鉄の従者は血豹を飼う (石黒 柚李)
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ゴーストフェイス

 

 

 

 

 

 

 ーーーー 火星・アーブラウ領地クリュセ独立自治区。その郊外にあるクリュセ・ガード・セキリュティ……つまりCGSにひとつの依頼が舞い込んだ。内容は、クリュセ独立自治区代表ノーマン・バーンスタインの愛娘を地球へと無事に送り届けること。はっきり言って大きな仕事だ。要人を地球まで無事に送り届ける。単なる人身輸送と言えばそれまでだが、地球までの道のりはそう簡単なものではない。真っ暗闇の無重力の世界には、海賊やらなんやらがごまんと潜んでいる。そんな連中が、革命の乙女を手にすれば何がどうなるかなんて分かりきった事である。

 要人を横から引っ捕らえれば、当然金になる。しかも女とならば使い道は幾らでも。この仕事の難易度は高く、しかし報酬はそれに見合ったもの。つまり、巨額の金。更に革命の乙女と呼ばれ民衆の注目を集める存在を無事に地球へ送ったとなれば、CGSの名は世界に知れ渡る事になるだろう。

 

「で、受けたんですか。クーデリア・藍那・バーンスタインの護衛を?」

「ああそうだ。金になるし、何かあっても厄介な参番組に全部押し付けてこっちは知らんぷりできるからな」

「……良識ある大人がする事ではないですね」

「それを見逃すお前も悪人だろう」

「事の善し悪しなんて、私が考える事ではありませんので。主君が善だろうと悪だろうと私はただ仕えるだけです」

 

 薄暗い部屋。お高そうな家具で統一された一室で裸の黒髪少女がシャツを羽織る。顔には何の感情も張り付いておらず、紅い瞳に輝きはない。顔立ちは可愛らしいものだが、無表情と病的な肌の白さが合わさって可愛いよりも不気味と言う印象の方が先に来る。そこに無造作に伸ばされた長い髪が合わさって、片目しか見えないのが不気味さに拍車をかける。

 ベッドの上にはだらしない体型の大人が一人。部屋に充満する、汗や唾液、そして体液の臭い。誰もが二人は事後であると認める状況だ。

 背丈が低く、まだ大人とは言えない少女相手に体を要求するのだからこの男はろくでなしか異常性欲者のどちらかだろう。しかしひとつの会社を経営しているのだから、侮ることは難しい。

 そう。この男はCGS社長のマルバ・アーケイ。どんな奴だとしても、社長は社長だ。

 

「しかしまぁ、空から墜ちてきた隕石の中身が腕利きのメイドとはな。しかもわけわからんMS付きだ」

「あー、思い出したくないんでその話題は止めてください。それと隕石じゃなくて隕石を模した船らしいですよ、あれは」

 

 この少女は、文字通り宇宙から降ってきた存在だ。ある日CGSの演習場に不時着をかまし、それはもう多いにこの会社を騒がせたものである。

 

「ところで、シトリーの修理は進んでるんですか?」

「まぁどうにかこうにかな。厄祭戦の時のシロモノだ。そう簡単に修理は出来ん」

「バルバトスをここの動力源にしているなら手早く済みそうなものですが……。まぁ良いです。衣食住とシトリーの面倒を見てくれるなら、私は貴方に仕えますよ」

 

 ベッドの上のマルバと話をしつつ手早く着替えを済ませたメイド少女は、フリフリのリボンが付いたメイド服を来て部屋を去る。ちなみにこの服は雇い主の趣味だ。

 背中の小さな膨らみさえ気にならなければ、今の彼女は可愛らしくも不気味なメイドさんである。

 

「しかし、女に『ジャック』ね。昔の人間のネーミングセンスは、訳分からんな……」

 

 彼女の名前はジャック。ジャック・シュトリ。今はメイドをしているが、その正体は三百年以上も前に冷凍保存された過去の人間なのだとか。にわかには信じ難い話である。しかし実際に、ジャックは三百年以上前の存在だ。何故ならばその名と存在が、絵画としてこの時代に残っているからである。

 

 

 空調もなく明かりが弱い、しかも埃っぽい廊下をジャックは歩く。時刻は既に真夜中を越えており、もう朝だ。ふわぁと間抜けな欠伸をしながら目尻から涙を流す姿は可愛らしいが、やはり肌の病的な白さが不気味だ。動いていなければ呪いの人形のようだし、動いたら動いたらでホラー感が出てくる。

 こんな彼女ではあるが、見た目通りメイドさんらしくCGSで働いている。もっとも、やることの殆どは社長の世話でそれ以外の事は大してやっていない。そんなんだから社長の愛人だとかオモチャだとか他の社員にあれこれろくでもない事を思われてしまうのだが。

 埃や汚れの見える廊下を通りすぎて、彼女が足を運んだのはCGSでも特に人が立ち入らない場所。何もない山岳部、その頂点に立つ大きな建物の電力を全て賄っているものがこの部屋にある。

 大きな鉄の扉を両手で開くと、広い空間が出迎えてくれた。中にあるのは床や壁を這うケーブル。そして、膝立ちになった悪魔の巨人。

 それはバルバトスと呼ばれる、三百年前に産み出された兵器。しかし今ではCGSの電力を支えているだけの、巨大な発電機だ。

 

「……全く。バルバトスをこんな風に使うだなんて、宝の持ち腐れですよ」

 

 広い空間を突っ切り、膝立ちに機体の足元まで近付くジャック。バルバトスの側は暖かく、眠るには心地よい場所かもしれない。現に一人の青年が、いや少年が、バルバトスの近くで眠りこけている。

 

「………オルガ、こんなところで寝てはいけませんよ」

 

 眠りこけている彼を放っておく事がメイド魂に反したのだろう。バルバトスを一瞥したのち、彼女は少年の頭の側で膝をついた。筋肉質な浅黒い肌をゆさゆさと揺さぶるが、彼は起きない。スヤスヤと眠りこけていて、起きるにはまだまだ時間がかかりそうだ。

 

「おーい、参番組隊長のオルガ・イツカさーん。朝ですよー?」

 

 ジャックが先程から呼んでいる通り、彼の名前はオルガ・イツカ。マルバが言っていた通りならば、この少年はクーデリア・藍那・バーンスタインを連れて地球まで行かなければならない。そしてマルバが厄介払いしておきたいらしい男だ。

 キチンと格好を整えればそれなりの風貌になるであろうオルガをどのような理由で厄介と言っているかジャックは分からないが、事の善し悪しなど考えない従者には関係のない話でもある。

 

「オルガ、起きてくれますか? オルガー?」

 

 三度も声かけするが、オルガは起きてくれない。何か悪夢でも見ているのか、多少呻いている。しかし夢の外からの声は何一つとして聞こえていないようで、瞼が開く気配はどこにもない。

 

「あれ、冷凍されたまま墜ちてきた人だ」

 

 オルガを起こすことに苦心していると、出入り口の方から誰かの声が聞こえた。ジャックが振り返ると、そこには男子にしては背の低い三白目の少年が立っていた。体が小さく見えるのは、大きなジャケットを来ているせいだろう。

 しかし、事実とは言え人の事を見るなり「冷凍されてた人」と呼ぶのは如何なものか。

 

「おはようございます三日月・オーガス。今朝も早いですね」

「トレーニングしてたし。ええっと……」

「ジャックです」

「ジャックも早いね」

「寝てませんから。ご主人様はまだまだお若いので」

「ふーん。ところで、オルガ見なかった?」

「そこに」

「またこんなところで……」

 

 床で眠りこけるオルガを見て、三日月は溜め息をひとつ。中々起きてくれない頑固なオルガの肩を揺さぶるために手を伸ばす。まるで兄の面倒を見る弟のようだ。

 見た目からは想像もできないような無骨で筋肉質な手が床で寝続ける寝坊助に触れる。三日月が「オルガ、オルガ」と声をかけながら肩を揺さぶると、さっきまで爆睡していたオルガがゆっくりと瞼を開く。

 

「おお、ミカ」

「おお、じゃないよ。またこんなところでサボって。見付かったらまた何されるか……」

「分かってるよ」

 

 こんな短いやり取りでも、二人の仲がどのようなものかハッキリ感じられる。オルガと三日月、仲の良い彼等を端から見ているジャックはすうっと目を細めた。何か言いたいことでもあるのか、口を開いて声を出そうとしたその瞬間。

 

「おーーい、居たか三日月ー!」

 

 この部屋、つまり動力室の出入り口からしゃがれた声が飛んできた。

 

「うん」

「どーした、おやっさん」

 

 扉の前に立っているのはおやっさんと親しまれている、大きな体の爺さんだ。名前はナディ・雪之丞・カッサパ。彼はこのCGSが所有しているMW(モビルワーカー)の整備士だ。顔は厳ついし、体は筋肉で包まれている。

 

「どーした、じゃねえよ。マルバが呼んでるぞ」

「社長がぁ?」

「三番組に指名が入ってるんですよ。大きな仕事もセットです」

「おお、……ええっとあんたは」

「ジャックです。そろそろCGSの皆さんに名前を憶えて貰えていると思ったのですが、そうではないみたいですね」

「まーな。ってかここに来てから五日も経ってないだろ。その上でマルバの私室にベッタリじゃ、誰も憶えらんねーよ」

 

 ろくでもない噂は流れてるがな。と最後に付け足して、オルガは動力室を出ていってしまう。去っていく青年の後ろ姿を目で追うジャックはその場から動かない。むしろ背を向けて、バルバトスと呼んでいた鉄の巨人に近付いていく。

 その時三日月と目が合ったが、特に言葉も交わさず彼は去った。ジャックもまた、何を喋ることもない。

 

「…………またね、バルバトス」

 

 誰も居なくなった動力室の中に、少女の独り言が静かに響く。配線で繋がれた機体を見る目は、やはり虚ろなものだった。

 

 

 

 

 

 

 翌日。CGSにお客さんがやって来た。名前はクーデリア・藍那・バーンスタイン。三番組に仕事を依頼した上客だ。なので現在、彼女は社長のマルバとあれこれ言葉を交わしている。もっともその内容は、マルバがあれこれ心にも思ってない褒め言葉を並べているだけなのだが。

 仕える主人の胡麻すりに興味がないのか、応接室兼社長室のソファの後ろに立っているジャックは壁際に立つ四人に目を向けている。紅い瞳がジーーっと見ているのはオルガの横顔。刺すような視線を受けている彼は、楽に直立しているものの居心地が悪そうだ。

 

「おいオルガ。あの子なんかお前のこと見てね……?」

 

 並んだ四人の内、右から三番目。派手な金髪が目立つ少年が一番右の隊長に質問を投げる。さっきからメイド姿のジャックにばかり目が行っているのは、メイド服が珍しいからだろう。女の子に目がない可能性もあるが、そこまで馬鹿じゃない筈。

 

「気のせいだろユージン。いいから黙ってろ」

「いやいや、その前にひとつ聞かせろって。あの子社長の側近だろ? 何でお前に向けてあんな熱い視線を飛ばしてだよ??」

 

 どうやら女に目がない馬鹿だったらしい。とは言え彼が疑問に思うのも無理はない。社長のメイドであるジャックが何ゆえにオルガを見詰めているのか全く分からないし、二人はそんな関係でもないだろう。しかし現に、ジャックの目線はオルガに釘付けだ。

 

「客人の前で静かにすることも出来んのか貴様らぁ!」

 

 彼らがこそこそ話していると、壱番組隊長が声を上げて拳を振り上げる。このまま行けばユージンと呼ばれた少年は大人にぶん殴られるだろう。が、実際にそうはならなかった。何故ならば。

 

「客人の前で暴力はいけませんよ。ハ エ ダ さ 〜〜〜 ん ? ? ?」

 

 振り上げられた拳を、ジャックが掴んで離さないからだ。体は小さく、見た目は少女。そんな彼女では大の大人の暴力なんて止められなそうには無いのだが、ハエダの首に飛び付いたことで何とか暴力は振るわずに済んだようだ。端から見れば大の大人に子供が甘えているようにしか見えない。ジャックが笑顔だったなら、まさしくその通りだっただろう。

 

「き、貴様っ! はな、はなせっ!」

「暴力振るわないって約束してくれるなら離しますよ。それともハエダさんは、社長に客人の前で恥をかかせるおつもりですか?」

「分かった、分かったから離せ!」

「えーほんとですかー? わたしー、暴力は反対ですよーー?」

「いだっ! いだだだっ!! 貴様自身が暴力振るってるじゃないかっ!!?」

 

 ジャックの左手がハエダの右耳を思いっきり引っ張っている。あれでは背中の少女を振りほどくのは大変だろう。下手に力を込めれば自分の耳が頭から離れてしまうかもしれない。客人、そして参番組の前でぐるぐると左に回り続ける壱番組隊長。社長に恥をかかせているのは、むしろこのメイドの方だ。

 

「おいジャック、馬鹿な真似は止めて大人しくてろ!」

「はーい、しゃちょーっと」

 

 顔は無表情、しかし声音は明るく。その元気な声は本当に彼女の口から発せられてるのかと疑いたくなるぐらい、違和感がバリバリだ。やはり彼女に足りないのは笑顔である。その冷たい面構えさえ何とかすれば、間違いなく美少女だと言うのに。

 

「……っぷ」

 

 ソファの上のお嬢様が吹き出した。派手な金髪に、真っ赤な衣装が似合っている。首の黒いリボンも可愛らしい。くすくすと彼女が笑い始めたのは、ジャックの行動を見たからだ。お客様の前で社長に恥をかかせるメイドなど、どこの世界を見渡しても居ないだろう。

 大事な客人に笑われたからか、マルバの顔が赤い。もう少しで雷が落ちそうだ。

 

「おや、笑いましたね」

 

 ハエダの背中から飛び降りたメイドは、ちょっと体のバランスを崩しながらお客様の前まで歩く。両手に腰を当て上体だけを前に倒し、お嬢様の眼前に自分の顔を突き付ける。顔色の悪い無表情を間近で見るのは軽くホラーだ。怒っているように見えなくもない。

 

「へ、あ、いや、……すみません」

「謝らないでください。その為にふざけたんですし。それと、これからの旅路に笑顔は必要ですよクーデリア。地球までは遠いですから」

「は、はぁ」

「あ、私はジャックって名前です。ジャック・シュトリ。気軽にジャックか、シュトリって呼んでくださいね」

 

 青白い手が差し出された。満面の笑顔がセットならば応じやすい握手だったのだろうが、ジャックの顔は相変わらずの無表情だ。間近で見るのは怖い。

 

「え、ええっと……クーデリア・藍那・バーンスタインです。よろしくお願いしますね、えっと…ジャック」

 

 ホラーフェイスに若干引きつつ、それでもクーデリアは握手に応じる。同性同士と言うのもあるのだろうか、肌が触れあうと彼女は静かに笑った。

 

「はい。じゃあ適当に施設の見学でもどうですか? ここは男達ばかりでつまらないでしょう?」

「つまらないって事はありませんけど、それは良いですね。私ここの施設を見て回りたいと思ってたんです」

「じゃあちょうど良いですね。それじゃ三日月、あとはよろしくお願いします」

「へ? ジャックが案内してくれるのでは?」

「ここに来て一週間も経ってない新参者ですので。あと参番組の人にはこれからお世話になるんですし、仲良くしておいた方が良いかと」

「……な、なるほど」

 

 ジャックが言うことには一理ある。しかしどうにもマイペースだ。メイドとして振る舞ったり、子供のように振る舞ったり、今ではクーデリアの友人のように振る舞っている。猫よりも自由気ままだ。しかしだからと言って施設案内を三日月一人に押し付けたのは如何なものか。人として。

 

「じゃあえっと、案内して貰えますか? ええっと」

「三日月・オーガス。……です」

「では三日月、案内しください。フミタン、後は任せます」

「はい。お嬢様」

 

 そんなこんなで、クーデリアは三日月と共にこの部屋を去る。それを見送るジャックは、さっきの取っ組み合い(一方的な)でメイド服に付いた埃を手で払った。目線がオルガにだけ向いている。彼に何か言いたいのだろうか。それとも何か特別な気でもあるのか。何にせよ彼女の心の中は分からない。

 応接室兼社長室。その中央付近辺りにあるデスクにジャックは腰掛けた。御行儀などあったものじゃない。机の上に飛び乗るメイドなど、もはやメイドではないだろう。

 

「社長、私は寝ますんで何かあったら呼んでください。シトリーの中にいます」

「ああ分かった。分かったからメイドらしく出来んのか」

「朝まで人の体を好き勝手して良く言いますね。疲れて眠くて気遣いなんて無理です。むーーりーー」

「分かった。分かったから寝ろ。後で呼ぶから、その頃までにメイドらしくしとけっ」

「話が早い殿方は素敵ですよ。じゃ、おやすみなさい」

 

 眠いらしいジャックは部屋を後にする。さっきから若干ふらついてるのは、眠いのが原因だったらしい。

 フワフワとした黒髪が歩く度に揺れる。顔の白ささえなけれ美少女だというのに、どうして彼女はこうも肌が真っ白なのか。

 

「……そろそろご主人様を鞍替えすべきですかねー。マルバは悪くないんですが、イケメンでは無いですし。でもなー、シトリーが直らないことにはなー」

 

 ブツブツブツブツと何かを呟きながら、ジャックは歩く。薄暗い通路を幽霊か何かのように、ゆらゆら、ゆらゆらと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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シトリー

 

 

 

 

 

 

 CGSの裏玄関、その目の前には最近になって立てられて大きなテントがある。中にあるのは、地中から掘り起こされた、もとい這い出てきたMSだ。頭の先から足の先まで真っ黒で、手と足にある爪だけが金色だ。もっとも、長い間地中に埋まっていたせいかその輝きは酷く鈍いのだが。

 

 GUNDAM FRAME TAPY

 SITRI ASW_G_09

 

 ……ガンダム・シトリー。

 

 それが今、テントの中で仰向けに眠っているこの機体の名前だ。装甲薄く、背中のバーニアは並みの機体よりは大きめだ。しかし手足、そして胴体は細身なもので動力室のバルバトスと比べると幾らか頼りない。腰の辺りにぶら下がってる金の尻尾はジャック曰く武器らしい。手足の爪も同様だ。

 何と言うか、この機体は黒い豹のようだ。しなやかで、スマートで、無駄がない。だけど存在感はやたらと大きい。もしこの機体が動いたとして、その時この機体と相対する相手は何を思うだろう。細すぎると馬鹿にするだろうか。何だあれはと鼻で笑うだろうか。それとも。

 

「んあー、シトリーどこー……」

 

 もう殆ど瞼が閉じているジャックがふらふらとテントに帰って来た。途中で誰かとすれ違ったり、ぶつかったりしてもお構いなしだ。テントの中は機体だけでなく、人も居る。現在ガンダム・シトリーはCGSの手によって修理中だ。もっとも、修理が始まってから一週間も経ってない。

 

「あー、お疲れ様です。ええっと、おやっさん」

「おージャック。ずいぶん眠そうだが、目はちゃんと開けてから歩け」

「ここまで帰ってきたら目なんていらないんですよ。ここは我が家ですので」

 

 ジャックの手がペタペタとシトリーに触れる。肩の辺りだ。もっともサイズ的には端っこの端っこなのだが。重い瞼をそのままに、彼女は機体の肩に飛び付いた。俊敏な動きはメイドのものではない。まるで獣の体捌きだ。

 ぴょんぴょんと装甲の上を飛び回り、勢いが付いた体をダイレクトにコックピットに放り込む。ドゴッと鈍い音がしたのは気のせいではない。多分体のどこかを強打した筈だ。

 狭苦しいコックピットの中に飛び込んだジャックは、膝を抱えて丸まった。いつの間にかメイド服がはだけて、背中が開いている。そして背骨から何かが生えている。ここではネズミの髭と呼ばれているそれは、有機デバイスシステム・阿頼耶識。人と機械を一体化させる、危険極まりない代物だ。

 そんなものが、乙女の背中に埋め込まれている。青白い肌に、突き刺さるかのように。

 

「んしょ、……っと」

 背中の突起が、コックピット内部に伸びているケーブルに接続された。動く筈のないケーブルが、波打った。ように見えた。

 ゆっくりと、けれど確かに周囲のディスプレイが光を灯す。青緑色の薄気味悪い光が、白すぎる肌を照らしていく。彼女が瞼を開くと、シトリーの目が赤く光る。指先を少し動かすと、シトリーの手が確かに動いた。

 ジャックは確かにシトリーと繋がっている。彼女が息をする度に、少し身を捩る度に、シトリーもまた体を動かす。

 

「おいジャック! 整備中に機体動かすなって言ってんだろ!!」

「ごめんなさーい。もう寝まーす」

 

 外から聞こえてくるおやっさん、ナディ・雪之丞・カッサパの声に返事をしたジャックは瞳を閉じてピクリとも動かなくなる。そんな彼女に合わせて、シトリーも動かなくなった。

 最後にひとつ。この機体の妙な部分について語っておこう。背中のバーニアの周囲に、羽根のようなものが生えている。それは爪同様に金色だ。これが何か。それはジャックにしか分からない。

 

 

 閑話休題。ついでに時間は大分進む。

 

 

 ジャックがコックピットですやすやと眠りこけていると日は沈み、ついでに夜は通り過ぎて真夜中がやって来ていた。夜から朝までマルバとベッドで過ごしていた彼女は酷く疲弊しており、故に体は長時間の睡眠を貪った。そうしないと体力が回復しないからだ。

 まだ寝足りないのか、それとも寝惚けているのか。瞼を半分ほど開いた半裸のメイドは脱げかけの服を引きずりながら外へ出る。その際背中のケーブルはガシュンと音をたてて抜けた。コックピットの外に出た青白い少女は、曲線的なシトリーの装甲の上を滑るように移動して地面に足を付ける。ちなみに裸足だ。外を歩くには適していない。

 足の裏が汚れることも、足の裏に小石が刺さることも気にせずに彼女は歩く。暗くて紅い瞳が、青白い肌と共に暗闇にうっすら浮かぶのは軽くホラーだ。真夜中に出くわしたくないような姿だ。

 ひたひた。ひたひたと外を歩くジャック。火星の夜は冷えるのに、半裸で寒くはないのだろうか。

 

「……んーー?」

 

 寝惚けた眼が何かを見付けたようだ。自分が見たものが信じられないのか、彼女は指で目を擦る。瞬きも何度か。

 しかしそれでも自分が見たものが信じられないのか、ジャックは眉間に皺を寄せた。テンションはともかく、ここまで無表情をキープしてきた彼女にしては珍しい。いったい、何を見付けてしまったのだろうか。

 

「……死体が、ひいふう……み。頭を撃ち抜かれてますね、CGSの内部抗争の線は無し。寝てる時何も聞こえなかったし。ってことは……」

 

 ジャックの周囲に、死体が転がっている。全員が少年兵で、全員がヘルメットの上から頭を撃たれている。見事な狙撃だ。まだどこかに、彼等を殺したスナイパーが居るかもしれないし、居ないかもしれない。

 半裸の青白い少女が首を振って辺りをキョロキョロと見渡す。何かを探している。遠くを見渡しているようで、近くを見ているようでもある。欠伸しつつ、背中を伸ばしつつ、両手を大きく掲げつつ。

 

「ふあ……ぁ。寝過ぎましたか」

 

 何かが彼女の右側頭部、数センチ隣を高速で通り抜けた。直後、後ろの地面に何か硬質なものが激突したような音が辺りに響く。

 

「……危ないですね。CGSに居る人は問答無用で殺すつもりですか? 怖い怖い」

 

 今、ジャックの真横を通り過ぎたのは銃弾だ。近くに倒れている少年達の命を奪った、何者かの狙撃。幸か不幸か、それはジャックには当たらなかった。たった今、自分の命が奪われそうになったのにそれでも彼女の顔色は変わらない。青白くて、血の気なんて通っていないかのようだ。

