TSっ娘が悲惨な未来を変えようと頑張る話 (生クラゲ)
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プロローグ
時の悪魔


「楽しかったよな」

 

 彼女は、僕の目を真っすぐに見据えそう言った。

 

「落とし穴につまみ食い、木登りに魚釣り、弦楽祭に収穫祭。短い人生だったけど、今までずっと一緒に過ごしてきたアンタは私の友人だと思ってた」

 

 軽い口調で、朗らかな表情で、声に何の抑揚も乗せず。リーゼは、僕の初恋の人は、静かに僕の瞳を覗き込んだ。

 

「……なぁ。いくら友人でもさ、アンタにどんな事情があったとしてもさ」

 

 一方で僕は、そんなリーゼの瞳を直視できない。

 

 直視できるはずもない。だって、彼女はこれから─────

 

 

 

 

 

 

「─────流石に怨むよ、これは」

 

 

 

 

 

 

 シャ。

 

 無機質な音を立てて、彼女の後ろに立つ男が剣を鞘から抜き放つ。

 

「本当に? 本当に殺る気かよ、お前」

「……」

「何とか言え。何か言ってみろよ、ポッド!!!」

 

 全身を縄で縛られ、背後に立つ男に剣を首元に添えられて。リーゼは、涙を目に浮かべ僕を睨みつける。

 

「ポッド、もうお前はそっち側の人間なんだな!! 権力をかさに、私ら平民を好き放題出来るって思ってんだな!」

「……」

「所詮は貴族か、家が大事か!! 友達より、村のみんなより、自分の権力が大事なのか!!」

「……」

「恨む、怨む、怨んでやる!! ポッド、お前は地獄に落ちて死後も永遠に苦しめ!! 一度でもお前の事を友人と思った自分が恥ずかしい!!」

「……っ」

 

 彼女は、反乱を企てた。だから今日、処刑台に連れてこられ『村長』である僕の目の前で処刑される。

 

 乱を企てる農民の処遇はすなわち、死刑。権力側がどれほど間違った事をしていたとしても、殺されるのは常に力無き民なのだ。

 

 彼女が、余計な『考え』を持たなければこんなことにならずに済んだ。僕は悪くない、不穏な考えを持った彼女が悪いんだ。だからこれは、リーゼの自業自得。

 

 ─────自業自得。

 

「この、村の裏切り者!!!」

 

 その金切り声を断末魔に、リーゼは胸元にブスリと剣を突き立てられ。血反吐を吐き散らしながら、ゆっくりと目が上転し。

 

「呪って、や、る……」

 

 やがて、動かなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕の名前はポッドと言う。年はまだ二十歳を超えただけの若造だが、下級貴族であり村長でもあった父が3年前に死んで、その役割を受け継いだ。

 

 下級貴族と言っても、僕の父の立場は農民に近い。王宮に出入りを許されておらず、領地を持たされてもいない名ばかりの貴族。辺境の小さな集落で『村長』の役割を任されているだけの、まさに底辺オブ底辺な貴族だった。

 

 だから、父は変な貴族らしいプライドを持っておらず。その息子である僕も村の子供と一緒に泥遊びをして過ごすくらいに、父は庶民的な貴族だった。

 

「ポッド。お前は村のリーダーになる必要はない」

 

 流行り病で床に伏せった父が、最期に僕に残した言葉はこれだった。

 

「村の意見を纏めて、それをお上につなぐ役目がお前なんだ。分からないことが有れば、年上の……例えばレイゼイ爺さんだとか、その辺りによく相談しろ。貴族だからえらいだとか、間違ってもそんな妄想に取り憑かれるな」

「父さん……。分かりました」

「よし」

 

 その父の言葉をよく聞いた僕は、村の年寄りたちからよく話を聞いて仕事を行った。

 

 税収、民の移住、商業の売り上げ、そして民からの要望。それらを領主に報告するのが、僕の年に一度の役割だった。

 

 報告する内容や書類についても、全て相談して話し合って決めた。父の代から、会合を開き相談内容を決定するのは変わらないらしい。

 

「お前の父は立派だったから、ポッドも立派な村長になれるさ」

「本当ですか、レイゼイさん」

「無論だとも」

 

 この時僕は、村の一員として認められていた。何せ彼ら農民の子と共に、貴族である僕が泥まみれで遊びまわっていたのだ。僕が貴族と認識されることの方が珍しかったし、僕自身も農民と貴族の違いが良く分かっていなかった。

 

「やっと仕事が終わったのかポッド。飲みに行こうぜ」

「ポッドー、よくあんな偏屈爺さんに囲まれて息が詰まらねえな。私にはマジで村長無理だわ」

「リーゼは元々、頭脳労働に向いてない……かも?」

 

 その、僕と一緒に泥だらけになって遊びまわった幼馴染たち。その中で、美しい長髪の明るい少女リーゼに、僕は恋をしていた。

 

 父は別に身分の違いを気にしない。貴族同士での結婚を強いることもない。

 

 だからその気になれば、僕は村長命令としてリーゼを娶る事も出来た、のだが……。

 

「何だよ、人を馬鹿にして。ラルフ、何とかいってよ」

「……いや、リーゼは馬鹿なのは否定できない。俺はリーゼを愛しているが、仲間に嘘だけはつけないんだ」

「おうコラ、喧嘩なら買うぞラルフ」

 

 リーゼには、もう好きな人がいて。それをうっすら察していた僕は、誰に想いを悟らせぬままにリーゼの結婚を祝福したのだった。

 

 好きな人には、幸せでいて欲しいから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕が父から『村長』を受け継いで2年。

 

 村の老人に助けてもらいながら、僕は何とか村長の仕事をこなしていった。実際、そこそこに上手くやれていたと思う。

 

 大きなミスもせず、領主様の機嫌を損ねることも無く。そんな、平穏な日々が続いていたある日。

 

 

 

「領主様が、倒れられたらしい」

「跡継ぎは、まだ19歳の長男だとか」

「……おいおい」

 

 まだ2回ほどしか顔を合わせたことの無い、領主の訃報が村に届けられた。聞くと、僕の父と同じ流行病らしい。

 

 もうすぐ特効薬が開発されるらしいが、間に合わなかった様だ。

 

「もう、結構な年だったしな」

 

 死んだ領主は50近く見えた。老けていただけかもしれないが、20代半ばで死ぬことも多い今のご時世ではそこそこに大往生と言えるだろう。

 

 跡継ぎの年齢が若すぎてやや不安ではあるが、きっとこれからも大きな違いはあるまい。

 

 その時は、勝手にそう思い込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「久しいな、村の長ポッドよ。改めて名乗ろう、俺はフォン・イブリーフ。この州の新たなる領主となった男だ」

 

 その、新たな領主に年に一度の報告に行った際。僕達の村の、全てが壊される事になった。

 

 この男は視察として僕達の村に来たことがあるらしく、僕の名前も覚えられていた。……そういえば記憶の彼方、貴族がレイゼイ爺さん達の家に話をしに来たことがあった気がする。その時だろうか。

 

「俺が治めることになったからには、今までの様な怠惰な生活は認めない。農民共を発奮させ、よりこの州を発展させてやる」

「……具体的には」

「開墾せよ。生産力の増多こそ、国の発展と同義である」

 

 そして。そのフォン・イブリーフと言う男は今までの領主と違い、限りなく上昇志向だった。

 

「ポッドよ、貴様の村に周知せよ。貴様らの現在の農地面積の、1割の田畑開墾を命ず」

「1割ですか!? は、はあ。ですが誰が開墾し、そして増えた畑を耕すのですか? 移民でもいるので?」

「貴様らだ。1割ほど忙しくなったところで、人間は死にはしない。貴様らの集落が、人口増加傾向にあるのも知っている。好きに村民に仕事を割り振れ」

 

 随分と気軽に言ってくれる。田畑が拡大するのは悪い事ではないが、開墾がどれだけ大変な作業か理解しているのだろうか?

 

 僕達の集落も100年単位の長い時間をかけ、少しづつ開墾を進めてきた。そして、今の田畑面積となっているのに……、たった1年で1割も?

 

 ただでさえ忙しい農作業の間にそんな事をしたら、過労死する人が出てくるかもしれない。なんとか、この命令は撤回して貰わないと。

 

「領主様。お言葉ですが、それはわが村の人手的に厳しいかと」

「他の村では、同じ内容の課題をやってのけると言った。お前らは出来なくて、その村が出来る理由はなんだ?」

「人手の違いでしょう」

「違うな。お前は出来ないと決めてかかって、諦めているだけだ。貴様らの村が周囲と比べても良く発展しているのは知っている、むしろ人手は多いはずだ。あまり怠惰なことを抜かすと、この場で首を切り落とすぞ」

 

 ちゃきん、と領主は剣を抜く。その眼は鋭く、構えた剣には小さな血錆が付いている。

 

 ……本気だ。この男、本気でさっきの命令を断れば僕を切り殺すだろう。

 

 なるほど、だから、他の村も今みたいな無茶な課題を受け入れたのか。くそったれ。

 

「……わ、分かりました。村で相談してみます」

「ほら、出来るのだろう。ならば最初からそう言え、貴様の怠惰が俺に数分の無駄な時間を取らせた。よく反省しろ」

「……申し訳ありません」

 

 そんな罵倒を浴びせられ、はらわたが煮えくり返りそうになる。出来る訳ないだろ馬鹿じゃねーの、という悪態が喉元までせり上がってくる。

 

 ダメだ。この領主、農民の実際を何もわかってない。

 

「ですが、領主様。せめてお願いがあります」

「何だ、言ってみろ」

「開墾を指示するのであれば、当然に人手ではそちらにとられます。今まで通りの田畑運用は難しく、例年通りに税を納めるのは難しいでしょう。来年の、減税をお願いしたく存じます」

「ハァ!!? お前は馬鹿なのかポッドとやら!」

 

 せめて。せめて、減税してもらえるのなら。

 

 普段畑仕事をしている人間を、開墾に回すことが出来ればなんとかなるかもしれない。そう考えての、お願いだったのだが。

 

 

 

「お前の村は田畑が1割増えるのだぞ。治める税は、今年の1割増しだ」

「……は?」

「税は、その年の田畑の面積により課せられる。来年は開墾されるのだから、1割多くの税を用意しておけ。そんな計算も出来んのか貴様は」

 

 

 

 若く無知な領主の指示は、まさかの増税であった。

 

「ああ、知らないと思っているなポッド。貴様の村の倉庫に、数年分の小麦の貯留があるのだろう。それを吐き出せと言っている」

「は? ……領主様、何を?」

「無駄な貯蓄は経済の停滞を産む。お前らの集落以外にも多くの村があり、貧困に喘ぎ明日の飯がない村も多い。比較的裕福なお前らの村は、課税対象なのだ」

「いえ。あの倉は、わが集落の名産である麦酒の鋳造所です。あの倉庫の麦は発酵させる用のものが殆どですし、アレを持っていかれたら酒造が出来なくなります」

「それが?」

「そうなれば商人は我らの村に足を運ばなくなり、我らの村は困窮するでしょう。領主様の言う他の村の様に」

「その通り、他の村も貧困にあえいでいる。次は貴様らの番だと言うだけだ、今まで甘い汁を吸い過ぎたな」

 

 何を、勝手な。何を、知ったような口を。

 

 ああ、この領主は僕達の努力を知らない。僕の祖父の代にどれだけ貧困に苦しみ、そこから必死で発展させてきた村の軌跡を知らない。

 

 祖父の代から粛々と酒造業を発展させ、父の代で頭を下げて新たな商人を呼び込み、数十年がかりでやっと村から貧困を消すことに成功した僕達一族の努力を知らない。

 

 貧困に苦しむ村と、平和で活気あふれる村にどんな違いがあるのかを理解していない。

 

「俺は州の長として、民に発展を強いる。最初は怨まれるかもしれないが、10年後には俺への感謝と称賛の声で溢れているだろうさ」

「……お考え直しください。そんな事をすれば、我々の村は─────」

「はぁ。辺境で農民と戯れる下級貴族には難しい話だったか。まぁいい、貴様に理解できなくても出す命令は変わらん」 

 

 若い領主は、フォン・イブリーフは僕を見下してこう言った。

 

「以上の命令を村民に伝えろ、村長ポッド。貴様には数名ほど補佐をつけてやる、未熟そうな貴様でもうまくやれるようにな。まぁ、監視の意味も込めているが」

「監、視」

「貴様らがまともに働くか、監視だ。人は、目の届かぬところでどこまでも怠惰になるからな」

 

 ……それは。かつてない、僕達の村への試練だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「出来る訳が無かろう」

「……」

 

 レイゼイ老人の第一声は、それだった。

 

 そりゃあ、そうだ。僕だってそう思う。

 

「その若造に、何で言い返さなかったポッド」

「言い返しましたよ、そしたら血のついた剣を抜かれて」

「……なっとらん。ワシなら首を斬られようと、その領主の顔に噛みついたと言うのに」

 

 領主からの『命令』を、村のみんなに相談した時。普段は優しいレイゼイ老人が、顔を真っ赤にして怒り声を上げていた。

 

「怠惰? ただの貴族の坊やが、日々あくせくとお日様の元で働き続けてる私達に向かって怠惰っていったのかい?」

「随分と若いから心配していたけど……、そんな白痴の様な領主でこの州は大丈夫なのかい」

「大丈夫な訳が無かろう」

 

 会議場で新しい領主への、不満が吹き出る。 

 

 1年で1割も開墾出来るなら、10年ごとに田畑の面積は倍々になっていくだろう。そんな有り得ない急成長が増税された状況下で出来てたまるか。

 

 そして、そんな簡単な事すら「分からない」若すぎる領主。この州に未来はないかもしれん。

 

「ポッド、あんたはもう長旅で疲れただろう。休んでおいで、私達が話し合っておくから」

「……すみません」

「ああ。ポッドには折り返してもう一度領主様に直訴して貰わなきゃならん。そんな頭の悪い命令は、なんとしても取り消してもらわんとな」

 

 老人会への報告を終えた僕は、婆さんの勧めで尋常でない疲労感と共に帰宅することになり。

 

「領主にはガツンと─────」

「言ってもわからなそうなら、別の手で─────」

 

 怒声の蔓延る会議小屋を背に、僕はゆっくりと家に帰った。

 

 

 

 

 

 

「おかえりなさい、ポッド様」

 

 数名の、見知らぬ他人が我が物顔で占拠する我が家にたどり着く。

 

 家でくつろいでいるのは、フォン・イブリーフから派遣された彼の私兵、合わせて5名。彼らは残念ながら、僕の「客」である。

 

「僕は部屋に戻り寝る。君たちは勝手にしていて」

「はい。ポッド様、村の皆様にご理解いただけましたか?」

「理解できるわけないだろ」

「……はぁ」

 

 この集落で一番大きな屋敷は、仮にも貴族の称号を持っていた我が家であり。父が死んで、空室も有ったので。

 

 監視のために領主から備え付けられた兵士数人は、僕の家で寝泊まりする事になっていた。

 

「ポッド様は、ご理解いただいているんですよね?」

「……」

「農民共に騙されちゃだめですよ。アイツらはサボる事を覚えたら、とことんまでサボりますからね。本当は出来ますって」

「俺達だって力を貸しますから」

 

 そんな、頭の中まで領主に染まった馬鹿兵士共を背に、何も言い返す気力が起きない。そして僕は、死んだようにベッドに身を投げて眠るのだった。

 

 ────ああ。これから、どうなるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーっ!!!」

 

 

 

 その、耳障りな罵声に僕はゆっくり瞳を開く。

 

 時刻は、深夜。村の中で、誰かが大騒ぎしている。

 

 何やら、村で事件が起こったいるらしい。

 

 ……誰か喧嘩でもしているのだろうか。なら眠たいけれど村長として、外の様子を見にいかねば。

 

 欠伸を一噛み、立ち上がり。既に闇に包まれた村の畦道を、僕は寝ぼけ眼を擦りながら歩いていると……。

 

 

 

「おとなしくしろ!!」

「離さんか!!」

 

 

 

 その罵声は、明かりの灯った会議用の小屋から聞こえてくることに気が付いた。

 

「……おい、まさか」

 

 嫌な予感がする。たらりと汗が頬を伝う。

 

 そういえば、さっき僕の家に彼らが居なかった。

 

 僕の家に屯しているはずの、バカ領主の私兵どもが────

 

 

「この、反乱者どもめ!!」

「出来る事かどうかの区別がつかぬ、愚か者に従う気など無いわ!」

 

 

 ああ、案の定。会議小屋には5人の兵士が乱入し、老人会の人々を威圧していた。

 

「甘い汁を吸えなくなるのがそんなに辛いか農民! 蓄えに蓄えやがって」

「ワシらの育てた作物を、我らが蓄えて何が罪か!!」

「戦う脳のない貴様らは、せめて生産物を国に捧げるのが義務だろう。何を勘違いしている!」

「勘違いしているのはどちらだ! ワシらは奴隷じゃないんだぞ!!」

 

 兵士達は既に剣を抜いており、一触即発の様相を呈していてる。ああ、何でそんな事に。

 

「待て! お前ら、何をしている!!」

「これは、村長様。村を警備していたら、この連中が不穏な話をしていたのでね。何でも、領主様を害するだとか」

「言葉の綾じゃろうが!! 大体あんなアホみたいな命令を出すガキんちょを、領主などと認めはせんわ!!」

 

 その問答で、大体の状況はつかめた。

 

 きっと、老人会では領主の不満で大盛り上がりしていたのだろう、それを、何故か勝手に家を抜け出て見回っていたこの私兵に聞きとがめられたらしい。

 

「問答無用。村長殿、コヤツらを拘留します。牢屋へ案内してください」

「牢屋だと!? 貴様ら、何の権限があって」

「領主様を害する計画を立てた謀反人共。彼らを捨て置く理由がどこにありますか」

 

 ……これは、マズい事になった。彼は僕に、見張りとしてついてきている。

 

 何か領主に不都合な事が在れば、即座に報告するのが役目。謀反人がたくさんいるなどと報告されたら、この村は終わりだ。

 

 何とかしないと。

 

「私兵ども、引け。彼らは領主を害するつもりなどない!!」

「ですが、私は聞きましたよ。そこの老人が、はっきりと『殺してやる』と言ったのを。こんな夜中に大勢集まって、そんな物騒な話をしているとなれば報告せずには────」

「誤解かもしれないだろう!! その言葉を僕が聞いた訳ではない、君達の発言のみで判断するのは憚られる」

 

 僕は必至で、老人会と私兵の間に割って入り。懇願するように、彼らを窘めた。

 

 冗談じゃない。ただでさえ無理難題を撤回してもらわないといけない状況なのに、これ以上心証を悪くしてたまるか。

 

「だが、確かに我々は聞きましたよ。それに今の彼らの態度、それ自体が最早証拠では」

「だがっ────」

「それとも。彼らの企画する謀反は、貴方も含めたこの村全員の総意なのですかな。なのでしたら、報告の内容が変わりますが」

 

 ……ぐ。

 

 マズイ、マズイぞ。いくら若造の領主だとしても、権力は本物だ。先代領主の時代から、賊の討伐や外征を繰り返してきた屈強な正規兵は彼の一声で動くのだ。

 

 この村で反乱が計画されてるなんて報告されてみろ。皆殺しにされて終わりだ。

 

「……今日はもう遅い。明日、明日改めて事の精査を行う」

「では、彼らはどうします。まさか、捨て置くのですか」

「彼らの住居はここだ。逃げ出すような事はない」

「彼らが反乱軍であれば即座に逃げ出すでしょうな。何故勾留しないのです? 理由が何もありませんが」

 

 くそ。たった5人の、しかも貴族でもない私兵の癖に何を偉そうに。彼らは村で一番偉い、僕達の祖父母の様な人達だぞ。

 

 だが、奴等は自分の思い通りに報告する事が出来る。……逆らわぬが、得策か。

 

「……なら明日まで、彼らを勾留する」

「それがよろしいかと」

 

 涙を飲んで。僕は、普段から世話になっていた老人会の面々を捕らえることにした。

 

 許してほしい。彼らを怒らせるわけにはいかないんだ。

 

「ポッドっ……!」

「レイゼイさん、堪えてください。明日、何とかして見せますので」

「……」

「信じてください」

 

 この場を納めるのに、ケチをつけられる手段を使っちゃいけない。村長権限でうやむやになんかしたら、それこそ即座に報告されて面倒なことになる。

 

 だから、正攻法だ。明日、簡易裁判を開いて何とか罪に問わず終わらせるしかない。裁判の結果、公正にレイゼイさん達の無罪を宣言できればどう報告されても言い訳できる。

 

「……ぐぬぬ」

「おい、ついてこいお前ら」

 

 偉そうな態度で、自分より年上の老人会の面々を引きずる兵士ども。そんな彼らを、見送る事しかできない僕。

 

 腸が煮えくり返る思いだ。いつも僕を助け、相談に乗ってくれたお爺ちゃんお婆ちゃんが手荒に扱われる様は胸がかきむしられる。

 

 だが、僕は村長。村の責任者。個人の感情で動いて、村を滅茶苦茶にするわけにはいかない。

 

 ここは心を鬼にして、彼らを牢屋に入れるんだ。そして今夜は徹夜で、過去の裁判資料と法務書を読みふける。

 

 絶対に助けてやる。これ以上、あのクソ領主の好きにさせなるものか。

 

「村長殿は休んでおいてください。後は我らが」

「……彼らを手荒に扱わないでくれ。くれぐれも、な」

「はぁ」

 

 いち早く。僕は自宅の書斎に舞い戻り、眠い眼をこじ開けて資料を探し始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ。殺しましたよ全員」

 

 それが。明朝の、僕が受けた報告だった。

 

「隊長である私は、一応貴族に準じた権力は持っているんです。庶民程度であれば、裁判を通さず処刑できます」

「いちいち裁判を開くのは無駄ですからね。こんな明らかな反逆者ども」

「此処にいる全員と、貴方の証言があれば問題ないでしょう。貴方も聞きましたよね、彼らの領主様への暴言を」

 

 その小屋は、血に染まっていた。

 

 地面に敷かれた藁の上に、乱雑に7つの生首が並ぶ。その真ん中には、僕の祖父代わりだったレイゼイ爺の顔が無造作に打ち捨てられていた。

 

「私達は夜通し働いて、疲れました。申し訳ないが、少し休ませてもらいます」

「庶民への説明は、この村の長たる貴方から行うのがよろしいでしょう。彼らの処刑された意味と、その末路を告知してくださいな」

 

 彼らが何を言っているのか、理解できなかった。

 

 昨日必死で書き留めた、過去の判例のまとめが僕の腕から零れ堕ちた。

 

 僕を可愛がってくれた村の爺婆が死んでしまった。こんなにも、あっさり────

 

「何故、こんな勝手なことをした」

「勝手? 何がです」

「何故、レイゼイさん達を殺した」

「反逆者だからですよ」

「それを判断するのは君達ではない。この村の長は僕だ。何故、勝手に行動した」

 

 怒りで手が震える。

 

 憤怒で、頭がのぼせ上がる。

 

 許せない。殺してやる。僕の家族に、大事な仲間に、こいつらは何をした。

 

「やだなぁ、何を怒ってるんですか村長殿。気を利かせたつもりだったんですがね」

「王都じゃ、こういう場合は裁判省略して即処刑が普通ですよ? 何を怒ってるんですか?」

「あれは言い逃れできないですよねぇ」

 

 ……それは、お前らが勝手に考えた事だろうが。

 

「この村のルールは僕だ。お前ら、何を勝手なことを!!」

「あーはいはい、ゴメンナサイ。そう怒らんでくださいよ、こっちもサービスで夜通し仕事した明けなんですよ? ちょっとはその辺汲んでくださいって」

「うるさいっ!!」

 

 誰がそんな事を頼んだ!! 誰が、そんな勝手な!!

 

「それとも、何ですかい? もしかして、村長もあの反逆者共のお仲間で? なら、すぐさま切り殺して領主様に報告しないといけねぇんですが」

「貴様らが僕に断りもなく、裁判もなく!! 勝手なことをしたから怒っているのだろうが!!」

「あーはいはい、それは私が悪うございました。まったく、ケツの穴の小せぇお方だ」

 

 殴り飛ばしてやろうか。ここで皆殺しにしてやろうか。

 

 許せない、こんな、こんな残酷な─────

 

 

 

 ……奴らは、剣の柄を握っている。

 

 ここで僕が暴れても、戦闘経験も人数も勝る奴らの方が強い。

 

 ここで僕が暴れたら。僕は殺されるだけじゃなく、この村は反逆者集団とみなされて攻め滅ぼされる。

 

 ─────そうなれば、父に顔向け出来ない。

 

 

 

「行け。二度とこんな勝手をするな」

「へいへい。寝るぞお前ら」

 

 

 

 震える声で、怒りを抑え。僕は、兵士どもに家に戻るように告げた。

 

 カツカツ。血濡れの兵士たちは、楽し気に談笑しながらその小屋を後にする。

 

 村の生き字引たちが集っていた、赤黒く変質した村の小屋を後にして。

 

「─────ぅ」

 

 そして僕は膝をつく。

 

 7人の被害者を前に。助けられなかった、僕の大事な家族たちを前に。

 

「くぅぅぅぅぅ─────」

 

 鼻水を滴らせ、はらはらと流涙する目を拭くことすら忘れ。声にならぬ慟哭を上げ、地面を何度も何度も殴りつけながら号泣したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……殺す」

「待ってくれ」

 

 明朝。僕は、村人を集めて事の顛末を説明した。

 

 老人会の反応と、兵士どものやった凶行。そして、二度と帰って来ない人々。

 

「その兵士どもに合わせろポッド。地獄を見せてやる」

「その為に俺達を集めたんだろ。武器を取ってくる、待っててくれ」

「違う」

 

 仲間たちの反応は、激怒なんて言葉では物足りない。彼らは村の長老であり、父であり、母であった。

 

 老人会の惨殺はすなわち、僕たちにとって親を殺されたにも等しい。その怒りを表現するなど、容易いことではない。

 

「……頼む。何とか、彼らに逆らわないでくれ」

「ポッド。そりゃどういう意味だ」

 

 だからこそ。僕は必死で、彼等を宥めた。その激情の先にある景色は、無惨な末路だと理解しているから。

 

「奴等はそもそもが見張りの役目だ。無理難題を押し付けられた民が、領主に対して反乱を起こさせないようにする為のな。……手を出せば領主に密告されて、最悪村ごと滅ぼされる」

「でもよぉ!」

「分かってるさ!!」

 

 皆の気持ちも、痛いほどに分かる。叶うならば僕も今すぐ、復讐の業火に身を委ねてしまいたい。

 

 だが同時に、僕は知っているのだ。この州の正規兵の強さを。数を、質を。

 

 先代の頃から国境付近の小競り合いに度々出陣し、容易く敵を撃退し続けた彼らの練度を。

 

「お願いだ。……無力にも、僕達程度じゃ領主には逆らえないんだ。涙を堪えてくれ」

「……」

「誰かが怒りに負けて、彼らに手を出せば。村の住人は皆殺しにされ、僕らの財産を好き勝手に略奪する口実を与えるだけなんだよ」

「ポッド……」

「気がすむなら、代わりに僕を好きなだけ殴ってくれて構わない。彼らに手を出すのだけは────やめてくれ」

 

 泣きながらも、僕は頭を下げる。

 

 今回の事件、兵士どもの手綱を握りきれなかった僕の責任だ。だから、好きなだけ殴ればいい。

 

 しかし僕は村の長として、この村を守り抜かないといけない。それが父との約束で、僕の使命なのだ。

 

「……ここは。僕に好きなだけ怒りをぶつけて────そして、どうか耐えてくれ」

「……」

 

 そういい、7つの生首の前で土下座を決め込んだ僕に。

 

 村の皆は、各々無言のまま……、険しい表情で、立ち去った。

 

 7人の遺体を埋葬するべく、墓地に向かって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや、そんな臍を曲げるとは思わなくてですね。中央ではむしろ、何もしなきゃ『何故あの者共がまだ生きている』とか領主様に言われて鞭で打たれてたくらいでさぁ」

「勝手に殺しちゃいかんなら、先にハッキリそう言っとくべきだと思いますがね。それで拗ねられたらたまんねぇですよ」

 

 家に帰ると。酒盛りをしていた兵士どもが、頬も赤くそんな文句を垂れて来た。

 

「他に、何かやっちゃいけないことは有りますかい? あれば、先に言っといて貰わんと。こんな辺境の村の掟とかいちいち把握しちゃいないのでね」

 

 ……彼等の、その態度は。まるで『器量の狭い上司に当て付けをする部下』のような口ぶりで。

 

「……」

「もう無いんですね? 後から文句とか言われても知りませんぜ」

 

 彼等と関わっていたら、精神が持たない。怒りで気が狂いそうになる。

 

 僕は意図的に彼等を無視し、自室に籠ると。声を圧し殺して泣き、そのまま泥のように床についた。

 

 昨夜から、一睡もしていないのだ。色んな事が重なって、僕はもう限界だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ポッドや』

 

 夢の中で、老人の声がする。

 

『ポッドや、ポッド。何故ワシの仇を討ってくれない?』

「レイゼイ、さん?」

『あんなに可愛がってやったのに。共に村のことを考え、話し合ったのに。ワシが死んでも、どうでも良いのか?』

「……ち、違う。違うんです」

『殺してくれ。あの腹が立つ兵士どもに地獄を見せてやれ。恨めしい、恨めしい。ああ恨めしい────』

「やめてください。やめてくれ! 僕がそんな、怒りに飲まれたらこの村はっ!!」

『殺せ。殺せ、殺せぇ!!』

 

 それは、慟哭。

 

 夢の中に出てきたレイゼイ老人は、僕を復讐へと駆り立てる。悪辣な領主への恨み辛みを重ねながら、地獄を見せろと叫び続ける。

 

「許してください。許してください……」

『殺せポッドォ! 奴等を皆殺しにしろぉ!!』

 

 その夜。僕は一晩中……、夢の中でレイゼイ翁の呪詛をその身に浴び続けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……酷い顔をしている」

 

 翌日。鏡越しに自らの顔を見て、思わず独り言がこぼれた。

 

 色濃く浮き上がったクマ、こけた頬に視点の合わぬ目。たった一晩で、こうも人間は変わるのか。

 

「……そうだ。レイゼイさん達に代わって考えないと」

 

 だが、僕に休んでいる余裕はない。何とか領主を言いくるめ、先の命令を撤回してもらわねば。

 

 資料を集め、現実的に不可能だと領主の前で証明して見せねば。この村の見取り図と、田畑の所在とその運用について記載した表を使って何とか説得しないと。

 

 1つの村だけで、直訴しても二の舞になる。近隣の村落を巻き込んで、撤回して貰うべきか。

 

 うちの村の田畑面積は既に他の村より遥かに多いことを示し、ここから1割増やすことは非現実的だとアプローチすべきか。

 

 ……僕らの頼れる生き字引達は、もはやこの世にいないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ポッド。お前大丈夫か?」

 

 ふら、ふら。何故か力が入らぬ足を引き摺り、村の書庫を目指す僕に声をかける人がいた。

 

 それは、

 

「何て顔、してんのよ……」

「……顔、酷い」

 

 僕の大好きな、3人の幼馴染み達だった。

 

 

 

「ポッド。お前、あの連中のしでかしたことを許すのか」

「……許せないよ」

 

僕の幼馴染の第一声は、やはりあの兵士共への不満だった。

 

「なら、ぶっ殺すか」

「それも、出来ない」

 

 彼らも怒り心頭なのだろう。とくに今回の虐殺で祖母を失ったラルフは、尋常でない殺気を纏っている。

 

「あいつら、農民を……俺達を人として見ていない」

「あんな連中に従っていられないわ。思い知らせてやらないと」

 

 何も考えていないのだ、あのアホ兵士は。彼らの住む大きな街であれば、民を雑に処刑しようと『逆らえば即座に仲間の兵士が集まってきて殺される』のだから。

 

 その権力で自らの立場を勘違いし、『自分たちは民を殺せる偉い人間』だと思い込んでいる。他人の命を奪える権利など、誰も持っているはずがないというのに。

 

 ……だが。

 

「ラルフ。僕は知ってるんだよ、領主軍の強さを。この村程度、1日もかからず滅ぼされる」

「……それで、涙を飲んでんのか」

 

 ここで安易に彼等を害することが、きっと惨劇の引き金なのだ。

 

「それでポッド、あんたどうするつもりなの」

「領主に報告して、それで────どれだけ不満が上がっているかと、現実的に可能かと言う視点からもう一度命令を撤回できないか説得してみせる」

「……無理、し過ぎ?」

「僕がしなきゃ。もう、レイゼイさん達はいないんだから」

「ポッド……」

 

 だから。だから僕は、何とかして。

 

 父から託された、レイゼイさん達と築き上げた、大好きなこの村を守り抜かないと。

 

「ごめん、もう行かなきゃ。あんまり、時間無いんだ……」

 

 眩暈と頭痛に耐えながら。僕は、あの領主を説得すべく資料集めを続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「帰れ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「甘えるな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「聞く耳持たん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが僕が何度足を運んでも、領主に取り次いで貰えなかった。

 

 下っ端が出てきて決まり文句を言うだけだ。「領主は忙しいのでお会いする事はできません」、そして「そういう陳情に対しては領主様から言葉を預かっております」と。

 

 あまりにも同じ様な陳情が多く、いちいち対応していられないのだとか。

 

「……5村共同の陳情でもですか?」

「領主様は改革を進めている最中です、時間に余裕がありません……。書類はお預かりしますからご安心ください」

 

 ……果たして。我々の村と同じ様な陳情が多い理由を、彼は理解しているのだろうか。

 

 これじゃ、ダメだ。どんなに、どんなに丁寧に説得材料を纏めても、領主に陳情できないんじゃ意味がない。

 

 どうせあの男は目も通さず「甘えた農民の戯言」と一蹴するだけ。

 

「……また、来ます」

「いえ、もう来なくとも構いません。それより開拓に専念していただけると助かります」

 

 ……どの口がそう言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このまま、年を越したらどうなるだろう。

 

 このまま、来年に無理難題を達成できなければ何を言われるのだろう。

 

 僕達と同じように無理難題押し付けられた村の殆どが達成できなければ、あのバカ領主も考えを改めるのだろうか。

 

 いや。きっと幾つかの村は、あの難題を達成している筈。そして、鬼の首をとったかのごとく「~村は出来た事だろう。貴様らの努力が足りなかった」云々を説教されて厳罰を処される。

 

 うちの村は既に発展しきっている。田畑面積も限界まで開拓している。ここからの1割増畑は、無茶以外の何者でもない。

 

 だが、未開拓な村なら。まだ興したばかりの新規開拓村は、1割開拓は無理すれば何とかなるはず。

 

 そして、その村としての発展度の違いを理解する知能を、あの領主は持っていないだろう。

 

「……来年の領主との対面が、勝負か」

 

 今年は、きっとどれだけ言っても聞き入れられない。自分の出した命令がいかにバカらしいか、理解していない。

 

 だから、来年。多くの村が「達成不可能」だと報告すれば、理解する可能性もある。

 

 何とか言いくるめないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、冬。かじかむ手を押さえ、皆が雪掻きを始める頃。

 

 僕たちの村に、事件が起きた。

 

 

「この村、禁欲的すぎますって。たまには羽目を外さんと、士気にも関わる」

 

 

 村の若い娘が、兵士に襲われたのだ。それも、嫁入り前で婚約者もいる女性である。

 

 深夜であったが襲われた娘の必死の抵抗と金切り声で人が集まり、何とか事なきを得たものの……。

 

「非番の日に夜這いくらい良いでしょうが」

 

 とうの本人に、全く反省が見られない。むしろ、恥を掻かされたと腹をたてている節すらある。

 

 俺についてくれば王都でいい暮らしが出来るのに、とボヤくその男。村の法に則り、不貞の夜這いは百叩きにする事とした。

 

 ……だが。

 

「農民の法を、準貴族の俺達に適用されても困ります。別に農奴に手を出そうが王都では罰されません」

「ここは、王都ではない」

「我々は王都の所属です。それに俺、確認しましたよね? 我々はこの地の掟とか知らないので、他に注意しておくべき事はないかってね。聞いてませんぜ、夜這いが駄目なんて」

 

 嫁入り前の娘を夜這ってはいけないと、いちいち説明されないと理解できないのだろうかこの男。

 

「困るんですよね、こんな手で人を罪に問おうとして。そんなに監視されるのが不都合で?」

「……」

 

 だが、この男は本気だ。本気で「農民ごときを夜這いして罪に問われる理由が分からず」、この判決を「監視している自分達に対する難癖」だと思っている。

 

「なら、相応の報告はさせて貰いましょうかい」

「……」

 

 

 

 

 

 

 彼は、特例で恩赦とした。

 

 幸運にも、被害はなかった。だから次は無いと告げて、謹慎で済ませた。

 

 余計な報告をされる方が、面倒だと思ったから。

 

 

 

 

 

 

 

 この辺りから、村の僕への態度が少しよそよそしくなった。

 

 不信感だ。王都から来た人間を、個人の意思で優遇し庇っているように見られたらしい。

 

 無理もない。実際に、そうしているのだから。

 

 ポッドも所詮は貴族。ポッドも兵士も、同じ権力者という立場の人間。村の仲間からは、そう映ったようだ。

 

 変わらず接してくれるのは、幼馴染み連中のみ。段々と、村に僕の居場所がなくなってきた。

 

 

 だとしても。僕のやることは変わらない。

 

 父から受け継いだ使命。犠牲になったレイゼイさんへの義理。僕はこの村の村長だ。

 

 守り抜く。何としても、あのふざけた領主から守り抜いて見せる。

 

 嫌われたっていい。恨まれたっていい。僕は、この村が好きなのだ。

 

 僕をこの年まで育ててくれた豊かなこの村に、恩返しをしたいのだ。

 

 

 

 

 

 

 そして、半年が経った。

 

 初夏。もう少しで、僕が領主に報告に旅立つ季節である。

 

 毎年収穫の直前に、領主に報告にいくのが通例なのだ。

 

 だと言うのに。

 

「なぁ村長。春も過ぎたってのに、全然開墾が進んでませんぜ」

「誰かが人望ある人手を切り殺したからな」

 

 当然、開墾など進んでいる筈もなく。それどころかむしろ、昨年まで運用できていた田畑が一部荒れ果てている始末である。

 

 この小さな村で7人も切り殺されたのだ。至極当然の帰結だった。

 

 この現状に指を咥えて見ているつもりはない。僕は、この責任は兵士にあると報告するつもりだ。

 

「へぇ? 村長は反乱因子も人手と見なしているので?」

「僕からは、君達といさかいが起きただけで反乱因子には見えなかったんだがね。兵士と村人のいさかいの結果、兵士が自分の判断で「反乱因子」と決めつけ勝手な処刑を行い、結果人手不足に陥った。僕の口からはそう報告させてもらうよ」

「反乱因子は反乱因子でしょう。あんな老人ども殺してどれだけ影響がある。責任転嫁も過ぎると呆れられるだけでさぁ」

「ならばそう報告すればいい。僕も君も、嘘偽りない事実を報告するのが仕事だろう? その1件で、村の協力が得られなくなったのも事実。なら、僕の口からはそういう報告になるだけさ」

 

 何も領主に告げ口するのは彼らの特権ではない。逆に、彼らがいかに村の発展に迷惑な存在だったかを報告すれば、あの領主も閉口するかもしれない。

 

 ……そう、持っていくしかない。彼らの責任と言う落とし所に持っていかないと、ますますうちの村は無理難題を押し付けられ破綻するだけだ。

 

 この半年、その為の準備はしっかりしてきた。提訴書類も揃えたし、彼らの言動の一つ一つを記録して纏めた。

 

 後はあのアホ領主がどう判断するかである。

 

「言いたかないがあんた、人の上に立つのに向いて無いですわ。器がちっちゃい、嫌がらせも下らない、小さなミスをねちっこくつつきなさる。挙げ句仕事が失敗したら何もかも部下に責任押し付け、ってねぇ」

「結構。僕ぁ安易に民を害する君達も、兵士に向いてないと思うね。お互い様さ」

「違ぇねぇ」

 

 けっ、と。反吐でも出しそうな顔で、その兵士の男は僕を睨み付けて。

 

「最低の一年でしたよ、村長様」

「こっちこそ」

 

 最早彼等に占拠された僕の屋敷へと、足早に立ち去っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さあ正念場だ。

 

 この一年間、僕は必死で耐え続けた。あの最低な連中を家に住まわせ、聞くに耐えない身勝手な愚痴を聞き流し、やっとこの季節がやってきた。

 

 この村から奴等を追い出せるチャンス。クソ領主に文句の限りをぶつける機会。あの意味不明な命令を撤回させる、唯一の可能性。

 

 

 僕はレイゼイさん達の遺志を継ぎ、この村を守らねばならない。その為の準備は、出来る限りやった。

 

 後は────どう転ぶか。それだけである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それだけ、だったのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……今、何て言った?」

「あの兵士どもをボコボコにして、村から叩き出した」

「どうして」

「理由を聞かないと分からんかポッド。やはりお前もそっち側なんだな」

 

 

 兵士達が村から引き払うときいて、一部の暴走した村民が『敵討ち』を実行したのだ。

 

 数で勝る農民には、剣を持っていようと兵士ごときでは対抗できず。

 

 結果、5人いた兵士のうち3人は殴り殺され、残った2人は保々の体で逃げ出したとか。

 

 

「うちの嫁が兵士に脅されて、ちょくちょく襲われてたんだそうだ。それ聞いて、ぶっ殺すことにした」

「そもそも私は、あの連中に母様を殺されてるんだよ? 何の報復もせず帰すとかありえない」

「あの連中、もうすぐ王都に戻っちまうんだろ? それまでに復讐しないと間に合わん」

 

 ……自分の顔が真っ青になるのが分かる。なんて事をしたんだ、彼らは。

 

 腹が立つのは分かる。復讐したい気持ちも理解できる。

 

 だけどそれを1年も堪え、今日まで過ごしてきた努力を投げ捨てやがった。

 

 自らの感情に飲まれ、暴走してしまった。

 

「……領主軍が来る。そんなことしたら、村は破滅だ」

「アイツらが悪いんだろが。それを領主に説明し、アイツらを処刑するのが本来の村長(アンタ)の仕事。……ずいぶん仲良くしてたみたいだけどなぁポッドは」

「あぁ……」

 

 どうすれば良い。こんな事件が起きては、反乱と思われない方がおかしい。

 

 あのクソ兵士の言い分に真実味が出るだけ。

 

 

 

 この一部の暴走のせいで、村ごと滅ぼされる────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……兵士に暴虐に対する恨み。それが今回の事件の発端です」

 

 

 

 

 

「ええ、勿論それは当然」

 

 

 

 

 

「今回の暴動に関わった皆を、捕らえることに異存はありません」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 領主への申し開きは、実に1日かかりだった。

 

 何でもこの1年、領内のそこかしこで暴動が起きており領主はその対応に追われっぱなしだったという。

 

 その領主は『暴動の鎮圧』として即座に兵を僕の村に派遣しようとしていた最中だった。僕が王都についた頃には、領主軍は既に出陣準備が終わっていた。

 

 そこから何とか僕は領主にゴマをすり、頭を下げ、兵士の行動の悪辣さを吹聴し。必死で出陣を止めるように嘆願した。

 

 村を守らねばならない。僕の大事な仲間を、幼馴染みを、故郷を守らなければ。

 

 

「……ならば今一度チャンスをやる。2度と農民どもに勘違いさせるな」

 

 

 そう言って領主は、新たな「監視兵」を10名僕につけて村への出陣を取り止めた。

 

 若き領主は既に疲れはてているように見えた。

 

 彼の政策は上手くいってない。農民に対する政策含め、何もかも前領主時代に発展していたこの州の財産を食い潰していると聞く。

 

 そして『誰も自分の理想を理解しない』と、日々ぼやいているのだとか。……人の事を理解しない人間が自分を理解して貰えると思うなよ。

 

 そして、それが逆に幸いした。兵士への暴行程度でいちいち村を襲撃していたら、村のほとんどを攻撃せねばならずキリがないらしい。

 

 村の長たる僕が陳情した事により、むしろ彼からして『出陣を取り止める理由が出来た』のだろう。

 

「犯罪者の首を並べ王都に持ってこい。さすれば、不問とする」

 

 それが領主フォン・イブリーフの下した裁定だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰かを殺さねばならない。今回の事件に加わった主犯格を、処刑せねばならない。

 

 だが、それは自業自得。元々、命懸けでの復讐だったのだろう。

 

 領主の兵に手を上げたのだ。むしろ温情判決と言える。

 

 だから、僕はその条件を村に持ち帰った。

 

 

 

 

 

 その、村へ戻る道すがら。僕と兵士達は、野盗を名乗る覆面の集団に襲撃された。

 

 ……付き合いの長い僕には分かる。村の連中だった。

 

 村の連中が、兵士を引き連れ戻ってきた僕ごと襲撃を計画したのだ。

 

 

「やあやあ、私はイブリーフ侯爵家三将の一人、ゾラである」

 

 

 彼らが不幸だったのは。監視の役目として僕に追従した兵の中に、領主軍の主力の一人たる猛将ゾラがいた事だ。彼が今回の報告役であり、村の治安を確認して帰ってもらう予定だった。

 

 その精強と名高い領主軍の猛将相手に襲撃してきた連中の半分はあっさり切り殺され、もう半分は捕らえられた。ものの数分の出来事だった。

 

 

 

 

 

 その時、気づいてしまった。村の連中は、僕をも攻撃対象にしていた事を。

 

 

 

 

 ぞろぞろ兵を引き連れ戻ってきた僕は、完全に敵と見なされたらしい。襲撃してきた村人は、僕ごと兵士を殺す算段だったようだ。

 

 それを悟った瞬間、僕のなかで何かが吹っ切れた。

 

 これだけ心を砕き、村のために奔走しているのに。彼らにとって、僕は村の敵でしかなかったのだ。

 

 僕は、村の仲間とはもう見てもらえないのだ。

 

 

「彼らこそ。前回の主犯にして、今回の現行犯ですよ」

「そうか」

 

 

 僕は兵士達にそう報告して。その場で、全員の首を落とさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 十数人の、村人の首を引っ提げ僕は自宅へと闊歩する。

 

 村へ戻った際、彼らの家族の顔が青くなった。だが知るもんか、彼らの自業自得だ。

 

「……領主は、この村が反乱を企てているのではないかと疑っている。先月、領主様の兵士を切り殺した悪漢が居たからだ」

 

 僕は兵士に囲まれ、村人にそう宣言した。

 

「そして今日、再び彼らは身勝手な襲撃を試みた。その末路がこれである」

 

 能面の様に、無表情に。ただ淡々と、事実を事実として宣言した。

 

「この村にはもう、こんなバカな真似をする人間はいないと信じる。ではゾラ様、どうぞ僕の屋敷へ」

 

 その僕の後ろで兵士達は村のみんなに睨みを聞かせ、無言で立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 襲撃者達の首を晒し、僕は村民に開墾を指示した。領主に逆らう意思はないと見せつけるために。

 

 僕に話しかけてくる村人は居なくなり、血に染まった兵士の剣に怯えて着々と開墾を進め出した。

 

 もっとも。村の民も大きく減り、作業量が倍増した今の状況で仕事が回るはずもなく。バタリ、バタリと過労でみんなは倒れていく。

 

 ……まぁ、仕方がないことだ。全てあのフォン・イブリーフと言う阿呆の責任である。

 

 僕のせいじゃない。

 

 

 

 

 

 やがて、僕の幼馴染みの一人であるアセリオが倒れた。

 

 

 

 

 

 彼女は少し変わったところはあるけれど、仲間内では一番おとなしく、優しく、慎み深い女性だった。努力家だが自らの努力を人に見せるのを嫌い、極限まで頑張ってコトリと糸が切れたかのごとく気を失うタイプの人だった。

 

 そんな彼女が倒れた直後。あまりに静かに倒れるその様子を見ていた兵士は、アセリオの気絶を『サボり』と判断し、何度も鞭で打ったという。

 

 録に休んでいなかった彼女は意識もはっきりせず、全身をボロ雑巾のように打ち据えられ高熱を出してウンウン魘されていた。

 

 今も彼女は大層、危険な状態らしい。だが、兵士は自らの職務に準じただけとゾラ将軍は判断し、その兵士を不問とした。

 

「おいポッド。アセリオはまだ苦しんでるぞ、何も言うことはねぇのか」

「……」

「まだ婚約者も決まってないのに。あんな、顔が腫れ上がるまで打ち据えられて可哀想と思わないの?」

「僕が指示したことじゃない。今の僕に、彼等をどうこうする権力は無い」

「……なぁポッド」

 

 兵士が不問になった件で、幼馴染み達は僕の家に押し掛けてきて不平不満をぶちまけた。

 

「アセリオはさ、お前を待ってたんだと思うぞ。お前が苦しんでいるのを全部受け止めるつもりで、いつか話してくれると待ち続けた」

「……それで」

「アイツは健気に待ち続けた。それで無理が祟ってああなっちまった。……でよぉ、ポッド」

 

 知ってるさ。彼女の優しさも、健気さも。僕だって彼女の幼馴染みなのだから。

 

「お前はさ、あの兵士達の言いなりで『逆らうな』の一点張り。村長の立場のお前が、ちょっとでも兵士から俺達を守ろうと努力したのか?」

「したつもりだよ」

「領主軍が怖いから。それを言い訳にして、俺達に我慢ばっかり強いてた様にしか見えなかったけどね」

「怖いもんは怖いさ」

「……なぁポッド。お前、アセリオが倒れたってのに何でそんなに冷静なんだよ。何で怒り狂ってないんだよ!!」

「さぁ? 何でだろう」

 

 言われてみれば、その通り。以前の僕なら、その兵士に怒り狂っていたに違いない。

 

 だというのに、不思議なことに……。僕には一切の怒りが沸いてこなかった。

 

「……っ。行こうリーゼ、こいつもうダメだ」

 

 その時僕は、きっとずいぶん間の抜けた顔をしていただろう。

 

 そんな僕を見たラルフは吐き捨てるようにそう言うと、リーゼの手を引き足早に立ち去った。

 

「……ああ、もう僕は怒るだけの元気がないのか」

 

 その数日後、アセリオは傷が化膿して昏睡状態となり、魘されながら息を引き取った。まだ20歳の若さだというのに、彼女は苦しみ抜いてこの世を去った。

 

 ……この1件がきっかけだったのだろう。とうとう、今まで話しかけてきてくれていた幼馴染み達も僕に声をかけて来ることがなくなった。

 

 僕は、正真正銘の一人ぼっちになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「楽しかったよな」

 

 その1週間後。とうとう、村人は蜂起した。

 

「落とし穴につまみ食い、木登りに魚釣り、弦楽祭に収穫祭。短い人生だったけど、今までずっと一緒に過ごしてきたアンタは私の友人だと思ってた」

 

 僕は結局、村の反乱を止めることができなかった。今まで散々苦心していた僕のあれこれは水泡に帰した。

 

 ただの農民が歴戦の兵士に勝てるはずもない。

 

 怒りに負け激情と共に蜂起した彼等は、後日召集された領主軍にあっさり鎮圧された。

 

「……なぁ。いくら友人でもさ、アンタにどんな事情があったとしてもさ」

 

 反乱に加わったラルフは切り殺され、リーゼは捕らえられた。僕の幼馴染みは、これでもう彼女だけになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「─────流石に怨むよ、これは」

 

 

 

 

 

 

 シャ。

 

 無機質な音を立てて、兵士が剣を鞘から抜き放つ。

 

「本当に? 本当に殺る気かよ、お前」

「……」

「何とか言え。何か言ってみろよ、ポッド!!!」

 

 全身を縄で縛られ、涙を目に浮かべ叫ぶリーゼ。そんな彼女を見ても、僕は何も感じなくなっていた。

 

「ポッド、もうお前はそっち側の人間なんだな!! 権力をかさに、私ら平民を好き放題出来るって思ってんだな!」

「……」

「所詮は貴族か、家が大事か!! 友達より、村のみんなより、自分の権力が大事なのか!!」

「……」

「恨む、怨む、怨んでやる!! ポッド、お前は地獄に落ちて死後も永遠に苦しめ!! 一度でもお前の事を友人と思った自分が恥ずかしい!!」

「……っ」

 

 彼女は、反乱を企てた。だから今日、処刑台に連れてこられ『村長』である僕の目の前で処刑される。

 

 乱を企てる農民の処遇はすなわち、死刑。権力側がどれほど間違った事をしていたとしても、殺されるのは常に力無き民なのだ。

 

 彼女が、余計な『考え』を持たなければこんなことにならずに済んだ。僕は悪くない、不穏な考えを持った彼女が悪いんだ。だからこれは、リーゼの自業自得。

 

 ─────自業自得。

 

「この、村の裏切り者!!!」

 

 その金切り声を断末魔に、リーゼは胸元にブスリと剣を突き立てられ。血反吐を吐き散らしながら、ゆっくりと目が上転し。

 

「呪って、や、る……」

 

 やがて、動かなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────こうして。僕には何もなくなった。

 

 ────村のみんなを守りたくて、必死でアレコレ頑張って。最後は僕の一声で、それら全てを失った。

 

 ────リーゼ。ラルフ。アセリオ。ずっと僕と共に居てくれた3人の幼馴染み達は、もう土の下だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……貴様」

 

 そして、僕は捕らえられた。

 

 猛毒を塗りたくったナイフを、領主めがけて投げつけたその罪で。

 

「貴様も、理解してくれないのか。何故、民は怠惰を許容するっ……!!」

 

 僕の決死の一撃は、確かに領主の頬を僅に掠めた。今は何ともないだろうが、遅効性の毒である、当たったからには奴の命もあと数日だろう。

 

「何故だ!? 俺は、民をより豊かにしたかっただけなのに!! 貧困を消し、民が笑っていてくれる州を作りたかっただけなのに!!」

 

 蒙昧な叫び声をあげる、アホ領主。そんな彼に、僕は静かに笑いかけた。

 

「……そんなのどうでも良いんだよ」

 

 貧困を無くす、それはとても素晴らしい。国が発展する、それはきっと望ましい。

 

 だけど。

 

「お前さ。誰かの大事なもの何もかもぶっ壊した……その先にある理想なんか追っちゃダメだろ」

 

 そんなのは国目線で考えてくれ。僕達の願いは、そんな壮大なものじゃなくていい。

 

「僕はただ、平穏に。貧しくとも、みんなが支え合える村で生きていきたかっただけ」

 

 貧しい人がいれば助け合うさ。どうしようもなくなれば、助けを乞うさ。僕達の村は、そうやって今まで長い時を生きてきた。

 

「君の理想を押し付けないでくれ」

「────貴様っ!!」

 

 そして。

 

 

 

 僕は、領主フォン・イブリーフの剣により首を落とされ、その生涯を終えた。

 

 ああ、僕は実に馬鹿だ。初めからこうすれば良かったのだ。

 

 レイゼイさんの言う通り。決死の覚悟でこの男を殺す事が出来れば、全て解決していたのだ。

 

 それに気付けたのは、何もかも失って自分の命が惜しくなくなってからとは……。僕自身の頭の悪さに反吐が出そうだ。

 

 

 

 

 僕一人死ねば、みんな助かっていたのに。

 

 

 

 

 僕さえ覚悟を決めていれば、村を救えたかも知れなかったのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『実に愉快でした』

 

 首を跳ねられ闇に沈んだ僕の意識に、語りかけてくる声があった。

 

『この一年間、あなたは私を十全に楽しませた。ええ、目をかけてあげた甲斐がありました』

 

 それは、静かな女性の声。

 

『絶望に飲まれ、感情が鈍磨し、自らの大切なものを自ら叩き壊す。その様は、まさに抱腹絶倒。実に惨めで無様で愉快な人生でしたね』

 

 どこか侮蔑を含んだ声色で、その女性は僕に語りかけ続ける。だけど、不思議と腹が立ったりはしなかった。

 

 そもそも、怒るだけの気力もないのかもしれない。

 

『ねぇ。今の貴方は何を願いますか?』

「……」

 

 その女性の問いかけに、僕は答えることが出来なかった。

 

 何を願いたいか、だって? 願いたいことはたくさんある。けど、願う気力も沸いてこない。

 

 だって僕はもう死んでいるんだから。

 

『なら生き返りたいと、願わないのですか?』

 

 ……当然だ。生き返ったところで何になると言うのだろう? もう僕の大切なものは何も残っていないあの世界に何の未練があると言うのだろう。

 

 良いからさっさと、僕を永遠の眠りにつかせてくれ。幼馴染み達を殺してのうのうと生き延びるつもりなどない。

 

『ああ、それも道理。ならば、こう言い換えましょうか』

 

 しかし謎の女性は、どこか喜色を声にのせて僕に語りかけ続ける。

 

 その内容は────

 

 

『やり直してみたくは無いですか?』

 

 

 そんな、言葉だった。

 

 

『もう一度。貴方は貴方として生を受け、貴方の大事な人々を今度こそ守り抜きたいとは思いませんか』

「……それは」

『あんな、悲劇的な結末を変えてみたいと思いませんか?』

「……そんなの」

『貴方の大切な幼馴染み達と────平和に過ごし続けたくはありませんか?』

 

 それは甘い蜜のように。僕の乾ききった心を、少しずつ粘っこい欲望に染め上げていく。

 

 やり直す。僕の失敗だらけの人生を、1からやり直す事ができたら。

 

 レイゼイさんや老人会の方々が切り殺されるあの日に戻れたら。いや、アホ領主の剣に怯えて要求を飲んだあの日に戻れたら。

 

 いや、それよりも前に────

 

『ポッド、貴方には資格がある。磨耗しきったその激情を再び燃えあげる事さえ出来れば……きっと君の願いは叶う』

「出来るのか? 僕は、もう一度皆に会えるのか」

『会えるとも。そして、守れるとも』

 

 欲しい。機会が欲しい。

 

 やり直せるチャンスが欲しい。村のみんなと幸せに笑っていられたあの頃に戻りたい。

 

 

 ────ポッドはいつも真面目すぎんだよなぁ。

 

 ────そーそー、肩の力抜きなよ。生き辛くないか?

 

 ────……でもそれが、君の良いトコロ。

 

 

 あの、かけがえの無い仲間達ともう一度────

 

『……返事を聞きましょう、不幸なるポッド』

「僕は……もう一度」

『もう一度?』

 

 微かに震えた僕の返事に、女性は楽しげに返事を返す。

 

 ああ。答えなんてもう、とっくに決まっている。

 

「もう一度。僕にチャンスをください────」

『心得ました』

 

 その言葉を皮切りに、僕は急激な勢いで『何か』に掬い上げられる。

 

 それは、きっと僕なんかの想像の及ばぬ凄まじい力。人間では理解の届かぬ理外の現象。

 

『最後に名乗っておきましょう、不幸なるポッド。私は"時の悪魔(ノルン)"と申します』

「時の、悪魔?」

『ええ。私は悪魔と呼ばれている存在です』

 

 その理外の現象を引き起こしている謎の存在は、悪魔を自称した。

 

「その悪魔が、何でまた僕を」

『当て付け、ですかね。私には貴方を救う義理も道理も無いのですけれど……、そこは私、悪魔ですので。他者の嫌がる行為が大好きなのです。それと……』

 

 未だ姿も見せず、ただ語りかけるだけのソイツは。僕をどこかに引っ張り続けながら────

 

『今世の貴方には、実に楽しませて頂きました。来世でもまた、貴方に不幸のあらんことを』

 

 

 

 そんな、全く嬉しくない祈りを捧げ。僕はすぽーんと水面のような何かまで引っ張られ、そして放り投げられた。

 

『そして、貴方が本懐を遂げることを陰ながら願ってもいますよ、不幸なるポッド。私は悪魔ですけれど……私を楽しませてくれた人間には、どこまでも寛容なのです』

 

 僕は爽快な浮遊感と、眩しく何も見えない世界の合間でそれを見た。

 

 ぼんやりとだが確かに、誰かが僕に微笑みかけているのを。

 

『では、いってらっしゃい』

 

 その言葉を皮切りに再び僕は、何かに引き寄せ吸い込まれる。自分の実体が輪郭を帯び、小さな形となって顕現する。

 

 それは、大層に不思議な感覚だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、僕は目を開く。

 

 息が苦しい。体がベトベトで、肩や胸が痛く全身が怠い。

 

 必死で助けを求めるが、僕の叫びは言葉にならぬ声として周囲に響き渡るのみである。

 

「生まれました! 生まれましたよ」

「お、おお! おおおっ!!」

 

 僕の体は、何か暖かいものに包まれる。

 

 それは柔らかな布であり、誰かの腕であった。

 

 滲んだ景色のなか、うすぼんやりと目を開く。僕を腕に抱いたその巨漢が、誰かを目視するために。

 

 

 

 ────ああ、それは父だ。

 

 

 父さんは僕を抱きながら感涙し、母はそんな父と手を握りあっている。

 

 そうか。あの悪魔はやり直させてくれると言っていたが、ここからやり直すのか。

 

 幼い頃に死んでしまった母が、僕に頬擦りしている。もう会えぬと思っていた父が、僕を抱えて母にすり寄せている。

 

 ────平和な光景だ。心休まる景色だ。

 

 僕が求めてやまなかった、平穏で平凡な幸せのあり方だ。

 

 時の悪魔よ、礼を言う。例え貴女が悪魔だとしても、僕は貴方からチャンスを貰えた。今一度、全てを取り戻す機会を得た。

 

 

 一度は、自ら叩き壊してしまった大切なもの。次こそは、壊さず守り抜いて見せる。

 

 もう二度と間違えない。もう二度と前世の様な、愚かで無様な選択肢を取らない。

 

 それが、僕が新たに生を受けた理由だ。あのアホ領主からこの村を守って見せる。刺し違えてでも、あの男を殺して見せる。

 

 それが、村長たる僕の役目。それが、村長『ポッド』としての生の意味────

 

「女の子ですよ」

「おお! ならば約束通り、この子の名はポートだ!」

「男の子ならポッド、女の子ならポート。そう言う約束でしたね」

「ポート! お前には将来、俺が村長となる男を探しだして娶って貰うからなぁ!!」

 

 

 

 

 

 

 …………あれ?



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幼年期
アセリオ


 生まれ変わって周囲を見渡した僕が、最初に感じたのは堪えきらんばかりの『情愛』だった。

 

 

 目の前には、幼い頃に死んでしまった母がいる。

 

 僕に全てを託し、僕が18の歳で亡くなった父がいる。

 

 

「……あらあら。ポートは甘えっ子さんね」

 

 

 もう二度と会えぬと思っていた家族との再会。それは、思った以上に胸に来た。僕は、それこそ赤子のごとく両親に甘え続けた。

 

 幼い身体に精神が引っ張られているのかもしれない。僕は、父と母の姿が見えなくなれば恐怖で泣き出して、探し回った。

 

 母は決まって、ある時間は食材を買いに家を出て。父は決まって、夜遅くに仕事を終えて戻ってくる。

 

 そんな彼等がいない時間、僕はワンワンと泣いて過ごした。

 

 

「ほらほら。ママはここに居ますよ」

「一人にして悪かったな、本を読んでやろう」

 

 

 そんな僕の行動は子供そのもので、両親ともに僕が20歳を超えた精神の持ち主だと気づいてはいないだろう。自分でもこんなに幼かったのかと驚いてしまう。

 

 だけど僕の死ぬ間際の、誰も味方の居ない世界の事を思い出すとやめられないのだ。

 

 

「ポートは可愛いわねぇ」

 

 

 僕の事を可愛がり、大切にしてくれる両親という存在。前世では気付かなかったが、彼等はここまでありがたい存在だったとは。

 

 やがて病死してしまう父母。彼等が生きている間は、僕が子供でいる間は、せめて限界まで甘えておこう。

 

 そう考えて、僕は人一倍親に甘えながら成長していった。

 

 

「はいポート、お人形さんですよ」

「目がくりくりとして可愛いなぁ。ポートは将来美人になるぞぉ」

「……」

 

 

 女の子扱いだけは、いつまでたっても慣れなかったけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕が生まれてから、1年程の月日が経った。

 

 僕は自力で歩けるまでに成長し、そのお陰で行動範囲が広がった。

 

 具体的には、屋敷の中を自由に動き回れるようになった。家から出ない限りは、母親はある程度の自由を僕に与えてくれるようになったのだ。

 

 

 これでようやく、僕は未来に向けて動き出すことが出来る。

 

 

 この一年は、両親に甘えるだけの一年間だった。乳児たる僕は自力でろくに移動も出来なければ、子供用にドロドロとしたモノしか食べられないひ弱な存在である。

 

 親が僕から目を離す訳もなく、親の言う通りに動き続けねばならなかった。

 

 しかし最近、親は『僕が家にいる限り』はある程度自由にさせてくれている。食卓にいようが寝室にいようが書庫にいようが、あまり気にすることはない。

 

 であるならば、あの場所を存分に使わせてもらおう。

 

 

「あら、ポートちゃんは本を読んでいるのかしら」

「うん」

「もう文字を覚えちゃったのねぇ。……ポートちゃんは賢いわね」

 

 

 歩けるようになってから、僕は書庫に入り浸るようになった。

 

 一日中、外を走り回って泥だらけで遊んだ前世の少年期。僕は家の書庫にある、代々伝わる書籍の数々を開くことなど無かった。

 

 勿体ないことこの上ない。僕は前世よりも強く、理知的に成長せねばならない。あんな無様で悲劇的な未来を変えられる存在に育たねばならない。

 

 その為には、強靭な肉体と豊富な知識が必要である。

 

 強靭な肉体はもうちょっと成長してから手に入れれば良い。知識は、今からでもコツコツ蓄え続けることが出来る。

 

「エコリ聴聞録、ねぇ。それ、面白い?」

「しらないことがたくさんかいてある」

「確かそれ、私の祖父が、この地に訪れる旅人達から聞きかじった嘘か本当か分からない逸話を纏め上げた集め書きよ。話半分で読んだ方がいいと思うわ」

「そーなんだ」

 

 僕が目をつけたのは、少し古い羊皮紙の束。僕の曾祖父に当たる人の趣味で、各地を冒険してきた旅人達が曾祖父に自慢げに語った話を纏めたものだ。

 

 明らかな法螺や嘘も多々混じっているけれど、価値のある話も結構ある。そんな印象の書物だった。

 

「これ、もっとないの?」

「……変なものを気に入るのねぇ」

 

 数十年前の、リアルな冒険譚を追体験できる。それが嘘だとしても、元になった何かが事実としてあるはず。

 

 僕は日中ずっと、曾祖父の残した遺産とも言うべきその書籍の数々を読みふけり続けた。この世界の知識をより深め、未来に生かすために。

 

 知識はいくらあっても困らないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さらに2年近い月日が経った。

 

 家にある本は粗方読み終わり、少し日中が手持ちぶさたになってきた。

 

 曾祖父はすごい人だ。読みやすく丁寧な文章で、当時彼等の語ったであろう話の数々を綺麗にまとめて残してくれた。世が世ならば、文豪として名を残したかもしれない。

 

 何故前世の僕はこの宝の山を無視していたのだろう。遠い地の農耕法や狩猟法、特産物や名産品など知らなかったことが山のように書いてある。

 

 無論、数十年前の古い情報だし、そもそも伝聞なので正確性には欠けるだろう。だけど、それでも試してみたいと思えるような話がたくさんあった。

 

 それに、このエコリ聴聞録に記された酒造法は、今もなお僕たちの村で行われている手法と同じものだ。つまり、曾祖父はいろんな旅人から話を聞いてまとめ上げ、この村に酒造技術をもたらしたのだ。

 

 今のこの村の発展は、僕の祖父の代から始まった酒造業が軌道に乗ったからと言える。その酒造技術はきっとこの本を基に始められたのだろう。つまり今のこの村の栄華は、曾祖父が土台を立てていたのだ。

 

 めちゃくちゃ偉大な人じゃないか。遠い昔に死んだという曾祖父に、僕はひそかに敬意を払うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、3才になる誕生日。僕は、両親から何か欲しいものは無いかと聞かれ────山盛りの本と答えた。

 

 曾祖父の影響か、読書は今世の僕のライフワークになっていた。新しい本が読めなければ生きていくのが辛いとすら感じる。

 

 将来、僕も曾祖父のように何か書籍をこの村に残しておきたいものだ。そのためにも、今は読書で知識を高めるべきだろう。

 

 本をください。僕に、山盛りに積み上げられた新鮮な書物をください。

 

 それを聞いた両親は、満面の笑みを浮かべ。

 

 

 

 

 

「お外に出て遊びなさい」

 

 

 

 

 と、僕を書庫から追い出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実にひどい話である。

 

 僕はただ、本が好きなだけなのに。村に酒造技術をもたらし発展させた曾祖父のような偉大な村長になりたいだけなのに。

 

 子供は外で遊ぶものだと、誰が決めたのだろうか。僕はいわば大人の精神を持った存在であり、子供のように純粋無垢に遊ぶ年齢ではない。

 

 僕が20歳になるころには、あの悪名高い馬鹿領主がこの村に滅びをもたらすのだ。それまでに、出来る限りのことをしてあの悲劇を回避せねばならないのだ。具体的には、向こう10年分くらいの貯蓄をしておきたい。

 

 それほど貯蓄があれば、1年まるごと農業を休んで拡張したとしても、翌年の税金も支払えるだろう。正攻法で乗り切ることが出来る状態であるならば、とりあえずは安全だ。

 

 その為にも、この村の農業の改良点を今のうちから洗い出し、さらなる村の発展を遂げねばならない。本がほしい、知識が欲しい。

 

 

 

「ポートちゃん、お友達が来てくれたみたいよ」

「……ぼく、本がいい」

「困った娘ねぇ。どうしてこう育ったのかしら」

 

 

 そんな偏屈な考えを基に母親にゴネていた僕だったが。いざ、僕の前に連れられてきた一人の幼女を見てそんな考えは吹っ飛んだ。

 

 

「この子も家に引きこもりっぱなしで。いい機会ですわ」

「……」

 

 

 半ば無理やりに村の広場に連れ出された、同い年ぐらいの女の子とご婦人が僕の目に映る。まぎれもなく、僕の幼馴染の一人だ。

 

 ……あー。そういや、前の僕はこれ位の年から幼馴染たちと遊び始めていたっけ。確か前世では村を散歩していた時にラルフに声をかけられて一緒に遊ぶようになったんだ。

 

 今世は家に引きこもっていたせいで、まだ僕はラルフ達に出会えていないんだ。これはうっかりしていた、読書にかまけて一生涯の友を得られないなんて間抜けもいいところである。

 

 

「いつもお世話になってますぅ」

「いえいえそんな~」

 

 

 母親がママ友トークを始めた傍ら。僕は、未だに母親の陰に隠れて顔を見せない幼女の方に視線を向ける。

 

 前世では僕の大間抜けで、失ってしまった幼馴染。今世では絶対に間違えない、今度こそ彼らを守り抜いて見せる。

 

 さぁもう一度、仲良くなろう。

 

 

「……っ」

 

 

 黒髪を目元まで伸ばしたその娘は、僕の目線におびえるように母親の体で顔を隠す。

 

 なつかしいなぁ。彼女はとても人見知りで恥ずかしがり屋だったっけ。

 

 

「うちの子は少し人見知りなんですぅ」

「可愛らしいじゃない。ほらポート、挨拶しなさい」

 

 

 母親に促され、笑顔を作った僕は母親の陰に隠れるその幼女に手を指し伸ばす。僕にとって何より大切だった、幼馴染のその一人に。

 

 

「こんにちは。僕はポート、君の名前は?」

 

 

 恥ずかしがり屋で、努力家で。仲間では誰よりも優しく、健気でおとなしいその女の子の名は。

 

「────アセリオ。あたし、アセリオ」

「うん。よろしく、アセリオ」

 

 前世では過労に倒れ鞭で打ち据えられ死亡してしまった、寡黙で控えめな女性アセリオその人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 緊張した面持ちのアセリオ。

 

 そんな彼女の前に、僕たちは座っている。

 

 

「……は、はじめる」

 

 

 広場の一角、アセリオは僕や母親たちに囲まれて両手を掲げ立っていた。

 

 何やら、彼女は僕たちに見せたいものがあるらしい。

 

 

「……」

 

 

 無言で難しい顔をしながら、アセリオは掲げた左右の手のひらを合わせて……、ポフンと煙を立てた。

 

 もくもくとした煙立ち込める。その煙はゆっくりと晴れ、その中央にいたアセリオの手には────

 

 

「……お花!」

 

 

 きれいな、1輪の赤い花が握りしめられていた。

 

 

「すごーい」

「魔法ではないみたいだけれど……手品?」

「あの子、手先が器用なのよねぇ」

 

 

 そう。これぞ彼女の得意技にして、幼い頃の僕らの心をつかんで離さなかった必殺技。『アセリオの超魔術シリーズ』である。

 

 彼女は手品が天才的にうまいのだ。手品なんて概念を知らなかった幼少期は、僕たちはアセリオが本当に魔術師だと信じて疑わなかった。

 

 

「……むふー」

 

 

 そして、見事手品を成功させた幼女は満面のどや顔である。彼女は手品を成功させると、無言でどや顔をする愉快な性質を持っている。アセリオが楽しそうで何よりだ。

 

 ただそんな顔をするだけの完成度はある、素晴らしい手品である。実際、大人になってから見ても彼女の手品の種がよくわからない。

 

 

「すごいよアセリオ。他には何かないのかい?」

「これは……1日1回だけのまほう。あした、べつのまほうをみせてあげる……」

「うん、わかった。じゃあ、明日も遊ぼうね」

 

 

 そして、彼女は絶対に1日1回しか手品をしない。子供のころは不思議だったが、今思うとネタ切れを防ぐための措置だったんだと思う。

 

 よくもまぁ、アセリオは毎日毎日新作の手品を用意していたものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして僕は、アセリオと共に遊ぶようになった。

 

 ラルフやリーゼと出会うためにも、日中は外に出て積極的に歩き回るようになった。村の中の広場や木々をめぐって、歩き回るようになった。

 

 まだ話しかけてはいないけれど、遠目にリーゼとラルフが歩いているのも見えた。いつか、彼らにも話しかけに行こう。

 

「……ふぅ。つかれた、ポート」

「だね。少し休もうか」

 

 アセリオはおとなしい幼女だ、あまり体力のある方ではない。だから、彼女が疲れてしまった後は、決まって村の入り口にある大きな宿屋に足を運んで一休みするようにした。

 

 

 

「ポート、アセリオ。また来たんかい」

「おっちゃんジュースー」

「あいよ、待ってな」

 

 

 その宿屋の主人は僕たちのことをよく知っていてくれて、涼みに来たらジュースを1杯出してくれた。なんでもご主人は、アセリオの親戚だそうだ。

 

 アセリオはこのご主人の姪っ子だとかで、可愛がられていたらしい。それでアセリオも引っ付いてきた僕も、『孫みたいなもの』と言って可愛がってくれた。

 

「疲れたらいつでも遊びにおいで。お酒は出せんが、ジュースは出してやろう。がっはっは」

「おっちゃんありがとー」

「……あり、がと」

 

 人情が染み渡る。

 

 この村の住人は基本的に牧歌的で優しい人の集まりなのだ。人と人のつながりを大切にし、僕らのような子供は村全体で育てようとする。仲間意識が強く、勇敢でまっすぐな気風の住人たちなのだ。

 

 

 だからこそ、前世のような悲劇が起これば復讐に取りつかれてしまう。大切な人が殺されたとき、彼らは勝ち目のない相手であろうと武器を振り上げ怒りに燃える。

 

 それが、前世の悲劇の引き金の一つであった。

 

 

『ポッドを殺せぇぇっ!!!』

 

 

 ……そう。

 

 確かこのご主人は、王都からの帰り道、前世で殺意を以て僕を襲撃してきた1人────

 

 

 

 

 ふと見上げると、心底優しい笑顔を浮かべたご主人が、僕とアセリオがジュースを飲む姿を眺めていた。

 

 優しいおっちゃんに頭を撫でられジュースを頂いている僕は、それ以上考えるのをやめた。

 



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未来設計図

 カエル。

 

 正確にはマドクヌマガエル。

 

 その名の通り、それは魔毒を持ったカエルであり、主として沼に生息している。その体には無数の疫病が宿っており、派手な見た目と熊をも昏倒する猛毒で、村では1等危険な生き物として知られている。

 

 風の噂だと、そのカエルの肉は天上の味だと言うが……マドクヌマガエルを食して生きている人間など存在せず、本当かどうかは分からない。本当だとすれば、きっと死ぬ間際に食した感想を述べたのだろう。

 

 そんな、おどろおどろしい逸話を持つカエルを見つけたアセリオは。

 

 

 

 

「……アセリオのちょうまじゅつ~」

「えっ」

 

 

 

 

 恐ろしいマドクヌマカエルを布で覆い、すぐさま泥団子に変えてしまった。先程まで確かにそこにいた危険生物は忽然と姿を消す。

 

 ……どうやったんだ。

 

 

「これで、あんぜん……」

「手品の利便性が高すぎる」

「てじなとちがう。ちょうまじゅつだよ~」

 

 幼馴染みの手品が使い勝手良すぎて怖い。昔は『アセリオすごーい』で済んでたけど、今こうして目の前で見ると常識があやふやになるな。

 

「本当にスゴいねアセリオは」

「むふー」

 

 今日も、村は平和だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アセリオと親しくなって一週間ほど。僕は読書の時間を夜だけにして、日中は外を駆けずり回る事にした。

 

 強靭な肉体と、豊富な知識。それが今世の僕に必要なものだ。

 

 兵士5人程度なら、正面から倒せる戦闘力。村を繁栄に導き、領主の無理難題をも解決できる知識。そして万一の時は、領主をぶっ殺せるだけの覚悟。

 

 それらを得るには、部屋に込もって本の虫をするだけでは足りない。積極的に体を動かし、村のみんなに顔を見せて信用を得て、その上で成り立つものだ。

 

 

「おじさん、こんにちは!!」

「……こんにち、は」

「おやおや、村長さんとこの子だね。元気かい」

 

 

 僕とアセリオは、意識的に村を回って色んな人に声を掛けるようにした。小さな頃から農民も貴族もなく泥だらけで遊び回っていたから、前世で当初は僕も村の身内と見なしてもらえていたからだ。

 

 この村の人間は、基本的に寛容で牧歌的。こうしてなついてくる子供を邪険に扱ったりはしない。

 

 打算的かもしれないけれど、大切なことだ。

 

 

 

 

「……ねぇ、ポート。今日、宿屋に新しい旅人さん来てるって」

「本当に? わあ、行こう行こう」

 

 

 そして宿屋の主人の姪っ子たるアセリオは、宿屋に誰か泊まっていると教えてくれるようになった。

 

 うちの村は麦酒の名産地だ。質の良い酒を求め、商人や旅人たちがしばしばうちの村に滞在している。

 

 そんな彼等こそ、僕の待ち望んでいた人々だ。

 

 

「教えてください、外の世界の事!」

「……何か、お土産話ちょーだい」

 

 

 僕達は曾祖父がそうしたように、なるべく立ち寄った旅人達から冒険話を聞くようにしていた。

 

 いつか、聞いた内容をまとめて僕の……『ポート聴聞録』を著す為に。

 

 

 

 

 曾祖父の時代は、今の酒造業のような街の名産品なんか無くて、この村に滅多に旅人は来なかった。当然、宿屋なんてものも無い。

 

 だから彼はたまに訪れる『興味本意の冒険者』を自分の家に呼んでもてなし、歓待し、そして彼等から話を聞いたのだという。

 

 そして生まれたのが『エコリ聴聞録』。僕の愛読書で、人生の教科書とも言える書物だ。

 

 今の僕たちの村には行商人や酒好きがパラパラと訪れ滞在している。だいたい週に1度は新しい旅人が村に立ち寄ってくれる。

 

 かつてとは違い、より多くの情報源がこの村に訪れるのだ。そんな彼等から、話を聞かないなんて勿体無い。

 

 

「村の子供か? おう良いぞ、何が聞きたいんだ?」

「今まで旅してきた中で、一番面白かったのはどの場所ですか?」

「一番面白かった場所、かぁ。そうだなぁ……湾岸都市アナトって町があってだな────」

 

 旅人は語る。今まで彼等が経験してきた、様々な体験や知識を。

 

「漁業と製塩が盛んなんだが、アナト市内は利権が絡んでるのかアホみたいに物価が高くてな。わざわざ商人はアナトの西に小さな集落を作って課税を逃れ、そこで安く塩を売っているという」

「へえ! アナトの徴税官はそれを見逃しているの?」

「商人から賄賂を受け取って見て見ぬふり、だそうだ。それに、塩は鮮魚の保存に用いられるからな……。西に外れた集落にわざわざ買いに走るより、港で売った方が需要も安定している」

「……つまり?」

「アナトから西に外れた集落ってのは旅人用の塩の販売地、利権戦争に負けた貧乏商人どもの救済措置だそうだ。殆どの商人は、高い税金を払って湾岸都市の中で塩を売ってる。政府も半ば黙認してるんだろうさ」

「つまり、僕達が旅に出て塩を仕入れるとするなら西の集落を訪れた方がお得なのかい」

「そうさな。そっちでは塩が半額以下で手に入る、間違っても都市内で買うなよ」

 

 その1つ1つは、決して今すぐ役に立つモノではない。情報の出所もあやふやだし、その知識が本当かも分からない。

 

 けれど。

 

 

 

「……成る程ね。アナトの人達は頭がいいや、うちの村も真似しよう。今度父様と掛け合ってみるか」

「どういうこと、ポート」

「そんな徴税の抜け穴みたいな事を政府が許す筈が無いからね。きっと、これは彼等の『販売促進』戦略なのさ」

 

 

 その彼等の話から得た『アイデア』は正真正銘の本物なのだ。

 

「ただ500Gで塩を売るより、港で1000Gと値札をかけつつ『税が掛からないので西の集落を訪れれば半額で手に入る』と情報を流してやれば……、きっと買い手も『得をした』『こんな情報を持っているなら買わないと損だ』と感じるだろうさ」

「……おお」

「しかも、市内から販売所を移すことにより都市内のスペースに余裕もできる。塩だけが目的の客に遠くまで足を運ばせて、しかも満足感も上げることが出来る。きっと賢い人がアナトには居るんだよ」

「つまり、なんかすごいのね」

 

 ……ふむ。3歳の子供に話す内容じゃなかったか。だが、これは良い案だ。

 

 麦酒を運ぶ作業で腰を痛めた御老輩も多いと聞いている。客に自ら、森の中に設置された倉庫の前まで足を運んでもらう方が村にとっても都合が良い。

 

 麦酒の保存している倉庫の前に販売所を設置して、そこを普段の定価で販売する事にしよう。そして、村の敷地内の麦酒店の値段を釣り上げる。

 

 ────宿や飲み屋の飲料をどうするかだな。酒代が上がってしまえば客は減ってしまうかもしれない。

 

 まぁ、そこは据え置きで良いか。もう事業者が税を納めた後って形にしよう。

 

 国に納める税とは別に、この村を運営する為の税は村長たる父さんが設定できる。酒税導入、試してみるか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────ほう?」

 

 父さんは、僕の話を真面目に聞いてくれた。

 

 湾岸都市の例を取り、酒税のメリットを丁寧に説明してみせた。

 

「……凄いな。本ばかり読んでおとなしい子に育つかと思えば」

「父さん、どうだろう。今度老人会で提案して見てくれないかい」

「ああ、提案はしてみようかね。粗が目立つけど面白い考えだと思うよ」

 

 いくつかある問題をどうするか、だけど。父さんはそう言って僕の頭を撫でてくれた。

 

「ポートはきっと凄い指導者になる。君が運営する村は、きっと今よりずっと発展しているだろう」

「……」

 

 優しい目で、そう言ってくれる父。それが事実なら、どれだけ素晴らしいだろう。

 

 ────僕は、僕が運営する村は実際は滅んでしまったのだけれど。

 

「ポート、さっきの案だけどね。急に税を導入して値上げをするのは、今訪れている旅人達には印象が悪いと思うな。やるなら最初からやるべきだったね。それに村の外れである倉庫で販売なんてしたら、購入者が賊なら襲われてしまうよ。金銭のやり取りは人目の多いところで、これは常識として持っておくといい」

「あっ……」

「だけど、アイデア自体は決して悪くない。3歳でそこまで提案できたら大したものさ。おそらく採用はされないと思うけど、何か新しい『改革』のヒントになるかもしれない」

 

 僕の頭を撫でながら、父は僕の考えの足りなかった所を教えてくれる。そうか、今の旅人や治安のことは頭から抜けていた。

 

 やはり、父は偉大だ。僕も20年以上生きてはいるが、まだまだ父には及ばないらしい。

 

「ポートはそのまま大きくなあり。そして、その聡明な頭で村を導くんだ」

「はい、父さん」

 

 僕の子供丸出しの提案を、父は微笑んで誉めてくれる。

 

 ただ、僕は内心恥ずかしかった。これでも一度は村長に着いた男の提案だと言うのに、だらしない。

 

 そうか……、今滞在している旅人か。旅人……、旅人……。

 

 

 

「そっか。なら『1日でも滞在すれば免税』にすればどうだろう父さん」

「ん?」

 

 父の言う通り、予告もなしに値上げしたら旅人のイメージが悪くなる。そして値上げを予告なんかしたら、間違いなく訪問客が減ってしまう。

 

 なら、しれっと課税しつつ今滞在している人は課税対象から外せば良い。

 

「滞在せず、旅路を急ぐ人だけに課税。こうすれば、今村に滞在している人からは不満が出ない筈さ」

「……ふむ。そうだね」

「そして、旅路を急いでいる人にコッソリ耳打ちするんだ。『とある店は村長に黙って商売しているから、課税されていない値段で酒が買える』と」

「……成る程」

 

 元々方便のような課税なのだ。誰からも徴収できなくても問題ない。

 

 村の中の誰かの家でコッソリ販売するようにすれば、治安的にも問題ないだろう。

 

 それに、

 

「この課税の仕方だと、今まで村に滞在する気がなかった旅人さんも、宿屋にお金を落とすようになるんじゃないかな?」

「……」

「旅人が一泊して、村で飲み食いしてくれたらソレだけで沢山村にお金が落ちる。良いことづくめだよ」

 

 これは、かなり良い案になったのでは無かろうか?

 

 

 

「────む。それ、本当に妙案じゃないか?」

「でしょ? でしょ?」

「いや、何処かに穴が……。いや、でも良いなソレ。旅人の滞在期間が延びる副次効果か、ふむ……」

 

 父は真剣な顔で、僕の提案を吟味している。確か『旅人が宿に止まれば名産品を安く売る村がある』とこの前冒険者の旅人が言っていた。その、応用だ。

 

 うまくやれば、更に村の利益は上がるだろう。その浮いた金を使って、野盗対策や酒造業拡張、新規の宿を開店させるなど夢は広がっていく。

 

「……老人会に提案をしてみるよ。ただしポート、君も着いてきなさい。君から、提案するんだ」

「僕から?」

「君の発案だからね。……一度功績を示しておけば、今後また君が妙案を思い付いた時も、老人会の方は笑い飛ばしたりしなくなるだろう」

 

 おお? この父、3歳の幼女に老人会での発言権を持たせるつもりなのだろうか。

 

 いや、ありがたいけれど……。

 

「昔から少し『人より秀でている』とは思っていたけど、今の話で確信したよ。ポート、君は偉大な指導者になれる」

「……そんなこと、無いと思うけどなぁ」

「この村の掟として、将来、君が将来の伴侶に選んだ相手が村長となる。けどポート、君自身が村長の役割をこなしても全然構わない。……期待しているよ」

「はい」

 

 実は、女に生まれた今世では、僕は村長になる資格がない。僕の結婚相手が、僕の家を継いで新たな村長となる。

 

 男系相続の役職だから仕方ないとはいえ、それは少し寂しい。やはり、父の言う通り僕自身の手で村を切り盛りしたいのだ。

 

「そういえば。ポートはどんな男の子が好きなんだい?」

「んー……」

 

 色恋的な意味で男に興味なんて無いけれど、そういう視点で考えると結婚相手はよく吟味しないといけないな。

 

 ……適当に、主体性のない傀儡のような男性を選んで、僕の操り人形にするのが良いかも。名前だけはその男を村長にして、僕が実権を握り村を回す。

 

 未来を知っている僕でないと回避できない未来も多い。結構アリな考えだと思う。

 

「まだ、好きな相手とかは居ないか。はは」

「むー……」

 

 ただそれだと、イブリーフ糞野郎と1対1で話す時に簡単にやり込められちゃうよなぁ。それに、前世の僕の統治では村があっさり滅んじゃった訳で。

 

 僕がワンマン運営するよりも、優れた頭脳と実行力を持つ村長候補を探して、僕が知識で全力サポートする方向が理想かも。

 

 つまり、村長になれるだけ頭の良い男だな。

 

「僕より頭が良い人!」

「……そうか。ポート、嫁き遅れないようにね」

 

 そう言ってはにかむ僕の頭を撫でる父は、少し苦笑いを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その、翌日。

 

 僕とアセリオは、とうとう邂逅を果たす。

 

 

「出たな! 怪しげなまほーを使うマジョめ!」

 

 

 僕とアセリオが何時ものようにデートしている最中、無粋にも割って入って道を塞ぐ悪漢。その背後には、オドオドと怖がりながら様子をうかがう小柄な女の子が居る。

 

 ラルフとリーゼ。前世の僕の幼馴染みで、一番最後まで僕の味方でいてくれた親友たちだ。

 

「村のヘーワを守るため、俺がセーバイしてやる!!」

「あのー、そのー……」

 

 ああ、懐かしい。彼はヒーローごっこが大好きだった。

 

 大方、何処かで披露したアセリオの手品に興味を引かれ……、ヒーローごっこを建前に絡んできたのだろう。

 

「……っ」

 

 だが、そんな可愛らしい子供心をアセリオが知る由もなく。いきなり同年代の男の子に絡まれ怖くなったようで、アセリオは僕の後ろに隠れて震えだしてしまった。

 

 ……ラルフもまだ気遣いが出来る年頃ではない。ここでアセリオに苦手意識が宿ってしまったらどうしようもない。

 

 将来は無二の親友となる存在なのだ、二人の仲に亀裂が入らないよう、ここは僕が仲裁してやるとしよう。

 

「叫ぶのはやめてくれ、アセリオは一等人見知りなんだ。君たちは一体、アセリオになんの用だと言うんだい?」

「俺達はセーギのみかた! 邪悪なマジョをセーバイするのさ!」

「そうはいくもんか、彼女は僕の大事な友人さ。アセリオに何かをするつもりなら、僕が相手になるよ」

「ふふー! 言ったな、マジョの手先め! お前もセーバイしてくれるー!」

「いやあの、その……。ラルフー?」

 

 よし、ラルフのヒーローごっこの矛先を僕に向けることができた。後は、比較的おとなしめのリーゼとアセリオが打ち解けてくれたら万事解決だ。

 

「安心してくれアセリオ。君は僕が守る」

「ポ、ポート……」

 

 ついでにアセリオと仲良くなるべく、臭い台詞を吐いておく。単純な子供にはちょうど良い臭さだろう。

 

 彼女は純粋な子だ。僕の言葉を素直に受け取り、嬉しそうに首を縦に振っている。

 

「ようし、かかってくると良いマジョの手先め!」

「上等じゃないか。次の村の長たる僕が相手になろう」

 

 さて、こうも啖呵を切ったからにはアセリオにカッコいいところを見せないと。ラルフの奴も、きっとリーゼに良いところを見せたいはず。

 

 悪いが今世は人生20年分のアドバンテージがあるんだ。体格で劣るとはいえ、3歳のラルフに勝負で負けていられない。

 

「ポート。がんばって……っ!」

「この子のまほーを見たかっただけなのに、どうしてこうなるの?」

 

 こうして、僕とラルフの一騎打ちが始まった────

 



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変わる未来

「なんでこうなった?」

 

 

 前世では、それこそ毎日のように仲良く遊びまわっていた幼馴染4人組。僕とアセリオ、リーゼ、ラルフの凸凹カルテット。

 

 今世でも、特に何かをしないでも同じように仲良く遊びまわれるものだと、僕は思い込んでいた。

 

 

「お前はゼッタイに、ぶっとばしてやる!!!」

 

 ラルフは憤怒の形相で、顔を真っ赤に僕を睨みつけ叫んでいて。

 

「……ぷいっ」

「……つーん」

 

 リーゼとアセリオは何やら無言で、苦々しくお互いを見つめあっている。どう見ても仲良しには見えない。

 

「おぼえておけよマジョの手先!! あしたこそ、コテンパンにしてやるからな!!」

 

 ちびっこラルフはそう捨て台詞を残すと、リーゼの手を引いて半泣きで立ち去った。その様子を、アカンベーしながら追い立てるアセリオ。

 

「……あいつら、ムカつくね。ポート、おっちゃんの店にいこ? あたし疲れちゃった」

「あ、う、うん。そうだね、アセリオ」

 

 ど、どうしてこうなった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ポートの方が、何もかも強かったの」

 

 いつもお世話になっている宿屋のご主人の前。甘いジュースを口に含みつつ、アセリオは頬を膨らませてぷりぷりと怒っていた。

 

「ラルフっていうランボーものがね、ポートに何やっても勝てないからハッキョーしたの」

「あー、鍛冶のランボさんとこの息子さんだね。ケンカしちゃったのかい」

「……ちがうの。ラルフがガキっぽいの」

 

 そんなアセリオの愚痴を、苦笑いを浮かべながら聞いてくれているご主人。

 

 僕がラルフにケンカを売られた結末は、こうだ。

 

 僕とラルフの決闘なので女の子組は座って観戦、僕とラルフは色々な『ゲーム』で勝負をすることになった。

 

 最初は『鬼ごっこ』『玉蹴り』など遊びながら勝負していたのだが、僕が大人のセコさというか戦略で圧勝。

 

 それで、少し機嫌が悪くなったラルフが相撲を提案してきた。体格では、僕よりラルフの方が一回り大きい。彼も、肉体勝負ならさすがに勝てると踏んだのだろう。

 

 だけど、僕は小さなころからラルフとそういった遊びを『死ぬほど』やり続けてきたわけで。どんなに体格に差があろうと、僕が負けそうになることはなかった。相撲の1戦目は、ラルフが何もできぬままに圧勝してしまった。

 

 ……これはマズイなぁ。相撲勝負になっても、僕が完勝したらラルフはきっと傷ついてしまう。

 

 そう考えた僕は、コッソリ手を抜いて2戦目からわざと負けだしたのだが────

 

 

 

「俺をバカにしてんのかぁ!!」

 

 

 

 うまいことやったつもりだったが、勝負に手を抜いたのをラルフに勘づかれてしまったようで。彼はそういった同情を非常に嫌う性格で、かつ同時に動物的な勘がものすごく鋭い少年なのだ。

 

 勝負で手を抜かれたと気付いた彼は激高し、半泣きになりながら走り去ってしまって。僕は唖然と、その彼を見送ることしかできなかったのである。

 

 

 ────一方で。アセリオとリーゼはというと。

 

 

『あんなにチビなのにラルフにかつのおかしい。ズルっこだ!』

『……ポートはズルっこなんかしてない。ラルフ、ざこ』

『あんたが何かマホーつかってるんでしょ!!』

『……遠吠え・負け犬・大爆笑』

『むきーっ!!』

 

 

 そんな感じでお互いの仲良し相手を擁護しようと煽り合った結果、喧嘩に発展してしまった様子。僕とラルフのケンカの余波で、彼女たちの仲まで険悪になってしまったようだ。

 

 しまったなぁ、幼馴染みと仲良くなるチャンスを僕のポカで不意にしてしまった。なんとか挽回する機会が欲しいけれど……。

 

「あんなのにかかわる必要、ない……」

 

 アセリオがガッツリ、彼らのことを嫌ってしまったようだ。いきなり魔女扱いされた上に喧嘩を吹っ掛けられたのだから無理もない。

 

「まぁきっと彼らも悪気はなかったのさ。また、話す機会があれば印象も変わるかもね」

「……むぅ」

 

 そんな感じで、中途半端なことを言ってアセリオを宥め。僕は前世の親友たちとの関係をこれからどうすべきか、頭を悩ませるのだった。

 

 ……子供の人間関係なんて単純と思っていたけれど、単純だからこそ難しいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、覚えてやがれコノヤロー!!」

「ま、またね~?」

 

 ……そのまま、半年ほどの月日が経った。僕たちは、やはり険悪な関係のまま日々を過ごしていた。

 

「ヒキョーモノ!! マホーを使うなんてズルっこい!!」

「……敗者・戯言・聞く価値なし」

「むっきー!!」

 

 アセリオとリーゼも、相変わらずの不仲っぷり。前世ではこの頃は二人でおままごととかしていたのに……。二人並んで仲良く泥団子を作っていた前世の光景を思い出し、悲しくて涙がこぼれそうだ。

 

 だが、ラルフが吹っ掛けてくる勝負に手を抜く訳にはいかない。彼は異常に勘が良いから、ちょっと手加減したらそれを機敏に察し激怒させてしまう。

 

 だからと言って手加減をしないと、まぁ経験の差で僕が圧勝してしまう。体格に微妙な差はあれど、同い年だし誤差みたいなものだ。

 

 前世はお互いに本気で勝負できてたから楽しかったんだな。むぅ、どうしたものか。親友と思っている人間に毛嫌いされるのは、やはり心苦しいものだ。

 

「やっぱり、ポートの方がかっこいい……」

「ありがと、アセリオ」

 

 こうしてアセリオが味方でいてくれるだけ、前世の最後よりははるかにましだけど。

 

 

 

 

 

 

 ……さて、友人関係に悩むのもこれくらいにしないと。僕の目的は人生をもう一度楽しく遊んで暮らすことではない。

 

 まもなく僕は4歳となる。つまりそろそろ、最初の僕の人生の分岐点……『母の命日』が近づいてきたのだ。

 

 

「ねぇ、父さん」

「何だい、ポート」

 

 母の死は突然だった。いつものように遊びまわって、家に帰ると母が死んでいることを知らされた。

 

 死因は……獣害。野良狼の群れが村の近くに住み着き、母がその最初の犠牲者となったそうだ。

 

 その後に冒険者に依頼し、1月後に狼の駆除を行ったのだが……その間に実に3名もの村人が狼の犠牲になったという。

 

「僕、アセリオにお花を摘んできてあげようと少し森に入ったんだ」

「なに? コラ、危ないから森に入っちゃダメだと教えただろう」

「ゴメンなさい、父さん。でも、聞いて」

 

 つまり。母の命日の5日前、狼の群れが山に潜む時期になった瞬間。

 

「黒色の狼が、数匹歩いていたよ。危ないから、村人に注意喚起した方がいいと思うな」

「────な!? なんだって!!」

 

 僕が自ら、狼を見つけたことにすればいい。それだけで、歴史は大きく変わるだろう。

 

 

 

 

 

 

「やあ。あれはまぎれもなく、Bファングだな」

「村の方たちは、夜間に出歩かないように。日中も決して一人にならず、複数人で集まって行動してくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 僕の狼の目撃情報を基に、まもなく冒険者が派遣されてきて。山を調査し、間違いなく黒狼の群れが山に居ついたことが報告された。

 

 村人は森に入ることを禁止され、専門の討伐パーティが派遣されるまで夜間は村内を移動禁止となった。

 

 まぁ、つまりこれで。

 

「母さん」

「大丈夫よポート、母さんはここにいますよ」

 

 母が死ぬ契機となった『不慮の事故』も起きうるはずがないということだ。基本的に外出は、日中の明るい時間に屈強な村の若者が武装して数人で固まって行う。それも、最低限の農作業をこなし食料や水など生活必需品を各家庭に配る時のみである。

 

 そして、数週間後。黒狼討伐のために結成された冒険者パーティにより山狩りが行われ、村は一人の犠牲者も出すことなく危機を取りきることができた。

 

 前世では二度と帰らぬ人となった『母さん』は、命日を過ぎてなおニコニコと僕を抱いて笑ってくれている。その事実が、僕の心をどれだけ明るく照らした事だろう。

 

 

 ────変えられるんだ。未来は、残酷で悲惨なあの景色は、きっと素晴らしいあるべき姿に導くことができるんだ。

 

 

 母親の命を救えた。それはつまり、未来というのは決して決まった運命をなぞるものではないということ。

 

 母が救えたなら、父だってきっと救える。何なら、これからの僕の行動次第でこの村全員だって救える。それが、はっきり証明されたようなものだから。

 

「村人が誰も死ななくてよかったよ。ポート、勝手に森に入ったのはよくないがよく知らせてくれたね」

「もし見つかってたらポートが食べられちゃったかもしれなかったのよ。もう、勝手なことをしちゃだめよ」

「ごめんなさい、父さん母さん」

 

 両親からそれなりに怒られはしたけれど、僕はうれしくて仕方がなかった。将来に希望が持てる、それだけで嬉しかった。

 

 未来は決まっていないのだ。僕はやり直す権利を得たのだ、未来は作り直せるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 そう。それはつまり────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 黒狼が冒険者たちによって全滅させられた翌日。村に活気が戻り、町では祝祭が開催され、狼肉の料理がそこら中でふるまわれている最中。

 

 1か月ぶりに顔を合わせた僕とアセリオは、香ばしい肉の香り漂う田んぼ道をいつもの様に歩き出した。

 

 久しぶりに並んで歩く、散歩道。アセリオは随分と寂しかったようで、僕と会えなかった時に家で何があったかを事細かにしゃべり続けた。

 

 そして、彼女は今日は特別に3つの超魔術を見せると宣言し。それは楽しみだなぁと寝ぼけたことを考えながら、はしゃぐアセリオに付き従って────

 

 

 

 

 ────アセリオが、黒い影に飲み込まれるその瞬間を目視した。

 

 

 

「────っ」

 

 それは、疾風のごとく。優しいほほえみを浮かべる彼女の右肩をガブリと噛み縛り、アセリオが悲鳴を上げる間もなく地面に叩きつけて昏倒させた。

 

 その、突然現れた『敵』の姿を認識して。僕はやっと、何が起こったかを悟る。

 

「こっ黒狼っー!!!!」

 

 僕の絶叫が、村に木霊する。

 

 アセリオに飛び掛かり、そして昏倒させたその敵は黒狼だった。

 

 冒険者たちにより行われた山狩りをやり過ごし、生き延びることができた熟練の狼だった。

 

 

 大きさからして成体であろう。目つきは鋭く、その瞳の奥には激しい憎悪が見て取れる。

 

 僕たちは、仲間の仇。群れを全滅させ、その血肉を焼いて宴をしている人間は彼にとってさも恨めしいだろう。

 

 

「アセリオを、返せっ……」

 

 幼い僕の体では、正面切って戦っても勝てるわけがない。黒狼に持ち帰られる肉が二つに増えるだけだ。

 

 だから、僕は石をぶつけて彼の注意を引くように画策した。怒った黒狼が僕を追いかけてくれば、そのまま大人達の元まで逃げ切ればいい。

 

 獣から逃げる術は、よく学んでいる。小さい体で不安ではあるが、決して分が悪い勝負ではない。何より、アセリオをこのまま連れていかれるわけにはいかない────

 

 

 

「返せ! 返せってば!!」

 

 

 

 ……だが。その黒狼は、そう甘くはなかった。

 

 石を必死で投げつける僕を1睨みして。放たれた石から逃げるかのように、黒狼はアセリオを咥えたまま森の中へと走り去って行く。

 

 頭部から血を流し、力なく引き摺られている非力な三歳の女児。それは、狼にとって食べ頃の『食料』。

 

 

 

「アセリオォォォォっ!!」

 

 

 

 僕は絶叫し、必死で石礫を掴んでは狼に投げ付ける。だが狼は動きが速い、とても当たる様子がない。

 

 そうだ。未来は確定なんかしちゃいないんだ。『前世ではアセリオが生きていた』からといって、今世でも彼女が生きているとは限らない。

 

 アセリオは。僕が『母さんを救うべく介入』した結果、あっさりと死んでも何もおかしくない────

 

 

 アセリオを咥えた狼が、森の中へと入っていく。僕の投擲は、結局一度も当たらない。

 

 追いかけるか? このまま何も考えず、一人でアセリオを追いかけて……、いや待て。

 

 追いかけてどうなる? 僕が、3歳の幼児である僕が黒狼と対峙してどうする。殺されるのが落ちだろう、彼からすれば餌が追いかけてきたようなものだ。

 

 アセリオが即座に殺されないことを祈って、大人を、冒険者さん達を呼びに行くべきか。

 

 ああ、そうだ。こんな時こそ冷静に、理論的に行動しろ。僕が狼が逃げた方向を覚えて、一刻も早く大人達に報告しにいかないと。

 

 

 

 

 

 

 ────そんな悠長なことをしていれば。アセリオは食い殺されるに決まっているのに?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はしれ!! この、おおばか!!!」

 

 

 ガツンと、一発。頭に衝撃が突き抜けて、誰かが僕を置き去りに森の中へと駆け抜けていく。

 

「リーゼ、おまえがパパ達よんでこい!!」

「う、うん」

「ポートォ!! なにのんびりしてんだ、おまえは走れ、ノロマ!!」

 

 その何かに怒鳴られ、僕は思わずビクリと立ち上がり。促されるままに、その何かと一緒に森の中へと駆け出した。

 

 正直、何が起こったのかよくわからない。僕はその怒鳴り声に命じられるがまま、アセリオを追いかけて森の中を疾走する。

 

 あの、獣の逃げた先へ。がさがさと大きな音を立てて、アセリオを咥え移動している怨敵の元へ。

 

「えっ……、あっ……」

「まだ追いつける。アイツ、重いものもってるからきっとおそいんだ!」

 

 突如、この絶体絶命の窮地に割って入ってきたその声の主は。

 

「ラル、フ? なんで君が」

「ごちゃごちゃうっさい!! とりあえず助けるぞ、あの性悪マジョ!!」

 

 茶色の短髪、鋭い目つき。幼いながらに、覇気のある声量。

 

 僕の前世の親友にして、動物的な勘と圧倒的な行動力で、幼い僕達のガキ大将だった頼れる存在。

 

 

 ラルフが、僕とアセリオのピンチに颯爽と駆けつけてきたのだった。



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ラルフ

 子供の足は遅い。全力で駆けたって、然程の速さにはならない。

 

 獣の足は速い。大人が全力で疾走したとしても、獣に逃げられたら追いすがる方法はない。

 

 だから、森の中で黒狼と追いかけっこだなんて無駄な行為以外の何物でもない。むしろ、新たな獣に見つかって状況が悪くなるだけという可能性もある。

 

 冷静に考えれば、涙を呑んでアセリオを放置し、村の冒険者と共に山狩りをするのが正解だっただろう。

 

「うだうだ悩んでるジカンがあれば、はしれバカ!」

 

 ラルフはそんな『常識的な』考えに縛られていた僕を一喝し。何も考えの纏まらないまま『走り出せ』と尻を叩いた。

 

 森の中は狼のホームだ、やはり4本足で疾走する獣に追い付けるはずがない。

 

 案の定、森に入って間も無く僕とラルフは狼を見失った。だが……

 

「たぶんあっちに行ったぞぉぉ!!」

「それ根拠あるの、ラルフゥゥ!?」

「そんなもん、あるかバーカ!!!」

 

 

 ラルフは、やはり超人的な勘を持っているようで。何も見えない茂みの方向を指差したと思うと再び疾走し、

 

 

「グル?」

「ほらいたぁぁ!!」

「……あっほんとに居た! アセリオを返せ、黒狼ぃ!!」

 

 そして彼の指差した方角にはいつも、ビクッと僕らの存在を察知し、幼女を咥えて逃げ出す黒狼が居るのだった。

 

 

「追いかけるぞぉぉ!!」

 

 

 それはラルフに言わせれば、「なんとなくそんな気がしただけ」なのだろう。だが、今は彼のその動物的な直感が唯一の道標だ。

 

 僕達は超人的な勘を持つラルフの助けを借り、速度で敵う筈もない黒狼と奇跡的に追いかけっこを成立させていた。

 

 4歳弱の幼児が二人、成体の黒狼を追いかけ追い詰めようとしている。

 

 ……ラルフは、やっぱり無茶苦茶だ。

 

 

 

 

 

 

「ず、ずいぶん森の奥まで入り込んできちゃってない? ラルフ、僕達村に戻れる?」

「たぶん」

「多分って。また黒狼、見失っちゃったし……」

 

 ────狼を追いかけること、数十分。僕とラルフは、見事に遭難していた。

 

 黒狼のいそうな方向へ、縦横無尽に駆け回った結果がこれである。この計画性の無さ、行き当たりばったり感、これぞ我が親友の生涯の悪癖と言えよう。

 

 ……こんな計画性のない男だからこそ、超人的な勘がないと生きていけないのかもしれない。神がいるのであれば、実によく考えて人間というものを作っている。

 

「……それより、きーつけろ。そろそろ来るぞ」

「来るって、何が?」

「アイツ、逃げるのをやめた。かくれてこっそり、おれたちをみてる」

「えっ」

 

 そして、その動物的な勘を持つラルフという男が言うには。黒狼は逃げるのをあきらめ、反撃に転じるべく僕らを伺っているという。

 

 何度撒いたと思っても、ラルフの勘により捕捉され追いかけ回されたのだ。黒狼も、諦めて強行手段に出たらしい。

 

 ……え、滅茶苦茶やばい状況じゃないかそれ。正面戦闘では絶対勝てんよ僕達。

 

「ラ、ラルフ? 狼はどっちにいる?」

「いま、けはいをさがしてるよ。多分……まえの木陰どこか」

 

 前……、正面のどこかね。よし、よし。方向がわかるなら、まだ何とかなる。

 

 ラルフに促されるままにこんなとこまで来ちゃったけど、こうなればもう覚悟を決めねば。子供だから勝てない、なんて諦める段階ではない。殺るか、殺られるか。

 

 僕は、『縛りやすそうな石』に目を付け拾い上げると。前方への警戒を怠らぬまま、丈夫そうな木の幹から蔦を剥がし始めた。

 

「……お前、何やってんの」

「簡易の狩猟道具を作るんだよ。使ったことないけど……、石と縄を結んで足に巻き付けるように投げ付ける武器があると、ひいじいちゃんの本に書いてあった」

「ふーん、物知りなんだなお前」

 

 僕は木に生えていた蔦をむしって縄の代用とし、手頃な石をぐるぐる巻きにした狩猟具を作り上げた。名を『ボーラ』というらしい。

 

 エコリ聴聞録によれば北方の民族がよく使っているという、本来は鳥などを狩る狩猟具だ。地を這う獣にも有効らしいから、念のため用意しておく事にした。

 

 ラルフの武器が超人的な勘の良さなら、僕の武器は冷静さと知識量だ。僕に出来ることは全てやって、アセリオを助け出してやる。

 

「おい、ならもうそのブキ構えとけ。たぶん、狼はいまマジョを地面に置いた」

 

 僕が1つ目のボーラを作り上げ、強度を確かめている頃。目を皿にして前を見据えていたラルフが、少し切羽詰まった声を出した。

 

「……つまり?」

「くる」

 

 その、ラルフの言葉が終わるかという刹那。

 

 

 森の闇に紛れ、漆黒の獣が凄まじい速度で僕たち目掛けて駆けてきた────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だっしゃあああ!!」

 

 

 足がすくみ、一瞬硬直してしまった僕とは対照的に。ラルフは突進してくる獣を恐れず、逆に黒狼目掛けて体当たりをかましに行った。

 

「あ、それは無謀だよ!?」

 

 流石に不意を突かれたのか、黒狼とラルフは正面からぶつかり合った。そして体格で劣るラルフが、一方的に弾き飛ばされた。

 

 体重の差は顕著だ、獣の方が倍ほど大きい。力負けして当たり前である。

 

GAOOOO(ギャオオオォ)!!」

 

 自分より小さな敵とはいえ、ぶつかられた黒狼はたいそう興奮し。ラルフ目掛けて獰猛な牙を開き、飛び掛からんとする。

 

 

 

「げ、マズっ……」

 

 

 

 吹っ飛ばされ、尻餅をついて動けないラルフの正面へ狼は着地し。唸り声をあげて、狼は咆哮する。

 

 滴り落ちる獣の涎。恐怖でひきつる、幼いラルフ。それは、完全に捕食者と餌の関係だった。

 

「た、たすけっ!!」

GYAA(ギャアア)!!」

 

 

 絶体絶命。このままだとラルフは、憐れな死体となるだろう。

 

 だけど、幸いにも僕が居る。

 

 ラルフの正面、黒狼がその後ろ足が揃って地面を蹴ろうとしたその瞬間を狙って。

 

 

 

「エイヤっ!」

 

 僕の放り投げた簡易狩猟具『ボーラ』が、その獣の両足を縛り上げるように巻き付いたのだった。

 

GAN(ギャン)!?」

 

 結果、黒狼は地面をうまく蹴ることができず、ズテンと無様に顔を地面に打ち付けた。よ、よかった。ぶつけ本番だったけど、何とかうまいこといったみたいだ。

 

「今だ、動けない内に……」

「タコなぐり!!」

「素手は駄目だよ!? 噛みつかれるから、ちゃんと棒を使って───」

 

 足に絡み付いた石と蔦を何とかしようともがく、黒狼。この隙を逃す訳にはいかない。

 

 先程のラルフと狼の突進できしんだ木の根を引き抜き、簡易の鞭として僕は狼を殴打する。

 

「このっ、よくもアセリオをっ!」

「はっはー! カクゴしろこのいぬっころ!!」

 

 潰すべきは、足。胴体にいくらダメージを与えるより効率的に、狼の行動を封印できる。

 

 目を潰すのもアリだ。視界を奪うことができればろくに戦うことも出来なくなる。

 

 いや、はじめて使ったが良い狩猟具だなコレ。両足を巻き込んで絡ませられれば、獣を一瞬で無力化できるとは。コツは要りそうだが……、護衛手段として練習しておいても良いかもしれない。

 

 

 

「ガ、ァ」

 

 

 僕の鞭とラルフの何処からか持ってきた太い木の枝で打ち据えられること、数分。黒狼は息も絶え絶えとなり、足が腫れ上がってろくに動けなさそうな状態となった。

 

 勝った。勝ってしまった。

 

 大分、幸運に助けられはしたけれど……、幼い子供二人で恐ろしい黒狼を打ち倒せるとは。一生分の運を使い果たしてないかコレ。

 

 初めて投げたボーラがバッチリ決まったのも奇跡だし、そもそもラルフが黒狼を追跡できたのもあり得ない幸運だ。何度見失っても、ラルフの、指差した先に狼が居たのだから。

 

 物凄い確率の低い宝くじを、3連続くらい1等賞引き続けたようなものだろう。

 

 

 ────さて。早く、アセリオのところに行って容態を確認しないと。

 

 

「アセリオ、アセリオ! 無事かい?」

 

 

 黒狼が飛び出してきた辺りの、木陰に向かって声をかける。返事はない。

 

「アセリオ、そこに居るんだろう?」

 

 ゆっくり、ゆっくりと前に進んでいく。木の影に倒れているだろうアセリオを、見失わぬように。

 

 

 ────返事は、ない。

 

 

 ……ここまで、幸運が重なったんだ。大丈夫、アセリオは生きてくれている。

 

 死んでいるなんてあり得ない。考えたくない。きっと、気を失っているだけだ。

 

 

「アセリオー?」

 

 キョロキョロと、暗い森の中を血眼に探していると。ソレは、そこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……すぅ、すぅ」

「アセリオ……」

 

 血塗れで頭から血を流しながらも、確かに肩で息をしている幼馴染みがそこにいた。

 

 死んでなどいない、僕の大切な友人が気を失って木陰に倒れ付していた。

 

「よ、良かった……」

「おー! 生きてたかマジョ、やったじゃん」

 

 ああ、血の気が引いた。アセリオが拐われた瞬間など、この世の終わりかと思った。

 

 それもこれも、僕が油断しきっていたのが原因だ。黒狼が生き残っていないと盲信して、周囲を一切警戒せず大人のいない散歩道なんか歩いたからだ。

 

「アセ、リオ……。良かった……」

 

 もう僕は油断しない。今回はたまたま、運が良かったから助かっただけだ。次もこう上手くいくとは限らない、二度と同じ失態を繰り返してなるものか。

 

 前世の様に大切な人が死んでいく事を許容しない。その為にやり直しているんだ。

 

 助けて見せる。守って見せる。今度こそ、あの不幸で悲惨な未来を変えて見せる。

 

 これからもきっと、僕の予想だにしていない事態が多々発生するだろう。だからこそ、思考を止めず考え続けるんだ。

 

 これからどんな悲劇が起ころうとも、その全てに抗う為に────

 

 

 

 

 

「「「がるるっ……」」」

 

 

 

 

 うん。

 

 ……うん? 今、何か聞こえたかな?

 

「げ、げぇ。おいみろポート、別のヤツが3匹こっちみてる」

「……そんなこと有る訳ないじゃないかラルフ。冗談はやめてくれよ」

「おい、ボケてる場合か! ユダンするな、まだ狼居るぞ!!」

「油断なんかしてないけど!?」

「なに急におこってんのおまえ」

 

 く、くっそぅ。つまり、そう言うことか。

 

 あの黒狼は、追いかける僕とラルフに痺れを切らして牙を剥いたのではなかった。単に、仲間と合流出来たから安心して僕達に襲いかかってきたのだ。

 

 冒険者達の山狩りを生き抜いた黒狼は、彼1匹では無かった。冒険者の猛攻を掻い潜り数匹の黒狼が生き延びていて、僕達の村に復讐すべく虎視眈々と機会を狙っていたのだ。

 

 きちんと仕事してくれよ冒険者ぁ!!

 

「で、どうする?」

「はは、決まってるだろラルフ」

 

 目の前に、姿の目視できない森の怪物3匹。僕にもう武器はなく、ラルフもヘトヘト満身創痍。

 

 だが肝心のアセリオは、なんとか取り返す事が出来た。となれば、後は────

 

 

「逃げるんだよぉ!!」

「テッシュー!!」

 

 

 アセリオを抱き抱えていた僕が、そのまま彼女を背負い。ラルフと共に、狼のいない方へと逃げ出す。

 

 もう、彼等とやり合う必要はない。逃げることが出来れば、勝利と同義なのだ。

 

 狼を警戒しながらも一目散に、僕とラルフは駆け出した。

 

「追ってきてるぞ!!」

「だろうね!!」

 

 このまま僕たちを逃がしてくれたら最高だったのだが、そううまく事は運ばない。アセリオを抱え逃げだした僕たちの後ろから、3匹の獣が猛追している。

 

 ……『エコリ聴聞録』を思い出せ。曾祖父は、狼についてどんな記述を残していた?

 

 思い出せ、考えろ。狼の特徴、特性を。僕の武器は、小さなころから必死で蓄え続けた無限の『知識』なのだから────

 

「ラルフ、石を拾って!! 遠くにいる狼にぶつける必要はない、近づいてきた狼をよくよく引き付けて顔面にぶち当てるんだ!」

「お、おう!! おまえもマジョ落とすんじゃねーぞ!」

 

 狼は、臆病で慎重な性格。だから、脅威を少しでも感じると積極的な狩りを仕掛けてこない。

 

 だから、狼に対し適度な攻撃を仕掛ける方が安全だ。だけどアセリオを抱えて走っている僕は、迫りくる狼に対応できない。狼の撃退はラルフに任せよう。

 

 ラルフは、こういう土壇場に強い男だった。彼の超人的な勘をもってすれば、きっと僕より上手く狼に対応できるだろう。

 

「3匹イッショに来てる!! 石じゃおいはらえんぞ!!」

 

 だが、本に書いてあった事の全てが上手くいくとは限らない。

 

 もし狼が一匹であれば、僕の指示したように顔面に石をぶつけ追い払うこともできたのだが。3匹の狼が同時に迫ってきている今、石だけでは対応しきれない。

 

 エコリ聴聞録には石をぶつける方法しか書いていなかった。ならばどうする?

