない魔力を防衛のために回しているのだ。

 その結界越しに、2人の人影が向かい合っている。

 結界の内側に仙都木阿夜。既に守護者を顕現させ、濃密な魔力を身にまとう臨戦態勢を取っている。

 結界の外側にバビル2世。瞳は輝き髪はうねり、わずかにでも意識を向ければ強大な能力が発動するだろう。

 

「剣巫は眠らせているのか」

 

 バビル2世の初めの言葉は、今の生徒を気遣うものだった。阿夜の背後に浮く鉄の檻に視線を向け、中で倒れる雪菜とサナを見つめている。彼が見た限りでは外傷は無く、ただ眠っているだけなのだろう。サナは、体を動かしていた仮想人格(バックアップ)が魔力消失によって消滅し、行動不能になっているだけのようだ。

 

「今丁度過去の記憶を見終わったらしい。

 あの頃とは違い、今は用務員なのだな、山野事務員」

「お前が卒業後に引き起こした事件で一度学園から去っているんだ。同じ肩書だと違和感を抱かれかねないからな、仙都木生徒会長。高等部の卒業式では素晴らしいスピーチをしていたことを覚えている」

 

 過去を懐かしむようなバビル2世に対し、阿夜は嫌悪と苛立ちを隠そうともしない。

 

「その口を閉じろまがいものが。当時の教えを通じてどのような思想を植え付けるつもりだったのかは知らないが、今の(ワタシ)を見ればその思惑が失敗したことはわかるだろう」

「1人の人間として、生き延びるために必要と考えている知識を教えたに過ぎない。思想を支配するのは、僕が最も嫌う行為の1つだ」

(ワタシ)の元から那月を奪い去り、あまつさえ裏切らせておきながら、そのような言い訳が通じるとでも? 10年前のあの日といい、まったく(オマエ)には邪魔をされてばかりだよ」

 

 互いの会話は平行線をたどる。

 

「そう思うのならば勝手にするがいい。だが、何故獅子王機関の剣巫を攫った。お前と同じ闇誓書の読み手である空隙の魔女を手元に置き備えるのはわかるが、危険を冒してまで彼女を連れ去った理由はなんだ?」

(オマエ)にそれを明かす義理があるとでも?

 丁度いい、こちらからも1つ質問をさせてもらおうか。バビル2世、魔女でもない貴様が何故、10年前からほとんど年を取っていないのだ?」

「私も、それは気になっていました」

 

 風切り音と共に、突然雪菜の声が会話に割り込んだ。2人の視線の先で、檻の中の雪菜が銀の槍を手に立ち上がっている。彼女が扱う〝雪霞狼(せっかろう)〟は破魔の槍。自らにかけられていた眠りの魔術を打ち破り、現実へと帰還を果たしたのだ。今目覚めたばかりなのか、阿夜の放った山野事務員という言葉は聞こえていなかったらしく、ただ真っ直ぐに阿夜の火眼を見つめている。

 

「起きたのか獅子王機関の巫女よ。お前が望むのであれば、先程までの光景を現実にもできるのだぞ?」

 

 阿夜は何事も無かったかのように雪菜へと声をかける。彼女の夢へ魔術の回路(パス)を繋ぎ、全ての言動を見聞きしていたのだ。一切の異能が存在しない平和な世界に、少なからず雪菜が心動かされていたことも把握している。魔女の言葉に含まれている憐憫の感情は、彼女の言葉が嘘ではないことを示している。できるのだ。絃神島から全ての魔力を取り去ったように、雪菜たちの運命を変えることが。

 

「それが、闇誓書の能力ですか。自分が望むように、世界を書き換える力。絃神島から異能を消し去ったのも、その力なんですね」

「そう……だ」

 

 一切の偽りなく、阿夜は首肯した。

 

「実験には観測者が必要だ。姫柊雪菜、おまえこそ、この実験の観測者なのだよ。

 呪われているのは、我ら魔女ではなくこの世界。その証明のための実験だ」

 

 戸惑う雪菜に、阿夜は薄く笑う。僅か時間だったが、校舎を支える地盤が軋む音で雪菜は我に返った。今の絃神島は、自らを支える魔力を失ったことで徐々に崩壊を進めている。檻に囚われ何もできないとはいえ、魔導テロ対策として活動する獅子王機関の構成員として、黙って座っているつもりは雪菜にはなかった。僅かでも、情報を引き出すのだ。

 

「呪われているとはどういう意味ですか?」

「逆に問おう。(オマエ)はこの世界が正常だと思っているのか? 人が平然と魔術を扱い、魔族が闊歩するこの世界が?」

 

 島の崩壊する音に耳を澄ませていた火眼の魔女が、十二単を揺らして雪菜へと向き合う。

 突然の質問に雪菜は疑念を抱いた。魔術を扱い半分魔族ともいえる魔女。その魔女である仙都木阿夜が、何故自らの存在を否定するような考えを持つのか。

 

「……この世界を支配する法則(ルール)には、いまだ謎が多いことは事実です。しかし、現実として魔術や魔族が存在することは否定できません。その謎を解明するために造られたのが魔族特区であり、この絃神島ではありませんか?」

「優等生だな、剣巫。

 お前は一度も疑ったことはないのか? 何故魔族や魔術が存在するのか、何故たった一人の吸血鬼に、巨大な都市をも滅ぼす力が与えられているのか。

 こんなアンバランスな世界が、本当に正しい姿だと言い切れるのか?」

「それは……」

 

 阿夜の言葉は、真祖の脅威を理解する物ならば誰もが抱く疑問だ。彼らにあれほどまでの力が与えられている理由は、未だもってして不明のままなのだから。

 世界の謎を語る阿夜の横顔は世界を構成する方程式を語る学者のようであり、残虐非道のテロリストとはとても思えないものだ。

 

(ワタシ)はずっと考えていた。魔族も魔術も、本来人の想像の中にしか存在しない世界が正しいのではないかと。今の世界は、何者かによって歪められたものではないのかとな。

 ならば、(ワタシ)が世界を元に戻すことに何の問題がある?」

 

 一切表情を崩さずに持論を述べる阿夜の様子に、雪菜は背筋が凍りつく思いだった。

 

「まさか……あなたは、そのために闇誓書を……!?」

「この世界を(ワタシ)の望むがままに書き換える。これはそのための実験だ」

 

 阿夜の迷いのない肯定に、雪菜は自分の思い違いを悟った。彼女の目的は魔力を消し去り島を沈める事ではない。()()()()()()正しい姿へと、世界を書き換える事こそが真の目的だったのだ。

 

「何故、この島でそのような実験を!?」

「魔族や魔術の研究のため、科学技術と魔術を使い造られた人工の〝魔族特区〟……我が実験に、これほどふさわしい場所もあるまい。狂った世界の象徴ともいえるではないか」

「あなたの考えを正しいと証明するためだけに、何十万もの人々を犠牲にするんですか!」

「知らぬとは言わせないぞ剣巫よ。我が盟友(とも)である南宮那月に対し、どのような仕打ちを世界がしてきたのかを。これは当然の報いだ!」

「仙都木阿夜……あなたは……」

 

 雪菜は、もう1つの思い違いに気がついた。容赦なくその身を攻撃し、固有堆積時間(パーソナルヒストリー)を奪い去り、脱獄囚たちの囮として使っていたからこその勘違いだ。

 そもそも、魔術を使えば脱獄直後に重傷を負った那月を殺すことなど簡単だっただろう。攻撃事態も、重傷ではあったが治療可能な程度だった。幼児化した那月を積極的に追いもせず、逃げるがままに任せている。そして今、無防備なサナに一切の危害を加えていない。

 仙都木阿夜は、南宮那月と戦いたくないのだ。現実世界に残されたたった1人の友として、彼女なりに友情を感じていたのだろう。紛れもなく、阿夜にとって那月は盟友なのだ。

 

「闇誓書の起動には、龍脈(レイライン)と星辰の力が必要不可欠だ。(ワタシ)の世界も、波朧院フェスタが終わるころには消える。

 もちろん、そのころにはこの島も沈んでいる事だろう。我が仮説を証明する成果として、そのくらいは必要なのだから」

 

 取るに足らないことを話すような口調で、阿夜は島の行く末を語る。雪菜は感情を抑えるために、槍を強く握りしめた。阿夜はその動きを見逃さず、さらに言葉を続ける。

 

「その槍……〝七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)〟は魔力を無効化し、ありとあらゆる結界を切り裂くと言われているが、それは違うと(ワタシ)は考えている。

 魔力の無効化ではなく、()()()()()()()()()姿()()()()()()()……そうであれば、真祖の能力すら無効化する威力にも説明がつくだろう?

 で、あるならばだ。そのような槍を操る(オマエ)は一体何者なのだろうな。この世界の人間と言えるのか?」

「そんなくだらない憶測で、私をここに連れてきたんですか?」

 

 内心の動揺を押し殺し、雪菜は気丈に言い返した。阿夜が自分を攫った理由がわからなかったのだが、これで謎が解けたのだ。〝七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)〟の担い手として、仙都木阿夜は雪菜にある種の価値を見出していたのだ。

 

「憶測か。ならば全ての異能が失われた世界で、(オマエ)だけが今もなお呪術を扱えている理由を(ワタシ)に教えて欲しいものだな」

 

 からかうような口調ではあるが、阿夜の言葉に雪菜は答えを持たなかった。そして疑念が広がっていく。もしかすると、阿夜はこの世界の真実を語っているのではないかと。

 だが、視界の端に立つ男を見て、雪菜は1つの疑問を思い出した。

 

「待ってください。私が呪術を使えるのは〝雪霞狼(せっかろう)〟の担い手であるからという仮説はわかります。

 ならば、何故バビル2世は力を失っていないのですか?」

 

 雪菜がここに連れ去られる前、阿夜の守護者の気を逸らすために、バビル2世は瓦礫を念動力(テレキネシス)で撃ち出していた。古城の力が消えていた以上、魔力消失の影響は確実にあったはずだ。

 雪菜の疑問に、阿夜は苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべる。

 

「それは(ワタシ)としても大きな疑問点だ、剣巫よ。たとえ過適応能力者(ハイパーアダプター)であろうとも、能力が消えることに例外は無いはずだ。

 バビル2世、何か心当たりはあるのだろう? 10年前に(ワタシ)を裏切った時も、(オマエ)は何の問題もなく力を振るい続けていた」

 

 結界の外で阿夜と雪菜の会話を聞いていたバビル2世は、どこか不敵な笑みを浮かべている。話を振られても口を開かない男に対し、阿夜は僅かに苛立ちを見せる。

 

「ずいぶんと静かだなバビル2世。先ほどから何かに備えているようだが、魔術を持たぬ(オマエ)に結界の対処は不可能だぞ?」

「もう待つ必要はない。結界越しだからか、少々伝わり方が遅いみたいだな」

 

 そうバビル2世が告げた直後、何の前触れもなく霧が発生した。同時に、不可視の衝撃を阿夜と雪菜が捉える。濃密な魔力の波動が、阿夜の支配する世界の大気を揺らしているのだ。そう、魔力に対して特殊な能力を持たないバビル2世が気付くほどに莫大な魔力が。

 

「……馬鹿な」

 

 吐き捨てるように阿夜が呟いている間にも、霧はその濃さを増していく。あまりの濃霧に遮られ、街の様子をうかがう事すらできなくなっている。いや、街そのものが霧へと変じているのだ。

 雪菜と阿夜は霊視により、バビル2世は透視によって霧の奥に潜む怪物の姿を捕らえた。実態を持たない甲殻獣、この霧はそれ自体が吸血鬼の眷獣なのだ。島全てを包み込む、霧の眷獣。そして、これほどの眷獣を従える存在はこの魔族特区においても1人しかいない。

 

「――疾く在れ(きやがれ)、3番目の眷獣、〝龍蛇の水銀(アル・メイサ・メルクーリ)〟!」

 

 霧を堰き止める不可視の結界が、突如空間ごと引き裂かれた。空間を喰らう眷獣、絡み合う双頭の蛇が、主の命に従い侵入経路をこじ開けたのだ。

 眷獣の用意した通路を使い、校庭に降り立ったのは血まみれのパーカーを羽織った世界最強の吸血鬼――暁古城。そんな彼に付き従うように、獅子王機関の舞威媛である煌坂紗矢華と、仙都木阿夜が道具として使い捨てた仙都木優麻が寄り添っている。

 

「流石は第四真祖だ。待った甲斐があったな」

 

 穿たれた結界を通り抜け、バビル2世が最後に続いた。

 壊す者と守る者の戦いは、いよいよ佳境を迎える。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 種族・分類

 龍蛇の水銀 アル・メイサ・メルクーリ
 12存在する第四真祖の眷獣が1体。絡み合った双頭の翼持つ蛇の姿をしており、外見から幻獣としての面が強い。
 次元そのものを喰らう咢には、強度が無意味となるため避ける以外の対抗手段は無い。
 弱点としてその絶大な攻撃を発揮するには食らいつく必要があるため、攻撃範囲が他の眷獣と比較して狭くなってしまう点が挙げられる。


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9話 再現された宿敵

 古城が呼びだした龍蛇の水銀(アル・メイサ・メルクーリ)は、結界を破壊した勢いのまま雪菜たちを拘束する檻を削り取った。黒死皇派の1件から定期的な鍛錬を繰り返した甲斐あってか、危なげなく檻のみを削り取ることに成功する。

 危機を感じ取った阿夜が空間転移で距離をとった隙に、雪菜はサナを抱えて一跳びで古城たちの傍へ退避した。

 

「雪菜、無事だったのね! 何かひどいことされてない!?」

 

 即座に駆け寄る紗矢華へと無事を伝えようとした雪菜は、そのまま言葉を失った。普段の紗矢華は着衣を乱すことなく、凛とした佇まいを崩さない女性である。しかし、今の紗矢華はまるで事情の直後のように着衣が乱れていた。肩を貸している優麻に至っては、薄い患者着しか身に着けていない。よほど鈍い人間でなければ、そして吸血鬼の性質に疎い人間でなければ、何が起きたのかを察するのはそう難しいことではないだろう。そしてその不埒な行為の予想に、雪菜はわけもなく胸が痛んだ。

 雪菜と古城はあくまでも監視役とその監視対象であり、それ以上の関係ではない。紗矢華たちに対してそんな姿になってまで救出に動いてくれた事へ感謝の気持ちを忘れていないし、古城が無事に行動している姿を見て安堵の息を吐いたことは嘘ではない。しかし、苛立ちと嫉妬の気持ちを完全に押し殺すことができるほど、雪菜は大人ではなかった。

 

「紗矢華さん、ボタン掛け違っていますよ」

「へ!?」

 

 雪菜が自分で驚くほどに、冷たい声が出た。指摘された紗矢華は慌てて胸元を隠し、そんな紗矢華へと無防備なサナを預け、雪菜は古城の隣に立った。

 古城の背に何故か冷たい汗が流れるが、彼は努めてそれを無視した。闇誓書の影響が消えていない以上、今阿夜に立ち向かえるのは古城と雪菜、そしてバビル2世だけなのだ。今個人的な機敏を理由として、貴重な戦力を減らすわけにはいかない。

 

「よもや結界を破って、(ワタシ)の世界の中枢(コア)にまで入ってくるとは。土足で自室を踏み荒らされた気分……だ!」

 

 憎々しげに火眼を細める阿夜に対し、古城は歯を剥き出しにして笑った。

 

「言っとくが、ここは俺らの学校だ。部外者はそっちだろうが、仙都木阿夜!」

 

 古城の反論に、かすかな動揺を火眼の魔女が見せた。かつて盟友と雌雄を決した瞬間から、10年の年月が経過している。時間の感覚が曖昧な監獄結界にいたためか、時の流れを今初めて明確に実感したのかもしれない。

 その動揺の中で、自らの道具と定義する優麻の首に着いた傷跡を見つけ出したのは、流石名の知れた魔導犯罪者といったところだろう。

 

「なるほど、(ワタシ)の道具を利用したのか。中々やるではないか、第四真祖?」

「ああ、おかげであんたをぶっ飛ばしてやれるぜ」

 

 第四真祖と書記(ノタリア)の魔女の視線が交わる。互いに互いを睨みつけ、不倶戴天の敵と改めて認識しているのだ。

 

「あんたにいいように利用されたユウマはボロボロで、那月ちゃんは幼女に変えられちまった。浅葱も、アスタルテも、祭りを楽しみにしてた島のみんなも、あんたのせいでその楽しみを奪われてる」

 

 古城が一歩踏み出すたびに、雷光と暴風が荒れ狂う。彼の身に宿す眷獣が、怒りに呼応して破壊の片鱗を振りまいているのだ。

 

「しまいにゃ姫柊を拉致して俺の腹に大穴あけやがって、いい加減本気で頭にきてんだよ! あんたがユウマの母親だろうが、監獄結界からの脱獄囚だろうが関係ねェ。目的がなんだろうが知ったことか! 俺の大切な友人(なかま)を大勢傷つけたあんたを、許すつもりはさらさらないからな!

 ここから先は、第四真祖(オレ)戦争(ケンカ)だ!」

「吠えるな、未熟な真祖風情が」

 

 古城の怒気を正面から受け止めた阿夜が、その美貌を歪めつつ腕を振るった。悍ましいまでの瘴気が瞬時に発生し、津波のような勢いで生意気な男子高校生を飲み込まんと迫る。吸血鬼、それも真祖の身体能力ならばこの程度の攻撃を避けることなど容易い。しかし迂闊に回避を選んだ場合、背後の紗矢華や眠ったままのサナは確実に瘴気の波に飲み込まれ、即死するだろう。

 襲い来る瘴気を焼き払うために右腕を突きだした古城のさらに前へ、小柄な影が躍り出た。握る破魔の槍を振りかざし津波へと突き立てた瞬間、始めから無かったかのように瘴気は消滅し、手を突き出したままの古城を背に姫柊雪菜は魔女へと構えを取る。

 

「――いいえ、先輩。()()()()()()反撃(ケンカ)です」

 

 古城は驚きを隠すことができなかった。普段であれば古城の行動を諌めるはずの雪菜が、自らの意思で古城の行動に協力するつもりなのだ。

 

「あなたは自分たちが魔女だから、それだけの理由で世界から蔑まれ、利用されてきたと言った。だったら、あなたが優麻さんにした行為は一体なんだというんですか!」

 

 雪菜の目には、はっきりとした悲しみの色が窺えた。もしかしたら、火眼の魔女は本当に世界を変えるために行動を起こしたのかもしれない。異能さえなければ、魔女が蔑まれることはない。彼女が盟友と呼ぶ那月も、普通の女性として当たり前の幸せを享受できるだろう。その友人と隣で、彼女自身も笑う事ができたかもしれない。

 しかし、その理想のために彼女は犠牲を強いた。自らよりも弱いものを利用し、傷つけてしまった時点で、彼女は自らにふりかかった理不尽を世界の歪みだと指摘する資格を失ったのだ。それは決して正義の行動ではなく、誰かによって阻止されるべき理不尽なのだから。

 

「あなたが呪われていると感じているのは、魔女だからではありません。自らの不幸を言い訳に他人へ理不尽を強いる限り、あなたは受け入れてくれたはずの人たちですら敵に回してしまいます。

 間違いを間違いのまま終わらせないためにも、闇誓書を解除して投降してください!」

 

 雪菜の必死な呼びかけに、阿夜は目を顰めた。絶望と痛みをこらえる阿夜の表情が、雪菜とバビル2世が知る10年前のそれと重なる。那月とバビル2世、信じていた2人に裏切られたと思い込み、悲鳴を押し殺して訣別した悲壮な覚悟を決めた表情と。

 帰り道を失った幼子のような目で、阿夜はバビル2世へと視線を向けた。

 

「また……(オマエ)の影響を受けた者が(ワタシ)の邪魔をするのだな。

 10年前と同じだ。よくもこう都合のいい手駒を教育できるものだ」

「僕は何も特別なことは教えていない……ただお前が間違っているだけだ。

 こうしてたった1日にも満たない時間で間違いだと指摘される行為に、何故自分だけが間違っていると気がつけない」

 

 珍しく、バビル2世の悲しげな声が響く。人前で彼が感情を表に出すこと自体が珍しい中で、悲しみをここまでわかりやすく露にすることは初めてかもしれない。それだけ書記(ノタリア)の魔女は当時のバビル2世と交流が深く、それだけに今理想しか目に入らずに暴走を続ける彼女を見ることがつらいのだろう。

 しかし、その心も今の阿夜には届かない。自らの歩みを邪魔するものは全て敵だと認識する火眼の魔女は、怨敵を見るような目でバビル2世を、次いで古城と雪菜を睨みつけた。

 

「そちらもだ。たかだが十数年しか生きていない分際で、随分と知ったような口をきいてくれるな。

 まさか忘れたわけではあるまい。ここはいまだ我が世界の中ぞ!」

 

 火眼の魔女の指先が、空中に文字を描く。一瞬金に輝く文字から、次々と攻撃呪術が放たれる。いや、それだけではない。彼女の記憶にある対魔族の矢が、人を効率的に殺すために造られた槍が、呪いそのものと言えるまでに汚染された呪符が、生み出されては古城たち目掛け飛来していく。

 

「甘いんだよ! 吹き飛ばせ、獅子の黄金(レグルス・アウルム)!」

 

 しかし、それらは第四真祖の放つ雷の獅子に一瞬で消し飛ばされた。いかに高威力の呪力であれ、どのようにおぞましい呪物であれ、天災とまで例えられる破壊の化身を止めることはできないのだ。

 勢いのままに阿夜へと襲い掛かった獅子は、いつのまにか描かれていた文字によってあっけなくその身を散らせる。

 

「くそっ、あの文字の結界か!」

 

 倉庫街で一度見たが、再び使われた今でも古城が打開策を思いつかないほど一方的に、そして瞬時に眷獣が無効化される。よく見れば校舎を護るように似たような文字が展開されているため、眷獣の暴走で学園が消滅する心配はないようだ。

 ある程度制御せずに眷獣を放つことができると分かったのはいい情報だが、その文字の結界を突破する方法が無ければ最大の火力を封殺されてしまう。悩む古城に、あっさりと打開策が実例をもって提示された。

 

「先輩、下がってください!」

 

 掛け声と共に雪菜が飛び出し、雪霞狼で文字の展開されている空間を薙ぎ払う。ただそれだけで、真祖の眷獣すら容易に防いだ文字の結界は雲散霧消した。彼女が操る槍は一切の結界を無効化する破魔の槍、魔力に頼った防壁は、その全てを無効化されるのだ。

 迫る雪菜に向かい、阿夜は新たな文字を空中に描いた。文字が発光し、透明な壁が雪菜を遮るようにせり上がる。反射的に槍を突きだす雪菜だが、その穂先はあっけなく弾き返された。雪菜はその感触から、壁の正体を直感する。

 

「水晶の壁!?」

 

 いかに魔力を無効化する槍とはいえ、物理的な強度を持つ物体にはただの槍以上の力を発揮することはない。雪菜は檻を破壊できなかった時と同じ無力感を噛みしめ、しかし背後から迫る気配を感じ取り静かに目を閉じた。

 

「お願いします、先輩」

「任せろ! 砕け、双角の深緋(アルナスル・ミニウム)!」

 

 古城の声を媒介に、衝撃波が雪菜を掠めつつ水晶の壁へと突き進む。空中で双角獣の姿を取った衝撃の塊は、硝子を砕くようにあっさりと水晶の壁を粉砕した。即座に描かれた文字の障壁によって双角獣は消失するも、ほぼ間を開けずに吶喊した雪菜が振るった雪霞狼により障壁は掻き消される。

 

「物理障壁は真祖の眷獣が……魔力障壁は剣巫の槍が砕く……か。むっ」

 

 砕かれた水晶の破片が、突如空中で制止する。違和感に気がついた阿夜だったが、言葉を発する間もなく破片が鋭い動きで阿夜へと襲い掛かった。

 咄嗟に文字の障壁を生み出しつつ、阿夜は視線を第四真祖たちの背後へと投げかける。彼女の予想に違わず、眼と髪を赤く染めたバビル2世が鋭い目つきで阿夜を見ていた。原理不明の念動力(テレキネシス)を阻害する方法を知らない阿夜は、空中に盾を生み出しその全てを防ぎ叩き落とすことで処理する。細かく砕けた水晶は、念動力(テレキネシス)の影響を失った。攻撃に適さなくなったためバビル2世が操るのをやめたのだ。

 

「流石はバビル2世、上手く隙を突いてくる。世界に拒絶された異物共の連携が、これほどまでにやっかいだとは。

 ならば、これはどうする?」

 

 阿夜が新たな文字を宙に描く。文字か強く発光し、虚空に次々と影を生み出し始めた。

 

「人……なのか?」

 

 古城の呟きの間にも、人影は増え続けていく。その中に見覚えのある顔も交じっていることに、古城たちは早々に気がついた。ヴァトラーと戦っていた龍殺し(ゲオルギウス)のブルード・ダンブルグラフ。バビル2世と紗矢華が打ち倒したシュトラ・D。浅葱とサナを襲撃し、バビル2世に返り討ちにあったキリガ・ギリカにジリオラ・ギラルティ。監獄結界が顕現する前に、紗矢華とラ・フォリアのタッグに敗れたメイヤー姉妹。

 

「記憶から、魔道犯罪者たちを再現したというのですか……!?」

 

 雪菜は驚きを隠すことができなかった。人間1人、しかも異能までも再現しているとなれば、まさしく神の御業に他ならない。たとえ本物ではないとしても、異能を持った超人たちの集団はそれだけで十二分な脅威と言える。

 

「もちろん、魔道犯罪者だけではなく今まで(ワタシ)が戦った正規軍人や攻魔官も含まれているぞ。

 やれ、我が記憶の(ツワモノ)ども」

 

 阿夜の一声の元、異能を身に秘めた操り人形の軍団が一斉に動きだした。それぞれが得意とする異能を発露させ、眼前の敵を排除するためだけに暴発とも思える勢いで解き放つ。光が、熱が、瘴気が、呪符が。どれか1つでも容易に人の命を奪い去る攻撃が、雨霰と古城めがけて降り注いでいる。

 しかし、古城はこの状況下でも笑みを崩さなかった。敵は阿夜に操られる人形であり、すでに人間ですらない。ただの質量を持った幻影に対し、手加減をする必要などどこにも無いのだ。

 その状況下では、第四真祖の眷属はこれ以上ない働きを約束する。

 

「ぶちかませ、双角の深緋(アルナスル・ミニウム)!」

 

 宿主の呼び声に従い、緋色の双角獣が咆哮を放った。真祖の眷獣が放つ咆哮がただの音波で済むはずがなく、双つの角が共鳴し轟音を増幅する。通常の咆哮ですら彩海学園の硝子を残らず粉砕し、校舎にダメージを与えるほどの威力を誇るのだ。増幅され、訓練によって磨かれた古城の指向制御能力が合わさり、前方のみに集約した衝撃波の砲弾とも呼べる一撃が撃ち出される。

 天災とも称される第四真祖の眷獣、牽制程度とはいえその一体が放った攻撃に対応できる者はほとんど存在しない。そして阿夜が再現した猛者の中にも、そのわずかな存在は含まれていなかった。

 自らが信を置く攻撃が一瞬で掻き消され、その破壊の渦が迫る状況下でありながら、阿夜の操り人形たちは動こうとしない。彼らはあくまでも阿夜が打ち倒してきた、もしくは間接的に知るだけの存在だ。敵に自らの攻撃が掻き消され、その攻撃にさらされるという状況がそもそも想定外であり、よって阿夜の命令が下されていない今避けるという思考が存在しないのだ。

 まるで台風に薙ぎ払われるように、衝撃波に呑まれ消滅していく操り人形の中で、一体だけがとっさに反応を見せた。迫る衝撃波を間に瓦礫を浮かせることによってその威力を僅かにやわらげ、暴風に流される要領で衝撃を殺し校舎を守る文字の結界に飛び込んだ。結界に触れてしまえば、暴風も衝撃波も存在しなかったかのように消滅する。

 あまりにも見事な回避に、古城と雪菜は目を見張った。まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

「ほう、やはりこの者は避けるか。経験が生きたということだな」

 

 納得がいった表情の阿夜は、得意げな視線をバビル2世へと向けた。一切の反応を示さないバビル2世へ、疑問を抱いた古城たちも視線を向ける。彼の男であれば、回避した男目掛けて瓦礫の追撃を浴びせてもおかしくないのだ。

 3人の視線に晒されたバビル2世は、明らかに動揺していた。表情はこわばり、眼は見開かれている。

 

「馬鹿な……阿夜、あの男をどこで知った」

 

 奇妙な印象を抱かせる男だった。雰囲気は100を超える老人のようでありながら、外見は50代よりも少し若く見えるだろう。覇気に満ちた瞳の輝きを持ちながら、あごには立派な黒ひげを蓄えている。

 

「犯罪者の中には情報通の者もいたからな。少しずつ情報を引き出したのだよ。

 そして(ワタシ)の世界に入ったお前から、徐々に記憶を読ませてもらった。最近墓参りでもしたのか、随分と鮮明な記憶だったぞ?」

 

 民族衣装のような珍しい衣装を身に纏い、黒髪は短く撫でつけられている。その男の名を、バビル2世は誰よりもよく知っていた。

 

「本人じゃないことだけはわかる。まさかこんな形でお前と相対するとは思っていなかったぞ……ヨミ」

 

 バビル2世宿命のライバル……ヨミが存在を再現され、校舎の屋上に立っていた。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 メイヤー姉妹
 血のつながらない姉妹である姉のエマ・メイヤーと妹のオクタヴィア・メイヤーの2人組であり、LCO第一隊“哲学”に所属する魔女。
 アッシュダウンの惨劇と呼ばれる事件で森そのものを守護者と化しており、ほぼ無尽蔵に湧き出る防衛力として恐れられていた。
 紗矢華とラ・フォリアのコンビをその量で追い詰めるが、属性を見抜かれ煌華麟により守護者は全滅、特区警備隊に捕縛された。
 魔女としての実力が低く、老化に対する耐性を持たないことがコンプレックスとなっている。

 バビル2世 用語集

 人物

 ヨミ
 次回本文まで、解説は控える。


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10話 模体の策略

 2020/5/12 用語集追加


 ヨミの模体が屋上から飛び降り、古城たちと阿夜を遮るように着地した。

 

「阿夜、今すぐその模体を消せ。それは制御できる人間ではないし、一部であろうともこの世に呼び出したことは看過できない」

 

 バビル2世の警告に、阿夜は薄ら笑いで答える。

 

「何を焦るバビル2世。それほどまでにこの男が恐ろしいのか?」

「ああ、恐ろしいさ。一部とはいえヨミを再現している以上、僕にとって油断ならない敵に他ならない。

 阿夜、かつてヨミを利用しようとした存在はいくつかあった。だがその全てがヨミの制御に失敗し、滅びの道を進んだ。悪いことは言わない、今すぐに消すんだ。制御できている間に」

「馬鹿な、そこまで(オマエ)の脅威になると分かっていながら何故消さねばらん?」

 

 バビル2世と阿夜が言葉をぶつけている間に、古城と雪菜はヨミと呼ばれた男の模体を観察することができた。そして、バビル2世の一部だけという言葉に納得する。

 立ってこちらを見ているだけでも、警戒を抱かせる何かを持っている男だ。しかし、何かが足りていない。初対面である古城と雪菜ですらわかるほど、目の前の現身はヨミという男としてどうしようもなく不完全なのだ。

 

「かつての連中がどのような方法で操ろうとしたのかは知らんが、一部分を不完全に再現しただけの人形がどう裏切るというのだ?

 やれ、かつて帝国を築かんと野望を燃やした英傑よ」

 

 焦燥を浮かべるバビル2世を嘲笑い、阿夜は現身に指令を送る。

 瞬間、模体の姿が消えた。

 

「……は?」

「えっ?」

 

 呆然とする古城と雪菜の背後で、重い打撃音が響く。咄嗟に振り返る2人の視線の先で、拳を繰り出した模体とそれを片手で受け止めたバビル2世が睨み合っていた。瞬間移動や超加速の類ではない。制止状態から動作の最高速度までほとんど間を置かずに移行したため、第四真祖と剣巫は意識の隙を突かれたのだ。

 

「中々早いが、ヨミはもっと早かったぞ!」

 

 バビル2世は受け止めた拳を握ろうと手に力を込めるが、僅かな時間差で模体は拳を引き戻し、一跳びで元いた地点まで戻った。

 

「完全再現できていないとはいえ、(オマエ)の足止めには十分だ。手駒はどれほどあっても困らんよ」

 

 阿夜の言葉と共に模体が古城へと襲い掛かり、跳び出したバビル2世に遮られ、同時に繰り出された蹴りの威力を和らげるために自ら阿夜の背後にまで飛び退いた。

 

「暁古城、これは僕が引き受ける。阿夜は任せたぞ!」

 

 そう言い残し、バビル2世はヨミの模体を追って闇に沈む体育館へと走り去った。

 

「ふふふ……バビル2世を欠いて、(ワタシ)に勝てるかな?」

「さっき俺と姫柊を止められなかったお前に、負けると思うか!」

 

 古城の挑発を受け、阿夜の表情が僅かに歪む。古城と雪菜の連携に押されていたことは事実であり、バビル2世の援護が無くなったとしてもその脅威が下がるわけではないのだ。

 

「その無駄口を叩けなくしてやろう」

 

 すでに怒りを表情に浮かべる領域すら過ぎ去ったのか、無表情のまま阿夜が文字を描いた。うっすらと光る文字の障壁は、今までとは違い宙を滑るように古城たちへと迫る。

 

「先輩下がってください、雪霞狼!」

 

 雪菜が振るった槍に、文字の障壁はあっさりと破られた。しかし、次いで迫る鉄の槍衾に雪菜は対応できなかった。霊視で予測自体はできるものの、対応できるかは別の話だ。

 

「姫柊!」

 

 すぐ後ろで眷獣を放つタイミングを見計らっていた古城が、雪菜を引き倒しながら衝撃波で全ての槍を吹き飛ばす。その後に迫る文字障壁で衝撃波が無効化され、その文字障壁は槍で掻き消される。

 

「どうした、負けないのではなかったか?」

 

 火眼の魔女が両腕を振るうたびに、文字の障壁と物理的な攻撃が生み出される。その波状攻撃を何とかしのぎ続ける古城たちだったが、なにも一方的に押され続けているというわけではない。古城たちの視界には、阿夜の額に浮かぶ汗がはっきりと捉えられていた。無茶な攻撃は、それ相応の魔力が必要となる。この激しい攻撃が古城たちを追いこんでいることは確かだが、凌ぎきられた場合阿夜に次の手は無いのだ。

 

「手が足りねえ!

 疾く在れ(きやがれ)獅子の黄金(レグルス・アウルム)! 双角の深緋(アルナスル・ミニウム)!」

 

 攻撃の激しさに耐えかねた古城が、掌握する2体の眷獣を呼び出した。文字の障壁に触れれば即座に消滅する魔力の塊を呼び出し、膨大な第四真祖の魔力も確実に目減りしている。その事実に阿夜は裂けるような笑みを浮かべ、次いで眉を顰めることになる。

 眷獣が、襲い掛かってこないのだ。ただ古城の横に立ち、阿夜を睨みつけている。

 

「どうした第四真祖、そうすれば(ワタシ)が怯えるとでも思ったか?」

 

 嘲る阿夜に、古城は不敵な笑みを返す。

 

「どうした、攻撃が止まってるぜ!」

 

 宿主の意思に従い、2体の眷獣が咆哮を放つ。雷の獅子が放った雷撃と振動の双角獣が放った衝撃波がほぼ同時に飛来するも、阿夜は文字障壁であっさりとそれらの脅威を無に帰す。

 

「つまらんな、その程度で我が守りを破ることなどできないと理解していると思っていたが」

 

 阿夜が無造作に放った光の障壁は、いままでの繰り返しと同じく雪菜が切り裂く。次いで飛来した無数の矢を獅子の黄金(レグルス・アウルム)が焼き尽くした。

 間を置かずして阿夜は再び文字障壁を放ち、次いで鉄の礫を放つが、礫は双角の深緋(アルナスル・ミニウム)の衝撃波によって見当違いの方向に吹き飛ばされる。

 

「まさか……」

 

 阿夜は気がついた。迎撃する眷獣は、その身を使っていないのだ。自らの行動の余波を利用して物理攻撃を迎撃しているため、たとえ文字障壁が当たっても消え去るのは余波のみ。眷獣はその場に存在し続け、しかも迎撃は2体が交互に行っている。

 そして、迎撃手段が増えた古城と雪菜は、徐々に阿夜との距離を詰めているのだ。

 

「考えたな、第四真祖!」

 

 焦りを隠し攻撃を激化させるも、古城たちの侵攻は速度を僅かに落としただけで止まらない。絶え間ない物理攻撃のすべてを雷と衝撃波が押し留め、脅威となる文字障壁は霊視を使った雪菜が的確に処理する。

 追い詰められた阿夜が十二単の袖口に手を入れようとしたところで、甲高い鳴き声が響き渡った。古城も、雪菜も、阿夜も、その鳴き声にどうしようもない危機感を覚えて弾かれるように頭上を見上げる。

 月を背に、巨大な怪鳥がさらに巨大な人型を吊り下げ学園目掛けて突っ込んでくる光景が、眼前一杯に広がっていた。

 

「なんでだ、バビル2世がここに入れるわけにはいかないって!」

「先輩、伏せてください!」

「どういうことだ、何故奴のしもべが!」

 

 三者三様に混乱する中、凄まじい勢いのまま人型……ポセイドンが結界へと突っ込んだ。魔術防御の装甲が結界と干渉し、質量と加速がそれを後押しする。音のない衝撃が、不気味に大気を揺らがせた。

 

「流石に、止め切れんか!」

 

 ポセイドンを押し留めることを諦め、阿夜は結界の一部を解いた。かなり勢いを殺すことができていたとはいえ、相応の速度でポセイドンが校庭へと落下する。土を抉り取りながら、ゆっくりと巨兵は制止した。解かれた結界が修復されない隙を突いてロプロスも結界内部へと侵入を果たし、ポセイドンの横へ着地した。

 

「先輩、下がってください! 何か様子がおかしいです!」

 

 魔力消失領域に入れるわけにはいかないと言われていた、ロプロスとポセイドンがその中心点に降り立っている。それだけでも十分な異常事態にも拘らず、雪菜はさらに不気味ななにかをしもべたちから感じ取っていた。

 

 

 

 時は僅かに遡り、バビル2世はヨミの模体と体育館で向かい合っていた。

 

「やはり模体……しかも一部しか再現できていないか」

 

 こうして向かい合うことで、バビル2世は眼前の模体の不完全さを改めて感じ取っていた。たしかに、異能を扱った戦闘力の高さも実力に裏打ちされた威圧感も、並の犯罪者を容易に超えるだろう。だが、本物と幾度も死闘を重ねたバビル2世には、現身との差が手に取るように分かった。

 弱いのだ。威圧感も先のやり合いで受けた衝撃も速度も、本物のヨミに比べればどうしようもなく弱い。せいぜいが、ヨミの帝国に所属していた戦闘員の最上位と同じ程度だろう。

 

「はあっ!」

 

 掛け声と共に、今度はバビル2世が攻撃を仕掛ける。地を這うように低い体勢から、拳、肘、蹴りを流れるように連打する。模体は危なげなくその全てを受け流し、2人は再び距離をとっての睨み合いとなった。

 そう、弱いと言ってもそれはバビル2世やヨミの基準においてだ。それに、一定以上の実力があれば勝てはせずとも時間を引き延ばすことはできる。特に、今のようにバビル2世が追う側であり、攻撃を凌ぎ距離を開け続けるともなれば、即死はしない以上かなりの時を稼ぐことができるだろう。

 

「……やはりお前は模体だ。ヨミならば、そうも無様な逃走を続けることはなかっただろう」

 

 バビル2世の声が響く。本物のヨミであれば、先の連撃中に反撃を試みただろう。この体育館に飛ばされた際に、何かしらの罠を仕掛けていた可能性もある。今のバビル2世の挑発に、尊大な声で舌戦を開始したに違いないのだ。

 前触れなく、ヨミの模体が笑みをこぼした。かつてのヨミを彷彿とさせる、敵対者を倒す策を腹に抱えた征服者の笑みだ。

 

「……ロプロス、ポセイドン」

 

 しもべの名が呼ばれた瞬間、バビル2世は反射的にヨミの模体へと飛びかかった。まさか、と脳裏で最悪の予想が組み立てられる。その予想があっているのか確認することはできない。万が一予想通りであった場合に備え、敵の策が完成する前にそれを叩き潰さなければならないのだ。

 

「どうした、バビル2世。ずいぶんと、焦っているな」

 

 徐々に模体も学習しているのか。挑発するようにバビル2世の名を呼ぶ。バビル2世は答えない、そのような余裕が無いのだ。

 

「ロプロス、ポセイドン、我が命に従え。我が前に馳せ参じよ」

 

 模体の声が闇夜に溶けていく。それを止めようと攻め続けるバビル2世だが、中々決定打が決まらない。

 例え弱体化していても、模体には記憶から読み取った経験が与えられている。そう、敵であるバビル2世の動きのほとんどを把握している模体にとって、攻撃を捌き続けることはそう難しいことではない。

 

「ロプロス、ポセイドン! 大人しく……ちいっ!」

 

 バビル2世の命令を阻止するように、ヨミの模体が近接戦闘を仕掛ける。この行動でバビル2世は確信を得た。 

 バビル2世とヨミは、かつて存在した強大な過適応能力者の末裔同士であり、遠い遠い親戚ともいえる存在だ。仮にバビル1世と呼ぶ人物は、自らが死した後に残された技術を誰が扱うのかと悩んだ。そして、コンピューターに自らの後継者……自らと同じ体質を持つ人間が生まれた場合、その者に自分が遺した全てを与えるとインプットしたのだ。そして選ばれた後継者こそ、バビル2世である。

 ほんの僅かな資質の差で後継者に選ばれなかったヨミは、しかしその僅かな資質以外完全に同質の能力をその身に秘めていた。そう、しもべへの命令権も、彼の男は持ち合わせていたのだ。

 そして今、かつての頭脳の残滓をもってヨミを模した男は、自らを操ろうとしている女へ最大の報復を実行しようとしている。それを看過するほど、バビル2世はお人よしではない。

 

「ロプロス、ポセイドン! 待機していろ、こちらへ近づくな!」

「来い、ロプロス、ポセイドン!」

 

 互いの命令が拮抗し、しもべは混乱しているだろう。しかし、ヨミの模体を打ち倒す事を優先するバビル2世に対し、ひたすらに時間を稼ぎしもべを呼び続けるヨミの模体では命令の強さにどうしても差が出てしまう。

 さらに、結界という要素もバビル2世には大きな不利として働いている。バビル2世の命令は声と思念波によって行われるのだが、結界はバビル2世を敵として認識している。その声を結界は減衰させるが、ヨミの模体はあくまでも阿夜の手下として認識されている。味方の声を素通しする結界の選別も合わさった結果、ついに命令の均衡は破られた。並の獣人を遥かに超えるバビル2世の耳が、飛来する羽音を捕らえる。

 既に相手の命令が優先されていることを悟ったバビル2世は、一切の手加減を投げ捨てた。周囲の被害を考慮せずに瞬時に発動された念動力(テレキネシス)……軍事基地すら崩壊させる力が戦場であった体育館に干渉し、建材のすべてがヨミの模体へと襲い掛かる。とっさに念動力(テレキネシス)で対抗するヨミの模体だったが、能力を使う一瞬の隙を突いたバビル2世の接近を許してしまった。バビル2世により無造作に腕を掴まれたヨミの模体は振りほどこうと足掻くが、すでに遅きに失している。

 

「眠れ」

 

 バビル2世最大の攻撃手段である、エネルギー衝撃波が模体の全身を貫いた。同時に、結界の揺らぎが生んだ不快な圧力が大気を揺らす。バビル2世は油断なく倒れ伏す模体を観察するが、荒れ狂うエネルギーに内臓を引き裂かれ、余波で皮膚が焦げ付きすらしている肉体が生命活動を続けられるはずがなかった。息の根を止められた模体が、僅かな焦げ跡を残して突如消失する。所詮は阿夜の能力によって生み出された質量を持った幻影にすぎない彼らは、命を失えば消滅するのだ。

 模体が消えた位置を手で触れ身を隠したことでないことを確認し、バビル2世は半壊した体育館を飛び出した。校庭に降り立った、ロプロスとポセイドンの元へと。

 

 

 

 古城と雪菜、そして阿夜は、しもべ2体を挟んで奇妙な膠着状態に陥っていた。どちらも、不気味に沈黙する巨大な影に警戒し行動できない。

 

「先輩、装甲を見てください」

 

 雪菜の視線の先で、ロプロスとポセイドンの装甲に描かれていた魔術文字が徐々に薄れている。凄まじい密度を誇るがために今まで消滅しなかったようだが、流石に魔力消失の影響を受け始めているようだ。

 

「あれ、まずいんじゃないか?」

「ふふふ、装甲が無くなれば……いや、魔術が完全に無効化された世界で、この巨体が維持できるのか見ものだな」

 

 焦る古城と余裕の阿夜の声が重なり、さらに2体の主の声が響く。

 

「ロプロス、ポセイドンを連れて退避しろ!」

「させんよバビル2世。すでに結界は修復しているのだ、このまま装甲魔術が完全に消失するまで逃がさん」

「これはヨミの模体が仕組んだ攻撃だ! すぐに結界を……遅かったか!」

 

 しもべの装甲、その表面に浮かぶ魔術文様から全ての光が失われた。あ、と声を上げたのは誰だったか。強固に固定されているはずの装甲がゆっくりと剥離し、空中で解けるように消え去っていく。崩壊は止まらず、それにより装甲内部に隠されていた()()()が姿を現した。

 それは、巨大な2体の人型だった。

 ポセイドンは分厚い装甲を失ってもなお堅牢であろう装甲を身に着けた巨人であり、細身になった分機動力は向上しているだろう。装甲の形状から読み取るに、海中での移動速度も大幅に上昇していることが予想できる。

 ロプロスは飛行ユニットを装備した巨兵であり、胴体部分に蹲って収められていた体を伸ばせばポセイドンに迫る大きさだ。翼に偽造されていた飛行ユニットは複数の動力部分が連結された羽を模した構造となっており、羽ばたくことなく高速の移動を約束するだろう。

 2体の巨兵は周囲を見渡すように頭部を動かし、バビル2世を視界に収めるとその動きを止めた。




 バビル2世 用語集

 人物

 ヨミ
 バビル2世最大のライバルであり、唯一彼に匹敵する能力を持つ男。
 バビル2世と同質の力を持ちながらも最大出力で敵わない彼の持つ最大の脅威はその頭脳であり、作戦と新兵器の2本柱をもってバビル2世を何度もあと一歩まで追い詰めていた。
 部下からの情報を精査し、敵と同質である自らの体質を調べ上げて戦いに臨む彼は、正しく組織力をもって敵に当たる珍しいタイプのボスと言えるだろう。


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11話 暴走と復活

 前回ラストに用語集を入れ損ねていたため、追加してあります。
 単純な投稿ミスをしてしまい、申し訳ありませんでした。


 バビル2世は面影をほとんど残していないしもべと向かい合い、毅然とした態度で命令を下した。

 

「ロプロス、ポセイドン、今すぐにこの場から魔力消失領域外まで退避しろ」

 

 主の命を聞いた2体のしもべは、意外にも命令通り踵を返し、すぐに動きを止めた。

 

「どうした、すぐに退避しろと言ったぞ」

 

 再度の命を発せられたしもべは、現在の状況を正確に分析していた。人の目には見えない結界だが、大気の動きを捕らえるロプロスの視界にはその存在がはっきりと映し出されている。ポセイドンは、ほんの数分前自らが激突した結界の強度をしっかりと計算し終えている。

 しもべ同士の情報共有から、今のままでは主の命……この場からの速やかな撤退を行うことが不可能であると同時に判断を下した。

 彼等にとって主の命は絶対であり、何があっても遂行すべき至上命題である。迅速に移動を開始するためにも、結界を解除しなければならない。そう、例え術者を抹殺しようとも。

 

「仙都木阿夜、避けろ!」

 

 バビル2世の警告に、阿夜が咄嗟に反応できたことは幸運だった。僅か数瞬前にいた地点を、ポセイドンの高出力レーザーが貫いていた。直撃を許せば、いかに魔女とて即死を免れ得ない威力だが、今の阿夜にその脅威について考える余裕は無かった。

 書記(ノタリア)の魔女と呼ばれ恐れられた犯罪者が、眼前の異形に呑まれかけている。今になって、バビル2世の発した警告が脳裏に響く。ヨミと呼ばれた男の脅威に始まり、しもべをこの場から離そうとした必死な呼びかけは、はったりではなかったのだ。再び異形の腕が自分を狙ったことに気がつき、とっさに空間転移で距離をとる。僅かな差で熱戦の回避に成功したものの、初撃よりも精度が上がっていることに気がつき戦慄した。このままでは、避け続けられるのかわからない。

 だが、それでもなお阿夜は幸運だったのかもしれない。回避に専念したおかげで、異形へと姿を変えたしもべそのものに意識を向けずに済んだのだから。

 姫柊雪菜は、自分を襲う不安の正体を掴めなかった。ただ装甲が剥離し、人間により近い姿になっただけだというのに、以前のしもべたちからは感じる事の無かった恐怖と嫌悪感が、肌からしみ込むようににじり寄ってくる。自らが信ずる槍を握り不快感を気のせいと割り切るも、巫女という感受性の強い体質のためか気持ちを切り替えきることができない。

 そして、暁古城は目の前の異形が引き起こす破壊をあっけにとられ見ていた。阿夜がぎりぎりで回避した熱戦は、体育館を直撃していたのだ。バビル2世の念動力(テレキネシス)ですでに半分廃墟のような有様になっていた体育館が、炎に包まれる事すら無くその姿を消していた。熱線により建材が燃焼ではなく昇華し、熱風と共にその存在を文字通り煙と化したのだ。彼だけが異形の放つ気配に呑まれなかったのは、体内に飼う眷獣の気配によって異形に対しての耐性が少なからずついていたからだろう。だからこそ、異形の主へと声をかけることができた。

 

「バビル2世、何させてんだよ!」

 

 ほとんど乱射と言っていい攻撃が、体育館以外に被害を出していないのは奇跡と言っていいだろう。古城とて無傷で阿夜を捕まえることができるとは思っていないが、流石にここまでの攻撃をする必要があるかと問われれば首を横に振らざるを得ない。今のポセイドンが振りまく攻撃は1点への破壊で比べるならば、第四真祖の眷獣に匹敵……あるいは凌駕しかねないのだから。

 

「今のしもべは半暴走状態だ。僕を攻撃こそしないだろうが、第四真祖も剣巫も攻撃対象になりかねない。離れておくんだ」

 

 バビル2世の声に、一切の余裕はない。それだけ現在の状態が危機的だということであり、古城と雪菜も思わず二の足を踏む迫力があった。

 しもべたちは主の怒りを感じ取るが、現在の状況を打破するためと割り切り阿夜への攻撃を続行する。通常時であれば、しもべは一度行動を停止し状況の再分析を行っただろう。しかし、現在の状況はそうした時間すら惜しいとしもべに判断させるほどに悪いものだった。

 島を支える様々な魔術、その根幹である魔力そのものが消失するという異常事態に加え、自らの力を制御するための外部モジュールが全て外されたのだ。多少主の意向からずれようとも、状況を回復する。そう、たとえ捕縛せよと命じられている、仙都木阿夜を抹殺してでもだ。

 緊急時に原因を断とうとするしもべの思考が、図らずも主であるバビル2世が優先する非殺傷と真っ向からぶつかる形になってしまっていることも、しもべの疑似暴走と無関係ではない。恐るるべきは、模造品の劣化版にも拘らずごく短時間でこれだけの分析を行い、速やかに実行したヨミの模体だろう。

 主の宿敵の策略にはまっていることは承知の上で、しもべたちは動きを止めない。ポセイドンの遠距離攻撃は回避された。次はロプロスの番だ。

 連結された動力が一斉に唸りを上げ、ロプロスの巨体を宙へと押し上げる。僅かな対空の後、阿夜の立つ校舎の屋上目掛けてロプロスの巨体が高速で接近した。

 

「させるものか!」

 

 僅かに回避が遅れた阿夜から狙いを逸らすように、バビル2世の念動力(テレキネシス)がロプロスの顔を校舎から強制的にずらし、巨体も僅かに捻らせることにより屋上を掠りながらも巨兵は校舎を素通りすることになった。だが、被害が出ていないわけではない。

 

「っ……があっ!」

 

 阿夜が目の端に血を滲ませている。ロプロスが放った怪音波は校舎を直撃こそしなかったものの、僅かながら攻撃範囲に阿夜の頭を捕らえていたのだ。

 元のロプロスの攻撃であれば、このようなことにはならなかった。今のロプロス怪音波は、人間でいう口を覆う部分の装甲を振動させて放たれる広範囲攻撃だ。怪鳥時にはその広範囲攻撃を首の部分で纏め上げて射程を延ばしているが、今のロプロスにそのような制限は無い。超音速で接近し、面攻撃で敵を制圧する機動兵器なのだ。通常時をライフルとするならば、今はショットガン。部分に対する威力こそ減っているものの、直撃を許せば人間程度一瞬で内臓が掻き乱される。今の阿夜は、攻撃の余波を受けたからこそ生きているのだ。

 

「劣化したとはいえ流石はヨミか。ここまで面倒な状況になるとはな」

 

 現在の状況を創り出した宿敵へ、思わずバビル2世は賞賛の言葉を贈る。自らを足止めする命令を遂行しつつ、逆らえないはずの阿夜に対する逆襲までを完璧にお膳立てしているのだ。

 しもべの攻撃は止まらない。ダメージを負い動きが鈍っている阿夜に対し、今度こそ確実にとどめを刺すためロプロスとポセイドンが同時に動いた。ポセイドンの指先が光り、僅かに遅れてロプロスが口甲を震わせる。たとえポセイドンの攻撃から空間転移で逃れたとしても、上空のロプロスが逃れた先に広域攻撃を放つ必殺の連携。

 だが、その連携が成功することはなかった。

 

「……何をしている、第四真祖。お前も今のしもべの攻撃対象に入りかねないといっただろう」

「ああ、確かに聞いてたぜ。でもよ、自分が殺したくない敵が、眷獣の暴走で殺されたとしたら俺なら絶対に後悔する。

 それに、これは俺の戦争(ケンカ)だって言ったろ?」

 

 ポセイドンの腕はバビル2世の念動力で逸らした。怪力を誇るポセイドンの腕を動かすために余力を割けず、ロプロスの攻撃が阿夜を押し潰そうと放たれた瞬間、実体化を続けていた双角の深緋(アルナスル・ミニウム)がその身をもって怪音波を防いだのだ。

 振動を司る双角獣にとって、ロプロスの攻撃はたき火に火炎放射器を当てるようなものだ。余さず受けた振動を共鳴させ、増幅して天空の巨兵へと衝撃波を送り返す。それ自体は驚異的な機動力をもってあっさりと躱され、ロプロスは明確な敵意を込めて地上の人影を捕らえた。

 空気が、まるで粘り気を持ったかのような錯覚を古城は覚えた。ロプロスの目はゴーグルのような保護装置によって、直視することはもちろん視線を伺うことすらできない。だが、古城は確かに感じ取った。ロプロスがその両目で、今初めて自分のことを注視した事実を。

 青ざめる古城だったが、周囲にいる仲間を思い浮かべて歯を食いしばる。そう、なにも古城はバビル2世のためだけにしもべに喧嘩を売ろうとしているわけではない。今阿夜を殺そうとしもべが広域破壊を敢行した場合、その余波に友人たちが巻き込まれる可能性を考えてのことだ。

 雪菜だけであれば、未来視と呪術による身体能力強化によって攻撃をかわせるかもしれない。だが、今はただの女子高生としての身体能力しか持たない紗矢華、魔女としての力を失い、今もなお癒えない傷を負っている優麻、そして仮想人格(バックアップ)が消滅したため動くことがない那月の肉体はそうはいかない。なすすべなく余波に巻き込まれ、最悪の場合死に至るだろう。

 背に守る人に視線を向け、歯を食いしばってロプロスを睨みつける古城を見て、バビル2世は自分の始まりを思い出していた。そう、バビル2世がまだ覚醒したばかりのころ、ヨミと対峙し敵対することを決めたのは嫌だったからなのだ。自分の大切な人が、たった1人の支配者の気まぐれで殺されるかもしれない。もしかすれば、ヨミと世界の戦争がはじまり、大切だった人たちが戦火に撒き込まれるかもしれない。そんな理不尽が嫌で、許せなかったからこそ、バビル2世は強大な敵との戦いを選んだ。そんなかつての自分と、今の理不尽に立ち向かおうと心を奮い立たせる古城が一瞬重なった。かつて普通の人間でありながら、運命によって人外の力を手に入れた少年だった男は、同じ運命の少年を否定する言葉を持たない。

 

「……死ぬなよ、第四真祖」

「俺は不死身らしいからな。それは安心してくれ」

 

 ただそれだけの言葉を交わし、特別にならざるを得なかった者同士は、手に入れた能力を全力で振るった。阿夜目掛けて急降下するロプロスに雷の獅子と振動の双角獣が襲い掛かり、砲口を向けるポセイドンがバビル2世渾身の念動力(テレキネシス)で投げ飛ばされる。

 

「剣巫、こちらを押さえている間に仙都木阿夜を捕らえろ! 魔力消失領域さえなくなればしもべはおとなしくなる!」

 

 ポセイドンを体育館跡地に叩きつけながら、バビル2世は攻撃の余波から紗矢華たちを守る雪菜へと指示を出した。ロプロスを引きつける古城とポセイドンを拘束するバビル2世は徐々に雪菜たちから距離を離しており、このまま距離を保てていれば巻き込まれることはなさそうである。ロプロスが古城を振り切る前に、仙都木阿夜が構築した術式を解除しなければならない

 

「わかりました!」

 

 そうとなれば雪菜の判断は迅速だった。呪術で強化した身体能力を十全に発揮し、眼から血を流す阿夜目掛けて一跳びで突っ込む。初撃こそ回避したものの、火眼の魔女は続く連撃を避けきれる体調ではなかった。浅い傷を数ヶ所受け、精度の悪い空間転移で何とか距離を離す。

 

「くっ……(ワタシ)が負傷しているとはいえ、たった1人で向かってくるとはな。随分と低く見られたものだ」

 

 乱暴に血を拭った阿夜の全身から、濃密な魔力が溢れ出す。例え傷つき魔術の行使に不都合が出ようとも、彼女こそがLCOの総記(ジェネラル)である書記(ノタリア)の魔女。伊達や酔狂、ましてや組織を造り上げたというだけの理由でその座に収まっていたわけではない。

 

「この程度の負傷、過去に何度も受けている。そのたびに(ワタシ)は乗り越えてきた。

 舐めるな、若輩者の剣巫風情が」

「仙都木阿夜、あなたは……」

 

 吐き出される言葉の端々に、憎しみと狂気が渦巻いている。高い感受性を持つ雪菜にとって、それは形を変えた悲鳴にも聞こえる。

 雪菜は、黙って機械槍を握り直した。すでに、眼前の女性にはどんな言葉も届かない。だからこそ、今できる最大の動きで制圧するのだ。

 睨み合いの時間を利用し、極限まで練り上げた呪力をもって雪菜は地面を蹴る。対する阿夜は石の壁を生み出すが、頭部の負傷が影響しているため以前ほどの頑強さが無い。その壁目掛け、雪菜は紗矢華から託されていた呪符を放つ。その一撃により壁は粉砕されるが、次いで阿夜の召喚した幻影が群れを成して襲い掛かった。

 

「この程度! 雪霞狼!」

 

 だが、大半の幻影は輝く銀の槍によって切り裂かれ、僅かに残ったものを無視して雪菜は走り続ける。次々と放たれる魔術は、そのどれもが精度の甘い、ただ乱発されるだけの単純なものだ。ロプロスの一撃は、阿夜自身が感じているよりも深く脳を傷つけていた。今のまま魔術を放ち続けても、もはや牽制にすらならないだろう。すでに迫る雪菜との距離は一跳びと僅かであり、後数度魔術を放つことができるかという地点まで阿夜は追い詰められていた。

 だからこそ、彼女の手は十二単の袖口へと伸びる。取り出されたのは、一冊の魔導書。それを見た雪菜の目が見開かれ、阿夜は笑みを浮かべる。

 

「それは……!」

「そう、固有堆積時間(パーソナルヒストリー)操作の魔導書だ。

 (オマエ)の時間、奪わせてもらうぞ」

 

 魔導書のページがひとりでに捲られ、虚空から黒い触手が出現し雪菜へと襲い掛かる。霊視をもってしてもさばききれない物量は、仮に古城の眷獣が動ければ一瞬で焼き尽くされる程度のものでしかない。呪符の爆撃で迫る触手を打ち落としても、次々と迫る触手はすぐにその穴を埋める。

 普段であればほんの一跳びで詰められる距離が、今はどうしようもなく遠い。

 

「しまっ……!?」

 

 死角から迫る触手に槍の石突きを絡め取られ、一瞬生まれた隙を見逃されるほど生易しい戦いではない。あっという間に触手に絡め取られ、雪菜は完全に動きを封じられてしまった。

 満足そうな阿夜の背後に〝守護者〟が呼び出される。顔の無い、漆黒の鎧をまとった騎士だ。騎士が剣を振り上げ、雪菜目掛けて突き出した。那月が固有堆積時間(パーソナルヒストリー)を奪われた時と同じだ。

 古城とバビル2世は、暴走するしもべを押さえることに精いっぱいでこちらに気を回す余裕すらない。絶望に染まる雪菜へと剣が迫り、硬質な音とともに弾かれた。

 

「えっ?」

 

 驚きに目を見開く雪菜の眼前で、突如出現した黄金の騎士が籠手(ガントレット)を使って剣を防いだのだ。

 

「黄金の〝守護者〟だと……?

 まさか!?」

 

 黄金の鎧を身に纏う人型は、どこか悪魔のような雰囲気を漂わせている。鎧の隙間から見える内部では、無数の歯車が駆動していた。

 

「ようやく、その本を持ち出してくれたな。待ちわびたぞ、阿夜」

 

 機械仕掛けの悪魔騎士と呼べる〝守護者〟を見た阿夜は、背後から聞こえる舌足らずの声に振り向く。黄金の騎士を空間転移で傍に呼び出したのは、豪華なドレスを身にまとう少女だった。外見とは裏腹に、その物言いと佇まいはカリスマ性に満ちている。

 

「那月!? (オマエ)、記憶が……」

「返してもらうぞ、私の時間をな」

 

 那月の指が鳴らされると、虚空から伸びた鎖が阿夜の手から魔導書を絡め取った。自らの時間を奪い返した那月は、不敵な笑みを浮かべ阿夜を睥睨する。

 空隙の魔女が、今此処に復活した。




 バビル2世 用語集

 種族・分類

 しもべの姿
 ロプロスとポセイドンが、その過剰なまでの破壊力を抑えるためにつけられていた魔術装甲を打ち消された姿。
 バビル2世本編と、バビル2世・ザ・リターナーのしもべの姿が違う点を筆者の個人的な想像で統合性をつけた結果こうなった。
 魔術的な防御力がほとんど失われている代わりに大幅な機動性と性質の変わった破壊力を得ており、まさに対軍団としての護衛を勤め上げるに相応しい性能となっている。
 しかし、それだけに味方を巻き込まないような繊細な戦いは輪をかけて苦手となっている。


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12話 夜明け

 睨み合う2人の魔女は、かつての空き教室で行われた訣別の再現のようだった。阿夜は怒りに満ちた表情で那月を睨みつけ、那月は悲しみを押し殺した覚悟の瞳で阿夜を見る。

 魔導書が奪われ、さらに阿夜の意識が術式から術式から離れたことで雪菜を拘束する魔力の制御が乱れる。拘束が緩んだ隙を突き、雪菜は一瞬で触手を切り裂いて脱出し那月の傍まで後退した。

 

「南宮教官、記憶が戻っていたんですか!?」

「ああ、少し前だ。

 だが戦闘に耐えうる魔術を連発できるほどの身体ではなかったのでな。こうして決定的な隙を窺っていたわけだ」

 

 驚く雪菜だが、それも当然の反応だろう。少し前に意識が戻っていたということは、しもべの暴走時にはすでに周囲の把握ができていたということだ。破壊の暴風とも呼べる猛攻を知覚して尚、彼女は反応を隠し続けた。並大抵の胆力でできる事ではない。

 予想外の復活劇に、阿夜は絶句し動きを止めたままだ。彼女は、那月の仮想人格(バックアップ)固有堆積時間(パーソナルヒストリー)復旧(リストア)をしていた事実を知らない。知っていれば、サナとなり無力のままであった那月を放置はしなかっただろう。

 記憶を取り戻した那月は闇誓書の読み手であり、魔力消失の影響を受けない。たとえ命の危機にさらされようとも隙を伺い続け、決定的な一瞬に横槍を入れたのだ。

 動揺する阿夜へ、那月は一瞬だけ憐れんだ目を向けた。しかし、瞬きの合間に那月は戦士の目へと意思を切り替える。欧州で今もなお魔族にとっての恐怖の代名詞である、空隙の魔女の意識へと。

 那月が指を鳴らすと、そこそこ離れた位置にいた紗矢華と優麻が真横に出現した。彼女が最も得意とする魔術、空間転移だ。

 

「姫柊雪菜、一瞬でいいから阿夜の意識を刈り取れ。

 それときょろきょろしてるポニテ! 阿夜の娘はまだ意識はあるな?」

「ぽ、ポニテって何よ!

 意識はあるけど、そろそろ危ないわ!」

 

 見たままのあだ名で呼ばれた紗矢華は憤慨するが、問いにはきちんと答えた。南宮那月ともあろう者が、この状況下で無意味な質問をするはずがないのだから。

 

「あくまでも(ワタシ)の敵に回るのか、那月!」

「間違った道を歩む友を止めるのは、今の私ができる唯一の友情だ」

 

 憤怒を込めて叫ぶ阿夜だったが、那月が発した〝友〟という言葉を聞き表情を劇的に変化させた。迷子の幼子のような、今にも泣きだしそうな表情を浮かべる火眼の魔女は、しかし首を振るとまるで能面のような笑みを張り付ける。

 

「間違っているのはお前だ那月。(オマエ)が相手である以上、手加減は出来ぬぞ!」

 

 阿夜が両腕を振るい宙へ大量の文字を放った。それらが一斉に光を放ち、次々と秘められた意味を具現化していく。再現された魔術師が、煮えたぎる溶岩が、針の雨が、凍てつく氷塊が、那月目掛けて一斉に襲い掛かる。

 しかし、その全てが那月を捕らえることはできなかった。彼女こそ空隙の魔女。空間制御を極めた魔女は、傍に呼び出した紗矢華と優麻というハンデすら無視して迫る脅威を躱し続ける。

 その間にも、銀の槍を構えた雪菜は阿夜へと走る。幻影の類は槍で、物理的な脅威は呪符で薙ぎ払い、ただひたすらに進撃を続ける。

 

「甘いぞ。今の(ワタシ)とて、たった1人を近づけぬ程度容易いのだからな。

 すでに今操ることのできる術の程度は掴んだ。先程までのようにはいかぬよ、剣巫」

 

 阿夜の繰り出す攻撃は、先程までとはまるで別人が操るような制度と威力で雪菜を襲う。脆い岩ならば内部に溶岩を仕込み、幻影の影から氷の針が飛び出してくる。未来視を持つ雪菜だからこそ回避できているが、僅かに詰めた距離を考えると間合いに入る前にこちらの体力が尽きてしまうだろう。

 そう、ここで戦う者が雪菜だけだったならば。

 

「バビル2世、やってくれ!」

 

 那月の声と共に、光束が阿夜へと襲い掛かった。暴走するポセイドンの攻撃は、バビル2世がぎりぎりで防いでいる。つまり故意に妨害を緩めれば、しもべは嬉々としてその隙から阿夜を攻撃するのだ。その一部を那月が空間制御で捻じ曲げた結果、破壊の奔流が阿夜目掛け降り注ぐ。

 那月の声に反応し、阿夜は今の自分に可能な限りの防衛を行った。生み出された岩は瞬時に蒸発し、結界は基盤の文字が掻き消される。幻影の放つ数多の魔術が勢いを削り、水晶と合金の鏡でついにしもべの誇る光学兵器は打ち消された。全ての手札を切り、阿夜はしもべの攻撃の一部を防ぎきったのだ。

 

「――鳴雷!」

 

 そしてそれだけの術式を操る間、他の事柄に意識を割けるはずはない。光束の残滓を突き破って接近した雪菜は、呪力で強化した左足で阿夜の顎を蹴り抜いた。魔女の身を守る防御術式が破られ、脳を揺らされた阿夜は一瞬意識を手放してしまう。ほんのわずかな間だが、阿夜と守護者の接続(リンク)が途切れた。その僅かな隙があれば、那月が術式を仕込むには十分だ。那月が虚空から鎖を呼び出し、黒騎士の全身をがんじがらめに捕縛する。

 

「悲嘆の氷獄より()で、奈落の螺旋を守護せし無貌の騎士よ――」

 

 囚われた黒騎士は拘束を解こうと暴れるが、那月の獲物である戒めの鎖(レージング)は軋むことすらなく、その膂力を軽々と抑え込む。

 突風と共に、古城が空から現れた。彼が抑え込んでいたはずのロプロスの影が頭上を覆い雪菜たちは警戒するも、何故か襲撃の気配がない。

 

「わが名は空隙。永劫の炎をもって背約の呪いを焼き払う者なり。汝、黒き血の楔を裂き、在るべき場所へ還れ。御霊を恤みたる蒼き処女(おとめ)に剣を捧げよ!」

 

 空のしもべが見守る中、那月の詠唱が続く。鎖から魔力が騎士へと流れ込み、黒騎士の全身を雷撃のように打ち据えた。漆黒の鎧が罅割れ、その下から新たな鎧が姿を覗かせる。どこまでも蒼い、真夏の海にも似た色合いが。

 

「ユウマ!」

 

 古城の声に、項垂れていた優麻が顔を上げる。奪われた〝守護者〟はすでに呪いから解放されており、あとはきっかけさえあれば制御を取り戻すことができる。そう、主が発する生きたいという願いがあれば。母の呪縛を断ち切る、心からの願いが。

 

「――〝(ル・ブルー)〟!」

 

 朦朧とした意識の中で、古城の声を聴いた優麻は力の限り叫んだ。その声に反応し、蒼の騎士が咆哮する。自らを縛る霊的拘束を引きちぎり、本来の主との接続(リンク)を復活させた。

 

「……ありがとう、古城」

 

 魔女としての力を取り戻した優麻の呟きは、誰にも聞かれることなく風に乗って消えた。

 

 

 

 雪菜が阿夜を制するためにしもべを引きつけたバビル2世と古城だったが、状況は古城が思い描いていたよりも過酷なものだった。

 

「第四真祖、伏せろ!」

 

 バビル2世の念動力(テレキネシス)で狙いが狂った熱戦が、古城の頭上を通過する。余波ですら髪が僅かに焦げ付く熱量に怯む間もなく、ロプロスが一直線に降下する姿が目に飛び込んできた。

 

「うおっ、獅子の黄金(レグルス・アウルム)!」

 

 雷光の獅子が天空の巨兵へと飛びかかり、雷撃を受けた巨兵は僅かに腕を動かす。まるで引き裂かれるように獅子の巨体が分かたれるが、その隙を突いて振動の双角獣の一撃がロプロスを吹き飛ばした。空中で体勢を立て直す巨体に、一切の傷は見受けられない。災害と称される第四真祖の眷獣の一撃が、全力ではないといえ直撃したにもかかわらずだ。

 

「装甲が薄くなったってマジなのかよ! 危ねえ!」

 

 古城が思わず愚痴を漏らす合間にも、ロプロスは怪音波を容赦なく放つ。直撃する前に気がついたために双角の深緋(アルナスル・ミニウム)が余さず吸収するも、周囲に残る不協和音は古城の精神力を徐々に削り取っていく。

 2体の眷獣によりロプロスを牽制し、古城は一旦呼吸を整えた。僅かに余裕を取り戻したため、バビル2世が抑えるポセイドンの様子が目に入る。自分が相手にしているロプロスよりも動き自体は鈍いが、放つレーザーは文字通り必殺の威力を持つ。装甲もパワーもロプロスを上回る相手を、攻撃されないからといって足止めできるかと問われれば、古城は首を横に振るだろう。

 

「たしかに足止めできればって話だったけど、流石にきつすぎるっと!」

 

 怪音波が放たれ、古城はギリギリで攻撃範囲から離脱する。皮膚が不気味に震え、すぐ傍の地面が音を立てて砂と化していく。

 

「第四真祖、油断するな!」

 

 バビル2世の声が響く。念動力(テレキネシス)でポセイドンの巨体を浮かせロプロスへと投げ飛ばし、ともに地面へと叩きつけた。しもべの強大な戦力で誤解されることが多いが、バビル2世は決してしもべ頼りの情けない男ではない。しもべの主に足りる強大な力を持つ戦士であり、過去の戦いでは操られたしもべを力づくで制してきたのだ。

 

「今だ! 行け、獅子の黄金(レグルス・アウルム)! 双角の深緋(アルナスル・ミニウム)!」

 

 折り重なって倒れたしもべに向けて、2体の眷獣が先を争って突撃する。雷撃を伴う衝撃波がしもべたちを包み込み、周囲の地面が弾け飛ぶ。しもべの耐久を思い知った古城はほとんど手を抜かずに眷獣を解き放ったが、想像以上の破壊力に頬を冷たい汗が流れる。

 

「……やばい、やりすぎたか?」

「気を抜くな第四真祖! 来るぞ!」

 

 しもべを覆う破壊の嵐から、計4本の腕が突き出した。荒れ狂う眷獣の身体を弾き飛ばし、ロプロスが飛翔しポセイドンが立ち上がる。流石に無防備な状態に眷獣の攻撃をまともに浴びたため、全身からは煙が吹き出し装甲も細かな傷が無数に刻まれている。

 だが、動作に一切の不備は見受けられなかった。あれだけの破壊を受けて尚健在であるしもべを見て、古城は驚きを露にする。

 

「バビル2世、あれ以上の攻撃はもう……」

「ああ、こちらもそろそろ手加減できないな」

 

 眷獣の融合攻撃をあっさりと凌いだしもべに対して、古城は有効な妨害手段を使い果たした。これ以上の攻撃となれば、次元ごと削り取る双頭の蛇の咢しかない。だが、それはバビル2世の仲間に対して不可逆の欠損を与えることに他ならない。

 手詰まりとも思えたその時、予想外の声が2人へと届いた。

 

「バビル2世、やってくれ!」

 

 かつて戦場で幾度も聞いた合図。ほとんど反射的に、バビル2世はしもべへと指示を下した。

 

「ポセイドン、やれ!」

 

 間髪を入れず、ポセイドンの指先からレーザーが放たれる。今の半暴走状態は、あくまでもバビル2世の指示としもべ自身の優先事項が衝突しているからこそ起きている。指示と優先事項が一致すれば、しもべは迅速に命令内容を遂行するのだ。

 放たれたレーザーは阿夜を焼き尽くさんと迫り、突如宙で不可解にその進路を歪ませた。空隙の魔女、南宮那月が得意とするのは空間制御の術式だ。空間転移が目立つためそれ以外の使用法があまり知られていない魔術だが、空間そのものを歪ませることにより光線を捻じ曲げることなど造作もない。歪み捻じれた光束は、幾条にも細く分かたれる。そしてその内の一本が、阿夜を真横から襲撃した。そしてバビル2世の第六感が、次の行動を脳内へ囁く。

 

「第四真祖、ロプロスに乗って行け」

「え?」

「説明している暇は無い。今は君が必要だ! ロプロス!」

 

 阿夜に接近することは、優先事項と矛盾しない。高速で古城へ接近したロプロスは、その腕で古城を捕獲しあっという間に那月の傍へと古城を放り投げた。突然の高速移動に面食らいながらも、古城は空中で姿勢を制御し無事に地面へと降り立つ。

 

「ポセイドン、ロプロス、話が済むまでその場で待機しておけ」

 

 バビル2世は傍に控える巨兵へ一言命じ、その身体能力を生かした高速移動で那月たちへと走り出した。

 既に書記(ノタリア)の魔女は制され、最優先で排除すべき存在ではなくなっている。2体のしもべは的確な状況判断で事の推移を見守るべく、瞬時に抹殺可能な状態で待機へと移行した。

 

 

 

 魔女の力の源たる霊力経路(パス)を引きちぎられ、外部演算装置兼護衛である〝守護者〟を失った阿夜が吐血し膝をついた。視線を上げれば、自らの理想を妨害せんと動いた面々が勢揃いしてこちらを見ている。その中に優麻の姿を見た阿夜は、自嘲気味に口を歪めた。

 

(ワタシ)が生み出した人形に背かれるとはな。ヤキが回ったというべきか……」

 

 どこまでも冷たい母の目線を受けた優麻は、怯えることなく正面から睨み返した。母の呪縛から解き放たれた、確固たる意志を持った目で。

 

「阿夜……潮時だ、監獄結界へ戻れ。お前の夢はもう終わった」

 

 空隙の魔女と火眼の魔女が視線を交差させる。片方は憐れみと悲しみを湛え、片方は憎しみと憤怒を込めて。

 

「戻れ、書記(ノタリア)の魔女。抵抗するならば、ここで殺さなければならない」

 

 バビル2世の言葉に、那月を覗く全員が動きを止めた。

 彼等とて理解はしている。今回阿夜が引き起こした事件は、島そのものを崩壊させかねないものだった。このまま当局へと引き渡されれば、死すら生温い処分が下されるだろう。那月は自らの結界に封印することで、バビル2世は苦しむ前に終わらせることで阿夜を守ろうとしているのだ。

 

「さて、(ワタシ)とて意地はある。第四始祖よ、そろそろ島を霧に変える眷獣を維持するのも厳しいのではないか? 暴走するまで(ワタシ)が耐えきれば、(ワタシ)の勝ちだ」

 

 阿夜の言葉は正鵠を射ていた。今古城は、島全体を霧に変え崩壊から守っている。物質を霧へと変ずる眷属、第四真祖4番目の眷獣である〝甲殻の銀霧(ナトラ・シネレウス)〟を召喚したままなのだ。ただ広範囲を霧に変えるだけではなく、形を保ったまま維持を続けるのは中々の精神力を消費する。万が一暴走などすれば、霧と化している絃神島は文字通り雲散霧消してしまうのだ。

 

「問答をしている暇は無い……すぐに返事をしろ。

 もう、僕が手心を加えられる領域は過ぎた」

 

 バビル2世が阿夜へ迫り、控えていたしもべが僅かに動く。ポセイドンの指先が光り、ロプロスが宙で突撃体勢に入った。

 

(ワタシ)を止められるか、異端者?」

 

 燃える瞳を細め、阿夜は笑みを浮かべた。

 

「ロプロス! ポセイドン!」

「よせ! やめろ、阿夜!」

 

 魔女が初めて浮かべた陰惨な表情を見たバビル2世はしもべに命令を発し、那月は悲痛な叫び声をあげるがすでに遅い。しもべの攻撃が届くよりも早く、阿夜の全身が炎を吹き上げた。闇色の火が尋常ならざるものだということは、すぐに証明されることになる。本来であればなすすべなくその身を滅ぼすであろう光束を吸収し、怪音波をそよ風のように受け切ったのだ。それだけの耐久性を見せたにも関わらず、撒き散らす熱量と魔力は増加の一途を辿っている。すでに古城の眷獣にすら匹敵しながらも、なおその量を増やし続けているのだ。

 

「なんだ、これ!?」

堕魂(ロスト)……まさか、そこまで追い詰められていたというの?」

 

 戦えないからこそ冷静に戦況を見守っていた紗矢華が、いち早く今引き起こされている現象の正体に気がついた。古城と雪菜の問うような視線に応え、簡潔に概要を伝える。

 

「魔女の最終形態よ。自らの魂を悪魔に喰わせて、肉体を悪魔そのものへと変化させる」

「ああなってはもうだれにも止められない。阿夜は、もう……」

 

 那月が絶望の声を漏らす。自身が魔女だからこそ、堕魂(ロスト)の恐ろしさは身に染みて理解しているのだ。

 

「いいえ、止めますよ」

 

 雪菜が、銀の槍を握りしめ一歩前へと進み出た。雪菜は母の顔を知らない。だからこそ、どんな形であろうとも再会を果たした優麻が、永遠に母を失うことは許せないのだ。

 

「そうだな、やるか!」

 

 古城が並び立つ。彼も、古い友人の泣き顔など見たくはないのだ。それに、今滅び去ろうとしているのは恩人である那月とバビル2世と浅からぬ関係を持っている。もはや魔女としての力を失ったとしても、生きている方がいいに決まっている。

 

「僕と那月は手が出せない。やれるか」

 

 バビル2世の問いに、古城と雪菜は力強く頷いた。今のしもべは魔術に関する対抗手段はほとんど存在しない上に、無理に黒炎を攻撃すれば内部の阿夜ごと潰してしまうだろう。那月を補助し、一歩下がったバビル2世を見て、古城と雪菜は合図したかのように同時に飛び出した。

 敵の接近を感知した阿夜だった炎の塊が、炎の先で宙に文字を描く。枝分かれし幾重にも同時に描かれた文字からは、得体のしれない不定形の怪物たちが次々と召喚される。魔界の生物と思わしき影を前に、古城と雪菜は恐れない。この程度、装甲を解かれ待機しているしもべに比べれば可愛いものだ。

 

「やれ、獅子の黄金(レグルス・アウルム)――!」

 

 雷光の獅子が宙を駆け抜け、生み出された怪物を消滅させる。稲妻の残光を身に纏い、雪菜は無人となった道を行く。

 

「――獅子の神子たる高神の剣巫が願い奉る」

 

 雪菜の祝詞と共に、握られた雪霞狼が光を強める。堕ちた魔女の炎は、その光に怯えるように大きく揺らいだ。

 

「破魔の曙光、雪霞の神狼、鋼の神威をもちて我に悪神百鬼を討たせ給え!」

 

 一閃。

 黒い炎が切り裂かれ、全ての結界を切り裂く神格振動波駆動術式(DOE)の光を受けた阿夜の身体から魔力が消失する。それは、彼女と悪魔を結ぶ契約が破棄されたことを意味していた。彼女の身体と、体そのものを(ゲート)としていた魔界との接続が途切れる。

 

「よくやったぞ、教え子ども!」

 

 その僅かな隙を、銀の鎖が貫いた。闇色の炎の内部から、阿夜の身体が引きずり出される。

 

「ポセイドン!」

 

 虚空で燃え盛る炎が、巨人の手により握り潰された。それとほぼ同時に、阿夜の身体が虚空へと引き込まれる。

 宙に浮かぶ波紋が消えると、古城たちはまるで世界が色鮮やかに染まるような感覚を覚えた。絃神島に、魔力が戻ってきたのだ。

 それを証明するかのように、しもべの周囲に装甲版が出現した。張り付くように全身を拘束するそれを、しもべたちは黙って受け入れていく。数秒もたたず、ロプロスとポセイドンは見慣れた外見へと変化を終えた。異様な威圧感はすでに無く、主の命令をただ待っている。

 

「ロプロス、ポセイドン。いつもの待機場所まで戻り、命令あるまで情報収集を続けろ。なにか致命的な欠損があるかもしれない。

 ロプロス、海までポセイドンを運んでやれ」

 

 すぐさま宙を舞うロプロスとポセイドンを、古城は思わず目で追った。まるでそれを咎めるかのように、丁度水平線から昇った太陽が少年の目を灼く。思わず目を押さえ苦しみ古城を見て、雪菜たちは笑みをこぼす。

 霧が晴れた絃神島に、朝がやってきたのだ。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 種族・分類

 甲殻の銀霧 ナトラ・シネレウス
 12存在する第四真祖の眷獣が1体の内、4番目の眷獣。実体のない霧の本体を殻で覆う甲殻類の姿を持つ。
 吸血鬼の持つ霧化の能力を司っているが、その影響は最低でも絃神島ほぼ全土を霧と化すほど。迂闊に暴走などしようものならば霧へと変じられた物体は消滅しかねないため、眷獣の中でも特に危険な1体といえる

 堕魂 ロスト
 悪魔と契約し力を手に入れた魔女が、己の肉体を捧げることにより至る暴走状態。
 ただでさえ強大な魔女であるが、この状態に至ると普段を遥かに超える力を発揮できる。
 しかし、その代償として悪魔に魂すらも奪われ、2度と人間に戻ることができないとされている。


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13話 祭りの街中

 観測者たちの宴編完結となります。


 夜明け前の絃神島。その中央にそびえるキーストーンゲート入口を、1人の男性が通過した。明かりがすべて消えているにもかかわらず、迷いのない足取りで男が向かった先は小さな博物館だった。

 正式名称を魔族特区博物館というその施設には、島の外では見られない様々な展示品が所狭しと展覧してある。島外からも多くの人が訪れるそれらの間を、男は一切の興味が無いように素通りしていく。

 男が辿りついた先には、関係者以外立ち入り禁止と書かれた扉。男は何の躊躇もなく扉を開き、一般に公開されていない区画のさらに奥へと歩を進めた。

 男が足を止めたのは、奇妙な槍が死蔵されている区域だった。二本の短槍を無理矢理双頭に接合したような形状の槍が収められたケースには、銘も由来も記されていない。まるで封印でもされているかのように。

 

「霧が、晴れましたね」

 

 男が呟く。独り言ではなく、明確に意思を向けて話しかけたのだ。その言葉に誘い出されるように、2人の人影が姿を現した。制服を纏った小柄な少女と、同じく制服を着て髪を逆立てた少年だ。

 少女が口を開く。

 

「ええ。幸い深夜だったこともあり、人的損害はありませんでした。霧化前の魔力消失現象に伴う被害も、自己修復で十分に賄うことが可能な範囲です。まあ、人工島管理公社の担当部門は、しばらく徹夜でしょうけれども」

 

 それを聞いた男性は満足そうに口を歪める。

 

「久しぶりですね、(しずか)

「本当に、久しぶりです」

 

 規律違反を見つけた学級委員長のような目で、少女は男性をねめつける。

 

「こちらの予想通り、ここに来てくれましたね」

「せっかく結界が解けているのに、来ない理由もありませんからね。……仙都木阿夜には感謝しています」

「彼女を利用したくせに、よくもまあ」

 

 少女が発した棘のある言葉を無視し、男性はケースの中身へと目を向ける。

 

「〝零式突撃降魔双槍(ファングツァーン)〟……まさか〝魔族特区〟に残されたままだとは思いませんでした。何か対策がしてあるとばかり」

「持ち出せなかったのですよ。流石は失敗作ですね」

「なんにせよ、私に相応しい武器に違いは無い」

 

 笑う青年の左手首には、千切れた鎖が巻き付いていた。次元を超えて監獄結界内部へと男を繋ぎ止め続ける鎖。仙都木阿夜が捕まった今、この青年こそ監獄結界からの最後の脱獄囚なのだ。

 

「どうやら、南宮那月が力を取り戻したようですね」

 

 発光を始めた手枷を見て、少女が忠告する。このまま空隙の魔女が力を取り戻せば、監獄結界は再起動する。繋がりを断ち切っていない青年も、異世界の内部へと連れ戻されることになるだろう。

 だが、脱獄囚の横顔に焦りの色は無い。

 

「そのようですが、少し遅かったですね」

 

 青年の手を翳された黒塗りの槍が、まるで共振するように光を放つ。ほの白い輝きこそ、全ての魔力を無効化し、結界を切り裂く神格振動波の輝きだ。光を浴びた鎖は一瞬で崩れ去り、ついでとばかりに槍を固定していたワイヤーとガラスが砕ける。

 まるで意志を持つようにその手へと倒れ込んだ槍を握りしめ、青年は踵を返した。彼にとって、この博物館にもはや要は無いのだ。

 

「どこへ向かうのですか、絃神冥駕?」

 

 少女の問いに、青年――冥駕が足を止め、首だけで振り返った。少女を守るように半歩踏み出した男子生徒を面白そうに眺める。

 

「止めないのですか、〝静寂破り(ペーパーノイズ)〟?」

「ええ、たとえこの人と協力したとしても、今の私の力では〝冥餓狼(めいがろう)〟を装備したあなたを止めるのは骨が折れますから」

 

 ただ事実を告げるように、何の感情もこもらない声で少女は告げる。そして、唐突に悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

「それに、今あなたを逃がしたところで、我々〝獅子王機関(ししおうきかん)〟に実害はありませんので」

「なるほど、いい判断です……それでは」

 

 暗い光を瞳に湛え、青年はこんどこそ去っていった。

 

「護衛ご苦労様です。〝矢瀬〟として、彼を止めなくてもよかったのですか?」

 

 少女――閑の問いに、髪を逆立てた少年――矢瀬は拗ねるように口を歪めた。

 

「よく言いますよ。それをしようものなら妨害するつもりだったんでしょう?」

「ええ、彼は後々必要になりますから」

 

 不満を隠そうともしない矢瀬を置いて、閑は一足先に出口へと向かう。視界から外れたことで矢瀬は内心不敵な笑みを浮かべ、しかし表情は拗ねたように歪めたまま少女の後を追い博物館を去った。人工島管理公社の中枢を担う〝矢瀬〟一族としてではなく、伊賀野の後継者としての覚悟をその胸に秘めながら。

 

 

 

 赤い夕陽が街を照らす中、一応の休みを取った古城たちは駅前の裏道へ集合していた。普段であればあまり人通りの多くない横道も、街ぐるみのイベント中である今は多くの人が行きかっている。

 そう広くもない道の一角を占領しながら、古城は思わずあくびをする。なにしろ激闘から未だ1日と経っていないのだ。睡眠も十分とは言えない体を引きずってきたのは、那月から呼び出しがかかったからだった。横を見れば、雪菜も眠そうな表情を浮かべていた。その様子を面白くなさそうに見ていた浅葱は、待ち人を発見し手を上げる。

 

「那月ちゃん、こっちこっち」

「教師をちゃん付けで呼ぶな! ……と言いたいところだが、今回は大目に見てやろう。

 ついてこい、そう長くはかからん」

 

 一切返事を聞かず、那月は歩き始めた。古城たちは慌てて後を追い、段々と暗くなっていく路地裏を進んでいく。祭りの一大イベントである花火打ち上げ時間が近いこともあり、古城たちは人の流れに逆らうように形で道を進んでいく。

 だが、那月が歩を進めるにつれて段々とすれ違う人の数が少なくなっていく。日が沈むことで一層薄暗さを増した道を進む中、ぽつりと浅葱が疑問を漏らす。

 

「そういえば、今いるのって例の事件絡みのメンバーよね」

「まあ、それ関係で何かあるんじゃないか?」

「……ねえ、ひょっとしてなんだけど、那月ちゃんあの奇行のこと覚えてるとか?」

 

 浅葱の一言に、古城と雪菜は一瞬呼吸が止まった。

 

「い、いやいやいや。もしそうだとしても、それで何かするんだったらアスタルテと煌坂もいないとおかしいだろ?」

 

 笑いながら思い浮かんだ想像を否定する古城だったが、背筋の汗は止まらない。

 

「何をぶつぶつと話している。そろそろつくぞ」

 

 那月の呆れたような声に前を見ると、埠頭の外れを歩いていることに気がついた。駅から埠頭が近いことは知っていたが、普段近づかない区画に古城は物珍しさを感じる。普段であれば巨大なコンテナ船が犇めく海面も、祭りの繁忙期直後である今は何もないまっさらな姿を見せている。

 

「ああ、雪菜。待ってたわよ!」

「紗矢華さん!」

 

 物陰に隠れていた紗矢華に飛びつかれ、雪菜が驚きの声を上げた。その背後で、アスタルテと浩一がどこか呆れたような雰囲気で2人のじゃれ合いを見ている。

 古城の背に、再び冷たい汗が流れた。那月の仮想人格(バックアップ)が彼女の身体を使って暴走した事を知る者が、バビル2世を除いて集結している。加えて人気のない港区画。横を見ると、浅葱もどこか顔色が悪い。未だ一方的にじゃれている紗矢華とじゃれつかれている雪菜、そして無表情のアスタルテは、不穏な空気を未だ感じ取っていないようだ。唯一浩一だけは、訝しげな表情を浮かべている。

 

「さて、お前たちを呼んだ理由を話していなかったな」

 

 どこかもったいぶったような那月の声にその場の全員が視線を向け、その表情が一様に凍りついた。

 

「お前達で、私の仮想人格(バックアップ)が引き起こした痴態を見たのは全員だ。さて、実は十数時間前に犯罪者から便利な魔導書を押収してな」

 

 振り向きながら語る那月は、完全に目が座っていた。ほの暗い笑みを浮かべながら伸ばす手には、固有堆積時間(パーソナルヒストリー)操作の魔導書が。うっすらと光を放つ本からは、立ち上るように魔力が放出されている。那月と同等の力を持つ阿夜が操った魔導書を、那月が使えない道理はない。

 最初に構えたのは古城と雪菜だった。2人で浅葱を背後に庇い、腰を深く落としいかなる状況にも対応できるよう視界を広くする。次いで紗矢華が呪符を懐から引き抜いた。霊力を通せば、すぐさま大量の式神が宙を舞うだろう。

 第四真祖と攻魔師がともに臨戦態勢に入った様子を見た那月は、意外なことに拗ねたような表情を浮かべた。

 

「冗談だ。そこまで本気にすることはないだろう。私では書の発動は可能だが、細かい抜き取りはできない。例の記憶を抜くために、いまから当時までの時間を丸々奪うのは少々問題があるからな」

 

 ぶちぶちと呟きながら本を虚空に収納し、空隙の魔女は纏っていた雰囲気を霧散させる。状況が呑み込めていない古城たちを後目に、浩一が那月へ説教を始めた。

 

「いくら悪ふざけとはいえ、限度がりますよ。事件から一日と経っていない今、彼らにとってあの魔導書は強い精神的刺激になるというのに、一体何を考えて今のような悪ふざけを……」

「実の担任があのような凶行に及ばないと考えてくれてもいいだろう。まったく、少しからかっただけでなぜそこまで言われなければならん」

「意見具申、今回の行動は些か目に余るものであったとお伝えします」

「アスタルテ、お前まで……」

 

 自らに忠実なはずの人工生命体(ホムンクルス)からすら苦言を呈された那月は、かなり傷ついたらしい。暗い雰囲気を漂わせ始めた彼女へ、古城は恐る恐る話しかけた。

 

「えーっと……那月ちゃん。俺達をここに呼んだ理由ってまだ聞いてなかったと思ったんだけど……」

「少し待てんのか、問題児。もうそろそろのはずだ」

 

 古城が何のことかと首を捻り、直後爆音と共にその理由が目の前で花開いた。

 

「どうだ、ここは本来とっておきの場所なのだが……お前達には手間を駆けさせたからな。存分に楽しむがいい」

 

 船が少ない海上で、打ち上げ花火が再び咲く。船のいない海上は、まるで鏡面のように空の花火を映し出している。この時期の港は観光案内でも記されていない、知る人ぞ知る花火の穴場なのだ。

 皆が花火に見とれている間、古城はこっそりと那月に近づいた。

 

「なあ那月ちゃん、結局どのくらい覚えてるんだ?」

「何故それを知りたがっているのかはわからんが、知ったところでどうなるわけでもあるまい。まあなんだ、呼びたければサナちゃんと呼ぶことを許してやらないこともないぞ?」

「それだけでほとんど覚えてますって言ってるようなもんじゃねーか……。てか、その呼び方気に入ってたんだな」

「……あの失態は私ではなく仮想人格(バックアップ)がやらかしたものだ。そもそも、私が手を抜かずに仕上げていれば防ぐことができた事態に対して、それを見た者に当たるのは筋が通らないだろう。

 たかが数人に暴走を見られた程度の屈辱、甘んじて受けるさ」

 

 那月はどこか泰然とした笑みを浮かべ、古城は思わず目を見開いた。単純な疑問を解決しようとしただけの他愛ない質問のつもりだったのだが、帰ってきたのはなかなか見られない担当教師の大人びた表情だ。不意に湧いた畏敬の念に気恥ずかしさを覚え、古城は照れを誤魔化すように花火へと目を向ける。

 一通り花火が打ちあがり、一度打ち上げが途切れた所で那月が手を叩き注目を集めた。

 

「さて、ここからは別行動だ。お前たちはここで花火を楽しんでおけ。私は山野とアスタルテを連れて祭りを回るからな」

「え、行ってしまうんですか?」

「ガキどもに混ざるほど、空気が読めないわけではないさ」

 

 雪菜の気遣いをさらりと受け流し、那月はアスタルテと共に背を向ける。

 

「まあ、学生は学生で楽しんでということで」

 

 浩一は笑みと共に手を振り、先に歩いて行った那月たちを小走りで追いかけていった。

 

「なんか、とっておきの場所って言ってたのに悪いな」

「まあ、本人がいいって言ってるんだからいいんじゃない?」

 

 古城と浅葱が話している横で、ふと紗矢華が眉を顰めた。それを見た雪菜が口を開く。

 

「紗矢華さん、どうしたんですか?」

「いえ、ちょっと気になっただけなんだけど……」

 

 何やら歯切れの悪い紗矢華だったが、古城と浅葱も視線を向けたこともあり渋々続きを口に出す。

 

「浩一さん、空隙の魔女相手だとなんか私たちよりも親しげなのよね。あんな態度見たことなかった」

「言われてみれば、たしかにあそこまで親しげな関係を見せる人ではありませんでしたね」

「そうなのか、那月ちゃんと話してるといつもあんな感じだけど」

「そうね、古馴染みって聞いてるし」

 

 それぞれが那月と浩一の普段の態度を思い浮かべる。

 

「まさか、浩一さんってロリコ……」

「いや待て煌坂、それ以上は口に出すな。もしも聞かれてた場合シャレにならない。この場にいる全員がな」

 

 紗矢華の失言を古城が全力で阻止する。嫌な方向に進んだ推測のせいで広がった沈黙は、彼らの輪に優麻が乱入するまで続くことになった。

 

 

 

 古城たちと別れた那月、浩一、そしてアスタルテの一行は、先程の宣言通り露店を覗きながら祭りを堪能していた。

 

「そういえばだ。お前これはどうするつもりだ?」

 

 綿あめを食べきった那月が浩一へと突き出した情報端末には、個人サイトが開かれていた。記事には謎の巨大ロボ発見の文字が踊り、不鮮明ながら写真も添付されている。

 

「……これは、ロプロスとポセイドン。どうやら学園から撤退する時にとられたみたいだね」

 

 万が一を考えて浩一の口調を崩さないバビル2世に対し、那月は眉をひそめて端末を操作する。

 

「言っている場合か? これ以外にも数件のサイトで写真が取り上げられている。全て個人サイト程度とはいえ、このまま騒ぎが広がれば大手の機関に写真が分析されてもおかしくないぞ?」

 

 アスタルテにリンゴ飴を与えつつ、那月の声には棘があった。彼女は、バビル2世の強みの1つに未知があることを理解している。このようなつまらない理由でその強みが失われることは避けたいのだ。特に、自分がその一因となっている現状は耐えがたい。

 

「安心してくれ。ちゃんと対策は取っているよ」

 

 どこか得意げなバビル2世を横目で睨んだ那月だったが、その眼を大きく開くことになる。

 

「記事が……なるほど、塔だな?」

 

 表示されている記事に掲載されていた写真が徐々に改変され、最初に掲載されていたものとは似ても似つかない画像へと差し替えられた。戦闘機と人型のはりぼてと化したしもべに加え、匿名掲示板ではホログラムの実験だったとの情報が次々と書き込まれている。

 

「他の記事に対しても、同様の工作を行っているよ。ホログラムに関しても、ただの実験としてダミー会社を通じでそれらしい情報を流しておく。

 電子情報に関して、いつの時代も対策は変わらないよ」

 

 得意げに笑うバビル2世の手の中で、流れるように工作は進んでいく。このままの速度で行けば、今日中に対策は完了するだろう。

 

「さて、これで心配は無くなった。心置きなく祭りを堪能しましょうか」

「なるほど、私の心配は杞憂だったというわけか」

 

 バビル2世の笑みに那月はつまらなさそうに鼻を鳴らす。だがすぐに顔を上げ、アスタルテへと顔を向けた。

 

「さて、ならばお前の助言に従って祭りを楽しむとするか。

 アスタルテ、浩一に欲しいものを好きなだけねだるといい。心配事が無いこいつのことだ、かわいい保護対象の願いは聞いてくれるだろうさ」

 

 そう言いながら先導するように歩き出す那月を追って、アスタルテは表情を僅かに緩ませながら歩を速める。

 

「待て待て、流石に限度は考えてもらうぞ」

 

 苦笑いを浮かべたバビル2世が彼女たちに続き、3人の姿は祭りの喧騒へと溶け込んでいった。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 絃神冥駕 いとがみめいが
 監獄結界からの脱獄囚の内最後の1人であり、作中で唯一完全な脱獄に成功した男。
 何らかの目的で自ら設計した武器である冥餓狼を保管場所から奪い去ったが、詳細な目的は謎に包まれている。

 静寂破り ペーパーノイズ
 獅子王機関の頂点に立つ長老“三聖”の1人であり、その中でも特に尊重される長。
 弱冠18歳ながらその肩書に相応しい実力を兼ね備えており、監獄結界の脱獄囚相手でも殺すつもりでかかれば圧倒できると言外に告げていた。
 本文中で呼称された閑古詠という呼び名も役職名であり、本名は不明。

 矢瀬基樹 やぜ もとき
 暁古城の親友であり、第四真祖の監視役であり、人工島管理公社の代理人であり、伊賀野の後継者。
 多重となっている肩書のすべてを期待以上にこなす才能を持つが、それゆえに苦労や厄介ごとを背負いこみやすい難儀な性分を持っている。
 肩書の中では、暁古城の親友と伊賀野の後継者に対して強い愛着を覚えており、他の2つを蔑にしてでもその本懐を果たそうとする。

