タイガーマイヤー戦記・第一部 ――ネメシスの動輪―― (茅葺)
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プロローグ・ファブニール
1


「すげえ戦車(クルマ)だな、これ、あんたの?」

 

 感じ入った声に振り向くと、整備士の姿形をした十六、七歳の少年がこちらを見上げていた。

 

「まあな」

 

 グレッグは面倒くさそうな響きが声に出ないよう気を使いながら答えた。

 そこは街道沿いの小さな町の、吹きっさらしの駐車場だった。故障を抱えたクルマをだましだまし走らせて駈けこんで、ようやく一息ついた所だ。

 

(こいつには、おれがどんな風に見えているのかな?)

 

 戦車を手に入れる程なら、きっと腕と幸運に恵まれたハンターなのだと、羨望のまなざしで捉えているのかもしれない。グレッグは苦笑した。

 

「……好きなのか?」

 

「嫌いなやつなんているもんか――男だったら」

 

 悪くない。それなら丁寧に修理してもらえそうだ。この前の町のドックの親父ときたら、戦車で乗り付けた途端にものすごい剣幕で対戦車ロケット砲を持ち出してきたものだ。

 

(……どう見ても戦車の修理ドックだったがなあ)

 

 グレッグは今度はつとめて明るい口調で言った。

 

「合格だ。お前のとこのドックまで案内してくれ。左第三転輪のトーションバーが死んでるようなんだ。それに排気管のガスケットも交換したい」

 

 ポカンと口をあけて怪訝そうにこちらを見つめる少年に、グレッグは片目をつぶって見せた。

 

「見かけだけは立派だがな、俺同様のポンコツなのさ。こいつはな」

 

 

 

「大破壊」と呼び習わされる世界規模の破局が、人類の生活圏の大部分を破壊し、産業基盤が失われて以来、記録が残る限りでもすでに百年以上が経過していた。

 

 人々はわずかに残った耕作可能な──化学物質による汚染が看過できる程度に少ない──土地を守り、荒野に放置された機械から金属や部品を回収し、わずかな地下資源を採掘しながら、かろうじて文明の残り火を守って生きている。

 

 グレッグたち「ハンター」は、人々をいまも脅かす自動兵器の生き残りや武装した野盗、あるいは突然変異で怪物化した野獣を、各自さまざまの装備で狩り、撃退することで生活の糧とする。いわば傭兵と猟師を足したような職業だ。

 

 彼らのうちでも恵まれた者は、装甲を施し重火器を搭載した戦闘用の車両――「戦車(クルマ)」を使用する。ある程度以上の規模の町には、彼らのクルマを整備するためのドックが設けられるのが通例だった。

 

 

「ファブニールか。変わった愛称だな」

 

 転輪のボルトを締めなおしながら、ドックの親父はグレッグの車の砲塔あたりを見上げてそう言った。

 

「何だって?」

 

「この戦車の名前じゃあないのか? 砲塔の下辺にペンキで書き込んであるぜ」

 

 消えかけてるがな――

 

 そう言いながら立ち上がると、親父は機関部のほうへ数歩移動していった。

 

「気づかなかったよ。最近手に入れたばかりなんだ」

 

「古臭い戦車だからてっきり長い付き合いかと思ったぜ。いかんなあ、戦車乗りなら自分の車のこたぁ隅から隅まで頭に入れとくもんだ」

 

 点検ハッチに半ば顔を突っ込むようにして検分しながら喋りつづける親父に、グレッグはつぶやき気味に答えた。

 

「そうだな、気をつけるよ。短い付き合いになっちゃあ困るからな」

 

 そうして自分だけに聞こえるように小さく声に出した。

 

「ファブニール、か。いい名前だ」

 

 

 整備はまだ時間がかかりそうだったので、グレッグは戦車を親父に任せ、適当に選んだ安宿に引き取った。手荷物を部屋の隅に放り出し、湯を沸かす準備を済ませて、不釣合いにしっかりした椅子に身を沈めると、長時間クルマを操縦してきた疲れが全身にどっと吹き出してきた。

 

(一体この世界は……『大破壊』の前には、どんな風だったんだろうなあ)

 

 そんなとりとめも無い考えがグレッグの脳裏をかすめた。先立った妻のジェインは、素晴らしい理想郷があったように信じていたようだったが、グレッグにはそうは思えない。こんな糞っ垂れな世界をもたらしたのは、やっぱり前時代の糞っ垂れな文明だろうと思う。

 

 たとえばそこら中にうろつくあの自動兵器ども。あんなものを生み出すのだから、人殺しの方法についていつも研究を重ねている奴らがひしめく世界だったのだろう。今グレッグたちが使う戦車やその他の戦闘車両、それらもみんな人殺しの道具として造られた物たちだ。

 

(ファブニールもそんな世界から来たんだろうか)

 

 テーブルの固形燃料コンロの上で、借り物の小さなヤカンが甲高い音を立てた。その湯で腰のポーチから取り出した紅茶を淹れる。

 

 ジェインと結婚したときに、遠い町の店で高々とふっかけられて買ったものだ。もうとっくに香りなど失われてしまって、色の着いた湯ができるだけの代物だが、彼にとっては失われた暖かい日々の思い出へと導いてくれる、数少ないよすがだった。ジェインが生きていた頃から、特別の祝い事のときしか飲まない。

 

 その日の茶は、戦車に名前がついた記念のつもりだった。

 

 

 

 オクタポンドの町は汚染されていない水脈の上にあり、周囲には染み入らんばかりに豊かな緑色の農地が広がっている。

 食料も安く新鮮。まさしくオアシスそのものだった。近郊の村からは、ラクダ――と呼ばれている動物――を連ねた交易隊がバギークラスから時には軽装甲車までの雑多な戦闘車両に守られて、絶えず行き来している。

 

 この前に来たのはもう何年前だろうか。あの時はまだ駆け出しで、やっと手に入れた装甲車を廃墟にやむなく放置してしまい、ナマリ茸だらけにして洗浄しに来たのだった。

 

 

 ナマリ茸は水分の多い場所に長いこと放置された車にしばしば生える、気色の悪いキノコだが、本当のところ厳密な意味での「キノコ」ではない。原始的な鉄バクテリアを菌類がくるみ込んだ一種の共生体だ。

 菌糸の間に水分を保持し、そこに溶けた鉄分をバクテリアが酸化させ、その反応で生じるエネルギーを使って炭水化物を合成、その一部を菌類が利用するという仕組みらしい。ジェインが勤めていた学校の、ひょろりとした生物学教師がそんな話をしてくれたことがある。

 

 普通に取り除こうとしてもなかなか取れない厄介物だが、乾燥した場所で水分を保持するためにかなりの塩分を含んでいて、大量の水をかけると浸透圧で破裂してしまう。生えたままにしておくとどんどん増えて装甲板を侵すので、ここのような水に恵まれた土地に来たならば、必ず除去洗浄しておくのがハンターの心得なのだ。

 

 

 

 翌朝、ドックに行くと、親父が砲塔の上によじ登って、左側面の装甲板に四十センチ四方ぐらいの磨いた金属のプレートを取りつけているところだった。

 

「……そんな仕事を頼んだ覚えは無いがな」

 

「サービスだよ。わしゃこの戦車が気に入ったんでな。名前にふさわしくこいつを付けてみた」

 

 見るとプレートには奇怪な獣のシルエットが描かれ、下に『ファブニール』と刻印されていた。その獣をグレッグは知らなかったのだが、勇壮なシルエットは彼の好みに合っていた。親父の話だと、その生き物の中にそういう名前の奴がいたのだそうだ。

 

「こんな生き物が現存したら、戦車で相手したとしてもかなりてこずるだろうな……」

 

「安心しろ、こいつは架空の存在だ。物語の中でしかお目にかかれんよ」

 

 そう請合ってくれた親父にはちょっと感謝したい気分だったが──

 

「この戦車な、五人乗りなんじゃあないのか?」

 

 唐突に聞いてきた言葉に、グレッグは冷水を浴びせられた気がした。

 

 

 そうなのだ。

 

 ファブニールは本来、ハンターが一人で動かすようには出来ていない。どうも戦車の操縦系が電子化される前のものらしく、この町に来るまでも、グレッグは操縦席の横にある通信士用の車体機銃を何とか片手で遠隔操作して、しつこいロードガンナーの群れを振り切ってきたのだった。

 

「早いとこ自動装填装置と複合カメラセンサー、それに火器管制用か自動操縦用のコンピューターを買ったほうがいいだろうな。残念ながらここのパーツ屋には、それだけのものは揃っとらんが」

 

 親父の淡々とした口調が、かえってグレッグには厳しく響いた。主砲を使うには人を雇うか自動化するか、どちらかが必要で、それができない限りいずれそのうちに自分は死ぬ――奴らにたどり着く前に。

 

 それはご免だ。

 

 

「結局は銭か……」

 

 ドックを出た後、グレッグはここに来るまでの戦闘記録を収めたガンカメラのメモリーをもって、ハンターオフィスに顔を出してみた。だが係員の態度は実に事務的でそっけないものだった。

 

 それは仕方が無い。彼の持ち込んだメモリーには、せいぜい千ゴールド分ほどの記録しかなかったのだから。この程度の金額では、修理代と当座の補給品を買うのが精一杯、機銃を強力なものにして次の町までなんとかしのごうという彼の算段はもあっさりと崩れる。

 

「惜しかったですね、もう少し早く出頭して下されば、駆逐キャンペーンの配当金も上乗せして差し上げられたのですが」

 

 そんなおざなりの外交辞令などに用はない。グレッグは歯ぎしりしながらオフィスを出た。と、その時。

 

 

 前触れもなく爆音が轟いた。



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2

「何だ!?」

 

そう叫んだ次の瞬間、右手の崩れかけた廃ビルから、バラバラとコンクリート片が降ってきた。わずかに遅れて砲声がこだまする。

 

 さらに二発、そして三発。

 

 町の外から長射程の砲で、榴弾を撃ち込んで来ているらしい。おくればせにサイレンが町中に響き渡った。

 

「何てこった!」

 

 慌ててビルの下から離れながら、グレッグは毒づき、ドックへと走った。

 

 何人かの男たちが町の裏門のほうへと駆けていくのが見える。交易ルートの護衛車両らしいバギーに引っ掛けられそうになって、グレッグは地面に転がった。

 

 急ブレーキをかけた車が十メートル程スリップして停まる。

 

「馬鹿野郎!」

 

 先に怒鳴り散らしたのはバギーの男の方だった。グレッグは起き上がりざまそいつに駆け寄った。

 

「馬鹿はそっちだ、殺す気か」

 

 左ウィンドウから体を乗り出した男の首根っこを捕まえ、締め上げながら問い詰める。

 

「何が起きてるってんだ、説明しろ」

 

「知らんのか。ありゃこの辺を最近荒らしまわってるって噂だった、武装盗賊団だよ。どこで手に入れたのか、戦車(クルマ)を五台も持ってやがる――ご丁寧に車種を統一する念の入り様だ」

 

「五台も……」

 

「ここの水に目をつけたらしいな。この町はもう終わりだ、あんたも早いとこずらかったほうがいいぜ」

 

「……それでもハンターか」

 

 あきれ果てたグレッグが手を離すと、男は捨て台詞とともに走り去っていった。

 

「手向かえってでも言う気かよ! 勝てるもんか、くたばるがいいさ!」

 

 

 反対側の門へ向けて走り去る車を見送りながら、グレッグはため息をついた。

 

 

 あの男の言った事は正しい。今のグレッグには戦車五台をまともに相手取るのはかなり無理がある。だが、それをすんなり受け入れるには、今日のグレッグはいささか機嫌が悪すぎた。

 

(勝てないかどうか。やってみるさ、ここで死ぬくらいの器ならどのみちジェインの仇など討てはしないんだろうからな)

 

 

 ドックへ戻ってみると、ガレージは砲弾を受けて半壊していた。砕けたコンクリートの粒子がまだ空中に漂っている。砲撃は一旦止んで、オクタポンドの町に降伏を呼びかける拡声器からの声が、遠雷のように響いていた。

 

 瓦礫の下から何か突き出している。それがあの整備士の親父の腕だと気づいて、グレッグは一瞬めまいを覚えた。

 

「あんたとは短い付き合いになっちまったらしいな」

 

 考えてみれば、まだ名前も聞いていなかった。このファブニールが最後の仕事になってしまったが、満足だっただろうか?

 

 砲塔によじ登ってハッチを開けたところで、後ろからあの整備士見習の少年の声がした。

 

「どこに行くんだよ!まさかその戦車で……」

 

 買い出しに行ってきた帰りらしく、手には酒や食い物の入った袋をぶら下げたままだ。

 

「そうだ。こいつで奴らと戦う。」

 

「だってあんた、その戦車は一人じゃあ……」

 

 あの親父め! 要らんことまでペラペラとこいつに喋ったのか。

 

「それでもやるのさ。この辺で『戦車』に乗ってるハンターは俺だけらしいんでな」

 

 その時、グレッグの頭の中でひとつの考えが閃いた。

 

「坊主、お前の名前は?」

 

「ト、トミーだよ」

 

「よしトミー、お前を臨時にファブニールの装填手として任命する」

 

 何事かと恐怖に顔を引きつらせる少年にグレッグはさらに追い討ちをかけた。

 

「砲塔ハッチを開けて、乗り込むんだ」

 

 

 

「今の状態では無論、ファブニール(こいつ)で五台相手の機動戦は無理だ」

 

 ドックの親父とも話した事だが、本来この戦車には三人の砲塔要員が必要なのだ。

 

 戦車長。

 

 装填手。

 

 そして無論、砲手。

 

 だが幸いにしてファブニールを入手して最初にレストアしたときに、馴染みの整備士が戦車長用のスコープも砲手座から使えるように改造してくれている。つまり、索敵と状況把握は自力でやりながら、主砲も操作できるわけだ。

 

 エンジンの駆動音が響く車内で、グレッグは砲塔にいるトミーにそこまでを手短に説明してやった。

 

「だから装填手さえいれば、主砲は撃てる。動かずに戦う事さえ出来ればな」

 

「本気かよ」

 

 冗談じゃない、やられちまうぜ。そう言って怖気をふるうトミーに、グレッグは意地悪く

付け足した。

 

「戦車が好きなんだろう?こんな機会、そうは無いと思うぜ」

 

 

 

 町の門のそばまできて敵の姿を初認した時、グレッグは思わずほくそえんだ。どうやら敵の戦車の主砲は七十五ミリらしい。

 それなら側面に回りこまれない限りは、ファブニールの装甲は貫通されずにすむ可能性が高い。おまけに奴らは戦車を密集させすぎている――付け入る隙はある。

 

 

「いいかトミー、俺はこれから戦車を一旦停めて砲塔へ上がる。お前は俺の右側に付け。装填だけに集中すればいいからな」

 

 グレッグはファブニールを敵の予想火線に対して右三十度に位置させると、変速機のギアをニュートラルに放り込み、エンジンの回転を限界よりやや下、2800rpmまで上げてアクセルを固定した。

 

 これで砲塔はエンジンからの油圧を受けて敏速に旋回する事ができる。

 

「うわ、何だこの砲弾!こんなでかいのはじめて見た」

 

 車内通話装置のヘッドセットからトミーの驚きの声が響いて来る。

 

「八十八ミリ砲弾だ。実は俺もこのクルマに乗るまでは見たことがなかった。重いから怪我しないように気をつけろ。あと尾栓は装填後自動で閉鎖するから、指を挟むなよ」

 

「うう、わかった」

 

 トミーのほっそりした腰にはあの砲弾はかなり負担だろう。ヘルニアなど起こさないでもらいたいところだが――

 

 外ではまだ野盗どもの拡声器が、無法な要求を町に対してがなり立てていた。

 

「最後通告だ。十秒たって返答が無ければこの町を完全に破壊する。繰り返す……」

 

 

「下衆どもめ」

 

 グレッグの胸の内には静かだが激しい怒りがあった。

 

 モンスターや自動兵器だけでもこの世界はこれだけ糞っ垂れだというのに。水が欲しければ普通に買えばいいだろう。そして戦車がありながら、ハンターにでもなって人々の安全に貢献しようと、なぜ思わない?

 

「見てろよ……」

 

 ――5ぉ、4、3、2ぃ、1ぃ……

 

 拡声器から響くあざけるような声をかき消して、ファブニールの主砲がくぐもった咆哮を上げた。

 

 盗賊団の戦車の不恰好な砲塔が、車体からはじけ飛んでひっくり返るのが見える――まずは一台。

 

「トミー、次弾装填だ。早くしろ」

 

 熱い空薬夾を二重に軍手を嵌めた手で砲塔後部バッスルの弾薬ラックに戻すと、トミーはよろけながら第二弾を装填した。その瞬間、轟音とともに車体に伝わる衝撃。敵の初弾だった。だが貫通はしない。

 

「下手糞め」

 

 吐き捨てるような口調になるが、顔は笑っていると自分でもわかる。

 

 よりによって一番装甲の厚い前面部、しかも斜め方向からの着弾だ。貫けはしない。どうやら敵は戦車戦に関してはズブの素人なのだ。

 

 敵は自動装填装置を使っているらしく、かなりのペースで撃ってくる。車体の左側面下部で嫌な音がした。キャタピラ部分だ。履帯か転輪が破損したのに違いなかった。

 

「素人でもまあ、そのくらいのセオリーは知っていると見える……!」

 

 だがそれは野戦、尚且つ機動戦でこそ有効な戦法だ。グレッグはそもそも動くつもりなど無かった。

 

 戦車のもっとも原初的な意義は、移動トーチカとしての運用にある。彼はその「移動」さえも捨てて勝ちを拾うつもりだった。ファブニールの巨体に施された強固な装甲は、未だ一発の貫通弾をも敵に許してはいない。

 

 そして二射目。今度は機関室を撃ちぬいたらしく、敵の戦車は爆炎に包まれた。膝を折って崩れるような様で、その車両は動きを止めた。

 

 予想以上の戦果にグレッグの心は高揚した。勝てる。戦って、勝つ。

 

 砲塔旋回ペダルを踏みこんでファブニールの射界に敵の戦車を捉え、距離に合わせて砲の仰角を調整する。その一つ一つが今日の勝利と、明日の生とに直結している。

 

 それは戦うものだけが、獣だけが持ちうる充足の時。

 今、グレッグとファブニールは、始めて真の意味で一体となったのだ。

 

 第三射。   

 

 アンテナを幾つもつけた指揮車両とおぼしい敵戦車が弾庫に直撃を受けて沈黙し、残る二両はなおも遠慮がちに空しい砲撃を続けながら撤退を始めた。

 

 

 

 

 ハンターオフィスで受け取った報酬はそれなりに満足できる額だった。どこかの裕福な交易商人が、盗賊団にいくばくかの賞金をかけてくれていたのだ。

 

 これで、どこかの町でコンピューターユニットを手に入れられれば、一人でファブニールを操る事が出来るようになるだろう。鹵獲した敵戦車の砲塔からはやはり自動装填装置が出てきた。あれも、自分の戦車に合うように改造できるかもしれない。

 

 そうやって、少しづつでも自分の力を蓄える。そしていつか、ジェインを奪った奴らにふさわしい報いを呉れてやるのだ。

 

 

 オクタポンドの町の出口、数日前ファブニールが陣取った場所よりやや外側で、グレッグはトミーの見送りを受けて出発しようとしていた。 

 

「トミー、お前これからどうするんだ?」

 

「……勉強して親方のドックを再建するよ。戦車は好きだけど、乗って戦うのはもうご免だな」

 

少し逞しくなったように思える横顔をみせて、少年はグレッグの問いに答えた。

 

「そしたらまた来てくれよ!あんたの戦車、地上最強にしてやるから」

 

「ああ」

 

 地上最強か。

 

 そいつはいい、とグレッグは微笑した。いつかこの少年の助けを借りて、俺の最後の敵に肉迫する、そんな日が来るかもしれない。

 

 デュラン大佐。

 

 忘れる事の許されないその名に。

 

 オクタポンドの町を彼方後ろに見つつ疾駆するファブニールの操縦席に、グレッグの歌う、ハンター達お馴染みの進撃の歌が低く流れつづけた。

 



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第一章・蘇る虎
復活・前編


 ザクッ――

 

 少し錆びたシャベルが、今日何千掬い目かの砂を、ほんの1mほど移動させた。グレッグの体を照らす陽光が次第に角度を変え、地面に落ちるその影を短くしてゆく。

 

 ザクッ――

 

 グレッグは腰を伸ばして一息つくと空を見上げた。

 

 昔はつやのある栗色だった彼の髪は年とともに半白に変わり、目尻と口元には細かい皺が増えた。本来は鼻梁の高い整った顔だが、不精ひげと砂埃のせいで、くたびれた野卑な印象がそこに加わっている。

 だが、苦々しげに天を仰ぐ瞳の澄んだ輝きだけは、少年の頃のままだ。

 

「潮時だな」

 

 グレッグは呟いた。

 

 一時間も経てば太陽はこの砂漠をフライパンに変えてしまうだろう。夕方までは作業を再開できないし、一度町まで戻って必要なものを買い足して来た方がいい。

 

 水とかガソリンとか、食料とか――そんな物を。

 

 

 町のハンターオフィスで最後に受け取った報酬ももう残り少なかった事だし、レンタルしているこのハーフトラックに七.九二ミリ機銃の弾薬も補充しておきたかった。何かひとつの事を始めれば次々にやる事は増えてゆくものだ。

 

(この砂漠と同じだな。掘り返し始めればキリがない)

 

 そんな思念とともに、グレッグはハーフトラックの座席に体を押し上げた。

 

(だが俺は本当のところ砂漠を全部掘り返さなきゃならん訳じゃない――金属探知機は確かにあの場所を示してるんだからな。あそこには間違いなく埋まってるんだ)

 

 次の言葉はグレッグの舌の上で、半ば歌のように踊った。

 

「俺の、戦車が」

 

 

 

 

 直射日光を遮る物といえば古びたキャンバス地の幌より他にはない座席で、グレッグは大破壊以前に作られた古いメロディーを唄っていた。

 

 駆け出しのハンターだった十五年前。掘り出し物でもないかと足を踏み入れた廃墟の、打ち捨てられたジュークボックスから流れ出した曲だ。今ではハンターたちの間で少しずつアレンジを変えて口伝えに広まり、「ルート99」というタイトルで知られている。だが本来の音は彼だけが知っている。

 

 もしかすると彼がハンター生活の中で手にした、最高の宝物だったかも知れなかった――ジェインとリサを除けば。

 

 

 結局のところグレッグが5年前に現役を退いたのは、ジェインのためだった。

 

 小さな町の学校で教師をしていた彼女にとっては、毎日のように荒野を駆け回ってはモンスター化した野生動物や大破壊前の自動兵器と戦い、いつ冷たい骸と化すかしれない、彼のような男を夫にする事には抵抗があった。何よりグレッグ自身、放浪の日々にはいささかくたびれてもいた。

 

 三十歳といえば、この時代においては普通以上の幸運に恵まれない限り到達困難な年齢だ。そんな幸運な男はできればその運が続くうちに定住し、モンスターよりはもう少し微妙な戦い方の必要な相手、つまり人生というやつと戦うべきなのだ。

 

 

           * * * * * * * *

 

 

 ペトラの町は人口が千人ほど。さほど大きな人口集中地ではないのだが、前時代のいつ頃かに造られたらしい石油採掘施設と精製プラントの一部が残されていて、その事がこの町を、付近でも特異な存在に仕立てている。

 この近隣で活動するハンターの多くがこの町で給油し、モンスター退治のギャラを受け取り、車の損傷を繕い、人間としてのささやかな欲求を満たして、また荒野へと出て行くのだ。

 

 

「人間の土地を守るために」

 

 

 通りに面したハンターオフィスの壁にそんなスローガンが掲げられているのを見て、グレッグの心はほんの少し和んだ。だが、三ヶ月前のあの日から心に焼きついた妻の死に顔が、すぐにそんな和らいだ気持ちを粉微塵にした。

 それでも、同じ壁に張り出された駆逐キャンペーンのポスターは見逃さない。

 

 ――キャノンホッパー。

 

 このあたりでも結構見かけるやつだ。障害物の間をピョンピョンと飛び跳ねて、二十ミリくらいの砲弾を、動くものと見れば手当たり次第に撃ちかけてくる。自動兵器としては冗談のような部類だが、遠出をしすぎた不運な子供を行方不明者のリストに追加するには、それでも充分過ぎるくらいだ。

 

(機銃弾はやっぱり補充しなきゃな)

 

 キャンペーンの対象モンスターを仕留めれば、通常の報酬以外にも配当金がつく。今のグレッグにとってはこの上なくありがたい収入になるはずだ。

 

 

 ハーフトラックに補給品を積み込んで酒場へ立ち寄ると、アンディーがカウンターにいた。大型の装甲バスに強力なエンジンと十二.七ミリガトリング砲を積んで、長距離間を往復する運び屋だ。ハンターとしてオフィスへの登録もしている。

 

 大酒飲みなのが欠点だが、勘のいい男だ。彼のアルバトロス号は決してトラブルに巻き込まれないと、交易商人たちには絶大な信用が有る。

 

 グレッグにとっても古い馴染みで、何度か二人で困難な依頼を片付けた事もあった。そして、今回砂漠に埋まった戦車の情報をもたらしたのも彼だった。

 

「見つけたらしいな、相棒」

 

 垢染みた野球帽の下から覗くアンディーの目はもう真っ赤だ。既に大分きこしめしていた所らしかった。

 

「なぜそう思う?」

 

「あんたがこの時間にここに来るってことは、そういう事だろうさ」

 

「……見つけたよ。流石だな、どうしてあんな所に何か有るなんて判った?」

 

「俺だって勘だけで仕事しちゃあいない」

 

 アンディーが自慢気な様子になった。

 

「古い時代の戦争の記録を収めた場所が、ここから百キロほど北にあるんだ。そこのヌシはハツブクカンとかいっていたっけな。そこのライブラリにあったビデオであのあたりを映してた」

 

(そりゃあ博物館だろう)

 

 グレッグは口の中でぼやいた。

 

 ジェインが聞いたら行ってみたがった事だろう。あいつは大破壊以前の事となるとやけに熱心だった。

 

「ジェインの事は昨日、マスターから聞いたよ。残念だったろうなあ」

 

「え?」

 

「一度は足を洗ったあんたが戦車を欲しがるなんて、よくよくの事だとは思ったが」

 

 どうも後ろのほうを声に出してしまっていたらしい事に気づき、グレッグは狼狽した。どうにもいたたまれなくなって、酒場のマスターに水代だけ形式的に払い、そそくさとその場を離れる。

 

「礼は掘り出してからでいいぜ。牽引に車が足りないときは連絡してくれ」

 

「ああ、また来る」

 

 片手を挙げてドアを出ながらグレッグはアンディーに叫んだ。

 

「飲みすぎるなよ」

 

 あの様子だともう二、三日はこの町にいるだろう。石油施設を守る当番のときにへべれけになっていなければいいが、とグレッグは思った。

 

 

 

 乾いた気候のおかげで掘る事自体はさほど苦労はなかったが、砂が崩れやすいのには閉口させられる。一度などは危うく生き埋めになりかけたりもしながら、グレッグのシャベルは三日目の朝にようやく、ゴツゴツした金属の塊にぶち当たった。次第に姿を現していくそれは恐ろしく巨大な重戦車らしかった。

 

 グレッグはこんな化け物のような戦車を見た事がない。だいたい戦車など今では造る事が難しいから、ハンター仲間でも本当の「戦車」を所有している者は数えるほどだ。

 

 大抵は危険な事この上ない昔の軍事施設の奥や、権力者用のシェルターの中などに取り残されていて、そこまでたどり着いて持ち帰る事などまずおぼつかない。その上、維持するのにひどく金がかかるし、燃費も悪くてへたをすればハンターの生活を一層過酷なものにしかねなかった。

 

 そしてしばしばその強力な大砲には恐怖にさらされた人々がすがりつき、もっと強力な武装を持つ敵によって、彼らはもろともに破滅させられるのだ――

 

 

 グレッグがこれまでに見た事がある戦車で最も強力なのは、大破壊の直前に造られたという、「ウルフ」とよばれる車種だった。

 

 暴徒鎮圧や反対派の武力制圧用に造られたというそれは、前面投影面積を絞り込んだ車体に高性能な火砲を備えた、いかにも機能的な戦車で、シルバーの綽名で知られるトップクラスのハンターがその主だった。

 

 だが、これは。

 

 サイズ的にはウルフと大差ない。全長にいたっては十メートルではきかないだろう。車高も車幅も不必要に大きく感じるがその車型は奇妙に美しく、戦闘のための機能などとは別の意思をもってデザインされているとさえ感じられる。グレッグはだんだんその戦車が好きになり始めていた。

 

 湿気のない砂漠に埋もれていたおかげで、車体には殆ど腐蝕は見られない。全体に較べてむしろ細身に見える主砲は口径にして九十ミリに少し足りないようだが、その分砲弾は多く積めそうだった。

 

 ただ、ハッチから車内に入ってみて驚いたのは、どうやら五人乗りらしいということだ。見た限りでは火器管制用コンピューターのシステムなども無いらしい。

 

 

 ――とんでもなく古い戦車なんじゃないのか。

 

 グレッグは不安を覚えながら、車体前部の牽引用リングに、ハーフトラックから伸びた牽引ワイヤーをシャックルで固定した。アクセルをゆっくりと踏み込むとワイヤーがピンと張って、パワーが売り物のエンジンが悲鳴を上げる――動かない。

 

「アンディーを呼ぶしかないな」

 

ぺトラのオフィスを経由して通信機で呼び出してから、アンディーのバスが姿を現すまで軽く二時間ほどかかった。

 

「十八トンハーフトラック一台じゃ、足りなかったか」

 

 アンディーがあきれたように戦車を見上げた。いまグレッグがレンタルしているハーフトラックは、これでもぺトラで貸し出している車両の中では抜きん出た大きさとエンジン出力を誇るものだ。三十トン程度の戦車ならどうにか牽引して町まで戻れるはずだったのだが。

 

「こんなデカブツが出てくるとは思わなかったよ」

 

 アンディーの装甲バス、アルバトロス号なら、ほぼハーフトラックと同格の馬力の筈だ。苦心してもう一本、非常識な太さのワイヤーを取り付ける。

 夕刻に再開した作業は夜半に及んだが、バスとハーフトラック、二台のエンジンがぶるぶると咳き込み、繋ぎあわされた三頭の鉄の獣は砂塵を捲き上げながら、ペトラの町へと進んでいった。

 

 

           * * * * * * * *

 

 

 ジェインと結婚して現役を退いたグレッグが住み着いたのは、ペトラから二十キロほど離れた、シーダーレイクという人口三百人ばかりの小さな村だった。ここでは近くの山の斜面を利用して良質の木材が生産されている。

 杉、と慣用的に呼ばれるその針葉樹は生育にやや時間がかかるが、村ができたころ自生していたものを伐採したあとに植えた二世代目、三世代目に当たる若木がそろそろ商品になるほどに育っていた。

 

 初めは製材所で丸太を材木に加工する仕事についたが、程なく彼がハンターであることは村人の知るところとなり、数日後グレッグは作業所のラインから外された。

 

 比較的平和で自然も豊かな土地とはいえ、敵意ある世界に生きる村人たちにとっては、彼のハンターとしての経歴は到底無視できないものだったのだ。結局は週に三日、ペトラのレンタル屋で借りたバギーを乗り回して近隣のパトロールをするのが、彼の主な仕事になった。

 

 パトロールに出ない日は林から製材所へ丸太を運ぶトラックを運転したり、機械類の整備を請け負ったりした。ジェインはグレッグがパトロールに出るのを少し嫌がったが、暮し向きは製材所の仕事だけよりは良くなったし、村には読み書きを教える必要のある子供達が大勢いた。

 

 都会からきた夫婦が村に必要とされる人物として受け入れられていくのには、さほどの時間はかからなかった。

 そして、結婚前から妊娠の兆候のあったジェインは間もなく赤ん坊を産んだ。リサと名づけたその女の子は、村中から愛されてすくすくと育っていった――あの日までは。

 

 

 

 レンタル屋は、まだ車を入手できない駆け出しや、グレッグのように一線を退いた『予備役』ハンターにとっては便利なものだ。ペトラ程度の町なら大抵どこにでも、小さなオフィスを構え、二台か三台、多いときはそれ以上の中古の戦車を、ガレージに置いて営業している。

 

 置いてある戦車の多くは、バギーや装甲バスか、せいぜい小型の装甲車といったところだから、あまり広範囲にまたがる任務や、一部のきわめて凶悪なモンスターに対処するには不向きだ。だがもとよりそんな仕事は限られた一握りのハンターたちのものだ。近郊の小物モンスターを掃討したり交易の護衛をしたりするには、これで充分といえた。

 

 グレッグが今乗っているバギーは、剛性の高い軽合金製のフレームで構成された車体に高出力のガソリンエンジンと七.九二ミリ機銃、それに火炎放射器を積んでいる。現状ではそれなりに満足できるクルマだ。

 今日は一日中付近の丘陵地帯を走り回って、何体かのモンスター――巨大アリやバイオマイマイ、それに「交易隊(トレーダー)殺し」と呼ばれるここいらではとりわけ危険な軽戦車タイプの自動兵器を仕留めて、村へ戻るところなのだった。

 

 

 バギーを走らせるグレッグの前方遠くに、砂煙が見えた。

 

 この辺を哨戒中のハンターの誰かだろうかとも思ったが、その砂煙は遠目にも長く、高い。決して一台や二台の車が立てるそれではなかった。奇妙な胸騒ぎを覚えてグレッグはバギーを急停止させ双眼鏡を覗きこんだ。

 

「何だ、あれは」

 

 そう言葉にしたものの、双眼鏡ごしに見えたのは間違えようのない物の群れだった。

 戦車。装甲車に、大型の装甲トラック。その他のあらゆる車輛。

 

(どういう事なんだ)

 

 グレッグは呟いた。あれだけの数の戦闘用車輛と支援車輛がひとつ所に集まるなどという事は、大破壊を経たこの時代、通常では考えられない。ということは――

 

(……軍隊?)

 

 

 遠い昔に死語となったはずのそんな単語が頭の中を駆け巡る。しかし、誰が、何者に対して、何のために組織した軍隊だというのか?

 

 今のところこちらに気づいた様子は無い。というよりは気にも留めてはいまい。長蛇の列を成したその大部隊はゆっくりと彼方の砂丘を横切って、ペトラを始めとした町々の点在する街道とは大きく外れた、砂漠の真っ只中へと進んでいく。

 

 

 グレッグが知る限り、その方角に人の住む町や村は無い。白昼に幽霊に出会ったような不気味さに、胃袋のあたりが不快にひきつれた。

 

 そして――砂煙のおさまった地平線の向こう、シーダーレイクの方角に立ち昇る狼煙のような黒煙を見出したとき、グレッグは我知らず絶叫を上げながら、急発進させたバギーのアクセルペダルをさらに、さらに強く、床を突きぬけんばかりに踏み込んでいた。



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復活・後編

 村に近づくにつれて、シートと尻の間の辺りに重くわだかまっていく絶望感が、アクセルを踏んだその足から力を奪い去っていくようだった。

 だがその分冷静さも戻ってきた。村の入り口に数台の車が停まっているのが見え、グレッグはバギーを村の東側に茂る低木の林のほうへと迂回させた。

 

 先程の隊列の中にいたものと同様のトラックが二台。そして軽武装のジープ。

 正面から突っ込むような愚は避けるべきところだった。相手の戦力は未知数だ。

 

 グレッグは慎重に車を林の中に乗り入れて停めると、ダッシュボードの蓋を開けて、銃身を切り詰めたショットガンとナイフ、それに大型の手榴弾を持ち出した。

 

 DDパイナップル――高性能の爆薬を使用したこの『手榴弾』は、広範囲に広がる強力な爆発を起こす。グレッグは携行火器での射撃は得意ではないから、こういうものを使わざるをえな

い。

 

 どうやら彼らは隊列を離れて物資の調達に来ているらしかった。トラックの荷台に麦の袋が積まれていてその周りに十人程の男達が動き回っているのが見える。

 村の人々が汗水たらして杉林を育て製材し、ペトラの業者に売ったその金で買った貴重な麦だ。吹っ飛ばすのはしのびなかったが、グレッグはDDのピンを抜き、投げた。

 

 一人が四散し、三人ほどが打ち倒され、そして何人かは横倒しになったトラックの下敷きになった。トラックの搭乗人数から考えて、敵の三分の二はこれで倒したはずだ。

 グレッグは残る敵と、そして生存者を求めて村の奥へと進んだ。

 

 

 あちこちの建物から火の手が上がっていた。

 トラックの乗員達は物資の調達に際してずいぶんと手荒い手段を取ったらしい。グレッグの頬は炎の照り返しで紅く染まり、熱気で灼けた。辺りには木材のこげた匂いとその他のもっと忌まわしい匂いが立ち込めている。それは死と恐怖の匂いだった。

 

 物陰から物陰へと縫うように進みながら、大声で家族の名を呼びそうになるのを、グレッグは必死でこらえていた。まだ村の中に残っている敵がいるかもしれない以上、不用意に自分の所在を明らかにする事は出来ない。ひどい緊張のせいでまた吐き気がこみ上げてくる。

 

「くそっ」

 

 グレッグはかぶりを振った。

 

(俺の胃袋ときたら、何だってこうもデリケートに出来てるんだ)

 

 誰かが倒れている。見覚えの有るその顔は水車小屋に住んでいる、粉屋のテッドだった。

 

 可哀想なテッド。ついこの間父親になったばかりだったというのに。

 もともとはジェインの学校の生徒で、グレッグ達の結婚と前後して卒業し、村に帰った。シーダーレイクにグレッグが移ってきたのも彼の勧めあってのことで、グレッグ達の引越しの車には彼もちゃっかりと便乗していたものだ。

 

 それから五年。父の跡を継いで村で粉屋を始め、幼馴染の娘と一緒に所帯を持った。それなのに。たったの十八歳で殺されてしまうとは――

 

「……父親?」

 

 脳裏に浮かんだその単語が、グレッグにさいぜんから気にかかっていた事が何なのか気づかせた。

 

「子供は……子供たちはどこへ行った?」

 

 シーダーレイクには十歳未満の子供が、リサも含めて少なくとも二十人はいたはずだった。だが村がこんな事態に陥っているときに、なぜ子供の悲鳴や泣き声が全く聞こえないのか?