 

 チラリチラリと後ろを警戒しながら石を投げつつ走るラルフに、僕は新たな指示を出す。

 

「叫べ!! とにかく威圧してみよう、奴らも人間を恐れているはずだ」

「おっけー! すぅぅ……、アーアアァー!!!」

「アーアアァー!!」

 

 森の中で叫ぶのは、本来は悪手だ。周囲の獣に僕たちの存在を周知するだけなのだから。

 

 だが、今のこの状況だと話は変わってくる。もう獣に見つかって追われている以上潜伏は無意味だし、狼は他種族の叫び声を警戒する習性があったハズ。

 

 群れをなす獣であるが故に、遠吠えの恐ろしさをよく知っているからだ。

 

「お、おお。なんか近寄ってこないぞ」

「このまま、駆け抜けるよ! 村の方向へ!」

 

 そして、狼の特性として……。彼らの狩りは『慎重で消極的』であることが挙げられる。

 

 彼らの牙は強力だが、森にはもっと彼らより強い種族がたくさんいる。そんな自分より大きな獣を狩る時に、狼は『スタミナ』で勝負をする生き物なのだ。

 

 無理に特攻せず、安全な距離でジワジワと大型の獣の体力を削り、そして力尽きたところを襲う。威圧する元気のある存在に狼は攻撃を仕掛けない。

 

 威圧する元気もなくなるまで執拗に追い掛け回すのが、彼らの狩りのスタイルなのである。

 

「っはぁ、はぁ」

「ポート、ダイジョウブか?」

「もちろんだよ、叫ぶのは君に任せるから、はぁ。そのまま、威圧を続けてくれ、はぁ」

「お、おう。アーアァー!!!」

 

 ラルフに威圧を続けてもらいながら、僕はアセリオを背に森の中を必死で走り続けた。

 

 息も上がりかけているけれど、立ち止まってはいけない。僕のスタミナが切れ立ち止まるその瞬間を、狼は狙っているのだから。

 

「は、はぁ、はぁ。……っはぁ」

「アーアァー!! アーアアァー!!」

 

 口の中に、血の味が滲む。カラカラに乾いた喉が、塩辛い汗を飲み込んでむせ返りそうになる。

 

 女の子とはいえ、自分とそう背丈の変わらない人間を背負っての全力疾走は無茶だった。もう少し、スタミナ配分を考えるべきだった。

 

 ラルフが必死で叫んで援護してくれているけれど、少しずつ僕の走りは拙くなっていく。

 

 ダメだ、走るのを止めたらおしまいだ。狼は襲ってくるだろうし、何より止まってしまったらもう二度と走れなくなる。

 

 勢いを失うな。このまま、走り続けるんだ。

 

「────あ、はぁっ」

「お、おい! もうゲンカイだろお前、マジョ背負うのかわるぞ!」

「────、だ、め。たち、どま、るな」

 

 ここが踏ん張りどころだ。ここで頑張らずして、どこで頑張るっていうんだ。

 

 この村を守れるのは僕だけだ。あの悲惨な未来を知っているのは、僕だけなんだ。

 

 だから僕は、ここで死ぬわけにはいかない────

 

 

 

「────ガッ」

 

 

 すてん、と。

 

 足元を見る気力もなくなっていた僕は、蔓に足をひっかけて盛大にすっころんだ。

 

 幼馴染を背負っていた僕は咄嗟に支え手を出すこともできず、顔から無様に地面へとダイブする。

 

「ポートっ!?」

「……っ」

 

 しまった。やってしまった。

 

 この転倒は致命的だ。狼たちに、もう僕に走るだけの体力が残っていないのを悟られてしまう。

 

 襲われる。殺される。死ぬ。

 

 

GYAA(ギャアア)!」

 

 

 迫り来る猛獣。漆黒の鬣を総毛立たせる、牙を剥いた化け物。

 

 ……殺される。

 

 せっかくやり直す権利を得たのに。僕は結局何も出来ぬまま、村を守れぬままに、死んでしまう────

 

 

 

 

 

「このやろぉぉお!!」

 

 

 

 

 ラルフが投げた石が、狼の横腹を直撃した。

 

 真っ直ぐ僕へ迫ってきていた狼が、堪らずよろめいて逃げ出す。

 

「どっからでもかかってこい!! セーギのミカタ、ラルフ様があいてになってやる!!」

 

 見上げれば。息も絶え絶え、地面に倒れ伏している僕の前に立ち。両手に大きな石を握りしめたラルフが咆哮していた。

 

 あぁ。さすがは、僕らのガキ大将。幼いとはいえ、ラルフは頼りになる。

 

「GYAAAA!!」

「こんのぉぉぉ!!」

 

 だが、しかし。

 

 狼も、力尽きた僕を狙って全力で狩りに来ている。スタミナが尽きて倒れた今こそ、彼らの『本気』の狩りの時間なのだ。

 

 そもそも、黒狼は幼子が敵う相手ではない。走り続けて消耗したラルフが、勝てるわけもない。

 

「ぐ、ぐあああっ!」

「ラルフっ!!」

 

 右腕をガブリと噛みつかれ、大きな悲鳴を上げるラルフ。必死の奮戦を見せた彼も、とうとう狼に捉えられた。

 

 もう、終わりだ。ここで、僕たちは……

 

 

 

 

「……1,2……、まじっく!!」

 

 

 

 その時ポン、と間抜けな音がして。

 

 奇妙な香りと共に、凄まじい煙が立ち込めて僕とラルフの視界を奪った。

 

「……へ?」

「……はし、るよ!」

 

 そのまま、僕は誰かに手を引かれ起き上がる。

 

 その、聞き覚えのある声の主は────

 

「ちょうまじゅつ~」

「GYAN!」

 

 今の今まで気を失っていた、アセリオだった。

 

 彼女はいつになく機敏な動きで、いつの間にか手に握っていた『トンカチ』をラルフにかみついている狼の顔目掛けて振り下ろす。

 

 狼の顔から、鈍い音がして。キャイン、と可愛らしい悲鳴をあげて狼がのたうち回った。

 

「はぁ、たすかった。ありがとマジョ」

「……なんでお前がいんの?」

「お前を助けに来たんだよ!」

 

 狼から解放されたラルフは、噛まれた右肩を抑えながら、フラフラと立ち上がり走り出す。

 

 良かった。このタイミングで目が覚めてくれたのか、アセリオ。

 

「アセリオ、君は大丈夫なのかい? 状況は分かる?」

「……ジョーキョーは把握してる」

「ポート。コイツ、さっきから目覚めてたぞ」

 

 ……そ、そうなのか。何で言ってくれなかったんだ。

 

「あたまがグアングアンしてるから、ポートにおぶってもらってた……。ごめん、ムチャさせた」

「いや、構わないさアセリオ」

 

 頭を怪我してるんだもんな。それは仕方がないか。

 

「もうポートが、はしるのはムリ。ここで迎撃する……」

「そ、そんなことはないよ!!」

 

 狼に向き直り、トンカチを構えるアセリオ。それは無茶が過ぎる、アセリオも走れるようになったんだから逃げないと。

 

 そう思ってアセリオの方に向き直り────、僕の右足に激痛が走った。見れば、足首が赤く腫れあがっている。

 

 ────しまった。足を折ったか。

 

「痛ぅ……」

「これはもームリだろ。……3対3になったんだ、なんとかなる」

「ここで、おいはらう……」

 

 ぐ、情けない。確かにこれでは、もう走ることはできない。

 

「……それは無茶だ。イザとなったら、食われている僕を置いて逃げ出してくれ」

「ばかいうな!!」

 

 ……最悪、僕が食われてる隙にこの二人を逃がす。少しでも、被害者を減らさないと。

 

「叫べ、ひるませろ!」

「アーアァー!!!」

 

 今も、こうして必死で抵抗してくれている二人だけでも、逃がさないと。

 

 

 

 

 

 

 ────ドカン、と炸裂音。

 

 何かの爆ぜる音が、僕の耳を貫いて果てる。

 

 

 

 

 

「……にゃ!?」

「ひっ?」

 

 アセリオがまた何かやったのかと思ったけれど、とうのアセリオも目を白黒させて耳をふさいでいる。何だ、何が起きたんだ?

 

「うわぁ! 森が、焦げてる」

「爆、発……?」

 

 その、何かの爆ぜる音がした方向には大穴が開いていて。狼の一匹が、キャインと悲鳴を上げながら森の茂みへと逃げ込む姿が目に映った。

 

 ────これは。これは、まさか!

 

 

「無事かぁ、坊主ども!!」

「子供が3人いるぞ!! 生きている!!」

 

 

 村が雇った冒険者が、来てくれたんだ!!

 

「え、大人……?」

「よう叫んでくれたな坊主。お前の声、森によく通っとたぞ」

 

 この広い森で、冒険者たちが何のヒントもなく僕達の位置を特定するのは不可能に近い。宝くじを買うような気持で、威嚇もかねて叫び続けた甲斐があった。

 

 冒険者達が、ラルフの雄叫びをヒントに駆けつけてきてくれたのだ。

 

「一人は足を怪我しとる。誰か背負っちゃれ!!」

「森で火薬を使うな馬鹿チン!! 俺の水魔法でぶっ殺すからお前は下がってろ!」

「へ、へい兄貴!!」

 

 彼らは慣れた様子で陣形を組み、僕達を守るべく囲ってくれる。……た、助かった、のか。

 

「────もう大丈夫だ。頑張ったな、チビども」

 

 ヒゲのおっさんの、その言葉に安心して。僕は、そのままゆっくりと意識を手放したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事の顛末を語ろう。

 

 あのあと僕達3人は無事に冒険者に保護され、村へと届けられた。それぞれ重症でそれなりの治療を要したものの、命の危機には至らなかった。

 

 4歳弱の子供2人が成し遂げた、奇跡のようなアセリオ奪還劇。そんな英雄的偉業を達成した僕たちは、

 

「二度とこんなことをしちゃいけませんよ!!!」

 

 と、両親からものすごく長い説教を聞く羽目になった。

 

 

 

 冷静になって振り返ると、やはり子供二人で狼を追いかけるべきではなかった。冒険者が間に合ってくれたという幸運により僕達は生還したわけで……、本来であれば子供の死体が3つに増えるだけだっただろう。

 

 だが、僕は思うのだ。アセリオを救う未来があったとすれば、やはりラルフの指示した通りに『無謀を承知で』狼を追いかけるしかなかったと。

 

 お利口で常識的な判断というのは、ほとんどの場合において正解である。ただ、どうしようもない状況から足掻く時には足枷にもなりうる。

 

 前世の僕は、思い返しても決しておかしい判断をしていなかった。その時その時において、穏当で常識的な判断を下していたように思う。

 

 

 ────その結果。避けられぬ滅びに抗うことができず、僕は村を救えなかった。

 

 

 無茶を承知で、無謀を承知で。あの時領主と敵対するという選択が取れていたら、何か変わったかもしれない。

 

 ……今となっては何が正解かなんてわからないけれど。今回のように一見『無謀で非合理的な』選択肢が、最良の結果を生むことだってある。

 

 現に今回だって、僕が見捨てかけた大事な幼馴染は、ラルフの蛮勇により生き延びることができたのだ。

 

 僕に足りないのは、こういう所だったのだろう。『常識』にとらわれすぎて、穏当な判断に逃げ、冒険を嫌う僕の臆病すぎる性格。

 

 僕には、ラルフの様な土壇場で最良の結果を導けるだけの勘はない。だってそれは、僕がそういう『土壇場』から逃げ続けた結果にならない。

 

 つまり────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ん。あり、がと」

 

 アセリオが、目線を左右に揺らしながらラルフの手を握る。

 

「ふ、きにすんな!!」

 

 一方でラルフは、カッコつけながらも笑顔でアセリオの握手に応じた。

 

「僕からも礼を言うよ、ラルフ。僕一人ではアセリオを助けられなかっただろう。ありがとう」

「ポートは、すっごくやくに立ってたじゃんか。すごい物知りだったし、おれも助けられたし!」

「それでも。僕の大事な幼馴染を助けてくれてありがとう」

 

 アセリオ救出作戦から、3日後。僕とアセリオは、改めてラルフの家を訪ねていた。

 

「私が、おじちゃんたち呼んできたんだよ!!」

「リーゼもありがとね。君が速く呼びに行ってくれたおかげで、間一髪間に合ったんだ」

「えへん!」

 

 ラルフと別れたリーゼは、まっすぐ冒険者が騒いでいる酒場に走って言ったらしい。そして、冒険者の親分格に僕達が森に入ったことをまくしたてたそうだ。

 

 そのおかげで、冒険者たちは迅速に動き出してくれたという。地味ながら、リーゼも良い仕事をしていた。

 

「ポート、アンタも結構やるみたいね。ラルフから聞いたわ、変なブキで狼を一匹しとめたって」

「たまたまさ」

「でもそれで、ラルフが助かったんでしょ。……アンガトね」

「うん。ポートは、とっても頼りになる……」

 

 そして、今回の一件で。仲が悪かった僕達とラルフ達が、初めて笑いながら談笑している。

 

「ああ、ポートはスゲェ奴だ。サンキューな!!」

「……ラルフ。君から礼を言われるなんて」

「良いって良いって!」

 

 そういい、ガシリと僕と肩を組み笑うラルフ。

 

 今回、僕とラルフは互いに命を預け合ったわけで。特に彼とは、前世よりよっぽど強固な絆ができた気がする。

 

「これからは、イッショに遊ぼっか」

「ポートをバカにしないなら、喜んで……」

 

 僕達の和解により、女の子二人組も仲直りをした様子。

 

 ああ、素晴らしい。これで、前世のような仲良し4人組が出来上がるだろう。

 

 

 ────ただ、前世と違うところがあるとすれば。

 

 

 

 

「それでだね、ラルフ。僕は、村長の家の子だって知ってるかい?」

「……あん? あー、そういえばおまえ貴族なんだって?」

「まぁね。ただ、僕が村長の跡取りって訳じゃなくて……。僕と結婚した相手が、村長の資格を得るんだってさ」

 

 親しげに肩を組んでくるラルフに、僕も肩を組み返し。悪戯な笑顔を向けて、僕はラルフにこう言い放つのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「────ねぇ、ラルフ。僕と結婚して、村長になってみる気はないかい?」

「……は?」

 

 

 

 

 

 

 ステーン、と。

 

 僕からの逆プロポーズを聞いていたらしい女子二人が、その場でズッコケた音が聞こえた。



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悲しい恋

「……お、おおおちつくのポート」

 

 それはまさに、阿鼻叫喚。

 

 悪戯な笑みを浮かべラルフに抱き着いてみた僕は、即座にアセリオとリーゼに引き剥がされガクガクと肩を揺すられる羽目となった。

 

「だめ、それはゼッタイダメ!! あ、あああんたいきなり何言いだしてるのよ!!」

「しょ、しょうきにもどって、ポート……」

 

 ある程度予想はしていたが、二人からの反発がもの凄い。

 

 リーゼの気持ちは分かる。彼女は本来ラルフの妻になる人間だし、幼いころからラルフに惹かれていた節があったのでまぁ想定内だ。大好きな彼をぽっと出に取られたらそりゃあ面白くない。

 

 ……でも、アセリオの動揺は予想外だ。彼女のこの反応を見ると、アセリオもラルフに惹かれていたんだろうか。そんな素振りは無かったから、正直意外だった。

 

「あー、ポート? おまえ、なにいってんの?」

「なにって、ひどいなぁ。求婚じゃないか」

「……いや、何で?」

 

 そして。

 

 求婚された当の本人は、怪訝な顔で僕をにらみつけていた。……まぁ、今まで散々いがみ合ってきた相手にプロポーズされても混乱するわな。

 

 まぁ最も、僕も別にラルフが好きな訳ではない。というか、男を恋愛対象として見るのは多分一生無理だ。

 

 でも、それだと村長の家系が絶えてしまうわけで……。いずれ、僕は誰かと子を成さねばならない。その、僕の番いとなる男性は……現時点では彼をおいて他にいないだろう。

 

 リーゼ達には悪いが、ラルフの能力は今後の村に必要不可欠なのだ。

 

「今回の君の、山での行動は動物的で根拠の無い愚かなものだったけど……、僕じゃ到底たどり着けなかった最高の未来を手繰り寄せることができた。これは、きっと君にしかできなかった事だ」

「……はぁ」

「君に足りない知識や頭脳は、僕が全力で支えて見せる。君は、君の持つその『成功へのか細い糸を手繰り寄せるセンス』を僕に貸してほしい」

「……あー、と」

 

 そこまで言い切って。僕はラルフをまっすぐ見上げ、そして懇願した。

 

「村のより良い未来のため。僕と、結婚して村長になって欲しい。僕に足りないものを、君が全て持っていると思うから」

「……おまえって、おれのこと好きなの?」

「ん、別にそんなに。友達としては凄い好きだけど」

「つまり、お前はおれが好きなんじゃなくて村長やってほしいだけ?」

「ま、そーなるね」

 

 僕は包み隠さず、思いの丈をすべてラルフに打ち明けた。君に異性として興味なんぞ欠片も無いけど、その成功を手繰り寄せる超人的センスを僕に貸して欲しいんだ。

 

 さぁ届け、まっすぐなこの僕の想いよ!!

 

 

 

 

「あほかー!!! 誰がお前とケッコンするかぁ!!」

「あれー?」

 

 

 

 届きませんでした。残念。

 

「……ほっ」

「あ、あ、あたりまえじゃないの!! ポート、あああんたバカなの!?」

 

 僕がフラれて、何やら嬉しそうなリーゼ。むー、時期尚早だったかぁ。

 

 4歳程度。そんな幼児たるラルフに、村長という立場の重要性を理解してもらうのは難しいらしい。今は諦めて、もっと成長してから頼んでみるか。

 

 

「分かった。今は、引くとしよう」

「そーしてくれ……。てかさ。ポート、お前オトコだよな? オトコ同士じゃ結婚できんぞ」

「そーよ! ラルフは女の子とケッコンするの!!」

 

 

 ……む?

 

「え? ラルフ、君は何を言って……」

「オトコ同士じゃ、子供出来ないんだぞ」

 

 お? おお? 

 

 あ、そうか。ラルフってば、今まで僕と喧嘩しまくってたから僕が女って話もしてないじゃん。

 

 そっかそっか、一人称も『僕』だし僕は男と勘違いされてたわけね。そりゃあ、断るわ。

 

 これは面白い黒歴史になる。将来、ラルフ達をからかうネタにしてやろ。

 

「あっはっは。アセリオ、これは驚いたね」

「……驚いたのは、あたし。ポート、男同士なんて、だめ……」

「あれぇ?」

 

 ……え? アセリオ、さん? 君まで何をいってるの?

 

「あ、あの、アセリオ?」

「……なに?」

「えっと。僕の性別、知ってるよね……?」

 

 ……あれ? 嘘だろ、話したことあるよなアセリオには。僕と初めて出会った日も、母さんから『村長さんとこの娘』だって紹介されてたと思うし。

 

 違ったっけ? 『村長さんとこの子』って紹介だっけ? ま、まさかアセリオってば、僕を男と思ってる……?

 

 まぁ前世の影響で、ほぼ男みたいな性格で振る舞ってたけど……。見た目は女の子に見えると思うんだけどなぁ。

 

 

「……ポート、何言ってるの?」

「いや、だから。その────」

「ポートは男の子、でしょ……?」

 

 ……。

 

 まじかー。アセリオに男の子と思われてたのかぁ。

 

 これは、悪いことした。嘘をつくつもりはなかったけれど、騙していたようなもんだし。

 

 ラルフ達と仲良くなっていなかったので、今世の親友と言えばアセリオである。彼女こそ、僕にとって一番大事な女の子だ。

 

 アセリオに嘘はつけない。仕方ない、この場ではっきり謝っておこう。

 

「アセリオ。ごめん、僕女の子……」

「……」

 

 そう言って僕は、アセリオにまっすぐ謝った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれぇぇ!? ポート、おんなだったの!?」

「そーだよ。まったく、男扱いとは実に失礼だね」

「ええええええっ!? 男にしか見えなかったわよ!?」

 

 ラルフとリーゼが仰天し、ペタペタと体を触ってくる。いや、今の幼児体型な体触っても性別わからんだろうに。

 

「……ポート。おんな、の、子?」

「う、うん。そうだけど、アセリオ……」

「……う、そぉ?」

 

 そして、案の定というか。僕の性別を知ったアセリオがもの凄いショックを受けていた。

 

 違うんだアセリオ、僕は決して嘘をついていたわけじゃなくて。

 

「ごめん、嘘をつこうとしたつもりは無いんだ」

「……おんな、の子」

「てっきり。僕は、アセリオは知ってると思ってて」

「ポート、は。女の子……」

 

 アセリオは目を見開いて、ワナワナと震えている。よほど衝撃だったらしい。

 

 そ、そこまでショックを受けなくても。

 

「……あたし、は、女の子に……?」

「ど、どうしたのアセリオ。様子が変だよ?」

「……は、は、は」

「うわー!? マジョが白目向いて気を失ったぁ!?」

「ア、アセリオーっ!?」

 

 そのまま彼女は変な笑みを浮かべて、ふらりと倒れ失神してしまったのだった。

 

 あ、あれぇ? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数分後。

 

「……ポート、が、女の子……」

 

 僕達の必死の手当てで意識を取り戻したアセリオは、死んだ様な目でブツブツと呟くことしかしなくなった。どうやら、彼女のダメージは大きいらしい。

 

「ポートはおんなの敵ってヤツね!!」

「僕は女なんだけども」

「だまらっしゃい!! ちゃんとあやまって、アセリオがカワイソウでしょ!」

「……えぇ?」

 

 そんな可哀想なアセリオの傍ら、リーゼが目をつり上げて僕を罵倒した。さっきまでの不仲はどこやら、リーゼはアセリオを抱き締めて慰めている。仲良き事は美しきかな。

 

「このヒトデナシ!! オンナタラシ、ボクネンジン!!」

「え、えぇ……?」

 

 ただ、その仲良しを僕にも分けてほしいな。

 

 確かに男女を伝えてなかったのは悪かったけど。僕のこのウッカリミスは、そこまで罵倒されるほど巨悪だろうか?

 

「……おれ、おんなに負けてたのか」

 

 その端っこで、ラルフは地味に凹んでいた。彼も、プライドその他が色々ダメージを受けたらしい。

 

 この年頃は男女差なんて無いから気にしなくていいのに。

 

「そ、れ、に! いきなりラルフとケッコンとか意味わかんないし!!」

「それは、本気だよ。ラルフはスゴい奴だって、僕は心の底から思ったんだ」

「それはっ!! まぁ、そうだけど。……だからってスキでも無いのにケッコンって!!」

「あー、結婚ってのは形だけで、村長継いでくれたらソレでいいんだ」

 

 そして、唯一元気なリーゼが僕を激しく非難しつづけた。彼女は単に、ラルフに婚約を迫った僕に嫉妬しているのだろう。

 

 よし、なら安心させてあげるか。

 

「つまり、リーゼとラルフも結婚していいよ。二人奥さんにすれば解決でしょ」

「ふたっ、二人!?」

 

 別に重婚すりゃ良いじゃない。ラルフも貴族扱いになるから、重婚しても咎められないし。

 

「そ。僕は別にラルフ好きじゃないから、リーゼがラルフとイチャイチャしてなよ。好きなんでしょ?」

「ちっ、ちっ、違うし!! そんなんじゃないわよ、て言うかアンタそれで良いの!?」

 

 ……リーゼ的には、まだラルフが好きとは認めていないらしい。バレバレなんだから意地なんか張らなきゃいいのに。

 

 ま、そんなリーゼも子供らしくてかわいいけど。

 

「僕は別に構わないよ。僕、どっちかっていうと女の子の方が好きだし」

「にゃあああっ!?」

 

 ぽろっと、本音をこぼして見るとリーゼが僕を警戒して急激に後ずさった。

 

 子供だし、そんなに気にしないかとも思ったんだけど。

 

「え、え? アンタ、女の子が好きなの?」

「え、あ、うん」

「そんなのヘン!! 女の子は男の子とケッコンするものよ!!」

 

 いや、リーゼさん。幼い君は知らないだろうけど、世の中には色々な人が居るんですよ? 同性愛なんて別に珍しいことではないのさ。

 

 僕がラルフに求めるのは村長の役割だけで、男性としてなんぞ全く求めてない。彼が望むなら、むしろ積極的に僕以外にリーゼとかと重婚してそういう欲望は解消してもらいたいもんだ。

 

 あわよくば、お零れに預かってリーゼとエッチな関係になれるかもしれんし。今はそういう興味は無いけど。

 

 

 

「……ポート、は、女の子が、すき……。うご、うごごごごっ」

「うわぁー! マジョがまたもがき始めたぞ!? ダイジョウブか!?」

「ポートは女の子……、女の子が好きな女の子……、うごごごご」

「もの凄い苦悩を感じる!?」

 

 ……ところでさっきからアセリオは、何をそんなに苦しんでいるのだろう。

 

「とりあえず、あんたアセリオにめっちゃあやまっときなさいよ。ショーライ的に」

「……何を?」

「いいから!!」

 

 僕は、そのままリーゼにパコンと頭を殴られるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何にせよ。

 

 この1件以来、僕達4人は集って遊ぶようになった。20年来の仲良し4人組、結成の瞬間である。

 

 前世との違いは、男の子がラルフ一人で少し可哀想なくらいだけれど……。今のところ僕が男の子的な遊びに付き合っているので、さほど困ってはないだろう。

 

 そして僕も遊んでいるばかりではない。

 

 

 日中は、よく彼等と遊び。夜は、とうとう夢だった執筆作業を始めだしたのだ。

 

 

 執筆内容は曾祖父と同じく、旅人から聞いた話を纏めて書籍に残したモノ。

 

 以前聞いた湾岸都市などの文化や風習の話や、自慢げに語られた冒険者達の活躍譚、各地方の独自の技術など。

 

 ポート聴聞録、と題した僕の本はまだ文章量も内容も大したことはないけれど。これを積み重ねてくことがきっと未来の村の長の助けになるはず、そう信じて僕はコツコツと執筆を続けた。

 

 健康的で強靭な肉体と、理性的で豊富な知識。僕はこの2つを兼ね揃えた、立派な指導者となる。

 

 そこに、ラルフの動物的な勘の助けが加われば……。この村はきっと、どんな困難だって乗り越えられるだろう。

 

 そして、未来を変えて見せる。僕は固くそう決意し、今日も夜遅く微睡みを感じるまで執筆を続けるのだった。

 

 

 ────その未来を変えるための、最初で重大な転機が迫ってきていることにすら気付かずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 7歳になった。

 

 この年頃になると、流石にもう男の子に間違えられることはなくなった。

 

 見た目は、前世の僕の背を低くして目を大きくした感じ。髪をあまり伸ばしていないせいかボーイッシュな印象を受けるが、まあ10人に聞けば10人が女の子と分かるくらいの容貌に成長した。

 

 ラルフ達との関係は、相変わらずだ。毎日のように野遊びを繰り返し、時折悪戯をして叱られて。

 

 そんな平和で幸せな日々を過ごして居る僕は、ある日父からとある重要な知らせを聞いた。

 

 曰く、『今年の夏に領主様が視察に来る』とのこと。

 

 

 それは、僕の前世でもあった出来事だ。アホ領主の父である先代の年老いた領主様が、父さんと共に村を見て回ったのをほんのりと覚えている。

 

 僕も挨拶はしたけれど、基本は父に領主様の応対を任せて普段通りに過ごしたからあまり記憶に残っていない。

 

 そして僕は、その知らせを聞いて思い出した。確か、前世の記憶では────

 

 

 

『久しいな、村の長ポッドよ。改めて名乗ろう、俺はフォン・イブリーフ。この州の新たなる領主となった男だ』

 

 

 

 あの男も、領主と共に村を視察していた可能性が高いということを。前世の彼の発言からは、僕と面識があったと思われる。僕は覚えていないけれど。

 

 つまり領主が視察に来たその日、僕は何らかの形でフォン・イブリーフに会っていたのだ。

 

 彼に会えるということは、未来へ向けて何らかの介入が可能であるということ。例えばアホ領主を事故に見せかけて殺したり、洗脳して人格矯正したり。

 

 いや、そんな物騒なことをしなくとも最悪『農民とはどんなものか』を伝えたりするだけでもいい。彼に正しい知識を幼少期から植え付けることができれば、未来は大きく変わるはず。

 

 半年後に来るという未来の宿敵を頭に浮かべ。僕は、このチャンスをどう生かそうかと必死に頭を絞るのだった。



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いもうと(清楚)

 初夏。

 

 虫たちが賑やかな鳴き声をあげ、森に活気が満ち溢れる季節。

 

 僕たちの村も益々の活気に溢れ、旅人からもたらされる滞在費や交易により更なる発展を遂げていた。

 

 

 4歳の頃、僕の提案した『酒税』については賛否があったものの、老人会の承認を得て実際に施行してみる運びになった。

 

 村長黙認の『脱税店』も設けているので、客からすれば結局『今まで通り』の商売なのだが……。結果として、村の利益はより増える結果となった。

 

 1泊する余裕のある旅人は宿屋に泊まるようになり、宿屋が大繁盛したのが大きい。宿が人手不足に陥って、繁忙期は僕達子供もお手伝いに駆り出されることすらあった。

 

 上がった利益で宿屋はほんのり増設され、旅人の滞在率が増えたことでより多くの酒が売れるようになり、それに目を付けた流浪の商人数組が居ついてしまって。結果として僕達の村の商業規模がより発展した。

 

 売り方を変えただけで、利益は大きく変わる。僕は旅人から聞いたそんな話を、身をもって実感したのだった。

 

 

 

 そして旅人が増えたということは、僕の著作も順調だということだ。3年かけて執筆し続けたポート聴聞録は既に5巻となり、偉大な曾祖父の合計20巻の1/4と迫った。曾祖父の時代では考えられない旅人の数である、毎日のように新しい話が聞ければ筆も進むというものだ。

 

 そして、最近は何でもかんでも記録するのをやめるようにした。いくら何でも酔っ払いの戯言にしか聞こえない話や聞いたことのある話は、省くようになった。

 

 あまりに千客万来、山盛りの土産話を聞くことができる環境なので、僕は面白い話や為になる話をある程度厳選しないと寝る時間が無くなるのだ。そして、その膨大な土産話の内容を『どうすれば村の発展に生かせるか』というまとめ本も作成することにした。

 

 思い返せば曾祖父も、その話の重要なエッセンスだけを重点的に記録して他の雑談はさらりとしか記述していなかった。サマライズ、つまり纏めて分かりやすく記す事こそ重要なのだ。

 

 5巻の『どうでも良い話混じりの聴聞録』から得た知識や気付いたことを、1巻の書物に纏めて順序だてて記していく。農民の立場から、いかにすれば村は発展するかを考察した農民のための指南本。

 

 僕はこれに『農冨論』と表題し、文字通り血の滲む思いを込めて記し続けた。目的は、無論ただ一つ。

 

 

 

 ────あの頭の悪いアホ領主に、叩きつけてやるためだ。

 

 

 この本には農民の実際の暮らしと発展への道筋を、僕らの村を例にとり各地の冒険者の話を参考に記しあげた。これを読めば、いくらアホだろうと『1年1割の発展だ』なんて馬鹿は言い出さないはずである。

 

 もうすぐ、領主が視察に来る季節。それまでに、ある程度の形にして用意しないと。

 

 それでなお分からないようなら……、最悪は事故に見せかけて殺す。その、覚悟も当然している。

 

 村の7歳の子供が事故で領主の息子を殺したとして、せいぜい僕の処刑か、一家皆殺しまでで止まるだろう。両親には悪いが、フォン・イブリーフの死が将来的に村にもたらすメリットが大きすぎる。

 

 僕が人生をやり直した意味は、この村を守り抜く為。あの、残酷で悲惨な未来を捻じ曲げる為。そのためならば、大好きな父さん母さんを犠牲にする事だって許容範囲だ。

 

 覚悟を決めろ。僕は────、悪鬼羅刹になってでも、この村を守り抜いてやる。

 

 だが、願わくば。アホ領主がアホ領主にならず、善政を敷く領主となってくれるのであれば。それがきっと、僕の求めた理想の世界。

 

 少しでもわかりやすく。少しでも、役に立つように。僕は『農富論』を、丹精込めて記し続けるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてその日が、ついに訪れる。

 

「領主、フォン・イシュタール様の、おなぁりぃ!!」

 

 仰々しい護衛に囲まれて。着飾った老年の男と目付きの悪い太った子供が、僕らの村に現れた。

 

 夏真っ盛り。サンサンと日の照り付ける中、いよいよ領主が僕達の村に視察をしに来たのだ。

 

「ようこそお出でくださいました領主様。村一同、貴方に逢いまみえた幸福に胸が震えております」

「はは、そう堅くならないでくれ村長殿。お役目、ご苦労様である」

 

 村は総出で歓待し、領主を讃え出迎える。

 

「長旅、お疲れでしょう。簡単な飲み物を用意しております、まずは一息吐かれては如何でしょう」

「ほう、それはありがたい。馳走になるとしよう」

 

 領主が来た時の対応は、ここまでは予定通り。家で一休みしてもらったあと村を案内し、夕方は倉庫からよりとりどりの料理を振る舞う予定だ。

 

 まずは休んでもらうべく、村長たる父が領主一行を僕達の自宅へと案内する。決して粗相があってはいけない、その気になればこんな小さな村など1日で取り壊せる権力者なのだ。

 

「────汚いな。これが、貴族の住処だというのか」

「口を挟むなバカ息子!!」

「痛い!!」

 

 僕の家を見て一言、太った子供は嫌悪感もソコソコに悪態をついて領主から殴られる。

 

 ああその態度、その口調を僕はよく知っている。コイツだ、この男が未来のアホ領主だ。

 

「村長殿よ申し訳ない、儂の息子が無礼を働いた」

「い、いえいえ。領主様のご邸宅に比べれば、我が家など犬小屋にも劣りましょう。小さな家で恐縮ですが、どうぞお入りください」

「むぅ。すまんの、威圧も侮蔑もするつもりなどないのだ」

 

 腹立たしそうに、殴られた頭を押さえながら領主たる父を睨みつける『バカ息子』。そう、彼こそが僕の因縁の相手にして生涯の敵。

 

 フォン・イブリーフその人だ。

 

「ポートや、ご挨拶なさい」

「はい、父さん。お初にお目にかかります領主様、僕はポートと申します」

「おお、これはこれは。幼いのに、なんと礼儀正しい挨拶をするのだろう。村長殿、良い子を生されたな」

 

 父に促され貴族的な礼をしてみると、領主様は目を細めて笑ってくれた。そうなんだよな、この人は滅茶苦茶良い人だったんだよなぁ。

 

 僕が村長を継いですぐに亡くなったので2回しか会ったことがないけど、僕みたいな若造の拙い報告もニコニコ笑いながらじっくり聞いてくれたっけ。

 

 こんな人格者から、どうしてあんなバカ息子が生まれたんだろう。

 

「これ、お前も礼を返さんか」

「……コイツ、服もボロだし体も貧弱じゃん。こんなのに礼を返せば、オレの名に傷がつく」

「コ、コラ!! ……か、重ね重ね申し訳ない、村長殿。ポート殿」

「いえ、お構いなく」

 

 ……本当に、どうしてこんなバカが生まれたんだろうなぁ。

 

「では不肖ながら村長たる私が、今から村を案内させましょう。皆、夜の宴会席の準備をしておいてくれ」

「あー、いやいや。宴の準備など必要ないよ、儂はそこの宿屋で夕餉を頂こう。我々は視察に来たのだ、普段通りの君たちの姿を見せてほしい」

「……と、仰ると?」

「今日もいつもどおり、農作業を続けてくれんか。儂は、君らの普段の働きぶりを見たいのだ。夕餉も、この村に来た旅人の食べるものと同じものを食べたい」

「は……」

「ほっほっほ。どうか、老い先短いジジイの願いを聞き届けてくれんかの」

「り、了解しました。み、みんな、準備は中止だ。いつもどおり農作業を開始してくれ」

 

 僕達の歓待を断り、普段通りの様子を見たいと仰る領主様。

 

 お、おお。この人、ガチで凄い領主じゃないのか? 真面目に丁寧に、心から民の事を理解しようとしているように見える。

 

 この州は隣国との国境で野盗や敵勢力も多く、領主自ら度々出征しているからてっきり武官チックな人と思ってたけど。このおじいさん、政治家としてもかなり有能なのでは?

 

「護衛も、儂の親衛隊10名だけでよい。あまりゾロゾロと連れ歩いたら、村の民が怖がってしまう。他の護衛には、明日までの休暇を言い渡そう」

「は、休暇ですか」

「ここの麦酒は絶品と聞く。各々自らの財布から金を落とし、村に迷惑をかけん範囲で羽目を外すとよい。……万一、乱痴気騒ぎなど起こしたら分かっとるの?」

「は、はい!! 聞けお前ら、休暇だぞ!!」

 

 オオー、と。領主の護衛でついてきていた兵士たちが歓喜の声を挙げた。

 

 この領主、部下の人心掌握もお手の物らしい。これで歴戦の軍の指揮官だというのだから、万能としか言いようがない。

 

 伊達に隣国との最前線たるこの州を、無難に平和に数十年治めていたいたわけではないのだな。ちょっとした怪物だろう、この老人。

 

「では、まずは麦酒の店を案内してくれんか村長殿。少し、儂も楽しみたいでのう」

「え、ええ。では、こちらへ……」

 

 父は領主様の手を引き、酒店へ案内しようとする。お、ならば僕も追従しよう。

 

「父さん、僕も────」

「ポート。君はついてこなくていい」

「……え」

 

 バカ息子に何とかして関わろうと、僕も領主に追従しようとしたが。父は苦笑を浮かべ、僕の頭を撫でてこう言った。

 

「君は優秀だけど、まだ子供だ。こういう場は、大人に任せておきなさい」

「……えっと」

「領主様はいつも通りの僕らをご所望だ。いつも通り、友達と遊んできなさいポート」

 

 あ、いや。そうじゃなくて、僕はそこのバカ息子に用が……。

 

「ほっほっほ。利発そうな子でうらやましいのう村長殿」

「ええ、あの子はきっと領主様の期待に添うような村の指導者になってくれます」

「それは、楽しみじゃのう。それまでは、生きていたいものだ」

 

 あ、ちょっと。

 

 待って、置いてかないで、ちょっとぉ!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……。まぁ、前世の僕も記憶に残ってないような出会いだったし。元々、今日介入するのは難しかったのだろう。

 

 あのアホ息子の態度だと、いかに口を酸っぱくして『農冨論』読めと迫っても鼻で笑っただろうし。あー、強硬手段はどうしようかなぁ。

 

 絶対に暗殺成功するのなら家族の命かけてやってみてもいいけど……。あの領主は雰囲気と言い態度と言い、間違いなく『怪物』の香りがする。あんな怪物の近くをうろついているアホ息子をどうやって仕留めれるだろう?

 

 そもそも、あの領主の親衛隊とかいうのも超強そうだ。僕の運動能力じゃ彼らを掻い潜ることすら難しい気がする。

 

 ……無理だなぁ。勇気と蛮勇は違う、ここは引く場面だ。蛮勇を選択しないといけないほどに、僕はまだ追い詰められていない。まだ、10年以上余裕はあるのだ。ここは、無理せず機会を見送ろう。

 

 それにアホ領主を殺したとして、その代わりがアイツ以上のアホではないという保証はないのだ。ここは、戦略的撤退を選択しよう。

 

 

 ……つまり。滅茶苦茶頑張って書いた『農冨論』は今日は置いておいて……。

 

 いつも通り、ラルフ達と遊ぶか。

 

 

 

 

 

 

 

「あ、あのっ……」

 

 

 

 

 

 

 そんな、殺意を隠してアホ息子をニコニコ見送っていた僕に話しかけてくる声がある。

 

 それは聞きなれない、優しく穏やかな声。

 

「え、えっと。この、村の子供ですか?」

「……そうですよ。失礼ですが、あなたの名前は?」

 

 振り返ると、そこには美少女が居た。

 

 華やかで可憐で、透き通るような白い肌の高そうなドレスを着た女の子。

 

 僕と同い年くらいだろうか、オドオドした態度の彼女はぎこちない笑顔を浮かべて僕の問いに答えた。

 

「イヴ。私は、イヴって言います」

「……そうですか。僕はポート、初めまして」

「は、初めまして!」

 

 貴族、だろうか。おかしいな、どうしてこんなところに貴族が?

 

 領主に引っ付いてきた護衛の貴族だろうか。

 

「お、お父様に言われたんです。私は視察しなくていいから村の子供と仲良くなって、遊んできなさいって」

「お父様?」

「はい。お、お父様です」

 

 お、おい。まさか、そのお父様ってまさか。

 

「私の父はフォン・イシュタールと言います。お父様とお兄様が視察に行くと伺って、追従してみたのですが……」

「あ、じゃあ、君は領主様の?」

「ええ、娘です」

 

 お、おおお? この、吹けば飛ぶようなか細い少女はつまり、あのバカ息子の妹!?

 

「あ、その。どうか私と、遊んでくださいませんか!?」

「え、えっと」

 

 妹居たのかよとか、なんだこの可愛い娘とか、なんで僕に話しかけてきたとか。

 

 いろいろ衝撃的過ぎて口をパクパクさせていると、何やら射殺すような視線を感じ僕は周囲を見渡した。

 

 すると。

 

 

 

 

 

 

 ────まさか、断らねぇよなぁ?

 

 

 

 

 

 このイヴちゃんの護衛であろう方々が、建物の陰からこっそり僕を睨みつけているのに気が付いた。……額に、汗が滲み出てくる。

 

 

「よ、喜んで。一緒に遊ぼうか、イヴ」

「本当!? う、うれしいです、ありがとう!」

「あ、あはははは」

 

 さ、さて。まさかの妹出現に動揺して、思考が上手くまとまらない。僕は一体、どうしたものか。

 

 僕の手を握りしめ歓喜している少女を前に。ポリポリと、僕は頬を掻くことしかできなかった。



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イヴ・レクイエム

「なるほど。つまり、国家の土台とは商人・農民などの一般市民と言うことでしょうか」

「はい、そう考えています。為政者が1人いるだけで国は成り立ちませんが、1000人の民が居れば為政者が居らずとも国は成り立つのです」

 

 ……僕は何をやっているのだろう。

 

「では、為政者とは何なのですか?」

「それは、縦横無尽に蠢く『民』と言う怪物を制御する為の機構です。『本能』の赴くままに行動する民を、律する集団としての『理性』こそが為政者なのです」

「……つまり?」

「お腹が空いた、眠たくなった、遊びたい等の本能のままに行動してしまうのが民です。それを、司法と刑罰で律してより優れた集団に導くのが為政者の役目」

「なるほど、では為政者は民より優れた存在でいないといけないのですね」

「それは違います」

 

 アホ兄貴より、明らかに利発で聡明な妹ちゃん。取り敢えずこんなか細い子供を野遊びに誘って怪我をさせては責任問題なので、自宅に呼び込んで『農富論』を読ませてみた。

 

 せっかく頑張って書いたし、ちょっとくらいでも役立てたい。最初は、そんな気持ちだった。

 

 すると、イヴの理解が早いのなんの。この幼女、本当に子供なのかと驚愕を覚える。

 

 精神年齢20歳越えの僕とまともに話ができているぞ。

 

「為政者も、民であるべきなのですよ。国は『民』が土台であり、為政者もまた『民』により制約される」

「……それは、どういう意味なのでしょうか」

「為政者が民と別の存在となれば、為政者は民にとって不利益な存在になり得ます。為政者が民に不利な存在となれば、国家は容易に崩壊するでしょう」

「それは、確かお父様も似たような事を仰っていたような」

「権力、立場の違いはあれど。為政者は常に、支配される立場の人間にとって利益のある制約を課さねばなりません。為政者はより優れた未来のために民を『制約』し、民は国家の土台として自らの利益となるよう為政者を『制約』する。これこそ、理想の国家の形でしょう」

 

 前世の20年の経験と各地の旅人の話を元に著しあげた『農富論』。そのうちイブリーフ糞野郎の一方的で身勝手な政治により崩壊した未来から反省し、僕なりの政治論を纏めた章にイヴは食い付いた。

 

 あれやこれやと質問を連打し、スルスルと知識を吸収していく。その様はまさしく神童と言えた。

 

 ……この娘が領主様の跡取りでいいんじゃないかな、もう。

 

「民の目線を持たぬ為政者は、国を壊すだけ。この言葉をよく覚えておいてくださいイヴ」

「……わかりました、肝に命じておきましょう。それにしても驚きです、ポートさんは子供なのに国政にお詳しいのですね」

「詳しくなんかありませんよ。僕自身、まだ勉強中です」

 

 あわよくばという気持ちで『農冨論』の為政者についての項を開いてみたが、大正解だった。この娘は子供だと言うのに、為政者としてのあり方をきちんと理解している。

 

 これは、うまくすれば妹経由でバカ兄の政治に干渉することができるかもしれん。

 

「ところでこの本の表題、聞いたこともないのですけど……。『農冨論』って、どなたの著作なのですか」

「僕の曽祖父は、文豪であり読書家でした。僕の家の倉庫には、曾祖父の著作や旅人から購入した作者もわからぬ本が所狭しと並んでいるのです。この『農冨論』も、その本棚に並べられていたものです」

 

 ────嘘はついていない。作者がわからない本が書棚に並んでいるのは本当だし、この『農冨論』も同じ本棚に入れているから間違ったことは言ってない。

 

 流石に、弱冠7歳の子供が書いた本なんて言ったらだれも信用しないだろう。ここは、作者不詳という事にしておこう。

 

「そ、そうだったのですか。しかし、これは……、こんな凄い本は初めて読みました。私も購入したいと思ったのですが、作者が分からなければそれは難しいでしょうか」

「おお、本当ですか」

 

 おお。この娘、この本の理念に共感してくれている。

 

 僕の知る失敗した未来からたくさんの教訓を織り交ぜ、旅人の話や曾祖父の書籍からの情報も踏まえ、僕の精魂込めて著しあげた珠玉の本を求めてくれている。

 

「なら、イヴに差し上げますよソレ」

「……え!? 良いんですか?」

「写本ですから、それは。原本は今も本棚に収容されたままです」

「まぁ、なんと」

 

 こんなこともあろうかと……、というか最初から写本は用意していた。

 

 無論、元はイブリーフに手渡す為に複写したものである。本人は受け取りそうにないが、妹ちゃんが受け取ってくれるなら万々歳だ。

 

「で、ではいくら払えばよろしいでしょう」

「いりませんよ、お金なんて。これは、僕からイヴへの親交の証として差し上げます」

「え、ほ、本当に?」

 

 勿論ですとも。むしろ、お金を払ってでも受け取って欲しいくらいです。そして隙を見て、『農冨論』の内容を兄貴にも布教してやってくれ。

 

「あ、ありがとうポート! 私、この本を一生の宝ものにします!!」

「ええ、ええ。そんなに喜んでくれるなら、その本を渡した甲斐があったというものです」

「うわぁ、うれしい!!」

 

 僕の手作りの写本を、嬉しそうに抱きしめる幼女。作者自らの写本だ、是非とも大事にしてほしい。

 

 子供というのは単純だ。聞いたことのない本であっても、その内容が正しいと少しでも思わせれば興味を示して鵜呑みにしてしまう。3歳の時に教え込まれた作法は、大人になっても固くその人格に刻み込まれる。

 

 僕の書いた本なんて、曾祖父やその他文豪の目から見れば読めたものでない劣悪なものだろう。だが、僕と同い年程度の子供を騙すには十分だったようだ。

 

 利発な彼女を騙せたという事は、アホ兄貴を騙すなんてもっと簡単だろう。

 

 まぁ、別に嘘を書いている訳ではないが。少なくとも森で遊びまくっている子供が夜な夜な書き上げた本だという事は気付かれていないらしい。

 

「ねぇポート、何かして欲しいことはないですか? 私、何でも力になりますよ!」

「そうですね、なら一緒に遊びに行きましょうか。今から僕の友達を、紹介しますよ」

「わあ、素敵!」

 

 ランランと、機嫌よさげに笑うイヴ。ああ、本当に可愛らしい。

 

 ……はぁ。この娘が後を継いでくれないかなぁ? 前世のあの滅びゆく世界で、この娘は何してたんだろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────領主様の────亡くなりに────、何でも従軍───、────────四肢を刻まれ惨殺────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと、いつかどこかで聞いた父の声が耳を過る。

 

 とても大切で、決して聞き流してはいけないような何か大事な記憶。

 

 忘却の彼方へと消えた、未来への転機となる重要な記憶────

 

 

 

 

 

「……? ポート、さん? どうされましたか?」

「えっ? ああごめんなさい、ぼぅとしていました」

「クスクス。ちょっと今の気の抜けたお顔は、とても可愛らしかったですよ」

「や、やめてくださいイヴ、からかうのは」

「クスクス」

 

 一瞬、何か大事なことを思い出しそうになったけれど。

 

 その大切な何かを記憶から掘り起こす前に、僕はイヴに話しかけられて苦笑いをこぼした。

 

 ああ。思い出せないけど、きっと記憶にないという事は重要なことでは無いのだろう。

 

「では、ついてきてください。友人達を紹介します」

「ええ、楽しみです」

 

 僕は屈託の無い笑顔で笑う彼女の手を引き、いつものメンバーの集う遊び場所へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とても楽しかったです、お父様お兄様」

「おお、そうかイヴ。それは良かった」

 

 日も暮れる頃。

 

 沢山の護衛に囲まれた家族3人は、水入らずの時間を過ごしていた。

 

「オレはこの村つまんなかった。道も整備されて無いし、家の間隔も疎ら。都に比べると空き地みたいなものじゃないか」

「都とは人の数が違う。この村は、よくよく考えられて作られているよ」

「いや、人にも場所にも無駄が多い。オレが村長なら、もっと発展させてやれるけどね。所詮辺境貴族、貴族とはいえ馬鹿なんだろうな」

「……お前は、その思い上がりをまず矯正しろ」

「痛いっ!!!」

 

 そう、終始詰まらなそうにしていた「兄」とは対照的に。「妹」はニコニコと父親に抱きつきながら、楽しげに思い出を語っていた。

 

「お父様、アセリオと言う方は凄いんです! 何もないところから、綺麗な花を出して見せたのです!」

「ほほう。芸達者な者だな」

「それに、村の皆が優しく私に接してくれました。この村は、良い村です!」

「ほ、ほ。それは良かった」

 

 その、二人の我が子を見比べて。

 

 欲目もあるのだろうか、領主はとある決断をした。して、しまった。

 

「……イヴ。次の出征、お前も参加しなさい。軍を一つ、指揮してごらん」

「えっ?」

「兄が跡継ぎとしての器でないと儂が判断した時、お前が領主となる人間だ。今のうちから、戦場を知っておくべきだ」

「は? ちょっ……、父さん何いってんだ!? こんなモヤシ戦場に連れてってどうするんだよ、てかオレがダメならってどういうことだ!!」

「お前はよく胸に手を当てて考えなさい」

 

 頭は悪いが勇猛な兄。御家騒動が起きるのを好まなかった領主は、彼を跡継ぎとして若いうちから指名していた。

 

 だが、どう見ても兄より妹の方が聡明である。後から生まれた子が優秀であるからといって、簡単に世継ぎを変えると言うのは愚策だと領主は知っていた。

 

 これは、領主なりの兄への発奮のつもりだった。

 

「私が軍を……?」

「ああ。後で教えてあげるから、儂の部屋に来なさい」

「あーっ!! そんなのズルい! てか、跡取りはオレだって言ったじゃないか!!」

「今の時点では、お前よりイヴの方がより良い領主になるからのう。お前は剣ばっかり振っとらんで、思い上がりを反省せい」

「何だよソレ!!」

 

 無論、戦闘経験のない子供に指揮が出来るとは思っていない。安全な後方で実戦の空気を感じてもらうのが目的で、事実上の指揮は彼女につける副官に任せるつもりだった。

 

 領主の子である以上、いつかは戦場に出る。この経験は、きっと将来のイヴの為にもなるだろう。

 

 そう、信じて。

 

「出来るね、イヴ」

「は、はい!」

 

 ────その領主の決断こそ、滅びへの扉を開く鍵である事に気付く者はいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────領主様の子が、一人お亡くなりになったらしい。何でも従軍した結果、異民族に捕らえられて四肢を刻まれ惨殺されたんだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その、半年後。僕が寝ている時に、記憶の彼方からとても大事なモノが浮かび上がってきた。

 

「……っ!!」

 

 ぐっしょりと。僕はソレを思いだし、真夜中だと言うのに飛び起きた。

 

 忘れてはいけないことを、忘れてしまっていた事に気が付いた。

 

 

 

 ────それはお気の毒になぁ。弔問の使いを立てておかないと。

 

 ────あまりのショックで、領主様は寝込んでしまわれたそうだ。ご子息イブリーフ殿も、屋敷に籠って出てこないらしい。

 

 ────可愛がられていたそうだからなぁ。

 

 

 

 そうだ。いつかどこかで、聞いたことがある。

 

 領主は目の前で我が子を惨殺されて以来、ショックで寝込み徐々に体を弱らせていったのだと。

 

 何故、忘れていた。何故、未来に彼女が居ないことに疑問を持たなかった。あの子は、僕が領主を継ぐ頃には亡くなってしまっていたのだ。

 

 あの優しい女の子は敵に捕らわれ、無惨に処刑されてしまうのだ。

 

 あの子を救うことこそ、一番最初の介入点では無かったのか。しまった、僕は馬鹿だ。

 

 すぐに、止めないと、あの娘が出征するというならば、何としても領主を諌めないと。彼女さえ生きていれば、あんな悲惨な未来は避けられるはずだ。

 

 だから明日の朝がくれば、「イヴに手紙を送る」と言う名目ですぐさま警告をするつもりだった。

 

 

 

 

 

 

 ────ただ残念な事に。

 

 僕が見たその悲しい夢は、僕らの村に訃報が届いた日の明朝の夢だった。



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在りし未来

「……この前。僕らと一緒に遊んだ領主様の娘が、異民族に殺されたらしい」

「……」

 

 それは、生まれ変わってから最初の挫折であると言えるだろう。

 

「そっか。……村の外じゃ、どこも戦いで溢れてんだもんな」

「……可哀想」

 

 人の死は決して軽くない。だが隣国との国境で常に小競り合いが起こっているこの州は、ちょっとしたことで人が死んでしまう。

 

 領主の娘が死んだ、と聞いた時の村の反応は「可哀想なことだなぁ」「領主様もお気の毒に」程度のものだった。別段、人が死ぬという事は珍しいことではないのだ。

 

 だがしかし、僕がちゃんと思い出していれば。イヴが未来に居ないことに疑問を持っていれば、彼女が死ぬことは無かった。

 

 人の死は軽くない。防げた命を失ったと言う事実は、とても重い。

 

 僕がしっかりしていれば、あの聡明な少女は死なずに済む筈だった。

 

「ポート、顔色悪いよ……?」

「アンタが一番イヴちゃんと仲良くしてたもんね。……あんまり気負っちゃダメよ」

 

 僕がショックを受けたのは、イヴを失ってしまった事だけではない。その事件は、あの未来に続く鍵だった様にも思えるのだ。

 

 思い出せば、領主は子を失って以来、徐々に弱って最後は流行り病に倒れたと聞いた。その間、イブリーフは親から放置されてしまったのだろう。きっとその結果、イブリーフは尊大で愚鈍な男に育ってしまったのだ。

 

 聡明な妹は殺され、傑物の父は病死し、愚かな兄が実権を握ってしまう。それはきっと、イブリーフ本人にとっても不幸なことだったのかもしれない。

 

 あの尊大で自信家な一面は、きっと武官として戦場で名を馳せる素養ではあった。武官が彼に心服していたことからも、彼の軍事的能力の高さは伺い知れる。

 

 彼が本来の自分の役割を全うし、国政は聡明な誰かに任せることができていれば、彼自身も「英雄」として讃えられていたように思う。

 

 ……僕は、その素晴らしい未来を築ける最初で最後のチャンスを、指を咥えて見送ったのだ。

 

「元気出せよポート」

「……顔、青いわよアンタ」

「……今日は、帰って寝た方が、いいかも?」

「うん、ごめん。今日はちょっと、家で休む事にするよ」

 

 心配そうに僕を覗きこむアセリオの肩を借り、僕は家に戻った。頭は痛く体は重く、何も考える気になれなかった。

 

 ────不思議なものだ。前世でアセリオが死んでしまった時、僕はここまで傷付いただろうか。

 

 ……いや、そうか。きっと今のこの世界が幸せすぎて、僕に傷つく余裕があるだけだ。本当に追い詰められたら、人はショックを受ける余裕すら無くなるんだ。

 

 

 そう思いいたって。今の自分がどれだけ幸せな環境で生きていて、どれだけ腑抜けていたかを知った。

 

 僕がぼんやりと幸せを享受していたせいで、あの聡明な少女は二度と帰ってこない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────その、1週間後の事である。

 

「……ポートさぁん!!!」

 

 イヴが、我が家に逃げ込んで来たのは。

 

 

 

 

 

「ポートさぁん、た、たすけてくださいっ!!」

「……んー?」

 

 それは、夕食も終わり書庫に籠って静かに執筆活動を続けている折だった。ついこの間、この書庫で政治について熱く語り合った少女が、目を赤く腫らして僕に飛び付いてきた。

 

 何故生きている。つい先週、君死んだって話を聞いたところなんだけど。

 

 偽報だったのかな?

 

「わ、わた、わたしっ!!」

「お、落ち着きなよイヴ。何があってどうしたのか、ゆっくり順序だてて教えてくれるかな」

 

 取り敢えず情報を整理しないことには始まらない。一体彼女に何があったのか、何故死んだことになっているのか。

 

「────わたし、どうしたらいいのか、もう」

「うんうん、大丈夫。落ち着いて」

 

 声を枯らして取り乱す彼女の背をさすり。僕は、ゆっくりとイヴの話に耳を傾けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「兄様が、私を庇って討ち死にされたのです」

「……んー?」

 

 話によると、死んだのはイブリーフの方だったらしい。

 

 え。アイツ死んだのか?

 

 マジで!? え、何で? 特に介入しなければ、アイツは死なずに大人になって領主の後を継ぐ筈なんだけれど。

 

 あ、そういえば……。今回の訃報は『領主様の子が死んだ』って話しか聞いてなかった。

 

 イブリーフが生きてると前世知識で知っていたから、僕はイヴが死んだ領主の子供だと勘違いしてしまったんだ。

 

「私が、奇襲に気付けず殺されかかったばっかりに。兄様が私を救援すべく無理な進軍をして、敵に捕まり殺されてしまったんです……」

「あ、あぁ……」

 

 だが、何でそんな事になっている? 何故、この年でイブリーフが戦死してイヴが生き残っている?

 

 僕の知っている歴史から大きく解離している。まさか、僕以外に歴史に介入している存在がいるのだろうか?

 

「兄様は亡くなり、父様は床に臥せってしまいました。ですが、戦後の処理や君功労賞など様々な後処理があるとのことで。それで、わ、私がお父様の跡取りという事になって色々取り仕切ってくれと言われてしまい」

「……は、はぁ」

「でも兄様が今までずっと、跡取りとして父様の仕事の内容を学んでこられたのです。恥ずかしながら私は、何をどうしたらいいのかまるで分からず……、でもやらねばならぬ仕事は山積みで」

「そ、それで?」

「────パニックになって、ここに逃げて来てしまいました。ああ、私はどうしたら……」

 

 

 ……う、うわぁ。領主の家、物凄い修羅場になってるな。

 

 命令出せる人ががほぼ全滅してるじゃないか。イヴも聡明とはいえまだ子供だし、そりゃいきなり仕事振られても対応できないだろうし。

 

「思ったんです。私の知り合いで、1番頼りになる人は誰かって」

「……」

「頼りのお父様は意識不明だし、私のお友だちは殆ど他州ですしっ……。それで、頭が良くて相談に乗ってくれそうな人が、ポートさんしか思い浮かばなくて」

「そ、それでこの村まで逃げてきたの?」

「はい……」

 

 な、なんだそれ。

 

 領主様のいる都からこの村まで2日はかかるぞ。その長距離を、こんな子供がたった一人で駆けてきたのか?

 

 よく、襲われずに済んだな。

 

「危ないよ、危険だよそれは……。と言うか疲れただろうイヴ、取り敢えずゆっくり休んで」

「はい……」

 

 もう、日も暮れている。取り敢えず疲れはてているだろうイヴを休ませるため、僕は書庫を後にして母屋へと彼女を連れていく事にした。

 

 こんな事件は、前世では無かった。ここからどうなるかなんて、想像もつかない。慎重に対応しないと。

 

 ……そう。本当に、想像だにつかない事が起こってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イヴ様。お迎えに上がりました」

 

 書庫を出て、僕の家に向かう最中。武装した集団が現れ、僕とイヴは包囲されていた。

 

「あ、あ、みな、さん」

「これ以上、領主様に心配をかけてはいけません」

「もしかしてと思い、この村まで探しに来て正解でしたな」

 

 領主の娘がいなくなったのだ。それは、兵士達も血眼になって探すだろう。

 

 そして、イヴの逃げ先の候補など限られている。つい先日、この村の人間と仲良くなっていたなんて情報があれば当然探しに来るだろう。

 

 残念ながら、これで彼女の逃亡劇は終幕のようだ。

 

「……イヴ」

「ごめん、なさい。ごめんなさい、でも、私が何をしたらいいか!!」

「大丈夫です、大丈夫ですイヴ様。誰も怒ってなどおりません、一緒に屋敷に帰りましょう」

 

 優しく、イヴを諭す兵士達。僕と兵士の顔を交互に見て、泣きそうな顔になっているイヴ。

 

 残念ながら、こうなってしまえば僕に出来る事はない。自分の屋敷に帰って、保護してもらうのがイヴの為だ。

 

「イヴ様、貴方なら大丈夫です。きっと兄君の如く、立派な君主となれます!」

「でも私は臆病で、怖がりで。兄様の様な、勇敢な主にはなれません!!」

「それでは、何のため兄君は貴方を守るべく無茶をしたか!!」

 

 だが、イヴは僕の肩にしがみついて離れようとしない。よほど、主扱いされるのが怖いらしい。

 

 ……イヴの兄貴は言うほど立派な君主にならないのだが、それを突っ込むのは野暮だろうか。

 

「貴方は見たでしょう。戦場で常に最前線を駆ける、兄の勇姿を!」

「私、は」

「あの勇敢さは、きっと貴方の心の奥底に眠っている才気! 領主様の子である貴方様こそ、我らの君主に他ならないのです!」

「でも、私」

「まず、その場から一歩踏み出してください。ご自分の意思で、私共と共に都に帰りましょう。その勇気ある一歩こそ、貴方の長たる証となる」

 

 ……兵士達から激励を飛ばされ、涙目になりながら僕の背で震えるイヴ。

 

 彼女は臆病な人間だ。怖いものを怖がり、恐ろしいものを恐れる少女だ。

 

 だが、イブリーフは違ったのだろう。恐れるものなどないかの如く、勇猛果敢に戦場を駆け回った。

 

 兵士達は、自らと共に戦場に立つその勇気を彼女に求めているのだ。

 

「我らはイヴ様を信じています。貴方も、我らの上に立つ器のお方だと! 偉大な兄君の様に、我らと共に戦い抜く決意を持ったお方だと!!」

「あ、あ……」

 

 ……んー。

 

 それは、違うんじゃないかなぁ。

 

「わ、私は」

「そうです、イヴ様。まずは一歩踏み出してください」

「私は、私も! 兄様の様にっ!!」

 

 

 兵士達の説得を受け。生来の生真面目さからか、思わず説得に乗りかかっている彼女の口を────

 

 

「もがっ」

「はい、ストップ」

 

 

 手で押さえて、塞いでやった。

 

 

 

 

「……なっ」

「はぁー、さっきから君たち何なのさ。僕の友人に、変なことを吹き込まないでくれるかな」

 

 目の前に集った十人以上の兵士達に向かって、僕は声を大に文句を垂れる。

 

 いくら領主兵だからと言って、言っていいことと悪いことがあるだろう。

 

「イ、イヴ様に何をする農民!!」

「不敬者。僕はこの村の村長の一人娘であり、将来的に統治する立場につく立派な貴族だ。今の発言は高くつくぞ雑兵」

「は? ……辺境貴族か、お前」

「おうとも。僕はイヴの友人で、貴族の端くれだ。少なくとも君達よりは、立場が上だよ」

 

 ただ文句を垂れるだけだと、農民と勘違いされ切り捨てられそうなので貴族アピール。偉いんだよー、切りかからないでくれよー。

 

「……われらは領主様の近衛兵だ。イヴ様を連れ戻す命を受けてここにいる、つまり我らの行動は領主様のご意志だ。邪魔をするのであれば、貴族であろうと」

「何を勘違いしてる? 僕はイヴを連れ戻す分には何も文句は言わないさ」

 

 そこまで言い切ると。僕はイヴの頭を撫でながら、ゆっくりと彼らの暴言を否定した。

 

 

 

「────イヴは、このままでいいんだよ」

 

 全くもう、これだから脳筋は。イヴみたいな『臆病な』人間がどれだけ貴重なのか、ちょっとは理解してほしいものだ。

 

「何も考えず突っ込むことなんて、猪でもできる事さ。それは確かに必要な勇気だけど、皆が猪になる必要なんてどこにもない」

「……何が言いたい」

「臆病だからこそ、怖いものから逃げだすような人間だからこそ、出来ることがある。臆病者たる素養と才気を持ったイヴを否定して、猪であることをただ肯定するな」

 

 まったく。せっかくイブリーフが死んだというのに、イヴが脳筋に育ったら意味がないじゃないか。

 

 イヴには、怖がりな為政者として成長してもらわないといけないのに。

 

「貴様。我らの『勇』を否定するか」

「君達こそ。偉大なあの領主様の『知』を否定するのかい?」

 

 僕はまっすぐにイヴを見据えて、兵士達の妄言を切って落とした。それはイヴを間違った方向に育てないため、そして何より彼女の優しさを守るために。

 

 

「────この作戦が、失敗したらどうしよう」

「あん?」

「この戦略が、滞るとしたらどこだろう。兵糧が尽きてしまうとしたら、いつだろう。もしここで奇襲されたら、どう対応しよう」

「……何だ、何を言っているお前」

「それを怖がっている人が、領主軍にはちゃんといるんだ。勘違いしちゃいけないよ、兵士さん。君たちが何も怖がらず、勇猛であることを求められるその裏には────、全ての兵士の代わりに予想外の事態が起きないか怖がって、恐れて、対策している人間がいるんだよ」

 

 そうだ。勇猛果敢である人間のその後ろには、人一倍怖がりな人間がいないといけない。

 

 そして、きっと今は領主様がその役割を果たしている。あの老人は何か恐ろしいことが起きないか、自分の想定を超える事態が起きないか、常に警戒を欠かさず政治を回しているのだ。

 

「イヴ、君は戦場の最前線で駆け抜ける素養より、ずっとずっと稀有な『怖がる』素養がある人間だ。自分が率いる兵士達の代わりに怖がって、恐れて、対策を立てられる人間だ」

「え、えっと私」

「臆病であることを否定するな。漫然と根拠の無い勇気に飲まれて、足元をすくわれる人間になるな。為政者は『民の視点』を持ったまま、それでいて民を俯瞰的に見通さないといけないんだ。為政者が『民』の如く行動しては『理性』としての機能は果たせない」

 

 ……農冨論を読んでくれた彼女なら、きっと理解してくれる。

 

「君は、今の君のままでいい。兄は勇敢で優れた人間だったかもしれないが、君は聡明で臆病な人間になればいい。君と兄は、別の人間なのだから」

 

 頼むぞイヴ、君まであんな脳筋にならないでくれよ。農民をいつくしみ、冷静に政治を考えられる立派な領主になってくれ。

 

 そんな願いを込めて、僕はイヴを諭してみた。

 

 

「私、兄様のようにならなくても、良いの?」

「なれないよ。君の兄様は、臆病な君がちょっと真似しようとしてあっさり真似できる程度の人間なのかい?」

「そんなことはありません!」

「そうだろう。なら、君は君らしく領主となるんだ」

 

 その、僕の言葉はよくよく彼女に届いたようで。

 

「……そっか。私は、私らしく……」

 

 彼女の顔色は、少しばかりマシになった様だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「────ポート殿、ご協力感謝する」

「別に、何も。僕は、友人が遊びに来たからもてなしただけさ」

 

 そして。イヴは自らの足で、兵士に謝って都へ戻ることを選択した。

 

「……我らとしては、イヴ様と共に戦場を駆けたいのだが。上に立つものが我らと共に最前線を駆けてくれることほど、心強いことはない」

「それも一つの王としての在り方だろうね。ただ、イヴには向かないだろう」

 

 兵士さん的には、僕のイヴへの諫言は不満らしい。いやまぁ、兄のイブリーフはそんなタイプだったんだろうなぁ。

 

 そりゃ兵士から人気が出るのは、兄なんだろうな。農民から人気が出そうなのはイヴだけど。

 

 そして、しれっと当たり前のようにその両方をこなしてきたのが今の領主様なんだろうなぁ。

 

「ポートさん、ありがとうございました。私、すっごくスッキリしました。……また、相談に乗ってもらってもいいですか?」

「ええ。今度は脱走ではなく、きちんと護衛をつけて遊びに来てください」

 

 そう言い手を振るイヴを、僕は笑顔で見送る。

 

 今回は大変なことに巻き込まれたと思ったけど、結果的には次期領主たる妹ちゃんとのコネクションを形成することに成功した。これで、将来もし妹ちゃんがトチ狂った事をしても、ある程度諫言できるだろう。

 

 ……ああ、素晴らしい。これ、すでに僕の生涯の目標を達成したといっても過言ではないんじゃないか?

 

 イブリーフ糞野郎は死に、その代わりに領主となるイヴは僕の友人。これで少なくとも、僕が20歳過ぎたころ『いきなり1年1割開墾指令』みたいな無茶は絶対に起きないだろう。

 

 ああ、なんだか心がぐっと軽く────

 

 

 

 

 

 

 

「……あ、それとポートさん」

「ん、どしたのイヴ」

 

 

 

 

 

 とても幸せな未来に思いを馳せ、若干トリップしかかっている僕の頬に。イヴはクスリとほほ笑んで、口付けをかましたのだった。

 

 ……お、おお?

 

「女の子に、まさかこんな気持ちになるとは思いませんでしたけど。私ってばポートさんに、惚れこんでしまったかもしれません」

「お、おおお?」

 

 ま、待って。おや、えっと、マジ?

 

 え、良いの。こんな可愛い女の子が、男だった筈の前世で全くモテなかった僕に、惚れただって?

 

 ど、どっどどうしよう。これは、僕も女の子が好きですとカミングアウトするべきか? ラルフとの婚約はポイーして(というかそもそも受け入れてもらってない)美少女領主様と百合百合生活を送るのはかなりアリじゃないか?

 

 待て、落ち着け。どこまで本気かを確かめるんだ。

 

 ちょっと僕をからかっただけという可能性もある。そのからかいに対して本気になってしまえば、逆に疎遠になってしまうかもしれない。

 

 落ち着け、冷静に、冷静に。

 

「あ、あの、イヴ。それは一体どういう────」

「将来、私のお嫁に来る気はありませんかポート。結構本気ですよ」

「え、ええっ!?」

 

 結構本気なんですか!? 次期領主と婚約できれば、領主の妻の立場としてそれなりの権力を得ることができる。この村の政策関連も、あわよくば任せてもらえるかもしれない。

 

 いやまて、それは正規の婦人だったらという話だ。領主の嫁って、それ同性だとしたらどういう扱いになるんだ? お世継ぎとかどーするの、この村の跡取りどうなるの?

 

「くすくす、ポートさんは混乱している時が一番可愛らしいですね。返事は後で聞きに来ますから」

 

 や、やばい。思考がまとまらない、このチャンス? をどう生かせれば良いのだろうか。そもそも、生かしていいチャンスなのか?

 

 わ、わからな────

 

 

 

「それと、隠しておくのはフェアでは無いので────。私の体は、男の子です」

「────」

 

 ……。

 

 

「え、なんて?」

「私、心は女の子ですけど、体は男の子なんです。だから、私がポートさんを好きになっても何の問題もないんですよ」

「ぱーどぅん?」

 

 心は、女の子。体は、男の子。

 

 ……んー?

 

「イヴというのも、あくまで私の愛称でして。私、本名はイブリーフと申します」

「……」

 

 ……。

 

「くすくす。また、思考停止していらっしゃいますね、ポートさん」

「イヴ様。貴方の御容姿で男性と言われたら、そりゃあ誰だってこうなりますよ」

「ふぅ。まだ子供ですから、性別も偽りやすいんですけどね。将来、兄様のような巨漢になったらどうしましょう……」

 

 

 

 

 

 イブ、リーフ?

 

 

 

 

「イ、ヴ? 君の、兄さんのお名前って?」

「プロフェン兄様が、何か?」

「そ、そう。プロフェン様と、言うんだね……」

 

 あ、え。アイエー?

 

 マテ。ちょっと待って、どういう事? なんで、イヴが、イブリーフ?

 

 え。この、線が細くて吹けば飛びそうなか弱い女の子が、イブリーフ幼少期? え、え、え!?

 

 こいつ、あのクソ領主!!? 面影どころか、骨格も性格も性別も完全にベツモノなんだが!!?

 

「では、まいりましょう。今は、ポートさんも混乱しきってそうですし」

「わかりました。貴方にしかこなせぬ仕事も山積みなんです」

「……はぁ。できる限り頑張ってみましょう」

 

 頭が処理落ちしてフリーズしかかっている、僕を背に。イヴと兵士たちは、和やかに談笑しながらもと来た道を進むのだった。

 

 あ、あいえー? アホ領主、ナンデ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────あの、勇敢な兄のように振舞わねば。

 

 ────自信過剰に、尊大に。話す者に威圧感を与え、我が意を通せ。

 

 ────きっと、うまくいく。兄様だったら、きっとこうする。

 

 ────だから、恐れるな怖がるな。この先に待ち受ける苦難を乗り越えるには、発展を強いねばならない。

 

 ────多少の無茶は承知だ。無理やり脅してでも、農民を叱咤激励しないと。

 

 

 

 

 それは、起こりえたかもしれないとある未来。

 

 失った兄の後を継ぎ、兄の後を追いかけ続けた臆病な「イヴ」の破滅の未来。

 

 父親が死んだあと、その混乱に付け込もうと隣国で侵攻の動きが活発化し。聡明だった彼女はその素養から、来るべき戦争に備え『継戦能力の確保』に奔走することとなる。

 

 

 ────だがしかし、そんな『彼女』の最期は。必死で救おうとした『民』に反逆され、猛毒により7日間のたうち回って苦しんだ末の絶命だったという。



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閑話休題「女誑しラルフ」

「ねぇラルフー。そろそろ僕と結婚する気になったかい?」

「お断りだ!!」

「ちぇー」

 

 それは、いつもの光景。

 

「……ポート、懲りない」

「あの積極性が私にあれば……っ」

 

 獲物を狩る目で、男子に抱きつくショートヘアの女の子。

 

 呆れた目で、二人を見つめる魔女帽子。

 

 アワアワと、焦燥を顔に浮かべ割って入ろうとする小柄な娘。

 

「がーっ、ベタベタ引っ付いてくるなポート!!」

「今日もラルフが負けたからね。罰ゲームさ」

「ぐぬぬぬぬ」

 

 女の子3人に囲まれ、やいのやいのと持て囃されている彼こそ。村でちょっとした話題となっている「モテモテのマセガキ」ラルフであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、お前って誰に似たんだろうな」

 

 老いた鍛冶師ランボは渋い声で、今日もキスマークを付けて帰ってきた息子に声をかける。

 

「どういう意味だよ」

「……いや。まぁ、別に悪い意味ではない」

 

 鍛冶師として質実剛健に、硬派に生きてきた彼にとって息子のモテモテぶりは理解の外であった。

 

 同い年の3人の娘に囲まれ、婚約を迫られ、取り合いになっている。ラルフ達のそんな泥沼恋模様は村から微笑ましく見守られており、一部の性悪老人共によりトトカルチョが設定されていると聞く。

 

 老い先短いだろう彼らは、幼い少女達の面白い恋模様の結末を見届けるまで死ねないと、謎の生存意欲を発揮しているのだとか。

 

「ラルフ、よく聞きなさい。人間は誰しも一生に一度だけ、モテ期と言うものが来るらしいわ」

「……で? 何が言いたいんだよ母さん」

「つまり、貴方は今を逃すと一生モテないかもしれないってことよ」

「何で!?」

 

 ラルフの恋物語を楽しんでいるのは、何も性悪老人だけではない。実の母親ですら、面白半分に見守っていたりする。

 

 娯楽と話題の少ない小さな集落では、幼い子供の恋話なんてこの上なく微笑ましいゴシップなのだろう。

 

「と、言うことで。貴方、あの中で好きな娘は誰なの?」

「そんなん居ないし」

「照れなくていいわよ、誰にも言ったりしないから」

 

 無論、これは大きな嘘である。この母親、誰がラルフの本命かを聞き出すことに成功すれば、きっと翌日には村の津々浦々まで広めるだろう。

 

「やっぱり、一番好き好き光線だしてるポートちゃん? 落ち着いてておとなしいアセリオちゃん? ちっちゃくて可愛いリーゼちゃん?」

「だーかーらー、アイツらとはよく遊んでるけど、そんなんじゃないってば!!」

「またまたー」

 

 そんな母子のやり取りに、父親であるランボはため息を吐く。育て方を間違えたつもりは無いのだが、まさかこんな女たらしに育つとは思わなかったらしい。

 

 ……と言うか。息子が約7歳にして、ランボが人生でも経験したことのないモテモテぶりを発揮して少し凹んでいるだけかもしれない。

 

「そもそもリーゼはそんなんじゃないだろ! いもうとみたいなもん!」

「……そっかー」

「リーゼはアホアホだし、ほっとけないから面倒見てるけど……。向こうはあんまり俺の事好きじゃなさそーだぞ、この前も無意味にビンタされた」

「そっかー」

 

 リーゼはまだ、ツンツンしたいお年頃らしい。好きな子相手に素直になれない、実に年齢相応の恋をしている。

 

 ラルフの母親は、ほんのりリーゼを不憫に思った。

 

「で。アセリオは何か変な奴だし」

「変って。それは可哀想でしょ」

「この前、遊びの集合場所にアセリオだけいなくって、代わりに魔女帽子が置いてあった。みんなアセリオを探そうとしたら、魔女帽子の下から急にアセリオが生えてきてビックリした」

「……それ、どういう状況?」

「わからん。アセリオが言うには超魔術らしい」

 

 そしてアセリオは、相変わらず独特のムーヴを繰り広げている。仲間内でも「アセリオが何をやったとしても驚きはない」くらいには、謎の信用を得ている。

 

 友人を驚かせる為だけに、わざわざ早起きして地面を掘って自ら埋まっていた健気さを他の場面で発揮すれば、彼女の印象も大きく変わるかもしれない。

 

「じゃあ、やっぱりポートちゃん?」

「アイツは一番ない」

 

 母親の期待に満ちた目を、ラルフはそう言って切って落とした。

 

「ポートは、頭も良いし性格もまともっぽいけど……。よくよく話を聞いてみると、アイツが一番支離滅裂な事言ってる」

「例えば?」

「俺の事は全く好きじゃないんだと。で、俺に村長を押し付けたいから結婚して欲しいだけなんだと」

「……あらまぁ」

「アセリオが変な奴だとしたら、ポートはやべー奴。アイツと結婚だけは、ない」

 

 そう言って、バッサリと女の子3人を振ったラルフ。

 

 彼は持ち前の動物的な直感で、割と3人に的確な評価を下していたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ポートは、何でそんな俺を村長にしたいの?」

 

 ある日、ラルフはそんなことをポートに尋ねた事があった。

 

「俺、村の治め方とか知らないんだけど。俺なんかより頭の良い奴なんかいっぱいいるぞ?」

「そんな事を気にする必要はない。君に頭の良さは求めていないさラルフ」

 

 ラルフはそのポートに言葉に、遠回しにバカ扱いされた気がして少しイラっとした。

 

 ポートは頭の良い子供だった。書物や旅人から知識を大量に蓄えているらしく、まだ子供だというのに大人顔負けの知識量と発想と機転で村に貢献していると聞く。

 

 そんなポートから、こうも自分が熱愛されているのが不思議で仕方なかった。

 

「そういった事務的な事は、僕に任せてくれていい。今はまだ未熟だけど、僕が大人になるころにはすべて僕一人で切り盛りできるまでに成長して見せる」

「じゃ、俺は何をすればいいんだよ」

「僕に出来ないことを、君は出来る。それは、君を婚約者に選ぶのに過不足ない理由さ」

「……はー。素直に好きだって言ってくれりゃあ、色々と話が変わってくるんだけどな」

「ほう? なら、言おうかラルフ。……君が、好きだよ」

 

 まっすぐにラルフの目を見据え、照れることなく好意を口にする少女。だが、ラルフにはその少女の真意を読み取る直感があった。

 

「俺、なんとなく嘘と見抜ける。お前、それ本気で言ってないだろ」

「うーん、結構感情乗せたつもりだったんだけどなぁ。ただそれを見抜けるところが、僕には無いラルフの天性のセンスなんだよね。是非とも、僕と婚約してほしいものだ」

「それは、本気で言ってるんだな」

 

 ポートの自分に対する好意は、嘘。だが、彼女の自分と婚約したいと言う発言は紛う事ない事実である。

 

 その感情と行動の乖離を理解するだけの精神年齢をラルフは持ち合わせていなかった。だから、彼からしてポートという少女は友人であり、困惑の対象でもあった。

 

 何を考えているのかよくわからない存在。自分よりずっと頭の良いだろう人間が、自分を高く評価し求めてくる事は不気味でもあった。

 

「ま、今はまだラルフも女性に興味を持てない年頃だろうね。後ちょっと大きくなったら、きっとラルフはエッチな男になる」

「……おい、それどういう意味だ」

「そのままの意味さ。そうなった時、君がウッカリ性欲に負けてしまうことを祈っておこう」

 

 何やら、見透かしたことを言う。幼いラルフにとって、何を見て行動しているか分からない聡明な少女「ポート」は、まさに天敵だった。

 

 なお、このポートの発言にもきちんと根拠はある。前世では思春期の折、ラルフがポッドを誘い、幼馴染み2人の水浴びを覗いた事があった。

 

 そして、勘の良いラルフだけは見つかる寸前で逃げ出し、鈍いポッドはバレてリーゼから本気(マジ)ビンタを頂くという結果に終わった。この凄惨なエロ事件は、前世におけるラルフとポッドの関係に暫く大きな陰を落としたと言う。

 

 なお、アセリオは最初から覗きに気付いていて、敢えて見過ごしていたそうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ラルフー、今日こそ僕と婚約しておくれ」

「い や だ っ!! てかお前、こないだ領主の子に結婚申し込まれたんだろ! そっちと結婚しろよ!!」

「……その話は、忘れてくれラルフ。僕の心に癒えない傷を作ったんだ」

 

 そして最近のトピックス。なんとポートが領主様の跡取り息子イブリーフから、婚約を申込まれたらしいとの事。

 

 玉の輿どころの騒ぎではない。辺境貴族から、領主の妻へと大出世である。ラルフ好きっ娘筆頭である彼女は、この婚約をどうするのかと村中から関心が集まったのだが。

 

 

 

『ごめんなさい。色々と考えてみたけれど、その、どうしても────』

 

 

 

 ポートには何やらイブリーフに「飲み込みきれない」複雑で怪奇な感情があるらしく、彼女からの求婚を断ったらしい。わざわざ時間を作って返事を聞きに来た彼女は、甚く意気消沈して帰ったそうな。

 

 もっとも。そもそもその求婚自体も、快復した領主たる父親に「自由恋愛出来る立場か」と却下されたそうだが。残念ながらポートがイブリーフを受け入れていたとしても、婚約は成らなかった様だ。

 

 将来、イブリーフはきっと有力貴族の娘を娶って、後ろ楯を得るのだろう。そして血で繋がった貴族同士は、お互いに利を図る。

 

 それが、貴族社会の暗黙のルールなのだ。

 

 

 

「でも勿体ねぇ。うまく気に入られたら、ソクシツくらいは狙えたんじゃね?」

「側室、ねぇ。うーん、領主の側室にどれだけの権力があるか分からないし……、正妻じゃないんだったら村に残ってアレコレしたほうが村利かな」

「お前は贅沢な暮らし出来るじゃん」

「僕が贅沢な暮らししてどーするのさ」

 

 と、まぁ。ポートは自分が幸せになる事なんか一切興味がなく、村がより発展することが何より大事らしい。

 

 その歪なポートの願望こそ、ラルフが最も理解しがたい所である。

 

「にしても、なぁ……。すっごい美少女だと思ったのになぁ。男か、イヴ……」

「確かに、すっごく可愛いかったわね。あれが、男の子か……」

「あんなの詐欺だよ……」

 

 そして。女の子好きを公言しているポートが、クラリと来た美少女イヴ。彼女の正体は前世の宿敵(男)であったという事実は少なからずポートの心にダメージを与えていた。

 

「可愛い女の子と思ったら、実は男の子だったなんて。一瞬でもトキメイてしまった自分が悲しくなる」

「……」

「向こう側は僕に好意を示してくれたのもまた……。はぁ、恋愛ってままならないや」

「……」

 

 一応女性に分類されるポートが男の子にトキメイてしまうのは何の問題もないのだが、彼女は彼女なりの事情があるらしい。

 

 ポートは、机上の美少女から告白された事実にガックリと項垂れる。

 

 

 

 

「……むー」

「あ痛たたたっ!? ア、アセリオ? どーしたの?」

「……」

「あ痛たたたっ!?」

 

 

 

 

 そんなボヤキを繰り返すポートの頬を、アセリオは不満げに捻り上げる。

 

「あー、ポートがそれを愚痴る権利はないわね」

「なんでさ!?」

「ポートは、にぶちん……」

 

 そして。

 

 既にポートから似たような被害を受けていたアセリオは、腹立たしげにぷにぷにとポートの頬をいじくり続けるのだった。

 

 



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少女期
少女期~


「民とは、大きく分けて3つの集団に分類される」

 

 虫のせせらぎが、涼しげな音色を奏で蝋燭で照らされた僕の部屋を彩る。

 

「1つはすなわち、先祖代々の土地に根付いて獣を狩り作物や穀物を育て、平和で安定した暮らしを続ける農民」

 

 僕が幼い頃に記した『農冨論』を読み返し、苦笑いをこぼした。

 

 読み返してみると恥ずかしいが、書いている内容が幼い。あの時は『イヴリーフ』に少しでもまともな政治家になって貰いたくて、農民に都合の良い内容をまとめただけの本を作り上げてしまった。

 

 僕が知っているのは、あくまで農民としての暮らしだけ。農民にとって都合の良い政治は、必ずしも全ての人間にとって都合の良い話ではない。

 

「もう1つは世界方々を渡り歩き、様々な商品をいろんな地域に流通させることで利益を生み出す商人」

 

 民は農民だけではない。商人だって兵士だって民だし、彼らが求めていることはそれぞれ異なる。

 

 例えば農民が作った品物を国が買い取って市場に流通するようにシステムを組んでくれれば、暮らしの安定を求める農民としては好ましいことこの上ない。しかし、それを現実にやると商人は食い扶持を失ってしまうだろう。

 

「最後は自らの身を資源として、危険を顧みず戦うことを生業とした兵士・冒険者」

 

 農民は戦争を嫌い、商人は戦争を『新たなる商業のチャンス』と捉え、そして兵士は戦争こそが本分だ。

 

 世界には3種類の民がこの世には存在し、かつそれぞれの求めることは違うのだ。

 

 農民は『収めた税と引き換えに、安全で平和な暮らし』を求めている。

 

 商人は『改革による発展、新たな市場の獲得』を求めている。

 

 そして、兵士や冒険者。彼らはいつ死ぬかも分からない因果な仕事であるが故、その要求は刹那的だ。彼らは『立身出世のチャンス』を常に求めている。

 

 いつ死んでも構わぬ様に、自分の生きた痕跡を残すべく。歴史に残るほど名を挙げて、ベッドより戦場で果てることを望んでいる。

 

「民が国に不満を持っていると思われる時。為政者は『どの民が』『何に対して』不満を掲げているのかを理解せねばならない。為政者とはただ漫然と民の気持ちを理解したつもりになるのではなく、上記の3種の民それぞれの目線を知り、どの民がどう感じているのかを考えるべきなのである」

 

 

 

 ────そこまで書き切って、僕は新たな自作の書物『民冨論』を閉じた。もう読ませる相手もいないだろう政治本を、いつもの書庫に放り込む。

 

 もうすぐ、収穫祭だ。これから忙しくなる、いつまでも自身の趣味にかまけている時間はない。

 

 次期村長として、父を支えないと。もうすぐ、僕は子供ではなくなるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 村長の一人娘ポートは、今年でいよいよ15歳。

 

 村の掟では15を超えた村の子供達は、その年の収穫祭をもって正式に「大人」の仲間入りをする。

 

 今年の新成人は、ポート、ラルフ、アセリオ、リーゼの4人。村で噂の仲良し幼馴染4人組が、ついに結婚できる年齢に育ったのだ。

 

「……ふふ」

 

 ポートは、肩まで届くほどに伸びたミドルヘアを梳いて笑う。

 

「ラルフは僕の婚約、受け入れてくれるかな。アイツ、重婚できるメリットをなんとなく理解し始めたみたいだし」

 

 彼女には、一つの企みがあった。それは、収穫祭のメインイベントともなる『告白』祭り。

 

 村の若い独身の男女が、祭りにかこつけて狙った相手といい関係になろうと画策する年に一度のチャンス。

 

 その告白イベントは、当然新成人たる彼らこそ主役なのだ。

 

 

 

 前世では、勢いのままリーゼがラルフに思いを告げて。それをラルフが受け入れ、晴れて2人は婚約者となった。

 

 今年も前世通りにリーゼが告白してくるなら、きっとラルフは悩む筈だ。

 

 あの男は他人を傷つけることを嫌う。僕とリーゼのどちらかを選ばないというのは、きっと彼にとって重荷になる。

 

 そのタイミングでどっちも傷つけない『重婚』という第3の選択肢を提示すれば、飛びついてくる可能性は高い。

 

 リーゼが勇気を出してくれさえすれば、僕はうまいことその流れに乗るだけ。

 

「さて、どうなるか。ダメならダメで、他の男を婚約者に見繕えばいい話だけれど……。やっぱり、気心知れたラルフだとありがたいなぁ。結局、領主もイブリーフのままだしね」

 

 そして、彼女なりの未来への想いを込めた────波乱の収穫祭が幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大分、前世に近い時代になった。

 

 今年で僕は、15歳。幼い頃に立てた予定通り、僕は強靭な肉体と豊富な知識を求めて日々鍛練を続けていた。

 

 

 小さな頃、アセリオを救うべく森に入った時、僕の命を救ってくれた縄と石をくくりつけただけの武器『ボーラ』。何となく手に馴染んだので、僕はこの武器を今も愛用している。

 

 女性の体だと近接戦は不利だ。搦め手となるけれど、飛び道具や隠し武器による拘束・不意討ちを主戦法にした方が知らぬ相手には勝率が良いだろう。

 

 それに、僕はモノを投げると言う行為が割かし得意らしい。仲間内での遠当てゲームでは、僕は常に首位だった。今後も、この得意分野を伸ばしていく方向でいこう。

 

 

 知識に関しては、毎日旅人達からいろんな話を聞き続け蓄えている。そしてせっせと書き記したポート聴聞録は既に20巻、曾祖父の記した巻数と並んでしまった。それなりに、古今東西の様々な事情に詳しくなったと思う。

 

 本当に詳しく学ぶのであれば都の図書館等に顔を出すべきかもしれない。でも図書館の利用料を払う余裕なんか無いし、2日かけて本を読みにいけるほど暇でもない。

 

 子供は子供で、沢山の雑用を押し付けられるのだ。いつか、図書館旅行に行くことが出来たらとは考えているのだけれど。

 

 

 

 

 ここ数年で、ラルフはでっかくなった。今世の体が前世より小柄なせいで、最近は彼と会う度に圧倒される。

 

 昔のように相撲を取ったら、きっともうはね飛ばされるだろう。悔しいような、頼もしいような。

 

 最も、彼とはここ数年喧嘩や肉体的な勝負をしていない。男だった前世は、そこそこに殴り合いをしたことが有ったのだが……。ラルフも、女の子は殴れないのだろうか。

 

 

 リーゼはぐっと可愛くなった。前世の僕が、彼女を意識し始めたのはこの頃だったと思う。

 

 気立てが良く、快活で少し抜けた所のある彼女。思えば、昔からリーゼはラルフに惚れていたのだろう。

 

 リーゼは自分を飾ると言うことを覚え、ラルフにアピールしていた。そんな恋する乙女は、男から見て魅力的に映るのだ。

 

 

 

 

「……で。ポートは、収穫祭もいつもの服なの?」

「そのつもりさ」

 

 そして今日僕は、リーゼと待ち合わせ。二人きりでこっそりと、滞在中の旅商人の店へ向かっていた。

 

 前世からすれば夢のシチュエーションだが、残念ながら今世では単なる友達付き合いだ。

 

「せっかくだから、ポートも何か買えばいいのに」

「僕のお小遣いは、土産話聞くために冒険者さんに酒を奢って消えちゃうんだよね」

「勿体ないなぁ」

 

 リーゼは、収穫祭に向けて着飾る服を探しているらしい。そんな折、たまたま衣服を扱う旅商人が村に寄ったので、どんな服を買うか相談する相手が欲しかったそうな。

 

 だが、その着飾った姿を見せる相手であるラルフを誘う訳にもいかず、最近のアセリオはちょっと重症。なので、何故か僕が買い物の相手に選ばれた。

 

 消去法とはいえ、仮にも恋のライバルである僕を誘うリーゼの肝っ玉には驚嘆である。もしかしたら彼女は、散々ラルフを誘ったのに全く相手にされていない僕をライバルとみなしていないのかもしれない。

 

「じゃ、早く行きましょ」

「良い土産話が聞けるといいなぁ」

「何でも良いわ」

 

 彼女はそう言って、頬も赤く走り出した。やはり、恋する女性は可愛らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「収穫祭。私、本気でラルフを獲りに行くわ」

「おお、ついにかいリーゼ」

 

 道中、リーゼは僕に『ラルフに収穫祭で思いを告げる』と宣言した。まぁ、それは前世でもそうだったので想定内だ。

 

 ただあまりに堂々と、普段から婚約を迫っている僕に言い放ったモノだ。「それは、僕へのけん制なのかい?」と、少し意地悪な気持ちでリーゼに尋ねてみた。

 

 僕だって本気でラルフと婚約するつもりだ、負けるつもりなどない。

 

「え、違うけど。ポートは普通に友人のつもりよ、ラルフに関しても」

「あれ?」

 

 しかし。帰ってきた彼女の反応は、溜息をつかんばかりに呆れたものだった。

 

「というか、ポートは誰にも恋してないでしょ。そんな貴方に対抗心燃やすのは馬鹿らしいもの」

「……あれま」

 

 流石は恋する乙女、僕の心情は見透かされているらしい。ラルフにも僕の下心はバレてるし、僕は感情が読まれやすいんだろうか。

 

「ポートが本気で村を心配してるのも伝わってるし、それが変な形で暴走して『ラルフと結婚する』って結論づいちゃってるのにも最近気づいた。貴方、自分の使命に対して真面目で一生懸命すぎるのね」

「むぅ」

「今はそれで良いよ、それは貴方の短所でもあり長所でもあるもの。貴方の幼馴染として、おいおい困ることになったら私が何とかしてあげるから」

 

 リーゼはそう言い切ると、クスリと優し気な声で僕の手を取った。

 

「悪いけど、ラルフは渡さない。それは、私のためだけじゃなくてきっと貴方のために」

「……」

「今のポートじゃ、何をどうしてもラルフと結婚した先に不幸しかないから。貴方の友人として、私がラルフを奪ってあげる。その為に、今日は私の買い物に付き合いなさい」

「また、無茶苦茶を言うなぁ君は」

「ふふーん。良いから私を信じてみなさいっって」

 

 そんな何の根拠もない自信を振りかざすリーゼは、どこかあの天衣無縫なラルフを彷彿とさせた。

 

 ……リーゼと言いラルフと言い、何故そんなに自信満々に物事を断言できるのだろう。そこを知りたい、理解したい。

 

「リーゼ、僕にも引けない理由がある。ラルフへの誘惑は続けさせてもらうよ」

「ご自由に。ま、ポートじゃ私のライバル足りえないからへっちゃらよ!」

 

 リーゼには、謎の根拠があるらしい。確かにラルフには相手にされてないけれど、本当にそうなのだろうか。

 

 ……いや、諦める必要なんかどこにもない。僕は気にせず、明日も頑張ろう。

 

 

 

 その日。僕は、思わず見とれてしまうほどに真っ赤で綺麗なドレスをリーゼに勧めた。

 

 ラルフの好みど真ん中のはずだ、前世でエロ話をしたときにヤツは派手な衣装が好きと言っていた。

 

 僕もリーゼをライバルとは思っていないし、むしろ僕の目指す先はリーゼとの共存である。彼女の恋の邪魔をするつもりなど毛頭ない、全力で支援させてもらうつもりだ。

 

 それに。僕だって、リーゼの事を心から友人と思っているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「三千世界に鳴り響け……、我が恩讐の光よ!!」

 

 

 

 

 

 帰り道、ピカーっと光り輝くアセリオが目に入った。彼女は土手で子供に囲まれ、格好つけたポーズをとっている。

 

 今日も、アセリオは村の子供たちの前でショーを開催しているらしい。

 

「くっくくく……! 気をつけよ、大いなる闇が目覚めようとしている……」

「わー! ひかってる、すごーい!」

 

 最近の彼女は、手品師として村の子供に確固たる人気を博していた。その手品ショーの演出の一環として、最初は『闇』だの『大いなる封印』だのという設定を作り上げた。

 

 それがきっかけだったのだろう。彼女はいつしか役にのめりこみ、日常生活でも常に芝居がかった振る舞いをして自分を『大いなる災いの封印をその身に刻んだ殉教者』と言い張りだしたのだ。

 

 確か、17歳の誕生日くらいでショーを見に来た子供に「その封印者ごっこ、いつまでやってるの」と現実を突きつけられて正気に戻る。ただそれまで、彼女はしばらく『大いなる闇を背負った選ばれし犠牲者』としての振る舞いを続けていた。当時は「痛々しいなぁ」と内心思っていたりした。

 

 まぁ17歳を過ぎると、当時の事を話題に出すたびに顔を真っ赤にして震えだす可愛いアセリオが見れるようになるのだが……。それまでは彼女はちょっと重症な人である。

 

 ちなみに、僕の知る限りアセリオが人生で最も活発なのもこの時代だと思う。うんうん、良きかな良きかな。

 

「……あ、ポート」

「やあ、アセリオ。今日も盛況だね」

「……えへん、えへん。おお、我が盟友たちよ。何処へ行く?」

「あー。買い物だけど、アセリオも来る?」

「すまぬが、我は彼らに伝えねばならぬのだ……、大いなる闇の脅威を……。奴らに支配されていた恐怖を……、鳥籠の中に囚われていた屈辱を……」

「……あ、そっか。頑張ってね」

 

 たまたま目が合ったのでアセリオも誘ってみたが、まだ手品ショーの途中だからついてきてくれないらしい。ま、子供達もワクワクとした目で彼女を見つめているししょうがないか。

 

「じゃあまたね、アセリオ」

「うん、じゃーね……。じゃなくて、さらばだ盟友!」

 

 ……あのおとなしくて内気なアセリオが、どうしてこんな面白い育ち方をしたんだろうなぁ。

 

 まぁ、一周して可愛いからいいか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────もうすぐ収穫祭。

 

 アセリオは、とっておきの超魔術の準備を。リーゼは、思いの丈を告げる覚悟と衣装を。

 

 そして僕は、次期村長としての『デビュー戦』。父の仕事を本格的に手伝う事となる、初めての年。

 

 それぞれが胸に確固たる想いを秘めた、波乱の収穫祭まであと1月────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……触って良いんだよ?」

「……」

 

 そして、何だかんだ仲間内で一番いい意味で『子供っぽい』存在ラルフは。

 

「小ぶりとはいえ、触り心地は悪くないとは思うんだ。軽くつついてみないかい、僕の胸……」

「……も、もし触ったら責任を取らされるんだろ。騙されんぞ」

「まぁ、そうなるね」

 

 男としての思春期に入り、性に目覚め、女の子の体に興味を持ち始めてから……かなり誘惑に対して弱くなってきている。

 

 リーゼは知ってるのだろうか。二人きりになった際、割とラルフは危ないところまで来ている事実に。

 

「おへそまでなら見せてあげる。ねぇ、ここから先は見たくないかいラルフ」

「……ごくっ」

「君が自分の手で、僕の衣類を剥がしてごらん。君の見たいものが、見える筈さ」

「……ま、まて落ち着け俺。これは罠だ。誘惑に負けたが最後、俺は一生この性悪女の掌の上だ」

「幼馴染に性悪とはひどいなぁ。ふふ、僕はただこう言っているだけさ。『ご自由に自分の意志でお好きにどうぞ』、それだけだよ」

「ふ、ふぬぅぅぅぅ!!」

 

 ……最近のラルフの反応は、からかっていて面白い。やっぱり、根っからのスケベは色仕掛けに弱い。

 

 いかんいかん、これじゃ本当に性悪だ。

 

「僕と婚約する。君がそう一言喋れば、合法的に何もかも思いのままだよ」

「鎮まれ……、鎮まれ俺の本能……」

「そんなこと言って、目はくぎ付けじゃないか。欲望を解放させてみなよ、きっと気持ちいいよ」

「……。うおおお!! 戦略的撤退ぃ!!」

「あっ」

 

 今日も、僕はラルフに逃げられた。

 

 だけどリーゼが言うほど、ラルフは絶対に僕に手を出さないとは思えない。割と、あと一押しな気がする。

 

「あー、やっぱり収穫祭で勝負をかけるかぁ。リーゼに追従して、重婚を誘う最初のプランだな」

 

 ミドルヘアの少女はそう呟くと、不敵な笑みを浮かべ冷や汗を流して逃げる少年を見送った。



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アセリオの説教

「おや、ポート。今日は一人かの」

「ええ、レイゼイさん。今日もご壮健で何より」

「うむうむ、礼儀正しい良い子に育ったのうお前は。うちのバカに見習って欲しいもんだ」

 

 ぶらり、と村を警邏していた折、僕はレイゼイ翁に話しかけられた。

 

 成人が近づき村長としての職務を学び始めてから、僕は前世の様にレイゼイさんとよく話をするようになった。

 

 彼は少し激情家な面はあるが、優しく温厚な好々爺たる村のご意見番だ。そして、なんと僕の曾祖父『エコリ』と面識があったりする貴重な生き字引である。

 

 前世では特に気にしていなかった曾祖父『エコリ』は、レイゼイさんによると豪快で派手な人だったらしい。3度の飯より来客が好きで、村を訪ねて来た人々との思い出を残すべくあの著作を書き上げたのだとか。

 

 晩年、足腰が立たないほど弱ってからは、エコリ翁はあの書籍を宝物の如く大事にして読み返していたそうな。豪快でありつつ、繊細でもあった人なのだろう。

 

「式の手順は覚えたかの? 今年はお前が、進行役だぞ」

「うん、大丈夫。次の長として、職務を果たして見せますよ」

「……くく。ま、楽しみにしとるわい」

 

 と言うか、前世で何度もやった事あるし。

 

 次期村長として最初は式の進行役を任され、次は設営含めた前準備、そして屋台の管理など年々振られる仕事が増えてくる。

 

 最終的には全部一人でやってたので、今さら進行役やらされるくらいであまり気負う気が起きない。

 

「で、だ。そんなポートに良い情報を教えてやろう」

「何でしょうか」

「近々、収穫祭での麦酒の安売りを狙って商人団が尋ねてくるらしい。その商人一座に、書物を専門に扱う本の露店商が居るそうだ」

「……ほ、本当ですか!」

「おう、冒険者の話が本当ならな。小遣いを貯めておくと良いぞ」

 

 それは素晴らしい情報だ。本屋なんて滅多にうちの村に来てくれない。

 

 本を読めるような教育を受けた貴族が、この村には僕の一家くらいしか居ないのだ。基本酒目当ての商人しか来ない。

 

 このチャンスは是が非でも逃せない、今から資金を貯めておかねば。

 

「ありがとうレイゼイさん!!」

「おーおー、花が咲いた様に笑いおって。もし都合がつかんかったら頼っておいで、少しくらいなら助けてやろう」

「ありがとうございます!」

 

 ルンルンと、歌い出したいような気分だ。まだ見ぬ本が僕の書棚に並ぶと思うと、心が踊る。よし、暫くは節約生活と行こう。

 

 うん。楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 収穫祭は、毎年の秋に行われる。

 

 収穫祭とは、無事に作物を収穫出来た事を祝い、豊作を神に感謝し、村中から持ち寄った酒や料理で宴会を行う行事だ。

 

 この時期になると酒の安売りを狙った旅人がよく訪れるので、彼らを狙った屋台や露店も用意される。年中で、村にもっとも活気の満ちる季節である。

 

 宴会が終わると広場に火を焚き、周囲をぐるりと囲んでの成人式が行われる。例年は新成人が、つまり今年は僕達が皆の前で村長と麦酒を酌み交わす。

 

 そして各々一言述べ、皆に囲まれながら酒を飲み干す事により成人したと認められるのだ。

 

 懐かしいな。確かアセリオは酒に弱く、成人式で速やかに意識を失ったっけ。リーゼはお立ち台で告白した直後だったから、顔を真っ赤にしてもみくちゃにされていた。

 

 ……今年は僕もラルフに告白しないといけないから、他人事では居られない。リーゼと同時告白されたラルフの反応は、果たしていかなるものか。

 

 というか、告白するのは僕とリーゼだけなのか? アセリオはどうなのだろう。

 

 前世と今世が必ずしも一緒とは限らない。もしかしたら、彼女もラルフが好きだったりするかもしれない。

 

 僕がラルフにアプローチしているとたまに拗ねた様な顔をするし。かといってラルフに気があるような素振りを見せたりもしないけど。

 

 前世を含めると数十年来の友人ではあるが、アセリオは一番心が読みにくいのだ。あのポーカーフェイスはうらやましい。

 

 何にせよ、アセリオにも少し探りを入れてもいいかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それで、わざわざあたしを誘ったの」

「まーね。迷惑だったかい?」

 

 白絹のようなか細い指が、アセリオの豊満な胸部を遮る。

 

「否、誘ってくれてうれしい。煉獄を背にして生きている我にとっても、たまの休養は必要……」

「僕と二人きりの時くらい、ソレやめない?」

「貫き通すことに、意味がある……」

 

 そんな痛い妄想を貫き通して、どんな意味があるんだろう。

 

「ポートと水浴び、久しぶり……」

「そうだねぇ。二人っきりってのは珍しいよね」

 

 さて、交友関係が狭くて安全のために津々浦々まで目が行き届いている僕達の村で、アセリオと二人きりの内緒話ができる場所と言えば。

 

 共用の敷居で区切られた、女用の水浴び場所。仕事が終わって夕日が沈む間際になると盛況となるこの場所を、真昼間から利用する人は少ない。

 

 アセリオは人前だと『封印者』モードになってしまう。彼女と腹を割って話すため、人目につかないようこんな時間から水浴びに誘ったのだ。

 

 

「……結論から言う、あの男に興味などはない」

「無いの?」

「もう水に流したけど、いきなり魔女呼ばわりして攻撃してくる様な奴はちょっと……」

 

 ……かなり真顔で、アセリオはラルフを振った。どうやら本当にアセリオは彼に興味ないらしい。というかまだ、そんな昔のことを恨んでいるのか。

 

「……まぁそこだけじゃなくて、1割くらいラルフのせいでこっぴどい失恋をしたことがあって。それも大きい」

「え、それ何時の話? 聞きたい、聞きたい」

「絶対言わない」

 

 ラルフのせいで失恋、かぁ。僕の知らないところで、アセリオも立派に恋する女の子をしていたんだなぁ。前世より仲良くなっているし、彼女とも恋話とかしたかった。

 

「むしろ、あたしはポートに聞きたい。アレのどこが良いの?」

「ん? まぁ……僕には真似できない、天性のセンスかな」

「あたしの魔術だって、ポートは真似できないでしょ」

「まぁそうだけどね」

 

 今度はアセリオの方が僕に問いかけてきた。うーん、僕はラルフが好きというか尊敬しているって要素が強いんだけどね。

 

 彼の人を引っ張っていく力、何となくで最適解を導ける勘の良さ、人との対話から真偽を見分ける嗅覚。それらは僕に欠けて彼が持つ特殊能力みたいなもんだ。

 

 あの能力を僕の経験知識でカバーしてやれば、きっとこの村はかつてないほど発展するだろう。

 

「それに、最近のアイツ凄くいやらしいよ」

「男の子だしねー」

「ポートは、そういうのは平気なの? あたしは、ちょっと引く」

「むしろ、いやらしい男の方がコントロールしやすいくらいさ。男がいやらしいのは普通だしね」

「むぅ……」

 

 何やら、アテが外れたようにガッカリとした顔をするアセリオ。彼女は僕のラルフへのエロ誘惑とかを知らないし、僕が潔癖だと思ったのかもしれない。

 

 残念ながら、僕は全世界で一番男の性欲に対して理解のある女性だぞ。

 

「アイツ、あたしの胸ばっか見てくる……」

「アセリオが一番おっきいからねぇ」

 

 現時点で胸のでかさはアセリオ(巨)>僕(普通)>リーゼ(貧乳)の順番だ。将来的にはリーゼも普通程度には育つ。僕の将来性は知らん。

 

「しかもラルフは、いやらしいだけじゃ無く小狡いよ。堂々とエロいことをせず、隠れてこそこそしてる」

「堂々とエロいことされたら、その方が反応に困るけれど……」

「でも、人が嫌がるようなエロいこともするよ。あのエロ猿」

「ラルフがかい? あんまり、人の嫌がることをする印象はないけれど」

 

 何やら、アセリオはラルフに思うところがあるらしい。むーん、前世よりかはアセリオとラルフは仲が悪いのかなぁ?

 

 この微妙な人間関係の差異を察するのは難しい。ラルフが得意なんだよなぁ、そういう人間関係の調整の上手さとかは。

 

 僕って割と空気を読めてないことがあるっぽいし。

 

「いや、してるよアイツ。性欲の権化」

「あー、何かされたのかいアセリオ。僕からも注意しておこうか?」

「されたというか、何というか。されてる、かな?」

「現在進行形なんだね……」

 

 セクハラやストーカーでもされてるのだろうか、アセリオは。出来れば詳しく聞き出したいところだが────。

 

 

 ────。あ、ああ、成程。そういう事ね。

 

「まぁでも、何度も言うが男の子と言うのはエロいものさ。性欲を注意したって、抑えられるものでもない」

「ラルフの肩を持つね、ポート……」

「ただ、女性に嫌がることをするのはいただけない。アセリオが嫌な思いをしたならソレはラルフが悪いし、責任を取るべきだね」

「……ん、そう」

 

 そーいや、そんな思い出もあったなぁ。うんうん、懐かしい。

 

「例えば、誰かにこっそり裸を盗み見られたりしたら……責任は取ってもらいたいね」

「っ!!」

 

 僕が虚空にそんな言葉を放つと、ビクリと塀が小刻みに揺れた。

 

「……はぁ。ポートも、気付いたの」

「うん。むしろアセリオはどうして気付いたの?」

「魔術師をトリックで欺こうなんて、百年早い……」

 

 そう、これはかつてラルフと大喧嘩するに至った忌まわしい僕の前世の黒歴史。つまり、ラルフの水浴び覗き事件だ。

 

 どこからか僕とアセリオが入浴することを聞きかじり、覗きに来たのだろう。

 

「もしも、このまま逃げちゃったりする様な犯罪者さんには、どんな責任の取り方してもらおうかな」

「むー、覗かれても動じないのねポート。見られ損……」

「…………」

 

 水浴び場の塀の裏側から、焦ったエロ猿の気配がする。まぁ、バレたらそうなるわな。

 

「水浴び場に入ってきて? 犯罪者さん」

「……」

「返事は?」

「う、うす……」

 

 そして。聞きなれた声と共に、表情が硬く凍り付いたラルフがノッソリと水浴び場の出口から姿を見せたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ケッコン♪」

「ごめんなさい。二度としないんで、ソレだけは許してください」

 

 ニコニコとほほ笑む僕の足元に、背を丸めておびえるラルフが土下座している。

 

「僕、父さん以外の男の人に裸を見られちゃったのは初めてだなぁ。セキニン……♪」

「許してください。何でもしますんで」

「ラルフは本当にアホ……」

 

 その、ラルフの情けないサマを凍てつくような目で見下すアセリオ。

 

 これは大チャンス到来だ。初めてラルフが、僕に対し性的な行動を取ったのだ。

 

 このまま強引に婚約まで行ってしまおう。

 

「あんまりポートの体は見てないです。アセリオの胸ばっか見てました、だから婚約は許してください」

「ふんっ!」

「痛い!!」

 

 コイツ、ちょっと下手に出れば舐めた口を利きおって。

 

「ポート。因みにそのバカ、本当にあたしの胸ばっか見てた」

「……ふーん。巨乳派?」

「……はい」

 

 そういやラルフはそうだったっけ。コイツ、僕じゃなくてアセリオ狙いで覗きに来たのか。

 

 ラルフってアセリオが好きなのかな?

 

「ちげーよ! そもそも、お前が毎日毎日エロいこと言ってくるのが悪いんだろーが!!」

「うわ、逆切れしたよ」

「あんなんされたら性欲コントロールしきれんわ!! 元々ポートが誘ってくるのが悪い、だからお前を覗く分には罪悪感とか感じる気にならん!! 文句あるか!」

「でもアセリオばっか見てたんでしょ」

「……いや、でっけえなって」

 

 この野郎、さっきから舐めてるのか。覗きがバレたっていうのに、欠片も反省を感じないぞ。

 

「……じゃ、ラルフ。あたしからの罰は受け入れる?」

「うっ……、何でしょう」

「えっとね……」

 

 まったく、しっかり反省してもらいたいもんだ。

 

 純粋な被害者たるアセリオからの懲罰があるみたいだし、ここは「悪いことをした」という自覚を持って貰おう。

 

 

「……ポートからエロい誘惑を受けたって話。詳しく聞かせてくれる?」

「え、そこ?」

 

 

 ……げっ。

 

「ポート、そんな事してるとか聞いてない……。不健全……?」

「そ、そんな事は無いと思うよアセリオ。あくまでも冗談の一貫的な感じとして」

「この前、胸触るかって誘惑された」

「ポート?」

 

 ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、二人並んでめっちゃ説教された。

 



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ナンパ男と据え膳女

「んちゅー……」

「美味しいかい、リーゼ」

 

 軽食を楽しめる喫茶「アセト・アミーノ」、ここは本来は旅人向けの店だ。都で修行したシェフが直営しており、少し高価でお洒落な料理を楽しめる。

 

 この村の旨い酒と新鮮な食材を利用しようと、調理スキルのあるご夫妻が店を構え20年余り。開店当初は「旅人が長期間露店を開いている」と言った認識をされていたが、今ではそのシェフ夫妻も村の仲間として受け入れられている。

 

 彼らも僕達の村を気に入ってくれたようで、もうこの村に骨を埋めるつもりらしい。

 

「野菜は普段と一緒の筈なのに……、すごく柔らかくて美味しい」

「そりゃ、プロの料理だもの。流石、僕らのお小遣いでは手が届かないだけあるねぇ、この店」

 

 そんな高級店で僕達が何故食事をしているかと言えば……。

 

「君達が喜んでくれて嬉しいょ、セニョリータぁ」

「はは、どうも」

 

 

 ……目の前の胡散臭い青年にナンパされたからである。

 

 

 

 

 

 

 

 最近になってから、異性から食事に誘われる事が増えた。僕の容姿も捨てたモノではないらしく、しばしば女性として誘惑されるようになったのだ。

 

 相手は少し年上の若い男の冒険者や、お金を持ってそうな商人が多い。村の仲間は、僕がラルフ一直線と知っているから誘ってこない。と言うかそれ以前に、僕達に近い世代の独身男はラルフしか居ない。

 

 僕らと一番年が近い男性は21歳のランドさんだが、彼は一昨年めでたく幼馴染みの女性と結婚し、無事尻に敷かれて喘ぎ苦しんでいるという。

 

 てな訳で、僕らがナンパされるとしたら相手は基本は旅人さんだ。

 

「ここの店も美味しいけどぉ、都にはもっとマジヤバい店あるよぅ」

「へー! どんな店? 教えて教えて」

「良いとも、セニョリータぁ」

 

 ……当然だが普段は、ナンパなぞ笑顔でお断りしている。ラルフ一筋たる僕が、流浪人のナンパに乗ったなんて噂を流されたら信用問題だ。

 

 ただし、今日は少し事情が違って。

 

「ただでご飯食べられるなんてラッキー!!」

 

 たまたまナンパされた時、隣にバカが居たのである。

 

 

 リーゼと言う少女の性格を一言で表現すれば、天真爛漫で素直なツンデレだ。ラルフに対してのみツンツンするから、周囲に感情がモロバレしている可愛い娘である。

 

 ただリーゼは、残念なことに頭が弱い。口論になれば一瞬で丸め込まれ、悪戯を仕掛けれられれば必発必中し、そして騙されたことにすら気が付かない。時折、ドキリとするほど鋭い事を言うけれど基本はアホである。

 

 そんな彼女が、悪い男に『食事を奢ってあげる』と言われたらホイホイ付いていってしまうのも道理だった。

 

 小さな頃は「知らない人にはついていってはいけません」と親からよく言い聞かされていたけれど、ある程度成長してしまったせいで最近は注意されなくなってしまったらしい。

 

 そんな訳で、ここにいるのはナンパ野郎垂涎の据え膳少女『リーゼ』である。危なっかしいったりゃありゃしない。

 

「君は、ポートちゃんと言ぅんだね。くふふ、キャわいぃね」

「ど、どうも……」

「本当にそそるょ、この村に来てよかった……」

 

 ホイホイとナンパに乗ってしまったアホを放置するわけにもいかず、かといって村を訪れてきてくれた旅人を邪険に扱うわけにもいかず。苦肉の策として、僕もナンパにご相伴させてもらうことにしたのだった。

 

 リーゼは大切な友人だ、見捨てる訳にはいかない。

 

「きゅっふふ……」

「……」

 

 ……はぁ、でも憂鬱だ。なんかこのオジサン、尋常じゃなく気持ち悪いし。

 

 リーゼがもうちょい成長してラルフと付き合いだしたら、多少は男関係に強くはなるのだが……。今の時点でリーゼを放っておくと、美味しく頂かれヤり捨て御免されてしまうだろう。

 

「……おまたせ、しました。森のキノコの、ソテー……」

「あぃ。ぐふふ、店員ちゃんもきゃわいぃね。後で一緒にどぅ?」

「……職務中、ですので」

 

 とはいえ、不幸中の幸いか。このオジサンが連れてきてくれた店というのが……。

 

「いいなぁ。アセリオはこんな美味しいモノを毎日食べられるんでしょ」

「む、ウェイトレスの彼女は、君たちの知り合ぃかぃ?」

「幼馴染よ!」

 

 アセリオの実家の料理店だったという事だ。ここなら本気で僕達の身が危なくなれば、すぐ助けを求めることができる。

 

 彼女は時折ウェイトレスとして店を手伝い、時には料理を学んで親の跡を継ぐべく精進して過ごしている。前世では「父に、別に家を継がなくてもいいから、好きに生きろと言われた」と言って結局店を継がず、パフォーマーの道へ進んだみたいだけど。

 

 ただアセリオ、今世は前世より店を継ぐことに積極的な気がする。何か心境の変化でもあったのだろうか。

 

「良いねぇ。良ぃ事を聞いたねぇ……ぐふふ」

「ず、ずいぶんと楽しそうですね」

「楽しぃからねぇ……」

 

 そんな僕達に、ニヤニヤしながら舐めるような視線を送る変た……、旅人さん。何がそんなに面白いんだろう、て言うかぶっちゃけ怖い。

 

 助けて。早く助けてラルフ、君の幼馴染3人がピンチだぞ!

 

「ねぇ、オジサンは何をしてる人なの? お金持ちなの?」

「ぅん? まぁ、お金は持ってるねぇ……。ぼくはぁ、君みたいにキャわいい女の子と食事をとるために諸国を旅してぃるのさ」

「ふーん。暇ね!」

「暇かもねぇ」

 

 そしてリーゼは何でそんな初対面の怪しい人ににグイグイ行けるの? 危機感とかないの?

 

 怖い。この状況、何が起こるか分からなすぎて怖い!

 

「きゅっふふ……。ポートちゃん、と言ったっけ?」

「は、はい。何でしょう」

「君はぁ、恋とか、しちゃってる? オジサンと恋バナ、しなぃ?」

 

 ……うぅ。や、やっぱりこの人気持ち悪い! 特に何もされてないのに、何なんだろうこの生理的嫌悪感!

 

 あれだ、きっと欲望にまみれたあの下卑た視線が駄目なんだ。絶対に変なこと考えてるよ、この目!!

 

「あ、ははは。そうですね、婚約を考えている男性は、居ますね……」

「きゅふふ。そぅなのそぅなの、きゅふふ。ねぇ、どんな人なの? ねぇ」

 

 ……お、落ち着け。嫌悪感を顔に出すな、冷静になれ。

 

「た、頼り甲斐のある人、かな? グイグイと僕らを引っ張ってくれる、リーダー的な人です」

「ポートのそれは本気の恋じゃないわ、想いより実利を優先してるもの。つまりは、能力(からだ)目当てよ」

「爛れてるぅ……」

「変な言い方しないでくれるかな!?」

 

 その言い方だと僕が痴女になるでしょーが!

 

「そう言う小柄なぁなたは、好きな人ぃるの?」

「私の方が、ラルフを想ってるわ」

「ぁらぁら。ぁらぁら、きゅふふふふっ!! 三角関係、三角関係なのね!」

「……」

 

 何でテンション爆上がりしてるの、この変態。普通、ナンパした相手が男付きだったらテンション下がらないか?

 

「これはぃい……。こうも純粋な娘達も珍しぃ……。汚したぃ、はぁはぁはぁ、さぃこぅ♪」

「……ッ」

 

 ゾクリ、と背筋に悪寒が走る。何かとんでもない欲望の対象にされた気がする。

 

 もうやだぁぁぁ!! ラルフ、お願いだから助けに来てぇぇぇ!!

 

 

 

「……闇の魔術を、お見せしよー」

 

 

 

 目の前の男性のいやらし過ぎる目線に、思わず半泣きになりそうになった瞬間。店内に、いつもの黒魔術衣装を纏ったアセリオがお立ち台の上でお辞儀をした。

 

 ……この店で不定期開催される、手品ショーが始まるようだ。多分、テンパってる僕をフォローしようとしてくれてるのだろう。

 

「ほぅ、そんな催しもやってるのね」

「アセリオの魔術はスゴいわよ!!」

 

 助かった。とにかく、今の間に精神を落ち着けよう。

 

 アセリオの手品はクオリティも高く、非常に面白い。きっとこのナンパ男も釘付けになるだろう。

 

 

 

 

「「闇の呪いであたしが二人に増えましたー」」

 

 あ、アセリオが増えた。落ち着くなぁ。

 

「おーすごーい」

「あれぇ!? なんか、そぅぞぅしてたよりヤバいショーが始まったょお!?」

 

 舞台上で特に前触れもなく分身したアセリオは、そのまま「くっ!! これが魔王の呪いかっ……」「お前を殺して、あたしが『本物』になるっ……」等と寸劇を繰り広げ始めた。

 

 その寸劇の結末は、アセリオは『燃え盛る業火』を身に纏いながら分身したもう一人の自分を受け入れて、魔王の呪いを打ち破ると言ったストーリーだった。

 

 うーん、やっぱり面白いなアセリオのステージは。どんなトリックなのか、炎に包まれながら合体する演出は非常に良かった。そもそも分身ってどういう種なんだろうか?

 

 深く考えないようにしよう。

 

「わー!!」

「流石はアセリオだね」

「ヤバいゎ……。この店、ぼくの中でマジヤバ店に認定だゎ……」

「ヤバいのはアセリオだけだと思うわよ!!」

 

 実際その通りだと思う。

 

「片田舎のショーとぉもって舐めてたゎ……。今度、仲間にオススメしとくょ」

「ショーは不定期開催だから、やってなくても恨まないでね!!」

「前もって予約してくれたら、大丈夫だと思いますよ」

 

 まぁ何にせよ、アセリオのお陰で僕もグッと落ち着くことが出来た。彼女に感謝だな。

 

 後は、この男の誘いをのらりくらりと避けながら解散するだけだ。

 

「……はー、満足したゎ……。美味しい麦酒が目当てだったけど、まさかこんなに楽しい村とは思ゎなかった」

「村を気に入ってもらえて何よりですよ。今後も是非いらしてください」

「そぅね。お祭りまでは滞在するつもりだけど……、その後もちょくちょく来ても良ぃかもね」

 

 お、なんか思ったより満足してくれたみたい。このまま帰ってくれたら何よりなんだけど……。

 

「じゃあ、この後なんだけどぉ」

 

 まあ誘ってくるよなぁ、絶対。うっかりリーゼが誘いに乗らないよう、注意しないと。

 

「君達、もぅ帰るでしょう? 送っていくょ」

 

 ……あれ?