 再びひたひたと地面を歩き始めた少女は、自分の寝床が置いてあるテントへと戻る。またも欠伸をかいたジャックは、シトリーの足元に置かれている小さな箱に手を突っ込む。尖ったり錆びたりしている工具が乱雑に詰まっていて、普通ならとても素手を突っ込むなんて出来ない。

 

 ガチャガチャ。

 ガチャガチャガチャ。

 

 工具箱の中を漁る音が、真夜中のテントに響く。三度目の欠伸、と同時にジャックは箱から手を引き抜いた。細くて青白い手が掴んでいるのは、信号弾だ。子供でも扱えるように小さめに作ってあるようだ。CGS支給のものだろう。それを工具箱の中の奥底にほったらかしにしておくのは如何なものか。

 

 パン。

 

 信号弾がテントの中から発射された。それは暗い真夜中を、確かにハッキリと明るく照らす。

 

「誰がここに攻め込んできたのか知らないですけど、まぁ私の仕事はここまでですね。と言うか軍事的な行動はメイドの仕事では……まぁいいか」

 

 何やかんやと呟いて、ジャックはシトリーの中へと戻る。目が赤く光ったり、開きっぱなしだったコックピットが閉まったのは彼女が引きこもったからだろう。

 直後、耳を塞ぎたくなる轟音が響いてCGSの施設全体が振動する。現在この施設は、何者かの攻撃を受けている。それは火を見るより明らかだ。だと言うのに、コックピット内のメイドはピクリともしない。戦地の真っ只中ですやすやと熟睡している。神経が太いにも程があるだろう。少しは社長の心配をしたらどうなのか。

 

「ずっと一緒ですよシトリー。例え貴方が動かなくなっても、私は側に居ますからね」

 

 目を閉じたメイドが何かを語る。パイロットの言葉に応えるように、シトリーの尾が波打った。

 

 

 白み始めた真夜中の空に、怒号が響く。痛み、嘆き、憎悪の叫びが木霊し続ける。「いやだ」「死にたくない」「畜生」「誰助けて」「うああああっ」あちらこちらから、最後の声が聞こえる。

 CGSに攻め込んできたのは、ギャラルホルン。この世界を監視する治安維持組織だが「武力をもって武力を制す世界平和維持のための暴力装置」とまで言われている集団だ。そのような連中がわ何だって民間組織に攻め込もうとするのか。

 何にせよ、相手がギャラルホルンじゃCGSはひとたまりもない。装備の質も、武力の数も、組織の大きさも何もかもがCGSを上回って居るのだ。そんな相手に、施設正面の急傾斜の上で善戦しているのは参番組。クーデリア・藍那・バーンスタインの護衛に指名された、少年兵達だ。

 持ち前のチームワークに、頭の切れるリーダー。彼等は格上相手に長いこと戦って見せているが、やはりどうしても押されてしまう。時間が経つに連れて被害は大きくなり、やがては戦えなくなる。まさにジリ貧。このまま戦い続けていたって、いずれは数の暴力で押し切られてしまうだろう。

 

 

『死ぬ死ぬ死ぬーーっっ!!!』

 

 

 一機のMW(モビルワーカー)が、死に物狂いで急斜面を駆け上がる。三本の足の先についている車輪を猛スピードで回転させ、右へ左へ蛇行しながら、それでいて速度を全く落とさないように。しかし残念ながら、相手が悪い。逃げ惑うWWを追い回すのはMS(モビルスーツ)。人の形をした、巨大な兵器。

 装甲も武装もサイズも速度も何もかもが桁違い。現に何機ものMWがMSの攻撃で破壊されている。戦力差は圧倒的。例え全てのMWが束になったところで、あのMSは埃を払うかのように全てを薙ぎ払う。

 

『死なねぇ! 死んでたまるか!』

 

 MWに乗る二人が叫んでいる。一人は操縦席で涙目になりながら、一人は機体の上で力強く吠えながら。

 薄緑の機体から放たれる弾丸をギリギリのところで避けれてはいるものの、いつ直撃してもおかしくない。

 

『このままじゃ、こんなところじゃ……終われねぇ!!』

 

 状況は絶望的。だがそれでも、彼は諦めない。圧倒的な戦力差を前にして、抗いきれぬ武力を前にして、それでも尚、折れてない。

 

 

『だろ!? ミカァアアッ!!』

 

 その時、地面が弾けた。赤茶色の大地が、轟音と共に砂塵へと姿を変える。それは前などまるで見えぬ目眩まし。大きすぎる土埃の中を突っ切って、ソイツは今、この戦場に立ち上がる。

 同時に、テントの中のアイツも目を覚ました。

 

「……バルバトスが起きましたか。なら寝てる訳にはいきませんね、シトリー」

 

 ぐうぐうすやすや。そんな風に眠りこけていた半裸の少女が狭苦しいコックピットの中で目を覚ます。漆黒の機体が、ゆっくりと体を起こす。先に目覚めたバルバトスは、既にギャラルホルンのMSと戦っている。グレイズと呼ばれる機体を既に一機潰し、後から現れた二機と交戦中だ。バカデカいメイスを両手で握り、戦っている。

 

「尻尾はフィードバックが遅いですね。羽毛は動作不良。となると爪……あとは、バーニア。ってガス切れですか。仕方ないですね、爪と足だけで行きますよシトリー」

 

 主の声に応えるように、シトリーの全身が悲鳴のような叫びを上げる。軋むような、唸るような。

 テントの骨組みやら、シートやらを突き破ってその機体は起きる。

 

「あー、あー。聞こえますか? バルバトスに乗ってる人。誰だか存じませんが、私の助けは要りますか?」

 

 機体を立ち上がらせるなり、まずジャックはバルバトスに向けて通信を飛ばす。半裸のくせに映像付きなのは、如何なものか。

 

『あんた、墜ちてきた人。今ちょっと忙しいから……』

「ならシトリーで加勢しますよ。貴方はほら、社長の部下ですし。だから今だけ仕えてあげます」

『……じゃあ、一機頼むよ』

「了解です。

 では、ジャック・シュトリ。ガンダム・シトリー、思いっきり、駆、け抜、け、ま、す!」

 

 シトリーの体が前に沈む。と同時に細い両足が確かに地面を掴み、一歩二歩三歩と前へ進む。一足毎に機体は加速し、四歩進んだとき、シトリーは大きく跳躍した。高く、高く。そして速く。

 朝日を浴びながら黒豹は空を舞い、戦場へと参加する。バーニアひとつ噴かさず、いや噴かせぬままの状態でだ。重力に引っ張られながら真っ直ぐ落ちていく。右腕を、大きく振り上げながら。

 

『ぬっ! 新手か!?』

『クランク二尉!!』

 

 次の瞬間、グレイズの左腕が盾ごと吹き飛んだ。シトリーが繰り出した一撃は鋭く重く、敵機の一部を簡単に破壊する。それほどの攻撃を繰り出した右手の爪は、傷ひとつ無く輝いている。数時間前までは鈍かった輝きが今では眩しいぐらいだ。朝日の影響だろうか。それとも、敵機の血を吸ったから影響だろうか。

 武器を持たず、それでいて敵の片腕を吹き飛ばすパワー。この機体が全開で暴れ回ったのなら、目の前のグレイズ二機はひとたまりもないだろう。既に一機は左腕が吹き飛んでおり、もう一気も左腕が無い。どうやらシトリーが駆けつける前に、バルバトスがしてやったようだ。

 

「って、あれ……?」

 

 視界が反転する。気が付くとシトリーは地面に倒れており、ジャックは空を見上げていた。ついさっきまで元気に動き回っていたのに、今ではピクリとも動かない。

 

「ちょっとシトリー、何で動かないんですか?」

 

 ばんばんばんと、コックピット内部のモニターを叩くジャック。しかしシトリーは反応しない。機械だから当然だが、何も言わない。

 

「え? 壊れました? ちょっとちょっと何でこのタイミングで……ってああ、関節に余計なものが付いててそれが変に噛み合って……」

 

 敵を前にし、シトリーは動かない。どうやら何かの不調のようだ。

 

「……余計な装甲は外しますよ。だからもっと、駆けましょうね」

 

 倒れた機体の一部が、爆音と共に弾けとんだ。黒い装甲が吹き飛んで、骨格が剥き出しになる。腕も足も腰も、全ての装甲がパージされた。もはやシトリーに残るのはコックピットを守る為の装甲と頭部を保護する装甲、腰から生える尻尾と背中のバーニア周辺の羽根のような何かのみ。とても戦えるような姿ではない。

 だがシトリーは立ち上がる。さっきの転倒は何だったのかと思わせるぐらい、流麗に鮮やかに、しなやかに。その姿は眠りから目覚めた黒豹を思わせる。

 

「よし、と。じゃあ行きますよ、シトりっ……!? うあっ!!?」

 

 次は何が起きたのだろう。動かないと言っていた尾が伸びる。バーニアの左右に付けられた羽根のような何かも、尻尾のように伸びて上下左右に伸びていく。数は八、尻尾を含めると九。それらは勝手に動き回り、地面を叩いたり突き刺さったり、空へと向かう。

 

「ふあっ、まってシトリ……っ! そんな、いっぱい動いたら……くぁあっ!?」

 

 尾がうねる。羽根を思わせる何かが暴れる。それらは何かの意思を持っているかのように、自由自在に自由気ままに動き続けて、やがて静かに元へ戻る。

 

「……あっ、ふう。うぅ……あのねシトリー、急に九つも動かされると私の処理が追い付かないから」

 

 ブツブツと機体に向かってジャックが呟くと、シトリーはピクリとも動かなくなる。気が付けば、目の前にいた筈のグレイズ二機の姿が遠くにある。高速でこの場から離れていて、どうなら戦線から離脱するらしい。バルバトスが追い掛けようと動き出したが、直後に動きが止まる。まるで意識を失ったかのように、動かなくなってしまった。

 無理もない。バルバトスもシトリーも三百年前の代物だ。一度の戦闘で不調が出てもおかしくない。

 

「……三日月、大丈夫ですか?」

『……………………』

「三日月? 三日月さーん?」

『……………………』

「あれ、ちょっ……と……」

 

 バルバトスのパイロットから返答がない。同時に、シトリーも動かなくなる。いや、動けなくなる。何故ならコックピットにいる操縦者が、鼻の穴から血を流して気絶したからだ。

 そして三日月もまた、コックピットの中で動いていない。彼の初陣はここで終わり、彼女の出陣もここで終わる。

 

 この先はどうなるか分からないが、ひとまずCGSの危機は去ったようだ。

 

 

 

 

 

 



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新たな雇い主

 

 

 

 

 

「うぐぐぐっ。頭痛が酷いです……っ!」

 

 シトリーのコックピットの中で、ジャックは意識を取り戻した。口元は吹き出た鼻血が乾いて赤黒いし、でもやっぱり肌は青白いしでいつもの不気味さが増してる。周辺にあるモニターが青緑に光ってるのも彼女の不気味さを助長しているようだ。

 片手で頭を抱えるジャックは機体との接続を切るため、背中のケーブルを無造作に外した。脱げかけのメイド服を着直して、ついでに顔にへばり付いた血を手の甲で擦って拭き取る。輝きの失せた瞳をぎゅっと閉じて頭痛を堪えると、コックピットが勝手に開いた。そう操作したのだろうか。それとも、シトリーが開いたのだろうか。

 開かれたコックピットの向こうは、夕陽に焼かれた不毛な大地。太陽の眩しさに目を細めていると、機体の足元で誰かが叫んだ。

 

「おーいジャック、目ぇ覚めたか?」

「おやっさん。おはようございます」

「何がおはようだ。もうじき夜だぞ」

「あー……。私、どれくらい気を失ってましたか?」

「……ざっと十時間。直ぐにでも引っ張り出してやりたかったんだが、コックピットが開かなくってな」

「気にしないでください。シトリーは色々融通が利かない機体なので」

 

 装甲が外れ剥き出しのフレームとなったシトリーの手足をつたい、メイドは地面へと降りる。なるほど確かに、雪之丞が言っていた通りもうじき夜がやって来る。その証拠に、今まさに赤い夕焼けは終わりそうで、夜が見えてきた。

 暗くなりつつある道を、ジャックはふらふらと歩く。まだ頭痛は治まっていないようで、両手で頭を抱えている。額や首筋に汗が浮かび、苦しそうだ。

 

「大丈夫か?」

「ええまぁ。生きたまま脳みそをバラバラにされたような頭痛がしてましたが、元気です」

「そいつぁ、元気って言わねぇんじゃねぇのか?」

「久々だったから脳がパニックになってるだけです。次からは問題ないので、大丈夫ですよ」

「……そうか。ところで、こいつはなんだ? 尻尾に……羽根?」

 

 体調の話はそこそこで止めにした雪之丞が指差すのは、シトリーの腰と背中にあるもの。先端に剣のようなものがついた極太のワイヤーだ。人間の目から見ると、極太どころか巨大なのだが。

 それらは、十時間前の戦闘で確かに動いていた。うねり暴れる姿は、手傷をおった蛇のようにも見えた。直後にシトリーは沈黙、コックピットに居た操縦者は鼻血を吹き出しながら気絶した。

 しかし先程の、生きたまま脳がバラバラにされたと言う表現は如何なものか。ジャックはまだおぞましい程の頭痛に襲われているようで、頭から手を離さない。

 

「……尻尾と、羽毛ですよ。それ以上は秘密です」

「ああ?」

「この機体、シトリーは当時の機密の固まりでして。おいそれとあれこれ話したく無いです。必要になったら説明しますので、今はそれで納得していただけると」

 

 三百年前の機密など現在において何の価値も無さそうだが、それでもジャックは秘密を明かそうとはしない。誰かと約束でもしていたのだろうか。或いは自分の中に横たわる、どかしようの無い矜持がそうさせるのか。どちらにせよ、シトリーの話題はこれで打ち切りとなる。これ以上は話さないと、紅い瞳が語った。

 

「分かった。じゃあ話したくなったら話せや。ところでジャック、悪いんだが」

「はい?」

「ちぃと、縛らせてくれ」

「………………はい?」

 

 雪之丞の言葉を聞き返すのも無理はない。いい年下したおっさんが子供に向かって何か特殊な趣味を暴露したのだ。性癖かもしれない。或いは両方か。彼の意図は全く意味不明だ。気絶から目覚めた少女を縛りたいなんて、良識がある大人ならまず言わない。

 暫定・メイドを縛るのが趣味な男、雪之丞。目が真剣になっているのが余計に気持ち悪い。

 

「おやっさん、そんな趣味だったんですか?」

「いや待て、勘違いするな。ただどうせ結果が変わらないなら、俺がやってもやらなくても同じだろ」

「つまり私を縛りたい物好きが他に居るってことですね?」

「そう言うことになるな。俺から言い出したのは、まぁ老婆心ってやつだ」

 

 どうやらメイドを縛りたい悪趣味な男がこのCGSに居るらしい。ギャラルホルンに襲われ、それを撃退し、これからどうなるかも分からないと言うのに悠長なものだ。いやそんな時だからこそ、慰みものが欲しいのかもしれない。

 何にせよ悪趣味な話だ。子供に性を求めるのだから、おぞましい。

 

「……ひとつ聞きますが、それは誰からの指示ですか? 社長でしょうか?」

「いいや、マルバの奴じゃねぇ」

「CGS内部の者ですか?」

「今はそうなるな」

「じゃあお断りします。書類上はCGSの社員ですが、私が仕えるのは社長ですので。それ以外の社員の言うことは聞きません」

「そう言うと思ったぜ。忠告はしたからな」

「ありがたく頂戴します。ところで、何か甘いもの持ってませんか? 脳が栄養を欲しています」

 

 片手で頭を押さえているメイドは、図々しく食料を要求する。ついでに腹も減っているようで、空の胃袋から盛大な叫び声が聞こえた。目が、語っている。早く飯を寄越せと。

 

「腹が減ってんなら食堂に行け。小さい嬢ちゃん達が飯作ってるからよ」

「はーい。あ、おやっさん。シトリーお願いしていいですか? ガスの補充とか点検とかその他諸々」

「……ああ、やっとくよ。バルバトスの方が優先だがな」

「それでいいですよ。ではまた、雪之丞さん」

 

 スカートを摘まみ上げ、一礼。雪之丞と別れたジャックは鼻歌を歌いながら、ふらふらと施設に戻っていく。メイド服で急な斜面を上っていくのは大変そうなものだが、彼女は服に土埃ひとつ付けないで歩んでいく。紅い瞳が空を見上げる。そこに夜空は有っても、月は見えない。過去の大戦で大きな損傷を負い、小さくなってしまったのだとか。

 土埃を巻き上げるかのような夜風が流れる。火星の夜は冷たい。だけど薄着のメイドは身震いひとつしない。気温の低さなど、これっぽっちも意に介していないようだ。

 

「お腹減ったなぁ。晩御飯何かなぁ。美味しいものだと良いなぁ……」

 

 戦場となった坂道はボコボコにへこんでいて歩き難そうだ。MWでもあれば施設まで直ぐだろうが、ここには整備機材を積み込んだMWが一機だけ。しかもそれは雪之丞がこれから使うので使用できない。彼の仕事が終わるまで待っていると言う選択肢も無くはないが、ジャックは頭痛と空腹で死にそうだ。悠長にしてはいられない。

 裸足で土を踏み締めながら、青白い少女は夜闇を突き進む。目的の食堂まで、もうしばらく時間がかかりそうだ。

 

「それにしても、まさかまさかですねぇ。私が起こされて、バルバトスに乗れる人が現れた。何かの前触れじゃないと良いんですが」

 

 厄祭戦を生き残った機体が、ほぼ同時期に蘇る。それは単なる偶然か、或いはジャックが呟いた通り『何か』の前触れか。少なくとも今は誰にも分からない。分かりようがない。

 

 てくてく。

 てくてく。

 

 ごてっ。

 

 歩き続けていた裸足の少女がスッ転んだ。顔面から地面に倒れる様は、端から見ると痛々しい。本人にとっても痛いだろう。

 派手に転んでしまったジャックは呻き声ひとつ上げず、ゆっくりと立ち上がる。が、直ぐにまた姿勢を崩す。さっきまで普通に歩けていたのに、どうかしたのだろうか。

 

「……なんか変ですね。足が妙に……うわぁ」

 

 自身の体の不調に気付き、彼女は足を見てドン引いた。長いスカートの裾から見える左足に、鉄の破片が突き刺さっている。足の裏にグッサリと。これは、MWの残骸か何かだろうか。何にせよ、今ジャックの足の裏には鋭く大きな鉄片が突き刺さっている。これでは立つことも歩くことも難しいだ。

 頭痛に空腹。足の怪我。まさに踏んだり蹴ったり。彼女は間違いなくツイていない。

 

「……仕方ありませんね。よっと」

 

 座り込んだジャックは足の裏へと手を伸ばし、力強く破片を掴む。次の瞬間、深く肉に突き刺さっているそれを眉ひとつ動かさずに引き抜いた。荒い処置で出来た傷は深く大きく、体から大量の血が流れ出ていく。きっと物凄い激痛が彼女を襲っている筈。だけど、呻き声ひとつ上げやしない。顔色も無表情さも相変わらず。怪我をしてなお、メイドは何も変わらない。

 淡々とスカートの裾を破りとり、それをぐるぐると傷口に巻いていく。程無くして、ジャックは応急手当を終わらせた。

 

「……よし、歩けますね。ご飯ご飯っと」

 

 痛みに呻くこともなく、足から血を流したまま少女は再び歩き始める。大怪我をしているのに、歩く速度も姿勢も何も変わらない。左足に怪我をしていると言う事実が、すっぽり意識から抜け落ちてしまったかのように。

 それから三十分ほど時間をかけて、ジャックは食堂へと辿り着いた。左足が血塗れであること、肌の青白さによる不気味さが合わさって、わざわざCGS社員のために夕飯を作りに来てくれていた三人の女の子達がジャックを見るなり大声で叫んだ。たまたま近くに三日月が居なければ、少女達のパニックは収まらなかっただろう。

 何はともあれ、ジャックはCGSに戻ってこれた。用意されていた温かな食事は、胃袋に染み渡るお袋の味だ。細かく刻まれた野菜や合成肉がたっぷり入ったトマトスープはとろみがついていて実に美味だ。美味しいものを食べて、頭痛やなんやらで沈んでいた気分が回復らしい。ちょっと上機嫌になって鼻歌を歌い始めて少ししたころ、彼女はテーブルに突っ伏して寝た。まるで電源が切れた機械のように。

 

 

「おはようございます。薬入りの飯の味は如何でしたかぁ?」

 

「 薬だぁ!?」

 

「ガキが! なんの真似だっ!?」

 

「まぁ、ハッキリさせたいんですよ。誰がここの一番かってことを」

 

 

 何もない薄暗い部屋で、少年と大人が何かを話している。対話していると言えば聞こえが良いが、これはそんなものではない。何故なら大人達は両手を拘束されて地べたに這いつくばっているし、少年達は廊下の光を背にして立っている。どちらが上で、どちらが下。それは、端から見れば分かりきった事だろう。

 動けぬ大人達を前に立つのは、参番組隊長とその部下達。

 

「ガキ共! 貴様等、誰を相手してると思って」

 

「ろくな指揮もせず、これだけの被害を出した、無能を、……ですよ」

 

 言い争っている。しかし物理的に動けぬ者達と、自由に動ける者達。もはや対話にすらなっていない。そんな不穏な空気の中、部屋の奥で長い欠伸をかました少女が一人。破れたメイド服はそのままだが、誰かの気遣いか社名の入ったジャケットが体に被せてある。もっとも、血塗れの足は相変わらずだ。新しい包帯が巻いてあるが、既に真っ赤だ。

 彼女もまた、両手を拘束されている。頑丈なバンドで親指同士を後ろ腰に締め上げられては、ろくに両腕が動かせない。どころか、指の痛みで多少は思考が削がれる。もっとも、足の裏に大怪我をしても平然と歩くような少女に締め付けられる痛みが有用かどうかは分からないのだが。

 ともかく、今この状況はジャックにとってもよろしくはない。参番組隊長……、つまり、オルガ・イツカの起こした上の者への反逆はメイドをも巻き込んだ。さっき放った言葉からして、彼はCGSの社員等に一服盛ったのだ。

 冷たい床から体を起こしたジャックは壁に体を預け、足を伸ばす。暗い瞳は真っ直ぐオルガ達を見詰めているが、欠伸が何度も出ている。ひとつひとつ丁寧に噛み潰しながら、目尻から流れる涙をそのままに瞬きを繰り返していく。

 

「わ、分かった、分かったから! 取り敢えずこいつを取れ。そしたら命だけは助けてやる……っ!」

 

 寝起きのジャックの目に入ったのは、オルガが壱番組……つまり一軍隊長ハエダ・グンネルを蹴り上げたところだ。暴力によって自分の立場を理解したのかしてないのか、ハエダは高圧的な下手に出る。が。

 

「あ? お前状況分かってんのか? その台詞を言えるのは、お前か、俺か、どっちだ?」

 

 立場は決定付いている。そもそもハエダはもう少し頭を回した方が良いだろう。オルガの後ろに控えているのは、銃を持った彼の部下だ。必要とあらば躊躇い無く発砲するだろうし、そうなればこの部屋に居る一軍は皆殺しにされてしまう。下の者に対する横暴な態度に、見下した姿勢。理不尽な暴力に、理不尽な命令。これまで一軍の者がしてきたことが、今になって跳ね返ってきている。要するに、恨みを晴らされている。

 

「無能な指揮のせいで、死ななくても良い筈の仲間が死んだ。その落とし前はキッチリつけてもらう」

 

