妹の友達と同居することになりました。 (黒樹)
しおりを挟む

妹の友達と同居することになった件

固まらない妄想を瞬間接着剤でくっつけたので設定がガバガバです。


 

 

惰眠を貪る土曜の朝。アラームの設定をしていないスマホから爆音が鳴り響いた。着信を報せるのは人気アニメのop曲。染み付いた生活習慣でスマホを手に取り電話を鳴らす不届き者の名を確認する。

『神崎奈緒』妹の名前である。こんな朝っぱらから電話してくる愛する愚妹の電話を無視するわけにはいかず、渋々ながらも寝起きの寝惚け頭で通話状態にするとスピーカーにしてなんとか声を紡いだ。

 

「なんだよこの朝っぱらから」

『兄さん。お願いがあります。泊めてください』

 

媚びるでもなく率直に要求を突きつけてくる奈緒の言葉を寝惚け頭で咀嚼して飲み込む。

妹が突然、泊まりたいと言ってくるのは珍しくもない。兄妹仲は良好でこんな愚かな兄を慕ってくれるいい子なのだ。そんな可愛い妹を贔屓目に見ても可愛くて甘やかしてしまうのは当然のことで、二つ返事で了承するのはいつものことだ。

 

「それは今日か?」

『……ええと、それは兄さん次第というか』

 

歯切れの悪い返事だった。学校さえなければいつまでも居座る妹なのでその返答は問題はないのだが、今日に限って反応が悪いような気がする。

 

『取り敢えず、話をする前にドアを開けてくれませんか?』

「え?もう来てんの?それなら勝手に入って来ればいいのに」

 

奈緒には合鍵を渡しており、一人暮らしの寂しい部屋に勝手に居座っていることもしばしばある。だというのに、今日は少し礼儀正しいというか……いや、よくできた妹なのだけども。

 

起きたままの格好で玄関へと赴き、ドアの鍵を解錠して俺はドアをゆっくりと開けた。

 

「おはようございます。兄さん」

 

扉の前にいたのは十五歳の少女。亜麻色の髪をサイドポニーに纏め、休日なのに制服を着ている妹の姿がそこにあった。

 

「ん。はよ……お?」

 

麗しい妹の姿に感激しているとその斜め後ろに別の美少女の姿が目に映る。妹と同じ制服を着て、金髪を腰まで伸ばした娘が視線を微妙に下げながらこちらを窺っていた。瑠璃色の瞳が悲しげに揺らめく海の底のような色をしていて、朝の眠気は妙な感覚に吹っ飛んでしまった。何処か二人の雰囲気が真面目なものに感じるのだ。

 

「えーと。……そちらは?」

「兄さん忘れたんですか。昔、よく遊んであげてたじゃないですか。瑞樹ちゃんですよ」

 

言われて思い出す。妹が小学生の頃、毎日のように家に連れて来ていた妹の親友。よく俺に懐いてくれていたので凄く可愛がっていた。それも彼女達が中学に上がる前の話だが。中学生になってからあまり来なくなってしまい、久しぶりに顔を見た。随分と大人びていてびっくりするくらいに綺麗になっている。

あの小さかった少女がこんな綺麗になっていると思わず、一瞬見惚れてしまうほどに彼女の容姿は整っていた。制服の上からでもわかる起伏は成長の証だろう。身体は徐々に大人になりつつあるようだ。別にいやらしい意味で言ったわけではないが。

 

「随分と大きくなったな。瑞樹ちゃん」

「……はい。青葉さん」

 

もう二年ほど会っていないせいかお互いに硬い挨拶になってしまった。

 

 

 

立ち話もあれだ。と、二人を通してお茶を淹れる。自分の分は甘ったるいコーヒー、二人の分は紅茶を淹れて簡易テーブルに並べる。向かい側に二人が座り二口ほど飲んだところでようやく要件を聞く姿勢に移る。

 

「んで。こんな朝早くからどうしたんだ?」

 

俺がそう切り出した理由は単純だ。いきなり押し掛けてくるのはいつものことながら、その時間帯がおかしいのだ。普段なら夕方くらいに勝手に来て勝手に居座る。そこに妹の友達まで随伴しているとあらばさっきの『泊めてください』案件も含めてなんだか俺の予想の斜め上をいく展開になっている気がするのだ。杞憂だといいんだが……。

 

「兄さん、泊めてください」

「いや、それはさっき訊いただろ」

「何も言わずに了承してください」

「いや、まぁそれはいいんだが……」

「言質とりましたからね」

 

妙に徹底している。怪訝な目で奈緒を見ると案の定、怪訝な案件だった。

 

「瑞樹ちゃん、よかったですね」

「……おい、なんでそこで瑞樹ちゃんが……」

 

朗報と言わんばかりに安堵の笑みを浮かべる奈緒に待ったをかける。

 

「まさかとは思うが……」

「はい。泊めて欲しいのは瑞樹ちゃんです」

 

–––いやダメだろう。社会的に。実家の方ならまだ友達の家に泊まりに来た、という程になるが此処は俺が借りたマンションの一室である。仮にも男の部屋に友達を招こうなど何を考えているのかこの愚妹は。

 

「んー。一日くらいなら構いはしないが」

 

もちろん妹も込みで。二人きりにされたら死んでしまう。俺が社会的に。

 

「一日、ですか……」

「あとごりょ……親の承諾はあるのか?」

 

御両親、といいかけて言い換える。

瑞樹の父親は既に他界しており、今は母親しかいない。

母娘で二人暮らしと聞いていたのを思い出し慌てて言い直す。

すると、今まで黙りとしていた瑞樹が口を開く。

 

「……許可を取る必要はないわ。もう、死んだもの」

「っ」

 

訊き返す勇気も俺にはなく、反射的に「え?」と返してしまいそうになった言葉を飲み込む。同じく沈痛な面持ちで俯いている奈緒を見るに事は重大なことを悟った。

まさか地雷源を避けたと思えば、そこに地雷があるなんて誰が予想できるだろうか。言葉を慎重に選ぶべきか事細かく事情を知るか選択肢がある中で俺はやはり我慢など出来なかった。

 

「じゃあ、今はどうしてるんだ?」

「さぁ、私はどうしたらいいのかしら」

 

訊けば葬式が終わりそのまま飛び出して来たらしい。

彼女の処遇の話になって、行く宛もなく歩いてふと思い出したのが親友で。

 

「引き取ってくれる親族とかは?」

「どいつもこいつもパパとママの遺産と保険金目当てで碌なのがいないわ」

 

いるにはいるけど、どいつもこいつも金目当てと。

 

「……それに私のことをいやらしい目で見てくるやつばかりだし」

 

確かに瑞樹は美少女で誰もが可愛い綺麗と賛辞を述べるだろう。こんな女の子がいたら誰だってそういう好意的な目で見てしまう。俺だってさっき見惚れてしまったのだ。

 

「というわけで兄さん、将来誰かを養う予行練習と思って瑞樹ちゃんと同棲してくれませんか?」

「何故、同棲と言った」

「どうせ彼女もいないでしょうし」

「いなくて悪かったな」

 

年齢=彼女いない歴の公式が成り立ってしまうという悲しい現実を背負う。最初から期待もしていないし誰かを本気で好きになったこともないので当然と言えば当然だが。

 

「しかし、俺が赦しても他の奴が赦さないだろう」

「大丈夫よ。遺言で母が予め信頼出来る人を選んでおいたから。保護者にはおじさま達がなるし」

「……は?うちの両親が?」

「瑞樹ちゃんのママが病死する前に遺言で兄さんや私達の両親の名前を指名していたそうで。話はつけてあるらしいのですが……」

 

きっと話をつけている相手はうちの両親だけなのだろう。勝手に遺言で指名されてるあたり親父達が伝達し忘れたのかもしれない。

 

「それとも青葉さんにとって私は邪魔なの……?」

 

懇願するように上目遣いで見てくる瑞樹の泣きそうな顔にやられ、俺の防波堤も脆く風化していく。

 

「いや、嫌ってわけじゃないんだ。むしろ嬉しいとは思うが……社会人になってまだ半端者の俺なんかより、親父達と一緒に暮らした方が不便もなくていいと思うんだが」

 

彼女のためを思うなら、此処にいるのは間違っている。

感情よりも理性的な思考が働き、勧めてみたのだが。

 

「兄さん。うちは再婚してまだ五年と経っていないんですよ。兄さんが逃げ出した家に置いておくのも少しばかり問題があると思うんですが」

「うぐ。いや、逃げたわけじゃないぞ。社会人になったんだし一人暮らしをだな」

「義妹をあんな甘ったるい空間に独り置いていくなんて兄さんは薄情ですよね」

 

義妹–––因みに、奈緒は義母の連れ子–––によって却下された。

 

「……まぁ、瑞樹ちゃんがそれでいいってなら俺もいいんだけど」

「良かったですね瑞樹ちゃん!」

 

此処に来てから今まで口数少なく張り詰めていた表情が僅かに安堵で緩んだ瞬間だった。

 

 

 

 

 

気づいたら朝食を食べたあと瑞樹は眠っていた。座布団を枕にして眠りこけている彼女を見るなり、奈緒も表情を柔らかくする。妹もまた緊張していた糸が解れたようだ。

 

「兄さん。瑞樹ちゃんは色々あって疲れているようですから寝かせておいてあげてください。あんなに安心した表情をするのはだいぶ久し振りに見ましたから」

「そうだな。その方がいいだろう。でも、流石に床の上はまずいだろ」

 

床の上で寝ると起きた時に身体が痛くなり休んだ気もしなくなる。それを危惧して俺は妹の親友を抱きかかえるとベッドに運び寝かせてやった。毛布も被せておく。春先とはいえ、毛布もなければ寒くて目が醒める。

 

「そういえば兄さん、今日は何も予定はなかったんですか?」

「ん?あぁ、別に大した用じゃないし別にいいんじゃね」

「どんな用だったんですか?」

「……いや、友達とパチ屋に開店から閉店まで……」

 

しどろもどろに言い切ると奈緒の目がすわった。

 

「別に兄さんの趣味をとやかく言うつもりはありませんが。生活態度を改めてください。今日からは私の親友と同棲なんですから」

「いや、お前が来た時点で今日は行く気なかったよ」

「今日は?」

「すみません。今後控えます」

「よろしい」

 

となると友人に連絡しておかなければならない。今日はいけないと。理由を言及されるだろうが妹が押し掛けてきたと言っておこう。事実だし嘘はついてない。

 

「本当に色々と間違ってると思うが。なんで俺なんかのところに連れてきたかね」

「そんなの兄さんだってわからないはずがないでしょう。あんなに安心しきった寝顔を見せるのは兄さんだけなんですから。それに瑞樹ちゃんのパパが死んだ時、寄り添って立ち直らせていたのは兄さんじゃないですか」

「昔の話だ。あの時は若かった」

「まだ二十一歳ですよね」

 

二十歳超えたら徐々に肉体は衰えていく。それを今、痛感しているところだ。

 

適当に生きて、適当に死ぬ。

ただそれだけの人生だと思っていた。

やる気もなければやりたいこともない。

それが俺である。

 

妹はそんな俺を見透かしているのだろう。

次に繋いだ言葉が裏付けていた。

 

「これで兄さんももう少し真面目に生きてくれるといいんですけどね」

「そのために大事な親友を俺のところに送り込もうってか」

「別にそれだけじゃないですよ。でも、兄さんは誰かのためなら頑張れる人なので効果はあるって信じてます」

「それ言っちゃいけないやつだろ」

「いいんですよ。兄さんは自分のやりたいことをやる。そういう人ですから」

 

–––この日から、妹の友達との同居生活が始まったのだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

関係修復と譲れないもの

前回のあらすじ。
妹が友達を連れて泊まりに来た。


 

 

一夜が明け、ついにこの日がやってきた。

 

「それじゃあ兄さん、瑞樹ちゃんをよろしくお願いしますね。呉々も妹の顔に泥を塗るような行為は慎んでくださいね?」

 

主に私の親友に手を出したらどうなるか分かってるでしょうね?と言い残して奈緒は帰って行った。態々遠回しにそういう言葉を選んだのは瑞樹を考慮してのことだろう。俺が襲い掛かるような不安を煽るような真似をしなかったのはこれからのことを考えてなのかもしれない。まぁそれがなくともギクシャクしたものにはなるだろうが。

この一日、奈緒が努力してくれたにも関わらず瑞樹とは昔と比べて距離が開いた会話しかしていない。昔のように仲良くするというのはどうも俺には難易度が高過ぎた。

 

「さて、じゃあ今日の夕食はと……」

 

玄関を出て行った奈緒を見送った後、もっとも懸念していた関係性について考えるより先に晩飯のことを考える。正直、俺には荷が重過ぎて現実逃避するしかなかった。

 

「私が作るわ」

「え?や、でも……今日くらいは外食にしない?」

 

彼女も疲れているだろうからとそう提案すれば、瑞樹は黙り込んでしまった。

 

「……わかったわ」

 

少しだけ彼女に元気がないように見えた。

 

 

 

外食を終えて自宅に戻る。適当に日用品を買い漁り生活に必要なものを揃えたはいいが俺達の間に必要最低限の会話以外が発生することはなかった。お互いに気まずい雰囲気のまま家へ入ると浴槽を掃除してお湯を貯める。やはり彼女は何かしら不満そうにしていたが結局口に出すことはなかった。

 

「はぁ、こんな非日常があっても明日は仕事なんだよな」

 

なんとか乗り切ったものの問題は山積みである。一人暮らしなら料理が出来ない日はジャンクフードや弁当で済ませていたが、育ち盛りの少女がいる手前そういうわけにもいかない。自炊はそこそこ出来る方なので問題はないのだが、遅くなる場合がとても心配である。

一番無視してはいけない問題はコミュニケーションの方なのだが、昔のように接することが出来ずイマイチ距離感を掴めていないのがどうも心苦しい。

 

「……」

 

風呂場からは跳ねる水音が聞こえ、思わず無言になってしまう。

今更ながら女子中学生と同じ屋根の下で過ごしているという現状に緊張してきた。

よく考えればこれは凄い状況だ。

女の影すらなかった俺の生活が百八十度反転してやがる。

 

「……この手だけは使いたくなかったが」

 

冷蔵庫から月に数本しか飲まない酒を取り出して呷る。普段は滅多に飲まないのだが、酒の力でも借りなければやってられない。酒が廻れば友人ほどではないがテンションは上がるのでコミュニケーション力を上げようという作戦だ。ただ素の人柄だけに効果が薄いのが否めないがしょうがない。

 

「あ、そうだつまみ」

 

よく食べるので買い置きしていたカシューナッツの袋を開けて、もう一度酒を呷る。

ちょうどその頃、脱衣所の扉が開き瑞樹が出て来た。

 

「お酒、飲んでるの?」

「ん、あぁ……っ」

 

声に反応して振り返った瞬間、俺は絶句した。何故ならそこに下着の上にワイシャツ一枚のみの瑞樹が立っていたからだ。当然のことながら下はパンツがちょっとだけ見え隠れしている。シャツの裾を引っ張って必死に隠そうとする仕草に思わず可愛いと思ってしまった。

 

「おまっ、なんて格好を……!」

「着替え下着以外に買ってないし。寝巻きなら青葉さんのシャツでいいかなって」

 

とんでもない艶姿で瑞樹は隣に座った。シャンプーの匂いと風呂上がりの色香が混ざり理性を擽る作用が発生しているが、なんとか酒のアルコール臭で誤魔化す。

 

「青葉さんもお酒飲むんだ」

「まぁ、普段はあまり飲まないけどな」

「……何か忘れたいこととかあったから?」

 

思わぬ的確な指摘に酒を飲む手が止まった。

濡れた前髪に目を伏せて、瑞樹は沈んだ表情を見せた。

 

「……やっぱり迷惑だった?」

「いや、そうじゃなくて。瑞樹ちゃんとどう接していいかわからなくてもう無理矢理にでも気分を変えてどうにか話そうと思って酒の力に頼るダメな大人でごめんなさい!」

 

酒の力恐るべし。思わず全部ゲロってしまった。

 

「……私もどう青葉さんと接していいかわからないわ」

「そ、そうか。まぁ、それもそうだよな」

 

不安なのは俺だけじゃない。瑞樹もきっと不安なのだろう。コレカラ。ソノサキ。突然、母親が居なくなって何も考えられなくなって。一番不安なのは彼女であるはずなのに。

最初からわかっていたことだけど俺はまだ未熟だ。大人として何もしてあげられない。支えてあげるべき大人がこれでどうしたものか。本当に人選ミスじゃないだろうか。

 

「取り敢えず、ダメな大人として君に出来ることは君の要望に応えるくらいしかないからさ。不満があればなんでも言ってくれ。出来る限り直すように努力する」

 

俺に出来るのは出来ることだけ。彼女を支えるためならば努力は怠らないつもりだった。

 

「……じゃあ、まず一つ」

 

瑞樹が見上げるような体勢でいるものだから自然と上目遣いに見える。その瞳が揺れているように見えて、風呂上がりだからか少しだけ頰が上気しているように見えた。薔薇色に染まっているのは体温が高くなっているからだろうか。

 

「子供扱いしないで」

「……具体的には?」

「流石にこの歳でちゃん付けは恥ずかしいわ」

「わかった」

 

子供扱い、という問題は定義し直すべきだろうがそれはおいおい考えるとして、まずは目先から変えていきたいらしい。期待したような目で見てくる瑞樹に俺は答えを形にする。

 

「……瑞樹、でいいか?」

「ええ。その、いいわ」

 

くるくると髪を弄り始める瑞樹の仕草が照れているように感じた。嗜虐心を唆られて思わずからかいたくなってくる。

 

「昔は青葉お兄ちゃんって呼んでいたのに今は青葉さんなんだな」

「だって、恥ずかしいわ」

 

くるくるが早くなった。

 

「別に俺も呼び捨てで構わないぞ。好きに呼べばいいし」

「私は青葉さんでいい。……今は、ね」

 

他人行儀なのもどうかと思って提案してみたが却下されてしまった。

何か後半言っていた気がしたが、言及よりも先に矢継ぎ早の不満が出てくる。

 

「それと家事は私がするわ」

「え、いや、それは……流石に任せるわけには」

「家では基本私がしてたから。大丈夫よ。お世話になってばかりじゃ嫌だし」

「……それだと俺がお世話されてるみたいになるんだが。俺も一応、普通に自炊できるんだぞ?昨日と今日は偶々外食だっただけで」

 

色々と考えることがあって手を抜いた結果がそれだ。

 

「青葉さんって生活に余裕あるの?」

 

とても痛いところを突いてきなさる。

 

「さ、流石に一人暮らししてるから家事くらいできるぞ」

「嘘よ。奈緒に訊いたわ、たまに行って家事してあげてるって」

 

面倒臭かっただけです。やればできるんです。という反論は出なかった。実際、そつなくこなすとまではいかないが家事スキルくらい持っているのだがサボりがちなのも事実。妹に世話を焼かれる身である。

 

「それにお金だってただじゃないもの。学費くらいはせめて自分で払わせて。高校を卒業するまでくらいのお金はあるから」

「なるほど……」

 

瑞樹は割と交渉が上手いようだ。暗に家事と学費を受け持つから生活費だけ工面してくれと、そう提案してるのだ。お互いに落とし所を見つけて納得できるような提示に流石に俺も引き下がるしかない。全部自分でやろうとしていたのも見抜かれてしまったらしい。この子は俺が守ると気負い過ぎていたせいか拍子抜けである。

 

「一応、通帳見せてくれないか?無理はさせたくないし」

 

嘘を吐いて無理している可能性を邪推してそう言ってみると、あっさりと鞄の中から通帳を取り出して瑞樹は見せてくれた。桁を見て一瞬自尊心が崩れかけた。なるほど親戚が血相を変えるわけだ。多分、彼女が大人になるまで必要なお金は生活費を含めて事足りるくらいには貯金されている。

 

「……わかった。でも、本当に無理はするなよ。好きなだけ甘えてくれ」

 

ぽんぽんと瑞樹の頭を撫でる。さっき子供扱いしないでと言われたのにこの扱い嫌じゃなかったかと改めて思ったが、瑞樹が初めて表情を緩めてくれたのだ。

 

「……じゃあ、ひとつだけお願いしてもいい?」

「俺にできることなら」

「また、昔みたいに座ってもいい?」

 

彼女が指し示すのは胡座をかいた俺の足の間。小学生の頃はそこにすっぽり収まる形で座っていたのだ。時々、抱きしめたり頭を撫でたりそんなことを繰り返していた。

それをワイシャツに下着だけの姿でやると言われれば、心の抵抗も虚しくあっさりと折れた。

 

「おいで」

 

了承を得て瑞樹は腰を軽く浮かすと膝の間に入ってくる。背中を預けて定位置を見つけるとあどけない表情を魅せる。俺もまた同じく心に安らぎを与えられていた。

 

「ねぇ、抱きしめてくれないのかしら?」

「いや、そのな……」

 

手のやり場に困っていると瑞樹自ら俺の手を取り三角座りした膝と顎に挟んで抱き締められる形を作った。この至近距離で見れば、彼女の目元が少し腫れていることに気づく。きっと誰にも訊かれないように風呂場で泣いていたのだろう。シャワーの音で掻き消されていた痕跡を見つけて俺は抱きしめる力を強くした。

 

しばらくの間、腕に落ちる温かい水滴と啜り泣くような声が部屋に響いていた。




ちなみに瑞樹と奈緒は中学三年生。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

私の在り処

 

 

 

「それで兄さんとはどんな感じですか?」

 

私の親友は登校時ににやにやと微笑を湛えてそんな詰問をしてきた。

今朝方、音もなく当たり前のように家に合鍵を使って侵入した彼女と遭遇した時、思わず悲鳴を上げそうになったのもついさっき。

とても楽しそうな笑みを浮かべる彼女には頭が上がらず、私も素直に答える。

 

「別に普通よ」

「普通、ですか……確かにいつも通り、いやそれ以上かな?」

「な、なによ……」

「いえ、瑞樹ちゃんが元気になったのはやっぱり兄さんのおかげなんだなって。私がどう足掻いても今の瑞樹ちゃんに戻ってもらうのは無理でしたでしょうし。とにかく嬉しいんですよ」

 

何処か納得した様子で語る奈緒に私は釈然としない気持ちを抱いていた。相変わらず、にこにこと満足げな笑みを浮かべられるものだから訳がわからず喧嘩腰な口調になってしまう。

 

「悪かったわね。心配させて」

「本当に酷かったですからね。あの時の瑞樹ちゃんは」

 

素直に礼を言えればいいものを、昨日までの自分を思い返して自己嫌悪してしまう。

あれは本当になかった。できるなら昨日の記憶を消し去りたい。

絶望の淵にいて、親友の声すら訊こえず、久し振りに大好きな人に会った反動で思いっきり甘えてしまった上、あんなはしたない格好を見られるなんて……。

あの時、シャワーに混じって涙を隠していたはずなのに、彼に抱き締められると不思議と安心感と共に失った悲しみと虚無感が押し寄せてきて子供みたいに泣いてしまったのだ。

その後のことは一切覚えていない。またベッドに寝かせられていたのはわかったのだが。

 

まぁ、親友が訊きたいのはそんなことじゃないけど。

 

「本当に何もないわよ」

「災い転じて福となすですよ。何のために兄さんのところを選んだんですか」

「そ、そんな余裕ないわよ」

 

私の母が死去し天涯孤独となった私、元々病気で余命宣告された母が遺してくれたのは将来の為のお金と誰に私を託すかという書状だった。財産を残す上で私の身を案じた母が信頼出来る人間に頼み込んでいたのだ。その名前の中に彼女の両親と青葉の名前が入っていたのは少なからず付き合いがあったからだ。

 

私にとって奈緒の兄、青葉は初恋の人。

それを知っていた奈緒が私と青葉の同棲を勧めたのだ。

 

「時間は幾らでもあるといえど兄さんだって男の人ですから、悪い女の人に引っかからないとも限らないんですからね。他の人に盗られても知りませんよ」

 

それもわかっている。でも、私はまだ中学生で結婚できる年齢ではない。それが余計に壁に感じていた。きっと青葉は私のことを女性として見てくれないだろうって。

 

「まぁ、言い過ぎるのも辛いところなので話を変えましょう。彼シャツ作戦は効きました?」

「一応、女の子として意識はされてる、のかしら……?」

「ふふっ、考えた甲斐がありましたね」

 

ちなみに寝間着をお金がもったいないという理由で買わなかったのは奈緒の策だ。下着も日用品も青葉のお財布から出費されている為、私は一銭も払っていない。

あれやこれやと昨日の事を詰問されているうちに学校へ辿り着く。階段を昇りながら彼女はふと思い出したように口にする。

 

「そうだ、放課後に予定はあるんですか?」

「あっちの家に服を取りに行くことになってるわ」

 

流石に全ての服を新しく買うわけにもいかない。寝間着の件で服を揃えようと決意された結果、放課後に待ち合わせて必要な物を取りに行くことになったのだ。

 

 

 

……。

教室に入るとこの有様。

教室を包んでいた喧騒が止み、会話を楽しんでいたクラスメイト達は私を見る。

遠巻きに眺めて、声をかけるべきか悩んでいるのか。するとそのうちの一人、男子生徒が歩み寄ってきた。

 

「もう大丈夫なのかい?」

「問題ないわ。別にそのことに関してはね」

 

母が死に途方にくれたまではいい。現在の問題をあげるとすれば、その同情したような視線をやめて欲しかった。

 

「その、何か力になれることがあったら言ってくれ。僕は君の味方だから」

 

きっと悪気はないんだろうけど。私はその言葉にうんざりしていた。鬱陶しさを覚える。親戚中そんな言葉を投げかけてきていたが、言葉の裏にある悪意を垣間見るとどうしても信じられなくなってしまうのだ。あいつは金目当て。あの男は肩に手を置いて無遠慮に触れてくる。下心が丸出しだ。

 

私の反応を見てか他のクラスメイト達も無遠慮に声を掛けてくる。先の抜け駆けを咎める声、私の身を案じる者、同情するならそっとしておいてくれというのが何故わからないのか。

 

「……ごめんなさい。少し一人にしてくれないかしら」

 

一喝するとクラスメイト達は一声掛けて散っていく。その最後の一言さえ私の頭を悩ませる要因となり、朝から陰鬱な気持ちになってしまった。

 

 

 

放課後、最後の夏に向けた部活動の時間。鬱陶しいくらいに訊いた同情の言葉もなりを潜めた頃、私はもう一つ陰鬱な気持ちになるものを下駄箱で見つけてしまった。

 

「……空気読みなさいよね」

 

私の下駄箱の中にあったのは手紙だった。十中八九、誰かしらからのラブレターだろう。私の反応を見て察した奈緒が苦笑いと共に労いの言葉を投げかけてくれる。

 

「モテるっていうのも考えものですね。瑞樹ちゃんは兄さん以外に興味ないのに」

 

労いに揶揄いが混じっていた気がするが、反応すればするほど弄られる結果になるのは目に見えているので敢えて触れないでおく。

 

「それはあなただって同じでしょう。先月は何回告白されたのかしら」

「んー、どうでしたっけ。そんなことより読まなくていいんですか?」

「お生憎様ね、私には予定があるのよ」

 

手紙を開封すれば予想通り、長文に亘る恋文である。要点を掻い摘んで説明するとどうやら同学年らしく校舎裏に来て欲しいとある。私が弱っているところに漬け込むあたり性質が悪いとしか言いようがない。

 

「さっさと終わらせてくるわ。あの人を待たせるわけにもいかないし」

 

教室の窓から校門の前に立っていた青葉の姿を見ているので、私は早足に校舎裏へと向かった。

 

 

 

「ごめんなさい。私には好きな人がいるの」

 

たった一行の告白にたっぷり数秒を要したあと、一考の余地なくばっさりと切り捨てた。もう何度も繰り返した返答でも私には幾分の余裕もなかったのかもしれない。私には目の前の男子生徒が誰かすらもわかっていないのだ。いつもならもう少し丁寧に断るのだけど、逸る気持ちが抑えきれずあの人のことが気になってしまっていた。

 

「そ、そうだね。大変な時にごめんね。今は考える余裕ないよね。返事は待つことにするよ」

 

–––いやもう諦めて。という言葉を苛立ちと共に飲み込み、代わりにきつめの口調で私は言い放つ。

 

「付き合う気はない。そう言ったわよね?」

「返事は後からでもいいんだ。今は保留にしてもらって」

 

–––これが返事なのだけど。

 

段々と苛立ちを隠せなくなっていた。

まるで成り立たない会話に私の機嫌も悪くなる。

そういえば、こんな顔同じクラスでも見た気がする。

 

「夏や修学旅行前に恋人を作りたいのかもしれないけど私は興味ないの。善意か弱ったところにつけ込んでるつもりか知らないけど迷惑なのよ。しつこい男は嫌い」

「ぐふっ……!」

 

どうやら半分図星だったようだ。呆然とする男子生徒を放置して私は校門へと向かう。その道すがら色んな人に声を掛けられたが適当に返して先を急ぐ。

グラウンドと校舎の間を突っ切り校門への道を駆け出しそうになりながら進む。

そしてその先、見慣れた背中を見つけて声を掛けようとした時、私は青葉と話している妙な大人達を見てどうも様子がおかしいことに気づいてしまった。

声がようやく届く場所に辿り着いたところで喧騒が耳に飛び込んでくる。

 

「–––さっさと帰れ迷惑だって言ってるのがわかんねぇのか!」

 

それは青葉の今まで訊いたことのない怒声。叫ぶまではいかないまでも、近くにいたら内容がわかってしまう声量で妙な大人達を怒鳴りつけていた。相手はおばさんと言っても差し支えない年齢の女性と、二十代後半か三十代に見えるくらいの不摂生な身体の脂ぎった男性、どう見ても関係性がわからない。

困惑していると傍にいた奈緒が私の方に駆け寄ってくる。まるで面白い見世物を見ているような、彼女の蠱惑的な表情が垣間見え嫌な予感がした。

 

「ねぇ、あの人達どうしたの?」

「覚えがないんですか?瑞樹ちゃんの遠縁の親戚らしいですけど。瑞樹ちゃんのことを片っ端から生徒に訊いて探し回っていて兄さんが声を掛けてあんなことに……」

 

親戚と言われても私にはよくわからない。確かに葬式には親戚と名乗る人達が多く現れたが、私自身殆どそういう関係を知らず育ってきたのだ。それこそ母が病気の時、親族は誰も見舞いに来なかった。この前の葬式で初めて見たくらいだ。

訝しげに様子を見守っていると今度は見覚えのない親戚達が怒鳴り返す。

 

「あんたみたいな子育ての経験もろくにない奴が年頃の娘を育てられるわけがないじゃない!どうせ下心があるに決まってるわ!」

「いい加減にしろよあんたら。あいつの事を考えてるとか言いながら、言動が伴ってないんだよ」

「やだ怖い。これだから若い男は。あの子も暴力で従わせてるんじゃないの」

 

その言葉に私が言い返そうとして前に出ようとすれば、奈緒が私の腕を掴んで止める。此処からがいいところだと言わんばかりに首を横に振る彼女を見て、私はどうも彼女が冷静でいる理由がわからなかった。自分の大切な兄が罵倒されているというのに余裕そうな微笑みを浮かべて私を諭すように振る舞うのだ。

 

「……じゃあ、あんたらに覚悟はあるか?」

「はぁ?何を当然の事を」

「命を懸けられるか?何があっても守ると誓えるか?不幸にしないと誓えるか?」

「子供も持ったことのないガキが偉そうに」

「……これ以上は学校側にもあの子にも迷惑だ。場所を変えるぞ」

「私達はあの子を迎えに来たのよ!なんで場所を変えなくちゃいけないのよ!」

 

キーキー喚くおばさんと青葉を取り囲むように周囲には人集りが出来ていた。それを見て青葉はそう提案したのだろう。あの人の様子を見て不摂生な男が唾を吐きながら喚き散らす。

 

「だいたいあんたあの子のなんなんだ!部外者は引っ込んでろ!」

「それさっき説明したろ」

 

面倒臭そうに青葉は言った。

私が訊きたい言葉はそんなものじゃなかったけど。

確かに明確な位置付けをしていない。

あの人からしたら、妹の友達くらいにしか映っていないだろう。

だから、私はもっと見て欲しくて補填する。

 

「青葉さんは私の大切な人よ」

 

あの人の隣に立って私はそう宣言した。

 

「あぁ、よかった。瑞樹ちゃんよね?話があるのよ」

「君にとってもいい話だよ」

 

もう青葉は眼中にないとでも言うように二人の視線がロックオンされた。悪意の中でも飛び抜けて凄く、生理的に嫌悪感のする視線を男の方から浴びせられて反射的に青葉を盾にする。

 

「お断りするわ。私は現状で満足しているしそれ以上は求めてないの」

「でも、こんな得体の知れない人のところにいるよりかは」

「それはそっくりそのままお返しするわ。親戚?知らないわよあなた達なんて」

「で、でもねぇ?年頃の娘が男の人と同居っていうのもねぇ」

「私の人生は私が決める。もう関わって来ないで」

 

そう吐き捨てて私は青葉の腕を引く。怒りもあって私は何処に向かうのかもわからず先を急いだ。

 

 

 

「瑞樹。止まれ……止まれって」

「きゃっ!」

 

ふと足が宙に浮いて私は素っ頓狂な声を上げる。腰に腕が回され持ち上げられる形で青葉に抱き留められていて、状況を理解した瞬間、私の脳は沸騰しそうになった。

 

「……その、悪い」

「青葉さん?」

「変な噂が立つのも嫌だろうから。良かれと思って止めようとしたんだけど、火に油を注ぐ形になってしまった」

 

……あぁ、そういうことか。

 

青葉の独白に私は彼が怒っていた理由を知る。すとんと地面に降ろされて、解放したあの人は申し訳なさそうに眉根を下げていた。

 

「きっと明日にはよくない噂が回るでしょうね」

 

どうやら自称親戚達は妙な事をしでかしてくれたみたいだし。だけど、怪我の功名か噂を塗りつぶす方法はある。

 

「青葉さんはもし私が引き篭もったらどうする?」

 

親がいなくなった不幸に重ね、妙な親戚が現れて、その噂が私に対しての悪意を生むものだとしたら。結果的に私がダメな子になってしまった場合、青葉が私をどうするのか興味があった。だから、これはもしもの話だ。

 

「そんな心配しなくても絶対に見捨てないって」

「もしもの話よ。適当に誤魔化しておけばどうとでもなるわ。その場合、青葉さんに迷惑をかけることになるかもしれないけど」

 

その場合、ちょっととは言い難いけれど。

青葉はそれでも私の頭を撫でてくれた。

笑って、私から目を逸らさないでいてくれる。

そんな彼の腕に抱き着いて、胸の鼓動が伝わればいいなと、願いを込めながら私は緩んだ笑みを向ける。

 

「ねぇ、青葉さん、晩御飯は何がいい?」

「瑞樹の得意な料理、かな」

「じゃあ、今晩はシチューにするわね」

 

青葉が私を支えてくれるように、私もまた彼を支えたい。

そんな思いを胸に私は彼と共にある事を望んでいた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

どうやら相談相手を間違えたらしい。

 

 

 

六月、梅雨の時期。

瑞樹と同棲を始めて一ヶ月と少し。

鬱陶しい雨が窓を打つ音を訊いていると俺に声を掛ける女性がいた。

 

「神崎君、今帰り?」

「あ、小鳥遊先輩。お疲れ様です」

 

某会社のとあるフロア、早々に仕事を終わらせて帰宅しようとした俺に声を掛けたのは小鳥遊文香。歳は二つ上の二十三歳。会社の先輩である。社内でも美人と評判の人である。

黒髪を肩甲骨辺りで切り揃えたストレートヘアに、可愛いと綺麗を両立させた大人っぽさと幼げな顔は男性職員には人気で密かに恋心を寄せる人間はきっと少なくないだろう。

 

さて、そんな先輩に話しかけられた俺といえば曖昧に笑い返すのみ。憧れとかそういったものはないのかと訊かれればあるのだろうが、分不相応なので恋愛対象として考えたことはなかった。……それのせいでこの美人先輩には絡まれる結果になっているのだが。

 

「ねぇ、神崎君、暇なら飲みに行こうよ」

「あー、すみません。用があるので」

 

用事がある、というのは建前で家には瑞樹が待っているから早々に帰宅したいのが本当の理由だ。

 

「むぅ。最近、神崎君付き合い悪いよ。前は断る事殆ど無かったのに。もしや彼女さんでもできたとか」

「ははっ、それは絶対にないっすよ」

 

『女』という点では合っているが、どう考えても状況が異質すぎて正解にまでは至らなかったらしい。人間の想像の範疇を超える今の環境に今更ながら俺の人生どうなってるんだろ、と思ってみたりもする。

 

「あ、妹さんが家に来るとか」

 

当たらずも遠からず。やはり常人では正解には至らないのか。

 

「まぁ、そういう感じなんで」

「……妹さんの友達に懐かれてたりする?」

「な、何ですか急に?」

「それくらい妹と仲良いならありえるかなと思って」

「何でそういう発想に」

「女の勘ってやつかな」

 

不意にぴたりと言い当てる先輩が怖い。女怖い。

懐かれているというか、同居?同棲?してるんだけど。

 

「女の子と会う約束があるんでしょ」

 

家にいるんですけどね!