 

「別に大丈夫よ? この村狭いから、大体知り合いの眼があるし」

「それはそれ、これはこれ。悪ぃ人が隠れてなぃとも限らなぃでしょ?」

 

 あ、帰してくれるんだ。てっきり、このまま強引に寝屋に誘われるかと思ったけど……。この旅人さん、見た目より人畜無害だったのかな。

 

「とても良ぃモノを見せて貰えたしね。お礼だょ、お礼」

「あははは。僕達じゃなくて、アセリオが見せてくれたんですけどね」

「違ぅ、違ぅ。君達も良ぃモノ見せてくれたょ?」

 

 その旅人は、キラリと目の奥を輝かすと。はぁはぁと息を荒げ、改めて舐め回すように僕ら二人を視定める。

 

 

「純粋無垢で少し危なっかしぃリーゼちゃんと、世話焼きで警戒心の強いポートちゃん。二人は同じ男性を好ぃてぎる様子だけれど、それでも互いに親友で……」

「……は、はぁ」

「リーゼちゃんが危なぃ目に合わなぃか、心配で心配で内心を隠しついてきた貴女にはそそったゎ……。そんな貴女を心配して急遽ショーを開いたあのウェイトレスちゃんも尊い……」

「……」

「そんな仲良し3人組が、1人の男の子を取り合ってるって聞いたもの……。もう、尊ぃ……、尊みが深ぃ……、さいこぅ」

 

 

 

 ……ゾクッ!

 

 な、なんだこのオジサン!? まさか、僕が内心超嫌がってたのに気付いてたのか!?

 

「え、えっと、その」

「ぼくみたいなぁ、怪しい人を警戒するのは正解だと思うょ。それを必死で取り繕って、苦笑いを浮かべる貴女は素敵だったゎ」

「ん? ポート、実はこの人が嫌だったの? 私はこの人、悪い人じゃないと思うわよ!」

「ありがとぉ、リーゼちゃん」

「……そ、そうだろうか?」

 

 現在進行形でスッゴく嫌な人なんだけど、この変態オジサン!! めっちゃ怖いんだけど!?

 

「私、何となく分かるもの。危ない人かそうじゃないかくらい」

「……」

「このオジサンは変わってるけど、割と良い人よ! 私が保証するわ!!」

「あら、ありがとぉ」 

 

 ……で、でもこの人、実害は無いよな確かに。何か気持ち悪い目で「尊ぃ」とか言ってるだけで。

 

 いや、でも普通に気持ち悪い様な。

 

「でもリーゼちゃん。ぁんまり、無条件に人を信じすぎるのも良くないゎよ?」

「信用できない人もいっぱいいるわ!! そう言うのは無視してるし!」

「……何となく、嗅ぎ分けてぃるのかしらねぇ?」

 

 ……まさかリーゼ、本能的に他人が危険人物かどうかを見抜けるのか? そう言えば、リーゼが前世でナンパ男に引っ掛かって痛い目見たって記憶は無いような。

 

 前世で特にリーゼをフォローした事はないけれど、彼女は普通にナンパとかはいなしていた気がする。

 

 あれ、まさか。リーゼって、この人が危険人物じゃないと理解してついてってたのか?

 

「って、言うか!! 私なんかより、危険な人かどうか見抜けないポートの方がよっぽど危なっかしいわ! 明らかにヤバそうな旅人が来た時も気付かず、平然と話しかけに行ってるし。私が助けてあげてなかったら、何回かヤバいことになってたわよ!!」

「……え、そうなの?」

「そうよ!! 2、3人は殺してそうな人拐いの奴隷商の気配を漂わせてるおっちゃんに、堂々話しかけに言った時は目を疑ったわ!!」

「よくそこまで一目で分かるね!?」

 

 そんな危険人物が村に来てたの!? そして、それを前情報なしで何で見抜けるの!?

 

「……お互ぃがお互ぃを想ってフォローしあってりゅ……。尊みが深ぃ……」

「ひぃぃ、恍惚としてる!?」

 

 やっぱりこの人危険人物だと思うんだけど! リーゼ的には、これは無害に分類しちゃってるの!?

 

「まぁ、とにかく。ポートはもっと、気をつけなさいよね!!」

「……」

 

 そうのたまって、ドヤ顔をするリーゼ。

 

 何だろう、すごく文句を言いたい。すごく文句を言いたいけど、ここで言い返すと同レベルになってしまう気がする。

 

 僕が間違ってるのか? こんな変なおじさんに食事に誘われて、ホイホイついていくリーゼが正しいとでもいうのか?

 

「まぁまぁ。どっちも間違ってないゎ、今後もお互いを支えぁうと良ぃわょ」

「……は、はぁ。どうも」

「それと今度、ぅちの店に来なさぃ。いっぱぃ、サービスしてあげちゃうから♪」

「そ、それはありがとうございます」

 

 そんな僕らの不穏な空気を感じたのか、さっと仲裁に入ってくれる変態さん。あれ、この人はマジでいい人なのか?

 

「じゃあ、今度は貴女たちがぁそびに来てね? 約束ょ、宿屋でまってるょ」

「は、はい。これは、どうも……」

 

 ……本当にいい人っぽいなぁ。なんだコレ、常識が壊れそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後しばらくして、鍛冶の手伝いを終えたラルフがのんびり「うーっす、元気かぁ」と料理店に遊びに来たので、ジト目で靴を踏んづけておいた。

 

 幼馴染がピンチかもしれなかったんだから、持ち前の超直感でとっとと助けに来てよ。



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引き金

「いらっしゃぃ、ポートちゃん。また会えて嬉しぃよ」

 

 ……。

 

「このまぇは、ご飯楽しかったゎ。また食べに行こぅね」

 

 

 

 

 

 

 

 ついに、その日がやってきた。

 

 待ちに待った、商人団の到着日。この村には滅多に来ない、本屋さんがやってくる日。

 

 その日、僕は────

 

「ぼくがぁ、本屋のナットリューだょ。よろしくねぇ」

 

 変態も本を読むのだと知った。

 

「ポートちゃんは、本が好きなのねぇ。気が合ぅね」

「……ソウデスネ」

 

 

 

 

 

 

 先日、ナンパされ食事に誘われ精神に多大なダメージを負った僕は、気を取り直そうと楽しみにしていた本屋の露店商へ足を運んだ。

 

 しかしこんな村で本屋が繁盛する筈もなく、やる気の無さそうな店主が露店の裏で寝転がっており。その人物に声をかけると────

 

「きゅふふふふっ! あらポートちゃん、来てくれたの!?」

 

 そこにいたのは、変態だったのである。

 

「あー、この前の良いオジサン!! 美味しかったわ、ありがとね!」

「……毎度、ありがと。ご予約頂ければ、大いなる闇の狂演を今一度振る舞おう……」

「良ぃの良ぃの、こっちこそ素敵な時間をありがとぅ」

 

 彼は一転上機嫌となり、僕達を出迎えた。店に客が来るとは思っていなかった様で、かなり嬉しそうだ。

 

 ……よりによってこの人かよ、本屋。

 

「商人団の中でも、ぼくだけこの村に先につぃてしまってね。仲間を待ってる間、暇だったのょ」

「それで誘ってくれたんですね。先日は御馳走様でした」

「きゅふふ、真面目にお礼を言ぅポートちゃんはキャわいぃねぇ」

 

 うー、無理。やっぱりこの人苦手だ、生理的になんかキツい。

 

 リーゼの見立てでは善人らしいんだけど……。この、舐めるような視線が怖い。

 

「本なんか見てもつまらなぃでしょ? お菓子ぁるけど、食べる?」

「お、良いのかオッサン! サンキューな」

「いえいえどういたしまして。きゅふ、貴方がラルフ君?」

「む? そーだぞ、俺を知ってるのか?」

「知ってますとも。きゅふふふふ」

 

 ラルフを品定めするように一瞥し、その後満足げに僕とリーゼを見比べる本屋ナットリュー。ニマニマすんな。

 

「僕は、その。本を見ていても宜しいですか?」

「あら、もしかして。ポートちゃんは本がお目当て?」

「はい」

「あらあら、きゅふふ。ポートちゃんは本が好きなのねぇ。気が合ぅね」

「ソウデスネ」

 

 ナットリューは意外そうに、僕の顔を見て微笑んだ。本が好きな農民って、結構珍しいもんね。僕は貴族だけどね。

 

 本屋の主が気持ち悪かろうと、本に罪は無い。彼らが茶会を楽しんでいる間、僕は店の本を物色させてもらおう。

 

「それなりのぉ値段の本もぁるから、手に取る時は声をかけてね」

「分かりました」

 

 さて。面白そうな本は無いか物色と行きますか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うぅ、『南国異民族の狩猟法』かぁ。読みたい、読んでみたいけど『薬草一覧とその煎じ方』も捨てがたい……」

「おーいポートー?」

「むむむ、薬草関連の書籍はウチに有るけど、書いてることも似たり寄ったりなのかな。だとしたら南国異民族の……、いや待って、でもウチの本より断然分厚いぞ。それとこの『リャマ地方の歩き方』も気になるな、旅行記なのだろうか?」

「……ポート、呼ばれてるわよ」

「旅行記は素晴らしい、理路整然と纏められた資料なんかよりよっぽど書き手の『リアリティ』が伝わってくる。情報量の多さでは資料本に劣るけれど、その実用性や理解において遥かに勝っている」

 

 凄い、流石は金持ちの旅商人。見るからに面白そうな書籍の数々が、露店に所狭しと並んでいる。

 

 もし、この本の全てを持ち帰ることが出来ればどれだけ素晴らしいだろうか。向こう1年は、僕が読み物に餓える事は無くなりそうだ。

 

 最も、僕のお小遣いで買えるのは精々安めの本を1冊程度だけど。絶対に後悔するような選択はしたくない。

 

 時間の許す限り、吟味に吟味を重ねないと。

 

「ポートがあんなに鼻息荒くしてるの初めて見たかも」

「……ふ、奴もまた闇の誘惑に囚われし犠牲者」

 

 む、あっちは伝記コーナーか? 伝記は良い、その人間の一生を通じて得た経験と教訓が詰まっている。かつてこの世界を生きた英雄達の人生をまるごと追体験出来る。

 

 伝記の値段は高めだ、僕の手持ちでは足りない。でも、頼み込めばレイゼイさんとかはお金だしてくれるって言ってた。

 

 あんまり甘えるのも良くないけれど、ここで後悔する選択は絶対に取りたくない。気になる伝記があれば、迷わず購入しよう。

 

「もう日が暮れるよ、ポート。今日は一旦帰りましょ」

「……やっぱ、ポートも結構変なやつだよな」

「ぐああああっ!! 突然、闇の呪いが我が身を焼いてっ……。焼き芋が出来ましたー、はふはふ」

「……てか、俺の幼馴染みは変なやつばっかだな」

「私まで含めないでよ!?」

 

 ちょっとだけ、中身を見ることは出来ないだろうか。タイトルだけでは、ちょっと中身を伺い知れない。土下座でも何でもして、中身を確かめさせてもらうのも良いかもしれない。

 

 この比較的安全で優しい変態なら、交渉の余地はあるかも。

 

「もういいや、引き摺って持って帰るか」

「ごめんねぇ、そろそろ店仕舞いなのょ。また明日、来てくれりゅ?」

「ナットリューさん、今日はお菓子ありがとうね! ポート、ほら帰るわよ」

「焼き芋……、はふはふ」

 

 ……あれ。何故か、いきなりラルフに担がれたぞ。待て、僕はまだ購入する本を決めていない。

 

「おいラルフ何をする、僕を本の下へ帰すんだ」

「また明日な。今日は帰るぞ」

「でも、まだ何も買ってない……」

「明日買えアホンダラ」

 

 あ、あぁ。本が遠退いていく。

 

 絶対に面白いであろうタイトルの数々が、僕の手から離れていく。

 

「あ、明日も来ますから!! 店開けとい、てくださいね!!」

「……きゅふふ。待ってるょ」

「本、本ーっ!!!」

「重症ね……。あ、焼き芋ありがとアセリオ」

「焼きたて……。熱いうちに、食べて……」

「……どこで焼いたんだ?」

 

 むぅぅ。いや、この変態さんはまた明日も店を開けておいてくれると言っていた。また明日、また明日来ればいいんだ。

 

 今夜一晩、今日チェックしたタイトルからどれが良いかじっくり考えよう。そうだ、それが良い。

 

「ポート、焼き芋……。はい、あーん……」

「もぐもぐ……。うん、やっぱり実用性で言えば薬学系だよな。伝記や旅行記も良いけど、薬学の本はいざという時に手元にないと……」

「本の良さは分かんないわね。この前、読み始めて3秒で眠っちゃったわ!」

「リーゼは少しでも頭を使うとオーバーヒートするからな」

「そんなこと無いわよ!!」

 

 明日が楽しみだ。今夜は果たして寝付けるだろうか? もし寝過ごしてしまったらどうしよう、そこが心配だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────隣国にキナ臭い動きがあるらしい」

 

 それは、どういう運命の巡り合わせだろう。

 

「領主様は警戒を強めてらっしゃるそうだが」

「あの人ももうお歳だ。以前のような無茶は出来まい」

「お世継ぎのプロフェン様は失われ、妹君は腑抜けの弱虫だとか」

「これからワシらは、どうなるんじゃろ」

 

 蔓延する、不安の声。

 

 いつになく、深刻なレイゼイ爺の顔。

 

「ワシらに出来ることなど無い。せめて、毎年きっちりと納めるものを納めるのみ」

「それが少しでも、あの領主様の助けになると良いが」

 

 それは、僕が聞き逃していた悲劇のサイン。

 

 いや、『聞くことが出来なかった』変化する未来のサイン。

 

「────間もなく、戦争が始まるかもしれん」

 

 

 

 その、大事な報告は。村長の一人娘であり、新成人である僕にはまだ届かず。

 

 村の政務を実際に運営している、父と老人会の間で「無用な混乱を生む」として、伏せられていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「父さん父さん、村に本屋が来ていたんだよ!」

「おお、そうかいポート」

 

 何も知らず、無邪気にはしゃいでいる一人娘。彼女は何やら鍛冶ランボの子にお熱を上げているようだが、その成果は芳しくないらしい。

 

 父として、彼はポートに色々なことを教えた。しかし、ポートは父の話を聞くと即座に「そこはこうした方が良くないですか」とその発展策を提案してきた。

 

 紛うことなき神童だ。自分の娘は、きっとかつて無いほど村を発展させるだろう。

 

「────なぁ、ポート」

「どうしたの、父さん」

「……いや。お小遣いは足りているか? 欲しい本があるなら、遠慮なく言うんだよ」

 

 父は、父としてではなく『村の長』として。その神童たる娘に相談をしようとした。

 

 せまりくる『戦乱』の脅威。自分の手には余る案件について、娘の意見を聞こうとした。

 

「……も、もしかしたらお願いするかも。その欲しい本が山のように有って」

「そうかい」

 

 だが、父は踏みとどまった。彼にも矜持が有ったのだ。

 

 せめて、彼女が成人するまでは。自分が彼女達の笑顔を守り、無邪気に微笑んでいてほしかったから。

 

 

 ────彼女が『彼』だった頃と、国際情勢は大きく異なっている。

 

 それを知らぬポートは、ただ「来るべき現領主の死」に備えて自らを高めることしか出来ない。

 

 かつて彼が投げた小さな小石が、波紋を広げ大きな津波となっていた。それを彼女が知るのは、もう間もなくの事であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、ナットリューさん。何とか、はしっこだけでも読ませてもらえませんか」

「んー、ポートちゃんの気持ちもゎかるけど。本屋的には、ぁんまりかなぁ」

「ですよね」

 

 翌日、僕は朝一番で、一人本屋に向かっていた。他の4人を待ちきれなかったのだ。

 

 そこで僕は、せめて序文だけでも流し読みさせてもらえないかと本屋の変態に頼み込んでみたけれど……、結果は渋い返事だった。

 

 本は傷みやすい。気軽に他人に開いて読ましたりしたら、劣化が早い。そして何より本の価値はその情報にある、それを一部とはいえただで読まれてしまっては本末転倒だろう。

 

 だから、彼のいう事も理解できる。

 

「……ナットリューさんは、これらの本は全部読んでいるんですか?」

「ん、まぁそうだょ」

「じゃあ、ナットリューさんから興味深かった本とその概要を教えて貰うのはアリですか?」

「ふむ。それなら、まぁいいょ? どの本が気になってりゅの?」

 

 だが、僕の小遣いには限りがある。購入できるのはせいぜい一冊、絶対に外したくはない。

 

 この変態も、本屋を営むくらいだからソコソコに読書家なのだろう。彼の見立てを信用しよう。読ませてもらえないなら、この本屋に聞くまでだ。

 

「生活に役立つもの、教訓的なもの、遠い地方の文化。そういったものが詳しく書かれている本が欲しいです」

「……むぅ。まぁ、ぃくつか候補があるかな。持ってきたげるょ」

「ありがとうございます」

 

 さぁ、集中しろ。昨日父さんにおねだりして、多少は融通してもらえる事になった。多少高い本が来ても構わない。

 

 直感だ。僕に備わった本への嗅覚を信じろ。何の情報も根拠もなく、最適解を導け。

 

 正直、こういうのはラルフとかの得意分野な気がするけど……、きっと僕にもできる筈。

 

「一番当てはまるのはコレかなぁ、ものすごく高ぃけど。他にも、コレとコレ……」

 

 僕の前に並べられる、ナットリューお勧めの書籍の数々。それらのタイトル情報だけから、中身を類推しろ────。

 

 

 

『農冨論』

『薬草学者リンの日記』

『偉大なるバハムートの巫女』

『オカヤーマ県北の土手の下で』

 

 

 

 

「この『農冨論』は、領主様のおススメだょ。農民の暮らしを、農民の目線と国の目線の両方から記してその発展法について考察しているヒット作。まだ数が出回ってなくてすごく高価だけど、内容は保証できりゅかも。『薬草学者リンの日記』は、今や国中にその名を轟かせる天才薬学者リンが、新薬を作るべく試行錯誤した過程を日記にしたものだょ。専門書じゃなぃから、初心者でも読みやすくて知識も深まってこれもおススメ。『偉大なるバハムートの巫女』は────」

「ちょっと待ってください」

 

 うん。……うん?

 

「ごめんなさい。この本、なんですか?」

「『農冨論』が気になりゅの? そーよね、ポートちゃんの立場からしたら気になりゅよね。ただ、その本はウチの店で一番高価だから、子供のお小遣ぃで手が届くかどうか……。ご両親に相談してみるべきかも」

「いやそうじゃなくて。これちょっと読んでいいですか」

「え、いやダメだょ!?」

 

 ちょっとマテ。いや、違うよね。違うはず、そうである筈がない。だって、それがアレだと言うなら7歳の子供が書き上げた本がそこに並んでいることになる。

 

 そんな訳はないだろう。あれは、イヴへの心遣いとして差し出した子供だまし。たまたま偶然、僕と同じタイトルを思い浮かべた人がいたに違いない────。

 

 

「……本書を読み解くにあたっての前提として、農民と為政者は同一であって、さらに区別されるべき存在であることを理解せねばならない」

「ん、それって?」

「即ち『為政者』とは縦横無尽に蠢く『民』と言う怪物を制御する為の機構であり、『本能』の赴くままに行動する民を、律する集団としての『理性』こそが使命である」

「あら、意外? ポ-トちゃん、その本読んだ事ありゅの?」

「……」

 

 まさかと思い、僕の本の書き出しをちょろっと口ずさんでみたら、ナットリューさんにバッチリ読まれたことがある様子。やっぱり、まさかこれ、僕の本か。

 

 あ、そういやこれって領主様のおススメって言ってたっけ? じゃあ、この本はイヴから領主様に経由して本屋に流れたのね。あはは、僕の本がヒット作かぁ。

 

 そっか、そっか。鼻が高いなぁ、あはははは。

 

 

 

 

 

 

「死にたくなったんで今日は帰りますナットリューさん」

「ちょっと!? ど、どうしたのポートちゃん!?」

「黒歴史が……。僕の子供時代の黒歴史が国中に拡散されている……。アセリオなんか目じゃないレベルで国中に恥が晒されている……」

「ぽ、ポートちゃん!?」

 

 もうだめだ。おしまいだ。

 

 『農冨論』はガキんちょの頃にちょっと思い付いたことを、さも正しい事であるかのように上から目線で書き連ねた禁書。子供染みた傲慢さに溢れた、僕の人生の汚点。

 

 きっとそれを、イブリーフ糞野郎が面白がって拡散したに違いない。

 

 ちょっとかわいい顔して女の子みたいだからって、調子に乗りやがってあの野郎。20歳になるころには普通に男にしか見えなくなるくせに。

 

「その本は破棄してください……。子供染みた理想論しか書かれていない、幼稚な内容ですよ……」

「……そんな事無いわょ。この本が広まってから、この州はものすごく発展してるらしぃし。実際、良くかけていると思うゎ。何を、そんなに嫌っているのかしら」

「あぁ……、もう駄目だぁ、おしまいだぁ」

 

 ああ、醜聞が、僕の醜聞が広がっていく……。いや、待て落ち着け。

 

「ちなみに、その本の作者は?」

「詳細不明みたいねぇ」

「そ、そうですか」

 

 そうだ。これは、僕じゃなくて誰か昔の人の作品という事にしたんだった。大丈夫だ、ならこれが僕が書いたとバレる心配はない。

 

 よし、落ち着け気にするな。その本を売りたいなら勝手に売ればいい、僕には関係ない。

 

「じゃ、じゃあ。その『薬草学者リンの日記』という本を────」

 

 動揺を悟られるわけにはいかない。よし、昨日から気になっていてナットリューさんもお勧めしているこの本を買ってしまおう。

 

 薬草学者リンとはどんな人物で、いかなる内容を記しているのか。ああ、今からワクワクが止まらな────

 

 

 

 

「……ん? あれ、その本ってポートが書いた本じゃない!?」

 

 

 

 その時、僕の背後から大きな声がして。思わずビクリと、僕の背筋が跳ね上がった。

 

「これ、ポートがちっちゃい時からせっせと書いてた本と同じ名前よね。売ったの?」

「……」

 

 気付けば、背後にはリーゼ達3人が立っていた。朝一番で本屋に向かった僕を追いかけてきたのか、幼馴染たちが露店のすぐ傍らまで到着していたのだ。

 

「……あー」

「あら、あらららら? ねぇねぇ、それどうぃうこと?」

 

 ナットリューの目が、きらりと光る。それは先日のナンパの時のような、獲物を狙う捕食者の目。

 

 ……。…………。

 

 僕もうおうち帰る……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その本は、農業の発展をもたらした。

 

 幼き少女の記した農冨論は、貴重な『政治本』として領主に気に入られ増産されていた。隣国との国境に位置し、武闘派ぞろい人傑の集まったこの州において、不足していた文官の教科書としての役割を果たしたのだ。

 

 兵士や冒険者に囲まれた『軍』の人間には発想すらできなかったであろう、『為政者視点で見る、農民が政治に求める内容』は、確かに効果的だった。その影響は少なからず、貧困に苦しむ農民たちに発展と流通をもたらした。

 

 その結果、州は富み────。

 

「あの州は肥え太っている、襲撃するなら今だろう」

「更に軍備を整えられる訳にはいかない、これ以上指を咥えてみていられない」

 

 その急激な発展に追い付かぬ軍備の隙を突こうと、隣国の侵攻論が加速してしまい。本来はずっとずっと後になる筈だった『戦争の引き金』が、早くも切り落とされようとしていた。

 

「これ以上力をつけられると、面倒な事になってしまう」

「あの爺狸が政務に力を入れている今こそ、千載一遇の好機────」

 

 「彼女」が「彼」だった時とは違い、今のこの州は放っておけば放っておくほど肥えていく。ポートの周囲の村まで含め、この州はどこもかしこも活気と笑顔に満ちている。

 

 だからこそ、今。

 

「奴らを蹂躙し、その財を奪うのだ」

 

 

 ────敵は、その剣を研いで機を伺っていたのだった。



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収穫祭

「……はぁ。……はぁ。ポートちゅわん……」

「な、何でしょう?」

 

 その変態は、猛っていた。

 

「お願いょ。一晩だけでもっ……」

「お断りします」

 

 鼻息荒く、目も見開いて、その変態は猛っていた。

 

 

「勿論ただとは言わないゎ。お金ならぃくらでも出す」

「いくらお金を積まれたって、そんな恥ずかしい真似出来ません!」

「そこを何とか!」

 

 僕の自宅、書庫の中。本屋ナットリューに押し負けて部屋に入れてしまったのが僕の運の尽き。

 

 僕は過去の人生でかつてない危機に晒されていた。

 

「本、好きなんでしょ? ぅちの本から、好きなのを選んで持ってぃって良ぃわ」

「……うっ。でも、そんな」

「一晩だけ、一晩だけ……」

 

 僕に覆い被さるように懇願する変態。本好きとして、そんな交渉をされたら心が揺らいでしまう。

 

 でも、いくら本が貰えるからって、そんな。

 

「欲しいんでしょ? ぅちの本」

「……」

「1冊なんてケチ臭いこと言わないわ。なんなら、写本が有るやつなら全部持っていっても良いわょ」

「……ぜ、全部?」

「そうよぉ……」

 

 全部だって!? あの、面白そうな本の数々を、全部……?

 

 それは心が揺らぐ。ど、どうしよう。そこまで言うなら、一晩くらい────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ウチの娘に何をしている」

「あっ、父さん」

 

 ナットリューの誘惑に負けそうになったその瞬間。おもむろに扉を開けて乱入してきた父さんが、変態にドロップキックをかまして吹っ飛ばしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本、ですか」

「本、なのょ」

 

 どうやら父さんは、僕とナットリューのやり取りを聞いてイヤらしい事を迫られていると勘違いしたらしい。

 

 無理もない。ナットリューは、口調から雰囲気まで全身隙がない程に変態だ。そんな見るからに変態な男に娘が迫られていたら蹴りの一つもかましたくなるだろう。

 

「一晩だけ、ポートちゃんの本をお借りしたぃの」

「写本にして売り捌くつもりでしょう。そんな恥ずかしい真似出来ません、お断りです」

「そこを何とか……」

 

 それに、この変態はイヤらしい事と同じくらいには恥ずかしい真似を要求している。

 

 押しきられて僕の本棚に案内したは良いが、本棚に並んでいた僕の書きかけの新作「民富論」を見た瞬間に大興奮して迫ってきたのだ。

 

 是非とも写本を作らせてくれ、と。

 

「ポートの本が売れちゃってたなんてビックリね!!」

「……流石は、我が永遠の半身……」

 

 幼馴染み達は、このコトの重要性を理解していない。

 

 僕はイヴに作者不詳としたまま、ガキんちょが書いた適当本を手渡した。その本が、あろうことか領主にまで気に入られてしまった。

 

 僕みたいな何も知らない子供が書いた本とバレたら、おススメした州の領主の面目は丸潰れである。昔の偉い人が書いたと吹聴したからこその、あの本には価値があるのだ。

 

 もしこのことが公にされたら、口封じとして殺されてもおかしくない。領主はあんまりそういうことをしなさそうな人だったけど、本性がどんなもんかなんて誰にも分からないのだ。

 

「絶対に、断固として、嫌です! ナットリューさん、約束通り本棚は見せてあげたんですからこのことは絶対に内緒ですよ!!」

「……でもぉ」

「くどいです!!」

 

 取り付く島も見せてはいけない。さっき篭絡されかかったけど、僕は正気に戻った。

 

 これ以上僕の醜聞を流布しないためにも、そして何より無駄な危険を冒さないためにも、この本の作者が僕だという事実は墓場まで持って行ってやる。

 

「んー、残念だょ。気が変わったらいつでも声をかけてね、山盛りの本を用意して待ってるゎ」

「ええ、その交渉とは別に本は買いに伺います」

「……あ、農富論の写本とかはありゅかしら? そこそこ高値で買い取るわょ」

「あー。……それならまぁ良いか、そっちはお譲りします」

 

 残念そうに指を咥えて本棚を眺めるナットリューを、シッシと追い払う。後で、余った農冨論の写本は渡してしまおう。不幸中の幸いというべきか、あの本に価値があるならそこそこ良い本と交換してもらえるかもしれない。

 

「……はぁ」

 

 かくして僕は、変態的本屋からの辱めを逃れ平穏な生活を勝ち取ったのだった。

 

「ポート。その本とやらについてどういうことか、詳しく話を聞いてもいいかい?」

「りょーかい、父さん……」

 

 あとは、親への弁明のみである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────驚いた、僕も聞いたことがあったよ、農冨論。何でも、領主様が甚く気に入って本の増産を命じたらしい。そのお陰で少しづつ値下がりしてるそうだから、手頃な値段になったころに君にプレゼントするつもりだった」

「作者にプレゼントされてもなぁ……」

 

 父は、僕の話を聞くとたいそう驚いた。なんでも、近所の集落の長がその本を買って以来、大発展を遂げたらしい。それで父も興味を持っていて、機会があれば読みたいと思っていたそうだ。

 

 勝手に本を出して怒られるかとも思ったけど、イブリーフとの絡みで本を渡しただけなので特に咎められるようなこともなかった。むしろ、僕がその本を書いたと知って目を細めて喜んでいるようだった。

 

「その本はウチにあるのかい? そんな評判の本が近くにあったなんて知らなかった、どうして読ませてくれなかったんだ」

「実の父親に読まれるなんて恥ずかしいじゃないか。あーいう本は、どこかの偉い誰かが書いたと思うからソレっぽく読めるんだ」

「ははは、むしろ誇るべきだと思うがね。ポートには悪いが僕はその本に興味を持ってしまった、今夜から読ませてもらうよ」

「……ご自由に」

 

 父はウキウキしながら、農冨論を手にもって寝室へと向かう。うぅ、実の父親に幼少期の日記を読まれている気分だ。何とも言えぬくすぐったい羞恥が、頬を染める。

 

 ええい、ままよ。父があの本を読んでどんな感想を感じようと関係ない。もう寝てしまおう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……本当に。あの娘にはいつも驚かされるよ」

 

 蝋燭の火が揺らめく寝室で、村長は自らの妻へと語りかける。

 

「いつの間にやら、売れっ子作家になっていたのねあの娘。きちんと自分の名前を書いておけばよかったのに、もったいない」

「ふふ、ポートには名声欲も出世欲もないんだろうさ。むしろ必死で、作者の名前を出さないでくれと懇願していたよ」

「あら、謙虚。そうねぇ、あの娘はこの村が大好きですものね」

「……あの娘がこの村を指導してくれたら、きっとかつてない繁栄がもたらされるだろう。でもね、あの娘の器はこんな小さな村で終わっていい器なのか……、それが疑問だ」

 

 彼はパタリと、本を閉じ。感慨深い溜息をつきながら、娘の本を愛おしむ様に撫でた。

 

「────天才だ。この本を読んでわかった、あの娘の才能は生半可なものじゃない。ちゃんとした貴族家に生まれていたら、きっと個人で爵位を持てただろう」

「……」

「僕は自分の身分が恨めしいよ。王宮への出入りすら許されない辺境貴族に生まれ、彼女に大きな足かせを繋いでしまっている。そのせいで、ポートは自分が一生をこの村で終えたとしても構わないと考えている」

 

 そこには、微かな諦念と自嘲が含まれていて。

 

「だからこそ。何としても、ポートを守ってやらないといけない」

「そうね」

「いつか、彼女がこの村からはばたく日が来る時まで、すくすくと育つように。……絶対に」

 

 迫りくる『戦争』の蹄音を、決意へと変えながら。村の長たるその男は、まっすぐに月を見上げ決意した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────翌朝。

 

「ど、どうだった父さん?」

「素晴らしい本だったよ。君を明日にでも、領主様に紹介しようかと考えている」

「お願いだからそれはやめて!?」

 

 父さんは、ずいぶんと本を気に入ってくれたようだ。それはうれしい、うれしいのだけれど……。

 

「領主様はイヤ……! イブリーフにはまだ、僕自身の心で決着がつけられていないんだ……」

「そ、そうかい」

 

 今世のあの娘はぱっと見はそんなに悪い奴に見えないのだ。だが、前世での悪行を考えるとこれからどう成長するかなんてわかったもんじゃない。

 

 いつかは殺すべき敵になるかもしれない。だから、あまり仲良くしたくない。

 

 あの男は、村に耐えがたい苦痛と苦難を与え、そして僕を含め村の全員が死ぬ原因を作り上げた張本人。今世では何もしていないとはいえ、ちょっと心の折り合いがついていない。

 

「分かった、君がそういうなら」

「ありがとう、父さん」

 

 にしても、親バカもいいところだ。あんな子供騙し読んで大喜びしてしまうなんて、親の欲目というものなのだろう。

 

 父さんにはくれぐれも、思い切った行動をしないでいただきたい。恥をかくのは僕なのだ。

 

「それより、今は収穫祭だよ。もう明後日に迫っているよ、医療部や運営本部の設営は終わってるの?」

「え、いや……。前日までには仕上がると聞いているが」

「それが本当かどうかわからないじゃないか。今日のうちに進展具合を見ておかないと、明日に夜急いで仕上げますなんて事態にならないように」

「……。ポートはしっかりしているねぇ、わかったわかった見ておくよ」

 

 僕は誤魔化す様に、父親に仕事を急かして家から追い出す。全く、ナットリューのせいでひどい目にあった。

 

 何としても、今日はアイツから良い本をふんだくってやらないと。こっちの写本を引き取らせたら、今度こそ……。

 

 

 

 

 こうして僕は、大事な収穫祭の直前にとんだ気苦労を背負わされる羽目になった。だが、いつまでも拡散されつつある僕の黒歴史に悩んではいられない。とっとと目を背け、祭に頭を切り替えていかないと。

 

 初の司会、初の村長仕事。前世で何度もこなしてきたからあまり気負っていないけど、今世の僕のデビュー戦と考えれば失敗は許されない。やはり、最初はきっちり締めたいものだ。

 

 ……そして、一刻も早く村のみんなから信頼される指導者としての地位を手に入れないと。それは、きっと将来イブリーフと戦うことになったときに必要不可欠だ。

 

 

 ついでに、ラルフの馬鹿を手に入れてやる。収穫祭のメインイベントの新成人演説で、二人の女の子から熱烈告白を受けて、慌てる奴の顔が楽しみだ。

 

 前世ではリーゼから告白された時にテンパりすぎて舞台で足を滑らせてたっけか。今回はどんなリアクションをしてくれるのか、今から楽しみで仕方がない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────そして、祭の当日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……そんな邪な悪戯心は、フラグだったのだろうか。

 

「では、これより僕達『新成人』による挨拶を始めたいと思います!」

「おう良いぞ、やったれ!!」

「勢いが大事じゃぞ、若いの!!」

 

 収穫祭は、例年通りつつがなく開催された。露店には美味しい料理と高品質な麦酒が立ち並び、大人たちは頬を赤らめて大騒ぎしている。今年からは僕達も麦酒を飲めるけれど、大事な挨拶があるのでそれまでは慣習的に控えるように言われる。

 

 成人の挨拶を終えて、その場で全員と乾杯し酒を酌み交わすのが習わしだ。

 

「今年は成人が4人、村長の娘にして本の虫と噂される僕ことポート、頭は悪いが弓の腕はピカ一な狩人の娘リーゼ、村一番のパフォーマーにして料理店の跡取り娘アセリオ、そして古くから続く鍛冶師の一人息子ラルフ!!」

「べっぴんになったのう皆!!」

「ラルフはいっぺん死んでしまえ!! 同世代に可愛い子固まりすぎだろうが!!」

「うらやましいんだよこの野郎!!」

 

 宴もたけなわ、久しぶりの新成人である僕達がお立ち台に上り、麦酒を片手に盛り上がる大人たちの中央に立つ。

 

 実に楽しそうに、オッサンどもは僕達のお立ち台をやんややんやと騒ぎ立てている。まぁ、青臭い子供のスピーチなんて良いお酒の肴なんだろう。

 

「では皆さま、少しの間お静かになさってください。じゃあ、一番手は……、アセリオ! お願いできるかな」

「……任された」

 

 僕の考えた一番盛り上がる挨拶の順番は、こうだ。特に重要な宣言はないけれど、舞台慣れして人前で緊張しないアセリオにトップバッターを務めてもらってまず場を温めて貰う。

 

 次に2番手で、普段から好き好き言ってる僕がラルフに告白。大方予想通りといった顔をされそうだけれど、これでリーゼにも告白しやすい雰囲気を作ってあげる。

 

 そして3番手で、いよいよリーゼからラルフへの告白。ラルフはまだリーゼの想いには気づいていなさそうだから、ここで絶対にびっくりするはず。

 

 最後に、混乱しきってるラルフにトリの挨拶を任せるわけだ。彼が緊張する舞台上で僕達の告白にどう答えるのか、実に見ものである。

 

 この、僕が悩みに悩んで作り上げた綿密なプランは────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ポート。女の子同士なのは分かってる」

「……ん?」

 

 アセリオの投げた爆弾で、叩き壊されるのだった。

 

「……でも、好き。あたしは、ずっと前から、ポートが好きだった……っ!!」

「……へぇあ?」

 

 

 

 

 

 

 新成人の挨拶、その一発目は。村で噂のパフォーマーにして男衆から人気の高いアセリオによる、僕への熱い告白で幕を開けたのだった。

 

 

 ……僕は舞台上で、動揺して思わずズッコケていた。



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告白

「……でも、好き。あたしは、ずっと前から、ポートが好きだった……っ!!」

 

 収穫祭での告白、それは決して珍しい事ではない。むしろ、どうせ告白するなら収穫祭の日とすら言われる程に告白率は高い。

 

「……あ、え、っと」

「……」

 

 だけど、これは色々な意味で予想外過ぎだ。普段は冷静な僕と言えど、動揺するなと言う方が難しい。

 

 おとなしくも控えめで、最近ややはっちゃけ気味なアセリオ。確かに、今世では僕と一番仲が良かった少女。

 

 そんな彼女が、まさか収穫祭の舞台で同性の僕に告白するなんて。これは、彼女なりのジョークなのか?

 

「……」

 

 いや違う、あの真剣な目を見ろ。茶化したりふざけたりしてる時のアセリオじゃない、正真正銘本気のアセリオだ。

 

 でも、そんな。つまりアセリオは、同性愛者だったのか? そしてそれを、こんな衆目の面前で宣言しても良いのか?

 

 こんなの誰にも予想出来っこない。集まったみんなも、口をポカンと開けて絶句して────

 

「あー、やっと言った」

「ほれほれどーする、ポート?」

「ひゅーひゅー!! 熱いねぇ!!」

 

 ……。周囲の大人たちは、アセリオの告白にやんややんやと盛り上がっていた。

 

 あれ?

 

「えっ、その、あっと?」

「本当にアセリオの気持ちに気付いてなかったのかよ、お前。この鈍感朴念仁」

「アセリオが可哀想だったわよ!」

 

 ……あれれ?

 

「えっと……。ひょっとして、僕以外は全員知ってた?」

「むしろ何故気付かなかったんだお前は」

「え、いや、だって!」

「普通は気付くぜ、あんなに露骨なアピールされて」

 

 え、本当に気付いてなかったのは僕だけ? 村中が知ってたの? アセリオにそんな素振り有った?

 

「え、その、何時から? 全然気付いてなかったよ、アセリオ」

「ちっちゃい時から。……そもそもあたしの初恋が、ポート」

 

 ……初恋?

 

「その時はポートを男の子だと思い込んでたけどね……。このやろう……」

「あ、あいたたたっ! つねらないでアセリオ!」

 

 あ、ああああっ!! そう言うことか!

 

 アセリオは僕を男の子だと思ってたから、それが初恋になっちゃったんだ! 昔失恋したって言ってたけど、あれも僕のコトなのか!

 

 ……う、うわぁ。なんて悲惨な。

 

「最初は男っぽかったポートも、最近ではすっかり女の子。しかも、アホバカラルフに首ったけ」

「……アホバカて」

「まぁそれで……、あたしも悩んだ。そして、決めたの」

「決めたって、な、何を?」

「あんなのに取られるくらいなら…… あたしが奪う!!」

「あんなのて」

 

 アセリオは、そこまで言い切ると。据わった目を僕に向けて、ゆっくり近付いてきた。

 

「……どうせ舞台でラルフに告白するつもりだったでしょ? そんなコトさせないから……」

「う。ち、近いよアセリオ……」

「悪いけど、ポートはこの場であたしが奪う……」

「ひょ、ひょえええっ……」

 

 い、いかん。色々と想定外の事態が重なって大混乱している。うまく頭が回らない、どうすれば良いか分からない。

 

 誰かに助けを求めるか? だが僕達の様子を面白そうに眺める大人達、舞台上でニマニマ見ている幼馴染みどもは役に立たない。

 

 それに、アセリオは本気だ。逃げるような返事をしてお茶を濁すのは、誠意に欠ける。

 

 覚悟を決めろ、彼女の想いに応えろ。僕はどうしたい? 僕はアセリオの想いに、どう答えれば良い?

 

 

 それは────

 

 

「……ごめん、アセリオ」

「えっ……」

 

 

 ゆっくりと身を寄せるアセリオの肩を掴み、僕は彼女を引き離す。

 

 これ以上、流されないように。

 

「本当にごめん。ちょっと返答に時間ください……っ!」 

「……」

 

 へたれ、という声が聞こえてくるかもしれない。

 

 だけど、こんな場で真剣な幼馴染の想いを即決なんてできっこない。結論が出せない時は、即残即決せず冷静になってから結論を出す。

 

 これが、正解のはず……。

 

 

「えー、へたれ……」

「うぐっ!!」

「ポート、そりゃねぇよ……」

「サイテーね!」

「うぐぅ!!」

 

 正解じゃないみたいだ。

 

「そこは、あたしを抱きしめて、想いに応えるところ……」

「それが出来ないから迷ったんじゃないか! というか、僕はラルフが!!」

「……はいはい。じゃ、お好きに告白どーぞ? ポートが本気でラルフを好きにならない限り、その告白はうまくいかないよ」

「……」

 

 グサリ、とアセリオの言葉が僕の胸を刺す。

 

 う、うぅ。僕はアセリオの心に全く気が付かなかったのに、僕の心はお見通しなのね。

 

 そんなにダメなのかなぁ。ラルフに形だけでも僕と婚約してもらうの。

 

「……」

 

 だって僕は、前世の記憶がある。男同士で共に切磋琢磨した、ラルフとの思い出がある。

 

 彼を、心から好きになることなんてありえないだろう。そもそも、そういう対象じゃないのだ。

 

 じゃあ、僕は一人でまた村長をやるのか? たった一人でイブリーフ達と戦い、そして勝たねばならないのか?

 

 ……村と領主の諍いに、ただの農民であるラルフ夫妻の介入する余地なんてない。彼らはまた、前世のように僕の不甲斐ないリーダーシップに翻弄され、そして。

 

 

 

 

『恨む、怨む、怨んでやる!! ポッド、お前は地獄に落ちて死後も永遠に苦しめ!! 一度でもお前の事を友人と思った自分が恥ずかしい!!』

 

 

 

 

 あの、光景が、現実に────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ひくっ」

「え?」

 

 気付けば、僕は。

 

 舞台上で、大粒の涙を流していた。

 

「……僕、は」

「ポ、ポート?」

 

 アセリオのいう事は正しいのだろう。

 

 好きでもない相手に、告白して籍を入れてもらおうなんて虫が良すぎる。そんな告白が、うまくいくはずがない。

 

 そんなの、誰にだってわかる正論だ。それでも、

 

「それでも、僕は……。ラルフに助けて、欲しいんだ」

 

 僕一人で、あの強大な壁に立ち向かう事なんてできない。

 

 それは、僕が能力的に不足しているから? 今世で必死に頑張って手に入れた知識や戦闘技法をもってしても、あの苦難は乗り越えられないから?

 

 ……違う、そうじゃない。

 

「怖い……。怖いんだよ、ラルフ。きっと、ちっぽけな僕一人じゃ村を守りきることができないんだ」

「……」

 

 僕の心が、折れているんだ。

 

 あの、絶対に回避しないといけない地獄のような未来を知って。僕一人が無駄に空回り、村を滅亡へといざなった記憶があり。

 

 僕は僕自身に、全く自信が持てないのだ。

 

「君は強い。僕は知ってるよ、君のその魔法染みた勘の良さを」

「……ポート」

「お願いだ、助けてよ。僕を、1人で戦わせないでよ。怖い、怖い、怖いんだ!!」

 

 ────それは。生まれて初めてかもしれない、僕が大人ぶって被った仮面をかなぐり捨てて叫んだ、心からの本音だった。

 

「君に、小さな時に助けられて以来、僕はずっと憧れていた!! きっと僕がどれだけ頑張っても手に入れることのできない、君のその能力を!!」

「え、あ……」

「助けて。助けてよラルフ、僕は怖いんだ!! 未来にどんな絶望的な事が待っているのかわからない、その不確かさが怖いんだ!!」

 

 これは断じて告白ではない。

 

 いや、そんな高尚なものじゃない。

 

「……お願いだ」

 

 ただの、弱虫な僕からの『懇願』だった。

 

「僕と一緒の道を歩んで、隣で戦ってくれ。ラルフ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……む、むぅ。わ、わかった。そっか、ポートもそういう意味では『本気』だったんだな」

「ラルフ……」

 

 随分と、はしたない叫びだっただろう。でも、心の底から泣き喚く僕を見て、ラルフは多少なりとも僕の『本気』を感じ取ってくれたらしい。

 

 ああ、嘘じゃないとも。ラルフの事は異性として見ていないけれど、彼に助けてほしいのは正真正銘僕の『本音』なのだから。

 

「ポート……」

「……うん」

 

 その、僕の情けない懇願はラルフに映っただろうか。もしかしたら、幻滅されただろうか。

 

 でも、もし。もしも君が、僕と一緒に歩いてくれたのであれば、きっと未来は────

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当にごめん。ちょっと返答に時間ください……っ!」 

「……」

 

 

 

 ……この野郎。

 

「……」

「その無言の抗議やめてくれないポート!? この場で即断して答えられる範疇の話じゃなかったじゃん今!!」

「……」

「ちっくしょう、大体お前も全く同じセリフ吐いた直後だろう!! 俺だけ責められる謂れはないぞ!!」

「……」

「やめろ、その責め立てるようなジト目をやめろぉ!!」

 

 ……まぁ、確かに。僕も、同じことをアセリオに言ったけれど。

 

 ああ、成程。つまりアセリオもこんな気持ちになったのか。後でよく謝っておこう。

 

「……へたれ」

「うぐっ!!」

 

 でも、お約束なので一応なじっておく。

 

「……ポートがこんなに取り乱すとこ、初めてみた」

「何か、私達が知らないことがあるかもね」

 

 ……でも、すっごく情けなかったよなぁ、今の僕。うぅ、つい感情的になってしまった。反省反省。

 

 ただそれはそれとして、ラルフに抗議は続けよう。あそこまで言わせて保留って、酷くないか?

 

 男なら折れろ、ラルフこの野郎。

 

「じゃ、次は私が行くわ!」

 

 僕が舞台袖に移動してジィっとラルフに抗議の目線を向けていたら、紹介する前に勝手にリーゼが舞台の中央に来た。

 

 まぁ元々次はリーゼの予定だったんだ、好きにするといい。

 

 紹介も無く舞台に立ち、目を閉じ、すぅと息を吸い込んだ彼女の第一声。それは……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私も告白よ!!!」

 

 威風堂々としたモノだった。

 

「ラルフ!! 一回しか言わないからよく聞きなさい!!」

 

 リーゼは頬を真っ赤に染めつつも、目は真っ直ぐにラルフを見据え。

 

 目を見開いたラルフを、ビシっと指差して高らかに叫ぶ。

 

「私……、昔からずっと!!」

 

 目を白黒と、明らかにさっきの僕の告白の動揺から立ち直っていない鈍感男に向かって。

 

「あんたの事が、好きだったの!!」

 

 真っ正面から、これ以上無いほどストレートに好意をぶつけたのだった。

 

 

 

 

 

「えっ……えええっ!?」

 

 リーゼからの真っ直ぐな告白に、困惑した叫びをあげるラルフ。

 

 やはり、リーゼの想いに気付いてなかったかこの朴念仁。僕にアレコレ言えた口か、この野郎。

 

 本当に格好いいなリーゼは。あんなに堂々と、正面から好意をぶつけるなんてなかなか出来ることではない。

 

「おおっ!! 修羅場か!?」

「ついに二人とも告ったぞ!!」

「ふははははっ!! この瞬間を見るために長生きしておったのじゃ!!」

「あれ!? リーゼが俺を好きな事、皆知ってたの!?」

 

 そりゃそーだ。バレッバレだっただろ、リーゼの想い。

 

「……あんなに露骨に好意向けられて、気付かないラルフはアホバカ」

「全く、鈍感にもほどがあるね。どうして気が付かないんだか」

「……」

 

 便乗してラルフを煽ったらアセリオが白い目を向けてきたけど、ここは華麗に受け流しておこう。

 

 自分のコトは積極的に棚に上げていく方が、人生楽しいのだ。

 

「さあて、これで僕を含め、新成人3人娘の挨拶は終わりました! これからいよいよ、最後の挨拶に移りたいと思います!」

「えっ、ちょっと、待っ……」

「今年の収穫祭は告白祭りでした! 仲良し4人組の幼馴染み達による、修羅場に発展しかねない男の取り合い、熱い想いのぶつかり合い!」

「弱冠1名、同性に想いが向いてるけどね」

「ちゃんと返事しろよー」

「わ、分かってますとも!!」

 

 さてじゃあ、いよいよ本番だ。

 

 予定外の事態は多々有ったけど、結局は予定通りの締めで終わることが出来そうである。

 

 ふんすと、鼻息荒く舞台袖に戻ったリーゼとハイタッチを交わし、いよいよ話題の男を舞台へと引き摺り出そう。

 

「では、ラルフ! 最後は君の挨拶で締めてもらおうか!」

「……いや、もうちょっと時間を!!」

「うるさい、とっとと中央に行け!」

 

 ふむ、良い感じ。

 

 多少テンパってくれてる方が、僕の策も成功しやすいのだ。何としてもここでラルフから「両方娶る」と言質を取って見せる。

 

「僕達は、全員想いを述べた。後は、君自身の気持ちを教えてくれれば良い」

「……い、いきなりそんな事言われたって」

 

 顔を真っ赤に、ラルフを睨み付けるリーゼ。

 

 真っ直ぐに、彼を見つめる僕。

 

 背後から感じる、アセリオの視線。

 

 僕達は、すでに想いを表明した。後は、この男がどういう選択肢を取るか。

 

 それ次第である。

 

「……ラルフ!! 私は、あんたの気持ちが知りたいわ!」

「ポートだけ、振れラルフ……。お前の夢に魔王をけしかけるぞ……」

「全員娶る、と言う選択肢もあるんだよ?」

 

 口々に飛び交う、ラルフへの熱いアピール。

 

 狼狽えながらも、必死で答えを出そうと奮闘するラルフ。

 

「……俺、は」

 

 さあ、娶れ。男ならドーンと、全員幸せにすると言ってみろ!!

 

「……ラルフ。この場で気遣いも、遠慮も、何も要らないわ! 私達は幼馴染みなのだから!」

「……リーゼ?」

「教えてよ! あんたに好きな人がいるのか、いるなら誰なのか!」

 

 ……その時、突然。リーゼが、舞台のラルフに向かって叫んだ。

 

「俺、が……?」

「私達の告白なんか関係ない! あんたが、あんたの好きな人を宣言すればそれで良いの。どう答えようと、私達は受け止めてあげるから!!」

「……」

 

 げ、それは不味い。むしろ、ラルフには気を使って貰って、僕まで娶ってもらわないと困るのだ。

 

 元々好きな人を挙げろと言われたら、そんなの前世の妻のリーゼに分があるに決まってる!

 

「いーやラルフ、男ならむしろ全員を────」

「リーゼの、言う通り。男なら、1人、選ぶべき……」

 

 慌てて割って入ろうとしたが、リーゼに口を塞がれる。しまった、リーゼにこんな作戦が有ったのか。

 

 ぐ、どうなる? 今の状況で、ラルフはどんな答えを出す?

 

 

 

「俺、は────」

 

 

 

 ラルフ、お願いだ。どうか、僕の想いを────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「正直なところ実は、おっぱい大きいアセリオが……」

 

 

 

 

 

 

 そして、女子3人から繰り出された高速のビンタが、一人のアホを舞台からぶっ飛ばした。



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火蓋

「あれは、無いと思いませんかランドさん?」

「いや、あっはっはっは。あの時は笑いすぎて、腹が千切れるかと思ったよ」

 

 楽しかった収穫祭は、ある意味で大成功に終わった。そして今年の新成人たる僕達の挨拶は、ラルフのせいである意味伝説となった。

 

 結局、僕達の告白の返事はうやむやになったままた。舞台上の女子3人からゴミを見る目で蔑まれた彼は「どんな答えでも受け入れてくれると言ったじゃないかーっ!」と半泣きで逃げていった。

 

 ラルフは、実にアホである。

 

「男としてはラルフを擁護してあげたいんたけどね、あれは……無いなぁ」

「……女子全員の好感度を落としましたね、あれは」

 

 そのラルフのアホバカは泣きながら逃げ出したので、祭りの後片づけは村の成人で2番目に若い21歳のランドさんに手伝って貰うことになった。

 

 彼は幼少期に面倒を見てくれたこともある、僕らのちょっとした兄貴分のようなものだ。

 

「男ならドーンと、『全員娶る!』くらいは言って欲しいものです」

「あ、いやそれもどうかと思うけど」

 

 どうしてさ。それが一番丸く治まるのに。

 

「ランドさんも、どうせ結婚するなら奥さんは多い方が良いんじゃ無いですか?」

「……。そんな事はナイヨ、俺はナタリーと結婚出来て幸せデス」

「あぁ、恐妻家でしたっけ。すみません、変な事を聞きました」

 

 雑談を振ってみたらランドさんの目から光が消えたので、それ以上の話をしないでおく。

 

 そういやこの人、この間赤ん坊を背に抱いて汗だくになりながら農作業してたなぁ。奥さんは家で休んでいるっていうのに。

 

 よっぽど立場に差があるらしい。

 

「男はね、妻に仕えるだけで幸せなのさ……」

「……」

 

 可哀そうに……。

 

 今も、祭りの後片付けで駆り出され大荷物を運搬しているのは彼一人だ。奥さんはきっと、家に帰って休んでいるのだろう。

 

 これでよく、夫婦生活上手くいっているなぁ。

 

「ポートちゃん、こういう事を言うのはアレだけど。たまには旦那を気遣ってあげる奥さんになりなよ」

「え、ええ」

「たまにで良いんだ。たまに、一滴の優しさを注いでもらえば男は頑張れるんだから」

 

 ……成程。幼い頃からの調教が進んだ結果、ランドさんはそういう価値観にされてしまったらしい。

 

 まぁ、それで幸せなら僕から何も言うことはない。

 

「じゃ、あと倉庫にいる村長にコレを渡せば仕事終わりだね」

「ランドさんはそうですね。長い間、お疲れさまでした」

「いやいや、俺は貴重な村の若い男手だもんね。いつでも頼ってくれて構わないよ」

 

 にこにこと、優しい笑顔を浮かべるランドさん。うーん、やっぱり性格いいなぁ。

 

 これが、あれだけ過酷な扱いを受けても何故か夫婦仲の良いランド夫妻の秘密なのだろうか。

 

「さぁ、早く家に帰ってから炊事洗濯をしないと。今日は寝る暇がなくなっちゃうぞぉ」

 

 ……本当に何で離婚の話が出てこないんだろう、この夫妻。

 

 

 

 

 

 

 ────深夜。

 

 すでに、祭りは終わって夜は闇に包まれている。微かな月明かりの下、僕は松明を片手に大荷物を運ぶランドさんを倉庫へと先導していた。

 

 女子たる僕は、非力で重い荷物は運べない。だから、ランドさんに背負って貰って僕は光源係に徹するのだ。

 

 倉庫には、備品を整理する父さんが待っている。今日は、ランドさんの運ぶ荷物の確認を最後に切り上げ、家に帰る予定だ。

 

 絶対に盗まれてはいけない貴重なものだけは今日中に倉庫に収納し、どうでも良いものは明日以降に明るくなってから片付ける。

 

 祭りに使う衣装や舞台、祭具などがその範疇だ。

 

 

 

 今年の祭りは楽しかった。ラルフの馬鹿が派手にやらかしたけれど、それでもみんなが笑顔でいてくれた。祭りを運営する側として、これ以上の成果はないだろう。

 

 この笑顔を守りたい。

 

 だから僕は、やがて来る村への試練に備えて努力を欠かさなかった。

 

 牧歌的で優しくて、温かいこの村を一生守っていきたかったから。

 

 

 

「ポートちゃんは、きっといいお嫁さんになるだろう」

「……ランドさん?」

「でも、ちょっとばかり気負いが過ぎる。もっと色んなことを気楽に考えてもいいと思うよ」

 

 揺れる松明の炎に照らされて、好青年は目を細めて笑った。

 

「この村には、頼れる人間がたくさんいる。君が村長を継いだとして、決して君一人だけに負担を強いたりはしない」

「……」

「将来にもし困った時があれば、そうだな。まずは父親でもいいし、愛しのラルフ君でもいいけど……、俺にもいっぺん相談しに来なよ。割と役に立つよ、俺は」

 

 その笑顔には、裏や下心の無いまっすぐな思いが滲んでいた。

 

「怖いから助けて、と今日みたいに弱音を吐いてみると良い。この村で、そんな君を見捨てる人間はいないから」

「……そう、ですか」

 

 それは事実だろう。僕は村長になる以上、弱みなんか見せていはいけないと思ってはいるのだけれど。

 

 もし、僕なんかじゃどうしようもできなくて、今日のようにパニックを起こして泣きわめけば……、きっとみんな優しく力になってくれる。

 

 前世で、一度も泣きつかなかったのも失敗だったのかもしれない。ランドさんの言う通り、1人で抱え込みすぎていたのかもしれない。

 

 だからこそ。やっぱり僕はこの優しい村を守りたいと、心からそう思った。

 

 

 

 

 

 

「……?」

「どうしましたか?」

 

 ふと、ランドさんが歩みを止める。

 

 もうすぐ倉庫だというのに、重い荷物を抱えたまま。村のはずれのあぜ道で、彼はおもむろに立ち止まった。

 

「いや。今、何か人影が見えなかったか?」

「人影ですか」

 

 僕には何も見えなかった。しかし、ランドさんは怪訝そうに周囲を見渡している。

 

 おそらく、何かがいたのだろう。

 

「獣ではなく、ですか」

「ああ、人型だったよ」

「なら、父さんかな?」

 

 村の人たちは、みんなもう家に戻っているはず。まだせっせと働いているのは僕達くらいだ。

 

 まったく父さんは、明かりも持たずにこんなところで何をしているんだ。倉庫で待っていてくれないと。

 

「……父さーん?」

 

 呼びかけてみるも、反応はない。

 

 そこには何もいなかったかのように、静まり返っている。

 

「本当にいたんですか、ランドさん」

「ああ、まぎれもなく誰かがいたよ。見間違えではない、と思う」

 

 ……。何だろう。

 

 2足歩行する獣がいた? クマとかなのだろうか? 

 

 もし危険な獣であれば、また冒険者さんを呼んで駆除しないといけない。

 

 あるいは、盗賊か? 前世でそんな事件は起きていないしこの辺に盗賊が来たなんて情報はないけれど、もし賊なら慌てて対処しないと大変なことになる。

 

 一体何なんだ? 

 

 

「おうい、そこに誰かがいただろう。出てこい」

 

 

 ランドさんが、その誰かがいただろう場所に近寄っていく。

 

 大荷物を置いて、少し警戒しながら、ゆっくりと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────聞いたことのない鈍い音が、闇夜に響く。

 

 

 

 松明の炎を刀身に移し、ドス黒い血を滴らせたソレは、ランドの首を一直線に横切った。

 

 声を出す暇もない。抵抗する余裕もない。

 

 結婚し子供も生まれ、夫婦仲も良く、幸せを絵に描いたように暮らしていた『ランド』青年は。

 

 

 血飛沫をまき散らす生首を泥に埋め、夜の大地に伏した。

 

 

 

 

「……ひ?」

 

 

 

 頭が混乱して、理解が追い付かない。

 

 先ほどまで仲良く会話していた青年の首が飛び、その死体は力なく大地に倒れた。

 

 恐怖で、思わず後ずさり。ランドさんが倒れ伏したその場を凝視して。

 

 

 

 

 無言で刃を握りしめる、黒装束の人間を目視した。

 

 ソレは、とてつもなく素早い動きで、何かを誰かに投擲する。

 

「……あっ」

 

 ソレは『僕』に『剣』を、投擲したのだと。

 

 気付いたのは、僕が後ずさった際に転倒し、大地に伏した僕の眼前を剣が横切った後だった。

 

 

 

 

 

 

 ────殺される。

 

 訳が分からない。そこにいるのが、誰なのかもわからない。

 

 だけど、ヤツは今明確に僕を殺そうとした。

 

 冗談でも、余興でも手品でもない。僕の数メートル前には、ランドさんの生首が転がっている。

 

 ヤツは僕を、殺そうとしている。

 

 

「たっ、たすっ……」

 

 

 叫ぼうとするも、上手に声が出ない。そのまま彼は、真っすぐ僕に向かって突進してきた。

 

 ヤバい、死ぬ。殺される。落ち着け、冷静になれ。こんな修羅場で、僕がすべきことは何だ?

 

 松明を地面に投げ捨て、僕は腰に手をやる。そこにはお守り代わりに、いつも巻き付けてある投擲武器『ボーラ』がある。

 

 数は1つ、投げられるのは1回。地面に揺れる松明の光が、闇夜に紛れる黒装束を微かに照らし出す。

 

 

「く、来るなぁ!! 来ないでよ!!」

 

 

 僕の投げたボーラは、大きな弧を描きながら敵に目がけてまっすぐに突進し。それを見た敵は、慣れた素振りでボーラを避けて。

 

「────っ!!」

 

 もう僕が何も手に持っていないことを確認した奴は、そのまま地面を蹴って僕に飛び掛かり────

 

 

 

 

 

 近くの木の枝に巻き付いて、弧を描いて戻ってきた『ボーラ』の2撃目に気付かず直撃した。

 

 ボーラは、両端に石を結び付けた縄の武器だ。片方の石を枝に巻き付ければ、このようなトリッキーな軌道の投擲武器として使用できる。

 

 昼間ならともかく、夜の闇に紛れたボーラの軌道を見切るなどどんな達人でも難しいだろう。

 

 思わず呻いて仰け反った奴をしり目に、改めて僕は叫びながら逃げ出す。

 

 

 

 

「敵だぁぁぁっ!!! みんな、起きろ、敵だぁぁぁぁ!!!!」

 

 

 

 まだ、全員は寝静まっていないだろう。少なくとも、老人会の人達はまだ起きている時間のはず。

 

 ここは村の外れとはいえ、大声で叫べば誰かが様子を見に来てくれるはず。僕は、あらん限りの声を張り上げながら謎の敵から逃げだした。

 

 

 その際、地面にきらりと光るモノが目に映る。剣だ。さっき、アイツが僕目がけて投げ付けたモノだろう。

 

 これは危ない、これを回収して追いかけられたら恐ろしい。今のうちに拾っておこう。

 

 そう思って、まだ後ろで奴が昏倒しているのを確かめてから剣の方へ走り出すと。

 

 

 

「……アマンダ、と申します」

 

 

 

 その剣のすぐ傍に、異国の衣装を纏った剣士が刃を構えて立っているのに気が付いた。

 

「軍命ですので、恨みはありませんが」

 

 ソイツは、別格だった。先程の男とは違う、素人目にも洗練された動きで僕の目前に滑るように移動してきて。

 

「ここで死んでいただきます」

 

 力強い太刀筋でまっすぐ、僕へ向かって剣を振り下ろした。

 

「ぁ────」

 

 ああ、死んだ。避けようのない軌道だ。

 

 何が起きた。何がどうなっている。

 

 僕達はただ、楽しく祭りをして。例年通りに、片づけをして。

 

 前世ではこんなことはなかった。僕がポッドだった時も、この年は同じように祭りの片づけをして、同じ様にラルフやランドさんとこの道を通った筈だ。

 

 それなのに、なんでこんなことになっているんだ。僕が、何かを変えてしまったのか?

 

 せっかくチャンスをもらったっていうのに、僕はこんなところでいきなり殺されるのか?

 

 

 

「ポートォォォ!!」

 

 僕の髪を掠るように、その剣士の刃を受け止めたのは。

 

 大きな汗を垂らして、小さな儀礼剣を携えた父さんだった。

 

「ウチの、娘に、何をするぅぅぅ!!!」

 

 それは、ウチの村にあるだろう唯一のまともな『名剣』。祖父の代に購入され、今なお手入れを欠かされていない村に伝わる宝物、祭りの日にのみ倉庫から出されて演武に使われる真剣『エイラ』。

 

 倉庫で待っていた村長たる父は、先程の僕の絶叫を聞きつけてエイラを携え駆けつけてきてくれたのだ。

 

「もう、新手か。……だが、無意味。死ね農民」

「あまり村長を舐めないで貰おうか……っ!!」

 

 父は、明らかに格の違う剣士を相手に一歩も引かず立ち向かう。

 

 明らかに、敵より小さな小剣を必死で振るいながら。

 

 闇夜に揺れる、二人の陰。剣閃が轟き、泥が飛び散る。

 

「早く逃げろポートぉ!!」

「と、父さん、でも!!」

「良いから逃げてくれぇ!!」

 

 ダメだ。明らかに、父さんじゃ相手になっていない。

 

 奇跡的にまだ致命の一撃をもらっていないけれど、明らかに打ち負けている。

 

 このままじゃ、父さんが死んでしまう。

 

「ほう、逃げないのは素晴らしい。いつまでもそこでへたり込んでいると良い」

「ぐ、このっ!!」

「……一方でお前は不愉快だ。そんな素人丸出しの剣で、いつまでも食い下がってくるな」

「うるさいな……素人だからって何が悪い!」

 

 必死で剣士の猛攻を掻い潜る父親の雄姿に目を奪われながら、僕はやっと、走り出すべく立ち上がる。

 

 いつまでも、座り込んでいるわけにはいかない。

 

「父親ってのはなぁ!! 娘を守る時は、無敵になるものさ……っ!!」

「くだらん!!」

 

 僕が立ち上がったと、ほぼ同時に。父の剣が弾き飛ばされ、その勢いに抗えず父さんも尻もちをついた。

 

「終わりだ農民!!」

 

 ────ああ、父さんが、死ぬ。

 

 

 

 

「させないよっ!!」

 

 

 

 ああ、そうはさせないとも。夜の闇に紛れ、さっきから準備していたのだ。

 

 『ボーラ』の武器の神髄は、その動きのトリッキーさでも携帯の便利さでもない。

 

 僕が気に入って、愛用すると決めたこの武器の本領は────

 

「僕の武器は石さえ落ちていれば、いつでも作れるのさ!!」

 

 僕は地面にへたり込んだ際、腰紐を抜き取ってせっせと作っていたのだ。父を援護するための、新しいボーラを。

 

 僕は常に腰紐に、首紐と2つのボーラの予備紐を仕込んでいる。狩りなど戦闘準備をした際は、更に手や足にも紐を巻いていくらでもボーラを作れるようにしている。

 

 あとは、周囲の手頃な石を探して結びつけるのみである。この村周辺の森では、少なくとも手頃な石に困ることはない。

 

 僕はこの村で戦う限り、すぐさま武器を作り出せるのだ。

 

 

「……ぐ、奇怪な飛び道具を!」

 

 僕のボーラは、剣士の剣に巻き付いてその切っ先を大きく狂わせ。さらに、剣を軸に剣士の顔目掛けて石が弧を描き迫ってくる様に投擲を行った。うまくいけば、昏倒させられるだろう。

 

 だが流石はというべきか、その剣士は咄嗟に剣を手放し石を素手で受け止めた。しかしこれで、

 

「すまんポート、助かったっ!!」

 

 父さんが、自力でその剣士を蹴飛ばし窮地を脱する事ができた。

 

 こうなれば後はもう、やることは決まっている。

 

 

 

「逃げるよ父さん!!」

「闇に紛れろ、奴らも明かりなしじゃ僕達を追ってこれない!」

 

 

 いつかのように、戦略的撤退である。僕ら農民は、戦う力を持たない非力な存在だ。

 

 剣握って襲って来る連中とまともにやり合うなんて不可能なのである。

 

 

 

「……ちっ。戻るわよ、ここの住民に勘づかれた。逃げられる前に即座に襲撃を────」

 

 

 その、身震いするような言葉を聞き、恐怖に打ち震えながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あん、だって?」

 

 村の広場にたどり着くと、すでに多くの人が集まりだしていた。

 

 さっきの僕の絶叫が、聞こえていたらしい。不安げな村民たちが、遮二無二逃げてきた僕達を出迎えた。

 

「敵だ。……高度な戦闘訓練を受けた存在が、この村を襲撃しようとしている」

「何!? それ、どういうことなの!?」

「……」

 

 不安げなランドさんの奥さんが、僕らに向かって絶叫する。どういうことかなんて、こっちが聞きたいよ。

 

 どうして僕が、こんな何の前触れもなく襲われないといけないんだ。

 

「お、おい。村長よい、お前腹が……」

「かすり傷だよ。……ふぅ、ちょっとやり合う羽目になってね。悪いがその時使ったエイラをどこかにやってしまった」

「そんなことはどうでもいい。おい、誰か手当てしてやれ!! 割と深い傷だぞ!!」

 

 レイゼイ翁に言われて目をやると、父の腹にはジンワリと赤みが広がっている。

 

 流石に本職の剣士を相手にして、無傷とはいかなかったらしい。

 

「狼狽えるな!! ……各自、逃亡する準備をしてくれ。まもなく奴らは襲ってくるはずさ」

「お、おう。つっても、逃げるったって……」

「……はぁ、はぁ。奴ら、間髪入れずに攻めてくると言っていた。時間が惜しい、とにかく、準備、を……」

「お、おい!! 目が虚ろだぞ、大丈夫か!!」

 

 ああ、相当に無理をしていたのだ。

 

 父は不慣れな剣で僕をかばい、本職の剣士相手に時間を稼ぎ、そしてここまで走ってきた。

 

「……すまない、黙っていて。隣国から侵略があると、噂が回ってきていたんだ。あの出で立ちでたちはまさしく……。重症の僕なんかは捨てて行って構わない。だからみんな、逃げる、準備を……」

「は!? はぁぁ!? 侵略だぁ!?」

 

 父はもう、とっくに限界だったのだ。

 

「はや、く……」

「あ、村長!! おい医者、早く来い!! 気絶しちまったぞおい!!」

 

 そして父から知らされた、衝撃の事実。僕の記憶には無い、隣国からの侵略戦争。

 

 ……。本当に、何がどうなっている!?

 

「お、奥さん!! 俺達ぁどうすりゃいい」

「え、え? 私?」

「死んだ……? ランドが、死んだ!!? ねぇそれってどういう事!!?」

「殺されるのか!? 俺たちはここで皆殺しにされるのか!?」

 

 父が気を失ったので、オロオロと顔を青ざめさせていた母さんに皆が詰め寄る。

 

 村長が失神した今、指揮を執るべきは母さんなのだ。

 

「え、その、私」

「バカもん! まずは言った通りに準備をしてからだな!!」

「どこに逃げるかも決まってないのに、準備だけしろって!!」

「ランド!? ランドはどこ!? いやあああ!!」

「家に戻っている間に、襲われたらどうするんだ!! そんな暇ねぇ、このままここにいる人間だけで逃げ出すべきじゃないか!!」

「どうなんだ、奥さん!!」

「え、え?」

 

 ……ああ。母さんは温和でやさしい人間だ。

 

 だが、彼女は決してこんな修羅場には慣れている人間とは言えない。色々と捲し立てられて、目を白黒とさせることしかできない。

 

「俺は逃げるぞ!! こんなところでのんびりやって、皆殺しなんてまっぴらだ!!」

「待て、落ち着け馬鹿チンが!! 一人で逃げ出して何になる!?」

「いやああ!! 私は行くわ、ランドのところに!」

「ナタリー! あんた、息子さんがいるんだろう!! あんたまで死んだらその子はどうなるんだ!!」

 

 心優しい母には、この阿鼻叫喚をなんとかするだけのリーダーシップは、無い……っ!!

 

 

 

 

「落ち着けぇぇぇ!!!」

 

 

 

 あらん限りの声を振り絞り。僕は気を失った父に代わって、皆の前に立つ。

 

 予定より少しばかり早いけれど、どうせ僕があと数年で村長を継ぐ予定だったんだ。

 

 なんとかしないと。このままじゃ、この村は前世のように悲惨な末路を迎えてしまう。

 

 何でこのタイミングで隣国が攻めてきたのか。どうして、僕たちがこんな目に合わないといけないのか。

 

 何もわからない、何も理解できない。けれど、この中で少しでも今の絶体絶命なこの村を救える可能性がある人間は────

 

 

「たった今より、この村は僕が代理として指揮を執る。各自、家長のみこの場に残れ!!」

 

 僕しかいない。

 

 

「僕が、たった今から村長だ!!」

 

 

 僕の、その絶叫に。周囲の大人たちは、息を飲んで黙り込んだ。



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開戦

「……ポート?」

 

 阿鼻叫喚の様相を呈しかけていた村人達に一喝し、僕は場のリーダーを買って出た。

 

 この混沌とした状況を収めない限り、先に待っているのは死だ。この村を守る為には、誰かが指揮を取らなければならない。

 

 これでも一度は村長をやった人間だ。僕以上の適任は、おそらくこの場にいない。

 

「家長以外は、家に戻って最も大切なものを手で持てる範囲で選んで来てください!! 後は換金効率の良いもの、携帯食料を彼処の荷台に詰め込んで!! 急いで旅支度を!!」

 

 僕は、未だ混乱の極致に陥っている村人達に、捲し立てるように指示を飛ばした。

 

 この動揺こそ命取り、統率の取れていない集団ほど脆く弱いものはない。一刻も早く、集団としての行動を始めないと。

 

「家長以外はすぐさま準備に取りかかって!! 家長がいないものは、他の家に助けを借りて支度して、一刻も早くここに戻ってきてください!!」

「お、おお。分かったポート」

「おい、今すぐ逃げなくていいのか!? そこに敵はいたんだろう!?」

「ええ、集団で逃げた方が生存率が良い。僕を信じてください!!」

 

 そう簡単に混乱は落ち着く様子がない。そりゃそうだ、いきなり僕みたいな若輩がリーダーを買って出たって信用できるものか。

 

 彼らの信用を取れるだけの振る舞いをしないと。僕自身の動揺を悟られるな、自信満々に振る舞え。

 

「そもそもどこへ逃げるってんだ!! 近くの村か!?」

「都に決まってるでしょう!!」

 

 そう。僕達が逃げる先なんて、イブリーフ達のいるあの都しかない。

 

「都、か。あんな遠くにどうやって」

「遠かろうが、選択肢はそこしかないんです! 近くの村が襲われていない保証なんてない! でも領主様のいる都には精強な領主軍が駐留している、安全なのは都で間違いない」

「で、でも都だって奇襲されりゃあ」

「今、村に滞在してくれている旅人たちや僕らの村人の中で、一等足の速いものを選んで先に都に走って行ってもらってください。敵が来たことを、領主様に伝えるんです。それで危機を伝え、出来れば援軍を出してもらう」

「あ、ああ」

 

 出来るだけ早く、敵の侵攻を領主様に伝えないと。上手く領主軍と合流出来れば、ほぼ助かった様なもの。

 

 この窮地を乗り切るには皆が一丸となる必要がある。頼むよ、僕のいう事を信じてくれ、皆。

 

「その他の旅人から、戦闘職の人がいれば資金を出してでも協力を仰ぎましょう。奴らと一戦交えますよ!」

「はぁ!? 一戦交えるのか!? 正気か馬鹿野郎!!」

「交えない方が危険です。せっかくの夜闇に包まれた森だっていうのに、どこにも敵がいないとバレたらまっすぐ駆け抜けられてしまう」

 

 僕が奴等に戦闘を吹っ掛けると聞いて、再び色めき立つ住人達。だが、生存率を上げるためにはこれも必須だ。

 

 この村には、老人や子供も多い。足腰の弱い人や、歩けない赤ん坊も多々いる。

 

 そんな人たちが侵略してきた兵士どもから逃げるだけの時間を確保するには、敵に森を警戒して慎重に進んでもらうしかない。

 

「僕らは森に潜んでいるぞと、敵にアピールする程度の戦闘で良いんです。基本は夜闇に隠れて逃げ惑いながら、チクチクと飛び道具を刺す遭遇戦を行いましょう」

「奴等を倒さなくて良いのか?」

「無理ですよ、勝つのは。あくまでも、敵の進軍速度を遅らせるための戦闘です」

 

 都までは、どんなに頑張っても2日はかかる。足の弱い人が居ることを考えたら、3-4日は欲しい。

 

 そう考えると、この森をさっさと抜けられて追いかけられる方が厄介なのだ。リスクを承知で、少数を募って局地戦闘をした方が良い。

 

 警戒させることが出来るだけで、進軍速度は大きく変わる筈だ。

 

「あの、ポートさん」

「何でしょう?」

「都に行くなら途中平原を突っ切ることになると思いますが……、平原を歩いちゃうとと敵から丸見えです。遠回りして、森の中をひたすら進むのはどうですか?」

「……む」

 

 森を通って迂回する、か。

 

 それはどうなんだろう。確かに平原を突っ切れば追い付かれる可能性も高くなるけど、森の中を通ったらそれこそ10日くらいかかりそうだ。

 

 ご老体にそんな長旅が出来るか? いや、でも安全を重視した方が良いかも。

 

 ……いや、それよりも到着日数を縮める事にした方が……?

 

 

 

 

「平原だ、ポート」

「……平原?」

「最短距離を突っ切った方がいい」

 

 

 少し悩む素振りを見せてしまった僕に、間髪入れずフォローが入った。

 

 それは、

 

「ラルフ……」

「なんとなく、その方がいい気がする。俺を信じろ」

「……うん、信じる。皆、平原を突っ切るよ!」

 

 普段はアホバカだけどこう言うときにこそ頼りになる男。巨乳好きの変態、ラルフであった。

 

「で? 誰が死ぬ覚悟で、奴等に特攻仕掛けるんだ?」

「特攻なんかしないってば。闇に紛れて、遠くから弓とかで攻撃するだけさ」

「……人数は?」

「飛び道具を使える人間を含み、少人数で2、3チーム有れば良い。戦闘班は自分の命を最優先にして、戦果より生き延びることを重視すること」

「……」

「そして、この仕事は狩人の方に頑張っていただきたい。弓矢に長けて、獲物の察知に優れ、身を隠す技能をも持つ狩人こそ今回の作戦の主役です」

 

 ……この作戦は、夜に狩りをしてもらう様なものだ。敵の気配を察知し、遠くより射て、そして逃げる。

 

 恐らく、狩人職の方より優れた人員は存在しない。

 

 

「…………あいよ。村長代理がそう言うなら、俺は黙って従おう」

「私に任せなさい、ポート!! 弓矢の腕なら誰にも負けないんだから!!」

 

 そして。この村の狩人で、恐らく今最も腕の良い人が……

 

「危険な目に合わせてごめん、リーゼ。お願い出来るかな」

「いつもやってることよ!!」

 

 狩りの天才リーゼと、その父親リオンさんだろう。狩人の家に生まれたリーゼは、弓矢の腕と夜目の効きが村一番と聞く。そして100年に一度の天才狩人だと、実の父親に評されていた。

 

 多少は親の欲目も有るのだろうが、ベテランの狩人から認められているのであればリーゼの腕は確かなはず。父親共々、2人はこの村屈指のハンターとして名を馳せている。

 

 この二人に、主力となって頑張ってもらおう。

 

「後は、僕もちょっとした飛び道具を扱えます。一応、これで3チーム作れる」

「待て、ポート。お前も残るのか?」

「自ら交戦を提案した以上、僕が残らない訳にはいかないでしょう。……出来れば、護衛として誰か一緒に来てくださると助かります」

「おい、リーゼ達はともかくお前は狩りの素人だろうが! 危険な真似すんな!」

「……僕に何かあっても、父さんさえ生きていれば指揮を取ってくれます」

「このアホ!!」

 

 ごっちーん、と拳骨が飛んでくる。見れば、目をつり上げたラルフが思い切り拳を握り締めていた。

 

「……痛いな。無論、僕も死ぬつもりなんて無いさ」

「だったら、さっきみたいな事言うな!」

「いざとなったら、遮二無二逃げるよ。でも、森に誰かしら潜んでいないと、敵が警戒してくれない。これは、絶対に必要な役目なんだよ」

 

 どうやら、死ぬ気だと勘違いされたらしい。当然、僕はこんなところで死ぬつもりなんてない。僕には村を守ると言う使命がある。

 

 今のは、いざという時の話をしただけだ。

 

「……はぁ。護衛が欲しいんだな、ポート? 俺がやってやる、文句はねーな?」

「……。無論、君が近くにいてくれるなら安心だ」

「よし」

 

 そしたら、ラルフが不機嫌そうに僕の護衛を買って出てくれた。

 

 彼の直感は、こう言うときにこそ頼りになる。正直ありがたい。

 

 仲の良い友人を危険に晒すのは、不安だけれども。

 

「リーゼとリオンさんにも護衛をつけて、それぞれリーゼ班、リオン班、ポート班とします。この3チームを等間隔に配置し────」

「いや、護衛は要らんな。邪魔だ」

「要らないわね!!」

「要らないんですか?」

 

 リーゼやリオンさんにも護衛を割り振るつもりだったが、当の本人に拒否されてしまった。

 

 近付かれたらどうするつもりなのだろう。

 

「俺達は、木と木を直に移動する。これは少しばかりコツが要る、慣れてる人間でないと足手まといだ」

「護衛の人は着いてこられないと思うわ。それに、一人の方が見つかりにくいもの」

「……成る程、頼もしい」

 

 狩人の仕事に関しては、本職の人の言うことを聞いておくか。そう言うことなら、彼らには単独行動を取って貰おう。

 

「では、僕とラルフの班、リーゼ、リオンさんの3チームが潜伏迎撃として村に残ります。出来れば、滞在している旅人さんにも協力を仰いでください。非戦闘職の人は一刻も早く、都目指して出発してください」

「……ああ」

「父さんが目を覚ましたら、父さんの指示を仰いで。目を覚まさぬ間は、そうですね。レイゼイさんに指揮をお願いします」

「……。ああ、ワシに任せとけ。旅人との交渉もやっておこう」

「ありがとうございます。それと、余裕が有ればナタリーさんのケアもお願いします。くれぐれも、早まったことをさせないようにしてください」

 

 これで、土壇場の方針は決まった。後は、

 

「……じゃあラルフ。戦闘準備をするよ」

「ああ」

 

 僕自身の、心の準備だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で? どうするつもりだポート」

「どうするつもり、って?」

 

 急いで家に戻り、大量の紐を体に巻き付け始めた僕に話しかける声がある。

 

 それは、頼もしき僕の護衛ラルフの声だ。

 

「お前の武器は、捕獲特化だろ。森でチクチクと遠距離攻撃するのには向かないぞ?」

「あぁ、その事か。それは大丈夫、考えてるよ」

 

 ラルフの心配はそこか。確かに、石を紐の両側にくっつけただけのボーラは、獣を捕獲する事に特化してる。

 

 でもまぁ、あれは結構応用の効く武器だったり。

 

「紐の真ん中に結び目を作って、三ツ又にするのさ。これで、縄の中央に持ち手が出来る」

「……で?」

「ここを持って石を投げると、遠心力を利用してかなり遠くに投擲が出来る。しかも、僕が石を掴む必要がないから、石に毒が塗れる。尖った石に毒を塗って投げれば、まぁまぁの殺傷力になるよ」

「……えげつねぇ事を考えるなぁ」

「元々は、旅人からの受け売りだけどね」

 

 まぁ、前世でイブリーフに使ったような猛毒は手元に無いから、毒キノコを磨り潰して使う筋弛緩作用を持った狩用の毒だけど。

 

 それでも、敵の動きを封じるには十分だろう。

 

「そんで。いつまで闘うつもりだ?」

「最低でも夜明けまで。半日も稼げたら、先に逃げた人達もある程度の距離になってる」

「ふむ」

「で、夜明けを合図に僕らは村人達を追いかける。敵は僕達の逃走先がわからないし、僕らの村には酒や食料がいっぱい残ってるんだから、それ以上追ってこない可能性が高い。彼らの目的が侵攻だとするなら、僕らの全滅より地形の確保を優先するはず」

「……。了解だ、つまり半日闘えれば良いんだな?」

「そうなるね」

 

 半日かけてゆっくりと、敵を警戒させながら後退する。敵の本隊さえ捕捉できれば、遠くから狙いたい放題だ。

 

 十分に時間は稼げるだろう。

 

「問題は、斥候兵が逃げてる人達に追い付かないかどうかなんだけどね」

「斥候、ね」

「ああ。多分、僕とランドさんが遭遇した敵は斥候だと思う」

 

 彼らは恐らく、先んじて村の位置を特定し、報告するための部隊。少人数で、闇に紛れて行動していた事からもそれが伺える。

 

 ……今は亡きランドさんが彼らに気づいていなかったら、奇襲を受けて村人は皆殺しにされていた。彼は、文字通り命と引き換えに村を救ったのだ。

 

 この危機を乗り越えてから、絶対に弔おう。

 

「彼らは再び斥候を飛ばすだろう。逃げ出した僕達を捕捉するために」

「……」

「敵本隊への牽制だけでなく、斥候も僕らで撃破するのが理想だ。最優先は自分の命だけどね」

「やることが多いな」

「そりゃ、敵襲ってそういうもんさ」

 

 そして、その斥候兵潰しは恐らく僕達の仕事だ。闇に紛れ飛び道具で牽制する役目はリーゼ達の方が向いている。

 

 相手の動きを封じられて、近接戦闘の準備をもしている僕達が斥候を潰さないと。

 

「滞在中の冒険者さんが、どれだけ力を貸してくれるかにかかってるね。戦闘職の人の手助けがあるか無いかで全然違う」

「まぁ、あまり期待はしないでおけ。冒険者は基本、自分の身が最優先だ」

「……まぁ、だよねぇ」

 

 それでも1パーティくらい……。まぁ、あんまり期待しないでおくか。

 

「さて、僕の準備は完了だ。巻けるだけの紐は巻いておいた」

「……その紐、防具にもなってるのか?」

「一応ね。ボーラ作る度に防御力は落ちちゃうけど」

 

 これで、やれるだけの準備はやった。後はどれだけ予定通りに事を運べるか、である。

 

「じゃあラルフ。────よろしくね」

「任せとけ」

 

 僕は、村を守る。何としても、守り抜いて見せる。

 

 それが、僕がもう一度チャンスを貰った理由そのものだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺達は、まっすぐ最短距離で都を目指す。それで良いんだな?」

「お願いします。もう敵は来るでしょう、急いで出発してください」

 

 そして、間もなく準備は整った。

 

 都で暫く生活できるだろう資産を詰め込んだ荷車に、負傷した父さんや歩けない老婆、子供を乗せた人力車。

 

 それらをフル活用して、僕達の村の逃走が始まる。

 

「ああ。すまないが時間稼ぎを任せたぞ」

「……村の中でも1等若い連中に任せて申し訳ない」

「いえ、気になさらず」

 

 彼等が逃げ切るだけの時間を確保する。それが、僕達の役目。

 

 確かに僕らは若いけど、その代わり体力がある。徹夜で戦ったあとに逃げ切るだけの体力を持ってる村人は、それこそ僕らくらいだ。

 

 全員で助かる。その為には、これは必要な事だ。

 

「……ポート」

「アセリオ、気を付けて逃げるんだ」

「……うん。ごめん、あたしだけ」

「いや、君の体力を考えると残られる方が危険だよ。今は、自分の身の安全だけを考えて」

 

 幼馴染みで唯一、逃走班に入ったアセリオが申し訳なさそうにこちらを見ている。

 

 ……だが、彼女は逃げるべきだ。アセリオがこの場に残っても、危険なだけである。

 

「じゃあ、僕達は行くよ。みんな、御武運を」

「ああ」

 

 そして。

 

 僕達は互いの無事を祈り出発した。

 

 

 

 

「この村の酒は旨かった。なぁ、みんな」

 

 そして初の実戦に、緊張で唇を青くしている僕の後ろには。

 

「宿も綺麗だし料理店の舞台もすげぇし、何よりここの連中はみんな気が良くて付き合いやすい」

「都の嫌味な歓楽街で飲むより数段楽しいぜ」

「報酬にたらふく酒が貰えるなら、迷う理由もねぇよな」

 

 完全武装、闘志満々の歴戦の冒険者達が────

 

「命を懸けて、この村の連中を守るぞ! なぁみんな!!」

「「おおおおっ!!!」」

 

 僕達の村の救援要請を快く受諾し、ともに肩を並べて戦ってくれる事と相成った。

 

 その総勢10余名、村に滞在していた戦闘職のほぼ全員である。

 

「……ありがとうございます、皆さん」

「良いってことよ!! その代わり、全部終わったらお酌でもしてくれや嬢ちゃん」

「僕なんかの酌でよければ、喜んで」

 

 こうして、僕達は出陣した。

 

 きっと、この上なく激しくなるだろう勝ち目のない戦いに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────居たぜ。もう、森の入り口に集まってやがる」

 

 そして、冒険者さんと協力しながら索敵を行うこと数十分。

 

 僕達は、ついに敵軍を捕捉した。

 

「まだ、森の中には入っていなさそうですね」

「今から突入するってとこだろうな。嬢ちゃん、一ヶ所に固まらない方が良い、俺達は散るぞ」

「そうね、私達も隠れるわ! ポートも無茶しちゃ駄目よ」

「頼んだぜ、村長代理殿」

「ええ、よろしくお願いします。……くれぐれも、みんな無理をなさらず」

 

 敵は、森から100メートル程度の位置で既に整列を終えていた。それを確認した僕らは、敵を迎え撃つべく森の闇に紛れて潜む。

 

 年老いた指揮官らしき人間は何やら演説をしていた。恐らく、実戦に入る兵達を鼓舞しているのだろう。

 

「あの指揮官を潰したいが、この距離だと弓矢も届かない。よく引き付けて、絶対に外さない位置から指揮官を狙おう」

「そう上手くいくかね? 指揮官が一人突出して来るとは考えにくい。多分、先に雑兵が突っ込んで索敵してから悠々森に入ってくるだろうぜ」

「……その時に見つかったら終わりか。確かに指揮官を狙うのはリスキーかも」

 

 流石に、敵も馬鹿じゃない。指揮官が先陣切って突っ込んでくる事は無いだろう。

 

 もしそうだったらありがたいんだけとも。

 

「俺達も隠れるぞ。そんで、索敵しにきた雑兵を狩る」

「そうだね、その作戦でいこう。敵が潜んでいるとアピール出来るだけで、進軍速度は大分────」

 

 それが、僕とラルフの立てた作戦だった。

 

 先行してくるだろう斥候兵を叩き、敵の警戒を煽る。

 

 その後、たっぷり距離を取りながらチクチクと牽制していけば良い。

 

「────え?」

「お、おいおい」

 

 だが、僕はまだまだ認識が甘かったことを知る。

 

 深夜、殆ど光もない暗闇の中。豆粒のような敵を確認して、僕らはお互いに攻撃手段などないと思い込んでいた。

 

 

「……っ!?」

 

 

 敵に、動揺が走った。

 

 無理もない。自分達の目前で演説をしていた、その敵の老練の指揮官が倒れたのだ。

 

「……弓って、ここから届くの?」

「いや。……どうだろう、斜め上に射ったらギリギリ届くのか?」

「だよね」

 

 その指揮官に慌てて駆け寄った副官らしき人物も、即座に血を撒き散らしその場に伏せる。

 

 その様子を見た敵兵は、たいそう驚愕し森から距離を取り始めた。攻撃を受けているのに、気付いたようだ。

 

 ……おいおい、本当にか? あんな遠距離を、森の闇に紛れて正確に狙撃したのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────悪いけど。村の為に、死んでもらうから」

 

 森の入り口にそびえ立つ、一等高い針葉樹。

 

 その枝葉に隠れた小さな狩人は、猫のように鋭い目を光らせながら敵を見下ろす。

 

「恨まないでよ」

 

 その台詞と共に再び彼女から放たれたその矢は、慌てて兵を纏めようと指示を飛ばしていた隊長格の男の眉間を射ぬいていた。

 

 

 代々狩人の役目についていた一族の秘蔵っ娘リーゼ。彼女の圧倒的すぎるその狩人としての才能は、闇夜に紛れたこの場においていかんなく発揮される。

 

 そして100年に一度の天才狩人は、場所を特定されぬよう音もなくその針葉樹から降りたった。

 

 その夜、侵攻を目論む敵兵にとっての悪夢が森に顕現した。



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殺意と屍

 戦線は、早くも硬直していた。

 

「……流石に、引いちゃくれねぇみたいだな」

「うん。奴等、突撃する準備をしているね」

 

 リーゼの神業染みた狙撃で、早くも敵の指揮官を討ち取った僕達。しかし、彼等はおとなしく撤退するどころか、殺意をむき出しに盾を持った物々しい連中で陣形を組んで突撃の準備をし始めた。

 

 矢が飛んでくることが分かっているからか、装甲の厚い兵科で突入口を確保する狙いの様だ。

 

「────、あいつだ。あいつが、ランド兄さんが殺された時に居た剣士」

「あの、怖そうな女か?」

「そう。父さんを切りつけたのもあいつ」

 

 その突撃部隊の中央には、確か「アマンダ」と名乗った憎き女剣士が居た。彼女が、突撃部隊の指揮官らしい。

 

 恐らく、奴は斥候兵の隊長か何かだろう。彼女のみは盾を持たず、悠然と部隊の最前部で剣を構えている。

 

 ……そして。

 

「……来たっ」

 

 そのアマンダとか言う奴は、獣のような激しい咆哮と共に、正面切って僕達の森に突っ込んできた。

 

 指揮官自ら正面に立つとは、正気の沙汰とは思えない。その迂闊さを、利用させてもらう。

 

「リーゼの矢が外れたら、僕らであの女剣士を仕留めるよ。不意打ちなら何とかなるかも」

「ああ。ポートの親父の傷のお返しをしないとな」

 

 物凄い勢いで、森へ突進してくる敵兵達。そんな彼等は、まさしく良い的だ。盾を持っているとはいえ、体の大部分はむき出しである。

 

 僕はボーラを構え、心を集中させた。絶対に外さない、ここであいつを殺してやる。

 

 

「……ハァッ!!」

 

 

 その時。ひょうっと放たれた弓矢が2本、アマンダの剣に叩き落とされた。

 

「見つけた。そこかぁぁぉっ!!」

 

 え、打ち落としたの? この暗闇で、音もなく飛んできた弓矢を!?

 

 しかも、矢が飛んできた方向を見据え叫んでいる。

 

「げ、あっちって確かリーゼが隠れるって言ってた場所だ」

「狙撃位置まで特定したのか。……仕方ない、こっちからも攻撃してすぐ逃げるよ!」

「あの指揮官を狙うのはやめておけ! あいつ、ちょっとヤバそうだ!」

「……分かった!」

 

 リーゼを危険に晒す訳にはいかない。僕はよくよく狙ってボーラをアマンダと共に突撃してきた兵士の一人に投擲した。

 

 ここにも敵が潜んでいるぞ、こちらにも兵士を分けろ。そう知らせてやるために。

 

「おし、当たった。そうだよな、普通は当たるよな」

「ただし、僕達の位置も多分バレたね。急いで逃げるよラルフ!」

 

 僕の投げたボーラは、兵士に絡まって上手く行動不能に出来た。石に麻痺毒も塗ってある、あの兵は少なくとも今日一日はろくに動けないだろう。

 

 だが、兵士の何人かが僕達をロックオンした。よし、このまま引き付けよう。

 

「ここからが正念場だ。気合いいれていくぞポート!」

「うん!」

 

 敵を分散させ、少人数で各個撃破する。これこそ、本来僕達の想定していた戦術だ。

 

 まさか超遠距離狙撃で先制攻撃出来るとか全く想像していなかった。リーゼってあんなに凄いんだな。

 

「ざっと十数人来てるね!」

「ちょうど良い数だ!」

 

 僕達は手頃な人数を引き付けられたのを確認し、森の闇の中へと消えていった。

 

 これから始まる、勝ち目のない戦いへの覚悟を胸に秘めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アマンダ、という女がいた。

 

 彼女は平民上がりの叩き上げ軍人で、幾度の戦場を渡り歩いて生き延びた歴戦の剣士だった。

 

「アマンダ隊長。我々が戦う相手とは」

「何の力も持たぬ農民だ。安心して斬りかかると良い」

 

 彼女は州の内ゲバにより反乱がおき、一家皆殺しにされかけた所を正規軍に保護され、そのまま軍人となった経緯を持つ。

 

 つまり彼女は元々、使い捨ての雑兵。生きるために剣を取り、人間を斬り続けた。

 

「……しかし。武器を持たぬ農民を殺す事は果たして正しいのですか? 我々はあくまでも奪われた土地を取り戻す為に攻め込んでいる筈です。奴等が逃げるのであれば、追わずに逃がしてやれば良いのでは」

「おい、新兵。お前、今回私達が受けた命令を復唱してみろ」

 

 そんな彼女には、1つの哲学があった。

 

「国境付近の敵勢力田園地帯を攻撃し、その継戦能力を削げ、です」

「よし。では、継戦能力とは何だ?」

「この場合は、敵の生産力の事だと思います」

「愚か者!!」

 

 アマンダはその答えを聞き、まだ汚れを知らぬ、訓練を終えたばかりの新兵の頬を張り飛ばした。

 

 いきなり打たれて目を白黒とする新兵に、アマンダは叱咤を飛ばした。

 

「継戦能力とは、すなわち人だ。飯がなかろうと、武器がなかろうと、人がそこに居れば戦争は起こりうる」

「……」

「改めて聞こう。今回の命令は何だ!!」

「国境付近の敵田園地帯を攻撃し、その、継戦能力を……」

「そうだ」

 

 彼らには、耳障りの良い理想しか聞かされていない。

 

 我らの起こした戦争は、正義のための刃だと信じて疑わない。

 

「殺せ。無抵抗な農民を、皆殺しにしろ。それが、今回の命令の意味だ」

「しかし! そんな事をすれば、我々こそ悪者に」

「まだそんな寝ぼけた事を言ってるのか!」

 

 そんな彼等に、アマンダは戦争と言うモノの基礎を叩き込む。これこそ、平民上がりながら隊長に任ぜられたアマンダに求められる職務でもあった。

 

 おなじ平民の言葉だからこそ、彼女の言葉は兵士達によく通るのだ。

 

「戦争中に善悪なんてない。そこにあるのは、生か死か、それだけだ!」

「……」

「良いか、死人に口なんて無いんだ。戦争に勝った後、好きなだけ自分を正義として吹聴すればいい。いかに正しいことをしていようと、負ければ悪者にされてしまうだろう。いかに間違ったことをしようと、勝てば正義の行いであったと宣言できる」

「……そんな、滅茶苦茶な」

「滅茶苦茶だよ。ここはお前達がのんびり暮らしていた平和な世界じゃない、戦場なんだから」

 

 アマンダは、そう言って兵士を諭した。

 

「無抵抗な人を皆殺しにしようと、それは正義のための行動になりうる。それは、戦争の勝敗にかかっている」

「しかし、これは奴等が侵略してきた土地を奪還するための戦争。すでに正義は我等にある、ならばそれを手放すような行動は────」

「まーだ、そんな戯れ言を信じているのか」

 

 しかしなお、その心優しき新兵の言葉をアマンダは切って捨てる。

 

 それはきっと彼女の、哲学に基づく言葉だったのかもしれない。

 

「今回の戦争で土地を奪還できたとして、今度はあちらさんが『奪われた土地を取り戻す正義のための闘い』とやらを仕掛けてくるだろうさ」

「……しかし、この土地は元々は!」

「それを、どっちの国も『この土地は元々は我等の土地だ』と真面目な顔で叫んでいる。分かるか、新兵?」

 

 戦争で血にまみれ生きていた彼女が、たった1つ間違っていないと信じる事実。

 

「正義なんて言葉は、アホを騙す言葉遊びなのさ」

 

 この世に、正義なんてものは存在しないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 アマンダは、よく斥候の役目を任された。

 

 女性であるがゆえ、もし見つかっても警戒されにくい。剣の腕はピカ一で、状況判断力にも優れる。

 

 彼女は、理想の偵察役と言えた。

 

「アマンダ、また君に先行して貰いたい」

「了解しました」

 

 周囲の地形を把握し、目標の所在を記録し、指揮官へと報告する。

 

 彼女にとってそれは、慣れた仕事であった。

 

「今回の攻略部隊の指揮官はヨゼフに任せている。彼でも、農村侵略くらいなら出来るだろう」

「ヨゼフ様ですか」

「旧いタイプの人だ。昔ながらの勢い任せの突撃が得意なだけのお爺ちゃんで、権力はあるから面倒くさい。この手の人間には、馬鹿でも出来る仕事を割り振るに限る」

「……ヨゼフ様は、歴戦の指揮官です。あまりそう言う言葉は」

「雄叫び混じりに突っ込むのを指揮とは言わないよ」

 

 アマンダは、様々な指揮官と共に戦場を渡り歩いた。その中でも最も異質で優れた指揮を取っていたのは、今まさに彼女へ命令を下している男だった。

 

 まだアマンダより年下、十代の半ばにして軍の中核に入り込んだ鬼才。国防の軸を担う、新世代の怪物。

 

 その名を、ミアンと言う。

 

「アマンダ、君が居ればいかに単調な突撃でも失敗は無いだろう。勝利が約束された戦争さ、あの爺が調子にのってガンガン奥地に攻め込まない限り」

「……はい」

「こちらの被害が出ない範囲で、農民や商人を斬り殺し、敵の人的資源の磨耗させる事が今回の作戦の目的だ。そして、敵の本隊が出張ってくる前に村落を焼き払え」

「了解しました」

「奴等は対応が早い。恐らく、数日で正規軍を動かしてくるだろう。1つか2つ肥えた村落を潰し資源を奪い、速やかに撤退してくれ。今回はそれだけでいい」

 

 その幼き少年は、軽い口調で虐殺を指示した。

 

 そこに躊躇う素振りも、苦悩した形跡もない。ただそれが有効だから、彼はその命令を下すのだ。

 

「任せたよ、アマンダ」

 

 そしてその作戦は、とうとう決行された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「新兵。もう少し頭を下げて移動しろ」

「しかし、ずっとこの体勢のままは……」

 

 ヨゼフ翁の指揮のもと、アマンダ達は国境を越えて敵の領地へと進軍した。

 

 手頃な集落を探すべく、人為的に舗装された道を辿りながら。

 

「この森の中に集落がある。先ほど捕らえた商人から、確かにそう聞いた」

「……聞きましたね」

「もし、我々が農民に見つかったらどうなる。せっかく気付かれていなかった連中に、今から攻め込みますよと予告してやった様なものだ。斥候をすると言うことは、絶対に見つからない様に行動をせねばならない」

「でも、もう深夜ですよ。農民どもは寝静まってますって」

「油断するな、もしも見張りを立てていたらどうする。この辺に野盗がいるならば、村は当然見張りを────」

「この暗闇では何も見えませんってば。少し伸びくらいさせてください」

 

 そして、捕らえた商人からの情報を元にアマンダは斥候に出ていた。教育として、新兵を追従させながら。

 

 しかし 新兵の多くは、アマンダを舐めていた。彼女は若い女で、装備も貧弱なもの。

 

 アマンダが過去に幾つの部隊を滅ぼしてきたか知らないのだ。

 

「……おい、伏せろ」

「もー、堅いっすね」

「違う。松明の光だ」

 

 作戦行動中でなければ、アマンダは大声で叱責していただろう。

 

 それほどに、その日アマンダに追従していた兵士は質が悪かった。

 

「……げっ」

「早く屈め、アホタレ」

 

 それがまた、ポート達の住む村にとって最大の幸運だった。

 

 

 

「おうい、そこに誰かがいただろう。出てこい」

 

 

 

 質の悪い兵士のせいで、斥候として出陣していた彼等が、逆に農民に捕捉されてしまったのだ。

 

 こうなれば、取れる手段は限られている。

 

 動かず隠れてやり過ごすか、あるいは────

 

「……村に知らされる前に、殺すか」

 

 

 

 そして、兵士の隠れる木の目前にまで歩いてきた村人を、一刀の下に斬り伏せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ひ?」

 

 村人を斬り殺し改めて周囲を見渡すと、ミドルヘアの村娘が松明を持って呆然としていた。

 

「おい、もう一人いるぞ」

「女の子ですかね」

 

 彼女は、あまりの事態に頭が真っ白になっているらしい。このまま叫ばれると厄介である、急いで仕留めなければならない。

 

 兵士は間髪入れず、彼女に向かって剣を投擲した。

 

「外すな馬鹿者」

「す、すみません」

 

 しかし、残念なことに少女に剣は当たらなかった。動揺した彼女がすっ転んだせいで、軌道から外れたのだ。

 

「く、来るなぁ!! 来ないでよ!!」

 

 パニックになった村娘は、何かを兵士に向かって放り投げる。石のようだ。

 

 流石に、子供の投げた石ころくらいは避けられるだろう。アマンダは兵士を無視し、退路を塞ぐべく少女の背後へと移動した。

 

 だが。兵士は落ち着いてその石を避け、そのまま少女を殴り殺そうと突進し、

 

「がっ!!?」

 

 不思議な軌道を描いて戻ってきたその石に直撃し、気を失ってしまった。縄と結ばれたその石は、トリッキーな飛び道具として機能するらしい。

 

 初見の武器とはいえ、仮にも戦闘訓練を受けた者がただの村娘に昏倒させられた様に、アマンダは深く嘆息した。

 

 そのまま、娘は逃げ出そうとしている。自分達の侵攻を、報告される訳にはいかない。

 

「……アマンダ、と申します」

 

 部下の失敗は、上司の責任。

 

 アマンダは自ら剣を取り、その娘に音もなく近づいて斬りかかる。

 

「軍命ですので、恨みはありませんが」

 

 彼女を斬り殺し、事が露見する前にさっさと攻め込もう。村人に見つかり殺した以上、もはやそれしかない。

 

「ここで死んでいただきます」

 

 彼女はただ、機械的に。

 

 恐怖で顔面を真っ白にしている取り乱した少女に、真っ直ぐ剣を振り下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、アマンダは少女を取り逃がした。

 

 途中、彼女の父親らしき人物が帯刀して乱入してきたからだ。

 

 それだけなら何とかなったのだが、少女が投げた紐のついた石が剣に厄介な絡まり方をした。

 

 咄嗟に剣を手放さねば、あの兵士同様に昏倒させられていただろう。あの少女は、特殊な武器の投擲技法を身に付けていたらしい。

 

「……ちっ。戻るわよ、ここの住民に勘づかれた。逃げられる前に即座に襲撃を仕掛けないと」

 

 闇夜に紛れた少女達を、追う術はない。ここは彼等の地元だ、暗闇での移動は土地勘のある彼等に分がある。

 

 一刻も早く、本隊に突撃するよう進言しないと。アマンダはかつてない自らの失態を恥じながら、遮二無二本陣へと走るのだった。

 

「……」

 

 彼女の命令に返事すらせず、未だ気を失っているらしい無能を捨て置いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし老将ヨゼフは、アマンダの報告を聞いてもあまり焦らなかった。

 

「申し訳ありませんでした、私の不徳といたすところです」

「ふむ、そう言うこともある。アマンダ、あまり気にするな。よし、ならば出陣だ!」

 

 そもそも、ヨゼフという将軍は奇襲が嫌いだった。彼の若かりし時代の戦争はといえば、将は高らかに名乗りを上げて白昼堂々と正面からぶつかり合い、夜になるとお互いに引っ込んで休む、そんな牧歌的な戦争だった。

 

「ようし、森の付近に集合せよ! 全軍よく聞け、ワシが訓示を与えよう!」

 

 ヨゼフは軍の命令だからこそ村を襲っているが、本来は『正々堂々の戦闘』こそ武人の誉れであると信じて疑わない。

 

 だから、奇襲が事前に露見したことを大事と取らなかった。

 

「さあ聞け者共、今からワシらは戦争を始める! 初めての戦争に、恐怖で顔を青くしているものもおろう! 殺しに慣れて、意気揚々としているものもおろう!」

 

 ヨゼフは森の手前で軍を止め、わざわざ大声で訓示を始めた。

 

 彼にとって、重要なのは時間でも戦略でもない。戦争は兵士の士気こそが鍵を握る。そう信じていたからだ。

 

「油断するな、敵はどのように弱かろうと敵だ! 鍬を持った農民は、我等の頭をカチ割ることなど容易い! ならばこそ、我等は先んじて敵の首を刎ねねばならない!」

 

 老人の話は長い。農民に事が露見して、かなりの時間が経っている。アマンダは自分の失態なので何も文句を挟まないが、内心でどれだけヤキモキとしただろう。

 

 だというのにヨゼフは、楽しげに訓示をしてやまない。それは、彼は戦争前のこの時間が一番好きな時間だからかもしれない。

 

「ワシの初陣の話をしよう! あれは、ルーメル川の下流に陣取って正々堂々、川を挟んでの戦闘だった────」

 

 刻一刻と、老人の娯楽で貴重な時間が奪われゆく中。アマンダは、あり得ない光景を目の当たりにする。

 

 

 

 

「それが、ワシが軍功を立てた最初の────っ」

 

 

 

 ヨゼフの頭を、矢が貫いたのだ。

 

 慌てて周囲を見渡すが、敵影はない。森までは開けた平地だが、そこに弓を構えた人間など何処にも見当たらない。

 

 ともすれば、可能性は1つ。

 

「ヨゼフ様、どう────っ!」

 

 慌ててヨゼフに駆け寄った副官の頭が射ぬかれ、アマンダは確信する。森の中に敵が潜み、攻撃してきたのだと。

 

 信じられない遠距離狙撃だ。かなりの腕利きが、あの村に存在するらしい。

 

「森から距離をとれ!! 凄い射程だぞ!」

 

 アマンダは森を警戒しながら、兵士達に離れるよう命令を下した。兵士達は恐れおののきながら森から距離を取り、そして隊列もまばらに逃げまどっている。

 

 指揮官クラスの人間が、いきなり殺されたのだ。統制など取れるはずがない。

 

「兵士ども、落ち着け! この距離ならどんな矢でも届かない、先ずは隊列を組め!」

 

 アマンダの役職は、一応は部隊長。斥候部隊を指揮する立場だ。

 

 指揮官とは名ばかりの捨て駒ではあるのだが、彼女以外の隊長クラスは撃ち抜かれたので、必然的に指揮権は彼女に移った。

 

「アマンダさん、もう撤退しましょう!! ヨゼフ様の死を王に伝えないと!」

「愚か者、姿を見せるだけ見せて撤退なんぞしたら、敵の警戒を煽らせただけだ! この村は少なくとも攻め落とさねばならん!」

「ですが、物凄い距離から狙撃が」

「あんなもの打ち落とせばよい!」

 

 兵士の言う通り指揮官が次々に殺されたのだ。確かに、撤退も視野に入るだろう。

 

 だがアマンダは、作戦決行を判断した。多額の軍費を割いて出陣しておいて、何も戦果を上げず帰りましたとは口が避けても言えない。

 

 しかも、その大本はアマンダのミスなのだ。このまま帰れば、彼女の地位はおろか命すら危ない。

 

 それに、指揮官が死んだだけで兵士は無事なのだ。兵力差にモノを言わせれば普通に勝てる戦争である。彼女からして、撤退はあり得なかった。

 

重装兵(アーマーナイト)は私と共に突撃! 森に潜む弓兵を始末するわよ!」

「……了解です」

「私達が地形を確保したら、貴方達はそれに続きなさい」

 

 そう号令すると、兵士の中でも精鋭で知られる重装兵(アーマーナイト)部隊を集めた。彼らは弓矢の中でも突撃できるよう訓練された歩兵だ、この場で攻勢に出るにはうってつけである。

 

「突撃!!」

 

 兵士たちが動揺しないよう、なるべく毅然とした態度でアマンダは打って出た。

 

 

 

 

 

 まっすぐ突っ走っていたアマンダは、突如として背筋の凍るような悪寒を感じた。それは、戦場で幾度となく経験した『死』の気配。

 

「……ハァッ!!」

 

 無心に、アマンダは剣を振りぬく。自分へと迫る『死』を切り払うべく、咆哮をあげながら。

 

「アマンダ様!?」

「大丈夫だ、撃ち落とした」

 

 それは、矢。真っすぐに自分の眉間へ向かって飛んできた、殺意溢れる村民どもからの歓待であった。

 

「見つけた。そこかぁぁぉっ!!」

 

 その矢が放たれた方向へと目をやると、微かに人影が揺らめいたのが見えた。その影は幼い子供のようで、それでいて熟練のハンターを思わせる気配を纏っていた。

 

 その影は、アマンダを見て小さく微笑むと、そのまま森の闇へと姿を消した。まるで、こっちへ来てみろと挑発するかのように。

 

 

 ────あいつは、ヤバい。辺境の地にたまに居る、正真正銘の『人傑』と呼ばれる部類の存在だ。

 

 

 きちんとした家柄に生まれてさえいれば、世界すらをも変えうるだろう化け物。そういった人間が、稀に田舎にいるのだ。

 

 殺さねばならない。明らかに神域に達しているだろうその小さな弓兵を仕留めないと、相手のホームで闇に紛れての戦闘になれば自分も射殺される。

 

 逃げるという選択肢は、ありえない。アマンダは罠と予感しつつもその誘いに乗って、森の中へと突っ込んだ。

 

 こうしてたたき上げの熟練剣士と、小さな森の悪魔の一騎打ちが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、ポート!! 結構仕留めたんじゃねぇの!?」

「ああ、地の利は僕らにあるんだ。これくらいは、ね!」

 

 僕達を仕留めようと追ってきた兵士達は、そこそこに数を減らしていた。

 

 森に隠れ、僕達を探そうとちりじりになったところを各個撃破していく。この基本を守り続けることで、僕達はいまだに手傷すら負わずに戦いを続けていた。

 

 重そうな鎧を纏った兵士には、拘束力の強いボーラが非常に有効なのだ。鎧ごと縄で縛りあげてやれば、毒が体に通らずともそれなりに無力化はできるっぽい。

 

 その隙をついて、可能ならラルフがトドメを刺しに行く。仲間が近くにいるなら、ソイツが助けに来たところを仕留める。

 

 この作戦は想像以上に有効で、僕達はそこそこ嫌がらせが出来ていた。

 

「でも、森の入り口付近を制圧されたせいで、奴らの本隊が森に入って来たっぽいぜ。どうする?」

「どうするもこうするも、どうしようもないよ。僕達の仕事はあくまで時間稼ぎ、このペースで進軍してくれるなら仕事はしたも同然なのさ」

 

 今のところ、作戦はうまくいっている。これ以上無いくらいに、効果的に時間を稼いでいる。

 

 うまくいけば、先行している逃亡班が森を抜けてくれるかもしれない。それまで時間を稼げたら、ほぼ勝利と言っても過言ではないだろう。

 

 本隊が突入してくるのはまぁ、仕方がない。村も荒らされるだろうけど、背に腹は代えられないのだ。

 

「む、また人の気配。隠れるぞ、ポート」

「……了解」

 

 この作戦は、何だか異様に動くものの気配に敏感なラルフが鍵を握っていた。さっきから近づいてくる兵士を察知しては不意打ちを繰り返せているのも、大体この男のおかげである。

 

 ……本当に、土壇場で頼りになるんだよなこの男。普段はアホバカの癖に。

 

「……」

 

 僕は息をひそめ、新たなボーラを準備した。さぁ、いつでもかかってこい。

 

 

 

「あ、ああっ、あああ!」

 

 

 

 だが、しかし。

 

 やがて姿を見せたその人物は、僕らが待ち構えていた敵ではなかった。

 

「何処? ランドは何処!? ねぇってば!!」

「ふぇぇ、ん」

 

 それは赤子を背に抱いて、半狂乱に叫ぶ女。

 

 現れたのは自分の命と引き換えに、村の危機を救った男ランド。その妻のナタリーと、その赤子であった。

 

「ナ、ナタリーさん!?」

「ちょっ……、どうしてここに!?」

 

 現れたナタリーさんの、目がおかしい。焦点が合わずふらふらと、駄々っ子のような危うさを含みながら森を裸足で駆けまわっている。

 

 ────ああ。ランド夫妻は、本当に夫婦仲は良かったらしい。

 

 彼は奥さんに死を受け入れて貰えずに、気が触れてしまうほどには愛されていたらしい。

 

「ああ、ポート? ランドは、ランドは何処で見ましたか!?」

「ナタリーさん、正気に戻って。ランドさんは、もう!」

「ポート、あなたが最期まであの人と居たのよね!? ポート、あの人は何処にいるの!」

「ナタリーさん落ち着いて、声を荒げないで! もう、敵兵が迫ってきていて」

「ランドはどこ、どこ、どこなのぉ!?」

 

 いかん、話が通じない。おそらく彼女は勝手に集団を抜け出して、どうしようもなく捨て置かれたのだ。

 

 何とかして彼女を正気に戻さないと、僕達まで危ない。

 

「落ち着けナタリーさん、気持ちはわかるが冷静に」

「お前に何がわかるってのよ!! ランドはねぇ、こんなワガママな私を文句ひとつ言わずに受け入れてくれて!」

「ナタリーさん、敵がいるんです。すぐ傍に、敵が潜んでいるんですってば!!」

 

 宥めようと声をかけるも、彼女はますます興奮し。大声で泣きわめく赤子を気にも留めず、再び大絶叫した。

 

「ランドォォォォ!! ランド、ランド、ランドォォォッ!!!」

「お、落ち着いてください!! ここで叫んじゃダメですって!!」

「か、隠れるぞポート! 複数人、こっちに向かってきてる」

「ナタリーさん、敵が来てます!! あなたも、早く!!」

「ランド、ランドォォォッ!!!」

「もう無理だ、早く隠れるぞ! こっち来いポート!!」

 

 我を忘れて、大声で絶叫する未亡人。

 

 そんなナタリーさんを見切ったのか、ラルフは僕だけを抱きしめて木陰へと隠れさった。

 

 なんてことを。このままじゃ、ナタリーさんが危険な目に遭ってしまう。

 

「ん────っ!!」

「ポート落ち着け、静かにしろ。……ダメだ、アレをおとなしくさせるのは不可能だ」

「────っ!」

 

 ジタバタと抵抗する僕の口を押え、ラルフは悲しげにそう言い放った。

 

 これじゃ、ナタリーさんを助けに行けない。これじゃあ僕達は、ナタリーさんを見捨てたようなものだ。

 

「……頼むって! 本当に、見つかったらやばい奴らがこっちに来てる」

「……」

「睨まないでくれ。……あの女性(ヒト)を救うのは、もう無理なんだよ。きっと、ランドさんが死んじまった時点で、あの人はどうやっても救われないんだ」

 

 力の限りラルフを睨みつけてやるも、僕の目には歯を食いしばって目に涙を浮かべる幼馴染が映るだけだった。

 

 無理、なのか。あの、不可能を可能にするラルフですら、助けられないのか。

 

「今からは絶対声出すな。……やべー奴のお出ましだ」

 

 その言葉を最後に、ラルフは黙り込んだ。

 

 未だに奇声を上げているナタリーさんから、目を伏せながら。

 

 

 

 

 

 

 

「……狂人、ですかね」

「罠かもしれん。警戒を怠るな」

 

 そして、奴らはやってきた。

 

 僕らの愛した森の中で、我が物顔に闊歩する敵の親玉。

 

「アマンダさん、どうしますか?」

「無論、斬る」

 

 それはアマンダと名乗った、敵の剣士だった。

 

 超人的な精度のリーゼの矢を、暗闇で察知し叩き切った豪傑。どうやっても殺せるビジョンが浮かばない、まさに化け物。

 

「……ふっ!!」

「ま、また矢ですかい?」

「もう慣れたよ。如何に矢が上手かろうと、農民の手作り弓の威力じゃ私には届かん」

 

 今も、アマンダは突如として飛んできた誰かの矢を撃ち落としていた。おそらく、リーゼがどこかから射ったのだろう。

 

 しかし、リーゼの矢ももはや牽制にしかなっていない。軌道を読まれ、撃ち落とされ続けているようだ。

 

 リーゼはすさまじい天才だが、このアマンダという剣士も化け物だ。

 

「お前か? お前がランドを斬ったのかぁぁ!?」

「ああ、気が触れている。哀れなものだ」

 

 半狂乱となりながら、ナタリーさんは子を携えたままアマンダに向かって突進し。

 

「楽にしてあげましょう」

 

 

 

 その胴体を、一閃。ナタリーさんの胸と腹は、綺麗に両断されたのだった。

 

 

「────っ」

「落ち着け」

 

 やりやがった。あの女、僕の目の前で二度も人を殺しやがった。

 

 ちくしょう、ナタリーさんはいい人だったんだぞ。小さなころは一緒に遊んだ記憶もある。ランドさんと共に、鬼ごっこをして駆けまわったのだ。

 

 その、僕の大切な村の仲間を、あの女は────

 

「ふぇ、ふぇええ!!」

「よくも、よくも、よくも……。ラ、ランドォ……」

 

 下半身を失いながらも、鬼の形相でアマンダの元へ這って行くナタリーさん。だが、その眼は徐々に生気を失いつつある。

 

 もう、長くはもたない。

 

「おさらばです」

「────」

 

 そして。アマンダは、血を這うナタリーさんの顔を踏みつけ。

 

 ぐしゃり、と勢いよく踏みつぶした。

 

 

 

 

 

 

「……っ、……っ」

「頼むから、暴れるな、ポート……っ」

 

 クソ。ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう。

 

 絶対に許さない。あの女には地獄を見せてやる。

 

 僕達が何をしたっていうんだ。ただ、牧歌的に平和に、農民として慎ましく幸せな日々を暮らしていただけなのに。

 

 あの女には何の権利があって、僕達を殺すことができるっていうんだ。

 

 

「ふぇえ、ふぇええ」

「……赤子も、いますね。このままじゃ、野垂れ死にでしょうけど」

「バカをぬかすな。この赤ん坊も、斬り殺すんだ」

 

 

 ……っ!!

 

「ア、アマンダ隊長。それはいくら何でも」

「まだ覚悟が決まっていないのかお前は。よし、お前がこの子を殺せ」

「で、ですが! こんな幼い子をわざわざ殺すなんて、無駄以外の何物でもないですぜ。武器が汚れるだけでさ」

「本音は? お前は妙な罪悪感にとらわれて、この子を生かそうとしているだけではないのか?」

 

 アイツ、まさか。

 

 あんな非力で、何の罪もない子供にすら手をかけるのか?

 

「かつて死んだ、馬鹿な私の戦友の話をしてやろう」

「……」

「そいつはな、見逃したんだよ。感傷にとらわれ、逃げまどう子供を殺すことを良しとせず、『逃げなさい』と言って背を向けた」

「そ、それで」

「背を向けたところを、その子供に切りかかられて即死したよ」

 

 おい、やめろ。

 

 その子は、ランドさんが死ぬほど可愛がっていた子なんだ。

 

 苦労人気質のランドさんが、汗だくになりながら毎晩子守唄を聞かせ続けた愛子なんだ。その子はみんなに愛された、村の宝物なんだ!!