 その時、オルガの後ろに控えている者が動いた。静かに歩く小さな彼は、ハエダの前に立ち銃を構える。指先は既に引き金に添えられていて、瞳が撃つと語っている。誰かが何かをしなければ、ハエダは殺されてしまうだろう。

 そう。誰かが何もしなければ、殺される。

 

 

「はい。ちょっと質問良いですか?」

 

 

 少女の声が、淡い暗闇に響く。何の意図があるのだろうか。拘束されている上に、足を怪我している。相手は銃を持っていて、危険としか言いようがない。だと言うのに真っ先に声を上げた。オルガと話していたハエダがどのような扱いを受けたか知っているだろうに。

 オルガの部下、三日月・オーガスは既に銃を構えている。その銃口は、下手を打てばジャックへ向かう筈。

 

「…………何だ?」

 

 怪我人の意見を無視できないのか、怪我人だから無視できないのか。何にせよ、こうしてジャックの言葉に反応を示す辺り彼は甘い。この場の主導権を握っているくせに、相手の意見を聞こうとしているのだから。

 

「聞いてくれてありがとうございます。では、……コホン」

 

 彼女は幸運だ。少なくとも、銃は撃たれなかった。質問をする余地があるのなら、ここを生き残れる可能性が僅かにある。もっとも、下手な発言をしようものなら殺されてもおかしくはない。

 相手には銃があり、ジャックは拘束されている状態だ。言葉を選び慎重にならなければ、この命の綱渡りは完遂できない。

 

「まず、マルバ社長はどうなりましたか?」

 

 怪我した足でふらふらと立ち上がりながら、ジャックは真っ直ぐオルガに質問をする。金の瞳と、紅い瞳が相手を見詰め合う。緊迫した空気が更に緊迫した。ような気がする。

 

「それは分からねえ。ここに居ないってことは、上手く逃げたかギャラルホルンに捕まったか。或いは……」

「なるほど。ではもうひとつ、貴方達はCGSを乗っ取るつもりですね?」

「……そうだ。と言ったら?」

「私を雇ってください」

「は?」

 

 周囲の視線が一斉にジャックへと向いた。一軍の大人達も、参番組の少年達も、全員がメイド姿の少女を見る。ある者は正気を疑い、ある者は驚愕している。

 

「……簡単に雇い主を変えるのか。それは、筋が通らねえだろ」

 

 オルガの言うことはもっともだ。どのような理由があるかは分からないが、おいそれと主を変えようとするメイドを信じるのは難しい。警戒されて当然だ。しかしそんな状況でも、青白い少女は平然としている。視界に映る銃に恐れはないのだろうか。或いはハエダのように、自分の立場を理解していないのかも。

 

「筋を通さなかったのは社長の方ですよ。彼との契約は、私の生活の保証とシトリーの面倒を見ることです。ほら、私がここに居る時点で彼は契約を破棄してるようなものでしょう?」

 

 彼女の言葉が本当ならば、確かに先に筋を通さなかったのはマルバの方だ。であれば、ジャックが雇い主を変えようとするのも無理はない。が、やはりそれはそれだ。このメイドを雇うことでオルガがどのような利益、そして不利益を得るのか分からない。故に、即答は出来ない。

 

「だから、俺達に雇って欲しいと?」

「そうです。悪い話ではないですよ? 私は貴方達にとって有用です」

「有用? じゃあ聞くが、あんたは何が出来る?」

「ではひとつひとつ説明して行きましょうか。まず先程の戦闘で見たように、私はシトリーを操縦できます」

 

 自己PRが始まった。失敗すれば、多分死ぬ。実際、三日月が持つ拳銃は既にジャックへと向いている。生半可なプレゼンをしてしまえば、不採用からの射殺なんて流れが起きかねない。

 

「……あの黒いMSか。つまり戦力として有用、そう言いたいんだな?」

「それが私を雇うメリットのひとつですね。同時にシトリーの面倒を見ないといけないデメリットが生じますが。それから」

「……それから?」

「私はバルバトスの整備が出来ます。あの機体の事はよく知ってるので、今後貴方達があの子を使うのであれば私は役に立てます」

 

 オルガにとって彼女は悪くない。それどころか、かなり良い人材になり得る。ジャックの言っていることが本当ならば、今後MSを運用する上での不安は解消される。しかも戦力にもなると来た。正直、喉から手が出るような人材だ。しかし、気になる点も幾つかある。

 例えば何故バルバドスの整備が出来るとか、あのシトリーと言う名の機体が何なのかとか。ジャックの素性だって分かっていない。彼女が本当に有用だとしても、雇うと踏み切るにはまだ信用出来ない。信用に足る、情報が無いのだ。

 

「……操縦士、そして整備士として働けるって事か」

「他にも有りますよ。見ての通りメイドですので、洗濯掃除はお手のものです。あ、でも料理は苦手ですね。そっちは私の担当ではなかったので」

「ひとつ聞くが」

「何でしょう?」

「あんたは厄祭戦の生き残りらしいな。三百年間、冷凍されてたとか」

「そうですね。事実です」

「それが本当である証拠は?」

 

 疑うのも無理はない。彼女は土の中から凍った状態で発見された。それだけでも信じがたい話だが、しかも三百年前の人物だなんて本人がのたまった。誰がそんな戯言を信じるのか。まだ自分から地中に埋まってみたと言われた方が信じられるだろう。

 

「私の名前で調べてください。シトリーが言うには三百年前の絵画が出てくると思います。で、それに描かれているのは私です」

 

 表情と肌色に差異はありますがね。あれは書き手の願望混じりですし。と彼女は付け加えた。

 その言い分が本当かどうか調べられる状況ではないので、現状はメイドの言うことを鵜呑みにするか突っぱねるしかない。しかし真っ直ぐオルガの目を見て自分を語る少女が嘘を吐いているようにも見えない。

 緊迫していた空気が、僅かに揺れる。参番組隊長の目に疑いと葛藤の色が浮かぶ。

 

「………………。よし、分かった。あんたを雇おう」

 

 数秒の沈黙の後、彼が選んだ選択はジャックを受け入れる事だった。それが正しい選択であるとは、とても思えない。

 

「ちょ、オルガ! 素性も分からない彼女を雇うの!?」

 

 隊長の選択に待ったをかけるのは、丸い体型のビスケット・グリフォン。頭に被った帽子がトレードマークだ。彼の反応は無理もない。疑わしい人物を、割りと即決で雇うと決められては「はいそうですか」と受け流すのは難しいだろう。

 

「おやっさん一人じゃ、あの機体の整備が難しいのは分かってるだろ? こいつが本当にMSの整備を出来るなら、引き入れない手はねえ」

「それは、そうかもしれないけど。でももっと良く考えてよ! 彼女の言うことが全部本当かなんて分からないんだから」

「ああそうだ。疑わしいところは色々ある。だがここはひとつ、こいつの言うことに乗ってみねぇか?」

 

 どうやらオルガの決意は固いようだ。決して浅はかな考えでジャックを雇おうとはしていない。今の彼は、腹を決めているようだ。瞳に浮かんでいた疑いと葛藤の色は、今は決意の色をしている。

 

「乗ってみるって……。危険だよ、オルガ」

「ああ、そうかもしれねえ」

「だったら!」

「だけどあいつは、戦ってくれただろ。マルバと一緒に逃げててもおかしくなかったのに、ミカの手助けをしてくれた」

「それは……そうだけど」

「なのに突っぱねるんじゃ、受けた恩を仇で返すようなもんだろ? それじゃあ筋が通らねえ。少なくとも、こいつは一軍の無能共とは違う」

 

 彼の言うことは一理あるだろう。もっとも、勝手に戦闘に参加したのは彼女の方でオルガ達が助けを求めたわけではない。しかしそれでも、ジャックが三日月に加勢してくれたのは確かだ。その恩を忘れる事は、どうやら彼には出来ないようだ。

 

「…………分かった。分かったよ。でもオルガ、万が一が起きたら、その時は」

「分かってるよ。そんときは俺が責任を取る。それで良いか?」

「まったく。あと、これからはもう少し慎重になってよ。この先はきっと長くなる」

「ああ。悪いなビスケット」

 

 取り敢えず、彼等の方針は決まった。この調子ならば、射殺なんてされないだろう。どうやら先の戦闘に介入したことで、ジャックの就活は良い方向に向いたようだ。

 

「話は終わりましたか?」

「ああ。あんたを戦闘員兼整備士として雇う」

「え? 嫌です。それは願い下げです」

「は?」

「メイドとして雇ってください。出来れば、オルガ・イツカ個人のメイドとして」

「……なんだか良く分かんねえが、あんたをメイドとして雇う。これで良いか?」

「はい。それでいいです」

 

 どうやらこの娘は、戦闘員や整備士として扱われるのは我慢ならないらしい。あくまでも自分の立ち位置はメイドだと決め込んでいる様子だ。

 何はともあれ、ジャックはマルバのメイドからオルガのメイドに転職した。これが彼女、そして彼にとって有益かどうかは分からない。ここから先は、きっと神様だけが知っている事だ。

 

「……ビスケット、こいつの拘束を解いてやれ」

「あ、それは不要です。もう自分で解きました」

「は?」

「自分で解きました。ほら」

 

 両手を拘束されている筈のジャックが、両手を上げて見せ付けた。左手の親指にはバンドがぶら下がっており、手のひらには血の線が描かれている。どうやら力で無理矢理拘束を解いたらしい。無理な外し方をしたからか、指の肉が少し剥がれて血が出ている。

 

「メイドですので、このくらいは簡単です」

「簡単って……。平然と言ってくれるな」

「メイドですので、苦労しても平静は崩さないんですよ。ところで誰か背中を借りても良いですか? こんな足だと歩くのも一苦労なんですよ」

 

 ジャックの左足は血塗れだ。正直、立っているのが不思議なぐらいに血液を流している。彼女の言うとおり、そんな足では歩くのは難しいだろう。今立っていられるのは、ただの強がりかもしれない。或いは、彼女が肉体の不調など気にしない鉄人なのかも。

 

「分かった。ビスケット、頼めるか?」

「……分かった。医務室に連れてけば良いんだね?」

「ああ、頼む。……それと、ジャック」

「はい」

「よろしく頼む。あんたはもう、俺達の仲間だ」

「はい。今この時より、この身、この心は貴方だけの物です。好きなように使い潰してください。思うがままに使い捨ててください。私はそれが喜びです。私はそれが誉れなのです」

 

 暗闇の中、青白いメイドが嗤っている。自らの胸を右手の指で指し、歪んだ笑みを浮かべている。それはまるで、胸に手を当ててお辞儀をする従者のよう。見せる表情が愛想笑いだったなら、どれだけ良かったことか。

 

 

「オルガ・イツカ。貴方が最後のご主人様であることを、私達は望みます」

 

 

 メイドは嗤う。

 ひとり楽しそうに。ひとり嬉しそうに。

 

 

 

 

 

 



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彼女のやり方

 

 

 

 

 

「おいオルガ! お前辞めてく一軍に退職金くれてやったんだって!? 何でっ!?」

 

 CGS社長室に、派手な金髪と緑の瞳が目立つ少年の声が響いた。彼はユージン・セブンスターク。参番組の古株で、何かあるごとにオルガに対ししょっちゅう突っ掛かっているものの、決して悪い奴でも嫌味な奴でもない。先の戦闘、オルガと共にMWで戦場を駆け回っていたのだから彼の右腕と表現するのが正しいだろう。そんな事を本人に言ったらどんな反応をするかは分からないが。

 それに、彼が不満を爆発させたのも無理はない。参番組、と言うかCGSに所属している多くの少年兵達はその殆どが一軍に虐げられながら働いてきた。そんな連中に膨大な退職金を払うのに抵抗があるのも仕方がない。感情的視点で見れば、ユージンは何もおかしくない。むしろ至極全うな反応だろう。

 

「おいおいおいおい! まさか、お前達まで辞める気かよ!?」

 

 現在この社長室にいるのは、現・CGS社長のオルガとそのメイドのジャック。そして経理担当のデクスター・キュラスターと、何でここにいるのかよく分からないトド・ミルコネン。それと、オルガの良き相談役であるビスケット。退職金の件で乱入してきたユージンと、ついさっき退職を申し出てきた子供二人。

 一軍の件もあり、ユージンはかなり感情的に動いてしまっている。これからここを去ろうとする子供に突っ掛かってしまうぐらいだ。仕方がないとは言え、とても冷静とは言えない。

 

「止めろ」

「だってよぉ!」

「仕事には正当な報酬が必要だ。こいつらは良くやってくれた」

「じゃあ一軍は!?」

「あいつらがここを辞めてどんな動きをするか分からねえ。信用に傷が付かねえようにしねえとな」

 

 ユージンの感情に間違いはないのだが、それ以上にオルガの言い分の方が正しい。一軍の連中を力でここから追い出すのは簡単だったが、もしそうしてしまっていたなら今後どのような問題が発生するか分からない。恨みを持った大人達が報復に来たっておかしくはないのだ。それを止める為、オルガは多額の退職金を支払った。少なくとも正規の退職金を支払ったなら、向こうも後になって文句を言ったりはしないだろう。

 感情的には良い思いをしない複雑なところだが、この先を考えるならばオルガの選択は正しい。

 若い二人のそんなやり取りを、ジャックは部屋の隅で聞いている。メイド服を着て棒立ちでピクリとも動かない姿は、まるでマネキン人形よう。血色の悪ささえ何とかしてくれれば、人間らしさが増すことだろう。

 二日程前からオルガ個人のメイドとして働いている彼女。昨日一昨日の働きは個人で行うには常軌を逸脱しているぐらいだ。

 社員全員分の衣類の洗濯、ついでに施設内部の掃除。更にバルバドスとシトリーの整備まで。おやっさん達整備班の力を借りているとは言え、一人でやっていく仕事量ではない。足の怪我だって完治してないのに、良くそこまで働けるものだ。

 

「セブンスタークさん。社長は仕事中ですので、騒ぎ立てるのは止めて貰えますか?」

「……あんた居たのかよ」

「メイドですので、ご主人様の側に居るのは当然です」

「そうだオルガ、話は退職金のことだけじゃねえ。そいつの事についても話がある」

 

 ユージンの目が、静かに佇んでいるジャックに向いた。青白いメイドに疑いの眼差しが突き刺さる。どうやら彼は、彼女にも何か不満があるらしい。

 

「ああ? 今更疑うってのか?」

「そもそもずっと疑ってんだよ。そいつ、マルバの女だろ? ぜってーろくでもねえに決まってる」

「止めろユージン。こいつは良くやってくれてるよ。バルバトスの整備に、おやっさん達にMSの扱い方まで教えてくれてる。今のとこは、文句無しに優秀な人材だ」

「そうですよー。私は優秀な人材です」

 

 オルガの言葉に便乗してダブルピースを決めるジャックなのだが、顔色が悪いのでやはり不気味だ。しかし、彼女が得たいの知れない人物であるのも確かだ。三百年前の機体を乗りこなす技術に、整備出来るほどの知識。謀反により主人が変わったにも関わらず、直ぐ様新たな主人に尻尾を振るような忠誠心。

 なるほど確かに、ユージンが疑い続けるのも頷ける。

 

「あ、ご主人様。私これからおやっさんのとこに行きますので」

「ああ、分かった。どっかで三日月を見かけたら、ここに来させてくれ」

「はい。それとセブンスタークさん」

「……何だよ」

「私が信用出来るかどうか、ちゃんと見ていてくださいね。そうしてくれると、遣り甲斐がありますから」

「んなもんっ、言われなくても……!」

「あと身嗜みはキチッとしましょう。スーツでも着たらどうです? じゃ、私はもう行きますので」

 

 煽るような事を言って、メイドは社長室を去る。左足を怪我しているにも関わらず、彼女は優雅に足を動かす。大きな欠伸をひとつ漏らしたのは、寝不足だからだろうか。

 

「通常の業務にバルバトスの調整。ついでにおつかい。新しいご主人様は人遣いが荒そうですねー」

 

 新しいご主人様に対して早速文句を溢しながらも、彼女は楽しそうに歩みを続ける。

 

「ま、忙しいのは良いことです。やることがあると、退屈せずに済みますからねー」

 

 メイドの独り言が誰も居ない廊下に響く。この後もぶつぶつと何かを呟きながら、ジャックはMSやらMWが置かれている格納庫へと向かうのであった。

 

 

「おやっさーん。調子はどうですかー?」

 

 まだ動かせるMSが二機に、スクラップ寸前のMSが固定されている格納庫は活気が満ちている。おやっさん、つまり雪之丞の下に付いている整備士達は全員子供。まだ小さな体には似合わない無骨な工具を抱えて走り回る姿は、可愛らしいやら微笑ましいやら。でも、横顔は仕事を頑張る大人のそれと大差ない。彼等には彼等なりの、仕事への想いがあるのだ。

 

「おう、嬢ちゃん。そうだな……バルバトスの整備は、ほぼ終わってる。リアクターに手を付けたいところだが、少ない戦闘データじゃ難しいな」

「細かな調整はパイロットの手癖や趣味が判明してからの方が良いですしね。ところでシトリーは?」

「シトリーなら三日月が潰したグレイズから使えそうな装甲を移植したとこだ。見てくれは……まぁ大分変わっちまったが」

「……あー、そうですね。これ可愛くないです」

 

 格納庫入り口付近。膝を付いて項垂れているシトリーは、体の大部分が角張った緑色の装甲に包まれている。特に腕と足、それから腰回りなんかはグレイズのパーツで補強されている。原型が残っているのは、頭部と胸部の流線的な黒い装甲と手足の先に付いた金の爪。それから、自由自在に動かせる尾と羽毛だ。

 それにしても、折角の改修を可愛くないと一蹴するのは如何なものだろう。整備士の皆が頑張ってくれたのに、その言いぐさはあんまりだ。

 

「バルバトスもそうだが、こいつもまたとんでもねぇ機体だな」

「そうですね。科学者達の造り上げた狂気の産物ですから」

「厄祭戦時代の負の遺物、ってとこか」

「シトリーはその中でも別格ですよ。この機体は、私が産まれることを前提に設計された機体ですから」

 

 それは、いったいどういう意味だろうか。ジャックの言葉が本当だとして、当時の人間は何を考えていたのだろう。

 

「は? そりゃどういう意味だ」

「秘密です。それはそうと三日月を見ませんでしたか? ご主人様が呼んでるんです」

「いや、ここには居ねぇな。食堂でも見てきたらどうだ?」

「ではそうします。それじゃ引き続き、バルバトスとシトリーをお願いしますね」

「ああ。つっても、やれることなんてもう殆どねぇが」

 

 雪之丞との会話を引き上げ、ジャックは歩き出した。荷物を運んだり、機械を弄るのに夢中で回りが見えていない少年達を丁寧に避けて彼女は食堂へと向かう。

 それにしても、このCGSはこれからどうなっていくのだろうか。下の者に反逆され、乗っ取られてしまったこの会社がこの先ちゃんと仕事が出来るのか怪しいところだ。ジャックがオルガに要求した待遇も、いつまで守られるか分からない。次の職場を探しておくのが建設的かもしれないが、MSごと雇ってくれる会社なんて多くはない筈だ。もしかするとこの会社の運命とジャックの運命は、重なりあっているかも。

 

「わっぷ」

「あっ、すみません」

「いえ、私の不注意です。空見て歩いてましたし」

「いえ、私が避ければ良かったんです。ごめんなさい」

 

 空を眺めて歩いていたジャックは、たまたま外を出歩いていたクーデリアとぶつかってしまった。お互いに謝り合う姿は、端から見ると何だかおかしいような気もする。

 血色良い少女と、血色の悪い少女。他の誰かと並んでいると、やはりジャックの青白さはよく目立つ。

 

「ところで、何をやってるんです? こんなところで」

「……いえ。その……」

 

 ジャックからの問いに、クーデリアは言葉を濁す。目は伏しがちで、どうにも声に覇気がない。気分が沈んでいるように見えるが、その原因は分からない。少なくとも、彼女が語ってくれないことには誰も理解は出来ない。

 

「……むー? 何だか顔が暗いですね?」

「それは、……そうかもしれませんね」

「そうですか。これから食堂に向かいますが、一緒にどうです?」

「へ? ……ええっと……」

「元気が出ないときは、何か食べると良いですよ。ほら、行きましょうか」

「えっ、ええっと……あ、あのっ!?」

 

 暗くなっているお嬢様の手を引いて、メイドは歩き出す。ちょっと強引なエスコートに思わず変な反応をしてしまったクーデリアだが、ジャックの手を振りほどくことは出来ない。引っ張る力も中々強くて、殆ど引きずられる形で歩くことになってしまう。

 

「ところで幾つか聞きますけど、クーデリアはこれからどうするんですか? CGSの内部は今ゴタゴタしてまして、貴女からの依頼を続けるのは多分無理かと」

 

 そう。ジャックの言う通りだ。今のCGSではしっかりと仕事が出来るかどうか怪しいのだ。であれば、クーデリアからの依頼をこなすのは難しいだろう。そうなってしまうと、彼女の地球行きはなくなってしまうようなものだ。ギャラルホルンに狙われると分かった以上、他の会社に依頼しても断られるのが関の山だろう。

 

「……父の元へは、帰れません」

「では?」

「……分かりません。私には、出来る事があると思っていました」

「諦めたのですか?」

「いえ、そんなことは! ……でも、それを成し遂げるためには、罪の無い人達を犠牲してしまう可能性があります」

 

 歩きながら、ぽつぽつと胸の内をクーデリアは吐露していく。先の戦闘で死者が出たのは自分のせい。そう思っているから、決意が揺らぐ。自信が薄れる。自分の思い描いた未来へ進もうとすれば、あとどれだけの血が流れるかも分からない。

 簡単には、いかない話だ。自らの夢を、理想を体現しようとしたなら、それ相応の苦労を背負わなければならない。時には自分の命さえ、投げ出さなきゃいけない時だって有るだろう。

 

「そんな事、覚悟の上だったのでは?」

「それは! ……そのつもりでした。でも実際、誰かが目の前で亡くなるのは……」

「なら、誰も亡くならない道を模索すれば良いだけでしょう」

「そんな事が、可能……なのでしょうか」

 

 理想の為、夢の為、誰も亡くならない道を歩む。そんな事が出来るとは到底思えない。今ジャックが提案した道程は、命を捨てるよりも難しい事だ。何一つ犠牲にせず、目的地まで辿り着く。そんなのは、世界を知らない子供が思い浮かべる、ちっぽけな絵空事だ。

 

「可能かも知れませんし、不可能かもしれません。何にせよ、考え続けなければその道は歩めませんよ」

「……考え続ければ、その道を行けるでしょうか?」

「考えない、よりは可能性があるかもしれませんね。ところでクーデリア」

「はい、何でしょう?」

「食事にしましょう。私お腹が空きました」

 

 あれこれと話している内に、二人は食堂へと辿り着いた。空腹を訴えつつジャックは周囲を見渡す。三日月を探しているようだが、残念ながら彼の姿はどこにも見当たらない。どうやら、ここには居ないようだ。

 

「クーデリア、何か作れますか?」

「えっ!? 私ですか!?」

「私、炊事は出来ないんですよ」

「……メイド、なのに……?」

「はい。なので作ってくれると助かります」

 

 本人曰く、料理はやってこなかったから苦手らしい。だからと言ってクーデリアに料理をして貰おうと思うのは如何なものか。彼女だって炊事が出来るわけではない。むしろ出来ない方だろう。

 

「………わ、分かりました。見よう見まねですが、作ってみます」

「よろしくお願いします。じゃあ私は座って待ってますので」

 

 クーデリアに炊事を任せたジャックはテーブルに着き、両足を前後に揺らす。まだ左足には包帯が巻かれているし、両手の親指だってそうだ。数日前の戦闘後に負った傷は、まだ完治していない。治るまでもうしばらく時間がかかりそうだ。