 息を潜めているにしても、これだけ火が燃えていればいつまでも家の中にはいられない。何が起こっているのか判らなくなってきて、グレッグは汗でぬめったショットガンのグリップを何度も握りなおした。

 

 その場所から移動しようとしたとき、グレッグはテッドの右手に回転式拳銃(リボルバー)が握られたままなのを見て取った。

 

 どうするか――

 

 残敵の正確な人数がつかめない事と、子供達の事が彼を不安にさせていた。武器は多いにこした事はない。そろそろと建物の陰から這い出すと、グレッグは若者の亡骸に近づいた。この位置まで来ると、通りの向かい側のくすぶりつづける民家の残骸の陰で、テッドの妻が血溜まりの中に倒れているのも見て取れた。

 

「俺はこいつの扱いが得意じゃないんだが、残弾は有効に使わせてもらうぞ」

 

 そう呟きながらグレッグはテッドの右手をこじ開け、腰のガンベルトに拳銃を挟み込んだ。

 

 不意に右足に衝撃を受けて、グレッグは転倒した。一瞬遅れて銃声がこだまする。村の中央広場の方から、小口径のライフルを構えた男が走って来るのが視界の隅をよぎった。

 トラック乗員の片割れらしいその男は、倒れたグレッグがよく見える距離まで来ると、油断なくこちらへ銃口を向けた。

 

 グレッグは死を覚悟した。ショットガンではあまり殺傷効果の無い距離に男は居たし、拳銃でこの距離で命中させるのは、グレッグには無理だ。右足の銃創は膝の近くを砕いたようで、耐えがたい痛みがじわりと脊髄を這い上がってくる。

 

 オイホロカプセルが欲しい、とグレッグは思った。闇マーケットなどで高額で取引される鎮痛剤――というよりは、ありていに言って麻薬である、オイホロトキシンを製剤したものだ。

 過酷な戦闘に生身をさらす傭兵(ソルジャー)達が好んで使うが、多用して廃人になるケースも多い。

 

 生まれつき酒なども受け付けない体質のグレッグにとっては、用量次第では命取りになりかねない代物だ。それでもこのまま動けないでいるよりはましだと思えた。

 

 

 不意に銃声が響いた。

 

 後頭部を撃ちぬかれてゆっくりと男が崩れ落ちるのを信じがたい思いでグレッグは見守った。

 

 一ブロック先の雑貨店のドアが音を立てて開き、長い銃身の狩猟用(ハンティング)ライフルを再装填しながら、中年の女が姿を現した。

 

「ヘレン小母さん? ……ありがたい、命拾いしたよ」

 

 夫を事故で亡くした後も村で一軒きりの雑貨店を切り盛りしつづけている、気丈な寡婦だ。土曜日の午後になると、店には人工甘味料のソーダ水を求める子供達が詰め掛け、彼女はさながら魔法の泉の女神のように慕われている。腹部に銃弾を受けたらしく、彼女は血に染まったスカートの裾を引きずっていた。

 

「グレッグかい。お急ぎ、奴らの一人があんたの家へ向かったのを見たよ」

 

「小母さん。何があったんだ、子供達はどうなった?」

 

「……あたしの小さなお客さんたち!!奴らが突然やってきて何人も殺されちまって、生きていた子は連れて行かれたよ。……何てこったい、何て」

 

「リサは?」

 

「さあね、店には来てなかったけどねえ」

 

「そうか……ありがとう」

 

 グレッグは右足を引きずって自宅へと向かった。傷は痛むが、そんな事はこの際後回しだ。最低限の処置として、腰のポーチから回復カプセルを取り出し、水無しで飲みこむ。

 含有された極微量のオイホロトキシンが痛みを和らげ、短期分解性のナノマシンが傷をある程度修復してくれるはずだ。昔ハンター仲間から教わった呼吸法も併せて試みると、足はどうやら言う事を聞いてくれそうな感じになってきた。

 

 よろけながらなりふり構わずに進むグレッグの後で、ヘレン小母さんのライフルがもう一度響き渡った。

 

 

 自宅の前まで来てグレッグは家が燃えていない事に安堵した。だが、それはまだ中に敵がいると言う可能性を示してもいる。ドアは開け放しになっていた。ショットガンから拳銃に持ち替えて、グレッグは中に踏み込んだ。

 足音を殺して進んでいくとキッチンのほうから人の息遣いが聞こえて来る。

 

 

 案の定と言うべきか――ズボンを膝まで下ろした男がキッチンの床の上で動いていた。白い足を男の両脇に力なく投げ出して、女が横たわっている。

 

 ジェインだった。頭の辺りに血溜まりが広がっていた。

 

「よかったか?」

 

 グレッグは男の頭にテッドの拳銃を向けたまま声をかけた。

 

「そいつは俺の女房だ。料金は高いぞ、お前にとってはな」

 

 自分のズボンに膝の所で足を縛られた形になって機敏に動けず、男は恐怖に顔を歪めた。

 

「ま、待ってくれ」

 

 ジェインは胸を撃たれて絶命していた。口元から流れ出した血が泡だって、その赤い海の上に、虚ろな眼を開いたままの顔が浮かんでいる。

 

 

 絶望と足の傷の痛みがグレッグを現実からもぎ取っていきそうになる。敢えて冷酷な男を演じ諧謔を弄んででもいなければ、意識を保っていられそうにない。今ならいくらでもサディスティックに振舞える気がした。

 

「悪いが、ツケ払いには出来ないんでね」

 

 そう言い放って男の両膝と両手首を順番に撃ち抜く。

 

 ほんの一瞬、何が起きたのか判らなかったかのような顔をした後、男は苦痛にのたうちながら呪詛の言葉を吐き散らした。

 

「痛ぇ!痛ぇよ。ち、畜生。俺が戻らなかったら、た、大佐が黙ってないぞ」

 

「大佐だと?」

 

 グレッグは怪訝な顔になった。

 

「何だそいつは」

 

「大佐は……デュラン大佐は英雄だ。われわれ人類を真にあるべき世界へと導いて下さるんだ」

 

 途端に夢見るような表情を見せた男に、グレッグは異常なものを感じた。こいつ、おかしな薬物でも使われてるんじゃないのか?

 

「子供達をどこへやった?」

 

 さらに問い詰めたが、返事はなかった。男はいつの間にか、歪んだ笑顔のまま事切れていた。

 

 何らかの方法で、敵の手に落ちたら自決するような条件付けをされていたらしい。顔を近づけるとアーモンドのような匂いがする。青酸化合物のカプセルを奥歯に仕込んでいたに違いなかった。

 

 腹いせに残り一発の銃弾を男の頭に撃ち込むと、緊張の糸が切れてグレッグはがっくりと床に崩れ落ちた。そしてジェインの亡骸にくちづけをすると、無残な姿になった妻の上に、近くに落ちていたテーブルクロスをかけてやった。

 

 グレッグはその上に突っ伏して声も無く涙を流しつづけた。

 

 

 家のどこにもリサの姿は無かった。村の中にも。

 

 痛む足を引きずってグレッグは娘の名を叫びながら辺りをさまよった。だが応えは無く、村には生存者もほとんどいなかった。

 

 ただ一人、銃弾を腹の中に埋め込んだまま銃を撃ちつづけていたヘレン小母さんも、割れたソーダファウンテンの傍らで数時間後に息を引き取った。村は殆ど抵抗らしい抵抗も出来ずに踏みにじられたのだった。

 

 その夜、シーダーレイクはグレッグの手で火葬に付され、この地上から消えた。

 

 

           * * * * * * * *

 

 

「いよう、グレッグじゃないか。しばらくぶりだな」

 

 旧知の客を迎えた酒場のマスターの愛想のいい笑顔が、次の瞬間曇った。

 

(確かにそろそろいい年の筈だが、この男はこんなに老け込んだ顔をしていただろうか?)

 

 目の奥に何か暗く澱んだものがあるのに加えて、右足を引きずる様子がひどく痛々しい。

 

「あんたは酒はダメだったな。水と代用コーヒー、どっちがいい?」

 

「水をくれ。あまり金がない」

 

 グレッグはかすれた声で答えた。

 

「……何があった?」

 

 グレッグはそれには答えず、ハンターオフィスにつながる電話のほうへ目をやった。

 

「電話、借りられるか」

 

「構わんが――」

 

 しばらくぺトラのオフィスと通話したあと、グレッグはマスターのほうへ向き直ってゆがんだ笑みを作った。

 

 

「現役に戻ることになったよ。またよろしくな」

 

 

 

 グレッグの復帰はさまざまな憶測を呼んだが、彼の身に何が起きたのか知りえた者はごく少なかった。

 

 しばらくして、予備役から復帰したグレッグが戦車を欲しがっているという噂が流れた。

 

 どこかに取り残された大破壊以前の戦車や装甲車は無いか。引退するハンターが戦車を売りに出していないか――顔見知りに会うたびに、グレッグはそんなあての無い問いを繰り返ていた。

 もちろん、そんな話など滅多に有るものではない。貪欲に戦車の情報を求めるグレッグから、何人かの情報屋がひどいガセネタで金をせしめたことすらあった。

 

 それでも彼は、くる日もくる日も戦車を求めて足を引きずり、街角から荒野へとさまよった。

 

「マムルークを売るんじゃなかったな」

 

 結婚以前に使っていた6輪装甲車が思い出された。まだ独立して間もないころ、モンスターと刺し違えて致命傷を負った別のハンターから、葬式代のかわりに譲り受けた物だ。

 たまたま通りかかった自分の幸運に、あの時は死にゆく男を尻目に有頂天になったものだった。

 

 あの車が今有ったら、と考えたところでそれはもう無理な話だ。現役を退くとき、ハンター仲間の一人に買い取ってもらったのだから。

 その金は結婚してしばらくの間の生活や、リサが生まれたときのさまざまな費用などに当てられた。買った奴にはどのくらいの価値があったのか、それはグレッグにはわからなかった。

 

 冷静に考えれば、装甲車程度では一個軍団に勝てないであろうことも明白だった。レンタル屋の車などでは、バランスが悪すぎてなおのこと話にならない。

 

 そうして空しく日々が過ぎてしばらく経った頃、アンディーが現れたのだ。

 

 

           * * * * * * * *

 

 

「戦車だ!戦車だぜ!!」

 

 通りを歩いていた男が目をむいて叫んだ。今にもオーバーヒートして停まりそうなエンジンから悲鳴を上げながら、街路を進むハーフトラックとバス、その後ろに引かれた巨大な重戦車。

 

 グレッグの持ち込んだ戦車は、ペトラの町にちょっとした騒動を引き起こしていた。その雰囲気を察してか、どこかで犬がけたたましく吠える。畏れと羨望の入り混じった視線がグレッグに絡み付いた。

 町の男の子達はハーフトラックの排気ガスをものともせず、後ろについて走ってくる。三台の車は、そのまま町の一角にある修理ドックへと入った。

 

 

「たいしたもんだ。装備さえ整えてやればいい戦車になるぜ、あれは」

 

 お気に入りの銘柄をいとおしそうにすすりながらアンディーが言った。グレッグは黒く濁った代用コーヒーをひとくち含むとそれに応えた。

 

「修理ドックのギルバート親方が言うには、大砲以外は全部交換するしかないらしいな。おまけにあの車体を動かせるエンジンはそうそう無いとさ。とりあえず手持ちの一番いいエンジンを積んでおくとは言ってくれてるが」

 

 酒場のカウンター席に陣取った二人の会話は、数ヶ月振りに和やかな雰囲気だった。無論、グレッの心は依然として、コーヒー以上にどす黒いものを含んだままではあるのだが、この陽気な男、年来の友人であるアンディーにそれを見せる理由など無い。

 

 それにしても、戦車を使用に耐える状態にするにはあまりにも莫大な金が要る。

 

(明日からまた、戦闘向きの車を借りて仕事に出よう)

 

 そう心に決めていた。アンディーのアルバトロスを借りる手も有るが、あいにく彼はまた明後日から長期の輸送を請け負っているのだ。今度は北方の町まで荷受に行くらしい。

 途中の道は危険なモンスターも多いが、アンディーなら多分うまくやるだろう。今夜だけはいやな事は全部忘れて楽しくやってもいい。

 

 結局その夜は明け方近くに修理ドックに戻り、もう仕事を始めていたギルバートに仮眠用のベッドを借りて寝た。ジェインとリサが夢の中で微笑んでいた。

 

 

 レンタル屋にはちょうど、以前使っていたバギーが修理を終えて戻ってきていた。いやな思い出と結びついた車だが、あの軍隊と、そしてデュラン大佐と呼ばれる男に復讐の戦いを挑む出発点としては、ある意味ふさわしかった。

 

「まずはキャノンホッパーを何匹か仕留めたいところだな」

 

 待ってろよ、俺の戦車。すぐに連れてってやるからな。

 

 

 交換したばかりのコンバットタイヤが砂塵を捲き上げる。バギーの操縦席でグレッグは砂丘の彼方に踊る陽光の中に、リサの走る姿を見たような気がしていた。

 



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邂逅・前編

      ぎらぎらと照りつける太陽

      死せる大地を貫くハイウエィ

 

      おれは車をひた走らせ

      昨日と明日の間

      終わりの無い旅の途中

                

      ラジオを点けてあの娘の歌を聴こう

      古い昔の歌を

      

      ああもちろん解ってるさ

      あの娘が今では 変わり果てた

      姿になっているくらいの事は

 

 

(「ルート99」作曲者不詳・新紀元前52年、グレッグ・マイヤーにより採集。歌詞は最も良く知られたヴァージョンに基づき和訳されたものより抜粋。)

 

 

 

 

 

 

 街道と言っても、明確に舗装された道などが残っているわけではない。

 

 それでも、周囲に対する監視の容易さや地形の平坦さ、緊急の際の補給の便など様々な要因によって、人と物と、そして情報の運ばれるルートはおのずと決まってくる。

 

 ひとたび確立されればそれはより多くの行き来をうながし、そして街道となる。有史以来、人間はその様にして交通網を発達させてきた。

 この地、この時代においてもそれは同様だ。

 

 

 東部の山岳地帯を抜けて西へ延びて来た、かつての五十七号ハイウェイは、ペトラの町を分岐点として二つに分かれる。

 砂漠の北部、ニューサウスキャニオンと呼ばれる細長い渓谷に並走する「北ルート」と、遥か南の海岸地帯へと向かう「南ルート」。

 渓谷の底には一筋の川。乾季には殆ど単なる湿った砂の堆積に変わるその流れは、彼方上流の形を失いかけた都市の跡を通るときに、風化したコンクリートの微粒子を含んで白く濁る。

 

 ホワイトリバー。人々はそう呼ぶ。

 

 

 

 

 グレッグは北ルートをとって、渓谷を越えた北にある大きな街、パインブリッジ市へ向かっていた。目的は情報収集ともうひとつ――これは途中で運良く高額の賞金首やキャンペーン対象のモンスターを倒せればだが――戦車用の電子部品だ。

 

 この辺りでのもっとも高性能なものが、そこで売られている。パインブリッジはかつてコンピューター工場の立ち並ぶ工業都市だったし、今でも地中から掘り出される集積回路やその他の電子機器の中には、かなりの割合で使えるものが残っているのだ。

 

 

 オクタポンドでの戦いからは一ヶ月と少しが経っている。この間収穫と言えるものが幾らかあった。自動装填装置をファブニールに搭載した事と、デュランの一味の動向が少し判った事だ。

 二ヶ月ほど前から北ルート周辺の一帯を、複数の盗賊団が脅かしている。その多くは戦車や装甲車などを数台所有し、交易商人のキャラバンや、時には小さな町を脅かしているらしかった。オクタポンドの町を襲った一隊もその一つだ。

 それらの盗賊団と遭遇した何人かのハンター達の証言に、グレッグは着目していた。

 

 

 統一された装備を持ち、敵の手に落ちると口腔に忍ばせた毒物で自決する盗賊団。それはグレッグの忌まわしい体験と一致する。デュランの部下達が戦闘車輛の一部を持ち出して盗賊に扮し、定期的に物資の調達をしているのに違いなかった。

 

 とすれば連中は、自給自足の困難な砂漠の奥深い地域に止まり続けているのに違いない。

 

 ファブニール一台でそこまで行くのは航続距離から言ってかなり無理があるといえる。砂漠を突破して敵の本拠地にたどり着くには、なんらかの手段を講じる必要があった。だが、グレッグは今のところその問題については考えあぐねているところだった。

 

 

 リサの生存についてはもはや絶望に近いと、諦めかけている。それは一人の父親にとって堪え難いことだったが、この時代にあっては子供の行方不明は特に珍しい事ではない。その点に関しては彼だけが不幸なわけではないのだ。

 

 砲弾セレクターつきの自動装填装置は好調だったが、グレッグはファブニールの操縦席で、ひとり憂鬱を持て余していた。

 いつになったらデュランにたどり着けるのか。ファブニールの維持と強化、そして自分の生存。それだけのために日々が過ぎていくもどかしさに、ともすると挫けてしまいそうな気がする。戦車乗りがしばしば陥るジレンマの中に、グレッグもどっぷりと浸かってしまっているのだった。

 

 

 パインブリッジへ向かうルートには難所が一つあった。ニューサウスキャニオンに懸かる、全長一キロ、橋脚の高さ五十メートルの巨大な橋梁だ。「ロング・シックス」と呼ばれるこの橋を渡るには、かなりの困難が伴う。

 

 橋の上で車が通れる部分は、その幅およそ六メートル。この幅では、全幅がほぼ四メートルのファブニールや同様のサイズの戦車は、橋の上ですれちがえない。反対側から誰かが来れば、元の地点、つまり橋のたもとまで戻って待機しなければならないのだ。

 

 どちらが?

 

 無論、急ぎでない方がだ。

 

 しかしこの時代に、レジャーとして車を走らせる者など居はしない。車に乗るには、大抵それなりの理由があるものだ。

 

 たとえば伝染病の発生した町に医療チームと器材、そしてワクチンを届ける者。

 逆に、病人を設備の整った町へと運ぶ者。

 

 罪を犯し逃げる者と、追う者。

 

 ありとあらゆる急ぎの用事が、人をして荒野に車を駆らせしめる。その優先度を測るのは、簡単な事ではない。だからこんな橋は、えてしてトラブルの舞台となる。

 

 

 それに一キロの道のりを一直線に進むのは、途中でモンスターに襲われた場合、かなり危険な状況だ。そしてもしそれが強力な火器を持つものならば、橋が崩れ落ちることでさえ有りうる。

 

 交通網を遮断してしまう結果になった場合、その罪は重い。「ロング・シックス」のような大掛かりな建造物にいたっては、死を持ってすら償う事は出来ない。恐らくは全財産を没収の上荒野へ追放、そして無数の人間の生存に壊滅的な影響を及ぼした「人類の敵」として半永久的に記録されるだろう。考えただけで気の滅入るような話だが、運が悪ければ誰の身にも起こり得る事なのだ。

 

 

〈ロング・シックスまで十キロ〉

 

 

 そう書かれた標識の傍らで、グレッグはファブニールを停車して昼食を摂っていた。

 

 ペトラの石油から作った合成タンパク質のハンバーガーと、オクタポンドの水。長距離移動の際の携行食料としては、まあましな方だ。バクテリアの力を借りて石油から作られる合成ビーフは、数千年間変わる事の無い人間の味覚をとりあえずは満足させてくれるし、なまじな天然素材と違って汚染の心配も無い。

 

 本当に最悪なのは、パインブリッジのような都市でも貧民達に配給されることのある、「Sレーション」と呼ばれる物だ。

 昔の軍隊の糧食だともうわさされる、四角い緑色のプレート状のそれは厚さが七ミリ、大きさが十センチ四方。原料不明、栄養満点。ただし味のほうはボール紙よりはほんの少し上といった所。

 

 グレッグも口にした事はあるが、稼ぐ力がある限りは二度とご免だった。

 

 

「ジェインの手料理は最高だったよなあ」

 

 グレッグは呟いた。もさもさしたバンズの最後の一片をオクタポンドの水で流し込む。ボトルには未だ三分の一程残っているが、それは操縦席の後のラックに収めた。飲料水は貴重なのだ。

 

 砂漠はこの辺りまで北へ来るとようやく表情を変えて、まばらな草なども所々に見ることができる。こうした小休止の後はハッチを閉めて操縦席に戻る前に、いつも周囲を三百六十度見廻すのが習慣になっていた。それで危ういところを助かった事なども一度ならず有る。

 

「全周監視、異常無し。ファブニール発……」

 

 自分に言い聞かせるように確認したその時、どこかでかすかな砲声が響いた。グレッグの眼が日なたに出た猫の瞳孔のように細められる。

 

 もう一発。ひどく遠くだ。こんな開けた地形でなければ聞き逃していたに違いない。一度おろした双眼鏡をもう一度覗きこむ。四時の方向にそれはいた。

 

「間違いない。AT(自動戦車)だ」

 

 かなり大型の車輌を追う、やや小さな戦車の姿。時折、甲高い砲声を響かせて、大型車を狙い撃っているのが見て取れる。側面に廻りこもうと蛇行するような動きはAT独特の、見間違えようの無いパターンだ。

 

 それにしても何という速さか! 先行する大型の装輪車輌はかなりのスピードを出している筈なのだが、後の戦車は離されることもなくついて行く。あんなスピードで走る戦車を、グレッグは見たことがない。

 

「誰か知らんが助けてやらなきゃあな」

 

 イグニション・キーをひねると、未だ冷え切っていなかったファブニールのエンジンはすぐに低い鼓動を響かせ始める。

 

 

「なんてこった、アルバトロス号じゃないか」

 

 追われている方の車輌の見なれたシルエットを視認したそのとき、グレッグは思わず息を呑んだ。

 

 全長十三メートル、全高四メートルの巨体に、最大六十ミリ厚の装甲を施した大型長距離バス。それはグレッグの古い友人、「運び屋」アンディーの愛車なのだった。

 

 通信機のスイッチを入れ、ハンター専用の同期回線を開く。敵による通信傍受を防ぐため、一度通信が繋がった後は通信機の内蔵プログラムに従って、互いの周波数をタイミングを同期させながら絶えず変更しつづける仕組みだ。

 込み合ったフロアの上をいっぱいに使って旋転しながらペアで踊る大昔のダンスになぞらえて、ハンターたちの間では「フォックストロット回線」とも呼ばれている。

 

 

「こちらモンスターハンター、グレッグ・マイヤー。アルバトロス号、応答せよ」

 

 ややあって、雑音混じりながら聞きなれた声が、グレッグの通信機のヘッドセットに飛び込んできた。

 

〈こちらアルバトロス。グレッグなのか?どこにいるんだ?〉

 

「そちらからだと九時の方向だ。距離七五〇」

 

 ヘッドセットから安堵のため息が聞こえた。

 

〈……よく来てくれた〉

 

「たまたまだ。それよりまだ無事なのか、アンディー。あれは何だ?」

 

〈あまり無事とは言いがたいな。側面に一発食らって、車体の破片が太腿に刺さってる。そんなに長くは保たないぜ、俺も、こいつも〉

 

 事態は急を要するな、とグレッグは思った。アンディーの説明が続く。

 

〈あれを見るのは始めてだが、たぶん海岸地方のハンターたちが『地獄猫戦車』と呼んでる奴だ。主砲は中口径でたいしたことないがとにかく速い。朝からずっと追われてるんだ。しつこい奴だぜ〉

 

「よし、助けてやるぞ。アンディー、お前のアルバトロスには確かご自慢の広域地形照合システムが付いていたよな?」

 

〈ああ。それがどうした?〉

 

「この辺りにどこか、くぼんだ地形はないか?この戦車が隠れられるくらいの」

 

〈どういう事だ?〉

 

「俺のファブニール――この戦車の事だが、まだ砲塔も操縦系も自動化していない。だから、その敵戦車をやるには待ち伏せするしかないんだ。ぎりぎりまで引き付けて主砲で迎え撃つ。チャンスは多分一度っきりだ」

 

「ひでえ話だな」

 

 アンディーのヤケになったような笑い声がした。

 

〈よし、あったぜ。こっちからだと十時の方向、距離三〇〇〇だ〉

 

「判った。もう少しだけそのまま時間を稼いでくれ、準備でき次第連絡する」

 

 ファブニールは一旦接近しつつあった二輌から、再び背を向けるように離れていく。

 

 アンディーはハンター仲間にそう思われているほどには、勘と幸運だけに助けられている男ではない。不測の事態に対応するだけの準備は決して怠らない、慎重な一面を持っている。

 広域地形照合システムなどという、高度な電子機器を大枚はたいて装備しているのがそのいい例だし、アルバトロスの屋根の後方に取り付けられた十二.七ミリガトリング砲も、本来ならば彼の普段の仕事には強力過ぎるくらいの代物だ。グレッグにしても、アンディーから学んだ事は数多い。

 

「うまく行くとすれば、アンディーの用意の良さが呼びこんだ運って所だな」

 

 そう呟きながらグレッグは窪地を探す。早くしなければアンディーを失いかねない。

 やがてその窪地が姿を見せた。丁度いい広さと深さだ。グレッグはファブニールをその窪地に収めた。砲塔だけが顔を出すような形になる。

 

「いいぞ、アンディー。こっちへ向かってくれ」

 

 ヘッドセットのマイクに叫んだ。

 

〈了解。待ちわびたぜ。そろそろ限界だ〉

 

 彼方から砂塵を上げてアルバトロスが「地獄猫」を連れてきた。

 

「よしアンディー、奴との距離を500まで縮めろ。合図したらシフトダウンして、右へ九十度ターン、その後全速力で離脱だ」

 

〈マジかよ。左の太腿をやられてるんだぜ、俺は。今どうやってシフトチェンジしてると思う?〉

 

「さあ?」

 

 グレッグは照準器の距離メーターを調節しながら答えた。

 

〈アクセルを急に踏み込むと、回転が上がって遠心力でクラッチが離れるだろ、その時に回転数に合わせたギアに……〉

 

「たいした腕だ。戦車じゃあそうはいかん、流石だな」

 

〈……ひとごとだと思いやがって〉

 

 笑い声が帰ってくる。

 

 あの陽気さもあいつの強みだ、とグレッグは微笑んだ。腕自慢をできる余裕もあるくらいだし、これならきっと勝てる。

 

 

 照準器の中のアルバトロスが次第に大きく膨れ上がる。よし、今だ。

 

「アンディー!ターンだ!!」

 

 危うく横転しそうになりながら、アルバトロスが右へターンしていく。「地獄猫」が備える砲塔の、四角ばったシルエットがグレッグの眼を射た。

 

「ファイアー!」

 

 ファブニールの主砲が咆哮を上げ、発射された高速徹甲弾が「地獄猫」の正面装甲をやや斜めに撃ちぬいた。車体が一瞬ぐらつき、煙が上がる。

 

 だが、「地獄猫戦車」は止まらない。よろよろと速度を落として、恨めしげにファブニールの方へ砲口を向けたまま後退していくと、不意に反転して速度を上げ、その場を離れて行った。

 

 危険はひとまず去った。アンディーを手当てしなければ。

 

「アンディー、大丈夫か。今からそっちへ行く」

 

〈猫ちゃんはどうした?〉

 

 猫ちゃんか。アンディーらしい能天気さだ。

 

「命中したが、逃げられた。とりあえずは一安心だ」

 

〈了解。言い忘れてたが、ご婦人のお客さん方がいるんだ〉

 

「ほう?」

 

〈彼女達もあんたに会いたいとさ〉

 

 じゃあひとつ正義の騎士の登場といくか。そんな冗談を言いながら通信を切った。砂煙を上げながらアルバトロスとの合流点へと向かう。グレッグは絶えず砲塔上面の旋回式ペリスコープにつながったカメラの映像を睨み続けた。勝利の後の気の緩みが元で、何でもないようなモンスターの犠牲になったハンターも多いのだ。

 

 「地獄猫」の主砲を受けて痛々しい姿になったアルバトロスのそばに、ファブニールが車体をうずくまらせた。

 

 車体前部のハッチを開けて降りると、白いツナギを着込んだ小柄な見なれない人影がグレッグのほうに近づいてくる。十五、六歳くらいの少年のようだが、胸の辺りがわずかに膨らんでいるところから察して、アンディーの話していた女性客の一人だろう。頭にかぶったサンバイザーから、まとまりの悪い短い金髪がはみ出していた。色白の顔を紅潮させて、大きな緑色の瞳でこちらを睨んでいる。

 

 

「さっきの作戦を考えたのはあなた?」

 

 つかつかとグレッグの前まで歩いて来ると少女はそう聞いた。

 

「そうだ」

 

 次の瞬間、目の前を肌色の物体がかすめ、左頬に衝撃を受けてグレッグは右上を向く格好になった。何がおきたのか解らずに正面へ向き直ると、右腕を振り抜いたまま、怒りの表情で肩を震わせグレッグを見上げるその少女がいた。

 

「人でなし……!」

 

「なに……?」

 

 左頬がひどく痛んだ。小柄な割にかなりの力だ。とっくに涸れ果てたはずの涙が、じわりと涙腺にあふれてくる。反射作用ばかりは如何ともしがたい。たたみ掛けるように少女がまくし立てた。

 

「あなたのあの戦車なら、『地獄猫』を威嚇射撃で追い払うくらいの事は簡単でしょう? アンドリューさんは負傷していたのよ、それをあなたはおとりに使って、彼だけではなく私達二人も危険にさらした。そんなにしてまで、モンスター退治のギャラが欲しい? それとも待ち伏せしなけりゃ当てられないほど、射撃が下手ってわけ?」

 

(あー……アンディーの奴、通信内容を車内に放送してなかったんだな)

 

 グレッグはため息をついた。

 

(そりゃそうだ、普通そんな事をしてわざわざ客を恐慌に陥れるような真似はハンターなら避けるはずさ)

 

 女子供に説明してもわかるまい。それに俺の事情は個人的な事に過ぎない。

 

「……俺が金を欲しいのは本当の事だ。射撃も実際あまり得意じゃあない。照準器に頼りっきりで、戦車を降りたらショットガンくらいしか使えないんだからな。ああ、君の言う通りだ。君と連れを危険に巻き込んだ事はすまなかった。謝る。だがこれだけは理解してくれ。俺とアンディーは長年の親友なんだ。決して好きであんな作戦を立てたわけじゃない」

 

 少女は答えずにアルバトロス号の方へと歩き出した。そして背中を向けたまま言った。

 

「……アンドリューさんはママが手当てしています。行きましょう」

 

 

 

 



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邂逅・後編

 アルバトロスの旅客用キャビンは、急ごしらえの処置室となっていた。カーテンの奥からアンディーのうめき声がする。カーテンの隙間から、怪我人の足元に切り裂かれたジーンズが放り出されているのが見える。

 

「今縫合中だから、そこから先へ入ってこないで。滅菌してあるんですから」

 

 眼鏡の奥からちらと一瞥をくれると、その女性は傍らのトレーから新たな器具をつまみ上げた。かなり専門的な道具を並べているところを見ると、どうやら本職の医師らしい。

 

「よう、アンディー。……楽しそうだな」

 

「グレッグか、助けてくれ。この先生、麻酔もなしでザクザクだぜ。回復カプセルも使わせてくれん」

 

「当たり前でしょう。長さ三センチの金属片が入ったままで治癒したら、どうなると思うの? お酒のせいで麻酔なんて効かないしね。さあ、あと二針で終わりだから、動かないで頂戴」

 

 かなり気の強い女性らしいな、とグレッグは看て取った。まあ、あの娘の母親なら仕方有るまい。

 

「俺用に積んであった酒の残りも全部消毒に使われちまったよ」

 

「そりゃあいっそ賢明だったな。ところでアンディー、パンツは何日前に替えた?」

 

「問題はそこだ、この先生いきなりハサミで俺のLEEをばっさりだぜ。パインブリッジまではパンツいっちょうで運転しなきゃ……痛え!」

 

 縫合が終わり、太腿を包帯で巻かれて出てきたアンディーに意地悪くパンツの件を再度聞くと、彼は憮然とした顔で答えた。

 

「四日前だ」

 

 

 

「もう一本くべるか」

 

「そうだな」

 

 乾いた粗朶を火がなめ上げ、火勢が少し強まった。燃え尽きた小枝の上に新しい粗朶がくべられると、下になった燃えさしが崩れて小さく火の粉を巻き上げる。

 

 四人は車外で焚き火を囲んで食事を摂ったていた。日が落ちると砂漠は急に冷え込む。アンディーは腰の周りに毛布を巻きつけた情けない格好で、湯に溶いた固形スープをすすっていた。少女はグレッグのほうを見向きもしない。

 

「パインブリッジに着いたら、まず俺の代わりにジーンズを買って来てくれよ。サイズを教えるからさ。街中をこの格好で歩き回るわけには行かんからな」

 

「残念だな。楽しみにしてたんだが」

 

「相変わらず意地が悪いな、グレッグ。それでよくジェインがなびいたもんだ」

 

「ああ。あいつは世慣れない女だったから、普通に優しくしてやらないと駄目だった」

 

 

「アリサには随分嫌われてるようだな」

 

 唐突にアンディーはそう言った。

 

「アリサ?」

 

 グレッグが鸚鵡返しに聞き返す。

 

「驚いたな、自己紹介も済ませてないのか。アリサ・スチュアート、その子の名前だ。アリサ、こいつはグレッグだ。ひねくれ者だが悪い奴じゃない。仲良くしてくれ」

 

 アリサと呼ばれた少女は横を向いたままだった。

 

「アリサ、いい加減にしなさい。マイヤーさんはベストを尽くしたのよ」

 

 母親であるらしいもう一人の乗客、先ほどの女医がアリサをたしなめた。

 

「あれでベスト?」

 

 少女がグレッグを不信の目で睨む。

 

「ははあ、教えてないんだな、グレッグ。プライドが高くてええ格好しいのあんたらしいよ」

 

 アンディーがグレッグとアリサを交互に見比べて笑った。

 

「何でグレッグがあんな戦い方をせざるをえなかったか、教えよう」

 

「止せよ、アンディー」

 

 余計な事だ、とグレッグは思った。

 

「グレッグの戦車は砲塔を自動化してない。走行系もだ。大砲を撃つには足を停めて、奴が砲塔に上がるしかなかった」 

 

 瞬間、少女の顔にさっと影がさした。グレッグを張り飛ばした右手にちらりと目を落として、そのままうなだれる。

 

「そんなハンデを負って戦ってたなんて、知らなかった」

 

 アンディーの説明だけで理解した様子を見ると、戦車のことにはそれなりに詳しいらしい。そう思ってみれば、着ているツナギも間に合わせではなく、体に合ったものを選んで身に着けているようだ。

 

「同情なんぞ要らん」

 

 アンディーにまた借りができてしまったな、とグレッグはこの成り行きを悔やんだ。

 

「……アリサ・スチュアートです」

 

 それだけ言うと、アリサはわずかにグレッグから視線を足元にずらしたまま、右手を差し伸べてきた。

 

「気にしないでくれ、みんな貧乏が悪いのさ。グレッグ・マイヤーだ、よろしくな」

 

 軽く交わされた握手の感触はぎこちなく、打ち解けないものだった。アリサはそのまま一礼すると焚き火から離れ、アルバトロスのキャビンに戻って寝てしまった。

 

 

 

 火が消えかけたのでグレッグはもう二本、粗朶を追加した。何気なく女医の方を見る。

 おそらく四十代に入ったあたり。娘とは似ない茶色の髪と目の色。やや面長の、整った知的な容貌だ。

 

 サマンサ・リー・スチュアート。女医はそう名乗った。東部のずっと遠くの町で医学研究に携わっていたと言う。パインブリッジより北の大都市、ロングフォードで開業するために、アンディーの車をチャーターしたという話だった。

 この時代にあれだけの縫合の腕を見せる医師となれば、ただ者である筈はない。何か裏がありそうだぞ、とグレッグの勘が告げている。だが、それが何なのかはっきりしないことにわずかな不安と苛立ちを覚えた。

 

「アンディーの傷はどのくらいかかりますか?」

 

「二週間、といいたいところだけど。カプセルも有るからもっと早いわね」

 

 横合いからアンディーが加わって来た。

 

「カプセルといえばな、グレッグ。先生から面白い話を聞いたぜ」

 

「何だ?」

 

 アンディーのほうへ向き直る。

 

「サイバネティックっているだろ? 生き物の体に機銃とか大砲とかのくっついた、変な奴」

 

「ああ。ロードガンナーなんかがそうだっけな」

 

「何であんなモンスターが生まれたか、知ってるか?」

 

「いや?」

 

「ナノマシンってあるよな。回復カプセルや、傭兵(ソルジャー)連中が時々受けてるサイバネティック手術に使うやつだ。あれの開発初期に廃棄された不良品の中に、接触した機械をコピーする能力や、接触した生物の遺伝情報を読みとって、再生を助けるだけじゃなく複製まで作るような能力を持ったやつがいたんだと。そんなのが何種類か集まって、群体を形成するようになった」

 

 ――そんな物騒なものをそこらに捨てたのか。

 

「それで?」

 

「そいつが生き物の死骸や放棄された火器を取り込んで、融合させる。環境に適応していくのに有利な組み合わせは、その後もナノマシン群体の中で情報が保存され、反復コピーされると言うわけさ」

 

「なるほど。で、その群体ってのは今でもその辺にいるのか?」

 

「DNAブロブは見たこと有るかしら。あれがそのなれの果てよ」

 

 サマンサが引き取って問いに答えた。

 

「情報の不完全なコピーが蓄積して有用な形質を発現できなくなったようで、今ではただ生き物といわず機械といわず溶かして取り込んでしまうだけのモンスターになってるみたいだけど」

 

 何にしても回復カプセルにそんな親戚がいたとは初耳だ。グレッグは思わずこれまで飲みこんだカプセルの数を数えたいような不安に駆られた。

 もしやスチュアート医師は何かその類の危険な研究に手を染めて、以前いた都市にいられなくなったのではないか。

 

 

 夜もふけ、それぞれがキャビンに戻った。グレッグは一人、ファブニールの操縦席で寝た。夢の中でブロブに取りこまれてファブニールと融合したが、夢を見ている間はどうと言う事もなく、むしろ自分の手足のように走り回って主砲を撃つファブニールに、ひどく満足だった。

 

 

 翌朝――

 

 グレッグはファブニールのハッチから這い出して、車体の陰で吐いた。

 

「何て夢を見ちまったんだ」

 

 目覚めてすっきりした頭にはそれは悪夢でしかない。日の光の下では、人は昏い妄想に安住できないのだ。

 

 夢の中でファブニールの車体に融けこんでいた腕が、まだそこにはっきりした形で実在している事を確かめるように両手をこすり合わせていると、後から声がした。

 

「おはようございます、グレッグさん」

 

 アリサ・スチュアートだった。

 

「さん付けは要らん。おはよう、出発かい?」

 

「ええ、アルバトロスはママが操縦します。アンドリュー……」

 

「あいつもアンディーでいいぜ」

 

「……アンディーさんは当分、操縦出来ませんから」

 

 アンディーの奴、運賃を値切られそうだな、とグレッグは苦笑した。今ごろは相変わらず毛布を腰に巻いて、各種機器の使い方を説明している事だろう。

 

「よし、出発しよう。アルバトロスが先行してくれるよう、お袋さんに伝えてくれ」

 

 

 歩み去る彼女の後姿に、グレッグは行方知れずの娘リサの姿を重ねて見てしまった。

 

(アリサ、か)

 

 名前も似ている。あと十年も経てばあのくらいの背格好の、美しい娘に育った筈だ。胸をかきむしられる思いだった。

 

 

 

 二台の車は再び砂煙を巻き上げて「ロング・シックス」を目指した。アルバトロスの後方五十メートル程を、ファブニールが追走する。

 

 ニューサウスキャニオンをまたぐ、その巨大な橋梁まで二キロの地点にさしかかった時、ファブニールの車体後部に着弾の衝撃が伝わった。少し遅れて、くぐもった発射音。

 砲塔上面の車長用ペリスコープを通してカメラで後方を観る。

 

「『地獄猫』だ」グレッグはうめいた。

 

 斜め後方一五〇〇、戦車とは思えない高速でファブニールの側面へ廻りこみを始める四角張った砲塔のAT(自動戦車)

 

「スチュアート先生。やっぱり来たぜ、『地獄猫』だ。俺がここで牽制するから、アルバトロスは先に橋を渡ってくれ」

 

「わかりました、気をつけて……えっ? 何、ちょっと!?」

 

 混乱した気配の後、静かな声がヘッドセットから流れ出した。

 

「すみません、アリサがそっちへ行きました。お願いします」

 

「何だと!!」

 

 グレッグの声は悲鳴に近かった。

 

 ハッチを開けてアルバトロスのほうを見ると、こちらへ駆けてくる白いツナギ姿が視界に飛び込んできた。アリサだ。なかなかの俊足だった。

 

 側面から撃ちかけてくる「地獄猫」の火線に対してファブニールを斜めに位置させるように旋回しながら、グレッグはハッチから飛び込んで来たアリサをやっとのことで抱きとめた。

 

「馬鹿野郎! 何のつもりだ」

 

「お願い、私にこの戦車を操縦させて」

 

 真顔でそう言った。

 

「……本気か?」

 

「昨日のお詫びをしたいの。戦車の操縦は習った事があるわ。あなたは射撃に専念して。二人で動かせば機動戦が出来る」

 

「そううまく行けばいいがな」

 

 操縦席の後から掻き口説くアリサにグレッグは半信半疑だったが、自分のヘッドセットをはずしてアリサに手渡した。

 

「やってみるか……これを着けろ、車内通話に必要だ。俺は砲塔に上がる」

 

 操縦席からアリサが叫んだ。

 

「きっと勝てるわ」 

 

 少女の話し方が朝と変わっていることにグレッグは気がついた。彼女の中で何かが吹っ切れたに違いない。

 

 砲塔に上がって砲手用のヘッドセットを着けなおす。ファブニールはもう巡航速度に達していた。「地獄猫」は七百メートルくらいの所ををうろうろしている。

 

「アリサ、増速しろ。奴の頭を押さえる。アルバトロスに近づけるな」

 

「了解」

 

 小娘の余技と決め込んでいたグレッグだが、内心舌を巻いていた。アリサの操縦は巧いし、的確だ。旋回の半径も最小限で、角度もどんぴしゃりだった。

 グレッグ自身より巧いかもしれない。少し癪だったが、その分砲撃もうまく行く筈だ。

 

「砲塔、六時。『地獄猫』との相対速度を保て。よし、上手いぞ」

 

 第一射。

 

 だが「地獄猫」は急ブレーキと旋回を組み合わせた巧みな動きで、グレッグの必殺の偏差射撃をかわした。

 

「くそっ、何て奴だ。あのままの速度で走ってれば絶対当たってた」

 

「一度戦ってるから、こちらの癖も読まれてるのかも。発射タイミングとか、照準の調整時間とか」

 

「なるほど、あまり考えたくはないが高度なプログラムを積んだコンピューターで動いてればありえん事じゃないな」

 

 だとすると長時間になるほど、何度も砲撃するほど、こちらが不利になるという事だ。

 

 どうするか。思いつく答えはひとつ。グレッグは通信機でアルバトロス号を呼び出した。

 

「スチュアート先生、橋には着いたか?」

 

「あと少しよ」

 

 上出来だ。

 

「橋を渡りきったら連絡をくれ」

 

「了解、アリサは?」

 

「無事だ。たいしたもんだよ、あんたの娘は。どこであんな操縦技術を覚えたんだ?」

 

「東部に居たとき、少しね」

 

 グレッグはヘッドセットを通じてアリサに説明した。

 

「結局、待ち伏せしかない。だが昨日のようなやり方じゃ避けられてしまうだろう。どうしてもあいつが直進しつづけるしかないようにしてやるんだ」

 

「……橋を渡らせるのね?」

 

「察しがいいな。そういう事だ。だが橋も壊しちまったら俺も身の破滅だ。相当に―」

 

 打ち合わせたわけでもないのにアリサが続きを引き取った。

 

「危ない橋を……渡る事になる?」

 

「その通り!」

 

 ファブニールの車内に二人の笑い声が響いた。

 

 とりあえず、「地獄猫」はファブニールを当面の目標にしたらしい。時々主砲で撃ち掛けつつ、こちらの主砲を警戒してか一定距離を保って追いすがってくる。

 

「頭のいい奴だ。だがそれが敗因になる」

 

 ヘッドセットにスチュアート医師の声が飛び込んできた。

 

「こちらアルバトロス。『ロング・シックス』を通過完了」

 

「了解、後は任せろ」

 

 ここからが本番だ。

 

「ねえ、グレッグ」

 

 アリサが話しかけてきた。

 

「何だ?」

 

「昨日最初に戦ったとき、どうして倒せなかったのかしら」

 

「いい質問だ。俺もそいつが気になっていた。何故かな」

 

「さっきアルバトロスを降りて走ってる時、丁度あいつが小さな斜面を降りるのを見たのよ。砲塔がオープントップだったわ。人影のようなものがその中に見えたの」

 

「いい目をしてるんだな、一kmはあった筈だぞ。だが……人影だと?」

 

「うん。ただ、あれは死体なんじゃないかしら」

 

「ふうむ……もしそうなら、あいつはもともと有人車輌だった可能性があるわけか。とすると、奴のコントロールシステムは砲塔の中かもしれん。それなら何とか納得がいく」

 

「砲塔を榴弾で狙ってみたらどうかしら」

 

 成る程、とグレッグは顎に手を当てた。橋に傷をつける恐れもあるが、交戦が長引くよりいいかもしれない。

 

 ファブニールは最大戦速で走りつづけた。オーバーヒート寸前だ。ようやく橋に辿り着くと、ラジエーターの水温は限界近くまで上昇していた。

 

「よく持ったもんだ」

 

 百八十度ターンして、バックで橋に入っていく。高さ五十メートルの橋の上から谷底を見ると目もくらまんばかりだった。落ちたら最後、戦車ごと地獄行きだ。遺体を引き上げる事でさえ難しいだろう。

 

「よし、そのままゆっくりだ。橋から落ちるな」

 

 橋の中ほどまで来た時、「地獄猫」が橋のたもとに現れた。目の前の地形に戸惑ったように、小さく行きつ戻りつを繰り返す。

 

「よし、増速しろ。奴を振り切ると見せる。ただし慎重にやれよ」

 

「私だって、落ちるのはイヤだわ」

 

 アリサが笑った。

 

 

(さあ来い、「地獄猫戦車」。お前の獲物だ。来なけりゃ、俺は逃げちまうぞ。どんな理由でお前が戦ってるか解らんが、まっすぐバックする事しか出来ない敵を取り逃がす気はないんだろう?)