 

「お前にその覚悟はあるか? 子供だろうと容赦せず、手を汚す覚悟はあるか?」

「た、隊長! でも、そんな残酷な」

 

 その子は、今は亡きランドさんが、田の泥に塗れながらも大事に大事に育て上げた────

 

 

 

「こうすればいいんだよ」

 

 アマンダは、赤子の頭を踏みつけ。

 

「こうすれば、武器も汚れない」

 

 そう言うと、ふんと一息ついて。

 

 夜の森に、聞くに堪えない水音が木霊した。

 

 それから、赤子の鳴き声が聞こえなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……て、やる……」

「おちつけ、俺も、俺も同じ気持ちなんだ……」

 

 カチカチと、怒りで歯が震える。

 

 目からは濁流の如く涙が溢れ、怒りで脳の奥まで頭がカッカと焼き付いている。

 

「あの、やろう。あいつ、あいつ────」

「出るな、ポート。ここで打って出るより、隠れてチクチク牽制した方が効果的な嫌がらせになる。そういったのはお前だろうポート」

 

 何で、殺した? 何で、赤ん坊の命まで奪った? 

 

 あの心優しいランドの家族は、どうしてこんな残酷な目に遭っている!?

 

 

 

 それは、きっと。生まれ変わってなお、力が足りなかったからだ。

 

「────っ、────っ」

 

 頬を噛み、口の中に血の味が充満する。

 

 悔しさがこみあげて、止まらない。僕はまた、村の仲間を守れなかったのだ。

 

「殺して、や、る────っ」

 

 

 今すぐに叫びだしたい衝動を、ラルフの手で覆い隠されて。

 

 僕は幼馴染に抱きしめられ、はらはら零れる涙で無様に地面を濡らすだけの存在だった。

 

 せっかく生まれなおして、15年。僕は、何も成長していなかった。

 

 

 

 

 ────その後、何やら兵士に説教を垂れていたアマンダが立ち去るまでの数分間。

 

 僕は、ラルフの胸の中で声を殺して泣き続けた。



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少女の慟哭

 秋の夜空は森の木々に隠れ、風に揺らめく木々の囀りが森を包む。不慣れな森を進軍する彼らにとって、それはどれだけの苦難だっただろう。

 

 いつどこから飛んでくるともわからない、敵の飛び道具。いつしか相応に数が減り、連絡がつかなくなった仲間たち。

 

「……お、見えてきたか」

 

 だがしかし、苦労は実るもの。斥候として、森に潜伏する敵の猛攻を防ぎながら前進を続けたアマンダの部隊は、ついに目的地へと到達した。

 

「ああ、ここだな」

 

 進軍開始から、数時間。慎重に進軍を続けた彼らが、ついに開けた場所へと到達する。

 

 それはまさしく、

 

「奴らの村だ」

 

 今回の目標地点。虐殺と簒奪を行い、この地を滅ぼす事こそが彼らの使命。

 

 アマンダの部隊は、ついにポート達の住む森の中の集落へと足を踏み入れたのだった。

 

 

 

 

 

「……ふむ」

 

 

 

 

 

 

 アマンダが村の入り口に到達して、まず感じたのはその異質さであった。

 

 彼女は今までいくつもの村落を攻め滅ぼしてきた。だからこそ、「普通の村とはどういうものか」を明確なイメージとして持っていた。

 

 森の中の集落。それは、交通の便が悪く寂れた集落であることが多い。その代わり、獣に襲われないように様々な工夫を凝らし独自の防衛様式を備えていたりする。

 

 水で集落を囲ったり、木の杭で砦を築いたり、獣除けの罠をこれでもかと並べていたり。その防衛様式は多岐にわたる、のだが。

 

 

「ここは、商業都市か何かか? どうしてこんなに優雅な建築物が多いんだ?」

「確かに、森の中にポンと都市だけ入り込んだような妙な場所だ。俺の故郷なんかより断然発展してる」

「……この周辺は、領主の治世によりすさまじく発展しているとは聞いていた。まさかこれほどとはな」

 

 

 アマンダを出迎えたのは、かなり近代的な集落だった。石造りで外壁が作られ、村の建造物は高い技術力が用いられ、そして一目で高度な治水がなされていると分かった。

 

 ポートの村は、酒造業により沢山の旅人と交流があり、様々な技術が流入していた。その発展度は、周辺の村落とは一線を画している。それが、アマンダの感じた違和感の正体である。

 

 ちなみに、その発展の『秘訣』を纏めた指南書が各集落に流通したことにより、ここら一辺の集落はみな凄まじい発展を遂げていた。

 

 そのお陰もあってますます商人たちが集まり、ポートの村周辺でちょっとした商業圏が確立しつつあった。その商業圏は領主のコントロールできる範囲を超えて発展し、隣国から目を付けられるに至った。

 

 その原因を作った張本人(ポート)は、その事実をまだ知らなかったりする。

 

「これを俺等だけで焼き払うのは手間ですね。本隊の到着を待ちますかい?」

「……いや、本隊に任せて私たちは先へ進もう」

 

 アマンダの脳内にあるような寂れた村であればこのまま焼き払うつもりだったが、これはちょっと手に負えない。

 

 村落は人っ子一人おらず、まさにもぬけの殻だ。逃げ行く農民共にどれだけ被害を出せるかが、今回の作戦のカギである。

 

 ここで本隊を待ったりすれば、本末転倒だ。

 

 

 

「……ん? 立て札がありますぜ、隊長」

「ほう、何と書いてある」

「『ここは麦酒の名産地、森の中の憩いの場、プロート村落』とのことでさ。旅人を歓迎する立て札の様です」

「ここはプロートと言う村か。まぁ、報告の際には必要となってくる情報だ。よくやった」

 

 兵士の一人が見つけたその立て札を、アマンダは満足げに眺める。

 

 麦酒の名産地。そういえば、この辺で酒造で有名な村落があると風の噂で聞いていた。ここが、きっとそうなのだろう。

 

 アマンダ達がそのまま無人の村を進んでいく。すると、村の中央部に大きな舞台が用意されてるのに気が付いた。

 

 それは、ちょっとした祭典の後のような賑やかなものだった。

 

「『本日は収穫祭です、皆様お楽しみください』っと、立て札に書いてますぜ」

「ああ、成程。今日は祭りの日だったんだな」

 

 ふと見れば、周囲には纏められた椅子やテーブルが残っており。その中から、ほんのり良い香りが漂ってきている事に気が付いた。

 

「ナッツだ。ジャーキーもあるぞ」

「奴らめ、農民の癖にいいものを食いやがって」

「ああ、腹が減ってきた」

 

 その皿の上にかけられた布を取り除くと、豪勢な食事がまとめられていた。その傍には、まだ中身が満たされているであろう麦酒の瓶も置いてある。

 

 それは、夜通し歩いてきた彼らにとって耐えがたい誘惑であった。

 

「おい、そんなものは放っておけ。農民を追うぞ」

「……いえ、待ってくださいアマンダ隊長。何か、このテーブルの紙に重要な事が書いてあります」

「なんだと?」

 

 そして、思わず料理にくぎ付けになっていた兵士が見つけた紙とは。

 

「『祭りで余った酒は手前の民家を倉庫に蓄える事。売上金は、この道を真っすぐ行った先の村長の家に届ける事』。どうやら、お宝のありかが記されてます」

「……」

 

 今回のもう一つの目的である『略奪』の助けとなるものだった。これで、むやみに村を探し回らずに済むだろう。

 

「ねぇ、隊長。そういやさっきから敵の襲撃がありませんね」

「村に入ったからな。森に隠れてこそこそ射るしかできない連中だ、こんな開けた場所で攻撃できるだけの度胸もないんだろう」

「ああ、成程。じゃあ、ここは安全なのか」

 

 そして確かに、さっきから攻撃がない。油断をすればすぐに眉間に飛んできたあの狩人の矢が、さっきから射るそぶりも感じなくなった。

 

 ……この村の中に居さえすれば、安全なのだろう。

 

 

 

「なぁ隊長、本当に農民を追う必要があるのか? こっちだって被害も出ているんだ、ここは確実にこの村を確保しておけばいいんじゃないか?」

「俺達は必死こいて農民を追っかけて、また激戦でしょう? で、後から悠々入って来た後続は、ここで美味しい料理とうまい酒で楽しむんだろう? なんか、面白くないなぁ」

「あ、本当だ。本当にこの民家に、酒が山ほど並べてあるぜ。これだけ飲めりゃあ、どれだけ幸せだろうかね」

 

 

 

 ……。アマンダは、その悪辣な罠に歯噛みした。

 

「攻撃が出来ない訳ないだろうっ……、あの長距離狙撃をやった敵だぞ? 見逃されているんだよ私達は!」

「え、ですが何で」

「奴らの目的は、最初から足止めなんだ!」

 

 これは、確かに有効だ。

 

 看板で『麦酒の名産地』だとアピールし。敢えて料理を片付けず、目に入る位置に放置し。酒や金の保管地点を『村以外の人間が見てもわかるように』メモ書きして残しておく。

 

 こんな場所に、先行してきた兵士が来たらどうなるか。当然、足を止めたくなるに決まっている。攻撃が止んでしまったら尚更だ。

 

「あの狩人は、私たちがこの村に入ったから攻撃をやめたんだ。この村で私達を足止めするために」

「え、それは考えすぎでは」

「考えすぎなものか! こんな料理があからさまに置いてあって、酒の場所も教えてくれて、そんな便利な略奪があってたまるか!」

 

 兵士の士気は、ガタ落ちしている。ここで真面目に農民を後追いしたら、ここにある旨い酒や料理は後続の連中のもの。

 

 そんなの、やっていられるわけがない。その心情を利用した、この村の悪辣な罠だとアマンダは看破した。

 

「都に帰ったら、私が有り金はたいてたらふく良いものを食わせてやる!! だから、ここは前進だ!!」

「……」

「嘘なもんか。お前らが今回の作戦の勲功第一だし、山のように報奨金が出る筈だ。それとは別に、私から奢りも入れてやる!!」

「……へ、へい」

 

 アマンダ自身にも芽生えかけていた「もう、ここで休んでもいいんじゃないか」という誘惑を断ち切り、前進を宣言した。

 

 本隊はノロノロとしているが、アマンダの部隊に関してはかなりの速度で急追している筈。もしかしたら、追いつけるかもしれない。

 

「いくぞ!」

 

 そうアマンダが叫び声をあげた瞬間、彼女の隣で渋々と立ち上がった兵士の頭が射抜かれる。

 

 ……もう、見逃してやる理由はない。そう、宣言するかのように。

 

「見ただろう、やはりここはあの狩人の射程内だ! 全速前進!!」

「りょ、了解!」

 

 この、村の様相を見たアマンダは感じた。

 

 おそらく、指揮官にあたる人間がいる。この村には、それなりに優れた集団の統率者が存在する。

 

 村長なのかその他の権力者なのかは知らないが、森の中での遭遇戦と言いこの悪辣な罠と言い、敵は常にこちらが一番嫌がるだろう選択肢を的確に取り続けている。

 

「ち、厄介な村だ」

 

 再び始まった見えぬ敵からの狙撃を警戒しながらも、アマンダは村の連中が逃げたであろう森の奥へと足を進めた。

 

 何もかもが上手くいかぬ今回の任務に、若干の苛立ちを覚えながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「スルーしたか」

「……ごめん、読み違えた。絶対に、ここに留まると思ったのに」

 

 僕とラルフはアマンダと名乗る女の部隊を追跡し、そして自らの立てた作戦の失敗を悟った。

 

「侵略が目的じゃないのか? 何で追撃を優先した?」

「森に隠れている僕達を、やっつけないと安心できないとか?」

「だったらそれこそ、村の中で待って本隊と合流した方が安全だよ。あんな少人数で森に切り込むよりよっぽどね」

 

 アマンダ達には、手を出せない。僕の幼稚な投擲武器じゃあ、とても勝てる相手じゃない。リーゼが牽制し続けてくれているけど、あまり時間稼ぎにはなっていない。

 

 このままじゃ、先に逃げた人たちは追いつかれてしまうだろう。

 

「リーゼには、アマンダを追って貰う。彼女の矢も、牽制にしかなってなさそうだけど」

「もともと時間稼ぎができりゃあ何でもいいんだろう。俺たちはどうする」

「ここで、アマンダ以外の斥候兵を相手しよう」

 

 だけど、あの部隊を戦闘の素人たる僕達が何とかするのは不可能だ。腸が煮えくり返るほど憎いあの女だが、現状放置するしかない。

 

「あの少ない時間のなか、わざわざ酒と金の場所を書いた紙まで用意したのに。あの戦闘狂め、まさか僕達を殺すのが楽しいだけじゃないだろうね」

「……仕方ない。俺達はここであの連中が先に逃げた仲間に追いつかないように、って神に祈るわけね。まぁ、それしかないか」

「あー、僕は神様には祈らないかな。宗教上の理由で、悪魔に祈ることはあっても神様には祈らないんだ」

 

 必死で平静さを保とうと軽口をたたきながら、僕は再びボーラに手を伸ばして毒を塗った。

 

「どうかお願い、みんな無事で────」

 

 そう、非力な僕達は祈ることしかできない。

 

 僕らの包囲網を突破して村の仲間へと迫るアマンダ達を放置し、ここで他の連中を食い止める。本隊を遅らせることも、大事な仕事なのだ。

 

 共に戦ってくれている旅人冒険者さんと歩調を合わせながら、僕はしっかと森の闇を睨みつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「荷台の痕がありますね」

「よく見つけた!」

 

 だがしかし。

 

 現実は、残酷で冷酷だった。

 

「しめた、逃げた方向が分かれば楽に追いつける!」

「ははは、運が向いてきた。これはさすがに罠とは思えない」

 

 村の大切なモノや動けない人間、足腰の弱い人間をのせた荷台は、明確な痕跡を森の道に残していたのだ。

 

 アマンダは、嬉々としてその痕を追い続けた。その先にいるだろう、無抵抗な村人を殺すべく。

 

「はっ!!」

「弓矢が激しくなりましたね」

「よっぽど、先に行かれたくないんだろうね!!」

 

 ポートの読みは、今のところほぼ外れていた。

 

 遭遇戦に徹すれば、そこそこの時間は稼げるだろう。敵が村に到達したら、きっと進軍をやめるだろう。

 

 それらは、決して的外れではない。軍事的知識のないポートなりに、必死で考えた考察だった。

 

 だがそれは、あくまで希望的観測に過ぎない。むしろ、そうなってくれないと村が助からないからこそ、そう信じていたのだ。

 

 現実として。アマンダの部隊は破竹の勢いで進軍し、ついに逃げまどう村人の尻尾をとらえた。

 

 その先にあるのは、生まれ変わった彼女が最も恐れた、虐殺である。

 

「……ねぇ。あれじゃないか?」

「あ、ああ。見つけましたね隊長」

 

 今回の侵略において、ポート達にアマンダはどうしようもなかった。アマンダの部隊に何かちょっかいをかけたとして、逆に返り討ちにあって殺されただけだ。

 

 天才狩人のリーゼですら、足止めするのが手一杯。長い人生を戦場で過ごしたアマンダの相手は、平和に生きる村の住人に荷が重かった。それだけの話である。

 

「襲い掛かるぞ。私に続け!!」

 

 そして、ついに蹂躙が始まった。

 

「……て、敵っ!?」

「みんな逃げろ、誰か迫ってきているぞ!!」

 

 突如として沸いた叫び声に、村人たちは動揺している。その隙を、アマンダ達が逃すはずもない。

 

「ひ、ひぃぃぃ……!」

「だ、ダメょ、アセリオちゃん!! 走って!」

 

 その最後尾にいただろう村娘が、恐怖にひきつった顔でもんどりうって倒れた。近くにやたらガタイの良い男もいるが、武装しておらず脅威ではなさそうだ。

 

「どうも、こんばんは。そして、死んでください」

 

 その人物が、誰かにとってどれだけ大切な人間かなんて分からない。目の前で恐怖に目を凍り付かしている少女が、どの様な人生を歩んでいて、どれ程の人に大事に思われていたかなんて知る由もない。

 

「アセリオちゃ────」

 

 魔女帽子をかぶった、まだ少女と呼べる年齢のその娘は。熟練剣士の、その一刀のもとに切り伏せられた。

 

「────」

 

 少女の首がボトリと血を振り乱しながら大地に落ちる。その首を邪魔だと蹴飛ばして、アマンダは続けざまに顔を真っ青にしている男に斬りかかった。

 

 アセリオという少女を切り殺したことなど、アマンダは気にも留めない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめん、僕の読みは外れてばっかりだ」

「仕方ねぇさ。やれるだけのことはやってたと思うぜポート」

 

 何とか斥候を処理しながら、ラルフと僕は必死で逃げまどっていた。

 

「敵の本隊が、もうこんな場所に来てたなんて。もっと距離を取らないと、殺されちゃう」

「はぁ。もう、村の向こうまで逃げちまおうぜポート。その方が、皆に追いつきやすいし」

「だね。多分、敵も少しは村に残留してくれるだろう」

 

 作戦を立てるというのは、非常に難しい。ある程度は当たると予想していた戦略も、ほぼほぼ裏目を引いている。

 

 僕にはやはり、リーダーとしての才能はないのかもしれない。

 

「ねぇ。やっぱりさ、ラルフが村長やって欲しいな」

「なんだよ、こんな時に」

「僕は僕なりに頑張ってみたけど。本当にこの作戦でいいのか、本当にあってるのか、いつも迷ってばっかりだ。君みたいなリーダーシップは、僕には存在しない」

「……いや、割と頑張ってたじゃん、お前」

「今も、僕の知らないところで何か悪いことが起きているかもしれない。僕の力不足で、大事な何かを取りこぼしてしまったかもしれない。現に、僕はナタリーさんたちを守れなかったんだ」

「……」

「君が、村を導いてくれたらどれだけ安心するだろう。どうかな、この戦いから生きて帰れたら……、考えておいてくれないかな」

 

 こういう時に、こんなことを言うのは卑怯かもしれないけど。でも、今回で僕は実感したんだ。

 

 僕は人の上に立つべき人間じゃない。僕は、誰かを支えるべき人間だ。

 

 強いリーダーシップを発揮する誰かの隣で、その誰かの見落とした穴をふさいであげる役目が性に合っている。

 

「僕は怖がりだから。もし、何か不測の事態が起こったら……、そんなことばかり考えちゃう」

「それは悪い事なのか?」

「ううん、そんなことはないと思う。でも、どんな選択肢を選んでも、僕は自信が持てないんだ」

 

 その役目に最もふさわしいのは、やっぱりラルフ、君だろ思う。

 

「今回だって、不測の事態に備えて色々と小細工はしているけど……。どれだけ役に立つか分からないし」

「結局、アマンダとか言うのは放置せざるを得なかったしな。見つからないように神頼みとか、情けない」

「いや、多分見つかるよ。荷台を使っているもの、逃げた先なんてバレバレさ。すぐ追いつかれるだろうね」

「……は?」

 

 あ、やっぱりラルフは気付いていなかったのか。

 

 今回僕達は、逃走に大きな荷台を使っている。アマンダとか言うのが、あの大きな荷台の痕を見逃がすとは思えない。

 

 十中八九、みんなは追いつかれる。まぁ、それは織り込み済みだ。

 

「え、ちょ、じゃあどうすんだよポート!?」

「君が言ったじゃないか。信じるしかないと」

「信じるって、何を」

 

 だけど、現状ここにいる誰もアマンダに勝てない。だったら、アマンダを何とかできるような人間に何とかしてもらうしかない。

 

「僕達の幼馴染を信じるしかないだろう」

「幼馴染……?」

「そうさ」

 

 僕は、ちっぽけな存在だ。僕一人じゃ、きっと何もできない。

 

 だからこそ、僕は頼りになる人間に助けを求める。それが、前世で僕に欠けていた事だと思うから。

 

「何のために、最高戦力(アセリオ)を逃走班に置いたと思っているのさ」

 

 だから僕は、アセリオに最後尾に待機してもらうように、お願いしておいたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うら、めしい」

「……え?」

 

 それは、いかなる事象だろう。

 

 村娘を切り殺し、次の標的へと剣を構えたアマンダが目視したのは、炎に包まれた生首だった。

 

「恨めしい、恨めしい、恨めしい!! ああ、我が胴体は何処!? ああ、誰があたしをこんな姿にした!?」

「……えっ? え、な、なにこれ?」

 

 その、異様な光景にさすがのアマンダも背筋を凍らせる。

 

 見れば、先程切り殺した筈の少女の首が、口から血反吐を吐き散らしながら宙に浮いて慟哭しているではないか。

 

「あああああああああああっ!!」

 

 それだけではない。

 

 大地では、首の無い死体がモゾモゾと、何かを探して這いずり回っている。

 

「恨めしい、恨めしい、恨めしいぃぃぃ!!!!」

「ひ、ひぃぃぃぃぃっ!!」

 

 その、あまりに衝撃的な光景に。兵士の一人は、大絶叫と共に剣を捨てて逃げ出してしまった。

 

「あ、う、うわぁぁぁ!?」

「ゾンビだ、魔性の村だ!! この村に手を出しちゃいけなかったんだ!!」

「あああああああああああっ!! あたしをこんなにしたのはお前かぁぁぁぁ!!」

 

 一人が逃げだすと、それを皮切りに。次から次へと、恐怖に心を折られた兵士たちが先程の『村落』目指して全速力で逃げ始めた。

 

 そのあまりに非現実的な光景に、耐えきれなくなったらしい。

 

「ちょ、逃げるな、お前たち!!」

「……お前か? お前なのか?」

「ひ、来るな化け物!」

「あたしの胴体は何処だ? あたしはどうしてこんなになった?」

「く、く、来るなぁ!!」

 

 そして。数多の戦場を渡り歩いたアマンダをもってしても。

 

 首を切り落とした人間から、呪詛をぶつけられたのは初めての経験だった。

 

「……ちっ!!」

 

 周囲の、自分に付き従っていた兵士は脱落した。もはや、村人を皆殺しに出来るか分からない。

 

 それ以前に、怖い。この村の人間全員、切り殺したら化けて出るかもしれない。

 

 アマンダは、若干冷静さを失いながら、

 

「死者がさ迷うな、とっとと果てろ!!」

 

 そう捨て台詞を残して、逃げ出してしまった。

 

 

 

 

 

 

「ア、アセリオ、ちゃん?」

「むふー」

 

 その後。生首を紐で操って、胴体の中に頭を隠していたアセリオがのっそりと起き上がり。

 

「まったくもって他愛なし。深淵の魔女たる我を相手にするには、早かったようだな」

 

 唖然とするナットリューの方を向き、満面のどや顔をその場で浮かべたのだった。



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逃げたその先は

 どれだけの時間を、稼いだだろうか。

 

「ポート、すげぇ数だぞ」

「あれが、敵の本隊って事だね」

「……あの剣士も居るな。ってことは、アセリオはアイツを追い返したのか?」

 

 遠距離から飛び道具での牽制に特化し、徹底して近接戦を避け続けた僕達の攻撃は、確かに効果をあげていた。

 

 夜が白み始め、もう間もなく朝が来ると言う時間。敵の本隊はここでやっと、村を確保するに至った。

 

 時間稼ぎとしては、これ以上無い戦果だ。

 

「そうよ! アセリオ、あのヤバい剣士を追い返してたわ!」

「リーゼ、無事だったか」

「あの時のアセリオは怖すぎて、私ちょっとチビ……、まぁそれは良いわ!」

 

 森に紛れ、村の様子を伺っていた僕達に話しかける声があった。

 

 それは、今回のMVPの一人だろうリーゼと、その父リオンさんだった。聞くとアセリオは、どうやら期待通りの活躍を見せてくれた様子である。

 

 村一番のトリックスターの名は伊達ではない。

 

「村長代理殿。これで、今回の作戦は成功ってことで良いのか?」

「十分すぎるでしょう。先行した人々を逃がすことが出来れば、完璧な勝利と言えます」

「皆のお陰だな」

「……私、自分の未熟を思い知った。あんな、矢も通じない剣士がいるなんてね」

「リーゼはよくやってくれたよ。正直、想像以上だった」

 

 冒険者さん達には、夜明けと共に都に向かって逃げ出してもらう手筈になっている。僕達も、さっさと逃げ出してしまおう。

 

 今からは日の照る時間帯。闇に紛れる事ができず、あっさり見つかってしまう可能性が高くなる。

 

 これ以上の時間稼ぎは、無謀だ。

 

「あとごめんなさいポート、矢が切れたわ」

「俺も、少し前から矢切れを起こしていた。石ころぶつけて何とかしてたけど、これ以上はキツそうだ」

「もう十分ですよ、撤退をし始めましょう。僕らももう、これ以上戦うのは体力的に厳しい」

 

 僕の体に多量に巻き付けていた縄も、もはや数本。腰紐や首紐は使ってしまうと衣類が乱れてしまうので、なるべく温存したい。

 

 退き時だ。

 

「僕とラルフを中央、リーゼが右翼、リオンさんを左翼に。三角形に陣を組んで逃げましょう」

「ふむ」

「どこかが襲撃されたら、すぐに後の2チームがフォローに入れるようにする。どうですか」

「石投げで良ければ、フォローに入ろう。じゃ、それでいくか」

 

 短く話し合いを行うと、まだ闇が森を包んでいるなか、先行して逃げた人々を追いかけるべく僕達は走り出した。

 

 後は、僕達が逃げ帰ることができたら作戦成功だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 森の中の土を踏みしめ、僕達は走った。

 

 それは、少し油断もあったかもしれない。人間と言う生き物は、何かを達成して一息着いた瞬間が最もミスを犯しやすい。

 

 時間稼ぎは終わった。もう、後は戦う必要はない。

 

 まだ夜の帳が僕達を包んでいる間に、出来るだけ敵から距離を取ってしまおう。

 

 考えていたのは、それくらいだった。

 

 

「あっ……」

 

 

 ────突如として、その矢は飛んできて。真っ直ぐに、紐の装甲が薄くなった僕の腹を射ぬいた。

 

 

 

「……ポート?」

 

 

 

 ジンワリと、鈍い痛みが腹に満ちる。ドクドクと、刺すような痛みが背筋を走る。

 

 とても立っていられない。僕はその場で膝をつき、まだ矢が刺さった腹を真横に倒れ込んだ。

 

「あっ……ああっ……」

 

 僕は激痛に身をよじり、情けなくその場で嗚咽を漏らす。どうやら、僕は射られたらしい。

 

 油断した。何処かに、敵が居る。

 

「……っ!! 前だ、前に何人か居る!」

 

 ラルフはそう叫ぶと、僕を抱えて茂みに転がり込んだ。そのまま、姿勢を低く移動して敵から姿を隠す。

 

 僕は、彼に抱えられて呻き声を溢すことしか出来ない。

 

「待ってろ、今矢を抜いてやる」

「……待って。確か、安易に抜くと、まずかった、筈……。矢を折って、刺さった、ままに」

 

 矢には、返しがついている。矢で人が死ぬのは、回復術師の居ない状況で矢を抜いて大出血をしたケースが多いと、医学書に書いてあった。

 

 矢を刺さったままにして、後で冒険者さんたちと合流し処置してもらおう。戦いに身を置いてきた彼等はきっと、外傷の処置に詳しい筈。

 

「動けるか?」

「いや、厳しい、かな。ごめん、最悪、置いていって、くれ」

「アホ抜かせ」

 

 だが、それより今この状況を打開するのが先決だ。これは相当に不味い、腹が痛くてろくに歩けなくなってしまった。

 

 ラルフにおぶって貰う以外に、僕の生存手段がない。まったく情けない。

 

「う、痛ぅっ……」

「……敵が近付いてきてる、声出すな。俺が何とかしてやるから落ち着け」

 

 弾みでこれ以上深く刺さらないよう、ラルフに矢を折って貰う。その振動で腸がかき混ぜられ、吐き気が込み上げてくる。

 

 ヤバい、この状況はやばい。ろくに考えが纏まらない。

 

 

 

「おうら、出てこい!! そこに居るのは分かってるんだ!」

 

 

 粗野な恐喝が、闇夜に響く。

 

 森の薄闇に、全身に鎧を纏った兵士がのそりと姿を現した。

 

「お前ら、農民の癖に散々好き勝手しやがって! ぶっ殺してやる、なぶり殺しだこの野郎!」

 

 周囲には4、5人の仲間とおぽしき人影がある。人数に差がありすぎる、これは手を出せない。

 

「リットン、落ち着け。大声出すな」

「うるせぇ、落ち着いてられるか。やっと、奴等の一匹を射止めたんだ」

「わざわざ叫ぶ必要はないだろう。此方から場所を教えてしまってどうする」

「構いやしない、逃げれるもんなら逃げてみろ。あの当たり方なら、仕留めてる筈だ」

 

 アイツが僕を射ったらしい。くそ、よくもやってくれた。

 

 その通りだよ、今の僕はとても逃げ出せる状態じゃない。どうする、どうする、どうする?

 

「よくも俺の兄貴を殺してくれたな! 覚悟しろよ腐れ農家ども!」

「……はぁ」

「こっちは正々堂々攻め込んでるってのに、影に隠れてコソコソコソコソと!! 手柄を立てて家族を楽にしてやろうと、意気揚々出陣してきた兄貴! その最期は、卑劣でズル賢いお前らの不意打ちで即死ときた! お前らのせいで!!」

「その辺りにしとけリットン」

「もう俺、堪忍袋の緒が切れたんだよ!! お前らが大人しくさえしていれば、こっちは無駄に人が死ぬことがなかったんだ! 俺達に一泡ふかせてやろうとか、調子に乗った事を考えたんだろう!! ざまぁみろ!!」

 

 何やら、敵の一人がやたらと興奮している。兄弟がやられたのか?

 

 好き勝手を言ってくれる。お前らが攻めてきさえしなければ、僕達はこんな目に遭わずにすんだってのに。

 

「ほら。ほら出てこい!! 地獄を見せてやるからな、覚悟しろ」

 

 だけど、僕を抱えてとなるとラルフは逃げられない。……ここは、諦めてしまった方が良いかもしれない。

 

 敵は短絡的に、僕達の側まで歩いてきている。ここで僕が見つかってしまえば、それ以上周囲を探さないだろう。

 

 ラルフだけでも、逃げて貰う。それで、生き延びて村を纏めて貰うんだ。

 

「……ラルフ。ぼくを、おいて」

「黙ってろ」

 

 意地を張ってる場合ではない。ここは、少しでも被害を少なくするために冷酷になる場面だ。

 

「俺が囮になる。奴等を引き付けるから、その間にリオンさんに背負って貰って逃げろ」

「そんな、きけん、な」

「俺は大丈夫。お前はとっとと先の人達と合流して、手当てして貰え」

 

 しかし、囮になると宣言したのはラルフの方だった。

 

 数人の兵士相手にそんな無茶な。僕よりラルフの方がきっと優れた指導者になるのに、どうして。

 

「……だめ、らる、ふ」

「今夜、お前はよく頑張ったよ。後は任せろ」

 

 そう言うと。彼は僕の頭をくしゃりと撫でて、真っ直ぐに前を向いた。

 

 ラルフの装備は、貧弱な剣1本。鍛冶を営む彼の家は、武器を作るより狩猟具や農具などをメインに製造している。

 

 武器を求める旅人は、滅多に訪れない。この村は、酒造の村なのだから。

 

 だから、ラルフ家の店に用意してある剣や防具は、あまり上質とは言えなかった。

 

「リオンさん」

「ああ。死ぬなよ坊主、娘が泣く」

「モテる男は辛いよな、全く」

「因みに俺はお前なんぞ認めん。貴様に娘はやらん」

「……そりゃどーも」

 

 それじゃ駄目だ。もし君が犠牲になってしまうのなら、僕がやり直した意味がない。

 

 僕をこの辺に捨てて逃げてくれさえすれば、きっとみんな助かるのに。

 

「どうしても欲しければ、俺の前に土下座しに来い」

「……ははは、親馬鹿っすね」

「じゃあな坊主」

「ええ、ちょっと元気でました」

 

 ラルフは貧相な剣を握りしめ、のそりとその場で立ち上がった。

 

「行ってきます」

「らるふ、だめ……っ」

 

 その僕の懇願は届くことなく、ラルフは数人の兵士相手にたった一人で突っ込んでいった。

 

 白み始める空の光に照らされ、その身を晒しながら。

 

「むっ!?」

「まだ動けるか!」

 

 やがて背後から金属音が鳴り響き、幼馴染みの雄叫びが森の中に轟いた。

 

 その怒号を背に、僕はリオンさんに背負われて森の中を逃げ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……村の連中、居たか?」

「周囲には見当たりません」

 

 

 

 

 夜が明け周囲が明るくなって、村周囲の森の中が斥候だらけになっていた事に、僕達は気付いた。

 

 きっと臆病者のアマンダが、合流して本隊を斥候としてばら蒔いたに違いない。

 

「彼処にも敵が居るな。迂回するぞ、村長代理殿」

「……ふっ、ぐぅぅ」

「耐えろ。仲間と合流出来れば、すぐに治療してやる」

 

 夜も明けて、身を隠しにくくなった。敵の数はドンドン増え続けている。こんな状況で動けない僕を抱えて逃げるなど、自殺行為としか思えない。

 

 どうして、僕を見捨ててくれないんだ。悔しくて情けなくて、涙が溢れてくる。

 

「あっ、ぁっ……」

 

 お腹の痛みが激しくなってきた。冷や汗が流れ、体が小刻みに震え出す。

 

 もう無理だ。敵が言っていた通り、これは致命傷なのだろう。

 

 果たして、逃げ出した皆と合流するまで僕は生きているだろうか? 死ぬのだったら、僕を囮にして逃げた方が得策じゃないか。

 

「……不味いな、顔色が悪い。おい村長代理殿、意識はあるか」

「……は、い」

「良し、耐えろ。あの坊主が命懸けで時間稼いでるんだ、お前は絶対生かして見せるからな」

 

 心配げにリオンさんが、僕の顔を覗き込む。僕は相当に、ひどい状況らしい。

 

 ああ、畜生。油断なんてしなければ。死にかけてお荷物になるなんて、情けなくて死にたい。

 

「お父さん」

「リーゼ、どうした?」

 

 不安げな顔で、リーゼが木の上から顔を覗かせる。こんな近くにいたのかリーゼ。

 

「迂回した先にも、敵が結構居る。多少無理してでも、目の前の敵の近くを忍び歩いた方が良いかも」

「……そうか」

「ポート、大丈夫だからね。後は私達に任せなさい」

 

 そう言うと、リーゼは再び木の中に姿を隠した。先行して偵察してくれていたらしい。

 

「声を押し殺せ。行くぞ」

 

 リオンさんに背負われ、ソロリソロリと移動を始めた。目前の敵は、まだ僕達に気付いた様子は無い。

 

 遠目に兵士の顔色を伺うと、かなりの疲れが見えた。彼等も徹夜で行軍して、今も斥候に出ているのだ。多少、集中力は落ちているだろう。

 

「……」

 

 徐々に、敵との距離が詰まっていく。

 

 奴等との距離は、もう10mも無い。僕達は木陰を静かに移動し続ける。

 

 ミシリ、と落ちた枝が小さな音を立てる度に心臓が止まりそうになる。幸い、遠くで聞こえる怒号や朝の風で揺らめく枝葉の音がそれを掻き消してくれていた。

 

「……」

 

 腹に走る激痛は、歯を噛み締めて耐える。呻き声を上げる訳にはいかない。

 

 ただでさえお荷物なのだ。これ以上、迷惑をかけてはいけない。

 

「……」

「おい」

 

 ふと。近くを見張っていた兵士が、声を出した。やはり、こんな近距離を移動しては、見つかってしまうか?

 

「少し小用だ。ちゃんと見張ってろよ」

「わかりました」

 

 そう言って、先輩らしき兵士は茂みに隠れる。見つかった訳ではないらしい。

 

 そのままジョロロロ、という眠たげな兵士の放水音で足音を消しつつ、僕らは兵士連中を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もうすぐ、森を抜ける」

「……は、い」

 

 幸いにして、敵に見付かることはなく森を進むことができた。先行してくれたリーゼや、僕を抱えてなお静かに移動してくれたリオンさんには頭が下がる。

 

 後はこのまま、先行隊に追い付くのみである。

 

「……選択肢は二つだ。まっすぐ都へいくか、村長代理殿の処置を優先して近くの村を目指すか」

「……。ぼくは、いいです。みやこ、を」

 

 リオンさんは、近くの村を目指す提案をした。そんなに、僕の顔色は悪いのだろうか。

 

「村の仲間に追い付いても、最低限の医療器具しか持ち出せてないから満足な治療は受けられん。ラピュールの村は半日で辿り着く、そこで治療を受けてから追い付く方が良い」

「……ですが」

「ラピュールは森沿いだから、隠れながら移動できる。どうだ村長代理殿、悪くない提案だと思うが」

 

 リオンさんは本気でそう提案している。だがそれは愚策、逆に近くの村だからこそ再度襲撃されてしまう可能性も高いのだ。

 

 ここは気力で耐えて、仲間と共に都まで逃げるべきだ。

 

「ポートを抱えてせっかく逃げ出せたのに、移動中に死んじゃったなんてゴメンよ!」

「リーゼ……」

「無理しないで。アンタ、今自分の顔見たらびっくりするから。真っ青でお化けみたい!」

 

 ……あぁ、そうか。つまり、都まで僕が持たないからそういう提案をしているのか。

 

 確かに、さっきから痛みが強まってきている。これ以上続くと、気を失って戻ってこれないかもしれない。

 

「……だいじょうぶ、だから」

「ポート……」

 

 でも。それでも、僕達は都を目指さないといけないんだ。

 

「ぼくだって、医学書は、よんでる」

「……」

「村からもっていくよう、指示したもので、十分に手当てできる、から……」

 

 僕たちの村を占領した彼等が次に向かうのは何処か? それは、間違いなく近くの村だ。

 

 もし僕たちがラピュールに辿り着いたとして、敵襲来の知らせを聞いた彼らに僕を治療する余裕なんて無い。迫り来る脅威から逃げ出そうとすることで手一杯のはずだ。

 

 遠回りになる可能性があるなら、予定通りみんなと合流した方が良いだろう。その方が僕の生存率はともかく、リーゼやリオンさんの危険は少ないはずだ。

 

「敵に先回りされている可能性はないのか、村長代理殿」

「さきまわり……?」

「あれだけの大軍だ。兵士を分けて、村人が逃げ出す方向に兵を伏せるかもしれん。それがあり得るとしたら、ここを真っ直ぐに抜け出すのも危険じゃないか?」

 

 そうか。伏兵か……。

 

 確かに、兵士全員で素直に森に突っ込む必要はない。兵を分けて、村人が逃げ出すだろう方向に伏せるのは戦略としてあり得る。

 

「……たしかに、それは、ある」

「ならば……」

「でも、まだありえない、はず」

 

 ただし。それは、時間に余裕があるケースに限る。

 

 今日のように、指揮官が殺されて慌てて突っ込んできた敵にそんな余裕があるとは思えない。森の入り口から森の裏まで全力疾走すれば半日ほどで回り込めるけれど、深夜に集団でそんなペースの移動するのは難しい。ましてや、土地勘の無い場所で。

 

 後半日ほど経てば怪しいけど、今の時点で先回りされている可能性は低い。というか、あり得ない筈。

 

「むしろ、今のうちに、おいつこう……。敵にほういされる前に、はやく」

「……リーダーはアンタだ、村長代理殿。そこまで言うなら従うが、絶対に死ぬなよ」

「私だけでも、ラルフをここで待つ余裕無いかしら」

「やめて、おいたほうがいい。ラルフを信じよう、ここで彼を待つ意味はない」

 

 ラルフは無茶をやった。だが、彼ならあるいは生き延びるだろう。

 

 しかし、僕達がここに残っても意味はない。むしろここに逃げてくる事に拘らぬ、思いもよらぬ手を使わないとラルフ生存は厳しい。

 

 ……僕さえ置いていってくれたら、君をそんな危険には晒さなかったのに。

 

「じゃあ、都に逃げるぞ。ここからは速度重視だ、まっすぐ突っ走るから揺れるぞ」

「……おねがい、します」

 

 だが、もう僕達に出来ることはない。仲間を、みんなを信じるしかない。

 

 今からの僕の仕事は耐えることだ。ラルフは身を危険に晒してまでして、僕をここまで逃がしてくれた。

 

 後はその思いを受け取って、気力で生き延びることのみである。

 

「先に森を抜けるわ!」

 

 リーゼが先行し、僕達はついに森の外へ出た。後は、遠く先にいる筈のみんなと合流するのみである。

 

 頼むみんな、頼むラルフ。どうか、無事で居てくれ────

 

 

 

 

 

 

 

 

「────あ」

 

 

 

 森を抜けた僕達を出迎えたのは、抜き放たれた無数の刃だった。

 

 その手前で呆然と、間の抜けた顔でリーゼが立ち尽くしていた。

 

 

 眩暈がする。どうして、もう此処に居る?

 

 目の前に広がるのは、獰猛な目をした兵士達。固く剣を握りしめ、戦意高らかに僕らを見つめている。

 

「お待ちしておりました」

 

 その中央、一際存在感を放っているのは女性の将。だが、そんな事はありえない。

 

 物理的におかしいのだ。間に合う筈がない。

 

 理屈の上ではあり得ない光景と、実際に突きつけられた現実に僕はまさに絶句していた。

 

 

 

 

「────私って、怖がりなんです」

 

 

 

 

 目前に広がる軍のその将には、見覚えがあった。

 

 昔、その昔に1度語り合ったことがある。あの時の優しく聡明な面影を残しながら、彼女は語り始めた。

 

「怖がりで、怖がりで。どうしようもなく怖かったので」

 

 だが、そんな事はあり得ない。ここにあの娘が来ている筈がない。

 

 ここから都まで、急いでも2日はかかる。そこから、最速で準備を整えて折り返しても4日。

 

 僕達の救援要請が、そんなに早く帰ってくる筈がない。

 

「隣国の不穏な気配に怖がって、お父様に黙って先行して来ちゃいました」

 

 

 

 だが、彼女はそこにいた。

 

 精強、勇猛果敢で知られる領主軍。それらを両翼に従えたイヴ────イブリーフが、森を抜けた僕達を出迎えたのだ。

 

 奥に、村のみんなも合流しているのが見えた。彼等は、もうイヴに保護してもらっていたらしい。

 

「……今度は約束通り。たくさんの護衛さんと共に、訪ねてきましたよポートさん」

「イ、ヴ……?」

「酷い傷。……医療班、早く手当てを」

 

 優しく語りかけてくるイヴのその目は、何処までも透き通っており。同時に、何とも言えぬ妖艶な『凄み』を放っていた。

 

 前世のイブリーフや、幼い頃の彼女には感じなかった、確かな『上に立つものの凄み』。それは、まるで幼い頃に見た今代の領主様のような怪物の気配。

 

 

 

「さて、兵士の皆さん。やることはもう、分かってますね?」

 

 

 

 イヴの余りの別人ぶりに呆然としていると、周囲に回復術師らしき人が集まってきた。そのまま、テキパキと僕を運ぶべく背負いあげてくれる。

 

 ……ああ。そうか。

 

「鉄槌を。我が領土を犯し、村民を苦しめた傍若無人な暴威に報復を」

 

 ああそうか、僕達は……。

 

「普段は臆病者と謗られている私も、友人に手出しされて流石に頭に来ましたの」

 

 金色の髪を靡かせた臆病者の次期領主は、目に憤怒の炎を浮かべてまっすぐ森へ向けて右手を下す。

 

「全軍、突撃」

 

 その静かなイヴの号令と共に、勇猛な兵士達は森へと突進した。

 

 彼等の野太い雄叫びを聞いて、僕はそれを実感した。

 

 

「たす、かった……?」

「ええ。もう大丈夫ですとも」

 

 

 ────僕達は、助かったのだ。

 

「後は我々にお任せくださいな」

 

 イヴはそうクスリと微笑むと、兵士達と共に森の中へと入っていった。

 

 その様を、僕は呆然と見送る事しか出来なかった。



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二人は永遠に

「どうした、まだ見つからないのか」

「……ええ、申し訳ありません」

 

 女剣士は、村を確保した後にすぐさま周囲を偵察する指示を出した。

 

 理由は簡単、村の連中が奇襲を仕掛けてくる可能性を考えたからである。

 

「その少年は、確かに向かってきたのだな?」

「はい」

 

 アマンダは、不安を感じていた。それは追い詰めている筈の敵が、斥候に向かって突進してきたと言う報告が有ったからだ。その敵は兵士数人を相手に大立ち回りを見せ、一瞬のスキを突き再び森に逃げ込んだという。

 

 窮鼠、猫を噛む。実際、ラルフは友人を守るため突進しただけなのだが、用心深いアマンダの受け取り方は違っていた。

 

「絶対に追い付かれてはいけない理由が、何かあるのか?」

 

 一度は奇術師にパニックに陥らされた彼女も、再び冷静になって追撃に出た。そしアセリオが置いていった生首(燃え殻付き)を見つけ、昨晩の怪奇現象はただの農民のこけおどしだったと気付いた。

 

 それが、どうにも腑に落ちない。敵が、ただの農民にしては優秀過ぎないかと。

 

 狙撃の名手に超絶技巧の大道芸人、こちらの心を削ぐ指揮官に加え、数で勝る兵士と打ち合って逃げおおせる戦士まで居る。

 

 彼女からはまるで村に何か重要な機密があり、それを守るために編成された特殊な訓練を受けた兵士にすら見えていた。

 

 だとすれば、その村の『秘密』を守るために敵はどんな手を打ってくるかわからない。普通の村を襲撃したつもりが、薮で蛇をつつく行為だったなんて事もありえる。

 

「王の隠し子とか、匿われてないだろうな……」

 

 アマンダは迷う。農民の数を減らすのが主目的ではあったが、敵が精鋭となれば話は別だ。そこそこに味方の被害も出ている今の状況で、被害を増やしてまで虐殺を続けることにメリットがどれだけあるか。

 

 ────当然ながら、これはただのアマンダの深読みである。しかし、その深読みのせいで進軍は益々遅れていた。

 

 

 

 

 

 そして、明朝。日が周囲を照らし、森の腐葉土に光が届き始めた頃。

 

 ついに、アマンダが恐れていたその瞬間が訪れた。

 

 

「アマンダ様、敵です!」

「……やっと、捕捉したか?」

「いえ、違います!」

 

 

 今回は色々と腑に落ちない点の多い侵攻戦だった。しかし、その違和感は報告を聞いて消え去った。

 

「この地の正規軍が、森へ展開されています!」

「……。やはり、ただの村では無かったか!」

 

 このタイミングで正規軍が姿を見せたときいて、アマンダは納得した。ただの農民が襲撃されたにしては、対応が早すぎる。近くに隠し戦力がなければ、この迅速な対応はあり得ない。

 

 やはり、この村には敵にとって重要な秘密が有るらしい。ならば、今の戦力では不利である。

 

「撤退だ、退くぞ! この軍の練度では、正規軍相手に勝負にならん!」

「……はい、了解です!」

「ついてない、本当についてない。どうしていつも貧乏くじばかりっ……」

 

 何故なら今、アマンダが率いているのはお世辞にも精鋭とは言えないからだ。一部の老兵を除けば、基本的には訓練を終えたばかりの駆け出し兵士だらけ。今回が初陣という連中が半数以上だ。

 

 そもそも今回の作戦で、本格的な戦闘は想定していない。練度が低い連中に、農村侵略で実践経験を積ませる腹積もりだった。

 

 そんな弱兵で百戦錬磨のこの州の正規軍を相手に挑めば、結果は火を見るより明らかである。

 

「少しでもこの軍の被害を減らす。新兵は全員逃がせ、どうせ何の役にもたたん! 中堅以上は、私と共に殿だ!」

「はい!」

「負け戦だ、一人でも無事に家へ帰りつくことが勝利条件と考えろ! 拠点は放棄、戦利品も捨て置け!」

 

 アマンダは切り替えが早かった。即断即決しないと、状況が刻一刻と変化していく戦場では有効な指示が出せない事を知っているのだ。

 

 早めに撤退し、少しでも被害を減らす。それはきっと、この場において最適解だったかもしれない。

 

 だが同時に、農村1つ攻め落とせず逃げ出した指揮官であるアマンダは、帰国後にどんな処罰が待っているかを悟った。

 

「……はぁ。どうせ逃げ帰っても、私は処刑だろうな」

「アマンダさん……」

「ならばここで命を捨ててやる。一人でも多くの兵の命を守って見せる。それが軍人たる私の矜持だ」

 

 侵略者たるアマンダの立場は、ここで一転し窮鼠となった。こうなればもう、猫を噛むくらいしか出来ることはない。

 

「……」

 

 彼女には家がない。家族もいない。

 

 生きて帰っても、アマンダは誰にも出迎えられない。ならば、彼女の死に場所はここだ。

 

「グラン。……今日、私はそっちに行くことになるかもね」

 

 孤独な女剣士は、虚空を見つめて独り言をこぼした。

 

 

 

 

 アマンダには、かつて戦場で愛を誓いあった男性がいた。名をグランと言う。

 

 彼は戦場には似つかわしくない優しい男で、戦友を愛し部下を愛し、周囲の誰からも慕われていた素晴らしい男だった。

 

「……」

 

 だがそんな彼の最期は。自身の溢れでる優しさから、敵の子供だけでも逃がそうと背を向け、その子供に殺されるというあっけないものだった。

 

 結婚を目前に控えていたアマンダは三日三晩泣き続けた。しかし高潔だった彼の想いを汲んで復讐に走るようなことをせず、グランに生涯の操を立てることを誓い女を捨て軍人として生きていくことを決意した。

 

 その後、彼女は現場の叩き上げ女士官として頭角を現していく。アマンダと戦場を経験すれば大概の兵士は1人前に育つとまで言われた、優秀な教育武官として。

 

「グラン、私に最期の勇気を頂戴」

 

 その根底には、彼のような優しい兵士を二度と失ってはいけないという、彼女自身も気づかぬ心の誓約があったのかもしれない。

 

 彼女は熱心に、部下を一人前に育つよう指導を続けた。新兵からは口うるさい、忌み嫌われる上官として陰口を叩かれ続けながらも、彼女は職務を全うし続けた。

 

「隊列を崩すな。まずは敵の出鼻をくじくぞ、一発かまして怯ませればそれだけ味方の被害を減らせる」

 

 死を覚悟した軍人ほど強いものはない。ましてや、優秀な叩き上げ軍人で張るアマンダならなおさらだ。自身の生還など度外視で、アマンダは敵に特攻を仕掛ける決断をした。

 

 長年苦楽を共にした愛剣を握りしめ、あわよくば敵の将を討ち取ってやろうと殺意を滾らせながら、アマンダは突進した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「死ねっ!!」

「……ぐ。この女、手強いぞ。みんな集まれ!!」

 

 領主軍の強さは、本物だった。

 

 特攻を仕掛けて1時間も経たぬうち、彼女と共に捨て身の特攻を仕掛けた数少ない中堅以上の兵士達は、もはや一人も残っていなかった。

 

「まだまだ!! 女一人ろくに殺せぬ弱兵ばかりか、この地方の正規軍は大したことないな!!」

「この女に迂闊に近寄るな!! 遠巻きに矢を放て!!」

「弓矢がどうした、そんなもので私の首が取れるか!!」

 

 しかし、たった一人になりながらもアマンダは奮闘した。

 

 少しでも派手に暴れて、少しでも多くの兵を逃がす。それこそが、この場における彼女の役割だった。

 

「これで、また一人!!」

 

 アマンダは熟練の剣士である。彼女は前線に身を置いてこそ真価を発揮する人間であり、だからこそ斥候部隊の隊長兼、教導員として前線に立ち続けた。

 

 しかし。本来であれば彼女の剣の腕は、将軍として列挙されてもおかしくないほどに、研ぎ澄まされていた。

 

「囲め囲め、絶対にこの女を逃がすな!! 相当な将だぞ」

「二人以上で斬りかかれ! 前後からの連携を意識しろ!」

 

 アマンダを包囲する兵士は、一人一人と切り倒されていく。平民の女だてらに身一つで軍功を立てて、大国の斥候部隊長を任されているアマンダの剣術は伊達ではない。

 

「次はどいつだぁ!!」

 

 ……だが、しかし。

 

 それでもこの州の軍は強力で、精強で、勇猛だった。

 

 

 

 

「やあやあ」

 

 

 

 彼女の背後に、ぬっと巨漢が現れる。

 

 それは大きなひげを蓄えた、アマンダの体躯と変わらぬ大きさの斧を片手で掲げている筋骨隆々の化け物。

 

「私はイシュタール侯爵家三将の一人、ゾラである」

 

 名乗りは戦場の花。だが、いきなり現れて既に斧を振りかぶっている大男は、アマンダの返答など待つつもりはなかった。

 

「では、死ねぃ」

 

 彼は領主軍の中でも、指折りの猛者。現領主とは竹馬の友であり、数十年にわたり共に戦場を駆け抜け続けた老練の勇将。

 

 アマンダ等よりもよっぽど戦場を経験してきた、正真正銘の豪傑である。

 

 

「あああああああああああっ!!!」

 

 

 アマンダは咆哮し、その一撃を避けて飛ぶ。

 

 大将首だ。どうせ死ぬなら冥途の土産に持っていきたかった、念願の大将首だ。

 

 老いぼれ老人ではあるが、コイツの首を取れば敵の指揮系統を乱せる。味方が撤退する時間を稼げる。

 

 アマンダは、これをすさまじい幸運ととらえた。

 

「帝国軍、特務先行部隊隊長、アマンダだ。貴様の首を飛ばす女だ、墓石に私への恨み節でも刻むといい!!」

「……」

 

 斬り返す女剣士の一撃は鋭かった。

 

 アマンダは人生でこれほどまでに、戦意を高ぶらせたことはない。かつて恋人を殺された時でさえ、戦意を飲み込んで泣いた女だ。

 

 そんなアマンダが、人生の終局にあたり初めて見せた動物的な咆哮だった。

 

「ああああああああっ!!」

 

 その剣は鋭い。

 

 きっと、彼女の人生で最も鋭い剣筋だろう。本来は将軍として任じられてもおかしくない腕のアマンダが、何もかもを投げ捨て目の前の敵だけを見据えている状況で、その剣は研ぎ澄まされていった。

 

「ゾラ様!!」

「寄るでない!!」

 

 それは、百戦錬磨の老将をもってしても止められない攻勢だった。ジリジリと、老練の勇将は押し負けて一歩ずつ後退していく。

 

 余りの凄まじい打ち合いに周囲の兵士が手を出せず固唾をのむ中、豪傑と女剣士は無心に打ち合い続けた。

 

 

「……ぬぅ!!」

 

 

 やがてピシャリ、と血飛沫が舞う。大男の人差し指が、女剣士の袈裟切りに巻き込まれ森へ落ちる。

 

 それと同時に、握る力を失った豪傑の拳から、大斧が滑り落ちた。

 

「────貰った」

 

 これが、アマンダの人生最後の輝きだった。

 

 自分より格上だろう敵将に、周囲を囲まれている不利な状態で相対し、正面から打ち勝つ。

 

 敗北の将たるアマンダからして、これ以上無い大戦果といえるだろう。

 

「私の勝ちだ、好敵手ゾラ────」

 

 武器を失い、防ぐ手段も何もない老人を前に、アマンダは久しぶりに心からの満面の笑みを浮かべ斬りかかって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「死ぬのはお前だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突如、アマンダは木から飛び降りてきた「誰か」に肩を深く斬りつけられた。

 

「……えっ」

 

 その誰かは、間髪入れずにアマンダの胸を貫く。背後から、心臓目がけて一撃に。

 

 それは奇しくも、彼女の婚約者グランと同じ致命傷だった。

 

「だ……れ?」

「死ね、死んじまえ、悪魔!」

 

 全身の力が抜け、老いた豪傑にトドメを刺すこともかなわず、アマンダは森に伏せた。

 

 僅かに残った力で敵を見上げると、そこにいたのは涙を目にいっぱいに浮かべた少年だった。

 

「死ねっ!! 死ね、死ね、死ね、死んでしまえ!!」

 

 彼はアマンダの髪を掴み、罵声と共に何度も何度も地面に頭を打ち付けた。

 

「お前が────、お前さえいなければ! ランドさんも、ナタリーさんも、赤ん坊も!!!」

 

 困惑が覚めぬ中、頭に走る激痛と体躯に感じる突き刺さった冷たい鉄の感触に、アマンダは自らの死を察した。

 

「感情を知らない悪魔め! 人の心を持たない悪鬼め!! 他人がどうなろうとしったこっちゃない貴様も、おのれの体を打たれれば痛いだろう!!」

 

 その少年の涙混じりの絶叫を聞き、アマンダは彼が自分が襲った村の人間であると知った。

 

 おそらく仲間を殺され、復讐の感情に飲まれているのだろう。成程、私に相応しい末路だとアマンダは自嘲した。

 

「痛いか、苦しいか!? どうだアマンダ、ええ!? ランドさんは、ナタリーさんは、もっともっと苦しかったんだぞ!」

 

 抵抗する気力すら残っていないアマンダに、容赦なく暴行を加え続ける少年。その様子を、唖然と見つめることしかできない周囲の兵士。

 

「これで人の痛みがわかったか!! これで反省したか!? あの世で3人に謝ってこい!」

 

 少しづつ、遠のいていく意識。ぐにゃりと歪み、赤く染まっていく視界。

 

 アマンダは、僅かに残った力で腰に入れていたお守りを握りしめる。それは、婚約を受けた日に恋人から贈られた『お互いの生還を祈る』様にまじないを込めた木彫りの花。

 

 グランの、形見と言えた。

 

「3人に土下座して、地獄に落ちろ人でなし!」

 

 その呪詛と共に、アマンダの頭蓋骨が砕け脳が飛び散る。

 

 そして訪れる死の間際、アマンダの唇が微かに揺れ動いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ねぇ、グラン」

 

 それはきっと、誰にも聞こえぬ呟きだっただろう。

 

「やっと、一緒だね」

 

 そして、女剣士は息絶えた。



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恋の結末

「……ポート。『奴』が、帰ってきた」

「本当かい!」

 

 突貫工事で平原に建設された、簡易テント。イヴの部下達は、ここに医療本部を設立し重傷者を運びこんだ。と言っても、現時点で重傷者は父さんと僕くらいだけど。

 

 その父さんは既に治療を施され、僕が辿り着いた頃には既に立って歩ける状態だった。父さんは矢傷を負った僕を見て、元気にわんわん泣きながら抱き付いてきた。ちょっと鬱陶しかった。

 

 あと僕の怪我は、実は矢の返しに割と凶悪な毒が仕込まれていたらしく、あの場で引き抜いてたら即死だったらしい。

 

 矢はヒーラーさんに解毒魔法をかけられながらゆっくり慎重に取り除かれ、それでも一部体に残った毒があるかもしれないから絶対安静を言い渡された。

 

 処置中は、あまり痛みを感じなかった。イヴの部下さんは丁寧で良い仕事をしてくれたらしい。

 

 てな訳で、僕は幼馴染みに囲まれたベッドの上で包帯だらけになりながら、安穏と彼を待つことしか出来なかった。

 

「……おう。戻ったぜ、みんな」

「ラルフ!!」

 

 ケロリとした幼馴染みの顔を見て、安堵の涙が滴る。

 

 僕は正直、今回ばかりは流石のラルフでもヤバいんじゃないかと気が気でなかった。彼は戦闘訓練など受けていない素人だ、そんな彼が訓練された敵に突っ込んで生存率がどれくらい有っただろう。相当に、か細い綱渡りをしたに違いない。

 

「無事だったんだね! よかった、怪我はないかい!?」

「一番の重傷者が何言ってやがる。俺は無傷だよ、無傷」

 

 ラルフはその言葉通り、ピンピンしていた。怪我らしい怪我も見当たらない。

 

 ああ、良かった。

 

「まぁ、実はちょっちヤバい所はあったんだがな。敵兵に武器を弾き飛ばされて、絶体絶命で」

「お、おいおい。どうしたんだい、その時?」

「たまたま近くに落ちてた武器を拾った」

 

 そう言ってニヤリと笑い、ラルフは手に持った剣を見せる。それは、

 

「────エイラ?」

「あー、それそれ。村の宝物剣だろ、これ」

 

 ラルフの命を救ったと言うその武器は、父さんが持ち出してそのまま行方不明になった儀礼剣エイラだった。

 

「こいつがたまたま近くに落ちてて、俺の身を助けてくれた。マジで、村の宝物だぜこれ」

「……。そっか、なら大事に奉らないとね」

 

 そうか、僕が射られてラルフが囮になったあの場所は、父さんとアマンダが打ち合った場所のすぐ近くだ。

 

 あの時のエイラがたまたま、近くに弾き飛ばされていたんだろう。

 

「……その剣、凄かったぜ。めっちゃ固くて切れ味も良い」

「まぁ、本物の名刀らしいからね」

「いつか、こんな刀を打ってみたいもんだ」

 

 鍛治の家の跡取りであるラルフは、本物の名刀を握って何か思うところが有った様だ。何やら愛おしそうに、ラルフはその剣を眺めている。

 

「あと、アイツは仕留めたぜ」

「アイツ?」

「アマンダだ」

「……えっ!?」

 

 彼は宝物剣を皮の鞘に納めると、静かな口調でそう言った。

 

「俺が、殺した」

「……そうかい」

「出来るだけ苦しめて、殺してやった」

「……お疲れさま、ラルフ」

 

 そう言って剣を見つめるラルフは、何処か鬼気迫る様に見えた。きっと、まだ消化しきれない何かがあるのだろう。

 

 僕だってそうだ。だけど、今は表に出さないでおこう。

 

「あの女剣士、仕留めたの? 流石ラルフね!!」

「まー、不意打ちだけどな」

「アイツ、雑魚。我が必殺の黒魔術に、恐れをなして逃げ出した弱虫……」

「あー! それよそれ! めっちゃ怖かったじゃない、どうしてくれるのよ!!」

「……何が?」

「そりゃ、漏……何でもないわよ!!」

 

 アセリオは、期待通りの仕事をしてくれたらしい。

 

 逃走直前、僕は彼女に「敵が追撃先を誤認するような魔法か、追撃する気が無くなるような魔法は無いか?」と尋ねてみたら「どっちもある」との頼もしい返答を貰った。

 

 なので殿を任せてみたのだが……、大正解だった様だ。

 

「俺は、特に治療は要らんと言われたな。ただ、疲れ果ててるから寝ろってさ」

「そうだね。僕もラルフが心配で寝付けなかったけど、君が戻ってきてくれたならひと安心だ。何だか凄く眠くなってきた」

「……ふわぁ。言われてみれば私もちょっと眠いわね。着替えて寝ようかしら」

 

 ああ、良かった。あれ以上の被害を食い止められて、心から安心した。

 

 ランドさん達の仇も取れたみたいだし、肩の荷がひとつ降りた気分だ。

 

「簡易テントはまだ幾つかある。そこを借りて寝よう」

「そうだね」

 

 こうして、一晩の戦争を乗りきった僕達は束の間の安息を得た。

 

 辛いこと、苦しいこと、その他諸々を忘れて暖かな布団に入る。

 

 本当はもっと考えるべき事がたくさん有るんだろうけど、今この瞬間だけは何もかも忘れて泥のように眠りたかった。

 

 そうしないと、重すぎる何かに押し潰されてしまいそうだったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────ラルフ」

「ああ、ポートか」

 

 夜。

 

 今もなお戦闘が続いている森の外で、僕は重すぎる体を引き摺りながら外へ出た。

 

「君も、来たんだ」

「ああ。寝過ぎたな、俺達」

 

 みんながイヴに保護され、床についた後。

 

 リーゼやアセリオ達は昼過ぎに目を覚ましたそうだが、僕とラルフはいっこうに目覚める気配が無かったらしい。

 

 僕は重傷だった疲労、ラルフは単純に過労だろう。そんな僕たちがようやく目を覚ましたのは、夜が再び森を闇に包んだ後だった。

 

 寝惚け眼のリーゼは、僕と交代におやすみと良いながら床についた。起こしてくれても良かったのに。

 

「今日は寝かしておいてやれ、とレイゼイ翁が言ったらしい。一番疲れてるのはこの二人だ、とか言ってさ」

「レイゼイさんが」

「とはいえ、確かに起こしてほしかった。こんな時間に目覚めちまっても困る。いっこうに眠くならん」

「同感だよ」

 

 実に中途半端なタイミングで目が覚めてしまった。どうせなら明日の朝までグッスリ寝ていたかった。

 

 こんな真夜中に起きてしまっても、困るだけだ。

 

「……なぁ。少し、夜明かしに付き合え」

「良いとも」

 

 ラルフは星の光の下、夜の野原に腰掛ける。僕もそれに倣って腰を落とすと、彼はポツリポツリと話し始めた。

 

「生まれて初めて、人を殺した」

「……僕もさ」

 

 ラルフは、そう言うと目を伏せる。やはり、そこを気にしていたか。

 

 正直なところ、僕は人を殺したと言う感触に乏しい。いつも練習している通り、ボーラを敵に投げつけただけだ。

 

 だけど、余裕がある時はラルフに敵兵を殺して貰った。その方が、死体を見た敵の恐怖と警戒を煽れると思ったから。

 

「……人って硬いんだな」

 

 つまり、僕と違ってラルフは、直接人を殺したんだ。ボーラが絡まり身動きのとれない敵に、刃を突き立てて殺した。

 

 彼の手には、のっぺりと人殺しの感触が残っているのだ。

 

「固くて、生暖かくて、粘っこい。それが、人だった」

 

 そう言うラルフの声は、微かに震えていた。

 

「落ち着いて、ラルフ」

「アイツらが憎かった。殺されて当然と思った。だってそうだろ? アイツらが仕掛けてきたんだ」

「そうだよ、その通りだ」

「でもさ、言ったんだ。敵の一人が、殺される直前に『おかぁ、ゴメン』と言ったんだ」

 

 ガタガタと震え始める、僕の幼馴染み。……ああ、僕は何て馬鹿なんだ。

 

 ラルフはまだ、成人したばかり。僕らのなかで、良くも悪くも一番子供っぽい男。

 

 彼にはまだ、何の覚悟も決意もない。ただ、ラルフは僕を守ろうとしてついてきてくれただけなんだ。

 

「殺してしまった。殺しちまった!」

「……違う、僕達は身を守っただけさ」

「あの兵士には親がいた。あいつの帰りを待ってる親がいたんだ。見ればまだ、俺達とそんなに年が変わらない兵士だった。きっと、無理矢理アイツも従軍させられてたんだ!」

「落ち着いて、それは君の妄想だよ」

「落ち着けるもんか!!」

 

 僕は浅はかだった。もっと考えるべきだった。

 

 どうして僕は、幼馴染みに一生消えることのない十字架を背負わせるまで、ラルフの事を気にかけてやれなかった。

 

「アマンダとか言う奴の頭が砕ける感覚も、グニャリとしてゴリッとした少年兵の喉笛の感触も、全部全部残ってる!!」

「……」

「怖い、怖いんだポート。こんな暗い中眠ってたら、アイツらが闇に浮かんできて、俺を呪うんだ────」

「……大丈夫だから、ね」

「お前が悪い、お前のせいだ、よくもこんな、って! 俺に呪詛を投げ掛けて、振り払っても振り払っても沸いてくるんだ!」

「違う、そんな訳ない。君は何も悪くない」

「でも、現にあいつらはそう言うんだよ!!」

 

 幻覚、幻聴か。こういう症状は戦場帰りの兵士に、たまに起こると聞く。

 

 心優しい人間であればあるほど、戦争の狂気に耐えきれず精神を病み、幻に苦しむようになるのだと。

 

「……ラルフ、落ち着くんだ。君の目の前には、僕しかいない。ここには、死んだ連中なんかいないんだ」

「分かってる。分かってるんだけど……、分かってるんだけど!」

 

 ラルフは、情けなく鼻水を垂らしながら、ゆっくりと僕に抱き着いた。

 

「怖ぇ……、怖いんだポート」

「ラルフ……」

 

 そんなラルフの体は、思った以上に大きくて、力強くて、そしてか弱かった。

 

「情けねぇよな、格好悪いよな。でも、こうして誰かを抱きしめてないと不安でしょうがないんだ」

「そうか」

「ごめん、本当に悪い。ちょっとの間でいいんだ、こうさせてくれポート」

「構わないさ」

 

 ガタガタと震える、男の幼馴染。強い筋力で僅かに軋む、僕の身体。

 

 それは、普段の彼からは想像もつかない臆病な姿だった。

 

「……ふ、ふぐっ」

「大丈夫、大丈夫だから」

 

 時折零れるラルフの嗚咽を、背中をさすって受け止めてやった。

 

 彼が決死の覚悟で僕を逃がしてくれたから、こうして僕はここにいる。なら、こうなった彼を宥めてやるのは僕の仕事だ。

 

「……」

「……落ち着いたかい?」

 

 そのまま、ラルフに抱きしめられること数分。ゆっくりと、ラルフの震えが消えていった。

 

「……」

「……」

 

 無言の時間が、過ぎていく。闇夜で二人、僕とラルフは静かに抱き合っていた。

 

 誰もいない深夜の夜営、年の近い男女が二人、何も言わずに互いの体温を感じ続けた。

 

 そしてそれは、ラルフにとってはきっと耐えがたい誘惑だったに違いない。

 

 僕にそのつもりはなくとも、彼はやがて何かのスイッチが入った様に────

 

 

 

「……ひっ!?」

「……動くな、ポート」

 

 

 

 僕の身体を、まさぐり始めた。

 

「え、ラルフ?」

「……」

 

 動揺した僕とは対照的に、ラルフは据わった目で僕の服の中へと手を進める。その瞳には、確かな情欲が宿っていた。

 

 この男は、突如として僕に発情したのだ。

 

「……ああ、そっか」

 

 そういえば、聞いたことがある。兵士は、戦場帰りに女を抱くのだと。

 

 戦争の狂気に心を持っていかれそうになった時、獣の欲望に身を任せる事で精神の安寧を保つのだと。

 

 いつ命を落とすかわからぬ状況下では、際限なく子孫を残そうという本能が活性化する。それは、自然な感情であるらしい。

 

「ラルフ、それが君の怯え方なんだね」

「……」

 

 力じゃ、抵抗が出来ない。説得は出来そうにない。

 

 そもそも、この展開は願ったりだ。元々、誘惑して娶って貰う作戦だったんだ。

 

 理由はどうあれ、これでラルフは村長に────

 

 

 

「ポートっ……、俺っ……俺!」

 

 

 欲望のまま僕を襲い、土へと引き倒したラルフ。彼は大粒の涙を目に浮かべ、悔しげに泣いていた。

 

「俺、こんな、情けないっ……」

「良いんだよ。うん、怖いんだよねラルフは」

 

 ああ、野暮だ。野暮すぎる。

 

 責任を、取らせるだって?

 

 こんな、子供が泣きじゃくっているような状態のラルフに、抱いた責任なんて取らせられるはずがあるか。

 

「良いよ。今日はいつもみたいに、責任取れなんて言わないから」

「……」

「僕で良ければ、どうぞ。それが、君の助けになるのなら────」

 

 ラルフは僕の恩人だから。僕は、黙って彼に身をゆだねよう。

 

 少しでも、彼の罪悪感が無くなるよう。僕は出来るだけ落ち着いた声で、笑みを浮かべてラルフを受け入れた。

 

「……」

 

 正直、怖くはあるけれど。それ以上に、今の怯えたラルフを放っておけなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「あーっ!!! もう、糞ったれぇ!!」

「……え?」

 

 

 

 

 

 

 そのまま黙って目を瞑って待っていると、ラルフはおもむろに大地に頭を打ち付け始めた。

 

 ……何だ? 恐怖でついに狂ったのか?

 

「ゴメン。本当に、申し訳なかったポート!」

「え、ラルフ?」

「今正気に戻った。ああ、もう正気だとも! ぬがあああ!!」

 

 自称正気に戻ったというラルフは、狂ったように地面に頭を叩きつけ続けている。

 

 ……とうとう、正気を失ってしまったらしい。

 

「……ごめん、なんかムシャクシャしてお前を襲いかけた。許せ、何でもするから」

「いや。……僕の話聞いてた? 好きにしろって言ったじゃん」

「言わせたんだよ、あんなの。……お前の、恐怖に顔歪めながら笑った顔見て頭冷えたんだ」

 

 ……。

 

「すまん。怖い思いさせて、本当にすまなかった」

「え、えっと」

 

 そんなに僕は、今怯えた顔をしていたのだろうか。出来るだけ表情には出さないようにしたつもりだったけど。

 

「あー。あー、情けない。情けなすぎて死にたくなってきた」

「……君に死なれたら困るよ」

「いや、本気ではないんだが。あー、こうやって愚痴るのすら情けねぇ」

 

 ラルフは突然、頭を抱えながら情けないと連呼し始めた。やっぱり、正気に戻れてないんじゃないだろうか。

 

「……なぁ。ポート、お前は平気なのか?」

「何が?」

「今日のことだ。俺は情けなく取り乱しちまったけど、お前はどうなんだ。お前にも抱えて、吐き出せそうにないものが有るんじゃないか?」

 

 おお、僕を心配してくれているのか。

 

 まぁ、何も感じていない訳ではないのだけれど……。僕はラルフと違って、前世の凄まじい悲劇を経験しているからね。

 

 人の死に耐性があるのか、思った以上に動揺していない。

 

「こう、俺も弱音吐きまくったしさ。お前も、何か吐いても良いんだぜ」

「……ぷっ。ははは、そういう魂胆か」

 

 急に僕を気にかけてたと思ったら、つまりは僕にも弱音を吐いて貰いたいわけね。それで、イーブンにしようという訳か。

 

 まぁ、確かに僕にも叫びたいことはあるけど。でも、それを表に出すつもりは毛頭無いんだ。

 

「ゴメンね。僕は村の長になる人間だから、簡単に弱音を見せる訳には行かないの」

「……おいおい」

「指揮を執る人間が、周囲に弱音を撒き散らしてたらどんな気分になるかな?」

 

 そう。僕は、誰彼構わず泣き叫んで良い人間ではないんだ。

 

 前世では、それを意識しすぎて誰にも助けを求められなかった。それが、滅びの原因の一端となった自覚はある。

 

 だけど指揮を執るものは、自らの作戦に自信を持たなきゃいけない。不安を隠そうともせず周囲に撒き散らす事は、ただ混乱を生むだけの愚行である。

 

「じゃあ、お前はどうやって折り合いをつけるんだ」

「そうだね。僕が誰かに弱音を吐き出すとすれば、僕を娶ってくれる人だけ」

「……」

 

 だから、僕は君に娶って貰いたかった。正々堂々と、泣きつける相手が欲しかった。

 

 ラルフが村長であるのなら、僕は彼に弱音を吐くだけの名分を得る。

 

「君が婚約してくれたら、ここで泣きついてあげても良いよ?」

 

 ……ああ、そうか。こうやって気持ちを整理すると、改めて自覚した。

 

 僕は弱音を吐きたかったんだ。誰かに助けを求めて、泣きつきたかったんだ。でも、僕の理性的な部分がそれを許さなかった。それが、前世の僕の最大の失態。

 

 だけど、皆に相談しなかったのは決して間違った行動じゃない。組織の長は、集団に利益ある制約を課さねばならない。だというのにその長の意見が、集団に左右されてしまっては本末転倒だ。

 

 ────まぁ、つまりは。僕が、人の上に立つべき器を持っていなかった、その一言に尽きる。

 

「どうする? とりあえず、いっぺん婚約して、僕の愚痴を聞いてくれる?」

「……あのなぁ」

 

 そういって悪戯っぽく笑いかけると、ラルフはやや落ち着きを取り戻したように見えた。もう、彼の瞳には先程までの恐怖の感情が浮かんでいない。

 

 ……少しは、気が晴れたみたいだ。

 

「お前はそれで良いのかよ。好きでもない相手と結婚なんてさ」

「むー、女の子が好きな僕としてはちょうど良い妥協点なんだよね、ラルフって。ついでにリーゼとアセリオも娶って、4人で仲良く夫婦生活が僕の一番の理想の結末かな」 

「……お前なぁ」

「最終的にはラルフそっちのけで、女子3人でエッチな事を……」

「俺を省くな!」

「君は村長の仕事して、お金を稼いでくれてたらそれでいいよ」

「やっぱり、コイツと結婚しても驚くほど俺にメリットがねぇ!!」

 

 まぁ、今は冗談めかして言っているけど、割と本気でその結末を狙っていたりする。

 

 ラルフハーレムを内部から乗っ取りつつ、村の危機は僕とラルフの2人で対応できる体制を作り上げる。これが、僕の人生で最も幸福な終着点だ。

 

 これに関しては、ラルフにどこまで甲斐性が有るかかかっているが。

 

「……なぁ、ポート。今のがどこまで本気か知らねーけど、俺はやっぱ2人以上と結婚するのはなんか違う気がする」

「貴族ではよくあることだよ?」

「俺は貴族でもなんでもねーし。それに、なんだ」

 

 だが、肝心のラルフ君はハーレムに乗り気ではないらしい。だとしたら、僕の目論見はほぼ破綻してしまう。

 

 何とか、意見を変えさせないと。

 

「あー。うー、その。アレだ」

「歯切れが悪いねラルフ。ハーレムの何が不満なのさ」

 

 自分で言うのもなんだが、僕自身も割と可愛い部類だと思うし、アセリオやリーゼだって物凄い魅力的な女の子だ。こんな女の子3人に囲まれて結婚生活とか、男としての一つの究極目標だろ。

 

「俺は、好きな奴を一生かけて愛していきたい、というか……」

「……」

 

 そう言い切ったラルフは、ものっ凄く頬を赤らめていた。成程、そういう微笑ましいタイプなのかラルフは。

 

「あ、ごめん。やっぱ今の忘れろ」

「……ふ、ふふっ」

「おい何を笑ってやがる。口が滑った、今のはナシだ」

「そ、そうかい。ラルフは、とても、純情だねぇ……。ふふっ……」

「ニヤニヤすんなこの性悪女!!」

 

 僕としては非常にありがたくない話なのだけど、そんな純粋な事を宣言されては毒気が抜けてしまう。いや、でも何となくラルフのいう事もわかるかもしれない。

 

 この男、前世でリーゼを娶った時は、それはそれは仲睦まじいラブラブっぷりを見せつけていたからなぁ。

 

「……そっか。じゃあ、僕は身を引いて君の恋を応援しようかな」

 

 そう言って。僕はゆっくりとラルフの隣から立ち上がった。

 

「ポート?」

「うん。今のを、収穫祭での僕の告白の返答にしてあげる。良い返事だと思うよ、ラルフ」

 

 それがこの男の本音なのだとしたら、僕はとんだお邪魔虫にしかならない。無理をしてラルフと重婚したとしても、ロクな結末にはならないだろう。ラルフに、無駄な負担を強いるだけだ。

 

 

『今のポートじゃ、何をどうしてもラルフと結婚した先に不幸しかないから。貴方の友人として、私がラルフを奪ってあげる』

 

 

 前にリーゼが言っていた言葉の真意が、やっと掴めた気がした。僕とラルフが結婚した先には、リーゼの言う通り不幸しかなかったのだ。

 

「じゃ。後は、リーゼへの返事を考えておいてね」

「……」

 

 そのまま身を翻し、僕は振り向かずに元居たテントへ向かう。ふぅ、失恋だ。

 

「僕も、ちゃんとアセリオに向き合うから。お互いに、頑張ろう」

 

 もう、ラルフは立ち直った。これ以上、彼と話すことはない。今からは、長きにわたる目標を喪失した自分の心と改めて向かい合おう。

 

 今夜、僕の長い長い恋物語は終わりを迎えた。いや、正確にはそもそも恋愛感情なんてどこにもなかった。

 

 今までは僕が、大義名分のもと頼る相手が欲しくてワガママを言っていただけだ。本当は、ラルフと結婚する必要なんてどこにもなかったのかもしれない。

 

 きっとリーゼと結婚していたって、ラルフは僕の相談に乗ってくれる。だったら、後はラルフに矢面に立ってもらう様な甘えたことはせず、もう一度僕の手で自ら村を守ろう。

 

 

 

「あ、いやちょいと待てポート」

「……ん?」

「まだ、告白の返事はしてねーよ。今のはポロっと零れただけだ、勘違いすんな」

 

 

 

 そんな感じで、僕の中で綺麗に折り合いが付き始めたというのに。ラルフは、僕を解放しようとせずに再び肩を掴んで隣へと座らせた。

 

 まだ、何か言いたいことがあるらしい。

 

「……ラルフ? 一応、僕は失恋直後なので放っておいてほしいんだけど」

「あ、あのなぁ」

 

 まぁ、失恋と言ってもいいよなこれ。恋心がなくても、恋に破れたからには失恋だ。

 

「……」

「ラルフ、何か用があるなら早く言ってよ」

 

 だが、わざわざ僕を押し留めた癖に、ラルフは黙り込んで何も言いだす気配がない。……何がしたいんだ?

 

「……ポート」

「うん」

 

 やがて、彼はゆっくりと口を開くと。夜闇の下、緊張した面持ちで、彼はゆっくりと告げた。

 

 

 

 

 

「……アレだ。その、お前が……」

 

 その言葉は、僕にとっても寝耳に水ともいえる話で。

 

「さっき、お前が、好きになった────」

 

 そんな言葉を聞いて目を見開いた僕に、ラルフは情熱的に抱き着いてきて。

 

「今は俺に興味がなくとも、いずれお前に惚れられて見せる。だから俺と婚約してくれ、ポート」

 

 

 

 

 少女ポート、15歳。

 

 今まで婚約を迫ろうと何度も誘惑を続けてきた相手に、まさかの逆プロポーズをされてしまったのだった。



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朝日の祝福

 ────その抱擁は、先程のラルフの抱き付きと違っていた。

 

 怯えをはらみ、小刻みに震える体躯を押し付けてきた先程とは違い、柔らかく僕を包み込むような抱擁だった。

 

「……えっ」

 

 ラルフが、僕に告白した。僕がそう認識した時にはもう、ラルフの腕の中だった。

 

 ギュウと、腕が僕を締め付けられる。逃がさないぞと言う、彼の隠れた意思が表出しているかのように。

 

「……えっ。えっ?」

「動揺しすぎだろ、ポート」

 

 頭が纏まらない。状況が整理できない。

 

 僕は、失恋したのでは無かったのか? リーゼとの共存が出来ない時点で、僕はラルフと婚約出来ない。そして、ラルフは重婚するつもりなんて無かった。

 

 だったら、僕は────

 

「……ああ。何だ、受け入れてみたらスッと納得したわ。俺、割と前からお前の事好きだったかもしれん」

「……へ?」

「今まで、お前は俺の事を『好きじゃない』って宣言してやがった。おまけに、迫り方が斜め上。それで、今までお前と婚約なんて論外だったんだが……」

 

 混乱の最中にいる僕とは裏腹に、ラルフは何処か納得したような顔をしていた。

 

「思い返してみると、お前と遊びながら決闘してた時間が一番楽しかった。お前が俺と隣に居てくれると、気兼ねしないで良いからな」

「え。いや、それって」

「お前の余計な行動のせいで、ずっとお前を敬遠してたけど。実は前々から、俺はお前の事が好きだったんだろうなぁ」

 

 しみじみと、何かを納得したかのように語るラルフ。

 

 だがちょっと待ってほしい。それは、僕が単に『男友達』枠に入ってたからでは無いだろうか?

 

「……俺はポートと、二人で生涯を添い遂げたい。ダメか?」

「……」

 

 そう聞かれたら僕としての答えは、やっぱりラルフが村長になってくれたらそれで良い訳で、当然喜んで────。

 

 ……いや待て。あれ、これはどう答えれば良いんだ?

 

 僕は別にラルフを好きではない。ラルフを気に入っているのはリーゼだ。

 

 だから、僕はリーゼとラルフをくっつけつつ、ラルフに村長の仕事も任せたかった。その終着点が、ラルフとの重婚だ。

 

 でも、僕とラルフが普通に婚約してしまえばリーゼはどうなる?

 

 ラルフは重婚する気がない。なら、ラルフを好きでも何でもない僕がラルフと婚約するのは、リーゼにとってどれだけ不利益となるだろう。

 

 本来の自分の夫を、僕の介入のせいで失うことになるのだ。不憫というレベルではない。

 

「え、えっと」

 

 いや、でも。ラルフが村を先導してくれたら、きっとこの村は安泰だ。恐らくは、あの悲劇的な結末は回避できるだろう。

 

 僕が村長を継いだままだとしたら、リーゼはあの悲惨な末路を辿ることになるかもしれない。それよりかは、失恋した代わりにあの悲劇を回避できた方が彼女の為になるのか?

 

 だったら、二つ返事でラルフに了承の言葉を……。

 

「ポート……」

「え、いや、あの、その」

 

 いやいや考えろ。そもそも、あの結末は起こりうるのか?

 

 何だか知らないけれど、今朝に会ったイブリーフからは前世の愚鈍な雰囲気を微塵も感じなかった。というか、現領主様と同じ怪物の気配すら纏っていたように思う。

 

 もしかしたら幼い頃に僕が介入した結果、イブリーフはまともに成長したのかもしれない。だとすれば、当然彼女はあんな無茶苦茶を言い出すことはない。村はもう救われたも同然なのだ。

 

 だったら、リーゼを裏切るような真似は────

 

「おーい」

「待って、待って、それは想定外で、その」

 

 れれれ冷静になれ。不測の事態にテンパるのは、前世からの僕の悪癖だ。

 

 落ち着け、一旦思考を整理しよう。こういう、僕一人じゃ考えが纏まらないときはどうしたら良かったっけ?

 

 そうだ、相談だ。僕が迷った時はラルフに相談する、それが一番だ。幸いにも目の前には彼がいる、これは好都合だ────。

 

「……あー」

「ポート? そろそろ落ち着いたか?」

 

 いや。本人に相談してどうする。

 

 ……告白した相手に「婚約しても良いだろうか?」なんて聞かれても、ラルフは自分で決めろとしか言えないだろう。

 

 僕って、こんなに主体性無かったかなぁ?

 

「……あの、ラルフ」

「ん、何だ?」

 

 と言うか、僕は窮地に弱いんだろうな。とっさの判断力に乏しいから、パッと見て無難な方へと流れ、追い詰められていく。

 

 ……こう言う時に、助けてほしい相手がラルフなんだよ。

 

「……いや、自分でも意味がわからない相談なんだけど」

「どした?」

「僕ってラルフと婚約するべき?」

「…………」

 

 まぁ。一度、相談するだけしてみよう。

 

 コイツがどんな反応するか気になるし。

 

「お前って普段は飄々としてる癖に、混乱すると面白くなるよな」

「失礼だね、君は。実際、悩んでるんだ」

「散々、普段から婚約だ責任だと迫ってた癖に、何で土壇場で悩んでるんだよ」

「その……、僕はリーゼの気持ちを知ってたから。リーゼとの重婚前提で考えてたの」

「あー」

「このまま婚約受け入れちゃったら、リーゼ怒るだろうなって」

 

 彼女からすれば、僕はとんだ間女だよ。親友面しておいて、大して興味のないリーゼの想い人をかっさらっていく。

 

 夜に背後から刺されても納得するレベルだ。

 

「いや、今のこそリーゼに失礼だ。取り消しとけ」

「……何が?」

「あのリーゼが、正攻法で失恋した後に逆恨みなんてする訳ない。ちっと泣かせる事になるとは思うが……、心からお前を祝福するだろうぜ」

 

 ……。

 

「リーゼと一番付き合いが長いのは俺だ、アイツの性格はよく知ってる。ホントに素直で純粋で、心優しい女だよリーゼは」

「……」

「だから、そこは心配するな。お前自身が、自分の心と相談して決めろ」

 

 成る程。リーゼの事をよく知ってるラルフがそう言うなら、そうなんだろう。

 

「間違ってもリーゼに謝ったりするんじゃねぇぞ。それこそ侮辱だからな」

「うん」

「ホントに気持ちの良い女なんだぜ、リーゼは」

「……ラルフは、リーゼの事をよく知ってるね」

「一番の幼馴染みだからな!」

 

 ……。

 

「やっぱり君、リーゼと付き合えば?」

「何で!?」

 

 告白した直後に、僕の前でリーゼのノロケ話とはやるなラルフ。朴念神の称号は伊達では無いと言うことか。

 

 そこまで言うならリーゼと婚約すれば良いじゃないか。

 

「……ポート、ちょっと不機嫌になったか?」

「別に?」

 

 不機嫌になったと言うより、呆れたって感じかな。うーん、どうしよう。

 

「リーゼの事抜きなら、その。君の告白を拒む理由は無い……」

「アセリオはどうするんだ?」

「……。元々、実らない恋さ」

 

 アセリオか。まぁ、彼女に関しては────

 

「僕は、跡継ぎを残さなきゃいけない人間なんだ。僕も同性愛者だし受け入れてあげたいんだけど、ならば彼女とは別にもう一人男を引き込む必要がある。それこそアセリオと恋仲になるとしたら、君が大黒柱になってハーレム築いて貰うくらいしか無かっただろうね」

「……そっか」

「実は君が重婚を否定した時点で、アセリオは振ると決めた。アセリオも、好きでもない男の人を挟んでの結婚なんて嫌だろう」

 

 ……そう、僕はアセリオの気持ちには応えてあげられない。

 

 ふと、思う。もしかしたら僕が男だった前世で、アセリオは僕を好いていてくれたのだろうかと。

 

 周囲に流され、村の敵となっていった僕を支えるべく、リーゼやラルフを説得してくれていたのではないかと。

 

 ……彼女は控えめでおとなしい女性だったから、それを口に出さずずっと秘めていたのではないかと。

 

 ────いや、よそう。前世の話を今さら論じた所で意味はない。

 

「仮にアセリオが超魔術で男になったらどうする?」

「とんでもない仮定はやめてくれ。いやでも、アセリオなら有り得るか……?」

 

 いや、流石に性別は。でも、アセリオだしなぁ。

 

「その時は改めて考えようか」

「あり得ないと断言できないのがアセリオの怖いところだな」

 

 ……流石にあり得ないとは思うけど。

 

 一応、彼女の手品は全部タネがある訳で。彼女自身は超凄腕なだけの、何処にでも居るパフォーマーに過ぎない。

 

 この前の分裂するアセリオの手品も、片一方は背丈の似たお母さんの変装だったみたいだし(収穫祭で酔った母親が暴露し、アセリオにポカポカ殴られてた)。

 

 性別変えるなんてそんな本物の魔法染みた事までは出来ないはず……。

 

 出来ない、よね?

 

「ま、まぁその話は置いておこう。今は、俺と婚約しろって話だよ」

「……だね。知っての通り、僕はどちらかと言えば女性が好きな人間だ。現時点で君には異性的魅力を感じていない。うん、君がそれで良いなら」

「そこは問題ない。いつか惚れさせてやるよ、ポート」

「それは、楽しみだ」

 

 ……ラルフが、そう断言するなら僕から言うことはない。むしろ、彼を村長にするのは僕の悲願だったとすら言える。

 

 リーゼに対する罪悪感は有るけれど、それでも彼が選んだ答えを受け入れるのが僕の役目。

 

「よし、話は決まりだな」

 

 そう言うとラルフは僕を解放し、ニカリと笑いかけた。

 

 そうか、とうとう僕はラルフと婚約したんだな。ある種の人生の悲願達成と言える瞬間だ。

 

 これから、きっと何かが変わるのだろう。幼馴染み4人組の関係性も、その行き着く未来も。

 

 だけど、隣にラルフが居てくれる。こんなに頼もしいことがあるか。

 

「じゃあポート。早速────ベッド行くか!」

「……」

 

 ……。

 

「……あのさぁ」

「え、まだ何か喋る事あるか?」

 

 ……。

 

「…………」

「無言で睨みつけてきてどーした、ポート」

 

 え。コイツマジか。

 

 ここで誘うかお前。お前の脳味噌にはソレしかないのか。

 

「……あ、あ! ち、違う、そう言う意味で言ったんじゃない!」

「じゃあ、どういう意味さ」

「さっきお前が言ってただろうが」

 

 だが、ラルフはそう言う意味ではないという。ベッド行くかに、他にどんな意味があるというのか。

 

「婚約したら、俺に弱音吐いてくれるんだろ?」

「……あ」

「聞くぜ。俺のテントに来いよ、俺以外には弱音吐いてるところを見られたくないんだろ?」

 

 ……ああ。そっか。

 

 そう言えば、そんな事も言ったっけか。

 

「……聞いてくれる? 長くなるよ」

「おう。お前が背負ってるモノ、代わりに背負ってやると決めたからな。任せろ」

 

 この男は本当に頼りになる人間だ。

 

 あんなに取り乱すほど怖い思いをしていたのに、戦場では冷静に僕を逃がしてくれた。何となくの直感で最善手を選ぶことが出来る、土壇場にこそ強い僕らのガキ大将。

 

 そんな彼が、僕と共に歩んでくれるなら────

 

「……ありがとう。嬉しいよ、ラルフ」

「そうかい」

 

 きっと、僕はこの村を守っていけるだろう。

 

「これから、よろしくね」

 

 ラルフと共に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……んー」

 

 その話は、途切れることなく続いた。

 

 未来への不安、失った命への悲哀、もっと上手く出来たのではないかという後悔、自分の指示で人を殺した恐怖。

 

 戦争は、勝っても負けても心に大きな傷を残す。前世の経験が有るとはいえ、まだ精神的に未熟と言える少女はやはり年齢相応に傷付いていた。

 

 ポートはそれを村長という、上に立つものの重圧で塗り潰していただけである。むしろ、前世での経験から『村の仲間が死ぬ』と言う出来事が心的外傷(トラウマ)となって人一倍苦しんでいた。

 

「……ふぅ。寝ちまってたか」

 

 彼女の抱えていた『後悔』は、一晩中止まらなかった。泣いて、震えて、怯えながら少女は少年の胸で慟哭を続けた。

 

 そのまま数時間が経ち、やがて泣き疲れたのか黙り込むと、そのままポートは寝息を立てた。

 

 ────それは、前世を含めても初めてポートが自分から誰かに泣き付いた瞬間かもしれない。

 

「そうだよなぁ。俺、今までポートに結構甘えてたのかもなぁ」

 

 難しいことは分からないから、村の事は村長に任せて置けば良い。自分は腕の良い鍛治になることが何より重要だ。

 

 それが、正直な彼の今までの生き方だった。

 

「コイツは村の仲間の事を、毎日のように悩んで悩んで苦しんでいたんだな」

 

 だが、もうそんな呑気な生き方はできない。自分の意思で村のリーダーとなる少女を娶ったのだ。

 

 これからは、ラルフこそ村の指導者たる立場になる。

 

「……普段、飄々としてて気付かなかった。ごめんなポート」

 

 その重圧は、自覚しただけでズシリと肩が重くなった。

 

 自分の決断が多くの人間の命を左右する立場は、それだけで重すぎて倒れ込みそうになる。

 

「これが、コイツの抱えてたモノって訳ね。……上等じゃねぇか」

 

 1人では倒れそうになる。だったら2人で支え合って立てば良い。

 

「やってやろうじゃねぇの」

 

 新たなる決意を胸に秘め、少年はゆっくりと体を起こす。

 

 テントの入り口からは、暖かな朝日が照りつけているのが見えた。それは、まるで二人の行く先を祝福しているようで────

 

「……」

 

 ラルフは、そのテントの入り口からリーゼがひょっこり顔を覗かせているのに気付いた。

 

「……」

「……」

 

 彼の布団には、うにゅうにゅと寝言を溢している少女(ポート)が収容されている。

 

 ラルフは、このままだとリーゼに外聞の悪い誤解が生じてしまうだろう事を思い至った。

 

「ふむ。おはようリーゼ、良い朝だな」

「……」

 

 こう言う時に慌ててはいけない。動揺すればするほど、何を言っても胡散臭くなるからだ。

 

 あくまで堂々と。自分に後ろめたい事は何も有りませんよと、態度で示すのが重要である。

 

「照りつける日差しが心地よい。あの激戦を生き延びたその先に迎える朝は最高だ。そうは思わないか?」

「……」

「リーゼもそう思うだろう。昨日はあまり話が出来なかったが、改めてお互いの無事と再会を祝おうじゃないか」

「…………」

 

 朝の挨拶は大切だ。親しき仲にも礼儀ありという、まずはフランクに会話を交わす話の枕としてラルフは挨拶を選択した。

 

 やはり、ラルフは大物である。

 

「ああ、リーゼが気になっているのはポートの事だよな。気にすることはない、まぁ後で話すとしよう」

「…………」

「ふぅ、俺も目が覚めた。まずは着替えないとな、少し席を外してくれないかリーゼ────」

 

 そして彼は、そのまま流れでリーゼを退出させようとした。そしてお互いに落ち着いたところで誤解を解く、それが最善であろうと考えたのだ。

 

「……はい。着替え……」

「お? サンキュー……」

 

 そして着替えようとしたその瞬間、彼は普段着を手渡される。

 

 ふと横を見れば、いつも通りに無表情な村のパフォーマーが無言で着替えを差し出していた。

 

「……」

「……居たのか、アセリオ」

 

 彼女は、いつも表情が読みにくい女である。だがしかし、今朝のアセリオは普段以上に表情が読めなかった。

 

 完全な無表情、とでも表現するべきだろうか。顔面に一切の感情が反映されていなかった。

 

「おはようアセリオ、一昨日はお前も大活躍だったみたいじゃないか。是非とも、武勇伝を聞かせてもらいたいね」

「……」

「にしても、着替えを用意しておいてくれるなんて気が利くじゃないか。お前のような、気配り上手でおっぱいの大きい幼馴染みを持てて俺は幸せだよ」

「…………」

「さて、そろそろ着替えるから部屋を出ていってくれ。デリカシーに欠ける俺と言えど、同世代の女の子に着替えを見られるのは恥ずかしいんだ」

 

 ニカリと歯を見せて、隣にいる幼馴染みに笑いかけたラルフ少年。

 

 彼はきっと、持ち前の動物的な本能で危険を察知していたに違いない。現在のラルフは、その冷静で快活な喋りとは裏腹にかなりテンパっていた。

 

 だからだろうか。不幸にも彼は、現在進行形で二人の少女の心に燃える炎に油を注いでいる事に全く気付いていなかった。

 

「……いち」

「急にどうしたんだ、アセリオ」

「……に」

「ん? 何かのカウントダウンかい?」

「……さん」

「ああ、つまりアレだろ。いつもの超魔術でもみせてくれるんだな」

「…………まじっく!!」

 

 

 

 ゴーン。

 

 アセリオが指を鳴らした直後、ラルフ少年の頭に大きなタライが降ってきて。

 

 帰参した兵士で賑わいつつある平野の野営地に、縁起の良い金属音が木霊した。

 



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笑顔

 朝の喧騒が、僕の耳をくすぐる。

 

「んー……」

 

 何やら、周囲が騒がしい。その煩わしさに釣られて体を上げると、寝具の前でラルフが正座しているのが見えた。その周囲には、仁王立ちしているアセリオとリーゼが居る。

 

 ……あの男、また何かやらかしたのか?

 

「ふわぁ、おはよう。リーゼにアセリオ、朝からどうしたんだい?」

「おはようポート。良い朝かしら?」

「なんで疑問系なのさ」

 

 何やら不穏な雰囲気だったので様子見がてら挨拶してみると、見るからにリーゼの機嫌が悪かった。何があったんだろう。

 

「…………」

「痛いですアセリオさん。痛いんでつねるのはもう勘弁してください」

「…………」

「痛ててててっ」

 

 ふと見れば、ラルフはアセリオに全力でつねられている。だけど、これはよく見る光景だからそんなに気にならない。

 

 どうせラルフがまた「アセリオはおっぱい大きいな」みたいな下らない事を言ったのだろう。

 

「みんなどうしたの? ラルフがまた何かやらかしたの?」

「…………あら? ヤらかしてないのかしら?」

「え、何を……?」

 

 不思議そうに首をかしげて見ると、リーゼはジィと僕の顔を見つめ、やがて顔から何となく険が取れた気がした。なんだっていうんだ?

 

 ふむ、状況がよく読めない。ここは、見に徹しよう。

 

「だから、誤解なんだってば……。ポート、起きたなら説明してくれ」

「ん、何を説明すれば良いんだい」

「その、昨日の晩の事だよ」

 

 しかし、せっかく黙り込もうとしたのにラルフに会話を振られてしまった。状況すら分からない僕に説明してくれ、と来たか。

 

 昨日の晩……。んー。

 

 

 ────あんなに取り乱したのは、生まれてこの方初めてだったなぁ。

 

 

 

「……」

「頬を赤らめて目を背けるなポートォ!! その反応は誤解に拍車がかかるから!」

 

 昨晩は、僕としたことが随分とラルフに甘えてしまった。言わなくても良い愚痴まで吐き散らかしたように思う。今まで誰かに対して、彼処まで素直に弱音を吐いたことは無かった。

 

 相手がラルフとはいえ、やはり恥ずかしいものだ。

 

「昨日はその、乱れてごめんね。僕としたことが思った以上に溜め込んでいたみたいで、制御出来なくて」

「意味深な事を言うな! 狙って無いよな!? わざとじゃねぇよな!?」

「……何が?」

 

 ところでどうして、ラルフはそんなに慌てているんだろう。

 

「……」

「痛い! 痛いからこれ以上つねらないで!」

「…………」

「ぐああぁぁぁ! 頬が破けるぅぅ!!」

 

 おー。ラルフがすごく痛そう。彼はきっと、よっぽど悪いことをやったに違いない。

 

「ふーん。ふーん……」

「お前を魔王の供物に捧げてやる……。生きては返さん……」

「おーたーすーけー!! 本当に何もなかったんだってばぁ!!」

 

 ……。待てよ。この状況って、もしかして。

 

「あのー、リーゼ? アセリオ?」

「何? ポート」

「ごめん。昨日、戦場での出来事が怖くてラルフに泣きついたまま寝ちゃってさ。もしかしてお二人とも、何か勘違いしてる……?」

 

 ラルフと僕が同衾しているのを見られたとか、そういう修羅場だったりするのか?

 

 

 

 

 

「……」

「……」

「……」

 

 

 

 

 僕の言葉を聞いた3人は、お互いににらみ合って顔を見合わせ。

 

「……良い朝。ラルフ、おはよう……」

「良い朝ね、ラルフ! まぁ当然、私は信じていたけど! ポートもおはよう!」

「お前ら、他に何か言うことが無いか」

 

 そのまま、笑顔を作って和やかに談笑を始めた。あー、やっぱり変な誤解をされていたか。

 

 幼馴染の嫁入り前の女性が男と同衾なんて、彼女達からしても受け入れがたい事実だっただろう。僕とラルフが二人で寝ていた姿をなんて見たら、さぞ驚いたに違いない。

 

「……」

 

 嫁入り前、かぁ。

 

「……ところでラルフ」

「どうしたポート?」

「昨日のあの話は、2人にしたの?」

 

 昨晩、僕とラルフは婚約することに相成った。それは、ちゃんと彼女達に伝わっているのだろうか。

 

「……」

「あの話って何?」

「…………嫌な予感がしてきた。アホバカラルフ、どういう話?」

 

 ああ。やはり、まだそういう話は出来ていなさそうか。

 

 これは、僕の口から言うべきだろうか? いや、告白してきたのはラルフの方だ。僕から迫って成った婚約ならまだしも、自分の意思で僕に告白し、村長となる男自ら報告した方がよかろう。

 

 そう考え、僕は静かにラルフに話を促した。まずはそれを、告げねばならないだろう。

 

 

 

 

「あ、ああ。実は、今の話は別にだな。その、昨晩、ポートと婚約した」

 

 

 

 ……促さへたラルフは少しドモりながらも、そう二人に告げた。再び、静寂が場を包み込む。

 

 それは、返答だ。収穫祭の舞台での、2人の告白への答え。   

 

 二人の反応は、どうだろうか。

 

 

 

「……」

 

 リーゼは、何かを察した様に俯いて。

 

「1、2、3」

「ア、アセリオさん? それに関しては、別に俺は悪いことは何も……」

 

 アセリオは無表情のまま、カウントを始めた。各々、ラルフの答えの受け止め方が違うのだろう。

 

「落ちつこうアセリオ。タライって地味に痛いんだ」

「……まじっく!!」

「ちょ、ちょっと待っ────ぶっ!!」

 

 彼女の号令の直後、飛んできた泥団子が頭を抱えているラルフの顔面を直撃した。

 

 ……相変わらず、芸達者だなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

「ふぅ。つまり、ラルフ側がポートに惚れちゃったのね?」

 

 落ち着いたところで、二人に昨夜の詳しい話をした。

 

 僕の弱音やラルフの暴走の下りは省いたけれど、なるべく隠さずに昨日二人で話した内容を語った。

 

「……ばーか。ラルフの身の程知らず。ノータリン」

「……ラルフが好きになっちゃったんじゃあ、仕方ないわね」

 

 不満タラタラなアセリオとは対称的に、リーゼは何処か哀しげながら納得した表情だった。ラルフの言っていた通り、彼女は怒ってなどいない様子だった。

 

「私に魅力が足りなかった。それだけの話よ」

 

 この、竹を割ったような性格こそ彼女の長所であり、魅力の1つなのだろう。

 

「これから毎日、お前の夢に悪の大魔王が遊びに来るから気を付けろ……」

「怖いのか楽しいのかよく分からん夢を見せるのはやめてくれアセリオ」

「取り敢えず、おめでとうポート。今回は負けを認めてあげるわ」

「あ、ははは。どうも、リーゼ……」

 

 朝っぱらから重い話になってしまった。これで、長きにわたる1つの恋が終わりを迎えた。

 

 だが、これこそ僕の望んだ結末だ。

 

 リーゼやアセリオには申し訳ない気持ちもあるけど、その代わりに絶対に守って見せるから。

 

 ラルフの力を借りて、この村に平穏と安寧を保証して見せるから────

 

「それはそうとして! ラルフ、今度私とデートに行くわよ!!」

「……ん?」

 

 そう言うと、リーゼはおもむろにラルフに抱き付いた。小柄な体躯のリーゼは、ピョコピョコと髪の毛を揺らし甘えの姿勢を取っている。

 

 ……あれ?

 

「ちょ、リーゼ。俺は、ポートと……」

「ポートは重婚オッケーなんでしょ?」

「すまんが、俺が嫌なんだ。申し訳ないが────」

「ラルフの考えを変えれば良いんでしょ?」

 

 ……お。リーゼってば、まだラルフを諦めていないのか。

 

 僕の目前で堂々と寝取る宣言ができるのもまた、リーゼの魅力であり強みなのだ。

 

「お、おい待てって。ポート、何とか言ってくれ」

「……」

 

 リーゼがスリスリと、上目遣いにラルフを誘惑している。小動物的でいて、かつ妖艶な誘惑だ。

 

 彼らは本来は夫婦となる人間、そりゃあ相性も良い。きっと、そのうち陥落するだろう。そしたら────

 

 

 ……何が、駄目なんだ?

 

 

「……あれ? リーゼがラルフ誘惑しても、僕にデメリット無くない?」

「でしょ!?」

 

 むしろ、面倒なラルフの性欲関連をリーゼが引き受けてくれた方が助かる。あわよくば、重婚夫婦であることを利用してリーゼとエッチな関係になれるかもしれない。

 

 村の仕事で忙しい僕やラルフだけでは家事が回らない事も考えられる。そうなれば、人手が増えるのはそれだけでメリットだ。

 

 むしろ、僕はリーゼを応援する立場なのだ。

 

「……リーゼ。頑張ってね!」

「ありがとポート!」

「あれええぇぇ!?」

 

 リーゼにグ、と親指を突き立てると彼女も笑顔で返してくる。

 

 ふむ。女同士の友情は、やはり成立するらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……失礼。ポート殿と、ラルフ殿は居られるか」

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで姦しく騒いでいたら、テントの外から渋い声が聞こえてきた。

 

 誰かが、僕達を呼んでいるらしい。

 

「はーい、居ますよ。お入りください」

「そうか、それは上々。私はゾラと申す者である。大変恐縮であるが、貴殿らに小さな我が主の下へご足労いただきたい」

 

 す、とテントの幕が開かれ。ぬぅ、と白髭を蓄えた巨漢がテントの中へと入ってきた。

 

 その圧倒的な威圧感には、見覚えがあった。

 

 

『やあやあ、私はイブリーフ侯爵家三将の一人、ゾラである』

 

 

 かつて前世で、村を裏切り命を狙われていた僕を護衛してくれた人物。

 

 イブリーフの、いや現領主の旗下で3本の指に入る大将軍、周辺各国に名を轟かせる老獪な豪傑。すなわち、ゾラ将軍その人であった。

 

「ど、どうも! おはようございます!!」

「そう畏まらずとも宜しいですぞ。私は卑賎な出自の身、今でこそ貴族を名乗っておるが生まれはポート殿より遥かに格下」

「ととと、とんでもない。ゾラ様こそ、その御勇名は聞き及んでおります!」

 

 とんでもない人が出迎えに来た。何か用があるなら、普通の兵士さんに声かけさせてくれれば良いのに。

 

 この人って、領主軍の最古参で幾度も総大将を務めた歴戦の英雄だよね。イヴってば、軍で一番偉い人使って僕達を呼び出しちゃったよ。

 

「まだ、お着替えも済んでおられぬご様子。準備が整うまで、私は外で待機させていただくとしましょう」

「は、はい、すみません。すぐ着替えます!」

 

 総大将待たせて着替えるなんて恐れ多すぎる。緊張で変になりそうだ。

 

「ラルフ、ちょっと反対向いてて!」

「わ、いきなり脱ぐなポート!」

「ラルフも早く着替えて、あの人待たせるのは不味いよ! 凄いお偉い人だよ、きっと!」

「お、おおー」

「見とれてんじゃないわよ!!」

 

 鼻の下を伸ばし出したラルフに、リーゼが突っ込みのビンタを入れる。

 

 夫婦漫才してる暇があるならさっさと準備してくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

「あら、懐かしい顔」

 

 老いた威丈夫に連れられ、辿り着いた先に彼女は居た。

 

 華奢な体躯にきらびやかな甲冑を着込み、太陽の光で輝く金色の髪を薙ぐ少女。

 

「お、お久し振りです、イブリーフ様」

「う、うっす。久しぶり、っす」

「あらあら、敬語なんて必要有りませんよ。昔のようにイヴ、と呼んでください」

 

 柔らかな微笑みを浮かべながら、透き通る様な瞳で僕を見据える彼女。それは、僕が知らぬ「王としての器を備えた」イブリーフの姿だった。

 

 前世の様な傲慢で、愚鈍で、威圧的な姿ではない。優しく、暖かく、それでいて抜け目のない人傑がそこにいた。

 

「────あ、そ、その。イヴ、何かご用ですか?」

「ポート? 敬語も必要ありません。そう、申し上げませんでしたか?」

「で、でも」

「くすくす。融通が効かないのも、昔の通りですね」

 

 や、やばいよ。このイブリーフ、さっきからオーラが凄まじい。

 

 イブリーフ糞野郎なんて、口が裂けても言える雰囲気じゃない。どういう成長の仕方をしたらこうなるんだ?

 

 本当にコイツがイブリーフなのか? あの生意気な兄が本物イブリーフと言われた方がしっくりくるぞ。

 

「まずは、ここにお呼びした理由ですね? ポート、ラルフ。貴女達には、友人としてと領主として、2つの頼みがあります」

「は、はい」

「1つ目は……、まずは領主として。此度の戦の勲功労賞に、出ていただきたいのです」

 

 勲功労賞。それは、戦の後に各々がどれだけ功績を上げたかを表彰する場である。

 

 そこに、僕とラルフを呼んでどうするんだろう?

 

「今回の戦、勲功第一は貴女方と評します。敵の大将を討ち取ったラルフ君、村の撤退を指揮したポートさん。お二人を褒賞する事に文句を言う人は居ないでしょうし、襲撃を受けたこの村を援助する建前になりますから」

「え、村を援助してくださるのですか? 賊の襲撃を撃退して貰ったのですから、むしろ此方から献上金を差し上げるのが筋では?」

「ええ。通常であれば出征の軍費を賄う為、貴殿方に献上金を求めています。あくまで今回は、特別措置として援助しようと思います」

「い、良いのか?」

「この村は近辺の商業圏の中心ですから。国家資金を割り当ててでも早めに立て直しておく方が、長期的に見て国の利益になるのです」

 

 ……お、おお。それは慧眼だ、確かにこの村を早く立て直した方が長期的に利益になる。それを此方から打診するまでもなく、政府側から提案してくれるなんて思ってもいなかった。

 

 この人、前世とは完全に別人だ。経済に詳しいし、民の事をよく考えて行動してくれているし、僕達を特別扱いをしても他の村から不満が出ないよう、建前まで用意する周到さも兼ね備えている。

 

 どうして前世ではこうならなかったんだ。

 

「もう1つのお願いは……。少しだけ、ポートの家に遊びに行きたいのですが、駄目ですか?」

「え、僕の家ですか?」

「あの家の書庫で、貴女と交わした議論。それこそ、今の私を作り上げた出発点なのです。いつか時間をつくって貴女の家に遊びに行きたかったのですが、ついぞ機会もなくこんな月日が経ってしまいました」

 

 イヴはそういって微笑むと、恐縮して縮こまっている僕の手を握り締めた。

 

「私の出発点に、里帰りさせてくれませんか? 私の大切な親友、ポート」

「え、ええ。よ、よよ喜んで!」

「……ふぅ。そんなに畏まらず、前のようにイヴと話し掛けてくれれば嬉しいのですがね」

 

 む、無理! それは無理です!

 

 キラキラした王者のオーラ的な何かに圧倒されてて、タメ口とか無理です!

 

「以上が、私のお願いです。ご了承頂けたようで、何よりです」

「……はー。いや、ちっちゃい頃のお前とは全然違うな」

「そうですか? 私は昔と変わらず、臆病者で怖がりなイヴですよ?」

「いや。……んー、お前めっちゃ強いだろ。頭もポート並に良さそうだし……。こりゃ、すげぇなぁ」

「買いかぶりですよ?」

 

 ラルフは物怖じしていないが、成長したイヴを見て感嘆の声を漏らしている。成長したイヴの人間としてのでかさに圧倒されているのだろう。

 

 てかイヴ、強いのか。肉弾戦の戦闘力まで高いのかこの娘。完璧超人かな?

 

「あ、それともう1つ。とてもとても、大切なお願いが有りました」

「……何ですか?」

「もしかしたから、これが一番残酷なお願いかもしれません。ですが、とても大事なお願いなのです」

 

 ふと。イヴは真剣な眼差しで、僕とラルフを見据えて頭を下げた。

 

「明日、どうか笑っていてください。伏して、お願いいたします」

「笑、う……?」

「ええ。貴女方には笑っていて欲しいのです」

 

 笑え、ってどう言うことだろう。誰かが漫談でもするのだろうか。

 

「……今回の襲撃で、村に犠牲者が出たことは聞き及んでいます。ですが明日の勲功労賞と宴会の場だけは、笑顔を絶やさないで欲しいのです」

「……」

 

 そう言ったイヴの目は、真剣そのものだった。

 

「近しい人の死。それは、貴女方にとっては耐えきれぬ哀しみでしょう」

「……」

「しかし、兵士にとってはそれが日常なのです。戦友が死に、自分も傷つき、その先に勝利がある。……兵士は、いちいち人の死を悲しんではいられないのですよ」

 

 ……それは、とても残酷な話。

 

「戦友が死んだというのに、満面の笑みで祝杯を交わす彼らを見てきっと貴女方は感じるでしょう。『なんて、おぞましいんだ』と」

「そんな、事は」

「それで良いのです。その感覚が正常です。ですが、明日だけは────、戦争の狂気に身を委ね、貴女達に笑っていて欲しいのです」

 

 イヴはそう言うと、再び頭を下げた。

 

 彼女は僕達に笑えと言う。ランドさんを、ナタリーさんを失った僕達に勝利を祝えと言う。

 

 ────笑顔で、祝杯を掲げろという。

 

 

 

「……それは、必要なことなんだね?」

「ええ。兵士達は、正気に戻ることを求めていない。戦争の熱に浮かされ、狂気に身を委ね、やっと死の恐怖に打ち勝って精神の安寧を保っている存在です。……そんな彼らを気遣ってあげてください、ポートさん」

「ええ。分かったよ、イヴ」

 

 それが、僕たちの命を守るために戦ってくれた兵達の為になるならば。僕は心の涙を飲んで、満面の笑顔を作ろうではないか。

 

「明日は、笑顔を絶やさない。それが君の、いや兵士全体の助けになるんだろう?」

「……ありがとう、ポートさん」

 

 つまりは、こういうことだ。

 

 明日だけは死んでしまった3人を悼むのを忘れ、兵士のために勝利の喜びを分かち合えばよい。

 

「……ポートさん、貴女は正常な人間です。ですからきっと、戦勝に高揚する彼らを『狂気的』だと感じるでしょう」

「……」

「だけど明日は、一時だけでいい、その狂気に乗って笑顔を振りまいてください。よろしく、お願いしましたよ」

「……うん」

 

 その約束を交わした後、イヴはどこか安堵の表情を浮かべていた。うん、やはり彼女は大人物だ。

 

 彼女は、僕達だけでなく兵士のモチベーションすら気に掛けることができる人間。僕らを治める立場の人間として、こんなに頼れる人間も珍しい。

 

「では、また明日。貴女の家に遊びに行くことも、楽しみにしていますよポート」

「ええ、歓迎するよイヴ」

 

 前世の事を差し引いても、今回の件でイヴには大きく助けられた。立派に成長した彼女に頼もしさを感じつつ、僕は彼女の幕舎を後にした。

 

 僕が外に出ると、再び幕舎の中でイヴがあれやこれやと指示を出す声が聞こえる。まだ、彼女にはやることはたくさん残っているに違いない。

 

「聞いたかい、ラルフ。明日は、悲しんじゃいけないんだとさ」

「……。ああ、分かった」

 

 今世の彼女に、不満は無い。できる限り、力になってあげよう。

 

「あの若き僕らの王の、期待に応えるとしよう」

「だな」

 

 それが、例え『狂気的』な行為であろうとも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「イヴたん!! イヴたん!! イヴたーん!!」」」

「みんなありがとー」

 

 次の日。僕とラルフはイヴに言われたとおり、村の中央で開催されたイヴの主催する勲功労賞へと出向いた。

 

 領主軍によって解放された村には、祭の為に中央に設置された舞台が残っていた。そこを暫定のお立ち台として、舞台に上った彼女は拡声魔法を用いながら踊り子の衣装を身に纏い、兵士達の熱気とフィーバーをフィーチャリングしてフレッシュなライブを楽しんでいた。

 

「「「世界一可愛いよ! イヴたん!!」」」

「どうもありがとー!」

 

 兵士達の野太い掛け声に、笑顔で応えるイヴ。セクシーな服を着た見目麗しい(イブリーフ)が、兵士に満面の笑みでウインクを投げかけている。

 

「「「結婚してくれ! 嫁に来てくれ! むしろ下僕にしてくれ!!!」」」

「そんなみんなの忠誠心、とっても嬉しいな♪」

「「「うおおおおおおおおおおっ!!!」」」

 

 これが、領主軍の勲功労賞。リーダーたるイヴの歌声を聞き、リズムと共に盛り上がり、熱烈に騒ぎたてながら自分の功績を評されるのを待っている。

 

 ……これは、まさしく。

 

 

 

「……思ってたよりずっと狂気的!!!!」

 

 

 

 踊り子(アイドル)のショー以外の何者でも無かった。

 

「あんたが、ポートって娘?」

「……おや?」

 

 そのすさまじく狂気的な光景に絶句していると、背後からけだるげな声が聞こえてきた。

 

 振り返るとそこには、僕と同様に目が死んでいる軍服の少女が経っていた。

 

「……貴女は?」

「どーも。リーシャって言います、ヨロ」

 

 何やら疲れている様な顔で、リーシャと名乗った少女は僕の隣に座りこんだ。

 

 この人は、誰なのだろう。

 

「あの、えっと……貴女は?」

「単なる軍人だよ。今回の戦の主役様が目に入ったんでな、声かけてみた」

 

 ……今回の戦の主役?

 

「あんた、かなり凄かったんだって? 撤退戦の詳細を聞いたイヴ様が絶賛してたよ、ポートさんは領一番の知恵者だって」

「……え? 僕、何かしたっけ?」

「今回の撤退作戦、気を失った村長様の代わりにアンタが主導したんだろ?」

 

 ま、まぁ今回の作戦は僕の指揮だったけど。でも、結局僕の作戦は全部的外れで、アセリオに尻拭いしてもらったような情けない指揮じゃないか。

 

 そもそも、イヴが気を利かせて駆けつけてきてくれなかったら村は全滅してたし。何処に褒めるポイントがあるんだろう。

 

「僕は特に何もしていないよ」

「……あんた、誇らねぇのな。そういう兵士連中には無い謙虚さ、私は結構好きだぜ」

「……」

「私達にとっちゃ、功績が全てだ。命をかけて手に入れた戦果を、少しでも誇張して大きく見せようと躍起になる。何もしてないなんて言っちゃ、功績を全部ほかの奴に横取りされちまうからな」

 

 そうは言われても、実際に僕は何もしていないのだから仕方がない。

 

「まぁ、正面切って勝てない敵に不意打ちまで食らってんのに、そっから村人の大半を安全圏まで避難させたのはかなりスゲェと思うぞ。少しは自信持ってろ」

「安全圏、と言えるのかな。イヴが来てくれなきゃ、きっと────」

「いや、逃げ遂せていたよ」

 

 フ、とリーシャは唇を吊り上げて笑った。

 

「一昨日私達が森に到着したあとの敵との遭遇点と、私たちが村人を保護した地点を、昨夜の振り返りで図示してな。そんで、イヴ様含めみんな感嘆してた。すごい、ポートの作戦通りに全員都まで追いつかれず逃げ遂せているって」

「……そうだったんだ」

「私たちが間に合わなくとも、少なくとも村人の大半はキッチリ守り抜いてた。あんた、やるじゃん」

 

 そうか。僕は……、僕は村のみんなを少しでも守れていたのか。

 

 拙くて、穴だらけの作戦だったけど、僕はみんなの力になれていたのか。

 

「……お、おい、どうした? 気分が悪いのか?」

「いや、その……」

 

 今まで、必死で知識を蓄え続けて。でも、何かを変えられた実感も何も得られなくて。

 

 本当に僕なんかが村の助けになるのかと、毎日毎日不安で仕方がなかったのに。

 

「そっか。……救え、て、たんだ」

 

 目頭が熱くなってくる。

 

 前世で、村を滅ぼす諸悪の根源となった僕が、今世でやり直して少しでもみんなの助けになることが出来た。

 

 それは、どれだけ嬉しかっただろう。

 

「……う、うっ……」

「お、おいおいどうした。泣くな、こんな場で」

 

 僕の今までしてきた努力は、無駄ではなかったんだ。

 

「はぁ。おい、昨日のイヴ様の命令忘れたのか? ……笑えよ、ポート」

「あっ……。う、うん」ニッコリ

「それでいい。笑える時は笑ってろ、農民。それがお前らの仕事だ」

 

 そう言ってニヒルに笑うリーシャ。見た目は同い年程度なのに、僕よりずっと大人びている様な雰囲気を感じた。

 

「リーシャさん、お幾つなんですか?」

「……十五」

「同い年……」

「お、そうなのか。奇遇だな」

 

 やっぱり、同年代だった。こんな年で従軍しているなんて、何か事情があるんだろうか?