 施設・組織

 キーストーンゲート
 人工島である絃神島の接合部分を纏める要。島にかかる潮力や振動その他を全てまとめ上げる最重要部分であるため当然警備も相応になっているが、侵攻する存在が存在だけに毎回打ち破られる不運な存在。

 零式突撃降魔双槍 ファングツァーン
 冥餓狼の銘を持つ異形の槍。詳細は不明ながら、雪霞狼と同様の神格振動波駆動術式が組み込まれていることは判明している。


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APPEND1 人形師の遺産編
1話 病欠の第四真祖


 原作と発生時期がずれているため、内容に細かな差異が発生しています。ご了承ください。


 バビル2世が絃神島に訪れるよりも前、暁古城と姫柊雪菜が獅子王機関によって引き合わされてから数日後、絃神島北地区(アイランド・ノース)のスヘルデ製薬研究機関で人工生命体(ホムンクルス)の調整が行われていた。

 薄緑の溶液に浮かぶ美しい少女の姿をした人工生命体(ホムンクルス)を前にする巨漢の男性の背後から、酔っ払いのような風貌の男が背後から話しかけた。その傍らにも、美しい人工生命体(ホムンクルス)が控えている

 

「今日は随分とお祈りが早いな、殲教師さんよ」

「いよいよ我らが悲願成就の時。祈りの開始時間を早め、結果として普段の予定よりも前に終わっただけのこと」

 

 飄々とした口調の酔っ払いとは裏腹に、巨漢の男はどこか堅い口調を崩さない。巨漢の男――ルードルフ・オイスタッハは西欧教会の司教であり、同時に魔族を駆逐する高位祓魔師の技能をも修めた特殊な聖職者〝ロタリンギアの殲教師〟なのだ。酔っ払い――人形師と呼ばれる男は人工生命体(ホムンクルス)を生み出し、調整する技師であり、神の摂理に逆らう技法を振るう者は等しく背教者である。教えの敵に対し、オイスタッハは親しく接する必要性を認めない。

 

「して、依頼した術式はアスタルテ用に調整できましたか?」

 

 しかし、オイスタッハは表面上穏やかな口調で人形師に問うた。背教者が相手であるとはいえ、敵意を見せない相手に戦いを挑むなど獣と変わらない。第一として、現状オイスタッハは人形師に依頼を持ちかけている立場なのだ。最低限の礼儀を払うのは当然である。

 

「ああ、その点に関しては心配しないでもらって大丈夫だ。もう術紋の書き換えは済んでいるし、定着までそう時間がかかるわけでもないさぁ。なあ、スワルニダ」

 

 人形師の呼びかけに、背後に控えていた人工生命体(ホムンクルス)が抑揚のない声で返答した。

 

「肯定。完全浸透までの予測時間、残り4時間15分です」

 

 美しい純白の髪を持つ十代半ばの少女は、完全に左右対称である人工的な美貌を持っていた。その外見は、調整槽の中にいるアスタルテとよく似ている。

 だが、その美しさは似て非なるものだ。すでにスワルニダの美貌は人工生命体(ホムンクルス)の枠から逸脱し、絵画や彫刻品と並べられる芸術品としての美しさへと到達している。

 男であればまず目を奪われるであろうその外見に、オイスタッハは一瞥もくれない。彼にとっては神の摂理に背いて生み出された存在というだけで、嫌悪以外一切の興味対象から外れるのだ。

 

「戦闘データがあったとはいえ、あの神格振動波駆動術式(DOE)を再現するとは……その名は伊達ではないということですね」

「当然だ。俺を誰だと思ってるんだ?」

 

 得意げな人形師の表情にオイスタッハは僅かに眉を顰めるが、豪語するだけの結果を彼は提示しているのだ。苛立ちを飲み込むオイスタッハに向けて、今度は人形師が口を開いた。

 

「しかし、あんたが必要としていた術式が偶然向こうからやってきて、しかも剣巫が追撃できない状況だったから綺麗に情報を持ち帰れるとはねぇ。これもあんたの信仰心のおかげ、神のおぼしめしってやつかね」

「背教者である貴方が、神の意思を語るというのですか?」

 

 オイスタッハの眉間の皺が深くなる。流石にこれ以上はまずいと判断した人形師は、傍の机に放置されていた書類を提示することで強制的に話題の転換を図る。

 

「まあまあ。それよりも、植えつけた術式のシミュレーション結果だ。気になるだろ?」

 

 スワルニダが纏めて差し出した書類に、オイスタッハは目を通す。

 

「流石に術式の完全再現はできませんでしたか。魔力の完全無効化を再現できれば、かなり計画が楽になったのですが」

「模造の劣化を上なぞりできただけでも御の字と考えな。人工眷獣の膨大な魔力で無理やり稼働させてるんだ、基盤が脆弱な人工生命体(ホムンクルス)じゃ限界はそんなもんさ。流石に獅子王機関の剣巫クラスを期待されちゃ困る。

 まあ、魔力の反射程度ならできるはずだ。あの眷獣の腕力なら、力で押し切れるはずさ」

「結界さえ破れるのならば、何も問題はありません。依頼内容はしっかりとこなすという前評判は確かだったようですね」

 

 今後の計画を再確認しているのか、殲教師の返答はどこか気の抜けたものだ。

 そんな巨漢の司祭へと、人形師は僅かに責めるような口調で話しかけた。

 

「しかし、今回の調整でアスタルテの寿命は相当縮んだぜ。このまま眷獣を扱い続ければ、3週間持たないだろうよ。

 せっかく普通の人間の何十倍もの寿命設定をしたってのにな」

「問題ありません。それだけの時間があれば、我らが至宝を奪還するに余りあります」

 

 人形師の言を一考だにせず、オイスタッハは冷ややかな口調で言い捨てた。背教者が造り上げた魔族の同類と認識する人工生命体(ホムンクルス)を使い捨てることに対し、殲教師であるオイスタッハが良心の呵責を覚えることなどありえない。むしろ、神の役に立てるのだとさえ思っているだろう。

 価値観の差を思い知った人形師は、黙って巨漢の司祭へと背を向けた。後は調整槽で時間が立てば術式が勝手に定着する。彼の受けた依頼は終わったのだ。

 

「ものの価値がわからない男ってのは嫌だねぇ。人形ってのは、美しいままに生き続けるからこそ価値があるんだ。例え人間が滅びようともな。

 そうだろう、スワルニダ?」

「肯定」

 

 オイスタッハへの侮蔑を隠そうともせず、人形遣いは傍らの人形へと手を伸ばす。髪を撫でられた人形の少女は、無表情のままただ返答するだけだった。

 

 

 

 魔女たちの饗宴も過ぎ去り、祭りの余韻もすっかり消えた絃神島。街としての機能として、当然島内には多くの学校や学術機関が併設されている。その中の1つ、彩海学園の用務員室で、浩一に扮するバビル2世は姫柊雪菜からの通信魔術を受け取っていた。

 

「なるほど、吸血鬼風邪か。最近事件解決に奔走していたから、その反動が来たってところかな。

 この件は南宮教官には?」

『まだ伝えていません。浩一さんへの報告が終わり次第、報告を入れようと思っていたので』

 

 吸血鬼風邪は、その名の通り吸血鬼が罹患する病だ。吸血鬼であれば誰でも一度はかかると言われている病気であり、多くは幼少期に発症しそれ以降は免疫ができるためかからない。人間でいうおたふくかぜのような病気である。

 

「そうか、彼は人間から吸血鬼へと最近変貌したから免疫を持っていなかったんだな。たしか吸血鬼風邪は幼少期以降に罹患すると重篤化しやすいと聞いたが」

『はい。ですので、今日は大事を取って私が傍で看病しようと思っています』

「それはいいかもしれないけれど、今日は平日だろう。学校はどうするんだい?」

『気は退けるのですが、休ませてもらいます』

 

 申し訳なさそうな雪菜の声に、浩一は驚いた。あの生真面目な雪菜が、理由があるとはいえ学校を休む選択をしたのだ。吸血鬼風邪は確かに重篤化しやすいものの、安静にしていれば命にかかわるほどの病ではない。それを知っているはずの雪菜が、ある種のズル休みをする事を選んだのだ。

 

「ずいぶんと心配しているんだね」

 

 思わず微笑みながら零した言葉に、雪菜は過剰なほど取り乱した。

 

『い、いえ、違いますからね! これは監視役として十全にその任務を果たすためにしかたなく……ちょっと、笑っていないで聞いてください!』

 

 あまりにもあからさまな雪菜の態度に浩一は思わず笑みがこぼれ、それを聞いた雪菜がさらに取り乱すと言った微笑ましい一幕はしばらく続くことになった。

 

「まあ、状況は理解したよ。南宮教官にはこちらから話しておくから、姫柊は看病に専念するといい。

 彼の立場からして魔族用の薬を買うことも難しいだろうし、伝手を使って専用の薬と栄養剤を持っていくよ」

『ありがとうございます、山野教官。

 それでは、失礼します』

 

 礼が見えるような言葉遣いで雪菜は通信魔術を切り、浩一は脳内でお見舞いの段取りを考え始めた。

 

「と、その前に南宮教官だな。伝え損ねて無断欠勤では彼に悪い」

 

 思考の海に沈み切る前に、浩一は内線を那月へと繋ぐ。理由が理由なので欠勤はすぐに認められ、那月と2人で必要な薬の取り寄せ先を模索することになった。

 

 

 

 昼休み、浩一の姿は那月の執務室前にあった。朝の通話で話を通しておいた薬を引き取るためだ。

 浩一の予定では今日の午後は公休となっているため、薬を受け取った後に古城へとお見舞いがてら薬を届ける予定でもある。

 

「山野浩一です。入りますよ」

 

 ノックをするも、反応が無い。特に外出の用事も聞いていなかった浩一は首をひねるが、扉が勝手に内側から開いたため僅かに警戒を強める。本来であれば壁を透視し異変が無いか調べるのだが、扉と壁に施された防御魔術によって透視ができないことに加え、親しいとはいえ女性の部屋を透かし見ることに抵抗が無いわけがないのだ。

 だが、その警戒は肩透かしに終わることとなった。

 

「お待ちしておりました山野攻魔官。こちらへどうぞ」

「なんだ、アスタルテか」

 

 青い髪に左右対称の美貌を持った人工生命体(ホムンクルス)の少女、アスタルテが扉を開けて浩一を迎え入れたのだ。現在那月専属のメイド兼攻魔官助手として活動するアスタルテは、浩一を来客用のソファーまで案内し紅茶を振舞った。

 

「ありがとうアスタルテ。いただくよ」

 

 浩一は一言礼を言い、湯気を立てる紅茶を口に含んだ。丁寧に淹れられた上等な茶葉は芳醇な味わいを湯に溶かしこんでおり、浩一の舌を楽しませる。

 

「おいしい。

 ところで、南宮攻魔官はどこに。約束があったはずなんだが?」

「教官は公社からの緊急呼び出しがあったため外出しておられます。伝言として、山野攻魔官においては執務室に戻るまで待っていてほしいとのことです」

 

 浩一の感想に僅かに頬を緩めたアスタルテは、淡々と伝言内容を伝えた。

 

「それほど時間はかからないということかな?」

「回答不能。情報が不足しています」

「ああ、すまない。困らせるつもりはないよ。

 伝言通り待たせてもらう。紅茶をもう1杯もらえるかな?」

 

 部屋の主である那月がいないため、防諜魔術が起動できない今万が一を考えると素の話し方をするわけにもいかない。バビル2世が用務員山野浩一としてアスタルテと話していると、突然部屋の防諜魔術が作動した。同時に、室内に空間転移で小柄な人影が飛び込んでくる。

 

「アスタルテ、紅茶を2杯にしてくれ。

 待たせたな、バビル2世」

 

 不機嫌な様子を隠そうともせず、空隙の魔女の異名をとる凄腕の攻魔官、南宮那月がソファーへと勢いよくその身を沈めた。美少女と表現できる外見であり、不機嫌さを隠そうともしない表情と態度ですら絵になるのだから不思議なものだ。

 

「何か面倒な案件でも任されたので?」

 

 防諜魔術が発動したため、バビル2世は演技を止めた。

 

「ああ。お前がこの島に来る前の話だが、オイスタッハとかいう生臭坊主が引き起こした事件は知っているだろう?」

 

 那月の問いかけに、当然バビル2世は肯定を返した。

 西欧教会の殲教師が引き起こした大規模テロ未遂、しかも理由は教義に殉じた聖人の遺体奪還ということもあり、世界的に注目を集めた事件だ。バビル2世としても、自分が赴任する予定地の一大事件ということもあって少し詳しく調べていたのだ。

 

「すでに事件が収束してからけっこうな日にちが経ったにも関わらず、その後に重なったごたごたのせいでオイスタッハの本拠地を外部からの保存しかしていなかったらしい。ついては明日調査に向かえとのことだ」

「それは、随分と面倒な案件を回されましたね」

 

 特区警備隊(アイランド・ガード)の行動を一概に責めることはできない。キーストーンゲートを襲撃された際の被害復旧を何とか終えた直後に獣人優位主義者達のテロが発生し、その対策と使い物にならなくなった増設人工島(サブフロート)からの資材撤去に加えて処理方法の模索。やっと手が空いたと思えば異国の貴人が行方不明になったために捜索命令が下り、それが過ぎれば例年大量の人手が割かれる祭りの準備に大規模魔導犯罪組織の襲撃。挙句の果てに魔力消失現象による島全体のダメージを軽減する必要があるため、各部署の応援として島全体を飛び回っている。

 上に挙げたすべての案件が余力を残せない類の事件だったため、終わった事件の主犯格が潜伏していた廃墟探索に人手を回す余裕などどこにも無かったのだ。改めて調査団を派遣するとしても、あれほどの戦力を持っていた男が潜伏していた場所に、中途半端な戦力を送り込むわけにはいかない。結果として、動かせる人員の中で最高の実力を持つ那月に白羽の矢が立ったのだ。

 

「何を呑気なことを言っている。お前も一緒に来るんだ」

 

 那月へと労わる視線を向けていたバビル2世だったが、その一言で目を見開く。してやったりといった表情を浮かべた那月へ問いただすように疑問をぶつけた。

 

「何故僕まで行くことに? 実力的にも、南宮攻魔官1人でどうとでもなる案件じゃないですか」

「私が推薦した。1人ではできることに限りがあるし、アスタルテを同行させても詳しく調べさせるわけにはいかん。

 それに、気になる情報が入ってな」

 

 断ろうと腰を浮かせたバビル2世だったが、那月の真剣な表情を見てソファーに座り直し、視線で続きを促す。

 

「かつて黒死皇派に雇われ、メイガスクラフトにバランとかいう戦闘ドローンの技術を持ち込んだ獣人……お前も追っている技術者が、その施設付近で目撃されたらしい」

 

 那月の情報に、バビル2世は1も2も無く返事をした。

 

「同行しましょう。無視するには危険すぎる情報だ。獣人の寿命的にも、ヨミ配下が生きている可能性は十分にある」

 

 ヨミの技術の流出を止めるためにも、バビル2世としては絶対に見逃せない情報なのだ。塔のメーンコンピューターが今もなお追い続けて捕捉できない獣人技術者。流石のコンピューターも万能ではないとはいえ、明らかに異常だ。そう、まるでコンピューターの捜索手段を知っているかのような不自然さを感じさせる。

 かつてバビル2世と戦い生き延びた存在であるならば、その不自然さにも納得がいく。

 

「そう言ってくれると思っていたよ。

 さて、後はあの馬鹿に渡す薬だったな。アスタルテ」

 

 那月が満足そうに頷き、横に手を伸ばすとアスタルテが小さな紙の包みを那月に手渡した。

 

「吸血鬼風邪の特効薬と吸血鬼用の栄養剤だ。人間の血液成分は入っていないから安心しろ。

 しかし吸血鬼風邪とは盲点だった。一応警戒しておくべきだったのだがな」

 

 バビル2世へと包みを手渡しながら、那月は面白くなさそうに表情を歪める。少し考えればわかる事柄に、対策を立てていなかった事実に悔しさを覚えているのだろう。

 

「まあ、年齢からして選択肢からは外れますよ。

 ありがとうございます、南宮教官」

「礼はあの馬鹿が言うべきだろうに、相変わらず律儀な男だ。

 明日は10時に絃神島北地区(アイランド・ノース)中央駅集合だ。遅れるなよ」

「それはもちろん。では、失礼します」

 

 バビル2世は浩一へと姿を変え、一礼して執務室から退室した。少し話し込む結果となったが、まだ昼からそう時間は経っていない。古城の昼食が遅ければ、届けてすぐに薬を飲むことができる程度の時間には家を訪問できそうだ。

 太陽が僅かに天頂から傾き始めていることを確認し、浩一は小走りで駅へと向かった。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 アスタルテ
 青い髪と左右対称の美貌を持つ人工生命体の少女であり、世界で唯一眷獣をその身に宿す人工生命体。
 テロ事件後に道具として使われていただけという部分から情状酌量を受けており、監視及び保護を目的として南宮那月に引き取られた。
 戦い以外の知識が増える生活を、内心楽しんでいる様子。

 スワルニダ
 人形師と呼ばれる人工生命体技師が造り上げた最高傑作。
 芸術品と称される外見と機械化改造され強化された身体能力を誇り、知性も人間と変わらない人工生命体技術の粋ともいえる存在。

 人形師 にんぎょうし
 本名ザカリー・多島・アンドレイド。
 上記の異名で呼ばれるほどの人工生命体に関する卓越した技術を持つが、違法研究や人工生命体の改造も平然と行う倫理観が破綻を持つ魔道犯罪者。
 スワルニダに向ける愛情も、作品を愛でる故の表面上のものでしかない。

 南宮那月 みなみや-なつき
 空隙の魔女の異名を持つ凄腕の攻魔官。
 人工島管理公社からの依頼を受けることが多く、その実力と空間魔術の特性から癖が強く難解な依頼が多く持ち込まれる。

 ルードルフ・オイスタッハ
 西欧教会に所属する司祭であり、対魔族において猛威を振るう殲教師の座に就く巨漢。
 絃神島の要石として利用されていた聖人の遺体、その右腕を奪還し復讐として島を沈めるためにキーストーンゲートを襲撃した。
 目論見を達成する寸前まで事を進めるも、古城と雪菜に妨害され奪還は失敗。強制送還の疎き目に合うが、世論の後押しが聖遺物返還を決定させ計らずとも悲願が達成されることとなった。

 施設・組織

 特区警備隊 アイランド・ガード
 文字通り絃神島を守るための武装勢力であり、治安維持と異常鎮圧を主な任務としている。
 世界的に見ても有数の装備と練度を誇るが、襲来する敵は世界トップクラスの事が多く容易く蹴散らされる結末を迎えることが多い。

 絃神島 いとがみじま
 太平洋上に浮かぶ巨大な人工島であり、世界でも珍しい魔族の研究と保護を目的とした魔族特区の1つ。
 物語の舞台になることが多く、島が沈みかねない規模の事件が多発する。

 キーストーンゲート
 人工島である絃神島を連結する要石を収める、島の最重要施設。
 人工島管理公社の本部や特区警備隊の指令室が存在し、異常の対処における島の頭脳でもある。

 黒死皇派 こくしこうは
 差別的な獣人優位主義者たちの集団であり、第一真祖が治める夜の帝国を奪おうと活動したテロ組織。
 指導者を失い挽回のための兵器を求めて絃神島へと侵入するが、その目論みは潰え主な構成員は全員捕縛された。

 獅子王機関 ししおうきかん
 日本の国家公安委員会に設置された特務機関であり、大規模魔導災害や国際魔導テロの対策を行っている。
 現政府よりも古い組織が元となっているため、独特の階級制度や独自の情報網を持つ。

 スヘルデ製薬
 ロタリンギアに本社を置く製薬会社であり、本編開始前に円高のあおりを受け事業撤退した企業。
 人工生命体を利用した薬品開発を行っており、残された機材はオイスタッハに利用され潜伏先としても活用されていた。

 メイガスクラフト
 ドローン開発を主にする掃除会社であり、裏で戦闘ドローンの開発と模造天使の研究を行っていた死の商人。
 目論見は古城たちの活躍によって阻止され、数多の不正が暴かれた結果企業規模を大幅に縮小した。

 種族・分類

 人工生命体 ホムンクルス
 文字通り人工的に生み出された人型の生命体。
 様々な条件を設定し生み出すことが可能であるため、多くの分野で活用され、また犯罪に利用されることも多い。

 神格振動波駆動術式 しんかくしんどうはくどうじゅつしき
 別名DOEと呼ばれる魔力を無効化しあらゆる結界を切り裂く特殊術式。
 実用化に成功した獅子王機関が主に活用しており、目撃例が多いにもかかわらず完全再現が行われていないため非常に高度な技術が必要とされている事がわかる。

 剣巫
 獅子王機関に所属する攻魔師で、対魔族戦闘に特化した存在。
 ごく短時間の未来視や体の働きそのものを狂わせる打撃術を操り、一対一であれば並大抵の魔族に後れを取らない精鋭。

 吸血鬼風邪
 吸血鬼特有の感染症であり、吸血鬼であれば誰でも罹るというほど一般的な病気。
 子供のころにかかることが多い病気なのだが、成長してから罹患すると重篤化しやすく生殖機能に影響が出ることもある危険な病気。

 バビル2世 用語集

 人物

 バビル2世
 バビル2世主人公。
 作中では単独行動が多かったが、伊賀野などと活動する際にはきちんと味方の様子を気にかけ無理な行動はしなかった。
 敵でなければ礼儀正しい丁寧語で話す、戦闘面からは考えられない好青年でもある。

 山野浩一 やまの-こういち
 バビル2世の本名。
 一般的に名乗る事が多いため、普通の人間であったことを忘れてはいないという目安となっている。

 ヨミ
 バビル2世本編通しての宿敵。
 彼の技術は世界を超越した点が多く、部分的にでも利用されれば世界から見て大きな歪みとなる。本作におけるバビル2世の行動理由の一つは、ヨミの技術の流出を防ぐことである。

 用語

 バラン
 ヨミが造り上げた戦闘ロボットの1種類。
 本編のバベルの塔が誇る防衛能力が殆ど通用しないほどの防御力と一撃でバビル2世が大ダメージを受けるほどの攻撃力を併せ持つ難敵。
 恐るべきことに量産されていたが、一度戦ったバビル2世にとって対応できない相手ではなく、集団ゆえの誤射を利用されてほとんどが破壊された。


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2話 機械化人形襲来

 モノレールの駅から古城が居を構えるマンションまで、そこまでの距離は無い。立地条件から中々の高級住宅ではあるのだが、多国籍企業であるMARの医療部門、それも主任研究員を務める暁深森の財力からすれば丁度いいランクといえるだろう。

 昼間の住宅街ということもあり、人影が殆ど無い道を歩いていると、正面から浩一にとって見慣れた2人組が歩いてきた。ギャル風の格好をした女子生徒と、髪を逆立てヘッドフォンを首に掛けた男子生徒だ。浩一と生徒たちはほとんど同時に互いを視界にとらえる。

 

「げっ、浩一さん!」

「えっ、なんでこんなとこに!?」

 

 実に気まずそうな表情と声を上げた2人組、藍羽浅葱と矢瀬基樹へ、浩一はため息をつきながら質問をする。

 

「藍羽さんに矢瀬君、2人こそ何故ここに?

 昼休み中とはいえ、学校からの外出は基本認められていないよ?」

「えーっと……すいません、古城のやつが体調崩したって聞いたもんで。午後一の授業が自習になったんで、時間利用してお見舞いに行こうって浅葱を誘ったんですよ」

「ちょ、言い出したの私ですから! 基樹、余計なこと言うなっての!」

 

 下手なごまかしは通らないと理解しているのか、生徒2人はあっさりと自白した。相手を売るのではなく互いに庇いあうのは、確かな信頼関係の証だろう。

 

「はぁ……友を思っての行動ということで今回は見逃すけれども、本来であれば結構な問題であるということを忘れないように。万が一何かしらのトラブルが発生した場合、責任を追及されるのは君たちの担任である南宮教官だということを肝に銘じておくこと。

 必要以上に言っても意味は無いからこれ以上は言わないよ。授業開始までには間に合わないだろうけど、出来る限り迅速に学校まで戻りなさい」

「いいんですか?」

「学校に報告から保護者に連絡を入れた方がいいかな?」

「いえいえぜひこのまま穏便にお願いします!

 浅葱お前余計なこと言うなよ!」

 

 慌てた矢瀬が引きずるようにして浅葱を引き離し、生徒2人はモノレールの駅へと消えていった。その後ろ姿を少し見守り、浩一は改めて古城のマンションへと向かった。

 マンションの入り口に着き硝子の扉を潜ろうとしたところで、浩一の優れた聴覚が異音を捕らえた。聞きなれた声で、呪力を発現するための発声が響いたのだ。同時に、何か細いものが軋むような鋭い音も。

 声の主である雪菜は、古城とじゃれ合う時に冗談でも呪法を乗せた打撃を繰り出す性格ではない。同時に、彼女が修めた剣巫の技術には糸を使った技は存在しない。

 音の原因を探るべく上を見上げた浩一の目に、宙を這いあがるようにしてマンションの屋上へと向かう何者かが映り込んだ。距離が距離だけに詳しく見えるわけではないが、動きからして宙に糸を張りそれを利用して移動しているのだろう。そして、人影が移動していたのは古城と雪菜の部屋付近だ。

 弾かれるように、浩一は一路屋上目掛けて走り出した。

 

 

 

 人形の退避した屋上では、時代遅れのパンクロッカーのような恰好をした男性と美しい人工生命体(ホムンクルス)、そして槍を構えた雪菜が対峙していた。

 

「なるほど、スワルニダがあんまりあっさりと引くからどうしたのかと思えば、獅子王機関の剣巫か。アスタルテの眷獣に送り込まれる魔力を辿ってみれば、また意外な連中に当たったもんだ。なあ、スワルニダ?

 こりゃ、第四真祖の噂も眉唾じゃないのかもな」

 

 男の声に応えたのは、先程まで宙に張った糸で古城の部屋を監視していた少女だった。美しい外見に相応しいドレスを身に纏っているのだが、左腕から先は無骨な刃へと変じている。

 感情を移さない緑色の瞳が、雪菜と彼女が握る槍を静かに観察していた。

 

人形師様(マイスター)、当該剣巫の装備は、オリジナルの七式突撃降魔機槍と推定されます。蓋然性は八十八パーセント――」

「なるほど、あの殲教師殿がデータを持ってきた時は不思議に思ってたんだが、まさかまだこの島にいたとはな……1つ謎が解けたぜ。

 察するに、キーストーンゲートでオイスタッハを止めたのもあんたってわけか」

 

 人形師の言葉に耳を貸さず、雪菜は油断なく槍を構えている。その穂先にいる少女の正体に、雪菜は気がついていた。

 

人工生命体(ホムンクルス)……いえ、自動人形(オートマタ)ですか……!」

「せっかくなんだから人造人間(ヒューマノイド)とでも呼んでほしいねぇ。スワルニダは俺の持つすべてを注ぎ込んだ最愛の女性だ。そこらの量産品とはわけが違うんだぜ?」

 

 人形師が抱き寄せたスワルニダの反応は、とても人工生命体(ホムンクルス)とは思えないほどに自然なものだった。

 だからこそ、雪菜の構える槍の穂先が怒りで揺れる。

 

人工生命体(ホムンクルス)を素体にした自動人形(オートマタ)の製造は、聖域条約で禁止されているはずです」

 

 雪菜の指摘通り、人形師がスワルニダに行った施術は発覚すれば厳重な処罰が下される一級の禁忌事項だ。

 少し考えれば当然のことだろう。完成度の高い人形を創り出すために、人工生命体(ホムンクルス)とはいえ1人の人間を切り刻み機械と生命体の複合物へと変化させる。スワルニダはもう生き物とも機械ともいえない、中途半端な存在と化してしまっているのだ。そう、文字通りの〝生ける人形〟へと。このような行為が、道徳的に許されるわけがないのだ。

 しかし、雪菜の非難を人形師はあっさりと受け流す。

 

「聖域条約、ねぇ……芸術の価値を理解することもできない凡愚共に〝永遠〟すらをも生み出す俺の才能を縛れるとでも?」

「なにを、言っているんですか?」

「俺が作り出すのはただの人工生命体(ホムンクルス)じゃない、芸術品なんだよ。彫刻家は石や木から、画家は布と染料から作品を生み出し、すぐれた作品は永遠に人々から讃えられ続けるだろう?

 俺が作品を生み出す素材がたまたま人工生命体(ホムンクルス)というだけさ。俺の死後も生き続ける〝永遠〟のアートを生み出すためのな」

「そんなことのために、彼女を自動人形(オートマタ)に……!?」

 

 あまりの怒りに頭が真っ白になる雪菜だったが、視界の端でただ会話を聞くスワルニダを見て脳裏に引っ掛かりを覚えた。そう、雪菜は知っているのだ。生命を弄ぶような外法を使い生み出された、もう一つの実例を。

 

「まさか、アスタルテさんを造ったのも……?」

「ああ、俺が造った。オイスタッハ殲教師の依頼でな。

 本当であれば数週間も生きられない欠陥品なんぞどうでもよかったんだが、あれが〝永遠〟を手に入れたってんなら話は別だ。ちょっと連れ戻そうと思ってる」

 

 悪びれる様子もない人形師の言葉に、雪菜は眉を顰めた。

 

「アスタルテさんを、連れ戻す?」

 

 アスタルテは、本来吸血鬼にしか扱えない眷獣を体内へと植え付けた試験体だ。吸血鬼が持つ無限ともいえる負の生命力と膨大な魔力を喰らって現界する眷獣へ、人工生命体(ホムンクルス)であるアスタルテはその命を削って喰らわせていた。その結界、彼女の命は持ってあと数週間と言われるまでに消耗していたのだ。

 しかし、古城が眷獣の支配権を無理矢理奪い取り、代わりに魔力を分け与えるようになってから状況は変わった。仕送りされる魔力のおかげで、アスタルテはほとんど負荷無しに眷獣を扱えるようになったのだ。世界で唯一の、真の意味で眷獣と共存できる人工生命体(ホムンクルス)へと、彼女は変化したのだ。

 

「アスタルテさんを連れ戻して、どうするつもりですか?」

「そんなの決まってんだろ察しが悪いなぁ。スワルニダの部品にするんだよ。これで彼女は至高の芸術品へとまた一歩近づく」

「そんなことはさせません。獅子王機関の剣巫の権限で、あなたをここで逮捕します」

 

 右手で槍を構えながら、雪菜は左手に呪符を握った。呪力を注いで投げつければ、即座に捕縛用の式神が生み出されるだろう。

 アスタルテに手を出すのであれば、雪菜は全てをかけてそれを阻止するだろう。彼女の罪はすでに裁かれ、戦い以外の喜びを享受しているのだ。その日常を壊そうとする人形師を、雪菜は怒りを込めて睨みつける。

 しかし人形師は、そんな雪菜の身体を嘗め回すように観察し、感想を漏らした。

 

「ふぅん……。

 お前、綺麗な皮膚してるな」

「な、何を……」

「丁度いい、スワルニダの皮膚を張り替えようと思ってたところだ。

 喜べ、お前も〝永遠〟の一部にしてやるよぉ」

 

 歪んだ欲望の目線に晒され、雪菜の全身に悪寒が走る。直後、スワルニダの右腕が上げられる。

 彼女の指先に結ばれた透明な糸が引かれ、その先にあった大型のスーツケースが勝手に開いた。内部から戦闘用の人形が飛び出し、雪菜と向かい合う。

 その数2体。球体関節を持ち、四肢そのものが斬撃を与えられるように鋭い作りになっている純粋な自動人形(オートマタ)だ。古城の部屋に雪菜を発見した時点で、この数的有利を作り出すために人形師はあえて屋上へと戦場を移したのだろう。

 

「ヘルシリア、スアーダ、戦闘状態で起動。統合演算開始。執行せよ(エクスキュート)――」

 

 攻撃を命じられた人形たちが、昆虫のような複眼を輝かせて左右から雪菜を挟撃する。一部のズレも無い完全な同時攻撃だ。

 だからこそ、襲撃者にとってはわかりやすい付け入る隙となった。

 

「鳴雷!」

 

 突如屋上の淵から飛び上がった人影が、呪力を乗せた回し蹴りを2体の人形へ叩き込んだ。機械的な機動を読み切り、両方の人形が間合いに入った瞬間を狙った完璧な不意打ちだ。

 吹き飛ぶ人形を後目に、人影は雪菜を庇うように着地する。その姿を見た雪菜は、思わず叫んだ。

 

「浩一さん、何故ここに!?」

「丁度さっき古城君のお見舞いに来たところだったんだけど、彼の部屋から屋上へそこの人形が昇って行くのが見えてね。万が一を考えて壁を駆け昇ってきた」

「壁を、ですか?」

 

 言われてみれば、浩一が登場した屋上の淵の外に階段は無い。壁の僅かな取っ掛かりや備え付けのベランダを利用し、浩一は文字通り屋上まで跳んできたのだ。

 唖然とする雪菜をそのままに、浩一は身分証代わりの資格認定証(Cカード)を提示する。

 

「国家攻魔官の山野浩一だ。自動人形(オートマタ)による殺人未遂に加え、そこの違法改造された人工生命体(ホムンクルス)の違法所持現行犯だ。大人しく投降しろ」

 

 浩一の勧告に、人形師は実につまらなさそうに息を吐く。

 

「ったく、男の皮膚はいらねーっての。

 スワルニダ、適当にやっちまえ」

命令受諾(アクセプト)

 

 スワルニダの動きに練度して、2体の人形が戦闘に復帰した。蹴られた跡は大きく陥没しているが、動きを見るに大きな影響は出ていないようだ。

 

「姫柊、銀髪の人形をやれるか。私が2体を引き受ける」

「任せてください。あの男はいいんですか?」

「私が警戒しておく。何かあったら止めるから気にせず攻めろ」

「わかりました。大丈夫だとは思いますが、お気をつけて」

「そちらこそね」

 

 浩一と雪菜の会話が終わると同時に、計3体の人形が一斉に襲い掛かってきた。雪菜は槍でスワルニダを迎撃し、浩一は徒手空拳でヘルシリアとスアーダとそれぞれ呼ばれた人形を引きつける。2体の人形は果敢に四肢の刃を振るい続けるのだが、浩一には一切の斬撃が掠りもしない。

 

「動きは速いが単調なだけか。今度はこちらから行くぞ!」

 

 人形の攻撃を回避し、ある程度の攻撃パターンを読んだ浩一は一転攻撃に転ずる。流れるような連撃で2体の人形を翻弄し、一撃一撃と確実にダメージを蓄積させていっている。たしかに、戦闘用にチューンされた自動人形(オートマタ)は素早く、一撃一撃が人間を容易に殺傷できるほどに重い。しかし、その攻撃はいくつかのパターンが組み合わされたものだ。もちろんただの人間であれば問題にならないが、浩一……いや、バビル2世ほどの実力者が相手ではそれは単調に過ぎる。

 アスタルテやスワルニダのような最高級品であれば、戦闘にパターンを造るような真似をせずに済むが、戦闘用と割り切った自動人形(オートマタ)にそこまでの工夫をする者も少ないだろう。パターンの組み合わせをしている人形師ですら珍しい部類なのだから。

 

「若雷!」

 

 ついに浩一の呪力を乗せた攻撃が直撃し、スアーダの腹部が内側から弾け飛んだ。

 

 

 

 一方雪菜だが、スワルニダを相手に一進一退の攻防を演じていた。スワルニダは機械化で強化された身体能力を、自動人形(オートマタ)特有の高い演算能力を元に動かし目標を殺すために襲い掛かっている。対する雪菜は、剣巫の未来視によってその動きを読み、槍のリーチを利用してスワルニダの動きを潰しつつ反撃を繰り返していた。

 黒死皇派のテロから、稀にとはいえ浩一との訓練を欠かさず行ってきた結果が今実っている。そうでなくては、もう少し接戦となっていただろう。

 

「なるほど、剣巫の未来視か。まさか自動人形(オートマタ)の演算に対応できるほどだとは思ってなかったぜ」

「獅子王機関の剣巫を、嘗めないでください!」

 

 観戦する人形師の感想に、雪菜は律儀にこたえながら呪符を放つ。飛び出した式神は四方からスワルニダを襲撃するが、その全てが彼女の両腕から飛び出した刃物で切り裂かれ呪符へと戻った。

 

「当該剣巫の脅威度を更新。人形師様(マイスター)、内臓武器の使用許可を求めます」

「やれ。あまり肌を傷つけるなよぉ?」

命令受諾(アクセプト)執行せよ(エクスキュート)――」

 

 感情の無い声と共に、スワルニダの腕が展開する。内蔵されていた対人用の火器が姿を見せ、眼を見開く雪菜へと火を噴く瞬間に横から人形の上半身がスワルニダ目掛けて勢いよく飛来した。

 攻撃を中断し、無言で回避したスワルニダとは対照的に、人形には顔を歪め飛来先を憎悪の目で睨みつけている。その傍らへ、ヘルシリアが戦闘態勢を保ったまま着地した。

 

「スアーダ……芸術を理解しない凡愚が、よくも機能美の結晶を破壊してくれたな!」

「その程度で機能美の結晶とは笑わせてくれる。

 その残骸を見ればわかるだろうが、お前の人形は私の敵じゃなかった。二度目になるが、無駄な抵抗はやめて投降しろ」

 

 浩一の勧告を聞き流し、人形師の脳は高速で動いていた。現状は圧倒的に不利であり、撤退が正解だろう。しかし、剣巫の肌は見逃すには惜しい質だ。スワルニダの機能を全開放してヘルシリアと共に襲い掛かれば、隙を突いた自分の魔術で剣巫を倒すことはできるだろう。だが、その場合自信作である戦闘用の機械人形(オートマタ)を一方的に破壊する男と一対一で対峙しなければならない。人形たちが目標の肌を収穫するまで、果たして耐えられるのか。

 悩む人形師の前に、さらなる予想外が登場した。

 

「おいおい、人の家の屋上でさっきから何騒いでんだ? うるさくて目が覚めたじゃねーか」

「先輩……?」

 

 気だるげな雰囲気を纏って登場した古城に、雪菜は困惑を隠せない。吸血鬼風邪と聞いていた浩一も、薬すら飲まずに動くことができている現状に違和感を覚えた。

 

「くそっ、新手かよ」

 

 苦々しく吐き捨てる人形師に向かって、古城は獰猛な笑みを向けた。まるで、弱った獲物を見つけた肉食獣のように。

 今までにないほど濃厚な魔力が、屋上全体を覆い始めた。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 藍羽浅葱 あいば-あさぎ
 ストライク・ザ・ブラッドヒロイン。
 その驚異的なプログラム技術を買われ、人工島管理公社の重要な外部委託先となっている。
 電子機器関係ではほとんど万能ともいえる特性から、情報収集などで古城からものを頼まれることが多く、惚れた弱みから調べるものの、事件に巻き込まないため雑に礼を言われそのまま放置されることが多々ある。

 暁古城 あかつき-こじょう
 ストライク・ザ・ブラッド主人公。
 第四真祖の力を与えられて未だ半年もたたない新米吸血鬼。そのため大多数の吸血鬼が幼少期に獲得する吸血鬼風邪の免疫を持っていなかったことが、今回の騒動で発覚した。
 今は落ち着いているが、今は辞めているバスケットの現役時代はかなり自信家で傲慢とも取れる性格をしていたようである。

 暁深森 あかつき-みもり
 暁古城の母親であり、MARの医療部門主任研究員を務める才女。
 医療系の過適応能力者であり、触れた相手の状況を読み取る接触感応能力を有する。

 姫柊雪菜 ひめらぎ-ゆきな
 ストライク・ザ・ブラッドメインヒロイン。
 万全の状態で監視するという名目の元、看病を買って出た剣巫。描写されなかった看病シーンでは、サバイバル訓練を元にしたかなりズレた看病を行おうとし古城のツッコミが冴え渡った。

 矢瀬基樹 やぜ-もとき
 暁古城の親友にして第四真祖の真の監視役。
 監視役といっても古城との友情は本物であり、今回のお見舞いも一切の他意は無く純粋に心配だったから実行した。

 施設・組織

 聖域条約 せいいき-じょうやく
 現在の世界情勢を造った国際条約であり、世界の過半数の国が加盟している。
 主な内容は人間と魔族の共存にあるのだが、今回言及されたように倫理に背く魔術の禁止といった治安維持の一面も併せ持つ。

 種族・分類

 機械人形 オートマタ
 文字通り機械で人間を再現したもの。労働や戦闘に使用されることが多いものの、対応力や柔軟性の問題から人工生命体が優先されることが多い。

 国家攻魔官 こっか-こうまかん
 文字通り、国から認められた攻魔官に与えられる称号。国家資格であり、試験を突破した者には資格認定証が交付され身分証代わりになる。
 一般的にイメージされる対魔族用の戦闘職というわけではなく、その知識を利用した研究者も少なくない模様。

 七式突撃降魔機槍 シュネーヴァルツァー
 獅子王機関の秘奥兵器であり、世界で唯一彼の機関が実用化に成功した神格振動波駆動術式を刻印された対魔族用兵器の最高峰。
 高度な金属加工技術と古代の宝槍の破片を核とした複雑な術式から成り立っており、核の調達もあってか量産が効かず世界に3本しか存在しないとされている。
 姫柊雪菜の持つ雪霞狼はその内の1本。

 鳴雷 なるいかづち
 獅子王機関の近接戦闘術の一種。
 脚を使った攻撃に呪力を乗せて放つ一撃であり、飛び蹴りや踵落としといった応用法も広い。

 若雷 わかいかづち
 獅子王機関の近接戦闘術の一種。
 掌底や肘打ちといった腕を使った打撃に呪力を乗せる攻撃であり、衝撃の増幅や内部破壊に適する。


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3話 第四真祖の片鱗

 突如屋上に現れた古城に対して、雪菜は慌てて駆け寄った。

 

「どうしてここにいるんですか! 体調は……」

「心配ない。むしろ絶好調ってやつだ」

 

 普段の古城からは考えられないほど、その返事からは自信と驕りが溢れている。それを裏付けるように、古城の身体から稲妻と振動の形を取った魔力が滲み出る。

 雪菜は、その態度に違和感を覚えた。吸血鬼風邪の影響で衰弱しきった姿とはまるで違う、覇気に満ち溢れた態度だけではない。暁古城という少年は、もっと気だるげで静かな印象を与える性格だったはずだ。最近はある程度改善されたとはいえ、第四真祖という圧倒的な力を持て余し疎んでいたただの少年だったのだ。己の魔力を変換し、身に纏って威圧するような芸当ができるはずがない。

 だが、現にこうして古城は人形師を威圧している。いつでも捻り潰すことができる鼠をいたぶる猫のような、嗜虐に満ちた笑みを浮かべて。

 そもそもの人格を知らない人形師は、出来る限り平静を装って口を開いた。

 

「手を出さないでくれないか、第四真祖。魔力の送付先が確認できた以上、俺達にこれ以上戦う理由が無い。

 襲ってきたら俺達は逃げるしかできないが、この屋上から直下数階を破壊する程度のことは片手間にできるんだぜ?」

 

 手を出すならば、民間人を巻き添えにするという脅迫。人形師からすれば、災厄の化身と恐れられる第四真祖が被害を気にするのかという懸念はあった。しかし、ただでさえ自慢の作品では足止めが精いっぱいの攻魔師が2人いる状態で、更なる不確定要素の追加は避けたいという心理が彼を賭けへと導いた。少なくとも、この一言で攻魔師2人の行動は縛れるのだ、悪い選択肢ではない。

 一つ問題を上げるならば、今の古城が普段とはまるで違う思考で動いていたという点だ。

 

「おいオッサン、勝手に騒いでおいて文句を言われたら尻尾巻いて逃げるとか情けなくないのか?

 ああ、言わなくていい。友達いないから自分に逆らえない人形しか連れて来てないんだろ? ろくでもない趣味してそうだもんな、あんた」

 

 不敵な笑みと共に、古城は人形師目掛けて言葉の矢を放った。引きつった表情の人形師へ向かって、古城は追撃を重ねる。

 

「まあ、はっきり言って人形遊び大好きないい年こいたオッサンが、人に迷惑をかけないっていう最低限の常識を守れるはずがないか。

 悪いな、無理言ったみたいだし、忘れてくれ。悪気は無かったんだよ。まともな理解者もいない歪んだ性癖を、自宅に帰って思う存分コレクションの人形相手に吐き出してくれ」

「……第四真祖、取り消すなら今の内だぞ?」

 

 プライドの高い人形師にとって、この一言を絞り出すのに大変な理性の動員が必要だった。状況が違っていれば、なりふり構わず殺しにかかっていただろう。

 だが、そんな人形師の努力を古城はあっさりと無駄にした。

 

「なんだ、そのために等身大の美少女フィギュアを連れてるんじゃないのか? てっきり美人なお姉さんに守ってもらいたい願望でも纏めて満たそうとしてるんだと思ってたんだが。その下品な服のセンスとか、大きなお友達が好きそうだし」

「俺の、芸術を、俗人の穢れた願望と同列に語るな!

 スワルニダ、その男を殺せ! 何度でもだ!」

 

 こらえた怒りを纏めて吐き出すように、人形師が荒々しく吠えた。彼の脳に撤退の文字はすでに無い。自らの芸術を貶めた眼前の小僧を痛めつけ発言を後悔させる、その一点だけに思考が集中してしまっている。これこそが古城の狙いだったのだろう。人形師を激昂させてこの場からの闘争を防ぐために、怒りの矛先を自らに向けさせたのだ。

 雪菜と浩一が受ける違和感が増大していく。短い期間とはいえ、古城とはそれなりに深い付き合いをしてきた2人にとって、このような頭脳的な、というよりも必要以上に相手を煽る戦いを古城が好んでするとは思えないのだ。

 いや、正確にはこの戦い方こそが古城本来の戦闘スタイルなのかもしれない。かつてバスケのエース選手だったころならば、このように相手を激昂させ選択肢を狭める戦いも古城は慣れていたはずだ。彼はその高い技術から次第に周囲への配慮を忘れてしまい、部員の依存を招いた結果部から去る結末を招いてしまったのだ。

 今の古城は、そのころの身勝手で好戦的な性格に戻っているのだ。普段は忌み嫌い、心の底に封印している本音が全てさらけ出されていると言っていいだろう。

 

命令受諾(アクセプト)――」

 

 人形師の命令を受け、スワルニダが戦闘を再開した。ヘルシリアと同時に歯車や発条を軋ませ胸部を展開させると、無骨な回転式の機関砲が顔を覗かせる。通常の弾丸の代わりに、長さ十センチほどの金属針を打ち出す対吸血鬼用の金属杭投射銃(ニードルガン)――何十年も前に製造が禁止された、非人道的殺傷兵器だ。

 2体の人形は跳躍し、古城を十字砲火できる位置取りへと展開した。人形師は足元に酒瓶から酒を撒き、魔術文様を描き出す。

 

「下がれ、古城君!」

「先輩、引いてください!」

 

 脅威を排除しようと雪菜と浩一は構えるが、迂闊に動けば古城が流れ弾で傷ついてしまう。すぐに射線から引くよう古城へ警告するが、帰ってきたのは不敵な笑みだった。

 

「なあ姫柊、山野さん。こいつらはただの人形なんだろ?

 だったら手加減は必要ないよな!」

 

 咆哮が衝撃波と化し、人形たち、そして人形師の狙いを狂わせた。声に振動の双角獣、第四真祖9番目の眷獣である〝双角の深緋(アルナスル・ミニウム)〟の魔力を乗せて自らの前面に撃ち放ったのだ。ふらつくヘルシリアへ向けて、古城は一気に距離を詰めた。吸血鬼の敏捷性に加えて雷光を纏い加速した勢いそのままに、人形の腹から生える機関砲の砲身へと無造作に拳の一撃を振るう。

 まるで飴細工のように、金属の砲身が歪んだ。増幅された古城の腕力と、身に纏った雷の魔力が放つ熱の効果も合わさった結果だ。それだけの衝撃に、見た目よりも重いとはいえ小柄な自動人形(オートマタ)が耐えられるはずがない。紙切れのように宙を舞い、転落防止のフェンスへと勢いよく叩きつけられた。

 

「目標の制止を確認、発射(ファイア)

「いけない、古城君!」

 

 射線上にヘルシリアがいるにも拘らず、スワルニダが金属杭投射銃(ニードルガン)を起動させた。起動音を聞き取った浩一が射線に割り込もうとするが、それよりも素早く古城は腕を無造作に振る。

 庇おうと行動した浩一よりも前に、突如雷の障壁が出現した。かなりの高速で飛来する金属の杭は、その障壁に触れた瞬間黒焦げになり脅威を失っていく。

 

「すごい……」

 

 雪菜は思わず称賛の声を漏らした。今の古城が行っているのは、ただ眷獣を召喚し意志のままに暴れさせるのとはわけが違う。眷獣の力を理解し、必要な場所に必要な分だけその力を顕現させる超がつく高等戦闘術だ。今の古城は眷獣の力を完全に掌握し、完璧といっていい精度で使いこなしている。その証拠に、雷の障壁が召喚されていた場所には小さな焦げ跡すら残っていないのだ。

 

「ヘルシリア、損壊率五十六パーセント。戦闘続行困難と判断」

 

 スワルニダの冷静な分析通り、戦闘はほぼ終わっていると言っていいだろう。すでに人形師の持ち札は自らの魔術とお気に入りであるスワルニダのみ。対して古城たちはまだほとんどの札を切っていない上、目立った損害を受けていないのだ。

 

「これが、先輩の……第四真祖の、本当の力……」

「世界最強と呼ばれるのは伊達ではない、か。しかし、これはちょっと拙いね」

 

 雪菜は、初めて古城に対して恐怖を覚えた。打ち倒した人形を酷薄に踏みにじる行為からも、今の古城が魔族としての凶暴性を剥き出しにしていることがわかる。災厄とも喩えられる12の眷獣を操り、破壊と殺戮を振りまく世界最強の吸血鬼。第四真祖としての肩書を、古城はこれ以上なく体現していると言えるだろう。

 雪菜の使命は、その怪物の監視なのだ。眼前の怪物が無節操に力を振るい、思うが儘の行動を起こそうとしたそのとき、先んじてその存在を抹殺するために獅子王機関から派遣された剣巫。姫柊雪菜はそのために破魔の槍を携え、見知らぬ人工島へとやってきたのだ。

 浩一も、すでに思考をバビル2世……世界最強の一角と称されるそれのものへと切り替えていた。今はまだ様子を見ることができる。自らの身にふりかかる火の粉を払っているだけとして、少々過剰気味の行為にも言い訳が立つのだから。しかし、戦闘後になおも力を振りかざすようならば、たとえ雪菜に偽りが露呈しようとも全力で彼を抹殺しなければならない。念のため、最近壊れた試作品の代わりに支給された結界発生装置……〝十式保護術式展開具足(パリレンクライス)〟の動作を確認しながら、浩一は注意深く古城の観察を再開した。

 

「くそっ、小僧風情が……」

「機関部に致命的な損傷発生確認。予備回路作動。自壊モード」

 

 いらだたしげに吐き捨てる人形師の隣で、スワルニダは淡々と自動人形(オートマタ)へ指令を下した。人工生命体(ホムンクルス)の指先から不可視の糸が切断され、それが最後の命令なのだと言外に表している。

 耳聡くスワルニダの命令を聞き取った雪菜は青ざめ、浩一は思考を巡らせる。

 

「先輩!」

「自爆する気か? させるかよ!」

 

 雪菜の咄嗟の警告よりも、すでに半分残骸と化した自動人形(オートマタ)が飛び上がるよりも早く、古城は好戦的な笑みと共に右腕を勢いよく突き出した。痛みも傷も無く、腕全体から血が噴霧され、その全てが即座に高密度の魔力へと変換される。

 大気に漂う魔力が呼び水となり、異界より古城が従える眷獣が姿を現す。

 

疾く在れ(きやがれ)、〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟――」

 

 顕現したのは、雷光で構成された巨大な獅子だった。全長十メートルは優に超える巨体は、その身を構成する雷に相応しい速度で空中を疾駆し、哀れな一体の機械人形(オートマタ)の身体を焼き尽くし、文字通り塵も残さず消滅させた。

 

「姫柊、余波が来るぞ!

 緊急展開。〝十式保護術式展開具足(パリレンクライス)〟形質変換!」

 

 残骸の消滅と同時に、獅子王機関の2人が動いた。浩一は集中のため、片膝をつき両腕を交差させる。

 

「はい!」

 

 眷獣の余波が周囲に放出されるよりも前に、浩一の装備〝十式保護術式展開具足(パリレンクライス)〟がその優美な装甲を展開する。内部に刻み込まれた精密な術式を魔力が疾り、彼の脳内に描かれた通り屋上の床を覆う変則的な結界を生み出した。

 

「――獅子の神子たる高神の剣巫が願い奉る。雪霞の神狼、千剣破の響きをもて楯と成し、兇変災禍を祓い給え!」

 

 手足両方の機能を全開にした浩一を守るように、雪菜は〝雪霞狼〟を足元に突き立てる。その地点を起点として〝神格振動波駆動術式(DOE)〟の光がごく狭い範囲に展開し、術者である雪菜と浩一を包み込んだ。

 いかに第四真祖の眷獣が強力であろうとも、元をたどれば濃密な魔力の塊に過ぎない。全ての魔力を打ち消す〝神格振動波駆動術式(DOE)〟を、たかが濃密な魔力が撒き散らした余波程度でどうにかできるはずがない。浩一の張った保護結界も、余波程度ならばマンションの屋上を守りきることが十分に可能だった。

 だが、この場には防御手段も回避手段も持たない者が存在する。

 

「スワルニダ!」

 

 破壊の余波が押し寄せる中、スワルニダが全身で雷撃の嵐を受け止めた。咄嗟の献身もあってか、その背後で庇われた人形師に目立ったダメージは無い。だがその代償に、スワルニダは全身から煙を吹き出しその場に崩れ落ちた。体内に埋め込まれた機械群が、落雷に匹敵する電気エネルギーの影響をもろに浴びたせいだ。

 

「クソが、覚えてろよ第四真祖!」

 

 崩れ落ちたスワルニダを抱きとめ、人形師は捨て台詞と共に持っていた酒瓶の中身をぶちまけた。何をしているのかと訝しむ古城たちの眼前で、人形師を囲うように青白い炎が燃え上がる。ぶちまけられたのは強い酒であり、人形師はそれを触媒に一瞬で魔方陣を描き出したのだ。その場の誰もが反応するよりも先に、スワルニダを抱きかかえた人形師はその姿を消した。

 その場の全員にその現象は見覚えがあった。操るには卓越した技術と才能が必要とされる、空間転移の術式だ。場末の酔っ払いのような外見とは裏腹に、人形師は世界でも珍しい最高位の魔術師だったようである。こうなってしまっては、もうこの場の人間に人形師を追跡する手段は無い。

 

「逃がしたか。まあ、十分痛めつけられただろう」

 

 あっさりと言い放った古城に、雪菜は怒りと困惑、そして悲しみがこもった声を叩きつけた。

 

「こんな街中で第四真祖の眷獣を使うなんて、一体何を考えてるんですか! 一歩間違えれば、この島が消滅していたのかもしれないんですよ!」

 

 その間に、浩一はロプロスを密かに上空に呼び寄せていた。すでにロデムはマンションの屋上付近で壁と同化しており、ポセイドンの砲口は古城をその射線に捉えている。この雪菜との会話内容次第で浩一……バビル2世は暁古城が危険な魔族と化してしまったのか否かを判断するつもりなのだ。もしも破壊衝動に呑まれてしまったのだとすれば、無用な殺戮を行う前に止める。それが、僅かとはいえ付き合いを持った者としてできるせめてもの慈悲だろう。

 そんな浩一の覚悟を知らず、詰め寄ってきた雪菜に対して古城は微笑を向けた。

 

「上手くいったからいいじゃないか。姫柊も無事だったし、俺としては万々歳さ」

「え、あ、ありがとうございます。じゃなくて!」

 

 普段見せない表情と助太刀を受けたという事実に、雪菜は素直に礼を言ってしまう。意識がそれ、僅かに怒りが途切れた隙を狙って古城は雪菜を乱暴に引き寄せた。

 

「せっかくなんだし、その感謝の気持ちは態度で示してくれると嬉しいな」

「た、態度って……」

 

 顔を赤くする雪菜と、歯の浮くようなセリフを繰り返す古城。流石に違和感が無視できなくなった浩一の元へ、ロプロスから1つの報告が上がった。それを聞いた浩一は、思わず額に手を当て天を仰ぐ。脱力のあまり、浩一としての変装が解けてしまいそうにすらなった。

 すぐそばの人間がそんな衝撃を受けているとは露知らず、浩一と雪菜は会話を重ねている。

 

「たとえば、こうさせてくれてもばちは当たらないんじゃないのか?」

 

 古城に力強く抱きしめられ、雪菜の呼吸が一瞬止まる。顔を赤くしながらもがくが、雪菜の筋力では吸血鬼である古城の力には対抗できない。

 

「ま、待ってください! 私はただの先輩の監視役ですし、こ、浩一さんが見てますから!」

 

 羞恥で顔を赤く染め、雪菜は弱々しく抵抗する。普段とは違う古城の姿に、どこか惹かれるものを感じながらも雪菜はその本質を見極めようと思考を纏める。そんな雪菜の努力を無に帰すように、古城は雪菜へと体重を預け押し倒そうとする。

 そして、重力に引かれるまま勢いよく屋上へと倒れ込んだ。

 

「はい、回収と。姫柊も早く立ったほうがいいよ」

 

 頭部を床へ叩きつける寸前に、浩一が古城の首根っこを掴み動きを止めた。そのまま流れるように薬剤の注射装置を首筋に押し付け、吸血鬼風邪用の薬と栄養剤の混合物を体内へと送り込む。

 状況を理解できていない雪菜へ、浩一は古城の顔を近づけた。

 

「おでこを触ってみな。すごい熱だ」

 

 ロプロスからの情報で、古城の体温がすでに危険域であり、尚も上昇を続けていると聞いた浩一はもうすぐ動けなくなると予想をつけていた。素早い薬剤投与は、倒れるタイミングをある程度予想していた結果に過ぎない。

 そう、先程までの古城の行為は、全て吸血鬼風邪の症状として有名な奇行だったのだ。おそらく、古城が次目覚めたときに今回の記憶は無いだろう。それはつまり、雪菜に迫ったことも彼の中では何も無かったことになっているということだ。

 

「……本っ当に! 仕方のない吸血鬼(ヒト)ですね! ……ばか」

 

 浩一が屋上の扉を開きにその場を離れている間、雪菜は呟くような言葉と共に古城の髪を撫でていた。

 

 

 

 翌朝。

 目覚めた古城の視界に、至近距離から自分を覗き込む凪沙の顔が飛び込んできた。視界の端から僅かに見える天井から、かろうじて現在位置が自室のベッドだということはわかる。

 

「やっと起きた。心配したんだよ、古城君。

 体調は大丈夫? おなか減ってない?」

 

 気遣う妹の声を聴きながら、古城は上半身を起こして室内を見渡した。彼の最後の記憶から、丸1日が経過している。沈みかけた夕日が、古城の視界を赤く染めていた。

 

「風邪ひいて昨日はずっと寝てたんだよ。凪沙の代わりに雪菜ちゃんが学校休んでつきっきりで看病してくれてたし、浩一さんがよく効く薬と栄養剤を持ってきてくれたんだよ?」

「そう、だったのか?」

 

 心配そうに顔を覗き込む凪沙の後ろに、どこか落ち着きのない雪菜を見つけた古城は眉をしかめる。

 

「やっぱり、覚えていないんですね?」

「悪いんだが、朝起こされたら体がだるかったことしか覚えてない。

 姫柊には迷惑かけたみたいだな、ありがとう」

 

 小首を傾げる雪菜へ、古城は笑みと共に礼を告げた。

 既に体のだるさは抜けており、もう一眠りすれば体調も元に戻るだろう。

 

「そうですか。

 では、昨日私にしたことも忘れてしまったんですね」

 

 雪菜の責めるような目線に、古城の呼吸が一瞬止まった。上目づかいに睨む雪菜の横で、凪沙が息を呑む。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。昨日俺は何をしたんだ?」

 

 不安そうな古城が、掠れた声で聞き返した。その様子を見た雪菜は、何故か満足そうな笑みを浮かべる。

 

「ふふっ、教えてあげません」

「なんだよそれ、気になるだろ!」

 

 困惑する古城の横で、凪沙は怒りのオーラを放ち始めた。心配していた兄が、わざわざ学校を休んでまで看病してくれた友人相手にいったい何をしでかしたのか。

 

「古城君、ちょっとその話詳しく聞かせてもらえるかな?」

「待て凪沙、だから俺は何も覚えていないんだって!」

 

 実の妹に追いつめられる、世界最強の吸血鬼。その情けない姿を見た雪菜は、優しげに微笑んだ。

 

「早く元気になってくださいね、先輩」

 

 呟かれたその言葉は、兄を詰問する妹の声にかき消され、誰の耳にも届くことなく消えていった。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 暁凪沙 あかつき-なぎさ
 暁古城の妹。
 非常にしっかり者であり、家の家事を取り仕切る賢妹。
 おしゃべりが好きなのだが、気に入った相手にはマシンガントークを繰り出しよく聞き手を困惑させる。

 種族・分類

 双角の深緋 アルナスル・ミニウム
 第四真祖がその身に宿す12の眷獣の内9番目の眷獣。
 古城が掌握した眷獣の中で2番目に掌握したためか、召喚される機会も多くまた対策されることも多い。

 獅子の黄金 レグルス・アウルム
 第四真祖がその身に宿す12の眷獣の内5番目の眷獣。
 古城が初めて掌握した眷獣であり、電気の性質上現代技術への脅威が高い。時代によって脅威度が変動する珍しい眷獣と言える。

 十式保護術式展開具足 パリレンクライス
 当作品オリジナルの武神具。
 山野浩一に支給された、手足に装着する量産型武神具。連携を前提とした9式の補助として作成された防御用の武神具であり、非常に高い防御性能を誇る結界を発生させることが可能。また、本体の硬度も抜群であり、防具や打撃武器としても使用できる。

 バビル2世 用語集

 用語

 ポセイドン
 バビル2世が従える、3つのしもべの内の1体。
 地上では圧倒的な装甲と無双の腕力、そして指先から発射される砲撃を誇る最強のしもべ。
 水中では上記の性能に加えて高速移動も可能となり、海神の名にふさわしい性能を発揮する。

 ロプロス
 バビル2世が従える、3つのしもべの内の1体。
 超高速で宙を移動する機動性と、それに見合わぬ頑強な装甲を有する。
 今作ではステルス用の魔術式が装甲に刻み込まれており、戦闘行為を行っている状態以外で発見することは難しい。

 ロデム
 バビル2世が従える、3つのしもべの内の1体。
 変幻自在の不定形生命体であり、バビル2世の側近兼護衛。
 意外と茶目っ気のある性格をしており、バビル2世と気軽な会話を交わすことができる唯一のしもべ。


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4話 共闘開始

 第四真祖である暁古城が吸血鬼風邪で倒れた翌日、南宮那月とアスタルテ、そして山野浩一はモノレールの絃神島北地区(アイランド・ノース)中央駅改札前に集合していた。この地区は大学や企業の実験場が立ち並ぶ研究区域であり、その性質上人通りも少ない。その中で、メイド服のアスタルテは酷く目立っていた。那月に至っては、フリルまみれの服を着たうえにレースの日傘まで差している。

 集合時間十分前に駅から出てきた浩一は、思わず額を押さえた。そんな浩一に向かって、那月は不敵な笑みを浮かべる。

 

「時間前に集合か。

 つまらんな……遅刻したら、それを理由にささやかなお願いを聞いてもらう予定だったのだが」

「そうやって言われるお願いの内容が、ささやかで済んだことはあまりないですからね。波朧院フェスタであなたとアスタルテが使って私が負担した金額、今ここで提示しましょうか?」

「さて、長々と話していると日が暮れる。とっとと潜伏元に向かうぞ」

 

 浩一の冷たい目を誤魔化すように、那月は先頭を歩き出した。次に無表情のままのアスタルテが、最後にため息をついた浩一が続く。

 全員がきちんとついてきていることを確認し、表情を引き締めた那月が今回の調査案件について切り出した。

 

「冗談はさておいてだ。これから向かう旧スヘルデ製薬の研究所跡地に、不審な人影がたびたび目撃されている。魔族登録証から魔族と思われるその人物は、元々利用していたオイスタッハ殲教師がいなくなったのを良いことにそのまま拠点としている可能性が高い。

 アスタルテ、研究所跡地にはそのままにされた実験用の器材も多いんだな?」

「肯定。私もそれらを使って調整が行われていました。

 しかし、機材は多かったのですが材料や原料は私を運用するうえでの必要最低限のものしか運び込まれていませんでした。あのままでは、施設の長期にわたる運用は難しいと予想を提示します」

「南宮攻魔官、目撃者からその人物が資材を運搬していたなどの情報は?」

 

 浩一の問いに、那月は黙って首を横に振った。

 

「少なくとも、目撃された限りでは単独の人物が荷物らしい荷物も持たずに出入りしているらしい。監視カメラの位置を把握しているのか映像では確認できず、設置されている魔力計にも不審な反応は無い。空間転移を使って資材を運んでいる可能性も否定できる」

「では、研究所そのものに目的が?

 アスタルテ、何か特殊な資材が放置されているなどの心当たりはあるか?」

「否定。価値のある資材が放置されていたという情報はありません。

 同時に、私の知らない区域にそういった物が存在する可能性を否定するだけの情報も持ち合わせていません」

 

 アスタルテは研究所で暮らしていたわけではなく、あくまでも施設を利用し調整を施されていただけだ。当然利用する部屋は限られており、その範囲から外の情報をわざわざ気にすることもオイスタッハが教えることも無かった。

 

「オイスタッハ殲教師が所持していた中で最大の価値があったものは装備ですが、その予備が保管されているという可能性は?」

「考えにくいな。殲教師の特性上、装備は全て個人で運用できる物に限られる。連中は単独で異教徒どもを教化し、それに反するものどもを滅するために活動するのだからな。

 あの男にとって最大の難関であり悲願である聖遺物奪還に向かう以上、万全を期して準備したはずだ。予備とはいえ僅かにでも使える装備を戻れるかもわからない、もしくは戻るつもりがない拠点に置いていくと思うか?」

 

 那月と浩一が議論を重ねるが、納得のいく予想は出てこない。

 ある程度の議論が済み、那月が足を止めた。背後に続く浩一とアスタルテも、疑問を持たずに立ち止まる。今回の目的地に到着したのだ。

 

「まあ、それも今回その不審者を捕まえて聞き出せばそれで済む話だ」

「たしかに、答え合わせのできない予想を積み重ねるよりもてっとり早い」

 

 眼前には、廃墟と化した旧スヘルデ製薬の研究所が広がっていた。オイスタッハが潜んでいた人工生命体(ホムンクルス)調整室は地下にあるためここからは当然見えないが、目撃されている不審者のこともあり一行はすでに警戒を厳にしていた。

 

「お前が調整されていたのは、この建物で間違いないな、アスタルテ?」

「肯定。当該施設での最終調整終了日時は、キーストーンゲート襲撃実行日と同日です」

「暁古城の証言どおりというわけか。あの素人同然の学生に出し抜かれるとは、特区警備隊(アイランド・ガード)もいい面の皮だな」

 

 那月の嘲りに、浩一は僅かに眉を顰めるだけで視線を逸らした。いつ不審人物に遭遇するかわからない現在の状況で、言葉遊びに興じる余裕はない。

 密かに耳を澄ませ、音の反響で建物内部を軽く探る。

 

「音からして、少なくとも入り口付近は誰もいない。さて、入るか」

 

 浩一が先頭に立って歩き出した。両手足に装備した武神具と超感覚から、不意打ちを受けた場合でも即座に反応できるためだ。次いで即座に鎖を射出し対象を無力化できる那月が続き、最後にいざとなれば眷獣で身を守ることができるアスタルテの順となった。

 誰も立ち入っていないはずの研究所内には、人が通ったような痕跡は残っていなかった。一行の中で最も魔力に敏感な那月が、突然手をあげて残り2人を制止する。

 

「大気に魔力の残滓が漂っている。痕跡を消すために魔術を使ったらしいな、迂闊な奴だ」

「索敵しよう。集中するから少し離れていてくれ」

 

 那月の指摘を聞いた浩一が、一歩前に進み出た。誰に見られているのかわからない状況で、浩一としての擬態を解くわけにはいかない。顔を変えたまま、呪符を目の前にかざして呪術発動のふりをする。呪符に隠された眼が、紅く光り輝いた。ほとんどすべての物質を見通す、バビル2世の透視力(クリアボヤンス)だ。

 骨組み同然となった研究所内部を見る浩一の目に、蹲る1人の男が映り込む。距離の関係もあってか、こちらには気がついていないようだ。

 

「……いたぞ。この2階下の小部屋だ。紙を漁っているが、心当たりは?」

「予想となりますが、私の調整データの可能性が高いと回答します」

「眷獣寄生型人工生命体(ホムンクルス)のデータを持ち去られると厄介だ。一機に叩くぞ。

 山野攻魔官、周囲に余計なもの(・・・・・)は無いな?」

 

 那月の問いかけに、浩一は男の周囲を見渡す。近くの部屋にも道中にも、アスタルテを造り出す過程で生み出された失敗作(・・・)は存在しなかった。

 

「一切ありませんよ。安心して向かえます」

 

 那月のアスタルテに対する気遣いを正確に読み取った浩一は微笑と共に問題ないことを伝え、那月はどこかばつが悪そうに顔をそむけた。

 

「全力で走れば1分かからない。タイミングは?」

「3数えたらだ。山野は最初に突っ込め。次いでアスタルテが魔力を奪って拘束しろ。私は最後に周囲の敵を警戒する。

 行くぞ? 1、2」

 

 3と同時に全員が床を蹴った。あっという間に目標の小部屋に近づき、最後を走っていた那月が射出した鎖で扉を吹き飛ばす。

 中にいた男は、完全な奇襲だったにもかかわらずすでに戦闘態勢を整えていた。浩一が見つけた時の姿ではなく、灰色の毛に身を包んだ獣人形態だ。男は、先頭を走る浩一を見て牙を剥き出しにする。

 

「攻魔師か、できるだけ穏便に済ませるつもりだったが時間をかけ過ぎたな。

 目撃者を残すわけにはいかない。悪いが死んでもらおう」

 

 丸太のような腕に力を込めた獣人が、突然何もないはずの空間へと無造作に腕を振るった。その爪先に貫かれた蝶の式神を見せつけながら、獣人は笑みを深くする。

 

「最後の1人が放った式神に気がつかないとでも思ったか?

 さあ、かかってこい。式神使いが逃げる前にお前たちを殺す必要があるからな」

 

 破れた式神が変じた金属片を見た浩一は、それが獅子王機関の術式であると理解した。直後、脳裏に通信魔術の声が響く。

 

『山野攻魔官、煌坂です』

 

 その声は、浩一のよく知る教え子のものだった。

 

 

 

 昼前の日差しが最も強く照りつけはじめる時間に、煌坂紗矢華は絃神島北地区(アイランド・ノース)中央駅改札前でモノレールから降りた。周囲を見渡し、案内掲示板を眺める彼女はまるでモデルのような外見とプロポーションをしている。ここが通常の街中であれば、人目を引き軟派な男たちが放ってはおかなかっただろう。現に、島内で紗矢華は少なくない回数ナンパを受け、そのたびに軟派な男達に手痛い教訓を与えてきた。

 しかし、研究所が立ち並ぶ絃神島北地区(アイランド・ノース)はまず人通りが少なく、昼時ということもあり路上にいる人間は紗矢華だけだった。焼けるような日差しが無ければ、彼女にとってこれほど楽な環境は無い。

 

「もう、曇っていてくれれば少しは楽だったんだけど」

 

 ぶつくさと文句を言いながら、紗矢華は手に握ったメモ帳と案内板を照らし合わせる。幸い目的地までそう距離があるわけではなく、日差しにあぶられる時間はそう長くなさそうだ。

 敵地に向かう際、何も準備せずにのこのこ出向くなどありえない。懐から金属の呪符を取り出し、呪力を流し込んで起動した。金属片が解けるように姿を変え、鋼の蝶となって紗矢華の周囲を飛び回る。

 

「行きなさい」

 

 術者の指示に従い、隠密偵察用の式神は風に乗って一足先に研究所へと出発した。周囲環境は逐一紗矢華へと報告されるため、これで不意打ちを受ける事や罠にかかる危険をある程度防ぐことができる。

 

「雪菜を襲った不埒物を、これ以上野放しにしてはおけないものね」

 

 頭に籠る熱を逃がすため鬱陶しげに前髪をかき上げながら、紗矢華は思わず悪態をついた。

 本来ディミトリエ・ヴァトラーの監視任務に就いているはずの紗矢華の元へ、彼女の師匠――縁堂縁からの使い魔がやってきたのは数時間ほど前だった。

 

 

 

 紗矢華の任務はアルデアル公ディミトリエ・ヴァトラーの監視である。必然的にその行動は彼の所有する巨大クルーズ船上となるため、縁堂縁からの連絡は愛用の猫ではなく、珍しい鳥の使い魔が解放していた窓に降り立った。見た目はただの鳥とはいえ、攻魔師の目からすれば濃密な魔力からその正体は一目瞭然だ。首に掛けられている宝玉から、鳥を操る術者に紗矢華はすぐ思い至った。

 

「師家様、どうしてここに?」

「あんたに任務を持ってきたのさ。獅子王機関からの正式なものだ、謹んで聞きな」

「あの、私はアルデアル公監視任務中なのですが……」

「今日あの男は絃神島の領海外で戦王領域周辺諸国の王族との会合予定だろう? 相手国側から攻魔師は出ているはずだし、任務は一時中断ということくらいは把握済みさ」

 

 面倒事を避けたい紗矢華だったが、現状を完全に知られている以上断ることはできない。聞く体勢に入った紗矢華へ、使い魔越しに縁は任務の内容を伝え始めた。

 

「今この島に、国際魔導犯罪者が侵入していることがわかってね。この男さ」

 

 首輪に挟まっていた写真を、鳥が器用に紗矢華へと差し出した。

 

「名はザカリー・多島・アンドレイド。通称は人形師」

「人形師……凶悪なイメージはあまり湧きませんね」

「この男は生体操作を得意とする魔術師でね、調整した人工生命体(ホムンクルス)が芸術品と呼ばれるほどの完成度だったが故の通り名さ。今でも凄まじい高値で取引されているほどだよ」

「それほどの男が、何故魔道犯罪者に?」

 

 紗矢華の抱いたもっともな疑問に、鳥はため息とともに理由を語った。

 

「この男は良心というものが決定的に欠如していたのさ。自らの研究のために違法実験で犠牲にした人間魔族の数は二百名以上。人工生命体(ホムンクルス)の犠牲者に至っては最低でもその十倍と言われているよ。

 おまけに犯罪者として国際指名手配されてからも、この男に依頼を持ち込む連中は後を絶たなかった。それだけこの男が造り出す人工生命体(ホムンクルス)は価値があったんだろうさ」

 

 絶句する紗矢華だが、それも無理はないだろう。数だけ伝えられた場合、それが単一の犯罪者が出した犠牲者数とはとても思えない人数だ。

 何とか気を持ち直し、紗矢華は口を動かす。

 

「……その凶悪犯が、この島に潜伏しているんですか?」

「ああ。つい先日摘発された密売人の証言さ。人形師に軍用自動人形(オートマタ)の部品を売ったと言っている。

 さらに、昨日雪菜からも報告があった。人工生命体(ホムンクルス)を改造し使役する男に第四真祖が襲撃されたとね。襲撃犯の特徴は、人形師と一致したよ」

「雪菜が襲われたんですか!?」

 

 鳥が漏らした一言に、紗矢華が過剰なまでに食いついた。彼女にとって、雪菜は大切な友達以上の存在だ。その庇護対象が危険な犯罪者に襲われたと聞いては、とてもではないが落ち着いてはいられない。

 

「国際指名手配中の魔道犯罪者確保は獅子王機関の管轄さ。

 煌坂紗矢華、改めて獅子王機関からの任務を伝える。ザカリー・多島・アンドレイドを見つけ出し、確保せよ。

 やれるね?」

 

 鳥にもかかわらず、どこか試すような笑みを浮かべる使い魔に対し、紗矢華は力強い頷きと共に不敵な笑みを返した。

 

「ええ、やり遂げて見せます!」

「よく言った。少しは成長した姿を見せておくれ。

 任務の詳細は写真の裏に書いてある……気をつけな」

「はい、師家様!」

 

 紗矢華の返事を聞いた鳥は満足そうに一声鳴き、窓から飛び去っていった。

 

 

 

 そのやり取りから数時間後、直射日光に気力を削がれた紗矢華は目的の旧研究所跡にたどり着いていた。偵察用の式神から送られてくる情報から、施設内に複数人の存在が確認できる。まずは最下層の反応から確認するために式神を向かわせ、なにやら紙の資料を漁る男性を発見した。

 

「この魔力反応……獣人ね。登録証が無いってことは未登録魔族か」

 

 隠密に優れた式神とはいえ、油断はできない。感付かれないよう獣人の死角で監視を続行しようと紗矢華が考えたと同時に、施設内にあった残りの反応が高速で移動を始めた。移動方向から、今式神がいる部屋へと向かっていることがわかる。

 そして反応が動き出してから僅かに間を置いて、獣人が扉を睨みつけた。一切の予備動作なく獣人の戦闘形態である半人半獣へとその姿を変える。

 

「嘘、この距離で気がついたって言うの?」

 

 索敵用の道具を身に着けている様子は無い。式神の探知能力ですらおぼろげな反応に、眼前の獣人はその知覚のみで感付いたのだ。紗矢華が驚いている間にも反応は近づき、ついに扉が鎖によって破壊された。

 

「え、浩一さんに空隙の魔女!?」

 

 飛び込んできた見知った顔に、紗矢華は思わず声を上げる。その直後、迫りくる獣人の爪を最後に式神からの反応が途切れた。

 

「……あの式神の監視がこうも容易く見破られるなんて。こうしてる場合じゃないわ!」

 

 紗矢華の懐から獅子王機関の呪符が引き抜かれる。目標に対して通信用の魔術を繋げるだけの単純な札だ。本来であれば男性恐怖症の紗矢華としては男の声が脳裏に響くなど耐えがたいが、ある程度親しい浩一であれば嫌悪感はほとんど湧かない。

 

「山野攻魔官、煌坂です」

 

 返答は即座に返された。

 

『煌坂、さっきの式神は君のものか』

「はい。隠密性を高めたものでしたが、容易く見破られました。並の相手ではありません」

『だろうね。

 話している時間が惜しい、援護を頼めるか?』

 

 自分の師匠である浩一から援護の要請が入ったことに、紗矢華は内心飛び上がりたいほどの歓喜に包まれた。眼前の敵を確実に確保するためなのだとしても、かつての師匠の1人に頼られることは純粋に嬉しいのだ。

 

「任せてください、式には余裕があります!」

『任せる。頼りにしてるぞ』

 

 興奮する紗矢華は新たな式神を次々と飛ばしながら旧研究所へと走り込む。脳内では、魔術越しに室内戦闘が始まったことが伝わってきている。

 通信魔術越しに、獅子王機関の先達と舞威媛、空隙の魔女と眷獣寄生型人工生命体(ホムンクルス)という奇妙な共闘が成立した。




ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 縁堂縁 えんどう-ゆかり
 獅子王機関所属の攻魔師であり、雪菜と紗矢華両名の師匠。
 獅子王機関でも名の知れた術者であるらしく、本土から遠く離れた絃神島まで使い魔を飛ばして意思疎通が図れるほどの実力を持つ。
 言動は茶目っ気があるのだが、弟子2人からは修業時代のしごきから恐れられている女傑。

 煌坂紗矢華 きらさか-さやか
 ストライク・ザ・ブラッドヒロイン。
 獅子王機関所属の舞威媛であり、呪詛と暗殺を得意とするその特異性から一筋縄ではいかない任務を任されることが多い。
 それをこなす実力はあるものの、そのために休みが取れない社畜状態が密かな悩み。

 ディミトリエ・ヴァトラー
 戦王領域の一地域である、アルデアル公国を統べる旧き世代の吸血鬼。
 戦闘狂であり言動から同性愛疑惑が持たれる難儀な性格をしているが、意外と公務はきちんと行う。
 しかしタガが外れやすく、周囲の同僚は火消しに奔走する羽目になることが多いらしい。

 バビル2世 用語集

 用語

 透視力 クリアボヤンス
 バビル2世の超能力の1つ。
 物体を透過してその先を見る単純な能力だが、この能力を遮る方法が限られるため防衛側は人員や罠の位置を知られてから攻撃を受けることになる。
 この能力単体ならば厄介というだけで済むが、それを元に攻撃されることにより驚異的な補助能力と化す。


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5話 亡国の戦闘員

 きりのいいところで切れなかったので、少々長めとなっています。


 向かい合う人工島管理公社から派遣された攻魔師たちと、得体のしれない獣人。先に行動したのは獣人だった。

 

「なっ!?」

 

 那月が驚愕の声を上げる。

 あれだけ自信満々に啖呵を切った獣人が、何の躊躇いもなく壁を突き破って逃走したのだ。それだけではない、戦闘状態に入ったことにより強まったはずの獣人の気配が、完全に掻き消えたのだ。

 

「……どういうことだ」

 

 警戒を強める那月の背後に巨大な魔法陣が展開され、無数の熊のぬいぐるみが次々と排出された。偵察と攻撃を目的に生み出された、那月の使い魔たちだ。

 

「行け」

 

 使い魔が蜘蛛の子を散らすように駆け出した。獣人が開けた穴だけではなく、入口の方面へも向かっていく。

 それでも相当数残り、周囲を警戒する使い魔に囲まれた那月とアスタルテを後目に、浩一は魔術越しに警告を飛ばした。

 

「煌坂、獣人が姿を隠した! 式神から君の存在はばれているから、奇襲に警戒!

 気配を一切悟らせない隠密技術に、入口の痕跡から魔術も扱う事がわかっている。式神を出し惜しみするなよ!」

『りょ、了解!』

 

 返事を半分聞き流しながら、浩一は那月へ向き直った。

 

「南宮攻魔官、ひょっとするとあの獣人は私の領分かもしれない」

 

 その一言で、那月の表情が引き締まった。浩一、いや、バビル2世が言う彼の領分。それはつまり……。

 

「確か、なのか?」

「疑惑がある程度とはいえ、あの獣人の戦法にどこか見覚えがあるもので」

 

 通信魔術を介して紗矢華に聞かれている現状、言葉を選んで会話が進む。

 

「私が追います。南宮攻魔官は術を通じた援護を。アスタルテは南宮攻魔官の護衛を頼む」

 

 2人が頷いた事を確認し、浩一は紗矢華にも指示を飛ばした。

 

「聞こえていただろうけども、あの獣人は私が担当した犯罪組織の構成員だった可能性がある。煌坂も身を守ることを優先し、術による援護は最低限でいい。

 術の反応からこちらの居場所を知られる可能性があるから、通信魔術は切っておく。念のため獅子王機関の波長で魔力は放出し続けるからそれでこちらの位置を把握してくれ。余裕があれば南宮攻魔官と合流し、指示に従ってほしい。

 以上」

『え、ちょっと待』

 

 慌てる紗矢華の声を無視し、浩一は一方的に通信魔術を打ち切った。同時に呪符を目に貼り、透視力(クリアボヤンス)を発動させる。

 

「では、向かいますので。

 煌坂と合流できたら、このように」

 

 透ける視界で獣人を捕捉しつつ、那月へとメモを手渡す。そして浩一の姿のまま、バビル2世は獣人が開けた穴へと飛び込んだ。

 

 

 

 奇策によって浩一たちから逃れた獣人だったが、内心穏やかではなかった。自分に匹敵する、もしくは自分を上回るだけの力を感じ取らせた攻魔師が2人に得体の知れない感覚を放つ人工生命体(ホムンクルス)が1体。さらには自分の感覚ですらかろうじて捉える事ができるほどの式神を扱う術者が控えているのだ。

 明らかに戦力的不利の状況下で、馬鹿正直に戦闘を正面から始めるほどこの獣人は愚かではない。かつての強敵との戦闘法で教えられたとおり、身を隠してから闘気を操り気配を遮断する。

 奇襲による確固撃破の準備を整えながら、ふと獣人は動きを止めた。

 

「そういえば……あの男の匂い、どこかで……うん?」

 

 記憶の片隅に封じられた情報を引き出そうとしたとき、視界の端になにかが映った。それが何かを考える間もなく、それは高速で接近し獣人へ回し蹴りを叩き込む。獣人特有の反射神経と身体能力でその奇襲を回避し、男が向き合った先にいたのは目を呪符で覆った浩一だった。

 

「避けるか。流石に簡単にはいかないようだ」

「そちらから来るとはな。

 しかしどうやって私の居場所を探った? 移動を推測するような痕跡は残していないはずだし、気配の類も抑え込んでいるはずだが」

「お前は、自分の手の内を聞かれたからといって敵に明かすのか?」

「なるほど愚問だったな。忘れてくれ」

 

 灰色の獣人と浩一は、軽口を叩きながらも戦闘態勢を維持し続けている。

 先に動いたのは、獣人だった。先程の奇襲のお返しとばかりに、正面から連撃を繰り出す。ジャブ、ジャブ、ストレートに回し蹴り。鍛えられた獣人が繰り出す攻撃は、ただの人間では見切るどころか何が起きているのかすら把握できずにその命を散らすだろう。一撃一撃が人体を破壊する威力を秘めたそれを、浩一は四肢を保護する〝十式保護術式展開具足(パリレンクライス)〟ですべて受け流し、あるいは叩き落とす。

 

「……その動き、その膂力、やはり覚えがある。貴様まさか」

「戦闘中に、おしゃべりする余裕があるとはな」

 

 獣人の意識が格闘戦から会話へと僅かにずれた隙を狙って、浩一は〝十式保護術式展開具足(パリレンクライス)〟を展開した。この武神具は十分な硬度が特徴の1つだが、その硬度をはるかに上回る結界を展開することで身を守り仲間を守ることが本来の開発目的だ。しかし、今回展開された結界はほんの一部分……拳と脚を保護する範囲でしかない。

 一見意味のない発動に獣人が疑問を浮かべるよりも早く、浩一は結界と武神具により二重に保護された拳を全力で振るった。獣人は咄嗟に回避しようと体を捻るが、その脇腹を結界がしたたかに殴打する。視認性が低い結界分、攻撃範囲が増えている点を失念していたのだ。

 本来であれば痛みに悶絶するであろう攻撃を喰らった獣人だったが、うめき声一つ上げず冷静に距離をとる。だがあくまで表に出していないだけであり、事実打撃は十分なダメージを彼に与えていた。灰色の毛の下で冷や汗をかきながら、得心がいったとばかりに獣人は頷く。

 

「やはりか。今の行動で確信が持てたぞ」

「まだ無駄口を叩く余裕があるか」

 

 口を動かす獣人へ浩一は追撃を繰り出すが、獣人とて伊達に訓練された戦士というわけではない。先の攻防で結界の間合いをある程度把握していたのか、余裕を以て浩一の殴打を回避する。

 

「この戦闘力、そして戦闘時の冷徹な思考、武神具を本来の使用法意外に扱う応用力。

 お前は、バビル2世…………の、後継者だろう?」

 

 突然の的外れな指摘に、思わずといった様子で浩一の動きが止まった。それを図星と見た獣人が、徐々に言葉に込められた熱量を増やしていく。

 

「かつてあの男の戦いを見た身としてははっきりとわかる。戦い方があの男そのものといってもいいほどに練り上げられている存在が、あの男と無関係なはずがないからな。人間の年齢ではすでに死去しているだろうが、あの御方と同じ力を持つ者が簡単に老化で倒れれるはずもない。お前の匂いからして、直近にも稽古をつけていたのだろう?

 だが貴様はバビル2世には程遠い。あの男ならば、最盛期から衰えた私がここまで対抗できるはずがないのだからな」

 

 変装と術による認識阻害により、獣人は見当違いの推測を続ける。浩一は、その内容から確信を得た。

 

「貴様、やはりヨミの帝国の生き残りか。1人で来て正解だったようだ」

「ほう、あの御方の名を知っているか。やはりお前の背後にはバビル2世がいるのだな。忌々しい……」

 

 憎しみを隠そうともしない獣人へ、浩一は冷静な態度を崩さず、かすかに捉えた空間異常に笑みを浮かべた。

 

「大層な演説をしているようだが、忘れていないか。敵は私1人ではないんだぞ?」

 

 浩一の言葉が終わらない内に、獣人を取り囲むようにして虚空から鎖が射出された。同時に、猛禽の姿をした式神の群れが廊下の角から出現し次々と襲い掛かる。

 通常の敵であれば、このれまま鎖に囚われ式神に意識を失うまで攻撃され続けただろう。だが、今その状況に相対しているのは特殊訓練を受けた歴戦の戦士だ。視界の端に鎖を捕らえた瞬間、獣人としても規格外の脚力を振るい一瞬で廊下を破壊、即座に階下へと逃走した。鎖は空しく宙を貫き、それが妨害となって式神は穴へと向かえない。

 

「やるな、流石はあの男が鍛えた戦闘員だ!」

 

 即座に浩一もバビル2世としての身体能力を僅かに開放する。呪力で強化した脚は獣人と同じように一瞬で廊下を破壊し、透視力(クリアボヤンス)で捉え続けている獣人を追って階下へと飛び込んだ。

 

 

 

 奇襲された場合、人員が多ければそれだけ対処はしやすくなる。その原則に従って那月たちと合流した紗矢華は、必殺と思っていた連撃を獣人が常識外の回避方で逃れたことに衝撃を受けていた。

 

「な、何よあの獣人は! 思い浮かんでもあそこまで躊躇なく床を破壊する!?」

「やかましいぞポニテ猿!

 しかし、まさかあのような手段で〝戒めの鎖(レージング)〟から逃れるとはな。面白い……」

 

 那月は浩一から発せられる魔力を追って、紗矢華はそれに加えて式神から送られる視覚情報を使って浩一の後を追う。入り組んだ研究所であるが故に、式神の到着が遅れた結果連撃発動までに時間がかかったのだ。

 

「誰が猿よだれが!

 ……あの身体能力じゃ数が足りない、か。――(かぎり)よ!」

 

 突然の暴言に反応しつつ、紗矢華は追加の式神を召喚した。速度重視の隼型と、攻撃重視の鷲型だ。

 

「行きなさい!」

 

 術者の指示に従い、攻撃用の式神たちは先行する式神たちに合流するため飛び去った。先行する式神たちは、浩一の周囲を警戒しつつ情報を逐一紗矢華へと送り続けている。

 その内の一体が、突然打ち消された。

 

「敵襲!」

 

 咄嗟に反応が消失した地点へと式神を向かわせ、浩一の前にも一体の式神を飛ばして先導する。

 

「位置はわかった、3秒後に攻撃する!」

 

 空間制御によって使い魔を急行させつつ、那月は〝戒めの鎖(レージング)〟による捕縛を試みた。

 

「式神を引かせろ!」

 

 声と同時に紗矢華の操る式神が獣人から一斉に距離をとり、生まれた隙間を縫うようにして8本の鎖が先端の刃を向けて獣人へと殺到した。

 咄嗟に回避行動に移った獣人へ、紗矢華が新しく放った式神が襲い掛かる。さらにすぐさま追撃を入れるためか、いつの間にか那月の使い魔が群れを成して控えていた。脅威度が高い鎖を回避した先に更なる攻撃を加える、高い実力を持った者同士だからこそ実行可能な無言の連撃だ。

 並の相手ならば瀕死にすら追い込める連撃を、獣人は正面から迎え撃った。爆発的に膨れ上がった闘気が灰色の毛並みに浸透し、その硬度を飛躍的に上昇させる。鎖が繰り出す刺突に正面から当たれば貫かれてしまう程度の硬度ではあるものの、そのしなやかさを利用して迫る鎖につながれた刃を次々と捌き落とす。魔力を捕らえる目を持っていれば、その表面をさらにうっすらと魔力が覆っている事にも気がつくことができるだろう。

 

「な、生体障壁!?」

「それに加えて防護魔術の重ね掛けか。獣人のくせに面白い術式を扱うな」

 

 人間が気功術と呼ぶ、武術としてある種の達人のみが扱う事を許された業。一般的な獣人は自らの身体能力や変じる動物の特性を恃みに技術を磨き魔術を修めることなどしない。ましてや先天的なものではなく、技術としてそれらを高めた存在との遭遇は、那月たちをもってしても今まで数えるほどにしなかった。

 必殺と呼んでいい連撃を無傷で切り抜けた獣人は、牙を剥き出しにして駆け出した。移動を重ねた結果、最初に浩一たちと遭遇した部屋の傍にまで戻ってきていたのだ。獣人特有の鋭敏な嗅覚と視覚、そして脳内で構築した施設の全体像からそのことに気がついた獣人は、厄介な後衛を先に潰すこととした。3対1となるが、先の連撃を躱してから偵察用の式神に未だ捕捉されていない今しか奇襲の機会は無い。まず3人のうち誰でもいいので打ち倒し、その身を盾にして残り2人の相手をする。肌で感じた実力差から、追い込まれたとしても離脱できないことはない。

 隠密行動力を駆使して壁一枚隔てた位置まで接近し、強化を四肢と体の前面へと偏重させる。気配からして那月たちが獣人に気がついている様子は無く、今から気がついても壁と共に押し潰されるだろう。

 気合の声を入れる事すらせず、無言のまま全力で一歩目を踏み出す。

 

「残念だが、そこまでだ」

 

 強化を弱めていた後頭部へ、浩一の膝蹴りが叩き込まれた。

 

 

 

 前触れなく壁を粉砕しながら室内に侵入してきた獣人へ、那月と紗矢華は憐れみを込めた目を向けている。何が起こったのか理解できていないうえに、頭部へと強烈な打撃を受けた影響でまともに体を動かせていないのだ。結果として、歴戦の獣人は戦闘形態のまま床に突っ伏すという非常に間抜けな状態を保っている。

 

「わざとこの部屋近くにおびき寄せて倒すとは聞いていましたけど、ここまできれいにはまるとは……」

「所詮は獣だ。あそこまで闘争本能を刺激されれば、状況的にある程度の不自然さを見抜くことはできないだろうさ」

 

 渡されたメモを元に作戦を成功させた那月は事も無げに言うが、浩一が施していた隠密術式はこの場の2人でも見逃しかねないほどに高度なものだった。浩一が常に自分の位置を把握しているとわかっているのならば話は別だが、二度の追撃を回避した後に式神と遠距離魔術の攻撃しか来なければ、ほとんどの人間は振り切ったと判断するだろう。

 

「さてアスタルテ、この男から魔力を奪っておけ。戦闘形態のままではいつ暴れられるかわかったものではないからな」

命令受諾(アクセプト)――実行せよ(エクスキュート)、〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟」

 

 アスタルテが自身に植え込まれた人工眷獣を召喚し、鎧のように身にまとう。内部へと収納されたアスタルテが命じるままに、巨人の腕が獣人を握りしめた。その手を通じて、獣人を戦闘形態たらしめる根幹の力が奪われていく。

 

「が、魔、力が……」

「ほう、まだ話すことができたか」

 

 嗜虐に満ちた表情のまま感心する那月と、それを見て引く紗矢華。彼女たちを半ば無視し、浩一はこの小部屋へ突入した際に獣人が漁っていた書類へと目を通していた。

 

「なるほど、眷獣共生型人工生命体(ホムンクルス)の作成方法が書かれた資料か。技術としては希少価値が高いから放置はできないが、さてどう処分したものか」

 

 獣人が部屋から逃れた際投げ捨てられた書類を整理しつつ、浩一は頭を悩ませる。

 眷獣は吸血鬼のみが扱う事の出来る強力な戦闘手段だ。魔族としては、肉体的に脆弱と言われる吸血鬼が魔族の王とまで呼ばれる理由の大半を占める存在であり、召喚時に膨大な魔力、あるいは生命力を喰らうことから吸血鬼以外には扱えないとされてきた。

 しかし、アスタルテという例外がその前提に大きな波紋を投げかけたのだ。今でこそ消費する魔力を第四真祖である暁古城によって肩代わりされているが、それより前では大きな負荷があったとはいえ単独で眷獣を召喚し操っていた。もしも眷獣を扱うために、使い捨ての召喚装置として人工生命体(ホムンクルス)を利用しようと考えるものが出てきたら。そう言った外道の発想をする者は、どこにでもいるものなのだ。そう、本来であればこの資料を引き渡すべき人工島管理公社の中にでも。

 本音で言えば、浩一はこの資料を跡形もなく破棄したい。しかし、公社の依頼を受けた那月の助手という形でこの場を訪れている以上、迂闊に物品を破壊するわけにはいかないのだ。その場合、眼をつけられるのは浩一ではなく那月なのだから。

 悩む浩一だったが、脳裏に浮かぶ危機の予感に顔を跳ね上げた。感覚に従い周囲を見渡せば、薔薇の指先(ロドダクテュロス)によって拘束されている獣人がどうしても目につく。

 

「――全員離れろ!」

 

 浩一の怒号に、獣人を取り囲んで見張っていた3人が即座に反応した。その声に込められた感情から、ただ事ではないと察知したのだ。

 そしてその声音を聞いた獣人が、驚いたように目を見開いた。

 

「その声! なるほど貴様、弟子ではなく本人――」

 

 言葉の途中で、獣人の身体が爆ぜ飛んだ。魔術と科学が混在した、高威力の破壊魔法が体内で解き放たれたのだ。

 

「煌華麟!」

 

 迫りくる爆風は、紗矢華が生み出した疑似空間切断の障壁によって防がれる。しかし、それで防ぐことができるのは一瞬のみ。その一瞬の間に、那月が余裕を以て空間跳躍の術式を組み上げた。

 研究所入口まで跳んだ一行が目にしたのは、単一の爆薬が生み出したとは思えないほどの破壊だった。件の小部屋を中心に、引き込まれるようにして建物が崩壊していく。

 

「どうやってあれほどの自爆を……魔力の類はこの子が吸い取っていたはずでしょう?」

「簡単な話だよ。魔力を流すことで起爆するのではなく、魔力を流して起爆を抑え込む仕組みだったんだろう。その仕組みであれば、万が一保持者が即死しても周囲の敵を撒き込んで証拠を抹殺できる。丁度今みたいにね」

 

 浩一が淡々と伝えた疑問への回答を聞き、紗矢華は恐る恐る研究所跡へと視線を戻した。建物があった地点はすでに巨大なクレーターとなっており、内部に残されていた資料の回収は不可能だろう。

 

「図らずとも、悩みの種が消えたか。

 ……しかし、彼の帝国の残党が未だ活動していたとはな」

 

 戦っている間の獣人は、かつての栄光のために活動しているはぐれ者といった様子は無かった。今まさに復活を遂げる組織のため、身を捧げる戦士が一番近いだろうか。

 

「だが、組織復活にはあの男が必要不可欠だろう。未だ監視装置に異常はない……先に最大の障害であるぼくを排除するつもりか?」

 

 バビル2世の口調が漏れながらも、浩一は思考の海に沈んでいく。だが、どれだけ考えても答えが出ないことはわかっていた。正解の確認手段がない以上、どれだけ悩んでもこれは妄想に過ぎない。

 傍で心配そうにこちらを見る那月と紗矢華へ心配ないと手を振り、念のため資料が破壊されているのか確認するために呪符で目を遮り瓦礫の山と化した研究所を見通す。

 

「よし、例の小部屋は跡形もないし、特に情報がありそうな部屋も無いな……うん?」

 

 最終確認を終えようとしたバビル2世の視界に、不自然な空間が映り込んだ。施設から伸びる配管は、研究所の外目掛けて伸びている。そして、その先には研究所のどの通路とも接していない空間が広がっていた。幸いすぐそこに空間の天井部分にあたる構造体があるため、すぐに調査を開始できるだろう。

 

「空間跳躍を前提にした完全機密区画か。普通であればまず気がつかないな。

 これ、は」

 

 浩一の視界に、異物が映り込んだ。表情が硬くなった浩一へと、ついに耐えかねたのか紗矢華が話しかける。

 

「あの……浩一さん?」

「煌坂、ここを煌華麟で切り裂いてくれ。地下に空間がある。穴をあけたら、アスタルテと一緒にここで不審な人物が来ないか見張っていてくれ。生き埋めにされてはかなわない」

 

 突然の指示に、紗矢華は僅かに戸惑うも素直に空間切断の刃を数度振るった。切り開かれた隙間に浩一は躊躇なく飛び込み、那月がその後へと続く。そんな2人の背を見送り、紗矢華とアスタルテは周囲の警戒を開始した。

 

 

 

 薄暗い室内には、異常としか言い表せない空間が広がっていた。

 表現するならば、実験場だろうか。山と積み上がった造りかけの機械人形(オートマタ)に、保存液に浸された異常性を発する人工生命体の標本、さらに、壁や床のいたるところに血痕が飛び散っている。

 一般人ならば、半日もいれば精神的な異常をきたすであろう魔窟が、人の手によって作り出されていたのだ。

 

「アンドレイドの工房か。見た限り、そう長い間使われていたわけでは……おい、山野?」

 

 嫌悪感を隠そうともせずに室内を見渡していた那月だったが、周囲に目もくれずに突き進む浩一が目に入った。その声に振り向きもせず、浩一は薄暗い室内を突き進む。

 

「どうした、らしくないぞ?」

 

 似合わない行動に疑問を覚え、那月は浩一の隣へと移動する。

 

「あの獣人、腕に登録証が無かった。つまり最近この付近で目撃されていた不審人物ではなかったということだ。

 さて、この男(・・・)は一体誰と取引をしていたんだ?」

 

 浩一が部屋の隅に置かれたソファーの前で立ち止まった。そこには、人の躯が横たわっていた。時代遅れのパンクロッカーとも、酔っ払いの服装とも呼べる衣装に身を包んだ、干乾びた死体だ。その死体の持つ特徴は、人形師と呼ばれていた人物と一致する。

 凶悪な魔道犯罪者、ザカリー・多島・アンドレイドは死んでいた。自らの造り上げた密室の中で、たった1人きりで。

 

「一体、何があったんだ……」

 

 那月の呟きと共に、紗矢華が空けた穴から風か吹き込む。困惑する2人を嘲笑うかのように、ミイラと化した死体は砂のように崩れ去った。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 獣人 じゅうじん
 本作オリジナルキャラクター。
 かつてヨミの帝国で研鑽を積んだ戦闘員であり、今は謎の組織に所属する灰色の毛並みを持つ老齢の男性。
 かつての訓練で獣人特有の傲慢さや粗暴性は矯正され、気功術や魔術にも秀でる上級戦闘員だった。
 仮想敵がバビル2世だったため修めた能力も相応に高く、最盛期ならば本気の殺し合いでも調査に来た人員と一対一ならば遅滞戦法で十分な時間を稼ぐことができ、逃亡ならば高確率で可能な実力を誇っていた。

 種族・分類

 自爆装置
 本作オリジナルの魔具。
 魔力を流すことで炸裂する一般的な装置とは違い、魔力を流し続けることで炸裂を押さえる構造をしている。これにより、所持者が遠距離攻撃で即死した場合でも魔力の喪失から確実に起動し、痕跡を抹消可能な利点を持つ。
 大きさからは想像できない破壊力を有しており、至近距離で起動された場合降下範囲外に逃れることはほとんど不可能である。

 戒めの鎖 レージング
 南宮那月が操る神器。
 彼女の象徴的な武装となっており、破損はもちろんのこと一度捕まればそう簡単には抜け出せない強度を誇る。
 鎖の先には刃を装着可能であり、それを利用した刺突攻撃も可能。

 薔薇の指先 ロドダクテュロス
 アスタルテがその身に宿す人工眷獣。
 宿主であるアスタルテを包み込む巨大なゴーレムのような外見をしており、刻み込まれた神格振動波駆動術式により魔術の類を反射可能。
 腕だけを顕現することも可能であり、その場合羽のような魔力の放出が引き締まって巨人の腕となる召喚プロセスを踏む。

 バビル2世 用語集

 用語

 ヨミの帝国
 バビル2世の宿敵である、ヨミが築き上げた組織の総称。
 世界規模の秘密組織であり、各国の上層部にも食い込むほどの影響力を有していた。
 首領であるヨミの死により、要を失った組織は雲散霧消し構成員も散り散りとなった。


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6話 悪夢の再誕

 今回は完全な別視点となっており、主人公側の登場はありません。ご了承ください。

 遅まきながら、各話末尾の用語集の追加作業が終了しました。


 絃神島の地下に造られた異様な光景の小部屋。主人である人形師が思うが儘に造り上げた工房で、2つの影が向かい合っていた。

 

「……で、こちらの提示した物に釣り合うだけのブツはもらえるんだろうな?」

 

 引き渡した物品をリストアップした書類を机に投げ出しながら、人形師……ザカリー・多島・アンドレイドは粘ついたような笑みを浮かべた。

 常人であれば不快感を隠せないであろう表情を前にして、対面に座る魔族の男は表情1つ変えずに書類を手に取った。腕にはめた魔族登録証が音を立てるが、その音を気にする存在はこの場にいない。

 

「なるほど、施設内に放置されていた全自動人形(オートマタ)に全実験失敗作、さらに演算特化に調整した人工生命体(ホムンクルス)3体……たしかに、確認した。

 だが、こちらの提示した眷獣共生型人工生命体(ホムンクルス)の作成資料が無いぞ?」

 

 魔族の男の言及に、アンドレイドは頭を掻いた。

 

「それがな、俺がその資料を渡した……殲教師のオイスタッハがどこかにしまい込みやがってな。捕まった結果、どこに保管してるのかわからなくなっちまったんだ。まあ、書類を保管できる場所は少ないからな。この場所のどこかだろうさ。

 申し訳ないが探せとは言わないでくれよ、こっちも作業がある」

 

 アンドレイドが追加で投げ渡した研究所の設計図には、3つの丸が付けられていた。そのどこかにあるということだろう。

 

「……まあ、これで良しとするか。

 こちらからの物資だ」

 

 魔族の男の腕から血煙が吹き出し、即座に魔力に変換された。宙を漂う濃密な魔力は黒い液状の物質へとその姿を変え、漆のような蜥蜴の身体を構築する。

 闇を溶かし込んだような蜥蜴へと、吸血鬼は躊躇なく腕を突き入れた。腕をかき回すたび眷獣の表皮に僅かなさざ波が立つが、蜥蜴は僅かな身じろ気すらしない。

 かき回す動きが止まり、吸血鬼はゆっくりと腕を引き抜いた。その手には太い紐が握られており、その先には厳重に梱包された木箱が繋がれていた。

 

「我々の開発した武装の部品だ。確認するといい」

 

 吸血鬼の男は事も無げに机へと木箱を置くが、重々しい音が響くとともに机が軋む。音からして、だたの吸血鬼の腕力では運ぶことすらできない重量だと予想できる。

 だが、そのような些事(・・)にアンドレイドの意識が向くことはなかった。眼前に置かれた木箱へと文字通り跳び付き、嬉々として納められた機会を検分していく。

 

「おお、おおおおおおお! すげえぞこれは!