 

 グレッグは口の中で小さくささやきつづけた。相手に聞こえるわけもないが、そうしていたい気分だった。

 

「来いよ、猫ちゃん」

 

 口に出してそう言った時、「地獄猫」はしびれを切らしたようにファブニールの後を追って橋を渡り始めた。

 

「地獄猫」が主砲を撃ち、前面装甲に衝撃が加わる。何かの部品が地はじけ飛んで地面に落ちた気配。

 

「調子に乗りやがって!」

 

 ここまでの近距離となるといかにファブニールの装甲が厚いといっても、七十五ミリ級の徹甲弾を受けつづけるのはあまり気持ちの良い事ではない。二発、三発と腹に響く金属音を立てて砲塔前面や正面装甲に殺到する砲弾の衝撃に、グレッグは歯軋りをしながら耐える。

 

「地獄猫」は丁度、先ほどまでファブニールがいた辺りにさしかかる所だ。ここまでおびき出せばいかに「地獄猫」でも、こちらの射撃をかわす事は出来まい。

 

 そして、ファブニールが炎を吐いた。主砲から放たれた八十八ミリ榴弾が「地獄猫」の砲塔上部を包むように炸裂し、俊足の魔獣はついに息絶えた。

 

「ロング・シックス」の橋梁上に、砲塔内の可燃性物質が燃える煙がしばらくの間、黒くたなびきつづけていた。

 

 

 

「よう、首尾はどうだ?」

 

 アルバトロス号の客室では、アンディーが太腿の包帯を取り替えられていた。

 

「あのままじゃ橋が通れないからな、こっち側まで牽引してきた」

 

「それで?」

 

「ハンターの亡霊だったのさ、あいつは」

 

 地獄猫の砲塔には黒焦げのミイラが乗っていた。装備しているものの形式からすると、少なくとも二十年以上前のハンターの遺体だ。多分どこかの村か町を守って戦っているときに、傷を負って死んだのだろう。

 

「コンピューターに、ごく短いプログラムが書きこまれていた。あった。近くを通る一定以上の大きさの物を撃破するように組まれたものだったらしい。その命令を守って、今まで動き続けて来たんだろう」

 

「執念かねえ」

 

「そんなとこだな」

 

「で、どうする?」

 

 アンディーが尋ねたが、その答えは既に用意済みだった。

 

「通信機が無傷だったからな、バッテリーを取り替えて、フォックストロット回線を救難信号発信モードにセットしてきた。アリサが殆どやってくれたよ」

 

 グレッグはスチュアート医師に向かって肩をすくめた。

 

「全く、たいした娘さんだ」

 

 

 パインブリッジに向かってアルバトロスとともに走るファブニールの中で、グレッグはひどく感傷的な気分だった。

 

 あれは俺だ。俺自身の姿だ。終わりの無い戦いに、衰え行く体に鞭打ち挑みつづけるハンターのなれの果て。

 

 戦いに敗れて息絶えるまで、止まる事を許されない鉄の獣。それは、そのままグレッグとファブニールの姿に思えた。

 

 だが、「地獄猫」は程なく新たな旅の始まりを迎えるだろう。手付かずの戦車が放置されている事をハンター達に知らせるメッセージを、通信機にセットしてきたのだから。バッテリーが尽きる一ヶ月後まで、それは虚空へと発信され続ける筈だ。その事を告げたとき、アンディーは言った。

 

「『かわいい子猫です、可愛がってあげて下さい』ってとこだな。でも悪党に拾われたらどうするんだ?」

 

 グレッグは片目をつぶって答えた。

 

「そんな事は元の飼い主が許さないさ。今でも一緒にいるんだから」

 

 

 誰も取りに来なければ、「地獄猫」はあのハンターの墓標となって朽ち果てるだろう。ハンターにとってこれ以上の弔いはあるまい。だが、そんな感傷を吹き飛ばすように砲塔の上からアリサの叫び声がした。

 

「見えたわ、パインブリッジよ!」

 

 ファブニールのエンジン駆動音が、その声に応えて高らかに歌うように響いた。



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銀幕・1

      彼等は諸君を欺き犠牲を強いて家畜の様に

      追い回している!

      彼等は人間ではない! 心も頭も機械に等しい!

      諸君は機械ではない!

      人間だ!

      心に愛を抱いている

      愛を知らぬ者だけが憎み合うのだ!

 

 

    (映画「チャップリンの独裁者」より。独裁者ヒンケルに

     取り違えられたユダヤ人の床屋がヒンケルとして行う演説の一部。)

      

 

 

 薄茶色のゴワゴワした紙袋は手に持つと程よい重さで、それは買物と言う行為に特有の満足感をもたらしてくれるようだった。

 

 重さにしてせいぜい一~二キログラムのデニム地――それはかつて人類が享受した、豊かな産業文明の賜物。もはやこの種の物が工場で生産されていない今、その値段は高騰する一方だった。このジーンズを身につけることは、アンディーにとって高尚な趣味に属する事なのだ。

 

「買って来たぜ」

 

 頼まれたジーンズとその他のこまごました補給品を手に、グレッグは大型装甲バス「アルバトロス号」の巨体の前部に位置する、雑然とした乗員用キャビンに入った。

 

「……相変わらずだな、少しは片付けろよ」

 

 自分が顔をしかめているのが分かった。運び屋としての評価とは裏腹に、アンディーは私生活となるとてんでだらしがない。

 飲み捨てた酒ビンや着古した下着が無造作にそこいらに散らばって、二人掛けシートを並べた仮設寝台の周りには、物好きにも行きずりのトレーダーから言い値で買ったものらしい、大破壊前の古い雑誌がうずたかく積み上げられている。

 

「おーぅ……どうだった、いいの有ったか?」

 

 物憂げにたずねながら、擦り切れたトランクスにTシャツをはおったままの姿でアンディーが袋をあけ始めた。折りたたまれたジーンズには、背面中央のベルト通しに、色あせた緑色の番号札がホッチキスで止められていた。

 

 そう。このジーンズはかつてのクリーニング工場跡から、返送のためにビニールで梱包された状態で発掘されたものなのだった。

 

「うん、いい感じで色落ちしてるな。サイズもばっちりだ」

 

 値段の割にはよい物にめぐり合ったと、アンディーはご満悦だった。

 

「すまんが、俺にはさっぱり解らん」

 

 グレッグは溜息をついた。まあアンディーが気に入ってくれたなら、門外漢の買い物としては上出来なのだろう。

 

 

 パインブリッジくらいの大都市ともなると、ハンターの使う武装した車輌は町の中への乗り入れを認めてもらえない。アルバトロスとファブニールがいま駐車しているのは、町の入り口に設けられた半地下式の巨大な駐車場の中だった。

 

 この手の駐車場は大抵の場合、ハンターオフィスとレンタルタンク屋との共同管理になっている。

 最初にゲートをくぐるときに、ハンター用のIDを記録したキーカードが発行され、後はそのカードを提示もしくはリーダーに通すことで、滞在中は自由に駐車場を出入りできる。

 IDがあれば街中で買い物をするときのための各種カートの貸与や、隣接ドックでの整備点検等のサービスも受けられる。大都市だけの恩恵だ。

 

 現在の駐車数は、ざっと十台ほど。その殆どはハンターの車だが、装輪式の装甲車やバギーなどの小型車輛の間で、彼らの大型車両二台は一際目立っていた。

 

「アルバトロスは修理に出さなきゃあなぁ」

 

 おろしたてのジーンズにはき替えたアンディーが、グレッグの少し後を歩きながら言った。先だっての「地獄猫戦車」との戦闘で、アルバトロスの側面には七六.二ミリ徹甲弾の爪跡が黒々と残っている。シャシーやサスペンションにもかなりの損傷を負っている事は間違いなかった。

 

 運び屋をもっぱらの生業にしている彼にとって、車に傷がついていることは輸送の安全についての信頼にも傷がつくという事だ。

 ましてや、これまでトラブル知らずを看板にしてきたアンディーである。「地獄猫」の一件は彼にしてみれば全くの災難だった。

 

「あーあ。ついてないぜ、全く」

 

「そうぼやくなよ、アンディー。オフィスで調べたら、あの猫ちゃんには賞金がかかっていたんだ。」

 

 総額一万二千ゴールド、半額で六千。さほどの金額ではないが、それだけ有ればアルバトロスの修理ぐらいはどうにでもなる筈だ。

 

「そいつを山分けにしようじゃないか」

 

 お前にはその権利があるんだからな―― 

 グレッグは胸の内でそう呟いた。権利うんぬんなどと口に出して言えば、アンディーはかえって頑なになるだろう。そういう男だ。

 

「すまん、助かるよ。だが、問題はもうひとつある。スチュアート母子だ。俺は途中で荷物を放り出すのが一番嫌いなんだが、相手が生きている人間となりゃ、旅程はあっちの都合が優先だからな」

 

 アンディーは実のところひどく落ち込んでいるようだった。普段陽気な男だけにふさぎ込むと始末が悪い。

 

「二人の宿まで出向いてみよう、こっちだけで色々考えてても仕方ないさ」

 

 グレッグはいつもアンディー自身が自分に対して取ってくれるような態度で話しかけていた。それがグレッグが知っている最良のやり方だからだ。

 

「そうだな、客抜きでこんな話をしても仕方ない。何にしても、宿に顔を出すように言われてるんだしな」

 

 スチュアート母子は町に着いてすぐにアルバトロスを降り、この町で一番大きなホテルにチェックインした筈だった。二人は少し明るい表情になって駐車場のゲートへ向かった。

 

 グレッグはふと、昼過ぎに別れたばかりのアリサ・スチュアートを思い出した。

 信じ難いような操縦技術と、ヘヴィーな車載部品から繊細な電子機器まで巧みに取り扱うメカニック技能とを持つ、ほんの子供と言っていい年の少女――

 

(ふん……惚れたかな?)

 

 苦笑しながらかぶりを振る。二十歳かそこらの頃なら夢中になっていたかも知れないが、今のグレッグにはむしろ行方不明の愛娘、リサと重ねて見てしまう部分が大きいのだ。アリサに対して感じる胸の疼きは、そういうことだ。

 

 ゲートの所までやって来ると、ちょうど新たに一台の戦車がチェックを済ませて進入ゲートをくぐった所だった

 真新しいダークグリーンの車体。背の高い四角な箱型の砲塔には、両側面に細身の機関砲らしき物をマウントしている。砲塔前面には丸みを帯びた形のレーダーが見てとれ、いかにも高性能な感じがする戦車だった。

 

「おっ、ゲパルトだぜ」

 

 アンディーがそちらを示してささやいた。

 

「知ってるのか。俺はあんな戦車始めて見たぞ」

 

「オフィスの掲示板で広告を見たことがあるんだ。最近どっかのハンターが昔の軍事工場跡で設計データを手に入れて、それを元にフォンダ市のドックでレンタル用に何台か製造したって話だったが……」

 

 アンディーは首をひねった。

 

「ありゃあどうも、個人所有みたいだな」

 

 なるほど、どこにでも金持ちと言うやつは居るものらしい。

 フォンダ市といえば、ここから二百キロほど東に有る、この地方随一の重工業都市だ。大破壊前の資材が残っていて、もっぱら戦車のエンジンや重火器類を年間に極少量生産しているとは聞いた事がある。

 だが、戦車丸ごとの生産が始まっているとは初耳だった。

 

「ま、俺達には高嶺の花ってとこだな」

 

 グレッグはにやりとしながらアンディーの脇腹を肘で軽くつついた。

 

 ゲパルトとやらは、買えばさぞや目玉の飛び出るような値段に違いない。対して二人の車はどちらも、変則的(イレギュラー)な経緯でただ同然に手に入れたものだった。そう言う意味では、自分たちは恵まれている――レストアに掛かる費用を別にすればだが。

 

 駐車場を出るときにもう一度振りかえると、その戦車からはちょうど三人の乗員が降り立つ所だった。

 

 

 ホテルといっても、建物自体は廃ビルを改装したものだった。何かの爆発で吹き飛んだらしい上層フロアは一部の壁だけが名残をとどめていて、街の灯に照らし出されると、その奇怪な姿が宵闇をバックに浮かび上がって見えた。

 

 そんなホテルの三階にあるツインルームで、グレッグ達はスチュアート母子とテーブルを囲んでいた。

 

「……俺の傷が治るまで、この町に?」

 

 サマンサの解答はアンディーをひどく混乱させた。無理もない、仕事を途中で放り出す事をおそれていたのに、スチュアート医師はアンディーが治癒するまでこの町にとどまると言っているのだ。

 

「そうよ、治療中の患者にバスの操縦を強いる事も、別れて自分の目的地に向かう事も、どちらも私にとってはナンセンスだわ」

 

 サマンサはきっぱりとそう言い放った。

 

「私は医者ですからね」

 

「そりゃあ、まあ解りますが……」

 

「せいぜい一週間の辛抱だけど、その間は私の指示に従って治療に専念してもらいます。歩き回るのは最低限にして清潔と安静を保ち、ガーゼは毎日取り替える事」

 

 そしてその次の台詞はアンディーをこの世で最も惨めな表情にさせた。

 

「当然お酒は一切禁止よ」

 

「だ、だが先生、あんたはこっからずっと北のロングフォードで開業するんだろ、早く行

かなきゃならないんじゃないのかい?」

 

 アンディーはなおも聞き返していた。

 

「一週間くらい遅れてもどうということはないわ。ロングフォードには今、医者が一人もいないわけではないんだし」

 

「冷たいんだな。医者が多いほうが患者にとってはありがたいんじゃないのか」

 

 グレッグはそう突っ込んでみた。サマンサの物言いにはどうも矛盾した所が有る、そんな気がしたのだ。

 

「……畑違いなのよ。私の専門は外科です。でもロングフォードの病人の多くは化学工場の仕事で内臓障害を起こした労働者たちだわ」

 

「なるほど。あそこには農薬や肥料を作ってる工場が多いからな」

 

 荒れ果てた大地に作物を実らせられるようにするために、多くの男たちが身体を犠牲にして働いているのだという。作ってて体を壊すような物を撒いた土地から、安全に食える物が採れるのかとも思うが、取りあえずサマンサの話は、聞く限りでは筋が通っているようだった。

 

 つまり、サマンサは医者の足りない土地に開業しに行くのではなく、ロングフォードの医療を充実したものに向上させるために行くのだ。いまこの時点ではアンディーの治療が最も優先順位が高いということなのだろう。

 

(まあ、ハンターなんぞやってると、何にでもトラブルの匂いを感じちまうのかもな)

 

 胸の内でそう呟いて、くすぶりつづける疑念を押し込める。グレッグはサマンサの事情についてしばらく気にしない事にした。



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銀幕・2

 

 グレッグ達が宿をとったのは、ハンターたちが集まる酒場やパーツ屋が建ち並ぶ、場末に近い一角だった。夜が更けるまでは騒がしいのだが、さすがに朝の早い時間には、ひっそりと静まり返っている。

 

 昼近く、ようやく町が動き始めた頃、グレッグは部屋のドアをノックする音で目を覚ました。

 

「アンディーか? 入れよ」

 

 答えながら壁の時計を見る。あまり正確ではないだろうが表示は十一時過ぎ。もうこんな時間か、と溜息をつきながらベッドを降りる。

 

「アンディーじゃないわよ」

 

 ドアの向こうの返事はアリサの声だった。

 

「じゃあちょっと待て。着替えが済んでない」

 

 グレッグは大慌てでズボンに足を通し始めた。

 

 ドアを開けて外を見ると、アリサはドアの横の壁に背を向けてもたれるように立っている。

 

「買い物に行くんでしょ?」こちらへ向かって斜め上を見上げる格好で言った。

 

(そう言えば昨夜アンディー達が話している横で、訊かれたままに今日の予定を教えたんだっけな)

 

 グレッグは耳の後を掻いた。

 

「……そうだ、買い物に出る」

 

「私も連れていってくれない? ママは医者の仕事は手伝わせてくれないの。一人で部屋にいたってつまらないし」

 

「構わないが、戦車の部品やショットガンの弾を買いに行くのもそんなに面白くは――」

 

 言いかけて思いなおす。この娘はむしろそんな物が好きなのだろう、と。

 

「……はぐれるなよ」

 

「私もカートに乗るから大丈夫よ」

 

 さも当然そうにそう言うと、アリサはグレッグの後を追った。

 

 駐車場で貸してくれたのは、ごついタイヤを二本づつ履いた二軸四輪のエンジンつきカートで、サスペンションを不整地用に取り替えて装甲と武装を施せば充分に戦車として使えそうにさえ見える、大型のものだった。

 

「三トンまでの荷物ならどうにかなりそうね」

 

 オレンジ色に塗られたカートのクッションの悪い座席に上がりながら、アリサはそう評した。

 

 

「東部じゃあどんな風に暮らしてたんだ?あんなうまい操縦は見たことがない」

 

 カートの横を流れていく街の雑踏に目をやりながらグレッグはアリサに話しかける。

 

「戦車の操縦は十時間ほど教習を受けただけ。近所のドックで週二日働いて、後はコンピューター技術の学校に通ってたわ」

 

「それであの腕か……たいしたもんだな。あれならハンターか、さもなくばメカニックの資格が取れる。やってみたらどうだ? ハンター歴五年以上の者の推薦があれば、試験の一部は免除になる」

 

 お袋さんとは同じ道に進む気も無いんだろうしな、とグレッグは口の中でつぶやいた。年頃の娘の常といえばその通りだが、アリサには母親に対する反発が強いように思える。

 

「ハンターかあ……考えてみる」

 

 頭の後ろに腕を組んで空を見上げながら、アリサはそう答えた。

 

 商店街には意外なほどたくさんの商品がおかれていた。工場設備の破壊や資源の供給停滞によって、ほとんどの重工業が産業として維持できなくなった現在、工業製品の供給手段としては、このパインブリッジで行われているような発掘と、トレーダーの中でも特に「スカベンジャー」と呼ばれる者達による資源リサイクル活動―つまりはゴミ拾い―がそのほとんどを占める。

 

 オーバーホールが追いつかないほどに破損し放置された車輛や、砂漠に埋もれた工場の製品ストック――それらはいわば現代の金鉱脈だ。

 

 そうした発掘品を横眼で眺めながらスチュアート母子のことを考えたとき、グレッグの思いは自然に自分の親のことに向かった。

 

(……親か。俺もこうして生きている以上は、親がいたんだろうが)

 

 グレッグは両親の顔を知らない。物心ついたころにはもう、当時この街を牛耳っていた地方ボスに管理される、奴隷として暮らしていた。

 武装した男たちに監視されながら電子部品を地中から掘り出し、わずかな代用貨幣に引き換えて食事や被服を贖いながらのその日暮らしだった――彼が十五歳の時に一人のハンターが一味を壊滅させ、町を解放するまで。

 

 この町はグレッグの故郷だ。だがグレッグは、この町があまり好きではなかった。

 

 

「こっちの方が軽そうじゃない?」

 

「駄目だ、筐体がヤワ過ぎる。HESH(粘着榴弾)でも食らったら衝撃ですぐオシャカだな」

 

「でもそれ重いし、処理も遅いわよ。CPUだけでも積みかえられないかしら」

 

 商店街の一角、主に車載用の電子部品を扱うパーツ屋で、二人はファブニールに積むコンピューターを物色していた。幾つか並べてあるユニットはいずれも発掘した部品からこの街で組上げた、この時代における意味での新品だ。

 

 グレッグが買おうとしているのは、比較的安価なパーツで組んだ本体に最低限の射撃統制ソフトと、戦闘時の自動操縦プログラムを自作できるツールが搭載された「エイダ(ADA)101」というユニットだった。

 

 一人で戦車を操るには少々ハンターの負担が重いものだが、とにかく衝撃や熱に対して耐久性があるのが強みだった。

 価格千二百ゴールド。今のグレッグにとってはこのくらいが手ごろなところでもある。

 

「どの道今の段階では、ファブニールの全てを統制する程のシステムは見込めない。だからいずれはもっと高性能のものに換装するとしても、今欲しいのは稼ぐ間ちょっとやそっとでは壊れないような丈夫なやつだ、解るかい?」

 

「そういう事なら確かにこっちがよさそうね。でもそれじゃあ、車体のダメージはどうやってチェックするの? あまり沢山のセンサー情報を処理するのは、このユニットでは無理よ?」

 

「ファブニールが立てる音を、耳で聞くのさ」

 

「できるの?そんな事」

 

 不可能ではない。そう答えるグレッグを、アリサは奇妙な物のように見つめた。

 

 「エイダ」を梱包してもらうのを待つ間にファブニールに使えそうな各種のネジを買い漁って戻ってくると、カートの番をしていたアリサが二枚の紙片をグレッグの方に突き出して見せた。

 

「これ、どうしよう?」

 

「何だ、こりゃ」

 

「今の店でくれたの。『エイガのチケット』だって」

 

 グレッグはそこに活版で印刷された文字をのぞきこんだ。

 

**************************************

 

 

        鋼 鉄 の 幻 影

 

    大破壊以前の人類の文化遺産「映画」が蘇る!!

 

    各地の廃墟から収集されたフィルム、ヴィデオの断片から

    可能な限り復元され再構成された旧世紀の総合娯楽。

    現代的に再解釈されたストーリーにそって、原形を極力損なわずに編集、

    音声の一部を新規録音。

 

    ハンター必見!!

    戦車! 戦車! 戦車! 無数の戦車が戦場を駆ける!!

    戦車の原点、ここにあり!

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    主催:人類文化復興学会パインブリッジ支部

 

    テアトル電気館1階ホールにて本日より先行上映

    入場料:30ゴールド・本券持参の方三割引き

 

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「……面白そうだな」

 

 グレッグはその『映画』とやらにひどく興味をそそられた。

 娯楽といえば場末のテント小屋で営業する、ストリップまがいのダンスショーくらいしかないこのご時世に、これだけ手の込んだことをする連中がいることに感動すら覚える。

 ジェインがいささか美化された旧時代の歴史を子供らに教えることに情熱を燃やしていた事を思い出す。この催しの主催者と彼女の間に、何かしら通じるものが有るような気がして胸の奥がまたうずいた。

 

「……行ってみよう」

 

 二人はカートと荷物を駐車場に預けると、早速その上映場所に向かった。        

    

 「テアトル電気館」の薄暗いホールに入ると、古いキャンバス地のスクリーンに投射された光の中で、砲身に日除けカバーをかけた戦車が古めかしい町並みの中をゆっくりと走り回っているところだった。

 

 周囲の暗がりを見まわして、グレッグは舌打ちした。

 

(汚いな)

 

 客の多くは娯楽に飢え暇を持て余した、町の住人達の中でも特に犯罪すれすれの仕事に携わる連中のようだ。

 グレッグの立っている通路から三つほど奥の座席では、映画そっちのけで上半身をひん剥いた女と絡み合っている男さえいる。その体液の匂いらしきものがかすかに鼻をついた。

 

(教育上よくない)

 

 無意識に「父親」の感覚になっていた。アリサの手を引いて前列の方、スクリーンからの反射でやや明るい辺りへと向かう。

 

「あの戦車、ファブニールに似てない?」

 

 画面のほうを見やってアリサが言った。

 

「そう言えば車体の感じや転輪の並び方がよく似てるな。設計思想が共通なのかも知れない……っと、ここ、空いてますか?」

 

 通路際に座った大柄な男にグレッグは尋ねた。たぶんハンターであろうその男の隣には、席が二人分空いている。

 男は黙ってうなずき、グレッグはアリサとその男の間に入る形に座った。

 

「さっきのあれはな、『パンター』と呼ばれる戦車だ」

 

 突然、隣の大男が口を開いた。二人の会話が聞こえていたらしい。

 

「第二次世界大戦と呼ばれた戦争で、ドイツって国が作った優秀な戦車さ」

 

 うれしそうに話す男は、最初の印象ほど無口というわけではなさそうだった。

 

「お詳しいですね」

 

 グレッグはそっけない風を装って答えた。

 

 画面の中では黒い服を着た軍人らしい男達が、地下室のような場所で足を踏み鳴らしながら、古風なメロディーの行進曲風の歌を歌っている。

 

「パンターによく似た戦車って、あんたのか。じゃあ駐車場に停まってる、あの緑色と茶色のまだら模様の怪物がそうだな?」

 

「そうです」

 

 グレッグは仕方なく答えた。

 

「とすると、あんたがグレッグ・マイヤーか。噂になってるぜ、コンピューターも積んでないキングタイガー重戦車で戦いつづけてる、大馬鹿野郎がいるってな」

 

 グレッグは穏やかならぬ心境になった。これを観終わったら早いところ「エイダ」をファブニールに装備してしまおう。

  

「そう嫌そうな顔をするなよ、あれはいい戦車だ」

 

「静かにしやがれ!」

 

 前の席から小声で罵声が飛んできた。大男が苦笑いをする。

 

「俺はキーロフ。セルゲイ・キーロフだ。気を付けな、あんたの事をあちこちで聞いて廻ってるヤツらがいたぜ。」

 

 席を立って詰め寄ってきた先ほどの罵声の主を、小脇に抱えて連れ出しながら、大男はグレッグに呼びかけた。

 

「そいつはご忠告どうも……気を付けるとしますよ」

 

「うん。あんたとはその内に、組んで仕事がしたいもんだ。そっちのお嬢さんにもよろしくな」

 

 小脇に抱えた男のモヒカン頭を手で撫でながら、話し掛けているのが聞こえた。

 

「さあ、外でゆっくり相手してやるぜ」

 

 画面では軍服姿にチョビ髭の小男が、地球儀の形の風船を尻で天井のほうへ跳ね上げたところだった。

 



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銀幕・3

「あの制服を着た人達は、どうしてさっきの人達を追いまわしてたのかしら」

 

「よく解らないな。だがどうやら制服につかまると、あの市民達は恐ろしい目に遭うことが決まっているらしい」

 

 そんな会話を小声でかわしながら、二人は「鋼鉄の幻影」を鑑賞していた。

 

 かつてヨーロッパと呼ばれた地域を席巻した「ドイツ国」はチョビ髭の男に率いられて暴虐の限りを尽くした――そんな経緯が何となく伝わってくる。

 だが無理な戦争による疲弊と、非人道的な行為によって国際社会の支持を失った事とがたたって、彼らは結局敗北の道を歩んだらしかった。

 画面では今しも最後の賭けに出たドイツ国が、ヘスラー大佐と呼ばれる男の指揮する戦車隊を「アルデンの森」地帯に出撃させた所だ。

 

 その一方で――チョビ髭の男と寸分たがわぬ顔の床屋が、旧友の高官をチョビ髭の手から救うために強制収容所出を試みるさなかで、チョビ髭本人と取り違えられるという椿事が起きていた。

 

「やたらと『大佐』が出てくるな、この映画には」

 グレッグは少々不快になった。大佐といえばどうしてもデュランを思い出してしまう。

 おまけに、その「大佐」の一人であるヘスラーが搭乗する「キングタイガー戦車」は別の車種をそれと見たてているらしく、ファブニールとは似ても似つかぬ醜悪な物なのだった。

 

 上映時間は思いのほか長かった。途中で入ったので結局ラストシーンを二回見ている。およそ誰の体にも合わないように設計されたとしか思えない座席のせいで、尻から腰のあたりにかけて不快な痺れと痛みがあった。

 

「けっこう面白かったわね。ラストの演説が良かったな」

 

 アリサは別に腰を痛めた様子もなく元気そうだ。グレッグは自分がひどく年寄りになってしまったような気分になった。

 

 テアトル電気館を出ると辺りはすっかり暗く、製造の容易な白熱電球の黄色っぽい光が、街のそこかしこを照らし出している。その分暗がりの闇の深さも増すようだ。

 近くで営業する食い物屋の屋台から、脂っぽい煙の匂いが漂って来た。

 

「すっかり遅くなったな、ホテルまで送ろう」

 

 辺りを見回して首をすくめると、アリサは小さくうなずいてグレッグの手首をつかんだ。ひどく力が入っていて、少女の手というより万力のようだ。

 

「……おい、そんなに握ったら痛いって」

 

 そう抗議すると、握力が少しだけ緩んだ。

 

 

 ホテルに帰るとフロント係の男が声をかけてきた。

 

「お帰りなさいませ。お連れ様はお出かけになられましたよ」

 

「ママが?」

 

「ええ、二人連れの男の方とご一緒でしたが」

 

 二人は思わず顔を見合わせた。グレッグの表情をどう理解したのか、アリサは(そんな事はありえない)とでも言いたげに首を振った。

 

「……行き先は聞いてる?」

 

「いいえ」

 

「どんな連中だった?」

 

 グレッグも思わず口を挟んだ。

 

「ハンターの方でしょう。そちらの方と同じ様な、腰のベルトに端末(ターミナル)を提げた格好でしたから」

 

「ありがとう……!」

 

 言うや否や、二人は三階への階段を駆け上っていた。

 

(何が起きてるのか判らんがこいつはどうも厄介そうだ)

 

 グレッグはショットガンを引き抜くと、ドアの横の壁に背中を向けてへばりついた。

 アリサはドアをはさんで反対側の壁。何処に隠し持っていたのか長さ四十センチほどのモンキースパナを手にしている。

 

(あの怪力でスパナを振り回されたら、食らったヤツはとんだ災難だな)

 

 彼女との初対面のときに平手でひっぱたかれた事を思い出して、グレッグの首筋を冷や汗が流れた。

 物音は無い。どうやら部屋の中に人はいないようだ。

 

 ドアを蹴り開けて踏み込んでみると、部屋の中は照明が消えて静まり返っていた。手探りでスイッチを探し当てて明かりをつける。

 部屋は特に荒らされた形跡も無く、サマンサを連れ去った侵入者達の正体や意図を窺わせる物は何も残っていなかった。

 

「『テアトル電気館』で会った人が言ってた事と、関係あるのかしら」

 

「判らん。お袋さんには人に狙われるような事情が何かあったのか?」

 

「そんな事、私だって判らないわよ。研究所の仕事については何も話して呉れなかったもの」

 

 グレッグはもう一度辺りを見まわした。

 

(考えろ、グレッグ。ゆうべここで話をしたときと、何か変わっている事は?)

 

 視線が、部屋の一角に並んだベッドのところでふと止まった。

 

(……あの時、このベッドのそばには確かスチュアート先生の荷物があったはずだ。すこし大き目の茶色いボストンバッグだ……今は?)

 

 無い。

 

 侵入者の目的はサマンサ自身にあると思って間違いなさそうだが、荷物も込みで連れ出したということは?

 

「グレッグ……これ」

 

 言いよどみながらアリサが小さなブリーフケースを抱えてきた。

 

「これは?」

 

「ママが荷物から出して別にしまっていたのを思い出したの。クロゼットの奥にあったわ」

 

 中を覗いてみると細かい字でタイプされた書類の束だ。化学式や分子構造図、それに何かの機械部品のような図面の一部が書類の端に覗いていた。だが今の所熟読する暇はなさそうだ。

 

「でかしたぞ。よし、行動開始だ。アリサ、君はこれを持ってレンタル屋に行くんだ」

 

 グレッグはアリサに自分のIDの入った駐車場のカードを手渡した。終着点のはっきりしない、しかも迅速を要求される追跡行には、ファブニールは向いていないのが明らかだ。

 

「これを提示して、俺の代理だと言えば車を貸してくれる。七番ガレージにあった軽装甲車がいいだろう。スピードが出るし航続距離も長い。武装もあのクラスのクルマとしてはまあまあだ」

 

「レンタ7号ってプレートがついてたあれね……?」

 

「そうだ。ガレージから出たら街の門の前で待て。朝まで俺が来なかったら一旦街に戻って、アンディーの所で合流だ。俺はこれからハンターオフィスに行く」

 

 粉屋のテッドが形見に残した、例のリボルバーもホルスターごと手渡した。

 

「念のためにこれも持っていけ。使えるな?」

 

 アリサはグレッグの目を見つめながら無言でうなずいた。

 

 街によって多少の違いはあるが、たいていの場合ハンターオフィスは夜かなり遅くまで開いている。パインブリッジのオフィスもそうだった。カウンターには眠たげな様子の青年が、代用コーヒーをすすり古い雑誌を拾い読みしながら座っていた。

 

「今晩は。ご用事は?」

 

 運悪く遅番にあたったらしい青年は、面倒くさそうに声をかけてきた。多分頭の中は家にさっさと帰って寝ることか、途中の酒場で安い酒を引っ掛けることで一杯だろう。

 

「調べものだ。オフィスのネットワーク端末を借りたい」

 

「……困ったな。後三十分で閉めますよ」

 

「すまないが、終業までに終わらなければ君には残業してもらう事になる」

 

「そんな!いったいなんの権利があって――」目をむいて抗議する青年を押し退けて端末に歩み寄りながらグレッグは答えた。

 

「人の命がかかってるんだ。『(ブラック)ハンター』がらみの事件の可能性もある」

 

「何ですって」

 

 青年は凍りついた。

 

 モンスターハンターが職業として成立してから半世紀ほどになる。その存在意義はもとより人類の生活圏の防衛と重犯罪者の取り締まりにあるのが建前だが、まれにそうした倫理と無関係に活動する、ハンターの姿を装った悪質な犯罪者が存在する。

 

 オフィスのネットワークに暗号化された形で紛れ込んだ非合法な仕事の依頼を、表向きの安い仕事――普通のハンターなら見向きもしないような物を装って受け、裏でかけられた高額の報酬を手にする。

 悪質な寄生虫のようにオフィスのシステムを悪用する、職業倫理の破壊者。それが「(ブラック)ハンター」だ。

 その存在は以前から取り沙汰されているが、いまだにその多くは摘発されないままで、新たな被害も後を絶たない。

 

「……お手伝いしましょう」

 

 青年がそう言ってグレッグの隣の端末に向かった。

 

「助かる。そうだな、一週間以内にこの町に立ち寄ったハンターをリストアップしてみてくれないか」

 

 駐車場のIDカードリーダーからのデータは、ネットワークを介してここからもアクセス可能だ。数秒の間、青年の行う入力操作の、軽快な合成音が響いた。

 

「出ました。そちらのモニターへ表示出します」

 

 十数名のハンターの名前とプロフィールがリストアップされた。

 

「意外と多いな」

 

 

*******************

 

・バランス=ダイン      :登録ナンバーb4430001289

     使用車輛/サンダーバグ

       車種/デューンバギーFV450型

 

・ケイン=サルワタリ     :登録ナンバーk5719003321

     使用車両/ルクス2

       車種/六輪装甲車JF87式

・アンドリュー=メレンキャンプ:登録ナンバーa0098070308

     使用車両/アルバトロス

       車種/装甲バス

       

*******************

 

「あいつ、そんな本名だったのか」

 

 グレッグは苦笑した。そう言えばアンディのフルネームは一度も聞いたことが無かった。

 

*******************

 

・グレッグ=マイヤー     :登録ナンバーg11830000102

      使用車両/ファブニール

        車種/発掘戦車・形式不明  

 

*******************

 

(これは当然除外だ。それにしてもオフィスも知らんファブニールの形式名を知ってるあのセルゲイって男、相当の戦車通だな)

 

 

*******************

 

・セルゲイ=キーロフ     :登録ナンバーs30880000026

      使用車両/ロジーナMkⅡ

        車種/T-34-85

・オスカー=ヴォネガット   :登録ナンバーo27780930082

      使用車両/ハインリッヒ

        車種/ゲパルト

 

*******************

 

(ん?このゲパルトってのは……昨日のヤツか?)