 

 雰囲気だけなら年上っぽかったけど、こうして向かい合うとやはりまだ少女の面影がある。

 

「戦場に身を置くと、大人びるんですかね? リーシャさん、落ち着いていて年上に見えましたよ」

「……ほーん。なら、見ろよ。あそこの最前列で大はしゃぎしている爺さん」

「えっ? あ、ああ。 ……ってアレ、ゾラさん!?」

 

 リーシャに指さされ、目線をやった先に大はしゃぎで手を振っている筋骨隆々の大将軍が居た。

 

 ノリノリで歌っているイヴの目前で、部下と肩を組んで楽しんでいる。

 

「戦場に身を置くと、なんだって?」

「……大将軍で有ったとしても、たまには、息を抜きたい時もありますよね」

「あのクソジジィは常にフリーダムだけどな」

「クソジジィ、って。将軍ですよ、目上の人では」

「……身内、なんだよ。アイツ、私の祖父……」

 

 ……。おお、この人はゾラ様のお孫さんか。だから、こんな年で従軍してるのね。

 

「それに、位で言ったら一応私も大将軍。イシュタール3将の最年少、リーシャって聞いたことない?」

「……えっ?」

「ああ、お飾りだから気にしないで。先代のおジィが腰をいわして動けなくなったから、去年襲名したの。私はまだ何の功績も立ててないけど『期待を込めて』だってさ」

 

 そ、そっか。でもお飾りだとしても、この年で襲名先に選ばれるってかなり優秀な人間ではないのだろうか?

 

 と言うかいくら大将軍の孫とはいえ、何で僕と同い年の女の子が軍人をしているのだろう。何か事情があるんだろうか。

 

「……どうして、そんな年で軍に士官しているのです?」

「あー、昔から私はお転婆でね。嫁ぎ先に苦労するかも~、なんて心配されてたんだ。でも、剣や魔法をそこそこに使いこなせてたから、軍人になるのも良いんじゃないかって祖父────ゾラ爺が言ってくれて」

「へえ」

「軍って男所帯じゃん? 女士官って貴重な訳よ。お転婆で全然縁談が来なかった私も、軍に入ればチヤホヤされてモテモテになるかも、なんて考えた訳」

「……思ったより世俗的な考えをお持ちなんですね」

「興味ない振りしてたけど内心ではモテたかったのよ、悪い? でも、お嬢様みたいに振る舞うのはどーしても性に合わなくてさ。なら軍に入ってチヤホヤして貰いつつ、自ら武功も挙げて立身出世とか格好良いじゃない」

 

 よ、要はモテたくて軍に入ったのかこの人。いや、確かに軍は男だらけだし、その紅一点ともなれば大事にもされるだろう。

 

 能力も有るみたいだし、別に咎められるような事ではないか。

 

「だと、言うのに……」

「……ん?」

 

 そこまで言った後、リーシャさんは死んだ瞳でライブをしているイヴの方を向いた。

 

 ……あっ。

 

「この軍の男共は、みんな(イヴ様)に夢中ってどういうことだよ!!!」

「……あぁ」

 

 まさか。まさかこの人、結局……。

 

「こないだ、ちょっと良いな~、って思ったイケメン隊長に迫ってみたのよ。そしたら『イヴ様ファンクラブの鉄の戒律で彼女を作れないのです』と来たもんだ!」

「えぇ……?」

「イヴ様、イヴ様、どいつもこいつもイヴ様!! あの人は男だよ、可愛かろうが男だよって何度いっても返ってくる返事は『だが、それが良い』!!」

「え、ええぇ……?」

「お陰で未だに彼氏出来てないんだよ畜生!! 何で、どーして!? 私は少なくとも女性だよ!?」

 

 ……チヤホヤされたくて軍に入ったのに、結局モテてないのかこの人。何とも不憫な。

 

「いつも、戦勝した後のイヴ様の謎ライブは大盛況なんだよ……。私がどれだけセクシーな服着ても見向きもしない兵士共が大はしゃぎするんだよ……」

「……」

「おかしいよ……。こんなことは許されない……」

「リーシャ。イヴ様の言葉を忘れたのかい? 笑顔、笑顔」

「そ、そうだな」ニッコリ

 

 あまりに不憫なのでとりあえず笑顔を強制してみたけど、その顔にはあまりにも哀愁が漂っていて。

 

 軍人さんも苦労してるんだな、と内心で同情した。

 

「てかこのライブ、いつまで続くの?」

「あと数曲かな? キリの良いところで、勲功労賞に移るはず」

「……。総大将があんな目立つところで歌ってて、暗殺とかの心配はないのかい?」

「多分、無いと思うが。あの舞台の脇を固めてるのは、軍の精鋭中の精鋭だし……、あそこ突破して暗殺は並の腕じゃ無理だと思う。すぐ近くにヒーラーも控えてるし」

「一応は、ちゃんと考えてるんだ」

「そもそも、こんな狂信的な兵士達の目前で暗殺とかする度胸の有る奴いる訳が────」

 

 そりゃあ、そうか。毎回ライブとかして危険はないのかと思ったけど、舞台で注目を集めている彼女に護衛の隙間を抜いて暗殺とか普通に超難しいよね────

 

 

 

 

 

 ────バシュン!!

 

 

 

 

 そう言って相槌を返した瞬間、突如として舞台上に雷が落ちてきた。

 

「……なっ!?」

「え、何事!?」

 

 黙々と、舞台上に煙が広がる。

 

 イヴは驚いて目を丸くし、慌てて舞台袖に避難している。幸いにも、雷はイヴには当たらなかったらしい。

 

「び、びっくりした」

「何だ? 青天の霹靂って奴か?」

 

 困惑の冷めやらぬ中、徐々に煙が晴れてくる。イヴが避難した舞台の中央には、暗い影が徐々に鮮明に浮かび上がってきて……。

 

 

「……」

 

 

 ドヤ顔でポーズを決めている、アセリオ(目立ちたがり)が姿を見せた。

 

 

 

 

「アセリオォォォォォ!!?」

 

 何やってるのあの馬鹿!?

 

「え、何!? 何やってるのあのお嬢ちゃん!?」

「違うんです、バカなんです! あのアホリオは目立つチャンスと見ると何をしでかすかわらないアホの娘なんです!!」

 

 やりおった。やりおった、あの馬鹿娘。

 

 自分より目立ってるイヴに嫉妬したのか知らないけど、ステージジャックを仕出かしよった!

 

「……っ!」

「……」

 

 急なライバルの出現に戸惑うイヴと、不敵な笑みを浮かべてステージを支配するアセリオ。

 

 二人は数秒見つめあった後、やがてイヴは舞台の中央に戻り────

 

「まだまだアゲていきますよ! 今夜は夜までフィーバーです!!」

「……激しいリズムに、乗るバイプス。踊るアホゥに、見るアホゥ……」

 

 ……二人して、仲良く舞台で歌い始めたのだった。

 

「……共鳴、したのか」

「イヴ様が、あんなに楽しそうに……」

 

 知らなかった。アホとアホは、喋らずとも心で分かり合えるらしい。

 

 イヴはアセリオが居るのが当然のごとく気にせず躍り、アセリオは舞台に花を満たしてライブを彩っている。

 

 二人はまさに、理想の相棒と言えた。

 

「プリンセス☆フォーエバー!! 流れる流星が君の心を打ち砕く!!」

「……心、重なる、瞬間。熱く、激しく、咲き乱れる……」

 

 アセリオの参戦で、盛り上がりを見せる兵士達。

 

 どことなく得意気な表情で、イヴと共に踊るパフォーマー。

 

 そんな二人のステージを見て、僕らは互いに……。

 

 

 

「おいポート、目が死んでるぞ。笑えよ」

「リーシャさんこそ、真顔になってるよ。笑えば?」

 

 互いに、このどうしようもない状況を慰めあうのだった。

 

「……」ニッコリ

「……」ニッコリ

 

 ……笑顔になるという行為がこんなもに辛いものだと、僕は今まで知らなかった。




???「ムシャクシャしてやった」


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子供騙し

「勲功一等、ラルフ殿。貴殿は農民の身でありながら、その勇猛さで敵の大将を撃破した事を評し、ここに金一封を封ずる」

「ど、どうも……」

 

 空が赤みかかる頃、イヴ(アイドル)のコンサートがようやく終わり、真面目な雰囲気で勲功労賞が始まった。

 

 さっきまでのアホモードとは打って変わって、イヴはキリッとした顔でラルフへと微笑みかけている。

 

「良いなぁ、俺もイヴたんに微笑みかけられたい」

「あの顔で生えてるんだろ、たまらねぇぜ」

「俺は逆に任務に失敗してイヴたんにオシオキされたい」

 

 舞台袖の兵士からは、羨望の眼差しがラルフに向けられていた。大丈夫だろうか、この軍隊。

 

「貴方のお陰で、私はゾラを失わずに済みました。ここに、最大限の感謝を示します」

「……いや。俺は、単に敵討ちを」

「良いんですよ。それでも、貴方の為したことに変わりはありません」

 

 イヴはそう言うと、クスリと微笑んでラルフの手を握りしめた。微かに、ラルフの頬が赤く染まる。

 

 ……ラルフは、イヴが男だって知ってる筈だけどなぁ。まぁそういうの抜きに可愛いからだろうか。

 

 ラルフまでこの奇妙な集団の仲間にならないよう、気を付けないといけないかもしれない。

 

「同じく勲功一等、ポート殿。貴女は貴族として村民を見事に指揮し、大きな被害を出さずに撤退を成功させました。その功績をここに評し、同じく金一封を封じます」

「ありがとうございます」

 

 今、ラルフも貰った金一封はそのまま村の再建費用として用いる予定だ。そういう話で通っている。

 

「続いて、今回の作戦の一番槍を務めたゾラ殿────」

 

 本当なら、敵の将を撃ち取りまくった今回の戦の一番の功労者はリーゼだったりする。だが、その情報がイヴに届く前に評定が終わってしまったらしい。

 

 リーゼが自分からアピールしなかったのもあるが、元々この表彰は僕らの村の復興支援目当てなので、リーゼがここに立とうと立つまいと支給される額は変わらない。

 

 だったら私は別に表彰なんて要らないわ、とリーゼは言い切った。彼女はアセリオと違い、人前に立つのはあまり得意ではない人間なのだ。

 

 なら、村長夫妻である僕らが矢面に立つのが筋だろうと考えてリーゼの表彰は見送った。その結果、彼女はノンビリと聴衆に紛れてライブを楽しんでいた。

 

 ……ちょっと羨ましい。

 

「以上、これで今回の勲功労賞を終えます。此度の勝利は、皆さんの頑張りによってもぎ取れた勝利です。今後も、変わらない奮戦を期待します」

「「「おおおおおおっ!!」」」

 

 僕らの表彰の後も長々と褒賞は続き、優に一時間は立ちっぱなしで話を聞くだけだった。

 

 こんなのを毎回戦の度にやっているのか。軍隊は大変だな。

 

「さて、今日はもうお疲れでしょう。堅苦しい話はこれで終わりにしましょう」

「……」

 

 やっと終わったか。何だかどっと疲れた。

 

 今日はこの後、イヴが家に来るんだっけ? 歓待の用意をしないと────

 

「では最後に聞いてください。永遠的と狭間のエターナル・愛!」

「「「ヒャッハァァァァ!!」」」

 

 ────やっぱり最後も歌うんかい!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 再び、舞台は狂気(イヴたん)に支配された。

 

「────これは」

 

 勲功労賞とは名ばかりのイヴ・オンステージwithアセリオが再度開催され、皆の興奮冷めやらぬ中。

 

 僕らの村に新たなる来訪者が姿を見せた。

 

「……これは一体、どういう事かの」

 

 イヴの到着から遅れること、3日。全ての戦いは終わり、戦後処理が始まろうとしている段階で。

 

「のう、イヴや」

「……お父様!」

 

 数十年の間、この地を無事に治めた現領主にして稀代の怪物、フォン・イシュタール侯爵が護衛を伴って村へと顔を見せたのだった。

 

 

 

 

 

 

「……む。本当に、襲撃が有ったのか」

「はい、お父様」

 

 聞くところによると、イヴは父親にすら話を通さず独断で村を助けに来てくれたらしい。村が危ないと気づいた時には時間的にギリギリで、外遊している領主を待っている余裕はないと判断したそうだ。

 

 そして、領主様は外遊から帰還された後にイブリーフが出陣したと聞いて、慌ててここに駆け付けてきたという。

 

「……イヴよ。お前は、最近の国境付近の動きを知っておるか?」

「えぇ、存じております」

 

 老いてなお、堂々。嗄れた声で優しく、それでいて厳格にイヴに相対する領主イシュタール。

 

 その目には、不思議な光が宿っていた。

 

「ここから遥か北、レテオ山岳付近に帝国軍の本隊が結集しているとの噂です。恐らく、近々戦争が始まるでしょう」

「うむ。帝国は、儂らの領を避けて遠回りに我が国の首都を伺う心積もりらしい。色々理由はあるじゃろうが、一番の理由は何じゃと思う?」

「……我らの地が森林に覆われ、土地勘の無い者に不利であること。我らの領は、国全体を見渡しても最高の練度の兵士が集っていること。そして何より、悪路故の補給の困難さでしょうか」

「そうじゃ。大軍が通れる道を作っておらん我らの土地で、首都まで侵攻できるだけの物資を細々と補給し続けるのは困難を極める。首都侵攻を考えるのであれば、儂でも北から遠回りに攻め込むであろう」

 

 ライブを中断し、急に真面目な話を始めたイヴ。何やら、空気的には説教でも始まりそうな雰囲気だ。

 

 独断専行したことが、イシュタール侯爵の怒りに触れたのだろうか。

 

「で、あれば。どんな噂が流布される?」

「……噂、ですか」

「北から攻めるのが、本命。であらば、我が領にはどのような情報が流れてくるかの?」

 

 む? 噂?

 

 ……あぁ。そう言うことか。

 

「北から攻めるのが真実であれば、情報を錯綜させるため南……、つまり私達の領を脅かすと言う噂が流れるでしょう」

「うむ。であるから、敵が我が領を伺っているとの情報が届いた時、さもありなんと納得したものだ。情報戦術の基本であるからな」

 

 敵が北から攻めるのが本命なら、偽情報として「南から攻めるぞ」と僕らに漏らしておくだろう。それで少しでも警戒を煽れたら御の字である。

 

「……偽報を講じた敵にとって、我らの軍費の無駄な浪費こそ勝利である。儂も敵が我が領を伺っていると聞いてはいたが、情報戦術だろうと敢えて黙殺したのだ」

「成る程」

「イヴは何故、本当に奴等が攻めてくると分かった?」

「ええ、お答えします。敵は、私達を攻めた方がメリットが大きいからです」

 

 領主の問いに、イヴは流水のごとくスラスラと答えを返した。自らの考えに、絶対の自信があるらしい。

 

「逆に、敵にとっての最悪とはなんでしょうか?」

「そりゃ、北から侵攻する本隊の敗走であろう」

「ええ、その通り。だからこそ、敵は私達が北の戦場へ向かう事を恐れる」

「……」

 

 イヴはそう言うと、地面に木の枝で簡単な地図を書き記した。

 

「敵が我らの領から攻め入らないのであれば、余裕のある我が軍は援軍要請に応じて北へと向かうでしょう。さすれば北の戦線は敵にとってより厳しいものになる。だからこそ、我らはここに釘付けにせねばならない」

「おお……」

「今回の敵の襲撃の意図はそこです。我らの資源を奪い、継戦能力を削ぎ、そして我が軍をこの地に釘付けにする目的」

 

 イヴの考えは理解できた。つまり今回は領土を奪うのが狙いの攻撃ではなく、単なる牽制目的の侵攻だったと言いたいのだろう。

 

 農村が狙われてしまうのであれば、イヴ達はここを離れるわけにはいかなくなる。そうすることで、本命の戦線を有利にする狙いなのだ。

 

「敵が北の侵攻路を選択したからこそ、我らの領の村は危うい。牽制という毒にも薬にもならぬ戦略で、無駄な犠牲者が出る。そう判断し、敵軍の不穏を聞いてすぐに出陣しました」

「……そうか」

「此度の敵の部隊は、お世辞にも練度が高かったとは言えません。きっと、彼らは本隊に組み込まれなかった新兵の寄せ集め────。戦術目標が侵略ではなく略奪であらばこそ、彼らで十分だと判断されたと思われます」

「そうか、そうか」

 

 イヴの答えを聞いた老人は、ふぅと一息ついて。柔らかな笑みを浮かべ、イヴの頭を撫でた。

 

「……すまんの。儂が老いていた」

「お父様?」

「そうか。頼りないと思っていた我が子も、いつの間にか獅子へ育っていたか。あぁ、我ながら何たる無様を晒したものよ」

 

 イヴを撫でる領主の目は優しい。しかして、その目は何かの迷いを断ち切っていた。

 

「家督を譲ろう、イブリーフ」

「……え?」

 

 領主様は、そう言いきるとイブを抱き締めて。

 

「無論、お前にすべてを背負わせはしない。だが、お前はもう立派な長となる資格を持った」

「お父様……」

「儂はもう高齢。次の世代は、お前の世代だ。せめて儂が生きているうちに、お前の築き上げる世界を見せてくれ」

 

 領主様は柔和な笑みを浮かべ、その立場を娘のイヴへと譲ったのだった。

 

 ……時代が、僕の知る歴史とは全く違う方向へと歩みだし始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……と、言う訳で。イブリーフ侯爵、誕生です!」

 

 ライブ会場が、急遽として任官式場となり。イブリーフは兵士皆に見守られながら、その家督を受け取った。

 

 侯爵の立場を受け取った彼女は、式の後で満面の笑みを浮かべ僕に自慢しにきた。父親に認められたのが嬉しかったらしい。

 

「お、おめでとうございます」

「もー、敬語なんて要りませんってばポートさん。敬語は威厳ある人が使われるモノ。私みたいな弱虫が民に敬語を強要してたら、器が小さく見えてしまいます」

「いや、領主が農民にタメ口効かれたらまずいでしょう……」

「えー」

 

 小さな頃に一緒に遊んだことすらあるイヴが、随分と大物になってしまった。さすがに領主様を呼び捨てには出来ない。

 

「君が、ポート殿か。うむ、そうか……。あの時の利発そうな村長の娘殿であったか」

「こ、これはどうも。お久しぶりでございます、イシュタール様」

「イヴから話は聞いておるよ。君から貰ったという政治本が、イヴや我々を大きく発展させた。一度、君と話がしてみたかった。イヴが君の家に出掛けるというならば、儂も貴殿の家に邪魔しても良いかの?」

「え、ええ。大変光栄です」

 

 その、この州の最高権力者が2人セットになって我が家を訪れる事になった。

 

 正直、重圧で死にそうだ。

 

「ポートさんは、農富論を読破されておりますよね?」

「……ええ、まぁ」

「これから、我が州は忙しくなります。来るべき戦争に備え、高度に軍事拡張を進めねばなりません」

 

 イヴはそう言うと、僕の手を握って。

 

「人が足りません。我が家には優秀な武官が揃っていますが、政治に詳しい人材には欠けるところがあります。貴女の今回の指揮を見て確信しました、貴女であれば我が家の大黒柱になれるでしょう」

「え、ええ? 買いかぶりでは」

「あの本を理解した上で読破している時点で、文官の仕事は人並以上に出来るでしょう。農富論を理解してくれてる人自体が、我が家にはかなり少ないのです。ポートさんには是非、私の下で仕事をしていただけると……」

「ちょ、ちょっと待った!」

 

 数年ぶりに会ったイヴは、僕に熱烈なラブコールを投げかけた。正直困る。

 

 そりゃ、あの本を書いたのは僕だけど……。あーいう内容はイヴの立場の人間が読んでこそなのだ。

 

 僕みたいな下っ端貴族が理解してても、あんまり意味が……。

 

「うちの家臣の識字率が低くて、まだ読破すら出来てない文官もいる始末なんです。ポートさん、私を助けると思って」

「え、えぇ……」

「儂らの家訓は『敵より強くあれ』だからのう。部下もみな体を鍛えることには努力を惜しまぬが、頭脳労働はあまり得手ではないらしい。今までは儂一人でなんとかしていたが、情勢が変わってちと手が足りぬ」

「……」

 

 そうか。武闘派集団といえば聞こえがいいが、その片方で内政に長けてる人が少ないのか。

 

 そういや前世でも、イブリーフの無茶な命令を止めようとしてる人もいなさそうだったしなぁ。本当に領主様が一手に担ってたのか、内政。

 

「この、戦争が一段落つくまででも。一人でも多くの文官が必要なのです、ポートさん」

「……成る程。僕の家に来たいだなんて言うから何かと思えば、要は勧誘ですか」

「え、いや、そうではなく。……本音を言えば私はただ、数少ない友人と言える立場の貴女に近くにい居て欲しいのです」

「報告を聞く限り、君は非常に優秀だそうだしの。在野の賢人は、得ようと思ってもなかなか得れぬ」

 

 ……そんなことを言われてもなぁ。

 

「過分な評価を頂き光栄なのですが、申し訳ございません領主様。僕は、この村に生まれこの村に育てられました。僕を育ててくれたこの村の繁栄こそ、僕の悲願……。ありがたいお話ですが、伏して辞させていただこうと思います」

「……そうですか。なら、仕方ありませんね」

 

 イヴには悪いけれど、正直言ってこの領の未来まで背負い込むだけの能力は僕に無い。この村一つ守り抜けるかどうかも分からないのだ、余計な事をしている余裕はない。

 

 都の図書館とか正直興味はあるし一度は行ってみたいけれど、イヴの部下になってしまったらこの村がピンチの時に戻ってこれるか分からない。

 

「ふむ、気が変わったら何時でも来ると良い。イヴを支えてくれる人間は一人でも多いと良いからの」

「ええ、すみません」

「昔話になるが……。今我が軍の大将をしとるゾラの奴もな、最初は儂の喧嘩相手だったのよ。アイツとは下らないことで毎日喧嘩しとったな。そんな領主を継ぐ前の対等な友人こそ、決して裏切らぬ最後まで信用のおける味方となる」

「……」

「まぁ、無理にとは言うまいよ。君の人生だ、君が好きに決めなさい」

 

 ああ成程。つまりさっきのイヴの誘いに応じていたら、僕は腹心みたいな扱いにされていたのか。

 

 それは……申し訳ないがありえない。そこまで、僕はイヴに尽くす理由を持っていない。

 

「振られてしまいました、お父様。くすん」

「かっかっか。女に振られるとは、お前も成長したのう」

 

 まぁ、あわよくばという程度だったのだろう。僕の返答を聞きため息混じりにションボリしているイヴと、それを見て笑いながら慰めている二人からは本気の悲壮さは感じられなかった。

 

 むしろ、予想通りといった雰囲気だ。

 

「では、どうします? 今から家に寄られますかイヴ様」

「もー、敬語は本当にやめてくださいよ……。当然寄ります。仕官は振られましたけど、ポートさんとは友人ですもの。私だってたまにはお友達の家に遊びに行きたいです」

「そ、そうですか」

 

 だが、イヴは僕のこと友人と言ってくれている。なら、僕もその友情には応えねばならない。

 

 僕の家に来ることで、毎日忙しいだろうイヴの疲れを少しでも癒すことが出来るなら、今夜はそれに付き合おう。

 

「では、ご案内します。書庫に、明かりを灯しておきますよ」

「まぁ。また、あの場所に行けるのですね」

 

 イヴはそういって、僕の手を握ったまま微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ。何も変わりませんね」

 

 領主様とイヴを伴い帰り着いたころには、既に陽は落ちて夜闇が我が家を包んでいた。

 

 敵兵に多少荒らされた跡があったものの、僕の家は幸いにも大きな損傷なく残っていた。

 

「初めてポートさんにお会いした日。私は貴女に手を引かれ、この家へと招かれた」

「……そうでしたね」

「何を思ったのでしょうか。ポートさんは私を書庫に連れ込んで、『本でも一緒に読まないかい』と誘ってくださった。子供に誘う遊びではないでしょうに」

「僕は本が好きだったけど、周りに本について語り合える人が居なくてね。イヴは名門貴族だから、本も読めるだろうと思ったんだ」

「昔から本が好きだったんですね」

 

 イヴを誘った本当の理由は、僕が悲惨な未来を知っていたから。イブリーフに少しでもまともな政策をしてもらおうと、書き連ねたのがあの本である。

 

 あんな本が巡り巡って、ここまで未来を変えることになるとは思っていなかった。イブリーフがまともになるし、その影響なのか戦争が早まってるし。

 

「今夜は、どうせこの村で1泊することになるでしょう。お二人とも、僕の家にお泊りになられますか?」

「よろしければ是非。護衛の方、今日はこの家を守ってください」

 

 気を利かせ、イブ達には客間で泊まってもらうことにする。イヴの自宅に比べれば質素なものだが、テントに寝袋を敷くよりかは多少は寝心地が良いだろう。

 

「ねぇポートさん、今から書庫に参りましょう。……久しぶりに、あそこで農冨論について論じ合いたいものです」

「ええ、いいですとも」

「子供の頃は教わるばっかりでしたけど、あの本はとっても読みこみましたから。もう、ポートさんには負けませんよ」

 

 そうか。そんなに農冨論を読み込んでくれたのか。

 

 作者としてはうれしいような、騙したようで申し訳ないような。農冨論は7歳の女の子が知った風な口をきいているだけの政治本だけど、それでもここまで読み込んでもらえたなら少しは価値のあるものだったのかもしれない。

 

「僕も、その本についてはそこそこ詳しいつもりさ。僕でよければ、お付き合いしますよ」

「……ふふ。うれしいです」

 

 大きく成長し、政治のリアルを知ったイヴとの議論。それは、きっと僕にとっても有益な時間となるだろう。

 

 僕は農民と同じ目線はもっているけど、領主クラスの為政者の目線は分からない。それを、イヴとの会話を通じて感じ取れるかもしれない。

 

「ほ、ほ、ほ。若いとは、羨ましいの」

「まったくです」

 

 そんな僕とイヴの様子を、既に家に帰りついていた両親と領主様が微笑ましく眺めていた。

 

 

 

 

 

「さて。今日は前々から感じていた、農冨論の矛盾点について議論したいと思います」

「矛盾点ですか。それは一体?」

 

 農冨論の写本を開き、鼻息荒く少し興奮した様子のイヴ。

 

 領主様曰く、久し振りに羽目を外している様子だという。僕と会えたことが嬉しかったのだろうとの事。

 

 そこまで親愛の情を示されると、こそばゆくなる。

 

「農冨論には、最低限の『道徳』が民には求められています。その道徳を乱すようなものを、『法規』で処罰するべきであるとされています。しかし、後の項で同時に民は『理性の存在しない、動物のような存在』とも見なされている」

「……ふむ」

「動物に道徳は求められません。動物を律するのと、道徳ある人間を律するのを同一視は出来ないでしょう。この作者は、実際のところ民をどのように捉えていたのでしょうか」

「そうだね、その二つの記述は一見して矛盾しているように見える。でも────」

 

 やはり、イヴは知的だ。僕の知っている人間の中でも、一等頭の良い人間だろう。

 

 今日は久しぶりに、頭をフル回転させて作者としての意地を見せねばならない。

 

「────つまり、道徳というのは集団が集団たる核なんだ。動物に置き換えると、それは習性と名前が変わるだけ。動物にも人間における道徳に近い概念は存在しているんだよ」

「成る程。つまり、狼における群れの掟のようなものでしょうか」

「それを、人間の世界では道徳と呼称している。しかし、人間は本質的にどこまでも貪欲なのさ。道徳と言う概念に縛られようと、時として自身の欲望におぼれ罪を犯す」

 

 これは、想像した以上に楽しい時間だった。

 

 優れた頭脳を持つ権力者と、政治という高度な内容について議論し理解を深め合う。

 

 ……もしかしたら。イヴの誘いを断りはしたけれど、本来の僕の人間としての適性は文官なのかもしれない。

 

 誰か絶対的な主導者の下で、その覇業を支え方策を提案し議論を交わす。適正だけなら、なるほど僕は向いているだろう。

 

「では、結局のところ。作者は、動物だろうと人間であろうと集団としての性質は同一であると考えているのでしょうか?」

「それは違うと思う。そもそも、動物の集団と人間の集団は一つ決定的に違うところがあるんだ」

「それは?」

「知恵だろう。動物の単純な思考回路では想像もできないような、狡猾で悪辣な犯罪者というものが存在するからね」

 

 もし、生まれが変わっていれば。

 

 もし、僕がイヴの配下として生まれ、『滅びゆく国を救う』ために生きていたのであれば。

 

 

「……」

 

 

 ────いや、よそう。

 

 そんな無意味な過程をしても、きっと何も現実は変わらない。

 

 それに今世のイブリーフは優秀だ、国が亡ぶなんて未来があるわけない。

 

「……」

「どうしたの、イヴ。もう、議論は終わりかい」

「……」

 

 夢中になって、論ずること十数分。

 

 あれだけ饒舌だったイヴが黙り込み、静かに虚空を見つめている。

 

「……イヴ?」

 

 どうかしたのだろうか。もう、議論のネタが尽きてしまったのだろうか。

 

 なら、こちらから話題を振ってもいいかもしれない。僕は、まだまだ彼女と議論していたい。

 

 そう、感じて────

 

 

 

 

「民、冨論?」

「……へ?」

 

 

 

 

 ふと、イヴの目線の先に目をやると。

 

 そこには、まだ書きかけの僕の新作の政治本が書庫の本棚に堂々と立てかけられてあった。

 

 ……。

 

「え、あ、ポートさん? あの本は一体……」

「な、なんの事だい? あはははは」

「え、あ、ちょ。まさか、同じ作者様の!? え、嘘!」

 

 しまった。隠すのを忘れていた。

 

 僕は何を考えていたんだ。民冨論なんて分かりやすすぎるタイトルで何故書いてしまったんだ。

 

 作者バレする大ピンチじゃないか!

 

「よ、よよよ読ませてください!! その本を、今夜私に貸してください!!」

「ま、待つんだイヴ。落ち着いて、深呼吸して。はい」

「すぅー、はぁー。……で、あの本は同じ作者さんの著作なんですか!?」

 

 やばい。全然落ち着いてくれない。

 

 ど、どう答えるべきだ。あの本はまだ未完成で、内容も中途半端そのもの。あんな本を読まれるわけにはいかない。

 

「わ、分からないけれど。あれも僕の写本なんだよ、イヴ」

「写本ですか。じゃ、じゃあ原本もあるんですね!? 買います、買わせていただきます! 言い値をどうぞ、ポートさん!」

「そ、その。あの本は申し訳ないけど、まだ写している途中でね……未完成なんだよ」

「そ、そうですか。では……」

 

 ど、どうしよう。あんなの見つかったら、絶対に回収されてしまう。

 

 よし、ここは時間を稼ぐしかない。

 

「イヴ、あの写本は君に渡すよ。数日待ってくれないか、本を写せたら君に渡そうじゃないか」

「え、ええ。本当ですね? わかりました……、お待ちしましょう」

 

 よ、よし。これで何とか数日ゲットだ。

 

 こうなれば、急いで執筆を続けて無理やり書き上げて────

 

「では、今日は原本を見せてもらえませんか? できれば、作者様の筆跡も見たいのです」

「……」

「私が持っていたのは、ポートさんの写本ですから。出来れば農冨論の原本も、見せていただけると嬉しいです」

「…………」

 

 え、原本?

 

 いや。えっと。

 

「げ、原本は見せられないんだ。本当に申し訳ないんだけど、うちの書庫のルールというか掟的なアレで原本は一族の人間にしか見せられなくて」

「……では、そこの本棚に並べられているモノは写本のみなんですか?」

「そ、そうなんだ。あははは」

「棚の上段にあるエ・コリ聴聞録。その書物は貴方の曽祖父が直に記した原本である、幼い頃にそう自慢された記憶があるのですが」

「あ、あはははは」

 

 ……。

 

「……あら、ポート聴聞録? これは……貴女の書いたものですか? タイトル的にも、ポートさんの曽祖父を敬ったものですね」

「え、ええ。その本は、僕が旅人さんから見聞きしたことを纏めたもので……」

「では、農冨論や民冨論と同じ棚にポートさんの著作が並んでいるのはどういう訳でしょうか」

「……」

 

 ……。

 

「いや、でも。よく考えたら、そんな────」

「待ってくれイヴ。君は何か誤解をしているんじゃないかい? 一度よく話し合おう、それが大切だ」

「こんな優れた内容なのに、作者の名前がないのもおかしかったです。これを著した人物は、何を目的にこの本を書いたのでしょう? 普通政治本を書くような人は仕官を目的にしているはず」

「あの、イヴ、その」

「それに前から不思議でした。この本に書かれていた風習や文化は、どうみても最近の時代のモノが含まれていた。ポートさんの話では、かなり前に書かれた本のはずなのに」

 

 ああ。イヴは頭がいい。

 

 小さなころは騙せた『子供騙し』が、通用する年齢ではなくなっている。

 

「……ま、さか────」

「……」

 

 これ以上は、もう無理だろう。

 

 状況証拠が揃いまくっている、誤魔化せるレベルを超えてしまっている。

 

 小さなころについた嘘が、ようやく綻んで化けの皮がはがれたという事だろう。

 

「まさか、これ、ポートさんの……」

「……イヴ」

 

 もう、これ以上見苦しい真似はしない。

 

 僕は堂々と顔を上げ、そのまま垂直に頭を床まで下げ土下座して。

 

 

「騙していて申し訳ありませんでした!」

「……あ」

「その本は僕が、僕が書いた落書きなんです。こんなに広められることになるとは思わなくて。ごめんなさい!」

 

 

 自身の、過去の非礼を詫びた。

 

 イブリーフがあんな成長をしないように、僕はそれだけで頭がいっぱいだった。

 

 結果として、僕を友人だと思ってくれているイヴをずっとだまし続けていた事になる。

 

「……」

 

 イヴは、黙って僕を見下ろしている。

 

 彼女の心境はいかなるものだろうか。今までずっと、高名な人間が書いた本だと信じて疑わなかった教科書が7歳児の落書きだと知って、どれほど傷ついただろうか。

 

 だが、僕にはただ詫びることしかできない。伏して、命だけは許してくださいと願う事しかできない。

 

「……き」

「き?」

 

 彼女だけじゃない。僕は、領主様をも騙していたことになる。

 

 二人は一体、どんな審判を僕に下すのだろうか。出来れば、村に被害が及ぶような事は────

 

 

「きゃああぁぁ!! や、やったぁぁぁ!!」

「……へ?」

 

 

 がっしり。

 

 イヴは突然に目を輝かせ、頭を下げている僕の両肩をガッシリ掴み上げた。

 

「やっぱり! もしかして、もしかしたらと思っていたの! 居た、あの本の作者がこんなにも身近な場所にいてくれた!!」

「え、い、イヴ?」

「ふふ、うふふふふ! 人材、喉から手が出るほど欲しかった政治の人傑がこんな場所にいた!! うふ、うふふふ!!」

 

 ど、どうしたというのだろう。イヴは壊れたように高い声で笑いながら、頭を下げていた僕を抱き上げて肩に背負った。

 

「事情が変わりました、ポートさん。申し訳ありませんけど、こういう事はあまりしたく在りませんけど!」

「な、何だいイヴ?」

「強権発動ですわ、領主特権で貴女の身柄を拘束しますわ! ごめんなさい、後でとっても謝りますから!」

「あ、あーれー!?」

 

 そのまま、拉致とでもいうのだろうか。

 

 僕はか細いくせに妙に力の強いイヴに抱きかかえられ、そのまま運ばれていったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「お父様!!」

「おや、イヴ……、と、ポート殿? どうしたかの」

 

 ああ、無情。これから僕はどうされるのだろうか。

 

 とても嫌な予感がする。政治の人傑って何だ、僕を一体どうするつもりだ。

 

「聞いてくださいお父様、かくかくしかじかで!! ポートさんが、本物の作者様で!!」

「……ほ?」

 

 先ほど起きた内容を、イヴはそのまま報告した。彼女の言葉を聞き、領主様は目を丸くして驚いていた。

 

 ……これで、領主様にも僕の嘘が広まってしまったことになる。領主様は、僕を一体どう裁くつもりだろう。

 

「……本当なのかい、ポート殿」

「は、はいぃ……」

 

 こ、怖い。領主様の目の奥がきらりと光った。

 

 もしや、すごく怒っているのだろうか。まさか殺されないよね、大丈夫だよね。

 

「あぁ、とうとうバレちゃったのかいポート」

「と、父さん。そんな、軽く」

「7歳であれだけの本を書いたんだ、君はもっと堂々としているべきだ。僕は、そう思っていたがね」

 

 一方で父さんは、領主様の前で優雅にホットミルクを飲んでいる。

 

 こんなとんでもない秘密がばれたというのに涼しい顔だ。何でそんなに落ち着き払っているんだ。

 

「村長殿。貴方は知っておったのか」

「最近知りましたよ、むしろ納得しましたけどね。以前からポートは、出来が良いというレベルを超えていた。親の欲目ではなく、彼女はまぎれもなく神童です」

「……」

「ポートはあの年で、この村の酒税導入や店の配置に商業流通などこの村の色々なところに関わっています。正直、親としては恥ずかしいけれど、今すぐ村長を譲っても僕以上にうまくやると思います。だからこそ、惜しかった」

 

 父さんは、内心大慌ての僕を見て小さく笑っていた。

 

「僕としては、ポートをこんな小さな村に閉じ込めていていいのかと疑問だった」

「な、何を言ってるんだよ父さん。僕は生まれてから、この村の村長として────」

「うん、君の気持ちはだれよりもよく知っている。だから、今まで何も言わなかっただろう?」

 

 父さんは、いきなり何を言い出すんだ。そんな言い方をしたら、僕がまるでイヴの配下になっても構わないかのような言い方じゃないか。

 

 父親なら、断固として娘は渡さない的な態度をとって欲しいんだけど!

 

「……利発そう、か。ポート殿はそんな可愛いレベルではなかったようだな、やはり儂の目も老いていたか」

「え、いや、その。領主様?」

「……ポート殿。老い先短い老人から、伏して頼みたいことがある」

 

 こ、これは。

 

 今までイヴや領主様を騙していた責任を取らされて、文官として仕事をさせられてしまうパターンか。

 

 冗談じゃない。せっかくラルフと婚約して、やっと悲願の村を守れる体制が整ったんだ。お役所仕事にかまけて村の窮地にかかわれないなんて、そんな無様なことになってたまるか。

 

「ポート殿」

「は、はい」

 

 だが、どう断る? どういえば、この二人を納得させられる?

 

 やっと念願叶ってラルフと婚約したんだ、絶対に僕は────

 

 

 

 

「イヴの、嫁に来てくれんか」

「────はい?」

 

 

 

 

 ────2夜連続。

 

 僕は、この州の最高権力者からの命令で、連日のプロポーズを受けたのだった。

 

 

 

「……♪」

 

 その背後。

 

 領主様の御言葉を聞き、イヴは大層嬉しそうに頬を緩めていた。



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新天地へ

「……」

 

 平和な辺境貴族の夜の食卓が、沈黙に包み込まれた。

 

 何せここら一辺の最高権力者様が、どこにでもいる村娘……、じゃなくてなんちゃって貴族の娘に婚約を申し込んだのだ。

 

 玉の輿とか言うレベルではない。いや、逆玉の輿か?

 

「こんな事を言われ、すぐに答えを出すのは難しいだろう。ポート殿、一晩じっくり考えてみてくれんか」

「……」

 

 じっくり考えてくれと言われても。これはつまり、僕がイヴの正妻扱いになるってことなのか? だったら、元々のイヴの婚約者候補から嫉妬とかが凄いことになりそう。

 

 それが、デタラメ政治本を書いた僕の罰? いや、そんな事を言われても。

 

「え、その。領主様……じゃなくてイシュタール様」

「……何じゃ?」 

 

 でも、まぁ。いくら罰と言えど、僕にそれは出来ない。何故なら僕はもう、

 

 

「すみません、僕には婚約者がおりまして……」

「……おや」

 

 

 昨日ラルフと婚約した直後だからである。

 

「……居たんですか、お相手」

「す、すみません」

 

 イヴは、哀しげに目を伏せた。

 

 いくら侯爵の称号を持っていようと、他人の妻を勝手に召しとるのは倫理的にNGだ。

 

 実際、権力にモノを言わせてそういうことをやる貴族は居るそうだけど。

 

 イヴが、そういう貴族でないことを祈るのみである。

 

「……え、ポート? 婚約したのかい?」

「あっ、ごめんなさい父さん。昨日、ラルフからプロポーズを受けました。報告が遅れてすみません」

「はぁー。そうだったのか」

 

 しまった、そういやドタバタしていて父親に報告するのを忘れていた。

 

 いの一番に伝えなければいけない相手だったのに。勲功労賞で忙しかったからうっかりしていた。

 

「……昨日、ですか」

「は、はい」

「タッチの差……。うぅ……」

 

 話を聞いたイヴは悔しげに拳を握りしめている。そ、そんなに悔しがらなくても。

 

「昨日は私、軍の指揮で忙しかったんです。そのタイミングで先制はズルくないですか?」

「……え。いや、ズルいも何も無いでしょう」

「ラルフ君って、あのラルフ君ですよね? 私達、村を解放するために頑張ってたんです。その間に告白されて手遅れって、ちょっとズルな気がします。私にもチャンスが欲しい」

 

 だがイヴは諦めきれないのか、彼女の睫毛が肌に当たるほどの距離まで顔を詰めてきた。

 

「もし、ラルフ君ではなく私が……、私が先に婚約を申し込んでいたら結果はどうでしたか?」

「え、その」

「貴女の才能を諦めるつもりはありません。貴女と一緒に居たい気持ちも負けません。ラルフ君と貴女が仲が良いのも知っています。けれど」

 

 グイグイと距離を詰めてくるイヴ。その勢いに気圧されて、僕は壁際まで追い詰められる。

 

「……それでも私に、ついてきてくれたりはしませんか? お願いいたします、私の初恋の人」

 

 それは、悲しげながらも真っ直ぐな、イヴの告白だった。

 

 

 

 

 

 

 

「……ごめんなさい。それでも、僕は」

「そう、ですか」

 

 だが、しかし。きっとイヴの告白が先だったとしても結果は変わらないだろう。

 

 僕は村を離れるつもりはない。この村で生きて、この村で死ぬ。それが、僕の生き様だ。

 

「そうですよね。ラルフ君は貴女を選び、貴女もラルフ君を愛している……。私に入り込む余地は無いのですね」

「……」

「……あれ? どうして急に複雑そうな顔をされているのですか?」

 

 まぁ、別にラルフを愛しているかと言われたら微妙なんだけど。

 

「侯爵家からのプロポーズとはいえ、先約があるならそれを受けるのは不義理じゃろな。知らぬこととは言えすまなんだ、ポート殿」

「い、いえ。僕の勝手な都合で申し訳ありません」

「良い良い。都に、ラルフ殿の住まいも用意するとしよう。同じ家が良いかの?」

 

 ……。

 

「あの、それは一体?」

「……む?」

 

 え、今の話は何? 何で、都にラルフの家が出来るんだ?

 

「ポート殿には、都に来て貰わんと困るのだが……。ラルフ殿もついてくるのだろう?」

「……」

 

 ……。

 

「あの、僕がどうして都に?」

「ふむぅ」

 

 ちょっと待って欲しい。それは一体どういう話だ?

 

 今までの会話のなかに、僕が都へ向かう理由が1つも無かった筈だが。

 

「人の口に戸は立てられぬからの。『農富論』の筆者が国境の農村に隠匿していると情報が入れば、色々な勢力から狙われるだろう」

「……はい?」

「儂らがどんどん増刷し知名度が上がっとるから、あの本の作者は一部で懸賞金すら掛けられておる。最初に見つけられたのが儂らで良かったわい、もし悪い人間に見つかっていたら拉致監禁も有り得ただろう」

 

 ……はいぃ!?

 

「け、懸賞金? な、なんですかそれは!」

「様々な場所に影響を与えた稀代の怪作の作者じゃ。その次回作はいくらで取引されるか分からない……、金銭的価値だけでもとんでもない事になろう」

「……え、そんな。あんな本が?」

「少なくとも、儂はアレより価値のある本を読んだことはなかったの」

 

 拉致監禁? 稀代の怪作? ど、どういうことなの?

 

 7歳の子供の書いた落書きだぞ!? せ、精神年齢的には30近いけど。

 

「……儂らの本拠たる都であれば、君の身柄を安全に守り抜けよう。村のためにも君自身のためにも、都に来ておいた方が良い」

「え、えっ?」

「運が悪ければ……、君自身を目的に村を襲う連中すら現れるかもしれん。君の本は、それほどの影響を与えておるのだ」

「そ、それは言い過ぎでは?」

 

 それは流石に法螺じゃないか? 僕の農富論が売られているなんて、つい最近まで知らなかったし。

 

 そんな影響の大きい本なら、もっと知名度が────

 

「……ポート、その本はここら一帯の村長が愛読していると聞く。農富論が出てから、ここらは急激に発展した。本当に、それだけの影響は有るだろうね」

「……え」

「お父様はその農富論を、貧しい村の長に配って回ったのです。そしたら、想定していた以上に商業農業が発展して……。ここ数年は忙しすぎて目が回ってましたよ」

 

 ……そんなことしてたのね。

 

「村長殿。申し訳ないが、儂らに娘殿をお預け頂きたい。ポート殿自体の安全のためにも、の」

「……ええ。娘を、よろしくお願いいたします」

「あ、その、えっと?」

 

 は、話が僕をおいてどんどん進んでいく。じゃあ、これからどうなるの? 僕は村長を継げないの?

 

「で、では僕はどうなるのですか? この村には、もう帰ってこれないのですか?」

「そんな筈はなかろ、安心してくれ。戦争が一段落すれば治安も落ち着くし、その間に君の村付近に兵屯を用意できよう。数年間は、儂らと共に過ごせばよい。君が望むなら、その後に村へと帰っても構わない」

「そうですか。す、数年間だけですか」

 

 よ、良かった。そうだよね、一生都住みとか無いよね。

 

 戦争が始まって治安が乱れるから、その間だけ僕を保護してくれるって話か。しかも、村付近に兵舎まで用意してくれるのね。

 

 なら、むしろありがたい話だ。

 

「分かりました。僕も、イシュタール様のご厚意に甘えたく思います」

「ほっほっほ。良い家を用意しておくからの、楽しみにしておいてくれ」

 

 急な話になってしまったけど、僕のわがままで村を危険に晒すわけにはいかない。ラルフにも話をして、ついてきて貰うように言おう。

 

 ちょっとした都への留学と考えたら、全然悪い話ではない。ラルフも、都の鍛治技術を学べるチャンスと捉えてくれるかもしれない。

 

「急な話で申し訳ありません。明日の昼頃に、私達はこの村を出立します。それまでに、準備を整えていただけると助かります」

「わ、わかりました」

「生活に必要なものは、全て儂らが用意しておく。君はラルフ殿に話を伝えて、都に持っていく物を選別していてくれ。……君の著作を忘れんようにの、それが残っているだけで村が狙われる理由となるだろう」

「は、はい!」

 

 いい話ではあるが、随分と急な話になった。ラルフは僕に着いてきてくれるだろうか?

 

 向こうの家にも事情はあるだろう。ラルフから婚約したものの、向こうの家的に跡継ぎを村長にされたら困るとかあるかもしれない。

 

 今からでも、話をしに行った方が良いだろう。

 

「領主様、父さん。ちょっとラルフに会いに行ってきます」

「あいよ」

 

 ……さて、僕にとっても初の相手の親への挨拶だ。気を引き締めて行かないと。

 

 元々ラルフを僕にください的な立場だし。果たして、どんな反応が待っているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ぐああぁっ!! 許してくれぇえ!!!」

「……」

 

 ラルフの家から、痛そうな悲鳴が聞こえている。誰かが折檻されているらしい。

 

「あのー、ごめんくださーい」

「ぎぃやぁぁぁぁあ!!」

 

 気になって中を覗くと、ラルフが父親のランボさんに関節技をかけられて悶絶していた。

 

 ……何をしているんだろう。

 

「あら、ポートちゃん? いらっしゃい」

「こ、これはどうも。ご無沙汰してます」

 

 怪訝な顔で悶えるラルフを眺めていたら、ラルフの母親であるシャリィさんが僕を出迎えてくれた。

 

 ラルフの家に招き入れてもらって部屋を見渡すと、やはり色々漁られた形跡があった。どうやら義母(シャリィ)さんはその後片付けをしていたらしい。

 

「ラルフ、何かしたんですか?」

「あぁ、気にしないで。バカ息子は、嫁入り前の娘を襲った罪で教育中なの」

「……あっ」

 

 ……僕の1件か。

 

「いえ、その、未遂ですし。ラルフも突然戦場に駆り出されて荒れてただけだと思います。そんなに怒らなくても……」

「戦場で最も気を張り詰めてたのは貴女じゃない、そんな娘を襲うなんて男として論外だわ。それに、もし最後までしてた日にはくびり殺してたわよ」

 

 ……ラルフの家は、なかなか教育が厳しいらしい。ふん、と鼻息荒くシャリィさんは肘を極められたラルフを睨んでいる。

 

「全く、常日頃から情欲に負けるなと散々説教しておいたのに……。怖い思いをさせてごめんなさいね、ポートちゃん」

「いえ、僕は全然に気にしていません。婚約もしていただけましたし……。婚約して、よろしいんですよね?」

「もちろん。正直、あのバカが選ぶのはリーゼちゃんかなとは思っていたけれどね」

 

 ほっ。親公認で、婚約を認めてもらえた。これで、まずは第一段階はクリアだ。

 

「夜分に大変申し訳ないのですが、火急の用がありまして」

「あら? どうかしたの?」

「その。……数年間、僕が都に移住することになったのです」

 

 後は、さっきの事をラルフに伝えるのみ。

 

「彼と話をさせていただけませんか」

「……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ポートちゃんが本を書いていたのは聞いてたけど、また凄い話になってるのね」

「は、ははは」

 

 本当にね。

 

「少なくとも数年間、ポートは都住みなのか。向こうでの生活はどうするんだ?」

「イヴが僕の家を用意してくれるとさ」

「……俺は、着いていって良いのか?」

「ラルフも来てくれるなら、君の分の衣食住も保証してくれるそうだよ」

「おっしゃ」

 

 ラルフは、頼むまでもなく僕に着いてくる気満々だった。良かった、急な話だから来てくれるか少し不安だった。

 

 都に移住するから婚約解消なんて可能性もあったからね。

 

「ポートさん、ウチの子が迷惑かけて申し訳無かった。……本当に、この馬鹿息子が相手で良いのか?」

「ええ。ラルフが隣に居てくれる事ほど、心強いことはありません」

「……なら、持っていってくれ。息子をよろしく頼む」

 

 良かった、親からも了承を得られた。これで、万事丸く収まった形だ。

 

「村の復興が終わったら、貴女達の新居に顔を出しにいくわね」

「えぇ、歓迎します」

 

 後に残っている不安は、僕が都で何をさせられるかと言う話だ。

 

 イヴが曰く、これから数年間は戦争で忙しいそうだ。僕も毎日遊んで暮らすわけにはいかない、文官の仕事を手伝わされる可能性は高いだろう。

 

 ……文官の仕事とかやったこと無い、不安だ。

 

「あぁ、そうだ。ラルフ、お前に都に居る知り合いの鍛治を紹介しておく」

「……鍛治?」

「俺の兄弟弟子だ。都でも研鑽を怠るな、ソイツの工房に邪魔してしごいて貰え」

「む、分かった。サンキュー親父」

 

 ラルフは、やはり鍛治修行をするのか。彼も、忙しくなりそうだ。

 

「じゃ、話は了解した。明日の昼までに、旅の準備を整えておくよ」

「よろしくね。あとは、皆に挨拶にいかないとね」

 

 こうして、僕とラルフは村を離れる事になった。数年間だけとはいえ、寂しいものである。

 

 だけど、イヴとのコネクションや都での研鑽は後々の村の利益となるだろう。寂しいだなんて個人的な感傷で、それを不意にする訳にはいかない。

 

「じゃラルフ、また明日」

「ああ、また明日」

 

 僕もきちんと荷物を纏めないと。僕は、この村を背負って立つ人間なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ラルフさん、昨日ぶりですね。改めてご挨拶を申し上げます、先日新たに侯爵を次ぎましたイブリーフと申します」

 

 次の日。僕とラルフは領主様用に用意された大きな馬車に揺られ、イヴと向かい合って座っていた。

 

「う、うす。どうも、よろしくっす」

「ラルフ……。ちゃんと敬語使いなよ」

「に、苦手で……」

 

 ニコニコと笑いかけるイヴに、タジタジしているラルフ。まぁ、気持ちはわかる。

 

 面と向かい合うと、イヴは本当に可愛い。本当に男なのか疑問符が浮かぶ。

 

「ところで、ラルフさん。貴方に幾つかお聞きしたいことがあるのですが、よろしいですか?」

「ど、どうぞです」

「……貴方は、ポートさんを愛している。それは間違いないですね?」

「え、ええ。そこは間違いないです」

 

 にこやかな笑みを崩さないまま、イヴはラルフと歓談している。

 

 ラルフは本当に僕を好いてくれているっぽいからね。そこは嘘じゃない。

 

 逆に僕がどうかと言われたら怪しいけれど。

 

「では、もう1つお伺いしたいのですが……。ラルフさんの背中にくっついている貴女は?」

「私はリーゼよ!」

 

 イヴに問われ、すっとラルフの背中でピョコピョコしていた少女が顔を出す。

 

 やはりというか何というか、リーゼも敬語は苦手らしかった。侯爵様相手に堂々とタメ口を聞いてしまっている。

 

 あとで注意しておこう。

 

「いえ、貴女の名前は存じております。その、貴女とラルフの関係性は?」

「そうね……。愛人よ!!」

「……えっ」

「ちょっ、違……」

 

 リーゼはラルフの愛人を堂々と名乗った。

 

 ……そもそも、本来は彼女が奥さんになる筈だった。そんなリーゼに愛人を名乗らせるのは、やはり心苦しい。

 

 ラルフを寝取ってしまったようで、リーゼに罪悪感が沸いてくる。出来ればラルフも、考えを改めて多妻を受け入れてもらいたいものだ。

 

「へ、へぇ。ポートさんと婚約してるのに、早くも愛人……」

「違う。別に俺はそんな……」

 

 ところで、イヴは何をワナワナとしているのだろう。

 

「こないだ、一緒にお風呂入った仲じゃない」

「ちょーっ!!? おい、それは内緒って!!」

「あっ……。ゴメン、今のナシ」

「そこまで言ったらもう無くならねぇよ!?」

「……」

 

 おお。意外とリーゼも攻めて誘惑してたのか。

 

 僕やアセリオもお風呂はまだ……。

 

 いや、こないだラルフが覗きを働いたタイミングで、ある意味一緒にお風呂に入ったと言える。この色男、『女の幼馴染み全員とお風呂』を達成したらしい。

 

「因みにどういう経緯で、一緒にお風呂入ったのリーゼ?」

「コソコソ水浴びを覗きに来たところを捕まえたわ」

「何だ、僕らと一緒だね。実は僕とアセリオも同じ経緯でお風呂に入ったことがあるよ」

「何それ聞いてない。ラルフ、本当なの?」

「ラルフは本当にエロバカ……」

「違うんです、違うんです」

 

 おお、ラルフが慣れぬ敬語を使って釈明している。よほど心苦しいらしい。

 

「覗き魔……。その、ラルフさん。都で覗きをしてしまうと、問答無用で逮捕なので、その」

「もうしません……、ごめんなさい……」

「いや多分、またする……。それがアホバカラルフ……」

 

 まぁ、またやるだろうな。具体的には逮捕されないように、僕らの水浴びの覗きを。……ラルフは本当にエロいからなぁ。

 

 まさかとは思うが、イヴを覗かないよね。それは、さすがに……。いや、そもそも男が男を覗くと罪状としてはどうなんだ? 

 

「ねぇポートさん。本当に結婚相手は、この方でよろしいので?」

「うん、勿論」

「……はぁ」

 

 イヴは何やら湧き上がる自分の何らか感情と必死で戦っている様な顔をしている。何をそんなに不満げな顔をしているのだろう。

 

「ところで。その、アセリオさんにリーゼさんはどうして都に?」

「二人が行くからね!!」

「……仲間がそこにいるから。それ以上の、理由は無い……」

 

 そして、僕たちにはもう一つ嬉しい誤算が有った。朝一番で僕とラルフが幼馴染み二人に別れを告げに行くと、二人とも即決で「着いてくる」と言ってくれたのだ。

 

 二人とも村が大好きだろうに、寂しい思いをする僕達を慮って着いてきてくれるらしい。それも、親元を離れてまで。

 

「私はもう、成人したし。自分の道は自分で決めていいって言われたわ!!」

「新天地も悪くない。都の愚民どもに、我が闇の魔術の恐怖を刻み込んでやる……」

「ありがとう。僕はとても嬉しいよ、二人とも」

 

 二人とも、イヴの援助を受けなくても自力で稼げるだけの技能はもっている。きっと、余計な負担はかけないはずだ。

 

「ちなみに、お二人の住居はどうなさるのですか」

「狭くても、僕とラルフの家に泊まってもらうつもり。アセリオやリーゼには近くに居て欲しい」

「……うれしい、ポート」

 

 僕の言葉を聞いて、はにかむアセリオ。村を離れるのは少し寂しいけど、このメンバーで共同生活するのは初めてである。

 

 慣れれば、仲良し4人で楽しい都生活を暮らせそうだ。

 

「ポートさんは新婚では……? 女の子二人も、新居に連れ込んで不安にはならないですか?」

「僕はラルフが構わないなら、重婚してもらっても良いという考えなので」

「……っ」

 

 正直な気持ちを言ってみたら、イヴが凄い顔をした。一瞬般若が見えたような。

 

「ただの農民の殿方が、ポートさんをハーレム要員扱い……」

「違う、違うんです。俺は純粋にポート一人を……」

「お風呂の時に私の体ガン見してたのは誰かしら?」

「……そこのエロバカ、ポートよりも私の胸ばっかり見てた。変態……」

「うるせー! でかい胸を見て何が悪い!! ちくしょー!!」

 

 いつも通りにやいのやいのと大騒ぎする幼馴染み達。

 

 ……ふぅ。こういういつも通りの空気を味わえるのも、二人が僕達についてきてくれたからである。

 

 よくよく感謝しなければ。皆の都での生活を、目一杯サポートしよう。

 

「……」

 

 ところで。何でイヴはさっきから、黙ってラルフを睨んでいるのだろうか。

 

 やはりイヴの思考も女性寄りで、女の敵に対する評価は低いのかもしれない。ラルフは基本的にただのエロバカ女誑しだからな。

 

 

 

 

「……ひぃっ!?」

「む? いきなりどうしたんだいラルフ」

「な、何か今背筋に寒気が走った。俺にものすんごい危機が迫っているかもしれない」

 

 歓談していたらビクンと突然に、ラルフが腕を組んで震え上がった。

 

「本当かい? これから気を付けないとね」

「ああ。なんかやべー気がするぜ」

 

 むむ、ラルフのそういう勘はよく当たるからな。よくよく気を付けないと。

 

「……? 私は特に何も感じないわよ」

「……あたしは、感じる。というか、大体想像がついた、気がする……」

 

 リーゼはピンと来ていないようだけど、アセリオも何らかの危険を察知したらしい。3人中2人が感じたなら、きっと本物の危機なのかもしれない。

 

 僕はそういった感覚が全く無いので、本当かどうかはよくわからないけれど。

 

「うふふ」

「イヴは何も感じないのかい?」

「ええ、全く」

 

 イヴはいつも通りに、ニコニコ微笑んでいる。特に、何かを察知した様子にはない。

 

 ふーむ。何なのだろう。ラルフの思い過ごしなら良いんだけど。

 

「……ひっ! さっきから悪寒がやべぇ」

「まさかとは思うけど。危機とかそんなのじゃなくて、実は風邪を引いただけだったりしないかい、ラルフ」

「わ、分からねぇ。でも、さっきから背筋が寒いのは確かだ」

「寒いなら温めてあげよう。ほら、僕の前に来るといい。同じ外套に入ろうか」

「……」

 

 風邪なら、早めに対応しないと。寒気がするなら、温かくしてあげたほうが良いだろう。

 

 僕はラルフの体に背後から抱き着いて、外套で覆ってやった。

 

「……うおぉ!? 何か寒気が増したぞ」

「そ、そうかい。本当に風邪かもしれない、今日は安静にしていた方がいいかもね」

「そ、そうか。そうか?」

 

 一応は婚約者だ、ラルフを温めてやるくらいはしてやろう。この体勢は実質ラルフに抱きついてる様なもんだけど、婚約者ならノーカウントだろう。

 

「……うふふ」

 

 僕らの向かいに座っていたイヴは、そんな仲睦まじい僕ら二人の様子を微笑まし気に眺めていた。



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領都編
晩餐会


「大きいね……」

「す、すげぇな」

 

 それは、その辺の宿屋とは比べる事が出来ない大きさで。

 

「え、部屋いくつあるのコレ?」

「……これが、都のスケール」

 

 都に到着した僕達が、そのままイヴと共に向かった先はとんでもない豪邸だった。

 

 数十人の使用人さんが出迎えてくれたその邸宅には、たくさんの兵士が見回っていて。

 

「ようこそ皆さん、ここが私と父様の暮らす領主邸」

「は、はえー」 

 

 その昔。イヴの兄貴であるプロフェンが僕の家を見て「ここが貴族の住処か」とぼやいた気持ちがわかる。これと比べたら、大概の家は犬小屋だろう。

 

 

 豪華絢爛な装飾を施された紅色の屋根瓦、荘厳で趣ある石造りの外壁、七色の花が咲き乱れる美しい庭園。

 

 これぞまさに、権力者の住まう場所と言った感じだ。

 

「無駄にお金をかけているでしょう? ……貴族付き合いというのは、こういう場所にもお金をかけないと不利になるのです。はぁ、馬鹿馬鹿しい」

 

 イヴは興味無さそうに、手入れされた色鮮やかな庭園を見て嘆息している。

 

 ……成る程? 侯爵がみすぼらしい家に住んでいると、他の貴族に舐められるのか。

 

「貴女方の家は、今日中に用意いたします。本日は、客人として我が家にお泊まり下さい」

「い、良いのですか」

「ええ、勿論。昨日はポートさんの家に泊めてもらいましたからね、そのお返しです」

 

 ……そう言われ、僕は思わず昨夜の言葉を恥じ入ってしまった。こんな凄まじい家を持っている人に、僕達はなんて汚い宿を提供してしまったのか。

 

 テントよりはマシと思うけど、イヴからしたらテントも僕の家も大差なかったんじゃないかコレ?

 

「それに、コレからの事を話す時間も必要でしょう。……ポートさんに、お願いしたいことも幾つかありますし」

「……ええ、分かっていますとも」

 

 しかしイヴが泊めてくれるって言ってるんだから、遠慮はむしろ失礼だろう。ここは言葉に甘えておこう。

 

 僕も、イヴに聞きたいこともあったし。

 

「今夜、貴女達をディナーに招待しますわ。そこで、馬車の中では話せなかった話を致しましょう」

「了解です」

「楽しみにしていますよ」

 

 そう言うと、イヴは颯爽と馬車を降りて家の玄関へ向かった。一斉にお辞儀を始めた使用人に、

 

「今、馬車から降りられる方々は私の賓客です。くれぐれも粗相の無いように」

「畏まりました、イヴお嬢様」

 

 そう告げて、イヴは僕に向けて小さくウインクした。

 

「では、また後で」

 

 そんな悪戯な笑みと共に、彼女は屋敷の中へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、僕達が使用人さんに案内された部屋は、これまた凄まじくお金がかかってそうな部屋だった。

 

「ほえー……」

 

 柔らかな羽毛であつらえたベッド、色とりどりの調度品、中央の机の上には新鮮なフルーツがあつらえてあった。

 

「……本当に僕らが泊まって良いの? この部屋」

「ふかふかなベッドね! わーい!!」

「わ、飛び込んじゃダメだよリーゼ! 壊したら幾ら弁償しないといけないか分からない!」

 

 完全に、貴族用の部屋だこれ。農民が気軽に泊まっていい部屋じゃない。

 

「……ここにあります素晴らしい造形の花瓶。あたしが1、2、3と唱えますと大きな鳥となって羽ばたきます……。さて、ご笑覧ください……」

「変えちゃダメ!! お願いだから調度品を手品の対象にしないで!!」

「うめぇ!! なんだこの果物、めっちゃ甘ぇ!!」

「勝手に机の果物を食べるなぁ!! そう言うのは一言聞いてから────」

 

 ほら、こう言うことになる!!

 

「お客様方。宜しければ、果物の方は食べやすいようにお切り分け致しますが」

「わーい! 私も食べたいわ!!」

「……わくわく」

「ごめんなさい、ごめんなさい! 好き勝手してごめんなさい!」

 

 使用人のダンディな人は、そんな田舎者丸出しの僕達を見てカカカと笑ってくれていた。

 

 ……彼が器の広い人でよかった、こんな失礼な対応したら怒られてもおかしくない。

 

「貴女も、もう少し力を抜いて構いませんよポート嬢。イヴ様のご友人とあらば、我々も全力で歓待いたします故」

「ど、どうも……恐縮です」

「ふふ。成る程、成る程。貴女は確かに、我が主と相性が良さそうですな」

 

 そう言う使用人さんは、不思議な眼差しで見通すように僕を見ていた。

 

 

 

 

 

 

「お待たせいたした、ディナーの時間でございます」

 

 僕らが一息ついて、やけに糖度の高いフルーツを頂き、空に赤みがかかった頃。ディナーの準備が整ったらしく、僕達はイヴの食卓へと呼ばれた。

 

「間もなく主も伺います故に、少々お待ちください」

 

 部屋に入れば、まず縦長のテーブルに旨そうなパンがいくつと並んでいるのが目に入った。イヴとイシュタール様の席は最も奥らしく、僕達はその縦長のテーブルの用意された席にそれぞれ着席を促された。

 

「……ポート、何かすげー堅苦しいんだけど。何かマナーとかある感じのアレか、これ?」

「何かマナーとかある感じのアレだよ。絶対にガツガツ料理を貪ったりしないでね」

「このパン美味しそう。早く食べたいわ!」

 

 流石のラルフも、目の前に置かれたパンを食べ始めたりはしないらしい。多少は空気を読めたようだ。

 

「超魔術を使えば、今すぐ焼き芋は出せる……。焼き芋とパンでお腹結構膨れそう……」

「出さなくていいよ……」

 

 何でアセリオは焼き芋を常備してるんだろう。

 

「さて、イシュタール様とイブリーフ様の入席でございます」

「は、はい」

 

 僕らが席についたら、間もなく執事さん的な人が入ってきてそう告げた。

 

 前領主様も一緒に入ってくるのか。よし、姿勢を正さねば。

 

 

 

 ────ゴォン、と荘厳な鐘の音が部屋に響き渡る。

 

 

 

 それが合図だと察した僕は、黙って二人の入場を待った。

 

 おそらく、入ってくるのは正装の侯爵貴族。この国の人間の殆どが、地べたに頭を擦り付けて挨拶する存在。

 

 ここで無礼は許されないのだ。

 

「……」

 

 やがて、ゆっくりと古い樹のドアが開かれ────

 

 

 

 

 

 

「プリンセス☆フォーエバー!! 新時代の幕開け、レボリューション!!」

「派手な服着た貴族のジジイ、安い挑発に乗せられ破滅、あヨイヨイ~」

 

 

 

 

 

 楽しげな侯爵貴族共が、舞台衣装を着て歌いながら入ってきた。

 

 ……イシュタール様、あんたもか。

 

「我が主は、客人と共に歌いで騒ぐのがお好きです。私も少しばかり楽器を嗜んでおります故、どうか楽しまれますよう」ベベン

「は、はぁ」

 

 執事さんも何時の間にやら、渋い弦楽器を取り出し軽快な音楽を奏で出している。

 

 ……。

 

「Foooo!! またあのライブが聞けるのね!!」

「……くくく。また、我が必殺狂乱の宴が幕開く……」

「おー! 本当に歌が上手いよな、イヴの奴……、じゃなくてイヴ様」

 

 ……。

 

「飲めや歌えや、あヨイヨイ」

「煌めく流星の波動が、クリエイティブでセンシティブなイマジネーション!!」

 

 ……。

 

 これは、アレか。乗らなきゃ空気が読めてない奴か。

 

「皆さん、乗ってますか~!」

「「イェイ!!!」」

 

 よし、イェイとか言っとけば正解らしい。

 

 ……それにしても侯爵家は、歌が好きな家系なのだろうか? イヴがあんなライブを毎回行っていて、領主様に止められてなかった時点で察するべきだった。

 

 まぁ、それで士気が上がってたみたいだし実利もあるのだろう。

 

「では先ずは一曲目! お父様との夢のコラボ、ルナと満月の月見草!!」

「はぁ~、ヨイヨイ」

 

 ……ま、お二人が楽しそうで何より。

 

 

「これ、本当にマナーとかある感じのアレなのか? ここからどんな風にやればいいんだ?」

「……ごめん、わからない。ホストが突然ライブを始めた時のマナーを勉強しておくよ」

 

 そんなマナーが存在するかは知らないが。まぁ、楽しく聞いて騒いでおけば良いんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……さて、そろそろ真面目な話をしましょうか」

「そうじゃのう」

 

 数曲ほど騒いで、興が乗ったところでイヴは突然真剣な顔になった。

 

 最初からやれ。

 

「皆さんをこの席にお呼びしたのは他でもない、どうかポートさんのお力を借り出来ないかとお願いしたかったのです」

「……はい」

「貴女が幼少時に著したという農富論。その本は、今やこの領の役人全員の教科書として幅広く愛読されています。その内容は、折り紙つき」

「……その事実を、僕は最近まで知らなかったのですけどね」

「そんな偉大な政治思想家さんに、是非我が領のご意見役をお願いしたいのです。ね、ね?」

「勘弁してください……」

 

 そんな事を言われても困る。あの本は、あくまで農民目線のアレコレを纏めた本にすぎない。

 

「今は、国家の未曾有の危機なのです。隣国ぺディアが本腰を上げて、我が国を侵略すべく息巻いています」

「……」

「問題の隣国であるぺディア帝国────、この帝国は多方面に戦争を吹っ掛けては領土を拡大し、その勢力を伸ばし続けている武闘派の国家。そして、その全てに連戦連勝している強国です。当然敵も多いらしく、私たち以外にも既に2ヵ国と戦争中だと聞いています」

「帝国は、そんなに色んな国を敵に回して大丈夫なのですか?」

「えぇ、それが大丈夫なのです。彼らの領土は私達の国の倍はあり、その国力は凄まじいの一言。今戦争中の2ヵ国も、既に降伏目前だと聞いています。そして次の侵略目標として、私たちが標的にされたのでしょう」

「奴等とはそもそも人口が大分違うでな。それに我が国は農業をメインに添えた牧歌的な国柄。軍事力に関しては、おそらく10倍くらい差はあろう」

 

 え。そ、そんなに怖い軍隊だったのか、あの連中。

 

「我が国の主力軍は、ぶっちゃけると私達ですわ。勿論、王都にもちゃんと軍は駐留していますし、兵士数だけなら我が軍より王都軍の方が多いのですが」

「奴ら、実践経験が皆無に近い。国境でバチバチやっとる我らの練度が、我が国では群を抜いて高いじゃろうな」

 

 まぁ、それは前世でも聞いたことがあった。僕らの国の最強軍は何処の軍かと聞かれたら、冒険者の誰もが口を揃えてイシュタール軍と答えたものだ。

 

 だからこそ、前世で僕は領主をビビりまくっていた訳だが。

 

「だが、敵軍は儂らより余程多くの修羅場を潜っている精鋭中の精鋭。軍閥の規模も儂らより大きく、士気も高い」

「その上、英雄クラスの将星が綺羅星の如く集っています。軍の数、練度、指揮官、全てにおいて私達は大きく水を開けられている。洒落にならないレベルで、国家存亡の危機なのです」

「え、本当に危機じゃないですかソレ」

「ええ、本当に危機なのです」

 

 隣国は強大と聞いてたけど、軍事力はそんなにヤバいのね。イシュタール軍より練度高い集団が大軍で攻めてきたらどうしようもないぞ。

 

「今回の襲撃は、使い捨ての下っ端寄せ集めの軍団でした。そんな雑兵の将ですら、我らの誇る侯爵家3将に土を着けられるレベルの将」

「あの女の将が、儂らの国の王都で仕官していれば大将軍になっていたじゃろうな。あの年でゾラに勝てるなら、ウチじゃ最強剣士扱いであろう」

 

 ……あぁ、アマンダか。あんな悪魔を将に据えたら、国は滅ぶと思うけどなぁ。

 

 ただ、強さは確かにデタラメだった。暗闇で飛んでくる矢を全て叩き落とせるってどんな化け物だ。

 

「しかし帝国では、そんな人材ですら惜しげもなく使い捨てれるほど余裕がある。あちらの人の豊富さにはとても太刀打ち出来ない」

「幸いと言えるか分からんが、帝国には敵が非常に多い。儂らだけに集中して軍を動かすことは出来んじゃろ」

「だからこそ、堅く守り敵を防ぐのです。敵に、私達を侵略するより放置する方が得だと思わせれば勝ちですね」

 

 ……裏を返せば、それって本気でウチに攻め込んできたらどうしようもないってことじゃ?

 

「……それは、かなり難しいと思います。いずれ、周囲を合併し強大となった帝国に飲まれてしまうのがオチかと」

「そうなれば、素直に降伏するかもしれませんね。少なくとも現状────侵略した国の民を徴兵して使い潰し、領土を拡大しようと暴れまわっている国に頭を垂れるわけにいきません。私達は、民を守るためにこの立場にいるのです」

「ま、あんな無茶苦茶な侵攻は何時までも補給が続かん。いつか、帝国が一敗地に至った時まで儂らの国が残っていれば勝利よ」

 

 厳しいな……。想像していた以上に、この国の情勢が厳しい。

 

 村の長、なんて規模の立場では全く分からなかった。領主の立場で見る世界と、農民の見る立場ではこんなに視界が変わるとは。

 

 ……前世でイヴが急に農地拡大だのなんだの言い出したのは、ひょっとしてこれが理由か?

 

「ポートさん、私達は軍備を整えねばなりません。来るべき戦争に備え、民の笑顔を守るだけの戦力を保持せねばなりません」

「……」

「しかし、その裏で軍事を支える基盤────商業経済もキッチリ育てないといけない。しかし、我が国にそれが出来る人材がいないのです。皆が皆、武官となって身を立てている」

「儂の領は小競り合いの多い土地だ、武官となった方が権力も金も集まってくる。その弊害か、商業経済に詳しい文官があまり育たんかった」

「……だからこそ、貴女の力が必要なのですポートさん。なんなら戦時中だけでも構いません、私が出陣している間、ポートさんに背中を任せたい。たった7年で強大な商圏を作り上げた貴女の手腕を、一度このイヴに御貸し願えませんか」

 

 そう言うと、イヴは僕の目前で地に頭をこすりつけた。

 

 思わず、ギョッと目を剥いた。なんと、侯爵様が辺境の貴族に土下座をかましたのだ。

 

「ま、待ってくださいイヴ! それは駄目です、貴女はそう簡単には頭を下げてはいけません!」

「いいえ、下げますとも。貴女がうんと頷いてくれるまで、私は此処からピクリとも動きません!」

「ちょ、ちょっと!!」

「今後激しくなってくる戦乱の中、軍事力を拡大しながらも農業と経済を停滞させず発展させる。そんな魔法染みた戦略を、私達は取らねばならないのです」

「……で、でも」

「ポートさんにはソレが出来る。いや、きっとこの領土で貴女以上の適任はいない。お願いです、どうか私の隣に立って、共にこの国を支えてください」

 

 そんな無茶な。軍事力拡大しながら経済発展って、前世のような「税をおさめながら農地拡大」する様なものだろう? 政務なんぞしたことが無い若造の僕に、そんな無茶振りされても困る。

 

「……」

 

 ……いや、無理だ。そもそも政務のやり方が分からないし、政治を回せる頭脳と経験もない。

 

「ごめんなさい、イヴ。それは、出来ません」

「ポートさん……」

 

 イヴはどうやら、僕を過大に評価しているらしい。幼い頃、僕がイヴに物事を説いてやれた頃の幻影を未だ僕に見ているのだ。

 

 普段の聡明な彼女なら、そんな愚は侵さない。ド素人にそんなバカげた期待をしなければならない程に、彼女も切羽詰まっているのだろう。

 

 だけど、出来ないことは出来ない。はっきり、そう告げるのが大切だ。

 

「僕は、非力で無力な何処にでもいる辺境貴族です。お世辞にも、自分が優秀な人間であるとは思っていません」

「そ、そんな事はないでしょう」

「……そんな魔法染みたことは、僕には不可能です。自分の器は自分が一番よく知っています。ごめんなさいイヴ、その話はお断りします」

「……」

 

 僕の答えを聞いたイヴは、明らかに肩を落とした。 

 

 期待を裏切ってしまったのは心苦しい。でも、それは事実として受け止めて貰わないと。

 

「そう、ですか。それが、貴女の答えなら……」

 

 やはり、イヴの落胆は大きい。そして、それも理解できる。

 

 字が読めない文官すらいる状況だ、どれだけ人手が足りていないか容易に想像がつく。その足りないマンパワーを、この怪物親娘が必死で補っていたのだろう。

 

 農冨論のせいなのか、すさまじい発展を続けるこの国をたった2人で陰から支え続けていたのだ。

 

「だけど、イヴ。ただ、この国の置かれている状況は理解した。帝国の脅威、変わりゆく世界情勢、迫りくる軍靴。それらを無視してのんびり生きていくわけにはいかない」

「……へ?」

「僕からお願いがあります、イヴ。貴女がよろしければ、どうか戦争が終わるまで僕を貴女の旗下に加えてください」

 

 ならせめて、一端の文官としてくらいはイヴの力になろう。前世ならともかく、今世の彼女にはでかい恩が出来た。

 

 彼女が村に先行してきてくれなければ、きっと僕は矢傷で命を落としていただろう。その恩には、報いるべきだ。

 

 それに都で政治にかかわることで、きっと僕自身の成長にもつながる。一生イヴに忠誠を誓うつもりはないけれど、僕自身の成長と経験のために数年間は彼女の下で働いてみよう。

 

 ……都に滞在する間ずっと、イヴの援助を受け続けるわけにもいかない。自分で稼ぐ食い扶持も必要だ。

 

「ポート、良いのか?」

「……うん、状況が状況だし。ラルフごめん、しばらく忙しくなって家を空けると思う」

「それは、まぁ仕方ねぇよ」

「数年間の辛抱だ。戦争が落ち着いて村に戻ったら、正式に籍を入れて婚姻を結ぼう」

 

 婚約したてのラルフには悪いけど、あまり家事をしてやれなそうだ。むしろ、ラルフに家事雑務を押し付けることになってしまうかもしれない。

 

 家にはアセリオやリーゼも居るし、そこは分担してもらえると思うけど。

 

「やった!! やったぁあ!! 良いんですね、後からナシとか言いませんよねポートさん!」

「う、うん。僕は腐っても底辺貴族だし、字も読める。下位文官の仕事程度なら勉強して手伝えると思う」

「ふ、ふふふ。そうですね、最初はそこからでも構いませんよ」

 

 ぱぁ、とイヴの顔が明るくなった。文官が一人増えた程度で、何をそんなに喜んでいるのだろう。

 

「言っておきますけど、その文官の仕事も満足にできるか分かりませんよ?」

「ふ、ふふふ。ええ、ええ、構いませんとも。もっとも、7歳時点の貴女を雇っても、きっと人一倍に仕事をこなせると思いますけどね」

「……か、過分な評価をどうも」

 

 逆に、7歳の僕以下の文官しかいないのかこの領には。だとしたら本当にやばいぞこの国。

 

「ポートさん、権力が欲しくなったら何時でも言いに来てくださいね? 思うままの地位を差し上げますので」

「……そ、そんなことしたら他の文官から恨まれちゃいます。僕は下働きで十分ですよ」

「ふふ、宣言しておきますわ。多分、1月以内にポートさんは私に権力をよこせと言ってくるでしょう。その時は遠慮はいりません、いつでも気軽におねだりしに来てください」

「えっ」

「できれば可愛らしくおねだりしてくれると嬉しいです。うふ、うふふ、可愛い服を着ておねだりするポートさん、想像するだけで興奮してしまいます……」

 

 僕が、権力を欲しがる? 僕は権力には興味ないし、そんなことにはならないと思うけど。

 

「では最初はそうですね、リーシャ将軍の部下として貴女をつけましょう。上司が女性の部隊なら、ポートさんが入っても邪険にされたり悪戯されたりしないでしょうし」

「リーシャ……、侯爵家3将の最年少という、あのリーシャ将軍ですか」

「あら、ご存じでしたの。少し癖のある娘ですけど、ポートさんならうまく御せると思いますわ」

 

 そうか、僕は女性だからそういう部隊に配属されるのが自然か。

 

 リーシャと言えば、ゾラ将軍のお孫さんだっけ。確か勲功労賞の時に話した、目が死んでいた人だ。

 

「少し暴走気質のある方ですけど、その才能は我が軍随一。魔法に秀で、剣技に優れ、知恵も回り部下からの信頼も厚い。まさに、万能の天才と言えるお方です」

「ゆくゆくは、儂らの軍での大将軍を務める器であろう。イヴにとってのリーシャが、儂にとってのゾラの様な存在となる様に期待しておる」

「残念ながら、まだ彼女は私にはあまり心を開いてくれていないのですけどね。何故かわかりませんが、むしろ少し敵視されている節もあるのです。よければその辺の事情も、探っていただけると助かります」

 

 ……。そういやリーシャって、好きな人がイヴのファンで振られたんだっけか。

 

「きっと、そのうち、心を開いてくれると思いますよ。具体的には、リーシャに恋人とか出来たくらいから」

「リーシャさんの恋愛が、私と何か関係あるのですか」

「多分、ちょっと、遠からず?」

 

 まぁ、こればっかりはどうしようもなかろう。リーシャに素敵な恋人が出来るまでの辛抱だ。

 

「まぁ、リーシャと上手くやってみてください。決して悪い子ではないので」

「ええ」

 

 先日話した感じだと、リーシャはそこまでとっつきにくい印象はなかった。まぁ、上司としては悪くないと思う。同い年で話しやすいし。

 

「ふぅ、これで大きな肩の荷が一つ降りました。ポートさんの助けになるかと思って出陣しただけなのに、まさかこんな大きな拾い物が出来るなんて……。莫大な黄金の塊を拾うより、ポートさん一人を陣営に迎え入れた方が何倍も価値がありましょう」

「そうじゃのう、イヴ。1000人の兵士は得やすいが、1人の将は得難しという。お前は領主としての能力ばかりか、運も兼ね備えておるらしい。あと100年生きて、お前たちの歩む先を見てみたいのう」

「まぁ、お父様。もう家督を譲っていただいたのですから、これからは長生きするために養生してくださいな。そして、このイヴの歩む先をしっかりご覧ください」

 

 さっきから過剰評価が過ぎる。そんな大きなものを拾ってはいないと思うけれど。

 

 うーん、期待値が高くて怖いなぁ。文官一人増えただけだ、と軽く考えて欲しい。

 

「では、今夜は皆さまお休みください。明日には、皆様の家へ案内いたします。……ポートさんは職場へ顔を見せに行きますので、明日も残っていてもらいますけど」

「わかりました」

「では、ご機嫌よう。ふふふ、今日はウキウキして眠れそうもないですわ」

 

 前領主様とイヴはニコニコしながら一礼し、そして席を立った。

 

 まだ食事は残っていたけれど、二人にはまだまだ仕事が残っていたらしい。それで、夕食の最中ではあるが退席するのだそうだ。

 

 だったら歌なんて歌わなければ良かったのに。

 

「では、心行くまでディナーの続きをお楽しみください。ポート様は、明日からお忙しくなるかと思います。せめて、ゆるりと食事をご堪能ください」

 

 二人が退席した後、ふたたびダンディな使用人さんが僕たちのもとに料理を運んできてくれた。

 

 今からは、僕達だけでのんびりと歓談できそうだ。

 

「何から何まで、丁寧な歓待をありがとうございます」

「いやいや、お気になさらず。イヴ様からは、それはもう最高待遇でおもてなししろと言い使っておりますので」

「きょ、恐縮です」

「使用人一同、驚愕しておりましたよ。イヴ様がたった数人のために個人ライブを開いてもてなしたのは、貴女方が初めてです。それだけ、イヴ様は皆様の事を想われていたのでしょう」

「……えっ」

 

 ……。あ、あの歌ってまさか。

 

「今夜のことを自慢されますと、おそらく仕事場ではかなり羨まれるかと存じます。なるべく、吹聴しない方がよろしいでしょうな」

「は、はい。ご忠告、どうも……」

 

 あの歌って、イヴなりの最上級のもてなしだったってこと!? 仕事で忙しいはずの侯爵様自ら、歌の披露でもてなすってよくよく考えたら物凄い接待じゃないか。

 

 そこまで歓待されてたのか、僕ら。

 

「うまい、うまいわ!! 肉が頬の中でとろけ落ちそうよ!!」

「……むむ、旨い。野菜の斬り方が斬新で、それでいて優雅で理にかなっている、実に、勉強になる……」

「むほぉお!! 本当にうめーぞコレ!!」

 

 出てくる料理も、多分最高級のモノだコレ。

 

「……」

 

 

 

 き、期待で胃が痛くなってきた。とんでもない事を安請負しちゃったかな、僕。

 

 でも、今の情勢を聞くと一人でも文官の人手が増えると助かる筈。期待通りの仕事は多分出来ないけど、最低限の仕事はこなして見せないと。

 

 人から評価されるのって、こんなに怖いのか。……う、うう、やっぱり胃が痛い。何か食べて落ち着こう。

 

 

 異様に柔らかい大きな肉を一切れ口の中にほおばって、僕はそれ以上考えるのをやめることにした。

 

 まぁ、明日になったら頑張ろう。今日はもう、何もかも忘れて旨い料理に舌鼓を打とう。

 

 明日は野となれ山となれ、だ。

 

 

「……あ、本当に美味しい」



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淫らなる一夜

 夜の闇が空を包む頃。

 

 凄まじく美味しかったディナーを終えて、僕達は再び豪華な部屋へと案内された。

 

「わーい」

「今度はベッドに飛び込まないでよ、リーゼ」

 

 前もって、幼馴染みを注意しておく。壊してしまったら凄い額だぞ、多分。

 

 ……そういえばと、ふと気付く。よく見れば、この部屋ってベッドが1つしかないな。

 

「今夜のベッドは、この部屋のを4人で使えば良いのですか?」

「いえいえ、そんなまさか。ベッドルームは、部屋の外に同じ部屋を人数分用意してございます。勿論個室となっておりますので、お嬢様方もご安心ください」

「……ほう」

「もう、部屋の清掃も終えております。今からでも、入られますか?」

 

 あぁ、成る程。いきなり4人も最高待遇の客が来たから、部屋の準備が整いきらなかったのね。

 

 今宵は、この豪華すぎる貴族部屋に1人で一泊するのか。侯爵家の客室なだけはあり、柔らかな布団にソファ、色彩華やかな絵画に花と、居心地が良すぎて逆に居た堪れない。

 

 うーん、僕らの村のアセリオの叔父さんの宿くらいが丁度良い。あの中途半端なボロさが、農民にとっては居心地良いのだ。

 

「良かった……。ラルフと区切りなしの場所で寝たら、妊娠させられる……」

「そんなことしねーよ!!」

「でも、私たちが寝てるときにパンツとか見えてたら凝視するでしょ、アンタ」

「ズボンずらすくらいはしても不思議じゃないよね」

「そんなことは、しないし……」

「全員で水浴びしようものなら、絶対覗きに来るよねラルフ」

「それは、前科ある……」

「……別に、そんな事しないかもしれんだろ」

「どんどん言葉尻が弱くなってるわよ」

 

 そんなんだから、アセリオにエロバカとか言われるんだぞラルフ。

 

「うるせー! 男が女に興味持って何が悪い!」

「開き直ったよ」

「サイテー」

「良いじゃねぇか! そっちに実害ないだろ、見るくらいなら!!」

「……やっぱりエロバカ」

 

 これさえなければ、ラルフは良い奴なんだけどなぁ。

 

「ふむ。そういう事は、あまり大っぴらにしない事こそ男の美徳ですぞラルフ様」

「し、執事さんまで……」

「貴方には可愛らしい婚約者様が居るのです、彼女を気遣ってそう言うことは心の内面に押し留める事ては如何でしょう。そのような醜聞は、奥方様に恥を掻かせることになりますぞ」

「そうだぞラルフー、僕に恥を掻かせるな、もっとエロくなくなれー」

「だー、分かったよもう、ちくしょう!」

 

 まぁ、ラルフの気持ちもわかるけど……。執事さんの言う通り、やはりそれは恥ずかしいことだ。前世でも僕は、ソレを大っぴらにしたことはない。

 

 時と場合をわきまえろという、単純な話である。

 

「……じゃあ、ラルフは絶対に覗き禁止。破ったらポートとの婚約解消してもらうのはどう……?」

「それは良いわね! もちろん、ポートの水浴びの覗きも駄目だからね」

「うーん、それはどうだろう。婚約解消は困るなぁ。ラルフ、ちゃんと約束守れるかい?」

「守るよ、守ればいいんだろ! ああ分かった、俺はポートと婚約したんだ。もう覗きとかやらないさ、絶対!」

「おお、偉い!」

 

 おお。エロい事で有名なラルフが、なんと本人の口から脱覗き宣言をした。これは、歴史的瞬間と言えるかもしれない。

 

 ……でも、婚約解消は困るなぁ。絶対、ラルフはどっかで欲望に負けて覗くような気がする。その時はどうやって庇うか考えておこう。

 

「ふぅ、これで安心ね」

「……身の安全は、確保」

「幼馴染共の、俺への扱いが酷い。くぅ、やっぱ一人くらい男の幼馴染が欲しかったなぁ」

「そ、そうだね」

 

 それはなんか、ごめん。ラルフからしたら、確かに辛いよね。一緒にエロ話できる同世代の友人がいないんだもの。

 

 そうするとそういった欲望は貯めこむしかない訳で……、それが爆発していつものエロバカラルフになっちゃってるんだろうなぁ。

 

 

「…………ん、ちょいと待てよ」

 

 

 その時突然。ラルフが、何かを思いついた顔をして黙り込んだ。何となく、ろくでもないことを考えている気がする。

 

「どうしたの、ラルフ」

「どうせ風俗街に行こうだとか、そんな馬鹿な事を考えている顔。無視無視……」

「そんな金はないから大丈夫よ!!」

 

 風俗街かぁ。ラルフもそういうとこに行きたいとか思ってるのだろうか? 夫がそういうとこに行くのって結構な醜聞だから、勘弁してもらいたいのだが。

 

「なぁオイ、ポート」

「どしたの、ラルフ」

「今夜、俺の部屋に来てくれね?」

 

 

 

 

 ……。

 

 

 

 

「……おい」

「そうだよ、何で思いつかなかったんだ。よく考えたら、それは全然アリじゃんか!!」

「あっ、バッ、バカじゃないの!? 何言ってるのよラルフ!?」

「うるせぇ!! 俺とポートは婚約してるんだぞ、だったらむしろ自然な流れじゃねーか!!」

 

 ……その発想はなかった。いやでも、ラルフからしたら至極当然の発想か。

 

 いかんなぁ、僕はまだ思考回路が男よりらしい。奴と婚約したけど、未だにラルフとは男友達の感覚が強かった。覗きを制限なんてしたら、そりゃ僕に性欲向けてくるわな。

 

「ラルフ。僕と君はまだ婚約しただけであって、正式に夫婦になったわけではない。そういった情事は、籍を入れたその日に行うべきだろう」

「そうよ! 婚約しただけで、まだアンタらは夫婦じゃないもの。エッチな事しちゃだめなのよ!!」

「……不埒、寧猥、愚鈍、無能。お前の股間のキノコを刈り取ってやろうか……」

「ひぃぃ!? いや、ブチ切れられても引かねぇからな!! そうだよ、俺にはそういう権利がある!! 筈だ!!」

 

 えー。どうしようかこれ。

 

 婚約したのは事実だしなぁ。んー、いつかはそういう事をせにゃならんとは思ってはいたけど。

 

 村の倫理観的には、婚約しただけで僕は嫁入り前の女。やっぱマズいよな。ここはラルフを説得して諦めて貰おう。

 

「あの、ラルフ。やっぱり、村の掟的にもそれはダメだよ。僕らはまだ未婚で……」

「最後までしなきゃアリだって、ランドにーちゃんは言ってたぞ!!」

「……」

「婚約しているなら、子供作る真似さえしなきゃエロいことしてもセーフ。そう言う話の筈だ」

 

 ……子供を作る真似さえしなければ、セーフ。あ、そっか。確かにそういうルールか。

 

「だ、だだだ駄目に決まってるでしょ!! 何が駄目って、そう、アレよ!!」

「何が駄目なんだよ」

「……だってポートが嫌がってる。そういうのは、両者の合意がないと駄目……。婚約したからと言って、相手に嫌な思いをさせても、良いの……?」

「うっ……」

「あたし達は、まだ子供。エロい感情くらい、押さえつけて……。それが出来なきゃ、人間じゃなくてお猿と一緒」

「ぐ、ぐぬぅ……」

 

 …………。

 

「いや、でもな。お前らにはわからんかもしれんが、男は本当にそういう感情が沸き上がるもんでな」

「知らないし……」

「お願いだ、この通り。ちょっとだけ、触るだけで良いから、その」

「しつこい……」

 

 んー。

 

 

 

 

「まぁ、触るだけなら別に」

「……ポート!?」

 

 

 

 僕は、ラルフの気持ちも理解できるしね。所謂「最後まで」しないのであれば、まぁ性欲解消に付き合ってやるくらいは良いか。

 

 今後、しばらく忙しくなってラルフには苦労を強いることになる。それに、性欲をため込んで変な事件を起こされてもかなわない。

 

 ちょっとくらい、婚約者らしい事もしてやろう。

 

「────」

「無言でガッツポースしないでよ! ねぇポート、本当に良いの?」

「正直ちょっと気持ち悪いけど、婚約したのは事実だしね」

「────」

「……見て、あのエロ猿。腕を突き上げて嬉し涙を流してる。キモいと思わない?」

「まぁ、否定はしないけど」

「────」

 

 確かに今まで見たラルフの中で、一番嬉しそうな顔をしていた。ふむ、気持ち悪い。

 

「絶対だからな。ものっ凄く期待して待ってるからなポート!!」

「最後まではダメだからね。君が暴走したら、大声出して助けを呼ぶから」

「当り前よ。こんな、こんなチャンスをふいにする訳があるか。よ、よっしゃああああ!!」

 

 うーん。大丈夫だろうか。この男は土壇場では頼りになるけど、日常生活ではアホでおバカなラルフだからなぁ。

 

「身の危険を感じない? やめといたほうがいいわよ、ポート」

「ちょっとそんな気がしてきた。どうしよっかな」

「余計な事を言うのはやめろリーゼ!! 見ろ、俺からあふれる紳士のオーラを!! ポートを傷つけるような真似はしないさ、絶対にな!!」

「……エロ猿のオーラしか見えないけど」

 

 うーん。早まったかな? でもまぁ、触る程度ならそんなに気にならないか。

 

 それ以上の事をして来るなら、大声出して叫べばいい話だし。

 

「今夜は、いつも以上に身を清めて待っている。楽しみにしているぜ、ポート」

「……はぁ」

「忘れるなよ、絶対だぞ。滅茶苦茶期待してるからな、良いな!」

「……は、はぁ」

 

 ……。

 

 イヴの件もそうだけど、過度に期待されるのって面倒くさいなぁ。こっちの期待は、イヴと比べて低俗すぎる期待だけど。

 

「ポ-ト……、もうちょっと自分を大事にしなさいよ」

「いつかはしないといけないことだし。僕は村の長で、貴族の一員。子供は絶対に残さないといけないんだ」

「……安心して。その気になれば、あたしが超魔術で子供を生やせるから」

「そのすさまじい魔術は禁断すぎるから封印しててね」

 

 ……なんだその禁術は。でも、アセリオならやりかねん。

 

「ヤバそうな雰囲気になったら、何時でも大声出してね。すぐ駆けつけるわ」

「……何なら、最初から一緒に部屋に入っておこうか?」

「それは僕も恥ずかしいからやめて欲しい」

 

 リーゼにアセリオは、心底心配そうに僕を覗き込んでいる。まぁでも、ラルフも本気で僕が嫌がるようなことはしないと思うけど。

 

 さて今夜、どうなるか。

 

「うおおおおおっ!!」

「ふむ、お若いですなぁ。では、邪魔者は退散するとしましょう、ほほほ」

 

 ……執事さんは意味深な目で僕を見て、微笑みながら立ち去った。うーん、早まったかなぁ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その夜。

 

 僕は寝間着に着替え、軽く髪を梳いてからラルフの部屋へと足を運んだ。

 

 一応はしっかりと体を洗ったし、珍しく軽い化粧も施した。普段は化粧なんて、賓客を迎える時にしか施さなかったけど。

 

 リーゼとアセリオは、もう自分の部屋に入ってもらっている。なんとなく気恥ずかしくて、彼女達とも顔を合わせたくなかったのだ。

 

「うーん。いや、一応は覚悟を決めていたつもりだったんだけどなぁ」

 

 とうとう、この日が来てしまったというべきか。ラルフを村長にすると決めた日から、僕はこの瞬間を覚悟していた。

 

 異性としては全く見ることができない、気の良い友人ラルフ。今から僕は、彼と『男女』として会いに行く。

 

「はぁ。気が重たい」

 

 おそらく今日は、触られる程度の軽い行為である。それ以上を求めてくれば、ハッキリと拒否してやればよい。

 

 それは分かっているけれど、そもそもラルフとそういった行為をすること自体に大きな抵抗を感じていた。本番が近づくにつれ、徐々に徐々にその感情は強くなっていく。

 

「まぁ、どうせすぐ済むだろう」

 

 もう言ってしまったんだ、今更「やっぱり止めた」は効かないだろう。あの期待に満ち溢れたラルフを裏切るのはかわいそうだ。

 

 ちゃっとやって、ちゃっと寝る。それで、終わり。

 

 

 かなりの時間をラルフの部屋の前で逡巡しつつ、僕はやがて彼の部屋をノックした。

 

 それなりに、覚悟は決まってきた。よし、やってやる。

 

 

「……ああ、入ってくれ」

「うん」

 

 

 部屋を開けると、中にはラルフが半裸で待っていた。

 

 思わずギョッとしたけど、よく考えたらそういう事をするのだ。まぁ、これくらいは予想の範囲だ。

 

「なんで服、脱いでるの?」

「そりゃまぁ、な」

「最後まではしないよ」

「わかってるさ。まぁ、なんだ? 俺が持ってきてたのって、普段着と鍛冶服と寝間着くらいでさ。洒落た雰囲気を出せるものがなくてこうなった、シンプルで良いだろ」

「シンプルと言うか……変態的というか」

「変態的って何だよ! 大体の人間は脱いでコトをおっぱじめるだろうが!」

 

 ……まぁ、そうだけど。

 

「それより、もう覚悟は良いんだな? ドアの前でめっちゃウロウロしてたけど」

「う、気付いてたのか。だとしてもソレを面と向かって聴くかい? 気付かないふりをするのが、男気ってもんだろう」

「いや、最後に一応聞いとこうと思ってな。直前になってやっぱ嫌になったって言うなら、今日は我慢する。俺は、お前を誰より大事にするって決めたんだ」

「……いや、良いよ。覚悟できてるし」

「オッケー、それを聞いて安心したぜ」

 

 ふむ。一応気遣ってくれてはいるらしい。これなら、大声を上げるようなことにはならないだろう。

 

「じゃあ、ポート」

「うん」

 

 僕はラルフに促されるままに、奴のベッドの上に腰かけて。

 

「力抜いて、そのままぼんやりしてろ。すぐ、済むから」

 

 その身を抱きしめるラルフに身を任せ、二人でゆっくりとベッドに向かって倒れこんだ。




次回は土曜日12時頃を目指します


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本番

 生暖かい人肌が、僕の体を包み込んでる。

 

 それは、生物にとって等しく快楽的な、性交渉という行為。

 

 僕とラルフのそれは、いわゆる『本番』ではないけれど。それでも、性交渉に準ずる行為には違いがない。

 

「……なぁポート、改めて聞いて欲しい」

「何を?」

「俺って、お前のことが好きだ」

 

 ラルフは僕の体を抱きしめながら、耳元でそう囁いた。

 

「なんだろうな、この感情。エロいとか、可愛いとかそういうんじゃなくて、本当に好きなんだ」

「そうかい」

「ポートには、スゲー失礼な事言うけどさ。俺は幼馴染の中で一番エロイのはアセリオだと思うし、一番かわいいのはリーゼな気がする。でも、お前は……なんか、本当にただ『好き』なんだ」

「うーん、確かに失礼なセリフだね。僕が君を好いていたなら、ビンタの一発くらいはかましたかも」

「う、すまん。でも、本当に……そんな感じなんだ」

 

 ラルフは申し訳なさそうに、頬をポリポリと掻いている。

 

 うーん。可愛くもエロくも感じていないなら、何で僕なんかを好きになってしまったんだろうね、この男は。

 

「なんか、安心するんだ。こうやって、お前を抱きしめてるとさ」

「……うん」

「今、性欲は満たされてないけど、これだけでも結構幸せな気持ちだ。このまま寝ちまってもいいくらいに」

「そりゃ、助かるね」

「でも、同時に凄い興奮もしてる。今から、ポートとやらしい事出来るんだって。俺は今、お前を抱きしめる幸せと性欲を我慢する辛さの板挟みに遭って、今まで経験したことが無いくらい胸がドキドキしている」

 

 そこまで言うと、ラルフはゆっくりと掌を背中に当てがった。

 

「触るぞ。良いか?」

「……どーぞ」

 

 む、むぅ。ラルフが妙なことを言い出したせいで、なんか変な雰囲気になって来たな。

 

 何処まで触られるんだろうか。どの辺までなら許していいもんだろうか? その辺の感覚がよく分からない。

 

「……」

 

 少しずつ、背を触るラルフの手付きがイヤらしくなっていく。

 

 くすぐるような、揉むような、そんな不思議な手遣いで徐々に僕の腰へと手が移動してくる。

 

 ふむ、尻か? この男、まずは尻を揉みしだく心らしい。

 

「……行くぞ」

 

 ふーむ。最初は胸からだと思っていたが。

 

 ラルフはおっぱい大好きの変態なのに、どうして尻からなんだろう。美味しいものは最後まで取っておくタイプだったっけ?

 

 ……うーん、なんかくすぐったいだけだな。これが、性交渉? もっと、こう変な感覚になるかと思ってた。

 

 

 

 ────そしてラルフの手が、ヌルリと滑った。

 

 

 

 僕の腰周りを周回していた男の手が、やがてゆっくりと尻の肉を包みこんだ。

 

 思わずビクッと、僕の体が跳ねる。ついに、僕はラルフに触られてしまった。

 

 なんだか、段々ととんでもないことをしている気がしてきた。僕は今、幼馴染みに尻を撫でられているのだ。

 

 本当に、これで良かったのだろうか。いや、自分が選んだ道だ。これで良かったに違いない。

 

 すりすり、とラルフの手は動き続ける。それに伴い、僕の顔は徐々に赤くなってくるのが分かる。

 

 あぁ、こんなにか。こんなにも、触られるという行為は恥ずかしいものなのか────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……っ」

 

 

 

 

 ぱしーん、と張りの良い快音が寝室に木霊する。

 

 

 

 

「……あっ」

「痛ってぇ!?」

 

 しまった。なんというか、ついつい引っぱたいてしまった。

 

「……。なぁポートさん、俺何かしたでしょーか」

「いや、えっとその……」

「尻はまずかったっすか。最初から尻はダメなんすか」

「ご、ごめんラルフ。その、何と言うか……、つい手が出ちゃった、的な?」

「おい」

 

 これは、どうしたことだろう。自分ではラルフを引っぱたくつもりなんか欠片もなかったのに、気付けば目の前の男を張り倒してしまっていた。

 

 これは、アレか。つまり────

 

「そう、ラルフ。つまりアレだ、君が生理的に気持ち悪くてさ、つい……」

「婚約者に向かって良い度胸だこの野郎」

「あ、悪かったってば! もうしないさ」

 

 うにー、とラルフが僕の頬をツネってくる。痛い。

 

 でも、理性では納得していても、生理的に気持ち悪いものは仕方ないよなぁ。うん、半分くらいはエロすぎるラルフが悪い。

 

 ただ、もう僕は覚悟を決めたんだ。今更、逃げるわけにはいかない。

 

「悪かった、さあやり直そう。僕は村を守るためなら、悪魔にだって魂を売る覚悟さ。ラルフ、好きなだけ触るといい」

「誰が悪魔だ、この性悪女」

「ひどいことを言うね。この真面目で素直で清廉潔白な僕に向かって、性悪女とはいただけない」

「清廉潔白な女は『胸を触ってみるかい』なんて誘惑してこねーよ!」

 

 それは確かにそうだな。

 

「そうだ、よく考えたらお前言ってたじゃんか。婚約さえすれば、胸を触ろうがパンツずらそうが構わないみたいな事を! アレでどんだけ悶々としたと思ってんだコラ」

「えー。僕覚えてないなぁ」

「やっぱり性悪だ!」

 

 んー、確かに言ったけど、アレはノリというかなんというか。

 

 顔を真っ赤にして葛藤するラルフが面白かったから、ついつい過激な事を言っちゃっただけで。あんまり本気で言ってはなかったんだよな。

 

「まぁまぁ、過ぎたことは忘れて。さぁ、前を向いて進もうじゃないか」

「……。まぁいいや、お触りまではOK貰えたしな。うん、今日のところはそれで我慢しよう」

「そうだよ、その通りさ」

 

 あの時、僕はどんな誘惑してたっけ? ヘソ見せながら、ズボンとか好きにずらしていいよと迫ったっけか。

 

 うーん。我ながら痴女だなぁ。

 

「よし、もう遠回しなのはやめだ。ポート、おっぱい触るぞ」

「うん、良いよ~」

「よ、よし。よし、よし」

 

 ラルフは鼻息を荒くして、僕の胸を凝視し始めた。ラルフ的には、やはり胸が一番気になるポイントだったらしい。

 

 ついに、本番か。

 

 胸触られるってどんな感触何だろう。自分で揉んでも、あんまり興奮も感動もしなかったっけ。

 

 前世から数えても初めて揉んだ女性の胸が、自分のモノとは何とも悲しい。

 

「ふぅ……、よし行くぜ」

「あいよ」

 

 いやらしくワキワキと指を動かしながら、ラルフはゆっくりと僕の胸に腕を近づけてきた。

 

 うーわ、顔がすっごく気持ち悪い。

 

「……」

「ご、ごくり」

 

 そのままラルフは、ゆっくりと僕の胸に顔をうずめるように近づいてきて────。

 

 

 

 

 

「……っ」

 

 

 

 

 ぱしーん、と。再び、張りの良い快音が寝室に木霊した。

 

 

「……」

「……」

 

 

 しまった。気持ち悪くて、つい。

 

「おい、ポート」

「な、何かな?」

 

 左右両方の頬を張り飛ばされたラルフは、とても不機嫌そうにのっそりと起き上がってきた。2度も殴られたら、誰だって不機嫌になるわな。

 

「今のは、どういう了見のビンタだ」

「うーん。えっと、生理的嫌悪感?」

「お前本当に俺の嫁か? 結婚してくれる気ある?」

「もちろんさ。僕はこの世で誰よりも、ラルフを信頼しているし頼りにしているとも」

「これは本気で言ってるから、コイツは質が悪い……」

 

 いかんいかん、なんとかおだててラルフの機嫌を戻してやらないと。

 

 自分で触っていいよと言っておきながら、顔面を2度も張り倒すなんて最低女もいいところだ。このままじゃ、ラルフに嫌われてしまうかもしれない。

 

「もう、大丈夫。次は絶対に、ビンタしないから。うん、約束」

「本当だな? 俺、信じるよ?」

「勿論だとも。今までのは咄嗟に手が出ちゃっただけで、次は自分の手を自分でがっちり押さえておくから」

「頼むぜ、本当に」

 

 よーし、今度こそ覚悟を決めろ。うん、僕はラルフに胸を揉まれる。それは、村を守るために必要な行為。

 

 思い出せ、前世の悲惨な結末を。あの未来を変えるためにも、僕はラルフを手に入れないといけないんだ。

 

 うん、大丈夫。もう、いくらラルフが気持ち悪かったって、ビンタしたりはしない────

 

 

「触るぞー」

「……」

 

 

 落ち着け、手を出すな。

 

 ゆっくりと、ラルフの掌が僕の胸へと迫ってくる。でも、大丈夫。

 

 今度はしっかりと、両腕を両腕でがっちり固定している。こうなれば、絶対にラルフを叩きのめすことにはならない。

 

「……」

 

 さぁ、触られよう。それできっと、ラルフも満足してくれるはずだ────

 

 

 

「……、────」

「え、ちょ?」

 

 

 

 ガタガタッ、と危なっかしい音が響く。

 

 気付けば僕は、ものすごい勢いで仰け反っていて。両腕で胸を覆い隠し、息も荒くベッドから転がり落ちていた。

 

「……あー、ポート?」

「────」

 

 言葉が出ない。顔が、ものすごく火照っている。

 

 心臓の鼓動が速い。視界がぐにゃぐにゃと歪んでいる。

 

「おまえ、まさかとは思うが」

「────」

 

 なんだこれは、風邪でも引いたか? さっきから頭もくらくらするし、息も苦しい。

 

 何だってこんなタイミングで? 撤退戦での無理が祟ったのか?

 

 やはり、体調管理はとても重要だ────

 

「ポート。お前、すっごい初心?」

「……」

 

 ……。

 

「だ、誰が初心だ、誰が!!」

「お、ポートが復活した」

 

 初心って、それはどういう了見だ。童貞丸出しのラルフに、そんなことを言われては僕の立つ瀬がないだろう。

 

 というか、そう言うラルフこそ初心じゃないか。胸一つ触るだけで鼻息フンフンさせおってからに。

 

「別に、僕はそんなんじゃないし! その、これは生理的な嫌悪感で、気持ち悪くて!!」

「じゃあ何でそんなに顔真っ赤なんだよ」

「胸触られかけたんだから当たり前だろう!?」

 

 そんな行為、恥ずかしいに決まっているだろう。なんとか我慢してこらえてるんだ、その辺の機微を察しろこの鈍感男!

 

「……どうする? 今日は、もうやめとくか? てか、無理だろポート」

「べ、別に僕は構わないけど!? 勝手に決めつけられても不快なんだけど!」

「なんか、かつて無いほどポートが面白い顔してるな。そんな顔できるのか、お前」

「どういう意味さ!」

 

 ラルフは、何やら興味深そうに僕をしげしげと見つめている。何がそんなに面白いんだこの野郎。

 

 こっちは君の欲望に仕方なく付き合ってやってるだけなんだぞ。

 

「よし、分かった。じゃあポート、そのままベッドに横になれ」

「お、おうとも。こうかい?」

「そうだ、それで、自分の腕を背中に回して……」

「こう、かな」

「そうそう。これで、俺が覆いかぶされば……」

 

 ラルフは何やら悪戯な顔で、あれこれ指示して僕を再びベッドに乗せた。何をするつもりだ?

 

「……」

「よし、これで逃げ場はナシだ」

 

 そう言うラルフは僕に跨って、上から見下ろした。

 

 体勢としては、所謂馬乗り。しかも僕の手は背中で組まされていて動かせない。

 

 成程、これじゃ僕は逃げられないしビンタも出来ない訳か。しかも、服が引き伸ばされて胸が強調されてしまっている。

 

 ラルフ視点、すごくエロい事になってないかコレ。

 

「────」

「……おお、早くもポートの目がぐるぐるしてきた」

 

 やばい。これ、どうしよう。

 

 このままじゃ、逃げ場がどこにもない。本当にラルフに好き放題、胸を弄ばれてしまう。

 

 いや、それでいいのか? そうだよ、僕はラルフに胸を差し出したんだ。好きに触っていいよと、そう言ってこの場に来たんだ。

 

「────────」

「じゃ、触るぞ……」

 

 うん、だから、これは、予定通り。

 

 ラルフに変な事件を起こされる訳にはいかない。婚約者たる僕が、彼の性欲に付き合うのは妥当な判断だ。

 

 触れる。彼の指先が、服越しに僕の胸を撫でる。撫で、撫────

 

 

 

 

 

 

「……きゅう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……そして、少女は動かなくなった。

 

「……はぁー。まだ俺、軽く尻撫でて胸の先っちょ触っただけなんだけどなぁ」

 

 婚約してから始めて迎えた、ラルフとポートの二人きりの夜。

 

 初めての生の女体に興奮し、期待し、悶々としていた少年が得た経験は。

 

「これだけで気絶って、どれだけ初心なんだ……」

 

 お触りと言えるかどうかギリギリの、ほんの僅かなボディタッチに留まった。

 

「普段あんなにエロい誘惑してくるくせにィ……。ちくしょう、ちくしょう……」

 

 風呂を覗かれても気にせず、自分から積極的に誘惑してきた少女。だから、てっきりエロ耐性は有ると思われていたが……。

 

 残念なことにこの少女、受け身になるとトコトン初心になる性質だった。

 

「……柔らかかったなぁ」

 

 流石のラルフも、気を失った女性に悪戯をしない程度の良識は持ち合わせており。

 

 今宵経験した僅かな女体の感触を思い出しながら、ラルフは気絶した婚約者の隣で、一人寂しく性欲の処理を行ったのだった。

 

 

 

「きゅうぅ……」

 

 

 因みに、ポートは翌朝までぐっすり目を覚まさなかったと言う。



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リーシャ

「良いから、話しなさいよ」

「……別に、隠すつもりとかは無いんだけどね」

 

 ピョコピョコ、と黒髪のアホ毛が揺れる。

 

 つい先日村を救った英雄的狩人(リーゼ)は、朝っぱらから頬を赤らめながら鼻を膨らませて僕に詰め寄っていた。

 

「……では、昨夜の感想を、どうぞ」

「そう、言われてもなぁ」

 

 ジトっとした目が、朝日に煌めく。

 

 リーゼから一歩引いた位置で、奇術師少女は少し不機嫌そうに僕を見つめている。

 

「昨日は早々に気絶してしまったから、あんまり覚えてないんだ」

「気絶……っ!? そんなに激しいの、ラルフはっ!」

「生娘になんてこと。ラルフ、鬼畜外道……」

「朝っぱらからとんでもない風評被害を垂れ流すんじゃねーよ!!」

 

 ラルフとヤラしい事をしてから、1夜が明けて。僕は、色々と無事にラルフのベッドでゆっくり目覚めていた。

 

 そうなってしまえばもう、幼馴染みに囲まれて尋問されるのも道理である。朝一番に叩き起こされた僕とラルフは、リビングに拉致されあれやこれやと詰問されていた。

 

「俺は特に非難されるような事はしてない!! と、思うんですけどどうなのポート!!」

「……」

「困ったら目を反らして黙り込む癖やめろよ! 今の話でその反応だと、何か俺がすんごい鬼畜みたいに見えるだろ!?」

「ふーん、何もしてないの? じゃあ、何でポートが失神するような事になるのよ」

「ポート、可哀想……」

「誤解だぁ!」

 

 昨夜の記憶が、思い起こされる。

 

 ……、むむむ。僕って案外、そっち方面の耐性は無いらしい。まさか、あんなにテンパるとは思わなかった。

 

 普段は自分から誘ったりしておいて、昨日のコトの顛末は恥ずかしすぎる。軽く触られただけで失神って……。

 

「だから、頬染めて黙るの止めろって! お願いだから説明して!?」

「……やっぱり、ラルフのキノコを切り落とした方が良いかもしれない」

「きっとすんごいことしたの! すんごいこと!!」

「し、していない!!」

 

 そんなコト言われても、僕の口からそんな説明出来ないよ。恥ずかしい。

 

「ポートとそう言うことするのも禁止した方が良いわね。ラルフの理性が育つまで」

「村に戻って、婚約するまではスケベは全部ダメ。そう、しよう……」

「ポートは優しいから受け入れちゃってるけど、元々はそう言うのは結婚してからよね」

「……ひ、ひでぇ」

 

 ……。まぁ、昨日の惨状だとその方が良いかもしれない。

 

 また気を失っちゃったら目も当てられないし。うーん、今後耐性をつけていくしかないか。

 

 やはり、僕は窮地にトコトン弱い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはようございます、皆様」

「あ、イヴ」

 

 そんな風に部屋でやいのやいのと騒いでいた折、ドアをノックし扉を開けた人物がいた。

 

 この家の主、フォン・イブリーフその人である。

 

「朝食の準備が整っております。お召し上がりの後で、貴方達の家へ案内しますわ」

「分かりました。僕達には勿体ない程の歓待、どうもありがとうございます、イヴ」

「良いのですよ。ポートさんがウチに来てくれたことを思えば、安いものです」

 

 ニコニコと微笑む侯爵様。彼女は今日から、僕の主となる人物。

 

 今までの古い友達の様な感覚を切り替え、しっかり仕えていこう。

 

「ポートさん以外は、朝食後そのまま家に案内を。ポートさんは、リーシャに紹介致します」

「了解いたしました、よろしくお願いします」

「う、うっす。ありがとうっす」

「ありがとうですね!!」

「……お気遣い感謝致します。あと、幼馴染みの敬語が雑ですみません……」

 

 アセリオはジト目でラルフとリーゼをにらんでいる。二人の言葉遣いがひどい、ゆくゆく矯正していかなければ。とくにラルフは貴族になるんだから。

 

 アセリオだけは舞台で慣れてるのか、敬語が流暢である。無口無表情なのに、実は一番コミュニケーション能力は高いのはアセリオかもしれない。

 

「あと。まぁ、その、何ですの」

「どうしました? イヴ」

 

 イヴはにこやかな笑みを崩さぬまま、ラルフの目前へ悠然と歩いてきた。

 

 この男に、何か言いたいことがあるらしい。

 

「貴方達の村で噂を聞くところ、ラルフさんはとても(やら)しい方だとお伺いしています。周りからよく信頼されている、すばらしいお方だと」

「……えっ? あ、どうもっす」

 

 イヴってば、ラルフの噂なんか集めたのか。僕の相手の見定めかな? あるいは、単なる好奇心か。

 

「どうか貴方も、ポートさんの力になってあげてください」

「は、はい」

 

 そう言って満面の笑顔をラルフに向ける。おお、ラルフの奴、照れ照れだな。

 

 男相手なのに。

 

期待していますよ(お前を殺す)

「……っ!?」

 

 そう呟くとイヴは優しい笑顔でラルフの肩を叩き、そのまま隣を横切って立ち去った。

 

 きっと、彼女なりに僕らの門出を祝福してくれているのだろう。ラルフは、彼女のお眼鏡に叶ったらしい。

 

 それにしても、流石にイヴは人間ができている。仮とは言えプロポーズした人間の婚約を祝えるなんて中々出来ることではない。

 

 彼女の祝福にしっかり応えないと。

 

「イヴから期待されちゃったね。頑張ろう、ラルフ」

「え、それだけ!? 今、なんか物騒な心の声が聞こえた気がしたんだけど。あれ?」

 

 物騒な心の声? 何だそれ。

 

「まぁ私も聞こえたけど、ラルフの自業自得だと思うわ!」

「……聞こえなかった。でもまぁ、大体は察した」

 

 野生組二人には謎の声が聞こえたらしい。ふむ、一応気を付けておこう。

 

 物騒な心の声、かぁ。前世みたいなコトを考えてたりするのか? その片鱗があれば、釘をさしておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リーシャさんは、ここにいるのですか」

「ええ、きっと気が合うと思います」

 

 朝食の後。僕はイヴと共に、領統府と呼ばれる場所に赴くこととなった。

 

 それは、この町の政治の中枢。見れば巨大な狼の銀像が目につく、絢爛な石造りの壮観な建造物だった。僕達の村の建物とは、まるで規模が違う。

 

 狼の像が飾られているのは、統率して群れを率いることから治安維持の象徴として考えられているからだそうだ。へぇ、それは知らなかった。

 

 この施設で、イヴは内政関連の仕事をしているらしい。軍事関連の施設は、また別にあるそうだが……。僕には関係のない場所だろう。

 

「リーシャは、一言で言えば万能の人です。剣を振れば剣豪と打ち合い、魔法を唱えれば大魔導師と渡り合い、兵法100策に通じ、歌うように農富論を諳じる。うちの若手では、間違いなく最も優秀な人間でしょう」

「凄い人なんですね」

「この前も、資金源を増やそうと仕事の片手間で商社を興して大当たりさせています。商才もあるらしいので、軍事だけでなく内政の仕事も任せることにいたしました」

「それは。是非、色々と教えてもらいたいものです」

「ただし、彼女は圧倒的に運が悪い。先程の彼女が興した商社も、隣の屋台からの火事に巻き込まれ半年で取り潰されました。借金が残らなかった事だけが救いだと、嘆いておりました」

「なんと、まぁ」

 

 それはついてない……のか? 屋台からの火事であるなら、次から火を扱う屋台の出店場所を制限していけば良いかも。

 

 にしても、リーシャは確かに幸が薄そうな人にも見えた。そう言う星のもとに生まれているのかもしれない。

 

「リーシャは能力に関して、確かな人間です。きっと、ポートさんの助けになるでしょう」

「……。僕が、リーシャさんの助けになるのでは?」

「うふふ、逆ですわ。きっと、ね」

 

 うーん。やはりイヴは僕の事を勘違いしているらしい。

 

「さて、扉を開きましょう」

 

 僕を見ながらクスリと頬笑んだイヴは、奥の部屋の扉を開け放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嫌だぁぁぁぁ!! 私は、ヒカル君に会いに行くんだ!! 今日の分の仕事は終わらせただろ!!」

「リーシャ様、考え直してください。仮にも貴族の一員が、男娼通いなどと!!」

「うるさいうっさい!! 私に優しく接してくれるのはあの人だけなんだ!! あの人に会うために今日は速攻で仕事を終わらせたんだ!!」

「落ち着いてください、まだまだ出来る仕事はたくさん残っています」

「お前らの分だろソレはー!! 昼過ぎに待ち合わせているんだ、もう出ないと遅れちゃう!!」

「リーシャ様ぁ!!」

 

 ……。

 

「あ、あんなところにイヴ様が!!」

「そんなアホな手に引っかかるか!! イヴ様は今日は領統府には寄らない日の筈だ!」

「男娼にお金を貢ぐなど、ゾラ様が聞いたら何というか。奴らは、リーシャ様の金を愛しているだけですぞ!」

「うるっさい、分かってるよ! それでも、私だって、私だって。たまにはかっこいい人にチヤホヤされたいんだよ!! 褒めて欲しいんだよぉぉぉぉ」

 

 …………。

 

「いえ、あの。本当にイヴ様が後ろに……」

「しつけーよ、そのネタは! そもそも、何でイヴ様にビビる必要がある! あのカマホモのせいで私はモテないんだ! 何もかもあの女装癖が悪い!!」

「ひ、ヒェッ」

「そうだ、私は悪くない。イヴ様が悪いんだ、むしろ正面から文句をぶつけてやりたいくらいさ」

「……やべぇよ、やべぇよ」

「振られた仕事は終わらした、遊びに行くのは自分の金。よし、これは正当な行為だ。待ってろヒカル君!!」

「リ、リーシャ様! 至急、背後の確認を!!」

「だーかーらー。前と同じ手を使っても引っかからねぇっての。私が後ろ向いた瞬間に取り押さえるつもりだろお前ら。考えが浅いったらありゃしない」

 

 …………あぁ。成程、こういう人なのか。

 

「……うふふ」

 

 ああ。イヴの顔は笑っているけど、目が全く笑っていない。

 

 早く後ろを向いてくれ、リーシャさん。

 

「ん? 今の声出したの誰? めっちゃイヴ様に似てたんだけど」

「貴方の後ろにいらっしゃる方です、リーシャ様」

「や、やだなー。似すぎていて怖いわ、今の。ほとんど女の声だったじゃん、芸達者な奴がいるんだなぁ、私の部下」

「うふふふ♪」

「そうだよね。ねぇ、私の部下ですよね? 声真似だよね? ね?」

 

 今日は本来、イヴはここに寄らない日だったのね。わざわざ僕のためだけに、一緒に此処に来てくれたのか。

 

 なんとまぁ、間が悪い。

 

「────」

「うふふ、リーシャ。少し、寄ってしまいました。仕事は順調ですか?」

「────あっ」

 

 ゆっくり背後へ振り返ったリーシャは、滝のような汗を額から流し。やがてイヴと目が合って、真っ青になった。

 

「正面から文句を言いたいそうですが、どうぞご自由に。このイヴは、部下の不満を受け止められない程狭量ではないつもりですよ?」

「……」

 

 イヴは、きっと本心からそう言っているのだろう。部下からの不満が正当なものであれば、真正面から受け止めるはずだ。

 

 まぁ、リーシャのはただの逆恨みなのだけど。

 

「イヴ様」

「はい」

 

 リーシャはキリッとした表情を作り。

 

 そのまま、流れるような動作で土下座の姿勢へと移行した。

 

「……」

「……あの?」

「お爺様には内緒にしてください。マジで許してください。何でもしますんで」

「……はぁー」

 

 そうか。僕は今から、この人の部下になるのか。

 

 ……この人が上司、かぁ。僕はこの人の命令で色々と働かないといけないの?

