我が呼ばれたき名は (油揚げ)
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第一話

第一部完結まで書き終わったので投稿しました。
うしおととらの白面の転生ものになります。



 

「……、…、………」

 

 両目が潰れ、全身に無数の傷とひび割れが広がる体を僅かに揺らし、それは最後の言葉を口にする。いや、満足に動かぬその口角からは僅かな吐息が漏れるだけだった。

 故にその言葉を耳にしたものはいなかったかもしれない。だが、誰よりも孤高で傲慢で残酷なそれの最後の言葉は聞かせるというより、最後の最後にまで隠したそれの願いだった。

 

 

 誰か…名付けよ……我が名を… 断末魔の叫びからでも、哀惜の慟哭からでもなく、静かなる言葉で… 誰か、我が名を呼んでくれ… 我が名は白面にあらじ 我が 呼ばれたき名は……

 

 

 儚き末期の呟き、それが日本を一日足らずで壊滅寸前にまで追い込んだ大妖怪の最後の言葉だった。

 

 そして赤ん坊が母に抱かれる幻影が波紋のように揺らめき消えていく……。

 

 

 

 

「懐かしい夢だ……」

 

 そう呟くと少女は体を起こした。ガラス越しに車の音や電車の音が響く、外は薄暗いがそれは紛れもなく早朝の喧騒だった。

 少女は背の中ほどまで伸びた栗色の髪に手櫛を通していく、起き抜けたばかりだというのにその髪は一切の抵抗は無いほどに艶やかで癖が無い美しい髪だった。

 

「ふぁ……」

 

 少女の名は葛葉白(くずはしろ)。十九歳の大学生の少女である。容姿は優しさと穏やかさが合わさったものとなっており、前述の背の中ほどまで伸びた髪によりお淑やかな印象を周りに与えていた。

 とはいえ、それはあくまで外見であり容姿に限ったものである。その中身は外見とは全く異なり、どこか尊大で王者の様な口調と態度を持つアンバランスな少女であった。

 しかしながら、それは白の生い立ちからすればしかたなき事でもあった。

 白は所謂、前世の記憶とやらを持って生まれてきた。それだけでも珍獣ばりに眉唾だが、よりによって白の持つ前世の記憶というのが、前世が大妖怪、白面の者だったというのが大問題だった。

 

(ふむ、業腹な記憶だが、あやつらにうち滅ぼされて、今の私があるというのならそれほど忌むべき記憶という訳でもないか)

 

 起き抜けの頭で白はそう考えるとベッドから這い出てて洗面台へと向かう。

 

「冷たっ」

 

 水道から出る水は身を切るように冷たい。12月も中旬ならそれも当たり前である。

 かつてはミサイルの直撃でさえ痛痒を感じなかった白の体だが、転生したことでその身は人のそれと同じものへとなっていた。

 人並みに暑がり、寒がり、そして怪我をする。今の白の体ならば下手をすれば自転車が突っ込んできただけで下手をすれば骨折、打ち所が悪ければ死んでしまうだろう。

 しかし、白はそんな体に喜んでさえいた。

 かつて世界がまだ形作られる前、世界は混沌した気で満たされていた。そして、その気が徐々に澄んだ気と濁った気に分かたれて、澄んだ気が人に、濁った気が白面の者となったのだ。生まれながらに邪悪であり、自分以外の全てを踏みにじる特大、特級の悪の化け物。

 だが、その最初にして最後の願いは人に、赤子になることだった。そう白面の者は自分でも知らず知らずのうちに人を羨んでいたのだ。ナゼ、ジブンハニゴッテイルのかと。

 そんな白面の者だったが、潮ととらという一人と一体の人間と妖怪とそして彼らと自分が刻んだ恩讐の果てに滅ぼされる事になるのだが、それはもう終わった話だ。

 

「しかし、何故、この顔なのか……皮肉が効いてはいるが」

 

 顔を洗ってしげしげと自分の顔を鏡で眺めながら白はそう呟く。鏡には見る者が見たら卒倒するような顔が写りこんでいる。何も白面のままの顔であったり、斗和子顔であったりするわけではない。

 白がじっと見つめる鏡には、自分を封ずる一族の末裔であり、最後のお役目様である少女、井上真由子と瓜二つな顔が写っている。優しげでぱっちりとした瞳、整った鼻梁、薄く形の良い唇、そして亜麻色の澄んだ髪、細部まで似通った姿は数千年生きた白面の者をして驚きしか出ない。

 とはいえ、真由子に似ているというよりは日崎御角(ひざきみかど)の若い頃とそっくりとも言えた。お役目の中でも彼女の在任期間は長い方であったし、白面の者の対抗機関である光覇明宗(こうはめいしゅう)の設立など、何かと彼女の記憶に残っているためかもしれない。

 

「ふむ」

 

 手櫛で髪を軽く梳くと僅かに乱れていた髪が流るる清流のごとく整った。

 白は満足すると着替えをするために部屋へと足を向ける。彼女の朝の準備はこれで終了である。化粧はほぼしない。かつての名残か嗅覚をはじめとした感覚が非常に優れている為、香料やファンデーションの類が異様に気になるためだ。

 洗面所を出たところで、白の顔に影がかかる。

 白が顔を上げると、そこにはバスローブを羽織り、顔をパックで覆った大男が突っ立っていた。

 

「おはようママ(・・)

「おぅ、おはよ」

 

 白の口から信じられない単語が飛び出るが、二人の間にそれを気にした様子はない。

 白とは入れ違いでママと呼ばれた人物が洗面所に入っていった。

 

 

 

「ふむ、サラダと……パン、スクランブルエッグ、ウィンナー、まぁこんなもんか」

 

 着替えを終えた白は朝食の準備する。白面の者が朝食の準備をする。もはや何がなんだが分からない事態だが、人間として転生して十九年。白からすれば特段、異常な事は無い。

 料理自体も白面の者時代に人として化けていたこともあって、したことがないわけではない。

 分身の様な存在の十和子も子供を育てたこともあるし。

 

「今日はパンか、いつも悪いな」

「気にしなくていい。家事くらい任せてくれ」

 

 ママの言葉に薄く微笑むと白は定位置である椅子に腰かける。そして、その対面にママが座った。

 

「「いただきます」」

 

 同時に手を合わせて二人の朝食は始まった。

 

 

 白面の者が転生したというだけでも異常極まる事態だが、この目の前のママと呼ばれる男性の異常さも大概であろう。この男性は白の叔父であった。

 転生したということもあり、白には無論両親が居る。というか居た。

 うしおととらに敗れ、死した白面が消えたはずの意識が浮き上がるように目覚めると、それはまさに母の胎内から取り上げられた瞬間だった。

 想像すらしていなかった事態に、白面の者は思わず暴れ、声を上げてしまった。

 

「オギャアアアアア!!」

 

 その声を産声だと思った周りの大人たちはほっと安心した様子を見せると柔らかな毛布で白を包み、一人の女性の元へ白を運ぶ。

 女性は優しく、しかし力強く白を抱きしめる。

 困惑しか抱いていなかった白だったが、女性から溢れる慈しみから自然とその女性が自身の母だと自覚した。

 そして、気づけばその意識は緩やかに落ちていった。

 

 それからは幸せな日々の連続だった。

 自身の顔立ちに良く似た母、そしてそんな母にふさわしい優しくそして頼りがいのある父。

 前世の記憶があるせいで、意識的に子供っぽく振るわなければならないのは、申し訳なかったが、それでも白は幸せだった。

 二人が交通事故で亡くなるまでは。

 

 

(……散々、人を妖を殺した私に言えた事ではないが、不幸とはかくも心を穿つものなのだな。しかし……)

 

 かつての記憶に思いを馳せ、そして目の前の人物へと視線を送る。

 

「ん、どうした白」

「いや、ママと暮らすようになって、来年はもう二十歳なんだと思うと早いもんだなと思ってね」

「あぁ、そういやそうか、引き取ったときは、こんなガキだったのによ、しかしホントにあいつに良く似てるわ」

 

 しみじみとママはそう呟く。アイツとはちなみに白の母の事でママからすれば妹、二人は兄妹であり、白からすればママは叔父ということになる。ややこしい。

 両親を失った白はそのままでは施設に入れられるところであった。親戚、縁戚はほとんどなく。いたとしても、会ったこともないという始末。

 当初、白を引き取るつもりがなかったママも流石にそれはと白を引き取ったのだ。

 

(まさか暴力団員だったとは思いもしなかったがな)

 

 そう、ママはかつては暴力団に属するヤクザと言われる男だったのだ。白を引き取るに当たって組を抜けたのだが、世間の目は厳しい。食いつないでいくためにママが選んだのが、オカマバーを開くという道だった。

 

(どうしてそうなったのかは、疑問が尽きん)

 

 変貌と言っていい様子に思わず唖然とした当時の白だったが、それが自分を養うためだと思うと頭が上がらなかった。普通の子供なら泣くなり拒否するところをすんなりと受け入れた。

 あまりにも年齢とそぐわない白の行動だったが、両親をいっぺんに失い、そしてほぼ見ず知らずの男に引き取られれば普通とは言い難いだろうとママが受け取ったのが白には幸いだったと言えた。

 

「今日は昼間は授業だから遅めのシフトで入る」

「分かったよ。まぁ何度も言ってるけどあまり無理だけはしなさんな」

「こっちのセリフだよ」

 

 そう言って朝食を終えた白はお気に入りの真っ白なコートを羽織ると家を出た。

 白は現在、大学に通っていた。そしてママが経営するオカマバーでバイトもしている。ちなみに大学では科学技術を主に学んでいる。

 白面が白へと転生し十九年。最初はただの転生かと思っていたが、壊滅寸前まで追いやったはずの日本は無傷。はるか未来に転生したかと思えば時代は対して変わりは無い。一人で出歩けるようになって書物をあれこれと読み耽っても金毛九尾白面の名は伝承という形でしか伝わっていない。

 妖怪を封じ、滅する役目を持つ光覇明宗なぞ影も形も無い。表の顔は一、仏教宗派にも関わらずだ。

 ある程度の情報が集まり、白は結論を出した。

 ここは前世とは違う別世界であると。かつての世界と同じだったなら、償いをなんらかの形でしなければと思っていた白にこれはある種の救いとなった。確かに前世の行いは唾棄すべきものだと常々、彼女の重しになっていたのだ。とはいえ、償う相手も居ないければそれも無駄になってしまう。そこで、大学で勉強し、人類の発展に貢献しようと考えたのだ。あいかわらずスケールの大きさである。

 白面の者が科学技術を専攻し、オカマバーでバイトをする。何を言ってるか分からないだろうが、字面以上の情報は無い。

 

 

 

 

 

「……驚いたな」

 

 間接照明が妖しく照らす室内のカウンター内で白は一人呟く。滞りなく注文の料理をこなしながら、白は意識の端をずっと一人の少女へと向けていた。

 

(何をやっているんだあいつは……?)

 

 そして、その少女の傍らにいる少年を見てため息を漏らした。

 白の視線の先には小汚い格好をした少女と、そして線の細い少年がなにやら話し込んでいた。が、少年の方が立ち上がりカウンターへと歩いてくる。

 

「白ねぇ、ウーロン茶となんかツマミ!」

「少し待ってろ」

 

 少年の名は藤井八雲。

 こんな場末のオカマバーで働いているが年齢は驚きの十六歳、高校二年生である。

 数年前に親が失踪し、生活が立ち行かなくなったのを見かねたママの計らいで働いている少年である。ちなみにオカマではない。

 白とは同僚であり、同じマンションの隣人同士であり、そして幼馴染みでもある。

 八雲が六歳のころから付き合いであり十年近い親交がある。

 

「ほら、持ってけ。ところで八雲、あんな子、どこで拾ってきたんだ?」

 

 とん、とウーロン茶と炙った鮭とばをカウンターに置きながら白は訝し気に八雲を睨む。

 ナンパをするなとは言わないが、連れてくる先がオカマバーとは良識が有る様には見えない。

 

「ひったくりから助けたんだけど、荷物の一部が取られてね。ママに相談しようと思ってさ」

「ふむ、それならいいか」

「いいって何さ」

「いや、てっきりナンパでもしたのかと思って」

 

 八雲の疑いが晴れると白は口角をいやらしく歪めてにやにやと笑いだす。他者を貶める様な事は今世ではしていないが、性根なのか人をからかうのは嫌いではない白だった。

 八雲は白の言葉にあたふたと慌てだす。

 

「ち、ちげぇよ!何言ってんだよ白ねぇ!?」

 

 大きい声で周囲から注目を集めてしまった八雲は、悔しそうに白を睨むとそそくさと女の子の元へと去っていった。

 

(ひったくりの時に転ばされたのか?随分と汚れているな)

 

 オカマバーには似つかわしくない可愛らしい容姿だが、少女の見た目は小汚い。転ばされたにしても服の端はほつれ、昨日今日で損傷したようには見えない。なにやら事情が有る可能性は高そうだ。

 その後、少女は本物のようにしか見えない頭蓋骨を取り出したりと姦しくしていたが、客の相手をするのは白の仕事ではない。

 カクテルやツマミをせっせと作りながら白は労働に勤しんでいた。

 

「白、ちょっと良いかい?」

 

 合間で食器を洗っていた白にママが声を掛ける。

 普段でもごつく化粧が濃いオカマの顔が間接照明メインの薄暗い中だとより強烈だ。

 しかし、白も慣れたもの普段の生活とかつての妖怪たちからすればママもまだまだ?だ。

 

「ん、ちょっと待ってくれ」

 

 蛇口を締め、水を切りながら白はそう問うた。

 

「む……」

 

 仕事の話だろうかと振り向いた白は珍しく困惑したかのような声を上げた。

 ママの脇には先程まで八雲と会話していた少女の姿があった。

 髪はごわごわで頬も汚れが付いている。服も何があったか分からないがボロボロだ。何ヶ月山に籠もったんだと言いたいくらいに擦り切れている。

 

「ちょっと、流石にね。使ってない衣装も有るし、おめかしでもしてやってくれないか?」

「……やれやれ、その間、カウンターを頼むよ」

 

 一瞬、顔を顰めた白だったが、エプロンを外して少女を言われた通りに連れていく。ママが世話好きなのは今に始まったことじゃない。白自体もそれに助けられた故に少女の世話をすることに決めたようだった。

 

 

 

 

 

 

「さて、えっと名前がまだだったな。私は葛葉白という。白とでも呼んでくれ」

「分カタ。白ネ。私ハパイ、ヨロシクネ白!」

 

 白の自己紹介に満面の笑みと挙手でパイは答えた。警戒心や邪気を一切感じさせないその様子は白をして驚きに値するものだった。

 

「あぁ、よろしく。さぁまずはシャワーを浴びるぞ」

 

 オカマバーの店員の多くは派手な格好をしている。そんな派手格好で出勤してくるスタッフは流石に少数派だ。故に更衣室というものが、この店には存在している。

 そして、店の規模とは反して女性用の更衣室というものが何故か存在していた。女性従業員が白しかいないのにだ。無論、開店当初は存在していなかったのだが、白がバイトをしたいと言い出して過保護なママが店の拡張に合わせてついでに女性用のスタッフ室を増築したのだ。

 

「エ、しゃわー?」

「まぁ、面倒くさいな。一緒に入るか」

「チョ、白?」

 

 困惑するパイとともに白はシャワー室へと突っ込んでいく。

 さすがにいきなり服を脱がすのはあれかと思った白は自らがまず服を脱ぐと、ぼーっと様子を見ているパイの服を脱がしにかかる。

 

「一体何をどうしたんだ?随分と汚れてるな。どこから来た?日本じゃないんだろ?」

 

 パイの名前を聞いた時からなんとなく白の中で予想がついていたが、パイは白が考える通り日本の出身ではない。中国からわざわざ八雲に会いに来たのだ。

 

「ウン、ワアアアア!?オ、オ湯ガ!」

 

 シャワー室に入り、質問もそこそこに白はパイに容赦無くシャワーを浴びせる。勢いは情け容赦ない最大だ。髪と言い肌と言い汚れが割とえげつない。

 

「わ、目、沁ミル!」

「静かにしてろ!こら、逃げるな!」

 

 まるで猫の風呂だと思いながら逃げるパイをとっ捕まえて体の汚れを着実に白は落としていく。最初は暴れていたパイも徐々に綺麗になる自身の様子にようやく気付いたのか、最後の方はおとなしくされるがままにされていたのは白にとっては非常に助かった。

 

 

 

 

 

「さぁて、こんなもんだろ」

 

 普段ではあまり見せないドヤ顔を鏡に映しながら白は自身の前に座るパイを眺める。

 汚れた肌はこれでもかと綺麗に磨かれ、ぼさぼさだった髪は天使の輪が出来る程に撫で付けられ、おしゃれに編み込みまで施されている。

 そして、そんな磨かれた少女を飾る装いもそれ相応の物になっていた。

 大胆に肩と背中を出し、そしてほんのりの女を見せるために谷間が覗く、首元には銀の装飾品が輝いていた。

 しかし、その輝きも本来の美しさを放つパイには遠く及ばないものだった。

 

「ママがせっかくだからと買ってくれたものだったが、サイズが合って良かった」

「ウゥ……」

「……どうしたパイ?」

 

 一度、鏡を凝視して以来、俯くパイに恐る恐る白は声を掛ける。

 他者の恐怖や畏怖といった感情を見極めるのは誰にも負けない自信が有る白だが、女性の機微といった感情には疎い。いくら人の女性へと生まれ変わりそれなりに生きたとしてもそれの何百倍も妖怪として生きたためだ。

 

「ナンデモナイ」

「ふぅん。まぁいいか……じゃあ、八雲んとこに行くぞ」

「……分カタ」

 

 恥ずかしがるパイの様子をいまいち理解しきれていない白だったが、バイトとは関係無いことをこれ以上するつもりはない。パイを促すと手を繋いでホールへと戻るのだった。

 

 

パイの変身ぶりに八雲があたふたとするのを横目に白はてきぱきと自分の仕事を片付けていた。

 

 

「はい。レモンハイ、カシスオレンジお待ち」

「白ちゃん。ありがと」

 

 裏声を出しながらオカマの店員がメニューを運んでいく。ママが厳ついオカマだが、他の店員も同様というわけではない。中にはどう見ても女性にしか見えない人もおり、そのおかげで白を男性だと勘違いする客も居たりする。

 

「唐揚げとポテト、ポテトサラダ、焼きおにぎり、シーザサラダね」

 

 どうやら大勢の客が一度に入ってきたようで白の前にずらりとメニューが並ぶ。厨房自体は本格的なそれと比較するとどうしても見劣りするため、注文が多く入ると捌く手間もひとしおだ。

 

 涼しい顔をしながら白は料理を次々に熟していく。簡単なメニューなれど少なくないアレンジや手間を加えることを忘れない。売れっ子の人気で客を取る店という関係上、売れっ子が居なくなればそれだけで売上に響いてしまう。ならばせめて他のバーよりも料理にこだわれば、多少なりとも店に貢献できるだろうというのが白の考えだ。 そうして料理をするうちに白の意識は八雲から離れてしまう。 

 しかし、それは致し方ない事だった。まさか、これが彼の、そして白の運命すらも決定づける、まさに運命の日となることなど、人の身となった彼女には予見できぬことだったのだから。

 

 




これは女体化なのか?元の性別が分からないので不明。


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第二話

 

 

「うーす!白姉ぇ、香港土産だぜ!」

「やたら元気だな……それとなんだそのバンダナは?」

 

 深夜のバイトを終えひと眠りしようとするのを妨害され白は隈が滲む顔でいつの間にかバンダナを頭に巻くスタイルになった八雲を家の中へと招き入れた。

 体調を理由に土産だけもらう選択肢もあるが、前世の行い故か今生の白は礼には礼を返す性格をしている。

 

「土産がお茶請けで悪いが勘弁してくれ」

 

 八雲と書かれた湯呑と香港土産を八雲の前に丁寧に出すと白は対面のソファーに腰を下ろした。

 八雲と白が合うのは大体二週間ぶり、ここのところ八雲は香港に旅行に行っていた。

実は妖怪がらみの事件が有ったのだが、それは白のあずかり知らぬところである。

 

「別に良いのに」

「まぁせっかくだからな」

 

 互いに無言でお茶請けと茶に口をつけていく。お喋りではない白とそんな白に一種の憧れを抱く八雲では中々会話が弾まないのが常だった。とはいえ、仲が悪いわけではなく、お互いの距離感を知っているというのが適切な表現だ。

 

「香港で何か有ったか?この前会ったときとは雰囲気がずいぶん違う」

 

 熱い茶を飲んだおかげか多少顔色が戻った白はソファーに深く座りなおすと印象が変わった八雲に問うた。

 

「ん?そーかぁ?自分じゃよくわかんないけど」

 

 本人は分かっていないようだが白からすれば分かりやすいほどに印象が違う。どこか絶対に崩れないような自信を持つものの余裕を今の八雲は滲ませていた。

 なんだろうと考える白は最近の八雲の挙動からそれが何かを考え始めた。

 

「……そうか、パイと旅行に行ったんだったな、卒業おめでとうと言っておこう」

 

 そして、男女の旅行というキーワードを思い出した時点で思いついた事をさらりと言うとお茶を口に含んだ。

 

「ぶふぅ!?」

「おい!?」

 

 白の衝撃的な一言で八雲の口からお茶が勢い良く吹きだされ、部屋を汚された白が抗議の声をあげる。

 

「パ、パイとはそんなんじゃねーよ!」

「ふぅん。手を出しただけか……最低だな」

「そっちじゃなくて!」

 

 テーブルや床を拭きながら白はにやにやと笑っていた。顔を赤くし、汗を流す八雲の反応からパイと八雲は一線を越えていないことに確信し、さらに八雲がパイを意識していることまで察した白のからかいは加速する。

 

「じゃあ、何故一緒に住んでいる?まぁ多少なりとも理由は有ろうが悪く思っている人間とは一緒に住むとはならんだろう?」

「うぐぐ……」

 

 反論出来ないのだろう。八雲は両手を握りしめると悔しそうに白を睨みつけてくる。白の見立てでは恥ずかしさ七割、怒り三割といったところだろう。プルプルと震える様は見ていて白を飽きさせない。

 

「それとも、私には言えない理由でもあるのか?」

「っ!?」

 

 そして、その間隙を縫うように白の鋭い問いが八雲を射抜いた。

 静寂、テレビから流れるニュースの音量すらも低くなったかのような錯覚に八雲は襲われていた。

 

(ふむ……厄介な事に巻き込まれたか?それしては緊迫感は無いが……)

 

 八雲からの返答が無くとも白には関係が無かった。突然、外国から自分に会いに来た女の子と海外旅行。急にも程があるし、不自然極まる。仲良くなったから旅行に行くにしても会って数日はあり得ないだろう。

 ならば、相応の理由が有って然るべきだ。と白は考えていた。

 

(……例えばパイがマフィアの娘で、その親から八雲の父親が助けたとか、遺産相続とか……うむむ)

 

「べ、別に大した理由じゃないから、ちょうど香港行きのチケットが有ってさ~」

 

 汗を垂らしながら釈明を繰り返す八雲を余所に白の思考は回転し続ける。しかし、その思考はマフィア等の犯罪組織絡みが限界であった。

 

 まさかパイが三只眼吽迦羅(さんじやんうんから)という妖怪であり、そして八雲がそのパイによって命を助けられる形で(ウー)という不死身の存在へなってしまったというのは慮外の出来事であった。

 白が僅かでも前世の力の片鱗が有れば見抜けたであろうが、今の彼女は前世の記憶が有るだけの成人すら迎えていない少女に過ぎない。

 

「ま、何か有ればママに相談するんだな。怒られるかもしれんが」

「ははは、そうだな……」

 

 冗談めかした言葉で白が話題を締めくくると八雲がほっとした様子で乾いた笑いを繰り返し、八雲はそそくさと帰って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 八雲の帰国から数日後。白は愛用のバイクをすっ飛ばして病院へと向かっていた。

 バイクはGSX1100S katana。かつてヨーロッパを席巻した名車と名高いバイクである。大型車ゆえの扱いにくさは有るが、日本刀をイメージした優れたデザインと高い基本性能を持っている。

 そんな愛車を法定速度ギリギリで走行し、細かく車線変更を繰り返している様からは白が如何に急いでいるかが窺えた。

 

(八雲が怪我……まさか)

 

 風がこれでもかと叩きつける風防から焦りを滲ませた白の顔が透けて見える。普段の泰然自若とした雰囲気は今の彼女からは感じられない。そこには親しいものが不幸に嘆く少女の表情しか見えていない。

 

(やはりマフィアがらみか?となるとパイはマフィアの関係者か?あの箱入りっぷりはそういうことか?)

 

 車体を傾けながら白の思考は加速する。しかし、この世界で妖怪の存在を知らない白の考えは再び迷走していた。

 そんな白の視界に明らかに法定速度を超過した二人乗りバイクが写りこむ。二人乗りで堂々とスピード違反をする豪胆さを妬むが、そんな感情は一瞬にして霧散する。

 

「八雲!?」

 

 対向車線から見えたバイクの後ろの乗員は、これから見舞おうという怪我人、八雲その人であった。

 ヘルメット内にくぐもった声が響き、白はバイクを強引に対向車線へと変更させた。

 

「悪い!」

 

 いくつものクラクションが持ち主の不満と怒りを表すかのようにけたたましく鳴り響く。白は咄嗟に行動した自分を省みながらも、事故が起きなかったことに安堵し、自己満足だけの謝罪をして八雲達を追うべく愛車に叱咤を飛ばし、走り出す。

 

(あいつ、橋の崩落に巻き込まれたとか聞いていたが、もう病院を抜け出したのか?)

 

 八雲達に追い付くために、白はそれまで遵守していた法定速度を軽く無視してアクセルを深くする。

 エンジンが唸りを上げ、車体の熱が白の体にじんわりと馴染んでくる。

 距離は大分離されてしまったが、それは微塵すらも問題にならない。八雲達の乗車するバイクは所詮中型、400ccがせいぜいだろう。しかし、白の愛車katanaは1100ccしかも、欧米向けのモデルをわざわざ逆輸入した逸品だ。排気量も上回り、そしてましてや相手は二人乗り、追い付かない道理は無い。

 豆粒の様だった二人の背中を捉えてから、ぐんぐんとその背中が大きく、近くなっていく。

 

「言い訳が楽しみだ八雲!」

 

 少なくとも病院を抜け出して遊びに行く元気は有るのが分かり白は安堵していた。そして、代わりにSっ気が顔を出す。

 瞬間、白の視界に十メートルに届こうかという巨躯を持つ異形の人面鳥が現れた。

 

「はぁ!?」

 

 あまりの光景に白はあんぐりと口を開け、驚きを露わにする。普段は落ち着き払っている彼女を見ている者が居たら、それはそれは驚いたろう。それほどまでに白は間抜けな顔を晒していた。ヘルメットをしていたのは運が良いと言えたろう。

 巨鳥の化け物は何かを掴むと、ゆったりとした動作で公園へと羽ばたいていく。そして、八雲達のバイクもスピードを落とし、化け物を追従していく。

 

「ば、ばかな」

(この世界にも妖怪の類が居るのか!?)

 

 白も徐行に近い形で二人を無意識に追うが、周囲の驚きよりも白の驚きは深かった。

 十九年生きて初めて遭遇した怪異に、そしてその怪異と八雲が関わっているのが、彼女の心を強く揺さぶっていたのだ。何より、ここ最近の八雲の様子は怪異がらみだったと至った事で混乱がオーバーフロー気味になっていた。

 

「くそっ、どうなっている?」

 

 そうこうしている間に二人は新宿中央公園で停車していた。白はそのままバイクで突っ込んでやろうかと考えたが、徐々に落ち着く頭が八雲に気取られず近づいた方が良さそうだと判断したため、バイクを停車しゆっくりと二人の元へと向かう。

 ヘルメット外したことで亜麻色の美しい髪が夜気へ晒され、ふわりと流れた。困惑から流れた汗が一月の冷気に触れ、一気に冷えた。

 近づくにつれて二人の会話が白の耳へと入っていく。

 

「……あの、ドラキュラみたいな奴で――夏子も化け物にされちまったのかな?」

「……」

 

 夏子、その名前は白にも覚えがあった。八雲の小学校からの同級生で白とも交友のある少女である。黒髪のショートカットで明るく皆から好かれる美少女といった印象の子だ。

 

(化け物?)

 

 どくんと白の鼓動が早くなる。何かの怪異に巻き込まれているのは明らかだった。それが化け物になるというのは一体どういうことだ。白の中で疑問が次々に湧いていく。

 

「夏子、夏子、夏子ぉ……」

 

 八雲の知り合いであろう少年が慟哭を上げて名を呼び続けている。

 一歩一歩、白が近づいていき、夏子の姿が露になった。その光景に白は息を呑んだ。そして……。

 

「どういうことか説明してもらうぞ八雲」

 

 それまでの疑問や不安、怒りという感情は吹き飛び、白は極めて冷静にそう告げた。

 

 

 

 

 夏子を落ち着ける場所に連れて行きたい。八雲の意向に則り一行はとりあえず八雲の自宅へと向かおうとしていた。八雲と同じく橋の崩落に巻き込まれた夏子を病院へは戻さないという選択肢はかなり厳しいものだが、夏子の姿を見た後ならば、それは納得できるものだったのだろう。

 今の夏子は胸の中心にこぶし大もある目玉がついた腫瘍の様な出来物がぼこぼこと蠢いており、さらに周囲には太い血管の様なものが全身を蝕まんと根を張っているという異様極まりない姿となっていたからだ。

 八雲は詳しい説明は家に着いてからすると白に説明していたが、白はその異様な存在を超常に類するものだと感じていた。なまじかつては化け物だった身。力を無くしてもなんとなく察したというところだろう。

 

(予想以上に厄介なことになってるんじゃないか?)

 

 八雲達を乗せたタクシーを追走し白は思考を巡らせていた。

 ちなみに八雲達が乗っていたバイクは公園に置いてきた。

 不用心かもしれないが、どうやら夏子は化け物に操られ、パイを浚ったのだが、八雲に防がれ意識不明の少女が二人という事態の為、流石にバイクでの移動は無理だと判断したためだ。

 白がバイクなのは愛車を置いて行きたくないと頑なに拒否したためだったりする。

 

「ん?」

 

 白のバイクを先行する八雲達が乗るタクシーが停車する。どうやら検問らしい。事件か事故か定かではないが、今日の運勢はとことん悪いのだろう。誰かの運か、一行の運かは分からないが。

 

「なんか、あったんすか?」

 

 タクシーの運転手が不機嫌な様子で近づいて来た警官に声を掛けた。見るからに厄介事を抱えている八雲達を乗せてしまっているのだ。これ以上の面倒事をこうむりたくないのは致し方ないことだろう。

 だが、運転手に降りかかった面倒事は、そんなものではなかった。

 

 パン。

 

 乾いた音が辺りに響く。深夜に差し掛かろうかという時間帯。それでも都内の喧騒は未だ眠りにつくには早過ぎる。そんな喧騒が非日常の一音でかき消された様にその場の者達は感じたであろう。

 警官の手には硝煙の漂わせたリボルバー。

 そして運転席には頭を撃たれた運転手が血を止めどなく流してシートに体を預けていた。

 

「え?」

 

 それは誰の疑問符か、吐息か?

 

「ヤバい!タっちゃん逃げろ!」

 

 立て続けの怪異、妖怪と接した八雲がまず状況を理解した。警官のこめかみの辺りには巨大な眼球がべったりとはりつき、周囲の皮膚に根を下ろしている。それは夏子の胸部に張り付いたそれと全く同じものだった。

 しかし、気付いた時には既に状況は最悪の事態へ向かっていた。

 どこに隠れていたのか、タクシーの周りは数十人を越える人影に囲まれている。

 そして、その全ての人たちに例外無く歪な眼球が体の何処かに張り付いていた。これが罠であることは誰の目にも明らかであった。

 

「八雲っ!」

 

 katanaを唸らせ白が強引にターンを決める。1100CCの怪物的な排気量を持って車体を振り回し、なんとか退路を確保しようと奮戦する。

 死なないように手加減を加えているが、見知らぬ他人よりも知ったる身内の方が遥かに大事なのだろう。遠慮無く白は暴れまわった。

 

 

「パイ!!!」

 

 だが、パイを最優先する八雲と最悪パイを犠牲にする事も考えていた白では、立ち回りが齟齬が生まれるのは必定、遂にパイは捕まってしまう。助けようか見捨てようか、白は一瞬、硬直してしまった。

 本来ならこの程度の妖怪もどきに後れを取るパイではないが、今はお札で妖力と主人格を封じられていては力を振るうことは叶わない。あっという間に操られた人達に担がれて運ばれていく。

 

「八雲、待て!……っ!?ぐあっ!!」

 

 焦った八雲は白の制止も聞かずにパイの後を追おうと駆け出し、そして当然の如く捕まってしまう。確かに八雲は不死身の肉体を持つ无となってしまったが、それはあくまで人間が不死身になっただけに過ぎない。魔法が使えるようになったわけでも、怪力無双になったわけでもない。八雲の身体能力は何も変わっていないのだ。

 故に数人に囲まれてしまえば身動き取れなくなってしまうのは当然の帰結だった。

 そして、八雲が捕まったことで更に狼狽えた白もバイクから引き摺り下ろされてしまい、強引に道路に叩きつけられ、整い滑らかな頬に血が滲む。

 

「く、放せ!」

 

 地に顔面を押し付けられる。それは白にとって今世でも前世ですらも覚えが無い屈辱。目の前が真っ赤になるほどの怒りが彼女の中を駆け巡るが、悲しいかな今の白にそれを発揮する力は無い。

 

(くそっ!まさかかつての力が欲しいと願う日が来るとはっ)

 

 白に万分の一でもかつての力が有ったなら。八雲達を救って下手人を屠れたであろう。

 しかし、それは無いものねだりでしかなかった。

 

「ゲ、ゲッゲゲ、お、お前、邪魔、し、シすぎ」

 

 白の抵抗は化け物にとっては目障りだったのだろう。諦め悪く足掻く白に先ほどの警官が拳銃を構えた。

 撃鉄がかちりと上げられる。

 

「や、やめろ!」

 

 悲鳴の様な八雲の声が響く。

 

「っ」

 

 白く、形の良い白の喉がごくりと鳴る。数瞬で喉が渇くという経験は彼女にとって稀有な経験だった。

 

 警官の右の人差し指に無慈悲に、無情に力が加えられていく。

 

 ■■■――――

 

 次の音は銃声、八雲の慟哭か、白の断末魔の声か、化け物の哄笑か。

 全身に走った衝撃と薄れる意識。白にそれを確認する術は無かった。 

 

 



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第三話

「白姉ええええええ!!?」

 

 八雲の慟哭が深夜の夜気に溶けていく。

 白色を好む彼女のジャケットが徐々に別の色へと、赤色へと染まって行く様子に八雲は駆け寄ろうとするが、数人に押さえつけられている現状でそれは叶わない。

 白は拘束を解かれているというのに力無く道路に横たわっていた。

 

「ゲ、ゲッゲゲ……ひ、非力なやつ。女……ひ、一人守れず……う、奪い返せも……し、しない」

 

 叫ぶことしか出来ない八雲に嘲笑と共に侮蔑の声がぶつけられる。

 それは、夏子が発した声だった。

 だが、八雲には分かっていた。夏子の声色だが、そこに夏子の意志は無い。夏子を操る者が夏子を操って意志を伝えているのは明らかだった。

 

「貴様っ!どういうつもりだ!」

「く、喰らうんだよ……さ、三只眼(さんじやん)を……わ、我がモノに……するんだ……。そ、そうすれば……不老不死の……秘密が……わ、分かる」

「な、なんだと」

 

 動けない八雲を見下すように操られた夏子は舌舐めずりしながらそう告げた。病院で着せられた病衣ははだけ、形の良い乳房がさらけ出されているが、胸の中心部でぎょろぎょろ動く目玉と周囲の皮膚を這う脈動する根が扇情的な様子をことごとく打ち消していた。

 

「く、食ってしまえば……か、簡単だぁ……そ、そうでなくても……ふむ」

 

 怒りに顔を歪ませるも何もできない八雲に加虐心を刺激されたのだろう。自意識無き夏子は空を暫く見つめているとにやにやと笑いだす。

 

「ゲッゲッゲゲ……こいつは、わ、笑える。こ、この女……お前の事が……す、好きらしい」

 

 相手の言葉が本当かどうかは確かめる術は八雲には無い。しかし、それでも幼いころから一緒に過ごした相手が自分を慕ってくれているのを聞いて心が動かないわけがない。場違いにも嬉しいという感情が漏れ出た八雲だったが、それは僅かな時を持って吹き飛んだ。

 

「う、うぅ……お、お前に……う、お、お、犯され、るのが……ゆ、夢らしいっあ、……ゲ、ゲッゲゲ」

 

 それまでたどたどしくも普段とはまるで違う表情で喋っていた夏子の表情が苦痛と羞恥で歪み口を閉じようと戦慄きながら喋り続ける。眦には涙がどんどんと溜り、僅かな時で溢れだした。

 それは夏子が胸に秘め続け、大事に温めていた心の卵。それを無作法に叩き割られた悲しみの感情の発露だった。

 

「わ、笑えるだろ……う?……お、犯してやったら……ど、どうだ?」

 

 ぽろぽろと涙を零しながら夏子は告げる。自らの意志とは無関係に。

 

「止めろ!」

 

 

「止めろ!卑怯もんがぁ!そんなに俺が怖いのか?女を人質とってよお!!あぁ!?」

 

 体を操られ、秘めたる思いすらも最悪の形でばらされ、泣く事しかできない夏子を見て、八雲は吠えた。夏子を救う手も、化け物を打つ術すらないが、叫ばずには居られなかったのだ。

 

「お、俺が……卑怯……もの?ふ、不死身な……だけの、小僧が…………いいだろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、お望み……どおり、サシで……いたぶってやる!」

 

 就業を終えたビルの吹き抜けのホールへと連れて来られた八雲が見たのは空中に吊り上げられた巨大な針時計に仁王立ちするトレンチコートを羽織った人物だった。そして、昼間に橋を倒壊させた妖怪でもあった。パイの別人格、三只眼に手酷くやられたはずなのにぴんぴんしているのはさすが妖怪と言ったところなのだろう。

 お札を張られて動けないパイは操られた夏美によってタクヒが封じ込められている杖を首に押し当てられて拘束されていた。お札ゆえか首の苦しさゆえか、パイの顔は青白く憔悴しているのが目に見えた。

 

「白姉、すぐに病院に連れてっからちょっとの間、辛抱してくれよ」

 

 絶望的な状況を理解した八雲は背負っていた白をそっと床に降ろす。白の胸のあたりには依然として穴が開いており、じわじわと出血が続いていた。戦いの場に連れて来ることに抵抗はあったが、あの場に置き去りにすることも憚られたため、背負ってきたのだ。

 

「……」

 

 元々、白い肌が血色を失い更に白くなっている様は呼吸で上下する胸がなければ死んでいると錯覚するほどだ。

白に残された時間は思った以上に無いのかもしれない。

 返事も無く横たわり続ける白を見て八雲の普段は糸目がカッと開かれた。そして、その瞳のままにトレンチコートの化け物を睨みつける。

 

「来やがれ!!」

「ゲッゲッゲ!行くぞ!」

 

 なけなしの勇気を掻き集め若干震えた声で八雲が雄たけびを上げれば、化け物は八雲の心情を理解してか不気味な薄ら笑いを浮かべながら十メートルは有ろうかという高さから跳躍する。一見すると鈍重そうな見た目をしているが、そこは化け物。人間の常識など容易く凌駕しているのだろう。

 

「うぉ!?」

 

 叫びと共に八雲がもんどり打つように転がる。その頭上を大型の肉食獣ですら比肩出来ない大きな爪が空気を引き裂く音共に通り過ぎていく。 

 その様子に化け物は牙だらけの口を笑みを浮かべるように歪めると無造作に両手の爪を振り回し始めた。

 

「っ!……おっとぉおお!?」

 

 爪が振り下ろされるたびに八雲は体さばきもくそも無いまるで転げるように凶刃を避け続ける。

 なんとか回避できているように見えるが、それは事実ではない。他者を操り、人質を取る。そして秘めたる心の内を最悪の形で曝露する。この化け物は卑怯と八雲に罵られ怒りを露にしていたが、間違い無く外道であった。

 

「くそっ!」

 

 化け物は八雲を侮り大振りの攻撃を連発する。ギリギリ当たるか当たらないか、わずかに掠らせ反応を楽しみ嗜虐心を満たしていた。

 その侮りを隙として八雲は走り出した。

 

「に、逃げるかぁ!こ……腰抜けがぁ!」

「こ、こっちは不死身なだけの高校生なんだぃ!」

 

 

「香港の時は準備してたからやれたが……」

 

 

「化け物と真っ向からやってられかよっ!!」

 

 情けない言葉と言い訳を語気を荒らげながら八雲はパイに向かう。不死とはいえ、肉体的な強化は一切無い。そして平均的な体躯の八雲の身体能力は高校生の平均の域を出ない。勝ち筋が有るとすればパイの札を外し、もう一つの人格三只眼(さんじやん)の力を当てにするしかない。

 現に今、対峙する化け物は数時間前に三只眼に一蹴され逃げの一手しか打てなかったのだ。

 

「さ、三只眼に……助けを……請うか」

 

 だが、そんな八雲の決死の行動も徒労に終わる。

 八雲が必死になって昇った針時計への道を化け物はたった一度の跳躍で追い越した。彼我の戦力の差は絶望的だった。

 

「終わりだ……。き、貴様の首……永久に……び、瓶詰にしてやる……」

 

 化け物の右手が淡く光りだす。昼間に八雲の左手を根こそぎ吹き飛ばした光弾を放つつもりなのだろう。

 

「ま、待て!せめて、夏子を元に戻す方法を教えてくれ!!」

 

 防ぎようがない攻撃を前にした八雲は命乞いでもなく、大切な友人を化け物の頸木から解放する術を求めた。

 

「ふん。そ、それは……俺が死んだ時だ。ゲッゲッゲ」

 

 濁った笑いを響きかせ、化け物は容赦無く光弾を八雲へと放つ。

 光弾は化け物の狙い通り首へと直撃し、八雲の首は弧を描くように吹き飛んでいく。頭部を失った胴体からは未だ心臓が動いているのだろう。首からは血が噴き出していた。

 

 

 

 

 

 冷水にでも浸ったかのように体が冷たく、そしてそんな寒さにも関わらず眠気がこんこんと湧いていく。

 うっすらと意識を取り戻した白は再び、意識を手放しそうになっていた。

 白にはこの感覚に覚えが有った。それは、死の感覚だ。抗いようのない何処までも落ちてしまいそうな浮遊感。

 

「……っ……」

 

 言葉すらも碌に出せないほどに疲弊した体だったが、それでも白は意識を手放すまいと抗っていた。

 

(……八雲、くっそ……力が、入らない)

 

 拳銃で撃たれる前の記憶を鮮明に覚えていた白は現状を把握しようと足掻くが、それでも力は寸毫も入らなかった。

 

(く、あぁ……なんて弱いっ……なんて……)

 

 八雲を守れず、夏子を救えず。自らの身すらもこのざまだ。白は忌み嫌っていたはずの前世の力が全く無い今の身を心底、悔いていた。かつては自分以外のすべての生き物の恐怖を無力を無駄な抵抗を快楽として浸り尽くし、そして貪り尽くした自分が、今は逆に無力。

 

(ここは、吹き抜けのホール……か、うぅ)

 

 唯一、動いてくれる両の目を動かし白は周囲を見渡す。顔が動かぬ現状では白にはせいぜい吹き抜けっぽいところに居るということくらいしか分からない。

 だが、白にはそれで十分だった。

 

「あ……あぁ……あ!あぁあああ!」

 

 白の両の目が限界まで開かれ、そしてその光景を理解してしまう。

 それは見慣れた八雲の背中と、頭。が分かたれていた。頭部はきれいな弧を描いて白の近くまで飛んでくる。

 

「や、八雲……?」

 

 瞬間、白の濡れ羽を思わせる美しい黒髪が、前触れもなく雪原の雪を思わせる白へと染まった。そして、多量の血を失ったにも関わらず両の足で立ち上がる。さらに流れる流水を思わせる整った手指の先端がナイフのように鋭く尖った。

 

「貴様ぁ!!」

 

 先まで枯れ果てていたはずの体力が僅かな間で満ち満ちていく。それどころか、気を抜けば弾けてしまいそうな程に力が白の中に漲ってきていた。

 そして、それ以上の憎悪と殺意。八雲を殺した相手を徹底的に殺しつくす。そんな感情が白の中を駆け巡っていく。

 

「……ころす、殺してやる!!……え!?」

 

 今の力ならば十メートルの距離など一息で跳べる。確かな確信を持って白は両足に力を込めたところで間抜けた声を上げてしまった。

 

 

 

「ば、ばかな!」

 

 驚愕する化け物の脇を頭部を失った(・・・・・・)八雲の体が駆け抜ける。

 予想外の光景に白は動きを止め、そしてそれ以上に八雲の頭を吹き飛ばした化け物が驚いていた。永久に瓶詰にすると抜かしておきながらも、まさか頭部を失ったままで動けるほどの不死性を八雲が持っているとは思っていなかったのだ。

 (ウー)の不死性は破格だ。妖物の頂点種たる三只眼吽迦羅が生涯でただの一度しか使えない究極の不死の秘術なのだ。不死とする者の命を取り出し、己が命を同化させ、その命が抜かれた肉体は幾ら損傷しても元へと再生する。たとえ体が粉微塵にされようとも、滅びることは無い。自らの主たる三只眼吽迦羅が死なぬ限り。そんな最高レベルの不死を持つ无が頭を吹き飛ばされた程度で動けなくなるはずがないのだ。

 

「黄泉路を急ぎおって、下衆が!」

 

 八雲によってパイの額の札が剥がされ三只眼が目を覚ます。怒気に彩られた瞳で一睨みされれば化け物もたじろぎ、後退ってしまった。格の違いは一目瞭然だった。

 そんな三只眼の報復がなされることは無かった。

 役目を終えたと思えた八雲の体が更に動く、夏子が持っていたタクヒ召喚の杖を引ったくり、杖の先を引っこ抜き封印を解く。

 光り輝くその杖を振りかぶり、八雲の体が更に動く、左手には札が握られじゅうじゅうと八雲の体を蝕む。既に妖怪の仲間入りをした八雲は札や護符などで体を害してしまうのだ。

 

「ぎゃあああああ!?」

 

 そして、無論その札は化け物にも有効である。自らでは扱えないからこそ夏子に使用させた札を左目に貼られ化け物は絶叫をあげる。濁ったその叫びは、聞くものの心を不快させる悍ましい物だった。

 

「うぶっ!?ぎ。いいあああああああ!?」

 

 その叫びを止めるように八雲は今まさに解き放たれようとしてるタクヒ召喚の杖を化け物の口へと押し込んだ。

 瞬間、化物の体内で十メートル近い巨躯を誇るタクヒが召喚される。

 ボンっ!

 風船が弾ける音よりも何十倍も大きく、腹に響く音が当たりの空気を震わせ、吹き抜けに面したガラスをこれでもかと割っていく。

 辺りには周囲に臓腑や四肢をぶち撒けた化け物の死体が転がっているだけだ。

 

「……どうなっているんだ?」

 

 後には唖然とする白と、八雲の顔を「札を直ぐに取らなんだ罰じゃ」と、ニコニコ笑いながら抱きかかえる三只眼の姿が在るのだった。

 

 




 白のCVは白面からの転生ということで林原めぐみさんをイメージしています。
 しかし、パイの声も林原めぐみさん。
 灰原哀っぽい感じが白で自分の中では想像しています。白面=林原めぐみで二度見したのは良い思い出。


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第四話

 朝日が登るまであと半刻といった未だ闇深い朝方。

 轟々と都会ならではのビル風が白の亜麻色の髪を弄ぶ。黒を基調とし、白のアクセントが生えるロングスカートに白色のダウンコートを合わせた白は自宅マンションの屋上で目を瞑り仁王立ちしていた。

 ダウンコートは着ぶくれして好みではない彼女だが、昨晩の事件で穴が開くわ、血がべっとりと着くわでお気に入りのコートがご臨終してしまったが故の出で立ちあった。

 お気に入りのコートが駄目になってしまったからか、はたまた別の要因なのか、白の表情はいささか険しさが差していた。

 

「……来たか」

 

 こつこつと近づく足音に白は瞳を開いた。

 そして、瞳が開くと同時に彼女からしたら見慣れたであろう亜麻色の髪束が見る見るうちに雪を混ぜ込んだように白く染まりあがる。夜気にさらされ、月の光を浴びた髪は強いビル風に煽られさながらきらきらと輝いていた。

 

「待たせたようじゃな」

「そうでもない」

 

 ぎぃと屋上の扉が開けば、そこからあどけない容姿の少女パイ……いや三只眼(さんじやん)が八雲のジャンパーを羽織って現れた。

 

「……どうしたのじゃ?」

「いや、八雲はいないのかと思ってな」

「あやつは再生中じゃ。そうさな……あやつの今の状態であれば三日もあれば首は付くじゃろうて」

 

 こともなげにいうが、首を吹き飛ばされて生きていられるものは極少数だ。白がかつて居た世界でも余程のものだ。そう首を切り離されて生きているものは字伏(あぜふせ)級の力を持つものくらいだろう。

 

「……そうか、なら良い」

「……」

「……」

 

 そこでお互いの会話が途切れた。

 三只眼はここ数百年他人と話をしていなかった。そして白は前世が前世だけに高圧的に話したり謀略にかけたりなのは得意なのだが、心中を吐露して話す機会が無かったために八雲に危害が及ばないように相手に気を使っている状況だった。

 

「まどろっこしい。何を聞きたいんじゃ」

 

 沈黙かはたまた冷え切った外気に煩わしさを覚えたのか、三只眼がそう切り出した。

 

「そう……だな。あぁ、遠慮など私らしくなかったな」

 

 

 

「八雲に何をした?」

 

 びゅうと一際、強い風が二人の髪を、服をはためかせた。

 

「なぜ、あんなことをした。あれでは人とは言えない。あれほどの再生能力、不老まで備えているとしたら……」

「無論、不老じゃよ。我らが秘術を甘く見るでない。わしが死ぬその時まであ奴は死なぬよ」

「あいつは、普通の人間だったんだぞ!何の力も無い。特別な事なんて何一つないんだ。不老不死にて何の得があったんだ!」

「……」

 

 自身が八雲の体を作り変えたことを指摘されても、三只眼に悪びれた様子は無く。逆に自身の術を自慢げに話すだけだ。

 その態度に徐々に白は怒りを覚えていく。前世での罪への思い、今世を生きた事での人の何でもない日々が何よりも尊いものだと理解しているが故の怒りだった。

 

「得じゃろう?最上級の不老不死じゃ。俗世の暮らしとはとても釣り合わぬと思うがな」

 

 飄々と三只眼はそう返す。

 確かに三只眼の言うとおり数多の権力者が追い求め、終ぞ得られなかった不老不死を手に入れた八雲は確かに幸運なのかもしれない。

 

「確かにな。だが、こんな事件が起こっては八雲は今までの暮らしなど出来ないだろう」

「わしもそう言ったんじゃがな」

 

 これだけの事件だ。人の世に広まるのも明らかだが、妖怪たちの間でこの事件が広まらないとも限らない。現に今回の化け物はどこからか三只眼の話を嗅ぎ付けてやってきたのだ。

 八雲に妖怪を退ける力が有ればまだしも、八雲は死なないだけの只の高校生だ。いつまでも凌ぎ切れるものでもない。ここでの生活には早々に見切りをつけるべきだろう。八雲がどう思っていようが。

 

「そう怒るでない。永遠にこのままというわけではない。わしとパイが人に成れたなら、奴もまた人に戻れよう。その手がかりも既に見つけておる」

「本当かっ!」

 

 思わず白の口から大きな声が出てしまう。それほどまでに白にとって三只眼が伝えた情報は重要だった。

 

「あぁ、この前出向いたほんこんとやらに伝手が出来ておる、まずはそこからじゃな」

 

 ふむ、と白は整った柳眉にしわを寄せて考え込む。

 そんな白を見て、三只眼もまた、ほぅとばれぬ様に息を吐いた。

 白が三只眼を信じていない様に、三只眼もまた白を信じてはいなかった。確かにパイが随分と世話になったし、冷たさを口々に滲ませているが、それでも相手を決して放ってはおかない優しさを持っていることは三只眼も理解していた。

 だが、数時間前に見せた突然の変容は、それまで三只眼が抱いていた白への感情に僅かな疑念を浮かばせていた。不死に魅了される妖怪は多い。ただでさえ力もつ彼らが唯一、逃れられないのが老いそして死だ。三只眼の无はそれを解消してくれる。現にかつて三只眼の王は部下の三只眼の不老不死の力を、自らが利する妖怪たちへ使うように強要していた。

 八雲が不死になって一か月も経っていない。にも関わらず情報はどこから漏れたのか、三只眼はそれを気にしていた。

 

「それにしても、貴様は何じゃ?人間と思っておったが……妖怪とも言えぬ気配。前に会う(おう)た時にはその様な気配は無かったはずじゃが」

「……」

「言えぬ事か?」

 

 ぎろりと三つの目が白を睨む。そこには先ほどよりも敵意が滲んでいた。

 その気配に白の体は一瞬、鳥肌が立ってしまう。全盛期の自分からしたら三只眼が放つ気配などまるで相手にはならない。そもそも比べることすらおこがましい。しかしながら、今の白の力はかつてからすれば無いも同然だ。身体的な能力は一般的な妖怪程度しかないだろう。

 そんな体に三只眼が向けてきた敵意と気配は少々堪える。

 

「言って信じて貰えるか分からん。荒唐無稽すぎる話なのだがな……むぅ」

 

 とはいえ、口にした通り、前世の記憶があって力の一部の様なモノが瀕死になったせいか、八雲の死によって激昂して目覚めたのかははっきりとせず、伝えて良いのかどうか白は測りかねていた。

 

「……それはこちらで決める。疾く話さんか、いい加減体が冷えてきたわ」

 

 口を尖らせる白に、毒気が多少は抜かれたのか三只眼はやや呆れた様子で先を促した。

 

 

 

 

「そのようなことがのぅ……わしが知る限りその様な事は知らんが……」

 

 掻い摘んだ白の説明に三只眼は首を傾げた。ちなみに、話がややこしくなるので、こことは別の世界での話という点は伏せた。かつてはそれなり(自身の最大天敵の獣の槍と妖怪、人間の連合軍でようやく互角)に力が有ったことは話したが。

 

「まぁ良い、小僧が気になるなら付いてくれば良い。それに、わしの命と小僧の命は同化しておる。知らぬところで危険に会うのは本意ではないじゃろう?」

「言われんでも、人にしてやるさ。八雲を人間に戻すついでにな」

 

 ぶっきらぼうに白はそういうと話は終わりとばかりに、髪を元の亜麻色に戻した。

 三只眼は鼻を一つ鳴らすと、ぶるりと肩を震わせて屋上を後にした。

 

 

 

 こつこつとまだアスファルトの階段を白は降りていった。パイは冷え切った体にため息を吐くと、未だに首が繋がり切っていない従者に茶を淹れさせようと決心する。

 人に成るのは三只眼とパイにとって悲願である。かつての仲間はもう居ない。唯一残った願いがそれなのだ。

 そのついで八雲を戻すのも吝かではないと彼女は考えていた。

 

『八雲ぉおおおおお!!』

 

 獣の様に吠えて、その身を変貌させた少女を三只眼は思う。白は八雲が死んだと思ってあの力が目覚めたのであろう。それは、パイを救うために命を落としかけた八雲と同じ思いなのだろう。人間とはなんと素晴らしいのだろう。両方ともそれ故に人ならざる者になってしまったのは皮肉だが、三只眼は人間に対する憧憬をより深いものとしたのだった。

 

 

 

 

 八雲の問題に光明が差した一方で白は悩んでいた。

 部屋の中を行ったり来たりしながら、どうするべきかと頭を働かせていた。権謀術数に優れた頭脳を持つ彼女の悩み、それは今の自分の状態をママにどう説明すべきかという点だった。

 口八丁で丸め込むのは容易いだろう。国一つを言葉のみで操り、疑心暗鬼と猜疑のどん底に陥れ自滅させたことすらある彼女からすれば只のヒトでしかないママを騙せないわけがない。

 しかし、十九年人として生き、そしてその生の大半である十年近くを共に暮らし、そして育ててもらった葛葉白としてはママに不実を働くなどあってはならない事だった。

 だが、かといって現状をすべて説明してしまえば八雲の事にも触れてしまう。いや、それは言い訳だった。白は自分が人とは呼べない力を持ってしまったことを説明したくないのだ。かつて、自分以外の全てから憎しみと怒りを恐怖と絶望を向けられたが故に、ママにそんな感情を向けられたくなかったのだ。

 

(ふ、弱くなったものだ……。あれほど皆から負の感情を向けられた私が、今更一人の人間の感情が怖いなどと……)

 

 そんな事を白が考えていると、隣の部屋でけたたましい目覚ましの音が鳴りはじめた。

 

「しまった。もうそんな時間か」

 

 どうやら白が悩んでいる間にママの起床時間となってしまったようだ。慌てるも白は何事も無いかのように部屋を出て、朝食の準備に取り掛かる。

 

(時間が無い。ホットケーキか、フレンチトーストで誤魔化そう)

 

 瞬時に当たり障りのないメニューを浮かべ、時間を稼ぐために牛乳をレンジで温める。パックを外したりなんだりとママはお肌の手入れやなんやらと朝のお手入れは白の何倍も掛かる。

 

「白、ちょっと良いかい?」

「っ?……あぁ」

 

 だが、予想に反してママはパックを外すだけで食堂に来てしまう。白の喉は上ずった声を上げるのが精いっぱいだった。そして、白は自身の喉が渇くのを確かに感じていた。

 

(緊張、そうかこれが緊張か……)

 

 温めたミルクだけを食卓に置き、白とママは向き合って座っていた。お互いにミルクに手は出さない。湯気が徐々に消えていく。なんとか言葉を紡ごうと白の口は意味も無く開き、そして閉じる。

 いくたび、それを繰り返しただろう。最初に口火を切ったのはママだった。

 

「そういやぁ、八雲の奴。休学するって言ってたぞ。全く自分の金で通ってるから強くは言わねぇけど、中卒ってのは中々、大変なんだがなぁ」

「そうなのか」

「あぁ、俺も大変だったよ。結局かたぎじゃなくなっちまったしな」

 

 そこでママはぐいっと冷めたミルクを呷る。

 

「お前が何か言えない事を言おうとしてるのは分かってる」

「……」

「八雲が人間じゃなくなっちまった。……それと関係が有ることかい?」

 

 沈黙。二人の間に静寂が広がっていく。普段口数が多い方ではない二人だが、それは二人の関係が不仲だからではない。よく買い物に一緒に行くし、白は前世もあったからか反抗期とは無縁だった。はたから見ても、そして二人とも良好と言って差し支えない関係だったと言えるだろう。

 しかし、今はまるで沈黙という言葉が物理的な壁になったかのように二人の間にそそり立っていた。

 

「あ……そ、そうなる」

 

 戦慄く口元、謀略に長けた舌が今はただ震えるのみだ。

 

「私も……人ではなくなっちゃったんだ」

 

 ぽつりと、白はか細い声でそう呟いた。かつては嘲笑と咆哮を放った口のなんと頼りないことだろうと白は一人自虐する。

 

「それに……ずっとママに隠していたことがあるんだ」

 

 白の口調は知らず幼少のころに年相応の幼子と偽る為に使っていた幼さの滲む口調になっていた。

 

「私には生まれた時から前世の記憶があるんだ」

 

 俯きながら白は吐き出すように押し出すようにそう告げた。白は嫌われること、怖がられること、怒りを向けられること、ありとあらゆる負の感情を知っているはずだった。そしてそれが白面の者の力となっていた。他者からむけられる負の感情を心地良いと感じていた。

 だが、どうだ。今はちっぽけな、それこそ獣の槍はおろか法力、霊力さえない人間が、白に抱くかもしれない感情に怯えていた。

 

(……あぁなんて怖いんだろう。きっとママに嫌われる。怒られる。)

 

 好意を向けていた相手に拒絶される。それは白が、白面の者として生きてきた年月数千年の中で最大級の恐怖だった。それこそ獣の槍に尻尾を根こそぎ奪われた時と同等のものだった。

 

「……人じゃなかったのは前からか?」

 

 普段のママの作った声色ではない。叔父として声色でママは沈黙を破った。その声色には感情が含まれていないように白は感じた。

 

「違うよ。……昨日までは確かに人間だったと思う。確証は無いけど」

「そうか、……何か有ったのか?」

「えっと、八雲と化け物に襲われて、私が銃で撃たれて……」

「撃たれた!?」

 