 

 滞在記録の欄がグレッグの注意を引いた。九月十二日、つまり昨日の夕方にチェックインして、今日十三日の夕方早くに街を出ている。ハンターが街に滞在する時間としては、グレッグ自身の感覚に照らして異常に短かった。

 

(クサいな)

 

 ヴォネガットが受けた依頼のリストを呼び出すと確かにいくつか、妙に報酬が安く内容の不明瞭な依頼がある。

 グレッグは隣の端末を操作する青年に呼びかけた。

 

「こいつの請負リストをチェックしてくれないか。暗号化メッセージのデコードは俺じゃ難しそうだ」

 

「任せてください」

 

「黒ハンター」を摘発できればオフィスでの地位と出世は保証されたようなものだ。青年は今やあらん限りの情熱を込めて、膨大な通信ログファイルの樹海へと分け入って行った。

 

 時間にしておよそ一時間半。ヴォネガットの請け負った依頼がその正体を現した。二人は天井を見上げ、溜息をついた。

 

「ありがとう。これでスチュアート先生を助けに行ける」

 

「お礼なんか言わないで下さい。この仕事について始めて自分の仕事に誇りを持てましたよ。こちらこそ、ありがとうを言わなくちゃ」

 

 青年はカウンターに戻ると何かの伝票にサインした。

 

「これを持って行ってください。クラス2までのどんな携帯武器でも、駐車場付属の遺失物ロッカーから借り出せます。損失、消耗した場合はオフィスで負担しますから」

 

 パインブリッジのような大きな街なら大抵、駐車場にはハンターやソルジャーが当座の間使わない装備や部品―仕事中に手に入れたものなど―を一時預かりして呉れる、預かり所(トランクルーム)がある。だが、全てのハンターがその品物を引き取りに来るわ

けではない。

 

 時折、持ち主が死亡もしくは行方不明になって、そのままになる預かり品が発生する。遺失物ロッカーとはそうした物品が一定期間を過ぎて町の武器店やドックに払い下げられるまでの間、保管する場所なのだ。

 

 いいのか、と聞き返すグレッグに青年は片目をつぶって答えた。

 

「ご心配なく。こういうケースに関しては最大限の権限を発揮できるんですよ、我々オフィス職員は」

 

 グレッグはロッカーから擲弾筒付きのアサルトライフルと対戦車ロケットを借り出して、街の門前で待つアリサの軽装甲車に合流した。

 

 時刻は午後十一時四十三分。ヴォネガットが依頼者と合流するまで、四十八時間と十七分。場所はパインブリッジから北東へ直線で五百キロに位置する小さな廃墟、「ロックヘッド」だ。



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銀幕・4

「お袋さんがいた東部の研究所では、人間を戦闘マシーンに作りかえる技術を色々と研究していたらしい。内蔵された武器まで含めての自己修復を可能にするナノマシンとか、そういった類のものを。だが何かのきっかけで、彼女はそれが嫌になった――そういうことらしい。それが何だったか、までは分からんが」

 

 平均時速六十キロで疾駆する装甲車の中で、グレッグは大まかな事情をアリサに説明してやった。

 

「……それで研究所を辞めて、西部で開業する事にしたのね」

 

「だろうな。だが彼女の研究に目をつけた悪人が、『(ブラック)ハンター』のヴォネガットに依頼をした。サマンサ・リー・スチュアート博士を拉致しろ、と」

 

「信じられない。ママがそんな事に関わってたなんて……」

 

「嘆く事はない。そうした技術は正しく使えば、多くの人間を幸せにすることができるんだ。スチュアート博士は人類の宝といっても大げさじゃない。たとえば――自己修復する素材で義手や義足を作る事を想像してみるといい」

 

 サマンサを悪人の手に渡したり殺させたりしてなるものか。アクセルを踏み込むグレッグの足に力がこもった。

 ヘッドライトに内蔵された強力なハロゲンランプの放つ、二条の光が剣となって夜の闇を切り裂いていく。

 

 四時間ほど走ってさすがにグレッグは疲労を覚えた。この辺りは起伏の多い台地が広がっていて、夜間に高速で走り回るのはあまり楽ではない。

 

「アリサ、車を停める。運転を変わってくれ」

 

「わかった。少し休んで」

 

 ドアを開けて一旦車を降りる。運転席に上がりかけて、突然アリサが怪訝そうに辺りを見まわした。

 

「どうした?」

 

「何か来るわ、早く乗って!」

 

 ドアを閉めて急発進すると、一瞬遅れて軽装甲車のいた場所を砲弾がえぐった。その衝撃で一瞬、タイヤが地面から跳ね上がる。

 

「何だ!?」

 

「あそこよ! 四時方向、少し上!!」

 

 闇にまぎれて大きな岩と見えていたそれが、正体を現した。ライトに照らされて浮かび上がるその巨大な影は――

 

「ガンタワーか!!」

 

 全高十数メートルの丈高な車体に機銃、レーザー砲、ミサイルと多彩な武装を持ち、最上部に高性能の三次元レーダーを装備した、この一帯では最強のAT(自動戦車)だ。

 大破壊からそろそろ百年以上、いいかげん活動を停止してもよさそうだが、こうした自動機械の『生態系』の中には、ATの補修や弾薬の補給等を行う、メカニコプターなどのようなモンスターが存在する。

 一台一台破壊して廻らなければ、なかなかATは減らないのだ。ガンタワーは装甲も厚く、今装備している武器では倒すのにかなり時間が掛かる。

 

 軽装甲車のルーフ上に装備された二十ミリ機関砲に弾薬を装填しながら、グレッグは奥歯を軋むほどきつく噛みしめていた。

 

(なんてこった! 運が悪いにも程がある)

 

 この車輛でこういう相手と戦うには、機動力を生かしてアウトレンジから攻撃し続けるしかない。だが、辺りの地形は岩壁や窪地が多く、走り回るにも逃げるにも都合が悪い。

 

 ファブニールならこういう地形でこそ踏破性と防御力を頼みに腰を据えて戦えるだろうが、この車では崩れた岩に足を止められでもしたらもうアウトだ。時折飛来するミサイルを、自動迎撃モードにした機関砲で防ぎつつグレッグは死を意識していた。

 

 なんとかアリサだけでも逃がさなければ。このままでは二人とも死ぬ。

 

 と、ガンタワーの戦闘塔部分で榴弾の直撃らしい爆発が起きた。一瞬遅れて発射音が響く。

 

「何だ?!」

 

 グレッグは我が目を疑った。ようやく白み始めた空を背景に、ガンタワーのミサイルランチャーのうち、一基が破壊されて煙を上げているのが見えた。

 

「グレッグ、フォックストロット回線に!」

 

 ハンター用の車にのみ装備される、変調周期同期式の通信回線。誰からか、その回線で呼びかけている事を示す黄色のランプが点灯している。

 

「えらいモンにとっ捕まってるな、お二人さん。ここは俺に任せて、先を急ぎな」

 

 聞き覚えのある声だ。「テアトル電気館」で出会った大男のハンター、キーロフの声だった。

 

「あんたか! 何故ここに?」

 

 グレッグが問うと、野太い笑い声が通信機のヘッドセットに飛びこんできた。

 

「いやあ、この辺りに出るモンスターには、高級な部品や貴重な物質を落とすヤツがいるんでな。『ロジーナ』の修理も出来あがったんで、昨日夕方から狩りに出てたのさ。で、ハンターオフィスとの定時連絡であんた達の事を知ったってわけさ」

 

 少し離れた高台に、緑色をした車高の低い戦車が、大き目の砲塔から長大な砲身を突き出してこちらを向いているのが見える。ファブニールに比べるとやや小ぶりのようだが、あの主砲だけは互角かも知れない。

 

「ありがとう。助かった」

 

「礼はいい。こいつからは時々強力なミサイルやそこそこ使える機銃を頂けるんだ。ま、俺が引き付けている間にここを離れな」

 

「解った。良い狩りを!」

 

 ファブニールよりも機動力に優れていると見えるキーロフの戦車が、たくみにガンタワーの砲撃をかわし、的確に主砲を命中させているのが見て取れた。やがてその戦闘の光景は一幅の絵のように、後方に遠ざかって行く。

 

 

 荒地の彼方、遥か東の山脈に日が昇る頃。二人はロックヘッドまであと半分ほどを残す位置にある、放棄された給油所に差しかかった。

 

 こうした古い施設は人口の激減に伴って使われなくなった物が多く、時折幾ばくかの物資が残されている事がある。グレッグは燃料計に一瞥を呉れた。満タンにして来てはいるものの、ここで予備の燃料を調達できれば後々の行動に柔軟性が持たせられるだろう。

 

「給油できるかもしれん。ちょっと寄ろう」

 

 アリサがそれに応じてハンドルを切り、軽装甲車を給油所へ寄せていった。

 

 辺りは荒涼としていた。大破壊前の映像に残る「ガソリンスタンド」とは違って、申し訳程度にコンクリートを流して固めた空き地に、鉄条網と鋼板の柵に囲まれたドラム缶の集積場と、監視塔付きの小屋が隣接しているだけだ。

 

「ポンプが見当たらないな……ま、多分小屋の中だろう。ここで待っててくれ」

 

 アリサにそう言うと、グレッグはショットガンを手に小屋へ近づいていった。

 

「止まれ!」

 

 突然、小屋の中からしゃがれたわめき声がした。年老いた男が一人、銃身の長い旧式の狙撃用ライフルをこちらに向けている。

 

「こいつは全部わしの石油だ! 取り上げようったってそうはいかんぞ、盗っ人野郎!!」

 

 グレッグは素早く彼我の位置取りを確かめた。

 

(ダメだ。ポジションが悪すぎる)

 

 仕方なく立ち止まるとショットガンを地面に投げ出し、両手を上げる。

 

「撃つな!」

 

「つまらん事は考えるなよ。後ろの車の奴もだ!! その砲身をこちらに向けたらこいつの頭が吹っ飛ぶと思え」

 

 誤解だ、とグレッグは叫んだ。

 

「占有者がいるとは思わなかったんだ。この給油所があんたの物なら、こちらに異存は無い。ただ、燃料を少し分けて欲しいだけだ。代価が必要なら払う」

 

「……ふん、少しは論理的に話ができるらしいな。山賊にしてはましな方か」

 

 手入れの悪い汚い歯をむき出して笑いながら、老人は小屋から出てきた。

 

「ここの石油につられて、てめえのようなヤツが月に一人二人は寄ってきやがる……おかげで金や食い物にありつけるがな。昨日の変な戦車のヤツらは人数がいたから隠れるしかなかったが……」

 

「変な戦車?」

 

 グレッグは思わず聞き返した。

 

「てめえの知ったことじゃねえ……細っこい機関砲を二門もつけて、いきなりぶっ放してきやがった。よし、あいつらの分もてめえから貰うとするか。構わんだろ?」

 

 理不尽な事を言ってくる。だが老人の言っている戦車とはゲパルトだろう。してみると、ヴォネガット達も昨日ここを通ったのだ。

 

 老人は銃口をグレッグに向けたまま距離を保ち、じりじりと周りを廻っている。

 

「何を渡せばいいんだ?」

 

 無駄とはうすうす知りながら、グレッグは尋ねた。この老人はこうして、単独で給油に来た者から物資を奪い取って暮らしているのだろう。 手に余る相手にはとことん隠れ通してだ。客観的には弱者だが、なんとも毒虫のようなやつだ。

 

 視界の隅を白い物が動いた。アリサだ。何時の間にか車から降りて、例のでかいスパナを手にしている。走ってきて老人を殴り倒す気だろうか。

 

(止せ、アリサ!)

 

 言葉にならない内に、飛来した鉄色の物体が老人の手からライフルを跳ね飛ばし、そのまま顎の部分を強打した――たった今アリサの手中にあったスパナだ。

 

 昏倒した老人に馬乗りになってその手から銃を奪う。駆け寄ってきたアリサがスパナを拾って振り上げ、老人の頭に一撃を見舞おうとした。

 

「コロス!!」

 

「やめろ!もういい、もう終わったんだ!!」

 

 ひどく非人間的な叫びを上げるアリサを、抱き止めるようにしてようやく押さえた。

 老人は白目をむいて倒れているが、幸い生きているようだ。回復カプセルを一個、口の中に押し込んでやる。下顎の骨が砕けているが、生きているなら二日もあれば修復するだろう。

 

 アリサは憑き物が落ちたようにポカンとして立っている。自分が何をしていたのか、解っていないかのようだ。

 

(年頃の少女というのは不安定なものだとは思うが……この娘は一体?)

 

 

 ポンプは小屋の中だった。集積場から転がしてきたドラム缶から予備燃料タンク一杯にガソリンを補充して、二人は給油所を後にした。

 

「燃料が手に入ったのはいいけど、とんだ寄り道だったわね」

 

 平静に戻ったアリサがけろりとして言う。グレッグは彼女のほうを見なかった。気になるが、今はサマンサの救出が先決だ。

 

(これが無事に済んだら帰りにまた寄って、ガソリン代をあの老人に払ってやるとするか……)

 

 といっても今のところ、代金に見合うほどの金や食料は持っていない――あれだけの大怪我をさせた分の上乗せにできる程には。

 

 やがて日は高く昇り、ロックヘッドの廃墟がそのゴツゴツとしたシルエットを、山あいの低地の奥に覗かせ始めた。

 



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銀幕・5

 腹ばいに伏せた肘に、地面から半分ほど顔を出した石塊が当たっている。

 

 普通は痛むはずだ。だが、今この瞬間においてそれが全く意識に上らないのは奇妙な事と言えた。

 戦いを前にした静かな高揚のせいなのか。

 

 物陰に停めたレンタ7号にはアリサを見張りに残して、グレッグはロックヘッドを見下ろせる崖の上から双眼鏡を使っていた。

 

 ここからは廃墟がよく見渡せる。発見されないように身を低く潜めていても、普通の町の一ブロック分ほどの、崩れたコンクリート製建築物の塊がほぼ余す所無く双眼鏡の視界に収まった。

 

 多分ホワイトリバー上流の「死せる都市」と同時代の物だろう。足場が悪くてスカベンジャー達も手が出せなかったのだろうか、建物の所々にはアルミ製の窓枠がガラスを嵌めこまれたままで、もはや存在しない部屋を吹き荒ぶ風から空しく守っている。

 

 鉱石からの精錬技術が失われた現在、アルミニウムは貴重な金属のひとつだ。錆びず、軽量で、加工しやすくそこそこに丈夫な灰色の金物。 偵察用の軽戦車や装甲車のボディに使われている事も多い。

 このロックヘッドや「死せる都市」のことが知られるようになったのも、アルミを求めて多くのスカベンジャーやハンターが入りこみ、そしてそのうち何割かが帰ってこなかったからだ。

 

 こうした廃墟には、だいたいAT(自動戦車)を除いた様々な種類のモンスター達が巣食っているものだ。にもかかわらずここを依頼者との合流地点として野営しているヴォネガットは、「黒」と言えどもやはり並大抵のハンターでないことは明らかだった。

 

 敵は少なくとも三人、数の上の不利は戦術で補うしかない。

 しかも、グレッグはサマンサの救出も成し遂げなければならないのだ。綿密な偵察が何にも増して必要だった。

 

 

 今この岩場からは、ヴォネガットたちの戦車「ゲパルト」が、瓦礫の間の周囲が開けた場所に駐車しているのが見える――

 

「……いや、停車だな」

 

 グレッグは呟いた。ゲパルトの砲塔後部のレーダー・アンテナがゆっくりと回転しているのだ。誰かが乗車して周囲を警戒しているのに違いない。乗員三人のうち、少なくとも一人が。

 

(俺が奴らの立場だったら、どのような布陣を敷く?)

 

 グレッグは自問自答してみた。ヴォネガットたちが依頼者と合流するまで今からほぼ三十時間ある。夜陰に乗じて忍び寄り、ゲパルトを無力化できればグレッグにも勝機がある。

 それは向こうも解っているはずだ。夜の間、彼らは張り詰めた状態で追跡者に備えなければならない。だから彼らはこの日中の時間帯に、交代で休息をとることだろう。

 

(問題は、奴らがロックヘッドのどの辺りにサマンサを監禁しているかだが……)

 

 交代の際にゲパルトを空にするようなヘマは、彼らはするまい。とすれば監禁場所は停車位置からごく近い場所だ。

 

 ゲパルトから二十メートルほどの所には、途中五階ほどの高さでへし折れたビルがある。その残った下半分が、いかにも隠れるのに都合がよさそうだった。

 

(恐らくあそこだろうな……おや、あれはなんだ?)

 

 双眼鏡の視界に入ったものは、ゲパルトの周囲何か所かの高い建造物の上に設置された、簡易レーダーのアンテナらしき物体だった。

 用心深いハンターの何人かが、野営の際などに似たものを使っているのを見たことがある。さほどの能力は無いが、単一のレーダーでカバーできない地形においては、それなりに有効な物だ。

 

「万全の備えと言うわけだな」

 

 グレッグは苦笑した。おかしな話だが敵の周到さがかえってグレッグに作戦のヒントを与えてくれたのだ。古傷を抱えた右膝をかばいながら、グレッグは下で待つアリサの方へと崖の裏手の急斜面にそって滑り降りて行った。

 

 

         * * * * * * * *

 

 

 アントノビッチはコンソールのスイッチを切り替えた。交代まであと三時間。それまでの間三分おきに、設置した簡易レーダーと車載の広域監視レーダーとを切り替えつづけなければならない。

 急場に作りつけたシステムだから、ゲパルト本来のレーダー画像とのは同時に表示できず、その切り替えも手動だ。

 

「俺のハインリッヒをこんな使い方させやがって……」

 

 アントノビッチは毒づいた。このゲパルト――「ハインリッヒ」は明らかにヴォネガットの所有物だが、購入以来二ヶ月の間、おおよそ最高のコンディションを保てているのは、彼の行き届いた綿密なメンテナンスの成果だ。

 

 チリ一つ無く磨かれた、射撃統制装置のコンソール。大破壊前の精緻な電子技術の産物たる、究極の芸術品――この砲塔は、いわば彼の城だった。

 

 三十五ミリ機関砲と言えば、頭の古いハンター達は大概が鼻で笑って相手にもしない。それはそうだ、もともと対空用で、対装甲用の武装ではないのだから。

 だが、このハインリッヒの場合、機関砲は対地攻撃用に連射速度を押さえつつ、強装薬の翼安定式徹甲弾を発射するように改造を施してある。

 機動力を生かして側面に肉迫し連射を叩き込めば、たとえ目下の仮想敵、グレッグ・マイヤーの「ファブニール」といえども持ちこたえられはすまい。

 

 化け物じみた装甲だけが取り柄の、旧時代の遺物などに遅れはとらない――そう自負している。

 専属のメカニックとしてヴォネガットに付いて数年になるが、車を愛する事にかけては彼の方が、あの男装趣味のわがまま娘よりは上を行っている――そう思っているからこそ、「俺のハインリッヒ」などという言葉が出てくるのだった。

 

 そのアントノビッチの目の前で、突然レーダーのモニター画面が死んだ。一瞬後にくぐもった爆発音。

 コンソールの表示を確認する。死んだのはビルの上に設置したアンテナ方だ。

 

「何だ……? 近くに火器を積んだ車がいるのか?」

 

 あわてて本体の広域監視レーダーに切り替えたが、それらしい反応は無い。生身で来たのか、あるいはレーダーの死角か?

 

 アンテナの設置位置から考えて、死角に入っていた車輛が居るとは考えにくい。ヘッドセットのスイッチを入れて、仮眠をかねて待機中のブロンスキーを呼び出した。

 

「おい、敵襲だ。馬鹿が仕掛けてきたらしい。お迎えにいってやりな」

 

〈ああ、爆発煙が見えた。四十ミリグレネードみたいだったが……いや、待て〉

 

 徒歩戦闘に特化した傭兵(ソルジャー)の口調が、急に緊迫した調子を帯びる。

 

〈四輪の軽装甲車がいる! 乗っけてくれ、追うぞ!〉

 

 これまでどこに隠れていたのか、対地用のカメラも走り去る軽装甲車の姿を捉えていた。アントノビッチは操縦系を半自動モードに切り替えた。

 

(陽動じゃないのか?)

 

 そんな疑念が頭をかすめる。だがマイヤーが一匹狼である事は確認済みなのだ。相棒とおぼしい運び屋は目下のところ負傷でまともに動けない様子だった。もう一人、さらってきた女科学者には娘がいたが、あれはどう見てもただの小娘の筈だ。

 

 マイヤーたちが戦力を分散できるとは考えられない。

 

 いかつい体つきをしたソルジャーはもう、ハインリッヒの車体の上だった。砲塔の追尾した方向へ車体を向けて走る半自動モードでは、さすがにヴォネガット本人の操縦には遠く及ばない。それでもあの程度の速度で走る車輛を追うのは、わけもないはずだ。

 

 

         * * * * * * * *

 

 

「アリサ、上手くやれよ」

 

 双眼鏡でゲパルトの離脱を確認しながら、グレッグは呟いた。遺失物ロッカーから借りてきた、擲弾筒付きアサルトライフルの四十ミリグレネードはあと三発ある。これとライフル本体の五.五六ミリ弾が百発、それにアリサに貸してあったリボルバー。

 

 何とか戦えるだろう。無論戦わずにすめばその方が良いが。

 

 ショットガンと対戦車ロケットはアリサが持っていった。彼女には一時間の間、ゲパルトを引っ張りまわして来いと指示してある。その間にサマンサを救出し、先ほどの崖の下で合流する予定だった。

 

 あの老人には悪いことをしたが、燃料集積所に寄ったのは正解だったようだ。燃料に余裕がなければこの作戦は立てられなかった。

 だが、本来対空戦車として航空機に対抗できるように造られたゲパルトに対し、軽装甲車一台でどこまで渡り合えるものか。

 

 いくら操縦が上手くても、アリサは所詮ハンターではない。娘と言っても良いような年頃の少女を、母親の奪回のためとはいえそんな危険にさらす事など、本来ならば問題外だ。

 

  結局、自分可愛さと復讐への執着が自らにそれを許してしまっているのか。

 

「俺はやっぱり、人でなしかもな」

 

 自嘲気味に呟いて、周囲を警戒しながらビルへと向かう。

 

 もしかしたら、燃料集積所でアリサの不気味な一面を垣間見た事が、意識しないうちに彼女を自分から遠ざけるように仕向けていたのかも知れなかった。だとしたらなおの事、グレッグは己を恥じずにいられない。

 

(とにかく博士の救出だ。こいつが上手く行かんことにはどうにもならん)

 

 ビルの側面の崩れた壁の穴から中へ滑り込む。特にトラップの類はないようだ。だが崩れた瓦礫の山を越えて床に降り立ったとき、廊下の奥の暗がりに大きな長い物がすべるように音もなく動いた。

 

 全長五メートルほどか、蛇のようなフォルム。それがグレッグめがけて鎌首をもたげる。次の瞬間空気が震え、爆ぜた。

 

 とっさの判断で辛うじて身をひねり、直撃をかわした。右膝が悲鳴を上げる。背後のコンクリート壁が、直径一メートル、深さ十センチほどの範囲で細かく粉砕された。

 そのあとに残ったのは、くっきりした円形の穴。

 

「ソニックコブラか!」

 

 首の下に広げたカサの部分に強力な超音波発生器官を備えた、蛇型の半機械生物(サイバネティック)だ。華奢な造りの物なら、車でさえ搭載パーツや時には車体そのものを破壊される事がある。ぺトラ辺りで出会うようなモンスターとは、較べものにもならない危険な相手だった。

 

「ここにトラップが無いのは、こいつがいるからって事か!」

 

 銃声を立てたくはなかったが仕方がない。グレッグは蛇にアサルトライフルの銃口を向けた。

 

 三点射。だが既にその地点に蛇は居なかった。

 

「くそっ!」

 

 辺りを見廻しつつライフルのセレクター・スイッチをフルオートに切り替える。次は外せない。

 

 薄暗がりの中を見回すグレッグの後方で、瓦礫がコトリと音を立てる。

 蛇はそこにいた。大柄な体にそぐわないすばやい動きでグレッグの左側面に廻りこみ、距離を詰めてくる。再び空気が震え、円錐形に密度変化した空気の塊の、形まで見えたような気がした。

 

 渾身のジャンプ。体がほぼ床と水平になるような姿勢で跳び上がる。

 そのまま空中で一連射、今度はソニックコブラの頭部からカサの辺りまでを過たず消し飛ばした。受け身を取れずに右肩から床へ叩きつけられる。衝撃が右半身を揺さぶり、肝臓と膝を走り抜ける。呼吸が一瞬止まりかけた。若い頃でもこんな無茶な動作を自分に強いた事はない。

 

 脇の壁に手をついて立ちあがった。内臓が悲鳴を上げているのがわかる。喉の奥からこみ上げてくる唾液とも胃液ともつかない粘液が、うつむいた口元から滴り落ちた。

 

 今の銃声はヴォネガットにも聞こえた筈だ。

 

「急がなけりゃあな」

 

 足を引きずりながら奥へ向かった。情けなくて涙が出る。右足の古傷があるとはいえ、背負った装備の重さと先ほどの転倒のダメージで、もうへとへとだ。

 なまったものだ。もっと若い頃ならこんな事は何でもなかった。

 

 引退していた五年の間、村の周りのパトロール程度で事足れりとしていたのが悔やまれる。あの辺りに居た程度のモンスターなら、何もバギーを借り出すほどの事も無かったのだ。こんな事で本当に、デュランの一党を相手取って、ジェインの仇を討つことが出来るのか。

 

(馬鹿な。何を弱音を吐いている、俺はハンターだ。車さえあれば俺は大抵の事はやってのけてきた)

 

 鋼鉄の装甲を身にまとい、鉄の車輪で大地を駆ける、炎の長槍で武装した騎士。徒歩でソルジャーと同じように戦える必要など無い筈だ。

 

「そうとも! 俺はハンターだ!」

 

 通算三つ目のドアを、蹴り開けながら吐き出すように叫ぶのと同時に、部屋の中央からドアに向けられた、大型ライトの強力な光がグレッグの視界を奪った。

 

 とっさに身を伏せる。銃声が一発響いたが、それは一瞬前までグレッグが立っていた辺りをかすめたようだった。

 

 徐々に目が光に慣れ、ライトの向こうに二つの人影が浮かび上がった。手足を拘束されて床に転がされた女と、手にした大型拳銃をこちらに向けた人物。床に転がされているのはサマンサ・スチュアートだった。もう一人も女のようだ。

 

 二十台半ばと言ったところか。ひざ下を絞った形の細いズボン――大昔の乗馬用のものに似たそれと、上半身には実用性の疑わしい、真っ赤な合成皮革の短いジャケット。

 パインブリッジの駐車場でちらりと見かけた、ゲパルトの乗員の一人のようだった。ふんわりとカールした細い金髪を肩までたらしている姿は、どこの富豪の娘かと思わせる。だが、全身から立ち昇る雰囲気は見間違え様がない――硝煙の匂いだ。

 

「ふうん。意外と手強いのね」

 

 女が口を開いた。笑うような口調だが、目は全く笑っていない。鋭い視線でグレッグを見下ろす、その額を汗が伝い落ちた。

 

 この角度からだと、女からは床に伏せたグレッグの身長に対し、実寸の半分以下のシルエットしか狙えない。対してグレッグからは女の全身を見上げる形で狙うことが出来るのだ。

 

「あのソニックコブラを排除してここまで来るとは思わなかった」

 

「なめるな、これでも十五年選手だ」

 

 無言のまま数秒が過ぎる。

 

「……ヴォネガットの愛人か? 武器を捨てろ。先生を返してくれれば俺はそれでいい」

 

 女はキッと不機嫌そうな表情になった。

 

「こいつめ。床に寝そべって言う事か? それに――」

 

 叫びと拳銃の発射とは同時だった。

 

()()()()()()()()()!」

 

 寝転んだまま、身体をよじって横へ転がる。当たらない。ヴォネガットの放った九ミリ拳銃弾は、床を削ってどこかへ跳びはねて消えた。グレッグはヴォネガットの手を狙ってライフルの引き金を絞った。ごつい造りの大型拳銃が女の手から跳ね飛ばされ床に転がる。グレッグの射撃の腕からすると奇跡に近い。

 

 すかさず立ちあがって拳銃を部屋の隅に蹴り飛ばし、腕を押さえてへたり込んだ相手に銃口を突きつけた。殺さずにおいて情報も得られればそれに越した事はない。

 

「よし。腕を頭の後に組んで、そのまま動くな」

 

 ライフルを向けたまま後すざりにサマンサの方へ寄る。手首を固定した手錠の鍵を、リボルバーで撃ち抜いた。ナイフを手渡すと、長時間の拘束でこわばった手を懸命にさすって血行を回復させながら、サマンサは足首や膝を縛ったロープを切り始めた。



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銀幕・6

「さてと。あんたの依頼者について話してもらえるかな?」

 

 オフィスの記録では依頼者の名前は「ミュンヒハウゼン男爵」となっていたが、いくら何でも偽名だろう。本来は童話の登場人物の名前だったはずだ。

 

 ヴォネガットはニヤリと口元をひき歪めて笑った。

 

「答える必要は無いな、グレッグ・マイヤー。私の部下が帰ってきた。聞こえるだろう? あのキャタピラ音が」

 

(馬鹿な、まだ三十分ほどしか経っていない筈だ)

 

 だが近づいてくるキャタピラ音は聞き違えようがない。

 

(時計は?)

 

 慌てて時計を覗きこむと、やはり行動開始から三十五分が過ぎただけだ。すると、アリサは? 失敗したのか?

 

 それは彼女が死んだということとほぼ同義だった。軽装甲車も大破したことだろう。

 

 手痛い敗北だ。だが、まだ終わってはいない。グレッグは、アリサを死なせたことに対する後悔の念を必死で押し殺した。

 顔から血の気が引いているのがバレていない事を、今は祈るばかりだ。

 

「間違えてもらっちゃ困る、あんたの立場は何も変わってないぞ。そのままビルの外へ出ろ。走ったら撃つ」

 

 軽装甲車が戻らないとなれば、この際ゲパルトを奪うしかない。荒野を横断するのには車が必要だ。

 ヴォネガットは両手を頭の高さに上げたまま、ゆっくりとグレッグの数歩前方を歩いていく。キリキリと歯噛みの音がした。

 

 サマンサは幾分回復したようだった。ときおり手首をさすりながら、グレッグのすぐ斜め後ろをついてきている。

 

「スチュアート先生、足は大丈夫か? 後で多分走る事になるが」

 

「何とか」

 

 まだアリサのことは話せないな、とグレッグは思った。

 

 玄関まで来たとき、屋外の光をバックに人影が二つ踏みこんできた。さほど広くないエントランスホールの中で、二つのグループが互いに凍りつく。

 

「隊長と女を返せ」

 

 ヴォネガットの部下の一人、筋骨たくましい短躯の男が唸った。

 

「そいつは欲張り過ぎじゃないのか」

 

 グレッグが応じる。無論、ヴォネガットも渡すわけには行かないのだ。

 

 物騒な事に、目の前の男が手にしているのはミニガン――6本の七・六二ミリ銃身を束ねてモーターで回し、最大で毎分二千発の弾丸を発射する、ミニ

サイズのバルカン砲だ。

 

 普通なら人間が携帯するようなものではない。人質を手放せば、次の瞬間に確実にグレッグを挽き肉にしてくれるだろう。スチュアート博士も殺してしまって、彼らが困らなければだが。

 後ろからもう一人――姿勢の悪い痩せぎすの、サングラスをかけた男が一歩前へ出た。

 

「困った立場に追い込んでくれたなあ、マイヤー。俺たちに隊長と任務を両天秤に掛けろという訳か」

 

「両天秤だと?」

 

「その学者先生を確保できない場合は殺せ、ってのも、俺たちが受けた依頼に含まれてるんだよ――直接通信でな。むろん隊長を失うのは困るが」

 

「……そいつはなかなか、俺には分の悪い話だな」

 

「だろ?」

 

 グレッグの首筋を冷や汗が流れた。そうなるとヴォネガットに対する彼らの忠誠心だけが、グレッグとサマンサの生命を繋ぎ止める細い糸になる。

 

「だから、隊長と学者先生、両方返してくれ。そうすればあんたは武装だけ解除して荒野に放り出してやるよ。運がよけりゃあ、お仲間の車が拾ってくれるさ」

 

「仲間の車……!?」

 

 グレッグが聞き返したまさにその時、ビルの外で装輪車特有のブレーキ音と、けたたましいクラクションが鳴り響いた。

 

「戻ってきた!? 早過ぎるぞ、タイヤはつぶした筈だ!!」

 

 叫びながら慌てて外へ取って返す二人を追って、グレッグ達もビルの外へと跳び出した。

 

 ――そこに、居た。

 

 ゲパルトに至近距離まで寄せて停車し、運転席の窓から対戦車ロケットを構えて、ぴたりと狙いをつけている、アリサの姿。

 

「動かないで! それ以上前に出たら、大事な戦車にこれをブチ込むわよ。グレッグ、ママ、早く乗って!」

 

 ヴォネガットの部下二人――アントノビッチと、ブロンスキー――が顔色を変える。アントノビッチが叫んだ。

 

「くそっ!駄目だ、ゲパルトは困る!!」

 

 

「先生、走れ!!」

 

 ヴォネガットを蹴倒して、そのまま軽装甲車へと走る。乗り込むと同時に、ドアをあけたままの急発進。

 

(奴らは?)

 

 ウィンドウ越しに後方をうかがうと、地面に倒れたヴォネガットを助け起こしてゲパルトへ走る姿が見えた。

 

「アリサ、とばせ!!」

 

 この車輛の装甲ではミニガンはともかく、三十五ミリ機関砲は防げまい。だが、アリサは冷静に答えた。

 

「大丈夫よ。ゲパルトはしばらく動けないわ」

 

「なに? どういうことだ」

 

 アリサはクスリと笑って、芝居がかった口調で答える。

 

「お許しください、私は罪を犯しました」

 

「それは――」

 

 思い出した。パインブリッジで見た映画、「鋼鉄の幻影」の中で、ドイツ国から脱出する海軍大佐の一家を修道女たちが助けるシーンがあった。アリサが口にしたのは、その修道女の一人のセリフだったはずだ。

 

 劇中の彼女たちは、一家を護送するドイツ軍の車から部品を取り外して、走れなくしていたのだったが――

 

「これよ」

 

 ゴトリと音を立ててアリサがダッシュボードの上に置いたのは、数本のキャタピラ連結ピンだった。

 

 

 

「あまり長時間ロックヘッドを空にするのは、避けたかったみたいね。十五分もしたら、あいつらこの車のタイヤを撃ち抜いただけで、帰っちゃったのよ」

 

 そういうことか――グレッグは頷いた。それで納得がいく。

 

 トランク内に積み込まれたスペアタイヤと交換してロックヘッドまで戻り、先に徒歩で近づいてゲパルトの足を殺す――馴れない者にはかなり骨の折れる作業だが、アリサにとってはほんの遊びだった、ということか。

 

(怪力の持ち主なのは分かっていたが……まさかそこまでとは)

 

「よし、パインブリッジに帰ろう」

 

 ヴォネガット側にもメカニックはいる筈だ。ゲパルトはさほど時間を要せずに追撃を開始してくるだろう。そうなれば、ファブニールに乗り換えたほうが有利だ。

 

 運転をアリサと代わってグレッグがドアを閉めると、助手席にサマンサ・スチュアートが移ってきていた。

 

「話さなきゃならないことがあるわ。私をさらわせた依頼者について、私が知っている事」

 

「……聞こうか」

 

 グレッグは静かに先を促した。

 

 

「東部にアザーヘヴンと呼ばれる都市があるわ。知ってる?」

 

「ああ」

 

 グレッグも聞いたことはあった。この時代、最も文明的な場所の一つと言われる都市だ。

 

 ネットワークコンピューター。精密機械工業。医療機材。食料生産設備。ありとあらゆるものごとが大破壊前のレベルに近づけるべく、組織的に整備、維持されて活動を続けているという。

 資源が限られている今日、継続的に居住することはごく少数の市民にしか認められず入市にも厳重な審査が課される。それでも、周辺に住んでいるだけでその恩恵は計り知れない。まさに「もう一つの楽園(アザーヘヴン)」だ。

 

「あそこの医学研究所で、仕事をしていたの。二十歳から、十七年間」

 

「……例のナノマシン技術の研究か」

 

「ええ。でも私達の研究の本当の目的は、汚染された劣悪な環境を克服できる、次世代の人類を作り出すことだったの」

 

 サマンサは目を閉じて喋り続けた。

 

「ミトコンドリアを知ってる? 動物の細胞に存在する小器官で、生物にとって本来猛毒である酸素を無害化し、エネルギー代謝に利用しているわ。でも、もともとは独立した生物として酸素を利用して暮らしていた、原始的な細菌だったと言われているのよ。その証拠に、ミトコンドリアは内部にそれ自体の独立したDNAを持っている」

 

「ああ、聞いたことがあるぞ。ジェインが勤めていた学校の、生物学の教師がそんな話をしてくれた事があった」

 

「ジェイン? ああ、亡くなった奥さんね?」

 

「殺されたと言った方が正確だな……すまん、話を続けてくれ」

 

「……ごめんなさい。それで、これまでの人類の細胞が代謝できずに蓄積してしまっていた重金属や高分子化合物を、ミトコンドリアが酸素を処理するのと同じように無害化してくれる、そうしたナノマシンを開発して人類の細胞に新たな器官として組み込めないかと考えた。それが私達の研究テーマ。でも、あの男が研究所を支配して、半ば乗っ取ってしまった……」

 

「あの男?」

 

「デュラン。ヨアヒム・ルードウィッヒ・デュラン。研究所の同僚だったサイバネティクスの権威よ。人間の体を機械と結合する技術を研究していたわ。そして次第に、その技術で作り出した改造人間を私兵として組織するようになった」

 

「デュランだと!?」

 

「私は研究をこれ以上悪用されないために、アリサをつれて逃げ出したの。それで、途中潜伏していた町で会ったアンドリューさんに……どうしたの、顔色が真っ青よ」

 

 深い憎悪の念と、手がかりを掴んだ喜びとがグレッグの精神を引き裂きかけていた。

 

「そいつだ。間違いない。ジェインはそいつの率いる軍隊に殺された。五歳の娘はその日以来、行方不明だ。そいつは俺にとっても敵なんだよ、先生」

 

 重苦しい空気が車内に流れた。

 

 今から取って返して、ヴォネガットの依頼者たちにまみえたい。グレッグはその衝動を必死で打ち消した。今は二人をパインブリッジまで無事届けるのが先だ。

 ハンターとしての訓練された職業意識が、彼に任務を優先させる。生き残るため、そして戦いつづけるため。

 

 その時だった。後部座席から周囲を警戒していたアリサの声が、グレッグのその軽い閉鎖状態を打ち破った。

 

「何か来るわ! 何かが空を飛んでくる!!」

 

 くぐもったローターの回転音。低空を飛んで後方から接近する影。

 

 それは、武装した航空機だった――現在では珍しい、ヘリコプターだ。グレッグも他の二人も、見るのは初めてだった。

 

「糞ったれめ! 無線で連絡をとったな、当然考えるべきだった」

 

 辺りは遠くまで開けた地形が広がっている。互いの速度から考えてもふりきるのは無理だ。

 

 ヘリは威圧するように装甲車の上空を追い越していく。食い過ぎの魚のように膨らんだ機体下面から、前方へ突き出た物体がグレッグの目を射た。三本の砲身を束ねた、旋回可動式の機銃。

 

「くそ、ありゃあ二十ミリ三連ガトリングだ!」

 

 元々六連砲身だった二十ミリバルカン砲を、航空機用に軽量化したものだ。威力は――この車程度の装甲に対してなら圧倒的。

 

「そこ装甲車、停車せよ。指示に従わなければ攻撃する」

 

 Uターンしてきたヘリから、拡声器を通して若い男のものらしい、冷たい声が響いた。

 

「こっちも機関砲で……!」

 

 叫びながら銃座に上がりかけたアリサを、グレッグは押しとどめた。

 

「無駄だ、よせ。その機関砲は基本的に対地用だ、この距離であいつを狙えるほどの仰角はつかん。それより」

 

 ブウンと唸るような発射音とともに、進路前方の地面が弾着で爆ぜた。

 

「見ろ、威嚇射撃だ。奴らはヴォネガットたちとは違う指示で動いてる。おそらく、スチュアート博士を殺していいとは命令されていないのさ。やつを叩き落すチャンスが来るまでこのまま走るんだ!」

 

 グレッグ自身、その言葉を完全に保証できる確信はない。だが、少しでもチャンスのある方に賭けるのがハンターだ。

 

「あんまり喋るなよ、舌噛むぞ!!」

 

「ふぉ、ふぉう遅い(ほひょい)!」

 

 いうそばから噛んだらしく、気の抜けるような応答が返ってくる。

 

 威嚇射撃を繰り返しながら追いすがるヘリを、グレッグは急停止や加速、変針を繰り返し何とか機関砲の射界に捕らえようと試み続けた。そのせいで急速に心身を消耗しつつあったが――グレッグはヘリコプターがあまり安定の良くない乗り物である事を知った。

 

 操縦性はなるほど、たいしたものだ。空中停止や急上昇、狭い半径での旋回など、いとも簡単にやってのける。車両を相手にする感覚でグレッグが行った機動は、これまでことごとく阻止されている。

 

 だが――戦車もそうだが――操縦性と安定性は、どちらかを上げれば必ずもう片方が犠牲になるものだ。例えば、サスペンションを柔らかく設定しすぎた戦車からは、決して安定した砲撃はできない。

 

 付け入る隙があるとすれば、まさにそこなのだが――

 

(何とかやつのバランスを崩す方法はないか――?)

 

 必死に思考をめぐらしながら装甲車を走らせつづけるグレッグの視界に、崩れかけた数本の鉄柱がとびこんできた。

 

(あれは……?) 