 

「言っておきますけど先輩の考えているような展開はないですからね?中学生ですよ」

「ふーん。私と飲みに行くよりも大事なんだ」

「比べるまでもないですね」

「ロリコン」

 

どことなく不満そうな表情で小鳥遊先輩は罵倒してくる。そうは言うが小鳥遊先輩が誘えば大抵の男は断らないし、女性ウケも良く職場内では人気者であるが故に誘う相手には困らないだろう。週に二回は誘われるが最近は全部断っている俺の言えた義理ではないが、本当に彼女の誘いなら断る奴はいないだろう。

 

「他の人誘えばいいじゃないですか」

「私は神崎君と飲みに行きたいの」

 

本当に俺が言えた義理ではない。最初誘われた時、俺は小鳥遊先輩の誘いを断っているのだ。その後、何かと気に入られてよく一緒に飲むようになったのだが最近は瑞樹の事もあり遅く帰ることは控えている。小鳥遊先輩もまたフラストレーションが溜まっているのであろう。

 

「神崎君だって私が君と以外飲まない理由わかってるでしょ」

「基本的に男はNGなんでしたっけ」

「隙さえあらば言い寄ってくるからねー、その点君は私に好意とか抱いてないしね」

「女性の方を誘えばよろしいのでは?」

「神崎君と話をするのが楽しいから私は神崎君を誘ってるんだよ」

 

大真面目に理由を暴露されれば、俺もまた呆けた顔で礼を言う。

 

「それは……ありがとうございます?」

「本当、最近は構ってくれなくなったよね。なんで?」

「……絶対信じないと思うんですけど」

「まさか私が神崎君の言葉を疑うと思う?」

「そうですね。他言無用でお願いします。実は……」

 

おおっぴらに話せる内容ではないが、一応信用はできる相手という理由もあって、相談相手に女性が欲しかったというのもある。女の子の扱いというのをまるで心得ていない俺は即座に白状した。

 

「……え、それなんてエロゲ?」

 

相談した直後、小鳥遊先輩が発した言葉がこれである。

 

「いや、おかしいでしょ。なんで妹の友達が転がり込んでくるの。一緒に住んでる?歳頃の少女と?一つ屋根の下で?」

 

これが普通の反応だ。ようやく客観的に観れた。

 

「不健全。……不健全だよ。神崎君、今から家に行っていい?」

「え??」

 

小鳥遊先輩が俺の家に行きたい。そう言ったのは初めてである。ある程度異性を警戒している節があり、そんなことをお願いされるとは夢にも思わなかった。職場で『小鳥遊文香が男の家に行った』と広まれば針の筵は回避不能だろう。もうその際は他にも同席者がいたと言って場を収めるしかない。

 

「いや、うち来ても面白くもなんともないですよ」

「その子のことが心配で外で飲めないんでしょ?なら、神崎君の家で飲めばいいよね」

「えっと……一応、受験生が居ますしそういうのは控えたいというか……」

「大丈夫。八時には帰るから。ね?」

「……許可を取るので待ってください」

 

すぐさまスマホでSNSアプリ『Rain』を起動して瑞樹に連絡を取るべく電話を掛ける。するとスリーコールもしないうちに通話状態になり鈴の音のような可愛らしくも美しい声が訊こえた。

 

『青葉さん?どうしたの?』

「いや、その、実は職場の先輩が家で飲みたいって……連れて行ったらダメか?」

『なんでそんなことを私に訊くの?』

「一緒に住んでるんだし、瑞樹が嫌がるかと思って。ダメなら絶対に連れてかない」

 

クスッとまるで鈴が転がったような音がした後、ちょっとだけ声音が変わる。

 

『男?女?』

「あぁ、安心しろ。女性だから」

『……そう。いいわよ別に連れて来ても。私もその人に興味あるし』

「じゃあ、今から帰るな」

 

プツリと通話が終了する。女性と言った途端、更に声音が冷たいものに変わった気がするが気のせいだろうか。何処か最期の会話が不機嫌なように感じられたのも、果たして……。

 

「許可は出たんで行きましょうか」

 

多くを知るわけではない俺が瑞樹の心境を悟ろうとするのは土台無理な話だ。思考を一旦放棄して俺は小鳥遊先輩と会社を出た。

 

 

 

 

 

近所のスーパーで買い物をしてから帰宅した。玄関のドアの鍵を開け中に入り「ただいま」と言うとパタパタと足早に駆け寄ってくる気配が一つ俺を出迎える。もう既に一ヶ月程繰り返した光景に俺は頬を緩めながら、仕事の疲れを癒してくれる愛らしい存在が笑いかけてくれる今の幸せを噛み締めているところ、瑞樹は普段と変わらない微笑を浮かべてたった一言返してくれる。

 

「おかえりなさい。青葉さん」

「うん。ただいま」

 

もしかしたら、俺はこのためだけに仕事をして、今を生きているのかもしれない。

 

「……それでその人がさっき言ってた」

「そう。小鳥遊先輩だ」

 

俺は二人が向かい合うように退いた。

 

「初めまして。神崎君と同じ会社の同僚の小鳥遊文香です」

「…倉科瑞樹です。いつもうちの青葉さんがお世話になっています」

 

一瞬、睨み合う龍虎ならぬ小動物が見えた気がする。

異様な胸騒ぎを覚え、俺は会話を断ち切るべく動く。

 

「まぁ、玄関にいるのもあれなんで奥に行きましょう」

 

玄関を抜けて、リビングへ。適当なソファーに小鳥遊先輩を座らせその対面に座る。さっき買ったつまみと酒を広げていると瑞樹が小皿を一つ持って来た。

 

「これならお酒のつまみになるわよね。よかったら小鳥遊さんもどうぞ」

 

皿に盛られていたのは鰤大根。一口サイズに切られておりなんとも可愛らしい一品に仕立て上げられており、瑞樹の個性が出ている料理になっている。

一緒に暮らしてわかったことだが瑞樹は家事が上手い。掃除、洗濯、料理。特に料理は毎日食べても飽きないほど美味く、正直将来彼女の夫となる男が羨ましい限りだ。

その瑞樹といえば、勉強をすると退室してしまい隣の部屋に行った。

 

「……なぁるほど。大変そうだけど、彼女幸せそうだね」

「そう見えるか?」

「神崎君はもう少し瑞樹ちゃんの気持ちをわかってあげなよ。じゃないと可哀想だし」

「……まるで瑞樹は俺に好意があるみたいな言い方ですね」

 

急に真剣味を帯びた声で説教気味な言葉を浴びせられ、俺も真面目になって返す。

 

「俺はあの子をそういう目で見るわけにはいかない。先輩はわかってるはずですが」

「感情論だけでいいと思うけどな、私は。君ってそういう理屈とか似合わないし」

 

酒を呷り言葉を濁す。

言葉を探しているうちに、小鳥遊先輩は言い募る。

 

「成り行きで同棲することになったとはいえ、形は違えど愛してるんだね」

「そりゃあ俺に生き甲斐というものを与えてくれたわけですから」

 

瑞樹が与えてくれた幸福を返せるように頑張りたいと思う。

 

 

 

「帰ったのね。あの人」

 

小鳥遊先輩が玄関から消え、いつのまにか側にいた瑞樹と一緒に後片付けをしていたら口をついて出たのはそんな言葉だった。

 

「……青葉さんとあの人はよく一緒にいたりするの?」

「たまに飲みに行く程度だよ。家で飲むのは初めてだけど」

「ねぇ、青葉さんはあの人のこと好きなの?」

 

女子はそういう話題ばかり気にする傾向があるように思う。不安げな目で見上げられれば、保護欲が掻き立てられてしまう。これは父性かまた別のものか。確かなことは『愛』という様々な形を持つ感情で、俺が瑞樹を大切に思っていることくらい。

瑞樹の頭を髪を梳くように優しく撫でる。ずっと触っていたいほど綺麗な金髪の絹糸のような感触に思考の一部を奪われながら、俺は瑞樹を安心させるべく誤解を解いておくことにする。

 

「小鳥遊先輩のことは人間としては好きだけど、異性としては見てないよ」

「……そう。よかった」

「今の俺の優先順位は瑞樹だから、まぁ安心してくれ」

「なら、もし恋人がいて、恋人に私を追い出せって言われたらどうするの?」

「その時は恋人と別れる。瑞樹が一番大事だからな」

 

はっきりと断言し、なお瑞樹が安心できるように胸に誓う。

それを訊いた瑞樹は林檎のように顔を真っ赤にして俯いてしまった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

梅雨の終わりに

瑞樹ちゃんの暴走。


 

 

 

男と女が一つ屋根の下で暮らす。上手くやっているように見えて、実際に問題が起こらないはずがなかった。瑞樹が着替えているところに遭遇して偶然にも下着姿を見てしまったことがある。その時は無言で扉を閉めたが時既に遅く、目が合った彼女は騒ぎ立てるでもなく頬を赤くしてさっさと服を着てしまい部屋から出てきたのだが、その後の会話はぎこちないものになった。

 

他にも問題はある。

 

女性物の下着が干してあったり、洗濯籠に入っている様を見ると異様にドキドキしてしまうのだ。目を離すことは難しくなかったが、その一瞬で脳は記憶に保存しており簡単には消去させてくれない。

たまにジッと見てしまうのは男の性としても、その劣情を瑞樹本人にはバレないようにしなくてはいけないだろう。襲いかかるなど言語道断だ。

言い訳をさせてもらうならば、俺には女性物の下着は刺激が強過ぎるのだ。多分、俺が特殊な変態なわけじゃないはず……。

 

そうなればもう一つ問題があるのはわかるだろう。

睡眠欲と食欲が満たされれば後は一つ。

……隠れて処理する方法を早急に考えなければいけない。

まさか、こんなことに悩むことになるとは誰が予想できただろう。

 

「……取り敢えず、風呂でも沸かして入るか」

 

まだ帰って来ていない瑞樹の安否を案じ、風呂から上がっても帰って来なかったら連絡することにして俺は浴室へと向かった。

 

 

 

「……あいつ遅いな」

 

時刻は午後六時。まだ瑞樹は学校から帰って来ていないようだ。今日は早上がりで先に帰って来てしまったため、待つのが億劫だったので適当に時間を潰すべく風呂を沸かして入ったのはいいが、無性に気になる。

瑞樹は年頃の女の子の上に容姿は可愛いし綺麗だ。故に恋人もいないはずがないだろうし、部活という可能性もあり、あまり過保護なのもどうだろうと待ってみたのだが、どうも堪え性のないようで気になってしまう。

しつこい男は嫌われるという話があり、俺も例外なく瑞樹に嫌われるのは嫌な人間なようでおとなしく待っていたのだが、それも限界に近く今にも電話したい気持ちに駆られる。

 

–––と、風呂から上がってそろそろ連絡しようと考えた時だった。

 

玄関の開閉音が浴室に届いた。

 

「ん、帰って来たな」

 

ほっとしたのも束の間、洗面台のある脱衣所に入ってくる。磨りガラスの向こうで何をしているのかはわからないが洗濯でもするつもりなのだろう。雨が続いていて洗濯できない日もあるが、瑞樹に言われて乾燥機も買ったのだ。楽観的に考えながら様子を窺っているとぴたりと止まって、それから数秒後には衣擦れの音が響いた。

 

ぼーっと浴室の天井を見上げていたのも束の間、扉が音を立ててゆっくりと開かれる。

 

「瑞樹、どうし–––」

 

音に反応して振り返った先、俺はそこにいる彼女の姿を見て言葉を失ってしまった。瑞樹は胸元だけを腕で隠して裸体を晒していたのだ。瑞々しい肌の小柄で華奢な体躯に形の良い胸、すらりと伸びた手足、その先の嫋やかな指、裸体だというのに少女の魅力は可憐で美しいという点に尽きる。

 

一瞬、俺が風呂にいたのがわからなかったのかと考えた。だが、瑞樹と視線は合っているし取り乱した様子もない。すっと視線を逸らしたのは瑞樹の方で頰は薄く赤みを帯びているので今の状況を理解していないというわけでもない。思わず見惚れてしまっていると彼女が先に口を開いた。

 

「その…突然、雨が降って…傘持ってなくて…濡れてしまったし…風邪引くと病院に行くのもお金がかかるし…」

「そ、そうか、悪い!今すぐ上がるから–––」

「…あ、待って!」

 

浴槽から上がり、浴室の外に出ようとすれば瑞樹に抱き止められた。柔らかな胸の感触が伝い、全体的に女性らしい柔らかさが触れる中、俺の脳髄はとある欲に支配されていく。

 

「わ、私…青葉さんと一緒でも…いいから」

 

その熱が冷めたのは、彼女の身体が雨に濡れて冷たかったからだろうか。声が震えていたからか。

俺は瑞樹の誘惑に抗えず、もう少し浴室に居座ることにした。

 

 

 

動物は視界の端で動くものを目で捉え、わかってはいても目で追ってしまう生き物である。逸らさなければと思いつつも、瑞樹の裸体に目が釘付けでチラチラと見てしまい、情けない自分に自己嫌悪しながら彼女が身支度を終えるのを待っていた。

ようやく体を洗い終えて瑞樹は浴槽に入ってくる。背中を向けようとすれば、回り込んで足の間に座られ俺も動揺を隠せない。

 

「み、瑞樹……?」

「こ、こうした方が広く感じる、でしょ?」

 

俺だけではなく、瑞樹も緊張しているように見える。下半身が密着していないのが唯一の救いだろうか。壊したくない今の関係があるからか俺の理性は未だ健在。耐える。

 

「「……」」

 

互いに無言でいるせいで浴室に静寂が満ちた。

何か話さなければ……とは、思うものの話題が見つからない。

見つからないというよりは思考が働かない。

そんな状況を崩したのは、湯の中で重ねられた手の感触と、

 

「…その、あまり見られるのは恥ずかしいのだけど…」

 

俺の視線を咎める瑞樹の一言だった。

 

「み、見てない」

「嘘。絶対見てた。女の子は視線に敏感なの。何処とは言わないけれど……」

 

チラリ、と視線が合う。方や目の前の少女を見下げるように……だが悲しいかな視線は胸元に奪われがちで、瑞樹が見上げた目と合ったところ言い逃れなどできはしない。

 

「……ごめん」

「別に怒ってないわ。少し、恥ずかしいけれど」

 

恥ずかしげに俯き、上擦った声で瑞樹は言う。

だが、まだ終わりでは無い。

 

「……私の下着、たまに見てるわよね?」

「いや、あれは視界にたまたま入っただけで……」

「でも、じっくり見たんでしょう?」

「数秒だ、数秒。つい……目が奪われただけで」

「そ、そんなに欲しいの……?」

 

洗濯物の話である。一言話す度に真実が露わになっていく。だが待て、欲しいとは言ってない。

 

「……あ、青葉さんが欲しいなら、あげるわ」

「…あのなぁ瑞樹さんや男性をからかうのはやめなさい」

 

ちょっと欲しいと思ってしまった自分が恨めしい。思わせぶりな態度でからかってくる瑞樹を窘め、平静を装うが彼女の瞳は真っ直ぐに見つめてきていて、透き通ったその目に見透かされているような気さえしてくる。頰が薄く色付いているのは体温が上がっているせいか、それすら瑞樹の魅力を引き立てる要因となっていて愛おしさが込み上げてくる。

 

「…別に冗談のつもりはないわ」

 

ぼそりと呟いた言葉は、浴室に良く響く。

継いだ瑞樹の一言は、何よりも理性を擽るものだった。

 

「…青葉さんなら、好きに触っていいのよ」

 

重ねられた手を瑞樹は自らの胸元に持っていく。そして、僅か数秒後には俺の掌が彼女の左乳房に押し付けられていて、湯以外に与えられた情報に脳内はパニックを起こしかけていた。柔らかく温かな感触と微細に伝わってくる胸の鼓動、現状に吃驚すればそれは指の先まで神経を伝達し、不可抗力にもまるで胸を揉むような動きをしてしまう。

 

「…んっ…」

 

小さく吐息が漏れ、瑞樹の瞳が揺れた。

 

「あの、瑞樹さん……?」

 

今日の瑞樹は様子がおかしい。正確には、小鳥遊先輩と会った日ぐらいから何処か落ち着かない様子だ。慌てて手を離せば彼女は背中を預けて凭れかかってくる。

 

「ねぇ、青葉さん、昔一緒にお風呂に入った時のこと覚えてる?」

「そ、そりゃあまぁ……」

 

あれは彼女が小学五年生の頃だろうか。何故か瑞樹の家に妹共々俺まで泊まることになり一緒に入ることになったのだ。最終防衛ラインである瑞樹の両親はその役目を果たさず、むしろ推奨してきた結果であるのだが。思えば、瑞樹の両親とまともに会話したのはこの日で彼女と暮らす切っ掛けの一つに成り得たのもそのおかげかもしれない。

 

「のぼせる直前まではしゃいでたなぁ」

 

髪洗って、背中流して、と要求してくる女王様のような振る舞い。小学生の頃の瑞樹はわがままな部分が強く、そんな要求に応じていたのを覚えている。

 

「それは忘れて」

「俺が次回を約束するまで梃子でも動かなかった」

「だってしょうがないじゃない。その頃から好きだったんだもの」

「……え?」

 

さらっと聞き捨てならない台詞が訊こえ、その言葉を確かめるよりも前に瑞樹は独白する。

 

「私の初恋はまだ終わってないの」

 

その言葉の意味を俺は理解できる。

初恋の相手も、そしてそれがどうなったのかも。

いつかきっと思い出話になると思っていたが、どうやら瑞樹の中では終わっていないらしい。

泡沫の夢をまだ彼女は見てる。

 

きっと世界の何人かは経験したことがあるだろう。幼い好きという感情の延長線上にある結婚の約束、それが果たされるのは僅か少数で実現されることも少ない。

 

俺もまたそう思っていたのだ。

だから、優しく諭した。

それがその場凌ぎの口約束だなんて大人になればわかること。

それでも夢は終わらない。

 

「それだけは覚えておいて」

 

一人残された浴室で、その言葉の意味を反芻した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

親友の誤算

前回のあらすじ。
妹の友達が風呂に乱入してきた。


 

 

 

小学六年生になったバレンタインのことだった。どうにか初恋の人に想いを伝えたくて、本命チョコと共に気持ちを込めてラブレターを書いた。渡す時に告白もした。『好き』と言葉にするのは思いの外難しくて、気恥ずかしさもあってその時のことはあまり覚えていないけど、私が嬉しくなるようなことを彼が言ってくれたのは覚えている。

 

–––もう少し瑞樹ちゃんが大きくなって、それでも好きだったらいいよ。

 

そんな感じに言いくるめられたような気がする。

 

何か約束をしたのは覚えてる。結婚だったか、恋人になるって話だったかは曖昧だけど。正確には覚えていないので記憶は断片的だ。

 

父が死んだのは小学校卒業を間近に控えた日。辛いことが起きたせいで、私は小学生の頃のことがあまり上手く思い出せない。正確には思い出したくないのだろう。楽しい事、辛い事、悲しい事、嬉しい事、全てが一緒になって思い出すのをある程度脳が拒否しているのだ。

 

 

 

–––だから、今見ているこの光景はきっと夢。

 

 

 

目の前には小学校六年生の私がいる。勇気を振り絞って青葉に告白している私、父が死んで大泣きしている私、中学生になってからは家事を全般的に頑張っている私、部活をしている私、勉強をしている私、そして最後に母を亡くして天涯孤独の身となった私。

 

これが私の人生。

 

何も父が死んで悲しんだのは私だけじゃない。母は一時期、私に構う余裕もなかったし、そんな私を慰めてくれたのが彼で、私の心を支えてくれたのは青葉だけだった。

母が働きに出ている間、家事を全般的に覚えるためにかなり無茶をした。

精神的に疲れていても、そんな私を支えてくれたのはバレンタイン時に交わした言葉。

今は断片的にしか覚えていないけど、私は青葉に相応しくなろうと頑張った。

だから今の私がある。

 

『嘘だったら許さないから』

 

幼い私は笑顔で詰め寄っている。

 

青葉も何かを喋っているけど音は拾えない。

あの時、青葉は何を言ったのだろうか。

今更、そんなことを言っても迷惑だっていうのはわかってる。

それに私も踏み出せないでいるのは同じ。

 

幸せそうな幼い私がいて、その幼い私は青葉に顔を近づけて–––。

そこで夢は覚めた。

 

 

 

 

 

 

「……んぅ。んん…」

 

意識がゆっくりと覚醒する。まだ浸っていたい微睡みの中、呼び掛ける声がして視線だけを向けるとそこには変わらぬ親友の姿があった。優しげに微笑む姿を見るとどうも安心してしまう。

 

「ぐっすりでしたね。もう夕方ですよ」

「…いつから寝てた?」

「最後の授業の後半からですかね」

「起こしてくれればいいのに」

 

あぁ、でもあの夢の続きは見たかった。それだけがとても残念だった。そういう意味では起こしてくれなくてよかったとも思う。

まだ意識がはっきりせずぼーっと椅子に座っていると、対面に椅子を引いて奈緒が座る。

 

「それでどうでした?昨日は」

「……」

 

思わず口を噤んだ私を見て、悪戯っぽく笑みを浮かべている奈緒から顔を逸らしとぼけたふりをすると彼女はしっかりと明言してくる。

 

「濡れ濡れ透け透け大作戦は成功しましたか?」

 

『濡れ濡れ透け透け大作戦』とは–––。梅雨が続き、鬱陶しい雨を見て奈緒が思いついた所謂憂さ晴らしだ。傘を差さずに雨に濡れて帰ることで夏服の下にある下着を自然な感じで透けさせ青葉を誘惑してしまおうという作戦だ。本来なら私もやる気はなかったのだが、この前青葉が連れて来た女性のことが気懸りで嫌とは言えず、流されるままに気がつけばずぶ濡れで家に辿り着いていた。此処までが奈緒の策。

誤算だったのは青葉がお風呂に入っていたこと。当初の予定ではすぐにお風呂に入る予定で一目見てくれさえすればそれでいいはずだった。もう一つ誤算だったのは私は思ったよりも追い込まれていたこと。青葉に女の影があるとわかって、それにとても綺麗な人だったから、あんな人が青葉に迫ったら勝てる筈もないと思って……。

 

「失敗。これで満足?」

「……そうですか。それは残念です」

 

奈緒の計画は失敗。嘘は言ってない。

 

「まぁそれより次の策を練りましょうか」

 

気にした様子もなく奈緒は一枚の紙を突きつけてくる。大きく書かれた文字を見ると『三者面談』の文字が。眠気も覚めるような頭悩ます内容に私の顔も険しくなる。

 

「もうそんな時期なのね」

「瑞樹ちゃんのことだから、兄さんに相談もせず悩んでしまうのかと思いまして。勝手ながら報告させてもらいます」

「……瑞樹のご両親には悪いけど、おばさまじゃダメなの?」

「ダメですよ。大事なことなんですから」

 

私が青葉に相談できないのも全て奈緒にはお見通し。

遠慮なく互いに言い合えるから、彼女は私の親友なのだろう。

 

「小さな事から距離を縮めないと。一応、瑞樹ちゃんにもアドバンテージはありますけど、大人の女性に誘惑されたら兄さんだって簡単に靡いてしまうでしょうし」

「でも、なんだか悪いことをしている気がするわ」

「好意を抱いてもらうためにアプローチするのは誰でもやっていることですよ。兄さんの同僚の女性だって何かしらやっているはずです」

「……そうかしら?」

 

アプローチの仕方を間違えている気がするのだけど、奈緒は気にした様子もない。なんだか青葉を騙している気がしてならないのだけど妹的にはいいらしい。

 

「チャンスだけなら幾らでもありますけど、もっと瑞樹ちゃんは押していかないと。兄さんは恋愛に対しては臆病ですから。絶対に兄さんの方から告白してくるなんてありえません」

「わかってるわよ。もう一度告白するわ」

 

そう。わかっている。青葉が告白してくることは絶対にない。だから私から行く。彼から告白してほしいだなんて夢を見ていたら取り返しのつかないことだってあるのだ。まだ時間があるとは限らない、それを両親は最後に教えてくれた。

 

「次のイベントといえば瑞樹ちゃんの十五歳の誕生日ですね」

「誕生日がどうしたのよ」

「兄さんは誕生日プレゼントを選ぶのは苦手ですから。そこでデートに誘うんですよ」

「む、無理よ。誘うなんて」

「そんなこともあるかと思ってこちらでなんとかしますから瑞樹ちゃんは心配しなくても大丈夫です」

 

相変わらず、恋愛に関してのサポートは万全過ぎておんぶにだっこな状況に頭が上がらなくなる。ともあれ私の親友は楽しんでいるような節がありそこが問題なのだけど。

 

「ねぇ、前から疑問に思ってたんだけど」

「なんですか?」

「奈緒ってそういう知識は何処から持ってくるの?」

 

私の親友も恋愛経験はないはずで、極度のブラコンである彼女は青葉以外の男性に興味がない。つまり付き合った人がいないわけで、恋愛に関しては私と同じはずなのだ。

そんな疑問を叩きつければ、奈緒はその秘密を暴露した。

 

「兄さんって恋愛系の漫画が好きなんですよね。割と役に立つんですよ」

 

つまり、奈緒の恋愛に関する知識はそこから来ているらしい。ちょいちょいと手招きする彼女に耳を寄せれば小声で囁かれたのは青葉の秘密だった。

 

「お気に入りは全部持って行ったので兄さんの部屋を探せばあると思いますよ」

「なんで小声なのよ」

「ちなみにえっちなゲームも漁れば出て来るはずです」

「……そ、そう」

 

あの人の部屋を掃除してえっちな本が出てこないと思ったら、殆どパソコンに入っているらしい。帰ったら調べてみようかしらと一人意気込んでいると奈緒は鞄を手にして立ち上がる。

 

「というわけで行きましょうか。善は急げですよ」

 

こうして放課後の予定が決まった。

 

 

 

 

 

家には勿論、青葉はいない。仕事が終わる時間までまだ少しある。玄関から真っ直ぐに青葉の部屋に直行すると奈緒は慣れた手つきでパソコンを起動した。起動するまでの間に棚を漁り十八禁のシールが貼られた箱を積み上げていく。その数は四つほど。表面は可愛らしい女の子の絵が描かれているのに、裏面は肌色成分多めでエッチだった。

 

「まぁ、取り敢えずは兄さんのお気に入りのキャラのストーリーでも観てみましょうか」

「わかるの?」

「兄さんの好みは把握してますので」

 

そう言って奈緒はセーブデータの一つをロードする。すると画面に映し出されたのはスタイル抜群の高校生くらいの黒髪長髪の女性。登場人物は全て成人年齢です、とかいう謳い文句は一体なんなのだろうか。

 

「ちなみに兄さんの好みは長髪です。他にも靴下はニーハイソックスか黒タイツとか、靴下を選ぶならそうした方が良いですよ。兄さん太腿好きなので」

「そ、その……青葉さんから見て私って…その…」

「胸ですか?瑞樹ちゃんは気にしなくても大丈夫ですよ。ないよりあるほうがいいらしいですけど、巨乳好きというより美乳好きですからね兄さんは」

 

ほっと胸をなでおろす。

 

「あ、そろそろですよ」

 

そんな会話をしている間にゲームの方は進展を迎えていた。

二人きりの密室で主人公がヒロインと愛を語らっていたのだ。

絵が変わりキスシーンへ。

淫靡な女性の声がテキストに沿ってスピーカーから流れ始め、私は思わず目を隠した。指の隙間からパソコンのディスプレイを盗み見る。

そして、物語は進みヒロインが服をはだけさせた。そしてそのまま……。

 

「ね、ねぇ、青葉さんもやっぱり……こういうの興味あるの?」

「兄さんも男の子ですから。最終的には瑞樹ちゃんと兄さんもこうなるんですよ」

 

自動再生にしているから、奈緒がクリックしなくても物語は進む。思ったよりもいやらしい声がスピーカーから流れ続け私はずっと顔を赤くしながらその様子を見守っていた。

絵であるのに、恥ずかしさが込み上げてきて……でも画面から視線を外せない。

 

「な、奈緒は平気なの?」

「慣れました」

 

慣れた、とは……。

 

「さて、それじゃあ私はそろそろ帰りますね。漫画の方は棚にあるので読んでもいいと思いますよ」

 

奈緒が鞄を手に逃げるように部屋を出ようとする。親友の背中を視線で追いかければ、彼女はすり抜けるように部屋の入り口に立っている人を避けて帰ろうとして捕まる。

 

私は思わず、目を逸らした。

 

「あ、青葉さん、おかえりなさい」

「……ただいま」

 

もちろん、奈緒は逃げられなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

瑞樹の誕生日計画

Q,何故、更新が滞ったか?
A,ポケモンの図鑑集めしてたら更新する暇がなかった。


 

 

 

仕事が終わり重い足取りで帰路を歩いている時だった。ポケットに入れているスマホが振動し着信を報せる。誰かと思い適当に出ると電話口から訊こえたのは愛しき愚妹の声だった。

 

『兄さん、今時間大丈夫ですか?』

「仕事は終わって帰宅中だが」

 

妹が時間が欲しいというならやるが。できるなら早く帰りたいのと相手の要件にもよるのでそう返しておくと、都合が良いと言わんばかりに声色は明るかった。

 

『ちょうどいいですね。ところで兄さんや、瑞樹ちゃんの誕生日がいつか知っていますか?』

「んー……知らないなぁ」

 

何かと騒がしかったせいで互いの事を知らず、知ろうともせず、そんな小さなことを気にする余裕もなかったと解くべきか失念した事に今更思い至った。嘆くべきかは置いておいて、そういうイベントごとには興味がなかったのもあるが廃れつつある文化だったのもある。義妹と義母が出来てから親父が復活させたせいで、プレゼントを贈る風習もまた復活しつつある。

その全ては家族関係を円満に運ぶためのものなのだろうが。

誕生日を祝われた日には気恥ずかしいのなんの……俺には絶対に相容れないイベントであり、憂鬱でしょうがない。プレゼント選びとか。

 

『七月十四日ですよ』

「……ほー、なるほど。ってもうすぐだな」

『何を呑気な事を……』

「んー、これを機にそういう文化は廃れていいものかと」

 

決して、プレゼント選びが面倒なわけじゃない。

あと、祝われるのも苦手な俺からすれば合理的解決法である。

きっと俺が祝えばあちらも祝おうとするだろう。

生真面目な瑞樹のことだ、悪いとは言わないが絶対そうなる。

 

『何を言ってるんですか。兄さんが祝わなければ、誰が心から瑞樹ちゃんを祝ってあげられるんですか?』

 

ただ、その一言を言われるまでは……。

 

「……いや、でも、学生ってそういうイベント仲間内でやったりするだろうから、邪魔するのもあれじゃない?」

『その日はちょうど、兄さんも瑞樹ちゃんも休みの日ですし。瑞樹ちゃんの方にも何も予定はないですよ』

 

さすが妹、手が早い。

 

「……なぁ、ちなみにだけど、瑞樹の欲しいものってわかるか?」

『そこまでは……瑞樹ちゃんって物欲が薄い方ですし、強いて言うならにいさ……こほん』

「待て、なんて言い掛けた?」

『強いて言うなら愛情ですかね?』

 

訊いておいてなんだが割と笑えない冗談だった。

 

『まぁとにかく日頃からの感謝を込めて祝ってあげればいいんですよ。サプライズ性がないのはいつものことですが、デートして欲しいものを買ってあげるのが無難ですかね。兄さんが私にするみたいに』

 

もちろん、復活した誕生日プレゼントという行事の最初の犠牲者は存在するわけで、俺は奈緒の誕生日毎に一緒に出掛けて欲しいものを買ってあげてるわけだが、やはりそれが一番無難だろうか。言い方は気になるけども。

要らないものを貰って微妙な空気になるよりはマシかと思った打開策だが、自己主張してくれない瑞樹相手には少しばかりの不安が残る。果たしてプレゼントを受け取ってくれるだろうか。

 

「十四日、か……」

 

取り敢えず、約束を取り付けることから始めないとなぁ。

 

 

 

 

 

帰宅後、いつも通りに出迎えてくれたのは制服の上にエプロン姿の瑞樹だった。

 

「おかえりなさい」

「ただいま」

「ご飯にする?お風呂にする?」

「……じゃあ、先に風呂で」

 

それとも、わ・た・し?という選択肢はない。

一日の疲れを風呂で流し、風呂上がりに温かい食事をする。

おかしな話だ。

瑞樹がいること、この生活があること。

それは奇跡と言っても過言ではないだろう。

これを幸せとするなら、俺は彼女に感謝を忘れてはいけない。

 

「……わかってはいるつもりなんだけどなぁ」

 

あたりまえになり過ぎて壊れてしまうものもある。と、俺も覚悟は決めなければいけない。

 

風呂から上がれば温かい食事が用意されていて、これもまたあたりまえではない事を再認識する。瑞樹がいるから今の生活があるわけで、巡り巡って今があるのだから、いろんな不幸があったのは残念だけど、やはり自分は瑞樹に何かしらしてやらないといけないように思う。

 

「お、今日は油淋鶏か」

「鶏肉が安かったから青葉さんの一番好きな鳥料理を作ってみたの」

 

いただきます、と伝えるのは瑞樹に対して。

一人では使わなかった言葉だ。

味気なかった食事も改善されて随分と豪勢で賑やかになった。

一人暮らしでも妹が突撃してくることはあったが、それとは違う幸福感がある。

 

暫く、美味しいだの褒め称えて嬉しそうに微笑を浮かべる瑞樹を眺め食事を終えたところで本題に移ることにした。

食後のお茶を飲みながらタイミングを図ること数十分、勉強を始めた瑞樹に声を掛ける。

 

「あー、その……十四日って空いてるか?」

「……えっと、空いてる、けど」

 

できるだけ悟られないよう自然に切り出そうとしたら全てを察した顔をされた。照れたような表情を隠すように俯き、期待したような視線をこちらに向けてくる。

この前の宣戦布告、奈緒のデート発言も相まって余計に言葉にしづらい。

 

「暇なら……その、一緒に何処か行かないか?」

 

何処に行くかはまだ決めてないけど。プレゼントを買うならやはりショッピングモールとか?皆目検討がつかないため、もう流れに任せて二人で相談する形になるわけだけど。

 

「……それってデートのお誘い?」

 

……男女が二人で歩けばデートとは、誰が発言したのだろうか。

 

「まぁ、瑞樹がそれでいいってんならそうなるけども」

 

疚しい気持ちはない。ただの買い物だ。ただの買い物だよな?恨むぞ妹よ。お前のせいで余計に意識しちゃってるじゃないか俺が!