 おまえら、こんな部品をどうやって……いや、それは聞かない契約だったな。いやあこれだけの部品が対価なら俺の芸術品とも釣り合うってもんだ!」

 

 まるで新しい玩具を手に入れた子供の用に、アンドレイドははしゃぎまわる。

 当然だ。箱に詰められていたのは、現在彼が自動人形(オートマタ)に仕込んでいる武器など比較にならないほど最先端にある、いや、現行技術では試作機が造れるかどうかという兵器の部品だ。これらを使えば、さらに強力な、永遠を生きることができる芸術を生み出すことができる。アンドレイドはそう信じて疑っていない。

 初め研究所内に仕掛けていた多くのトラップを含めた自動人形まで差し出せと言われた時には渋ったが、思い切っただけの対価を今アンドレイドは手にしている。

 

「どうやら文句は無いようだな。

 明日資料の捜索に獣人の代理人を1人来させる。資料を回収し次第、取引は成立だ」

「おお、俺はしばらくこの工房から出ない。これだけのブツを流してもらった礼だ、研究所内は好きに漁ってもらって構わないぜ。俺にはもう必要ないものしかないからな」

「……この工房から出ない、だと?

 ここはいつ特区警備隊が来るかもわからない施設だろう」

「あんな凡愚共に俺の隠し工房が見つかるものかよ。

 万が一見つかったとしても、俺には可愛い可愛いあいつがいるからな」

 

 目を輝かせて構想を練るアンドレイドは、すでに吸血鬼の声が聞こえているのかすら怪しい。そんな気狂いを侮蔑の目で眺め、吸血鬼は自らの眷獣を踏みつけた。まるで水面に潜るように、吸血鬼の姿が掻き消える。残された眷獣も付近にあった影を踏むと、同化するようにしてその姿を消した。

 取引相手が消えた室内で、アンドレイドに近づく影があった。顔半分が焼けただれ、内部機構に異常が発生しているのかぎこちない動きの改造人工生命体(ホムンクルス)――スワルニダだ。アンドレイドが最高傑作と呼び常に愛でられていた少女は、安置されていた棺型の寝具から痛みをこらえて這い出してきたのだ。主である人形師に、壊れかけた肉体を修理してもらうために。

 しかし、アンドレイドはそんなスワルニダには目もくれず、調整槽と木箱の中身をせわしなく見つめ続けている。

 

「あの餓鬼どものせいで散々だと思っていたが、組織の連中のおかげで気分も晴れたぜ。

 あの力、永遠に尽きない無尽蔵の魔力。いい、いいねぇ。実にいい! あれこそ俺の芸術に相応しい!

 お前もそう思うだろ、スワルニダ?」

「――肯定」

 

 自らを襲う激痛に耐えながら、スワルニダは声を絞り出した。たしかに、第四真祖の力は目を見張るものがあったことは事実だ。主人であるアンドレイドが賞賛するだけの力だったことは間違いない。しかし、その力がスワルニダの肉体を破壊し、今もなお消えない痛みを与え続けている。その矛盾が、内側からスワルニダを蝕んでいく。

 

「何の気まぐれか知らねーが、試験体(アスタルテ)に魔力の供給をしてたのはあの第四真祖の餓鬼で間違いない。つまり試験体(アスタルテ)を手に入れれば、あの〝永遠〟は俺達のものになるってわけだ!」

 

 陶酔しきった表情のアンドレイドが漏らした言葉に、スワルニダは希望を取り戻した。アスタルテは、彼女と同時期に調整された眷獣共生型の人工生命体(ホムンクルス)だ。眷獣に魔力と生命力を吸い取られるため、ごく短期間しか運用できないはずの兵器。それが、どういうわけか吸血鬼の真祖から魔力の供給を受けるようになり、吸血鬼の持つ〝永遠〟の一部を手に入れることになった。

 だからこそ、アンドレイドはアスタルテを奪い取ろうとしているのだ。彼の求める〝永遠〟を手に入れるためには、スワルニダの力が必要とされるはずだ。アンドレイドは、スワルニダを修理し十全以上の機能を取り戻させなければならないはずなのだ。

 

命令受諾(アクセプト)。執行のために私の修理と、失われた装備の補充を要請します」

 

 真剣な表情で要請するスワルニダに対し、人形師は見下すような笑みを浮かべた。

 

「なんだ、面白いことを言うようになったじゃないか。スワルニダ?」

 

 主の酷薄な笑みを見たスワルニダは、理由のわからない寒気を背筋に感じた。

 

「……人形師様(マイスター)?」

 

 困惑と共に聞き返すスワルニダを無視し、アンドレイドは調整槽へと向き直った。

 

「ずっと前から教えてやってただろぉ? 人形ってのは美しいままに(・・・・・・)〝永遠〟を生きるからこそ美しいってな。たとえ所有者の人間が滅び去ったとしても、な。

 今のお前の、どこがどう美しいってんだ?」

 

 遅まきながら、スワルニダは調整槽に浮かぶ奇妙な生物に気付いた。卵型をした、奇妙な人工生命体(ホムンクルス)だ。不定期に姿を変えながら、培養液の中を漂っている。

 

「気付いたか? 俺が生み出した最高傑作だよ。まだ未完成だけどな」

「最高……傑作……?」

 

 愛しい子供を見るような目のアンドレイドに、スワルニダは縋りつくように近づく。今までその称号は、スワルニダに与えられていたはずだった。何故、眼前の存在にその名が奪われているのか。

 

「こいつは喰った人工生命体(ホムンクルス)自動人形(オートマタ)を取り込み、その形質(ちから)を継承する。アスタルテを喰わせれば、あの力すら奪えるってわけだ。そうすれば、本物の〝永遠〟を手に入れることができる」

「私は……私は、どうなるのですか?」

 

 スワルニダは、問い返さずにはいられなかった。アスタルテの捕獲と同化は、彼女に与えられた使命だったはずなのだ。それを別の作品が担うというのならば、スワルニダは何をするればいいのか。

 

「醜く焼けただれ、壊れたお前に価値があるとでも思ったのか? 今のお前はただの廃棄物(ゴミ)だ。

 起きろナタナエル、食事の時間だ」

 

 怯えるスワルニダを厭わしげに一瞥し、酷薄な言葉を投げつけながらアンドレイドは調整槽のパネルを操作した。琥珀色の培養液が排出され、ナタナエルと呼ばれた新型の人工生命体(ホムンクルス)が目を覚ました。調整槽の蓋が開き、不定形の身体が這いずるようにして移動を開始した。

 

『I……I……accept your oder……Meister』

 

 全身を不気味に蠕動させながら言葉を紡ぐナタエルが、アンドレイドの足元で這いつくばるスワルニダへと近づいていく。身の危険を感じ取ったスワルニダは、軋む出を人形師へと伸ばした。

 今の彼女は、喰われる恐怖よりも主人に捨てられた驚愕に身をすくませていた。彼女が絶対だと信じていた存在理由が大きく揺らぎ、思考を軋ませる。彼女は今まさに壊れかけていた。

 

人形師様(マイスター)……私は……私は……」

「お前の部品はナタナエルにくれてやる。大人しく処分されておけ、廃棄物(ゴミ)

 さあナタナエル、連中の持ってきた部品も取り込んで強くなれよ?」

 

 自らに向けた情を感じさせない貌と、不定形の人工生命体(ホムンクルス)へ向けた慈しみの表情の差。それがスワルニダの見た、最後の光景だった。見た目からは想像できない俊敏性で、スワルニダはナタナエルに呑み込まれた。全身を焼けるような痛みが襲い、体を構成する機械が奪われ、肉体部分が喰われていく。

 当然スワルニダは抵抗するが、壊れかけた体ではそれも満足にできない。不定形の人工生命体に完全に取り込まれ、彼女の姿は消失した。

 

「まあ、こんなもんか。さて、融合にはどれだけかかるかだな」

 

 ナタナエルがスワルニダを取り込む間に、アンドレイドは吸血鬼から引き渡された木箱を、呪術強化した腕で運んできていた。それをナタナエルの上へ持ち上げ、内部に収められていた部品を不定形の肉体目掛けてぶちまける。スワルニダを取り込み一回り巨大化した肉塊は、それらの大部分を肉体に沈めた。

 微笑するアンドレイドの眼前で、ナタナエルが徐々に姿を変えていく。取り込んだスワルニダの経験と知識、埋め込まれた機械を再構成し、最適化を進めているのだ。現段階で、スワルニダの最盛期を遥かに超えた戦闘能力も発揮するだろう。

 このまま人工生命体(ホムンクルス)自動人形(オートマタ)、そして人間や魔族を喰らい続ければ、いずれナタナエルは最強の生体人形へと進化するだろう。そうすればアスタルテだけでなく、第四真祖すら取り込むことができるかもしれない。

 理想を思い描きながら調整槽へと手を伸ばしたアンドレイドは、異音を聞き眉を顰めた。

 

命令拒否(デイナイ)……」

 

 肉体を引きつらせ、重々しく呟いたナタナエルが横倒しになる。苦悶の声と共に身を捩る姿に、アンドレイドは脳裏を嫌な予感がよぎった。

 

「ナタナエル、どうした?」

 

 声をかける間にも、ナタナエルの異常は進行していく。透き通るような色合いをしていた肉体には焦げ付いたような色が浮かび上がり、不完全ながらも人間の頭部を模していた部分が苦悶に歪んだような表情を浮かべた。

 

「ア……ガク……ギアアアアアアッ!」

「ナタナエル!? どうしたんだ、おい!」

 

 焦りを見せる人形師だったが、次に起きた現象を見て表情を凍りつかせた。

 不完全な人型の背中から、新たな人型が姿を現したのだ。それは、取り込まれたはずのスワルニダによく似ていた。純白の髪に、透き通るような白い肌。整った左半分の顔に、焼け爛れた右半分の顔までも。

 

命令拒否(デイナイ)……命令拒否(デイナイ)命令拒否(デイナイ)命令拒否(デイナイ)命令拒否(デイナイ)命令拒否(デイナイ)……命令拒否(デイナイ)!」

 

 新しい体で、スワルニダは自分の思考が壊れたことを自覚していた。主人に捨てられ、最後の命令に逆らおうと抵抗したとき、彼女の心は壊れたのだ。今彼女を突き動かしているのは、自らの存在価値を証明するという衝動だけだ。そのためだけに、彼女はナタナエルの肉体を内側から食い破り、再誕したのだ。

 

「〝永遠〟に……生き続ける。それこそが人形の価値。所有者である人間が、滅んだとしても……!」

「す、スワルニダ!? お前――」

 

 不気味な笑みを浮かべるスワルニダを見たアンドレイドが、咄嗟に懐からウィスキーの瓶を取り出そうと手を動かした。高純度のアルコールを触媒とする魔術を使い身を守ろうとした人形師の動きが、突如制止した。

 スワルニダがのばした腕の先から光線が発射され、一瞬でアンドレイドの心臓を貫いたのだ。ナタナエルが取り込んだ部品の中にあった光学兵器は、遺憾なくその威力を発揮した。

 声も無く崩れ落ちたアンドレイドは、傷口が熱で焼けたために血を流していない。スワルニダは遺体に近づき、丁寧に体液を吸収しはじめた。人形師と呼ばれた男の死体はあっというまにミイラ状になり、特徴を知る者でもその死体がアンドレイドのものであると識別することは難しいだろう。アンドレイドが造り上げた人工生命体(ホムンクルス)には、一般に流通しているものとは違い第一非殺傷原則(人を傷つけてはならない)の防止プロテクトが存在しない。そのため、スワルニダは躊躇なく雪菜や古城へ攻撃を仕掛けられたのだ。皮肉にも作成者であるアンドレイドですら、その犠牲者に名を連ねることになった。

 主の死体を一瞥し、スワルニダは体形を変化させる。取り込んだアンドレイドの断片的な知識から、魔術を行使し体内の部品を空間ごと疑似的に圧縮することで、以前と変わらない大きさにまでその身を縮ませた。

 

「私は、〝永遠〟を手に入れる――」

 

 誰もいない地下空間で、スワルニダは美しく微笑んだ。焼け爛れた右半分の顔以外、アンドレイドが理想とした美しい姿で。

 スワルニダは通気口へと歩を進め、溶け込むようにその中へと消えていった。今の彼女は内部機構にすら縛られず、自由にその姿を変えることができるのだ。

 誰もいなくなった隠し部屋の中で、機械の駆動音だけが空しく響いていた。

 

 

 

 翌日。極短距離の空間転移で隠し部屋に侵入した獣人が見たのは、打ち捨てられた死体と無造作に積み上げられた自動人形(オートマタ)の残骸だけだった。アンドレイドがナタナエルに取り込ませるつもりだったそれらにスワルニダは価値を見出さず、それゆえに放置してこの場を去ったのだ。

 

「……所詮は思想に酔い、現実を見ない愚物か。自らの創造物を切り捨て続け、その結果がこのざまだ。

 すでに取引は終わっている。精々いい夢を見るがいいさ」

 

 場に残された痕跡から、獣人の戦闘員は人形師の死因が人工生命体(ホムンクルス)の反乱であると即座に見抜いた。

 つまらないものを見る目でアンドレイドの死体を眺め、獣人はすぐさまその空間に残された部品の回収を行った。獣人特有の嗅覚で、ばら撒かれた結果取り込まれずに残された部品は余さず回収され、この場に組織が関与した証拠は残っていない。

 

「あの吸血鬼の話では、そろそろ愚物を追って攻魔師が来てもおかしくない時期だな。資料の回収が済み次第撤収するか」

 

 前触れなく空間転移の魔術を使い、獣人の姿もまた隠し部屋から消失する。

 任務のため研究所跡地を捜索していた獣人が彼らの宿敵と再会する、ほんの数時間前の出来事だった。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 吸血鬼 きゅうけつき
 本作オリジナルキャラクター。
 謎の組織に所属する登録魔族であり、眷獣である影の蜥蜴の能力を利用して隠密行動が必要な任務に従事している。異空間を内蔵し影を移動する眷獣の特性上捕捉は非常に困難であり、今回人形師の隠れ家付近で目撃されたのは新設された監視カメラに捕らえられた不運のため。
 かつてのテロリストの根城という、特区警備隊が踏み込むには十分な理由を持つ施設に人形師が本拠を構えるとは思っておらず、あの隠し部屋も仮の住居だと考えていたことが獣人戦闘員戦死の遠因となってしまった。

 ナタナエル
 アンドレイドが生み出した異形の人工生命体。
 他の生命体や自動人形を喰らってその特徴を取り込む性質があり、完成すれば厄介この上ない存在になっていたと予想できる。
 主人の命令に従いスワルニダを喰らった結果、人工生命体の枠を超え狂ったスワルニダに内側から食い破られ、体を乗っ取られて消滅した。


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7話 校舎と公社で

 夜の彩海学園校内に、藍羽浅葱の姿があった。本来生徒の立ち入りが許されない、それ以前に施錠されているはずの場所に何故浅葱の姿があるのか。それは、非常に単純な理由だ。

 

「まったく、なんで休日前に水着を忘れるかな……」

 

 人工島である絃神島において、最も恐れられている災害に数えられる台風は、時に大規模な浸水を発生させることがある。時に命に係わることすらある侮れない被害の1つである水害への備えとして、絃神島に存在する教育機関は水泳の授業を積極的に取り入れる傾向にあった。

 彩海学園も当然例外ではなく、男女入れ代わり式で授業を進行していくことになっている。この日は女子生徒が水泳の授業に当て嵌められており、当然授業に参加した浅葱はうっかりと水着を忘れたまま帰宅してしまったのだ。

 赤道に近い亜熱帯気候である絃神島は、気温が高く立地から湿度も上がりやすい。締め切られ冷房も切られた教室内では、室温など軽く40度を超えるだろう。その状態で土日と湿った水着を放置した場合、どうなるかは火を見るよりも明らかだ。

 渋々回収に出向いた浅葱は、自らが使役するスーパーコンピューターの化身(アバター)、モグワイに全警備システムを停止させて校内へと侵入したのだ。

 

「流石に夜の学校ともなるとけっこう不気味ね。古城でも用心棒代わりに連れて来ればよかったわ」

 

 夜の校舎という非日常に、思い人と共に忍び込むというシチュエーション。中々魅力的なイベントだが、理由が水着の回収では台無しである。浅葱は頭を振って妄想を散らしつつ、上履きに履き替えて校内を足早に進んだ。

 照明が落とされ、月明かりが頼りの状態ではあるが、日常的に通っている建物内を迷うようなことなど無い。すんなりと教室にたどり着き、目的のロッカー前に立った。

 

「はい、回収」

 

 至極あっさりと目的のプールバッグを回収し、浅葱は気だるげな息を吐いた。たったこれだけの荷物を回収するために、無駄な苦労をする羽目になったのだ。ため息の1つも出るだろう。

 帰ろうと踵を返す浅葱の目に、プール裏の電気設備小屋が映った。

 

「そういえば、お倫が伝説のフェンスとか何とか言ってたっけ」

 

 伝説のフェンスとは、クラスメイトの築島倫が日中にプールサイドで話していた噂話の1つだ。立ち入り禁止のため、電気設備小屋の周囲にはフェンスが張り巡らされている。そのフェンスにラブレターを備えると、意中の相手から告白され恋が成就するというありきたりな噂話だった。中々の成功率を誇るというその噂は、古城に懸想している浅葱にとっては中々に魅力的な話だったため、どうにも意識してしまうのだ。

 

「まあ、わたしとしても、古城から告白してくるって言うなら話を聞いてあげなくもないけどさ」

 

 誰に向けたかもわからない照れ隠しを口にしながら、浅葱は教室を出て最寄りの階段へ向かった。どうせこのまま帰るのならば、伝説のフェンスを見てから帰ろうと考えたのだ。

 

「……そういえば、もう1つ物騒な噂もしてたわね」

 

 倫が話したもう1つの噂、それは今絃神島で発生している連続失踪事件についてだった。ここ数日間、連続して島内で突如女性がいなくなるという事件が相次いでいるのだ。特に、美人ばかりがいなくなっているという点からメディアも面白おかしく報道している。

 

「まったく、ちょっと不謹慎だと思わないのかしら」

 

 からかい気味な倫の忠告を思い出し、浅葱の機嫌が徐々に悪化する。とはいえ、特にぶつける相手のいない夜の校舎でのことだ。苛立ちも徐々に薄れ、フェンスが目に入る位置に着いた時にはすでに平時の機嫌に戻っていた。

 

「まあ、このフェンスを見たからなんだってわけでは……えっ」

 

 自嘲を込めた独り言は、フェンスの傍に立つ人影を発見したことで遮られた。人がいないはずの校舎内に、鉄製の長物を持った人影が佇んでいる。電気設備小屋のフェンス前で何やら作業をしていたらしいその影は、蒼い髪を揺らしながら振り向いた。

 脳裏をよぎるのは、先程まで考えていた失踪事件など及びもつかないほどの危機感だ。恐怖と後悔が浅葱の脳裏を埋め尽くし、顔から血の気が引いていく。

 

「うそ……でしょ……?」

 

 呟きも空しく、影が持つ青い瞳に、浅葱の姿が完全に捕捉された。

 

 

 

 深夜のキーストーンゲート。その一角の会議室に、浩一と矢瀬の姿があった。

 矢瀬が一族の権限を使い一切の監視装置が停止した部屋の中、浩一は淡々と数日前に遭遇した獣人の情報を矢瀬へ渡す。

 

「……かつて存在したヨミの帝国の生き残り、それが国際魔導犯罪者の拠点で家探しですか。どうにも嫌な予感しかしませんねこれは」

 

 資料に目を通した矢瀬が思わず愚痴をこぼすが、それを責められる者はいないだろう。どちらか1つでも十分に厄介な案件だったのだが、それらが関わり合うことによって非常に厄介な案件へと変貌したのだ。さらに言えば、すでに消滅したと考えていた巨大犯罪組織の一部が活動を続けている可能性が浮上したのだ。これからの警備体制見直しを考えると、頭が痛いだろう。

 

「今回は目的の物を確保する前に阻止できたようだが、すでに数度取引が行われた形跡があった。それにもかかわらず、組織に関する物品から資料からのすべてが発見できなかった」

「獣人の戦闘員が、そういった証拠の類をすべて消去したってことですか。

 あの研究所の状態から、人形師が死んでからそう時間は経っていなかった。とはいえ1日前後の間は確認できていましたから、人形師を殺したのは獣人ではなさそうですね」

 

 互いに思考を働かせたために訪れた沈黙。それを破ったのは、浩一だった。

 

「矢瀬、そういえば我々が特区警備隊(アイランド・ガード)に建物跡と公募内の調査を引き継いだが、その結果は上がって来たか?

 現場に残されていた遺留品のリストが見たい」

「え?

 ああ、ある程度は終了して報告がそろそろ上がってくるはずです。リストならすぐに出せます」

 

 手早く端末を操作し、表示されたリストに浩一は素早く目を通した。

 

「何か気になることでも?」

「……ああ。

 遺留品はこれで全部なんだな?」

「はい。瓦礫内部も、魔術とソナーの併用ですでにスキャンが終了していますから、見落としもそうは無いはずです」

「なるほど。恐らくだが、人形師殺しの犯人に目星がついた」

「なっ!?」

 

 思わず身を乗り出す矢瀬を手で押し留め、浩一は続きを口にする。

 

「遺留品の中に、人工生命体(ホムンクルス)が無かった。遺体すらもだ。

 さっきも話したが、人形師が古城を襲撃した時は1人の人工生命体(ホムンクルス)を従えていた。それがいないということは、何らかの理由でアンドレイドが反旗を翻されたんだろう。争った形跡も無しに即座に無効化できるような相手じゃなかった」

「なるほど……人形師は、自らが造ったプロテクトなしの人形に殺されたってことですか。皮肉ですね」

 

 話ながらも、矢瀬の脳は高速で回転を続けている。そして、ふとした引っ掛かりが脳裏を掠めた。それを逃がさないよう、上手く言い表せない閃きの欠片をなんとか口に出す。

 

「浩一さん。その改造人工生命体(ホムンクルス)……報告書ではスワルニダとありましたけど、交戦結果として大きく負傷したとありましたね」

「ああ。暁古城が召喚した、獅子の黄金(レグルス・アウルム)の一撃から人形師を庇って大きな火傷を負っていた。あの様子だと、内部機構に異常が発生していてもおかしくない」

 

 矢瀬は、手元の人格表に視線を落とした。人形師は、美しさに関して並々ならぬ執着を持っていたらしい。先程感じた引っ掛かりが、立体感を得て矢瀬の脳裏に降りてきた。

 

「浩一さん。今島内でおきている失踪事件なんですけど、ひょっとしてそのスワルニダが犯人ということはないですか?」

「……推測した理由を話してくれ」

「人形師は、美しさに対して並々ならぬこだわりを持っていたと資料にありました。そんな男がお気に入りの人工生命体(ホムンクルス)についた傷を放置するでしょうか?

 スワルニダ単体にしろ補修用の存在が同行しているにしろ、主が死んだために強引な方法で修理用の部品を収集している可能性があります」

 

 矢瀬の推測は、一応の筋が通っている。人形師と直接対決した浩一は、推測を脳内で咀嚼した。可能性としては十分にあり得る話であり、否定材料もない。

 

「たしかに、その可能性は高いな。補助に隠密特化のサポートがあったと考えれば、ただの失踪として目撃者がいなかったことも頷ける」

「では、仮定ですがそれを前提にした警備体制を構築します。細かい話しは決定が済み次第……」

 

 会話の締めに入っていた矢瀬が、突如愛用のヘッドフォンを耳に押し当てた。監視任務のため校内に張り巡らせていた音響結界(サウンドスケープ)に、異音が引っ掛かったのだ。

 矢瀬基樹は音に関する異能を持つ過適応能力者(ハイパーアダプター)だ。先んじて人体が出す音を記憶しておけば、現在のように離れながらでも特定の場所の音を聞き取る特殊な結界を張り巡らせることができる。この能力こそ、彼が第四真祖の監視役として抜擢された理由なのだ。

 その音響結界(サウンドスケープ)に、足音が反応し続けている。古馴染みの、よく聞く足音だ。

 

「浅葱……? なんでこんな時間に。

 いや待て、なんだこの音は!?」

 

 呟かれた名を聞き眉を顰めていた浩一の表情がこわばった。そんな様子を横目で見ながら、矢瀬は音の解析に集中する。

 まるで複数の人間の鼓動が同時に鳴っているような音に加え、様々な機械の駆動音が同位置から響いている。異常性はこれだけではない。それらの音が、完全に同調しているのだ。そう、まるで1つの生き物として組み込まれているように。

 

「浩一さん!」

 

 矢瀬が声を張り上げたときには、浩一はすでに部屋を飛び出すところだった。その手には、光るケミカルライトのような警報装置が握られている。

 

「……お願いします。あいつを守ってやってください」

 

 開け放たれた扉へ、矢瀬は深々と頭を下げた。

 

 

 

 夜の絃神島を飛び跳ねるようにして、浩一は一路彩海学園を目指している。本来であればロプロスを呼び出し、数分もかからずに学園上空までたどり着いているであろうバビル2世が、何故浩一の姿のままひたすらに駆けているのか。

 理由は1つ、浅葱を今後の情報戦から守るためだ。バビル2世のしもべたちは、それぞれが中途半端な吸血鬼の眷獣を超える戦闘力を有している。当然と言っていいのかはわからないが、その主であるバビル2世は下手な獣人であれば能力の使用無しに打ち倒すことが可能な超人だ。そんな強大な存在が、たった1人の女子生徒を助けるために行動したら。周囲の反応は、火を見るよりも明らかだろう。助けられた女子生徒が何者なのか、どういった理由で助けられたのか、なにがなんでも明らかにしようと浅葱の周囲を嗅ぎ回るだろう。

 初遭遇時は、島を沈めるテロリスト撃退のついでという形だった。2度目の救出は、島そのものの時空が歪むという異常事態に加え、監獄結界の脱獄囚の対処という大義名分があったためろくな監視が無かった。

 だが、今回はそれらとは状況が違い過ぎる。たしかにすでに少なくない犠牲者を出している改造人工生命体(ホムンクルス)が相手かもしれないが、今の段階では島の危機というほどの存在ではない。島に異常が発生していない以上、待機させているロプロスとポセイドンを動かせば、何も知らない一般人や姿を掴んでいない諜報機関ならばまだしも、特区警備隊(アイランド・ガード)やその存在を掴んだ組織には即座に行動を知られることになるだろう。

 今後の協力者の安全のため、バビル2世は浩一として許される最高速度で街を駆け抜けていく。当然、許される範囲でしもべは動かす。

 

「ロプロス、現在位置から出来る限り彩海学園の校内をサーチし続けろ。コンピューターは送られた除法を精査し続け、逐一報告。ポセイドンは、万が一を考え砲撃準備。合図1つで迅速に遠距離攻撃を叩き込め。ロデムは先行し、万が一の場合に備えて保護対象付近で待機しろ」

 

 囁くような命令も、同時に発せられた微弱な思念派がしもべたちに過不足なく指令を伝播する。

 自らの移動速度に歯噛みしながら、浩一は移動速度をさらに1段階引き上げた。

 

 

 

 一方浅葱は、夜の校庭で自らにふりかかる運命を悟り、覚悟を決めた。たとえ優れた身体能力を誇ろうとも、眼前の人工生命体(ホムンクルス)からは逃げても無駄なのだ。逃げ切った所で、その頭脳には浅葱の姿が鮮明に記録されているだろう。この日はしのげるかもしれないが、後日必ず捕捉されることになる。

 ゆっくりと接近してきた青い髪の人工生命体(ホムンクルス)が、ゆっくりと口を開いた。

 

「生徒を目視にて確認。ミス藍羽、立ち入りが禁止されている時間に、校内へと侵入した理由の説明を求めます」

 

 青い髪の人工生命体(ホムンクルス)――アスタルテのどこか呆れたような物言いに、浅葱は肩をすぼませる。相手は自らの担任である南宮那月の部下であり保護対象なのだ。下手な言い訳は自らの首を絞めることになるだけと理解している浅葱は、隠す事でもないので素直に理由を打ち明けた。

 

「いやね、アスタルテさん。水泳の授業で使った水着を忘れちゃったみたいでさ、取りに来ただけなのよ。

 ……お願い見逃して! 流石にこの時間の校舎侵入がばれたら、那月ちゃんにただ怒られるじゃすまないわ!」

 

 途中から両手を合わせて頭を下げ、懇願するような状態になってしまったが、これは仕方がないことだ。これが判明すれば間違いなく保護者に連絡が行くし、その後に待ち構える那月の説教フルコースが手ぐすね引いて待っている事だろう。今学校のセキリュティはモグワイに掌握されている以上、ここでアスタルテが口を噤めば不法侵入が発覚する心配は限りなく少なくなるのだ。

 頭を下げた状態で、浅葱はアスタルテの様子を盗み見た。表情が変化してるようには見えないが、ほんの僅か下がった眉から困ったような印象を受ける。

 その僅かな変化をチャンスと考えた浅葱は、畳みかけるように言葉を重ねた。

 

「ただ黙っててもらえれば、それだけでいいから! 後で必ず埋め合わせはするし、次からはこんなことしないって……」

「ミス藍羽、顔を上げてゆっくりとこちらへ来てください」

 

 浅葱の言葉を、静かなアスタルテの声が遮った。どこか冷たい声に思わず浅葱は顔を上げ、人工生命体(ホムンクルス)とは思えないほど警戒を露にするアスタルテを視界に映し困惑した。

 

「警告します。あなたは彩海学園所有の土地に侵入しています。ただちに退去してください。指示に従わない場合、実力を以て排除します」

 

 青い目は、浅葱の背後に釘付け状態となっている。恐怖と好奇心に打ち勝てず、浅葱はゆっくりと振り向いてしまった。

 

「ミス藍羽、見てはいけません」

 

 アスタルテの警告も空しく、浅葱は完全に背後の風景を目に入れてしまった。

 そこには、美しい女性が立っていた。人工生命体(ホムンクルス)にしてもなお美しい、生物としてではなく芸術の一端に足を踏み入れている美の形だ。

 左右対称の絵画のような顔を喜悦に染めながら、人工生命体……スワルニダはゆっくりと口を開いた。

 

「…………ミツケタ」

 

 外見とは程遠いしゃがれ罅割れた声に、浅葱は反射的に半歩身を引く。裂けたような笑みと共に距離を詰める美貌の人工生命体を前に、浅葱はかつて監獄結界の脱獄囚に襲われてから持ち歩くようにしていた警報装置に手を伸ばし、ポケットの中で作動させた。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 モグワイ
 人工島である絃神島を管理する、5基のスーパーコンピューターの化身。
 浅葱の良き相棒であり、妙に人間臭い一面を持つ。
 不細工なぬいぐるみのようなとぼけた外見とは裏腹に、電子情報戦において比肩する存在は少なく、使役する浅葱の技能も相まって電子空間では圧倒的な力を有している。

 施設・組織

 彩海学園
 暁古城たちが通う中高一貫校であり、自由な校風が有名。
 魔族特区の例に漏れず多くの攻魔官が教師として籍を置いているが、何故か島内でも有数の実力者が集まっている。
 そのため、人工島管理公社からの依頼で教員がいなくなることもしばしば。

 種族・分類

 音響結界 サウンドスケープ
 矢瀬基樹が能力を利用して組み上げた一種の探知結界。
 事前に様々なノイズや生活音を分析記憶しておくことにより、効果範囲内に入った人間の行動や異物の探知を迅速に行うことができる。


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8話 作品同士の戦い

 UAが2万を超えました。これも皆様のおかげです。
 これからもよろしくお願いします。


 月明かりに照らされた校庭で、2人の人工生命体(ホムンクルス)が向かい合っている。

 青い髪を持つ人工生命体(ホムンクルス)、アスタルテが口を開いた。

 

「最終警告です、今すぐに学園の敷地内から立ち去ってください。さもなくば、実力を行使します」

 

 人工生命体(ホムンクルス)特有の、感情を感じさせない声音で淡々と告げられた警告に、銀の髪を持つ人工生命体(ホムンクルス)、スワルニダは一切の反応を返さなかった。

 

「目標発見」

 

 美しい顔を歪ませながら、スワルニダは笑みを深くする。その顔が、不自然にズレ(・・)た。

 

「ひいっ!」

 

 浅葱の悲鳴が響くが、この状況で悲鳴を上げないほうが難しいだろう。まさに人形のように整っていたスワルニダの顔、その皮膚がズルリと滑り、水っぽい音とともに地面へと落下したのだ。その下から現れたのは、顔の右半分を覆う醜く焼け爛れた傷跡だ。

 アンドレイドの血を取り込んだスワルニダは、断片的にだが彼の持つ知識と技術を取り入れたのだ。その技術を元に、襲い喰らった女性の肌を利用して傷跡を隠していた。しかし、断片的な知識では所詮顔の表面を覆う程度の応急的補修しかできなかった。大きな表情の変化に耐えられず、犠牲者の肌は剥離したのだ。

 感性の面ではただの女子高生とそう変わらない浅葱はもちろんのこと、那月の補助としてある程度の経験を積んだアスタルテも、眼前の光景には思わず硬直してしまう。それが、致命的な隙となってしまった。

 

「目標の停止を確認。執行せよ(エクスキュート)――」

 

 スワルニダの左腕が、内側から展開し内部機構を露出した。収納されていた銃口を目視したアスタルテは、即座に回避行動へと移る。

 これがただの銃であれば、もしくは相手が純粋な生き物であればアスタルテの回避行動は成功していただろう。だが、相手は機械の演算能力を付与された改造人工生命体(ホムンクルス)だ。アスタルテの不規則な移動に対して吸い寄せられるように銃口は動き続け、ブレがほとんど存在しない。

 そして、銃口が輝くと同時にアスタルテの左腕が撃ち抜かれた。千切れ飛んだ腕は宙を舞い、しかし一切の血液を噴出させずに地へ落ちる。

 

「アスタルテさん⁉」

 

 浅葱の悲鳴が響く中、アスタルテは呻き声すらあげずに着地した。片腕が無い状態のためわずかにふらつくが、それもすぐに修正し傷をかばう立ち方で警戒を高める。傷口からは一滴の血も流れていないとはいえ、もはや長時間の激しい運動は不可能だろう。

 

「ミス藍羽、逃走を推奨します。

 執行せよ(エクスキュート)、〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟」

 

 浅葱に僅かに視線を投げかけ、アスタルテは眷獣を身に纏った。魔力で作られた半透明の巨体が、アスタルテを取り込むようにして世界へ顕現する。眷獣寄生型人工生命体(ホムンクルス)であるアスタルテの切り札が召喚されたにもかかわらず、スワルニダは撃ち抜かれ地に落ちたアスタルテの腕を凝視していた。足元に転がる左腕を掴み上げ、無造作に頭部へと突き刺す。

 絶句する浅葱とは対照的に、アスタルテは警戒を崩さない。

 まるで沼に沈むように腕は頭部へと消え、スワルニダは解析処理補助のために得た情報を口に出す。

 

「解析、予想通り魔力の流れを検知。本体を取り込むことにより、流入先のすり替えは十分に可能であると判断可能。

 これより接収を……異物確認」

 

 流れるように分析結果を読み上げていたスワルニダだったが、突然その口が止まる。

 

人工生命体(ホムンクルス)の血液とは決定的に異なる成分を確認。既存の薬物を遥かに超える再生力と延命性を付与する効果を確認。濃度不足のため正確性に欠けるものの、未知の異能付与効果を確認」

 

 濁流のように分析結果を垂れ流すスワルニダを、アスタルテはホムンクルスとしては強い感情の籠もった瞳で睨みつけた。人間であれば、激高しているに等しい感情の爆発だ。

 

「警告します。あなたの取り込んだ、私の腕に含まれていた内蔵成分を排出し返却してください。それは、私があの人から与えられたものです」

「濃度と総量を高めるため、吸収を実行」

 

 アスタルテの勧告を無視し、スワルニダは眷獣を纏ったアスタルテへ襲いかかった。

 

「実力を行使します。

 ミス藍羽、逃走を推奨」

 

 〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟の剛腕が唸り、スワルニダを打ちのめさんと迫る。しかし、銀髪の人工生命体(ホムンクルス)はその動きがわかっていたかのように軽々と回避した。

 

「対象の危険性の増大を確認。兵器使用を解禁。

 執行せよ(エクスキュート)――」

 

 アスタルテから距離を取り、スワルニダは左腕の兵装を完全に露出した。おもちゃのような質感の筒は、ともすれば緊張感や危機感を取り除いてしまいそうな外見だ。しかし、その兵装が脆弱な人工生命体(ホムンクルス)とはいえ人の腕をたやすく切断した場面を見た後では、そのギャップが逆に恐ろしく感じる。

 巨大な人工眷獣に向けられた銃口から、光が迸った。先ほどアスタルテの腕を切り落とした攻撃の正体は、高威力のビームだったのだ。

 一瞬で着弾した光線に〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟がよろめいた。いや、正確には眷獣を操るアスタルテが揺らいだのだ。

 その身に刻まれた神格振動波駆動術式(DOE)により、魔術に対して鉄壁とも呼べる頑強性を誇る〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟の防御が一切発動しなかった。つまり、その攻撃の正体は決まっている。

 

「光学兵器ですって⁉ あんな小型で高威力な代物、どこの国も研究段階のはず!」

 

 浅葱の叫び通り、放たれた光線に魔術的な技術は一切使われていない。物理的な攻撃すらもほとんど意味を成さない眷獣だが、それが光の塊であるというのならば話は変わってくる。

 〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟は、あくまでも宿主であるアスタルテの命令で動いている。そのためにも、アスタルテの視界は最低限確保されていなければならない。眷獣を纏うようにして召喚する性質上、視界を確保するために〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟の体は光を透過するのだ。

 眷獣は物理的な光学兵器に対して大した痛撃を受けないだろう。しかし、中にいるアスタルテは別だ。確保された視界を強い光に埋め尽くされれば、それだけで視覚は潰される。肉体にダメージが入るほどの光は遮断されるだろうが、精神的な疲労は大きい。ただでさえ眷獣の召還時間が短いアスタルテにとって、精神的な負担はただの攻撃以上に脅威となるのだ。

 光線が発射されるたびにアスタルテは動きを鈍らせ、その隙を突いてスワルニダは眷獣の懐に飛び込もうとする。今はアスタルテが何とか対応しているが、このまま精神が摩耗すればいずれ懐まで踏み込まれるのか眷獣を維持できなくなるか、2つに1つだ。

 どちらも他に意識を回す余裕がないために放置されていた浅葱は、縋り付くように携帯端末へと呼びかけた。

 

「モグワイ、お願い力を貸して! このままじゃアスタルテさんが、アスタルテさんが!」

『落ち着きな、嬢ちゃん』

 

 取り乱す浅葱とは対照的に、モグワイの声はひどく冷静だった。

 

「落ち着けって、あんた状況わかってるの⁉ このままじゃアスタルテさんが殺されて、私もお陀仏なのよ⁉」

『何とかするためのプログラムが今送られてきたんだ。塔守からな』

「塔守って……バビル2世の協力者よね。なんで今の状況が?」

 

 モグワイが告げた予想外の名に、思わずといった形で浅葱が冷静さを取り戻す。

 

『さあな。しかし恐ろしいもんだぜこれは。悪用なんかしようものなら俺は消されるな」

「ちょっとモグワイ、何する気なのよ」

『まあ気にしなさんな。

 さて嬢ちゃん、いいというまで目をつぶっててくれ』

「はぁ? この状況下で目をつぶれって、あんたね」

『いいから。間に合わなくなるぜ』

 

 納得はしていないものの、今の状況でモグワイが無駄なことをいうとも思えなかった浅葱はおとなしく目を瞑った。暗闇の世界で戦闘音だけが響き続けているが、突然瞼越しですらはっきりと感じ取れるほどの強烈な光が一瞬生まれ、すぐに消え去る。

 

『今だ嬢ちゃん! 人工生命体(ホムンクルス)の子を連れて校舎まで走れ!』

 

 響くモグワイの声に従って浅葱が目を開けると、先ほどまで激戦を繰り広げていたはずの人工生命体(ホムンクルス)二人が瞳を抑え悶え苦しんでいた。

 このチャンスを見逃す浅葱ではなく、片腕が無いアスタルテを抱え上げると一目散に校舎へと走り出す。

 

『校庭の照明塔を利用した即席の照明攻撃さ。いかしてるだろ?』

「あ、あんたにしては穏便な方法じゃない。で、でも、これからどうするのよ? あ、あの人工生命体(ホムンクルス)から、逃げ切れるとは、思えないんだけど?」

 

 校舎内へと逃げ込んだ浅葱は、アスタルテを床に下ろし息を切らせながらモグワイへと疑問をぶつける。

 

『その工作を今からするのさ。さて嬢ちゃん、絶対に窓の外を見るなよ』

 

 モグワイの声と同時に、校庭から不規則な明滅が校内へと差し込み始めた。非常に短い間隔でチカチカと照明塔に備え付けられたライト1つ1つが明滅し、奇妙な光景を作り上げている。

 その光景を校庭で直視しているスワルニダに、明らかな異変が発生した。先ほどまでの戦闘で見せていた荒々しさが一切消え、体を動かすことすらつらそうにしている。

 その光景を見ていない浅葱にも、異変が起きていた。

 

「なに、これ……気持ち、悪いわね……」

「ミス藍羽、こちらへ。この光は人が見ていいものではありません」

 

 体力をわずかに回復したアスタルテが器用に片腕で浅葱を引き起こし、できる限り明かりを見ないようにして校庭から離れた教室まで肩を貸して先導した。

 

『すまないな嬢ちゃん。まさかこれほど強い影響があるとは思ってなかったぜ』

 

 珍しく素直に謝罪するモグワイ。もともと怒る気もなかった浅葱だったが、その珍しい態度に思わず微笑みが浮かんだ。

 

「いいのよモグワイ。目的だったあの殺人人形も足止めできてるみたいだし、私の体調も回復してきたしね。

 アスタルテさん、腕は……」

「腕に関しては、私の塩基配列を南宮教官が保存しているので治療可能です。

 ミス藍羽、今のうちに校内からの脱出を推奨します」

 

 治るとはいえ、片腕の欠損を何でもないことのように言及するアスタルテに浅葱は背筋を寒くしながら、その後の言葉に首を傾げた。

 

「いつまでも拘束するのは難しいかもしれないけど、あのライトで結構な時間が稼げるんじゃないの? 影を見た私であれだけ苦しかったんだから、直接見てるあの殺人人形はまともに動けないでしょ」

「回答します。私はある人の影響で動くことができました。彼女も私の腕から彼の因子を取り込んだ以上、いつ動けるようになっても不思議はありません」

 

 アスタルテの悲観的予想を裏付けるように、照明塔の1つが轟音と共に崩壊した。思わず窓の外に視線を向けようとした浅葱をアスタルテが強引に引き留め、代わりに校庭を覗く。

 

「想定を上回る移動可能速度を確認。照明塔が破壊される予想時間、4分です。ミス藍羽、私が妨害している間にできる限り遠くへ。

 執行せよ(エクスキュート)、〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟」

 

 浅葱の反応を待たずに、アスタルテは再度眷獣を纏い明滅が続く校庭へと跳び込んだ。

 

『嬢ちゃん、あの人工生命体(ホムンクルス)の子の言うとおりだぜ?

 今ここで嬢ちゃんがいてできることはない。早く逃げたほうがいい』

「そう、だけど……!」

 

 浅葱も、頭では理解しているのだ。明滅を見ないようにしてこの場から一刻も早く立ち去ることが最善であり、今の自分はただの足手まといだと。

 しかし、浅葱がここまでこの場に拘るのにも理由はある。スワルニダと遭遇したとき、反射的に起動させた装置をポケットから引き出した。

 

「いつまで待たせるのよ……。早くしないと、本当にアスタルテさんが!」

 

 協力の対価として受け取った、緊急招集の発信機を睨みつけながら、浅葱は祈ることしかできなかった。

 最強の援軍は、未だ到着しない。

 

 

 

 不規則な照明の明滅が照らし出す校庭で、アスタルテとスワルニダは正面から向かい合っていた。方や物理魔術共に高い耐性を持つ眷獣を身に纏い、方や照明の明滅を見ながら頭を抑えている。

 その点だけ見れば、両者の間で戦いができるとすら思えないだろう。しかし、スワルニダの左腕に仕込まれた光学兵器と、改造され埋め込まれた高い演算能力を考えればこれで対等と呼べる戦力となるのだ。

 警告の段階はすでに過ぎ去っている。言葉すら発することなく、アスタルテがスワルニダへと襲いかかった。巨躯を誇る〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟の豪腕が唸りを上げスワルニダへ迫る。

 それをただ受けるほど、銀髪の人工生命体(ホムンクルス)は容易い相手ではない。明滅の中うまく動かない体を強引に動かし、足りない移動距離を稼ぐため胴に仕込まれた火器を打ち放ち反動で無理やり眷獣の制空権を抜け出す。わずかに間合いが開いた隙を突き、左腕の銃口が数度輝いた。

 追撃を行おうとしていたアスタルテは眷獣越しの強い光に怯んでしまい、さらに1本の照明灯が崩れ落ちる。

 

「予想的中。負荷軽減効果が見込まれたため、引き続き照明灯破壊を実行」

「公的設備に対しての破壊活動を確認。迅速に対処開始」

 

 光束で照明灯を破壊したスワルニダ目掛けアスタルテは再び眷獣で攻撃するが、今度はスワルニダが独力での回避に成功した。明らかに、身体能力の制限が軽くなっている。

 追撃を続けるアスタルテだったが、不意に眷獣の姿が揺らぎ、かき消すように消滅した。長時間の眷獣運用の負荷に加え、ここに来てスワルニダの光学兵器が与えてきた精神的負荷が吹き出してきたのだ。

 声も挙げられずに蹲るアスタルテを一旦脅威から外し、スワルニダは光をばら撒いて全ての照明灯を破壊した。大質量が崩れ落ちる音の中、妨害の光を消したスワルニダは静かにアスタルテの隣へ寄り添うように近づく。

 

「目標の無力化を確認。同化を開始します」

 

 アスタルテの目の前で、スワルニダの輪郭が崩れ落ちた。巨大な肉の塊と化したそれは、彼女が今まで多くの人間を喰らい取り込んできた動かぬ証拠であり、悪意無いままに犯してきた罪の象徴と呼べる醜悪な姿だ。

 巨体に相応しいゆっくりとした動きで、スワルニダはアスタルテへと肉塊の一部を近づける。アスタルテの青い瞳に諦めの色が浮かび、次の瞬間アスタルテへ伸ばされていた肉塊の全てが一瞬で弾き飛ばされた。

 

「すまないアスタルテ、遅くなった」

 

 アスタルテを庇うように、戦闘服に身を包んだ浩一が立っていた。同時に手足にはめた武神具が展開し、いつでもその効果を発揮できるよう備えている。

 距離を取り肉塊を圧縮し始めたスワルニダに向かい、浩一は定型としてCカードを突き付けた。

 

「国家攻魔官の山野浩一だ。アンドレイドの作品スワルニダ、主であるアンドレイドの殺害容疑、加えて人工生命体(ホムンクルス)殺害未遂及び殺傷、並びに器物破損の現行犯で捕縛する。おとなしくしたほうが身のためだぞ」

 

 規則として口を動かしているものの、眼前の改造人工生命体(ホムンクルス)がおとなしく従うと考えるほど浩一は間抜けではない。同時に、おとなしく縛につくほどスワルニダの妄執は浅いものではない。

 深夜の彩海学園校庭で、戦いの第2幕が始まろうとしていた。



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9話 発露する変化

 突然の乱入者に、スワルニダは距離をとって警戒態勢に入った。自らの肉体が弾き飛ばされるまで一切の気配を感じさせず、吸収を目的とした肉塊を弾いたにも関わらずなんの損傷も見受けられない新しい脅威。スワルニダの改造された脳内では、大量の情報が飛び交い現在の状況を分析している。

 距離が空き僅かな余裕ができた浩一は、蹲るアスタルテの失った腕を見て絶句していた。もちろん報告にはあったし送られてきた画像も移動しながら確認はしていたが、やはり直に目の前にするのとでは衝撃の度合いが違う。

 

「アスタルテ、その腕は……」

「ミス藍羽にも問われましたが、南宮教官が私の塩基配列を保管しているため、修復は容易です」

 

 表情を動かさないアスタルテだが、どこか陰りのある声だということを浩一は聞き逃さなかった。今の彼女に戦いができるとは思えない。浩一の判断は早かった。

 

「とりあえず校舎に向かって、藍羽さんの保護をしていてくれ。ここは任せろ」

 

 一見無愛想に告げられた言葉の裏にある気遣いをくみ取れないほど、アスタルテは鈍感ではない。

 

「……命令受諾(アクセプト)

 

 移動できる程度には回復したのかよろよろと校舎に向かうアスタルテを庇い、浩一はスワルニダへと向き直った。

 

「データ更新を終了。目標の確保、及び吸収を再開」

 

 沈黙を保っていたスワルニダも、感情のない瞳に浩一を映す。撤退するアスタルテを取り込むためにも、眼前の敵を排除する必要があると判断したのだろう。一度屋上で交戦したデータから、浩一が並々ならぬ実力者であることを銀髪の改造人工生命体(ホムンクルス)は把握している。

 アスタルテの危機に間に合った浩一と、今まさに目的を達成しようとしていたスワルニダの睨み合いは、極々一瞬のことだった。

 浩一は守るため、スワルニダは喰らうために互いを障害と見なし、正面から排除にかかったのだ。

 

執行せよ(エクスキュート)――」

 

 動き出しこそほとんど同時だったが、スワルニダの武器は文字通りの光速だ。左腕が突き出され、放たれた殺人光線が浩一へと迫る。直撃すれば、人間などひとたまりもない。

 

「〝十式保護術式展開具足(パリレンクライス)〟」

 

 だが、バビル2世は山野浩一に変装した状態であろうとも世界的に有数の実力者なのだ。たとえ光速といえども、知っていれば対策はできる。ロプロスのカメラアイが捉えた映像を移動中に検分していた浩一は、左腕を向けられた瞬間に武神具を発動、致死の一撃を弾き飛ばしたのだ。

 そして、映像を見た瞬間から浩一が抱き続けていた疑念は、眼前で実物を見たことでそれが正しいものであると確信を抱かせた。

 

「まさかとは思っていたが、この威力に銃口内の発光装置……。奴らの兵器を取り込んだのか」

 

 バビル2世が持つ動体視力は、変装時でも問題なくその恩恵を浩一へともたらす。彼の目が捉えたのは、スワルニダが構える光学兵器の銃口、その最奥に備えられた発光装置の形状だ。

 まるで目玉を思わせる不気味なデザインのそれを、かつてバビル2世は見たことがあった。ヨミが秘密裏に制圧した、仮にF市と呼称される日本の地方都市において、防衛のために繰り出されたロボット兵器の一部分だ。

 

「サントスの破壊光線発生装置とはな。

 小型化の影響かは知らないが、威力が低下しているのは幸いか」

 

 万が一にも聞き取られないよう口の中で言葉を転がし、浩一は両手足の武神具を起動させた。兵器の常識に違わず、光学兵器にも長所と短所がある、その短所を突くためだ。

 無言で走り出した浩一を訝しげな瞳で捉え、スワルニダは左腕だけではなく全身から遠距離攻撃可能な武装を迫り出した。

 

「目標の急送接近を確認……迎撃開始。

 執行せよ(エクスキュート)――」

 

 人間ならば鼻で笑ったかもしれないが、機械的思考のスワルニダは淡々と迎撃のために思考で引き金を引いた。

 実弾兵器の尽くが強力な結界に弾き飛ばされその意味を失うが、浩一の姿が見えているということは光は通っているということだ。本質が光である以上、光学兵器は減衰こそすれ受け止められるわけではない。大した妨害も受けないまま、スワルニダが放ったレーザーは進路を進み、何も存在しない空へと消えていった。

 

「……?

 異常発生、原因を調査」

 

 即座にスワルニダは眼球の光学センサーを起動し、突っ込んでくる浩一の周囲をスキャンする。

 

「空間に多層の結界を感知。誤差修正」

「残念だが、その時間はない」

 

 呪術の強化で身体能力を跳ね上げた浩一の刈り取るような脚撃が、スワルニダの左足へと直撃した。スワルニダは腕を使って跳ねるような動きで距離を取り転倒を防いだが、左足は無残に歪んでいる。もしも体重をかければ、それだけで耐え切れずに折れるだろう。

 

「降伏しろスワルニダ、その足ではもう逃げられないぞ」

「拒否。降伏する必要性無し」

 

 折れた足が突然引き込まれるようにして体内へと収納され、即座に無傷の足が生え変わった。その光景に思わず目を剥く浩一だったが、アスタルテを吸収しようとしていた形態を思い出す。

 

「なるほど、圧縮した体内で代替品と取り換えたのか。考えるものだ」

 

 感心したような物言いになったが、これは浩一にとって不利な案件だ。どれだけ代替部品があるのかわからない浩一にとって、短期での決着が難しくなったことを意味しているのだから。守る立場である浩一からすれば、戦いが長引いても利点は無い。

 

「交換修理完了。戦闘行動を続行」

 

 新しい脚の調子を確かめもせず、スワルニダは浩一へと射撃を再開した。高威力の実弾兵装が浩一の周囲に着弾し、結界を揺さぶり浩一の行動を狭める。その隙を突いたレーザーが多層の結界の歪みを利用して浩一へと迫るが、浩一はそれを慌てもせずに武神具で防ぐ。

 弾幕の途切れを狙って浩一が距離を詰めようと駆け出すが、スワルニダは一定の距離を保ち巧みに射撃を続け浩一を寄せ付けない。

 2者の戦いは、膠着状態に陥り始めた。

 

 

 

 浩一とスワルニダが交戦を初めてすぐ、アスタルテは校舎の陰で様子を窺っていた浅葱と合流することに成功していた。

 

「アスタルテさん、大丈夫なの⁉」

「ごく短時間ならば、眷獣を使用した戦闘も可能であると回答します。貴女の護衛は難しいかもしれませんが、身体能力を考慮すれば貴女が逃げ切る間程度の囮は務まると推察します」

 

 自分の気持ちをよそに、淡々と役割だけを考えて物事を話すアスタルテに対し、浅葱の我慢が限界に達した。

 

「あのね、さっきから聞いてればなんでそう自分を犠牲に物事を進めようとするの! もっと自分を大切にしなさいよ!」

「私は人工生命体(ホムンクルス)です。人のために行動し、その度々に最善の行動を模索し実行することが重要であると回答します」

「それであなたが死んじゃったら意味がないじゃない! 貴女が傷ついたり死んじゃったりしたら、悲しむ人がいるじゃない!

 さっきの浩一さんの顔見たでしょ? 那月ちゃんだって絶対に悲しむわよ⁉」

 

 自らが慕う2人の名を出され、アスタルテは目を見開いた。

 

「それとも何? あなたの知ってる2人は、知り合いが腕を切られても、ましてや死んでも平気な顔してる薄情者だって言うつもりなの⁉」

「否定します。

 ミス藍羽……間違いに気が付かせていただき、ありがとうございます」

「わ、分かればいいのよ。もう!」

 

 素直に頭を下げるアスタルテに、浅葱はどこか照れ臭そうだ。激情のままに口を動かしていたため、思い返すとなかなかに恥ずかしいことを言っていたと気付いたからだろう。

 

「とにかく! あの人工生命体(ホムンクルス)かなりやばそうだったけど、浩一さんは大丈夫なの?」

「おそらく問題はないと推測します。戦闘は膠着状態に入りましたが、改造人工生命体(ホムンクルス)が攻撃のたびに多量の弾薬を消費しています。対して山野攻魔官は結界を発生させ体術で攻撃をさばき続けているため、このまま続けば山野攻魔官の体力が切れる前に改造人工生命体(ホムンクルス)の攻撃手段が枯渇すると予想できます。しかし……」

「しかし、何?」

 

 浅葱に促され、口ごもっていたアスタルテは予想の続きを話し始めた。

 

「あの改造人工生命体(ホムンクルス)は内部空間を魔術的に圧縮していました。どれだけの弾薬を保存しているかわからない以上、いつ攻撃手段が枯渇するのか予想ができません。

 さらに、今のままならば山野攻魔官は問題なく行動できるでしょう。しかし、相手がどのような手を隠し持っているかわからない以上、常に危険はあるものと考えられます」

「……つまり、さっきのは私を安心させるための希望的観測で、本当はけっこう危ないかもしれないってこと?」

「……肯定」

 

 慌てた浅葱は、思わず窓から戦場と化した校庭を覗き込んだ。彼女の目では月明かりの元行われている戦闘を分析することはできないが、それでも見ずにはいられなかったのだ。

 距離を保たれたまま一方的に銃撃に晒され続ける浩一の様子は、彼女からすれば今にもやられてしまいそうに移り焦りが増幅された。

 

「このままあの人がやられるのを見てるわけにはいかないわね。

 モグワイ、力を貸しなさい!」

『力を貸せって言われてもな。嬢ちゃん、俺が操れる電子機器は精々あの照明塔くらいで、それももう全部ぶっ壊されちまったんだぜ? 何しろってんだ?』

「うろ覚えのまま行動したくないから、知恵を貸せって言ってるのよ!

 アスタルテさんも、一緒に作戦会議!」

「ミス藍羽、落ち着くことを推奨します」

「いいから、ほらこっち来る! 学校の備品に何があるかとか、知ってるでしょう?」

 

 困惑するアスタルテへ向けられた笑みは、自信に溢れた強者の笑みだ。アスタルテはそんな浅葱に那月の笑みを幻視し、一度頷き浅葱の質問に答え始めた。

 

 

 

 銀髪の改造人工生命体(ホムンクルス)が銃を乱射し、戦闘服を着た攻魔官がそれをかいくぐって接近を試みる。膠着状態となったスワルニダと浩一の戦闘は、その繰り返しだった。攻撃の全てを防ぐ浩一と、体内の異常空間から大量の弾薬を装填し続け弾切れを一切予兆させないスワルニダ。しかし、その天秤は僅かずつではあるが浩一へと傾き始めていた。

 

「右金属杭投射銃(ニードルガン)破損、三連散弾銃へ換装」

 

 浩一の投げた照明塔の残骸が、また1つスワルニダの武器を砕いた。即座に新しい銃器へと換装されるが、既にこの行為は数回繰り返されており、浩一がスワルニダの攻撃にかなり慣れてきているということがわかる。とはいえ、徐々に浩一が有利になりつつあるというだけであり、決定的な勝利に至るまでにはまだ一手足りないのだ。

 

「破壊光線発生装置の連射を今まで一切してこない以上、連射しないではなくできないと考えるべきか。さて、どう攻め切るべきかな」

 

 浩一にとって大きな有利点が、スワルニダが殺人光線を連射してこない点である。もし仮に連射されていた場合、敗北こそしないが勝負はもっと拮抗したものになっていただろう。

 浩一は知る由もないが、サントスの破壊光線発生装置には莫大なエネルギーが必要とされている。スワルニダが扱えるエネルギーでは十全の起動はできず、最低限の威力で扱っているのが現状だ。

 さらに、この装置を動かすだけでも高い演算能力が必要となる。結界の存在から唯一浩一への有効打となる光学兵器を起動させないわけにはいかず、それ故にスワルニダは他の部分にほとんどエネルギーを割けない。

 それを補うための弾幕であり、実際浩一は結界の維持に集中力を少なからず使うために現在の均衡は保たれているのだ。

 

「経路変更、爆雷放出」

 

 スワルニダの右足が展開し、蹴りと共に大量の榴弾がばら撒かれた。爆炎と巻き上げられた土煙で視界が遮られ、浩一の行動を一時的に阻害する。そのわずかな行動疎阻害の間に、スワルニダの胴体部分から巨大な砲塔が姿を現した。

 現状彼女が動かせる最大の切り札を、機械演算特有の精密性で撃ち放つ。

 

「なにっ⁉」

 

 砲塔のサイズに相応しい巨大な弾丸が、浩一の結界すぐ傍の地面に着弾した。轟音と共にグラウンドごと構造体が吹き飛び、引き起こされた崩落は浩一の足下にまで及んだ。

 浩一が操る〝十式保護術式展開具足(パリレンクライス)〟の結界は、あくまでも使用者を保護するためのものだ。至近距離の地面に着弾した大質量の砲弾を受け止める機能があるはずもなく、その衝撃と引き起こされる崩落はスワルニダの狙い通り浩一の動きを完全に止めることに成功した。

 数秒あれば浩一は体勢を立て直し、崩落からも脱出するだろう。しかし、光の攻撃速度を持つスワルニダにとってはその数秒があれば十分だ。

 

執行せよ(エクスキュート)――」

 

 癖となっている発言と共にスワルニダの左腕が狙いを定め、視界の端に移った飛来物を右腕の散弾銃で撃ちぬいた。瞬時に粉砕された物体の中から、大量の液体がぶちまかれる。

 

「アスタルテさん、ナイス!」

 

 飛来物の予測軌跡線上には、ガッツポーズを決めた浅葱と眷獣の腕だけを顕現したアスタルテが、校舎の陰からスワルニダへと再び液体タンクの投擲準備に入っていた。予定よりもわずかに遅れて発射した光線は、浩一に体勢を崩しながらも回避されている。

 

「妨害行為を検知。制圧を開始。

 投射液体の成分分析終了。人工生命体(ホムンクルス)用の培養液と判明」

 

 ばら撒かれた液体はスワルニダをずぶ濡れにしたが、人工生命体(ホムンクルス)である彼女にとってその液体は無害なものだ。体勢を崩した浩一へ銃撃を加えつつ、再び投げられた液体タンクを近接用の山刀(マチェット)で両断する。再びぶちまけられた培養液が地面の広範囲を濡らすが、この程度でスワルニダの歩みを止めることはできない。そんなことは浅葱も承知の上だ。

 

「モグワイ、やっちゃいなさい!」

 

 こちらを脅威と認識せず、ただ歩をすすめるスワルニダを見て、浅葱は笑みを深くした。

 しかし、その笑みはモグワイの焦ったような声を聞き消え失せてしまう。

 

『まずいぜ嬢ちゃん、もう電源を入れたのに感電してる様子がない! 培養液が届いてないんだ!』

 

 改造された聴力でモグワイの声を聞いたスワルニダは、浅葱の作戦を即座に理解した。

 人工生命体(ホムンクルス)用の培養液は、主成分としてグリコールエーテルを含んでいる。それが持つ高い通電性を利用してスワルニダの動きを止め、浩一のための隙を作ろうと考えたのだ。しかし、その目論見は崩れ去った。培養液の量が足りず、モグワイが照明塔残骸に通電しても電気が流れることはなかったのだ。

 浅葱を危険因子と認識したスワルニダが、培養液から逃れるために跳躍の姿勢に入る。数秒すればスワルニダは安全券へ離脱し、浅葱たちへと容赦のない銃撃を加えるだろう。それだけの時間があれば浩一が割って入り攻撃を遮断できるが、そうなればもう浩一は動けない。雨霰と放たれる弾丸とレーザーから、浅葱とアスタルテを守り続けなければならないのだ。

 そうなれば、いかに浩一と言っても不覚を取りかねないだろう。それだけは許せないと、アスタルテは自分でも不思議なほど感情を高ぶらせた。

 直後の変化に、気づいたものは誰もいなかった。スワルニダは回避に精神を傾け、浅葱はアスタルテの背後であり、浩一とロデムはスワルニダを注視していた。上空のロプロスですら、角度の問題から見落としていたのだ。

 変化は幻想的ですらあった。アスタルテの瞳が、熱を抱いたかのようにその色を変じさせたのだ。目が覚めるような青から、透きとおるような赤へと。

 そして、その変化と同時に照明塔の残骸が蠢き、コンクリート片を突き破るような勢いで電線が飛び出した。明らかに自然の動きではないそれば、モグワイが通電した状態のままにスワルニダ付近の培養液へと突き立った。

 まさに跳躍しようとした瞬間、スワルニダの全身を電流が蹂躙した。人間ならば即死してもおかしくないそれに反応し、スワルニダの全身が激しく痙攣する。

 改造人工生命体(ホムンクルス)であるスワルニダならば、1秒に満たない時間で内部機構が電流を遮断し、ダメージはあるにしろその場からの離脱ができる。しかし、その僅かな隙を見逃すほど、国家攻魔官は甘い相手ではない。

 裂帛の気合と共に繰り出された浩一の蹴りが、スワルニダをついに捉えた。展開していた巨砲を圧し折り、足先は深く胴体へと突き刺さっている。

 

「ああああああああああっ!」

 

 あまりの勢いに2度3度と地面を転がり、やっと立ち上がったスワルニダは怒りとも苦痛に耐えるともとれる咆哮と共に、自らの両腕を山刀(マチェット)で引き裂き鮮血を辺りに振りまき始める。

 突然の奇行に身構える浩一の前で、スワルニダは血煙とともにかき消すようにその姿を消失させた。

 

「やられた、血液を媒介に空間転移したのか」

 

 空間を使った移動は、同じ空間系の魔術を扱う者でもなければ追跡は不可能だ。

 不気味なまでに静まり返った校庭が、戦いの終わりを示していた。

 しかし浩一の、いや、バビル2世の表情は晴れない。その目線は、疲れ果て気絶したアスタルテへと向けられていた。

 勝利の大きな要因となったスワルニダの感電。浅葱はバビル2世が念動力(テレキネシス)で電線を操ったと思っているようだが、あの時バビル2世は一切の能力を使用していない。

 ならば、あの場でそのような芸当ができる可能性を持つ者は2人。バビルの血を取り込んだ人工生命体(ホムンクルス)たちだけだ。

 取り込んだ量の少なさに加え、摂取してから短時間しか経過しておらず、自分に不利な現象を起こすわけがないことからスワルニダではない。

 ならば、より多量の血を取り込み、馴染むまでの時間が十分にあった者としか考えられない。

 

「この件が片付き次第、調べる必要があるな」

 

 浩一の外見のまま、バビル2世はアスタルテを調べる段取りを考え始めた。

 地面であどけない寝顔を浮かべたアスタルテの目の色は、閉じられた瞼に遮られ窺うことはできない。

 

 

 

 急ぎ浅葱を帰らせた浩一は、その場で矢瀬を呼び出した。おっとり刀で駆けつけた矢瀬だったが、あまりの惨状に思わず立ち止まる。

 

「で、戦闘の結果がこの惨状ですか」

 

 矢瀬が引きつった表情を浮かべるが、仕方のないことだろう。頼みであった古馴染みの少女は五体満足で帰路に着くことができたが、まさか変装しているとはいえバビル2世がここまで苦戦するとは予想していなかったのだ。そのため被害はもっと少ないと見積もっていたのだが、現実は照明塔全損の上に校舎に多数の弾痕、挙げ句のはてに校庭には大穴が空いている。

 

「さて、朝に部活動の生徒がやってくるまでに、これをどうにかごまかす必要があるんだ」

 

 言外に対応を任せると伝えられた矢瀬が、膝から崩れ落ちた。

 

「校庭やら校舎はわかりますが、なんで照明塔が全滅してるんですか……? そもそも、消失した体育館もまだ修繕が終わってないんですよ……?」

「スワルニダ……ああ、今回はっきりした失踪事件の犯人だが、彼女を止めるためにモグワイを通じて塔にある警備装置の1つ、催眠ライトのパターンを一部送ったのさ。

 足止めできるかと思ったんだが、抵抗されてこのざまだ」

 

 あっけらかんと告げるバビル2世に対し、矢瀬は裏切られたような表情を浮かべた。さすがのバビル2世にも罪悪感が生まれる。

 

「あー……できる限り手伝うさ」

 

 浩一のなんの慰めにもならない言葉を聞きながら、矢瀬は脳を高速で回転させはじめた。秘密を守れる業者、カバーストーリーの設定、付近の住民への説明。その中には、浩一を利用したものも多大に含まれている。手伝うと言われた以上、最大限に手伝ってもらうつもりだ。

 ギラついた目の矢瀬を見ながら、浩一はどうやってこの苦労人を労るか考えを巡らせ始めた。




 バビル2世 用語集

 種族・分類

 サントス
 かつてヨミが造り上げた戦闘ロボット。
 巨大な目玉を思わせる頭部に、つるりとした胴体と細い手足で構成される。
 装甲はバズーカ砲を無傷で受けるほどに強固であり、頭部の目玉状の装置から発される光線は一撃で戦車すら爆破炎上させるほどの破壊力を持つ。
 最も恐ろしいのは量産機という点であり、数十機が生産されバビル2世を多いに苦しめた。

 催眠ライト さいみんらいと 
 バベルの塔に備えられた警備システムの一種であり、後にヨミも運用するようになった装置。
 特殊な明滅を繰り返す無数のライトの集合体であり、その発光パターンで人間を幻惑し催眠状態に陥れる。
 バビルの血をひく者か、サングラスなどで光量を押さえない限り抵抗できる者はいなかった。

 用語

 F市 えふし
 バビル2世でヨミが秘密裏に占領した地方都市。
 ヨミの手によって完全に要塞化されており、バビル2世も自衛隊の手を借りなければ攻略不可能なほどの戦闘区域と化していた。

 念動力 サイコキネシス
 バビル2世の超能力の1つ。
 バビル2世原作では大量の瓦礫や石を一斉に巻き上げ、嵐のようにヨミへ叩きつける戦法が印象に残る。
 人間を持ち上げて操ることもできるが、一定以上の実力者相手ではあまり意味を成さないため使用回数は少ない。


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10話 いざ目的の地へ

 日曜日の朝。モノレールに揺られながら、暁凪沙は3人の同行者へとマシンガンのように言葉をぶつけていた。

 

「でも本当に驚いちゃったよ、昨日チアの練習しに行ったら校庭が封鎖されてるんですもん。隕石の落下とそれが起こしたガス爆発で大穴空いてたし、照明塔も全滅してたんだよ?

 あれ月曜日までに直るのかな? もしも直らなかったら体育の授業遅れちゃうけどどうするんでしょう? 浩一さんはそういった話とか聞いてないんですか?」

 

 言葉の奔流に呑まれていた浩一は、なんとか与えられた息継ぎの時間にやっと一息ついていた。

 

 「あ、ああ、私も休みの間におきたことだからね。申し訳ないけど、詳しい話はあまり聞いてないんだよ。

 それに立場上守秘義務もある。あまり話は漏らせないな」

 

 表情を引つらせる浩一を見て、妹の暴走を止めるべく古城が割って入った。

 

「凪沙、お前そのマシンガントークあんまりするなって言ったろ。

 すいません浩一さん、こいつ気に入った相手に対してはどうもこうで」

「だって雪菜ちゃんだけじゃなくて話題の用務員浩一さんと一緒にお出かけなんだから、話してみたいんだよ」

 

 凪沙の言葉に引っかかりを覚えたのか、いつもの距離感で古城の側に立っていた雪菜が口を開いた。

 

「ちょっと渚沙ちゃん。浩一さんだけじゃなくて、私も何かあるの?」

 

 不思議そうな雪菜に対し、凪沙はやれやれと首をふる。

 

「わかってないなぁ雪菜ちゃんは。

 ファンクラブ会員なら誰でも憧れる雪菜ちゃんとのお買い物に、何故か雪菜ちゃんと親しいと噂の浩一さんが一緒なんだよ?

 これで何もないわけないじゃない!」

「いや、浩一さんは島に来てから仕事詰めで土地勘がまだないから、買い物ついでに案内するだけだって説明したよな?」

 

 冷静な古城のツッコミも、テンションが上がる一方の凪沙には聞こえていないようだ。

 

「で、実際どうなの? 前からの知り合いみたいだけど、仲はいいのかな? それとも、初恋の人だったりして? ちょっとくらい教えてよ雪菜ちゃん!」

「え、ちょっ、落ち着いて……」

 

 暴走する凪沙の質問攻めにあっている雪菜を生贄に、男2人は一時の休息を得た。

 凪沙の意識がそれた隙に、浩一が周囲の乗客にすらバレない精度で呪符を発動する。空気の振動を利用し、声を直接互いの耳に届ける密談用の呪術だ。

 

「知ってはいたけど、ずいぶんと元気な子だね」

「すいません、あんまり話したことがない知り合いと出かけるってことで張り切ってるみたいで。

 ……で、本当なんですか。俺が改造人工生命体(ホムンクルス)に襲われるかもしれないって話」

 

 表情を引き締めた古城を見て、浩一は思考を攻魔官のそれへと切り替えた。

 

「確かだよ。彩海学園で改造人工生命体(ホムンクルス)……スワルニダがアスタルテを襲撃したけど、その目的は彼女を吸収して第四真祖、つまり君との魔力パスを手に入れることだったんだ。アスタルテには南宮攻魔官がついているし、スワルニダが君を直接狙いに来ないとは言い切れない。

 学園の時点で確保できていればこんなことにはならなかった。すまない」

「頭を上げてください!

 浩一さんのせいじゃありませんし、こうして同行してくれてるじゃないですか」

 

 不自然にならないようわずかに頭を下げた浩一に、古城は慌ててフォローを入れた。

 

「そう言ってもらえると助かるよ。教員として、年長者として最低限恥ずかしくない行動をするつもりさ。

 さて凪沙さん、その辺にしてやってくれ。姫柊がそろそろ限界だ」

 

 最低限の情報交換を終え、浩一はいい加減言葉の濁流に溺れそうになっていた雪菜へと助け舟を出した。

 

「あ、ごめんなさい」

「あ、ありがとうございます。

 浩一さん、今日私達と一緒で大丈夫なんですか? 色々と忙しいと聞いていますが」

 

 獅子王機関の人間として、ある程度の事情を知る雪菜が躊躇いがちに問いかけた。彼女は、今日スワルニダ追撃戦が行われることを知っている。その主戦力になるであろう浩一を、護衛のためとはいえ遊びに連れ出しているような現状に不安感を覚えているのだ。

 

「その点は気にしなくていいさ。僕以外でも仕事ができる人間は多いし、学校勤めとして、こうやって生徒が集まる施設を生徒目線で把握するのも立派な仕事だからね」

 

 言外に同行も任務と告げると、雪菜は少し安心したような表情を浮かべる。それを買い物への期待感と捉えた凪沙が、改めて今日の目標を確認しはじめた。

 

「では雪菜ちゃん! 本日の買い物においてなにか準備はしてきたのかな!?」

「え、あ、はい。とりあえず、最近の流行についてのチェックくらいはしてきました」

 

 やたらと元気いっぱいな凪沙に促され、雪菜は鞄から雑誌を取り出す。真新しい衣類紹介雑誌からはみ出す付箋の量から、生真面目に下調べをしてきたということがわかった。

 

「とりあえず、私服が無かったのでそれを買おうと思っています。これとか、少し気になったので」

「へえ、少し見せてくれよ」

 

 雪菜の私服を見たことがない古城は、そんな彼女がどのような服を選んだのか興味本位で雑誌を借り受けた。教え子のセンスを知らない浩一も、好奇心から覗き込む。

 

「この辺りのものは、なかなかよさそうだなと思いまして」

「おっ、ルディダスのニューモデルか。軽くて動きやすいし、デザインも洒落てるな」

「はい。UVカット機能もある強靭性の高い生地ですし、外使いにもできそうです」

「たしか速乾性も高いって聞いたな。俺も欲しいんだけど、予算がな」

 

 古城の同意を得たためか、雪菜の顔が明るくなる。古城も楽しそうに会話をしながら、共に雑誌をめくりはじめた。

 

「俺が持ってたのは1つ前のタイプだけど、こっちのスポーツタイツもなかなか良かったぜ。膝とか腰の負担がかなり軽減されてさ」

「そうなんですか。私も少し気になっていたので、ではそちらも試してみます」

「ちょ、ちょっと待って!」

 

 盛り上がる古城と雪菜に、凪沙が必死な声で割り込んだ。

 

「あのさ、ルディダスってたしかスポーツメーカーだったよね?

 服の話をしてたと思ったんだけど、なんでジャージの話で盛り上がってるの?」

「……え?」

「何か、変な話でもしてたか?」

 

 心の底から不思議そうな雪菜と古城に、凪沙は信じられないものを見る目になった。

 

「え? じゃないよ!

 私服って言ってもお出かけ用の服を買いに来たんじゃなかったの? もっとおしゃれな服とか見ようよ!」

「いや、お出かけ用のおしゃれなジャージじゃないか。ほら、デザインも悪くないだろ?」

「ええ、十分普段使用に耐えるデザインだと思います」

 

 不思議そうな古城が同意を求め、それに雪菜はあっさりと同意を返した。元バスケ部員であった古城にとって、外出がジャージというのはごく当たり前のことであり、育った環境的におしゃれに縁がなかった雪菜にとっても、動きやすさで服を選ぶ癖がついているのだ。

 

「いやいやいやいやちょっと待って! いくらおしゃれでも所詮ジャージだからね! 運動服だからね⁉

 世の中には私服って言ったらもっとおしゃれな服とか、かわいい服とかいっぱいあるから!

 浩一さんも言ってくださいよ! ていうか仲いいみたいなんですから、どうしてこうなるまで放っておいたんですか⁉」

「すまない、私もファッションには疎くてね。TPOに合わせた服装はできるけれども、一般的に普通という服しか買ったことがない。

 女性の服にアドバイスというのは、ちょっと荷が重いよ」

 

 浩一からの援護射撃はない。凪沙はひとしきりツッコんだ後に頭を抱え、兄を連れてきたことを早くも後悔し始めた。

 

「なんでこう思考が体育会系なの……こんなことなら浅葱ちゃんを誘えば……でも今事件関係で忙しいんだっけ……」

 

 嘆く凪沙の声に、浩一は静かに目をそらした。事件分析のため駆り出されているという表向きの理由の裏で、今浅葱は那月の特別折檻を受けているのだ。時間的にもう終わっているだろうが、とてもではないが外出できるだけの気力は残っていないだろう。

 実の妹に自らのファッションセンスを全否定された古城は、さすがにショックだったようで唇を歪めた。

 

「浅葱だって、あの普段着が普通ってことはないだろ」

「とにかく、私が来たからには雪菜ちゃんには可愛い私服を着てもらいます。これは決定事項です!

 古城君だって、おしゃれした雪菜ちゃんを見てみたいと思うでしょ?」

「いや、俺は別に――ぐっ⁉」

 

 凪沙の気迫に思わず失言を漏らしそうになった古城の横腹へ、浩一の肘がめり込んだ。

 

「古城君、君はもう少し相手の反応を考えたほうがいい。今君が言おうとした言葉をそのまま口に出したとして、姫柊がどう思うかを予想してみるんだ。

 僕も南宮攻魔官相手によく失敗したよ。難しいとは思うが、注意することだね」

 

思わず言葉を詰まらせた古城の耳元で伝えられた浩一の本気の忠告に、古城は素直に従うことにした。年長者の意見は聞き入れるべきなのだ。特に、実体験を伴った警告に関しては。

 

「あ、ああ。確かに制服とか運動着以外の格好をした姫柊も見てみたいな。言われてみればたしかに制服以外の格好はほとんど見たことなかったし、新鮮そうだ。

 それに、姫柊はどんな服着ても似合いそうだしな」

 

 古城は何とか取り繕うが、後半は素直に思ったことを口に出した。芝居がかったわけではなく、素直に褒められたと理解した雪菜の顔が一瞬で真っ赤に染まる。

 

「わ、私の服が見たい、ですか……どんな服でも似合いそう、ですか……そ、そうですか……」

 

 浩一のフォローがあったとはいえ、憎からず思っている異性から思わぬ感想を告げられた雪菜がまんざらでもなさそうに口元を緩め、その様子を見た古城がめったに見ない表情を見た照れからか頬を染め目線をそらす。

 

「そうだよねぇ。せっかくかわいいんだから、いろいろとおしゃれな服を着ないともったいないよねぇ」

 

 無邪気に頷く凪沙と、2人の様子を微笑ましげに見る浩一。何とも言えない空間が形成された直後、モノレールが減速を始めた。車内アナウンスから、次の停車駅が目的の駅だ。

 窓からは巨大なショッピングモールが見え始め、屋上からは売り尽くしセールの文字が書かれた垂れ幕が吊るされている。

 目的地に集まる人ごみに気が付き、仲良く顔を強ばらせる古城と雪菜とは対照的に、凪沙のテンションは上昇の一方だ。

 

「行くよ雪菜ちゃん、古城君、浩一さん!」

 

 モノレールの扉が開き、真っ先に駅のホームへと降りた凪沙が元気よく3人へと振り返る。緊張した表情で降車した雪菜の後ろで、男2人は顔を見合わせて苦笑しあった。女性が買い物で元気になるのは世の常であり、それに男性が振り回されるのもまたよくある光景だ。

 買い物の光景を思い浮かべて溜息を吐く古城の背中を軽く叩き、浩一もまた生徒を追って駅のホームへと踏み出した。

 

 

 

 薄暗い地下道で、フリルまみれのドレスを着た美少女が鋭い目線で周囲を警戒している。その背後では、青い髪の人工生命体(ホムンクルス)の少女が付き従うように控えていた。

 

「まったく、不良娘の折檻のせいで無駄に時間がかかったな。

 アスタルテ、腕の調子はどうだ?」

「快調である、と返答します。

 この激務の中、私の腕を優先していただき感謝します」

 

 フリルの美少女……南宮那月の問いに、青髪の人工生命体(ホムンクルス)……アスタルテは生真面目に頭を下げた。

 

「よせ、私は助手の効率のいい行動のために治したに過ぎん。

 それに、私のそばに立つ者が負傷を治療もしないままでは締まりが悪いからな」

 

 至極どうでもよさそうな那月だったが、見るものが見れば僅かな照れの感情を感じ取ることができただろう。正面から礼を言われることはあるのだが、真摯に頭を下げられることに彼女は慣れていないのだ。

 

「そんなことよりも、だ。特区警備隊(アイランド・ガード)と手分けして捜索しても、スワルニダとやらの拠点らしき場所はすべてがもぬけの殻だ。

 これは、何かしらの異能がすでに目覚めていると考えるべきか?」

 

 スワルニダのアスタルテ襲撃から一夜開けた昨日、アスタルテの負傷報告のついでに浩一と那月は情報交換を行っていたのだ。

 その中でも特に気がかりな情報が、アスタルテの腕が取り込まれたという件だ。

 普段の態度とは裏腹に、南宮那月はすごぶる面倒見がいい。そんな彼女が自らの庇護する存在を害されて冷静でいられるわけがないが、会議内ではそれよりも気がかりな情報があったのだ。

 

「お前の腕からバビル2世の因子を読み取るとはな。万が一を考えると、既に分析は終了していると考えるべきだろう。

 因子の量からしてそう強力な能力は扱えないはずだ。とすると……今特区警備隊(アイランド・ガード)の手を逃れ続けていることを考えるに、第六感でも学習したのか。厄介な」

「謝罪します。私の油断がなければ、スワルニダにバビル2世の因子を奪われることもありませんでした」

「なにもお前を責めているのではないさアスタルテ。少々面倒なことになったという程度の状況確認だ。実際捕まらないだけで見つけさえすれば、私ならばどうとでも料理できる相手だからな。浩一は相性が悪かったというか、まあそもそも手加減が苦手な奴だからな。

 アスタルテ、おまえにも念のため伝えておくぞ。今のスワルニダは指名手配犯であり同時にアンドレイドの犯罪歴を追うための重要な証拠品だ。うかつに破壊するなよ。ただし、万が一暴走などで周囲の被害が大きくなると予想できる場合のみ、破壊許可が出ている。状況をよく見て対応しろ。

 まあ、おまえは今回保護対象だ。救援が来るまで耐えるだけでいい」

命令受諾(アクセプト)

「わかったのならそれでいい。そら、先行部隊の明かりが見えてきた。ひとまず合流だ。

 そうそう……浩一からも聞いているだろうが、今回の件が片付き次第総検査に入る。それだけは覚えておけ」

 

 そう言って那月が向かう先では、特区警備隊(アイランド・ガード)がバルーンライトを使用し懸命に周囲を捜索している。

 那月の姿を見た部隊長が、足早に近づき敬礼した。

 

「南宮攻魔官、御足労感謝します」

「堅苦しい挨拶はいい。状況はどうだ?」

「またもぬけの殻です。

 つい1時間ほど前まではこの場所に潜伏していたらしき形跡があるのですが、こちらを」

 

 部隊長が示す先には、直径30㎝ほどの穴が開いていた。都市ガスの配管や電線などを収める地下の空間なのだが、その端になにやら粘液のようなものがついている。

 

「これは……?」

「分析待ちですが、この周囲にも数か所似たような物質が付着していました。どうやってかはわかりませんが、目標はこの程度の隙間なら潜って移動できるようです」

「なるほどな。山野攻魔官から聞いたが、目標はある程度大きさを制御できるらしい。ここまで小さくなれるとは想定外だな」

「その情報は我々も受けています。迂闊でした」

 

 悔しそうな隊長だが、すぐに表情を引き締め周囲に指示を出し始める。今は迅速な行動が重要であると理解しているのだ。

 

「配管図を見てこの先どこに動くか予測しろ! 今まで発見し放棄されているアジトの位置から、ある程度の予測地点は絞り込めるはずだ!」

 

 指示を受け素早く行動を始める隊員たちを満足そうに眺めた隊長は、那月に改めて向かい合った。

 

「無駄足になってしまい、申し訳ありません」

「気にするな、こちらも仕事だ。

 さて、私と助手は待機に戻る。何かあれば通信機で呼べ。座標を言えば、そう待たせることなく向かってやろう」

 

 隊長と最低限のやり取りを終え、那月とアスタルテの姿が地下空間から掻き消える。その姿が完全に見えなくなるまで、隊長は敬礼で見送った。




 バビル2世 用語集

 用語

 第六感 だいろっかん
 バビル2世が持つ超能力の1つ。
 身に迫る危機を直感的に感知する能力。
 危険が迫ることだけをとらえる使い勝手の悪い能力なのだが、逃走中や潜伏中は危険を事前に感知できるため非常に有用な能力と化す。


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11話 下準備

 光源など一切存在しない地下空間で、軟体に包まれ、銀の毛を絡ませた球状の物体がべしゃりと地面に落下した。丁度同じほどの大きさの穴から落ちたそれは、軟体を噴き出すようにして周囲に撒き散らしはじめた。しかし、その軟体のほとんどすべてが球体から千切れることはなく、ただただ体積だけが増やされていく。

 総量がちょうど小柄な女性と同じほどになると、球体は軟体の噴出を止めた。軟体が球体を持ち上げるように集合し、徐々に人の形へとその姿を変化させていく。

 数秒もかからずに、球体……スワルニダの頭部を中心に、軟体は人工生命体(ホムンクルス)の肉体としてその組織を変質させた。

 

「肉体の再構成を完了しました。現在の武装及び身体チェック開始。

 弾丸、補充完了。武装稼働率、84パーセント。駆動機関稼働率、71パーセント。体組織損耗率、18パーセント。

 現状の戦闘能力において、被検体〝アスタルテ〟の捕獲は可能。しかし、予想される障害の打倒、及び捕獲後の逃走達成は困難と予測。戦力強化が必須です」

 

 肉体の再構成を終え現状を分析したスワルニダは、機械特有の合理的思考で自らの不利を受け入れた。だからこそ、いかにして現状を打破するかを模索するのだ。

 そして今の彼女は、アンドレイドが事前に教え入力した術式だけでなく、かの男が蓄えた知識の断片をも思考に乗せることができる。

 人間の感覚ならば瞬きほどの時間で多数の策が練り上げられ、ほとんど間をおかずして欠点を洗い出され破棄される。

 

「多量の火器による制圧。破棄。以前と同じ、もしくは対応によりより短期での敗北を予想。

 隠密(ステルス)による目標(アスタルテ)の奪取、及び逃走。破棄。障害の索敵能力をかいくぐれるかに疑問が残り、目標(アスタルテ)を確保後の逃走が極めて困難。

 囮を使用した撹乱。破……」

 

 淀み無く策の取捨選択を行っていたスワルニダの思考が、唐突に停止した。破棄しかけた策に、言葉にできない引っ掛かりを感じ取ったのだ。

 この現象をあえて言い表すならば、閃きが最も近い表現だろう。ただの高性能な演算装置には生まれ得ない、生き物特有の現象だ。あくまでも演算装置を後付で埋め込んだスワルニダは、このような生物の長所をも利用できる。これこそ、“人形師”とまで呼ばれた男が“最高傑作”と称した理由の1つだった。

 あえて言うのならば、その称号はすでに彼女のものではなく、“人形師”の死によって永遠にその名を取り戻す機会は失われてしまったのだが。

 そのような事柄には一切の気を向けず、スワルニダはひらめきを骨格として策に肉付けを行っていく。

 

「術式選別、及び改良を開始。魔力から第四真祖、及び目標(アスタルテ)の現在地点確認。

 これ、は……」

 

 魔力から計算した第四真祖の現在地点は、奇しくもスワルニダが人間を喰うために利用していた施設だった。

 

「作戦変更。第四真祖の捕獲及び同化を最優先に設定。術式改良完了。気化導体生成開始」

 

 施設の形状を知るスワルニダは、いかにして第四真祖に接敵するのかを主眼に策と術を組み上げていく。当然だが、彼女が想定しているのは発熱で奇行に走った暁古城のデータだ。普段とはまるで違う言動と戦闘スタイルなのだが、1度しか遭遇していないスワルニダにその間違いを正す術はない。

 

「眷獣の使用を封じるため、人間に紛れる戦力が必要。該当依り代検知。

 戦闘オプションC9を選択。改良術式により、C9をD4と改称。

 術式展開。執行せよ(エクスキュート)執行せよ(エクスキュート)執行せよ(エクスキュート)……」

 

 地下通路を、反響したスワルニダの声が埋め尽くしていく。そう遠くないうちに、特区警備隊(アイランド・ガード)の魔力センサーが反応し機動部隊が押し寄せることだろう。

 しかし、その前に術式は完成してしまう。そうなればこの場に用がなくなったスワルニダも移動を行い、またしても特区警備隊(アイランド・ガード)の行動は空振りとなる。

 魔力の光が照らし出すスワルニダの横顔は、脳内で策謀を組み立てているとは思えないほど、そう、息を吞むほどに美しい笑みを浮かべていた。

 

 

 

 リディアン絃神は、庶民向けに手ごろな値段設定の店が軒を連ねる巨大商業施設だ。高級店が集まるキーストーンゲート周辺や観光客を主なターゲットとしているテティスモールとは違い、島の住民が手ごろな買い物ができるとあって多くの買い物客が溢れかえっている。

 

「お、大きいですね……」

「正直、予想外の規模だ」

 

 獅子王機関所属の二人が唖然として施設の外観を見ているが、それも無理はないだろう。三百を超える店舗が、ガラスのドーム屋根で覆った敷地内に犇めいているのだ。一般的な小売店だけではなく、娯楽施設や病院まで備えられている、1つの町といってもいい巨大施設は日本本土にもそうは無い。

 いままで獅子王機関の養成所で暮らしていた雪菜はもちろんのこと、戦闘以外では日常生活というものをすべて自らの塔で済ませていた浩一……バビル2世にとっても、これだけの規模を誇るショッピングモールは異世界といっても過言ではない空間だ。

 

「まあ、初めて来る人は大体そうなるよな。

 正直、俺もあんまりこういう人の多い場所は得意じゃないんだけど……」

 

 すでに疲れ切った声で、古城は頼りにならないことを呟いている。人混みが苦手な古城にとって、騒々しい店内で女子の買い物に付き合わされると考えるだけでも辛いのだ。

 一方、妹の凪沙は道中にも増して元気になっている。弾むような足取りで、落ち込み気味の一行を励ますように笑顔を振りまく。

 

「もう、雪菜ちゃんも浩一さんも、今どきのショッピングセンターはこれくらいが普通だよ?

 ほらほらぼーっと立ってないで。買い物しに来たんだから、まずはお店に向かわなきゃ! 雪菜ちゃんみたいなかわいい女の子向けの服も、ここなら安くて品ぞろえがいいんだから!」

「そうか、なら凪沙は姫柊と一緒に服を選んでてくれ。俺は浩一さんを案内してくるから。終わったら電話してくれれば合流するからさ」

「だめだよ古城君、今日は荷物持ちなんだから!

 浩一さんも生徒が集まる場所を見るのが仕事って言ってたんだし、こういうところは服屋に人は集まるんだよ!」

 

 浩一をだしにした古城の離脱作戦は即座に失敗し、浩一はモノレール内での発言を言質に行動を封じられた。凪沙に悪気は一切ないのだが、中々に上手い立ち回りといえる。

 

「マジか……荷物持ちとは聞いてないぞ。

 てか、女物の服がメインの店とか、俺とか浩一さんはちょっと近づきにくいぞ?」

 

 古城の抵抗に、浩一は無言で頷いていた。見た目も精神年齢も、女子高生が利用する服の売り場に近づくのは厳しいものがある。

 しかし、凪沙はそんな社会的リスクを一切考慮しない笑みを浮かべた。

 

「まあまあ、そう言わずにさ。あたしや雪菜ちゃんに着てほしい服とかあったら、特別にリクエスト聞くだけ聞いてあげるから」

「はぁ? そんなの……」

 

 普段の古城であれば、ここで服など興味ないと言っていただろう。しかし、つい先ほどの忠告を忘れるほど古城は愚かではなかったために、口は噤まれ雪菜の機嫌が悪化する事態は避けられた。

 だが、代わりに古城の脳内は荒れている。普段の関係からあまり意識はしていないが、古城から見ても雪菜の容姿は非常に整っている。その雪菜が見慣れない洋服を着るというシチュエーションに、遅まきながら理解が及んだのだ。

 

「どう、古城君。これだけサービスしてるんだから、一緒に来てくれるでしょ?」

「え、あー……」

 

 脳内の妄想を振り切るために思考能力が低下している古城にとって、今の凪沙の誘いを断ることは非常に難しい。視界の端で不思議そうにこちらを見ている雪菜の顔も、今の古城はにとっては少々刺激が強すぎた。

 

「先輩、どうかしたんですか?」

「い、いや! 何でもない!」

 

 不思議そうに首をかしげる雪菜の後ろで、浩一が微笑ましげに古城の慌てる様子を見ていた。

 

「まあ古城君も反論はないみたいだし、行こう雪菜ちゃん、浩一さん!」

 

 いまだ意識を取り戻さない古城の手を引きながら、凪沙は先に歩き始めた。その後ろをいまだ不思議そうに首をかしげる雪菜が続き、最後に浩一が周囲を警戒しながら後を追う。

 

「あっ!」

 

 突然、雪菜が声を上げた。

 

「どうしたの、雪菜ちゃん? いい服でもあった?」

 

 凪沙が振り返るが、雪菜は視線をそらさない。

 欲しかった玩具を見つけた子供のように目を輝かせながら、雪菜はセール品が集められた雑貨屋へと小走りで駆け寄った。

 

「見てください、限定発売のネコマたんTシャツです! もう手に入らないと思っていたんですよ!」

「えっ……」

 

 雪菜が嬉しそうに手に取ったTシャツを見て、思わず凪沙は声を失った。まぬけなマスコットキャラをでかでかと胸にプリントした、どぎついショッキングピンクのシャツだ。控えめに言って、かなりダサい。

 

「ほら、見てください先輩! 浩一さんも!」

「お、おう……」

「あー……ずいぶんと個性的なデザインだな」

 

 あまりの衝撃に、古城は正気を取り戻した。浩一は教え子を気付つけないよう、最大限表現に気を使って評価を下す。

 

「ねえ古城君、ひょっとして雪菜ちゃんのセンスって」

「言うな凪沙。真実が人を深く傷つけることもあるんだ」

 

 古城が前々からうっすらと感じていた、雪菜が持つ一般との感性のズレは予想以上に大きかったようだ。

 

「すまないな、彼女はずっと全寮制の学校というある種特殊な環境で育ってきた純粋培養と言っていい子だ。

 同年代の友人として、彼女の買い物をサポートしてやってくれ」

 

 浩一の切実な頼みに、暁兄妹は頷くことしかできなかった。雪菜の感性に任せて買い物をさせた場合、休日は隣を歩きたくないという悲しい未来が容易に予想できてしまったのだから。

 まずはどうやってあのTシャツから雪菜の意識を逸らすか3人が考え始めたそのとき、女性の甲高い悲鳴がリディアン絃神の一角に響き渡った。

 その場にいた凪沙以外の3人が即座に警戒態勢に入る。古城は吸血鬼が持つ五感で周囲を警戒するが、血の匂いも別の悲鳴が上がることもない。雪菜は剣巫の目と魔力感知で周囲を探るが、何かが襲いかかってくるような未来視も強力な魔力が吹き上がる様子もない。浩一は警戒態勢に入ったものの、悲鳴に必死さが感じられなかったことに違和感を覚えていた。

 そして3人の行動を不思議そうに見ていた凪沙が、何かに気がついたように手を打ちパンフレットを引っ張り出す。

 

「そういえば、この辺に屋内広場があったね。なにかやってるのかな?」

 

 凪沙の広げたパンフレットに付属している地図には、たしかに曲がり角の先に広場が記入されていた。この時点ですでに何かしらのイベントであるという予想はできたが、例のTシャツから雪菜の意識がそれたチャンスを逃すわけにはいかない。

 

「何やってるのか気になるし、行ってみようぜ」

「そうだね、ひょっとしたら楽しめるかもしれないし」

「時間がないわけじゃないし、行ってみようか」

 

 3人が息の合った動きで雪菜を囲み、ギリギリ抵抗されない程度に動きを強制し雑貨屋から離れていく。

 

「え、あの、ちょっとみなさん?」

 

 事態を呑み込めていない雪菜だったが、角を曲がり広場が見えるとわかりやすく表情が変わった。

 広場に設営された仮設ステージで、海産物をモチーフにしたであろう合成獣(キメラ)の着ぐるみが、骸骨風のマスクをかぶった全身タイツの戦闘員を引き連れ仁王立ちしていた。傍らには司会進行役らしき女性を人質として抱えており、奪ったであろうマイクで大仰な動きと共に観客に脅しをかけている。

 

『騒ぐな! この広場は我々が征服したぁ!