 ばんとママはテーブルに思い切り両の手を振り下ろす。余りの衝撃に卓上のものがわずかに宙に浮く。

 

「あ、いや……気が付いたら治っていた。もしかしたら、八雲を助けたい気持ちも有るだろうが、命の危機に瀕して前世の力が目覚めたのかもしれない」

 

 ママの剣幕に驚くも、それ以上に自分の身を案じてくれたことに嬉しさを白は感じてしまった。

 

「そうか……なら良かった……のか?」

 

 チクタクと時計の秒針が一秒を刻んで弧を描く。

 静寂な空間にそれは沁みるように二人の耳を届く、そんな中にあってママの声は白に突き刺さるように聞こえていた。

 

 

「ふぅ……初めて会った時からなんか変わってるなとは思ったよ。最初は両親が亡くなった上に施設だなんだとたらい回しにされたせいかと思ったよ」

 

 先ほどの剣幕とは裏腹に訥々とママは語り始めた。

 

「……ぶっちゃけ、気味が悪いと感じたことも有る」

 

 苦笑しながらも、そこには懐かしさが滲んでいた。言葉自体は負を伴うものだが、白には一切の負の感情が感じられなかった。

 

「手も掛からない。むしろ俺が世話になったことも有るくらいだ」

 

 慈しむようにママは白の瞳を見つめる。

 

「なら、なんで私を……」

 

 子供らしからない自分を捨てる事が出来たはずだと、白は最後までは言葉に出来ずに口ごもった。

 

 

 

「見てたからな。毎日のようにあいつらの仏壇に手を合わせるお前をな」

 

 そこでママはにかっといつもの様に笑顔を咲かせた。そこには白を疑う気持ちなど微塵も含まれていなかった。

 

「……」

「あれを見ちまったらなぁ。信じるしかねぇよ」

「っ」

 

 

 白はママの言葉と笑顔に意識が真っ白になった。言葉にしたい思いは溢れるほどに浮かぶが、それは芽を出すことなく、埋もれていく。次から次へと繰り返し、思いは募り、そして。

 溢れた。

 

「なぁに泣いてんだよ。バカ娘」

「……うるさいよ。くそ親父」

 

 一般的とは言えない関係の二人だが、それでも、実の親子ではなくても、そこには確かに親子の繋がりが二人の間にあった。

 




白があまり関わらないイベントは原作通りなので割とすっ飛ばしてます。


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第五話

『』は日本語以外の言語になります。


「あんたが行く必要はあるのかい?」

「……あいつらだけってのはどうにも心配なんでね」

 

 キャリーバッグに荷物を詰め込む白にママは心配そうに声をかける。

 その声色にはありありと不安が込められているが、白の返事は淡泊だった。

 

 別に白が軽薄というわけではない。既にこのやり取りを三日もしているせいだった。

 八雲の方は対して心配してないくせに、白に対してはあれこれと準備に口を出してくる。やれ生水は気をつけろ、荷物はなるべく体の近くに置いて置け、人通りが多い所以外行くなと、事細かに注意してくる。

 若い娘の初めての海外旅行と言うことで気にするのも分かる。だが白は既に人を逸脱した力をその身に宿している。恐らくだが、生水も平気だろうし、人間相手なら身体能力だけで圧倒できるだろう。つまり、ママの心配は杞憂でしかない。

 だが、白はそんなことをわざわざ口にはしない。人間から逸脱してしまった負い目もあるし、心配している人間には無粋だ。それになにより、自分を心配してくれていることが、白は表には出さないが嬉しかったのだ。淡白な対応は照れ隠しも十二分に含まれていたのだ。

 

「学校に顔を出してから出発か、あいつも大概律儀な奴だ」

 

 八雲が帰宅するのをのんびりと待ちながら白はお茶を啜っていた。

 テーブルの向かいにはママがこれまたお茶を啜っており、一見すると普段の日常とは変わらない光景だった。

 

「……」

「……ママ、定期的に手紙なり電話をするから、そわそわするな。見てるこっちが落ち着かないぞ」

「う、うむ」

 

 はぁ、心中で嘆息しながらも白は暫くは戻れないであろう自宅の空気を満喫するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、これはどういう状況なんだ?」

「…あはは」

「ZZZ……」

 

 数時間後。パイをソファに寝かせ、正座をする八雲に白が仁王立ちで迫っていた。

 二人とも衣服や体にこれといってほつれや、傷は無いが漂う妖気がただならぬ何かが有ったことを白に知らせていた。 

 

「いや、この前の化け物がまだ生きてやがってさ」

「はぁ!?」

「夏子に付いてた奴が本体だったみたいだ」

 

 あれだけ派手に体を吹き飛ばされても生きていたカラクリは意外に単純だったが、分裂というのは死を回避する手段としては悪くは無い。

 

「それで、なんとかなったんだろうな」

「あぁ」

 

 険しい白の視線を受け、パイに視線を向けた八雲は曇りの無い笑顔を浮かべる。

 

「パイが、いや三只眼(さんじやん)が助けてくれたよ」

「三只眼が……?」

 

 八雲を下僕の様に話していた三只眼の様子を知っていただけに白は疑わしげに眠るパイをねめつけた。そして……。

 

「ふがっ!?」

「お、おいおい何をするんだよ!?」

 

 パイの鼻を摘み上げた白の腕は八雲によって払われる。

 

「いや、気持ちよさそうに眠っているのでな。腹が立った」

「三只眼が怒ったら大変なんだぞ。まったく」

 

 悪びれない白の様子に八雲は冷や汗を垂らしていた。

 

「しかし、よく寝ているな。襲われたばかりだというのに呑気なものだ」

「あー、それは俺のせいってのもあるから、あまり言わないでくれ」

「?」

 

 二度あることは三度あるという格言もある。現に三只眼を狙ってきた今回の化け物は分裂し本体を隠すことで生き長らえていた。再び襲いかかってこないという保証はどこにもない。

 それに、八雲には言っていないが、三只眼と白は互いにお互いを信じ切れていない。それなのに自分に警戒心が少ないと白は感じていた。

 だが、それも八雲の説明で多少は納得することとなった。

 

「三只眼は強力な力や術を操ることが出来るけど、肉体的にはそれほど強くは無いらしいんだ。

(ウー)を使役するのも術の反動で休眠する自身を守るために生み出すんだってさ」

「それほど強力な力を使ったってことか……」

「あぁ、ただあの化け物を倒すのはきっと三只眼からすれば造作もないことだったと思う。でも、夏子を救うとなると話は別だ」

 

 三只眼は最初戦うことを渋っていた。力を振るえば目立ってしまう。夏子を救わないでもそれはリスクとなってしまう。だからこそ、見捨てようとすらした。

 しかし、八雲からすれば大切な友人だ。切り捨てるなんて出来るわけがない。

 八雲は破れかぶれで化け物に突進し、自らの身体を差し出す決断をした。

 そこで、三只眼は八雲の前に立ちふさがり、一瞬で化け物を吹き飛ばしたのだ。夏子を無傷で救うという離れ業までやってのけて。

 

「寝ている間。体を頼むって言われたよ。やれやれ」

 

 肩を竦めて八雲は苦笑するが、そこには三只眼に対して隔意や悪意と言った感情は僅かも滲んではいなかった。

 

「……そうか」

 

 それを見て、白は体の力を抜いた。八雲を不死身に変えた張本人と一方的に敵意を抱いていたが、危険を顧みないで八雲の願いを叶えた三只眼に白の気持ちは多少なりとも和らいだのだ。

 何を考えているかは分からない。でも八雲をただの下僕とも思っていない。無防備に寝姿を晒すのは彼女なりの信頼の証なのかもしれない。今はそれが分かっただけでも十分だった。

 

「それで、白姉ぇも香港に一緒に来るっていうのはマジか?」

「本当だ。二人の婚前旅行の邪魔……というのは嘘で八雲を人間に戻す手伝いをしようと思ってな」

「白姉ぇ、ありがたいけど……危険だぞ」

「分かってるさ。それに八雲、話したろ。私の身体の事も、前世のこともな」

 

 白は既に自身の事を八雲に伝えていた。ただの十九歳の少女が先も見えない妖怪がらみに付いていこうとしても断られるのが関の山だ。

 無論、最初は八雲も疑ったし、旅の同行を頑として認めなかった。だが、三只眼から使えるものは使えというありがたい言葉と、纏う気配から八雲よりも使えると言われると渋々と同行を認めざるを得なかった。三只眼に逆らえないともいう。

 

「私の事はどうでもいいさ。それより、三只眼は起きなくてもパイは起こせないのか?成田まで担いでいくのは大変だぞ」

「だよなぁ。明日とかじゃダメか?」

「ダメだ。当日キャンセルだと金が戻ってこないだろうが、何が何でも行くぞ。」

 

 こうして三人の旅は割とドタバタとした感じで始まるのだった。

 

 

 

 

 香港。

 

「ニンゲンの像?」

「うん。それがあれば人間になれるんだー」

「ふぅん?」

 

 八雲の腕にしかと抱き着きながらパイはそれはそれは嬉しそうにそう白に告げた。その言葉の扱いは僅か数か月で違和感の無い日本語となっていた。言動と纏う気配からぽわぽわした感じだが、頭が悪いというわけではないのだろう。

 

(像で儀式か何かをするのか?実物を見てみないと分からんが……)

 

 ニンゲンの像とやらを用いるなら呪具を用いた儀式なのだろうと漠然と考える。三只眼吽迦羅の人化とやらがどういった原理かはさっぱりだが、三只眼吽迦羅ほどの高等妖怪なら難なく人になれるのだろうと白は考えていた。

彼女の前世の世界では雪女は雪女を愛する男の腕の中で溶けることで人へとなれる。しかも霊力が無くともだ。雪女も上位の妖怪だが、三只眼吽迦羅ほどではない。

 

(割とあっさりと片が尽きそうだな)

 

 これが後の大波乱のフラグだったことを白は後に知る。

 

「しかし、白姉ぇ英語も中国語も大丈夫なんだな」

 

 香港の公用語はかつてイギリス領だったこともある為、英語なのだが、実際に英語を話せる人はそれほど多くは無い。富裕層や高等教育を受けた人ならば話せないことも無いが、中国語なかでも広東語や、北京語の方が圧倒的に使われているのだ。

 なので、英語が使えるから大丈夫と香港に行ってみたら、それほど役に立たなかったという場合は少なくなかったりする。無論、ホテルや空港なら別であるが。

 

「まぁな」

 

 周りを違和感無く警戒しながら白は他愛無いといった体で返事を返す。

 白にとって英語も中国語も対した問題ではない。前世では散々に中国で暴れたし、なんならヒンドゥー語だって扱えるし他にも幾つか扱える言語もある。というか数千年を生き、謀略を呼吸の様にして生きた彼女にとって何かを学び、覚えるのは大した労苦ではない。そもそもの頭の出来が違いすぎるのだ。

 

「お前も日常会話くらいの英語は出来るだろ?」

「うぐっ」

 

 自身の頭の良さを理解していない白は無自覚に八雲の心を抉る。

 

「大丈夫。パイも日本語すぐに覚えたし、八雲もすぐに中国語覚えられるよ」

 

 八雲の腕にしがみ付きながらパイは悪意無く、にっこりとそう答えた。現にたどたどしい日本語からパイは流暢な日本語になるまで数週間しかかかっていない。ぽやぽやした印象だが、頭自体は悪くないようだ。

 

「……に、日本人は日本語が出来ればいいんだいっ」

 

 そう負け惜しみを言う八雲だが、可愛い系の美少女パイと腕を組み、そしてその反対側にはこれまた可愛いながらも独特の畏怖を纏う美少女、白が割と近い距離で歩いている両手に花という状態だ。負け惜しみを垂れつつも、他人から見れば圧倒的な勝ち組だろう。

 

「それで、妖撃社とか言ったか、その出版社の名前は」

「あぁ、主に妖怪とか超常現象とかを扱ってるらしい。編集長が親父の知り合いで尋ねたんだよ」

 

 妖撃社。名前からして胡散臭い会社である。百人聞いたら百人がまともな会社とは思わないだろう。

 

「妖怪退治、とかしてるのか?」

「いや、そういうのはやってないよ。鈴々(リンリン)さんって人しか今は居ないんだけど、そもそも妖怪なんてこれっぽっちも信じてないし」

「……それは信用していいのか?」

 

 八雲の話を聞いて白の顔が引き攣った。伝えられた情報だけで、胡散臭さしか増さないという事態に白は少しでも八雲に期待した己の短慮を悔いた。

 

「お前な、もう少し危機感というのをだな!」

 

 くどくどと小言を言い重ねていく白に八雲はやってしまったと表情を歪ませた。不死身の秘密を狙う輩が何処にいるかも分からないというのに八雲は無防備に過ぎた。そもそも八雲が无になってから、出歩いたのは地元と香港だ。そしてこの前の化け物に襲われたのは香港から帰国した後、ならば先の化け物は香港で八雲の事を知った可能性が高いのだ。不死を望む者は東西、和洋、そして人間、化け物と枚挙に暇が無い。いつまた襲われるか分かったものではない。

 

(せめて今の私に字伏(あぜふせ)いや、黒炎(こくえん)ほどの力が有れば……)

 

 そしてその警戒する中で、白はかつてからすれば無いも同然の力しかない己に歯噛みした。字伏程の力があれば、先の化け物など一息に消し炭に出来、仮に黒炎位の力でも手こずりもしないだろう。 

 かつての彼女には自らの権能を宿す九つの尾を有していた。しかし、能力が九つというわけでもない。時代ごとに最適な力を望むままに尾として使用出来るという汎用性も尾は持ち合わせていた。 

 たった一本でさえ雲を裂き、法力僧達を粉々にし、世界中の海を荒らし回った。

 今はその片鱗すら無い。

 

(まぁ良い、今は出来ることをやるだけだ)

 

『お前ら、何処へ行く?』

 

 古臭い雑居ビルの一室、妖撃社の事務所の前までたどり着いた三人にそう声をかける人影が在った。

 階段の上と下という構図のため、詳しい身長は分からない。話す言葉が中国語、というのは香港という土地を考えれば当たり前だ。だが、フードを頭から被るその姿は普通とは言い難かった。

 しかし、異質な風体とは対照的に、その声色は女性、しかも若々しい声色だ。

 

「八雲」

 

 とは言っても、妖怪はそんな理を容易く覆す。白は小声で八雲に警戒を促す。

 

『妖撃社の関係者か?』

『いや……わた、』

『うん!像を貰うんだーー!『っバカ!』』

 

 迂闊なことを漏らすパイの口元を白が慌てて抑えるが、口から零れた言葉が無かったことになるわけもなく、人影は気配は不穏なものへと変わっていった。

 

『そうか!』

 

 フードを白たちに投げつけ、人影は三人に躍りかかった。

 咄嗟に白は八雲とパイを後ろにかばうと白は構えをとる。

 

『ふんっ!』

『女か』

 

 飛びかかってくると思いきや、人影は階段を這うように足技を繰り出してくる。白よりも二段の高さの上からの足払いは白の両膝を狙う。不意打ちとしては十二分、白と同年代の女性であったなら例え、格闘経験者でも防ぐのは難しかっただろう。

 だが、それは白があくまで年齢通りだったらの話である。

 白はまるで羽根のように飛び上がり、容易く人影よりも高い位置へ着地した。

 

『っ』

 

 白の卓越した身体能力を前に人影はごくりと喉を鳴らした。そして白はそんな人影を、いや白よりも若いであろう少女を睨みつけた。

 海千山千を潜り抜けた白の視線に少女は一瞬怯むが、後には引けんとばかりに、いまだに宙を舞うフードを足先で白へと打ち上げ、フードごと突進してくる。

 

「やれやれ」

 

 白は億劫そうにため息を吐くと天井に届く勢いで飛び上がる。

 如何に視界を防ぐようにフードを操ろうとも、視界を広げるように位置取れば無意味である。

 むしろ、少女は自ら視界を閉ざしたようなものだった。

 

「構え自体は隙が無かったが、殺気は野生動物以下だ」

 

 白が白面の力を出さなかったのは、少女がただの人だったのを一目で看破していたからだった。

 

 

 

『ぐぅ!?』

 

 上空からの攻撃を想定した格闘技は皆無と言っていい。少女は敢え無く白に拘束されてしまう。

 

『さぁて、なんでいきなり襲ってきたか吐いてもらおうか?』

 

 一瞬だけ殺気を滲ませ、白は少女の足元に敷いた少女の首筋を嫋やかな指先でなぞりあげる。

 えもすれば色気すらも感じさせる指先だったが、殺気を直にぶつけられた少女は怖気を全身で感じてしまう。

 

「し、白姉ぇ。せめて事務所の中に入ろう」

 

 駆け抜けるように過ぎ去った事態に怖気づいた様子の八雲は恐々と提案する。

 

「たしかにそうだな。八雲、開けてくれるか?」

「あぁ、ちょっと通りますよっと。……ん?……あれ?」

 

 白の脇を通り抜け、白が妖撃社と書かれた事務所をノックしたり、ドアノブを捻ったりするが、まるで反応は無い。激しいノックをしても反応が無いのを見ると、事務所の中にすらいないようだった。

 

「鈴々さーん!八雲です!居ないんですか!?」

 

 ドンドンと空しく響くノックの音は同じ雑居ビルに居を構えている人の罵声という抗議にて中断させられるまで続いた。

 

 

『ほら、暴れるなよ』

『わ、分かってる』

 

 公園の椅子に座らされ、白に抑えられた手首を撫ぜながら、少女……美星《メイシン》はしおらしく縮こまっていた。少女を敵として扱っていた白だったが、パイが乱暴はいけないと泣いて抗議したための対応だった。これが清濁飲み干すような性格の三只眼ならいざ知らず、純粋無垢という言葉がぴったりなパイからの抗議は濁っていると自覚している白からすれば割と堪えるのだ。

 

『それで、なんで襲ってきた?三只眼目当てか?』

『三只眼ってなんだ?……お、襲ったのはあんたら妖撃社の関係者だと思ったからだけど、えっと関係者じゃないのか?』

 

 白の詰問に美星は逆におずおずと聞き返した。どうやら少女は妖撃社に只ならぬ感情を抱いているようだが、八雲達が妖撃社のドアを開けられない様子に、それほど深い関係者ではないのではと気付き始めていた。

 

『関係者の定義が分からんが、探し物の依頼をしていた程度だ』

 

 バイリンガルで八雲と美星の話を聞きながら白は話を進めていく。

 

『探し物?』

『あぁ、ニンゲンの像というやつだ』

『……もしかして、これか?』

 

 美星は言葉を詰まらせ、何事かを思案すると徐に懐から手のひら大の何かを取り出した。

 

「そ、それは!」

 

 一目見た瞬間、八雲はまるで食い入るようにそれに顔を近づける。

 

『お、おい!』

「落ち着け八雲」

 

 美星はよほどそれが大事なのか、突然近寄ってきた八雲にあからさまに敵意を抱く。だが、その敵意が噴出する前に白が八雲を押しとどめた。

 

『なるほど、それが人間の像ってやつか?……だが頭しかないが、そういうものなのか?』

 

 八雲を押しとどめ、白は興味深そうに美星が持つ、石像の()を見やった。

 

「いや、前見たときは三つ目の人型が三体合わさった像だった。はぁ……なんで壊れてるんだよ」

 

 どうすればいいんだよ。と頭を抱えている八雲の反応にどうやら像は不完全だと白は気づいた。

 

(呪具なのか?特別な気配は感じないが……というか)

 

「壊れてて、使えるもんなのか?」

「……」

「……」

 

 呪具というのは超常や呪いというオカルトなものだが、科学で言うところの機械に相当する精密なものだ。使い方を一歩間違えれば、己に災いという形で降りかかることすらある。効果自体は有るかはさておき、現代でも儀式とされるものは長いものでは一か月以上も執り行われるものもある。

 そんなものが欠けたでは済まない程に破損しているという状態だ。そして、その呪具のことを白よりも知っているであろう二人は白の問いに呆然としていた。

 手がかりが有ることからそう長くは掛からないと踏んでいた八雲を人間に戻す旅がどんどんと混迷を極めていったのはここからだと後の白は苦笑しながら語るのだった。

 






……妖怪もので遠野の強者感は異常。


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第六話

 パイ、ひいては三只眼が人間になり、そして八雲を人間に戻す。そんな願いの唯一の取っ掛かりであるニンゲンの像の破損。いきなり暗雲が立ち込めた事態にパイ、八雲、白の三人は苦い顔を各々浮かべていた。

 

「……壊れても大丈夫なものなのか?」

 

 前世の知識では呪具というのは絶妙なバランスで成り立っているというのを知っている白は、哀れにも首だけになったニンゲンの像を繁々と見つめながらそう呟いた。

 

(ま、まぁ獣の槍も粉々に砕いても復活したし、妖怪が作ったものなら尚更大丈夫だろう。……多分)

 

 規格外に過ぎる獣の槍と比べるのどうかと思うが、人化への唯一の手がかりがこれなのだ。破片と言ってもその有用性は計り知れない。

 そして、不安に思っているのか誰もが白に問いには誰も答えなかった。

 

「と、とりあえず、渡してくれるように言ってくれないか?」

「あぁ、『美星(メイシン)、その像の頭なんだが私達が妖撃社に探してくれと頼んでいたものなんだ。渡しては貰えないか?』」

『……あんたらが妖撃社の社員じゃないのが分かったが、それでも関わりがあると分かった以上、これは渡せない』

 

 白へと視線を向けながら毅然とした態度で美星は意思を見せた。出会って間もないとはいえ、十代半ばの少女が一人で動いていると考えれば並々ならぬ事情があるのは簡単に推察できた。

 そして、その推察は的を射ていた。

 

『兄貴がこれを手に入れて、妖撃社の鈴々(リンリン)とかいう女と口論になってたんだ』

 

 美星が言うに彼女の兄、(ロン)は香港でも名の知れた霊能者だという。ペテン師や詐欺などではなく、本物の力を持つ術者であり、お札や祓いなども出来るほどの腕を持っているという。

 あくる日、空が雨でもないのに淀んだ空気を孕んでいた日、その空気を祓った際にニンゲンの像は空から降ってきたという。

 無論、空から降ってきたものが無事で済むはずもない。

 粉々にならなかったのは呪具ゆえの頑強さかはたまた運か。幸いにも形が残る程度の破損で済んだニンゲンの像だが、手足や首といった細い部分は壊れてしまったという。

 

『その壊れたってのを鈴々ってやつは兄貴のせいだって言い出したんだよ』

 

 八雲は知っているが、鈴々という女性は見目は美しい部類に十分に入るが、その性格は十二分以上に守銭奴と呼ばれる気質であった。儲けられるなら儲けられる以上に吹っ掛けるのは当たり前という性質。お金さえ払えば誠実だが、お金以上の事は決してしないという女性である。

 

『あとは二人で口論さ。兄貴も意固地になっちまったし、話は長引くだろうってのは傍から見てても分かったよ』

 

 そして、龍と鈴々の口論から数日。龍の部屋から空気を震わす音と轟音が響き、慌てて兄の部屋に飛び込んだ彼女が見たのは、先ほどまで部屋にいたはずの兄が姿を消し、部屋という体裁を失うほどに破壊された兄の部屋が広がっており、そして兄が厳重に保管していたニンゲンの像は彼女が持つ首だけになっていたという現実だけだった。

 

『そんなわけで、妖撃社の奴は必ずこの首を狙ってくる!兄貴の命が掛かってんだ。悪いがおいそれとは渡せない』

 

 こればかりは譲れないとばかり美星はきっぱりと宣言した。そこには命すら厭わないという強い意志が込められていた。

 

「だとさ、無理にってのも後味が悪い。どうする?」

 

 とはいえ、そうですかと引き下がることも出来ない事情を白達も抱えている。互いに引くに引けない中、白は僅かに体を揺らし、視線のみを辺りに走らせた。

 

(……見られているな、しかも複数。私達を狙ったのか、美星なのかは判断が付かないな)

 

 美星の話からニンゲンの像を狙う何某かが居ることは間違いない。だがパイや八雲を狙う連中が居るのもまた事実。現状からそのどちらかを導くには情報が少なすぎた。

 捕えて情報を吐かせる手も有るには有るが、八雲はただの不死の高校生、三只眼は力の使い過ぎで休眠中、美星も武道を心得がある程度の少女だ。相手によっては守り切れる自信が白には無かった。

 

「ちっ勘の良い奴は好きじゃないな」

「し、白姉ぇ?」

『美星もだ。気をつけろ襲ってくるぞ』

 

 突然、殺気を漲らせ始めた白に美星と八雲が気圧され、思わず喉を鳴らす。

 次に皆の耳に響いたのは襲撃者の声か、白の吐息か、それとも驚く三人の声か。

 

「---!」

 

 四人を中心に四人の男たちが一斉に飛びかかる。下手人は同じスーツにそして気味の悪い仮面と手袋。明らかに身元を特定されないようにと準備された集団であった。そして、一様に鍛えられた体躯、訓練された動き、そこらのチンピラではないのは明白だった。

 下手人の身なり、行動からそこまで推察した白の行動は早かった。迎え撃つのではなく自ら一番近い相手に跳び掛かった。

 白はそのまま跳び上がりながら器用に体を一回転させ、鞭のように撓らせた右足を男の右鎖骨へと叩きつける。

 

 ボリッ!

 

 と割り箸を布で包みながら折ったような音が響き、男はうめき声をあげて蹲る。白の容赦のない攻撃は見事に相手の鎖骨をへし折っていた。

 

「とはいえ……」

 

 一瞬で味方一人に負傷を負わせた白に三人は警戒を露にする。女三人に百七十に満たない体格の八雲。普通に考えれば戦力差は歴然だが、白という存在によって一種の膠着状態が生まれていた。

 睨み合う一行。

 男達は白の周りをじりじりと詰め寄ったり離れたりを繰り返し緊張の糸を適度に刺激し続ける。

 

『こんな事をされる謂れはないんだがな、人違いならさっさと帰ってもらえないか?』

 

 如何な胆力だろう。自身よりも二十センチ以上、体重なら数十キロも違うであろう相手に白は一歩前に進むなりそう告げた。

 そのたった一歩に男たちは思わず後退ってしまう。

 眦は柔らかく警戒心を抱きにくい瞳、白くそれでいて健康的な肌は暴力からは最も遠いだろう。口唇は薄いが、どんな紅にも馴染むだろう。鼻梁は整い、髪色は自然な亜麻色。絶世の美女というという分類にはならないだろうが、白の容姿は間違いなく美少女だ。それでいて親しみを抱きやすいというスペックを誇っていた。

 井上真由子、ひいては須崎御門の容姿そのものと言って良いそれは広く一般的には優しげで穏やかという印象を人に与えるだろう。

 だが、しかし外見はともかく中身は悪逆の化身、国崩し、傾国の化生と畏怖され一つの頂きにまで上り詰めた白面の者だ。如何に親しみやすい外見でも覆い尽くせるわけがない。

 そんな彼女が明確に敵意を放つ、それは物理的な衝撃すら錯覚させるほどのものだった。

 

『っ!?』

 

 男たちの様子が目に見えて驚愕に染まる。

 

「……ふん」

 

 予期せぬ事態に引いてくれることを期待していた白は、怖気づきながらも立ちはだかる男達に不機嫌に鼻を鳴らした。それはこれ以上目立ちたくないという気持ちと、全力ではないとはいえ自身の敵意をぶつけて人間が逃げ出さないというかつてからすれば考えられないくらい弱体化した己の不甲斐なさからだった。

 

『一斉に行くぞ!』

 

 リーダー格なのか、真ん中の男が声を上げると左右の男達と共に一斉に白へと飛び掛かった。一番厄介な相手を余力があるうちに打ち取る。それは悪くは無い手だった。

 

「事前に合図くらいは決めておけ」

 

 不意打ちに一斉に掛かれれば良かったのだろうが、自ら口に出してしまえば、不意打ちの意味は到底なさない。

来ると分かっていて仕損じるほど、流石に白も耄碌してはいない。

 右手を撓らせ上方向から相手の顔面の真ん中めがけて、平手打ちを当てる。

 

『ぐぉ!?』

 

 先の一撃から見れば威力の点では大したものではないが、仮面ごしとはいえ目や鼻といった感覚器の近くを殴打されて怯まないというのは難しい。隙を見せた男の脇腹を白の右回し蹴りが容赦無く突き刺さった。

 五十キロあるかないかの白の体重と百キロは優に越える男では体重差があまりに有りすぎる。流石に吹き飛ばすには至らず、呻き声を上げさせるのが関の山だった。

 

(本気を出すのは、憚られるな)

 

 白が全力を出すと髪が白髪へと染まりあがる。これは何度か検証して確認していることだ。変化しなくても、成人男性程度であれば数人を相手取るに足りるが、守りながらとあっては話は別だ。かといって、昼間の目立つ時間帯に変化すれば、余計な相手が増える恐れがある。

 

『が!?』

 

 相手が自分の力を測り切れていないうちにと白は身を屈め、怯んだ男の懐へと深く潜り込み、鳩尾を肘で打ち上げる。胸骨、肋骨、大胸筋と男の胸郭を守る部位は平均よりも堅牢ではあった。しかし、鳩尾はもともと骨が無く、筋肉も薄く鍛えずらい。そして何より下から掬い上げるように攻撃すれば、心臓を直接攻撃できるという人体でも有数の急所であった。

 男は深く蹲ると、吐しゃ物をまき散らしながら酷く咳き込んだ。致命には遠く及ばないが、戦闘力は削がれたと白は判断する。

 

『どうした?こんな小娘に怖気づくのか?』

 

 勿体つけるように見事な亜麻色の髪を掻き揚げ、嘲る様な笑顔を張り付けて白は残る二人を挑発する。

 

『っ!!』

 

 かつての邪知暴虐だった頃の名残か、言葉尻や態度、タイミング、ありとあらゆる要素が男達のプライドを傷つけたのだろうか、男達は先の慎重さをかなぐり捨てて白へと飛び掛かる。

 体当たり、ストレート、掴みかかり、そのすべてを巧みな体さばきで白は避け続ける。多少は目立つが、見るからに犯罪組織といった体の男達と若い女子三人とその他の一行では妖しさのレベルが違う。目立つのは本意ではないが、背に腹は代えられなかった。

 徐々に焦りだす。男達、白は巧みに二人に攻撃、言葉攻めを繰り返して自分へと牙を向けさせる。

 膠着状態、だが天秤は白たちに傾く。そう思われたころ。

 

『な、なにしやがる!?』

 

 白達に集中していた美星の手からニンゲンの像の首を鎖骨を折られた男がもぎ取った。動きに精彩は無い。だが、体格差が圧倒的に有るため、片手が使えないハンデは有ってない様なモノだった。

 

「ちっ」

 

 慌てて白がそちらに向かうが、その足が強引に止められてしまう。

 

「貴様っ!」

 

 先ほど、鳩尾を手痛く打ち抜かれた男が、白の華奢な左足首をむんずと掴み取っていたのだ。動きに精彩は欠いてはいるが、唸り声をあげながら白を逆さに吊るし上げた。

 

(手加減が過ぎたか……!?)

 

 限定的に力が戻って一週間もまで経っておらず、白は自身の身体能力を把握し切れていなかった。殺すのは不味いと無意識に力を必要以上にセーブしてしまったのだ。

 

「うおおお!!」

 

 その時、パイを後ろに庇っていた八雲が雄たけびをあげて白を吊るし上げていた男にタックルをかます。不死身と言えどもただの高校生。それも体格もやや小柄と言っていい八雲の体当たり。男は多少ふらつくだけで、苛立ったように右手で吊るし上げていた白を振り上げると八雲へと叩きつけた。

 

「ぐぅ!?」

「がっ!?」

 

 叩きつけられた事で肺の空気が吐き出された事と衝撃で二人の動きが止まってしまう。

 

『返せ!』

 

 そんな中、美星が奪われた欠片を取り返そうと男達へと食い下がった。そんな男達の元に準備していたのだろう。公園内に乱暴に黒塗りの車が強引に乗り上げてきた。

 

『死んでも放すもんかぁ!』

 

 両手で欠片を掴む美星に男達は辟易したような空気を漂わせると、鎖骨を折られた男の脇に居た男がナイフを取り出し、美星へと凶刃を走らせた。

 死んでも放さない。美星のその言葉は確かな覚悟があったのだろう。凶刃が迫っても美星は目を瞑るだけで欠片から手を離さなかった。

 

「くそっ!」

 

 悪態を吐きながらも白の動作は一歩及ばない。ダメージは皆無でも八雲の体が邪魔で即座に行動できないのだ。

 そのままでは凶刃は美星を貫くだろう。

 

「うっ」

 

 呻き声が響く。だがそれは女性の声色ではなかった。声の主は八雲、地面に投げられるという実践では決定打になりうる攻撃法だが、不死となったことで痛みに強くなったおかげで、すぐさま立ち上がることで出来たのだ。

 

「これ以上はさせねえぜ!」

 

 ナイフを胸で受け止め、歯を剥きだしにしながら八雲は吠えた。血を吐きながら啖呵を切る様は鬼気を迫るもので、相手は思わずたじろいだ。

 そしてナイフというあからさまな凶器が振るわれたことで、集まり始めていた野次馬達から悲鳴とどよめきがさざ波のように伝播し始めた。

 男達は互いに顔を見合わせると踵を返して逃げていく。騒ぎが大きくなった事、白という脅威、そしてナイフを刺してもものともしない八雲。欠片を奪うという目的で来た彼らには予想外の事態が重なりすぎた様だった。

 

「不死身だからといって無茶が過ぎるぞ」

「不死身だから無茶が出来るんだよ」

 

 白の忠告に八雲は軽口で返す。元々護衛として生み出された无が保身に走るのは本末転倒である。とはいえ。

 

「単純な攻撃ならいいが、冷凍保存されたり、深海に沈められたりしたら永遠にそのままかもしれんぞ?」

 

 不死身に過信する前に白は意地が悪い笑みを浮かべながらそう呟いた。手を後ろに回し、下から覗き込むように話すその様は容姿の可憐さもあって心を奪いかねない魅力がある。だが話している内容と身から湧き出す威圧感が、それを中和するどころか異質な気配を作り出して八雲の体を後ずらせた。

 

「とりあえず、場所を移そう」

 

 流石に騒ぎになりすぎた。そう結ぶと白は八雲達を伴って乱闘の最中に気絶してしまった美星を担ぎ、その場を後にした。

 

 





ゆるキャン△でしっぺい太郎の名前が出てうしおととらを思い出したのは自分だけではないと思いたい。


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第七話

少し短め。


 香港。安ホテルの一室。

 何故か重苦しい感じがする頭を摩りながら、一人の少女、美星(メイシン)がこれまた安普請のベッドの上で目を覚ました。

 

『あれ……ここは?』

 

 きょろきょろと美星は様子を窺うが、彼女が記憶している直前の出来事と今の現状はどうにも結びつかない。

 

『たしか、やたら強い女と戦って、そのあと変な奴らが……』

 

 仮面をつけた奴らよりも先に思い出される白。よほど印象が強かったことが窺える一幕だった。

 

『そうだ。石像の頭、あいつらあれを欲しがってた。……あっ!?あれ?』

 

 ベッドサイド、ベッド脇、見える範囲には像の頭は無い。

 力無く両手を見つめる美星の顔は見る見る蒼褪めていく。彼女にとってあの像の欠片はただ一人の肉親である兄の唯一の手掛かりだったのだ。気丈に一人で兄を探してはいたが、それは縋れるものがそれだけだったに過ぎない。

 兄を救う。その目的が果てしなく遠くなる。挫けそうな心を目的で支えていた彼女の拠り所が無くなったことで、瞳からは勝気な光が失われ、代わりとばかりに涙がこみ上げてくる。そこにはただ不安に体を震わせる中学生の女の子が一人居るだけだった。

 

「くっそーこんな小汚ねぇもんに、ほんとに人化の秘密が隠されてんのかねぇ?」

「魔法陣や土地が大事で、それ自体は補助に過ぎないのかもな。まぁ三只眼(さんじやん)が起きたらその辺を聞いてみればいいだろう」

 

 ノックもなしに八雲が例の像の欠片を抱えながら入室。そしてそれに続くように白が独自の考察を口にしながら部屋へと足を踏み入れる。

 

『「……」』

 

『「あ」』

 

「ん……あー」

 

 涙を流す少女と八雲。数瞬視線をぶつけ合い、そして像の欠片に視線を向けた。

 二人の思考が動き出す前に白は全てを察してあちゃーと可愛らしく頭を抱える。これは面倒なことになる。そんな白の推理は数秒も経たずに証明されることとなった。

 

『……おい』

 

 年頃の少女から零れる声色は何故か酷く低い。地を這うような独特の威圧が込められていた。

 そして、相対する八雲もなんとなくではあるが、これが不味い状況だと理解したのだろう。言葉にならない吐息が、あ、だの、う、だのと発している。

 

『そいつを返せーー!!』

 

 両手を広げて獣の様に美星は八雲へと飛び掛かる。白は状況を理解している故に敢えて何もせずにギャーギャーと騒ぐ二人を眺めるだけだった。

 

「おーい!俺は恩人だぞ!?」

『返せー!』

 

 互いに違う言葉を話しており、そして興奮している故に意思は伝わらず二人はもみくちゃになっている。八雲もこの場は像の欠片を渡せばいいのに、頭の上に掲げて美星の手が届かないようにするから、事態はちっとも収まらない。

 そして、八雲に体を預けて両手を伸ばす美星と、これまた両手を頭上に伸ばしている八雲。その体勢が次の事故への布石となった。

 ずるり、どちらだろう?どちらかの足が滑ったことで二人の体勢が大きく崩れる。具体的には二人の体は八雲が下になるように倒れていく。

 そして、二人とも手を伸ばしていたために、手を使って咄嗟に体を支えることが出来なかった。

 

 ――

 

 二人の唇が重なり、それを意識しながら二人は床へと吸い込まれるように倒れこんだ。

 

(……えらいもんを目撃してしまったな)

 

 遠い目をしながら白は腕を組む。予想外過ぎて、どういった行動をしていいかわからない。茶化せばいいのか?流せばいいのか?八雲を殴りつけるか?数パターンの行動を考えるが何が最適化は白の頭脳をもってしても分かりかねる事態だった。

 そして、当の二人は顔を赤らめて、言葉に詰まっている。初心だなぁと白は思うが当事者が動かない以上、いよいよ自分かと白は覚悟を持って動こうとした、そんな瞬間。

 

「静かにしてなきゃダメェエエエ!」

 

 どたばたという足音と共にパイが怒鳴り込んできたではないか。

 しかも、その恰好がバスタオル一枚に、未だに滴が落ちるという扇情的な姿だ。

 八雲はその危なげな魅力を持つ姿に頬を染め、美星は年頃故に八雲とパイがなんやかんやしてシャワーを浴びたと誤解し赤面する。そして白は白面、でははなく浴室にタオルを取りに向かう

 

『「静かにしてくれなきゃせっかくのテレパシーがとぎれちゃうんだから!」』

『て、テレパシー?』

 

 バイリンガルで日本語と中国語の両方で器用に話すパイに美星は聞き慣れぬ単語を思わず聞き返す。

 

「お風呂じゃなかったの?」 

『「うん。水浴びして精神統一してたの」』

 

 パイを直視出来ず照れる八雲にタオル一枚で無警戒に振る舞うパイ。

 

『待っててね美星。必ずお兄さんを見つけるからね!』

 

 にっこりとそうパイは断言する。そう、なにを隠そうパイは先ほどの襲撃者を自らの使い魔である人の頭を持つ怪鳥タクヒを小鳥サイズに縮めて尾行させていたのだ。ぽやぽやと暢気そうに見えるがこう見えてやる時は意外にやるらしい。

 

『ほら、髪くらい拭け風邪ひくぞ』

『ありがとう』

 

 正直、美星に話しかけないのならば日本語でも良いのだが、自分の知らない言語で話されても不信感が募るだろうと白は中国語でパイに話しかける。髪をタオルで挟み痛まないように丁寧に拭く。もちろん、ドライヤーもタオル越しにするのを忘れない。無駄に手馴れていた。

 

 

『それで、本当に兄貴が見つかるんだな!』

『まぁ落ち着け、さっきの相手がお兄さんの誘拐に関わっていたらの話だってのを忘れるなよ』

 

 水浴びを終え、衣服を着なおしたパイはベッド上で目を瞑り精神統一している。いつもの明るさは鳴りを潜め何処か神聖さすらその身に纏っていた。

 

『ホテル……』

 

『ホテル、ロイヤルソアラ・香港』

 

 

 タクヒが見た映像が網膜を通さずにパイの脳内へと写し出されていく。飛行生物特有の高い視点、それは俯瞰とも呼べるほどに見通しの良い物だった。

 三十二階、人目に付かないように飛ぶ、タクヒがやすやすと仮面の男達が腰を落ち着けた場所までたどり着いた。

 そして、タクヒひいてはパイが見た光景は想像をしていなかったものだった。

 

『何?何なのこの部屋!?』

 

 そこには服を奪われたうら若き乙女たち何人も床に座らせられ、仮面の男達に見張られているという非日常の光景が広がっていた。そして、それだけの裸の女性といかにもな仮面の男達が居るのにも関わらず、少女たちには明らかな乱暴の痕跡は見て取れない。そう、まるでそれは出荷を控えている家畜の扱いに近しい物だった。

 

鈴々(リンリン)さんは居るか?」

『兄貴、兄貴は居ないか!?』

 

 互いに探し人を口にする八雲と美星。パイはちょっと待ってねとタクヒを部屋の中央に近い天井へと飛ばす。

 

『鈴々さんっぽい人は……いない。あっ!』

『どうした!?居たのか?』

 

 焦った様子の美星には構わずパイはタクヒをある方向へと飛ばす。そこは部屋の奥まった場所であった。

 

『男の人が椅子に縛り付けられてる……ひどい、ゴーモンにでもあったみたい』

 

 顔は腫れ上がり、いたることころから血を滲ませた男性は力無くうなだれており、呼吸をしているのが分かる程度で、怪我の具合までは分からない。

 

『兄貴、今行くかっ!?おいっ!?』

 

勢いよく美星は立ち上がり、脇目も振らずに兄の元へと向かうべく動き出す。しかし、その体を八雲が抱き着くことでどうにか留まらせた。

 

「おーやわらけぇ、じゃねぇや……」

 

 武道を嗜んでいたり、口調が粗暴だったりするが、美星も年頃の女子中学生。出るところは出ている。意図があったかどうかはさておき、美星に抱き着いた八雲の左手は見事に美星の胸を鷲掴みにしていたのだ。

 パイに気にした様子はないが、それとは対照的に白は氷の様な冷たい目をしている。こんな緊急事態にどうしようもない事をしている八雲に白は呆れる。

 

『八雲はお前のこと心配しているんだよ。このままホテルに行けば殺されるってな』

『うるせぇ!』

 

 怒鳴り声と共に膝蹴りが繰り出され、八雲の腹に見事に突き刺さる。腰の入った膝蹴りを受け八雲の体はがくりと崩れ落ちた。

 

「うぐっ」

「八雲!?」

 

 不死の八雲に膝蹴り程度は心配するだけ無駄なのだが、そこは長年の癖でついつい白は八雲に駆け寄ってしまう。

 

「……悪いな。じゃあな!」

「待て!」

 

 そう言って美星は部屋を飛び出して行ってしまう。白の制止は微塵も彼女の耳には届いていないらしい。

 

(兄が余程心配なんだろうが、無茶な)

 

 出来れば助けてやりたいと白は思うが、あんな奴らに襲われた後にパイと八雲を放っておくわけにもいかない。

 

 

「白、美星を追いかけよう!」

「パイ、別に放っておいても良いだろ」

「ダメだよ八雲。美星、いい子だもん。助けたいって思うもん」

 

 パイを危険な目に会わせたくなく、悪役振る八雲だが、そんな八雲の心中は筒抜けなのだろう。慣れない日本で困っていたところを助けられ、それ以外も幾度と助けられた為に八雲の優しさが分かっていたのだ。

 

「ま、大本を潰すってのは賛成だな。さっさと行くぞ」

「うん!……よし」

「どうしたんだ?」

「タクヒに私たちが行くまで美星を守ってってお願いしたの」

 

 幸いにもタクヒはホテルを離れさせずに居たため、パイはテレパシーにて美星の護衛を頼む。タクヒの真の姿は十メートルにも迫ろうかという巨躯だ。ホテル内では流石にそこまで体を大きく出来ないにしても、人間程度に後れを取るほど弱くはない。

 三人は身支度もそこそこにホテルを出ると手近なタクシーを呼び止め、急ぎ乗り込んだ。

 

「いけないっ!」

 

 助手席に八雲が座り、後部座席に女性二人が座る中、パイが突然、声を張り上げた。目は閉じられているが、その表情は焦りに歪んでいる。

 

「ダメ、逃げて……逃げて!」

「タクヒか?」

 

 か細い声からの再び大きな声、パイがタクヒとテレパシーで繋がっていると思いだして白はタクヒが敵と相対し、不利な状況にあるのではないかと推察した。

 そして、タクシーがホテル、ロイヤルソアラ・香港前に到着する。

 

「パイ、タクヒはどうした?」

 

 無表情に立ち尽くすパイに白は神妙そうに声を掛ける。その表情に白は覚えがある。それは大事なものを失い、その感情の大きさに心が追いついていない時の無だ。

 

「……死んじゃった。タクヒ、死んじゃった……う、うぅ」

 

 そして、徐々に涙を滲ませたパイは八雲の胸に縋りつく、声を押し殺して泣くパイの肩に優しく手を置きながら八雲は力なき自分に歯噛みした。

 パイにとってタクヒは使い魔ではなく、大事な家族だったのだろう。百年単位で人に出会わずタクヒと暮らしてきたから、その悲しみはより深かった。

 

(……くそっ)

 

 

 パイの様子に白も奥歯をぎりりと噛んだ。卑妖、ひいては化身のいずれかがいれば、偵察なり制圧なりが出来たはずだ。ここでも半端に力が足りない。

 悲しむパイと慰める八雲、そして自らの力の無さを悔いる白。

 日本を飛び出した三人の冒険は未だ終息が見えない。



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第八話

美星(メイシン)を助けてくる。パイと白姉ぇはロビーで待っててくれ。二時間経って戻らなければ(ホァン)さんに連絡を取って警察を呼んでくれ》

 

「……というか私は黄さんと会ったことがないんだが?まったく先走るんじゃないよ弱いくせに」

 

 ぐしゃりと八雲が書いたと思われる書置きを握りつぶし、低い声で白は呟いた。八雲なりに何かを考えての行動だろうが、せめて自分に伝えてから行けと白は怒る。八雲を追おうにも无の弱点たるパイを一人きりには出来ない。

 

(そう考えると、これ以上の手は無いが……はぁ)

 

 敵の数は不確かであり、助けなければ行けない人物が一人、最悪三人居ると考えれば不死身の八雲が単身で突っ込むのは意外に良い手である。……八雲がそれなりの手練れならばであるが。

 

(死なないってのはある意味、心配をしなくても良いってことだが、あいつの実力を考えると心配しかない)

 

「白、ねぇ白、八雲ってばどこに行ったの?」

「……一人で行ったみたいだ。私にパイを頼むってさ」

「え?」

 

 白の返答にパイは言葉をなくす。誤魔化すという手もあったが、この状況で八雲が帰っただの、二人でこの場から離れるという選択はそもそも連れ去られた人を助けるという目的がある以上、不自然だ。それに階上で何か有ったのか、妖気が徐々に強まってきていた。

 

「白、これって……」

「……八雲が何かしてるのかもな」

 

 パイも妖気を感じ取れる為に、異常に感づいたらしい。

 そして、白の予想通り八雲はこのホテルを仕切る妖怪リョウコに見つかり戦闘へと突入していた。リョウコはタクヒほどの巨躯ではないが、閉鎖された空間、しかも儀式場たるホテルを破壊しないように戦うために中々に八雲に決定打を与えらず苛立ち、その怒りが妖気となって階下に流れていたのだ。

 

「ちっ行くぞ」

「……良いの?」

「どうせ、行くって言ってきかないだろうパイは?」

 

 困った様な、そして少し嬉しそうに白は首を傾げた。パイは人ではないが、誰かを助けるために平気で自身を捧げるその姿勢は、かつて白が妬み羨んだ太陽の様な少年を思い出させるのだ。

 

「とりあえず上に向かおう。三十二階が表面上、ないのはホテル自体がグルの可能性がある。バレないようにな」

「うんっ」

 

 

 そして、三十階まで到着した二人は途方に暮れていた。理由は簡単。上の階への上る手段がないのだ。エレベータは三十階まで、そしてそれ以上の上の階を秘匿しているのに階段を設える訳はない。

 

「エレベータに何か細工をしてるってわけか……」

 

 天井を見つめ、なんからの気配を察知してる白は腕組みをしながらどうしようかと悩んでいた。力を全力で振るっても現在の彼女には壁をぶち破るのはだいぶ堪えるし、なによりも一撃で壊せない上に大きな音を出してしまう以上、隠密も何もあったものではない。

 

「ん……パイこっちだ」

 

 ひとしきり考えた白はパイを促して再び階段へと足を向ける。秘匿されている階の階下たる三十階を泊り客でもない人物がいつまでもうろちょろしているわけにはいかない。怪しさ満点である。

 

「おい、おまえ……」

「……」

 

 そして、その直後に真後ろの部屋から現れた仮面を被った人物に二人は声を掛けられてしまう。白は内心で舌打ちをし、じろりとその人物を睨み付けた。部屋ごしにこちらの様子を伺う気配を感じたために去ろうとしたが、どうやら彼女の行動はいささか遅かったらしい。

 

「まぁ上と下、両方で騒ぎを起こすのも悪くはないか」

 

 そして白は人目が居ないことを良いことに髪を白へと染め上げて戦闘態勢をとった。

 

 

 

 

 

 白達が階下でそんな事になってる中、八雲は八雲で窮地に陥っていた。

 パーティ会場の様な広い部屋の中、八雲の目の前には司祭服を模したような布を羽織った巨大な異形が敵意剥き出しの表情で睨んでいる。

 異形の名はリョウコ。数メートルを優に超える巨躯に鬼のような角を生やした頭部、下半身は足を欠き、海老のような甲殻を備えた尻尾にて直立していた。

 そして、その足元には柔らかな肢体を薄い布を巻いただけの格好の美星が魔方陣に寝かされており、その魔法陣を幾人もの仮面の男達で囲うという尋常ならざる気配を辺りに漂わせていた。

 人質が居て、しかも自分自身も大した力があるわけでもない。

 いかな不死とはいえ、不死以外の能力を持たない八雲に残された手ははったりをかますことしか出来なかった。

 

「動くんじゃねぇえええ!ちょっとでも動いたらこの像を粉々にぶち壊すぞ!!」

 

 そう八雲は大声を張り上げる。その手の中にはいつの間にかニンゲンの像が収まっている。ちなみに人間に戻る手掛かりであるニンゲンの像をぶち壊すと宣言する八雲は別に頭がいかれたわけではない。

 

 

 どうしてこうなったのか?それは……。

 (ロン)さんを無事に見つけることが出来た八雲だが、やはり警備は甘くはなく、八雲は案の定見つかってしまう。そして、首魁と思われる妖怪に出会い全身の骨を砕かれてしまったのだ。

 しかし、再生力には自信が有る八雲、一時間も掛からずに動けるようになったのだが、そこで見たのは妖怪の供物にされようとしている美星の姿であり、助け出そうとして大立ち回りを演じている最中にニンゲンの像を見つけたというわけだ。

 

 

 

 

「……わ、分かった。……何が望みだ」

(良かった……どう壊すか突っ込まれなくて)

 

 内心で胸を撫で下ろしながら八雲はリョウコと呼ばれる妖怪は後ろに下がらせ、周りを囲む仮面の男達に武装解除を命じる。

 

(あいつらにとってもこいつは重要ってことか……)

 

 粛々と言う事を聞く相手に八雲は妖怪達がニンゲンの像を重要視していることを察する。無論、八雲達にとっても人間になり、人間に戻る為のカギとなる大事なものである。

 故に壊すわけはないのだが、相手がそれを知らない為、八雲に強く出られないのだ。

 

(なら……)

 

 あまりにニンゲンの像について八雲達は知らない。だが、相手がこちらの言う事を聞くしかないという状況は情報を得るのに最適な場だった。

 

「それじゃあ、このニンゲンの像の秘密について教えてもらおうか?」

 

 人間の像に奪った剣を押し当てて八雲は内心とは裏腹に余裕綽々の態度を取った。

 

「秘密?」

「知らないふりは無しだぜ?おたくらがこいつを探してるってのに何も知らないってことはないだろ?人化方法ってのはそんなに知られなくないのか?」

 

 しらばっくれるつもりなのか、リョウコは首を捻るばかりで情報を吐こうとはしない。そこで八雲は何かの漫画かドラマで見た情報を聞き出す方法とやらを試してみる。

 ずばり、こちらがある程度情報を出し、知ってるぜ的な態度をとるアレである。

 

(ま、これしか知らないんだが……)

 

「人化?よく分からんな……我々はとある方がそれを望んでいるから求めたに過ぎない」

「とある方って誰?」

「……」

 

 しかし、どうやらリョウコ自身はニンゲンの像の用途は知らないらしい。あくまでリョウコがとある方と称する者がニンゲンの像を探しているという。だが、そのリョウコをしてとある方が何者なのかを口にするのはいささか躊躇われるようだった。

 

「あれま、反抗的な態度だねぇ」

 

 ニヤニヤと作り笑いを八雲は浮かべる。その態度からはあからさま以上にニンゲンの像がどうなってもいいのかと語っていた。

 

「------っ」

 

 リョウコの表情が怒りからか硬くなる。

 

「そ、それはかつてバラバラだった我々、闇の者を初めて纏め上げたお方が求めた者なのだ」

「……鬼眼王(カイヤンワン)

 

 ぼそりと八雲は先ほど聞いた化け物たちが崇敬する三つ目の王の名を口にした。

 

「……そうだ。像を探し出したものに不老不死を与えて下さる尊いお方だ」

「不老不死目当てってわけか……それじゃあ詳しいことは分からないか。……なら、鬼眼王ってのは今、何処にいるんだ?」

「……知らん。今となっては何処に居られるのかは誰にも分からん」

 

 人間社会とは全く異なる妖達の世界の出来事、それは八雲の好奇心を強く刺激した。鬼眼王も三只眼(さんじやん)であり、しかも妖怪達の王として君臨していたという。その王が人になる為の祭器、ニンゲンの像を求める理由とは……。

 リョウコの会話に八雲はいつの間にか引き込まれていた。

 

 しゅるり。

 

 八雲の背後で何かが蠢く。

 

「かのお方は、三百年も前に何者かの手により、いずこへと封じられてしまったという話だ……」

 

 目を閉じリョウコは神妙そうに呟いた。そして……。

 

「以来……我ら闇の者の願いはただ一つ!鬼眼王復活!!」

「!?」

 

 リョウコが大声を上げた瞬間、八雲の背後からいつの間にか伸ばされたリョウコの尾が蛇ごとき素早さで迫り、あっという間に首を絞め上げる。

 苦痛から八雲の手からはニンゲンの像が転がり、手が届かない位置まで移動してしまう。

 

「ぐうぅ!……」

 

 そのまま吊るし上げられる八雲だったが、両手に握っていた刀剣は二振りとも握りしめたままだったのは不幸中の幸いだった。この状況だと右手の長剣は取り回しが悪いが、左手のサバイナルナイフは長剣よりは使いやすい。

 

「っ!」

 

 呼気も粗く、八雲は首を絞め上げるリョウコの尾に左手のサバイナルナイフを突き立てる。しかし、肉厚のサバイナルナイフからの手応えは、石のように固い感触だった。

 

「バカめ!」

 

 悔し気に何度もナイフを突き立てる八雲をリョウコは嘲笑う。たかが人間の膂力程度で傷つくほどリョウコは弱くはない。

 さっさと殺すか……とリョウコは考えるが、わずかな逡巡の後にそれではつまらないと思いなおした。散々こちらをコケにした相手だ。ただで殺すわけにはいかない。

 

「鬼眼王様の復活の儀式を汚した償いは十分にしてもらんとなぁ!」

 

 リョウコの尾が八雲の右手へと突き刺さる。

 

「ぐわああああ!」

 

 見やるとリョウコの尾の先端は花の様に開き、その内部の鉛筆よりも一回り程大きい棘が深く突き刺さっていた。

 

「く、くっくく、貴様はそこの女を処刑するのだ」

「なっ!?」

 

 リョウコの悦に浸った言葉を八雲は最初理解できずにいた。だが、その言葉の意味はすぐさま理解することとなった。違和感と共に侵食するかのようなみみずばれが八雲の右手の上腕付近まで広がる。リョウコの尾は突き刺した相手の体を操る能力を持っていた。

 儀式を邪魔し、助けようとした人物をその手で殺させることで溜飲を下げようとリョウコは考えたのだ。

 

「腹を切り刻み、肝を取り出すがいい」

「やめろぉ!」

 

 とん、言葉と共に吊るしていた八雲を開放する。拒否を示す八雲だが、右手は言う事を聞かず、それ以外の体も徐々に痺れ、思う様に動かなくなっていく。

 

「ひぅ……」

 

 美星の息が掠れるような恐怖の吐息が漏れる。

 魔法陣に転がされている美星の腹に長剣の切っ先が、優しさすら感じるほどに柔らかく宛がわれた。八雲は表情を歪めなんとか体を動かそうと力を込めるが、一向に動く気配はない。

 

「や、やめて……」

「う、ぐぐおぅ!」

 

 やろうと思えば、一瞬で事を終わらせられるが、二人の様子はリョウコにとって最高の愉悦となっていた。

 くっくくっく、とリョウコの笑いと二人の絶望に満ちた声が大部屋に響いていく。

 

「やめろ!やめてくれ!!」

 

 いよいよと、八雲の右腕が天高く振りかぶられる。八雲はもはや懇願に近い声色で叫ぶことしかできなかった。

 

「あっははは!たまらん、たまらんなぁああ!」

「やめてくれええええええっ!!」

 

 八雲の絶叫とリョウコの高笑い。

 空気を切る音が響き、鋭く、そして同時に鈍い音、複数の音が同時に起こる。

 そして、噴水のような赤い血液が辺りを染め上げた。美星が、リョウコが呆然とその様子を眺めていた。

 美星の顔に付いた血がたらりと重力にそって流れ出す。

 

「くぅう!」

 

 だが、美星の腹は裂かれてはいなかった。それどころか八雲はリョウコの支配から解き放たれていた。

 右手を左手のナイフで切り飛ばすのと引き換えに。

 

「は、はっはは!これは驚いた!虫けらながら天晴れ!苦しまずに殺してやろう!」

 

 リョウコの予定とはズレたが、他に例を見ない八雲の足掻きに鬱憤は晴らせたのだろう。リョウコは愉快そうに笑っている。

 

「うるせぇ!てめえだけは、絶対ぶっ殺す!」

「そいつは楽しみだ!だが、その前に自分の腕に殺されるぞ!」

 

 八雲自らが切断した右手はリョウコの尾と未だに繋がっていた。リョウコは器用に八雲の手を使って長剣を振りかぶる。大口を叩いている八雲を一息に殺すつもりなのだ。

 頭上から迫るその一撃を防ぐ手段は今の八雲にはない。

 

「くそぉ!」

 

 美星が背後に居る時点で八雲がここから逃げるわけには行かない。しかし、体を両断でもされれば暫く動けなくなってしまう。

 

 

「ぐわああああ!?」

 

 だが、次に悲鳴を上げたのは八雲ではなかった。

 

 タタタタタ!と小気味の良い破裂音が連続して起こり、リョウコの体に次から次へと穴が開いていく。リョウコの尾は千切れ跳び、左目からも水道の様に血が漏れ出す。

 それでも足りぬと更に、破裂音が鳴り、その度にリョウコの体が血が噴き出し、遂には倒れ込む。その体からは止めどなく血が漏れ出していた。

 

「ふぅ間に合って良かった。大丈夫か八雲?」

 

 リョウコの体をげしげしと踏む人物は八雲にとって馴染みのある人物、そう葛葉白だった。その手に持っているのはアサルトライフルと呼ばれる重火器で、見た目は穏やかな少女に見える白が持つと違和感が凄まじかった。

 

「ヤクモ!」

「白姉ぇ、パイ!」

 

 白の背後からパイが飛び出し八雲に抱き着く、勝手に一人で飛び出したこと白とパイを置いていったこと、バカバカと言いながら、大嫌いと言っているが、抱き着きながら上目遣いで、そんな事を言われても説得力は無い。

 

「さっさとここから出るぞ!」

「そうよ。イチャイチャするのは後にしなさい」

 

 周りを見ろと暗に促す白の言葉に同意するように、仮面の人物がしゃべりだす。

 

「!?」

 

 仮面の連中は八雲達とは敵対関係にあるはずだ。にも関わらず白に警戒の様子は無い。八雲は目まぐるしく変わる事態に思考が停止するが、それも仮面の人物の次の言葉でようやく事態を呑みこむことになる。

 

「私よ、久々ね」

 

 仮面の人物はさっと仮面を外して姿を晒した。

 長い髪、そして眼鏡、なにより特徴的なとがり気味の両耳。総合的に出来る女といった風体。しかし、どこか俗っぽさを隠せない目つき。

 

鈴々(リンリン)さん!?」

 

 そこには冬休みにニンゲンの像を見つけるのに八雲達が世話になった女性李鈴々(リーリンリン)の姿があった。





白面の者はガンバの大冒険のノロイがモチーフらしい。……納得。


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第九話

「痛くない?」

「ありがと、大丈夫だよパイ」

 

 制圧を終えた儀式場の隅でパイは応急手当てを八雲に施していた。不死なのでそのうち勝手に生えてくるのだから、あまり意味のない行為なのだが、三只眼(さんじやん)とパイは別人格な為、パイは八雲が不死身なことに気付いていないようだった。

 

鈴々(リンリン)さんここからの手筈はどうなってる?』

『いま、別口で火事を起こしているから、それに乗じて逃げる予定よ』

 

 

 (ロン)氏とのいざこざの後に行方を晦ましていた鈴々だったが、実はパトロンである(ホァン)と協力してホテルロイヤルソアラが怪しいということを突き止め、黄の部下と共に潜入をしていたのだ。

 そして、階下に細工をしている時にパイと白を見つけ、そして鈴々とパイ達は合流して八雲達の救出しに来たのだ。

 

「八雲、パイ、ここも直に火の手が来る行くぞ。……パイ?」

 

 長居は無用とさっさと二人を連れて屋上のヘリを向かおうとする白だったが、パイは何故か視線を一点に向けて微動だにしない。

 その視線の先には三つ目の巨大な像が威風堂々たる様子で鎮座していた。

 

「おい、呆けてないで行くぞ!」

「う、うん」

 

 八雲に手を貸して白はパイを促した。パイは何故かその像に後ろ髪を引かれる様な感覚に陥るも、徐々に煙が迫ってくる中に留まってるわけにもいかず、白の後を追う。

 

「しかし、こんなに派手にやって大丈夫かね」

「問題ない。むしろ派手にやってその間にヘリを盗むって予定だ。ちなみにヘリは海上で乗り捨てて船に乗り換えるらしいぞ」

 

 こともなげに言うが、割とシャレにならないレベルの大事である。なんせ高層ホテルの焼き討ちである。火元の位置を間違えたら大惨事待った無しだ。

 

「そうだ。女の人達は!?」

「それも保護済みだ。警察に連絡して私たちとは別に突入してもらったんだと」

 

 仕掛けて仕損じ無し。重火器やら変装道具。消費した金は相当のものだろう。鈴々といい黄といい八雲は香港でどんな人間関係を構築したのか白はやや心配する。そもそも何故旅をしただけで、こんな目に遭うのか?