 

「私、青葉さんとデートしたい」

「おぉう、じゃあ十四日な」

「ええ。楽しみにしてるわ」

「それで何処か行きたい場所はあるか?」

「青葉さんと行くなら、何処でも」

「……なるほど。(自分で考えろということか)」

 

会話が切れた。それから御機嫌で問題を解き始めた瑞樹を尻目に、スマホで十四日の計画を練り始めるのだった。

 

 

 

『なおー、たすけて』

 

その三日後には妹に泣きついていた。ある程度、候補は上がったものの上手く纏まらず、件の日は刻一刻と迫っている。追い込まれた俺が取った行動はただ一つ、女性の意見の尊重である。

こういう時にSNSアプリとは便利なもので軽い相談程度であればすぐにできる。大事な相談だが接触する必要もないし時間もないのでこういう時に役に立つ。即既読がついて返信がきた。

 

『瑞樹ちゃんのことについて何か困りごとでも?』

 

さすが妹鋭い。話が早くて助かる。

 

『瑞樹と出掛けることになったんだけど候補地が絞れない』

『なるほど、最近の瑞樹ちゃんの上機嫌はそういう……デートですね』

 

何故、女の子は何でもかんでもデートに結びつけるのか。男と女が二人きりで歩いていたらデート。その法則性がわからない。だが此処で否定してもしなくても結論は一緒なので敢えて反論はしない。

 

『で、何処に行けばいいと思う?』

『ある程度候補は絞ったんですよね』

『遊園地、水族館、ショッピングモール』

『まるっきりデートじゃないですか』

『どれも面白味がなくてな、悩んでるんだよ』

 

ベタな展開と言われればそれまで。瑞樹はお気に召さないのではないだろうかと不安でしょうがない。行き先を決めてくれれば楽なのだが、どうもそういうわけにはいかないらしい。

 

『別に捻ったりしなくてもいいと思いますけど』

 

奈緒の助言は尊重するべきか、同じ女子中学生の意見は貴重であるとしてもそういうものだろうか?

 

『瑞樹の好きなものってなんだ?』

『え、兄さんじゃないですか?』

 

『もの』を『者』と変換する妹、それは聞いてない。

 

『ほら、例えば趣味とか動物とか可愛いものとか色々あるだろう』

『兄さんです』

 

動物のカテゴリに入れられた。まぁ、間違ってはいないのだろうが。

 

『いや、あのな、今はデートの計画を練っているのであって冗談なく真面目に頼みたいんですが』

『兄さんとの時間が瑞樹ちゃんにとって一番の宝物と思いますけど』

 

–––心当たりがあり過ぎて辛い。

既に反論の手すら許さず、妹は続ける。

 

『だから、難しく考えなくていいんです』

『俺は瑞樹に心の底から喜んで欲しくて計画してるんだが』

『ふふっ、堂々巡りですね』

 

何が、と返すも返信は来なかった。俺もまた嫌がらせのスタンプ連打とかしている暇はないので、スマホをベッドに放り投げて熟考することにしたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

妹の友達とデートした件

 

 

 

七月十四日。デート当日。

 

駅前の広場で一人、時間を潰していた。

待ち合わせの時間まであと一時間。

何故、待ち合わせることになったか無粋なことは言うまい。

恋愛系の漫画や小説を愛読していて多少の理解はしているつもりだが、それでもやはりわからないことはある。

例えば、同じ家に住んでいて態々待ち合わせをするとか。

昨日から瑞樹は実家の方に泊まり込んでいて、奈緒と今日の準備をしているらしい。

 

だから、昨日の夕方ぶりに俺は瑞樹と会う。

 

思えば自分も弱くなったものだ。たった一日、一人暮らしに戻っただけなのに思いの外寂しく感じて、部屋の広さに打ちのめされ、今は待ち遠しく感じているのだ。

 

スマホを開けば、連絡用に登録してある瑞樹とのチャット画面を開き、最終履歴を見つめていた。

『おはよう』と待ち合わせの場所と時間の念押しが送られている。

待ち合わせは午前九時、駅前の広場。

生活習慣故に早起きした俺は一時間も前から集合場所に来ている理由は待ち遠しさもあるが、どちらかと言えばよくあるテンプレをやるためである。彼女より先に早く着き、今来たところと言う。一見意味のない行動をするためだけに早く来たのだ。家にいるとそわそわして落ち着かないとかそういう理由じゃないぞ、勘違いするなよ。

 

残り時間をプランの最終確認に費やした。半分は行き当たりばったりだが、予定の場所が定休日じゃない事も確認しているし、臨時休業もないと思う。

 

「えっと、あの、青葉さん……待った?」

 

約束の十分前。ふと視界に純白のサンダルに包まれた美脚とも呼ぶべき白い肌が映った。女性の美しい素足を曝け出したそのサンダルはまるで魅せるように作られており、俺の目もその足の美しさに見惚れる。

声に反応して顔を上げると、膝丈ほどのスカートが目に入り、辿っていくと健康的な首筋や鎖骨が見えており、詳しくはないがそれがオフショルダーワンピースなるものだとわかった。

金髪が陽光を反射して天使の輪っかを作っている。俺の目には天使に見えた。今すぐお持ち帰りしたい。

 

「……」

「あの、青葉さん?」

「ごめん。瑞樹が可愛すぎて見惚れてた」

「っ、そ、そう」

 

妹曰く、女性の服装は褒めるべきだと教わっている。漫画や小説にもよくある事なので素直な感想を述べると瑞樹は頬を赤くして照れ隠しに髪先を指で弄り回す。その仕草でさえ可愛く見えて、心臓は逐一反応してしまう。

 

「じゃ、じゃあ、行こうか」

「何処に連れて行ってくれるの?」

「ん。定番のスポット」

 

手を差し出せば瑞樹はおずおずと握り返してくれる。その手がやがて恋人繋ぎに絡み合うのを俺は黙って受け入れた。

 

 

 

「あれって…水族館?」

 

電車を乗り継ぎ俺と瑞樹は街でも有名な水族館にやってきた。盛り上がりに欠ける、かもしれないが遊園地と比べた結果こちらの方が良いと判断した。その理由は暑くなり始めたこの時期、アトラクションの待ち時間を考慮してである。瑞樹も俺も会話が少ない方のため待ち時間がどうしても無言になってしまう。

 

「私、水族館って初めて来るわ」

 

当の本人が少し期待の篭った目で水族館の外観を見つめている。それだけでも連れて来た甲斐があるというもの。ありきたり過ぎて面白くないかと思ったが、意外にも来たことはなかったか。

 

予め購入しておいたチケットで入場する。その際に手を離さなければならず、名残惜しそうに渋々といった感じで手を離した瑞樹だったが、ゲートを潜った後で再度手を繋ぎご満悦の様子。安い幸せである。

 

「凄い魚の数ね……」

「どれも美味そうだな」

 

入り口に大きな水槽が一つ。その他、小さな水槽で区切られているが、此処にいるのはよく知る魚ばかりで珍しい魚やメインは奥にいるらしい。入口で買ったパンフレットにはそう記されている。

 

「あ、そうだ。今日の晩御飯は実家の方に帰って来なさいって、青葉さんのお母様が言ってたわよ」

「……嘘だろ」

「その……私のお祝いをしてくれるみたい」

 

瑞樹は恥ずかしそうに言う。そんな気恥ずかしくもほんのりと嬉しそうにされれば、俺も帰らないわけにはいかず、仕方ないと諦めることにした。

 

「まぁ、それまでは二人きりで楽しむか」

「そ、そうね」

 

気を取り直して次のフロアへ。その道には深海魚やら珍しい魚が展示されており、名前も知らないような深海生物が一定間隔毎に水槽に分けられており、瑞樹が物珍しそうに眺めていく。ロードを抜ければ、ペンギンやイルカなどの女性受けのする水性生物が集まるフロアとなっていて、可愛らしい動物を見て瑞樹の表情筋が僅かに緩む。

 

「ねぇ、見て青葉さん、ペンギンよ」

 

こんなにはしゃぐ瑞樹を見たのは子供の頃以来だろうか。微笑ましく思っていると瑞樹がキョトンと首を傾げる。

 

「……楽しくない?」

「そんなことはないけど」

「嘘。さっきから上の空じゃない」

 

瑞樹の頰が不機嫌そうに膨らむ。

 

「ごめん。瑞樹が可愛くてつい」

「…も、もう、そんなこと言って…私が喜ぶと思ってる」

 

館内は暗い。だが、その暗さでも瑞樹の顔が赤くなっているのを隠しきれるものではなかった。

 

 

 

程よい時間になるとシャチショーが始まる。どうやらショーは時間帯交代制でイルカやセイウチにペンギンと交代でシフトしているらしく、その中でもシャチショーはとてつもなくカップルに人気があるらしい。

最前列から三列目、程よい場所を取ることができた。もう間も無く始まるとウエットスーツのお姉さんは宣言している。

開演の挨拶代わりにシャチを呼ぶと水槽の底から黒と白の巨大が顔を出す。びっくりするほど大きなシャチに僅かばかり緊張をみせる瑞樹はちょこんと服の袖を握ってきた。ちょっと怖いのだろうか。

 

「飛び出して客席に突っ込んで来ない限り、危害は加えてこないから大丈夫だって」

 

まぁ直接ダイブされたらあっちもこっちも死ぬけど。それ以外、水槽に落ちなければ大丈夫だ。

 

「もう、変なこと言わないでよ」

「悪い悪い」

 

今度はがっしりと腕を掴んでくる。僅かに胸が当たり、意識せざるを得ない状況になっていた。視線を胸元に向ければ僅かに谷間が覗いており、目のやり場に困ってしまう。慌てて目を逸らすが時は既に遅し。

 

「……その、少し露出が多くないか?」

 

無言でニヤニヤとした表情を向けられて言い訳がましく口にするも、それこそ狙いだったようで俺は完全に掌の上で踊らされていた。

 

「十五歳の女の子の胸元をエッチな目で見てるんだ」

「うぐっ。いや、まぁ……刺激が強すぎやしないかなぁと」

「誘惑してるの、青葉さんを」

「……効果抜群だから、できれば控えて欲しいんだけど」

「あら、どうして?」

 

今日の瑞樹は攻めてくる。前兆はあった。普段は何もしてこないからと油断していたら今日仕掛けてくるつもりだったとは。

口を開いたその時、言葉を遮るべく大きな水音が鳴った。

ふと視線を向ければ、シャチが尾びれを大きく水面で打ったらしく大きな水飛沫が上がっている。……それも俺達の客席目掛けて降り注ぐ形で。

 

直撃。

 

突然、襲い掛かってくる大量の水。暑くなり始めた体温を下げるべく降りかかった水は冷たく、全身に浴びた俺と瑞樹は無言で会話を中断した。大丈夫かと声を掛けようとして、それに気づく。

 

「……瑞樹、これ着てろ」

「?……っ!」

 

瑞樹が纏う白のオフショルダーワンピースが体に張り付き透けていた。遅れて気づいた瑞樹の頰が赤く染まり、いそいそとパーカーを受け取って羽織るとチャックを胸元まで締める。そして、フードを被って俯いてしまう。

 

「その、あまりそういう姿を見せるなよ」

「ええ。そうね。家だけにしておくわ」

 

……それもそれで困るのだが。

 

 

 

シャチショーを観覧して濡れた服を着替え一通り水族館を楽しんだ後、近場で調べておいた喫茶店で昼食を食べていた。普段は口数少ないが先ほどの水族館での件もあって話題が尽きることはない。あれが可愛かったと瑞樹は嬉しそうに語るが俺の返事は何処か同調めいたものだった。それもそのはず、俺が一番見ていたのは楽しそうな瑞樹で、他のものを見ている余裕がないほどその可愛らしさに目を奪われていたのだから。

ショーの途中、横顔を見ていればバッチリと目が合ったり、ふと視線を感じれば瑞樹の方がこちらを見ていたり、少しだけぎこちなくなったもののすっかり話すのに夢中で忘れているのか、忘れようとしているのかは定かではないが。

 

「青葉さんって妙なお店を知っているわよね」

「妙ってな……」

「他の女の人と来たことでもあるの?」

 

瑞樹がそう指摘してきた理由はただ一つ。俺が選んだ喫茶店が女子受けのいい美味しい洋菓子や紅茶を振る舞う店だからである。もちろん他の女性と来たことなどなく、噂で知っていただけであるが。

 

「……来てみたかったんだよ。男一人じゃ入りにくいだろ」

 

本当の理由を気恥ずかしくも語れば、瑞樹はクスクスと微笑んで言った。

 

「じゃあ、今度からはいつでも二人で来れるわね」

「そうだな。それじゃ、そろそろ出ようか」

 

会計をして退店し近場のショッピングモールを目指す。

これからの予定は殆ど計画もない。瑞樹へのプレゼントを探すだけ。

これでなんとか上手くいったか?と安堵の溜息を密かに吐く。

手を繋ぎ歩く道すがら、瑞樹の手は温かいなぁとそんな感想を一人思考していると不意に瑞樹がよろけて体を預けるような形で倒れ込んでくる。慌てて受け止めると瑞樹はぴたりと停止したまま何処か朧げな表情。

 

「大丈夫か?」

「……平気、よ。少し眩暈がしただけ」

 

だが、一向に寄り掛かったまま離れようとしない。これはおかしいと思って額に手を当てる。しかし体温を測る術を使っても少し熱っぽいかと思っただけで、確信に至らない。ならばと額と額を合わせて体温を測ってみる。

 

「って、あつくないか?」

「全然あつくないわ。いつも通りよ」

 

離れようとして今度はふらふらとよろめいた。倒れそうなところを抱き留める。

 

「病院行って帰ろう。瑞樹」

「っ!?それは嫌」

 

頑なに拒否してくる瑞樹だが、その体には力など入っていない。体では抵抗できないと判断したのか、その瞳に涙を浮かべて彼女は駄々を捏ねる。

 

「まだ帰りたくない…!」

 

そんな言葉をこの状況で訊くことになろうとは過去の俺は思わなかっただろう。こんな状況で言われてもドキッとするはずもなく、俺は瑞樹を安心させるようにぎゅっと抱き締めて耳元で囁いた。

 

「デートならいつでもしてやるから、帰ろう」

「だって初デートはこれっきりよ」

「そうかもしれないが俺にとってはお前の方が大事だ」

 

乙女心を理解しろと言われても、今の俺には無理だろう。

その言葉の意味を頭ではわかってはいるが、心は遠く及ばない。

共感はできない。……少し残念だとは思うが。

無理やりにも抵抗できない瑞樹を抱き上げ、そのまま駅へ歩こうとしてふと足を止める。

頼りたくなかったが緊急事態だ仕方ない。奈緒の電話番号を選択して、電話を掛ける。

 

『あれ、デート中じゃなかったんですか兄さん?』

 

開口一番にからかってくる妹へ、俺は取り次ぎを頼んだ。

 

「親父か麻奈さんはいるか?」

『ママならいますけど……』

「車で迎えに来て欲しいんだ。瑞樹が体調を崩してな」

『わかりました。すぐに行きますね』

 

こうして誕生日デートは予定外の終わりを告げた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

甘い罠

 

 

 

診断結果。

 

『風邪。疲労と軽いストレスが原因ですね』

 

医者は瑞樹の病状をそう診断した。

極度の緊張から解放され、微熱が出た原因を明確に言い当てる。

薄々はいつかそうなることも想定していたが、ついに来てしまったことに俺は納得と共に仕方のないことだと思うしかなかった。

それは必然であり、避けられない事態である。

本当の意味で瑞樹の緊張が溶けた、その瞬間でもあるのだから。

 

あの後、麻奈さん–––義母に車で迎えに来てもらい、病院へ行き薬を貰って帰ってきたところ。実家の自室に瑞樹を寝かせたところで俺はというと–––

 

 

「もうだから心配してたのに青葉くんは!」

 

 

–––義母に説教されていた。

 

正座する俺の前には瑞樹とそう変わらない、いやむしろ抵身長の女性。もはや小学生と見間違う童顔に断崖絶壁は容姿を幼女たらしめる原因の一つだろう。ロリ巨乳なんて都合の良い設定は存在しなかった。

まるで保育士が園児に話しかけるような口調で本人の精神年齢もさることながら、見た目も加速的要因となり幼女である。まず俺が親父のロリコン疑惑を浮上させたほどだ。前妻も合法ロリだったからな。

 

「ちゃんと女の子の変化には気をつけなきゃメーッだよ?女の子は繊細なんだから。大切にしてあげなくちゃメッ!」

 

それにしてもこれは酷い。実の娘が目を逸らしてるんだぞ?実際、姉妹に見られたらしいし。しかも奈緒が姉という特別オプション付きで。

 

「これは流石に二人きりの同棲は本格的に考え直さないといけないかしら……?」

 

ふと義母の口をついて出た言葉に真っ先に反論しかけたのは、黙認して説教を甘受していた俺だった。

 

「そ、それは……」

 

口を開いたはいいものの何を言えばいいのかわからない。

今、俺は何を考えた?

頭で考えるより先に反応してしまった口は、パクパクと金魚のように開閉するだけで紡ぐ言葉を思いつかない。

反射的に出たのだ。続くわけがない。

 

「まぁまぁ。兄さんだって頑張ってますし……兄さんが全て悪いというわけではないんですから」

 

俺の代わりに奈緒が諫めてくれるが、思案顔で義母は腕を組んでいる。

 

「うーん。でも〜」

「ストレスっていうのもきっと学校でのことでしょうし」

「あら、奈緒ちゃんは心当たりがあるの?」

「度重なる告白とか鬱陶しいみたいで。本人は、ね?」

「確かにね〜。もうね、意中の人がいたら他の人なんて眼中にないわよね〜」

 

女同士で結託したと思ったら、急に惚気始める義母がちらちらと此方を見てくる。母娘揃ってにやにやと似たような顔をされれば居た堪れなさも二倍だ。恋話になると年齢は関係ないのだろうか。後で瑞樹の件には言及をするとして。

 

しかし、責任問題を押し付けるわけにはいかず、俺は如何なる処罰も覚悟していた。瑞樹と離されることになろうとも仕方ないことは理解している。元々、俺には手に余る案件だったのだ。

 

「青葉くん、わかってる?」

「今回の責任の所在ですか」

「硬い。も〜家族だからそういう態度とってるとメッだよ」

 

温度差が激しい。

でも、均衡は取れているだろう。

それはともかくと議題は瑞樹のことへ。

 

「ママ決めたから」

 

何処か決意した様子の義母に俺は判決を待ち、引き離されることを覚悟して放たれた罰は–––。

 

「二人とも家で住んでもらいます」

 

……少し、予想の斜め上だった。

 

「……え?」

 

瑞樹と離されると思っていた俺は拍子抜け、一人暮らしに戻ることを憂鬱に思っていれば、ポカンと呆けて次第に言葉の意味を理解して訊き返す。

 

「あら、引き離されると思っちゃった?」

「え、なんで?」

「んー。瑞樹ちゃんの気持ちは理解しているつもりだし、引き離すと可哀想でしょ?それにママも思ってたんだけど、青葉くんが家を出て行って寂しいなぁって」

「いや、でも……」

 

その決定に反論しかけた。別に悪い条件ではない。

瑞樹にとって良い話。

だけど、俺は自分の感情を優先する。

覚悟を決めた故に、こんな終わりを納得できなかった。

それは義務感でもない。……僅かに瑞樹に向けられた、名前をつけられない感情故に。

 

でも、言葉を紡げない。

喉まで出掛かった言葉が詰まる。

 

「もちろん、今まで通り二人で同棲してもらってもいいけど。その場合、条件をつけさせてもらうね」

 

どっちがいい?と満面の笑み。

揶揄われてるのは百も承知。

俺に言葉を出させずとも、反応だけで心の内を覗かれる。

母娘揃って性質が悪い。

 

「俺は–––」

「んふふ〜。青葉くんは瑞樹ちゃんのこと大切にしてるんだね」

 

掌で転がされるとはこういうことを言うのだろう。

 

 

 

 

 

 

長い説教を受けた後、俺は瑞樹の眠る元自室へと足を運んだ。

部屋の主がいない間も奈緒が定期的に掃除していたらしく、その部屋は埃一つなく清潔で生活感に溢れていた。

それこそ毎日部屋に誰かが訪れていると言わんばかりに。

部屋でベッドに身を預けるは今回の主役であったはずの娘、今や布団に絡まり此方の姿を見た瞬間、布団の中へと顔を引っ込めてしまった。

 

ご機嫌斜めな瑞樹のベッドの横に凭れるように座り、置いて行った私物を見つめつつ姫のご機嫌を窺う。

 

「具合はどうだ?」

「別になんともないもの」

 

元々、微熱があるだけで倒れた以外には心配することはないらしい。

拗ねて不貞腐れる、昔も見た瑞樹が新鮮で思わず俺の頰も緩む。

 

「良かった。……いや、まぁ良くはないか」

 

現状、問題があるとしたらご機嫌麗しくないことだ。

 

「瑞樹が楽しみにしてくれていたのは……まぁ、身を持って知れたし。そう思ってくれたのは純粋に嬉しいけど。でも、やっぱりお互いに楽しめなきゃこういうのって意味ないだろ?」

「……」

 

上手く言葉にできない。纏まらない思考に俺も何を言っているのかわからなくなる。

 

それから数十分、奮闘した。

 

やめた。

これは俺らしくない。

頭をガリガリと掻いて、首をベッドに預ける。

天井を見上げて、嘆息を一つ。

 

「……瑞樹さんそろそろ機嫌直してくれませんかね」

 

誠意もへったくれもないド直球なお願いである。

奈緒にもよく使う手だ。

余程、相手が悪く無い限り奈緒にはよく使う。禁じ手である。

禁じ手とはよく言ったもので、使い方を誤れば使われた相手の性格が歪んでしまいかねないからだ。甘やかすとろくなことがない。その点二人はしっかりしているので使える手でもある。

 

「デートは後日改めてすれば良い。二人で行きたいところはまだあるし。それとは別で願い事の一つくらいなら訊くか–––」

 

そして、俺も必死だった。仲が険悪になって食事が質素になるのはどうしても避けたかったのだ。もはや俺の胃袋は瑞樹がいないとダメと言ってもいい。

 

ふと言葉を止めてもぞもぞと動く音に反応して振り返ると、毛布から顔を出した瑞樹がいた。

 

「……なんでも一つ?」

「まぁ、不可能な事以外なら」

「じゃあ、身体を拭いて」

「……はい?」

 

赤面しながら懇願してくる瑞樹は口元まで毛布で隠れている。

やがて意を決したのか、布団から這い出るとパジャマのボタンに手を掛けた。

 

「いや、それは流石に異性に頼むのは……」

 

義母と義妹がいる。二人に任せればいい。常識的にはそうかもしれない。微熱のせいで瑞樹までおかしくなってしまったのかとそう勧めてみても、ゆっくりとボタンを外していく瑞樹から目を離せない。

一つ、二つ、三つ–––そして、全て外し終わり、前開き露わになった肌から俺は目を離せなかった。

服の隙間から覗く肌に下着はつけていない。発展途上ながらも大きな胸が自己主張し、パジャマを押し除ける。

 

「いや、なの……?」

「拭くタオルや水の準備をしてくる」

 

それを言い訳に誰か止めてくれないかと願った。

本能的にはやりたいものの、理性的にはダメだと告げている。

準備に逃げようとしたところで、扉が開く。

妹が立っていた。それも手には洗面器とタオル。

 

「はい、兄さん」

「お、おう……ありがとう?」

「ではごゆっくり」

 

一式を押し付けるとそれだけ言葉を残して去って行った。退路は絶たれた。

 

「あー、その……本当にいいんだな?」

「恥ずかしいから早くして欲しいのだけど」

 

最後の一線、パジャマを取り払うことはなく急かしてくる。

背中を向けて待ちの体勢。

瑞樹の肌に傷をつけないよう、俺は慎重に服に手を掛けた。剥がすように脱がす。

上半身裸となってしまった瑞樹の肌。胸を隠すように腕を回した瑞樹の背後で洗面器のぬるま湯にタオルを浸して絞り、背中に優しく当てるとまずは一撫で。

 

「ひゃ、んっ」

 

可愛らしい嬌声に背徳感が増す。

もう既に、その熱がどちらの体温かなど知る由もない。

努めて平常心で背中を拭いていく。背中からでも手で感じる心臓の鼓動が余計に俺の理性を揺らす。

肩越しに見える瑞樹の頰は赤く染まっており、その表情にも胸の内が叩かれるようだった。

 

「終わったぞ?」

 

背中は。背中だけだ。瑞樹はぐったりと上半身裸のままベッドに身体を預けている。

 

「あとは自分でできるな」

 

じゃないと俺の理性が死ぬ。

 

「無理。動けないわ」

 

コロン、と仰向けに転がって……片手を伸ばしてくる。

 

「拭いて」

 

微熱のせいだろうか。瑞樹がおかしい。

 

「あーもう拭いたら寝ろよ」

「添い寝。して」

「……」

「一生恨むわ」

「わかった。わかったから」

 

滅多に言わないわがままを出来るだけ叶えるべく、俺は行動に移した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

盲目少女と三者面談

さて、夏休みに入ろうか。……と思ったけど現実的な問題を一つフラグを建設していたことを忘れていました。


 

 

 

その日、私の身体は軽かった。三者面談に青葉が来る。それだけが楽しみで私の心は浮き足立っていた。

 

「あはは、本当になんというか好きですね……」

 

どうせなら二人とも青葉に三者面談してもらいなさい、とのことで奈緒の保護者代わりに青葉が出る予定で、奈緒も何処か嬉しそうにしている。

部活から教室へと向かう道すがら、先を歩いていた奈緒の足が止まる。

 

「早く行かないと遅れるわよ」

 

立ち止まった奈緒を追い越し、飛び込んで来た光景。

階段の前に見知った背中。対面している女子生徒。

顔を寄せる二人はまるで、キスをしているようで……。

私の頰を熱い何かが流れ落ちた。

 

「青葉さん……?」

 

 

 

 

幾つもの試練を乗り越えた。だが、学生の本分は忘れがちだが勉強である。日常生活も大事だが、それはそれとしてそこにある責任とは何かと言われればこう答えるしかない。

学生ではない俺がどうしてこんなことを言い出したのか。

それは簡単な話だ。あーあったなぁそんなこと。と、言われてみれば思い出せる。

 

三者面談の日がやってきたのである!

 

ひた隠していた瑞樹ではなく奈緒からそれを訊くまでそんなことは忘れており、有給休暇を利用しなんなら丸一日休暇にしてしまおうと思い至ったわけだ。

 

 

 

「ほぉー、懐かしいなぁ」

 

母校を見上げ感慨に耽る。用が無い限り立ち寄ることもない母校にもう少し何かあるかと思ったが、ろくな思い出がないことに思い至りさっさと校門を通り抜けた。

 

「さて、三年生の教室はと……三階だっけ」

 

母校故に勝手知ったるなんとやら、とはよく言ったもので教室棟がどちらにあるかはわかる。迷うことなく階段に辿り着き、その階段の前には杖を突く少女がいた。

階段を見上げる茶髪の少女、その身に纏っているのは中学の制服、物憂げな表情で階段を見上げるその姿は何処か近寄り難さを演出していて立ち止まらずにはいられなかった。

 

急に話し掛けるのもどうかと思い、態とらしく来客用のスリッパの裏を鳴らす。すると少女が音に反応して振り返った。

 

「誰、ですか?」

 

閉じられた目蓋、そして見当違いに向けられた首の向きに俺は察する。

 

「あー、俺は三者面談に来た……一応、保護者なんだけど。三年の神崎奈緒の兄って言ったらわかるか?」

「……あ、なるほど、あなたが噂の神崎さんのお兄さん、ですか」

「噂?」

「ええ、噂になっていますよ」

 

詳細は語らない。と、そんなことより先を急がなければ。

 

「上に行くんだったら手を貸そうか?」

「あぁ、それは嬉しいのですが……」

 

少女は警戒したような表情で杖を握る。

 

「視力が悪いんだろ。手を貸すが、無粋だったか」

「……ふふ、面白い表現ですね」

 

コツコツと杖で床を確かめながら、此方へと歩み寄って来る。

 

「ん」

「ん、あぁ…」

 

至近距離まで来ると杖を差し出し、俺がそれを受け取ると少女は手を伸ばして来た。俺の顔をふにふにと柔らかな手で弄ぶ。じぃっと顔を近づけて真剣な顔。

 

「怒らないんですね」

「何をやっているかは大体想像できる」

 

少女は顔に触れたことを咎められると思ったのか、そう問うも頰を挟むように手が触れたままだ。

 

「に・い・さ・ん?」

 

それから数十秒、たっぷり弄ばれていた俺の背後から絶対零度の声。一瞬の悪寒を感じ、振り向くとそこにはジャージ姿の奈緒と瑞樹の姿が。

奈緒の表情は笑っているが、目が笑っていない。

瑞樹は何故だかポロポロと泣いている。

 

「ど、どうした?」

「ふふ。それはこっちの台詞ですよ。いたいけな少女と何をやっているんですか?」

「何って……」

 

主観的には盲目な少女にデータを取られていた。が、客観的に見れば角度的に恋人同士でイチャイチャしていたように見えなくもないという結論に至る。瑞樹が泣いている理由にも勘違いでなければ察せる。

 

「何もしてない。誤解だ」

「そんなに顔を近づけている時点で同罪です。浮気ですよ」

 

罪が重い。

 

「あら、神崎さん?」

「……あ、梓ちゃん?」

 

俺の身体の陰からひょいと顔を出した少女を見て、奈緒がその名前を呼んだ時、何故か微妙な空気が流れた。

 

 

 

 

 

 

『すみません。誤解ですね』と奈緒が速攻で謝罪を述べ事なきを得た後、階段を登って三年生の教室へ。一体なんだったんだと問い詰める間も無く三者面談の時間がやって来た。

前の組–––高岡梓と呼ばれた盲目の少女、彼女が母親と共に出て来る。

 

「先程はどうもありがとうございました。この子、方向音痴で」

「あ、いえ……」

「それに目も……」

「困った時はお互い様ですよ」

「それにしてもお若いんですね。代理ですか?」

「まぁ、そんな感じです」

 

と、軽く雑談をして高岡母娘は去って行く。俺の隣には顔を真っ赤にした瑞樹が黙座していた。誤解は解けたと思いたいが、この分だと小さな蟠りにはなりそうである。

 

「倉科さーん」

 

倉科瑞樹。瑞樹の番になり、俺が立ち上がると彼女も服の袖を掴んで立ち上がる。教室に入る時も瑞樹は絶対に離れずぴったりとくっつくとドアも並んで抜ける。窓の近くに設けられた机四つの席へ促され、俺と瑞樹は並んで座った。

 

「……随分とお若いんですね」

 

よく言われる。主に義母が。

驚いたような女教師に俺は強張った笑顔。

 

「えぇ、まぁ……」

「失礼ですがおいくつですか?」

「二十一です」

「わ、私より歳下!?」

 

因みに奈緒と瑞樹の担任である女教師、自称永遠の二十歳らしいが此処に虚言が完全証明されてしまった。

 

「えーと、どういったご関係で?」

 

恐る恐る女教師は訊ねる。実に答え難い質問だ。

 

「難しいですね。一応、保護者というか……同居人というか」

「なるほど……」

 

立ち位置が曖昧過ぎて説明が難しい。説明のしようがないというよりは……はっきりとしていないのだ。

 

「……恋人」

 

そんな時、瑞樹が服の裾を引っ張ってぼそりと呟く。一字一句訊こえていたが俺は訊き返す。

 

「え?」

「恋人、です……」

「……なるほど」

 

女教師は訳が分からないと問題を放棄した後、納得した様子でうんうんと頷いた。

 

「えっと、神崎さんのお兄さんであってますよね?」

「え、はい」

 

どうやら女教師はそういう認識でいくらしい。奈緒が先手を打っておいてくれたようで、ようやく話は進みそうだった。

 

「そうですね。取り敢えず、倉科さんの成績の話でもしましょうか。此処にあるテストの結果や成績表の通り、非常に優秀でテストでは毎回十位に入るくらい優秀で遅刻もなければ忘れ物もないし優等生って感じで〜。それと誰にでも優しく性別問わず人気なくらいで〜」

「ふむ。まぁ、取り敢えず学力とかそういうのはわかりました。学校での様子は?」

「一時期、大変そうでしたけど、ふふっ」

 

突然、女教師は微笑みを溢す。

 

「いえ、倉科さんが元気になったのはなるほどあなたの存在があったからなんですね。納得しました」

「はぁ、それで他には?」

「学校生活の方も問題はありません。あとは……」

 

必要な連絡事項。そして、三年生ともなれば絶対に考えなければいけない問題を女教師は口にする。

 

「進路ですかね。ところでお兄さんは倉科さんの進路はご存知で?」

「あー、いえ」

「これは倉科さんのお母様が生きていた頃の話でもあるんですけど、もう進路は決まっていたらしくて」

「へー、それは初めて訊きました」

 

瑞樹の母親も納得していたのならば、俺もそれを推すべきだろう。

女教師は進学先を告げる。

 

「–––高校です」

 

その名前は、奇しくも我が母校の名である。

隣の瑞樹を見やるとまだ服の袖を握っていた。

 

「えーと、なんで?」

「……青葉さんの母校だから」

 

俺がそう訊いたのにも理由がある。瑞樹の成績ならもっといい高校に進学できるからだ。願わくば女子校で男子とは無縁の生活を送ってほしいと思う。それをまさかそんな理由で返されるとは思わなかった。だが、それは俺のわがまま口にはしない。

 

「えっと一応言うが共学な上に偏差値はそんな高くないぞ」

「いいの。それに失敗したって青葉さんが責任を取ってくれるでしょ?」

 

第二志望に『お嫁さん』とか書いてないよな?と思ったが、女教師が出した進路希望調査票には第一志望一つだけだった。

 

「まぁまだ時間はありますからそこはお二人でご相談なさってください。まだ大変なことも多いでしょうし」

「そうですね。そうします」

 

まだ妹の分が残っているから、この女教師とはもう一度顔を合わせることになるだろう。一組挟んで奈緒と三者面談しなければならないのだ。

 

「では、丁度いい時間ですね。第二回は二学期に改めてということで」

「ありがとうございました」

 

教室を出ると奈緒が出迎える。

 

「お帰りなさい兄さん、久しぶりの三者面談はどうでした?」

「慣れないが新鮮で中々興味深いな」

 

学生の頃は授業が楽くらいにしか思っていなかったが、なるほど親の立場がわかるというものだ。

 

「瑞樹はこの後どうする?」

 

大抵、こういう日に部活がある場合が多く、そう訊ねると目を伏せて瑞樹はきゅっと手を握ってくる。

 

「奈緒の三者面談まで一緒にいる」

 

本来椅子は四つ。三者面談は親子で一組、二組が待機できるように椅子を四つ出しているのだろう。そうなると誰か一人が立っていないといけないわけで、そこはもちろん俺が立つ。

 

「いえいえ、兄さんこそ座ってください」

「私が立ってるわ」

 

そして、始まるのは椅子の押し付け合い。不毛なそれは次に待機する親子には奇妙に映ったのだろう。親子の視線が奇異に満ちており少々居た堪れない。

 