 広いキッチンで食材相手に悲鳴を上げるお嬢様と、横長椅子の上で暇を持て余すメイド。キッチンからゴトンと聞こえたのは、クーデリアが何かをしているからだ。料理には似つかわしくない音のような気もするが、気にしない方が良いだろう。出来れば何が起きているか覗いたりもしない方が良い。見たらショッキングかもしれないからだ。

 暇が過ぎるのか、ジャックは椅子に倒れ込んで何もない空を見上げる。本日は快晴、雲ひとつ無い。もうそろそろ夕焼けがやって来て、そうこしている内に夜になる。今は、ひとまずの平和だ。楽しまなければ損だろう。だからと言って堂々と瞼を閉じるのはどうなのか。

 空腹だと言いながら、遅めの昼寝をしようとするメイド。肌が青白過ぎて、端から見ると死んでいるようにしか見えない。静かな呼吸が繰り返されていく。両腕がだらんと下がって、精気を感じられない。どうやらこの短い時間で、彼女は夢の世界へと旅立ってしまったようだ。

 静かだった呼吸が、少しだけ大きくなる。するとその時。

 

『監視班から報告! ギャラルホルンのMSが一機、……ええっと、赤い布を持って……こっちに向かってる!』

 

 喧しいサイレントと同時に、大きな放送が響き渡る。これは緊急の警報だ。耳に突き刺さる騒音を感じたジャックは迅速に上体を起こし、寝そべっていた椅子から立ち上がる。横になったことで少し乱れてしまった黒髪を指で弄りつつ、メイドは格納庫の方へと足を向ける。

 

「クーデリアはそのままご飯でも作っててください。お腹空かしてから戻りますので」

 

 途中、キッチンのクーデリアに声をかけてから彼女は走る。足の裏に大怪我をしているとは思えない速度で、ただ駆ける。

 歩けば時間がかかる距離も、走れば直ぐ。誰も見ていない中で健脚ぶりを発揮したジャックは、シトリーの足下へと辿り着く。そこには作業中の雪之丞が居て、他の少年兵達も居る。整備を急ごうとする者も居れば、MWに乗り込もうとする者も居る。

 

「おやっさん、シトリーは出れますか?」

「ああ? 出れるには出れるが、おめぇ」

「何です?」

「怪我してんだろ。だったら三日月に任せた方が良いんじゃねえか?」

「問題ないですよ。苦痛には強いので」

 

 雪之丞の心配を軽く受け取って、ジャックはシトリーへと乗り込む。装甲の角を掴んで上へ上へと登って行く様は、木登りする猿か何かにしか見えない。動きにくそうなヒラヒラのメイド服で、そんなにも動けるのは不思議でならない。

 

「さてシトリー。決闘を申し込んできた人が居るんですがどうします?」

 

 背中のファスナーを下ろし、阿頼耶識を露出したジャックはコックピットに置いてあるデバイスを背中に装着。その後に、ケーブルでシトリーと繋がった。内部モニターをバンバンと叩く姿は、眠っていた親しい友人を叩き起こすかのよう。パイロットの問い掛けに、機体は答えない。その代わり、ドクンとケーブルが脈打った。

 

「いっっっっ!!?」

 

 悲鳴が上がる。シトリーが起動すると同時に、ジャックは足を抱えて丸くなる。足の傷が、今更ながらに痛んできたようだ。

 

「〜〜〜っ、っっ、っっっ! 怪我って痛いんですね、シトリー」

 

 当たり前の事を言いながら、メイドは足を投げ出した。さっき走ったせいで、足の裏から血が流れている。傷口が開いたのだろう。

 痛みに顔をしかめつつ、ジャックはシトリーを動かす。機体は主の操縦を素直に受け入れ、格納庫の外へと移動していく。

 

「……さて。決闘を申込んでくる以上、何の要求があるんでしょうか?」

 

 気が付けば外は夕方だ。夕暮れの中、一機にMSがCGSに向かって進行している。

 何故一機なのか。何故軍隊で攻めて来ないのか。気になる点は出てくるが、悠長に考えている暇は今のCGSには無いだろう。攻め込まれたのなら、抵抗しなければ。敵意を向けられたなら、戦わねば。そうして行かなければ、ただ蹂躙されるだけで終わってしまう。

 ここで終われば、何の為にオルガがCGSを乗っ取ったのか、分からなくなる。

 

 

『私はギャラルホルン実働部隊所属、クランク・ゼント。そちらの代表との一対一の勝負を望む』

 

 

 CGS本部、そこから数キロ程離れた場所でギャラルホルンのMS『グレイズ』が直立し、外部スピーカーを使用したパイロットが一方的に話し掛けて来た。声やその佇まいが、彼が如何なる人間かを雄弁に物語る。実直で紳士、それでいて信念がある人なのだろう。でなければ、一人でここまで来て決闘を申し込むなんて真似はしない。

 とんでもない大馬鹿者の線、と言う事もあるが彼は三日月とジャックを前に撤退して見せた強者だ。仮に大馬鹿者だとしても腕は立つ。そんな彼が今、決闘を望んでいる。

 

『私が勝利したなら、そちらに鹵確されたグレイズと、そしてクーデリア・藍那・バーンスタインの身柄を引き渡して貰う』

 

 外から雄弁に聞こえてくる言葉を聞きつつ、ジャックは機体を動かす。補修されたシトリーは、装甲の重さから動きにくそうに歩き出した。取り敢えず、前の戦闘のように急に停止してしまう事は無さそうだ。

 コックピットの中、ジャックはつまらなそうに欠伸をひとつ。指先でモニターを操作し始める。そうしていると、いつの間にやら施設内部から現・CGSの社員達がわらわらと姿を現していた。ある者は動揺し、ある者は眉をひそめる。全員が全員、急に姿を見せたグレイズに狼狽えている。

 

『勝負が着き、グレイズとクーデリアの引き渡しが無事済めば、そこから先は全て私が預かる。ギャラルホルンとCGSの因縁は、この場で断ち切ると約束しよう』

 

 それは、今のCGSにとって都合の良い条件だろう。例えこの決闘に挑んで負けたとしても、こちら側が失うものは大きくない。それどころか、ギャラルホルンに目を付けられなくなるのであれば、この先この会社は上手くやっていけるだろう。断る理由は無く、失敗しても構わない。

 

『……いやいや、それはないでしょう』

 

 クランク・ゼントなる人物の言葉に、ジャックは呆れてため息を吐いた。それはコックピット内のマイクに拾われて、スピーカーから外へと響き渡る。その言葉に何人かが茶々を入れたが、彼女は気にすることなく機体を動かして本部の外へ。

 ジャックが呆れるのも無理はない。警戒を解かないのも、無理はない。この話は都合が良すぎる。であれば、他に何かあると勘ぐってしまうのは当たり前だ。

 だが、その時。

 

「行きます」

 

 シトリーの後ろ、足下からクーデリアの声が響いた。いつの間に着替えたのか、初めてCGSに来たときと同じ赤いコートに赤いロングスカートに身を包んでいる。

 

「勝負などする事はありません。私が行けば、全てが済むのでしょう? 無用な戦いは、避けるべきです」

 

 決意は固く、表情は凛々しく。クーデリアは、力強い姿勢と意思で向こうの条件を呑もうとしている。それは決して悪いことではない。彼女がそうしたいと言うのなら、そうさせてやるのも良いだろう。現に周りの何人かも、彼女の主張に同調している。

 しかしそれを、認めない者も居る。

 

「どうなるか分かんねんだぞ」

「そうですよ! あいつ等は、貴女を殺そうと……!」

 

 オルガとビスケットが、クーデリアの言葉に反発する。

 

「既に、多くの人が死にました。それに私は、ただ死ぬつもりはありません。何とか話を聞いて貰えるよう、頑張ってみます」

「む、無理だよそんなのっ!?」

「……あのオッサンの言葉がどのまで本当か分かんねえしな、簡単には乗れねえよ」

 

 そうだ。オルガの言っている通り、クランクが言うこと全てがどこまで本当か分からない。故に、甘言には乗れない。慎重深く見えるが、決して間違いではない。寧ろ正しいぐらいだろう。

 クランクの真意は分からない。信用できない。であれば、やる事はもう、ひとつだけだ。

 

『……ご主人様。私にやらせて貰えますか? ほら、セブンスタークさんを納得させるのにちょうど良いでしょう?』

「……そうだな。じゃあ、今回は頼む。やってくれるな?」

『勿論ですよ。ちょうど良い機会ですので、私の実力を見せるとしましょう』

 

 話は決まった。本部を守るように立っていたシトリーは動き出し、グレイズの方へと歩みを進める。

 

『その決闘、受けますよ。クランク・ゼントさん』

『ーーーー 感謝!』

『いや感謝される筋合いは無いと思いますが、まぁ良いです』

 

 夕暮れの荒野の中で、二機のMSが向かい合う。片や、斧と盾を持ったグレイズ。片や、武器は何も持たない素手のままのシトリー。距離は遠くなく、一度でもスラスターを噴かせば接触出来るだろう。

 

『ギャラルホルン火星支部、実働部隊。クランク・ゼント』

『こちらは名乗りを上げません。メイドですので。だからどうぞ、ご自由に掛かってきてください』

『ーーーー 参るっ!』

『どうぞ。いらっしゃいませ、お客様』

 

 名乗りを終えて、二機は臨戦態勢へ。武器を構えたグレイズは駆け出し、シトリーへと接近する。だがジャックは、機体を動かそうともしない。ただ座して、静かに前を見ているだけだ。

 離れている距離は、あっという間に縮まる。長い距離を潰したグレイズは手にした得物を巧みに振りかぶり、右から左へと薙ぐ。速度に重さがバッチリと乗せられた、教本通り(セオリー)の一撃。必殺の斧が、シトリーの首へと迫る。

 

『ひとつお聞きしますが』

 

 グレイズの一撃が、金色の尻尾によって弾かれる。下から上へ向けた鋭い一閃は、速度と角度のついた一撃だけで重い斧のひと振りを真上へと跳ね上げた。

 

『私が勝利した場合、こちらが得られる物は何でしょう?』

 

 敵の攻撃を跳ね上げると同時、シトリーはスラスターを噴かして目の前のグレイズから大きく距離を取る。

 

『………………』

『おや、無いんですか?』

『いや……。その時はこの命を持って、我等の行いを償おう』

『行いとは? ここを襲撃した事ですか?』

『そうとも。それが、我等が殺した少年兵達への、せめてもの償いだ』

 

 それが勝利して得られる物だとするのなら、なんとまぁ特の無い決闘であることか。負けて失う物も無いが、勝って得る物もない。だとするなら、これはもう不毛な戦いだ。続ける理由など殆ど無い。

 シトリーはまだスラスターを噴かし、前を向いたまま後ろへと下がり続ける。砂塵を撒き散らしながら右へ左へ、蛇行しながらだ。

 逃がすまいと動くグレイズ。けれども距離は縮まるどころか徐々に遠ざかっている。速度はシトリーが上。捕まえるとなると、クランクは難儀するだろう。

 

『寝言は寝て言え、ですよ。殺したことを悔やむなら、最初から殺さないでください』

『子供であると知っていたなら、殺させはしなかった!』

『ならそれは、そちらの調査不足でしょう。子供の頭を狙撃して、好きなだけ踏み潰してよく言いますね』

『そうとも。あれは決して、赦されることではない! だからこうして決着を付けに来た!』

『開き直らないでくれますか? それに貴方一人の命で償えるわけ無いでしょうに』

 

 子供を殺したくない。そう言いながらこの男はCGSに決闘を申し込み、こうして戦っている。シトリーの中に居るパイロットだってまだ子供だと言うのに。

 大地を削りながら、シトリーは足を止めた。直ぐにグレイズは距離を詰め、今度は大きく斧を振り上げる。もう一度斧に速度を乗せて、振り下ろす。が、届かず。今度は尻尾と右手の爪が斧の側面を強打し、武器の軌道ごとグレイズをぐらつかせる。

 前のめりに姿勢が崩れる。同時に、凄まじい衝撃が真横からグレイズを襲った。シトリーの右膝が、的確に頭を捉えたからである。

 まるで生身の人間のような動きで、シトリーはグレイズを蹴って見せたのだ。

 

『何はどうあれ、貴方は子供を殺したくない。だからこうしてここに一人で来た。それは確かですか?』

『……そうとも。そこに何の不都合があるっ!! もう子供が、犠牲になる必要は無いんだ!』

『いえ、好都合でしょうね。ではクランク・ゼントさん、こうしましょう』

 

 いなしと蹴撃で隙を作らされたグレイズに追撃はせず、シトリーは再び距離を取る。先程と変わったことと言えば蛇行ではなく直進で真後ろに下がったこと。そして、両膝を折り曲げて着地。地面に膝立ちになったシトリーは尻尾、そして羽毛と呼ばれるワイヤーブレードを全て展開し自らを拘束し始める。

 敵機が行った突然の行動。その意図を汲み取れなかったクランクは思わず機体を止めてしまう。それは彼の甘さのひとつだろう。もっと彼が非情だったなら、今この瞬間にシトリーを討ち倒す筈だ。

 

 

『貴方の矜持に問います。どうぞ、その手で私を殺してください』

 

 

 シトリーのコックピットが開いた。操縦席が丸見えとなり、機体は完全に停止する。同時にグレイズも、動きを止めた。当然だろう。何故ならば彼は知ってしまった。今自分が戦っている相手の正体が、子供、それも女子(おなご)であることを。

 

『子供を殺したくないから、一人で決闘しに来たんですよね? ではどうぞ。私を殺して、クーデリアもグレイズも回収したら良いです』

『ーーーー っっ、貴様っ……!』

『どうかしましたか? ほら、どうぞ。抵抗はしませんから』

『ーーーー っっ、っっ!!』

 

 グレイズは止まる。動けない。動けるはずがない。子供が自ら首を差し出した。ここで彼女の命を断ちきるのは簡単だが、その瞬間彼の誇りは粉砕され、地に落ちる。これ以上子供を殺したくない。その一心でクランクはここに来たのだ。

 けれどもこの戦い、子供を殺さねば勝ちを得られない。それは彼の心に、矜持に反する。

 子供は殺さない。殺させたくない。そんな男が、目の前の女子(おなご)を殺してまで勝ちを得たいと思うのか。その答えは。

 

 

『ーーーー っ、うおぉおおおおおおっっ!!』

 

 

 叫ぶと同時に、斧が振り上げられる。

 

『っっ、っっっ!!!』

 

 だが、斧が振り下ろされる事はない。振り上げた腕はそのままに、クランクは苦悶に呻く。歯を食い縛り、力強く、それでいて震える瞳でジャックの姿を睨んでしまう。

 

『……子供は、……殺せん……っ!』

『でしょうね。ではこの勝負、私の勝ちです』

 

 次の瞬間、九本のブレードがグレイズを襲う。武器を弾かれ四肢を絡め取られ、身動きひとつ取れない姿にされてしまう。

 

『悪いようにはしません。投降してください。そして出来ることなら、どうか私達を助けてください』

 

 子供を殺したくないと言う想いが、クランクを敗北へと導いた。助けてくださいと言われて、振り払うことも出来ない。

 彼は今日、その甘さ故にCGSの捕虜へと身を落とす。

 

 

 

 

 

 

 

 



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セブンスタークの受難

 

 

 

 

 

「決して散らない鉄の華……で、鉄華団? でふか? ズズーーッ」

 

 口の中に「クーデリアお手製・見よう見まねのしょっぱいスープ」を流し込みながら彼女は喋る。今晩は丈の短いメイド服を着込んでいる青白い少女は現在、筋骨隆々な髭面のおっさん(捕虜)と真新しいご主人様、そして鉄華団団員である太い少年と新たなバルバトスのパイロットと共に兵舎の一室で食事中だ。周囲には何もなく、目につくものと言えば飾り気のないテーブルと椅子のみ。なお用意されたものを食べているのはジャックしかおらず、この場に居る者の殆どは一口啜っただけで器を置いてそれ以降は手を付けていない。

 鉄華団初めての商売相手、その手料理は残念ながら失敗に終わったのである。

 

「よくそんなの食べれるね」

 

 ポケットから取り出した火星ヤシをつまむ三日月だが、彼は彼で出されたスープを完飲している。味については他の者と同様の意見だが「食べれるときに食べておかないと、何が起こるか分からないから」と言い放って食べ進める姿はオルガ団長に「おまえ凄いな……」と言わしめた。

 

「パイロットやるのに不要な感覚は排除済みで

すし。食事は基本的に作業なんですよ私。まぁでも食べるのは好きですよ? 胃に物を入れるのは幸せな事でしょう?」

「排除? そいつはどういう……」

「あ、えーー……っと。て、テヘッ☆」

 

 それはあまりに露骨な誤魔化しだ。隠すつもりなど微塵も感じられない。うっかり口を滑らせたのか、話しておきたいのか、どちらだろうか。何にせよ、今ので話を流せると思っているのなら彼女は随分と甘い。

 

「……まあ、話す気が無いんならそれでも良いけどよ」

「話して欲しいなら私自身の事は話しますよ。ご主人様がそう望むなら、私は断りません」

「いや、今は良い。そんな事より、このおっさんを取っ捕まえた理由を聞いておきたい」

「私達の利益になると踏んだからです。あ、それ食べないなら貰います」

 

 両腕を手枷で拘束され、ついでに両足も椅子にくくりつけられているのが、オルガの言っているこのおっさん。つまりクランク・ゼント。己の矜持に従ってCGSに決闘を申し込んだは良いものの、子供を殺したくないと言う信念からジャックに捕縛され捕虜へと落ちてしまったギャラルホルンの一員だ。

 理由はどうあれ、少年兵を殺したくない。その気持ちは立派なものだが、それが原因で捕らえられてしまうのは如何なものか。それに、考えが甘いのと言う点もある。彼が提示してきた条件はCGSにとって有利な物だった。しかし自分が勝った場合の条件しか提示しなかったり、自分が負けたときの事を考えていなかったりと軍人にしては少しばかり抜けているように思える。悪い人ではないのだろう。ただ、良い人と言い切るには少しばかり考えものである。

 そんな男を、引っ捕らえて捕虜にしようと言うのだ。オルガがあれこれ問い詰めようとするのも無理はない。

 

「ずずーっ。彼はMSに乗れるパイロットです。戦力にもなりますし、指導員にもなれるでしょう。生粋の軍人ならその他の訓練も監督できます。ギャラルホルンに対する牽制にもなりますし、ご主人様さえ良ければ、私は彼を鉄華団に迎え入れたいところですね」

「確かに役には立つだろうな。ただ、こいつが俺達を裏切る可能性もあるだろ」

「それについては対策済みです。心配ご無用で……もぐもぐ」

 

 まともに受け答えする気が有るのか無いのか。オルガから奪い取ったスープを食しながら彼女は答える。ジャックの言い分を信用できないのか、何か考えているのか、ビスケットは口に手を当てて沈黙しているし三日月なんてポケットの中の火星ヤシに手を伸ばすことを止めない。

 

「決闘に敗け、捕虜となった以上、私は貴殿らの言うことを聞くつもりだ」

「殊勝な心掛けですね。それではまだ半分ですが」

「……何?」

「命を以て、償ってくれるのでしょう? なら死ぬ気で働いて欲しいですね」

「それは、……言われるまでもない」

「分かってるなら結構です。そう言うわけで……」

 

 会話の途中、食事の手を止めたジャックはスカートの内側に青白い手を入れて何かを掴んだ。そして、鈍い音が捕虜を捕らえた部屋に響く。彼女は今、一本のナイフを取り出した。長くて細くて、薄い刃をしている。それを、勢い良く机の上に突き立てたのだ。

 何の意図があって刃物を取り出したのかは分からない。ただ、紅い瞳に物騒な光が宿っているような気がする。

 

「彼が鉄華団に不利益をもたらしたら、私が彼を殺します。そして責任取って私も死にます」

「……それだけの覚悟してるってことか。分かった。だが監視は付けさせてもらう。他の団員がどう思うかも分からねえし、当面はこの部屋から出してもやれねえ」

 

 オルガの言葉は正しく、ジャックの言葉はおかしい。ついさっき捕まえたばかりの捕虜一人に、自分の命を懸けると言うのだ。敵として攻め込んできた来た男に、なぜそうまで出来るのか疑問が残る。

 ギャラルホルン火星支部、実働部隊の一人、クランク・ゼント。出会って数時間としか経たない男に命を懸ける理由なんてひとつも無い筈だ。

 

「ええ、どうぞ。良ければ監視の一人を、私が選んでも良いですか?」

「……駄目だ。監視は、俺達で決める」

「でしょうね。分かっていましたが残念です」

 

 ひとまず、話はスムーズに進んでいると言って良いだろう。ただどうしても、ジャックがクランクに固執する理由は分からない。

 彼女は日々の業務をしっかりこなして居るし、クランクとの決闘ではグレイズをほぼ無傷で鹵獲して見せる高いパイロット技能を見せ付けた。信用出来るか出来ないかで言えば、出来る。だが今回の行動は周囲に不信を与えてしまう。

 ギャラルホルンのパイロットを捕まえる。彼女が提示したようにメリットはあるだろう。だが同時にデメリットも存在する。こうなってしまった以上、ギャラルホルン側は捕虜奪還とクーデリアの奪取を目的として活発に動き出すだろう。まだまだ戦力が足りない鉄華団では、やる気になったギャラルホルンを退けるのは難しい。

 いっそ、クランクを殺してグレイズだけ鹵獲してしまった方がマシだったのではないだろうか。

 

「さて、幾つかお聞きしても良いですか? クランク・ゼントさん」

「……ああ、答えよう」

「貴方は自分が勝った場合、全て私が預かると言いましたね?」

 

 そう。確かに彼は決闘を申し込んできた際、自分が勝利した暁にはクーデリアとグレイズの引き渡しを要求した。そしてそれが済めば、その後は全て彼の預かりとしてCGSとギャラルホルンの因縁を断ち切ると言い切ったのだ。

 

「……そうだ」

「では今回の決闘、それは全て貴方独自の判断だったと捉えても? それとも、上にそう指示されたんですか?」

「……私の独断だ。上は関係ない」

「それは、何故?」

「矜持だ。子供を殺したくはなく、部下や同僚の名を汚したくも無かった。軍人としての、誇りに他ならぬ。どんな理由があるにしろ、子供を殺せなんて命令は聞けなかった」

 

 愚直、とでも言えば良いのだろうか。自分の心に正直なのは結構だが、軍人としての役割を放棄するのは如何なものか。上の命令に逆らい、一人で出撃し、捕虜となった愚か者。それがこの男だ。彼を材料としてギャラルホルンと交渉するのは難しいかもしれない。上からすれば、命令を聞かない厄介者に価値など無いからだ。

 

「あ、それも食べないなら貰って良いですかグリフォンさん」

「……良いけど、それにしてもよく食べるね?」

「シトリーは暴れん坊なので、しっかり食べて体力付けておかないと乗りこなせないんですよ。だから食べるんです、もぐもぐずずーっ」

 

 三杯目の塩辛すぎるスープを堪能する姿はとても子供らしく見えるが、やはり肌の青白さはどうにかした方がいい。血色が悪いにも程がある。本当に生きているか疑わしいぐらいだ。

 

「まぁ……よく食べるのは良い事、だよね……?」

「そうですね。さて、それじゃあ」

 

 腹が膨れたのか、空になった器をテーブルに放り投げてジャックは立ち上がる。

 

「それじゃあ?」

「私はもう寝ます。寝て良いですか? ご主人様」

「……まぁ、良いぞ。取り敢えずお前の意見は分かった。ただ今後、捕虜を増やそうとしたり誰かを率いれようとするならまず俺に相談してくれ」

「はい、ご主人様。それでは皆様、お休みなさいませ」

 