 

 何だか急激に、やる気がなくなってきた。

 

「僕が権力を欲しがるだろうって、こういう意味だったんですかイヴ?」

「いえ、普通に貴女の器を鑑みての発言でしたわ……」

 

 ふむ、良かった。イヴはわざと僕を無能上司に押し付けようとしたわけではないらしい。

 

「せっかく、普段から人手が足りないと嘆いている貴女に、千年に一人レベルの人材を紹介しに来たのに……」

「え、人材ですか?」

「……どうも。4日ぶりかな? リーシャさん」

 

 あの時は、もっとまともな人に見えたけど。

 

「あっ。農富論の作者!! えっと、ポート? だっけ」

「はい。ポートさんが、私の幕下に加わってくれることになりました。まずは女性のいる職場がよろしいかと思い、貴女に配属させるつもりだったのですが」

「え、えっ! 良いんですか!?」

「ポートさんに仕事を押し付けて、水商売の男に会いに行かれるとなると話が変わります。そもそも、爵位を持つ家の人間が風俗通いとは情けない」

「えっ、いや、違うんです! 私とヒカルは、ただの仕事での関係じゃなくて、その!!」

「はぁ……。分かりました、後で手を打ちましょう。リーシャ、貴族とはいえ自由恋愛するなとは言いません。しかしせめて、相手は信用できる立場の人間にしなさい。軍には沢山、素敵な男の人が居るのですから」

「そ、そんなコトいったって軍の男は!」

「これも貴女のためです。今後、その水商売の男に会いに行くのを禁じます」

「……うぅ。うわぁぁぁぉぁん!!」

 

 ……。その軍の人間は、イヴ様ファンクラブという謎の組織に所属して対象外なんだよなぁ。

 

 そっか、それでモテ無さすぎてお水に逃げたのか。

 

 流石にリーシャが可哀想にも思えてきた。少し、慰めてやろう。

 

 そしてあわよくば、この憐れな上司の人心を掌握し、影から操ってしまえ。うまくやれば、権力なんて野暮なものを持たずに済む。

 

「リーシャさん。僕はイヴ様から話は聞いています、貴女がとても優秀でがんばり屋さんだと言うことを」

「う、うぅ」

「誉めてほしい、認めてほしい。でも、周りにそれをしてくれる人が居なかったんですね。今まで、辛かったでしょう」

「ううう……?」

「だからって、お金を払ってまで耳障りの良い言葉を求めてはいけません。そんなコトをしたら、本当は誉めてくれる筈だった人もリーシャさんを侮蔑します」

「……」

「ほら、泣き止んでください。これからで良ければ、僕が誉めて差し上げます。リーシャさんも、辛かったんですよね」

 

 よしよし、とリーシャの頭を撫でて抱き締めてあげる。

 

 いくら能力があろうと、彼女はラルフやリーゼと同じ15歳。精神的には、まだまだ子供なのだろう。

 

「貴女が頑張っているのは僕にも分かりますし、イヴ様も理解しています」

「ほ、本当に……?」

「勿論です。さっきまでずっと、イヴ様はリーシャさんを誉めていたんですよ」

「……」

 

 だから、きっちり誉めるところを誉めて、正しい方向に導いてやる。それが、きっとリーシャの為になる。

 

「これからも、頑張れますか?」

「────うん、頑張る」

「その意気ですよ、リーシャさん」

 

 よし、懐柔成功。これで上手いこと胡麻をすって、僕たちの村にこっそり便宜を図って貰ったりしよう。

 

「うふふ、結構うまく行きそうで良かったです。ではリーシャ、仕事を抜け出そうとした罰則として、後で私のお散歩に付き合ってください」

「は、はい。散歩、ですか?」

「ええ、散歩です」

 

 イヴは僕ら二人の仲の良さを見て、少し安心した顔をしていた。

 

 リーシャって娘が悪い子でないのは想像がつく。彼女はちょっと、駄目な感じの娘と言うだけだ。

 

 僕達大人が矯正してあげれば、ちゃんとした大人に育つだろう。

 

「では、今からお散歩です。私とリーシャの、仲直りのお散歩に行きましょう」

「は、はい! イヴ様!」

 

 ……、まぁ。実年齢的には僕とリーシャは同い年で、イヴに至っては年下だった気がするけど。

 

 イヴ、まだ成人していない筈よな。なんでこんなに大人びてるんだろう。

 

「では、ポートさん。今日は顔合わせだけですので、もう帰っていただいて構いません。部下に貴女の家へと、案内させましょう」

「は、はい」

「明日から、よろしくお願いしますね。ではリーシャ、行きましょう」

「はーい」

 

 イヴはそう言ってクスリと笑うと、リーシャの手を握って何処かへと消えた。

 

 ……今日は、これだけか。一応、この部屋の人たちに挨拶して戻るとしよう。

 

 ところで、イヴとリーシャは何処に散歩に行ったんだろう。僕は、ついていっちゃいけない場所なのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う、う、う。うぁぁぁぁぁああああん!!!」

 

 帰り道。イヴの部下の人に案内され、馬車に乗って街中を移動する最中、何処かで聞いた泣き声が聞こえてきた。

 

「何事でしょうか?」

「ポート様、ご覧ください。恐らく、アレでしょう」

 

 その悲壮な慟哭が何処から響いているのかと、馬車から顔を出して覗いてみると。

 

 地べたに座り込んでガン泣きしているリーシャと、なにやら男を這いつくばらせて微笑んでいるイヴが目に映った。

 

 ……あっ。

 

「私には、嘘は通じません。ええ、もっと正直な事を仰ってください。貴方が正直であればあるほど、貴方への報酬は増えていくでしょう」

「うっす!! 正直、チョロくて扱いやすくてラッキーって思ってたっす!! 貰ったプレゼントは全部換金か、欲しがってる子猫ちゃんに好感度稼ぎに渡しちまいました!」

「ええ。正直な人ですね、追加のチップをどうぞ。正直なところ、貴方からみてリーシャは魅力的でしたか?」

「小娘過ぎて流石に対象外っす!! でも金持ってる小娘とか、最高のカモっす!!」

「うふふふふ」

 

 そこからは、見るからにアホそうな男が金銭欲に染まった目でイヴから金貨を受け取っており。

 

「あ、あああ、うぁぁぁぁぁ!! ああああああっ!!!」

 

 その隣で、水商売男の本音を聞いた被害者(リーシャ)が、血の涙を流して泣き喚いていた。

 

 あれがリーシャさんが嵌まっていた男娼なのだろう。彼にお金を支払って、その本音を聞き出した訳ね。

 

 うっわ、荒療治……。

 

「重そうなんで手は出してないっす。ええ、身分聞いてるとそれはヤバそうだったんで、へい。あんま抱きたくなかったし」

「いい判断ですね。報酬を追加してあげましょう」

「あざーっす!!」

 

 しかし成る程、ある意味イヴらしい律儀な行動だ。将来性のある部下のため、わざわざ出向いて現実を教えてあげたのだ。

 

 きっとこれで、リーシャの男娼通いも収まるだろう。きっと、ここで目を瞑ってしまっていればリーシャの悪癖はこっそり続いていたに違いない。

 

「うああああん!! 二度と、二度と男なんか信じるもんかぁ!! あんまりよぉぉぉぉぉぉお!!!」

 

 ……ただ、ただ。リーシャが、哀れである。



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出勤

 リーシャとの顔合わせを済ませ、僕はイヴが用意してくれた領都での我が家へと案内された。

 

 聞くところによると、そこは亡くなったとある軍人の所有していた家らしい。その軍人が殉職した後、数年間ほど国の管理となっていたそうだ。

 

 その家はイヴの指示で整備が行き届いており、誰でも住める状態に維持されているという。

 

 そしてその、殉職した軍人というのが……。

 

「プロフェン様……、って確か!!」

「ええ、イヴ様の御兄様です。ここは将来、プロフェン様のお屋敷となる筈の場所でした」

 

 あの、幼い頃に僕達の村に来た高慢ちきの兄、プロフェンが将来的に住む予定の家だったという。勇敢な彼は幼いイヴにとって憧れであり、目標であった人物。だからこそ、この家も形見のように大事に保持されていたのだろう。

 

 ……な、何という重たい家を!!

 

「この建物は、国の管理となっていますが実質的にはイヴ様の所有物。ここなら誰にも迷惑は掛からないだろう、とイヴ様の御言葉です」

「で、でかすぎる、かなぁ? こんな大きい家を、たった4人では管理しきれないよ……」

「既に、有能な使用人は見繕っております。ご安心ください」

「……辺境貴族の住む家じゃないよ、ここ……」

 

 イヴの兄貴用に作られた家なだけあって、この屋敷もイヴ邸に負けず劣らず豪華で大きいものだった。

 

 彼女は、ものすごく大きな勘違いをしているんじゃないか? これじゃ、国賓を迎えるような待遇じゃないか。田舎の辺境貴族が、仕官して下級役人になっただけだぞ?

 

「使用人さんのお給料とか、払える自信がないんですけど……」

「農富論を著した功績として、ポート様への国から莫大な賞与が与えられています。具体的には、向こう100年くらい使用人を雇える程の」

「えっ、何それ聞いていない」

「イヴ様からのサプライズだそうです。あと『次回作、期待して待っています』との事です」

「……ひぃぃ」

 

 もうやだ。引き受けるんじゃなかった、こんな仕事。期待が重すぎて辛い。

 

「み、みんなはどうしているの?」

「はい。ラルフ様は鍛冶師の修業をするべく鍛冶場へ、リーゼ様は冒険者の登録をしにギルドヘ向かわれました。アセリオ様は、料理人として自ら厨房に立とうと考えておられる様子で、設備を確認しております」

「……えっ!? リーゼ、1人で冒険者登録しに行ったの!?」

「無論、陰から見守る護衛をつけております。ご安心ください」

「至れり尽くせり……」

 

 そっか。よく考えたら森が遠い領都で狩人は出来ないか。

 

 だからって冒険者になるとは、リーゼも思い切ったなぁ。騙されたりしていないかな、大丈夫だろうか?

 

「皆様は、それぞれの道を歩まれ始めたようです。我ら使用人一同は、皆様のご栄達のほどを心からお祈り申し上げます」

「は、はぁ。え、使用人?」

「はい、私は筆頭使用人となりますセバスチアーノの申します。お見知りおきを」

「……イヴの部下さんじゃなかったんですか」

「それも間違っておりませんよ。つい先日までは、イヴ様の家の屋敷の家事長をしておりました。これでもこの道30年、使用人としての仕事は理解しているつもりです。どうか、ご安心ください」

「ど、どうも、恐縮です」

「ははは、主様が使用人に恐縮してはいけません」

 

 うわぁ、この人本物のベテラン執事さんだ。侯爵家使用人の中でも、偉い人だ。

 

 イヴってば、わざわざ自分の屋敷の使用人から優秀な人を派遣してくれたよ。この待遇、本当に大丈夫なのか? 他の貴族から、やっかみを買ったりしないのか?

 

「ああ、主様のご懸念もわかりますとも。厚遇されすぎている、ですよね?」

「……ええ。こんなことをされたら、僕のこの領での立場が危うくなる。イヴにお願いしてもう少し質素な扱いにしてもらわないと」

「ところが、それも織り込み済だそうで、ポート様には堪えてもらいたいと。イヴ様は1年ほど前からこう宣言していました。『求む、知恵ある在野の士。汝は我が国賓なり』と」

「……ふむ?」

 

 ……おい。イヴの奴、まさか。

 

「知恵者の少ない自陣営に、イヴ様は常日頃から危機感を抱いていたようで。1年ほど前から、政治に詳しい人間を探すべく領内を探っていたのです」

「……」

「そこで見つけた『農冨論』の作者。あの本の素晴らしさは皆の知るところ、イヴ様は貴女を見つけて歓喜したでしょうな。そして同時に、貴女を限界まで厚遇すると決めたのでしょう。第2、第3の知恵者がポート様の厚遇を見て仕官する気になるように」

「────うーわ」

「今までの我が国の風潮として、文官が軽んじられる空気がありました。だからこそ、知恵あるものは自分が評価される場所に仕官を求めたでしょう。それで知恵者が王都や他国に逃げ出してしまい、今の現状に至ったと思われます」

「その風潮を変えるべく僕をあからさまに厚遇したことで、文官の仕官が増えるだろうって狙いか。……イヴ様、本当に抜け目ないな」

「あのお方にお仕えできたことが、私の一生の誇りです。無論、同じく世界を変えるだろう貴女にお仕えすることも至上の喜びですが」

「よ、よしてくれ。僕はただの、担がれた神輿だよ」

 

 この何から何まで頭のおかしい厚遇っぷりには、そんな目論見もあったのか。僕みたいな小物辺境貴族をこんなに好待遇で出迎えるんだから、僕よりすごい大物はどれだけ厚遇されるんだって話だね。僕の好待遇は宣伝費みたいなもんか。

 

 ……イヴが成長しすぎてなんか怖い。前世のイヴならともかく、今世のイヴには絶対勝てないなコレ。剣も強くて頭も切れるって、マジの化け物じゃないか。

 

 今世は、彼女が味方で良かった。

 

「では、今日は明日に備えてお休みください。今日はアセリオ様が、料理の腕を振るうと仰っておりました」

「う、うん。そうだね……」

 

 ただ、僕にくるやっかみはどうしようもない。……リーシャはその辺の嫉妬は少なそうだが、その配下の今までイヴに仕えてきた人は面白くないだろう。ポッと出の若造が気に入られて好待遇を受けているなんて、悪い感情以外を持つことは難しい。

 

 明日以降は、謙虚に清廉にふるまわないと。出来ればリーシャを味方に取り込んで、彼女に守って貰いたいもんだ。

 

 その為には、まずは職場に挨拶として手頃なものを配るとしよう。焼き菓子などが良いだろうか。

 

「いや。今日は、アセリオに僕も料理を習おうかな」

「ふ~む。でしたら、厨房にご案内しましょう」

 

 簡単なものですがと、お菓子を持っていくだけで印象は大きく違う。さぁ、明日から正式な勤務だ。今日から色々と準備しておくとしよう。

 

 やるぞ。僕はこの新天地でイヴを支えつつ、村のために少しでも成長して帰るんだ。

 

 それが、僕がここに来た理由なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぽえー……」

「あの、リーシャさん?」

 

 翌日。

 

 僕は朝早く領統府を訪れて、夕べのうちにアセリオと二人で作っておいた簡素なクッキーを、小分けにして職場の方々に配って回った。

 

 ずばり心証目当てだ。こんなもんで少しでも僕への目線が好意的になるならしめたもんさ。

 

 ……しかし。

 

「ぽええー……」

「あの、リーシャさんは一体?」

「昨日イヴ様と散歩に行かれてから、ずっと魂が抜けたように白目を剥いて泡を吹いております」

「それはひどい」

 

 一番肝心のリーシャさんは、昨日のショックから立ち直っておらず生ける屍と化していた。

 

 イヴの荒療治は、まだ尾を引いているらしい。

 

「今日から、僕は何をどうすれば良いか聞きたかったんですけど」

「……そうですね。上司がこの状態では、どうしますかねぇ」

「我々の書類仕事、手伝ってみます? 俺達で宜しければ、簡単な仕事はお教えしますよ」

「おお、それはご丁寧に」

 

 まぁ仕方ないか。リーシャさんの部下っぽい人と、雑用をこなしていこう。

 

「俺はダイアルって言います。以後、よろしく」

「俺はリーグレットって名前です。あの本の著者様にお会いできて光栄です」

「僕は、ポートと申します。プロート村落の跡取り娘で、本日よりお世話になります。どうぞよろしく」

 

 さて、仕事を始めますか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……流石に、飲み込みがお早い」

 

 書類仕事、と言うものは形式が全てらしい。

 

 決まった書式で決められた通りに記載する。それを、延々と繰り返していくのみだ。

 

 例えば今やっている税務書類とかは、記載漏れや誤記入、どう考えても数字のおかしいもの等は弾いて再提出を求める。それ以外は、決められた通りに承認し、署名を行い、提出者に手渡す受領書を作成する。

 

 これは何というか、欠伸が出そうになるな。単調だが、仕事量は膨大で責任も重大。

 

 成る程、文官の人気がない訳だ。

 

「商算は、出来ますかね? これらの受領総額を、まとめて報告しなければならないのですが」

「……ええ、一応。本職の方には及びませんが、教養として身に付けています」

「流石ですな。では、後程この場の3人でそれぞれ計算しましょうか。3人の数字が合わねば、検算してやり直しです」

「おお、成る程」

 

 役所では計算間違いを防ぐために、そんな手段を取っているのか。

 

 うちの村には、そもそも高度な計算ができる人間があんまりいない。今までは僕か父さんのどちらかが、手計算してそのまま国に書類を提出していた。

 

 一応自分で検算はしていたが、二人でそれぞれ計算した方が正確性ははるかに増すだろう。よし、真似しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 半日ほどの間。僕はリーシャの部下さんと並んで、延々と仕事を続けていた。

 

 リーシャは相変わらず心神喪失状態なので、今日はこのまま部下さん達だけで仕事が終わりそうだ。

 

「いや、即戦力ですなぁ。仕事が早くて助かりますぞ、ポート様」

「……何を、仰いますやら」

 

 今日は初日だからか、本当に簡単な仕事しか振って貰ってない。僕みたいな小娘がどこまでやれるのか、この二人も様子見している段階なのだろう。

 

 明日以降は、もっと仕事が振ってもらえるように頑張らないと。

 

「今日はこの山を片付ければ、終わりですな」

「リーシャ様が死んでおられたので今日は徹夜と覚悟していましたが……、助かりましたぞ、ポート様」

 

 とはいえ、僕の振られた雑務も責任重大なことには変わりない。武官の権力が強いこの都では、こんな簡単な仕事でもやりたがる人間が少ないのだろう。

 

 イヴの政策が当たって、もっと文官が増えてくれればよいのだが。

 

「最後のこの書類の山は何ですか?」

「備品請求さ。この領統府の命令で購入した品は、申請書類を通して返金されるんだ。紙や筆、机や椅子だけでなく食材や飲料水などは公費で賄っている」

「やはりこの書類が、一番収支が合いにくい。ちょくちょく、多目に請求しようとする馬鹿がいるからね」

「ふむ、わかりました。するとやはり、最後は全員で検算ですか」

「その通り」

 

 よし、最後の一仕事だ。さっさと終わらせて、早く家に帰ろう。

 

 家には、みんなが待っている。昨日はあまり話せなかったラルフやリーゼの話も詳しく聞きたいし。

 

「よし、やりますか」

 

 凝り固まった肩をほぐし、赤みが広がる空を眺めつつ、僕らは最後の書類(戦い)に身を投じた。

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

 

「よし、俺の書類は収支があってる。みんな、検算頼むぜ」

「すまない、まだ計算中だ。書類に不備はなかったぞ」

「……むー?」

 

 僕が手渡された書類には、様々な消耗品が羅列されていた。その隣には購入金額が記載されており、その額を合計していって収支と兼ね合わせる事になっている。

 

 の、だが。

 

「ポート様、急に手が止まりましたな。疲れてきましたか?」

「いえ。……少し、書類に気になる点がありまして」

「不備ですかな。書類の提出者は右下にサインがありますので、後日注意いたしましょう」

「その、不備はないんですけど……」

 

 僕は、この町での商品の相場を知らない。なので、品と値段がセットになって記載されているこの書類は相場の勉強になるなと暗記しながらやっていたのだが。

 

 ────購入者によって、商品1つ当たりの単価が微妙に違うのだ。

 

「これ見てください。バートン氏が購入した敷き布は1反あたり15Gです。しかし、カテリナ氏が購入したときは12Gになっている」

「……本当だ。布の質が違ったのか?」

「インクの件もそう。2週間前にインクを15瓶購入していますが、その時のセンジャス氏の申請額は60Gでした。しかし、本日カテリナ氏は5瓶を15Gで申請している。1瓶あたり、1Gほど安くなっている」

「……ふむ?」

「このカテリナ氏以外に、ロバート氏、ダイアル氏の申請した書類は物価が2~3割ほど安い。このダイアルさんって、貴方の事ですか?」

「そうですよ、俺がこの部屋で一番若いから使い走りにされてますので」

「ダイアルさん、あなたが購入する時に特別値切ったりしてます?」

「いや、普通に買いましたけど……」

「……まさか、おいおい」

 

 うわぁ。そうか、商品の値段まで自己申告ならこう言うことをやっちゃう馬鹿が出てきちゃうか。

 

「物凄く横領されてますね、コレ」

「マジかよ!!」

 

 実際の購入金額より高額を記入し、お金を抜き取ってる人間がいる。それも、かなり大多数が組織ぐるみでやってそうだ。

 

「ちょっと待て。じゃあ、今までここに名前載ってるやつの大半が横領犯?」

「人数が多すぎて、ちょっと裁けないですね。これ、一斉に解雇したら大混乱になりますよ」

「多分、経務の連中全員で申請額を統一してやってやがるな。買い出しは主に経務の仕事だし、横領してるのも大体経務の人間の名前だ」

「これ、どうすればいいんだ? 経務全員をクビにするわけにもいかんし。腹立つなぁ、お小遣い稼ぎ感覚で公費せびりやがって」

 

 うーん。でも、これはシステム上の問題も大きい気がするな。

 

 自己申告で請求額を記載するんじゃなくて、客観的な監査が必要だと思う。

 

「今までと、やり方を変えねばならないでしょう」

「ポート様の仰る通りです。根本からシステムを変えないといけませんな。どうするべきでしょうか」

「普段、僕らが備品を取引している商社から取引額を記載した書類提出を求めるのはどうでしょう。毎回それを提出させる形にする」

「……紙は地味に高価だからな。書類費を考えれば、横領されてるのと値段が変わらなくなりそう」

「いや、何も毎回毎回貰う必要はなくないか。月の終わりにでも、その月の総取引量を記載した書類を店から提出してもらうように依頼すれば良くない?」

「それだ!」

 

 確かに、紙は高価だもんな。ならその形式の方がよさそうだ。

 

「で、だ。経務の連中のつるし上げ、どうするよ」

「イヴ様と相談して、かなぁ。特に横領がひどい人か主導した人間を吊るし上げて、残り全員に自粛を促す形がベターと思う」

「……だなぁ。にしても、ひっでぇ。国の金を何だと思ってやがるんだ」

 

 だよね。うちの領はかなり豊かだから、あんまり厳しく横領を取り締まらなかったんだろうな。

 

「よし、イヴ様への上申書とこれまでの余剰請求分を洗い出さないと。新たなシステム整備の書類に、経務への懲罰の提案も必要だ。うむ、今夜は徹夜だな!」

「……えっ」

 

 徹夜かぁ。まぁ、そうなるか?

 

 でももう遅い時間だし、無理に今すぐやる必要はない様な。

 

「今日はもう遅いですし、明日以降で良いのでは?」

「明日は明日の仕事が山盛りです。やるなら今しかねぇでさぁ」

「ははは。でもこれ、僕が着任する前の話ですね? 僕はあんまり関係……」

「今日から、俺達は一蓮托生の仲間でしょう。ふふふ、文官たるもの徹夜程度でへばっちゃいられません。7徹くらいまでは、嗜みってもんですわ」

「……」

 

 あ、これ僕も帰れないヤツだ。

 

「こうなりゃ話は変わってきますね。リーシャ様起こしますか」

「気付けの氷魔術を、背中にひょいっと」

「あっひゃああぁっ!!?」

 

 机で突っ伏して寝ていたリーシャは、リーグレットさんの氷魔法を背中に浴びて飛び起きた。

 

「おはようございます、そしてこんばんはリーシャ様。お仕事の時間ですよ」

「え、何!? 何事!?」

 

 そして混乱して目を白黒させている彼女の目前に、ドサリと山盛りの書類が乗せられた。

 

「……これ、なに? ごめんなさい、寝ちゃってて何も把握してないんだけど」

「今夜中に、再度検閲しないといけない書類です」

「半年分くらいあるんだけど」

「ええ。つまり我々全員で、2年分ほど遡れますな」

「…………」

 

 ああ、過去の備品の書類か。あれと同じ量を、僕も検閲していかないと駄目なのか。

 

 それに加えて、新たな書類作成に懲罰提案ね。今夜中に終わらんだろこれ。

 

「かくかくしかじかって訳です。リーシャ様、とっとと提出者別で余剰請求分を記載していってください」

「……」

「ポート様、貴女の取り分はこちらです。遠慮は要りません、ぱぁっとやりましょう」

「書類をお酒のノリで勧めないでくださいよ……」

 

 あぁ、僕のバカ。何で気づいてしまったんだ。

 

 気づかない振りをしておけば、今ごろ家に帰って皆と楽しく夕食を取っていたのに!!

 

「さぁ、楽しい楽しい徹務の始まりですな!」

「……ふぇぇん。また、お肌が荒れる」

「リーシャ様は今まで寝てたでしょう。明日の仕事、リーシャ様が一番多く担当してもらいますからね」

「ふぇぇ……」

 

 ……僕も泣きたい。リーシャは今までずっと休んでたじゃないか。

 

 よくも横領なんかしてくれたな、経務の人達……。許さん、絶対に許さない……。

 

 ……ひーん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後。

 

 結局1日徹夜したくらいでは横領額を纏めきれず、僕達は2徹してようやくイヴに書類を提出することと相成った。

 

 その間、家にも帰れず水浴びもできず。心配して様子を見に来てくれたアセリオから、差し入れを貰い気力を振り絞って頑張った。そして、屋敷に帰ると泥のように眠った。

 

 ……文官、もうやめようかな。体力のない僕には向いてない。



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文官DAYS

「早速、お手柄ですねポートさん」

 

 イヴは、僕達が届けに来た書類をみてご満悦だった。

 

「やはり、そう言うことをなさりますか。私は部下を信用し、敢えて自己申告での請求を許可したのですが」

「山盛りの果実が目の前にあり、その数を正確に記載していないのであれば、善良な人間であろうと1つ位はつまみ食いをしてしまうモノです」

「そうみたいですね。残念な事です」

 

 書類には、この自己申告制度が始まってから今までの横領額を纏めてある。どの人間が一番多く横領したかも、一目で分かるようにしてある。

 

 僕達の2日がかりの努力の成果だ。

 

「以前は、まったく無記載で備品を購入していたんです。当時は横領されているかどうかすら分からなかった。これは不味いと私の代から記載形式に致しましたが、露呈する可能性が高くなったのに横領してしまうとは」

「経務長自ら、主導していたようですね。恐らく横領は、無記載の時代からの経務の悪しき風習だったのでしょう」

「ふむ、確かにセンジャス経務長の横領額が一番多いですね。組織のトップがこれでは、部下が真似をするのも道理です」

「センジャス氏を解雇し、その財産を差し押さえる懲罰を提案します。今まで部下が横領してきた額も含めて、センジャス氏に償わせましょう」

「それで良いです。そして経務全員を厳重注意し『今後横領するようなら重罰を与える』と警告するのですね。まぁ、丁度良い線引きではないでしょうか」

 

 よし。イヴの許可が貰えたので、警備さんに依頼してセンジャスを逮捕拘束する手続きに移ろう。

 

 いやぁ、疲れた。

 

「で。文官の仕事はいかがですか、ポートさん?」

「正直、もう辞めたいですね」

「あらあら。簡単には、辞めさせませんよ?」

 

 割と本気で言ってみたのたが、あっさり辞職を拒否されてしまった。

 

 余程、人手が足りていないのだろう。

 

「お疲れなら、ポートさんは指示を出す立場に就けば良いだけだと思います。そのような雑用は配下に任せて、貴女は領統府全体の指揮を執れば良い」

「僕には無理ですよ」

「絶対出来ると思いますけどねぇ。では自信がついたら、改めて私の下にいらしてください」

 

 そんなこと言ったって……。何をすれば良いのか見当すらつかないのにどうしろと。

 

「今日は、もう帰られるのですか?」

「ええ。3徹明けでお休みをいただいています」

「それは良かった、お疲れ様でした」

 

 と言うか、リーシャ以外は全員休みである。

 

 リーシャは初日爆睡していたし、徹夜作業中も一人だけ仮眠を取ったりしていたので、今日は一人で居残りとなった。

 

 私を見捨てるのかぁ!! と泣いていたので、後で様子を見に行こう。グレてバックレられてると困る。

 

「では、お先に失礼いたします」

「ゆっくりお休みください」

 

 さて、職場をチラリと覗いて帰るとしますか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ズピー……」

「とまぁ、このようにリーシャ様は仕事をなさらず爆睡しておられます」

「起こすとキレて掴み掛かってくるので、誰も起こすことが出来ません」

「お蔭で、仕事が滞る一方なのです」

「ようし分かった」

 

 やっぱりサボってるか。まだ数日の付き合いではあるが、何となくリーシャの人間性が理解できてた。

 

「まずは起こさないと。アセリオに貰った眠気覚ましを試そう」

「……それは、何です?」

「分からないけど、眠気が吹っ飛ぶらしい」

 

 3将軍たるリーシャに寝ぼけて掴み掛かられると怖いので、アセリオの差し入れである眠気覚ましをリーシャの傍に設置する。

 

 さて、どうなるんだろう。アセリオの事だから、怪我するような事態にはならないと思うけど。

 

『徹夜で眠い、そんな貴女に。アセリオの贈る超魔術、必殺えりくとりっく☆ぼんばー……』

「ぎにゃぁぁぁぁぁあ!!!?」

 

 あ、電気が出た。静電気でも溜め込んでたのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「寝起きに電撃浴びせるって何考えてんだ!!」

「静電気程度でしょう。そもそも、サボってるリーシャさんが悪いです」

「ただの仮眠だ!! ちょっとは寝ないと効率悪いだろ!」

「朝からずっと寝てるそうですけど」

 

 アセリオから貰った微量の電流が流れる玩具に大層腹を立てたリーシャは、憎々し気に僕を睨み立ち上がった。

 

 朝からずっと寝っぱなしを仮眠と言うのは如何なものか。

 

「え? あれ、もう昼過ぎてる?」

「もう、夕方に差し掛かる時間帯ですね」

「マジかよ、昼までに起こせって言ったじゃん。使えねー部下だ」

「起こしたそうですよ。そしたらキレられたと」

「……」

 

 リーシャさんはやっぱりリーシャさんだ。

 

 初めて会った時は大人びているように感じたけど、この人日常生活は割と駄目な感じの人らしい。ガッツリ仕事をサボってるじゃないか。

 

「……まぁ、ここ数日は忙しくて寝れなかったしな。主に、経務がくだらないことしたせいで」

「そうですね」

「わざわざ見に来てくれてすまんな。うっし、今からやるわ。お前等、書類持ってこい!! 急ぐ奴どれだ?」

「……はぁ」

 

 ようやくリーシャはやる気を見せ始めた。だが、時刻はもう太陽が西に傾き始める時間帯だ。今からこの山盛りの書類をやるとなると、またリーシャさんは徹夜になるだろう。

 

 そして、書類を待たされる他の部署の人も徹夜コース。さすがに、手伝っていくか。

 

「リーシャさん、ちょっと書類よこしてください。今夜は帰らせていただくつもりですが、少しの間お手伝いしますよ」

「え、マジか!? 良いの?」

「他の部署に迷惑が掛かりますから」

 

 というか手伝わないという選択肢がない。ここで帰ると、きっと「こっちは待たされているのに何でお前は帰るんだ」という怒りが他の部署から沸いてくる。

 

 ただでさえやっかまれやすいんだ。頑張らないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……いつの間にか、ほぼ書類仕事覚えちゃったのなポート」

「リーグレットさん達に丁寧に教えていただきましたから」

 

 2時間ほどかけて、取り急ぎの書類は全て片付け終わった。空は夕暮れの赤みを映し出してはいるが、今日はなんとか日の出ているうちに家に帰れそうだ。

 

 残る書類は、明日の朝までに仕上がってないといけない書類のみ。これは流石に、リーシャさんに頑張ってもらおう。

 

「こりゃ仕事が楽になるなぁ。監督部は今までアイツらと私だけで回してたから、3人と4人じゃ大違いだ」

「……今まで、人員を増やそうとはしなかったんですか? 他の部から人員もらったりして」

「増やして、今の状況なのさ。計算が出来て、字が読めて、政治の知見がある人材ってあんまいないんだ」

 

 え、じゃあ今まで3人もいなかったの?

 

「数年前まではリーグレットがイシュタール様の懐刀としてずっと1人で内政回してた。最近になって王都で留学を終えたガイゼルがリーグレットの副官としてここに配属されて、私も商社一発当てたからかイヴ様にいきなりここに連れてこられて3人になった。ここ数年の話だ」

「え、今まであの仕事量をリーグレットさんだけで? 物理的に無理では?」

「んにゃ、今まではあんなバカみたいな仕事量じゃなかった。最近になって、私らの仕事が爆増したの。どこかの誰かが有用な政治指南書を世に出したおかげで、それを実現しようとイヴ様があれこれした結果、人手が一気に足らなくなった訳。ぶっ殺したくなるよね、その本の作者」

「…………」

 

 そうか、事の発端は僕の本か。つまりこれって、極論で言えば自業自得なのか。

 

 解せぬ。

 

「ま、そのお陰で市民は肥えたし貧困も減った。市民全体は、その本に感謝してると思うけど」

「ごめんなさい」

「良い本だよ、ありゃ。文官に地獄を見せるってトコだけが唯一の欠点だ」

 

 少し恨みがましい目で、リーシャは僕を見てくる。そんなこと言ったって、そもそも僕はあの本を世に出すつもりなんかなかった。イヴが勝手に興奮して広めただけである。

 

「私は武官も兼ねてるから、常にここに居るわけじゃない。繁忙期はこっちでの仕事がメインになるけど、ちょくちょく練兵場にも顔を出さなきゃいけないんだ。というか、私的には自分の本職は武官だと思ってる」

「まぁ、3将軍ですからね」

「だからこそ、ポートが加入して本当に助かってる。頼むから辞めるなんて言わないで、これからも頑張ってくれよな」

 

 そうか。イヴの配下の文官事情はそんな酷いことになっていたのか。

 

 まともな専業文官がガイゼルさんとリーグレットさんの二人って相当ヤバかったんだな。

 

「僕で良ければ、お手伝いさせていただきますよ。戦争が終わるまでは、ね」

「出来ればずっと居て欲しいんだがな。ま、お前にもお前の目的があるんだろう。無理強いはしないさ」

 

 そういうことなら、多少過酷な職場ではあるが頑張ってみようという気が起きる。誰かに必要とされるのは、悪い気分ではない。

 

 よし、残りの書類も手伝ってあげますか。リーシャは本業武官なのに、人手不足で連れてこられている形らしいし。早く帰らせて、寝かせてあげよう。

 

「じゃあ、もうひと踏ん張りですね」

「ありがとな」

 

 さて、やりますか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うめぇだろ、この店」

「ええ」

 

 仕事が終わり、夜闇が町を支配したころ。

 

 僕とリーシャは仕事を終えて、小さな露店に立ち寄っていた。

 

「このホットワインは体の芯からあったまる。ツマミの葡萄と合うんだ、コレが」

「ワインを頂くのは初めてですね。ウチの村で売っている酒は麦酒ばっかりでしたので」

「ジュースだと思えばいいぞ。そんなに強い酒じゃないし」

 

 手伝ってくれたお礼だと、彼女は僕にワインのグラスを差し出した。

 

 奢りの1杯だそうだ。これが噂に聞く、大人の付き合いという奴なのだろうか。

 

 前世含めて、こういった経験はなかった。僕らの村にも酒場はあるが、基本的に僕の仕事に同僚とかそういうのはいなかった。

 

 お酒を飲むといえば、誘われてみんなで仲良くという感じだ。仕事終わりに1杯、なんてノリではなかった。

 

「他の二人も、飲みに誘うのですか?」

「まぁね」

「……二人とも美形ですけど、良い雰囲気になったりはしないのですか」

「うーん。ガイゼルは既婚者だし、リーグレットに至っては結婚してる上に子供まで居るし。そもそも親と子くらい歳離れてるし」

「あー、あの二人はもう結婚してたんですね」

 

 まぁ、二人とも性格よさそうだったし。そりゃあ相手いるか。

 

「文官どもと職場恋愛は出来ず、武官連中はイヴ様のファン。そして新入りは、女のお前」

「ははは」

「イヴ様は私に何処で出会えと言うんだろう。ちょっとくらい癒しを求めて、色町行ったっていいじゃないか」

「それは駄目ですよ。あの男の本音を聞いたでしょう?」

「……ぐすっ。ヒカル君……。結構、本気だったのにな」

「あの連中は、女の心を弄ぶ詐欺師です。ちゃんと、信用できる人間を見つける事です」

 

 リーシャはまだ引き摺っているのか、あの男娼。よほど飢えていたのか、あの男がやり手だったのか。

 

「そもそも軍の連中はさぁ、基本的にマッチョでゴツくてあんまりタイプじゃないんだよなぁ。こう、私のさわやかで王子様的なのが理想でさ」

「ああ、そうなんですか」

「文官系はあんまりゴツくないけど、何というか性格がなぁ。陰湿というか、ねちっこい。特にあの二人とか!! リーグレットなんかいい歳して、説教が嫌みったらしいったら!」

「そ、そうは見えませんでしたけど」

 

 それはリーシャのやらかし方に寄るのでは。僕と話している限りは礼儀正しい紳士って感じに見えたけど。

 

「ポートはどんな男が好み? ゴツい系はアリなの?」

「えっ……、僕ですか。えっと」

 

 わ、急に話を振られた。どんな男が好み、かぁ。

 

 まぁ、何度か冒険者さんにこの手の質問はされたことがあったけど、答えは決まっている。

 

「可愛い系の、女の子ですね」

「……えっ」

 

 別に僕は同性愛を隠すつもりはない。というか、イヴが村で噂を集めていたそうだし、言わずとも時期にリーシャに伝わってしまうだろう。

 

 同性愛宣言をしておくことで、男避けにもなるし。まぁ厳密には、男の時の記憶が残っていて男を対象と見れないだけだが。

 

「えっと。可愛い男の子の間違い?」

「女の子です。僕は男性より女性が好きなんですよ。ま、特殊な性癖と自覚してますけど」

「あ、そう。そうなの……」

 

 リーシャは僕を警戒したのか、少し距離が開いた。そんなに怖がらなくても。

 

「いや、別に悪くないとは思うぞ? ちょっとビックリしただけで」

「まぁ、隠すつもりもないですし。そんなに警戒しなくても、嫌がる人に何もしませんよ僕は」

「あ、そう。ふふふ、にしても意外だなぁ」

 

 だが、リーシャは少し悩むそぶりを見せたものの、すぐに元の態度に戻った。やはり、彼女はなかなか度量が深いらしい。

 

「言いふらす気はないけど、別にソレ隠してないんだな?」

「ええ、自分の好きなものを隠して生きるような事はしたくないので」

「なんか男らしいな。一人称も『僕』だもんなお前」

「そう見えますか? 僕にとっては、誉め言葉ですよ」

 

 男らしい、か。僕はそういわれることに、抵抗はない。というか、むしろ嬉しい気がする。

 

 僕の心のどっかに、男の部分も残っているんだろうな。

 

「なぁ、ちなみに。ポート的に私はストライクなのか?」

「……えっ? あー、うー、っと」

 

 リーシャさんがストライクかどうか、か。

 

 本人を目の前にして、それ答えるのは気恥ずかしいが。

 

「そうですね。僕は結構リーシャさん好きですよ、そういう意味で」

「そっか。あははは!」

 

 うーん、勤務態度や人間性はともかく、異性としては結構リーシャはストライクかもしれない。

 

「可愛いタイプが好きなので、リーシャさんみたいな少し小柄なくらいが好みです。目も大きくて可愛いし、気風が良くて付き合いやすいのもあります」

「そ、そっか」

 

 それに、これは口に出さないが僕は結構、頼られたがりなところがある。だからなのか、リーシャみたいに少し駄目な感じの娘の方が好みだったりする。

 

 初恋だったリーゼも、ちょっとそんな所があるし。

 

「僕からすれば、どうしてリーシャさんが言い寄られないのか不思議で仕方ないですけどね。こんなに魅力的なのに」

「そ、そうだな。もっと軍の連中に言ってやってくれ」

「逆に、リーシャさんは僕が男だったとしたらどうでした? 見た目はともかく、付き合いやすさとして」

「え、私? えーっと、えっと」

 

 まぁ、いきなりこんな質問振られてもリーシャは困るだけか。

 

「……私、割と知的な人が好きで。ポートが男だったら、有りだったかもしんない」

「お、それは嬉しいですね」

「男だったら!! 男だったら、だからな!!」

 

 そうか。僕が男だったら、リーシャと上手くいっていた可能性が高いのか。

 

 前世でリーシャと出会えていたら、また歴史は大きく違ったのだろうか。

 

「……やべぇな、割とガチ目に狙われてんのかこれ?」

「ん? 何か言いましたかリーシャさん」

「い、いや何も!?」

 

 まぁ、こういう話を堂々とするのも職場関係を深める意味では重要だ。

 

 特に、今後はリーシャの力を借りる機会も多いだろう。今世は女だけど、それでも彼女とは仲良くしておこう。

 

「またこうやって、2人で飲みに行きたいですね」

「そ、そうだなぁ」

 

 今後は否が応にも、リーシャとは仕事で顔を付き合わせ続ける事になる。

 

 敬遠しなければ、きっとすぐに仲良くなれるだろう。

 

「では、今日はこの辺にしましょうか。もう遅いですし」

「わ、分かった。じゃ、また明日な!」

「ええ」

 

 こうして、何故か少し妙な態度になったリーシャと共に店を出た。

 

 夜道に一人は危ないからと、一応は人力車を用意してもらっていた。リーシャはやることが男前である。

 

「私と違って、その。お前は武官じゃないしな」

「お心遣い嬉しいです、リーシャさん」

 

 思ったより、文官勤めで人間関係は苦労せずにすみそうだ。リーシャさんが付き合いやすい人間で助かった。

 

「ただ、私はその、男が好きだからな?」

「……? わかってますよ?」

 

 リーシャは一人で走って帰ると言う。危なくないかとも思ったけど、そもそも彼女とタイマンで勝てるだろう人間はこの国に数人程度らしい。

 

 武官って凄い。



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近況報告会

「リーシャさん、リーシャさん……」

 

 僕が文官となって数日が経った。この職場で、いつしか僕はリーシャの世話係の様な立ち位置となっていた。

 

「女の子が仮眠してる部屋に入るのは、やっぱ躊躇われましてな」

「いくらその女の子がリーシャ様とはいえ、ね」

 

 具体的な仕事の一つとして、仮眠を取ったリーシャの起床係が僕になった。

 

 今までガイゼルさんは性別など気にせず叩き起こしていたのだが、僕が加入してからは僕に任せるようになった。

 

 曰く、同性に起こしてもらった方がリーシャとしても良いだろう、だそうだ。確かに理あるので、僕は渋々その役目を引き受けていた。

 

 リーシャは、すぐサボる。昼頃になると、眠くなって効率が落ちるからとグゥグゥ寝始める。そして、ほっとくと平気で夕方まで起きてこない。

 

 そもそも仕事中に寝るな。

 

「起きましょうリーシャさん、今日の仕事が終わりませんよ」

「むにゃ……もうちょい……」

 

 ……それに。彼女には、警戒心とか無いのだろうか。

 

 僕の目前には服を脱ぎ散らかし、下着姿でシーツに抱き付いて涎を垂らすリーシャが居る。

 

 こんな姿を今までガイゼルさんに見せていたのだろうか? 女性としてモテたいなら、もう少しくらい恥じらうべきだ。

 

「リーシャさん、もう少し慎みを持ちましょうよ。こんなんじゃ、襲われても文句言えませんよ……」

「……んが? 私の方が強いし、勝つし……、Zzz」

「そういう問題じゃ有りませんよ」

 

 全く。ダメな子ほど可愛いと言うが、リーシャさんは上司の立場。

 

 僕は仕方ないなで済ませるけれど、こう言うところを今後増えるだろう新人さんに見られたら威厳も何も無くなってしまう。早めに矯正しないと。

 

「……ふぅ、仕方ないなぁ」

 

 なら少し、お仕置きするか。アセリオ特製のえれくとりっく☆ぼんばーの在庫がまだある。

 

「起きないリーシャさんが悪いんですからね」

 

 僕は寝ている彼女の隣に腰かけて、耳元で囁くように警告した。

 

「少し、お仕置きさせて貰いますよ……」

 

 さあ、アセリオの玩具を起動しよう。

 

 

 

「はい、起きましたぁぁぁ!」

「うわっ!」

 

 悪戯を仕掛けるような気持でリーシャの耳元で囁いた瞬間、彼女は目を見開いて怯えるように立ち上がった。

 

 びっくりした。そんな勢いよく起きなくても。

 

「ポ、ポポート! 今お前、何をしようとした!?」

「え、起こそうとしただけですけど」

「そうか。なら起きた、ばっちり起きた、もう良いな?」

「は、はぁ」

 

 というか、何をそんなに焦っているんだ? 目を少し白黒とさせているようだけど。

 

「ふぅー、はぁー。よ、よし。もう目覚めた、着替えるから出て行ってくれ」

「わかりました。早く詰め所に戻ってきてくださいね」

「わかった」

 

 まぁ、起きてくれたなら構わないか。着替えると言っているし、とっとと出ていこう。

 

 まぁ出ていくもなにも、元々リーシャは半裸なんだけど。ここは家じゃないんだから、服くらい着て眠って欲しい。

 

 

「……次から服くらい着た方がいいかなぁ。ちょっと身の危険を感じたぞ……」

 

 

 その時、部屋からぶつくさと独り言が聞こえた気がしたが、興味が無いので聞き流した。

 

 

 

 

 

 

「ガイゼル。何で最近お前が起こしに来ないんだ、ビックリしたじゃないか」 

「そりゃあポート様が加入してくれたからです」

「ポートと私は女同士なんだぞ! 間違いが起きたらどうしてくれる、今まで通りお前が起こしに来い」

「……ん?」

 

 書類を他の部署に届けて部屋に戻ってくると、リーシャさんとガイゼルさんがもめていた。どうしたんだろう。

 

「ああ、ポートも戻って来たか。明日から、お前は私を起こしに来なくていいからな」

「あれ? どうしてです?」

「ガイゼルが私を起こしに来る役目なんだ」

「はぁ」

 

 同性の僕じゃなくて、わざわざガイゼルさんを指名するのね。

 

 また下着姿を見せつけるつもりなんだろうか。痴女かな?

 

 それとも、不倫になるけど実はガイゼルさん狙い?

 

「……リーシャ様がそういうなら、まぁ」 

「そもそも寝ないでくださいよ」

「ゾラ様に報告しますよ」

「うるさいな! ちゃんと割り振られた分の仕事を終わらせれば文句無いだろう!」

 

 まぁ、確かに。他の人より少ない時間できっちり仕事は済ませるあたり、彼女の能力は高い。これでいて武官としても優秀らしいから、リーシャは間違いなく傑物と言える。

 

「はぁ……時間もないし出会いもない。寂しきかなわが青春、くすん」

 

 傍から見てると、単なる非モテ女子にしか見えないけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これが、僕の近況かな」

「ポートも大変なのね」

 

 そして、その夜。僕は久方ぶりに幼馴染3人と揃って夕食を取っていた。

 

「……やっぱり、国勤めは大変。早く村に帰りたいね」

「だなぁ。都って華やかだけど、余裕がねぇって言うか」

 

 みんな忙しくて各自で食事をとることが多かった中、珍しく4人が家に揃ったので近況報告会を行う事になったのだ。

 

 みんなの顔を見たのは随分久しぶりな気がする。

 

「俺は、親父の紹介で都の鍛冶屋に邪魔することになった。こっちの鍛冶は農具より武具に特化してる印象だ。都で農具なんか作っても売れるわけないからしょうがないんだろうけど」

「へぇ」

「せっかくだから都の武具づくりを学んで帰って、村の連中の武器を強化してやろうと思う。防具系統をちゃんとすれば、仲間が獣や盗賊に殺される可能性も減る筈だ」

「それは良いわね! あと、矢が作れるなら矢が欲しいわ!! そう簡単に叩き落されないようなやつ!」

「あー。よし、聞いてくる。俺が作れるようになったら、リーゼに流してやるよ。素材は持ってきてもらうけどな」

 

 ラルフも、自分の夢をかなえるべく前に進んでいるらしい。是非ともランボさんの後を継いで、立派な鍛冶になって欲しい。

 

「ラルフにはもう話したけど、私は女冒険者だけのパーティに入ったわ。後衛として、弓使いの役割を任されることになった」

「冒険者って何してるの? 危なくないかい?」

「基本は都の外の安全地帯での活動ね。調査や素材収集が主で、戦闘はあんまりしないわ。戦闘があるならわざわざ私達に依頼しないと思うし」

「俺らみたいな生産職が素材を仕入れたいときにリーゼのパーティに依頼してるらしい。定期的に可愛い女の子が素材届けに来てくれるって人気なんだそうだ。ウチの鍛冶は自分で素材集めに行けってスタンスだから、依頼して無いけど」

「……成程。考えてる」

「リーダーが『女冒険者は基本パーティで舐められるしセクハラされるから、女冒険者だけでパーティ組んでやれ』って考えで組織したの。それが当たってか今はもう10人近い仲間がいて、結構な大手グループになってるわ」

「へぇ。面白い人もいるもんだね」

 

 そういう所なら、リーゼを預けても安全か。そもそもリーゼは人の善悪を本能で察知してるっぽいし、あんまり心配はしていないけど。

 

「また今度、リーゼやラルフのところに顔を出してもいいかな。友人が世話になっている人に挨拶しておきたい。コネになるかもしれないし」

「あー。俺んところは難しいかもな、凄い気難しいんだ鍛冶職人って」

「私のところは大丈夫。リーダーは気さくだし、普通にメンバー以外の女性と一緒に飲んでることあるし。私のパーティはすり寄ってくる男に当たり強いけど、ポートが来る分には間違いなく歓迎されると思うわ!!」

「……ふむ、興味がある。我も追従し、超魔術で連中の度肝を抜いてやろうか」

「絶対ウケるから良いわよ!」

 

 それはよかった。なら今度、休みをもらって冒険者ギルドに顔を出してみるか。

 

 鍛冶屋さんに関しては、きっと企業秘密とかもあるのだろう、見学は出来なさそうだ。今度、ラルフに挨拶の手紙でも持たしておくだけにしよう。

 

「アセリオは、ずっと厨房にいるの?」

「……夕食の時は、派遣されてきた料理人さんから教えて貰ってる……。朝昼は、路上で超魔術を披露してる」

「へぇ、どっちもやってるんだ?」

「……最近、我が超魔術の恐ろしさが周知されてきた。今度、貴族の狂宴に呼ばれる手筈……。ひと稼ぎしてくる」

 

 アセリオはアセリオで、順調に都に適応していってるらしい。

 

 今後は僕も文官として、貴族付き合いもしないといけなくなる。アセリオの芸は凄まじいし、今度誰かの接待の時に呼んでみてもいいかもしれない。

 

「みんな順調に行っているみたいで何よりだね」

「そうね。村に帰るまでに、全員一回りはおっきくなってそう!」

「その前に、戦争どうにかしないとな。せっかく村に戻れても、前みたいに侵略されちまったらどうしようもない」

「その辺は僕の領分だね。うん、今は右も左も分からないけど、僕も何とかイヴの力になって戦争を早く終わらせて見せる」

 

 そうだ。僕が都に来た理由は、戦争を何とかするため。

 

 きっと、まもなく戦争が始まる。僕達の住処とは遠く離れた北の地で、帝国軍は虎視眈々と僕達の国を伺っている。

 

「僕なんかに出来る事なんて限られている。でも、今はイヴを信じて協力することが戦争を終わらせる早道だと思う」

「……そうね」

「みんなも、いざとなったら力を貸してほしい。僕一人に出来る事なんて限られているけれど、ここにいるみんなの力があればどんなことでも乗り切れると思うから」

「当り前。……みんな、ポートの力になるために此処にいる」

 

 そうだ。だけど、今世の僕にはみんながいる。

 

 前世では頼ることをせず、最後に自ら殺すこととなった大事な幼馴染が、笑顔で僕の背中を支えてくれている。

 

 この世の中に、彼女たちほど心強い人間がいるだろうか。

 

「ポートは朴念仁だし、ラルフはエロバカだし、私もそんなに頭良くないし、アセリオはちょっとアレだけど。でも、4人そろえば無敵よね!!」

「ふふ、期待してるよ」

「……え。ちょっとアレって何? あたしは一番常識人のつもり……」

「えっ」

 

 ……えっ。アセリオが常識人?

 

 侯爵(イヴ)がライブしている真っただ中に乱入して、一緒に踊り始めるアセリオが、常識的……? そんな馬鹿な。

 

「何言ってんの、この中で一番普通なのは私よ! アセリオな訳ないじゃない」

「……えっ?」

 

 リーゼが普通?

 

 宿のオジサンからおつかいを頼まれパンを買ったのに、それを忘れてパンを完食して昼寝した挙句、パンを買ったことすら忘れて「寝てる間にお金が無くなった! 泥棒よ!」と大騒ぎしたリーゼが、普通?

 

「お前らがまともな訳あるか。俺だろ、一番まともな────」

「黙れエロバカ……」

「それはない、かな」

 

 ラルフは論外だろ。全てにおいて論外だろ。

 

「え、僕でしょ。僕が一番常識的で────」

「「「それは一番ない」」」

 

 ……!?

 

「ちょ、それどういうことさ。僕はラルフより論外とでも言いたいのかい!」

「ラルフ関連で一番奇行に走ってたのはポートじゃない。好きでもない相手にあんな行動取ってる時点で変人筆頭よ」

「馬鹿、な……」

 

 嘘だろ。まさか僕は、3人の中で奇人枠に入ってしまっているのか……?

 

「……やっぱり、あたしでしょ」

「私よ!!」

「男がエロいのは仕方ない。俺がエロいんじゃない、男がエロいんだ。つまり俺はまともなんだ」

「でもでもだって! 僕のラルフ関連の行動は、全て村長を押し付けたかっただけであって!! エロバカ釣るならアレが最適だっただろう!?」

「今釣りって言った?」

 

 しまった、口が滑った。

 

「まぁ、釣りは狩りの基本よね」

「……でも、釣りが分かりやすすぎ。真の賢者は狙いを隠すべく陽動を混ぜる」

「そっかぁ。気を付けるよ」

「女って怖い!! 恋を平然と釣り扱いするこいつらが怖い!!」

 

 恋愛において男は積極的に攻めたほうが強いけど、女は待つ方が強いんだよね。男の方がプライド高いから、上手く立てて自尊心をくすぐってあげた方が上手くいきやすい。

 

 ……どっちの性別も経験してるからこそ言える話だが。

 

「でも、結局ポートの釣りが一番上手かったって話よね。ラルフ一本釣り」

「上手かったのかなぁ? むしろあの釣りは逆効果だったと、後でラルフに言われたよ」

「……ソレ。うっすら察してたけど、幼少期からラルフってポートが好きだった。ポートから攻めたせいでラルフが逃げて、拗れてただけ」

「え、そうなの!?」

 

 え。結局ラルフって、本当に昔から僕好きだったの?

 

「そうなの、ラルフ?」

「……黙秘する」

「ポートへの態度、あたし達と全然違ってたし。気やすいというか、露骨にボディタッチが多かったというか」

「……昔からエロかったんだね、ラルフ」

「違う! そんな、そんなハズはない!!」

「エロというより、昔のラルフは甘えてた感じ……。ポートが気にしなかったから、べたべた引っ付いてた。ちょうど、好きな子の気を引こうとちょっかいかけてる感じのお馬鹿さん」

 

 ああそっか、成程。さすがに子供時代のラルフはエロくないよな。

 

 子供らしい恋愛感情で、引っ付いてきてただけなのか。アレは、男友達枠の気やすさだと思っていたけど。

 

「それは気付かなかったわね。よく見てたわね、アセリオ」

「だって、恋敵だし……。今だから白状するけど、ラルフが自分の気持ちに気付かないよう裏でこそこそ暗躍もしてた」

「何やってんだアセリオてめぇ!!」

「ポート、取られたくなかったんだもん……」

「暗躍って何さ」

 

 思ったよりアセリオって僕の邪魔をしていたのか。全然気づかなかったぞ。

 

「……まさかあの時とか、珍しくアセリオが優しい言葉を掛けてきた時とか全部……」

「観客の思考を誘導してこその、超魔術師……」

「う、うわあああぁぁ!?」

 

 ……。ラルフにはいくつか思い当たる節があったらしい。

 

 流石は僕達の最高戦力、絶対に敵に回さないようにしよう。リーゼの狩りの腕も凄いけど、単純にアセリオは勝てるヴィジョンが浮かばない。

 

「まぁ、結局ラルフは自分の気持ちに気づいちゃったし。後はポート側の問題だけね」

「そうだね。頑張ってラルフを受け入れてみるよ」

「その間に私もラルフを落としてみるわ!! 愛人ね!!」

「ラルフが愛人を作ったら、ポートも愛人を作る権利があることになる。そうなれば、ポートはあたしが戴く……」

 

 おお、それが一番丸く収まるよねやっぱり。ぼく的にはどちらでも構わない、それを選ぶのはラルフだ。

 

 夜のお相手は僕では厳しそうだし、ぜひとも二人には頑張ってもらいたい。

 

「なぁ、親父。本当に俺が羨ましいか? 同世代に女の子が固まってる俺が、本当に幸せだと思うか? 味方が存在しない戦場での四面楚歌にしか見えねえんだけど」

「ラルフ! 黄昏てるとこ悪いけど、今度デートでも行きましょう!!」

「……ポート。こっちは、久々に一緒にお風呂行こう」

「そうだね」

 

 こうして、僕は久々に幼馴染たちとゆったりした時間を過ごせたのだった。

 

 日常の中での安らぎを得てこそ、また明日から頑張ろうと言う気になれる。

 

「……新婚夫婦って、こんなもんなの? もっとイチャイチャするもんじゃないの?」

「ごめんねラルフ、しばらくは本当に忙しいんだ。いつか時間をちゃんと作るから」

「……不幸だ」

 

 ラルフはハーレム状態なんだから贅沢言うな。



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幕間 老人と孫娘

「さて、と」

 

 少女の朝は、食事から始まる。

 

「爺様は先に行ってるか。朝の早いこった」

 

 彼女は貴族だ。大功を挙げた祖父が貴族としての爵位を得て以来、家を紡ぐ令嬢として英才教育を受けてきた。

 

「今日は久々の教導だ。武官としての仕事もしっかりしとかねぇと、いざって時に部下と連携できねぇからなぁ」

 

 しかし、彼女は貴族の令嬢として生きる道を拒んだ。祖父の様に、両親のように、戦場に身をおいて血飛沫の中で生きることを選んだ。

 

「────じゃ、行ってくる。パパ、ママ」

 

 それは、ささやかな抵抗だったのかもしれない。

 

 偉大なる勇将ゾラの子として期待されながらも、呆気なく戦死した両親に対して。

 

「私の活躍をよく見ておけよ」

 

 幼い自分を残して土へと帰った、優しき家族への反抗なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リーシャは、4つの時に親を亡くした。

 

 ただ不運に、親を亡くした。

 

 勇猛果敢だった父親は、戦場で結ばれた魔導師の母親と共に戦死した。

 

 ゾラは偉大な大将軍だったが、その息子は決して優秀とは言えなかった。ゾラの子は、何処にでもいる凡将だった。

 

 そもそも、ゾラ本人も決して才気溢れる人間ではない。幼少より領主イシュタールと共に戦場を駆け回り、身に付けたその経験と実績に裏打ちされた老獪な戦略こそゾラの本領である。

 

 ゾラの力は積み上げた力。平たく言えば、ゾラは究極の『努力の人』。その息子が平凡なのは、謂わば当然と言えた。

 

 だが、彼の息子への期待は重かった。当時最強と恐れられた猛将の息子が、凡俗な筈がないと誰も彼もが持て囃した。

 

 期待に負け、重圧に押され、息子は英雄になろうと無理な進軍を繰り返し、そして帰らぬ人となった。

 

 

「すまなんだ、息子よ……」

 

 

 ゾラは息子の重圧に気付かなかった。自分のような大将軍になると豪語した息子を、心より愛して愛でていただけだった。

 

 豪快で奔放な性格のゾラは、自分の功績が息子の重圧になるとは思いもよらなかった。

 

 その日からゾラは、親戚全員を武官から省くように手配した。

 

 家族を戦争で失うのを恐れたのだ。自分の存在が重りとなり、無理な進軍をしてしまう危険を怖がった。

 

 事実として、ゾラの他の親族達は皆平凡だった。凡人が、英雄の功績を真似れば破滅が待つのみである。

 

 彼等は武官として戦場に身を置くより、貴族としての安穏と暮らしてもらった方が、国にとってもゾラにとっても好ましい。

 

 ゾラはたった一人、孤児となったリーシャを引き取って家族を軍から引き離した。

 

 

 

「軍に身を立てるのは、儂のみと致します」

 

 

 

 ゾラはイシュタールにそう謝った。跡取りを世に出すことが出来なくて申し訳ない、死後は自分の部下の期待株を後釜に据えてくれと頼んだ。

 

 領主イシュタールはそれを快諾した。竹馬の友の頼みである、残念ではあるが仕方なかった。

 

 

 

 リーシャはすくすくと育った。

 

 使用人や乳母により、貴族令嬢としての嗜みを学びつつ。たまに家へと帰るゾラに可愛がられながら、リーシャは美しい少女へと成長していった。

 

 ゾラは、彼女を嫁入りさせるのが人生の最期の仕事になると思った。死んだ息子の忘れ形見を幸せにすることこそ、老骨に託された責務であると考えた。

 

 

 

 

 ────リーシャが10歳になる頃。

 

 出征で常日頃から家を空けるゾラに、リーシャは珍しく頼みごとをした。

 

 それは、10になる誕生日。リーシャは唯一の家族であるゾラに祝ってもらいたいと言う、平凡な願いだった。

 

 ゾラは、当然その願いを快諾した。

 

 

 

「すまん、ゾラ。敵が、切迫してきている」

 

 

 しかし、情勢がそれを許さなかった。彼は、領主の下知を受け出陣を迫られた。

 

 ゾラも愛くるしい孫の頼みを反故にするのは胸が張り裂けそうだったが、3将軍のうち出陣できるのが自分のみという状況で子供のわがままを優先する事は出来なかった。

 

 この時3将の最年長たる『レグリス』は腰痛の治療で動けず、かつての部下だった3将『ダート』は既に別戦線に派兵されている。残る将軍は、ゾラのみだった。

 

 その日、帰ったゾラはリーシャに泣いて詫びながら、出陣の準備を整えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「嫌だもん。私は、爺様と一緒に誕生日を過ごすって決めたもん」

 

 ところが。

 

「なっ、なぁっ!?」

「ふっふっふー。ビックリした?」

 

 なんと用意していた兵糧箱の中に、こっそり忍び込んでついてきた悪ガキが居たのだ。

 

 リーシャは小柄な体躯を生かし、スパイの如く出陣するゾラの部隊に紛れ込んでいたのである。

 

「リーシャ!! 貴様は何という事を!!」

「ひっ! 爺様が悪いんじゃないか!! 私はすっごく楽しみにしてたのに!!」

「帰ってからいくらでも埋め合わせはするといっただろう!! どうしてこんな危険な!!」

「爺様はどうせ勝つだろ。安全なところで応援してるだけにするからさ、一緒にいてよ」

 

 ゾラは呆れてものも言えなかった。だがリーシャは10歳の少女である、まだ物事の良しあしや怖さを知らぬ年齢だ。

 

 全ては、自分の教育不足。ゾラはリーシャを叱りつけながらも、今まで彼女に積極的に関われていなかったことを恥じた。

 

「次に同じことをしたら、一生オヤツ無しじゃ」

「ひ、酷い!!」

 

 敵はおそらく、烏合の衆。そんなに苦戦することもないだろう。

 

 ゾラはリーシャは後方の陣に預け、そのまま進軍を続けることにした。

 

 可愛い孫娘の意地っ張りな願いを、少しでもかなえてやりたかったからかもしれない。

 

 

 しかし。

 

 たまたまリーシャを連れ立ったこの時の戦闘が、大きな帝国の『絡め手』であった事にこの時誰も気づいていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初夏の香りが漂う戦場。

 

 領の農村を脅かそうと出撃してきた異民族を打破すべく、ゾラは鉄壁に布陣した。

 

 万一があろうと後方が脅かされることが無いよう、いつもより防御を重視した陣形を取った。

 

 州境に存在する敵は、遊牧民たる『異民族』と大国である『帝国』。今回のお客さんは、異民族である。

 

 彼らの目的はシンプルな「略奪」だ。遊牧する彼らは領土を欲さず、ただ資源と食料を根こそぎ奪って去っていく。まさに、厄介極まりない連中だ。

 

「そら、おいでなすった」

 

 彼らは魔物や動物を調教し、自らの足としている。騎乗技術に優れた彼らは、その機動力の高さを生かし敵を翻弄する戦術を好む。

 

「引き付けて引き付けて、矢の雨を降らせよ」

 

 そんな彼らの機動性に付き合う道理はない。防御を固めて、近づいてきた敵を射抜くのが最適解だ。

 

 魔物に騎乗する彼らを追撃するのは困難を極める。ならば、異民族の方から向かってくるように仕向けるしかない。

 

 彼らの強奪した戦利品を輸送する部隊を奇襲し、それを取り返そうと反撃してきた敵に被害を強いる。この戦術がゾラの得意技だった。

 

「ほら、奴ら逃げていくぞ。勝ち戦だ」

 

 遊牧民は、決して数が多くない。機動力で相手を翻弄できないと、基本的には弱勢力である。

 

 ゾラにとっては、赤子の手をひねる様な簡単な戦だった。

 

 

「ゾラ様!!」

「どうした?」

「後方で、火の手が上がっています!!」

 

 

 ただ、この時ばかりは勝手が違った。

 

 この戦で『異民族をけしかけた』存在が、虎視眈々とゾラの首を狙っていたのだ。

 

「あの出で立ちは、帝国兵です!!」

「な、何と!!」

 

 老獪なゾラという大将軍の存在は、帝国から見て非常に厄介だ。それを除こうと考えた謀略家が、一計案じたのだ。

 

 交渉して異民族をけしかけ、ゾラに前方向の守りを固めた布陣を誘い、後方から奇襲する。それは単純ながら、効果的な戦略だった。

 

「ま、まずい!!」

 

 背後に配置しているのは、輸送隊や編成から外れた予備兵などのいわば雑兵。頼りの精鋭部隊は、異民族に射撃するので忙しい。

 

 ゾラは一転して窮地に陥った。

 

「リーシャ、が……」

 

 それだけではない。後ろには、孫娘が居るのだ。

 

 蝶よ花よと育て上げた、齢10歳の可愛い可愛い孫娘が居るのだ。

 

「周囲の者はついてまいれ、後方を迎撃する!!」

 

 ゾラは即断した。異民族を迎撃しながら、予備兵をまとめ上げて敵を迎撃することを。

 

 少しの間耐えしのげば、今は異民族と向き合っている頼れる精鋭が援軍に来てくれる。それまで、持たせればよい。

 

「リーシャァァ!!」

 

 戦場に身を置いて数十年。ここまで焦燥したことが無いほどに、ゾラは追い詰められていた。

 

 

 

 

 

 

「お、おおおっ!!」

 

 ゾラがたどり着いた先の後方陣地は、大きく様変わりしていた。

 

 地には黒煙が昇り、構築した陣はズタボロに壊され、たくさんの死体が乱雑に散らかっていた。

 

「リーシャ、リーシャは無事か!!」

 

 気が動転しながらも、即座に陣形を組み上げてゾラは前進する。

 

 後方を破られたら、軍全体の窮地だ。孫娘を人質に取られたら、ゾラとしてはどうしようもなくなる。

 

 いざという時は、大事な息子の忘れ形見を見捨てる決断を強いられるかもしれない。

 

「リーシャア!!」

 

 未だ爆音続くその最前線に、ゾラは急行し。

 

 その、姿を見た。

 

 

 

 

 

「今日は私の誕生日だってのに!! どうしてこうなるんだよぉ!!」

 

 

 白光が、少女を包み込む。

 

 

「普段は厳しい爺様が、年に一回だけ優しくなってくれる日だってのに!!」

 

 滾る魔力の奔流が、戦場を濁流の如く這いずり回る。

 

 呆然と尻もちをついている味方のその先頭に、幼い少女が黒髪を靡かせて君臨していた。

 

「せっかくこっそり持ってきてたケーキが台無しじゃないかぁぁ!! ばあああか!!!」

 

 怒りに任せ、少女は剣を振るう。

 

 同時に、尋常ではない魔力が粉塵となって、帝国軍を空高く舞い上げていく。

 

「私、早起きして作ったのに!! 爺様に褒めて欲しくて頑張ったのに!!!」

 

 呆然、とはこの事だ。

 

 ゾラは知らなかった。リーシャに貴族の嗜みとして、礼儀作法やダンスに加え、初歩的な魔術や剣術も習わせてはいた。

 

 リーシャのその、嗜み程度の魔術の筈が、

 

明け空に舞う疾風の舞踊(ウィンドカーニバル)!!」

 

 おそらく、イシュタール軍全員を見渡しても存在しない程の高みにいる事実を、ゾラは知らなかった。

 

「殺せっ!!」

「うるっさい!!」

 

 斬撃一閃。

 

 身体強化をベースとした彼女の基本に忠実な剣術は、おそらくこの国最高位の剣士と比べ遜色がない。

 

「爺様の、私の、邪魔をするなぁぁぁ!!!」

 

 そこに居たのは、幼くか弱い貴族の少女ではない。

 

 

 ────それは、英雄。100年に一度の、戦争の天才。

 

 神に愛され、ありとあらゆる才能を得た幼い軍神。

 

 幼い英雄リーシャは、軍の力を借りることなくたった1人で帝国軍を退け続けていた。

 

 

「……」

 

 

 その溢れる魔力は、ゾラが持たぬものだ。

 

 天性の体運びのセンス、剣筋の鋭さ、動体視力はゾラが及ばぬところだ。

 

「……おお」

 

 皮肉にも、軍人として将来を期待していた彼の血族は皆凡人だったが。

 

 蝶よ花よと育て上げた宝物の孫娘こそ、国の未来を背負って立つ天才だった。

 

 

 その戦は、ゾラがリーシャの下に駆けつけてきてからは一方的なものだった。リーシャの広範囲殲滅魔法により、この上なく容易に帝国兵を撃退したのだった。

 

 

 

 

 

「どうよ、爺様。ちょっとは私も役に立ったろ」

「……」

 

 その言葉を聞いたゾラは、渋い顔になった。それに賛同するのは、リーシャが戦場に立ったことを褒めてしまう意味だからだ。

 

 

 彼女を、血なまぐさい戦場に巻き込んでいいのか。小さな体躯に死臭を纏わせて良いのか。

 

 そんなはずはない。リーシャには、無垢な貴族の令嬢として生きていてもらった方が良い。

 

 

 ゾラは逡巡した。しかし、やはりリーシャに戦場に立ってほしくないという思いが強かった。

 

「お前は、戦場に立ってどうだった」

「……えっ? そりゃ、怖かった」

「そうだろう」

 

 ゾラは軍人である。

 

 私情と公益を天秤にかけることは出来ない。

 

「リーシャ、お前の才能は見せて貰った。剣術、魔法、どちらをとってもこの国で最高峰だろう」

「うぇっへっへ」

「……だが、女性であるお前が無理に戦場に立つ必要はない。なぁリーシャ、お前は戦場が怖いんだな?」

 

 これは冷静な判断だ。

 

 いかに才能に溢れていようと、戦場に無理やり立たせた兵士程使い物にならぬ存在はない。

 

 リーシャが嫌がるなら、彼女は貴族令嬢として生きて貰った方が有益だ。そう、考えた。

 

「怖かったけど、でも」

「……」

「爺様と一緒に居られて、嬉しかった」

 

 しかしそれが、リーシャの答えだった。

 

「爺様と一緒に。私も、戦ってみたい」

 

 国の未来を背負って立つ逸材が、自ら仕官を希望している。

 

 国益を優先する軍人として、ゾラはリーシャの仕官を拒むことは出来なかった。

 

「なら。戻ったらイシュタール様に、挨拶に向かうか」

「うん!!」

 

 孫娘は、ただ祖父とともに過ごしたかったから。

 

 彼等の戦争の先にあるだろうその太平の世に向けて、命を懸ける立場に足を踏み入れた。

 

「……」

 

 それが、次世代の大将軍『リーシャ』の誕生の瞬間である。3将の老将レグリスが退役した後、能力を鑑みて後釜には満場一致でリーシャが選ばれた程に、彼女は英雄だった。

 

 肉親で祖父たるゾラは、大勢の前で賞されるリーシャを見てどんな気持ちになっただろう。

 

 しかし、竹馬の友イシュタールより大将軍に任じられるリーシャは、満面の笑顔だった。

 

 

 

 

 間もなく、大きな戦争が始まる。

 

 いよいよ覇権国家たる帝国が、周囲に侵略の牙を向けて迫ってきている。

 

 これまで、イシュタールの領地を守り続けていた勇将達は皆老いてきた。

 

 これからは、次世代の英雄(リーシャ)達がゾラの代わりに戦わなければならない。

 

 せめて、命に変えても。彼女が英雄として完成するその瞬間まで、ゾラは戦い続けると誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やがて、領主は家督を譲った。

 

 イシュタールはイブリーフに、その立場を委ねた。

 

 新しい時代が始まる。新たなる世代が世に出る。

 

 きっと10年後まで、ゾラの力は持たないだろう。徐々に体の切れは悪くなり、頭の回転も鈍ってきていた。

 

 ゾラに残された仕事は、リーシャを一人前に育てることのみ。

 

 リーシャは、明らかに器が違う。自分と同じ、いや自分を遥かに超えるだろう英雄だ。

 

 やがて、この国はリーシャに背負われる日が来る。迫り来る圧倒的な帝国軍に、正面切って相対せる存在はやがてリーシャのみになる。

 

 自分がそうしてきたように、リーシャは国の屋台骨となれねばならぬ。

 

 願わくば彼女と肩を並べ、共に国を支える次世代の英雄が現れて欲しいのだが。

 

 きっと、それは────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「また、寝ております」

「またですか」

 

 そんな、老人の想いを知ってか知らずか。

 

 リーシャは今日も仕事をサボり、惰眠を貪っていた。

 

「俺が起こしにいかないと駄目なんですよね」

「リーシャ様、普通に下着姿だけど良いのでしょうか」

「本人の希望ですし、まぁ」

 

 戦争は、もうすぐそこに迫ってきている。

 

 敵の準備が整ったその瞬間に、その軍靴は領地を侵す。

 

「じゃ、お願いします」

「ええ」

 

 その、本当にギリギリのタイミングで。滑り込むように、陣営に加わった少女が居た。

 

 あらゆる偶然が絡み合って、奇跡のように召し上げられた文官が居た。

 

「じゃ、僕達は仕事を続けますか」

「……えぇ。今日も頼りにしていますよ」

 

 次世代の英雄リーシャの隣に配属されたその少女は、

 

「頑張りましょう、ポートさん」

「ええ」

 

 自らの運命の鎖を知らず、笑顔で呑気に筆を握っていた。

 

 

 ────それは、大きな大きな戦争の幕が開ける一月ほど前の、静かで平和な風景。



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裁判研修

「視察、ですか」

 

 この部所に来て、早10日。僕は書類仕事に徐々に慣れ、仕事のペースがほんのり上達してきた。

 

 そしてたまに、仕事がぐっと少ない日が来る。決済日や談合日以外の平日は、4人がかりで仕事をすればすぐに片付いてしまうのだ。

 

 そんな日は、早く帰れる────訳ではなく。

 

「やったこと無かったでしょう? これも大事な仕事なんです」

「はい、ご指導お願いいたします」

 

 書類仕事以外の仕事、つまり他の部所の視察や指導と言った役目を果たさなければならないのだ。

 

 こういう日は書類仕事をするチームと視察のチームに別れ、各自で仕事をする仕組みらしい。

 

「明日は仕事が少ないので、リーシャ様とガイゼルだけで十分回せるでしょう」

「任せてください!」

「おう、任せたぞガイゼル~。私はちょっと寝るけどな」

「リーシャ様、ちゃんと働いてくださいよ?」

 

 二人だけにするのはちょっと不安だが、リーシャも何だかんだ自分の分の仕事はするので、きっと大丈夫だろう。

 

 こうして僕はリーグレットさんに付き従い、初の視察業務を務める事になった。

 

「じゃあポートさん、明日は私服で来てくださいね。なるべく目立たない」

「……はい? 分かりました」

 

 だけど、私服で集合? どう言うことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ええ、よくお似合いですよポートさん」

「ど、どうも」

 

 翌日。あんまり私服を持っていない僕は、お洒落なリーゼから服を借りて待ち合わせの場所に向かった。

 

 僕の手持ちの服は野暮ったい農業服か、狩りの時のボーラを大量に巻くための服、それと質素な無地の上下くらいである。

 

 どれも農村だと目立たないが、都を歩くには質素すぎてよくない。普段の生活は、貰った文官のマントで誤魔化してたけど……。

 

 この機会に、今度何か服を買っても良いかもしれない。

 

「これから、僕達は何処へ行くんです?」

「……視察、と言ってもね。今日の俺達は、市民に紛れ裁判を傍聴するだけです」

「裁判を、傍聴ですか?」

「そう。不正な裁判を行っていないかどうか、抜き打ち視察」

 

 ああ、成る程。

 

「裁判官が買収されるってのは、非常に良くある話でしてね。時たま抜き打ちに裁判を傍聴して、不正を防ぐようにしてる訳です」

「明らかに買収されてそうであれば、調査に入るわけですね」

「その通り」

 

 そう言うのも僕達の仕事なのか。

 

 抜き打ちで視察されるなら、裁判官も普段から気が抜けない。割と良い制度かもしれない。だけど、

 

「わざわざ僕達で視察しなくても、こう言うのこそ他の人に任せては? 書類仕事以外にもこんな多岐に仕事をしていては、休めないでしょう」

「……いいえ、他人には任せられません。残念ながらこの国の法規を把握できていないと、この視察は務まらないんですよ」

「あ、そっか」

 

 書類仕事が出来て法律の知識まで持ってる人材は、そうはいないわな。

 

 そもそもまともな文官の絶対数が少ないから、リーグレットさんやリーシャに負担が集中しちゃうのか。

 

「ポートさんにも、是非覚えていただきたいと思います。折角なので、この国の法規を裁判の間に簡単に解説いたしますよ」

「それはっ……。凄く、凄く嬉しいです!」

 

 おお、それはありがたい。文官の仕事をする以上、そのこの国の法規に十分な理解が必要だと常々思っていた。

 

 今日は視察を兼ね、文官の最古参であるリーグレットさんから直々に個人レッスンを受けさせてもらえるらしい。

 

 なんと有り難い事だろう。

 

「最近、イヴ様がアレコレ弄ったんで今は割とややこしい事になってます。頑張ってください」

「ええ、よろしくお願いします」

 

 では、しっかり職外実習をさせて貰うとしよう。まさに良い機会だ。

 

 僕は新たな教養を身に着けられる機会に喜びつつ、リーグレットさんと共に裁判所へと足を運ぶのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの女が嘘をついているんだ!! 俺は、妻を裏切ったことなど一度もない!!」

「嘘!! いつか私の下に来てくれるって、ずっと愛を囁いてくれていたじゃない!!」

 

 ────裁判所は、それはそれは大賑わいだった。

 

 この国の訴訟は、基本的に大衆に公開された場で行われている。それは、裁判の公平性を保つためのシステムなんだそうだ。

 

 そして、娯楽の少ない貧困層の民衆にとって、他人の諍いというのは大層面白いらしい。裁判所には、常に野次馬気分で一定数の聴衆が沸くのだそうだ。

 

「静粛に。双方、自分の主張を裏付ける証拠を提出せよ」

「し、証拠なんてある筈がないでしょう! アイツが言いがかりをつけてきているだけなんですから、俺はアイツが嘘だと認めるまで否定し続けるしか手段がない!!」

「あの人の言葉を裏付ける証拠を出せなんて、私は一体どうすれば!? 私に言えるのは、彼がとってもひどい男だという事くらいです……」

 

 裁判官として睨みあう二人を見下ろすのは、中年の厳しい目をした男性だった。恰幅が良く、笑えば優しそうな顔をしているが……。

 

 今は全くの無表情で、二人の男女を『観察』していた。

 

「ふむ。では、男は女との情事は『なかった』と主張するのだな」

「はい!!」

「そして女は、『男と将来を共にする』と迫られたと」

「は、はい!」

「ならば、女に問う。本当に情事があったのであれば、場所はいずこで?」

「彼の部屋で……」

「ではこの場で、男の部屋の間取りを述べよ」

 

 裁判官は淡々と、二人の被告に質問を投げかけていく。

 

「……ベッドが、窓際に設置されていました。シーツカバーは、藍色です。ベッドのそばには古い蝋燭台が置いてあり、行為の時にはそれに火を灯していました」

「ふむ」

「あっ……。そうだ、彼の胸には双子のような黒子がありました。蝋燭に照らされて、それが見えたのを覚えています」

「ほう」

「ち、違う!! でたらめだ、アイツはこっそり覗き見したんだ!!」

「思い出しました。ベッドのシーツですけど、下の方が確か破れてしまっていたと思います。それを取り繕い、縫った跡があった。彼の部屋のシーツです」

「男の部屋の確認を急げ。後、男は体を改めさせてもらう」

「────ぐっ、本当に違う、それは偶然で!」

「部屋を覗き見しただけの女が、シーツの綻びを知るとは思えんが。まだ、罪を認めず裁判を続けるか?」

「……」

 

 あの恰幅の良い中年は、こう言った諍いに手慣れているのだろう。そして、納得のできる論拠で裁判を進めている。

 

 この裁判官は公明正大に、判決を下しているらしい。

 

「ひ、一晩だけだ! あいつに迫られて、つい」

「一晩であろうと、裏切りは裏切り。一度嘘をついたものが、どんな主張をしても信じられると思うべからず。判決を下す」

「待て、待ってくれ」

「男は、去勢とする。そして全財産の5割を妻に、5割を女に支払う事」

「……もうしない、二度としないから、どうか!」

「そして女。お前は、妻のいる男を惑わした罪で、この場で鞭打ち10回とする。そして、同じく全財産の5割をこの男の妻に支払う事。その後、この男をどう処分するかは男の妻と話し合って決めるといい」

「分かり、ました」

 

 こうして、判決が下された。成程、騙された側であろうと不倫は罰せられるのか。

 

 確かに、娯楽として覗きに来る聴衆が出てくるのも頷ける。これは、なかなか興味深い。

 

「これにて閉廷。次の案件を、準備せよ」

 

 その言葉を聞き、下っ端のような人がぞろぞろと書類を回収し。男と女は連行され、裁判所の表で刑が執行されるらしい。

 

 執行される刑罰を見たい聴衆は、物見遊山に連行された男女を追いかけ。次の案件が見たい聴衆が、新たに裁判所へと入ってくる。

 

 これが、裁判の一連の流れか。

 

「ポートさん、今の判決はまさに今までの判例通りの正当な裁判です。あの裁判官は硬派で有名なので、おそらく彼が仕切る限りは不当な裁判は行われないでしょう」

「そ、そうなんですか」

「情愛関係で不貞に有った場合、騙した側の全財産を没収し被害者に分けるのが通例です。もし一定額の財産を持たぬものが不貞を働いた場合は奴隷となり、その加害者の売値が慰謝料として支払われる」

「不貞には厳しいんですね」

「もっとも、貴族となると話はだいぶ変わってきます。貴族は不貞を働いた場合、被害者が女であれば、男側は被害者を娶ることが義務付けられます。しかし被害者が男であれば、不問とされます」

「不問、ですか?」

「例えば、不快なたとえで申し訳ありませんが、ポート様が複数の男性と関係を持ったとしても処罰されません。ですが……」

 

 そんな事をするつもりはないけど、優遇されてるんだな貴族女性って、どうしてだろう。

 

「基本的に令嬢がそんなことをすれば、間違いなく貴族の家から勘当されます。すると一文無しの市民という扱いになってしまうので、奴隷落ちもあり得ます」

「うわっ……」

「今までのケースでは、実家が令嬢に奴隷に落ちない程度の財産を与えて勘当という事例が多いようです。貴族の罰は貴族の家に任せるのが無難、というのが実情の様ですね」

 

 そっか、結局家に罰せられるからこその不問か。別に優遇されてるわけではないんだな。

 

「では、次の判例を始める!! 次の案件は市外にて、婦女に対し暴行を働いた二人組の男の裁判だ」

「おお、殺せ!!」

「ぶっ殺せ!!」

 

 そうこう雑談しているうちに、次の裁判が始まった。どうやら婦女暴行の凶悪犯の裁判らしい。

 

「あー、次は最後まで見ない方がいいかもしれません。婦女暴行は、状況次第ではこの場で処刑もあり得ますので」

「う……。そういうのは、あまり見たくないです」

「そうでしょう」

 

 処刑、か。前の戦いで人を殺した僕が言うのも何だけど、やはり人が死ぬところは見たくない。

 

 もう、あの冷たい感触を思い出したくない。怖いのではなく、ただ純粋に嫌なのだ。

 

「裁判の判決が出た後は、少し外しましょうか」

「そうですね」

 

 凶悪犯の処刑は仕方がないけれど、それでもやはり見るのは────

 

 

 

 

「被告人はブラッド、とラルフ。鍛冶師を営んでいる二人組の男だそうだ」

「ぶぅぅぅぅぅぅぅっ!!!!」

 

 

 

 名前を読み上げられて振り向くと、顔を真っ青にして被告人席に立っている1人は、とてもとてもよく見た顔の男であった。

 

 というか、僕の婚約者だった。何やってんのあのエロバカっ!!?

 

「ど、どうしましたポート様?」

「い、いやちょっと」

 

 やったのか。婦女暴行って、ついに凶悪犯になったのかラルフは。人が嫌がることはあんまりしないと思ってたのに、ついにやりやがったか。

 

 うむむ、どうしよう。

 

「な、何か難しい顔をされていますが。何かあるのですかポート様」

「いえ、なんでもありません。ただ、あの裁判官を買収するにはどうすればいいかと思いまして……」

「俺達の職務覚えてます!?」

 

 あまり権力に頼るのは良くないけど、ラルフを殺されてしまうわけにはいかない。と言うかあのバカ何やったんだ。

 

 多分誤解か事故なんだろうけど、それでもこの状況は非常にまずい。あのエロバカは致命的に空気が読めないのだ、変な事を言って疑われたらどうしようもなくなる。

 

「この二人の凶悪犯は、素材の採取の際に冒険者の女性2人に同行を依頼して。そして市外に出た後に、暴行を働いたのだという」

「誤解だ!! 神に誓って俺は何もしていない!!」

「それを判断するための裁判である。おのおの申し開きの時間は用意するから黙っていろ」

 

 まーた覗きとかやらかしてないだろうな。イヴも、覗きをしても庇わない的な事を言っていたし、こりゃあどうしたものか。

 

「まず、原告の訴えを聞こう」

「わ、私達が水浴びをしていたところにこの二人が飛び込んできたのよ!! それだけじゃなく、体中をまさぐられたわ!!」

「ふむ」

 

 や っ ぱ り 覗 き か。

 

「ふむ、次に被告の申し開きを聞こう」

「……誤解、だ」

「俺とブラッドは、女性陣が水浴びをしていた時に迫真の悲鳴が聞こえたから、誰かに襲われたのかと飛び入っただけだ!!」

「ふむ」

 

 なんで水浴びをしていた女性のすぐ傍に居たんだろうねラルフは。前科もあるし、これは庇いようがないかもしれん。

 

 性欲が暴走でもしたのか?

 

「水場で悲鳴と聞いたが、その悲鳴は何故上がったのだ?」

「そこのレズ女がリーゼ……、もう一人の女冒険者を襲ってたんだよ!!」

「人聞きの悪いことを言わないで!! 仲間同士のスキンシップじゃない、あんなの!!」

「……そ、そうか」

 

 ……。

 

「リーゼとやらは何処だ?」

「ここに居るわ!!」

「傍聴席か。なぜおまえは原告席に居ない?」

「私は全然あの二人に恨みも何もないからよ! リーダーがどうしても訴えたいと言うから、付き合ってるだけ」

「……因みにリーゼとやら。原告に水辺で襲われたというのは本当か?」

「そうね、あの時は貞操の危険を感じたわ!」

 

 ……。

 

「あー。被告2人、話を続けて」

「リーゼの悲鳴を聞いて飛び込んだ俺とブラッドさんは、目がイっちゃってるレズ女がリーゼに纏わりついてるのを見てだな」

「……放置もできず、引き剥がした」

 

 ラルフ、よくやった。そして、先入観で誤解してしまった、申し訳ない。

 

 これ、ラルフは全く悪くなさそうだな。僕が無理やり介入しなくても、無罪で済みそうだ。

 

「でもでも、その時私は全裸だったのよ!! 引き剥がすときに体中まさぐられたし!! りっぱな婦女暴行よ!!」

「お前がリーゼにやべぇことしたのが悪いんだろうが!! リーゼのあんなビビった声初めて聴いたぞ!!」

「キー!! ちょっとリーゼちゃんと幼馴染だからって、調子に乗って!! そんなに私に自慢したいのかしら!?」

「ちげーよこの変態!!」

 

 にしてもリーゼが所属したっていう冒険者パーティ、結構危険じゃないか。女ばかりと聞いて安心していたが、リーダーが同性愛者とは……。やはり、彼女一人で冒険者させるのは危険かもしれない。

 

 別の働き口を探してあげないと。

 

「というかそもそも、男どもは寝床の設営をしているはずの時間だったのよ! 何でリーゼちゃんの悲鳴が聞こえる場所に居たの!?」

「昔から、勘が鋭くてな。なんかヤな予感がしたから、様子を見に行ったんだ」

「女が水浴びしている場所に!? 覗きじゃない!!」

「悲鳴が上がったら聞こえる程度の位置に、だよ。俺達は別に覗いてなんか────」

「覗こうか、かなり逡巡はしてたわよね。水辺付近で凄くうろうろしてたし」

 

 リーゼが、半目で口を挟んだ。どうやら、邪な感情はゼロではなかったらしい。

 

「……別に逡巡してません」

「目が泳いでるわよ」

 

 ……。結局覗こうとはしてたんかい!!!

 

「そのお陰で、悲鳴上げた瞬間に助けに来てくれて助かったけど」

「や、や、や。やっぱり覗こうとしていたんじゃない!! このスケベども!! 変態!! エロ猿!! これだから男は汚らわしいのよ!!」

「う、う、うるせー!! 結局覗きはしてねーよ、少なくとも欲望に負けてリーゼ襲ったてめぇに言われたくねぇよ変態!!」

「とか言って私の体を視姦する気だったんでしょう!! あわよくば、私たち2人を美味しくいただこうとか考えていたんでしょう! あーやだやだ、男って本当にヤダ!!」

「考えてねぇよそんなこと!!」

「今までのラルフなら間違いなく覗いてたわね。成長したなぁって思ったわ」

 

 ……まぁ、今までのラルフなら100%覗いてたな。一応、覗いたら婚約破棄というあの約束は効いているらしい。

 

 僕からも後で褒めてあげよう。エロ猿の癖に我慢できてお利口さん、って。

 

「……話を纏める。被告2人は、原告レインに対し婦女暴行を働いたのではなく、あくまで取り押さえただけ」

「婦女暴行よ!!」

「その通りです」

「おそらく今回の事件の唯一の被害者である、取り押さえる際に男性に体を見られた冒険者リーゼは、被告2人に対し悪感情は抱いていない」

「ぶっちゃけ助かったわ」

「ならば、被告2人は無罪とする。冒険者リーゼが原告レインに対し被害を訴えるのであれば、後日裁判を行う」

「貞操の危機は感じたけど、レインの大体の捻くれ感情は把握してるから気にしないわ! 私のリーダーはアホってだけね」

「ふむ、ならば全員無罪とする。これにて、閉廷!!」

 

 ほっ。どうやら、無難に裁判は済んだ様だ。助けに入るまでもなく、全員無罪を勝ち取ってくれた。

 

 良かった良かった。

 

「無罪の様ですな」

「血を見ずに済んで良かったです」

「……随分とヤキモキされていましたが、お知り合いがいらっしゃったのですか?」

「えぇ、まぁ。友人、の様な感じです」

 

 婚約者が覗きを画策してたと知られると風聞が悪いので、少し誤魔化しておく。いつかは、堂々とラルフを紹介したいものだ。

 

「友人の裁判でしたか。それは心配でしたでしょう」

「……どうも」

「丸く収まったようで何より。今日は変な判決はされそうにありませんな、あの裁判官は過去の判例通りにしか判決を下さない事で有名です」

「初めての判例には融通が効かなそうですけど、その反面安心して見ていられますね」

「今日はこれ以上粘っても無駄足でしょう。帰って、書類仕事を手伝いませんか」

「そうですね」

 

 元々抜き打ち視察が目的だったし、仕方がないか。出来れば判例を見てもう少し勉強したかったけれど。

 

「では、次の判例は────」

 

 リーグレットさんと目配せして、僕達は立ち上がった。また、次の視察の時に色々と教わるとしよう。

 

 

「被告は、不貞を働いた奇術師、アセリオ!!」

「ぶっほぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 何でさ!!

 

「ポ、ポート様?」

「ごめんなさい。この判例だけ見せてください。後生なので」

「は、はぁ」

 

 不貞? 不貞って何!?

 

 アセリオは何に巻き込まれてこの場に居るの!?

 

 

「被告は、貴族屋敷に奇術を披露するべく招かれた。その夜に妻のいる男性と関係を迫った!」

「……」

「何か申し開きはあるか!!」

 

 見れば普段のステージ姿の魔女っ娘が、面倒臭そうな顔で引き立てられてきた。

 

 不貞、ってどう言うことだ。不貞は確か財産没収だっけ?

 

「……片腹痛い。そこのアホが、あたしに関係を迫ってきた。拒否したら裁判で追い詰めると、脅迫もしてきた」

「ふん! 私は貴族だ、何故貴様のような下等な市民に迫らねばならん! 大方貴様は、私の財産目当てに誘惑してきたのだろう!!」

 

 ……。いや、あのアセリオが男を誘惑するとは思えんが。

 

 多分、あの貴族がクロなんだろう。

 

「以前も、原告は似たような裁判を起こしているが」

「私の財産を欲して、不貞を迫る卑しい女が多いのだ! 私はそんな誘惑に乗ったりしないがな」

「……ふむ」

 

 その原告とやらの貴族は、どう見てもモテなさそうな不細工である。お前みたいなのに迫る女が多いはず無かろうに。

 

「……当然、あの女から迫ってきた証拠も用意している」

「そんな証拠が有るわけ無い……」

「以前の裁判でも有効な証拠とされた、私の家の使用人による証言と、ゲストの証言だ」

「ほう」

「ゲストに関しては、大貴族アウレウス家のご子息様であるリョートル様の証言だ。書面に家紋を刷って、わざわざ証言して下さっている」

「……」

 

 これは、結託されてるな。あの不細工はアセリオを嵌める為だけに色々と根回しをしたに違いない。

 

 大貴族の証言ともなれば裁判官も無視できないだろう。いくらアセリオと言えど、この状況はかなりヤバくないか!?

 

「……そんな筈は、ない」

「お前の負けだよ、売女ぁ! リョートル様の書状は、これ以上ない証拠と言えんか裁判官」

「確かに。以前も、それを決定的証拠として判例が下っている。今回も、証拠として疑いようがないだろう」

「……」

 

 しかも、過去の判例で有効な証拠と判断されちゃってるのか。

 

 どうしよう。このままだと最悪アセリオが奴隷に落とされてしまうかも。あのアセリオがこんな窮地に立つなんて考えてもいなかった。

 

 彼女は飄々としながらも、常に的確に空気を読み難題を簡単に達成し続けた出来る女だ。リーゼは心配だったけど、アセリオは何だかんだ上手くやると思い込んでいた。

 

 どうすればよい。どうすれば、彼女の力になれる?

 

「……ふん。本当に、その大貴族様が書面をしたためたの? デマカセじゃないの……?」

「本物だよ、残念だったな! 見ろ、この家紋を認めたアウレウス家の公文書────」

 

 そして、不細工貴族はニヤニヤしながら書面を広げ……。

 

「くるっぽ~」

 

 広げた書面が、鳩になってどこかへ飛んで行ってしまった。

 

「……」

「……証拠、隠滅」

 

 ……。

 

「書面が消えたぁ!? な、何が起こった!?」

「ほうら、やっぱり。何処にも証拠なんて無いだろう……。くくく……」

「奇術師ぃぃぃぃ!! 貴様だろう、貴様が何かやったのだろう!! ふざけるな、証拠を返せ!!」

 

 アセリオの奴、やりやがった!! 裁判の、この公の場でいつもの奴をやりやがった!!

 

「裁判官……。あのおっさん、有りもしない証拠をでっちあげている……。証拠偽造は重罪では……?」

「え、いや、ちょっと待て!! 本当に何処へやった、卑怯だぞ売女!!」

「おやおや? あたしは何もしてないが……? むふー」

 

 ニヤニヤといつもの得意げな笑みを浮かべ、貴族を煽るアセリオ。滅茶苦茶ヤバい状況の筈なのに、物凄く余裕があるなあの娘。

 

「裁判官!! こんなの無効だ、ズルだろう!! 証拠隠滅を図ったんだ、アイツを有罪にしてくれ!」

「何の証拠もなく、人に言いがかりをつけるエセ貴族……。有罪になるのは、あっちでは?」

「ま、待て。判決はしばし待て!! 今、証拠が鳩になって飛んで行った過去の事例を探している……」

「そんな事例が他にあってたまるか!!」

 

 ああ、ダメだ。あの裁判官、やっぱり土壇場に弱い。

 

 過去に判例がないような裁判では、テンパって正常な判決が下せそうにない。これが狙いか、アセリオ。

 

「……まぁまぁ、落ち着け不細工貴族。証拠が無くなってしまったアホなお前の為に、ちゃんと代わりのモノを用意している」

「あん? 何を言っている貴様」

「大貴族様の証言が欲しいんだろう? ……用意してやると、そう言った……」

 

 だが。いつも通りに自信満々なトリックスターは、不敵な笑みを浮かべると────

 

「おいでませ、大貴族様……」

 

 ぼふんと一際大きな煙を撒き散らし、裁判所の中央に人影を作り出した。

 

 アセリオはその眼に、確かな自信を浮かべ。

 

「……え、あ────」

「せっかくの家紋入り文書を失くしてしまったアホの為に、リョートル伯爵をお呼びしたぞ。感謝するがよい……くくく」

 

 鋭い眼光の大物貴族風の人物に、いつの間にかアセリオの手元に現れた『証拠の文書』とやらを手渡し、恭しくかしずいたのだった。

 

「────あ、あ……」

「裁判官、改めて名乗ろう。我が名は白鷺のアウレウスが嫡子、リョートルである」

 

 その、見るからに怖そうな壮年の男性は、不細工貴族をきつい目で睨みつけ。

 

「で、だ。そこの木っ端貴族よ。我はこんな証文など書いた記憶が無いのだが……、これはいかなる事情かな」

「え、あ、いや、その」

「我が家の、威を借りたか。貴様のような矮小な俗物が、誇り高き白鷺の家紋を使い情欲を貪ったか」

「ち、違うのですリョートル様、これは」

「何が違うか申して見よ下郎!!!!」

 

 底冷えがするほどの恐ろしい剣幕で、不細工貴族を一喝した。

 

「裁判官。この裁判の判例を、預からせてもらおう」

「は、はい!」

「この者は、我が逆鱗に触れた。然るべき場所で、然るべき処遇を、この国の王の目前で与えよう。あの者の身柄を拘束せよ」

「ま、待ってください。ほんの、ほんの出来心で!!」

「聞く耳もたん。誰に牙を剥いたか、その愚かさを体に刻み込んでやる」

 

 あ、あちゃぁ……。大貴族の家紋を偽造しちゃったのか、あのバカ貴族……。

 

「……最初からあたしは、釣り餌。お前の欲望で汚された娘の家族が、全財産をはたいて依頼してきた。お前に地獄を見せてくれと」

「おま、え……」

「……こういう裁判になれば、お前はきっと同じ手を使ってくると踏んでいた。因果応報、あたしはお前に報いを運んできただけ。悪く思うな……」

「お前、最初から────」

「お前の妻も含め、皆が喜んで協力してくれた……。お前を陥れるために、な」

「そんな、そんな馬鹿な!! なぜ、どうして!!」

「自分の胸に聞くが良い」

 

 情けなく泣きわめく貴族を、侮蔑の表情で見下ろして。アセリオはクールに、大貴族に一礼してマントを靡かせ裁判所を退場した。

 

「おおお……」

「うおおおおっ!!」

「アセリオ様、かっこいい!!!!」

「「アーセリオ!! アーセリオ!!」」

 

 聴衆の、大喝采を一身に浴びながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

「す、凄いものを見ちゃいましたなぁ。ポート様、ところでどうして黙りこくってるので?」

 

 ……。

 

「いえ。……アセリオはアセリオだなぁと、再認識させられただけでして」

「おおお。彼女も、お知合いですか。あんな胸のすく裁判は初めてです。今度、是非彼女と話をしてみたいですな」

「良ければ、ご紹介もしますよ……。あはは……」

 

 そうだな、アセリオだもんな。あの娘が窮地に陥るなんて、そうそうあり得ないよな。

 

 何で僕は一瞬でも心配してしまったんだろう。僕らの最高戦力(アセリオ)だって、常々知っていたじゃないか。

 

「……ポート様、なんか疲れてません?」

「あはは、そんなことは……」

 

 うん。絶対、今後アセリオだけは敵に回さないようにしよう。勝てるビジョンが全く浮かばない。



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開戦

「……それは、本当の事でしょうか」

「都からの早馬によれば、ほぼ間違いが無いかと」

 

 その日。とうとう、来るべき知らせが若き領主の下へ届いた。

 

「イヴ……」

「いえ、大丈夫ですお父様。いつか起こりうることだと、重々承知しておりましたから」

 

 それは直視したくなかった現実であり、いつかは対処せねばならなかった『宿題』。

 

 長きにわたる隣国との諍いの、その結末。

 

「────宣戦布告ですか」

 

 ついに、自分たちの平和は侵された。避けようのない戦火が今、自分の足元に及んだのだ。

 

「都に宣戦布告の報が届けられたのであれば、もう敵は……」

「偵察によると北より、10万以上と目算される敵が進軍を始めたそうです」

「……分かりました。かねてから準備していた通りに、速やかに領民に非常事態を宣告しなさい」

 

 イヴが進めている改革により、国力は今もなお成長し続けている。そのせいで、戦争は早まってしまった。

 

 以前は足元にも及ばなかった、首都の繁栄ぶり。だが今は、田舎であったはずのイヴの領都は、首都に負けず劣らずの商業発展を見せている。

 

「できれば、あと数年ほどの時間が欲しかったのですが」

 

 その影響で都との商業の流通も活発化し、イヴの領はまさに大きく跳ねようとしている最中だ。だからこその開戦なのだろうが。

 

「軍議を行います。直ちに、一等官位以上のものを招集しなさい」

「御意」

 

 ポートが、イヴの配下として加入してから10日目。

 

 その、まさに直後ともいえるタイミングで、戦争が始まった。

 

「あ、彼女は一等官位じゃありませんけど……。勿論、ポートさんも召集で」

「御意」

 

 それはこの土地に住まう民にとって、どういう意味を持ったのか。

 

 それは、きっと後世の歴史家がこう語るところとなるだろう。『まさしく運命の悪戯である』と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ポート、行くぞ」

 

 裁判所の視察から戻りいつもの部屋へ向かうと、何やらリーシャさんは鬼気迫った顔をしていた。多くを語らぬ彼女に連れられて、僕は領統府の軍議場へと拉致された。

 

 曰く、来るべき時がついに来たらしい。

 

「戦争ですか」

「その通りだ」

 

 僕の問いに彼女は首肯する。思った以上に開戦が早かった。この前、僕達の村を攻めてきたのは前兆だったのだろうか。

 

「……僕達はどうなるんでしょうか」

「どうもなりはせん、どうもさせん。その為に、私たちが居るんだ」

 

 一度人生をやり直してきた身ではあるが、僕の経験した前世に戦争なんてなかった。これからは、何が起こるか分からない未知の未来。

 

 前世であんなに憎んだイヴだったが、今世では村の仲間を守るため彼女に尽くす事になっている。運命の因果とは、かくも不思議なものなのか。

 

「一応、軍議でのお前の立場は私の副官な。発言権とかはないと思ってくれ」

「口を挟む気なんて最初からありませんよ」

「ああ、お前は戦争なんぞ全くわからんだろうしな」

 

 リーシャに手を引かれ、僕は軍議室へと入る。本来は呼ばれる立場にない新入りの僕がなぜ召集されたのかは分からないが、きっと無駄に僕を高く評価している彼女からの指名なのだろう。

 

 ……だが、この国が実際にどう動くのかを知ることが出来るのはありがたい。いざとなれば、大事な幼馴染たちだけでも逃がすことが出来るだろうし。

 

 

 

 扉を開けると、中はまだガランとしていた。僕達が一番乗りらしい。

 

「そりゃあ、軍の連中は訓練所から移動してきてるからな。領統府で仕事してる私たちが一番乗りで当然だ」

「そっか」

 

 リーシャはテキパキと、軍議室の机を並べ始めている。会場の設営は、早く来た僕達の仕事か。

 

 僕も彼女に倣って、僕でも持てそうな軽い椅子を運んで整えていく。

 

「う、見た目より重い……」

「あんまり無理すんな文官。私らは鍛えてるから軽々持てるけど、ポートはぶっちゃけモヤシっ娘だろ」

「し、失礼な。これでも農作業とかで結構鍛えてるつもりです」

「片手で机持ち上げられるようになってから言え」

 

 ……まぁ、確かにリーシャさんには勝てっこないけど。

 

 

 

 

「ゴメンゴメン、リーシャ嬢は口は悪いけど、君を気遣ってるだけなのよ。許してやって?」

 

 僕が椅子を持ち上げてプルプル震えていると、背後から野太い男の声が聞こえてきた。

 

「はい、俺が持って行ってアゲル。君はゆっくり休んでな」

 

 そしてひょいっと、軽々ぼくの持っていた椅子が持ち上がり。声のした方へ振り返ると、そこには壮年の男が笑みを浮かべて立っていた。

 

「ふーん。前から見ると、マジ可愛いね君! あれっしょ、新しく入って来た文官ちゃんって君っしょ?」

「え、あ、はい。どうも、初めまして、ポートと申します……」

「おうおう、初めまして~。俺はダートっていってな、見ての通り冴えないしょぼくれたオッサンだ。優しくしてくれよん」

 

 その男は鍛え上げられた肉体とは裏腹に、どこか子供っぽく愛嬌のある顔をした男性だった。髭が生えていなければ、きっと彼を同年代だと思ったかもしれない。

 

 捲られた腕に数多の傷跡があることから、彼は歴戦の戦士であると推測される。見た目はかなり若そうだが、きっと僕よりは年上だ。

 

「ポートちゃんだっけ? その垢抜けてない感じがいいねぇ、化粧とかはしない派?」

「……ひゃっ!?」

 

 そのまま自称しょぼくれたオッサンは、流れるように僕の肩に手を回し、自分に抱き寄せようとした。

 

 咄嗟に手を払い、睨め付けながら距離を取る。……何だこの人。

 

「おお、ゴメン。あんまり男慣れもしてないのね、把握把握」

「……その」

 

 男慣れも何も、いきなり肩に手を伸ばされたらビビるわ。

 

 というか、むしろ全人類で僕以上に男に慣れている女性なんか存在しないし。初心じゃないし。

 

「でもさぁ、これから戦争が始まっちゃうと兵士たち相手に仕事回さなきゃなんなくなるよ? もう少し男に耐性つけないと」

「お、お構いなく」

「大丈夫大丈夫、初めは誰だって不慣れなもんさ。そこで今日の軍議の後さ、ちょっと俺とご飯行かない? まずはしょぼくれたオッサンのオレでさ、少しづつ男性経験を積んでだな」

「いや、その、困ります」

「怖がらなくても良いよ、マジで。全然大したことない、楽しくおしゃべりするだけ────」

「私の部下から離れろ、この歩く肉棒がぁ!!!」

 

 いきなりの連続セクハラに対応できず困り果てていると、部屋の端から飛んできてくれたリーシャがその男を蹴り飛ばした。

 

 お、おお。助かった。

 

「何でお前がもうここにいるんだウジ虫、訓練所に行ってなかったのか」

「実は野暮用で近くに居てね。今日、休みだったのよ俺」

「良いか、お前はポートに触れるな。マジでぶっ殺すぞ」

 

 あの男日照りのリーシャが、珍しく本気で威嚇している。そんなにやばい人なのかこの人。

 

「ゴメンゴメン、そんなに怒るなんて……ひょっとして妬いてる? リーシャちゃんも今度一緒に……」

「殺すぞ」

「うーん、つれないねぇ」

 

 これ以上セクハラされないよう、僕は逃げるようにリーシャの背中に回っておく。うん、この人怖い。

 

 きっと、ろくでもない男だ。

 

「ポート、アイツを視線を合わせるな。いつ妊娠させられてもおかしくないぞ」

「……やっぱり、そういう人なんですか」

「女食い散らかしてるので有名なナンパ男。金を持っていて口が上手いから、そりゃあもう入れ食いって感じらしい。騙されるな、アイツ既に何十人も愛人囲ってるからな」

 

 う、うわぁ。あの手のタイプは旅人さんにもいたけど、あそこまで押しが強いのは初めてだ。大概は一度断ると深追いしてこなかったんだけど。

 

「人聞き悪いな、誰も騙してねぇよ? 全員に愛人だって納得させて、全員と愛を交わしている。俺は、女の子には嘘はつかねぇし」

「うるさい色情魔」

「てかさリーシャ、ポートちゃん口説いて何がいけないの? 俺は嫌だって言う女の子に手を出した事ねぇから。それに自分で言うのもなんだけど、俺ってかなり場慣れしてる方だよ? マジで、一度俺と食事に行ったらかなり男性経験積める」

「ええと、その」

「何なら前もって絶対やらしい事しないって宣言しておいても良いよ。証文書いて渡したげるから。ただ一度、魅力的な君と二人で食事に行ってみたいなって────」

「えっと、あの」

 

 ひぃ、押しが強い。はっきり言わないと、僕には婚約者がいるって────

 

 

 

 

「ふふふ。ダートさんはとっても頼りになる将軍ですよ」

 

 しかし。そんな僕の抵抗が表出されるまでもなく。

 

「ポートさん、そんなに彼を怖がる必要はありませんよ。ダートはとても忠実で、信頼のおける私の部下なのです」

 

 大層、底冷えする様な声で僕らに割って入ってきた人がいた。

 

「え、あ、はい。あれイヴっち様、ご機嫌麗しゅう……? なんか怒ってる?」

「怒ってませんよ、うふふ」

「え、あれ? 俺なんかやりましたっけ? どっかで地雷踏んでたっけ?」

 

 口ではその男をほめたたえながら、目が全く笑ってないイヴが、ゆるりとナンパ男の前に立った。

 

 イヴの感情って読みにくいんだけど、でも今の彼女からは分かりやすく鬼気迫る感じがする。

 

「女性の心を持つものとして、女性に優しいダートさんの性質は好ましいと思っていますよ。実際に、修羅場になっている様子もないですし」

「え、ええ。まぁ、恐縮っす」

「ただ、少しだけ。そこにいらっしゃるポートさんは、私の初恋の人です。フラれちゃいましたけどね」

「……あっ」

「そして、これはポートさんには内緒ですけど、まだ諦めてなかったりします」

 

 ……そう言いながらウフフとほほ笑む我らが主。聞こえてますが、イヴ様。

 

「ダートさんが女性に人気なのは存じておりますが、たまにはそういった火遊びを控えてみてはいかがでしょうか?」

「う、うっす。了解す」

「お利口で忠実な人は好きですよ、私」

 

 イヴの言葉で顔を真っ青にして頷くチャラ男。

 

 まだ、イヴに狙われてるのだろうか僕は?

 

 いや、イヴはあえてそう言うことにしてくれたのだろう。自分の主が狙っている人を、ナンパして愛人にする気にはなれまい。

 

 いわば、僕を守るための方便と言ったところだな。

 

「突然の召集に応じて貰ってありがとうございます、ポートさん」

「い、いえ。僕でよろしければ、何時でも」

「頼りにしていますよ。ああ、そろそろみんなが集まる時間です。各々、席について待っておきましょう」

 

 そしてイヴが来ると、軍議室の空気が変わった。明らかにピリピリとした、緊張感のある空気になった。

 

「我々の平和を守るために、話し合いを始めましょう」

 

 これが、王たる器の人物か。ナンパな男も息を飲んで真面目な顔になり、タジタジしている。

 

 ……今世のイヴは本当に頼りになるなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まぁ、既に各々噂は耳にしたでしょう。帝国が、ついに我が国の領土を侵したそうです」

 

 やがて、軍議は始まった。

 

 僕は、リーシャのすぐ後ろに席を用意された。

 

 軍義はイヴが中央に立って司会をする形だ。

 

 そしてゾラ老人とリーシャ、さっきのチャラい人の3人が内側のデカイ席に座って、その他の人はそれぞれの将軍の背後に連なる形で着席した。

 

 恐らくリーシャの列、ゾラさんの列、チャラ男の列にそれぞれ所属する副官が並んでいるのだろう。リーシャに連なる列には、僕の他にリーグレットさんの姿も見えている。

 

 つまり、あのダートと呼ばれたチャラ男はリーシャやゾラさんと並ぶ権力者。侯爵家3将軍の1人に相違ない。

 

「敵が侵略してきたのは、遥か北方。恐らく、私達の領土が脅かされるのはしばらく先の話になるでしょう」

「マジ助かる!」

「しかし。敵が破竹の勢いで進軍し首都が陥落すれば、私達の補給は断たれるも同然。近年目覚ましい発展を遂げているとは言え、私達はまだ片田舎の辺境貴族だということを理解せねばなりません」

「……」

「首都の陥落は、我々の敗北を意味します。なので北から攻めてくるという敵の戦略は決してありがたい事ではなく、むしろ我々が遠征する必要がある分嬉しくない方針ですね」

 

 イヴは大きな地図を広げながら戦況を説明し、同時に敵の進軍経路と予想される戦線に敵味方の陣の駒を並べて設置していく。

 

「一方で私達は、自らの領土を最優先に考えねばなりません。首都が陥落した場合は、無条件降伏も視野に入れる必要がある。その場合、首都へ援軍を送っていたら、無駄に犠牲者が増えて私達の立場が悪くなる可能性がある」

「イヴ様!? 首都を、この国を見捨てるおつもりですか!」

「それを話し合うのです。さて、意見を伺いましょう。ゾラ将軍、貴方はどうすべきと考えますか」

 

 ふむ、これは難しい問題だ。帝国がどれだけ強いかは分からないけれど、恐らく格上の勢力であることには違いない。

 

 どうせ負けるなら援軍を送らない方が被害は少ない、という話もあるのか。イヴらしく、消極的な考えだ。

 

「無条件降伏をしてしまえば、領民は一人残らず徴兵されて他国を攻める駒にされましょうな。そもそも、最初から降伏を視野にいれて戦うなど愚の骨頂」

「ええ」

「断固として、儂らも参戦すべきでしょう。この領を守れるだけの最低限の兵を残し、今すぐ首都へ急行すべきです」

 

 ゾラさんは、断固抗戦と。最初から負けるつもりなら戦うな、と言うのは正しい。

 

「次、ダート将軍。貴方の意見を聞かせてください」

「俺もゾラ様に賛成かな。闘うなら相手をボコすつもりで良いっしょ」

「そうですね」

「強いて言うなら……、俺達の経済規模もデカくなってきた訳で? 最低限の兵を残すだけにしちゃうのはちと怖いかなって。敵が嫌がらせ目的に略奪しまくるかもしれないし、裏の裏を掻いて実は南の俺らを突破することが本命って可能性もあるし」

「……ふむ、分かりました。では最後に、リーシャ将軍」

 

 セクハラ男の癖にダートは、案外慎重派なのか。相手が裏の裏をついてきた時の事まで考えている。

 

「敵の数と練度を見てから、判断で良いかなと。私は実戦経験皆無だからアレだけど、いざ首都に行ってみて敵が強すぎるって判断したら、即時撤退し即時降伏もアリだと思う。変に抗戦にこだわって、領民が死滅したら本末転倒だよ」

「む、リーシャ。貴様、言っとる意味が理解できるか」

「理解してる。相手がどれくらい強いか分かんないから、まずは敵の強さを知った上で改めて方針を練り直す。それの何が悪いんだ」

「帝国に侵略されたマロ神聖国は、その国民の殆どが奴隷扱いとなり奴等の為に武具や穀物を作らされていると聞く。降伏するとは、そう言うことだ」

「死ぬよりマシさ。……死んだら、何にもなくなるじゃ無いか」

 

 意見がゾラさんとリーシャで割れている。どちらも一理あるが……、リーシャはかなり消極論に聞こえるな。イヴはどう判断するのだろう。

 

 僕なら、どうする? ……分からない。徹底抗戦が吉か、即時降伏が吉か。こういう勘が大事になってくるのはのはラルフの得意分野だ。

 

「各々の意見は分かりました。リーシャの言い分も尤もですが、我々に敵を見定める余裕は無いと思われます。恐らく、様子見で一戦交えたりすれば一撃で我が陣は粉砕され、首都などあっさり陥落してしまう」

「……」

「あえて今見定めると言うなら幼児と大人の闘い、それくらい戦力差はあります。まともにやり合ったら勝てる相手ではないでしょう」

「じゃあ、どうするんだよ」

「子供らしく、駄々をこねてあげましょう。いくつもの国を相手取って忙しい大人に悪戯を仕掛け、思い切り面倒くさい思いをしてもらいましょう。もう、放っておいた方が良いと思わせる程度に」

 

 幼児と大人の闘い、か。国の情勢にはイヴの方が詳しいし、実際にそれくらい国力の差が有るんだろう。

 

 帝国が本気でかかれば、僕達に勝ち目はない。

 

「方針は、抗戦。私達が継戦困難となるまでは、降伏はいたしません」

「おお、それでよろしいですぞイヴ様」

「……了解」

「まず、首都が陥落したら非常にまずいのて援軍を送ります。ダート将軍、実戦経験豊富で体力のある貴方にこの役目をお願いしたい」

「あいあい、国軍主力部隊のお守りすれば良い訳ね? 俺だけ名指しって事は、残りは防衛部隊っすか」

「いえ、全員で出撃します」

 

 イヴの決めた方針は、抗戦だった。

 

 ついに、本格的な戦争が始まる。血で血を洗う、残酷な世界が広がってしまう。

 

「食い破りますよ。私達は────私はリーシャとゾラを従えて、南方から帝国に()()します」

「……ほう」

「首都戦線で敵を退けるより、南方から国境を食い破り奴等の補給線を叩く方が勝率が良い。どう思われますか」

「敵は絶対に備えているでしょうな。それだけは、防がねばなりません故」

「その備えを粉砕してこその勝利です。国力の凄まじい帝国と言えど、国境を突破されて後方の都市を襲撃されれば、資源的にも世論的にも無視は出来ない筈。きっと、首都戦線からかなりの部隊が撤退するでしょう」

「それは、かなりキツイと思うよイヴっち様……」

「……ええ、存じてます」

 

 ……。イヴってもしかして、物凄く過激派?