「此処は年長者を敬うべきです」

「俺はそんなに歳食ってねぇ。レディーファーストって言葉を知ってるか」

「青葉さんと奈緒が座って」

「手を繋いだまま座るのは無理があるのでは?」

 

と、お互いに喧嘩になるばかり。そこでふと閃いたかのように奈緒が提案する。

 

「仕方ありません。此処は兄さんの上にどちらかが座るしかありません」

 

隣の父親と男子生徒君、目をまん丸に見開いた。

 

「私が兄さんの上に座るので瑞樹ちゃんは一人で座ってください」

「なっ、それはずるいわ!」

「じゃあどうぞ」

「え?」

 

こうしてまんまと奈緒に嵌められた瑞樹は俺の膝の上に乗った。

隣の男子生徒君がまるで親の仇を見るような形相で此方を見ていたことを追記しておく。

 

 




最近、書きながら主人公の名前とか瑞樹ちゃんのフルネームとか設定を諸々忘れて見返したりするので中々進みません。ボロが出ても気にしないでくれると助かります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

夏休み終了のお報せ

 

 

 

「いってらっしゃい」

 

仕事に行く青葉を笑顔で送り出す。玄関が閉まると同時に貼り付けていた笑顔も何処か翳りを帯びて、数秒間扉を見つめた後、自室に戻ってベッドに身を投げた。

 

……寂しい。

 

うつ伏せにベッドに身を預けながら、私は枕に顔を埋めた。

 

「誤算だったわ」

 

今日から夏休み、だというのに私の心は曇り模様。学生的には嬉しいはずの休暇も寂しさが増して気分は最悪。

 

「……社会人って大変なのね」

 

そう。つい浮かれるあまり社会人には休暇が少ないことを忘れていた。学生が夏休みでも、社会人は一月丸々という長期的な休みが存在しないのだ。

 

「……もっと一緒にいられると思ったのに」

 

夏休みに入る前から私は夢想した。夏休みが始まる前に宿題は粗方片付けたし、中学最後の部活動の大会だって奈緒と頑張るつもりで、その他は何もなくてもいいから青葉と一緒にいる時間を増やしたかった。海に行ったり、ショッピングしたり、夏祭りに行ったり、二人きりで楽しむことを考えていたのに計画は妄想の域を出ることはなかった。

 

–––ピロン♪

 

早くも夏休みに絶望する中、スマホに通知が届いた。うつ伏せたままスマホを手に送り主を確認すると『義妹』と表示されている。私の携帯に悪ふざけでこんな表示をするのは一人しかいない。協力してもらっている手前、既読スルー出来ず開く。

 

『今、暇ですか?』

『ええ今独りっきりよ』

 

そう返信すると電話が掛かってきた。

 

『おはようございます瑞樹ちゃん。夏休みに兄さんと一緒にいる計画を建てていたけど兄さんが社会人なのを忘れていて悲しいくらい予定が空いて不貞寝でもしている頃かと思いまして』

 

電話越しに訊く親友の声は嫌になるくらい的を射ていた。

 

「ええ、そうよ。視野が狭まっていたみたい」

『恋は盲目とはよく言ったものです』

「それより私を揶揄うために電話したわけじゃないんでしょ」

『そうですねー。今後の予定を話しておこうと思って。今から行っていいですか?』

「一応、あなたの家でもあるでしょう」

『それもそうですが、お二人の愛の巣ですから』

 

また揶揄う。ベッドにスマホを投げて私はパジャマを着替えることにした。

 

 

 

それから一時間もしないうちに奈緒が来た。玄関に出迎えを必要とするはずもなく、合鍵で鍵を開けると勝手に入って好きにするのはいつものことなので私も慣れたものだった。親しき仲にも礼儀ありとは彼女の辞書には載っていないらしい。

 

そして、通した……というか勝手に入った部屋は青葉の部屋だった。

 

「さて、それでは夏期特別会議を始めましょう」

 

青葉のクッションを抱いた奈緒が言う。ナチュラルに行動できる彼女が羨ましく思いつつも、私は緑茶を注いだコップの蓋をなぞりながら、鬱気味に返す。

 

「今日の議題は?」

「まぁ、いつも通りですかね」

 

『どうアピールするか』がいつもの議題。しかしこれは特別編。夏限定の話など盛り沢山だろう。

 

「兄さん手強いですからねー、流石に中学生に手を出すのはまずいってわかってますし、そもそもヘタレな兄さんにそういうの期待するのは的外れなんですよね。童貞の野獣性を加味しても」

 

停滞気味な現状。これまで幾度となくアピールをしてきたが、思いの外鉄壁で崩すには時間が掛かる、というのが奈緒の談。

 

「ところで夏の目標はどうします?」

「もちろん、青葉さんと付き合うことだけど……それが無理でも、キス、くらいはしたいかな」

「あぁ、そういえば、そういうことになってるんでしたっけ」

「本当に青葉さんには悪いと思ってるけど」

「そこは気にしなくていいですよ。兄さんですから」

 

私は青葉に言ってない事がある。正確には、クラスメイトを騙していると言った方が正しいか。校内では『倉科瑞樹には年上の彼氏がいる』ということになっているのだ。その相手はもちろん青葉、事実無根、願望。そのおかげで告白されることは減ったものの完全消滅したわけではない

そうなったのもあの日、校門の前で妙な人達が騒ぎを起こしてくれたせいで……不名誉な噂を上書きするため、言い争っていた青葉を彼氏としておいたのだ。

 

だから、私は嘘から出たまことを実行するべく、期限を迫られているわけだ。夏休み明けの女子達からの追及が憂鬱で仕方ない。それも修学旅行中にされたら堪ったものではない。

 

それでも一部の人は諦め悪く告白してくる。

どういう神経しているのかしら。

 

「恋人、ですか……もうさっさと押し倒して裸見せちゃえば襲ってくれると思いますけど。兄さんだって伊達に童貞拗らせてるわけじゃありませんから」

「他人事だからってバカ言わないでよ。恥ずかしくてそんなことできるわけないじゃない」

 

仮にも恋人でもないのにそんなことして幻滅でもされたら、私は生きていく自信がない。この前だって遠回しなアプローチ何回もスルーされてるのに、これ以上無視されたら死んでしまう。

 

「それは最終手段として、青葉さんの休みの日ってわかる?」

「瑞樹ちゃんのことだから自分では調べていないと思って調べておきましたよ」

 

そう言って奈緒が取り出しのはメモ帳だった。可愛らしいピンク色のシンプルな冊子。それらをパラパラと捲りある頁で止める。

 

「お盆以外は、まぁいつも通りホワイトって感じですね。週休二日、たまに土曜か日曜も出てるらしいらしいです」

「……うぅ、殆ど被ってる」

 

部活動と照らし合わせると、青葉の休みと被って部活が入っていた。もう泣き寝入りしたい。

 

「唯一の長い休みも家に帰ることになってますからね」

「……えぇ、そうね、独り寂しく留守番でもしてるわ」

「何言ってるんですか?瑞樹ちゃんもですよ」

「え?」

「もう、忘れたんですか。二人暮らしするのは大きな休みの日とかたまには実家に顔を出すのが条件じゃないですか」

「……それって両親のご挨拶ってやつよね」

「瑞樹ちゃんがついにボケをかますようになりましたか。ポンコツ可愛くなるのは兄さんの前だけにしてくださいね」

 

親友が最近冷たい。まぁ、それは表面だけだけど。辛辣なツッコミは奈緒の特技だ。たまに男子の精神をガリガリと削っている。

 

「でも悪くないですね。外堀から埋めるのも」

「実際、麻奈さんは最初から乗り気だものね」

 

元々、麻奈さんはこちら側の人間。私が青葉に懸想していることをあの人は知っている。それを利用して実家に帰ろうとしない青葉を家に帰らせようと画策したらしい。一石二鳥と楽しそうだったけど、なんとなく納得いかない気分。孫も生まれたら一石三鳥だって。

 

「さて、夏休みはどうするか。色々と悩みどころですね。定番といえば定番なんですが……」

 

ふと、歯切れが悪くなる奈緒。困ったような顔だ。

 

「やはり、海でしょうか」

「綺麗な海水浴場が近くにあるものね」

「ですが、問題が一つ。兄さん海とプール嫌いなんですよね」

 

ピシャンと、雷が落ちた。初耳だ。

 

「人口密度、着替えが面倒なのに加え、泳ぐのが苦手ですから」

 

え、最後の可愛い。思わぬ青葉の弱点を見つけてしまった私はほっこりする。

 

「まぁ、瑞樹ちゃんの水着姿を拝めるとあらば悩む兄さんの姿を想像できるので提案してみるのはありですね」

「そっか。泳ぐの苦手なんだ」

「夏祭り。これも人口密度、喧騒が苦手な兄さんには地獄ですね。まぁ浴衣姿の瑞樹ちゃんが拝めるのなら一考の余地ありと考えてくれるかもしれませんが」

「ねぇ、さっきからおかしくない?」

「何がですか?」

「私の水着姿なんかでそう簡単に釣れるかしら」

「兄さんは瑞樹ちゃんのお願いを断れないので、悩むそぶりを見せつつも了承してくれるとは思います」

 

妹曰く、甘いらしい。確かに過保護気味なあの人ならお願いくらい訊いてくれるだろう。

 

「まぁ具体的な計画は改めて、というか……瑞樹ちゃんがデートの約束を取り付けられないことには始まらないんですよね」

 

問題はどうやって海に誘うか、夏祭りに誘うか、具体的な案はまだ決まっていない。二人きりで行くなら、奈緒から誘導するのはかなり難しい気がする。だから、私からどうにかしないといけないのだ。

 

「どうにかするわよ。どうにか」

「じゃあ、他に何かありますか?」

 

そう言われて、私はひとつだけ気になる事があった。

 

 

 

「そういえば最近、青葉さん忙しそうで……何か労う方法ないかしら?」

 

帰宅すればソファーに倒れ込む。疲れ切ったような顔をして着替えるまで三十分くらい何をするまでもなく座り込んでいたり、眠そうに欠伸をしたりする事がちらほらとある。

 

何かしてあげたい。と、思うものの具体的には何をしていいかわからず、奈緒に相談するとくすくす笑われた。

 

「あぁ、それ、いつもの兄さんですね。ついに瑞樹ちゃんの前でもそういう姿を見せるようになりましたか」

「私、真面目な話をしてるんだけど?」

「いえ、ただ微笑ましいなと……瑞樹ちゃんと同じくらい兄さんも緊張していた、ということです。ほら、兄さんって無駄に保護欲とかありますから。瑞樹ちゃんの前ではかっこよく見せたかったんですよ」

 

そう言われて悪い気はしない、けど釈然としない。

奈緒も笑うのをやめて、いつもの微笑に変わって言葉を続ける。

 

「とはいえ兄さんも人間ですから、疲れてるんでしょう。そうですね、やるなら瑞樹ちゃんから甘えてあげるのなんてどうでしょう」

「奈緒に相談した私がバカだったわ」

 

スマホで検索し始めようとして、そんな私を意に介したこともなく奈緒は続けた。

 

「いえ実際効果あると思いますよ。適度なスキンシップでも多幸感が得られてリラックス効果があるらしいです。ほら、瑞樹ちゃんもあるでしょう?兄さんといると嫌なこととか全部忘れられたりとか」

「一理あるわね」

「具体的には、膝枕をしてあげたり、一緒に寝たり、お風呂で背中を流してあげるのはどうですか?」

 

最初のはともかく残り二つは難しいんじゃないだろうか。

 

「無理よ。一緒に寝たり、お風呂とか……」

「一緒に寝るのはエアコンの電気代の節約、お風呂は……日頃のお礼?」

 

同衾はいける気がしてきた。

 

「……まぁ、最後のはともかく、やれるだけのことはやるわ」

 

こうして私は青葉を癒すために孤軍奮闘するわけになったのだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

瑞樹のご奉仕

 

 

 

帰宅すると笑顔で瑞樹が出迎えてくれる。するといつものように夕食が先かお風呂が先か、心此処に在らずだった俺も一瞬思考を傾けて答えた。

 

「んー。そうだな、飯食って風呂入って寝る」

 

疲れ切った身体は動くことを拒否している。二人きりの数少ない時間を心掛けているが、今日はさすがに限界だった。定時より遅れ残業が二時間も続いたのだ。肉体的にはまだ余力があるが精神的に疲れた。

 

瑞樹はすぐに食事を用意してくれた。

雑穀米、ニラ玉、豚肉の生姜焼き、うなぎの蒲焼き、玉ねぎとニラの豚汁、というちょっと豪勢な料理に食欲が掻き立てられる。

そして極めつけは蜂蜜酒、家にはなかったはずである。

酒精は未成年では買えないはずだ。

 

「どうしたんだこれ?」

「最近、青葉さん疲れてみるみたいだから。ちょっと頑張ってみたの。お酒はね、奈緒のお母さんに買って来て貰ったの」

 

短い言葉で意図を察した瑞樹だが、義母が買って来たという事実になんとなく年齢確認すらされず門前払いを受ける姿が脳裏に浮かぶ。年齢確認時に店員はさぞ困惑しただろう。

 

店員を哀れに思いながら、いただきますと口にして瑞樹の手料理に手を伸ばす。

 

「はぁ、美味いな……」

「ふふ、ありがと」

 

ありがとうはこちらのセリフだ。食欲のなかったはずの胃が瑞樹の料理を求めている。箸の進む気がしなかった先程までとは違い、箸が止まらない。

 

ほどなくして幸せな時間も終わり、ほろ酔い気分でご馳走様と口にして、酔いのまま眠るべくさっさと風呂場に移動する。

 

 

 

「んん?」

 

違和感に気づいたのはすぐだった。浴室への扉を開けると鼻腔を慣れない匂いが満たした。湯船も透明感のあるそれではなく桜色で入浴剤を入れた事が分かる。匂いからして薔薇か何かだと思うが花の種類はそれほど知らないので言い切ることはできない。

 

しばらくぼーっと突っ立っていると、ガラッと戸が引かれた音がして振り返れば瑞樹がいた。

いつかのように服を着ておらず、裸体を心ばかりに腕で隠して入ってくる。

顔を赤らめ恥ずかしそうに俯いて、消え入りそうな声で言った。

 

「……背中を流すから、座って」

「ん、あぁ……」

 

ほろ酔い気分だからか、疲れているからか、はたまた別の理由か抵抗する気は皆無で素直に椅子に座ると瑞樹は背後に陣取りお湯を一度被せてきた。次いでシャンプーを手につけ髪を梳くように洗い始める。されるがままの俺の背中に発展途上の胸部が当たり、その柔らかさに思わず胸が一際大きく唸った。瑞樹のおっぱいは並以上にあるのだ。下半身が元気になるのは自重してほしいところだ。

 

頭が終われば一度流し、次は背中へ。

 

ふと訊ねてみたくなった。

 

「今日はどうしたんだ?」

 

瑞樹は何かしら理由がなければ一緒にお風呂に入るなどしない。それこそ梅雨の終わりのあの日以降、混浴をすることなど起こり得ることもなかった。

 

「疲れてるみたいだったし、そのままお風呂で寝そうだったから……危ないでしょ?」

 

まぁ確かに気を緩めれば浴槽で眠ってしまうかもしれない。浴槽に浸かれば考え事をしてそのまま……というのもあったかもしれないが。お酒で緩んだ理性が決壊寸前だ。

 

その間もゴシゴシと背中を洗ってくれ、腕や足にも手を伸ばし始める。

 

「あの瑞樹さんや」

「なに青葉さん?」

「あとは自分でやるから」

「全部、するわよ?」

「いやもう擽ったいんだって!」

 

脇やお腹に触れられて身が捩れそうになり、笑い転げる前に瑞樹の腕を掴んで辞めさせる。悪気はないんだろうが脇は流石に耐えきれなかった。このままいけば本当に全部洗われそうでもある。それを少し残念とも思うが触れられるとまずいところもある。これ以上は理性を保つ自信がない。

 

追撃を躱しさっさと洗い終える。背中を流すことを提案しようかと思ったがそれだけでは済まなくなりそうなので自重する。湯船に浸かりチラリと瑞樹に視線を向けた。

 

彼女が髪を洗い、身体を洗うその姿でさえ扇情的に映る。

大きな双丘、しなやかな肢体、嫋やかな指先、陶器のような白い肌、整った顔立ち、濡れた金髪に思わず見惚れる。

疲れ切った身体は理性を保ってくれている。

むしろ逆に元気だと危なかったかもしれない。

 

時間を掛けて洗ったあと、泡を流して瑞樹はまた足の間に入ってきた。瑞樹は浴槽の中で背後から抱きしめられる形で背中を預けて満足そうに吐息を漏らした。

 

……。

 

静寂。時折混じる水面を跳ねる水音だけが浴室を満たしていた。

楽な体勢を探すこと数分、おそるおそる首に腕を回して軽く抱きしめてみる。お湯の感触に混じって柔らかな果実が腕に当たり、一度艶やかな声を漏らしたものの、咎められることはなかった。

 

本音を言えばこのまま押し倒してしまいたい。……だが、そうさせないのはやはり今の関係が心地良すぎるからだろうか。前にも思ったがこれは少し歪な関係ではないだろうか。

 

「先上がるわ。のぼせないうちに上がれよ」

 

理性が崩壊しないうちに熱を覚ますべく浴室を後にした。

 

 

 

歯を磨き自室へ。早めに就寝しようと扉を開けたらベッドの上に瑞樹が女の子座りで待っていた。普段の可愛らしいパジャマではなくネグリジェ姿、露出した腕や太ももが輝いて見える。透けそうで透けないネグリジェは瑞樹の美しさ、女性らしさを自然に引き出していた。

 

「……奈緒か」

 

一連の黒幕に愚妹の存在を嗅ぎつけ頭を抱える。

 

「ね、寝巻きを探したら、全部消えてて……代わりにこれと手紙が入ってて」

 

いやらしさはないが艶やかな美を纏うネグリジェに身を包んだ瑞樹は困惑しながらもそう告白した。素直に着るところが妹に弄ばれているというかなんというか……。

 

「……それで瑞樹はなんで部屋に?」

「青葉さんが寝るまでの間だけでいいから、お話したいなって……迷惑だった?」

 

その聞き方はずるい。迷惑とは言えず、否定しておく。

 

「じゃあ青葉さんここに寝て」

 

と、瑞樹が指定したのはベッドの上、さらに正確に言うならば彼女は膝をポンポンと叩いて寝るように促した。

俺は瑞樹の膝の前に寝転んだ、頭は膝の前である。すると無視されたのが嫌だったのか強引に頭を持ち上げられ膝の上に乗せられた。

 

「今わざと避けたでしょ」

「素直に膝枕されるのも恥ずかしいんだよ」

 

瑞樹の膝枕は柔らかく良い匂いがする。運動でついた筋肉と程よくついた脂肪が健康的で張りがあり、市販の枕とどちらが極上品か比べるまでもない。

毎日でも膝枕して欲しいくらいだ。

 

しかし、今日は妙に瑞樹の様子が違って見える。じぃっと慈愛の眼差しで見下ろし髪を梳くように撫でてくる彼女と顔を合わせているが、双丘が目に入って集中できない。

 

寂しかったのかと邪推してみるが、そんな子供っぽいことを瑞樹が考えるとも思えない。かと言って一番無さそうな可能性、そこから考えてみることにした。

 

「何か欲しいものでもあるのか?」

 

奈緒はお願いがある時は窺いを立てるのでそう訊いてみるも、瑞樹は首を横に振った。

 

「んーん。青葉さんが疲れてるみたいだったから労いたいなって。……寂しかったのもちょっとあるけど」

「悪いな。仕事が長引いて」

 

ただ、と瑞樹は付け足す。

 

「一緒に海とか、夏祭りに行って欲しいなって。それがダメなら、もう少し一緒にいるとか……ダメ?」

「いや、いいぞ」

 

二つ返事で可愛いお願いを了承した。深く考えずスケジュールも全く見てないが会社はホワイトだし時間がなくても無理やり作るつもりである。

 

「ほ、本当に?」

「こんなことで嘘なんて言っても意味ないだろ」

 

約束一つで無邪気に喜ぶ顔を見るに打算的ではなかった事がわかる。

うちの奈緒とはえらい違いだ。

 

その後は終始無言で髪を梳く瑞樹に見蕩れていると、次第に眠気が襲う。

 

目蓋を閉じたが最後、意識は闇の中へと消えていった。

 

不意に目覚めたのが深夜、早く寝過ぎたからか微睡みの中から意識を少しだけ起こす。月明かりが差し込むだけの部屋の中で静かな寝息が音を立てていた。腕の中で寄り添う少女の姿に一瞬驚いたものの、深く考えることもせず少女の頭を撫でてから人肌の温もりを求めるように手を伸ばし、ほぅと一息ついてまた眠りに就くのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

海へ

海に行きます。


 

 

 

八月の上旬。夏真っ盛りのこの季節に俺は実家へと足を運ぶはめになった。多少気が早い帰省、なれどそれは帰省のためではなく前々からの約束を果たすためである。お盆の直前辺りに部活の大会があるらしく、英気を養う意味も込めて海へ遊びに行くことになったのだ。その参加者は俺を除く瑞樹と奈緒を含めた四名ほど、一人部活とは関係はないが友人同士の絡みに無粋なツッコミ(大義名分に関して)はなしでいいだろう。それほど俺も愚かではない。

 

さて、そこで実家の方に久しぶりに顔を出した理由である。

 

端的に言うなれば、まず一つ目が『奈緒の家を知る友人達と合流するため』である。今回のメンバーは全員、奈緒の家を知っていることもあって集合場所として奈緒の家が挙げられた。

そして、もう一つの理由が『親父殿から車を借りる為』である。免許は持っているものの使用頻度の少なさから車を購入することは見送っていたが、こういう機会には車を借りることがままあり、こうして訪ねたのだ。

それもキャンピングカーという娯楽目的で買ったはいいが、中々使用の機会に恵まれないそれを拝借する約束を事前に取り付けておいたわけである。今回の用途で言えば更衣室代わりで本来の用途とは異なるだろうが。

 

そこそこ名の知れた海水浴場なら、更衣室もありシャワーも完備されているにしても、やはり混み合う可能性だけは否定できないのだ。

 

「おはようございます、兄さん、瑞樹ちゃん」

「……おはよう、奈緒。皆は?」

「もう既に到着しています。呼んで来ますね」

 

俺も朝の挨拶を親愛なる妹へ返しておく。そうすればパタパタと家の中に戻り、数分後には二人の女子を連れて戻って来た。そして奈緒はあろうことか大量の荷物を押し付けてくる。荷物を受け取り、車に積む前に今回の参加者に挨拶だけでもと俺は二人を見た。

 

「確か梓ちゃんに楓ちゃん、だよな……?」

 

いつかの杖少女と親友の妹の姿があった。

 

「あら、覚えていてくださったのですね?」

 

ころころと笑みを絶やさない上に丁寧な口調でお嬢様っぽいところが育ちの良さの所以か、彼女がモテるのは人当たりの良さだと奈緒は言っていた。俺はどうも放っておけない性格のためか過保護になりすぎないようにと事前に釘を刺されている。

茶髪を肩口で切り揃えたのは手入れが大変だからか、彼女が髪を伸ばしたところを見たことはないらしい。

それが俺の知っている高岡梓という盲目少女の情報である。

 

「今日はよろしくお願いしますね」

「遠慮はいらないからな」

 

なんだか含み笑いをしている気がしないでもないが放っておこう。

 

「おはよーございまっす、青葉兄」

「おう、兄貴は元気か?」

「今日は朝から友達に連行されたみたいっすよ」

「あいつらか……」

「青葉兄のところにもお誘いはきたんじゃないんですかねー?」

「もちろん用事があるって断ったよ」

 

黒髪セミロングの少女、青山楓。小学校時代からの友人の妹であり、砕けた口調で男女共に分け隔てないこともあり俺も青山家に行けば散々絡まれた。そこが男子にも女子にも人気らしい。美少女ではあるのだが、彼女の人気の秘訣はそれだというのが妹の証言である。

 

「青葉兄も男っすよね。友達の誘いを断ってまで女子中学生侍らせるなんて」

「……おい、まさかあいつには言ってないだろうな」

「いやー、青葉兄に車で海に連れて行ってもらうって言っちゃいました」

「……はぁ。遅かったか」

 

今頃、友人達の間では俺が友情ではなく女子中学生を囲うことを選んだ裏切り者として話題にされていることだろう。瑞樹からの先約がなくても行ったかどうかはわからないが。

 

「さて、じゃあ行くか」

 

荷物を乗せて運転席へ。助手席には奈緒が座り他の面子は後ろのスペースへ。

 

「シートベルトは締めたな。出発するぞ」

 

確認作業にちらりと瑞樹へ視線を向ければ、彼女もちゃんとシートベルトを締めていた。ただその視線は一点に集中してしまう。

 

(車買おうかなぁ)

 

シートベルトが強調する瑞樹の胸元を見て、それも悪くないと思ってしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

最寄りの海水浴場は車で約一時間ほどの距離にある。茜浜海水浴場と呼ばれるその所以は、夕暮れ日が沈む光景が絶景なのが評判で海水浴客のうち半数はそれを最後に見て帰るのだという。何度も来たことはあるが、海ではしゃぐ行為は控えてきたため今回初めて海水浴場を正式利用する。

 

早々に着替えた男子約一名はというと、燦々と照りつける太陽の下、半ズボン丈の海パンとパーカーに身を包み、ビーチサンダルを履いて女子中学生達が着替え終えるのを駐車場で待機して見張っていた。

夏真っ盛り、海水浴シーズンであるから不埒な輩が出ないとも限らない故の警護役、車上荒らしもないとは言い切れず、もしその輩が着替え中の女子中学生の花の園に侵入したら、と念には念を入れて監視しているのだ。

まぁ、実際には怪しい客よりは鬱陶しそうな男性客の方が多そうには見えるが。

 

「あっちぃなぁ」

 

夏は嫌いだ。寝苦しいし、汗もベタベタする。外に出るのさえ気怠く感じる。憂鬱だ。

 

遠目に見える海水浴客は何が楽しくてはしゃいでいるのか。家族サービスするお父さん、あからさまなナンパを試みる者、取り敢えず後者が近寄らないように見張る必要がある。

 

そんな憂鬱な気分も少女達の姦しい声に掻き消えた。

 

「あ、青葉さん、お待たせ……」

 

振り返った先には瑞樹がいた。黒のホルターネックビキニを纏い、その腰には同色のパレオを巻きつけている。ビキニの黒が彼女の白い肌を引き立たせ、相乗効果でビキニの存在感も主張していた。金髪は陽光を跳ね返し、天使の輪っかを作っている。そして露出した肌は太陽すらも味方につける。白い肌が普段より一層輝いて見えた。

 

–––前言撤回。夏最高。

 

だがしかし。

 

–––女性の服装は褒めるべきと教わっている。

 

水着姿を褒めるというのは……セクハラに当たらないだろうか?

 

「……お、おう。別にそれほど待ったわけでもないが、これ着とけ」

 

着ていたパーカーを羽織らせてやる。誰かが見ている気がして、どうにもそれが面白くなくて、半ば押し付けるように掛けてやると瑞樹は戸惑いながらも受け取り、

 

「あー、そのなんだ、それだけ綺麗なら変な虫がより一層寄り付くだろ」

 

赤面させてしまう始末。

自分でも何言ってるのかわからない。失言。

 

「兄さん瑞樹ちゃんの水着姿に見惚れ過ぎじゃあないですか?」

 

瑞樹の背後から対照的な白のビキニを纏い奈緒が姿を現す。いつものように髪をサイドテールに纏めて、にやにやと笑みを浮かべて「私はどうですか?」と。

 

嫌な予感がするので無難に返しておこう。

 

「凄く可愛いぞ」

 

そう、無難に両者を褒め称える。

まるで特別扱いなどしていない風を装って。

 

「私と瑞樹ちゃんどちらが可愛いですか?」

 

–––なに?

 

「どちらって言われてもな……どっちも同じくらい可愛いぞ」

「あ、それなしです」

 

比べることなどできない。できるはずがない。だが、奈緒がそれを望む。

深く考える。考えて、考えて……。

 

「あ、あれ?兄さんそんな真剣に悩んじゃいます?」

 

肩を叩かれれば、困惑したような奈緒の顔が目の前にあった。

 

「そりゃあな。奈緒も瑞樹も俺にとってはかけがえのない大切な人だからな」

 

『無難』を探すまでもなく、答えに窮してしまいやはりそういった答えしか出なかった。

 

「そ、そうですか……」

「ふーん」

 

奈緒は頰を赤らめ緩めそっぽを向く。瑞樹も素っ気ない対応だが、頰は紅潮しており髪先をくるくると弄るその様はどこか嬉しそうにも見える。

 

「うわー、青葉兄容赦ないっすねぇ……」

 

楓が呆れたような目で複雑な表情を向けてくる。上は白のオフショルビキニ、下は水着の上にホットパンツを穿いている。わざとらしく止められていないボタンによってできる隙間からちらちらと白い布が覗く。

 

「あれ浮気っすかー?」

 

そして、自らの左腕を右手で掴み胸を強調してみせる。これみよがしに魅せてくるものだから一瞬目が奪われ、上目遣いに擦り寄ってくる姿にドキリとする。

 

「浮気ってな、ぁ……!?」

「……あら、ごめんなさい」

 

会話の最中、コツンと右側からとても柔らかい布地に包まれた何かが当たり、そのまま抱きついてくる形で手が控えめに添えられる。

青い海のような藍色のオフショルダーワンピースに身を包んだメロン、もとい梓嬢、彼女がぎゅっと腕を掴んでくる。ただ掴むと言ってもまるで胸に掻き抱くようにしていることで、布地に包まれたメロンの感触がダイレクトに伝わってくる。惜しむらくは布地の多いワンピースタイプの水着であることか。

どうでもいいことだが彼女、着痩せするタイプであるらしい。

 

「梓、さん?」

「……おや、間違えました。ですがこればかりはどうにも不便で。お手数ですがエスコートをお願いしてもよろしいですか?」

「まぁ、確かに転んだら危ないし……」

「ありがとうございます。梓、とお呼びください。私も青葉様と呼びますから」

 

仕方なしにまぁ杖代わりになるか、と右腕を貸せば脇腹を二つ背中を一つ抓られた。

 




妹の友達ならぬ、友達の妹。
全く別の関係性になってしまうのです。
不思議ですね。

海編は続きます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

海は刺激が強過ぎた件

 

 

茜浜海水浴場に足を踏み入れると鬱陶しい夏の日差しに乗じて、何やら熱い視線が集中した。一目少女達を見た男性客は立ち止まり、通行人とぶつかり、サーファーは波に飲まれて海に落ちる。家族連れの父親は妻に肥えた腹を抓られ、恋人とデートに来ていた年若いカップルは相方に制裁を受ける。とんでもない人災が連鎖する。

 

「おい見ろよあれ、可愛くね?」

「アイドルかモデルかな?」

「ばっかそんなのがここにいるわけないだろ」

「それより声かけてみるか?」

「ひっ!今、無茶苦茶寒気がしたんだけど」

「お、俺も……」

 

客観的な感想を言えば、瑞樹達はそれくらい綺麗なのだ。元々、身内贔屓もあって目が曇っている俺からすれば納得の評価だがそれはそれで面白くもない。評価が高ければ高いほど悪い虫は寄ってくるのだ。

 

「兄さん抑えてくださいね?」

「善処する」

 

用意したビーチパラソルを砂浜に突き刺し、ビーチチェアを設置して有事に備えて体を解す。他所様の女の子を預かっている責任上、悪い虫を近づけてはいけない。

 

「さぁ、早く行きましょう兄さん」

「行くわよ、青葉さん」

 

軽く準備運動していた奈緒と瑞樹が急かす。

 

「青葉兄に人を殺せそうな視線が集まってるなぁ。本当、両手に花で幸福者っすよね」

「あの…楓さん?気にしないようにしてたこと言わないでくれませんかねぇ」

「そこは見せつければ良いのですね?」

「さすがアズ、どんどんくっついてやってください。女子中学生に鼻の下伸ばしてる青葉兄を激写しますんで」

「お前変な写真だけは絶対やめろよ?梓の両親にも渡すんだからな?」

 

俺の私物の一眼レフを構えた楓と梓が楽しそうにはしゃいでいた。撮った梓の写真は後日、梓のご両親にも渡す話が通されている。

 

ビーチチェアに風除けとして着ていたパーカーを脱ぎ捨て、少女達が姦しく騒ぐ。そしてそのまま白い砂浜を駆け出し奈緒と瑞樹は渚に足を踏み出しパシャパシャと水を跳ねさせ走り回る。

 

「楓、お前は行かないのか?」

「最初は写真でも撮ってますよ。だから期待しておいていいっすよ」

「……壊すなよ?」

「壊したら体で払いますよ?体で」

「どういう意味だよそれ」

「それはもう口に出すのも憚られるっすねぇ」

「……取り敢えず、あとで交代な」

 

カメラを任せるのも悪いのでそう伝えると、楓は自らの体を掻き抱く。

 

「え、そんなにあたしの水着姿の写真が欲しいんっすか?」

「違うそういう意味じゃない」

「兄貴に報告していいっすか?」

「やめろこれ以上被害を拡大させるな。会うのが怖くなる」

 

人を食ったような笑みで「冗談ですよー」と言う。ただまぁもう既に言及されるのは確定事項である。楓の兄はいいのだが他の面子が少々厄介だ。

 

背後からちょろちょろついてくる楓を引き連れ、右腕に変わらず腕を抱いた梓を連れ波打ち際を目指す。湿った砂浜に足を踏み入れた時、びくりと震えてこう言った。

 

「絶対に離さないでくださいね!」

 

よりがっしりと腕を抱かれれば密着度が増す。中学三年生にしては大きい胸がより柔らかみと大きさを伝え、俺が得る幸福感とは逆に梓は心底怯えた表情だった。

 

–––可愛い。

 

不謹慎ながらそう思う。

 

「ひゃっ!?」

 

ついに足に波が到達した時、彼女は素っ頓狂な悲鳴を上げた。飛び上がって首に抱きついてくると胸の感触が腕を組まれた時とは比べ物にならないくらい存在感を放つ。

 

「梓は海に来たことは……?」

「初めてですっ」

 

–––箱入り娘。

 

喉から出そうになった言葉をギリギリ飲み込む。生まれた時から目が見えず、光のない生活をしている彼女を思い大切に御両親は育ててきたのだろう。連絡先を強制的に転送され念を押された文には文字では表せないほどの感情が込められていた。

 

「家族で外出とか、友達と遊びに行ったりはしないのか?」

「はい。……今まで、外に出るのも送り迎えが必須で、友達の家くらいしか」

 

だからこうして友達と遊びに行くのは初めてらしい。

よく許可が出たな、と思う。

 

「そうか。じゃあ、楽しまないとな」

 

怖がりながらも腕にくっつき足を前に出す。遅いが前には進む。そのうち二人のところまで辿り着くだろうと見守ることにした俺だが、そうは問屋が卸さない。

 

ザバッと勢いよく海水が俺目掛けて飛んできた。

腕にくっついていた梓も巻き添えを喰らう。

 

「ひゃあぁぁぁ!?冷たっ!しょっぱ!なんですか!?」

 

慌てふためく梓がきょろきょろと周りを見渡す。俺の視線の先には海水よりも冷たい温度の視線を向けてくる瑞樹と奈緒がいた。

 

「兄さん、少し梓ちゃんといちゃいちゃしすぎじゃないですか?」

「……そんなに巨乳がいいの?」

 

真夏なのに真冬かと思う薄寒さ。ぞわりと背筋を何かが這い身の危険を感じた。

 

「違う。いちゃいちゃしてない。誤解だ」

「絶対うそ鼻の下伸ばしてやらしい」

 