 短いスカートの摘まみ上げて一礼。夜はもう更けている。彼女は宣言通り、これから寝に私室へと戻るのだろう。いや、正しくは巣か。

 足の怪我も指の怪我も気にすることなく、ジャックは歩く。薄暗い廊下を歩く青白い姿は、まるで幽霊のようだ。

 

 

 翌日、ジャックはシトリーのコックピットにて目を覚ます。鉄華団の施設内部に私室を与えられているのだが、彼女はそこを使わない。毛布三枚にくるまって狭い操縦席で眠りこける様子は巣で丸まって眠る鳥のよう。或いは、棲みかで丸くなる猫のよう。どちらにせよ、人間らしくない寝床を好んでいるのは確かだ。

 まだ重い瞼を手の甲で擦りつつ、メイドは起きる。背中に繋がっているケーブルをそのままに、うんと背伸びをひとつ。すると閉じていたコックピットハッチが開き、外から薄い光が差し込んだ。格納庫には誰も居ない。欠伸をしつつ「今何時ですか?」と彼女が呟けば、周囲のモニターが一斉に起動し始める。

 どうやらパイロットの問い掛けに、シトリーが返答したようだ。ジャックは「まだ起きるには早いですね」なんて言いながら機体との接続を切っていく。するとシトリーは動かなくなり、彼女は自由の身となった。

 コックピットから抜け出すと、体を覆っていた三枚の毛布がずり落ちた。すると青白くて細く、色々とちまっこい体が露になる。どういう訳か、今の彼女は何一つ身に付けていない。産まれたままの姿である。どうしてこの女は裸で寝ていたのか。そう言う趣味なのだろうか。それとも、所謂裸族と言うやつなのか。

 何にせよ、子供が裸でうろうろするのはよろしくない。彼女とて誰かに自分の裸を見られたいとは思っていない筈。早急に服を着た方が良い。が。

 

「あー、今朝の着替えを部屋に忘れましたね。うっかりうっかり」

 

 着替えを忘れたらしいジャックは毛布を一枚目掴み取り、体に巻いた。なんとも不格好な姿になってしまったが、裸でその辺をうろうろするよりはずっと良いだろう。まるで猿か何かのように機体の装甲を伝って地面に降りた彼女は、裸足でぺたぺたと歩いて格納庫の外へと向かう。

 地平線の向こうから朝日が登り出している。なるほど確かに、ジャックが呟いていた通り、起きるにはまだ早いようだ。

 風が吹く。黒い髪が激しく踊る。風の中には砂埃が混じって、目を開けたままで居るのが少しばかり困難だ。

 

「あ、セブンスタークさん。おはようございます。夜勤明けですか?」

「……………………」

 

 朝日の中、二人は出会った。偶然と言えば偶然だ。必然と言えば必然だろう。彼女も彼もこの鉄華団の団員として勤め、広々とした施設に住み込んでいるのだから。

 しかしそれにしても、何故ユージンは表情を固くしているのだろう。耳が赤いのは陽に当たっているからに違いない。

 

「お、おまっ、おま……っ!」

「?」

 

 固まっていたかと思えば、今度は挙動不審になっている。そんなユージンを見るジャックは首を傾げるだけ。だから気付かない。気紛れな風の悪戯が、自分に何をしたのかを。

 

「何で全裸なんだよっっ!?」

 

 そう。今のジャックは全裸である。体に巻いた毛布は突風で吹き飛んで、今は遠くで踊っている。朝日に晒される少女の裸体は、やはり青白い。死体が立っていると表現した方がしっくり来るぐらいの青白さだ。

 

「……? いや確かに毛布の下は全裸ですが。って、ああ」

 

 ユージンの反応を見て首を傾げ、そして自分の体を見直したジャックはひとり納得。意図せず異性に裸を見られているこの状況、普通なら悲鳴のひとつでも出てきそうなものだが彼女は平然だ。羞恥心の欠片も見せない。まだ耳が赤いままの少年とはえらい違いである。

 

「ま、見られて減るものでも無いですし。どうぞ、見たければお好きなだけ見てください」

「そんな訳に行くかこの痴女!」

「あれ、意外と紳士的ですね」

 

 叫び散らすユージンは迅速にジャケットを脱いで、それをジャックへと全力でぶん投げた。顔面にぶつかった男臭い上着に、彼女は直ぐ袖を通した。ジーー、とファスナーが閉められる音がする。上にサイズの合わないジャケット、下は何も無し。アンバランスな見た目だが、裸よりはずっとマシだろう。

 どうにかこうにかジャックの裸を隠すことに成功したユージンは肩で息をしている。頭に血が上りすぎたのか、鼻の下に赤いラインが引かれている。

 

「きゃー、セブンスタークさんのえっちー。とでも言った方が良かったですか?」

「言わなくて良い! そもそもなんで裸だったんだよ!」

「風の悪戯ですね。毛布持ってかれちゃいました」

 

 端から見れば鼻血を出した少年が騒いでいるようにしか見えない。ユージンがいくら騒いでも、ジャックはどこ吹く風と言った様子だ。しかしそれにしても、体に纏ったものを風に拐われて気付かないなんて事があるのだろうか。それが有り得るなら、彼女は余程の間抜けだ。

 

「じゃあ私、これから仕事しますので。このジャケットは洗ってから返しますね」

「……ちゃんと返せよ」

「返しますよ。私を何だと思ってるんですか」

 

 ひらひらと手を振って、ジャックは歩き出す。もう一度強い風が吹いたが、今はしっかりと衣類を着ているので問題はない。風が原因で裸に成るなんて事態は、もう起きないだろう。

 砂埃が混じる突風の中を彼女は突き進み、施設裏口へと辿り着いた。物言わぬ重そうな扉を開いて、裸足のまま誰も居ない薄暗い廊下を闊歩していると、筋肉に包まれた大きな体の少年が道を塞いだ。いや、当人にそのつもりはないだろう。ただ図体のデカさ、ガチムチ故の威圧感が少女の足を止めさせた。半裸で汗だくなのは、つまりそういう事だ。

 むわっと汗の臭いが漂っているが、ジャックは気にしていないようだ。

 

「おはようございます。アルトランドさん」

「おう」

「では失礼します。仕事がありますので」

 

 ガチムチな男、昭弘・アルトランド。その体躯は大きく、腕は太く胸板は厚く腹は固い。鉄華団の中に彼ほど筋肉な奴は居ないだろう。

 無愛想な男の横を通り、ジャックは再び廊下を歩く。もう人の気配は感じられない。時間が時間だ。殆どの団員は寝ているだろうし、起きていたとしても外に出て周囲を警戒している筈。いつまた、ここにギャラルホルンが攻めてくるのか分からないのだから。

 廊下を進むこと数分、彼女は白い扉の前で足を止めた。ここはジャックに与えられている私室だ。今は居ないマルバによって与えられた物。CGSが無くなり鉄華団となった今でも、ここはジャックの部屋と言うことになっている。団長の気遣いは優しいものだった。

 それにしても、いったいどれだけあのろくでなしな中年男を懐柔したのだろうか。疑問が尽きぬ女である。

 バシュッ。と音を立てて扉が開く。繰り返すがここはジャックの私室であり、つまり彼女以外は入れない。今だって扉を開くのに、壁に嵌め込まれたパネルを操作したのだ。だから、この部屋に人は居ない筈なのである。

 

「おや、私に何か用ですか? ええっと、アドモスさん」

 

 真っ暗な部屋の中に、一人の女性が立っている。青い衣服に身を包み、長い髪を頭の上で一纏めにしている彼女はフミタン・アドモス。クーデリアの従者であり、護衛と言っても良いだろう。ジャック程では無いにしろ、彼女もまた肌が白い。体つきは良く、大人の女性というに相応しいだろう。そんな彼女が何故、鍵付きの私室に居るのか。

 冷たそうなフミタンの瞳と、熱の無いジャックの瞳がお互いを見詰め合う。

 

「……団長さんがお呼びです」

「ご主人様が? こんな早朝に?」

「何やら緊急の案件、……のようです」

「それで私を呼びに来たって事ですね。ありがとうございます」

 

 団長ことオルガの呼び出し。その使いとして送られたのだから、パスコードを知っていてもおかしくはないだろう。

 

「……いえ」

「ああそうだ、ここはクーデリアと好きに使って良いですよ。着替え以外に使いませんし」

「ここは貴女の私室では?」

「食事は食堂、入浴は浴場、睡眠はシトリーの中です。私室なんて必要ないんですよ、私」

「プライベートは必要ない、と?」

「メイドですので。あ、これどう思います?」

 

 いつの間にか、ジャックは青を基調としたメイド服を着ていた。黒いネクタイもしている。多分狙ってやったのだろう。スカートとズボンという差はあるが、フミタンとお揃いのコーデだ。

 

「ネクタイ、曲がっていますよ」

「えー? そうですか?」

 

 確かに、ネクタイが曲がっているようだ。これでは格好が付かないだろう。事前にフミタンに意見を求めて正解だったらしい。

 ジャックは曲がったネクタイを直そうと手を動かす。結び目をほどいて結び直していくが、再び曲がってしまう。不器用なのだろう。いや、そんな筈はない。MSの整備ができるような人材が不器用なんて事は無い筈だ。

 

「……私がやりましょう」

「よろしくお願いします」

 

 結局、ジャックはフミタンにネクタイを結んで貰うことになった。大人の細長い指が素早く、そして細かく動くと直ぐにネクタイが結ばれる。今度はきっちり真っ直ぐだ。これで見映えは良くなった。

 

「ありがとうございます。それじゃ私、ご主人様の所に行きますので」

「はい」

 

 例えこんな早朝だとしても、それがオルガからの命令ならばジャックは従う。彼はご主人様で、彼女はメイドだからだ。着替えを済ませ身嗜みを整えた彼女は部屋を出て、もう一度誰も居ない廊下を歩んでいく。

 途中、誰ともすれ違うこともなく早朝のメイドは金の装飾で飾られた扉の前にやって来た。ここはマルバが使っていた部屋であり、今はオルガが使っている部屋だ。当然、鍵が付いている。

 メイドが欠伸をしながら壁のパネルに手を伸ばすと、扉が開いた。どうやら鍵を閉めていないらしい。団長ともあろうものが、少々無防備過ぎやしないだろうか。

 

「来ましたよご主人様。緊急の案件とは何でしょう?」

 

 部屋が暗い。わざわざ緊急の案件だと人を呼び出したのなら、起きているのだろう。人を呼び出しておいて不在、何て事はオルガに限っては無いだろう。では何故部屋が暗いのか。理由は分からない。

 

「……ご主人様?」

 

 人が動いている気配はなく、かといって誰も居ない訳ではない。暗い部屋の奥から、呼吸音がハッキリと聞こえるからだ。で、あればオルガはここに居るだろう。まさか先程のように、部屋主以外の誰かが居るなんて事は無い筈だ。

 真っ暗な部屋の中を、ジャックは真っ直ぐ進む。すると何かに躓いて、派手に顔面からスッ転んだ。運が良いのか悪いのか、彼女は図らずともベッドにダイブすることになってしまった。

 

「うーーん。やはり不便になりましたね、この体」

 

 自らの肉体に対して文句を溢しながら、彼女は手をついて体を起こす。が、上手く体を支えられなかったようで再び体を倒してしまう。その時、ジャックは頭を打った。ゴチンと鈍い音が響いたのはその為で、ついでに彼女が目を回したのもそのせいだろう。

 

「あーー、もう。暗い部屋は危険でいっぱいですね。次から近付かないようにしましょう」

 

 やってしまった事を反省しつつ、彼女はうつ伏せのままピクリともしない。

 

「と言うか、人を呼び出しておいて寝てるとかどういう事ですかねご主人様」

 

 彼女の目の前に、すやすやと眠り込んでいるオルガが居る。ジャックが言っていた通り、人を呼び出して起きながら爆睡しているのはどういう料簡だろうか。

 

「ご主人様ー、起きてくださーい。緊急の案件って何ですかー??」

 

 横向きで爆睡しているオルガの肩を揺さぶるものの、彼は起きない。そう言えばこの間も、この男はジャックの声では起きてくれなかった。あの時は主従関係でも何でもなかった訳だが、今は違う。彼女はメイドで、彼はご主人様。であれば、それらしい事をしなければ二人の関係は嘘になってしまう。

 

「団長ー、オルガー、イツカー。起きて貰わないと困ります」

 

 両手を使って彼の肩を揺さぶってみるものの、やはり起きてくれない。頬をつねってみても駄目、頭を叩いてみても効果無し。オルガの睡眠は深く、これっぽっちも起きる気配を見せない。しかしメイドは諦めない。体を起こし、今度はご主人様の体に跨がり始めた。流石に脇腹に乗られるのは寝苦しいのか、眉間に皺が寄った。もうひと押しすれば起きるだろうか。それともまだ起きないだろうか。

 どちらにせよ、ジャックのやることは変わらないだろう。

 

「ご主人様ー? そろそろぶん殴りますよー?」

 

 痺れが切れたのか、物騒な事を言い出すジャックである。握り拳を作って大きく振りかぶった。あと数秒もしない内に、オルガは顔面をぶん殴られてしまうだろう。

 

「……せーーー、の」

 

 大きく息を吸い込み、そして握った拳を更に固める。青筋が浮かんでいるのは気のせいではない。それだけの力を込めているのだ。そんな拳を思いっきり振り下ろされたらどうなるかなんて、出来れば考えたくない。

 

「何してるの? こんなところで」

 

 しかし、拳が振り下ろされることはなかった。オルガは命拾いしたらしい。

 

「助けてください三日月。この人、何しても起きてくれないんですよ」

「……オルガ、メイドの人が来てるけど」

 

 私室の入り口。そんなところから声をかけても、きっとオルガは起きないだろう。そんな事で目覚めてくれるなら、とっくに起きている筈だ。

 

「……ん、おぉミカ。どうした?」

「どうしたじゃないよ。ほら、メイドの人が来てる」

「ジャックが? ってか、今何時だ?」

「五時だよ」

「起きるにはまだ早いな。あとジャック、人の上で何してんだ」

「…………………………」

 

 オルガの上、青白いメイドは苦虫でも噛み潰したかのような顔で震えている。どうかしたのだろうか。どうかしたのだろう。

 

 

「いや、この流れはおかしいでしょっっ!!?」

 

 

 ジャックが叫んだ。自分が何をしても出来なかった事を三日月にやられてしまい、どうやらとても悔しかったようだ。

 そんな様子だから、彼女は気付かない。オルガの耳がちょっと赤くなっていると言う事実に。

 

 

 

 

 

 

 



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命令と捕虜

 

 

 

 

 

 

「宇宙、ですか」

「ああ。先に宇宙航行艦、ウィル・オー・ザ・ウィスプに行って先の準備をしておいて欲しい。出来るか?」

「それは宇宙船の整備をしろってことですか?」

「……そう言うことだ。MS専門なのは分かってるが、人手が必要だ。先に先行して人員を送るなら、ある程度出来る奴じゃねえとな」

 

 夜。日が沈んで月が登り、肌寒くなって来た頃にジャックはオルガの私室に呼び出された。これからシトリーの中に入って寝ようと思った先に呼び出されたからか、ちょっと不機嫌そうにしているメイドである。片目を閉じているのは雇い主、つまりご主人様の真似だろうか。

 人目の付きにくい夜、豪勢な私室で男女が二人。ちょっと良い感じの雰囲気になったり、甘い空気を醸し出しても良さそうなものだが、彼等の間にある空気はどちらかと言うと冷たい。あくまでも仕事仲間。その距離感を、お互いがしっかり保っているからこそだろう。それが良い事なのか悪い事なのかは分からない。

 本日は黒いメイド服を着込んだジャックは、大きな欠伸をかいて目尻に涙を溜める。大きく口を開く姿は何とも間抜けだ。それだけ眠いと言うことだろう。それに、何だか気怠そうにしている。どうやら疲れているようだ。固そうな椅子に沈めた体はすっかり緩んでいて、両手両足を投げ出している。丸いテーブルの向こうの席には、オルガ。タンクトップ姿だ。

 

「分かりました。まぁ専門外ですが、何とかなるでしょう。その何とか言う宇宙船には、私一人で?」

「いや、昭弘とダンテ、チャドも付ける。それと、あの機体……シトリーも一緒だ」

「では捕虜は? これからギャラルホルンと戦うなら、彼は良い交渉材料になり得ると思いますが」

 

 CGS改め鉄華団。彼等は少し前の決闘で、ギャラルホルンの一員を捕虜にした。もっともそれはこのメイドが独断でやった事であり、その後処理にオルガやビスケットは多いに悩むこととなった。今も捕虜のままであるクランク・ゼントは、監視付きで監禁されている。そんな彼の利用価値については、まだそんなに分かっては居ない。寧ろ今のところ、ただの穀潰しである。

 しかし、物は使いようだ。鉄華団がクランクを捕虜として居るなら、その事実を知ったギャラルホルンは思うように動けなくなるかもしれない。捕虜など関係無いと非人道な動きをされたら、話は変わってくるのだが。

 

「監視によるとあのおっさんは大人しくしてるみたいだが、まだ信用は出来ねえからな。宇宙船の中で暴れられたら、大変だろ?」

「彼は謀反を起こしたりしませんよ。その為の対策も取りましたし」

「おっさんが裏切ったら、お前が死ぬってやつか? あんな脅し、無視しようと思えば出来るだろ」

「いえ、これです。これ」

 

 ジャックが指差したのは、細い首に巻かれた首輪だ。黒くて細長く、見たところ金属製。かなり頑丈そうな作りをしている。何でそんなものを付けているのか分からないが、何か理由があってのことだろう。もしこれを理由もなく付けていたら、それはそれで驚きだ。

 

「それは?」

「首輪型の小型爆弾です。あの人が私から一定の距離を離れると、これは爆発します。そして同じものを彼に付けました」

「………………」

「あ、かなり頑丈に作ってるんでちょっとやそっとの衝撃じゃ爆発しませんよ。事故死は有り得ないので安心してください」

 

 このメイド、本当に何を考えているのだろうか。何故こうまで赤の他人、それも捕虜相手に命を懸けれるのか。

 ここに襲ってきたギャラルホルン。その一員であるクランクに対し、ジャックは妙な信頼を寄せている。それでいてオルガの言うことはきちんと聞くのだから、本当に何を考えているのか分からない。と言うか、いつの間そんな物騒な物を作り上げたのか。

 

「簡単に死ぬような真似はするなよ」

「死にませんよ。死ねと命じられたら別ですが」

「なら命令だ。あのおっさんに関わって勝手に死ぬことは許さない。お前は鉄華団の一員だ。死ぬなら、俺達の為か、自分の為に死んでくれ」

「了解ですご主人様。お優しいですね」

 

 団長命令に、敬礼して笑うメイド。本気なのかふざけているのか、いまいち分からない。そんなジャックを前にオルガは右目をつむる。これは彼の癖だ。

 

「話を戻すぞ。お前には先に宇宙に上がって、船の整備をして欲しい。それが出来たら船内で待機。俺達が宇宙に上がるまで、船内でなら好きにしてて結構だ」

「分かりました。私の出立は明日ですか?」

「ああ、そうだ。それと、他にもやってもらいたい事がある」

 

 一足先に宇宙へ上がり、船を整備しておくだけでも大変だと言うのにこの上オルガは更なる仕事を押し付けようとしている。中々に人遣いが荒いが、それはそれだけジャックの腕を見込んでいるからなのかもしれない。純粋に今の鉄華団が人手不足と言うこともあるかもしれないが。

 相手が雇い主だからと言ってほいほい頼みを聞いてしまうと、ちょっと文句を言っても許されるぐらいの仕事量になってしまいそうだがそれでもこのメイドは二つ返事で引き受けるだろう。

 従者として生きようとしている彼女に、断ると言う選択肢はあるのだろうか。

 

「次は何でしょう?」

「役所に行って、諸々の事務手続きをしなきゃなんねえ。詳しい事はデクスターさんがやってくれるから、お前は付いていくだけで良い」

「要するに付き人ですね。そちらも分かりました。他には?」

「……バルバトスの改修は順調か? お前を宇宙に送るとなると、整備班が大変だろ?」

 

 仕事を振ったり命令したり、整備班の状況を聞き出したり。彼は様々な事を目の前のメイドに求めている。何でもかんでも彼女にやらせるのは如何なものか。

 

「あの機体を宇宙に上げるならやることが沢山ありますが、それについては雪之丞さんに一任して大丈夫でしょう。きっちり教え込んでおきましたし、もう彼は立派なMS整備師ですよ」

「……そうか。こんな時間にあれこれと悪かったな。もう休んで良いぞ」

 

 これで今夜の話は終わりらしい。あれこれと話していたが、時間はそんなに経過していないようだ。ご主人様の許可を得たジャックは腰掛けていた椅子から立ち上がり、大きな欠伸をひとつ。紅い瞳に涙が浮かんだ。

 

「ではそのように。実は最後にひとつ、大事な報告が」

「どうした?」

「シトリーは宇宙で戦えません。実は地上専用機でして」

「何? ちょっと待った。その話、詳しく聞かせてくれ」

「……まだ寝れそうにありませんね」

 

 目尻に溜まった涙を拭い、メイドは着席。シトリーが宇宙では戦えない理由を、ひとつひとつ団長に説明し始めるのであった。

 

 

 

 

 ガンダム・シトリーは地上でしか活動できない。設計の段階で宇宙に出る為に必要な物は殆ど取り払ってしまったらしい。故に気密性が無く、凍結対策もされておらず、宇宙に出ればコックピットそのものが凍りつくだろう。それどころか機体そのものが凍りかねない。ジャックが言うには、あの機体は速さと運動性能だけを重視して作られたらしい。その結果、とても並みの人間では乗り回せない問題機と化した。速すぎるが故に、その負荷にパイロットが耐えられない。本気で動かせば20Gを越えるこの機体に、普通の人間は乗れないのである。

 ………そう、普通の人間は乗れない。それはつまり、あの機体を手足のように操れる彼女が普通ではない事の証明だ。よく訓練されたパイロットだって、普通に生まれたのなら生身ではシトリーの加速に耐えられない。何でそんな危ない機体を当時の人間が作り出したかは分からない。その点について彼女は何も語らなかった。

 しかし、今回の問題はそこじゃない。今オルガが頭を抱えている理由は、この機体が宇宙へ出れない点にある。それは大きな痛手だ。戦力として頼りになる機体が、頼りにならない。この先どのような戦闘が起こるか分からないのだ。戦力は少しでも欲しい鉄華団にこの現実は痛すぎる。それだけでも頭が痛いのに、シトリーは速さを維持するために装甲を薄くしなければならないと言う情報が更に頭痛を激しくする。幾らナノラミネートアーマーが有るとは言っても、そこには限度があるのだ。

 

「……あの機体、そんなんでよく生き残ったな。厄祭戦っていうのは、酷かったんだろ」

「当たらなければどうと言うことは、ってやつです。私一人ならとっくに死んでいたでしょうが、あの子が一緒に搭乗してるので」

「……? あの機体は二人も乗れるのか?」

「………………、ぁー、えー、失言でした。今のは忘れてください」

 

 テヘペロ☆ と、ウインクして誤魔化そうとするメイドだが、残念ながらその手は通じないようだ。真顔のオルガが眉間に皺を寄せている。怒っている訳ではないようだが、快く思っていないのも事実だろう。

 

「そうもいかない。こうなった以上あの機体の事を洗いざらい聞かねえと、先の作戦も立てられねえからな。で、今のはどういう事なんだ?」

「………………。三百年前の機密です。話せません」

「おい」

「話せません。話せば、当時を生きた人々への裏切りになります。私は彼等に助けられました。恩を仇で返すなんて真似を、させないでください」

「なら俺は? 雇い主に大事な報告をしねえのは、筋が通らねえだろ」

 

