井(いど) (紫 李鳥)
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前編

    

 

 

 

 昔ながらの井戸ってぇのは風流なもんで、

 

 『朝顔に釣瓶とられてもらひ水』

 

  (加賀千代女)

 

 なんて俳句もあったりして。その上、西瓜やらもぎたてのトマトやら、ビールやラムネやらを冷やしたりと、夏には欠かせねぇアイテムだったわけだが、何も夏に限ったもんでもねえ。

 

 吹き荒ぶ北風に、(むしろ)をバタバタさせてる井戸や、降り積もった雪ん中にひっそりと眠ってる井戸もまた、おっかねぇぐれぇに絵になるもんよ。

 

 

 

 

 秋も深まったある日のこと。北国の、とある村を旅の途中にしていた一人の若い男がおりまして。

 

 観光客なんてぇ上等なもんじゃねぇ。宿の予約もしねぇで野宿なんぞで金を浮かしてる、いわゆる、貧乏旅行って奴だ。

 

 

 

 腹減った男は、なんか食うもんは無いかと、ヨレヨレのぼろっちいリュックの中を手探りしてみたが、チョコレートの一欠片も残っちゃいなかった。

 

 かといって、近くにコンビニなんてぇ気の利いたもんもねえ片田舎だ。

 

 はて、どうすっかと思案橋。そこで目にしたのが、野中の一軒家だ。こりゃあ、渡りに船とばかりに喜び勇んだ。

 

 晩飯代ぐれぇの金はある。何かごちそうになったら金をやりゃあいいや。

 

 ま、そんな安易な考えだったわけですな。

 

 もうじき日が暮れるってぇのに、古い家には明かり一つなく、廃墟のように佇んでいた。

 

 留守でもしてんだろうと思いながら、木製の古びた表札に、〈知名石〉と書かれた家のブザーを押してみた。

 

ブ~

 

 だが、家ん中からはなんの応答もねえ。無意識に引き戸に手をやると、

 

ガラガラ

 

 と開いた。なんだ、居るじゃねぇかと、戸口に顔を入れるってぇと、

 

「こんにちは」

 

 と声をかけてみた。だが、やっぱり何の返答もねえ。玄関を見るってぇと、女物のサンダルが一足揃えてあった。やっぱ、居るじゃねぇかと、

 

「こんにちは。どなたか居ませんか?」

 

 と、もう一遍声をかけてみた。しかし、返事がねえ。無断で入るわけにもいかねぇし、どうすっかと思案橋。結局、その辺をウロチョロすることにした。

 

 

 家の裏手に行くってぇと、使った形跡のねえ古びた井戸がポツンとあり、その傍にはたわわに実った柿の木があった。

 

 一個ぐれぇなら頂いてもいいだろうと、適当な熟柿をもぎ取ると、

 

ガブリッ

 

「ん~、うめぇ」

 

 男は満足げに頬張った。と、その時、

 

「あのう……」

 

 若い女の声がして振り返った。そこにあったのは、

 

 

 

 

 暮れ泥む薄明に、淡く仄かに浮かんだ女の顔だった。男が目を丸くしていると、

 

「……どちら様ですか?」

 

 女が尋ねた。

 

 男が事情を話すってぇと、女は快く家に招いた。

 

 

 22~3歳だろうか、化粧っけのない顔は地味だが、清潔感があった。入院中の母親を見舞っていたと言う女は、夕飯を作りながら、男が話す旅のエピソードに耳を傾けていた。クスッと笑ったりすると、口許から覗く八重歯が印象的だった。



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後編

 

 

 女が作った田舎料理をごちそうになりながら、田舎しか知らないという女の、やたら詳しい山菜の話やら、都会しか知らない男の、冗談を交えた旅の話で盛り上がった。女はうふっと笑う度に、口から八重歯を覗かせていた。

 

 食後、風呂を借りると、旅の垢を落とした。ついでに、泊まっていくように勧められた男は、厚遇を受けて感激した。満腹感と一風呂浴びた心地よさで、やがて、男は深い眠りに入った。

 

 

 

 

 どのぐらい眠っただろうか、

 

「タスケテ……」 

 

 と、女の声が聞こえた。

 

 幻聴か夢かと思いながら男は目を覚ますと、また、

 

「タスケテ……」

 

 と、女の声がした。

 

 男は急いで起きると、声がした家の裏に行った。すると、

 

「助けて~」

 

 と、今度はハッキリと聞こえた。

 

 

 

 

 それは、満月の明かりに照らされた柿の木の枝葉が影を織り成す、井戸からだった。男はギョッとしたが、

 

 もしかして、井戸の中に女が落ちたのか?

 

 とも思い、恐る恐る井戸に歩み寄った。

 

「助けてーッ!」

 

 女の声は悲鳴に変わっていた。男は意を決して井戸を覗いた。瞬間、

 

 

 

 

 びっしょりと濡れた白い手が、井戸の中からニュッと出てきて、男の腕を掴んだ。

 

「う゛えーっ!」

 

 腕を引っ張られた男は、井戸の中に、

 

ドッボーン!

 

 泳げねぇ男は、溺れそうになりながらも懸命にもがき、水面に顔を出した。パッと見開くと、目の前にあったのは、井戸の中に差し込む月光に浮かんだ、

 

 

 

 

 白髪を乱した老婆の、不気味な笑い顔だった。

 

「ふふふ……」

 

「ギャーッ!」

 

 そして、血を塗ったようにどす黒い口を開いたそこにあったのは、月明かりにキラッと光った、八重歯だった。

 

「……チガホシ~イ。ふふふ……」

 

「ギャーッ!」

 

ガブッ!

 

 

 

 

 女の吸血鬼ってぇのも珍しいが、ま、若い男の生血エキスで若返りを図ってたんでしょうなぁ。

 

 ふむ……。ってぇことで、おしまいでい。この後どうなったかは想像に任せら。

 

 なぬ?吸血鬼と井戸にどんな関連性があるんでぃだと?

 

 特にねぇさ。ま、あるとしたら、棺桶の代わりに井戸を利用してたってことぐれぇか。

 

 肝心なのは、吸血鬼登場に欠かせない満月と、表札の〈知名石〉だ。

 

 知名石(ちないし)=血無いし。つまり、“血が無いので、欲しいのよ~”ってことだ。

 

 文中に満月と表札の件があったじゃねぇか。キャー、怖い。

 

 皆さま方も、満月の夜と、表札にある名前の読みには、十分お気をつけなすっておくんなせい。

 

 

 

 

うおお~~~!

(狼の遠吠え)

 

 

 

 

 

語り:秋風亭流暢(しゅうふうていりゅうちょう)(架空の落語家)



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