 抵抗できるなどと思うなよぉ? 万が一我々に逆らえば、この女の命はないと思えぇい! フハハハハハ!」

 

 カニらしきハサミを突き付けられた女性が、わざとらしい悲鳴を上げる。戦闘員も観客をノリノリで脅しておりショーとしては絶好調といえるだろう。

 

「何かと思えば……本気で警戒したのが馬鹿みたいじゃねーか」

「まあ、反応速度は中々だった。抜き打ちの試験だと思っておこう」

 

 先ほど聞いたものと同質の悲鳴に、古城は肩を落とした。その肩を、浩一が軽く叩く。

 その横で、雪菜が剣呑な眼差しでステージを見ていることに2人は同時に気が付いた。

 

「子供を人質に……なんて卑劣な!」

 

 背負うギターケースに手を伸ばし今にも飛び出しそうな雪菜に、古城は恐る恐る声をかける。

 

「あの……姫柊さん?」

「先輩、すぐに特区警備隊(アイランド・ガード)に連絡をお願いします。浩一さんは、私と一緒にあの未登録魔族の制圧を。見たところ新種のようですので、私が囮になって動きを探ります!」

 

 それだけ告げて、一跳びにステージまで跳躍しようとした雪菜を古城と浩一が慌てて制止する。

 

「待て待て待て! あれはヒーローショーだから! お芝居だお芝居!」

 

 ショーに熱中している客に聞かれれば怒りを向けられるであろう事実を告げながら、古城は雪菜の手を強く握った。

 

「あれが、お芝居ですか?」

 

 雪菜の目線の先には、号泣する子供が映っている。

 

「安全と分かっていても、ホラー映画で泣く子はいるだろう。それと同じさ」

 

 浩一の説明に、雪菜はしぶしぶとギターケースから手を離した。眼前で行われる凶行に、警備員が一切反応していないことに気が付いたことも大きな理由だ。

 そんなやり取りを繰り広げている間にも、ショーは新たな展開を迎えていた。

 子供たちの呼びかけに答え、ステージに黄色い亀のような着ぐるみが現れたのだ。眠そうな瞳が特徴的で、かわいらしくはあるが正直あまり強そうとは言えない。一応電撃を放つ設定でもあるのか、胴体にバッテリーを思わせるマークが入っている。

 意外なことに、反応したのは凪沙だった。

 

「あ、マスバニのタルタルーガ君だ! そういえば、あの戦闘員見たことあった」

「タルタルーガ君?」

「日曜朝にテレビでやってる特撮番組のマスコットキャラだよ。魔法少女マスクドバニーっていうんだけど、結構子供に人気なんだよね」

 

 なるほどと相槌を打ちながら、古城はショーの様子を見た。たしかに、イベントの参加者は子供が多い。大げさに喜ぶ姿は、純朴でかわいらしいものだ。

 

「……それにしては、似つかわしくない集団もいるな」

 

 浩一の怪訝な視線の先には、大人げなくステージの最前列を占領する集団の姿があった。高級そうなカメラを構えた、むさくるしい集団だ。

 

「あー……あの人たちは、ほら、あの人が目的なんだと思います」

 

 凪沙の指さす先で、ちょうど主役が登場した。まるできわどいアイドルのような衣装に身を包み、顔を仮面舞踏会(マスカレード)風の仮面で隠した少女だ。なぜか頭からはウサギの耳をはやしており、バニーガールとアイドルを足して2で割ったような格好だ。肝心の肩書である、魔法少女の成分が全く感じられない。

 

「魔法少女……あれがか?」

「そう。魔法少女マスクドバニー・ストーカーフォーム。執着心と嫉妬心に目覚めた主人公が手に入れた、強化フォームなんだって」

 

 随分と詳しい凪沙の解説に、古城は雪菜を眺めかけ慌てて視線をステージに固定した。名乗りを上げる少女が身に着ける衣装は、何度見ても子供向けには見えない。

 

「あのデザインで、子供向けに出ていいのか? いろいろとギリギリだろ」

「実際子供はあんまり気にしないんじゃないかな。ほら、みんな真剣に応援してるよ?」

 

 たしかに、やたらと破廉恥な衣装を着た魔法少女に対して子供たちは純粋な目で応援している。だが、一定以上に成長した、もしくは早熟な子供にとっては目に毒だろう。強調された胸に、むき出しの肩や背中。スカートは太ももをほとんど露出する程に短い。

 だが、そんな衣装でありながらマスクドバニーのアクションは本格的だった。軽快な身のこなしから繰り出される強烈な格闘攻撃で、次々と戦闘員を屠っていく。特撮に詳しくない古城と浩一が、思わず目を奪われるほどの完成度があった。

 

「へえ……」

「ほう」

 

 感嘆の声を漏らす男2人に対し、雪菜の冷たい目線が突き刺さった。

 

「……随分と熱心に見ていますね、お2人とも」

「本当にね。浩一さんはわからないけど、古城君ってああいうのに興味あったっけ?」

 

 殺陣の完成度に見入っていた2人は抑揚の薄い雪菜の声で意識を引き戻され、凪沙の疑問に思わず頭を掻いた。

 

「いや、意外と本格的なアクションだと思ってな」

「ああ。てっきりビジュアル頼りの作品と先入観があったからか、思わず見入ってしまった」

 

 2人の一切後ろめたさがない弁明に、思わず雪菜はため息をつく。そしてふと屋外へ視線を向け、異常に気が付いた。

 

「あれ、霧が出てきていますね」

 

 雪菜の言葉に反応した一行が窓の外を見ると、たしかに濃霧に覆われている。通気口から侵入したのか、建物の中にもうっすらと霧が立ち込め始めていた。

 

「なんだ、スモークを焚いてるわけじゃないよな?」

「外のほうが濃いし、ただの霧じゃないの?」

「この辺りは強化の術式が強くかけられているようだから、その影響かもしれない。一応気を付けよう」

 

 浩一の合図で念のために雪菜が魔力を探ったが、建物全体にかけられた魔力反応によりうまく探知ができない。しかし現状で異常があるわけではないので、一行は買い物を再開すべくステージ前を後にした。

 

「さあ雪菜ちゃん、こっち行こうか」

「え? 雑貨屋さんに寄ろうかと思ってたんだけど」

「まあまあ、先に服を買ったほうが、それに合う小物も見つけやすいから」

「凪沙の言うとおり、まずは服を選ぼうぜ」

「時間はあるとはいえ、当初の目的を果たすことは大切だからな」

 

 ズレたセンスでよくわからないアイテムを見つけないよう周囲を固められた雪菜は、はたから見れば連行されているようだった。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 種族・分類

 ネコマたん
 雪菜お気に入りのキャラクター。
 彼女がもともと通っていた高神の杜では人気だったらしく、絃神島でもぬいぐるみ等のグッズが散見されるほどには有名。
 今回発見されたTシャツは、色合いとデザインが悪かった。


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12話 狂乱の幕開け

 お気に入りが100を超えました。
 密かに目標にしていた3桁に到達できたのも、読んでくれている皆様のおかげです。
 これからも精進していきますので、宜しくお願い致します。


 特区警備隊(アイランド・ガード)待機場に控えていた那月とアスタルテは、スワルニダ捜索隊からの救援要請を受けて現場に急行することになった。送られてきた座標に跳んだ那月が目にしたものは濃霧に覆いつくされた地下道と、地面に倒れ伏す大量の特区警備隊(アイランド・ガード)隊員だった。

 

「どういうことだ。救援要請からまだ30秒と経っていないぞ」

 

 魔術で調べたが、全隊員の命に別状はない。だが、彼らの体からは例外なく魔力が枯渇しきっていた。同時に軽視できない外傷を負った隊員も多く、このまま放置すれば命を落とす者も出てくるだろう。

 

「面倒な……アスタルテ、周囲の大気を調べろ。私はこの連中を病院まで跳ばす」

 

 那月が通信機で病院へ受け入れ要請の連絡を入れ始め、アスタルテは持ち込んだ機材から大気成分の検分機を取り出す。1人1人と倒れた隊員が消失する中アスタルテは機械の操作を続け、丁度那月が全員を跳ばし終わると同時にアスタルテの空気分析が完了した。

 

「まったく、隊員から魔力だけでなく精気まで抜き取るとはな。足止めに抜かり無しということか。

 アスタルテ、何かわかったか?」

「解析完了。この霧は大気の温度が急激に下がった結果発生した水蒸気の飽和が原因のものと、魔力伝導剤を気化し散布した人工的なものの混合物です。人体に有害な成分は含まれていません」

「なんだと?」

 

 アスタルテの持つモニターを那月が横から覗き込むが、表示された内容はアスタルテの報告と同一のものだ。

 

「散布された気化薬剤も気になるが、温度の急激な低下もただの自然現象ではなさそうだな」

「肯定。かつてサガリー・アンドレイドの生み出した機械人形(オートマタ)が、内部に埋め込まれた魔具を使用した際に同様の現象が発生したと、先日提供された資料に記載が確認されました」

「なるほど、大気の熱を取り込み魔具の稼働エネルギー源としているのか。魔具の種類によっては不可能ではないだろうが、よくもまあ面倒なことをしてくれる」

 

 那月が不愉快そうに鼻を鳴らすが、それも仕方がないことだろう。この濃霧により、地下道の見通しがほとんど効かなくなっているのだ。それがあくまでも魔具を稼働させるための副産物を利用しただけと言われれば、その程度で効果的な妨害を受けている身としては面白くない。

 

「実際にスワルニダにどのような魔具が搭載されているのかは不明。ですが、人工島管理公社が捉えた魔力の波動から〝傀儡創造(メイク・ゴーレム)〟を使用した可能性が高いと推測されます」

「〝傀儡創造(メイク・ゴーレム)〟……? 人形に人形を操らせていたというのか」

 

 〝傀儡創造(メイク・ゴーレム)〟は、彫像に仮初の命を吹き込み意のままに操る物質操作系の魔術である。錬金術の物質変性等の要素を含むため難易度こそ高いものの、人形を稼働させるために大量の魔力が必要である上に、人形自体が複雑な命令を実行できないため主な運用法として物量による力押し程度しか挙げられない使い道のない術なのだ

 

「まったく、人形師とやらは噂通りの悪趣味だな。

 しかしだ……スワルニダはどこで肝心の傀儡(ゴーレム)を調達するつもりだ?」

 

 そう、たしかに特区警備隊(アイランド・ガード)たちから大量の魔力と精気を奪い取った今のスワルニダならばこの魔術も十分に扱えるだろうが、それをするだけの理由が見当たらない。さらに言えば〝傀儡創造(メイク・ゴーレム)〟の魔術でで動かせる物体は、人間に近いシルエットの人工物だけという制限があるのだ。主である人形師を失った今のスワルニダに、そんな特異なものを都合よく調達する術があるとは思えない。

 そんな疑問を嘲笑うように、スワニルダの次の一手が那月を襲った。

 

「警告、前方より識別不能の移動体が接近中です。距離約400メートル。総数約80」

 

 報告と同時に、まるでマスゲームのような、規則正しい足音が聞こえてくる。地下通路を覆う濃霧にも、うっすらと大量の何かが蠢く影が映り込み始めていた。

 

「80体……だと? 馬鹿な、いったいどこでそれほどの傀儡(ゴーレム)を⁉」

 

 視界を埋め尽くすほどの傀儡(ゴーレム)の群れに、流石の那月も頬をゆがめた。主人を失い、孤立無援となったスワルニダが、いったいどうやってそれほどの大軍を用意したというのか。

 その疑問は、濃霧から傀儡(ゴーレム)の先陣がその姿を現したことで瞬時に氷解した。それと同時に、何故今まで逃走を成功させてきたスワルニダがこの地点で捕捉されたのかという答えにもなっていた。そう、彼女の本拠点こそがこの地下通路だったのだ。放棄できない理由があり、その準備が整ったからこそ、最後の補給として特区警備隊(アイランド・ガード)をおびき寄せ、彼らをエネルギー源として利用したのだ。

 

「そうだったのかスワニルダ……貴様の目的は……」

 

 那月の呟きは、濁流のように押し寄せた傀儡(ゴーレム)の足音に掻き消された。那月とアスタルテの小柄な体が傀儡(ゴーレム)の群れに飲み込まれる瞬間、その姿が揺らぐようにして消失する。単純な動作しかできない傀儡(ゴーレム)といえども、操っているスワルニダが何かを仕込んでいる可能性は十分にある。仕切り直しのため、那月は空間跳躍を使用し迅速にこの場を離脱したのだ。

 眼前の目標が消失したにもかかわらず、傀儡(ゴーレム)は一切更新速度を緩めなかった。彼らの進路上に偶然那月たちがいただけであり、攻撃できればする程度の指令しか受けていないのだ。それゆえに傀儡(ゴーレム)たちは、霧を纏った軍隊蟻のように目的地である水路の出口へと歩を進めていく。その出口から広がる、彼らの頭上に存在する大規模商業施設へ向けて。

 その施設は、リディアン絃神と呼ばれるショッピングモールだった。

 

 

 

 仮設ステージから離れた古城たちは、凪沙の先導で新装開店した衣料品店へと連れ込まれていた。最初は抵抗した古城も、先に諦めた浩一の取りなしで大人しく入店し凪沙と雪菜の服に評価を求められている。

 

「古城くん、これなんかどうかな?」

 

 試着用の更衣室で、新しい服を着た凪沙がファッションショーのようなポーズを取っている。活発な凪沙にデニムのショートパンツはよく似合ってはいるものの、古城のリアションはいまいち薄い。

 

「あー……いいんじゃないか? ちょっと短すぎる気もするけど」

「これくらいは普通だって。

 ていうか古城くん、さっきからそればっかりじゃん! ちゃんと意見言ってくれないとつまんないよ!」

「俺だけじゃなくて浩一さんにも聞けば良いだろうが」

「浩一さんはあくまでも見回りで来てるって言ってたじゃん。あんまりわがまま言ったら失礼でしょ?」

「お前そういうところはしっかりしてるよな。

 そもそも、なんでお前も服選んでるんだよ。姫柊の服を選びに来たんじゃなかったのか?」

「いいじゃんいいじゃん、せっかくの新装記念セールなんだから。

 雪菜ちゃん、試着終わった?」

 

 凪沙の問いに、試着室の中からか細い返事が聞こえる。慣れていない空間で、衣服を取り換えるという行為に雪菜は抵抗が大きかったのだ。あまりにも渋る雪菜に業を煮やした凪沙が、無理やり更衣室に雪菜を押し込み上着を剥ぎ取って着替えを促したのである。

 

「こ、こんな感じなんですが……どこかおかしいでしょうか?」

 

 恐る恐るといった様子で、雪菜が更衣室から顔を出した。凪沙の選んだ服のため、特におかしな点は見当たらない。

 なれない服を着た雪菜はどこか不安そうにしているのだが、そのしぐさは古城の視線を掴んで離さなかった。普段と違う服装に普段と違う雰囲気の雪菜は、古城にとって刺激が強すぎたのだ。

 

「ま、まあいいんじゃないか? 浩一さんもそう思うだろ?」

 

 ちょうど戻ってきた浩一に意見を投げ、古城は雪菜から視線を逸らす。

 

「へえ、随分と雰囲気が変わるね。凪沙ちゃんはいいセンスを持ってるみたいだ」

 

 さらりと褒められた雪菜は、照れくさそうにはにかんだ。同時にセンスを誉められた凪沙も、得意そうに笑っている。

 浩一を使って一時的に視線を切った古城は、ふと視界にバンド風の服を見つけた。

 

「なあ姫柊、こっちの服も似合うんじゃないか? ほら、そのギターケースにも合いそうだし」

「なるほど、確かに合いますね」

 

 古城の示したシャツを見て、雪菜は納得したように頷いた。黒地に赤のチェックは、たしかに雪菜が持ち歩くギターケースが持つ違和感を消してくれるだろう。

 しかし、マネキンが身に着けている服は明らかに雪菜が着るサイズよりも大きかった。買い物慣れしていない雪菜は、勇気を振り絞って店員へと話しかけた。

 

「あ、あの、この服のサイズ違いって、ありますか?」

「はい、ございますよ。すぐにご用意させていただきます」

 

 女性の店員はにこやかに対応し、素早く店のバックヤードへと消えていった。雪菜は胸をなでおろし、服を着替えるために更衣室へと戻っていく。

 そんな雪菜を見ていた男2人の袖を凪沙が引き、2人は何かあったのかと振り返る。

 

「ね、ねえ。この霧、何か変じゃない?」

「変って、まあたしかに昼間から霧ってのは珍しいけどな。太陽も照ってるのに」

「何か気になることでも?」

「はい、何かに見られてるような気がして……ひいっ!」

 

 突然悲鳴を上げた凪沙が、古城へと飛びつくようにして抱き着いた。

 

「な、凪沙? どうしたんだよ」

「い、今の見た⁉ 霧の中で、何か動いてた!」

 

 震える指で窓の外を指す凪沙が、古城の耳元で叫ぶように訴える。視線の先にあるのは、霧に包まれた立体駐車場だ。

 

「なんだ、いくら霧が濃いからって歩行者くらいいるだろ?」

「だからそういうのじゃないんだって! なんかのっぺりした女の人が、気持ち悪い動きで窓の外を動いてたんだよ! カサカサって!」

「窓の外って……ここ2階だぞ?」

「古城君、凪沙ちゃんが言っていることは本当だ。私もちょうど見ていたからね」

 

 真剣な声に古城が横を見ると、すでに浩一は臨戦態勢に入っていた。周囲を油断なく見渡し、いかなる襲撃でも即座に対応できるよう気配は張りつめている。

 そして凪沙と浩一の報告が見間違いではなかったことを証明するかのように、突然悲鳴が響き渡った。

 

「さっきの店員さんの声!」

「こっちだ!」

 

 古城が声の主を特定し、浩一が即座に声の方向へと駆け出す。先ほど店員が入っていった〝スタッフオンリー〟の看板を蹴り開け、浩一がバックヤードへ突入した。その間にも、何かが暴れる音は続いている。物が倒れ、防火扉が激しく叩かれる。

 浩一の目に飛び込んできたのは床に倒れた女性店員と、覆いかぶさように襲い掛かるマネキンだった。女性用にかたどられた彫像がまるで生きているかのように蠢き、女性店員を取り押さえんと襲撃を繰り返している。

 

「た、助けてください! お願いします!」

 

 飛び込んできた浩一を見た女性店員は、救いを求めるように手を伸ばした。目には涙がたまっており、恐怖で泣きわめいていないのは奇跡といっていい状態だ。

 

「そのまま動くな!」

 

 警告と共に裂帛の呼気が吐き出され、浩一の剛脚が一撃でマネキン人形を粉砕した。即座に残身を取る浩一を見て、緊張の糸が切れたのか女性店員は気絶する。

 

「浩一さん! って、なんだよこれ!」

 

 わずかに遅れて駆け込んできた古城が、粉砕されたマネキンと倒れた女性店員を見て驚愕する。だがその硬直は、直後に発せられた警告によって打ち破られることになる。

 

「古城君、上だ!」

 

 天井に潜んでいたマネキンが、古城めがけてとびかかったのだ。先に自らの下を通った浩一には反応すら示さない、悪意に満ちた奇襲を古城は転がるようにして回避した。

 

「危ねぇ!」

 

 とっさに床を転がり距離を取る古城。わずかに遅れて、古城が立っていた場所へマネキンが落下した。着地の衝撃で片腕は折れ、両足にはひびが入っている。

 

「なんだこれ、なんでマネキンが!?」

 

 混乱する古城の前で、更に混乱を助長する現象が発生した。折れた腕がまるで液体のようにその形を変え、鋭い槍と化したのだ。同様の現象は両足でも発生し、すでに傷1つ無い状態へ変化している。

 

「古城君、大丈夫⁉」

「凪沙、入ってくるな! っぶねえ!」

 

 マネキンは槍と化した腕を、古城めがけて突き出した。速度こそそれほどでもないものの、関節が人間とは違うために攻撃動作が予想しずらい。凪沙を制止した古城は念のため間合いを広く取り、そばにあったパイプ椅子でマネキンの胴を思いきり薙いだ。

 椅子もマネキンも、それほど強度があるわけではない。その一撃でマネキンの胴を破壊することには成功したものの、パイプ椅子は酷くひしゃげもう椅子としての機能は果たせないだろう。

 完全に動かなくなった2体のマネキンを放置し、浩一は倒れた女性店員を介抱しはじめた。それと同時に、雪菜がバックヤードへと跳び込んできた。

 

「先輩、無事ですか⁉ 凪沙ちゃんも、怪我はない⁉」

 

 雪菜はすでに剣巫としての顔になっており、一切の油断なく周囲を警戒している。女性店員を介抱していた浩一もそれは同じであり、衣服に隠された手足にはすでに武神具を装着している。

 

「外傷は無いが、異常に衰弱している。おそらくマネキンを通じて精気と魔力を吸い取られたんだ。触れられていたのが短期間だったからこの程度で済んでいるけれど、長期間だった場合適切な治療が遅れれば障害が残りかねないぞ。

 姫柊、君の視点からそこのマネキンを見て、何か思うことは?」

「……何の変哲もないマネキンです。一切の改造がないことから、このマネキンを操った術者はそう遠くないかと。

 この濃霧も無関係ではないでしょう。先ほど、この霧から魔力の流れを感知しました」

 

 雪菜の指摘で、古城は霧が濃くなってきていることに気が付いた。建物の外はすでに霧でほとんど視界が効かなくなっており、開けられた窓からは霧が室内へと絶え間なく流れ込んでくる。

 

「それを辿ることはできないかい?」

「すみません、すでに魔力が途切れてしまっているので……」

「そう上手くはいかないか」

 

 バックヤードから退室しつつ会議を進める獅子王機関の2人の横で、凪沙は恐怖に目を見開きながら古城へと縋り付いた。伸ばされた指先は、ショッピングモールのエスカレーターホールへと伸ばされている。

 

「こ、古城君、あれっ……!」

「どうした凪沙? あれ、は……!」

 

 様子がおかしい兄弟の声に、2人の攻魔官も視線を凪沙の指先へと向けた。

 そしてあまりの光景に目を見開いた。

 そこには、四つん這い壁に張り付くマネキン人形が群れを成していた。1体や2体という話ではない、霧で狭まった視界内だけでも軽く百を超える数が確認できた。

 マネキンの大半は、購買意欲をそそるようにコーディネートされた流行の服を身に纏っている。ショッピングモールで展示されていたものがそのまま動き出したのだろうが、服装と行動のギャップが恐怖感をあおる効果的な演出となってしまっている。

 

「冗談、だろ……?」

 

 かすれた古城の声を合図にしたかのように、マネキン人形たちが一斉に行動を開始した。霧から現れたマネキンに襲われた買い物客が悲鳴を上げ、その悲鳴でマネキンに気が付いた人がまた悲鳴を上げる。連鎖する悲鳴がパニックを引き起こすまで、そう時間はかからない。

 広がっていく混乱を、古城たちはただ見ていることしかできなかった。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 種族・分類

 傀儡創造 メイク・ゴーレム
 読んで字のごとく、傀儡を操る魔術。
 錬金術の一系統に分類される魔術なのだが、人形を創造して操るのではなくあらかじめ用意された人型の物体を操る少々回りくどい魔術。
 大量の魔力が必要な割には操られた人形の強度が増すわけでも複雑な命令を理解できるわけでもなく簡単な自立行動しかできないため、大量に揃えた人形を一気に操る物量戦が基本となるあまり活用法がない術である。
 ただし、本文で使われたような無差別攻撃や拠点への飽和攻撃には一定の効果を発揮する。


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13話 蹂躙する人形群

 ガラスの割れる音で、古城は我に返った。音のほうを見れば、ショーウィンドウを粉砕し店内に侵入してきたマネキン人形の群れと、先制して1体のマネキンを蹴り飛ばす浩一の姿があった。

 

「さすがに多いな。姫柊、古城君、凪沙ちゃん、引くぞ!」

 

 1対1ならば浩一の相手にはならないマネキンも、群れとなれば浩一だけで押しとどめることは不可能だ。真っ先に突っ込んできた数体を処理した時点で、浩一は戦線を離脱し撤退を促した。店内で買い物を楽しんでいた人々も、濃霧の中から出現したマネキンがトルソーを押し倒しながら迫る光景を見て逃げ出している。

 

「なんなんだよこいつら、なんでマネキンが勝手に動くんだ⁉」

 

 パニックで踏み折られたハンガーラックの支柱を拾いながら、古城はやけくそ気味に叫ぶ。鉄製の支柱は武器としては頼りないが、牽制程度には十分役立つだろうとの判断だ。

 

「落ち着いてください先輩。恐らくですが〝傀儡創造(メイク・ゴーレム)〟の魔術だと考えられます。人型の彫像に仮初の生命を与え、意のままに操る術式です。先ほどから微量の魔力が感じられるので、この霧が魔術の伝達媒介になっているんでしょう」

 

 そんな古城に近づき、雪菜が小声で話しかけた。会話内容を聞かれないように、凪沙のそばに浩一がつき意識を逸らしている。

 

「そういえば、さっき浩一さんとそんなこと言ってたな。でも、その魔術ってマネキンにも有効なのか?」」

「あくまでも人型の彫像に影響する魔術ですので、理論上は十分可能です。ですが、これだけの数の傀儡(ゴーレム)を同時に操ることは、人間の魔術師では不可能です。膨大な情報フィードバックに、脳や神経が耐え切れませんから。」

「人間じゃないって……じゃあ一体何がこの騒動を?」

「それもわかりませんが、目的はおそらく……」

 

 雪菜の言葉を遮るように、凪沙が悲鳴を上げた。濃霧の中から現れたマネキンが、凪沙へと襲い掛かったのだ。すぐに浩一が反応しマネキンを粉砕するが、突然の恐怖に腰が抜けたのか凪沙は床に座り込み動けない。

 

「すまない凪沙ちゃん、反応が遅れてしまった」

「い、いえ。守ってもらってるからってちょっと油断しちゃいました……ひっ!」

 

 浩一の気遣いに笑顔で返す凪沙だったが、続いて霧の中から現れた影を見て再び悲鳴を上げた。2メートル近い巨躯に加え、頭部には角が生えている。

 

「マネキンが見えて助けに来たが、そこのお嬢ちゃんは大丈夫なのか?」

 

 獣化している獣人を見た凪沙は、恐怖のあまり声が出せずに震えている。暁凪沙は、過去のトラウマが原因で魔族恐怖症を患っているのだ。たとえ自分たちを心配して駆けつけてくれた獣人が相手でも、潜在意識下に刻み込まれた恐怖はそう簡単に拭えるものではない。

 

「……あんた、獣人か」

 

 震える妹とそれを介抱する浩一の代わりに、古城が聞いた。鷹揚に頷く男の様子から、凪沙の態度は気にしていないようだ。今震えている原因が自分ではなく、突如マネキンに襲われかけたことだと勘違いしているのだろう。

 

「この非常事態だからな。自己防衛のために獣化してもさすがにお咎めなしだろ」

「ああ、ありがとう」

「結局何もできてないんだから、礼なんかよしてくれ。しかしその兄ちゃん強いんだな」

 

 感謝の意を伝えられた獣人は、豪快に笑った。獣人は粗暴な正確をした者が多いが、それと同じくらい情に厚く面倒見がいい者も存在する。眼前の獣人は後者のようで、気分よく笑いながらマネキンを粉砕した浩一を褒めている。

 口ぶりからして、獣人の男は正式な市民権を持つ絃神島の住民なのだろう。古城たちと同様、買い物客としてリディアン絃神を訪れた結果この騒動に巻き込まれたようだ。悪意がないことを証明するかのように、男は右腕に取り付けた金属の腕輪……魔族登録証を腕ごと持ち上げ古城たちに見せた。魔力を感知した登録証は警告音を発し、赤いランプが点灯している。

 この絃神島は〝魔族特区〟として開発され多くの魔族が生活しているが、だからといって魔族が市街地で許可なく種族特有の特殊能力を使うことは禁止されている。男が取り外した魔族登録証も、能力を扱う際の魔力を感知しそれを通報するための装置なのだ。とはいえ、今は非常事態でありこの男性も自己防衛だけではなく周囲の市民を助けようとしていたことから能力の違法使用を咎められる心配はまずないだろう。国家攻魔官である浩一の証言もあるので、うまくいけば特区警備隊(アイランド・ガード)から感謝状の1つも出るかもしれない。

 いつどこから襲われるかわからない今の状況で屈強な肉体を持つ獣人がいるのは非常に頼もしいと、古城は僅かに安堵の息をつく。

 

「凪沙ちゃん、立てる?」

「うん……なんとかね。ありがとう」

 

 へたり込んでいた凪沙も、雪菜の手を借りてどうにか立ち上がった。その様子を確認し、古城は浩一と共に改めて周囲を警戒する。

 だが、今の環境ではその警戒もたやすいものではない。視界内の霧は徐々に濃くなってきており、視覚情報だけでなく音をくぐもらせ聴覚情報にまで影響が出はじめている。いくら古城が吸血鬼として鋭敏な五感を備えているが、逆に言えばその五感以外に一切の作的手段を持っていない。魔術や霊視を利用して広範囲を一度に索敵できる浩一や雪菜と比べれば、どうしても探知範囲が狭くなってしまうことは避けられない。しかもその狭い探知範囲内ですら、すでに多くのマネキンが蠢いているのだ。さらに悪いことに、マネキンの総量が徐々にとはいえ確実に増加している。

 その様子は、古城を超える五感を持つ獣人の男性も理解していたようだ。

 

「どうなってるんだよ、おい! マネキンどもの数がどんどん増えてるじゃねーか!」

「騒いでも仕方ないぞ。とにかく、店を出て少しでも霧の薄いほうへ移動する――なにっ⁉」

「どうし――うおっ⁉」

「浩一さん、おっさん⁉」

 

 行動方針を話し合っていた浩一と獣人の男性めがけ、濃霧から湧き出すようにマネキンの大軍が押し寄せた。10体以上の群れの接近に浩一も獣人の男性もすでに気が付いていたようで、視界に入ったときにはすでに迎撃態勢に入っていた。だが、来ることがわかることとそれに対処できることは違う。2人とも先頭のマネキンこそ排除に成功したものの、その後の立ち回りははっきりと明暗が分かれてしまった。

 浩一は多くの戦場で経験を積み重ね、敵の増援が不意に襲撃してきた際の対処法を自分の中で定型化している。彼我の戦力差に驕らず、瞬時に自分に近いマネキンのみを排除し即座に距離を取ることで数の圧殺を防いだ。いかな大群とはいえ、単体の強さからして端から徐々に削っていけば倒せない相手ではない。

 しかし、獣人の男性は自らの肉体を過信しその場に留まってしまった。剛腕を振るい接近するマネキンを容赦なく粉砕するが、一度に破壊できる数には当然限りがる。1体が破壊されればその隙間に2体が、腕を振るう間に足にマネキンがまとわりつき、それを振りほどくために上半身がおろそかになりその隙を突いてさらに大木のマネキンが押し寄せる。これが普通の生物であれば、破壊される仲間の姿から怯み獣人の男性だけで群れを押しとどめることができたかもしれない。だが、相手は感情も思考能力も持たない操り人形だ。恐怖を持たない存在相手に、自らを誇示する戦いは致命的に向いていなかったのである。

 とはいえ、戦闘経験もあまり持っていない一般市民にその判断を求めることは酷だろう。結果として獣人の男性は6体ものマネキン人形の群れに纏わりつかれ、身動きが取れなくなってしまう。

 古城は咄嗟に手に持つハンガーラックの支柱でマネキンを殴ろうとするが、それよりも先に古城の横を小柄な影が走り抜けた。

 

(ゆらぎ)よ!」

 

 雪菜が打撃に纏わせて獣人の男性へと叩き込んだ呪力は屈強な肉体を素通りし、その背中に取り付いていたマネキンを一瞬で爆砕した。古城もその動きと同時に利き腕らしき右腕に取り付いていたマネキンをハンガーラックの支柱で貫き無力化する。さらに、自分に向かってきていたマネキンをすべて排除した浩一が足を掴んでいたマネキンを踏みつぶし、自由になった体で獣人の男性は残ったマネキンを振り払った。

 すぐそばにいた凪沙には、浩一たちの援護を受けた獣人が自力でマネキンを振り払ったように見えたはずだ。兄の意外な行動に驚くかもしれないが、まさか友人の雪菜が呪力を扱ったとは思いもしないだろう。

 

「やら……れたぜ……くそっ!」

 

 息を切らせながら、獣人の男性が立ち上がる。まとわりつかれた時間が短かったためにそれほど多くの精気魔力をマネキンに吸われてはいないようだが、今までのように動くことは難しいだろう。

 そしてこの男性を救うために、古城たちは凪沙から目を離してしまった。まるでその隙を狙っていたかのようなタイミングで、新たなマネキンの一団が店内へと雪崩れ込んできてしまった。

 

「こ、古城君、雪菜ちゃん、浩一さん!」

「な、凪沙!」

「凪沙ちゃん!」

 

 マネキンの群れによって、古城たちと凪沙は分断されてしまう。マネキンの群れに押しつぶされかけた凪沙を救ったのは、残された力を振り絞った獣人の男性だった。文字通り獣のような動きで迫るマネキンを蹴散らし、凪沙が逃げる道を切り開いてくれたのだ。

 

「逃げろ凪沙! 俺たちもすぐに追いかけるから!」

「わ、わかった! 絶対に追いかけてきてね!」

 

 恐怖に戸惑う凪沙は、兄の声に背を押されるようにして走り出した。屋上へと逃げる買い物客の流れに乗ったところで、涙をこぼしそうになっていた顔が驚きに染まる。

 

「こ、浩一さん! どうやって――?」

「ちょっと無理にあの人形を突破してきたんだ。凪沙ちゃんを守ってくれと頼まれてね。

 さすがに2人を守りながら突破はできなかった。ごめんね」

「え、いえいえ! こちらこそ、古城君の無理なお願いを聞いてくれて……いえ、心配して無理してくれて、ありがとうございます」

「生徒を守るのも学校勤務者の仕事だよ。さて、早く屋上へ向かおう」

 

 浩一に促され、凪沙はしっかりとした足取りで屋上へと向かった。

 彼女が霧を見通す目を持っていたのなら気が付いただろう、いまだ古城の近くで戦う浩一の姿があったことを。そしてこの浩一が、柱の陰の床から滲み出るようにして出現した黒い不定形の存在が、その姿をかたどった偽物だということを。

 山野浩一……バビル2世のしもべであるロデムの変身は、そう簡単に見破れるものではないのだ。

 

 

 

 護衛であるロデムに思念波で凪沙を守るよう指示を出した浩一は、霧の先で凪沙と合流した自らの後姿を見た。しもべの行動を見届けた浩一は、眼前の敵に意識を戻す。彼が僅かに見せた隙を運良く突いたマネキンだったが、回し蹴りの直撃を受け四肢をばらけさせながら吹き飛ぶ。浩一の視界の端では、背中のギターケースから全金属性の槍を引き抜いた雪菜が獅子奮迅の活躍をしていた。

 雪菜が持つ七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)雪霞狼(せっかろう)〟は獅子王機関の秘奥兵器と称される破魔の槍だ。刻まれた神格振動波駆動術式(DOE)は、あらゆる結界を切り裂き呪力の類を無効化する。〝傀儡創造(メイク・ゴーレム)〟によって操られているに過ぎないマネキン人形は、僅かに傷をつけられただけで無力化されるのだ。

 だが、次々と押し寄せるマネキン人形の対処には限界がある。いかに必殺の槍を振るおうと、いかに浩一が一撃でマネキンを砕こうと、すぐにそれを超える数のマネキンが押し寄せてくるのだ。

 

「なんなんだこいつら、いったい何が目的で!」

 

 雪菜と浩一の防衛圏をすり抜けたマネキンをハンガーラックの支柱で打ち砕きながら、古城は吐き捨てるように疑問を口にした。今の一撃で支柱が使い物にならなくなったいら立ちも原因の1つだろう。

 

「確実に数が増えている。このままだとじり貧だ」

 

 浩一には、店を取り囲むようなマネキンの群れが補足できている。しかも、その総量は今もなお増え続けている。まるで吸い寄せられるように、次から次へとマネキンは店へと群がり続けているのだ。

 

「やはり、この人形の狙いは先輩のようですね」

「お、俺か⁉」

 

 古城が思わず間抜けな声を出すほど、雪菜の予想は意外なものだった。うろたえる古城をたしなめるように、雪菜は予想の根拠を説明する。

 

「屋内で襲撃することによって先輩の眷獣を封じ、大量の人形を使って数で圧殺するつもりなんでしょう。

 この〝傀儡創造(メイク・ゴーレム)〟を使った襲撃者の目的は、先輩――第四真祖が持つ無限ともいえる〝負の生命力〟なんでしょう。触れることで魔力と精気を奪いとる術式は、おそらくそのために植え付けられたのだと思います」

 

 雪菜の推測に、古城もこの襲撃が自分を狙ったものだと納得せざるを得なかった。

 

「なんにせよ、このままじゃきりがない! 姫柊、浩一さん、とにかく外に出よう!」

「はい!」

「ならこっちだ、霧も人形も少ない!」

 

 襲撃理由に目安がついても、今この場を切り抜けるためには何の役にも立たない。マネキンがまばらになった隙を突き、3人は店外へと離脱した。

 飛び出した先は、高架状の連絡通路だった。複数のモールを連結する足場の上で、周囲を警戒しながら一行は息を整える。いかにマネキンがたやすく倒せる相手であろうとも、倒すために動き続ければ相応の体力を消費する。

 

「ここは、随分と霧が薄いな」

「おそらく、外から流れ込む空気が多いからだろうね。本来であれば発生した霧が空気と共に入ってくるから、ここの霧はもっと濃いはずだ。たぶん、霧の発生源はもう施設の中に移動しているんだろう。

 わかっていたことだけど、この霧が自然のものでないと確信が得られたよ」

 

 次の戦いに備え僅かでも呼吸を整えながら、精神安定のために古城と浩一は軽い雑談を交える。そうしながらも周囲の警戒は怠っていなかったことは、次の瞬間証明された。

 

「上か!」

 

 3人の視線が、一斉に施設のガラス天井へと向けられる。殺意に似た鋭い視線を辿った元には、1人の美しい少女が立っていた。ガラスの天井を足場に、上下逆さまになりながらも何事もないように。

 その芸術品とも呼べる外見に、獅子王機関の2人は見覚えがあった。厳密には古城も見ているのだが、その時の記憶は抜け落ちているのだ。

 

「スワルニダ……!」

 

 雪菜が呟くようにその名を呼び、その声が聞こえたのか、純白の髪を持つ改造改造人工生命体(ホムンクルス)の少女は裂けるような笑みを浮かべた。

 見えない糸を操るようなしぐさで、スワルニダが両腕を動かす。直後、濃霧から湧き出るように大量のマネキン人形が古城たちめがけれ降りそそいだ。

 

「あれは……」

 

 古城は、落下するマネキン人形の四肢が液体のようにその形を変える瞬間を目にしていた。人間そっくりだったはずの指や足は、鋭い刺となりその切っ先を古城へと向けている。

 そしてその形状変化に気を取られた古城は、回避行動が間に合わなかった。

 

「やっべ……」

「先輩⁉」

「古城君!」

 

 刺と化したマネキンの腕が服に引っ掛かり、古城は大きく体制を崩す。そんな古城を狙い、さらに多くのマネキンが宙から落下し始めた。

 

「うおおおおおおおおっ!」

 

 濁流のようなマネキンの群れに押し流され、古城は通路から押し出された。手を伸ばす雪菜ととっさにこちらへ向けて跳び込んだ浩一を見ながら、古城は浮遊感と共に地面へと落下していく。

 なすすべがない一行を、スワルニダは感情のない瞳でただ見つめ続けていた。



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14話 屋上の混乱

 通路から押し出された古城は、強かに背中を打ち付け咳き込んだ。だが、2階に相当する高さから落下したにしてはあまりにも衝撃が少ない。その違和感に気づくと同時に、四肢が刺と化したマネキンが同時に落下してくることを思い出し、咄嗟に腕で頭を庇った。

 

「何をしている、この馬鹿者。いつまで寝ている気だ?」

 

 頭上から、呆れを含んだ声が響く。聞き覚えのある声に、古城は恐る恐る目を開いた。視界に映ったのは、宙をこちらへと落下してくるマネキンではなかった。

 

「え、那月ちゃん?」

 

 名を呼ばれた魔女は、不機嫌そうに手に持った扇子を一閃させた。不可視の一撃が、古城の頭部を打つ。

 

「教師をちゃん付けで呼ぶなと、何度言えばわかるのだこの馬鹿者」

 

 声も上げられず額を抑える古城が何とか上半身を起こすと、連絡通路の下にマネキンの山ができていた。落下の衝撃で例外なく崩壊しており、多くのマネキンが他のマネキンの手足にその身を貫かれている。

 

「空間制御で助けてくれたのか。ありがとう……って浩一さんは⁉」

「私も一緒に助けられたよ。心配してくれてありがとうね。

 南宮教官も、助かりました」

 

 背後から突然探し人に声を掛けられ、古城は慌てて立ち上がった。見た限りでは浩一に怪我は無く、自分を助けるため宙に身を投げた瞬間を目撃した古城にとっては肩の荷が下りた気分だ。

 

「ふん、礼ならうちの助手に言うんだな。マネキンどもに突き落とされる貴様と、それを追って飛び降りたお前を見つけたのはアスタルテだ」

「そうなのか。サンキュな、アスタルテ。助かったよ。

 さすがにあの数のマネキンに押しつぶされて串刺しにされてたら、復活に時間がかかっただろうしな」

「私からも、ありがとうアスタルテ。さすがにあの数に群がられたら脱出に手間取っていただろう」

「……問題ありません、第四真祖。適切と考えた行動をしたまでです、山野攻魔官」

 

 戸惑ったような沈黙の後、アスタルテは答えた。感情のこもらない平坦な声に聞こえるかもしれないが、そこそこ長い付き合いになる2人は語尾が僅かに震えていることに気が付いた。アスタルテにとって、古城も浩一も自らよりも強いと彼女が定義する存在だ。そんな上位者から思いがけず礼の言葉を投げかけられたという事実に対して、困惑を隠せなかったのかもしれない。

 

「先輩、浩一さん、大丈夫ですか⁉

 って、南宮先生が何故ここに?」

 

 会話がひと段落したタイミングで、銀の槍を握った雪菜が2階の通路から飛び降りてきた。霧が邪魔をして落下地点の安全を探るために時間がかかったのだろう。呪力によって強化された脚力により、危なげなく着地した雪菜は那月とアスタルテを見て驚いていた。

 

「姫柊、無事か?」

「私は大丈夫です。ですが、あの人形には逃げられてしまいました」

 

 古城が頭上を見上げるが、霧に包まれた天井のどこを探ってもあの改造人工生命体(ホムンクルス)の姿を見つけることはできなかった。濃霧に紛れ、姿を隠したのだろう。

 

「スワルニダか。私たちはその人形を追ってここまで来たのだが……そういえば、お前たちもあの哀れな人形と因縁があったな。山野からの報告で話は聞いているぞ」

 

 情報共有によってある程度の事情を把握している那月は、不機嫌そうに唇を歪めた。スワルニダを見失っただけではなく、古城や一般市民が危険にさらされたことが気に食わないのだ。

 そんな那月の様子に冷や汗をかきながら、古城と雪菜は現状の分析を進めている。

 

「そういえば、スワルニダの狙いは俺か霊的なパスが繋がってるアスタルテなんだろ? なんで無関係な買い物客まで無差別に襲ってるんだ?」

「わかりません。ただ、さっき見た彼女は私が以前交戦したときと比べて雰囲気がまるで違っていました。すぐそばにいた魔術師の姿も見えませんでしたし」

「じゃあ、主人の魔術師を無視して暴走してるってのか?」

「その可能性は高いです。もしかすると、彼女は大量の魔力を集めることで先輩に対する何らかの手段を確立するつもりなのかもしれません。効率が悪いとはいえ、大量のマネキンを使って一般人から魔力を奪えばかなりの魔力が手に入りますから」

「つっても、大量の魔力を集めてどうするんだよ。改造されてるとはいえあくまでもスワルニダは人工生命体(ホムンクルス)だろ。魔術の類は使えないんじゃなかったか?」

 

 古城が抱いた当然の疑問に答えたのは、那月だった。

 

「あの人形は体内に魔具が埋め込まれている。集めた魔力で魔具を動かしているんだろうさ」

「魔具……もしかして〝傀儡創造(メイク・ゴーレム)〟の魔術を行使してるのはそれか?」

「ほう、〝傀儡創造(メイク・ゴーレム)〟に気づいていたのか。転入生の入れ知恵だな。

 魔具の詳細は不明だが、マネキンどもを操っているのはスワルニダでまず間違いないだろう。数百体に及ぶ傀儡を同時に操るには、やつに組み込まれている演算能力を使いでもしなければほとんど不可能だ」

「あの量のマネキンを全部、スワルニダが動かしてるってのか? たった1人で?」

 

 あまりにも常識外れの話を聞かされ、古城は絶句する。それだけの魔力を扱えば、魔具も何らかの要素を放出するはずだ。熱を持つ、振動を起こすといった動作に関する副次発生は、容易に抑え込めるものではない。魔具を体内に埋め込まれているであろうスワルニダにとっては、無視できない要因であろう。

 だが、それはただの改造人工生命体(ホムンクルス)ならばの話だ。

 

「古城君、いくつか間違いを訂正しておこう。今のスワルニダはもう人工生命体(ホムンクルス)とも機械人形(オートマタ)とも呼ぶことができない存在だ。先日交戦したが、今の彼女は体内に魔術的に圧縮した空間を持っている。肉塊と武装を詰め込んだ、外見を取り繕った未知の怪物と考えたほうがいい。

 それと、先ほど魔術師を無視して暴走していると言っていたが、一部間違いだ」

「どういうことですか?」

「すでに彼女の主……人形遣いは死んでいるよ。遺体から体液はすべて抜き取られ、彼の男が持っていた知識や技術の一部を今のスワルニダは手に入れている。つまり、膨大な魔力を元にした魔術攻撃も可能というわけだ。

 古城君、君が見たマネキンの変形も、協力者の仕業ではなくスワルニダが行っていたんだよ。唯一の救いは、知識も能力も断片的にしか吸収できていないようでね。魔術師としての腕前はそこまででもない」

 

 人工生命体(ホムンクルス)が魔術を扱う。魔術的常識からは考えられない話なのだが、今のスワルニダはそうした常識からはかけ離れた存在と化している。だが、それでもスワルニダを止めなければならないのだ。

 

「……待てよ、あのマネキンは全部スワルニダが操ってるんだよな。だったらスワルニダを止めれば、あのマネキン共も全部止まるってことか?」

 

 古城の呟きは、正鵠を射ていた。マネキンの暴走も、濃霧による混乱も、すべてスワルニダが単独で引き起こした事件だ。ならば、その原因であるスワルニダを叩いてしまえばいい。スワルニダを止めてしまえさえすれば、混乱の元凶は消え去るのだから。

 

「そうですね。〝雪霞狼(せっかろう)〟であれば、魔具の破壊と共にスワルニダの無力化も十分に可能だと思います。私でなくとも、南宮先生でも浩一さんでも、スワルニダの捕縛は容易でしょうし」

「いや、今の現状だと〝雪霞狼(せっかろう)〟を扱える姫柊が適任だと思うよ。今のスワルニダはどのような魔術を扱ってくるのかまるで予想がつかない。魔力を無効化し迅速に制圧できるのは、非常に大きな利点だ。

 南宮攻魔官は、確か今特区警備隊(アイランド・ガード)の依頼で動いていたはず。独断で制圧してしまっては後々問題が出てきてしまう」

 

 傲岸不遜が服を着て歩いているような那月だが、それでも社会のしがらみから完全に無縁というわけにはいかない。むしろ立場や能力によって、一般的な人間が関わるよりも多くの制約の中で彼女は生きている。

 稀に那月が漏らす、特区警備隊(アイランド・ガード)にも花を持たせるというのは言い訳でもなんでもない、彼女が日常的に行っている処世術の1つなのだ。

 

「だったら俺たちでなんとかスワルニダを止めるしかないってことか。

 ただ、その場合の問題は……」

「凪沙ちゃん、ですね」

「バレる、よな」

「まず、間違いなく」

 

 古城が唇を噛み、雪菜が肩を落とす。

 今ショッピングモールに来ていた買い物客たちは、霧から逃れるように屋上へと逃げていた。人の波に乗ってしまった凪沙も、当然屋上へと向かっているだろう。人々を守るようにして戦うならば、霧に身を隠しながらの戦闘は不可能だ。凪沙に目撃されてしまえば、古城がただの人間ではなくなってしまったことがばれてしまう。魔族恐怖症である凪沙がその真実を知れば、暁家の日常はもう取り戻せないだろう。

 同様に、雪菜が戦えばなぜそれだけの力を持っているのかと不審がられてしまう。浩一に至っては論外だ。凪沙からすれば、交流のある用務員が突然分身したとしか思えない光景となってしまう。

 

「こうしている時間も惜しい。どうしたものか……」

「……待てよ、なんとかなるかもしれないぜ」

 

 悩む浩一の横で、古城がぼそりと呟いた。

 

「先輩?」

 

 不審そうな雪菜が声をかけるが、古城の視線は一点に定められたまま動かない。

 その視線の先には、無人となった屋内広場があった。そしてそこには半壊した野外ステージと、ショーに出演する出演者の控え室が備品そのままに放置されていた。

 

 

 

 凪沙が浩一に化けたロデムと共にたどり着いたのは、リディアン絃神の屋上だ。霧の中から現れるマネキンから逃れるため、買い物客たちは追いつめられるようにして屋上へと逃げ込んできたのだ。言い方を変えれば、逃げ場のない空間へ誘導されたと言っていいだろう。

 

「落ち着いてください! みなさん落ち着いて!」

 

 リディアン絃神の責任者であろう人物が、必死に声を張り上げている。一時的に霧の薄い地点に集まり気が抜けたためか、今はざわめきが広がるばかりで大声を上げるものがいない。この機を逃せば、屋上に集まった数百人の混乱を止めることはできないだろう。

 

「心配ありません! 濃霧の影響で到着が遅れていますが、特区警備隊(アイランド・ガード)がこちらに向かっているとの連絡がありました! まもなく到着する予定ですので、安心してください!」

「安心しろ、まもなく来るだと?

 ふざけんな! 今の状況で、いつ来るかもわからないとか言われてどう安心しろってんだ! ああ⁉」

 

 責任者に食って掛かった中年男性を皮切りに、屋上のあちらこちらから不満の声が噴出した。

 

「あのマネキンはここの備品なんだろ? なんでそれが客を襲うんだよ!」

「霧のせいでろくに逃げられなかったんだ! 排煙装置もないのか、この施設は!」

「そ、それは……」

 

 罵声を浴び続ける責任者は、すでに涙目となっている。彼にも状況を把握できていないのだから、それも仕方のないとこだといえよう。

 いがみ合う大人たちを避け、凪沙は屋上の片隅で幼い子供たちと共に集まっていた。すぐ傍には浩一の姿をしたロデムと運よく合流できた獣人の男性が、万が一買い物客が暴徒と化した場合に備え凪沙たちを守れる位置で周囲を警戒している。ロデムの配慮で、凪沙の視界に獣人男性の姿が映ることはほとんど無く、魔族恐怖症の発作が起きることもない。

 大人の庇護の元、子供たちを励ますことで凪沙は心の均衡を保つことができていた。

 そんな凪沙の背後から、不穏な声が響く。

 

「新規生命力供給源を、目視にて確認」

 

 機械的な声と共に、粘ついたナニカが壁面を叩く湿った音がする。同時に、屋上のあちらこちらから悲鳴が上がった。悲鳴の主たちは、例外なく凪沙の背後を見ている。

 振り向いた凪沙の正面に、純白の髪を持った人形が佇んでいた。見惚れるほどに美しい造形だが、背後に無数のマネキンを従えていることでその美しさがそのまま恐怖の対象となっている。

 

「あなたは出口の確保を。私はこの人形の相手をします」

「おう、死なないでくれよ? 知り合いを亡くすのは愉快じゃないからな」

 

 凪沙の眼前へロデムが飛び出し、その姿をスワルニダから遮った。獣人の男性は、出口を抑える人形群へと走り去っていく。

 屋上全体を睥睨していたスワルニダの目が、吸い付くように凪沙を見た。

 

「膨大な潜在魔力保有者を確認。同時に擬態性生命体の護衛を確認。最優先確保目標、及び最優先排除目標に設定。執行せよ(エクスキュート)――」

 

 改造人工生命体(ホムンクルス)の声に従い、スワルニダの背後から屋上へと這い上がってきたマネキンたちが一斉に凪沙を見る。

 

「まずいな、逃げろ凪沙ちゃん!」

 

 敵意を感じ取ったロデムが凪沙の背を押し、少しでもマネキンから遠ざけようとする。だが、出口をふさがれた屋上の、いったいどこに逃げればいいというのか。

 

「なに、なんなの……?」

 

 恐怖に顔を歪める子供たちと共にマネキンから離れようとする凪沙だったが、今の状況に恐ろしさを感じているのは彼女も同じだ。そして子供は、自分よりも成長した人間の感情を感じ取ることに長けている場合が多い。

 泣き出した子供たちを何とかなだめようとする凪沙の視界の端で、ロデムの迎撃をすり抜けた1体のマネキンがこちらに迫ってくる様子が映った。せめてそばにいる子供だけでも守ろうと、凪沙は覆いかぶさるように子供たちを庇い目をきつく閉じた。

 鳴り響く轟音と破砕音に、凪沙は襲い来るであろう痛みを耐えるために体に力を込めた。熱風が髪を揺らし、硬い何かが床に落下する音すら聞こえてくる。

 

「……あれ?」

 

 しかし、覚悟していた痛みは一向にやってこない。それどころか、子供たちの歓声が破壊音にとってかわった。

 疑問と共にゆっくりと目を開けると、子供たちが満面の笑みで凪沙の背後を見ている。

 

「傀儡損耗率上昇、及び障害の出現を確認」

 

 さらに、背後から改造人工生命体(ホムンクルス)の戸惑うような声も聞こえてくる。思わず振り返った凪沙は、飛び込んできた光景に思わず目を丸くすることになった。

 

「た、タルタルーガ君?」

 

 マスクドバニーの頼れる相棒、黄色い亀の精霊が、雷光を纏ってマネキンの群れを蹴散らしているのだ。普通の人間では、いや、鍛えぬいたスーツアクターですら不可能な身体能力に普通であれば恐怖を覚えそうなものだが、それを行っているのは眠たげな顔をしたマスコットだ。恐怖よりも先に驚きに襲われる。

 

「先行しないでください、先ぱ……タルタルーガ君!」

 

 続いて、可憐な衣装を纏い槍を構えた少女が現れた。タルタルーガ君の相棒、マスクドバニーだ。舞うような美しい動きでマネキンを切り裂き、切られたマネキンは糸が切れたようにその動きを止める。

 

「どうなってるの……?」

 

 混乱する凪沙の前に、さらなる登場人物が現れた。

 

「あまり油断するな、背後にも気を配れ」

 

 鎖が繋がれた巨大な錨でタルタルーガ君とマスクドバニーの背後に回っていたマネキンを纏めて叩き潰したのは、ヒーローショーのポスターに描かれていた海賊風の男だった。

 

「キャプテン・ジョーンズ!」

 

 どうやら悪役らしく、子供たちが一斉に悲鳴を上げる。その声に反応して数体のマネキンが子供たちへ襲い掛かるが、数歩も進めないうちにキャプテン・ジョーンズが投げた錨で粉砕される。

 戸惑う子供たちを背に、タルタルーガ君、マスクドバニー、キャプテン・ジョーンズがスワルニダと対峙した。

 

「ようやく見つけたぜスワルニダ。さんざん派手にやらかしてくれたな!」

 

 ボイスチェンジャーで間の抜けた声に変換されているが、タルタルーガ君の中の人……暁古城は、マネキンを従えるスワルニダへと啖呵を切る。

 

「障害兼目標を目視にて確認。同化を開始します」

 

 目の前に現れた魔力源に向けて、スワルニダが内蔵された武装を展開し始める。

 見た目はショーであり本質は決戦であるちぐはぐな戦いが、何とも締まらない形で幕を開けた。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 種族・分類

 キャプテン・ジョーンズ
 本作オリジナルキャラクター。
 マスクドバニーに登場した怪人が海産物をモチーフにしていたので、海の悪霊の名を持つ上位幹部として誕生した。
 人間と海産物のキメラが海賊風の衣装を身に纏ったデザインをしており、子供向けながら嫌悪感と恐怖を感じさせる外見をしている。
 鎖のついた錨は、範囲攻撃のために備品を組み合わせて作り強化魔術で無理やり武器として成立させた有り合わせのもので、本来の装備品ではない。
 中の人はバビル2世。

 タルタルーガ君
 マスクドバニーの相棒であり、電気を使うらしい亀の妖精。
 原作イラストから、魔法少女者によくいるマスコットキャラのような外見ながらも、活躍に子供たちが疑問を上げていなかった点から意外と戦闘もできるキャラクターのようだ。
 中の人は暁古城。

 マスクドバニー
 子供向けの特撮作品であり、ビジュアルとアクションを両立させて子供と特撮オタ両方を取り込むことに成功している作品であり、同作品の主人公の名前。
 敵組織や怪人の総称が今日の情勢的になかなか攻めているうえ、主人公が執着心からストーカーフォームなる形態を獲得するなど現実では規制がかかるであろう設定が目白押しである。
 中の人は姫柊雪菜。


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15話 人形が得た〝永遠〟

 いよいよ明日、ストライク・ザ・ブラッド最終巻の発売日となりました。
 物語が終わってしまう悲しみと、無事に完結してくれる喜びで複雑な心境ですが、今は発売をただ待ちたいと思います。
 できるならば、番外編やAPPENDといった形で古城君たちの物語を読み続けたいものです。


 啖呵を切ってスワルニダに立ちはだかったタルタルーガ君……の着ぐるみを纏った古城だったが、内部では非常に苦しい思いをしていた。

 

「くそっ、この着ぐるみ動きずらすぎるぞ!」

 

 背後から突き刺さる視線を感じながら、汗だくでマネキンを叩き続ける古城。その苦労を、外部からうかがうことはできない。

 視界が狭まり、動きを制限されて戦う古城は、当然ながら隙が大きくなる。その隙を埋めるのは、タルタルーガ君の相棒たるマスクドバニー……の衣装を纏った雪菜だ。

 

「危ないですよ、先……タルタルーガ君!」

 

 美しい槍捌きで、その制空権に入ったマネキンはほぼ例外なく一瞬で切り裂かれる。

 だが、そんな雪菜も動きに精彩を欠いていた。普段と比べ大幅に露出度が上がる衣装を身に纏い、胸や太ももといったきわどい部分に強い視線を感じ続けながら戦わねばならないのだ。いくら顔が隠れているとはいえ、真っ当な羞恥心を持った年頃の女の子にとって、気恥ずかしさを覚えるなというのは酷だろう。

 そして雪菜の羞恥心から生まれる隙を潰す者こそ、キャプテン・ジョーンズ……の格好をした浩一だ。

 

「仕方がないとはいえ、周囲への注意が足りない。落第ものだぞ?」

 

 キメラのマスクに海賊服を着ただけの浩一は、現状最も普段のコンディションと近い状態で戦える人間だ。これは浩一がましな衣装を無理やり奪ったわけではない。妹を心配するあまり、一番近くにあった着ぐるみを着て飛び出した浩一と、焦って追いかけるために近くの衣装を着た雪菜の次に変装道具を探したのだが、体形に合う衣装はこれしかなかったのだ。

 バビル2世の能力として骨格と筋肉を変動させ体形をまるで変える手段はあるが、あまり元の体形からかけ離れた外見になれば、古城と雪菜に怪しまれる。

 

「おい、タルタルーガ君が助けてくれたぞ!」

「本物……?」

「さっきのショーに出てたキャラだよね?」

 

 特撮のキャラクターが突然自分たちを助けてくれたという異常事態に驚いた人々から、パニックが抜け落ちていく。

 だが、屋上の一角では別の熱狂が渦巻いていた。

 

「なんだあの槍、新しい装備(おもちゃ)か⁉」

「事前情報無しだぞ!」

「キャプテン・ジョーンズってもっと粗暴じゃなかったか?」

「あの錨も初めて見るぞ!」

「槍共々、いつ発売なんだ⁉」

 

 特撮マニアの熱心な会話を後目に、スワルニダが古城を見据えた。魔力を感知する彼女にとって、着ぐるみやコスプレ程度個人特定には何の障害にもならない。

 

「質問――なぜ私の邪魔をするのですか?

 私の目的は〝永遠〟を手に入れることのみ。人形師様(マイスター)から与えられた存在意義を達成することこそ、私の使命。貴方は私ではなく試験体(アスタルテ)に〝永遠〟を与えた。人形師様(マイスター)の最高傑作たる私ではなく、あの出来損ないの試験体に。

 私はその間違いを正そうとしているだけです。それを何故妨害し続けるのですか?」

 

 本来改造人工生命体(ホムンクルス)として希薄なはずの感情が、スワルニダの絵を震わせる。その声音から透けて見える感情は、底知れない嫉妬と憎悪だ。古城がアスタルテを助けるために霊的な繋がりを作らなければ、アンドレイドはわざわざ〝永遠〟の手がかりとして古城やアスタルテに気が付くことはなかっただろう。そしてあの屋上で古城と闘わなければ、スワルニダが醜く焼け爛れアンドレイドから見限られることはなかった。そうすれば、最高傑作の称号を未完成のホムンクルスに奪われることはなかった。

 思考は高速演算装置の補助を受けた脳内を廻り続け、底知れなくおぞましいほどの執着となってスワルニダの心を汚染していた。今の彼女にとって、すでに失った存在意義を満たす以外にその感情から逃れる方法がないのだ。自分でも制御できなくなった感情の津波に流されたスワルニダの言い分は、対峙する古城の逆鱗に触れた。

 

「おい、いつアスタルテが〝永遠〟なんてものを望んだよ。あいつは俺に逃げろって言ったんだぞ? この人工の島を沈める道具として使われながら、それでも目の前の人を救おうと命令に背いてまで逃げろって言ったんだ。

 自分の目的のために、大勢の人間を傷つけるお前とは大本からして違うんだよ!」

「理解不能。感情により正常な判断が下せていない可能性大。私は正常に作動しています。間違っているのはあなたたちであり、私は間違いを修正するために行動しています」

 

 着ぐるみのボイスチェンジャー越しに古城の声を聴いても、スワルニダの行動原理には響かない。すでに会話すら惜しいと考えているのか、スワルニダの全身から銃口が浮き上がった。魔術的に圧縮された体内に保存していた銃器が、一斉に古城へと狙いを定める。

 

「そうかよ、だったら力づくで止めてやる! 悪く思うなよ、スワルニダ!」

 

 一斉に打ち放たれた銃弾が、古城の放つ雷撃でその尽くが迎撃された。日頃の制御訓練の成果もあり、主な余波はすべて空へと打ち出され屋上に被害は出ていない。

 結果として背後にいた買い物客も守った形となった古城だったが、それを見る周囲の人々は戸惑いの表情を浮かべていた。特に、子供たちは不安そうな表情を隠そうともしない。

 わずかな思案の後、古城は理由に気が付いた。今の古城はタルタルーガ君の着ぐるみで行動しているにもかかわらず、口調は別人そのものなのだ。大人たちは異常な戦闘力を持ったコスプレ集団として警戒しているのだが、子供たちはタルタルーガ君の偽物ではないのかと疑っているのだろう。

 

「わ、悪く思うなタル! ぶっ壊させてもらうタル! ここから先はボクの正義(ケンカ)タル……!」

 

 このキャラに詳しいわけではない古城は、横目で見たショーの記憶からなんとか口調を再現した。実行している本人からして全く自信がない物まねだったが、なんとか彼の努力は報われる。

 瞳を輝かせた子供たちが、一斉に歓声を上げたのだ。その興奮は徐々に大人へと伝播していき、やがて屋上全体を揺るがす大声援へと変わる。

 その異様な雰囲気の中でも、スワルニダは思考を鈍らせない。彼女の左腕から鋼鉄の糸が伸び、歓声を上げる買い物客へと延びる。このまま無関係の人間が引き寄せられれば、古城は攻撃手段を大幅に阻害されることになる。ある程度制御ができるようになったとはいえ、吸血鬼の眷獣というものは精密攻撃への適性は全くと言っていいほど無いのだ。しかも、古城が宿すのは天災にも匹敵する破壊力を宿す第四真祖の眷獣だ。制御を間違えれば、人質は消し炭と化してしまうだろう。

 だがそれも、この場にスワルニダの行動を止める者がいなければの話だ。

 

「いいえタルタルーガ君! わたしたちの正義(ケンカ)です!」

 

 やけくそ気味に槍を振り回し、雪菜はスワルニダの鋼糸をすべて切り落とす。彼女が持つ卓越した槍捌きと、剣巫として身に着けた疑似的な未来視があって初めて成り立つ驚異的な技巧だ。その美しくも可憐なアクションに、特撮マニアの歓声が一段と大きくなった。子供たちの興奮も最高潮だ。

 そして古城と雪菜を押さえつけようと迫るマネキンの大軍は、浩一が操る錨と鎖でそのすべてが打ち据えられ砕かれていく。

 

「甘い。その程度の動きで近づけるとでも思ったか」

 

 派手な台詞や動作がないだけに、その技量は圧巻の一言だ。浩一本人はほとんど移動していないにもかかわらず、手に持つ鎖は生きているような動きでマネキンの行動を阻害し、先端の錨は容赦なくマネキンを粉砕する。

 背後を守る浩一へ向けて雪菜は軽く頭を下げ、槍の穂先をスワルニダへと向けた。

 

「行きますよ、タルタルーガ君!」

 

 雪菜が操る銀の槍は、一呼吸のうちに数閃の銀光を生み出した。スワルニダが再び伸ばした鋼糸は切り裂かれ、おまけとばかりに古城へと近づいていたマネキンが切り裂かれその動きを止める。

 

「演算完了、執行せよ(エクスキュート)――」

 

 しかし、雪菜が古城の前に出たわずかな時間を使ってスワルニダの一手は打たれていた。霧を魔力が伝達し、いまだ動き続けるマネキンへと術式を伝播させていく。

 効果は劇的だった。マネキン同士が身を寄せ合い、その姿が溶けるように一体化していく。百を超えるマネキンは、融合を繰り返し巨大な彫像へとその姿を変貌させた。

 通常の攻魔師であれば、抵抗すら難しい難敵となっていただろう。だが、今スワルニダの眼前にいるのは着ぐるみに身を隠した世界最強の第四真祖と呼ばれる存在だ。古城の体が着ぐるみごと雷光に包まれ、膨大な魔力が異界からの召喚獣の肉体を形作る。

 

「〝焔光の夜伯(カレイドブラッド)〟の血脈を継ぎし者、暁……いや、精霊タルタルーガが、汝の枷を解き放つ――!」

 

 召喚の妨害をしようと、巨大な傀儡の群れが古城へと手を伸ばす。大きさは5メートルを超え、四肢は鋭利な刺と硬度の高い装甲で覆われている。一撃でも受ければ、人間程度たやすく行動不能に、悪ければ即死しかねないほどのダメージを与えることができるだろう。

 だが、古城は一切の動揺を見せない。恐れる必要がないものを相手に、心を乱すものはそういないだろう。まるで砲身のように両腕を傀儡の群れへと突き出し、蓄えられた破壊の塊を開放した。

 

疾く在れ(きやがれ)、五番目の眷獣〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟――!」

 

 どれだけ傀儡が巨大になろうとも、元はマネキンでありスワルニダは素材を変換できるほど高度な錬金術を操ることができない。たとえマネキンが何百体集まろうとも、天災に匹敵するといわれている第四真祖の眷獣の相手になるはずがなかった。

 魔力を元に顕現した体長10メートルを超える雷の獅子が、主の命に従い巨大樹脂人形の群れを一瞬で粉砕する。大きさが幸いし、屋上の床への被害はほとんど出ていない。だが、周辺の電子機器への影響は計り知れないだろう。こればかりはコラテラルダメージとして諦めてもらうしかない。

 雷光の切れ目からスワルニダの様子を窺った古城は、驚愕に目を見開いた。手駒のほとんどを破壊され、絶対的に不利であるはずのスワルニダが笑っているのだ。次いで光り輝く砲塔が自らを狙っていることにも気が付く。

 スワルニダが吸収したのは、犠牲者の魔力と精力だ。魔力の大半は、今の巨大人形作成に消費したとみてまず間違いないだろう。だが、残りの精力は一体どこへ行ったのか。その答えが、スワルニダの左腕から延びる砲塔だ。

 本来エネルギー不足で十分な威力を発揮できていなかったサントスの光学兵器へと、スワルニダは奪い取った精力のほとんどを注ぎ込んだのだ。今やその砲塔は完全な威力を発揮するだけのエネルギーの供給を受けている。一撃で戦車すら爆散させる光線を乱射されれば、大惨事が発生するだろう。

 雪菜が未来観でそれに気が付くも、距離的にも相性的にもその行動を防ぐことができない。古城の今扱える眷獣でも、数発は防ぐことができても乱射を止めることはできない。

 そしてまさに惨劇の引き金が引かれかけた瞬間、砲塔はスワルニダの左腕ごと飛来した錨に叩き潰された。

 

「その武装を撃たせるわけにはいかない。回収させてもらうぞ、スワルニダ」

 

 錨は器用に砲塔をひっかけ、宙を飛んで浩一の手に回収された。注ぎ込まれたエネルギーが霧散し、まばゆく輝いていた砲塔はその源を失い沈黙している。観客から悲鳴が上がるが、浩一は一切意に介さなかった。彼の目的の1つは、この砲塔の技術回収だ。絶好の機会があった以上、周囲の人間への配慮からその機会を失うわけにはいかない。

 

「――ッ!」

 

 逆転の一手を潰されたスワルニダが、怒りの表情と共にその全身から射撃武器を展開し浩一めがけて一斉掃射するも、無言で展開された結界にその全てが弾き返された。

 

「もうやめろスワルニダ!」

 

 怒り狂う殺人人形に古城は懸命に呼びかけるも、スワルニダは一切の反応を返さない。これ以上はスワルニダを破壊するしかなくなってしまうため、古城はどうしても最後の一手を繰り出すことができない。

 

命令拒否(デイナイ)……命令拒否(デイナイ)命令拒否(デイナイ)命令拒否(デイナイ)!」

 

 自らの呪いともいえる激しい感情に支配されたスワルニダは、古城の言葉に一切の反応を返そうとしない。怒りのままに重火器を撃ち放ち浩一と古城の足止めをしつつ、残された魔力で最後の魔術を撃ち放とうと術式展開を始めた。魔力が枯渇し始めているスワルニダにとっては、文字通り命を削るほどの負担が襲い掛かっている。だが、それに見合うだけの規模と破壊を生み出す術式であると、魔術知識を持つものにならばすぐにわかるほどの大規模魔術が展開されようとしていた。

 そして、そのような危険な魔術の行使を黙ってい見てる雪菜ではない。

 

「――獅子の巫女たる高神の剣巫(けんなぎ)が願い奉る」

 

 銀の槍を握りしめた雪菜が、舞うような動きでスワルニダ目掛けて走り出した。美しい動きで間合いを詰める雪菜を、槍が発する輝きが引き立てるように照らし出す。〝雪霞狼〟に刻印された、神格振動波の輝きだ。

 いかなる大魔術であろうとも、高度な結界術であろうとも、その輝きの前では魔の力は尽くが打ち消されその力を失うのだ。

 

「破魔の曙光、雪霞の神狼、鋼の神威をもちて我に悪神百鬼を討たせ給え!」

 

 射撃と魔術行使のために全演算力を使用していたスワルニダは、閃光と共に放たれた一撃を避けることができなかった。

 槍が胸元に突き立った瞬間、スワルニダが練っていた禍々しい魔力は瞬時に霧散した。同時に体内の圧縮空間に異常が発生したのか、銃撃も突如止む。

 すべての動きを止めたスワルニダは、まるでただの人形のようにも見えた。鑑賞され愛でられる、美しい人形のように。

 

「起動コアに深刻な損傷が発生。制御不能。全武装起動不可、及び魔力精力共に枯渇……戦闘続行不可能。人形師様(マイスター)、指示を……人形師様(マイスター)……」

 

 瞳を見開き、うわごとのように呟きながらスワルニダはゆっくりと体を傾ける。その先に床は無く、数秒もすれば重力にひかれて地面に落下するだろう。

 その体を抱きとめたのは、古城だった。どこか迷子になった幼子のようなスワルニダを、彼は放っておけなかったのだ。着ぐるみ越しに顔を見つめるスワルニダへ、古城は優しく囁いた。

 

「もういいんだ、スワルニダ。もう戦う必要なんてないし、無理に動くこともない。このまま眠ってろ、永遠にな」

「永、え、ん……」

 

 古城の言葉を耳にしたスワルニダが、安らかな笑顔を表情を浮かべた。迷い子が無事家に着いたような、苦難の先に目標を達成したような、複雑ながらも安堵に満ちた笑顔だ。

 

命令受諾(アクセプト)……」

 

 呟くように古城の言葉を受け入れたスワルニダは、最後の力で古城の頬に顔を寄せた。すでに摩耗しきった生命力を振り絞り、ほんの僅かな魔術を行使する。

 

「なっ⁉」

 

 スワルニダの唇がタルタルーガ君の着ぐるみをすり抜け、古城の頬に軽く触れた。驚く古城の腕の中で、スワルニダの駆動音が徐々に小さくなっていく。

 最後の行動を終えたスワルニダは、誰もが見惚れるほどの美しさでその時を止めた。狂い果たすまで焦がれ追い求めた〝永遠〟を、自らを抱きとめた男の腕の中で手に入れたのだ。




 バビル2世 用語集

 用語

 変身能力 へんしんのうりょく
 バビル2世が持つ超能力の1つ。
 自らの筋肉や骨格、関節を自由自在に操り、外見を完全に別の人間へと変化させる能力。
 原作では小柄で小太りの男から、背の高い痩せ型の男まであらゆる人間に変装しており、外見から見破った存在はいないほどに高い擬態性能を誇る。
 弱点は服装までは変えられないため適当な相手から奪い取る必要があることと、内蔵疾患の跡などまでは再現できないのでレントゲンなどで体内をスキャンされるとごまかせない点が挙げられる。
 現に、ヨミは部下に化けたバビル2世を、肺疾患の治療痕がないという理由で偽物だと見破った。


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16話 広がる波紋

 リディアン絃神で発生したマネキン暴走事件から一夜明けた月曜日、古城と雪菜は通学用のモノレールに揺られていた。

 

「昨日はひどい目にあったぜ」

「そうですね。さすがに、私も疲れました」

 

 並んで吊革につかまる2人の顔には、はっきりと疲労の色が浮かんでいる。古城は窓の外の流れる景色を死んだ目で見つめ、雪菜はそんな古城を見ても苦笑するだけだ。

 

「あれだけの規模の事件で、死者が出なかったのは幸いでしたね。かなりの数の魔族が抵抗していたようですし、魔族特区だからこそこの程度の被害で済んだと聞きました」

「スワルニダを何とか止めたと思ったら、ガキどもが一斉にまとわりついてきたからな。戦うよりもきつかったぜあれ。逃げ切れなかったらとか考えるとゾッとする」

「私は、握手やサインを求めてくる男の人たちの集団に追い回されて大変でした」

「浩一さんは敵役だったからか、あんまり人に群がられてなかったな」

「それでもやりにくそうにしてましたし、私たちの脱出を助けてもらえて本当にありがたかったです」

 

 自嘲混じりに言い合い、2人は仲良く肩を落とす。自分も敵役の服を選べばよかったと、いまさらながらの後悔だ。

 そう、特撮番組のコスプレでスワルニダの凶行を食い止めた古城たちの真の苦労は、人々を救った後にやってきた。離脱のタイミングを見誤った一行は、命の恩人として屋上の買い物客たちに取り囲まれてしまったのだ。

 命の危機というある種究極の抑圧状態から解放されたとあって、群衆は思考のブレーキが緩みきっていた。度を越えたスキンシップに、着ぐるみを脱がされかけたことも仮面を奪われかけたことも一度や二度ではない。身体能力と呪術、そして容赦のない戦闘で怯えられていた浩一の助力もあり、辛くも特区警備隊(アイランド・ガード)が到着する寸前に現場を脱出できたのだ。

 ギリギリの脱出劇を思い出しながら古城が視線を上に向けると、車内モニターで放映されているニュース番組が目に入った。丁度事件を特集しているらしく、製作者殺しの人形としてスワルニダの顔写真が映されている。やけど跡も魔術で変形した跡もない、造られたままの美しい外見だ。

 

「〝永遠〟に美しいままに、か……これも、ある意味永遠ってことで納得してくれるかな」

 

 口の中で言葉を転がしながら、古城は自分の中でくすぶる感情を見ないよう努めた。

 事件が終わり、機能を停止したスワルニダを思い出すたびに古城は考えてしまうのだ。もう少し自分がうまくやれば、アスタルテのようにスワルニダを救うことができたのではないかと。与えられた存在理由を、一方的な理由で奪い取られてスワルニダは狂ってしまったのだ。彼女も人形師の犠牲者の一人といえるだろう。

 話を聞く限り、古城が手を出せない領域でスワルニダは外道へと突き落とされた。それを助けられたと考えるのは傲慢だが、世界最強と呼ばれる力を持ってしまっている以上、もしかしたらを考えてしまうのは仕方がないことだろう。

 

「先輩?」

 

 沈んだ表情で俯く古城を、雪菜が不思議そうにのぞき込んだ。

 

「ああ、何でもない。そういえば、那月ちゃんがスワルニダを回収してたけど……」

「南宮先生は良識のあるかたですから、きちんと埋葬してくれたはずです。浩一さんも一緒でしたからね」

 

 変装を解いて凪沙と合流した古城たちの目の前で、国家攻魔官としての権力を使い那月はスワルニダの遺体を回収したのだ。

 ふと、古城の脳裏にスワルニダが行った最後の行動がフラッシュバックした。着ぐるみをすり抜けて頬に触れた唇の感触を思い出し、思わず古城の手が頬に伸びる。

 その動きを見逃す雪菜ではなかった。

 

「先輩、そういえば最後にスワルニダを抱きしめたときのお話なんですが」

 

 雪菜の放った一言に、古城の体をすさまじい悪寒がはしった。冷や汗が噴き出し、服の下をゆっくりと流れ落ちていく。

 

「えと、姫柊、さん?」

「どうしました、先輩。まだ何も言っていないのに、何かやましいことでもあるんですか?」

 

 雪菜は笑っているが、古城は気がついた。目が、まったく笑っていない。

 

「距離が近かったとはいえ、スワルニダが最後に取った行動は霧で見えにくかったんです。なので、何があったのか教えていただけると、監視役として助かるんです」

「あの、えーとですね……」

「どうしたんですか? 何か、話したくないことでも、あったんですか?」

 

 笑顔のはずの雪菜から、信じられない重圧が発せられていく。もともとあまり人が乗っていない車内で、雪菜を中心にぽっかりと人の空白が生まれるほどだ。

 

「いや、べつに隠したいことがあるわけじゃない!

 ……うん?」

 

 必死に弁解する古城だったが、雪菜の肩越しに見えた光景に眉を顰める。

 

「先輩……ごまかすにしてももう少し別の方法にしてください」

「いや、別にごまかそうってわけじゃない。

 ちょっと見てみろよ。窓の外」

 

 訝しげに振り向く雪菜だったが、古城の指し示す光景を見て驚きに目を見開いた。

 普段利用している彩海学園最寄りのモノレール駅が、異様に込み合っているのだ。

 

「なんかイベントでもあったのか?」

「そういった話を聞いた覚えは無いのですが……」

 

 人ごみに首をかしげながら、古城と雪菜はモノレールから降車し改札へ向かう。どうやら、改札外の道が混んでいるために人の流れがせき止められているようだ。その人ごみの中で、古城は聞き覚えのある声に呼び止められる。

 

「古城君! 雪菜ちゃんも!」

 

 2人を見つけ嬉しそうに駆け寄ってくるのは、先にチア部の練習に向かったはずの凪沙だった。

 

「凪沙、なんでこんなことにいるんだ? 朝練はどうした?」

「それどころじゃないんだよ! 今あっちのモニタで昨日の事件の特集組んでるんだよ。ほら、早く!」

 

 妙に元気な凪沙に手を引かれ、古城と雪菜は人ごみをかき分けながら駅に備え付けられた巨大モニターの前へと進む。

 凪沙の言うとおり、モニターでは真面目そうなキャスターが機能発生した人形暴走事件を解説していた。確かにキャッチーな話題であり、足を止めて見る人が多いことも頷ける。

 

『――しかし驚きましたね。凶悪な立てこもり事件を解決したのは、特撮ヒーローに身を扮した謎の美少女というのですから。

 帯電現象でほとんどの記録機器が破損する中、稀少な記録映像を事件に巻き込まれた方から提供していただけましたので、ご覧ください』

 

 女性キャスターの合図とともに、映像が切り替わった。濃い霧の中、小柄な少女がマネキン人形を相手に戦闘を繰り広げている。露出度の高いコスプレ衣装を身に纏い手にした銀の槍で襲い来るマネキン人形を次々と切り捨てる姿は、古城のよく知る人物にとても良く似ていた。

 

「……なあ姫柊、あれってお前……だよな」

 

 古城が囁くが、雪菜はあまりの衝撃に言葉を失っている。

 そんな雪菜を後目に、ニュースは続いていく。

 

『いやあ、特撮でもなかなか見られないような見事な動きです。現実世界で颯爽と民衆を救った勇敢なヒロイン、しかもかわいらしい衣装に身を包んだ謎の美少女ということもあり、こちらの動画は昨晩だけでも百万回以上の再生がされたとのことです』

 

 キャスターの台詞に、雪菜が急激に顔を赤くしていく。

 攻魔師としての訓練を受けた雪菜は、特撮の殺陣に見劣りしない素晴らしい動きでマネキンを薙ぎ払っている。非現実的なその光景を、カメラはしっかりととらえ続けていた。

 カメラの焦点が、胸や尻や太腿を重点的に合わせているのは、古城の気のせいだけではないだろう。

 

「あれだけ動いてるのに手振れも無しかよ。すげえな特撮マニア」

「な、なんでいつまでも見てるんですか⁉」

 

 涙目の雪菜が古城を睨みつけるが、マスクドバニーの活躍に注目しているのは古城だけではない。モニターを見て足を止める人が増え続けているため、駅周辺の混雑は増す一方となっている。

 街頭カメラでその情報を掴んだのか、ニュースは動画を繰り返し流すことにしたようだ。雪菜の戦闘シーン右下にワイプでニューススタジオが映され、何事もないかのようにキャスターの会話は続いていく。

 

『こちらの魔法少女の正体について、番組は情報を募集しています。何かご存じの方は、ぜひ弊社までご連絡ください。有力な情報に対しては、最大百万円の謝礼をお支払いします』

 

 淡々と告げられた内容に、古城は目を剥いた。

 

「ひゃ、百万円……」

 

 思わず息を呑み、隣の雪菜を見てしまったことを責めることはできない。

 

「い、いやああああああああ!」

 

 古城の視線の先で、雪菜がうずくまって絶叫した。突然の悲鳴に周囲の人々が何事かと視線を向けるが、それを気にする余裕もないのだろう。

 画面の中の凛々しい姿とは対照的な雪菜の悲鳴は、よく晴れた絃神島の空へと吸い込まれていった。

 

 

 

 古城たちがいた駅前とは対照的な、日の光が一切入らない室内。室内灯で煌々と照らされた空間で、2人の人影が巨大な機械を見つめていた。一昔前の特撮に出てくるような、壁を埋め尽くす解析機だ。だがその中身は最新鋭のコンピューターすらをも上回る、事実上地上で最も優れたコンピューター群となっている。

 

「おいバビル2世、まだ解析は終わらんのか?」

 

 フリルまみれのゴシックドレスを着た美少女、南宮那月が不機嫌そうに隣に立つ人影へと話しかけた。諜報の心配がない部屋での発言らしく、遠慮なく浩一ではなくバビル2世と呼んでいる。取り繕う必要がないためか、その声にはどこか気安い響きが含まれていた。

 

「完全に未知のものを調べるんですから、ある程度の時間は覚悟してくれと伝えたでしょう。

 ぼくも利用する装置ですから、心配はありませんよ」

 

 詰め襟の学生服に似た戦闘服を身にまとう青年、バビル2世は苦笑いで応えた。この質問が投げかけられるのもこれで3度目なのだ。いくら装置の出すであろう結果が重要なものだとはいえ、普段傲岸不遜な態度を取る那月にはらしくない様子だ。

 その理由に心当たりがあるバビル2世は、僅かに口角を上げる。

 

「そう心配しなくても、そう長くかかりませんよ」

「別に心配などしていない!」

 

 むきになったように那月が言い返したところで、2人の正面にあるハッチが動いた。その裏に収まっていたカメラのシャッターのような覆いが開き、透明なカプセルがせり出す。カプセルの中には、青い髪を持つ完璧な左右対称の顔をした少女が目をつぶって横たわっていた。

 カプセルがひとりでに開封され、少女は目を開けて起き上がる。

 

「アスタルテ、体調に異変は無いか?」

「快調である、と回答します。心配していただき、感謝します。教官」

 

 無表情でお辞儀をするアスタルテに、那月は鼻を鳴らす。

 

「メイドが動けなくなるといろいろと不便だからな。

 で、バビル2世。本命の情報をまだ聞いていないぞ」

 

 純粋な好意を向けてくるアスタルテから目をそらし、那月はバビル2世をせかした。

 

「あまり良い解析結果とは言えませんね。

 ……アスタルテはぼくの血に適応しました。血の濃度からそこまで強力な能力は発揮できないでしょうが、今後血が体に馴染めば侮れない力を発揮する可能性は十分にあります」

 

 手元の端末を見るバビル2世の表情は、苦悩に歪んでいた。命を助けるため自らの血をアスタルテに注射したのだが、その結果がこれだ。彼女がバビル2世の力を得たと知られた場合、全世界のあらゆる勢力がアスタルテを手に入れようと躍起になるだろう。

 アスタルテの後見人である那月がいくら大きな影響力を持っていようとも、所詮は個人の影響力だ。当然影響力を持たない組織も多く、特に聖域条約非加盟国が本気になった場合、彼女だけではアスタルテを守りきれない可能性が高い。

 

「万が一にも発覚しないよう、厳重注意が必要だな。

 まったく、次から次へとよくもまあトラブルが舞い込んでくるものだ」

 

 那月は不機嫌そうに吐き捨てるが、愚痴の1つも言いたくなるだろう。世界に蔓延る有象無象が短慮な行動で自らの身内へと手を伸ばすという事実に、彼女は耐え難い苛立ちを覚えている。

 

「……で、今後どうするつもりだ。まさか血液中からお前の因子のみを抜き出そうとでも?」

「残念ながら、一度覚醒してしまった以上それを行っても力は消えません。そもそも、全身の血液に溶け込んだ因子を抜き出すのは、今の医学では不可能ですしね」

「この場所ならば、できてもおかしくないといっているのだ」

「さて、どうでしょうね」

 

 自らが作ってしまった空気を壊すための那月の発言に、バビル2世はありがたく乗ることにした。どこか張り詰めた空気は弛緩し、僅かな沈黙が場を満たす。

 話を再開しようとした2人の目の前に、紅茶の入ったカップが差し出された。

 

「管理者から保存場所を教えていただきました。

 どうぞ」

「ありがとうアスタルテ。いただこう」

「ふん、中々に腕を上げたな」

 

 アスタルテの気遣いを受け取り、2人の会話は再開される。

 

「で、これからどうする。一切の能力を使わせないよう、私のほうでも気を付けるか?」

「それはありがたいですが、ぼくとしてはきちんと能力を扱えるよう訓練するべきかと」

 

 バビル2世の発言に、那月の眉間に皺が寄る。

 

「何を言っているバビル2世。これから隠そうという能力を、どこでどう訓練するつもりだ?