 

 思い出した。来る途中で立ち寄った例の給油所の、すぐそばに立っていた鉄柱だ。もう何に使われていたものか見当もつかないが、あるいはかつての街道沿いに、広告か標識でも付けていたのか。

 さいぜんから制止を振り切って銃座についているアリサを、グレッグは車内通話用のマイクで呼んだ。

 

「アリサ、銃座はもういい。降りてきて後部ハッチの所に行ってくれ」

 

 『どうするの?』

 

 イヤホンの音声と肉声がいっしょに耳にとびこんできて、おかしな印象を受ける声になった。

 

「今朝のスパナみたいに、ものを投げるのは得意なのか?」

 

「スパナ? 得意だけど……今朝って?」

 

 不審そうにアリサが聞き返す。

 

 しまった――グレッグは首をすくめた。給油所での一件を、やはりアリサは覚えていないのだ。

 

「アリサ……あなた、また……?」

 

 サマンサがいつものことでしょ、と言わんばかりの調子でアリサを咎めた。やんちゃな娘をたしなめる母親の姿そのもの。

 

「キレちゃったかな……?」

 

 サマンサのほうを振り返り、アリサは眉根を寄せて首を傾げて見せた。二人のあいだでは了解済みのことなのだろうか。それにしてはアリサの、記憶の途絶振りが奇妙だ。だが、まあいい。

 

「……あのヘリの下に出てる翼みたいな部分に、スパナを投げつけるんだ。ただし、そこのウィンチのワイヤーのおまけつきで。出来るか?」

 

 グレッグの企てを理解して、アリサの顔がパッと輝いた。

 

「出来るわ、やらせて!」

 

 軽装甲車――レンタ7号の後部スペースには、擱座車輌の救出などに使うためのウィンチが取り付けられている。何回転分か緩めて繰り出したワイヤーを、アリサは例の大型スパナに結びつけた。

 

「用意はいいな? タイミングを見て減速するから、ヘリが上空を通過したところに投げつけるんだ。だがワイヤーを手足にからませないように気をつけろ、ヘリと車の間に宙吊りになるか、下手すれば腕や足をもぎ取られるぞ」

 

 減速して停まるかに見えた装甲車の上空をヘリがかすめ、半開きになっていた後部ハッチを跳ね開けて、アリサがスパナを投げた。狙いたがわず、ヘリのスタブウィングから突き出た兵装取り付け部(パイロン)にワイヤーがからまった。

 

「よし、成功よ!」

 

 アリサが快哉を叫ぶ。グレッグはレンタ七号をバギーを急加速させた。ヘリはバランスを崩しかけながらも、何とか持ち直して追いすがってくる。この状態では、車より前に出ることはヘリにとって危険だ。

 

「何の真似だ、ふざけるな! 操縦者、聞こえるならすぐに停車しろ!!」

 

 拡声器が冷静さを失った声でがなりたてた。かまわずに疾走を続ける。給油所にそびえる監視搭のシルエットが、次第に細部を明らかに見せ始めた。

 

 

 鉄柱の陰に人影が見えた。給油所の老人だ。鉄柱の根元に何やら置いて、急いで離れていくのが見て取れた。

 

「まずいな、どうやらこっちの手助けをしてくれるって様子じゃあなさそうだ」

 

 鉄柱の根元に置いたのは多分爆薬だろう。こちらを足止め、もしくは鉄柱の下敷きにするつもりらしいとグレッグは読んだ。鉄柱の先は、やや急な上り坂になっている。そして給油所には燃料の詰まったドラム缶。途中まではグレッグの目論見と共通しているが――

 

 パインブリッジで見た映画の、ラスト近くの一シーンが脳裏によみがえった。確信に近い嫌な予感。

 

(俺はへスラー大佐じゃないぞ!)

 

 グレッグはさらにスピードを上げた。もう次の指示を出す余裕はなさそうだ。

 

 爆発。

 

 衝撃が大気を震わせ、鉄柱がゆっくりと車の上に倒れてくる。本来ならば機関砲か対戦車ロケットを使ってやろうと思っていたことだが、あの老人のおかげでなんとも厳しいタイミングを要求される事になったものだ。

 

「二人とも、伏せろ!」

 

 かろうじて下をすり抜けたが、ルーフ上の機関砲が銃座ごとむしり取られた。

 

「うっわ、銃座にいなくて良かった!」

 

 アリサが恐怖に引きつった声をあげる。軽装甲車とヘリを繋いだワイヤーはちょうど鉄柱の下を通り、ヘリはそのまま引きずられるように着地した。傾いた機体の右側で、ローターがガリガリと地面を削っている。

 

「やばい、離脱するぞ! ワイヤーを切れ、その辺にワイヤーカッターがあった筈だ!!」

 

「了解!」

 

 大人の股下程もの長さをもつ大型のカッターが、より合わせた鋼線にくい込んでガツンと音を立てた。同時にグレッグがアクセルを目いっぱいに踏み込む。

 中速ギア特有の加速感を伴って目の前の坂を登ると、数個のドラム缶がすれ違うように横を転がっていった。

 ドラム缶をつなぎとめていたロープを切り落としたそのままの姿勢で、給油所の老人がこちらを見て驚愕に凍りついていた。ヘリの周囲にガソリンがぶちまけられ、砂地が黒く染まっていく。

 そして、グレッグがドラム缶に撃ちこんだ銃弾が、坂の下を地獄に変えた。

 

 炎上するヘリから立ち上った黒煙が、地平線に向かってたなびいていく。

 

 

「……へスラー大佐の最後ね、これ。そっくりすぎて笑っちゃう」

 

 映画の中で「キングタイガー戦車」の部隊を指揮していたドイツ国の大佐は、ちょうど同じような状況で戦車もろとも爆死していた。

 

「出来すぎだ、気に食わん」

 

 グレッグは渋面を作る。今回は偶然に助けられすぎた。本当なら、もっと計画的に事を運ぶべきだ。

 

「キングタイガーに乗ってるのは、こっちなのにね」

 

「……よしてくれ。映画のあれはニセ物だ」

 

 ともあれ、これでサマンサの身は当面安全だろう。

 

 

 

 明け方の暗い空を背景に、修理の済んだアルバトロス号がエンジンのアイドリング音を響かせていた。アンディーの傷もすっかり良くなったようだし、もうパインブリッジにとどまる必要は無い。

 

 スチュアート母子はロングフォードへ向かうのだ。願わくはサマンサが医者としてその職務のもと、これからの人生を全うせんことを。

 そしていつの日か、人類に新たな可能性をもたらしてくれれば。

 

「さてと。気をつけろよ、アンディー。この先は、俺はいないぞ」

 

「冷たいやつだな、ついて来て呉れないのか?」

 

「ファブニールでそんな長距離を自走したら壊れちまうよ」

 

 二人の男の手が旧来の友情を確かめて硬く握られ、そして離れた。アルバトロス号がその巨体をゆっくりと前へ進め始める。そして、やがて地平線へと遠ざかって行った。

 

 グレッグは傍らのファブニールを見上げた。砲塔の上には、ヘリの燃え残った残骸から取り外してレストアした、二十ミリガトリング砲。デュランがこれからも航空機を繰り出してくるならば、ぜひとも必要な装備だ。ユニット・エイダの取り付けも済んだし、これからは何とか一人でやっていけるだろう。

 

 グレッグは、またアリサの緑色の瞳を思い出していた。

 

(薄気味の悪いところもあったが、いい子だったなあ)

 

「ファブニール、また二人きりだな。よろしく頼むぜ」

 

 ぺし、と音を立てて、側面のスカート状装甲板を掌で叩いた。

 

「ひどいわ、ファブニールを独り占めしないでよ」

 

 砲塔の上から声がした。

 

「それとも、私の操縦と整備じゃ気に入らない?」

 

「アリサ!? いつからそこに……? お袋さんと一緒に行ったんじゃなかったのか」

 

「ママはママ。私の人生は私が自分で選ぶわ。とりあえず、グレッグの専属メカニックにしてくれる? この間そう言ってなかった?」

 

 そこまで言った覚えは無かったが、否定する気はしなかった。アリサが操縦と整備を手伝ってくれるのなら、とりあえずグレッグに異存は無い。

 

「デュランとかって悪人をやっつければ、ママも安心してお仕事できるのよね?」

 

「そうだな……よし、乗り込め。今日から君を俺の専属メカニックに任命しよう。しっかり頼む」

 

 

 新たに取り付けたファブニールの操縦パネルの上を、グレッグの指が各種スイッチを切り替えながら動いた。エンジンがその鼓動を響かせ始める。

 

(スチュアート先生、あんたとうとうアリサの事を、ちゃんと俺に話してくれなかったな)

 

 アリサには何か、サマンサしか知らない秘密がある。給油所の一件を思えば、何やら不穏な想像が広がった。だが、それでもいいさ、とグレッグは思う。

 多分それはサマンサとアリサにとって、容易には明かしがたい事に違いない。そして、そのことが余人に語られる状況は、決して愉快なものではあるまい。

 

 聞かずに済むならそれに越したことはない。

 

(何から何まで映画のようにすっきりとは、いかないよな)

 

 そうつぶやくと、グレッグはアクセルを踏み込んだ。 

 





 「銀幕」のエピソード、劇中のマッシュアップ戦争映画「鋼鉄の幻影」に使われている素材、というか元ネタは、

「チャップリンの独裁者」

「パリは燃えているか」

「バルジ大作戦」

「サウンド・オブ・ミュージック」

 などです。


 いやあ、バカな話だなあw


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幕間その一
銀狼・1


 酸の雨が降る。

 

 人類がその短い歴史の間に燃やしつづけた化石燃料、その燃焼ガス中に含まれた硫黄分が、空気中の水分と反応してごく薄められた硫酸と化して降り注ぐ。

 土壌を、戦車の装甲を、そして人の心を蝕んで溶かしていく――

 

 

「参ったな、本降りになりそうだぞ」

 

 グレッグは耳の後ろを掻いた。

 

 南に広大な砂漠を抱えたこの地方でも、北のはずれに近いこの辺りでは年に二回、ごく短い雨季がやってくる。

 間近に迫る雨期をやり過ごすために、グレッグは次に訪れる街でしばらく逗留するつもりだった。だが今年は少し雨季の訪れが早く、街道沿いにファブニールを走らせている最中に、気づけば空はすっかり灰色の雲で覆われていた。

 

 雨季に車で荒野を走り回るハンターなど、普通はいない。酸性雨はハンター達が使う車の装甲をひどく侵してしまうし、車種によっては車体上面に設けられているラジエーターの吸気孔から、エンジン内部にまで入り込んで腐食を起こすのだ。

 

 もちろん、物資輸送のために走りまわるトレーダーや、グレッグの旧友アンディーのような運び屋はそんな事を言ってもいられない。だから彼らの車には大抵、耐酸性を考慮した塗装と防水処置が施されている。

 

 ファブニールはそうではなかった。

 

 グレッグが堀り出したとき、この巨大な重戦車は熱い砂の底で焼けついたようになっていて、元の塗装など辛うじてどんな色か見分けられる程度だったし、エンジンから内部の電気系統の配線までそっくり交換しなければ使用に耐えない状態だった。今に到るまで、とても防水処置や耐酸塗装までは手が廻らないままだ。

 

 幸運なことに、旅の途中で知り合ったメカニックが操縦にも優れているおかげで、戦闘時には殆ど任せっきりにできる。それを良いことに自動操縦装置の導入を後回しにして、次は酸性雨対策をと思っていた矢先だった。

 

 目下そのメカニック――アリサは砲塔に上がっていた。

 

「アリサ」

 

 返事がない。どうやら砲手用の堅い座席の上で、けたたましいエンジン音をものともせずに寝ているらしい。まだ年齢をはっきり訊いてはいないが、見た限りは十五歳か十六歳くらいの少女。寝ると決めたらいくらでも寝ていられる年頃だ。

 

 だが、そろそろ起きてもらった方がよさそうだ。

 

「アリサ。起きてくれ、雨だ」

 

「ふぁ?」

 

「雨が降ってきた。ファブニールを格納できる場所を探さなきゃならん。周りを監視してくれ――ハッチは開けずに、キューポラの視察装置(ペリスコープ)から頼む」

 

「了解。水入っちゃまずいよね」

 

 グレッグも砲塔上の旋回式ペリスコープからの映像をモニターで睨む。二人でやれば、具合のいい物陰が見つかるのも少しは早くなるだろう。

 

 

 アリサはやたらと眼がいい。始めて出会ったときなど、ファブニールと砲火を交えていたAT(自動戦車)の砲塔がオープントップである事を一キロの距離から見破っている。

 どういう育ち方をしたのか未だに謎なのだが、その後も彼女には驚かされてばかりだった。

 

 遠くの町で開業している医者の母親とも別れて、ハンターなどという物騒な稼業に明け暮れる中年男に、よくもまあついて来て呉れているものだ。彼女ほどの操縦技術があれば、充分に一人でハンターとして稼げるほどなのだが。

 

「グレッグ。三時の方向、距離八百位の所に建物の残骸がある。農家みたいな感じ」

 

 ちょうど、グレッグも同じ建物の影をモニター上に認めた所だった。

 

「相変わらず目が早いな、こっちも見つけた。この辺で見当たる避難場所は、あれくらいのようだな」

 

「先客がいないといいけど」

 

「ああ。ともあれ接近するぞ、警戒を怠るな」

 

 ほぼ九十度転針したファブニールの前方に、やがてコンクリートと木材でつくられた小ぢんまりとした建物が見えてきた。確かに農家のようだ。 

 

 壊れたシャッターの奥に、埃っぽそうな暗がりを抱えたガレージが見える。いつ頃放棄されたものなのか、ガレージの前には古いバイクが半壊したままになっている。錆び具合を見る限り、かなりの年月を経ているようでもあった。

 

 ファブニールがガレージのシャッターを荒々しく突き抜けて中に入るのと、本降りになった雨が辺りのガラクタを叩きつけて轟音を響かせ始めたのはほぼ同時だった。 

 ハッチを開けると、埃と水の混ざり合った独特の匂いが、あたりに漂い始めていた。

 

「ちょっとガタガタするぞ。足元に気をつけろよ」

 

 ガレージの床は風化した廃材や壊れたオイル缶等が散乱していて不安定だった。手を貸そうかとも思ったグレッグだったが、アリサはファブニールの傾斜した前面装甲を上手に使ってすべり降りてきた。

 

 車内から持ってきた小型の灯油ランプに火をともすと、黄色い光の輪が広がって辺りの壁を照らし出す。

 外の雨は当分、止みそうにも無い。 この雨の中を無理に走らせれば、次の町につく前にファブニールは立ち往生する。それは二人にとって緩慢な死を意味した。

 

 

「母屋を調べて役に立つ物があるかどうか探そう。最悪、雨季の終わりまで二週間はここに閉じ込められる事もありうる。」

 

「ツイてないわね」

 

「保存された食料や、水があると助かるんだがな……」

 

「見つからなかったら?」

 

 出来ればそんな事は考えずに済ませたいものだが。

 

「近くで通信機をONにして走ってる、ハンターかトレーダーが居てくれる事を祈るしかないな」

 

 それで誰も居なければ?

 

 グレッグは自問した。己の迂闊さと不運を嘆き恨むしか無いようなこんな時、()()()ならどうするのだろうか――ふと突然に思い出したその名前。

 

 シルバー。グレッグをかつて地獄から拾い上げてくれた男。人として、そしてハンターとして、生きるのに必要なほとんど全てを叩き込んでくれた。

 名も顔も知らない実父以上に鮮明に、記憶の底から蘇るもう一人の「父」だった。

 

 

 母屋の奥には、おそらく病死したと思われるかつての主の、白骨化した死体があった。家屋の大きさや部屋数から考えて、この家には複数の人間が生活していたはずだが、他の住人はいったいどうしたものか?

 

 ベッドの下には口の開いた空のポリタンクと、ネズミに食い荒らされた保存食の包みが幾つか散乱している。

 

 伝染性の何かの病気だったのかもしれない、とグレッグは思った。感染を恐れたのか、助かりそうも無い主に見切りをつけたのか、とにかく家族の何人かがこの人物を残して家を出たのに違いない。大破壊以来今日まで、そうしたことは別段に珍しい事でも、取りたてて残酷な仕打ちでもないのだから。

 

 推論を裏付けるかのように、台所らしき場所の地下からは手付かずの水タンクが三個と、数日分の缶入り糧食とが見つかった。これでなんとか、雨季の終わりか、救助を頼める相手が訪れるまで持ちこたえられるだろうか?

 

 

「退屈ね」

 

 アリサがポツリと言った。必要品を廃屋から調達し、通信機に救難信号をセットして、二人はファブニールの車内でそれぞれ寝袋にくるまっていた。

 

「眠っておいた方がいいぞ」

 

 救助を待つ間は体力勝負だ。

 

「昼間砲手座で寝すぎたわ。全然眠れない」

 

 何か話してよ、とアリサがせがんだ。

 

「考えてみたらグレッグの事、何も知らない」

 

 グレッグは少し困惑した。

 

「……何を話したものかな」

 

「奥さんや子供の話とか、訊いちゃだめ?」

 

「そいつはまだ、生々しすぎる」

 

 語尾が少し怒気を帯びた。その怒りはアリサに向けられた物ではなかったが。

 

「……ごめんなさい」

 

 グレッグはふう、と長く吐息をついた。

 

「君が気にする必要はない。そうだな、眠れるように思いっきりつまらない話をしてやろうか……ええと、あれは俺とアンディーが昔、ペトラで石油施設の警備当番に入ったとき――」

 

「やだ。そんなんじゃなくて、グレッグの事を話して。子供の頃の事とかさ」

 

「……」

 

 グレッグは言葉を詰まらせた。そんな話こそ、ジェインにだってしたことはないのだが。そういえばさっき、久しぶりにシルバーのことを思い出したのは偶然だろうか?

 

「……いいだろう」

 

 時をさかのぼる魔法の儀式でも始めたかのように、グレッグの声が低く遠くなった。

 

「昔、俺がハンターでも何でもないただのガキだった頃――二十年前の事だ。その頃、俺はあのパインブリッジの町にいた……」

 

 

         * * * * * * *  

 

 

 掘削機のバケットが新たな土砂をすくい上げ、それがコンベアーで運ばれて作業場にあけられた。

 赤錆の塊のようになった鉄筋の切れ端や針金が、コンクリートの破片に混ざっているのが見える。次々に運び込まれる土砂がもうもうと土煙を上げ、搬入口の辺りはまるで火事場のようだった。

 

 この町の地下には、かつてこの地を襲った地殻変動で地中深く埋没した、昔のコンピューター工場がある。

 その遺構から発掘される土砂の中にはまだ大量の電子部品(ICチップ)や、組み立て途中のコンピューター等が含まれていて、その中にはかなりの割合で現在でも使用に耐える物が残されているのだった。

 広さ五十平方メートルほどのこの作業場では、常時だいたい二十人程度の人間が、土砂の中からそれらの部品を回収する作業に従事していた。こうした条件の整った場所ではそれほど珍しい風景ではない。

 

 ただし。

 

 作業員の殆どが未成年、それも下は十歳未満からで、短機関銃を構えた監視員が背後のフェンスの外で鋭い目を光らせているとなれば話は別だ。

 

「待て、ジョッシュ」

 

 グレッグは、目の前を走りすぎようとした年下の少年の襟を掴んで引き止めた。

 

「何すんだよ!」

 

「土の毒を吸いたくなけりゃ、コンベアの吐き出し口には近づくな。水肺になって早死にしたかぁねえだろ」

 

「み、水肺……」

 

 ジョッシュの顔色が少し青ざめた。

 

 掘り出された土砂には大破壊のころに工場や「カクバクダン」から出た様々な毒がまだ高濃度で含まれていて、吸い込むと次第に肺や呼吸器のソシキをフクゴウ的に冒していくのだ。

 症状の進んだ患者の肺にはネバネバした漿液がたまって呼吸ができなくなるので、鉱奴たちは「水肺」と呼んで恐れていた。

 

 グレッグがこの作業場に入るようになったころ、古参の鉱奴の一人が教えてくれたことだ。ジョッシュも誰かから聞かされているようだった。

 

 ジョッシュは作業場(ここ)に来てまだ一週間にしかならない。土埃よけのタオルも持っていないようだ。

 七歳かそこらになったばかりの子供だ、搬入口の近くで新しいチップを効率よく集めたいと思ったからといって、その浅はかさを責めるわけにもいかない。

 

「軍手は二枚重ねにしろ、タオルは俺の新品を貸してやる。稼いだら返してくれりゃいい」

 

「あ、ありがと」

 

「……とにかく自分の体を守ることには気を使え。おれ達鉱奴は、病気になっちまったらそれで終わりなんだからな」

 

 グレッグはかつて古参の鉱奴が教えてくれたように、ジョッシュに言い聞かせた。

 

「わかった。グレッグも気をつけてね」

 

 ジョッシュは新品のタオルを口の周りに巻くと、搬入口から少し離れたところで、軍手をはめた手で柔らかい土砂をかき分け始めた。

 

「……ずいぶんお優しいじゃねえか、グレッグ」

 

 鉱奴のひとりが声をかけてきた。

 

「……見てたのかよ」

 

「ああ」

 

 カイルという名前のその鉱奴は、ニヤついた視線をグレッグに向けながらからかうように答えた。

 

 グレッグはため息をつきながら言葉を継いだ。

 

「俺がここに来たのもあのくらいの年だった。そんな子が何も知らずに働いて、体を壊して死んでくのは見たくねえよ」

 

「ケッ。全くおめえは甘チャンだぜ。ま、そこがいいトコなんだがな」

 

 このカイルもまた変わり者だった。もう三十歳近く、とっくにもっと稼ぎの良い、但し熟練の要る仕事に移らされるのが普通なのだが、この男はいつまでもここにいる。物言いは口汚いが不思議に親切な男だ。

 

 噂では何度か逃亡を企てたせいで、採掘現場を広げる屋外の作業からこの最も初心者向けの作業場に戻されたという話だった。

 

「俺は明日から屋外へまわされるんだ、あんたにも随分世話になったな」

 

 グレッグは視線をそらしながら言った。

 

「ン? するってえと、おめえ、十五になったのか」

 

「ああ、今夜から新しい宿舎で寝る。成人扱い、キツくなる分稼ぎは増えるさ」

 

「そうか……ああ、じゃあまだ『巣守り(ネストキーパー)』の事は知らないんだな?」

 

「巣守り?」

 

 そういえば、夕方宿舎への帰り道などに、年かさの鉱奴たちがそんな言葉を口にしているのを聞いた事はあったような気がする。

 だがそれが何の事なのかは知らない。知らされてもいない。

 

「十五になった男にはみんな、巣守りがあてがわれるのさ。フェルナンデスの方針でな」

 

「あてがわれる……何だい、そりゃあ?」

 

 その動詞の意味が分からなかったのだが、カイルは別の意味にとったらしかった。

 

(オンナ)だよ……なんだ、オンナも知らんのか」

 

 ま、せいぜい今夜は楽しみにしてるんだな――そう言ってカイルは、自分の持ち場と見定めた場所で土をかき分け始めた。

 

 何処に隠し持っていた物か、恐らくは元は土砂の中に電子部品と一緒に埋まっていた物だろう、自分の肘から先ほどの長さの鉄片を、スコップ代わりに使っている。グレッグはその様子を盗み見てうなずいた。

 

(あれはいいな……うん、手を怪我しないで済みそうだ。もっと早く気づけば良かった)

 

 グレッグの頭の中で「手頃な鉄片」が覚えておくことのリストに加わった。無論、作業場の周りで見張っている監視員に見つからないようにする必要はある。

ああいうものを持っていて見とがめられれば、「凶器所持」の罪で三日は営倉行きだ。その間は稼げない――つまり、食えない。

 

 周りの年長の者がやる事を、見よう見真似で盗んでこの年までやってきた。いつも思うことだが、年上の奴らは実にいろんな事を知っているものだ。

 

(オンナって、何だろ?)

 

 これも、グレッグがこれまで知らなかったことだった。畜生、フェルナンデスめ。グレッグはこの町を支配する男の名を呟いて、呪った。

 

(俺はいったいここで、世の中の事をどれだけ知らないままにさせられてるんだ?)

 

 

 ――それがほとんど絶望的なほどの盲目状態であることすら、グレッグは知らない。



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銀狼・2

「よし、これで二十八個――」

 

 ていねいに土を払い落としてチップの状態を確かめる。比較的状態が良いものであることがわかると、グレッグはチップを布袋の中に放り込んだ。

 今日は調子がいい。電子部品(ICチップ)が多量に含まれる部分の土だったようで、普段の三倍程度のペースで集まっている。質もいい。外装に目だった傷の見当たらない物が幾つもあった。この分だと、いつもの二割増しは貰えるだろう。

 

 カイルの口ぶりだと「巣守り」とか「女」とかいうのはとにかく人間であるらしい。そして、自分と同じ宿舎に住むことになるヤツでもあるらしい。

 そういうことなら何か美味い物でも、鉱奴向けの売店で買って行くとしよう。「お近づきのシルシ」とかいうヤツだ。グレッグは決して人間が嫌いではなかった。

 

 三十個目のチップを袋に放りこもうと振り向くと、鼻つまみ者のガープがグレッグの袋にそうっと手を伸ばす所だった。ガープはグレッグより二歳年下だが、手癖が悪くて皆から嫌われている。

 

「こいつ!」

 

 軍手をはめた手で、ガープのぶよぶよした頬げたを殴り飛ばす。地面に転がった彼は卑屈な調子で弁明した。

 

「み、見せてもらおうと思っただけだよ、な、な、良いだろ、減るもんじゃ無し」

 

「お前に見せたんじゃ減りかねねえ。失せろ」

 

 この程度の殴り合いには、監視員達もわれ関せず、十歳過ぎるまではグレッグもああいった手合いに泣かされたものだった。

 

 ガープは這うように自分の持ち場まで戻って行く。骨ばった、というより痩せこけた体つきの多い少年達の中で、あれだけ太っているのは、きっと作業の後も何かろくでもない副業に精を出しているのに違いない。

 

(ジョッシュのやつが泣かされない様に、カイルに頼んでおく必要があるな)

 

 作業終了のサイレンを聞きながら、グレッグはその事を心に刻み込んだ。

 

 

 作業場を出るときに、鉱奴達は一列に並んで電子部品の検品所を通る。一人づつ持ち込んだ袋の中身をカウンターにあけ、部品の種類ごとに複数のチェッカーに嵌めこんで通電すると、使い物になる良品なら規格表の通りの信号が出力されてくる。

 

 このチェックをパスしたチップだけが、その日の鉱奴達の稼ぎとなる。たまには平均の数割増しの収入になることもあるが、大抵はそれを下回る。全体で言えばおおむねカツカツだ。

 

 稼ぎがなくても、晩飯だけは配給所で怪しげなSレーションや残り物を煮込んだ粥などを配ってくれる。ひどい味だが飢え死にすることはどうにか避けられる。ジョッシュも要領を飲み込むまではそんな生活が続くだろう。

 

 今日のグレッグの稼ぎは格別だった。チップだけでなく、複雑な美しい配線がプリントされた大きな基板が、ぼろぼろになったボール紙のパッケージから無傷で出てきたのだ。検品所の係員が目の色を変え、グレッグには普段の二倍近くの代用貨幣(トークン)が支払われた。

 

 検品所を出るときに、後からカイルが声をかけてきた。

 

「よお、いい稼ぎだったらしいな」

 

 彼自身も機嫌がよさそうだ。そこそこの稼ぎだったに違いない。

 

 グレッグは財布から一掴みのトークンを取り出し、カイルの手に握らせた。

 

「カイル、これを受け取ってくれよ。こんなモンじゃとても足りないけど、今までの礼と、あとジョッシュのことを頼みたいんだ」

 

 カイルはクックッと笑いながら応じた。

 

「わかった、わかった。全く甘チャンだな。いいとも、小僧の事は俺に任せな」

 

 要領のいい、一人前の鉱奴に仕込んでやるさ。そう言いながらカイルは自分の宿舎へ消えて行った。

 

 

 後姿を見送りながらグレッグはふと思った。

 

(カイルの所にも、巣守りとかってのが居るのかな?)

 

 カイルとはついぞそんな話をしたことが無かったが。

 

 朝方教えられた新しい宿舎を、照明の少ない居住区の中で探すのは骨が折れた。結局、辿り着くのに二十分ほど掛かったろうか。

 剥き出しのコンクリートで作られた、殺風景な外観の建物が並ぶなかに、今夜からのグレッグのねぐらもあった。

 

 入り口の前に誰かがうずくまっている。グレッグはポケットから小型の懐中電灯を出して、その人影を照らした。

 

「誰だ?」

 

 答えは大体予想がついた。こいつが「巣守り」だろう。定格に足りないバッテリーの電力が生み出した弱々しい光の輪の中で、薄汚れた服をまとった髪の長い人間が、まぶしそうに目を細めている。

 

「ここの巣守りよ。グレッグって人が帰るのを待ってんの」

 

 日ごろ聞きなれた鉱奴仲間よりも高くて細い声。しいていえば小さな子供の声にも似ているが、体つきや手の皮膚の感じからすると、グレッグと同じかもう少し年上だ。こんな人間は始めて見る。

 

 これが「オンナ」とかいうやつなのか?

 

「俺がグレッグだ。なぜ部屋の中で待ってない?」

 

 日が暮れると居住区だって物騒だぞ、と言うと、巣守りは答えた。

 

「だ、だってカギを持ってなかったもの」

 

 あたし、ケイっていうの。そう自己紹介する少女を伴って、グレッグは新しいねぐらに足を踏み入れた。

 

 

「前より広いな」

 

 初めて入るという点ではグレッグもケイも変わりはない。部屋は誰かが掃除しておいたらしく、ガランとして静まり返っている。

 

 家具らしい物は、部屋の片隅にしつらえられたコンクリートを四角く固めたベッドと、粗末な木製のテーブルくらいだ。

 あとは特にこれといった物は見当たらない。ただ、部屋の反対側の小さなキッチンと、その奥のドアとが二人の目を引いた。

 

「……開けてみていい?」

 

 ケイが尋ねる。もうすでにノブに手がかかっていた。

 

「いいとも」

 

 中を覗きこんで、ケイは歓声を上げた。

 

「シャワーだわ、素敵!」

 

「シャワーだって?」

 

 グレッグも少し声が上ずった。シャワーなどめったに浴びる機会がない。作業場に隣接した小屋にほんの五基ほど備え付けてあるが、有料だし浴びようとしても大抵は誰かが占領している。それ以外のシャワーを見るのは初めてだった。

 

「自分の部屋で体が洗えるなんて、すごいな」

 

 死なないように気をつけてきて、本当に良かった――

 

 

「多分、お湯の割り当ては決まってるよね……私、浴びてもいいかな?」

 

 おずおずとケイが尋ねた。

 

「ああ、いいよ。食事は済ませたのか?」

 

「まだ。というよか、今朝から何も食べてないわ。引越しで作業場に行けなかったから」

 

「そうか」

 

 オンナ達は普段どんな作業をさせられているのだろう?

 

「丁度いいや、売店で大豆チキンを買ってあるんだ。用意して待ってるからな」

 

「あ、ありがと」

 

 汚れた顔にかすかに戸惑ったような笑みを浮かべると、ケイは薄暗いシャワー室の中へ

消えて行った。

 

 大豆チキンは水耕栽培で育てた大豆のタンパク質を加工して作る、よくできた「モドキ」食品だ。売店ではこれを塩焼きにして売っている。

 

 本物のチキンよりは汚染物質の蓄積が少ないし、何より、鶏を育てるよりも効率よく大量のタンパク質を生産できるため、鉱奴の稼ぎでも口に入る。

 

 キッチンの粗末なコンロでチキンを温めなおすと、独特の油染みた匂いが部屋中に立ち込めた。殺風景な室内に生活のぬくもりとでもいったようなものが宿るのが感じられた。

 

 グレッグはこんな温かさをどこかで知っていたことがあるような気がした。もしかすると、それはもうたどる事もできない、幼い日の遠い記憶だったろうか?

 

 売店で無理を言って一つ余計にもらった紙皿にチキンを取り分ける。巧い具合におおよそ等分に出来たところで、シャワー室のドアが開いた。濡れた髪から湯気を立て、胸から下に幅広のタオルを巻いただけの姿でケイが出てきた。

 

「いい匂いね」

 

 意外と色白な肩の辺りが、何やらひどくまぶしく見える。

 

「着替えないのか?」

 

「さっきまで着てたやつを洗わないと、替えなんてないわ」

 

「仕方ないなあ。オンナの作業場はあんまり稼げないのかい?」

 

 ケイはうつむいて少し顔をそむけた。

 

「フェルナンデスの部下たち相手に稼いでる人達は、もっといものを着てるけどね」

 

 声が硬い。どうやらマズい事を聞いたらしかった。だが、敏感に察して謝るほどの知識も器量も、グレッグには無かった。

 

「食おうぜ」

 

「うん」

 

 チキンを咀嚼するかすかな音だけが、部屋の中に響く。

 

「巣守りって何をするんだ?」

 

 食事を終えたグレッグは何気もなくケイに尋ねた。ケイがハッと体を硬くしたのが判った。

 

「知らないの?」

 

「ああ。大人たちの話の中に巣守りは出てはくるけど、詳しいことは誰も話してくれなかった」

 

「巣守りはね……鉱奴が働きに出てる間に部屋を掃除したり、洗濯や食事の支度をしたりするの。そして残りの時間は工場で、再生繊維のこういった服を作ったりするのよ」

 

「俺たちよりも忙しそうだな……」

 

「そしてね……」

 

 ケイは体に巻いたタオルを取って床に落とした。

 

「ねえ、()()()知らないの?」

 

 目の前で展開する光景に本能的に落ち着きを奪われて、グレッグはただガクガクと頷いた。

 

「……こうするのよ」

 

 微笑んだケイの両手がグレッグの右手を捉え、筋肉ではない物で隆起した胸に引き寄せる。皮膚と脂肪の層の下から、規則正しい鼓動が伝わってきた。

 なにかのダンスのように、二人はゆっくりとベッドの方へ近づいていき、ケイがそのまま仰向けに倒れこんだ。一瞬息をのんだが、コンクリート製のベッドの上には繊維くずを詰めた粗末なマットレスが敷かれていて、彼女が怪我をするようなことはなかった。

 グレッグがケイの上に覆いかぶさる形になる。彼女の腕がグレッグを抱き寄せ、熱い唇がグレッグの口を塞いだ。

 その後はケイにされるに任せるよりほか、グレッグにはどうすることもできなかった。

 

 

         * * * * * * * * 

 

 

 砂丘を越えるそのときに、車体が陽光を反射して鈍く光った。

 

 それを見ているのはただ、上空を飛ぶ鉄嘴鳥(ピッケルバード)だけだった。砂漠から乾いたステップへと徐々にその表情を変える大地に、二条の虫の這ったような跡を刻みながら、戦車は自身が捲き上げる土埃の中に姿を隠すように進んでいく。

 

 随伴する車輌も歩兵も見当たらない。

 汚染された空にたれこめる雲の色によく似た、光沢のない灰色に塗られたその車体は、前から見たシルエットが極端に小さなくさび形の砲塔を備えていた。

 

 

         * * * * * * * * 

 

 

 部屋に一つきりのベッドの上。初めて触れた少女の中でグレッグは果てた。

 なぜ「巣守り」が成年に達した男にあてがわれるのか、という問いの、それが答えだった。

 

 そしてグレッグの幾つかの疑問もそれで解けた。

 

 この一年ほどの間に、朝ごとに硬く屹立して排尿を困難にするようになった、自分の体の一部の事も。そしてなによりも、口に含んだケイの乳首の感触が、十年以上の間忘れていた言葉とその意味を、グレッグの中でおぼろげに甦らせた。

 

(ああ、そうか――「オンナ」って「おかあちゃん」のことだったんだ)

 

 蘇ってきたのは、グレッグの心の下層にうずもれていた幼子のころの意識だった。知らないうちに涙が頬を伝う。二つの乳房の上にあずけられたグレッグの頭を、ケイの二本の腕がやわらかく包み込んだ。

 

 だが記憶の底をどんなにさらっても、幼い日に乳を含ませてくれた人の――母の顔は思い出せなかった。

 



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銀狼・3

 もう何人もの鉱奴の手を経てきたであろうツルハシが、斜面になった岩だらけの地面をほんの三十平方センチほど突き崩した。

 汚染雲の厚いカーテンを開けて顔を覗かせた太陽が、グレッグの皮膚をジリジリと灼いた。

 

 監視員の目を盗んで空を見上げる。雲の向こうにある空は、目に痛みを覚えるほどに青い。

 新しくまわされた作業場は、吹きさらしの屋外だった。町を取り囲む防壁の外で、採鉱区域の拡大のために岩と瓦礫におおわれた荒地を平らにする。それが、グレッグの新しい仕事だった。

 

 以前から作業に従事している大人の鉱奴達が、白くさらした再生繊維で出来た体をすっぽり覆うスタイルの服を着ているのをグレッグは目にとめた。

 

「あれはたぶん、早く買わなきゃダメだな」

 

 あの日よけ着があれば、「ぶっ壊れたオゾンソウ」を突き抜けてくるという、太陽からの有害な光線を防げるのだろう。

 どんな影響があるのか知らないが、大人達が恐れるからにはそれなりの理由があるはずだ。土の毒と同様、気をつけておかねば。

 

(死ぬわけには行かないんだ)

 

 グレッグは心の中でそう繰り返した。理由は二つだ。

 

 一つ目の理由はケイだった。夜が来るたびに、グレッグの疲れた体を温めてくれる、やわらかな体をした不思議な生き物。

 細い腕と傷つきやすそうな肌をした、母のぬくもりの記憶を呼び覚ましてくれる「オンナ」。

  

 ――俺が死んで、あいつが別の誰かの「巣守り」になるのはイヤだ。

 

 多分そうしたオンナへの愛着が生じて、鉱奴の男達が逃亡や反抗を企てられなくなる――そのことを見越してフェルナンデスが「巣守り」をあてがっているのだということくらいは、年よりは幼いグレッグの頭でも、おおよその想像がついた。

 

 だがグレッグの中では、ケイの存在は別の結果も生み出していた。彼女の肌が呼び覚ました母の印象が、執拗な叫びを上げ続けるのだ。

 

 ここが自分の本当の住みかではないこと。 

 自分が住んでいた世界、母が自分を生み出してくれた世界が、防壁の外にあるということを。

 

 それが、死ぬわけにはいかない二つ目の理由だった。

 

 いつか、ここから抜け出す。フェルナンデスの思惑とは裏腹に、ケイをきっかけにしてこそグレッグにその決意が生まれていた。

 

 

 

「私は町の外で生まれたのよ」

 

 着替えながらケイはそう答えた。丁度シャワーを浴びて出てきたところだ。生い立ちについて尋ねたグレッグへの、それが答えだった。

 

「幾つまで?」

 

「ここに来たのは六歳のとき。誕生日の八日あとだったわ」

 

 するとケイは外の世界がどんなだか、少なくとも自分よりも知っているのだ。そして、母親とは、家族とはどんなものなのかも。

 足の裏にトゲが刺さるような、不快さを伴う感情――嫉妬と羨望がわき上がる。

 

 そんなグレッグの心の中を見透かしてかどうか。

 

「外は酷いトコよ。町から少し離れると、あちこちに化けもんがうろついてるわ。あたしの家族も旅の途中で、砂の中から出てきたミミズみたいな奴らに、体中を穴だらけにされて死んだの」

 

 事も無げにそう言い放つと、作業服の上から最初の日にも着ていたポンチョを羽織って、ケイは作業に出て行く。

 

「新しいやつがあっただろ?」

 

 着替えも持たずに自分の部屋に来たケイの為に、トークンをはたいて買い与えた物をなぜ着て行かないのかと、グレッグは不満をあらわした。

 

「フェルナンデスの手下達に目をつけられたくないの」

 

 

 ――キレイにしてるあたしは、もうグレッグにしか見せないよ。

 ケイはそう言いながら、肩越しに振返って少し笑った。

 

(キレイだ)

 

 グレッグはケイを見送りながらそう思った。物心ついてからずっと男ばかりの環境で生きてきて、女性の美醜に対する基準の観念などあるわけもなかったが。ケイに感じる好ましさを言い表すならば、それがおそらくグレッグが知る唯一の言葉だった。

 

 

 昼食の短い休憩。本来の品質基準に照らしても乾燥し過ぎの、ボール紙のような味のSレーション――水で流し込んでも、なお喉をこすってつっかえるそれを、グレッグはボリボリと咀嚼しつづけた。

 ボール紙の味など、グレッグ自身もそもそも知りようがなかったのだが、大人たちはそう形容していた。

 

 屋外の現場といっても、ここはフェルナンデスの庭のようなものだ。ごく緩やかなすり鉢状になった作業区の周辺ほぼ全体が、すっぽりと監視搭からの視界に収まっている。少しでもおかしな動きを見せれば、据え付けられた重機関銃が鉱奴たちを肉片に変えるだろう。

 

 すり鉢のその向こうはもう外なのに――

 

 苛立たしい気持ちでその監視搭の一つを見上げると、なにやらあわただしい空気が漂っているのがわかった。切迫した調子の声が響き、大きな雨どいのようなものを持った監視員が一人、大慌てでその鉄骨で出来た搭の上へはしごをのぼっていくのが見えた。

 

(何だ?)

 

 そう思った次の瞬間。爆音と共に監視搭の上半分が姿を消した。

 とっさに頭をかばって伏せたグレッグのそばを、長さ一メートルほどの鉄骨の破片がかすめる。左手の甲に痛みを覚えて目をやると、別の小さな破片が軍手に突き立っていた。

 そっと抜き取るとじわりと血がにじんだ。幸い傷は深くないようだし、血もじきに止まるだろうが――

 

 再び爆音が上がった。防壁の一角が其の壁面を大きく削り取られ、コンクリートの微粒子が煙のように舞う。どこかで「センシャだ!」という叫びが聞こえた。あたりを見まわすと、今叫んだらしい中年の鉱奴が、作業区の外側、すり鉢の縁辺りを指差している。

 

 なにか大きなもの――作業用の重機と同じようなエンジン音をたてる、怪物のような機械がすり鉢の稜線を乗り越えてくるところだった。 光沢のない薄い灰色の車体が、陽光に照り映えて銀色に輝いて見えた。

 

 宙へ大きく乗り出すような形になった次の瞬間、壊れそうな音と共に車体を斜面に叩きつけ、だが恐るべき事には損傷を受けた様子も無く、そのまま同じ速度で這うように進んでくる。

 

 防壁の各所に取り付けられた拡声器が「センシャ」と鉱奴たちの両方に警告を発してどなりたてた。

 

「第七作業区の全作業員は最寄りの通用口から待避せよ。繰り返す、作業員は待避せよ――そこの戦車」

 

 拡声器の口調が変わった。

 

「貴様は、ドン・フェルナンデスの私有地である、このパインブリッジの境界線を侵している。九十秒やる。直ちに出てうせろ!」

 

 屋外で作業していた数人の鉱奴達が、慌てふためいて防壁のほうへと走っていく。そうこうするうちにセンシャはすり鉢の緩斜面を降りきって、グレッグのすぐ脇までやって来た。

 

 そいつは長い金属製のパイプを備えた上部構造をゆっくりと回転させ始めた。

 

 轟音と共にパイプの先端から炎と煙がほとばしり、一瞬の後に防壁の向こうの、コンクリート製の大監視搭が破片をまき散らしながら崩れ落ちた。センシャの間近にいすぎたグレッグは、発射音と衝撃でその場に打ち倒され、意識を失った。

 

 

         * * * * * * * * 

 

 

 頬に何かが当たるさらさらとした感触――

 

(ケイ?)