 その通り。ジャックにどのような事情があろうと、彼女は現在鉄華団に属している。であれば、団長の言うことは無視できない。報告するべき事は報告しなければ、今後鉄華団の仕事に大きな支障が出るだろう。三百年前の機密がどのようなものか分からないが、それ自体に大きな価値があるとも思えない。価値があるとするならば、三百年経とうとも秘密を守ろうとする彼女の忠誠心か。

 オルガの目を見詰めること数秒。ジャックは大きな溜め息をつく。そして、諦めたかのように天井を見上げた。

 

「……あの機体には、ちょっと特別なAIが組み込まれています。それが何かは詳しく話せません。だからあの機体の搭乗者は二人です」

「要するにあの機体は、お前一人の力で動かしてるって訳じゃねえってことか」

「平時の操縦の主導権は私です。リミッターを外した場合はAI、つまりシトリーが操縦の主導権を握ります」

「そうなった場合、どうなる?」

「歯止めが利かなくなりますね。ですが五分で機体は強制停止しますので、暴走した場合は放置してください」

 

 観念した彼女の言うことは、軽視できない大きな問題を抱えている。リミッターを外せば暴走し五分は止まらない。そんな機体を設計した者は頭がイカれているのではいだろうか。制御できない兵器など、危険過ぎる。知らなかったとは言え、彼女は欠陥兵器を乗り回すメイド。その仕事ぶりから信用を置けない訳ではないが、自由奔放に動き回るのでしっかりと手綱を握らなければならない。

 ただでさえ鉄華団はぎりぎりで存続しているのだ。彼女の行動が原因で崩壊してしまう可能性は無くはない。ジャックの扱いは考慮すべきだ。

 

「話は分かった。なら、ひとまずはさっき言った仕事をこなしてくれ。あの機体の件については、追々考える」

 

 だがこの男、オルガ・イツカは身内に大しては寛大だ。もちろん筋が通らないことをすれば諌める。場合によっては怒るだろう。けれど誠意を持った振る舞いをしている内は、率先して率いてくれる。そんな彼だから、団員達も付いていく。それは、今彼の目の前にいる彼女も例外ではない。

 

「優しいですね。もっと怒られるかと」

「まぁな。ただ話したくなかった事を、お前は話してくれただろ。過去よりも今を取ってくれた。そんな奴に、怒鳴り散らすのは違う」

 

 まだ隠し事はしてるみたいだがな。と、彼は最後に付け加えた。そんなオルガにジャックは微笑み、腰掛けている椅子から立ち上がる。その際、関節がポキポキと音を立てた。

 

「じゃあ私は明日に備えます。出来るかどうかは分かりませんが、シトリーが宇宙に出れるようあれこれ試してみようかと」

「頼む。あの機体は貴重な戦力だからな」

「その前に何とか言う宇宙船の整備が先ですけどね。ええっと、何でしたっけ?」

「……イサリビだ」

「ウィル・オー・ザ・ウィスプでしょう?」

「古い名前は捨てる。CGSだった頃を、思い出す必要はねえからな」

「そうですか。それじゃあご主人様、私は先にイサリビで待ってますので」

 

 メイドは敬礼をして、部屋を去る。すたすたと歩いてはいるが、足の怪我は相変わらずだ。まだ完治はしていないし、走り回れば傷口が開く。安静にしていれば良いものの、この娘は大人しくしようとしない。こんな調子では傷が塞がるのは随分先だろう。

 灯りが薄まり、視界が悪くなった廊下を彼女は歩く。もう夜中だ。団員の殆どは寝静まり、起きているのは夜間警備をしている者と物好きな整備士ぐらいだろう。

 誰も居ない廊下を、メイドが歩く。青白い肌が薄い光に晒されてちょっとホラーだ。

 大きな欠伸をひとつ。紅い瞳に涙を浮かべながら、彼女は歩く。涙が零れようとお構いなしだ。

 

「あ、そうだ」

 

 何かを思い出した彼女は踵を返し、逆方向へと歩き出す。それから廊下を進むこと数分、ジャックは二人の見張りが付けられている部屋へとやってきた。銃を持った少年兵は退屈そうで、壁に寄りかかって雑談している。誰も見てはいないとは言え、ちょっと気が緩み過ぎではないだろうか。

 

「お疲れさまです」

「お疲れさまです。えっと、ジャックさんでしたよね」

「はい。貴方は?」

「僕はタカキです。こっちはライド。見ての通りサボってますけど」

 

 鉄華団の証であるジャケットを羽織った少年がにっこりと笑って自己紹介。きっと彼は礼儀正しく、誠実な人柄なのだろう。退屈な仕事でも、しっかりと直立して役目を果たしている。超が付くほどの真面目さだ。そんな彼、タカキの隣では赤髪の少年がしゃがみこんで壁に背中を預けている。とても退屈そうで、眠そうだ。

 

「だってよー、この仕事暇で暇で」

「でもだからって手を抜いたら駄目だろ? いつギャラルホルンが攻め込んでくるかも分からないんだから」

 

 しっかり者と怠け者。対極に位置する二人だが仲は良さそうだ。こうして話している姿は、兄と弟のようにも見える。

 

「捕虜と話に来ました。良ければ中に入れてくれますか?」

「こんな時間に、ですか?」

「ええまぁ。今日は面会していませんので」

「……分かりました。でも、長話は厳禁ですよ。ギャラルホルンの一員ですし、何をしてくるか分かりませんから」

 

 その他幾つかの留意点を口にして、タカキはポケットの中からカードキーを取り出した。それを壁の端末に通すと、音を立てて扉が開く。

 

「ご忠告ありがとうございます」

 

 見張りの言葉に感謝しつつ、メイドは捕虜が居る部屋へ。中に入ると、扉が閉まった。

 部屋は白い照明で照らされているものの、薄暗い。筋骨隆々の男が奥の壁に背中を預けて座っている。遅い時間ではあるものの、まだ彼は起きているようだ。

 

「こんばんは。調子はどうですかクランクさん」

「……なにも変わらない。やることもなく、退屈な毎日だ」

「でしょうね。貴方が捕虜になってしばらく経ちますが、ご主人様は貴方に何もさせようとしませんし。それは想定外でした」

 

 困ったように笑いながら、ジャックはクランクの側へと近付く。そして彼女は、彼と同じように部屋奥の壁に背中を預けて座り込む。膝を抱いて、膝の上に頭を乗せたメイドはまたも大きな欠伸をかいた。

 

「……ひとつ聞くが」

「はい」

「君は何故、私を捕らえた?」

「役に立つと踏んだからですよ。ギャラルホルンとの交渉材料にもなりますし、何より貴方の技能と知識が欲しかった。鉄華団はMSに乗れる人が少ないですし、生粋の軍人である貴方が皆を鍛えてくれれば生存率もぐっと上がるでしょう?」

 

 ジャックの言い分に、おかしな点はない。彼女は彼女なりに鉄華団の事を考えて、この男を捕らえたのだ。それこそ、自らの命を懸けて。そして未だ、自らの命をこの男に懸け続けている。首の爆弾がその証拠だ。このメイドは、それだけクランクに期待している。彼が役に立つと、信じて疑っていない。

 

「……その期待には答えられそうにない」

「何故?」

「先日、団長殿が交渉しに来てな。ギャラルホルンであることを辞めるなら、ここで雇うと言っていた」

「で、なんて返答したんです?」

「断ったよ。鉄華団に属すると言うことは、かつての仲間を裏切る行為だ。それはできない」

「……だから、ここに閉じ込められていると。それは結構ですが、その場合貴方の仲間は子供を殺しますよ?」

「………………」

 

 クランクは、子供を殺したくないから捕虜となった。仲間に子供を殺させたくないから、一人で決闘を申し込み敗北した。彼にとって、子供を殺すことはこの上無いタブーだ。そしてそれと同じぐらい、仲間を裏切ることは出来ない。故に、鉄華団には入れない。だからこの部屋から出して貰う事は出来ず、未だ捕虜の身から解放されない。こうなってしまっては首の爆弾に何の意味もない。

 

「……仲間を裏切らない。立派なことです。でも時には、仲間を裏切らないと通せない信念もあるんじゃないんですか?」

「君は、……仲間を裏切って信念を通したと?」

「これからそうなるでしょうね。現にさっきも裏切りましたし」

 

 確かに彼女は裏切った。三百年前の機密を、必要だったとは言えオルガに話してしまったのだ。鉄華団に居る限り、また過去の人間を裏切る事になるだろう。ガンダム・シトリーが抱える大きな問題は、鉄華団にとっても大きな問題だからだ。そうである以上、彼女はあの機体について話さなければならない。そうして解決策を講じなければならない。

 

「考えておいてください。貴方が鉄華団に入るなら、私だけは歓迎し、……んんっ……」

「……どうした?」

「…………すやぁ」

「なに?」

「すぴー」

「なんだと……?」

 

 さてこれはいったいどういう事だろうか。このメイド、話の最中だと言うのに眠りこけている。膝を抱いたままの姿ですやすやと。

 クランクが困惑するのも無理はない。誰だってこんな状況になったら困惑するだろう。そんな彼をよそに、ジャックは眠り続ける。どういう神経をしているのだろう。自分本意にも程がある。

 

「ジャック、こんなところで寝てどうする」

 

 クランクの手が彼女を揺さぶるが、残念ながら起きる気配は微塵もない。軽く叩いてみたり、頬をつねってみても効果無し。起きるどころか謎の寝言を発する始末だ。脳筋がどうとか、金髪は嫌いですとか、よく分からない寝言を溢し続けている。

 その後クランクはあれやこれやと試すが、残念ながらジャックは朝まで目を覚まさなかった。

 

 

 

 

 

 



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ふわふわたのしいですね!

お久しぶりです。自分勝手ではありますが二次創作を辞めたいので一度アカウントを削除し、考えた末、本作品を含めて三つの二次創作を完結させるために戻って参りました。不定期更新になりますがよろしくお願いします。
なお今後は自分の負担にならないように文字数などは特に考えません。

追記です。今後この作品はチラシの裏で投稿していきます。


 

 

 

 

 

 クーデリア・藍那・バーンスタインを無事に地球へと送り届けるのだから、鉄華団はあれやこれやと忙しい。上手いことCGSを乗っ取ったのは良いものの、大人達の殆どを追い出してしまったのが内務処理を難しくしている。戦う為の術を教え込まれていても、それ以外の事については何も教えられていないのが彼等なのだ。中には電子機器の扱いが上手い者や、読み書きが出来る者も居るが、だからと言って書類の山をやっつけられるわけではない。

 更に、火星から地球へ行くのであれば宇宙船が必要だ。そちらについてはCGSが所有していた船がある。とは言え、これから長い宇宙航行になるのだから事前に点検や整備をしておかなければならない。なのでジャックは今、団長命令でウィル・オー・ザ・ウィスプ改めイサリビが格納されている宇宙ドッグへとやって来ていた。ヒューマンデブリとしてCGSで働かされていた、ダンテにチャド、そして昭弘と共に。

 因みに、首には何も付いていない。危なっかしい爆弾は、どうやら地上に置いてきたらしい。

 

「わ、これ楽しいですね。ふわふわして!」

 

 イサリビへと続く通路の中で、赤いメイド服のジャックがはしゃいでいる。実は彼女、宇宙に来るのが初めてらしい。何故なら彼女が乗り回すMSは地上専用なので、宇宙に上がる必要も理由も無かったからだ。ここまで来るシャトルの中でジャックは冷凍保存されてる内に宇宙に出たことがあると言っていたが、意識無かったのだからそれはノーカンとも言っていた。火星に隕石のごとく墜落しておきながら、宇宙は初めてと言うのはおかしな物言いではあるのだが。

 そんなこんなで、ジャック的には今日が初めての宇宙。初めての無重力。地上では体験できない経験に、彼女は楽しそうに笑っている。無表情であることが多いメイドだが、今だけは年相応の少女に見える。肌の青白さや足に巻かれた包帯さえなければ、もっと可愛らしく見えたのかもしれないが。

 そんなはしゃいでいるメイドを見て、昭弘達は顔を見合わせたりしかめたりしている。自身をメイドや従者と言う割りに、彼女は自由奔放に動き過ぎるからだ。

 

「いやー、冷凍保存された甲斐がありますね。宇宙に上がるのにちょっと憧れてたんですよ」

 

 白いタイルの通路の中で、ふわふわくるくると浮かんでいる彼女は落ち着く事を知らない。本来の目的を忘れているのではないかと疑わしくなるぐらいのはしゃぎっぷりだ。これからやるべき仕事が沢山あるのだから、多少落ち着いた方が良いのではないだろうか。

 

「……騒ぐな。これから仕事だぞ」

「そうですね。船の整備やらシトリーの改修、ついでに船内の掃除。うん、やることはいっぱいです」

「分かってるなら落ち着け」

「……、はーーい。じゃ、仕事の話でもしましょうか皆さん」

 

 昭弘の一言でようやく落ち着きを取り戻したジャックは、ふわふわと浮いたまま表情を切り替える。さっきまでの笑顔は失せて、代わりに出てきたのは冷たい無表情だ。肌の青白さと暗くて赤い瞳が合わさって、かなり不気味だ。

 

「まずモグロさんはブリッジで阿頼耶識を使えるようにしてください。で、チャダーンさんはその手伝い。アルトランドさんは……私と船の掃除でもしましょうか」

「……は? いや待てそれはどういう事だ」

 

 仕切り出したジャックに、昭弘が首を傾げた。無理もない。まさか宇宙船にやって来て、掃除を頼まれるとは思っても居なかったのだろう。ただでさえ人手が足りない状況だと言うのに、四人の内二人を掃除に回すと言うのだ。どう考えても言っていることがおかしい。

 

「イサリビの動力点検や、システムのチェックなんかは阿頼耶識で私が見ます。ただこの船に阿頼耶識は無いので、まず電子工作が得意なモグロさんに阿頼耶識を取り付けてもらいます。で、その間私達は暇なので掃除でもしてましょうか」

 

 なるほど確かに。阿頼耶識を使えば船の調子を細部まで一括で診ることが出来る。その為にはこの船そのものに阿頼耶識で接続出来るようならなければならない。それは、電子機器の扱いが得意なダンテにこそ相応しい仕事だ。とは言え一人では時間が掛かってしまうだろうから、補佐としてチャドを付ける。

 イサリビの整備に必要なのはまず点検。それを阿頼耶識の使用で一度に済ませようと言うのがジャックの考えだ。確かに、いちいちひとつひとつシステムを診て回るよりはそっちの方がずっと早い。なら三人でチャドの手伝いをした方が作業は捗ると思うのだが、何故彼女は船の掃除をしようとするのか。

 

「掃除は大事ですよ。大事なお客様を地球に連れて行くのに、汚い船に乗せてしまっては鉄華団の信用に関わります」

「それはそう、……かもな。けど他にやる事があるだろ」

「いえ、掃除第一です。外も中もピカピカにして、お客様に快適な船旅を提供しましょう」

 

 その言い分も、間違いではない。クーデリアの護送は鉄華団初の大仕事。なればこそ、しっかりと仕事をこなしてお客様を満足させなければならない。イサリビを掃除するのはその為だ。

 ただ、男所帯の鉄華団に掃除の理由はいまいち分からない。現に昭弘は掃除の重要性をまるで理解していないように見える。ダンテやチャドも同じようだ。

 

「じゃあ早速取りかかりましょうか。モグロさん、チャダーンさん、阿頼耶識を頼みます。準備が出来たら艦内放送で呼んでください」

 

 両手を叩き合わせ、ジャックは一番乗りでイサリビへ。消えていったメイドを前に、残された三人は無重力の中で呆然と立ち尽くす。

 

「で、どうすんだ昭弘」

「……いやまぁ、やるしかない……か?」

 

 イサリビの清掃に一ヶ月近くかかることを、昭弘はまだ知らない。

 

 

 

 

「うん、まぁ、……こんなところですかね」

 

 ジャック達がイサリビにやって来てから早くも二十六日が経過した。昭弘まで巻き込んで掃除に精を出していたメイドは、夜になるとシトリーの改修に勤しんでいる。彼女のここ一ヶ月近くの睡眠時間は平均して二時間程。故に寝不足で、目の下の隈が酷い。そうまでして機体の改修を急いだのには理由がある。

 それは今日、火星にいる鉄華団達が大事なお客様を連れて宇宙に上がってくるからだ。だからどうしてもシトリーの改修は終わらせなければいけなかったのだ。この先、宇宙を旅する上で何が起こるか分からない。戦闘になることだってあるだろう。その時MSが動かせないなんて事態は笑い話にもならない。だから何としても、今日までに改修を終わらせておきたかったのだ。

 とは言え、幾ら整備に詳しいとしてもMS一機を改修するのは簡単なことではない。十五メートルもある機体をまるまる宇宙に適応させるとなると、その為の作業は尋常ではない。バルバトスと比べて三メートルは低い大きさでも、巨大であることに変わりはないのだから。

 睡眠時間の殆どを削り、時に昭弘に力仕事を頼み、ようやく彼女はシトリーを宇宙に適応させた。気密性の確保に凍結対策、更には宇宙戦に対応するためのシステム更新。とても一人でやる事ではない。本当に上手く言っているのか怪しいぐらいだ。

 

「あとは実際に動いてみないと分かりませんね。初陣で壊れるなんて事態は避けたいですが……。別に貴方のデータを疑ってるわけじゃないですよ? ただほら、宇宙で戦ったことなんて無いですし不安にだってなるでしょう?」

 

 現在、ジャックはシトリーのコックピットでぶつぶつと独り言を喋っている。背中からケーブルが垂れているので、機体と繋がっているのは確かだ。イサリビの格納庫で彼女は愛機と会話している、ように見える。

 

「いやそりゃ無重力は楽しいですけど、それは生身の話です。貴方越しに宇宙を動くのはどうなるか予測も……ああはい分かりました。ちゃんと信用してますから脳に向かって怒鳴らないでください」

 

 いや、実際に会話しているのだろう。シトリーには特別な人工知能(AI)が搭載されているとジャックは話していた。ならばこの機体そのものが、意思のようなものを持っていてもおかしくはない。いや、持っているのだろう。だから彼女は今、この機体と会話している。

 

「深層接続はしませんよ。次は私から何を奪う気ですか? あーはい分かってますよ貴方のせいじゃないって。えぇ、えぇ、私の言い方が悪かったです。だから脳に向かって叫ばないでください、貴方と繋がってる間は頭ガンガンなんですよ。

 第一、私は繊細なんですからもっと優しくし……、え? 誰が繊細だって? ですって?? 喧嘩なら買いますよシトリー???」

 

 こうしてコックピット内で喋る姿は、端から見ると頭がおかしいように見えなくもない。半脱ぎのメイドは正面に置かれたディスプレイをバンバンと叩き、額に青筋を浮かべた。どうやら機体に馬鹿にされてカチンと来てしまったらしい。今回は、シトリーの言う事の方が正しそうだ。

 

「大雑把って言うなら貴方こそ大雑把じゃないですかシトリー。初陣で出力間違えて私を気絶させたのはどこの誰でしたっけ? は? ぼーっとしてた私が悪い?? 事前説明はされてたのに嘗めてるからそうなる?? よーし良いでしょうそこまで言うなら将棋で勝負です、私が勝ったら土下座ですよ土下座! 目にもの見せてくれるっ!!」

 

 何故彼女は自分の愛機と喧嘩しているのか。こんな調子で今後の戦闘等は大丈夫なのか色々と不安になってくる。もしかするとこの二人、いや一人と一機はいつもこんな感じでやって来たのかもしれない。

 ジャックは柔らかくもないシートに深く腰掛けて、目を閉じる。手足の力をだらりと抜いて、深呼吸を数度。そして。

 

「先手は貰いますよ、七六歩!」

 

 盤も駒もない将棋が始まった。多分彼女の目には、網膜投影によって盤面が見えているのだろう。こうしてメイドは、自らの愛機と将棋を始めた。人間対AIの対局、果たして勝者はどちらになるのだろうか。

 

 ーーーー 四十三分後、格納庫にジャックの呻き声が響いた。

 

 

 

 

 

 

 




ちなみにジャックのイメージ曲はCasey EdwardsのDevil Triggerです。DMC5の戦闘曲ですね。


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黒豹の初陣

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。


 

 

 

 

 

 イサリビの点検は、ジャックの無謀な提案により無事終了した。彼女は本当にイサリビと阿頼耶識で繋がり、全てのシステムを掌握。情報量の多さにボタボタと鼻血を垂らしながらも、この船の全てに異常がないかどうかを調べあげた。その結果、問題無し。結局昭弘は自分勝手なメイドに振り回されて掃除をしていただけで一ヶ月近くを過ごすことになってしまったのである。

 という訳で、部屋と言う部屋は全てピカピカ、シトリーが鎮座する格納庫すら隅々まで清掃が行き届いている。ジャック曰く外装も掃除したかったらしいが、そこまでやってしまうととても一ヶ月では終わらないと止められてしまったので彼女ら渋々と断念。その分のやる気をシトリーの改修に当てたりしていた。

 そして、今日。このイサリビは大事なお客様を連れて地球へと旅立つのだ。まずその為に、この船はオルガに鉄華団の仲間達、クーデリアとその付き人であるフミタンと合流しなければならない。何事も無ければ火星から宇宙へ飛び出してきたシャトルが宇宙ドックに到着するのを待てば良い。なのでジャックは皆がやって来るまで暇な時間を過ごせばいい……筈だったのだ。

 

「わざわざシャトルをイサリビで直接迎えるんですか? 車の乗り継ぎとは訳が違うんですよ? 低軌道ステーションがあるでしょう?」

「それは分かってる」

「…………、そうですか。ただ宇宙船の操縦は初めてなんで、どうなっても責任取りませんからね」

「阿頼耶識があるだろ?」

「まぁ、シトリーが膨れたと思えば……多分。変な感じなんですよね、シトリー以外と繋がるのは」

 

 ブリッジの中央、ぶつぶつと文句を言いながらもジャックはメイド服をはだけさせる。ボタンを外し襟元を広げ、二の腕まで服を降ろす。船そのものと繋がる為と言っても、周囲には男三人。女性ならそんな状況で肌を晒すのはもっと恥ずかしがりそうなものだが、この女に限ってはそうはなれない。あれは不可抗力だったが、いつぞやにユージンに裸を見られたときも恥ずかしがるような素振りは見せなかった。寧ろ恥ずかしがる演技をするぐらいには余裕そうにしていた。

 青白い彼女にとって、肌を晒すことなんて何でもないのだろう。

 それはそうと、最近昭弘はジャックの扱いを覚えてきた。鉄華団、仲間の為、そして団長命令を言葉に添えればこのメイドは素直に言うことを聞く。だからと言って小言や文句が減ることは無いのだが。

 

「んっ、く……。うぇ、気持ち悪い……」

 

 イサリビと繋がるなり文句を漏らすジャックは、ふらふらと体を揺らしながら艦長席に浅く腰掛ける。MSに乗り慣れている彼女ではあるが、戦艦と繋がるのは色々と勝手が違うらしい。青白い顔を更に青白くしながら、前屈みになって動かなくなってしまう。どうやら本当に体調が優れないようだ。呼吸までも苦しそうにしている。

 

「おい、大丈夫か?」

「……大丈夫です、そのうち慣れます。何て言うか……そう、アルコール酔いみたいな感じですから。あ、でも背中か肩でも擦ってください。優しくですよ?」

「案外大丈夫そうだな」

「全然大丈夫ではないですよ。これやると後でシトリーに嫉妬されますし。あの子が拗ねるとめんどくさいんですよ……」

 

 結局昭弘に背中を擦って貰えなかったジャックは、彼等に理解されそうにない言葉を吐きつつ、ゆっくりと上体を起こして瞼を閉じる。すると宇宙ドッグに収まっているイサリビが、動き出すために次々とあらゆるシステムを起動していく。