 第一だ……あの島に監視装置がないうえに、お前の能力と同質のものを訓練できるなどという都合のいい施設があるとでも?」

「私の伝手で、特区警備隊(アイランド・ガード)の訓練施設を利用しますよ。記録装置は止められますし、万が一を考えコンピューターとロデムとぼくの3人がかりで事前に調べれば防諜も問題ないでしょう」

「だから、何故訓練するという話になっているのだ。秘匿するならば、そもそも訓練などする必要はないだろう」

 

 苛立つ那月は、アスタルテの出した紅茶を一気に飲み干した。すぐさま空になったカップにおかわりが注がれる。

 

「訓練は、いざという時の暴発を防ぐためです。

 たしかに、使い方がわからなければ能力の発現はまずしないでしょう。ですが、もしも暴発した場合それを止められないということにつながります。

 ぼくの能力のデメリットを知るあなたなら、その危険性がわかるはずです」

「むぅ……たしかに、危険は大きいか……」

 

 那月が目に見えて勢いを失った。バビル2世の能力は、濫用すると体力の低下を招く。疲れる、などという生ぬるいものではなく、立っていることすら難しいほどに力が抜けていくのだ。そのようなすさまじい脱力を受けて、脆弱な人工生命体(ホムンクルス)が無事でいられるのか。

 

「なるほどな、理解した。くれぐれもばれないよう慎重に行え。

 私も、できる範囲でならば協力しよう」

「ではさっそく。帰り次第特区警備隊(アイランド・ガード)の訓練施設を一室押さえます。口添えと訓練の立ち合いを。

 教員として、人に教える立場である南宮攻魔官がいたほうが安心ですから」

「そういうことなら協力しよう。私の助手に変な癖をつけられてもつまらんからな。

 ということだアスタルテ。多少厳しい訓練にはなると思うが、自分のためにも努力しろ」

命令受諾(アクセプト)

 

 アスタルテの返事に、那月とバビル2世は僅かな感情の揺れを感じ取った。この人工生命体(ホムンクルス)の少女は、確実に情緒を成長させている。その変化に、保護者代わりの2人は思わず笑みをこぼす。

 

「では行きましょうか。来る時とあまり変わらない時間で帰れそうです」

「帰りはまたロプロスの口の中か。ここの座標さえわかれば、もう少し苦労は減るのだがな?」

 

 先ほどの微笑が嘘のように、那月が露骨に嫌そうな表情を浮かべた。病院を嫌がる子供のような国家攻魔官の態度に、バビル2世はため息をつく。

 

「いくら元教え子であり現相棒の貴女でも流石にそれは教えられませんし、知っても無駄だと説明したでしょう。

 そもそも、知ったところでここに来るような事件が頻発したら困るでしょう?」

「そうは言うがな……あの砂嵐の中、この服装でロプロスの口まで歩くのが問題なんだ。フリルに砂が絡んで手入れの手間が馬鹿にならない。

 あの砂嵐は人工的に引き起こしているんだろう、私たちが乗るまで止めるくらいできないのか?」

「防衛の要の一角を、そんな理由で止められません。アスタルテを見習って、諦めてください」

 

 ふとバビル2世の横に視線を向ければ、何でもないような様子でアスタルテが待機していた。取り付く島もないバビル2世の返答に加え、被保護者の急かすような視線を受けて那月はがっくりと肩を落とす。

 今那月がいる部屋は、砂の嵐に隠された塔の中枢近くなのだ。那月が知らない事実として、結界と磁場の乱れにより魔術などを利用した直接侵入は不可能となっている。

 鉄壁という表現ですら表せない驚異の防衛力を持つこの塔は、名をバベルの塔といった。




 次回から錬金術師の帰還編となりますが、プロットが未完成のため投稿が遅れる可能性があります。ご了承ください。



 バビル2世 用語集

 用語

 バベルの塔
 砂嵐が吹き続ける砂漠に存在する、バビル2世の拠点。
 一年中吹き続ける人工砂嵐をはじめとした多数の防衛装置に守られ、中枢には世界最高のコンピューター群が収められている。


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錬金術師の帰還編
1話 修道院前での一幕


 よく晴れた昼下がり。第四真祖である前に学生であるはずの暁古城は、学友の藍羽浅葱を連れて青空の下を歩いていた。

 

「ねえ、本当に授業よりも優先することなの? 廃墟の修道院に行くなんて、放課後でもできるじゃない」

「さっきも言ったけど、無理についてくる必要はないぞ? あくまでも俺の私用なんだから」

 

 本来であれば午後の授業準備をしているの時間帯に、何故学生である古城たちが出歩いているのか。それは、昨日妹たちの買い物に付き合っていた古城が錬金術師に襲撃されたことが原因だ。

 錬金術師の狙いは古城ではなく妹と買い物をしていた夏音だったのだが、邪魔になる古城を排除しようとした錬金術師相手に結果として交戦するはめとなった。異常に気が付いて駆けつけた雪菜との共闘に不利を悟った錬金術師は逃走し、ひとまずその場は収まった。

 しかし、襲撃者の身柄を抑えられなかった以上再び襲撃される危険は残る。現在夏音が住んでいる那月の家ならば、万が一襲われても家主が強力な護衛として彼女を守り抜いてくれるだろう。那月の勤務先である、学校でも同じことが言える。

 問題は、那月の庇護が届かない場所で夏音が襲われた場合だ。いくら空隙の名を持つ世界最高峰の魔女とはいえ、那月の探知範囲にも限界がある。夏音は町はずれの修道院跡で捨て猫を世話していた前例があった。その時世話していた猫はすべて引き取り手が見つかったとはいえ、また捨て猫を拾っている可能性は十分に考えられる。

 もしも夏音が捨て猫を世話するため修道院跡へ護衛もつけずに訪れていると知られたら、件の錬金術師は嬉々として彼女を襲撃するだろう。模造天使(エンジェル・フォウ)から助け出された夏音に余計な不安をかけたくないため、古城は錬金術師について彼女に伝えていない。問題の先延ばしと思われるかもしれないが、明日から彩海学園中等部の宿泊研修なのだ。中等部の生徒は四日間島から出て本土へ向かうため、古城はその間に那月や浩一にこの件を相談し、夏音が知らない間にこの件を解決してしまおうと考えていた。

 

「もしも猫がいたら、研修が終わるまで俺が面倒見ればいいしな」

 

 古城の独り言が聞こえたらしく、浅葱が信じられないといった表情で古城を睨みつけた。

 

「あんた、まさか猫を見たいってだけで授業さぼったわけ⁉ 信じらんない、何考えてるのよ!」

「いや、それだけが理由じゃねーよ! ちょっとあの修道院跡に用があってな」

「たしかにアデラード修道院の事件記録が抹消されててたのは気になるけど、それこそ放課後のほうがよかったんじゃないの? 那月ちゃんにも相談できたし、浩一さんにも声かけられたじゃない」

「無駄足踏ませても悪いし、先に気になるところを確認しておきたかったんだよ。日中に行けば、そうそう危ないこともないだろ」

 

 当たり障りのないことを言いながら、古城は歩を進める。後ろを歩く浅葱は納得はしていないようだが、こうなった古城がそう簡単に口を割ることは無いと諦めたようだ。無理に追及してさらに口を固くするよりも、会話を続けて古城が口を滑らせることに期待するらしい。

 そうこうしている間に、古城たちは見晴らしのいい丘の上にたどり着いた。目的の修道院跡まで、すでに目と鼻の先の地点だ。

 

「日が照ってると結構遠く感じるな。さて、とっとと確認を――」

 

 日光に焙られ気力を無くしたため、ひとまずの目的を口に出していた古城の頭部を不可視の衝撃が襲った。あまりの衝撃に重心が揺らぎ、体が大きくぐらつく。

 普通であれば、ここで痛みに声を漏らすなり踏ん張ろうと抵抗するといった反応をするのだろうが、古城はだてに獅子王機関の先達から定期訓練を受けていない。混乱から瞬時に立ち直り、衝撃の勢いを利用して道のそばに生えている草むらへ飛び込んだ。

 

「古城⁉」

 

 さらに、混乱する浅葱の手を引き同じように草むらへと引き込んだ。

 状況を説明している暇はない。古城は不可視の攻撃を受けるまで、一切の予兆を感じ取ることができなかったのだ。あの場所で棒立ちになっていれば、下手人から見ていい的だろう。

 

「ちょっと古城!」

「声を出すな! じっとしてろ!」

 

 突然引き倒され抗議する浅葱へ、古城は耳元に荒っぽく囁きかける。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ。こんなところじゃ……」

 

 浅葱は弱弱しく抵抗し、潤んだ瞳で古城を見上げる。だが、視線の先の男は浅葱に一切の視線を向けず周囲をゆっくりと見渡していた。その真剣な横顔に、浅葱の心臓が大きく跳ねる。

 そんな浅葱の乙女心など露知らず、周囲を警戒する古城の視界が明らかな異物を捉えた。

 

「なんだ、あいつら?」

「えっ?」

 

 古城の視線の先を、覗き込むようにして浅葱も見る。彩海学園から徒歩にして十分かからない小さな公園。新緑に囲われた憩いの場の片隅に、灰色の小さな建物が見える。古城たちの目的地であるその廃墟の周辺に、物々しい装備をした男たちの姿があった。防弾防刃のボディーアーマーに身を包み、対魔族を想定したであろう銃器を持ち油断なく周囲を警戒している。明らかに訓練を受けた、戦闘員の集団だ。

 

特区警備隊(アイランド・ガード)拠点防衛部隊(ガーディアン)だな」

 

 様子を窺う古城たちの背後から、突然静かな声で謎の武装勢力の解説が語られた。

 どこか幼さを残しながらも、カリスマ性と威圧感が同居した声に古城は慌てて振り向く。フリルまみれの日傘をさし、豪奢なドレスを身に纏う女性が、血に伏せる古城を蔑んだ目で見つめていた。隣に立つスーツを着た男性も、今まで古城が見たことがない表情を浮かべている。

 

「授業をさぼり学校外へと抜け出すだけでは飽き足らず、クラスメイトをこんなところで押し倒すとは……なかなかいい根性をしているじゃないか、暁古城。お前はもっとヘタレで周囲の目を必要以上に警戒する男だと思っていたが、この一件で評価を変えねばらなんようだな。もちろん悪い意味でだが」

「南宮教官の冗談はさておき、奇襲後の対応はひとまず合格点といったところだ。

 で……学生である君が、何故勉学の時間中に学校外にクラスメイトと外出しているのか、納得のいく説明はしてもらえるんだろうね?」

「な、那月ちゃんに浩一さん⁉」

 

 思わず口走った古城の額へ、那月の扇子が突き刺さった。重さも硬度もそこまでないはずの一撃は、予想と裏腹に重い衝撃で古城の頭部を揺さぶった。先ほど古城を襲った一撃と同質のダメージに、先ほどの襲撃者は那月であったと古城は思い知る。

 あの一撃がなければ、古城たちは修道院を守る部隊に発見されていただろう。そうなれば、面倒な取り調べを受けたことは確実だ。そう考えれば一応助けてもらったことにはなるのだろうが、もう少し穏便にできなかったのかと古城は思わずにはいられない。

 そして、学校から無断外出中に担当教師に見つかったという新たな危機に変わりはないのだ。

 

「藍羽、お前も相手はよく選ぶんだな。惚れた弱みなどとほざいて相手の都合よく動いたところで、同情が買えるのは物語の中だけだぞ? これだから見た目だけビッチの万年処女は……」

「ほ、ほっといてくださいよ! ビッチじゃなくてギャル風ですし!」

 

 浅葱がやけくそ気味に反論するが、那月はどこ吹く風だ。いつもならば那月の言動を諫める浩一も、規則違反の現行犯ということもあり止めにくいようだ。

 

「と、ところで那月ちゃんに浩一さん。ここで一体何があったんだ? なんで特区警備隊(アイランド・ガード)拠点防衛部隊(ガーディアン)なんて連中が、修道院の廃墟なんか見張ってるんだ?」

 

 古城の疑問に、那月はふんと鼻を鳴らした。浩一もあきらめたように息を吐く。

 

「勝手に嗅ぎまわられたも面倒だ。教えてやるが、他言は無用だぞ。特に中等部の連中には絶対に漏らすな」

 

 その言葉と共に、那月は扇子を一閃した。乾いた落ち葉が潰れるような音と共に、那月の足下に小動物が落下してくる。

 よく見れば、それは折り紙で作られたリスだった。紙の表面には呪文と魔法陣がびっしりと書かれており、古城にはその文字に見覚えがあった。几帳面な性格がよく出ている、雪菜の文字だ。どうやら、学校を抜け出した時点で古城たちはこのリス型の式神に監視されていたらしい。

 それを撃ち落としたということは、先も言った通り那月はこの先の話を雪菜に聞かせるつもりが無いのだろう。止めなかった浩一も、その判断に同意見のようだ。

 

「叶瀬賢生を覚えているな」

 

 唐突な那月の質問に、古城は陰気な魔道技師の顔を思い出した。忘れたくても、そうそう忘れられる相手ではない。

 

「中等部の叶瀬の親父さんだろ? たしか、司法取引で減刑されたって聞いてたけど」

「そうだ。あの男は〝仮面憑き〟事件の容疑者として、人工島管理公社の施設で保護観察処分を受けていた」

「なんでいきなりあの人の話を?」

 

 嫌な予感を覚え、古城は表情を歪めた。話のとっかかりとしてでも、那月は無関係な話をする正確ではない。

 残念なことに、古城の予感は的中した。

 

「一昨日、施設内で叶瀬賢生が襲撃を受けた。入院中で命に別状はないが、重症だ」

「襲われた⁉」

 

 思わず立ち上がりかけた古城を、浩一が押しとどめた。声自体は呪術で抑えているのだが、流石に視界をごまかすほどの対策はしていないのだ。

 

「……その犯人ってのは、ひょっとして赤白チェック模様の錬金術師か?」

 

 予想外の質問に、那月と浩一は驚いたように古城を見た。

 

「古城君、何故天塚汞を知っているんだ?」

 

 真剣な表情を浮かべた浩一に、古城は思わず息を呑んだ。

 

「い、いや、名前は知らない。だけど、昨日そいつに合ったんだよ。商業地区のショッピングモールで、叶瀬を狙ってるみたいだった」

「ちょっと古城、そんな危ない奴と会ってたの⁉」

 

 発言内容に驚愕した浅葱だったが、浩一に無言で制され黙り込んだ。

 

「わかった。叶瀬夏音には護衛をつけるが、本人たちには一切知らせるな。もちろん、叶瀬賢生が襲われたこともだ。連中には予定通り宿泊研修に行ってもらう。そのほうが安全だろう」

「絃神島の外に避難させるってことか」

 

 那月の案は、確かに理にかなったものだ。この絃神島は、日本本土から数百キロ離れた海に浮かぶ絶海の孤島。魔族特区という特性上、空港や港では厳重なチェックが行われている。夏音が島の外に逃げてしまえば、犯罪者である天塚汞がその後を追うことは不可能に近い。

 

「どのみち入院中の父親に叶瀬夏音を会わせてやることはできん。会えもしない相手の負傷を伝えて、無駄に心配をかけることもないだろう。それよりも、犯人の確保を優先させてもらう」

「そういうことなら黙ってるけどよ……でも、もしも犯人を宿泊研修が終わるまでに捕まえられなかったら同じことじゃないか?」

「どうした、何が言いたい?」

 

 古城の反応に、那月は愉快そうに口角を上げる。

 

「何か俺にできることは無いか? 何でも言ってくれ」

 

 珍しく気合の入った様子の古城に、那月は喉を鳴らして意地悪く笑った。

 

「ちょ、馬鹿! なに余計なことを――」

 

 那月の様子に焦った浅葱だったが、一度放ってしまった発言を取り消すことはできない。

 

「そうか、協力してくれるのであれば話は早いな。お前たち2人にはぜひ補習授業を受けてもらいたいと思っていたところだ。サボった授業内容を3倍にしてみっちりとな。

 そちらから言い出してくれるとは都合のいい話もあったものだな。あっははははははは!」

 

 悪役のように高笑いする那月に古城はしばらくあっけにとられ、僅かに遅れて状況を理解した。

 

「協力って、そっちかよー!」

 

 情けない表情を浮かべ、古城は絶叫した。気合を入れた矢先に、自業自得の罰則を与えられたのだ。落差と補習内容に打ちのめされた男子学生の裏で、浩一が浅葱へペンライトのような道具を渡していた。

 

「そうだ、これを渡しておこう。新しい警報装置だ」

「新しいって、今までと何か違うんですか?」

 

 浅葱は装置を受け取り手の中でくるくると回すが、今までの装置と特に違った部分は見当たらない。

 

「ああ、変わったのは内部機構でね。周囲の魔力反応を感知して、危険な魔術が使われた場合は自動で作動するようになっている。以前の脱獄囚の襲撃や改造人工生命体(ホムンクルス)の件で、救援が遅くなった点から先んじて動くための装置だ。

 もちろん、今までのように直接作動させても問題ない」

「へえ……そんなことできるんですね」

「ちょっとした管理公社への権限で、校舎の魔力検知器網の一部を利用させてもらっている。内密に頼むよ」

 

 浩一の笑みに、浅葱は思わず手のに握った装置を改めて凝視した。彼女は度々バイトで人工島管理公社のデータに触れているからこそ、島を覆うネットワークの性能が非常に高いことを知っている。その一部を利用したデバイスなど、万が一発覚すれば島の犯罪者からは垂涎の的になるだろう。

 

「まあ、難しく考える必要はないさ。今まで以上に助けが来る時間が短くなったと思ってくれ」

「とりあえず、細心の注意で扱うわ」

「さて、そちらの2人も話は済んだか?」

 

 浩一と浅葱の会話がひと段落したところで、那月がまだ立ち直れていない古城を放置して近づいてきた。嗜虐心を隠そうともしない笑みを浮かべる担当教師に、浅葱は思わず一歩後退する。

 

「藍羽、まさか補習から逃げられるとは思っていないだろうな? 同行した以上、お前にもみっちりと罰則を受けてもらうぞ?」

「えっ、いや私はただ古城の馬鹿についてきただけで!」

「学校を抜け出している以上同罪だ馬鹿者。今日の放課後、ホームルームの後に補修を行う。逃げるなよ」

「ちょ、ちょっと待って! こ、浩一さん⁉」

 

 助けを求め、浅葱は浩一へ縋りつくような視線を投げるが、帰ってきたのは哀れむようなな眼差しだった。

 

「申し訳ないけど、あくまでも用務員である私に担当教師の決定に口を出すことはできない。それに、規則は規則だからね。明確な理由もなしにそれを破った以上、きちんとした罰則は受けるべきだよ」

 

 言外に、先日お見舞いのために学校を抜け出したことを見逃した時とはわけが違うと切り捨てられ、古城の隣で浅葱もがっくりと膝をつくことになる。その左耳に着けられたピアスが、空の色を反射して輝いていた。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 藍羽浅葱 あいば-あさぎ
 ストライク・ザ・ブラッドヒロイン。
 見た目とは逆にに今時珍しいほどの純情な乙女心を持つが、同時に人としてはかなり高い身体能力を誇る。
 そのため照れ隠しが必要以上の威力を持って相手を襲い、その場の雰囲気を打ち壊してしまうことが多々ある。

 暁古城 あかつき-こじょう
 ストライク・ザ・ブラッド主人公。
 怠惰な生活態度からは想像できないほど、人のために全力を出すことができる熱血漢。
 しかし、一度火がつくと視野が狭くなる悪癖があり、結果として不利な状況に陥り苦労することが多い。

 天塚汞 あまつか-こう
 赤白のチェック模様を愛用する、奇術師風の格好をした錬金術師。
 物体を意のままに金属へと錬成することが可能な実力を有し、その対象は人間であろうとも例外ではない。
 また、人間を手にかけることに一切躊躇しない冷酷な性格の持ち主。

 叶瀬夏音 かなせ-かのん
 ストライク・ザ・ブラッドヒロイン。
 中等部の聖女と呼ばれるほどの慈愛と、涼やかな見た目を併せ持つ少女。
 儚げな見た目をしているが、芯の強さと少々世間慣れしないないことから驚くような行動に出ることもしばしば。

 叶瀬賢生 かなせ-けんせい
 叶瀬夏音の保護者であり、叔父にあたる存在。
 陰気な雰囲気を纏う魔導技師であり、ある程度の時間があれば空間跳躍すら可能な高位魔術師でもある。
 雰囲気こそ陰気で冗談が通じなさそうではあるが、意外と茶目っ気がありジョークも解する中々に愉快な性格をしている。

 姫柊雪菜 ひめらぎ-ゆきな
 ストライク・ザ・ブラッドメインヒロイン。
 真面目で几帳面な性格をしているが、裏を返せば少々思い込みやすく熱しやすい性格をしている。
 性格から監視役という対象を見張り続ける任務には向いているのだが、度が過ぎた監視ぶりからストーカーと揶揄されることも多い。

 南宮那月 みなみや-なつき
 空隙の2つ名を持つ、世界的に見ても有数の魔女。
 かなり嗜虐的な性格をしており、特に人からからかわれることをひどく嫌う高いプライドを持っている。
 しかし、一度面倒を見ると決めると多少の負担は無視して相手を守り通す義理堅い性格もしており、生徒たちからの受けは決して悪くない良き教師である。

 施設・組織

 アデラード修道院
 かつて叶瀬夏音が暮らしていた孤児院。
 数年前に起きた謎の事故により、建物は崩壊し夏音以外の人間は全滅。機能を失い現在は廃墟と化している。

 絃神島 いとがみじま
 日本本土から遥か南の太平洋上に浮かぶ人工島。
 魔族特区という特性上多くのトラブルが日常的に発生しており、それに対する組織は世界有数の練度を誇っている。

 彩海学園 さいかいがくえん
 古城たちをはじめとした、登場人物たちが多くかかわる中高一貫校。
 偏差値は平均よりも高めのようであり、体質的に勉強に熱を入れられない古城のような学生は授業についていくだけでも精一杯の様子。

 宿泊研修 しゅくはくけんしゅう
 彩海学園3年生の冬に行われる学校行事。
 本土の官庁街や工場といった施設を廻る修学旅行のような行事であり、常夏の島から冬の本土に向かうため参加者は準備がなかなかの手間となっている。

 人工島管理公社 じんこうとうかんりこうしゃ
 文字通り、人工島である絃神島の管理を国から委託された企業。
 島全体を管理するために非常に大規模なネットワークを構築しており、本社のアーカイブスには島外れのコンビニで何が売れたのかといった些細な情報までもが蓄積されている。
 ネットワークの規模からして本社人員でメンテナンス等を賄うことは不可能であり、浅葱のようなフリーのプログラマーによく外注委託が発せされている。

 種族・分類

 特区警備隊 アイランド・ガード
 絃神島を守る武力組織であり、世界的に見ても高い装備と練度を誇る戦闘部隊。
 その実力は、最弱でも最新鋭兵器に匹敵するといわれる眷獣を暴走させた吸血鬼が相手でも、単独であるのならば十分に制圧可能なほど。
 だが、作品で描写される相手は国を相手取ることができるような強大な存在がほとんどであるため、死者が出ないよう立ち回ることが精いっぱいとなっている。

 拠点防衛部隊 ガーディアン
 特区警備隊の一部門であり、文字通り拠点を守ることを目的に訓練された特殊部隊の一種。
 あくまでも防衛を行い拠点を守り続けることが目的となっているため、防衛力は高いのだが機動力等は犠牲となっている。

 模造天使 エンジェル・フォウ
 人間を、その枠組みを超えることなく霊的に進化させる大規模魔術。
 いわゆる蟲毒の応用であり、あまりの非人道性に国際的に禁術指定を受けている忌まわしい呪法。

 人工生命 ホムンクルス
 錬金術に属する生命体を人工的に作り出す技術であり、生み出された生物の総称。
 錬金術の思想から作り出される生き物は人間型がほどんどであり、現在では作り出されたとはいえあくまでも人間であるという観点から人権も認められている。

 バビル2世 用語集

 人物

 山野浩一 やまの-こういち
 バビル2世の人間としての名前。
 この呼称が初めて判明したその名は101では、他の呼称がほとんど無かったためかほとんどごまかすことなくこの名を名乗っている。
 基本的にこの名で呼ぶ相手は一般市民であり、101と呼ぶ相手は裏社会の存在であるという大まかな区分がなされていた。


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2話 予想外の目的地

 すっかり日が傾き、オレンジ色に染まった校舎から1人の男子生徒が疲れ切った様子で校門へと向かっている。学校から抜け出した先で担当教師に見つかる不運から補習授業を受けることになった、暁古城だ。

 

「や、やっと終わった……。

 確かに抜け出したのは悪かったけど、あそこまでやらなくてもよかっただろ。絶対那月ちゃんの憂さ晴らし入ってるぞ今回の補修……」

 

 同じく捕まった浅葱はとっとと補習の課題を終わらせて帰宅してしまっており、古城は1人家路を歩くことになったのだ。

 気力の果てた古城の視界に、1人の女子生徒の姿が映った。校門の傍に立っているのは整いすぎるほどの整った美貌の持ち主、古城の監視役である姫柊雪菜だ。いつものギターケースを背負う彼女は、遠目から見ても近寄り難いオーラを発している。学校を抜け出した挙句、式神を潰してまで密談されたことが許せないのだろう。

 いっそ気づかないふりをして通り過ぎようという案が古城の脳裏をよぎったが、実行した場合事態の悪化は避けられない。ならば少しでも傷を浅くしようという結論に達した。

 

「よ、よう姫柊。ひょっとして、待っててくれたのか?」

「はい。私は先輩の監視役ですから。

 ところで、随分と遅かったですね、先輩」

 

 感情のこもらない雪菜の声に、古城の顔が引きつる。平坦な声は、冷気を発していると勘違いするほどだ。

 

「あ、ああ。結局那月ちゃんと浩一さんに捕まって、学校まで連れ戻されたからな。それでそれで今まで保守を受けさせられてた」

「補修、ですか。……藍羽先輩と2人っきりで、こんな時間までですか?」

 

 どこかすねたように唇を尖らせる雪菜に、古城は罪悪感から慌てて弁解する。

 

「い、いやいや! あいつはとっとと補習の課題を終わらせて帰ったから、実際は俺1人だったぞ。うん!」

「そう、ですか」

 

 どこか安心したような声音で、雪菜は静かに頷いた。機嫌がなおったわけではなさそうだが、ひとまず危機を脱したようで古城は内心安堵の息を吐いた。

 

「ところで、何故学校を抜け出してまで修道院に行ったんですか? 本当に猫が気になるなら、放課後でも問題ありませんよね?」

「ああ、猫を拾った叶瀬がまたあの修道院跡で世話してないか確認したくてな。もしも放課後にあの天塚――昨日の錬金術師とあそこで会ったらまずいだろ? できれば放課後前に確認しておきたかったんだ。

 今は那月ちゃんが護衛をつけてくれたみたいだから、安心できるけどな」

 

 ひとまず心配ごとの種が無くなったことで気楽に言った古城とは対照的に、雪菜は話の途中から真剣な表情を浮かべた。

 

「先輩、もしも本当に彼と遭遇したらどうするつもりだったんですか?」

「どうするって……」

 

 雪菜の問いに、古城は言葉を詰まらせる。そして、雪菜がここまで機嫌を損ねた理由に気が付いた。

 夏音を狙っている天塚汞は、物質変換を使いこなす凄腕の錬金術師だ。触れるだけでほとんど瞬時に対象を金属化させる彼に、もしも待ち伏せをされ不意を突かれたら。いくら古城といえども、ひとたまりもないだろう。

 訓練を積んでいるとはいえ不意打ちに完璧に対応できるわけではないし、いかに第四真祖の力といえども意識外から攻撃されればその力を十全には発揮できないのだから。

 そんな危険な相手がいるかもしれない場所に、古城は大した警戒も無しにのこのこと近づいて行ったのだ。しかも攻魔師でもない、ただの一般人である浅葱を連れて。

 

「悪い、姫柊。軽率だった」

 

 内心に重苦しい自己嫌悪を抱え、古城は肩を窄め項垂れた。小さくなった古城を、雪菜は悪さをした園児を叱る保母のような表情を浮かべる。

 

「はい、反省してください」

「ああ。これからは気を付けるよ」

「もしも襲われていた場合、藍羽先輩が一番危険だったんですよ?」

「そうだよな。本当に悪かったと思ってる」

「授業をさぼって学校を抜け出したことも問題ですし、なんだか最近藍羽先輩との距離も近いですよ? 食堂でも顔を近づけてこそこそ話してましたし、何かにつけて2人で行動してますし、宿題を忘れたからってすぐ藍羽先輩に頼み込みますし……」

 

 なぜか雪菜の説教内容が脱線をはじめ、古城は弱々しく制止する。

 

「あ、あの……姫柊さん? 今日は食堂が混んでたし、大声で話す内容じゃなかったし、まあたしかに宿題を手伝ってもらってるのは悪いと思ってるけど、そこまで一緒に行動してるかって言われると……」

「先輩……そういって藍羽先輩に甘えているから、今回みたいに無理やりついて来ようとされたときに断りにくくなってしまうんですよ? 反、省、し、て、く、だ、さ、い」

「えーっと……はい、すいませんでした。反省します」

 

 釈然としない気持ちを噛み殺しつつ、古城はおとなしく頭を下げた。どうにも、古城は雪菜に面と向かって叱られると弱いのだ。

 そんな古城に雪菜はため息を1つつき、切り替えるように声音を変えた。

 

「こういった危険な行動をとるのならば、事前に私に相談してください」

 

 雪菜の一言に、思わず古城は顔を上げる。

 

「止めないのか?」

「止めたところで、今回みたいに内緒で動こうとするだけじゃないですか。だったら私も一緒に行動したほうが、まだ先輩の暴走を見逃さないですみますから。

 式神からの反応が途切れたとき、南宮先生と浩一さんがいたとはいえ、心配したんですからね?」

「姫柊……」

 

 肩をすくめる後輩を見て、古城の心に再び罪悪感が募りはじめる。表情でそれに気が付いたのか、雪菜は慌てて言葉を続けた。

 

「とにかく、2人とも無事でよかったです。

 宿泊研修中は、私が叶瀬さんのそばにいますから、先輩は余計な揉め事に近づかないようにしてください」

「そうか、頼んだ」

 

 小首をかしげる雪菜に、古城はなんとか表情を変えないよう努めた。

 叶瀬賢生が襲撃された件を、古城は雪菜に話してない。これから4日間、彼女は絃神島を離れるのだ。余計な情報を伝えて不安にさせるよりも、知らないうちに天塚汞を確保してしまおうと考えているからだ。

 そんなとき、不意に雪菜から気遣いの声をかけられたことで発した動揺を悟られまいと、古城は表情筋を総動員させた。

 しかし、剣巫である雪菜の目は誤魔化せなかったようだ。

 

「先輩、私がいないからといって、ほかの女の子の血を吸ってはダメですからね?」

 

 不自然に固まった表情を訝しみ、雪菜は念を押した。

 

「ああ、それは大丈夫だ。誓ってもいい」

 

 古城はきっぱりと断言した。実際血を吸う予定は一切ないため、ここでどれほど重い約束をしても問題ないのだ。

 

「そんな心配よりも、自分のことを考えようぜ。せっかくの休暇を友達と遠出できるんだから、楽しんで来いよ。

 ついでに、凪沙がはしゃぎすぎないように見ておいてもらえると助かる」

 

 軽いノリで言った前半と、真剣そのものの口調だった後半とのギャップに、雪菜も警戒を解いたようだった。機嫌のよさそうな笑みを浮かべ、クスリと笑い声を漏らす。

 

「わかりました、任せてください。

 先輩、その前に1つお願いがあります」

「お願い?」

「一緒に来てほしい場所があるんです」

 

 珍しい雪菜からのお願いに、思わず古城は戸惑った。

 

「少々お時間を取らせてしまうんですけれども、2~3時間ほどで済むはずですので、夕食には間に合うはずです」

「特に予定もないから構わないけど、いったいどこに向かうんだ?」

「私が先導しますので、ついてきてください。そう長くは歩かないはずですので」

 

 雪菜に導かれるまま、古城は普段であれば通り過ぎるモノレール駅で降車した。

 駅前の案内板で道を確認し、雪菜はどこか緊張した面持ちで先導を再開する。すぐ後ろを歩く古城だったが、街並みが徐々に変化するに合わせて表情が引き攣っていく。

 古城たちが入り込んだ路地には、何軒ものホテルが立ち並んでいたのだ。旅行者が利用するようなものではない、いわゆる愛が頭につく類の宿泊施設だ。

 

「ひ、姫柊。あのさ、この通りって……」

「すいません先輩、ちょっと緊張しています。私も実は初めてなので」

 

 古城に視線を向けず、雪菜は固い口調で言う。

 状況の急展開に、古城は狼狽することしかできない。つい先ほど言われた、ほかの女の子の血を吸うなという発言とも関係があるのかと思考が回る。

 吸血鬼の吸血衝動は、性欲がきっかけとなって引き起こされる。つまり、吸血とは別の方法でその衝動を発散させてしまえば、吸血行為を行うことなく普段の状態に戻ることができるのだ。

 だが、そうなると古城はそういった方面で欲望を発散させることになる。ホテルの立ち並ぶ通りの一角に連れ込まれた古城は、すでに思考がまとまらない状態にまで追い込まれていた。

 

「なあ姫柊。ひょっとして、獅子王機関からの指示で俺をここに連れてきたのか?」

「はい。先日届いた辞令の中で、細かく指示されていました」

 

 真面目な口調で返答する雪菜の背後で、古城は唇を噛んだ。話に聞いていた雪菜の師匠たちが、このような無体を指示するとは思えない。獅子王機関といえども、一枚岩ではないということだろうか。

 たしかに、少女が体を差し出した結果第四真祖の暴走が止められるのならば安い代償なのかもしれない。しかし、そんなやり方はあんまりだろう。

 

「あのさ、無理してするもんでもないと思うぞ? こういうのはもっと段階を踏んでやるべきだと思うし、お前はもっと自分を大切にするべきだと思うんだ、うん」

「はあ……たしかに突然の指令でしたけど、明日には私が絃神島を離れてしまうんです。その前に済ませなければならないことなんですから、そんなに時間をかけていられませんよ?」

「す、済ませるって……」

 

 予想外にさばさばとした雪菜の態度に、古城は戸惑いを隠せない。身持ちが固いと思っていたが、ひょっとして彼女は嫌ではないのかも知れない。しかし、このまま流されてはいけないという気持ちも湧き上がってくる。

 たしかに、古城としても雪菜のことが嫌いではない。見た目も性格も魅力的であるし、任務と無関係な部分で世話を焼いてくれていることも口にこそ出さないがありがたく思っているのだ。それだけにこのような指令を送る獅子王機関には不快感を覚えるし、もしも流された場合の雪菜の反応を考えると古城としても二の足を踏んでしまう。

 雪菜は獅子王機関から派遣された古城の監視役だ。ただ古城の行動を見張るだけではなく、授業中も自宅内での行動も、余さず式神や呪術で把握し続けるという偏執的なまでの監視体制を築いている。ストーカーとして考えても異常なまでの行動力を持つ彼女が、この上既成事実を得た場合どのような行動に出るのか。古城には予想がつかないし、したくもない。

 ここはプライバシーが保たれた生活のため、そして雪菜のためにもきっぱりと断ろうと古城が決意したところで、まるで予測したかのように雪菜の手が古城へと延びた。

 

「先輩……すみませんが、少しの間目を閉じていてもらえませんか?」

 

 手を握られ、古城は頭が真っ白になる。小柄な雪菜の手は、当然ながら古城の手よりも小さい。女性特有の柔らかな感触が伝わり、古城は手を振りほどくことができなかった。

 鼻の奥から金臭い感覚が広がり、いよいよ理性も限界だと音を上げそうになったとき、静電気のような不快な衝撃が古城を現実に引き戻した。

 

「もう目を開けても大丈夫ですよ。無事に着きました」

 

 あっさりと手を離された古城は、状況を理解できないまま目を開ける。眼前には、どこか古ぼけたような印象を与えるレンガ造りのビルが建っていた。窓には年代物であろうステンドグラスがはめ込まれ、そう高くない屋根には古い看板がついている。周囲とはまるで違う雰囲気の建物に、古城はあっけにとられた。どうやら、ここが雪菜の本当の目的地だったようだ。

 

「無事に人払いの結界を抜けられました。真祖クラスの強力な魔力の持ち主が無理に押し通れば、結界が破壊される可能性があったんです。それで誘導させてもらったんですけど……あの、先輩?」

 

 手をつないだ理由まで説明されてしまい、古城は思わず崩れ落ちた。先ほどまでの思い込みで暴走していた自分が死ぬほど恥ずかしい。冷静になって考えてみれば、そのような指令が出されれば紗矢華が黙っていないだろうし、雪菜も相応の反応をするだろう。

 

「すまん、ちょっと精神の安定を図ってた。

 で、ここは何なんだ。骨董屋か?」

 

 なんとか自分を立て直した古城は、店構えから商売を判断した。那月が好みそうな、輸入品らしき年代物の品々が窓越しに数多く並べられている。

 しかし、雪菜はゆっくりと首を振り古城の予想を否定した。そして背中のケースから銀色の槍を引き抜き、どこか懐かしそうに微笑む。

 

「ここが、獅子王機関です。正確には、絃神島出張所ですね」

「獅子王機関の出張所、ね……」

 

 雪菜の説明に、古城は改めて建物を見渡した。たしかにレンガ造りの珍しい建物だが、それらしい雰囲気を感じ取ることはできない。どう見ても、金持ちの道楽で営業されているような寂れたアンティークショップだ。

 

「外見は偽装していますが、職員同士の連絡や補給を担当する事務所です。結構重要な拠点なんですよ」

「事務所にしては厳重だな……まあ、特務機関なんだから偽装くらいはするか」

 

 たしかに、偽装していない状態で結界に不具合が発生すれば、ごまかしが効かなくなってしまう。アンティークショップのような外見を偽装として選んでいるのも、槍や剣を持った人が出入りしても買い物や売却としてごまかせるようにだろう。

 

「なるほどな、身分を隠して行動しやすくするための職場ってわけか」

 

 国の公的機関なのだから、そういった支部が点在していてもおかしくはないだろう。とくにこの島は獅子王機関の管轄となる魔導テロを引き起こす因子が多い。そんな地域に支部がないほうが不自然だ。

 

「はい。それと事務所の維持費を稼ぐために、差し押さえたり回収したアイテムの売買も行っています。先輩も、低ランクのものを護身用におひとついかがですか?」

「営業もしてんのかよ!

 え、お前たちの仕事って魔導テロとか大規模魔導災害関連だって言ってたよな。そこが差し押さえたり回収したって、呪われてたり、怨念がこもってたりするもんじゃないのか?」

「……大丈夫ですよ。きちんとしかるべき処置を行ったものばかりですから」

「おい!」

「冗談ですよ」

 

 慌てる古城の様子を見て、雪菜はおかしそうにクスクスと笑った。古城にとって、この生真面目な後輩の冗談はいまだにわかりにくい。

 

「でも、実際に営業自体はしています。きちんと営業して金銭的な流動がないと、調べられたときにどうしても不自然な部分が出てしまいますから」

「なるほどな。たしかに変に調べられたときにごまかすよりも、実際のデータを出したほうがいいのか」

「はい。実際には、事前に渡されたお金を使って買ったような処理をしているだけの場合も多いみたいですけど」

 

 解説をしながら、雪菜は木製の扉に手をかけた。厳かなドアベルの音と同時に、複数の人間の声が聞こえてくる。

 

「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか」

「おや、姫柊に古城君じゃないか。出張所に来るなんて、何かあったのか?」

 

 先客の男性と出迎えた女性店員両方に、古城は見覚えがあった。

 

「煌坂に、浩一さん⁉」

 

 古城が驚きのあまり後ずさるが、それも仕方がないことだろう。男嫌いを公言する紗矢華が浩一の前でメイド服を着て平然としており、浩一はカウンターに腰掛けあろうことか猫と談話していたのだ。硬直した古城の背後から顔を出した雪菜も、驚きで動きを止める。

 

「……2人とも、入らないのか?」

 

 混乱の原因の片割れである浩一に促され、古城と雪菜は恐る恐る店内に入る。その背後で、まるで逃げ道を無くすかのように木製の扉が音を立てて閉じられた。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 暁凪沙 あかつき-なぎさ
 暁古城の実の妹。
 押しが非常に強く人懐っこいため、出会ったばかりの相手に少々ぶしつけなお願いをして困らせることがある。
 患っている魔族恐怖症は深刻なものであり、ひとたび魔族を前にすれば普段の天真爛漫っぷりが嘘のように狂乱することになる。
 料理の腕はかなりのものであり、現在の暁家のキッチンの主。

 煌坂紗矢華 きらさか-さやか
 ストライク・ザ・ブラッドヒロイン。
 異常なまでの男嫌いで知られていたが、古城に対してはその兆候が出ないため度々電話で雑談をする間柄。
 元ルームメイトである雪菜に偏執的なまでの愛情を注いでおり、雪菜本人が辟易するほどの暴走を見せることがある。
 攻魔師としての実力は確かであり、獅子王機関が誇る舞威媛に相応しい実績を持つ。

 施設・組織

 獅子王機関 ししおうきかん
 日本政府に所属する特務機関であり、世界的に名の知れた攻魔師の集団。
 独自の兵器開発技術は世界でも類を見ないほどであり、代表作である神格振動波駆動術式は完全な再現を行える組織が存在しないほど。

 獅子王機関出張所 ししおうきかんしゅっちょうじょ
 絃神島歓楽街の一角に設置された、機関所属者に支援や情報提供を行うための拠点。
 アンティークショップに偽造しているのだが、実際ににその方面でも営業している。
 任務の性質によっては利用する必要がないのか、島に派遣されてから数か月の間雪菜は一度も当施設に訪れたことがなかった。


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3話 巻き込まれた者たち

 きりのいいところまで書いたので、本文が長めとなっています。
 ご了承ください。


 浩一に誘われるがまま店内に入った古城は、1つの違和感に気が付いた。

 

「似てるけど、煌坂じゃないな。なんだ、こいつ?」

 

 初対面の人間に対してこいつとは、古城らしからぬ発言だ。だが、それも問題にはならない。

 

「師家様の式神ですね。紗矢華さんを模して造られたみたいです」

 

 そう、眼前の存在は人間ではないのだ。魔力によって顕現した現身であり、そもそも生物ですらない。だが、その存在が何故古城たちの知り合いを模しているのか、それがわからない。

 

「式神って……あれはもっとこう紙みたいな感じだったじゃないか。ここまで人間に似た種類もあるんだな」

 

 今まで式神といえば雪菜が生み出す偵察用のものしか見ていなかった古城は、驚きのあまり眼前の女性型式神をまじまじと見てしまう。

 

「そう言うわりには、一目で紗矢華さんじゃないってわかるんですね」

 

 どこか湿度を帯びた雪菜の一言に、思わず古城は体を硬直させた。

 

「いや、あの煌坂がこんな格好を俺に見られでもしたら、あの剣で斬りかかられてもおかしくないだろ? それに、式神だからだろうけど人間の匂いが一切しなかったんだよ」

「匂い、ですか。そうですか……」

 

 吸血鬼特有の鋭敏な五感を理由に出されると、雪菜としても追及ができない。渋々引き下がる彼女の様子を見て、浩一がおかしそうに笑った。

 

「いやあ、仲が良さそうで何よりだね。貴女も、弟子の珍しい一面を見られたんじゃないですか?」

 

 その笑みのままに、浩一は傍らの猫に話しかける。その様子に、古城は何と言っていいのかわからなかった。

 あの頼れる攻魔官の浩一が、なぜこのようなことになってしまっているのか。昼に那月と行動していた時は特に変わった様子はなかった。先ほどまで那月は古城の補習を見ていたので、その間にあの修道院跡で何かあったのだろうか。あの式神は、こうなった浩一をここに連れてくるために、街中でも問題ないよう作られたものなのかもしれない。目立ったほうが周囲の視線を集め、襲撃を防止できるはずだ。

 師でもある浩一を本気で心配する古城だったが、その思考は一瞬で吹き飛ぶことになった。

 

「あの雪菜にここまで面白い反応をさせるとはね。おまえさん、なかなかやるじゃないか」

 

 カウンターの上で寝そべっていた猫が、突然こちらを向いて人間の言葉を話し始めたのだ。

 

「なっ……⁉」

 

 あまりの衝撃に絶句する古城とは対照的に、雪菜は静かにその場で片膝をつき(こうべ)を垂れた。

 

「師家様、ご無沙汰しております。姫柊雪菜、参上つかまつりました」

 

 恭しい挨拶を受けた猫は、満足そうに頷いた。

 動物にはあまり詳しくない古城から見ても、美しいと感じられる猫だ。金の瞳は内心を見通すような光を湛え、しなやかな体つきはどこか雪菜を思わせる。首輪にはめ込まれた、瞳と同じ色の金緑石も黒の体色に栄える。

 

「しばらくぶりだね、雪菜。おまえがあこそまで感情を表に出すなんて、そうそうあることじゃない。珍しいものを見せてもらったよ」

「未熟ゆえに御見苦しい点をお見せいたしました。申し訳ございません」

「責めちゃいない、褒めてるのさ」

 

 喉を鳴らして笑いながら、猫は実に人間臭い動きで前足を上げた。それを見た雪菜が居住まいを正す。どうやら、本題に入るらしい。

 

「さて、槍はどうした?」

「はい、こちらに」

 

 ギターケースから取り出された〝雪霞狼(せっかろう)〟が、紗矢華を模して造られた式神によって黒猫の前に運ばれていく。

 そのわずかな隙に、古城は雪菜に囁きかけた。

 

「師家様って……猫だよな。変身でもしてるのか?」

「あれは使い魔です。ご本人は、おそらく今も高神の杜に」

 

 古城が今まで見たことがないほど緊張している雪菜が、古城に囁き返す。

 

「高神の杜って、たしか関西にあるとか言ってたよな? おいおい、どんだけ離れてると思ってんだ……」

 

 本日二度目の衝撃に、古城は思わず猫を凝視した。現在古城たちがいる絃神島から、日本本土まで最短距離で約三百キロ。雪菜が修行を行っていたという高神の杜まで、そこからさらに数百キロは離れているはずなのだ。

 優れた魔術師にとって、物理的な距離は障害になりえないとは言うが、それにしても並大抵の術者が軽々と行える所業ではない。

 

「あの猫と紗矢華擬きを操ってるのが、姫柊の師匠ってわけか」

「はい。縁堂縁さまです」

「偉い人なのか?」

「はい、かなり。浩一さんの所属する先達と、ほとんど変わらない地位です」

 

 古城の不遜な質問に、雪菜は表情をこわばらせつつ頷いた。

 異国の女王や、戦王領域の貴族と対面しても、ほとんど物怖じしなかった雪菜がここまで気を遣うのだ。猫を通してこちらを見ている彼女の師匠は、よほどの大物なのか気まぐれな暴君――あるいはその両方の気質を備えているのだろう。地位ほとんど同じといった浩一と、雪菜は普段そこまで畏まった雰囲気で接しているわけではない。そこから察するに、どちらかといえば暴君気質が強いのかもしれない。

 とはいえ、見た目が猫ではどうにも締まらない、と古城は考えてしまう。

 その猫は、運ばれてきた銀の槍をざっと見渡した。

 

「いちおう〝雪霞狼(せっかろう)〟には受け入れてもらえたんだね。

 技はかなり粗さが取れてきたじゃないか。そこの客員先達の教えをうまく生かしているね。

 刃筋(スジ)も悪くないが、〝霊視()〟に随分と頼ってるのが気になるところかね。忘れたわけじゃないだろうが、剣巫(けんなぎ)は剣にして剣にあらず、()にして巫にあらず……未来(さき)を視て流されるだけでは、まだまだ半人前さ」

「はい、師家様」

 

 猫が伝えるありがたい説教を、雪菜は神妙な顔つきで聞いている。張り詰めた空気が満ちる真剣な場面なのだが、横から見ている古城にとっては反応に困る絵面だ。

 だがその光景とは裏腹に、猫の先にいる縁堂縁という人物が底知れぬ実力者ということに間違いはないようだ。武器に残された細かい傷や摩耗から、弟子の癖や欠点を読み取り的確なアドバイスを送れるのだから並大抵ではないだろう。

 その実力に敬意を表し、黒猫をニャンコ先生と呼ぼうと古城は決意した。もちろん、口に出すつもりは一切ないが。

 

「いいだろう、確かに槍は預かった。今この時刻をもって、おまえを第四真祖の監視役から解く。

 ……たまには普通の小娘(ガキ)に戻って、英気を養ってくるんだね」

 

 〝雪霞狼(せっかろう)〟の検分を終えた黒猫が、人間臭い笑みを浮かべながら雪菜に告げる。

 しかし、雪菜は体勢を変えず変えずに師匠の使い魔を見つめ続けていた。なんどか躊躇うように唇を震わせ、意を決したのか口を開いた。

 

「――お言葉ですが師家。ほんの数日とはいえ、先輩……いえ、第四真祖の動向から目を離すのはやはり心配です。監視のお役目、私に引き続きお任せいただけないでしょうか」

 

 真剣な雪菜の提言に、黒猫は面白そうに笑い声を漏らした。実直真面目な雪菜が、師匠の言いつけに反する意見をすることなどかつて無かったのだろう。

 

「そこの坊やが第四真祖かい?」

 

 突然水を向けられ、古城は僅かに怯んだ。金の瞳が、まっすぐ古城の目を見ている。

 

「ああ。いちおうそういうことになってるみたいだ」

 

 坊や呼ばわりに反論する考えも脳裏によぎったが、古城はその言葉を呑み込んだ。代わりに、特に敬語なども使わず返事をする。いくら雪菜の師匠とはいえ、猫相手に敬語を使う気にはなれなかったのだ。

 猫のほうも、初対面の相手に敬語を求めるほど度量は小さくなかったようだ。ざっくばらんな口調で話しかけてくる。

 

「呼びつける形になってしまって済まなかったね。おまえさんとは一度会って話をしてみたかったのさ。面と向かって礼も言っておきたかったからね」

「礼?」

「アヴローラを救ってくれた礼さ。あの子とはちょっとした因縁があってね」

 

 黒猫が口を吊り上げて笑い、同時に古城はすさまじい頭痛に襲われた。痛みと共に、彼の脳裏に朧げな風景が浮かび上がる。紅く染まった空を背にした小さな人影。炎のように輝く虹色の髪と、焔光(えんこう)の瞳を持った少女だ。

 あまりの激痛に体勢を崩した古城を支え、心配そうに声をかける雪菜に意識を割くことすらできない。

 

「あんた……あいつを知っているのか……?」

 

 黒猫に詰め寄る古城だったが、思うように力が入らず雪菜に支えてもらうことで何とか立っている状態だ。

 

「縁堂巫師、彼にその話はしないよう言ったでしょう。悪ふざけでは済まないとも」

 

 そんな古城の様子を見た浩一が苦言を呈し、黒猫はバツが悪そうに尻尾を揺らす。

 

「ここまでひどいとは思っていなくてね。見通しが甘かったよ。

 すまないね、私も語って聞かせられるほどには知っちゃいない。ちょいと因縁があっただけだからね。

 とにかくあの〝眠り姫〟は不憫な子だったんだ。救ってくれたことに感謝しているのさ」

「……浩一さんは?」

「すまない。私も資料でしか知らないんだ。ある程度は説明できなくもないが、それはできないんだよ。

 古城君、君はいずれあの子のことを必ず思い出すことになる。その記憶を、関係のない私が話して聞かせるべきではないんだ」

 

 本来であれば、不要な隠蔽を宣言した浩一に古城は食い下がっただろう。だが浩一の表情は真剣そのものであり、ある程度の付き合いがある古城は決して話さないであろうと予想がついた。

 心配そうに自分を支える雪菜の目線に気が付き、古城はある程度の冷静さを取り戻した。心配ないと笑いかける様子を見て、黒猫はおかしそうに笑みを浮かべた。

 

「それにしても、あのアヴローラだけでなく堅物の雪菜まで手懐けるとはね。腑抜けた面構えからは考えられないけど、なかなかやるじゃないか、坊や?」

「て、手懐けられたりなんてしてません!」

「この駄猫……」

 

 雪菜が勢いづいて反論し、古城は思わず悪態を口にする。

 すでに先ほどの少女を思い出すことはできず、頭痛もわずかながら収まってきた。

 

「たかが数日目を離した隙に悪事を働けるような肝っ玉もなさそうだし、山野の目を盗む度胸はもっとなさそうだがね。かわいい教え子が気にかけてることだし、一応首輪くらいはつけておくとするか。

 代理の監視役がいれば、雪菜も少しは安心できるだろう?」

 

 そういって黒猫が右手を上げると、メイド姿の紗矢華を模した式神が、ゆっくりと古城たちへと近づいてきた。

 

「おい、まさかこの煌坂もどきが姫柊の代理ってわけじゃないだろうな」

 

 内心の不安を隠そうともせず、古城は恐る恐る黒猫に問いかける。

 残念ならが、猫は当然のように頷き返した。

 

「見知った顔のほうが何かと便利だろう? せっかくなんだから、そいつを連れて歩くんだね。

 安心しておきな、胸くらい触っても本人には黙っておいてやるさ」

「誰が触るか! てか本人はどうしたんだよ⁉ 代理ってんならあいつでいいだろ!」

「紗矢華は任務中さ。予定だと今日終わるはずだったんだけど、案外てこずってるようでね」

 

 そう言われると、部外者である古城は一切の口出しができなくなる。本来はヴァトラーの監視が任務であるはずの紗矢華が駆り出される任務の内容を、獅子王機関の人間ではない古城に教えてくれるはずがないのだ。

 

「そうか……ところで、なんで式神が煌坂の格好をしてるんだ?」

「ああ、それは単純に紗矢華の日だったというだけさ。

 1体の式神を放っておしまいじゃあ私としても腕が鈍るからね。定期的に外見を変えているのさ。あと1週間ほどで、次の姿に変える予定だよ。

 そうだね……久しぶりに会った記念に、雪菜の姿にするのも面白そうだ」

 

 その一言に、雪菜が目に見えて狼狽した。自分と同じ外見の存在が、預かり知らぬところでメイド服を着て接客するかもしれないのだ。動揺しないほうが難しいだろう。

 この性格だからこそ、雪菜はこの師匠を恐れているのだ。

 

「失礼。急用が入ったので、私はここで失礼します。

 姫柊、宿泊施設楽しんできてね。古城君、また今度」

 

 突然、にこやかに会話を聞いて楽しんでいた浩一が立ち上がった。懐から取り出した機械を眺め、せわしなく店から飛び出していく。

 

「珍しいね、あの男が話の途中に退出するとは。まあ、それほど関係のない話を聞く男でもないか。

 でだ。いないはずの雪菜にするわけにはいかないから、ある程度のリクエストには答えてやろうじゃないか。何か好きな格好はあるのかい?」

「いや、リクエストって言われても……」

「それとも、高神の杜からほかの剣巫を呼び寄せようかね。生身の人間のほうがいいんだろう?

 たしか今年の卒業生に、イキのいいのが2人ばかりいたね。第四真祖、胸のでかいほうと小さいほう、どちらが好みだい?」

「……え⁉」

 

 こんな場所でそれを聞くのかと、古城は戦慄する。

 ふと視線を感じて横を盗み見れば、雪菜が感情のない瞳でじっと古城を見つめていた。ここで選択肢を間違えれば、あとでなにか大変なことが起きると古城の勘が警告を発している。だが、どう答えれば正解なのか。

 重苦しい沈黙の中、予想外の状況に追い詰められている古城の懐で携帯の着信音が鳴り始めた。天の助けとばかりに古城は携帯を取り出しディスプレイを確認する。

 そこには、藍羽浅葱の名が表示されていた。

 

 

 

 丘の頂上へと続く道が、夕日に彩られる時間帯。ウレタンチップが敷かれた遊歩道を歩く浅葱は、スマートフォンを耳に当てていた。電話口からは、何故か切羽詰まったような古城の声が聞こえる。

 

『浅葱か? グッドタイミングだよ助かった!

 えっと、何か用があるのか?』

「うん、急にごめんね」

 

 かなり愛想がいい古城に、浅葱は軽く面食らう。まるで、この電話がきっかけで絶体絶命の窮地から逃れられたといわんばかりの反応だ。

 

「ちょっと頼みたいことがあったんだけど、ひょっとしてもう家についちゃった?」

 

 気を取り直して発した質問に、古城は謎の沈黙を返した。何を言うか悩むような時間が挟まれる。

 

『いや、まだ外だ。西地区(ウエスト)の六号坂近くに、姫柊の知り合いがやってる骨董屋があるんだよ。そこに呼ばれてな』

「六号坂って……あの辺に骨董屋なんてあったの?」

『ああ、かなりわかりにくい場所にある。隠れ家的って言えばいいのかな』

 

 地名を聞いた浅葱は顔を引きつらせるが、続く古城の説明に冷静さを取り戻した。

 六号坂周辺がどのような土地か、知っているだけに疑惑は残るが、絃神島の住民ならばませた小学生でも知っている。その地名を出す以上本当にやましいことは無いと判断できるし、説明する古城もごまかすような口調ではなかった。スマホのスピーカーから、猫の鳴き声と静かなBGMが聞こえてくる。骨董屋というのも嘘ではなさそうだ。

 

「よくわからないけど、忙しいってわけではないのね?」

『まあな。で、頼みってなんだよ』

 

 古城の問いに、今度は浅葱が沈黙を返すことになった。言い出しにくい内容だけに、咳払いまでしてしまう。

 

「あのさ……あんたが私の誕生日にくれたピアスこのと、覚えてる?」

『ああ、あのお前が妙にねだった買わせてくれたやつな。たしか青だったっけか』

「青じゃなくてターコイズ・ブルー!」

 

 浅葱の口調が強くなる。あのピアスは、青ではなく浅葱色(ターコイズ)であることに意味があるのだ。

 

『こだわるなおい。

 で、そのピアスがどうしたんだ?』

「ごめん、片っぽ落としちゃったみたいでさ。たぶん昼休みあんたともみ合った公園あたりだと――」

「公園? おい、まさかあの修道院跡近くにいるってんじゃないだろうな⁉」

 

 豹変したように詰問する古城に、浅葱は驚きのあまり素直に返事をしてしまう。

 

「え、えっと、そうだけど。

 どうしたの急に?」

『どうしたのじゃない! お前も特区警備隊(アイランド・ガード)が見張ってたのを知ってるだろ! いま修道院の辺りは危険なんだよ! 何かに巻き込まれる前にそこから離れろ、今すぐに!』

 

 突然発せられた警告に、浅葱は戸惑いを隠せない。古城が何かを警戒していることはわかるのだが、なぜそこまで危機感を持っているのかが理解できないのだ。

 

「べつに今は学校を抜け出してるわけじゃないんだから、大丈夫よ。特区警備隊(アイランド・ガード)がいるんだから、逆に安全じゃない」

『いいから早く帰れって! ピアスなら、別のやつを後で買ってやるから! 何個でも!』

 

 懇願交じりに発せられた古城の言葉を、都合よく聞き逃す浅葱ではない。

 

「いいの⁉」

『嘘じゃない!』

「ピアスだけじゃなくてもいい? 高いやつじゃなくていいから、ゆ、指輪とかでも』

『この際なんでもいいよ! だから早く!』

「わかったわかりました。そんな大声出さないでよ。

 あと1周したらおとなしく帰るから」

『今すぐ帰ってくれよ!』

 

 声を枯らした古城の叫びを聞き流しながら、浅葱は上機嫌で歩き始めた。何故ここまで古城が焦っているのかはわからないが、心配されるのは悪い気分ではないし、指輪を買ってもらう約束まで取り付けたのだ。約束通りピアスの捜索を切り上げようと、最後にざっと地面を見渡した。

 轟音と共に地面が揺れたのは、その直後だった。

 浅葱の体が一瞬空中に浮きあがり、あまりの振動に立っていることすらできない。肩にかけていたバッグが吹き飛ばされ、中身を道にぶちまけていた。

 

『おい浅葱! なんだ今の音⁉』

 

 異音は古城にも聞こえていたらしく、声から余裕が一切消えている。

 そして古城の問いに、浅葱は答えられなかった。何が起こっているのかはわかっている。眼前で発生する異常事態を見落とすほど、浅葱は間が抜けているわけではない。

 だが、その現象をどう言えばいいのかがわからないのだ。

 修道院跡を吹き飛ばして出現した物体は、不気味に蠕動する漆黒の流動体だった。生物でも金属でもない、特定の形すら持たないであろう巨大なモノ――それをどう表現すればいいのか。

 

「わかん、ない。なによ……こいつ!

 血、みたいな……水銀? 女の人が!」

 

 体を襲う鈍痛に耐えながら、浅葱はゆっくりと体を起こす。その間にも、物体は形状を絶え間なく変えていく。

 ありえざる、進化の失敗作とでもいえばいいのだろうか。ありとあらゆる生命体の遺伝子を混ぜ合わせれば、あるいはこのような合成獣(キメラ)が生まれ落ちるのかもしれない。

 異形の存在は周囲の物体を見境なく喰らい、徐々に成長を続けている。出現時は軽自動車ほどだった体積も、今は小型トラックを超えるほどの大きさにまで膨れ上がっていた。

 

「あれ?」

 

 逃げなければと浅葱が立ち上がると同時に、場違いな声が聞こえてきた。赤と白のチェックが目立つ、奇術師のような服を着た青年が坂の上から浅葱を見下ろしている。無邪気そうな笑みこそ浮かべているものの、その眼は一切の温度を感じさせない。

 

「まいったな、見られちゃったのか。まあいいや……すぐ死ぬし」

 

 無関心な口調で青年が言うのと同時に、怪物が咆哮した。

 不定形の流動体から、溶けるようにリボン状の帯が出現する。それがリボンなどというかわいらしいものではなく、刃のように研ぎ澄まされた職種であると浅葱が気が付いた時には手遅れだった。

 

「え?」

 

 軽い衝撃と共に、浅葱の体が地面に投げ出される。視界の端では、なにかを切り落とした青年が興味深そうな目で浅葱のほうを見ていた。一拍おいて、空気を切り裂く音が聞こえてくる。浅葱はリボン状の刃が凄まじい速度で斬撃を繰り出したと理解したが、それに反応することは無かった。

 眼前の光景に目を奪われていたからだ。

 

「う……そ……」

 

 目の前の地面に、バビル2世が倒れていた。肩から腰にかけて袈裟懸けに切断された体の裂け目から、はっきりと地面が見える。人体に詳しくないものが見ても、一目で判断できるだろう。

 間違いなく、致命傷だ。

 遅まきながら、浅葱は先ほどの軽い衝撃はバビル2世が自分を突き飛ばしたものだと理解した。常人では目視すらできない速度の斬撃から彼女を庇い、かわりにバビル2世がその一撃を受けたのだ。

 

「い、いやああああぁぁぁぁぁっ⁉」

 

 浅葱の発する絶望の叫びが、赤く染まった空に吸い込まれていった。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 アヴローラ
 先代の第四真祖。
 彼女の関する記憶は古城の中から完全に失われており、思い出そうとすると激しい頭痛に襲われることになる。

 縁堂縁 えんどう-ゆかり
 獅子王機関に所属する攻魔師であり、雪菜と紗矢華の師匠。
 日本でも指折りの実力者でありながら、その場の気分でとんでもないことを言い出すことが多々あるため弟子たちからは恐れられている。

 施設・組織

 高神の杜 たかがみのもり
 表向きには全寮制の学校となっている、獅子王機関の攻魔師育成所。
 偽造とはいえ学校機関として造られただけはあり、攻魔師の知識だけではなく通常の学問も高度なレベルで教育している。

 種族・分類

 雪霞狼 せっかろう
 獅子王機関の秘奥兵器であり、世界に3本しか存在しない七式突撃降魔機槍の1振り。
 通常の兵器との大きな違いとして、扱うためには特殊な資質が必要な点が挙げらえる。
 資質が足りないと、最悪の場合武装として展開できないことすらある気難しい武器。

 バビル2世 用語集

 人物

 バビル2世
 次回本文まで、解説は控える。


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4話 忌むべき初体験

 誤字報告ありがとうございます。
 投稿前に読み直してはいるのですが、どうしても見落としが出てしまうためにとても助かっています。
 今回も本文が長めとなっていますので、ご了承ください。


 浅葱の震える手が、すでに生命活動を停止しているであろうバビル2世の肉体へと伸びた。何がしたいわけではない。触れたかったのか、まだ生きているのだと希望を持ちたかったのかもわからない。

 だが、その腕を掴んだ瞬間浅葱の希望は潰えた。一切の脈が無いのだ。まだ肉体は暖かいが、それもすぐに冷えてしまうだろう。

 

「あれあれ、なに死体に縋り付いてるのかな?」

 

 嘲笑するような口調で、道化師のような青年が浅葱へと近づいてきた。怒りと悲しみで、浅葱は怒鳴り散らすことすらできない。

 

「せっかく身を挺して庇われたみたいだけど、次の一撃を避けられないんだから意味ないよね。

 ほら、もう次がっ⁉」

 

 余裕をもって蠕動する怪物を指し示した青年の顔が、苦痛に歪んだ。腹部にめり込んだ拳が振り抜かれ、数メートルほど吹き飛ばされる。

 

「浅かったか。できれば仕留めたかったのですが」

 

 こぶしを振りぬいた張本人、バビル2世が何事もなかったかのように立ち上がった。僅かに動けば千切れそうな傷跡が、溶け合うようにして塞がれていく。奇妙なことに、体だけではなく身に着けている衣服までもが修復された。

 

「え、あの、えぇ……」

 

 あまりの混乱に、浅葱の口からは不明瞭な声が漏れた。その混乱に気が付いたのか、妙に丁寧な口調のバビル2世が浅葱へと向き合う。

 

「驚かせましたね、藍羽さん。私ですよ、ロデムです。

 バビル2世様の命により、護衛に参上しました」

 

 何でもないような口調で、バビル2世……を模したロデムが告げた。

 脈が無いのは当然だったのだ。ロデムの変身能力は、あくまでも外見を模すだけのものだ。それでも外見だけで見破られることはほぼ無いほどの完成度を誇るが、どれだけ高い擬態能力を持っていても内臓まで模しているわけではない。

 

「ひ、ひと声くらいくれてもいいじゃない! 私のせいでバビル2世が死んじゃったのかと思って本気で焦ったんだからね⁉」

「申し訳ありません。あの攻撃範囲から庇うだけで精一杯でしたし、死んだと誤解された以上その状態を利用しない手は無かったので」

 

 涙交じりに叫ぶ浅葱に、ロデムはどこまでも合理的な判断であったと主張した。

 どこか弛緩した雰囲気の2人とは対照的に、殴り飛ばされた青年は憎しみの籠もった目でロデムを睨んでいた。人間であれば即時の負傷をしてなお活動する、謎の生命体を見た驚きは感じられない。

 

「黒い〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟……? 師匠以外があれの生成に成功したなんて聞いたことないぞ」

「天塚汞ですね。代理ですが、国家攻魔官として抵抗は止めるよう進言します。従わない場合、武力をもって制圧することになりますが」

 

 何かを呟く赤白チェックの青年……天塚汞へ、ロデムは興味がなさそうに警告を投げかける。

 その警告への返答は、天塚が放った斬撃だった。ロデムはそれを危なげなく躱し、直後に放たれた怪物の切断攻撃も浅葱を抱き上げて回避した。

 

「抵抗するなら容赦はしないと言いたいところですが、錬金術師であるあなたと私では少々相性が悪いようですね。

 ご主人様が間に合ったようですし、私は援護に徹するとしましょう」

 

 天塚がロデムの言葉に疑問を呈するよりも早く、その背後から錬金術師へと襲い掛かる影があった。天塚は咄嗟に身を躱し、襲撃者の跳び蹴りは傍に生えていた木をへし折ることでその威力を証明する。

 

「危ないなあ。当たったら怪我じゃすまないよそれ」

「お前のような連中に、手加減をする必要はないからね。投降するならば、骨の数本で勘弁してあげよう」

 

 両の手足に武神具を装備し、襲撃者は油断なく天塚を見据える。

 

「浩一様、申し訳ございません。本来であればすでに制圧しているべきでした」

「かまわないさ、ロデム。これほどの錬金術師が相手だと、近接戦主体のお前では相性が悪い。無理をしてやられていないうえに護衛対象にも大きな怪我がない、十分だ」

 

 自らに化けたしもべと軽口をたたきあう浩一へ、浅葱が疑問をぶつけた。

 

「こ、浩一さん。どうしてこんなに早くここへ?」

「いつもいつも到着が遅くては契約に反するし信用にかかわるからね。昼間に渡した警報装置が早速役に立ったんだよ。

 とはいえ私が到着するまでには時間がかかりすぎるから、念のため潜ませていたロデムに時間稼ぎを命じたんだ」

 

 異常な魔力を検知した警報装置が危険信号を発してすぐ、浩一は念のため浅葱の周囲を守らせていたロデムに指示を出して街を疾走していたのだ。並みの獣人を凌ぐ身体能力を全力で駆動させ疾走する浩一は、Cカードが無ければ何らかの迷惑行為として連行されてもおかしくなかった。

 その甲斐あって、契約者の危機に浩一は何とか間に合ったのだ。

 

「さて、藍羽さんは少し下がっていなさい。この男は私たちが相手をする」

 

 浅葱を庇って浩一とロデムが天塚に立ち塞がるが、その圧力を受けてなお青年は余裕の表情を崩してない。

 

「おやおや、誰かは知らないがぼくの邪魔をする気なのかな?

 命は大事にしたほうがいいと思うけどね」

「お前程度に殺されるほど、私の命は安くないさ。ロデム、援護は任せた」

「はい、お任せください」

 

 浅葱が十分離れたことを確認し、主従と錬金術師が正面から激突した。

 

 

 

 古城と雪菜が無人の公園にたどり着いたときには、すでに太陽が西の水平線に沈みかける時間帯だった。電話が謎の爆発音で途切れた後、なんとか浅葱ともう一度通話はできたのだが、パニックを起こしているのか浅葱の説明が要領を得ずに、古城は現場の状況を確認できていなかった。

 古城はあの浅葱がなぜそこまで取り乱していたのかわからなかったが、眼前に広がる光景にあの取り乱しようにも納得がいく。

 

「なんだよ……これ……」

 

 あまりの光景に古城は絶句し、剣巫として修業を積みある程度の修羅場を見てきたはずの雪菜ですら言葉を紡げずにいる。 

 昼に訪れたはずの公園は、すでにその面影を完全に失っていた。植えられていた木々はそのほとんどがへし折られ、根元から掘り返されたものすら存在している。歩道はえぐられ、整えられていた芝生や植え込みも掘り返されたように土や根を露出させている。不可思議なことに、それらは一部が金属と化しているのだ。

 何よりも大きな変化は、特区警備隊(アイランド・ガード)拠点防衛部隊(ガーディアン)によって守られていたはずの修道院跡が消失している点だ。たしかに廃墟があったはずの場所には瓦礫が点在しているだけであり、何かが落下したような形跡が残っているだけでほとんどの建材が影も形もなくなっている。

 そしてなによりも、丘の頂上付近で交戦する3つの人影が異常の一言に尽きた。

 

「いい加減、邪魔なんだよ!」

 

 赤白チェックの青年、天塚が地面に刃と化した右腕を突き刺せば、金属と化した地面が津波のように2人の人影へと襲い掛かる。

 それを2人の人影、浩一とバビル2世は無言で回避し、互いに合図すら出さず一気に距離を詰めた。浩一の大ぶりなテレフォンパンチは空振りに終わるが、それはあくまでも囮だ。

 

「バビル2世!」

 

 背後から迫っていたバビル2世の跳躍に合わせ、浩一の腕にはめられた武神具…… 〝十式保護術式展開具足(パリレンクライス)〟がその優美な装甲を展開し、物理的にも魔術的にも強固極まりない結界を発生させた。滞空を終えたバビル2世がその結界に着地し、浩一は裏拳の要領でバビル2世を射出(・・)する。タイミングを合わせ結界から跳躍したバビル2世は、凄まじい速度で天塚へと襲い掛かる。

 

「うっとおしいなぁ!」

 

 天塚は腕を金属に変えて防御姿勢をとった。だが、人間1人分の質量が着弾(・・)した衝撃は容易に殺しえるものではない。直接的なダメージこそないものの、数メートルほど後退することになった。

 

「こ、古城⁉」

 

 すさまじい戦闘に圧倒されていた古城は、自分を呼ぶ声で現実に引き戻された。

 

「浅葱⁉ 無事だったか!」

「どこが無事だってのよ! わけわかんないシルクハットの不審者に襲われるし、助けに来てくれた浩一さんたちは漫画みたいな戦い始めるし、お気に入りの服はぐちゃぐちゃだし、結局ピアス見つかんなかったし!」

 

 あまりの剣幕に、思わず古城は一歩下がる。古城の後ろに立っていた雪菜も、同じように後退するほどだ。

 冷静になって浅葱の格好を見てみれば、服が土にまみれ、ところどころに擦り傷を負っている。女性相手にこれで無事だと判断すれば、怒鳴られても仕方がないだろう。

 

「わ、悪かったよ。とにかくここを離れるぞ、ここにいたら浩一さんたちの邪魔になる」

「そうだけど、あんまり離れられない理由もあるのよ」

 

 何かを言いよどむ浅葱と共に、古城たちは木陰にいったん身を隠した。

 

「あの爆心地みたいな戦場から離れにくいってのは、よっぽどのことなんだな?」

「うん。

 電話が切れたとき、爆発音がしたでしょ? あれは修道院跡が壊された音だったんだけど、そのとき修道院跡の中から出てきたドロドロした化け物が地面の亀裂に入って逃げたのよ。

 下層空間を移動してるだろうから、奇襲された場合ギリギリ助けられるようにってあんまり離れないよう浩一さんから言われて」

「ドロドロした化け物?」

「まさか〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟……?」

 

 ぽつりと雪菜がこぼした一言に、古城と浅葱が反応した。

 

「姫柊、何か知ってるのか?」

「前から思ってたけど、あなた妙なことに詳しいわよね」

 

 訝しげな表情で詰め寄る浅葱に、雪菜は無言で指を突き付けた。

 

「なに?

 聞かないでほしいって言うなら無理に話してもらうつもりはないけど……」

 

 言葉を遮るようにして、雪菜は浅葱の眼前で指を鳴らした。魔力によって紫電が散り、浅葱がその場に崩れ落ちる。

 

「あ、浅葱⁉ おい姫柊、何してんだよ⁉」

「落ち着いてください。このまま話しを続けて私や先輩の素性を知られるのは避けたいですし、先にあちらを制圧する必要がありますから」

 

 雪菜の視線の先では、今なお激闘を繰り広げる浩一とバビル2世、そして天塚の姿があった。

 実力としては浩一とバビル2世が圧倒的に上なのだが、天塚には僅かにでも触れればその時点で発動する錬金術という強みがある。浩一の高い格闘技術で一気に制圧しようにもそれが強い牽制となり、犯罪者といえども最小限の負傷に抑えなければならないという大きなハンデもあって持久戦になってしまっているのだ。

 このままでも天塚の敗北は決まっているが、逃げられる可能性も考慮すれば迅速に制圧できることに越したことはない。雪菜は背負ったギターケースから見慣れた槍を引き抜き、腰を深く落とした。

 

「先輩は、万が一のために浅葱さんをお願いします。では!」

 

 返事を聞かず、雪菜は弾かれたように加速した。勢いのままに天塚へと迫り、銀の槍が宙を薙ぐ。

 

「姫柊か、このまま畳みかけるぞ!」

「はい!」

「昨日の女の子じゃないか。邪魔しないでもらえるかな!」

 

 天塚は槍を金属化した右腕で弾くが、続く浩一とバビル2世の連撃を捌ききれずに後退する。2対1のときですら、防戦一方のまま逃亡すらできなかったのだ。そこに並みの実力者でない雪菜が加わったことにより、天塚はみるみるうちに追い込まれていく。そして天塚の動作が精細を欠いた隙を突き、浩一がその懐に深く潜り込んだ。触れられれば金属化される危険のある相手に、超近接戦闘を仕掛ける者などほとんどいない。その思考の隙を突かれ、天塚は咄嗟の防御を行うことができない。

 

「姫柊、合わせろ! 土雷(つちいかづち)!」

 

 魔力で強化された一撃が、天塚の体を宙へと打ち上げた。身動きが取れない錬金術師へと、雪菜が呪力を練り上げ迫る。

 

若雷(わかいかずち)!」

 

 両腕で繰り出された掌底が天塚の腹部へとめり込み、一拍おいてすさまじい勢いで弾き飛ばされた。宙を舞う天塚の先で、バビル2世が無表情で立っている。

 無言のまま繰り出された回し蹴りが錬金術師の側頭部へと叩き込まれ、その体は3人の中心部分へと落下した。実力者3名の連携が完璧に決まったのだが、その場の誰1人として、そう、離れて浅葱を守る古城ですら油断していない。

 その警戒が正しかったと、すぐに証明されることになる。

 

「いたたたた……僕が人間なら死んでるところだよ? ちょっとは加減してほしいなぁ!」

 

 怒りに顔を引きつらせながら、天塚が右腕を振りかぶった。そして3人の中では最も実力の低い雪菜へと、異形と化した腕が振るわれる。

 流体金属とでも呼ぶべき物質へと変換された右腕が、無数に枝分かれしながら雪菜へと襲い掛かった。未来が読めようとも、呪力で強化した身体能力があろうとも回避不能の一撃だ。

 だが、その一撃は不意に宙で縫い留められるように動きを止めた。雪菜が回避行動をとるよりも、浩一とバビル2世が天塚を攻撃範囲に収めるよりも先に、古城がその右腕を突き出したのだ。痛みも傷もなく、その右腕から鮮血が迸り、一瞬で膨大な魔力へと変換される。それらが呼び水となって召還されるのは、異界より現れる吸血鬼を最強たらしめる要因、眷獣だ。

 

疾く在れ(きやがれ)、五番目の眷獣〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟――!」

 

 呼び出された雷撃の獅子は、突き出された腕を発射台に見立て宙を一瞬で疾駆した。今回呼び出された獅子の黄金(レグルス・アウルム)は、古城が速度と制御を重視したために天災もかくやというほどの被害を周囲に撒き散らしはしなかった。だが、それでもなお標準的な眷獣を軽く凌駕する破壊の化身は狙い違わず天塚へと襲い掛かり、その痩身を雷撃が蹂躙する。

 本来であれば、古城は人間相手に眷獣をけしかけるなどということはしなかっただろう。だが、古城が持つ魔族としての本能が囁いたのだ。ここで動けないほどに攻撃しなければ、雪菜が死ぬと。

 そしてその予感は、並々ならぬ実戦経験を持つ浩一も同様に感じ取っていた。捕獲を優先すれば仲間が殺されるという状況下で、なおも捕獲を優先するほど浩一は博愛主義者ではない。武神具に守られた脚が一閃し、天塚の首をあっさりとへし折った。

 その光景を見た若者2人は息を呑むが、浩一は警戒を崩さない。

 

「2人とも、まだだ!」

「まったくひどいなあ君たち……もう人の姿を保てなくなったじゃないか」

 

 雷撃に全身を蹂躙され、首をへし折られてなお天塚は生きていた。雷撃で焦げた服の傷から、心臓部に埋め込まれた宝玉が垣間見える。だが、その宝玉はすでに獅子の黄金(レグルス・アウルム)の雷撃で限界だったようだ。元々入っていたらしい大きな罅が広がり、あっという間に崩れ落ちる。

 それが引き金になったように、天塚の輪郭もが崩れ落ちた。人型に固めたスライムが支えを失ったように、液体金属の塊が天塚が立っていた地面に溜まり落ちる。

 

「〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟か。姫柊、気をつけろ」

 

 この中で唯一修道院跡を破壊した怪物を見た浩一は、液体の正体にもいち早く気が付いた。それを聞いた雪菜は警戒度を跳ね上げる。

 直後、浩一が古城の眼前に立ちはだかった。同時に雪菜が地を蹴り、バビル2世も大きく飛び退く。次の瞬間、黒銀の閃光と共に雪菜がいた地面が大きく裂け、バビル2世の背後に生えていた木々が纏めて両断される。そして浩一が展開した〝十式保護術式展開具足(パリレンクライス)〟の結界が、何かを弾き飛ばした。

 古城の目からは何が起きたのか理解できなかった。天塚の攻撃なのだろうが、吸血鬼である古城の動体視力をもってしても予兆すら捉えられない超高速攻撃だ。人間の姿を失った代償に、天塚は強力極まりない攻撃手段を手に入れたのだ。

 雪菜とバビル2世は回避に集中しており、浩一は古城たちの前で結界の維持に全力を注いでいる。古城の実力では回避すらできないという判断からの行動であり、それは実際に正しい。

 もしも古城と浅葱がいなければ、盾役となった浩一の陰から雪菜とバビル2世は攻撃に移れただろう。バビル2世の能力があれば、遠距離から封殺もできたかもしれない。今のバビル2世はロデムが変身した擬態であり能力は使えないが、古城からすれば自分が足を引っ張った結果有効打が打てないとしか思えなかった。

 このままでは、いずれ雪菜の体力は尽きるだろう。そうなれば、待っているのは遺体も残らない死だ。すでに天塚は思考も残らない怪物となっており、制圧する手段もないだろう。万が一ここから逃走されれば、どれほどの被害が出るのか想像もできない。

 そして、古城にはこの怪物を止める手段を有していた。僅かな逡巡の後に、古城は再び左手を握りしめる。

 

「古城君、なにを⁉」

「先輩⁉」

 

 噴出した血液が生み出す膨大な魔力に気が付き浩一と雪菜が古城へと視線を向けるが、覚悟を決めた古城は揺らがない。

 

疾く在れ(きやがれ)、三番目の眷獣〝龍蛇の水銀(アルメイサ・メルクーリ)〟!」

 

 宙から滲み出るかのように、第四真祖三番目の眷獣が出現した。双頭の龍は、水銀の鱗を煌めかせながら主の敵へと突撃する。

 

『オオ……オオォォォ……OOOOO(オオオオオ)……』

 

 かつて天塚だった怪物は双頭龍を串刺しにしようと巨大な触手を突き出し、高速連撃を放つ。

 だが、それらはすべて龍が開いた口の中へと消えていく。双頭の召喚獣が持つ能力は次元喰らい(ディメンション・イーター)。その口は次元ごと全ての事象を呑み込み、この世から跡形もなく消滅させるのだ。

 

OOOOOOOOOO(オオオオオオオオオオ)……!』

 

 敗北を確信した不定形の怪物は逃走を図るが、予備動作すらする間もなく眷獣の主は命令を下す。

 

「喰らいつくせ、〝龍蛇の水銀(アルメイサ・メルクーリ)〟!」

 

 天から降下した双頭が、天塚だったものを跡形もなく喰らいつくす。あとに残されたのは丘の広場を破壊しつくした戦闘痕と、天塚が胸に埋め込んでいた黒い宝玉の破片だけだ。

 太陽が沈み夜が訪れた丘に、静かに風が吹く。怪物へと姿を変え、多くの人間を殺してきた魔導犯罪者。それ以外に方法が無かったとはいえ、元人間をその手にかけた古城の表情は、闇に隠され窺い知ることはできなかった。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 施設・組織

 国家攻魔官 こっかこうまかん
 国家資格の1つであり、魔術や呪術を扱って仕事をする際に必要となる。
 本来市街地で大規模な術式を扱うことは禁止されているものの、この資格があればある程度は目こぼしされる。

 種族・分類

 龍蛇の水銀 アルメイサ・メルクーリ
 第四真祖がその身に宿す12の眷獣の内3番目の眷獣。
 次元喰らいという物理防御不可能な凶悪極まりない能力を持つ、現時点で古城の切り札とも呼べる眷獣。
 だが、攻撃の凶悪さの代償として攻撃範囲が狭いため、被害を抑える目的としては使いやすいという矛盾した面を持つ。

 Cカード
 国家攻魔官の資格を持つものに配布される資格証明書であり、身分証としても使用可能なカード。
 国家資格なので、民間の資格とは違い公権力にもある程度の融通を聞かせてもらうことができるため、緊急時にはこれを提示し術を往来で使用することが可能となる。

 土雷 つちいかづち
 獅子王機関の近接戦闘術の一種。
 肘打ちや膝蹴りといった、ごく至近距離で行う格闘攻撃を強化する呪法。
 相手が相手だったために目立ったダメージを与えられなかったが、本来であれば獣人の骨を砕き内臓に損傷を与えることすら可能な恐ろしい術の1つ。

 十式保護術式展開具足 パリレンクライス
 本作オリジナルの武神具。
 総称でこそ呼ばれているものの浩一が使っているものは彼専用に改造が施されており、別物といって差し支えない代物と化している。

 獅子の黄金 レグルス・アウルム
 第四真祖がその身に宿す12の眷獣の内5番目の眷獣。
 古城が最初に掌握した眷獣であり、それだけに最も扱いに長けている。
 そのため、できる限り被害を減らしたいときや、相手の力を図りたいときに使われることが多い。

 賢者の霊血 ワイズマンズ・ブラッド
 次回本文まで、解説は控える。

 若雷 わかいかずち
 獅子王機関の近接戦闘術の一種。
 どちらかといえば内部破壊よりも衝撃によって相手を吹き飛ばすことを重視した術であり、それによって間合いを開けたり味方が援護を入れやすくするように敵の位置を調整するといった幅広い利用が可能。

 バビル2世 用語集

 人物

 バビル2世
 バビル2世主人公。
 原作では戦闘時に一切の手段を選ばない戦闘特化の思考をしており、基本的に襲撃側ということもあって周囲の被害を一切気にしなかった。
 今作では基本的に防衛側ということもあり、周囲の被害を考える必要があるため本来であれば圧倒できる敵に苦戦こそしないが手こずることが多い。

 種族・分類

 ロデム
 バビル2世のしもべが1体。
 原作でもバビル2世の身代わりとして変装し、攻撃を受けることが多々あった。
 戦場で冷静な判断が難しいことを差し引いても攻撃されるまで変身が見破られることは無く、あのヨミですら直接攻撃するまで気が付けないという高い実績を持つ。
 余談ではあるが、バラン襲来の際にバビル2世の身代わりとして鉄球を喰らい四肢がもぎ取れたシーンがあったのだが、その後特に回復シーンやダメージがあったとほのめかす描写すらなかったため、今回の攻撃で両断されたとしても特に問題は無かったと予想できる。 


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5話 矮小化した偉人

 非常に説明が多くなっています。ご了承ください。


 荒れ果てた丘の上で、重苦しい沈黙が場を支配していた。

 古城の脳内は、後悔で埋め尽くされている。たしかに、怪物と化した天塚を止めるためにはほかに手段は無かった。だが、第四真祖と呼ばれていても暁古城はただの高校生だ。元とはいえ人間をその手にかけたという事実は、彼が受け止めるには重すぎる。

 浩一は、なんと声をかければいいのかわからなかった。本来であれば、自分が始末をつけるべき相手を前途ある少年が手にかけたのだ。あの場では最適解だったかもしれないが、術を利用して拘束することもできたはずだ。それをする前に古城が行動したなど言い訳に過ぎず、その判断を下させてしまったという事実が浩一の罪悪感を刺激する。

 だがそれよりも、浩一……バビル2世としては別の考えが頭にあるという事実が苦痛だった。

 今の暁古城はただの高校生だ。だが、いずれ第四真祖として行動せざるを得ない場面が必ず来る。その時、人間を手にかけないという選択肢をとれるほど、この世界は優しくはない。そして、そういった場面では往々にして彼の大切な人の命がかけられているのだ。

 その時に戸惑った結果彼が大切な人を失うよりも、比較的危険が少なかった今、覚悟をもって一線を越えられてよかった。そんな合理的で非人道的な思考が、バビル2世の脳内に少なからず存在している。

 男2人が後悔に口を開けない中、雪菜はなんとかして古城の心を癒やせないか思考を巡らせる。第四真祖と化した古城の事情を知った上で、最も近くで寄り添い続けているのは間違いなく雪菜だ。

 戦いの世界に巻き込まれる前の、普通の学生として力を振るわない覚悟を決めていた古城。オイスタッハの非道を知り、しかしその原因を同時に知った葛藤。そして彼女自身の血によって覚醒したにもかかわらず、今までと同じ力を隠す生き方を選んだ気高さの全てを知っている。

 だからこそ、今覚悟の元に手を血に染めてしまった古城の苦しみを、部分的にとはいえ最も理解できている。その苦しみを和らげようと、意を決して口を開く。

 

「あ……ああ、何とか再構成に成功したか。

 そこの者たちよ、すまんがこちらを向いてはくれないか」

 

 その決心は、気の抜けた第三者の声によって遮られてしまった。反射的に声の方向へと全員の目が向けられるが、視線の先には誰もいない。

 どこか張り詰めた空気のまま、3人は即座に戦闘態勢へと移行した。だが、古城の動きはどこか鈍い。戦いの結果を割り切れていない今、普段のポテンシャルを発揮できないのだ。

 それにいち早く気が付いた雪菜が古城と浅葱を守るために防戦重視の体制を取り、浩一は周囲の索敵を優先する。

 

「そう警戒せんでくれないか。こちらに敵意は無いし、むしろ礼を言うために声をかけたのだが?」

 

 姿が見えない声の主が発する呆れたような物言いに、索敵をしていた浩一は違和感を覚えた。確かに声が聞こえてくるのだが、その発生源が人間とは思えないほどに低いのだ。〝十式保護術式展開具足(パリレンクライス)〟の結界を展開させ、浩一は発生源と目測した部分の草を薙ぎ払った。そこに姿を現した存在に、思わず目を丸くする。

 

「おお、草をのけてくれたかありがたい。この姿だと、草をかき分けるのにも一苦労だからな。

 術を使ってもよいが、先ほどまで錬金術師と敵対していた手前、警戒されてはかなわんからな」

 

 小さめのぬいぐるみサイズほどの美女が、偉そうに腕を組んで立っていた。健康的な褐色の肌に艶やかな黒髪を持ち、彫りの深い異国風の顔つきをしている。

 

「何者だ?」

 

 戦闘中も沈黙を貫いていたバビル2世……に変身しているロデムが威圧感と共に問いかけた。戦闘中はともかくとして、今の状況でも沈黙を貫くことはさすがに不自然であるからだ。

 雪菜が警戒するほどの威圧を、美女は何事もないように

 

「ふむ、たしかにこちらが名乗らぬのは礼を失する行為であったな。

 (われ)はヘルメス・トリスメギストスの末裔にして、大いなる作業(マグヌス・オプス)(きわ)めし者。パルミアのニーナ・アデラードだ」

 

 胸を張るニーナの肩書に、雪菜とバビル2世は目を見開いた。

 

「……え、そんなに有名な人なのか?」

 

 唯一名前に反応しなかった古城が恐る恐る2人に声をかけた。

 

「ああ、古城君はこっち方面の知識をあまり持っていないんだったね。

 ニーナ・アデラードは、かつて永遠の命を手に入れたといわれている大錬金術師だ」

「〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟と呼ばれる万能の物質と肉体を同化させ、不滅の肉体と無尽蔵に近い魔力を手に入れたといわれています」

 

 2人の解説を聞いた古城だったが、眼前の小美人がとる偉そうな態度からそのような傑物といった雰囲気を感じ取ることはできない。

 

「……これがか? 何かの間違いじゃないのか?」

「まったく疑り深い男だな主は。これで証明になるか?」

 

 怪訝そうな古城の態度に業を煮やしたのか、ニーナが天塚によって金属化させられていた地面に触れた。まるで水面のようにたやすくニーナの腕を受け入れた地面に古城は息を呑むが、引き出された腕に握られていたものを見た古城をさらなる驚きが襲う。

 

「せ……〝雪霞狼〟⁉」

「どうだ、見事なものだろう?」

 

 ニーナが誇らしげに持つ槍は普段雪菜が握りしめている、獅子王機関の秘奥兵器と瓜二つだった。

 

「落ち着いてください先輩。外見こそ同じですが、魔力を一切感じられません。外見を真似て複製された、ただの槍です」

「なんだ少年、魔力の感知は苦手なのか? 吸血鬼にしては随分と鈍感なのだな」

 

 うろたえる古城に雪菜がフォローを入れるが、ニーナの発言で古城が落ち着くことは阻止されてしまった。

 

「なんで、それ……」

「魔力の波長が人間とまるで違うではないか。ごまかす努力もせずに、ただ力を使わなければばれないとでも思っていたのか?」

 

 どこか呆れた様子のニーナに、古城は返す言葉がない。今まで第四真祖の正体が発覚しなかったという事実の裏に、どれほど那月たちの力添えが関わっているのか今更ながらに思い知った形だ。

 

「とこでニーナ・アデラード。その体は〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟で構成されているんだろう?

 天塚が、師匠以外でその物質を錬金したものはいないと言っていた。つまり天塚は……」

「ああ、天塚汞は私の弟子だ。いや、とっくに破門済みなのだから、元弟子というべきか」

 

 バビル2世の質問に答えるという形で告げられた事実に、古城の顔から表情が消えた。痛々しいほどに唇を噛みしめ、ゆっくりと口を開く。

 

「なあ、ニーナ・アデラードさん……だったっけか? 俺はあんたに1つ謝らなきゃならないことがある」

「どうした吸血鬼の少年。先ほどまでと違って随分と深刻そうな表情をしているじゃないか?」

 

 どこか茶化すようなニーナだったが、古城の目を見て居住まいを正した。冗談で聞いてはいけない類の告白だと察したのだ。

 

「天塚汞は俺が殺した。あの状況じゃああれしか方法が無かったとはいえ、あんたの元弟子をだ。

 ……すまない、あの状況だと、ほかに方法が思いつけなかったんだ。いや、俺が出しゃばらなければ、みんながもっと上手くやってくれてあんたの弟子も生きてたかもしれない……!」

 

 血を吐くようにして告げられた、古城の悔恨だった。

 願わずして受け継いだ第四真祖としての力を使って異形の怪物と化した天塚汞を消滅させたことは、いまだ高校生でしかない古城にとって深く自らを傷つける行為だった。誰かがやらなければならなかったとはいえ、その手で元人間を殺したのだ。失われた天塚という存在が回帰することはもはやありえず、いかなる理由をもってしても古城がその罪から赦されることはない。だれよりも、なによりも、古城自身がそれを赦さないだろう。

 

「待ってください! 先輩が天塚汞……いえ、あの怪物を消滅させてくれなければ、実力が低い私は死んでいました! だから……」

「いや、あの状況にすぐさま対応できなかった私の責任だ。いくら相手が異形化した魔導犯罪者とはいえ、その命は法の下で裁かれるべきだった。

 彼が手を下してしまったのは私が至らなかったことが原因であり、古城君にも姫柊にも一切の咎は無い」

 

 必死に自らを弁護する雪菜と浩一を見て、古城はどこか自分が冷静であることに今更ながら気が付いた。怪物と化したとはいえ、人ひとりを消滅させたのだ。もっと取り乱し、精神の均衡を保てなくなってもおかしくないだろう。

 自らの状況に疑問を覚える古城の前で、ニーナは不思議そうに互いを庇いあう3人を見つめた。

 

「お主らいったい何を言っておるのだ? 彼奴はいまだ生きておるぞ?」

「え?」

 

 ニーナの言葉に、思わず声を漏らしたのは誰だったか。間抜けな顔を晒す3人を気にもとめず、ニーナは言葉を続ける。

 

「吾がこのような無様を晒しているのは、彼奴がわが肉体を構成する〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟に〝偽錬核(ダミーコア)〟を埋め込んだからだ。彼奴が死ねば〝偽錬核(ダミーコア)〟はその力を失い、分離しているとはいえ吾は〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟の制御を取り戻すことができる。それがなされていない以上、やつはいまだ生きているということだ。おそらくお主が倒したのは、あくまでも彼奴の切れ端、その一部だろう」」

「分裂って……そんなことが可能なのか?」

「吾も〝偽錬核(ダミーコア)〟の影響で暴走する〝霊血(れいけつ)〟からこの〝錬核(ハードコア)〟を切り離して難を逃れたのだ。模造品とはいえ、より多くの核を持つ彼奴がそれくらいできても不思議ではないだろう?

 彼奴は人間の姿にことさら拘っていた。暴走の末とはいえ人の姿を放棄した以上、本体である可能性は低い」

 

 ニーナの言葉を受けて、古城の体から硬さが抜けていく。滅したとはいえ、古城の行ったことはいわばドローンを撃ち落としたに近いということがわかり、腹の底に飲み込んだ鉛のような重さが抜けていくのを感じたのだ。

 

「先輩……!」

 

 その様子を見た雪菜が、嬉しそうに古城へと笑いかけた。自らの行いに押しつぶされかけていた古城の様子に心を痛めていた雪菜にとって、その重圧から解放されていく様子は素直に喜ばしいことなのだ。

 

「姫柊、心配してくれてありがとうな。浩一さんも、庇ってくれてありがとうございます」

 

 獅子王機関の2人に礼を言いながらも、古城はずっと感じ取っていた違和感の正体をついに掴み取った。

 ニーナの言葉で重圧が抜けていくと同時に、脳裏に獅子王機関出張所で見た焔光の瞳と虹色の髪を持つ少女のイメージがちらつく。同時に自分が感じていた重圧の正体が、行動の結果に対する責任に対してのみ働いていたという事実に気が付いたのだ。

 そう、暁古城は怪物(元ヒト)を殺したという事実に対して、罪悪感を抱いていなかった(・・・・・・・・・・・・)のだ。かつて古城は1人の少女を喰らって第四真祖の力を得たのだ。古城が怪物(元ヒト)を殺したことは、これが初めてではなかった。

 いくら鍛え上げられた剣巫であろうとも、そのように複雑な内心を察することができるはずがない。雪菜は古城が浮かべた笑顔を見て、安心したようにもう一度微笑んだ。

 

「ところでアデラードさん。さきほどから言っている〝錬核(ハードコア)〟や〝偽錬核(ダミーコア)〟とはいったい? 浅学ながら、錬金術の奥義には疎いもので」

「ニーナでよい。

 それらは〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟を操るために必要な要素だ。〝霊血(れいけつ)〟にただ肉体を同化させても、そのままでは喰らいつくされて死んでしまうからな。まあ、魂を物質化して液体金属を操るとでも考えてくれればわかりやすかろう。

 〝偽錬核(ダミーコア)〟は天塚が造り上げた模造品でな。〝錬核(ハードコア)〟ほどの力こそないが、複数個投入することで〝霊血(れいけつ)〟を暴走させることならば十分にできたのだろう」

「つまり、本来1つであるはずの〝錬核(ハードコア)〟が複数個になったために〝霊血(れいけつ)〟が暴走したと。

 あの時修道院跡を破壊したのは〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟だったのか……」

 

 ニーナの掌に浮かぶ深紅の結晶を、浩一は興味深そうに眺める。その背後から、恐る恐るといった様子で古城が声をかけた。

 

「ところで浩一さん、ひょっとしてバビル2世と知り合いなんですか? なんかずいぶんと親しげというか、すごく息の合った連携をこなしてましたけど」

 

 そういえばといった様子で、浩一はバビル2世に擬態したロデムを見た。引きつった笑みを浮かべる古城の背後では、普段であればこういった行為を諫めるはずの雪菜が興味深々といった様子で浩一を見つめている。

 

「ああ、彼とは長い付き合いがあってね。詳しくは彼にとっても私にとっても私的な内容になってしまうからあまり詳しくは言えないけれど、敵対関係や私が彼に繋がっていて獅子王機関の情報を不正に流しているといったことは無い。安心してくれ」

 

 適当にごまかす浩一だったが、言葉の中に嘘は一切含まれていない。それだけに鋭い第六感を持つ雪菜も違和感を覚えることはなく、古城も気にはなっているようだが納得するしかなかった。

 

「さて、ぼくは逃げた〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟の捜索をさせてもらおう」

 

 長く話してボロが出る前に、バビル2世の姿のままロデムは無事だった林の中へと去っていった。無論本当に別れるはずはなく、浩一の目から完全に姿が消えたことを確認してから即座に地面と同化し、そのまま主の足下へと潜んでいる。

 

「言うだけ言って行っちまったぞ、あの人……」

「今は緊急事態だからね。大目に見てやってくれないか」

 

 あっけにとられる古城に、浩一はそれとなくフォローを入れた。今後も共闘の可能性は十分にある以上、心証を悪くしたまま放置する必要性などどこにもない。

 

「巻き込む危険性があったから特区警備隊(アイランド・ガード)の出動に待ったをかけていたけれど、ひとまずの危険が去った以上彼らを呼ぶ必要がある。

 説明は私が何とかするから、君たちはこの場を離れなさい。なにも進んで事情聴取を受けることはない」

「すみません浩一さん、助かります。

 ですが……」

 

 代表して雪菜が礼を言ったが、公的には学生の身分である彼女たち全員にとって事情聴取は都合が悪い。いち早くこの場から離れることが正解なのだが、そうもいかない理由がある。

 言いよどむ雪菜の視線の先を見て、浩一も眉間に皺を寄せた。2人の視線の先には、地面に寝かされた浅葱が幸せそうに寝息を立てている。古城たちが力を振るえるよう雪菜が呪術で眠らせたのはいいのだが、その後の誤魔化し方を一切考えていなかったのだ。

 

「こいつをどうするかだよな」

 

 古城の呟きに、雪菜が深く頷いた。現在の装備では記憶操作も満足にできないため、浩一としてもお手上げの状態だ。

 見方を変えれば天塚以上の脅威が、3人の前に立ち塞がっていた。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 ニーナ・アデラード
 300年近く昔、賢者の霊血を創り出し不老不死と無尽蔵の魔力を手に入れたとされる錬金術師。
 今でいう軽いノリの性格をしており、古の賢者といったイメージからは程遠い会話を行う。
 修める技術は本物であり、特に専門の無機物錬金では触れただけで金属を自由自在に操り彫金可能なほど。
 暴走する賢者の霊血から逃れるために分離した結果、子供以下の体躯にまで縮んでしまっているが、原作と違い浅葱の負傷を修復する必要が無かったためにこの程度で済んでいる。

 種族・分類

 賢者の霊血 ワイズマンズ・ブラッド
 大錬金術師ニーナ・アデラードが生み出した液体金属。
 あらゆる物質にその性質を変え、不変であり、魔力すら生み出す文字通りの万能物質。
 物質を取り込み拡大することが可能だが、あくまでも補助的な機能であるため純度が下がる。
 この物体と一体化したことにより、ニーナは不滅の肉体を手に入れたと称されることになった。

 偽錬核 ダミーコア
 天塚が生み出した、錬核の模造品。
 賢者の霊血を操ることはできない文字通りの模造品なのだが、複数個を投入することで霊血を暴走させることに成功した。
 天塚本人の肉体にも埋め込まれており、なんらかの使用用途はある模様。

 錬核 ハードコア
 ニーナ・アデラードが賢者の霊血と一体化するために生み出した深紅の結晶体。
 彼女を構成する情報全てを収めた呪術的な記録媒体であり、魂の結晶といっても過言ではない物体。
 これを使用することで、はじめて賢者の霊血が持つ万能性を操ることができる。


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6話 後始末の準備

 藍羽浅葱の意識は、心地よい暗闇の中でたゆたっていた。ほどよく涼しい空間で、ゆっくりと疲れを癒している。

 そんな至福の空間に、変化が生じた。

 

「……ぎ、お…………」

 

 声と共に、振動がゆっくりと浅葱の体を揺らす。意識が徐々にはっきりしてくるのだが、どうにもこの心地よさを手放したくない。

 腕を振って抵抗するが、揺れは激しくなる一方であり、また聞こえてくる声もだんだんと大きくなっていく。

 

「いい……お……ろよ! おい…さぎ!」

「なによ、うるさいわね……」

 

 自らの声で、浅葱は自分が眠っていたことに気が付いた。はっきりとしない思考を何とかまとめ上げ、ゆっくりと瞼を開く。

 

「やっと起きたか。何かおかしいと思うところはないか?」

 

 開いた視界いっぱいに、古城の顔が広がった。あまりにも現実味がない光景に、浅葱はいまだ自分が夢の中にいるのだと判断する。

 

「古城じゃない。随分と顔が近いけどどうしたの? 全く私の気も知らないで……」

 

 ゆっくりと伸ばされた手をよけるそぶりもせず、古城はおとなしく頭を撫でられる。

 

「あの、浅葱さん……?」

 

 困惑する古城の顔が珍しく、浅葱は思わず笑みを浮かべた。その間にも手が止まることはなく、古城は混乱のあまり動くことができない。

 

「なによ、いつもこうなら私だって」

「あの、藍羽先輩?」

「藍羽くん、そろそろしっかりと起きたほうがいい」

 

 自分の声を遮る声に、僅かに機嫌を損ねながらも浅葱はそちらへと視線を向けた。

 

「姫柊さんに、浩一さん?」

 

 なぜ自分の夢に、この2人が出てくるのか。そもそも、今首を動かしたときに感じた草の感触はリアル過ぎなかったか。疑問と共に思考が徐々に覚醒し、浅葱は現状を理解した。

 

「え、あ、う……」

「やっと目を覚ましたのか? ちょっと面倒ごとがあったから、できるだけ早くここから」

「い、いやああああぁぁぁぁぁ!」

 

 こちらを心配する古城に、浅葱の羞恥心が限界を超えた。傍に置いてあった鞄を振り回し、現実を否定するように叫び声をあげる。

 

「ちょ、待て! おい落ち着けって!」

 

 古城がなんとかして止めようとするが、自らの思い人に先ほどの行為を行っていたという現実を突きつけられる形となる浅葱は、余計にヒートアップするばかりだ。

 数秒後、らちが明かないと判断した浩一の呪術により、浅葱は再び短い眠りにつくことになった。

 

 

 

 先ほどの反省を活かし、浅葱に声をかけるのは雪菜の役割となった。目覚めた浅葱は先ほどの痴態を夢であったと勘違いしたらしく、とくに取り乱すこともなかったのは幸いだろう。

 

「古城君たちが来たところで、糸が切れたように意識を失ったんだ。極限状態の中、知り合いの顔を見たことで緊張の糸が切れたんだろう」

「なるほど、ちょっと情けないところを見せちゃったみたいね」

 

 雪菜の呪術による失神も、浩一がそれらしい話でごまかした。1人で頷く浅葱はだったが、すぐにその視線は古城と雪菜の間へと向けられた。

 

「……で、このよくできた人形みたいな人があの化け物を何とかする知識を持っているってわけね」

 

 胡散臭げな目を向けられたニーナだったが、何故か誇らしげに胸を張る。

 

「そのとおりだ。強制的に叩き起こされたせいか今は少々記憶が曖昧だが、まあしばらくすれば補完されるから安心してよいぞ」

「ちょっと待て、記憶無いとか今初めて聞いたぞ!」

「それはそうだろう、言っていなかったのだからな」

 

 古城のツッコみに、ニーナは一切悪びれた様子を見せない。呆れる古城を見た浅葱は、思わず噴き出した。

 

「何笑ってんだよおい、ちょっと冗談じゃすまないぞ!」

「ごめんごめん、ちょっと古城のそんな顔初めて見たからさ。

 でも随分と焦るじゃない。襲われた相手の手がかりだからって、そこまで必死になる? 島の攻魔師にも情報は共有されてるでしょうし、すぐに対策くらいたてられると思うから安心しなさいって」

「そ、それもそうだな。ちょっと記憶喪失って部分に過剰反応しすぎたみたいだ」

 

 まさか直接対決していたとはいえず、古城は引きつった笑みで浅葱に同意する。その背後で、雪菜と浩一が小声で話し合いを進めていた。

 

「とりあえず、私は獅子王機関出張所に〝雪霞狼(せっかろう)〟を納めてきます。封印後無理を言って持ち出してきてしまったので」

「預けたはずの〝雪霞狼(せっかろう)〟を何故持っているのか不思議だったけど、そういうことだったのか。縁堂巫師も融通はきく人だけど、まあ随分と無理を言ったね」

「多少強引な持ち出しになってしまったので、その点もきちんと謝罪してきます。それと、今回の件の報告も」

「……今回は理由が理由だから、あまり無茶な罰はないだろう。ちょっとしたからかいや恥ずかしさは我慢するんだね」

「はい……」

 

 雪菜の態度が、言外にそれが嫌なのだと主張している。だが、そればかりは仕方がないだろう。そもそも、封印処理がされた秘奥兵器を緊急事態とはいえ即座に持ち出したこと自体本来はかなりの問題行為なのだ。厳重注意と僅かな罰則で済ませられるという現状に、彼女は感謝するべきなのだ。

 そのことは雪菜も重々理解している。だが、理解しているからといってその現状を受け入れられるかは別問題だろう。とはいえ、相手が嫌がるからこそ罰としての意味があるわけだが。

 

「浩一さん……やはり今回の宿泊研修、私は欠席したほうがいいのではないでしょうか。暴走した〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟だけでなく天塚汞をも取り逃がしてしまっている以上、獅子王機関の剣巫として大きな理由もなく絃神島を離れるわけにはいきません。師家様にも、指令を変更できないかかけあってみます」

「……姫柊雪菜、すこし落ち着きなさい」

 

 逸る雪菜に、浩一の雰囲気が変わった。思わず居住まいを正す雪菜へと、浩一は静かに語りはじめる。

 

「君の気持はわかる。私も未熟だったときはすべてを自分がやらなければと考えていた。

 だが、君の知る絃神島の人間の実力を考えてみるんだ。多くの攻魔官が島には在住しているし、南宮攻魔官だっている。今回は不覚を取ったが、私も島に残るんだ。

 それに今から突然宿泊研修をキャンセルすれば、それだけ不信感を抱かれるだろう。きみは学校に溶け込む必要があるはずだし、休養も立派な任務の1つだということを忘れてはならないよ」

「それは、そうなのですが……」

 

 浩一が自らの経験を元に説得するが、雪菜はどうにも煮え切らない態度が崩れない。生真面目な彼女のこと、浩一が島で事件に対応しているという状況下で、研修とはいえ旅行にいそしむ自分が許せないのだろう。

 このままでは本当に島に残ると言い出しかねないため、浩一は手札を1つ切った。

 

「……本来姫柊に明かすことではないのだが、状況が状況だけに伝えておこう。

 実は、叶瀬夏音の周辺で少々怪しい影が確認されている」

「夏音さんも、狙われているというんですか?」

 

 雪菜の目の色が変わった。彼女にとって、夏音は大切な友人の1人だ。死闘の末に模造天使(エンジェル・フォウ)という呪縛から救い出された彼女の身に危機が迫っていると聞けば、雪菜も穏やかではいられない。

 

「私たちは天塚と〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟の捜索を続けるが、だからこそこの島に叶瀬をとどめておくことは万が一を考えて避けたい。そこで宿泊研修なんだよ」

「なるほど、犯罪者はこの島に入ることも出ることも難しい。それだけに彼女を島の外に逃がすんですね」

 

 雪菜が納得したように頷くが、それだけに腑に落ちない部分もあるようだ。言外に、それだけの安全策をとれるのならばなぜ自分を実働に動員しないのかと訴えかけている。

 

「落ち着け姫柊。さっきも言ったけれど、いまだ叶瀬夏音は狙われているんだ。いくら島外へ一時的に逃がすといっても、それだけでおしまいというわけにはいかないだろう」

「ですから、彼女が島外へ出ている間に天塚を確保する必要があるのではないですか? 宿泊研修の期間も限られている以上、人手は多いほうがいいはずです。最近実力が伸びてきているとはいえ、第四真祖である暁先輩を動かすわけにもいかないでしょうし……」

 

 何気ない雪菜の疑問を聞いて、浩一はさすがに鋭いと舌を巻いた。だが、その動揺を露呈するようなミスはしない。筋肉を操り、相手を安心させるような笑顔を作り続ける。

 

「こちらは動かすことのできる戦力をすべて動員する予定だ。特区警備隊(アイランド・ガード)やフリーの攻魔師だけでなく、島にいる獅子王機関の人間もね。

 だからこそ、姫柊に宿泊研修に出てもらわなければならないんだ」

「どういう、ことですか?」

「島での活動に全力を出す以上、護衛に人を割けないんだよ。本土でも獅子王機関の人間はある程度動かせるけれど、あくまでも叶瀬夏音は一般人だ。万が一害されたとしても、せいぜいがアルディギアとの国際問題を引き起こすていど(・・・)の人間でしかない。そんな彼女のために、実力者や大勢の人間を動かすことはできない」

 

 わかるだろうといわんばかりに言葉が切られる。

 

「……つまり、私は彼女の護衛として同行する必要があるんですね」

「秘奥兵器が無いとはいえ、ある程度の実戦経験を積んだ剣巫だ。護衛としては申し分ないと思わないかい?」

 

 そこまで言われて、友達を大切に考える雪菜が断れるはずもない。

 

「わかりました。姫柊雪菜、宿泊研修にて叶瀬夏音の護衛につきます」

「頼んだ。任務に関して使用する可能性のある呪符は、今晩にでも式神に届けさせるよう縁堂巫師に伝えておこう。まあ〝雪霞狼(せっかろう)〟を納めるときに渡されるかもしれないけどね」

 

 雪菜の説得が終わるとほぼ同時に、古城がなんとか浅葱をごまかそうと躍起になっている光景が浩一の目に映った。これ以上時間をかければ、特区警備隊(アイランド・ガード)がしびれを切らして動き出しかねない。

 

「すまないが藍羽さん、続きは古城君の家でしてくれないかな。そろそろ特区警備隊(アイランド・ガード)に通報する必要がある」

「あ、ごめんなさい……って、なんで私が古城の家に⁉」

「あの錬金術師に顔を見られている以上、きみも襲撃対象になりかねないんだ。明日にはきちんと警戒網の構築ができるから、今晩は古城君の家に泊まってくれ。妹さんもいるし、間違いはおきないだろう。見えない範囲で護衛もつける。古城君も、申し訳ないが協力を頼みたい」

 