そう吐いて捨てたあとで瑞樹は自らの胸に手を当てた。ずーんと暗い雰囲気が漂っている。

正直な話、瑞樹の胸は梓よりは小さいものの中学生にしては大きい部類だ。もう既に大人の男が鷲掴んでも僅かばかり溢れそうで並以上にはある。触れたら気持ちが良さそうだ。

だから悲観に暮れる必要はないのだが、本人は不満げである。特に梓のたわわに実ったおっぱいを見て恨みがましい視線を向けていた。

 

「……やりましたね?神崎さん、倉科さん」

 

不満げな視線をどう感じ取ったのかわからないが、水を掛けてきた犯人が誰か気づいた梓が好戦的な笑みを浮かべ、屈んで両手を水面につけると声を頼りに二人に向けて水を掬いあげる。両手一杯の水を水面から飛ばそうと身を乗り出したはいいが、

 

「あ、わっ!?」

 

当人は波に脚を拐われて前のめりにすっ転んだ。

上がる水飛沫に俺と奈緒、瑞樹は巻き込まれ浴びた。

 

「あはは、何やってんだか–––って梓さん!?」

「あ、梓ちゃん?」

「もう何するのよ–––って、え?」

 

俺達の視線の先にはじたばたと水中で捥がく盲目少女。膝丈ほどしかない浅瀬で座ればちょうど胸ほどしかないはずだが、パニックを起こした梓には関係ないのか溺れている。

慌てて引き上げようとすると顔面や鳩尾に肘が勢いよく当たった。だがそこは怯まず抱き竦めて助け起こしてやった。

 

「ケホッ、コホッ!…ぜぇ、はぁ…」

 

水を少し飲んでしまったのか息が荒い。痛いほどにしがみついてきて爪を立てた猫のようにフシュフシュと唸る。実際、爪が背中に食い込んでいて痛いが、それと同じくらい柔らかい胸が押し付けられている。

 

「……し、死ぬかと思いました。ふぇ…ぐす…」

「ちゃんと見てるから安心しろ」

 

幼子のように泣き噦る梓の頭を優しく撫でる。ぽんぽんと背中を摩ってあげる。

 

「……はぁ。仕方ないわね、少しくらいは」

「そうですね。ここは素直に兄さんに任せましょうか」

 

そんな姿を見て何を思ったのか二人は頷き合った。

 

 

 

その後も対抗心を燃やして梓とは反対側の腕に抱きついてきたり、水着により破壊力が増したアピールを何度もしてきた。ゴム製のボードの上で美少女四人と波に揺られていたのはとても良い記憶だ。

 

「そうだ。ビーチバレーとかどうっすか?」

 

そうして海を楽しんだ後、昼もまだ早いと楓が提案してきた。

 

「……お前ら、部活でもないのにバレーやるのか?」

「やだなー、別物っすよ」

 

そうは言うが楓が持っているのは普通のバレーボールである。

 

「いいですね」

「……そうね、やるわ」

 

奈緒、瑞樹、楓はバレー部に所属している。大会前もあってか妙に気合が入っている。何故だか俺を見て闘志をメラメラと燃やしているが俺は素人だ。

 

「じゃあ、チームを決めるっすよ。もちろん恨みっこなしで」

「誰が兄さんとチームになるか、ですね」

「ねぇ、青葉さんに誰とチームになるか決めてもらうのはどう?」

 

乙女の戦いに投じられる爆弾が一つ。水を向けられた俺はジャンケンでいいのでは?とも思うが、提案すればすぐに却下された。

 

無難に答えるなら身内である奈緒なのだが、それを言うと瑞樹も身内である。それも近過ぎる距離にいる大事な人だ。そう考えると二人を選ぶことはできないわけで、

 

「楓さんでお願いします」

 

恐る恐る、相方を指名した。ふふーん♪と上機嫌な楓と悔しそうな奈緒と瑞樹、その視線が追求しているようにも見えなくないので俺は無視するように試合の準備を始めた。

 

 

 

「一応言っておくが手加減しろよお前ら」

 

茜浜海水浴場にはビーチバレーコートが完備されており、申請さえすれば誰でも借りられる。そのコートで向かい合うペアが二つ。

青葉と楓ペア、瑞樹と奈緒ペアである。

コートの横にはビーチチェアが設置されており、不参加の梓がパーカーを着て応援をしていた。

 

「青葉様、頑張ってください!」

 

三箇所から殺気が濃度を増した。味方であるはずの楓は射殺さんばかりに俺の背中を見つめている。

 

「じゃあ、ハンデとしてこちらからのサーブで」

 

経験者もとい現役部員の楓が空にボールを投げる。そして、軽く追って跳ぶと綺麗なフォームでボールを打ち出した。

 

……しかし、そのボールは俺に目掛けて飛んできた。

 

「あっ」

「あっぶな!おい現役バレー部今狙ったろ?」

「手が滑りました。いやー、砂浜だと感覚が違って」

 

もっともらしい言い訳を並べ立てるので反論のしようがない。

改めて楓がサーブした。

 

「瑞樹ちゃん!」

「わかってるわよ」

 

飛んできたボールを瑞樹がレシーブして、奈緒がトスを上げる、そして流れるように瑞樹が今度はネット前に出てきて身長よりも遥か高い網の上からスパイクを決めようとする。

 

「悪いが俺も本気で–––」

 

遊ぶにしても全力で相手をしなければ失礼か、とブロックに跳ぼうとしてネット越しの光景に目を見張った。

 

改めてしつこいようだが瑞樹の胸は中学生にしては大きい。そんな彼女が水着という下着同然の格好で跳べばどうなるかは明白だろう。

ぷるん、と瑞樹の胸が揺れた。柔らかくて、瑞々しく形の整ったおっぱいが。薄い布一枚な所為かダイナミックに弾んでいる。

見入ってしまったのは男なら仕方ないと思う。

 

「あっ」

 

ただ、幾重にも重なった偶然が不幸を呼ぶ。砂浜に足を取られ跳ぶまでもなく足を滑らせ、後ろに倒れ込んだところに瑞樹がスパイクしたボールが顔面に飛んできた。避ける術はない。直撃した。

 

「だ、大丈夫、青葉さん!?」

 

衝撃によって一瞬だけ気が逸れ、気がつけば仰向けに倒れて空を仰ぎ見ていた。駆け寄ってきた瑞樹は砂浜と俺の頭の間に膝を割り込ませ、膝枕をして心配そうに顔を覗き込んでくる。他二名は少々呆れた顔で言う。

 

「兄さん瑞樹ちゃんの胸見てましたね」

「見るのはいいっすけどねー。バレないようにしないと」

 

見られた本人は気づいていないようだが、他二人にはしっかりとバレていたらしい。

 

「あ、負けたら罰ゲームですよ兄さん」

 

なにそれ訊いてない。

 




まだ続きます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

奈緒の秘策

グダグダ試合を描写しても二十代のおっさんが見惚れているだけなのでカットで。


 

 

 

「あー、さすがにこれは予想以上っすね……」

 

相手コートに倒れた瑞樹と奈緒を見て、楓はそう呟いた。

二十五点マッチの一本勝負。終わってみればあっけないもので、勝ったのは俺と楓。それも十点差という大差をつけての圧勝である。

負けた二人は空を仰ぎ見ながら、胸を激しく上下させ荒い息をしている。

熱中症対策に予め買っておいたスポーツドリンクを飲みながら、腰に手を当てて居た堪れない顔で楓は砂浜を爪先で弄っていたのだが、くいと俺に視線を向けた。

 

スポーツドリンクを両手に二人の元へ。一瞬、お腹か胸の上に冷えたペットボトルを当ててみようかと思ったが、頰に当てるだけに留めた。

 

「そんな…嘘です…兄さんがこんなにも運動得意だったなんて…」

「…か、勝てると思ったのに…」

 

その二人といえばぐったりとしており反応を示さない。やはり、胸やお腹に当ててみようかと心の中のセクハラ親父が顔を出したところで悪戯心をぐっと抑えた。

 

「……兄さん本当に未経験ですか?」

 

胡乱な目を向けてくる二人に俺は何食わぬ顔で、

 

「バレーなんて学校の授業でしかやったことないぞ」

「「それでこれって……」」

 

自信喪失気味の二人に若干の哀れみを乗せて、楓が慰めを口にする。

 

「うちの兄貴曰く、運動神経は並以上でどんなスポーツも人並み以上には得意だったらしいですよ」

「……運動がそこそこできることは知っていましたが、いやこれ本当に人並みですか?」

「奈緒には勝算があると思ってたんだけど」

「勝てると思ったんですよ。これでも私達はレギュラーですし」

「青葉さんが予想外すぎたのね……」

 

空が青いと現実逃避し始めた二人、よほどショックだったらしい。少しおとなげなかっただろうか。

 

「因みに青葉兄、目立ちませんが影では結構モテてたらしいですよ」

 

ガバッと二人が起き上がった。お早い復帰である。

 

「それもっと詳しく」

「え〜、どうしましょうかねぇ〜」

 

ニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべて楓は楽しそうに二人を見下ろす。

俺から言わせてみれば、モテるとか初耳なんだが。

学生時代を思い返しているとぐぅぅという音が鳴った。

突然、腹の底から聞こえてくるような音が鳴ればそっちをみてしまうわけで、視線の先には顔を真っ赤にして俯く瑞樹がいた。

 

「そういや腹減ったな。何か食いに行くか」

 

近場には海の家や、海を一望できる喫茶店などがある。

きっと後者は気に入るだろう。

 

 

 

 

 

 

結論から言えば、海の家での昼食は却下されてしまった。折角、キャンピングカーには調理設備があるのだから、使用してみたいらしい。こんなこともあろうかとエプロンを三人分用意していたらしく料理をするという。しかしそれは俺と梓を除いた三人でだ。

 

「手伝うぞ」

「いえ、兄さんは座っていてください」

「だがな……」

「兄さん、食事代は折半にしますよ?」

 

こう脅されては仕方がない。買い物の際、奈緒が素直に受け取ったのはそういう魂胆があったかららしく、時にこうして説得されて食い下がるしかなくなる。よく兄の扱い方を理解した妹である。

ついでに言えば、キャンピングカーは数人で料理するには狭く、四人も調理場に立てば邪魔だろう。特にこの中で一番料理は役に立たないかもしれないのだ。俺が引き下がるのは道理であると共にその分料理には期待させてもらう。

 

そういうわけでスーパーや近くの市場で買った材料を広げ、水着の上にエプロンを装着した奈緒、瑞樹、楓の三人は並んで仲良く料理を始めていた。

 

「ナオ、これどーするっすか?」

「あー、それは下処理が済んだらそちらにおいといてください」

「ねぇ、お酢とお塩はどこ?」

「はいどうぞ」

 

ただまぁ一つ言わせてもらうとすればだが……。

 

なんかエロい。

 

瑞樹達は水着の上にエプロンを着ている。それはすなわち露出度の高いままであるということに他ならず、しかもエプロンを着けたからか妙な背徳感があるのである。水着とは何か違ったエロさ、思わず露出した背中やお尻をまじまじと見てしまう。これ幸いな事に三人は気付いていないみたいだが、興奮は隠せないので興奮しないようにしなければならない。

 

楓は楓でホットパンツを穿いているから、上だけ下着みたいな感じで妙にエロい。もちろんこんな事を思っていたと楓の兄にバレでもしたら、ゴミ虫を見るような目で見られる事になるのだろうが。

 

「……なるほど、料理中の恋人や妻に男が悪戯したくなるわけだ」

 

一人勝手に悟りを開く。

その横で梓は聴覚と嗅覚で料理を楽しんでいた。

視覚で楽しめない上、料理はさせてもらえたことがないらしく、梓もまた俺と同じく見学組にされ、こうして二人して料理する姿を眺めていたのだ。

 

最初の数分はそうだった。が、彼女は飽きっぽい性格らしい。

 

「青葉様、少しよろしいですか?」

 

さっきまで料理する三人に興味を示していたが、俺の手と手がぶつかってから何か考え込むようになり、ふとそんな風に窺いを立ててきた。

 

「あぁ、なんだ?」

 

俺は三人の後ろ姿を眺めていた視線を戻して訊く。

 

「青葉様にご相談がありまして」

「まぁ、何が出来るかわからないが相談くらいなら」

 

暇だし、梓の相手をしているのもいいだろうと二つ返事。

すると彼女は満面の天使の笑みを浮かべる。

 

「では、相談なのですが……青葉様の身体に触れさせてください」

「ん?」

「もちろんただとは言いません。青葉様も私の身体を好きに触ってくださって構いません」

 

顔を見て、メロンを見て、下半身を見て……ごくりと唾を飲む。

いやダメだろう。触られるのはいいが、触るのは。

 

「なんで急にそんな提案を?」

 

真意を図るべく、俺は震える声を出来るだけ抑えて訊き返した。

何か理由があるのではと。

恥ずかしげに頰を染めているあたり、自分の提案の意味はわかっているのだろう。

だが、梓は凄く真剣な様子だった。

 

「……さ、先程、助けていただいた時に気付いたんですが。男性と女性って身体の構造が違うじゃないですか。だからもう少し触ってみたいなぁ、と」

 

理由に共感できないわけじゃない。さらに一押しと梓は付け足す。

 

「私も誰でもいいというわけではありません。危険を承知な上で、青葉様になら、その……何をされてもいいので」

 

俺が注意するであろう事を先回りして封じる。全ては断りづらい空気を作るために。さすがは奈緒の友達といったところか。

 

「いや、別に構わないが……」

「ほ、本当ですか?」

 

梓のお願いは健全である。おじさんの変な誤解が入るだけで如何わしいものになるが、要点をかいつまむと『雄の生態構造を知りたい』という事だ。さらに細かく言えば『筋肉に触りたい』如何わしいのは交換条件だけだ。

 

「ただ、誰にでもそういうことは言わない方がいいぞ」

「はい!……では、失礼します」

 

ペタペタと胸板に触れてくる。二の腕や腹筋に触れながら「おぉ」と楽しげな声を漏らし、時に抱きついてきたりして感触を楽しんでいる。俺もあっちから当たる柔らかい感触にたじたじである。

 

「鍛えてるんですか?」

「まぁ、それなりにはな」

 

美少女に腹筋や背筋、大胸筋を褒められベタベタと触られるのは悪い気分ではない。

「硬い」「大きい」「すごい」などの褒め言葉が続き、飽きず触れてくる梓と戯れながら料理風景を眺める。

一方、調理場が戦場になっていた。

 

「ねぇ、楓、それ取って」

「あ、はい」

 

ズドン、という音が聞こえた。

包丁で南瓜でも切っているような豪快な音だ。

 

「奈緒、胡瓜」

「瑞樹ちゃん、怒るのはわかりますが胡瓜を手で折るのはやめてください」

 

手折られる胡瓜の音が響く。その音を聞いている間に梓は満足したようで、少し赤らめた顔で見つめてきた。

 

「……で、では、どうぞ」

 

どうぞ、と言われても。感情的にはこの巨乳を揉みしだきたいが。揉んだら最後、料理をしている三人からの株価は急激に暴落してしまうだろう。

 

「大丈夫です。二人だけの秘密です」

 

心を読んだような甘い誘惑を梓はしてくる。

 

「殿方はこれに興味があるんでしょう?」と、胸を強調する。

俺は悩んだ。揉むか、揉まないか。

本人は良いと言っているのだ。遠慮する理由はない。だが気にするべきは梓の御両親にバレれば人生が終わる可能性がある。そうなれば社会的に俺は死ぬであろう。

 

そうでなくとも、目の前の三人に話は聞こえていたらしくじとっと粘着質な目が向けられている。

少なくとも瑞樹は同じようなことは一度やっているだろうに。

 

瑞樹が怒る理由から顔を背けたいが、堂々たる宣戦布告を前にして知りませんでしたとなるはずもなく、考えざるを得ない状況に思考を放棄したくなってくる。

 

「あら、青葉様の心臓の音、早くなっていますよ。ドキドキしているんですね」

 

葛藤している間に新しい楽しみ方を得たのか、梓が俺の胸に抱きついて頭を押し付け、心拍数を測られる。

ついでに瑞樹の不機嫌さは加速気味に上昇していく。

 

「あー、青葉兄ご飯できましたよ」

 

俺の理性は迷い抜いた。

 

 

 

所狭しと料理が並べられる。蛸の唐揚げ、海藻と胡瓜を和えた酢物、鰻の蒲焼、鯵の塩焼など、海の幸を使った料理にソーセージと菜花の炒め物を和えたパスタなど。数種類の料理を短時間で彼女達は作り上げてしまった。

 

「どれも美味そうだな」

 

因みにだが、美少女四人を連れ歩き買い物に行けば買う予定のなかった鰻をサービスされたり、色々とあったのだがそこは割愛しよう。誰も魚屋の夫婦喧嘩など見たくないだろう。

 

「ん、これは奈緒が作ったのか?」

「え?はい」

 

卵焼きを指していう。どうやら当たりだったみたいだ。

 

「このパスタは楓か」

「お気に召したっすか?」

「どれも美味い」

 

世辞などではなく、どれも相当美味い。

海の家など相手にならないだろう。

 

「じゃあ、このタコ系統は全部、瑞樹か」

「……うん、そうよ。悪い?」

「いや、やっぱり瑞樹は料理が上手いな」

 

ご機嫌斜め、麗しゅう姫君が不貞腐れている。

 

「別に見てたならわかるじゃない」

 

そんなこと言っても機嫌は治りません、と言わんばかりに冷たい態度を取る瑞樹。だが残念、とある理由でほとんど料理そっちのけだった。ほぼ味で誰が作ったか当てているのだ。

まさか水着エプロンに見惚れていた挙句、梓に翻弄されていたとは言うまい。

 

「いえ、兄さんはずっと水着エプロンのエッチな姿を凝視した挙句、梓ちゃんと戯れていましたから」

 

しかし、全て奈緒にはお見通しらしい。

瑞樹が顔を真っ赤にしてじろっと睨む。ただその瞳に怒気はなく、羞恥が籠っておりまったく怖くない。

何を言うわけでもない、しばらく見つめ合った後で瑞樹の方から顔を逸らした。

本来、逸らすべきは俺の方なのだが、それよりも早く瑞樹は逃げるように視線を逸らし、微妙に気まずい空気になる。

 

「青葉兄〜、そんな目で見てたんっすか〜?」

 

ニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべ、科を作る楓。エプロンを外し水着の上にパーカーを羽織っているだけの格好、当人の愛らしさもあって妙に様になっているのが腹立たしい。

 

「間違ってもお前はそんな目で見ない」

 

–––親友の妹だからな。

そう言外に伝えると、箸を咥えたまま楓は固まった。

 

「……さすがにそれはあたしも泣きます」

 

この後、意外にも脆い目の端に涙を溜めた楓のご機嫌を直すべく、海の家でかき氷を奢ることを約束させられるのだった。




奈緒の秘策(水着エプロン)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

招かざる客

 

 

 

昼食の後、私と奈緒は海の家にかき氷を買いに行くことになった。

 

『罰ゲームです』

 

ビーチバレーの罰ゲームの名目で楓に命令されれば行かないわけにはいかない。青葉から受け取った二千円を手に二人だけで砂浜を歩き、海の家を目指す道すがら、私は不機嫌を隠そうともせず、そんな私を見て奈緒は苦笑いだ。

 

「まぁまぁそんな怒らなくても」

「別に怒ってないわよ。負けたことくらい」

 

正直に言って負けたのは悔しかったけど、何よりも腹立たしいのは青葉だ。試合中、後衛をすれば楓の後ろ姿やお尻を見て、前衛に出ればブロックに跳んだ私や奈緒の胸を盗み見てる(ような気がする)。見られてると感じたせいか本来の力を発揮できず、その上で相手も気を逸らしたりとミスをするくせに予想外に強いのが余計に腹立たしかった。

 

「いえ、試合で負けたことくらいで瑞樹ちゃんが臍を曲げるとは思ってません。どちらかというと美少女に囲まれて鼻の下を伸ばしている兄さんに対してかと」

 

そう。私が不機嫌な理由はそこにある。

立場上、青葉が楓や梓を気にかけるのはわかる。特に梓は全盲と診断がされていて、本人は杖無くして生活は出来ず、学校も必ず送り迎えがつくほどで両親もかなりの過保護だ。何度か奈緒が家に招いたことがあり、私も同席していたけど、外に出掛けたことは一度もない。

でもそれとこれとは別だろう。いくら可愛いとはいえデレデレしすぎだと思う。料理中も鼻の下を伸ばしてあんなに触らせたりして私だってそんなベタベタしたことないのに!

 

「あ、図星なんですね」

「……だってしょうがないでしょう」

 

あんな凶器(巨乳)を持っているなんて。まさか梓があんな伏兵だとは誰も思うわけがない。今まで水泳の授業も見学していて、私も今日初めて知ったくらいだ。

 

「あんなにデレデレして……!」

 

むむむ、と頬を膨らませて海の家を睨め付けた時、それがやってきた。

 

「君達、ちょっといい?」

 

声のした方をギロリと睨みつける。そこには二人の男がいた。体格の良く陽に焼けた肌で人の良さそうな笑みを貼り付けている。もっともそのマスクの下は獰猛な肉食獣か何かなのだろう。街でよく見かける、或いは告白してくる連中に似ている気配に私と奈緒は揃って内心溜息を吐いた。

この手の輩は何が目的かわかっている。

 

「私達急いでいるので」

 

「なに?」と訊き返せば当然会話の糸口になる。相手にするだけ時間の無駄だと取り付く島も見せなければ大抵のやつは怯んで引き下がる。それが経験則だった。

 

「ちょっと待ってよ。ね、少しだけ」

「離してッ!」

 

スタスタと歩き去ろうとすれば腕を掴まれる。すぐに振り払った私は不機嫌に混じった嫌悪の視線を相手に向けた。

 

「少しくらいいいじゃん、ね?」

「そんなに時間は取らせないからよぉ〜」

 

あぁ、最悪だ。こういう輩はしつこい。しかも逆上もする。だから関わり合いになりたくない私がもっとも苦手とする人種だった。

 

「ねぇ、君達二人?」

「用がないならもう行っていい?」

 

要領を得ない会話の切り口をバッサリと切る。

相変わらず、相手は笑顔を貼り付けたまま。

 

「そんなこと言わずにさー。俺達今、暇なんだよね」

「私達は兄さんと海に遊びに来てるんです」

「へー、じゃあさ今から俺達と遊ぼうよ。奢ってあげるからさ」

 

私の不機嫌を察した奈緒がそう主張するも、依然として男達の態度は変わらなかった。家族と敢えて主張したのに相手は断固として退こうとしない。

 

「兄貴と一緒なんてつまらないでしょ」

 

そう、馬鹿にしたような口調だ。

 

青葉を、私の大切な人を、つまらないだなんて。

彼らへと募っていた不満は限界を越えた。

だからだろうか、私の中でふつふつと煮え沸る怒りが。

攻撃的な形となって口から飛び出した。

 

「……お前達みたいなつまらない人間と比べないでくれるかしら」

「は?」

「あの人は私の大切な人よ。お前達とは比べるまでもないくらい素敵な人なの」

「瑞樹ちゃんストップです。わかりましたから」

「私今怒ってるんだけど」

「この先、瑞樹ちゃんが何を言うか想像に難くないので自重してください。余計に面倒になるので!」

 

急に奈緒から横槍を入れられる。自分だって不機嫌そうな様子を隠そうともせず、その顔を見れば気持ちは同じだということがわかりいくらか溜飲は下がる。それでも私は不完全燃焼だ。

ただ、それは相手も同じだったようだ。

いや正確には、私達を逃すつもりはないらしい。

 

「君達のお兄さんを悪く言ったことは謝るよ。でもほら、少しくらい相手してくれてもいいでしょ?」

 

ゴキブリ並みにしぶとい粘着質な男達に私の不機嫌さは増していく。

 

 

 

 

 

 

「なぁ、楓」

「なんですか青葉兄」

「あいつら少し遅くないか?」

「いや、まだ十分も経ってないですよ?」

 

奈緒と瑞樹を送り出した俺はなんだか嫌な予感がしていた。上手くは言えないが何か失念している気がする。何かを見落としていることに俺は気づくのだが、その違和感の正体が何かわからない。

 

「ちょっと迎えに行ってくる。二人はここで待ってろ」

「はーい。留守番してまーす」

「ふふ、いってらっしゃいませ」

 

楓はニヤニヤと笑みを浮かべ、梓は微笑ましいと言わんばかりの笑みを向けてくる。無性に逃げ出したい気分になりながらパラソルの下を出た。

 

海の家は然程離れていない。徒歩五分以内、往復で十分。茜浜はかなり長いが海岸の中央部に一軒あり、遠目だが見える位置にある。近くには交番や喫茶店の他、旅館やホテルもあり夏になれば足を運ぶ客はかなりの人数になる。その中で奈緒と瑞樹を見つけ出すのは至難だと思われたが思いの外早く見つかるもので、海の家の前近くで割と目立つ二人を見つけた。

 

ほっと安心するが二人は海の家に辿り着くどころか一向に進んでいないようだった。何か異変を感じて俺は砂浜を走り、二人の元へ駆けつけると凄く迷惑そうな顔をした二人がいた。

 

「あの、本当に邪魔です」

「ね、少しだけだって。抜け出すくらいいいでしょ?」

 

案の定、嫌な予感は当たる。

二人の前には二人の男。ナンパである。

 

「奈緒、瑞樹」

「あ、兄さん!」

「青葉さん!」

 

名前を呼べば二人は表情を一転させ、隣に駆け寄って来る。右腕に奈緒、左腕に瑞樹。両脇を挟み腕を絡めてまるで目の前の男に見せつけるような態度で動くので、俺もされるがままになって目の前の男を無視して事情を訊く。

 

「どうした?」

「それが……」

 

端的に言うとナンパらしい。振り払おうとしたがゴキブリ並みにしぶとく流石の二人も振り払えなかったらしく、その二人の男はというと俺の登場にぽかんと呆けていた。

俺は見せつけるようにグイッと二人を抱き寄せた。

 

「うちの妹達に何か?」

「「あ、いえ……どうもすみませんでした」」

 

意外にもあっさりと引き下がる男達はここから離れて行く。何処か萎えた様子の男達を見送った後で、俺は二人に声を掛けた。

 

「楓達を待たせてるから行くぞ」

「ね、ねぇ、青葉さん!」

「なんだ?」

「どうしてあの人達簡単に引き下がったの?」

「何したんですか兄さん?」

 

不思議そうな顔で二人は質問してくるが特別な事はない。

 

「交番の近くだろ。それともう一つ理由があるとするなら、二人のどちらかを俺の恋人か何かだと思ったんじゃないか?」

 

そう告げると、二人は顔を赤くして俯く。

コツン、と俺の肩に頭を当ててぎゅっと腕に抱きつく。

 

「ねぇ、青葉さん、もう少しこのままでいい?」

「戻るまでならな」

「ふふ、やっぱり兄さんは頼りになりますね」

 

美少女二人を侍らせたまま海の家に向かう事になった。

 

 

 

海の家のおっさんが美少女に気を良くして買ったかき氷の数、フランクフルトをおまけしてくれた。両手にかき氷、腕には二人が絡みつき、二人も空いた手にかき氷を持って奈緒だけはフランクフルトの入ったビニール袋を引っ提げていた。器用にじゃれつく子猫のような二人を連れて、楓達が待つパラソルの下へ戻った。

 

「おや、あちらもですか」

 

しかし、二人の側には男が三人いる。それをナンパと見たのか奈緒は呆れたような同情めいた視線を送っている。対応している楓が不機嫌そうに腰に手を当て突っ立っていた。その側のビーチチェアに梓が座り、少し警戒したような表情をしていることから事態は良くないのかもしれないが、俺は三人の男を見てすっと目を細めた。

 

「マジでキモいっす。ストーカーとか笑えないんですけど」

「すぐに帰るっての。俺も来たくなかったし」

 

一見気兼ねない会話に見える。それもそうだ、楓と会話している黒髪の男は実の兄なのだから。

戻りたくないが、二人がいる手前、戻らないわけにもいかない。

意を決して、五人に近づいた。

 

そして、挨拶がわりに友人の一人、赤茶けた髪の男の背中を蹴る。

 

「テメェらがなぜここにいやがる」

「お、神崎!……って何その羨ましい状況!?」

 

返事をしたのは赤茶けた髪のやつ。名を黄村という。俺がもっとも会うのが嫌だった奴はこいつだ。因みにこいつら山にいるはずである。

 

「羨ましいも何もお前には彼女がいるだろ」

 

しかも相手は中学生。

 

「……あー、うん、そうだったんだけど」

 

歯切れの悪い返事に察する。破局したのだと。

 

「別れたのか」

「だから紹介して!」

「誰が紹介するかボケ!むしろ紹介して欲しいのは俺の方だわ」

「その娘達の名前くらい教えてくれても……!」

「中学生を狙うな、もっと大人の女性を狙えよ!」

「嫌だよ。だって怖いじゃん、歳上とか」

「別にそうは言ってねぇだろ。二十歳くらいの相手探せって言ってんの」

「高校生から上は怖いからやだ、歳下がいい」

「お前何歳だよ?二十歳でも十分歳下だぞ!?」

 

瑞樹達を合わせたくなかった理由がおわかりいただけるだろうか。この男、まだ恋を知らないような中学生ばかりを狙う変態なのだ。

俺が口論している間に奈緒と瑞樹はかき氷を二人の元へ運んでくれたが、デッドヒートする口論は口汚い罵り合いに発展していく。

 

「いやお前も女子中学生といちゃいちゃしてただろ」

「陽介、それは誤解だ」

 

口を挟んだのは青山陽介、楓の兄だ。ばっちりと美少女二人に腕を組まれていたところを目撃していた彼は無感情そうな瞳を向けてくる。たいして興味はないようだが、揶揄われるのは本意ではない。

 

「呼べよ、水臭い」

「荒太、お前は絶対に呼ばねぇ」

 

黄村荒太、奴はむっつりだ。その言葉の下には女子中学生と仲良くしたいという意図が含まれている。

 

「でも青葉君、女子中学生と抱き合ってる時、凄い嬉しそうだったよね」

 

そう揶揄ってくるのは赤沢浩一、茶髪の男だ。いつも誤解を生むような解釈をして誇張した表現で揶揄うため、修正するのが面倒臭く反論しても無意味なため放っておくのが無難だ。

 

「だ、抱き……っ!」

 

かぁぁと顔を赤らめる瑞樹、彼女がただ一人の被害者であった。

 

「へー、兄さん嬉しかったんですか?」

「なんならあたしもやるっすよ」

 

女子中学生二名が便乗する。

はっきり言って無茶苦茶面倒臭い。

 

「陽介……」

「そうだな。こいつら連れて帰るわ。その代わりそいつ頼む」

「そりゃ責任持って連れ帰るが」

「一泊な」

「……ん?陽介さんそりゃどういう意味ですかね」

 

何やら不穏な言葉を残して、陽介は友人達を引き摺って行った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

スイカ割り?

 

 

 

太陽が高い位置にある午後二時過ぎ、まだまだ育ち盛りな娘達は空腹を訴えてきた。遊びとはいえ水の中で動くのは体温の低下と体力の消費を伴うものであり、普段は小食な彼女達もそれなりにお腹が空くらしく、一日中遊んでいれば仕方のないことだろう。

 

「どうせならスイカ割りをやりましょう」

 

奈緒の提案に瑞樹は「まぁ、いいけど」と気乗りしなさそうな返事をした。

 

「スイカ割りっすか。それならアズも楽しめますしね」

「スイカ割り、ですか……?」

 

小首を傾げている梓に楓が軽く説明を始める。すると、ふむふむと頷きながら真剣な表情で訊き、何故かとても誇らしげに大きな胸を張ってそこにあるスイカと比較しても遜色ないそれがぷるんと揺れた。

 

「それは楽しそうですね!」

 

普段から目隠しをしているのと変わらない闇の中で慣れてしまっているのか、自分に有利であることを自虐ではなく誇るところが可愛らしいというか前向きというか、微笑ましく思ってしまう。なんだこの可愛い生き物。

 

「というわけで青葉兄」

 

ずいっと胸元を寄せて、おねだりしてくる楓。

あれか?胸にチップを挟むのか?