 

「ジャック、操作するのは動かすために必要な物だけで良い。細かな調整は俺とチャドでやる」

「じゃあ操縦以外の部分はお任せします。それじゃ発進しますから、アルトランドさんは何かに掴まってくださいね」

 

 直後、巨大な宇宙船が静かに動き始めた。その振動は大きなもので、艦長席の隣に立っている昭弘は僅かにバランスを崩す。鍛え抜かれた体だからこそその程度で済んだのだろう。もしここに大事なお客様が居たら、転んだりしていたかもしれない。

 右も左も、前も後ろも、上も下も、あらゆる空間が黒い宇宙をイサリビが泳ぐ。向かうは低軌道ステーション。無重力を漂っているデブリ等とすれ違いつつ、船体は進んでいく。

 それにしても、何故昭弘は急遽イサリビで団長達を迎えに行くことを決めたのだろうか。わざわざ動かなくとも、大人しく待っていれば良いと言うのに。

 

「今頃ご主人様はシャトルの中でしょうか? それともまだ鉄華団本部に?」

「さぁな。予定通りならシャトルに乗ってる最中だろ」

「……んー、それなら多少急ぎましょうか。チャダーンさん、モグロさん。制御全部こっちに回してください」

「いや、そんな事したらまた体が」

 

 チャドが止めたがるのも無理はない。ジャックは最初の接続の時に、大きなダメージを負っているようだった。そんな姿を見てしまったのだから、反対するのも当然だろう。

 

「大丈夫ですよチャダーンさん。死にはしませんし、一度目で慣れました」

「…………、分かった。でも危ないようなら接続を切るからな。ダンテ、良いか?」

「ああ」

 

 渋々といった様子だが、イサリビの制御が全てジャックに回っていく。巨大な船、そのシステムの情報量が阿頼耶識を通じて次から次へと彼女の脳へと流れ出す。直後。

 

「うっ、……く……」

 

 青白い彼女は大きく仰け反った。目は見開かれ、またも鼻血が溢れ出す。四肢も硬直していて、とても大丈夫なようには思えない。

 

「おい、大丈夫かよ」

「……っ、ええ、まぁ……」

 

 幾らジャックがシトリーを乗り回せるとは言え、宇宙船とMSではサイズも情報量も違う。だと言うのに全ての情報を脳に流し込んでいるのだ。普通で居られる筈がない。しかし彼女は、それでも船体との接続を断ちはしない。歯を食い縛り、仰け反った体を元に戻す。

 

「うぇっ、変な感じ。じゃあ思いっきり動きますんで、全員しっかりしてくださいね」

 

 そしてジャックは、イサリビを動かし始める。黒い宇宙(そら)を駆け出し始めた。船体は加速していく。目的地は低軌道ステーション。仲間達と合流するまで、彼女はこの船を止めたりしないだろう。

 

「ジャック、ちょっと早過ぎやしないか?」

「何となく急ぐべきだと判断しましたので」

「何? 何でだ?」

「メイドの勘です。どうにも、くそったれな気配がしますので」

 

 顔をしかめたこのメイドはいったい何を感じているのだろうか。

 イサリビは加速していく。巨大なスラスターから青い火を吹きながら、流星のように前へ前へと進んでいく。仲間達を出迎えるのに、そう時間はかからない筈だ。

 

「……、うえぇっ」

 

 気持ち悪さが限界に達したのだろう。船体を操作しつつジャックは体を折り曲げる。服が余計にはだけようとお構いなしだ。青い顔は更に青く染まり、とても生きているようには見えない。持ち前のゴーストフェイスに更なる拍車をかけつつ、彼女は強く瞼を閉じた。

 

「おい、本当に大丈夫か?」

「……大丈夫ですよ。さっきからざわつくだけです。だから、もっと急ぎましょうか」

「何?」

「イサリビの速度リミッターを外します」

「は? いや待った、そんな事したら急に何か出てきたら激突する」

「そんなもの避ければ良いんですよ。阿頼耶識はその為のものでしょう?」

 

 さらっととんでもないことをメイドが口走ると、耳障りな警報が鳴り始め艦橋そのものが赤い光に包まれる。正面の大きなモニターにはエラーメッセージのようなものがびっしりと並んでいる。リミッターを外そうとする物騒な操舵手に、イサリビのシステムが猛反対しているのだ。だが彼女は、そんな事は知らんと言い出しそうな勢いでロックを解除していく。あれやこれやと出てくるパスワードなんかも楽々と突破して、ついにリミッターを解除してしまった。

 

「おい、何かやばそうだが……」

「壊しませんよ。折角アルトランドさんとピカピカにしたんですから。まぁ大丈夫ですって、どんなに早くったってこの図体じゃシトリーと比べたら遅い遅い」

「お前、なっっ!!?」

 

 文句を言おうとした昭弘を、船体の加速が黙らせた。こうしてイサリビは凶悪な速度で宇宙を泳ぎ始める。ちなみにこの事を報告されたオルガがジャックに説教したり、船体が一時的な不調に陥ったりするのはこれより数時間後の話である。

 

 

 ジャックが勝手にイサリビのシステムを弄り回してから五分も経たない内に、船体は低軌道ステーションが目視出来るところにやって来た。目的地に辿り着く為に加速しまくった船を止めるのには、とんでもない負荷がかかることだろう。イサリビにも、中に乗っている人間にも。

 

「歯を食い縛ってくださいね? 舌、噛みますから」

「おい、ちょっと待っ」

「はいこれでも噛んで黙って。舌噛んで死にたいなら別ですが」

 

 またも文句を口にしようとした昭弘は、スピード狂いのジャックの指を口に捩じ込まれ黙らされてしまった。その直後、彼女は猛加速したイサリビに急ブレーキをかける。もしここが地上の上だったら、猛烈なブレーキ音がどこまでも響いていた筈だ。

 物凄い加速の後の、物凄い制動。その衝撃は凄まじく、艦内にいる者はもれなく全員体内を揺さぶられてしまう。昭弘もダンテもチャドも、その感覚に顔を青くした。しかしジャックだけは顔色を変えない。寧ろ何だか楽しそうにしている。

 

「ほら、案の定。言ったでしょう? メイドの勘は当たるんですよ」

 

 仲間達を青ざめさせておきながら、ドヤ顔を決めて見せるメイド。彼女の勝手は相当なものではあったが、勘は正しいようだ。速度を落とし平常運転を始めたイサリビの影にはシャトルが一隻、艦橋のあらゆるモニターが接敵を告げている。

 

「じゃ、私はシトリーの準備をしておきますから後の事は任せますよ」

 

 やるだけやって後の事は全て丸投げ。船体との繋がりを断ち切ることでイサリビの操作をチャドやダンテに押し返した彼女は固まりつつある鼻血を手の甲で拭い、艦橋を後にする。その自由過ぎる振る舞いに頭を痛めた男三人は、口を閉じてやるべき事をやり始めた。

 昭弘は溜め息をひとつ吐いて、それから艦長席の端末に向かって一言。

 

 

「……迎えに来たぜ。大将」

『時間通り。良い仕事だぜ、昭弘!』

「いやまぁ、全部あいつの手柄だけどな……」

『あ? 何言ってんだお前……』

 

 

 

 ーーーー 火星付近の宇宙(そら)では、既に戦闘が始まっている。

 鉄華団からの仕事を受けた筈のオルクス商会はギャラルホルンにお客様を売り飛ばした。理由は勿論、私利私欲。今ギャラルホルンに恩を売るために、お客様を裏切った。

 クーデリア・藍那・バーンスタインを拘束、もしくは殺害したいギャラルホルン側からすればシャトルで宇宙に上がってくる鉄華団は格好の的でしかない。何の武装も積んでいない、送迎用の宇宙船などMSで容易に叩き落とせる。誤算だったのは、シャトルの中にバルバトスが格納されていたこと。そしてバルバトスを扱えるパイロットが、団長の指示でこの戦闘に向けての用意をしていたこと。

 船の荷台に乗せられていた機体は直ぐに起動し、クーデリアを奪取しよう接触してきた機体(グレイズ)を直ぐに薙ぎ払った。如何にナノラミネートアーマーが優れていても、300mlの口径でコックピットを接射されてはどうしようもない。戦いは、もう始まっている。だと言うのに、勝手な振る舞いの黒髪メイドは自らの愛機の中で膝を抱えて浮遊している。背中にはケーブルが刺さっているので、機体との接続は完了済み。宇宙用のパイロットスーツもしっかりと着ている。だと言うのに彼女は目を閉じたままで動かない。イサリビの中から、出ていこうとしない。その理由は、ひとつだろう。

 

『ジャック、出撃(でれ)るな?』

 

 そう。彼女は待っていたのだ。ご主人様である彼、鉄華団団長である、オルガ・イツカの命令を、出撃しろという一言を、ただ座して、待っていたのだ。射出カタパルトの上、命令ひとつでいつでも出撃できるように。

 

「はい、ご主人様。シトリーの宇宙適応は、理論的に問題ありません。実際のところは出たとこ勝負になりますが」

『この状況だ。まずは切り抜けねぇとどうにもならねぇ。出て貰うぞ』

「……大丈夫です。この子の言うことは正しいので。

 では、ジャック・シュトリ。ガンダムシトリー、思いっきり、駆け抜けます!」

 

 そして黒豹は、宇宙へ跳び立つ。本来は地上でしか活動出来ない機体。それをどうにかこうにか宇宙に適応させることで、真空と無重力の世界で動き回る。ようやく外へ出れた事への喜びか、鳥籠から飛び立つ鳥のように、シトリーはのびのびと宇宙を駆けていく。体を慣らすように、徐々に速度を上げながら。

 背中のスラスターから吐き出される青い火が大きさを増す。加速し続ける機体が向かうのは、バルバトスの居る戦場。三日月が相手取るのは、四機のグレイズ。その内の一機、最もバルバトスから遠く、他機からも距離がある一機にシトリーは加速したまま突撃する。

 左腕、鋭い金色の爪が敵機の頭へ向かって伸ばされる。次の瞬間、大きな振動と共にグレイズの頭が粉々に吹き飛んだ。それだけでも致命的な損傷だ。ただ真っ直ぐ突っ込んで、全速力を乗せた腕で相手を叩く。威力は十二分。もうこのグレイズは動けないだろう。だと言うのに。

 

『うわぁああああっっ!!?』

 

 すれ違いざま、四枚の羽毛と一本の尾が頭を失ったグレイズに突き刺さる。羽毛は四肢を貫き、尾はコックピットを叩き潰した。黒き豹は、何の躊躇いもなくひとつの命を奪い去ったのだ。

 

「ーーーー っは、良いです、ねっ! 宇宙はふわふわ、楽しい ーーーーっっ!!」

 

 命をひとつ奪っておきながら、ジャックは初めての宇宙戦を楽しんでいる。地上と宇宙での戦闘は別物で、勝手はかなり違うだろう。けれども彼女はシトリーを操り、笑みを浮かべている。いつもは青白い肌が人並みの肌に見えるのは、機体と繋がり、戦場を駆け、気分が高揚しているからに他ならない。

 真っ黒な宇宙で、青い光を置き去りにしながらシトリーは駆け続ける。その速度は凄まじく、離れた位置から見ていても目で追うのが難しい。

 

『なんだコイツ!? 滅茶苦茶な速度をしてやがるっ……!!』

 

 残る二機の内、一機がシトリーへ照準を向けた。直線的ではあるが常軌を逸した高速で飛び回る黒豹は、ショートライフルを構えたグレイズへ向かっていく。如何に動きが速いとは言え、それが直線的な動きをするのであれば全く弾丸を当てられないわけではない。行き先を予測し、そこに予め発砲しておけばシトリーは勝手に弾へぶつかってくれる事だろう。この機体に乗っているパイロットが速さを過信するような素人なら、の話だが。

 宇宙を駆け回るシトリーへ向けて、グレイズが手にした武器の引き金を引く。短い銃身から連射された弾丸があちらこちらへ散らばる。しかし発射された弾は、そのどれもが敵機へと届かない。何故なら引き金を引いた瞬間から、グレイズのパイロットの視界にシトリーは居ないのだから。

 

『消えたっ……!?』

「こちらですよ」

『っっっ!!?』

 

 シトリーは、既にグレイズの背後を取っている。引き金が引かれるその寸前、黒豹は敵機の真下に向かって飛んだのだ。そして急上昇。Vの字を描くように動いて、敵の背後を取って見せた。そして、ただ背後を取っただけではない。ここは戦場だ。敵にかける情けなど、何処にも存在していないのである。

 金色の爪が、スラスターを抉り取るように下から上へと振り上げられた。速度の乗った一撃は、容易くグレイズの背中を引き裂く。それは機体を動かなくするには十分過ぎる一撃だ。しかしシトリーとジャックは、先程撃墜したグレイズにやったように、半壊した敵機を羽毛と尻尾で追撃する。

 八つの羽毛と一本の尾が、動けなくなったグレイズをバラバラに引き裂く。すれ違い様に敵機を粉々に砕いて見せたジャックは、再び暗い宇宙に青い光線を残す。

 敵MSは、あと一機。

 

「バルバトス、三日月。そっちは任せましたよ」

『任せて。そっちは』

「はい、イサリビの護衛に戻ります。敵はまだ出てきます、お気をつけて」

『ジャックもね。あとシトリーも』

 

 残るグレイズをそのままに、シトリーは超速で母艦へと戻っていく。既にイサリビは敵艦二隻に追われており、余裕は無いように思える。如何にイサリビが優れた船だったとしても、あの船に乗っている者はまだ宇宙海戦には慣れていない筈。であれば、敵の方が幾段も上と言うことになる。MS一機だとしても、助けがあるに越したことはないだろう。

 そしてもうひとつ問題がある。シトリーとイサリビは大きく離れているということ。イサリビに戻るにしろ、敵艦に突撃するにしろ、時間がかかる。それまで背後を取られた味方が耐え凌げるのか。

 間に合うか、否か。それは分からない。間に合うにしろギリギリかもしれない。逆にギリギリ間に合わないかもしれない。

 

 …………そう、シトリーのスピードがさっきので限界だとするならば。

 

「すぅーー、はぁーー」

 

 これから全力で走るぞと言わんばかりに、ジャックは深呼吸を繰り返す。大きく息を吸い込み、吐く。吸い込み、吐く。それを三度繰り返したとき、彼女は操縦桿を強く握り直した。

 

「行きますよ、シトリー!」

 

 瞬間、金尾の黒豹は青い彗星に変わる。背中のスラスターから噴き出す火は大きく、艦へと向かう機体は際限無く加速。肉体に猛烈なGがかかることなどパイロットは気にしていない。むしろ、負担がかかることすら楽しむように笑っている。

 シトリーは青い火を残しながら加速し続け、尋常ではない速度をもって進んでいく。遠くからみれば、彗星か何かのようにしか見えないだろう。

 

「何を遠慮してるんですかシトリーっ。もっと、もっと速く!」

 

 だが、そんな速度ですら彼女には物足りないようだ。自らの愛機に唾を吐きかけるように、ジャックは文句を言う。するとスラスターから吐かれる青火が、更に一回り大きくなる。

 

「もっとですシトリー! もっともっと、まだまだ行けるでしょう!?」

 

 既に限界速度に到達していそうなものだが、更なる加速を機体に強いるこのメイドは、間違いなくスピード狂いだ。速さの中でしか生を実感できないような、極度のスピードジャンキーだ。何せイサリビのリミッターを外してでも走るのが彼女なのだから。

 彗星のように煌めきながら飛ぶシトリーは、もう敵艦二隻の背中が間近に見えている。

 イサリビと同じ形をした緑の船、そして違う形の青い船。斜めに並んでいる船の間を、黒豹が通り過ぎる。と、同時。

 

 

 一発の弾丸が、シトリーの背中を貫いた。

 

 

「っっっ!!?」

 

 八つある羽毛のうち、右半分の四つが根こそぎ千切られた。まるで鉄杭のような形をした、弾丸と言うには長すぎる何かに。

 想定外の衝撃、そして機体の破損。元より装甲が薄いこの機体は、一度の打撃で大きな損壊を受けることになる。

 

 青い船の上で、一機のMSが寝そべっている。全身が白いそれはシトリーに良く似ており、そしてライフルと言うには一回りも二回りも大きな銃器を構えていた。

 

 

 

『宇宙はボクの担当だよ愚妹。走ることしか能の無い君は、さっさと地上に戻った方が良い』

 

 

 

 

 

 




シトリーの宇宙での動きはユニコーンレベルです。

次回、姉弟(兄妹)喧嘩。


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姉弟喧嘩・兄妹喧嘩

 

 

 

 一発の凶弾が、シトリーの背中を抉る。八つある金の羽毛が、たった一射にて四つも壊されてしまった。

 狂っているとしか言えないような速度で宇宙を駆けていたシトリーを撃ち抜いたのは、巨大なスナイパーライフルを構えた白いシトリーだ。見た目は全くの一緒。違う点は色合い、そして得物だ。急に現れたその敵機は、戦艦の上に伏せている。中に乗っているのは、青白い肌をした少年だ。黒い髪に赤い瞳。そう、機体だけではなくパイロットまでもが似ているのだ。ジャックと、シトリーに。

 

「こ……んの……! よくもやってくれやがりましたねこの愚弟! 姉の背中を撃つとはどういうつもりですか!? ぶっ殺しますよ!!?」

『はーー!? 見て分からないのか馬鹿妹! 君は、鉄華団とやらに居てボクはギャラルホルンに居る。敵だから撃ったに過ぎませんがーー??』

「私が姉だって言ってるでしょう!? 私より後に生まれたくせに、なーーに兄貴面してんですか気持ち悪いっ!!」

『先に受精したのはボクだってデータが有っただろ! 馬鹿な研究員が順番を間違えたから君が先に生まれただけで!』

「知らないんですか!? 胎児は人間としてカウントしないんですよ! よって先に生まれた私がお姉ちゃんです! Q,E,D!!!」

『先に乳児になったのはボクだぞ! だからボクがお兄ちゃんだし!! 寝言は寝ていえっ!!』

「はーーー!? 途中で成長不良起こして私に追い抜かれた軟弱者なんて兄じゃないでーーすっ! ミルクでも飲んで寝てなさい!! 牛乳嫌いだからいつまでもチビなんですよ!!」

『牛乳嫌いなのは君もだろ!? そんなだから出るとこ出ないで男に妹扱いされんだよ!! 悔しかったら無い乳を膨らませて見せろ!!!』

 

 緊迫している戦場に響き渡る、聞くだけで頭痛が痛くなるような口喧嘩。どちらの言い分が正しいかは分からないが、どうやら彼女と彼は姉弟、もしくは兄妹らしい。自分達の情けない争いが敵味方問わず周囲の人間全員に拡散していることを、気付いているのだろうか。いや、この調子だと気付いていないだろう。突如として現れたもう一機のシトリー、そしてそのパイロット。彼が何者であるかは、ジャックのみが知っている。少なくとも、鉄華団の中では。

 

「あーーーもう聞き分けがないですね! お姉ちゃんの言うことを聞きなさいこのバカ! 目を食い縛れ!!」

『聞き分けが悪いのはそっちだろ!? 大体っ、目を食い縛れって何!!?』

「お姉ちゃんの言うことは聞くものですよ! シトリー!!」

 

 弟から訳の分からない事を口にして、ジャックは大きく弟機から離れる。その際、背中に装備している羽毛は全てパージした。抉り抜かれた部分が火を出していたからだろう。だが、それならわざわざ左側までパージする必要はない筈だ。

 逃げ出そうとするシトリーに、白いシトリーが照準を合わせる。恐らくは完璧な照準だ。背中を多少軽くした程度で、避けられはしない。だが、ジャックは迷わずスラスターを噴かす。ダメージを受けたせいか速度はあまり出ていない。せいぜいそこらのMS程度。下手をするとそれよりも遅いかもしれない。

 

『それで逃げるつもり!? ほんっと頭が悪いな!!』

「だから言ってるでしょうっ!? 目を食い縛れって! どうなってもお姉ちゃんは知りませんからねっ!! これが最後の警告ですよっ!!?」

 

 その警告が何を意味していたか。白いシトリーのパイロットは、数瞬後に身を持って知ることとなる。

 

 

『続けて閃光弾!!』

 

 

 直視出来ない程の眩い光が、シトリーとすれ違うように炸裂する。それはイサリビが放った撹乱攻撃であり、視界に対してダイレクトに作用するものだ。更に急激な発光はあらゆる視角センサーを狂わせる。当然それは、MSとて例外ではない。ましてスコープまで覗いていたのたら、自称ジャックの兄は視界を潰される。望遠鏡で太陽を覗き込んだようなものだ。下手をすれば、視力に甚大なダメージを受ける。それは、スナイパーにとっては致命的なものである。

 

『んっ、ぐぅ……!?』

「だから言ったじゃないですか、目薬でも差して大人しくしてなさいっ。そうしたらこの場は見逃してあげます!」

『羽をもがれてよく言うよ……! 待てこの愚妹!!』

「まーーちーーまーーせーーんっ! 次の会ったらマジでぶっ殺しますからね!? 覚えとけこんちくしょう!!!」

 

 背中を撃たれたシトリーは、直ぐ側まで来ていたイサリビの格納庫に突っ込んだ。もう機体の限界が近いのだろう。宇宙での初陣だと言うのに、その戦果は微妙なところだ。敵機を二機瞬殺したとしても、武器を失ってしまったのは大きな痛手だ。ついでに言うと訳の分からん姉弟(兄妹)喧嘩で恥も晒している。

 

「背中の消火頼みます! ついでにガスの補充も済ませてください! 場合によっては私が殿になりますから!!」

「は!? いやおめえ、こんな有り様でまた出撃()るって言うのか?」

「それを議論してる暇は無いんですよ! シトリー、さっきの戦闘情報で宇宙適応の補正かけといてください! あと貴方以外と繋がったことは後で謝るから、今は黙って!!」

 

 帰投したジャックに余裕が無い。普段の彼女ならば、ここで一息ついて周囲に白い目をさせるだろう。何をそんなに焦っているのか、今はノーマルスーツなメイドはコックピットから飛び出て艦橋を目指す。周りの反応などお構い無しだ。

 無重力の通路を飛び回ること、数分。彼女は艦橋に辿り着いた。

 

「ご主人様っ、状況は!?」

「悪くねぇ、初陣にしちゃ上出来だ。今捕虜のおっさんがミカと一緒に向こうで」

「呑気な事言ってるとマジに蹴っ飛ばしますよ?? 三日月さんとバルバトスを拾ってここを全速力で離脱します。って言うか何です? あの人使ったんですか??」

「なんだか知らねぇが、どうしても自分を使えって言うもんでな。使えないようなら、捨てていくだけだ」

「それは合理的ですね。ちょっと膝の上に失礼しますよ。チャダーンさん、また艦内制御を全部こっちに回してくれますか?」

 

 遠慮もなくオルガの膝上に腰掛けた不躾なメイドは、落ち着きの無いままにイサリビと繋がる。またも鼻血が噴き出したが、今度は気持ち悪そうにはしていない。代わりに頭を両手で抑えながら、眉間に皺を寄せている。

 

「バルバトス、三日月さん、クランクさん、聞こえますか? 今からこの場を全速で離脱します。すれ違いざまに格納庫に飛び込むか、船体にへばりついてくださいっ」

『ぬ、ジャック? 済まないがそれは難し、ぐぉっ!!』

 