 

居住区のあの殺風景な部屋にいるのだと思った。先に目を覚ましたケイが、長い髪の毛先が軽く触れるほどの高さから、寝ているグレッグを覗きこんで起こそうとしているのだと。

 

 だが、何かがおかしい。自分の部屋のベッドならば、衣料工場から出た繊維クズを詰めた粗末な、だが柔らかなマットレスが敷かれている筈だった。だが、今体の下に感じるのは熱気を帯びた硬い金属の塊のようだ。

 

 そう。さっきのセンシャのような―

 

(……センシャ!?)

 

 さっきまでの状況が意識の中に甦る。ハッと見開いた視界の中で、周りにかかっていた灰色の靄が洗われて溶けたように消え失せ、目の前には見知らぬ男の顔があった。

 

「気がついたか。安心しろ、オレは敵じゃない。そんな不安そうな顔をするな」

 

「俺は……?」

 

「オレの戦車が主砲を撃ったときに、気絶して倒れたんだ。もっと安全確認に気をつけるべきだった、済まない」

 

 そうか、とグレッグはようやく状況を把握した。体のあちこちに意識を集中して、ひどい痛みや麻痺が無いことを確かめる。どうやら深刻な負傷はしていないようだ。

 

 そこは先ほどの戦車の車体の上だった。エンジンはこの下にあるらしく、微かな振動と熱気が感じられる。

 

 起きられるか、と問いながら手を差し伸べるその男をグレッグは見上げた。整った顔立ちと、手入れの行き届いた肌と頭髪のせいで判りにくいが、年齢は三十前くらいと言ったところだろうか。

 

 背中まで伸ばした癖のない長髪はほとんど銀色に見えるほどの薄いブロンドで、眉間に刻まれた深いしわとあごの下に剃り残したわずかな髭とが無かったら、「オンナ」と見間違えそうな容姿だ。

 

 彼は半ば光を透過させる軽そうな材質の防具を、上下がつながった灰色の服の上に着込み、膝の高さまでのブーツを履いていた。

 

「あんたは……?」

 

「オレはモンスターハンター、キルロイ・シルヴァーバーグだ。シルバーでいい」

 

 グレッグの問いに長髪の男はそう答えた。

 

「……グレッグだ。モンスターハンターってなんだ?」

 

 その説明は長くなるな、と男は笑った。

 

「おまえはここの『鉱奴』か?その割に眼はまだ死んでないようだが」

 

「鉱奴だ。それで合ってる」

 

「そうか、じゃあ――カイルって男を知らないか?」

 

「カイル? 一人知ってる。チップ拾いの作業場にいるよ……そういえばあいつ、あんたと同じ位の年みたいだったな」

 

「じゃあ多分そいつだ。昔の相棒なんだが、この辺りを一人で旅しててそのまま行方知れずになった。もう十年になる」

 

 危険なんだろうに、どうして一人旅なんか。グレッグが尋ねるとシルバーは答えた。

 

「ちょっとつまらんことで喧嘩しちまってな。あとあと考えてみればあれはオレが悪かったんだが――」

 

 

 死んだものとばかり思っていたカイルの消息をシルバーが知ったのは、一ヶ月前のことだったという。このパインブリッジの町にコンピューターの部品を買いに来たハンター仲間の一人が、たまたま迷い込んだ鉱区の柵の中から、カイルに声をかけられたというのだ。

 

 なんとか監視員に見咎められずにその場を離れたハンターの報告で、かねてから奴隷使役の噂のあったパインブリッジの実態が明らかになった。オフィスはパインブリッジに対して解放作戦を発動することになった。

 

「この戦車を町に入れたい。だが、あの防壁はちょっとやそっとじゃ破れそうにないな」

 

 シルバーはそう言いながら鋭い眼で防壁を見つめた。その横顔に向かって、グレッグはおずおずと声をかけた。

 

「あのさ――」

 

「ん、何だ?」

 

 グレッグには今やありありと理解できた。この男には力があるのだ。フェルナンデスを倒すことのできる力、自分たちを自由にしてくれる力が。

 

「あっちの北側の壁面にゲートがあるんだ。オオガタシャ用ってフェルナンデス達が言ってるやつさ。もしあんたのために開けてやったら――」

 

 シルバーはクスリと微笑んだ。

 

「取引というわけか。何が望みだ?」

 

「……あんたといっしょにここを出て、外の世界を見たい。連れてってくれないか」

 

「こいつはたまげた。案外、お前はハンターになるタイプかもな……」

 

 シルバーはグレッグの眼を覗きこんで尋ねた。

 

「人を殺せるか?」

 

 グレッグは答えられずうつむいた。

 

「恐らく一人は殺さずには済まないぞ。銃か、ナイフを使ったことは?」

 

「殺したことはないけど、ナイフなら……何とかなると思う。」

 

「よし」

 

 使うのは簡単だが、人間を刺すのは自分も痛いんだがな――内心そう呟きながら、シルバーは愛用のナイフの一丁を、グレッグに手渡した。シンプルな造りの丈夫な木製の鞘に収められた、やや反身のブレード。

 昔倒した「ヤクザ」とかいう組織の、幹部の一人が使っていたものだ。

 

 それに加えて打ち上げ式の発煙弾を一個。

 

「ゲートを確保したら、こいつを打ち上げろ」

 

「わかった。やって見せる」

 

 待ってるぞ。

 

 シルバーの声を後ろに、グレッグは仲間がさっき逃げ込んだ通用口へと走っていった。防壁上の監視所からはちょうど死角で、グレッグがセンシャの上にいた様子は見られていないはずだ。

 

「早く入れ。もう通用口を閉めるところだったぞ」

 

 通用口の奥のドアを通るときに監視員の一人が声をかけてきた。

 

「す、すみません」

 

 慌てふためいた風を装って、グレッグはその男の前から走り去った。

 

――早くシェルターに入れよ。敵襲だぞ。

 

 横合いから別の声がして、グレッグは片手をあげてそれに応えて見せた。

 

 大監視搭が吹き飛ばされたこともあって、シルバーの戦車の砲撃はひどい混乱をパインブリッジの町にもたらしている。何人もの監視員や、これまで見たことも無いような重武装の男達が辺りを走り回っていた。シルバーの乗ってきたセンシャよりはずっと小ぶりの機械に、何人もの男達が乗りこんで第七作業区の方へ向かっていくのも見えた。

 

(あそこのゲートは狭いから、シルバーのセンシャは通れないな……)

 

 人の流れと反対に走って、グレッグは北側のゲートのそばまでたどり着いた。ゲート横の詰所はドアが開けっぱなしで、中には短機関銃(SMG)を肩から下げた男が一人、四角い箱を頬に当ててどこかと通信しているようだった。

 

「何だって?状況を知らせろ、どうなってるんだ?!」

 

 通信は一方的に切られたらしく、男は「糞っ垂れ!」と毒づいて箱を置いた。

 

「助けて!」

 

 そう叫びながらグレッグは男に駆け寄った。

 

「何だ? おまえ、鉱奴じゃ……」

 

 男の誰何には答えず、そのまま左腰の辺りにむしゃぶりつく。鼻先にすえた汗の匂いがした。

 

「おい落ち着け、何でこんな所に――」

 

 男の言葉はそこで途切れた。サイズの大きすぎる作業服の中に隠し持っていたナイフで、グレッグは男の脾腹を深くえぐっていた。

 

「こ」

 

 こん畜生、とでも言いかけたのか。その先の言葉はもう出ない。

 グレッグが男から身を離しながら、腹からもぎ取るようにナイフを抜き、血に濡れたその刃物で今度は男の喉笛を切り裂いたのだった。



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銀狼・4

 男が事切れるのを確認して、グレッグはゲートの操作パネルに向き直った。まだ、動悸と体の震えがおさまらない。ちょうど――ケイと初めて性交した時のような感じだ。もちろん、こっちの方がずっと後味が悪い。

 

 人一人殺すということは、想像以上に心に負担がかかる行為だった。腕の中でびくびくと痙攣した男の肉の感触がまだ去らぬまま、胃袋の辺りから焼け付くような感じが上がって来て、グレッグは口の中に逆流してきたSレーション混じりのすっぱいものを、男の死体の傍らに吐き散らした。

 

 パネルはごく簡単な配置になっていた。ほとんど字の読めないグレッグにも、これなら操作できそうだ。もっとも、このご時世に読み書きのきちんとできる人間の数なぞ、たかが知れているというものだが。

 

 黒い操作パネルに白い塗料で、ゲートのそれぞれ「開」、「閉」の状態を表しているらしいマークが描かれたボタンがあり、その横に

 

「O P E N」

 

「C L O S E」

 

と描かれている。

「これが『開ける』、こっちが『閉める』だな」

 

 グレッグは口元を袖でぬぐいながらほくそえんだ。

 

(「文字」の読み方を一つ覚えてやったぜ)

 

 グレッグは傍らの死体のポケットを探ってライターをくすねると、それで発煙弾に火をつけた。ゲート詰め所の窓から空へ向かって、鮮やかな緑色の煙が一筋伸びていく。

 

 さっき男が頬に当てていた箱が、パネルの横で甲高い耳障りな音を響かせた。なんとなく好奇心を刺激されて手に取り、男がしていたように頬に当ててみる。

 

「北ゲートコントロール? こちら中央管制室。今の煙はなんだ? 報告せよ!」

 

(うるせえなぁ)

 

 グレッグはこういうキンキンした声でしゃべるヤツが嫌いだった。

 

「……フェルナンデスに伝えてくれよ」

 

 なにかひどく大胆な気分になって、グレッグは箱に向かってしゃべり続けた。

 

「あばよ。ってな」

 

 そのまま箱を下に戻す。再び呼び出し音が鳴ったが、もう出る気は無い。

 

 しばらくするとゲートの外で鈍い爆発音が響いた。合図代わりに撃ちこまれた砲弾だろう。グレッグが開閉ボタンを操作すると、開いていくゲートをすれすれにくぐり抜けて、シルバーの戦車が姿をあらわした。

 

 詰所から出ようとして外を見たグレッグは、町の奥からさっきの小型の機械が何台か姿を現したのに気がついた。雨どいのようなものを肩の上に構えた男達を、乗員以外にも何人か上に乗せている。

 

 よく見ると「雨どい」の先端には、小さなバケツを二つ、口のところで向かい合わせにくっつけたような物体が取り付けられていた。そして、男達が「発射!」という声と共に一斉にその「雨どい」の把手を操作すると、ものすごい煙を噴き出しながら先端の物体が戦車に向かって空中へと飛び出した。

 

 だが次の瞬間、戦車の上部の回転する部分の上に取りつけられた、銃身を六本束ねたグロテスクな機関砲が火を吹いた。

 恐ろしい勢いで無数の弾が発射され、「雨どい」の発射体の幾つかが空中で爆発、さらに射線の奥で「雨どい」を抱えていた男達が、ばたばたとなぎ倒された。

 機関砲の掃射がやんだあと二、三発の発射体が戦車に到達し、車体の表面で火を噴いた。だが、戦車の動きは止まらない。

 そのまま詰所と敵の機械との間をさえぎるような形に停車し、パイプ(主砲)を敵に向ける。

 

〈グレッグ。聞こえるか。ハッチを開けるから戦車の後ろに回れ。乗せてやる〉

 

 詰所から飛び出し、車体の横をまわりこんで後ろへ行くと、分厚い装甲ドアが怪物の顎のように上下に開いていくところだった。駆け込むと後ろでドアがゆっくりと閉まる。薄闇に目が慣れてくると、そこは白っぽい塗料で塗り上げられた、奇妙に清潔感の漂うキャビンだとわかった。

 

「よくやった」

 

 キャビンの奥、車体の前の方から声がした。

 

「戦車に乗るのは初めてか? これから居住区を解放する。飛ばすから少し揺れるぞ。ちゃんとその辺のシートに座ってろよ」

 

 複雑そうな電子装置に囲まれた座席ごしに、シルバーの長い髪が見える。彼の前方には外の光景を映し出すディスプレイがあり、フェルナンデスの部下たちの乗った小型機械の群れを捉えていた。足元から感じる振動と共に戦車がその向きを変え、さらに前進を始めた。

 

 ディスプレイの中の敵が次第に膨れ上がっていくのが見える。グレッグとシルバーの間にある、天井につながった円形のプラットホームがモーターの唸りと共に回転し、上のほうでくぐもった無気味な音がした。

 

「何だ?」

 

 ディスプレイに目をやると敵の機械の一台が炎上している。

 

「撃破。照準を次目標へ」

 

 シルバーの声と共に、プラットホームがまた少し回転し、例のくぐもった音の後でもう一台が動きを止めた。

 

「……これは?」

 

「ああ、今のか? この戦車の主砲、百二十ミリライフルを撃ったところだ……何だ、大砲を見たことはないのか」

 

 ま、無理も無いか。ずっとこの町で働かされてたんだろうからな。そう呟く声が聞こえて、グレッグは少しみじめな気持ちになった。

 

(ほんとに俺は、何も知らないままにされて生きてきたんだな)

 

 シルバーはしゃべりつづけている。どうやらこの男は、しゃべるときに相手が理解しているかどうかあまり気にしないらしい。

 

「もともとこのウルフには百四十ミリ滑腔砲が標準装備なんだが、オレはライフルのほうが好みでな。口径が小さい分弾丸も多く積めるし――いかん!!」

 

 突然、戦車が急加速し、グレッグはすんでの所で横倒しに床に叩きつけられかけた。

 

「どうしたんだよ?」

 

 いくぶん抗議も交えて尋ねた。

 

「建物の上から対戦車ロケットで狙ってやがった。こいつの砲じゃあそこを狙えるほどの仰角はつかないからな。グレッグ、戦闘を手伝ってくれる気はあるか?」

 

「あ、ああ。もちろんだ! どうすればいいんだ?」

 

「その、目の前の丸い床の上が砲塔だ。主砲の左側に六十ミリ迫撃砲がある。敵の位置と照準の合わせ方を指示するから、発射してくれ」

 

 そいつまでは火器管制装置のスロットを廻せなかったんだ、とシルバーはまたグレッグには解らないことを言う。グレッグはプラットホームの上に立った。

 

「砲塔に上がったら、左側のヘッドホンをつけろ。……聞こえるか?」

 

 左側を見まわすと、金属製の半円形になったベルト状の物に、耳当てらしい丸い物のついた装置が眼に入った。これがそうだろう。

 手にとって頭にセットする。

 

「これか。よし、聞こえるぜ、シルバー。シジしてくれ。ハクゲキホウって、この天井に斜めに付いてるヤツか?」

 

「そいつだ。横に小さなモニターがあるな? そいつが迫撃砲本体と同調するカメラにつながっている。砲弾は斜め下の黒いケースの中だ、判るな?」

 

 それらしいケースの中に、握りこぶしほどの大きさの、重そうな物体が並んでいる。

 

「本体の端のふたを開けて装填する。そのそばにあるボタンが撃発器だ――まだ押すな。砲の中ほどにあるハンドルを持って、モニターの真中にある交差したラインに目標が合うように調節するんだ。本来は直接照準で使うものじゃないが、こういう使い方も出来る」

 

 恐る恐るハンドルを動かすとそれにしたがって、モニターの中で周りの景色が移り変わっていくのが見える。なるほど、こうか。

 

「ここからしばらく高い建物の間を通る。指示したらすばやく狙って、発射しろ……グレッグ! 右上六十度――目盛りを上へ三十だ!」

 

 指示どおりに何とか動かすと、モニターごしに「雨どい」を構えた男が見えた。

 

「見えたぜ、シルバー!」

 

 発射ボタンを押す。空気の漏れるような音とともに砲弾が飛び出していき、やがて上方で鈍い爆発音がした。

ばらばらと何か天井に当たる音がする。砕けたコンクリートの欠片が落ちてきたのに違いなかった。モニターを覗いたが「雨どい」の男の姿はもうそこにはなかった。

 

「よし、上手いぞ。初めてにしちゃ上出来だ……いたぞ、次!左前方、上に目盛り二十!」

 

「了解、発射!」

 

 シルバーが教えてくれた新しい言葉も使いながら、グレッグは無我夢中で迫撃砲を撃ちつづけた。

 

 旧時代の瓦礫と再建された建物の入り混じるパインブリッジの街中を、シルバーの戦車「ウルフ」は、そのくすんだ灰色の車体を慣性で振り回しながら、鉱奴居住区へと進んでいく。この辺りにはもうさほど高い建物は無く、グレッグはようやく迫撃砲を撃つ手を休めた。

 

「雨どい」を持ったヤツを十五人くらいは吹き飛ばしただろうか。その間にシルバーのほうも、主砲と二十二ミリバルカン――そんな名称らしかった――とで二十台くらいのソウコウシャと、徒歩の敵五十人あまりを片付けている。組織立った抵抗はもう殆ど止んでいた。

 

「さてと、カイルを探さなきゃならんな」

 

 シルバーが呟いた。

「グレッグ、オレはこれから戦車を降りて昔馴染みを探しにいく。どうする? 戦車の中で待ってるか?」

 

 グレッグは一瞬迷った。戦車の中は安全だ。だが、この二週間慣れ親しんだ柔肌の感触と心地よい柔らかな声、その二つへの執着がグレッグを強く駆りたてた。

 

 ケイを連れていく。いっしょにここを出て、二人で――

 

「シ、シルバー。俺も降りるよ。連れていきたいヤツがいるんだ、俺にも」

 

「ほう? ……いいだろう。で、何者なんだ?」

 

 シルバーの何気ない視線が、ひどく鋭くグレッグを貫いた。

 

 ああ、きっと――町の外ではそんなことは行われていない。

 男とオンナは誰かの都合で割り当てられるのではなく。きっと自由に出会って、そして自由に――

 

 後に続くべき言葉を、グレッグは知らなかった。その無知が急に悲しくなってグレッグの喉はつっかえた。

 

「俺の……巣守りだ」

 

 やっとのことでそれだけを、しぼりだすように告げる。だがシルバーは気にも止めていないようだった。

 

「急げよ。それから俺がいない間、戦車は周りに近づくものに無差別に機銃を撃つ。戻ってきて俺がいなかったら、少し離れて待て。」

 

「わかった」

 

 駆け出すグレッグを見送りながらシルバーはため息をついた。

 

(可哀想にな。愛するって事が何なのかわかりもしないうちに、セックスで縛られ合ってるんだ。フェルナンデスめ、酷いことをする)

 

 事前の調査で鉱奴と巣守りのことは大体判っていた。

 

(ま、似たようなことは外でも別に珍しくはないが)

 

 コックピットのパネルに並んだスイッチの一つを押す。あらかじめ録音済みのメッセージが拡声器から流れた。

 

〈不当に拘束され、抑圧と搾取に甘んじてきた、パインブリッジの労働者ならびに兵士諸君。

 本日を以って犯罪的占有者、ドン・フェルナンデスの支配は解除される。合法的手続きを経てこの町はハンターオフィス連合の管理下に入り、然る後に民主的統治が布かれるであろう。

 武器を捨てて互いに助け合い、秩序を持って行動せよ。簡略な手続きの後は、諸君には完全な行動の自由が保証される。当地域の市民社会には諸君を受け入れる十分な余地がある……〉

 

 シルバーは薄笑いを浮かべた。

 

「全く、どうしてオフィスの連中は、いつもこういう言いまわしをしたがるかな」

 

 おずおずと物陰から顔を出しこちらをうかがう鉱奴たちは、やがてゆっくりと戦車を遠巻きにして集まり始めた。

 

 

「よし、全員そこの広場に整列。戦車には近寄らないように。指示があるまでそのままで待機していてください」

 

 まもなくオフィスから臨時編成の治安部隊が到着するはずだ。

 

 志願したハンターたちと、審査済みの傭兵たち。そして近親者をこの町に捕らえられている可能性のある、有志の市民たち。

 

(後は任せておけるな)

 

 シルバーは悠然と見えるよう努めながら戦車から降り立ち、懐かしい顔を探して居住区に分け入っていった。

 

 

 

 

 部屋にたどり着くと明かりはなく、薄暗い中に人影があった。ケイだ。

 

「帰ってたのか。良かった、無事だったんだな」

 

 グレッグはほっとして、体の力が抜ける感じがした。奥へと歩み寄りながら手を差し伸べる。

 

「ケイ、いっしょに行こう。この町とおさらばするんだ。二人で自由に生きよう」

 

 ケイは答えなかった。

 

「外の世界を見て回るんだ。来てくれるだろう?」

 

「いや」

 

 たった一言。引きつった声がそう告げた。

 

 暗さに目が慣れると、ケイが肩から短い上着を羽織っているだけで、あとは何も着ていないことが見て取れた。そして、右手に不恰好な金属製の物体。ゆっくりと持ち上がった右手が自分の胸に擬せられて、グレッグにもようやくそれが銃であることが解った。

 

「シェルターにいっぺん入ったけどあなたが来ないから、きっと出て行くつもりだと思ったの。だからここで待ってたわ。外になんて行きたくない。怖い。あたしが外で何を見たか――」

 

 後ろの方は涙でつまって声にならない。

 

「行かないで。ほら、あたしを見て、グレッグ。ここで一緒にいてよ」

 

「その銃は――?」

 

 鉄板をプレス加工したものらしい、不恰好な物だ。まるでブリキ缶のように見えるそれは、グレッグの目で見てもひどくお粗末な代物だった。

 

「巣守りの訓練の後、一丁ずつ渡されたの。相手の男が逃げ出しそうになったら、これで撃てって。お笑いでしょ? 一発撃ったら多分壊れるわ。巣守りが銃を持って反抗するのも怖かったのね。でも、この距離ならあなたを殺せるわ」

 

 馬鹿な真似は止せ、とグレッグは叫んだ。

 

「俺を撃って何になる」

 

「誰にあてがわれるのか決まるまで、すごく怖かったわ。でもあなたを部屋の前で初めて見たとき、とても嬉しかったの。二つ年下で、やさしそうで、可愛くて――」

 

 肩を震わせて涙を流しながらしゃべりつづけるケイは、ひどく混乱していて、小さく、そして惨めに見えた。

 

「あなたを失いたくない。でも外に出るのはもっといや」

 

「やめろ。そいつをこっちに寄越せ。落ち着くんだ。シルバーと行くんだ、危険なんかないさ……ケイ!」

 

 ケイの右手の銃が火を吹いた。四十五口径の実包が恐ろしい音を立て、グレッグは思わず目を閉じた――肩口に衝撃。

 

 辛うじて気絶を免れ、グレッグは何が起きたか理解した。なれない女の細腕で、あのようなでたらめな銃をまともに撃つことなど、どだい無理な話だったのだ。 弾道はグレッグの胸から大きくそれていた。

 

 くたくたとひざをついてへたり込んだケイに、グレッグは肩を押さえながら近づいた。苦痛にあえぎながらその粗製の単発銃をむしり取る。

 

「ひどいな。痛いよ、ケイ」

 

 もういい、俺はなんと言われようと外へ出る。

 

「無理言って悪かった。でも俺は行くよ。ここは――ここは、おかあちゃんが俺を生み出してくれた世界じゃない。ついて来てくれないなら、俺は一人ででも行く」

 

 手ひどい喪失感がグレッグを襲った。「ブリキ缶」はグリップの弾丸ケースに、まだ数発の弾を残していた。ケイの足もとの床にそれを放り出し、戸口のほうへ向き直ってそのまま歩き出した。

 

「撃ちたきゃ、弾を込めなおして撃ってもいいよ」

 

 返事はない。出血して痛む肩を押さえながら歩くグレッグには、そのあと結局一発の弾も飛んでは来なかった。

 

(いや、一人じゃないな。シルバーと、ひょっとしたらカイルも来る……)

 

ケイとは、さよならだ。ケイといっしょに寝るのはいい気持ちだった。

 

 戦車のところに戻ると、シルバーは一人で待っていた。少し離れたところに、鉱奴たちが固まって並んでいる。

 回りには見なれない一団が鉱奴たちを守るように立っていて、何人かの負傷したものには応急手当が行われていた。

 

「一人か。どうした、怪我してるじゃないか」

 

 あっちに行って、手当てしてもらって来い。シルバーはグレッグの方を見ずにそう言った。

 

「カイルは?あんたの探してたやつだったんじゃないのか?」

 

「カイルは――死んだ」

 

 何だって。グレッグは息を呑んだ。

 シルバーはむこうを向いたまま続けた。

 

「俺達が起こした騒ぎに乗じた鉱奴と、監視員との衝突が鉱区で起きたらしい。やつは子供をかばって、撃たれた」

 

 と、鉱奴たちの中からグレッグを呼ぶ声がした。

 

「グレッグ! カイルが、カイルが僕のせいで……!」

 

 ジョッシュだった。そうか――

 

「守ってくれたのか。俺との約束――」

 

 とたんに目の前が真っ暗になって、グレッグはその場に崩れ落ちた。

 

 

 

 目がさめると戦車「ウルフ」の車内だった。肩口には包帯が巻かれていて、かすかに薬の匂いがした。

 

「気がついたか」

 

 操縦席から振り返って、シルバーがさびしそうに笑った。

 

「フェルナンデスは地下道から脱出したらしい。俺はやつを追うことになった」

 

「ここは?」

 

「隣の町へ向かう街道の途中だ。もう降りられんぞ。カイルがいない以上、おまえに代わりになってもらわなきゃならん。みっちり仕込んでやるからな。射撃、整備、操縦、コンピューターの扱い、ハンターに必要な知識と技術、全部だ」

 

 そして、びっくりするほどやさしい笑顔で付け加えた。

 

「ああ、あと読み書きと言葉遣い、それと一般常識も必要だな、おまえには」

 

「よろしく……頼む」

 

「『お願いします』って言うんだぞ、そう言うときには」

 

 笑いながら言うシルバーには応えず、グレッグは砲塔に上がった。ハッチから顔を出して、あたりを見まわす。

 

 月が出ていた。冷たく澄んだ砂漠の夜の中を、銀色に輝く鋼鉄の狼が再び長い旅へと旅立つところなのだった。

 

 

 

         * * * * * * * * 

 

 

 

「そうして俺は、シルバーと一緒に五年の間旅をした。フェルナンデスはすぐに見つかったよ。街道でわずかな部下を率いて山賊の真似事をしていたんだが……」

 

 いつのまにかアリサの相槌は途絶えて、規則正しい呼吸の音だけが聞こえていた。

 

「何だ、もう寝てたのか」

 

 まあいい、とグレッグは目を閉じた。いささか子供には聞かせるべきでない話もしてしまった気がする。アリサがだいぶ前のほうで寝てくれていることを、グレッグはひそかに祈った。

 

「まったく、今日はどうかしてるよ」

 

 大きくひとつあくびをすると、疲れていたグレッグは深い眠りに落ちていった。

 

 

 ややあって、闇の中でアリサがパッチリと眼を開いた。

 

(へへ……寝たふり、得意なんだもんね……)

 

 実のところ、彼女はグレッグの話を全部聞いていた。

 

(……ひどい話だったなあ)

 

 涙は出ない。だが胸の奥に何か重く苦いものが固まっているような感じがする。

 

(グレッグも、ケイさんも、みんなひどい。自分の気持ち、自分の都合。そんなものばっかりでさ。二人は本当に愛し合うことだって、本当に家族になることだってできた筈だったんじゃないの?)

 

 一番悪いのはフェルナンデスだけど――

 

(私だったら、そんなヤツの悪意に押し流されて、好きな人を手放したりなんかしないわ。絶対に)

 

 寝袋の上に上体を起こしてグレッグの方を見つめた。

 

 決して力強くはないが、いつも諦めずに最善を尽くす、悲しみに疲れた顔にどこかまだ澄んだ少年のまなざしを残す男がそこにいた。

 

 今日語られた物語の中の未熟で不器用な子供から、どれだけの歳月と厳しい戦いを積み重ねてきたのだろう。

 

(……私、どうしてグレッグについてきてるのかな)

 

 機械好きなアリサにとって、グレッグの戦車は強い興味と憧れの対象だ。だが無論、それだけではアリサのグレッグ自身に対する感情は説明がつかない。

 母があまり話してくれない、あったことのない父のおぼろげなイメージに無意識のうちに重ねて見ているのかも知れないが――

 

 

(私、もしかするとグレッグのこと――)

 

 途端に顔がカッと火照るのを感じた。

 

「……寝よ」

 

 そのまま寝袋の中にもぐり込むように横になり、今度はさっきより幾分か小さな寝息があたりに響きだす。

 外の雨の音は一度激しくなり、その後で次第に弱まっていった。

 

 

 



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第二章 虎の血肉
巨獣・1


      ……その大きなヤツってのはこの位だったかい?

      父ガエルはそっくりかえって大きく息を吸い込み,

      お腹を膨らまして見せました――

 

      (「イソップ物語」より)

 

 

 

 ようやく雨季が明けた。二週間もこの小さな村で引きこもって過ごしたせいで、手持ちの金もずいぶん少なくなったし、体もひどくなまった気がする。

 

「まあ今こうしてられるのは、運がよかった」

 

 例年より早く訪れた雨季のせいで、街道から少し外れた廃屋に閉じ込められる事になったグレッグ達だったが、その二日後に大きなトレーダーの一団がやってきて、グレッグとアリサをこの村まで運んでくれたのだ。

 

 廃屋の納屋に隠してきたファブニールも、ちょうど今朝がたこの村まで回収して来ることができた。自走に問題なかったので、回収車を廻してくれたレンタル屋の男は燃料が無駄になったと少し不機嫌だったが、その分の金は払ったからそれ以上の文句は出ない。

 

 エンジンが少し酸の雨で焼けていたが、何らかの支障をきたすほどではない。明日からすぐにでも荒野へ出られるだろう。

 

「稼がなきゃなあ」

 

 グレッグは宿屋の窓の変色した枠に腕組みをしたまま、上体を預けて遠くを見ながらそうつぶやいた。

 育ち盛りの年頃のアリサには、グレッグが普段口にするよりは良質の食事が必要だろうし、なによりファブニールをもっと強化しなくては、デュランの擁するであろう大部隊とは戦えない。

 賞金首か駆逐キャンペーンの対象モンスターをしとめて、大枚を手にしたい所だった。

 

 アリサはといえば昼からずっと、村の小さなドックでファブニールにかかりきりで、あちこちの錆を落としたり転輪のネジを締めなおしたりと整備に余念がない。 放っておけば明日あたりはエンジンをいじり出すだろう。

 

 彼女に言わせればファブニールは、「戦車工学的奇跡」なのだそうだ。形状と装甲厚から概算した推定重量を支え機動させるには、ファブニールのサスペンションやエンジンは理論上非力に過ぎて、「何で走れてるのか不思議なくらい」らしい。

 

「いつも入念に整備してやらないと、いつ何どき壊れるかわかんないわよ」

 

 アリサはグレッグの鼻先で手に持ったスパナを、人差し指でするように揺らしながら、そんな風に脅かすのだった。

 

 

 雨上がりでぬかるんだ村の中の道をハンターオフィスまで歩く。

 この「ラストマウンド」は、もともとトレーダー達が設けた補給所だったのが、次第に定住するものが多くなってできた村だ。車の修理や補給には便利だし、最近ようやく通信用のアンテナ小屋が建てられて、オフィスもサービスを始めたところだ。

 

 オフィスで調べてみた限り、駆逐キャンペーンはしばらく行われていないようだった。最近は妙にモンスターの数が減ったという。

 思い当たるのは、やはりデュラン大佐の機甲部隊の存在だった。この地域で活動する全てのハンターの車両を、優に越える数の戦闘車両が持ち込まれているのだ。移動の際に出会うモンスターと交戦しないわけはない。勢い、モンスターの数は減る筈だ。

 

(デュランめ、俺からジェインとリサだけで飽き足らず、稼ぎまで奪うつもりか)

 

 勿論モンスターの数は減った方がいいに決まってはいる。ドリルワームに穴だらけにされたり、殺人アメーバに生きながら消化されたり、そんな目に会う人々が増えて欲しくはないのだ。グレッグはハンターであると同時に一人の父親であり、夫だった。しかし、今は一体でも多くのモンスターを自分で倒して稼がねばならない。

 

 父親であり、夫であったことを全うするためにだ。長い道のりになるだろうが、デュラン達を生かしておく訳には行かない。

「オイルにはオイル、錆には錆を、だ」ハンターたちの古い合言葉を呟きながら、オフィスのカスタマー用端末を離れる。

 

 係員を務めている中年の婦人が声をかけてきた。

 

「ああ、マイヤーさん。お電話ですよ」

 

「電話だって?」

 

 グレッグは目をむいた。

 

 この村で電話があるのはこのオフィスだけだ。つまり別の村か町からだが、有線の電話など、一体誰が?

 たいていは通信機で事足りるし、長距離の通話はそれなりに料金がかかるというのに。

 

「ロングフォードのハンターオフィスから秘匿希望通話ですって。中のブースでどうぞ」

 

 電話ブースといっても、古い乗用車の運転席を車体ごとちょん切ってきて、カウンターの奥に置いて防音してあるだけだ。本来はオフィス間の緊急連絡などで、周囲に聞かせられないときに使うものなのだが。

 

(待てよ、ロングフォードか。ひょっとすると――)

 

「もしもし?」

 

 受話器を取った。

 

(グレッグか? 探したぜ、ようやく捕まえたよ)

 

 懐かしい、陽気な声。アンディーだった。

 

 アンディーとは、もう三ヶ月前にパインブリッジで別れたきりだ。

 

「久しぶりだな。どうしてるんだ?最近は街道筋でお前の噂を聞かないぞ」

 

 アンディーの答えは意外なものだった。

 

(運び屋は辞めたんだ)

 

「辞めた? じゃあ今は……?」

 

(救急車の運転手さ。アルバトロスをレンタル屋にリースして、その配当を頭金に中古のバンを買った。スチュアート先生の診療所に怪我人を運んで、そう、一日に十回は出動してるかな。みんなに感謝されてるぜ)

 

「そいつは……いい仕事だな」

 

 グレッグはため息を漏らした。なんとまあ、変われば変わるものだ。

 

(もっと驚くことがあるぜ。今、先生と付き合ってるんだ。今度プロポーズしようと思ってる)

 

「ホントか? おめでとう、アンディー!!」

 

 グレッグは少し羨望を覚えた。時機こそ遅くなったが、アンディーは屈託なく人生の幸福を手にしようと前に進んでいるのだ。ハンターだからといって皆が皆、血塗られた道を進む必要などない。二人とも年はいってるが、アンディーと先生なら案外いいペアになるかも知れない。

 

(……お祝いにはまだ早いよ。これからだからな。あんたこそ、アリサとはどうなんだ? うまくやってるのか?)

 

「ああ、最高のメカニックだよ。ファブニールは彼女に任せれば、申し分ない」

 

(そういう意味じゃなくて、例えば――もう寝たのか?)

 

「……ばかな、よしてくれ。いくつ年の差があると思ってるんだ、娘みたいなもんだぞ。彼女だって、俺のことは父親に近い感じに見てるはずだ」

 

(さあ、どうかな? 色恋は年齢に関係ないし、今時あの年なら立派な女だよ。先生はアリサがあんたに惹かれてるといってる。確かだろうさ。なんせ母親だからな、子供のことには普段以上に洞察が働くだろうし。それにあんたも、動揺するところを見ると怪しいぞ?)

 

「……そういう事を言うな!……ジェインの喪だってまだ明けてないんだ。第一、お前と義理の親子なんてぞっとしないぞ」

 

 それに、とグレッグは畳みかけた。

 

「わざわざ電話を使うんだ、今日は他の用事じゃないのか

 

 どうにか話題を切り替えられそうだ。

 

(それだよ。あんたにとって耳寄りな話を仕入れた)

 

「ふむ、何だ? 戦車貧乏の中年にとっちゃ、どんな儲け話でも大歓迎だが――」

 

(戦車輸送車――大型トレーラーが手に入るかもしれんチャンスがある。どうだ?)