 

「わかった。金出せばいいんだろ」

 

女子中学生の財布になっているような気がする。たいして使い道のない寂しい懐だし文句はないのだが、いいように扱われるだけっていうのは癪だ。

財布から一万円札を取り出し、楓の谷間に差し込む。瑞樹のものと比較すれば僅かながら劣るそれに対し、それほど緊張することもなく。すると顔を赤くしながら、彼女は狼狽えた。

 

「あ、青葉兄って意外と大胆っすよね……残りはチップとして貰っておきます」

「青葉さん?楓?」

「じ、冗談っすよ。貰っても千円くらいです」

 

我が家の金庫番は散財を許しはしなかった。

 

「ねぇ、青葉さん?いかがわしいお店に行っているの?」

 

心做しか瑞樹の声も視線も冷たい。夏の海も氷河期を迎えそうだ。

詰め寄ってくる彼女の追及を躱すべく、俺は半歩後退り。

 

「い、行ってないって。仕事が終わったらすぐに帰ってるだろ。そもそも興味ないし」

「……ふーん。本当に興味ないの?」

 

怪訝な視線を感じる。恋人に浮気を疑われる男の気分だった。

 

「……もし、興味があるって言ったら?」

 

人生で一度くらい。男なら誰だって興味はあるだろう。へたに恋人を作れない今の身ではなおさら興味を示すのは仕方ない、だけど多分俺は一人では絶対に行かないだろう。怖いし。

 

故に恐る恐るそんな返しをすると、瑞樹は怒っているのか泣きそうなのかわからないとても複雑な表情をして一言。

 

「…………私じゃダメ、なの?」

 

顔を赤くしながら、細波に消されそうな声で呟いた。

一瞬の沈黙、俺は何を言われたのか理解できなかった。

 

「お〜、大胆っすねぇ〜」

 

時々、攻めてくる瑞樹に俺は惑わされてばかりだ。

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、あたしからっすかね」

 

色々とあって遅れたもののスイカ割りが始まった。何処から用意したのかアイマスクを装着し手には木刀を手に、楓はグルグルとその場で十回転するとぴたりと止まった。

 

「うわ、思ったより気持ち悪いっす」

 

そう言いつつ、顔を上げたのは明後日の方向だ。

スイカは左側にある。

 

「左ですよー、楓ちゃん」

「右よ楓」

「青葉様、スイカはどちらに」

「梓から見て正面だ」

 

約一名、始まる前から弊害を受けていたが教えてやるとなるほどと頷く。果たして、楽しいのだろうかこれは。

 

「こういう時のナオって信頼できないんすよね」

 

まず初めに正解を言っていた奈緒が除外された。

普段、妹は学校で何をしているのだろうか。

 

「ミキも意外と遊び心ありますからねぇ」

 

ミキとは瑞樹のことらしい。

だから普段お前らは何やってんだ。

 

「天使の顔して男子をばっさり振ってます」

 

アイマスクには心を読む特殊効果でもあるのだろうか。

 

「まぁ、ともかくそうなるとボカした言い方した青葉兄の発言が気になりますね。アズは嘘のつきようがないから信用してもいいでしょうしこれは一発目でチャンスっすね。割ったらすみません」

 

勝利を確信したのか楓は謝罪を述べながら梓を見る。会話内容をすれば場所の特定は可能だろう。あとは会話からスイカの位置を割り出して割りに行くだけだ。

 

「ふふ、この勝負貰いました!」

 

楓は駆け出す。

–––いや、正確には駆け出そうとした、か。

最初の一歩を踏み締め、前進した。

そこまでは良かったがバランスを崩して転倒した。

呆気ない幕切れである。

因みに走り出した方にスイカはなかった。

何故なら、彼女には初期位置がすっぽりと抜けていた。

先にスイカを置いて目隠しをした、これでは場所が大体わかってしまうだろう。その位置と距離を楓は忘れていたのだ。梓の方から遠ざかったところで何もない。

 

ゲーム性についてはもう一度、考え直す必要がある。

 

「いてて、うぅあたしの美少女ボディに傷が……これは責任を取ってもらうしかないですかね。青葉兄に傷物にされたって」

「誤解を生むような発言をするな、マジで頼むから」

「視姦されている気がしました」

「見てない」

 

楓の一言で友人関係が一変する。

戯言をのたまう楓はアイマスクを外していた。

 

 

 

「じゃあ、次は私ですね」

 

今度は奈緒が挑戦するようだ。

 

「では兄さん、目隠しをしてください」

「はいはい」

 

今度はゲーム性を見直して、まず挑戦者が目隠しをしてから誘導し、スイカを置いてぐるぐるさせることになった。初期位置がわかっていれば声を頼りにしなくても大体の位置がわかってしまうからである。

 

「ふふ、まるで兄さんにイケナイことをされている気分です」

「妙な発言をするな」

 

適当な位置に奈緒を誘導し、スイカを置いて、ぐるぐる回るのを見守る。ふらふらと立った奈緒は木刀を片手に立ち尽くしていた。

 

「ナオ、右っすよ」

「奈緒、左に三メートル」

「神崎さんから見て左に二メートルほどです」

「前に四メートルだ」

 

因みにだが正解を言っているのは梓だ。

誰も教えていないのに、彼女のアドバイスは的確。

 

「楓ちゃんは信じられませんし」

「ちょっとそれ酷くないっすか」

 

まず楓の一件での発言をバッサリと切る。意趣返しのつもりだろう。

 

「瑞樹ちゃんを此処は信じますか」

 

根拠は。

 

「二人も揃って教えてくれるわけですし」

 

多数決だと言わんばかりだ。

 

「というわけでこっちですね」

 

スイカに向かって歩き出す奈緒、その姿は堂々たるもの。

しかし、それは僅か数メートルだけの話だ。

 

「きゃあ!」

 

スイカを足に引っ掛けてすっ転んだ。

 

「まさか、スイカに引っかかるなんて……」

 

悔しそうに奈緒は呟いた。

 

 

 

次の挑戦者は瑞樹だ。

 

「えっと……奈緒?」

「兄さんが見てますよ、頑張ってください」

 

何やらごにょごにょと耳打ちしており、それ以降は訊こえなかった。ただ遠目に見て動揺しているのがわかる。顔を赤くして慌てたり何かいらないことをまた吹き込まれているのだろう。

 

目隠しをして、ぐるぐると廻る。

俺はスイカを設置して元の位置に戻ろうとした。

 

「ミキ、逆っすよ逆」

「倉科さん頑張ってくださーい」

「瑞樹ちゃん、北北東に五メートルです」

「違うもっと右だ」

 

今回、正解を言うのは俺の役目であるのだが、瑞樹は奈緒の言葉を信じたらしい。ふらふらとした足取りで木刀を持って向かってくる姿は少し危ない。

 

「なぁ、奈緒……」

「なんですか兄さん」

「なんかこっち向かって来てない?」

「気のせいですよ」

 

俺だけ孤立してスイカと共にある。そこに向かってくる瑞樹、その手には木刀と若干のホラー要素に何か嫌な予感がする。俺は急いで退避しようとした。

 

「あ、兄さんがスイカを持って逃げました!」

「何言ってんのおまえ!?」

 

事実無根だ。スイカは砂浜に置いてある。

 

「右です!」

「待ってこのままだとスプラッタな光景になるから!」

「スイカですから」

「人間の中身の話だよ!」

 

奈緒の指示に従い瑞樹が迫る。俺は慌てて自分で置いたスイカに足を取られて転けた。

 

そこに二次災害が発生する。

 

「きゃっ!」

「ちょっ!?」

 

転倒した俺に足を引っ掛けて瑞樹が覆いかぶさるように転倒する。慌てて抱き留めたはいいものの、腕の中にすっぽりと収まった瑞樹は硬直して動かない。目隠しを外してやるとつぶらな瞳と目が合った。

 

「大丈夫か?」

「え、ええ……平気よ」

 

それからのろのろとした動きで瑞樹が起き上がるまでかなり時間がかかった。

 

 

 

「え、俺もやんの?」

 

次の挑戦者は梓ではなく俺だった。

 

「いや俺はいいよ」

「ダメです。強制参加です」

「やるにしても最後だ。梓が先にやればいいだろ」

「あ、自分がスイカを割るかもとか遠慮してるんですね。残念ですけど、兄さんには割れませんよ」

 

何がなんでも参加させる気で、スイカを割らせるつもりもないらしい。

俺はそれを挑戦と受け取った。

 

「ほう?」

「賭けをしましょう」

「いいぞ」

「兄さんが割れなかったらお願いを一つ聞いてもらいます」

「じゃあ、俺が割ったら?」

「瑞樹ちゃんがお願いを一つ訊きます」

「お前じゃないのかよ」

 

いきなり白羽の矢が立った瑞樹が奈緒に抗議するが、言いくるめられた。

 

「じゃあ、始めるぞ」

 

目隠しをして、木刀を手にぐるぐると廻る。十回転してふらふらと立つ。なんとなく梓が見ている景色が見えた気がして神妙な気分になってしまう。

 

「こっちです兄さん」

 

左から声が訊こえた。奈緒の声だ。

 

「こ、こっちよ青葉さん」

 

上擦った瑞樹の声が右からした。

 

「青葉様こっちです」

 

正面から梓の声が、ころころと楽しそうな声で誘う。

 

「青葉兄こっちっすよー。あたしの胸に飛び込んできてください」

 

後ろから楓の揶揄うような声、顔は見えないがニヤニヤしていることがわかる。

 

「……なぁ、スイカは?」

「誰か一人が持ってます。兄さんはその子にタッチすれば勝ちです」

 

嵌められた!

直感的にそう感じた。

 

「なぁ、それって……」

 

スイカを割れるかどうかは関係なく、もはや誰を信じるかのゲームである。

 

「迷っても仕方ないか」

 

悩む素振りを見せるべきか、即断即決するべきか、どう転んでも悪い方向にしか転がる気がしない。

 

俺は迷わず右に歩いた。

瑞樹がいる右の方へ、呼ばれるままに。

何度も呼ぶ声だが、瑞樹の声だけなんだか小さい。

近づいているはずなのに、遠く小さくなる。

逃げてる。と、思って手を伸ばした。

 

–––ふにょん

 

すると、何か柔らかいものに触れた。俺は嫌な予感がして目隠しを取った。

 

「あ、あお、ばさん」

 

目の前には瑞樹がいた。胸を掻き抱き身を守るような姿勢で顔を真っ赤にしている。何に触れたかは問うまい。

 

「……すまん」

「と、時と場所を弁えてちょうだい」

 

叱られている最中、視線を巡らせたがスイカは誰も持っていなかった。

 

 

 

 

 

 

結果的にスイカを割ったのは梓だった。まるで散歩するかのように木刀を手に一直線にスイカに向かって歩くと、木刀を振るって一撃で破壊してしまったのだ。本人曰く、スイカを置く音で距離感を掴んだらしい。そんなの誰でもできる芸当ではない。

 

みんなでスイカを食べた後はまた海に入ったり、思い思いに過ごした。日が落ちる前にシャワーを浴びて着替えると夕焼けが沈む海岸沿いに戻って来る。

ちょうど夕陽が水平線に沈む、絶景が広がっていた。

 

「ねぇ、青葉さん見て凄く綺麗」

「そうだなぁ」

 

相槌を打つが視線は隣に立つ瑞樹に釘付けだった。

「夕陽よりも君が綺麗だ」とは言わない。

言ったら恥死する。

だから思っても、口には出さなかった。

 

「二人きりの世界に入るのはいいですが、他の人がいることもお忘れなく」

「夕陽よりも君が綺麗だ、って言わないんすかぁ?」

「うぅ、私だけ観れません、そんなに綺麗なんですか?」

 

注意とみせかけ揶揄っている二人と、目の前の光景を観れなくて残念がって拗ねている梓も着替えを終えて出て来たようだ。

せっかく来たのだから夕陽を見よう、と言ったのは失敗だったか。

配慮し切れず、本当に申し訳ない。

この埋め合わせは別の形でするから許してほしい。

 

「記念に写真を撮りましょう兄さん」

 

奈緒の提案にみんなが頷く。

俺は持っていたカメラを取り出す。

 

「じゃあ、撮るぞ」

「兄さんも一緒ですよ」

 

こういうのは仲間内で撮るものだろうに。

おっさん写しても面白くないぞ。

そう抗議すると、四人全員から不満の声が上がる。

一応、俺は引率の形なんだけどな。

 

「はいはいわかった」

 

仕方なく三脚を立て、カメラをセットし直した。

そして撮った写真は夕陽の中で苦笑いする男の周りに美少女が集まる奇妙なものになってしまった。

この後、美少女達にお願いして四人だけの写真を撮らせてもらった。

 

 

 

「帰りはそれぞれの家に送って行けばいいんだよな?」

 

赤信号で止まった車内で、ハンドルを握りながら仕切りの向こうにいる少女達に問い掛ける。運転席と助手席、その向こうに色々と内装が施されており、運転席からでも後部のスペースは見られるようになっている。

 

「なに言ってるんすか青葉兄、お泊まりですよ」

「じゃあ、奈緒の家に下ろせばいいのか?」

 

これだから青葉兄は、と大袈裟にやれやれ首を横に振る。

 

「青葉兄の家っす」

「……奈緒、瑞樹」

「愛の巣に入れるのは嫌ですか?」

「私は反対したのよ……」

 

瑞樹が反対したのは本当だろう。だが、男の家だ。そんなところに女子中学生が泊まるというのはどうも危機感が欠けていないだろうか。

 

「……いやでも梓の御両親が許可を出さないだろう」

 

楓はともかく、梓の方はだいぶ過保護らしく早々に許可は下りることはないだろう。そう思っていたのだが、当人がとてもいい顔をなさっているので許可は出ているのかもしれない。

 

「それに俺、明日仕事なんだけど」

 

騒ぐなら他所でやってくれ、もう帰って寝たい。疲労を残したまま仕事するのは嫌でそう伝えると、楓が大袈裟に泣き真似をした。

 

「こんな夏の夜空の下に美少女をほっぽり出すなんて、あたし達が変なおっさんにあんなことやこんなことをされたらどうするつもりっすか」

「いや、帰れよ。それか奈緒の家でいいだろ」

「……お願いを一つ、訊く約束っすよね」

 

スイカ割りの件だろうか。

それを引き合いに出すのはずるい。

 

「梓がダメなら却下な」

 

除け者にするのはお兄さん許しません、と言うと。

 

「……青葉さん、随分と梓が気に入ったのね」

 

何故か、不機嫌そうに頬を膨らませる瑞樹が嫉妬を露わにする。

多分、瑞樹の考えていることは誤解だ。

 

「瑞樹ちゃんもそう怒らないでください。もう話はつけてありますので」

 

妹の抜かりのなさに諦念のため息、道理で海水浴に行くにしては荷物が異様に多いわけである。




これで海は終了。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

不定形な愛の形

 

 

 

「ついたぞ」

 

海から引き上げ、帰る途中で入浴施設に寄り、やっと家に帰って来た。車を出て部屋を目指す四人は随分と海を堪能したらしく、眠そうに階段を上がって行った。

本来、マンションの住人が使用できる事になっている駐車場に正規の利用法で車を止め(来客用にしか使ったことがない)、俺も自分の家へと入る。すると眠たげな少女達がリビングに集まっていた。

 

「俺はもう寝るからな」

 

そう告げて冷蔵庫を漁る。程良い疲労にアルコールを加えれば、即効で良い眠りにつけるだろうと普段は飲まない酒を取り出そうとしたがそこでピタリと手が止まった。

美少女が四人、その状態で正常な思考を放棄するのはいかがなものか。

酒が入れば気が緩み、何か取り返しのつかないことをしてしまうかもしれない。そう思い取り出した酒を冷蔵庫に戻し、緑茶をコップに一杯注いで飲み干すとリビングを後にした。洗面所で歯を磨き、自室の布団へ入る。

 

電気を消して、程良い疲れに意識はすぐに薄れ眠りにつくことができた。

 

 

 

しかし、夜中にふと目が覚めてしまう。

 

冷房はタイマーをセットして既に消えた時間帯、壁にある時計を見れば午前二時。物音一つしないことから瑞樹達もすぐに布団に入ってしまったのだろうか。

俺は寝返りを打ち、少し痺れた腕の方へ体を傾けた。

右腕の上、そこには頭を乗せた人影があった。

 

「……梓?」

 

月明かりに照らされた部屋で僅かに見えた顔から梓だと断定するが、どうしてここにいるのか。

もしかして、部屋を間違えたのだろうか。それならば納得がいく。

あどけない寝顔を見せる梓の顔を見ていると、寝息と共に小さく胸が上下しているのがわかった。どうやらぐっすり眠っているらしい。

もういい俺も寝よう。面倒だったので見なかったことにした。

 

「おや、先を越されてしまったっすか」

 

そこに現れる二人目の訪問者。

親友の妹、青山楓。

 

「じゃあ、おじゃましまーす」

 

そしてあろうことかベッドに入ってくる。梓に右腕を貸したまま、左腕を目隠し代わりにしていたのだが、その腕は引っ張られ枕代わりにされて楓が頭を乗せる。

 

その数分後、規則正しい寝息が訊こえてきた。

 

「眠れねぇ……」

 

二人目の襲撃者のせいで完全に目が冴えた。美少女二人に囲まれる状況、女の子特有の甘い香りが鼻腔を擽り、柔らかい感触に脳がエラーを起こしそうになる。

 

「あの様子では瑞樹ちゃんは何もしないと思っていましたが、これは予想外でした……」

 

第三者の声が闇夜に響く。

 

「じゃあ、私はここで」

 

そして、あろうことか愚妹は体の上に乗った。意外に軽い。柔らかいし寝苦しいというわけではない。だが眠れない。奈緒の柔く大きな乳房が胸板の上で形を変え、卑猥に歪む。

 

「ふふ、義妹相手に心臓の音が大きくなってますよ」

 

密着した胸の鼓動を感じたのか奈緒が耳元で艶やかに囁く。そのあとで左頰に生温かく柔らかい感触が小さな音を鳴らし、やがてそれが終わると今度は首元にぐりぐりと頭を擦り付けてきた。さらに鎖骨まで甘噛み程度の強さで齧られ、一頻り甘えて満足したのか寝息が訊こえてきた。

 

普通、兄妹はこんな感じなのだろうか。

今度、誰かに訊いてみよう。

 

三人分の寝息が聞こえる中、体が動かないので全てを諦めて俺も寝ることにした。

 

だが、一度覚めた目は再び眠ることを許さない。目蓋を閉じるとあら不思議、女子中学生の寝息と体温と柔らかさが視覚を閉じた分倍増しで襲ってくる。

シングルベッドに二人ですらキツいのに、四人も寝ると落ちないか不安で仕方ない。痺れた腕を動かしてなんとか落ちないように少女達を引き寄せるものの状況は改善されない。むしろ背徳感が増した。

 

「みんないないと思ったら……!」

 

そこに四人目の訪問。小声でぼそりと呟く声には僅かばかりの嫉妬が混ぜられていた。

 

「あれほど青葉さんの邪魔だけはしないようにって言ったのに」

 

誰も訊いていないと思ってか、瑞樹はそう呟いたあと、逡巡する。

 

「……私も寝る」

 

数分悩んだ結果、瑞樹までもがベッドに乗ってきた。五人乗ったベッドはギシギシと悲鳴を上げる。楓と俺の間に体を割り込ませると俺の二の腕に頭を乗せて、可能な限り身を寄せてきた。

 

四人分の寝息の中で切実に願う。

寝たい。

 

 

 

 

 

 

「くっぷふ、贅沢な悩みだねぇ」

 

翌日、小鳥遊先輩にお昼を誘われた俺は目の下のクマの理由を一から十まで全て語った。それを訊いていた小鳥遊先輩の反応はこの通り、笑いを堪えて目の端を拭う様まで見せてくれた。

寝不足の俺を心配して声を掛けてくれたのだが、内容が内容なだけに上品に声を抑えて笑っている。全く意味を成していないが。

瑞樹達の作ってくれた弁当を広げ、その味を堪能していた。

 

「まぁ、でも、安心したよ。そっか、いいなー、海かー」

 

ほっと息を吐いて一人呟く。

海の件も多少省いて話したらそんな言葉が返ってきた。

 

「行ってみればいいんじゃないですか?」

「一人では行かないかなー」

 

一人で行ったことがあると喉まで出掛かったが、何故か哀れまれる気がしたので口を噤む。

 

「友達とか誘えばいいんじゃないですか?」

「うーん。難しいかなぁ。それに女の子って大変なんだよ?」

「そうみたいですね」

 

とある時期からカロリーや脂質少なめの食事になったり、肉料理が鳥だけになったのを思い出して苦笑する。

『そのままでもいいと思うけどな』と正面切って言うのが恥ずかしくて、ぼそりと呟くと真っ赤な顔で狼狽えていた瑞樹の顔は今でもよく思い出せる。

もっとも本人は忘れて欲しそうだったが。

 

「まぁ、海の話は置いておこうよ。それより神崎君はお盆休みは何するか決まってる?」

「帰省ですかね。駅二つ三つぐらいの距離の」

「だよねー。はぁ……」

 

話題を自分で変えておきながら、小鳥遊先輩は大仰にため息を吐く。訊いて欲しそうな雰囲気、俺も先輩の元気がない原因が気になるので放置する気もないのだが、訊き返すより早く先輩が口を開いた。

 

「私も帰らなきゃいけないんだけど。その、ね……いい人がいないのか結婚はまだかとかそういう話題ばっかりなんだよね。帰ったら絶対に一回は訊かれるからもう今から帰るのが嫌」

 

どうやら先輩の御両親は早く先輩に結婚して欲しいらしい。怨嗟の篭った声で呪詛のように吐き出す様は見ていて、社内人気の女性社員とは思えない様相だ。

 

「小鳥遊先輩なら相手の一人くらいいるでしょう」

「私が恋できるような人がいないの。恋はしてみたいんだけどね」

 

適当な相手を見繕うつもりはないらしい。

当然の話だが。

 

「神崎君に予定がないんだったら、ダミーでもやってもらおうと思ったのに」

「それすぐバレますよ。バレなくても面倒じゃないですか」

「神崎君なら、演技とか上手いと思うけど」

「俺、漫画で上手くいった話を見たことないんですけど」

 

結局、無理があるのではないのだろうか。やるにしてもやらないにしても、本当にやって欲しいんだったらやったかもしれないが、小鳥遊先輩はそれほど本気で話してるわけではないと思う。冗談というやつだ。

 

「結婚かー、神崎君ってそういう願望はある?」

 

悩みの話から、話題の矛先が俺に向く。

 

「……先輩、恋愛、交際経験のない人間にそれ訊きます?」

 

先の話過ぎて返答に困る。願望以前の問題である。

 

「そうじゃなくて。気持ち的な話」

「そう言われても、現実味がないというか」

 

結婚したい。なんて思ったことはないわけで。

 

「……多分、ないんじゃないですか?」

 

曖昧な答えになってしまう。

 

「一人暮らしって学生の頃は憧れだったんだよね。でも、現実的には家に帰っても誰もいないし。ご飯だって一人じゃ作る気にならなくてコンビニ弁当とか味気ないものだし。つまらないし、寂しいし、待ってるのは溜まった家事だし。一人暮らしは寂しいってそう思わない?」

「……先輩、疲れてます?」

「ふふっ、神崎君も今は女の子と二人暮らしだけどいつかまた一人暮らしなんだよ」

 

心の臓に突き刺さる鋭いナイフのような言葉に俺は胸が痛くなる。

 

「もし瑞樹ちゃんが結婚して家を出たら、どうするの?」

 

きっとそれは一番突きつけられたくない現実だったのだろう。考えないようにしていたのに、一瞬離れていってしまう瑞樹の姿が浮かんでしまい、唇を噛む。

 

……また、一人暮らしか。

 

それは嫌だな、とはっきりわかった。

頭より先に体が拒否反応を起こすほど、瑞樹のことを大切に思っているらしい。

胃が煮えそうで、腹痛がする。頭痛がする気もする。

だからどうしろって話なのだが。

 

「お父さん許しません」

「……まぁ、そういうことにしておいてあげるよ」

 

瑞樹が誰かと結婚する。そう考えただけで張り裂けそうな胸。俺はその理由を考えることを放棄した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

実家への帰省

主人公の脳内は着々と侵食されています。
それを人は愛と云う。


 

 

悲報。八月の長期休暇は早くも終わりを告げる。

理由は言わずもがな実家への帰省である。

大した距離でもない実家への帰省の意味、それを問うが答えもなく。

気乗りしないまま俺と瑞樹は足を運んでいた。

今は実家を前に諦めにも似た感情を抱きながら、何処か帰りたい気持ちを押し殺して妹に会いに来たと考えることにした。

 

「奈緒も待っていることだしさっさと押すか」

「ま、待って青葉さんまだ心の準備が……」

 

観念してインターホンを押そうとすれば、瑞樹がそう言って俺の左腕に抱きついて止めようとしてくる。白いワンピースの彼女は天使のようだが心の準備とは如何に。それほど緊張することでもないと思う。小さい頃はよく遊びに来ていたし、面識も少なからずあるはずだろう。今更何を緊張しているのか。

瑞樹の抵抗は虚しく、俺の伸ばした右手がインターホンを押した。呼び鈴に応じて玄関が開き顔を出したのは愛しき妹である奈緒だ。天使が二人に増えた。

 

「兄さんお帰りなさい。瑞樹ちゃんもお帰り、ですかね」

「も、もう、奈緒!」

 

揶揄わないでと瑞樹が怒る。

あはは、と笑う奈緒。

女同士にしかわからない何かがあった。

男の俺にはわからない何かが。

 

 

 

逃げるように慣れ親しんだ我が家を案内する奈緒の後を追って俺と瑞樹はリビングへと進む。普通の二階建ての一軒家だが、広さはかなりある方なのだろう。案内されたリビングの中には相変わらず小学生に見間違う義母と実父の姿があった。

 

「あら〜、お帰りなさい瑞樹ちゃん」

「久しぶりだな、あー、あの時以来か」

 

俺を無視して二人は瑞樹に目を向ける。気にしないでいてくれるのは有り難いが、せめて一言くらい何かないと微妙にいたたまれない。帰っていいかと思ってしまった。

 

「お久しぶりです、青葉さんのお母様、お父様」

 

礼儀正しく一礼する瑞樹の所作はただただ綺麗だった。

 

「あらまぁ、ママのことはお母様でいいのよ?」

「私も父と呼んでくれて構わんぞ」

「じゃあ、お義母様とお義父様、と」

 

気恥ずかしそうにそう呼び直す瑞樹に気を良くした父母に俺の空気は更に薄くなる。救いは義妹である奈緒が俺の心中を察して寄り添い手を握ってくれることだろうか。

 

「青葉くんったらママのことまだお母さんって呼んでくれないのよ」

「その点、瑞樹ちゃんの方が大人だな」

 

今更、誰が義母のことを母親と呼べるか。

まず外で呼べば職務質問待ったなしである。

 

「悪かったな子供で」

「なんだいたのか」

「いて悪かったな」

「冗談だ。お帰り息子よ」

 

これがうちの親父殿である。口を開けば笑いながら冗談を口にする。その言葉の節々に刺があるのであまり近寄りたくない人種だ。はっきり言って面倒臭い。

 

「お帰りなさい青葉くん。外は暑かったでしょう。今すぐご飯の用意するからね。ママ腕によりをかけて作るから」

「あ、私も手伝うわ」

「お客さんなんだからって言うのも変ね。じゃあ、瑞樹ちゃんにも手伝ってもらいましょうか」

「私も手伝いますよ、ママ」

「じゃあ三人で作っちゃいましょー」

 

こうして三人はキッチンへ姿を消した。

 

 

 

瑞樹達が料理をしている中、リビングに取り残された男二人。俺と父はテーブルを挟んでソファーに座っていた。二階の自室に逃げたかったが瑞樹を一人残して行くこともできず、躊躇していたら逃げる機会も失って父親と将棋を指す羽目になってしまった。定石も何も知らない俺は滅多打ちであるはずだった。

 

「王手」

「なぬっ!?」

 

–––しかし、ここでアニメ漫画派生の興味から得た知識での対局経験が功を成して、父親を追い詰めるという展開を二局目から見せ始めた。

 

「そんなバカな……!」

「舐めてかかると痛い目見るぞ、親父殿」

 

勿論、一局目からフルボッコにして来た親父には容赦はしない。全力で狩りに行く。

 

「待った」

「男は正々堂々なんだろ」

 

幼い頃から言い聞かされて来た言葉だ。『正々堂々』『人に優しく』『善人であれ』どれをとっても今や親父殿を追い詰める言葉である。人はそれを身から出た錆とも言うが。

 

「負けだ。もう一局」

 

再戦の申し出を受けて三局目が始まる。初期位置に駒を置いた。

パチリ、パチリと将棋の駒の音が鳴る。そんな中、親父殿は唐突に口を開いた。

 

「……ところで、おまえ恋人はいないのか?」

「なんだよ藪から棒に」

 

急に話題を振ってきた親父に対し訝しげな視線を送る。だが、探るだけ無駄だと諦めて淡々と口にする。

 

「いねぇよ。好きな人も恋人も」

「私は瑞樹ちゃんこそ嫁に来てくれればいいなぁと思っているんだがな」

「相手中学生だぞ、バカ親父」

 

これだからロリコンは。と、歩を潰す。

 

「互いに合意の上であれば大抵のことは許される。保護者も認めている相手であれば問題はないだろう。合法だ」

 

歩を奪い返される。そこに切り込む飛車。

 

「瑞樹の親権握ってんのうちだろ。何考えてんだ」

「許可ならあるぞ。生前に相談はされていたからな」

「は?」

 

死人に口なしとはよく言ったものでそれを確かめる術はない。と、思っていたのだが。親父殿は懐から封筒に入れられた分厚い紙の束を取り出して寄越してきた。

 

「遺言にも明記されている。娘が望むなら、うちのバカ息子に嫁がせてやって欲しいとな」

 

片手間に差し出された手紙の内容を確認すると『娘をよろしく』と書いてある。しかも俺宛に。なんなら財産の半分を俺のものにしていいだとか脅迫じみた文面が並んでいる。敢えて言うなら、俺が拒否した場合の保険だろうか。用意周到なことで。遺言書が予言書のように感じられて『遺言』とは?と考えさせられてしまう内容だった。

 

「遺産なんていらねぇよ」

「まぁおまえならそう言うだろうって話していたんだがな」

 

そこには確かに俺か親父殿と義母に瑞樹を託すことが書かれていて、実際その通りに俺が瑞樹を預かることになっているのだから予言というのもバカにはできない。

そういう意味では瑞樹の両親の期待には添えているのだろうか。

 

楽しそうに談笑する瑞樹達の声がキッチンから訊こえてくる。俺の勘違いでなければ、瑞樹は今とても幸せそうにしている。そうであって欲しいという俺の願望がそう見せているのかもしれないが。

 

「って、なんでこんなタイミングで遺言書なんて見せてくるんだよ」

「一応、おまえにも見せておこうと思ってな。おまえ宛にも書かれているんだから読まないわけにはいかないだろ。それに渡す機会も早々なかったしな」

「まぁ、今更こんなもの見せられたって何がどう変わるってわけでもないけど」

 

その間にもパチパチと進んでいた対局は俺の劣勢だ。もはや詰んだかもしれん。角も盗られたし、絶望的状況というやつが盤面に作り出されているのを思わず鼻で笑った。

 

「でだ。瑞樹ちゃんと結婚する気がないなら、おまえ見合いを受けてみる気はないか?」

 

–––パリンッ。

 

キッチンから皿の割れる音がした。「瑞樹ちゃん」という奈緒が親友の名を呼ぶ声を訊いて、俺は立ち上がるとキッチンを覗きに行った。

 

「大丈夫か瑞樹?」

「あ、青葉さん、ごめんなさい」

「俺が片付けるからジッとしてろ。破片を踏むかもしれないし」

 

俺は箒に塵取り、掃除機やコロコロ等を駆使して完璧に破片や細かい粒子を排除する。それが終わるとリビングのソファーに戻った。

 

「よく考えろよ親父、俺仮にも娘がいるんだが」

「先方にもそう言ったんだがな。事情を話すと余計に気に入られた」

「……そこには敢えて突っ込まないぞ。なんでそんな話になってんだよ」

「おまえ私の立場わかってるだろ?」

 

親父殿は大企業の幹部社員である。そんな親父殿に見合い話を振れるのは同等かそれ以上の役職につく立場の人間であろう。

 

「相手は誰なんだよ」

「社長令嬢」

 

え、なにそれ怖い。

 

「いやお断りしろよ」

「だから私の立場を考えてくれ」

 

厄介事の種とわかるや切って捨てる。

はっきり言わせて貰えば、社長令嬢なんて恐れ多い。

俺の好みは普通の女の子だ。

逆玉なんて考えてないし、普通が一番。

優しくて、美人ならなおいい。

理想で言うなら瑞樹のような家庭的な子とか。

 

「とにかく俺は絶対に受けないぞ。その気もねぇのに受けるのは失礼だろ」

 

それなりの正論を付けて親父殿に言い返すと、唸ったまま腕を組み考え込んでしまった。どうにか断る方法を模索しているらしい。

 

「息子には恋人がいるって嘘でも言っときゃ良識のある人間なら引き下がるだろうさ」

「はぁ。おまえが断ってくれるのが一番なんだがな」

「だから厄介事を持ち込むなっての」

 

親父殿の方で断りを入れればいい話なのに、敢えて話を複雑にするという腐った性根に溜息を吐きたいのはむしろこっちだっての、と悪態を吐く。俺からの文句は以上だ。俺からはな。

 

「あなた〜?」

 

麻奈さんに呼ばれて親父殿は席を外した。

 

 

 

 

 

昼食が出来た頃には二人はリビングへ戻って来た。机の上には大量のおにぎりと夏の定番冷やし素麺が大鍋に入れられている。氷水によって冷やされた素麺は締まりがあって美味い。裏を返せば誰でも作れる手抜き料理である。

 

「じゃあ、食べよっか」

「あ、あぁ、そうだな。そうしよう」

 

折檻してニコニコ顔の義母と、折檻されて肩身の狭くなった親父殿、どうやら夫婦仲は相変わらず良いようで何事もなかったかのように食卓を囲んでいた。その対面に座る俺達からすれば何があった?と問いたいところだが、怖くて訊けない。寧ろ訊きたくない。

 

「はい、兄さん」

「ああ。ありがとう」

 

俺の器に素麺を盛り奈緒が手渡してくる。それには俺が好む量のつゆに山葵が溶かされており、山葵のツンとした匂いが鼻腔を擽った。その間瑞樹は沈黙していて元気がない。いつもなら私がやると言い出しかねないどころか率先してやってくれるのだが、何らかの協定が働いているのか奈緒の独壇場である。

 

まずは一口、素麺を啜る。ただ俺の一口で器の中の素麺は一瞬にして消えた。

次におにぎりに手を伸ばす。一番小さいおにぎり、模範的なサイズのおにぎり、何処か既視感のあるおにぎりとあってまずは一番小さいおにぎりを口にしてみる。中身は梅で食欲の薄い夏でも食欲を誘うものであるのだが、こう言ってはなんだが瑞樹の料理によって舌が肥えていると普通の域を出ない味であった。

 

–––麻奈さんのだな。間違いない。

 

次に模範的なおにぎりを手に取る。一口食べると程よい塩気に塩昆布の味が広がる。

 

–––塩昆布に塩を振ったのは奈緒だな。

 

過剰なまでの塩気、ちょっとしたうっかりミスに奈緒の意外にもそそっかしい一面が見え思わず顔が綻んだ。まぁ実際、麻奈さんのおにぎりに比べると奈緒のおにぎりの方が美味い。

 

そして最後に既視感のあるおにぎり。可愛らしい丸みを帯びたおにぎりを手に取ると口に運ぶ。すると絶妙に広がる塩加減に食欲を促進させる作用。中身はお手製の時雨煮で頰が落ちそうになる。一口で幸せになる味だ。

 

–––瑞樹の味だ。やっぱ美味いな。

 

胃袋は瑞樹の完全勝利を告げている。慣れ親しんだお袋の味とはもう既に瑞樹の料理であり、実家に帰省しても味わえるものではなくなっていた。完全に胃袋は制圧されていたのである。

 

その後もパクパクとおにぎりを食い続けた。主に瑞樹と奈緒の作ったおにぎりのみを選んで口にした。メインの素麺そっちのけでおにぎりを楽しんでいた。

 

その間暫くして親父殿が口を開いた。

 

「やっぱり麻奈の作る料理は美味いな」

 

ご機嫌取りのつもりだろうか親父殿はそう言った。咀嚼しているのは瑞樹が作ったおにぎりなのだが指摘した方が良いだろうか?やめておこう、首を突っ込むと絶対に後悔する。

 

「あらそう?瑞樹ちゃんの作る料理美味しいわよね?青葉くんのお嫁さんに来てくれたら安心だってそう思わない?ねぇ?」

「あははは……こっちだったかな」

 

次に手にしたのは奈緒の作ったおにぎりだった。

 

「ふふ、娘はママをいつか越えるものだもんね」

 

その後、親父殿は黙々と麻奈さんのおにぎりを一人で平らげた。

 

「兄さん瑞樹ちゃんの作ったおにぎりばかり食べてませんか?」

 

やめろ愚妹これ以上麻奈さんを不機嫌にさせるな。俺は心の中で抗議したが奈緒の目は鋭い。あの人の不機嫌度は増すばかりである。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

会心の一撃

 

 

 

夜になった。奈緒と瑞樹は二人で奈緒の部屋に行ったきり出てこないし、用はないのに奈緒の部屋に行くのも変なので懐かしい漫画やゲームを漁っていれば時は早いもので日が沈み始めていた。

完全に夜の闇が落ちる頃には夕食を食べて、普段よりも瑞樹との会話が少ないまま自室へと戻り、早く風呂に入っちゃいなさいという指令を受けて俺は隣の部屋の扉を叩いた。

 

「先に入れよおまえら」

「いえ、兄さんがお先に入ってください。私達は後から一緒に入るので」

「そうか?じゃあ、そうするわ」

 

奈緒がそう言うので風呂場に向かった。着替えとタオルを用意して脱衣所で服を脱ぎ、浴室に入るとお湯を一度被ってから椅子に座りシャンプーで髪を洗う。手早く泡を流すと目の前にある鏡に肌色が写る。随分と男らしくない体躯で胸が膨らみ、下半身にはあるべき何かがない。湯気で見えないのだろうか。

 

「……なぁ、奈緒。おまえなんで入って来てんの?」

「後で一緒に入るって言ったじゃないですか」

「いや普通、瑞樹と一緒に入るのかと思うだろ!」

 

振り返ると義妹の奈緒が裸体を晒して立っていた。隠す気もないのかタオルの一つも纏っていない。一糸纏わぬ姿の妹は子供の頃に見た時より扇情的で女性らしい躰つきになっていた。

 

「はい、瑞樹ちゃんも一緒ですよ」

 

当然のように言われても反応に困る。

そんな状況で浴室の扉が開いた。

瑞樹が一糸纏わぬ姿で入ってくると顔を赤らめて逸らす。

そして、一言。

 

「い、嫌なら出て行くけど……」

 

そんな言い方されて「出て行け」と言えるはずもなく、俺は前を向き直した。思考を放棄する。

 

