昔ながらの井戸ってぇのは風流なもんで、
『朝顔に釣瓶とられてもらひ水』
(加賀千代女)
なんて俳句もあったりして。その上、西瓜やらもぎたてのトマトやら、ビールやラムネやらを冷やしたりと、夏には欠かせねぇアイテムだったわけだが、何も夏に限ったもんでもねえ。
吹き荒ぶ北風に、
秋も深まったある日のこと。北国の、とある村を旅の途中にしていた一人の若い男がおりまして。
観光客なんてぇ上等なもんじゃねぇ。宿の予約もしねぇで野宿なんぞで金を浮かしてる、いわゆる、貧乏旅行って奴だ。
腹減った男は、なんか食うもんは無いかと、ヨレヨレのぼろっちいリュックの中を手探りしてみたが、チョコレートの一欠片も残っちゃいなかった。
かといって、近くにコンビニなんてぇ気の利いたもんもねえ片田舎だ。
はて、どうすっかと思案橋。そこで目にしたのが、野中の一軒家だ。こりゃあ、渡りに船とばかりに喜び勇んだ。
晩飯代ぐれぇの金はある。何かごちそうになったら金をやりゃあいいや。
ま、そんな安易な考えだったわけですな。
もうじき日が暮れるってぇのに、古い家には明かり一つなく、廃墟のように佇んでいた。
留守でもしてんだろうと思いながら、木製の古びた表札に、〈知名石〉と書かれた家のブザーを押してみた。
ブ~
だが、家ん中からはなんの応答もねえ。無意識に引き戸に手をやると、
ガラガラ
と開いた。なんだ、居るじゃねぇかと、戸口に顔を入れるってぇと、
「こんにちは」
と声をかけてみた。だが、やっぱり何の返答もねえ。玄関を見るってぇと、女物のサンダルが一足揃えてあった。やっぱ、居るじゃねぇかと、
「こんにちは。どなたか居ませんか?」
と、もう一遍声をかけてみた。しかし、返事がねえ。無断で入るわけにもいかねぇし、どうすっかと思案橋。結局、その辺をウロチョロすることにした。
家の裏手に行くってぇと、使った形跡のねえ古びた井戸がポツンとあり、その傍にはたわわに実った柿の木があった。
一個ぐれぇなら頂いてもいいだろうと、適当な熟柿をもぎ取ると、
ガブリッ
「ん~、うめぇ」
男は満足げに頬張った。と、その時、
「あのう……」
若い女の声がして振り返った。そこにあったのは、
暮れ泥む薄明に、淡く仄かに浮かんだ女の顔だった。男が目を丸くしていると、
「……どちら様ですか?」
女が尋ねた。
男が事情を話すってぇと、女は快く家に招いた。
22~3歳だろうか、化粧っけのない顔は地味だが、清潔感があった。入院中の母親を見舞っていたと言う女は、夕飯を作りながら、男が話す旅のエピソードに耳を傾けていた。クスッと笑ったりすると、口許から覗く八重歯が印象的だった。
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後編
女が作った田舎料理をごちそうになりながら、田舎しか知らないという女の、やたら詳しい山菜の話やら、都会しか知らない男の、冗談を交えた旅の話で盛り上がった。女はうふっと笑う度に、口から八重歯を覗かせていた。
食後、風呂を借りると、旅の垢を落とした。ついでに、泊まっていくように勧められた男は、厚遇を受けて感激した。満腹感と一風呂浴びた心地よさで、やがて、男は深い眠りに入った。
どのぐらい眠っただろうか、
「タスケテ……」
と、女の声が聞こえた。
幻聴か夢かと思いながら男は目を覚ますと、また、
「タスケテ……」
と、女の声がした。
男は急いで起きると、声がした家の裏に行った。すると、
「助けて~」
と、今度はハッキリと聞こえた。
それは、満月の明かりに照らされた柿の木の枝葉が影を織り成す、井戸からだった。男はギョッとしたが、
もしかして、井戸の中に女が落ちたのか?
とも思い、恐る恐る井戸に歩み寄った。
「助けてーッ!」
女の声は悲鳴に変わっていた。男は意を決して井戸を覗いた。瞬間、
びっしょりと濡れた白い手が、井戸の中からニュッと出てきて、男の腕を掴んだ。
「う゛えーっ!」
腕を引っ張られた男は、井戸の中に、
ドッボーン!
泳げねぇ男は、溺れそうになりながらも懸命にもがき、水面に顔を出した。パッと見開くと、目の前にあったのは、井戸の中に差し込む月光に浮かんだ、
白髪を乱した老婆の、不気味な笑い顔だった。
「ふふふ……」
「ギャーッ!」
そして、血を塗ったようにどす黒い口を開いたそこにあったのは、月明かりにキラッと光った、八重歯だった。
「……チガホシ~イ。ふふふ……」
「ギャーッ!」
ガブッ!
女の吸血鬼ってぇのも珍しいが、ま、若い男の生血エキスで若返りを図ってたんでしょうなぁ。
ふむ……。ってぇことで、おしまいでい。この後どうなったかは想像に任せら。
なぬ?吸血鬼と井戸にどんな関連性があるんでぃだと?
特にねぇさ。ま、あるとしたら、棺桶の代わりに井戸を利用してたってことぐれぇか。
肝心なのは、吸血鬼登場に欠かせない満月と、表札の〈知名石〉だ。
知名石(ちないし)=血無いし。つまり、“血が無いので、欲しいのよ~”ってことだ。
文中に満月と表札の件があったじゃねぇか。キャー、怖い。
皆さま方も、満月の夜と、表札にある名前の読みには、十分お気をつけなすっておくんなせい。
うおお~~~!
(狼の遠吠え)
語り:
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