P「男性が苦手な彼女と」雪歩「恋を知らない彼」 (HOXU8)
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出会い
ある冬の日。
俺はその日、数年勤めていた会社を辞めた。
珍しくもなんともないどこにでもあるような平凡な会社だったが、数年間勤めているとそれなりに愛着も湧いていた。
しかし人間関係とは、特に異性との関係は難しいものである。ちょっとした勘違いや誤解から人を傷つけてしまうこともある。
自宅への帰り道、毎日使っていたバスを降りた俺はそこで初めて気づく。
雨が降っていた。
陰鬱な俺の気持ちを代弁するように、しとしとと降る雨を俺はバス停からどうしたものかと見ていた。
「まいったな……」
俺は傘を持っていなかった。
別にこのまま濡れて帰ってもいいのだが、こんな寒い日に雨に濡れてしまっては凍えてしまいそうだ。
数日後に父親に紹介してもらった、ある芸能プロダクションの入社面接を控えている身としては、今のうちから体調を崩したくはない。
「ちゃんと、予報見とけば良かったかな…」
出かける前の自分のだらしなさへの後悔が声に出ていたのが聞こえてしまったのだろうか、少し前に通り過ぎたであろう女性から声をかけられた。
「あ…あの!その…」
「はい?えっーと…」
「……そ、その、傘を持っていないようだったので……」
「は、はあ…」
話しかけてきた彼女の顔は、傘に隠れてよく見えない。
声をかけられた理由も分からないままに返事をする。
「あ、はい。そうなんです。傘を忘れてきてしまって…」
そう俺が言うと、彼女は鞄から折りたたみの傘を取り出した。
「こ、この傘…使って下さい!」
相も変わらず彼女の顔は傘に隠れて見えないが、差し出された折りたたみ傘を持つ手は白く滑らかでとても綺麗だと感じた。
「え。いやその……」
「い、いいですから…」
そうして名前も顔も知らない彼女から渡された傘は可愛いピンク色をしていた。
「じゃ、じゃあお言葉に甘えて…」
「ありがとうございます。助かりました…」
「い、いえ!じゃ、じゃあ私はこれで…」
そう言って結局最後まで手しか見えなかった彼女は小走りで去って行った。きっと彼女からもこちらの顔は見えていなかっただろう。
自宅の近くまでピンクの可愛い傘をさして帰ってきた俺は、この傘を返すための連絡先も何も交換しなかった事に気付いた。
どうしたものかと考えていると、傘の柄の部分に「萩原雪歩」と可愛いシールが貼られている事に気がつく。「ハギワラ ユキホ」という人だったのか。
しかし、名前だけ知っていても返す当てがない。
「まあいつか偶然会えた時に返せるようにいつも鞄に入れておくか」
そんな独り言を呟きながら歩いていく。
いつの間にか、雨は雪に変わっていた。
さっきまでの陰鬱な気持ちも知らないうちに消えていた。
「ははっ」
雪の中を歩く自分が、まるで彼女の名前のようで俺は少し笑った。
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再会
「萩原雪歩」さんから傘を貸してもらったあの日から数日後。
俺は父親のツテで紹介してもらった会社の社長と話していた。
「君は女性が苦手と聞いているがウチはアイドル事務所だ、ここで働くのは辛いんじゃないか?」
「いえ苦手というか……この歳でこんな事も言うのも恥ずかしいんですけれど、女性を好きになったことがないんです…」
「つ、つまり君は男性が…」
「い、いえ!決してそういうわけでは!でも女性を恋愛的な意味で愛した事がありません」
「なるほど。もったいないな……なかなかモテそうじゃないか?」
「あ、ありがとうございます……」
「コミュニケーションを取る分には差し支えないのかね?」
「はい。それはもちろん」
「まあそういう事なら特に問題はないか。採用だ。よろしく頼むよ」
「は、はい!よろしくお願いします!」