「別に嫌とかじゃ……」

「ふふっ、素直に嬉しいって言えばいいのに」

「妹よ、それはそれで問題だろう」

「素直に認めたら背中を流してあげますよ」

 

魅力的な提案だが却下させてもらう。

 

「ダメですよ兄さん」

「青葉さんは座ってて」

「お、おい…?」

 

右腕を奈緒が、左腕を瑞樹が捉える。柔らかな双丘を恥ずかしげに押し付けてくる姿がとても愛おしく、その感触に脳は沸騰しそうになる。

 

「お、おまえら一体どうしたんだよ?」

「なんだっていいじゃないですか」

「青葉さんは身を任せていればいいのよ」

 

有無を言わさず背中にスポンジを押し当てられる。スポンジに混じりスポンジよりも柔らかで肌触りの良い感触がしたり、瑞樹と奈緒の無言のご奉仕によって身体が綺麗にされていく。

 

「ちょっと待て何処まで洗う気だ」

 

胸板に手を伸ばし始めた二人の腕を掴む。すると二人は不満げに眉根を寄せた。

 

 

 

 

 

妹達はどうも様子がおかしい。見合いの話があってからずっと傍を離れようとしない。風呂上りも真っ先に俺の部屋にやって来て、ベッドで漫画を読んでいたら二人は両隣を陣取り可能な限り密着して来た。風呂上りの女性の良い匂いが鼻腔を擽り、肌が少し触れる度に体温が伝わる感覚は心地良いものだった。

 

「おまえらそろそろ寝ろよ」

「折角、兄さんが帰って来たんですから一緒にいたいじゃないですか」

「青葉さんと寝るもの。問題ないわ」

 

意地でも部屋に帰るつもりはないらしい。

 

「じゃあ、一緒に寝るか」

 

さっき風呂上りに親父殿に一杯付き合わされ酔いが廻っているからか、あっさりと受け入れて布団に入る。電気を消すと二人が俺の両脇を固めた。

 

手を伸ばせば触れられる距離に美少女が二人。無防備にも上は下着をつけていないみたいで風呂場の時とはまた違った感触が脳髄に電気信号を送る。触れたい、触れ、と妙な電波を流した。一杯の酒にはどんな強い酒を選んだのか、酔いが迷いを生み理性を溢す。ガラガラと崩れ去りそうな理性をすんでのところで繋ぎ止める。

 

「……今更なんだが、中学三年生女子が大人の男と同衾って」

「女子中学生と同衾している兄さんに言われたくありません」

 

そう言い返されてしまえば返す言葉もない。

 

 

 

夏の夜は眠りが浅い。暑さに目を覚ました俺は両隣の二人を起こさないように起きた。時間は深夜二時ほど、まだ夜明けまで三時間以上もある。もう一度寝ようとしてもすぐには眠れないので一階で酒を一本、煙草とライターを手にベランダに出る。時間設定しておいた冷房は切れているので窓を少し開けておき、俺は部屋に煙が入らない位置で煙草に火をつけた。

 

「見合い、か……」

 

こんなチャンス二度とはないだろう。それ以前に上手くいくとは思えないが、そう呟いて少し残念なような気持ちになるあたり少し未練があるのか自分の浅ましさに嫌気が差してくる。もくもくと立ち昇る煙を眺めながら、一つ煙を吸って吐き出す。

 

「にしてもあっついなぁ」

 

煙草を咥えながらスマホを弄る。明日の天気。芸能人のゴシップ記事。交通事故。殺人事件。適当な記事を見つけては興味のある記事を読み暇を潰した。

 

紫煙が消えゆく夜空を見上げていると、不意に背後から人の気配がした。首を回して視線を向けるとベランダに出る場所から瑞樹がこちらを見ていて視線が合う。

 

「悪い、起こしたか?」

「ううん。そうじゃなくて……」

 

言い淀む瑞樹は安心したように表情を緩める。けれど、声は少し元気がないようだった。心なしか顔色も悪いように見える。

 

「……嫌な夢を見たの」

 

ぎゅっと胸元を握り締め不安そうに吐露した瑞樹は言葉を繋げた。

 

「青葉さんがいなくなっちゃう夢」

 

声には覇気がなく、何処か弱々しい姿に胸が騒つく。

泣きそうな顔で何かを訴えるように見つめてくる。

 

「……ねぇ、本当に何処にも行かないわよね?」

「まだ気にしてるのか?見合いの話」

「それだけじゃなくて、私の周りの人は急にいなくなっちゃうから」

 

嫌な夢。その内容の詳細はわからないまでも、瑞樹の今を考えればそのような悪夢を見るのは不思議ではない。時々俺も見る。瑞樹はそんな夢をもう何度も見ているのかもしれない。俺が知らない間に。

そんな不安そうで今にも儚く消えてしまいそうな彼女に俺は一つ聞いてみたくなってしまった。

 

「じゃあ、もし俺が見合いの話を受けるって言ったら……」

 

そこから先を言う前にベランダへと出て来た瑞樹が、泣きそうな顔を更に歪めて手を伸ばしかける。口を開こうとするも言葉が出てこないのか瑞樹は何も言わなかった。我儘を言う資格はないとか思っているのだろう。

 

「言いたいことがあるならはっきり言えよ。はっきり言わないとわからないぞ」

「……見合いの話、受けないでって言ったら訊いてくれるの?」

 

俺の寝巻き代わりのTシャツの裾を掴んで、俯き目を伏せる。そんな姿が愛おしくて思わず瑞樹の背中に腕を回して抱き締める。

 

「……煙草の匂いがする。青葉さんも煙草吸うのね。パパと同じ匂いがするわ」

 

同じように腰に腕を回して密着する瑞樹は懐かしむように言った。

 

「煙草の銘柄が一緒だからじゃないか?俺が吸ってるの瑞樹の父親が吸ってたのと同じやつだし、嫌ならやめるけど」

「煙草やお酒は体に悪いものね」

 

まぁ滅多に吸わないが、と付け足しておく。吸うというよりは、煙草の火と煙を見て感慨に耽る目的で火をつけているので本来のニコチンを摂取するという行為からは外れているのだが、それでも瑞樹はお気に召さないみたいだ。

 

「煙草の匂いは嫌い。青葉さんの匂いが消えちゃうから。ねぇ、青葉さん」

「ん?なに–––」

 

呼ばれて目の前の瑞樹に顔を向けた瞬間だった。咥えていた煙草をもぎ取られ、灰皿に捨てられると俺の首に腕を伸ばして絡みつくように抱きつき、体重を掛けた重さに前に傾くとそれが押し付けられた。

唇に仄かな温かさ、湿り気、柔らかな感触がする。そして目の前には瑞樹の顔があった。触れているのは瑞樹の唇だ。

軽く触れるような、押しつけるようなキスを数秒、それで満足したのか瑞樹はゆっくりと唇を離した。

 

「やめて、煙草。……私も青葉さんが禁煙できるように協力するから」

 

呼び止める暇もなく瑞樹はベランダから部屋に入り、振り返るとベランダの窓から顔を出して頰を赤くしながら「吸いたくなったらまたしてあげる」と告げてベッドに戻った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

夏の終わりに

 

 

もうすぐ日が沈むというのに夕暮れの道を沢山の人が歩いていた。まるで群れのように真っ直ぐと目的地に進むのは、数々の関係性の集合体である。家族、恋人、友人、それぞれいろんな関係性があった。その誰もが笑顔で楽しそうに隣の誰かと話している。俺も例に漏れずその一人である。

 

俺の隣を並んで歩くのは一人の少女。家族、恋人、友人、とは関係が違う。妹の友達で同棲をしている特殊な関係。

 

「人が多くなってきたわね」

 

黒の布地に白百合が咲く柄の浴衣に身を包んだ瑞樹が鬱陶しそうに囁く。俺の手を恋人繋ぎに握る彼女の行動に俺は戸惑いを隠せないでいた。

 

「……そうだな」

 

瑞樹はキスした日から積極的に攻めてくる。戸惑う俺のことはお構いなしに距離を詰める。距離を一旦離そうとすれば詰める。逃げれば追う。今日も本当なら奈緒も夏祭りに誘ったのだが、義妹は友達と行くと俺を見捨てて家を出て行った。もちろんその数には瑞樹は入っておらず、意図的に二人きりの状況が出来てしまった訳である。嫌なら行くな、とは言うが約束した手前、引くに引けない状況に追い込まれてしまった。

 

「ねぇ、青葉さん」

「どうした?」

「煙草吸う?」

「……いや、いい」

「そっか。私のこと好き?」

「そ、それは……まぁ」

 

そして、あの日以来、瑞樹は『煙草』というワードを使い揶揄ってくる。改めて言わせてもらうが、想像するような男女の関係ではない。

それでも瑞樹はキスを許容した。だけど俺は許容するわけにはいかない。一度許されたら、毎日のようにキスをせがんでしまうだろう。堕ち始めたら最後まで堕落する自信がある。

そうでなくともきっと俺はもう瑞樹から離れられない。

 

 

 

 

 

 

夏祭りの会場は古い神社から大きな川まで、道を作るように屋台が並び花火大会の会場である河川敷が終着点だ。

この祭りは『灯籠流し』とも呼ばれる。盆の終わりに灯籠を川や海に流し、死者を弔う意味もある。神社の周りは古風な造りが多く、和な町並みが広がっており、神社の水路から流れてくる灯籠のぼんやりとした灯りがながれているそこだけ別の世界のようだった。

送り人である瑞樹には一つ灯籠が用意された。ゆらゆらと揺れる蝋燭の火が瑞樹の顔を照らす。それはまるで、母親が娘の頬に手を添えているようで不思議な気分にさせられた。

 

「……毎年、ママと一緒にパパを送ってたの。今年は……」

 

二人を見送らなければならない。瑞樹の声は震えていて、最後まではっきりとは口にしなかった。道理で瑞樹は友達と祭りに行かなかったわけだ。

 

灯籠を流す瑞樹の顔は哀しそうで、今にも消えそうだ。水路を流れていく灯籠を見送る瑞樹の手を逃さないように俺は握る。一度、びくりと震えた瑞樹だったが、ぎゅっと握り返してきた。

 

「来年も、一緒に来てくれる?」

「瑞樹が望むなら」

「その先もずっと?」

「瑞樹が嫌じゃなけりゃ、毎年だって一緒に行ってやる」

 

自分が流した灯籠がどれかわからなくなるまで、彼女は水路を見つめていた。

 

 

 

灯籠を流し終われば二人で河川敷への道を歩く。屋台で出来た道には人がごった返しており、地面が見えず少しでも離れればはぐれてしまいそうなほど、流れは激しかった。

 

「手を離すなよ」

 

帰りてぇ、という気持ちを押し殺して瑞樹の手を引く。灯籠を流し終えた時から握ったままの手は夏の暑さのせいか熱を持っていて、それが頬に赤みを差し、全身が熱くなるようだった。

 

「あ、見て、りんご飴よ」

「おまえ俺が甘いものならなんでも食べると思ってない?」

「違うの?」

「残念ながら、違う」

 

俺は甘党だ。甘党だが、許容範囲がある。口に合わなかったものは食べない。代表的なのは南瓜だ。南瓜を食べたのなんて数年前が最後だ。

 

「……祭りの時、チョコバナナを食わされたことがあるんだが。あれは美味いとは思えなかった」

「りんご飴は?」

「食ったことはないな。高いし」

 

夏祭りの屋台は値段設定が高く、それが余計に手を出しづらくさせている。夏祭りの屋台は衝動買いをして後悔をすることが多いので、更に慎重にことを運ぶのだ。

 

「食いたいのか?」

「……うん」

 

うちのお姫様がりんご飴を御所望なのでりんご飴の屋台に並ぶ。それほど客はいなかったのですぐに列は掃け、りんご飴を一個買うと屋台のおっさんは嬉しそうにりんご飴を手渡す。嬉しそうなのは、瑞樹が美人だからだろうが。そういう意味では屋台をやっているおっさんどもは金以上に得をしているのかもしれない。

 

「……小さい頃ね、家族みんなで灯籠流しに来たの。だから、毎年食べてる」

 

瑞樹はりんご飴を一口齧ると思い出を語った。哀愁を感じさせる表情で、記憶を共有したいと言わんばかりに。

 

「はい、あーん」

「お、おう……」

 

突然、りんご飴を一口齧らされる。でも、やっぱり美味いとは思わなかった。間接キスに動揺しすぎて味覚障害になっているらしい。甘過ぎて無糖珈琲が飲みたくなる。

瑞樹は間接キスにもお構いなしにもう一口、りんご飴を齧った。

 

……俺がおかしいのだろうか?

 

おかしくなったと言われても否定はできない。

今の俺は、瑞樹相手に動揺し過ぎている。

キス一つで、どうしようもなく瑞樹を意識しているからだ。

原因がわかったところで対処のしようもない。

 

そんな風に瑞樹にドキドキさせられながら二人で祭りを楽しんでいると、パシャリと背後からカメラのシャッターを切る音がした。俺は嫌な予感がして振り返る。

 

「ここにもいたいけな女子中学生を狙う狼が一匹」

 

そう言ってスマホを構えていたのは茶髪の男、赤沢浩一とその隣には青山陽介、俺の友人達がいた。

 

「ねぇねぇ、デート?」

「黙れ盗撮犯」

 

揶揄ってくる盗撮犯の頭にアイアンクローを極める。ギリギリと握力で押し潰すとバタバタとやつは踠いた。

 

「ちょ、これガチのやつじゃん!」

「消せ、じゃないとおまえのスマホごと消すぞ」

「いや待ってそこまでする必要なくない!?」

「だって俺、おまえのスマホのパスワード知らないし、消すにはそうするしかないだろ。それが嫌なら消せ」

「わ、わかった一枚グループに送ってから……」

「ふん」

「いだだだだっ!」

 

赤沢が写真のデータを消したのは数分後だった。もちろん、消すまでアイアンクローは外さないし、視界の外に出すつもりもない。何をするかわからないからなこいつは。盗撮の常習犯だし。

 

「陽介君、助けてー」

「自業自得だバカ」

 

あっさりと裏切られてやがる。

 

「そういや黄村は?」

「あいつはどっかで歳下でも物色してんじゃねぇか?」

「早く回収してこい、被害者が出る前に」

「あいつが豚箱に打ち込まれようがどうでもいいだろ」

「うちの義妹と楓来てるぞ」

「……それはまずいな」

 

陽介の顔色が変わる。きっと妹の身可愛さに心配してるわけじゃないだろう。赤沢と黄村が陽介の妹を可愛いと褒め称えれば、可愛くねぇと断言する男だ。

 

「まぁ、絶対にないだろうけど、一応回収しに行くか。野放しにしておくとシャレにならん。楓を落とすには色々障害があるがな」

 

何故そこで俺を見る。

 

「じゃあ、青葉君も一緒に行こうよ。みんなで回ろう」

 

赤沢に悪気はないんだろう。合流しようと提案してきた。悪い提案ではないが「断って」と隣から重圧を感じて俺は頷けない。俺個人の意見としては今は二人きりの状況は避けたい。が、こいつらに頼るのも少し嫌だ。

 

「悪いが今はデート中なんでな」

「……らしいから行くぞ」

「え、それじゃあ……」

 

ニヤニヤと赤沢が笑みを浮かべる。子供が欲しい玩具を手に入れた時の表情にも似ている。考えているのはろくでもないことだろうが。

 

「じゃあな、青葉」

 

赤沢の首根っこを掴んで陽介は人混みに紛れて行った。

 

 

 

世間は狭い。夏祭りを回っているだけで瑞樹の学校の友人達と数回は遭遇した。印象的というか記憶に残ったのがほぼ全員なくらい各々の反応は様々だった。俺と瑞樹が手を繋いで歩いているのを見ると黄色い歓声を上げる女子生徒や、勇気を出して声を掛けたはいいが俺に気づいて呆然とする男子生徒の顔は見ていて愉快だった。

 

これで瑞樹に寄る悪い虫は粗方片付いただろう。他意はない。

 

そうして何度か瑞樹の顔見知りも見つかれば、他の顔見知りも見つかるわけで奈緒と楓の二人とも遭遇した。お小遣いを強請られたので渡してやると「やっぱうちの兄貴とは違うっすね。取っ替えて欲しいくらいです」と楓に言われた。これを拒否したのは奈緒だ。言い合いながら二人はまた祭りの人混みの中に消えて行った。

 

「もうそろそろ花火の時間だな」

「まだ時間に余裕あるわよ?」

「河川敷よりいい場所があるんだよ」

 

夏祭りの会場から外れ、俺は瑞樹の手を引いた。

神社の裏道を通って人気の無い道を歩く。

出たのは神社の外れにある小さな丘、その前には大きな池が広がっており中心には枯れた大樹がある。

だいぶ河川敷から離れているからか、人の姿一つ見当たらない。

その丘からは水路を流れる灯籠が見えた。

いくつもの光が、遠くに。

腰を下ろして、パーカーのポケットから缶コーヒーを取り出す。

片方を瑞樹にやる。彼女は立ったままだった。

 

「座れよ」

「浴衣が汚れるわ」

「それもそうか」

 

男は気にしないからなそういうの。

 

「じゃあ、俺のパーカーでも下敷きにして……」

「それよりいい場所があると思うの」

 

パーカーを脱ごうとして身を捩った瞬間、瑞樹は胡座をかいた俺の足の上に腰を下ろした。

 

「……いや、さすがにこれはな?」

「こんな人気のないところに連れて来て、青葉さんは一体何をするつもりだったのかしら?」

「あほ。それならいつでも襲えるだろ」

「それもそうね」

 

馬鹿なことを言って二人して顔を赤くする。

顔を逸らして、互いに意識し合って……。

心臓の鼓動に競うようにして、胸に響くような大きな音が夜空に響いた。

二人の頰の赤みを隠すように赤い花が空に咲く。

 

「綺麗……」

 

花火の弾ける音に反応して瑞樹が空を見上げた。

 

「そうだな」

 

俺は瑞樹の顔を盗み見て、そう返した。

 

 

 

……もう夏が終わる。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

修学旅行前夜

瑞樹視点。


 

 

 

夏休み明けの登校日、憂鬱と絶望に打ち拉がれた多くの生徒の姿を私は目にした。また学校が始まってしまったことに対する不満が六割、絶望しているのは男子生徒だけだった。何が原因でそんなに落ち込んだり死んだ魚の目をしているのか疑問に思ったが、私の脳内のリソースは今晩のおかずと青葉のことに割り振られていて、すぐに頭の片隅に追いやってしまった。

 

「お、来たっすね。噂になってますよ」

 

悪戯っぽい笑みで手を振る。奈緒と話していた楓だった。

 

「……噂ってなによ?」

 

訊かないわけにもいかず鞄を机に置いてから私は二人の会話に加わる。すると奈緒が天使のような微笑を絶やさずに私に告げた。

 

「なにって決まってるじゃないですか。夏祭りの話です」

「夏祭り、ね……」

 

どうしても楽しいという気持ちより、花火の弾けて散る儚さのような感情が先行してしまう。青葉との楽しかった記憶より、家族のことを思い出してしまうから、あの夏祭りだけはそういった意味では特別だった。せっかく一緒に行ってもらったのにね。

 

「で、その夏祭りがどうしたの?」

「多くの人が瑞樹ちゃんと兄さんの仲睦まじい姿を目撃したそうで」

「手を繋いで歩いただけだけどね」

「そして、その結果がご覧の有様っすね」

 

教室内を手で示してみる楓の方を見ると、夏休みの終わりを嘆いて絶望している男子生徒の姿が。

 

「夢も希望も絶たれたわけです」

 

その割に奈緒は随分と楽しそうだった。他人の不幸を喜んでいる節さえある。いや、この場合、不幸が振り掛かるのは私達か。

 

「元からわかってたことじゃない」

「百聞は一見に如かず、と言うように信じてなかったんでしょう」

「傍迷惑な話ね」

 

恋人がいる噂が広まっても告白して来た人は減っただけで消滅とまではいかず、今度こそは数も減るだろう。

 

「それで実際のところ何か進展はあったんすか?」

 

青山楓は私の嘘を知っている、信頼できるから話した。

 

「……ないわよ」

 

そう。あるわけない。教えていないことはキスしたことだけど、私からの強引なやつだし。

あれから青葉は求めてくれなかった。私ってそんなに魅力がないのかしら。

 

「キス止まりですか」

「……ちょっと待ってなんで」

「はい、一部始終見てましたから」

「録画はないんっすか?」

「残念ながら、次の機会にということで」

 

当人差し置いて二人は楽しそうにお喋りする。もっとも私には面白くない内容だ。

話の内容を訊く限り、『次の機会』というのは私が青葉に押し付けた禁煙の話だろう。

キスする口実として押し付けたに過ぎないけれど。でも、やっぱり陰で喫煙されるとショックで最近は匂いをチェックしてる。私に隠れて喫煙してないか。……別に私が匂いを嗅ぎたいとかそういうんじゃない。癖になっただけで。

 

「……それで付き合ってないんっすか?」

「うるさいわね。黙りなさい」

 

だって、あれは私が一方的に押し付けたものだもの。

 

「……どうせ私の片想いよ。私のことなんて妹の友達くらいにしか思ってないのよ」

 

自分で吐き出した言葉のナイフはまるで自傷行為のように突き刺さった。

 

 

 

 

 

 

夏休みが明けて一週間経てば修学旅行が始まる。そして、今日はその最後の日、修学旅行前夜だというのに私の気持ちは晴れたりはしなかった。

 

不安だった。

 

私がいない時、青葉は何を食べて過ごすだろうか。私がいなかった時に戻るだけ。そんなネガティブな思考が脳裏を過り、実は私は必要ないんじゃないかと思えて来た。

私がいない時、女の人を連れ込まないだろうか。他の人に靡かないだろうか。特に会社の同僚の小鳥遊って人は要注意人物だ。あの人は私に比べて綺麗だし二人きりになればきっと何かある。あれは青葉を狙っていた。私だからわかる、同族嫌悪というやつかな、あの人のこと好きになれなかった。

他にも不安な事はいっぱいある。青葉が私のこと忘れてしまわないか。私がいないことで、私が邪魔だと気づいてしまったら……それが怖くて、心配で、どうしようもない。

 

修学旅行なんかより、青葉と一緒にいたかった。

 

 

 

「瑞樹、準備は済んだのか?」

 

そんな私の心情を知らずして青葉はこの一週間、毎日この言葉を掛けてきた。

 

「大丈夫。完璧よ」

 

惜しむらくは、晩で数えると二日。朝で二日。時間で言うと六十時間くらい会えないこと。たった一日ですら会えないなんて、私は考えたくもなかった。

 

「青葉さんこそ大丈夫?私がいない間」

「おまえが来るまで一人暮らしだったんだぞ。大丈夫だ」

「そうね……」

 

本当に掛けて欲しい言葉はそうじゃない。

ズキリと痛んだ胸を抑えた。心の奥底を隠すように。

 

ただ、その一言が悲しくて、寂しくて、私は甘えるように彼に抱きついた。

 

「おぉ…い、瑞樹さん?」

 

スンスンと匂いを嗅いでみる。煙草の匂いはしない。それはそうだ、お風呂に入った後だしどちらかと言えば大好きな人の匂いに石鹸の香りが足されているみたいだった。

 

「何してるんだ?」

「煙草を隠れて吸ってないかチェック」

「そうか」

 

お腹にグリグリと押し付ける私の頭を青葉が右手で優しく撫でる。髪の流れに沿って優しく梳くように、何度も何度も。それが気持ち良くて私は更に強く抱き着く。

 

「なんだ、今日はいつもより甘えん坊だな。何かあったのか?」

「……行きたくない」

「修学旅行に行きたくないやつなんて初めて聞いたぞ……って、俺も同じだったわ」

「青葉さんも?」

「あー、その、班行動ってやつが嫌いだったから」

「それはわかる気がするわ」

 

青葉は私の言葉を否定せず、肯定するような言葉を投げ掛けてくれる。私の場合は男子が嫌いなだけだけど。

 

「ねぇ、休んでいい?」

「ダメだ。行ってきなさい」

 

流石にそれは許してくれなかったか。

 

「どうしてもダメ?」

「ダメ」

「私が家にいると不都合なことでもあるの?」

「そんなわけねぇだろ」

「私は邪魔?」

「なんでそうなる」

「じゃあ、私のこと愛してる?」

 

卑怯なことを言っているのはわかってる。

愛してると言ってもそれは異性としてではない。

そういう答えが返ってくる。

わかっていても、それで良かった。

 

「うん、そりゃあ、まぁ……愛してるよ。家族としてだぞ、家族として」

 

家族として。それでも良い、今はそれでも安心できた。

 

「……わかった。じゃあ、ひとつだけわがまま言っていい?」

「俺が叶えられる範囲でな」

「じゃあ、今日一緒に寝て欲しいな」

「なんでまた」

「丸二日会えないんだもの。だから、今日一日は青葉さんと一緒にいたい」

 

きっと一日、青葉に会えないだけでも私は耐えきれない。青葉にはきっとわからないかもしれない。それでもいつかきっとわかってくれるといいな、と思う。

 

「明日も早いし寝るぞ」

「あ……」

 

ダメなのかな。

青葉がリビングを出て自室に。

 

「一緒に寝るんじゃないのか?」

 

部屋から消えるその前に、青葉は振り返って恥ずかしげに頰を掻く。

 

「うん、待って青葉さん」

 

青葉の部屋のベッドに二人で寝転び、可能な限り私は身を寄せた。電気が消えた、闇夜の部屋に月の光が差す。その中で私は仰向けに眠る青葉の横顔を眺めていた。

 

「そういえば、お土産は何がいい?」

「何処行くんだっけ」

「京都よ」

「……別にお土産のことなんて考えなくていいぞ」

「やっぱり和菓子?」

「人の話を訊きなさい」

「だって答えてくれないんだもの」

「……瑞樹さえ無事に帰ってきてくれれば何も要らないよ」

「……え?」

「なんでもない」

「青葉さん、今さっきなんて言ったの?」

「早く寝ないと明日起きれないぞ」

 

そしてそのまま、青葉は狸寝入りを始めた。

 

 

 

翌朝、午前五時。少し寝過ごして寝坊した。本当ならお弁当を作るためにもう少し早く起きないといけないのに、三十分も時間をロスしてしまった。朝は奈緒も拾って六時には学校に着いてないといけないのに後一時間しかない。

こんな時に限って寝癖が酷くて直す時間もない。何から始めようか焦ってリビングに出ると、肉の弾ける良い匂いが漂ってきた。

 

「……青葉さん?」

 

キッチンに立っていたのは最愛の人。同じく寝癖の酷い頭でパジャマの上にエプロンをつけて、ソーセージを転がしていた。近くには詰めている途中の弁当箱が置いてある。冷めてから入れるように皿に出来上がった料理が置かれていた。

 

「おう、おはよう」

「なんで……」

「いつもより朝は早いからたまには俺がやろうと思って」

「お、起こしてくれればいいのに」

「気持ち良さそうに眠ってたからな」

 

火を止めて焼いたソーセージを皿に移した。そのあとで料理を弁当箱に詰めて、残りの料理を皿二つに分けて盛ると白米も茶碗によそい朝食の準備まで済ませてしまった。

 

「準備はあとでもいいだろ。食うぞ」

「え、えぇ……」

 

仕方なく私も食卓について箸を手にする。

よく考えれば、昼食は青葉の手料理。悪い話じゃない。

 

「……美味しい」

 

卵焼きは甘さがちょうど良くて、鮭の塩焼きは良い塩加減、きんぴらなんて市販のものではなくお手製だった。

 

「青葉さん料理上手だったのね」

「瑞樹に任せっきりだったからな」

「今度から交代制にしようかしら」

「それは困る」

 

青葉は慌てた。ちょっとした冗談なのに。

でも、たまには青葉の手料理が食べたいけど。

 

「……瑞樹の料理を毎日食いたいからな」

 

ただ、その一言を訊いて私の今日の機嫌は最高にまで上がった。

 

 

 

 

 

「本当に忘れ物はないな、二人とも」

 

運転席の青葉が私と奈緒に確認する。この日のために青葉は乗用車をお義父様から借りていた。それに乗って私達は学校まで送ってもらったのだ。まだ少し暗い空模様、空が青くなり始めている。

 

「では、行ってきますね。兄さん」

 

奈緒が先に車を降りた。大荷物を手にしてもしっかりと立っている。

 

「気をつけて行って来いよ」

「そうね、行ってきます」

 

私はそう告げて、車を出る前に青葉の頰にキスをする。あまりの不意打ちに対応できなくてしばらく何をされたのかもわかっていないみたいだった。でも、取り敢えずこれで他の女が言い寄って来ても大丈夫だろう。

 

「ねぇ、青葉さん。私がいないからって女の人を連れ込んだらダメよ」

「わかってるって」

 

念を押せば、不思議な答えが返ってきた。

青葉にこんな約束を守る義務なんてないのに。

 

「煙草も隠れて吸わないでね」

 

隠れて吸ったらキスしてやる。そんなことを考えていた。

 

「それと私がいないからって不健康な生活はしないように」

「おまえは俺の母親か」

「それも魅力的な提案だけど、他のポジションが欲しいわ」

「馬鹿なこと言ってないでさっさと行け」

 

充分思いは伝わったのか青葉の頰は少し赤かった。

名残惜しいけれど、行かなくてはならない。集合時間まであと十分。待っている奈緒のところに駆け寄ってそのまま二人で集合場所である体育館を目指す。

見えなくなる校舎の角で私はちらりと振り向いた。

あの人は私が見えなくなるまでずっと見送ってくれていた。

 

 




二週間以内に一回は投稿したいな、とは思ってる。
次も多分、一週間は空く。ネタはあるんだけどな。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

瑞樹のいない夜

そして、一歩前に進む。


 

 

「ただいま。……って、そうか、瑞樹はいないんだっけ」

 

仕事を終えて帰宅した。鍵を開けてみても部屋は暗く、呼びかけてみても応答がない。それもそのはず瑞樹は中学校で最大の行事、修学旅行に行っているのだから当たり前だろう。急激に疲れた身体を引き摺るように歩き、玄関を抜けてリビングに行くとそのままソファーに身体を投げるように沈めた。背凭れに思いっきり寄り掛かり、天井の明かりを見つめる。

 

「……大丈夫かな。瑞樹」

 

元気にしているか、修学旅行を楽しんでいるか、そんなことばかり思い浮かぶ。目の届かない場所にいることの歯痒さがどうにも慣れない。

 

「あー、そういえば、飯どうしよう」

 

差し当たり、夕食をどうするか、という問題もある。

最近、管理すら瑞樹任せの冷蔵庫を覗く為に重い腰をソファーから上げて、これまた重い足取りで冷蔵庫の前に立つと中身を確認する為に開いた。

端的に言えば、殆ど食材は残っていなかった。瑞樹の弁当を作るのと朝食で殆ど使い切ったらしい。これならば外で食事をしてくれば良かったと今更ながらに後悔する。

 

『私がいなくても大丈夫?』と幻聴がした。いや、これは一週間の間に何度も確認されたことか。歳下の女の子に心配されるという奇妙な現場に俺は頭を抱える。

 

「大丈夫、って言ったの俺か」

 

全然大丈夫じゃない。ちゃんとすると約束はしたが大丈夫な気がしない。毎日、瑞樹の料理を楽しみにしている俺からすれば、これは死活問題である。今日は朝食も昼食も瑞樹の料理を食べていない。つまり、今日一日瑞樹の料理を口にしていないことになる。

 

「あー、うーん、どうすっか」

 

久しぶりに外食でもするか。牛丼、ハンバーガー、ラーメン、カツ丼、ハンバーグ、寿司、焼肉。ファミレスに行くか、回転寿司行くか、適当なファストフード店に行くか悩みどころだ。ただどの飲食店も食欲がそそられない。

 

–––ピロン♪

 

そんな時、スマホに連絡が来た。内容を確認してみるとただ一言、青山陽介から食事の誘いである。

 

『明日飲みにいかねぇ?』

『誰がくんの?』

『おまえと俺だけだよ』

 

青山陽介、彼が飲みに誘ってくるのは珍しい事である。いつも仲間内で飲む場合は主催者が決まってあの変人どもなのだ。比較的まともな人間である陽介から連絡が来ることも、割と……いやそれほど少なくはないが。

 

–––行く、と返信しておいた。

 

 

 

 

 

 

翌日、仕事終わりの午後七時。駅前の居酒屋に青山陽介は先に着いていた。遅れてやって来た俺は店員に会釈をして待ち合わせをしている事を伝え、友人の待っている席へ。既に串カツを食べている陽介は俺を見るも無感情な瞳を向けてくる。興味ない事には興味無し。面倒臭がりな性格で連絡が来たのも随分と久しぶりだ。

 

「ん、来たな、女子中学生と同棲してる変態」

「ちょっと待て。……陽介、おまえが何故それを」

 

挨拶代わりの罵倒に思考が停止した。座敷席の対面に座り、店員がおしぼりなどを持って来たのでついでに注文をする。まずは飯を食いたい気分だったのでざるそばを一つ。それと串カツを二つほど。

店員が去ったところで俺は目の前の秘密を知る友人に目を向けた。妹の友達、瑞樹と一緒に住んでいることはトップシークレットである。バラした覚えはないしバラす予定もない。特に仲間内には絶対に。教えたら、瑞樹目的で来るような変態が仲間内にいないとは限らないのだ。

 

「楓が言っていたが?」

「……そりゃそうか」

 

学校内では既に噂になっているらしいし。妹が同じ学校に通っていて、同じ学年で、友達。なら、普通知らないはずがない。話題に上がらないのなら別だが。

 

「で、事実なのか?」

「……まぁ、そうだが。このことあいつらは?」

「教えてねぇよ、まだ」

「絶対に言うなよ?あの二人には絶対に」

 

「まだ」とは言うかもしれなかったということである。念を押すと「わかった。言わねぇよ」と約束はしてくれたが油断はできない。

 

「じゃあ、取り敢えず飲むぞ」

 

訳「酔わしたら包み隠さず全部吐くだろ」と言って、陽介は店員を呼び止めて度数の高い酒を頼み始めた。

完全に俺を酔い潰し、全部吐かせるつもりである。興味なさそうな顔してやることがエグい。俺は口を固くすることを心に誓ったのだった。

 

 

 

「それで話を戻すが。おまえが一緒に住んでるのって瑞樹って娘だよな?」

 

ウォッカをストレートで飲まされ酒に強くない俺の気分はかなり上がっている。そんな状態の俺に対して、いきなり話題を変えた陽介の出した名前に俺は摘んでいた蛸山葵を食べる箸を止めた。

 

「……名前も知ってるんだな」

 

楓の友達なら当然であろう。名前を知っている可能性はあった。だが、俺の中にあるのはもやもやとした感情である。友人からその名前が出た事に少し動揺した。

 

「金髪の子だろ。家に来たことがある」

「……」

 

その一言を訊きながら俺は酒をちびちびと口にする。

 

「そうか」

 

楓は瑞樹の友達。遊びに行くのは当たり前だろう。だが、何故か少し嫌な気分になる。その理由に思い当たる節があるものの俺は酒を飲んで良い気分になっていることで無視をする事にした。感情に蓋をする。いや、蓋をしようとしている。

 

「可愛いな、あの子」

「……それはな」

 

当たり前だ。瑞樹は可愛い。人類の共通認識である。だが、その言葉を他人から訊くと嫌な気分になる。それも身近にいる人間が。友人が言った言葉で。

 

「俺の部屋に入ったこともある」

「……なんで?」

 

脈絡もなくいきなりそんなことを言い出す陽介の方を睨むように見てしまった。気づいたのはまるで怒っているような声音で陽介を問い詰めた後だった。

 

「なんでだと思う?」

「……」

「そう怒るなよ」

「怒ってねぇよ」

「そうか?俺には不機嫌に見えるけどな」

 

隠そうにも上手く感情を制御できない。全ては酒のせいだ。これではいつ何を言ってしまうかわからない。

陽介の言っていることもわかる。自分は不機嫌だ。でも、それを認めるわけにはいかない。

 

「不機嫌じゃねぇよ」

「まぁ、それでもいいけど。俺の部屋入ったってのは嘘だ」

 

嘘。あっけらかんと陽介はそう言って酒を呷る。

 

「……はぁ?」

「いや、悪い。ちょっと試した」

「試したって……」

「おまえ、金髪の子好きだろ?」

「それは俺の女性の好みの話か?」

「訂正。瑞樹って女の子のこと好きだろ」

 

疑問系から何故か確定された。

 

「面白い冗談だ」

「じゃあ、俺が貰ってもいいか?」

 

俺はその言葉を受けて陽介の方に目を強制的に向けさせられた。相変わらず無表情で何考えているかわからなくて、さっきの嘘も合わせて今日の陽介は何かおかしい。普段、嘘を言うような性格ではないのだ。彼は。だから、余計に動揺したし本気にした。瑞樹のことだからなおさら気になって仕方がない。

 

「ダメだ」

「どうしてか訊いてもいいか?」

 

青山陽介という人間は友人達の中で最も信頼が置ける人物だ。良識的な人間というやつ。他の奴らが悪友と言えるものでも、陽介だけは違って本当に信頼しているし、多分これは尊敬にも近いと思う。

 

でも、それでもダメだと思った。

 

瑞樹をあげたくないと思ってしまった。

何処とも知らない馬の骨と比べれば安心だろうに。

 

「それは……なんというか……その……」

「言い方を間違えた。どうしておまえの許可がいる?」

 

訂正された言葉が胸に刺さる。陽介の指摘に対して俺は返す言葉を持っていない。

 

「それは、一応、保護者だし……?」

「おまえが一番それを否定しているのにか?」

「どういう意味だよ」

「そのまんまの意味だ。おまえが一番わかっているだろう」

 

言葉を濁して直接口にすることはせず、これ以上は語らないと言うかのようにつまみや酒で口に蓋をする。意地でも俺の口から言わせたいらしい。

 

「……これも冗談だろ」

 

青山陽介という男に浮いた話など訊いた事はない。学生時代はいつも皆で馬鹿やって過ごして来た連中だ。色恋沙汰は皆無だし、女の気など一度も見せたことはなかった。恋愛に興味もなかった。俺達全員、いや一人を除いて。黄村だ。俺が一番警戒していたのはアレだし、陽介のことは警戒していなかった。女に興味があるとは思ってもいなかったから。それに本人が妹と同い年は恋愛対象外と言ったことがある。俺はそれを信じていたし、今も無意識にそう思っていた。

 

瑞樹の魅力が陽介の心を掴んだ、というなら別だが。

 

「貰う云々は嘘だ」

 

親友の言葉にほっとする。……ほっとする?