 

 わざわざ敵が攻めてきてくれるのに、地の利を捨てて逆に攻め込むってどうなんだろう。確かに、勝てるなら有効だけども。

 

 帝国兵って基本的に、僕らより強いのでは?

 

「我等との国境を競り合っている憎き敵。帝国の『南の大英雄』アーロンは、首都戦線に参加せず私達ににらみを利かせていると聞きます。今も、強固な砦と陣を作って侵略に備えているでしょう」

「あの筋肉ゴリラか。あの化け物の守る砦を突破するのは……、ちょっと難しくないか。アレ、いわば全盛期の爺様みたいなもんだろ」

 

 ……全盛期のゾラさんって、物凄い英雄じゃなかったっけ。

 

「アーロンはゾラの様に、手堅く堅実な布陣が得意で下手な奇策は通じない正統派の将軍。剣の腕も恐ろしく、戦術眼があり、部下からの人望も厚いと聞きます」

「奴は侵略より防衛戦に真価を発揮するタイプの名将ですな。アーロンは意表を突いて攻めるのは苦手だけど、意表を突かれず守るのには長けている」

「敵さんも、うちらの領土の地形が守りに適してるって知ってるっしょ? 基本的に南方の俺らの戦線は攻めた側が負けちゃう系。だからここの国境は数百年動かなかったわけだし」

 

 要は、僕らの国境はかなり手ごわい敵が守ってるんだな。やっぱり、まともにやり合ったら勝ち目はない。

 

「だけど、勝ち目の薄い戦いなのは北方戦線も一緒です。いや、むしろ北方の首都防衛軍との合同作戦はまず上手くいかないでしょう」

「……まぁ、そっすな」

「戦争の経験は全くないのに、首都の人たちはプライドだけは高いから……。きっと、お粗末な戦略を採択して大負けすると思われます。それまでに、敵の国力を削ぐ必要がある」

 

 イヴはそういうと、決意のこもった目で顔を上げた。

 

「はっきり言いましょう。私達は、私達だけで戦った方が強い。自尊心の強い中央の貴族たちと肩を並べても、見下されて良い様に利用されるだけになる」

「……ありえそう」

「ダートさんは、その辺の貴族さんとのやり取りが上手い方でしょう。貴方のコミュニケーションスキルは超人の域だと評価しています。中央でも頑張ってください」

「あ、俺が首都に飛ばされる採用理由はソコなんだ?」

「貴方にしかできないと考えています」

「イヴ様、すんげぇ無茶振りしてるの分かってます? いや、やれと言われたらやりますけど」

「お願いしますね、うふふ」

 

 チャラ男は顔を引きつらせてイヴに敬礼した。サラっとかなりの無茶振りだったな、今。

 

「リーシャとゾラは、出陣準備を。敵が首都戦線に到着するより早く、こちらが国境を突破しましょう」

「……了解しましたぞ」

「おそらく、私達の接敵は2週間ほど。首都戦線に敵が到着するまで数か月はかかる筈なので、上手くやれば敵が戦線に到着する前に蜻蛉帰りさせることも可能でしょう。各自、奮戦を期待します」

 

 ……。こうして、僕達の方針は決定した。

 

 イヴの決定した苛烈な二方面作戦。それが吉と出るか凶と出るかは、数か月後になるまで分からない。

 

 今の僕に出来ることは、少しでも彼女の役に立てるよう立ち振る舞うことだけだ。

 

「あ、それと通知があります。敢えて、この場で一等官位を持たぬ文官ポートを呼び出していますが……、この場で彼女に1等官位を与え、領統府長の代行に命じます」

「……へ?」

「リーグレット、今回は貴方を兵糧官に任命します。リーシャ、リーグレットの二人が居なくとも内政は発展させ続けねばなりません。それが出来る器があるのは、現状はあの『農富論』の著者で経済の有識者ポートさん以外におりません」

「あ、いえ、それは過大評価で────」

「最初から貴女に用意するつもりだった役職ですわ。下働きがいいと仰ったのであなたの希望に沿うておりましたが、ごめんなさい。情勢がそれを許してくれなくなりました」

「……」

「大量の軍費が飛びます。食料が買い占められ、物価も高まります。そんな悪条件の中、貴女の手腕でこの国の内政を守ってください。お願いしますね、私の先生」

 

 あ、あうう。そんな期待されても困るんだけど……。

 

「わ、分かりました。微力ながら、粉骨砕身します」

「お願いします」

 

 僕は、指名されたからには全力で取り組むだけだ。上手くいかなかったとしても、それはイヴが人を見る目が無いのが悪い。

 

 ……そう思っとかないと重圧で吐きそうだ。

 

「では、軍議を終えます」

 

 その、領主様の言葉と共に軍議上に居た全員が一斉に立ち上がった。

 

「皆、覚悟は良いですね。民の為の勝利を、愛する者の為の奮戦を、平和のための犠牲を! 私達はここに覚悟して、前に進むことを宣言します!!」

「おおおっ!!」

「明日までに、出陣準備を!! 出発は、明後日の明朝です! それまで、やり残すことなく準備しなさい。遺書を書くのを決して忘れぬように!!」

 

 皆が皆、戦意に溢れた顔で咆哮する。

 

「かつてない過酷な戦争になります。その命をこの私、フォン・イブリーフに捧げなさい!!」

 

 僕が領都に来て、11日目。

 

 ……その日。本物の戦争が、ついに始まろうとしていた。



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労働、過労、意識朦朧

 リーシャがその辺に投げ捨てていた、四角の文官帽子。それは本来、領統府の最高権力者が身に付けるべきモノ。

 

 今、そのとても重たい帽子は僕の頭に乗っている。

 

「後ろは、頼みます。……私達は絶対に、この地まで敵を寄せ付けません」

「信じておりますとも。御武運をお祈りします、イヴ様」

 

 イヴ自ら僕の頭に乗っけたその権力者の証は、もう僕がただの『辺境貴族』では居られなくなった事を意味する。

 

「────イヴ、気を付けて」

「ポートさんこそ、過労で倒れないでくださいね」

 

 思いもよらずスピード出世となった僕。文官である僕は戦争に参加せず、後方支援に徹する形となる。

 

 僕は領統府を通じて領の内政を取り仕切り、イヴに後方の憂いなく進撃してもらうのが仕事だ。

 

「また、会いましょう。私の愛しい人」

「……あはは」

 

 イヴはお茶目にウインクして、笑顔で僕と別れた。そして甲冑を着込んだ彼女は、険しい顔で軍衆の頂きへと向かっていく。

 

 彼女は決して武勇に優れた人間ではない。前領主イシュタール様の手助けは有るだろうが、それでも大将軍としての指揮は初陣だ。

 

 きっと彼女には、僕以上の重圧が乗っている。

 

「ポート様。……俺達は早く仕事に取りかかりましょう、それがイヴ様の為です」

「……そうですね」

 

 イヴとの別れを済ませた後、同じく居残りの文官であるガイゼルさんと共に、僕は仕事場へと向かった。

 

 ……僕が、この領の内政の最高権力者だ。僕が動かなければ、何も始まらない。

 

 こうして、いつもより苛烈だろう戦時中の日々がついに始まった────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何これ」

「書類です」

 

 ……。

 

「一週間分くらいあるね」

「半日分です」

 

 ……。

 

「これ、何の書類?」

「戦時中は課税法が変わったり、徴用が可能となったりと、様々な特例事項が規定されてたりします。それらの関連の書類です」

「そっかぁ、戦争って大変なんですね」

「大変なんですよ」

「「はっはっは……」」

 

 目の前に積まれた、僕の背丈の倍はある書類の数々。

 

 この間の、経務の横領事件が可愛く思えるほどの莫大な書類の数だ。

 

「……二人で、これを?」

「これが戦争って奴ですよ……」

 

 成る程。戦争は人を殺す、当然の話だな。

 

 そりゃ文官だって殺されるだろう。

 

「取り敢えず、やりますか」

 

 さて、何日徹夜する羽目になるのかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「馬鹿!! 何でこんな時に公費の貸付申請が来てるのさ!」

「戦争が始まるから収入が減って、資金難になるかもって話です。この付近の貴族から山のように貸付申請が────」

「その書類は全部却下! そんなところに回せるお金はない!! その手の書類は全部却下で突っ返して!」

 

 ……。

 

「子爵の方が乗り込んできておられます! 何やら内密と話が有るとかで!」

「こんな時に何!?」

「袖の下を渡すから、公費回してくれと」

「逮捕!! で、財産没収!!」

 

 ……。

 

「盗賊団がどさくさに紛れて村を襲撃してきそうです! もう出撃できる部隊がありません!!」

「冒険者に依頼! 信用できるパーティ集めて、現場に急行させて!!」

 

 …………。

 

「大変です!! 街に『大魔王の復活』を予言する魔術師が現れました! 何とその者は予言を残した後、雷に打たれ煙のように消え去ったとのことです」

「それ多分僕の知り合い! アホだから放置でいいよ!!」

 

 ……これは、何というか。

 

「この馬鹿みたいな量の書類は?」

「戦時課税の免除申請です。貴族直轄の店は、戦時中であろうと追加課税出来ません!」

「はぁあ!? 金持ってる貴族こそ追加徴税の対象でしょ!」

「昔からの慣習となっているそうで、ここを下手に弄ると猛反発が予想されますが────」

「ああもう! 何か代案考えるからその書類は保留!」

 

 ……忙しいというレベルではない! 濁流の如く問題が押し寄せてきて、殆ど脊髄反射の領域で解決していかないと間に合わない!!

 

「書類の追加です!」

「ちっくしょう!!」

 

 やっと1束の書類が終わったと思えば、追加で10束づつ積まれていく。無限に書類が増え続け、埒が明かない。

 

 ……どうする? これ普通に僕のキャパシティ超えてないか?

 

 誰かに泣きつく? いったい誰に?

 

 ……この領にはまともな文官なんて、殆んど居ない。誰にも、泣きつけない!

 

 こうなったら……。

 

「……これは方針変えてこうする! だから、この書類は全部破棄!」

「は、え、ちょ!? そんな事したら大混乱に……」

「全権は僕に任されている! 新方針の下で書類を出しなおさせてくれ、それで時間は稼げる!」

 

 今までの悪習は全部正してやる! そして、書類を出し直させることで他の仕事をする時間を稼ぐ!

 

 やってやる、戦争のドサクサで大改革だ!

 

「その新方針なら、こんな問題が────」

「うん、だから新しくこうして────」

 

 貴族特権は平時のみとし、戦時は我慢してもらう。経済改革として税務関連も大きく弄る、そして市場も活性化させる!

 

 ……逆に仕事の総量は増えてる気がするけど、気にしない!

 

「西部の集落付近で、黒狼が大繁殖していたそうです! すぐに討伐しないと、大変なことに!」

「……冒険者に依頼してみて、戦力が足りなそうなら警ら部隊から割り振って!」

「中央から派遣されてきた貴族が激怒しているようです! 貴族特権を復活させないとこの領への制裁を行うと!!」

「それは無理! 文句があるならこの場所に来いと伝えて!」

「魔女服や蝶の仮面に黒いマントという、謎の衣装を着込んだ集団が街に出現しました! その連中は『特務機関ASRO』を名乗り、怪しげな魔術で民の心を惑わしているそうです」

「そのアホの話題は無視で良いよもう!」

 

 徒党を組んで何やってんだよあの魔女は!!

 

 ……時間の感覚がない。ガイゼルさんも僕も、正直いっぱいいっぱいだ。何かミスをしたとしても気づける自信がない。

 

 この仕事量は不味い。何処かで緩衝しないと、マジで僕もガイゼルさんも死ぬ。

 

 多分もう、何回か夜は越えている気がする。なのに、寝ようと考える暇すら無い!

 

「下町で泥棒が多発しているようです……! 警ら部隊が黒狼討伐で抜けた穴をついて!」

「……見回りを強化、人手不足は承知してるから非常勤で誰か雇って! それと民に自警団を組織するよう触れを出して!」

「新手の窃盗団が領土内に侵入してきたそうです!」

「先に盗賊討伐してた冒険者パーティーに、もっかい依頼! 報償金は弾むと言っといて!」

「大変です!」

「今度は何!?」

 

 目と手は書類を処理し、頭と口は投げかけられる問題に対応し。これぞ人間の限界という働き方をしている気がする。

 

 文官は命の危険がない安全な仕事だって? こんなの、書類と仕事による殺人だよ!

 

「……例の中央の貴族が、私兵を以て挙兵しました! この領統府を攻撃目標にしているそうです!」

「はぁぁあ!!?」

「曰く、安全で平和で豊かな暮らしを保証できない今の政府が信用できない、自分に政権を寄越せとの事!」

「このタイミングで挙兵!? 単なるクーデターじゃないかそれ!!」

「後半日ほどで到着します!」

 

 文官も、本物の命の危険もあるじゃないか!! 政権寄越せって、貴方が政治任せるに足る器なら喜んで譲ってやるよ!!

 

 もうやだ、内政官やだ、もうやめたい!

 

「えっと、こっちの戦力は?」

「……僅かな警ら部隊のみです」

 

 ……。イヴは僕にどうしろと言うんだ。

 

「大変です! 先に報告しました侵入してきた窃盗団ですが、ここらを騒がしているかなり凶悪な一団だそうで! おそらく、向かった冒険者のみでは敵わないかと」

「下町の泥棒被害が減りません! 新たに警ら部隊を増員していますが、自警団は誰も怖がってやりたがらないそうで!」

「このドサクサで、また領統府内で横領が発生しました! 下手人は逃げ出して────」

 

 ……無理だ。こんな仕事、僕には向いていない。

 

 もっと僕は牧歌的な田舎で、沢山の面白い本を読みながら、平和に暮らしたいんだ。

 

 安請け合いするんじゃなかった。イヴの誘いに乗るんじゃなかった。

 

「続報です!」

「……どうぞ」

 

 殺せ。殺すなら殺せー……。

 

「特務機関ASROを名乗る謎の集団が、挙兵した貴族を一網打尽にしたそうです!」

「ぶぅぅぅっ!!!」

 

 本当に何やってんのアセリオ!?

 

「その連中は貴族を成敗した後、それぞれ『別に名乗るほどのものじゃありません』『我ら特務機関ASRO!』『遥かなる運命の狭間でまた会おう!』『女の子同士の恋愛は純愛なのよ!!』などと各自意味不明な供述を行い、煙のごとく消え去ったそうです」

「仲間が……、アセリオに変な仲間が出来てる……」

「挙兵した貴族は取り押さえられたので、この問題は解決と」

「……貴族はクーデターの罪で投獄、あとその集団に金一封送っといて」

 

 アセリオの奇行はいつもの事だけど、本当に予想外な場面で強いよなぁあの娘。行動が全く読めない。

 

 と言うか、マジで助かった。

 

「先に報告しました謎の集団ASROが、下町で自警団の真似事を始めました! 彼らの手によって盗賊が何名か捕縛されています!」

「また感謝状と金一封! 本当に良いことしかしないなその集団!」

「別の貴族が面会を求めています! 何やら、逮捕された中央貴族の釈放を求めるとかで!」

「そんな人と会ってる時間無いよ! 裁判官が買収されないよう、あの貴族は公平で真面目な裁判官に裁いてもらって!」

「今度は、首都からの使者がいらしています! 何やら、首都は資金難なので融資を求めたいとかで」

「ううっ……、そんな余裕ないけどそれは無視できない。僕が対応する!」

 

 予想外の支援が貰えて、少しやる気が回復してきた。そうだ、僕は一人じゃない。

 

 本当に困った時は、何時でも助けてくれる頼もしい幼馴染たちが居る。こんなに心強い味方がいるだろうか。

 

「使者の方は一応引き下がってくれたよ! 丁重にお見送りして!」

「はい!」

「ポート様、黒狼討伐部隊が帰還しました! 幸いにも被害はほとんどなかったようです!」

「よし、手伝ってくれた冒険者さんには報奨金に色付けてあげて! 盗賊団の方は!? やばそうならそっち救援に向かって!」

「大丈夫です! なんとその盗賊団も、冒険者の一人が英雄的活躍を見せて壊滅に追い込んだそうです!」

「お、おお! ならそっちも解決、と────。いや、その英雄的な活躍した人を呼び出してくれないか」

 

 良かった、問題がどんどん良い方向に片付いていってる。少しずつ心に余裕が出来てくるのが分かる。

 

「分かりました、どういうご用件で?」

「もし登用に足る人材なら、その人を隊長待遇で迎え入れるよ。先に撃退した貴族の私兵団がまだ残ってるから、その私兵団の長に任命する。そして予備戦力として活用しよう」

 

 ついでに、役に立ちそうな冒険者は唾をつけておこう。有能な人間は何人いても困らない。

 

 ましてや、イヴ達が全軍出撃してる今の状況で、本物の英雄を迎え入れればまさに千人力。多分、誇張は入ってるんだろうけど。

 

「呼びました、まもなく下の面会室にいらっしゃいます」

 

 さて、どんな人が出てくるかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何で、君が」

「……こっちの台詞だ」

 

 面会室に居たのは、とても見覚えのある男だった。

 

 というか、僕の婚約者(ラルフ)だった。

 

「俺、とんでもなく冷徹で恐ろしいこの領の最高権力者が会いに来るって聞いてたんだけど。なんでお前が?」

「お、おい控えろ冒険者!! このお方はポート様と言ってだな。規則を破った者への厳罰を与え、しかも一切の賄賂に応じない、まさに法を体現したようなお人だ」

「ポート様は見た目は可愛らしいが、中身は修羅の如きだ。この人が一声かければ、お前の首なんか簡単に消し飛ぶぞ!」

 

 おい何だそれ。

 

 ……僕はこの領統府で、どういう扱いを受けてるんだ。そんなに怖がられるようなことしたっけ?

 

 最近は機嫌悪くて、ちょっと塩対応になっちゃったことがあったけど。ドサクサで横領した馬鹿を叱る時とか。

 

「で、俺に何の用なの?」

「いやなんか君が英雄的活躍をしたと聞いて、雇ってやろうかと。あれ、ラルフって鍛冶師でしょ? なんで冒険者やってんの?」

「リーゼが城の外に出る時は、冒険者として着いて行くようにしててな。アイツ危なっかしいから……」

「それで、盗賊退治について行ったのか!? なんて危険な!」

「俺らしか依頼を受けれる冒険者が居なかったんだよ。で、誰かが困ってるなら見捨てる訳にもいかず、な」

 

 気まずそうに目を逸らし、ポリポリ頬を掻くラルフ。

 

 うーむ、安易に冒険者に依頼するとこういうことになるのか。大事な幼馴染を死地に向かわせていただなんて、これは猛省せねば。

 

「あの命知らず、ポート様にタメ口聞いてるぞ」

「オイオイオイ、死んだわアイツ」

 

 あと、後ろの二人は後で制裁しよう。僕を何だと思ってるんだ。

 

「てか色々聞きたいのはこっちなんだが。とてもおっかねぇこの領の最高権力者が来るって聞いて、イヴが来るのかと思って身構えてたんだけど」

「今は代行で、僕が内政のトップになってるんだ。君を呼び出したのも、僕だよ」

「……出世したなぁ。それで、一週間以上も帰ってこなかったのか。戦争始まって忙しいんだろうなとは思ってたけど」

「え、もう1週間も経ってるの?」

「日付すら怪しいレベルで働いてんのか……。ご愁傷様」

 

 同情するならラルフも手伝え。

 

「君も、英雄的な活躍ってなにしたの?」

「勘で適当にアレコレ指示出したら、見事に敵の裏をかいて奇襲出来てだな。あと、なんか妙に剣が冴えて敵の親玉討ち取った」

「……本当に英雄的な事してるし」

 

 これは、どうしよう。ラルフを危険にさらすのは嫌だけど……、さっきみたいに貴族がクーデター起こした時に誰も動けなかったらおしまいだし。結局、絶対に僕を助けるよう動くアセリオに負担かけるだけになりそう。

 

「うーん、君の勘が凄まじいのは僕も知っている。ごめん、短期で良いから部隊長やってくれない? 君は指示出すだけで良いからさ」

「いいぞ、お前の頼みなら」

「ごめんね、君を危険にさらすような真似をして」

「良いってことよ。気にすんな」

 

 よし、とりあえず予備戦力ゲット。ラルフはいざというときに本当に頼りになるから、きっと僕を助けてくれる。

 

「あ、そーだ。リーゼを俺の副官につけていいか? アイツ冒険者のままにして放っておくの怖いし」

「うん、それでお願い。君の扱いは、僕直轄の特殊部隊ね。僕以外の指示に従う必要はないから」

「そもそもお前以外の頼みなら断ってるしな。それで良いぞ」

 

 こうして、頼りになる僕らのガキ大将が、僕らの仲間に加わった。

 

 これで、ラルフや謎の集団によって城内の治安が落ち着いてくれたので、ようやく改革に乗り出せる。

 

 皮肉なことに前世では最期まで躊躇ってしまった『仲間を頼る』事で、僕は前世の怨敵(イブリーフ)に任された内政の維持という職務をなんとかこなしていくのだった。

 



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伏兵

「さて、どうしますポート様」

「ど、どうしましょうガイゼルさん……」

 

 イヴが出発し、1月ほどの期間が過ぎた。

 

 入ってきている北の戦線の状況は、あまり芳しくない。既に、僕らの国境線に築かれた砦は攻略されたそうだ。そして帝国軍は、そのまま順調に首都までの都市を占領していると聞く。

 

 首都では最終決戦に向け、着々と強固な要塞を建築しているらしいが……。戦況を聞いている限り、僕らと帝国軍では力に差がありすぎて勝負にならなそうである。

 

 装備の違い、練度の違い、将の違い。どれ一つとっても、帝国に勝っているところはない。

 

 聞けば帝国には10数人も『英雄』と呼ばれる人間がいるそうだ。北部戦線ではその英雄の中でも怪物と名高い『軍聖ミアン』を始め、『業火剣アリエ』『魔惑のフレザリド』など錚々たる面子が足並みをそろえて侵略してきている。

 

 特に、軍聖と呼ばれるミアンと言う男。このミアンが指揮した戦いにおいて、帝国は1度も敗北したことが無いらしい。軍略の申し子と呼ばれている傑物だそうだ。

 

「困ったですね」

「いや、これヤバいですって」

 

 帝国で『英雄』の称号は、たった一人でも戦争の勝敗を分けることが出来る人物に与えられるらしい。業火剣アリエはたった一人で100人以上の賊を火の剣で焼き払った化け物らしいし、魔惑のフレザリドも幻覚で敵を死地に誘導し千人単位の被害を出した悪辣な将だという。

 

 一方で、僕らの国の首都にそんな傑物は居ない。ゾラさんの話では、前の戦いでラルフに討ち取られたアマンダですら首都で大将軍になれるという。

 

 帝国にとっては使い捨ての尖兵でも、僕らの国では最強扱い。どれだけ国力に差があるのかと考えれば、絶望的ですらある。

 

「……うん。ごめんなさいガイゼルさん、ちょっとイヴに相談に行ってこなくちゃ。しばらく一人で仕事してて貰っていいですか?」

「ははははは、ポート様。隣の部屋いっぱいに書類積まれてるの知ってます? 俺に死ねって言うならはっきりそう言ってくださいよ、そんな遠回しな殺人予告をされても困ります」

「いや、これからはガイゼルさんも適宜休んでください。緊急性の高い奴はもう片付いたので、適度に休憩しながら書類を片付けても大丈夫です。後は1年以内にやればいいようなものばっかりの筈です」

「……そうなんすか?」

「ええ、ひと段落したからこそ僕もイヴのところに行く訳で。もしまた取り急ぎの案件があれば、お任せすることになっちゃいますが」

「まじっすか。俺、もう寝ていいんですか……」

「ええ、ええ。僕らは乗り切ったんですよ。後は、無限に積みあがっていく書類をコツコツ年度末までに片づけていくだけです」

 

 ────だけど、そんな遥か北の戦線の話なんかどうでも良い!

 

 戦争をするのはイヴであって僕ではない。僕はただ、目の前に山盛り積まれた業務と格闘し続ける事だけが仕事である。

 

 劣勢だという戦争についてはきっと、イヴが上手いことやるだろう。僕は、内政の話だけに集中すれば良いんだ。

 

 ……それで、良かったんだけど。

 

「確かに相談は要りますね。このまま改革進め切ると、領の貯蓄が消し飛びます」

「長期的に見たら元は取れるけど……そろそろブレーキかけてもいい気がしてきましたね。戦争中に貯蓄使い切って経済発展しても、補給難で負けて領内を踏み荒らされたら元も子もない」

「ちょっとやりすぎましたかね……。徹夜でハイになりすぎて」

 

 僕は、ちょっと調子に乗りすぎたらしい。改革に改革を重ねた結果、ちょっと支出がエラいことになってしまったのだ。

 

 具体的には、10年近くかけてイヴやイシュタール様がコツコツ蓄えてきた領の貯蓄が、この1か月で半分は消し飛んでしまった。

 

 この勢いで改革を続けてしまうと、資金難で戦争継続が困難になる可能性がある。

 

「イヴに、戦争期間の見積もりを聞いてきます。それを聞いてから、いくらほど残しておくべきか考えましょう」

「そうですね。良いんじゃないでしょうか」

 

 領庫の半分を溶かしておいて今更相談は若干遅い気がするけど、実際相談に行くだけの余裕がなかったから仕方がない。

 

 うん、僕は悪くない。僕をこんな役職に任命したイヴが悪いんだ。

 

「……じゃあ、僕は準備していってきます。ついでに、第1陣の補給物資も届けてきます」

「了解。ご武運を」

「では、また」

 

 ……さて。後は戦線への道中で、イヴに対する言い訳を用意しておくのみである。

 

 流石に怒られるかなぁ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新たなる領主イヴの初陣。

 

 それは、持てる戦力全てを吐き出したまさに総力戦と言えるモノだった。

 

「お父様、あれを」

「ついに。見えてしまったのう」

 

 侯爵家3将軍うち2名、リーシャとゾラの2枚看板を両翼に控え。前領主イシュタールの助けを借りながら、イヴは帝国国境へと侵攻していた。

 

「敵です。奴等は山の間の谷道に柵を備え、見るからに強固な陣を築いて我々を待ち構えている様子です!」

「お手本通りの布陣じゃな。堅実なアーロンらしい」

 

 接敵したのは、まさに国境。谷間の通路を塞ぐように布陣し、敵はイヴを待ち構えていた。

 

「じゃが、陣の位置が少しおかしいのう。もう少し奥に設置した方が儂らから分かり辛く、より強固じゃろうに」

「……もしかして、罠でしょうか?」

「それもあるのう。あの陣は釣りで、両脇の山に兵を伏せておる可能性もある」

「何れにせよ、真っ正面からあの陣に挑むのは愚策ですね」

 

 その敵の布陣を見て、イシュタールとイヴは考え込む。正攻法の防御布陣にも見えるが、罠である可能性も否めない。

 

 今回の敵は普段相手取っている賊ではなく、正統派の英雄だ。流石というべきか、実に嫌らしい陣取りである。

 

「……山を、駆け上がるのはどうでしょう。敵が伏兵を用意していたなら、それを粉砕すれば良い。敵が居なかったのであれば、そのまま山を下ってあの陣を突き崩しましょう。坂道での戦闘は、高所の方が有利です」

「或いはその山で待ち構えておるやもしれん、敵影がないか斥候を飛ばせ」

「分かりました」

 

 イヴの指揮官としての長所は、思い切りの良い指揮と予想される危険のケア能力である。

 

 それは彼女が幼少時よりイシュタール前領主の軍勢に参加し、身に着けてきた技術。先達に学んだ彼女の努力の成果である。

 

 慎重でいて大胆に。豪快でいて繊細に。

 

 その2面を両立した指揮を身に着けたイヴは、このまま経験を積めば知勇兼備の偉大な領主として君臨していただろう。

 

「斥候からの報告です。やはり山上には、敵の陣が構築されていました。奇襲部隊の様です」

「成程、斥候を飛ばして正解でした。ではこちらから逆に奇襲をかけて山の陣を奪い、そして見下ろす形で谷間の敵陣に矢の雨を降らせましょう」

 

 だがしかし、今のイヴが本物の『英雄』と相対せるかと言えば、疑問である。

 

 聡明で才能あふれる彼女であるが、大将としての指揮は初陣。いざとなれば背後のイシュタールが指揮を飛ばせえるとはいえ、彼女はまだまだ未熟だった。

 

 いや、そもそもの話。

 

 今回の戦いは相手が悪すぎた、この一言に尽きるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「軍聖からの早文だ?」

「はい。ミアン様より、アーロン将軍へ密書が届いています」

 

 その男は、帝国の常勝を支え続けた戦の申し子。ミアンというまだ10代の男は、既に帝国の中枢となっていた。

 

「俺にしか開けられないように、魔法までかけやがって。随分厳重だが、どんな内容だよ?」

「ただの使者たる私には知らされておりません。ただアーロン様、どうか必ずお1人でお読みください、との事です」

「……ミアンはマメな奴だよ、まったく。戦争で忙しいと思ってたが、俺みたいな居残り組まで気をかける余裕があるんだな。こりゃ要は戦功をあげられなくて不満だろう俺のご機嫌取りだろ」

「さぁ、存じかねます」

「慰労金でも貰えるのかね? もし厄介ごとならこの場で引き裂いて捨ててやるからな」

 

 南部戦線の指揮官である、帝国の大英雄アーロンは1枚の手紙を受け取っていた。

 

「……攻めてくる? あの連中が? にわかに信じがたいが」

 

 その手紙には、隣国の侯爵家がおそらく宣戦布告と同時に侵略してくるだろうことが記されていた。

 

「本当に攻めてくれるなら、待ち構えておくだけで勝てるが……、むむ」

 

 そして、ミアンは敵の大将が若きイヴにすげ変わったことで戦況が変化することを恐れていた。今までとは違う奇想天外な策を実行され、南の戦線が突破されてしまうことを危惧していた。

 

 自分が敗北すると心配されている。その事実は少しアーロンを不快にしたが……。

 

「俺が負けるってのか? いや、敵がよくわからんから警戒してるだけだな。心配性なアイツの、いつもの事だ」

 

 流石にアーロンも英雄と言われるだけはあり、彼は感情よりも実利を優先した。

 

 ミアンの言う通り、本当に敵が侵略してきたらどう迎え撃つかを思案する。しかし、その2枚目の手紙には答えが記されていた。

 

「ミアンめ、もし敵が侵略してきたらこうしろって戦略まで用意してやがる……。むむ、アイツらしい嫌らしい手だな。敵の動きが分からねぇなら、こっちから敵を動かしてやればいいって話ね」

 

 大将軍たる彼に、こうしろと戦を指示するなんて本来であれば無礼極まりない。侮辱ともいえるだろう。

 

 しかし若き軍略の天才ミアンを、アーロンは認めていた。だから、彼は軍聖の指示した戦略に乗った。

 

「ミアンの言う通りに本当に敵さんが攻めてきたら、こういう布陣で行こう」

 

 こうしてアーロンは、本来の自分では採用しないだろう奇策を以て、イブリーフを迎え撃った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イヴ様、山を確保できました。敵兵は方々の体で逃げ出しています」

「上々です。では、このまま敵陣を見下ろして布陣の全容を確認しましょう」

 

 イヴは、山を登った。

 

 山に潜んだ伏兵に迎撃されぬよう、先んじて奇襲をかけた。

 

「……イヴ様。敵陣の様子がおかしいです」

「どこがどうおかしいのですか?」

「設置された砲門が全て山上に……山に居る我々に向かって設置されています!」

「はい?」

 

 それこそが、敵の本命の釣りだった。

 

「山下に、一斉に旗が上がりました! 伏兵の様です!」

「囲まれています! この山は、敵に包囲されています!」

「え、え!?」

 

 敵の伏兵を見つければ、大抵の将はそこを奇襲するだろう。そのまま混乱に乗じて、敵を壊滅させられるケースが多いからだ。

 

 敵に想定外の作戦をさせない為には、敵に分かりやすい勝ち筋を見せてやればいい。

 

 谷間の陣地を見て、何も考えず突っ込んでくるような馬鹿なら山に伏せた伏兵で誘い込み殲滅する。

 

 警戒して山を調べにくるような将なら、山に伏せた伏兵を囮にする。

 

 これはミアンの罠であった。

 

「イヴ様! このままじゃ下の部隊と分断されます!」

「ぐ、引き返してください! この山は死地です、私たちはまんまと敵の策に乗ったのです!」

「だめです! 下はそこら中に設置されていた魔道砲が火を噴いてます! 引き返したら凄まじい被害になりますよ!」

「────、ならば上ります! 山の頂を目指して!」

 

 伏兵が沸き、イヴの軍勢は大混乱。逃げようにも、退路を塞ぐかの様に敵がそこら中から怒声を上げている。

 

 逃げ場は、山の頂しかない。

 

「イヴ様に手を出させるなぁ!!!」

「ちっくしょう、嫌な予感がしてたんだよ私は!!」

 

 イヴの背後に控えていた両翼の部隊が、伏兵を見て慌てて突っ込んでいく。イヴが山で孤立してしまえば、討ち取られてしまうのみだからだ。

 

「ぬおおおん! イヴ様ぁ!!」

 

 2将軍の奮戦の甲斐あり、何とか両翼はイヴと合流に成功した。そしてイヴの軍勢は、そのまま魔道砲から逃げるように山を駆け上がった。

 

「被害は!?」

「まだ、軽微で済んでいます!」

 

 まさに九死に一生、イヴの軍は壊滅を免れた。しかしリーシャ、ゾラの奮闘で極力被害は抑えられたものの、イヴの軍勢は山に孤立してしまう形となった。

 

 こうなってしまえば、逃げ場はない。

 

「まずは、水源の確保を! 川に関を築いて、貯水を始めなさい!」

「お前ら、木を切り倒して陣地を構築せい! 敵が攻めあがってきたら、迎い撃てるようにのう!」

 

 彼女は、まずは資源の確保を優先した。

 

 山下には、凄い数の魔道砲が設置されておる。下手に下れば、死するのみである。

 

 しびれを切らした敵が山の頂きに攻めこんでくることを願って、イヴは山上に陣地を構築した。

 

 もっとも。敵からすれば攻める必要はまったくなく、イヴ達の兵糧が切れて干上がるのを待てば良い。そんな事は、彼女にも分かっていた。

 

「イヴ様、ここで籠城してどうすんだ。どっか包囲の弱いところを切り崩さねぇと」

「わかっていますリーシャ!」

 

 兵糧は、一度に何ヵ月分も用意していない。適宜、領都から補給して貰う心積もりだった。

 

 補給が受けられぬこの状態だと、数週間で兵士が餓死するだろう。

 

 

「────機を見て、少数精鋭で突破します。都のポートさんに、助けを求めましょう」

「もう領都に、戦力はろくに残ってないのでは」

「冒険者に高い報酬を見せてあげれば、多少は募兵出来ます。最悪の最悪、戦時は徴兵が可能ですし」

「……それは、民から怨まれるでしょう」

「このまま私達が壊滅してしまえば、領は踏み荒らされてしまいます。それよりは、と納得して貰う他ありません」

 

 鬼の形相で、イヴは自らの腕の皮膚を充血するほどに握りしめる。

 

「……ああ、憎い。愚かで無様なこの自らの体躯を引き裂いてしまいたい」

「イヴ様、落ち着いてくだされ」

「このままだと、全軍での突破は困難です。私達の兵糧が残っているうちに、外から援軍を連れてきて貰わないと潰滅は必至」

「……」

「外から援軍が到着すれば、包囲も少しは弱まりましょう。上手くいけば、内外で応じて包囲を挟み撃ちに出来ます」

「それしか、無いでしょうな」

 

 まんまと、敵の罠に乗せられてしまった。その愚かさを悔やみながらも、彼女はまだ勝利を諦めていなかった。

 

「……リーシャ」

「分かってるよ、私だろ? 爺様の老体で都までダッシュは辛かろう。私が包囲を突破する」

「お願いします。これから決死の兵を募って、数名ほど供に付けます。どうかご無事で」

 

 外から援軍が来れば、まだ勝利の目はある。

 

 そして敵の重厚な包囲を突破する為には、隠れて密かにやり過ごすか、リーシャの様な豪傑が単騎で力押しで突破するしかない。

 

 リーシャは優秀だ。礼儀が適当だったりよくサボったりするものの、課された仕事はキッチリこなしている。

 

 だからこその、人選だった。

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ。……どうすっかなぁ」

 

 しかし。流石のリーシャをもってしても、今回の任務は無理難題と言えた。

 

 流石は歴戦の英雄の指揮だ、山の包囲に隙が見当たらない。ぐるり一周、綺麗に陣が立ち並んでいる。

 

 厳密にはちょくちょく陣が薄い所はあるのだが、そこに突っ込むのは妙に嫌な予感がする。敢えて包囲の弱い場所を作り誘ってるんだろうなと、リーシャは当たりを付けていた。

 

 となれば、逆に包囲の厚いところから突破した方がいいのか? いや、それは本末転倒だろう。

 

「……ま、なるようになるか」

 

 困った時、リーシャは難しく考え込まない性質だ。彼女はきちんと軍略は修めている反面で、割とノリや勢いも重視して行動する。

 

 それは、何故か。

 

 

「敵が色々考える頭の良いやつなら、逆にノリで行動してる人間の思考回路なんか読めっこねぇんだよ」

 

 

 そうぼやいたリーシャは適当に棒を放り投げた。そして、その枝の先端が示した方角へ突撃することにした。もちろん、特に意味はない。

 

 こうしてリーシャは、別に包囲が薄くもなければ、領都に近かったり兵士が少なかったりでもない、まさに適当と言える陣地を襲撃した。

 

 無論、色々と小細工を用意していた敵からしても想定外の位置への突撃だったらしい。

 

 上手く敵の隙をついたリーシャは、多少の兵を犠牲にしたものの、なんとか敵陣を突破して包囲の外に抜け出してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で、ここからだよな」

 

 包囲を突破したリーシャは、都へ続く道を走っていた。上手く包囲は抜けだせたが、むしろここからが無理難題なのだ。

 

 どうすれば、包囲を外から崩せるだけの兵を募ることが出来るか。あるいは、別の勢力から援軍を得ることが出来るか。

 

「異民族は絶対交渉に応じてくれないだろう。かといって街で徴兵して頭数だけ用意してもあんまり戦力にならん」

 

 1つの案として、北の戦線に派遣したチャラ男ダートを引き戻すことがある。彼の軍が戻ってくれば、まだイヴにも十分に勝機はあるだろう。

 

 しかし、それは首都を見捨てるという行為に近い。ろくに実戦を経験していない首都兵のみで、どうやって帝国を追い返せばいいのか。

 

 そもそも、今から首都までダートに援軍を頼みに行っても、到着まで数ヶ月はかかる。あと数週間で兵糧が尽きることを考えれば、妙案とは言い難い。

 

「冒険者がどれだけ乗り気になってくれるか、だが」

 

 予備戦力として当てになるのは、やはり普段から戦いで飯を食ってる領都の冒険者だ。彼らは時に傭兵として、戦争に顔を出す。

 

 領都に戻ってから彼らをいかに早く募兵できるかが、今回の作戦のキモとなる。

 

「……かなり絶望感あるなぁ。勝てるかなぁこれ」

 

 だが、彼ら全員を集めることが出来たとして、どれほどの頭数になるだろう。そして、我が強く統制が取れないであろう冒険者をまとめあげるだけの技量がリーシャにあるだろうか。

 

 だが、やるしかない。国の存亡がかかっているのだ、なんとしても協力させて見せる。

 

 この先に待っているだろう苦労と重圧に頭を痛めながらも、リーシャは全速力で領都へ続く道を疾走し────

 

 

 

 

 

「……あれ?」

 

 そして、彼女は出くわした。

 

「リーシャさん、そんなに急いでどうされたんですか」

「……ポート!?」

 

 のんびりとした口調で、数十人の護衛を指揮する新入りの文官に。

 

「お、お前なんでここに!」

「何で、って見ればわかるでしょう。補給の第一陣ですよ。あとイヴに相談したいこともあったので、領都を抜けてきました」

 

 どこからかき集めたのか。見るに、ポート率いる護衛部隊はそこそこ練度の高そうな傭兵部隊であった。

 

 実は彼らは元はクーデターを起こした中央貴族のお付き部隊だったのだが、「貴族と共に処刑されるか服従か」の二択を迫られ、今はポートの雇われ私兵となっている。

 

 ────渡りに船、とはこの事だった。

 

「……時間がねぇ。イヴ様がやべぇんだ、力を貸せポート」

「うーん、力は貸せないですかね」

 

 数十人の部隊とは言え、猛将リーシャが率いればそこそこの戦力になるだろう。特に、森林や山に囲まれたこの付近だと少数部隊でも奇襲をかけやすい。

 

「は、何言ってんだ?」

「僕はリーシャさんみたく強くありませんから。頭なら貸せますけど、力は当てにしないでくださいね」

「言葉遊びは良いんだよ」

 

 こうして都合よく戦力を確保できたリーシャは、状況を打開する知恵を求めポートに状況を説明した。

 

 イヴの部隊が囲まれ、非常にまずい状況に陥っていること。このままでは全滅を待つのみであること。

 

「……えー。それ、本当にやばい状況じゃないですか」

「だから焦ってんだよ」

「うーん。でも、そうなっちゃったらやることは一つじゃないですか」

 

 軍の状況を知り、眉を顰める文官少女。その目には、焦りと呆れが見てとれた。

 

「やることは一つ?」

「……少なくとも、僕には他に何も思いつかないですね」

 

 

 ────生まれて初めて経験する、本格的な戦争。

 

 ────その辺の雑兵とは違う、正真正銘の『英雄』を相手取る戦い。

 

 そして、この戦争で────

 

 

「じゃあ、ちゃっちゃとイヴ様を助け出しますか」

「ポート、お前そんな簡単に……」

 

 

 何処にでもいる普通の少女だったポートは、その名を世界に大きく轟かせることとなった。



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紅蓮の結末

 包囲が完成して、数日。

 

 戦線は山の上下で、膠着状態に陥っていた。

 

 アーロン率いる南部帝国軍は、無理に山上へ攻め込もうとせず、耐久戦を選択していた。

 

 アーロンはイヴ達を急いで始末する必要はない。むしろ戦況的には、アーロンは帝国軍本隊が首都を陥落させるまでの時間を稼ぐだけで戦術的勝利と言える。

 

「まぁ、小狡い手は使わせてもらったが……。もう俺達の勝利は揺るがんだろうな」

「ほほうアーロン様。もう、負ける事は有り得ないと」

「……こっから俺達を全滅させるのは、まぁ難しいんじゃないか? と言うか、ここまで時間稼いだだけで勝利条件はほぼ満たしてるんだよ」

 

 開戦から、もう1か月以上経過している。敵の首都へ攻め込んでいる帝国軍本隊は、破竹の勢いで連戦連勝しているそうだ。

 

 彼等が首都に到着し、国として降伏を宣言させられればこちらの戦線も勝利であると言える。

 

「ミアンが付いてるし、軍の本隊は負けんだろ。だったらもう殆ど俺達は勝ってるんだ」

「ですがその言葉が出てきた時に、アーロン様にお渡しするよう言付かったものがございます」

「ああん?」

 

 もう、勝利は揺るがない。その言葉を聞いたミアンからの使者は、1枚の手紙をアーロンに差し出した。

 

「また、俺にしか開けられない手紙か。……ミアンからの密書か?」

「はい、どうぞ今お確かめください」

「……はいはい、これは人前で開けても良いんだな」

 

 その手紙を受け取ったアーロンは、チラリと中を見て読むと、すぐさま馬鹿馬鹿しいと破り捨てた。

 

 多少、呆れた顔で。

 

「……お怒りのようですが、ミアン様は何と書かれていたのですか?」

「『火計に注意せよ』だとさ。俺をバカにしてんのか」

 

 アーロンは忌々しげに、その破り捨てた手紙をに目も暮れず自分の幕舎に戻っていく。

 

「何をお怒りなのです?」

「この状況がひっくり返るとしたら、それこそ天災か人災くらいだよ。火計なんて初歩中の初歩、警戒してない訳があるか。ミアンの奴、俺をバカにしすぎだ」

 

 アーロンはたいそう業腹だった。人を見くびりやがって、と。

 

「火計は成らん。備えは万全だ」

 

 彼もまた、英雄と吟われた名将だ。特に、防衛戦においては鉄壁を誇る。

 

 敵の攻め手を潰すことにかけては、人一倍の自信があるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ポート、お前イヴ様を助けるって、何をするつもりだ?」

「火計ですよ。それくらいしかない」

 

 ばったり道でリーシャと出くわした僕は、現在イヴが窮地に陥っている事を聞かされた。

 

 流石精強と言われる帝国軍。敵もさるもの、聡明なイヴの裏を掻くとは。

 

「火計……、火を放つのか」

「不確かで安全性にも欠けた下策ですけどね。この人数差で奇襲するよりかは、効果的だと思いますよ」

「……まぁ、そうかもしれないが」

 

 リーシャは僕の提案である火計にはあまり乗り気ではないらしい。

 

 確かに戦で火の制御はかなり難しいとされており、博打要素が強い作戦だとは僕も思っている。他に策があればまず採用はしないだろう。

 

 でも、今のこの状況ならもう火計くらいしか有効な作戦がなくないか?

 

「具体的にはどうするんだ」

「リーシャさん、この辺の地形を教えてください。着火点を考えますので」

「着火点、ね」

「そこが一番大事ですから。風向き、距離、地形、全てを把握してないと火計は成らない」

「……ポート。お前いやに自信ありげだが、軍略が分かるのか?」

「旅人さんからの耳学問ですよ。元は傭兵団の参謀やってたらしい人から聞かせてもらいました」

 

 僕らの村には様々な人種が訪れている。その中で面白かった話は忘れぬように記録して読み返している。

 

 今、僕の頭に浮かんでいるのは異国の傭兵団の策略家さんが語った作戦だ。絶体絶命の窮地において、火計を放ち一発逆転したと自慢げに話していたのを覚えている。

 

 それを、今ここで再現するしかない。

 

 敵は少なくとも数千人。こっちはせいぜい40~50人。まともな喧嘩が出来る人数差ではないのだ。

 

「ポート。わかってると思うが、山で風向きは読みにくい。こんな密集地で火なんか起こせば、味方の被害の方が大きいかもしれん」

「……可能性は大いにありますね」

「それに敵は火計だけは起こさせんとかなり警戒しているだろう。成功する見込みはどれくらいのつもりだ?」

「小技を駆使すれば、5割ほどでしょうか」

「そんなに高い訳あるか!」

「リーシャさん、これでも僕は山森育ちですよ?」

 

 5割、という見込みは少し甘かっただろうか。でも、僕が敵の指揮官の立場だとして防ぐのは普通に難しい気がするんだが。

 

 このだだっ広い森全てを警戒するのは厳しいだろう。少し離れたところから火を放てば、鎮火されるより火の勢いが強くなる……、と思う。

 

「実は僕、山での大体の風の向きは読めるんですよね」

「む、それは本当か?」

「おそらく、しばらくは山の谷間に添って吹き抜けるように南東に風が吹き続けるでしょう。出来るだけ敵の陣地から離れていて、かつ火を放てば敵陣を焼き尽くせるような位置が良い。だから、着火点として適しているのは……」

 

 僕は色々と思案して、一か所の良さげな場所を着火点に選んだ。

 

 まぁ、敵がきっちり予測して着火点潰されてたら、何もかも終わりなんだけども。

 

 ……やはりこの広い森で、たった一か所の着火点を特定できるとは思えない。というか、人員配置的に山を包囲しながら広範囲を警戒なんてできっこないはずだ。

 

 だからきっと上手くいく。

 

「……本当に此処で良いんだな? 信じるぞポート」

「急に天気が崩れたりしない限りは、多分」

「まぁ、こうなったらやるしかないか。どうせ正攻法でもキツい状況なんだ、少し賭けにでてみるか」

 

 僕の計画を聞き、リーシャも一応は賛同してくれた。

 

 こうして今夜、僕達は闇に紛れて火計を行うことになった。

 

 夜間の方が人員配置は減るだろう。それに実際に火の手が上がれば、夜の方がイヴも分かりやすいと思う。

 

「ついでに陽動として、着いてきた兵士に着火点の反対側から鬨の声を上げさせましょう」

「よし、じゃあその手筈で」

 

 ……少し幼稚な作戦になってしまったが、取れる手立てが少ないから仕方ない。

 

 後は神頼みだ。敵の大将が、気付かぬまま居てくれれば良いのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「火計はどう潰すのです? まさか森全体を見張るので?」

「アホか、この広い森全域に見張りを置いておく必要はない。火計をやってくるとしても、着火点なんて限られてんだぞ」

 

 帝国の指揮官アーロンは、ミアンから火計を忠告されるまでもなく、既に対策を行っていた。

 

「この時期だと、大体は南東へ向かう風だ。谷間だと、風が強くなる。となると火計を行うには、まず風上の北西に立たねばならん」

 

 アーロンは地図を広げながら、今回見張るべき場所を抽出しチェックしていく。

 

「南の方は見張らんでいい、そっから火計は出来ん」

 

 彼もまた、山の戦に詳しかった。風向きが火計において重要であり、適当に火をつけても成功することはないと知っていた。

 

「そんで水魔法で(ミスト)を使える奴と、近接兵をセットで巡回させておけ。そしてどこかで火の手が上がったら直ぐ霧を立ち混ませろ、それを合図に増援が急行する手筈にする」

 

 火計は(ミスト)の魔法に弱い。着火点に霧を張るだけで、大体は初動で潰せる。

 

 だからこそ、着火点を警戒しておくのは山の戦の基本と言えた。

 

「……それとそうだな、此処らへんも無視していい。ここで火をつけると、ご自分の大将が丸焼けになる。俺達が包囲している陣地のみ焼き付くし、かつ山上に火の手が届かない着火点。となると、もう数ヵ所に限られてくる訳だ」

 

 アーロンは強いだけの男ではない。過去に何度も何度も戦を経験し、失敗もして、その数だけ経験を積んで強くなった男だった。

 

「確かに、そんな風に警戒していれば火計は無理ですな」

「そりゃそうだ、あまり人をバカにするもんじゃない。……さて、あと何週間持つかね。そろそろ、あの憎たらしい侯爵も兵糧が尽きてくる頃じゃねぇのか?」

 

 火計は成らない。奇襲も対策している。そもそも、援軍が到着していると言う情報もない。

 

「とっととこの国を降伏させて、祝勝会といきたいもんだ」

 

 敵に攻め手は、もう無い筈だ。アーロンは、勝利を確信した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜。

 

 僕とリーシャ、そして僕の私兵のなかで魔法が使えるもの数名選び、小隊を結成した。

 

 これを火計班とし、残りを陽動班に任命し、とうとう僕たちは作戦を決行に移した。

 

「時間はきっちり、今から一刻後。先んじて陽動班が奇襲を偽装し、その混乱を突く」

「上手くいけば良いんですけど」

 

 僕達の小隊は他の私兵と別れ、ひっそりと暗い森を進軍している。

 

 うーん、不安だ。どこか1つ失敗すれば、僕もリーシャも殺されるか、敵の捕虜となって色々尋問される。

 

 ……女性が捕まったら、そりゃもう酷い目に遭うんだっけ? やだなぁ、だんだん逃げ出したくなってきた。

 

「陽動の連中は大丈夫かね? あいつら今、指揮官いないだろ」

「いえ、一応指揮官は居ますよ。勘が鋭くて頼りになる冒険者です」

 

 彼等が派手に陽動してくれるかも、今回の作戦のキモだ。隊長を任しているラルフの超人的な勘があれば、きっと上手くやってくれる。

 

 それに、副隊長としてリーゼも着いてきてくれている。

 

 ……森とか山のフィールドで、彼女はべらぼう強い。陽動どころか、敵の小隊長くらいなら討ち取ってくれるかもしれない。

 

「こっちはこっちの仕事に集中しましょう。見つからないように慎重に移動しますよ」

 

 向こうは、ラルフとリーゼに任せた。僕達は火計に集中するのみだ。

 

 

 

 ────時々、哨戒している敵兵の気配を感じる。

 

 目標としてる着火点まで、じっくり時間をかけて石橋を叩いて渡るように移動していく。

 

「此処が着火点だな」

「ですね」

 

 後は、野となれ山となれ。僕は僕に出来ることを上手くやるのみ。

 

 作戦決行時刻となり、辺りに敵影がないのを確認し。僕達は、予定通り山を焼き尽くすべく火を放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻、帝国陣地。

 

「奇襲は声だけだと?」

「はい」

 

 アーロンは包囲の外より怒声が上がったと聞いて、すわ奇襲かと現場に向かっていた。だかしかし、待てど暮らせど響くのは奇声のみで、結局誰一人攻めてくることはなかった。

 

「ははーん、陽動かね。他の部の兵どもには持ち場を離れるなと伝えろ」

 

 声の大きさからして敵は恐らく、ごく少数だ。となれば、他に本命の動きがあるはず。

 

 アーロンは思案していると、まもなく遠くの陣地から伝令が走ってきた。

 

「……急報です! アーロン様、北東の森から火の手があがりました!」

「あん? マジで火を放ちやがったのか」

 

 どうやら、敵の本命は火計らしい。軍聖の読みはドンピシャだったようだ。

 

「……段々と、ミアンの奴が怖くなってきたな……。で、首尾はどうだ? 抑えたんだろ?」

「それが……」

 

 殆ど心配などしていないアーロンとは裏腹に、報告に来た兵士は顔を曇らせている。 

 

「おい、どういう状況だ。報告しろ」

「奴等、我らの陣地からかなり離れた地点で発火したみたいでして。哨戒の範囲外でして、このままでは鎮火が出来そうになく……」

「何!? 連中は、どこに火を放った」

 

 哨戒の外から火を放った。つまり、アーロンが想定していなかった手段で火計が行われたという事になる。

 

 その時初めて、アーロンの額に汗が滲んだ。

 

「それが、恐らくこの地点です……」

「……山の正面ではないか」

 

 そしてアーロンは知る。

 

 敵が、ポート達が着火点として選んだ位置を。

 

「や、奴等は阿呆なのか?」

「はい。このまま火の手が伸びてしまえば、恐らく焼き尽くされるのは」

 

 その火が直進した先には、確かにアーロンの陣地もある。しかし、アーロンの陣地を越えた先、火が進んでいくだろうその地点は、山の頂き。

 

「馬鹿じゃねーの。あいつら、自分の大将を焼き殺す心積もりか?」

「恐らく、敵は火計に詳しくないのかと。それで着火点が分からず、こんな場所に火を放ったのでは」

「……だな。味方に伝えろ、火の手が伸びてくるまでは陣地を維持せよ。ギリギリまで炎を引き付けて、そのままゆっくり避難しろ」

 

 アーロンは少々混乱しながらも、敵が自分の大将を焼き尽くす気なら好きにさせようと指示を出す。

 

 鎮火が無理なら兵を割いてまで火の手を止めず、そのまま敵ごと山を焼いてしまえと。

 

 ────そう方針が立ち、油断した瞬間。

 

 

 

 ぴょうっ。

 

 

 アーロンは、猛烈な寒気に襲われて咄嗟に立ち上がった。

 

 半ば無意識、反射的に頭を庇い、アーロンは自らの腕を十字に組む。すると何かが鎧を貫通し、アーロンの上腕を血で染めた。

 

 見れば、アーロンの腕には大きな矢が突き立っていた。

 

「……む?」

「アーロン様!?」

 

 弓矢で射られた。そう気付いた直後、久しく感じていなかった激痛がアーロンの脳を焼く。

 

「ぐ、ぐあああっ!!!」

「落ち着いてください、すぐに手当てを────」

 

 駆け寄ってきた彼の部下の叫ぶが早いか、まもなく第2の矢が飛んできて兵士の頭を射抜く。

 

 アーロンは、呆然と目の前で息絶えた兵の頭に突き刺さった矢を見つめていた。

 

「い、いかん」

 

 ……声のみの奇襲かと思いきや、本当に敵が攻めてきていたらしい。そう思い至ったアーロンは、警戒を最大限に叫び声を出した。

 

「敵襲だ、奴等本当に攻めてきたぞ! 陽動ではない、これは────」

 

 叫んでいる間にも、3射目がアーロンの脳を狙い飛んでくる。これは敵わんと、アーロンは逃げるようにその陣地から逃げ出した。

 

 ……敵の奇襲は、本物である。その認識の下で周囲の部隊から応援が要請され、結果としてますます山の包囲は弱まった。

 

「あー。逃げられちゃったわ」

 

 しかし、実際は奇襲など行われておらず。調子に乗って高い樹に登った天災狩人が、豪華な装備を身に付けた指揮官っぽいのを偶然見つけて、そのまま狙撃しただけなのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 火計は成った。やはり敵は僕らの着火点まで見張りを置けておらず、火は勢いよく山へ向かって突き進み始めた。

 

「……なぁ。これ大丈夫なのか?」

 

 だが、リーシャは火を放った後、かなり不安げに僕の肩を何度も揺すっている。何が心配なんだろう。

 

「多分大丈夫では……?」

「多分じゃ困るんだが!? ねぇ、本当にここに火つけて良かったのか!? 火の手が真っすぐイヴ様のとこへ向かってる気がするんだが!」

 

 そう。今まさに、僕達が放った炎は周囲を巻き込みながら真っすぐに、山の真ん中へと突き進んでいた。

 

 帝国兵も唖然としながら、せめてもの抵抗とばかりに霧を振りまいている。しかし、僕達も負けじと風を送り込んで火の手を強めているので、このまま押し切れそうな感じだ。

 

「それよりリーシャさん、風が弱まってますよ。もっと振りまいて、火を勢いつけないと」

「いやだから聞けって! だってこのまままっすぐ行けば」

「イヴの陣地を焼き尽くすんでしょう? そりゃそうですよ、そのために火を放ったんですから」

 

 リーシャはどうやら、イヴが焼け死ぬんじゃないかと心配しているようだ。うん、確かにその可能性はあるかもしれん。

 

 でも、この火計で焼け死んでしまう様な人ではないと僕は信じている。彼女は聡明で、カリスマに溢れ、上に立つ者の器を持った人間だ。

 

 このくらいの危機、きっと乗り切ってくれる。

 

「ポートお前ぇぇ!? 何だ、謀反か!? 実はイヴ様を害そうと心の奥底で機を伺っていたのか!?」

「ち、違いますよ! 僕は、イヴを助けるために」

「このままだと焼け死んじゃうだろうが! これのどこが助けになるってんだ! お前本当はイヴ様に深い恨みでも有るんじゃねぇよな!?」

 

 ……まぁ、無くはないけれども。

 

 そんな微妙な顔をしてたのがバレたのか、リーシャは激怒して僕に詰め寄ってきた。何やら、大きな誤解を生じているらしい。

 

 別に僕に、害意はない。

 

「見てください、リーシャさん」

 

 僕は、山の方角をリーシャに見えるよう指差した。

 

 火は勢いを衰えぬまま、山に差し掛かっている。敵の兵士が火から逃げるように割れて、木々に炎が纏わりついて粉塵を撒き散らす。

 

「イヴなら、大丈夫ですから」

 

 そして、炎を嫌って敵が居なくなった後。山へ広がる炎の中央に、大きな撤退路が出来上がった。

 

「……だってリーシャさん、さっき言ったじゃないですか」

 

 良かった、やはりイヴは気付いてくれた。僕が用意した、たった一つの撤退路に。

 

「あれ、は────」

「イヴは塞き止めて、水源にしていたんでしょう?」

 

 いかに燃え盛る森と言えど、歩ける場所は存在する。

 

 それは、地面がぬかるんで決して燃えない道。今は塞き止められていたとしても、関を開けばすぐさま復活する森の恵み。

 

「川をそのまま下れば、それが唯一の脱出路となる。見てください、僕らの大将が山を下りてきていますよ」

 

 これは敵を殺す策ではない。味方を生かし、生還させる策。

 

 燃えている山の中、川を再び流すことで撤退路とする目論見だ。

 

 炎の中の脱出路、この策が成るためにはイヴに気付いてもらえるかどうかが鍵だったが────。やはり、彼女は僕の意図を察して見事に脱出してきてくれた。

 

 やはり、イヴは聡明だ。

 

「……よくやるよ、ポート。こんな奇策は初めて見たぞ」

「他の人にやったら、主を焼き殺す気かって懲罰モノですからね。イヴは理解のある領主だから大丈夫だと踏んでやりましたけど」

「あー。だよな、取りようによっちゃこれ反逆だもんな」

 

 まぁ、イヴはきっとその辺は気にしないだろう。

 

 だって彼女は、遠目からもわかるほど大層な笑顔を、僕に向けて手を振っているのだから。

 

 

 

 こうして、僕は一月ぶりに無事イヴと再会できたのだった。



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経済の王

「……まずはリーシャ、よくやってくれました。見事に包囲を抜け出したばかりか、こんなに迅速に包囲を破ってくださるとは思いませんでした」

「……いえ、お役に立てて何より」

 

 敵が火計の残り火の対処でてんやわんやとしている頃。

 

 僕達はイヴ率いる本隊と無事に合流し、そして彼女との面会が叶った。

 

「そしてポートさん。本音を言えば、貴女には領都で安全に仕事をして居て欲しかったのですが……。貴女自ら補給部隊を率いてきてくれたおかげで、私達の軍勢は事なきを得ました。また、助けられてしまいましたね」

「あははは……。僕はイヴに相談することがあったから着いてきただけで、こんな戦況だとは思いもよりませんでしたけどね」

 

 やっぱり帝国軍ってのは強いんだな。イヴの自信からして楽勝とはいかずとも十分に勝算があるんだろうとは思っていた。まさか、ここまで追い詰められているとは思わなかった。

 

 うーん。戦争の事はよくわからないけれど、やっぱりこういうのは攻め手側が不利なんだろうな。よほど地力に差がないと、負けてしまうんだろう。侵略している側は、土地勘もなければ陣地構築みたいな事前準備もできない訳で。

 

「ねぇ、イヴ様。失礼承知で、申し上げてもいいですか」

「何でしょう、ポートさん」

 

 包囲を脱出したことで、兵の士気は再び高まった。イヴにも、次こそは敵の陣地を食い破ってやるとの意気が感じられる。

 

 こういう、鬼気鋭々な彼女に冷や水を浴びせるような真似はしたくないのだけれど。

 

「────ここが引き際、では無いですか」

 

 戦争の熱に浮かされず後方で冷静に仕事をしていた僕だからこその提案。それは、戦略的撤退。

 

 僕は、大きな被害が出ないうちに此処から撤退をすべきだとイヴに進言した。

 

「ふむ、ポートさん。それはどういう了見でしょうか? まだ、私達は大して被害も出ておりませんけれど」

「時間がかかりすぎだと、申し上げます」

 

 そう、この作戦のキモは本来『電撃侵攻戦』。首都が陥落する前に電撃的に侵略し、後方都市を脅かすことで講和へ持っていこうとするハイリスクハイリターンの博打的戦略。

 

 だが、もう賽は振る前の状態ではない。既に、賽の出目は出た後なのだ。

 

「僕らには、北の戦線の状況が逐一報告されてきています。まもなく、首都戦線で帝国軍と首都防衛軍が接敵するそうです。……イヴ様は今から何日かけて、敵の陣地を突破するおつもりですか」

「……」

「首都戦線が1日持たなかったらどうします。ここから仮に、1週間かけて敵を突破し、帝国の町を一つ占領できたとしましょう。その時既に首都が陥落していて、内地から僕らの領都に帝国軍が侵略してきたらどうするのですか?」

「……それは」

「今回は、痛み分けです。これからは、首都の戦線の状況を聞きながら、身の振り方を考えていく段階です。もう、この戦線に固執する意味はない」

 

 僕は、他の誰もがはっきりと言いにくい事をイヴに突き付けた。

 

 僕が文官をするのは数年の間だけ。いずれ辞めるだろう僕こそが、その事実を彼女に伝えなばならない。

 

「ここは彼らと『引き分け』で、手を打ちましょう。この戦線を放棄し、領都に戻って防衛線を構築するんです」

 

 引き分けという甘い言葉を用いて、イヴが事実上の『敗北』したことを。

 

「……ええ、ありがとうございます。少し、私は戦争の熱に浮かされていたようです」

「では」

「ポートさんの言う通り、今私達がすべきは撤退です。全軍に通達しなさい。領都へ帰還しますよ」

 

 ────やはり彼女は、冷静だ。僕が主だと認めただけはある。

 

 戦況はすこぶる悪いけれど、まだまだ僕達が生き残る術はある筈だ。ここでやぶれかぶれになって、微かに残った生き残る術を投げ捨てる愚を犯さない。

 

「無念です、イヴ様」

 

 見れば、ゾラ大将軍が泣いていた。彼もまた、引き分けではなく敗北であると悟っているのだ。

 

 ……敵は、帝国軍は強大だった。その一言に尽きる。

 

「む。本当に良い拾い物をしたものだ、イヴは」

「イシュタール様?」

「ポート殿。君が言い出さねば、儂が撤退を指示しておったよ。君は王に正しく進言し、王の道を支える器がある、成長すればきっと、この国で1番の謀将となれるだろう」

「え、ええ? それは随分と、過大なご評価では」

「まだ儂らにも、帝国に抗するいくつか手段は残っている。老いぼれではあるが、今は儂らでなんとか国を繋いで見せよう。そして未来を、君に任せたい」

「あ、あはははは……」

 

 ……。え、僕は数年で辞めるつもりですけど。未来を任されても困る……。

 

 と言い出せる雰囲気じゃないな。仕方ない、笑ってごまかそう。

 

「お父様……。分かりました、今は屈辱を忍ぶ時なのですね」

「イヴも、よく撤退を受け入れたモノよ。その冷静さを、忘れんようにな」

 

 イヴとイシュタール様(男同士)は抱き合い、涙を流し慰め合った。

 

 そして、夜が明ける前に僕達は、全軍を引き払い風のように領都へと引き返すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……逃がしたか」

 

 腕を矢で負傷し、その矢に塗られていた遅効性の毒で床に伏せっていた英雄アーロンは、イヴの全軍撤退を聞いて胸をなでおろしていた。

 

「我々の勝利ですね」

「完全勝利とはいかなかったがな」

「追撃は出しますか?」

「まぁ、奴さんの首都が降伏すれば、あの連中も俺達の味方になるんだ。無駄に全滅させる意味もねぇ」

 

 彼自身の負傷は計算外だったが、しかし戦争の結果は間違いなく勝利と言える。自分の役目を果たせたことで、彼の表情は安堵に緩んだ。

 

「俺達も帰るぞ。祝勝会だ、俺の私財から予算を出すから準備しろ」

「今、お酒を飲まれるとお体に障りますよ」

「馬鹿ぬかせ、勝って酒を飲む以上に体に良い行いがあるか」

 

 こうして意気揚々、アーロンも陣地を引き払い自らの領へ撤退する。

 

 2か月以上に及ぶこの戦争は、帝国側では戦術的勝利として報じられる事となった。そしてアーロンが領に戻ると、歓喜した市民が大手を振って彼を出迎える。

 

 ひとまず束の間ではあるか、アーロンは領の平和を守ったのであった────

 

 

 

 

 

 

「……む?」

 

 筈だったのだが。

 

「おい、なんか町の様子がおかしくないか」

「妙ですね。人通りが、少ない」

 

 今までであれば、勝利の凱旋には市民が大挙として押し寄せて、万歳が響いたものだ。だが、今アーロンが帰還した町で集まってくれた市民は、今までの半数程度に見える。

 

 妙に、人口が少ない。

 

「何があった、疫病でも流行ったのか?」

「見てください、いくつも店が閉まっている。街に活気がない」

 

 アーロンは、街に戻ってすぐその異変に気付き。慌てて、役場に向かい自身の政務室に駆け込んだ。

 

 自分が知らぬ間に何か、天災にでも巻き込まれていたのかもしれない。そう思って。

 

 ……そして、アーロンは知る。侯爵家の仕掛けてきた、悪辣で悪魔染みた策略に。

 

 戦争の裏に隠された、敵の真の狙いに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はい?」

「ごめんなさいイヴ、実は貯蓄が半分くらい消し飛んじゃって」

「え、えええええっ!?」

 

 帰り道、どさくさで報告し忘れていた事実を、イヴの馬車の中で伝える。

 

「ま、まだ政治を任して1月ほどですよ……?」

「ちょっと調子に乗りすぎました」

 

 てへぺろ、と舌を出して誤魔化してみる。そもそも僕みたいな素人が政治を回していたことがおかしいんだ。

 

 うん、僕は悪くない。

 

「え、あ、その……。具体的には、どのような出費を……?」

「も、元は取れるんじゃの?」

「と、取れるつもりなんですが……。流石に出費が激しかったので今はブレーキかけてます。実はもともと、どの辺まで貯蓄を使い込んでいいか相談したくて、イヴの陣地を訪ねてたんです」

 

 うーん。これは僕が怒られるフェイズの予感。

 

 だよね、勝手に大改革しちゃったからね。あの時の僕は、忙しすぎて頭がパーになってたとしか思えない。

 

 こうして久しぶりに睡眠のとれた頭で考えると、あの時の僕は若干頭おかしかった。

 

「と、とりあえず領都に戻ってから考えますわ。具体的にどこまで弄ったのか、確認させていただきます」

「お、大本は弄ってませんよ。戦時中の対応をちょっと変えただけでして」

「むむむ……」

 

 イヴは難しい顔をしている。だよね、戦争中に貯蓄溶かす内政官ってよく考えなくても無能だよね。我ながら大きなポカをやらかしたなぁ。

 

 でも、逆に考えよう。これで、彼女はもう僕に無茶振りをしなくなる。僕に、小さな仕事を任されるだけの小物文官としてのスローライフが始まるのだ。

 

 そう考えれば、僕にとってはプラスかもしれない。

 

「お、見えてきましたね。僕らの領都が」

「あら、もうそんな近くに」

「ああ、ここからでも見えるかもしれません。ほら、あそこです」

 

 一応、横領とかじゃなくて利益のある出費だったとアピールするために僕は領都を指さした。

 

 ずっとあの都市を治めていたイヴなら、異変に気付いてくれるかもしれない。

 

「……ん?」

「イヴ様、気付いた?」

 

 そう、遠目から見ても分かる程度に領都は改造してあるのだ。

 

「な、なんか。街が大きくなってません?」

「そうですね。各地から大量に商人を呼び込んで、居住させたので。出費の大半は、呼び込んだ商人の店や居住区画への投資です」

 

 外壁を拡張し、新たな居住区画を用意し、呼び込んだ商人に気持ちよく商売をしてもらう。それが、僕の改革の柱だ。

 

 今の領都には、区画分けをして商業特化区域を用意してある。そこで各地から持ち寄った商品や情報、価値のある本などが活発に流通させている。

 

「最終的には、今年中に領都の商圏規模を倍に増やす見込みです」

「ど、どこから商人を? そんな簡単に商人を呼び込めるなら、私達だってやってましたわ! こんな規模で移住してくるなんて、何をどうしたら!」

「ああ、来てくれたのは帝国側の商人さんですよ」

 

 僕の改革の成果として、帝国側から大量に商人が雪崩れこんできた。多分スパイとか紛れ込んでるんだろうけど、そういうのは謎の自警団『ASRO』に依頼して摘発して貰っている。

 

 それに、別にうちの領都で抜かれて困る情報とかあんまりないし。

 

「イヴ様は、重課税してる国と免税している国、どちらで商業を行いたいと思います?」

「……へ?」

「商人は何を求めているのかを考えてください。それは、商業を営みやすい立地と、発展し成長する新しい商売チャンスの獲得と、それが行えるだけの巨大な商圏です。そう、まさに今の僕らの領都のような、ね」

「ま、まさかポートさん」

「戦時中に徴税しようとしたんですが、貴族が持つ特権のせいで全然金が集まる気配がない。ならいっそのこと『免税』してやれと、税率を下げたんですよ。その噂を、知り合いの旅商人に依頼して帝国側で広めて貰ったんです。そしたら、噂を聞き付けた商人が来るわ来るわ……」

「……」

 

 実は、貴族達の特権に頭を抱えて悩んでいた最中に、ナットリューが別れの挨拶に来たのだ。曰く、ナットリュー氏の商業団は、次は帝国に向けて旅立つ予定らしい。

 

 これはチャンスだ、と僕は変態に依頼して噂を広める役目を引き受けて貰った。

 

「戦争を理由にして免税? ……そんな狂気的な。でも、それで商人が誘致できるなら────」

「実際、毎日のように新たな商人が集まってきてますよ。このままガンガン街を拡張していけば、おそらく数年以内に元は取れるでしょう」

「あ、あー、はい。う、うふふふ……」

 

 イヴの顔が青くなっている。うん、僕もやりすぎた自覚はある。

 

 流石に、貯蓄半分は溶かしすぎだったかな。でも、一応安全策も講じているんだ。そこもアピールしておこう。

 

「万一の時の保険として、パトロンになってくれそうな優良豪商を囲ってもいますので、本気でお金が足りなくなることはないと思います。なので、あまり心配は……」

「いえ、心配してるんじゃありません。ポートさんの策にドン引きしてるだけです」

「えっ」

 

 うむう、やっぱ駄目だったか。まぁ仕方ない、やり過ぎたとは薄々感じてたんだ。観念して、しっかり怒られておこう。

 

「ポート。お前それ、武力使ってないだけで経済的侵略じゃ……」

「座して、敵の商業基盤を引っこ抜きおったのか。いやはや……」

 

 リーシャやイシュタール様からも、呆れの視線が向けられている。

 

 ……確かに。僕の予想していた以上に商人が集まってきてしまい、出費が想定外にかさんでしまった。そこは僕の見込みが甘かったせいである、反省だ。

 

「……まさに、必勝ですね。敵に防衛の布陣を引かせ、戦時体制に移行させるだけで商業圏を毟り取る。味方ながら、ポートさんの悪辣な戦術に寒気がしましたわ」

「えっ」

 

 何で僕が悪辣とか言われるのさ。

 

「これ、敵さんは兵士に報奨金払えないんじゃねぇか?」

「じゃのう。となれば、何とか金を得ようと儂らの領土に攻め込んでくるやもしれんのう。この状況を放置すれば、アーロンの部隊は金が貰えず瓦解しおるじゃろし」

「不利なはずの侵略戦が、一転して有利な防衛戦になっちゃいます。ポートさん怖い……」

 

 なんだか、周囲から恐れられている気がする。商業圏毟るってなにさ、僕は商人呼び込んだだけじゃないか。

 

「この国で1番の謀将となれる……か。儂はまだ、君を過小評価しとったらしい」

「え、それは、その」

「君は、歴史上に名を残す英雄となるじゃろう。イヴ、ポート殿が仕えたお前の名が霞まぬ様に努力しなさい」

「はい、お父様」

 

 ……。

 

 あれ、また過大評価されてる。なんで、今回僕って結構やらかしたんじゃないの?

 

「もしアーロンの奴が略奪しに攻めてきたらさ。首都戦線の防衛状況に寄っちゃ、反攻するのもありじゃないか?」

「防衛戦なら、多分楽に勝てますわね。首都が持ちこたえられそうなら、改めて後方都市を脅かしちゃいましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……その後の話。

 

 帝国軍の英雄アーロンは僕らの領土への侵攻・略奪を許可しなかった。侵攻戦で勝てる見込みがないのを悟っていたのだろう。

 

 しかし宴も質素で、報奨金があまりに少額だったことに不満を持った兵士達は、アーロンの許可なく出陣し侯爵領に攻め込んでしまった。

 

 先の戦闘で腕を負傷し毒に臥せっていた彼は、暴走する部下を制御しきれなかったらしい。

 

 そして、僕らの領地に攻め込んだ暴走兵は、そのままイヴに反撃され壊滅させられたという。

 

 主力兵士を失ったアーロンは、その勢いのまま反攻してきたイヴ達にさんざんに打ち負かされ、その領地を占領されてしまった。彼は敗軍の将として、命からがら九死に一生で逃げ出したという。

 

 

 ────こうして侯爵家は、南方戦線を突破した。

 

 それとほぼ同時期に、首都戦線に帝国軍本隊が到着する。

 

 この戦争の決着は、近付いてきていた。



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終戦

「私は、強いです」

 

 その女性は、そう言った。

 

「命が惜しくば逃げてください。家族が居るなら帰ってください。そう言った者に私は危害を加えません」

 

 甲冑に身を包み、燃え盛る剣をダランと構えたその女は、数名の部下を引き連れたのみでゆっくりと歩み続けた。

 

「すぐさま降伏を。貴方達の命と安全を保証します」

 

 一歩、また一歩。女は大軍に向けて歩んでいく。

 

 

 ────畜生、やってやる。

 

 

 決死の覚悟を纏った兵が、不気味に行進する女へと肉薄する。

 

 国の為、家族の為、覚悟を決めた彼らの意地を見て。業火剣を構えたその女は、フゥと溜め息を吐いた。

 

「しかし、私の命を奪うべく剣を向けてきた者には遠慮致しません」

 

 そう、宣言するや否や。

 

「骨も残らないと知りなさい」

 

 斬撃の動作すら目に追えぬ速度で、男どもを切り払った。

 

 そこ残ったのは、赤く焼け焦げた塵のみであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帝国軍、作戦本部。

 

「アリエ様は順調です。指示された地点までゆっくり進軍を続けています」

「……また、アレやってるの? ちゃっちゃと敵を焼き殺してポイントを占領してほしいんだけど」

「アリエ様の矜持だそうで。向かってくる敵は斬り殺しても良いけれど、逃げる敵は見逃さないといけない。だから、アリエ様自ら先頭に立って警告をした上で進軍するのだそうです」

「戦争をなんだと思ってるんだあの女」

 

 軍聖ミアン率いる帝国軍本隊は、とうとう首都防衛戦線へと到達していた。

 

 この目前にそびえ立つ首都を陥落させれば、戦争は終結となる。ここまでは彼の予定通り、順調な進撃をしていたのだが。

 

「……アリエは扱いにくいんだよ。アイツは聖人君子のつもりなのか? 戦争で人を殺しまくってる癖に、何を高潔ぶってる」

「それが、あの方の強さの源でもありますので」

「まぁ、指示した仕事をキッチリしてくれるなら文句は言わないけど。でも、アリエが本気だしたら絶対もっとスムーズなんだがな」

 

 むすっとした顔で、ミアンはノロノロ進軍する友軍を眺めていた。その視線の先には、キラキラと日に輝く長髪を靡かせた女剣士がいる。

 

 業火剣アリエ。彼女は優秀な剣士だが、騎士としての矜持だの前時代的な価値観を重視する悪癖があった。

 

 曰く、弱者に剣は向けないだとか、命乞いするものを殺さないだとか。

 

 既に時代は変わった、騎士の誇りだのなんだのにこだわっている場合ではない。ミアンは、彼女のその無意味な拘りを矯正してやろうと今回の戦に連れてきたが、これが頑固で決して今のスタイルを変えようとしなかった。

 

 アリエは戦争をしているのではない。ただ騎士として正義を成す自分に酔っているのだ。だからこそ最低限しか人を殺さぬ代わりに、人を殺しても罪悪感に囚われない。

 

「あー失敗だ、次はあの女を連れていくのを止めよう。あんなのと一緒に戦争してたらストレスが貯まる」

「アリエ様は帝国でも最強級の剣士ですが……」

「剣の腕はソコソコで良いから、頭が良くて応用が効き、それでいて与えられた命令を確実に達成する手駒が欲しい。英雄って連中は、無駄なプライドが高くて困る」

 

 アリエは、ノロノロと進軍する。敵軍は、蜘蛛の子を散らす様にアリエから逃げ出している。

 

 馬鹿と弱兵の争いほど、見ていてくだらない事はない。

 

「……殆ど誰も、アリエ様に向かっていきませんね」

「シュレーン攻略戦の時はもうちょい向かってきてたらしいな。この国の軍の弱さが伺える」

「数十年も戦争したことの無い国など、こんなものでしょうか」

「南の侯爵家には、粒が揃ってそうだけどな。何なら、英雄と呼んでも差し支えない奴まで居る」

「成る程、それで北から遠回りして攻めたのですね」

 

 ミアンの愚痴に、副官は分かったような分かっていないような曖昧な相槌を打った。

 

 別にミアンは、侯爵家を恐れて迂回した訳ではない。彼の軍略をもってすれば、どちらから攻めても勝てるだろう。

 

 ただ、利用価値のある敵の主力を温存させたまま勝利したかった。それだけである。

 

「戦後のことまで考えて動かないと、戦争をした意味がない」

 

 侯爵家に仕える、帝国で言うところの『英雄』と呼ばれるに相応しい名将。その人物を配下に加える事が出来れば、帝国の覇業の大きな助けとなるだろう。

 

 それに加え、

 

「南の方は、何故か最近商業がいやに活発化してる。出来れば、踏み荒らさずに飲み込みたいんだよ」

「あー、ミアン様、たしか前もそう言ってましたね」

「これ以上発展されると、帝国から商人が流れていっちゃうかもしれない。ここらで釘を刺しておかないと面倒な事になる」

 

 それが、ミアンが戦争を決断した理由だった。

 

 ぶくぶくと、隣国が肥え太るのを黙ってみている理由はない。いずれ征服する予定なのだ、なら早いうちに拿捕して帝国の家畜として肥えてもらいたい。

 

「新しい侯爵家の跡取りは、今までの領主と違い内政重視らしい。攻められてどう対応するか見ものだね」

 

 イブリーフ侯爵、その名は耳に新しい。若くして父親イシュタールに認められ、その席を譲られた新世代の傑物。どのような人物なのかは、想像もつかない。

 

 ただ、彼は今までの傾向から侯爵家は『こちらが嫌がる最善手を打ってくる』予感がしていた。今回のケースで有れば、まだ勝率の良いだろう南部戦線へ侵攻しての突破である。

 

 元々、南の侯爵家は基本的に脳筋集団だった。士気と勢いで突破するだけの、前時代を象徴するような軍隊だった。

 

 しかし、そんな脳筋が代々続いていた南の侯爵家において、先代の領主イシュタールはまさに傑物だった。

 

 戦略の概念を理解しており、その指揮で近年の帝国を多いに苦しめた。彼は、突撃を繰り返すだけだった先々代の侯爵とは違い、意表を突いた巧みな指揮を取り続けた。

 

 イシュタールが特殊だったのか、それともあの家に頭脳派が嫁いだのかは分からない。だが、帝国からしてイシュタールは頭を悩ませる種だった。

 

 その彼が生きている間に位を譲ったのだ。その跡取りイブリーフが、暗愚であるとは考えにくい。そもそも、現在の南の商圏拡大はその跡取りが主導していたと報告すらある。

 

 脳筋から、頭脳派へと転身した侯爵家。どう動くかは、まだ読みきれていない。

 

「ま、アーロンに忠告もしといたし、どうあがいても負けはないでしょ」

 

 だが、そこは味方を信じるのみだ。2面作戦を展開している以上、最後は帝国の誇る名将アーロンに任せるしかない。

 

 アーロンもまた、歴戦の英雄。堅実な戦をさせたら、帝国で右に出る者はいない。よほど戦力差がないと、南の戦線の突破は不可能だろう。

 

「こっちはこっちで、早く攻め落としてあげますか」

 

 首都攻略の道筋は見えている。アリエがミアンの陣の反対側まで移動させ、敵を挟み撃ちするのだ。

 

 さらに幻術の達人フレザリド将軍に、四方八方からアリエの幻覚を見せてやれば敵は大混乱に陥るだろう。

 

 敵からして恐怖の対象であるアリエに囲まれるのだ。たまったものではない。

 

 ……だからこそ、敵に怖がってもらうためにアリエにはむしろ兵士を無差別に虐殺して欲しかったのだが。

 

「もー、なんであんなにノロノロするかな」

 

 背を整え、マントをはためかせ、アリエは進軍している。1歩ずつ、踏みしめるように。

 

 ただ、格好をつけているようにしか見えない。

 

 

「────報告です、ミアン様。敵の少数部隊が、陣地側面の丘の頂きに出現しました」

「えー。そんな近くまでなんで見張りは気付けないのさ。数は?」

「数百名です」

「本当に微々たる数だね。だからって油断しすぎだけど」

 

 そんな折に届けられた、小さな報告。

 

 この大軍の横腹を突くように、敵の小勢が姿を見せたという。

 

「工作部隊か何かか? 装備は? 兵科は?」

「突撃兵の様です。みな、武器を持たず厳重な防具で身を固めています」

「……武器を持ってない、突撃兵だと?」

 

 その報告を聞いたミアンは、頬にタラリと汗を流した。

 

「あー、それはかなりヤバい連中だ。アリエを呼び戻せ、今すぐ」

「アリエ様を?」

「あの女を迎撃に当てろ。アリエが到着するまで防衛に徹して、絶対その部隊を陣地に侵入させるな」

「は、はい。了解しました」

 

 まったく、よりによってその連中を見逃すとか。見張りは責任者を打ち首にしてやる。

 

 ミアンは苛立たしげに、慌てて指示を飛ばし始めた。

 

「数百の小勢を、何故そこまで恐れるのです」

「馬鹿、目の前の大軍よりその部隊の方が100倍面倒臭い連中だよ」

「……それは?」

「侯爵家の切り札、『魔鋼闘士』、鋼掌のダートが奇襲してきたらしい。無手の突撃兵なんぞ、ダート率いる鋼掌隊以外に存在しない」

 

 そう。ミアンが恐れている彼こそ、帝国の基準で正しく『英雄』と呼ばれるに足る存在である。

 

 鋼掌のダート。彼は侯爵家3将軍の1人で、名将ゾラの後継者と言われる男。

 

 彼はゾラの下で副官として下積みを重ね、多くの戦火の中でその才能を開花させ、とうとう尊敬するゾラと同じ立場にまで登り詰めた努力の人だ。

 

 イブリーフ3将軍の一角、鋼掌のダート。女好きで浮気性で、普段はチャラいだけの彼であるが、その実力は本物。

 

 

 ────ゾラは老いている。老爺にかつての剣技の冴えはなく、無尽蔵の体力もなく、頭の回転の早さもない。

 

 ────リーシャは、まだ青い。これから成長し、きっと英雄と呼ばれるに足る存在となるだろうが、今はひよっこだ。

 

 

 だが、ダートだけは。

 

 齢は30ほど、ゾラの教えを受け続け成長し、侯爵家の誇る3大将軍の1人に任命されるまでの人傑となった彼は。

 

 イヴの配下では唯一の、全盛期の英雄である。

 

 

「アリエはどうした。何故、アイツは引き返さない」

「申し訳ありません! アリエ様は、『此処で引いたら先程斬り殺した兵士の命が無駄である』と進軍を止めるつもりは無いそうです」

「はぁぁぁぁあ!? 何だそれ! 命令違反だろう!」

「元々、帝国に下る際から自らの誇りに従って働く契約だとか。アリエ様には、命令違反は問えません」

「ああぁっ! もう、人選完璧に間違えた!」

 

 無手の軍勢が、野を駆ける。敵に与する唯一の『英雄』が、雄叫びをあげて突進する。

 

 狙いは軍部後方、食料輸送部隊。

 

「落ち着いてくださいミアン様。敵は少数です、あの強固な防御布陣を突破できるとは思えません。ここは、奴の背後に兵を送って挟み撃ちにしてしまいましょう」

「バカ、お前は何を見ていたんだ! さっきまでの光景を見ていなかったのか!」

 

 頭を押さえながら、ミアンは直進する業火剣『アリエ』を指差して怒鳴る。

 

「英雄って連中は、たった一人居ればそれで軍勢なんだよ!!!」

 

 

 

 やがて、まもなく。

 

 護衛についていた数千数万の兵が翻弄され、鋼掌のダート率いる奇襲部隊が帝国軍の約半分の食料を焼き払ったという知らせがミアンに届けられる。

 

「伝令。アリエ様が、無事目標の地点に到達したそうです。挟み込みますか?」

「…………やばい、冷静さを保てない」

 

 ミアンは静かに激昂した。

 

 アリエと同格、一騎当千の強者たるダート率いる鋼掌隊は、帝国の精鋭をいとも容易く打ち破って見せた。これもある意味予定調和と言える結果。

 

 そしてそれは、帝国の第一陣が敗北したことを意味していた。

 

「奇襲されて味方が混乱している今の戦況で、今さらアリエが攻撃目標達成して何になる。敵の一番ヤバい奴に、陣地を深く切り込まれてる状況だ馬鹿。一刻も早く建て直せ!」

「は、はいぃ……」

 

 軍聖ミアンの指揮した戦いに、敗北はない。

 

 ただしそれは、味方が指揮に従ってくれるのが大前提である。

 

 帝国の英雄ミアンとアリエは、今回の戦争が初の共同軍。しかし、その相性は帝国の英雄内でも格別に悪いものだった。

 

「戦線を放棄、アリエは置き去りで構わん。どうせアイツは一人でも戻ってくる」

 

 食料の大半を焼き払われては、軍の士気もガタ落ちだ。こんな状態で戦争したら、無駄な被害が出てしまう。

 

 半ばアリエへの当てつけもかねて、ミアン率いる帝国軍主力は後方都市に撤退を選択した。

 

 ミアンにも油断があったのだろう。帝国との国力の差は歴然なのだ、負ける筈のない戦争だ。

 

 これは如何に早く勝利するかより、いかに被害を少なく勝利するかを優先した為の撤退だった。

 

 

 かくして、ダート率いる鋼掌隊の大戦果により帝国軍は1か月の時間を浪費する。それは後方都市に戻り、武具食料を整え、改めて再侵攻するための1か月。

 

 

「……伝令です」

「今度は何だよ、もう」

 

 そして、その一か月の猶予が帝国軍侵攻部隊にとって致命傷となった事を、ミアンはその伝令で知った。

 

 

「────悪報です。南部戦線が破られました」

 

 

 その知らせを聞いたミアンは、目を見開いてその場で崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なんでさ」

「もうポートさんを離しません。ウフフ……」

 

 満面の笑みを浮かべたイヴは、僕を頬擦りして機嫌良さげに笑っている。

 

「大丈夫です、私はもう負けません。何があっても守って差し上げます」

「……いや、あの、イヴ様?」

 

 おかしいな。どうしてこうなったんだろう。

 

 僕はただ、一人の文官として彼女の助けになりたかっただけなのに。

 

「あぁ、私は今とっても幸せです」

「あのー、イヴ様ー?」

 

 ……さっきから、イヴと会話が通じない。

 

 何が変なスイッチが入ってしまったんだろうか。にしても、そろそろ正気に戻さないと。

 

 だって、もう────

 

「もう、軍義始まってますよ?」

「むー。無粋なことです」

「貴女は総大将でしょう……」

 

 まったく、軍義中に何やってんだこの人は。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ポートさんを連行することにいたしましたわ」

「……」

 

 イヴは帝国に再度侵攻する際に、僕に従軍を命じた。

 

 本来なら僕は内地で後方勤務の筈だったのだが、事情が変わったからとのこと。

 

『いざとなれば出陣して、首都へ救援に向かえる人材を領都に置いておきたいのですわ。あるいは、首都から攻められた時に迎撃する必要もあるかもしれません。領都には、武官と文官を兼ねるリーシャを残しておく方針にします』

『うっす、分かりましたイヴ様』

『リーシャ。ポートさんの残した仕事が割と貯まってるそうなので、平和であればそちらを片付けてください』

『うげー、それも了解です』

 

 とまぁそういう事情で配置換えでリーシャが領都に残り、僕が従軍する羽目になった。開戦から結構時間が経っているので、領都で軍事行動を行う必要があると踏んでの人員交代らしい。

 

 彼女はその後「後方勤務だ、サボれる、わーいわーい」と喜び勇んで都に戻り、部屋丸ごとに積み上げられた無数の紙束を見て目が死んでしまうのだが、それは別のお話。

 

 まぁ、つまり僕はイヴの副官として戦争に参加する事になったのだ。

 

 ……戦えない僕が従軍しても意味なくね? と思ったのだが、僕の立ち位置は『参謀』らしい。

 

 僕は軍略なんか勉強していないとイヴに言ってみると『ならこの戦争を体験して成長してください、貴女ならすぐに最高の軍師になれます』とのこと。

 

 つまり、イヴは僕に成長の機会をくれると言っている様だ。

 

 じゃあ着いていくか、どんな勉強をさせてくれるのかと期待し僕は従軍を決意した。だのに、せっかくついてきたのに僕は日々こうやってイヴに愛でられるだけだった。

 

 これじゃ、都に残って書類仕事をしていた方がまだ役に立てていた気がする。軍義と言っても、毎日進路の相談をするくらいしか身のある会議をしていない。

 

「じゃあ、やはり予定通りオトラの街を目指す方針で行きましょう」

「異義なし」

 

 ……それもこれも、南部戦線を突破してから、ろくに戦闘が無かったからだ。

 

 帝国内部に斬り込んだ僕達は、各都市を占領しながら進軍し、北部戦線の後方を突く予定だった。

 

 

 でも、そんな事すれば恨みを買って講和がしにくくなるだけじゃないか? とイヴ様はのたまって……

 

 

 

『我々の目的は、決して侵略ではございません。求めるは平和のみです』

 

 彼女は、各都市の長に交渉し戦争せずに進軍する事を選んだのだ。

 

『無駄な血を流す必要はないでしょう。我々は、貴殿方の王に直訴しにいくのみ。決して虐殺、略奪を行うつもりはありません』

『帝国が兵を引くならば、我々も速やかに引き返しましょう』

『和平を掲げる我々と、それでも闘いますか?』

 

 とまぁ、こんな交渉でイヴは訪れた都市の先々で略奪を行わず、素通りしていくことに成功したのだ。

 

 ぶっちゃけ、イヴの詭弁である。各都市の長も、流石にイヴの言葉を鵜呑みにした訳では無いだろう。

 

 おそらく『僕らに街を荒らされてまで抵抗するより、素直に首都まで通して首都の防衛部隊に撃破して貰った方が被害が少ない』と踏んだのだ。

 

 あわよくば、素通りして進軍する僕らの背後を突いてしまう心算だったのかもしれない。いずれにせよ、今までの都市の長は、イヴの提案に好意的に乗ってきた。

 

 しかし、本当に背後から奇襲されたり退路を断たれたらたまらない。だからイヴと僕は、不干渉の交渉をした後で食料の買い出しを行う時に────

 

「ポートさんの人脈は素晴らしいですわ」

「……元は帝国の商人さんを引き入れた訳ですからね。そりゃ、繋がりは有りますよ」

 

 領都で囲ってた商人さんの関連商社に挨拶回りを行って、彼らの助力を乞うたのだ。

 

 幸運なことに、今まで攻略してきた二つの都市それぞれに領都へ出店している商社のグループがあった。今回の説得が領都商圏の存続に関わる案件だとお願いをしてみたら、「停戦の口添えをするくらいなら」と説得に着いてきてくれた。

 

 地元の有力商人の声は、さすがに無視できなかったらしい。結局、今のところは背後から奇襲されたり退路を塞がれたりする様子はなく、僕らは無事に進軍できていた。

 

「……で、このまま帝国の王都に行っても、戦力差的に勝てるとは思えないんですが」

「勿論。狙うは王都ではなく、北部戦線の補給路です」

 

 とまぁ嘘とデマカセ塗れで進軍していた僕らは、普通に侵攻するよりはるかに速い日程で、帝国の領土を北上していた。そもそも、こんな少勢で帝国の内地に踏み込んでも負けるだけだ。元より僕らに示された道筋は、国境沿いに移動するのみである。

 

 そして狙うは帝国の商業都市オトラ、敵補給路の中枢だ。

 

 この都市を破壊できれば、北部戦線の補給は完全にマヒする。まさに、起死回生の一手である。

 

 ただし、それはつまり。僕達が、オトラと言う街を焼き払うことを意味していた。

 

「……イヴ様は、帝国の民を虐殺するつもりですか」

「必要とあらば。私の可愛い民が虐殺されるか、帝国の民を虐殺するかどちらかを選べと言われれば、迷いません」

「そうですか……」

 

 イヴは、勝利するためには何だってする。非人道的であろうと、このままオトラで虐殺を行う覚悟はあるようだ。

 

 僕だってその通り。村のみんなを守るためならば、鬼畜になる覚悟はある。

 

 だが、しかし────

 

「でも、そうならないように動くのが為政者ですわ」

 

 イヴだって、それを望んでいるわけではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、内政戦略で南部戦線を突破!? 元は脳筋集団の癖して、なんてスマートな策を」

 

 南部戦線の詳細を聞いて、ミアンは珍しく声を荒げた。

 

 帝国側の商人に渡りをつけて経済的に侵略する、なんて戦争概念は今まで存在しなかった。いかにアーロンが完璧な軍事的防衛線を構築したとしても、別次元の経済という刃で攻略されてはどうしようもない。

 

 まるで背後からいきなりぶん殴られたという被害報告のような、そんな敗報だった。

 

「……不気味すぎる。これが、新領主イブリーフの手管ってやつか? 軍略の枠外から攻めてくる連中なんて、さすがに手におえないぞ」

 

 彼は、帝国きっての天才として持て囃されてきた。たまたま敵の戦略を読み取るのが得意だった彼は、敵の戦型に応じて柔軟に対応できる、カウンターに特化した新しい戦術を編み出した。

 

 それこそが、彼の無敗伝説を支えてきた力である。

 

 帝国一の頭脳を持つ彼は、今まで自分より優れていると感じた人間に出会ったことがない。そんな彼だからこそ、想定だにしていなかった戦略をとったイブリーフに畏怖を感じていた。

 

「ミアン様、報告です」

「なんだ」

 

 ミアンは敗報を聞き、すぐさま首都戦線を放棄し手早く兵を纏め、南部へと進軍した。

 

 イブリーフは不気味だ。だが敵の侯爵家を放置する限り、いかに首都を攻め落とし戦争に勝利しても、帝国としては『大損』なのだから。

 

「本陣地に、オトラの市長を人質に、侯爵家の使いが来たそうです」

「……手早いな」

 

 しかし、またもミアンは侯爵家に驚かされる。

 

 敗報が届いてほんの数週のうちに、帝国側の主要都市オトラが陥落したとの連絡が入ったのだ。

 

 ミアン率いる本軍は、まだ敵領土内。今から急行しても、オトラ救援に間に合うとは思えなかった。

 

「どんな進軍速度だ。もう、敵はオトラまで進軍したのか? 遊撃軍は何をやっていた、あの都市を焼き払われていたらもうどうしようもないぞ」

「すみません、分かりません」

 

 敵の進軍速度は、異常である。ミアンはかなり手早く引き返してきた筈なのだが、数週間モタついていただけで既に敵は背後まで忍び寄っていたらしい。

 

 やはり、底が知れない。常に予想を上回ってくるタイプの敵を相手にするのは、若いミアンは初めての経験だった。

 

「まあ良い、会おうじゃないか。侯爵の使いとやらに」

 

 何となく話の内容は想像出来ているが、とミアンは嘆息する。これは、敵側のチェックメイトだ。

 

 ミアンはこの日、戦わずして敵に敗北を突き付けられるのだ。

 

 

 

 

 

「使者殿が、お見えになりました」

 

 ────やがて数刻後。恭しく一礼し部屋へと入ってきたのは、なんと高齢の爺だった。

 

「……おい、おい。まさか貴方は」

「イブリーフ侯爵の使いで参りました、イシュタールと言うものですじゃ」

「……これは、どうも」

 

 それは南部領の前領主、侯爵家を変えた前時代の怪物、イシュタールその人であった。ミアンからして、予想外の使者である。

 

「ほっほっほ。こりゃ、若いお方が出てきたのう。ふむ……、君がこの軍の大将かの?」

「ええ、そう言う貴方こそ、侯爵軍の大将の様なものでは無いのですか?」

「まさか。今回、儂はなーんにも指揮しとりゃせんですじゃ」

 

 ヒョッヒョッ、と可笑しげに笑うイシュタール。

 

 今回の策略はこの傑物の指示なのか、若きイブリーフの手管なのか。

 

 ミアンは軽く揺さぶりをかけてみたが、ブラフや交渉に関しては年季が違うらしい。ミアンには、彼の言葉の真偽がいまいち判断できなかった。

 

「で、いかなる御用で?」

「いやいや、帝国の力は凄まじいものですな。参った参った、これ以上戦争を続けてはいずれ負けてしまうと分かりましてのう」

 

 ……その言葉に、ミアンは軽く眉をひそめる。

 

 後方都市の解放を引き換えの講和、それがイシュタールの本題だとミアンは読んでいたのだが。

 

「帝国に降伏を申し出ようかと、思い至りましたのじゃ」

「……」

 

 敵は、思ったよりも欲張りな狸だったらしい。ミアンは、その申し出の真意をすぐ察した。

 

「貴殿方が帝国領になれば、僕らも攻める理由がなくなるからな。で、条件は? 自治あたりか?」

「話が早くて助かりますのう。我らの領地をそのまはま帝国の自治領として、認めてくだされ」

「名はやるから実を寄越せ、と。ふん、図々しい」

 

 降伏はしてやる。そしてオトラを解放するかわりに、自治させろ。それが、イシュタールの落とし所だった。

 

 自治を許されたならば、攻められた弱国の結末としてはこれ以上無いだろう。実質的には勝利といえる。

 

 どうせ降伏するなら、これ以上なく有利な戦況で。イシュタールは、まさにそれを実行に移したに過ぎない。

 

「儂らの商業基盤が合わされば、帝国はまさに盤石でしょう。互いに関税をなくし、積極的に通商を行い、両国の繁栄を目指しましょうじゃ」

「貴様らは関税なんてかけていないだろう? 僕達の国から色々と引っこ抜いてくれたみたいじゃないか」

「ふぉっふぉっふぉ」

 

 本当に、食えない。そんなことをすれば、ますます侯爵家が肥えていくだけである。

 

 だが彼らが降伏し同じ帝国の身内となった以上、関税を設ける名分もなくなるのだ。

 

「商業はそれでいい、軍事はどうなる? 僕らが何者かに攻撃を受けた際、すぐさま援軍に来るんだろうな」

「……それは、どうでしょうな。貴殿の国はそこら中に喧嘩を売っとります。常に攻められとるようなものでしょう、そんなのにいちいち援軍などしておれませぬ」

「終戦するなら、軍事提携は必須だ。貴様らが攻撃を受けたら助けてやるから、お前らも同じ条件で手を結べ。本来、小国である貴様らにメリットの大きい話だぞ」

「貴国の戦争に巻き込まれるのはゴメンだと、そう申しておる次第です。我らは貴国の自治区域として、中立的に生きていきますじゃ」

 

 ミアンは不機嫌そうに、その老人の目を見据える。

 

 イシュタールはどこまで譲歩して良いか、どこまでは譲ってはいけないか、当たりを付けてきている目をしていた。

 

 これ以上の突っ張りは、正直無駄だな。とっとと落としどころまで持って行った方が話が速い。そう、理解した。

 

「じゃあ、帝国から戦争を吹っ掛けていない勢力に攻撃された場合、援軍には応じること。これでどうだ」

「……ふむ、それならば」

「それ以外でも、帝国の存亡の危機ならは援軍に応じてもらう。まぁ、そのくらいか」

「帝国の存亡の危機ならば、ねぇ。その仮定は必要ですかの?」

「必要だな。それも盛り込む」

 

 その言葉に、老翁は少し考え込む。

 

 帝国が滅亡の危機に瀕してしまう様な情勢なら、きっと侯爵家は条約を破棄して帝国へ侵攻し、その領地を切り取りするだろう。

 

 全く意味の無い条約だ。そう思えた。

 

 少し考えこんだがイシュタールには、その文言を取り込む意味は理解できなかった。しかし、大した問題ではないだろうと結論付けた。

 

「その条件で構いませんですじゃ」

「後、自治を認めるのは今までの貴様らの領地のみだ。占領したアーロンの都市は返してもらうぞ」

「ええ、ええ、それは無論ですの。その代わり、我らが自治領の内部の政権、人事権、商業などには一切の不干渉を要求しますぞ」

「構わん」

 

 元よりその辺は、首都を陥落し属国にしたとしても侯爵家に取り仕切らせるつもりだった。

 

 面白くないのは、それが帝国が主導し与えた権利ではないところくらいである。

 

「では、後程書類を作成して持って参りますじゃ」

「……ふん」

 

 食えない爺だ。何もかも、奴等の思う通りに事を運ばされてしまった。

 

 自治を認めてもらったまま、帝国と戦争を終結し通商まで締結してしまう。まさに、連中の思い描く最高の結末と言えるだろう。

 

 だが、内心でミアンは胸を撫で下ろしていた。

 

「……奴等が脳筋のままでなくて助かった。非戦を貫いて進撃してくれて、首の皮一枚繋がった」

 

 それは、実は────

 

「戦争には負けたようなもんだが、勝利条件は満たした。王都に引き返して、報告に行くぞ」

 

 所々不利な条件であり、大量の人傑を逃してしまった形ではあるが。この決着は今回ミアンの描いていた戦争の終型と、大きく変わらぬ落とし所だったからである。

 

「鋼掌のダートが手に入らなかったのは痛いけど、うん。結果だけ見れば最速で敵を降伏させたようなもんだ。アリエの大ポカがあってこの結末なら、及第点か」

 

 こうして、約半年に及ぶ戦争は決着した。

 

 表向きは、帝国の勝利として。

 

 その本質は、両者勝利として。

 

「……それに、侯爵家の連中。ただの粒揃いかと思いきや、中々どうして美しい珠が混じっているみたいじゃないか。それが分かったのが、今回の最大の収穫かもしれない」

 

 そしてまだイシュタールは、イブリーフ侯爵は知らない。

 

 帝国の侵略なんて、大した脅威でもなんでもなかったということを。本当の脅威は、まったく別に存在していたことを。

 

「味方が頼もしいのは、敗北の悔しさ以上に好ましい……」

 

 何故、突然に帝国が各国へ侵略を始めたのか。どうして無茶を承知で、ここまで戦端を広げたのか。

 

 そして、ミアンが見据えていた先は何処だったのか。

 

「……数年後が楽しみだ」

 

 彼女がそれらを知るのは、後数年経っての話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふーん? 例の内政戦略の仕掛人は、このポートって奴なのか。こいつが南の、侯爵家の新たな頭脳なんだな」

 

 

 ────そして、前哨戦は終結した。

 

 国家をあげて闘った両国の被害は、戦争があったとは思えぬほどに軽微なまま。

 

 帝国は新たな国家を併呑し、その覇道を突き進む。

 

 その未来に、何か大切なものを見据えて。

 

 

「僕と同年代の女、ね。ますます、嬉しいじゃないか────」

 

 この日、正式に帝国は降伏を受け入れ、その自治権を認める声明を出した。

 

 これにより、ほんの一時の平和が訪れる事となった。

 

 

「上手く引き抜いて、僕の手に入れたいものだ。離間策が効く相手かな? くくく……」

 




その頃のポートさん

「そういや僕が仕えるのって、戦争が終わるまでって契約でしたっけイヴ様」
「ちょ、待っ……」


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奸計

 こうして、僕らの戦争は終わった。その結末はイブリーフ侯爵家による、最高の条件での和睦だった。

 

 一応は帝国に従属する形にはなるものの、自治や内政権を認められたままの降伏は事実上の勝利と言えた。何が一番大きな戦果かと言われれば、軍事内政権を掌握されなかった点に集約される。

 

 侵略され屈服した他国の扱いは『植民地』。しかし、僕たちの国は『従属した親国』として扱われる。

 

 従属したことにより僕らは何の権利も失わず、ただ帝国が僕らの国を攻める大義名分を失っただけの形だ。

 

「なのに、王様はカンカンなんですか?」

「勝手に属国にされた事に憤っている様子なのです。……はぁ」

「侯爵家が南部戦線を突破しなければ、首都は陥落し皆殺しになっていたのに?」

 

 だがしかし。

 

 このイシュタール前領主の交渉の価値が、僕らの王には伝わらなかったらしい。後方を襲撃し一転して有利な状況になったのに、何故降伏したのかと侯爵家に呼び出しがかかったのだ。

 

 僕はイヴと共に、王へ釈明すべく首都に向かう羽目となっていた。……僕は今回の政策のせいで彼女の腹心的立ち位置にされたらしく、今後は基本的にイヴに沿って行動することになるらしい。

 

 ……イヴ曰く僕から目を離すと何をしでかすかわからない、だそうだ。そんな事を言うなら最初から内政官に任命しなければ良いのに。

 

「ただし、別に私たちが下手に出る必要はありません。むしろ、讃えられてしかるべきなのに。それをしない王はただの暗愚な俗物です、へりくだる必要はありません」

「……それは、まずいのでは?」

「不味くないです。とあるお方が大改革したせいで、私たちの領土の商業基盤が首都とほぼ並んでしまっています。経済的には互角、軍事的には私達に分がある。王権や首都というのは名ばかりで、今や実質的な権力は侯爵家にありますもの」

 

 ふふん、とイヴは珍しく得意げな顔をする。

 

「私の配下達は、首都の人材よりはるかに優れておりますので。侯爵家3将軍はこの国トップクラスの指揮能力を持ち、経済商業に関しては貴女が加入し、未だ私のお父様も健在です。汚い権力争いばかりして本業の政治をおろそかにしている首都の面々がどう騒ごうと、私達に手出しは出来ない程に資金力と軍事力の差があるのです」

 

 ……それは、薄々感づいていた。ただでさえ軍事力は侯爵家頼りなのに経済基盤まで首都を抜いてしまったなら、事実上のこの国の首都は僕らの領になってしまう。

 

 この調子で経済成長を続けたら、イヴが事実上の王様になってしまうだろう。もしかしたら国王は、それを恐れているんじゃないか?

 

「もしも愚かな国王が私達をどうこうしようものなら、私達を護衛してくれているゾラ将軍が首都を攻め滅ぼしてまで助けてくださいますわ」

「……そうならないことを祈るよ」

 

 イヴはイヴで、王様を若干軽んじている節があるし。まぁ、実際話を聞く限りは小物っぽいんだけど。

 

「というか、まさか僕まで国王の前に出頭させられるんですか?」

「いえいえまさか、ポートさんはお留守番です。王様への弁明は、私自ら行いますわ。ポートさんは、その間に首都圏の商業基盤を掌握してください」

「えっ」

 

 ……えっ?

 

「首都の商業圏をポートさんが掌握できたなら、国王と言えど私には一生頭が上がらなくなります。無論、私達に手出しできませんわ」

「いや何言ってんですかイヴ様」

「首都には3日ほど滞在する予定なのですが、それで首都を掌握する時間は足ります?」

「出来るわけないでしょう、イヴ様はアホなんですか」

 

 3日で首都圏の商業掌握しろって、イヴはいきなり何とんでもない無茶振りするんだ。前世の悪癖が今出たのか?

 

 そんな出来っこない命令は即答で断ったが、断られたイヴはむしろホッとした顔で僕を見ていた。

 

 何なんだ。

 

「……よかった、流石に出来ませんわよね。正直、二つ返事で頷かれたらどうしようかと内心焦ってました」

「何なんですか、そのカマかけは」

 

 イヴも出来っこないと思っていたらしい。なら、そんな命令しないでよ。

 

「いや、ごめんなさい。まだポートさんの底が見えないので、時おり今みたいに無茶な命令を出していこうと考えまして。早めに部下の限界値を把握しておかないと、いつか本当の有事の際に無茶な命令を出してしまいかねませんもの」

「……いや、僕の底なんてすこぶる浅いですけど。試す必要なんて────」

「いや、そういう謙遜は要りませんわ」

 

 ピシャっと、イヴは僕の弁明を遮って捨てた。

 

 ……本当に、イヴの過大評価が過ぎる。それもこれも、こないだのまぐれパンチのせいだ。

 

 この前の『戦時免税』に関しては、確かに帝国商人を呼び込んで敵の弱体化までは狙ったけど、それが戦局を左右する様な大仕掛けな罠になるとか全く想定していなかった。

 

 しかしイヴは僕が神算鬼謀を働かせ、敵領地を騙し取ったみたいに考えている節がある。はっきり言おう、完全にまぐれだ。

 

 僕は無我夢中に領都の発展を目指していただけで、その発展の副次効果としてあんな展開になっただけだ。もし僕が全てを予測した上でそういう戦略を練ったなら確かにヤベー奴だけど、あのラッキーパンチを僕の実力と思われたらたまらない。

 

「まぁ掌握は無理にせよ、せめて首都の商人に顔は繋いできてくださいまし。今後経済関連の仕事はすべてポートさんにお任せするので」

「……僕が数年で辞める事、忘れてませんよね」

「今回の戦争中、ポートさんが主導で大改革を行ったのですわ。せめて侯爵家の貯蓄が戻り、貴方の主導した政策が安定するまでは貴方が指揮を執るのが筋ですわよ」

「それは、まぁ……」

「無論、それでも仕事を投げ出したいのであれば私は止めません。ですが、これでも私は貴女の事をよく理解しているつもりです」

 

 自称僕を理解しているというイヴは、僕の髪を撫でながらこう言った。

 

「貴女は自分が思っている以上に賢明で、自らを評価している以上に優秀で、そして誰よりも責任感が強い方ですわ。その根底にあるのはきっと、村の仲間────。いえ、貴方の大切な幼馴染でしょうか? そんな自分にとって大切な人への、この上なく深い愛情です」

「……」

「この国にとっての危機となれば、貴女の大切な人にとっても危機なので、貴女は絶対に立ち上がるでしょう。だから私は、ポートさんが今すぐ仕事を投げ出して村に帰っても文句を言いませんわ。来るべき時が来たら、貴女は絶対に力を貸してくれると分かっておりますので」

「それは、その」

「ただ、そうですね。貴女の本領は国の存亡の危機という状況より、平和で穏やかな日々でこそ輝く。安穏とした生活を、より高みへと導くのが貴女の力です」

 

 そこまで言うと、イヴは僕の髪から手を離して笑った。

 

「貴女は今までに、貴女の村で得て感じた知啓を生かしてください。それが、他ならぬ誰より大切な貴方の仲間のためになります。これからの貴女の手腕に、期待しておりますわ」

「参ったな。イヴ様にそう言われてしまったら、非才な身なれど精一杯頑張らなきゃって気になってくる」

 

 まったく、結構人を乗せるのが上手いんだ、イヴという少女は。確かに、村のみんなの為と言われたら僕は粉骨砕身頑張るしかないだろう。

 

 王としての器は、やはりイヴにもバッチリ備わっているらしい。部下をその気にさせるが上手い人間は、上司として優れている証左だ。

 

 せいぜい、僕がお役御免になるまでは少しでもこの領地に貢献するとしよう。

 

「分かりました。イヴが仕事をしている間にこの首都圏の商人さんと、上手くコネを作ってきます」

「よろしくお願いしますね」

「ただ掌握とかは無理ですからね。せいぜい、取引先になって貰う程度です」

「ふふ、あれは言ってみただけです。それで十分ですよ」

 

 よし。3日間という短い期間だが、今急進中の領都商圏の責任者という僕の立場を知れば、複数商社と契約は結べるはずだ。

 

 王様への弁明は、どうせイヴが上手くやるだろう。僕は、僕に任された仕事をこなすことに集中しよう。

 

「そもそも、商社を掌握しようって発想が間違っています。確かに、商人は首根っこ掴んでおかないといつ裏切るか分からないですけど、本気で掌握しようとすると反発も凄いし時間もかかるでしょう。適度に泳いでもらうが一番です」

「ふふ、そうですね」

「大体この都の規模なら、少なくとも掌握に1月はかかります。こんな遠隔地の商圏にそれだけ時間をかける価値があるかは、分かりませんね」

「……」

 

 遠隔地になればなるほど、顔を合わせる機会も疎になる。となれば、あっさり掌握され返される可能性もある訳で。

 

 商人を掌握するのは権力の地盤がしっかりした地元だけで良い。

 

「じゃあ、行ってきますイヴ。少しでも顔を売ってきますよ」

「は、はい。頑張ってください」

 

 さてさて。この都で話が分かりそうで有力な商人って誰が居るんだっけ。

 

 こんなこともあろうかと、一応領都で見繕っていた資料があるはずだ。時間も限られているんだ、よく吟味してコネクションを作りに行こう。

 

 

 

「逆に1月あれば掌握は出来るんですね、ポートさん……」

 

 仕事をすべく駆けだした僕の背後で、どこか呆れたような声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リーグレットさん、次は何処の商社にアポ取れましたか?」

「ダラオマ錬鉄会の会長が、お会いになってくれるそうです」

「おお、鍛冶師の商業組合さんか。良いね、首都の錬鉄技術は欲しいと思ってたんだ」

 

 イヴと別れて、1日ほど。僕に任された仕事は、順調に進んでいた。

 

「商業に加えて技術まで首都に追いつくことが出来たら、イヴの言う通りに確かに僕らの領土と首都の力関係が逆転しますね」

「ええ、我らが国王からしたら気が気でないでしょうな」

 

 目をつけておいた幾つかの商会と、既に契約が取れている。この調子で一つでも多くの商社と、陸路を通じて通商関係を結ぶのだ。

 

 こちらには、帝国商人達が入って来たことにより新しい商品が結構ある。これらの流通ルートを首都にも伸ばすことが出来れば、ますます僕らの領は発展していく。

 

 それはもちろん、首都も同じだろう。これは、お互いに利益の大きい交渉だ。

 

「ところで。国王様がイヴ様を害する可能性はないですかね?」

「えぇ……。それは、流石にしないでしょう」

 

 リーグレットさんの懸念を、僕は笑って切って捨てた。

 

 国王は話を聞く限り小物っぽいけど、それでも王様を名乗っているのだ。ここでイヴに危害を加えたりする程、愚かではないだろう。

 

 ここでイヴに何かしたら、僕らの領と首都の間で戦争が始まる。そうなれば軍事力の差で結末なんて見えてるし、その『内乱』で得をするのは国王でも僕らでもなく、帝国だ。 

 

 『反乱を鎮圧する』という再侵攻の名目が立つし、ただでさえ戦力差が酷いのに主力の僕らが疲弊していたのでは敗北必至だ。

 

 国王の権力をもってしても、イヴに手を出すことは不可能。むしろ王は、イヴにゴマを擦るくらいの態度でないと厳しいはず。

 

 ────ただ、彼にも国王としてのプライドとか立場とかもあるだろう。本来の権威通りにイヴが1歩引いて国王を立てつつ、弁明の結果お咎めなしで終わらせるのがちょうどよい落としどころだろうな。

 

「そのあたりは、イヴが上手くやる筈です。彼女は怖がりですが聡明で優秀な人ですから」

「まったく、その通り。では、我々は我々の仕事をしましょうか」

 

 彼女の事だ、上手にやっているはず。僕達は早く仕事を進めて、より大きな成果を挙げねばならない。

 

 

 

 そう、思っていたのだが。

 

 

 

「失礼します。貴女は侯爵家の内務官、ポート様でいらっしゃいますか」

「え? は、はぁ。僕はポートです」

 

 僕達が次の商談へと向かおうとした矢先、正式装備の警護兵に話しかけられて囲まれる。

 

 ……え、これは何だ?

 

「国王様より、侯爵家に翻意の疑いがかけられております。申し訳ありませんが、侯爵家の方々の身柄を拘束するよう命令が下りました」

「────は?」

 

 翻意? 僕らが、翻意?

 

「帝国と内通し、国を売った。それが、イブリーフ侯爵に賭けられた嫌疑です」

「え、ちょ、はぁあ!?」

 

 何だそれは! まさか、本当に国王はイヴに手を出したのか?

 

 あの交渉は、イシュタール様だからこそ結べた値千金の講和だったじゃないか。国王は前世のイヴ並の白痴なのか!?

 

 そんなことをしたら侯爵家と首都で戦争になる、そして軍事力で劣る首都は廃墟と化す。そんな事すら、分かってなかったのか!?

 

「あなた方が無実であるならば、騒ぎ立てる必要はないでしょう。大人しくご同行願います」

「……」

 

 とはいえ、現状はすこぶるマズい。王が暴走してイヴや僕を害したとして、その先に不幸な結末しか残らないのだ。

 

 なんとか、この窮地を脱せねば。

 

 僕の装備は、腰に巻いたボーラ1個。ここは街中だ、付近に石は見当たらないので補充は出来ない。

 

 リーグレットさんは一応帯刀しているけど、周りを囲む警護兵は数十人いる。さすがに、この人数の相手は難しいだろう。

 

 ここは、おとなしくするのが賢明か。

 

「僕らの処遇はどうなるのです」

「それは、追って連絡させていただきます」

 

 いや、待てよ。これ、おとなしくしていたら殺されるだけとかそんなオチにはならないか?

 

 く、どっちが正解だ。こうなるんだったらラルフ達を護衛に連れて来るんだった。帝国領に侵攻していく主力軍に、幼馴染を組み込むのは躊躇って外してしまったが……。

 

 マズい。この首都には頼れるアセリオも、ラルフもリーゼも居ない。首都の城門外にはゾラさんが控えてくれているけど、そこまで逃げ遂せる手段はあるか?