「ウチは恋愛は基本的には禁止だが、そこは本人の意思を尊重する事にしている。まあ君には心配ない事かも知れんが、一応覚えておいてくれたまえ」
「………」
こうして俺は765プロダクションのプロデューサーとして働くことになった。
社長にも話した事だが、俺は恋愛感情というのを抱いたことがない。小さい頃はよく分からないと思っていただけだが、大人になっても結局分からないままだ。
付き合ってみた経験もあるが、結局なんとなくよく分からないまま別れる事ばかりだった。
前まで働いていた会社でも結局はその事が原因で同僚の女性の誤解を招いてしまったのだろう。
そんな事もあって、いやそんな事がなくとも、俺は誰かと恋愛関係になることをもう諦めていた。また嫌な思いをするかもしれない。それならもういい。
「音無くん、彼に事務所を案内してやってくれないか?」
「はい、分かりました。事務員の音無小鳥です。これからよろしくお願いしますね、プロデューサーさん。」
「はい。よろしくお願いします。音無さん」
入社初日から暗い事を思い出しながら、俺は事務員さんに事務所を案内される。案内といっても小さな事務所なのですぐに終わってしまう。
事務所のアイドルはレッスンだとかでまだ1人も会ったことはない。
まだテレビなどにも出たことはなく、正確にはアイドルの卵ということらしい。
「説明は以上です。何かわからない事があればいつでも聞いて下さいね」
「はい。ありがとうございます」
「ウチは社員の人数が少ないので、アイドル全員をあなたともう1人のプロデューサーである秋月律子さんとでプロデュースしてもらう事になると思います。大変でしょうけど頑張って下さい」
「ぜ、全員を…。分かりました、頑張ります」
自分で言うのもなんだが、人と接する事自体は苦手ではなく、むしろ得意だ。他人には嫌われたくないし、コミュニケーションを円滑に進める事の大切さも分かっているつもりだ。
そのせいで女性との距離感を測りかねる事になったこともあるが、そんな事のために自分の性格を変えようとも思わない。
「あら?ウチのアイドル達が帰ってきたみたいですね。紹介しますね」
事務員の音無さんから、所属アイドルの11人と秋月律子プロデューサーを紹介してもらった。みんな元気いっぱいだったり、お淑やかな女の子だったりと一般的に見て可愛いと思う。
ん?11人?アイドルは12人いるはずだが…。
「ほら、雪歩。隠れてないで、新しいプロデューサーに自己紹介しなきゃ」
たしか…「菊地真」さんだ。その後ろにもう1人隠れているようだった。
今、「ユキホ」と言ったか?
「で、でも真ちゃん……」
「これからお世話になるんだから」
「う、うん…」
そこで初めて友人の背中に隠れた彼女の顔を見ることになった。「ユキホ」という名前と、この声って……
俺は何故だか動揺していたが、音無さんは気付かずに話を進める。
「紹介しますね。こちらが新しいプロデューサーさんで、そして、こっちが」
「は、萩原雪歩です……よ、よろしくお願いします!」
間違いない。あの傘の人だ。
「雪歩ちゃんは少し内気な子で、男性が苦手なの。だから変に気を落とさないで下さいね」
男性が苦手?そんな事でアイドルが出来るのだろうか。
それに何故あの時俺に声をかけてくれたのだろう。
そんな疑問が顔に出てしまったのか、音無さんは少し補足してくれた。
「苦手と言っても、男性恐怖症とかじゃなくて、少し接するのが苦手なだけなの…。初めは大変かもですけど、アイドル一人一人と向き合っていくのもプロデューサーとしての務めなので頑張ってあげて下さいね」
「はい。もちろんです。よろしくお願いします、萩原さん」
俺は当たり障りのない笑顔で彼女に声をかける。
「よ、よろしくお願いします……プロデューサーさん」
どうやら、俺の事には気づいていないようだ。
偶然か必然か俺は彼女と、萩原雪歩と再会した。
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頑張ってみないか?