 

(いや、潮も相当な目に逢ってたな)

 

 最後の獣の槍の担い手にして、自らを滅ぼした少年が東京から北海道まで旅した中で起こった出来事を思い出して白は小さくため息を吐いた。白面としての刺客も無論送ったが、それを抜いてもバスが何台か吹っ飛んだり、幽霊船にあったり、電車の半分以上が食われたり、果ては飛行機まで落ちていた。それに比べれば幾らかましとさえ白は思い直した。

 この何年後かに白自身が飛行機事故に乗り合わせるのだが、それはまたのお話である。

 

「ヤクモ、恋人じゃないよ。ダチンコだよ!」

 

 白がそんな事を考えている中、美星(メイシン)とパイ、八雲が三人が姦しく騒いでいた。

 どうやらパイと八雲が恋仲だと思った美星がパイの恋人である八雲が自分の中のせいで傷ついてしまったことに謝罪するが、それに対するパイの返答で八雲が心に致命傷を負った。

 確かに八雲とパイは明確に恋人になったわけではないが、自分に抱き着いてきたり、四六時中一緒に居るのだ。悪いようには思っていないという確信があった。そして八雲自身もパイの事を大切だと思っているし、好意を抱いていることを自覚していた。

 そんな中で意中の相手が自分のことをダチンコ……つまり親友ですと断言されるのはかなり心に来る言葉だったようだ。

 

「じゃあ、全然恋人じゃないの?」

「当然!」

(とうぜん……)

 

 追い打ちを八雲を襲う。がつんと頭を殴られたような衝撃が八雲に走り、体の力を抜けていく。

 しかし、現状は火事場の中を脱出している最中だ。

 

「おい!しゃんとしろ!」

 

 無論、白に叱られる。踏んだり蹴ったりの八雲だった。

 

(恋人ってなんだろ?)

 

 八雲に致命傷を与えた本人が恋人の意味を知らないというのは、八雲には伝わらなかった。

 

『あはは!なんだ、なんだが安心したぜ!ホント、鬼眼王とかいう奴の生贄にならなくて良かったぜ!』

 

 勘違いは加速していく。八雲はパイが自分の事を友達位にしか思っていないと勘違いし、パイは恋人が何か分からない。そして美星は自分を命がけで守ってくれた八雲を慕い始めており、八雲とパイが友人でしかないと誤解していた。

 さらに誤解を唯一解けそうな白は、下手に口を出すのは悪化しないかと考えていた。

 

「鬼……眼」

 

 故にパイが美星の言葉で呆けたような表情をしていることに気付けなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さぁみんな乗ったわね。行くわよ」

 

 ヘリの操縦席に乗り込み。鈴々がモーターの回転数を上げていく。実はヘリの操縦も出来るという弱小編集会社の編集長。重火器の扱いも手馴れており、無駄に正体がいまいち分からない女性である。

 

「?……パイは!パイはいないのか!?」

「なに、私の反対側に居たんじゃないのか?」

 

 パイに恋人じゃないと言われて落ち込んでいた八雲はここでようやくパイが付いて来ていない事に気付いた。そして、八雲が騒いだことで白もパイの姿が見えない事に気付く。

 

「なんてこった!まだあの中か!?」

「ちっ!」

 

 間髪を容れずに二人は同時にヘリを飛び出し、燃え盛るホテル内へと駆け出した。

 轟々と煙と炎が空を焦がさんと立ち込めているが、二人には一切ひるむ様子は無かった。

 

「待ちなさい!白ちゃん、八雲!」

 

 鈴々の静止の言葉を聞いても二人は止まらない。パイの命が八雲の命と繋がっている……からではない。

 人であれ、物であれ、そしてそれ以外の何かの為に命を懸けられる。それが人間なのだ。

 

「貴様ら!生かして帰すものか!」

 

 その時、怒声と共にリョウコが床をするりと抜け出し二人の目の前に現れた。全身の至る所に銃創が見られ、その幾つかからは未だに血が流れ出しているが、リョウコから溢れる覇気は些かの衰えも無い。

 

「くそっ!」

 

 それを見た鈴々と黄の部下が各々の重火器でリョウコを狙い撃つ。満身創痍とまでは言えないが、銃創が有るという事は銃撃に効果があるということだ。三人分の重火器の掃射はリョウコに確かなダメージを与えられる三人はそう確信していた。

 

「小賢しいわぁ!」

 

 ブゥンとリョウコの背の羽が空気を震わせる。それは耳を劈くほどの轟音となり、リョウコに迫る弾丸を弾く壁となる。

 

「なに!?」

 

 リョウコに銃創を刻んだ本人である白は驚きに目を剥いた。白にとって初見となるそれは儀式場を破壊することを恐れてか、さきほど使っていない能力だ。

 いざとなれば肉弾戦でと考えていたが、重量に乏しい髪と爪で突破できるほど生半可なものではないと白は判断する。

 

「羽だ。どうにかして奴の羽を止めることが出来れば……」

「見れば分かるわよ!どうやって止めるかが問題なのよ!!」

 

 龍の呟きに、鈴々が怒鳴り声を上げる。背後の羽が高速で微振動を続け音を発するのを見れば、リョウコがどうやって銃弾を弾いたかは言われなくても分かることだったが、流石に怒鳴られる謂れは無いだろう。

 そして白も言葉にせずとも内心では羽を封ずる手段を考えていたが、良い手が思い浮かばない。

 早く、パイを探しに行きたい白だが、リョウコには散々邪魔立てした白達を逃す気はない。特に銃撃を浴びせた白と儀式にて恥をかかせた八雲は徹底的に嬲ってやりたいほどだ。

 白側に攻めの手は無く、そして守る手も無い。あの衝撃を身に纏ったまま突進するだけでヘリともども粉々になってしまう。かといってヘリを飛ばしても向こうも飛べる為、逃げおおせもしない。

 そんな時だ。

 

「大丈夫だ皆、先に行ってくれ」 

 

 言葉共に八雲が額に巻いていたバンダナをほどく、バンダナは煙と共に空へと舞いあがり、八雲の前髪が風に靡き、額が露になった。

 

「死にはしないさ。……誰にだって大切なものがある。俺にとってそれがパイなんだ」 

 

 額に刻まれいる文字は无。聖魔とも称えられる妖怪、三只眼吽迦羅(さんじやんうんから)の生涯一度きりの大秘術よって不老不死となった超越者の証。

 

「ば、馬鹿な!な、ぜ貴様が!?」

 

 无。

 

 赤く刻まれた額の文字を見た瞬間、リョウコの顔に驚愕と怯えが露になる。そのたった一文字はリョウコ、いや妖怪達の世界においては重要な意味を持つ文字だった。

 

「そんな、有り得ない!鬼眼王様以外に三只眼が生きているというのか!?」

 

 

「そんな、そんなハズは……」

 

 わなわなと慄くリョウコ、三只眼とは現代に生きる妖怪にとって神とも謳われる鬼眼王のみとされている。まさか、それ以外に生き残りが居ようとはそれは慮外の事だったのだ。

 

「八雲!」

「あぁ」

 

 呆然とするリョウコの脇を白と八雲が駆け抜け、ホテル内に飛び込んでいく。

 

「!ま、待て!」

 

 そんな二人を、慌ててリョウコも燃え盛るホテル内に追いかけていった。 

 

 

 

 

 

 

 

 轟轟と辺りに炎が走り、煙が辺りを煤で汚していく。

 パイはそんな煙が充満する中を巨大な三つ目の像、三只眼吽迦羅を象った像の掌に乗り、その自らと同じ三つ目を見つめていた。

 呆けるように、何かを思い出すようにパイは像を見つめる。常人なら煙に巻かれているだろうが、そこは可愛い少女に見えるが、やはり妖怪なのだろう。術か元々の体質か、息が苦しいようには見えなかった。

 

「……」

 

 記憶の中で三つ目の誰かが腕を振るう。すると鮮血が彼女の記憶を染めあげた。

 

[思い出すでないパイよ。昔のことなど……]

 

 水の底に沈んだ砂の様にゆっくりと浮かび上がる記憶達、パイはそれをはっきりと捉えようとするが、それはもう一つの彼女の人格の静止の言葉で防がれた。

 

[せっかく、お主は記憶を失ったのだから……]

 

 

[もう……奴はいないのだから……]

 

 三只眼の悲し気な声が炎の音とともに消えていく。三只眼にいつもの強気な様子はない。ただ小さく呟くだけだった。

 

「驚いたな……三只眼の生き残りか……」

 

 突然、掛けられた声に三只眼がばっと振り返る。

 そこには……。

 

 

 

「ちぃい!八雲避けろ!」

「ぐあっ!?」

 

 コンクリートを容易く粉砕する衝撃波が室内を蹂躙する。白は身体能力を全開まで上げて床と言わず壁や天井を足場に縦横無尽に辺りを飛び回って衝撃波を躱すが、身体能力は普通でしかない八雲はそうはいかない。白の声に反応して、なんとか身を捩ってはいるが、既に全身は血で汚れていた。

 

「おのれ!ふん!」

 

 とはいえ、面で攻撃してくる衝撃波に対して白の髪の相性は最悪であった。体に巻き付きさえすればやり様はあるが、吹き散らされては牽制にもならない。

 だが、そこは百戦錬磨の白、かつての己の戦闘スタイルは圧倒的な力での蹂躙だったが、あらゆる小細工を受けてきた彼女からすれば、小賢しい手を考えるのは難しくはない。

 

「く、小娘ぇええ!」

 

 白はそこらの瓦礫や家具を髪で巻き上げ、それをリョウコに直接ぶつけていた。衝撃波はコンクリートですら粉砕するが、それでも勢いよくぶつければ衝撃波を突破するものも有る。それは大したダメージをリョウコに与えるほどではないが、疲弊とダメージが徐々に溜まりつつあるリョウコには辛いものだった。

 

(強がってはいるが、やはり疲弊してきたか)

 

 焦燥感からかリョウコの攻撃は粗く不規則に動く白を捉えられず必然的に残る八雲に攻撃が集中していた。

 八雲には攻撃手段が無いが、不死身というある意味、最大の防御を誇る為、放っておくわけにもいかない。煩わしい白の攻撃と、死なない八雲。長期戦に有利なのはどちらかなのかは明白だった。

 

「くそ、早くパイを探さなきゃっていけねぇのに!」

 

 しかし、二人とてパイを燃え盛るホテルから探さなければならない為、長期戦は本意ではない。

 

「死ねええ!无のまがい物がああああ!」

 

 未だに八雲を无と認めたくないリョウコが八雲に何度目かになる衝撃波を放つ。

 

「ぐ……うぅ!?なんだ……!?」

 

 焦れる八雲だったが、不意に全身に感じたことが無い程の力が漲りだした。

 それと同時に右手の切断面がうぞうぞと反応する。

 

「邪魔ばかりしやがって!良いかげんに!」

 

 疼く右手の反応から八雲は本能、人ではなく、无としての本能がそれが出来ると叫ぶがままに右手を掲げた。

 

「地獄に落ちろ!」

 

 言葉と共にリョウコの左脇から八雲の手首(・・・・・)が刀剣を握りしめたまま飛び出し、リョウコの羽と背中を深く切り裂いた。

 

「なんだと!?ぐああああああ!」

 

 同時に隙を窺っていた白が操る瓦礫がこれでもかとリョウコに降り注ぐ、どれほどの威力が込められたのか瓦礫は砕け、リョウコに無数の欠片がめり込むほどだった。

 

「あ……ぐ……」

 

 瓦礫の山に埋もれ、リョウコは呻き声を上げる。全身の銃創、切り裂かれた背と羽、打撲も数え切れず、血がだくだくと止めどなく流れている。だが人間ならばとうに死んでもおかしくないが、流石は妖怪しっかりと呼吸をしている。

 

「……」

「や、やめろ!殺さないでくれええ!」

 

 無言で剣を振りかぶる八雲にリョウコは懇願する。そこには先までの強者としての様子は一切ない。

 

「今まで、多くの女の子を殺しておいて何を言ってやがる!」

 

 今にも剣を振り下ろさんばかりの剣幕の八雲は、白も見たことがないほどの怒りを宿していた。普段は細い糸目を見開き、瞳には轟々と怒りの炎が灯っている。

 

(他人の為に怒るか、まったくお前は……)

 

 不死とはいえ、散々体を痛めつけられたにも関わらず八雲がリョウコに向ける怒りは見知らぬ生贄にされた女の子達のことだった。そんな底抜けのお人良しさを見せられ、白は呆れるように、誇らしげに苦笑する。

 

「い、生贄は俺の意志で……や、やったことじゃないんだぁ!」

 

 

「鬼眼王様の、ふ、復活の為にあるお方は、数々の儀式を行わせているんだ」

 

「俺は、その中の一人にすぎない」 

 

 余程、命が惜しいのだろう。媚びるようにリョウコは、八雲や白が促さなくてもぺらぺらと情報を吐いていく。八雲と白は興味深げにリョウコの言葉に耳を傾けていた。

 

「あのお方?」

 

 リョウコの言葉を聞き返した白は唐突に嫌な予感に肩を震わせた。鬼眼王について白はまだ知らないが復活と言っているので封印かそれに準ずる状態にあるのは察せられる。……問題はそこではない。

 リョウコも決して弱い妖怪ではない。万全の状態では今の白や八雲では勝ち目は薄いだろう。人間社会に紛れホテルを建てる財力、何人もの少女を誘拐してそれを隠蔽する組織力、そして発動すれば重火器すらも無効化する特殊能力、そんなリョウコがあの方と称し、数多の妖怪を従わせ三只眼である鬼眼王を復活させようとするのは一体誰だろうか?

 

「お、お前らも妖怪だろう!ならば我らに力を貸せ!鬼眼王様が復活すればどんな願いも叶えてくださるぞ!」

 

 二人の表情がふっと消える。そして……。

 

「「……」」

 

「俺は……」

「私は……」

 

「「人間だ!!」」

 

 仲良く同時に叫ぶ二人だった。

 

 

 



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第十話

 普通に人間を逸脱している白と八雲が仲良く叫んでいる頃。その下の階でパイは得体のしれない人物との邂逅を果たしていた。

 

「……驚いたな。三只眼の生き残りか」

 

 身長は優に百九十センチは有ろうかという巨漢の男は煙と火炎がひしめいているにも関わらず、落ち着いた声でそう呟いた。

 

「なぜ、お前はこんなところにいるのだ?」

 

 じろりとパイに視線を送り、男は問うた。

 

「……」

 

 ポケットに手を収め、自然体の男は一見すると無防備に見える。だが、その体から放たれている威圧感はリョウコの比ではなく、妖怪の頂点主たる三只眼吽迦羅を怯ませる程だった。

 

「貴様には関係無いと言いたいところじゃが、像を手に入れるためじゃ」

 

 パイから三只眼へと人格がシフトし、三只眼は内心の怯えを隠すように強気に言い放つ。

 

「ふむ、何が望みだ人化か?ならば像を渡せ、人にしてやる」

 

 三只眼吽迦羅を目の前にしてなお男には一切の感情の揺らぎは無かった。それどころか自分の方が上とでも言わんばかりの態度であった。

 

「そ、そんなことはどうでもいい!鬼眼は封印されたはずじゃ!今更、像に何の用が有る!?」

 

 男の態度に焦れた三只眼が余裕を崩し、半ば問い詰めるように男へ詰問する。そこには目の前の男以上に鬼眼王を恐れている様子がありありと浮かんでいる。

 

「いつまでも封印に甘んじる我が主なものか。幾ばくも掛からずに再び現世へと復活なされるだろう」

「っ!それで像を!!」

 

 

「ニンゲンの像は人化の法となるが、世界を滅ぼす術にもなるというが……貴様っ!」

 

 それは八雲にも教えていない情報だった。八雲を信じ切れていないというのもあるが、只でさえ無理を強いている為、これ以上の情報は重荷になるという彼女なりの優しさからだ。

 

「儂は今の世で結構満足しておる!それを暴力と殺戮に飢えた馬鹿どもに絶やされてなるものか!像は絶対に渡さん!」

 

 額の目に光が集まり、辺りの光量が加速度的に増していき、それと同時に凄まじい力が室内に満ちていく。

 

「どうあってもか?」

「当り前じゃ!例え儂の命と引き換えにしても奴の復活は阻止して見せるわ!」

「なるほど、でどうする?お前に俺が殺せるか?」

 

 呆れた様に呟く男の声に三只眼は力を更に高める事で答える。三只眼は気付いていた。目の前の男の額に刻み込まれた文字に、そう()、三只眼吽迦羅の下僕、最高の不死者の証を。

 そして男はこうも言っていた。我が主(・・・)と。ならばこの男は鬼眼王の无ということだ。

 无は主が死なない限りは決して死なない。頭を吹き飛ばしても胴体を真っ二つにしても、猛毒に体を侵されようが、体を粉微塵にしてさえ死ぬことは無い。

 

「黙れ!」

 

 ならば、如何に三只眼が強力な力を持っていても滅ぼすことは出来ないだろう。

 叫ぶ三只眼もそれが分かっているのだろう。焦燥に駆られながらも練った凄まじい力を男に放とうとする。

 

「!?」

 

 その力のせいか、天井からミシミシと音が響き、さらに小さな欠片が落ちてくる。

 三只眼の真上の天井も例外はなく、天井は軋み、欠片が降り注ぐが目の前の男に注視している三只眼は男よりも、天井の異変に気付くのが遅れてしまった。

 

「何だと!?」

 

 天井を仰ぐも、それで瓦礫が止まるはずもなかった。

 

 

 

 

 

 床に無数の亀裂が走ったかと思うと瞬く間に亀裂は壁から天井まで覆い一気に階下へと崩れていく。その崩落はビルの屋上をも巻き込む程だった。

 

「うおおおお!?」

「八雲!?」

 

 咄嗟に髪で周囲の瓦礫を組んで安全を確保した白と大声を上げて瓦礫に飲まれる八雲。なんとか八雲も助けようとする白だったが、流石に距離が届かず八雲の名を呼ぶことしかできない。

 

「く……」

 

 崩落の轟音にかき消され、八雲の声は白には届かない。その間にも轟音は鳴りやまず白は下手に動くのは不味いと判断し、組み上げた瓦礫の中で静かに辺りが落ち着くのを待った。

 

 

 

 音が静かになる。パラパラと小さな瓦礫の音だけになった頃、白は組み上げた瓦礫を解き外へと飛び出した。

 

「八雲、無事か!」

「べ、ベナレス様!!」

 

 屋上まで吹き抜けになり、すっかり辺りは風通しが良くなっている。そんな中、白とリョウコの声が見事に重なる。二人の視線が重なり、気まずい雰囲気が二人の間に漂った。

 

「……」

「ベナレス様。お喜びください!とんでもない掘り出し物です!无しかも敵も殺せぬお人好しですぞ!」

 

 そんな空気を自らぶち破りリョウコはベナレスと呼んだ相手にまるで手柄でも見せるように八雲を指さした。

 

(なに、无だと!?それが敵なのか?)

 

 白は二人のやりとりは目に入らずベナレスの額の文字、无の一文字に釘付けであった。无の不死さ加減は八雲を見れば十分に分かる。だが八雲だからこそ大して凄そうに見えないが、もし獣の槍の使い手が不死だったらと考えると、かつての白面の者からすれば、恐怖以外の何物でもない。

 一般人位の実力で死なない程度は大した問題ではない。そこそこの腕が立つなら煩わしいだろう。そして手練れが、それも超一流のものが不死となったなら、それは危険などというレベルではない。

 

「そんなお人好しにそこまでやられたのか貴様は?」

 

 ぽつりと呟くが、ただそれだけの事で男が如何に只者ではないと白は理解した。

 

(最悪だ!最低でも字伏(あぜふせ)と同等、それ以上かもしれん!)

 

 かつての己と同等というほど不条理ではないが、それでも特殊な能力を持つ妖怪を除けば最上位のスペックを誇る字伏とベナレスは同等もしくはそれ以上と白は判断した。ふざけるなと白は内心で罵るが、白面の者は白面の者で実は不死の手段を講じていたのだから、彼女の前世を知る者が居たらお前が言うなと怒るところだろう。

 つまりそんな化け物が不死身の无となれば、勝ち目などありはしない。

 封印という手もあるが、今の白では使うことは出来ない。

 

(……どうする?)

 

 臨戦態勢をとるが、リョウコが怯えるほどの相手に白が出来ることは八雲とパイが逃げる時間を稼ぐぐらいだろう。だが、そのパイはベナレスに横抱きにされている。 

 

「ガキに情けを掛けられる者など不要」

「ひ、お、お許し下さい!」

 

 ベナレスはパイを炎とは遠い場所に下ろすと無造作にリョウコに近づいていく。リョウコは負傷から動けないのだろう。体を震わせ、涙を流しながら許しをこいていた。

 

「消えろ。―――――ベナレスの名において命ずる出でよ、土爪(トウチャオ)!」

「ひぃいい!命、命ばかりは!」

 

 言葉と同時に床だった瓦礫にベナレスが手を付くと三つの刃がリョウコに向かって奔った。瓦礫を砕き、轍の様な跡を刻みながら、土爪はリョウコに食らいついた。

 数メートルは優に超えるリョウコの体に深い三つの裂創が刻まれ、凄まじい量の血が肉と共に降り注ぐ。

 

「小僧、像は何処だ?」

 

 内臓をぶちまけピクピクと痙攣するリョウコには見向きもせずベナレスはそう問うた。 

 どうするかと白と八雲は目で伝え合うが、痛い程に彼我の戦力差を理解しているため、行動には移せない。

 周囲の熱と同様に焦燥感だけが焦れていく。

 

「う……うぅ、ヤクモ!」

 

 睨みあうベナレス達だったが、パイが目覚めたことで事態は動き出した。

 

「……」

 

 ベナレスの視線がパイへと向かい、焦った八雲がまるで悲鳴をあげる様にベナレスに突進していく。

 

「わあああああ!!」

 

 しかし、そんな隙はあるはずもなく、ベナレスは事もなげに八雲の斬撃を躱す。大柄な体躯にも関わらず重さを感じさせず、ふわりと八雲の頭上を飛び越え着地した。

 

「无同士が争っても時間の無駄だ。長話をするにも場所が悪い」

 

 何故か上機嫌に笑いながらベナレスはそう口にすると白を見やった。

 

「……人間とも闇の者とも違うか、面白い」

 

 白の纏う気配に何か興味を引いたのだろうか、どうやらベナレスは今日、これ以上争うつもりは失せた様だった。

 

「像は近いうちに返してもらう。それまで息災でな」  

 

 こつこつと靴を鳴らすベナレスに呼応してか、はたまたホテルの限界が来たのか、ゴゴゴとホテルは再び悲鳴の様な軋みを上げ始めた。

 

 

 

 

「息災も何も逃げ道がないぞ」

 

 ホテルが鳴動を徐々に大きくしている中、白がそう吐き捨てた。ベナレスが居なくなった後に屋上に行くためにエレベーター、階段を隈なく探しているが一向に見つからず白が悪態を吐いたのだ。

 妖怪と不死身と人間かもわからない三人だからか、煙や熱は人間以上に耐久があるようだが、それでも限界というものは有る。そろそろ限界を越えそうな白には焦りが見えた。

 こんな時に伸びる髪は使えないかと試したが、やはり細い髪では容易く火が着いてしまい役に立たないという始末だった。

 

「うぅ、死にたくない、……死にたくない」

 

 必死に退路を探す三人の耳に先ほどからリョウコの弱弱しい声が何度も届く。

 半身を切り飛ばされ、深い裂創から止めどなく血が溢れている。どうやらリョウコでも、この傷は致命傷のようであった。もはや体を起こす事も叶わない程に弱りながら、それでも死にたくないとうわ言の様に繰り返している。

 

(……仕方ない)

 

 余裕が無いこの状況で散々人の命を奪っておいて、自身は命が惜しいと浅ましく生に縋りつく様に、白は苛立っていた。今なら造作も無く殺せるし、むしろ楽にしてやった方が良いだろうと自己弁護し、リョウコを殺すつもりで近づいていく。

 

「心配しないで必ず助けてあげるから」

 

 だが、そんな殺意もパイの言葉で跡形も無く溶けてしまった。

 美星(メイシン)(ロン)を誘拐し、幾多の女性を生贄に捧げ、八雲を傷つけた相手にも関わらずパイはリョウコを優しく抱きしめて励ましているではないか。

 自分たちに襲いかかり、ましてや死に瀕している相手に打算などは不要だ。

 パイは恩も讐も無く、ただ目の前で苦しんでいる相手を助けたいと慈しんでいるのだ。

 その無償の優しさに、愛に、白も八雲も、そして死に瀕しているリョウコすらも唖然とする。

 

「ったく」

(はぁ、どっちが(パイ)だって話だ)

 

 中国語で白はパイと呼ぶ、しかし白とパイではどちらか純粋か、無垢と問われればパイと白は逡巡無く答えるだろう。その純粋さは自身の最初の記憶、濁った自分と澄んだ人の気を白に思い出させた。

 白と八雲、二人の中にあった焦燥感が場違いにも消えていく。

 

「リョウコ、何処かに抜け道は無いのか?」

「……中央の柱だ。そこに屋上に向かう梯子が有る。だが、どうする……屋上に行ったとて逃げれるというわけではない」

 

 やけくそで八雲がそう聞けば、リョウコは意外にも素直に答えてくれた。とはいえ、ただ屋上へと続いている道でしかない。脱出手段がなければただ屋上に行っても意味が無いだろう。

 

「大丈夫だ。屋上でヘリで待っていてくれるはずだ」

「うん!」

 

 八雲とパイの楽観的な言葉にリョウコは鼻で笑う。

 

「こんな状況で待つ馬鹿がいるか、……見ろ不死身の奴だって自分の事しか考えてないんだ」

 

「だいじょうーぶ!だってダチンコだもん!」

 

 パイはリョウコの言葉を当たり前の様に否定する。そこに疑いの感情は一切無かった。誰かのために何かが出来る。人間をそんな素敵な存在だと信じきっているのだ。

 

「ヤクモも白もパイの為に体を張ってくれた。だからパイも二人に命をかけられるもん」

 

 鳴動が響く中、パイの言葉は何故か明瞭に白に、八雲にそしてリョウコに届いた。

 

「……早くこいつを連れて行け!」 

「……リョウコ?」

「どうせ死ぬんだ。俺はここで、貴様らは屋上で死ぬがいい」

「リョウコさん一緒に逃げよ」

 

 なんとかパイはリョウコを連れて行こうとするが流石に体格の差が有りすぎる。せめてわずかでも体が動かせれば別だが、半身がほぼ欠損している状態では支えることすらままならない。

 リョウコもそれが分かっているのだろう。

 

「早く、行け!」 

 

 目の前でうろちょろする三人が邪魔なのか、はたまたパイの無償の優しさに絆されたのかリョウコは叫ぶようにして三人を屋上に行くように促した。

 

「分かった。礼を言う」

「ありがとう」

 

 二人がリョウコの意図に気付き、白は柱にヤクモはパイを問答無用で抱きかかえた。パイはリョウコを救おうとするが、それは無理な話だ。

 

「最後にあいつが教えてくれたんだ。無駄には出来ない」

 

 このままでは三人とも死んでしまう。そう八雲が言外に告げればパイはそれ以上の抵抗を見せなかった。

 

 

 

 

 

 

 満点の星空が煙の切れ間に見えている。清々しい程に綺麗な風景だが、階下は轟々と火が立ち上り、煙が充満する地獄となれば、夜空を楽しむ余裕などは無い。

 

「は……そりゃあいるわけねーよな」

 

 ヘリが見つからず八雲はがっくりと肩を落とす。あれほど人間を信じてくれていたパイに八雲は申し訳ない気持ちが込み上げてきたが、こんな火事の中でいつ戻るとも知れない八雲達を待つ方がどうかしている。

 

「いや、諦めるのは早いぞ八雲」

「うん。パイの言ったとおりでしょ!」

 

 白の鋭敏な感覚がホテルが崩壊する音とは別の音を聞き取った。そして、笑顔を浮かべて夜空を見やり、パイもそれに続く。

 

「だから――(やはり――)」

 

「人間って大好き!(人間とは素晴らしい)」

 

 白は心中で、パイは嬉しそうな声をあげる。散々な目には遭ったが、それを再認識したことは二人にとって非常に大きいことだった。

 

 ローターの音が夜空に溶けていく中、パイは疲れ果て八雲に体を預けてすやすやと寝入る。

 そんなパイを見ながら、八雲は信じて、憧れる、大好きと言ってくれる人間にパイを絶対にしてみせると、心に誓うのであった。

 

 



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第十一話

拙作を書くのにうしおととらを読み直して、真由子のヒロインっぷりに白の容姿を真由子にしたのを謝りたくなった。



 澄んだ空気がいつも以上に空を高く見せる冬。寒さを届ける空気は未だにその残滓を残していた。

 リョウコと戦いから二週間、八雲達は(ホァン)邸にてやっかいになっていた。

 屋敷と呼んで差支えない豪邸からは大層な資産家であることは疑いようが無く、そんな所謂、お金持ちと八雲が慕しいのは、二か月以上も前になる黄の夫の殺害事件を八雲達が解決したことによる縁からだった。

 黄からすれば仇を見つけてもらった事の恩返しらしく、まだまだ恩を返したくて仕方ないらしい。

 

「ほら、さっさと来い」

「-----」

 

 そんなお金持ち黄の庭は非常に広く庭園を除いてもサッカーが出来るくらいには広く、滞在期間中に何もしないのは勿体無いと白と鈴々(リンリン)は八雲を鍛えていた。

 半身に構える白に対して、八雲は截拳道(ジークンドー)の構えをとっている。

 

「もっと腰引きなさい!」

 

 鈴々の指摘が飛び、八雲は言われたとおりに腰を引く。鈴々は八雲に体術、截拳道を中心に教えていた。截拳道は目付き等の急所攻撃を主体とする武術。手段を選ばない鈴々にはある意味お似合いと拳法である。

 そして、八雲もスポーツで武術をするわけではない。相対するのは、不死の秘密を狙う妖怪や先のベナレスの様なニンゲンの像を狙う者達だ。手心を加える必要は皆無である。

 

「ヤクモー頑張ってー!」

 

 両手を口に添えてパイが八雲に声援を送る。

 可愛い、しかも好意を寄せている女の子がそんな声援を送れば、気にならない男子は居ない。

 

「――――」

 

 体制は崩さないまでも、八雲はちらりとパイに視線を送る。送ってしまう。

 

「……スキあり」

 

 やれやれと苦笑しながら白は八雲の眼前まで素早く移動する。背を屈め、一気に距離を詰めて急に立ち上がったため、八雲からは白が瞬間移動したかのように見えただろう。

 

「うわあ!ちょ、タンマ、タンマ」

 

 全力は出さずに左フック、そして左の太腿を狙うように回し蹴りを放つ。

 

「う、ぐ、おおおぉ!?」

 

 なんとか白の攻撃をいなし続けるが、それはあくまで白は八雲が受けられるようにしているためだ。一方的に叩き伏せられるだけではトレーニングとは言えない。

 

「ふっ!」

 

 ようやく白の攻め手に慣れたのか八雲からようやく右の拳が白の顔面に向かって突き進む。容赦無く女の顔面を狙っているが、それは自分の攻撃は白には当たらないと確信している為でもあった。

 そして八雲の予想通り、八雲の攻撃は空を切った。

 

「え?」

 

 ふわりと八雲の拳を垂直飛びで躱して白は八雲の背後に回り込む。

 

「ふっ」

「はわぁ!?」

 

 白の熱を孕んだ吐息が八雲の耳に当てられ、八雲は女の子の様な悲鳴を上げて倒れ込む。八雲の無様な様子に二人の訓練を見ていた鈴々やパイ達から失笑の様な笑いが零れた。

 

「パイを守るっていうなら、もうちょい精進しないとなぁ」

 

 ニンゲンの像を取り戻してから二週間あまり、こんなゆったりとした日々を白達は送っていた。予想されたベナレスからの襲撃は無い。油断できる相手ではないが、探ろうにもとっかかりすらも無い現状では、修行を重ねることくらいしかやることはない。

 

(多少、力は戻って来たが……まだまだだな)

 

 八雲をまだまだと言いながらも白自身、自分の力には満足してはいなかった。二週間余り色々と試してはいるが、僅かに力が戻って来たような気もするが、日々の体調の範疇ともいえる程度だった。

 せめてかつての尾の様に権能が振るえれば戦術が格段の広がるのだが、かつての権能が戻るかどうかすらも定かではない。

 

 

 

 

 

 像の分析待ち。白達は現在、それが終わるのを黄邸で待っている状態だった。

最初の数日は緊張感があったが、それも音沙汰なければ徐々に薄れていく。それもつい先日まで高校生だった八雲とチベットの山奥で一人平和に暮らしていたパイであれば、緊張感を保つのは無理だった。

 白にしてもそうだ。二人の命が狙われているならまだしも、ベナレスが欲しているのが像である。奪われても最終的に奪い返せば良い。二人の命のためなら差し出すことすらも吝かではなかった。

 

「異常はないな」

「はっベナレスと言えど、まさか街中で襲っては来ませんでしょう」

 

 白塗りの高級ベンツの助手席に座りながらの黄の言葉に運転席の大柄な男性はそう報告する。男は先日の像奪還作戦の際にも活躍した黄の腹心の一人であった。

 

疾鬼(シュンカイ)、ど、どうするつもりだ」

「なに、あやつらが本物の三只眼(さんじやん)と无だとわかった以上、ベナレスに従って敵に回すことはない」

 

 黄は後部座席のもう一人の人物から疾鬼と呼ばれて当然の用に返事する。そればかりか、ベナレスの事もそれなりに知っている体で話すではないか。

 

「万が一、鬼眼王(カイヤンワン)が復活なされなければ、その時は……」

 

 

「あの娘を第二の鬼眼王と祀り上げるのだ」

 

 黄はそこでメガネを外し、振り向いた。

 

「よいな、もう二度とあの娘に手を出すなよ」

 

 そこには日本で散々八雲達を苦しめたギョロ目の妖怪の姿があった。

 黄は何も善意で八雲達を手助けしていたわけではなかった。ベナレスの部下の一人では有るが、機が有れば寝首をかくつもりの獅子身中の虫であった。八雲達がギョロ目の妖怪に襲われたのはパイが滅んだ三只眼の生き残りであることと、八雲が无なのかを調べるためだったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「明後日の朝までに香港仔(アバディーン)に像を持って三只眼一人で来い」

 

 黄が緩やかに思惑を進める中、いよいよベナレスからのアクションが届いた。頭を失ったタクヒの体を操り、ベナレスが現れたのだ。

 騒ぎが大きくなる事をベナレスも避けたのだろう。三只眼が一人で居る時に現れたようだが、異変を察知した白と、パイに用事があった八雲もベナレスの要求を聞くことが出来た。

 ベナレスの要求はシンプルだった。

 像を寄越せ、三只眼一人で来い。

 ただそれだけだ。だが、そんな要求を飲める八雲と白ではない。

 

「ふざけるな」

「パイは絶対に渡すかよ!」

 

 白は静かにしかし確かな怒りを込めて、そして八雲は怒りを隠そうともせずに怒鳴り声を上げた。

 

「……安心しろ、鬼眼王様復活の妨げにならぬ様に眠ってもらうだけだ。命は絶対に保証しよう。あくまで要らぬちょっかいをされないようにするだけだ。鬼眼王様が復活してもしなくても無事に返そう」

 

 余りにも良すぎる条件。敵対すれば危険極まりない相手からの提案としてはこの上無い条件だろう。あくまで話が本当であればだが……。

 

 ぐちゃり。

 

 白と八雲が思い悩む中、タクヒの体が前触れもなくひしゃげ、床に落下する。鮮血が高価な絨毯を容赦なく汚していく。

 

「よいか?この屋敷にいる者たちをこのようにしたくなければ、素直に従うことだ」

 

 よく考えておけ、明後日の朝までに

 

 

 待っているぞ。

 

 

 

 有無を言わさぬ声が三人の耳に届いた。

 

 

 満月の下、三人はタクヒを丁重に葬っていた。人間の顔に鳥の体、足は一本という非の打ち所がないくらいに化け物っぽいタクヒだが、三只眼やパイからすればずっと一緒にいた家族だ。

 それを示すようにいつもは強気な三只眼の眦には涙が溜まっている。

 

「昔のーーーーことじゃ」

 

 遥か昔のこと、三只眼の一族の中からこの世の全ての者の上に君臨しようとした邪悪な三只眼吽迦羅が現れたという。その者の名が鬼眼王。鬼眼王は多くの種族を奴隷とし、それどころかそれを諌めようとした同じ種族たる三只眼吽迦羅ですら容赦無く惨殺したという。

 ベナレスを无とし引き連れたその力は敵対者を次から次へと消していった。

 

「まさに地獄の日々じゃ」

 

 三つの瞳に憂いを滲ませ、パイは力なく話を続けていく。

 

 鬼眼王の残虐な行動に三只眼吽迦羅達は遂に最後の作戦に打って出た。ベナレスを別の地に引き付け、残った一族全員で聖地へと封印しようとしたのだ。

 

「命をかけてな……」

 

「気がつくと儂は一人になっていた……。今まで何の音沙汰もなく全てが終わったことだと思っておったが……」

 

 そこで涙を隠すためか、俯いていた三只眼が力強く顔を上げた。

 

「戦うぞ八雲。奴が約束を守る保証は無い。それどころか鬼眼が復活すれば人間も滅んでしまうじゃろう」

 

 かつて一族を滅ぼされた三只眼には鬼眼王の残虐さは痛いほどに分かっていた。復活を遂げれば間違いなく再び世界を統べんと行動を起こすだろう。そして抵抗するものは容赦なく殺す。そう例え三只眼が要求を飲んで一人で向かっても鬼眼王が復活すればどうなるか分かったものではない。

 

「わ、わかった……」

 

 主人とその従者で話を続けていく中、白がその会話に割り込んだ。

 

「おいおい、私を置いてけぼりか?」

「貴様、来るつもりか?」

 

 三只眼は形の良い眉を歪ませて言外に拒絶を表した。なぜならベナレスは三只眼を殺すつもりはない。そして八雲は三只眼が生きていれば死ぬことはないのだ。だが、白には何の保証もない。

 

「死なないってわけじゃないが、少なくもそこの八雲よりは強いぞ?」

 

 三只眼も馬鹿ではない。それに鬼眼王をかつて三只眼の一族は封印したと言っていた。ならばその封印法があるのではと白は考えていた。

 

「……分かった。危険を承知なら構わんじゃろ。出発は明後日の朝じゃ。それとこの事は屋敷の者には言ってはならぬぞ。もちろんパイにもじゃ」

 

 三只眼とパイは一人の人物の別人格だが三只眼に主導権が有る。パイは皆の命が危ないとあらば自分の命を何の躊躇いもなく捧げてしまうだろう。それ故の指示だった。

 

 

 

 

 エンパイアのドレスに身を包んだ白は未成年にも関わらずワインの入ったグラスを傾け、喉を潤す。……未成年なのに。

 ベナレスからの要求が届いた翌日、黄邸では(ロン)の退院祝いのパーティが行われていた。

 ベナレスの元に行くのは翌日、本来ならばゆっくりしていられる訳もないのだが、黄や鈴々にベナレスの事を感づかれるのは不味い。白達は悟られぬようにパーティを過ごしていた。

 

「良い飲みっぷりねぇ白ちゃん」

「まぁな。良い酒だ」

 

 演技は白にとって何も難しいことは無い。一国を権謀術数で操り滅ぼしたその演技力は只の人にバレることは無いだろう。

 

「日本酒は?」

「あるわよぉ!」

 

 どん!と一升瓶がテーブルに乗せられる。白は面白そうに笑うと椅子にどかりと座り込んだ。どうやら呑み比べをするようだ。そうして皆の注目を集めると八雲を見やり顎でしゃくる。

 

(やれやれ、お膳立てはしたやったんだ上手くやれよ)

 

 ベナレスとの戦い、無事で済むかもわからない。八雲はパイに思いを伝えるつもりのようであった。しかし十六の初心な少年。ちらちらとパイに視線を送ったり、なんとか二人になれないかとしてはいるが空回り。

 老婆心から白は八雲に協力してやることにしたのだ。……決戦前の告白は激しい死亡フラグの様な気もするが、无なら大丈夫だろうという判断だろう。

 

 

 

 

「俺、人間に戻ったら、東京に戻ろうと思うんだ……」

 

 

「パ、パ、パイも一緒に、ど、どうだ?」

 

「お、俺……パイの事……」

 

 

―――うん、ありがとう。人間になったらね―――

 

 二人の唇が重なった。確かに気持ちがつながった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――人間になれたら(・・・・)ね――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一人で行くなんて釣れないじゃないか?」

 

 その言葉にパイはぎょっと驚き、体を強張らせた。

 パイは知っていたのだ。三只眼と八雲達が口を噤んでも、タクヒの魂がパイに事情を知らせたのだ。本来なら无や三只眼吽迦羅の相手は无が一番適している。だが、八雲は弱い。

 八雲はパイが三只眼が无にしてしまったのだ。本来ならば戦いとは無縁の存在。それなのに幾度となく戦い、傷ついた。優しい八雲にパイがこれ以上戦ってほしくはなかったのだ。

 

「白!な、なんで!?なんで来ちゃったの!?」

 

 悲鳴の様な声を上げてパイは白に詰め寄った。せっかく勇気を振り絞って来たのに、本当は―――。

 

「心細いなら、寂しいなら言え」

 

 ぐいっとパイを抱き寄せて白はそういった。八雲を誤魔化すことは出来ても、数千年の記憶を持つ白には通用しない。パイが何か悲壮な決意を秘めていること、そして何を考えているかを察するのは容易な事だった。

 

「う、うぅ……私、私……」

「……泥なんてなんだい、か」

 

 誰かのために泥を被れる。命をかけられる。パイの在り方は潮の様だと白は感じていた。だからこそ、守りたいとも強く思う。

 

「なぁに奴を倒して帰ろう。八雲のところにな」

「うん!」

 

 勝ち目は少ない。不死に加えて素の力も白は勝てないと分かっていた。勝つ方法があるとすれば、三只眼の持つ力だけだ。かつて鬼眼王を封印したという力やギョロ目の化け物を吹き飛ばした力だ。

 

「……付き合わせて悪いの」

 

 三只眼に人格が変わり、小さな謝罪が白の耳に届く、白は小さく苦笑すると香港仔(アバーディーン)に向かうのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「小娘一人と言ったはずだが?」

 

 デニムのズボンにTシャツ、そしてジャケットとという先日を同じ出で立ちのベナレスはそう白達に問うた。

要求を無視したにも関わらず、ベナレスには気分を害した様子はない。それが白達を脅威と感じていない所作となった。

 

「大人しく付いてくると言う訳でもなさそうだな」

 

 臨戦態勢になり髪が白くなった白を見てベナレスは楽しそうに笑う。

 

(戦闘狂か、舐めてかかってくれるなら僥倖だ)

 

 白は道すがら、三只眼と計画した通り白が前衛でベナレスの隙を作り、三只眼がその隙にベナレスに全力を叩き込むという作戦を実行する。

 まるで獣の様に疾走すると両の爪を突き立てんと襲い掛かった。

 

「ふむ、大振りだが……的確にこちらの動きを先読みする」

 

 左右の爪をフェイントを織り交ぜて不規則に白が振るうがベナレスは服に掠らせても、それ以上は許さない。ベナレスの皮膚には一切の傷が付かない。

 

「だが、先読みに体が付いてきていないぞ。惜しいな」

 

 戦闘の経験は幾らでもある白だが、体はその経験を積んだかつての体ではない。白が思う動きと実際の動きには大きな乖離があった。

 

「無駄口を……!」

 

 嘲るならまだしも、まるで教導するように白の動きを注視するベナレスに白は怒りを覚えるが、動きに感情を乗せる愚は犯さない。パターンを決めず常に新しい動きを心がけベナレスの読みを外そうと奮戦する。

 

「そら!」

 

 しかし、身体能力も圧倒的に開きが有り、白は攻撃に転じたベナレスの右回し蹴りを避けられず左手で受け止める。

 

「がっ!?」

 

 体を撓らせ、脱力し勢いを殺そうとするが、それでもベナレスの攻撃は白の前腕の橈骨と上腕骨をへし折った。

それだけでなく、衝撃は全身を駆け抜けともすれば崩れ落ちそうになるほどのダメージを白は負ってしまう。

 ギリっと血が滲む程に白は歯を食いしばり意識を保った。じんじんと折れた腕から熱が生まれ、痛みが波紋の様に広がっていく。

 

「っ!!」

 

 白の双眸が大きく開かれ、絹糸と見間違わんばかりの美しい髪が周囲十メートル以上に渡って広がる。髪は各々の獲物に絡みつき、ふわりと空へと浮いていく。

 

(これが限界……か!)

 

 五~六百キロ近い鉄パイプや自転車といった物を白は必至の形相で持ち上げている。どれもこれも叩き付けられれば人では只では済まないだろう。

 

「ほぅ、これは中々の芸だ」

 

 宙に浮かぶ無数の凶器を前にしてもベナレスには余裕の態度を崩さない。それが生来の丈夫さからなのか、はたまた无ゆえの再生能力からの余裕なのかは白には判断がつかない。

 

――――

 

 前触れも無く白は空中の凶器達をベナレスへと向かわせ始めた。重力加速度と白の髪からの加速により凄まじい速度となり廃材や自転車達はベナレスへと殺到する。土煙が舞い上がり金属音が何重にも重なった音は白の下腹に大きく響いた。

 

「うわっぷ!?」

 

 突然、走り抜けるように突風が吹いたかと思うと、土煙は跡形も無く姿を消した。

 

「……かすり傷、どころか一歩も動いてないとはね」

 

 感心するように諦めすら込めて白は称賛する様にそう口にする。何十もの鉄くず等の凶器が一斉に己に向けられたにも関わらず、ベナレスは一歩も動かずにそれらを捌いていた。辺りにはどんな方法を使ったのかは定かではないが、粉々になった自転車やごみ箱が散乱していた。

 

「まぁまぁだ。俺に向かわせたのがそれなりの武具だったならもう少し手間取った」

 

 服の裾を叩き埃を払いながらベナレスは感心の言葉を漏らした。

 

「そうかい!」

 

 そう言いながら、今度は自分もベナレスに向かいながら白は巧みに髪を操り迫る。近距離攻撃と髪の波状攻撃、今の白だけで出来るのはもうそれぐらいしかない。

 しかし、左手が折れている現状ではそれは悪あがき以上の効果は生まない。ベナレスは白の攻撃を面白そうにいなし、受け止め、遊んでいた。

 

「おおおおおお!」

 

 髪を巻き上げ白はベナレスの視界を奪う。

 

「ふん……そろそろ限界か」

 

 鬼眼王が封印されて数百年、その一番の配下であるベナレスは王の代理人とも呼べる存在だ。鬼眼王が自ら選んだ強者であり、さらに不死、正面から彼に刃向うものはここ暫く現れていなかった。そう、ベナレスは久しぶりの戦いを、格下ではあるものの命を懸けて戦う白との戦いを楽しいと感じていた。

 だが、いつまでも戦っているわけにもいかない。相手の限界が見えた以上、ベナレスにはこれ以上戦いを長引かせるつもりはなかった。

 

「褒美だせめて、楽に……そこか!?」

 

 視界に移る影、ベナレスの渾身の拳が振るわれた。

 

「なに?……!!」 

 

 びたりと止まるベナレスの拳、ベナレスの目の前には三只眼が立っていた。

 

「かかったな!このうつけが!消えよ!」

「ぐ、があああああああああ!?」

 

 厳!

 

 三只眼の両手から凄まじい光が溢れ、ベナレスの胸から上を消し飛ばす。さしものベナレスも何の防御も出来ない状態で三只眼の光術から逃れる術は無い。頭部と胸部を失った体はそのまま仰向けにどかりと倒れていく。

 

「……やったか?」

「ふぅ……上手くいって良かったぁ」

 

 呆ける三只眼に白が駆け寄る。一度の力を使ったため大分消耗したのか三只眼は白に体を預けて冷や汗をぬぐった。

 

「……我ながら良くもまぁ上手くいったものじゃ」

「あぁ、助かった。早く封印を……」

 

 无であるベナレスの頭を吹き飛ばしても死ぬことは無い。故に封印を施さなければならない。白は酷と分かっていながら三只眼を急かす。

 

「な、に?」

 

 鳥肌が立つ感覚を覚えながら、白は三只眼とともに後ずさった。

 八雲は頭が完全にくっ付くまでに三日(・・)を要した。切断面はともかく頭がほぼ無事だったにも関わらずだ。しかし、ベナレスは胸部から上を根こそぎ失っている。

 

「がぁ!?」

 

 パイを突き飛ばし、白はベナレスの前蹴りを腹に受ける。腹腔からは聞こえてはいけない音が口を通して漏れ、血が勢いよく吐き出された。

 そしてその勢いのまま、ノーバウンドで白は廃材へと突っ込んだ。

 

「ふ、ふ……久方ぶりだぞ?頭を吹き飛ばされたのは」

 

 そう皮膚が張り付いていない()で発音が濁りつつもベナレスは愉快そうに呟いた。

 

 

 

 

「白!?」

 

 三只眼の白を案ずるような悲鳴が上がる。思わず三只眼は白に駆け寄ろうとするが、ベナレスに首を掴まれ阻まれてしまう。

 

「ぐぅ!?き、貴様っ!」

 

 首の後ろを掴まれ、そのまま吊るし上げられた三只眼は体格の関係で宙に吊るされた状態になってしまう。見ればベナレスは頭部は左目が、腕は三只眼を掴む腕は骨や筋肉がむき出しの状態だった。

 右腕はほぼ再生しておらず、負傷した部分の皮膚はほぼ無い。

 

 だが、動いていた。白や三只眼をきちんと認識している。戦えていた。

 

「ふふ、油断、した、ぞ」

 

 濁った声でベナレスは笑う。不死でなくば死んでいたであろう程のダメージを負いながらベナレスは喜悦を感じていた。

 

「まぁいい……」

「貴様、何をするつもりじゃ!?」

 

 徐に白が吹き飛んだ方向に向かってベナレスは大きく口を開く。口腔には見る間に力が蓄えられていく。

嫌な想像が三只眼の脳裏を過る。先ほどの攻撃で既に白は戦闘が続けられないだろう。もしかするとその場で動けなくなっていてもおかしくはない。

 

「やめ……」

 

 三只眼の制止もむなしく、眩い光の帯が白に向かって放たれた。

 

 




劇中の厳!という箇所はうしおととらの止めの一撃的な表現を表しています。



うしおととらで好きなシーン紹介のコーナー(?)

「ま」「ゆ」「こ」





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第十二話

短いです。
そしてようやく第一部完。


 痛みが白の体を支配していた。

 全身の至る所が大なり小なり痛みを訴え、腹の奥は痛みとも気持ち悪さとも言えない不快感を叫んでいた。

 

「ぐ……う」

 

 意識も鮮明ではなく、現状の把握すらも覚束ない状態だった。しかし、それも十秒足らずで徐々に思考が纏まっていく。

 

(く、そ……(ウー)の再生力がここまでとは……)

 

 

 三只眼と白の誤算。それはベナレスの再生力だった。無論二人とも无が頭を吹き飛ばされても死なないことは十分に理解していた。八雲も胴と首がおさらばしてもきちんと再生していた。そしてその再生には三日掛かっていたことも知っていた。

 そう頭と胴が残っていて切断面が接合するのに八雲は三日の時間を要した。腕は数時間で再生したり、交通事故で即死レベルのダメージも大した時間はかからなかった。そこから白は神経などの複雑な組織、もしくは細かく粉砕されれば再生する時間が掛かると考えていた。

 そうでなくとも頭を根こそぎ吹き飛ばせばすぐさま再生とは至らないだろうと普通は思うだろう。

 

 普通であれば。

 鬼眼王(カイヤンワン)のベナレス、王の代行者であるベナレスは三只眼が八雲を无にした様に成り行きでベナレスを无にしたわけではない。自ら選んでベナレスを无にしたのだ。

 無論、八雲と違い元人間ではない。三只眼吽迦羅(さんじやんうんから)すら捕食する龍の王。龍皇と称えられ无を抜きにしたとしてもとびっきりの妖怪なのだ。

 无でしかない八雲ともはそもそものベースが違い過ぎるのだ。これが並みの妖怪だったなら白の作戦も通じたろうが、あまりにも八雲とベナレスでは生物としての格が段違いだった。

 

「三只眼……パイ」

 

 白の掠れる視線の先に首根っこを掴まれ暴れている三只眼がぼんやりと映る。ベナレスからは離れていても分かるほどの力が高まっている。

 とどめを刺すつもりなのは明白だった。

 

「やめ……」

 

 叫ぶような三只眼の声が白の耳に届く。

 

(……く、死ぬ、のか?)

 

 死、それは白にとっては二度目となることだった。だがかつての意味も無く他者を虐げ苦しめた白面の者とは違い、葛葉白には家族がいる知己がいる。そして何より目的が成してみたいことが幾らでもあった。

 だが、そんな白の苦悩ももろともに光に呑みこまれていった。

 

 

 

 

 

 

「白!!」

 

 掴まれた首の痛みを無視して三只眼は叫ぶ。三只眼からすれば白は得体の知れない。信じきれない相手ではあった。捻くれて考えれば香港仔(アバディーン)に一緒に来てくれた事も自分に取り入る為ではないかと心の何処かで思っていたほどだ。

 しかし、心細い中、一緒に来てくれて嬉しいとも三只眼は感じていた。パイの面倒は見てくれるし、八雲では不安な戦闘も任せられる。頼れるとすら思っていた。

 そんな相手がまさに殺される。それは鬼眼王に一族を殺された彼女にとってはトラウマ級の出来事だった。

 光の帯が狙い違わず白が居るであろう位置を直撃し、爆発が起こった。

 

 

 

 

「あ……あ……」

 

 小さな声が断続的に三只眼の口から洩れる。

 本当なら皆に迷惑を掛けたくないから一人で来るはずだった。でも白はそんな思惑を看破してベナレスの元に一緒に来てくれた。追い返すことも、なんなら不意を突いて強引に気絶させることすら出来たろう。それをしなかったのは心細かったからであり、嬉しかったからだ。

 強者が无になった時の恐ろしさを三只眼は知っているはずだった。

 ならば、白が死んでしまったのは三只眼のせいだ。そう三只眼は考えたのだ。

 

「白、白――――!?」

「……」

 

 パチパチと廃材が燃えはじける音に三只眼の悲痛な声が混ざる。

 

「……つくづく、面白いやつだ」

 

 愉悦と警戒が滲む声をベナレスは口にする。

 

「うわっ!?」

 

 徐にベナレスは左手に掴んでいた三只眼を地面へと無造作に下した。そして、碌に皮膚すらも再生していない体で構えをとる。

 数瞬、ベナレスの、三只眼の動きが止まった。

 

 

 

 燃え盛る廃材の山と煙の一部が何の前触れもなく吹き飛んだ。

 

 

「……やってくれたな」

 

 純白の人の胴体ほどもある蛇の様なモノがそこには漂うように蠢いている。

 

 そこにはボロボロの服に傷だらけの体、しかし一本の尾を生やした葛葉白の姿があった。

 

 

 

 

(……あぶないところだった……)

 

 痛む体に鞭を打って白は何とか二本足で立ちあがっていた。気を抜けば震えるほどに憔悴した足、咳き込めばそのまま倒れこみそうになるほどに白はダメージを負っていた。

 だが、それでも確かな力が白にはあった。視界の端にはかつての自分を象徴する忌まわしさすら感じる尾が一本悠々と揺蕩っている。思わずかつての姿に戻ったのではと絶望する白だが、彼女の変化は髪が白く染まり、指先が鋭利になり、そしてそれに加えて尾が一本生えているという状態だった。大分人間を逸脱しているが、それでもかつての姿に比べればましだと白は考え直す。

 尻尾から溢れる力はかつての山すら砕くそれとは比べることも馬鹿らしいほどに弱いが、それでも先までの自分よりは強い力を白は感じていた。

 ぶん、と試しに振るう。尾は白の意志通りに動く、太さは人の胴体程、長さも十メートル。あまりにも小さい。こんな尾だったなら白面の者は最強の妖怪と恐れられなかったろう。

 

(それでも、)

「これほど、頼りに思ったことは無い!」

 

 声と共にベナレスに向かって白は尾を突き進める。単純な動きだが先の白の動きとは比にならない速度でベナレスの腹にぶち当たる。

 

「ぐおぉ!」

 

 両足で踏ん張るものの、ベナレスは未だに体の再生が追い付いておらず二筋の轍を刻みながら後方へと追いやられていく。

 

(よし)

 

 ベナレスと三只眼を距離を空けた白は尾を巨大な岩石そのものに変貌させる。メキメキと音を立てながら尾は幾本もの杭を持つ岩石の尾となった。

 

「くたばれぇ!」

 

 岩の尾を一切の手加減無く白はベナレスへと叩き付ける。空気を押し広げる音が鳴り、次いで地面を打ち据える音が白と三只眼の腹に鈍く響いた。

 

 轟!

