吾輩はグルメである。献立はまだない (河蛸)
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新月のカーニバル
今日は珍しく大物が獲れた。
若い男だ。ほどよく脂のノッている中肉中背の男。
幻想郷じゃ見慣れない華美な羽織を着ていて、「暗い、見えない、怖い」と森の中で喚いてたもんだからすぐ見つけることが出来た。
外来人だろう。きっと、『外』の樹海で自殺しようとして境界を跨いじゃったパターンかな。
最期に言い残すことは無いか聞いてあげようと思ったんだけど、あんまり叫ぶもんだから面倒臭くなって首を折った。
今の幻想郷じゃ、滅多に人を襲えない。そういうルールで縛られてるし、人間も妖怪も守られている。
けれど私は妖怪だ。やっぱり人の悲鳴は心地良いし、狩りに成功すると気分も高揚する。もうちょっと怖がらせれば良かったかなぁ。
まぁそんなわけで、上機嫌に帰路へとつく私である。
今夜は新月。闇の中の闇。自然と足取りが軽くなって、鼻歌も無意識に零れ出る。
森の中をズルズルズル。獲物が泥で汚れちゃうけど、まぁ洗えば問題ないだろう。
ようやっと家が見えてきた。大きな樹の洞に作った家である。見た目はボロだが、これで中々居心地が良い。
けど、そろそろ引っ越し時かな? 何だか朽ちかけてる気がするんだよね。
「ただいまー」
誰もいないけれど挨拶は大事だ。むしろ今夜は誰も居ない方が良い。
だって、折角の獲物の分け前が減っちゃうもの。
そばの川から引いてきた水で獲物を洗う。服は邪魔だから引き剥がした。
さてどうしよう。無造作にかぶりつくワイルドスタイルも良いけれど、ちょっと飽きてきたのよね。
「……しちゃいますか、料理」
うん、それがいい。そうしよう。タマには人間の真似をしてみるのも一興だ。
それに、宴会やらで見かける色んな料理を人間でやったらどうなるのか、前々から凄く気になってたし丁度いい。
私もそれなりに生きてきた。つまりそれなりに料理は出来る。
調理器具だってほらこの通り。無縁塚印のガラクタを修理したやつだ。別に問題なく使えると思う。
「調味料あったかなぁ」
家の中をがさごそ漁る。
あったあった。ミスティアから分けてもらった奴が余ってた。
「塩、お砂糖、味噌、香草、お醤油……こんなもんか」
幻想郷じゃどれもこれも高価なもんで、量もちょこっとしかない。
これじゃあ流石に何も出来ないので、仕方ないと肉を小分けにし、私は幻想郷中を飛び回った。
手始めに紅魔館。おっかないメイドと交渉して、赤ワインとでみぐらす?ソース、ついでに胡椒をゲット。
どうやら都合よく肉が切れてて困ってたらしい。幸先いいぞ。この調子で行こう。
次は王道にミスティアのところへ。狙いは新鮮お野菜だ。
ミスティアからは玉ねぎと人参、トマト、おまけにキノコを沢山ゲット出来た。うんうん、大分揃ってきたね。やっぱ人肉は良い交渉材料だなぁ。
そんなこんなでアチコチ巡り、無事に小麦粉やバター、油も手に入れた私。ふふん、物々交換の基本は足で稼ぐことにあるのだ。
ホクホク顔で帰路につき、血抜きしておいた獲物を外に出して、魔法で手早く焚火を拵えた。
台を引っ張り出して簡易キッチンも作った。調理道具も一応洗った。
パンッと手を叩き、気合を注入。
さぁ、楽しいクッキングのお時間だぜ。
〇
まず肉の処理。だいぶ減っちゃったけど、一番美味しい腹の肉はまだ残ってるから大丈夫だ。
硬直した肉を細切れにし、板に乗せて満遍なく叩きまくる。
これを怠るとかなりかたーいお肉になってしまう。私は妖怪だから別に気にしないけど、今日は徹底的にやる腹積もりだ。
柔らかくなったお肉を細切れにし、
塩と胡椒を少々。赤ワインをサッとかけて、馴染むよう丁寧に揉んでいく。
脂のねっとり感が良い具合になってきたら、もう一回まな板に移して捏ねる。西洋のはんばーぐみたいな感じだね。
そうやって柔らかいお肉をこねたブロックを、丁寧に何個か作っていく。