雪歩と再会した時、俺はどうしてだか彼女に傘を返せなかった。
彼女は俺の事に気づいていないようだったし、男の俺の事を怖がっていたからかもしれない。
それから季節がいくつか巡り、俺自身もだんだんプロデューサー業が板についていき、アイドル達と接するのにも十分慣れていた。
「プロデューサーさん!いよいよ再来週ですね!」
「ああ。春香も今日は一日レッスンだ、頑張って来いよ」
「もちろんです!」
そんな中、765プロ総出演の初ライブが決定し、みんなは歌やダンスのレッスンに精を出していた。
このライブは規模こそ大きくないがライブの後にアイドルとの握手会があり、彼女たちを世間に知ってもらうのにはもってこいのイベントだ。
そのライブが2週間後に控えたある日。少し離れた所から律子と雪歩の話し声が聞こえてくる。
「雪歩…どうしても出られないの?」
「…す、すいません。私やっぱりまだ怖くて…」
「んー…たしかに雪歩にはまだ握手会は厳しいか…」
「…すいません」
事務所はそんなに広くないので会話が筒抜けである。そして、どうやら雪歩が握手会を欠席したいという話らしい。
確かに俺も雪歩には握手会は厳しいと思っていたが、なんだろう、胸がもやもやする。
「仕方ない。雪歩はライブだけ出てもらって、握手会は欠席ということにしましょう」
「ちょっと待った」
「ひっ!」
「どうしたんですか?プロデューサー?」
どうしてだろう……。2人の会話に割って入ってしまった。
「すまん。会話が聞こえててな。なあ律子、その、もう少し待ってくれないか?」
「待つって?」
「雪歩が握手会に出るかどうかを。ライブには出られるんだから、握手会は当日に何とでも理由をつけて欠席くらいできるだろ?」
「まあそうですけど…」
「まだライブまで2週間もあるんだ。対策をする時間はある」
「対策って…どういう事ですか?」
自分でも驚くほど口が回る。俺は何に理由をつけているんだろうか?
「これから2週間、俺が雪歩に付きっ切りでいよう。そうして男に慣れれば握手会も何とかなるかもしれん…」
「いやでも雪歩には早いんじゃ…これからまだチャンスはあるはずだし、今はゆっくりなペースでも」
「そうだな……それは雪歩に決めてもらおう」
俺は、俺と律子の会話を俯いて聞いていた彼女に向き合った。
相変わらず目は合わせてもらえない。
「わ、私……」
彼女は俯いたままだ。
「雪歩……頑張ってみないか?」
そう声をかけると彼女と目が合う。
「私、やってみたいです!そ、その特訓……やるだけでも…!」
彼女の大きな声を聞いたのは初めてかもしれない。
「雪歩……わかったわ」
「よし、じゃあ今日からだ!頑張ろうな!」
「は、はい!頑張ります……」
「では、握手会の出欠は当日まで待ちましょう」
「ありがとうございます。律子さん」
「ううん。頑張ってね雪歩」
雪歩が頑張る決意をしてくれた事が素直に嬉しい。それはプロデューサーとして当たり前の事なんだろう。
何かを言い聞かせるようにそう思った。
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立派な理由
雪歩が、握手会に向けての特訓を決意したその日。
この日雪歩のスケジュールは終わっており、後は自宅に帰るだけだったので、俺は車で彼女を送っていくことにした。
雪歩は助手席に座るだけでも怯えていたが、なんとか座ってもらい、車を発進させた。
隣に座っているだけでも精一杯な彼女が俺に話しかけるわけもなく、俺は自分から雪歩に話しかける。
「雪歩、本当に良かったのか?ライブ前の大事な時期でもあるし、お前にとって辛い期間になるだけかもしれないんだぞ?」
「だ、大丈夫です。せっかくの初ライブなんですから、わ、私も最後までみんなとお仕事したいですから……」
良かった。返事はしてくれるようだ。
「そうか……」
「プ、プロデューサーは何で私にこんな提案をしてくれたんですか?」
話しかけてもくれるみたいだ。相変わらずこっちは向いていないが。
「…………何でだろうな」
「?」
それは正直な気持ちだった。一体俺は何故、彼女がただ苦しむだけかもしれないのにこんな事を申し出たのだろう。