 そういいながら、浩一は地面をつま先で数度蹴る。それだけで浅葱は察した。護衛として動くのは、ロデムだ。

 

「……わかりました。古城がいいならそれで大丈夫です」

「凪沙も喜ぶだろうし、大丈夫ですよ。一応連絡入れておきますし」

 

 古馴染みを家に泊めることに抵抗が無い古城が、あっさりと浩一の頼みを受け入れた。あまりにも躊躇のない物言いに、浅葱は複雑そうな表情だ。

 

「では、私は知り合いのお店に寄る必要がありますのでここで失礼します」

「じゃあ、姫柊は私の伝手で攻魔師の護衛を呼ぶから少し待っていてくれ。特区警備隊(アイランド・ガード)の前に来るよう伝えるから、そう長くはかからないよ。

 さて、古城君は藍羽さんと一緒に早く帰りなさい。家を守るよう知り合いにはすぐ連絡を入れるし、かのニーナ・アデラードなら君たちを守ることくらい余裕をもってできるだろう」

「任せろ。最悪の場合でも、お主らを逃がすことは誇りにかけてこなしてみせるぞ」

 

 自信満々のニーナをどこか不安そうな表情の古城が鞄に隠し、2人の高校生は足早に丘を降りていった。地面と同化したロデムがその後を追い、十分な距離を取った時点で浩一へと報告が入った。

 

「そろそろ十分離れたようだ。単独で動いてもばれる心配はないよ」

「では、私も獅子王機関出張所へ向かいますので。これで失礼します」

「十分に気を付けて行動するように。万が一遭遇した場合、撤退を最優先に行動しなさい」

 

 浩一の忠告に一礼し、雪菜は呪力で強化した身体能力で夜の闇に消えていった。その後ろ姿が見えなくなったところで、浩一は通信機を起動する。

 

「私だ。現場検分部隊をアデラード修道院跡へ要請する。対錬金術と、万が一を考えて非物理型防御装置を重視するように。

 それと……人工島管理公社所属の覗き屋(ヘイルダム)にもこちらへ向かうよう公社へと伝えてくれ。私からの要請だと言えば、本人が動く」

 

 それだけ言い切り、浩一は通信機のスイッチを切った。特区警備隊(アイランド・ガード)司令部への直通無線機は、特に迅速な行動が必要な場合でしか使用されることはない。恐らく十分もしないうちに部隊が到着すると目算をつけ、浩一は一足先に瓦礫の山と化した修道院跡へと歩き出した。

 

 

 

 意外なことに、現場へ最初に到着したのは人工島管理公社の制服を着用した男子生徒だった。特徴的なヘッドフォンを首から下げた彼は、小走りで瓦礫を検分する浩一へと近づく。

 並みの獣人を超える五感を持つ浩一……バビル2世が気が付かないはずもなく、意外そうな表情で接近する男子生徒を見た。

 

「君が最初だとは思わなかった。随分と急いでくれたみたいだね」

「あなた直々の指名なんですから、急がない理由が無いですよ。えーっと……」

「ここでは浩一と呼んでくれ。一応周囲の目を気にする必要がある。

 しかし、わざわざ制服に着替えてくる必要はなかったんじゃないかな、覗き屋(ヘイルダム)?」

「わざわざ公社の暗号名(コードネーム)で呼び出されたんで、そっち絡みかと思ったんですよ。

 くすぐったいので矢瀬でおねがいします。特に秘匿する必要もないので」

 

 息を切らしながら、男子生徒……矢瀬基樹が浩一と話し始める。

 

「あと数分で、現場検分部隊が到着するみたいですね。

 ところで、いったい何があったんですか? ここら一帯で戦闘が行われていたことは確認されてますけど、魔力反応からそれほど大規模なものではなかったはずなんですが」

「ああ、私と錬金術師の一部が交戦状態に入ってね。お互い魔力を放出する戦闘スタイルじゃなかったから、感知装置に引っ掛からなかったんだろう」

「戦闘って……また随分と派手に暴れましたね」

 

 たしかに身体強化や錬金術といった物体の内部に作用する術式は魔力が外に漏れにくいという特徴はあるが、そういった術でここまで大規模な破壊を引き起こすことはまず不可能だ。強化前の身体能力が高く、錬金術の腕が世界有数の存在が戦わない限りこのようなちぐはぐな計測結果にはならない。

 そうしているうちに、遠くからサイレンの音が近づいてきた。特区警備隊(アイランド・ガード)の現場検分部隊が到着したのだ。通信してからの時間を考えると、驚異的な展開の速さである。

 

「さて、詳しい説明は彼らと共にするとしてだ。検分が終わり次第、一緒に南宮攻魔官の家にまで来てほしい」

「那月ちゃんの家に? 許可が出ているならいいですけど、突然ですね」

「今回の件で少しばかり派手に動く可能性が出てきた。恐らく公社のほうでも作戦の立案が始まっているとは思うが、こちらでもある程度の策は練っておきたいからね」

 

 そう言い残し、浩一は検分を始めた隊員たちへと指示を出すために歩き始めた。その背後を見る矢瀬は、喜びの感情を抑えきれていない。

 

「作戦会議に呼ばれる程度には認められてるって考えていいのかね。さてさて、どんな話し合いになるのやら」

 

 どこか気の抜けた口調とは逆に、矢瀬は不敵な笑みを浮かべている。まずはこの場の状況説明を聞くために、彼は自らが尊敬する男へ向けて走りだした。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 覗き屋 ヘイルダム
 人工島管理公社における、矢瀬基樹のコードネーム。
 音を介して事象を覗き見ることができる彼に相応しい名前ではあるのだが、矢瀬はこの名が決定される際に反対しなかったのか気になるところである。

 矢瀬基樹 やぜ-もとき
 暁古城の親友にして、第四真祖の真の監視役。
 自身の過適応能力を利用して効率的に監視を行うことが可能ではあるのだが、能力の性質上接近戦を挑まれると非常に脆い。
 彼が古城や浅葱に感じている友情は本物なのだが、その心を切り離し監視を続けることができる強い精神性を持つ。

 施設・組織

 アルディギア王国
 北欧に存在する小国でありながら、第一真祖が支配する戦王領域と隣接している関係上常に人類と魔族の戦争において最前線を張り続けた武装国家としての一面を持つ。
 王族の女性は例外なく強い霊媒体質であることが知られており、叶瀬夏音の霊媒体質もこの王族の血を引くことに起因している。

 現場検分部隊 げんばけんぶんぶたい
 本作オリジナルの部隊。
 警察でいう鑑識の役割を担っており、戦闘能力は皆無。
 組織力を調査と解析に特化しているため、事件が起こるとまず動員される激務部隊でもある。

 種族・分類

 模造天使 エンジェル・フォウ
 アルディギアで生み出された禁術であり、かつて叶瀬夏音が被検体となっていた術式の名称。
 人間を天使と化す驚くべき術式ではあるのだが、天使と化した人間は敵性存在を容赦なく屠るために行動し最後にはこの次元から消失する非道極まりない高等術式。


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7話 那月宅での一幕

 修道院跡の検分は数時間程度で終わり、浩一は矢瀬と共に絃神島の住宅街に聳える高級マンションの前に立っていた。

 

「話には聞いてましたけど……本当に大きいですね、那月ちゃんの持ちビル」

「彼女ほどにもなれば、仕事の報酬も莫大なものになるからね。たしか、本土のほうにもう一棟買おうかとも話していたよ」

 

 さらりと告げられた担当教師の買い物事情に、矢瀬は引きつった笑みを浮かべることしかできなかった。

 人工島管理公社に深く関わる財閥の一族である矢瀬だが、一族内での立場は実のところかなり低い。公社の使い走りのような仕事を回されているのも、彼の能力と相性がいいからといった理由だけではないのだ。

 ゆえに、矢瀬の生活水準は肩書きほど高くはない。一般の高校生と比べればかなり贅沢な暮らしができる程度の金は動かせるのだが、それでも経済感覚は庶民の枠をわずかに超える程度。そんな矢瀬からすれば、気軽にマンションを丸ごと買う計画など想像できないのだ。

 そもそも矢瀬の隣に立つ浩一も、世界的に有名な攻魔師の1人である。当然彼が受け取る報酬も知名度に合ったものとなるうえに、彼は那月とは違い世界的に行動することで有名な攻魔師なのだ。無用な軋轢を避けるため、世界各地にセーフハウス代わりの物件をいくつも所有している。そんな彼からすれば、規模こそ違うものの那月が物件を買うことは何らおかしなことではない。

 そして、浩一……バビル2世の居城は大要塞バベルの塔だ。オーバーテクノロジーの塊である塔の居住性からすれば、高級マンション程度驚くような設備ではない。

 

「入り口で固まっていても仕方がない。入るぞ」

 

 あらためて思い知った生活の格差に打ちのめされる矢瀬の背を押しながら、浩一は自動ドアをくぐった。慣れた手つきで端末を操作し、インターホンを鳴らす。

 

「慣れてるみたいですけど、浩一さんは那月ちゃんの家に来たことあるんですか?」

「ああ。情報共有や今回のような作戦会議で数度な。ここほどセキュリティ的に信用できる場所は中々ない。聞かれてはまずい話をするにはもってこいだぞ」

 

 予想とは違う回答をされ、どう答えるか悩む矢瀬をよそに端末が反応した。

 

『遅かったな山野攻魔官。今鍵を開けたから入ってこい。

 ……なんだ、おまけがいるのか』

「はは、どーも」

「遅れた理由も含めて、初めに説明します。それでは」

 

 音もなく開いたガラス戸を通る浩一に続いて、矢瀬もエレベーターホールへと入った。すでに到着していたエレベーターに乗り込んだ矢瀬は、無言に耐えきれず口を開く。

 

「あの、浩一さん。遅れた理由とか俺を連れてくるとか、事前に知らせてなかったんですか?」

「そんなわけないだろう? あれは彼女なりの冗談だから、そう怯えることはない。君を連れてくることと予定よりも到着が遅れると話しただけだから、まずはその理由の説明から入るのは変わらないけどね」

 

 あいかわらず担当教師の冗談はわかりにくいと矢瀬が考えている間に、エレベーターはマンションの最上階へと到着した。降り立った場所がすでに玄関となっており、この階全てが那月の家だということがわかる。

 エレベーターの到着時間を読んでいたのか、浩一と矢瀬が玄関に入るとほぼ同時に那月がやってきた。

 

「すでに準備はしてある。早く靴を脱いで上がれ」

「では、失礼します」

「お、おじゃまします……」

 

 勝手知ったるといわんばかりの浩一とは対照的に、矢瀬はおっかなびっくりと那月宅へ上がった。那月に先導されリビングへと入った一行を、1人の人物が出迎えた。

 

「あ……お客様、でしたか?」

「か……はじめましてこんばんは! 那月ちゃん、彼女は?」

「そういえばお前は初めて会うのだったな。私が面倒を見ている叶瀬夏音だ。叶瀬、私の教え子の一人で、矢瀬基樹だ」

 

 新雪のような髪の色に、氷河を思わせる瞳を持った美少女、叶瀬夏音がパジャマ姿で立っていた。どうやらこれから寝るつもりだったらしく、来客を出迎えるのにはかなり無防備な格好だ。

 矢瀬からすれば顔も名前も、なんならば義理の父すら知っている相手なのだが、夏音からすれば初対面の男性だ。いきなり名を呼ばれれば、いくら聖女と呼ばれる性格でも多少の不信感を抱かれるだろう。

 那月もその意図を即座にくみ取り、自然と互いの紹介を終えた。

 

「そうでしたか。はじめまして、叶瀬夏音でした。よろしくお願いします」

「こいつ相手によろしくする必要はないぞ。今日の用事が終われば特に家に招く予定もない人間だ。

 貴様も初対面の人間をじろじろと見るな。彼女持ちが聞いてあきれるぞ」

「べ、べつにじろじろなんて見てないじゃないですか! てかそういうあることないこと古詠さんに吹き込むのほんとやめてくださいね⁉」

 

 嗜虐的な笑みを浮かべる那月に大慌ての矢瀬を見て、夏音はおかしそうにクスクスと笑みをこぼしている。

 

「ところで叶瀬さん、そろそろ寝たほうがいいんじゃないかな?」

 

 浩一の言葉に、夏音は思い出したように時計を見た。すでに時刻は11時を過ぎており、宿泊研修への出発時間を考えるとこれ以上の夜更かしは危険だろう。

 

「そうでした。すみませんが、お先にお休みさせていただきます」

 

 ぺこりと一礼した夏音は、寝室へと消えていった。いつのまにか矢瀬へのからかいをやめていた那月が、完全に戸が閉まったことを確認してから無言で歩き出した。黙ってそれに続く浩一に、矢瀬も何も言わずについていく。2人の表情が真剣そのものだったからだ。

 那月が寝室とは反対方向に据え付けられた木製の扉を開き、浩一と矢瀬が入ったことを確認してから扉を閉める。それと同時に扉の彫刻が光を放ち、すぐに消えた。

 

「これで防諜は完了だ。さてバビル2世、何故遅れたのかから説明してもらおうか」

 

 那月の要求に、浩一の変装を解いたバビル2世は端的に状況の説明をした。説明が進むにつれ、那月の表情が険しいものになっていく。

 当然だろう。自分の保護対象に危険が迫っているという状況下で、愉快な気分になれるわけがない。特に、普段の言動からは考えられないほどに南宮那月という人物は保護対象に深い愛情を抱く人間なのだ。襲撃者の身勝手な理由で、藍羽浅葱が死にかねない状況に陥れられたことも機嫌を損ねる理由に一役買っている。

 

「状況は理解した。で……人工島管理公社としては、逃げた〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟と潜伏している天塚汞に対してどんな対策を立てるつもりだ?」

 

 那月の鋭い視線が、矢瀬を貫いた。元々気を抜いているはずもないのだが、それでも思わず背筋を伸ばすほどの迫力だ。

 

「事前情報から、まずは〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟の対策を進めています。不滅の不定形体とはいえ、動きを止める方法はいくつかありますからね。最も効率的な方法を模索しているとのことだったので、日が変わる前には手法を絞り込めるでしょう。

 天塚については、申し訳ないですが手掛かりが少なすぎます。バビル2世との戦闘データを元に、島の魔力センサーに同種の魔力反応が無いか監視プログラムを走らせるので精一杯ですね」

「それに関しては、ロプロスを空中で巡回させていますよ。公社に許可を取って、塔のコンピューターに島全体の監視カメラの精査も行わせています。活動を再開すれば、すぐにでも補足できるはずです」

「なるほど……だが特区警備隊(アイランド・ガード)のほうで少々面倒な動きがあるとも聞いているぞ?」

 

 那月の追及に、矢瀬は頭を掻く。少々痛い面を突かれたのだ。

 

「こっちでも抑えようとはしてるんですけど、どうしても一部の隊員が血気にはやってまして。

 ここ最近は事件が連続していて、特区警備隊(アイランド・ガード)に負傷者や殉職者が増えているのはご存じでしょう? 言い方は悪いですが、今までの襲撃者たちは相応の思想や行動理由が明確にあったからこそ、ある程度仲間がやられても納得というか不満を呑み込めた部分があったみたいなんです。

 でも、今回の相手からはそれらを感じ取ることができないんです。ただ理不尽に襲撃され、警備隊の隊員が無造作に殺されているという印象が強い。それだけに、どうしても不満を呑み込むことができないみたいでして。

 これで作戦行動中に天塚が出てきたら、命令を無視して無謀な攻撃をされかねないんですよね」

「明確な芯を持つ犯罪者ではなく、ある種の愉快犯が相手では感情の処理もうまくできんか。所詮は犯罪者が相手だというのに、随分と贅沢を言うものだな」

「感情の処理ができないようでは兵士として未熟とはいえ、あくまでも治安維持部隊でしかない彼らにそこまでの規律を求めるのは難しいか……」

 

 那月とバビル2世が渋い表情となり、報告した矢瀬も肩身が狭い。

 その装備と練度から勘違いされがちなのだが、特区警備隊(アイランド・ガード)はあくまでも治安維持部隊であり外敵へ対抗するための戦力ではないのだ。高い火力も最新鋭の装備も、魔族が暴れた場合それだけの力が無ければ制圧すらできないという現実の裏返しであり、訓練も捕縛や無力化を重視している。

 あくまでも警備隊でしかない彼らに軍隊並みの規律や精神性を求めることの無茶は那月にも浩一にもわかっているのだが、それでも現状感情を優先されかねないという危機的状況では文句を言いたくもなるのだ。

 

「まあ、暴走するにしても無謀な攻撃をするようなやつはいないでしょうから、そこまでの被害は出ないと思いますけどね。

 それと、宿泊研修の同行教師に笹崎先生他数名の攻魔師を捻じ込めたので、移動中の警護は何とかなりそうです」

「あの仙姑(せんこ)がついてくれるのか。よほどのことでもない限り、安全は確保できるな」

「あいつに私の保護対象が守られるのは癪だが、実力は確かか……」

 

 笹崎に苦手意識を持っている那月は複雑そうな表情を浮かべるが、矢瀬とバビル2世はその実力と人柄に信を置いているため、十分な安心材料として受け入れていた。

 

「さて、あとは……」

 

 話を先に進めようとした那月の眉間に皺が寄る。同時に、バビル2世も表情を一気に険しくした。そんな2人の様子を怪訝そうに見ていた矢瀬だったが、直後校舎の専用端末に送られてきた連絡を見て目を見開くことになる。

 

「まったく、まさかこうも早く来るとは思っていなかったな。まあ、手間が省けたと考えるべきか」

「矢瀬くんはここで待機していてくれ。さて、少々灸をすえる必要があるな」

 

 剣呑な雰囲気を纏った攻魔師2人は、矢瀬が止める間もなく空間転移で消失した。同時に、矢瀬の耳に聞こえていた人工生命体(ホムンクルス)の活動音まで消えている。

 

「……まあ、自宅の傍で大規模破壊をするような人じゃないか」

 

 半分現実逃避のように呟く矢瀬の手には、異様な魔力反応が付近で確認されたと表示される情報端末が握られていた。

 

 

 

 通気口のダクトから、粘液状の塊が零れ落ちた。艶やかに光を反射する液体金属生命体であるそれは、コンクリートの床上で流動し、植物の早回しのような動きで人の姿を形成した。赤白チェックの帽子をかぶり、白いスーツで身を固めた錬金術師、天塚汞だ。

 彼が出現した場所は高級マンションの地下駐車場であり、周囲の車は魔族特区の技術が使われた高級車ばかりである。

 車マニアであれば目を輝かせるであろう光景を、天塚は一切の興味を示さずに歩き去る。

 このマンションの周囲には強力な攻魔結界が張り巡らされており、並の犯罪者では近づくことすらできない警備体制となっていた。しかし、天塚ほどの腕を持つ錬金術師を止められるほどの結界など早々展開できるはずがなく、現にこうして天塚はやすやすと結界の内部に侵入していた。

 そして結界内部に侵入してしまえば、残るのは平凡な防犯装置しかない。天塚は目標を達成するべくエレベーターホールへと向かい、突如虚空から出現した鎖にその身を絡み取られた。

 

「ここが私の持ちビルと知っての行動か? だとすればいい度胸だな、コソ泥」

 

 侮蔑を隠そうともせず、虚空から滲み出るようにして那月が姿を現した。人形のように整った見た目だけに、暗闇に立つ姿は恐怖を感じさせる。

 

「あんたが魔族殺しの南宮那月か……」

 

 ぐにゃりと、天塚の体が溶けるようにその形を変えた。その異様な光景に、那月は僅かに眉を動かすだけで驚いた様子を見せない。

 

「神々が鍛えた〝戒めの鎖(レージング)〟から面白い抜け出し方をするな。奇術師にでも転向したらどうだ、天塚? 案外稼げるかもしれんぞ」

「目的を叶えたら、考えてみるよ――!」

 

 天塚の腕が鞭のようにしなり、那月の足首へと高速で迫る。その先端が振れそうになるほんの数舜前に、那月の姿が掻き消えた。陽炎のように揺らいだ彼女の体は、いつのまにか天塚の背後へと移動している。

 

「私の体に物質変性はきかんぞ、錬金術師?」

「どうやらそうみたいだね」

 

 特に動揺することもなく、天塚は空調ダクトへと触手を伸ばした。だが、ダクトの入り口で触手は甲高い音とともに弾き飛ばされる。

 

「なるほど……術者の実力と比べて随分と穴だらけの結界だと思っていたけど、目的は外部からの侵入防止じゃなくて内部からの逃走防止だったわけか。たしかにあなたほどの実力者ならそっちのほうが確実だね」

「アルディギアの腹黒王女を筆頭に、複数の依頼先からお前の捕縛を頼まれているからな。このまま〝監獄結界〟に放り込んでやろうと思ったが、貴様ただの切れ端か。紛らわしい魔力の波長を振りまくな面倒な。

 ちょうどいいから聞いておこう。何故今更叶瀬夏音を狙う? 彼女(アレ)養父(ちちおや)からはもう必要なものを奪っただろう?」

「それは彼女を邪魔だと思ってる人がいるからさ」

「……なに?」

 

 那月の表情が初めて揺らいだ。

 叶瀬夏音はアルディギアの王家に強い繋がりを持ち、本人も非常に高い霊媒体質を持っている。だがそれ以外では目立たない生徒であり、敵を作るような性格ではない。

 

「だいたい、あの子だけが生き残ってちゃ不公平じゃないか。5年前の惨劇は、きっちりと終わらせないとね」

 

 それだけ言うと、天塚は自らの胸の中央を触手で貫いた。埋め込まれていた黒い宝玉がその一撃で粉砕され、天塚は人としての輪郭を失う。

 

「貴様……」

「油断したね〝空隙の魔女〟! いくら聞かないといっても、肉体を砕かれれば多少のダメージはあるんだろう? 今すぐ粉々にしてやる!」

 

 絶句する那月へと、無数に枝分かれした職種が襲い掛かる。彼女の主武装である鎖では、乱舞する液体金属の刃を防ぐことはできない。だが、それを理解してなお那月は余裕の表情を崩さなかった。

 那月の眼前で、液体金属の刃が虚しく弾き飛ばされた。ほとんどの物質を容易に切断するはずの攻撃を受けたのは、宙に発生した強力な防護結界だ。非実体の力場は斬撃の影響を一切受けず、揺らぎすらせずに存在し続けている。

 

「数時間ぶりだな、天塚。破片越しに見ているんだろう?」

 

 武神具を発動させたまま、浩一に変装したバビル2世は不敵な笑みを浮かべた。だが、それに対する返答はない。怪物と化していく天塚の分体は、すでに言葉を放つ機能を失っているのだ。

 

「ちょうど〝霊血〟のサンプルが欲しかったとこだ。怪物風情には贅沢だろうが、私の権能の一部を身をもって味わえ」

 

 結界に守られた那月の背後から、巨大な機械仕掛けの腕が現れた。黄金の鎧に包まれたそれは、ただ片腕が出現しただけで周囲の空間を歪め始める。〝空隙の魔女〟である南宮那月がその身に宿す守護者の腕が宙を薙ぐと、天塚だったモノの周囲の地面が底なしの虚無へと姿を変えた。

 当然金属生命体は逃れようともがくが、その場から動くことすらできていない。卓越した空間制御により、空間そのものが移動を阻害する罠と化していたのだ。

 

「つまらんな。

 アスタルテ、あとは任せる」

命令受諾(アクセプト)実行せよ(エクスキュート)、〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟」

 

 那月と浩一の背後に控えていたアスタルテが、抑揚のない声で前に進み出た。身に着けているのは、背中がむき出しになっている改造メイド服だ。その背中から巨大な虹色の翼が出現し、絞り込まれるように怪物の両腕へと変化した。腕は宿主の意思に従い、一切の躊躇なく金属生命体をその剛腕で貫く。

 

「オオオオォォォォォ……」

 

 あらゆる物理攻撃をすり抜けるはずの金属生命体が、非力な人工生命体(ホムンクルス)の少女が召喚した腕になすすべなく蹂躙されていた。

 彼女は眷獣共生型人工生命試験体。世界で唯一その身に眷獣を宿し、召喚することを可能とする存在なのだ。そして彼女が操る眷獣は、魔力を奪い喰らうことができる。

 

「自己増殖型の金属生命体か。不滅の肉体という触れ込みに嘘は無かったのかもしれんが、相手が悪かったな」

「南宮攻魔官、警戒は怠らないでください。奥の手があってもおかしくはない」

 

 那月と浩一が会話をする間にも魔力を喰われ続けた金属生命体は2人が油断なく睨みつける中、光沢を失い白く変色した。魔力を完全に失い、ただの金属の塊へと戻ったのだ。

 

「5年前……か」

 

 砕け散った黒い宝玉を拾い上げながら、那月は静かに嘆息した。

 

「南宮攻魔官、何か心当たりが?」

「ああ、おまえはまだこの島にあまり関わっていないころの話だったか。上に戻ったら詳しく説明する。

 アスタルテ、戻るぞ」

命令受諾(アクセプト)

 

 アスタルテの返事を合図に、3人の姿が揺らいで消えた。

 彼らが去った地下駐車場に一切の戦闘痕は残っておらず、ただ排気管が振動する音だけが響いていた。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 アスタルテ
 世界で唯一の、眷獣をその身に宿す人工生命体。
 感情が希薄な人工生命体の例に漏れず、彼女も話し方や表情からは感情をうかがい知ることは難しい。
 しかし那月との生活でそういった点はかなり改善されているようであり、主譲りのわかりにくい冗談を行動で行うことが増えてきている。

 緋稲古詠 ひいな こよみ
 矢瀬の交際相手であり、彩海学園に通う女子高生。
 年上のために古城たちとは交流が無く、一時期は矢瀬が彼女持ちと言い張るためにつくりあげた架空の存在であると勘違いされていた。

 種族・分類

 守護者 しゅごしゃ
 魔女が悪魔との契約の証に手に入れる、外部演算装置兼監視装置。
 魔女とは霊的な回路を通じて繋がっており、魔女が魔女たる絶大な魔術を行使するための力を授ける第三の腕とも呼べる存在。
 魔女の実力によって守護者の実力も変化し、那月の守護者はあまりの力に部分顕現だけで周囲に影響を及ぼすほどの危険性を秘めている。

 人工生命体 ホムンクルス
 錬金術によって人工的に作り出された生命体の相称。
 左右対称の顔や希薄な感情が特徴としてあげられるものの、それはあくまでも誕生直後の話であり、生活によって感情豊かになったり自意識で行動するなど独自の成長が可能。

 薔薇の指先 ロドダクテュロス
 アスタルテがその身に宿す人工眷獣。
 最大の特徴は触れた相手から魔力を喰らう性質であり、一度捕まれば魔力強化を基本とする魔族では脱出不可能な持続拘束が可能となる。

 戒めの鎖 レージング
 南宮那月が振るう武装の中でも、最も多用される武具。
 神々が鍛えたという肩書に相応しい強度を誇り、多く使われるものの対抗できる存在が非常に少ないという点からも武具としての優秀さが伺える。
 あえて問題点を挙げるならば、あくまでも鎖であるための火力に乏しく決定打に欠ける。その部分を魔術でカバーできるからこそ、那月の強力な武具たり得ている。

 バビル2世 用語集

 用語

 バビルの塔
 バビル2世が普段居住する施設であり、砂の嵐に隠された大要塞。
 内部の装飾は一見造られた時代に即した古めかしいものに見えるが、見えない部分で超科学がふんだんに使用されているため、過ごしやすさは最高級のホテルにも劣らないものとなっている。


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8話 動き出した者たち

 闇に包まれた廃倉庫の片隅で、天塚汞が壁を背にして地面へと座り込んでいた。廃材と化したコンテナに投げ出された手の中には、砕けた〝偽錬核(ダミーコア)〟の欠片が握られている。

 彼の額から、血が一筋流れ落ちた。〝偽錬核(ダミーコア)〟を通した反動が、生身の肉体を傷つけたのだ。

 

「いたたたた……流石にやるなぁ、南宮那月。傍に山野浩一がいたのも運が悪かった。本体で行かなくてよかったよほんと」

 

 まるで他人事のように呟きながら、天塚はゆっくりと立ち上がった。崩落した天井から差し込む月の光が、その姿をはっきりと照らし出す。

 露わになった横顔は、まるで病人のようにやつれていた。

 天塚は、その右半身を〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟とほとんど同質の物質で構成している。その一部を分離させ〝偽錬核(ダミーコア)〟を埋め込むことで、彼は切れ端と那月たちに呼ばれる分身体を生み出すことができるのだ。

 だがそれは、分身体の体積に等しいだけ彼は肉体を失うということを意味している。錬金術師である彼は、手頃な物質を金属と化して取り込むことで失われた体積を取り戻すことができる。しかし、それを繰り返すということは彼の体を構成する〝霊血〟の純度が下がり続けるということだ。分身体を数体生み出した時点で、天塚の肉体は限界を迎えつつあった。

 

「――ああ、すまない。叶瀬夏音は手に入らなかった」

 

 突然、天塚が独り言を話し始めた。彼の周囲に人影は見えず、通信機の類も持っているようには見えない。彼が唯一手にしているのは、銀のステッキだけだった。握りに施された髑髏の装飾に向かって、天塚は話しかけているのだ。

 

「悪かったよ、でも心配いらないさ。供物なら、もう他にいくつか目星がついてるからね」

 

 そう呟く天塚の脳裏には、銀の槍を構える若い剣巫の姿があった。

 獅子王機関の秘奥兵器である〝雪霞狼(せっかろう)〟は、あらゆる魔力を無効化する破魔の槍だ。魔導生命体である天塚にとって猛毒ともいえる武装を操る雪菜だが、槍を失えば彼に対抗する手段は非常に限られるということの裏返しでもある。

 

「山野浩一たちに邪魔されたせいで逃がした〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟も、埋め込んだ〝偽錬核(ダミーコア)〟がそろそろ成長を始めるだろうしね。放っておいても、向こうから来てくれるさ」

 

 廃倉庫を出た天塚は、髑髏の装飾を忌々しそうに睨みつけた。その彫刻から、嘲るような笑声が聞こえたのは気のせいだろうか。

 

「だからわかってるさ。おまえこそ、約束を忘れるなよ」

 

 そう言って、天塚は彫刻から目を離した。

 白赤のチェック帽をかぶった錬金術師が、街へと消えていく。かつて師と呼んだ相手を滅ぼし、5年前に失ったものを奪い返すために。

 

 

 

 普段の登校日よりもかなり早い時間帯、古城は自宅の玄関に立っていた。宿泊研修に向かう妹たちと、家に帰る浅葱の見送りのためだ。

 最後の荷物確認をする雪菜と凪沙よりも一足先に帰ると言い出した浅葱は、どこかよそよそしい態度だった。

 

「じゃあ、また学校でね」

「随分早いんだな。もう少しゆっくりしても間に合うだろ?」

 

 やたらと急ぐ浅葱に古城は欠伸を噛み殺しつつ疑問を呈すが、当の浅葱は呆れた表情を浮かべる。

 

「あんたなに言ってるのよ、私の家までどれくらいかかると思ってるの?」

 

 当然のように家に帰ると主張する浅葱に、古城は驚きを隠せない。

 

「わざわざ帰るのか? うちから直接学校行けばいいじゃないか。近いし」

「ちょっと、私に手ぶらで、しかも昨日と同じ制服で登校しろって言いたいわけ?」

「それに何の問題があるんだよ。同じ制服って、昨日洗って乾燥させてたじゃないか」

「洗いもしない服を着れるわけないでしょ! ほんとデリカシーってものが無いんだから!」

 

 古城としては洗った以上問題なく着られるものだと考えての発言だったが、年頃の少女からすれば洗濯したとはいえ同じ服を2日間着続けることは耐え難いものなのだ。しかも、思い人にそのようなだらしない姿を見られただけで精神的にはいっぱいいっぱいなのだ。この上洗濯もしない服を着ていたとすれば、精神的には再起不能になってしまいかねない。とにかく早く洗うことを優先したために、どうしても残ってしまっている服の匂いが気づかれはしないかと気が気ではない浅葱は会話を切り上げることを優先した。

 

「とにかく、姫柊さん経由で浩一さんから警戒網が構築できたって聞いたから、私はもう行くわよ。じゃあ学校でね、古城」

 

 慌ただしく言い残し、逃げるように浅葱は玄関から去っていった。

 ひとまず自室へ戻ろうかと古城が踵を返すと、丁度凪沙が旅支度を終えてこちらへと歩いてくるところだった。

 

「おはよう古城君! 浅葱ちゃんはもう帰ったの?」

「ああ、一旦自宅に帰って着替えるらしい。手間のかかることするよなあいつも」

「何言ってるの! 本当に古城君は女心がわかってないんだから。そんなんじゃ、浅葱ちゃんに愛想尽かされちゃうよ?」

「愛想ってなんだよ愛想って」

 

 暁兄妹が漫才じみたやり取りをしていると、雪菜も最終確認が終わったらしく部屋から顔を出していた。凪沙を先に玄関へと向かわせ、僅かな時間で彼女に見せられない呪具などの装備品を見直したのだろう。

 

「おはようございます先輩。なんだか随分と眠そうですね?」

「普段よりもかなり早く起きてるわけだからな。眠気もとれないさ」

 

 古城はそう言ってごまかしたが、実際はほとんど一睡もしていないせいだ。室内で鞄から飛び出してきたニーナが〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟を捜索すると主張し、その手伝いをしていたのだ。

 捜索といってもニーナが行う魔術儀式の手伝いをするだけであり、自室ということもあり特に妨害なども入らなかった。

 だが、一晩という時間をかけてもニーナの術式で〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟の感知はできなかった。ここ絃神島には、捜索魔術の妨害となる魔術的ノイズを発生させる巨大な魔力源が山ほど存在するうえ、彼女の捜索魔術は対象が活動をしていないと探知できないのだ。数時間を無為に過ごした古城が失意のうちに床に入り、いざ眠ろうとしたところで浅葱の襲撃を受けたのだった。

 

「まったく、いくら早起きが珍しいからって二度寝して遅刻とかしないでよ? ご飯はある程度作り置きしてあるけど、足りないからって買い食いで済ませちゃだめだからね? それに寝る前にはちゃんと目覚ましかけて、歯も磨いてよ?」

「わかったからお前は鞄以外の持ち物を見直ししとけ。よく大きな荷物ばっか見て、小さい貴重品忘れてたりしたろ?」

「ふっふーん、古城君私をいくつだと思ってるのかな? そんなミスそうそうするわけ……」

 

 常夏の島では珍しい、冬服を着た凪沙は得意げにポーチをあさるが、その動きは徐々に鈍くなり表情も固まっていく。

 

「おい凪沙、おまえまさか……」

「お、お財布忘れた!」

 

 顔を真っ青にして自室へと飛び込んでいく凪沙を見て、古城は思わずため息をついた。そんな兄弟のやり取りに、雪菜は優しい笑みを浮かべている。

 

「すまないな姫柊、騒がしくて」

「いえ、気にしないでください」

 

 古城は謝罪するが、雪菜は気にした様子がない。ふと古城の視線が雪菜の荷物へと向かった。

 凪沙が旅慣れしていないという理由もあるのだろうが、それと比べても雪菜はかなり荷物が少ない。特に、普段背負っている黒いギターケースが無い分よけいに少なく感じるのかもしれない。

 

「先輩、私の代わりの監視役の件なんですけれど……」

 

 無意識のうちに雪菜を観察していた古城は、雪菜のささやきに意識を引き戻した。脳内で言葉を咀嚼し、僅かに遅れて反応を返す。

 

「監視役って、たしかニャンコ先生の式神がついてくれるんじゃなかったか?」

「にゃ、ニャンコ先生?」

 

 雪菜が顔をひきつらせた。もしも自分が師匠をそう呼んだ場合の制裁を思い浮かべてしまったのだろう。

 気を取り直すように咳ばらいをし、雪菜は話を続ける。

 

「昨日の先輩の戦闘を師家様もある程度観測していたみたいでして、式神では力不足だと結論付けていらっしゃいました。不完全な真祖ならあの式神で十分止められる目算が外れたと、随分楽しそうだったのが少し不安ですけど……」

「できればその情報はいらなかったな。

 で、結局監視役はどうなるんだ?」

「高神の杜から1人、現役の攻魔師が派遣されてくるそうです。十分な実力者を選んだとおっしゃっていました」

「わざわざ本土から来るのか。ご苦労なこったな」

「さすがに距離があるので、到着は本日の午後になるとのことです」

 

 それまでは自由に動けるな、と古城は内心で目算をはじめた。ニーナによる捜索は空振りしたものの、夜が明けたならば〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟も動きだすだろうという考えだ。暴走する魔導生命体とはいえ、元は人間の肉体となっていた物質だ。そうである以上、人間の行動サイクルをある程度繰り返すのであはないかという予想である。

 代理の監視役が雪菜のように融通が利く性格である可能性は正直に言って低い。第四真祖が不滅の液体金属生命体を捜索して、いったい何をするつもりなのかと怪しまれるのがオチだろう。監視役が来るまでニーナの補佐を続け、〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟を探し出すことができれば理想的だ。

 今回の一軒は、なにも古城1人で片を付けなければならないわけではない。〝霊血〟が発見でき次第、那月か浩一に位置を報告すればそれで解決したも同じなのだ。代理の監視役が来てしまった場合、ニーナの手伝いが古城から別の攻魔師に移るだけで何の問題も発生しない。

 

「先輩……ずいぶんと張り切っていますけど、何を考えているんですか?」

 

 そんな考えを廻らせる古城を、雪菜は疑わしげな眼で見つめていた。勘の鋭い彼女を前に、少々迂闊な行動だったといえる。

 

「い、いや、別に張り切ってるとかそういうんじゃないさ。なら昼まで寝られるなとか思ってただけで……」

「もう、私がいないからといって、今回の一件にかかわろうと無茶はしないでくださいね? なんだか嫌な予感がするので」

「わ、わかったよ。気を付けるし、できるだけ危ない行動は避けるから……」

 

 世話のやける弟に話しかけるような雪菜に、古城は内心で舌を巻いた。監視役として派遣されてからはや数か月たつが、その間に様々な無茶を傍で見続けてきた彼女だ。古城が内心でたてている目算を、ぼんやりとはいえ把握しているようだ。

 

「ごめんお待たせ! 雪菜ちゃん、行こうか。古城君、行ってきます!」

 

 財布を見つけた凪沙が、勢いよく玄関へと駆け出してきた。そのまま急いで靴を履き、雪菜の手を引き走り出す。

 まともに抵抗できずに引きずられる雪菜と走り続ける凪沙へおざなりに手を振り、2人の姿がエレベーター内に消えてから古城は部屋へと引き返した。

 部屋に入ると、丁度ニーナが押し入れへと潜り込もうとしているところだった。あまりにも間の抜けた構図に、古城は思わず数秒間沈黙してしまう。

 

「……なにしてるんだ?」

「ん? なに、少々精神を休めようかと思ってな。流石に部屋の主の寝具を無断で使用するというわけにもいくまい。この寝具入れならば、今の吾にとって十分に広い寝室になりえる大きさだからな。

 なに、卑猥な本を見つけても見て見ぬふりをしてやるから安心するがよい。吾の過ごしやすいように少々内装はいじるが、そこはまあ器の大きなところを見せてもらえると信じているぞ?」

「何言ってんだそんなもの押し入れに入れてないし勝手に内装変えるとか言われて放っておけるか!

 てかお前が内装変えるって、それ錬金術で物理的に変容させるってことだよな⁉」

 

 振り返りながら偉そうに胸を張るニーナを、古城は慌てて確保した。大きさの比率から言えばイヤイヤ期の子供を止めるバイトの保育士さんといった光景だが、ニーナは比率が小さいだけで成熟した大人の外見だ。より適切に現在の状況を表現すると、特注のビスクドールを抱えようとする高校生男子という非常にまずい光景となっている。

 

「まったく。そう物理的に止めなくとも、一声やめろと言えば無理に改造することもないぞ。

 吾はこう見えて、錬金術仲間からは聞き分けがよく常識があると評判であったのだぞ?」

「止めるのが遅れて、押し入れの中身を錬金されたらおしまいだからそりゃ焦るだろ! 細々したものが多いんだから、もし錬金されて買いなおしにでもなったら昼飯も食えなくなるんだぞ」

 

 寝不足の上に連続で突っ込み役をさせられている古城は、意外なことにニーナの自己評価を疑ってはいなかった。

 ニーナの言動や知名度から、人間であった頃の彼女が錬金術師としてかなりの実力を有していたことに疑いはない。数百年前に錬金術などを学び実践できる人間は、ほとんどが特権階級なのだ。召使に傅かれ、思いのままに生活できていたであろう彼女は、もっと横柄な態度をとるほうがむしろ自然といえるだろう。

 だが、ニーナは出会ったばかりの古城たちの主張を素直に受けれいていた。古城はニーナが封印されていた期間を知っているわけではないが、それでも最近の常識を当時の常識にきちんと上書きしているということは驚くべきことだと言える。

 

「さて、もう話は終わりか? 吾としてはそろそろ精神を休めたいのだが」

「悪いけど、少し休んだら捜索魔術を頼めないか?

 できる限り早く天塚と〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟は見つけておきたい」

「焦る気持ちはわかるが、流石に精神が限界だ。30分は休ませてもらうぞ。それに十数分前に魔術を行使したばかりだからな。今すぐに術を使っても恐らく結果は変わらんよ」

「まあ、無理に魔術を使って反動があっても困るか……。

 じゃあそのくらいしたら、声をかける。丁度日も出てきたみたいだし」

 

 古城がカーテン越しに漏れる日光へと視線を向けたその時、凄まじい魔力の波動が大気を貫き古城を襲った。あまりの精神的衝撃に、古城は思わず体を硬直させる。その直後、雷鳴のような轟音が響き、絃神島の人工の大地が大きく震えた。

 古城は蹴とばされたように動き出し、カーテンを乱暴に押しのける。窓を割らんばかりの勢いで開き、乗り出すようにして轟音の発生源を見た。

 

「……古城よ、前言を撤回する。〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟が動き出したようだ」

 

 謝罪の感情を乗せたニーナの言葉に、古城は反応を返さなかった。ただ茫然と、街を見続けている。視界に捕らえられた区画からは、うっすらと黒煙が立ち上っていた。爆心地はおそらく人工島東地区(アイランド・イースト)に存在する港地区。空港や埠頭が連なるこの島の玄関口であり、物流の要だ。

 そして、雪菜と凪沙が向かったフェリー乗り場がある場所だった。



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9話 封印作戦

 本文量が長めとなっております、ご了承ください。


 港に聳えるガントリークレーンの上に、2人の男性が立っていた。特徴的なヘッドフォンを首にかけ、髪をつんつんと逆立て彩海学園の学生服を着た彼は、口の中に小さなカプセル錠剤を含んでいる。

 

「さて、動き出したか」

 

 カプセルを噛み砕きながら、矢瀬基樹は呟いた。

 

「あの巨体だけに、予想よりも動きが鈍い。それだけに攻撃速度を見誤る危険性がある。観測した末端到達速度からして常人に回避は不可能だから、もう少し包囲網を広げさせたほうがいい」

 

 詰襟にも似た戦闘服に身を包んだ山野浩一は、情報デバイスから視線をそらさず矢瀬に提案をした。

 生まれついての異能力者である矢瀬は、空気に対してのみ働く特殊な念動力(テレキネシス)を操り周囲の情報を手に取るように把握することができる。薬品によって増幅されたその知覚は、半径数キロ圏内で発生した微細な振動や気圧の変化すら例外なく補足することができる。そう、人工島の入り組んだ地下水路に逃げ込んだ液体金属生命体であろうとも、例外ではない。

 矢瀬が得た情報を処理し続けるデバイスには、非常に高い精度で金属生命体の予想現在位置が表示されている。今のまま動き続ければ、数分もしないうちにこの倉庫街に敷かれた包囲網内部へ出現するだろう。

 

「テステス……聞こえるかい、隊長さん。目標(ターゲット)が地下水道を出る。分隊『青』をB3へ、分隊『緑』をB16へ引かせてくれ。第2中隊は海浜公園の封鎖を頼みます」

 

 矢瀬は胸のピンマイクから、特区警備隊(アイランド・ガード)の治安維持部隊隊長へと通信をとばした。彼らは港周辺に2個中隊規模の戦力をを展開済みであり、臨戦態勢に入っている。

 

『こちら特区警備隊(アイランド・ガード)部隊長。閉鎖は実行させるが、2個分隊の配置変換は納得しかねる。説明を要求するぞ、覗き屋(ヘイルダム)

「こちら外部協力者山野だ。私が直接交戦した情報から、配置変換指示を出した2個分隊は目標の攻撃範囲内だと判断した。あくまでも予測であり異動要請であって強制力はないが、最悪の場合出現と同時にその2個分隊は全滅の可能性がある」

 

 部隊長の要求に対し、浩一が簡潔に答えた。あくまでも中間要因である矢瀬が答えるよりも、ある程度名が知れており交流も深い自分が答えたほうが相手も納得しやすいだろうという判断だ。

 

『了解した、山野攻魔官。情報提供感謝する』

 

 どこか抑えきれない怒りを含ませながら、部隊長は骨伝導の通信機越しに返答した。

 もちろん、その怒りが向けられているのは浩一でも、ましてや矢瀬でもない。ここ数年で最悪の人的被害を出した〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟と、それを操る錬金術師に対する憎悪だ。

 矢瀬が昨晩那月宅で話した通り、過去最大の被害を出し続けている特区警備隊(アイランド・ガード)は、下手人への憎悪を募らせ続けている。矢瀬としても再三忠告はしたのだが、それでもこの隊長のように心を誤魔化せない隊員は一定数いるのだ。

 

「やはり、感情を殺すことは難しいみたいだな。これではいざ会敵したときどうなるか」

「まあ、そこは彼らもプロですからね。無駄な攻撃はしないと思いたいです」

 

 どこか憂うような浩一に、矢瀬は苦笑交じりに通信機を見た。少なくとも、憎しみを前面に出すことで士気は上がっているのだ。本来であれば、まともな抵抗を許さず同僚を惨殺した相手に立ち向かうことに恐怖を覚えることが普通であるのだが、むしろ積極的に攻勢に出ようとしている。

 

標的(ターゲット)は液体金属生命体だ。実態弾が効く相手じゃないことは念頭に入れておいてくれ。あくまでも時間稼ぎに徹して、本命の攻魔官の到着を待て」

「……隊長、返事が聞こえないぞ?」

『……了解』

 

 隊長の返事は、絞り出したような響きが含まれていた。矢瀬からの指示だけだは、体調の返答は無かっただろう。あまりよくない兆候だったが、浩一が返答を引き出すことができた。

 返答をしたかしなかったかというのは想像以上に重要だ。口に出して指示を聞いたという事実が、精神的に行動を縛ることになる。

 

「ありがとうございます浩一さん。俺じゃ返事を引き出せませんでした」

「適材適所だよ。……ところで、いつまで盗み聞きをしているんだ」

『ケケッ……ずいぶんと面白そうなことになってんな。〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟の暴走とはね』

 

 矢瀬が持つ通信機から、皮肉っぽい合成音声が聞こえてきた。浩一が持つデバイスの画面には、ぬいぐるみにも似た不格好なキャラクターが映し出されている。浅葱によってモグワイと名付けられた人工知能――絃神島の都市機能全てを掌握する5機のスーパーコンピューターの現身(アバター)の声だ。

 どうやら勝手に無線を盗聴し、一連の会話を聞いていたらしい。

 

『しかしどうして俺が聞いてるってわかったんだい。ログを残すようなへまはしてないはずだが?』

「この状況下で、おまえのような性格の持ち主が聞いていないはずがない。ちょっと鎌をかけただけだ」

『おやおや、こりゃ随分とつまらない手に引っ掛かっちまったな』

 

 モグワイと浩一の掛け合いを、矢瀬は苦笑いをしながら聞いている。両者が持つ力に反して、会話の内容は実に平和だ。

 

「まあ、残念だがお前が期待するような面白いことにはならないだろうぜ?

 ほかの土地ならまだしも、ここは〝魔族特区〟なんだからな。不滅の自己増殖生命体程度、足止めにしろ封印にしろ対抗手段はいくらでもある。異空間に放逐するなり、眷獣並みの魔力を叩きつけるなりな」

『たしかに、その気になればいくらでも手段はあるな。だからこそ戦王領域の貴族サマも興味を示さず静観してるってわけか。あの眷獣ならどうにでもできるってな』

「こっちとしてはありがたい話だが、どこまで黙っててくれるかね。あんまり長引かせると、手こずってたみたいだからとか言って区画ごと潰されかねないぞ」

「そうなったら、少なくとも君くらいは連れて離脱できるから安心してくれ」

「ここは嘘でも死者は出さないくらい言ってほしかったです」

「アルデアル公の眷獣を防ぎきれると言い切れるほど、この武神具の性能は高くないよ。改良は繰り返してるけどね」

 

 掛け合いを続ける3者だったが、例外なく知覚範囲に洋上の豪華客船をとらえていた。船の名は〝オシアナス・グレイヴⅡ〟……アルデアル公ディミトリエ・ヴァトラー所有のメガヨットだ。

 戦闘狂(バトルマニア)として名高い彼が、今回の件に関与しないかと矢瀬をはじめとした関係者は警戒していたのだが、彼らの心配をよそにヴァトラーが動き出す予兆などは一切確認されなかった。たかが錬金術師によって生み出された魔導生命体の最高傑作程度では、食指が動かなかったのだろう。

 

「それよりもモグワイ、おまえ修道院の跡地に〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟が封印されてたことを知ってたな?」

『さあて……言われてみれば、そうだったかもな』

「どうして浅葱に警告を、なによりも俺たちに一切知らせなかった。救援が間に合ったからよかったものの、一歩間違えたらあいつは死んでたかもしれないんだぞ!」

「それは私も聞きたかった。普段の冗談では済まされない不備だぞ?」

 

 2人がかりの詰問にも、人工知能は素知らぬ素振りを崩さない。その態度に、矢瀬は音が鳴るほどに歯を食いしばり、浩一の眉間に深い皺が寄る。

 矢瀬にとって、浅葱は小学生になる前からの幼馴染だ。今更恋愛感情を抱くような間柄でこそないが、それでも交流の希薄な家族よりもよほど大事に思っている大切な友人なのだ。浩一は、浅葱を協力者である以前にあくまでも民間人だと考えている。かつて101と呼ばれていたころの戦いで多くの民間人が戦いに巻き込まれ犠牲となった経験から、彼は策謀により無関係な人間に被害を出す者を許さない。今回モグワイが行った行為は、そのタブーに触れかけている。

 そして、矢瀬が浩一にすら知らせていない機密事項――彼女はこの〝魔族特区〟にとって、非常に重要な役割があるのだ。

 

『だけど、結果として死ななかっただろ? それどころか、かすり傷が付いた程度だ。数日で、あとも残らず消えるような傷がな』

 

 人間臭い笑みと共に、モグワイは黙り込んだ。その様子に、矢瀬の瞳に動揺が浮かぶ。

 

「お前、どこまで予想してるんだ?」

『さあな。あとからならどうとでも言えるもんだぜ?』

 

 なおも笑みをこぼす人工知能に、矢瀬は舌打ちをこらえられなかった。

 

「モグワイ、なにを考えている?」

『そう警戒しないでくれや、浩一の旦那。矢瀬の坊やも、そう心配しなくて大丈夫だぜ。

 俺にとってあの嬢ちゃんは、大事な大事な相棒だ。この絃神島(しま)にいる限りは死なせたりしねーよ』

 

 モグワイの含みのある口調に、矢瀬と浩一はうすら寒いものを感じ取らずにはいられなかった。思わず腕を撫でた矢瀬は、自身に鳥肌が立っていることに気が付いた。

 この人工知能が言い切るからには、彼は本当に浅葱の命を守り抜こうと動くだろう。そう、たとえどのような手段を使ってでも(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

『それよりもだ、はじまったみたいだぜ』

「ああ」

「そのようだ」

 

 モグワイの声を合図にしたかのように、3人の眼下でアスファルトが破壊された。発生した亀裂から滲み出るようにして出現したのは、艶やかな表面を持つ黒い液体金属の集合体――〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟だ。

 出現と同時に周囲へと触手の斬撃を行い、コンテナ群は瞬時に崩れ去った。もしも分隊を移動していなければ、間違いなく範囲内の隊員は死亡していただろう。

 この区画には、島外から運ばれてきた大量の鋼材や貴金属が備蓄されている。肉体を構成するに十分な資材を求めて金属生命体が現れたと考えるのは、そう的外れなことでもないだろう。

 地上に出現した〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟の動きは、巨体に相応しくひどく鈍い。重心を移動させてゆっくりと転がる様は、ガラス上を走る水滴のようにも見える。しかし、その質量は数百トンに達するであろう膨大なものだ。その大きさと重量は、ただ動くだけでも十分な脅威となりえる。

 現に特区警備隊(アイランド・ガード)が設営していた簡易バリケードは、その役割を果たすことなくあっさりと圧壊している。出現と同時に打ち込まれ続けている砲弾も、周囲の影響を考慮しごく少数が配置された地雷も、空中放電を起こすほどの高圧電流も、震えながら進撃する金属生命体の足を止めることはできていない。

 

「物理攻撃は効かないだろうと予想されていましたけど、まさか呪術結界すら無効化するとは。ちょいと想定外ですね」

「流石錬金術師の最高傑作といったところか。呪力生命体である以上ある程度抵抗するとは思っていたが、まさかこうもたやすく受け流すとはね」

『あれは魔導生物よりも、合成獣(キメラ)機械人形(オートマタ)に近い存在だからな。土傀儡(ゴーレム)やら動死体(ゾンビ)の類を相手にするようにはいかねえだろ』

「ならほかにやりようがある」

 

 完全に傍観者気取りの人工知能に、矢瀬は冷たく言い放った。

 進撃を続ける金属生命体の前には、すでに新しい部隊が展開している。車体上部に放水機能を持つ、暴動鎮圧用の装甲車両群だ。戦闘形態の獣人ですら、なすすべなく押し流す高圧放水を可能とする装甲車が〝霊血〟めがけて一斉に放水を開始した。

 いくら高威力の放水とはいえ、ただの水が不滅の金属生命体に対して効果を発揮することはないだろう。だが、放たれた液体は大気の水分を凝結させるほどの低温を纏っていた。同時に地面から新たな魔方陣が浮かび上がり、金属生命体を極低温の檻へと包み込む。

 

『なるほど、凍らせて動きを止めようってのか』

「液体窒素と凍結魔術の合わせ技さ。どれだけ自在に姿を変えようとも、基礎(ベース)は金属だ。物理現象への抵抗も限度があるだろうさ」

 

 矢瀬の淡々とした説明の間にも、〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟は動きを鈍らせていく。すでに触手を伸ばすことすらできず、黒い表面部分は白く霜に覆われている。

 

「なるほど、焼き尽くすよりもスマートだ。流石だな、矢瀬君」

『ずいぶんと呆気なく決着したもんだな』

 

 作戦を褒める浩一とは対照的に、モグワイは落胆した声音を隠そうともしない。

 動きを封じてしまえば、破壊できない相手であろうとも恐れる必要はない。大量の〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟は、貴重なサンプルとして〝魔族特区〟の技術を潤すだろう。あとは未だ補足できない天塚汞を探し出し、始末してしまえば今回の一件は無事収まることとなる。

 

「あっけないくらいがいいんだよ、余計な被害も出ないしな。俺はこの後授業なんだから、とっとと終わってくれたほうが助かる」

「まだ作戦は終了してないぞ。あまり気を抜くな」

 

 軽口をたたく矢瀬を窘める浩一だったが、その眼が倉庫街の一角を捉えた。同時に、矢瀬の聴覚に特徴的な足音が聞こえてくる。生身の左足と、金属の右足。そして銀のステッキ。白赤チェックの目立つ帽子を被った男が、凍りついた金属生命体へと歩み寄っていく。

 

「あれは……」

「まさか!」

『天塚汞⁉ 切れ端じゃない、本人か!』

 

 モグワイが声を弾ませるが、矢瀬と浩一はそれを気にする余裕はなかった。ニーナ・アデラードの弟子にして、師を裏切り、封印されていた〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟を覚醒させた犯罪者。指名手配中の錬金術師、天塚汞が不敵にもその姿を特区警備隊(アイランド・ガード)の前に表したのだ。

 

「随分と育ったね〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟。中枢を抜かれ、ただ暴れるだけの化け物と化した気分はどうだい?」

 

 一斉に銃口を向ける特区警備隊(アイランド・ガード)には目もくれず、天塚は凍りついた金属生命体へと語りかけた。

 するとその声に反応してか、霜で凍りついた金属生命体の表面に細かい亀裂がはしる。不気味な振動に大気が震え、まるで〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟が呪詛を吐いているかのようにも見えた。

 

『オ、オオ……オオオオオオオォォォォォォォォ……』

「おや、ぼくのことを認識する程度の知性があったのか。これは驚いたね、なかなか面白い発見じゃないか!」

 

 天塚は嗜虐的な笑みを浮かべたまま、両手を叩く。〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟を生み出す際に捧げられた生贄たちの、集合意識と呼ぶべき存在を挑発しているのだ。そしてその挑発に応じるように、金属生命体がうっすらと発光を始めた。

 

『アアアアァァァアアァァァアアアアア――!』

 

 絶叫と共に金属生命体の表面が砕け散り、その内部から無数の触手が解き放たれた。変幻自在の刃と化した触手の群れは、周囲を一切の区別なく切り刻んでいく。

 凍りついていたように見えたのは、〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟の表面だけだった。低温に晒された外装部分と内部との間に真空の断熱層を造り出し、本体部分は難を逃れていたのだ。

 

「隊長さん、液体窒素だ! 凍結させればやつの動きは止まる!」

『わかっている! だが、くそっ! 命令を聞かんか!』

 

 矢瀬は必死に隊長へ無線で呼びかけるが、隊長の指示も怒りに呑まれた特区警備隊(アイランド・ガード)には届かない。感情に突き動かされるまま、殺意を込めて引き金が引かれ続ける。

 

「……まずい、そういうことか!」

 

 浩一が、焦りの声と共に飛び出した。常人であれば墜落死必須の自由落下も、常識を超えた浩一にとっては何の障害にもならない。落下しながら両手足に装着した武神具を展開し、発生した結界は何故か特区警備隊(アイランド・ガード)と〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟を引き離すように展開された。無論、放たれた弾丸はすべてが結界に阻まれることになる。

 

「バ……浩一さん、何を⁉」

「今すぐ発砲をやめさせろ! やつの狙いは弾丸だ!」

 

 混乱する矢瀬を叱りつけるように、浩一は怒鳴った。その一言で、矢瀬は天塚の狙いを理解する。

 特区警備隊(アイランド・ガード)の対魔族部隊が使用する弾丸は、高純度の琥珀金弾(エレクトラムチップ)と銀イリジウム弾頭弾。どちらも錬金術の触媒として、極めて優れた性質を持っている。もしもこのまま一斉掃射が続けば、〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟に打ち込まれる総量は数百キロに及んだだろう。それは、錬金術師が扱う最大の奥義に十分な量の供物となる。

 その提供を阻止された天塚は僅かに表情を崩すが、すぐに亀裂のような笑みを浮かべた。

 

「さすが名うての攻魔師は違うね山野浩一! でも、後ろの連中はそうはいかないみたいだぜ?」

 

 銃弾と斬撃の両方から身を守る浩一が横目で様子を窺うと、天塚よりもむしろ自分へ憎しみの視線を送る隊員たちと目が合った。

 

「なんでそいつを庇うんだ、裏切るのか山野攻魔官!」

「かまわない撃て! 裏切者ごと撃ち殺せ!」

 

 誰かの叫びと共に、射撃が再開される。憎しみを向ける対象が増えたためか、弾幕が激しさを増しているため浩一は動くことができない。

 

「いやあ特区警備隊(アイランド・ガード)はいい仕事をしてくれる! お前に自由に動かれたらどうするか悩んでいたけど、まさか彼らが進んで拘束してくれるとはね。ついでに供物までくれるなんて最高じゃないか!」

 

 天塚が右腕を地面に突き刺し、魔力を地面に流し込む。まるで泥に沈むように、排出された弾頭がアスファルトへと消えていく。

 

「……仕方がない!」

 

 浩一の目が赤く輝き、一斉に発砲が止んだ。強い精神的ショックにより、隊員の肉体が硬直を起こしたのだ。

 

「何かしたみたいだけど、遅かったね山野浩一!

 さあ、約束のあんたの血だ! お望みどおり蘇るがいいさ、賢者(ワイズマン)!」

 

 錬金術によって操られた地面から、直接弾丸を送り込まれた〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟が紅く輝いた。大量の供物によって、本来の純度を取り戻したのだ。輝きを認めた天塚が、握るステッキを槍のように突き出した。丁度浮かんでいた黒い宝玉を砕き、ステッキは〝霊血〟へと沈んでいく。

 

賢者(ワイズマン)……だと⁉ まさか、あいつは――!」

 

 クレーンの上から身を乗り出して、矢瀬が呻いた。

 天塚が実行した儀式により、〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟に致命的な変化が起きはじめた。深紅の金属生命体の内部から、光と共に何かが現れようとしている。まるで、卵が孵化するかのように。

 

『ヤバい! 逃げろ、矢瀬の坊や!』

「なに⁉」

 

 モグワイの切羽詰まった忠告に、矢瀬は咄嗟に逃げようとした。

 その刹那、〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟が放った閃光が、矢瀬の視界を音もなく薙ぎ払う。

 突如発生した爆発により、矢瀬の乗るガントリークレーンが積み木のように崩壊し、その破壊は港湾地区全体へと広がっていった。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 ディミトリエ・ヴァトラー
 第一真祖、忘却の戦王の配下にして、旧き世代に属する吸血鬼。
 戦闘狂として有名だが、それはあくまでも強者との戦いに対して。弱者をいたぶる趣味は持ち合わせていないようであり、明確に実力が下の相手は襲われない限り攻撃対象としない。
 裏を返せば強者であれば襲い掛かる可能性があるということでもあり、それが原因で多くの問題行動を引き起こすトラブルメーカーである。

 モグワイ
 人工島である絃神島を管理する、5基のスーパーコンピューターの化身。
 人工知能とは思えないほど自然な会話に加え、独自の判断で行動を繰り返しているため相棒である浅葱以外からはほとんど信用されていない。
 しかしその性能は折り紙付きであり、卓越した電子操作技能を持つ浅葱をサポートすることでその作業効率を飛躍的に高めることができる。

 賢者 ワイズマン
 本文登場まで、解説は控える。


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10話 防衛の代償

 前話の用語解説に漏れがあったので、追加してあります。


 時刻は午前9時。海原を進むフェリーの中で、雪菜と凪沙はクラスメイトと共に強化ガラスを通して海原を眺めていた。合間合間に寄港をしながら、11時間をかけて絃神島から東京へと向かう船の中。彩海学園中等部3年生の生徒たちは、お座敷風の二等客室の中クラス単位に分かれて船旅を楽しんでいるのだ。

 

「この後の予定ってどうなってたっけ?」

「10時半にホール集合で教材映画を見るんだったかな。その後に昼食だったはずだよ」

「お昼なんだろうね。カレーかな? カレー食べたいな……あ、夏音(カノ)ちゃんだ」

 

 クラスメイトのやり取りの横で、昼食に想いを馳せていた凪沙が知り合いの姿を見て手を振った。窓際に立っていた叶瀬夏音も、凪沙に気が付いて一礼を返す。

 

「あ、凪沙ちゃん。皆さんも、おはようございます」

 

 笑みを浮かべる彼女の胸元に、黒く大きな双眼鏡がぶら下がっていた。側面に張られたシールから、フェリーの貸し出し器具らしい。

 

「こんにちは、叶瀬さん。その双眼鏡は?」

「このあたりで野生のイルカを見られることがあると聞いたので、借りてきました」

 

 碧い瞳を輝かせながら、夏音は宝物のように双眼鏡を握りしめた。筋金入りの動物好きである夏音は、野生の動物が絡むと普段のおとなしい性格からは考えられないほどの行動力を見せることがる。

 

「イルカ? 見たい見たい!」

 

 真っ先に飛び出した凪沙を追って、雪菜たち一行は夏音と共に窓際へと移動した。

 

「私も前に、この辺りで見たことあるよ。ほら、写真」

 

 共に行動しているクラスメイトの進藤、通称シンディが携帯電話の待ち受け画面を見せた。船と共に並走するイルカの群れが映された画面に、凪沙たちの期待が嫌でも高まる。かわいいものに目が無い雪菜も、つられて海面を眺めるほどだ。

 しかし、それから数分経ってもイルカどころか魚一匹も視界に映ることは無かった。

 

「イルカ、いないね」

「相手は生き物だからね、難しいよ」

「海は広い」

 

 しょんぼりと肩を落とす凪沙を、シンディと委員長が慰めるように声をかける。

 そのとき夏音と雪菜だけが、何かに気が付いたように視線を船の後方へと向けた。フェリーの航行後に発生した白い波間に、銀色に光る何かが浮かんでいる。そこから発せられた、視線のような気配を感じ取ったのだ。

 例えるならば潜水艦や魚雷に近い形のソレは、金属質の光とは裏腹に海蛇のように巨体をくねらせてすぐに水中へと消えていった。

 

「何、今の。イルカには見えなかったけど……」

 

 不思議そうに首をひねる凪沙を気遣う余裕もなく、雪菜は昨日伝えられた護衛任務を全うするための行動パターンを脳内で構築し始めていた。

 その隣で、夏音が怯えたように唇を噛んでいることに気づかずに。

 

 

 

 爆心地から建物が薙ぎ払われ、発生した粉塵が港区を薄暗く覆っていた。そのどこか不吉な光景を、矢瀬は灯台の上から視界に収めていた。本来であれば視界の端に倒れるガントリークレーンと運命を共にしていたであろう矢瀬は、自分が死にかけた証拠である崩れた鉄骨の山には目もくれない。不自然なほどに、円状に広がる破壊痕に集中していた。

 

「まったく、助けてやったというのにさっそく捜索か? 随分となついているな、お前は」

 

 矢瀬の背後から、いつも通りフリルまみれのドレスを纏った那月がどこか呆れたように呟いた。崩れ去るクレーンから空間跳躍で救ってくれた恩人を無視はできなかったのか、矢瀬は頭を掻いて振り返る。

 

「そう言わないでくださいよ。流石に今回こそ死ぬかもって経験をついさっき味わった上に、爆発のせいで音響結界(サウンドスケープ)がズタズタなんですから。爆発の影響で気圧も安定しないないから耳も当てにならないんで、目視でしか捜索できないんです」

「まあ、これだけの規模の爆発にあの軟弱な結界が耐えられるはずもないか。

 しかし、流石は山野攻魔官と言うべきだな」

 

 どこか呆れを含んだ口調で,那月も矢瀬の視線の先へと視界を広げた。

 本来ほぼ円を描くようにして均等に広がるはずの破壊痕が、なぜか特区警備隊(アイランド・ガード)が展開していた地点からはっきりとその規模を減らしているのだ。完全な被害ゼロではないが、爆風と吹き飛ばされた破片が周囲よりも明らかに少ない。

 そのおかげか、無線で飛び交う会話の中にも死者発見の報は無い。

 その破壊を防いだ起点こそ、山野が〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟と特区警備隊(アイランド・ガード)の間に立ち双方の攻撃を防いでいた場所なのだ。

 

「那月ちゃん、あそこだ!」

「教師をちゃん付けで呼ぶなと何度言え話わかるんだお前らは」

 

 不意に矢瀬と那月が立つ足下の空間が揺らぎ、2人の姿が水面に落ちるように沈んだ。次の瞬間、2人の姿は矢瀬が指さした地点のすぐそばに現れる。世界でも使える者が限られる高位魔術に分類される、空間制御だ。空隙と呼ばれる那月の手にかかれば、この程度は児戯に等しい。

 だが、不意に落下の感覚を味わった矢瀬とすればたまったものではない。未だ落ち着かない精神状態で着地などできるはずがなく、無様にしりもちをつく羽目になった。

 

「いててて……あの、せめて合図くらいくださいよ」

「まったく、貴様といい暁といい、担当教師をなんだと思っている」

「あ、これ制裁なのね」

「突然出てきたと思ったら漫才とはね。矢瀬くんは無事でよかったけど、南宮攻魔官はなぜここに?」

 

 伊達に長い付き合いではないのか、突如眼前に人間が出現したことに対して浩一は一切驚いた様子を見せなかった。どちらかといえば、謎の漫才と那月がいる理由に興味をひかれている。

 なぜか無傷の戦闘服とは対照的に、露出している肌は血がこびりついている。しかし、生傷も含めて負傷は一切見られない。瓦礫の上に座り込んでいるのだが、特段疲れたようにも見えないのだから流石というべきだろうか。

 

「なに、こちらの要件が終わったので封印作戦がどうなったのかと覗きに来たのだがな。おまえと周囲がこの有様であるところを見るに、ずいぶんと手ひどくやられたようじゃないか。

 それと、別に山野の皮を被る必要はないぞ。この混乱からして、即座に動けるようにしたほうがいいだろう」

「一理ありますね」

 

 そう言って浩一が顔を拭うと、すでに浩一からバビル2世へと変化していた。戦闘服が溶けるように流れ落ち、見慣れた黒豹を形作る。

 

「ロデムも無事だったか。まあ、お前が傍にいる以上この男が致命傷を負うことは考えにくいがな」

「お褒めに預かり光栄です、南宮攻魔官。しかし、バビル2世様を守り切ることはできませんでした」

「それも仕方がないんだろう? この男のことだから、特区警備隊(アイランド・ガード)を少しでも守ろうと無茶をしたに決まっている」

「おっしゃる通りです。奇怪な髑髏が〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟に投げ込まれ、何かが起きることを感知したご主人様は武神具を全力で展開し続けました」

「だからこの程度の被害で済んだのか……」

 

 ロデムの言葉で、矢瀬は現状をやっと理解した。あれだけの爆風があったにもかかわらず、特区警備隊(アイランド・ガード)内には死者が未だ見つかっておらず装備品も破損したものが少ない。不自然に少ない周辺被害といい、偶然にしてはできすぎていると矢瀬は怪しんでいたのだ。

 

「とはいえ、あの広範囲攻撃を防ぎきれなかったうえに武神具もこのざまだ」

 

 見れば、バビル2世の手足にはまる〝十式保護術式展開具足(パリレンクライス)〟はその優美な装甲の見る影もなかった。過剰使用の代償として、内部機構が過負荷に耐えきれず自壊。装甲も出力の反動で歪みきっている。

 バビル2世が浩一として使用していたこの武神具は名前と外見こそ〝十式保護術式展開具足(パリレンクライス)〟そのものだが、繰り返された改造によって性能はほとんど別物と化していたはずだ。発生する結界も本体の強度も、原物とは大幅な開きがあった。それだけに彼の武神具が無残にも破壊されている光景は、知るものが見れば唖然とするしかなかった。

 

「すみません、管理公社(ウチ)のミスです。天塚の狙いを見誤り、敵戦力の評価も甘かった」

「それは僕もだ。少々考えが甘くなっていた」

 

 互いに落ち込む男たちを見て、那月は呆れたように息を吐いた。

 

「で、そうぐずぐずしていても仕方がないだろう。復活した〝賢者(ワイズマン)〟をどうするつもりだ?」

「って知ってたのかよ⁉」

 

 つい先ほど判明した情報をあっさりと言ってのけた那月へ、矢瀬渾身のツッコみが炸裂した。

 

「つい先ほど、入院していた叶瀬賢生が目を覚ました。おかげでいろいろと面白い話を聞けたのでな。ついでにアルディギアの騎士団からも情報提供(タレコミ)があった」

「そういう話は、もっと早く聞きたかったぜ」

「できる限り急いできたつもりだが? そのおかげで助かった分際で随分と偉そうに文句を垂れるのだな」

 

 那月の冷ややかな声に矢瀬が思わず身を縮こませるが、状況的に愚痴をこぼしたくもなるだろう。天塚の目的がわかっていれば、それ相応の対策が取れたのだ。わざわざ貴金属の弾丸を大量にばら撒くことによって、天塚を手助けすることもなかったのだから。

 

特区警備隊(アイランド・ガード)はあくまでも足止めに徹し、対処は攻魔官に任せる旨の警告が警察局から出ていたはずだぞ。仲間を殺された警備局の鬱憤も理解はできるが……」

「それでこの被害だからな。自分の死を言いように利用されてちゃ、殉職した連中も浮かばれないだろう。バビル2世が頑張ってくれてなかったら被害はこの比じゃなかったはずだ」

「とはいえ、彼らの暴走を止められなかったという点でこちらに責任が無いわけではない。恩着せがましく追及はしないさ。まあ、武神具の件は面倒といえば面倒か」

 

 瓦礫から立ち上がりながら、バビル2世は周囲を見渡した。負傷し機材が破損した警備隊員が右往左往しているが、創造よりも混乱が小さい。指示を出すために後退していた隊長たちが比較的軽傷だったため、指示系統が崩壊していなかったことが幸いしたのだ。

 

「人的被害はそれほどでもないが、機材をどうするかが問題か」

「まあ、そこは公社をせっついて何とかしますよ。キーストーンゲートなんかの重要拠点守備隊を動かすわけにはいきませんし、非番組は休日返上ですね」

「どのみち〝賢者(ワイズマン)〟が伝承通りの存在ならば、特区警備隊(アイランド・ガード)の通常装備では歯が立たん。公社直属の呪装化部隊を動かず手はずでも整えるんだな」

「ついでに魔族傭兵も引っ張ってこられないか打診してみますよ。この機にってことであの戦闘狂が参加でもしてきたら、マジで収拾がつかなくなる」

 

 天塚や〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟に興味を示さなかったヴァトラーだが、もしも〝賢者(ワイズマン)〟の知識を持っており、その復活を知ったら。短絡的な考えから喜び勇んで〝賢者(ワイズマン)〟に襲い掛かるならばまだいいほうであり、正式に戦うためにどのような手段に出るのか予想もつかない。

 

「現状で警戒するべきが〝賢者(ワイズマン)〟ではなく後方の同盟者とは……笑えないな」

 

 バビル2世の視線の先には、依然動きを見せない豪華客船が浮かんでいた。

 

「つっても、捜索手段が無いですよ? 俺の音響結界(サウンドスケープ)を張りなおすには、まだ時間がかかります」

 

 ヘッドフォンをいじりながら、矢瀬が言いずらそうに切り出した。大気の流れから広範囲をレーダーのように探知する矢瀬の音響結界(サウンドスケープ)は、個人が持つ作的手段としては破格な性能を有している。だが、それは弱点が無いというわけではない。あくまでも大気の揺れである音を起点とした術式であるがゆえに、音速を超える存在は補足できないという点が1つ。音の特徴をとらえ、事前に結界を張らなければ十分な性能を活かせないという点が1つ。そして現在最も問題となる弱点として、その精度ゆえに結界自体が非常に繊細であるという点がある。

 爆発的や大音量などが発生すると、掻き乱された大気が安定するまでは音響結界(サウンドスケープ)を修復することができないのだ。今回のような大規模爆発の場合、ゆうに数時間は結界の再構築は不可能だろう。

 

「ロプロスも上空に待機はさせているが、噴煙に紛れたり地下に潜られれば追跡はできない。一応周囲を探らせて入るが、あまり期待はできないな」

「まったく肝心なところで役に立たない男どもだな。特に矢瀬は、そんなことだから閑が手すらも握らせてくれんのだ」

 

 那月がため息とともに、現状をなじった。

 

「ちょ、それ関係ないでしょう絶対! てか手くらい握ったことありますし!」

「見栄を張るな。所詮は暁の類友といったところだな」

「俺と古城をたった1言で両方貶めるって担当教師の横暴が過ぎやしませんかね⁉」

「落ち着け、完全に遊ばれてるぞ。あの口元が見えないのか。南宮攻魔官も、緊急時に年下をからかうのは時間の無駄です」

 

 バビル2世の指摘に、矢瀬は那月が浮かべる嗜虐芯を隠しきれない笑みに気が付いた。楽しみを邪魔された那月は不機嫌そうになるが、流石にこの状況下で趣味を優先させはしなかったようだ。矢瀬をからかっている間に準備していたのか、空間に魔方陣が広がり空気が揺らぐ。

 

「では、あとはこちらでやっておくからお前は学校へ行くんだな。急げば1限にには間に合うだろう」

 

 そう言い残し、2人の攻魔官は魔方陣へと消えていった。

 

「……さて。学校には向かうとしても、なんとかしてある程度の情報は仕入れておかないとな。

 どうせ聞いてんだろ、モグワイ?」

『よう。生きてて何よりだぜ、矢瀬の坊や。

 読まれてるとは思ったが、随分と気軽に呼ぶじゃねえか。さっきのやりとりで結構警戒されたかと思ってたんだがね?』

 

 矢瀬の声に反応して、無事だった個人使用の端末から皮肉気な合成音声が響いてきた。しっかりと画面には不細工な着ぐるみのようなキャラクターが表示されている。

 

「たしかにお前が何を考えて動いてるのかはわからないが、それでもある程度信じられる程度には付き合ってきたからな。

 そもそも、お前がその気になればとっくにこっちに危害を加えられるだろ?」

『ケケッ、それだけの理由で信じるとはね。矢瀬の坊やも随分と甘い考えをお持ちのようだ』

「うるせえよ。でだ、協力はしてくれるんだろうな?」

『そこまで言われて断るほど性悪じゃねえよ。で、何をしてほしいんだ?』

 

 矢瀬とモグワイが、画面越しに悪戯を思いついた少年のような顔で笑いあう。戦いとは、なにも敵と正面から戦うだけが全てではない。そのことを、この2人はとてもよく理解しているのだ。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 シンディ
 凪沙と雪菜のクラスメイト。
 本名は進藤美波なのだが、自己紹介時に噛んだことで上記のあだ名となった。
 女子バスケ部に所属しており古城の後輩に当たるため、 凪沙や雪菜が知らない古城の一面を知っている。

 施設・組織

 キーストーンゲート
 絃神島の人工島をつなぎ合わせた中心部に聳える最重要区画。
 内部には特区警備隊本部や人工島管理公社をはじめとした島の中枢機構が集まっており、海中には島同士が生み出す衝撃に耐えるための要石が埋め込まれている。
 絃神島設計当時は要石の強度に足る建材が無かったために強奪された聖人の遺体を供犠建材として利用していたが、現在は建材の生成に成功したため遺体は返還されている。

 種族・分類

 音響結界 サウンドエスケープ
 矢瀬が操る監視特化の特殊な結界。
 一度展開すればキロ単位で離れても結界内部を詳細に感知可能な監視役に相応しい能力。
 本文で触れたように弱点が多いとはいえ、それを補って余りある性能を秘めている。


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11話 5年前の真相

 古城が港湾区に到着したとき、すでに爆発の影響で巻き上げられていた粉塵は収まり、視界不良の問題は解決していた。だがそれにより、破壊された倉庫街が鮮明な光景となって古城の目に飛び込んでくることになってしまっている。

 

「ひ……でえ……」

「ほう、なかなか派手にやらかしたな」

 

 絶句する古城とは対照的に、鞄から這い出てきたニーナは得心がいったとでも言うように軽く頷いている。

 なぜ彼女が鞄に入っていたのかといえば、できる限り体力の損耗を押さえるためだ。ろくに説明もせずに古城が持つ一番大きな鞄に潜り込んだニーナは、運ぶよう指示を出すとすぐに眠ってしまった。

 それに慌てたのは古城だ。大きいぬいぐるみほどの大きさのニーナを運ぶだけでも大変であることに加え、万が一警察に職務質問をされれば鞄を使い人間を運ぶ誘拐犯としか思われないだろう。〝魔族特区〟の特異性から、自分好みに創り出した人工生命体(ホムンクルス)を連れまわす変質者と判断されてもおかしくはない。なんとか人間以外の姿になるようニーナを説得した古城は、重い鞄を抱えながら一路港湾区まで走ってきたのだった。

 吸血鬼として強化された身体能力が無ければ不可能であったろう強行軍をこなした古城は疲労困だったが、状況は休むことを許してはくれない。ニーナと共に、周囲の索敵は怠らない。だがすでに〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟はこの現場からは去っており、古城の目には破壊され無残な姿をさらす倉庫街と、規律よく撤収中の特区警備隊(アイランド・ガード)隊員の姿しか映らない。

 

「どうやったらここまで暴れられるんだ」

 

 その身に宿す眷獣は、眼前の破壊をゆうに超える規模で再現できる事実を棚に上げて古城は戦慄した。特区警備隊(アイランド・ガード)に規律が残っているためあまり接近ができず、吸血鬼の五感を活かして遠巻きに倉庫街を見ている古城だったが、それでもただの爆発では説明がつかない痕跡が多々見受けられたのだ。地面や壁にはところどころ巨大な切断痕がはしり、爆発地点傍にはあまりの高熱で溶け堕ち原形をとどめていない何かが存在している。

 

「重金属粒子砲の攻撃だな」

 

 破壊痕を見渡したニーナは、冷静に断じた。体の構造をある程度作り変えられる彼女は、吸血鬼である古城を超える視力を疑似的に生み出し現場の分析を終えたのだ。

 

「粒子砲?」

「ああ。いわゆる荷電粒子ビームの一種だな」

「ビーム兵器かよ! どこのSFだ⁉」

 

 予想外の兵器を持ち出された古城が声を荒げるが、ニーナはその様子を不思議そうに見ている。

 

「そう驚くようなものでもあるまい。大気中では粒子束が拡散するから、恐らく主が想像しているものほどのものではないぞ?

 せいぜいが射程数キロメートルで、直撃すれば原子レベルにまで分解されるだけだ」

「いや十分やべー代物じゃねーか⁉」

 

 総毛立つ古城の脳内で、絃神島が炎に包まれ崩れ去る。恐ろしいのは、その光景を実現可能とする存在がいずこへと消え去ったという点だ。次の瞬間島の基礎部分が消失する可能性も十分にあるのだから。

 

「〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟ってのはそんな真似までできるのかよ。いや、天塚の錬金術か?」

「どちらでもない。これは賢者(ワイズマン)の仕業だ」

 

 硬いニーナの声音には、どこか怯えの色が混じっていた。

 

「誰だよ、それ」

「僕も教えてほしいな。あの怪物に対する情報が全く足りない」

「知識として知らないわけではないが、当事者からの情報は貴重だからな」

 

 突然空間が波打ち、古城もよく知る2人の攻魔師が出現した。

 

「バビル2世に、那月ちゃん⁉ っだ!」

「担当教師をちゃん付けで呼ぶな! 学習能力が無いのか貴様は!」

 

 反射的に叫んだ古城の頭部へ、不可視の衝撃が突き刺さる。いつものやり取りをする2人を後目に、バビル2世は情報端末をニーナへと向けた。

 

「錬金術についてはある程度調べたが、その奥義についてはほとんど情報が出回っていない。そこの第四真祖に説明するついでに聞かせてもらうが、かまわないか?」

「まあ、語る以上聞き手が何人いようが変わりはせん。かまわんぞ」

 

 ニーナが頷いたことを確認し、バビル2世は無言で古城と那月を諫めた。危機から脱した古城はバビル2世へと軽く一礼し、改めてニーナへと向き直る。聞く体制が整ったと判断したニーナは、静かに語りだした。

 

「改めて説明するが古城よ、奇妙には思わなかったか。なぜあの液体金属の塊は〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟と呼ばれているのか?

 あれが血液というのならば、いったい誰があの〝霊血()〟の持ち主なのかとな」

「――つまり、あの液体金属を血液としてたやつがいて、そいつの名前が賢者(ワイズマン)なのか?」

「その通りだ。錬金術の究極目的は知っているか?」

 

 ニーナの問いに悩む古城を見て、丁度知識を得ていたバビル2世が手早く答えた。

 

「神に近づくことだったはずだ。卑金属を金に変える術も、不完全な存在を完全へと変貌させるという意味が込められていると聞いている」

「正解だ。まあ神といっても、高次元空間に存在するといわれる概念的超存在(オーバーロード)のことではないがな。我々錬金術師が人工的に生み出す〝完全な人間〟のことだ」

「それが、賢者(ワイズマン)

 

 ニーナの説明は、古城にもストンと納得できた。たしかに錬金術師は、人工生命体(ホムンクルス)という形で〝人間〟を生み出す技術を実用化している。ならば、次により優れた存在を生み出そうとするのはむしろ自然な流れだろう。

 

「血があるってことは何かしらの実験はしたんだろ? 成功しなかったのか?」

「まあ、ある意味では成功といえなくもないだろうな」

「それ、実質失敗したって言ってるようなもんじゃねーか」

 

 古城は呆れた様子だが、ニーナは素知らぬ顔だ。

 

「事実なのだから仕方があるまい。完全を求めた錬金術師(われわれ)が創り出した〝神〟は、当然のように完全すぎた(・・・・・)のだ」

「……それが何かまずかったのか? 完全を目指して完全な存在を創り出すことができたんだろ?」

 

 ニーナが何を言いたのか、古城にはわからない。望みのままの存在を創り出したというのに、かつての錬金術師たちは何が不満だというのだったというのか。だが那月とバビル2世はある程度の予想がついたらしく、苦々しい表情を浮かべる。

 そんな3人の表情から内心を読み取ったのか、ニーナは皮肉気に口元を歪めた。

 

「簡単な話よ。個体として完全ということは、自分以外の存在を必要としないということだ。生物が同種の生物やかかわりの近い存在を慈しみ守ろうとするのは、それが種の生存に不可欠だからなのだ。この感覚は同種族のみに限らない。

 何故人類は地球環境を守ろうとするのか? そうしなければ自らが滅び去ると理解しているからだよ。

 それらに愛やら優しさやら友情やら美しさなどといった感情は、本能的に理解している必要性が生み出す錯覚に過ぎん」

「錯覚って、もう少し言い方はないのかよ?」

「いや、なにも否定しているわけではない。所詮生命が活動できる時間など限られているのだし、それならば錯覚であろうとも幸福に過ごすことができたほうがいいに決まっておるよ。それに、この星の生態系というものはその本能が複雑に絡み合って成り立っているのだからな。考えようによっては、愛情が世界の心理というのもあながち間違いではない」

「そうか、賢者(ワイズマン)は」

 

 ニーナの言いたいことを理解して、古城の表情が険しさを増す。その様子に、ニーナは深く頷いた。

 

「そう、完全である賢者(ワイズマン)は生きるために自分以外の存在を必要としないのだ。存在だけではなく、酸素も食料もな。たとえこの地球が死の星となっても、彼奴(ヤツ)はそれを問題としない。それどころか、都合がいいとすら考えるだろう。彼奴(ヤツ)が唯一恐れることは、他の生物の進化で自分以上に〝完全〟な存在が誕生することなのだからな」

「ろくでもないもの創り出してるんじゃねーよ……」

 

 古城はうんざりとして空を見上げた。自ら以外の存在を認めるどころか、唯一の存在としてあり続けるために他の存在全ての滅亡を願う人工の〝神〟……有り体に言って、そこらの邪神のほうがまだ良心的かもしれない。

 

「……創り出した後、賢者(ワイズマン)はどうなったんだ?」

「不滅の存在である賢者(ワイズマン)を滅ぼすことはできぬ。故にすべての〝霊血〟を抜き取って封印したのだよ。いかに完全な存在といえども、力の源ともいえる〝霊血〟を抜き取られれば抵抗などできない。270年ほど前の出来事だ」

「その抜き取られた血が〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟なのか」

「なるほど、名の由来がわかってすっきりした。明らかに単一の物質につける名前じゃなかったから気になっていたんだ」

 

 古城とバビル2世が同時に得心が言ったと頷いた。しかし、那月は表情を崩していない。

 

「待て、ニーナ・アデラード。ではなぜ貴様は〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟を扱える?」

 

 その問いに、ニーナはどこか寂しそうな寂しそうに微笑んだ。

 

「そこに気が付くとは、流石は空隙の魔女か。

 妾は賢者(ワイズマン)の復活を阻止するための番人なのだよ。たまたま当時の錬金術師の中でも図抜けた霊力を持っていたという理由で選ばれたのだ。不滅の賢者(ワイズマン)を監視するならば、看視者もまた不滅でなくてはならぬ。故に意識をこの〝錬核(ハードコア)〟に移し、〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟を監視していたのだ」

 

 だれも、その境遇に口を開けなかった。つまりそれは、災厄と共に永劫の時を生きることを宿命づけられた人柱ということ。意識を〝霊血〟に縛り付けられた孤独な管理者こそが、ニーナ・アデラードという存在の全てなのだ。後世に大錬金術師としてその名が轟いているのは、当時の仲間たちにとってせめてもの罪滅ぼしだったのだろう。

 不老不死の肉体を押し付けられた彼女が、どのようにしてこの島に辿り着き孤児院を営んでいたのかは、創造することしかできない。しかし、彼女はたしかにそこで幸せに暮らしていたのだろう。仮初とはいえ家族を得て、ただ穏やかに日常を過ごしていたはずだ。5年前に修道院が崩壊するまでは。

 

「感傷に浸っているところ悪いが、こちらとしても少々確認する事項がある。

 ニーナ・アデラード、これに心当たりはあるか?」

 

 那月が質問と共に指し示したものを見て、古城が目を見開いた。戦闘でえぐれた地面に、白骨が積みあがっていた。その周囲には解凍され蠢く〝霊血〟が付着しているが、そんなものに意識を向ける余裕は古城にはない。いくら第四真祖とはいえ、彼はあくまでも男子高校生程度の精神力しか持たないのだ。

 

「この骨、まさか特区警備隊(アイランド・ガード)が喰われた痕じゃ……」

「いや、それはない。成人男性の骨にしては、全体的に小さすぎる。特区警備隊(アイランド・ガード)には、相応の体格も求められていたはずだ」

 

 バビル2世の冷静な声に、ニーナは静かに頷いた。

 

「5年前、天塚に喰われた修道女(シスター)と子供たちだ。まさか未だに取り込まれていたとはな」

「今回の犠牲者ではなく、5年前事故死として処理された犠牲者たちということか」

 

 那月の確認にニーナは無言で肯定を返し、自嘲するように笑みを浮かべた。

 

「5年前、天塚が妾の弟子になりたいと言いながら提示してきたのが〝偽錬核(ダミーコア)〟だ。それを調べれば〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟を操れるかもしれないと嘯かれてな。

 やつの目的である〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟強奪を見破れなかったせいで〝霊血〟は暴走した。天塚も予想外の結果だったのか、そのとき半身を暴走する〝霊血〟に食いちぎられて死んだはずだったのだがな。

 暴走を止めたのは、あの娘――叶瀬夏音が持つ類稀なる霊力の働きと、陰から夏音を見守っていた叶瀬賢生だったよ」

「なるほどな。今回賢生が襲撃されたのは、再び妨害されないようにとの考えもあったのか。まったく、半分不定形のくせに無駄な頭を使うなあの男は」

「その考えで間違いないだろうよ。

 ずっと不思議に思っていたのだ。何故天塚は秘匿されたはずの〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟に関する技術を、不完全とはいえ修めていたのかとな。なんのことはない、はじめからあの男は賢者(ワイズマン)に操られていたというわけだ。自らの欲に目がくらみ、それを見破れなかった自分に嫌気がさすよ」

「だから天塚の行動には一貫性が無かったのか。賢者(ワイズマン)の指示を受けて動いていたというのならば納得がいく」

 

 天塚の行動は、バビル2世や那月といった経験豊富な攻魔師であるほど違和感を抱くものだった。白昼堂々とはいえ、比較的密かに夏音を襲ったかと思えば、監視を無視し被害を気にせず〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟を開放する。そうかと思えば外部攻撃をすることもなくわざわざ那月が守るビルへと分身を送り込み、必要があったとはいえ〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟と特区警備隊(アイランド・ガード)が睨み合う渦中に堂々と姿を現した。

 これらがの行動が、賢者(ワイズマン)の指示のもと動いていたの言うのならば納得がいくのだ。手あたり次第復活のための行動を強いられていただけなのだから。

 

「〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟が活性化した以上、もうあまり時間が無いと考えたほうがいいだろう。幸い、妾の体も何とかなりそうだ」

 

 ニーナが目をつぶり、霊力を周囲に放出し始めた。長く一体化していたために慣れ親しんだ魔力を感じ取り、周囲に散らばっていた〝霊血〟が誘われるようにニーナ目掛けて移動を開始する。

 

「お、おいニーナ⁉」

「大丈夫だ第四真祖。喰われはしない」

 

 慌てる古城をバビル2世が制し、那月はその光景を興味深そうに観察している。3人の眼前で、大きなぬいぐるみ程度だったニーナの伸長がみるみるうちに伸びていく。植物の早回しのような光景は、ニーナの身長が古城よりもわずかに低くなった段階で唐突に終わりを告げた。

 

賢者(ワイズマン)の支配から逃れた〝霊血〟が、予想よりも多くて助かった……どうした古城よ、ずいぶん間の抜けた顔になっているぞ?」

 

 古城の驚愕も無理はないだろう。ちんまりとしたマスコットのようななりをしていた相手が、突然成人女性と化したのだから。

 

「お、お前……ニーナなのか?」

「そうともさ。改めて名乗らせてもらうとしようか。

 (われ)はヘルメス・トリスメギストスの末裔にして、大いなる作業(マグヌス・オプス)(きわ)めし者。パルミアのニーナ・アデラードである」

 

 自身に満ち溢れた笑みで、ニーナは3人へと向き合った。健康的な褐色の肌に、豊満な体つき。彫りが深い異国風の顔つきに相応しい、どこか砂漠を思わせる衣装。

 古に語られる大錬金術師が、今ここに復活した。



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12話 異常事態発覚

 東京へと向かって航行する大型フェリーの中を、雪菜は走っていた。客室の窓から異形を見たときから、彼女が持つ剣巫としての感覚が危険を訴えているのだ。クラスメイトをごまかして退出したあと、手荷物に仕込んでいた大ぶりのナイフと呪符を装備し船橋(ブリッジ)へと向かっているのだ。

 強烈な忌避感の源へと走る雪菜の前に、人影が現れた。透けるような銀髪を持つ、小柄な女子生徒だ。

 

「叶瀬さん⁉」

「あっ……」

 

 雪菜に呼び止められ、夏音はどこか怯えたように立ち止まった。見られたことに対する警戒ではなく、危険に近づく人間を見たときの恐れの色が声音に含まれている。

 

「ひょっとして、あなたも?」

「この船を、何か良くないものが取り巻いているように感じました。だから……」

 

 雪菜の推測は当たっていた。夏音が自分が何とかすると言い出す前に、雪菜は胸を軽く叩く。

 

「この先は私が行くから、笹崎先生に知らせてもらえる? 大丈夫、これでも攻魔師の資格は持ってるから」

 

 ナイフと共に取り出されたCカードを見て、夏音は驚いたように目を開き、次いで理解の色をにじませた。

 彼女は自らが巻き込まれた魔導実験の際、雪菜が戦う姿を目撃しているのだ。深い事情までは知らないものの、この場を任せても大丈夫だと納得できたようだ。

 

「じゃあ、これを持っていて。お守りだから」

 

 そういって、雪菜は手のひらほどの袋を手渡した。お守りにしてはかなり大きいが、その分薄く重さはそれほどでもない。袋を怪訝そうに受け取った夏音は、そのまま走りだそうとした雪菜を呼び止めた。

 

「待って。

 ……私はこの感覚を知っている気がしました。たぶん、前にもどこかで」

「叶瀬さん、ひょっとしてあの錬金術師のことを何か知っているの?」

 

 夏音は5年前の事件の当事者であり、その際天塚と接触していれば彼の目的を知っている可能性がある。僅かに身を乗り出した雪菜の視界に、夏音は震える手が映った。

 

「錬金術師、ではなかったです。あれはもっと怖いものでした。あのとき大切なお友達がたくさんいなくなりました。だから、雪菜さんも……あのときみたいには、二度と……」

 

 恐怖を押し殺しながら雪菜を案ずる夏音の様子を見て、雪菜は心がじんわりと温かくなった。夏音は、雪菜のことを大切な友達だと言ってくれたのだ。獅子王機関の任務で島に訪れた雪菜に、いなくならないでほしいと本気で願っている。

 

「ありがとう、叶瀬さん……ううん、夏音(カノ)ちゃん。貴女も気を付けて」

 

 力強く頷き合い、2人の少女は自分のするべきことを果たすために走り出した。

 雪菜は呪力で強化された身体能力を活かし、立ち入り禁止のロープを一息で飛び越え船橋へと侵入する。予感のままに操舵室への道を走る雪菜は、異常に気が付いた。

 

「人が、いない……?」

 

 本来であればスタッフが行き交っているはずのバックヤードに、人の気配が全くないのだ。その代わり、うっすらと感じていた不快感が段々と強くなってきている。そして操舵室の扉の前に辿り着いた雪菜は、反射的に服の袖で鼻を覆った。何かが焼ける匂いが、施錠された扉越しに漂ってきている。見当たらないスタッフと扉から漂う異臭を結び付けられない人間は、少なくとも獅子王機関には存在しない。

 雪菜の思考は即座に警戒体制から戦闘態勢へと切り替わり、回し蹴りの一撃で施錠された扉を蹴破った。吹き飛ぶ扉越しに見えた惨状に雪菜は目を逸らしかけ、そんな甘えが許される状況ではないとこらえた。

 

「これは」

 

 彼女の予想に反して、操舵室内に血は流れていなかった。あったのは修復不可能と一目でわかるほどに破壊された操舵システムの残骸と、大量の金属製の彫像だけだ。いや、人間が金属へと変換させられた末路というべきだろうか。

 一刻も早くこの状況を攻魔師へ知らせる必要がある。幸い、宿泊研修に同行している教員の中にも攻魔師が数名いるため、雪菜は即座に連絡用の式神を飛ばした。

 しかし、その式神は室内から出ることもできずに金属製の鞭に切断され元の呪符へと戻ってしまった。雪菜の刺客から別の鞭が襲い掛かるが、その攻撃を未来視で予知していた雪菜は服の下から取り出した大ぶりのナイフで迎撃する。

 

「今のを防ぐとは、やるね剣巫。ところで、御自慢の槍はどうしたんだい?」

 

 通気口から滲み出た液体金属が、積み重なるようにして人の形を作り上げた。白いコートに張り付けたような笑みを浮かべた青年、天塚汞だ。

 

「東京で待ち伏せされる可能性は考えていましたが、船に直接乗り込んでくるとは……迂闊でした」

「残念だけど、僕はそこまで気長じゃないんでね。まあ、助けもろくに来ない洋上をのんきに移動した自分たちを恨んでよ」

 

 子馬鹿にしたような態度の天塚だったが、完全に人型へと変形しきっていない。雪菜はその違和感を見逃さなかった。

 

「すみませんが、あなたを相手にしている時間はあまりありません。本体を見つけなければならないので」

「へえ、流石に僕が分身ってことくらいは気が付くか。で、それを聞いた僕が素直にここを通すとでも?」

 

 突然天塚の腹が脈動し、弾けるようにして触手が展開した。抵抗手段を奪うため、雪菜の持つナイフ目掛けて触手の群れが殺到する。だが、物体と同化し取り込むはずの触手はナイフに触れただけで何の変化もおこさず、武器に殺到し密集したところを雪菜の一太刀ですべて切り落とされてしまった。

 

「そのナイフ、ただの金属じゃないな。呪力付与(エンチャント)した隕鉄か……面倒なものを持っているな!」

 

 苛立ちを吐き捨て、天塚の分身は天井に張り付いた。警戒する雪菜を後目に、足元から徐々に通気口へと流れ込んでいく。

 

「予定変更だ。悪いけど、あんたの相手はもう少し後にさせてもらうよ。いくら分身とはいえ、そう何度も壊されたくはないしね」

「天塚汞!」

 

 咄嗟に跳躍した雪菜の眼前で、天塚の体は完全に通気口内へと消え去ってしまった。僅かに遅れてナイフが壁に突き刺さる音が、虚しく操舵室内に響く。

 今の雪菜は、天塚に対する対抗手段が少ない。現状の雪菜が持つ装備を知らないはずの天塚から見れば、絶対の武器である〝雪霞狼(せっかろう)〟を持たない雪菜などどうとでも料理できる相手のはずだ。それなのに、何故天塚は雪菜を見逃すような行動をとったのか。

 

「ま、さか……!」

 

 この船には、雪菜を凌ぐ霊媒体質でありながらも戦闘力を持たない存在がいる。そう、先に叶瀬夏音が天塚に襲撃されたら。

 即座に操舵室を飛び出した雪菜は、式神を放ちつつ二等客室へと急いだ。笹崎攻魔官を呼ぶよう頼んだ夏音も、教員が詰めている二等客室付近にいるはずだ。現役の攻魔師であれば天塚を撃退はできなくとも、雪菜が到着するまで耐えることくらいはできるだろう。酷な話かもしれないが、一般的な攻魔官と見習いとはいえ獅子王機関の剣巫との間には、それほどの実力差がある。

 懸命に廊下を走る雪菜の視界に、凪沙の姿が見えた。僅かに安堵する雪菜だったが、彼女と向かい合う天塚を見て思考が凍りつく。当然のことだが、彼女は眼前の男の危険性に気が付いていない。

 

「凪沙ちゃん! 伏せて!」

 

 雪菜のいつになく必死な声に、凪沙は内心疑問に思いつつも僅かにかがみこんだ。低くなった頭部を飛び越え、雪菜が2本のナイフで凪沙目掛けて迫る刃を弾き飛ばす。

 

「ゆ、雪菜ちゃん⁉」

 

 友人が握る武骨なナイフに目を奪われた凪沙だったが、その向こうで人間の輪郭を崩す存在を見てしまった。凪沙の眼前で見る間に変形は続き、人間と呼べる外見ではなくなっていく男の姿を。

 

「な、なに、この人⁉」

「逃げて、早く!」

 

 怯える凪沙を庇って雪菜が前に出る。現在位置は広い通路の中央であり、雪菜が天塚を足止めしていれば逃げることは難しくない位置だ。しかし、凪沙は顔を青ざめさせたまま、後ずさることすらせずに目を見開いている。

 

「ま、魔族……」

「凪沙ちゃん⁉」

 

 魔族特区に住んでいるにもかかわらず、凪沙は重度の魔族恐怖症なのだ。そう、眼前に魔族がいると認識しただけで、動くことすらできなくなるほどの。へたりこんだままの凪沙に雪菜が気が付くが、今はどうすることもできない。眼前の天塚に対処するだけでも精一杯なのだから。

 

「ひどいなぁ、僕は人間なのに……傷ついちゃったよ?」

 

 何がおかしいのか、天塚がからかうような笑みを浮かべる。対峙する雪菜からすれば腹立たしいことこの上ないが、現在の拮抗状態は天塚が手を抜いているからだということがありありとわかる態度だ。剣巫の未来視で鞭の連撃を弾いてはいるものの、もしもこれ以上鞭を増やされれば対応できない程度の抵抗しかできていないのだから。

 

「こないで、いや、あっち行ってよ!」

 

 恐慌状態の凪沙を庇っていては、防戦一方となりそう遠くないうちに雪菜の守りも破られるだろう。そうなる前に撤退するべく視線を巡らせた雪菜は、壁から染み出した新たな人影に思わず呻いた。

 

「2体目……!」

 

 雪菜たちの退路を断つように出現した天塚の分身は、余裕の表情でゆっくりと距離を詰めてくる。〝雪霞狼(せっかろう)〟を持たない雪菜にとって、天塚は有効打を撃てない難敵だ。それでも一対一ならば技量と持ち込んだ装備で足止め、運が良ければ拘束までならできるかもしれない。しかし、その敵が2体。雪菜1人で離脱するのならばまだしも、人1人をつれて逃げ出すことは不可能だ。

 打開策を見いだせない雪菜たちをいたぶるように、天塚の分身たちはゆっくりと距離を詰めてくる。

 

「嫌、嫌あっ! 助けて古城君! 古城君――!」

 

 恐怖のあまり凪沙が泣き叫び、叫び声と共に強烈な魔力が吹き荒れた。冷気を纏った不可視の力が、通路全体を蹂躙する。

 

「何っ⁉」

「なんだ、この魔力は⁉ こいついったい……くそっ!」

 

 一切の予兆なく放たれた膨大な冷気に、不用意に接近していた2体目の分身は対応できなかった。凍りつき倒れ伏したその体の上に、花弁のように舞う雪の結晶が降り積もっていく。1体目の天塚の分身は、回収すら諦めて即座に逃走を図った。あくまでも液体という性質を持つ分身は、凍りつけば一切の行動が不可能になってしまうのだ。それを追う余裕は、雪菜には残されていなかった。

 危機が去ったことに気が付いていないのか、凪沙から放たれる冷気は一向に衰える気配を見せない。それどころか、周囲を白く見せるほどに温度が低下し続けている。このままでは、吹き荒れる冷気によってそう遠くないうちに雪菜も凍死することになるだろう。

 

「凪沙ちゃん!」

 

 呪力で全身を強化し、呪符で冷気を遮断して雪菜はなんとか凪沙の傍まで近づくことができた。至近距離で必死に名を呼ぶ雪菜の声に反応してか、ゆっくりと凪沙が立ち上がった。しかし、振り返る凪沙の目に光はない。意識のない肉体だけが、内側から何者かによって操られているのだ。このまま冷気の放出が続けば、いずれ船は破壊されてしまうだろう。しかし、この冷気の放出に攻撃の意思はない。冷気の主は凪沙の窮地を救うために出現しただけなのだ。

 ただそこにあるだけで、周囲に破壊を振りまく存在。雪菜には、これとよく似た存在に心当たりがあった。世界最強の吸血鬼である、暁古城がその身に宿す12体の眷獣たちだ。今の凪沙の状況は、古城が眷獣の制御に失敗した状況と非常に似通っていた。

 危機的状況はしかし、妙にハイテンションな女性の声によって遮られた。

 

「はーいそこまで!」

 

 城に染まった凍気の塊を裂きながら、お団子と三つ編みにチャイナ服を着た女性が凪沙の懐へと潜り込んだ。見事な赤髪の端が凍りつくことも気にせず、暴走状態の凪沙へデコピンをかます。

 

「笹崎先生⁉」

 

 担任教師が行ったあまりの力技に、雪菜は思わず叫ぶほどの衝撃を受けた。同時に、視界の端から駆け寄ってくる夏音を見つける。

 雪菜からの攻魔官を呼んでくれという頼みを聞いた夏音は、自分の感覚も手伝い生半可な実力者では現状に対応できないと理解していた。そして探し出した相手こそ、担当教師の笹崎岬だ。武術と仙術を高いレベルで極めた接近戦闘術「四拳仙」の達人であり、〝仙姑(せんこ)〟の異名を持つ。凄腕の攻魔官でもある。

 仙術によって冷気を防ぎながら、さりげなく雪菜たちを庇う立ち位置に移動した岬に対し、凪沙……いや、凪沙の体を操る存在が口を開いた。

 

「我の邪魔をするか、道士――?」

 

 底知れぬ威圧感を伴いながら、凪沙の中の存在は問いかける。暴走が収まったわけではないようだが、岬を会話するに足る存在であると認識したようだ。

 

「いやいや、別にそんなつもりはないよ。でもあんたがこのまま本気を出したりなんかしたら、この船なんか簡単にふっとんだりなんかするかも。そしたら当然海の真ん中に投げ出されるわけだし、あなたも困るっしょ?」

 

 おちゃらけた口調とは対照的に、岬は獰猛な笑みを浮かべていた。襲い来る冷気をものともせず、まっすぐ凪沙を見つめている。不意に、吹き荒れていた冷気が消失した。

 

「なるほど……よかろう、貴様たちに少し時間をくれてやる」

 

 そういって凪沙が目を閉じ、糸が切れた操り人形のように崩れ落ちた。憑依状態が解けたのだ。

 

「笹崎先生、今のはいったい……」

「残念だけど、生徒のプライバシーにかかわることはこたえられないな」

 

 雪菜の質問を、岬は笑顔で拒絶した。言外に、そちらにも事情があるのだろうと伝えられている。

 雪菜は追及を諦め、情報の共有を開始した。

 

「先生、この船に侵入した錬金術師の件ですが」

「知ってるし、ここに来る前に遭遇したよ。那月先輩から情報はもらってたんだけど、まさか航行中の船に直接乗り込んでくるとはね。そう簡単に手出しされない状況が裏目に出ちゃったかな」

 

 口調こそ軽いが、表情は重く唇を噛みしてめている。生徒の安全を守るという彼女の立場上、雪菜以上逃げ脳を深刻にとらえているのだろう。

 

「ほかの生徒の皆さんは?」

「城守センセの誘導で避難中。つっても船の中だし、結界でどうこうできる相手でもないみたいだしね。ちょっとまずい状況かも」

「はい……」

 

 現時点で、雪菜たちはかなり追い詰められているといっていいだろう。船は操舵システムが破壊され航行不可能となっており、救命艇で付近の港に逃げようにも先に天塚に追いつかれるだろう。

 

「分身できてちょっとした隙間から襲ってこられるんじゃ対策の立てようがないし、せめて天塚の目的だけでもわかればいいんだけどね」

 

 岬の呟きに、雪菜は僅かに肩を震わせた。彼の目的は、夏音を生贄にすることであろうと予測を聞かされている。しかし、それを夏音本人の前で岬に伝えていいものなのか。

 葛藤する雪菜の背後で、夏音が何かを決心したように手を握った。

 

「あの人の目的は、たぶん私でした」

「叶瀬……⁉ 心当たりでもあるのか?」

 

 驚く岬を後目に、雪菜は焦りを感じていた。自己犠牲の精神が強い彼女が、もしも現状を正しく理解しているのだとしたら。

 

「修道院が襲われた日のことを思い出しました。彼は彼は供物になる強い霊能力者が必要だと言っていました。あの修道院には、たくさんの霊能力者たちが保護されていましたから」

「まさか、あの事件で犠牲になった子供たちは、錬金術師の材料に……⁉」

 

 青ざめる岬へ向けて、夏音は透き通った笑みを浮かべた。その瞳には、覚悟を決めたもの特有の強い光が溢れている。

 

「はい。ですので、私さえ近くにいなければ、皆さんはきっと大丈夫です」

「叶瀬、お前囮になるつもりか⁉」

 

 走り去る夏音の背中へ、岬の声が虚しく響く。倒れ込んだ凪沙を介抱していたため、咄嗟に引き留められなかったのだ。代わりに、雪菜が動いた。

 

「笹崎先生、暁さんをお願いします。叶瀬さんは私が!」

「あ、おい姫柊!」

 

 岬の制止を振り切り、夏音が走り去った方向へと雪菜も走り出す。ひときわ霊力の高い雪菜と夏音がいれば、天塚の目はそちらに向き大多数の生徒は無事でいられるだろう。しかし、それは雪菜たちが天塚に集中的に攻撃されるということを意味している。

 不死身の怪物相手に、絶望的な防衛線を挑まんとする雪菜。しかしその瞳に悲壮感は無く、ただ友達を助ける使命感に満ちていた。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 笹崎岬 さささき-みさき

 彩海学園中等部の女性教師であり、雪菜たちのクラス担任でもある。
 国家攻魔官の資格を持つ攻魔師であり、その実力は並みの攻魔師と比べて一線を画す。
 那月の後輩なのだが、その性格から那月が苦手とする数少ない人物の1人となっている。


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13話 急行手段

 眼前で人間大になったニーナを見て、古城はあっけに取られていた。正直なところマスコット的な目線でしか見ていなかった相手が、突然真っ当な美女に変貌したのだから無理もないだろう。

 

「それが本来の姿か、ニーナ・アデラード」

「いや、本来はもう少し肉付きがよかったのだがな。完全に体を再現するには、少々〝霊血〟の量が足りなかったようだ。無理に再現したところで、体内に空洞ができて脆くなるだけだからな」

 

 そんな古城を無視し、那月とニーナはどうでもいいような会話を始める。

 

「いや、それで不完全ってどんな体つきだったんだよ。流石に見栄張ってるんじゃねーか?」

 

 気を取り直した古城のツッコミに、ニーナは得意げな笑みを浮かべた。

 

「どうした、ずいぶんと反応が強いではないか。お主も男だということか、ん?