 

 土煙がもうもうと立ち上がる。それは先の白が受けた攻撃の焼き直しの様であった。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 目の下にくっきりとした隈が浮き出て顔色は蒼白、白の憔悴は限界を越えつつあった。叩き付けた状態の尾を持ち上げることすら出来ずに肩で息を繰り返す。

 勝ったかどうか、そんな事……

 

 

 ――ベナレスの名において命ず、出でよ――

 

 白には分かっていた。

 

 

 ――光牙(コァンヤァ)――

 

 ベナレスが本気なんて一切出してない事に。

 

 岩の尾が弾け飛び、感覚を繋いでいる白に激痛が走る。既に弱り切った白の体は激痛で強張るままに大地へと吸い込まれるように倒れてしまう。

 なんとか千切れて短くなった尾で応戦しようとするも、白の髪は元の亜麻色へと戻り、それに追従するのように全身から力が抜けていく。

 

(こ、ここまでか……)

 

 白の意識は霞がかかったようにぼんやりと薄らいでいく。もう戦う力は白には残されていなかった。

 じゃりっと靴が砂を噛む音が白の耳に届く。

 

「白、ありがとね」

 

 三只眼、いやいつの間にかパイが体の主導権を握っていた。

 白を背に護る様にパイがベナレスと対峙する。右腕はまだだが、それ以外の再生はほぼ終わりつつあるベナレスが二人を愉快そうに眺めている。

 

「八雲の事、よろしくね」 

 

 薄れゆく意識の中で白はパイの声を聞いた。

 閃光、そして爆発。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 騒ぎに駆け付けた八雲達が見たのはボロボロで倒れ伏す白だけだった。

 

 パイの姿は何処にも無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第一部 完 




第一部完となります。

ちなみに復活した尾は一本だけです。
第二部の第一話を投稿したら暫く空くと思いますのでご了承ください。


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第十三話

二部の始まり


誤字報告ありがとうございます。


 少年は、少女と再会する。

 それは彼にとっては長い長い旅の終わりであり、そして新たな旅の始まりとなるはずだった。

 

 

 

 

 

 

「俺は藤井八雲、君と命を共にするものだ」

 

 

 

 

 

 

 しかし、八雲の言葉に対する目の前の少女の反応は八雲にとっては予想外の反応だった。

 

「アハハハ、なーにそれ?」

 

 現に目の前の少女は八雲の言葉をナンパと思い笑っていた。

 

「え、いや何っていうか……そのままの意味で、つまり俺と君の命は……」

 

 少女の思わぬ反応に八雲はしどろもどろに説明するが、少女はけらけらと楽しそうに笑うばかりで八雲の話の半分も聞いていなかった。

 

(話が全然、通じねぇ……やっぱ記憶が無いのかぁ)

 

 別に八雲は見知らぬ少女をナンパしていた訳では断じてない。

 パイが香港仔(アバディーン)より姿を消してから四年もの歳月が過ぎていた。ベナレスとの戦いの際に白は意識を失い。戦いの結末がどうなったのか知る術は無かった。三只眼もベナレスに敗れ連れ去られてしまった可能性は高く、そしてそれが最悪のパターンであった。

 少なくとも八雲が生きているということはパイもまた生きている。二人は(ホァン)そして鈴々(リンリン)の協力の下、世界中を探し回った。白は北米やヨーロッパ、アフリカ。八雲は中国、南米、東南アジア。各地で捜索し、その中で体術や獣魔術を習得し実力はついたが、終ぞパイの手掛かりはなかった。

 だが、遂にパイと思われる少女が東京にいるのを突き止めたのだ。

 

「あんなぁ、俺はウソなんかついちゃいねぇ」

 

 しかし、当のパイは記憶を失い綾小路ぱいを名乗っていた。学校にも通っており、まさかの他人の可能性も無くは無い。だが妖怪を追い払うのに無意識に力を使った事、そしてなにより(ウー)の本能が八雲に目の前の少女を守れと訴えているのだ。本人でないわけはない。

 

「じゃあ、私のドコが妖怪なのよ?さんざん私に話しかけてきて、結局ナンパなんでしょ!?」

「ナン、パ?」

 

 予想外の言葉に八雲は硬直する。何年も必死に探し求めてきた相手が自分の事を忘れ、しかもナンパ扱い。やっと出会えると思いここ数日、言いたいことを必死に考えてきた八雲は頭を抱えた。

 

「あのなぁ、俺はナンパ目的じゃねーし。ウソも言ってねぇ。ウソついてんのは君のじいさんだよ」

 

 埒が明かないとばかりに八雲はぼそりと呟いた。

 パァン!

 空気が弾けるような小気味のいい音が響く、ぱいのしなやかな左手が八雲の頬を引っぱたいたのだ。

 

「おじいさまの悪口を言わないで!私、あなたの事が大嫌い!」

 

 驚く八雲にぱいは怒りを隠そうともせずに捲し立てる。八雲は叩かれた右頬を抑え目をぱちくりとさせていた。

 そんなやり取りをしていると、ぱいが通学に利用しているバスがやってくる。ブレーキ音が終わると勢いよくドアが開く、下りる客はいなかった。

 

「ばいばい」

「あ、待った!これを!」

 

 再起動を果たした八雲がポケットから、なにやら奇妙な物をぱいに投げ渡す。宝石ではないにしろ色鮮やかな石や布が施され意匠は独特ながらも美しい。

 

「それは、シヴァの爪だ。手に付けることで君の力をある程度、引き出せ、る」

 

 しかし、悲しいかな言い寄る八雲を不審に思ったのかバスは無情にも走りだし八雲はバスを追いかけながら渡した呪具の説明をする羽目となっていた。

 

「なにか、あったら使……」

 

 そんな八雲を尻目にバスはぐんぐんと加速していく。不死身の肉体を持つとはいえベースは人間。流石にバスに追いつくことは出来ない。そこで、八雲は気づいた。

 

「し、しまった!?」

 

 護衛するはずなのにぱいを一人にしてしまった事に。

 

 

 

 

 

 

「やばい、やばい!」

 

 荷物の中からナイフや手甲を取り出しながら八雲は焦っていた。平時ならまだしも、ぱいは今まさに何者かが目を付けているのは明白、そんな中で一人にするのは余りにも危険な事だった。好きな相手に大嫌いと言われた上に頬を叩かれたのは予想以上に八雲を注意散漫にしてしまったようだった。

 最低限必要なものを身に着けた八雲は急いでぱいの後を追い始めた。

 ぱいを救うのはもちろんだが、これが幼馴染であり八雲が頭が上がらない存在である白姉ぇこと葛葉白に知られれば死なないのを良いことに新しい術の実験台にされかねない。

 

「無事でいてくれよ!」

 

 ちなみに白がそんな実験をしたという事実は無い。完全に八雲の被害妄想である

 額の无の印をバンダナで覆い、準備を終えると八雲は走り出した。その表情には一切の恐れはない。走る姿に隙は無く、漂う気配は強者のそれだ。もう以前の八雲ではない。確かな戦士としての姿がそこにはあった。

 

 

 

 夜気が満ち満ち、人の時間が終わり妖達の時間が始まる。

 ぱいは八雲の想像が当たり、不幸にも女性型の生き人形とも呼べる妖怪に友人ともども捕まっていた。

 

「さぁ我が父に不死を!」

 

 生き人形は自らを作り出した主を不死にするために三只眼吽迦羅を求めていた。待望の三只眼吽迦羅の末裔ぱいを捕えた生き人形はぱいに迫る。

 

「私、知らないんです。普通の人間なんです!」

 

 しかし、綾小路ぱいはぱいではあるが、パイの記憶は無い。どんなに不死を求められても叶える術がなかった。

 パイの返答にそれまで朗らかな笑みを浮かべていた生き人形は怒気を露にする。まさに人形の様に否、整った人形の顔は整っているが故により恐怖をパイに与える。

 パチンと生き人形は人間がそうするように器用に指を鳴らす。すると、壁から鎖が飛び出しぱいの両手を吊るし上げ、拘束する。

 

「我らを拒むというのですか、ならばこの子たちはどうなってもいいというのですね」

 

 そう言うと生き人形はぱいの同級生の女の子二人に術を掛ける。すると二人の女の子ドンちゃんとケンケンは二つの頭を持つ蜘蛛のような人形に変貌し、ぱいに襲い掛かった。

 

「ここはどこ!?」

「助けてぇえ!」

 

 二人は術を掛けられた影響か、無茶苦茶に暴れまわる。噛みつき、腕を振るう。狂乱のせいかおかげか、正確さを欠く攻撃だが、見る見るうちにぱいに痣が刻まれ、血が滲む。

 

「きゃあああああ!」

「さぁ、助かりたくば我が父に不死を!」

 

 悲鳴が心地よいのか生き人形は端正に作られた顔を綻ばせ、ぱいに不死を要求する。

 しかし、記憶を失っているぱいに不老不死の法など知る由もない。故にこの暴力に逃れるすべは無かった。

 

「誰か、助けて!」

 

 悲痛なパイの声は閉じ込められた生き人形の屋敷では空しく木霊する。……はずだった。

 

「やけに楽しそうじゃん!俺もまぜてくれよ?」

 

 天窓を叩き割り、一つの影がぱいを襲っていた人形を押し潰す。頭にバンダナ、両手には手甲。肩口にナイフを装備し、ブーツを履くその人物は藤井八雲その人だった。

 

「すまん。遅れた今助けるからな……ぁ」

 

 人形の上からひらりと着地し、八雲は余裕の表情でぱいに視線を向ける。

 

「……」  

「いやぁ!み、見ないでぇ!」

 

 多少の傷は有れど、命を脅かすような怪我はぱいには無い。むしろ被害を受けているのはぱいの制服だった。ブレザーはほとんど破れ、ブラウスもボタンがほとんど外れている。ブラがずれてていないのが救いだが、スカートも襤褸切れとなっており、瑞々しい素肌の多くが晒されていた。

 命の危機も有るが、高校生の女の子にとって下着をよく知らない男性に晒すのは非常に恥ずかしいことだった。

 

「あ、いや、ごめん!つーか裸よりエッチだな、こういうのの方が……」

 

 襲われているという状況にも関わらず八雲は普段は細い目を大きく開いて照れている。

 

「やーんバカ!変態!」

 

 ぱいはぱいで何とか、素肌を隠そうと手が拘束された状態では体を揺することしか出来ず、逆にそれが艶めかしさを引き立たせた。

 

「い、言うに事欠いて変態だとぉ!」

 

 生き人形とその配下の人形達は自分たちを無視してラブコメ展開している二人にどうしていいか分からずカタカタと震えて距離を詰めるに留めていた。空気を読めるとは作った術者の趣味か中々に人間らしい。

 

 ドゴォ!

 

 そんな背後に迫る人形を八雲は後ろ蹴りでバラバラに粉砕する。さらにそのままの動きで周囲の人形を次から次へと破壊する。手甲やブーツを巧みに使い人形を相手取る姿はかつての八雲から想像も及ばないほどに研ぎ澄まされた技だった。

 ただ破壊するだけなら昔の八雲でもなんとか出来たかもしれない。だが今の八雲は相手の攻撃をいなし、防ぎ、躱す。隙をついて攻撃し無駄無く破壊する。

 

「俺の、どこが変態なんだよ!」

 

 しかも、言葉を交わす余裕すらある。

 何でもないようにしているが、八雲が四年間必死に修業した結果が今まさにここに示されていた。

 

「全部、どこか見ても変態よ!」

「はぁ可愛くねぇな!助けねぇぞ」

 

 八雲を心の中では見直してるぱいに対して、八雲は心はここ四年の中で一番の高揚を見せていた。助けねぇぞと口にしてはいるが、かつては守ることすら満足に出来なかった己が今は无の本懐を遂げている。それが何よりも八雲は嬉しかった。

 

「雑魚共が面倒だ!」

 

 一際大きな人形を他の人形を巻き込むように八雲は吹き飛ばす。人形達と八雲達に間隙が生まれる。その間隙こそが八雲が望んだことだった。

 

「八雲の名において命ずる!!出でよ土爪(トウチャオ)!!」

 

 高らかな詠唱とともに八雲は床に左手を叩き付けたすると三つの刃が生まれ、人形達に向かって突き進む。刃は三つの轍を残しながら人形たちに食らいつき、一切の抵抗を許さずに破壊しつくした。

 後にはばらばらになった人形が転がっているだけだった。

 

「あ、あなたは何者なの?」

 

 手に付いた埃を払いながら八雲は笑顔を浮かべぱいに近づいた。傷に触らぬように優しく拘束を外すとバンダナを一番出血している左の二の腕に巻き付け、応急手当てを施す。

 

「痛まない?」

「うん。それで……」

 

 命を救われたこと、化け物たちを物ともしない強さ。それはぱいにとってとても気になることだったのだろう。触れられた箇所が熱を持つのを自覚しながらぱいはどきどきと八雲を見つめていた。

 

「言ったろ?お嬢様」

 

 

 

「俺は藤井八雲、君と命を共にするものだってな」

 

 

 




本当は書き溜めを多くしてから二部を開始したかったのですが、八雲の活躍を早く投稿したかったんじゃ。

ちなみに、ここらへんが一番難産でした。白を出そうか出さまいか……。出さないなら、さくっと中国からやるかとか。
しかし、四年の二人の再開というか、八雲が初めて獣魔術を使った時の高揚と鳥肌は省くべきではないと考えて書いてしまいました。



白が全然出てない。

オギャアアアア!


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第十四話

日刊ランキング五十二位という過分な評価を受けて御礼の投稿でござる。


本当に明日からは休むんだからね!本当だからね!

※記憶喪失状態のパイはぱいと区別しています。解りにくいかもですが、すみません。


「バラス・ウィダーヒ!」

 

 

 ぱいがその呪文を唱えた瞬間、シヴァの爪を装着した左手を中心に力の奔流が生み出された。夜天に雲もなく雷光が走り、大気が荒れ狂う。しかし、術は直ぐには発動しない。

 それはベナレスによる封印だ。記憶と力を封じて戦う術を奪うための。しかし、その封印も悲鳴を上げ今すぐにも弾けようとしていた。加速度的に力が膨れ上がり、それに伴いビシビシとガラスに罅が入るような音が部屋を空間を震わせていた。

 

「死ねい、三只眼!」

 

 生き人形が右手の内部に隠した剣をぱいに振るう。ぱいが放とうとしている力が凄まじいものだと理解したのだろう。

 

「きゃ!」

「っ!?」

 

 ぱいは咄嗟に左手を前に出すと刃は膨れ上がった光にぶつかり、それどころか罅を入れられてしまう。

 そして、その刃を振るわれたという事実が最後のトリガーとなった。直接的な命の危機に弾ける寸前だった三只眼吽迦羅の力は何の遠慮も無く放たれた。

 

「ぎゃあああああああ!!」

 

 爆発音と生き人形の断末魔の叫び、そして夜天を切り裂く一条の光が空へと昇る。屋敷の天井は無残にも全て吹き飛び、もうもうと煙と埃が舞った。

 

「パイ!パイ!?」

 

 パイの名を呼ぶ声とは裏腹に辺りは煙と静寂が満ちていた。徐々に煙が晴れていく。

 立ち尽くす人影を八雲は凝視していた。

 風通しが凄まじく良くなった邸内に涼やかな風が走り抜けていった。

 

 月明り、黒髪の少女、ぱいがそこには立っていた。左の二の腕からは包帯を通して血を滲ませていたが、大きな怪我はない。ぱいは黒曜石の様な吸い込まれる瞳で、そう吸い込まれる様な三つの瞳(・・・・)で八雲をしっかりと見つめていた。

 

「あはっ」

 

「あははは!やったぁ助かったんだ!やったぁ!!」

 

 たたた、とぱいは軽快に八雲に走り寄り、そのままの勢いで抱き着いた。ぱいの無事な姿に八雲もぱいと同じく笑みを浮かべて喜んだ。

 ぱいの再会を端に発した事件、それが無事に終わった瞬間だった。

 

 

 

 

「それで、ぱいの同級生も無事だったというわけか」

 

 ソファーにどかりと座り込んで足を組みながら白は電話口で八雲からの報告を聞いていた。

 パイの失踪から四年、十九歳だった白も今では二十三歳。すっかり大人にと言いたいところだが、未だに高校生と間違えられていた。

 もともと童顔だが、かつての力の残滓が戻り始めた頃から容姿が変わらなくなったのだ。

 ちなみに電話の相手である八雲も(ウー)、老化とは無縁の存在だ。

 

『あぁ、でも記憶は戻らなかったんだ。額にひし形の痣がまだ残っていた。まだ術の影響があるんだと思う』

「ふむ、四年も三只眼吽迦羅を縛る程の術だからな。それも考えられるか」

『白姉ぇの方で思い当たるもんとか無いか?』

 

 記憶が戻らないにも関わらず八雲の声に悲壮感は少ない。四年会えなかった相手だ。記憶は無くとも傍に居るのが堪らなく嬉しいのだろう。

 

「漠然と言われてもなぁ……三只眼の方も記憶がないのか?」

『無い。ぱいも三只眼も両方記憶がない。ただ三つ目が刻まれた装飾品とか荒れ果てた土地やら断片的な記憶はあるみたいだ』

 

 パイと三只眼は同じ体に二つの心を持つ、二重人格者だった。強い力を使うと休眠に入ってしまう三只眼吽迦羅の特性なのかはたまたパイと三只眼だけがそうなのかは白達には判然としないが、記憶を封じるという方法が二つの人格にどう作用するのかは疑問だった。

 

「そうか、両方の人格に作用するとは、それほど強力な術なのか……」

 

 力を封じた上に記憶すらも失わせる。多少なりともこの世界の術を学んだ白はそれが如何に高度な術によるものか理解することが出来た。

 そして、そんな面倒なことをしたということは三只眼吽迦羅がベナレス達にとって極めて重要だという証左であった。

 しかし、個人の差こそあれ三只眼吽迦羅は極めて強力な妖怪である。従者である无は言わずもがなだ。だからこそ鬼眼王(カイヤンワン)は一族をことごとく殺したのだろう。にも関わらず殺さずに無力化を選んだのは何故だ。

 

(鬼眼王の封印を解くのに三只眼吽迦羅の力が必要なのか?)

 

 それならば鬼眼王が三百年も封印されていた理由にもなる。

 

『しかし、三只眼も我儘だったけど記憶が無いからか、我儘に拍車がかかってやがる。ほんと同じ体だけど少しはぱいを見習ってほしいぜ!』

 

 力の封印が解けたことで四年振りに目覚めた三只眼は記憶を失い。まるで悪餓鬼の様な性格となっていた。夜な夜な眠るぱいに変わって肉体を動かし遊び放題。戦利品とばかりに看板やらベンチを持ち帰る始末。

 悪意と呼ぶには余りに稚拙な荒れ方は、三只眼が記憶喪失の他に精神退行に陥っていたせいだった。

 終いには飞腭(フェイオー)と呼ぶオタマジャクシ型の体に大きな口、口腔に一個の目を持つ化け物まで呼び、警察がヘリまで出すという大事をしでかしたりと、それはそれはやりたい放題だった。

 シヴァの爪は人格を抑えるという効果も有るため、それで三只眼を封じようとする八雲だったが、実は暴れていたのは中途半端に過去の記憶が有り、自分以外の仲間が居ない寂しさの表れだった。

 

「でも、今は落ち着いてるんだろ」

『……まぁね』

 

 ぱいと後に和解し、今は特に問題を三只眼は起こしてはいない。八雲が彼女の記憶を頼りに三只眼の故郷を探しているのを知っているからだ。とはいえ、元々三只眼に苦手意識を持っている八雲からすれば、シヴァの爪で抑えてしまった方が安心なのだろう。

 

「無理に押さえつけるのは愚策だぞ。寂しいから暴れていたのはお前も分かってるんだろ」

『うぐぐ』

「それにこれはぱいと三只眼の問題だ。二人が問題としていない以上、お前が口を出すべきことじゃない」

 

 かつての己も自分ではどうにもならない理由を心の底でひた隠し暴れていた。決して褒められることではないが、記憶を失った三只眼の気持ちをある程度分かる白は、八雲を宥める。

 

『はぁ、分かってるよ』

 

 白の厳しさすらある言葉を受け、ため息交じりに八雲も納得する。とはいえ、最初に三只眼の寂しさを看破したのは八雲だ。昔からの馴染みで年上の白になんとなく愚痴を言いたかっただけだった。

 

『それで、頼みたいことが有るんだけど……』

 

 八雲が調子を取り戻したのが分かり、白は電話口で小さく苦笑する。不老不死の无となり友人や知人の多くと距離を置くことになった八雲の事は理解しているが、記憶が取り戻せていない以上、何が起こるか分からないし、いつまた闇の者どもに嗅ぎ付けられるかも定かではない。もう少しばかり、気を張ってもらう必要がある。

 

「ん……ふむ、ふむ」

 

 そんな気持ちは微塵も滲ませず、白は八雲との電話を続けるのであった。

 

 

 

 

「ただいまー」

 

 不完全とはいえ三只眼が目覚め、昼の間なら一人でも出歩くことを許されたぱいは親友の太目女子ドンちゃん、細身の美人ケンケンと共にプールで遊び、帰宅していた。

 プールでは八雲との仲を二人にからかわれたが、ぱいも何度も命がけで救われ、一度だけだが『好きだ』とも言われた為に満更でも、いやかなり八雲の事を意識していた。

 

《誘っちゃいなよ!二人で出かけようって》

《八雲さんってシャイっぽいから、こっちから動かないとダメだよ》

 

 年下の女子に散々に思われている八雲だったが、友人二人のその言葉はぱいにとっては天啓だった。

 

「や、八雲さん?」

 

 帰宅するなり、自室を通り越して八雲が間借りしている部屋へと直行する。彼女の心臓はバクバクと音を立て、喉が急激に乾いていく。それが殊更にぱいが八雲を意識していることを証明しているかのようで、ぱいは更に緊張してしまう。

 

「あ、あノ!ち、調査も、イインですけど……一緒にう、海とか……」

 

 八雲が居るのを確認しないうちに喋りながら引き戸をぱいは開け放つ。

 

「あ、あれお留守か……」

 

 頬を染めて、自分の行動を振り返りながらぱいは一人悶えた。

 そんな泳ぐ彼女の視線は、部屋の一角、無造作に置かれたファイルの写真を捉えた。

 

「こ、これって……!?」

 

 その写真には古びた壺が写っていた。それは四脚の足を備えた蓋つきの、普段では見ることもないだろう珍しい形の壺だ。だが、ぱいの目はそれらを注目することなく、壺の中心に描かれた三つ目を射抜く、眼の形や配置、ぱいはそしてぱいの中のもう一つの人格、三只眼も覚えがあった。

 何時とも何処とも知れぬ、二人の記憶の澱の底。写真と同じ三つ目の意匠が刻まれた建築物が立ち並ぶ街並み。そして見知らぬ男性。それは三只眼を一族を滅ぼした……。

 

「なんだ。帰ってたのか?」

「あ、た、ただいまー……」 

 

 思考の海に浸かっていたぱいの意識は部屋に戻ってきた八雲に声を掛けられたことで浮上する。八雲は余程嬉しいことがあったのだろう。慌てるぱいに気付かずに八雲は話を始めた。

 

「朗報だぜぱい!」

 

 八雲が言うにはぱいと三只眼が見た三つ目の意匠が刻まれた三只眼吽迦羅の聖地は、まさにぱいが見た壺が売っていた中国雲南省の小道具店で見つかったというところまで調査が進んでいるという。これ以上の調査は現地に行く必要があるという。

 

(え、ってことは二人で中国旅行?……やったぁ!)

 

 友人には八雲ことを好きかもと言っていたぱいだったが、二人で中国旅行だと考えた瞬間、胸が嬉しさで満たされた。

 

「じゃあ、さっそく現地に俺は飛ぶから。いつ帰れるか分からないけど、大人しくしておいてくれよ」

 

 ぱいの心があっという間に空っぽになってしまう。

 

「ま、二、三年は掛からないから、いいとこ半年くらいだよ」

 

 友人の好き合っている同士はいつでも一緒に居たいって思うもん。という言葉が思い出された。

 

(別に!好きじゃないもん!こんな奴!)

 

 八雲も同じ気持ちだと思っていてだけに、ぱいの怒りと悲しさ、そして寂しさは一入だった。本人の意思とは無関係に眦が熱くなってしまう。

 このままでは泣いてしまうかもと、ぱいが思った矢先、意図しない救世主は現れた。

 

「八雲、遅いぞ……お、パイか」

 

 澄んだ音がぱいの鼓膜を揺らした。思わずぱいは声のした方向を見やる。

 すると、そこには亜麻色の髪を背中の中ほどまで伸ばし、優しげな大きな瞳、鼻梁の通った鼻と形の良い薄い唇。しかし、何処か尊大な気配を纏う不思議な美少女が仁王立ちしていた。

 

「え……と、貴女は?」

「あー」

「待て待て、自己紹介位させてくれ。パイ、……いやぱい久しぶりだな」

 

 勝手に紹介しようとする八雲を制して白は自ら名を名乗った。

 

「覚えていないだろうが、私は葛葉白という。そこの男の姉代わりみたいなもんだ。どうだ?なにか八雲が粗相してないか?」

 

 穏やかな容姿とは真逆の口調にぱいはたじろいでしまう。

 

「粗相ってなんだよ。まぁ態度はデカいし無駄に偉そうだけど、すごく優しい人だから心配しないで、今日日本に着いたから明日から君の護衛を頼んだんだ」

 

 俺より強いんだぜ?という八雲の言葉はぱいには届かなかった。

 

「……いや」

「ん?」

「いや」

 

 徐々にぱいの声が大きくなっていく。そして遂にぱいは吠えるように叫んだ。

 

「やだ!私も行く!私と三只眼の問題だもん!絶対私も行くわ!」

 

 まるで駄々っ子の様にぱいは八雲に食い下がる。それは八雲と一緒に居たいだけではない。自らのルーツを失われた記憶を求めているようでもあった。

 

「ダメだ。絶対にダメだ!」

 

 睨みを利かせて八雲はぱいの要求を切り捨てた。

 

「やだ!」

「絶対にダメだ!」

「やだ!やだ!」

 

 白を置き去りにして二人の口喧嘩は終わることなく続く。

 

 大嫌い!八雲なんて大ッ嫌い!ぱいは心の中で自分の事を理解してくれない八雲に怒りをぶつけていた。

 

 

 

 

 

「大っ嫌い!」

「あ、な、なんだよ白姉ぇ」

 

 にやにやと笑いながらそう告げる白に八雲は口をあんぐりと開けてしまう。

 

「お前の事、嫌いなんだと、見送りもしたくないってさ」

「あんにゃろぉ」

 

 せっかく最近は仲良くなってきたのにと歯噛みしながら八雲は飛行機へと搭乗した。ちくりと胸は痛い。しかし、ここでつまらない男女の感情で動いては全てが無駄になる。

 八雲の目的はぱいと仲良くなることではない。ぱいの記憶を取り戻して『運命の女神』パイを目覚めさせることなのだ。

 

 フォオオオオオオ。

 八雲の体にGが掛かり、飛行機が離陸する。次に日本に訪れるころにはぱいの機嫌が直っていれば良いなと思いながら八雲は久しぶりの空に視線を移そうとした。

 

「いよいよね八雲さん」

「……え」

 

 八雲は自らの耳を疑った。

 それは此処に居るはずの無い人物の声。

 

「へへ、白さんを出し抜いて来ちゃった。記憶を取り戻す為ならなんだってするよ私?」

 

 八雲の隣の人物は可愛らしい帽子を取って笑顔を見せた。その笑顔の持ち主は見間違うはずもない。ぱいだった。

 

「お、おまえ!」

 

 恥ずかしそうに頬を染める彼女に八雲は諦めたかのような苦笑を一つ入れると、乱暴にその頭を撫でた。ここまで来てしまったら追い返すのも酷だと判断したのだ。

 

「あーもう!仕方ない。危ないと思ったらすぐに逃げろよ」

「うん」

 

折れながらも認めてくれた八雲にぱいは嬉しそうに頬笑む。

 

「全く自分から危険に飛び込むものを護衛するのは骨が折れるんだぞ?」

 

ぴしりとぱいの笑顔が凍りついた。

そんなぱいの前の座席からは悪戯が成功した子供の様に笑いながらも何処か怒りを滲ませる白の姿があった。




ちなみに白の戦闘BGMはKOTOKOの原罪のレクイエム。
勝手なOP曲はH△Gのカラフル。
ED曲は鬼束ちひろの流星群です。





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第十五話

ストックが溜まったので連続投稿します。
二部、長ぇええ!


 何もかもが曖昧でゆったりと揺蕩った世界。

 空気と己すらも定かではない中、それは()を見つめていた。

 飛ぶように軽く、きらきらと輝く白く白いモノ、白としか表現できない清澄なモノが上には満ちていた。

 そこで、それはふと己を見る、己自身を己を包むそれを見る。黒く淀む澱の様な汚れたモノは紛れも無く自分自身だった。ぼんやりとした意識の中、それは白いモノをひたすらに、長い長い時間見つめていた。そうしている間にも自らはどんどんと黒くなっていく。限界などないとばかりに黒く、黒く。ただひたすらに黒く、黒く。

 

(キレイダナァ……キレイダナァ)

 

 最初は羨望だった。憧憬だった。自身とは真逆の陽の存在に強く惹かれているだけだった。

 

(……ナンデ、ワレハアアジャナイ?)

 

 次第にそれは疑問になり。

 

(ナゼ、ワレハ……ニゴッテイル?

 

 怒りが生まれ。

 

「何故、我は陰に、闇に生まれついた?」

 

「我は憎む!光あるものを!!生命を、人間を!!人間と和合する妖を!」

 

 自分以外の全てを憎むようになった。

 

 

 あらゆる悪逆を悦とし、あやゆる誇りを地に落とす。蹂躙などは当たり前、ならば片手間にいたぶってやろう。千年を越えて暴れ尽くした。自身に注がれる恐怖が畏怖が最高の御馳走だった。

 

 違う。 

 

 弱者は贄。強者は自分以外に居るわけもなし、ならば全ての生きとし生けるものは我が贄だ。

 

 違う。

 

 カカカ!他者の苦しみ、恐怖なんと美味なことか!

 

 違う。

 

 

 

 

 本当は誰よりも、憧れていた。対極だからこそ人の持つ、本当の素晴らしさを美しさを知っていた。故に妬んだ。羨んだ。

 我は、我もああなりたかったと、心の奥の奥、自分ですらも目を反らしていた本当の願い。

 

 ワレハ

 

 私は

 

 …………

 

 

 

 

 

 

 ―中華人民共和国。雲南省、昆明(クンミン)

 

 

「懐かしい夢だったな」

 

 八雲を先頭にぱいと連れ立って歩く白はぱいにも聞こえない位の小さな声でそう呟いた。中国はかつての自分が長らく居座った場所である。世界も時代も違えど心の何処かで懐かしさを覚えているのか、白は最古の自分の記憶に思いを馳せていた。

 懐かしいと言うには易いが、白の前世である白面の者は美女に化けて紂王に取り入り人々を虐殺、伯邑考に息子の肉を食わせたり、炮烙という残酷な処刑法の考案したりと悪辣の限りを尽くしていた。

 

(……碌な事をしていないな)

 

 究極的に他者を貶める事が快楽だったため、白面の頃に楽しかったことも葛葉白で改められた感覚では唾棄すべきものである。そして、白面の頃の記憶のほとんどがそれである。まだ潮ととらに滅ぼされた記憶の方がマシという有様だ。

 ちなみに今日の白の衣装は白のショートパンツに黒のタイツを合わせ、七分丈のこれまた白いブラウスを着ていた。気候は丁度良い気候で激しい運動を良くする白が好んで着ることが多い組み合わせだったりする。

 

「ぱい」

「きゃっ」

 

 と少々気が滅入ることを考えていた白だが、周囲の警戒は怠ってはいない。前方から走ってくる欧米人を目にすると、自分の方へぱいを引き寄せた。

 男は何をやらかしたのか、数人の男に追いかけられている。銃器や刃物は無いが異様な一団であることは間違いないだろう。

 ぱいはなんとなく男達を眺め、白は鋭い目を男達に向けていた。

 

「……普通の人間っぽいな」

「そうなんですか?じゃあ、なんでしょうね」

 

 三只眼吽迦羅絡みとなれば妖怪とは切っても切り離せない。故に注意深く見ていた白は一団が人であることがわかると興味を無くしたようだった。

 ちなみに白はタメ口だが、ぱいは白に敬語だった。タメ口でも白は気にしないのだが、見た目は近い年齢に見えても実際は二十三歳。しかも白の纏う気配は精神年齢が三千歳を越えているせいか王者のそれであり、十五歳の高校生と一応は括られているぱいからすれば無意識に敬語を使ってしまう相手だった。

 そんな中、追いかけられていた男は素手で追いかけてきた連中を叩きのめして悠々と逃げて行く。

 

「あれが日常でない事を祈ります」

「うーん。まぁ日本よりは治安が悪いのは頭に入れておいてくれ。あれだけ安全な国も珍しいんだぞ」

 

 中国も大通りは警官が並び治安の維持に努めてはいるが、あくまで警官の目が届くところに過ぎない。路地裏の危険性は日本の比ではないのだ。

 とはいえ、それはただの人間であった場合の話であり、白であれば重火器で武装した人間でさえそれほど脅威ではない。

 

 

 

 

 

 ガウ!ガウガウ!

 

 三只眼吽迦羅に縁が有ると思われる壺――香炉――を売っている古物屋の前でやたらとデカい犬が八雲達を見るなりこれでもかと吠えていた。

 番犬なのだろうが、誰彼かまわず吠える様子は猛犬と表現すべきだろう。

 

「ひゃあ!でっかい犬!」

 

 パイは何故か楽しそうにし、カバンから缶詰を取り出して犬にあげようとする。

 

「ぱい、他所の犬に勝手にエサをあげるのどうかと思うぞ」

「あ、それもそうね」

 

 目的はともかくとして旅行にぱいは、はしゃいでいたのだろう。白の注意にふと我に返ると取り出した缶詰をカバンに戻そうとする。

 

 ガウ!

「わっ!?」

 

 一際大きな声で犬が吠え、驚いたぱいが缶詰を落としてしまう。コロコロと缶詰は引き寄せられるかのごとく犬の元へ向かってしまい、ぱいは缶詰を取ろうするが、白に肩を掴まれて阻まれてしまう。

 二人が見守る中、あろうことか犬は缶詰に食らいつき強引に缶詰の中身を引きずり出して食べ始めた。

 

「こ、怖いところに来てしまった」

「ほぅ、これなら番犬として申し分ないな……」

 

 恐れるぱいと感心する白、対照的な二人だった。

 

 

 

 

 

『七万8千元?それ高い、もっと安く、安く!』

 

 二人がのんびりと古物屋の中を見ていると八雲が本を片手に拙い中国語で店主と値切り交渉を進めていた。

 

『馬鹿言っちゃいけないなぁ。言い伝えによればこれはチベットの桃源郷を開ける鍵なんだよ?』

 

 ふぅとそこで店主は紫煙を吐いた。自営業とはいえ客商売でしていい態度ではない。胡散臭いと言っても言い過ぎではないだろう。とはいえ、彼の目の前に置かれた壺――香炉――にはしかと三只眼吽迦羅が使っていた三つ目のシンボルが刻まれている。本物の可能性は捨てきれない。

 

『香炉の使い方は分からんが、いわくつきの物は値が張って当然さ』

 

 

「7万8千元って何円ですか?」

「……三百万」

 

 ぱいの疑問に答える白は何やら思案しながら、香炉を見つめていた。

 

(見た限りでは妖しい感じはしないが……ニンゲンの像も妙な気配はしなかったしな)

 

 妖気を探るが白の感覚では妙な気配はしない。力が完全に戻っていないのも理由だが、それよりも自分以外を下に見る圧倒的な力を持つ大妖怪だったが故に細かい力の探査をしてこなかったが故の弊害だった。

 

「八雲、私が交渉しよう」

「……頼む」

 

 本を片手に値下げを試みるより流暢に話せる方が良い。白は八雲に変わって店主に話しかけようとした。

 

『買った!今、現金が揃ってないけど手付けを払うからちょっと待ってて!』

 

 すると、ぱいが流暢に中国を話し、店主と交渉してしまった。店主も手付け金を払うならと快く了承する。そこで、ぱいは自らが中国語を話せることに気付き大喜びする。

 流暢に中国語を話せるぱいと本を片手にようやく話せる八雲。護ると豪語したはずなのに妙な所で負けてしまい八雲はがっくりと肩を落としていた。

 

 

 

 

『香炉はもう売っちまったよ』

『なんだと!』

 

 そんな八雲を無視して店内に大声が響き渡る。思わず三人が視線を向けるとそこには先ほど大立ち回りを演じた黒髪の欧米人が店主に詰め寄っていた。

 

『あの娘に売ったんだよ』

『―――っ』

 

 体格の良いその男性は店主の言葉にぱいをじろりと見やる。体格も相まって中々の威圧感を放っているが、すかさず白が二人の間に割り込んだ。

 男性の身長は百九十に迫るほどの体躯で、白は百六十には届かない。しかし、白が放つ威圧感は男の比ではない。良からぬ手を使うならば白は容赦する気は無かった。

 

『その香炉、私が三倍の値段で買いましょう』

 

 そんな一触即発の空気をコートをでっぷりとした腹で張らせた中国人風の男の声が吹き散らした。

 男は口元に髭を生やし、帽子とサングラスで素性を隠すという如何にも妖しい風体であった。

 しかし、そんな男よりも異質な空気を纏う存在が男の背後に立っていた。先の欧米人よりも数段高い身長、両目は爛々と輝き、口元には牙すら見える。耳も常人よりも幾分も長い。ギリギリ人間とも言えなくもないが、異質、異様であることは隠しようがない。そして、その後ろにも十人以上の男達が並んでいる。

 

 

『そ、それなら喜んで売らせていただきますよ!』

『そんな、それは私が買う約束よ!』

 

 店主はちらりとぱいを見るが香炉を抱えると男に歩み寄った。金に目が眩んだのだろうが、そうでなくても異常な集団なのは誰に目にも明らかだ。暴力的な手段に打って出られる前にさっさと用事を済ませてもらいたい気持ちも有ったのだろう。

 

『待ってください!それは大事なも……』

「ぱい、下がれこいつら真っ当な生きもんじゃねぇぞ」

「……気配は無かったんだがなぁ」

 

 食い下がるぱいを背にし二人は徐々に後ずさる。四年もの間、妖怪たちと対峙してきた二人にはこの集団が妖怪達だと看破したのだ。

 そして、白がこの集団に気付かなかったのはこの集団の目的がぱいではなかったからだった。

 

『いただきっ!』

 

 集団の目的、それはこの欧米人マクドナルドであった。

 彼はトレジャーハンターとして三只眼吽迦羅の遺物を追い求めており、同じ物を探すこの集団とは互いにマークし合うという奇妙な関係だったのだ。今回も三只眼吽迦羅縁の香炉をマクドナルドが発見し、それを横からかっさらう為に尾行していたというわけだ。

 

『こいつは貰っていくぜ。もう残ってないと思っていた聖地へ通ずる鍵だ。これ以上、貴様らには壊させねーぜ』

 

 マクドナルドは店主から奪った香炉を脇に抱えて一目散に逃げ出した。咄嗟の行動であり、それに対応できるものはほとんどいなかった。

 

「ぎゃあああああ!?」

 

 身動きしないサングラスの男とは正反対にその背後に居た人物は素早く動いていた。店の入り口まであとわずか、そこまで迫ったマクドナルドを左手で薙ぎ払う。いや、人とは思えぬほどに発達した左手の爪でマクドナルドの胸を真横に切り裂いた。

 血飛沫が辺りを汚し、香炉が宙を舞う。サングラスの男はまるでそれが分かった居たかのように微動だにせず香炉を受け止めた。

 

「ヒョッヒョッヒョッ無駄な足掻きを……我らから逃れられるわけがないでしょう?……え?」

 

 瞬間、その香炉を白が奪い取っていた。

 

「八雲、先に逃げとけ」

 

 さらに間髪入れずに八雲に香炉を投げ渡す。一連の動作を一行は認識できず呆然と立ち尽くすのみだった。

 

「分かった!」

 

 その中で、唯一白の思惑を理解した八雲はぱいの腕を掴むと店の入り口で間誤付く男どもを吹き飛ばして逃げて行った。

 

「に、逃がすなぁ!殺しても良い、香炉を取り戻せ!」

「さて、全員で追えると思っているのか?可愛いなぁ」

 

 サングラスの男の言葉に気を取り直した男達が一斉に八雲達を追いかけようとするが、その背後から言葉、もしくは殺気に足を止めてしまう。

 

「っ!?」

 

 ぶわりと白の髪がその名の如く白く染まる。そして妖気ともつかぬ力が噴出する。

 その異様、その力にサングラスの男は、その奥に隠された瞳を大きく開いた。

 

「き、きさま……まさか!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「八雲め、やりすぎだ!」

 

 あちらこちらで火の手があがり、もうもうと煙が立ち上る中、白はこの場には居ない八雲に怒りを覚えていた。

物理的に追えなくさせる火、鼻が利く妖魔の対策に煙を使うのは経験を積んだ証だが、民家が立ち並ぶ場所でやることはない。

 

「とはいえ、まずはこっちか」

 

 怒りは有れどと思いながら白は周囲の火災を思考の隅に置き、目の前のサングラスの男――呪鬼(チョウカイ)を睨んだ。

 

『さて、色々と話してもらおうか?香炉の事、そして聖地の鍵とはどう意味だ?』

 

 白達は香炉に描かれたシンボルが三只眼吽迦羅達が使っていたことしか知らない。香炉というよりは香炉がどういった経緯で手に入れられたかのほうがむしろ重要だった。しかし、先の呪鬼達の会話では香炉こそが三只眼吽迦羅の聖地への鍵だという。

 それは白達もまだ辿り着けていない情報だった。そして妖怪たちが絡んでいる以上、それは非常に確度の高い……いや真実と考えて相違無いだろう。

 

『ふふふ、いや、その純白の髪、優れた容姿、そして変幻自在の二つの尾』

 

 白の放つ威圧感に他の男達が竦む中、呪鬼だけは虚勢なのか不敵に笑う。

 

『さすが香港、妖撃社の葛葉白さん。光栄ですなぁ、貴女の様な有名人に会えて』

 

 呪鬼の言葉にショートパンツから伸びる二つの白い尾が揺れる。白はここ四年でさらに実力をつけていた。かつての力に良い思いを今も抱いていないが、それでも八雲やパイを守れるならと訓練した成果だった。

 

『ふぅん……その割には余裕だな?』

 

 かつてはトンデモ雑誌を発行していた妖撃社も今ではその名の通り人に仇なす妖怪退治を生業にしていた。その中で白は何度も実戦を潜り抜けていた。その戦績は無敗。八雲も同じ無敗だが、それは无という反則に裏打ちされたものだ。

 むしろ妖怪たちの間では妖怪とも人とも付かぬ異質な力を持つ白を脅威と見る者も居るほどだった。

 

『まぁ「……どんな手を隠していようが鬼眼王の復活のために生贄を繰り返す貴様らを逃す気はない」

 

 白は中国を日本語に切り替え、冷たい声でそう告げる。中国語で話しても良いのだが、敵方に合わせてというのが癪に障ったようだ。

 

「貴女ほどの力が有るならもっと自由に振る舞えるでしょうに窮屈な事をしますねぇ」

 

 ちらりと呪鬼は白の背後に視線を飛ばす。そこには立ち上る煙に紛れ先の異質な人物がゆっくりと白へ迫っていた。白を背後から奇襲するつもりなんだろう。だが、不自然に視線を飛ばしたせいで白は背後に何かが居ることを悟る。

 

「不老不死が欲しいと地べたに頭を擦り付けてる相手よりは自由だと思うがな」

「ふふふ、ええ擦り付けがいのある地面ですよ?人のフリをするよりは妖怪として生きる方がよっぽど良いです」

 

 ざぁん!

 白の尾の一本が黒いウミヘビの様に変化し呪鬼のサングラスを吹き飛ばした。

 

「ひぃ!?」

「だったら人のフリを今すぐやめろ」

 

 本当なら煽るだけ煽って情報を得ようと白は思っていたのだが、呪鬼の言葉に気に入らない箇所が有ったため、衝動的に攻撃してしまう。

 

「まったく似合わないブランドのスーツを着て何を言ってるんだ?」

「くっ―――や、やれ!狼暴暴(ランパオパオ)!!」

 

 先の衝動を瞬時に収めると白は心底相手を馬鹿に仕切った笑顔を顔面に張り付けて呪鬼を煽る。怒りと機を伺っていた事も有り、呪鬼は白の背後に迫る配下、狼暴暴を命令を下す。

 狂気を瞳に宿し、獣の如く狼暴暴は白へと飛びかかっていった。

 

 




フォントの変換に結構手こずりました。


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第十六話

「くおおおおおお!」

 

 三メートル近い長身が、その長身をも越える信じられない高さまで飛び上がる。白のウエストよりも太い腕、燃え上がる様な狂気と殺意を灯す双眸、肉食獣の様な鋭い牙がてらてらと光っている。狼暴暴(ランパオパオ)と呼ばれる妖怪は呪鬼(チョウカイ)の命令に従い白へと飛びかかる。

 

「ばればれだ」

 

 だが、白はすでに狼暴暴の存在に気付いていた。持ってる力が絶大だったせいで生まれ変わってもいまいち探査が苦手な白だが、心中を見透かすのは非常に優れている。呪鬼の視線や表情が何らかの策を持っている事、白の背後を気にしていたことから、不意打ちを狙っている程度を見抜くのは造作も無いことだった。

 

「!?」

 

 無造作に白の尾が振るわれ狼暴暴もろとも塀を薙ぎ倒す。埃がもうもうと立ち上がり、辛うじて二本の足が瓦礫から除くのが見える。

 すかさず白は尾を引き戻すが、それは強い力で阻まれてしまう。

 

「ぐるるるる!」

 

 白の尾は狼暴暴の左手ががっちりと掴み、その動きを抑え込んでいた。

 

「ちっ」 

 

 予想外の膂力と耐久力に白の眉間に皺が寄る。先ほどの動きもそうだが、単純な身体能力はかなりの高さであることが類推できた。

 綱引きの様に引き合う力が高まり、白の尾からみしみしと異音が上がり始め、それどころか徐々に白は狼暴暴へと手繰り寄せられていく。

 

(ぐ……不味いな)

 

 このまま手繰り寄せられては近接での攻撃を受けてしまう。かと言ってこれ以上の力で尾を引けば尾が千切れてしまうだろう。呪鬼もどんな隠し玉が有るか分かっていない以上、このまま事態が進行するのは白としては避けたいところだ。

 

「!?」

 

 思い至るなり白は引っ張られる勢いそのままに狼暴暴へと飛び掛かった。このままではいずれ接近戦へと持ち込まれてしまう。ならばこちらが先手を取るのが良いという判断からだ。なお、呪鬼へ向けた尾は健在であり牽制を忘れてはいない。

 両手の爪が熊の様に鋭く変貌する。人間の指の構造ではありえない相手を切り裂くことに重点を置いた攻撃的な爪だ。爪は白の殺意とスピードを乗せて呆然としている狼暴暴へ凶刃は迫る。

 さらに左手で尾を掴んでいるのを考慮し、白は左の脇腹に狙いを定めた。白の尾が邪魔をして咄嗟に脇を締めることも難しく、白は当たることを確信していた。

 

 がしっ。

 

「なに!?」

 

 防御できないと白が判断していた右爪の攻撃は狼暴暴がしかと白の腕を受け止めることで阻まれる。

 思わず白は目を剥いて驚きの声を上げた。見事に反応しきった相手への称賛、自分の不甲斐なさ。瞬時に巡る感情が幾つも有ったが、白の中で一番の感情は驚愕だった。

 

「ぐるううぅ!」

 

 白の右手を掴むのは狼暴暴の左手(・・)だ。そして白の尾を掴むのも左手(・・)だ。狼暴暴は呆然とする白を尻目に立ち上がり、咆哮を上げた。その体には左右二対、四本の腕が生えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ばかやろう」

 

 嘆息交じりにびしょ濡れの女性――白は目の前で正座をさせている八雲にそう言葉をぶつけていた。

 

「こっちが囮なったのに、なんでぱいから離れるんだお前は?」

「…………」

「それにあちこちに火を着けるんじゃない!」

「………」

「逃げ遅れた人を助ける手間を考えろ」

「…」

「大体お前は、昔から……」

 

 八雲達を逃がすため狼暴暴と呪鬼を相手をする事になった白は、狼暴暴の予想外の強さに苦戦を強いられた。苦戦の理由はそれなりに力を振るえるようにはなったが、それに故に欠点も見えてきたせいだった。

 一つ目は長期戦が苦手な事、これはかつては常識外の体力と妖力を持っていたが故にガス欠と無縁だったせいだ。つまり、力の配分が下手くそなのだ。力が徐々に戻ってきていることと、経験により改善してはいるが、現状はまだまだだった。

 そして二つ目、尾の力が強すぎる為に細やかな操作が出来ないというのもあった。先で言うなら呪鬼の腕を吹き飛ばすつもりが眼鏡を壊すだけになったりと、数十センチ単位で標的がズレるのだ。これもかつての体のせいだった。適当に尾を振り回す程度で妖怪が何百と殺せるのだ。それに体も数百メートルという巨躯だ。細かい操作をしろというのが無理がある。

 それに加えて三つ目、尾に比べ白の体が脆弱という弱点もある。白自身を人間寄りとするなら尾は白面の者寄りの力であった。簡潔に言うと人間(多少強い)に白面の者の尾が生えているとも言える状態であり、どうしても尾の全力に体が耐えられないのだ。

 総合するとそこらの妖怪よりも十分以上に力が有るが精密な動きと持久力に乏しいというのが白の現状である。

尾の力は状況を左右する力では有るが、そもそも全力を出すのはリスクが有る上に、その全力もかつてと比べれば弱化している。

 それこそ言ってしまえば戦い方と術を取得した八雲の方が結果的な強さは白を上回っているのだ。

 白の素早さも尾の力も、不死で有るという一点だけで覆す。不死というのはそれだけで圧倒的なのだ。どんな力であれ相手を殺す術さえあれば、死なないというだけで最後には相手を殺す事が出来る。現に八雲はここ四年、そうやって妖怪を退治し、そして強くなってきた。

 

「……話が逸れたな」

 

 話しているうちに熱くなってきた白だが、そこは数千年の経験を有している。説教はいつでも出来ると中断し、状況を報告しあう。

 まずは白から、香炉を狙う一団はやはり妖怪達の集団であり、そのリーダー格は呪鬼、手を出すことはしなかった為、強さ、能力は不明。そして狼暴暴と呼ばれる四つ腕の妖怪は肉体的な強さは民家を気にして十全に尾が震えなかったとはいえ白を抑え込む程の強さを持っている。

 

「白姉ぇが攻めきれないってマジかよ」

 

 何度も白と稽古を繰り返してきた八雲が顔色を悪くする。不死ゆえの長期戦なら八雲の方に軍配が上がるが、短期では白の方がまだまだ上を行く。そんな白が苦戦する相手ということは、自動的に八雲にお鉢が回ってくる。それに気付いたが故の反応だった。

 

「あぁ力だけなら大したものだ。まぁ誰かさんが派手に火事を起こしてくれたからな煙に紛れて、なんとか脱出したよ」

 

 白もあのままで戦っていたら危険だったろう。四本腕と気付いた瞬間に下手に怪我をする前に呪鬼へ向かわせていた尾を戻し、狼暴暴を吹き飛ばし川へ飛び込んで難を逃れたのだ。

 逃げるというは白にとってそこまで忌避することではない。獣の槍からは尻尾を巻いて逃げたし、なんなら人間と妖怪連合軍との戦いでも逃走している。圧倒的な強さを持っているにもかかわらず、謀略や遁走を平気で選択するのが白面の者の(したた)かさだった。

 

 そこで白の話が区切りとなり八雲が代わりに報告する。

 白が多くの相手を囮にし、八雲とぱいは香炉をまんまと奪うと一目散に逃げ出した。白の方が厄介だと判断されたのか、妖怪まんまという相手こそ居なかったが、ぱいがどうしても遅れてしまう。不死身の八雲と妖怪達のマラソンではぱいには不利すぎた。

 そこで八雲はそこらに放火して、その間にさらに囮になることでぱいを逃がしたのだ。

 だが八雲がホテルへ戻ってみると、先に逃がしたはずのぱいは居ない。探しに出ようにも香炉を置いて行くわけにも行かず、うんうんと優柔不断に迷っていたところにずぶ濡れの白が帰ってきたのだ。

 

「とりあえず白姉ぇが戻ってきたからぱいを探しに行ってくるわ。迷ってるのかもしれねぇし」

「……その可能性は高そうだ」

 

 何処か抜けてそうなぱいを想像して白も八雲の意見に賛同した。

 

「白姉ぇはどうする?」

「同行したいのはやまやまだが……流石に疲れた。悪いが休ませてくれ」

 

 そう言うと白は怠そうにシャワー室へと向かう。香炉を脇に抱えているのは少々滑稽だが確かに顔色は悪い。

 常人と比較すれば凄まじい体力を誇る白だが、体力が自動回復する八雲と同じに考えることは出来ない。なにせ无はその気になれば、どこまでも不眠不休で活動できる。

 しかし、白はそうはいかない。ただでさえ日本からの長旅に加え、戦闘と生身での川下り、体力が底値を割っても不思議では無い。

 

(やはり尾は燃費が悪い)

 

 そう心で悪態を吐くが、逆に嬉しいという相反する気持ちも何故か白は感じていた。

 前世を象徴する尾と今世の体の不釣り合いというのは、自身の体が両親によって形作られたが故の齟齬の様に思っているのだ。

 とは言え、こういった場合では不都合でもある。だが、こうやって懊悩するのもまた人間と白は何故か納得した。

 そして……。

 

「覗くなよ」

 

 と八雲を懊悩させるのも忘れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん……朝か」

 

 ベッドの上で胎児の様に丸まって寝るという特徴的な寝相から白は起き上がる。

 起き抜けで目が開ききっておらず、体を伸ばすその仕草は普段のクールさは微塵も無い。

 

「……ふぅ」

 

 眠気を吐き出すように白は深呼吸を一つする。その体には僅かな倦怠感が残っていた。昨日の戦闘は白にとっても中々の負担だったようだ。髪をいつも通り手櫛で直して白はベッドから抜け出した。床に足を下ろし歩き出すが、その足元は僅かにふらついていた。

 

「八雲はまだ戻ってないか」

 

 きょろきょろと室内に視線を向けるが、白の目に八雲は映らない。どうやら夜通しぱいを捜索しているようだった。

 

「これが桃源郷への鍵ねぇ」

 

 ホテルに設えられたテーブルに鎮座する店主希望小売価格三百万相当の香炉を眺めながら白は呟いた。

 桃源郷。

 それは、仙境とも呼ばれ仙人たちが住まう桃の花が枯れることなく舞う土地と言われており、俗界とは隔絶され歳を経ることもなく、病に苦しむことが無いとされることもある一種の理想郷だとされている。

 とある伝承では西王母の収める土地ともされ、そこで採れた桃には不老の力があるとまで言われているという。

 白がかつて居た世界でも仙人や草木の精霊が住まう時の流れと隔絶した場所が桃源郷と呼ばれており、潮ととらに味方する術者がそこで退魔術を修めていた。

 

(鏢……と言ったか、凄腕の術者ではあったが良くもまぁ紅蓮を滅ぼせたものだ)

 

 そんな事を考えていると、乱暴にホテルのドアが開け放たれた。

 

「し、白姉ぇ、起きてるか!?」

 

 ぜえぜえと息を荒げて入ってきたのは八雲だった。不死身の癖に肩を上下に胸を前後に動かして呼吸をする様からは余程の事態であると伺えた。

 

「起きてるよ。ぱいが見つかったのか?」

「いや、そうじゃないんだけど……ふぅ、これを見てくれ」

 

 呼吸を整えながら、八雲は白に今朝の朝刊を渡す。一部にしわが寄っているが読めない事もないそれを受け取り白は眉根をしかめる。

 

[香炉を所望する。下記の場所にて受け渡しを願う]

 

 新聞の広告欄にはそう日本語で記されている。広告主も受取り手も記載されいないが、昨日今日で広告をしかもわざわざ日本語で記す相手を察せれないほど二人は馬鹿ではなかった。

 

「受け渡し……か、どうやらぱいは捕まったみたいだな」

「ブラフって事は……ないよな」

「あぁ、ぱいが居ないって事が分からないとこんな広告は載せられないからな」

 

 二人間の空気が薄く研がれていく。三只眼吽迦羅(さんじやんうんから)を害することは無いだろうがぱい自体は記憶と力を封印されている為、荒事には向いていない。何が起こるか分からないのだ。

 視線をぶつけ合う、二人は戦いの予感に気を高めていくのだった。

 

 





大分、遅れましたがあけましておめでとうございます(今更)。


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第十七話

「……ここは、何処?」

 

 むくりと声とともにぱいが目を覚ます。

 吊り下げ式の明かりに照らされた石畳の部屋はひんやりとしている。やけに冷えるなと二の腕を擦りぱいは、そこで自分の格好にようやく気付いた。

 

「や、やだ。なんでこんな格好なのよ」

 

 ぱいの姿はブラジャーとパンツだけの下着だけにされていた。全裸よりは幾分かマシとはいえ女子高生しての感性を持つぱいとしては恥ずかしすぎる格好だった。

 

「そうだ。私、攫われちゃったんだ……」

 

 両手で自分の体を抱きしめるようにしてなるべく体を隠しながらぱいは気絶する前の様子を思い出していた。

 

 

 白を囮に逃げ出したぱいと八雲だったが、全ての相手を白が引き付けられていたわけではない。呪鬼《チョウカイ》や狼暴暴《ランパオパオ》といった手強い相手こそいないが、ぱいを守りながらでは少々手が余る。

 そこで八雲が選んだのは辺りに火を付けつつ、今度は自分が囮になるという策だった。ちなみに囮になるのはともかく市街地に火を放つというのは普通に極悪である。

 とそこまでの犠牲を払ったにも関わらずぱいが捕まったのには理由があった。

 その場から逃げること自体はさして難しいことではなかったのだが、ぱいの不幸は古物店で狼暴暴に襲われた欧米人マクドナルドを逃げる途中で見つけてしまったことだった。ここでぱいが自分を優先出来る娘であったならマクドナルドの命と引き換えに逃げることが出来たのだろうが、そんな非情な事をぱいが出来る訳も無く、救いの手を差し伸べてしまったのだ。

 胸から血を流すマグドナルドに肩を貸して逃げ出したぱいであったが、当然移動速度は低下するし目立ちやすい。呆気無く見つかり気絶させられてしまったのだ。

 

「そ、そうだあの人は……あっ!?」

 

 浅くない傷を負っていたマクドナルドの事を思い出し、ぱいは周囲を見渡す。すると隅の暗がりに一人の男が転がっているではないか。

 

「ねぇ、大丈夫!?」

 

 思わず駆け寄ってぱいはその体を揺すると、呻き声の様な声が口から零れる。どうやら何とか生きているようだった。ズボン以外は脱がされ、乱雑に包帯を上半身に巻かれ応急的な手当てが施されている。

 

「良かった生きている。……けど」

 

 巻かれている包帯はうっすらと血が滲み傷が塞がっていないのは素人目にも明白だった。これが致命傷なのかどうかが分からないぱいとしては安心していいのかすら分からない状況だった。

 

「どうしよう……っ!?」

 

 俯き途方に暮れるぱいの耳にこつこつと幾つもの靴音が聞こえる。思わずドアの方をぱいは注視した。

 

 

 

 

「どうやら目が覚めたようですね」

 

 ぎぃとドアが開かれ帽子にサングラス、恰幅良い体にスーツを纏った男性、呪鬼が室内に足を踏み入れた。実は白にサングラスを破壊されたためにぱいが最初に見たサングラスとはデザインが変わっているのだが、冷静とは言い難いぱいはそれに気付くことは無かった。

 

「ご気分は如何かな?」

 

 嫌味を言う呪鬼を睨みながら未だに倒れ伏すマクドナルドを守るようにぱいは両手を広げる。

 

「怯えることは無い。ヒョッヒョッヒョッ。何の価値もないお前らの命を奪おうなんて考えてないさ」

(この人、私が三只眼吽迦羅(さんじやんうんから)だって気づいてないの?)

 

「じゃ、じゃあこの人を病院に連れて行ってあげて、お願い!」

 

 自分の正体に気付いていないのなら、あわよくば解放してくれるのではとぱいはダメ元で聞いてみる。

 

「ダメだ。お前たちは人質だ。おいそれと外へ連れ出すことは出来ない」

 

 呪鬼はそういうと懐から筆ペンと紙を取りだし、すらすらと何事かを書き始めた。

 流石に解放する気は無いらしい。

 

「人質?」

「そうだ。昨日は良いチャンスだったのに、まんまと葛葉白に逃げられてしまったからな」

(そう、分かったわ。やっぱりこの人たちは私が三只眼吽迦羅だって知らないんだ。だから私には興味が無いんだ。でも白さんや八雲さんに対する人質になるから生かしてるってことなのかな?)