「……まあそのうち話すさ」
嘘だった。自分でも分かっていないのに。
丁度、信号が赤になったところで俺は話題を変える。
「まずは男の人と目を見て話せるようになる事だな」
「め、目を見て話す…ですか?」
「ああ。俺が雪歩と話す時はお前はいつも下向いてるだろ?俺は事情も知ってるし、気にならないがお客さんはそうはいかないだろ?」
「た、たしかに……」
信号待ちの間に、俺は雪歩の方に顔を向ける。
「ほら、こっちむいて。教えてくれよ。何で雪歩はアイドルになろうと思ったんだ?」
俺に前々から聞いてみたかった質問をしてみる。
すると、彼女はおそるおそるこっちを見ながら答えてくれた。
「わ、たし、ダメダメなんです。男の人もそうだし、他にも苦手な物ばっかりで……。そんな自分を変えてみたくて、アイドルに、なろうと思いました……」
それを聞いた俺は、自分でも何故なのか分からない。分からないが、彼女に嫉妬した。
信号が青に変わる。
車を走らせながら彼女の方を向くわけにもいかないので、前を見ながら俺は彼女に答える。
「立派な理由じゃないか…」
「立派…ですか…?」
「凄く立派だよ。自分のダメな部分を乗り越えるために努力しようと決心したんだ、それだけでも俺はお前を尊敬する」
「俺なんて逃げてばっかりなのに…」
「プロデューサー?」
俺は今どんな顔をしているんだろう。もしかしたら泣きそうな顔になっているのかもしれない。
自分が彼女に嫉妬した理由が分かったんだ。
俺は雪歩が羨ましかったんだ。自分のダメな部分を乗り越えようとする勇気を持っている事を。
俺は諦めて、今の自分を認めたフリをして逃げてばかりだったから。
「なんでもない…。とにかく良い理由じゃないか。もっと自信を持って話せばいいんだよ」
「ありがとうございます、プロデューサー…ふふ」
彼女が何故笑ったのかは分からなかったが、俺の言葉で彼女が笑ってくれたのなら俺はそれが嬉しい。
そんな事を考えている内に、雪歩の自宅に到着した。
「じゃあ雪歩、明日から毎朝迎えに行くからな」
「は、はい!よろしくお願いします…」
「おう。おやすみ」
「はい!おやすみなさいプロデューサー」
車の窓越しだったが彼女はちゃんと俺の目を見てそう言ってくれた。
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いつか心から
次の日から俺は毎日雪歩の送り迎えを続けた。
平日の朝は学校の近くまで送り届け、学校が終わる頃に迎えに行き事務所まで一緒に行く。
事務所に着いてからはライブまではレッスンに集中している。その合間の休憩時間にはできるだけ事務所で会話したり、少し外を一緒に歩いたりした。
学校が無い日もレッスンはあるので送り迎えは必ず俺が一緒にいた。
そのおかげで雪歩はなんとか俺と接する事には慣れてくれたみたいだ。雪歩から俺に近付いたりする事は無いが、少なくとも俺とは普通に笑顔で話してくれる。
そんな日々が一週間ほど続いた。
流石にずっとレッスンでは息が詰まるとのことで今日は一日オフに。
俺もちょうど休みが取れたので特訓がてら、2人で出かけてみることになった。
「どこに行くんですか?」
助手席に座った雪歩が質問してくる。
「別に特に決めてないなぁ。公園にでも行って少し話すか?」
「それだと事務所と変わらないんじゃ…?」
「場所が変わるだけでも意外と大きい事かもしれないだろ?」
そう決めて、車を走らせ少し離れた所にある大きめの公園を2人で歩く。
「良い景色…。家族で来てる人達が多いみたいですね」
「そうだな。カップルも結構いるな」
「私達も…そう見えるんでしょうか?」
その台詞に、少しギクリとしてしまった。さり気なく様子を伺うが、雪歩の言葉に他意があるわけではない。ただの世間話として聞いているようだ。
「さあな。雪歩達が有名になったら気をつけないとな」
「そうですね。その前にまずはライブを頑張らないとっ」
「その意気だ。………少し座って話すか」
俺達は適当に飲み物を買って近くのベンチに座った。
「前から聞いてみたかったんですけど、プロデューサーって前は違う会社に勤めてたんですよね?」