 〝霊血〟を無事回収した暁には、妾の完全な姿を拝ませてやるから安心するがいい」

「ほう、担当教師の前で堂々とセクハラ発言をするとは、流石は暁古城だな。おまえが大きいほうがいいなどとのたまうのは勝手だが、それがあの監視役に漏れたらどうなるか程度は考えないのか、ん?」

 

 胸を強調しながら古城ににじり寄るニーナの後ろで、那月は嗜虐的な笑みを隠そうともしない。

 

「ちょっと待った那月ちゃ……南宮先生! まさかこの状況を見てなお姫柊にあることないこと吹き込む気じゃないですよね⁉」

「さて、どうだかな。それよりもバビル2世、今この光景を写真にとれば後々面白いことになるとは思わないか?」

 

 那月は古城の焦りをスルーしてバビル2世に話しかけるが、当のバビル2世は呆れたように溜息を吐いた。

 

「さて、第四真祖をからかうのもそろそろやめていただきたい。年頃の高校生に向けるには、少々刺激が強すぎる」

 

 呆れたような口調に、那月とニーナは意外と素直にからかいをやめた。那月が持つ通信端末に着信が入り、会話を開始したことも無関係ではないだろう。同時にバビル2世が持つ端末にも通信が入ったようで、古城とニーナだけは会話が終わる数秒間もどかしい思いをする羽目になった。

 

「良い情報から言おうか。天塚の居場所がほぼ確定した」

「どこだ⁉」

「午前七時発東京行き。彩海学園が宿泊研修のために利用している便だ」

 

 那月の一言に、古城は弱々しく首を振る。

 

「嘘……だろ……? だって、あの船には凪沙に姫柊が……」

「だから、なのかもしれんな。かつて妾たちが賢者(ワイズマン)を創り出すために利用したのは、大量の貴金属と供物となる霊能力者だ。復活を遂げた賢者(ワイズマン)が、同じものを欲しても不思議はあるまい?」

 

 不機嫌さを隠そうともせず、ニーナが予想を述べた。

 

「そうか、あの船には叶瀬も!」

 

 そう、現在襲撃されたと仮定されるフェリーに乗っている夏音は、古城が知る限りでも非常に強力な霊能力者だ。賢者(ワイズマン)復活の邪魔をされる危険性こそあるものの、復活した今となっては賢者(ワイズマン)にとって絶好の供物となるだろう。

 

「それに、その船に乗っているのは夏音だけではないだろう? あの姫柊とかいう娘も、優れた霊媒だ」

 

 古城の顔に焦りが浮かんだ。液体金属を自在に操る天塚に、有効な攻撃手段は極めて少ない。いくら出発前に装備を補充していたとはいえ、時間を稼ぐことが精いっぱいだろう。そして敵は天塚だけではなく、未知の存在である賢者(ワイズマン)もいるのだ。

 

「まずい、今姫柊は〝雪霞狼(せっかろう)〟を持ってないんだ!

 那月ちゃん、フェリーまで跳べないか⁉」

 

 古城の必死な願いに対して、那月は無情にも首を横に振った。

 

「無理だな。私には遠すぎる。

 何か誤解しているようだが、空間制御魔術の本質は距離をゼロにするのではなく、本来移動にかかる時間をゼロにする魔術だ。移動自体は一瞬で終わるが、それ相応の疲労が肉体には蓄積される。移動は数キロが限界だ」

「魔法も万能じゃないってことか……。

 じゃあ、飛行機かヘリを飛ばしてくれ。近くまで行けば跳べるんだろ?」

「それも無理だ。特区警備隊(アイランド・ガード)は航空戦力……厳密には、航続距離が極端に長い航空機を持てない、及び絃神島の領空外を飛行できない条例があってな。〝魔族特区〟内の治安維持を目的とする組織だから必要ない、というのは建前で、要は反乱対策だよ。万が一絃神島の魔族と特区警備隊(アイランド・ガード)が手を組めば、日本国政府としては脅威だからな」

「なんだよ、それ!」

 

 あまりにもくだらない大人たちの理屈に古城が吠えると、丁度通話を終えたバビル2世がやんわりと口をはさんだ。

 

「そういきり立つな。万が一を考えて行動する必要性はどこにでもある。

 それよりも、朗報だぞ。移動法のめどが立った」

「ほう、お前の方でも動いていたのか。まさかロプロスを使うわけではないだろう? あれも早いが、恐らく私が手配した移動法の方が数倍は早いぞ?」

「先方から、先に南宮攻魔官に話を持ち掛けたと聞きました。さっそく動きましょう」

「言われなくとも」

「ちょっと待て、妾も同行させてもらうぞ。文句は無かろうな、空隙の魔女にバビル2世とやら」

 

 攻魔師2人の会話に、無理やりニーナが割り込んだ。意外なことに那月は不快感を見せることなく、小さく頷き同意を示す。

 

「いいだろう。ちょうど暁1人で送り出すのは不安だと考えていたところだ」

「1人って、那月ちゃんにバビル2世は来てくれないのかよ?」

 

 古城の疑問に、バビル2世は僅かに肩をすくめた。

 

「僕たちは後からロプロスで追いかけるさ。君たち以外は、あれに耐えられなさそう(・・・・・・・・)でね」

 

 バビル2世の物言いに、嫌な予感が強くなる古城。しかし、その不安を口に出す前に那月がシニカルな笑みと共に魔術を発動した。僅かな浮遊感と共に船酔いにも似た不快感を一瞬味わい、古城は見知らぬ場所に出現した。見渡す限りの滑走路に、駐機中のヘリや旅客機の群れが整然と並んでいる。どうやら絃神島中央空港のど真ん中に連れてこられたようだ。

 

「えっ……」

 

 そして眼前に駐留されている航空機の姿に、古城は一瞬度肝を抜かれた。

 紡錘形の気嚢で構成された船体は、ゆうに100メートルを超えている。大型旅客機2倍ほどの巨体には、無数の機関砲が搭載されている。

 特殊合金の分厚い装甲に覆われたその姿は、空飛ぶ城塞と呼んで差し支えない威容だ。

 そしてその船体に刻まれているのは、大剣を握る戦乙女。その紋章を、古城はよく知っていた。

 

「これ……飛行船、か?

 てか、あれってアルディギアの紋章だよな。ってことは……」

『我がアルディギア王国が誇る装甲飛行船〝ベズヴィルド〟です。お久しぶりですね、古城』

 

 どこか現実味のない光景に圧倒される古城のすぐ傍から、聞き覚えのある声が響いてきた。笑いを含んでなお優雅さを失わず、無自覚な気品を滲ませた高貴な口調。

 

「この声、ラ・フォリアか⁉」

『覚えていていただいたこと、うれしく思います。お久しぶりですね、古城』

 

 飛行船から吊り下げられていた巨大なモニターに、美しい銀髪の少女が映し出された。叶瀬夏音に似ているが、彼女の持たない圧倒的な威厳を身に纏う存在。北欧アルディギア王国の姫御子(プリンセス)、ラ・フォリア・リハヴァイン王女だ。

 モニター越しとはいえ久しぶりの再会にもかかわらず、古城は冷や汗を滲ませていた。何を隠そう、古城はこの王女のことを密かに苦手に思っているのだ。悪人でこそないものの、その優秀な頭脳から突飛な発想を導き出し、あまつさえそれを自ら全力で楽しむという、優秀であるがゆえに始末に困る人物なのだ。

 古城がラ・フォリアに目を奪われている間に、飛行船から3人の女性が降りてきた。実用的な軍服を着ていることから軍人であろう3人は、古城たちの目の前でお手本のような整列をする。

 流石に気が付いた古城は、いかにも有能な軍人といった雰囲気を漂わせる3人に少々気後れしている。

 

「えっと、あんたたちは?」

「アルディギア王国聖環騎士団所属ユスティナ・カタヤ要撃騎士、以下3名であります。ラ・フォリア・リハヴァイン王女の命により、王妹殿下の護衛を務めておりました」

「王妹って……叶瀬のことか。護衛って、もしかしてそのためにこの島に?」

『ええ。王位継承権を放棄したとはいえ、夏音はアルディギア王家の一員です。立場や能力を悪用しようとする不埒者が、いつ現われてもおかしくありませんから」

 

 ラ・フォリアが僅かに声を潜めた。どうやらスピーカーは指向性のものらしく、古城たち以外には聞こえないようになっているらしい。

 

「でも、叶瀬はそんなこと何も言ってなかったぞ? 何か隠してる様子でもなかったし、そもそも護衛自体断られなかったのか?」

 

 古城は模造天使(エンジェル・フォウ)事件からの夏音の様子を思い返してみるが、特に護衛されている様子は見られなかった。四六時中雪菜の監視が途切れない古城とは、全く対照的だ。

 

『ユスティナは有能な遊撃騎士ですから。夏音の日常に干渉することなく、陰から危険を排除していたのでしょう。ユスティナは親日家で、特に忍者の大ファンなので』

「なんだって?」

 

 突然投げ込まれた情報に混乱する古城よそに、ユスティナ嬢は神妙な顔つきで両掌を合わせた。胡乱気な古城の視線を気にした様子もなく、拝み倒すように頭を下げてきた。

 

「忍! いたずらに名誉を求めることなく、陰より主君を命がけで守る。ジャパニーズ・忍者こそまさに騎士の模範といえるでしょう。自分も今回の任務を機に騎士道を極めるべく、研鑽を重ねていく所存であります」

「あ、はい。どうも」

 

 あまりの熱意と勢いに、古城は思わず頭を下げてしまった。ふと視線を上げれば、画面内のラ・フォリアが懸命に笑いをこらえるような表情を浮かべていた。ユスティナ嬢の背後に並ぶ2人の女性も、何とも言えない表情で上司を見ている。あの女、絶対にわかってわざとやらせてやがる、と古城は気が付いた。どうやら部下にも黙っているよう言い含めているようだ。

 古城は軽く首を振り、何とか気持ちを切り替える。

 

「ってことは、今回の天塚の件も」

『早い段階で情報は掴んでいました。南宮攻魔官にも協力してもらい夏音の護衛に努めてはいたのですが、残念ながらわたくしたちは〝魔族特区〟の外にまでは干渉できません。

 ですから、古城。あなたの力をお借りしたいのです』

 

 無念そうに目を伏せる王女へ、古城は笑いかけた。

 

「何言ってるんだよラ・フォリア。力を貸してもらうのは俺の方だろ?

 この飛行船で叶瀬のところまで連れて行ってくれるのか?」

「いえ。〝ベズヴィルド〟の巡航速度では、現場海域付近に到着するまで15分はかかってしまいます。一刻を争う現状で、それでは遅すぎます。

 ……丁度用意が終わったようですね。我々が用意できる最速の移動手段を整えました」

 

 ユスティナ嬢が通信機に話しかけると同時に、古城の背を凄まじい悪寒が襲った。恐る恐る飛行船を見ると、武器格納庫らしき部分がゆっくりと開き、奇妙な装備が姿を現すところだった。

 艦載ミサイルに酷似した、装甲ボックスランチャーだ。

 

「えーっと、これは?」

『我が聖環騎士団が所有する試作型航空機〝フロッティ〟です』

 

 真剣そのものといった声音で王女が宣言するが、古城は必死の形相で叫んだ。

 

「待て待て待て! これどう見ても航空機じゃないだろ! ただの巡航ミサイル(・・・・・・)だろうが!」

『試作型航空機です。

 本来は偵察用の無人機なのですが、搭載していた観測機器を取り外して人間を詰め込……いえ、乗り込めるようにしました。巡航速度は時速三千四百キロメートルですので、計算上では百五秒目的の船に着弾……いえ、到達できますわ』

「わざとらしく言い直したけど、今着弾って言ったよな⁉」

「時間が無い、早くしろ。王女の好意を無駄にするな」

「僕の協力者が発射許可を取ってくれたが、それもそう長い時間ではない。早くしないと最速の移動手段が使えなくなるぞ?」

「わかってるけど、流石にどうなんだよ……」

 

 古城の抗議も虚しく、那月に蹴り飛ばされた挙句バビル2世にすら言外に抵抗するなと言われてしまった。実際、現状これよりも早く移動する手段は無いのだ。

 とはいえ、古城の抗議も理解できるのだ。時速三千四百キロメートルといえば概算でマッハ2.8に到達する。これほどの速度を出せる戦闘機はほとんど存在せず、完全に超音速巡航ミサイルなのだから。

 うなだれる古城とは対照的に、ニーナは最近の航空機はすごいのうと呑気な感想を言っている。不滅の液体金属生命体にとって、ミサイルに詰め込まれて射出される程度どうということはないのだろう。条件でいえば不死身の第四真祖である古城も同じなのだが、いくら頭でそれを理解しているとはいえやはり長命ゆえの達観した精神構造には及ばないのだ。

 

『夏音のこと、どうか頼みます。古城』

 

 最後の最後で、ラ・フォリアは真摯な眼差しを古城へ向けた。普段のふざけた空気など欠片もない、心の底から夏音を案ずるその表情を古城は正面から見てしまう。僅かにたじろぐが、彼女の願いをかなえるという決意と共に力強く頷き返した。

 

「那月ちゃん。流石に授業には間に合いそうにないし、あとで補修のほうよろしく」

「担当教師に向かって、よくもまあ堂々とそんなことが言えるな。

 ……無事に帰ってくれば、ある程度融通を聞かせてやる」

「僕たちもロプロスですぐに追う。できる限りの援護はするから、あまり無茶はしないように」

 

 那月の不器用な優しさと共に、バビル2世の激励を受けた古城は飛行船のタラップへと足を向けた。そして一段目に足をかけたとき、背後から意外な声が古城を呼び止めた。

 

「ちょいとお待ち、第四真祖の坊や」

「ニャンコ先生⁉」

 

 振り向くと、駐機スポットに走り込んできた連絡車から煌坂紗矢華の顔をした少女が降りてきた。露出度が高めなメイド服を着た彼女の肩には、黒猫がちょこんと乗っている。そして彼女の背には、古城にも見慣れた黒いギターケースが背負われていた。

 

「式神って車の運転もできるのか」

 

 感心した古城が駆け寄ると、式神が妙に人間臭い動きで一歩引いた。背負っていたギターケースを、まるで体を隠すように全面で構える。それと同時に、古城の五感が目の前の女は生き物だと伝えてきた。

 

「って式神じゃなくて本物かよ!」

「何よ、本物で悪いか暁古城⁉」

 

 雪菜が言っていた現役の攻魔師とは、紗矢華のことだったのだ。見れば、車の運転席からは雪菜の顔をした式神が手を振っている。運転手らしいスーツから見るに、車の運転を式神に任せていたことは間違いないようだ。

 

「うるさいよ、紗矢華。減るもんじゃないし、いまさらその恰好を見られたからってぴいぴい騒ぐもんじゃないよ。前にはもっと過激な格好でこの坊やに迫ったんだろう?」

「あれは吸血のための緊急事態だったからで、というか迫ってませんから!」

「確かにあの時はって、その言い方誤解されるだろ!」

 

 闇制書事件で吸血した記憶を思い返した古城が、紗矢華と息ぴったりに抗議する。怒鳴ったことで僅かに落ち着いたのか、紗矢華はギターケースを差し出した。

 

「はい、これ」

 

 受け取ったケースの重みから、古城の期待が確信に変わる。

 

「〝雪霞狼(せっかろう)〟か!」

「雪菜に渡してやっておくれ。頼んだよ」

 

 黒猫が金の瞳で古城を見る。古城は無言で頷き返し、今度こそタラップを駆け上がった。

 

「ニーナ、行くぞ」

「うむ」

 

 古の大錬金術師と共に、古城はミサイルの弾頭部分へと潜り込んだ。ニーナが変形し隙間を埋めるような形になっているため、思ったほどの息苦しさはない。

 

「ユスティナさん、頼みます!」

 

 古城の叫びに、銀髪の女騎士は端的に答えた。

 

「忍!」

 

 声と同時に発射された〝フロッティ〟は、自慢の速度ですぐさま水平線の先と消えていく。発射から数秒後、バビル2世が声を張り上げた。

 

「ロプロス!」

 

 上空で待機していた空のしもべが、即座にバビル2世の眼前へ着地する。バビル2世離れた動きで、那月は少々危なっかしくその背に跨った。万が一を考え、那月はバビル2世の前に座っている。

 

「ロプロス、先に飛んでいったミサイルを追いかけろ!」

 

 主の命に従い、ロプロスは飛翔を開始した。〝フロッティ〟と比べれば遅いが、それでも音速を超えた移動速度だ。発生する衝撃波や空気の摩擦は、那月の防御魔術で対応している。

 

「ところでバビル2世、よくしもべの〝魔族特区〟外運用許可をこの短時間で取得したな」

「ああ、僕の協力者のおかげですよ。もうできることがあまりないから、このくらいはさせてくれと言っていました」

「例の継承者とやらか。ふん、私にさえ教えないとは、ずいぶんと秘匿性が高いものだな」

「本人からの希望もあるので、僕がかってに話すわけにはいきません。信用は大切ですからね」

「まあいい。到着次第私は救助とサポートに回る。天塚と賢者(ワイズマン)は任せるぞ」

「しもべがいますからね。油断せず、全力で事に当たりますよ」

 

 バビル2世と那月は、揃って水平線の先を見据えた。先行した少年を気遣う言葉は、あえて互いの口から発せられることはなかった。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 ユスティナ・カタヤ
 アルディギア王国聖環騎士団に所属する騎士。
 忍者に憧れているが、憧れのあまり本職顔負けの隠密技術や奇襲戦法の腕前を持つに至った。
 その技術を活かし。夏音に気遣われることなく護衛の任を果たしている。

 施設・組織

 聖環騎士団 せいかんきしだん
 アルディギア王国に存在する、騎士団の1つ。
 王族の近衛も務める最精鋭部隊でありながら、装甲飛行船を保有するなど十分な機動性も確保している。
 彼らの武勇は近隣諸国に知れ渡っており、魔族に対する抑止力として戦王領域にも警戒されるほどである。 

 フロッティ
 アルディギア王国が開発した、偵察用無人飛翔体。
 超音速で情報収集したのちに自壊し機密保持をする弾頭を搭載する特殊兵器であり、作中では簡易的な改造を施し人間大の物体を乗せたまま高速飛翔できる性能を手に入れた。

 ベズヴィルド
 アルディギア王国聖環騎士団が所有する装甲飛行船。
 特殊合金と魔術の複合装甲におり、空中要塞と呼ぶにふさわしい防御性能を得ている。
 火力は機関砲と各種弾頭を使い分けたミサイルだが、精霊炉のエネルギーを使用し疑似聖剣を起動した騎士たちが最大の攻撃手段である。

 バビル2世 用語集

 種族・分類

 ロプロス
 バビル2世のしもべが1体。
 移動する際は基本的に亜音速だが、今回のように十分な対策があれば音速を突破することが可能。
 鳥型であるが故に空中格闘戦能力は非常に高く、最新鋭の戦闘機を超える性能を有している。


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14話 人工の神

 大型フェリーの船首近くで、夏音は天塚と対峙していた。彼女が視界を巡らせれば、見渡す限りの青空に透き通るような海のコントラストが目を楽しませてくれるだろうが、あいにく今の彼女にそんな余裕は一切ない。

 

「残念だけど、鬼ごっこはここで終わりみたいだ。

 ここなら人を巻き込まないし、通気口の類もないから僕は正面から君に近づくことしかできない。いざとなれば海に飛び込んで死を選べる、か。偶然かもしれないけど、いい判断だね。まあ、全部無駄なんだけど」

 

 微笑みすら浮かべて、天塚は余裕たっぷりに両手を広げた。今まで左手に収まっていた銀のステッキの代わりに、金の髑髏が握られている。

 

「供物になりえる霊能力者があんただけじゃないってわかってるんだろう? 獅子王機関の剣巫以外にも、結構有望そうな素質の持ち主が何人かいたよ。あんたが死んだらそっちを代わりにするだけだし、賢者(ワイズマン)が完全に復活すれば、どのみち皆殺しになるんだ。僕を恨まないでくれよ?」

 

 日常会話をしているような雰囲気のまま、天塚の右腕が銀の刃に変化した。彼がその気になれば、腕の一振りで夏音は命を絶たれてしまうだろう。

 しかし、天塚は今のところ夏音を殺すつもりはなかった。彼の目的は、夏音を賢者(ワイズマン)の供物とすること……生きたまま〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟に取り込むことだ。かつての修道院の子供たちのように、白骨化するまで霊力を搾り取ろうと企んでいる。

 非道極まりない考えを知りながらも、夏音の瞳に恐れはない。むしろ、天塚を哀れむ色が浮かんでいる。

 

「まだ思い出せないのですか」

「なに?」

 

 唐突に、夏音が口を開いた。予想外の行動に、天塚は眉をひそめる。

 

「私はあなたのことを覚えていました。修道院のみんなが殺されたときのことも。

 あなたは、かわいそうな人でした。自分が騙されているということに気がついていない」

「何のことだよ?」

 

 苛立ちを隠そうともせず、天塚は聞き返した。その声には、はっきりと同様が現れている。

 

賢者(ワイズマン)を復活させて、あなたはなにをしたかったのですか?」

「決まってるだろ、人間に戻るんだ。あいつに喰われた半身を復活させてもらうんだ! そうでなくちゃ、あいつの言いなりになどなるものか!」

 

 叫びと共に、天塚は自らコートの襟もとを引き裂いた。金属生命体に浸食された露わになる。色こそ肌色に近づけてはいるが、それだけに金属の光沢が一層不気味に見える。

 おぞましい融合部分を見てもなお、夏音は平静を崩さない。

 

「だったら教えてください。あなたは、いったい誰でしたか?」

「……え?」

 

 夏音の言葉に貫かれたかのように、天塚は一切の動きを止めた。

 

「あなたが人間だったと言うならば、その頃の思い出を聞かせてください。いつ、どこで生まれ、どんな生活をしていたのか」

 

 続けてぶつけられた質問に、天塚は答えられなかった。答えられないという事実が、天塚をじわじわと追い詰めていく。

 

「黙れよ、叶瀬夏音」

 

 怯える子供のように、天塚は呟く。だが、夏音は残酷にも首を横に振った。

 

賢者(ワイズマン)はあなたの願いをかなえたりはしません。なぜなら、あなたが人間だったことなど一度もないのだから。あなたは、賢者(ワイズマン)が復活するために創り出した」

「黙れって言ってるだろ叶瀬夏音!」

 

 恐怖と困惑を怒りに変え、天塚は吠えた。刃と化した右腕を振りかぶり、自らを惑わせる少女を永遠に黙らせようとする。感情のまま振るわれる刃に手加減などなく、平均以下の身体能力しか持たない夏音が躱せるものではない。

 死を覚悟した夏音の胸元が、突然淡く輝いた。解けた紙と書き込まれていた呪詛で編まれた狼が、致死の斬撃を迎撃した。

 

「っ、式神だと⁉」

 

 軌道を変えられた右腕が触手へと姿を変え、四方から狼を襲い一瞬で引き裂いた。雪菜がお守りとして渡していた呪符から生み出された狼は、ダメージに耐えきれず瞬時に紙へとその姿を戻してしまう。だが、身を挺して稼いだ時間は決して無駄にはならなかった。

 息を荒くする天塚の前に、大ぶりのナイフを構えた少女が飛び込んだ。空いている片手は懐に延ばされ、新たな呪符をいつでも放てるよう備えられている。

 

「雪菜ちゃん……」

「間に合ってよかった。少し下がってて」

 

 式神を発信機代わりになんとか夏音の元まで辿り着いた雪菜は、油断なく天塚を警戒する。微塵も隙が無い雪菜へ、天塚は忌々しそうに表情を歪めた。

 

「よくよく邪魔をしてくれるな剣巫……だが、それもここまでみたいだ。今回ばかりはおまえを探す手間が省けて助かったよ!」

 

 天塚の叫びと共に、金属製の甲板がぐにゃりと歪んだ。無数に生まれた歪みの1つ1つから、這い上がるようにして無数の影が雪菜たちを取り囲む。

 

「これ、は……」

 

 雪菜の目に映る警戒の色が強くなった。白いコートを着た、天塚の分身体は雪菜たちを半包囲するような形で出現している。すでに基礎となる〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟の純度が低いのか、分裂体の中でまともな人間の形をしているものなど1体も存在しない。だが、その崩れた形状がより恐怖心を煽る形となっている。

 雪菜が呪符を取り出し式神を次々と生み出すが、多勢に無勢である事実は変わらない。

 

「さて、そのナイフに君の呪術は面倒だったけど、いくらでも融合素材が手に入るここで勝ち目はないよ。もちろん、逃げ場もね」

 

 勝ち誇る天塚の主張を、雪菜は内心認めることしかできなかった。獅子王機関から潤沢に補給された装備群は、並の魔族であれば小隊規模の数だろうが薙ぎ払って釣りがくるほどの火力を有する。しかし、〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟を自在に操る天塚に対しては有効な防衛を行うことができても決定打が無いのだ。いかに堅牢な城だろうとも、矢玉も兵もいなければあっさりと落城する。雪菜がいかに奮戦しようとも、それは確定した敗北をひたすらに引き延ばすだけの行為としかならない。

 おまけにここは見渡す限りの大海原である。救援は船内にいる攻魔師以外に期待できず、彼らも液体金属生命体に対して効果的な手段など保有しているわけがない。操舵システムの破壊からフェリーで何かしらの異常事態が発生していることは知られているかもしれないが、最短で沿岸警備隊(コースト・ガード)や本土の海上保安庁が動いたところで天塚に蹂躙されるだけだろう。そもそも、この短時間で船に辿り着くこと自体が不可能だ。

 都合のいい奇跡などそう起こるものではない。苦々しい結論を出した雪菜の視界に、信じられないものが飛び込んできた。

 

「……えっ?」

 

 この窮地に相応しくない、かわいらしくも間の抜けた声に天塚は興味を惹かれる。

 

「なんだ?」

 

 例え罠でも食い破れるとの自信から、素直に振り向いた天塚は驚愕に目を見開いた。

 水蒸気の尾を引きながら、フェリーの船体へとひたすらに直進する灰色の飛翔体。

 

「巡航ミサイルだと⁉」

 

 本来、水平線に出現した時点で常人ならば捉えることもできなかっただろう存在を、訓練された動体視力を持つ雪菜と魔術と金属の体によって保管された知覚で捉えることができた天塚は幸運といえるのだろうか。

 アルディギア王国の試作型航空機〝フロッティ〟の巡航速度はマッハ2.8。本来人間の視界に入った瞬間には目標地点に到達する速度を誇るそれは、天塚が発した驚きの声がまだ響いている間にフェリーの船体直前にまで迫っていた。

 しかし、その場のだれもが予想していた衝撃は訪れなかった。巡航ミサイルが船体に直撃する瞬間、それは銀色の霧へと姿を変え、フェリーをすり抜けていったのだ。フェリーを通り過ぎたミサイルは再び実体化し、フェリーに影響のない距離の海面へ着弾、砕け散って沈んでいった。だが、発生した濃霧は変わらず船を取り巻いている。

 

「この霧……まさか」

 

 霧と共に大気に漂う強烈な魔力に、雪菜は覚えがあった。弾かれるように空を見上げると、霧の中に巨大な影が見える。実態を持たない甲殻獣、第四真祖が従える12の眷獣が4番目。あらゆる物体を霧へと変える能力を持つ〝甲殻の銀霧(ナトラ・シネレウス)〟だ。この霧は、彼の眷獣が生み出す破壊の霧。

 そして眷獣がいるということは、主がすぐそばにいるということを意味する。遠方に落下したミサイルが生んだ衝撃波が船体を襲い、その音に隠れるようにして人影が甲板上に実体化した。

 

「とっとと……なんとか、着地成功ってな」

「おお、なかなかやるではないか」

「伊達にちょくちょく浩一さんにしごかれてないさ」

 

 パーカーを羽織った少年と褐色肌の女性が、緊張感のない会話をしている。ゆっくりと霧が晴れ、雪菜は2人の人影の顔をはっきりと見た。

 

「先、輩……」

「さて、何とか間に合ったみたいだな」

 

 どうもな笑みを浮かべる古城を見て、雪菜は思わず駆け出した。先ほどまでの危機感と、助けに来てくれたという安堵感がごちゃ混ぜになった感情のまま雪菜は古城の胸へと飛び込む。

 

「ひ、姫柊⁉」

 

 普段であればまず行われない大胆な行為に古城は慌てるが、雪菜が握る武骨な刃物を見てその動きが止まる。

 

「何を、いったい何を考えているんですか! こんな危険なことまでして、どうしてここまで来たんですか⁉」

 

 荒れ狂う感情のまま、古城の胸板を雪菜は叩く。仕草だけならばかわいらしいのだが、彼女は訓練を受けた剣巫であり握るナイフのグリップは手からはみ出すほどに大きい。結果として古城は胸部に強烈な打撃を連続して受けることとなり、あまりの痛みに思わず雪菜の腕を掴んで強制的に動きを封じる手段に出た。

 

「お、落ち着け! 姫柊たちを助けに来たに決まってるだろ! すぐに那月ちゃんとバビル2世も来る!」

「だったら、よけいに先輩が危険な場所に来る必要なんてないじゃないですか! そもそも、なんで助けに来る手段がミサイルに乗って船に突っ込んでくるなんていう乱暴な方法なんですか⁉」

「え、いや、あれはミサイルじゃなくて試作型の航空機らしいぞ? 持ち主の主張を信じるなら」

「そんな子供みたいなうそをつかないでください! あれを見てだれが信じるんですかそんなこと!」

「いや、そんなこと俺に言われても……」

 

 烈火のごとく怒る雪菜の勢いに押され、古城はすっかり小さくなってしまう。そこに、見ていられないとばかりにニーナが割り込んだ。

 

「主ら、言い争うのは後にせよ。夏音が困っておる」

 

 うんざりとした口調のニーナに、雪菜は驚きの目を向けた。

 

「えっと、ニーナさん。元に戻ることができたんですか?」

「ああ。賢者(ワイズマン)の支配から逃れた〝霊血〟を使い、なんとか体格はおおむね元に戻すことができた。体形は未だ完全ではないのだが、そこまでの贅沢は言っていられんのでな」

 

 豊かな胸を揺らしながら残念そうに首を振るニーナへ、雪菜が冷たい視線を送る。

 

「お兄さん!」

 

 完全に弛緩した空気となっていた古城たちへ、夏音が必死に声を張り上げて警告した。見れば、ミサイルを見たことと実際の爆風という二重の衝撃から立ち直った天塚が、怒りの形相でふざけ合っているようにしか見えない古城たちを睨みつけている。

 

「姫柊、ニャンコ先生と煌坂からだ!」

「師家様たちからって、これは!」

 

 古城が背負っていたギターケースを雪菜へと手渡す。慣れ親しんだ重さに、雪菜は思わず身に沁みついた動きで内部に仕込まれた武神具を引き抜いた。塚の先端がスライドし、左右の副刃が展開する。

 

「させるかぁ!」

 

 天塚の号令の元、古城たちを半包囲していた天塚の分身体が一斉に腕を触手へと変えて振るった。無数の刃を生やし、僅かにでも触れれば錬金術により触れた部分を金属と化す必殺の触手群だったが、攻撃の決断があまりにも遅すぎた。宙に銀の軌跡が閃り、触手群は一本残らず断ち切られる。

 

「〝雪霞狼(せっかろう)〟!」

 

 雪菜が銘を叫ぶとともに、切断された触手はばらばらと地面に散らばった。魔力を残らず消失された金属片は、一切の動きを見せることはない。

 

疾く在れ(きやがれ)、三番目の眷獣〝龍蛇の水銀(アルメイサ・メルクーリ)〟!」

 

 〝雪霞狼(せっかろう)〟を構える雪菜の隣で、古城は新たなる眷獣を召還した。次元ごと物体を削り取って消滅させる双頭の蛇が、大量に召還されていた天塚の分身を次々と喰らっていく。眷属のコントロール訓練の成果はここでも発揮されており、船への被害はほとんど出ていない。

 

「ぐっ……」

 

 すべての分身を失い、苦虫を嚙み潰したような表情で唸る天塚へ、ニーナはゆっくりと歩み寄った。かつての弟子を哀れみの目で見つめ、聞きようによっては残酷なほどに優しい声で宣言する。

 

「もうやめておけ、天塚汞。汝も薄々気づいているのだろう? 主は賢者(ワイズマン)が〝霊血〟の残滓より生み出した人工生命体(ホムンクルス)だ。完全な人間に戻りたいというその欲望も、賢者(ワイズマン)が埋め込んだ仮初のものに過ぎない。

 これ以上賢者(ワイズマン)の言いなりとなるのも業腹だろう。おとなしく賢者(ワイズマン)の遺骸を渡せ」

「あんたまで……あんたまでそんなことを言うのか、師匠!」

 

 天塚は、血走った目でニーナを睨んだ。だが、その眼に浮かぶのは怒りではなく、恐怖と不安だ。まるで迷子の幼子のような天塚へ、ニーナは穏やかに語りかける。

 

人間(ヒト)であるか否かを決めるのはその肉体ではなく、(こころ)のありようだ。妾もこの吸血鬼も、肉体こそ人間(ヒト)ではない。だがそれでも、せめて生き方は人間(ヒト)らしくしようとあがいている。そう生み出されたからといって、主が賢者(ワイズマン)に従い続ける理由などないのだ」

「理由……でも、僕は、それ以外に……」

 

 脱力した天塚の左手から、黄金の髑髏が落下した。鈍い金属音と共に甲板を転がったそれは、突然カタカタと震えだす。

 

『カ……カカカ……カカカカカカ!』

 

 徐々に大きくなる振動は、どこか笑い声にも似た音をたてはじめた。ニーナはその異常性に眉を吊り上げ、天塚は放心したようにただ髑髏を見つめている。

 

『カカカカカカ……不完全なる存在(モノ)たちよ、もう遅い』

 

 今度こそ、髑髏ははっきりと自らの意思で言葉を発した。僅かに離れていた古城たちは、その声が響くことで異常性を認識する。

 

「まさか、賢者(ワイズマン)――」

 

 怯えるニーナを押しのけるようにして、古城は黄金の髑髏へと近づいた。

 

「この趣味の悪い髑髏が賢者(ワイズマン)だってのか? なら、こんなもの!」

 

 未だ実体化していた双頭の龍に命令を下そうとした古城は、髑髏の口へと凄まじい熱量(エネルギー)が収束されていることに気がついた。本能的に、理解する。〝龍蛇の水銀(アルメイサ・メルクーリ)〟が髑髏を喰らいつくすよりも早く、熱量(エネルギー)は解き放たれると。そして、その奔流は範囲の狭い〝龍蛇の水銀(アルメイサ・メルクーリ)〟の口では抑えきれないと。

 

「れ、〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟!」

 

 それでも咄嗟に眷属の召還を間に合わせたのは、流石というべきだろう。雷光の獅子が古城たちの前に姿を現すのと、髑髏の口から閃光が放たれるのとはほとんどが同時だった。閃光と爆音が古城たちを襲うが、その衝撃が大きいだけであり古城たちは無傷だった。船にも、目立つ損害はない。雷光の獅子が、黄金の髑髏が放った破壊の奔流を弾き飛ばしたのだ。空気に漂う熱量とオゾン臭が、その攻撃の凄まじさを物語っている。

 

「先輩、これは……」

「たぶん、重金属粒子砲ってやつだ。くそっ……」

 

 古城の脳裏には、焼き払われた埠頭の様子が浮かんでいた。あの場で語られた賢者(ワイズマン)の攻撃手段の1つ。膨大なエネルギーを利用して、荷電した重金属粒子を高速で打ち出すビーム兵器だ。原理上魔力を必要としない以上、雪菜の槍で防ぐことはできない。

 だが、古城が操る〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟にとってこの攻撃は脅威となりえない。雷光の獅子が周囲に撒き散らす膨大な電磁場は粒子を拡散させるため、ビームを根底から無効化するのだ。

 しかし、言い換えれば現状賢者(ワイズマン)の攻撃を防ぐためには第四真祖の眷獣が必要ということでもある。人工の神に相応しい、恐るべき化け物だ。

 

「違う……」

「ニーナ?」

 

 だが、ほかならぬニーナがその事実を否定した。困惑する古城の前で、ニーナは叫ぶ。

 

「古城、あれは賢者(ワイズマン)ではない! あれが賢者(ワイズマン)だというのならば〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟はどこにある!」

「――あっ⁉」

 

 そう、今甲板に転がっているのは小さな髑髏のみ。人工の神の血肉になるはずの液体金属生命体は、一滴たりとも含まれていない。

 

「まさか賢者(ワイズマン)がこの船を狙ったのは、私や夏音(カノ)ちゃんが目的ではなく……」

海水(・・)か!」

 

 雪菜の推測を、ニーナが補強した。そんな2人の様子に、古城もうろ覚えの知識を思い出す。

 海水には、金やウランといった貴金属がごく微量ながら含まれているのだ。その総量は、人工島に備蓄できる程度の量などとは比較にならないほど膨大なものだ。海水中に含まれる貴金属の濃度はごく微量であり、効率的に回収する技術は現在存在しない。だが、その有り余る魔力を使って賢者(ワイズマン)が錬金術を行使したのだとしたら。

 絃神島からこの海域まで、船底に潜んだ賢者(ワイズマン)がかき集めた貴金属の量は相当なものになっただろう。そう、賢者(ワイズマン)完全復活の供物としては十分なほどに。

 

『カッカカカカカ――世界よ、完全なる我の一部となれ』

 

 フェリーの船体を貫いて、海中から〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟の塊が隆起した。甲板に転がっていた黄金の髑髏を呑み込み、不定形だったそれはついに完全な人型へとその姿を変える。全高7,8メートルはある巨人の姿へと。

 数百年の時を超え、人工の神が復活を遂げた。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 施設・組織

 沿岸警備隊 コースト・ガード
 絃神島に存在する、本土の海上保安庁に近しい組織。
 特区警備隊と同じく航空機の保有は原則として認められていないが、海上救助のために航続距離が短いヘリや気球といった航空機は少数保有している。

 種族・分類

 甲殻の銀霧 ナトラ・シネレウス
 第四真祖がその身に宿す12の眷獣の内4番目の眷獣。
 吸血鬼の霧化を広範囲に行うことができる眷獣であり、今回のような回避行動や奇襲など幅広く活用が可能な能力を持つ。
 しかし、イメージが足りなかったりあまりにも霧として拡散されてしまうと元通りに戻せなくなるという欠陥もあるため、使用には特に細心の注意が必要な眷獣でもある。


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15話 洋上の対決

 海面に現れた巨大な人影は、古城たちを感情のこもらない目で見降ろした。事実、眼下に群れる不完全な生命体に対して特別な感情など抱いてはいないのだろう。人間が蟻を見て感情を揺れ動かされないように、賢者(ワイズマン)にとって人間は取るに足らない存在なのだから。

 故に、賢者(ワイズマン)は一切の躊躇なく眼前の存在を焼き払うことにした。頭部へと膨大なエネルギーが集約し、重金属粒子砲を放つ準備が瞬く間に完了する。この至近距離で重金属粒子砲が放たれれば、ただ巨大なだけのフェリーなど一瞬で原子の塵にまで分解される。当然、乗っている人間も同じ運命を辿ることになるだろう。乗っている攻魔師たちがいかに凄腕だろうが、意識外から放たれた致死性の範囲攻撃を防ぐことができるものなどいない。

 だからこそ、古城は自らの右腕を賢者(ワイズマン)目掛けて突き出した。今賢者(ワイズマン)の攻撃に対応できるのは古城だけだ。まさに放たれようとする重金属粒子砲の輝きが賢者(ワイズマン)の口内を満たし、一切の予兆なく賢者(ワイズマン)の側頭部が爆発した。発射直前にまでチャージされていたエネルギーが暴発し、頭部を形作っていた〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟が弾け飛ぶ。

 

「なっ⁉」

 

 驚きの声を上げたのは賢者(ワイズマン)ではなく、古城の傍に忍び寄っていた天塚だった。自らの失態を悟って咄嗟に液体金属の腕を伸ばした天塚だったが、古城は召喚直前だった〝甲殻の銀霧(ナトラ・シネレウス)〟の権能により霧と化して致死の一撃を回避する。

 奇襲とは、一度見抜かれれば次はない。天塚としては初撃で最も危険な第四真祖を葬りたかったのだろうが、目論見が失敗した今窮地に立たされることになった。そうしている間にも、賢者(ワイズマン)の肉体が次々と爆ぜる。

 いくら謎の現象であろうとも、何度も起きれば何かしらには気がつくものだ。古城は、吸血鬼の動体視力により賢者(ワイズマン)は砲撃を受けていることに気がついた。だが、いったい誰が。

 雪菜は、賢者(ワイズマン)の体表は一方向からのみ弾けていることに気がつき、呪符を飛ばした。空中で隼の形をとった式神は、その方向目掛けてひたすらに飛ぶ。そして、砲撃の主を視界に捕らえた雪菜は思わず叫んだ。

 

「ポセイドン! バビル2世のしもべが、何故⁉」

 

 鋼の海神は高速で海中を移動しつつ、海面から腕だけを突き出し指先から砲撃を続けている。そんな不安定な砲撃にもかかわらず、その精度は目を見張るものがある。なによりも、物理砲弾を使用しているがゆえに現在ポセイドンは水平線の陰に隠れているのだ。高威力であるものの、攻撃手段が直線のみに限られる賢者(ワイズマン)は、ポセイドンが水平線を超えるまでは一方的に撃たれ続けることになる。

 

『ガッ、無駄な抵抗を!』

「よそ見ばっかしてんじゃねーよ、金ピカ!」

 

 賢者(ワイズマン)の意識が完全にポセイドンへ向いたことを確認し、古城は眷獣を解き放った。雷光の獅子と衝撃の双角獣が溶け合うように直進し、賢者(ワイズマン)を大きく揺らがせた。眷獣召喚の隙を突き、再び古城へと接近しようとする天塚は、雪菜の握る銀の槍に阻まれる。戦場で無防備となっていた夏音は、いつの間にか傍にいたニーナが術と肉体を駆使して戦闘の余波から守っている。

 

『不完全である存在の分際で、我が歩みを邪魔するか、虫けらが!』

 

 古城めがけて拳を振り下ろそうとする賢者(ワイズマン)だったが、そのわき腹にポセイドンの光学兵器が直撃した。古城に気を取られている間に、ついにポセイドンが水平線を超えたのだ。

 

『先ほどから我に無粋な鉛を撃ち込んでいたのは貴様か、ブリキ人形の分際で!』

 

 発射速度を重視したのか、以前古城が見た威力には及ばない威力の砲撃だ。だがあくまでも金属を肉体とする賢者(ワイズマン)にとって、肉体を蒸発させかねない攻撃は十分な脅威なのだろう。そして今の賢者(ワイズマン)には、水平線に届くだけの射程を持った攻撃法が存在しない。屈辱に声を震わせつつ、ポセイドンからの車線をフェリーの船体で遮る。

 こうなれば、余波でフェリーを沈めかねないポセイドンは遠距離攻撃を封じられることになる。そして自らを完全と信じ、それ以外を下等と断ずる賢者(ワイズマン)からすれば、現状は下等生物からの許しがたい反逆行為だ。

 

『我が怒りのもとに、その身を捧げよ! 完全の一部となれることを誇り、受け入れるがいい!』

 

 賢者(ワイズマン)が魔力を練り上げ、古城が咄嗟に眷獣を召還した。凄まじい魔力の波動と共に、フェリーが大きく揺れる。

 

「何……が……?」

 

 あまりの魔力量にあてられた雪菜が、〝雪霞狼(せっかろう)〟に縋りながらも周囲を見渡す。そこには、不気味な光景が広がっていた。

 賢者(ワイズマン)を中心とした海域に、深紅の液体金属が次々と浮上し賢者(ワイズマン)と一体化を始めているのだ。フェリーの船体も、一部が同様の現象を発している。幸い乗客が逃げ込んだ部分には影響が出ていないものの、楽観視はできないだろう。

 

「あれは〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟……まさか、大規模な錬金術を⁉」

 

 賢者(ワイズマン)膨大な魔力を利用し、肉体を修復するために周囲に対し無差別に錬金術を行使したのだ。海中やフェリーの船体に含まれる金属を媒介に、海生生物を生贄にして。そうして生成された〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟は微量だが、これを繰り返すことである程度の補充ができることが証明されてしまった。

 しかし、そうなるとフェリーにほとんど影響が出ていないという疑問が残る。賢者(ワイズマン)からすれば、人質となる生徒が避難する区画以外価値はないはずだ。甲板上の雪菜たちは、非常に上質な生贄となりえる。その両者に何故手を出さなかったのかと悩む雪菜の眼前に、答えが降ってきた。赤黒い液体を撒き散らしつつ、その金属製の球体は狙ったかのように雪菜へと転がっていく。そして雪菜の足元で止まった球体を、雪菜はよく知っていた。

 

「先、輩……?」

 

 球体は、金属化した古城の生首だった。雪菜の声をきっかけにしたように、次々と人間の四肢が落下してくる。肉体と金属が奇妙に融合し合った、悍ましい光景だ。

 

「古城は、錬金からこの船を、身を挺して守ったのだ……」

 

 かすれたニーナの声に、雪菜は思わず振り返った。気絶した夏音のすぐそばで、ニーナは人間としての形状を崩し始めていた。肉体の末端から、賢者(ワイズマン)に吸い寄せられるように〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟が剥離を始めているのだ。

 

「……大規模錬金の予兆を感じ取り、古城は、霧の濃度を上げ、魔力をその身で遮ったのだ。そうでなくては、いまごろお主らは死んでいたよ。妾は、夏音を何とか守ることしか、できなかった。すまぬ……」

 

 未だ目覚めない夏音だったが、ニーナが守ったとはいえ彼女は至近距離から魔力の波動をまともに浴びたのだ。武神具の守りがない以上、気絶で済んだことは幸運だったといえるだろう。

 

「あ、いや……」

 

 雪菜の脳裏に、かつての光景がフラッシュバックした。自分を庇い、戦斧に両断された古城。倒れ込んだ古城を受け止めた雪菜の元には、千切れた古城の頭部だけが残されたのだ。声も上げられずに蹲る雪菜には、賢者(ワイズマン)の演説も聞こえていない。

 

『不完全な存在は1つ消えたか。その身を挺して我が術を遮ったようだが、無駄なことをしたのもだな! 次こそわが肉体の一部と』

 

 得意げな演説は、唐突に遮られた。先ほどの光景を再現したように、賢者(ワイズマン)の頭部がはじけ飛んだのだ。だが、賢者(ワイズマン)はしっかりとポセイドンの射線をフェリーで塞いでいる。では、いったい何が起こったのか。周囲を見渡すニーナの耳に、甲高い鳥の鳴き声が聞こえた。同時に、雪菜の隣に魔方陣が現れ2人の人影が姿を現す。

 

「これは……まずいですね、南宮攻魔官」

「まったく、へまをしたものだな古城。転校生も、これではしばらく使えん」

 

 空間転移の魔術により、那月とバビル2世が戦場へ降り立ったのだ。

 

「ロプロス、その巨人を適当にあしらっておけ。時間がたてば、ポセイドンが来る」

 

 主の命令に一鳴きで答え、天空の覇者は賢者(ワイズマン)へと攻撃を開始した。音波攻撃は余波の問題もあり使えないため、口からロケット弾を次々と放ちつつ高速の飛翔で的を絞らせない。

 

『羽虫が、完全なる我に向かって!』

 

 怒りの声と共に賢者(ワイズマン)がロプロス目掛けて重金属粒子砲を放つが、並外れた飛翔能力を持つロプロスにはかすりもしない。賢者(ワイズマン)の意識が完全にそれていることを確認し、2人の攻魔師は蹲る雪菜と古城の破片へ駆け寄った。

 

「錬金術で金属化しているが、なぜこうもちぐはぐなんだ? 本来であれば全身が金属になっているはずだが……」

「一見完全に金属化しているように見える頭部も、外皮がある程度金属化しているだけで中身は肉のままだ。腕も足も胴も、完全に変質しきっている部分がない」

「お主ら、それが誠ならば、なんとかなるかもしれ。肉の部分があるのならば、錬金術で元に戻しやすいはずだ。腕のいい錬金術師を探せ。

 すまない、妾はここまでのようだ。〝霊血〟の制御が、もう、限界だ。夏音を……」

 

 そう言い残し、ニーナの肉体を構成していた〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟が残らず賢者(ワイズマン)の元へと吸い寄せられていく。残ったのは、赤く輝く〝錬核(ハードコア)〟だけだった。

 

「先輩は、助かるんですか……?」

 

 ニーナ最後の言葉を聞いた雪菜の目に光が戻った。ふらつきながらも立ち上がり、〝雪霞狼(せっかろう)〟を握りなおす。

 

「めどは立ちそうだ。さて、私は乗客と生徒の安全を確保しに行く。ここは任せたぞ、バビル2世」

「気を付けて、南宮攻魔官。剣巫、第四真祖の頭部を確保しておけ。そこだけでも肉に戻すことができれば、体は最悪生えてくるだろう。気絶している女子生徒と〝錬核(ハードコア)〟も守るんだ。僕は賢者(ワイズマン)を足止めする」

 

 雪菜が再起したことを確認し、那月は空間転移で消失した。ついでバビル2世が賢者(ワイズマン)目掛けて跳躍する。

 バビル2世の跳んだ先を見れば、賢者(ワイズマン)の全長は10メートルを超えていた。錬金と結合を繰り返し、着実に堆積を増やしていたのだ。だが、大きくなるということはフェリーで隠せない部分が出てくるということ。すでに目と鼻の先にまで迫ったポセイドンの指先が輝き、船体からはみだした〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟に5本の光線が突き刺さる。同時にロプロスのロケット弾が腹部に着弾し、大量の〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟が撒き散らされた。その傷口にバビル2世が放つ高温の火炎が流し込まれ、再構成は阻害されていく。

 

『貴様ら、もう許さぬぞ!』

 

 賢者(ワイズマン)の口から、怒りの咆哮と共に重金属粒子砲が発射された。加速した金属粒子の奔流は鋼の海神に直撃する。

 しかし、現れたポセイドンの表面装甲には傷1つついていなかった。特殊合金と膨大な魔術結界の複合装甲は、本来であれば直撃したものを原子に帰する火力すら防ぎ切ったのだ。揺らぐ大気を引き裂くようにして、ポセイドンの腕が賢者(ワイズマン)を捉えた。人工の神が何かを言う間もなく、その剛腕はフェリーからその肉体を引きはがす。

 

「ふむ、流石はポセイドンだな。錬金術師どもが創り出した屑鉄程度、相手にもならんか」

 

 戦闘の余波から夏音と古城を守っていた雪菜の背後から、聞き覚えのある少女の声が聞こえた。

 

「な、凪沙ちゃん⁉」

 

 振り返った雪菜は、驚きを隠せなかった。普段の彼女からは考えられない口調は、天塚の分身を一瞬で凍結させた存在のものだ。

 

「それに比べて、……ずいぶんと無様な姿だな、少年。だが、この少女を最後まで護ろうとしたことは誉めてやろう」

 

 どこからともなく現れた凪沙は、髪を解いているためか普段よりも大人びている。口調も相まって、ゾッとするような色香を放っていた。同性である雪菜が、思わず目を奪われるほどに。

 

「それに免じて、少しだけ力を貸してやろう。おまえとしても、知らぬ間にあの鉄屑がやられていては業腹だろう?

 さあ、目を覚ますがいい。水精(サダルメリク)――」

 

 古城の頭部を拾い上げた凪沙は、躊躇なく金属と化した唇と自らの唇を重ね合わせた。雪菜は驚きのあまり声も出ない。今の凪沙にとっては、傍にいる雪菜はいないも同然なのだ。

 どこか淫靡で長い接吻の後、凪沙はそっと古城の頭部を甲板に置く。次の瞬間、散乱していた古城の肉体が消失し、生身に戻った古城が完全な状態で甲板上に横たわっていた。

 

「えっ」

 

 驚きの声を上げる雪菜とは対照的に、凪沙は何事もなかったかのように背を向けて歩き出した。こうなることがわかっていたのだろう。振り向く素振りすら見せない。呼び止める隙すら見せなかった凪沙と入れ替わるように、濃密な魔力の波動が周囲に放出され始めた。発生源は、横たわる古城。破壊的なまでの魔力に、雪菜は心当たりがあった。

 

「まさか、眷獣の暴走⁉」

 

 凪沙の発言内容と現状を分析した雪菜は、原因に当たりをつけた。そうでるならば、早急に事を納めないとまずいことになる。

 強制的に叩き起こされた眷獣は、怒りのままに破壊を振りまこうとしているのだ。ただ魔力を放出するだけで、フェリーの船体が軋みを上げている。本格的に権能を行使すれば、なにはおきるか予想もつかない。付近で戦闘を行っている、ロプロスとポセイドン、そして賢者(ワイズマン)に襲い掛かりでもしたら。たかが大型フェリーなど、一瞬で海の藻屑だろう。海底の地殻に影響を及ぼし、大規模な地殻変動から津波を引き起こす危険性すらある。

 

「先輩、目を覚ましてください! ……ごめんなさい」

 

 意識を失っている古城に、雪菜の声は届かない。僅かな逡巡の後、雪菜は〝雪霞狼(せっかろう)〟の刃を古城目掛け突き出した。物理的な反発力すら生み出すほどの魔力が渦巻いているが、輝く武神具の刃はまるで霧をかき分けるようにその脅威を消失させる。

 人間では近づくことすら難しい魔力の奔流が、一瞬途切れる。その隙を逃さず、雪菜は古城の懐へ飛び込んだ。あおむけに横たわる古城を押し倒すように馬乗りになると、即座に唇を重ねる。古城の口へ流し込んだのは、自らの口内を噛み千切って含んでおいた血液だ。

 吸血衝動は、吸血鬼にとって非常に原始的な衝動の1つである。たとえ気絶していても、血の香りで反射的に牙が伸びるほどに。かつて氷のドームに閉じ込められたとき、ラ・フォリアに宣言されたときのことを雪菜は思い出していた。曰く、体は正直なのだと。無意識下でも血の欲求が活性化すれば、古城の意識が覚醒する可能性は十分にある。ほかに手段はあるのかもしれないが、今の雪菜にはこの方法しか思いつかなかった。

 

「先輩、目が覚めて……っ⁉」

 

 変化は劇的なものだった。自らを抱きしめる古城の腕に雪菜は意識を取り戻したのかと喜ぶが、その荒々しい抱擁に一瞬呼吸が止まった。話すために離された唇は、後頭部を抑えられたことで乱暴に重ね合わされる。吸血衝動に支配された古城は、雪菜の血を一滴残らず味わおうと彼女の口内すらも蹂躙した。

 結果として呼吸すら困難なキスをされた雪菜の全身から、力が抜けていく。そんな雪菜の様子を好機ととらえたのか、古城は彼女の首筋に顔をうずめた。

 

「あっ……」

 

 思わずといった様子で、雪菜の口から吐息が漏れる。古城の牙が、仰け反ったことで露わとなった白い肌に押し当てられたのだ。痛みと恐怖を、雪菜は古城を強く抱きしめることでごまかした。数度の経験があるとはいえ、そう慣れるものではない。彼女が持つ知識の中には、吸血衝動により愛する者を失血死させた吸血鬼という事例が存在するのだから。

 しかし、雪菜のためらいは一瞬だった。後押しするように古城の顔を首筋に押し当て、耳元で恐怖を押し殺しながらも囁く。

 

「先輩、大丈夫ですから……早く……」

 

 その声を聴いたためか、古城の動きからためらいが消えた。一息に牙が肌に食い込み、きつく目を閉じていた雪菜の口からは吐息が漏れる。

 

「あの馬鹿ども、ここが戦場だとわかっているのか?」

「もう少し、時間を稼ぐ必要があるな」

 

 その光景を、余すところなく2人の攻魔官に知覚されていたという事実は、当事者2人からすれば、知らないほうが幸せだろう。




 本文でワイズマンがいいように踊らされていますが、これは彼を貶めるつもりではなく、あくまでも状況が悪かった結果です。
 片方の作品を不当に低く描写する意図はありませんので、ご了承ください。

 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 種族・分類

 双角の深緋 アルナスル・ミニウム
 第四真祖がその身に宿す12の眷獣の内9番目の眷獣。
 振動による破壊を司るため、その影響範囲は眷獣の中でも群を抜いて広い。
 また、範囲や威力の調整により、他の眷獣では難しい被害を抑えながらの防衛が比較的簡易という使いやすい眷獣である。

 賢者 ワイズマン
 かつて、古の錬金術師たちによって創り出された完全な〝人間〟。
 単一存在での生存が可能であるがゆえに、他者を必要とせず、自身以外はすべて下等な存在であり自らのための資源という非常に危険な思想の持ち主。
 膨大な魔力を元とした大規模魔術も行使可能であり、完全という名に相応しいスペックを誇るのだが、上記の危険思考がすべてを台無しにしている。

 バビル2世 用語集

 種族・分類

 ポセイドン
 バビル2世のしもべが1体。
 海中を魚雷よりも素早く移動し、戦艦を超える火力を誇り、要塞を上回る堅牢さで身を固める一種の理不尽的存在。
 無論個々のスペックを凌駕、もしくはメタ能力を備えた存在は多いのだが、これら全ての要素を高い領域で併せ持つという事実が最大の脅威。
 バビル2世と敵対する者は、まずこのしもべをいかにして無力化するかを考えなければならない。


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16話 癒しの水妖

 執筆から1年が経過しました。
 ここまで続けられたのは、読者の皆様のおかげです。
 これからも、よろしくお願いいたします。


 古城は、断続的に鳴り響く戦闘音で目を覚ました。自らの体を希釈し、文字通り全身で船を庇ったところからの記憶はない。

 ふと視線を下ろすと、頬を上気させた雪菜がぐったりと腕の中に倒れ込んでいる現状が確認できた。

 

「姫柊⁉」

 

 いったい何があったというのか。狼狽しながら、古城は雪菜をゆっくりと床に横たえた。記憶がないとはいえ、口の中に残る血液の味と彼女の首筋に残る吸血痕から何が起こったのかは明白だ。なによりも、魔力を暴走させたという事実は体感でうっすらと把握しており、自らの中に新たな眷獣を感じ取れているという事実がなによりの証拠となっている。

 

「よかった、です……いつのも先輩に、戻ってくれて……」

 

 古城を見上げながら、弱々しく微笑む雪菜の姿に古城の罪悪感が膨れ上がる。

 

「……悪い。また姫柊に世話をかけたみたいだ」

「大丈夫ですよ。今回は、先輩のいやらしい部分に助けられましたから」

 

 普段であれば全力で否定したであろう雪菜の言葉に、古城は一切の反論ができなかった。何しろ記憶がないのだ。暴走状態で吸血をして、なにか本当に問題行為をしてしまった可能性は否定できない。

 

「そうだ、叶瀬にニーナは⁉」

「私はここ、でした」

 

 周囲を見渡す古城の背後から、控えめな声が聞こえてきた。振り返った古城の目に、何故か正座している夏音の姿が映る。おずおずと手を上げる彼女の頬は、抱える〝錬核(ハードコア)〟と見分けがつかないほど真っ赤に染まっている。

 

夏音(カノ)ちゃん……⁉」

「叶瀬⁉ ま、まさか……見て……」

 

 恥ずかしそうに目を伏せるその態度が、なによりも雄弁な答えだった。

 

「あの、凄かったです。雪菜さんも、凄く大人でした」

「ち、違うの 夏音 ちゃん! あれは……」

「大丈夫、でした。誰にも言いません」

「だから違うの!」

 

 雪菜の必死の弁解も、夏音は照れ隠しだと判断してしまっている。

 

「って、今それどころじゃないだろ! 姫柊、賢者(ワイズマン)はどうしてる?」

「は、はい。バビル2世が、しもべと共に対応中でした。でも、決定打に欠けています。周辺被害を無視すれば、何とかなるのかもしれませんが……」

「手早く済ませるに越したことはなさそうだな。フェリーの船体も、そろそろ限界だろ」

 

 古城の視界内だけでも、フェリーの船体は傷だらけだった。金属が不気味にきしむ音が断続的に続いているのは、賢者(ワイズマン)とバビル2世一行の戦闘余波だろう。余波と言っても、このまま続けばフェリーは文字通り海の藻屑と化すに違いない。

 

「姫柊、叶瀬を頼む」

 

 古城は復活したばかりだとは思えないしっかりとした足取りで、甲板を歩き始めた。新たに掌握した眷獣が古城に膨大な魔力を与え、結果として傷の直りが早まったのだ。

 

「お兄さん……」

 

 不安そうな夏音へ、古城は優しく微笑んだ。

 

「安心しろ叶瀬。おまえとニーナの悪夢は、俺が終わりにしてやる。

 ここから先は、第四真祖(オレ)戦争(ケンカ)だ!」

 

 そんな古城の横へ、寄り添うように雪菜が進み出た。

 

「いいえ、先輩。わたしたちの(・・・・・・)、です」

 

 槍を構えた雪菜の視線の先には、満身創痍の天塚が立っていた。瞳は憎悪に染まっており、もはや執念のみで動いている状態なのだろう。

 賢者(ワイズマン)が放った重金属粒子砲が空を貫き、余波でフェリーが大きく揺れる。この揺れこそが、新しい局面の合図となった。

 

 

 

 バビル2世は、徐々に巨大化する賢者(ワイズマン)を相手に攻めあぐねていた。賢者(ワイズマン)の肉体を構成する〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟は万能ではあるが、その本質はあくまでも液体金属に過ぎない。金属、いや、物質である以上融点と沸点が存在し、バビル2世が生み出す火炎もポセイドンが放つ光線も、〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟の沸点をゆうに超えている。にもかかわらず、何故バビル2世はここまで手こずっているのか。それは、彼らの放つ熱エネルギーがあまりにも強大という単純な理由からだ。

 

「ポセイドン、もう少し狙いを上にしろ。おまえの光線が海面に当たったらことだぞ」

 

 バビル2世もポセイドンも、数千度をゆうに超える熱エネルギーを生み出している。それだけの熱量が海面に触れた場合、凄まじい水蒸気爆発が発生することになる。そうなれば、未だ付近に漂っているフェリーは沈没を免れ得ない。それを理解しているからこそ、賢者(ワイズマン)はできる限りフェリーから離れようとしないのだ。

 さらに、賢者(ワイズマン)が操る多量の魔術も問題の1つだった。バビル2世は魔術に対して防衛手段がほとんどないため、万が一錬金術が直撃でもしようものならば即死しかねない。結果として、非常に消極的な消耗戦を行っているのが現状だ。そして海中から継続して〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟を補給できる賢者(ワイズマン)にとって、消耗戦は相手が勝手に消耗していくだけなのだ。これほど楽な戦いもない。

 

『カッカカカ! 勇んで我にたてついた愚か者が、報いを受けよ!』

 

 嘲笑と共に重金属粒子砲が放たれる。バビル2世は余裕をもってポセイドンに防がせようとするが、それよりも早く出現した雷光の獅子が粒子砲を叩き落した。その光景を見たバビル2世は、満足げに笑みを浮かべる。

 

「遅かったな、第四真祖」

「待たせちまったな、バビル2世」

 

 紫電を纏いながら、古城がバビル2世の横へと進み出た。新たな眷獣を支配下に置き、古城が内包する魔力量は一段と多くなっている。

 並び立つ男たちを見た賢者(ワイズマン)は、実に面白そうに笑った。

 

『カカカカカ! 我にたてつく愚か者が、まさか並んで姿を見せるとはな。好都合とはこのことか』

 

 賢者(ワイズマン)からすれば、古城もバビル2世も、自らに逆らう下等な存在でしかない。完全であれと生み出されたが故に、自らよりも強い存在を想定できず、警戒を抱くこともできないのだ。一方的に攻撃されているのも、いいように翻弄されているのも、自分が本気を出せばすべては覆ると本気で信じている。いや、賢者(ワイズマン)からすれば、それこそが真実なのだ。

 

「おい金ぴか、おまえには同情してやるよ。完全として生み出されて、学ぶ機会も無いままに血を抜かれて封印されちまったんだからな。勘違いするのも無理ねーや。普通ならもっと早く気がつくことを、数百年も気づかずに過ごしちまうなんてな」

 

 古城の挑発とも取れる言動に、賢者(ワイズマン)は動きを止めた。ただ頭部に生み出された巨大な眼球が、古城へと視線を向ける。

 

『カ……カ……理解(わか)らぬ。不完全なものの不完全な理屈を、我は理解できぬ。我は賢者(ワイズマン)、我は完全であるがゆえに』

「簡単な話だよ。お前は完全からは程遠いし、全知全能でもないってことだ。

 口からビームを吐いて、不滅の肉体を増強して、お前に何ができた? 誰がお前という存在を認めてくれた?

 自分以外を否定して、その力を自分のためだけに使っているから、お前は封印されたんだろうが! そんなこともわからない存在の、どこが完全だっていうんだよ!」

『カカ……理解(わか)らぬ。理解(わか)る必要も認めぬ。我以外、すべてが不完全であるがゆえに。我が判断こそが完全である!』

 

 賢者(ワイズマン)は、古城の言葉を振り払うように首を振り、腕を振るう。その姿は賢者などではなく、まるで駄々をこねる無知な幼子のようだ。その動きも、控えていたポセイドンによって押さえつけられる。

 

「そうかよ。だったら、お前が世界の中心じゃないってことを力づくで教えてやる!」

 

 激情と共に古城の瞳が深紅に染まり黄金の巨人を正面から睨みつけた。その魔力は物理的な衝撃を生み出し、海をうねらせフェリーを揺さぶる。

 揺れる船上で、雪菜と天塚は睨み合っていた。声にならない叫びと共に放たれる無数の触手を、雪菜は冷静に見極め槍を振るう。美しい軌跡を描いた〝雪霞狼(せっかろう)〟の刃は、亜音速で振るわれた液体金属の触手を纏めて切り落とした。魔力すら断たれた触手は、無数の金属片となって甲板上に散らばる。

 既に数度繰り返された一方的な戦闘は、圧倒的有利な雪菜の心を苦しめていた。

 

「利用されていただけだと知って、何故戦いを続けようとするんですか?」

 

 悲壮な雪菜の問いに、虚ろな表情を浮かべた天塚……いや、天塚汞と名乗っていた金属生命体は、破壊された触手を無理やり再生させる。

 

「悪いんだけど、ほかに何をすればいいのか、わからなくてね。

 怖いんだ。僕が僕でなくなっていく……僕は誰なんだ? 何のために生まれて、なにをすればいい!」

 

 彼の襟元から見える光景に、雪菜は悲しみを深める。天塚の胸に埋め込まれた黒い宝玉は、崩壊寸前にまで傷ついてたのだ。天塚のわずかな身じろぎで、少しづつ破片が零れ落ち亀裂が広がっていく。

 

「生まれも育ちもわかっている、人間の君たちにはわからないだろう! 今の僕の苦しみを!」

 

 天塚は叫びながら、両手を無数の鞭へと変えて周囲をめちゃくちゃに薙ぎ払った。だが、そのような苦し紛れな攻撃で対処できるほど、獅子王機関の剣巫はやわな相手ではない。鞭の間をかいくぐりながら、雪菜は声を張り上げる。

 

「天塚汞! 私は自分の親に捨てられ、獅子王機関で孤児の仲間たちと共に育ちました!

 それでも、自分がなぜ生まれ、なにをすればいいのか考え続けています! きっと、それが人間(ヒト)として生きるということだから!」

「……っ!」

 

 天塚の連撃が一瞬止まる。その隙を逃さずに、雪菜の唇から澄んだ祝詞が紡がれる。

 

「――獅子の神子たる高神の剣巫が願い奉る」

 

 雪菜の体内で練り上げられた呪力を、〝雪霞狼(せっかろう)〟が増幅し、穂先から放たれた神格振動波駆動術式(DOE)の輝きが天塚の肉体をゆっくりと崩壊させていく。

 

「そうか……僕は……」

 

 自らの肉体を崩す純白の光を浴びながら、天塚はどこか満足そうだった。彼は、賢者(ワイズマン)のために働く必要などなかったのだ。人間でありたいと願った瞬間から、彼は人間だったのだから。それに気がついていられれば、大勢の人間を傷つけ、犠牲にすることなどなかっただろう。

 

「破魔の曙光、雪霞の神狼、鋼の神威をもちて我に悪神百鬼を討たせ給え……!」

 

 天塚が放った最後の攻撃をすり抜け、雪菜の槍が彼の核を貫いた。崩壊寸前だった宝玉は、その一撃で完全に砕け散る。

 

「奇術師に、転向か……案外悪く……なかった……か……も……」

 

 形を失う瞬間、天塚が最後につぶやいた言葉の意味を雪菜は理解できなかった。完全に崩れ去った天塚だったものへ、雪菜は静かに黙祷を捧げる。

 僅かな沈黙の後、雪菜は視線を海へと向けた。

 

「先輩……」

 

 第四真祖とバビル2世。彼らと賢者(ワイズマン)との戦いは、今だ終わっていないのだから。

 

 

 

 古城とバビル2世は、賢者(ワイズマン)に対して優勢に事を進めていた。最も危険な重金属粒子砲は雷光の獅子が常に出現し続けることで無効化し、ポセイドンがその腕力でフェリーから徐々に賢者(ワイズマン)を引き離す。そしてロプロスとバビル2世は継続して攻撃を続け、賢者(ワイズマン)に大規模な魔術を発動する隙を与えない。

 しかし、決定打が足りない。このまま時間をかければ、巨大化した賢者(ワイズマン)が逆転の一手を打つ可能性は十分にあるのだ。

 

『カ……カカ……何故抵抗する、不完全な存在(モノ)どもよ……何故完全なる我の一部となることを拒む?』

 

 それを理解している賢者(ワイズマン)は余裕をもって古城たちに問いを投げた。今この瞬間も、賢者(ワイズマン)は海水に錬金を続け、力を増していく。黄金の巨人はこうして自らの力を増しつつ、いずれ世界の全てを取り込むのだろう。フェリーに固執するのは強い霊力を持つ人間を供物として欲すると同時に、離れすぎればどのような攻撃をされるのかと警戒しているのだ。

 事情があるとはいえ、第四真祖の眷獣とバビル2世のしもべを相手に劣勢ながらも戦いを続けている賢者(ワイズマン)は、神と呼ぶにふさわしい実力を有しているといえるだろう。

 そんな存在を前にしながら、古城もバビル2世も戦意を欠片も衰えさせない。

 

「さっきから言ってるだろうが。お前は完全なんかじゃないってな。

 お前の言うとおり、俺は不完全なんだろうよ。だったら、その俺にも勝てないお前は、不完全以下だな!」

「お前が完全かどうかなんて話に興味はない。1つの意思の元すべてが決定されるという世界を、僕は認めるわけにはいかないというだけだ。

 その意思がお前程度というのならば余計にな」

 

 2人のわかりやすい挑発を受け、賢者(ワイズマン)は一瞬言葉に詰まった。ひょっとすると、傷ついたのかもしれない。

 

『あり得ぬ……そのような矛盾は我にあってはならぬ……不完全なものに、蔑まれることも!』

 

 わかりやすいほどの怒気が込められた方向を受けてなお、2人は余裕を崩さない。

 

「そうやって、てめぇに都合の悪いものを排除して守った完全さに、何の価値があるんだ?」

「他者を否定しなければ守れない時点で完全でもなんでもない。そんなこともわからないとは賢者の名が泣くぞ」

『……緘黙せよ! 完全なる我の命に従い、緘黙せよ!』

 

 安っぽいプライドを正面から切り捨てられ、いよいよ口調からも余裕がなくなった賢者(ワイズマン)。見苦しくわめく金の巨人へ憐みの目を向けながら、古城は左腕を突き出した。傷も痛みもなく噴出した鮮血が、膨大な魔力に変換されて周囲の空間を満たす。

 

「〝焔光の夜伯(カレイドブラッド)〟の血脈を継ぎし者、暁古城が汝の枷を解き放つ――!」

 

 魔力が変換された閃光の中から、水流のように透きとおった体を持つ新たな眷獣が出現した。美しい女性の上半身に、巨大な蛇の下半身。流れるような髪もまたすべてが蛇。

 青白く発光する水の精霊(ウンディーネ)――水妖だ。

 

疾く在れ(きやがれ)、十一番目の眷獣〝水妖の白鋼(サダルメリク・アルバス)〟――!」

「ポセイドン!」

 

 眷獣が行動する前に、バビル2世が反応した。主の命を受けたポセイドンがその剛腕で賢者(ワイズマン)を容赦なく投げ飛ばす。

 宙を舞う賢者(ワイズマン)目掛けて、水妖の巨大な蛇身が爆発的な加速をもって襲い掛かった。鋭い鉤爪を備えた腕で賢者(ワイズマン)の頭部を鷲掴むと、周囲の海に異変が起こる。海水が、眷獣に吸い寄せられるようにして空中で水球を創り出したのだ。

 第四真祖がその身に宿す十一番目の眷獣は水の眷獣。引き寄せられた莫大な海水はすべてが彼女の肉体であり、変幻自在の賢者(ワイズマン)であろうとも、空中の水牢から逃れるすべはない。そして、第四真真祖の眷獣が、ただ水と同化し操るなどといったおとなしい能力であるはずがないのだ。

 

『カカ、消える……完全な我が肉体が、我が消えていく! 馬鹿な、馬鹿な!』

 

 水牢の中で、黄金の巨人が溶けだしている。苦悶の動きと共に賢者(ワイズマン)はもがくが、無情にも水牢は形を崩しもしない。

 強酸に沈められた金属片にも似た光景だが、古城の眷獣は賢者(ワイズマン)を破壊しているわけではなかった。実態は、その逆なのだ。錬金術によって〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟と化した貴金属が、元の姿となって母なる海へと還りつつあるのだ。この光景を見た雪菜は、直感的に新たな眷獣の能力を感じ取った。

 

「これは、再生……⁉ 吸血鬼の超回復を象徴する癒しの……。

 だけど、これは……」

 

 〝水妖の白鋼(サダルメリク・アルバス)〟は、再生と回復の眷獣だ。あらゆる存在を癒し、本来あるべき姿に戻していく。

 しかし、癒しの力を観測してしまった雪菜は背筋を凍らせた。癒しと言っても、水妖は傷を癒しているのではない。時間を巻き戻すように、出現する以前へとその姿を還しているのだ。癒しという言葉からは程遠い、すべてを無に帰す破壊の力。この美しき水妖も、災厄の化身たる第四真祖の眷獣なのだ。

 

『カ……カカ……理解、した。この、力は……イ……と……。

 だが……らぬ……バビル……その力……一体……』

 

 髑髏だけとなった賢者(ワイズマン)は、最後の言葉と共に水へと溶け込んでいく。海水だけになった水牢は海中に沈み、錬金術師が造り上げた人工の神がいた痕跡は、なに1つとして残らなかった。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 種族・分類

 水妖の白鋼 サダルメリク・アルバス
 第四真祖がその身に宿す12の眷獣の内11番目の眷獣。
 美しい水妖の姿をしており、能力も癒しと一見第四真祖の眷獣らしくない存在に見える。
 その実態は、破壊的なまでの癒しの力で対象を原初にまで巻き戻し、消滅させることすら可能な恐るべき眷獣。

 神格振動波駆動術式 しんかくしんどうはくどうじゅつしき
 別名DOEとも呼ばれる、神の波動を人工的に再現したといわれる技術。
 〝雪霞狼〟が持つ破魔の力の源であり、獅子王機関が世界で唯一実用化に成功した秘匿技術。
 術式そのものに相性があるらしく、雪菜はその適性が非常に高い。


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17話 嵐の後の小休止

 自らの眷獣が生み出した水球が完全に海面下に消えたことを確認し、古城はその場に崩れ落ちた。眷属の制御に神経をすり減らし、魔力を大量に失った虚脱感に耐えきれなかったのだ。

 

「よくやった、第四真祖」

 

 そんな古城を馬鹿にすることなく、バビル2世は素直な賞賛を口にした。彼からすれば、周囲にほとんど被害を出さずに賢者(ワイズマン)を始末するという、自分にはできなかったことを成し遂げた古城を褒めない理由がないのだ。

 その言葉を聞いて満足そうな笑みを浮かべた古城だったが、直後上半身を起こそうとして失敗した。

 

「そうだ、姫柊! 天塚はどうなった⁉」

 

 どことなく間抜けな格好で、必死に呼びかける古城。小走りで駆け寄ってきていた雪菜は、その様子に頬笑みを浮かべながら返事をした。

 

「私は無事ですよ、先輩。それよりも、先輩のほうこそ大丈夫なんですか?」

 

 雪菜からすれば、肉体がバラバラになったうえ部分的に金属化していた古城のほうが心配なのは当然のことだろう。

 

「ああ、俺は大丈夫だ。でも、ちょっと疲れた……」

 

 雪菜の無事な姿を見て安心した古城は、力が抜けたのか仰向けにへたり込んだ。

 

「せ、先輩⁉」

「大丈夫だよ。ちょっと寝不足の疲れが来ただけだ」

 

 慌てる雪菜に、古城は欠伸を噛み殺しながら気の抜けた返事をする。その様子から大事ないと判断した雪菜は、古城の傍にしゃがみこんだ。

 

「姫柊、怪我は大丈夫か? その、俺が無意識にさ……」

「大丈夫です。もう傷も塞がりましたから」

 

 はい、と言いながら髪をかき上げ首を見せる雪菜の仕草に、古城は不覚にも目を奪われた。

 

「そ、そういえばどうするんだろうなこのありさま。流石に誤魔化し効かないだろ」

「そうですね。賢者(ワイズマン)のことを公表するわけにはいかないでしょうし」

 

 ごまかすように声を上げた古城の疑問に、雪菜は生真面目に考える。誤魔化しが効き安堵の息を吐く古城の頭上から、咄嗟にでっち上げた疑問の答えが降ってきた。

 

「それなら、こちらで何とかする算段が付いている。天塚が本土に渡るためこの船を襲撃し、居合わせた攻魔官がそれを妨害。絃神島から派遣された我々が到着し、やつの切り札である巨大人工生命体(ホムンクルス)ごと始末をつけたという筋書きだ。すでに攻魔官同士の連絡は終わっているから、お前たちが心配するような事態にはらんよ」

「2人には守秘義務が課せられるから、当然ながら事件の内容については他言無用だ。

 話した場合、懲役刑が課せられるからそのつもりでいるように」

 

 空間転移で現れた那月が簡潔にカバーストーリーを説明し、それに次いでバビル2世が警告を送る。冗談では済まされない内容に、古城と雪菜はそろって頷き了解の意を返した。

 

「うっかり言わないとは思うけど、気を付けないとな。

 そういえば、ニーナはどうしたんだ? 大丈夫だとは思うけど、全然見当たらないぞ?」

 

 古城の疑問に、雪菜は表情を暗くした。古城は賢者(ワイズマン)の攻撃で金属と化していたために、ニーナが全身を構成する〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟の主導権を奪われたことを知らないのだ。彼女の意識を司る〝錬核(ハードコア)〟は残されているものの、媒介となる〝霊血〟が無ければ彼女は行動するどころか意志の伝達すらできない。しかし賢者(ワイズマン)の肉体を構成していた〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟は、全てが海水へと還元され消滅しているのだ。

 古城がこのことを知れば、自分のせいでニーナは肉体を失ったと考えるだろう。もちろん古城に責任などないが、彼の性格上自分を責めることはほぼ間違いない。黙っていてもいずれは発覚する問題である以上、どうすればショックを与えずに済むのかと悩む雪菜の背後から、意外な声が聞こえてきた。

 

「ここだ。大義であったな、古城。よく我が悪夢を消し去ってくれた。雪菜も、天塚に引導を渡してくれたようだな」

 

 驚いて振り向いた雪菜の目に、ニーナを抱えた夏音の姿が映った。機嫌良さそうにニコニコと笑う夏音の胸元に、人形のような小さな影が乗っている。

 

「2人とも、心からの礼を言わせてくれ。おかげでようやく270年の重荷から解放されたわ」

 

 そう言って胸を張るニーナは、身長僅か30センチほどに縮んでいた。オリエンタルな見た目も相まって、まるで妖精のようでもある。

 

「に、ニーナ? お前、その恰好……」

「ああ、気にするな。残された〝霊血〟の総量で人型を保つには、このサイズが限界でな。まあ形状ならばある程度融通はきくから、日常生活にそこまでの不都合はない」

 

 胸に埋め込まれた〝錬核(ハードコア)〟を撫でながら、ニーナは事も無げに笑った。いくら不定形の金属生命体とはいえ、流石に大雑把が過ぎるのではないかと呆れる古城の横で、雪菜は動揺を隠せない。

 

「ニーナさん、いったいどこから〝賢者の霊血(ワイズマンズ・ブラッド)〟を? 賢者(ワイズマン)を構成していた分は、全て海水に還ったはず……」

「ああ、それならばこの海域に飛び散った分をかき集めたのよ。かの水妖が呼び出される前に、戦闘でかなりの量が周囲に撒き散らされていたからな」

 

 あっさりと〝霊血〟の出所が判明し、雪菜はがっくりとうなだれた。少し前まで抱えていた、心労はいったいなんだったというのか。

 落ち込む雪菜を横目に、会話は続いていく。

 

「で、叶瀬はニーナと暮らすつもりなのか?」

「はい。南宮先生が一緒に暮らしてもいいと言ってくれれば、ですが」

 

 そう言いながら、夏音は視線を那月へと向けた。様子を窺うように上目遣いとなり、ただじっと那月を見つめている。

 訴えかけるような視線に根負けしたのか、那月は扇子を振って視線を切った。

 

「ええいそんな目をするな!

 まったく、居候の身で贅沢を言うようになったな叶瀬。うちで飼うのは構わんが、きちんと面倒を見るんだぞ」

「おい空隙の魔女、妾をまるでペットのように表現するのはやめんか」

 

 ニーナが那月の発言に突っ込むが、彼女を抱える夏音は目を細めて嬉しそうに微笑んでいる。小動物の世話が趣味である彼女にとって、古の大錬金術師であろうとも小さくなった以上は趣味の対象なのだろう。ある意味大物である。

 

「南宮攻魔官、そろそろ」

「ああ、もうそんな時間か。

 おいそこの暁古城。おまえが見られると面倒な相手が近づいてきているから、一足先に乗っていろ。なあに、悪いようにはされないだろうさ」

 

 バビル2世に何かを知らされた那月は古城へ一方的に言葉を投げつけ、古城は突然地面に現れた魔方陣に呑まれるようにして消失した。

 

「南宮先生! 何を」

「あーっ! 雪菜ちゃんに夏音ちゃん、やっと見つけた!」

「な、凪沙ちゃん⁉」

 

 雪菜の抗議を遮り、凪沙の声が甲板上に響く。驚いた雪菜が周囲を見渡すと、声の主は船内入り口から顔をのぞかせていた。

 古城の眷獣を呼び覚ましたときの異常な雰囲気は感じ取れない。挙動からも不審な点は見受けられないことから、憑依状態のころの記憶は残っていないのだろう。

 獅子王機関の剣巫として、また第四真祖の監視役として、凪沙に憑依していた存在の正体は気にかかる。古城が支配下に置いておらず、恐らくは眠っていたであろう眷獣に働きかけ、暴走状態とはいえ覚醒させた存在なのだ。どのような危険性をはらんでいるのか全くの未知数であり、本来であれば何らかの手段をもって古城から凪沙を引き離すことが正しいのだろう。

 だが、現在凪沙が憑依状態に陥ったことを知っているのは雪菜だけであるうえ、雪菜は憑依していた存在の正体を調べる手段を持たない。そして雪菜自身としても、仲のいい友人である凪沙を不確定な予想を元に家族から引き離すことはしたくなかった。

 今後の監視体制に凪沙を組み入れることを心に決め、雪菜は走り寄ってくる凪沙を安心させるために笑みを浮かべた。

 

「雪菜ちゃん大丈夫⁉ なんか錬金術師がこの船を乗っ取ろうとしたみたいで、雪菜ちゃんがいないって笹崎先生すごく心配してたんだよ? ひょっとして、その錬金術師に見つかってここまで逃げてきてたの? それとも、捕まったところを南宮先生とそこの攻魔師の人に助けてもらったの? そもそも、集合時間が近いっていうのに何で船の中をうろつこうと思ったの? 委員長、雪菜ちゃんが不良になっちゃったかもってすごく心配してたんだからね?」

「な、凪沙ちゃん? わかったから少し落ち着いて……」

 

 まずは、この騒々しき賢妹を落ち着かせて言葉の濁流を止めなければならない。雪菜がどう返事をするか悩んでいると、意外なものが凪沙の気を逸らせてくれた。

 

「あっ、見て雪菜ちゃん。飛行船だよ! すごいおっきい!」

「飛行船?」

 

 凪沙の視線を辿って雪菜が空を見上げると、雲の間から巨大な装甲飛行船がゆっくりと降下してくるところだった。どうやらアルディギア王国の聖環騎士団が、救助に来てくれたらしい。

 飛行船が巻き起こす風に髪を遊ばせる凪沙を見ながら、雪菜はひとまずの安息を覚えてゆっくりと息を吐いた。

 

 

 

 眼前の景色が突然切り替わったと同時に背中に強い衝撃を受け、古城は思わず呻き声をあげた。

 

『大丈夫ですか、古城?』

 

 聞き覚えのある声に顔を上げれば、モニター越しに氷河の目と視線が合った。

 

「ラ・フォリア⁉ え、どういうことだ?」

『落ち着いてください古城。空隙の魔女の空間転移で、あなたはここに飛ばされたんです』

 

 ラ・フォリアの状況説明を受けて、混乱している古城はよくわからない結論を導き出してしまった。

 

「え、じゃあここアルディギア王国なのか⁉ いやでも、空間転移は制限があるって言ってたし。あ、あれは移動距離分だけ体力が必要ってだけだから、吸血鬼の俺なら問題ないのか?」

 

 百面相で思考を垂れ流す古城をラ・フォリアは面白そうに眺めているが、流石に話が進まないと判断したようで笑いながらも状況の説明を開始した。

 

『落ち着いてください古城。たしかにあなたがアルディギアに来てくれればうれしいのですが、第四真祖が手続きなしに国を出入りすることは国際的に難しいです。

 ここは装甲飛行船〝ベズヴィルド〟の艦橋(ブリッジ)です。丁度、背後の窓からフェリーが見えますよ』

 

 ラ・フォリアの言葉で冷静を取り戻した古城が周囲を見渡すと、見覚えのある顔が真剣な表情で計器を見つめていた。背後の窓を覗き込めば、たしかに眼下には見覚えのある船が浮かんでいる。吸血鬼の視力により、甲板上に見知った顔がいることまで確認できた。

 

「こんな近くまで飛行船を飛ばしてくれたのか。ありがとな、ラ・フォリア。

 本当だったら、モニター越しじゃなくて直接礼を言いたかったけど」

「あら、ならたっぷりと礼を言ってくれて構いませんわよ?」

 

 モニターが持ち上げられ、その陰から悪戯っぽい笑みを浮かべたラ・フォリアが姿を現した。予想外の出来事に、古城は啞然としている。

 

「どうしましたか古城。困りましたわね、もっと喜んでくれるのかと思っていたのですが」

「喜ぶ前に驚くわ! あのモニターなんだったんだよいらないじゃねーか!」

 

 喉から通信機を取り外しながら微笑むラ・フォリアに、古城は全力でツッコみを入れた。その言動に、ラ・フォリアはくすくすと可笑しそうに笑う。

 

「ここまで大きな反応を返してもらえると、準備したかいがあったというものです。人が隠れるのにちょうどいいサイズのモニターを探してくれたユスティナも、十分報われるでしょう」

「おい、騎士って結構重要な地位だったよな。そんな雑務に引っ張り出していいのかよ」

 

 古城は横目でユスティナ嬢を見るが、疲れた様子はなくむしろ誇らしげに胸を張っている。悪戯好きの王女に、また口八丁で騙されたのだろう。本人のモチベーションに繋がっているのであれば無理に追及することでもないと、古城は気持ちを切り替える。

 

「この飛行船でここまで来て大丈夫だったのか? ほら、領空とかさ」

「それならば心配ありません。私が〝魔族特区〟の後に日本へ表意訪問に向かう途中、偶然船の救難信号を捉えて人道的視点から救助に当たるだけですので。むしろ、日本政府からは感謝をされるでしょうね」

「そういう筋書きになるってわけか。まあ、変に問題が起きなければそのほうがいいだろうしな」

 

 疑問が解決した古城へ、ラ・フォリアはゆっくりと近づきしなだれかかった。

 

「古城、実は伝えなければならないことがあります。聞いてくださいますか?」

「ら、ラ・フォリア? 聞くから、少し離れてくれないか?」

 

 女性特有の柔らかさが服越しに古城を襲い、動けなくなったことをいいことにラ・フォリアはさらに両肩に手を置く。

 

「あなたに貸与した試作型航空機〝フロッティ〟の件です」

「あ、あのミサイルか。なにか、不具合でも見つかったのか?」

「いえ。あの試作機につぎ込まれた金額が、800億を超えていたということをお伝えしておこうかと思っただけですわ。ああ、ドルではなく日本円なので心配しないでください」

 

 さらりと告げられた現実に、古城の動きが完全に制止する。以前にも、古城は眷獣の暴走により億単位の被害を出したことがある。そのときは公的には古城の仕業だと判明しなかったことに加え、襲撃された際の正当防衛と言えなくもないという状況下だったために獅子王機関から目こぼしを受けていた。しかし、今回はそもそもの所有者から直接貸し出されているのだ。言い訳は一切効かない。

 彫像のようになってしまった古城を見て、ラ・フォリアは笑みを深くした。

 

「別に費用の請求をするなどという器の小さいことをするつもりはありません。あれは試作機であり、必要なデータ等は既に取り終わっていましたから。

 そこまで怯えられてしまうと、わたくしとしても罪悪感が沸いてしまいます」

「脅かさないでくれよ。年不相応な借金を背負い込む羽目になったかと思って、本気で焦ったぞ」

 

 言葉とは裏腹に、王女は非常に楽しそうだ。そんなラ・フォリアに対し、古城は心労を隠しきれなかった。やはり、この人は苦手だ。

 

「そもそも、家族の救出を依頼したのはわたくしです。にもかかわらず、使い捨てが前提の道具を壊されたからと言って責任を追及するなどという、恥知らずな真似はできませんわ。

 古城、わたくしの家族を救っていただき、感謝しています」

 

 ラ・フォリアが深々と頭を下げる。

 

「やめてくれ。俺は自分が助けたいから叶瀬を助けたんだ。それに言っただろ? 力を貸してもらうのは俺の方だって」

 

 古城の言葉にラ・フォリアは顔を上げる。そこに浮かんだ満面の笑みは、世間で女神の再来と呼ばれている王女に相応しいものだった。

 

「それでは、これ以上の礼はかえって失礼に当たりますね。

 古城。もしもアルディギアに来る機会があれば、その時は歓待を約束しますわ。それならば、互いの貸し借りは無しとできますでしょう?」

「そうか。じゃあ、楽しみにしておくよ」

 

 王女の提案に、古城は苦笑で返した。立場からして、最も穏便な歓待でもかなりのものになるのだろうと予想しながら、古城は視線を眼下の海へと向ける。

 視界いっぱいに広がる海面は、激闘など感じさせることなく陽光を浴びて静かに輝いていた。

 

 

 

 救出作業が進むフェリーの上で、バビル2世は通信機を起動していた。あくまでも一介の攻魔官であるとされている彼が関与できる作業は既に終了しているが故の行為であり、特に咎める者もいない。

 

「ああ、ひとまず事態は収まった。今日の日が落ちるまでには絃神島に戻れそうだ」

『それはなによりです。しもべは?』

「目撃されないよう、魔術迷彩を起動して絃神島に向かわせているよ。

 しもべの戦闘許可は助かった。おかげで賢者(ワイズマン)相手にかなり楽な立ち回りができた。さすがに能力だけだと、もう少し苦戦しただろう」

 

 バビル2世からの手放しの礼に、通話相手である矢瀬は気恥ずかしそうに笑う。

 

『そう言ってもらえると、こっちとしては頑張ったかいがありましたよ。モグワイもまんざらじゃないでしょうし』

 

 通話に参加していない人工知能も引き合いに出されたが、どうせ通信記録越しに聞いているに決まっているのだ。遠回しにはなるが、礼を言っておいて損はないだろう。

 

「こういった目立たない協力を軽視する者は多い。重要性を理解し、的確に活動してくれている協力者を持てて僕は幸運だな」

『なら、伊賀野さんの意思が繋いだ縁ですね。今度彼の墓参りでもしてあげてください。場所は教えますから』

「そうだな。直接墓前で礼と近況報告でもするよ。

 そろそろ撤収時間だ。また今度、絃神島で」

『はい。心配ないでしょうが、お気をつけて』

 

 通信を終えると、ちょうど那月が空間転移でバビル2世の前に現れた。様子はうかがっていたのか、通信機を見て面白くなさそうに目を細める。

 

「また例の〝協力者〟か?