 

「では、ご同行願います」

「……」

 

 落ち着け、冷静になれ。多分、今のこの状況が運命の分かれ道だ。

 

 本気の抵抗をするなら、成功率の高い手段を。抵抗しないのであれば、少しでも従順にして油断を誘わねば。

 

 どっちだ────

 

「エターナル・フリゾナルシュート!!」

 

 僕が必死に行動方針を考えていたその時、聞き覚えのある声と共に人の頭ほどの大きな氷の塊が数個かっ飛んできて兵を吹っ飛ばした。

 

「ポートさん、こちらです!」

「イヴ!!」

 

 その声のした方を見ると、そこに居たのは剣を抜いた僕らの主、イヴの姿だった。

 

 彼女は、まだ捕らえられていなかったらしい。

 

「王は駄目ですわ! 私を殺しても、侯爵家の配下全員が従順に自分に従うと思い込んでいました! 申し訳ありません、今代の王は愚物と聞いていましたがあれほどとは!」

「……い、居たぞ侯爵だ!!」

「私を取り逃がしたら、すぐにポートさん達の確保に向かうと思いましたわ。ポートさんは渡しません!!」

「イブリーフが居るぞ! アイツが本命だ、捕らえろ!!」

「にわか仕込みの都剣術で、私を倒せるものですか!!」

 

 聞くとイヴは自力で王から逃げ出し、僕達が狙われる可能性を考え助けにきてくれたらしい。

 

 間髪入れず彼女が撃ち込んだ魔法で、僕らの包囲網が乱れた。よし、今が好機だ。

 

「リーグレットさん!」

「了解です!」

 

 陣形の乱れに合わせて僕達は、二手に分かれイヴの傍を目指した。少しでもかく乱しようという、苦肉の作戦だ。

 

「く、逃がすな────」

「足元、見なくて大丈夫?」

 

 僕の正面に兵士が立ちふさがったのを見て、腰から抜き去ったボーラを兵士の足に投げ付けた。

 

 初見の武器に対応できなかったのか、兵士はボーラに足を取られ、そのまま地面に倒れこんだ。狙い通りだ。

 

「背中失礼!!」

「いでぇ!!」

 

 僕はすかさずその兵士の背中を踏んづけ、包囲を突破した。骨とか折れてたらごめん、兵士さん。

 

「ぐ、応援を呼べ! イブリーフ侯爵は、本当に強いぞ」

「ぐああ! 腕が!」

 

 イヴはと言えば兵士相手に一歩も引かず切り結び、意気盛んに敵を押し返していた。本当に強いんだな、イヴ。

 

「ポートさん、リーグレット! 私の後ろに!」

「はい!」

 

 そのまま駆け抜けるように、僕とリーグレットさんはイヴの背後に逃げ込んだ。守るべき主を盾にするのも変な話だが、ここは彼女に任せるのが一番だろう。

 

「道の奥へ逃げますよ! 細い路地の方が、多人数相手に応戦しやすいですわ」

「はい!」

 

 あとは、イヴがどれだけ早く敵を追い払えるかがカギになる。応援を呼ばれて囲まれたらたまらない。

 

 頑張ってくれよ、イヴ────

 

 

 

 

 

 

「銀鎖の計」

 

 僕達が、細い路地に逃げ込んだその瞬間。

 

 ……何故か突然に多量のレンガが路地に降り注ぎ、路地の入り口を塞いでしまった。

 

「え?」

「あ、あれ? 何ですか、これは」

 

 路地に逃げ込むように指示した本人のイヴも、きょとんと降り注いだレンガを見ている。彼女の策略ではないらしい。

 

 だが、これは幸運だ。これで、追っ手はこの道を通れない。

 

 このまま路地を右往左往に駆け抜ければ、上手く兵士を撒けるだろう。

 

「イブリーフ侯爵閣下と、お見受けします」

 

 このレンガはイヴの仕込みではない。周囲を見渡すと僕とリーグレットさんとイヴと……、見慣れぬ服装の見覚えのない『少年』が居た。

 

 おそらくレンガの仕掛け人は、飛び込んだ路地の中にぼんやりと佇んでいたこの一人の『少年』という事になる。

 

「え、貴方は誰ですの? 通りすがりのお方……ですわよね?」

「まぁ確かに通りすがりなのですが、貴方の強力な味方だとお思いください」

 

 彼はそう言って丁寧にお辞儀し、イヴの足元で跪く。

 

「僕も色々と巻き込まれに巻き込まれて、こんなよく分からない立場になっちゃった可哀そうな人間なんです。ですがまぁ……、貴方の味方には変わりありません」

 

 その『彼』は、頭上に疑問符を浮かべているイヴの手を取って路地の奥を指さした。

 

「この先に、僅かながら僕の手勢を用意しています。彼らと共に、貴軍の待機する城外を目指しましょう」

 

 彼はそういうと、イヴの手を引いたままスタスタと路地の奥へ歩いて行く。口調と言い態度と言い胡散臭さが服を着て歩いているような印象の男だが、不思議と信用する気にもなってくる。

 

 誰なんだ、この男は。

 

「えっと。その、貴殿のご助力には心より感謝いたしますわ。ですが、貴方は一体?」

「ああ、これは失礼を。貴女は『一応』、女性なんでしたね。では、男の僕から自己紹介させていただきます」

 

 そんな、心にも思ってなさそうな謝罪を口にした後。

 

 僕と同い年くらいの、幼さすら残る顔をしたその男はこう名乗った。

 

「僕は今回の作戦においてペディア帝国軍の、総司令官をしておりました。『叡智の泉』『常勝無敗』等と、陛下から様々な称号を頂いております、まさにこの帝国一番の果報者」

 

 その名前は、ずっと領都で政治にいそしんでいた僕ですら聞き覚えがあった。無敗の男、軍略の申し子、そして今回の戦いでイシュタール様がやり込めた帝国の『英雄』。

 

 ましてや実際に前線で戦っていたイヴならもっとよく聞いた名前だろう。憎く恨めしく、何度も殺したいと思うくらいには。

 

「僕は『軍聖』ミアン・アルベールと申します。爵位なんてものは無いので、辺境自治区の大貴族たるイブリーフ様には呼び捨てていただいても結構ですよ」

 

 そこに居たのは、憎き帝国の大英雄だった。



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脱出

 入り組んだ裏路地を、僕達は駆け抜ける。

 

 その先に、安全な退路があると信じて。

 

「はっはっは、少し調子に乗りすぎたみたいですねイブリーフ侯爵。貴方は、権力を持つ人間の愚かしさを知らないようだ」

「……ぐぅの音も出ないです」

 

 その先頭を行くのは、今日初めて出会った『帝国の英雄』。つい先月まで刃を交えていた、憎き怨敵。

 

「貴女は、イシュタール前領主しか『権力者』を見たことが無かった。実際のこの国の王様と話をしたこともなかった。だから、『権力者』といえば優秀で理知的な人物だと思い込んだ」

「……ええ」

「残念ですが、イシュタール前領主が特殊で傑物なんです。帝国が撃ち滅ぼしてきた殆どの国の王は、愚かで救いようのない人間でしたよ」

 

 くっくっくと笑う、若き少年。そこには僅かばかりの侮蔑と、同情が見て取れた。

 

「王とは、子供です。自分が一番でないと我慢できず、世界の何もかもが自分の都合の良いように動くと信じている。だって、今まではずっとそうだったんだから」

「……」

「僕ら帝国軍は、撃退できて当然。侯爵家なんて恐れるに足らず、王の威光を見せつければ全員即座に降伏する。あの王様は、本気でそう思ってますよ」

「……なぜ、現実を見てくれないんですか、王よ」

「王様ってのは、そういうもんです」

 

 やがて路地を抜けると複数の兵士が待ち構えており、やがてミアンの前で傅いた。

 

 どうやら、この兵士達は彼の部下らしい。

 

「うーん、甘めに採点して50点。君達の南部戦線の突破方法を聞いた時は本当、ド肝を抜かれました。あそこは素直に負けを認めましょう、僕が想像だにしていなかった手段だ。オトラで略奪を行わず、素直に降伏という落し処に持って行ったのも評価が高い」

「はい? 何の話ですか」

「今回の、君達の作戦の採点ですよ。悪いところは、ちょっとワンマンが過ぎたのと戦後処理をミスったところですね」

「は、はぁ」

 

 ミアン少年は、兵士たちを僕達の周囲に配置して、再び走り出した。

 

「君は帝国に降伏した直後、即座に挙兵して『侯爵家によって首都を陥落』させるべきだった」

「……っ!! そんなの、クーデターの様なものでは!」

「そうですよ。王の愚かさを理解し『調教』してやらないといけなかったんだ」

 

 僕達も、ミアンの後ろを追いかけて走り続ける。警護兵に、決して追いつかれないように。

 

「帝国が侵略国家だったら、今頃どうなっていました?」

「……侵略国家だったら? それはどういう意味です。あんなに一方的に宣戦布告をしておいて、侵略国家じゃないとでも言いだすつもりですか?」

「ええ。だってそうでしょう? 僕は君たちの戦後の動きを、こうして把握しているんですよ」

 

 ミアンは言った。帝国は侵略国家ではない、と。

 

 何をバカな。お前たちの侵略行為のせいで、僕の村で犠牲が出たんだ。平和で牧歌的に生活していた僕達を、お前が蹂躙したんだ。

 

 優しかったランドさん、ナタリーさんとその子供は二度と戻ってこない。

 

「帝国が侵略目的なら、今すぐ条約を破棄して首都に軍を引き返しますよね?」

「────っ」

「そんな顔しないでくださいよ、そんな気は毛頭ないから。君達はまだ未熟な面もあるけれど『調教』に値しない程度には価値がある。そう認めてあげたんです」

 

 だが、ミアンの言葉は僕が想像した遥か斜め上だった。

 

「ある程度自立させて動かせる手駒、一から十まで指示しないと使い物にならない手駒、どうあがいても使い物にならない手駒。手駒には、種類がある」

「手駒……」

「帝国の広い領土を治めるには、僕一人で何もかも指示を出す訳にはいかない。この辺みたいな田舎の方は自立して行動して貰わないといけない」

「……」

「君達が自立して動いてもらうと困る程の無能なら、国を攻め滅ぼした後で僕の部下を派遣して領主にするつもりでした。ただ、まぁ君達の有能さは理解しましたよ。あのまま僕が撤退せず首都を陥落させてたとしても、戦後処理は今の条件と大差なかったと思います」

 

 ミアンは、僕達が降伏しようがしまいが押し付ける条約の内容は変わらなかったという。

 

 ならば、何故だ? なぜ、帝国は僕達の国に侵攻した?

 

 勝ったとして不干渉でいてくれるなら、何故この戦争で人は死なねばならなかった!?

 

「手駒、とは舐められたものですね」

「ああ、そこ? そこはまぁ、言葉の綾みたいなもんです」

 

 帝国の狙いってのは、何なんだ────?

 

「何にせよ、君達がうまくやってれば出しゃばるつもり無かったんですがね。だけど、どうみても助けは御入り用でしょう?」

「それはどうも……。貴方は、国王が私を呼び出した意味を理解して、わざわざ助けに来てくれたんですか?」

「いえいえ、まさか。最初は、もっと別の用事でこの国に来てたんですけどね。情報集めて状況が分かり、君達を援護することにしたんです」

 

 ミアンはハァ、と溜め息を吐いた。

 

 面倒臭そうにイヴを見つめるその瞳は、どこか寂しさを浮かべている。

 

「別の用事?」

「ちょっとした警告と、後はスカウト。同じ帝国になったんです、人材引き抜きくらいしても良いでしょう」

「……は?」

 

 ミアンはそう言うと、ニヤリと僕の方を流し見た。

 

「3人ほど引き抜くつもりでいます、イブリーフ侯爵様。鋼掌のダート、名将ゾラの孫娘リーシャ、そして後ろから着いてきているポート女史。彼女等を預けていただきたい」

「えっ、僕?」

「彼女らに才能がある、もっと相応しい身分がある。地方領主である貴方の玩具にしておくには惜しい」

「……はぁあ!?」

 

 イヴはそこまで聞くが早いか、即座に抜刀した。

 

 目を吊り上げて全身で威嚇しながら、イヴは軍聖を睨み付けている。縄張りを犯された猫みたいだ。

 

「だ、れ、が!! 貴方なんかに大事な私の仲間を預けるものですか!!」

「それを判断するのは、君ではなく彼女達ですよ?」

「冗談じゃありません、そんな謀略見過ごせるものですか!」

「帝国の中央指揮官が、辺境の人傑をスカウトする。これの何処に、謀略の要素があるのです?」

「実質敵国みたいなものでしょう、貴方達は!!」

「おや、もう降伏したのでは?」

 

 ミアンは飄々とした顔で、激怒するイヴの罵声を聞き流している。

 

 そんなに心配しなくても、誰も帝国なんかに引き抜かれたりしないと思うけど。

 

「ポートさんと言いましたか。先日貴女の本は読ませていただきました、非常に興味深かった」

「うげっ……。あの本、読んだんですか」

「ええ、新鮮な発想で溢れている。それでいて、実用的な話が多々盛り込まれていました。こんな論客が手元にいるなら、先のキテレツな政治戦略も納得です」

 

 あれ? これもう、スカウト始まってる?

 

「ポートさんに話しかけないでください!! それは私のです!!」

「せっかく名著の作者に出会えたので、挨拶をしているだけです。何を慌てているんですか」

「ダメ! ダメです許しません! その人だけは絶対にダメです!!」

「おやおや、主の嫉妬は醜いですね」

 

 かつて見たことがないくらい、イヴが取り乱している。

 

 そんなに心配しなくても、僕はあの村があるイヴの領から離れるつもりなんてないのに。

 

「まぁ、ですが。農富論、でしたね。あなたの著作は」

「……えぇ」

「あの本の素晴らしさは僕も理解していますが。それと同時に僕は感じた訳です、『残念で稚拙』な出来だと」

 

 ……お? 僕を誉め殺してスカウトするつもりかと思ったが、上げてから落とすのか。

 

 どういう話に持っていくつもりだろう。

 

「……どういう意味ですか。あの本が稚拙、などと。あの本を読んでから、私の領は間違いなく発展して────」

「あなたの領は、元が酷すぎただけです。まともな政治思想が浸透して、本来の発展をしただけですよ」

 

 ミアンからは、何処と無く挑発的な視線を感じる。そこまで言うからには、あの本の矛盾点にいくつか気付いているんだろう。

 

「あの本に記された柔軟な発想にキテレツな政策、全て面白かった。農民目線の意見が織り交ぜられた、とても良い本です」

「それはどうも。で、本音はどうお感じになりましたか、ミアン・アルベール」

「オブラートに包まないのがお好みで? では、ハッキリ言いましょう」

 

 目の前の帝国の怪物は、あの本を読んでどう感じたのか。それには少し、興味がある。

 

「あの本は、児戯ですね。地に足はついていない子供が、好き放題に空想して描いた夢物語」

 

 ……成程。まぁ、実際その通りだな。

 

「ポート女史。貴女がその年であんな名著を仕上げたことには脱帽します。読んでいて面白く、それでいて実践的で、新たな着想に溢れている。間違いなく、あれは一級の書物です」

「……」

「だが、貴女には圧倒的に経験が足りていない。貴女の才能は認めましょう、ですがこんな辺境で仕事をしていては本当の経済学を学ぶ機会がない」

「……」

「君自身が羽ばたくため、僕と王都に来てください。我ら帝国の中枢に来て、本物の経済に触れてみれば、あの本が子供の言葉遊びだったと理解できます」

 

 ……あぁ、成る程。僕を挑発に乗せようとしている訳か。

 

「貴重なご意見どうも。まぁ、後の勧誘は聞かなかったことにしましょう」

「おや、残念。気が変わったら何時でも声をかけてくださいね」

 

 残念だがそんな挑発は、僕に効かない。

 

 あの本が子供騙しなのは既に自覚してるし……。そもそも、僕は政治家にならないし。

 

「ミアン・アルベール。1つ、注釈しておきます」

「何ですか、侯爵様」

 

 少し険悪にミアンと睨みあっていると、イヴが物凄く不満げな顔で口を挟んできた。

 

 何やら言いたいことがあるらしい。

 

「ポートさんがその本を著したのは、10年近く前ですわ。10年前のポートさんが経験不足なのは当然でしょう、まだ5歳ですよ」

「……あ?」

 

 その時初めて、ミアンの表情が崩れた。

 

「10年前? この本が出回り始めたのって、最近だって────」

「私が幼少期にポートさんから頂いた本なんですよ、それ。誰が作者か分からず、しかたなく原本をお父様にお見せしたのですわ。そして、大量生産して私の領の各村に配ることにしたのが最近ですの」

「なつかしいなぁ。僕がちょうど5歳の誕生日に筆と紙を買ってもらって、書き始めましたのを覚えています」

「経験不足? 当たり前ですわ。だって政務はおろか、まだ幼馴染みと山で遊び呆けている時代のポートさんの思想ですもの。5歳の子供の書いた本相手に、何を偉そうに仰っているのか」

「5、歳……?」

 

 まぁでも、ここまで馬鹿にされて何もしないのも業腹だ。

 

 戦争が始まってから執筆が止まっているが、農富論の矛盾点や改善点を纏めた新作は一応家に置いてある。

 

 いくら5歳くらいから書き始めた子供だまし本とは言え、児戯扱いされるのは悔しい。帰ってから、少し頑張って書き上げようか。

 

「その発展版の新作本を、今ポートさんが執筆中ですわ。勿論、それは当家の秘蔵とさせていただきますが」

「……待て。待て待て待て!! 5歳だと!? なんでそんなガキが字を書ける、あまり僕をバカにするな」

「貴女こそポートさんをバカにしないでくださいな。ポートさんは私に仕えてまだ一月ほどだというのに、既に領地の経済政策を一手に担っている100年に一度の傑物です」

「……」

「信じられますか? 数か月前までただの農民みたいな生活してたんですよ、この方は!! これからどれだけ成長してくださるか、想像が付きません」

 

 いや、数年後は農民みたいな暮らしに戻るんですけれども。

 

「ポート女史。新作があると言ったな。どこにある?」

「さぁ、何処でしょうね? いくら帝国の中枢のお方とはいえ、まさか地方領主の私財を何の名目もなく没収なんてしませんよねぇ?」

「僕が内容を吟味してやると言ったんだ。その女の価値を測りなおしてやる、後で持ってこい」

「あらあら、申し訳ありませんね。ポートさんについては、私だけが評価できていれば良いので。貴方にどう思われようと、関係ありませんわ」

 

 ニヤニヤと自慢げな表情をするイヴと、その彼女を睨みつけるミアン。

 

 ……まだ書きかけの本に、何をそんな。

 

「本当に粒が揃っている。全く、よくもまぁこんな片田舎に人傑が偏ったものですねイブリーフ。その幸運を噛みしめてください」

「ええ、私は幸せ者ですわ」

「帝国に兵も将も足りない現状、貴女の軍閥は喉から手が出るほど欲しい人材の宝庫です。今は潰して収穫せず置いておきますが、窮地の際には頼りにしますよ、侯爵様」

「何をおっしゃっているのやら。貴方達に敵う軍隊がこの世に存在するとは思えませんが」

「ま、その話はいずれ。我々帝国も、相当に切羽詰まっていましてね」

「切羽詰まっている?」

「君達が賢明にも即座に降伏してくれて、本当に助かりました。だから感謝の意を込めて、君達には今後も多少甘く対応するつもりです」

 

 そこまで言うとミアンは、周囲の兵士に命じて首都城壁の門を確保した。

 

 これで、外で待ってくれているゾラさんと合流できる。

 

「城壁確保です。後は、友軍と合流しましょう」

「……えぇ」

「何だか含んだ目をしていますが、ちゃんと僕を友軍として扱ってくださいよ? 降伏を申し出たのは貴女方なんですからね」

「降伏はしましたが、貴方を欠片も信用していないので。私の部下には絶対に近付けません」

「やだなぁ、怖い怖い。まぁでも、往年の英雄ゾラ将軍には挨拶させていただきたいですね」

 

 少し動揺を見せた軍聖ミアンは、すぐに先程までの慇懃無礼な調子を取り戻した。この人を食ったような態度は、彼本来のモノなのか、被った皮なのか。

 

 腹立たしい、おぞましい、恨めしい。奴は、憎き帝国の指揮官であり英雄なのだ。

 

「……」

「今回の出来事は、貸しのつもりです。ま、そのうち返してくださいね」

 

 だが、今回は僕達の絶体絶命の窮地を助けてくれた。本当に、何が目的なんだろう。

 

「ああ、流石に良いお年なのでゾラ将軍を勧誘する気はありませんよ。ご安心ください」

「信用出来ません」

 

 ────僕には、そのミアンの言葉や態度の全てが、虚構に思えて仕方がなかった。



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決別

「……そうですか。王が、そのような事を」

「忸怩たる想いですわ。ポートさん、貴女を危険な目に遭わせてしまい申し訳ありませんでした」

「い、いえ。イヴ様はちゃんと助けに来てくれましたし」

 

 僕達は、ミアンの助けで首都外のゾラ率いる南方軍と合流出来た。これで、取り敢えず身の安全は確保出来た。

 

 ……さて、問題はこれからだ。

 

「王は、分かってくださるのでしょうか。このまま私達と戦争してしまえば、勝ち目など無いことに」

「分かっていたら、この様なことにはならんでしょうな」

 

 そう、王はイヴ達に勝てると思い込んでいる節がある。兵力の差を考えているのか、消耗の差を考えているのかは分からないが。

 

 その考えを崩さない限り、今回の決着は難しい。

 

「このまま攻め滅ぼすしか無いでしょう。侯爵、貴女をこの地方の主に任命してあげるから」

「……」

「さもなくば僕らは先程の降伏を撤回したと見なして、再度侵攻しますよ。凄まじい被害が出るでしょうね」

 

 そして、僕達の傍らで呑気に会議を聞いている敵将ミアン。完全に他人事で、野次馬気分だ。

 

 ……この場で闇討ちしてやろうかな。

 

「……しかし、イヴ達。この餓鬼の言うことも一理あると思われます」

「ゾラ……っ」

「王に知ってもらうしかない。帝国との実力差を、我々にすら勝てない首都兵の弱さを。その為には、一度────」

「刃を交える必要がある、という訳ですね」

 

 王との一番手早い決着。それは、一度完膚無きまでに首都を攻め滅ぼす事だ。

 

 力でどうしようもない相手だと分かれば、きっと王も理解してくれる。

 

「今なら、僕が知恵貸してやっても良いですよ。暇ですし、恩売れますし」

「うるさい。貴方に頼む事はもう何もありません」

「意地を張る事はない。どうせなら、手早く被害も少なく勝利した方が良いでしょう? そこにあるものは何でも利用しないと、それが王の器ってものでしょう」

 

 ……つまり。僕達はここでミアンの知恵を借り、首都の人達を襲撃しなければならない。

 

 仲間割れじゃないか。どうして、この様な事になった?

 

 

 

「……。ねぇイヴ様」

「ポートさん、何ですか」

 

 

 

 本当に、僕達は戦わないといけないのか?

 

「僕は、嫌です。甘いことを言っているのかもしれませんけれど」

「……ポートさん」

「僕は、人が死ぬのは悲しいです」

 

 死んでいったランドさん、ナタリーさん、その赤子。彼等は、死なずに済む命だった。

 

 帝国さえ攻めてこなければ、失われることがなかった幸せだった。

 

「首都を……。普通の人達が暮らしている街を、攻撃したくありません」

「何を甘えたことを。ポート女史、貴女は政治に深い知見を持っているようだが、軍略に関しては素人の様ですね」

「何とでも言ってください、僕は嫌です」

 

 だから僕は、平和に暮らす人達に刃を向けるなんて耐えられない。

 

「ポート様、貴女の優しい気持ちは理解しますがの……」

「……ポートさん」

 

 どうすれば説得できる? どうすれば、この悲惨な戦いを回避できる?

 

 今の僕に未来の知識は無い。もう、世界は全く違う歩みを見せている。

 

 ここからの僕は、先の事を考えて歩いていかないといけない。

 

「帝国は、この状態を放置さえしなければ攻めてこないのでしょう? 先程、ミアンは『領の自治は任せる』と言っていた訳で」

「何か対案があるんですか、ポートさん」

「何も攻め滅ぼさずとも、首都の経済基盤を握り潰すだけで良いのでは?」

 

 そうだ。何もわざわざ戦争する必要はない。

 

 急いで決着をつける必要はないんだ。時間をかけてゆっくりと、経済戦を仕掛ければいい。

 

「……あー。そういやポートさん、1ヶ月もあれば商圏を掌握できるって言ってましたね」

「外からとなると、もう少し時間はかかるでしょうけど。まぁ半年貰えれば確実に可能です」

「おお、その手が有りますか」

 

 うん。既に幾つかの商社に顔は繋いだし。

 

 後は外からチマチマと、貴族に牛耳られて不満たらたらの商人をウチが抱き抱えてやればいい。戦争になら無いから人死もなく、王の権力を削ぐことが出来る。まさに平和的解決だ。

 

「……どうしてそう言う発想になるかなぁ。今ここに有る戦力で首都は落とせるでしょう。そんな時間のかかる手段を選ぶ理由は何ですか?」

「別に僕らは焦る必要性がないので。大切な誰かを失って涙を流す人間は、一人でも少ないほうが良い」

「失敗する可能性は考えないんですか? 軍事力の差は歴然ですが、経済面ではこの都市の方が栄えている。逆にこの都市の経済基盤に飲み込まれる事も────」

「ああ、成功はします。そこは断言できるので、その仮定はしないでください」

「……。まぁ、貴女が自信満々にそう言うならそうなんですかね」

 

 ……ここは多少、ハッタリを効かせておく。

 

 本当の所、自信なんて微妙なんだけど。僕の過去のラッキーパンチが実力と思われているなら、これ以上ないハッタリになる。

 

「ですが、却下です。貴方は焦っていないかもしれませんが、帝国にはあまり時間がない。ここは申し訳ないが、速度を優先してもらいたい。そんな悠長な手段を取られては困る」

「時間がない理由とは?」

「軍事機密です」

「……」

 

 そういうと、ミアンは鋭い目でイヴを睨みつけたまま黙り込んだ。

 

 何を、帝国はそんなに焦っているんだろう?

 

 そこまでして早期決着にこだわる理由って何だ? 

 

「拒否しますわ。理由も聞かされずただ急げだなんて、横暴の一言に過ぎますもの。軍事権はこちらに有るのをお忘れなきよう」

「……僕がその気になれば、すぐにでも現状を報告して条約を破棄し、再侵攻できることもお忘れなく。僕らを敵に回すのとおとなしく自分達で首都を落とすのと、どちらが良いかと聞いているのです」

「時間がなさそうな割に、再侵攻なんて選択肢も出てくるんですね。そんな軍事行動とるくらいなら、ポートさんに任せて平和的解決をした方がマシでは?」

「君達がある程度利口だと思ったから軍事権は預けてるだけです。その様な愚かな選択をすると言うなら────」

 

 ……先程から、妙にミアンの奴が頑なだ。絶対に、ここは戦争して貰わないと困るといった雰囲気すらある。

 

 まさか、まさかとは思うが。

 

「ねぇミアン。君は時間に拘っているのではなく、戦争に拘ってないかい」

「……なに?」

 

 ミアンという男は、僕らに1策講じたのか?

 

「今の状況。侯爵家と首都軍が正面衝突するなんて、帝国としては願ってもない展開だよね。ねぇミアン、君はどうして首都に来ていた?」

 

 この男が、裏工作で王様を操ったんだ。偽報や工作仕掛けて侯爵家の謀反を疑わせ、僕らと敵対させたな。

 

 今のこの状況は、ミアンの掌の上だ。

 

「何だ? ポート女史、君は僕が君達を嵌めたとでも言いたいのか?」

「そう言っている。さっき君はスカウトをするために、この国に来たと言ったね。でも、君達の求めた人材はみんな侯爵家に所属している。ならどうして、君は首都にいたんだ?」

「……少し、野暮用でね」

「帝国側から『イブリーフ侯爵と裏で繋がっていました』なんて情報を渡されたら、そりゃあイヴは呼び出されるよね。国王の、あの強硬な対応も納得だ」

「む……」

「僕らが首都と戦争になり、疲弊した直後。帝国は、僕らの領を再び侵攻するつもりじゃないのかい?」

 

 イヴも流石に、ハッとした表情になる。

 

 コイツは軍事講和を締結させられたから、計略で国を獲る方針に切り替えたのだ。

 

 ミアンの指揮通りに首都を攻め落としてしまえば、僕ら侯爵軍も無事とは言えない。後は破滅しか待っていない。

 

「……。それは君の勝手な推測にすぎないね」

「そうじゃないなら、何故そんなに戦争に拘るんだ」

「まぁでもそんな風に考えられてしまうなら、説得は不可能だな。僕はもう帰らせてもらう」

 

 数秒ほど睨み合った後、彼は舌打ちと共に身を翻した。どうやら、帰るつもりらしい。

 

「待て。君は敵勢力の総司令だぞ、帰してやる理由が無いだろう」

「ああ、君達から講和を破棄してくれるの? 僕を拘束するというのはそう言うことだよ」

「……むっ」

「こっから好きにしなよ。せいぜい、手際よくこの国を掌握してくれることを祈るよ」

 

 ミアンはどこか不思議な表情を浮かべ、僕を流し見て笑った。

 

 その表情からは、何も読み取れない。

 

「ただし、忠告しておく。誰かの犠牲なくして、平和を得られると思うなよ」

「誰の犠牲もないことより、素晴らしいことが有ってたまるか」

 

 僕の返答を聞き、ミアンは顔を歪めて嘲る。

 

 それはきっと、僕とミアンの決定的な考え方の違いを象徴していたのかもしれない。

 

 

「最後にひとつ、聞いていいかい」

「どーぞ?」

 

 これは、一つの決別だ。僕とミアンが、今後仲良く肩を並べることは無いだろう。

 

 だから最後に、一つ。どうしても確認しておかねばならないことがある。

 

「君達帝国は、どうして最初に侯爵領の辺境村を襲った?」

「あー。そんな事もあったね」

 

 何故この男は、僕の村の襲撃を指示したのか。これを確認しないことには、ランドさんが浮かばれることはない。

 

 帝国はどうして不意打ちのように、か弱き村人を襲撃しようとしたのか。その理由を、何としても聞き出したい。

 

「侯爵に北部戦線に来られると困るからね。君達が首都からの援軍要請を断りやすいかと思って、一応襲撃しておいただけさ」

「……一応?」

「そ。あと、老害がワシにも出番を寄越せと煩くて。その処理も兼ねてね」

 

 ……一応?

 

 今この男は、一応と言ったか?

 

「じゃあ、絶対に村を侵略しないといけない理由なんて無かったのか?」

「有るわけ無いじゃん、あんな片田舎。軽い牽制だよ」

「……じゃあ、何で。どうして。あの戦いで、人は死ななきゃならなかった!?」

「あー。不意打ちで攻められて怒ってんの? いちいち気にするなよ、農民の生き死になんて日常茶飯事さ────」

「どうして僕の大切な仲間は、帝国に殺されなきゃならなかった!!!」

「……」

 

 一応って何だ。深い理由も何もなく、僕らは攻撃されたのか?

 

 単なる牽制? そんな軽い気持ちで出した指示で、ランドさんは家族皆殺しにされたのか!?

 

 あの残酷な女兵士アマンダは、大した理由もなく僕の村に虐殺を仕掛けに来たのか!?

 

「あー、ポート女史。君は最近まで農民やってたって聞いたけど、まさか……」

「軽い牽制だと!? そんな、そんなくだらない理由で人が死ななきゃならなかったのか!?」

「落ち着けポート女史、戦争というのは感情論で語っちゃいけない事象で」

「どんな理由がある!! お前の言う軽い牽制に、幸せに暮らせていた罪の無い人の命を奪えるだけの理由が有るのか!?」

「頼むから冷静に話を聞いてくれ。そんなことを気にしていては、戦争なんてやってられない」

「戦争なんて、やらなくて良いじゃないか!!」

「そうも言ってられない背景があるんだよ」

 

 怒りがフツフツと沸き上がってくる。この男が諸悪の根源だったのだ。

 

 3人の犠牲が出て、イヴが駆けつけて来てくれなければ僕自身も命を落としていたあの戦いは。

 

 この男の気まぐれで起きたようなものなのだ。

 

「あー、もう。ついてないな、そんな恨みを買うならやめときゃ良かった」

「ふざけるな、謝れ! 殺してやる、お前をここで串刺しにしてやる、死んであの世でランドさんに詫びてこい!!」

「冷静に見えて、凄い激情家なんだね君。これでも武人の端くれ、君なんかに殺されるほど弱いつもりはないけれど」

「殺してやる────」

「待って、落ち着いてポートさん!」

 

 腰のボーラに手をかけた僕は、背中からイヴに抱きしめられて引き留められる。

 

 邪魔をするのか、イヴは。

 

「……耐えてください。ここで帝国と事を構えたら、本当に終わりです」

「でも、でもっ……」

「貴女はさっき言ったじゃないですか。私達は誰とも戦わず、平和的手段をもって王に分かってもらう方針を取ると。ここで、帝国に喧嘩を売るのは愚の骨頂でしょう?」

「……」

「いきなさいミアン、今後貴方が私の領地を跨ぐことを許しません。前の盟約通りに、私達は自治を行います。決して、貴方の思い通りにはならないのでそのつもりで」

「行かせてもらうさ。やれやれ、恩を売るつもりがとんだ誤算だよ」

 

 あの男を殺すべく握りしめた石ころが、僕の掌の皮膚を抉る。

 

 だけど、イヴに強く握りしめられた僕の体躯は、あの悪魔に向かってボーラを放り投げることが出来なかった。

 

「────」

「……ごめんなさい、ポートさん」

「……いえ。止めてくれてありがとうございます、イヴ」

 

 せっかく、形の上だけでも講和に至っているんだ。それを、僕個人の感情で投げつけるなんてもってのほか。

 

「貴女が止めてくれなければ、今頃あの悪魔の頭をカチ割っていました……っ!」

 

 いつか。いつか、殺してやる。

 

 それは、まだ今日じゃない。僕達が力をつけて、帝国の暴虐に正面から殴り返せるその日だ。

 

「ゾラ、撤退命令を。……帰りますわよ、私達の街へ」

「御意」

 

 そして、僕達は撤退する。

 

 憎き憎き怨敵ミアン。その生涯の敵であるミアンが配下と合流しているその姿を、今の僕はただ遠目に眺める事しかできなかった。



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10代後半期
幼児化……?


 漆黒のローブ。きらびやかな華蝶の仮面。

 

 僕達が久しぶりに領都に帰還し、凱旋していたその最中。行進する僕らの目前に、突如として謎の集団が乱入しエキサイティングなショーを始めた。

 

 いつもの(アセリオ)だ。

 

「……あたしは謎の美少女仮面!!」

「いやアセリオでしょ」

 

 僕はもう謎の集団ASROについて知っていたので特に気にしなかったが、イヴを始めとするまともな軍人さんたちは大層ビビった。

 

 帰還したら謎の宗教団体が立ち上がっていて、しかも襲撃してきた形なのだ。敵勢力の謀略にも見えなくもない。

 

 実際はただのアホだけど。

 

「私は、謎の美少女好き仮面!!」

「俺は、謎の……仮面!」

「それがしこそ、至高の絶品ジャワ仮面!!」

 

 次々とアホな集団が名乗りを上げる中、即座に迎撃体制が組まれ、ゾラ将軍が謎の集団に「何者か!」と一喝した。

 

 ただのアホ相手にそんな警戒する必要はないのに。

 

「お前ただの仮面じゃねーか」

「いやすまん、ボスが咄嗟にネタ振ったから反応できなくて。むしろよく反応したなお前ら」

「これくらい特務機関を名乗るなら基本スキルだ、修行が足らん」

「はぁ……、アセリオ様は今日もお美しい……」

 

 ふむ、流石はアセリオの仲間。どいつもこいつも徹底的に頭がおかしいな。

 

「貴様ら何の真似だ! 神聖なパレードを邪魔してタダで済むと……」

「ふ、我等は闇に生きて闇に死ぬ映夜の眷属。時折生者の世界に舞い降りて、その黄昏を愛おしむ者……」

「すまんが何を言ってるかさっぱり分からん!」

 

 ただアセリオは基本的にアホだけど、割と空気は読むんだよな。ふざけるにしても、節度はそこそこ弁える子だ。

 

 そしてこのパレードはノリで邪魔しちゃいけない類いの行事。なのに、乱入してきたと言うことは。

 

「……闇よりの警告を。貴様らの主を狙う者が、この先に待ち構えていよう」

「……何?」

「……あたしは友を守るため、ここに忠言を与えに来たにすぎぬ。では、おさらば」

 

 

 

 バヒューン。

 

 

 そんな間抜けな音と共にカラフルな煙幕がアセリオを包み、霧と共に消え去った。

 

 暗殺の警告か、アセリオの目的は。恨みを買った貴族多いもんな、僕。

 

「無明の光に祝福あれ、常に貴様を見守っている!」バヒューン

「今度までに俺は何の仮面なのか考えておくぜ!」バヒューン

「ゲッホ!! クソ、煙幕が喉に詰ま────ゲッホ!」バヒューン

「新発売、ベーコントーストは3番通り奥のパン屋『エルム』まで!」バヒューン

 

 アセリオの仲間たちも、口々に頭の悪そうな事を叫びながら煙と共に消えていく。

 

 今度アセリオに紹介してもらおうかな。多分、アホだけど話すと楽しい人達だ。

 

「あ、えーっと。今の、アセリオさんなんですか」

「恐らく、暗殺の警告でしょう。僕は改革で結構恨みを買っていますので。こういう時の彼女が、嘘や悪戯で場を混乱させるようなことはしません」

「そうでしたか。総員警戒体制を、ポートさんは凱旋車の中に入っていて下さい」

 

 ま、ここは彼女を信用して素直に隠れておこう。

 

 

 

 

 ……因みに、その先の道で本当に暗殺部隊が待ち構えていた。割とガチの装備だった。

 

 成る程、アセリオの勢力だと敵わないレベルの敵だからイヴに任せたのか。その辺のリスク判断も、流石はアセリオと言ったところか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ……。ぁ、ぁっ……」

「あら、目が虚ろなリーシャが転がっていますわね」

「ふむ。大体徹夜5日目と言ったところでしょう。まだまだ余裕ですよ」

 

 領都へと帰還し凱旋を終えた後、僕達は領統府に戻った。

 

 数ヵ月ぶりの懐かしい執務室と扉を潜ると、手を微かに動かしながら目の下にクマを作った大将軍が目に入る。

 

 まるで屍の様だ。

 

「ポートさん、首都の件はお任せしていいのですね」

「ええ、なんとかやってみます」

 

 さあ、これからが大変だ。

 

 国王を無視し撤退したことにより、首都王家は侯爵家に対して激怒した。そして立場の違いを理解させてやろうと、王自ら軍を率いて攻撃準備を始めたそうだ。

 

 だが一方で政府にも勢力図を理解している人物がいるようで『イブリーフ侯爵がクーデター起こしたら負ける』と必死に王様の出陣を食い止めているらしい。

 

 ならば戦力増強だと、国王は公費を軍事にどんどん投入しているそうだ。そのせいで、税率も高くなっていると聞く。

 

 経済戦を仕掛けるならまさに好機。才能はあるが冷遇されている商人を買収し、こちらの手駒にしてしまおう。生き馬の目を抜く商人達だ、理に聡い人間は多いはず。

 

 よし、今から忙しくなるぞ。

 

「ぁぁ……。ポートが、ポートが帰ってきたぁ……。山盛りの書類仕事から、これでやっと解放される……」

「あの、リーシャさん」

「帰れる……。私はおうちのベッドで寝れるんだぁ……」

「ちょっと事情があって首都の商業圏を陥落させなきゃならなくなりました。今から忙しくなりますよ」

「────」

 

 あ、リーシャの目から光が消え去った。申し訳ない気もするが、これから本当に忙しくなるしな。

 

 リーシャさんだけでなく、ガイゼルさんやリーグレットさんにも頑張ってもらわないと。

 

「じゃ、早速僕は外回りに行ってきますので」

「────」

 

 経済戦争を仕掛けるには書類仕事より先に、営業を済ませないといけない。

 

 よし、僕も頑張るか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……鍛冶師、ブラッドと言う」

「どうも、初めまして。ラルフの妻、ポートと言います」

「話には聞いている」

 

 今から僕の仕事は、経済戦の指揮を執ること。首都が軍事行動を起こす前に、外交戦略と経済戦略で王の影響力を無力化する必要がある。

 

「お時間を頂きありがとうございます。僕は、領統府で内政官の役を────」

「……御託はいらねぇ、本題から入れ」

「ええ。では首都から鍛冶職人を引き抜いたとしたら、この工房で働かせてもらうことは可能ですか?」

「あん?」

 

 僕は早速、ラルフがお世話になっていたという鍛冶工房を訪れ交渉を行った。ラルフ曰く工房の主は『優秀だが気難しい人』らしいが、本当にそうだった。

 

 仮にも内政長官の貴族が直々に訪れたら応対するものだと思ったら「約束の無い奴には会わねぇ」の一点張り。途方に暮れて「ラルフの妻ですが、ラルフの紹介できました。何とかお時間をいただけませんか」と言えば、やっと扉を開けてくれた。

 

 ラルフの伝手が無ければ門前払いか。すごいな、この人。

 

「人手が増えんのは確かに有難いね」

「そうですか。では────」

「だが職人の質と、性格による。使いようのないダメな奴はすぐに荷物を纏めて貰うことになるだろう」

 

 ジトっと。背の高い鍛冶師ブラッドは、立ったまま僕をジロリと見下ろした。

 

「無論、腕が良いのを引き抜いてきますよ」

「それと、ウチで働くからにはウチの流儀に従ってもらう。反抗的な奴はいらん」

「……了解しました、伝えておきます。採用枠は、どの程度まで? 多くの人数受け入れてくださるなら、設備投資の補助金を出しますが」

「今は人手不足だ、まともな鍛冶職人ならいくらでも受け入れてやるさ。ただし、人数が増えるなら炉が欲しい。効率が落ちるからな」

「了解です、では必要な金額を所定の書類に記入してください」

 

 これから、積極的に首都の人材を引き抜いて行かねばならない。その際に重要なのは、引き抜いた職人さんが快適に働ける環境をあらかじめ用意しておくことである。

 

 腕のいい職人を引き抜いても『働ける工房がありませんでした』では、話にならない。こうやって、少しでも人材の受け入れ先を確保していかねばならない。

 

「にしても、驚いた。ラルフは上京したばかりで、お前さんもラルフと同時期に都に来たと聞いていたが」

「はい、何がです?」

「……既にお前は、この街の内政の核となっていると聞く。やはり優秀なのだろう、あのラルフと結婚するだけはある」

 

 そういってブラッドは、どこか遠い目をしていた。

 

「『あのラルフ』とは?」

「……ああ、あの男もまた特別な人間だ。何か俺達には見えない、大切なものが見えていた」

「それは、何となくわかる気がします」

「先月俺はラルフと会って話してみて、鍛冶師としては凡夫だと思った。だが恩義の有るランボからの紹介だから、凡人なりに1人前の鍛冶師にして返してやるつもりだった」

「はぁ」

「……だが先の、お前からの野盗の盗伐依頼を受けた時。あの男は、英雄の器を見せた」

 

 そしてブラッドは、すっと目を細めて微笑んだ。

 

「ラルフは咄嗟に冒険者をまとめ上げ、指揮し、敵の罠を完膚無きままに打ち破って見せたんだ。冒険者として一番新入りのアイツがだぞ? あの場にラルフが居なければ、俺達は全員生きて帰れはしなかった」

「……うっ。ごめんなさい、無茶な依頼を出して」

「危険は織り込み済で受けた依頼だ、気にすることはない。俺が言いたいのは、あの男の特異性についてだよ」

 

 そこまで言うと、彼は僕に背を向けて再び仕事に戻った。

 

「理解できないものを最初から理解してた、とでも言うのかね。きっとヤツは、最適解を直感で感じ取れる人種なのだろう。アイツと一緒に戦った1人の鍛冶師の意見だが、ラルフは今すぐにでも軍の大将に抜擢してやるといいと思うがね」

「……」

「アイツ本人は強くもなければ賢い訳でもない。ただ、指揮する能力に関しては常人の遥か上だ。何せ、考える時間もなしに最適解を取れるんだからな」

「……どうも。貴重なご意見をどうもありがとう。考えて、おきます」

「ああ。……愛する旦那に危険な目に遭って欲しくないからって、あんまりあの男を過小評価してやらないでくれ」

 

 そうか。

 

 ラルフは英雄的な活躍をして見せたと聞いたけれど、それほどまでに凄かったのか。伝聞系でしか聞いていなかったが、一緒に戦った冒険者からそこまで敬意を抱かれるのは尋常ではない。

 

 そういや、そもそも僕が最初に『ラルフと結婚しよう』と思ったのも、彼に背中を押されて黒狼に噛まれたアセリオを助けに無茶した時だっけ。

 

 あの男が一緒に戦ってくれていると、安心感が桁違いだった。

 

「必要があれば、僕も彼を将軍に推挙しましょう」

「ああ。後、鍛冶として腕を上げたければ俺の工房に顔を出せとも伝えてくれ。自分の武器の手入れくらいは、出来るようにしてやるから」

「ええ、伝えておきます」

 

 こうして、偏屈な鍛冶屋ブラッドとの交渉は成功した。

 

 きっとラルフは、この鍛冶職人ブラッドの中で絶大な信頼を得ていたのだ。だからこそ、彼の妻である僕もすんなり信用して貰えた。

 

 ラルフに感謝だな。ちょっとエッチな事でもさせてやろうか、僕が気絶しないレベルの。

 

 

 そしてこの日、僕はこのまま領都内のいくつかの商会や工房を回り、人材の受け入れの交渉を行った。

 

 これで下準備は万全。後は、小細工を弄して首都を陥落させるだけだ。

 

 その為の経済戦略は、もう練ってある。本来は自分の国に対して仕掛ける予定はなかった策だが、四の五の言ってられないので『三本の矢』戦略で敵の経済基盤を射抜いてやろう。

 

 その為には、明日からデスマーチで書類仕事と外回りをこなし続ける必要がある。今日はこのまま屋敷に戻って、明日までに必要な書類を仕上げないと。

 

 ……久しぶりに、みんなに会えるな。元気でやっているだろうか?

 

 アセリオにはさっき会ったけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいまー」

「あら、ポート。おかえりなさい」

 

 懐かしの我が家だ。相変わらず超デカいなぁ……。

 

 家に帰るだけで、門番やら庭師やらが整列するのは恐縮するので勘弁してほしい。

 

「リーゼ、変わりないかい」

「みんないつも通りよ。いい意味でも、悪い意味でも」

「アセリオは? 最近面と向かって話してないんだけど、ちゃんと家に戻ってる?」

「夜には戻ってるわよ。最近お友達ができたみたいで、日中は仲間と公演してるんだって」

「……あの連中ね。うん、エンジョイしているみたいで何より」

 

 あの内気で人見知りだったアセリオが、大きくなったなぁ。あの3歳くらいの無口なアセリオが懐かしい。

 

 何となく、前のアセリオより今世のアセリオの方がエキセントリックな気がする。前も変なごっこ遊びしていたけど、ここまで酷くはなかった。

 

 今は、彼女が人生で最もハッスルしている時期だ。そんな時期に都に来てしまったもんだから、ブレーキが掛からなくなってしまったんだろう。

 

 このままブレーキを掛けなかったら、アセリオはどうなるんだろうか。ちょっと楽しみだ。

 

「今のアセリオも面白いけど、昔の可愛いアセリオも良いよね」

「あら、そう?」

「3歳くらいの頃のさ、物静かで内気なアセリオ。あの娘がこう成長したんだと思うと感慨深いなって思って」

「打算求婚する本の虫が、領のお偉いさんに出世した今のポートも感慨深いわよ?」

「……そ、そうかな」

 

 成る程、そう言われると僕も結構変わったのかな?

 

「と言うか、そんなにちっさい頃のアセリオに会いたければ会えばいいじゃない」

「……あぁ、うん。うん?」

 

 ……うん?

 

 ……会えば良いって、何? どういうこと?

 

「おーいチビリオ!」

「……はーい」

 

 

 

 

 

 

 

 そのリーゼの呼び声で、トテトテと3~4歳くらいのアセリオが部屋に走って入ってきた。

 

 ……。

 

「これ、凄いでしょ。懐かしくない?」

「……むふー」

 

 ……。

 

「本当だ、懐かしいね。久しぶり、チビリオ……? で良いのかな?」

「あたしはアセリオだーっ! ……がおー」

 

 ……。うん。

 

 深く考えちゃダメだ。アセリオのやることを、イチイチ真面目に反応しちゃダメだ。

 

 だってアセリオだもん。若返って子供に戻るくらいの事は良くあることさ。

 

 

 よくあるよね?

 

 

「アセリオ、最近どうだい? さっきは危ないところを助けてくれてありがとね」

「……むふー。恩に着るが良い!」

「にしてもすごいね、本当に子供にしか見えないや。性格もなんか子供っぽい……?」

「……むー。あたしは大人の女!」

「あ、一応言っとくけどこの娘、ただのアセリオの大ファンで物真似してるだけだから。本人じゃないわよ?」

 

 ですよね。



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ご褒美

「ああ、チビリオな。あの娘に限らず、アセリオは大体チビっ子に人気だぞ」

「アセリオは、村に居る時と何も変わらないなぁ」

 

 僕は背中に引っ付いたチビリオを連れて、屋敷の広間に顔を出した。

 

 そこでくつろいでいたラルフに話を聞くと、どうやらこのチビリオは怪しい集団ASROのメンバーの娘さんらしい。謎の集団として奇行に及ぶ際、家に子供を一人残すのは不安だという親の為に、僕の屋敷で一時預かりするシステムを構築したそうだ。

 

 ふむ。ASROは、育児福祉の行き届いた素晴らしい団体の様だ。

 

「アセリオ曰く、ASROは義賊みたいなもんらしいぞ。世のため人のためになることを積極的に行い、自己満足に浸る集団だとか」

「アセリオらしい」

「あいつはスゴいぞ。最初はただの一人の自己満足だったのが、次々に仲間が出来てあの人数になったんだ」

「僕も欲しいんだけど、そのカリスマ」

 

 今世のアセリオには、人を惹き付ける魅力がある。思春期特有のハッチャケが高じて、変なカリスマを纏い始めている。

 

 そのスキル、本来は僕に必要な能力なんだけど。僕に人望が無いから、反対派の貴族に狙われまくっている訳だし。

 

「……カリスマだー。わははー」

「よしよしチビリオ。あの人気も納得できるだけの積み重ねがあるんだよな、アセリオには。何でも悪徳貴族を成敗したり、迷子で居なくなった子供を見つけ出したり、無料で大規模なショーを開催したり」

「それで民心を掴んだのね」

「冒険者ギルドでも、ASRO派閥が出来てるくらいだ。実働してるのは数人だが、支援者含めるとかなりの勢力になってると思うぞ」

 

 ……うーむ。

 

 結構無視できない勢力に育ってるな、ASRO。味方だから頼もしいが。

 

「ラルフはどうだった? 僕が従軍している間、何か変わったことはなかった?」

「いつも通りだったよ。リーゼやアセリオと、楽しくやってた」

「それは上々」

 

 ラルフは、僕直属の私兵長やってもらってるからね。遠征中は、あんまり仕事もなかったんだろう。

 

「……」

 

 この男を大将に推挙、か。ブラッドさんは、是非にともにと勧めていたが。

 

 実際に僕が推挙したら、多分イヴは賛同してくれる。あの娘は、僕を過剰評価している節があるからだ。

 

 おそらく『ポートさんの事ですから、深謀遠慮があるのでしょう』みたいな事言って、ポンと大将軍に任命してくれるだろう。

 

 だが同時に、従軍してから何の手柄も立てていない彼を大将にしたら、周囲の反発が凄い筈。間違いなく『何の手柄も立ててないのに、何でアイツが』と嫉妬されてしまう。

 

 よし、この男に1つ手柄を立てさせてやろう。

 

「楽しくやっていたところ悪いけど、ちょっと君に仕事を振りたい」

「……む。何でも言ってくれポート」

 

 なるべく危険じゃなくて、かつ功績が大きい手柄。

 

 そろそろ、あの災厄が降り注ぐ時期だ。

 

「ちょっと、お使いに行ってきてくれ」

「お使い?」

 

 あの件について、もう動かないといけない時期に差し掛かってる。元々は僕本人が行くつもりだったけど、ラルフに頼んで交渉してきてもらおう。

 

 忙しくて、僕自身が動けそうにないし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あたし、帰還。元気にしていたか、我が半身」

「アセリオだー!!」

 

 夕方になると、本物の魔女が帰ってきた。チビリオは大興奮して、アセリオ(本家)に抱き着いている。

 

 ……よく似てるなぁ。前にアセリオは子供生やせるとか言ってたし、実は隠し子だったりしないかな?

 

「……ポートが居る。久しぶり」

「さっき会ったじゃないか」

「あれは、謎の美少女仮面……」

 

 アセリオは、わざとらしく僕を見て驚いた。さっき再会したから家にいるのは予想がついただろうに。

 

 だがアセリオ的には、あれは自分ではない別の存在らしい。そこを隠すことに意味はあるだろうか。

 

「僕はまた、しばらく王都で仕事をすることになった。あんまりアセリオに頼るつもりはないけど、もしかしたら力を借りるかもしれない」

「……? どうして、あまりあたしを頼らないの?」

「いやだって」

 

 何もかもアセリオに任せたら上手くいきそうな気がして怖いんだもん。自分でできることは自分でやらないと、ダメ人間になっちゃう。

 

「アセリオは凄く頼りになるよ。けど、だからこそ最後の手段にしておきたいというか」

「ポートはもっと頼っても良いんだよ……? 幼馴染、だし」

「どうどう。アセリオって結構人を甘やかすよな、俺には冷たいけど」

 

 うん、甘えすぎるとダメになっちゃいそうな気がするんだよねアセリオは。

 

 前の改革の時、僕も結局アセリオに尻拭いして貰ってたから何も言えないけど。

 

「リーゼなんか甘やかされて、最近自堕落になってきた気がするし。前まで食器の片づけ位は自分でしてたのに、最近はアセリオが全部やってるだろ」

「あたしは一応、厨房も兼ねてるから……」

「家に帰ってから料理もしてるもんな、アセリオ。体力どうなってんだ?」

 

 そう、陰ですっごい努力家なんだよアセリオは。手品1つにしても、僕らに見せる前に目茶苦茶練習してるらしいし。

 

 その努力の成果を惜しげもなく僕たちのために使ってくれる。それはありがたい反面、頼りすぎちゃ良くないとも思うんだ。

 

 そういや前世のリーゼ、結婚してからドンドン自堕落な性格になってったっけ。料理だの家事だのアセリオが手伝いすぎて、結局依存しちゃったんだ。

 

 アセリオは頼られるとすごく嬉しがって、それを苦と思わない。

 

 今リ-ゼはハキハキしてるけど、このままだと将来リーシャみたいな不真面目な性格になってしまうかもしれない。

 

 うーん、テコ入れが必要だな。

 

「そっか。じゃあ、リーゼにもラルフと一緒にお使いに行って貰う。旅をしたら、多少は自堕落さも治るだろう」

「え、二人旅?」

「何かマズいの?」

「一応、新婚なんだよな俺達。いや、お前がいいなら良いけども」

「避妊はちゃんとしなよ」

「何もしねーよ!! そういう不安ゼロかお前!」

 

 ああ、嫉妬するとか思われてんのか。僕がリーゼに嫉妬する訳ないじゃないか。

 

 僕、前世はリーゼ好きだったくらいだし。何なら、むしろラルフに嫉妬する側だ。

 

「うーん、本気で全く異性として見られてないのね俺」

「そりゃあ、まぁ」

「いざ本番になったら顔真っ赤にして失神する癖に」

「うるさいな。それに関しては、解決策はもう見つけたから大丈夫。夫婦生活に問題は無いよ」

 

 ラルフこの野郎、童貞の癖に人を初心だとからかいおって。

 

 一応、もう解決策は思い付いてるんだ。二度とあんな無様は晒さないし。

 

「ラルフの代わりに、あたしがポートの相手するというのはどうだろう……」

「だから俺を排除しようとするな」

「それも一興だけどね。……僕は、家を守るために誰かの子を宿さないといけないから」

「……可哀想に、ポート。こんなエロバカに体を売るなんて」

「俺の性欲は普通だからな。女の子に特別興味がある訳じゃないらな」

 

 いや、エロバカは間違ってないだろ。年中覗きしてた癖に、何言ってんだ。

 

「で、解決策って何? お前、気絶しないでエロい事できるの?」

「うん。もう、それは大丈夫」

「ほ、ほーん」

 

 ……。分かりやすいなコイツ。

 

「ラルフ、まさか期待してる?」

「え、まぁ、別に?」

「ポート、無理しちゃダメ。そう言うのは、正式な夫婦になってから……」

「アセリオは黙っていろ。これは俺とポートの問題だ」

 

 ふんふんと、ラルフは鼻息荒く迫ってきた。

 

 むー、貯まってるのか? こないだ覗き禁止令出したから、性欲の解消手段も少ないだろうし。

 

 どうしよう。ブラッドさんを説得できた件もあるし、元々ご褒美の予定は有ったけど。

 

 ……ちょっと付き合っても良いかな。あの解決策も、試してみたいし。

 

「で、その解決策を使えばだな、その」

「まぁ、今度は大丈夫だと思う。今夜ちょっとご褒美あげようか」

「よっしゃぁ!!」

 

 おお、喜んでる喜んでる。

 

 正直、新婚なのに旦那放置しっぱなしだったのは申し訳ないと感じていたんだ。この程度でラルフのご機嫌取り出来るなら、安いもんさ。

 

「……本当に大丈夫?」

「うん、任せて」

 

 さて、そっちの準備もしときますか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの。ポート、これは一体」

「縄だよ」

 

 ぐーるぐる。人を縛った経験はないけれど、こんなモノだろうか?

 

「縄なのは分かってる。何をしてるのかと聞いている」

「ラルフを縛ってる」

「なんでさ」

 

 ぐーるぐる。うん、いい感じだ。

 

 夜、僕の私室。ラルフは僕に手足を拘束され、ベッド上に転がされていた。

 

 何とも情けない姿である。

 

「説明を求める、ポート。この状況は何?」

「ラルフにエロい事されたら気絶する。でも、僕がラルフにエロい事してあげる状況なら大丈夫と思ったんだ。僕って結構攻め気質だし」

「ちょっと待って」

 

 むぅ、せっかくラルフが好きなエロい事をしてあげようとしたのに。

 

 何が不満なのだろう。

 

「俺、何されるの?」

「逆に聞くけど、何をされたい? リクエストしていいよ」

「うわぁ。ポートが何か見たことない笑顔してる」

 

 コイツは、これからリーゼと二人旅をする事になる。それで、先にリーゼで童貞卒業とかされたら僕の立つ瀬がない。

 

 本番まではいかなくとも、一応ちゃんとエロい事をしておこう。男女の関係に楔を打つのも、夫婦としては大切だし。

 

「リクエストしていいなら、まず縄を解いててくれ。男としちゃ、ポートになすがままにされるのは結構屈辱なんだ」

「でも、君を解き放つと僕は失神するよ。良いのかい?」

「なんて斬新な脅迫」

 

 まぁ、今日の所はそれで我慢しておきたまえ。ちゃんと籍入れたら、僕も腹をくくって好きにさせたげるから。

 

「じゃあ、どんなリクエストなら良いんだよ?」

「僕主導で動いていいなら、多分何でもいいよ」

「……。じゃあ、いっぺんお前に全部任せるわ」

 

 お、成る程。それなら、僕の好きにさせてもらおうか。

 

「えっと……」

「頼むぞ」

 

 ラルフは何かを諦めつつ、何かを期待している物凄く変な表情をしていた。

 

 ちゃんと鼻の下が伸びているのが、面白い。

 

 

 

 

 ……さて、僕は何すれば良いんだろう。

 

「で? これからどうすんだ?」

「今考えてる。何すれば良いんだろう」

「えー……」

 

 困ったな。せっかくラルフを縛り上げたは良いが、やることが特にない。

 

「ラルフって、ムチで叩かれたりしたら喜ぶ人?」

「いや、それは普通に怨む人だ」

「うーん、そっか」

 

 ラルフにそっちの気は無いのね。じゃあどうすればいいんだ。

 

「その、例えばだな。ポートから触って貰ったりとか」

「うーん、僕が触る……ねぇ」

 

 困っていたら、ラルフから『触ってくれ』とリクエストがあったので、取り敢えず頭を撫でてあげる。

 

 うん、良い子良い子。

 

「……それは、違くないか?」

「だよねぇ」

 

 ラルフは良い子ではなく、エロい子だしな。

 

「じゃあ、脇腹とかどう? それそれー」

「ダヒャヒャヒャヒャ! く、くすぐるなポート」

「……それそれー」

「ダーッヒャヒャヒャヒャ!」

 

 うん、これも何か違うな。

 

「困ったな。万策尽きた」

「……万策尽きるのはえぇよ、はぁはぁ」

 

 ラルフの息が乱れている。少し、くすぐり過ぎたか。

 

 ダメだな。何やっても、エロい雰囲気にならない。

 

「あ、そーだ。じゃあ普通にマッサージしてあげるよ」

「マッサージ?」

「ラルフも疲れてるでしょ? 腰を解してあげる」

 

 しょーがない。あんまりエロい事に拘らずに、普通にご奉仕してあげよう。

 

「結構、自信あるんだよ。この辺とかどう」

「お、おおぉ。効くな、それ」

「ぐーっ、とね」

「お、おおー」

 

 書類仕事が多いと、肩が凝って仕方ないらしい。

 

 これでも僕は、新入りの頃リーシャのマッサージをやらされていたのだ。

 

「縛られてるのを除けば、これは良い……っ、ふっ、ふっ」

「だろ? 結構自信あるんだ」

「う、うほぉぉぉ」

 

 何か予定とは違ったが、これはこれでラルフも満足してくれてる。うん、よきかな。

 

「ここだろ? ここが良いんだろ?」

「お、おおぉ……。んほぉぉ」

 

 声だけ聞くと、ものすごくエロい事してるみたいだし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 

「……え? 夜中ずっとラルフの喘ぎ声が聞こえてきてて、次の日の朝のラルフにクッキリ縄の痕が付いてた?」

「ポート……。ポートが、遠くに行っちゃった……」

「ラ、ラルフはそっちの趣味なのね。なるほど、頑張るわ」

 

 僕はあのマッサージの後、普通に添い寝していただけなのだが……。幼馴染み二人は、何やらとんでもない誤解をしている様子だった。

 

「あの、二人とも。それは違くて」

「ムチを用意した方が良いかしら」

「……そもそも、どっちの趣味?」

 

 違う。僕もラルフも、別にそういう趣味ではない。



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ポートの策略

「ラルフー、見えたわ」

「……ぜぇぜぇ、やっと、着いたか。で、どこだ?」

「ここから山を3つほど越えたあたりね。明後日には着くんじゃないかしら」

「まだそんなに掛かるのか……」

「もう一踏ん張りよ!」

 

 急斜面の山岳を登りながら汗を流すラルフを、小柄な猫目の幼馴染みが励ましている。

 

 二人がこんな悪路を進む理由は、異例の出世を果たした若き内政官『ポート』からある頼まれごとをしていたからだ。

 

 

『実は、政務官として取引をしたい女性が居るんだ。でも僕は最近忙しくて外遊する暇がない』

『ふむ。じゃあ、お前の代わりに交渉に行ってくれば良いんだな』

『そういうこと。手紙を書いたから、それを渡してくれれば良い』

 

 

 半年前までは野山を駆けまわって遊んでいた彼女も、今や国の内政を牛耳る文官のトップ。その忙しさたるや、前世の折ですら経験したことのない凄まじさだった。

 

 元々徹夜に耐性の有ったポートだったが、オーバーワーク甚だしい様で流石に疲労の色が隠せていない。それもこれも、『首都との経済戦争』に『帝国の謀略対策』に『街の急速発展』にと抱え込んでいる案件がバカでかすぎるからだ。

 

 そんな彼女に、数日かけて旅をして交渉に赴く余裕などなかった。

 

『君ならきっと上手くやるさ。交渉に関しては、手紙さえ届けてくれれば上手くいくはず』

 

 惚れ込んだ婚約者から、そんなお願いをされたら断れる筈もない。

 

 ラルフはリーゼと共に、とある『薬師』を訪ねることになったのだった。

 

「隊長、少し休憩されますか?」

「いや、良い。このまま進むぞ」

「了解です」

 

 勿論二人の後ろには、数十人の兵士が追従していた。

 

 彼らはラルフとリーゼの部下であり、ポートに雇われていた私兵団だ。

 

 荷物運びと二人の護衛を兼ねて、彼らもこの任務に追従している。彼らが居なければ、二人が荷車を引かねばならず更に時間がかかっただろう。

 

 

「にしても、何で林檎なんですかい?」

「知らん。ポートに聞いてくれ」

 

 

 因みに、彼らが出立の際にポートが手渡した荷車には、3つの青い林檎入りの箱が乗せられていた。

 

 彼女曰く、これは交渉に必須のものだそうだ。

 

「アイツが持ってと言うんだから、何か意味が有るんだろうよ」

「はぁ」

 

 その青い林檎は、旅の最中に熟れて赤みが掛かり始めている。

 

 輸送されている果物の意味を知る者は、その場には誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────どなたでございますか?」

「侯爵領からの使いだ。リンという女性に会いに来たんだが」

「リンは私でございますよ」

 

 数日かかりで山を越え、やがてラルフは目的地に到達した。

 

 それは、山の奥に建てられた不気味な一軒家。その表看板には『薬師リン』とだけ記されていた。

 

「やっと着いたわ! 上がっていいかしら」

「え、あの、その。貴方は誰でございますか?」

「馬鹿、いきなり上がろうとするな! すまん、俺達は貴方にお願いがあって来たんだ」

「お願い……?」

 

 リンと言えば、知る人ぞ知る有名な薬師であった。

 

 彼女の記した薬学書は大ヒットしており、世界中の薬師の教本になっている。

 

 実はポートも、『薬師リンの本』を見たことがあったりする。

 

 そんな彼女に、ポートが頼みたい事と言うのは、

 

「お前だけが作れるという秘薬……『万葉の雫』の製法を教えて欲しいんだ」

 

 

 

 彼女だけが作れる『秘薬』の製法の公開であった。

 

 

 

「えっ。絶対無理でございますけど」

「何でよ!」

「いや、薬師は知識が商売道具でございまして。私が開発したアレはまさに妙薬、その製法で子孫代々飯が食えるのでございます」

「そこを何とか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今この世界は、ポートの知る歴史と大きく違う道を歩いていた。前世の記憶など、殆ど当てにならないだろう。

 

 しかし、いくら歴史が大きく変わろうと……『天災』の襲来するタイミングだけは変わらない。

 

 まもなく、前世では疫病が大流行した時期が来る。この未曾有の大災害により、侯爵領では多くの死者が出る事となる。

 

 前世でポートは、この疫病で父親を失った。更に領主イシュタールもこの病で命を落とし、兄の影を追った愚かなイブリーフが台頭するきっかけとなった。

 

 誰もが悲しみに包まれたこの災害を静めたのは、実は愚かなイブリーフその人であった。

 

 ────不思議な事に、薬師リンの処方した秘薬だけがこの病に有効だったのだ。

 

 その噂を聞きつけた前世のイブリーフは、挙兵してリンの身柄を拘束した。そして無理やりその製法を吐かせ、各地に公開する事で疫病を静めた。

 

 ポートは、そんな疫病が治まった経緯を、前世でイブリーフについて詳しく調べた際に知っていた。

 

 

『社会福祉を考えると、医療は充実させるべきだと考えてね。ラルフ、薬師に交渉して秘薬の製法を聞き出してくれ』

『おう、分かったぜ」

 

 

 何故か唯一、疫病に有効だったという『万葉の雫』。

 

 その秘薬の量産体制が疫病の流行前に整ってさえいたら、歴史は大きく変わるだろう。

 

 死者は少なくなり、流行は小規模となり、侯爵領が受ける被害はごく軽微なもので済む可能性が高いのだ。

 

 ポートはその『大手柄』を、敢えて幼馴染に譲った。それは、分かりやすい功績を上げる事で彼らを良い地位に着任させる狙いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「このままじゃらちが明かないわ。とりあえず、ポートからの手紙を読んでくれないかしら」

「貴方達の主の手紙でございますか? とりあえず、拝見はしてやります」

「おお、そうだ。そういや手紙を預かってたんだった」

 

 しかし、交渉は難航しそうだった。

 

 薬師からすれば、秘薬の製法はまさに商売道具そのもの。

 

 せっかくの妙薬も製法が広まってしまえば、リンの受ける損失は計り知れない。

 

 

 

「……とりあえず交渉関係なく、林檎は私が食べて良いって書いてますですね。林檎をお持ちなのでございますか?」

 

 手紙の最初の行を呼んで、リンはそう聞いた。

 

 彼女は、甘いものに目が無かったりするのだ。

 

「おお、そうそう。この林檎は手付けみたいなものだから、とりあえず食べてくれって」

「それはまぁ、ありがたい。毒とか入って無いでございますよね?」

「そんな事しないわよ!!」

「まぁ入ってても解毒くらいできるのですが……。む、甘い!」

 

 ポートが用意した林檎を一口かじると、リンは飛び切りの笑顔になった。

 

 実はこれ、彼女が甘い物好きであるという情報を得たポートが、最高級の林檎を商人から購入し持たせたものである。

 

 不味いはずがない。

 

「これは、これは。ふむふむ、取り合えずもう少し話くらいは聞いてやりますよ」

「ありがたい」

「中に入るといいです。茶くらいは出しますよ」

 

 その糖度の高いスイーツに気を良くしたリンは、二人を部屋に招き入れた。

 

 ここまでは、ポートの計算通りである。

 

「貴方達の主は、要するに『万葉の雫』が欲しいのでございますね? お申し付けいただければ、毎年届けに行くのですよ」

「いや、製法が欲しいらしいんだ。詳しくは知らんが、量産体制を整えて貯蓄し、民の健康を守りたいと」

「それをされたら、薬師が全員おまんまの食い上げでございますよ。勘弁頂きとうございます」

 

 いくら林檎が美味しかったといえ、リンは流石に製法を割ったりしない。

 

 彼女はせいぜい、秘薬を大量に売りつけてやるくらいの落し処にするつもりだった。

 

「ポート……、依頼主は金に糸目をつけないと言ってる。金で売ってもらえるなら、言い値で良いとさ」

「金銭でございますか。正直幾ら積まれても、売れないものは売れないのでございますが」

「そこをなんとか。仮に売るとしたら、どれくらいの額なら良いんだ?」

「そんなことを聞かれても困るでございます」

 

 ポリポリと林檎をかじりながら、リンは困った顔をする。

 

 この妙薬は、飯のタネ。数代にわたって継承すれば、ずっと飯に困る事はない妙薬。

 

「……そうですね、1億Gくらいでございますかね」

「ぐっ! そんな馬鹿げた額じゃなく、何とか……」

「馬鹿げてません。本当に、これくらいの価値はある情報でございます」

 

 1億Gはとてつもない大金だ。それだけあれば、子孫が5代は遊んで暮らせるだろう。

 

 10Gがパンの値段、500Gが一泊の宿の値段。1億Gもあれば、どれだけの贅沢が出来るか分からない。

 

「本気で製法を知りたいのであれば、1億G持って来やがれでございます」

 

 もし本当にこの額を持ってこれるなら、製法を教えても構わない。そのラインが、1億という大金だった。

 

 尤も、そんな金を彼らの主が用意できるか微妙だが。

 

「……どうする? 一旦引き返すか?」

 

 リンのその言葉に本気を感じたラルフは、ポートに相談しに戻ろうと考えた。

 

 流石に額がでかすぎて、金に糸目を付けるなと言われていたが躊躇してしまった。

 

「ううん、まだよ。ポートが交渉決裂しそうになった時、渡せって言ってた手紙があるじゃない」

「お、そうか」

 

 そう言うと、リーゼは2枚目の手紙を取り出した。

 

 そこには『交渉に難渋している時』という付箋が貼ってあった。

 

「貴方達の主はマメでございますね。お読みしましょう」

「ああ、すまん。何て書いてあるんだ?」

「ええと、でございますね」

 

 

 

 

 ────貴女の持つ薬の知識を、僕は高く評価しています。

 

 ────いくら値段を申し付けられても、応える所存でございます。

 

 ────まずは誠意として林檎の箱の底に、資金を用意しております。ご確認ください。

 

 

 

 

「……箱の底に、お金があると」

「え、そうなのか。確かに妙に重いとは思った」

「あら、2重底。林檎は表面だけみたいね!」

 

 その手紙を読んだラルフ達は、林檎の箱の底を凝視して仕掛けに気付く。

 

 そしてゆっくり林檎を取り除いて、箱の底を開けてみた。

 

 

「……えっ」

 

 

 

 何とそこには、目もくらむような黄金のインゴットが所せましと敷き詰められていた。

 

 カチン、と鳴り合わせてみると本物である。何と林檎の箱の底から、金が大量に出てきたのだ。

 

 

 

 ────軽く1億Gほどの額をご用意しております、足りないとおっしゃるのであればまだご用意できます。

 

 

 

「……えっ」

「う、うそ? これ本物?」

「あ、あ、あ。アホかあの女! こんな少数の護衛で、何つーモノを運ばせてんだ!!」

 

 これにはリンのみならず、運んできたラルフとリーゼも仰天した。

 

 ただのリンゴだと思って運んでいた箱は、拝んだこともない目も眩むほどの大金が入ったモノだったのだから。

 

 もし落としたり無くしたり奪われてたりしたら、一大事である。

 

 

 

「1億G、あるらしいけどコレ」

「しょ、正気でございますか!? 本気でこんなもの用意してきたのでございますか!?」

「その、なんだ。一応、お前の言う1億Gは用意してたわけだが……製法を教えてくれるのか?」

「ちょ、ちょっと待ってでございます。いったん落ち着く時間が欲しいのであります」

 

 

 これにはリンも、困惑した。

 

 薬の製法の情報的価値は高い。彼女の言う1億Gは、ふっかけではなく適正な価格だ。

 

 それを理解している主であれば、本気で1億Gを持ってくる可能性もあるとは考えてはいた。だが、まさか既に用意してあったとは思わなかった。

 

 

 

 

 

 

 ────更にもし、我らが都に移り住んで頂けるなら、邸宅や工房は全て貴女の望むままにご用意いたします。

 

 ────最高待遇の『国家公認』薬師として、その生涯の給与を保証しましょう。

 

 

 

 

 

 

 

「……移住せよ、と来やがりましたか」

「そういやリン、あんたは何でこんな辺鄙な所に住んでるんだ?」

「人が嫌いだからでございますよ。人は私を見ると『金は持たぬが薬を寄越せ』と言い、断れば『守銭奴』だの『人でなし』だの詰られる。薬を作るのにどれだけの手間がかかるのかも、私だって生きていくのにお金が必要だと言うことも理解しないのでございます」

 

 

 はぁ、とリンは溜め息を吐いた。

 

「衣食住を保証していただけるのはありがたいのですが、なるべく人とは接したくないのです」

「そっか。苦労したんだな、お前」

「しかし、本当に1億Gを用意して頂いていた訳ですし。薬の製法は、お伝えしましょうか」

「おお、やった!」

 

 こんな大金を用意してまで、本気で薬の製法が知りたいと言う。

 

 それはつまり、何か侯爵領で見慣れぬ疫病の気配を察知したのかもしれない。

 

 自分だって薬師の端くれ、きちんと対価を貰えるのなら『なるべく多くの人を救いたい』と言う気持ちに嘘はないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でもよ。こんな山奥に大金が有るって知れたら、賊がわんさか押し寄せねぇ?」

「……あっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おお、よくぞ来てくださいました薬師リン殿。貴女に面会が叶うとは、光栄の極みです」

「……お前が引きずり出したのでございますが」

「何の事でしょうか? はっはっは」

 

 えげつない額の資金が、山奥の小さな一軒家に運び込まれた。

 

 そんな情報を悪人に察知されてしまえば、リンの身は危い。彼女は1億Gという大金を家に持ち込まれた時点で、都に移住して保護して貰わざるを得なくなったのだ。

 

「交渉と称した事実上の脅迫、その手管に脱帽なのですよ。地獄に落ちろでございます」

「機密管理には気を使ってましたよ。貴女を護衛してきた兵士ですら、あの大金の存在を知りません。貴女の身を危険に晒すのは国家の損失ですからね」

「……」

「貴女の著作は、読ませていただきました。あんなに分かりやすく、丁寧に纏められた本は見たことがない。僕は、貴女を心の底から尊敬しています」

「むぅ」

「稀代の薬師リン先生、どうかそのお知恵を国家のためにお役立て頂けませんか」

 

 その無礼を承知していたポートは、自ら地に伏せてリンを拝んだ。

 

 仮にも内政のトップを預かる貴族が、頭を地につけたのだ。周囲の護衛兵や経理官は、ギョッと目を見開いた。

 

 

「……あ、あ、頭をあげてくださいでございますポート様。それも立派な脅迫でございます、貴女が頭を下げるという行為が平民にとってどれだけ重圧になると考えておいでですか」

「リン先生が是と仰るまでは、頭を下げさせてもらいます」

「やります! やらせていただきます!! ここに連れてこられた時点で、もう覚悟してますよ!!」

 

 薬師リンの外堀が完全に埋まっていく。

 

 ポートは頭を床に擦り付けながら、その言葉を聞いて笑顔になった。

 

「うわぁ、こんなに嬉しいことはない。これからよろしくお願いしますね、リン先生」

「ちくしょーでございます!!」

 

 

 

 こうしてポートは、疫病と言う未曾有の危機に対する切り札を手に入れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ポートの奴、仕事になるとキャラ変わるのな……」

「結構な悪だったわね、今回。部下に怖がられてた理由が分かった気がしたわ」

 

 そして幼馴染みは、いつの間にか彼女がソコソコ怖い人間に成長したことを知ってビビっていた。

 

 



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歴史の分岐点

 所変わって、王のいる都。

 

 イヴ率いる侯爵家との対立で、王都の貴族は大きく割れていた。

 

 

「王よ、侯爵家周囲の貴族は全員王命を拒否しました」

「何故だ?」

「侯爵家の結束は固いようです。陛下の権威を以てしても、かの家臣団が我らに靡く可能性は低いでしょう」

 

 イヴが、王都を脱出してから数ヵ月。

 

 王は、イヴ配下の有力貴族や将達に『イブリーフの討伐令』を出していた。

 

 しかし、返ってきた返事に色良いものは1つもなかった。彼女自身の求心力もさることながら、経済基盤をポートが完全に牛耳っているのも理由の一つだ。

 

 反イブリーフ派の貴族の大半は、その経済基盤を商人に支えられている。その商人に絶大な支持を得ていたポートは、間接的に貴族の首根っこを押さえていたのだ。

 

 しかも、戦時は貴族特権の廃止でポートに激怒していた貴族達は、大半が既に怒りの矛を収めていた。何せ結果的に、ポートの統治で戦前より豊かになったのだ。

 

 利益がある相手に対して、貴族は尻尾を振る。

 

 

「こうなれば武力行使しかない。侯爵家に、王の威光を示さねばなりますまい」

「所詮イブリーフは田舎貴族、最新の装備を持つ王都兵の前になす術ないでしょう。すぐに降伏してくるに決まっています」

「うむ」

 

 王に気に入られたい貴族は、耳触りの良い言葉を並べ。

 

「お待ちください、王よ。侯爵家の兵を侮ってはなりません、彼等は勇猛にして精強です」

「先の戦いにおいても、僅な兵力で莫大な戦果を上げたではありませんか。奴等は常日頃から国境沿いで戦争している精鋭です、正面衝突は危険です」

「……むう」

 

 真に国を憂いる者は、必死で王を諌めた。

 

「戦う前から臆病風に吹かれるとは情けない」

「彼等を打倒した後には、帝国をも相手にせねばならないのです。地方の侯爵家ごとき、粉砕出来ねばこの国に未来はありますまい」

「それも、そうか」

 

 しかし、王都に知識人は少ない。

 

 王都で政治を司る議会の中に情勢を理解していた者は極僅かで、大半が王にゴマをするだけの小判鮫の集まりであった。

 

「では、侯爵家の討伐命令を出す。王都兵の強さを見せつけてくれよう」

「御意」

 

 反対派の必死の抵抗もむなしく、とうとう王は決断した。

 

 再び兵を召集し、侯爵家の治める南部への侵攻を。

 

 

「これは、正義の鉄槌である」

 

 

 こうして再び、平和を得た筈の王都で戦時宣言がなされ、南部侵攻へ向け着々と準備が進められた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ムノ、君が大将軍だ。夏までに兵を率いて、侯爵家を攻め滅ぼしてほしい」

「了解です! 任せてください!」

 

 南部侵攻を任された総大将は、先の帝国との戦いで唯一『ダート以外』で局地的に帝国に勝利した、若き指揮官ムノだった。

 

 彼は進撃してくる帝国に不用意に近付かず被害を抑え、ダートの突撃に合わせて反攻して『そこそこ』の戦果を上げた。

 

 これ以外に王都兵は一切の戦果を上げておらず、敵に蹂躙されただけである。

 

 

「ムノは国一番の知将だ!」

 

 

 正直ラッキーパンチでしか無かったのだが、ムノはこの戦果で大々的に表彰されて昇進し(と言うか他に表彰する人がなかった)、調子に乗った。

 

 更に無理難題であることに気付かず、意気揚々と南部攻略の任務を引き受けた。

 

「俺が侯爵家の奴等を、蹂躙してやりますよ!」

「実に頼もしい」

 

 ただでさえ弱い王都兵の指揮を執るのは、若く無謀な司令官。

 

 この時点で、王都の末路はほぼ決まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 かに、思えたが。

 

 

「兄、大将軍に選ばれたって本当?」

「本当だぞ」

 

 

 気合い十分に戦争の準備を始めた男に、語りかける声があった。

 

「俺が軍で一番偉い人間になったんだ。出世したもんだぜ」

「それ殆どアンのお陰、みたいな」

「実際に指揮したのは俺だよ」

 

 語りかけたのは彼の副官にして『双子の妹』のアンだった。

 

 何を隠そう。帝国の英雄相手に様子見を提案したのも、ダートの突撃に合わせて攻勢を指揮したのも、殆どアンだったのだ。

 

 アンは内気で臆病だった。陣頭に立って指揮するカリスマは無く、兄の相談相手という立場で従軍するに留まっていた。

 

「お前の作戦提案能力は買っている。後はそれを、俺が実行に移す。そういう役割だったろ、俺達」

「そこに不満はない。けど、侯爵家相手に喧嘩を売るのは無茶、みたいな」

「いや勝てるだろう。こっちの方が、兵力は上だぞ」

 

 妹は兄を諌めた。

 

 彼女もまた、実際に侯爵家の戦いぶりを目にして『あ、これ勝てないわ』と悟った人間だったのだ。

 

「練度が違いすぎるの。侯爵家と武力を競うのは『素手で虎に挑む』様なもの。馬力も筋力も違い過ぎて、勝負にならないみたいな?」

「よくわからん。虎が相手であろうと、お前が作戦を指揮して罠に嵌めてやれば勝てるんじゃないか?」

「ところがどっこい、知恵比べでも多分負けるの。私たち以上に頭の良い虎との闘い、みたいな」

 

 そう言うと妹はユラユラと揺れながら、暗い目で兄を睨み付けた。

 

「地獄への片道切符を受けとる気はないの。死ぬならお前だけで死ね、みたいな?」

「そ、そんなにか。そんなに無謀なのか」

「ダート将軍以外にも、侯爵家には往年の英雄ゾラも居るの。彼等は単独で、帝国の南戦線を突破する化け物。帝国兵相手に勝負にならなかった私達に、勝てる道理は無いの」

 

 妹は断固として、侯爵家との開戦を拒否した。

 

 その先に待つものが敗北であると、戦う前から理解していたからだ。

 

「と言っても、もう引き受けた後だぞ。今さらやっぱり勝てませんなんて、言えるものか」

「だから、兄が行くなら好きにすればいいの。私は一人お留守番、みたいな?」

「そ、そんな」

 

 妹の頭の良さを、兄はよく知っていた。

 

 そんな彼女が此処まで言うのだ、勝算はかなり薄いのだろう。

 

「アン、俺はどうしたら良い?」

「私に泣きつくくらいなら、最初から受けるなっての」

 

 兄は情けなく、知恵者の妹に泣きついた。

 

 妹は呆れた顔で、そんな兄の額を弾いた。

 

「……今回だけは、任されてあげる。その代わり、兄には貧乏くじを引いてもらう、みたいな?」

「おお、まだ何とかなるのか?」

「何とかするの」

 

 呆れ顔で兄を引き離した妹は、ため息交じりにそう言った。

 

 アホとはいえ大事な兄、見捨てるつもりは毛頭なかった。

 

「いつまでに攻め込めばいいの?」

「夏まで、らしい」

「半年ほど貰えるのね。うん、それなら何とかなりそう」

 

 アンは兄の返事を聞き、ニヤリと笑った。

 

「さてさて、裏工作を始めるとするの。兄、私に口が堅くて忠実な兵士を100名ほどよこしてほしい」

「分かった、手配しよう。一応、俺直属の親衛隊って立場にする」

「それでいいの。兄は何やかんや理由を付けて、出陣を最大限に遅らせてほしい、みたいな?」

 

 軍人貴族に生まれた双子の兄妹。帝国の侵略と言う気運に乗って、二人は王都の中心人物へとのし上げられていく。

 

 ────この兄妹の暗躍によって更にポートの知る歴史とは大きく変わってしまうのだが、それはまた別の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 侯爵領では、相変わらずポートが忙しそうに仕事をこなしていた。

 

 イヴの執務室に出向いたポートは、再び莫大な予算をイヴに要求した。

 

「薬師リンから得た製法を工業化する手筈が整った。来月までに生産ラインを整えたいかな、予算はこのぐらい」

「また、かなりの大金を持っていきますねポートさん。その薬はよく効くようですが、本当にこれだけの額をかける価値はあるのですか?」

「病にはどんな英雄も敵わない。医療の拡充こそ、国家の基幹だよイヴ。それに、この薬はきっと他国に売れる」

 

 ポートの改革に次ぐ改革で、資金がみるみる減っていきイヴは少しナーバスになっていた。

 

 イヴはポートの事を信用している反面、ブレーキを持たない暴走車の如く考えてもいたのだ。

 

「医療資源を、特産品にするのですね。ふむ、資金回収の見込みはいつ頃?」

「運が悪ければ、来年にでも黒字になってる筈」

「……運が悪ければ、ですか」

 

 その不穏な言葉に、イヴは黙り込んだ。

 

 もしかしてポートは、疫病の流行でも予測しているのだろうか。彼女なら、予想だにしない方法で天災を予知しても不思議ではない。

 

 結局イヴはポートを信じ、そのまま承認の判を押した。

 

「はい、承認です。必要な書類は、これで全てですか?」

「ええ、イヴ。ではこれにて失礼します」

 

 それはまさに、悪魔と契約している気分だ。

 

 ポートの優秀さは疑いようもなく、現在進行形で侯爵領は発展している。

 

 それが果たしてイヴ自身の身の丈に合った成果なのかが分からない。農富論を読み、理解し、実践してきた彼女を以てしてもポートの改革は理解の範疇を超えていた。

 

 前世の凄まじい経験を経て、この世界に再び生まれ落ちたその日から妄執の如く『農業を充実させるには』『商業を発展させるには』と悩み続けた天才ポート。

 

 様々な旅人の知見を取り入れ、自分なりに噛み砕いた彼女は間違いなく『当代最優の政治家』なのは間違いない。

 

「ポートさんに任せておけば、何でもうまくいきますものね」

 

 ぼそり、とイヴはそう呟いた。

 

 

 

「最終的に私はお飾りになって、政治的実権をポートさんに握られそうな気がします」

 

 その日イヴは、不安になって父親に相談した。

 

「彼女と一緒に仕事をしていると、不安が溢れて来るのです。私の大切な友人で、頼もしい部下であるポートさんなのに」

「じゃろうのう。上に立つ者の宿命じゃて、それは」

 

 イヴの相談を聞き、イシュタールは愉快げに笑った。

 

 それは何十年も前、彼自身が通って来た道だからだ。

 

「ポートさんは、好き。けれど、彼女の深過ぎる知啓が怖い」

「自分より優秀な部下は、恐ろしいもんじゃて。じゃがの、それを御してこその王じゃ」

 

 老人はイヴの頭を撫でながら、静かに昔話を始めた。

 

 

 

 ────イシュタールは、傑物と言われた。

 

 戦術の妙を理解し、民を可愛がり、帝国軍や異民族を幾度となく撃退した。

 

 しかし、その彼の『戦果』の大半は。

 

『また勝って来たぞ、イシュタール』

『お前は頼もしいな、ゾラ』

 

 英雄ゾラが指揮してこその、戦果だった。

 

 

 イシュタール自身も、若い頃は戦場に出て戦った。

 

 彼は指揮官としても有能で、幾度の戦いに勝利した。

 

 しかし、彼自身が優秀な指揮官だからこそわかるのだ。共に肩を並べて戦う『戦友』ゾラの用兵の凄まじさが。

 

 

『兵を半分に分けて自分とゾラが指揮するより、全軍をゾラに任せた方が被害が減るんじゃないか』

 

 

 そう考えて、イシュタールは仕事を理由に全軍をゾラに押し付けた。

 

 彼は二つ返事で了承した。そしていつも以上に素早く、高い戦果を挙げてしまった。

 

『そうか、ゾラはやったか』

 

 それを聞いて、イシュタールは悟った。軍事に関して、ゾラに敵う事はないと。

 

『俺の指揮は、ゾラの足かせだったか』

 

 この日からイシュタールは、戦争に出る時に指揮をゾラに任せるようになった。

 

 イシュタール自身も、ゾラの指揮で動く事にした。

 

 それは、当時の彼にとってどれほど屈辱的だっただろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それは」

「上に立つ者が優れているに越した事はない。だが、上に立つ者が常にもっとも優れているなんて考えは驕りじゃ」

 

 今は飄々と笑っているが、きっと当時イシュタールは辛かったに違いない。

 

 まさに同じ気持ちを、今のイヴも感じているのだから。

 

「王の役目は、優秀な部下を信用し『適切な仕事を割り振る』こと。部下の仕事を全てこなせる必要などない」

「……はい」

「心配せんでも、あの娘に野心はない。イヴの事を一番に考えて、良く尽くしてくれるだろう。そんな彼女を嫉妬心で失うような真似はするなよ?」

「も、勿論です! 私がポートさんを手放すなんてありえません!」

 

 その話を聞いて、イヴは少し心の整理がついた。

 

 ポートが加入する1年前までは、イヴこそ『領内随一の政治家』だった。自分より優れた人間は存在しないという自負があった。

 

 その驕りを正されてしまい、少しモヤモヤとしてしまったのだ。

 

「────私って、まだまだ子供ですね」

「何を言う。王都のアホ貴族は、お前の倍も生きていながら嫉妬で人を殺すことを躊躇わん。お前は十分成長しているさ、可愛いイヴ」

 

 父親にそう誉められ、イヴは久しぶりに安らいだ笑顔を浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして1年も仕事をしていると、ポートの名は各地に知れ渡り始めた。

 

「あの農富論、の作者か」

「是非、ポート様の下で学びたいものだ」

 

 これは、当初のイヴの目論見通りだ。

 

 ポートを優遇して釣り餌に使い、文官の仕官を増やす狙いは見事に的中していた。

 

「以前、王都で働いていたものです。書類仕事はお任せください」

「経済学者です。是非、ポート様の下で修業したくはせ参じました」

 

 このように何と、1年で10人以上も文官の仕官が有ったのだ。

 

 彼らを配置する事でポート達の仕事は激減し、些細な事は任せられて重要な案件のみに集中できるようになった。

 

 そしてポートは、余った時間でこの1年の経験を活かした新作『民富論』の執筆を進めた。内容は農富論を更に具体的かつ現実的に、実体験をまじえて記述した指南書である。

 

 仕官してきた『経済学者』に原稿を査読して貰ったところ非常に好評で、「出版されるのが待ち遠しい」と鼻息を荒くしていた。

 

 

 そんな『国有数の知識人』の様な扱いを受ける少女の私生活はと言えば。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……フゴー」

「うーん、これもなんか違うなぁ」

 

 妙なマスクを付けられて息苦しそうに座っている婚約者(ラルフ)に跨って、ポートは物思いにふけっていた。

 

「あんまりエッチな感じがしないよね、コレ」

「フゴー」

「うん、何言ってるか分からないや」

 

 1年も経てば、ラルフからのエロに耐えられるようになったかと言えばそんなことはなく。

 

 相変わらず胸を触られるだけで失神するおぼこ女ポートは、SMグッズでラルフを拘束して首をかしげるのみであった。

 

「ごめん、外すね」

「ぷはー。このマスク、何の意味が有るんだ? 息苦しかっただけなんだが」

「良く分からない」

「とりあえずノリでエロい事するのやめようかポート。どっちも理解不能なエロは、最早エロじゃないんだ」

「随分と哲学的な事言うね、下ネタの癖に」

 

 当初はそこそこ期待もしたラルフだったが、最近はオチが分かってきて過度な期待をしなくなってきた。

 

 どうせ今回も、よく分からないまま終わるんだろうなと理解し始めた。

 

 何せこの女、今まったくエロい事をしていない状況下ですら、顔を赤くしてフラフラになっているのだ。

 

「一度、もうハッキリエロいことしようぜ俺達。そしたら次から、気絶しなくなるだろ」

「……その1回目で、気を失うと思うんだけどね」

「そりゃあ、気を失わないようにちょっとヤるんだよ」

 

 それが出来たら苦労が無いのは、ラルフも承知だ。

 

 それでも、チャレンジを重ねれば少しずつ進歩していくのではないだろうか。

 

「無理だね、考えただけで頭がぼっとする」

「もうちょい耐性つけてくれ……」

 

 しかし既にグロッキー気味のポートを見て、ラルフはこれ以上の進展を諦めた。

 

 本当に彼女と結婚生活をやって行けるのか、不安で仕方がない。

 

「じゃあ、今日は終わりにするか」

「そう、だね」

 

 そう言ってラルフは立ち上がり。

 

 頬を染める婚約者に、別れを告げようとした直後────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────んヴォ」

「えっ」

 

 ポートが口から、溢れんばかりの血を吐き出した。

 

「何、これ────んヴぉ」

「お、おいポート!?」

 

 自身の血に動揺し、更にえずく少女。

 

 そのただならぬ様相を見て、ラルフは慌ててポートを抱え込み。

 

 

 

 彼女の首筋は腫れ上がり、胸に巨大な紫斑がいくつも浮かび上がっているのに気が付いた。

 

 

「な、何だこれ」

 

 

 

 それは、まさに悪魔の様なタイミング。

 

 薬師リンが工房を離れ都に住まい、秘薬製作の工業化を進めるべく『本業を営んでいなかった』期間。

 

 まだ誰も発症者が見つかっておらず、未来を知るポート以外に『その病気の知識を誰も持たない』時期。

 

 その、致命的なタイミングで────

 

 

 

「ポート? おい、ポート!!」

 

 

 

 

 前世で大流行し、暴君イブリーフが食い止めるまでに実に人口の3割が死亡した『過去最悪の疫病』。

 

 皮膚が赤黒く染まる事から黒皮病と呼ばれ恐れられたその病気が、ついにこの世に現れたのだ。

 

 

 

「────ラル、ふ」

「何だよこれ、何なんだ!! 誰か、医者を────!!」

 

 

 ポートは助けを求め、恋人に向かって腕を伸ばそうとした。

 

「……あ」

 

 だが、ピクリとも腕は動かない。

 

 やがて少女は、血反吐の中で意識を手放した。

 

 

 

 

 



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死、再び

「────っ!!」

 

 その話を聞いたイヴは、動揺の余り椅子から転げ落ちた。

 

「ポートさん、が?」

「はい。何やら未知の病の様で、意識不明の重体だそうです」

 

 イヴが心より尊敬し、焦がれた『最優の内政官』ポート。

 

 そんな彼女が、命すら危うい意識不明の重体に陥ったというのだ。

 

「今すぐ見舞いを!」

「駄目です、薬師リン様の指示でポート様は隔離されております。感染力の強い疫病である可能性もあるとの事です」

「……では! 私はどうすれば!」

 

 イヴがここまでの動揺を見せたことは、生まれてこの方無かっただろう。

 

 目を見開いて呼吸も荒く、年齢相応の少女の様にイヴは取り乱した。

 

「落ち着きなさい、イヴ。今、幸いにも国一番の薬師が儂らの領におるじゃろう」

「……ええ。ポートさん自身が、呼び寄せてくださいましたもの」

「彼女以上の医療者は、この国に存在せん。ポート殿の容体に関しては、彼女に任せるほかあるまいて」

 

 一方で、流石に老成したイシュタールは冷静だった。

 

 薬師リンと言えば、国中に名を轟かせた超大物医術師だ。薬を扱う治療に関して、彼女はスペシャリスト中のスペシャリスト。

 

 疫病の様な『薬で治す』病気に対して、彼女の右に出る人間はこの世に存在しない。

 

「……」

「ポート殿の仕事を最も理解できるのは、イヴ、お前じゃ。王の仕事は儂が暫く代行しておく故、イヴはポート殿の仕事を穴埋めしておくれ」

「私が、ポートさんの代わりを……」

 

 やがて、イヴも冷静になった。

 

 ポートの容体に関して、イヴに出来る事は何もない。

 

 ならば、ポートが快復した時に少しでも楽をさせてやるべきではないだろうか。

 

「……分かりました。今日より私は、領統府の内政務室に向かいます」

「うむ、任せたぞ」

 

 ポートの代わりをこなせる人材は、恐らくイヴを、おいてこの領にいない。

 

 ポートが何を考え、何を企んでいたかを理解しきれない所はあるけれど。イヴは病に伏した友人を想い、施政者として覚悟を決めた。

 

「……早く戻ってきてくださいよ、ポートさん」

 

 執務室に向かう最中。イヴは祈るように、そう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……イヴは、行ったの」

「そうですね」

 

 老人はそう言うと、久々に王座に座り。

 

「話を続けい。先程、イヴが動揺したから言い淀んだ言葉があろう」

「……お見通しでしたか」

 

 その悲報を告げに来た兵士に、話の続きを問うた。

 

「ポート様が倒れ、意識不明の重体。そして、薬師リン様の見立てでは『もって1日』との事」

「……治療の目途は?」

「リン様があらゆる薬を試しましたが、まるで効果は無かったとの事です」

 

 そう言うと兵士は、哀しそうに首を振り。

 

「リン様からの伝言を預かっております。『力になれず申し訳がございません』、と」

「……」

「リン様はどうやら、もう治療を諦めておいでです。自分自身の感染のリスクを鑑みて、これ以上粘るのは無意味と」

「何と。では、ポート殿は」

「おそらく、助からないものと思われます」

 

 その言葉を聞き、老人は長い長い嘆息をした。

 

「やっと、イヴが『儂にとってのゾラ』を得たと思うたのにのう」

「今の情報を、イヴ様に伝えてきましょうか」

「いや、黙っておれ。イヴの気力のあるうちに、ポート殿の仕事を引き継いでもらうわい」

 

 イシュタールは自らの子が出て行った扉に、冷徹な目を向けた。

 

「あの子は優しく聡明だが、心は決して強くない。ポート殿の仕事を引き継ぐ前にイヴが潰れてしもうたら、国が成りゆかなくなる」

「……」

「逆に、ポート殿から引き継いだ『仕事』さえあれば。イヴは『現実から逃げようと』仕事に無心に打ち込むじゃろう。あの子の負担は相当なものになるが、国は潰れない」

「それは……」

「ポート殿が死したとしても、イヴには告げるな。リン殿にも口裏を合わせるように言うておけ、良いな」

 

 そこまで言い切ったイシュタールは、どっと老けた顔になり。

 

 

「……この様な『政務』、二度とすることは無いと思っていたのじゃがな」

 

 

 彼は1年ぶりに『子煩悩な好々爺』ではなく、『王』に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あらゆる薬を試した、か。全部効かないって事は、治す方法は無いのか?」

「はい、その通りでございます」

 

 リーシャは、ポートの隔離部屋から出てきたリンに詰め寄っていた。

 

「私の持つありとあらゆる知識を試しましたが、点で効果がございませんでした」

「……くそったれ。おまえの『万葉の雫』とやらは、万病に効くんじゃなかったのかよ」

「その薬は、確かに私の一番の自信作でございます」

「でも、効かなかったんだろ?」

「いえ、試しておりません」

 

 飄々、と薬師リンはリーシャにそう告げた。

 

「……あ? どういうことだ」

「無いものは試せないのでございます」

「無かったら、作ればいいだろ!!」

「領都で生産ラインが整うのは、来月以降でございます……。あの薬であれば効く可能性は十分にある筈でございますが」

「生産ライン、だ?」

 

 流石に少し申し訳なさそうな顔になりながら、リンは顔を伏せた。

 

「アレの生成には、炉が必要なのでございます。石炭を煮詰めるところから生成が始まり、複雑な工程を経て完成するまでに1週間はかかるでしょう。手持ちの在庫がない以上、今からでは間に合わないのでございます」

「何で、此処に持って来てないんだ!!」

「ですから、在庫が無いのです。そもそもアレは、少量生産の薬でございます。材料が揃っておれば作るのですが、出歩けぬ冬場などはよく在庫を切らしておるのです」

 

 リンの言う『万葉の雫』は、奇跡的な偶然を経て完成した薬だった。その複雑な工程はリン自身の高い技術によって実現していたが、そうそう量産できる代物ではない。

 

 リンの薬を求める者は多く、冬になればあっという間に売り切れてしまう。それは、例年の事であった。

 

「……申し訳ございませんが、私はこれにて失礼するのでございます」

「……っ!」

 

 リーシャは、恨みを込めてリンを睨んだ。一方でリンは、目を逸らして一礼する。

 

 薬を貰えなかった依頼人から、悪鬼のような形相で睨まれる事。

 

 それは、リンにとってごく当たり前の日常であったのだ。

 

 

 

「ああ、だから人の多い所に来るのは嫌だったですよ」

 

 

 

 慣れたものとはいえ。リンは、1人廊下を歩いて寂しげにつぶやいた。

 

「薬師は万能ではございません。出来る事をやっても、助からぬ命の方が多い」

 

 それは何人もの命を救い、何人もの命を救えなかった『薬師』の心の声。

 

「それでも救える命があるならば、私は出来る事を出来るだけやるしかねーのです」

 

 果たしてその呟きは、誰の耳にも届かぬまま立ち消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────この、村の裏切り者!!!

 

 

 鬼のような金切り声を上げて、僕を弾劾する声がする。

 

 

 ────一度でもお前の事を友人と思った自分が恥ずかしい!!

 

 

 彼女は、泣いていた。

 

 僕は、無表情だった。

 

 

 ────呪って、や、る……

 

 

 その言葉を最期に。

 

 彼女は、二度と動かぬ死体となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……嫌な、夢を見た気がする。

 

「……こぽ」

 

 血反吐が、口から零れた。

 

 体中が鉛のように重く、喉が焼けるように痛く、胸がどうしようもなく不快で、頭が割れるように痛い。

 

「……ぜ、ぜ、ぜ。んぷっ……」

 

 ここは何処だ。僕はどうなった。

 

 ああ、そうだ。僕は倒れたんだ。

 

 さっきのは夢か。あの、思い出したくもない景色は僕の夢か────

 

 

 ────いや、走馬灯なのかもしれない。

 

 

 意識がぼんやりとしている。ここが夢なのか、現実なのか区別がつかない。

 

 そっか、前世で父さんは死ぬ時はこんな感じだったのか。あの時父さんは、確かに目の焦点があってなかった。

 

 

「……。ぜ、ぜ、ぜ」

 

 

 息の音がおかしい。水飛沫を上げるような、妙な呼吸音だ。

 

 これ、僕は助かるのか? 周りに誰もいない、声をかけてくれる人がいない。

 

 ……分からない。僕はもう、見捨てられたのか?

 

 かろうじて、顔を横に向けてみる。隣に誰かが、いる事を信じて。

 

 

「あ……」

 

 

 紙が有った。

 

 ベッドの傍には誰も居なくて、机の上に一枚の紙が置いてあるのみだった。

 

 

 ────ポート様。あまりに痛く、激しく、辛いのでございましたらこの薬を服用されますよう。薬師リン。

 

 

「……薬」

 

 

 紙の下に、粉薬が置いてあった。これの事だろうか。

 

 僕は震える手つきで何とか薬を口元に持っていき。

 

「ゲッホ、ゲッホ!! ぜ、ぜ、ぜ……」

 

 大いに咽ながらも、焼けるような痛みを我慢しながら必死で飲み下し。

 

「────あ」

 

 

 

 再び、僕は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────ふわふわ。幸福感が、脳を焼く。

 

 

 ────美女が裸で、僕の周りをくねくねしている。

 

 

 ────山盛りの御馳走が、僕の欲しいままに出てくる。

 

 

 ────ラルフが、リーゼが、アセリオが。僕の傍で、笑っている。

 

 

 

 これは凄い。こんなに幸せなのは初めてだ。

 

 みんなが僕の傍に居てくれて。みんなが楽しそうに笑ってくれていて。

 

 こんなに幸せなことは無い。こんなに、嬉しい世界は無い。

 

 

 

「……こぽっ」

 

 

 

 何やら不快な音がした気がする。

 

 でも、そんな事は関係ない。僕はもう、幸せな世界を手に入れたのだから。

 

 ああ、嬉しいな。とても、嬉しいな。

 

 

「……ぜ、ぜ、ぜ、ぜ。ごぽぽっ」

 

 

 だって僕の大切な人が。

 

 

「……ぜ。……ぜ。……ぜ、ごぽっ」

 

 

 こんなにも、素敵な笑顔を浮かべているから。

 

 

 少しずつ、力が抜けていく気がする。

 

 ちょっとずつ、息が楽になっている気がする。

 

 だんだん、痛みが消えている気がする。

 

 心が安らかになっていく自覚がある。

 

 

 

「…………ぜ。…………ぜ」

 

 

 

 何も考えられない。

 

 何も考えなくていい。

 

 

「………………………………………」

 

 

 

 ああ。この感覚を、僕は一度、どこかで────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ポートォ!!!!!」

 

 突然の怒声が、耳を切り裂く。

 

 何だよ、せっかくいい気持だったのに。大きな声を出さないでくれ、頭に響くんだ。

 

「ポート無事か、まだ生きてるか……っ!!」

「もう、もうもう! こんな暴挙はこれきりにしてほしいのでございます!!」

 

 ほんのり薄目を開けると、ラルフが凄まじい形相で僕を見つめていた。

 

 ボロボロと涙をこぼしながら、彼は僕の手をしっかり握りしめていた。

 

「あ、う……」

「薬師!! 早く、早く治療を!」

「分かってるでございますよ!! 言っときますが、この薬が効く保証は何処にも────」

「絶対に効く、賭けてもいい! 俺の直感がそう言っているんだ!!」

 

 慌ただしくリンは器具を設置し始め、そしてゴニョゴニョと詠唱を始めた。

 

 何をするのだろう……

 

「『万葉の雫よ────』」

 

 リンは、僕の胸に手を置きながら。

 

「『この者の身体に染み渡れ────』」

 

 静かに、そう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薬師が『万葉の雫』を使ってまもなく、ポートはすぅすぅと安定した寝息を立て始めた。

 

 効果あり。リンの最も自信のあった薬は、間違いなく有効の様子だった。

 

「これは……。助かる見込みが、出てきやがりました」

「……そっか。良かった」

 

 リンの言葉を聞いて、ラルフはどっかり腰を落とした。

 

 その顔に安堵を浮かべながら。

 

「ところで、一体どうやってこの薬を入手したのでございますか?」

「アンタのお客から、買い戻した。『万葉の雫』を、お守り代わりに持ってた貴族が居たんでな」

 

 ラルフの言葉に、リンは驚いた。そうか、その手が有ったかと。

 

 実はラルフは、目の前でポートが倒れた瞬間に悟っていた。

 

 『これは、ポートの命に関わる案件』だと。

 

「でも、どうしてこの薬が効くと分かりやがりました?」

「そんな気がしたんだ。俺のこういう勘は、昔っから何故か絶対に外れない」

 

 ここから、ラルフは奇跡を手繰り寄せた。

 

 ただ何となく、しかし半ば確信をもって。ラルフは領内の随一の金満貴族の家に向かい、頭を下げたのだ。

 

 『万葉の雫』を分けてくれと。

 

「確かに、そう言えばその貴族に薬を売った記憶が……。何故、貴方がそれを知っていたのでございますか!?」

「知ったこっちゃない。ただ、そうしないとポートが救えないような気がしたんだ」

 

 その貴族は、幸運にもポートと非常に懇意な関係の貴族だった。

 

 そして、内政官としてポートが失われることになればどれだけ大きな損失となるかを理解してくれた。

 

「二つ返事で、薬を譲ってくれたよ」

「こ、これだけあれば十分でございますね。よくもまぁ、こんな奇跡のような……」

 

 確かに、それは奇跡と言えるだろう。しかし、これは彼が人為的に引き起こした奇跡だ。

 

 ラルフが街を駆けずり回り、薬師リンを捕まえるまでたった『1日』。

 

 そしてそれが、ポートを救うのに必要な時間ギリギリで有る事を、ラルフは直感的に理解していた。

 

 物事を達成する道のりを、思考時間なしで直感的に導ける本能。

 

 ────これが、まさしく。『英雄に成長しうる器』ラルフの、その才能の片鱗であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あ、れ?」

「気が付いたでございますか」

 

 何だか随分と、長い時間寝ていた気がする。

 

「……」

 

 息が、楽だ。何だか体が、すこぶる軽い。

 

「お加減は如何ですか、ポート様」

「おや、リンさん。どうしてこんなところ、に……?」

「ああ、まだぼんやりしているのでございますね。かなりパッパラパーになる薬も使いましたし、無理もない」

 

 ゆっくりと顔を上げてみれば、少し眩暈のような感覚を覚えた。

 

 それはまるで、随分長い時間『起き上がっていなかった』様な。

 

「うん、顔色は十分でございますね。筋力が弱まっているでしょうし、暫くはご無理をなさらぬよう」

「……あ、そっか」

 

 優しげなリンの態度で、ようやく思い出した。

 

 そうだ、僕は倒れたんだった。

 

「リンさんが僕を治してくれたんですね。ありがとうございます」

「……お礼を言われるのは、ばつが悪うございます。貴女を助けたのは、私だとはとても申し上げられません」

「……?」

 

 僕の礼を、リンは固辞した。これは、どういう事だろう。

 

 あの病を治すことが出来るのは、リンの持つ『万能の雫』のみ。

 

 こうして僕が治ったと言うことは、リンが助けてくれた筈なのだが。

 

「……どうか、その気持ちは貴女の後ろで寝ているお方に」

「僕の、後ろ?」

 

 

 彼女に促され、振り向いたそこには。

 

 僕のベッドにもたれて、涎を垂らして眠る婚約者(ラルフ)が居た。

 

 



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前振り

 黒皮病。

 

 後世で『史上最も多くの国を滅ぼした疫病』として伝承されるその天災は、凄まじい勢いで各地に伝播していった。

 

 その病にかかった者は首が真っ黒に腫れあがり、あまりの苦しさから家族に助けを求め抱き着き、その家族へと感染を拡大させていく。

 

 治療できなければ死を待つのみで、各地でバタバタと道端に死体が転がるようになった。

 

 

 その死体に触れれば黒皮病に感染するので、死体を片付けることは出来ず。

 

 黒皮病の患者の死体の肉を食べた鼠が、大事な生活水源を汚染した。

 

 

 この恐ろしい疫病は各国に蔓延し、あの戦争狂の帝国ですら兵を動かせなくなるほどの被害を与えた。

 

 現実を見ぬ王も、黒皮病の対応に追われて侯爵領への侵攻を一時断念してしまった。

 

 

 そんな世界の一大事において、

 

 

 

 

 

「……一旦、重要じゃない物資は生産停止。もっともっと『万葉の雫』の製造ラインを増産するよ!」

「御意に」

 

 

 イブリーフ侯爵領……薬師リンを擁するこの領地だけは、疫病対策の初動が凄まじく早かったためか、ほぼ感染を抑え込むことに成功していたのであった。

 

 

「ポート様、帝国商人が入国許可を求めています。おそらく、万葉の雫を求めての交渉かと」

「悪いけど非常事態なので、商人の出入りは制限して。指定した区域でのみ、貿易を続けよう」

「国内の患者への対応はどうします」

「製造ラインが稼働次第、国内の患者には無料で治療を行うとお触れを出して。1人の患者を治療しなければ、結果10人患者が増えるからね」

 

 黒皮病の蔓延を食い止めることが出来たとはいえ、決して僕達イブリーフ領では平和な日々を送れていたわけでは無かった。

 

 黒皮病の患者は日々現れるし、医療機関もパンク寸前だ。

 

 依然として予断を許さない、ギリギリのところでこの領の政治は回っていた。

 

「……にしても、本当にイヴは頼りになるなぁ」

 

 僕が倒れた件は、かなり危ないところだった。イヴが居なければ、黒皮病でもっと凄まじい被害が出たに違いない。

 

 黒皮病の恐ろしさを正しく認識しているのはこの世界で僕だけだ。初手の対応こそ、何より重要なのだ。

 

 そんな局面で昏倒した僕に代わって、イヴは完璧な対応をしてくれた。

 

 僕が『万葉の雫』によって快方に向かっていることを聞いて、イヴは即座に製造ラインの増産に取り掛かってくれたのだ。

 

 結果、国内で増え続ける黒皮病患者に対する『万葉の雫』の生産が間に合って、感染の拡大防止に大きく貢献した。

 

「イヴの素早い決断のおかげで、大した被害が出ずに済んだ。後世には、施政者たるものかくあるべきと伝わるだろう」

「イヴ様はむしろ、疫病の流行を予見していたポート様の目に驚愕していましたが」

「予見なんてしていなかったさ。僕はただ、医薬品を特産物にして王都を食ってやろうという下心しかなかった」

 

 ……これは、僕が倒れてさえいなければ自分でやる予定だった仕事だ。

 

 ただ医療の向上の名目だけで国民全員の『万葉の雫』を用意しておくのは、流石におかしい。

 

 なので万葉の雫は常識的な量の生産に絞り、疫病の流行を受けて初動で一気に製造ラインを増やす予定だった。

 

 

 問題は、僕自身が黒皮病にかかることを全く想定していなかった事だ。

 

 僕が倒れたら、政務が大混乱になって凄まじい被害が出る。製造ラインの増産どころか、生産が止まってもおかしくない。そこに全く頭が行っていなかった。

 

 イヴは、僕の尻拭いを完璧にこなしてくれた形である。

 

 

「さあ、あとひと踏ん張りだ。国内の情勢が安定したら、万葉の雫を他国に輸出しなきゃいけないし」

「了解です」

「薬の製法についても、求められれば隠さなくていい。むしろ、他国にたっぷり恩を売りつけてやれ」

 

 

 僕はイヴの友人であり、部下である。彼女の機転と功績に、しっかり応えねばならない。

 

 1か月の療養の末に復帰した僕は、イヴの仕事を引き継いで意気揚々と領統府に戻ったのであった。

 

 

 

「……ところでどうして、リーシャは地べたに転がっているの?」

「昨日、男に振られたそうです」

「ああ」

 

 

 ちなみにリーシャは、この忙しい時期に使い物にならなくなっていた。

 

 聞けばどうやらイヴが帝国に遠征していない間に、こっそり男を捕まえかけていたらしい。

 

 お相手は相変わらずチャラい男だそうだが、リーシャにしてはうまくいきかけていたそうだ。

 

 しかしここ1か月ほどは仕事に追われ、まったく時間が取れずフラれてしまったのだという。

 

 

『やべー病気も流行ってるし、もう会わない方がいいんじゃね?』

『え、でも。それじゃ、これからのユー君のお小遣いは』

『悪ぃ、もっと金持ってる娘を捕まえたンだわ』

『ああああああっ!!』

 

 

 相変わらずのリーシャの男運のなさ、男を見る目のなさである。

 

 リーシャを金蔓としか見ていなかった男が、あまり会えなくなったので振ったという話だろう。

 

 

「……」

「目が死んでいる」

 

 

 しかし、あまりに不憫だ。そして、何だかんだ優秀なリーシャが居ないと仕事効率がすこぶる落ちる。

 

 僕に良い男の知り合いでも居たら、紹介してあげたいけれど。

 

 あいにく僕と親しい男性は、ここの文官仲間を除けばラルフくらいだ。

 

 唯一、伝手があるとすれば、

 

「リーシャ。あの……」

「……なに」

「僕の友達に頼んで、合コンとかセッティングしてみるから元気出してください」

「……メンツは?」

「怪しい仮面集団なので、あんまり詳しくは……」

「要らないわよぉ!!」

 

 アセリオの愉快な仲間たちくらいだ。しかし、流石のリーシャもそれは願い下げらしい。

 

 仮面をつけて奇行に走る集団は拒否ですか。

 

「参ったな、ならもう他に伝手は」

「仮面つけてない男の人と合コンしたい……」

「……」

 

 まぁ、そりゃあそうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とういう感じで、問題なく復帰できたよ。みんなには迷惑をかけたね」

「……よかった」

 

 こうして未曾有の危機を乗り越えた僕は、退院して久しぶりに幼馴染み達と食卓を囲むに至った。

 

 黒皮病の感染力がどれくらい続くかわからないので、僕は完治するまでずっと別室隔離されていたのだ。

 

「すっかり顔色もよくなったわね、ポート。1週間以上寝込んでた時には、痩せてお化けみたいだったらしいわよ」

「……うん、実際危なかったみたい。薬師リンにはよくよく感謝しないとね」

「本当ね」

 

 万葉の雫がよく効いて咳も出なくなってから、リン師は僕の退院を許可した。

 

 ずいぶん長い期間の入院だったが、とあるお方が『ポートさんに万が一が無くなるまで、しっかり療養させなさい』と薬師リンを脅したらしい。

 

 彼女は薬の製造ラインの監修をする合間、ずっと僕の主治医も兼任させられていたという。

 

 リン師、此処に来てから碌な目に合ってないな。無理矢理連れてきた身としては申し訳ない。

 

 

「……それでさ。ポート」

「何だいラルフ」

 

 

 そして、もう一人の命の恩人。

 

 聞けば奇跡を手繰り寄せて万葉の雫を手に入れ、僕の治療を間に合わせた頼れる婚約者。

 

 

「今回は本当に感謝しているよ。君が傍に居てくれて、良かった」

「ああ、うん」

「何か頼みがあったら言ってくれ。僕でよければ、何でも言うことを聞こうじゃないか」

 

 

 エロバカ幼馴染みのラルフだ。今回ばかりは、彼に大きな恩を受けた。

 

 この男がイヴ領まで着いてきてくれてなければ、僕は命を落としていただろう。

 

 こりゃあいよいよ覚悟を決めて、気絶覚悟でサービスしてやらねばならんかもしれない────

 

 

 

 

「じゃあ、ちゃんと目を合わせて喋ってくれよ。何か最近、ポート俺のこと避けてねぇ?」

「……そんなこと無いよ?」

「ほら! 今も目を合わせてないじゃん!」

 

 

 

 

 ……。

 

「はい、目を合わせたけど」

「ちょっとじゃん。一瞬、俺の顔見ただけじゃん」

「だって、ジロジロとラルフの顔を見つめても、得るもの無いしなぁ」

「話す時くらい顔見ろって言ってんだ」

 

 

 ラルフは、何やら僕が視線を合わさなくなった事にご不満の様子だった。

 

 ラルフは、実に心が狭い。

 

 

「……え、ポートそんなことしてたの?」

「別に、そんなつもりなかったけど……」

「いーや、してたね。ポートが目覚めてから、全然視線を合わせてくれなくなった」

「気のせいだよ」

 

 

 ラルフにはよく感謝しているし、僕も心から頼りにしている。

 

 今回の件、ラルフの活躍を聞いて返しがたい恩義を受けたと考えている。

 

 でも、

 

 

「ほら、見ろ! これ。これ!」

「あ、本当だ。全然、違うところ見て話してるわね」

「……あー、ポート。成る程」

 

 

 

 絶対に目を見て話さなきゃいけない感じのアレは、無くないかな。

 

「それ結構傷付くんだぞ」

「うー、そんなもんかい?」

 

 僕は普段、仕事中は書類見ながら複数の文官に指示を飛ばしたりする。

 

 つまり癖になってるんだ。顔を見ずに話をすること。

 

 それくらい多めに見てほしいもんだ。

 

 

「ま。その話は、置いといてだね」

「置いとかないで欲しいんだけど」

「アセリオ、合コンとか組んでくれたりする? 仮面付けてなくて、怪しくない男の人を集めてほしい」

「ダイナミック不倫宣言!?」

 

 

 アセリオに合コンを組んでと頼んでみたら、お前ふざけんなと、ラルフが怒ってグリグリしてきたのでちゃんと弁明しておいた。

 

 これは職場の上司(大将軍)の、モチベーションの為の合コンだと。

 

「お前は参加しないんだな、ポート」

「勿論だよ」

 

 そもそも、最初から僕は参加する気など無い。

 

 婚約している人が、そういう場に参加するのは他の人にも迷惑だろう。

 

 まったく、男の嫉妬は見苦しいものである。

 

 

「ん。……じゃ、適当に声をかけてみる……」

「ごめんねアセリオ。無理を言って」

「無理じゃない、むしろ皆喜ぶとおもう。大将軍相手に、コネを作るチャンス。多分、物凄い参加倍率になるから、しっかり厳選しておく……」

 

 

 アセリオは、二つ返事で引き受けてくれた。相変わらず頼りになる。

 

 彼女がこう言ってくれたからには、良い人が集まるだろう。

 

 さてさて、リーシャはこのチャンスを生かせるだろうか。

 

 

「……何か、ポートが冷たいなぁ」

「不満なら私に乗り換えてもいいわよ」

「俺、何かしたかなぁ?」

 

 

 遠くでラルフがぼやいているのは、聞こえないふりをした。

 

 別に、避けてるとかじゃないんだけど……。

 

 

 

「……」

 

 

 

 ただ、何か目を合わせにくいだけである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ラールフー」

「あん?」

 

 夜。ベッドに入る前に、僕は彼に声をかけた。

 

 僕がラルフに冷たくしている、という誤解を早めに解いておきたいからだ。

 

「ごめんね、目を合わせなくて。あんまり怒らないでね」

「……いや、まあ。何か理由あるのか?」

「特に理由とかは無いんだけど」

「じゃあ、今まで通り目を合わせてくれよ」

「それは、その」

 

 ラルフは割と寂しがり屋で、かつ不貞腐れ屋だ。

 

 あんまり機嫌を損ねすぎると、後に響く。

 

 

「まあ、それは今は置いておこう」

「いや、置くなって」

「それ以外で、何か僕にして欲しいことあるかい?」

「目を合わせてって頼みすら駄目なのに、何ならやってくれるんだよ」

「うーん」

 

 

 話しかけたら、ラルフはやはり機嫌悪げだった。

 

 僕が目を合わせないことで、本当に傷付いているらしい。

 

 どうすれば、気を直してくれるだろうか。

 

 

「……その」

「何」

「一緒に寝ていい?」

 

 

 取り合えず、添い寝でもしてみよう。

 

 これで機嫌を直してくれれば良いんだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何これ」

「……すぅ、すぅ」

 

 

 そして、ラルフは背中に婚約者(ポート)をくっつけたまま、ベッドに入ることになった。

 

 

「何これぇ」

「……」

 

 

 飄々とした態度を崩さぬまま、急に目だけ合わせてくれなくなった婚約者(ポート)

 

 別段セクハラした記憶もないのに急に避けられ、不満たらたらだった彼は、

 

 

「……」

「……すぅ、すぅ」

 

 

 その婚約者から抱きつかれ、頬を擦られながらベッドの中で目をギンギンに開いていた。

 

 

「これどうなってんの? 俺、嫌われてるの? 嫌われてないの?」

「……むにゃ」

「何でコイツ、こんなに爆睡してるの?」

 

 

 ラルフからすれば、彼女の言動は意味不明である。

 

 前までなら軽いボディタッチですら気を失ってたおぼこ(ポート)が、自分を抱き枕のように抱き締めて気持ちよく寝息を立てて居るのだ。

 

 もっと凄い事をして良いという前振りに見えなくもない。

 

 しかし、日中は距離を取られているのもまた、その言動が理解不能な理由であった。

 

 

「……分からねぇ」

 

 

 夜中にいきなり話しかけられ、婚約者と同衾することになったラルフ。

 

 手を出していいのか、駄目なのか。

 

 避けられているのか、違うのか。

 

 

 その全てが、童貞の彼にはまるで分からない。

 

 

 

 

 

 翌朝、快眠でツヤツヤしているポートの隣に、寝不足気味の男が瞼を擦っていたそうな。



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