次は、薄切りにしておいた肉を使ってコイツらを巻いていく。いわば肉巻きお肉である。
小麦をまぶしてツナギにする。フライパンを温め、油を満遍なく馴染ませたら色が着くまで焼いていく。
じゅうじゅう。じゅうじゅうじゅう。
肉の香ばしさが鼻腔を擽る。鼻で深く息を吸い込めば、自然と唾が溢れてきた。
ぱちぱち弾ける脂の音もたまらない。魅惑で満ちた音楽だ。ついつい、つまみ食いしたくなる衝動に駆られちゃう。
我慢、我慢だ。腹の虫を叱責して、私はこんがり焼けたお肉を取り分けた。
フライパンの油を拭い、バターを敷く。
これも満遍なく広がったら、今度はお野菜を炒める番だ。
手頃に切った人参、玉ねぎ、キノコを入れ、しんなりするくらい炒める。
ここで肉巻きお肉を贅沢に投入。赤ワインも仲間に入れて、大部分の水気が飛ぶくらい火を通す。
香ばしさがグッと増した。野菜の甘み、肉の旨み、お酒の芳しさが絶妙に合わさって風に乗る。
文字通り空気が美味しい。既に贅沢な食事をしているような心地に包まれる。
「あぁ、たまんないね」
水気が少し飛んで来たら、適度に好みの香草を入れる。潰したトマトを隠し味に仕込んだら、紅魔館自慢の『でみぐらす』の出番だぜ。
さぁラストスパートだ。お水を入れ、木の蓋で閉じたら、あとは火が強くなりすぎないよう見張りつつ待つ。
これが一番の苦行だった。空腹の私を容赦なく攻め立てるグルメな香りは拷問なのだ。
暴れる食欲を必死に抑え、歌を口ずさんで誤魔化す時間は中々ハードな一時だった。
コトコトコト。じっくりじっくり、コトコトコト。
そうして、時はようやく動き出す。
「おーぷん!」
待ちに待った御開帳。蓋をゆっくり開いてみれば、美味しい湯気がふわんと私を出迎えてくれた。
肉と野菜の良いところを凝縮した逸品。ルーミア特製、ヒューマンだけどビーフシチューの完成だ。
ぱちぱちと一人で小さな拍手。胸を弾ませながら木のお皿にとりわけて、私はしっかり手を合わせた。
待ちに待ったこの瞬間。もはや私の目には、砂漠をさ迷い歩いてやっと見つけたオアシスにすら見える。
喉が、胃袋が、何より舌が、一秒でも早く口にしろと訴えていた。
ああ分かるとも。香りを嗅ぐだけで生唾が舌を潤してくるのだから、こんなの美味しいに決まってるもんね。
いざ、実食。
「……ん~~~~っ! 美味しい!」
ああ、ああ、こいつはなんて、にくらしい奴なのだろう。
大人しそうな顔をしておきながら、一口運べば舌の上で『美味しい』が暴れまわるのだ。
お野菜の甘み、肉の旨み、キノコの香ばしさ、そしてワインの深みが、さながらひとつの劇団のように一致団結して、私を喜劇の渦に呑み込んでくれる。
自然と頬が緩んでいく。それが作法にすら思えてしまう。
熱い吐息が夜に溶ける。達成感とも満足感ともつかない充足で満たされていく。
けれど、まだ終わりじゃない。まだスープを飲んだだけなのだから。
メインディッシュの、肉巻きお肉を唇で迎える。
「!!」
声にならない声が出た。それは震えるほどの歓喜を表していた。
ホロホロなのだ。舌の上で溶け解れるくらいホロホロなのだ。
脂が優しく絡みついて、マッサージしてくれるような舌触り。歯を喜ばせる柔らかな弾力は、呑み込むタイミングを見失わせた。
噛めば噛むほど、閉じ込められてたアツアツの肉汁がじゅわわっと口の中に湖を作る。
堪らず喉を鳴らして呑み込んでしまう。途端、旨みの暴力が勢いよく駆け抜けて、胃袋まで震えてくるのを実感した。
気付いた時には、鍋の中身はすっからかん。
まるで月が満ちたような満腹感。これほど心と体が満たされたのも何時振りだろう。
「やば。お料理、ハマっちゃうかも」
私は草の上へ寝転がりながら独り言ちて、千の星空をぼんやりと眺めた。
今日から暫くは、洗い物が増えそうだった。
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