「ああ。そうだぞ」
「あの……どうして辞めちゃったんですか?答えにくい事なら大丈夫です……すいません………」
「別に大した事じゃない。ただの人間関係だよ。同僚と少し揉めちゃってな」
「ええ?プロデューサーがですか?誰とでも仲良くやっていけそうなのに…」
「まあそれが問題だったのかもしれんな」
そう答えると雪歩はよく分からないと言った表情をしていた。
「雪歩は…その…ダメダメな部分を乗り越えたくてアイドルになったんだよな?」
「は、はい。覚えててくれたんですね…」
「そんなに物忘れする歳じゃないさ」
「ふふっ。すいません」
最近はこんな風に自然に笑顔を見せてくれる事も多くなった。
「男性以外に苦手な事とかあるのか?」
「いっぱいありますよ〜」
「威張って言うことかっ」
「あはは。そうですねぇ。正直、運動とかも苦手ですね」
「そうなのか?」
「はい。だからダンスレッスンなんかはみんなについて行くのが精一杯だったりして…」
「まあそれはそのうち身体が慣れていくさ」
「後、私、犬が凄く苦手なんです。子犬でも怖くて…」
「え、可愛いじゃないか子犬」
「確かに可愛いですけど、やっぱり噛まれたらどうしようとか考えちゃうんです…」
「苦手な物ばかりだな雪歩は」
「はいぃ……うぅ……」
肩を落として俯く雪歩。
「でも俺にだって苦手なものはあるぞ?」
「えっ?そうなんですか?」
「当たり前だろ。俺だって普通の人間なんだから」
「プロデューサーの苦手なものって?」
「女の人」
「ええ!!」
「そんなに驚く事か?」
「で、でも私や事務所のみんなとも普通にお話出来てるじゃないですか?」
「あー、雪歩みたいに接するのが苦手っていう事じゃないんだ。なんというか距離感を測るのが苦手というか……」
「どういう事ですか?」
「どう話せばいいかな…。さっきの前の会社を辞めた理由とも繋がってるんだけど、俺ともう1人の女性の同僚がいたんだ。その同僚とは凄く仲が良くて2人で出かけることもあった。ただ俺は友人としてその人の事が好きだっただけで、恋人じゃ無いと思ってたんだ」
「……」
「でも彼女はそう思ってなかったみたいで、俺の事は恋人だと思ってくれていた……。その関係が破綻して俺は会社を辞めることにしたって訳だ」
「わ、私も恋愛経験はありませんが……それなら……その人と付き合ってみて、そうしているうちに好きになるという事もあったんじゃないですか?他に好きな人がいるなら違うかもしれませんが……」
「たしかにそれが一番揉めない方法だったかもな…。でも違うんだ雪歩……」
「……」
「俺は人を好きになれないんだ」
「え?」
「なれない、というか、なった事がない。って感じかな……。そんな俺が彼女と仮に付き合っていたとしても好きになれるとは思えなかったんだ」
「………」
「結局彼女を傷つけただけで、逃げるように765プロに来たってことさ。悪いな…こんな話になっちゃって…」
「……プロデューサーは逃げてなんかいないです」
「雪歩?」
「プロデューサーも傷ついたんですね…」
「え?」
「その人を傷つけてしまった事に自分自身も傷ついたんですね…」
「そんなこと……」
「プロデューサーは優しい人ですから」
そう言いながら雪歩は俺に微笑んでくれた。
「……プロデューサーはもう……恋愛をする事を諦めているんですか?」
「……さあな」
「……私には無責任に大丈夫って言う資格はありません」
「でも、いつかプロデューサーが心から好きになれる人が現れればいいなって、そう思います…」
「……ありがとな、雪歩」
何故だか分からないが、俺は涙が出そうになっていた。
いや理由はわかっている。
ずっと心の奥で傷ついていた事を見つけてもらい、理解してもらえた事で、俺は雪歩の言葉に救われたんだ。
「雪歩に助けられたのはこれで2度目だな……」
「えっ?何がですか?」
「いや、何でもない。そろそろ行こうか」
そんな雪歩に俺はまだ、なんとなく、傘の話を出来ないままでいた。
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