 

「何だって?!」

 

タバコのヤニらしいもので変色した乗用車のシートの上で、グレッグは頭を天井にぶつけかねない勢いで跳びあがった。

 

(輸送車か――その手があった)

 

 散発的な略奪を小編成の部隊で繰り返す、デュランの機甲師団。その本拠地は、南に広がる広大な砂漠地帯の深奥と考えられる。

 ファブニールのような燃料食らいの重戦車ではとても自走して行ける距離ではない。

 よしんば燃料が持ったところで、車体が持つまい。なにせ「戦車工学的奇跡」である。

 

 本当の意味での「戦車」を所有するハンターの間で、しばしば愚痴っぽく語られることだが、本来、戦車とは走っているだけで次第に壊れていくものだ。

 重い車体を強力なエンジンで無理やり動かす、そのしわ寄せは結局走行装置にまわってくる。

 

 だから堅実なハンターは極力車体を軽量化し、あるいは軽戦車や装甲車を選択する。つまり、無理をしないということだ。長い目で見ればそういうハンターの方が、長生きするし稼ぎも効率的になる。

 

 以前出会ったハンター、キーロフは仲間内でグレッグが「大馬鹿野郎」と評されている事を教えてくれたが、それは結局のところ妥当な評価といっていい。重装甲、大火力の重戦車に固執するハンターを揶揄して「戦車病」などという言葉も使われるほどだ。

 

 だが、普通のハンターとはそもそも戦う動機が違う。グレッグにとって、単身で多数の敵を相手にするためには、ファブニールの装甲と火力でも心許ない程なのだ。その重いファブニールを稼動可能なまま敵地に運ぶ方法として、確かに輸送車は最も現実的な回答だった。

 

「……詳しく話してくれ」

 

 グレッグは楽な姿勢をとって、長話の態勢に入った。

 

(半年近く前のことだ。フォンダ市の戦車工場からロングフォードへ向けて、トレーラーが一台出発した……オーバーホールの終わった新品同様の戦車を積み込んでだ。もちろんそんな大型車輛じゃ例の『ロング・シックス』は通れない。フォンダからロングフォード方面へは上流の狭いところでホワイトリバーを渡り、ドラゴンズ・ヒルの北側を抜ける別ルートがあるんだが――)

 

「ふむ」グレッグは頭の中でこの地方の概念的な地図を描いた。

 

 ドラゴンズ・ヒル。それはロング・シックスより上流の、ホワイトリバー北岸に広がる起伏の多い丘陵地帯だ。以前拠点にしていたぺトラのほぼ真北になる。

 このラストマウンドはパインブリッジ市の北西百キロちょっとの場所だから、ドラゴンズ・ヒルからはほぼ真西にあたることになる。

 

(行きはよかった。戦車の持ち主のレンタル屋が護衛をつけていたし、これといったモンスターや山賊にも会わなかったからな)

 

「帰りはそうは行かなかった、というわけだ」

 

 なるほどな、とグレッグは納得した。ドラゴンズ・ヒルといえば、とかく気味の悪い噂の有る場所だ。人口の比較的多いこの五十七号ハイウェイ沿いで、すっぽりと取り残されたようにそこだけ人の手が入らず、地図にも外縁部しか記されていない。

 

 車輛では進入しにくい地形ではあるのだが、物好きに足を踏み入れたごく少数の傭兵やハンターがことごとく消息を絶っているのは、あながち不運な偶然だけとも思えない節があった。



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巨獣・2

〈そういうことだ。トレーラーは結局フォンダ市には帰還しなかった。帰りの護衛についていたフォンダのハンターもだ。高性能の五十七ミリ砲を積んだ八輪装甲車を操る腕利きだったにもかかわらず、な〉

 

「うーむ」

 

 グレッグは唸った。

 

「五十七ミリ砲装備で行方不明か。険呑だな」

 

 誤解されがちだが、大砲や機銃の威力は必ずしも口径とイコールではない。五十七ミリは速射性を重視した良砲で、貫通力を強化した離脱装弾筒付徹甲弾(A P D S)を使用できるため、近距離での格闘戦において高い威力を発揮する。

 

 機動性に優れた装輪車輌との組み合わせは、ハンターの装備選択として一つの完成形といっていい。

 装甲防御を犠牲にする分は操縦技術でカバーする事になるから、その手の車に乗るハンターは、間違い無く第一級の「本物」のはずだ。そんな男がヘマをやるとは思えない。

 

〈ロングフォードではもうここ何ヶ月も、ハンター仲間じゃその話で持ちきりだった。だがさすがに捜索範囲が広すぎるのと、並みの装備では危険過ぎるって事で、誰も手を出さなかったのさ。だがこの間診療所に薬を届けに来たトレーダーが、貴重な情報を売ってくれた〉

 

「そいつを俺に話してくれるってのか」

 

〈今の俺にはどうでもいい情報だからな。わざわざそんなヤバい所まで出かけて、使えるかどうかも判らん車のために命を張るより、一人でも多くの患者を先生の診療所に運ぶほうがいいのさ。ただ、条件が一つある〉

 

「何だ?」

 

〈生きて戻って、式に出てくれよ。アリサと一緒に〉

 

「勿論だとも!」

 

(アンディーの奴め、先生からOKの返事をもらう確信があるんだな)

 

 オフィスを出ると日はすっかり傾いていた。夕暮れの大気の中にかすかに甘く、何かの花の香りがする。雨季が明けると、季節の変化に乏しいこの地方にも、春と呼べる短いひとときが訪れる。大地はまだ、死に絶えたわけではない。

 

 長い時間受話器を当てていたせいで、左耳の軟骨がズキズキした。アンディーの情報はかなり信頼できるものだった。思えばファブニールを手に入れたときといい、彼には世話になりっ放しだ。いつか、きちんと返せるだろうか。

 

 トレーダーのトラックが一台、新たに村へ入ってくるところだった。村のゲートはあと一時間もすれば閉まる。すべり込みだ。減速しながら接近してきたトラックの前輪が、まだ残っていた大きな水たまりの中を通って、酸を中和するため撒かれた石灰の混ざった泥水を、グレッグのほうへ跳ね飛ばした。

 

「!!」

 

 左半身、腰の辺りから下が水浸しになった。上着は防水の合成レザーだからいいが、ズボンは本物の木綿ツイル――アンディーに薦められて買った発掘品だ。恨めしげにトラックの方を振り返ると、向こうも気づいたらしく車を止めて降りて来る。

 

「いやはや申し訳ない! 水溜りが思ったより深かった」

 

 そう言いながら歩いてくる男はグレッグとさほど変わらない年のようだった。横幅の広いがっちりした骨格、人のよさそうな顔立ちだが程よい尊大さが見て取れる。そこそこの成功を収めた人物にはよくあることで、嫌味な感じはない。

 

「ハンターか? ひどく濡れたようだな。すまない、弁償するよ」

 

 と、グレッグと目が合ったとたんその男は雷に打たれたように硬直した。

 

「……グレッグか?」

 

 一瞬、何とも複雑な表情を浮かべたが、途端に数歩駈け戻ると、幌のかかったトラックの荷台の中に向かって叫んだ。

 

「ジョッシュ! 降りて来いよ、今すぐ!」

 

 男はひどく嬉しそうに言葉を継いだ。

 

「グレッグだ、グレッグがいたんだよ、この村に!」

 

 グレッグはようやくその男の顔に思い当たった。

 

 ガープ。パインブリッジの電子部品採掘場で一緒だった鉱奴仲間だ。手癖が悪く嫌われ者だった肥満児が、円満そうな風貌になってここにいるとは。

 

そして――

 

「グレッグ!あんたか、本当にあんたなのか!」

 

 泣き叫ぶような声をあげて走ってきた長身の男に抱きすくめられ、グレッグは呆然とその場に立ち尽くしていた。

 

 

「じゃあ、そのトレーラーを手に入れに行くのね?」

 

 テーブルの反対側で脂染みたスパゲッティを飲み込みざま、アリサがそう尋ねた。

 

「そうだ。整備の方はどうだ?」

 

「うーん、特に問題なしよ。もっと程度のいい部品があればとは思うけど、こんなご時世だしここ田舎だしね」

 

「田舎のほうが食い物は安いし、無いものねだりをしても始まらんさ。決まりだ。明朝、出発しよう」

 

 宿屋の一階の食堂で、夕食を取りながら二人は今回の探索について打ち合せていた。食事は隣の酒場でもできるが、グレッグは酒を飲めない。

 植物油を切らしているらしく、スパゲッティのソースは獣脂がふんだんに使われていてかなりしつこい味がする。だが、酒場に普段集まる連中の顔ぶれを考えるとアリサのためにもこの食堂の方がましだ。

 

「口を拭けよ」

 

「ん」

 

 どちらも口元は香辛料とトマトの色に染まって、脂でてらてらと光っている。ごそごそとナプキンで口を拭って、二人は食事を終えた。

 

「ドックの前で立ち話をしてたけど、知ってる人?」

 

「ああ――」

 

 話したものか? まあいい。

 

「この間話した、パインブリッジで―鉱奴をやっていたときの仲間さ。今じゃいい年になったもんだ。トレーダーをやってて儲かってるらしいな」

 

「うあ、すごい偶然ね」

 

 いい年か。グレッグはふと可笑しくなった。もう二十年にもなるのか、あの頃から。ガープがすっかり好人物になっていたのも不思議ない。人は変わっていくものだ。

 

(一番変わってないのは、俺かもしれないな。)

 

「じゃあ、ケイさんのことなにか判った?」

 

 アリサが唐突に聞いてくる。グレッグは危うく口に含んだコップの水を噴き出しそうになった。

 

「何を言い出すかと思えば。――いや、まだ聞いてない。五百人以上の鉱奴や巣守りが解放されて、あちこちへ散らばったり、町に残ったりしたんだ。どのみち判らんだろう」

 

 廃屋に降り込められている間、退屈がるアリサに自分の昔話などしてやったのが間違いの元だ。

 解放前のパインブリッジでは鉱奴として働かされる男たちに、「巣守り」と呼ばれる女たちがそれぞれにあてがわれ、不満をそらすと共に監視を行う事で反抗を未然に防いでいた。

 グレッグにも二つ年上のケイという少女が与えられたが、彼女は解放されたときにグレッグと同行することを拒み――それっきりだ。生きていれば今頃は、何人かの子供の母親になっていることだろう。

 

「もうケイの事は俺には関係の無いことだ。アリサ、君にもな」

 

 なぜアリサがそんなことを気にするのか解らなかったが、不満そうな顔をする彼女をテーブルに残して、グレッグは二階への階段に足をかけた。

 

「明日は早いぞ。早めに寝ろよ」

 

 

 

 翌朝、グレッグが一階に下りると、食堂にはアリサと、それにガープとジョッシュの三人がいた。

 

「グレッグ、俺達も連れていってくれよ。儲けになりそうな話じゃないか」

 

 ガープが満面に笑みを浮かべてそう言った。ジョッシュは傍らで、やせた神経質そうな顔に、こちらを探るような表情を浮かべている。

 

(ジョッシュの奴、何だか陰湿な感じに成長したな)

 

 そう思いながら、わざとゆっくりアリサの方を向き直った。

 

「これはどういう事なんだ? 説明してくれないか、アリサ」

 

「えっと、その……」

 

 首をすくめて小さくなるアリサを庇うように、ガープが口を挟んだ。

 

「俺達が訊いたんだよ。グレッグ、あんたがどこへ行くつもりなのか。俺達は廃墟とか、戦車の残骸やらから使えるものを回収して売る、スカベンジャ-が主な稼ぎでね、ハンターと同行できりゃ、仕入れも楽で安全なんだ」

 

 ジョッシュもおずおずと口を開いた。

 

「砲弾も売ってるから、安くしておくよ。空の薬莢が有ったら、発射薬と弾頭も詰め直してあげるし。グレッグだったら、四割引にしとくよ」

 

 グレッグは思わず額に手を当てて嘆息した。こいつは、気苦労の多い旅になりそうだ。

 

「まあいいだろう、ついて来いよ。トレーラー以外でファブニールに使えなさそうな物はそっちの取り分だ、いいな?」

 

 冷静に考えれば長距離の移動を伴う危険な探索に、補給品を積んだトラックと人手が随伴してくれるのは悪いことではないのだが。

 

 ガープがにやりと笑った。

 

「トレーラーのエンジンが死んでたら、うちの商品を買って載せるといい」

 

 結局、ファブニールとガープ達のトラックのうち二台で同行することになった。

 

「よし、ドラゴンズ・ヒルへ出発だ。周囲への警戒を怠るなよ」

 

 

 空は晴れ上がり、大気は雨の後で埃もなく澄みきっている。だがグレッグは次第に垂れ込めていく不安と緊張の黒雲を払うことができないでいた。アンディーがトレーダーから得た情報によれば、例の北側を回るルートをずっと外れた地点に向かって何か大きな物が引きずられていった跡があったという。

 

 それが果たしてトレーラーの所在に結びつくものかどうかは定かではない。しかし、ドラゴンズ・ヒルには間違いなく何かが潜んでいる。

 

 ドラゴンとは旧時代の神話や伝説に語られる怪物だ。「ファブニール」もその眷属の一頭の名前なのだそうだが、そんなものがまさか今の世に実在するとは思えない。

 だが、少なくともあの丘陵地帯がその名を冠されるに相応しいだけの物――とてつもなく危険な、何ものかが、グレッグたちを待っているはずだ。



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巨獣・3

 五ヶ月と少し前。

 ちょうどフォンダからのトレーラーが帰路で消息を絶った日。

 

 そのトレーダーは急な用事でフォンダからパインブリッジへ向かって、オフロード用バイクを飛ばしていた。

 どんな用事で何を運んでいたのかは判らない。「ヤバい」荷物だったのかもしれない。情報を売る側は買う側に、余計なことは喋らないものである。肝心なことは、とにかくその男が旅の途中でバイクの不調に気がついたという事なのだ。

 

 エンジンからいやな匂いの煙が上がった。調べてみると腐食のせいでクランクケースにごく小さな穴が開いていて、少しづつオイルが漏れていた為に、エンジンがオーバーヒート寸前になっていた。

 

「クソ、うかつだった」

 

 男は毒づいた。

 

 穴を塞ぐにはどこかの町に行かないと無理だ。手持ちの工具では気休め程度の補修しか出来ない。それはまあいい。入れたオイルが空になるまで少なくとも三日は経っているから、補充さえ出来れば何とか持つだろう。補修は街に入ってからで十分間に合う。

 問題は、補充のオイルを今持っていないことだった。

 こんな時には落ちついて、何でもいいから周りに利用できそうなものがないか、辺りを見回してみることだ。今回も男はそうした。

 

 荒野の一角にそれはあった。煙を上げる黒っぽいシルエット。クルマだ。

 

 とっくに火は消え、わずかに残った可燃物や炭化した物がくすぶりつづけているが、まだ何か使える物が残っているかも知れない。

 近づいてみると幸運にも、転がり落ちたオイル缶があった。車が横転したときに、固縛が解けたのだろう。蓋はきちんと閉まっている。車はどうやらハンターの物のようだった。

 

「まだツキには見放されてないらしいな」

 

 そう言いながらフタを取り、中のオイルの匂いを嗅いでみる。上物だ。

 

 よく見てみると車は高機動の八輪装甲車のようだった。斜めに切り落としたような面で構成された、細長い車体が特徴的だ。

 武装は旋回砲塔に速射砲を積んでいる。

 

 してみるとこいつの主はそれなりの腕利きだ。だが車体には何やら大きな鋭いもので掻きむしったような痕が口を開け、機関部にまで達していた。砲塔のハッチからは黒焦げになった人の腕らしき物が突き出ている。

 

「げえッ」

 

 惨状に思わず目をそむけ、こみ上げてきた胆汁を砂の上にぶちまけた。ようやく落ち着きを取り戻して顔を上げたとき、男は辺りの地面に

なにやら大きな物を引きずったような跡が、彼方の丘陵地帯へと伸びているのに気が付いた。その痕跡の向かう先は――とかく噂のあるドラゴンズ・ヒルの方角だ。

 

「……ヤバいな」

 

 何事があったか知らないが、早めにずらかった方がよさそうだ。男は大急ぎでバイクのエンジンにオイルを飲ませると、その場を離れた。数週間後、帰り道になんとなく気になってその辺りを通りかかったが、装甲車の姿はもう見当たらなかった。

 

 

           * * * * * * * *

 

 

      さんさんと降り注ぐ太陽

      海岸へと続くハイウェイ

      

      僕は車に君と犬を乗せ

      ほんの少しスピード超過

      最高のドライブ日和

 

      ラジオを点ければ飛びこんでくる

      ゴキゲンなあの曲

      そいつは最新のヒットナンバーさ

      (口笛は苦手だけど気にしないよね?)

 

      このままこうして

      走りつづけていられたら

      最高なんだけれど

      残念ながらものごとには

      いつも必ず終わりがある……

 

 

「何歌ってるの?」

 

 ヘッドセットのイヤホンから、アリサの声がした。クスクスと声を殺して笑っているのが聞こえる。そろそろ北ルートの幹線部を離れて、ドラゴンズ・ヒルの

北側へと向かう分岐ポイントに差し掛かる所だ。

 

「しまった、マイクのスイッチを切っていなかったか」

 

 グレッグも苦笑した。ほんの小さな声で鼻歌程度に歌っていたのだが、ぺトラのドックでギルバート親方が付けてくれた車内通話装置のマイクは、喉元に接触させるタイプでやたらと感度がいいのだ。

 

「……『ルート99』って、そんな歌詞だっけ?」

 

「こいつがオリジナルさ。俺の外に知ってるのは、今じゃアンディと――」

 

 そこまで言ってドキリとしたが、後を続けた。

 

「娘のリサだけだ。」

 

(馬鹿な。まだどこかで信じているのか、俺は――行方不明の娘が、まだ生きていると?)

 

 挙句にルート99か。二重の悲嘆に捕らわれて、グレッグは右手で顔を半分覆った。

 

 廃墟にうち捨てられたジュークボックスから流れ出た、大破壊より遥か昔の古い音楽。

 ロックンロール。人類がその可能性を屈託なく夢見ていた黄金時代の遺産。

 

 ハンター達の間で口伝えに広まったものは歌詞とリズムがだいぶ変わり、フレーズの尺もいくらかオリジナルと違う。

 発見した時、その歌と自分達が生きる時代との余りのギャップに、グレッグは一人でむせび泣いた。何も考えられなくなりただひたすらに泣いた。それはこの時代に生きる大多数の人々にとってはあまりに残酷な代物だった。

 

 だから、敢えてオリジナルの歌詞は世に出さなかったのだ。

 

「……家族のしるしって感じね、その歌。聞いちゃったって事は私も家族でいいの?」

 

 アリサがいたずらっぽく聞いてきた。

 

 家族か。また家族を持つことがあるのだろうか。

 

 復讐を遂げて休める日が来たならば――俺一人がまた幸せになっても許してくれるか? ジェイン。

 

 

「見つかるといいわね、リサちゃん」

 

 答えられずにいるグレッグの胸中に思い至ったのか、アリサがポツリと言う。

 

「……ありがとう」

 

 視線を交わさなくとも互いの表情が見える、そんな感触があった。不安を押し殺すために出た鼻歌だったように思う。だが、思いがけないアリサとの共感が今、ここにある。

 

 アンディーにからかわれた件は気にならなくなっていた。旧友は知らない事だがどんなに煽られた所で、グレッグの主砲はどのみち大破したままなのだ。村が炎の中に消え、ジェインの亡骸が凌辱されるのを目の当たりにしたあの日から。

 

「……娘か妹で良ければ、末永く家族づきあいしてくれ」

 

 殊更に明るく答えたグレッグに、今度はアリサが答えに詰まったようだった。

 

 

 分岐ポイントを過ぎるころから空が少し暗くなった。まだ日没には早い。雨季のなごりの湿り気を帯びた灰色の雲が、丘陵地帯の上を覆うように垂れ込めて来たのだった。

 

「いやな天気だ」

 

 グレッグは眉をひそめた。通信機のランプが点滅している。ガープ達のトラックから入電らしかった。ファブニールの遅い巡航速度に合わせて走るのは燃料のロスが大きいので、二台の内一台が、エンジンを切ったもう片方を牽引して、ゆっくりとついて来ている。こちらとの車間距離は五十メートル程度と言った所か。

 

「どうした、ガープ?」

 

(左後方、地平線に土煙が見える。こちらへ近づいてくるようだ)

 

 ハンター式の省略表現を使っていないせいか、ひどく冗長で呑気に聞こえる。

 

「敵襲かな。戦闘準備、弾種……徹甲弾」

 

 自動装填装置の回転式弾倉がセレクターと連動して回転を始める。

 

「待って、車体に見覚えがあるわ。マーキングにも。敵じゃないわよ」

 

 全周旋回式ペリスコープの映像を見ていたアリサが、射撃準備に入ろうとするグレッグを制止した。

 

「相変わらず目がいいな」

 

 砲塔のハッチを開けて双眼鏡を覗いたグレッグにも、その土煙の中にいるものがようやくはっきりした形をとって見えた。

 傾斜した装甲を持つ緑色の車体。大き目の砲塔から突き出た長砲身の主砲。

 

「……ロジーナMk-Ⅱだ。久しぶりだな」

 

 それはパインブリッジで出会った戦車通の大男、セルゲイ・キーロフの愛車だった。ファブニールとロジーナが荒野でまみえるのは始めてだ。

 

(よう、マイヤー。お嬢ちゃんも一緒かな? 支援車輛付きとは豪勢じゃないか)

 

 通信機から流れるキーロフの声は、いつぞやガンタワーから二人を救ってくれた時と同じに不躾でがらがらして、それでいてひどく頼もしかった。

 

「別に俺の部隊って訳じゃない。道連れのトレーダーだ、知り合いだがな」

 

(ほう。何か買うものがあるかも知れん。停めてくれ、煙草でもどうだ?)

 

「煙草は吸わないが、停まるように言おう。……ガープ、お客さんだぞ」

 

 ガープからは了解の応答があった。車内通話装置でアリサに呼びかける。

 

「トラックに寄せて駐めろ。俺達も休憩にしよう」

 

 四台の車が形の崩れた円陣を組んでうずくまった。

 

「何だ、あんたもトレーラーが狙いか」

 

 トラックに積まれた補給品を物色しながら、キーロフはグレッグの方を向いて、つまらなさそうにそう言った。ガープから聞き出したようだ。

 

「『あんたも』って、どういう事だ?」

 

 グレッグは顔色を変えた。

 

「パインブリッジ辺りを最近うろついてるハンターたちは大抵、そのトレーラーを狙ってるぜ」

 

 情報を持ってたトレーダー、何重にも売って相当儲けたんじゃないかな、とキーロフはまた向こうを向いて喋りつづける。グレッグは少し落胆した。

 

(アンディーは人がいいからな、疑いもせずまたぞろ言い値で買ったんだろう)

 

 アルバトロスのキャビンにあった雑誌がそうだったように。

 

「じゃああんたもなのか、キーロフ?」

 

「うんにゃ、俺は――」

 

 そう言いかけてキーロフは訂正した。

 

「ロジーナはもともと足が長い。同じ量の燃料ならあんたの車の三~四倍の距離は自走できる、それも故障なしでな。どちらかと言えば俺が興味があるのは、生還してないハンターの車とモンスターそのものの方だ――おい、このガスケットはまだ新品同様じゃないか!少しここの所を切り取れば、ロジーナのエンジンにぴったり合いそうだ」

 

 めぼしい商品を見つけて値段の交渉を始めたキーロフに、グレッグは気乗りしないながら声をかけた。

 

「どうする、ドラゴンズ・ヒルまで同行するか?」

 

 キーロフがハンターオフィス発行のG小切手にサインしながら答えた。

 

「聞くだけ野暮ってモンだ。この辺で動いてるハンターの間じゃ、俺達二人の戦車は跳び抜けて主砲が強力な部類なんだぞ。組めば差しあたって怖い物無しだろが」

 

 そうなのか?

 

「自覚してなかったよ」グレッグは耳の後ろを掻きながら顔をしかめた。



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巨獣・4

 次の日の午前中一杯、四台の車は一団となって東へ進んだ。

 

 実際、キーロフの戦車「ロジーナMk-Ⅱ」の機動力はたいしたものだ。エンジンパワーに比して車体が軽く、サスペンションにも負担がかからないせいなのだが、ファブニールならはまって動けなくなりそうな軟弱な砂地なども難なく踏み越えるし、旋回、加速ともに実に軽やかな動きを見せる。

 

 新型なのか、という問いに、意外にもキーロフは首を横に振った。

 

「このタイプが俺の故郷で作られたのは、もう二十年近く前だ。大破壊に近い時代の車輛は複雑、高級過ぎて今の技術レベルと資材の質じゃ作っても役に立たん。古すぎる設計は無論のこと論外だが、丁度いいのは結局こいつと同じくらいの時期に設計されたヤツさ」

 

「なるほどなあ」

 

「昨日はああ言ったものの、あんたのファブニールには正直なところ多分、火力ではかなわん。砲弾を見せてもらったが装薬量が段違いだ。実際の威力は百ミリ級かも知れんな。装甲も厚い所は二倍近い。機動力だけじゃ戦車の性能は測れんってことよ」

 

「そういうものかね」

 

「もともと設計と運用に関して基本理念が違いすぎるのさ。互いの長所を生かして上手くやろうじゃないか、今回の探索は」

 

 キーロフはそう言って機嫌よさそうに笑った。

 

 

 足元で錆の塊がつぶれた。かなり長い年月、酸性雨にさらされ続けたその古い戦車の転輪は、グレッグ達の足の下で砂漠の赤茶けた砂の一部と化す緩慢なプロセスの一歩を踏み出した。

 

「聞きしにまさる薄気味悪さだな、ここは」

 

 丘陵の緩やかな斜面が始まる辺りに向かって、周辺の地形はやや窪んだ形になっていた。土砂の様子からするともともとはこの丘陵地の北側を流れる川があったのだろう。 

 

 降雨のため川床の土は少し湿っているらしく、所々にまばらに生えた草が生気を取り戻したように緑の色彩を強めている。といってもその多くは怪しげな変異体で、現に三メートルほど横の草むらからは、先程からしきりに黒っぽい色の花粉が飛んできて彼らを辟易させていた。

 

 人間サイズ以上の生物にはさして害がないが、小さな動物などはこの花粉を吸いこむと中毒して酔ったように眠ってしまい、普通はそのまま死んでこの草の肥料になるのだ。

 ここよりもっと南の地方に生える大型種は人間も餌食にし、「まどろみ草」と呼ばれて恐れられているという。

 

 涙目で一つ大きなあくびをすると、アリサが不快そうに一行に乗車を促した。

 

「ねえ、早く探し出さないと、みんなに先を越されるわよ」

 

 そう。

 

 アンディーと同じように情報を買ったハンターたちがグレッグ達の他にも数グループ、めいめいに持ちこんだ自分の車と、用意のいい者は牽引用の車両までチャーターして辺りを走り回っているのだった。予想はしていたものの、それはなんともやる気をなくさせる光景だった。

 

 グレッグはため息をついた。

 

「とにかくこうしていても始まらんな。ガープ、ジョッシュ、お前達はここで待機だ。キーロフ、俺達はあの岩場の向こうから手をつけよう」

 

 グレッグ達「戦車組」は二台に分乗してゆっくりと動き出した。湿って粘り気を帯びた土砂が足回りにへばりついて動きにくい。

 

 回転式ペリスコープの映像は操縦席のアリサに一任して、グレッグは砲塔上のハッチから上半身を乗り出し、辺りを直接見まわした。百メートルほど先行するキーロフも同様にハッチから乗りだし、双眼鏡を使っている。

 

(気をつけろよ、マイヤー。この辺りは地盤がゆるい。ロジーナが通過した地面をトレースした方が安全だ。そっちの方が重いから絶対確実とはいかんがな)

 

「すまん、助かる」

 

 岩場を迂回するルートを探し出して反対側に廻りこんだグレッグ達を待っていたものはなんともぞっとするような眺めだった。

 

 半径二百メートルをゆうに超える、ほぼ円形のスクラップの小山。錆び朽ち果てたものからまだ比較的新しいものまで、数えるのがイヤになるほどの戦車、装甲車、その他ありとあらゆる車両の残骸がでたらめに積み上げられているようだった。

 

 川床の湿った空気が風となって、錆びた鉄の匂いをグレッグ達の鼻腔に運ぶ。それは生き物の生々しさこそ無かったが、血の匂いを連想させた。

 

 戦車を降りて歩き回っていると、キーロフが小山の一角を指差した。

 

「見ろよ、マイヤー。例の八輪じゃないか?どうやら当たりを引いたらしいぞ」

 

 グレッグにもその残骸が目に入る。アンディーの情報にあった装甲車に間違いなさそうだ。とすると近くにトレーラーもある筈――

 

「何だ、これは?」

 

 グレッグはすぐ脇に横倒しになったバギーの残骸が、途中から半分にむしり取られたようになっているのに気がついた。ふと注意して見まわすと、そこいら中の残骸に同じような傷痕がある。

 

 新たに一台のバギーが岩場を回りこんできて、小山の影に消える。

 

〈こん畜生、見つけたぜ! 俺のモンだ!〉

 

 歓声が響いた。あのハンターがトレーラーを発見したのに違いない。グレッグはセルゲイと顔を見合わせた。

 

「やれやれ、無駄足だったって訳か」

 

「仕方ないさ。それにしても――」

 

 残骸についた傷痕のことでキーロフに意見を求めようとしたその時、小山の向こうから魂消る悲鳴が聞こえてきた。

 

 ようやく日が沈みかけ橙色に染まった大気の中、地に落ちた影と長さを競うかのように断末魔の叫びと、車両の炎上する爆裂音が尾を引いた。

 

「何だ!?」

 

「――判らんが、とにかく戦車に!!」

 

 ハッチに駆け込む二人の目の前で、夕日を背にした巨大なシルエットが、その悪夢のような姿をスクラップの山の影から現した。

 

 そのモノの全長は軽く三十メートル。怪物としか呼びようが無い。大型の肉食昆虫を思わせる、一対のハサミ状の顎。金属質に見えるウロコらしきものに覆われた長い体には、数本の指を備えた四対の足。そいつが屑山の上に体を伸び上がらせたのだ。

 

「何だコイツは!?」

 

「くそ、全速後退!!」

 

 日焼けしたキーロフの顔が、夕映えの中であってさえ青ざめて見える。

 

 背中には扇のように広がる透明な翼。ウロコの間からは錆の欠片や粉末がザラザラとこぼれ落ちているが、体の外に付着していたのか体内から排出されてくるのかは判然としない。

 

 そいつは顎にはさまったバギーの残骸の切れ端を首の一振りで投げ捨て、鉄でできた巨大な赤児――そんなものがいたとすればだが――を思わせる叫びを上げた。

 

 操縦席でアリサは混乱していた。直視ペリスコープからの視界は狭く、暗い。突然砲塔に駆け込んだグレッグの指示どおりにギアをバックに入れて、左右の操向レバーをいっぱいに引いたものの、何が起こっているかはさっぱり判らない。

 

「なんの声なの?!」

 

 車体が後方に下がるにつれて、何か大きなモノが前方の薄明かりの中にいるのが見えてくる――もっと強い明かりが欲しい。

 

前照灯(ヘッドライト)は点けるな、アリサ」

 

 彼女の心を読んだかのように、グレッグの無情な声がヘッドホンから飛びこんできた。

 

「目の前にいるのは怪物――ドラゴンズ・ヒルの主だ」

 

「まさか……本当に……」

 

「かなりでかい目玉が頭部についてたから、視覚への依存度は高いと思う。赤外視力を備えている可能性も否定できないが、わざわざこちらから位置を教えてやることは無い」

 

「……了解、次の指示は?」

 

 なまじ目がいいだけに「見えない」ことはアリサにとっては恐ろしかった。だがこと戦闘に関してはグレッグやキーロフはプロだ。任せるしかないと自分に言い聞かせる。

 

「機関微速。そのまま敵との距離を開けろ」

 

 怪物の能力がわからない今は、グレッグとしては接近戦を避けたいようだった。

 

 

 一方、キーロフは砲塔の暗視装置をパッシブに切り替えてグレッグ達から離れ、怪物に対して十字砲火を浴びせる位置へとロジーナを移動させつつあった。

 

「堅そうだな」

 

 赤外線による熱暗視映像をユニットに解析させる限り、怪物の体表温度は内部に比べかなり低い。戦車のような装甲というわけは無いだろうが、少なくとも血の通った皮と肉は、冷たい外殻の一枚下だ。

 

(ミサイルを使ったものかな?)

 

 ロジーナの砲塔側面に装備されたミサイルの装弾数は、二発。

 

 ガンタワーの残骸から分捕った旧時代の残存兵器で、高性能の成形炸薬弾頭を持つ、貴重品だ。通常装甲に対しての貫徹力は最強だが、ごくごくわずかな戦車が装備するセラミックなどの複合材を使った装甲や、一部の生物型モンスターにはそれほどの効果が発揮されない。飛翔速度がやや遅いのも欠点だ。

 

「まずは八十五ミリ砲から試してみるか」

 

 巨体には邪魔でしかない座席類をそっくり取っ払った特別あつらえの戦闘室内で、キーロフは仁王立ちになったままそう呟いた。

 

 

 付近のハンターたちもその怪物を視認していた。だが、その多くは小口径の機関砲や機銃、火炎放射器などを主武装とする軽装甲の車輌を持ちこんでいるだけだ。敢えて身を危険にさらして戦うには、この「主」はあまりにも彼らの想像力から隔絶した存在だった。

 

「近寄るな、遠巻きにして牽制しろ!」

 

 かろうじて戦意を保てた者は、互いに交信しながら川床の悪路を駈け回る。

 ロジーナが主砲を撃ちこんだ。だが角度が悪いせいもあってか、砲弾は「主」の体表で弾かれ、あらぬ方角へ飛び去る。ハンターたちの間からどよめきが上がった。

 

(停まったら殺られる)

 

 ハンターたちの勘がそう告げている。口惜しいが近接しての戦闘は、「戦車」使いの二人に任せるしかない。だが、彼らの判断は、一つの点で大きく誤っていた。

 怪物の頭部に光がきらめいた。一条の光芒が空間を走り抜ける、錯覚のはずだが確固たる印象――

 

走り回っていた内の一台、軽快な4輪装甲車が瞬時に爆炎を吹き上げた。

 

 

〈ルーディーがやられた!〉

 

 悲痛な叫びがファブニールの通信機にも飛びこんできた。

 

「何だ今のは!……レーザー!?」

 

 考えたくないが、他に説明のしようもない。旧時代から動き回っている自動兵器には、ガンタワーのように攻撃兵器としてのレーザーを搭載する物もある。

 

 グレッグにしてもつい先だって、レーザー照準式のアサルトライフルを借り出して使ったばかりで、レーザー自体は珍しいというほどのものではない。だが生物の能力としてお目にかかったのは初めてだ。

 

 怪物――「主」の複眼が、高速で動く車輛群の一台をその宝石のような切子面に映す。せせこましく動く小さな物体――それは「主」の脳にとっては敵か、もしくはエサだ。

 視界の中で「動き」として捉えられたモノだけが、無意味な情報の中から姿を現し、その認識の対象となるのだった。

 

 筋肉から変化した発電器官に蓄えられたエネルギーが、発光器に分化した単眼から光の矢となって撃ち出され、辺りの空気をオゾン臭で満たした。叫びとともに、また一人の命が炎の花となる。

 

「畜生、またやられたか!!」

 

 グレッグは砲手座で歯噛みした。ファブニールの砲塔が油圧式の動力旋回で一周するのに、最高速で約20秒。これだけの重量の砲塔としては破格の高速といっていいのだが、エンジンの回転数に左右されるのが難点だ。

 

 接敵した状態から後退して距離を開け、照準を合わせた今この瞬間までおよそ一分。その間にベテランのハンターが二人殺された。一発の砲弾を放つ時間の代価としては、あまりに高くつきすぎる。

 

「これ以上勘定書きを釣り上げられてたまるか」

 

 怪物の動きは捕捉できないほどではない。まともな生物ならば必ず重要器官が位置しているはずの胴部を狙う。

 

「ファイアー!」

 

 排夾とともに砲塔内に噴出する発射煙。すぐに天井のベンチレーターが回り視界が晴れる。照準器の向こうでは怪物が――まだ動いている!

 

「馬鹿な!」

 

 確かに胴部には八十八ミリ徹甲弾がうがった黒い穴が湿っぽい蒸気を上げている。だが、その開口部は次第に小さくなっているようだ。「主」の頭部がこっちを向く――

 

「いかん!!」

 

 グレッグは慌てて照準器から顔を離した。万が一、あのレーザーの照射域がほんの一部でも照準器のレンズをかすめれば、レンズで絞り込まれたビームがグレッグの目を灼く事になる。――そんな事になれば無論、目をやられずともグレッグは致命傷を負うのだが。

 

 再装填の済んだ主砲をもう一発撃ちこみ、グレッグはアリサに移動を指示した。怪物の肩辺りで炎が上がり、射線を逸らされたレーザーがファブニールのすぐ横の地面を焼く。

 

(マイヤー、無事か?)

 

「……キーロフ? 今の砲撃はあんたか、助かった」

 

(ああ。榴弾を持ってきてなかったんで、ミサイルをな。ロジーナの八十五ミリ徹甲弾は弾かれちまったんだ)

 

「ミサイルか……致命傷にはなってないようだな」

 

(畜生、やっぱりか。成形炸薬で穴が開くような外殻じゃないってわけだ)

 

「一応生物らしいからな。外側から爆圧をかけて弱らせればそのうち死ぬかな?」

 

(とにかくコイツは手ごわすぎる。みんなには離れろと言うぜ)

 

「わかった。少ないが榴弾ならこっちには何発か有る。撃ち込んで見よう」

 

 とは言ったものの、グレッグにも確信はない。ファブニールの主砲で使用する、八十八ミリ徹甲弾は厳密に言えば徹甲榴弾、つまり敵の装甲を貫徹した後、内部で爆発するタイプの物だ。

 生体にそれを食らうという事は、言って見れば―刺さったナイフを中でこじりまわされるようなものなのだが、それで動きつづける相手に、外からの爆発がどれだけ効くのか?

 

 いずれにしろ、二発や三発撃ちこんで片付く相手ではない事は確実だろう。

 

(レーザー、来なくなったわね)

 

 アリサが呟いた。

「撃ち尽くしたのかな――いや、多分体内で作った電気がエネルギー源だ、無限に撃てる訳じゃないんだろう」

 

 答えながらちょうど怪物の、多少なりとも柔らかそうな腹部に照準を合わせた。これで二発目の榴弾だ。

 

 命中。外殻の上からでも内臓全体を衝撃で揺さぶられているのだろう、「主」は苦しそうに身悶えし、動きが少し鈍くなる。

 

「粘着榴弾ならもっと効いたんだろうが……それでも一応の効果はあるか」

 

 だが、次の瞬間そいつは信じがたい動きを見せた。体長の五分の二ほどに達する尾を、体を廻してファブニールに叩きつけたのだ。七十六ミリ砲の着弾など比べ物にもならない激烈な衝撃が車内の二人を襲った。

 

「!……くそ、なんてヤツだ。アリサ、怪我はないか?」

 

「いたた、ちょっと擦り剥いた。……ああ、グレッグ! 見て、あれ!!」

 

 旋回式ペリスコープからの映像がグレッグの目を射た。

 

 怪物の背中の透明な翼――カマキリなどの昆虫のものを思わせるそれが、折り畳まれた状態から一気に展開し、空気を叩いて巨体を宙に浮き上がらせたのだ。

 

「おおっ、飛ぶ!?」

 

 とっさに二十ミリバルカンの発射トリガーに指を掛けた。だが反応がない。手元の火器管制モニターをチェックすると、バルカンの項目が赤く点滅している。

 「大破」を示す表示だ。今の尻尾攻撃の際に破壊されたのだろう。

 

「いかん、空へ逃げられたら打つ手がない!」

 

 だが幸いにして、「主」は二百メートルほど飛翔したあと、少し小さな別の屑山の上に着地した。さすがに三十メートルの巨体で長時間飛行するには、羽ばたき式は無理があるらしい。他のハンターは既に怪物の目が届かない位置まで離脱していた。

 

 

 



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巨獣・5

(グレッグ、何が起きてるんだ?)

 

 通信機からガープの声がした。

 

(いかん。奴らのことをすっかり忘れていた)

 

 グレッグの額を冷汗が流れる。

 

(お仲間が何台も大慌てで飛び出してきて、ぶつかりかけた。どうしたってんだ?)

 

「うわさの怪物が出た。ドラゴンズ・ヒルの主だ。馬鹿でかくて空は飛ぶし、生体レーザーまで撃って来る」

 

(何かいるとは思ってたが、それにしてもとんでもないモンが出てきたな。……手伝おうか?)

 

「気持ちはありがたいが、無理だろ。非武装の輸送トラックじゃあ……」

 

 ちょっと待て、ジョッシュと替わる――ガープがそう言ってすぐに、ヘッドセットにジョッシュのぼそぼそした声が飛びこんできた。

 

(使い捨てのロケット砲で撃ち出す麻痺ガス弾があるんだけど、どう? かなり濃い煙を出すから、レーザーをかく乱する効果もあると思うけど)

 

「そいつはありがたいが――」

 

 いや、値段のことなど今は聞くまい。

 

「よし、買った。だがくれぐれも気をつけてくれ。ここまで来る間にヤツに察知されたら……」

 

(心配いらない。こっちで撃つよ、ここからね。トレーダーやってりゃモンスターと戦うことも、別に珍しかないんだぜ?)

 

「……解った。だが撃ったらすぐ離脱しろよ」

 

(了解、うまくやるよ)

 

 

「キーロフ、聞こえるか。今どこにいる?」

 

 通信機で呼びかけるとすぐに返事があった。

 

(注意不足だな、マイヤー。あんたの斜め後ろに回ったところだぞ。何かいい手でも?)

 

「ああ。今からガープ達が麻痺ガス弾で支援してくれる。どれくらい効き目があるか判らんが、動きはもう少し鈍くなるだろう」

 

(そいつはいい。で、とどめは俺達で刺そうって訳だな?)

 

「そうだ。射撃の腕に自信はあるか? そのミサイルの命中精度は?」

 

(何だ何だ。なけなしのミサイルを二発とも使えってか……?)

 

 その時、独特の噴射炎の尾を引いて、麻痺ガス弾頭を積んだロケットが飛来し、怪物の至近距離で炸裂した。白煙が噴き出し、「主」の周囲を包む。苦しそうに頭を振り、動きがひどく鈍くなった。

 

(まあ、議論する暇はなさそうだな、だが俺のミサイルじゃヤツの装甲には――)

 

「解ってる。俺が穴を開ける、そこにぶち込め」

 

 キーロフは半信半疑ながらも、とにかくグレッグの作戦を承知してくれた。

 

「アリサ、ファブニール前進!」

 

 「主」に対し同じ距離近づいても、ロジーナに倍する装甲をもつファブニールの方が、鉤爪や大顎に対して持ちこたえられる。レーザーはどうしようもないが、それは運を天に任せるしかない。

 煙は次第に晴れてきている。さきほどの八十八ミリ徹甲弾が怪物の胴にうがった穴が、すでに塞がりかけているのが見えた。

 

「化け物め」

 

 語尾が歯ぎしりと一つになる。

 

(よし。とびきり熱い一発をお見舞いしてやろう)

 

 「主」の側面をすれ違うように移動しながら、ファブニールの主砲が、再び怪物の胴に黒い穴をうがった。

 

 命中の瞬間、食いこんだ徹甲弾の運動エネルギーは熱に変換されて肉を焦がし、ある程度止血の役目も果たしてしまっていた筈だ。だが内部でさらに成形炸薬弾の高速メタルジェットが肉を切り裂き、重要器官を破壊したならば――

 

「今だ、キーロフ!!」

 現在の技術をはるかに越える誘導性能をもつ旧世界のミサイルは、寸分の狂いもなくファブニールが用意した通路を通り、怪物の体内へと吸いこまれていった。同時に、アリサがファブニールを限界まで加速し、離脱にかかる。

 

 川床の低地にドラゴンズ・ヒルの主の断末魔が長くこだました。

 

 

 

(――マイヤー、無事か?)

 

「ああ。済まなかったな、ミサイルを使わせてしまった」

 

(いいって事よ。あんなモンは所詮使う為にあるんだし、ミサイルより大事なものだって世の中にはいくらもあるさ)

 

「またガンタワーを狩るなら、手伝うよ」

 

 情けない。レッグは己をひどく小さく感じた。結局いつも、周りの人間に助けてもらってばかりだ。

 金やモノで済むうちはいい。いつか、誰かが命と引き換えに自分を助けてくれるような事があったら、どうやってそれに報いればいい?