 艦橋の正面モニターに映し出されるのは、ギャラルホルンのグレイズと交戦している、鉄華団が改修したグレイズを操るクランクの姿だ。彼は今、鉄華団の捕虜として戦場に出ている。悠長に通信を取っている暇は無いらしく、それは三日月も同じ。戦場はひとつだったとしても、戦いはひとつではない。戦っているのは、ジャックだけではないのだ。鉄華団に属する者が、ギャラルホルンに属する者が、それぞれ命懸けで戦っている。捕虜に身を堕とした軍人とて、決して例外ではない。

 黒い宇宙の中で、似通ったグレイズが激突する。片方には誇りを貫くために捕虜となったクランクが搭乗しており、もう片方には尊敬する上官の命を奪われたと激怒する若い新兵が搭乗している。機体スペック同じだとしても、資源や財力の差から僅かにクランクが不利だろう。しかしその程度の差は、経験が覆す。とは言え、状況は芳しくない。押し込まれる場面が多いのは、クランクの方なのだ。

 

 その理由は、単純明快。この男が、敵機を墜とそうとしていないからだ。

 

 クランクと言う男は、捕虜だとしてもかつての仲間を傷付けたりしない。いや、傷付けることは出来ないと言った方が正しいだろう。子供を殺すことを躊躇うような軍人が彼なのだ。今は敵対するしか無いとしても、簡単に気持ちを切り替えて目の前の敵を墜とすことは出来ない。もしも彼が躊躇い無くジャックを殺すような冷酷で残忍な人間だったなら、鉄華団はとうにクーデリアをギャラルホルンに引き渡している。

 情に阻まれて適切な判断、行動が出来ない。独り善がりに走ってしまう。それがクランク・ゼントの欠点だ。

 だから今、彼は追い詰められている。勢いがある新兵の動きに翻弄され、反射的に迎撃しようとするが頑なな理性がそれを阻む。結果として、何も出来ていない。ただただ目の前のグレイズから、逃げ回っているだけだ。

 

『貴様っ、誰の断りを得てその機体を使っている!! クランク二尉をどうしたぁあっっ!!?』

 

 激情し続ける若い敵兵が、闇雲に放ったトマホークでの一撃。受けなければ命を取られるその一撃を、グレイズ改は装備している滑空砲で受けることでどうにか回避してみせた。が、唯一持っていた武装は真っ二つとなり丸腰になってしまう。腰にはトマホークが装備されているものの、今はそれを抜く余裕も無い。

 

『ぐっっ!? その声、アインかっ!?』

『ーーーっっ!? クランク二尉っ!?』

『アインならばここは退けっ。お前まで子供を殺すような真似は……!!』

『クランク二尉っ、生きていたのなら何故CGSにっ!? 何故、我々の前に立ち塞がるのですっ!?』

 

 ギャラルホルンの若いパイロット、アインが動揺するのも無理はなかった。死んだと思っていた上官が、生きていた。それだけならまだしも、敵として自分の目の前にいるのだ。激情に動揺が重なり、感情の収拾が付きそうにない。

 

『頼むアインっ! 退けっっ!! お前を傷付けるような真似はしたくないっ! 子供達を殺させるような真似も、私には出来ないっ!!』

『何を、言って……っ!!?』

『ここは退いてくれ……! 頼む……っっ!』

『……っっ、クランク二尉……っ』

 

 この通信により、ますますアインは揺れていく。今こうして再会できた上官に手を上げるような真似はしたくないのだろう。しかし、その上官は敵として自分の目の前に居る。どうすることが正しいのか、どうすれば間違えないで済むのか。それが分からない。分からないから、動けない。

 時間さえあれば、何か方法を思い付くだろう。どうにかクランクを説き伏せ、ギャラルホルンへと帰還させ、残る敵を撃つ手段を。だが今、そのような時間はアインには与えられない。いや、この戦場に居る者全てに、悠長に思考を巡らせている時間はないのだ。

 

『クランクさん! 三日月さんっ、飛び乗って!!』

『……っ、くっっ!』

 

 その合図の通り、クランクがイサリビへと戻ることが出来たのはアインの心が動じているが故。かつての部下に背を向け、かつての上官は退いていく。その背を撃つことは、容易だ。逃げる者を後ろから撃ち抜くことはそう難しい事ではない。

 だが、彼は動かない。引き金を引くことは、出来ない。

 そして、イサリビは残るMS二機を回収し離脱する。バルバトスを討つことも、上官を撃つことも、アインには出来なかった。

 

 

 

 

「……まったく。無様に敗走するしかないなんて、もぐ……お互いしてやられましたねシトリー……もぐもぐ……」

 

 騒々しい格納庫。羽毛を失った愛機の中で、ジャックは三日月に分けて貰った火星ヤシを噛み締めながら悪態を吐く。食べるか文句を言うのか、どちらかにするつもりは無いのだろうか。

 少し離れたところでは、ようやくMWから出れたユージンがオルガの「次も頼むぜ」なんて軽口に「ふっざけんな!」とキレ散らかしている。そんな微笑ましい光景に誰もが笑っているのだが、ジャックだけは少しも笑っていない。今回の戦いで、ひとまず鉄華団は最初の危機を脱した。クーデリアを引き渡すこともなく、逆に自分達を危機に陥れようとした者を上手いことギャラルホルンに投げ渡し、内部の不安要素すらも排除した。

 結果だけ見るなら、それは鉄華団の勝利である。今後ともこの調子で居られれば、無事お客様を地球に送り届けることが出来るだろう。

 

「……ジャック、無事か? 背中を撃たれたと聞いたが」

 

 不機嫌を微塵も隠そうとしていないピリピリしたメイドに話し掛けたのは、無事戦場から戻ってきたクランクだ。首には相変わらず、物騒な首輪が嵌めてある。この首輪は、彼がジャックから一定以上離れると爆発する代物。彼女が人足先に宇宙に出ている時や、先程の宇宙戦で爆発しなかったのはどういう事だろうか。何か特別な細工をしてあるのか、それとも爆発なんてしないのか。どちらにせよ、彼女はまだ語っていない事が幾つも有りそうだ。そんな調子では、いずれ仲間達に不信の目を向けられるだろう。

 

「これっぽっちも無事ではないですね。武器をひとつ失いました。あっちこっちダメージ受けてますし、スラスターも調子が悪いですね」

「……背中を撃たれ、その程度で済んだのなら寧ろ僥倖だろう。墜とされてもおかしくはなかった」

「敗けは敗けです。愚弟の気配を感じておきながら、対処出来なかった私の落ち度でもあります。あぁ、こんなんじゃご主人様に叱られてしまいます……」

「そうだろうか。俺はそうは思わんが……。とにかく、君は良くやった。整備は他の者に任せて、休むと良い」

 

 大人の大きな手のひらが、少女の頭の上に置かれた。クランクなりに、ジャックを労っているつもりなのだろう。しかし彼女は、褒められて嬉しそうな顔をするどころか汚物でも見たかのような目付きで目の前の大人を睨み付けた。

 

「おや、捕虜なのに随分と上から目線ですね。私は貴方の部下でもなければ、護られる程弱くはないですよ。それから、女の子の頭を軽々しく撫でてはいけません」

「……ん、むっ……。すまん。自分が捕虜だと分かっては居ても、ここに居るとどうにもな……」

 

 慌てて手を引っ込めるクランクである。ばつが悪そうにしている顔は、大きな体格とは何とも不釣り合いだ。もう二十年ぐらい若ければ、可愛げのひとつくらいは有ったのかもしれないが。

 

「ここは子供だらけだから、気が緩みますか?」

「……そう、なのかもしれんな。ここに居るのは子供ばかりだ。今後も、俺は自分の立場と言うものを忘れるかもしれん」

「子供が好きなんですか? ギャラルホルンにも、若い子は大勢居るでしょう?」

「居るには居る。が、ここまで若くはない」

「そうですか。で、子供が好きなんですか?」

「……好きでなければ、ここにはいない」

「そうですか。それじゃ、私は自分の仕事に戻ります。捕虜は捕虜らしくしていてください」

 

 頭を撫でられたことが余程気に食わなかったのか、ジャックの対応がどんどん冷たいものに変わっていく。クランクの気遣いは、彼女には一切必要が無いようだ。ついさっき無様に姉弟喧嘩をしていた騒がしい姿は何処へ行ったのやら。

 

「……、分かった。ジャック」

「なんですか? 私は忙しいんですけど」

 

 不機嫌なメイドは、悠長に話していられるほど暇ではない。背中を抉られてしまったシトリーを、どうにかしてまた宇宙を駆け回れるように修理・改修しなければならないのだ。それに、雪之丞が居るとはいえきっと彼女はバルバトスの整備も始める筈。戦闘直後だと言うのに、体を休めるつもりはこれっぽっちも無いらしい。

 

「死ぬなよ。俺は子供が死ぬところを、もう見たくない」

「……」

 

 捕虜の言葉には何も返さず、ジャックは手元のタブレット端末を睨み付ける。これ以上の会話を無駄と判断したのか、或いは不機嫌からくる反抗か。どちらにせよ、彼女は火星ヤシを口に放り込みながら自分の仕事を続けていく。軽快な操作で膝上の端末を操作しているものの、動く指先からは感情が滲み出ている。この苛つきは、もうしばらく続くようだ。

 

 

 

 

 

 




約一年ぶりの投稿です。今年は二次創作に集中すると決めているのでこちらに集中できると思います。多分。


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ゴーストフェイスⅡ

 

 

 

 

 

 ジャック・シュトリには弟も兄とも言える存在が居る。その名はマリア・シュトリ。厄祭戦を生き残り、ジャックと同様にこの時代までコールドスリープされていた存在だ。しかし彼の場合、墜ちたのは火星では無かった。むしろ、何処にも墜ちていない。とある場所から宇宙に放り出され、ふわふわ流れていたところをたまたまギャラルホルンに拾われた。識別不明の船が、識別不明のガンダムと年端も行かぬ子供を氷付けにして乗せていた。そして、長い長い眠りから目覚めて三日程でマリアという少年はギャラルホルンにMSパイロットとして所属することになる。理由は当人と上層部のみが知っている。

 だが、この少年を上から押し付けられたガエリオ・ボードウィンは納得していない。とは言え上の方で何か有ったのだろうと親友に諭されては、渋々受け入れるより他がなかった。

 そんなこんなで彼はマリアとその愛機、ガンダムビトルと共にマクギリス・ファリドの護衛役としてギャラルホルン火星支部の鑑査に同行。結果、現地で些細なトラブルを起こしてしまったり火星軌道上にて鉄華団と戦闘したり、何かと気苦労が絶えない。

 鉄華団との戦闘後、ガエリオはまぁまぁ荒れていた。パイロットとして、特務三佐として、少年兵に遅れを取ったことが受け入れられないのだろう。若い身で佐官に身を置いているのだ。それなりのプライドは持っていて当然。まして彼は名門一家の出である。自尊心は人一倍大きなものだろう。

 

「くそっ、あんな機体ひとつ捕らえられないとは……!」

 

 医務室。先の戦闘で負傷した体を気遣わず、自らの膝に拳を振り下ろすガエリオ。今回の敗戦が中々に堪えているようだ。今は平時の冷静さも、軽薄な口振りも何処かに消えてしまっている。傷の具合はそこまで悪くないようだが、それでも医務室のベッドから離れることを軍医に禁止されている。

 

「バルバトス相手に墜とされなかっただけ、勲章ものだよ。良くできましたお坊っちゃま」

 

 荒ぶる特務三佐に気軽に話し掛けるのは、少年と言うには顔立ちが可愛らしい執事服の子供だ。背丈は低く肌は青白いものだが、燃えるような赤い瞳は力強い。無造作に伸ばされた黒髪を整えれば、少しぐらい格好が付きそうだ。そんな彼こそが、マリア・シュトリ。今は鉄華団に仕えている、ジャック・シュトリの唯一の肉親である。

 

「敵にやられて貰える勲章があるかっ! あと、そのお坊っちゃまって呼ぶのは止めてくれ」

 

 ガエリオの言うことはごもっともである。敗戦は誉れにはならない。寧ろ恥なのだ。

 

「だってあれが本気だったなら、君はとっくに死んでるし。まぁ当たり前だけど当時とパイロットが違うってところと、リミッターが掛かってたのが良かった。命拾いしたね」

「んなっ!?」

「まぁまぁ落ち着いて。紅茶でも飲んで落ち着いたらどう? ほら」

「……、ああ、ありがとう」

「はいはいガエリオお坊っちゃま」

「だからそれはやめろと!」

 

 二人の仲は悪いものではないようだ。まだ出会ってそこまでの日数は経っていないようだが、こうして戯れる程度には親睦がある。ガエリオがマリアに振り回されているとも言えそうではあるのだが。

 

「それで、バルバトスの動きはどうだった?」

「どうもこうもあるか。捉えどころがなくて、気色悪い感じだったさ」

「ふぅん? ならそこそこ動かせるってことだね、今のバルバトスのパイロットは」

「……次は遅れを取ったりしない。マリア、後でシミュレートに付き合ってくれ」

「それは君の傷が癒えてからだ。いいかい? 勝手に動き回らないこと。何か必要なら僕を呼んで」

「……分かっている。怪我が治るまで大人しくしているさ。マクギリスにも釘を刺されたしな」

 

 不貞腐れたガエリオは、先程手渡されたティーカップに静かに口を付ける。中身は澄んだ色のハーブティーで、香りが良くて温かい。荒んだ心を落ち着かせるには、十分過ぎる代物だろう。

 立ち上る爽やかな香りと、口の中に広がる程よい苦味を堪能すると、荒れていた気持ちが落ち着いていく。荒れるに荒れたお坊ちゃんが小さく微笑んだところを見るに、どうやらマリアの淹れたハーブティーはかなりの美味らしい。

 

「ところでマリア。お前、目は大丈夫なのか?」

「ん? まーーね。視力に問題はないよ」

「そうか。なら良い。スナイパーが目を悪くしたら、笑い話にもならないからな」

「あんな程度で潰れる柔な目じゃないよ。ま、してやられたのはムカつくけどね」

「……なら次は、お互いリベンジだな」

「次は撃ち抜くよ。あんの馬鹿愚妹、今に見てろ……」

 

 右目を抑えながら、マリアは嗤う。肌の青白さも合わさって、不気味が過ぎるのだが。

 何にせよ、まだまだ鉄華団はギャラルホルンに狙われることになる。悠長にしている暇は、仕事を終わらせるその時まで微塵も無いのだろう。

 

 

 

■■

 

 

 

「……んぁーー。どうしましょうかね、これ……」

 

 宇宙を泳ぎ続けるイサリビ。その格納庫で青白いメイドは頭を抱えて呻いていた。実の弟、或いは兄とおぼしき存在にシトリーの背中はぶち抜かれてしまった。その結果、八つの羽毛は全てイカれてしまったので宇宙に放棄。武器をひとつ失ってしまったのは大きな痛手だろう。だがそれ以上に、気に掛けなければならないことがある。

 ガンダム・シトリーは被弾しないことを前提に造られている。バルバトスより3メートルは低く、装甲は限り無く薄い。だと言うのに内部は頑丈さよりも精密さを優先してあるものだから、一度の被弾がもたらす影響はこの上なく甚大だ。特にスラスター回りの被害が大きく、修理に手間取っている。仮に無事修理を終えたとしても、その出力は普段より数十パーセントは落ちるだろうとシトリー自体が申告しているものだから本当に頭が痛い話だ。唯一の解決策は一から機体を整備、改修することなのだが生憎そんな余裕は鉄華団には無い。仮に予備パーツが充実していたとしても、多いに時間が掛かってしまう。

 厄祭戦の負の遺産とまでパイロットに言わせるこの機体。並みの整備士が弄り回すことは不可能だ。そもそも、ジャック自身がこの機体を人に触らせることを良しとしない。そんなだから、余計に面倒な事になっているのだが。

 

「……どうだジャック。こいつはまた動けそうか?」

 

 目の前の問題で頭痛が酷いジャックに話しかけるのは、鉄華団のトップであるオルガ・イツカ。開きっぱなしのコックピットハッチの縁に寄りかかり、腕を組む姿は妙に様になっている。

 彼は皆を束ねる立場として、皆を引っ張っていくリーダーとして、決して暇ではない。行き当たりばったりでギャラルホルンと戦うわけにも行かないし、今考えることも山積みだ。その中でも、先の戦闘で中破してしまった機体のことは特に考えなければいけない。

 

「んん……。動かすだけなら大丈夫です。ただ、いつも通りの動きは無理ですね。この調子じゃ本来の半分も動けないし、戦闘になるとそれもどうなるか……」

 

 あんの愚弟め……。と悪態を吐きながら、ジャックはコックピットに腰掛けたまま端末を操作し続けている。背中にケーブルが生えているのは、機体と繋がっていることで少しでも作業効率よくする為だ。それでも今回の修理には頭を悩ませているのだから、この調子では次の戦闘にシトリーを出せるかどうかも分からない。

 

「何とかならないのか? 現状、こいつとバルバトスがうちの戦力なんだ」

「グレイズがあるでしょう? 捕虜を乗せるのが嫌なら、オルトランドさんを乗せるのが適任かと」

「あれに阿頼耶識は付いてない。今昭弘にミカやおっさんとシミュレータで訓練させてるが、どうなるかはまだ分からねぇからな」

「その辺りは大丈夫じゃないですか? 捕虜とはいえ軍人の指導ですし」

「……そうだと良いけどな。それで、こいつはどこまで直せそうだ?」

「出撃出来る程度には仕上げます。ただ、万全ではないので次またあの子と鉢合わせたら撃墜されますね」

「………あの機体か。あれについて、話せることはあるか?」

 

 あの機体。それはつまり、ギャラルホルンに居る白いシトリーのことだ。色と武装に目を瞑れば、あの機体はシトリーにとても似ている。敵の戦力は知っておくに越したことはない。ましてあれはバルバトスやシトリーと同じガンダムタイプ。この時代では骨董品同然かもしれないが、だからと言ってその戦力を侮ってはいけない。ジャックは敵パイロットと旧知の仲だということも分かっている。今後、あの白い狙撃機はどうしたって無視できないのだ。

 ただ、ここで問題が生じる。このメイドは、当時の情報を口にすることを躊躇う。シトリーの事を話したのも、宇宙に上がる直前だった。仕える主の質問には一応は答えるつもりのようだが、素直になんでも話そうとしてくれる訳でもない。

 

「……話さなければいけませんか?」

「ああ。話してくれ」

「シトリーを地上専用の運動特化機とするなら、あっちのシトリーは宇宙専用の狙撃特化機です。使用する弾頭は高硬度レアアロイですが、今回は普通の物を使ってましたね。お陰で命拾いしました」

「……高硬度レアアロイ?」

「あー、そこは無視してください。メカニックな話は雪之丞さんが知ってれば良いので。それで、向こうのシトリー……正しくはシトリーⅡですが、得物は長距離狙撃用のレールガンですね。アホほどエネルギー使うんでポコスカ連射出来ない仕様ですが、一発あれば戦闘が終わります」

「……は? たったの一発で?」

「はい。たったの一発で終わります。現にあの子は一発であらゆる戦場を終わらせてきました。向こうがその気だったら、イサリビは墜とされてましたよ」

 

 ほんと、狙いがわたしで良かったですね。とジャックは舌打ちした。膝上に置いた端末を乱雑に叩き始めたのは、修理が上手く進まずに苛ついているからだろう。もしくは、愚弟を思い出して不機嫌になったかだ。

 何にせよ、彼女の言うことが全て事実であるのなら、あの白い狙撃機はこれから先無視できない。たった一発の狙撃で戦闘を終わらせるような存在、それがあの白いシトリー。使用する弾頭が高硬度レアアロイで無くとも、黒いシトリーに甚大な被害をもたらしたのだ。

 

「ただ安心してください。あの子からイサリビを守って見せます。今のわたしでは死ぬでしょうが、離脱する時間は死んでも稼ぎます」

「……それほどの相手、って事か。なにか策はないのか?」

「無いですね。あの子は絶対に弾を外しません。閃光弾も次は対策してくるでしょうし。第一あれは厄祭戦時に命中率100%を叩き出した化け物ですよ? まぁわたしは被弾ゼロですけどね?? ふふん凄いでしょう」

 

 話がズレてきたような気もするが、命中率100%という情報は事実なのだろう。だとすれば、あのスナイパーは恐ろしい存在だ。それはそうとドヤ顔で無い胸を張るのは如何なものか。

 被弾ゼロのパイロットと命中率100%のパイロット。二人が本気で向き合えば、果たしてどうなるのか。いや、その結果はもう出ている。不意打ちとはいえ、シトリーは背中を抉られているのだから。姉弟喧嘩、或いは兄妹喧嘩は、残念ながらマリアの方が勝利しそうだ。

 

「背中撃たれてちゃ被弾ゼロも格好がつかねぇな」

「んぐっ……! 次は避けますよ!? 避ければ良いんでしょう!!?」

 

 オルガの一言に、ジャックはキレた。今日の彼女は表情がコロコロ変わる。目の下の隈と、肌の青白ささえなければもう少し可愛らしく見えただろう。膝上の端末をバンバン叩く姿は子供そのもの。メイドらしさは格好だけしかない。

 

「まぁそうしてくれないと困るがな。ただ、無茶して簡単には死ぬなよ。足、まだ治ってないって聞いたぞ」

「日常生活に支障はありませんよ。痛くないので」

「……戦闘は?」

「問題ありません。まぁ、煩わしさぐらいはありますけどね。一度駆け出してしまえば気にならなくなりますから」

 

 ジャックの左足の傷は、火星で金属片を踏んづけて出来たものだ。ギャラルホルン最初の襲撃からそれなりに時間が経っているのに、まだ彼女の足には包帯が巻かれたままだ。よく見ると、血が滲んでいる。日頃から平然と歩いているので傷の具合が悪いと言うことは無さそうだが、傷の治りが遅いのもまた事実。いつ悪影響を及ぼすかも分からない。

 

「それはそうと、ご主人様」

「どうした?」

「わたし三日は寝ずに働いてるんですけど、そろそろご褒美が欲しいです」

 

 手にした端末を左へ押しやり、背中にケーブルを外したジャックは少し腰を浮かせて「はいっ」と頭を差し出す。完全に撫でられ待ちの姿勢になった彼女だが、生憎と相手が悪いようだ。頭を差し出されたオルガは意図を理解出来ず怪訝な顔をしてしまう。

 

「……分かった。おやっさんに言っとくから、ひとまず休んでくれ」

「いや休憩はいらないですけど?」

「あ? じゃあ何が欲しいんだ? ……金か? 言っとくが今鉄華団の財政は結構ギリギリで」

「いやだからボーナスが欲しいとかそんなんでもなくてですね??」

「じゃあ何なんだ。ハッキリ言ってくれ」

 

 残念ながらジャックが欲しがっているものは、オルガには理解されていないようだ。

 

「だーーかーーらーー、頭、撫でてくださいよ。そしたらもう三日ぐらいは頑張れそうなんですけど」

「……あぁ? 何だかよく分からねえけど、これで良いのか?」

「……へへへっ。ありがとうございます。じゃあもう少しだけ頑張って働きますね、ご主人様!」

「おい……っ!」

 

 頭を撫でられご満悦のメイドは、気味が悪いぐらいに満面の笑顔を見せて団長の首に抱き付いた。唐突な抱擁を受けてオルガはふらついてしまったが、何とか転ぶことなく倒れることなくジャックの体を受け止める。ただ勢いを殺しきることは出来なかったのか、首に抱き付く少女をそのままにその場でクルリと時計のように回転することになってしまったが。

 

「じゃ、わたしはバルバトスの様子見てくるんで。ああ、それとハッチ閉まりますからそこから離れた方が良いですよー」

 

 気味悪い笑顔をキープしたままのジャックが警告すると同時、シトリーのコックピットが音を立てて素早く閉じた。うっかり挟まれそうになったオルガは盛大に溜め息を吐き散らかし、格納庫を後にするのだった。

 

 

 

 

 



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