「この札を傷の上に張るがいい、二、三時間で傷は癒えよう」

 

 ぴっと札を投げると呪鬼は踵を返した。元々顔を見る程度で大した用事はないのだろう。

 

「一体、何が目的なの?私たちをどうするつもり?」

「言っただろう?人質だとな。香炉と引き換えにお前らを返す手筈になっている。くくく、罠と知らずに……いや罠と知っていても来ないわけにはいくまいて」

 

 そういうと呪鬼は高らかに笑い出し、罠の詳細を語り出す。どうやら誰かに聞いて欲しかったらしい。

 いわく、白と八雲を誘き出した場所には鬼眼縛妖六星陣(カイヤンフーヤオリォンシンチェン)という結界を仕掛けており、それは一度引き込まれたなら二度と出ることは叶わない強力な結界だという。

 

「香炉共々永遠に消え失せるのだ!」

「そんな、あなた達の狙いは香炉でしょ?なんで二人まで……」

「お嬢さん。どうやら貴女は部外者に近いようですねぇ。まぁ詳しいことは敢えて言う必要もないが、私達は敵対関係に有るんだよ」

「敵対関係……」

「奴らの狙いは我らが王、鬼眼王(カイヤンワン)様を殺すことなのだよ」

 

 ぱいのあまりの無知っぷりに、ただの人間だと考えが至った呪鬼は完全にぱいへの興味が失ったのか闇の者の間では対して重要でもない情報を口にすると部屋を後にした。

 残されたぱいは罠が仕掛けられていることを何とか二人に知らせねばと歯噛みする。きっと二人は自分を助けてくれる。ぱいは無条件にそう信じていた。ならば二人の為に自分も動かねばならない。

 

「鬼眼王、ううん。今は関係ないわ……。そうだ、シヴァの爪なら……」

 

 建物の規模は分からないがバラスウィダーヒのキーワードで発動する光術は鉄のドアであっても問題なく吹き飛ばすことが出来る。そう思いぱいは左手をドアへと向けた。

 しかし、そこで気付いてしまう。ぱいの左手には何かあった時にと付けていたはずのシヴァの爪が無くなっていたのだ。

 

「シヴァの爪が無い!?」

(どうしよう、このままじゃ二人が危ない。でも、シヴァの爪が無いと力が出せない)

 

 シヴァの爪が無ければぱいは能動的に能力を振るうことが出来ない。命の危機になれば話は別だが、そもそも命の危機に意図的に陥るのも難しく、こういう時に限ってもう一つ人格は眠っており、うんともすんとも言わない。

 しかし、建物の規模が分からない現状でシヴァの爪で辺りを吹き飛ばせば下手をすれば生き埋めであり、あながち運が悪いとも言えなかったことをぱいは知らなかった。

 

「ふぅ、やれやれ。そう、落ち込むなよ。嬢ちゃん!さぁ抜け出すぜ」

「え!?って、あなた、平気なんですか!?」

「あぁ、もとから体は丈夫だか、この札すげぇ効き目だ!気味が悪いくらいだぜ!」

 

 落ち込むぱいに声を掛けたのは先まで床に四肢を投げ出すように倒れ伏していたマクドナルドであった。調子を確かめるように両手を握るその様子からは、怪我人であるのが嘘のように生気に満ちていた。二、三時間で治るといった呪鬼の札が予想以上に優れたものだったのか、はたまたマクドナルドの生命力が人間離れてしていたかは定かではないが、人手が増えたのは紛れもない事実だった。

 

「俺の名はジェイク・マクドナルド。トレジャーハンターと言えば聞こえは良いがまぁ古物専門の窃盗犯ってやつだ」

 

 部屋を隈なく調べ床下に潜りながらマクドナルドはぱいにそう自己紹介した。平時であればあまり積極的に関わりたくない部類の男だが、荒事に慣れているというのは現在の状況では非常にありがたい相手であった。

 古物を扱うというマクドナルドだが、彼自身の目的は金は二の次で本来の目的は三只眼吽迦羅に出会う事だという。教科書や一般的な歴史では決して習うことは無いが、考古学に知識の有る彼は歴史の中に埋もれた三只眼吽迦羅と呼ばれる者に出会いたいという。

 羨望と言っても良いほどのマクドナルドの言葉にぱいは思わず照れてしまう。そんな彼女に首を傾げマクドナルドは人気の無い部屋へと足を踏み入れた。

 

「なに……ここ?」

 

 部屋の空気は静寂に包まれ香が焚かれている。広くも狭くもない室内は中央を除いて一切の家具や荷物が配されていた。何処か異質さを感じさせる部屋の気配にぱいは両腕で自身の体を抱いた。

 

「ち、セスナは有るが車はねーのかよ」

 

 小窓から外の様子を眺めるマクドナルドはそう吐き捨てた。

 どうやらぱい達が閉じ込められた民家以外には他の家屋はないらしい。マクドナルドは数々の修羅場を潜り抜けて来たトレジャーハンターだが、稀代の泥棒の様に万能ではないようだ。

 

「あ!」

 

 部屋を見渡していたぱいの瞳が神殿に据えられた絵画を捉えた。

 

 

 描いた人、はたまた妖怪は描いた人物の姿を知らなかったのだろうか、その顔は幾重ものフードや布で覆われ、左目以外はロクに見ることは出来ない。

 

「こ、この人は……」

 

 しかし、ぱいの何かがこの肖像画の人物に反応する。この人物こそ、自分が求めた答えの一端だと。

 

(知りたい!この人について、この人に会えばきっと……!!)

 

 焦燥だけが高まっていくが、現在は逃亡の最中であり、望みを果たす術もない。なにより……。

 

(まずは八雲さん達のところに行かなくちゃ!)

 

 罠を仕掛けられたことを知らない二人はきっと自分を助けに来るだろう。そして、その罠に掛ってしまえばどうなるかも分からない。

 

 カタン。

 

 窓から外の様子を確かめるマクドナルドと白と八雲の事を考えており、部屋内の注意が散漫になっていた二人の耳にドアが開かれる音が届く。幸いにも扉と周りには棚があり、相手の視線は二人には通らない。

 足音を消すのが上手いのかコツコツと僅かにしか足音は聞こえない。

 

「――――っ!」

 

 まだ挽回できると理解したマクドナルドはさっと棚の脇へと移動すると一息に相手を組み伏せる。咄嗟の事に相手は反応できず、あっという間に気絶しだらりと四肢を床に投げ出した。

 

「え?」

 

 マクドナルドに頭を押さえつけられ意識を手放している人物を見てぱいが小さな声を上げてしまった。マクドナルドがぎろりと睨むが、それは仕方の無いことだった。

 なぜなら、力無く横たわるその人物、いや少女は歳も十に届くかという幼い女の子だったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、おいおいパラシュートどこだよ!?」

 

 マクドナルドの悲痛な声が響く、筋肉質かつ上背も有る彼が心細げな様はなかなかに異様だった。しかし、現状を知れば笑える人物は少なくなるだろう。

 なぜならマクドナルドそしてぱい、さらに何故か一緒に着いてきた先の少女は、涼やかに輝く月とそれに照らされた白雲が泳ぐ夜空をセスナで飛んでいるからだ。

 そして、その操縦桿を握りこんでいるのは、誰あろうぱいである。

 力を入れ過ぎているのは明らかな様子で必死に機体を平行にしようと四苦八苦している様子からはとても飛行運転に慣れているようには見えない。というか実際初めてである。

 

「静かにしてて!集中できない!」

「そんなこと言ってもよぉ!このままじゃ落ちるんだぜ!?」

 

 なぜ彼らが、こんな事態になったのか。それは呪鬼が八雲達をおびき寄せた場所へと向かってしまったからである。そんな中、気絶させてしまった下働きと思われる少女がぱいに懐き、ぱい達の脱出の手助けをしてくれたのは僥倖だったが、移動手段は無かった。

 車は一台しかなく、それも呪鬼が乗って行ってしまい使えない。

 徒歩で離れるというも手だが、それでは車で向かっている呪鬼には追いつけず、罠だということを二人に知らせることは出来ない。時間は徐々に経過し、そして脱走したこともバレ、徐々に捜索範囲が広がり見つかるのも時間の問題となったとき、ぱいが一か八かとセスナを強奪したのだ。

 運が良かったのはセスナのエンジンが掛っていたこと、そして周囲の捜索をするために家の周りが手薄になっていたことだった。銃撃されるというハプニングも有ったが、空を飛んでしまえば手は出せない。

 

「うぅ……おぇええ!」

 

 間断無く揺れる機体にぱいの脇に座る女の子が酔ってしまい嘔吐する。

 

「うわっこのガキ吐きやがった!おい、放り出すぞ!」

「止めて!小さい子に冗談でもそんな事言わないで!」

 

 怒鳴り声をあげるマクドナルドを静止しながらぱいは女の子を抱き寄せた。機内で見つけたスカイジャンパーが吐しゃ物で汚れるが、ぱいは気にした様子もなく女の子に笑いかけた。

 

「大丈夫よ。ごめんねお姉ちゃんの運転が下手で」

 

 悪いことを言った自覚が有るのだろう。バツが悪そうにマクドナルドは顔を顰める。

 

「下手なのが分かってんならさっさと不時着しろ!ホントに落ちるぞ!」

 

 マクドナルドが言ってることは至極真っ当な事だった。左右に機体は揺れ行路は安定しない。今飛んでいるのは、今まで落ちなかったが連続しているに過ぎない。突然の風や、ぱいの疲れでどうにでもなる危険な行動だった。ならば安定している今、不時着するのがまだ生存率が高いだろう。

 

「でも、それじゃあ二人が危ない目に遭っちゃう!」

「何言ってんだ!お前を助けるためにソイツらがわざわざ危険を冒して、梁玉山に来るって保証は有るのかよ!」

 

 どくんとぱいの心が揺れ、不安が満ちる。

 何の疑いも無く二人ならきっと自分を助けてくれる。そう思っていたが、白は会って一週間も経っていない。八雲も一ヵ月と少しだ。過去の自分との関係は不明、そして不明だからこそ、どれだけの関わっていたのかという事すら分からない。

 

 ガガッ!

 

 そんなぱいの不安に反応したのか、先までの無理な運転が祟ったのかエンジンから異音が響き、モクモクと煙が立ち上る。

 

「おああ!ふ、不時着だあああ!」

「きゃあああああ!」

 

 絶叫が月夜の空に響き渡った。

 

 





 仕事柄、にわかに忙しくなりそうな予感。
 皆さん、うがい手洗いを心がけましょう。


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第十八話

 煌々と夜空を照らす月と僅かに流れる雲。

 一見すると穏やかな夜に体の端々から闘気を漲らせた男女が歩いていた。一人は既に戦闘態勢になっており白髪を月光に遊ばせているように靡かせる白と香炉を抱えた八雲である。

 

「八雲」

 

 指定された梁玉山にある崖下に向かう道すがら白が脇に転がる岩を顎でしゃくった。

 

「隠し陣……」

 

 二人で岩を退かしていると、そこには梵字が刻まれている。刻まれた溝はまだ新しく、何者かが過去に彫ったものとは考えにくい。つまり呪鬼(チョウカイ)が仕組んだものと考えるのが妥当だった。

 

「奴らまともに取引をするつもりは無いようだな」

「あぁ、だが引くわけにもいかない」

 

 白の言葉に八雲は強く頷く。もとより罠が有るのは想定済みだ。最悪、香炉を奪われてもぱいさえ無事ならよい。香炉の代わりは有るかもしれないが、ぱいの代わりは無いのだ。

 

 

 

 

「約束通り持ってきたぜ。人質、返してもらおうか」

 

 白を一歩後ろに下がらせ堂々と八雲はそう告げた。気負うわけでもなく、さりとて軽い訳でもない自身の意志を滲ませたそれは相手に隙を見せないテクニックだ。

 

「……」

 

 話の口火を先に切らせてしまった呪鬼一行は沈黙し、自分のペースを取り戻すためか暫し沈黙する。

 

「そうですね。では、まずは香炉が本物か確かめさせていただきましょう。その場において十メートルほど下がりなさい」

「その必要は無い!人質の無事を確認するのが先だ。人質を解放しろ!」

「っよろしい……ではその香炉に血を垂らしなさい」

 

 八雲の屹然とした態度に呪鬼はたらりと冷や汗を流した。幾多の同胞を滅した藤井八雲、不死身なだけでなく獣魔術を行使する彼は後ろ暗いことをしている妖怪にとっては大敵と言って差し支えない。人質には逃げられたことがバレれば、どんな手に出るか分かったものではない。

 

「嘘ではない。それだけで本物か偽物か分かるのですよ」

 

 崑崙(コンロン)の鍵の使い方を教えるのは癪だが、ここからが呪鬼にとっての正念場だった。

 

 八雲の右手に取り付けられた手甲から隠しナイフが飛び出す。八雲はそのナイフで浅く左手の親指を切りつけると呪鬼の言葉の通りに香炉へ垂らす。

 

 ぱたた、と鮮やかな血が香炉に付き、重力に従い地面へとその軌跡を描こうとしたまさにその瞬間。

 

 ――――――――!!

 

 眩い光が香炉から生まれ、光の帯を夜空へと走らせた。

 光線は僅かに漂う雲を貫き、天の遥か彼方へと吸い込まれていく。

 

「これは……」

「は……」

 

 香炉の予想外の力に八雲も白も暫し、時を忘れ呆けてしまう。

 

「どうやら、本物の様ですねぇ。では人質を……」

 

 その僅かな意識の間隙に呪鬼は一糸纏わぬぱいをいつの間にか崖に立たせ―――。

 

「返してやるわ!」

 

 蹴りとと共に八雲達とは少し離れた崖の下へと落としたではないか。

 

「ぱい!」

「きゃああああ!」

「八雲!?待て!」

 

 恐怖か、痛みか悲鳴をあげるぱい。八雲は反射的にぱいへと全速力で駆け寄る。白は八雲に遅れる事数拍、その後ろを八雲を静止するように動いていた。

 そして、それを見やる呪鬼は満面の笑みを浮かべていた。

 

(やはり!)

 

「ぱい!大丈夫か!「八雲!罠だ!!」」

 

 その笑みを横目で確認した白は自身の予想、人質が偽物であると確信して大声をあげる。だが、時すでに遅し、地響きとともに地面が淡く光り、巨大な陣が電撃とともに現れた。

 

「!?」

「そこから離れろ!」

 

 陣が生み出す雷撃を尾の一本で払いながら白はひた走る。白の今生で生きて得た知識が正しいならあれは、不死であっても危険なモノの一つだった。

 

「しまったぁ!!縛妖陣(フーヤオチェン)か!!」

 

 八雲も自分が置かれた状況に気付いたのだろう。自身が居る場所が何の中心であるかを悟り狼狽し、急いでぱいを抱えて後退ろうとする。だが、次の瞬間、その腕ががっちりと掴まれてしまう。

 

「何っ!?に、偽物!?」

 

 ずるりとぱいの顔が崩れ中から札が現れる。それはぱいではなく呪鬼が作り出した札による使い魔だったのだ。

 

「ぐおおおおお!?」

 

 地響きと雷鳴と共に徐々に八雲の体が縛妖陣へと引き込まれていく。離れようともがく八雲だが、それを許す使い魔ではない。がっしりと八雲の体にしがみつき、まるで離れる様子がない。

 抵抗も空しく八雲の腰までが縛妖陣へと呑まれ、あと幾ばくも無く体そのものが呑み込まれてまうだろう。

 

「八雲!」

 

 ずるずると引き込まれつつ有る八雲に向って白は手を伸ばす。白の脳裏に溶鉱炉に飛び込んだ中村麻子を救うべく命を賭した潮の顔が浮かぶ。

 下手をすれば死ぬかもしれない。だが、いやだからこそ、白は止まるわけにはいかない。

 

 高らかに笑う呪鬼と縛妖陣に引きずり込まれようとする八雲そしてそれを救おうとする白。事態は混迷を深めていく。

 そして、そこに更なる爆弾が投下された。

 

 風切り音とともにプロペラの回転音がその場に居る全員の鼓膜を震わせる。

 それはぱいが操縦するセスナであった。

 

「あ、あれは!?」

 

 予想を遥かに上回る事態に呪鬼がぴたりと動きを止めてしまう。そして、それに伴い縛妖陣の光も僅かに緩んだ。

 

(今だ!)

 

 その間隙に光明が見えたのか、白は更に加速し八雲の元へと飛び込むように駆け寄った。

 

 

 

 ……。

 

 …………。 

 

 

 

 

 墜落に近い形でセスナはなんとか不時着した。左翼は圧し折れ、地面と擦れたことでプロペラは欠損している。地面にはセスナが刻んだ轍が深々と走っている。そして機体本体もひしゃげ見る影もない。一目見たなら最悪の事態を想像するだろう。

 だが……。

 

「派手な出迎え恐縮しちゃうなぁぱい!無事で良かったぜ」

 

 掠り傷を撫でながら軽い口調でぱいを見る八雲には顔は喜色に満ちていた。自身の命が有る限りぱいも生きていると分かっていても、本人を両の目で見る以上の安心は無いのだ。

 

「信じてた……」

 

「信じてたの、きっと二人は私を助けに来てくれるって……」

 

 そう言ってぱいはぽろぽろと涙を流す。マクドナルドが言った白と八雲が助けに来ないかもという言葉が

彼女を不安にさせていた分、嬉しさは一塩だった。

 

「何言ってんだよ。助けるに決まってるだろ……って白姉ぇ!?」

 

 泣きじゃくるぱいを胸に抱きながら、ふと八雲は気付いた。セスナが突っ込んでくる僅かな間にぱいの偽物から自身を引き剥がし、セスナに投げ込んだ白が近くに居ないことに。

 

 

 

 

 

「ぐぅ……あああああ!?」

 

「白姉ぇ!」

 

 再び雷鳴の地響きが唸りを上げ、澄んだ女性の悲鳴が響く。

 慌てて縛妖陣が有る方向を見れば、先まで八雲を捕えていたぱいの偽物に白が捕まっているではないか。

 

「しくじったな……がぁ!」

 

 雷鳴が白の体を駆け抜け、苦悶の悲鳴を上げさせた。かつて何度も浴びせられたとらの雷撃に比べるべくもないが、弱体化している今の体ではそれでも堪えるほどの威力は有り、とても無視しして縛妖陣から逃れられるものではなかった。

 

「フフフ、少々予定とは違いましたが、葛葉白だけでも十分です。ハァアアアア!」

 

 呪鬼は嬉しそうにそう呟くと、片手に持っていた杖を仰々しく掲げ始める。

 

唵縛妖獣地精幻(オンフーヤオショウテイチンホァン)唵縛妖獣地精幻(オンフーヤオショウテイチンホァン)!!」

 

 朗々と詠唱を始めると縛妖陣は再び先の様な光を放ち始めた。

 

「――――――――――――――っ!!!」

 

 縛妖陣の光は更に増していき、雷鳴と地響き、そして白の叫び声が掻き消える。

 余韻の様な空気の震えと、か細い火花のような電気がちりちりと爆ぜる。

 

 静寂を取り戻した縛妖陣の中心に、葛葉白の姿は霞の様に消えていた。

 

 

 

 

 

 

「ハッハハハハハハ!!葛葉白、この聖地守護警、呪鬼が打ち取ったりぃ!!」

 

 

 続きヒョッヒョッヒョッと呪鬼は楽しげに笑う。八雲こそ仕損じたが、それでも多くの同胞を屠ってきた憎き怨敵の一人を仕留めたのは彼らにとっては非常に有益な事だった。

 

「白姉ぇ……貴様!白姉ぇを開放しろ!」

「ふん……誰がそんな真似をすると思います。……っ!?」

 

 八雲を馬鹿にしたように鼻を鳴らす呪鬼だったが、八雲というかぱいの後ろに隠れて辺りの様子を窺う少女を見て目を見開いた。

 一見すると八歳程度の赤い髪と耳のピアスが特徴的な可愛らしい少女であり、呪鬼がこの場で注意を払うような存在ではない。

 

「解放しないってんなら、どうなるか分かってんだろうな!」

 

 飄々とした普段では考えられない程に八雲は激昂していた。少しでも妙なマネや隙が有ったなら飛び掛からんと体を撓ませている。

 

狼暴暴(ランパオパオ)って奴も無しに俺に勝てると思ってるのか?」

「狼暴暴……?フ、フハハハハハ!」

 

 八雲の挑発に堪え切れないとばかりに呪鬼は爆笑する。その声色には何も知らない愚か者を嘲る色がありありと込められていた。

 

「狼暴暴なら居るではないですか?お嬢さんの後ろにね!」

「なにっ!?」

 

 白が厄介と言っていた相手の登場に驚き八雲は思わず背後のぱいに視線を向けてしまう。

 しかし、そこには依然として小さな少女が首を傾げているだけだ。

 

「ちっつまらないマネ……を」 

 

 場を乗り切るための下らない嘘と断じて八雲はすぐに呪鬼に視線を戻す。逃げるなり攻撃するなり手を打ってくると考えたからだ。だが、そのどちらでも無かった。呪鬼はなにやら骸骨の意匠を施した笛を咥えていたからだ。だが、音は無い。だが、音が聞こえないからと言って、まったく音が出ていないと考えるのは早計だ。人間の可聴域を聞くことが出来る生物など幾らでも居るからだ。そう、例えばイヌ科の動物、狼だ。

 

「?」

 

 ばっと八雲は周りに視線を飛ばす。狼暴暴が名の通り狼の妖怪ならば今の笛で召喚されるのではと考えたのだ。呪鬼はその様子ににやりと笑うと、図体からは予想も出来ない俊敏さでその場を後にする。

 

「待……「きゃああああ!!?」

 

 八雲の静止の声がパイの悲鳴により中途で止まる。何事かと八雲が振り向けば、ぱいが連れてきた少女がみるみるうちに巨大化していくではないか。

 メキメキと音を立てて幼い少女の体躯が強靭な筋肉と骨に置き換わっていく。三メートルを遥かに越える巨体。鮮やかな赤みを帯びた髪は太く黒々とした長毛に、華奢な腕は八雲の胴体に迫る四本の腕に、可愛らしい花びらのような爪は熊のようになり、儚げな容姿はらんらんと瞳を輝かせる魔獣のそれへと変貌する。

 そうぱいが連れてきた少女こそ、呪鬼の切り札の一つ、狼暴暴そのものだったのだ。

 

 

 

 

 

 

「ぐううう!!があ!!!!」

 

 荒れ狂う雷撃を全身に浴びながら白は鬼眼縛妖六星陣(カイヤンフーヤオリォンシンチェン)の中で何とか脱出できないかと足掻いていた。

 

「あ、やかしぃ!!」

 

 白の純白の尾がさっと黒く染まりあがり巨大なウミヘビへと変じる。それはかつての世界で白が外の様子を調べさせるために放った先兵の一つであり、あらゆる攻撃を受け付けない粘液で濡れた皮膚と、大型船を軽々と丸呑みにする巨躯を誇る尾、あやかしであった。

 大きさこそ今の力の準じて十メートル程度しかないが、攻撃を受けないというのは非常に有用な能力である。そんな尾が体を撓らせて陣の境界面に激突する。

 ばぁぁん!と異界を震わせるほどの音が何度も、何度も木霊する。だが、異界はそれ以上の反応を見せない。

 

「お、おのれぇええ!」

 

 思わず前世の口調が出るほどに白は追い込まれていく。

 

「フゥウウウウウウ!ガアアアアア!!」

 

 空気をこれでもかと肺へと取り込み、白は体内で力を練り上げ一息に吐き出す。吐き出された空気は熱せられ強大な火球となり、陣に激突する。ともすれば白も巻き込まれかねない巨大なそれは周囲の空気、果ては雷撃すらも吹き飛ばし、暫しの静寂が異界を支配した。

 

「……やったか?」

 

 己の身を顧みないほどの攻撃で形良い唇に痛々しい火傷を負いながら白は、窺うようにそう呟いた。

 

「……ダメか、ぐ、オギャアアアアアア!!」

 

 びくともしない陣に笑みすら浮かべるほどに呆れると白は再び雷撃に襲われる。人以上で有っても耐久は無限ではない。それどころか、雷撃には更に勢いを増していき、遂には白の左のふくらはぎが雷撃の衝撃に耐えきれず爆ぜた。

 血の花が咲き、激痛が白を襲う。

 

「こ、んな、ところで……」

 

 再度、白は尾を振るう、絶望的な状況の中で白は瞳には未だ希望の光は消えていなかった。

 

 



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第十九話

ご感想、誤字報告ありがとうございます。


――天帝の下界の都、崑崙(コンロン)の虚に我をおさめ採生(さいしょう)せよ――

――さすれば輝鍵(かぎ)は天象を貫き、神明の徳に通ずるをもって、万物を鬼眼五将(カイヤンゴショウ)の契約にならい聖地へと導かん――

 

 

 

 

 

 狼暴暴が暴れる中、まんまと八雲達を出し抜いてマクドナルドは香炉をその場から持ち出していた。不死を与えてくれる存在を知り、それに関わる文献から遺物を探し、そして遂に聖地への鍵を見つけ出したのだ。

 

「これで遂に三只眼吽迦羅(さんじやんうんから)とご対面だ!悪く思うなよガキども―――っ!?」

 

 多少は悪いと思っているのだろう。肩越しに八雲達を振り返ったマクドナルドは、突如視界に飛び込んできたものを見て咄嗟に身を屈めた。

 その頭上を梵字が描かれた札が通り抜け、札から雷撃が放たれた。

 

「危ねぇ!」

 

 雷撃が出した音が霧散し、呪鬼(チョウカイ)が姿を見せた。どうやら八雲達の元を離れたのは逃亡ではなく、香炉を奪ったマクドナルドを逃がさないための措置だったようだ。

 

「仲間を見捨てて行くんですか?」

「あんたもしつこいな!嫌われんぞ、そういう性格」

「構いませんよ?死にゆくものに嫌われても痛くも痒くもありません」

 

 くつくつと笑いながら、呪鬼は新たな札をさらさらと書き始めた。どうやらマクドナルドを逃がす気は無いようだった。

 

「聖地ついてあなたは知りすぎました。ここであの子達ともに死になさい」

「ちょっと待てよ!香炉を持ってんのは俺だろ?あのガキどもは殺すことはねぇーだろ!?」

 

 遠くで聞こえる破裂音を耳にマクドナルドは捲し立てた。盗掘なんて犯罪に手を染めてはいるが、流石に多少なりとも話した相手、しかも年下に見える相手が死ぬのは目覚めが悪いのだろう。

 

「ふふふ、あなた達が連れてきてくれた紅娘(ホンニャン)はあなたを襲った狼暴暴(ランパオパオ)の化身です。あやつに慈悲の心はありません。残念でしたなぁ」

 

 

 

 

 

「やめてぇ!私よ、分からないの!?」

 

 自分に懐いてくれていた少女が化け物へと変じ、自身へと襲い掛かってくる。信じがたい事態にぱいは叫ぶことしか出来なかった。

 しかし、そんな声に狼暴暴は無情にも何の反応も見せない。一番の手練れと判断したのか、それともぱいと一緒にいた記憶が有る為か、執拗に八雲を攻め立てていた。

 ぶぅんと丸太の様な腕が岩を殴打すれば、岩は容易く砕ける。その隙を突こうと殴りかかる八雲だが、二つの腕ならまだしも、相手は四つの腕を持つ異形、即座に残る腕が八雲を迎え撃つ。

 体躯も、手数もまるで相手になりはしない。せっかく身につけた体術も、ここまでの身体能力に差が有れば、まるで役に立たなかった。

 

「ぐおおおおお!」

 

 逞しい四つの腕が絶え間なく八雲を襲う。一撃、一撃が非常に重く、受け止めれば内臓まで響くほどの衝撃を八雲は感じていた。(ウー)でなければあっという間に倒されていただろう。

 正攻法で戦えば苦戦は免れない。だが、強力だが単調な攻撃はいずれ綻びを生む可能性もある。无の持久力と耐久力でゴリ押しするのも一つの手だった。

 

「いい加減にしろ!」 

 

 頭に振り落とされた強力な打撃に対し八雲は手甲のナイフを向ける。勢いを乗せた攻撃は急には止められず、狼暴暴はナイフの刃の切っ先に拳を叩き付けてしまった。

 それは自身の腕力の威力も有り、狼暴暴に浅くない傷を負わせることに成功する。……八雲の肩の骨折と引き換えに。

 

「ぐぅ!」

「ぎゃああああ!?」

 

 苦痛の悲鳴を互いに上げながらも、後ろに退くどころかさらに一歩踏み出しあい狼暴暴と八雲は血生臭い戦いを続ける。爪がナイフが互いの皮膚を赤く、染めていく。不死を楯にした悪くない戦術とも言えるが、一撃が重い狼暴暴相手だと一時的に動けなくなるリスクが有り、呪鬼の動向が読めない現状ではぱいを危険に晒す可能性もある。

 

「どけ!早くしないと白姉ぇが!」

 

 それでも八雲が強引に攻めている理由は鬼眼縛妖六星陣(カイヤンフーヤオリォンシンチェン)へと囚われてしまった白を救う為だった。

 縛妖陣(フーヤオチェン)は未だに発動中であった。それは効果圏内に入れば引きづり込まれる可能性も有るが、異界との接続がまだ続いていることも示していた。ならば、なんとかして白をこちら側に戻すことも出来るかもしれないと、八雲はそう考えていたのだ。

 

「やめて!あんなに大人しい良い子だったじゃない、ね?おねえちゃんのこと忘れちゃったの?」

 

 狼暴暴を倒そうとする八雲とは対照的だったが、ぱいはぱいで狼暴暴を止めようと必死だった。華奢で色の薄い自分よりもずっと小さな女の子。頼りなさげに自身に縋りつくその姿は決して演技ではなかったとぱいは確信していた。

 

「ぱい!今は何を言っても無駄だ!まずは呪鬼、あいつをなんとかしないとダメだ!」

 

 呪鬼の行動を見ていた八雲はうっすらと現状を理解していた。どっちが本性かまでは分からないが、少なくとも目の前の狼暴暴は二人に対して敵意をむき出しにしていた。

 

「出来るだけ離れろ!そいつは凶暴だ。それに縛妖陣がまだ生きてる。お前まで引きずり込まれるぞ!」

「そんな……っ!?」

 

 何か出来ることは無いかと、ぱいは変わり果てた姿の少女、狼暴暴を観察する。そして気付いた。

 狼暴暴の首には何故か、ぱいの切り札シヴァの爪がぶら下がっているではないか。

 

「……おねえちゃんに、それを返してくれる?ね?」

 

 シヴァの爪を指差し、なるべく優しい声色でぱいはそう告げた。いかなる経緯で狼暴暴の首にぶら下がっているかは定かではないが、ぱいにとって強大な武器である。現状を打破する手になるかもしれない。

 

「ね?お願い」

 

 戦場に似合わぬ優しい声色が狼暴暴の興味を引いたのか、ぎろりと狼暴暴はぱいに視線を向けた。が、そこには溢れんばかりの敵意に満ち満ちていた。

 どうやら、ぱいの事を思い出したというよりは、ただ単に興味の対象が移ったにすぎない様だった。

 そして、その興味は暴力の行使と言う形で振るわれた。僅かばかり体を撓ませると、狼暴暴は巨体に見合わぬ速度でぱいへと突進する。

 

「くそっ出でよ!土爪(トウチャオ)!」

 

 それを見た八雲が慌てて獣魔術を狼暴暴へと叩き付けた。三つの巨大な爪が狼暴暴を肉塊にせんと突き進む。コンクリートに深い傷を負わせるそれは、リョウコという妖怪すらも一撃で瀕死に追い込む強力なものだ。まとも当たればただでは済まない。

 

 ズゥウウウン!

 

 突き進む三つの爪を見るなり、狼暴暴はその右手を思い切り地面へと突き刺した。容易く地面を粉砕し、なんとその腕は土爪の本体すらも穿っている。

 

「な、なんて奴だ!腕力で土爪を止めやがった」

「グルウウウ!!」

「はっ!?まずっ」

 

 そして狼暴暴のその攻撃にあっけに取られてしまった八雲は大きな隙を作ってしまう。その隙を見逃さず巨大な二つの腕が八雲の両手をそれぞれ掴み、さらに残った両手がぎりぎりと八雲の胴を締め上げた。

 

「げえっ!!」

 

 爪こそ立てられなかったが岩をも軽々と砕く剛腕は八雲の胸郭を、そして中の臓器を容易く押し潰す。たまらず八雲は凄まじい量の血を鼻や口から吐き出した。

 狼暴暴は手足の力が残らず抜けた八雲を掴んだまま、のしのしと縛妖陣の中心へと進んでいく。八雲を縛妖陣へと放り込むつもりなのだろう。そして今なお、体を締め上げられている八雲は一切の抵抗が出来なかった。

 

「止めて!八雲さんを放してぇ!」

 

 縛妖陣の機能を知らないぱいだが、八雲が酷く傷ついているのが耐えられないのだろう。自身の倍以上の巨躯の狼暴暴の足にしがみ付き、その行く手を阻まんとする。だが、その程度で止まる狼暴暴ではない。まるで意に介さず狼暴暴は突き進む。

 

「ぱ、ぱい離れろ!お、お前まで縛妖陣に囚われちまう」

「だ、だって八雲さん!八雲さん!!」

 

 悲鳴のような声を上げるぱい。その感情が封印された力が僅かばかりでも漏れたのか、その瞬間、縛妖陣の雷鳴が再び強くなる。同時に地鳴りも増すと、狼暴暴とぱい達が雷撃に囚われた。

 

「グォオオオオ!!」

「きゃあああああああ!?」

「ぱいぃいい!」

 

 三者三様の叫ぶも、縛妖陣は獲物を逃さんと雷撃を一層強くする。気付けば狼暴暴も下半身がまるごと縛妖陣に吸い込まれていた。

 

 

 

 

「あ、あいつら……」

「もう手遅れですよマクドナルドさん」

 

 呪鬼に追われながらも、ぱい達の事が気になったのか、踵を返して戻ってきたマクドナルドが見たのは残った雷撃を吸い込む縛妖陣の姿だった。

 先までの騒音が嘘のように辺りは静寂に支配されていた。

 縛妖陣には誰も、誰一人も残ってはいなかった。

 

「入り込んだが最後、強力な縛雷(フーレイ)が体を内部から破壊し続け肉片となっても永遠に苦しむ……鬼眼縛妖六星陣(カイヤンフーヤオリオウシンチェン)未だかつて、そこから生きて逃れた者はいませんよ」

 

 

 

 

 

 

 バリバリと電撃が奔り抜け、轟音が周囲を満たす。地面は無く浮遊感をその場にいる者に与えるだろうが、それを楽しむ余裕を持てる者はいないだろう。

 

「きゃああ!」

 

 悲鳴をあげるぱいに目もくれず狼暴暴は異界の境界面にその剛腕を何度も何度も叩きつける。空間自体を振るわせるほど威力が込められたそれは、しかし何の意味も無かった。狼暴暴の爪は割れ、血が噴き出す。それだけだ。

 

「や、奴の力でも無理なのか!?ぐぅううう、はっ!?白姉ぇ!?」

 

 狼暴暴の力でも破れぬ結界に絶望しつつも八雲はなんとか打開策が無いかと周囲を見渡す。そして、その眼に自分たちよりも前に縛妖陣に取り込まれたしまった白が写り込む。

 全身に裂傷と火傷を負う白は一見すると死んだかのように見えるが、八雲の声に弱弱しく顔を上げた。

 

「……我…は、我は」

「白姉ぇ!」

 

 白は胡乱気な目で八雲を見つめる。その口調は八雲が知る由も無いがかつての白面のそれだった。

 

「ぐぅ、……く、お前たちまで、来たのか」

 

 だが、それも僅かな間で白は意識を通常のそれへと戻すと、悔し気に呟いた。彼女なりに色々と試した結果、縛妖陣から逃れられないと分かったからこそ、その悔しさはより強かった。

 

「ぐああ!」

「ぐぅうう!」

 

 そんな再会も縛妖陣には何の意味も無い。雷撃は容赦なく二人を襲い、場合によってはその肉を引き裂いていく。

 

(八雲さん!……白さん!)

 

 同じく苦しむぱいは苦痛から言葉すら紡げず、その痛みに体を晒していた。頭の中の思考は纏まらずぐるぐるとループする。

 

(どうしたらいいの、どうしたら、どうしたら!)

 

 そんなぱいの腕が突然、爆ぜる。血の花をぱいは見る。そして、痛みが直ぐにぱいに押し寄せた。

 

「きゃあああああ!?」

 

 先までの雷撃、いやぱいとして生きた四年間でも受けたことのない激痛にぱいは悶え苦しんだ。

 

(助けて!誰か、神様!……)

 

 盲目的に助けを請うぱい、だがそんな彼女の脳内に鬼眼王(カイヤンワン)の姿が映る。封じられ朧げな記憶の中に有る暴虐の限りを尽くした一族の王。

 暴力を力を称した彼に、ぱいは誰かと共にあり、そして守り合うそれが自身の力だと主張した。

 

『ならば、時の果てにお前の聖なる力と私の力、どちらが勝つか見せてもらおう』

 

 そう誓約したのだ。ここでぱいが死ねば、暴力こそが聖なる力だと認めてしまうことになる。それは、それだけは、記憶を失ったとしてもぱいには許容できることではなかった。

 

「死ねない」

 

「死ねないわ」

 

「貴方に勝つまでは!!」

 

 ぱいの体に言葉に出来ない力が満ち、狼暴暴へと向かう。ぱいにはこの状況を覆す秘策があった。シヴァの爪、それさえあれば強力な光術を自在に放つことができる。天空の雲にすら届く、それならこの異界を貫く可能性が確かにあった。

 

 雷撃に苦しむ狼暴暴の首元にぱいの腕が迫る。あと僅か数センチで届く、そんな時、狼暴暴がぱいに気付く。雷撃に苛まれようとも獣の本能は健在なのだろう。半ば反射的に左手がぱいへと振るわれた。

 

(やられる!)

 

 しかし、それでもシヴァの爪を取るチャンスは見逃せないと覚悟を決めてぱいは突き進んだ。

 

 ザッシュウ!!

 

 肉を切り裂き、血が噴き出る音が耳朶を打つ。

 

「があああああ!」

「え?」

 

 悲鳴と驚きの声が同時に生まれる。

 その声は悲鳴が白、驚きの声はぱいだった。

 ぱいを狙った凶刃、そのそんじょそこらのナイフすら上回るそれから白はぱいを守ったのだ。ただでさえ血に汚れた白の体は、汚れていない部分を探すのが難しいほどに血に染まってしまう。

 

「白さ「やれ!」は、はい!」

 

 自分を気にするぱいの言葉を遮って白はぱいを急かす。白には縛妖陣を破る手は無い。もうぱいに掛けるしかないのだ。

 

「バラスウィダーヒ!!!」

 

 光の帯が異界を蹂躙した。




今日の昼には諏訪湖観光している予定。
旅行中ため、ご感想の返信は遅れるかもしれません。


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第二十話

誤字報告いつもありがとうございます。


 轟音と雷鳴、そしてぱいの光術が暴れる縛妖陣(フーヤオチェン)とは対照的に外の世界は冷えた夜気に満ちた静寂の世界だった。

 

「さて、貴方にも消えてもらいましょうか」

「ちっ」

 

 呪鬼(チョウカイ)とその部下がじりじりとマクドナルドに詰め寄る。逃げ筋が無いとは言わないが、外で裸足では長距離を走るのは難しいだろう。

 

(く、ここまでか……)

 

 

 怪我こそ治っているが、体力は戻っていない。いよいよかとマクドナルドも最後を覚悟する。

 

 ……ゴ。

 

 …ゴゴ。

 

 ゴゴゴ。

 

「な、なんだっ?」

 

 最初は聞き間違いのような小さな音だった、だがそれは時が経つごとに確実に大きくなり、ついには地響きとなる。それだけではない、ピシ、ピシと空間すらも音を立て始める。

 

「ま、まさか!?」

 

 予感が有ったのだろう。呪鬼は自身の不安を払拭するように縛妖陣に凝視する。

 

「そ、そんな!」

 

 そんな不安など知らぬとばかりに、地響きは縛妖陣の中心から発生していた。そして遂に地割れが生まれ、地割れから光が溢れ出す。

 

 ゴウっ!

 

 一際激しい、轟音が鳴ったかと思うと縛妖陣が中心が爆発する。人間大の大岩が当たりに飛び散り、光と音が極大となる。

 

「ば、バカな!未だかつて誰一人として破れなかった縛妖陣が!なんだ、何が起こっているんだ!?」

「!!」

 

 その爆発の中、マクドナルドは人影を見る。そして呪鬼も釣られて、そこに視線を向けた。

 その瞬間、呪鬼の顔面いや全身から汗が噴き出した。

 

 倒れ伏す白と八雲、そして狼暴暴(ランパオパオ)

 ただ一人、右腕から止めどなく血を流しながらも、その人物は確かに日本の足で直立していた。左手が傷ついた右腕を庇う様に握りしめる。

 そして、警戒するように相貌が、いや三つの目(・・・・)が周囲を睥睨する。

 

「----」

「あ、あああ……」

 

 マクドナルドがあんぐりと口を開けて驚く中、呪鬼はガタガタと震えだす。呪鬼は知っている。妖怪の頂点に君臨する鬼眼王は三只眼吽迦羅という極めて強力な妖怪である。だが、彼以外の三只眼吽迦羅は誰であろう鬼眼王(カイヤンワン)によって滅亡している。

 ならば、目の前の少女が何者なのか?

 というか、何故気付かなかったのか、藤井八雲とともにいる少女が只の人であるはずがないのに。

 

「ひ、い、いや、あんな小娘が三只眼吽迦羅(さんじやんうんから)のわけがない!」

 

 上ずる声を誤魔化さそうとするが、それでも体の震えまでは止まらない。鬼眼王自身ではないとはいえ、

三只眼吽迦羅というだけで、多くの妖怪からすれば恐怖の対象なのだ。

 

「強がるなよ、縛妖陣さえ無くなればこっちのものだ。聖地へ案内してもらおうか!」

 

 不死者の面目躍如、わずか時間に立てるほどに回復したのだろう。ぱいを庇う様に八雲は立ち上がると、そう呪鬼に啖呵を切った。

 

「ふ、藤井っ」

 

 ぱいが三只眼だと分かった事と、そして絶対の自信の象徴である縛妖陣を破られ、呪鬼はすっかり萎縮してしまっていた。そうこうしている間にも徐々に八雲は回復していく、呪鬼は焦燥は増していく。

 

「う、うるさいっ!ええい!狼暴暴、その娘を殺してしまいなさい!」

 

 本来なら三只眼は生け捕りが望ましいのだが、混乱しているのか狼暴暴にぱいを殺すように指示を出す。するとそれまで倒れ伏していた狼暴暴が血を噴出させながらも立ち上がる。

 

「ぐぉおおお!!」

 

 傷ついているはずなのに、その叫びには狂気が宿っていた。自らの損傷などお構いなしにぱいへと飛び掛かった。

 

「がぅ!?」

 

 その右足首にいつのまに純白の紐状の物が巻き付いていた。

 

「……八雲!」

「白姉ぇ、サンキュ!!」

 

 自分の血溜まりに沈みながら白は弱弱しくも強い意志を込めて八雲を名を呼ぶ。

 

 ぱいを庇う様に即座に躍り出た八雲、白の作ってくれた隙を見るとぼろぼろと左手を前に突き出した。その腕は拉げているが、見る見る内に再生していく。

 

「傷ついた同士なら、俺の方が!!」

 

 狼暴暴と八雲ではその身体能力に大きな差がある。しかし、怪我をしているなら話は別だ。決して死なず、疲れず、そして再生する体は長期戦においては何よりも優位に働く。

 

「有利!土爪(トウチャオ)!!」

 

 八雲の再生した左手が狼暴暴の左手の一つに添えられ、土爪が発動される。距離が空けば再び防がれる可能性も有るが、ゼロ距離のそれを防ぐのは困難だ。

 

 ボンっ!

 

 爆発音が響き、狼暴暴の左手を一本吹き飛ばす。

 

「グギャアアアア!!」

 

 全身の傷と、腕一本では流石の狼暴暴も堪えるのだろう。膝を付き、粗い呼吸を繰り返す。そんな狼暴暴に八雲は一歩、また一歩と近づいた。重傷を負い、疲弊したとはいえ、野獣は傷ついても油断は出来ない。八雲は止めを刺すつもりだった。

 

「八雲さん、止めて!この子は本当は良い子なの」

「……ぱい」

 

 八雲は眉を顰めるも、こうなったぱいが決して意見を覆さない事は知っている。さっさと殺さなかった自分にため息を漏らすも、矛を収めた。

 

「チェエエエイ!」

 

 元より傷ついた狼暴暴に期待していなかったのか、奇妙な声と共に呪鬼が得意の札を放つ。光とともに迫るそれは効果を発揮すればどうなるかは分からない。

 

「バラスウィダーヒ!!」

 

 言葉と共に再び光の帯がぱいの右手から噴き出した。狙い違わず札に命中した光術は凄まじい爆発を生む。煙が晴れるとそこには爆発の余波を受けたのだろう。帽子は吹き飛び、ぼろぼろのスーツの呪鬼が腰を抜かし倒れていた。

 

「てめぇ、いい加減にしろよ!」

 

 更に体力と傷を再生させた八雲がじりじりと呪鬼へと近づいた。

 

「ひぃぃいいい!?」

 

 その怒気に当たられ、呪鬼は体を縮めて怯える。

 

「どうか、どうかお許しを!命ばかりは命ばかりはああああ!!」

 

 頭を地面に擦り付け閉腹する呪鬼、無様で同情を誘う姿だが、数々の言動からそんな姿程度で気を緩めるような八雲ではなかった。確実の殺す為に八雲は近づいていく。そして、ぱいも少女を狼暴暴に変貌させた呪鬼を許す気は無いのか、右手を呪鬼に向けていた。

 

「藤井様!ぱい様、どうか、どうかああああ!!」

 

 ぐりぐりと額を擦り付け懇願するが、二人の表情は変わらなかった。

 

「うぅ……ごほっがはっ!!」

 

 そんな緊張の中、倒れ伏していた白がせき込みながら吐血した。全身に雷撃を浴び、ぱいを庇い袈裟に爪で傷を負ったその体は、控えめに言って重症だった。

 吐血というよりも血の塊を吐く白は素人目に見ても拙い状況だろう。

 

「白さん!?」

「白姉ぇ?」

 

 二人の注意が呪鬼から白へと向かう。

 

「ヒョッ!狼暴暴!!」

 

 生き残るために僅かに隙を探していた呪鬼に、その隙は待ちに待ったものだった。すぐさま狼暴暴に命令を下すと、自身を捕まえさせ高笑いと共に、その場から去っていく。

 

「あの野郎!」

 

 

 

 

 

(体がばらばらになりそうだ……眠い)

 

 ゆらゆらと覚醒と眠り、どっちつかずの意識の中、白はそんな事を考えていた。体の損傷は転生して受けた中では最悪の状態だ。縛妖陣の効果で全身に雷撃が流され、皮膚は肉が裂けている箇所が幾つも有る。それどころか狼暴暴の爪によって袈裟に体が切り裂かれており、血がどうしようもなく足りない。

 前世で滅ぼされた時に比べればまだマシだが、体の頑健さはそもそも昔の比ではない。

 

(ここで、終わり……か。まさか他者の為に死ぬことになろうとはな)

 

 夢の様な世界で胎児の様に丸まりながら白はそんな事を考えていた。

 無論、死は白にとっても恐怖だ。かつての妖怪の体であったなら遥かなる時の果てに蘇ることすら出来たろうが、転生した自分にそれが可能かは分からない。

 

(……あぁ、ごめんなさい。ママ……)

 

 育ての親の顔が白の脳裏に浮かぶ。

 世界がどんどんと暗く、沈んでいく。白の意識もそれに従って薄く、薄く溶けるように消えていく。

 

 

 

 

「……」

 

 瞼越しに感じる明るさに眩しさを感じ、白はゆっくりと目を開けた。

 

「……ふむ」

 

 全身の至る所に巻かれた包帯を見て、得心からか息を吸う。ずきりと胸やら背中、はたまた内臓が文句を言うように痛むが、白が感じる痛みには致命の気配はとうに過ぎていた。

 

「この札は?」

 

 胸の包帯の上に張られた札を一撫でして白は不思議そうに首を傾げた。白は知る由もないが、それはマクドナルドの傷を治すために呪鬼が作った札でその効力は未だに消えておらず、札の存在を思い出したぱいが白に張り付けたのだ。

 

「……どうやら、生き延びたらしい。やれやれ……おい」

 

 ある程度、体の具合を確かめた白はそこで自身の足に覆いかぶさるように寝る茶髪の少女の頭を引っ叩いた。

 

「ん?……あ、白面の御方様!」

 

 それなりの力で叩いたにも関わらず普通に目を覚ました少女は白の姿を見るなり体勢を整えると正座をして平伏する。その顔は白と寸分も違わなかった。

 この少女の名前は斗和子。白の尾の化身の一つであり、並みの妖怪なら相手にならない強さと、そして人間社会に溶け込み、それどころか言葉巧みに人心を惑わすことすらも出来る忠実な僕である。

 二年ほど前に尾が二つになった時に、その尾を斗和子へと変えて別行動させてパイの捜索や妖怪達の動向を調べさせていたのだ。体から生やしておける尾には制限があるが、体から離しておけば時間経過で尾は最大本数まで生えてくる。白面の頃も海中に封印されながらも何本もの尾を解き放ち情報収集や謀略に精を出していた。

 

 

「……斗和子、現状を聞かせてくれ」

 

 はい、と斗和子は返事をすると自身が知る限りの情報を白へと話し始めた。

 ぱいが見つかり、三只眼吽迦羅と妖怪の調査をメインに中国で活動していた斗和子だったが、白が予想以上に早く妖怪達の妨害が有ったことで、自身の元へ戻ってくるようにホテルから連絡され、呪鬼が逃亡したのとほぼ同時に合流したという。

 白の怪我は深く、生命力が常人よりも優れているとはいえ予断を許さない状態であり、あり合わせの包帯やらで止血を試みるも思ったような効果は無く、最悪の事態まで考えたという。

 だが、そんなときぱいが呪鬼の呪符を思い出し、それを白に貼ると見る見るうちに顔色が良くなったという。

 

「なるほど、この札のおかげか」

 

 感心したとばかりに白は札を再び撫でた。

 

 

「……どうしよう、白さんが死んじゃったら、私っ!」

「あのフダは良く効くんだ!心配すんな!」

「白姉ぇは大丈夫だよ!銃で撃たれたってぴんぴんしてるんだから!」

 

 涙声のぱいとそれを励ます男達の声が白達の耳に響く。どうやら三人とも帰ってきたようだった。

 

「私……ぁ」

「っ!?」

 

 ぱいと八雲の動きが止まる。白はひらひらと左手を動かし、石像のように硬直している二人に見せつけた。

 

「八雲、流石に拳銃は堪えたぞ」

「白さん!」

「白姉ぇ!」

 

 飛びつくように走り寄る二人に白は苦笑した。

 

「……心配かけたな」

 

 縋りつく二人に白は小さく微笑んだ。

 




諏訪湖旅行中。

斗和子登場。


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第二十一話

 

 星々が瞬く夜更け、木々が少なくひび割れた岩肌が目立つ岩山に、フードを頭から被ったいかにも妖しい五人組が壺を囲んで立っていた。夜半にも関わらずサングラスを付けたその顔は明らかに異様であり、人目を憚る事をしようとしているのは明白だった。

 一際大きな人影が気絶した鶏を左手で掴み壺に一歩歩み寄る。

 ザッシュと湿気を帯びた音が響いたと思うと鶏の首が深く切り裂かれ、血が溢れ出す。

 溢れだした血はその真下に置かれた壺へと降り注ぐ。

 次の瞬間。

 

 

 まるで一瞬、昼間にでもなったかのような光が溢れだし、辺りを照らす。そして、その光はまるで天に上る龍の様に轟音を響かせながら昇って行く。

 

 ……。

 

 ………。

 

 …………。

 

 それだけだった。

 再び、辺りは夜気と暗闇に支配される。

 

「ダーメだ。また、失敗だ」

 

 僅かな落胆を滲ませた声の主がフードを外す、そこには八雲の姿があった。

 その他の人物も肩を竦めたり、頬を膨らませたりとリアクションをしているが、それはぱいと白達だった。

 

 

 

 

 

 

 チベット・ラサ。

 

 

 

「……崑崙(コンロン)か」

 

 中国語版の封神演義と睨めっこし、白は額に皺を寄せていた。殷の時代を知る白からすれば古い中国語をも読むのは容易いが、古いことと本の内容が正しいかは別である。とはいえ、正誤が分からない以上は集められるだけの情報は集めねばならない以上、かなりの量の本を読み漁っていた。

 

「そっちはどうだ?」

「……確定的な情報は無いです。……少し休みますか?」

「そうするか、ふぅ」

 

 可愛らしく一息つくと白は封神演義を目の前のテーブルの上に投げ出した。その両脇にはうず高く書籍や地図が重なり、白の気分をこれでもかと沈ませた。

 テーブルを挟んで正面に座っていた女性――斗和子は落ち着いた動作で立ち上がるとホテルに設えられたティーセットをいじりだした。

 そんな斗和子を白はじぃと見つめる。地毛だが色素が薄く亜麻色の美しい髪、ぱっちりと大きく穏やかさと優しさに満ちた目、鼻梁の整った可愛らしい鼻、薄いが形の良い唇。肌はきめ細かさの極みであり幼子の様な張りに満ちている。絶世の美女というベクトルではないが、それでもとびきりの美少女と言う容姿である。

 というかまんま白と同じ顔、日崎御角(みかど)、井上真由子顔である。

 

「……」

「御方様?どうかしましたか?」

 

 そんなかつての仇敵であり、そして現在の自分と同じ顔が小首を傾げているというのは中々に不思議である。いや、そんな不思議、白にはどうでも良かった。

 

「お前、なんで前と同じ顔じゃないんだ?」

 

 びしりと空気が固まった。

 白としては同じ容姿程度なら対して疑問には思わない。何せ自分自身が転生しかも別の世界という不思議すぎる存在だからだ。さらにこれが自身の尾の化身、あやかしやシュムナであっても大した疑問にはならなかったろう。

 例に挙げた二つの尾は明らかに妖怪と言う容姿をしていたからだ。人間の姿を取らせたならば、とりあえず白をベースにした容姿になったとしても、まぁ納得できないこともなかった。

 だが、斗和子は人に寄った姿をしていたし、それにきちんとした人としての容姿を持っていた。それは艶と陰が同居した大人の女性という妖艶な美人とも呼べるものだ。それなのに、わざわざ白と同じ姿になる理由が白には分からなかった。

 

「同じ顔だと、色々と説明がややこしいんだから、前の姿の方が良くないか?」

「……ですよ」

「あー……なんて言った?」

 

 両目を大きく開き無表情で何事かを呟く斗和子に若干の背筋の冷たさを感じながらも白は聞こえなかった言葉を聞き返した。

 

「嫌です!って言ったんですよ!!そりゃあ、確かにあっちも美人の部類でしたけど、あの顔に良い思い出なんかないですもん!」

 

 テーブルに乗り出すように斗和子は白に詰め寄る。どうやら白が前世の記憶に嫌悪感を抱くようになったように、斗和子も本体たる白の影響を受けて、前世の斗和子の所業に思うところがあるのだろう。

 妖怪達を楽しむままに惨たらしく殺したり、科学と魔術を組み合わせて人工的に試験管ベビーを作ったり、それが上手くいかないとなると赤子を浚ってきて改造したりとやりたい放題だ。

 そればかりか、その改造した赤子――キリオ――にママと呼ばせて慕わせ十年位以上養育し、人間達を仲違いさせる原因にしたり、そして最後の最後には自分が化け物の手先として偽りの愛で育てたと暴露して、キリオを絶望のどん底に叩き落したのだ。

 幸せな生活を白が過ごせば過ごすほどに、斗和子はキリオにした事の後悔が悔恨と溢れんばかりだった。

 

「鏡であの顔を見るたびに思い出すんですよ!」

「そ、そうか」

 

 斗和子の剣幕に、白は斗和子の主であるにも関わらず動揺する。だが、白も斗和子の行いを知っているので、その気持ちは確かに理解できた。白自身も鏡を見て昔の白面の顔を見たなら鏡を割る確信があった。

 

「それに、こっちの方が可愛いですしね」

「……」

 

 にこりと笑う斗和子は桜の意匠が施されたバレッタで髪をハーフアップにまとめ、うっすらと化粧を施していた。ちなみに白は髪も下ろしており、顔はすっぴんだ。とはいえ、それでも十分すぎる以上の容姿をしている。

 

(まぁいいか)

 

 本当は可愛いから容姿を変えているのではないかと疑念を抱く白だったが、白にしても斗和子顔が傍に侍られるのは精神衛生上良くない。前の極悪な性格も嫌だが、あの顔で今の斗和子の様に可愛いもの好きを公言されても、ギャップが激しすぎて拒否反応を起こすかもしれなかった。

 

「単純に私と同等に知識が有るのはありがたいが、あまりその顔で羽目を外すなよ」

 

 そう言って白はソファーに体を預けて伸びをする。体の節々に軽い痛みを覚えるが、それはそれでコリが解れる様で心地良い。

 

「……」

「なんだ?」

 

 じぃと見つめる斗和子。見つめるだけで一向にアクションを起こさない斗和子に白が疑問を口にした。

 

「御方様こそ、どうしてその顔なんです?」

「あー……私こそ知りたいんだが、母も同じ顔だったし良く分からん」

「母ですか……」

 

 母と言う言葉は斗和子にとってトラウマスイッチの様なものだ。急にどんよりとした空気を纏う。……どころか微妙に顔が斗和子に近づいていく。

 

「お、おい、顔が戻ってるぞ。やめろ、その顔で上目づかいになるんじゃない!」

 

 美人な斗和子だが、元の顔で陰気な表情での上目づかいの怖さと言ったら、筆舌に尽くしがたい。大の大人でも根源的な恐怖を引き起こす飛び切りに怖い顔なのだ。

 

「あら、すいません」

 

 そういって即座に斗和子は顔を真由子顔に戻した。

 

「それはそうと、お前は何か心当たりとか無いのか?私より自由に動いていただろう」

「……そうですねぇ」

 

 資料もそうだがこの主従は三千年近くを生きた生粋の化け物である。生まれ出でてからはインドや中国を中心に活動していた為、その辺りの知識はそれなりに詳しい。

 

「崑崙山脈は後付けの名前ですし、元々は西蔵(チベット)の事をそう呼んでいたとかはご存知ですよね」

「当たり前だ」

 

 事もなげに二人はそう言っているが、調べれば分かる事とはいえ、ここまですらすらと知識が出てくるのは相当である。

 

三只眼吽迦羅(さんじやんうんから)の聖地……パイの記憶が刺激されている以上、中国であることは間違いないだろう」

「ですね。ただ崑崙が何処かは分からない。ここにある資料も人間が記している以上、参考にしかならないでしょう」

 

 三只眼吽迦羅その名は妖怪達の間では有名だが、人間達の間ではそこまで有名ではない。吽迦羅童子(うんからどうじ)という名が密教の中に有るがあまりにも限定的である。

 現代の人々が妖怪の存在をほとんど信じていない以上、文献を鵜呑みにするのは憚られた。

 

「三只眼吽迦羅という名自体がほとんど伝わっていないのはどういうことなんだ?あれだけの力の有る妖怪だ。人とも多少繋がりがあったはずだというのに……」

 

 白と斗和子が疑問に思っているのはまさにそこだった。日本でも鬼や天狗の話はキリが無いほどに挙げられる。白面の者も金毛九尾白面の伝説として日本や中国で伝わっている。

 だが、三只眼吽迦羅の名は余りにも少ない。妖怪達を統べる王、鬼眼王(カイヤンワン)の種族にも関わらずだ。

 

「流石に三つ目小僧はあれだが、シヴァ……それに白毫が三つ目を表しているとされるブッダも紀元前の話だし……うぅむ」 

「それにしては文献が少なすぎですよねぇ」

 

 二千年以上も前に三只眼吽迦羅が人間と関りを持っていたとしても不思議ではないが、それにしても伝聞が余りにも少なかった。

 

「まぁ私は怪我も有るからしばらくはここで本の虫になってるよ」

「……結構治ってません?」

「こんな量を片手間にやってられるかってのが本音だな。あいつらの護衛は任せた。その都度気になる文献なり遺物があったら持ってきてくれ」

「分かりました」

 

 目の前のテーブルを埋め尽くす本と、それ以上に部屋の敷地面積を圧迫する手掛かりと言う名の文献を前に斗和子は粛々と頭を下げた。一見すると面倒事を押し付けられたようにも見えなくもないが、護衛ととてつもない量の文献の解析が天秤に乗っている現在、どちらも決して楽ではない。

 

「向かってきた相手はどうしますか?」

「……どんな能力を持っているか分からない以上、手元に置いておくのはリスクでしかない」

「仰せのままに」

 

 以前の主を思わせる冷たい瞳に斗和子は頭を下げてその言葉の意味をくみ取った。

 人は大切なものが出来れば甘くもなるが、同時に強くも冷酷にもなれる。この力が振るわれる先に柄にもなく憐れみを抱く斗和子だった。

 

 

 

 

 

 

 

「これはどういった事でしょうねぇ」

 