 現場の私たちよりもそいつとの通話を優先するとは、ずいぶんと思い入れがあるようだな」

「今回しもべを自由に動かせたのは、彼らのおかげなんですよ。礼儀は欠かすと後々苦労しますからね」

「ふん、まあいいさ。撤収するよう連絡が来た。跳ぶぞ」

「わかりました」

 

 バビル2世は慣れた様子で那月の隣に立ち、一息おいて2人の姿は消失した。付近の海域に停泊する、沿岸警備隊(コースト・ガード)の司令船に移ったのだ。

 2人が立っていた場所を、ただ海風が静かに通り過ぎていった。




 次回更新ですが、プロットが存在しないためかなり先になる予定です。
 11月中には更新できると思いますので、気長にお待ちいただければ幸いです。


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焔光の夜伯編・その裏で
1話 傍迷惑な失踪


 投稿が遅れてしまい、申し訳ありません。
 年末ということもあり、今後も安定するまでは最低でも月一の更新となりますのでご了承ください。
 またバビル2世が古城の過去に関わっていないため、今章と次章はオリジナルの展開が多くなります。


 その知らせがバビル2世の耳に入ったのは賢者(ワイズマン)騒動がひと段落し、当事者である学生の間にも落ち着きが戻ったころだった。

 

「ヴァトラーの魔力が消失した?」

『はい。数日前にやつの本拠地であるオシアナス・グレイヴから絃神島内へ移動したと思うと、移動先でぱったりと。

 公社の人員を動かして捜索はしているんですが、とっかかりも見つからない状態でして』

 

 困り果てた矢瀬の口調に、バビル2世の眉を顰めた。

 

「何者かに暗殺された……とは考えにくいな。やつは旧き世代の吸血鬼だ。不意打ちで心臓をえぐれば致命傷に近いだろうが、まず即死はしないだろう。その間に眷獣で反撃するに決まっている」

『そういった戦闘の痕跡も残っていません。本人の意思で死ぬならまだありえますが、第四真祖という極上の興味対象がいる状態で死のうなどと考えるとは思えない』

「それは僕も同感だ。やつが簡単に死を選ぶような性格ならば、もう少し楽なんだが。

 まあいい、こちらでも調べてみよう。最後にアルデアル公の魔力反応が感知されたのは?」

『ちょっと待ってください……ありました。最後の記録は絃神島27号廃棄区画内です』

 

 矢瀬の報告に、バビル2世は口元を歪める。

 

「〝抹消地区〟か。ヴァトラーめ、面倒なところに……」

『どうしますか? こちらの人員を送り込むこともできますが』

「いや、今日の午後にでも僕が動こう。直接見たほうが恐らく早い」

 

 丁度午後は予定が空いていたため、バビル2世は自分で行動することにした。あのヴァトラーが行方不明になった場所だ。何があるのかわからない以上、下手な人員を送り込んでは無駄死にとなりかねない。動かすことができる最強の駒である自分自身を選ぶことは、道理にかなっている。

 

『……わかりました。念のため遠距離からサポート可能な人員を何人か着けます。単独行動は流石に危険すぎますからね』

「助かる。補助があるとないとでは負担が大幅に違う。

 出発時刻は13時半とする。特に連絡などは送らないから、こちらの行動に合わせるよう伝えてくれ」

『了解です。

 何があるかわからない場所ですので、言うまでもないでしょうがお気をつけて』

 

 矢瀬の心配そうな声音を最後に、通信は切られた。バビル2世は姿勢を変えずに通信機をいじり、新しい相手と通信を始める。

 

「こんにちは、南宮攻魔官。知らせたいことがあります」

『その呼び方は面倒事か。

 まったく。賢者(ワイズマン)騒動からまだ1月も経たない間に新しい問題とは、お前も中々トラブルに愛されているな』

 

 通信相手である南宮那月は喉の奥でからかうように笑うが、続く報告でその声を消す。

 

「トラブルが飛び込んで来るんですよ。

 それはさておき、その面倒事の内容です。アルデアル公ディミトリエ・ヴァトラーが失踪した区画の調査依頼です」

『……その情報は私の方でも掴んでいる。そんな不確定な情報を元に公社は切り札を切ったのか?

 ずいぶんと軽率な動きだ。私が知る公社とはまるで違う。おおかた、お前が勝手に動くのだろう?』

 

 言外にお見通しだぞと含ませながら、那月は笑みを溢していた。

 

『おまえのことだから、すでに動く算段はつけているのだろう? そうでなければ、定期連絡以外で仕事用の端末に連絡を寄越すとは思えない。

 大方、動いている間学園が手薄にならない用途の心遣いだろうがな。まったく、律儀なものだよおまえも』

「さすがにばれますか。付き合いが長いとこういう時に話が早くて助かります。

 今日午後の時間を使って、抹消地区へ向かいます。その間一般の通信でのやり取りは難しいでしょうから、何かあれば衛星通信の端末を使ってください。

 大丈夫だとは思いますが、学校はよろしくお願いします。何かがあった場合すぐには連絡が取れないうえ、そう簡単に帰ることができる距離でもないので」

『こちらは任せろ。そうそうおくれをとるつもりはないし、万一何かが来たとしてもお前が来るまでは持ちこたえてみせるさ。』

「感謝します、南宮攻魔官。礼はまた後ほど」

『期待して待つとしよう。せいぜい私を喜ばせるんだな』

 

 バビル2世の要請に、那月は2つ返事で応えた。互いに軽口を交え、通信が切られる。

 

「ロデム、適当に目立たない服を頼む。いつ向かいどれほどここを空けるか、盗み見している連中に教えることもないだろう」

 

 そう言いつつ鏡へ向かうバビル2世の顔は、すでにどこにでもいるようなくたびれた中年の顔になっていた。服は波打ち、あっという間に着古されたありふれた服一式へと姿を変える。

 

「よし、こんなものか」

 

 変装と変身の二段構えで正体を隠したバビル2世は、扉に手をかけ音を立てずに通り抜けた。用務員室は学校でも人気のない場所に作られており、人の目に触れず校外へ出ることは容易だ。

 監視の目からも人の目からも完全に逃れたバビル2世は、一路貸出船が停泊する区域へと歩き出した。

 

 

 

 道中で矢瀬が手配した支援要員と合流したバビル2世は、彼らが用意した公社の許可証を利用し船上の人となっていた。

 海上で一度船を停泊させ、盗聴の危険が無いことを確認し今回の段取りが話し合われる。

 

「では、貴方1人で抹消地区へと向かうと? そんなことをされれば、我々の立場がありません」

「だが、真祖に近い吸血鬼を下した存在が潜む場所だ。君たちでははっきり言って無駄死にする危険が大きいし、定期報告に僕の周囲の警戒とやってもらうことは多い。決して蔑ろにするわけでも、ただ船で待ってもらうわけでもない」

 

 行動指針に難色を示す支援要員だが、これは仕方の無いことだ。彼らは矢瀬が用意しただけあり、相応の経験と腕をもっている。吸血鬼の真祖が支配する夜の帝国(ドミニオン)が相手ならばいざ知らず、たかが絃神島抹消地区への潜入から外されるとは思ってもみなかったのだ。

 とはいえバビル2世の主張にも納得できる部分があるため、結果として必要以上に反発することなく指針を受け入れた。感情のまま反対を続けるほど、彼らは子供ではないのだ。

 

「では、上陸しよう。きちんと距離をとり、異変があればすぐさま全体へ連絡をするように」

 

 バビル2世の最終確認に全員が無言で頷き、一行はついに抹消地区へと足を踏み入れた。人目につく前にすぐさま散開し、数秒後には変装したバビル2世が1人無防備に散策しているように見える状態となる。

 軽く周囲を見渡し、ひとまず敵意を持つ存在がいないことを確認して歩き出したバビル2世に声がかけられた。

 

「そこの若いの、この先に行くのはやめておけ」

 

 声の元へと視線を向ければ、小柄な老人が廃墟の陰から姿を現すところだった。見た限りでは抹消地区のどこにでもいる、ただの老人に過ぎない。つまり、老体でありながらこの無法地帯で生き抜くことができる存在だ。飄々とした態度も、実力に裏打ちされた余裕から来るものとみて間違いない。

 

「なんだ、別に護衛は必要ないぞ」

「いや、べつにセールストークをしに来たわけではない。もちろん親切心でもないがな。

 少し前に余所者が地区中心の酒場で問題を起こしたせいで、この地区全体がピリピリしているんだ。もちろん余所者のあんたが歓迎されるわけはない。それでこの地区の馬鹿が余計なことをして、本島の関心を買えば面倒なことになるからな。儂はそれを防ぎたいのよ。

 繰り返すが若いの、しばらくこの地区に入るのはやめといたほうがいい。面倒事に巻き込まれたくはないだろう?」

「すまないが、こちらとしても入る必要があるんだ。できる限り騒ぎは起こさないようにするから」

 

 この抹消地区に住んでいる人間は、そのほとんどが真っ当に生活できない社会不適合者か脛に傷を持つ裏社会に属するものだ。

 バビル2世からすれば自分の目的を曲げてまで配慮する必要性を感じない相手ではあるのだが、打算有りとはいえ警告をしてきた善良性に対してできる限り穏便に済ませると約束し歩を進める。

 

「そうか、なら仕方がない。

 儂の生活費になってもらおう」

 

 完全に背を向けたバビル2世へ向けて、老人の腕が伸ばされた。何の変哲もなかった腕は即座に赤く発光し、周囲に熱を撒き散らし始める。後数秒もしないうちに、老人が編み上げた魔術は火炎の銛を放ちバビル2世を襲うだろう。

 老人にとっては残念なことに、その数秒後が訪れることはないが。

 

「それだけの威力の魔術を行使したんだ、殺意ありとして対応させてもらう」

 

 宣言と共に放たれたバビル2世の後ろ回し蹴りが、老人の腕を一瞬で蹴り砕いた。鉄をも簡単に溶かす熱を操ることができるバビル2世にとって、発動前の魔術が放つ程度の熱など障害にもならない。平然と立つバビル2世とは対照的に、腕を折られた老人は激痛のあまり悲鳴すら上げられずに腕を抱えて蹲る。

 

「見逃す理由はないし、攻撃されたという言い訳も立つ。運が悪かったな」

「ま、待ってく……」

 

 脂汗を流して苦しむ老人の頭を鷲掴みにすると、バビル2世の頭髪が赤く輝き始めた。瞳にも同様の変化が生じ、高まる圧力に老人は叫ぶが即座におとなしくなる。

 魂が抜けたような表情の老人へ、バビル2世は淡々と言葉をかける。

 

「さて、さきほど言っていた余所者の特徴は? なるほど、ではそいつは正確にはいつこの地区を訪れた? 面倒だな。ならば騒ぎがあった酒場はどこだ?」

 

 答えを聞かず次々と質問をぶつけるバビル2世。意味のない行動にも見えるが、バビル2世は質問の答えをすべて手に入れていた。バビル2世が持つ能力の1つ、読心術だ。倫理的に敵視されるうえ強い精神力を持つ相手には効果が薄いため使用を控えることが多いのだが、今は他人の目が無いに等しことに加えて相手は負傷で弱った老人だ。

 敵とみなした相手に手加減や遠慮をするバビル2世ではない。質問をすることで情報を得やすくしながら徹底的に記憶を読み取り、自分が公社や協力者から得た情報が正しいか否かを裏付けしていく。

 

「ヴァトラーが数日前に抹消地区へ来ていたことに間違いは無いか。多少衣装を変えた程度でばれないとでも思っていたのか? いや、単に普段のスーツが汚れて側近から苦言を受けたくないだけか」

 

 老人の記憶に、抹消地区の奥へと進む優男の姿があった。後姿ではあるが、さんざん迷惑を被る原因となった男を見間違えるはずがない。世界有数の戦闘狂(バトルジャンキー)にしてアルデアル公国の君主、ディミトリエ・ヴァトラーだ。

 普段の白いコートではなく黒革のライダースジャケットを着ているが、その気品から街の雰囲気と全く馴染んでいない。事実老人の記憶の中では異物を排除しようと試みる無法者にヴァトラーが包囲され、間一髪危険性に感づいた無法者たちが引いたために全員見逃される光景があった。

 

「向かった先にあるのは……随分と目立つ酒場だな」

 

 老人の記憶から必要な情報をすべて読み取ったバビル2世は、最後に老人から自分に関する記憶の全てを抹消する。そして出てきた廃墟内部へ老人を放り込み、記憶から読み取った酒場へと向かった。

 

 

 老人の記憶に従い目的地へとたどり着いたバビル2世の眼前には、酒場ではなく建築現場が広がっていた。この抹消地区にある建物は元々廃墟であり、それらが利用されている以上建物が崩落してその復旧をしていることは何の不思議もない。

 だが、復旧をする者のほとんどがギガスと呼ばれる希少な巨人種であるのならば話は別だ。彼らは非常に荒っぽい性格をしており、集団で建物を破壊するのならばまだしもその逆をする光景などまず見られるものではない。

 非常に珍しい光景だが、のんびりと観察をし続ける時間は無い。ギガスたちもバビル2世に気がついたようであり、恐らく代表であろう全員に指示を出していたギガスがバビル2世へと歩み寄った。

 

「何の用だったのかは知らないが、ずいぶんと間が悪いな。見ての通り店は休業中だ。酒にしろ取引にしろ、別の酒場をあてにするんだな」

 

 服装からしてバーテンダーらしいギガスが、吐き捨てるように言い放つ。随分と機嫌が悪そうだが、酒場の関係者だとすれば店がこの惨状なのだから仕方が無いと言えるだろう。

 

「いや、目的は酒でも取引でもない。先日この男が店に来たと思うが」

 

 バビル2世が懐から取り出したのは、聞き込み用に持ってきたヴァトラーの顔写真だ。紙の上に印刷された優男の顔を見たギガスは、露骨に顔を顰める。

 

「お前、あの男と何の関係だ」

 

 怒気すら吹き出すバーテンダーの様子に、他のギガスもバビル2世に気がついたようだ。このまま襲われるかと警戒するバビル2世だったが、意外なことにギガスたちはバビル2世を半包囲するだけで一切の攻撃をしてこない。

 

「なるほど、お前たちはヴァトラーに手ひどくやられたのか。

 そんなことはどうでもいい。この男はここで一体何をしていた。それさえわかれば僕はおとなしくこの場から去るし、ある程度の対価も払う。もちろん、偽りや誤魔化しに容赦はしないが」

 

 バビル2世の提案に、ギガスたちがざわめく。彼らからすれば、情報は力づくで奪い取り聞き出すものだ。ただ聞き出すだけでは嘘か誠かわからないうえ、万が一悪意を持った罠だった場合取り返しがつかないからだ。

 戦闘経験が少ないギガスはヴァトラーから受けた鬱憤を晴らすために、嘘八百にどんな対価をつけるかと皮算用を始める。だが数人のギガスたちが、下品た表情を浮かべたギガスたちを手で制した。従軍経験を持つ、一帯のギガスによるコミュニティの顔役たちだ。

 命のやりとりをした経験を持つ彼らは、バビル2世の赤く輝く瞳を見た瞬間に強烈な恐怖を感じ取ったのだ。虚偽を述べようものならば、この男を下に見て不当な利益を奪おうとするならば、実行犯だけではなく止めなかった周囲のギガスにも危険が及びかねないと。

 

「バーテン、話してやれ。酒場の建て直しで金は要るだろう」

 

 顔役たちから店主には酒場の復興資金を得るため、周囲のギガスにはコミュニティの交流場のためという手を出さない理由を提示され、バビル2世を警戒していたギガスたちはは黙って酒場の建て直し作業を再開した。その様子を見た顔役たちは、僅かに安堵の息を吐く。だが、バーテンダーは彼らの予想とは真逆の行動をとった。

 

「何も知らねえな。よそを当たれ」

 

 その場の全ギガスが硬直し、次いで顔役たちが掴みかからんばかりの勢いでバーテンダーへ詰め寄った。

 

「おい、何考えてやがる。俺たちにあんなふざけた真似した戦闘狂の話だぞ!」

「ただ話すだけで金も入るし意趣返しにもなる。言わない理由は無いだろうが!」

 

 顔役たちの凄みにも、バーテンダーは考えを変えない。

 

「俺には俺の理由がある。何も知らないお前たちは引っ込んでろ!」

 

 今にも殴り合いが始まりそうな剣呑な雰囲気が高まるが、側で見ていたバビル2世にとっては何の関係もなかった。

 

「すまないが、お前たちの水掛け論を待つ余裕はない」

 

 怪訝そうにバビル2世を見る顔役たちとバーテンは、視界に赤い光が映り込んだとたんに意識を失う。周囲で作業をしていたギガスたちは、バビル2世へ視線を向けてすらいないにもかかわらず地面へと倒れ込んだ。

 

「さて、ヴァトラーがここに来た理由は何だ。お前は何を隠している?」

 

 数分後、荒れた酒場をおとなしく再建するギガスたちの姿がそこにはあった。戦闘の跡はどこにもなく。ギガスたちにも不審な様子はない。

 記憶に1時間ほどの空白があることに、彼らが気がつくことはなかった。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 ディミトリエ・ヴァトラー
 第一真祖に連なる吸血鬼であり、アルデアル公国の君主。
 自らの気分次第で奔放な行動を繰り返すため、側近たちは常にその動向を警戒しフォローできるよう備えている。
 戦闘狂ではあるのだが考えなしの猪武者ではなく、目を付けた相手が十分成長するまで待つなどある程度理性が効く。

 南宮那月 みなみや-なつき
 欧州では名の通った攻魔官であり、空隙の魔女の二つ名を持つ女傑。
 外見からは想像できないほど尊大な性格と傍若無人さで知られているのだが、外見に似合って非常にかわいいもの好きという一面を持つ。
 本人はこの一面を恥ずかしいと思っているようであり、例外の数名を除いて知ったものはあらゆる手段で追いつめ例外なく記憶を消されている。

 矢瀬基樹 やぜ-もとき
 暁古城の親友であり、後者に所属する第四真祖の真の監視役であり、バビル2世を支援する伊賀野の後継者と自らを呼称する存在の三足の草鞋を履く男。
 公社の重鎮の一族の出という立場を利用し、自らの行動に必要なものは多少の横紙破りを使っても手に入れている。
 最近の悩みは、仕事が膨大であるため彼女と私的な会話すらできない日々が続いていること。

 賢者 ワイズマン
 200以上昔、錬金術師たちによって生み出された完全な人間。
 液体金属の肉体に膨大な魔力を持ち、単体としては破格の能力を誇っていたが傲慢さ故に封印された。
 自らが生み出した人工生命体を利用し復活するが、肉体を原子単位で海に還元され消滅している。


 施設・組織

 絃神島 いとがみじま
 東京の南方海上330キロメートル付近に浮かぶ人工島であり、世界でも限られた魔族が正式に暮らすことができる魔族特区の1つ。
 通常建築技術だけではなく魔術も多用して作られたため、建築に失敗し破棄された区域が少なからず存在する。
 ここ数ヶ月急増している魔術テロや魔術事件に対する予算増大のため、財政が逼迫を始めている。

 オシアナス・グレイヴ
 正式名称オシアナス・グレイヴⅡ。
 黒死皇派のテロにより破壊された、オシアナス・グレイヴの同型艦。
 現在アルデアル公国の大使館としての機能を付与されており、内装もそれに従って相応のものになっている。
 元々がクルーズ船であるため、居住性が高くヴァトラーの部下たちも不自由はしていないようだ。

 公社 こうしゃ
 正式名称人工島管理公社。文字通り、人工島である絃神島を管理する行政と物流を管理する商社の両面を持つ。
 政治的に難しい立場にある絃神島を運用するため、後ろ暗い部分も多く公になれば国際的非難を受ける部門も少なからず存在する。
 非常に広い分野に関わっているため本社だけではそのすべてをカバーできず、民間の人材に短期雇用といった形で依頼を出すことが多い。

 夜の帝国 ドミニオン
 吸血鬼の真祖たちが統治する国であり、世界に3つ存在する。
 平和条約である聖域条約が結ばれるまで周辺諸国とは血で血を洗う争いを繰り返しており、そのため当該国とは未だ深い怨恨が残っている。
 加えて非常に豊かな地下資源が眠っていることでも知られており、その資源を狙った小競り合いも後を絶たない危険地域である。
 だが、内部は主に君主制が敷かれ選挙も行われているごく普通の国に過ぎない。

 抹消地区 まっしょうちく
 絃神島に散見される、その存在すらも公的に抹消された区域。
 抹消理由は様々であるが、そのすべてに違法な手段を常とする集団が住み着いている。
 地図にすらないこの地区を知る者は少ないが、ある程度島の暗部を知っている者からは必要悪として見逃されている状態。

 種族・分類

 ギガス
 世界的に見ても希少な魔族であり、例外なく先天的に非常に強力な精霊術師。
 生活様式はあまり発達していないものの、精霊術を利用した武器加工技術だけは他の追随を許さない。
 その技術力の高さは有名であり、アルディギア王国の切り札である擬似聖剣が参考にしたほど。

 眷獣 けんじゅう
 吸血鬼がその身に宿す異界からの召喚獣であり、吸血鬼を魔族の王たらしめる最大の要因。
 最弱の眷獣であっても最新鋭の戦闘機を凌駕する戦闘能力を有しており、対吸血鬼の戦闘はこの眷獣をどう処理して本体に攻撃を当てるかの一点が重要視される。
 吸血鬼以外でも条件次第では使役が可能であるようだが、召喚時に対価として膨大な生命エネルギーを要求するため、無限の負の命を持つ吸血鬼以外では数分持たずに干からびて死ぬこととなる。

 旧き世代 ふるきせだい
 吸血鬼の世代分けの1つであり、真祖に非常に近い区分である吸血鬼の総称。
 それ以下の吸血鬼とは保有する魔力も宿す眷獣も桁違いであり、単体で軍と戦うことすら可能な個体すら存在する。
 例外なく強力な個ではあるのだがそのぶん総数が少なく、一般人からすれば見かけることすら珍しい存在。

 バビル2世 用語集

 人物

 バビル2世
 バビル2世主人公。
 本編では成長として敵にもある程度の慈悲を与えてはいるが、原作では敵対者はたとえ雇われた普通の人間であろうともわりと容赦なく殺害する覚悟を持つ。
 ヨミの人心掌握術が並外れているため、見逃しても回復すれば再び襲ってくる可能性が高いため仕方のない戦法ではある。だがその一面である仲間想いを利用して、敵の戦闘機を盾にロプロスで接近するなどどっちが敵なのかわからないと言われることもしばしば。

 種族・分類

 ロデム
 バビル2世の三つのしもべ、その内の1体。
 普段はバビル2世の服に変化しており、生半可な攻撃ならば遮断する防護服として活用されている。
 主であるバビル2世とは精神的につながっており、精神波を通じて会話が可能。
 無音で指示を飛ばせるため、非常に柔軟な対応を可能とする。

 用語

 読心術
 バビル2世が使う異能の1つであり、あまりにも強力であるため当作品では意図的に弱体化されている。
 バビル2世原作では超能力意外抵抗することもできないうえ、目を合わせる必要もなく整備室の人員を瞬時に支配下に置くなど一切の遠慮なく使われていた。
 本編ではある程度の精神力の持ち主には通じないため使い勝手は落ちているものの、本文のように使われる側からすればほとんど対策が存在しない反則じみた能力となっている。


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2話 少女と青年の襲撃

 なかなか執筆ができず、お待たせしています。
 今年はこれが最後の投稿になる予定です。
 皆様よいお年をお迎えください。


 復興中の酒場を後にしたバビル2世は、ギガスたちの記憶から読み取った地点へと到着し周囲を探っていた。崩れかかったビルの屋上からは、海底に沈んだ廃墟群が一望できる。

 水中で静かに眠る街は〝人工島・旧南東地区(アイランド・オールドサウスイースト)〟と呼ばれている。存在すら知る者がほとんどいない、謎に包まれた遺跡だ。

 

「たしかにここだ。距離も風景も間違いはない。

 しかし、なぜこんな廃墟に?」

 

 バビル2世は海中の廃墟とそれを取り囲む崩れたビル群を見渡し、首をひねった。抹消地区とはいえ、ここよりも様々な意味で条件が良い場所はいくつかあるのだ。見渡す限り仮住まいにすら適さないような崩落した建物が広がり、補修をされたような痕跡すら見当たらない。

 ギガスから読み取った限りでは、謎の人物ならばより良い条件の場所を力づくで奪う方法をとることができたはずなのだ。この抹消地区は力が正義である無法地帯、悪条件に耐えるよりも、より良い場所を奪う方が理にかなっている。それをしなかったということは、それなりの理由があるはずなのだ。

 

「騒ぎを起こしたくなかったか、それともこの場所でなければならない理由があったか」

 

 予想を呟きながら、バビル2世は懐から小型の探査機を取り出した。周囲を警戒しつつアンテナを展開し、数分ほど周囲の環境をスキャンする。しかしこの廃墟群及び海中の街からは、眷獣が暴れた痕跡のような膨大な魔力の残滓は検出できなかった。検出されたのは、極めて平凡なスキャン結果だ。

 

「なるほどな。少々後片付けに頑張りすぎたか」

 

 バビル2世でなくとも、多少魔力の反応に詳しい者であれば簡単に気がつく違和感。そう、スキャン結果はあまりにも平凡過ぎたのだ。平凡な魔力スキャンの結果という題で、例として教科書に乗せられるほどになんの変哲もない結果。これは、魔族特区の一部である抹消地区としてはあり得ない結果だ。

 自然にこのような結果が生じることが考えにくい以上、可能性は1つしかない。何者かが痕跡を全て消し去るために、この廃墟群全域に工作を行ったのだろう。だが、そうなると1つ腑に落ちない点が浮かぶのだ。

 

「いくらなんでも結果がこれでは工作が雑すぎる。隠蔽に馴れていないのか、それともひとまず発覚しなければいい程度の考えなのか……」

 

 本来こういった工作は、発覚を遅らせるためにできる限り自然に見えるよう施されるものだ。しかし、この工作はそう言った心遣いが一切見られない。たしかに抹消地区全域を大雑把にスキャンするなどの方法であれば誤魔化すことができるだろうが、それでも区域に分けて調べられれば即座に発覚するだろう。

 

「まあここで考えても仕方が無い。いつヴァトラーを消した相手が出てくるかもわからない場所に、長居は禁物だ」

 

 自分一人ならばどうとでもなるだろうが、万が一周囲に散会している矢瀬の諜報員が謎の存在に襲われたのなら。どうなるかなど、考えるまでもないだろう。

 スキャン結果を補足するために周囲の地形を記録媒体に収めたバビル2世は、諜報員に抹消地区からの引き上げ指示を出した。現場でこれ以上推測を重ねても意味は無い。後は、分析結果を待つことになるだろう。

 謎めいた海中の街に背を向け、バビル2世は合流予定地点へと向かった。

 

 

 

 研究所が軒を連ねる絃神島北地区(アイランド・ノース)。その1つに、バビル2世の姿があった。矢瀬が用意したこの施設では現在抹消地区から持ち込まれたデータの分析が進められており、バビル2世は解析を待ちながら協力者からの連絡を待っているところなのだ。

 

「まったく、お前は面倒事を見つけずにはいられないのか?」

 

 ノックもせずに入室した那月が、開口一番に呆れ声で言い放った。同時に机の上へと投げ出された資料は、バビル2世がギガスから読み取った記憶にいた謎の存在に関する調査報告書だ。

 

「この短時間でここまで調べられるとは。さすがです」

「うるさい。調査結果を見ればお前も無駄口を叩けなくなる」

 

 珍しく疲れた様子を隠そうともしない那月に、バビル2世は眉を顰める。空隙の魔女は常に超然としており、たとえブラフという形でも自らの感情や状態を表に出すことをひどく嫌うのだ。

 僅かに悩んだバビル2世だったが、考えるよりも目の前の答えを見たほうが早いだろうと思い直し資料を念動力(テレキネシス)で纏めつつ手元に引き寄せた。能力の無駄使いを見た那月の呆れた視線を無視し、バビル2世は資料に目を通す。

 

「入島記録は当然無しか。絵だけでは魔力の波動も感知できない以上、やはり解析を待つか外見から絞り込むしか……うん?」

 

 ギガスの視線からの距離や背後の廃墟から算出された身長体重の予測数値を見たバビル2世は、その最後に書かれた一文に目を引かれた。

 外見及び予測骨格との合致性から、同一人物である可能性のデータ有り。

 

「なんだ、ある程度予測がついたんじゃないですか。その同一人物疑惑がある住人のデータはどこに?」

 

 不可思議なことに、予測とはいえ人物データが存在していることを示唆する一文で資料は最後の1枚だった。片手落ちの紙束を片手に、バビル2世は那月へ問いかける。

 途端に、那月は眉間に深く皺を寄せた。長い付き合いであるバビル2世もあまり見たことがない、非常に機嫌が悪いサインだ。

 

「残念ながら、私が調べることができたのはここまでだ。もう少し詳しく調べようとしたが、詳しい資料は公社からの依頼という形でMARが保有していてな。提供を打診したが返事すら無い」

「依頼されたMARが、依頼した公社に属する人間の要請を黙殺したと?」

 

 那月の無言の肯定に、バビル2世も眉間に皺を寄せることとなった。相手が交渉の土俵に上がりすらしない以上、謎の存在についての手がかりを引き出すことは不可能となった。資料の形式がどのようなものなのか定かではないが、まさか外部回線に接続可能な端末にデータを保存するなどという間抜けなことはしていないだろう。

 

「コンピューター、念のためMARのデータをすべて洗え。まあ、万が一ということもある」

 

 バビル2世は一応捜索指示を出したが、念のためにといった考えを隠そうともしない。指示が終わり何とも言えない空気が漂うが、その流れを切るように電子音が鳴り響いた。人工島・旧南東地区(アイランド・オールドサウスイースト)の魔力スキャン情報について、解析が終了した合図だ。

 

「早かったな。あと一時間ほどはかかると踏んでいたぞ」

「移動中に最低限の分析と情報整理を済ませていましたから。この解析機も、今だ一般には出回っていない代物です。相応の性能を発揮してくれました」

 

 バビル2世は解析結果を画面に表示し、情報を読み取りはじめた。はじめは冷静そのものだった表情が、目を動かすにつれ徐々に険しくなっていく。バビル2世の様子から情報に興味を惹かれた那月が画面をのぞき込む。ほどなくして、那月の目に剣呑な光が宿った。

 

「おいバビル2世、元のデータに間違いはないんだな」

「僕が直接出向いて、自分で整備した装置が拾ったデータです。帰還後のメンテナンスでも異常は発見できませんでした」

「では、この結果は間違いないものだということか。まったく、本当にお前は面倒ごとに好かれているな」

 

 バビル2世が手に入れた情報から、人工島・旧南東地区(アイランド・オールドサウスイースト)周辺は魔力が固定されていることが判明した。これだけならば、大掛かりな機械を使えば実行可能な隠蔽工作に過ぎない。

 問題は、その規模と強固さだ。本来魔力の固定はせいぜいが大型商業施設程度の面積を対象とすることが限界であり、周囲に強い魔力の波動が発生すれば乱れてしまう程度の安定性しか持たない。バビル2世がスキャンした範囲もそう広くなく、抹消地区の中心部からも離れていたため彼は大雑把な隠蔽だと判断した。

 だがロプロスのカメラアイから得られた情報とスキャン結果の詳細な分析の結果、その判断が大きな間違いであったことが判明した。ロプロスのカメラアイが捉えた魔力固定の範囲は、人工島・旧南東地区(アイランド・オールドサウスイースト)を取り囲む廃墟群を軽く覆いつくす範囲だった。同時にバビル2世が問題の地点に訪れる直前大規模な龍脈のうねりが発生したデータがあり、強固な対策が行われている絃神島の実験施設でも大きな影響が出たというのだ。

 にもかかわらず、スキャン結果にはそのような影響どころか僅かな魔力の乱れすら捉えられてはいなかった。これは、通常の魔力の固定ではありえないほどの頑強姓ということになる。それほどの影響を、しかも街1つを覆うほどの規模で行うことなど現在の魔導技術では不可能と断じていい。

 

「私と同程度の、魔力操作特化の魔女。あるいは……」

「真祖か、それに類するほどの眷獣の力でもない限りは実行不可能ですね。

 念のため聞きますが、最近真祖ないしそれに類する吸血鬼が入島したという情報は?」

「あったら大騒ぎだな。おそらく連日のニュースはそのこと以外報道しないだろう」

「ですよね」

 

 力を持つ吸血鬼が移動するということは、それだけの意味を持つのだ。最低でもヴァトラーに匹敵する吸血鬼が秘密裏に入島し潜伏しているという事実に、攻魔官2人は頭を悩ませる。

 そして悩む暇も与えないといわんばかりに、室内に警報が鳴り響いた。攻魔官が持ち歩く端末が、異常な魔力を検知したのだ。

 同時に端末を確認したバビル2世と那月は、思わずといった様子で顔を見合わせた。

 

「真祖級の眷獣反応ですか。まるでタイミングでも計ったみたいですね」

「くだらんことを言っている場合か。幸い発生地点はほど近い、跳ぶぞ」

「地点はここで。幸い覗き屋(ヘイルダム)が付近にいたみたいです」

 

 那月が差し出された端末画面を見ると、眷獣反応からほど近くに同種を表す青いマーカーが存在していた。

 

「仕事柄仕方が無いとは言え、あいつもなかなかどうしてトラブルの側にいることが多いな。

 何がいるのか見当がつかん、気を引き締めておけ」

 

 那月は最後の一言と同時に魔方陣を展開し、2人の攻魔官の姿は分析機が並ぶ室内から消失した。

 

 

 

 MARの敷地からほど近いビルの屋上で、矢瀬基樹は焦りを露わにしていた。凪沙が学校で倒れたために治療施設であるMARへ向かった古城についてきたはいいものの、何故か勃発した雪菜と浅葱の睨み合いから逃れた矢先謎の少女が眷獣を解放したのだ。相手は失踪直前のヴァトラーから指示を受けたというトビアス・ジャガンとキラ・レーデベデフ・ヴォルティズロワだ。

 謎の少女の接近を音響結界(サウンドエスケープ)によって補足していた彼にとって、ヴァトラーから古城の護衛を命じられた2人の吸血鬼が少女と交戦状態に突入することまでは想定内だった。しかし、その少女が召喚した眷獣の規模は、その想定をはるかに上回るものだったのだ。

 

「おいモグワイ、なんだよあれは! 報告には無かったぞ⁉」

『いやあ、正直俺も驚いているぜ。入島記録無し。魔力波形はデカすぎて測定不能。完璧な未登録魔族(アンノウン)だな』

 

 スマートフォンに向けて怒鳴る矢瀬に、スピーカーからやけに人間臭い合成音声がからかうような返事を返した。

 声の主はモグワイ。絃神島を掌握するスーパーコンピューターの化身である彼が本気で驚いているわけではないのだろうが、記録なしという部分は恐らく本当なのだろう。この状況下でモグワイが矢瀬をだます理由はなく、彼の人工知能は皮肉屋ではあるが無意味な混乱を引き起こすような性格はしていない。

 

「外見とか予測骨格から、類似の魔族を探せないのか?」

『それなら一件該当するぜ』

 

 モグワイの返事を予想していたため、矢瀬は大きな溜息を吐く。

 

「サンプル名はアヴローラ・フロレスティーナだろ?」

『ご名答。十二番目の焔光の夜伯(カレイドブラッド)だな』

 

 荒れ狂う感情を呑み込み、矢瀬は大きく息を吐いた。

 

「あり得ないな。理由はお前も知ってるだろう」

『だがなぁ、ニセモノにしては似すぎてると思わないか? ほれ、戦王領域の貴族サマをあっさりとぶちのめす実力もある。

 そもそ、ニセモノだとしてお前にできることはないだろう?』

 

 戦闘狂ディミトリエ・ヴァトラーの側近にして、旧き世代の吸血鬼。そんな肩書を持つ2人が、今まさに謎の少女に敗北を喫していた。

 矢瀬は第四真祖の監視役として公社から大きな権限を付与され、また過適応能力者(ハイパーアダプター)の力を操りモグワイからの支援を受けることができる。諜報役として非常に高い適性を持つ彼だが、それはあくまでも監視役としての実力に過ぎない。直接的な戦闘力という面では、今謎の少女に打ち倒された吸血鬼の足元にも及ばないのだ。

 

「けっきょく、助けが来るまで情報を集めることしかできないってことかよ。自分一人だけ安全な場所でな」

『残念だが、それも難しそうだぜ』

 

 モグワイの哀れむような口調に違和感を覚えた矢瀬だったが、それを問いただす前にその場から大きく飛び退いた。

 

「おや、声をかける前に気づかれるとは思いませんでしたよ」

 

 意外そうな声を漏らしたのは、眼鏡をかけ中華服を着た男だ。どことなく仙人のような雰囲気を思わせる男に対して、矢瀬は覚えがあった。

 

「お前、絃神冥駕!」

「お久しぶりですね、矢瀬の末端。気安くその名を呼んでほしくはないのですが、(しずか)の傍に控えていたあなたならば目溢ししてもいいでしょう」

 

 芝居がかった動きと共に、青年は服の下から2本の槍を取り出した。長さは各1メートル弱の金属槍は、そのすべてが光を吸い込む漆黒で統一されている。冥駕は流れるように短槍の石突を組み合わせ、1本の長槍を生み出した。穂先が両先端に存在する異形の槍を目にした矢瀬が、警戒をあらわにする。

 

「〝零式突撃降魔双槍(ファングツァーン)〟……」

 

 断片的ながら青年の武器の情報を知る矢瀬は、自らの能力を振るうことはしなかった。無為な行動に貴重なリソースを裂くほど酔狂な性格はしていない。最初に飛び退いた距離のおかげで、僅かとは言え矢瀬には余裕があるのだ。

 

「その様子では、この槍について少しは知っているのですね。ただの付き人かと思っていましたが、なかなかどうして」

「この情報収集能力に免じて、この場は互いに引くってわけにはいかないかい?」

「残念ですが、あなたの能力は私にとって少々厄介なんです。ここで退場してください矢瀬基樹。傍観者は1人だけでいい」

 

 酷薄な笑みと共に振り上げられた零式突撃降魔双槍(ファングツァーン)は、しかし振り下ろされることは無かった。冥駕の意思ではなく、不可視の力が槍を宙に固定しているのだ。

 

「たしかに、傍観者は1人だけでいいだろう。お前は傍観者ではなく当事者だからな」

「まさか公社の実働隊に直接接触するとは、探す手間が省けたぞ罪人が。愛しの監獄が恋しいだろう、お前の個室は未だ空いているから安心しろ」

 

 聞きなれた声に矢瀬が振り向くと、収縮する魔方陣の上に2人の人影が立っていた。

 髪と瞳を赤く染め、不可視の力で槍を止めるバビル2世。虚空に鎖の先端を浮かべ、不敵な笑みを浮かべる那月。矢瀬が考え付く中でも、最上の援軍が出現した瞬間だった。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 絃神冥駕 いとがみ-めいが
 監獄結界からの脱獄囚最後の1人であり、唯一戒めから完全に逃れた男。
 目的は不明ながらも、矢瀬の音響結界すら欺き至近距離に接近することができることから非常に高い実力を持つことだけは確か。
 獅子王機関とは浅からぬ因縁を持つようであるが、それがどのようなものなのかはいまだ闇の中。

 キラ・レーデベデフ・ヴォルティズロワ
 ディミトリエ・ヴァトラーの側近の1人であり、旧き世代の吸血鬼。
 ともすれば幼い外見からは想像できないほどに高い戦闘力を持ち、敵とみなせば戸惑いなく眷獣を解放する。
 ヴァトラーの行動に振り回される苦労人であり、主の興味を惹いた古城に敬意を持っている。

 トビアス・ジャガン
 ディミトリエ・ヴァトラーの側近であり、先述のキラと同じく旧き世代の吸血鬼。
 キラトは違いどこか刺々しい印象を抱かせる少年といった外見をしており、外見に相応しく少々粗暴な言動が目立つ。
 ヴァトラーの興味を惹く古城に対し敵意を隠さないが、キラ曰くただの嫉妬であろうようだ。

 モグワイ
 絃神島を統括する5機のスーパーコンピューターの化身であり、島の意識ともいえる高性能AI。
 AIとは思えないほどに人間臭く、皮肉気で人をからかうことが好きという非常に迷惑な性格をしてる。
 とはいえ彼なりにからかう範囲を明確に決めているらしく、知り合いの危機には取り乱すなど人でなしではない。

 施設・組織

 人工島・旧南東地区 アイランド・オールドサウスイースト
 抹消地区に存在する、水底に沈んだ遺跡群。
 区画そのものが水没するという非常に大規模な災害であるにもかかわらず、発生原因を知る者はほとんどいない異常な場所。
 由来を知る者たちからすればある種犯しがたい聖域に近いものであるらしく、部外者が足を踏み入れれば問答無用で攻撃されることもある危険地帯でもある。

 絃神島北地区 アイランド・ノース
 その名の通り絃神島北に存在する、研究機関や実験場が立ち並ぶ学術区域。
 機材を流通させるための専用の港が存在し、区域内で研究に必要なものはほぼすべてが揃えられる。
 性質上部外者が立ち入ることができる場所は非常に少なく、関係者以外ほとんど寄り付かない一般的には知名度が低い区域である。

 MAR
 正式名称マグナ・アタラクシア・リサーチ。
 国際的複合企業であり、絃神島に存在する支社も一部門の研究所に過ぎない。
 何故か人工島管理公社から大規模な事業委託を受けているが、その理由は不明であり両者の関係も謎に包まれている。

 種族・分類

 音響結界 サウンドエスケープ
 矢瀬が扱う一種の結界。
 十全に活用するためには個人が引き起こす音の特徴を記憶する必要があるのだが、領域内に何かが存在する程度であれば常に察知することが可能。
 この能力があるため、矢瀬がよほど何かに気を取られていない限り彼に忍び寄ることはほとんど不可能である。

 零式突撃降魔双槍 ファングツァーン
 絃神冥駕が振るう異形の槍であり、キーストーンゲートから強奪された廃棄兵器。
 獅子王機関とかかわりが深い武装であり、現に七式突撃降魔機槍と同じく神格振動波駆動術式が組み込まれている。
 その一点からして非常に貴重な武装でなのだが、封印理由や獅子王機関関連組織ではなくキーストーンゲートへの封印など謎が多い。

 覗き屋 ヘイルダム
 矢瀬が持つ人工島管理から与えられたコードネーム。
 彼が持つ能力を考えれば悪意が感じられる呼び名だが、矢瀬自身は結構気に入っているようで特に忌避感なく使用している。
 人工島管理公社の実働部隊内では通りがいいようで、この名を名乗ればある程度の指示は疑問なく実行されることが多い。

 バビル2世 用語集

 種族・分類

 ロプロス
 バビル2世の三つのしもべ、その内の1体。
 普段は魔術と科学の複合迷彩を纏って絃神島の上空に待機しており、主の指示があれば迅速に行動できるように備えている。
 目は高度な分析が可能なカメラアイとなっており、かつてのヨミの帝国との戦いでも情報分析において何度も使用された実績を持つ。

 用語

 念動力 テレキネシス
 バビル2世が持つ能力の1つであり、不可視の力場を生み出し物体に干渉する。
 非常に高い出力と精密なコントロールが両立されており、本文のように紙を折らずにまとめ上げることからビルを倒壊させることまで自由自在。
 欠点として中々の集中力を要求されることが挙げられ、人体を直接操ろうとすれば隠し持った武器で反撃される危険があるなどこれ1つですべての状況に対応できるというわけではない。


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3話 最後の脱獄囚

 非常に遅くなってしまいましたが、あけましておめでとうございます。

 忙しさとモチベーションの低下により執筆速度が大幅に低下しているのですが、最低でも月一の更新は維持したいと思っていますので今年もよろしくお願いします。


 矢瀬の背後に立つ2人を見た冥駕は、即座に仕込んであった大規模魔術を解き放った。今まで絃神島に潜入していた犯罪者たちが使用していた個人使用の破壊魔術とは比べものにならない、戦争で使用される敵部隊殲滅用の魔術だ。隠密や探知妨害をかなぐり捨てたそれは、即座に特区警備隊(アイランド・ガード)へ存在が露呈するリスクと引き替えに絶大な破壊を約束する。

 当然、冥駕は何の考えも無しにこのような暴挙に及んだわけではない。今彼が立つ場所からほど近い地点で、莫大な魔力が荒れ狂っているのだ。真祖の眷獣が撒き散らすそれと何ら遜色ない魔力が引き起こす破壊の嵐の傍では、いくら戦争に投入される大規模破壊魔術といえど山火事の傍に置かれた線香と何ら変わりはない。島の魔力監視網はのきなみ許容量を超え機能停止し、生きている装置はMAR敷地内の異常な魔力反応にその全リソースを裂かざるを得ない。通常ならばあり得ない、魔力探知の空白地帯が今この一帯には発生しているのだ。

 この状況で冥駕が選択したのは、魔術的起点から無数の光弾が周囲を蹂躙する術式だった。遠目で見れば花火にも似た術式は、その美しさとは裏腹に完全武装の魔族兵部隊ですら壊滅しかねない危険性を秘めている。

 魔術への耐久という面では驚くほどに脆弱なバビル2世は防衛を選択するほかなく、那月も自力回避ができない矢瀬を抱えて空間転移で効果範囲を離脱した。咄嗟の行動であったために那月は矢是の頭部を抱え込む形となった。これに焦ったのは助けられた矢瀬だ。

 

「な、那月ちゃん! 顔、あ、当たってるから!」

「何を気にしてるんだやかましい。お前の頭が私の胸に当たっても不都合があるわけではないだろう。別に減るものではないしな。

 それともなんだ、貴様まさかロリコンだったのか?」

 

 あまりにも雄々しい返答に呆気にとられた矢瀬だったが、続く疑念に思わず声を荒げた。

 

「ちょっとは気にしてください、人に見られたらこっちの世間体もあるんだから!

 それと俺は断じてロリコンじゃない! 年上の立派な恋人がいることくらい那月ちゃんも知ってるでしょ⁉」

「まあ、私は心が広いからな。お前が隠していた性癖についてとやかく言うことはしないさ。今の状況も、役得と思って堪能するといい。

 まあ、今のざまを知ったお前の彼女がどういった反応をするのかは、私の管轄外だがな」

 

 矢瀬必死の反論も、空間魔術を使い続ける那月に届いた様子がない。それどころか、那月は嗜虐的な笑みと共に矢瀬の頭を保持する腕に一層の力を込めた。

 

「とかいいつつ強く押しつけるのやめてください!

 てかこの件曲解して先輩に伝えるのやめてくださいねほんとに! マジで愛想尽かされかねないから!」

「そう言いつつも胸に頭を押しつける力がだんだんと強くなってきているぞ? やはり真の性癖を抑えきることはできそうにないか」

「空間転移を連続でやられてるせいで、自分の位置が不明瞭状態になってるんですよ! 何かにしがみつかないとどこかに吹き飛びそうな感覚には逆らえないって知ってるでしょう!」

 

 上記の漫才じみたやり取りの間にも、那月は自身と矢瀬を対象に細かな空間転移を繰り返していた。

 この手の魔術が広く知られるようになってから判明した事実として、連続して空間の歪みを潜り抜けた人間の脳は空間認識を一時的に失調するという現象が発生する。本来であれば空間転移という高等魔術によって生み出される空間の歪みに触れること自体珍しい現象であり、ましてやごく短時間にそれに連続して触れるなどまずありえないことだ。

 だが那月のような空間魔術を使用することができる限られた存在との共闘時、この珍しい現象はとたんに牙を剥く。

 

「まったく、所詮は脳が現状を認識できていないだけだとわかっているだろう。べつに手を離したところで魔術的にリンクしている以上おかしな方向に弾き飛ばされることなどないぞ。情けない男だ」

「だからわかってても実際に体感すればこうなるって実験結果出てたじゃないですか! 脳が錯覚してるんだからもう理解とか根性とかでどうにかなるものじゃないんですって!」

 

 そう言い合う間にも那月と矢瀬の肉体は空間のあちこちに出現しては消失をするという動きを繰り返しているそのため、冥駕には四方から声が聞こえる状況となっており計らずとも的を絞らせないという効果を生んでいた。

 一方バビル2世は、改良を重ねた十式保護術式展開具足(パリレンクライス)を頼みに自身に迫る光弾を片端から弾き落としていた。光弾単発の威力も密度も高い術式が相手では、いくらバビル2世であろうともうかつに接近できなくなっている。迎撃に集中するため念動力(テレキネシス)はすでに解けており、自由になった零式突撃降魔双槍(ファングツァーン)を油断なく構えながら冥駕は得意げに笑った。

 

「バビル2世、やはりあなたは魔術面において非常に脆弱であるようだ。能力を扱うために一定の集中が必要そうなようですし、能力行使に専念できないこの状況下ではあなたに勝ち目はありませんよ!」

 

 事実、バビル2世と那月は共に迎撃に専念しているため有効的な反撃を一切行うことができていない。隙を見て那月が散発的に放つ魔術攻撃も、魔力に対して絶対の防衛性を誇る零式突撃降魔双槍(ファングツァーン)の守りを突破できていないのだ。

 体力魔力共に有限である以上、このまま状況が推移しなければバビル2世と那月に矢瀬を含めた3人は遠からず敗北を喫することになるだろう。

 そう、このまま状況が推移しなければの話ではあるが。

 

「焦っているな、絃神冥駕。僕たちの襲撃がそんなにも予想外だったか?」

「何を言っているのです。強がりだとしてももう少し上手い言い方というものがあるでしょう」

 

 回避を続けるバビル2世が、不敵な笑みを浮かべた。当然優位性を持つ冥駕は嘲笑うが、その頬を僅かに伝う汗の一筋をバビル2世は見逃さなかった。

 

「強がりを言っているのだどっちだ。僕たちはこのまま数時間だろうとも粘り続けることができるが、お前の術式は後どれほど持つ?

 そもそも、今このすぐ近くで真祖級の眷獣が暴れているんだぞ。どんな圧力がかかるかは知らないが、あの異常事態が放置され続けると思っているのか。そう遠くないうちに、特区警備隊(アイランド・ガード)の最精鋭部隊が来る。

 さて、最精鋭部隊ともあろうものが、付近で発生する戦争用の殲滅術式を見逃すかな」

「私たちという予想外の増援が出たのだ、遅滞戦法を取りながら逃げればいいものをお前が動かないのは、この付近に何かしらの目的があるからだろう。緊急離脱をしようにも、私がいる以上空間転移の使用はできない。

 改めて聞くとするが、強がっているのはどっちだ?」

 

 そう、上記の勝敗予想はこのまま状況が推移しなければという絶対にありえない予想の元たてられた意味のないものなのだ。ここが無人の荒野であり、撤退が一切できない状況であるならば冥駕の勝利は揺るがなかっただろう。

 だが、実際には時間をかければかけるほど冥駕に対する攻め手は増えていく。彼の苛烈な攻勢も、それを理解しなんとしても時間的なが存在しているうちに撤退の糸口を見つけるためだったのだ。

 

「……まったく、凡百の相手ならば状況に呑まれ撤退してくれたでしょう。あくまでも冷静に状況を読み取ることができるとは、貴方がたを少々侮りすぎていたようですね」

 

 どこか諦めたような冥駕の独白に、バビル2世と那月は警戒を深めた。落ち着いた声音とは裏腹に、眼鏡の奥に隠された瞳はギラギラとした光を湛えているのだから当然だろう。そしてその警戒は、すぐさま正しかったと証明される。

 

「今投降すれば余計な怪我をすることはない、ただ監獄結界に送り返すだけで許してやってもいいぞ」

 

 那月の警告を、冥駕は鼻で笑うことで一蹴した。

 

「残念ながら、目的も果たさないままあの結界に再び収監されるわけにはいかないのですよ!」

 

 攻撃術式を維持しながらも、新たな術式を練り上げていた冥駕がついに術式の発動を成功させた。バビル2世も那月も、那月に抱えられたままの矢瀬もそれを察しながらも妨害する手段を持たなかった。そして得意げな表情と共に冥駕が戦局に決定的な影響を与える術式を解放しようとした瞬間、彼が立つ地面が黒く変色した。

 

「馬鹿め、余裕ぶるから足元を掬われるんだ」

「なっ!? これは……ろ、ロデム!」

 

 魔力で生み出されたの嵐が空間を蹂躙していても、地上付近は比較的光弾の密度が低かった。対人、もしくは対魔族用に組まれた術式である以上、人間の膝丈以下に攻撃を放つ必要性が薄かったのだ。それならば、少しでも生物の急所である頭部、もしくは人が容易に手出しできない上空方面への攻撃密度を上げることが優先された。

 結果として僅かな流れ弾が着弾する程度だった地表を、瓦礫に化けたロデムは悠々と進行しあっさりと冥駕の足下へ辿り着いたのだ。

 

「最弱のしもべ程度で、私を止められるとでも!?」

 

 冥駕は即座に零式突撃降魔双槍(ファングツァーン)を振るうが、この武神具は短槍を連結させた構造をしている。元々懐に飛び込まれれば有効な攻撃手段を持たない槍という武器を元としている上、ロデムはその特性上相手に密着する攻撃法を主としているのだ。

 結果として冥駕はロデムを引きはがすことができず、徐々にロデムの肉体へと引き込まれていく。混乱のためか魔力のコントロールを維持できておらず、殲滅術式の光球が消失した。

 

「お前のように、ロデムを軽視する相手は多かったさ。たしかにロプロスやポセイドンとは違い、ロデムに大規模な破壊を行う力はない。大勢の犯罪者が、ポセイドンとロプロスの対策にばかり気をまわしていたさ。

 そして、そのほとんどがロデムに捕縛されてきた。派手な破壊に目をくらまされて、最も防ぎにくいロデムへの対策を怠ってな。さあ、お前もその1人となれ」

 

 バビル2世が話している間にも、冥駕は黒の粘液へ飲み込まれ続けている。すでに顔と両腕以外覆い尽くされ、もう数秒で全身が飲み込まれる段階になってなぜかロデムが拘束を解いた。

 

「申し訳ございません、バビル2世様。あの者の悪あがきを止めることができませんでした」

 

 訝しむバビル2世がロデムの言葉を聞いて視線を動かすと、自由の身となった冥駕の全身からはうすぼんやりとした光が漏れていた。

 

「体内で魔力を解放した、だと? 正気か、貴様」

 

 那月が呻くように言葉を漏らした。

 不定形故物理魔力の両方に対して非常に高い耐性を持つロデムをして危機感を抱かせた光の正体は、半暴走する高密度の魔力だ。追い詰められた冥駕はあろうことか発動直前の魔術をキャンセルし、練り上げた魔力を体内に移し外部へ向けて放出したのだ。

 魔力は扱いによって波長こそ変わるものの、基本的には無害なエネルギーだ。しかし、ひとたび活性化すれば様々な影響を世界へ行使するための呼び水となる。今の冥駕が行ったのは体内の空洞部分に無害な発火性のガスを充満させ、起爆させることで纏わりついた虫を落とすがごとき所行なのだ。

 魔女という出自故に、魔力の扱いに精通する那月からすれば信じられない暴挙だ。たしかに、ロデムを振り落とすことには成功しただろう。あのまま冥駕の体に密着していれば、暴走した魔力によってロデムといえどもただではすまなかったはずだ。

 だが、その代償が大きすぎる。暴走した魔力に細やかな制御が聞くはずがなく、今冥駕の体内には無視できない損傷が広がっているはずだ。現に彼の体は、あちこちから白い煙が立ち上っている。

 そのような惨状を晒してなお、冥駕は両の足で立っていた。

 

「冥駕、何故立っていられる。お前の体内は、暴走した魔力でズタズタに引き裂かれているはずだぞ」

 

 バビル2世の疑問は当然のものだ。彼は、決して短くない闘争の経験から魔力暴走の危険性について熟知している。はっきり言って人の形を保っていることが奇跡である状況で、冥駕は不敵に笑って見せた。

 

「多少の傷なら無視できる体質でしてね。ここで捕まるよりも、無理をして逃げなければならないんですよ!」

 

 叫びながら、冥駕は閃光を生み出し解き放った。強い光を発生させる術式は、その単純さ故発動が非常に速い。冥駕の暴挙に動揺していた攻魔官たちにその発動を止めることはできず、数秒ではあるが大幅に視界を塞がれてしまった。

 この隙に乗じての攻撃程度ならば、対応できない2人ではない。だが、冥駕が打った一手は躊躇のない逃走だった。こちらに向かってくるのではなく全力で距離を取る行動に対応できる手段は少なく、そのどれもが視界を光で塗りつぶされた状況で打てるものではない。

 光で眩む視界でも、影が離れていく様子を窺うことができたバビル2世の判断は素早かった。

 

「ロプロス、上空から冥駕の追跡だ! 最悪の場合、襲撃も許可する!

 南宮攻魔官、方向からして冥駕は第四真祖がいる方面へ逃走しました。このまま追撃して、矢瀬の所属がばれると後々動きにくくなるでしょう。彼を安全地帯に運んできてくますか」

 

 2人で追えないことはないが、機動性に欠ける矢瀬をこの場に放置することになる。真祖級の眷獣にとって至近距離と呼べる場所に、直接戦闘力に欠ける人間を放置することはできない。自分の失態を挽回するために教え子の命を危険にさらす選択を取るほど、那月は冷酷ではないのだ。

 

「仕方あるまい。すでに私の魔力の捜査範囲からは逃げられている以上、今回は失態として受け入れるか」

「すいません、足引っ張りました」

「あれの襲撃を読めたものはいないからな、言うならばこの場全員の失態だ。あまり思い込むなよ」

 

 苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべ、那月は魔方陣を展開し消失した。一度空間跳躍をした場合、移動に干渉することは不可能といっていい。ひとまず協力者の安全を確保したバビル2世は、冥駕が向かった方向へと向きなおる。

 

「来い、ロデム。移動後は、お前の判断で行動することを許可する」

「かしこまりました、バビル2世様」

 

 跳びかかるようにして服と同化したロデムの様子を確認し、バビル2世は巨大な魔力が荒れ狂う中心点へと跳躍した。




 今回はほとんどオリジナル要素の解説となってしまいました。読み飛ばしても問題ありませんので、興味のある方だけお読みください。

 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 種族・分類

 空間認識失調現象 くうかんにんしきしっちょうげんしょう
 本作独自の設定。
 空間を歪めて瞬時に別地点へと移動する空間跳躍現象の影響を、術者以外が短時間に連続して受けると発生する脳の誤認。
 今現在自分が空間に対してどのような立ち位置なのかを一時的に認識できなくなり、ただ立つことすら困難になる。
 空間跳躍を扱う高位の魔術師や魔女には発生しない現象であるためことの重要性が認識されずらく、これが原因での部隊壊滅などの記録もある。

 大規模魔術 だいきぼまじゅつ
 今作独自の術式。
 主に戦争で投入される、多数の敵を一度に葬ることを目的とした殺戮魔術。
 今回冥駕が使った魔術は、個人が扱ったために威力も範囲も攻撃密度も大幅に低下した多数を相手にする広範囲魔術に成り下がっていた。
 とはいえ強力であることに間違いはなく、仮に特区警備隊の最精鋭が相手でも十分な損耗を与えられるだけの効果は期待できた代物。

 体内魔力解放 たいないまりょくかいほう
 今作独自の術式。
 魔術用に練り上げた魔力を体内で開放することにより、体外のごく狭い範囲に暴走した魔力を浴びせる捨て身の術式。
 魔力的に脆弱な相手ならば即死もあり得る強力な技なのだが、最もその威力を受けるのは術者の内部なので制御を誤れば体内から爆散してもおかしくない。
 冥駕は体質を頼みに敢行したのだが、負傷を軽減できたわけではないのでかなりのダメージを負っている。
 元ネタはゴジラの体内放射。

 十式保護術式展開具足 パリレンクライス
 本作独自の武神具。
 度重なる改造により、現在ではバビル2世専用の装備となっている。
 武神具としての結界発生装置とは別に、ただ頑丈な具足としても当然使用可能。
 本編の殲滅術式で放たれた光弾程度ならば、何の問題もなく受けきることができる頑強姓を誇る。

 バビル2世 用語集

 用語

 ロデムの脅威
 本編でも挙げたように、ロデムは派手な攻撃技を持たない代わりに潜入工作に長けたしもべとされている。
 不定形故かエネルギー衝撃は意外の攻撃を受けてもほとんどダメージ描写がなく、一度変身すると生物由来の体温やガスを探知する以外では発見できない隠密性も手伝って、バビル2世本編ではヨミが直々に出張る以外に有効な対抗手段が存在しなかった。
 現にロプロスやポセイドンに正面から対抗できる戦闘メカV号に対しては、内部に潜入したロデムが決定打となり勝利している。


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4話 来襲と乱入

 時は僅かに遡る。

 MARの敷地内にある、社員休憩用のラウンジ。その一角で、藍羽浅葱は混乱の最中にあった。自らがライバル視する姫柊からの頼みで、古城がかつて巻き込まれた列車事故について調べようと相棒であるモグワイに声をかけたのだ。にもかかわらず、普段呼ばなくてもしゃしゃり出てくるAIからの反応が一切ない。

 

「モグワイ、どうしたの?」

 

 音声認識を期待して端末に声をかけるものの、反応が返ってくることはなかった。

 

「どうしたんだ?」

「モグワイが反応しないのよ。普段は呼ばなくても来るくせに」

「システム障害でしょうか?」

「何言ってるの。ここはMARの研究部門にほど近いラウンジなのよ? 仮にも国際企業の中枢近くで、簡単にシステム障害なんか起きるわけないでしょ」

 

 古城と雪菜の疑問を軽く受け流す浅葱だったが、自作PCを精査した後に表情が硬くなる。

 

「やだ、そもそもネットの接続切れてるじゃない。まだ新しいパーツ入れてから一月経ってないのに……」

 

 愛機の不具合に不満を滲ませながら、浅葱はPCから視線を外した。

 

「ごめん。頼まれた件だけど、この状況じゃちょっと調べられそうにないわ。今晩中に調べて、明日教室で情報交換を……」

 

 浅葱の台詞はそこで中断された。無理も無いだろう。思い人である古城に、いきなり床へ引き倒されたのだから。

 

「ちょっ、古城!?」

「すまん浅葱、少し静かにしててくれ」

 

 当然動揺する浅葱だったが、普段の古城からは想像できない周囲への警戒を露わにする姿を見て逆に落ち着きを取り戻した。

 横目で周囲を窺えば、雪菜も同じように床へとかがみ込み何かに備えている。

 その何かは、すぐさま訪れた。魔族特区育ちの浅葱ですらほとんど体感したことがない、莫大な魔力の波動がラウンジ全体を襲ったのだ。地震のようにラウンジ全体が揺れ建物そのものが軋むが、幸い目だった損傷はない。

 

「浅葱、無事か?」

「な、なんとかね」

 

 未だに情報を乗り込めていない浅葱とは裏腹に、古城と雪菜は未だ発生を続ける魔力の波動について小声で話し始めた。雪菜は剣巫の未来視によって、古城は吸血鬼の優れた知覚によって事前に備えられたのだ。

 しかし、古城は知識不足によりその詳細を知ることはできない。かろうじて、計3体の眷獣が解き放たれたと知覚することがやっとなのだ。魔導犯罪の専門家である雪菜に相談するのは至極当然の流れだった。

 

「この魔力、誰かが戦ってるのか?」

「おそらくですが、旧き世代の吸血鬼と見て間違いないはずです。こんな街中で眷獣を解き放つなんて……」

 

 荒れ狂う魔力の様子から、眷獣の戦闘は継続されているようだ。古城の脳裏に浮かんだのは、ヴァトラーからの指示で古城の護衛についたという2人の吸血鬼だった。旧き世代の吸血鬼などそういるものではない以上、現在戦闘している3体の眷獣の主にキラとジャガンが含まれていることに間違いはないだろう。彼の戦闘狂が手元に置いているだけあって相応の実力を持つジャガンとキラが2人がかりで戦っているという事実が、襲撃者の実力を現している。

 

「な――⁉」

 

 悲鳴を上げたのは、唯一状況を全く理解できていない浅葱だった。突如周囲が真夜中のように光を失い、同時に雷光が迸ったのだ。隕石でも落下したかのような衝撃が一帯を容赦なく襲った以上、ただの自然現象と考えることはできない。

 悲鳴を上げた浅葱とは対照的に、古城と雪菜は声を上げることすらできなかった。魔力の正体を察してしまったが故の反応だ。MARが存在する絃神島北地区(アイランド・ノース)上空を覆う巨大な雷雲そのものが、ジャガンたちが戦っていた敵が召喚した眷獣という事実に。

 たった1人の吸血鬼が召喚した眷獣とは思えない規模の眷獣は、暴力的な魔力を撒き散らし存在するだけで周囲の環境に大きな影響を与え始めていた。その魔力に掻き消されるようにして、ジャガンとキラの眷獣の魔力が消失した。状況からして、この眷獣に打ち破られたのだろう。

 これだけの規模を誇る眷獣を、古城たちはただ1種類しか知らない。そう、世界最強と謳われる第四真祖がその身に宿す、災厄とも称される眷獣だけだ。

 

「古城、あれ!」

「ああ、見えてる」

 

 雷光と共にMARの中庭に降り立った影を、古城と浅葱は同時に認識した。稲妻を背に現れたのは、白いローブを纏った少女だった。フードから唯一露出した口元は、それだけで美しく整っていることがわかる。

 その口もとに笑みを浮かべ、少女は緩やかな動きで指を伸ばす。するとその動きに導かれるように、巨大な雷球が天から降り注ぐ。狙いは、少女が指さしたMARの医療棟だ。

 膨大な熱と電流が生み出す破壊の前では、備え付けられていた避雷針も防御魔術もほとんど意味を成さなかった。僅かな拮抗すら許さず、一瞬で外壁が破壊される。最新鋭の医療技術が詰まった建造物は、廃墟寸前といえるほどにその姿を変えられてしまっていた。だが放たれた攻撃の規模を考えれば、未だそれだけの被害で済ませていることがMARの技術力の高さの証明といえるだろう。

 

「何てことしやがる……あそこにはまだ凪沙がいるんだぞ!」

 

 その惨状に、ようやく古城が我に返った。大切な妹が入院している建物を大規模に破壊するという暴挙を、許すことなどできない。浩一から度重なる訓練を受けた自身から、異常を知った那月や浩一が来るまでの時間を稼ぐくらいはできると判断する。

 しかし、古城の背後には浅葱がいるのだ。友が第四真祖であることを知らない彼女は、不安そうに古城を見ている。

 

「…………くふっ」

 

 その迷いを見透かしたように、少女が古城へと振り返った。脱ぎ捨てられたローブの下からは、妖精のような美貌が露わとなる。暴風に波打つ髪は虹色に染まり、弧を描く瞳は焔光に輝いている。

 

「凪沙ちゃんのことは任せてください。先輩は藍羽先輩を!」

 

 一方的に言い残し、中庭に降り立った少女目掛けて雪菜は駆け出した。常に持ち歩いているギターケースからは愛用の機械槍が抜き放たれており、すでに刃も展開されている。身体強化により強化ガラスをあっさりと粉砕し、雪菜は少女が立つ中庭へと飛び込んだ。

 未だ中庭を覆う雷撃を余波が、銀の閃光が奔るたびに消滅していく。彼女が握る槍は、あらゆる結界を切り裂き魔力を無効化する破魔の槍。今この場にいる人間(・・)で、真祖級の眷獣に立ち向かえる者は雪菜を除いては存在しない。

 

「なに、あの槍⁉ あの子、いったい⁉」

 

 雪菜の正体を知らなかった浅葱は、初めて見る雪菜の剣巫としての姿に圧倒されている。魔族特区育ちということもあり、浅葱はこの場のだれよりも眷獣の脅威について詳しい。そんな彼女にとって、眷獣を槍一本で凌ぐ雪菜の姿は信じがたいものなのだ。

 その隣で、古城は茫然と雪菜が立ち向かう少女を見ていた。本来であれば浅葱を非難させているべき状況で、雪菜が立ち向かう少女を見ることしかできていない。古城もまた、激しく動揺しているのだ。

 

「嘘……だろ……」

「古城?」

 

 ただならぬ古城の様子に気がついた浅葱の声にも、古城は反応を返さない。放心したように目を見開き、天災に等しい眷獣を操る少女をただ見つめている。

 

「アヴローラ……どうして……」

 

 慟哭にも似た悲痛な問いは、荒れ狂う風に掻き消され誰の耳にも届かない。

 

 

 

 MAR――正式名称マグナ・アタラクシア・リサーチは、世界的にも有数の魔導産業複合企業として名高い。規模に比例した競合相手も多い以上、それ相応の警備体制を持っているのは当然といえよう。

 現に中庭に降り立ち眷獣を解き放った少女の下へ、施設の警備を担当する警備ポッドと警備員が大挙して押し寄せた。

 MARの警備ポッドは、ポリバケツ程度の大きさでありカラフルな色合いで塗装されている。丸みを帯びた形状も相まってどこかユーモラスで愛らしい外見を持つこの機体は、警備用とは名ばかりの対魔族を想定した試作軍用機だ。

 特殊弾頭により魔族へ半永久的な損傷を与える小口径高速呪装弾……特区警備隊(アイランド・ガード)ですら採用を見送ったそれを何のためらいもなく展開し、30台ほどの警備ポッドは毎分二千発の速度で弾丸を目標である少女へと一斉に浴びせかける。

 並の魔族ならば瞬時に挽肉になる攻撃を目の前にして、しかし少女は変わらぬ笑みを浮かべていた。いっそ緩慢ともいえる動きで、自身が従える眷獣へと指示を下す。

 上空に展開していた魔力の塊から、巨大な雷球が立て続けに放たれた。光の矢となり中庭へと殺到したそれらは、地面や建物に着弾した瞬間に熱衝撃波へとその姿を変え周囲を蹂躙する。たかが対魔族用の施策兵器がそれだけの破壊に耐えられるはずがなく、警備ポッドは一切の例外なく粉砕されつくした。当然破壊の波が器用に目標だけを襲うはずがなく、警備ポッドが展開していた周囲の地面や建物の壁には破壊の爪痕が

深々と刻み込まれている。

 常識外の攻撃により前衛としていた警備ポッドが全滅したさまを目の当たりにした警備員たちが、悲鳴を上げながら我先にと逃走を始めた。その背中を見る少女は、意外そうな表情を浮かべている。自らに銃口を向けた存在が、今もなお生きている事実を訝しんでいるのだ。

 そんな少女の表情は、土煙の中から現れた人影を見て氷解した。

 

「なるほど、あの無礼者たちの命を救ったのはお前か」

 

 少女の唇が愉快そうに笑みを刻む。視線の先に現れたのは、学生服を着た小柄な少女。手荷物銀の槍で、規格外の眷獣の攻撃を防いだのだ。

 

「第四真祖監視の任を受け、七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)の使い手が派遣されたという噂は真だったということか。

 面白い、少々貴様に興味が湧いたぞ、娘よ。……名乗れ」

「姫柊雪菜。獅子王機関の剣巫です」

 

 少女の傲岸な物言いに、雪菜は気丈な口調で答えた。そうしなければ、相手の気迫に呑まれてしまいそうだったのだ。間近で感じる少女の圧は、雪菜がこの絃神島に来てから立ち向かってきたどの存在よりも圧倒的なものだった。一瞬でも気を抜けば最後、戦意を折られ立ち直ることは不可能だろう。

 それを理解してなお槍を構える雪菜に対し、少女は面白いものを見たとばかりに笑みを深くする。

 

「動かないでください。今すぐに眷獣の召還を解除し、私の指示に従ってください」

(ワタシ)に指図するか。自らの分を弁えぬ無謀な若者は好きだぞ、雪菜とやら。

 実力差を理解しそれでもなお立ち向かう精神性には敬意を表す。ここまでの気概を持つ若者はここ数百年でも珍しい」

 

 芝居がかった口調で、少女は雪菜を称賛する。

 しかしその内容とは裏腹に、少女の頭上では一際巨大な雷球が生成され始めていた。帯電した電力が周囲にも影響を及ぼし、雪菜の肌をチリチリと刺激する。この空を覆いつくす巨大な雷雲そのものが、少女がその身に宿す眷獣であるということにもはや疑いはない。

 

「だが、聞けぬな。(ワタシ)の目的はまだ果たされていないのだから」

 

 そう言い放った少女の意に従い、雷球が閃光として解き放たれた。本来人間では見切るどころか知覚することすら困難なその攻撃を、雪菜は手にした槍であっさりと切り払う。剣巫が持つ擬似的な未来視が、文字通り雷光の速度を持つ眷獣への対応を可能としたのだ。

 例え見えていても、相応の鍛錬を積まなければ対応できないはずの速度を持つ眷獣。それにあっさりと対応し自らに迫る雪菜へ、少女は拍手をする余裕すら見せた。

 

「素晴らしい練度だ。そして力づくで(ワタシ)を止めようとするとはな。ますます気に入ったぞ!」

 

 歓喜の表情と共に、少女はさらに攻撃を仕掛けた。灼熱と閃光が容赦なく襲い掛かるが、そのすべてを雪菜は危なげなく処理し進みを止めることがない。極限にまで練り上げた霊力で身体能力を爆発的に高め、雪菜は愛槍を少女目掛けて突き出した。

 

「あらゆる結界を切り裂き、魔力を無効化する破魔の槍か……未熟ながらも、素晴らしい使い手だな。

 だが、それだけでは(ワタシ)は止められぬぞ!」

「――えっ⁉」

 

 雪霞狼(せっかろう)の主刃が少女を貫かんとしたまさにその瞬間、雪菜は異様な手ごたえに思わず声を漏らした。あろうことか、少女は迫る槍の穂先を殴りつけて強引に軌道を変えたのだ。

 あらゆる魔力を無効化する槍であろうとも、物理的にはただの金属槍にすぎない。見た目からは想像もできない剛力で槍の一撃を払った少女へ雪菜がすかさず追撃を試みるが、それよりも早く少女の蹴りが雪菜を襲った。槍の柄でそれを防いだ雪菜へ少女は手刀を突き出すが、紙一重の回避からお返しとばかりに放たれた蹴りで相殺される。

 一瞬の拮抗の後、少女の掌底と雪菜の膝蹴りがぶつかり合い互いの衝撃で間合いが開いた。

 

「この動きは……」

「面白い。その若さで(ワタシ)にここまで食い下がるとは、並の鍛錬ではないだろう。

 それ、体術だけに付き合うわけではないぞ? ――征くがいい〝シウテクトリ〟」

 

 霊視と霊力による身体強化をものともしない未知の敵に警戒を強める雪菜へ、少女はその力量を称賛しながらも新たなる眷獣を解き放った。

 火山の噴火を思わせるような火柱が少女の足元から出現し、大蛇のようにのたうちながら雪菜へと迫る。視界を埋め尽くす炎と莫大な熱量、並の攻魔師であれば抵抗を諦める脅威を前に雪菜は槍を構え直した。全幅の信を置く武神具へ、ありったけの霊力を注ぎ込む。

 

「……行きます。〝雪霞狼(せっかろう)〟――!」

 

 雪菜の呼びかけに答えるように、全金属製の槍から光が放たれる。あらゆる魔力を無効化する神格振動波駆動術式の輝きに包まれながら、獅子王機関の剣巫は爆炎へと正面から立ち向かった。

 どれほど高温を誇る炎であろうとも、眷獣によって生み出されている以上それは純粋な魔力を変換したものに過ぎない。雪霞狼(せっかろう)の一撃を受けた炎の濁流は、一瞬でその威容を霧散させた。

 

「正面から眷獣を打ち消しにかかったか。僅かにでも臆せば、我が〝シウテクトリ〟に焼き尽くされると察していたようだな。

 見事だ、雪菜とやら。ある程度手心を加えていたとはいえ、(ワタシ)の眷獣を二度も防いだものはそういない。誇るがいい」

 

 虹色の髪を風に遊ばせながら、少女が晴れやかな口調で言い放つ。その態度と雰囲気に、雪菜は本能的な脅威を感じた。

 

「あなたは、いったい……?」

 

 雪菜としても、回答を期待したわけではない。無意識のうちに口に出た疑問は、風に乗って消えていく。

 思わず問いかけがこぼれるほどに、少女は異質だった。雪菜の浅くない経験の中では、少女に近い存在は2つしか該当しない。

 1つは模造天使(エンジェル・フォウ)。無尽蔵の魔力と高位の存在としての振る舞いは、かつて敵対したそれと非常によく似ていた。

 もう1つは、現在の第四真祖である暁古城だ。未だ不完全である状態ですら、規格外の破壊を撒き散らす存在。そんな彼が本来の力をすべて手中に収めたとき、少女と同等の存在になることは想像に難くない。

 だが、その想定は少女を吸血鬼の真祖であると仮定することに等しい。それはあり得ないのだ。眼前の少女の容姿は、伝え聞く3人の真祖そのどれとも一致しない。この世界に存在する真祖は、存在しないとされる第四真祖を含めても4人しかいないのだから。

 公的に認められた3人の真祖に加え、暁古城が真祖である以上彼女が真祖である可能性はない。そう、暁古城が本物の真祖(・・・・・)である限り。

 

「そんな、まさか!」

 

 雪菜が考えてはいけない結論に達した瞬間、丁度少女と雪菜から等間隔の場所に何者かが着地した。角度的にかなりの高度から落ちてきたにもかかわらず、何事も無かったかのようにその青年は立ち上がる。

 

「おや、話を遮ってしまいましたか? 申し訳ないですが、こちらにも事情があったものでして。目溢ししていただければ幸いなのですが」

 

 慇懃に言葉を紡ぎながら、青年――絃神冥駕は混迷とした戦場へと乱入を果たした。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 施設・組織

 特区警備隊 アイランド・ガード
 文字通り、魔族特区である絃神島の治安を守るための警備部隊。
 あくまでも治安維持部隊という立ち位置のため、必要以上の殺傷力を持つ兵器や長距離移動可能な航空戦力は保有できない。
 しかしそれはあくまでも表向きの話であり、暗部として活動する部隊は平然と前線での使用に耐えうる装備が制式採用されている。

 種族・分類

 七式突撃降魔機槍 シュネーヴァルツァー
 獅子王機関が開発した武神具の1つであり、神格振動波駆動術式を最大の特徴としている。
 高度な冶金技術と聖槍の一部を使うことが作成の条件であるため、現存する3本以上に増やすことができない。
 秘奥兵器に位置付けられた特殊兵装ではあるのだが、出し惜しみされることはないため関係方面での知名度はかなり高い。

 雪霞狼 せっかろう
 七式突撃降魔機槍の内の1本であり、姫柊雪菜が第四真祖監視の任務と共に授けられた。
 全金属製であり、保護魔術も多重に掛けられているため材質以上に頑丈。通常の金属槍であれば折れるか歪むような攻撃であっても、苦も無く耐えることが可能。
 しかし変形機構を内蔵している以上その頑強さにも限度はあるため、過信は禁物となっている。現にロタリンギアの殲教師との決戦では魔術的負荷に耐えきれず、一部を破損している。

 シウテクトリ
 謎の少女が操る眷獣の1体であり、熱と炎に関する権能を持つ。
 並の存在であれば余波のみで灰も残さず焼き尽くす火力を誇るうえ、人間単体を狙い撃つ程度には小回りが利く破壊と扱いやつさが両立した扱いやすい眷獣。
 しかし眷獣である以上魔力の塊であることに変わりはないため雪霞狼とは相性が悪く、手心込みとはいえ一切の損傷を与えられずに切り払われることとなった。


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5話 真祖の激突

 突然現れた冥駕へ、少女はつまらなさそうに視線を向けた。

 

「何者かは知らぬが、(ワタシ)の語らいを遮り愉悦を妨害した罪は重いぞ。

 が、今この身は気分がいい。疾く去るならば、この気分を得るきっかけとなったそこな巫女に免じて見逃してやろう」

 

 どこまでも不遜に言い捨てる少女は、その外見とは真逆の威圧感を放っている。気の弱い者ならば気絶しかねない圧を正面から受けてなお、冥駕は態度を崩さなかった。

 

「申し訳ないですが、まだここから去るわけにはいかないんです。この場所に留まる必要がありまして」

「そうか。ならば死ね」

 

 冥駕が立ち去らない意思を明らかにした瞬間、少女は戸惑いのかけらもなく魔力を解き放った。一切の術式が関与しないただの魔力の塊が、棒立ちの冥駕めがけて突き進む。

 ただの魔力の塊ではあるが、その量と密度は生半可な攻撃魔術を上回る破壊力を得ている。指向性を持たせたそれが直撃すれば、たとえ獣人であっても無事では済まないだらう。

 大型トラックの衝突をも上回る威力を秘めた魔力の塊は、冥駕が突き出した零式突撃降魔双槍(ファングツァーン)の一撃で霧散した。

 ある種の魔術攻撃ともいえる現象が一切の抵抗も余波もなく消え去る様子を目にしても、少女は動じない。

 

「おや、少しは興味を惹くことができると思ったのですが……少々予想が外れましたね」

(ワタシ)が同じ現象で心動かされると思っていたのか。随分と安く見られたものだ」

 

 意外そうに頭を傾ける冥駕に、少女は侮蔑を隠そうともしない。少女の魔術的視力は、零式突撃降魔双槍(ファングツァーン)の表面を覆う術式を鮮明に捉えていた。彼女があやつする規格外の眷獣を打ち消した、雪霞狼(せっかろう)に刻まれている神格振動波駆動術式と同質の刻印だ。

 

「心意気は認め、貴様を殺すのは後にしておこう。まずは(ワタシ)としても目的を果たさねばならん。

 ――()け、〝カマシュトリ〟」

 

 不意に発動した雷撃に、備えていたはずの雪菜は反応ができなかった。それが彼女を狙った一撃であれば、剣巫の未来視もあって十分に対応ができただろう。しかし、天を覆う黒雲から放たれた雷撃は雪菜の背後に建つ医療棟を狙ったものだった。

 剣巫が持つ霊視は、あくまでも自らを守ることを目的としたものだ。自分やその周囲を害する行為以外には反応が鈍く、今回のように離れた場所を狙っての一撃は人間の移動速度では間に合わない。

 雪菜が時間を稼ぎ、少女と冥駕との問答をがあってもなお周辺の避難は終わっていない。治療病棟には、簡単には動かせない患者も大勢いるのだ。

 しかし、少女の攻撃に一切の容赦は無かった。先の一撃で防衛魔法も避雷針も壊滅しており、冥駕は動く意味が無い。雪菜の身体能力では雷撃を先回りすることなどできず、たとえ間に合ったとしても雪霞狼(せっかろう)の効果範囲では病棟すべてを守ることは不可能だ。防御手段を持たない建造物は、一撃で硝子細工のように粉砕されるだろう。

 

「……ぬ?」

 

 しかし、その予想はあっけなく覆された。周囲一帯を粉砕せんと放たれた雷撃は、地上から放たれた雷撃によって迎撃されたのだ。少女の眷獣が放った雷撃を一方的に撃ち破った新たな雷撃は、獅子の姿を模した巨大な眷獣へとその姿を変えた。雷鳴を含んだ咆哮が周囲に響き渡り、その威容を際立たせている。

 

獅子の黄金(レグルス・アウルム)!」

 

 見慣れた雷光の獅子の姿に、思わず雪菜が叫ぶ。同時に、少女はようやくかと笑みを浮かべて視線を動かす。

 その瞳に映されたのは、眷獣を従える古城の姿だ。全身に紫電を纏い、雪菜を守るように進み出た。

 

「無事か、姫柊?」

「先輩――」

「選手交代だ、浅葱を頼む」

 

 捨て鉢気味の古城を、雪菜は気遣うように見る。今この場にいるのは、魔術の世界に完成のある人間だけではないのだ。古城が眷獣を使役し雷を迎撃した光景は、当然浅葱にも目撃されている。

 おそらく自ら秘密を暴露した古城よりも、真実を見せつけられた浅葱のほうが動揺が大きいはずだ。しかし、今の古城たちにそれを気遣う余裕はない。強大な眷獣を従える謎の少女だけでも十分な脅威であるにもかかわらず、なにをするのか予想ができない監獄結界からの脱獄囚が控えているのだ。

 即座に浅葱の安全を確保するために動く雪菜だったが、古城に声をかけずにはいられなかった。

 

「先輩、あの方は……」

「ああ。似ているな、アヴローラに」

「だとすれば、本物の第四真祖であるかもしれないんですよ⁉」

「だったら、なおさら俺が戦わなかならないだろ。

 それに、あいつは凪沙を狙ってるのかもしれないんだぞ! この病院には手を出させない。ここから先は、真祖同士(俺たち)戦争(ケンカ)だ!」

 

 古城の怒気と共に、雷光の獅子が咆哮した。魔力によって構成された雷の獅子が、閃光と熱を撒き散らしながら少女目掛けて襲い掛かる。

 常人であれば死を覚悟する光景に、少女は獰猛な笑みを浮かべた。古城のそれに匹敵する膨大な魔力が噴き出し、呼応するかのように上空の暗雲が脈動する。

 

獅子の黄金(レグルス・アウルム)か。懐かしいな(・・・・・)

 ならば征け、〝カマシュトリ〟」

 

 暗雲から放たれた雷撃が、雷光の獅子と正面からぶつかり合った。膨大な電荷を纏う眷獣同士の衝突は衝撃波を生み、爆風が周囲を蹂躙する。

 

獅子の黄金(レグルス・アウルム)を、止めやがった、だと⁉」

 

 古城の眷獣を知る者からすれば信じられない光景だった。戦いにおいて最も多用されその破壊力に信を置かれる雷光の獅子の突撃が、空中で止められているのだ。獅子と雷撃は互いに押し合い、一進一退の状況を作り上げている。

 

「第四真祖を名乗るだけあって、眷獣の力を最低限は引き出せているようだな。だがまだ甘いぞ!」

 

 古城とは対照的に、少女は熱風に髪を躍らせながらも獰猛な笑みを崩さずにいる。その足者が赤く発光し、灼熱の炎が飛び出した。

 

「さあ征くがいい、〝シウテクトリ〟!」

「くっ、疾く在れ(きやがれ)、〝双角の深緋(アルナスル・ミニウム)〟!」

 

 少女に呼び出された灼熱の奔流が、古城が呼び出した轟音と衝撃波によってあっけなく押し返される。召還を解除することで逆流する爆炎流を消した少女は、とても楽しそうに笑い始めた。

 

「素晴らしい、予想以上の実力を身につけているな!」

 

 花が咲いたような笑顔を浮かべたまま、少女は地を蹴り跳躍した。魔族としても常識外の加速を得た少女は、右腕を古城めがけて突き出した。その指先は少女の細腕には不釣り合いな、凶悪な鉤爪へと変化している。見方によっては、獣人のソレにも思えるだろう。

 

「こいつ!」

 

 古城の反応は素早かった。自らの運動能力では回避不能と即座に判断を下し、霧の眷獣である甲殻の銀霧(ナトラ・シネレウス)の権能を発動したのだ。

 本来であれば自らと少女の肉体を霧へと変じて回避を図ったのだろうが、古城が積み重ねた訓練と実戦経験がその行動に待ったをかける。古城は本能的に地面を霧へと変じ、その中へ倒れ込むようにして少女の一撃を回避することに成功した。

 霧に紛れ距離を取りつつも警戒を怠らない古城に対し、少女は感心したように頷いた。

 

「霧の眷獣〝甲殻の銀霧(ナトラ・シネレウス)〟か。肉体変化をすればそのまま胴体をえぐってやろうと思ったのだが……地面を変化させることで今の一撃を避けるとはな。名ばかりの真祖かと思っていたが、なかなかどうして期待させてくれる」

「その腕……そうか、お前は!」

「ようやく、いや、よく気づいたと褒めるべきかな。

 だが遅いな。征け、〝ソロトル〟!」

 

 古城が体勢を立て直すさまを見守る余裕すら見せる少女は、余裕をもって次なる眷獣を呼び出した。

 3体目の眷獣は、骸骨の巨人だった。本来あるべき肉は全てが失われており、その代わりとしてか骨に覆われた空間には闇が満たされている。

 扉のように肋骨が展開し、収められていた闇が砲弾として放たれた。その危険性を、古城は肌で理解する。闇の正体は、空間そのものをえぐり取る異空間だ。同種の眷獣を従える古城だからこそ、その性質を即座に察知することができた。

 同時に、古城が背筋を凍らせる。骸骨の巨人が放った攻撃は、古城をまるで無視したものだったからだ。その軌道は、凪沙が入院している医療棟を狙っている。思えば雷撃と稲妻の獅子が押し合った以外、少女は一貫して医療棟を狙い続けていた。

 それに気づいた古城だったが、理解したところで攻撃は既に放たれている。空間ごとえぐり取る攻撃を止める方法は限られており、古城は戸惑いなくその手段をとった。

 

疾く在れ(きやがれ)、〝龍蛇の水銀(アルメイサ・メルクーリ)〟!」

 

 水銀の色を持つ双頭の龍が、巨大な咢で闇色の魔弾を次々と喰らっていく。空間をえぐり取る闇であろうとも、属する空間ごと飲み込む龍の権能には逆らえなかったのだ。

 だが、同格の眷獣であるソロトルの攻撃はいかに次元喰らい(ディメンション・イーター)であろうとも大きな負担となったようだ。双頭の龍は苦悶の声と共に姿を消し、主である古城は大量の魔力を一度に失い膝をつく。

 大きな隙を晒してしまう古城だったが、消耗したのは少女も同じだったようだ。どこか満足したような笑みを浮かべ、従えていたすべての眷獣の召還を解除した。

 

「見事。我が〝ソロトル〟の穿滅空間を、次元ごとえぐり取るとは。貴様はその機転をもって、あの〝焔光の宴〟を生き延びたのだな」

「焔光……の……宴……?」

 

 その単語を聞いた古城は、胸を締め付けられるような感覚に襲われた。失われた記憶が、胸を刺すような痛みを与えるのだ。

 

「よほど良い師に恵まれたのか、中々に練り上げられていたぞ。今少しその素質を見極めたかったのだが、潮時のようだ。まあ、目的は果たせたのだから贅沢も言えんか」

 

 自らの眷獣が覆い隠していた要綱に目を細めながら、意味深に少女は笑う。するとまるでタイミングを計ったかのように、医療棟の一部が崩落した。いかに第四真祖の眷獣であろうとも、乱射された穿滅空間の全てを防ぎきれたわけではない。取り逃した一部が医療棟を襲い、外壁と地面を大きくえぐり取っていたのだ。

 

「なん、で……」

 

 露わとなった光景に、古城は息を呑み目を見張ることしかできなかった。

 

 

 

 古城と少女が激突し始めた時刻とほぼ同時に、雪菜は冥駕と睨み合っていた。その背後には浅葱が庇われており、状況は雪菜にとって極めて不利なものと言える。

 しかし雪菜の予想とは裏腹に、冥駕は零式突撃降魔双槍を構えることすらしない。敵意すら見せず、ただ余裕を含んた笑みを浮かべてる。

 

「そう構えなくとも、戦う意思はありませんよ。少なくとも、今はね」

「脱獄囚の主張を、何の裏付けもなく鵜吞みにできるとでも?」

 

 雪菜は取り付く島もないが、冥駕はその態度を予想していたようだ。むしろそれが当然の物であると受け入れており、芝居がかった態度を崩さない。

 

「私はそちらのお嬢さんと少し話をしたかっただけなんですよ。先ほども言いましたが、今はまだ戦う時ではありませんので。

 それにこの場で矛を交えた場合、無事では済まないのは貴女です。獅子王機関の剣巫、彼女の献身も知らぬまま後釜に収まった少女よ」

 

 雪菜に向かい、僅かに感情を漏らす冥駕。その憎しみと殺意に、思わず雪菜は体を強張らせる。

 そんな雪菜の後ろに庇われている浅葱だったが、彼女はただ守られるような殊勝な性格をしていない。雪菜の体の陰でPCを操作し、自らも状況の打破のため動いていたのだ。

 

「動かないで!

 申し訳ないけれど、犯罪者とおしゃべりを楽しむ趣味は持ち合わせていないのよ」

 

 浅葱が震える足を気合で押さえつけながらも、雪菜の影から進み出て凄んだ。その背後には、数台の警備ポッドが銃口を冥駕へと向けている。雪菜と冥駕が睨み合っている間にMARのネットワーク経由で近場の警備ポッドをハッキングし、意のままに動く護衛に仕立て上げたのだ。

 数台程度といっても侮ることはできない。対魔族用として設計された警備ポッドは、ただの人間相手には過剰なほどの戦力として機能するのだ。浅葱の指示1つで、並の人間ならば一瞬で挽肉と化すだけの火力が冥駕目掛けて解き放たれるだろう。

 

「くっ……はは……ははははははっ!」

 

 その光景を見た冥駕が、突如堰を切ったように笑いだす。あまりの豹変ぶりに雪菜は硬直し、浅葱は予想外の反応に緊張が振り切れた。

 

「な、なによ!」

「このわずかな時間で、厳重にプロテクトされている警備ポッドを意のままに操るプログラムを組んだうえハッキングしてそれを流し込んだ。それがどれだけでたらめな能力なのかを自覚していないのですか?」

 

 青年の指摘に、浅葱だけではなく雪菜もが呆気にとられた。たしかに、浅葱のハッキング技術は目を見張るものがある。公社からの徴用を考えても、世界有数といえるだろう。しかし、なぜそこまで冥駕は特別視するのかがわからない。

 

「監視していた甲斐がありました。貴女こそ、間違いなくあのお方が待ち続けていたものだ」

 

 そう告げると、冥駕は服の裾を翻した。仕込まれていた術式が起動し、冥駕の背後に存在する空間が歪み始める。

 

「空間制御術式!」

 

 雪菜は術式を読み取り、強化した四肢を活かし弾けるように飛び出した。今ここで冥駕を逃がすわけにはいかない。幸い、彼女が持つ槍はあらゆる術式を無効化する。展開する空間に掠りでもすれば、術式そのものが消失するのだ。冥駕が零式突撃降魔双槍で雪菜を止めようと立ちはだかり、それを回避するため雪菜は剣巫としての視力を解放した。

 

「……えっ」

 

 そして、本来映し出されるはずの未来が見えないという事実に困惑した。次いで、零式突撃降魔双槍と打ち合った雪霞狼から光が消失する。魔力に対して絶対の優位性を誇るはずの七式突撃降魔機槍は、その権能を打ち消されたのだ。

 

「な、にが」

 

 眼前の光景が信じられない雪菜だったが、自身の身体強化すらもが打ち消されたという事実を認識し距離を取った。初めての現象を前にして、情報収集を優先したのだ。

 

「残念ですが、貴女の剣巫としての実力が優れていればいるほど私には勝てませんよ。私の槍、冥餓狼は周囲のあらゆる霊力と魔力を打ち消します。その槍の根幹が霊力によるものである以上、私の敵にはなりえない。

 危険という理由で封印された武装ですが、私の肉体にはぴったりの武装でね」

「そんな……霊力と魔力を同時に失って、生きていられるはずが」

「体質なんですよ。私の肉体は、あらゆる術式の影響を受けない。まあ、影響を受けないと言っても物理的に傷つかないわけではありませんがね」

 

 そう話している間にも、冥駕の背後では術式が組み上がっている。この睨み合いに、浅葱の声が割り込んだ。

 

「だったら、これは効くんじゃないかしら!」

 

 警告無しに、浅葱の指示の下警備ポッドが備えられた火器を一斉射撃した。並みの魔族ならば即死するであろう特殊合金の雨を前に、冥駕は一切の反応を示さない。

 

「あなたの準備を前にして、備えが無いとでも?」

 

 冥駕が地面を強く踏むと、あらかじめ仕込まれていた術式が発動し空中ですべての弾丸が制止した。一方向にのみ展開する単純な防御術式だが、一切の呪力を含まない弾丸程度では突破できない鉄壁の守りだ。

 

「そろそろ面倒な相手が追い付いてくる頃ですので、私はこれにて。

 いずれまたお会いしましょう、〝電子の女帝〟藍羽浅葱――いえ、カインの巫女よ」

 

 そう言い残し、冥駕は冥餓狼の連結を解除した。霊力が復活した雪菜が追撃に入る前に、彼は何かを投げつつ背後で完成した空間制御術式に飛び込む。

 

「藍羽先輩、下がって!」

 

 投擲された物体を見た雪菜は、咄嗟に懐から呪符を投擲し簡易的な結界を構築した。

 直後、魔力を掻き乱す呪式手榴弾が炸裂した。範囲に加え雪菜の結界により被害は無かったが、周辺の魔力反応は掻き乱され追跡は不可能だろう。

 

「逃げられた……いえ、理由があって見逃されたというべきですね」

 

 苦々しい表情のまま、雪菜は手榴弾により荒れた地面を睨みつける。そして気持ちを切り替えるようにかぶりを振り、浅葱の無事を確認するため踵を返した。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 藍羽浅葱 あいば-あさぎ
 ストライク・ザ・ブラッドヒロイン。
 世界的に見ても上位の腕前を持つ、天才的プログラマー。本来異能とも呼ぶべきほどのスキルなのだが、それを自覚はしていない。
 基本的に戦闘能力は皆無であるが、土壇場で肝が据わる性格のため突飛もない行動をすることはしばしば。それが突破口になることもある。

 暁古城 あかつき-こじょう
 ストライク・ザ・ブラッド主人公。
 シスコン気味と呼ばれるほどに妹思いだが、それは過去の事件で妹が生死の境をさまよったため。
 浩一との訓練と宿す眷獣の制御が合わさり、並の吸血鬼が相手ならば歯牙にもかけずに打ち倒すだけの実力を身につけている。

 姫柊雪菜 ひめらぎ-ゆきな
 ストライク・ザ・ブラッドメインヒロイン。
 少々嫉妬深い性格をしているのだが、公私を割り切る性格のため今のところ問題になることはない。
 自らが身につけた技術に絶対の信頼を置いているため、それが通用しない場合は動揺しやすいという少々脆い点を抱えている。

 種族・分類

 双角の深緋 アルナスル・ミニウム
 12存在する第四真祖の眷獣が1体。
 音と衝撃を司る双角獣であり、影響範囲と防ぎにくさでは眷獣の中でも上位に位置する。
 本編のように、炎や水といった不定形の攻撃に対しては広範囲の衝撃波で打ち消すといった防衛法が可能。

 龍蛇の水銀 アルメイサ・メルクーリ
 12存在する第四真祖の眷獣が1体。
 空間を喰らう双頭の龍であり、その口は空間を喰らいこの世界から消失させる次元喰らいの権能を持つ。
 攻撃力という意味では間違いなく最上位であるが、それは手加減ができないということであるためあまり使用されない切り札的存在。

 カインの巫女
 去り際に冥駕が言い残した謎の言葉。
 現段階では浅葱を現す固有名詞という点以外一切が不明。

 カマシュトリ
 謎の少女が従えている眷獣の1体。
 天を覆う黒雲であり、そこから放たれる雷撃でもある規格外の規模を持つ眷獣。
 その一撃は破壊の化身と称される第四真祖の眷獣と互角の押し合いをするほどであり、全力で放たれればMARの敷地程度更地になってもおかしくはなかった。

 ソロトル
 謎の少女が従えている眷獣の1体。
 骸骨の巨人であり、その内側に穿滅空間と呼ばれる異空間を収める。
 異空間を闇の弾丸として打ち出すことが可能だが、空間ごと闇の弾丸がえぐり取られたため攻撃は不発となった。

 電子の女帝 でんしのじょてい
 浅葱の異名であり、ハッカーの間ではかなり有名な呼称。
 浅葱自身はこの呼び方を嫌っており、呼ばれると顔を赤くして取り消すよう言いつける。
 しかし通りがいいためか、ハッカー間ではこの呼び方が定着しつつあるようだ。

 甲殻の銀霧 ナトラ・シネレウス
 12存在する第四真祖の眷獣が1体。
 霧の本体を甲殻が覆う特異な外見であり、物体を霧と化す強力な権能を秘めている。
 実力が拮抗する相手では霧化しても強引に実体化される危険性があるため、強敵との戦いでは搦め手に使用することが多いトリッキーな眷獣。

 冥餓狼 めいがろう
 零式突撃降魔双槍の銘。
 霊力と魔力を打ち消す失敗兵器であり、神格振動波駆動術式の実現化前の実験機でもある。
 本来霊力と魔力を打ち消された人間は即死するため、現状絃神冥駕専用の武装となっている。

 獅子の黄金 レグルス・アウルム
 12存在する第四真祖の眷獣が1体。
 霊媒である雪菜との相性が良かったためか、古城にとって特に扱いやすい眷獣となっている。
 雷撃としての攻撃だけでなく、獅子の肉体を活かした格闘戦もこなすことができる非常に強力な眷獣であるが、同格との戦いでは決定打に欠けるという短所を持っている。


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