 オイルにはオイル、錆には錆を――だが自分の戦いにそれほどの価値があると無邪気に確信できる程には、グレッグはもう若くはない。

 今日もそうだ。不注意と不運の結果とはいえ、三人死んだ。そして自分はトレーラーを我が物顔で乗りまわすのか。

 

 何人もの血を吸った車を。

 

 黙りこんだグレッグに、キーロフが静かに言った。

 

(何を考えてるか想像はつくがな、気に病むなよマイヤー。ハンターはいつだって、そういう稼業じゃないか)

 

 明るくなったらトレーラーを見に行こう。キーロフはそう言い終わると通信を切った。

 

 いつの間にかアリサが砲塔に上がってきている。左手の上に重ねられた小さな手を、グ

レッグはためらいながらも手のひらを上に向けて握りなおした。

 

 



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歴戦・1

第五話 -歴戦-

 

      そして戦いの果てに幸運尽きれば

      最早我ら 故郷に帰ることなし

 

      死の弾丸が命中し

      かくて我らは運命に召される

 

      その日 戦車は我らの名誉ある墓とならん

 

      (ドイツ戦車兵の愛唱歌「Panzer Lied」より)

 

 

 

「おかしいな。また外れた」

 

 これで五発目だ。照準器の中心に捉えたはずだったにもかかわらず、砲弾は停車した目標にかすりもしない。

 飛来した敵の砲弾が防盾に跳ねて、砲塔が揺れた――いやな音だ。かなり重い弾なのだろう。

 

 過ぎ去った雨季の最後の名残か、低くたれこめた灰色の雲からはまばらな雨が降り注ぎ、辺りには金属の腐蝕する匂いと、薄い煙が断続的に立ち込めていた。

 鈍重な車体を時折わずかに動かし、敵の射線をずらす試みを続けながら、グレッグは小雨の中、敵とかれこれ五分ほど対峙していた。カメラ越しの視界は何もかも灰色に沈み、照準器の向こうの敵もただ黒い影にしか見えない。

 

 遠くの山の稜線に、時折稲妻が走る。あの辺りは豪雨かも知れない。

 

(距離1500。これ以上は危険だな)

 

 正体不明の敵戦車の主砲は、最近出会ったモンスターの中では特に強力なものだった。AT(自動戦車)なのか有人の物なのかも判らないし、これ以上接近されるといかにファブニールの装甲といえども、貫通される可能性が高い。

 

「アリサ、後退だ」

 

〈了解!〉

 

 前部フェンダーの近く、新たに取りつけた発射器から発煙弾を一個射出すると、ファブニールは煙にまぎれて敵の射界から逃れ、急速離脱した。

 

(今日のところは見逃しといてやる)

 

 ここから一番近いのは、以前に立ち寄ったことのある水源の町だ。

 

「オクタポンドに向かうぞ。――ひさしぶりにたっぷりの湯で体を洗おう」

 

〈賛成!洗濯もしなきゃね、もう服が塩でザラザラ〉

 

 操縦席でアリサが歓声を上げた。

 トレーラーをレストアする費用を稼ぐために、グレッグ達は久々に橋を渡って、川の南側へ舞い戻っていた。この辺りでは最近、また自動兵器の目撃例が増えている。

 

 だが困ったことにどうにもファブニールの調子が良くない。主砲が当たらないのだ。

 

(俺の射撃の腕が落ちたのか?)

 

 一時はそうも考えたが、その可能性はできれば否定したかった。射撃精度はハンターのプライドと稼ぎにかかわる問題だ。

 

 ついこの間までは、ファブニールの長大な88mm砲は、高初速と優れた弾道低進性によって、グレッグの要求によく応えてくれていた。 だがこの頃は、撃った弾の四割もきちんと当たれば良い方だ。千メートル前後の射程においてすら、である。これはファブニー

ルのような足の遅い重戦車にとっては命取りになりかねない。何度となく照準器も微調整したのだが、命中率の低下は次第にひどくなるばかりだった。

 

 

「音が変なのよね」

 

「女湯」との間を隔てる仕切り壁の向こうから、アリサの声がした。反響の良い作りの浴場の中では、ギョッとする程大きく響く。

 

「音?」

 

「主砲の発射音よ」

 

 早い時間のせいか、浴場の中には二人の他には誰もいない。最近この町にできたニホン式公共浴場――「セントー」で、二人は旅の垢と疲れを洗い流していた。

 

 トレーダーや定住の商人たちの中には、グレッグたちの使うアングリックとは違う、「チン・ピンニン」と呼ばれる言語を操る集団が存在する。彼らは特異な文化と慣習を持っていることで知られるが、その中でも「ニホン式」と総称されるやや傍流の系統が頑固に受け継がれているグループがあった。

 

 グレッグも昔使ったことがある「ドス」と呼ばれる反身の鋭利なナイフや、インテリアとして珍重される、大きなブラシで紙に描いた表意文字。そしてこの「セントー」などが、代表的な「ニホン式」文化の産物だ。

 

 桁外れに大きな造り付けのバスタブに大量の湯をたたえて使うこの方式は、一見贅沢なように思える。だが、体はバスタブの外で洗い、湯を汚さないように使うために、燃料さえ豊富にあれば水資源の節約の観点からもむしろ経済的といえる。

 

 狭苦しい戦車の中でガチガチに凝り固まった体を、存分に延ばして湯で温め、疲れを取り除いてくれるセントーは、ハンター達の間でこのところとみに人気があった。

 

「発射音がどう違うって?」

 

 今日替えたばかりだという新鮮できれいな湯を顔にはねかけながら、グレッグは聞き返した。

 

「前はもっと甲高い音だったような気がするわ、それに――撃った瞬間に車体がギュッとねじれるような感じがしてたのが、最近弱くなったみたい」

 

「本当か?よくわかるもんだな」

 

 ドポン、と水音が響く。続く一瞬の沈黙のあとで、アリサが呆れたように返した。

 

「……ファブニールが立てる音を耳で聞けって、前に言ってたくせに」

 

 こいつは一本取られた。

 

「……主砲を撃つことに慣れすぎてたらしいな。上がるぞ。着替えたら――」

 

 脱衣場に出ながら振り向いて、浴室へ叫んだ。

 

「修理ドックへ行って詳しく検討しよう」

 

 血行が良くなったおかげか、右膝の古傷もいつものように痛まない。この調子でしばらくセントーに通い、温浴を繰り返せば完治するのではないかとさえ思う。

 

 どこから持ってきたのか、脱衣場の壁には傷の入った大きな古い鏡が取りつけられ、室内を実際より広く見せている。パンツ一丁で立つグレッグの姿もそこに映っていた。

 右膝の傷と、左肩の色の薄れた傷痕。眉間の深い縦皺と、半白に変わった髪。ジェインの死以来、急速に老けこんだような気がする。

 

 着替えを済ませ、ため息とともにセントーを出た。白い肌を桜色に上気させたアリサが、乾いた風に髪をなぶらせながら、Tシャツに短パン姿で待っていた。

 

 

「この砲はもう寿命だね」

 

ファブニールを預けた修理ドックの女親方は、砲尾からライトで内部を照らしながら丹念に検分した後、駐退器のシリンダーを平手ではたきながらそう言った。

 

「寿命……?」

 

「大砲に限らず、実弾火器には砲身命数ってのがあるのさ。硬い弾を高初速で何発も撃っているうちには旋条も磨耗するし、肉厚の薄い滑腔砲なら熱やガス圧で膨れて歪んじまう。早い遅いの違いはあっても、いずれにせよ弾をまっすぐ飛ばすことができなくなってお終い。砲身は取り替えるしかなくなるんだよ」

 

 グレッグは呆然とした。そういう現象が起こると聞いた事はあったが、こんなにも早くその時が訪れるとは。

 

「まだ百発も撃っちゃいないのにか……ペトラで積みこんだ弾を撃ち尽くしてもいないのに」

 

「砂の中に何年も、いや、何十年も埋まってたんだろ? その前に使ってたヤツがどんな使い方をしてたかなんて、知れたもんじゃないさね」

 

 成る程、納得できる見解だ。なら、後は現実的な問題だけ考えることにした方がいい。

 

「この砲身の替えは手に入るかな?」

 

「どうかねえ。71口径の88mm砲なんて初めて聞いたぐらいだ、望み薄だね」

 

 88mm砲自体はさほど珍しいというほどの物でもない。つい最近キーロフが教えてくれたが、都市の防壁周りに設置されている例などもそれなりにはある。

 ただ、その種のものは大体56口径、つまり砲身長が内径のおよそ五十六倍で、ファブニールの主砲よりもだいぶ短い。

 

「砲架ごとはずして56口径に丸替えしちゃどうだい? 砲弾も手に入れやすくなるよ」

 

「そいつは論外だ」

 

 グレッグは即座に首を横に振った。56口径も無論強力な砲には違いない。だが、初速も有効射程もファブニールのものより格段に落ちる。結局接近しなければならなくなるのでは、現状とたいした変わりがない。

 

「命と稼ぎがかかってるんだから仕方がないんだろうけどさ、無理を言っても始まんないと思うけどね」

 

 結局、親方には手数料だけを払ってドックを後にした。

 

「困ったわね。何かいい方法がないかしら?」

 

 アリサが歩きながら首をかしげる。グレッグはそれに応えないまま考えこんだ。

 

 何かあるはずだ。いや、何かあって欲しいと自分が思っているだけかもしれないが、それにしては気になる事がある――

 

「問題は……砲弾なんだ」

 

「え?」

 

「ファブニールがペトラを出るときに積みこんだ砲弾は86発。フル搭載だ。修理ドックのギルバート親方が餞別に呉れたんだが、あれはどう考えても流用品なんかじゃない。ファブニール――いや、71口径88mm砲の専用砲弾に間違いないんだ」

 

 それだけまとまった数の砲弾が、偶然で存在したとは考えにくい。

 

「同じ砲を使う戦車がどこかに在った、って事になるわけね?」

 

 アリサが目を輝かせた。

 

「ここからペトラへはさほど遠くない。ファブニールで移動しても問題ないだろう」

 

 ギルバートが71口径を秘蔵していたりすれば万々歳だ。そこまで都合よくは運ばなくても、手がかりくらいはあってもおかしくない。

 

「すぐ行こ! 私、ツナギ取ってくる!」

 

 アリサが駆け出した。出掛けに宿のカウンターに頼んだ洗濯物は、乾燥ぐらいまでは終わった所のはずだ。

 

 雨季の後、今のこの季節は日が長い。風は珍しくぴたりと止み、強い西日が澄んだ空を薄いジンジャーエールの色に染めている。ファブニールは砂塵を低く捲き上げ、緩やかに黄昏へと向かう長い午後の中を南へと走った。



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歴戦・2

「グレッグ、緊急停止!」

 

 砲塔で周囲警戒についていたアリサが、停止を指示してきた。

 

「どうした?」

 

「またいるわ。あの戦車よ、こっちに気づいてはいないみたいだけど」

 

「ちょっと見せろ」

 

 グレッグは砲塔に上がり、アリサの手から双眼鏡をもぎとった。

 

 距離、およそ2500。双眼鏡の倍率と視野に占める大きさからの目測だが、これが狂っているとすればよほど巨大か、逆に小さいか。いずれにせよ、まずまともな戦車ではないということになる。

 

「逆光でよく見えんが、確かに例のヤツのようだ。側面からだとかなり大きいな」

 

 それの車体上部には、かなり大きな箱型の区画があった。可動部があるようには見えないから、多分固定(ケースメート)式戦闘室だ。

 

 いずれにしろ今は相手にできない。おととい食らった命中弾の衝撃からすると、敵の備砲は百ミリ以上と予想できる。ファブニールの主砲が当てにならない今は、勝ち目はなかった。

 

「お、動いたぞ……高台の向こうへ消えた」

 

 どうやら気づかずに行ってくれたようだ。 本来の緑系の塗装でなく、この辺りの泥をオイルで溶いたものを上から荒っぽく塗っていたのが、功を奏したのかもしれなかった。

 

「助かったわね」

 

 

「何にしても物騒だ、先を急ごう」

 

 

 ペトラに着く頃にはすっかり日が落ちていた

 

 

「グレッグか! 久しぶりだな、調子はどうだ?」

 

 

 町に一つしかないドックに入るなり、ギルバートの手荒い抱擁で歓迎されて、グレッグは目を白黒させた。

 

「オクタポンドでは無茶をやったと聞いたぞ? 全く呆れたやつだ、機動戦もできんのに五台も相手取るやつがあるかよ」

 

 唐突に半年以上も前の話をされて,グレッグは面食らった。整備士見習の少年の助けを借りて、武装盗賊を装ったデュランの部下達と砲火を交えてから、もうずいぶんになる。あのころに比べるとファブニールでの戦いもずいぶん楽になったものだ。

 

「よく知ってるな、誰から聞いたんだ?」

 

「お前さんといっしょに戦った、可哀想な小僧からさ!」

 

「トミーか? まさか、ここにいるのか?」

 

「いや、先週までここで働いとった。生意気だが筋のいい小僧だったな。稼ぎ貯めたカネを握ってフォンダへ発ったばかりだ」

 

「フォンダだって?」

 

「ああ。勉強して一級整備士の資格をとるって言ってな」

 

 完全にすれ違った形だ。だがグレッグは妙にうれしくなった。誰しもそれぞれ自分なりの道を進んでいるのだ。

 そういえば、あの少年はファブニールを「世界最強」にしてくれると豪語していた。

 

(本気であのドックを再建する気かもしれんなあ、トミーのやつ)

 

 そのときはせいぜい贔屓にしてやりたいものだが。

 

「そちらの可愛らしいお嬢さんはどなたかね、グレッグ。紹介してくれんか?」

 

 ギルバートがアリサに目を向け、言葉と表情の両方でグレッグに説明を求めてきたのが分かった。

 

「ああ、彼女は――」

 

「アリサ・スチュアートです。グレッグの専属メカニックよ」

 

 言葉を遮って割り込んだアリサに、ギルバートが目を丸くした。目配せと手招きでグレッグだけを片隅に呼び寄せる。

 

「……乗客かなんかかと思えば、専属メカニックだと? とてもそうは見えんぞ。なあグレッグ、わしはお前さんの事が好きだ。そんな器用な真似ができるとも思わんし、思いたくないが――わしにも年頃の孫娘が一人いる。もしあんな娘をたぶらかして、いいようにしてるんなら……その」

 

(またこれか)

 

 グレッグはうんざりした気持ちになった。無論アリサに対して、何もやましい気持ちが無いとは言いきれないのだが――

 

(ええい、誰も彼も皆、そんなに俺が助平親父に見えるってのか)

 

「ギルバート、はっきりさせときたいんだが……」

 

 親父の方へ向き直った視線の、さらにその先に、アリサがいた。

 

「全部聞こえたわ、ギルバート親方」

 

 笑顔だが目は笑っていない。

 

「グレッグをそんなふうに言うのは私に対しても侮辱よ。……謝罪して下さる? 彼はそんな人じゃないわ。知ってるでしょ」

 

「……わ、わかった。済まん、あやまるよ」

 

 アリサの剣幕にギルバートはひどく慌てて、機械油まみれの帽子を手に取って頭を下げた。

 

「……解ってくださればいいんです。私だってグレッグのことは好きだわ。たぶらかされるのも悪くないって思えるくらいね」

 

 その一瞬、夜に咲くサボテンの花を思わせるような笑みが嫣然と彼女を彩った。次の瞬間には、それは紅潮した頬の色にかき消されてしまったが。

 

 アリサは自分の発した言葉に少し動揺した様子で、先に帰ってる、と言い残して宿へと向かった。二人の男はそれを無言で見送った。

 

「……たまげたな。また堂々と告白してくれたもんだ」

 

 グレッグはふう、と息をついた。ギルバートが恐ろしげに口を開く。

 

「どういう娘なんだ? あの目を見たときは寿命が縮んだかと思ったぞ」

 

「その印象は間違ってない……キレたら最期、手加減不能。完全殺戮の破壊の女神さ」

 

 帰る時の様子を見るとごく当たり前の、恥ずかしがりな女の子にしか見えなかったが、それは彼女のごく一面に過ぎない。

 

「お前さんはどう思っとるんだ?あの娘のことを」

 

「いわく言い難い、って感じだな。だが、彼女が居てくれるおかげでずいぶん救われてる」

 

「ふふん……世間ではそういうのを何と呼ぶんだったっけな? まあいい、ただ顔を見に来たわけでもなさそうだし、本題に入ろうじゃないか」

 

「その事なんだが」

 

 グレッグはペトラへ舞い戻る事になった今回のいきさつを、かいつまんでギルバートに説明し始めた。

 

「なるほどな、砲弾か」

 

「うん。あんたはあれを迷いもせずに出してきたよな?」

 

 ギルバートの皺ばんだ瞼に囲まれた瞳の奥が、ひどく遠くを見る色になった。

 

「……期待してるところすまんが、ここに71口径は無い。だが、砲弾の出処には心当たりがある。少し長い話になるが付き合ってくれるか?」

 

「勿論だとも、ギルバート。夜はまだこれからだし、俺には他に選択の余地は無い」

 

 ――よし、じゃあ腰を据えていくか。

 

 ギルバートはそう言いながら奥の戸棚の方へ行き、マグカップを二つと琥珀色の液体の入ったガラス瓶、それにポットと、口金の部分を紙で包んだ広口瓶を手に戻って来た。傍らのドラム缶をテーブルに見たててそれらの道具を並べ、粗末な椅子を二脚据えてグレッグを招いた。

 

「お前さんは酒が駄目だったな。驚くなよ、少し香りが飛んでるが、こいつは本物のフリーズドライ・レギュラーコーヒーだ。この間通ったトレーダーが私物にするつもりで持ってたのを見つけて、無理を言って買い取ったのさ」

 

「そいつはすごいな。高かったんじゃないのか?」

 

「なに、今のご時世、金やそのほかの値打ちモンをいちばん握ってるのはハンター相手のわしらドック職人だよ。コイツはユニット用のメモリー三個と交換だ、安い買い物さ。」

 

「そうか。あー、実は本物のコーヒーは初めてなんだ」

 

 グレッグは、あまり丈夫でない自分の胃袋を気遣ってギルバートに告げた。

 

「薄目で頼むよ」

 

 

 カップの底で湯を注がれたコーヒーが立てる独特の香りが、修理ドックのオイル臭を押しのけて拡がった。これで香りが飛んでいるというのなら、もとはどれほど芳醇であったことか。

 

「わしはこれを飲らせてもらう」

 

 ギルバートのマグカップにはビンの中の液体が注がれ、これもまたえもいわれぬ香りを辺りに漂わせた。

 

「……くそ、酒が飲めないのがこんなに悔しいのは初めてだ」

 

 ぼやきながら、自分のマグカップからコーヒーを口に含む。柔らかな苦みとほのかな酸味、そして鼻の奥に温かくたちこめた、郷愁を誘う炉辺の空気――

 

「美味い……!」

 

 そうだろう、そうだろうとギルバートは自分の手柄のように満足げに笑った。

 マグカップの液体を舌の上に転がすように味わい、半ば目を閉じて息を吐くと、ギルバートは話し始めた。

 

「あれはもう40年も前になるかな、わしが親父の見習いについて、このドックで働くようになって間も無い頃だ―」

 

 

         * * * * * * * *

 

 

「父さ――親方は留守だよ」

 

 ガレージの外に立った誰かのせいで急に手元が暗くなって、少年は少し不機嫌そうな声をあげた。

 

「修理かい? それとも……」

 

 足を開いて腰を下ろし、座り込んだそのそばには灯油を満たしたバット、その中にドブ漬けになった中古の点火プラグ。

 

 荒野を旅するトレーダーたちが乗る車は、大体いつも極限状況の中に有る。慣れない乗り手、迫るモンスター。

 砂にはまった僚車を救い出すために、ちぎれそうなほどに張り詰めた牽引ワイヤー。 

 アクセルを吹かし過ぎたせいでプラグが煤だらけになって、点火が上手く行かなることなど日常茶飯事だ。そんな時はこうして精油のなかで汚れを落とし、ブラシで丁寧に洗って再生してやらねばならない。

 

 工業生産がまともに行われていた旧時代なら新品のプラグに交換する所だが、いまやそんなものはフォンダ市あたりで大枚をはたくか、危険を侵して廃墟や放棄された施設に踏み入らなくては手に入らない。

 

 

「留守でもいい、大した手間は掛からないよ。君、名前は?」

 

 横幅のあるがっしりとした体格のその男は、見かけよりずっと若々しく聞こえる声でそう訊いてきた。この十年程で増えてきた、モンスター退治を生業にする男たち――ハンターの一人なのだろうと、少年は見当をつける。

 トレーダーが自衛用に持っている小火器で対処できないような、大型の変異生物や自動兵器を倒すために、戦車や装甲車といった戦闘車輛を操る、荒っぽい賞金稼ぎ達だ。

 

「ギルバートだよ。……おじさんは、誰?」

 

「ハンターさ――いや、ハンター『だった』だな。十日前に廃業したんだ――」

 

 

         * * * * * * * *

 

 

「……目的地までもうちょっとのところで車の燃料が尽きたって話だった。で、余剰の砲弾を担保に金を借りたいと言ってきたんだ」

 

「で、貸したって訳か」

 

「ハンターオフィスの機構が今ほど整備されていなかった昔のことだ、まあ事実上、買い取りだよな。外にはトラックが一台入ってくるところで、荷台の上には砲弾八十六発が、生活用品と一緒に積まれていた……助手席にはその男の女房だって言う若い女が乗ってた。今でも忘れられんよ、ありゃあどえらい美人だった」

 

 まだ少年だったギルバートは、その女の美しさに見とれてぼんやりとしてしまったのだった。

 査定表を見ながら、その男に規定どおりの金額を貸す手形を切ってやった。オフィスに持ち込めば発行主――この場合はギルバートの父を保証者として、記載の額を受け取れるものだ。

 

 額面にして800G。妥当な取引の筈であったが、少年は後で父から厳しく叱責を受けた。その見たことも無い大口径の砲弾を撃てる大砲は、知りうる範囲に一門も存在しなかったからだ。

 

「さほどの額じゃない、し砲弾が売れれば確かに金はすぐ戻ってくる、だがどこにも無い大砲の弾なんぞ誰が買うんだ、ってな。何発も殴られたよ。以来四十年、わしはあの砲弾の木箱を見ては、そのときの失敗を思い出して戒めにしたのさ。おかげでそれから商売でしくじった事は無い。あの砲弾はわしにとって、ある種のお守りだったってわけだ」

 

「なるほどな。教訓を得る授業料ということか……だが、その男はいったいどこに行ったんだ?」

 

「百キロほど北に住む兄のところに、夫婦で身を寄せると言っていた。探し出して文句を言おうと何度も思ったが、ドックはずっと繁盛して暇もなしさ。お前さんがあの戦車を持ち込んで、件の砲弾が主砲に合うことが判ったときは、心底自分の正気を疑ったよ」

 

「――ちょっと待った」

 

(百キロ北、だと?)

 

 グレッグの頭のなかで何かがカチリと音を立てて組み合わさり、ひとつになった。半年前、アンディーがこの町の酒場で酔っ払って喋っていた事――

 

「ハツブクカン――」

 

「なんだって?」

 

「いや、間違えた。博物館だ。百キロ北といえば、アンディーが以前立ち寄ってファブニールの情報を聞いた、戦争博物館がある」

 

 すっかり忘れていた。アンディーの話では、そこは大昔の戦争の記録を収めた場所だという。四十年前の男が向かった先は、その博物館である可能性が高い。旧式戦車であるファブニールの替えの部品も、そんな所にならあるいは残っているのではないか――

 

「よし、明日発とう。博物館に行ってみる。恩に着るよ、ギルバート。まだそのハンターが生きてたら、あんたの事を話してやろう」

 

 何か言伝はないか、と聞くグレッグにギルバートは答えた。

 

「そうだな……ありがとうと伝えてくれ。嫌味ではなく、な」

 

 立ちあがってドックを出るグレッグの方を、ギルバートはもう見ようとしなかった。秘蔵のウイスキーに酔って船を漕ぐその肩には、グレッグの手で仮眠室の毛布がすっぽりと掛けられていた。

 



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歴戦・3

 変異植物の貧相な群落でまばらに覆われた岩山の間を、履帯をきしませながらファブニールが進んでいく。

 

 アリサは今日も操縦をグレッグと交代し、砲塔のハッチを開いて周囲を警戒していた。いつものサンバイザーだけでこの晴天の下を行くには日射病の危険があるため、彼女の頭には白くさらした厚手の布でできた、頭巾状の物が載っている。

 トレーダーが良く使う、「エジプト人(エジプシャン)」と呼ばれる簡素な帽子だが、軽くて通気性が良い上に、要所には防弾メッシュや金属繊維が組み込まれており、そこそこの防具としても使える物だ。

 

 砂塵よけのゴーグルまでつけると鼻と口しか見えないが、アリサの整った造作はその分余計に引き立って見えた。

 

 ハミングで歌っているのが聞こえる。「ルート99」だ――オリジナルの方の。

 昨晩の告白が思い出された。グレッグが家族や近しい者にしか教えていない歌を歌っている彼女は、やはりそう言いたいのだろうか?

 

「あなたと私は家族よ」と。

 

(そんなに簡単じゃない)

 

 心の中でそう呟いた。

 

(出来ることならアリサ、君と一つになりたい。娘や妹でなく――)

 

 グレッグはいつのまにか自分が、アリサを一人の女として意識していたことに思い至って、軽い驚きを覚えた。

 

(だが俺の本来の家族は―奴らにぼろ切れのように引き裂かれ、奪われた。あの日以来、娘のリサは行方もわからない。多分もう生きてはいないだろう。ああ、リサはまだ五歳になったばかりの子供だったんだ)

 

(俺は生きるよりどころのすべてを失った。ジェインを殺され、右膝を砕かれ、男であることすら覚束ない。今は復讐と、そして――)

 

 

「グレッグ!」

 

 アリサの声がヘッドセットから響いて、グレッグの築いた不明瞭な思考の迷宮を消し飛ばした。

 

「二時方向にかなり大きな建物の屋根が見えるわ。あれじゃないかしら?」

 

 全周旋回式ペリスコープの映像が操縦席のモニターに送られる。グレッグもその建物を確認した。博物館というよりは待避壕のような、灰色の塊。打ち放しのコンクリートと強化ガラスらしき透明なパネル。

 

「間違いないだろう。このまま接近する」

 

 崩れたゲートの上、板切れと鉄パイプで作りなおしたらしい看板に、青いペンキで描かれた「ホワイトリバー軍事博物館」の文字が見て取れる。

 ちょうどゲートをくぐったとき、奥の建物から走り出てきた人影が 感に堪えかねたように両腕を高く掲げ、叫んだ。

 

「ファブニール!? まさかまた会えるとは!!」

 

 それぞれのハッチから頭を突き出して顔を見合わせた二人の前で、その年老いた男は禿げ上がった頭を振りながら、ファブニールのフェンダーに頬擦りをした。あっけにとられる二人を見上げると、彼は心外そうに肩をすくめて見せた。

 

「……そんなに驚かんでも良かろう。このファブニールは元々、ここに展示されていた戦車の一台なのだ」

 

 老人は呆れ顔のグレッグたちにそう語った。

 

「まあ中に入りなさい。ここは暑いし、ファブニールで来たとなれば屋外駐車などさせるわけにはいかんからな」

 

 老人の案内でファブニールを地下の搬入口に駐車し、その後は歩いて博物館の奥へと進む。老人――館長は、コンラッドと名乗った。もう五十年ほど、ほとんど一人でこの博物館を管理しているのだという。

 

 建物の中は意外に広かった。空気はひんやりとして、外が砂漠地帯の夏を迎えていることなど、嘘のように思える。

 

「見物に来る者など殆ど居らんからな。暇な物さ。たまにハンターオフィスに頼んで、手の空いたハンターやトレーダーに生活物資を配達してもらうこともあるが、それも半年かそこらに一回だ」

 

 アリサが、あきれ果てたと言いたげに声を上げた。

 

「どうして五十年も、そんな暮らしを?」

 

「……世を捨てる人間にはそれなりの理由がある。そして、それを自分だけの胸にしまいこむ理由もな」

 

 そう答える老人は振り返ることなく、グレッグ達の二メートルほど先をすたすたと歩いた。その姿は奇妙に小さく、萎びて見える気がする。

 

 グレッグは気になっていた問いを口に出した。

 

「弟さんがいると聞いたんだが――」

 

「ずいぶん懐かしい話をしてくれる。正確にはわしの妹と、その連れ合いだ」

 

 コンラッドが立ち止まって、遠くを見る目になった。

 

「……義弟は妹が出産する直前に事故で死んだ。一年経たぬうちに妹も、子供を残して後を追ったよ。元々あんまり丈夫な体ではなかったし、夫を失ったのがこたえたのだろうな」

 

 床に落ちていた小さなネジか何かがグレッグのつま先に当たり、カラカラと音を立ててどこかへ転がって消えた。

 

「済まない、館長。悪いことを聞いてしまった」

 

「何、かまわんよ。もう四十年も前のことだ。よかったら帰りに二人の墓に花でも供えてやって呉れ。妹達も喜ぶだろう」

 

 そういいながら、コンラッド館長は突き当たりの重そうな扉に手を掛けた。

 

「ようこそ、ホワイトリバー軍事博物館・主展示室へ!!」

 

 

 扉の奥に現れた空間は、壮観としか言いようがなかった。大きな修理ドックを更に十倍ほどにしたほどの規模で、壁と天井はつや消しの塗料で白く塗り上げられている。

 天井の高さは十メートルほどあり、二階フロアを貫いた吹き抜けの上には半透明な――恐らくは強化ガラスだろう、パネルがはめ込まれた天窓があって、そこから柔らかな光が差しこんでいた。

 

 そして。

 

 三十台ほどの、大小さまざまな種類の戦車やその他の装甲車輛と、牽引あるいは据付式の重火器類――機関砲や野砲、対戦車砲などが所狭しと並べられ、木漏れ日の下でまどろむ獣のように息を潜めて鎮座していた。

 

 幾つかの懐かしい車種もそこにはあった。グレッグがかつて愛用した「マムルーク」と同タイプの六輪装甲車。ペトラまでファブニールを牽引するのに使った物に良く似たハーフトラック。

 車台だけだが、ファブニールに良く似た転輪配置のやや小さな戦車もあった。おそらく以前パインブリッジでみた映画に登場したタイプ、「パンター」だろう。

 

「すごい。これまさか、全部動くの?」

 

 目を輝かせて展示室を見回すアリサに、グレッグは半ば呆然としながら答えた。

 

「――だとしたら犯罪だ、これは! これだけの戦車(クルマ)があれば、この辺りの主だったハンター達が、みんな乗り込める。町々の防衛や交易路の安全確保が、どれだけ楽になるか――」

 

 言い募る声がひどくしわがれ、かすれているのが自分でも分かる。

 

「そいつはできん相談だな」

 

 コンラッドは二人を振り向いて、にやりと笑いながらそう言った。

 

「ここの戦車は殆どが外形だけで、砲もその多くはダミー、エンジンすら積んでいない物が殆どなのだから――ああ、そんな顔をするな。ファブニールはまあ、数少ない例外なのだよ」

 

「どういうことだ……?」

 

「別に難しい理屈があるわけではない。義弟はここを見つけて何度か足を運ぶうちに、妹と恋仲になった。ずるずると家族同様の付き合いになれば、わしも便宜を図ってやらない理由はなかった。強力なモンスターとの戦いでも生き残れるように、彼にファブニールと、たまたまセットで存在していた砲を与えた――エンジンは彼が手に入る中で一番強力なものを運び込んで乗せたが、それでもやや力不足だったのは否めなかったな」

 

「つまり、身内びいきってやつか……」

 

 半ば呆れながら、続きを促す。コンラッドはゆっくりと首を左右に振りながら言葉を継いだ。

 

「結局はエンジンばかりではなく、何もかも足りなかったのだ。当時、我々が持つ工業力は大破壊前で言う1930年代のレベルにまで落ちこんでいた。あれを牽引できる車輛もなく、いざというときに修理できる者もいなかった。それで、戦闘で損傷、擱座したファブニールを、義弟は砂漠にうずめるしかなかったというわけだ。彼の戦歴はそれで終わった」

 

 グレッグはふと首を傾げた。アンディーから以前聞いた話とは大分違う。では、ファブニールは大破壊前の戦争で使われた戦車ではなかったのか?  

 

「その、砂漠のあのあたりで昔、戦争があったというのは……」

 

「ああ。そうか、君は以前ここに来た運び屋から情報を得たのだな? あの男がやたらと遺棄戦車の情報を知りたがるので、適当な砂漠戦の映像に、展示していたころのファブニールを撮ったものをつなぎ合わせて、見せてやったのさ。それ以上の責任も義務も、わしにはないと思っていた。まさか本当に掘り出すとは思わなかった」

 

 そこまで一気に語るとコンラッドは骨ばった指をグレッグに突き付けて言った。

 

「だが今日、君はここに来た! 義弟の足跡と運び屋の伝をたどり、かつての義弟を思い起こさせる姿で。見目麗しいパートナーを連れ、見事に蘇ったファブニールと共に現れた……ならば、わしも蘇らねばなるまい。さあ、言ってくれ、何が欲しいのだ? 何を求めてここに来た?」

 

 グレッグは老人の気迫に圧倒されながらも、正面から答えた。

 

「新品の71口径が――88mm砲が要る」

 

「ああ。なるほど……」

 

「砲身命数っていうのが終わってるらしいの、今搭載している88mmは。グレッグにはどうしてもファブニールの力が必要なのに――」

 

 アリサが傍らから食い下がる。コンラッドはややあって静かに息をついた。

 

「……良く来てくれた。71口径は恐らく、ここ以外では手に入るまい。奥へ進みたまえ、いい物を見せてあげよう」

 

 入ってきたときのドアとは反対側、主展示室の奥には、おそろしく大きなシャッターがあった。高さ五メートル程、幅も同じくらい。

 シャッターの右手下方、ボタンの並んだパネルから察するに動力式で開閉する物のようだ。

 

「この奥へ?」

「そうだ。そのパネルにPASSコードを入力して、『OPEN』のスイッチを。コードは『194555』だ」

 

 言われるままに操作するグレッグの前で、埃と錆びた鉄粉を捲きあげながら巨大なシャッターが開いていった。



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歴戦・4

 立ち込める埃の渦と、淀んだ空気に混ざった古オイルや塗料の悪臭に、グレッグは口元を袖で押さえて顔をしかめた。

 

「ひどいな、こいつは……」

 

「何せ三十年ほど開け立てしとらんからな。さあ、この奥はこの博物館最大の秘密区画――展示車両のための復元工房だ」

 

 先ほどの展示室よりはやや狭いが、それでもかなりの広さを持つ薄暗い部屋。

 天井からは大小幾つかのクレーン装置が奇怪な果物のようにぶら下がり、あちこちの片隅には鋳造された物やプレスで打ち抜かれた物など、さまざまな種類の資材や部品が積み上げられて、鈍い光を放っている。

 

 その間に巨体を横たえる、一台の戦車があった――いや、正確には自走砲というべきだろうか。ファブニールとは対照的に転輪の数が少なく、簡素な印象を受ける車台。その上にほぼ箱型の巨大な固定戦闘室が後部寄りのレイアウトで設けられ、前面装甲から主砲が無造作に突き出していた。

 

「これは?」

 

「ファブニールよりもほんの少し古い時期に設計された重駆逐戦車だ。無論ここで建造したレプリカだが、ハンターオフィスへの登録形式名は『マンムート』、この博物館でのコードネームを『フェルナンド』と言う」

 

 グレッグは老人の説明をうわの空で聞きながら、その主砲を凝視した。ファブニールの物と寸分違わぬそれは、間違い無く88mm砲だ。71口径の長砲身を誇る、ファブニールの牙。

 

「あれを……くれるのか?」

 

「こいつとファブニールで砲を交換すればいい。展示車両に積む砲は、形さえまともなら事足りるからな」

 

「……判らないな」

 

 グレッグはぽつりと呟いた。コンラッドがいぶかしげに振り返る。

 

「何がだね?」

 

「これだけの戦車を建造していながら、なぜ『展示車両』なんだ? 実用可能な大砲が作れるなら、エンジンだって作れるんじゃないのか。察する所、この博物館の技術は大破壊前に近い水準のようだが――」

 

「――ああ。君はこの世界で人類が置かれてる状況を、あまり知らんようだな」

 

 老人は皺の奥から鋭い光をたたえた目で、グレッグを見据えた。

 

「……まあ、実際その通りだ。十五の年まで家畜同様に暮らしていたし、その後も戦車や兵器のこと以外は最低限しか学ぶ機会がなかった」

 

 グレッグは静かにそう答えた。

 

 コンラッドはぷいと『フェルナンド』の方へ向き直り、グレッグから顔をそむけて話しつづけた。

 

「……端的に、大雑把に言えば大砲はしょせん鉄のパイプに過ぎん。一方、エンジンは絶えず回転して摩耗し、高熱にさらされて機械的負荷にあえぎ続けるものだ。実用に耐える物を作るには、大砲よりも遥かに高度な技術が必要だ。88mm砲を作ったドイツ国でさえ、当時は敵国の戦車が装備したアルミ製ディーゼルエンジンをコピーすることができなかった」

 

「そういうものなのか」

 

「うむ……で、この博物館の目的というのは人類の培った軍事技術の数々を収集し、評価し、現在の我々に再現および運用が可能な物から順次、フォンダ市のような工業都市を通じてフィードバックする事だ。そして、このフェルナンドやファブニールは、建造しては見たものの、当時すぐに一般に普及させるには運用が難しい車輛だったことは、さっき話した通りだ」

 

 ――現在は、それほどでもないがな、と老人はつぶやくように引き取った。

 

 そうか、とグレッグは納得した。四十年前の時点でファブニールを使った館長の義弟は、故障したらそれっきりと割りきって持ち出すしかなかったのだろう。

 今はどうにか修理ができる。彼の不運は、転じてグレッグ自身には幸運となった。

 

「今こそが、ファブニールが真価を発揮できる時代、ってことか……ならば、このめぐり合わせに感謝しよう。コンラッド館長、71口径88mmを、ありがたくいただきます」

 

 自然に敬語になった。

 

「うむ。さて、そうと決まったらここへファブニールを持ちこまねばならんな」

 

 老人は工房奥の一角を指差した。

 

「あの奥に車両用のエレベーター・リフトがある。上まで上がると、さっきファブニールを停めた地下駐車場だ。ここで待っているから戦車(クルマ)を降ろして来たまえ」

 

 言われるままにグレッグとアリサは工房の奥へと進んだ。

 

 恐ろしく巨大なリフトだった。ファブニール級の大型戦車が楽々と納まる床面積がある。そして横の壁のパネルに注意書き――

 

***********************

 

 大型車両用エレベーターリフト

 

   過重注意!

   安全重量 55t

 

***********************

 

 アリサが失望の叫びをあげた。

「駄目だわ! このリフトにファブニールは乗せられないわよ、あれはどう見積もっても六十トン以上――」

 

 展示室からの逆光でぼやけた影になったコンラッドがそれに答えた。

 

「心配は要らん! 君の見積もりには決定的な誤りがある。ファブニールの主装甲材は、鉄――炭素鋼ではない。チタン合金だ! 第三次植民で使われた恒星間宇宙船からリサイクルしたものだよ」

 

(何だって……?)

 

 ――チタン合金。

 

 ――第三次植民。

 

 ――恒星間宇宙船?

 

 予想もしなかった、耳慣れない言葉。それ自体の意味は理解できる。だが言葉が意味する「事実」は、また別だ。

 

 それらの言葉が伝える「事実」は、グレッグをひどく混乱させた。

 

(恒星間宇宙船で植民……まさか……ここは地球じゃないってことか?  じゃあ大破壊は? 「第二次世界大戦」は? ファブニールを、いや『キングタイガー』を作った『ドイツ国』は……ここには存在しなかったのか?)

 

 ――いや、そもそも今は、『いつ』なのだ?

 

 不快な汗が背筋をつたって落ちる。

 意識しないうちに体のバランスを崩して、転倒しかけていたらしい。気が付くとグレッグの右腕をアリサがしっかりと抱え込んで、彼の体重を支えていた。

 すがることのできる何かを求めてさまよったグレッグの指は、アリサの太ももの肉を探り当てて容赦無く食いこんだ。アリサは彼の腕を抱いたまま、声にならない抗議の叫びを上げた。

 

「……あんたの言ってることの意味が俺にはまるで解らん。説明してくれ、館長」

 

「混乱させて済まん。一般のハンターが知らんのは当然だな、口を滑らせてしまったのはうかつだった。本来はハンターオフィスのごく上部の者しか知らんことだが、話してやろう……だが、決して他所にもらしてはならんぞ。この事実は、今の人類に向けて公にするには過酷過ぎる。あまりにもな」

 

「……聞いてから判断する」

 

 グレッグの答えに、コンラッドは小さくため息をついて、そしてうなずいた。

 

「『大破壊』といわれる一大破局は、かつて確かに起きた。……ただし、ここではない別の惑星―『地球』の上で。正確な数字はもはや判らんが、今から少なくとも二百年以上前のことになるはずだ……」

 

 

 それは、長く奇怪な物語だった。



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