 屋根の上から夜闇にまぎれ斗和子は首を傾げていた。

 斗和子の視線の先には頭を丸め襤褸を身に纏った僧の様な連中が幾人も見受けられた。その体捌きは素人のそれではなく、組織だった行動を訓練にて身に着けたものの動きそのものだった。

 

呪鬼(チョウカイ)の配下……いやそれにしては妖気の欠片も感じない」

 

 長らく白面の元で諜報をメインに活動していた斗和子は本体たる白よりも格段に探査に優れている。細やかな力の機微を感じ取れなければ、白面を怨敵と定める光覇明宗の研究部門トップに正体を見破らせずに取り入ることは出来なかったであろう。

 

「とりあえず合流しますか」

 

 呪鬼の配下なら問答無用で襲い掛かり口を割らせ、そのまま殺すところだが、それとは関係の無いものを殺すという選択肢は今の斗和子には無かった。丸くなったものである。

 

 

 

 

 

 

「ゴーモンもんみたいな事は良くないよ。ね、ちゃんと話あって、ね?」

 

 ぱいの宥めるような声が廃墟に響く。

 白達が居なくとも修羅場をそれなりに潜り抜けて来た八雲。見事に自分達を探っている怪しい連中の一人を縛り上げ事情を聞こうとしていた。

 聞こうというのぱいが尋問や拷問を嫌った為である。記憶を失う前もそうだが、やはり女子高生として暮らしていた感性が暴力を忌避するのだろう。

 

「しかし、ぱい様……」

 

 だが、そこに難色を示すのはマクドナルドだ。ぱいが探し求めていた三只眼吽迦羅だと知り大分畏まってはいるが、ぱいの記憶が戻らなければ自分の望むものは手に入らない。それ故に手がかりを易々と諦める事は出来ないでいた。

 

 そんな意見が食い違う中、後ろ手に手を縛られた男はギラリと目を光らせ、その隙を掴んと動き出す。しなやかに体を動かし、マクドナルドに蹴りを放つ。注意が逸れていたことと、手を縛られている相手がロクな事が出来ないという油断から、顔面に蹴りを受けてしまった。

 

「マクドナルドさん!?」

「ぐっ!?」

 

 だが、元々の体格そして不死身と呼ばれるだけあって、その耐久力は折り紙付きだった。

 

「てめぇえええ!!」

 

 マクドナルドは体制を即座に立て直すと両の手を握り込み、素早く反撃する。右の拳が男の鳩尾を深く抉る。男の体がくの字に折れ曲がり、マクドナルドは更に左のストレートを叩き込んだ。

 

「っがは!」

 

 男の体は思い切り吹き飛び壁に激突する。

 

「ぶっ殺す!」

 

 頭に血が昇ってしまったのだろう。マクドナルドは更に拳を握り込むと殺意を込めてその拳を振り抜いた。

 

「ダメェエエエエ!!」

 

 マクドナルドの殺意を感じ取ったのか、それともただ単に痛めつけられる男を見てられなかったのか、ぱいが二人の間に割って入る。

 打算も無くただの勢いでその身を晒したぱいにマクドナルドの拳が迫る。殴られようとしている男、マクドナルド、ぱい、そして周囲に目を配り騒ぎを聞きつけた八雲。既に勢いが乗った拳はマクドナルドですら止められない。

 

「何をしているんですか……まったく」

 

 パシっと軽い音とともにマクドナルドの拳はいとも簡単に止められる。四人の視界にはつい先ほどまでは存在しなかったはずの女性、斗和子の姿がある。

 

「やれやれ、大丈夫ですか?」

 

 マクドナルドに殴られた男に寄ると斗和子は白では決して見せないであろう優し気な目で男の患部を確かめ始める。

 

「白姉ぇ!」

「白さん」

「はぁ斗和子ですよ。私は」

 

 何度目かになる訂正をしながら斗和子はため息を吐くが、いきなり同じ顔の人間が増えて即座に順応できる人の方が少ないだろう。

 

「あ、悪い」

「ごめんなさい」

「……」

 

 二人は素直に謝るが、マクドナルドだけは真剣な表情で斗和子に受け止められた右手を見つめていた。マクドナルドの体格は百八十五センチ以上を誇る。その上、ボクシングを長らく続けており、腕前もヘビー級だ。

 そんな彼の拳を真っ向から受け止め、僅かたりとも揺るがない。

 マクドナルドは決して手加減などしていない。本気で殺すつもりで拳を振り上げた。それなのに体重も筋肉も何もかもが違い過ぎるはずなのに何でも無いように受け止められた。

 

(ふぅ、まぁ驚くのは無理も無いですね)

 

 マクドナルドの恐怖を滲ませた瞳に内心で斗和子は溜息を吐いた。かつては心地よかった恐怖や絶望だが、本体である白の性質が激変した影響か斗和子にとってもそれらの感情が己に向けられるのは少々居心地が悪く感じるようになっていた。

 

「喋りたくないなら喋らなくても良いですよ。……いや、別に何もしませんよ?」

 

 斗和子に庇われた男に優しげにそういう斗和子だったが、縛られた男というより八雲やマクドナルドがどんな拷問をするのかと顔を引き攣らせているのに気付くと顔を顰めながら否定する。

 

(この男の組織が何らかの情報を有しているのは明白、本拠地にさえ忍び込めば手がかり位は有るでしょう。というか、そんな手間は要らなそうですね)

 

「出てきなさい」

「お、おい」

 

 今後の作戦を考えていた斗和子は、ゆったりと立ち上がると凛とした声で辺りに声を飛ばした。マクドナルドは未だに気圧されながらも、声を掛けるが、不意に立ち上る人影に声を詰まらせた。

 

「っ!」

 

 気付けば一行は数十人の僧侶の様な格好をした男達に囲まれていた。一様に武器は持ってはいないが、体つきや足運びは相当の修練を感じさせる鍛えられた戦士のそれだった。

 

「ほら、皆も手を上げて、降参ですよ降参」

 

 緊張する一行に斗和子は両手を上げて暢気そうにそう告げる。

 

(このまま本拠地ないし拠点まで連れて行って貰えるんですから、全く楽なもんですよ)

 

 一瞬、昔の斗和子スマイルを浮かべそうになるが、なんとか必死に斗和子はそれを堪えた。そして、それがまるで涙を流すまいと我慢する健気な少女のそれに見えたのは、彼女の演技と真由子の容姿の可憐さ故の奇跡だった。

 

 

 




大分空いてしまったので忘れてる方が大半でしょうが恥ずかしながら投稿しました。
一応、第二部は最後まで書き上げてあるので、添削しつつ順次上げていく予定です。


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第二十二話

「やれやれ」

「くっそー崑崙(コンロン)が分かったらスグにでもボコボコしてやる」

 

 そういうのはボコボコに顔を腫らしたマクドナルドだった。そして肩を竦める八雲も顔を腫らしている。マクドナルドよりも多少マシだが、これは自然治癒に優れた(ウー)故だ。

 もとより流石の人数差に抵抗する気の無かった二人だったが、抵抗力を奪うためか捕まる際にしこたま殴られたのだ。

 

「ねぇ、貴方達は何者なの?私達は別に悪いことをしようってわけじゃないの」

「崑崙の場所だけでも教えては貰えませんか?」

 

 そんな男性陣とは裏腹に斗和子とぱいは両手を縄で縛られているだけだった。

 女性ゆえに侮られているのか、はたまた紳士的なのかは不明だが、縛られている二人よりも斗和子の方が強いのは皮肉が効いていた。

 

「……」

「……ダメですか?」

 

 八雲達に捕まっていた男はぱいの度重なる質問に僅かに顔を曇らせる。そして……。

 

「……」

 

 

 

「崑崙……知らない、誰も聖地には近づけてはならない。それが、我らの教え」

 

 男はぼそぼとと告げるというよりは、呟くように言葉を吐いた。

 

「近づいたものは……殺す」

「そ、そんな……」

 

 感情が込められていない男の言葉にぱいは顔を青白くさせる。そして、そのタイミングで男達の足が止まった。

 男達に釣られるようにぱい達は視線を視線を上へと向けた。

 

「こ、これは……」

 

 そこには岩壁をくり抜いて作った荘厳な寺院が威容を湛えて一行を見下ろしていてた。

 

 

 

 

 

 

「すげー頑丈な檻なこった」

 

 ごんと壁を蹴りながら八雲は呆れたように呟く。八雲達は寺院には不釣り合いと言っていい堅牢な檻にぶち込まれていた。

 周囲は剥き出しの岩肌、唯一の出入り口は数メートル以上の高さの天井に有る鉄格子の蓋だけである。自然の穴を利用したのか、はたまた掘り抜いたのかは定かではないが、どちらにしろ脱出するのは非常に困難だろう。

 

「……それに結界も編んでいるようですね」

 

 周囲の壁や天井に有る札や或いは直接掘られた紋様を見て斗和子はそう告げる。

 

「……え、どうしよ」

 

 とりあえず捕まって、様子を窺おうと考えていたぱいは自らの見通しの甘さに蒼褪めた。

 

「まぁ、とりあえず寝ましょうか。やることも無いですし」

 

 しかし、他の三人とは違い斗和子はさっさと岩肌に体を預けるとその瞼を閉じる。なんだかんだで一行は割と長距離を歩かされている。この後、何をされるか分かっていない以上、無駄に力んで体力を消費するのは得策ではないと斗和子は考えていた。

 

「う、うん。そうですね」

 

 見た目とは裏腹に図太すぎる斗和子に引きながら、ぱいも塩梅が言い場所を見つけると横になり、男連中もそれに続く。……そしてそんな一行を監視していた僧達は休憩するぱい達に感心するやら呆れるやらと言った表情を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「!?」

 

 薄暗い檻の中、空気が一変した。僅かに何かが蠢く気配と、そしてぱい達とは違う妖気。

 

「貴女も気付いたようですね」

「斗和子さん!何が……」

 

 まだ起き抜けのぱいとは異なり、斗和子は臨戦態勢といった様子で周囲に視線と殺気を飛ばしていた。優しげな眦はこれでもかと吊り上り、爪はまるでナイフの様だ。そして白とは異なり前腕は鋼のような筋が浮かぶ筋肉で覆われていた。

 斗和子の様子に八雲とマクドナルドも慌てて体を起こし、ぱいを守るように近づいた。

 そんな一行の目の前にずるりと、それは、いやそれは姿を見せた。

 ぎょろりとした目とスライムのように柔軟な体。だが体の端々に甲殻類のような殻を持つ一メートルほどの異形の生き物。とても通常の生物とは思えないかけ離れた見た目にぱいは喉を鳴らした。

 

 

「こ、こいつら食妖虫(シヤオチョン)だ」

 

 パイを探す中、数々の妖怪やその資料に目を通していた八雲がその異形の正体を気付く。

 

「ど、どういう奴らなんだ?」

 

 床どころか、壁面にも姿を見せる食妖虫に汗を垂らしながらマクドナルドは詳細を急かす。

 

「妖怪の妖気を食って生きる化け物さ。俺達の天敵だ」

「ええー!?」

 

 妖怪の力の源である妖気そのものを食らう事が出来るそれが食妖虫の能力であった。妖気は妖怪の力の源だ。これが少なくなれば妖術が使えなくなるのはおろか、体の維持すらも困難になり、果ては死んでしまう。肉体的に人よりも強固な妖怪を倒すのに妖気を直接奪うというのは人からすれば効率的な倒し方なのだ。

 

「な、なら俺は大丈夫だな」

 

 八雲の説明にマクドナルドは大げさなほどに安心するが、次の八雲の言葉がその希望を打ち砕いた。

 

「いや、あんたは単に体を啄まれて食われる」

「……マジかよ」

 

 マクドナルドが絶望に顔を歪ませる中、じりじりと食妖虫達は一行を追い詰めていく。動きは緩慢だが、何せ数が多い上に狭い檻の中、捕まるのは時間の問題だった。

 

「く、こうなったらシヴァの爪で……!」

「止めろ!」

 

 装飾品と思われたのか、ぱいは取り上げられなかったシヴァの爪を装着し光術を放とうとするが、八雲の鋭い声がそれを静止した。

 

「封印術が込められた密室でそれはダメだ!下手をすれば光術が部屋中を荒れ狂うぞ!」

「えぇ!?」

「俺らはまだ良いが、部屋が崩れればマクドナルドのおっちゃんは無事じゃ済まねぇ!」

 

(私も同じ理由でジリ珍ですかね。どうしましょう?)

 

 地味に近寄りつつある食妖虫達を切り裂く斗和子だったが、やはり斗和子は斗和子で表情には出していないが焦っていた。彼女自身も白と同じく自在に操れる尾を持っているが、この状況を打破できる炎の尾は部屋全体を余すことなく燃やせるが、もれなくぱい達も焼き尽くしてしまう。尾を単純に振り回すことも出来るが、狭い檻の中では逆に動きを制限してしまうだろう。爪や牙も自分だけを守るならともかく全員を守るのは難しい。

 

(く、かつての私なら見殺すなんてのは簡単でしたが、今は……)

 

 自身の快楽の為に数多の命を奪い、自身の目的の為に赤子の人生を狂わせた斗和子だったが、たった三人の命すらも捨てられずに自ら苦難へとその身を投じていた。

 

「斗和子さん下がれ!」

「無茶はすんな!」

 

 積極的に食妖虫達に前に体を晒し、その体を盾にそして剣として三人を守るように戦っていた。

 

「うわぁ!?」

 

 だが、あまりのも状況が悪すぎた。獣じみた動きで食妖虫を屠り、あるいはけん制するも所詮は一人、天井を伝って来た一匹がマクドナルドの目の前に落ちてくる。

 

「くっ!えっ!?」

 

 一瞬、斗和子はマクドナルドに視線を向けてしまう。それを好機と見たのか斗和子が相手にしていた食妖中の一体の体が突然、弾け、中からより昆虫染みた体躯が露わになり、それまでとは段違いのスピードで節を幾つも持つ触手を斗和子へと伸ばした。

 

「ちっ!何が……!?」

 

 咄嗟に距離を取るが、それが合図となったのか次から次へと食妖虫達が同じような変化を遂げていく。食妖虫、それは非力な人間が妖怪を倒す一つの手では有るが、同時に人間達自身にも害を成す存在でもある。そのまま飼育するのは困難であり、ここの僧達は卵の状態で封印し、必要になったら卵を孵化させるという方法をとっていた。

 つまり、今までなんとかしていた状況はあくまで孵化したての状態であり、ここからが本番だった。

 眼球は一つ、甲虫を思わせる頑丈な体と節を幾つも持つ触手を生やした異形の化け物、それが食妖虫の真の姿である。本体の動きはそれほど速くはなっていないが、先とは数倍に匹敵する体躯と十を超える触手はただそれだけで牢の中をより逃げ場の無い空間へと作り変える。

 

「バラス……」

 

 逃げ場の無い状況に思わずぱいがシヴァの爪を着けた右手を食妖虫達にかざす。ぱいの力に押し出され空気が静かに震えだした。

 

「止めろ!皆巻き込まれちまう!」

「あっ!?」

 

 ぱいの詠唱を八雲が怒声とも呼べる強い声で制止する。普段は細い目が大きく開かれかなり慌てた様子だ。

 

「くっ……」

 

 打開する手立てもなく八雲達は次第に追い詰められていく。

 

 

 

 

 

僧院長代理(ギエルツアブ)!どうして、食妖虫ナガルを放ったのですか!?」

 

 叫び声や唸り声、空気を切り裂く音など雑多な音が溢れ始めた牢の唯一の出入り口の近くで一人の僧が平伏しながらもそう叫んだ。

 若き僧は名はナパルバ。ぱい達に捕まり、それ故にぱい達に一番接した人物だった。

 

「あの者たちの目的も調べず殺すなど許されない事です!」

「だからなんだ?そもそもこれを持っていた時点で十分危険だ。そうだろうナパルバ?」

「……しかし、我らが聖地に近づく者を排するのは悪意有る者から守る為です!私には彼らが悪意に有る者には見えません!」

 

 頭を床に擦り付けナパルバは必死に懇願する。身を呈して自分を守ろうとしてくれたぱいが悪だとどうしても彼には思えなかったのだ。

 

「……もう遅い」

「お願いします!彼らの情報源、他に関係者が居ないかも知るべきです!」

 

 ぱいに情が湧いてしまったナパルバの言葉だが、言っている事には一応の筋は通っていた。情報源を聞き出さずに牢へと幽閉し、一日も経たずに殺すというのは些か以上に早急だった。

 

「どうか!せめて僧院長(テインヅイン)様にお目通りを!!」

「……」

 

 自分達の指導者の名前まで出してナパルバは懇願する。

 だが、副僧院長は目は冷たい。そもそも異端者の排除に一々、最高責任者が出てくることはない。にも関わらず僧院長にお目通りをというのは副僧院長では荷が重いと言っているようなものだ。

 

「待って!三只眼吽迦羅(さんじやんうんから)は私よ!」

 

 ナパルバを怒鳴りつけようとした副僧院長だったが、喚きだしたぱいに口を閉じた。

 

「力を悪用する為に行くんじゃないの!だって力なら持ってるもの」

 

 

「私は記憶を失ってるの!だから記憶を取り戻す為に聖地(ふるさと)を探してるだけなの!」

 

 しん、とぱいの発言が終わると同時にナパルバと副僧院長の間に沈黙が訪れた。

 

「三只眼の名を語るような相手に悪意がないと言えるか?そもそも二つ目の三只眼なぞ居るか」

 

 ぱいの必死の訴えはこの場においては最大の悪手だった。三只眼と言いつつ三つ目ではない。三只眼だが記憶が無い。しかし力は有る。生き残りたい為に口から方便を垂れていると言われてもしょうがないほどに説得力に欠けていた。

 

オン

「副僧院長!」

 

 ナパルバの嘆願を無視して副僧院長は術具を掲げ、言葉を唱えた。

 すると全ての食妖虫が成体へと姿を変貌させた。

 瞬間的に質量が増え、只でさえ追い込まれていた一行は絶体絶命の舞台へと叩き込まれてしまう。

 

「きゃああああ!?」

 

 四方八方から無数に迫る触手に思わずぱいは有らん限りの声量で悲鳴を上げた。

 

「!」

 

 すると、その声に反応したのか多くの触手はぱいへとその矛先を向けてしまう。

 三只眼としての記憶が有れば結界だの光術など、いくらでも対処のしようがあるだろうが、いかんせん今は記憶が無く、固定砲台の様に加減が出来ない攻撃をするしか出来ない。しかも、足が竦んでおり満足に避けることすらも出来ずにいた。

 

「ぱい!!」

 

 だが、三只眼吽迦羅には自身を守る盾、(ウー)が居る。それが藤井八雲である。後ろ手に縛られながらも体当たりするようにぱいを押しのけ、代わりに食妖虫の触手を受け止めた。

 触手は当初狙った獲物であるぱいではないが、別の獲物を捕らえて満足したのかどろどろとした粘液を滲ませ八雲を拘束していく。

 

「ぐっ!(トゥ)

 

 土爪(トウチャオ)と攻撃用獣魔を唱えようとするが、その口も瞬く間に塞がれていく。……それどころか。

 

(ち、力が入らねぇ!?……くそ、妖気を吸ってやが……る)

 

 八雲の体から徐々に妖気が吸い上げられていく。これが元々強靭な体を持つ妖怪ならまだしも、基本的な身体能力が精々鍛えた人間程度の八雲では相性が悪すぎた。しかも腕は後ろ手に拘束されている。打開策は無い。

 

「八雲さん!」

「ぱいさん!?」

 

 自らを庇って窮地に陥る八雲に思わずぱいは駆け寄ってしまう。ぱいを止めようと斗和子も動くが、食妖虫の触手が行く手を阻み思う様には動けない。

 

「このぉ!!」

 

 心寄せる相手が自分を庇って犠牲になったことで頭に血が上ったのだろう。八雲の忠告を無視してぱいはシヴァの爪を構え、言霊を口にする。

 

「バラス……!うぐぅ!?」

「仕方ない……か」

 

 しかし、それは食妖虫にとっては好機以外の何物でもなく、瞬く間に大量の触手にぱいは縛り上げられ、あげくにシヴァの爪を落としてしまう。記憶が無く満足に力を奮えないぱいにとって、それは武器を失ったも同然。

 そしてよもやこれまでと、斗和子は白面の化身としての力を出そうと徐に服に手を掛けた。

 

飞腭(フェイオー)!!」

 

 それと同時に先とは違う光が生まれ、食妖虫達を壁へと叩きつけた。

 

「よくもやってくれたな?坊主どもぉ!!身の程を教えてやるよ!」

 

 ぱいと瓜二つの顔、そして声、だが身から溢れる妖気は尋常ではない勢いであり、粗暴な言葉と組み合わさることで暴君とも言える畏怖を放つ。そして、その額には第三の目(・・・・)が見開かれている。そう、これこそがぱいのもう一つの人格、妖物の頂点、三只眼吽迦羅……。三只眼であった。

 



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第二十三話

誤字報告ありがとうございます。


 

 飞腭(フェイオー)と呼ばれた頭が大きく口内に一つ目を持つ異形に乗り、ぱいは威圧的な視線を辺りに走らせていた。腕を組み、何処か幼稚な偉大さを振り撒こうとする様子は普段の大人し気なぱいとはかけ離れていた。

 そして、いつもは開かれることのない額の三つ目は今は見開かれている。

 

「ククク……アーッハッハッハハハハ!この私を閉じ込めた上にこの仕打ち!愚か者めがぁ!」

 

 仰け反り大声で笑う様はまるで別人……どころではない。いま、ぱいの体を動かしているのは正真正銘、別の人物だった。いつも体を動かしているのは何もかも記憶を失い術もロクに使えなくなったぱいであるが、このぱいはぱいであってぱいではない。記憶を失っているのは同じだが、人格が幼くなったものの三只眼吽迦羅(さんじやんうんから)の術をある程度使える三只眼が今は体を動かしていた。

 

 三只眼吽迦羅が直接使役する妖怪だけあり飞腭は見た目とは裏腹にかなりの力を有している。その証拠に本来なら妖気を食らう妖怪の天敵である食妖虫(シヤオチョン)の群れをたやすく吹き飛ばしてしまったのだから。

 

「さぁてクソ虫ども、丸ごとぶち殺してやるよぉ!!」

 

 ぱいとは真逆の粗暴な口調に溢れ出る妖気に妖怪を知るはずの僧達が怯み、恐れをなしていた。

 

「ひぃいいい!?」

 

 そして、その怒りを最も受けていたのが一行を処刑しようとしていた副僧院長(ギエルツァブ)だった。

 恐怖に顔は歪み涙と鼻水がその皺に流れ込み酷い表情を作り出す。その無様な様子が楽しいのだろう。喜悦を滲ませ三只眼は爽やかとすら言える笑みを浮かべていた。

 

「じゃあな!」

「お助けえええええ!!」

「!?ちっ……」

 

 飞腭の中型の鯨ほども有る口が大きく開かれ副僧院長に迫る。だが、その顎が閉じられることはなかった。直前に三只眼目掛けてゆで卵が放たれていたからだ。

 

「そこまでにしておきなさい三只眼どの。殺生する気なら黙ってはいませんぞ」

「ふん、坊主の親玉か?やめないってならどうする気だ?」

「ホッホッホホ」

 

 僧達の長、僧院長(ティンヅィン)が僧達に台座を神輿の様に担がれながら愉快そうに笑っている。骨が浮かぶ程の頼りない痩身にも関わらず空気をびりびりと震わせる三只眼の妖気、殺気をまるで意に介していない。

 

「あの、あまり事を荒げないほうが……」

「うるさい!」

 

 マクドナルドと八雲を介抱する斗和子が苦言を漏らすが三只眼は怒鳴り声と共にそれを一蹴した。

 

「……はぁ」

 

 あまりに目に余る様だったら止めようかと思う斗和子だが、彼女は彼女で重症位ならセーフと考えている当たり十分にヤバい奴である。

 

「私は天下の三只眼吽迦羅だぁ!!逆らうってのがどういうことが分かってるんだろうな!」

「三只眼吽迦羅……ねぇ」

 

 僧院長はのらりくらりと緊張感が無い喋り方をし面白そうに笑みを浮かべる。それは三只眼の神経を纏めて逆撫でするかの如き態度だった。

 

「ふざけた態度をしやがって!どういうつもりだ!」

「どうも……こうも……ふむ」

 

 

 

 

「貴女のその額の痣……さては記憶を失っているんじゃないのかね?」

 

 にやにや笑いを引込め僧院長は静かにしかし断言する。只の年寄りの言葉だがそれにはある種の力を感じさせる声色だった。

 

「……なんだと?」

 

 それまで纏っていた怒気を治め三只眼は僧院長を睨み付けた。怒りはまだ彼女の腹の底でぐつぐつと煮え滾っているが、それ以上に額の痣の情報が欲しかった。

 自身の記憶、三百年前に自分を残して消えた仲間の記憶、そしてそれと同じくらいに思い出したい八雲との思い出。三只眼が中国まで出向いたのは聖地の為というよりは彼女自身の記憶の為なのだ。

 

「てめぇ!これがなんなのか知ってんのか!?」

「乱暴者に話して聞かせることなぞ、何もないわい!!」

 

 三只眼の威圧も意に介さず僧院長はそれ以上の威圧を込めて言い放つ。

 

「さっさと、どこぞにでも行くがよいわ!」

 

 三只眼吽迦羅と分かったからなのか、はたまた副僧院長とは違い殺す気が無いのか、それは定かではないが、僧院長は一行を留めておく気は無い様であった。

 

「~っ!!」

「それとも、大人しく頭を下げて儂の話を聞くかの?」

「ず、図に乗りやがって……」

 

 情報とプライドを天秤にかけ、なんとか自信を抑えようとする三只眼に僧院長が更なる爆弾を投下する。

 

「そうじゃのぉ『先ほどはすみません。もう二度と暴力は奮いませんからどうかお話をお聞かせくださいませ愛らしい僧院長様』と頭を下げるなら話してやっても良いぞ?」

 

 ぶつん。

 

「この糞ジジイが!大人しくしてれば調子乗りやがって!ぶち殺してやる!!」

 

 我慢の限界を越えた三只眼から妖気が噴き出した。主の意を汲み飞腭も人を容易く飲み込むであろう大顎を開き、咆哮を上げる。

 

 

(やめて!)

 

 勢い良く僧院長に突っ込もうとした三只眼だったが、頭の中から響く声にてその暴挙は制止された。

 

「!?……ぱい、すっこんでろ」

(嫌よ!お願い三只眼、私この人のお話を聞きたいわ。きっとこの人の持つ情報は役に立つわ。だってずっと、それを探していたじゃない?)

「ふぅ……相変わらず甘い女だぜ。私たちを殺そうとしたのはあっちが先なんだぜ?」

(でも、それは誤解……)

「うるせぇな!殺すって言ったら殺すんだよ!」

 

 ぱい達を殺そうとしたのは副僧院長の独断では有るが、それを三只眼は知る由は無い。ぱいと八雲とは和解して必要以上に暴れるのは控えているが、自分達を害そうとする者を許す程お人好しではない。

 

(やめて!ねぇ!……だめだわ)

 

 

 

 

「とりあえず二人を安全なところまで運びますか」

 

 騒がしい三只眼達に警戒心を幾分かとくと斗和子は脇に抱えた二人を端に寄せようと歩き出す。三只眼の暴れようからは怪我人が出るのは時間の問題なのだが、斗和子は大した興味を抱いていなかった。

 薄情にも思えるが仲間の安全を考えたり、敵対した相手を屠ろうとしなかったりと昔に比べれば遥かに温厚と言えた。

 

「はっ?」

「起きましたか。流石、(ウー)ですね。それなら自分の足で歩いてもらえますか?」

 

 妖力が回復したのか、もぞもぞと八雲は動き出した。だが、なにやら様子がおかしく十和子は眉間に皴を寄せ怪訝な表情を作る。

 

「と、十和子さん!俺をぱいに向かってぶん投げてください!!」

「は?」

「とにかく投げ飛ばして下さい!お願いします!」

 

 脈絡もへったくれもない八雲の言葉だが、表情や声色からは必死さがひしひしと滲み出ており、斗和子はそれをしっかりと感じ、八雲の願いを聞き入れる。

 

「この位で良いか……ふん!!」

 

 首根っこをむんずと掴みその華奢な容姿からは想像も出来ない筋力で斗和子は八雲をまるで野球ボールの様にぶん投げる。フォームもへったくれもないが、そこは化け物。八雲は風を切って飛んでいく。

 

「うぉおおおおお!?」

「は?」

 

 予想よりも遥かに強く投げられ悲痛の叫びが八雲の喉から飛び出していく。そして、なんとか姿勢を制御しながら八雲は三只眼にぶつかり、纏めて飞腭の地面へと落下した。

 

「ぐぇえ!」

「うぶ!?」

 

 体勢を整え三只眼の下敷きになる八雲。咄嗟に主を庇うのは流石は无と言えた。

 

「お、お前いきなり何をする!!」

 

 八雲のおかげでダメージが少なかったのだろう。状況をある程度、理解すると三只眼は両目を釣り上げて激昂し、八雲に掴みかかった。

 だが、彼女はそこで思いもよらなかった事態に遭遇してしまう。

 

「お前から先に……ん……」

 

 ぱい、そして三只眼にとって八雲とは自らを守り、そしてある程度とはいえ気を許している男性だ。男性としては最も近い存在と言っても過言では無い。

 だが、その八雲の顔はいま彼女の視界いっぱいに広がっている。八雲以外は見えず、その黒い瞳には驚いた自分の顔が写っており、さらにそこに移る自分の瞳の中にすら八雲が居るのだ。

 近しい存在などと言う話ではない。物理的に近いのだ。

 そして、なにより自身の唇は何かで塞がれている。

 空気が固まる。

 僧院長も僧達も、斗和子すらも想像外の出来事に呆けた表情を浮かべていた。

 

「ん!?……んぅんんーーーーーー!?」

 

 自分の唇に触れれている物が何かを理解した瞬間、三只眼の頭が情報と言う名の獣が走り回る。八雲を突き飛ばす、はたまた受け入れる。などと言う次元ではない。ただ単に考えが纏まらぬまま二人の唇はお互いの隙間を埋め続けていた。

 

「-----っ!!飞腭!大人しくなさい!」

 

 幾何の時間が流れたのだろう。突如、三只眼は八雲から唇を離し叫ぶように飞腭に指示を飛ばす。飞腭は見ようによっては可愛げのある大きな目玉を左右に揺らすと、こくりと頷き子犬ほどのサイズまで小さくなった。

 

「八雲さんありがとう。ふぅ……」

 

 シヴァの爪を腕に嵌め、三只眼……いや、ぱいは胸を撫で下ろした。

 実はあの一連の最中、八雲とぱいはテレパシーにて会話をしていたのだ。怒りによって体の支配権が三只眼に移ってしまいどうしようもなく無くなったぱいは、どうにか三只眼の意識を逸らしてほしいと八雲に願っていたのだ。

 とはいえ、腕は後ろ手に縛られたままの八雲には打てる手がない。そこで斗和子に投げ飛ばしてもらい、傷つける事が出来ない為、気を逸らす方法として唇を奪ったというわけだ。

 

 

「えっと……す、すいませんでした!」

 

 暴れ回っていた飞腭を大人しくしたぱいがまずしたことは謝罪だった。見た限り幸いにも重傷者はいないようだが、それでも一歩間違えばどうなっていたかは分からない。

 

「……そもそも儂の耳に入っていれば、こんな事にはならなかったじゃろう。聞いておらなかったとは言えぬ。普段の儂の指導不足、老いぼれの不手際じゃ。申し訳ない」

 

 僧院長は姿勢を整え深く頭を下げた。それに続き周りの僧達も慌てて頭を深く下げた。こういうのは上の者が頭を下げたほうが部下には意外に効くものだ。それに誠意を見せることも出来る。全てがそこに起因する訳ではないだろうが、ぱい達と部下達の評価を同時に上げる腹芸は流石は年の功と呼べるものだった。

 

「あ、いえ、こちらも僧院を壊しちゃってごめんなさい」

「うむ、いや先に手を出したこちらの不手際じゃ、気になさるな」

 

 命を奪おうとした事の方が重大なのだが、僧院を壊した負い目が有る上、自分よりも年上の者に真っ向から謝罪されたぱいにこれ以上追及するという発想は生まれない。

 

「……うむ、うむ。お主は良い子じゃのう。儂には分かるぞい」

 

 それまで何処か只者ではない気配を漂わせていた僧院長はぱいの純真な様子を見てにこりと笑う。それは自身の言葉でぱいが誘導されたというよりは、まっすぐな彼女の様子に自身も偽るのを止めたことで生まれた笑みだった。

 

「かっかかか!面白い聖魔様も居ったものじゃ!」

 

 呵々大笑と歴史を感じさせる顔のしわで笑みを作り、僧院長は愉快そうに声を上げて笑い出す。

 

「ふむふむ、実に面白いのぉ。どうじゃ、儂と結婚せんか?」

 

 あからさまに冗談だと分かる声色で僧院長はぱいに詰め寄る。

 ぱいは敢えてその冗談に乗り、指を立ててふふんと笑みを浮かべた。

 

「ダメですよ。おじーちゃん、わたしには心に決めた人がいるのです」

「ほぉ接吻した若者かのぉ?」

「……えへへ」

 

 頬に朱が差しながらぱいは体をくねくねさせながら照れる。徐々にではあるが自分が八雲に惹かれているという事を実感しつつあるのだろう。

 

「取りあえずお互いにこれ以上、危害を加える意思はないということで良いですかね。……大丈夫です?」

「あぁ、わりぃな嬢ちゃん」

 

 脇に抱えたマクドナルドをひょいと地面に下し、斗和子が近寄る。崑崙、聖地、三只眼吽迦羅、聞きたいことは山ほど有る。だが、それに勝る疑問が八雲にはあった。

 

「僧院長、先ほどあなたは彼女の額の痣について口にしていた。もしや何かご存じなのですか?」

 

 八雲達が聖地を探しているのはぱいの記憶を取り戻すためだ。正直、記憶がここで取り戻すことが出来るなら、聖地に大したこだわりはないのだ。(ロン)は聖地にて眠りについているという危険な妖怪達の親玉である鬼眼王(カイヤンワン)の撃滅を願っているが、それはぱいの記憶とは何ら関係はない。

 ぱいに危険が及ぶことは極力避けたい。それが八雲の偽らざる本心だった。

 

「チョアンリンリン。……とそれは呼ばれておる。古代の悪しき秘術であり、それを刻まれた者は記憶を封じられ……」

「記憶を封じられて、どうなるんです?」

 

 僧院長が止めた言葉の続きをぱいはせがむが僧院長は黙ったままだ。

 

「ともあれ、解除の呪文を探すことじゃ。解除の呪文はそれを刻んだ術者が知っておるはずじゃ」

「……そうですか」

 

 僧院長のそれ以上は聞いてくれるなという言外の気配にぱいは黙ってしまう。気まずい空気の中、それでも八雲は口を開いた。

 

「なら、聖地の場所を教えてください。これをかけた奴はきっとその近くに居るはずです!俺達なら聖地から遠ざける理由はないでしょう?」

 

「三只眼を崇めるな。三只眼を傷つけるな。三只眼に触れるな。申し訳ないが、それがこの宗派に伝わる教え、三只眼、聖地について儂は一切教えることは出来んのじゃ」

「そ、そんな。そこをなんとか!」

 

 僧院長はなおも言い縋る八雲にただ無言で首を横に振る。信仰心が高いゆえに教えを破ることが出来ないのだろう。宗教感がいまいち薄い八雲だが、僧院長に宿る並々ならぬ意思は読み取れたのか、悔しそうな顔をしながら俯く。

 

(うぅむ。ここで私が捕まえて拷問……なんてのは許されませんよねぇ)

 

 はぁ……と十和子は内心ため息を吐く。十和子の体をじわじわと削りながら蕩けるような声で精神を揺さぶるその拷問は妖怪ですら口を割る。だが、そんな事を人間にするのは流石に今の気性では気が引ける。

 

(資料とか奪うくらいなら許容範囲ですよね)

 

 それ以上、進展が無さそうな会話に興味を失くした十和子は寺院内に足を向けた。騒動が起こった今なら資料室なり金庫やらの警備がおざなりになっている可能性に至ったためだ。

 だが、それは事態が収束したと勘違いしたための緩みだった。

 

「む、ラムバか何処に行っておった!!お前には聞きたいことが!!」

 

 ぱいたちを殺す指示を出した副僧院長ラムバの登場に僧院長が激高する。自分への報告も無しに処刑は越権行為に他ならない。その詰問する声色は高齢とは思えぬほどに張りがあり怒りが込められたものだった。

 

「ラムバ!その態度は何だ!聞いているのか……がっ!!?」

 

 詰め寄り叱責する僧院長だったが、突然の鈍い音とともに呻き声を漏らし崩れ落ちる。

 

「グルルル……」

 

 何事かと駆け寄ろうとした八雲達だったが、その額を見た瞬間、動きが止まってしまう。

 

「……あ、あれは!」

 

 副僧院長の額には先ほどまでは無かったはずの菱形の痣……チョアンリンリンが刻み込まれていた。

 



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第二十四話

 

 副僧院長ラムダは正気かどうかなのか論ずるまでもなく、狂気に瞳を濁らせ口角に泡を張り付けた異様な様子であった。唸り声を響かせ、その手には僧院長の血に染まったナイフを握りしめていた。

 

「チョアンリンリン!?」

 

 菱形の痣のような紋様が副僧院長の額に刻み込まれている。それはつい先刻までは確かに無かったはずのものだ。僧院長曰く、それは相手の記憶を封じる忌まわしい術であるという。

 だが、副僧院長は記憶というよりは人格すらも完全に失っているかのような状態であった。

 

「……あ、あぁ」

 

 チョアンリンリンに動揺を隠せない八雲とぱい。だが急な事態で心が落ち着いていないぱいに対して八雲の体がぶるぶると震え、汗を滲ませており、ぱいよりも動揺しているのが見て取れた。

 

(まさか……あ、あいつが……)

 

 チョアンリンリンを施せる者、それに考えが至った瞬間、八雲の脳内には自分と同じく(ウー)であるベナレスが思い浮かんでいた。妖怪達の盟主である鬼眼王(カイヤンワン)の无。同じ不死とは言えその実力は比較するまでもない。

 

「僧院長様!!」

「近付くな!チョアンリンリンにかかったラムバは正気を失い悪しき術者の良いように操られているのじゃ!」

 

 どう見ても深手を負っている僧院長にぱいや僧達が駆け寄ろうとするが、僧院長はこれ以上の犠牲を出すまいと制止の声を上げる。

 

「るるる……おおおお!!!」

 

 副僧院長は雄たけびを上げるとぱいに向かって短刀を振り上げながら駆け出した。動きは決して早いものではないが、それでも虚を突かれた状態となったためか、誰もがまともに動けないでいた。

 ただ一人を除いて。

 

「……サンプルが増えるは願ってもないですね」

 

 冷淡にそう呟くと斗和子はラムバの前に躍り出る。聖地を求めるマクドナルドと異なり八雲や白はぱいの記憶さえ戻れば聖地に赴く必要はないと考えていた。額の痣に関しての情報は極めて少なく、ようやく術の名前が分かった程度だが、それでもぱい以外にチョアンリンリンをかけられた人物というのは得難い情報源になりえる。

 そう考えて無傷での捕縛を考えていた斗和子だったが、その思惑は外れてしまうこととなる。

 

「ぎ……っ!」

 

 自身の進路を遮るように現れた斗和子に対し、構わず突き進む副僧院長だったが、突然その場で硬直する。更に右目がまるでナメクジの様にニュルニュルと飛び出したかと思うと全身がまるで焼きすぎたウィンナーの皮の様に裂ける。

 

「ぎ、ぎゃあああああああ!!!?」

 

 裂けた皮膚から肉が勢い良く噴き出し破裂する。爆発にも似た破裂音に紛れ、副僧院長の苦悶の断末魔が院内の聖堂に木霊した。

 

「な、なんなの?」 

 

 グチャグチャの肉片へと変貌を遂げた副僧院長に言葉を失うもの混乱するものが続出していた。

 

「……術が不完全な為に体に異常が出たのじゃ……うぅ」

「僧院長様」

「じゃあ、これをかけたのはぱいに術をかけたのとは別の奴か……」

「おそらく……」

 

 人の形で死ぬことさえ出来なかった副僧院長の遺体とも呼べぬ肉片になんとも言えない空気が流れていく。八雲は術者がベナレスで無かったことにほっと胸を撫で下ろしていた。

 

(思えばアイツが来るなら、こんなまどろっこしいことはする必要がないか……)

 

「……」

 

 そして斗和子はチョアンリンリンに対して一つの疑問を浮かべていた。

 

(記憶を奪い相手を意のままに操る術……ぱいさんが記憶を失うだけで済んでいるのは二つの人格を持つためと三只眼吽迦羅(さんじやんうんから)という強力な妖怪のため?でもそれなら術の失敗で体がこんなにも損傷するなんて……)

 

「ぱ、ぱい……殿」

「僧院長!大丈夫ですか!?」

「い、いや……血が止まらぬ、幾ばくも無く儂は死ぬじゃろう……何の役にも立てず申し訳ない……」

 

 重要な臓器または血管を傷つけているのだろう。即死には至るほどではなかったようだが、輸血も出来ないこの環境での救命はほぼ不可能だった。

 

「そんな……あ、そうだわ私達には傷が治るお札があるの!それを使えば……」

 

 それは元々はマクドナルドの傷を癒すために敵である呪鬼(チョウカイ)が作った呪符であるのだが、別に返す必要もないのでそのまま持っていたものだった。

 

「異教の施しは……受けん」

 

 弱々しいながらも、言葉に込められた意志は強くぱい達どころか弟子である僧達も口を噤む。

 

「……儂の背を見てくれ」

 

 溢れる血を拭わぬままに僧院長は僧衣を捲る。弟子たちが手伝いながらもぱい達の眼前に僧院長の背中が露わになった。

 

「こ、これは……」

「地図?」

 

 入梵字や文様、はたまた動物ではなくそこには淡々と情報を残す為に簡略化された地図が刺青として掘り込まれていた。

 

「僧院長様……これは?」

「儂の口から聖地について口にすることはできん……が……ナパルバ」

「……はい」

 

 ぱい達の処刑を最後まで反対していた僧に僧院長は声をかけた。

 

「聖魔様たちを地図の場所にお連れするのだ」

「分かりました」

 

 目元に涙を湛え、ナパルバを恭しく頭を下げる。

 それを穏やかな目で見つめると、更に弱々しくなった声で僧院長は続ける。

 

「地図の場所には我らが長年集めた聖地に関するあらゆるものを納めた聖堂がある。答えを知りたくば自分の目で見て答えを出しなされ………」

 

 僧院長の表情がまるで孫娘を見るような優しいものへと変わる。

 

「……パイどの、現実は……いつも残酷じゃ。……しっかりの」

 

 そう言って僧院長は胸元から手の平大の棒の様な金属の塊をぱいに手渡した。

 

「……僧院長様、これは?」

 

 ヒョッヒョッヒョッ!!

 

 僧院長が残された力で最後の言葉を残そうとした。まさにその時。

 ぱい達には聞き慣れはせずとも、聞き覚えのある独特の笑い声が僧院内に響く。

 

「では地図はこちらで戴いていきましょう!!」

「その声は!!」

 

 呪鬼(チョウカイ)とぱいが叫ぼうと振り返るが、呪鬼の方が行動が早い。

 

唵邪符凍靈龍(オンシィエフゥトゥンリンロン)!!」

「ぱいさん!」

 

 咄嗟に斗和子がぱいの眼前へとその身を躍らせる。左右の五指が爪もろともに伸び斗和子は呪符を切り裂こうと力を込める。だが、それは無駄な努力となった。

 

 呪符は斗和子へと迫る前に弾けドラム缶程度の液体を具現化させる。

 

「なに!?」

 

 鉄板すら易々と切り裂く斗和子の爪だが、流石に液体そのものを切り裂くことは出来ない。多少は払うことが出来たが、それでも少なからず液体をその身に浴びてしまう。

 

「斗和子さん!」

 

 それでもぱいを守りきるのは白面の化身としてプライドからだろう。

 

「くっ!」

 

 液体を浴びたところが見る見るうちに凍結していく。呪鬼は知らぬことだが、炎には滅法強い斗和子だが、元々白面の者が冷気を操らないこと言うことも有り、冷気への耐性はそこまでではない。

 

 そして。

 

 ぱい達が大暴れし、僧院長襲撃と副僧院長の死、さらに呪鬼の奇襲。立て続けに起こった事態に皆の注目は完全にぱい達に注がれていた。

 そんな皆の意識の死角を突くように柱の影から身の丈三メートルの巨躯が躍り出る。

 

「っ!?」

 

 大型のナイフほどもある巨大な爪が事態を呑みこめていない八雲の右腕に奮われる。不死と言えども肉体の強度は人と大差がない八雲の右腕は容易く千切れ、弧を描き吹き飛んだ。

 

「ぐああああああ!!?……うぅ、てめぇは!」

 

「よくやった狼暴暴(ランパオパオ)

 

 傷口を抑える八雲の視線の先には八雲の腕を加えた狼暴暴がゆらりと立ち塞がるように立っていた。八雲に吹き飛ばされた右腕の一本は中ほどまでしか再生してはいないようだが、全身にあった裂傷の数々は既に僅かに傷痕が残る程度にまで治癒されている。

 

「それでは!」

「逃がすか!!」

 

 狼暴暴に僧院長と自分を担がせ、その場を後にしようとする呪鬼だったが、斗和子が体の半分以上が氷に覆われているにも関わらず尾を伸ばす。

 尾は瞬く間に人の胴体程まで太くなり、薙ぎ払うように狼暴暴へと襲い掛かる。

 

「ぎゃぅ!!」 

 

 狼暴暴は甲高い悲鳴を上げるものの、精々が頬を削った程度で呪鬼や僧院長を落とすようなマネはせず、苦々しく斗和子を睨むと大窓をぶち破り逃げて行った。

 

 

 

「すみません。私が至らぬばかりに」

 

 力任せに氷を砕きながら、斗和子は頭を下げた。

 

「いえ、斗和子さんが居なかったらぱいが危ないところでした」

 

 右腕を再生させながら八雲をぱい達に駆け寄る。斗和子が守ったおかげだろう。ぱいに危害が及んだ様子はなかった。

 しかし、僧院長を浚われたのは事実。僧院内の空気は重く暗いものだった。

 

 

 

 

 

 

 若干の肌寒さを感じさせる深夜。八雲とぱいは二人きりで話し込んでいた。それは四年前の八雲とパイが約束を交わし、そしてパイの行方が分からなくなった夜を想起させる。そんな夜だった。

 

「さて、何から話そうかな……」

 

 ぱいの記憶が戻った時、明かすと言っていた自分とぱいの関係を八雲は話すつもりの様だった。

 何故、自分は不死となったのか、そしてぱいと何故離れ離れになったのか。

 

「かつて恐ろしい力を持った三只眼(さんじやん)の王が居た。彼は一族の中でも飛び抜けた力を持ちそして、その力で全てを支配しようとしていたんだ。だが、それ故に一族の者たちによって封印された」

「え……でもわたしは彼がそんな悪い人とは思えないわ」

「だが、現に他の三只眼は鬼眼王に皆殺しにされているんだぜ?」

 

 若干の齟齬は有りつつも、淀みなく会話は続いていく。

 

「……ま、そんなわけで平和になった世の中、パイは大ポカをやらかしちまったんだ」

「大ポカ?」

「……っ」

 

 努めて軽い口調で紡いだ言葉はぱいの疑問符で躓いた。八雲から漏れるような呼吸が響く。

 

「瀕死の俺を助けちまったんだよ」

 

 

「不老不死の術で俺を无にしたんだよ。无は三只眼とて生涯で一人しか生み出せない。ところが、三只眼を守るべきはずの俺にはなんの力も無い」

 

 本来、无とは三只眼が自らを守らせる為に生み出す存在である。強力な術を使える代わりに持続力が無い三只眼の盾であり剣である。鬼眼王ですら自らの无は数多の術を使いこなし強靭な肉体を持つベナレスを選んでいることから、その重要性は計り知れない。

 

「守れなかったんだ」

 

 だが、パイはよりにもよってそんな術を只の人間の怪我を治す為に使った。それはもう戦いは起こらないだろうという絶対の自信が有ったからだ。そして、その平和は束の間のものに過ぎなかった。

 

「俺はパイを守りきれなかった」

 

 八雲は俯いた。その背は妖怪たちに真っ向から挑む姿からは想像も出来ないほどに小さい。

 

「好きな女を守れなかったんだ俺……」

 

 八雲がこの数年、死に物狂いで体術や秘術を学んだのは無論パイを探し、そして守るためだが、そこに自らを罰する意味がなかったと言えば嘘だろう。

 思わずぱいは八雲に抱き着いた。いつもは頼りになる背が今は逆に自分が守りたいと思うほどに震えている。

 

「八雲さん……」

「さて……と」

 

 すっと八雲は立ち上がりぱいから少し離れる。その動きを不思議に思うも、次に続く八雲の言葉がその疑問を吹き飛ばした。

 

「ぱいはここで待っていてくれ。斗和子さんにも残ってもらうつもりだ」

「えっ!?ど、どうして?」

「……」

「危険なのは覚悟の上、それにシヴァの爪だって!!」

 

 狼狽するぱいを尻目に八雲は冷静に首を振る。

 

「俺が君の命を守るように鬼眼王にも命を共にする護衛者が居る。聖地に近づけば近づくほど、そいつにも近づくんだ。鬼眼王が命を預けるに足る不死の従者がね。そんな相手に君を守り切れる自信が俺には無い……」

 

 狼暴暴や呪鬼といった手練れの妖怪との戦い、聖地へと着実に近づいているという感覚。それらが八雲にベナレスの脅威を知らせていた。強くなったこそ分かるのだ。ベナレスの異常さが。

 そんな相手に勝てる可能性があると楽観できるほど八雲は能天気ではない。それにベナレスと戦い負ければ四年もの間、探し求めていたパイを奪われてしまう。八雲はそれを恐れていた。

 

「なーんだ」

「お、おい!」

 

 ぱいは八雲が自分を大事に思っているからこそ遠ざけたいのだと見抜くと満面の笑みを浮かべ八雲に抱き着いた。

 

「そんなに強いんじゃ、ここに残っても同じだよ。……それにね」

 

 お互いに触れ合う箇所から熱が伝わり合う。響く鼓動は相手のものか、はたまた自分か。

 

「女だって……好きな人に守ってほしいんだよ」

 

 新たな温かさが二人の間に生まれ、波紋の様に伝わっていった。

 

 

 




新年早々、スマホが壊れた悲しみ。


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第二十五話

 

 轟々とヘルメット越しにでも煩いほどの風が白の体を叩きつけるように吹き荒れていた。ともすればハンドルから手を放してしまうほどの高加速。だが白はそれを人外の膂力で難なく押さえつけていた。

 凄まじいまでのスピードと暴れるハンドルをまるで愛犬を愛でるように扱うのはその傲慢な態度と相まって非常に様になっていた。

 今、白が駆るのは愛車であるGSX-1100SKATANAではない。だがそれと比べても遜色がないバイクを駆っていた。その名はヤマハVMAX1200である。排気量はKATANAをも上回り、更に当時の技術で出来る最大の馬力を追求した機体である。

 

「---!?」

 

 そんな怪物とも呼ばれるVMAX1200のハンドルを握る白の背中から悲鳴の様な怒鳴り声が上がる。

だが、白は僅かたりとも気にせずVMAXのエンジン回転数を上げる。白の意志に応えるようにエンジンからは唸り声のような音が迸る。これはVMAX愛好家から魔神の咆哮と畏怖をもって呼ばれる特有の音である。

 VMAXの真骨頂はエンジン回転数が6000を越えたあたりで燃料を積極的に導入するVブーストシステムである。このある種、変態的とも呼ばれる機構でVMAXは当時世界最高とも呼ばれた馬力を実現していたのだ。

 

「くっくくく」

 

 そんな外国のタフなライダー達ですら持て余した機体を白はうっすらと笑みを浮かべて操っている。……そう、背中に張り付くように怯えるマクドナルドを引き連れながら。

 何故、ぱい達と一緒に居たマクドナルドが白と行動を共にしているかと言うと、それは彼が命を懸けてトレジャーハントをしている理由である恋人が危篤状態になってしまった事に端を発する。本来ならぱい達と僧院長の背中に彫られた地図の聖堂を目指すはずだったのだが、出発を前に彼の恋人の容体が急変したという知らせが届いたのだ。

 恋人を救うために不老不死を求める彼は居ても立っても居られずにぱい達に一言、謝罪の言葉を送り一路空港へと向かった。なんとなく頼りにならない八雲と危なっかしいぱい。白が居ればまだ気にならなかったろうが、なんだかんだでお人好しなマクドナルドはぱい達が気になって仕方がなかった。

 しかし、それでも恋人の方が重要、まんじりともしない思いを抱えたまま、マクドナルドは搭乗までの時間をつぶしていた。

 そんな中、ふとポケットを漁るとそこには呪鬼(チョウカイ)の癒しの呪符が入っていた。そして気付く、何も自分が戻らなくてもこの符が有れば恋人は助かるのではないかと。

 

 そうなれば話は早い。ささっと郵送の手続きを終えるとマクドナルドはぱい達の元へと戻る為に空港を飛び出し、足を探していると丁度、卸したてのVMAX1200に跨る白に出会ったというわけだ。

 

「良い加速力だ。二人乗りと言うのが少々不満だが、今はそうも言ってられんしな」

 

 そう言うと更にVMAX1200を加速させていく。急いでいるというのも有るが、国家権力を無視して機体の最高速度を出しているということに白は喜びを感じていた。

 

「さて、飛ばすぞ!」

「------!!!?」

 

 

 機嫌の良い白の声と共にマクドナルドの絶叫がVMAXに切り裂かれて行くのだった。

 

 

 

 

 

「奴らも必死だな」

「あぁ、しかし……」

 

 あれから数時間後、白とマクドナルドは無事に聖堂へと続く洞窟内に到着していた。洞窟内には無数のトラップと妖怪達の死体が散らばっている。その様子に白は違和感を感じていた。

 その違和感とは盗掘避けと言うよりは殺傷を目的としたトラップの質と量、そして妖怪達の数だ。

 

「聖地の秘密を守るにしても、ここまでするか?」

 

 何処にあるかも分からない聖地へと導く遺物、確かにそれは非常に有用なものだろう。だが、それは唯一無二のものでは無い。故に呪鬼(チョウカイ)は多数の部下と世界各地を捜索し聖地への痕跡を破壊していたのだ。

 

「散らかっている奴らの死骸と気配からしても相当な数がここに来ている。これほどの戦力を投入する意味はなんだ?」

 

 何百年も聖地の秘密を収集し封印してきたという歴代の僧達の遺物の数は相当だろう。だが、八雲達が持つ聖地への鍵の一つである香炉は古物店に有ったものだ。それ以外の遺物もまだまだあるだろう。確かに重要では有るが、今回の様な総力戦を挑むほどではない。

 

「あんたも気づいたか、俺もここには聖地の秘密なんてもんじゃない。それ以上のモンが有ると思うぜ」

「それ以上のモン……ふっ聖地そのものかな?」

「くく、ハッハハハ!だったら傑作だがな」

 

 トレジャーハンターとして数々の遺跡を盗掘してきたマクドナルドもこの洞窟の異常さに気付いていた。そして白の冗談めかした言葉に思わず腹を抱えて笑ってしまう。

 

「まぁ、それなら聖地を守護すると謳うあいつらが聖地の場所を知らないというのは不自然か……」

(ベナレスが敢えて部下に教えていないという線も有るか)

 

 秘密と言うのは無論、知る者が少なければ少ないほど良い。知る者が多ければ多いほど漏洩の危険は増すし、漏れた時の出所を探るのが困難になるからだ。自身が圧倒的な強者であるベナレスが守護するならば聖地の場所の詳細を部下に知らせないというのは理に適ってはいるが、やはり白の疑念を拭い去る程の説得力はなかった。

 

「ん、音が近くなってきたな。そろそろ合流できそうだぞ」

 

 マクドナルドが声色をやや落とす。その音は熟考する白の耳にも届く。謎は残ったままだが、答えはそこにある。そう考えが至った白は目の前に集中するのであった。

 

 

 

 

 

 

「白様!遅いですよ!」

 

 ぐったりとするぱいを抱えて斗和子が非難の色を込めた声を上げる。その目の前には全身が焼け焦げた呪鬼の死体が転がっており、それ以外の妖怪も悉く息絶えていた。

 

「出遅れたか……まぁ無事で良かった」

 

 どうやら状況を見るに呪鬼達を退け一件落着と言うタイミングで白たちは合流したようだった。

 早く聖堂へと向かわねば呪鬼達に遺跡や遺物を破壊されてしまうという焦りから凄まじい速さで聖堂を一行は攻略したらしい。特に白の化身たる斗和子の尾は人の胴体を軽く上回る太さの炎の尾や散弾の様に岩石を放つ尾に変じさせることも出来る為、逃げ場の無い洞窟攻略には打ってつけだったようだ。現に妖怪達のほとんどは焼けていたり、岩石が全身に突き刺さっている。

 

「そう言えば、坊さんが攫われたと言っていたが……ん」

 

 辺りを見渡す白が壁際に横たわる一人の老人に気付く。力無くぐったりと地面に体を預けるその様子からは生気はまるで感じられない。

 

「……僧院長様、私のせいでごめんなさい」

 

 涙を流しながらぱいは僧院長に手を合わせた。攫われた時に既に刃物による致命傷を受けていた僧院長は既に帰らぬ身となっていた。しかも、その脳を取り出され記憶を奪われた挙句に、体を呪術によって操られるという冒涜的な扱いをされていたのだ。

 呪鬼が死に邪法から解放された僧院長は何処か穏やかな表情を浮かべていた。

 

(……しっかりしなさい、か)

 

 僧院長の最後の言葉。横たわる僧院長を見つめながらぱいは僧院長の最後の言葉を思い出していた。何を思い僧院長がその言葉をぱいに残したのかは僧院長が亡くなった為に伺い知れないが、それでもぱいには何故かその言葉が妙に胸に残っていた。

 

 

 

 

「それでは、私はここで失礼致します。聖堂を守るものとしてこれ以上は行けません」

 

 僧院長の亡骸を整えながらナパルバはそう言った。

 

「ナパルバさん……」

「聖魔に清き光が有らんことを祈ります」

 

 僧院長の亡骸を背負いナパルバは一礼すると去って行く。

 

「……取り残された感が凄まじいな、ところで」

 

 ナパルバや僧院長とのやり取りを斗和子の口伝手でしか知らない白は妙な場違い感を覚えていた。まるで舞台の最後だけを切り抜いて見たようなそんな居心地だ。だが、そんな中でも問い質さねばならない事が一つある。

 

「そこの小娘は私の記憶が定かなら狼暴暴(ランパオパオ)だと思うのだが何故、一緒に居るんだ?」

 

 戦闘態勢にはなってはいないが、ある程度の威圧感を振りまいて白は狼暴暴に変じる前の少女、紅娘(ホンニャン)へと詰め寄った。最初に出会った際はまだしも、二回目に有った時には袈裟に切られているのだ。遺恨が無いわけがない。

 

「うぅ……」

 

 狼暴暴の時ですら一筋縄ではいかなかった白。身体能力が人間の子供と大差ない今の状態では勝ち目は無く、紅娘は威嚇するように呻くことしか出来なかった。

 

「ちょ、ちょっと白さんダメ!」

「……」

 

 剣呑な雰囲気を隠そうともしない白と怯える紅娘の間にぱいが割って入る。衣服はほつれ、体には幾つもの擦過傷が有り、泥や血で汚れているがその眼光はそんな疲労を感じさせないほどに鋭く澄んでいる。

 

「この子は呪鬼に操られていただけなの!今はとっても素直で良い子なの!」

「------はぁ、……まぁ好きにしたらいい。八雲もそれでいいだろ?」

「まぁ……ぱいが良いって言うならいいけどよ。……ちぇ」

 

 梃子でも動かないという意思を見せるぱいに白と八雲は折れた。危険性が全て拭い去られたわけではないが、ぱいが庇う上に、こちらに害意が無い相手を痛めつけるのは本意ではない。

 

「おーい!それよりさっさと聖堂に入ろうぜ!!」

 

 ぱい達に参加せずに本堂周りの罠の解除をしていたマクドナルドが手を振りながら大声を上げる。

 

「今行きます!」

 

 溌剌とぱいは駆けだした。まさに今、彼女は自身の故郷の目の前まで来ている。本能、僅かに残る記憶それが彼女に告げていた。聖地はもうそこだと。

 

 

 

 

 

 自然の洞穴。いかなる術式か聖堂内は淡い光を放ちぱい達を出迎えた。ちょっとした運動場ほどもある巨大なそこには数メートルは有ろうかと言う三つ目の像達が幾つも並んでいる。

 空気はしんと張りつめ、僅かな冷気が身を引き締めるかのようだった。聖堂内は更に幾つかの部屋に分かれており、書物や武器、衣服、家具といった数多の物品で溢れていた。

 

「見た目通りの物ってわけじゃなさそうだな」

「そうですね。武器も妖剣、霊槍染みたものも有りますし、それ以外にも三只眼吽迦羅の意匠が見られます」

 

 興味深げに遺物を見て回る白と斗和子。霊剣を部下に下賜したり、霊具を作ったりした過去がある為、そういった道具を見る目は確かだった。

 

「あ……シヴァの爪」

「うぉ、あんなに探したのに普通に置いてんじゃん」

 

 棚の一角に置かれた複数のシヴァの爪を見て八雲が悲しみの声を上げた。四年間の旅でも一つきりしか見当たらなかった為、貴重かと思っていたがそこまで希少ではない事がここで証明されてしまった。

 

「ん?……ここは」

 

 静謐に満ちた聖堂内を興味深げに散策する一同だったが、やけに開けた場所に辿り着く。地面には複雑な陣が刻まれており、陣そのものにそういった効果が盛り込まれているのか、時の流れを感じさせないほどに明瞭な線で描かれていた。

 

「如何にもな場所だが、少し調べてみるか。斗和子」

「はい」

 

 白に促され斗和子は陣にほど近い場所に荷物を置きマットやらを引っ張り出す。

 

「丁度良いな。休憩しながら調べるとするか」

「コーヒーで良いですか?」

「おぅ、ブラックで頼む」

 

 白の意を汲んでマクドナルドがシートに座る。白やマクドナルドはともかく、何時間も洞窟内で罠やら妖怪やらと奮戦したぱいの疲労は激しい。一時の興奮で疲れを忘れているが、その反動は無視できない。

 

「上手くいけばこの先は聖地だ。休めるうちに休んでおけ。遅れてきた詫びだ。調査は任せてくれ」

「う、うん」

 

 逸る気持ちは有るものの、指摘された事で疲れを自覚したのだろう。ぱいもシートに腰を下ろすと自然と大きなため息が漏れる。

 

「はぁ……うん。なんか疲れがどっと来たかも」

「温かいものどうぞ」

「あ、ありがと」

 

 甲斐甲斐しく皆に飲み物やら軽食を振る舞う斗和子からぱいは温かなお茶を受け取る。

細い喉が僅かな音を立てお茶が流れていく、じんわりとした熱がぱいの胸を広がっていく。

 

「ん、眠いなら少し眠っておけ」

 

 緊張がすっかり解けたのか、ぱいは大きな欠伸を一つすると瞼が急激に重くなっていくを自覚する。そこに頼りがいのある白の声色が加わり更なる眠気に襲われた。

 

「うん、そうする……」

 

 お茶を白へと渡し、ぱいは横になると小さな寝息を上げ始めた。

 

 

 

 

 

 数時間、複雑な魔法陣が敷かれたその中心に白が静かに崑崙の鍵である香炉を置いていた。

 

「しかし、聖地がこことは違う世界とは思わなかったな」

「あぁどおりで聖地とされる場所が無数に有るわけだ」

「鍵もな、だから呪鬼が全戦力で来たんだな」

 

 そう、実はこの聖堂は只の三只眼の遺物を納めていただけではない。聖地へと通ずる門そのものであったのだ。呪鬼はそれを知ったがゆえに門を封ずるために総力を上げて洞窟を攻略せんと乗り込んできたのだ。聖地への門も鍵も単体ではなく、この世界に無数に有るからこそ、マクドナルドを泳がして聖地への情報や遺物を収集させて、その都度破壊したりと手間のかかる方法を取らざるを得なかったのだ。

 

「聖地の守護って言う割にうろちょろしてたのはそういうわけか」

「ま、ご苦労様ってこった」

 

 軽口を叩きながらも準備は着々と進んでいく。そして、いよいよ最後の工程、採生---血を捧げるのみとなった。

 

「この聖堂にある情報からすると、ここが聖地への門つまり崑崙だ。後は血を垂らしゃあ聖地に行けるはずだ。……だが、ここは洞窟だ。前みたいに失敗すりゃあ生き埋めだ」

 

 何度となく繰り返した実験で、この崑崙の鍵は血を垂らすと雷撃を伴った光の柱が天へと昇るというのは一行の誰もが知っていた。それは天空の雲を散らす程の威力であり、屋外でなら被害は無いが……。

 

「それでも良いんだな?」

 

 失敗した場合は只では済まない。ぱい達の答えが分かっていながらもマクドナルドは真剣な様子でそう問うた。

 

「……ええ!やりましょう!」

 

 一瞬の逡巡。しかし、ぱいは力強くそう答えた。

 

 ぱいの返事に八雲も強く頷くとナイフでその左手首を深く切り裂いた。鮮血は関を切ったように溢れ、香炉へと注がれる。

 

 そして-------。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天帝の下界の都

 

 

 

 崑崙の虚に我をおさめ採生せよ

 

 

 

 さすれば鍵は天象を貫き

 

 

 神明の徳に通ずるをもって

 

 

 万物を鬼眼五将の契約に倣い

 

 

 聖地へと導かん

 

 

 

 



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第二十六話

 

 

眩い光と木琴の様な甲高く響く音が香炉を中心に聖堂いや、白達が居る空間全体に満ちていく。

 

「----」

 

 自身かはたまた他の者の声なのかすらも分からないほどに音に埋め尽くされ、その皆の視界は白一色に染まる。それは以前、香炉を使った時とは比べ物にならない程の現象だった。

 

 

 そして突然の静寂。

 眩い光はそのままだが、自身の呼吸音ですら聞こえなくなり、空間が凍ったかのような無音。

 誰しもが想像以上の事態に言葉を失う。

 

「……」

 

 まず一行が感じたのは風。閉鎖空間であった聖堂では感じなかった空気の流れが肌を柔らかに撫ぜ、その肌からは妙に安心する暖かさを感じていた。

 

「ん?」

「ぉ?」

「む」

 

 一行の眩しさで閉じられた瞼が恐る恐る開かれる。

 

 

 

 そこにはあったのは先ほどまで無骨に掘り出された洞穴の岩肌ではなかった。

 

 流れる雲。

 

 澄み渡った高い高い空。

 

 遠くには幾つもの刺々しい岩山。

 

 無数に生える岩の柱。

 

 ピラミッドの様な建造物。

 

 そして、そこには三つ目の意匠。

 

 -----------------------------------。

 

 

 彼らが待ち焦がれた。場所。

 

 そうここは----。

 

 

 

 

 

 

 

 

「聖地だ―――!!」

 

 

 ぱいと八雲、マクドナルドが示し合わせた様に大声を上げる。三人ともが声を喜色に染め、ぴょんぴょんと跳ね喜んでいる。三人ともここまでの道のりが長かった分、その喜びは一入なのだろう。

 しかし、白と斗和子は辺りに素早く視線を飛ばし、危険が無いかを探っていた。

 

「この並んでいるのは何かしら」

 

 浮足立っているのか、ぱいはうきうきと大地に並ぶ石柱に近づいていく。

 

「白様……」

「分かっている」

 

 取りあえず、差し迫った脅威は無い。それが白と斗和子の結論だ。だが、この場の空気が放つ異質さを二人は明瞭に感じ取っていた。

 

「……きゃあ!?」

「ぱい!?」

 

 ぱいは目的の場所である聖地に来られたという昂揚感そのままに石柱の根元から見えた白い何かを掘り出していた。そして掘り出したそれを見た瞬間、ぱいは驚きと恐怖から悲鳴を上げてしまう。

 

「これは……白姉ぇ」

「……墓だろうな」

 

 ぱいが恐怖を覚えたそれは頭蓋骨であった。しかし、その頭蓋骨は人とは決定的に異なる点があった。額にぽっかりと空いた両の眼窩に似た形状。そう、この骨は三つの目を持つ種族、三只眼吽迦羅(さんじやんうんから)の遺骨だったのだ。

 遺骨は石柱の根元に埋葬されており、しかも石柱は数千以上もずらりと並んでいる。

 白と斗和子が感じていた空気、それは死だった。

 かつて幾つもの国を滅ぼし、無数の人間を鏖殺し、数多の妖怪を虐殺し、死を生み出し続けたが故に白達は理解してしまったのだ。聖地の静寂さは荘厳さや神聖さ、はたまた恐怖から生まれる静けさではない。それらの生み出す根幹である命そのものが皆無であるからこその静寂さだった。

 

「え、……こ、これ全部が……」

 

 あれほどはしゃいでいたぱいの声色が冷え切っていく。知識では三只眼吽迦羅は鬼眼王(カイヤンワン)が滅亡させたと聞いてはいたが、やはり実際の目で見る衝撃は大きいのだろう。

 一行は暫く立ち尽くしていたが、何かを思い出したのか、はたまた感じたのか、ぱいが導かれる様にある方向に視線を向けた。そこはかなり遠くでは有るものの、文明的を感じさせる建造物があるのは見て取れた。

 

「なにか思い出したのか?」

「ううん、でも……」

 

 ぱい自身も定かではないのだろう。だが、曲がりなりにも聖地の記憶を僅かでも持っているのはぱいだ。彼女に付いていくように一行は歩き出す。

 

「なんか話せよ」

「無理を言うな」

 

 凍りついた空気に耐え切れずマクドナルドが八雲を突くが、下手な冗談を言えるわけもなく、そして白も斗和子も静かにぱいの後を歩くのみだった。

 

(元々、荒れた土地だったのか、それとも三只眼吽迦羅が滅んだことで荒れ果てたのか……いまいち分からんな)

 

 延々と続く墓標の群れ、僅かに植物は生えているがお世辞にも肥沃な土地とは言えない。聖地と大層な名前の割に荒涼とした土地に白は眉を顰める。風も乾ききっており、大地も干からび無数の罅が刻まれている。それはもう終わりを迎えたといって良い世界であった。

 

 

 

 

 

 

 

 ぱい達が暫く歩くとようやくぱいが目指していたと思われる場所へと辿り着く。そこには神々しい意匠を随所に施された巨大な亀の像が鎮座していた。

 何らかの術が込められているのか、像には汚れや傷はほとんどなく、頭上の陽光を反射し輝くほどだった。

 

「え……?」

「ぱい!」

 

 その像に何かを感じたのか、ふらふらとぱいが近づくと不意に像は陽光とは異なる強い輝きを放ち始める。咄嗟に八雲がぱいの前に立つが、それは杞憂となった。

 

「なに?」

「は?」

 

 珍しく驚く白と間抜けたマクドナルドの声が重なり、徐々に光は一行の前に人型へと収束していく。

 

「こ、これは……」

 

 狼狽するぱいの正面、亀の像の背中には一人の幼い三只眼吽迦羅の女の子が佇んでいた。その輪郭は時折陽炎のようにゆらゆらと揺れており、うっすらと透けている。

 

「魔法陣に組み込まれていた昔の映像かな?多分、三只眼吽迦羅に反応するように出来ていたんだと思うが」

 

 多分だけどねと八雲は言う、三只眼吽迦羅が三百年前に滅亡したという話を踏まえると、少なくとも三百年前以上昔であることは確かだが、そんな大昔の術が未だに生きている事に白達は三只眼吽迦羅の力の一端を感じていた。

 

「でも、この子って……」

「うん、昔の君だろうね」

 

 目の前の少女は幼いという点を差し引いてもぱいに良く似ていた。特に優しげながらも意志が込められた瞳は今も昔もまるで変ってはいない。

 

『ようこそおいでくださいました』

 

 ふいに映像の中のパイが話し出した。ぺこりと頭を下げ、何処か悲しげにつらつらと言葉を連ねていく。

 

『旅する同朋よ。私は四代目パールバティ、天空に白竜舞う年に生まれた最後の三只眼吽迦羅です。本来ならば、聖地にお寄りくださいました貴方様方を歓迎せねばならないところですが……』

 

 そういってパイは辺りを見渡した。

 

『ご覧の通り、恵み豊かな大地と共に生まれた三只眼吽迦羅の長い……長い歴史は終わりを告げてしまったのです。我が未来の夫シヴァと共に……』

 

 夫と言う言葉にぱいと八雲が目を見開いて驚くが、それと同等かもしくはそれ以上の衝撃的な過去をパイは話し続けた。

 

 元々シヴァは優しく、繊細な性格だったこと。

 ある時、一族でも桁外れの力に目覚め、狂暴化してしまったこと。

 一族の暴力を良しとしない者たちとシヴァ達で総力戦が勃発してしまったこと。

 そして……。

 

『この地で、シヴァ―――いえ、鬼眼王をなんとか聖魔石に封ずることが出来ましたが、私を残し一族は滅びました』

 

 そこでパイは深く項垂れた。未来の夫を封じた罪悪感か、一人だけ生き残ってしまった悲しさかは映像からは読み解くことは出来ない。

 

『私もすぐにこの忌まわしい土地を去ります。そして力を捨て【人間】になるつもりです。自分を捨てて他者を守る聖なる力を持つ人間に』

 

 映像が急に揺らぎ、ブレが強くなる。

 

『貴方様方も、どうかこの地の事はお忘れください。……さようなら』

 

 ふっとまるで蝋燭の火が消えるように映像は最初から何も無かったかのように虚空へと消えていった。

 

 

 

 一族のショッキングな話を過去の自分から伝えられ、落ち込むぱいの護衛を紅娘と斗和子に任せ、白と八雲、マクドナルドは遺跡内を散策、と言う名の遺跡荒らしを行っていた。

 

 

「パールバティーか、ヒンドゥーのシヴァ神の妻だったか。ヒンドゥー教自体も三只眼吽迦羅伝説との関わりが有りそうだな」

「だな、まさか歴史上というか神話の神様の由来とは、人生ってのは分からないねぇ」

 

 聖地内の目についた家屋を捜索しながら白、マクドナルドは感慨深げに呟いた。

 

(シヴァは絶対の破壊者とも、創造神、再生神と様々な顔を持つとされている。本当にそんな力が有るというのなら封印は解くわけにはいかない)

 

 伝承とは伝わるごとに知らず知らずに尾ひれが付いていくものだ。特にヒンドゥー教では三柱の神をそれぞれ崇める宗派が有るという。シヴァ派がシヴァを持ち上げるのは当たり前だが、それ以外の宗派でもシヴァは破壊神としての一面を覗かせている。ベナレスが従う相手、伝承の全てが正しく無くとも相当の力を持つのは疑いようがなかった。

 

「そういや、チョアンリンリンで気になることが有るんだよな」

「……」

「チョアンリンリンが不完全なだけで副僧院長は化け物になった。いったい何故なんだ?」

「……そうだな」

 

 八雲の疑問は斗和子から話を聞いていた白も感じていたことだった。

 

「ただの記憶を失わせるだけの術であんな事になるか?」

「妖怪……もしくは複数の人格を持つ相手に対する術とも考えられるが……いや、それなら人間である副僧院長に施す必要すらないか」

「あぁ、何か嫌な予感がするんだよな」

「だな……だが、ぱいに術の副作用は見られない。それに無くした記憶を取り戻せばそれで終わりだ」

 

(私だったらどうする?浚おうとしていた相手の記憶を奪うだけなどとは有り得ない。それこそこちらの言う事を聞くようにするだろう)

  

 散々、悪辣なことをしてきた白が自身に問う。利用しようとする相手が自身に敵意を抱いていた場合は、記憶を奪うだけにするだろうか?それは否である。それこそ偽りの記憶を埋め込む程度はするだろう。その上で最後の最後で本当の敵は自分だったと教えて、その怒りと絶望を啜るだろう。

 

(それか、精神操作か……)

 

 例えばだが、ベナレス達の行動や言動に、違和感や嫌悪感を抱かない様にするなどが考えられる。ぱいが鬼眼王をそこまで敵視しない事からもこの可能性は大いにある。

 

(いや、あまりにもしょぼいな)

 

 しかしながら、妖物の頂点の右腕であるあの男がそんな小さなことをするようには見えなかった。

 

「とりあえずぱいと合流しよう。こちらの世界でもそろそろ夕方……ちっどうやら斗和子が戦闘に入ったみたいだ」

「なに!?」

「あぁ、すぐ向かおう相手は、一人か……何だと!?」

 

 荷物を脇に置こうとした白が突然その荷物を放り投げて走り出す。慌てて八雲とマクドナルドも続くが、その速度はかなり早く、人間の走力を軽く凌駕していた。

 

「白姉ぇ!急に……く、相手は誰だ!」

 

 遅れをとるマクドナルドを無視して无故のスタミナで白はなんとか白を見失わない様に全速力で走る。移動系の術が有れば違うのだが、残念ながら八雲はそんな便利な術を修めていなかった。

 

「……ベナレスだ」

「っ!!くっそぉおおお!!」

 

 突然、ぐんと八雲の速度が上がる。精神が肉体を凌駕したのだ。筋肉繊維がぶちぶちと切れるが、そのたびに再生が瞬時に行なわれる。まさに不死の肉体を利用した无ならではの走法だ。

 守ると、今度こそ守ると近い、そして守ってほしいと言われたはずなのに、その為の力を付けたのに再び自身の手が届かないところで決着がついてしまうのか、そんな悔しさと歯痒さが八雲の体を全開で稼働させる。

 

「間に合えよおお!!」

 

 四年前から八雲を苛む因縁、それを払拭する機会はもう目の前に迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は僅かに遡る。

 過去の己を映した亀の像に背を預け、ぱいはこれまでの旅を思い出していた。二か月間と言う短い期間、色々なことが彼女に起こっていた。それは自身の出自からすれば当然の事だが、記憶を無くし只の女子学生として暮らしていた四年と比較すればまさに激動の二か月間と言えるだろう。

 自分が妖怪である事、そして運命と命を共にする相手が居る事、特にこの二つは彼女にとってはそれまでの価値観を全て吹き飛ばすほどの大きさを持っていた。

 

「ねぇ、三只眼。聞いてる?」

 

 そんな出来事の果てにぱいはここに辿り着いた。もう一人の自身も望む記憶を求めて。

 

「あのさ、いろんな事が分かったよね」

 

 その声は柔らかく優しさが込められていた。三只眼はぱいと違い、微かな記憶を持っていた。大勢いた一族の仲間達や豊かだった聖地の記憶。僅かでもそれが有るからこそ、荒れ果てた聖地の悲惨さ、パイが語った鬼眼王が起こした非道の歴史、それらに強い衝撃を受けていた。

 

「私たちはパールバティ―四世だったんだね。そして……鬼眼王の婚約者。……でもそんなことどうでも良いじゃない。私たちは私たちだわ」

 

 

「もう東京に帰ろ。封印されている鬼眼王は八雲さんや白さんがなんとかしてくれるわ。もう怯える必要は無いのよ」

 

 三只眼を諭すように、そして自分にも聞かせるようにぱいは言葉を紡いでいく。

 

「もういいんじゃない?辛そうな記憶を無理に思い出さなくても……私は今のまま―――――八雲さんが大好きなままの今が良いわ」

 

 その言葉は三只眼だけで無く自分も諭そうとしていることに彼女は気付いてはいなかった。記憶を取り戻したことで今の自分が失われるのではないか、無意識にぱいはそれに恐怖を覚えていた。

 

「っ!!……出てきなさい」

「グルルルル!!」

 

 独白を続けるぱいを静かに見守っていた斗和子と紅娘だったが、前触れもなく警戒の構えをとる。

 

「ど、どーしたの!?」

 

 あまりの様子にぱいは狼狽するが、その疑問は斗和子と紅娘が向ける視線の先を見る事で解決する。

 厳戒態勢の二人を見てもポケットに手を突っ込み自然体で歩く二メートルは有ろうかという筋肉質な長身の男。そしてその体格と加味しても異常と言える威圧感。

 何人をも寄せ付けぬと振りまく畏怖はまさに強者。そして、その額に刻まれた【无】、絶対の不死者の刻印。

 

 鬼眼王の右腕にして代行者、ベナレスの姿がそこにはあった。

 

 



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第二十七話

誤字報告ありがとうございます


 

 紅娘(ホンニャン)と斗和子が素早くぱいを背後に庇う。

 殺意も敵意も無く、ただ立っているだけだというのに思わず膝を折ってしまいそうな威圧感に斗和子は知らず額や背中に冷や汗を流していた。自身が全盛期ならいざ知らず、主と同様に弱体化し、使えなくなった能力すらある現状ではまるで勝ち筋が見えない。歴戦の妖である彼女は瞬時にそれを悟ってしまう。

 そして、ベナレスとは初対面の斗和子以上に紅娘はベナレスの力をなまじ知っているがゆえにガタガタと震えていた。幼げな体躯は弱々しく縮こまり、尻尾も垂れ下がっている。

 

「あ、あなたは……」

 

 二人の視線を追いぱいも自らの状況を悟る。

 額に刻まれた赤い(ウー)の一文字、普段は親しみを感じるはずなのに今はまるで真逆の意味を持つ。

 

「まさに聖者の帰還か……ご苦労だったな化蛇(ホウアシヲ)

「!?」

 

 意味不明な言葉を口にするベナレスにぱいはシヴァの爪を左手に付け臨戦態勢を整える。だが、焦るぱい達に対し、ベナレスはまるで意にも介さず、それどころか親し気な様子ですらあった。

 

「もはや鬼眼王(カイヤンワン)復活は目前、よくぞこれまで三只眼の記憶を抑え続けた。褒めてやるぞ化蛇」

 

 まるで部下を労うような言葉。その言葉は紅娘や斗和子にではなく視線を合わせるぱいに向けられているのは明白であった。

 だが、ぱいにはベナレスの態度や言葉に思い当たる所はまるでない。噛み合わない会話にぱいは訝しむが、同時に心の何処かでベナレスの言葉を肯定する意志が有る事にぱいは言い様のない恐怖を感じ始める。

 

「な、何を言ってるの!?私はぱい、パイよ。パールバティー四世よ!!」

 

 そんな恐怖を払拭するようにぱいは精一杯の大声で虚勢を張る。少しでも時間を稼げば白と八雲が来てくれる。そんな希望に縋る。

 ぱいのそんな思いを込めた声に対し、ベナレスは威圧感を霧散させ、まるで似合わないぽかんと間の抜けた表情を浮かべていた。まるで今の状況が自分が想定していたそれとはかけ離れている。そんな表情だった。

 

「く、くっくっ」

 

 僅かな沈黙の後、状況が飲み込めたのかベナレスはくつくつと喉を震わせた。

 

「よもや、お前まで記憶を失っているとはな、想定外だった」

「な、なによ!?」

 

 ベナレスの言葉にぱいの中で何かが悲鳴を上げる。それはチョアンリンリンの術を見てから無意識に気付かないようにしていた何か、だったのかもしれない。

 

「思い出せ!お前はシヴァが妻、パールバティーでは無い!その体に取り憑いている我が下僕、化蛇だ!!!」

 

 衝撃。まるで頭を叩かれたかのような衝撃がぱいを襲う。無論、痛みは感じてはいないが、その代わりの様に心臓の鼓動が早まり、先ほどとは違う理由で冷や汗が止まらない。

 

「貴様も違和感は何処か感じているはずだ。思い出すがいい四年前を!お前がまだその体に憑りつく前を!!」

「わ、わたしはぱいよ!ぱいなの!!」

 

 押し寄せる不安感と鳴り止まぬ警鐘にぱいは声を張り上げる。それはベナレスの言葉を否定するというよりも自分に言い聞かせるような声色だった。

 

「それはお前が記憶を失ったために人間どもが与えた間違った認識だ」

「っ!!」

 

 ぱいとの会話に集中した為か、僅かに出来た隙を逃さんと斗和子がベナレスに躍り掛かる。

 

「む!」

 

 斗和子は獣の如きしなやかな動きでベナレスの顔面へと右足を放つ。しかしベナレスはまるで意にも介さず虫でも払うかの様な動作で斗和子の攻撃をいなしてしまう。

 だが、斗和子は空中で巧みに体を操るとベナレスとぱいの間に立ち塞がる。

 

「斗和子さん!」

「その子と一緒に白様のところまで!ここは私が……っ!」

 

 逃げてと訴える斗和子の言葉をベナレスの剛腕が遮った。しかし斗和子も只の妖怪ではない。すんでのところで躱した上で尾を伸ばす。

 

「その尾は……あの時の娘か?」

 

 白とそっくりの姿にベナレスは眉を顰める。双子と言って遜色無い二人の容姿に加え、尾を自在に操る戦い方。白を一度しか見ていないベナレスが勘違いするのも無理はなかった。

 

「なるほど……ふむ、見違えたぞ」

 

 斗和子は人の胴体程も有ろうかと言う尾を十メートル近くの伸ばし岩へと変じさせ叩きつける。それどころか避けた方向に合わせ、幾つもの岩の杭が尾から生えベナレスへ向かって飛ばされる。

 岩の杭は銃弾と変わらない速度で打ち出され、妖怪でさえも直撃すれば只では済まないだろう。だがベナレスは岩の杭を巧みな体捌きで躱しあるいは四肢で打ち砕いていく。

 ベナレスがその場から離れるまで続けられた攻撃だったが、ベナレスは掠り傷はおろか、服の解れすらも見受けられない。

 

「やるな、幾つか当たりそうになったぞ」

 

 嫌味にも受け取れるベナレスの賞賛を聞き流しながら、ぱいを背後に斗和子はじりじりと間合いを測る。

 

(戦闘力はとら級と考えて良さそう。……戦況は少々、いやかなり劣勢)

 

 自らの主から聞いていた情報、そして実際に目にしたベナレスの様子から斗和子は最大級の警戒を己に課す。体捌きは相当だが、それに加えてベナレスは古の魔術師としての側面を持ち、しかも不死。今までの動きからはスピードや腕力はとらに譲るだろうが、攻撃の多彩さやそもそも不死という事を考えるととらと比べても遜色はないだろうと判断していた。

 

(まぁとらも不滅と言ったら不滅……と余計なことを考えました)

 

 かつての怨敵の片割れを思い浮かべながら、斗和子は更に攻撃を重ねていく。墓標の群れごとベナレスを薙ぎ払わんと尾を振り、緩急を織り交ぜ両手の爪で襲い掛かる。

 

「くっ」

 

 だが当たらない。それどころか反撃をせずに笑みを浮かべ斗和子の出方を楽しんでいる節すらあった。

 

「そこそこ楽しめた。礼を言おう」

 

 何度目になるだろう。斗和子の振るう腕が、尾が空を切る。そして……。

 

「あ……あぁ、あ」

 

 ふと気づけばベナレスは恐怖で満足に逃げる事も出来なかったぱいの傍らへと移動していた。それを成したのはベナレスの短距離転移術であった。ぱいを積極的に追わなかったのもこの術があってこそだ。ようは斗和子達は遊ばれていたのだ。

 

「貴様!」

 

 ベナレスの舐めきった態度にかつての大妖怪の化身のプライドが傷つけられたのか斗和子は歯を鋭い牙に変容させる。そのまま怒りに身を任せ斗和子はベナレスへと飛びかかる。獣じみたその動きは先までの体捌きの様な清廉さは無いものの、速さと勢いはかなりのものだった。

 

「悪いがここまでだ。三只眼が取り返したくば追ってこい。小僧にもそう伝えるんだな」

 

 再び、ベナレスの体が忽然と消え失せる。後には愉快そうなベナレスの声が空気に響き渡るだけだった。

 

 

 

 

 

 

「申し訳ありません御方様」

 

 地に頭を付け斗和子が平伏する。如何に強敵との邂逅とはいえ満足に時間すらも稼げなかったことを斗和子は恥じていた。ともすれば血が滲みそうな程に頭を地面に擦り付けていた。

 

「……謝るのは後だ。それに相手がベナレスではな」

 

 かつてからすればあまりにも寛容な言葉だが、ここで無駄に士気を減らすのは得策ではない。それに四年前とはいえ白は二人掛かりでベナレスに惨敗しており、ベナレスの尋常ならざる力はその身で覚えていた。

 

「ん……ぱい?」

「八雲?」

「……こっちの方向にかすかにぱいのテレパシーを感じる」

「っそんなに離れちゃいないってことか……」

 

 一点を凝視する八雲はどうやら主であるぱいの思念波を感じたようだった。ぱいが三只眼を自覚して日が浅いせいか、か細くはあるがそれでも八雲へと自身の窮状を伝えんと訴えていた。

 

「っ!?ダメだ途切れちまった。でも、向こうなのは間違いない!」

「行くぞ!」

「はい」

「まぁた走しんのか……」

 

 八雲の言葉を皮切りに皆が一斉に走り出す。常識はずれの速度で走る人外三人に付き合わされる人間一人という図式だが、それでも各々が出せる力の限りその場へ向かって急行するのだった。

 

 

 

 瓦礫、ひび割れた壁、欠けた階段。そして、それらの中心である祭壇にいつの間に裸にされたぱいがふわりとその体を空中に浮かばされていた。

 魔法陣が敷かれ異様な雰囲気を放つ祭壇だが、それよりも更に異質なのは頭だけの三つ目の石像がそれを見下ろすように設置されていることだろう。怒りをこれでもかと表現したかのような異様な顔面はまさに破壊神と言える威容を放っており、見るもの全てに畏怖を与えるそんな石像だった。

 そして、この石像が異様な気配を放つ理由。それはこれこそが妖怪の統治者、恐怖の王、鬼眼王(カイヤンワン)が封印された呪物、聖魔石だからだった。

 ベナレスは封印されし王への献上品としてぱいをこの場に連れてきたのだ。

 

「无にテレパシーを送っても無駄だ。……招かれざる客が一匹いるが、まぁいい。さぁ先ほどの続きだ思い出すのだ化蛇よ」

 

 そんなベナレスの足元には血を流し倒れ伏す紅娘が横たわっている。ぱいを守ろうと必死に転移に付いてきたが、相手がベナレスでは相手が悪い。ロクな抵抗も出来ず痛めつけられてしまったのだ。

 そこで興味を失くしたのか、ベナレスはぐったりとした紅娘を気にすることもなく、更にぱいに術を施していく。それは、記憶を呼び戻す類のもので、実質ぱいに危害が加わる事はない。だが、ぱいの中の何かが思い出すなと警鐘を鳴らし続けていた。

 

「う、あぁああ……!?」

 

 やがて、周りの風景が過ぎ去った四年前と変貌していく。

 

 

 

「ベナレス様、三只眼吽迦羅が見つかったとは本当ですか?」

「あぁ」

「なんたる奇跡、まさか生き残りがいたとは……」

 

 港の一角に腰を下ろすベナレスに竜の様な妖怪と牛鬼の様な見た目の妖怪が話しかけている。人間の世界でも伝承のみしか伝わらない三只眼吽迦羅だが、どうやら妖怪の世界でも相当に希少なのはその会話からも推察できた。

 

「で、如何なされるつもりで?」

 

 三只眼吽迦羅は妖怪の王たる鬼眼王と同一種族、仲間に引き込めれば比類無き戦力ともなるが、逆に敵となれば最も厄介な敵となりうる。

 

「面倒になる前に殺そうかとも思ったが、せっかくの三只眼だ。王復活まで生かして―――――」

 

 

 

「王の滋養になってもらう」

 

 ぎらりとベナレスの目が怪しく光る。確かに三只眼吽迦羅は味方にすれば心強く、敵対すれば難敵である。それは身に秘めた力が絶大であるからこそである。だが、それは取り込むことが出来れば極上の贄ともなる。同じ種族ゆえの親和性も有る。

 

「ならば……」

「うむ、チョアンリンリンを使う。化蛇は居るか!」

 

 ここでチョアンリンリンと化蛇の名が出てきた。そして―――。

 

 するりと物陰から尻尾が三つ股に分かれた蛇が現れる。そして、知性が有るかのごとく、うやうやしくベナレスへ頭を垂れた。

 

「この大役、貴様に任せた。三只眼に何処までこの術が通用するかは分からんが、見事三只眼の意識を封じて見せよ!」

 

 そうしてベナレスはぶつぶつと呪文を唱えると人差し指と中指の指先が輝きだした。そうして頭を垂れたままの蛇の額に指先を押し付けた。

 瞬間、光が辺りを照らす。

 

 光が落ち着くと、ベナレスの指先には小さな菱形の結晶にこれまた小さな三つ股の尾の様なものを生やした何かが引っ付いていた。

 

「え……」

 

 その菱形にぱいは覚えがあった。普段は目にする事は無いが、毎朝、毎夕、鏡を見るたびに己の額にそれはあったのだ。

 

「あ、あれは……じゃ、じゃあ、これが化蛇……」

 

 ふるふると震える手でぱいは額の菱形を撫ぜる。その感触は幾度となく感じた事が有るはずなのに今は得体のしれない恐怖を伴うものだった。

 

「そうだ。思い出したか化蛇」

 

 泡沫に漂う僅かな記憶の残滓、それが少しずつ繋がり始めようとしたとき、ベナレスの声がかかる。

 

「三只眼の意識を封じ、その体を動かしているのは菱形に身を変じた化蛇、お前だ」 

 

 そう、チョアンリンリンとは記憶を封ずる術では無かったのだ。他者に異なる者を取り憑かせ、取り憑いた物が対象者を意のままに操る術だったのだ。

 つまり今、ぱいの体を動かしているのは――――――――。

 

「あ……あ、あぁ!!」

 

 意識体にも関わらずぱいの体ががくがくと震え、喉から拉げた悲鳴の様な声が漏れる。

 ベナレスはそんなぱいの様子をまるで気にすることなく、更に言葉を続けていく。

 

「まぁ俺にも二つの誤算が有った。偶然、見つけた三只眼が白竜天に舞う年に生まれた最強の三只眼、パールバティー、パイだったことだ」

 

 ベナレスは生を受け僅かもにしないうちに三只眼吽迦羅を貪り食うほどの力を持った大妖怪である。その身に宿す力は並みの三只眼ではまるで相手にすらならないが、パールバティーなら話は別であった。鬼眼王の未来の妻というのは伊達ではなく、その力は鬼眼王を除けば最強の名に相応しい。現にチョアンリンリンを掛けられながらも、囚われの身にならなかったのはその証左であった。

 

「かろうじてチョアンリンリンを施し、第三の目を封じたが、こちらは全身を吹き飛ばされ上に再生に一週間以上もかかってしまった」

 愉快そうにベナレスは笑う。自身の失態ではあるものの、白や三只眼との戦いは彼にとっては慮外の娯楽だったようだ。

 

「そうして、私は記憶を無くして、おじいさまとおばあさまに拾われた……」

 

 繋がっていく記憶と事実。ぱいは一つ一つを探るように思い出していく。だが、いまだに信じたくないせいか、自身が化蛇という事実に関しては実感を感じていなかった。

 

「そうして、もう一つの誤算は異なる人格を一つ憑りつかせるチョアンリンリンでは二つの人格を持つ三只眼では不完全だったことだ。パイの意識こそ封じることが出来たが、三只眼は記憶喪失に留まりあげくに化蛇、貴様も記憶を失い自分がパイだと誤った認識をしてしまった」

 

 まるでぱいを射抜くかの如くベナレスの目が怪しく光る。

 

「おかげで貴様、俺に歯向かう気でいるな?」

 

 威圧するベナレスにぱいは震えることしかできない。それは強者であるベナレスに対する恐れなのか、それとも上司の逆鱗に触れることの恐ろしさを化蛇と知っているかは定かではない。

 

「ふ……まぁそれも良い。だが!パールバティーならともかく、その体に憑りついているだけに過ぎない貴様では俺はおろか、この封印状態の王すらも倒すことは不可能!」

 

 そういって口角をわずかに緩め、ベナレスは王が封印されている聖魔石を指さした。

 そこで、ぱいの体に自由が戻る。やれるものならやってみろと言わんばかりのその態度は慢心などではなく、厳然たる事実を物語っていた。

 

(うぅ……鬼眼王は目の前……でもでも……八雲さん、どうしたら良いの)

 

 攻撃しなければと思う心と、この男に逆らうなという相反する心がぶつかり合い、ぱいは動けないでいた。

 そんなぱいを見透かしていたのだろう。ベナレスはぱいに一歩近づき、選択肢を与える。

 

「お前のとる道は二つ、その体のまま俺に付き従うか、三只眼の記憶を取り戻し、俺と王を殺すかだ」

 

 ぱいが返事する暇を与えずベナレスはつらつらと言葉を並べていく。

 

「記憶を取り戻したくば、最小の魔法陣であるシヴァの爪にこう唱えよ!ルドラ・ムシャーテと。さすればすぐに三只眼とパイは復活する!!……ただし」

 

 記憶が蘇る、その言葉にぱいの心が一瞬、どよめくがそれは次のベナレスの言葉で粉々に打ち砕かれてしまう。

 

「パイを復活させるということは貴様が醜い化け蛇へと戻るということだ!!!」

 

 ぱいとパイ、記憶と過去。求めた記憶は本人が思っていた以上に残酷で非情なものだった。

 

 



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第二十八話

 ベナレスに現実を突きつけられ、ぱいは頭を抱えて蹲ってしまう。次から次へと降りかかった事態と現実にぱいの心は悲鳴を上げていた。

 

「わ、私が化け蛇に……」

 

 うわ言の様に呟くぱい、ベナレスはそんなぱいに決断を迫るでもなく。ただ視線を送っているだけだった。それは本人のみが知ることだろうが、もしかすると自分の部下である化蛇(ホウアシヲ)への最後の慈悲のようなものだったかもしれない。

 

「ぱい!!」

 

 そんな中、八雲の怒鳴り声が二人の鼓膜を震わせた。

 ベナレスの実力を八雲も感じているのだろう。その表情や声色には怯えが確かに見え隠れしているが、それ以上にぱいを守らねばという覇気が満ち満ちていた。

 

「てめぇ!ぱいに何かしてみろ!!ただじゃ済まさねぇぞ!!」

 

 八雲は呑まれまいと精一杯の虚勢を張るが、ベナレスは涼しい顔だ。

 

「思ったより早く来たな少年、そしてそこの娘よ。褒めてやるぞ。さて、百の獣魔を操る俺にどこまで抗えるか試してみるが良い」

「おぉおおおお!!」

 

 祭壇の上に陣取るベナレスと八雲、奇しくもその光景は无としての格の違いが表われているようですらあった。

 

「ベナレスの名において命ずる出でよ光牙(コアンヤア)!!」

 

 雄たけびを上げながら祭壇を駆け上がる八雲にベナレスはかつて白を戦闘不能へと追い込んだ獣魔術、光牙を無慈悲に放つ。

 ベナレスの命を受け、ベナレスの右の掌から光る龍の様な獣魔が雄たけびを上げながら飛び出した。

 空気を熱しながら光牙は閃光の尾を伸ばして八雲へと食らいつかんと(あぎと)を開く。

 

「八雲の名において命ずる!出でよ鏡蠱(チンクウ)!!」

 

 しかし、八雲は咄嗟に獣魔術を唱え、光牙を迎え撃つ。鏡面の様な甲殻の背を持つその虫の様な獣魔はその背でしかと光牙を受け止める。すると、あろうことか光牙は己が辿った軌跡をそのまま遡行し、ベナレスへと突き進む。

 

「!!」

 

 その光景にベナレスは目を見開く、どうせ八雲には何も出来ないと高を括った攻撃、その代償は自らの魔術を反射されるという結果に終わる。ベナレスは八雲に手を翳した姿勢のまま光牙の直撃をその身に受けた。爆音が鳴り響く、ベナレスの体はもうもうと煙へと包まれた。辺りに瓦礫が散らばっていることから相当な威力が込められていたことは明白だった。

 

「へ、へへへ……」

 

 反射の際の衝撃で祭壇の下層まで吹き飛ばされた八雲だったが、一泡吹かせてやったと不敵な笑みを浮かべる。

 

「……土爪(トウチャオ)しか使えないと思って侮った。だが、この程度では私の体を砕くことは不可能だぞ?」

 

 しかし、突然の風と共に煙は払われると無傷、いやそれどころか身に纏う法衣すら綻び無くベナレスは涼しい顔を浮かべていた。

 

「……それに、お前の体術も見飽きぞ小娘」

「くっ!」

 

 吐き捨てるように横合いから来る尖爪をベナレスは受け止めた。八雲の鏡蠱は予想外だったようだが、その先、不死ゆえの耐久力で矢面に立ち、その後に奇襲を仕掛けるという策は見事に看破されていた。

 

「无を討つ術を見せてやろう」

 

 静かにそう告げ、ベナレスは両手を頭上へと掲げる。言葉が終わるや否や見る見るうちにベナレスの頭上に光が溢れてくる。

 

縛妖蜘……(フーヤオチ……)

「やめてぇえええ!!止めないと鬼眼王(カイヤンワン)を殺すわよ!!」

 

 ベナレスの術が発動する、まさにその瞬間、パイの絶叫の様な脅しが辺りの空気を震わせた。

 ベナレスも八雲も、傷ついた紅娘(ホンニャン)を応急手当てするマクドナルドも、誰もがその言葉に動きを止め、ぱいに視線を向ける。

 

「お願いベナレスさん。私たちはあなたに抵抗する気はありません。聖地の事も、鬼眼王の事も忘れます。だから、私たちをこのまま帰して下さい」

「……ぱ、ぱい!何を言ってるんだ!?」

 

 ぱいの事実上の降伏宣言に八雲は狼狽する。記憶を取り戻す為に辛い旅を続けてきたのに、それを諦めるぱいの心情が八雲には理解できないでいた。

 

「べ、別に良いでしょ?私はぱい、それは間違い無い。昔の事を無理に思い出す必要なんてないでしょ?」

 

 震える唇を無理矢理に動かし、ぱいは言う。だが、それは未だに受け入れられぬ現実。自身がパイに憑りつく蛇の化け物だと八雲に知られたくないという一心から来るものだった。

 八雲がぱいと自身を呼ぶたびにぱいの心が大きく揺れ、不安が後から後から溢れだす。

 

僧院長(ティンズイン)の死を無駄にすんのかよ!?」

 

 

 

【……パイどの、現実は……いつも残酷じゃ。……しっかりの】

 

 

「……っ!!」

 

 僧院長の言葉がぱいの心に一滴の水を垂らしたかのように染み渡る。思えば僧院長は初めからぱいが、本来の人格ではないことを知っていたのだ。だからこそ、旅の終わりに迎えるであろう残酷な結末を受け入れられるように言葉を残したのだ。

 

 

 

「どうする化蛇よ。小僧の前で本性を晒すか?それとも小僧を説得し我が軍門に降るか?」

 

 鬼眼王が封印されている聖魔石の前に陣取るぱいの傍らに八雲達を放置してベナレスが音もなく現れた。ぱいを説得するその声色に暴力的な色は無く。むしろ諭すような優しさすら滲んでいた。

 

「バラス!ウィダーヒ!!」

 

 やけくその様にぱいをそう叫びシヴァの爪を起動させる。瞬間、ぱいの左手からベナレスの光牙をも遥かに上回る光術が放たれる。爆音という名の咆哮を上げ、それは聖魔石に見事に直撃する。

 

「やった!!……え?」

 

 八雲が歓喜の声を上げるが、それも僅かな間だった。

 光の奔流は勢いそのままに放たれ続けていた。なぜなら、鬼眼王が封印されている聖魔石は未だに無傷ででぱいの攻撃を受け止め続けていたからだ。 

 

「うぅうううう!!!」

 

 ぱいがシヴァの爪に更に力を込める。しかし、聖魔石はまるで変わることなく。そこに佇みつづけていた。

 

「言った通りだろう。パイ、三只眼ならいざ知らず、貴様(・・)では鬼眼王を倒すことなどできぬ」

 

 なんと、鬼眼王は封印された状態でありながら大空の雲すら散らすぱいの光術を受け止めていたのだ。

 どうにもならない事態に涙目になりながら光術を放ち続け、現状を打開せんとするぱいにベナレスは憐憫の目を向けた。

 

「わああああああ!!」

「ぐっ!?」

 

 ベナレスの言葉を否定せんとぱいはベナレスに向かって聖魔石に向けていた光術を放つ。至近距離でロクな防御も出来ず、ベナレスは光に呑みこまれていく。

 

「八雲さん!逃げましょう!」

「あ、あぁ!!」

 

 ベナレスに不意打ちを叩き込んだ。ぱいはその結果に見向きもせずに祭壇を駆け下り、祭壇の中腹の八雲の胸に飛び込んだ。八雲はぱいの行動に驚くも、ぱいを力いっぱい抱きしめ、守るように祭壇を降りる。

 その様子にマクドナルド達も、一時撤退かとその後に続いていく。

 

 しかし。

 

「……化蛇、貴様の考え、よぉく分かったぞ」

 

 祭壇を降りきった八雲達の目の前に風を纏ったベナレスが轟音と共に現れる。汚れ、ほつれが一切見られなかった法衣はぼろぼろになっており、ベナレスの纏う気迫にばたばたと煽られる。

 しかし、その破れた法衣とは裏腹にベナレスの肌には一切の僅かな傷すら認められない。

 

「く、くそ!」

「や、八雲さん……」

 

 怒りを滲ませるベナレスに気圧され八雲達はせっかく降りた祭壇を再び登り始めた。逃げればなんとかなる。そんな考えが余りにも甘い考えだと悟り始めていた。

 

「……うぅ……」

 

 八雲の胸に抱きかかえあげられながら、ぱいは一人涙ぐむ。記憶は未だに曖昧であっても、自分がパイでは無いとの自覚が既に芽生えていた。それでもベナレスや鬼眼王よりも、目の前で自分を命がけで守ってくれる八雲の事をぱいは大切に思っていた。思うようになってしまっていた。

 

(やだ、この温もり、暖かさ失いたくない!)

 

 八雲を守るにはパイを復活させるしかない。だが、それは自分が八雲に正体を明かすということに他ならない。二者択一のいや、ベナレスと言う強者を相手に、選べる選択肢は只一つしかない。それが分かっていながらぱいは身を焦がすような葛藤し続けていた。

 

 

「逃げても無駄だ。潔く……!?」

 

 恐怖をより与えるようにゆったりと歩くベナレスの真上の天井が突如ぶち抜かれ幾つもの瓦礫がベナレスへと降り注ぎ、更に二つの尾がベナレスを打ち据える。

 

「ぐぉおおお!?」

 

 純白よりもなお白く、美しいとすらいえるその尾は外見とは裏腹に、圧倒的な暴力でベナレスを蹂躙する。

 

「はっ!」

 

 それに合わせ斗和子がベナレスの胸元まで近づき、鋭い爪を一閃させる。四本の赤い筋がベナレスの厚い胸板に刻まれ鮮血が迸る。だが、ベナレスは直前に体を後ろに逸らしダメージを軽減させてたい。そればかりか斗和子を迎撃せんと左手を大きく振りかぶる。

 

「無駄だ!……む!」

「っ!」

 

 カウンターを加えようとしたベナレスの眼前に岩の様な尾が迫り、カウンターを許さない。ベナレスも卓越した体捌きで尾を避け、斗和子とベナレス二人の間が離された。

 

「なるほど……外見や能力が同じだから本人と思っていたが分身、化身の類だったか……こう見ると髪の色が違うのだな」

 

 茶髪を風に遊ばせる斗和子の脇に純白の髪を靡かせた白が並ぶ。整った容姿を持ち、瓜二つの彼女たちが並ぶと瓦礫の山であってもまるで絵画の様な荘厳さが生まれていた。

 

「勝手に勘違いしたのはお前の方だ。それを逆手に取ろうと思ったが……やれやれ」

「わずか四年でそこまでの化身を生み出せると誰が思うか……だが、良くここまで成長したと言っておこう」

 

 かつて敗れた相手を前に臆することなく対峙する白にベナレスが抱いた感情は賞賛だった。あくまで上から目線の傲慢に満ちた賞賛だが、妖怪達を総べるベナレスの格はそれに相応しい。

 

「八雲達が逃げる時間を稼ぐ」

「仰せのままに」

 

 ぶわりと白の髪がざわめき、一本の尾がベナレスへと向かう。かつての焼き直し、だが今は四年間の経験と鍛錬がその尾には込められていた。

 

「鉄の尾よ!!」

 

 白の言葉を受け、見る見るうちに純白の尾は金属の光沢を煌めかせる尾へと変貌しベナレスを強かに打たんと空気を唸らせる。

 

「ぐぬっ!!」

 

 四年前より、そして斗和子のそれとは明らかに威力が段違いの暴力を秘めたそれはベナレスを打つ。防御の為にベナレスは両腕をかざすが、それさえも意に介さんと鉄の尾は防御ごとベナレスを振り抜いた。

 振り抜かれた勢いそのままにベナレスは壁へと激突し、無数の瓦礫に体を覆う。

 

「焼き尽くせ!」

 

 斗和子は尾を火の粉を振りまく灼熱の炎へと変じさせ、瓦礫に埋もれるベナレスへと叩きつけた。

 空気が瞬く間に熱せられ、岩もじりじりと焦がされる。十メートル以上も離れた白でさえ熱波に眉を顰める。白は熱を肌に感じながら斗和子の尾を注視していた。

 

「この程度で焼く尽くせると思っているとしたら、片腹痛いな」

「がぁ……!?」

 

 ベナレスの苦笑と共に斗和子の炎の尾が散り散りに吹き散らされる。劫火はひらひらと花弁のように舞いながら消えていき、そしてその様子に目を見開いた斗和子の腹部にベナレスの右拳が深々と突き刺さる。 

 

 

「斗和子!!」

「次は貴様だ!」 

 

 己の口から迸る血の池に沈む斗和子に白は駆け寄ろうとするが、それを阻むようにベナレスが迎え撃つ。いつの間にかベナレスの全身の筋肉は肥大し、そればかりか見る見るうちに打撃痕、皮膚の火傷が再生していき、ダメージを負わせたはずが、むしろ活力に満ちていく。

 

「ハハハハ!!」

「ぐぅうう!」

 

 哄笑と殺意を乗せ、ベナレスは白を攻め立てる。放たれる拳打は鋭く掠っただけで白の肌が削られ血が迸る。蹴りはまるで太刀の切れ味を持つ斧。直撃を避け受け流しても白の骨の髄までその衝撃は突き抜けた。

 だが、それでもなお白は倒れない。敵意と闘志を漲らせた視線をベナレスの赤い瞳へと向け続ける。

 

「むぅ!」

 

 幾つかの攻防の後、曲芸の様に白は体を捻り髪を幾重にも束ねてベナレスを締め上げる。ベナレスを包んでなお余りあるその毛量は以前ベナレスに挑んだ時をも上回り、質も向上している。

 

「いつの間に準備していたか、だが僅かたりとも通用すると思っていたら、見た目通りに可愛いやつよ」

「――――っ!」

 

 ぶちぶちと自らを締め上げる白の髪を引き千切りながらベナレスは笑みすら浮かべ白へと語りかけるが、白はベナレスとは対照的に歯が砕けんばかりに力を込めて抗わんと奮闘していた。

 その数秒後、ベナレスを中心とした衝撃波とともに髪の拘束が破られる。

 

「久方ぶりに楽しめたが、終わりだ!」

 

 白の首を吹き飛ばす勢いでベナレスの拳が振り上げられるが、それでも白は二本の尾と体を巧みに使い衝撃を逸らす。しかし度重なる猛攻からの疲労か、ついにその膝から力が抜け大きな隙を晒してしまう。

 

「光牙!」

 

 四年前、白が手も足も出なかった獣魔術が再び放たれる。

 光り輝く竜は白を消し飛ばさんと一本の線の様に突き進む。

 

「あやかし!」

 

 その軌道に白は尾を化身の一つたるあやかしに変え差し向ける。

 

「ふん、愚かな」

 

 バカの一つ覚えに尾を使う白にベナレスは憐憫すら込めた視線を向けた。

 秘術とも言われる希少な獣魔術の中でも光牙は上級獣魔に区分される強力な術である。それをベナレス程の術者が扱えば生半可な防御など紙同然に吹き散らせる。

 瞬きすら霞む速度で光牙はあやかしを食い破らんと激突する。爆発、あるいは貫通するであろう。ベナレスはそう予想していたが、ベナレスの禍々しい赤い双眸は予想外の事態に大きく開かれることとなった。

 

 ぬるり。

 

 そんな擬音がぴったりと当て嵌まる動きで光牙はあやかしの表面を滑り見当違いの方向へと飛んでいく。

 白面の者の尾が一つ、あやかしの表皮は雷や炎すらも逸らす粘液で覆われているうえに強靭で牙や刃。果ては破邪としては最大級の霊槍、獣の槍すらも受け流す特別性である。何の対抗策も無しに易々と破れるほど軟ではない。

 

「は?」

「愚かなのはお前だったな」

 

 八雲に光牙を反射されたにも関わらず無策で光牙を放ったベナレスの慢心を白は嘲笑う。ここまで追い詰められながらも白は尾の特殊な力はほぼ見せてはいなかった。岩に変えたり、鉄に変えたりなどは見せたが、あくまでも力押しの単純な力しか見せずに戦っていたのだ。

 それはここぞと言う時に畳みかけるため、現に思いもしなかったあやかしの能力にベナレスは呆気に取られてしまう。

 

「葛葉白が命ず、出でよ雷蛇(レイシオ)!」

 

 さらにここに来て、今まで隠していた獣魔術を解禁する。その身を雷で形作る蛇は白が指差す先のベナレスへとその身を絡ませ、渾身の雷撃を隅々まで流し尽くす。

 

「な、にぃいい!!!ガァアアアア!!」

 

 必殺を確信した一撃を防がれた事、そしてこんな局面まで手札を残していた事を思わずベナレスは感心してしまう。圧倒的な強者ゆえの慢心から生じたベナレスの隙。それは手痛い反撃と言う形でベナレスを襲う。

 例え妖怪、そして不死と言えども体を支える骨、外界を見る目、思考を司る脳は有る。そして体を動かす筋肉も存在している。その筋肉は雷蛇の強力な電撃によって収縮し、ベナレスの意志に反して思わぬ動きをしてしまう。

 

「グオオオオオ!!?」

「慢心が敗因と知れ、葛葉白が命ず、出でよ縛妖蜘蛛(フーヤオチチウ)

 

 まさに先ほどベナレスが八雲が无を討つ術と称した獣魔術、それがベナレスを封印せんと襲い掛かった。




飞顎の声優さんはワラキアの夜やエテモンの声の方と知って驚いた記憶が突然甦った。今日この頃。


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第二十九話

縛妖蜘蛛(フーヤオチチウ)!!」

 

 白の高らかな声とともに数メートルはあろうかという巨大な蜘蛛が姿を現した。

 

(不死の相手を倒すことは不可能、だが対処法が無いわけではない)

 

 己が不滅の存在だったからこそ、白にとってその対処法を考えるのは容易だった。不死の存在を無力化する方法、それは異次元への放逐もしくは封印が挙げられる。

 ベナレスはいずれ八雲と自分が戦う相手、ただ倒すだけでは足りない。パイを捜索する傍らで白は斗和子とともに各地の秘術などを収集していた。大抵は眉唾物であったり、低級の妖怪にも通じない稚拙なものであったが、その中には確かな本物が存在していた。

 それが封印用獣魔術、縛妖蜘蛛であった。術の作成者は封印対象であるベナレスではあるものの、古の魔術師が作ったその術の力は本物。妖怪や无が使用することを想定した術であるため、相応の力が必要だが、そこは白。問題無く使えていた。

 問題を敢えて挙げるならば獣魔の卵は非常に希少であるため、四年の捜索で八雲が見つけたものと合わせて四つしか発見できなかったことであった。元々が人間であるため決定打に欠ける八雲に譲るべきだったと白はやや悔やんだのだが、それは別の話である。

 

「ぐぉおおおお!!」

 

 縛妖蜘蛛がベナレスを封印せんと押さえつける。シュルシュルと封印術が込められた蜘蛛の糸がベナレスの体へと殺到する。

 大抵の妖怪ならこの状態で封印に抗うことは出来ないだろう。だがベナレスは大抵の妖怪ではない。

 幾何もしないうちに縛妖蜘蛛はベナレスの光術を受けその身を爆散させる。

 

「……はっ」

 

 思わず白の喉奥から笑いのような呼気が漏れた。それは完璧だと思った策が通じなかった諦め――ーではなく、出来る限りの策を講じてもここが限界という己の予想がぴたりと的中してしまった事によるものだった。

 

「ふっ獣魔術まで操るとはな。身体能力もそうだが手数の多さは目を見張る」

「お褒めに預かり光栄だ」

 

 無防備にだがしっかり白の動向に目を配りながらベナレスは白の目の前まで近づいていく。

 

「逃げないのは、この会話すらも時間稼ぎに使っているからか?」

「そうだ。と言いたいところだが……やれやれ」

 

 ベナレスの封印すら成せない以上、白は話術そして命すらも捨ててパイ達を守る決意を固めていた。既に自分が殿を務めた場合は後から追いつくから先に逃げろと、皆にはそう伝えていた。

 

「白姉ぇ!!」

「ガゥウウ!!」

「こんちくしょう!」

 

 八雲が狼暴暴(ランパオパオ)こと紅娘(ホンニャン)が、マクドナルドが各々の声を上げて走り寄る。白が命を懸けてベナレスの足止めをすること、それを八雲が察したのだ。

 

「まったく馬鹿どもが……」

 

 呆れとどこか嬉しさを滲ませ口角をほんのりと緩めると白は再び敵意を剝き出しにしてベナレスへと再度、攻勢に打って出る。

 敗色濃厚。されど自分たちの大事なものを守るために、四人はベナレスに立ち向かう。

 

 八雲が先陣を切ってベナレスへと走り出し、紅娘の可愛らしい容姿が見る見るうちに巨大な人狼へと姿を変える。マクドナルドはナパルバから譲り受けた食妖虫(シヤオチュン)をベナレスへと投げつける。

 

「……ふん」

 

 活力を漲らせる白とは打って変わってベナレスは呆れるように鼻を鳴らす。雑魚でもある程度群れれば楽しめるが、自らが認める強者との戦いに割り込まれるのはベナレスにとっては不愉快極まりない。

 白の実力がベナレスの興味を引く程度には強かったのが、八雲達にとっての不幸だった。

 

「邪魔だ!!」

 

 ベナレスが無造作に右手を払う。

 

「うわああああ!」

「ぐぅ!」

 

 術を込めずとも突風が吹き荒れ只の人であるマクドナルドと不死とはいえ体格は並み程度な八雲は石壁へと叩きつけられてしまう。

 

「雑魚が!貴様も邪魔だ!」

「ぎゃああああ!!?」

 

 ベナレスを組み伏せ引き裂こうとする紅娘だったが、瞬く間に全ての腕を圧し折られ痛みから絶叫を上げる。

 

「はっ!!」

 

 そのまま、紅娘へと更なる攻撃が加えられる寸前、態勢を立て直した白がベナレスへと殴りかかる。

 

「いいぞ、多少消耗しているが、それでもお前が一番強い」

 

 上から目線の賞賛の言葉、だがそれは絶対的な強さを持つベナレスが口にすれば受け取る側には誉れとなるだろう。

 だが、それは同時に自分には絶対にお前は勝てないという死刑宣告に等しいものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう一度、問う」

 

 静かにベナレスはそう口にした。

 彼の手には首を締めあげられた白と頭を足で踏みつけられ、内臓をぶちまけた八雲、そして血まみれのマクドナルドと紅娘が倒れ伏し、少し離れたところで口から大量の血を吐いた斗和子が横たわっていた。

 そんな一行を一瞥もせずにベナレスは射貫く様にぱいを睨み付けていた。

 八雲に逃げろと言われたぱいだったが、それで逃げられるほどぱいは薄情ではない。自身の正体の事もある。思考が定まらないぱいは、戦いの轟音が鳴り止むとふらふらと八雲達の元へ戻ってきたのだ。

 

「我に従いこ奴らを助けるか、それとも我に背き貴様も死ぬか?」

 

 ぎろりとぱいを睨み答えを待つベナレス。それは言葉にせずとも最後の問いであることは明白だった。

 急かさないのは温情なのかは定かではないが、その間にもベナレスの傷は見る間に癒えていき、もはや僅かな勝機すらも伺えない。

 

三只眼(さんじやん)を起こしてみるか?それも良いだろう。だが貴様は三只眼に取り憑いた化蛇(ホウアシオ)であることを忘れるな。お前はこ奴らの敵だ。命は無い。もっとも――ー」

 

 そこでベナレスは八雲の頭を踏む力を強める。

 

「ぐぁ!」

「こいつらの前で醜い本性を晒す度胸は貴様に無いだろうがな」

「がぇ……」

 

 白も更に首を締めあげられ呻き声を漏らす。

 

「に、げ、ろ」

「ぱい……にげ……」

 

 か細い声で白と八雲がぱいを逃がそうとする。

 だが、皮肉にもそれがどうしても越えられなかった最後の境界をぱいに越えさせる後押しとなった。

 

 

 それまで恐怖に震えていたぱいの体の震えがすっと消え去った。

 

 淀みなくベナレスへ近づく足には今までの恐れはただの一つもない。

 

 諦観か悲観か、その瞳からはさらさらと美しい涙が溢れ流れる。

 

 ベナレスの眼前までたどり着いたぱいはその足元で流れるように傅いた。

 

 

「ずいぶんと物分かりが良いな化蛇」

 

 ぱいの所作に諦めを感じたベナレスは少々の物足りなさを感じながらも目的を達したと判断する。

 

「四年前……記憶を失った私はおじい様とおばあ様に拾われました――――ー」

 

 ぱいはそこで訥々と昔話を始めた。

 記憶喪失の後、拾われた先でどんなに優しくされたか、そして知り合った大切な友人達との思い出。

 それは妖怪とは無縁の、温かな人間の思い出であった。

 只のお喋り、放課後の帰り道。そんな日々の暮らしの中で埋没しそうな小さな、小さな思い出達。

 

「それがぱい()の宝物でした。ピッカピカの宝物でした」

「ぱい?」

 

 ベナレスの足元に転がる八雲へぱいが近づいた。血に塗れた八雲に抱き着きぱいは更に涙を流す。

 

「ありがとう八雲さん。幸せだったけど、何処か物足りない。ずっと心にそれが引っ掛かっていた。それを八雲さんと白さんが教えてくれたの……」

 

 

 ……それがきっと。

 

「聖なる力」

 

 ぱいはパイではない。だが、それでもパイの記憶は確かにぱいの中で漣のように常にぱいの心を動かし続けていた。鬼眼王(カイヤンワン)との因縁、それを果たすのはぱいではない。だが、それでもパイの言う鬼眼王のそれとは違う聖なる力の意味をぱいはしっかりと理解していた。

 他者を虐げる圧倒的な暴力ではない。他者のために自分が泥で汚れることも厭わない思いやりの力、それがパイの聖なる力。

 

「ありがとう白さん、八雲さん」

 

 にこりとぱいは笑う。

 

「……ん」

 

 逃げろと再度叫ぼうとした八雲の唇が温かく柔らかいぱいのそれに塞がれた。

 

「さようなら」

 

 八雲の血に顔を汚し愛おしそうに彼を見つめ、それとは真逆の決別の言葉を淀みなくぱいは口にした。

 先までのともすれば今にも消えてしまいそうなぱいからは決意の様に力が噴き出した。借り物の体といえ、それは最強の三只眼(さんじやんうんから)そのものだ。

 その様子にベナレスは己が部下である化蛇が何をしようとしているのかを理解し怒気を露わにした。

 

「私は私、あなたには従わないわ!」

 

 強い意志を込めぱいは雄たけびの様に叫ぶ。シヴァの爪を身に着けた左手掲げ、ゆったりと澱みなくぱいからすれば破滅の言葉を呟いた。

 ベナレスはそれを止めんと三人を纏めて封じるために縛妖蜘蛛を繰り出すが、ただ唇を動かすぱいにそれはあまりにも遅い動きだった。

 

 

 

「ルドラ・ムシャーテ」

 

 それは四年前の焼き直し。ベナレスとぱいの激突は眩いばかりの光に包まれ白く白く辺りを染め上げる。光とともに空間自体が揺れ、祭壇どころか建物自体を崩壊させていく。

 光の中心である三つ目の少女の額から菱形の結晶がするりと抜ける。そこには三又の蛇の尾が生えていた。

 

 

(もう一度……みんなと原宿で遊びたかったなぁ……)

 

 徐々に蛇の姿に戻りながら化蛇は自身がぱいで在った事を惜しむように懐かしむように叶わぬ思いを願う。

 やがてその願いも姿も光に呑まれていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 瓦礫の山、タクヒの背に乗り三只眼は八雲に暫しの別れを告げていた。

 

「な、なぁどうしても行くのか?山ごと吹き飛ばしたのに鬼眼王の行方が気になるのか?だったら……」

 

 ようやく再会したというのに離れようとする三只眼に八雲は食い下がる。四年前とはまるで違う、術も経験も身に付いた今なら並みの魔物なら自分の相手にはならない。そんな確かな強者となったのはパイを守るためだ。それなのに置いて行かれるのは八雲からしたら心外だった。

 

「いや、そうではない。チョアンリンリンの影響でパイがまだ目覚めぬのじゃよ。静かな聖地で寝た子が起きるまで儂はこちらで静養するつもりじゃよ」

 

 慌てる八雲に三只眼は諭すように穏やかな口調で話す。そんな三只眼に更に八雲は捲し立てようとするが、三只眼の話す内容に違和感を覚えた。

 

「……目覚めない?ぱいはパイの記憶を失ってただけだろ?それならアンタと同じじゃ……」

 

 喋りながら八雲の背筋に知らず冷や汗がどんどんと流れていく。チョアンリンリンの失敗を目にした時から考えまいと無意識にしていたそれに、ようやく目を向ける時が来ていた。

 

「お前とここまで旅をしておったのは……」

 

 そこで三只眼は少しばかり息を吸う。見れば八雲は落ち着かずに肩を震わせている。

 

「パイ、ではない。儂に憑りついておった者じゃ」

「……え?」

「チョアンリンリンによりパイは眠らされ、儂もディスコまで眠っておった。眠りから覚めても記憶は失っておったがな」

「それなら……」

 

「あいつは、あいつは何処に行ったんだよ!!」

 

 不安を誤魔化す様に八雲は叫んだ。三只眼に掴み掛からんとするその勢いはぱいに対する八雲の思いの強さそのものだった。

 

「あ奴が儂ではなく残念だったか?」

「う……」

 

 図星を突かれたのか八雲は口ごもる。

 

 夢にまで見た四年ぶりの再会。

 

 かつてとは違い今度は守る力を得ていた。

 

 一緒に旅が出来た。

 

 思いが通じ合った。

 

 

 それは四年前のあの日に止まってしまった時がようやく動き出した。そんな気がしたのだ。

 

 

「東京で待っておれ、また会おう」

 

 八雲の消化できない思いを察したのだろう。三只眼は普段の尊大な態度が嘘のように優しく微笑み去って行くのだった。

 

 

 

 

 東京、とある総合病院にて。

 

「先生!!」

 

 繁華街の喧騒も落ち着き始めた夜中の病院内で騒ぎが起こっていた。急患、入院患者の急変。命を預かる現場では珍しくもないが緊急事態であるはずのそれは、今回に限っては毛色が違っていた。

 

「どうした?」

「405の患者が意識を取り戻しました!」

 

 

 

 405号室。

 

 医者、看護婦が何人もがその部屋を往復し、検査結果とにらめっこをする中、その患者の家族あるいは友人たちが病室のベッドでぼんやりとしている少女を涙と笑顔を浮かべながら見つめていた。

 少女はやがて微睡から徐々にその意識を覚醒させていく。

 優しげなたれ目の容姿におとがいはすらりと綺麗な弧線を描く。鼻梁は高くも低くもないが整いながらも柔らかに眉間へと続いた。髪は絹糸のように細く温かみのある茶色。

 少女の名前は綾小路葉子。数か月前に原宿のディスコの謎の爆発に巻き込まれ、今まで意識不明であった少女である。

 

「あ、あれ?み、みんな……?」

 

 友人たちと家族を見渡し葉子は混乱しているのか首を傾げていた。

 

「わ、私は蛇に……?蛇……?」

 

 震える唇からは意識を失う前に思っていたことが漏れるが、その意味を葉子は知らない。

 

「?」

 

 そこで葉子は自分の手に布と石を合わせた不思議なお守りの様な物が握られていることに気付くが、それが握られている理由も、正体すらも記憶には無い。

 

「これは……あれ?何だっけ……何だろう」

 

 うっすらと大事なものだったような気がする。葉子はそう思ったが、そんな思いも意識がはっきりしていくのと反比例して消えていく。

 

「ほら、八雲って人からも花束来ているよ。コレ、誰なの?」

 

 やがて友人の一人が両手に溢れるほどに大きな花束を葉子に見せる。花束には差出人の名前が記されている。

 

 

「ヤ・ク・モ」

 

 

 聞き慣れた。なのに名前の人物の顔はまるで思い至らない。

 だが、その名は葉子の心の何かを確かに震わせる。大切な、大切な記憶。そしてそれと同じく位の罪悪感と悲しさ。複雑なそれは葉子の心を波紋の様に繰り返し、繰り返しざわめかせるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「達者でな化蛇(ぱい)

 

 

 夜空に浮かべた飞顎(フェイオー)の背から三只眼が優しく微笑んで消えていった。

 

 

 

 

 

 

「ヤクモ……か」

 

 

 季節は巡りようやく春の足音が聞こえてくる中、綾小路葉子はその名前を口にした。その名前の人物は幾度も思い出そうとするがまるで記憶に無い。でも、名前を口にすると何故か愛おしく、懐かしい。

 

「どうしたの?」

「ううん、なんでもない。でも、素敵な名前だなぁって」

「そう?」

「うん、そんな名前の彼氏が欲しー、なんてね」

 

 あはは、と友人達と他愛無い放課後を綾小路葉子は過ごす。それは最後の願い、そのままの光景だった。

 

 

 

 

第二章 完




第二章はここまでです。
……これで五巻ってどういう事ですか?原作は四十巻も有るということに恐怖すら覚えます。

原作では一章とは異なり二章は終始ぱいがヒロインというのが印象的でした。情けなかった八雲が頼もしくなりぱいを守る様はとても引き込まれる物語でした。

化蛇の最後は本当に感動したのを覚えています。思えば3×3EYESに本格的にハマったのはここからだった気がします。
ここからは以前ほど更新が滞らない様にちょくちょくと投稿できればと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


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第三十話

 三只眼吽迦羅(さんじやんうんから)

 容姿美しく、不老にて三つの目を持つ妖怪也。

 人の命を食らひ、不死となしこれを使役す。

 

 

 

 

 

 しかしながら、其の望み。

 

 

 

―――人になるという事といふ――――。

 

 

 

 

 

 

 

おぎゃあ、おぎゃあ。

 

 泣き声が幾度となく繰り返される。可愛らしい腕が、柔らかな足が弱弱しくもその身に宿る命を表している。

 

おぎゃあ、おぎゃあ。

 

 何度となく泣き声は途切れることなく続けられ、滑らかで清らかな白磁の様な肌がぷるぷると揺れている。

 

おぎゃア、おぎゃア。

 

 白く長い長い尾が天地を裂かんと力の限り振り上げられる。

 

おギャア、おギャア。

 

 無数に生えた岩のような牙の間から噴火の如き火が溢れ出す。

 

オギャア、オギャア。

 

 己に向けられた恐怖と憎悪が全身に巡り悍ましいほどの万能感に満たされる。

 

 

オギャアアアアアアアア!!!

 

 全身は余すことのない白色。他者を微塵も信用しない研ぎ澄まされた瞳。悪意をこれでもかと捻じ込んだ笑みを浮かべる口元、そして一本一本が大河にも匹敵する大きさの尾が九本。

 狐に似ていて、そして狐とは遥かにかけ離れた存在感を持つ絶対の陰の極限たる大妖怪。

 その名は……。

 

 

 

 

 

 

「っ!!?」

 

 掛け布団を跳ね除け、白は飛び起きた。

 寝起きとは思えない乱れた呼吸を繰り返すと白は恐る恐る自らの腕に視線を向ける。華奢でいて柔らかさを宿す五つの指、産毛一つもない滑らかな肌。男からは垂涎の、女からは羨望の眼差しを向けられる腕がそこにはあった。

 次に白は髪に手を伸ばした。一切の抵抗が無い茶色い艶やかな髪が視界をちらちらと横切る。

 徐に白は立ち上がると部屋の出口付近に据えてある姿見へと足を向ける。

 目を瞑り白は姿見の前に立つ。息は先ほどよりも整っているが、それでもまだやや荒い。そのまま白は数分、そのままの姿勢を維持していた。

 やがて決心が付いたのか白は両の目をしかと開き、鏡を見やる。

 

「は、はは、はぁ……」

 

 鏡の中にいたのはもう二十年以上慣れ親しんでしまった井上真由子にそっくりの自分が疲れ切った顔でこちらを見つめている。思わず乾いた笑いと安堵の吐息が漏れ、白はふらふらと再びベッドへと向かうとぼすんとベッドへと体を預けた。

 

「……情けない」

 

 聖地からの帰還後、白は毎晩のように先ほどの様な夢を見ていた。ある程度のバリエーションはあるが、そのどれもが白面の者に戻るという結末であった。

 夢にこれほどまでに憔悴するということはかつての姿を忌避し、なによりも恐れていることの証明でもあった。

 

「……何が人間は素晴らしいだ」

 

 白は己に落胆してた。ベナレスとの死闘、それは比喩ではない。白は間違いなく命をあの戦いに掛けていた。自らの命を賭してでも八雲達を逃がそうとしたのは紛れもない事実だった。

 だが、それと本気で戦ったというのは別の話だった。無論、手を抜いていたというわけではない。白が葛葉白として戦える範囲で全力を出したというは事実だ。

 白はベナレスとの戦いの中で薄々とだが、まだ力が出せることに気付いていた。それは年を経た事によるものかもしれないし、強者との闘いあるいは単純に命の危機に際しての防衛本能なのかもしれない。

 しかし、白はその力を使うことを躊躇った。力を使ったところでベナレスに勝てる保証は何処にもなく、不確定要素だから使わなかった、というわけではない。

 白が力を使わなかったのはこれ以上、かつての自分に戻ることを恐れてしまったからだ。今はまだ人の姿に戻れるが、更に力を取り戻した際にも今の様に戻れる保証は何処にもない。

 八雲達の命と白面の者の姿に戻ってしまう可能性。それを天秤に掛け白は己の保身に走ってしまったのだ。

 白はそんな自分に嫌気が差し、落ち込んでいた。化蛇(ホウアシオ)の献身で三只眼が復活し、全滅しなかったのは結果論に過ぎない。

 そのまま白は起き上がることも眠ることも無くただ目を瞑り己の内に籠り続けるのだった。

 

 

 

「白、起きてるかい」

「……ん、あぁ、起きてるよ」

 

 こんこんと部屋のドアがノックされる。返事と共に中に入ってきたのは白の叔父であり、ママでもあるという岩の様な体型の大男である。

 

「おはよう。最近、よく寝れてないのかい?」

「おはよう。……まぁね」

「あんまり無理はしなさんな。ベナレスってやつは倒したんだろ?だったら少しは気抜きな。ほら、手紙だよ」

 

 ママは顔を顰めながら、白へと手紙を渡す。

 手紙は国際便であり李鈴鈴(リーリンリン)と記されていた。

 

「鈴鈴から?」

「妖怪退治手伝ってくれってさ。八雲にも同じ手紙が届いてたよ」

「妖怪退治ねぇ」

 

 かつての討伐された大妖怪が妖怪退治をする。そんな皮肉に白は思わず小さく笑ってしまう。

 

「久しぶりに笑ったね」

「……そうかな?」

 

 ここ暫く悪夢に悩まされているとはいえ、白は一週間程度寝なくとも大きな問題は無い。それに家事やママの経営するオカマバーでの手伝いも手抜かりはない。

 

「まぁ言いたくなったら、いつでも聞いてやるから。仕事も休んでゆっくりするのも良いだろうさ」

 

 そう言うとママは飯でも食おうとリビングへと向かう。

 

「……勝てないなぁ、まったく」

 

 白はママに聞こえないように呟くといつの間にか軽くなった足取りでママに続く。白が悩みを抱いているなどお見通しなはずなのに、敢えて聞かずにいてくれるママに白は感謝する。何千年も生きた経験が有るが子であったことも、親がいたことも無い白にとってママは確かに親である。子は親に勝てないと言うが、その通りだなと白は苦笑するのであった。

 

 

 

 日が変わり一日をのんびり過ごしていた白だったが、洗濯物を取り込もうとベランダに出ようとして、引き戸にかけた手を止めてしまう。

 ギチギチ、カサカサと耳障りな音がガラス越しに白を不快にさせる。音の正体は無数のバッタ、いわゆるイナゴである。

 

「おいおい……」

 

 洗濯物どころかベランダ一面を覆いつくすイナゴに白は顔をしかめさせた。流石の白も無数の昆虫が群がるというのは気持ちの良いものではないようだ。

 ベランダで蠢く虫を眺めながら白はどうやって虫を排除しようかと考えた。殺虫剤を使うには余りにも虫の数が多い、火を吐くのも尾を使うのはベランダが吹き飛ぶので論外である。そして彼女とて髪で虫には触りたくない。

 

「ふぅ、掃除でもするか」

 

 現実逃避気味に白はベランダから離れる。背後から聞こえる虫の騒めきは止まらないが白は敢えて無視する。精神衛生上は宜しくないが家の中にまでは入ってこないだろう。

 

 ドンドン!

 

「……今度は何だ?」

 

 気持ちを切り替えようとした矢先、ドアを叩くけたたましい物音に白は頭を抱えた。

 

「チャイムを鳴らせチャイムを……喧しい!!」

 

 ドアを吹き飛ばしたいという気持ちを抑え、そこそこ乱暴程度に白は玄関を開け放つ。

 

「八雲?お前……ってパイ!?」

「あぁ、ちょっと邪魔するぜ」

「おい、少しは話をだな……」

 

 八雲だけだったなら説教の一つや二つをしているところだったが、パイが八雲の腕に抱きかかえられているのを見ると流石に驚いた。八雲はこれ幸いと呆ける白を押しのけ勝手知ったる白の家のリビングのソファーにパイを寝かせた。自分は向かいのソファーに腰を掛けた。

 

「ふふふ」

 

幸せそう、あるいはだらしないとも呼べる緩み切った表情で八雲はパイを眺めながらにやにやと笑っている。焦がれるほどに待ちわびた思い人にようやく再開できたのだ。その嬉しさといった相当なものだろう。

 

「八雲、少し気持ち悪いぞ」

「え~そんなことないっしょ?」

 

 白の辛辣な言葉にも八雲は動じない。むしろ不死の肉体を利用して一切の瞬きをせずにパイを見つめ続けていた。

 

「八雲」

「へへへ」

 

 心ここに在らず。心中がパイ一色で染め上げられた八雲に白の声は届かない。白はため息を一つ吐くと肩を竦めて自室へと戻ることにした。

 

「あ、白姉ぇどっか行くなら買い出し頼める?」

 

 白に一瞥もせずに買い出しを頼む八雲の顔面に白の右の拳が綺麗にめり込んだ。

 

 

 

 

 

 八雲がパイを連れ帰って一夜明け、八雲は上機嫌にキッチンに立ち腕を振るっていた。

 じゅわああ!じゅわわ!

 油の弾ける音が鳴り、食欲をそそる香りがキッチンに立ち込める。フライパンとお玉がリズミカルにまるで楽器のような音頭を取る。料理をしているのは八雲、こう見えて八雲は父が奔放で有りほとんど一人暮らし同然の生活をしており、家事全般はそつなくこなせる。

 

「また上手くなったな。料理学校に通っているだけはある」

 

 カウンターの向こうから白は感心したとばかりに声を掛ける。白もママとの二人暮らしであり料理をする機会は多いが、いつの間に八雲の方が料理は上手くなっていた。

 

「あーそうかなー」

 

 昨夜ほどではないがニコニコと絶えず笑みを浮かべながら八雲は返事を返すが、大分ふわふわしたようであり、一夜明けても浮かれたのは治ってはいなかった。

 

「はい、完成」

 

 それでも染みついた腕は正確に動き目的の料理を完成させる。ぷりぷりのエビに甘辛い餡がのったそれはご飯にとても合うエビチリ。ただよう湯気に香りが混ざるそれは食欲を否応なしに刺激してくれる。

 

「……はいはい、持って行きますよ」

 

 カウンターに乗せられたそれを白はリビングのテーブルへと運ぶ。

 

「朝から何を考えているんだあいつは……」

 

 エビチリをテーブルへと乗せ白は溜息交じりの呆れた声を漏らした。白の視線の先のテーブルの上には所狭しと料理が並べられ、更にはお帰りパイの短冊までぶら下がっており、まるでパーティの様な様相を呈していた。

 

「なぁ、パイちゃんとイナゴ関係あるんじゃねーか?」

 

 椅子に座りテレビを眺めていたママがニュースを指さしながらそう呟いた。

 

「あーなんだってー?」

 

 ようやく春といった季節の中、イナゴが大量発生するというのは極めて異常である。更に平原や乾燥、大雨と条件をクリアしないと大量発生には至らない。そもそも季節が早すぎるというか夏も迎えていないのに成虫が溢れかえるのは正常なサイクルを逸脱していた。そんな中でパイが帰ってきた。この二つを別に考えるなというのが無理がある。

 

「おまえね、ちっとは疑問に思わんのか?」

 

 能天気すぎる八雲にママが呆れ八割、怒り二割で言い返す。

 

「そもそもパイちゃんの記憶が戻ってるのか、イナゴと一緒に湾岸に居たのはなんでなんだとか、あるだろーがよ」

「もっと言ってやってくれ」

 

 ただの人間であるはずのママの方がよっぽどまともな事を言うのを白は応援しだした。

 

「なぁに言ってんだよ二人とも!パイの記憶が戻ってるのは確定だってー」

 

 そうやって八雲は料理の手を止めてパイが眠るソファーへと近づいた。パイはスヤスヤと可愛らしい寝息を立てて眠っている。

 

「記憶が戻ってるから俺にスグに会いに来たんだよ。イナゴの大群とはたまたま途中であっただけさ。イナゴの発生は一週間前からだしねー。いやーチベットから飛んで来るなんて可愛いよなぁ」

 

 体をくねらせながら八雲はニコニコと笑い続けていた。しかし、そうは言っても一週間のタイミングのズレこそあれ、異常なイナゴの発生と半年以上帰ってこなかったパイの突然の来訪はやはり意図が有るママはそう考えていた。

 

「ケチをつけるわけじゃねぇけどさ、それだったら真っ先にお前の家に来るんじゃねぇのかねぇ?」

「ふっふっふっ、相思相愛の二人の涙の再会って奴を見ても同じことを言えるかなーって言ったりしてみたり……わああ!?」

「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン!!!!」

 

 恥ずかしいことを臆面もなく言い放つ八雲の背後から、覆いかぶさるようにパイが飛び出し八雲が情けない声を上げる。更にそのまま座り込み、ドキドキと喚く心臓を右手で抑えた。

 

「お、お前、感動の再会になんて事を……って、おっとと」

 

 テヘヘと可愛らしく舌を出すパイに悪態を吐きながらも八雲の心臓は別の意味で高鳴りだす。そして、その高鳴りを止めまいとパイが八雲の胸に飛び込んだ。

 

「ヤクモだ……やっぱりヤクモだ。ヤクモ、ヤクモ……」

 

 ぎゅっと八雲の胸に顔を押し付け小さなしゃっくりを上げながらパイは今まで言えなかった分を取り返す様にヤクモ、ヤクモと呟き続け、ヤクモもまた涙を滲ませながらパイを抱き返す。

 

「お帰りパイ」

 

 そんな二人の様子に昨晩から続く八雲への不満が消えたのか白は暖かな笑みを浮かべてパイの帰還を祝福するのだった。




サザンアイズの特装版にしか収録されてない話、電子版でも出してくれないかなぁ。と思う日々。
サザンアイズのゲームって何本か出てるけど流石に全部はプレイしたことない。
RPGはクソゲーよりだった記憶は在る。


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第三十一話

 

サラダに副菜、一品もの肉、魚のメインディッシュやピザなどのパーティの定番品達がこれでもかとテーブルに並べられている。その様子はまさにパーティ。八雲が腕を振るって作った料理はそれだけの質と量を備えていた。そんな品々に加えホールケーキまで用意した八雲に白は呆れていた。

 

 こんなに食えるわけないだろう、量を考えろ量を。

 

 しかし、パーティが始まり、時間が進むと白は驚愕に襲われる。

 

「は?」

 

 空っぽの食器たち、テーブルの上に所狭しと並べられた料理はどれもこれも綺麗に無くなっている。

 

「お腹いっぱい……」

 

 にこにこと満面の笑みを浮かべてパイはお腹を撫でている。幸福という表現がピタリと当て嵌まる笑顔をパイは浮かべ、そんなパイに白は珍しくドン引きしていた。

 

「は?秘術か何か使ったのか?」

 

 浮かれる八雲が過剰に料理を作ったと思っていた白だったのだが、見た目の容積を完全に無視するパイの食いっぷりには流石の白も驚きを隠せなかった。

 とはいえ、驚きながらも八雲とパイがゆったりと過ごせるようにパーティの片づけを自ら買って出るのは白なりの優しさである。

 

「まだ食うのか……」

 

 カチャカチャと食器を洗いながら朗らかに話すを二人を盗み見て白は口休めとばかりにリンゴを頬張るパイを目撃する。このままでは家の食い物を全部食われるのではないかと謎の危機感を白は抱いた。

 

「俺さ、いっぱい働くからさ、二人で暮らそうぜ。なっ?」

 

 リンゴを剥きながら八雲は自分なりにパイに告白する。あからさまな好意の言葉を口にしないのはヘタレな八雲らしい告白だった。

 

(人の家でイチャイチャするなよ)

 

 だが、言動こそヘタレだが幼馴染みの異性の家で、しかもその幼馴染みとその親が居るリビングで告白という凄まじい偉業を成し遂げたことを八雲は極度の緊張からか気付いてはいなかった。

 

「お願い、ヤクモ、白。助けてほしいの」

 

 そんなヤクモの一世一代の告白だったが、その返事はヤクモにも白にも予想外の回答だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 東京湾。

 東京最終処分場。都内のゴミの最終の集積場である。雑多なゴミに溢れ、それが熱を持ち辺りから湯気がゆらゆらと立ち上っていた。

 そして海を挟んで煌びやかな夜景が海面の波にもまれキラキラと美しく輝いている。そんな対照的な光景の中、ごみ溜めに一筋の光が夜空へと向かっていた。

 

「何だよあの光」

「いや、穴だな。空に穴が開いているようだが、どうなっている?」

 

  飞腭(フェイオー)の背から八雲と白はそれぞれの疑問を口にする。通常ではあり得ない異常な景色。何某かの超常が絡んでいるのは明らかであった。

 

「あそこからイナゴ達は来たの」

「イナゴ?」

「大発生の原因はこれか」

 

 一週間前近くから続く都内での異常なイナゴの大発生。季節も場所も極めて例が無く専門家も頭を悩ませるそれは、自然現象ではなく超常の産物だった。

 

「ううん、イナゴは太歳(タイソエイ)のエサなの」

「太歳……土中の肉の塊で食べた者を不死にするというあれか、いや凶神太歳神か?確か大陸の方でも祟り神の筆頭みたいな奴だと思ったが……ん?」

 

 太歳という単語から白が思い当たる妖怪や神を口にしながら目の前に迫る光景に首を傾げる。

 

「見て、あれが太歳よ」

 

 光の中心の中、巨大な拍動を響かせる巨大な肉の塊が白達の目の前に現れた。どくどくと表面の血管が収縮し透けて見える赤黒い液体が塊全体に流動し続けていた。全体の色は赤色であり、拍動を繰り返す様はまさに巨大な心臓の様であった。

 

「これはまだ繭。このままでも生き物を狂わせてミイラにしちゃう怖い子のなの、孵化したらパイの手には負えないわ」

「は……」

「いやいや、ちょっと待て」

 

 開いた口が閉じない白と八雲だったが、なにもその驚きは太歳だけに向けられたものでは無い。

 

「パイ!ここは何処なんだ!?」

 

 光の柱が続く先は閉じられた空間などでは無く、青空と荒涼とした大地が永遠と続く寒々しい場所であった。気温は幾分か低く感じるが胸を満たす空気にもこれと言った異常は見られない。

 

 

「まさか」

「この感じは……」

「「聖地!?」」

 

 八雲と白の声が重なる。

 そう二人の予想通り、ここは八雲達が数か月前に追い求めた場所である聖地そのものあった。

 

「おいおい、じゃあ東京湾にも崑崙(コンロン)は在ったってのかよ……」

「灯台下暗しか」

「うん、パイはこの穴を塞ぎに来たんだ」

 

 太歳を見渡しながらパイは静かにそう告げた。太歳の大きさは優に百メートル。言い伝えの伝承がそのままとは言えないだろうが祟り神の側面や占星術でも凶兆の兆しとも言われているのは少なからずそれに由来する力が有るということだろう。

 

「この子は孵化しないようにと昔の人がここに封印してたんだけど、ちょうど真下に穴が開いて封印が解けかけているの。このまま孵化しちゃうと大変なことが起きちゃう」

「……ん、ということは崑崙を開けた鍵が有るってことか?」

「そう!白の言うとおり。パイは穴を塞ぐために鍵を探しに来たの、お願い二人とも力を貸して!」

「はぁ……探し物か……骨が折れるな」

「探すって言ってもこのゴミ捨て場から、あの香炉を探すって言うのか?」

 

 再び次元の穴を潜り東京へと戻る最中に告げられた衝撃の言葉に八雲は絶句する。空から俯瞰する八雲の目には夥しいゴミの山が広がっていた。

 

「いや、香炉とは限らん。三つ目の意匠が有る何かを探さなきゃならん」

 

 絶望に表情を歪ませる八雲を白が更に追い詰めた。八雲達が見つけた鍵は確かに香炉であったが、込められた術によって発動する為、その形に関しては自由であり、香炉の可能性は低い。

 つまり、この何が捨てられているかも定かではないゴミの埋め立て地の中から形も分からぬ何かを見つけるという苦行が今、始まってしまったのだ。

 

「………は、はは」

「斗和子を呼ぶか……」

 

 八雲と白はほぼ同時に天を仰ぐ、何千年と生きた白とてこんな先の見えない戦いは初めてだった。

 

 

 

 

 

 

「鍵が壊れれば穴は塞がるってのはどうだ……」

「やってみる価値は有りますよ。範囲は東京ドーム何個分かは知りませんが」

 

 髪を周囲に幾重にも伸ばしてゴミを漁る白と、手袋を付けて大型のゴミをどかす斗和子。八雲とパイの何人分もの働きをしながら二人の主従は物騒なことを口にしていた。

 鍵の捜索から数日、朝から晩までゴミを漁り何処に有るかもしれない鍵を探す作業は流石の二人をして精神を追い込むのに十分だったらしく、普段では考えられない程ような会話の内容だった。

 

「……ここら一帯を破壊する方が疲れるな」

「そうですね。良く考えれば可燃物も有ると思いますし」

「そういえば、妖撃社の方はどうなってる?」

「えーと、最近だと……」

 

 ちなみに斗和子はゴミ漁りの為にわざわざ香港から呼び戻されてここにいる。鬼眼王(カイヤンワン)を滅ぼしたことで妖怪達の動きが変わる可能性がある為に斗和子は情報収集と金稼ぎを兼ねて妖撃社に残っていたが、聖地への鍵を見つける作業には幾らでも手が欲しいので招集されたのだ。

 

「妖怪達に目立った動きは無いですね。鬼眼王になり替わろうという輩が出てもおかしくないと思うのですが……」

「鬼眼王が生きている可能性も有るが……」

「妖怪達は鬼眼王達の死を知らない、もしくは死んだことを信じていないってことですよね」

 

 骨休みとぼろぼろの椅子に座りながら白は頷いた。妖撃社に入っている情報は香港近隣やアジアが主などで世界中の妖怪達の同行は流石に知り得ないが、断片的ながら幾つかの予想を立てていた。

 

「そもそも鬼眼王は五百年も封印されていたし、ベナレスは前線に自分で来るタイプのボスだった。まぁ鬼眼王達の死そのものが妖怪社会に知られていない可能性も十分あるけどな」

 

 ベナレスとの決戦ではベナレスは部下を連れてはいなかった。部下に知らせもせずにベナレスが動いていたとすれば、ベナレスが討たれたという事態がまだ気づかれていない可能性も十分に考えられる。

 それにベナレスや鬼眼王達の死を疑っても、彼らの力を知る妖怪達はその死が確信になるまでは動けないのだろう。五百年も封印されていながらも代弁者であるベナレスに仕えてきた彼らは如何に(ウー)が強大であり逆らうのが無謀かを知らないわけがない。

 万が一にでもベナレスが生きていればどうなるか、そんな恐怖が彼らを未だに縛っているのだろう。

 

「仇討ちに来ないのはありがたいが、いつまでもこのままというのは無理だろう」

 

 八雲はこのままパイと東京でのんびりと暮らそうと思っているのだろうが、鬼眼王の仇討にいつ妖怪が押し寄せてもおかしくない、それどころか不死の力を求める妖怪達だって黙ってはいないだろう。

 

「それより、今日はこの位にしておくか……あぁ疲れはともかくこの臭いだけはどうにかしてほしい」

「えぇ、只でさえ感覚が鋭いですからね私たち……お風呂に入っても完全には取れないんですよね」

 

 双子と見間違えんばかりにそっくりな二人がゴミの中を歩く。顔の良さも相まって大方の場所で映える二人の容姿だが、そんな補正もゴミの前ではあまり効果が無いのか、小汚い二人の少女が歩いているという絵に収まっていた。

 

「きゃー忘れちゃったぁ!」

 

 八雲達に合流しようとした二人だったが、何故か買い出しに出たはずのパイが夜食を忘れるというポンコツを披露。四人は疲れた体を引きずる様にして家路に着くのであった。

 

 

 

 

 

「はぁ!?パイが消えただと!?」

 

 翌朝、チャイムと喧しいドアのノック音にたたき起こされた白は不機嫌を隠そうともせずに八雲に怒鳴る。前世でも経験しなかったごみ溜め漁りのせいで体中に悪臭が染み付くというのだけでも気分が悪いというのに、問題を持ち込んできたパイが消息不明と困惑していいやら怒っていいやらと感情の大渋滞が発生していた。

 

「あぁ、今度は逢う時は人間になってからって鏡に書置きしてた」

 

 置いて行かれたことに八雲はしょんぼりと肩を落とす。命を共にするパイが自分を置いて行ってしまったことに額面以上の悲しみを八雲は感じていた。確かに繋がる不死の力が余計に寂しさを増幅する。

 

「どういうことだ。パイは鍵を見つけたのか?」

「いえ、穴はまだ開いたままですので、その可能性は無いかと」

「となると鍵の場所を見つけて一人で向かったのか……しかし何故、八雲は心当たりはないか?」

「え……う、うーん。ほとんど一緒に居たはずだからパイだけが手がかりをってのは考えにくいんだけどなぁ」

 

 パイとて戦う事は出来るが自らの无であり不死という絶対的なアドバンテージを誇る八雲、戦闘力と戦術において八雲を上回る白と斗和子を置いていくというのは不可解だ。

 

「鍵を探しつつパイを探すか……」

「そうですね」

「あ、俺がゴミ捨て場を探しますね」

 

 膂力と能力を考えれば斗和子と白がゴミ漁りをするのが効率が良いが、それ以上に嫌だという悪感情が宇上回るのか二人で八雲をじろりと睥睨し、進んでゴミ漁りをするように二人は仕向ける。

 

「さて、とりあえずここ一週間ばかりの事件、事故から調べてみるか」

「分かりました」

 

 話は済んだとばかりにさっさと八雲を家から追い出した白はまだ捨ててない新聞を隅から隅まで読み始めた。パイとはここ数日はずっと一緒に行動していた。鍵を見つけたことを白達に隠す意味はパイには無いし、そもそも聖地への穴は開いたままでり、少なくともパイが鍵を見つけた可能性は低い。

 

「都内の事件、事故。情報を手に入れたとすれば昨晩か今朝が怪しいが」

「確かに、では今日の新聞……っ!御方様!」

 

 まだ玄関口から取り出していなかった新聞を斗和子が広げ、ある記事に目を見開いた。

 

「ミイラ殺人事件?……犠牲者は全身の血を抜かれまるでミイラの様に殺されていた。しかも連続殺人事件か」

 

 鋭利な刃物で切り裂かれる。しかし、致命傷という傷の割に残された血痕は少なく、さらに体内の血液どころか水分を絞り尽くされるという奇怪な殺人事件。丁度、聖地への穴が開かれた時期と重なり、関連性が無いとは言えないだろう。

 

「そういえば、あの穴ってなんで閉じないんですかね?」

「……ん、そう言えばそうだな。……そうか、そういうことか」

 

 斗和子の小さな疑問に白も考えを巡らせた次の瞬間、白の脳内が弾けたようにひらめきを生み出した。

 

「そうだ!聖地への穴があんなに長く開いているのはそもそもおかしいんだ。誰かが血を捧げ続けて穴を維持してることだ」

「ということは、この殺人事件は……」

「多少の血じゃあすぐに穴は閉じる。だから人の血をまるごと捧げているんだ。それにパイが言っていただろう?太歳には生き物をミイラにする力が有るとな」

「じゃあ太歳がイナゴを使って血を捧げ続けているってことですか?」

 

 いや、と白は斗和子の言葉を否定する。人間がミイラになるという異常な事件だが、全身を齧られているならともかく、鋭利な刃物で切り裂かれたという記事には書かれておりイナゴが起こした事件とは考えにく。

 

「太歳は大地の精を操り生き物を狂わせるという。誰かを操って人を襲わせ続けているだろう」

「なるほど、ならゴミの集積場と言うよりは近隣で事件が多発している個所を重点的に探せばよいですね」

「そういうことだ」

 

 にやりと斗和子は身支度を整えると斗和子を引き連れて家を飛び出した。

 




今日も仕事、明日は当直。
今年は仕事納めが無い……。


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第三十二話

 心地良い振動と肌を撫でる風を全身で浴びながら白は愛車であるGSX1100S katanaに跨っていた。

 ともすれば振り落とされそうなほどの力強いその車体を白は人外の力で押さえつけプロ顔負けのハンドリングを見せつける。

 

(パトカーが集まっているところを探せば良いのだろうが……見当もつかんな)

 

 ゴミ集積場周囲を斗和子と二人で探し回る白であったが、そもそもパトカーが見つからない。かと言って周囲を探ろうとすると周囲を飛び回るイナゴたちが、ノイズの様に引っかかり大まかな気配しか分からない。

 

(最近、感じていた僅かな気配の原因はこいつらだったか、どうにもこういうのは未だに苦手だな。しかし、使い魔を無数に扱うのは昔の私の専売特許だと思っていたが、やれやれ)

 

 卑妖という巨大な目玉に耳と尻尾が生えた異様な使い魔を脳裏に浮かべながら白は苦笑する。かつては数百万、数千万とも呼べる使い魔の大軍団を扱った身だが今は斗和子を含めても二人しか人手が無い上に白が探索能力に欠けているのがここに来て足を引っ張っていた。

 

(しかし、何処だ……ん?)

 

 そうやって無い物強請りをしつつ、バイクを暫く走らせていると、ざわりと白の感覚が騒めいた。

 耳に入るのはパトカーのサイレンが複数、そして周辺にうっすらと漂っていた妖気が一か所へと集まるような違和感、そして白が最も鋭敏に感じることの出来る恐怖も妖気の流れに一致して湧き出し始めた。

 

(そこか!)

 

 感覚を信じ白はバイクを急行させる。その感覚に間違いは無いのだろう空を見上げれば雲と見間違うほどのイナゴの群れが終点を目指すように一つの流れを作り出していた。

 確信を得た白は法定速度を無視し凄まじいスピードで車を追い抜いて行く。加速から生まれるG、カーブを曲るたびに生まれる遠心力が乗り手を振り落とさんと暴れるが軽々と白はバイクを押さえつける。まるで映画の様なバイクさばきで白はイナゴの群れを追跡するのだった。

 

 

 

「ん?あれは……」

 

 イナゴを追っていた白だったが、突然一か所に向かっていたイナゴ達の動きが変わり、周囲に広がるような動き出した。それと同時に周囲に立ち込めていた恐怖も霧散していく。

 

「おいおい、勘弁してくれ」

 

 規則性の無い動きに白は眉を顰める。光明が見えていただけに白の落胆は大きいものだった。そのままバイクを走らせると、検問へと引っかかってしまう。

 

(……スピード違反バレないよな)

 

 先ほど、スピードを過剰超過しまくった為、捕まる可能性が白の脳裏を駆け巡る。常人には分からぬほどの一瞬の硬直だが、それは白の杞憂だった。

 

「現在、殺人事件の犯人が逃亡中です。この区域は立ち入り禁止です。速やかに退去して下さい」

 

 険しい顔の警察官が白へ注意を促すと、別方向へとバイクを誘導する。

 

(現場を確認したいが無理そうだな)

 

 警察官の誘導に素直に従い、白は検問から離れバイクを適当に流す。イナゴの群れも規則性が無くなり途方に暮れる白だったが、路肩に止まる車が視界に入ると安心したように息を吐く。

 

「雁首揃えて、こんなところで何してるんだ?どうやらパイは見つかったようだな……ん、あいつは」

 

 白塗りのベンツにバイクを横付けし、白は深刻そうな顔をしている一同に不敵に笑いかける。

 

(ホァン)か、こんなところで何をしている?」

「あら白ちゃん。お久しぶり、ちょっと仕事で東京に来たから皆の顔を見ようと思ったら、なんだか大変な事になってるじゃない。だからちょっと手を貸してたのよ」

「ふぅん」

 

 じろりと白は黄の顔を品定めするように視線を走らせる。白から見ても視線や呼吸には僅かたりとも異常は見て取れない。言動も偶然にしては出来すぎているが、だからといって揚げ足を取る程ではない。しかし、謀略と策謀に関しては白は誰にも負けないという自負がある。その自負が何千年という経験が黄が謀り事を巡らせていると確信させた。

 

「そうか、災難だったな。こんな事態じゃなければ東京観光に付き合っても良いんだがな」

「それは残念、またの機会にお願いしようかしら」

「その時は声を掛けてくれ」

 

 普段は見せない笑顔を貼り付け白は再会の挨拶を終わらせる。

 

(こいつの仕業か?それともこの機に乗じようと香港から来たのか?まぁ良いいずれその尻尾ごと引きづり出してやる)

 

 貼り付けた笑顔の裏で白は黄が付いた嘘が会話のどの部分かを類推する。だが疑惑を抱いているという気配を微塵も黄へは漏らさない。策謀とは相手に知られてはまったくの意味をなさない。中には策謀を知られるという事すらも計画に組み込む者もいるが、白から見て黄にはそこまでの器量は無い。

 

 それなら適当に泳がせて後から潰す方が良い。

 

「八雲、また殺人事件が起こったらしい。とりあえず検問の中に入って現場だけでも確認しないか?」

「あぁ、それなんだが実は……」

 

 白の提案に八雲は言い淀む。どうやら八雲は八雲でこの事件の全容を把握しつつあったようだ。

 

「なんだと!?それでお前はその咲子って子に逃げられたのか!?」

 

 白達と別れゴミ捨て場を探し回っていた八雲は、調理学校の同級生から殺人事件を知り、そこから太歳(タイソエイ)が事件を起こしていると確信、警察無線を傍受し何故か同級生の咲子を連れ、現場に急行。

 そこでパイと再会し、太歳に操られた作業員を気絶させたのだが、パイと話している間に今度は咲子が太歳に操られ、知り合いが操られたと八雲が驚いている間にまんまと逃げられたというのだ。

 

「たわけ!その子が人でも殺したらどうする!?少しは出来ると思ったらこれだ……」

「わ、わりぃ……で、でも咲子をおびき寄せる方法なら思いついたんだ」

「言ってみろ」

 

 白の怒気に若干怯えながら名誉挽回とばかりに八雲はつらつらと作戦を口にする。

 その作戦とは、闇雲に咲子を探してもらちが明かない。だが咲子を操る太歳の場所は分かっている。本体である太歳は動けず、それ故に生き物を操って血を捧げさせて門を開け続けている。ならばその開いている門の中の本体を直接痛めつければ、太歳は身を守るために咲子を自分の元に呼び戻すはずであり、そこを叩くという方法であった。

 

「ふむ、理にかなっているな。良いだろう。その作戦、私も協力する」

「まじか!ありがてぇ白姉が来てくれるなら百人力だ」

「斗和子にはテレパシーを飛ばしたから、そのうち来るだろう。とにかくその子が人を殺す前に作戦を実行するぞ」

「おう!」

 

 斗和子が合流すると、一行は装備もそこそこに飞腭(フェイオー)に跨り、白、八雲、パイの三人はさっそくとばかりに門へと向かう。

 

「なぁ白姉、一度家に戻って装備を整えなくても良いのか?」

「咲子って子を早く捕まえるんだろ。寄り道している暇は無いだろうが。お前の手製爆弾も悪くは無いが、ここは私と斗和子に任せておけ」

 

 ほぼ手ぶらな八雲に白は不敵な笑顔を向ける。空き缶や空き瓶を即席の手投げ爆弾や火炎瓶にするという物騒な技術を八雲は習得しており、その威力は決して低くは無い。しかし、流石に白や斗和子の尾には勝てず、時間が無い中、わざわざ取りに行くメリットは少ない。

 

「私が太歳(タイソエイ)が直接叩く。お前は彼女が来るまで待機してろ」

 

 不敵に笑うと白は二つの尾を巨大化させ鉄塊へと変じさせる。二つの尾はまるで蛇の様に巨躯を捩り撓ませる。金属をすり合わせる不快な音が辺りの空気を震わせ、ぶるりとその力を解き放つ。

 鉄の尾はその大きさからは想像も出来ない速さで太歳を強かに打ち付ける。衝撃で生まれた風が白の髪を夜空で遊ばせるという幻想的な光景の中、太歳へと刻まれた傷は余りに暴力的だった。

 太歳の分厚い皮膚に二つの大きな轍が刻まれ断面からどす黒い血流が滝の様に溢れ出す。血液からは凄まじい生臭さが放たれ、白は僅かに顔を歪めた。

 

「どうした?何も出来ないのか?さっさと使い魔を呼び戻さないともっと酷い目に遭うぞ!」

 

 白の嘲る声に反応したのか太歳の表面に一筋の亀裂が走り、人の頭部程も有る目がぎょろりと姿を現した。眼球は元からなのか、それとも怒りからなのか瞳孔は開き血走っている。

 

「狙ってくれと言ってるようなもの、だな!」

 

 呆れたように呟くと白は尾を一つ無造作に振るう。

 次の瞬間、まるで水風船を割ったか様な軽い音が響く。

 

「うわぁ……」

「……い、痛そう」

 

 パイと八雲が顔を引きつらせる。その視線の先には深々と太歳が今しがた出したばかりの瞳に白の尾が突き刺さっているという痛々しい光景だった。

 

「ふん、あいにくこっちも急いでいるんだ」

 

 太歳が痛みからがびくびくと脈動をするのを横目に白は咲子がこちらに向かって来ていないかと辺りに見渡す。

 

「あ、白」

「ん、見つけたのか……な、」

 

 震えた声を漏らしたパイに白は咲子が見つかったのかとパイの方向を見やるがパイは真上へと視線を固定し、顔を蒼褪めさせている。

 そして、白も同じ方向を見たその瞬間、驚愕に目を見開く羽目になった。

 

 そこには自らの体表面にこれでもかと眼球を蠢かせる太歳の悍ましい姿が広がっていた。

 

「飞腭!下がれ!」

 

 急ぎ飞腭へと指示を出すが、それよりも早く眩い光が幾つも弾ける。

 

「ぐっ!」

 

 咄嗟に尻尾で防御するがその勢いまでは抑える事が出来ず、白達は地面へと墜落していく。

 

「パイ、八雲無事か!?」

「う、うん」

「へ、へへ、なんとかね……」

 

 空中で体勢を立て直した白と斗和子に対し、パイを庇って背中を強かに打ち付けた八雲だったが、そこは不死の肉体。不格好ながらも立ち上がる。

 ごみ溜めの悪臭が蔓延する中、一行は空気がざわめく様に変わる様を知覚する。

 その異様な気配の元を見やれば、一人のまだ少女とも呼べる女が仁王立ちし、八雲達を睨み付けていた。

 

「へへへ、お早いお着きで」

「とりあえず、作戦は成功だな」

 

 一振りの儀式的な意匠が彫られた剣を携えるのは太歳にて傀儡と化した咲子、その人だった。口からはよだれを垂らし、瞳からは完全に正気が失われている。殺気とともに狂気があたりに漏れ出していた。

 

「……」

 

 咲子は自身の出方を探る八雲達に対し、剣を夜空へと掲げた。その切っ先は太歳へと向けられる。何をするつもりなのかと八雲が訝しむ中、白が前触れもなく咲子へと飛びかかった。

 

「くそっ!?」

「白姉ぇ!?」

 

 白の右手が剣を持つ咲子の腕に掴みかかる。しかし、それよりも手前で突然、咲子から膨大な力が噴き出した。否、注がれたのだ。

 力の根源は太歳。傀儡と化した咲子だが、そのままでは八雲達には適わないと更に己が力を注ぎこんだのだ。

 咲子を中心に数メートル規模のゴミが吹き飛び、白もゴミ達に巻き込まれ大きく距離を取らされる。そればかりか、何処からともなくイナゴの群れが耳障りな羽音とともに集まり始めた。その数は無数と言う言葉すら霞む程の物量であり、まるで巨大な化け物の群れにいるかのような圧迫感を八雲達に与える。

 

「おいおい勘弁してくれよ……」

「え……」

 

 一匹一匹は大したことは無いのは明白だが、そんな希望すら塗りつぶす程のイナゴの大群。目に見える全てに覆い尽くされる。

 

(あいつらもこんな気持ちだったのか、いや卑妖よりはマシか)

 

 そんな光景にかつて数の暴力を用いてた白は苦笑するが、彼女が操っていた使い魔は弱いとは言っても普通の人間程度なら容易く屠れたので白面の者を知る者からすれば冗談どころの話ではない。

 尽きることなく溢れ出すイナゴ達。ふいに咲子が剣の切っ先を八雲達へと向けた。その瞬間。

 

「う、わああああ!?」

「くっ」

 

 咲子の意を汲み取ったのか、八雲達を覆い尽くすようにイナゴ達の群れが襲い掛かる。たかが虫とはいえ、その量は余りに桁外れ、見る間に八雲達には掠り傷が増えていく。

 

「失せろ!!」

 

 言葉と共に白が炎を吐き出した。自らがダメージを負わない程度に加減されてはいても並みの妖怪程度なら手痛い一撃となるであろうそれをイナゴは真っ向から浴び、一瞬視界が晴れる。だが僅かな時間で元通りどころかそれ以上の数となって襲い掛かる。

 

「埒が明かん!八雲、いったん下がれ!」

「で、でも咲子が……」

「パイを見ろ!このままでは危険すぎる!」

「だ、大丈夫、パイだってまだ戦える!」

 

 小さいとはいえパイの体には切り傷が幾つも刻まれている。八雲が庇っているとは守り切れていないのは明白だった。

 八雲は奥歯をギリリと悔しげに鳴らすと、白の後ろへと退避する。

 八雲達を後ろに庇いつつ、斗和子と白は互いの尾で迎え撃つ、斗和子の尾が炎となりイナゴ達を消し炭へと変え、白の酸の尾がイナゴ達をどろどろに溶かすが、それでもなおイナゴ達は尽きる事が無い。

 

「飞腭!!」

 

 地上ではこれ以上逃げる事は無理だと判断したのか、パイが飞腭を呼び戻す。頑健な皮膚を持つ飞腭はイナゴ達を吹き飛ばしながらパイ達をその背に乗せ、上空へと昇る。

 

「これは、圧巻と言って良いのか悪いのか……」

 

 白は顔を引きらせる。数万、数十万、数えるのも馬鹿らしいイナゴ達がギチギチと喚く。

 

「……白姉、頼んだ」

「八雲?って、おい!?」

「てめぇら、餌の時間だぜえええ!!」

「「八雲!?」」

 

 大声をあげながら八雲が夜空へとダイブする。飞腭を追っていたイナゴ達は目の前に降ってきた柔らかな肉を持つ獲物へ矛先を変えた。

 

「ぐぅうう、痛ってえええ!!」

 

 瞬く間に全身から血が噴き出し、裂けた皮膚に潜り込むようにイナゴ達は肉を啄み、更に傷口を増やしていく。苦痛に叫びながら、八雲の体は地面へと落ちていく。それに合わせて千切れた肉と漏れ出た血、そしてイナゴ達が続く様は不格好な流星のようだった。

 

「か、は……」

 

 喉を食い破られ、掠れた声が八雲のから漏れ出る。

 

「!!」

 

 喜色満面、散々自分を邪魔し本体にちょっかいを出す一味である八雲をボロボロにしたのが嬉しいのか太歳に憑りつかれた咲子は力なく地面に横たわれる八雲をニヤニヤと見つめていた。

 

 倒れ伏す八雲に咲子は悠々と近づくと何の躊躇いも無く、ズブリと三つ目の意匠が刻まれた短剣が八雲の心臓へと突き立てる。邪魔者を排除しなおかつ血を捧げることが出来る。咲子は理性を感じさせない表情を浮かべながら歓喜に体を震わせる。

 

「掛かったな……!」

 

 命を絶ったと確信した相手からの声に咲子は体を強張らせた。

 

「っ!!?」

 

 これ以上ない隙を晒す咲子に八雲は骨すら覗かせる右手を振るい咲子を押しのける。そして反対側の手、左手は短剣の刃をこれでもかと握りこんでいる。

 操られようとも咲子の体は一般女性にすぎない。僅かばかりの抵抗も空しく、咲子は短剣から手を放してしまった。

 

「っ…………」

 

 頭をふらつかせ咲子は膝から崩れ落ちた。凄まじい疲労感と眠気が彼女を襲うが、その瞳は衝撃的な光景を映してしまう。

 

 

「ふ、藤井君!?」

 

 沸騰するように咲子の意識が覚醒する。

 全身の肉を啄まれ、胸に突き立てられた短剣。素人目にも只ならぬそれを見て、咲子は絶叫する。

 

「死なないで、藤井君、藤井君!」

 

 思わず駆け寄ろうとする咲子だが、足はがくがくと震えまるで力が入らない。しかし這ってでも行こうと咲子は両手を八雲へと伸ばした。

 

 

 

 轟!

 

 

 その両手の先、八雲の体が火の柱に包まれた。思わず目を背けてしまうほどの熱風。その熱量に咲子の髪は水分を失いぱちぱちと乾いた音を鳴らした。

 

「きゃあああ!?うっ……」

「……すみません」

 

 それ以上、熱に晒されればただでは済まない。その寸前に斗和子が当身によって咲子の意識を奪い安全圏へと退避する。

 

 

「あちぃって白姉ぇ!!やり過ぎだって……はぁ」

 

 炎の中、八雲がむくりと起き上がる。視線の先には口元から僅かに炎を溢す白が手を挙げていた。

 八雲が燃えた理由は短剣に付着した血液を消すために白が炎を吐いたためだった。

 

 

 

 周辺のごみの山に引火し炎があちらこちらに広がる中、八雲は自身が燃えるのもお構いなしに胸に突き刺さった短剣を引き抜くと空へと掲げた。

 炎は短剣に付いた血を瞬く間に焼き尽くす。すると、空に見えていた崑崙が少しずつ閉じていく。

 

「へ、大分、面倒だったが一件落着ってか」

 

 太歳は徐々に閉ざされていく聖地から八雲をギョロリと睨み続ける。自身を阻んだものを忘れないためか、それとも関わらないようにする為の戒めか、それは太歳にしか分らぬことだった。

 




この辺りの登場人物って後々ほぼ出ないのであっさり目。


鬼籍の闇の契約者……続編あるよね(渇望)。


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第三十三話

短いです


 

 間接照明が柔らかく室内を照らす中、細く白い喉を仰け反らせ一人の少女が呻き声の様な声を上げていた。

 

 

「くうぅ!効くのぉ、暫く聖地に籠っていたせいか染みるのぉ!」

 

 とは言っても陰惨な雰囲気は微塵も無い。

 ここは白の叔父ことママが経営するおかまバー、名はかるちゃあショックの一角であり、少女こと三只眼(さんじやん)は酒を喉に通して悦に浸っているという平和極まりない光景だった。

 

「吞みすぎるなよ」

「わははは、久しぶりの宴に無粋じゃぞぉ」

 

 白はそんな三只眼に釘を刺すが古今東西、興に乗った酔っ払いにその様な忠告が聞いた試しが無いということは経験上理解していた。

 

(三只眼吽迦羅は二日酔いになるのか?向こうでは妖怪が二日酔いになったというのは聞いたことがないが)

 

 面倒くさい酔い方をする三只眼にどうでもいい事を考えて白は逃避を図る。 

 

「ほれ、白も呑まんか!八雲が居るとパイの意識が強ぉて中々、表に出てこれんのだ。今日ぐらい付き合っても良かろう!」

 

 三只眼はそんな白に気付く様子もなくグラスの酒を次から次へと呷っていった。

 

「はぁ……人間の暮らしを幾ばくかしたせいか、こういった娯楽が恋しくてのぅ。いい気分じゃあ」

「……」

 

 頬をほんのりと染め三只眼はご満悦に語る。綾小路ぱいとして暮らした四年は聖地で一人きりで暮らした時とは比べものならないくらい忙しかったが、それ以上に楽しかったと。化蛇(ホウアシオ)に体の制御を奪われていたとはいえ、その思い出は確かにパイそして三只眼の中に生きているのだ。

 

「そうか、ほら」

 

 楽し気に語る三只眼を見ながら白はなんとなくぱいの事を思い出し、三只眼にグラスにボトルを傾ける。

 

「おっとと」

「偶には付き合ってやる。八雲は弱そうだしな」

「言ったな」

 

 どこか嬉しそうに三只眼は笑うとお返しとばかりに白へと酒を注ぎ返す。

 

「二言は無いさ、それに私は強いぞ」

 

 ぐいっと白はグラスを煽ると、これまた口角を僅かに緩ませるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 何処か似通った部分の有る二人が気分良く酒を飲み交わしている中、ママと(ホァン)は少々込み入った話をしていた。

 

「なるべく平和に過ごして欲しいが中々、難しいのかねぇ」

鬼眼王(カイヤンワン)亡き後、不老不死を求める妖怪達は生き残った三只目吽迦羅(さんじやんうんから)であるパイちゃんを付け狙うでしょう。今はまだ鬼眼王の死を信じ切れてないでしょうが、あれから半年以上経ちました。妖怪達がどう動くかは分からないのが現状です」

 

 黄の言葉にママは眉間にしわを寄せた。ただ隣に住む育児放棄気味のガキ。それがママが八雲に抱いてた最初の感情だ。だが、同じ年頃の白を育てていたということもあり、なんとなく世話をしていたらいつの間にか情が沸いてしまっていた。

 不死になったり、バケモンに襲われたりと色々と心配事はあるが、見捨てるという選択肢はママの心中に最初から無い。

 

「先の太歳(タイソェイ)の件もあります。新宿は色々と目立っています。宜しければ暫くは私たちの方に身を寄せてはどうでしょう?」

「ほ、本当か?それなら助かる。香港なら八雲達も土地勘が有るし、こっちも僅かだが伝手があるから安心だ」

「えぇ、こちらも以前の事件の恩も有りますし、願ったり叶ったりです」

 

 にこりと黄は笑顔を向ける。

 

(聖地に引き籠っていたパイを太歳の封印を解くという危険を冒してまで誘き寄せたのだ。このまま帰ってもらっては困る)

 

 実は此度の事件の黒幕は何を隠そう黄であった。

 鬼眼王亡き今、パイをその座へと祀り上げ、そして自分は第二のベナレスと成り代わる。それこそが黄のひた隠しにしてきた望みである。

 最初はパイを焚き付け三只眼同士争わせ、闇の勢力を二分化させ鬼眼王を滅ぼそうと目論んでいたのだが、その鬼眼王が居なくなったのは黄にとって好都合であった。

 しかし、そのパイが自らが禍の中心になるのが分かっていたのか、聖地から出てくる気配は無く八雲を害して誘い出すというのも、八雲の近くには白という厄介な女がいる。妙に勘が鋭い彼女に安易な方法で使えば瞬く間に吊り上げられるのは自分だという確信が黄にはあった。

 そこで太歳の封印を解くことで東京自体を危機に陥れたのだ。封印を解く労力は並ではなかったが、パイがのこのことやってきたことで、その苦労も報われるというものだ。

 

「それならパスポートやらなんやらはこっちで組のもんに手配させとくわ」

「えぇ、後は八雲君の友達へのサポートもお願いしますね」

 

 分かったぜとママは勢いよく飛び出していく。組という物騒な言葉が漏れ出ていたが気にするものはいない。

 

 

 その後、ママは咲子達に八雲は借金が理由でこの街を去ったと咲子達を言い包めた。刃傷沙汰や体が燃えていたなど、どう考えても異常事態のそれを自分が死んだことにして逃げるための演技だったとなんとか押し通しのけたのは、バーのオーナーならでは口八丁なのかはたまたヤクザ時代の機転を利かせたのかは定かではない。

 

 




次の舞台への繋ぎ回。


四谷さんの出番は白によって消滅してしまいました。
四谷さんファンの方すみません。

次回は飛行機編。うしおととらも3×3アイズも飛行機は……。


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