 

「でも、俺以外にそういうやつが現れるかもしれない。この先おまえの一番大切な女の子が誰かを好きになるかもしれない。おまえは指を咥えたままそれを見ているのか?」

 

まるで説教じみた言葉で、また否定しようとしたが、言葉の節々が引っ掛かって即答することは出来なかった。今日はいつになく他人の事に首を突っ込んでくる。俺の心の蓋を抉じ開けようとする。

 

「どうだっていいだろそんなこと」

 

ぶっきらぼうに返す。踏み込まれて欲しくなかったから、そういう態度を取ってしまった。

正確には踏み込まれたくない、ではなく、俺は……。

 

「本当にいいのか?好きじゃないのか?」

 

探るような物言いで興味なさそうに冷やしトマトを口に運び酒を呷る。真面目な話をしていない風を装って、人の心を揺する言葉を放ち、それを無責任と言わずなんと言えばいいのか。

 

答えることが出来ず酒を呷る。本当に諦めているならば、悩む必要はない。そんなことはわかっていた。悩む時点で答えなんて出ているのと同じだろう。

 

「すみませーん、ビール!」

 

追加の酒はすぐに運ばれて来た。店員から受け取ると一気に飲み干す。元々、酒はあまり好きでもなければ弱いし苦手だ。少し覚めた酔いを身体に戻すため、無理に飲んでいるに過ぎない。でも、今は酔いに頼りたい気分だった。例えそれで何かが変わってしまうとしても。切っ掛けだけを追い求めた。

 

 

 

「……あぁ、そうだよ。好きだよ。あの娘のこと」

 

 

 

言ってしまった。絶対に認めようとしなかったことを。認めてしまえばもう戻ることも、立ち止まることも、振り返ることもできない。逃げ道は無くなった。

 

「ほう。……で、自白した感想は?」

「最悪だよ」

 

俺は学生時代、恋愛とは無縁だった。今まで誰かを好きになったことはない。だって、好きにならなければ、失恋することもないだろう?だから、誰かを好きにはならなかった。最初から諦めていた。怖かったから。誰かを本気で好きになって失恋することが。恋愛経験もないのに失恋する事に臆病になっていた。

 

好きという感情もわからなかった。理解しようとしなかっただけかもしれないが、嫌でも瑞樹に理解させられるとは思いもしなかったな。

 

「最悪とか言いながら何ニヤニヤしてんの?」

「いや、これでも一応不安なんだぞ」

 

明らかに瑞樹は俺を好き。なのだろうけど恋愛弱者は安心などしない。今は良くてもこれから先どうなるかわからないし、当面の問題というか目下の問題は修学旅行から帰って来た瑞樹とどう接すればいいかだ。幸いな事に帰って来るのが明日なので、それまでにいつも通りに戻っていなければならない。

 

「はぁ、明日からどんな顔で瑞樹と顔を合わせればいいんだか……」

 

煙草を吸おうと取り出して吸わずに無言でしまう、その姿を陽介が不思議そうに首を傾げて見ていた。

 




これで逃げる事はできなくなった。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

修学旅行の夜

 

 

 

修学旅行二日目の夜、私の体調は良くない。厳密に言えば、青葉と一日会っていない所為かストレスが溜まり、精神的な不満が募っているわけだ。

 

「さて、それじゃあ定番のアレをやりましょう」

「あれ、とはなんでしょう?」

「恋話ってやつっすよ」

 

部屋の隅でスマホを見ていた奈緒が皆を集める。

そんなことより私には聞きたいことがあるんだけど。

 

「ねぇ、さっき誰と連絡を取ってたの?」

 

昨日、通話したっきりで声すらも聞けていない状況で、奈緒がどんな会話を青葉としたのか気になってしまう。きっと奈緒のことだから兄と連絡を取っていると思ったのだが、返ってきたのは意外な答えだった。

 

「楓ちゃんのお兄さんです」

「え、うちの兄貴っすか?なんでまた」

「そろそろ一方通行にも飽きてきたので、ちょっとした意識改革的な?」

「具体的には?」

「兄さんにも焦りが必要かなと。協力してもらったんです」

「強力なライバル出現っすか。けど、うちの兄貴がそんな面倒臭いこと引き受ける姿が想像出来ないんですけど」

 

プログラムは全日程を終えて、消灯を待つだけの私達は和室の畳の上に布団を四つ敷いて輪になるように姦しく騒いでいた。同室はいつものメンバー。そしてどうやらさっきまで奈緒は楓の兄と連絡を取っていたらしい。話半分に聞いていた楓だが、奈緒の次の一言によって大きく声を荒げた。

 

「あー、別に親しいとかそういうわけじゃないですけど。楓ちゃんのお兄さんが前に恋愛のことで悩んでて相談に乗ってあげた件の見返りに協力してもらったんですよ」

「うぇっ、兄貴に彼女!?……全然知らなかった」

「ちなみに写真ありますけど見ますか?」

「あ、送って貰っていいっすか?」

 

私達は蚊帳の外でスマホでやり取りし始める二人。なんだか二人の笑みが少し黒い。きっと兄を揶揄うネタが増えて楽しいんだろう。楓の口から後で強請るって言葉が聞こえた。

 

私も何度か青葉に連絡をしてるんだけど、一行に既読が付かず、無視されてるのかと泣きたくなってきた。

 

「なにしてるのかしら?」

 

まさかあの女と一緒に飲みに行ったり……そしてその勢いでどちらかの家に泊まって行為に及んでたり。関係が進展して私の付け入る隙がなくなっていたりしたら……。

 

「ちなみに兄さん、さっきまで楓ちゃんのお兄さんと居酒屋で飲んでましたから連絡が取れるのは帰ってからだと思いますよ」

 

スマホを見つめて溜息を吐いていた私に奈緒がそう言って、兄との『Rain』による会話内容を見せてくる。そこにはしっかりと楓の兄と飲みに行く話が明記してあった。

 

「まぁ、今は帰ってるところなのですぐに連絡がくると思いますが」

 

そこまで把握してるのは、楓の兄と連絡を取ったからか。

丁度、その時だった。

スマホが震えて着信を知らせてきた。

私のスマホの画面には愛しい人の名前、思わず取り落としそうになりながら通話ボタンを押す。

ドキドキと脈打つ心臓を抑えながら、私は耳にスマホを当てた。

 

「……青葉さん?」

『悪いな。すぐに返信出来なくて』

「ううん。電話してくれただけでも嬉しい」

『俺も瑞樹の元気な声が聞けて嬉しいよ』

 

一言一言が私の心を穿つ。

苦しいくらいに嬉しくて、泣きそうだった。

心臓が張り裂けそう。

約二十三時間ぶりの声に歓喜していた。

 

「ごめんなさい。疲れてるのに……」

『いや、さっきまで友達と飲んでただけだから』

「本当に?」

『楓の兄貴だよ』

「そう。良かった」

 

取り敢えず、今日はこれで安心して寝れる。だから私は今日あったことをいっぱい話したくなった。

 

「今日ね、昼食に天丼を食べたの」

『へぇー、どんなやつ?』

「海老とか、椎茸とか、ゴボウとか、茄子とか色々」

『美味そうだな』

「青葉さん天ぷら好きでしょ?帰ったら作ってあげるわ」

『そりゃ楽しみだな』

「それで夜は和食を食べたの。青葉さんはちゃんとご飯食べてる?偏ったものばかり食べてない?」

『……多分、大丈夫だ』

 

妙に歯切れの悪い回答に私は拗ねたように口を噤む。

 

「怒るわよ?」

『……瑞樹の料理が食べたい』

 

もう、そう言えば私が許すと思ってる。

 

『いや本当だってば。もう瑞樹の料理なしじゃ生きられない』

「じゃあ、結婚してくれる?」

『……』

 

何故か青葉は押し黙った。

でも、先に期待させるようなことを言ったのはあっちだし。

 

『……あ、明日も早いからもう寝る』

「だ、ダメ、待って青葉さん!」

 

思わず電話を切ろうとした青葉さんを呼び止める。

 

「……私と話すの嫌?」

『じゃあ、もう少しだけな』

 

こうして引き止める事に成功する。

それから何処に行ったか話をして。

気がついたら、電話口の向こうから寝息が聞こえてきた。

相当疲れているらしい。

私は「おやすみなさい」と告げてから通話を終了してた。

 

「……そういえば風邪とか引かないかしら」

 

電話向こうを見つめて起こすかどうかを考える。この時間だから既にお風呂に入ってベッドの上だとは思うけど、少しだけ不安に思う。でも風邪をひいたら看病すればいい話だし……と思う事にした。

 

「随分と楽しそうでしたね?」

 

そんな夢見心地な私を現実に引き戻す声が隣から。見れば周りには楓と梓、奈緒がニヤニヤと楽しげな笑みを浮かべている。先程までの会話を思い出して顔に血が上る。

 

「えっと、これはその……違うのよ?」

「まるで恋人のようでした。青葉様と倉科さん」

「瑞樹ちゃんのご飯なしじゃ生きられない。これはお味噌汁のあれですよ」

「いやー、ほんと恋話って楽しいっすね」

「ちょっと待って今のところ私しかしてないでしょう!?」

 

私の抗議も受け付けず、きゃあきゃあと騒ぎ立てる三人に定番の恋話が自分のみに絞られていることに気付いた。

 

「ふふっ、私達もちゃんと話をしますから」

 

パタパタと楽しそうに足を動かす梓はそう言って語り始めた。

 

「……私が好きな人はとても優しい方です。いつでも私の手を引いてくれて、私のことをずっと見てくれる。そんなあの方のことを好きになってしまいました」

「おー、アズにもそんな人が……で、オチは?」

「青葉様です」

 

しれっと告白する梓に私は危機感を覚える。

 

「じゃあ、次は私っすね」

「おや、青山さんも好きな人が?」

「初めて会ったのはうちの兄貴が家に連れて来た時です」

「あ、青葉様ですね」

「いやオチを言うのが早いっすよ」

 

楓もまた青葉が好きと告白する。残るは奈緒だけだ。

 

「私ですか?そうですね。いつも私を大切にしてくれる兄さんのことが私は大好きですよ」

「これが俗に言うブラコンというやつですか?」

「いえ、ブラコンとかではなく愛してます」

「重症っすね」

 

青葉青葉青葉。私のものなのに皆好きって。

いや、まぁ薄々は判っていたけれど。

 

「というかこれ恋話っていうの?」

「まぁ、楽しいからいいじゃないですか」

 

確かに梓と楓は楽しそうだ。戯れあって浴衣がはだけている。

 

「ところで……青葉兄を誑かすのはこのエロい身体っすか?」

 

そんな姿を見ていると矛先が私にも向いた。楓が私の背後に回って胸を鷲掴みにする。襟の隙間に手まで入れて直に触ってきたりと行動が完全にエロ親父だ。この積極性が一部でも青葉にあればいいのに。

 

「こ、こら、やめなさい!」

「む、これはアズと違って少し小さいけれど手から溢れ出る」

「もうっ、青葉さんにもそんなに触られたこと……!」

 

ようやく振り解いた時、シャッター音がして音のした方を見ると奈緒がスマホを構えていた。

 

「瑞樹ちゃんの元気な姿を見たい、と兄さんが言っていたので」

「まさか送ったの!?」

「もう送っちゃいました」

 

浴衣がはだけた姿の写真を送られて、私の顔は赤くなる。どうにか青葉に消させようとメールを送るも反応がない。もう寝てるので当たり前だろう。

 

「そういえば皆さんはこんな話を知っていますか?」

 

どうせなら奈緒のあられもない姿を青葉に送ってやろう、と揉み合っていると梓が思い出したようにこんな話を耳にしたと告げた。

 

 

 

 

 

 

翌日、修学旅行最終日。自由行動。私達四人は某所にあるという『縁結びの神社』に来ていた。なんでも祈願すれば恋愛成就するらしく、この辺では有名な神社らしい。小石に好きな人の名前を書いて池に投げ入れると叶うとか。

 

「ところで瑞樹ちゃんは噂って信じますか?」

「まさか、信じるわけないでしょ」

「じゃあ、なんで来たんですか?」

「どうしてかしらね」

 

藁にも縋りたいとか、猫の手も借りたいとか、そういったわけではないけれど。やってみるだけ悪い話ではないと思うのだ。結局は自分で射止めるつもりだから。

 

「さっさと終わらせてお土産でも選びましょう」

「そうですね。まぁ、もっとも兄さんへのお土産は決まっているんですが」

「何を買うの?」

「いえ、もう用意してありますから」

 

ずっと同じ班だったけれど奈緒が何か分かったところを見たことはない。怪訝に思いながらも、祈願するべくまず御参りをして専用のペンを買い特別な白い石は一角の木製の祭壇に積み上げられていた。

 

「やっぱりどっちかは買わなきゃいけないのね」

「白い石は積み上げてありますしね」

 

無駄に色の種類があるペンとこっそり恋愛成就のお守りを買う。こういうのは気持ちだと思うのだ。

それから『青葉』と名前を書いて池に沈める。

……これ家に帰ったら青葉が溺死していたとかないわよね。

妙な気持ちになりながらも、恋愛祈願は終了した。

 

「そういえば何処かで見たような制服の人がちらほらと……」

「うちの学校ですよ」

 

目的は皆同じらしい。古い歴史とか色々な建造物があったのに此処に集まってくる辺り、皆考えることが同じということか。

 

「あ、あの……倉科瑞樹さん!」

 

さて、帰ろうとしたところで背中に声を掛けられた。振り返ると同じ学校の制服の男子生徒が立っていて、胸ポケットにはこの神社で買えるペンが差してある。

 

「えっと……?」

「その、話があるんだけど……」

「なに?」

「此処じゃ、あれだから……」

「急いでるの。急用じゃないなら控えて」

 

修学旅行中にまで呼び止められては堪ったものではない。出来ることなら、修学旅行ではなく青葉と来たかったところだ。

 

「か、神崎さん!」

「今度は奈緒……」

 

別行動を取っていた楓と梓、二人と合流する直前でまた呼び止められる。

 

「すみません。愛してる人からのラブコールです」

「えっ……」

「いや、スマホ鳴ってないでしょ」

 

それに青葉は仕事中で電話を掛けてこない。

ようやく合流した時には、四回ほど呼び止められていた。

 

「どうにか合流できましたね……」

「なんかそっちも大変だったみたいっすね」

「そっちもなの?」

「私が二回。青山さんが三回です」

 

四人揃ってため息を吐いた。

こういう時は本当にやめてほしいと思う。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

会いたかったのは私だけ?

引き続き瑞樹視点。


 

 

縁結びの神社から無事に脱出を果たした私達は観光地として有名な通りを歩いていた。その到達点は有名な建造物であるのだが目もくれず、私達の目的は親しい人に渡すお土産だった。今はその建造物から離れるように通りを歩いていた。本日、最後の集合場所がこの近辺にあるからだ。

 

「ねぇ、ところで……」

 

ふと、足を止める。これは必要な確認だ。きっと皆考えることは同じだろう。だから、先手を打っておくことにする。

 

「楓と梓は誰にお土産を買うの?」

「うちは両親と兄貴、それから青葉兄っすかね」

「私は両親と青葉様に」

 

皆が青葉に土産を渡す予定らしい。

そうなると、懸念すべきはひとつだけ。

 

「何を送るの?」

 

それを決めるために土産屋を覗いているのだが本題はそこではない。私が懸念しているのは、同じ土産を渡してしまうことだ。

 

「青葉様は何が好きですか?」

「あの人、甘い物とかお菓子とかなら大抵好きっすよ」

「できれば青葉様の心に残るものを……」

「そういうのは誕生日とか、特別な贈り物として渡せば?」

「それもそうですね」

 

色々と考えて振り出しに戻る。土産は重くないものを。そう考えれば、食べ物とか手軽なものがいいのだという結論に至った。

 

「どこも試食をやっているようですし、これだというものにしてみては?」

 

どの店でも客引きのために試食等のサービスを提供している。それを見た奈緒が提案したことで、私達はいろんな店に寄ってみることにしたのだった。

 

取り敢えず、ネットで定評のある老舗の土産屋にやって来た。他にも目を惹かれるものがあったがまずは様子見、気にはなるけどお試しといった感覚で立ち寄ってみたのである。

 

「……やっぱり和菓子のいい匂いがしますね」

 

店の敷地に入って数秒、梓の嗅覚が反応する。視覚が働かない分は他の感覚器官が発達してしまったのか、彼女はとても鼻が良く私達では嗅ぎ分けられない匂いなどにも敏感で、聴覚等も並の人より性能が良い。その代わりに視覚がないというのは不便だろうから、羨ましいとは言えないけれど。

 

「はい、アズ試食っすよ」

「これは……抹茶ですか?」

「そうっす。いきますよー」

「……あむっ。……」

 

楓が目敏く試食コーナーを見つけるとそこに梓を引っ張り、視覚のない彼女の代わりに安全性を食べて確認してから彼女の口に運ぶ。もう見慣れた光景だけど、他の客は少し興味深そうに見ていた。それもそのはず彼女のような客は珍しいのだろう。不快な視線も気にしていないところは二人の神経が図太いのか二人きりの世界に入ってしまっているのか定かではないが、身内としては見慣れた光景なのでスルーしておくことにした。

 

匂いだけでどんなお菓子なのかある程度の情報を得てから、口に運ばれた和菓子を咀嚼して梓は少し口角を上げる。しかし、彼女の舌は高性能故かお気に召した様子はない。彼女が本当に気に入ったのなら即決で買うだろう、ということは予想できるからだ。

 

「……美味しいですが、青葉様に贈るものとしては不十分ですね」

「美味しいんっすけどねぇ〜」

 

ご覧の通り店の体裁のためにも美味しいとは言っているが、梓はお気に召さなかったようでお財布の紐が緩むことはない。たとえ視覚がなくても彼女はしっかりしているので悪徳商法等や粗悪品に引っかかることはないだろう。梓に付いている楓も目を光らせているため、彼女を騙そうにも騙せる人間はそうそういないが。

 

こんなに二人の仲が良いのは信頼関係だけでなく、下心ありきで近寄った男子生徒がいたためなのは余談だ。

 

そんな二人を横目に私と奈緒も試食を口にする。絶妙な甘さの餡が詰め込まれた焼き物を口にして、喉が渇いて持参していたお茶を口にして口の中を潤した。

 

「まぁ、当然お茶が欲しくなりますよね」

「同感ね」

 

美味しかった。そう思うのだが、土産に選ぶには何か足りない気がする。青葉が甘い物を好きなのは重々承知だがあの人は美味しいものであればなんでも喜ぶので正直な話なんでもいいのだが、こういった普通の甘味はきっと経験上口にしているだろう。奈緒の話では中学生の頃に修学旅行で訪れたらしいし。

 

結局、その店では物色しただけで購入には至らず店を出る。

万人受けする定番の品を探す。

店によって味は違う。

量産品と比べて、であるけど。

買うならやはり専門店か老舗しかない。

せっかく此処まで来たのだし。

 

それにしても土産屋の多いこと。十メートル進むのでも一苦労だ。老舗や専門店以外の土産屋を無視してものろのろと進む足の遅さに次第に疲れが見え始める。あの二人は性懲りもなく試食を繰り返す。言いたくはないけど、甘い美味しいと食べ続ければかなりの栄養分になるわけで、乙女としては看過できない事態だ。

 

「今思ったんだけど、梓が食べたものって全部……」

「あの巨乳の栄養になってるわけですね」

 

胸がないというわけではないけど、太らない体質というのは凄く羨ましいものだ。

 

 

悩んでいる間に時間は進んでいく。時間制限は当然あって残り三十分ほど、というのに私は青葉に渡す土産を決められずちょっとだけ焦り始める。その間にも三人は既に必要な分の土産を購入していて、残りは私だけとなった。

 

「悩んでますねぇ〜」

 

ちゃかすように楓が言った。背負っているリュックは最初より少し膨らむ程度、右手は梓と繋がれていてこの自由時間一時間と離していないのだろう。口調からは考えられない面倒見の良さが彼女にはある。だからこそ、梓の御両親も梓の修学旅行を許した上で、教師も梓の面倒を全て楓に丸投げしている。

 

「そういう楓と梓は何を買ったの?」

「うちの両親には人気の抹茶大福、兄貴には激辛煎餅、青葉兄には湯呑みと急須」

「私は青葉様に良いと思ったお茶と和菓子を」

 

二人は示し合わせたのだろう。梓が和菓子とお茶を選んだのならハズレはないだろうし、そのお茶を飲むための湯呑みを楓が用意するというのは自然なことだ。この前来た時に湯呑みがないのも確認したのだろう。

 

「で、奈緒は何を?」

「私は皆の写真と適当な御茶菓子を」

「……そんなものいつの間に撮ったのよ」

「許可を先に取ったら自然体で撮影できないじゃないですか」

「事後承諾なのね……」

 

学校側でも集団行動中に撮影したものがあるけどあくまでそれは学校行事としての体裁があり、プライベートな面はない。何より限られているし流石に奈緒も変なものは撮ってないだろうが。

 

「それに奈緒は写っているの?」

「それはぬかりないっすよ」

「あ、あれ、楓ちゃん?」

「こんなこともあろうかと私も撮ってます」

 

一枚上手だったのは楓の方でベストショットとして楓が提示したのは、奈緒の寝顔の写真だった。完璧な義妹を演じる奈緒のあられもない姿である。無防備な姿ともいう。

 

「ま、待ってください。流石にそれは……」

 

今更な気もするが奈緒は見られたくないのだろう。ワナワナと手を震わせて彷徨わせているが、やがて同罪だと諦めたのか自分のスマホにも楓の寝顔の写真を表示した。

 

「これを消しますから、その写真を消してください」

「青葉兄次第っすね」

「そんなぁ……なら、これでどうですか!」

「私のえっちぃ写真なら青葉兄に送ってもらっていいっすよ」

 

何故か敵に塩を送り合っているような状況に見えるのは気のせいだろうか。

 

「……って、あまり時間もないわね」

 

あの三人に付き合っていたら時間がなくなる。

私は慌てて土産屋を覗くのだった。

 

 

 

 

 

 

無事に修学旅行が終了した帰りのバス。

大多数が興奮冷めやらぬまま、車に揺られていた。

 

「もうすぐ学校ね……」

 

やっと……。青葉に会える。

そんな気持ちから独白した。

心待ちにしていたから口から漏れ出てしまった。

やっぱり心の何処かで私は修学旅行を楽しめなかった。

今度は青葉と行きたい。

二人きりでなくても良いから、また皆で。

 

「はーい。着いたから寝てる人は起こしてー」

 

バスは学校の敷地内に停車した。教師が生徒の降車を促し、寝ている生徒がいれば隣の人に叩き起こさせる。生徒達は修学旅行の疲れからか気怠げにバスから降りていった。私達もバスから降りて、最後に生徒が残っていないこと、忘れ物がないことを確認した教師が降りてくる。そうして生徒達は最後に校舎前に集合させられた。

 

「えー、これで修学旅行は終了しますが–––」

 

そして始まる教師の長い話。

一同は辟易としながらも上の空で話を聞き流す。

休日はしっかりと休息を取るようにとか。気をつけて帰れとか。注意事項ばかりが続く。

十分くらいで長い話が終わり、生徒達はやっと帰れると解散した。

 

「……この重い荷物を持って帰るのね」

 

しかし、現実問題に数日分の着替え等が入った旅行バックや土産等で膨れ上がった鞄を見ると解放感も落胆へと変わった。

 

「兄さんはこれ抱えて歩いて帰ったみたいですが」

「……」

 

それは青葉が男性だからと言いたいけど、きっと青葉は別の理由で一人で帰ったのだろうとは想像に難くなかった。

 

「こういう時の兄さんです」

「でも、青葉さんもまだ会社じゃ……」

 

私の静止も無視して奈緒はスマホで連絡を取り始める。電話を鳴らすと数秒で相手は出た。猫撫で声で奈緒は電話向こうの青葉に頼み込んでいるようだけど、その声はスピーカーにしていないにも関わらず私にもしっかりと聞こえたのだ。それも背後から。

 

「もう迎えに来てるっての」

「……え、青葉さん?」

 

振り返ればその先には私服姿の青葉がいた。ジーンズにパーカー姿のあの人が気怠そうに此方を見下げている。予想外の早さに奈緒も面食らっているようだった。

 

「な、なんで此処に?」

「そりゃ迎えに来るためで……終わる時間は大体知ってたし」

 

照れ臭そうに応える青葉に私は少し嬉しくなってしまう。

ほら、と手を出してきたからその手に自分の手を重ねた。

 

「……荷物寄越せって意味なんだけど」

「–––!?ち、違うの、間違えたのよ!」

 

そう、これは疲れてるからで決して手を握ってくれるとか考えたわけでない。多分、私は疲れているのだ。そんな私の勘違いに奈緒はニヤニヤしているし。

荷物を二人分、全部渡したところで青葉は微動だにせず聞いてきた。

 

「あの二人は?」

「マジでやった大好き愛してます!」

 

何処から聞いていたのか楓が青葉に飛びついた。これ見よがしに胸を押し付けて青葉を誘惑する。抱き着かれた彼も満更じゃなさそうで、鼻の下を伸ばしている。抵抗がないのは両手に荷物を抱えてることだけが理由じゃないだろう。

 

「寄越すのは荷物だけにしてくれ」

「またまた〜嬉しいくせに〜」

 

そんなやりとりをしている二人の間に手を差し入れて、間を引き裂くように離した。

 

「梓は?」

「御両親が迎えに来れないみたいっすよ」

「あの……お願いしてもよろしいでしょうか?」

 

一人だけ除け者という選択肢はないわけで、青葉は軽く了承すると梓の手から荷物を奪った。私達なら根をあげる重量を一人で軽々と持ち上げる様に「おぉ」と奈緒の口から感嘆の息が漏れる。

 

「じゃ、帰るぞ」

 

車に向かって歩き出す三人の背中を見ながら私は青葉の横に並ぶ。彼の腕を掴む。本当は抱き着きたいところだけど荷物の重装備で抱き着く隙がない。だから、今はこれで我慢する。

 

「……あの瑞樹さん?歩きづらいんですが」

「嫌なの?」

「帰ったら好きにしていいから今は遠慮していただけると」

「……」

 

塩対応に拗ねた私は彼を追い越す。荷物で手が塞がっている青葉の代わりに車のキーを開けた奈緒達が続々と車に乗り込んでいて、私も意趣返しとばかりに無言で助手席に。それから数分後に荷物を載せ終えた青葉が機嫌を窺うように運転席に乗り込む。

 

「……何を怒ってるんだ?」

「知らない」

 

彼の困った顔を見ていたくて小一時間ほど拗ねたフリをした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

青葉の誕生日

多分、青葉の誕生日は設定していなかったはず……。だと思いたい。


 

 

「突然ですが、みなさんに大事なお話があります」

 

二学期が始まり、修学旅行という一大行事も無事に終了。それでも中学三年生の興奮は冷めやらず、思い馳せる二学期が続いている今日、奈緒は皆を集めていた。

楓と梓、私が聴衆として椅子に座ると、そんな前振りから始まった。

 

「二学期といえば、三人はなんだと思いますか?」

 

何、と言われても……。

学生らしくイベントの話題であろうか。

 

「修学旅行はもう終わりましたし……」

 

梓にとって波乱の含まれた修学旅行が最大の鬼門だったのだろう。思い当たる中で一番印象深かったイベントの名を挙げ、不思議そうに首を傾げた。

 

「わかりますよね瑞樹ちゃん」

「そうね。忘れるはずがないわ」

「そうっすね。一般常識ですよ」

 

対して、私と楓は顔を見合わせ自信満々に解答する。

 

「「青葉(兄)の誕生日……!!」」

 

体育祭、文化祭、二つの行事を差し置いて一位の座に輝くのが青葉の誕生日。因みにだが、その次がクリスマスという一般的な聖夜となり、学校行事は二の次だ。

 

「なるほど、それは大変です」

 

梓も事の重大さを悟ったのか真剣な表情。居住まいを正して椅子に座り直した。

 

「それで何時なのでしょう?」

「十月五日です」

「約一ヶ月後、ですか……」

「もちろん、その日は空けてもらう予定です。不本意ですが兄さんの職場の先輩にも頼み、絶対に兄さんに残業が渡されないように裏工作もばっちりです」

「相変わらず、用意周到よね」

 

奈緒の根回しの良さに舌を巻く。こういうところは一生勝てそうにない。

 

「危うく知らないまま過ぎてしまうところでした……」

「大丈夫っすよ。近日中に教える予定でしたから」

「青山さん……!」

「アズは乙女ですね〜」

 

必死と抱き合う楓と梓を見て、一部の男子と女子が黄色い歓声を上げる。もちろん、密かに人気があるカップリングなわけで、周囲には付き合っている説が立つほどだ。

 

「それでプレゼントは各々準備してもらうとして、当日の予定をどうするか決めたいのですが」

「待ってください。去年はどうしてたんですか?」

 

話を進める前に梓が気になることを言う。

去年は私も不参加だったから、気になるところだ。

 

「え、聞きたいですか?」

「はい、気になります。どんなプレゼントを贈ったとか。青葉様の趣味とか、欲しいものとか」

「聞いても楽しくありませんよ?」

「……そうなんですか?」

 

聞いても楽しくない。その言葉に小鳥遊先輩という同僚女性の姿が過ぎる。けれども私の懸念は良い意味でも外れていた。

 

「……実は兄さん、去年は残業だったんです。くたくたになって帰って来たところを兄さんの部屋で待ち伏せし、私が一人で兄さんの誕生日をお祝いしました。完全に自分の誕生日を忘れてましたね、あの人。私がいる事にも驚きましたし、いるなら寝てればいいのにって言いながら少し恥ずかしそうにする兄さんが可愛くてもう……」

 

そんな過去の話を嬉しそうに、されど哀しそうに吐露する奈緒の体験談に心を打たれ、私達は胸に誓う。

 

「今年は青葉兄の誕生日を祝ってあげましょう。皆で」

「そうですね、その方が喜ぶと思います。独りきりは寂しいですから」

「そうね。一緒にいてあげないと」

「自分で言うのもなんですが、皆さん同情が激しいですね」

 

それは私も誕生日の独りきりの寂しさを体感したことがあるから、できる同情だった。

 

「それで去年、贈ったプレゼントがマグカップです。兄さんはインスタントの紅茶やコーヒーをよく飲むので、手作りコースターと一緒にプレゼントしました」

 

しんみりとした雰囲気を消し飛ばすように奈緒が言う。そのマグカップとやらはきっと青葉の家にペアで置いてあったマグカップのことだろう。奈緒と青葉が同じ柄のやつを使っていたのを見たことがある。相変わらず、抜け目のないというか油断ならない親友だ。

 

「それで話を戻しますが、今年はどう祝おうか迷っているんです」

 

話は戻り、祝う方法の話へ。

私だけに相談しないあたり、誕生日だけは譲る気はないのだろう。

今回に限って、青葉の独占は出来ないらしい。

仕方ないとは言え、どうせ祝って貰うなら複数に祝われた方が嬉しいだろうと私の溜飲も下がる。

 

「私の家は?」

「自分の家と言えるあたり、瑞樹ちゃんも慣れましたね」

「茶化さないでよ」

「ふふ、すみません。でも、それは無理かと。うちのママが今年は張り切ってますので」

 

青葉のお母様が出てくるとなると話は別だ。

あれはある意味で最大の障害にもなり得る存在だ。

 

「嘘、でしょ……?」

「うちの家族はほら……兄さんを除いてそういうの大好きなので」

 

もう既に画策が始まっているらしい。

 

「じゃあ、奈緒の家でやるとしてプレゼントを渡して解散ってこと?」

「はい、パーティーをしてお泊りなんてどうでしょう」

「それは素敵な案っすね」

「ええ、いいですね、皆でお泊り」

「では、決まりですね。ママに報告しておきます」

 

楓も梓も賛成なようだ。

やはり、二人きりの時間は取れないらしい。

あからさまに落ち込む私に奈緒が耳打ちする。

耳に手を当てて、誰にも聞こえないように。

 

「二人きりの時間が作れないなら、作ってしまえばいいんですよ」

 

そんな悪魔の囁きが耳朶を打った。

 

 

 

 

 

 

「おつかれー。神崎君」

 

今日は無事に仕事が定時で終わった。最近は連日、無茶振りによる残業が続いており辟易していたところだが、久しぶりに早く帰れる事に安堵して俺はさっさと逃げるように退社する。もちろん、残業に捕まらないためだ。毎日、一時間程帰宅が遅れており、家に残している瑞樹が心配で逃げるように帰ろうとしたところを小鳥遊先輩に捕まった。

 

「先輩、自分急いでるんですが」

「今帰りなら、少しだけ付き合って欲しいんだけど」

「えー」

「私はそういうあからさまに嫌そうな顔する神崎君のこと好きだよ。まぁ、先輩に対する態度としては褒められたものではないけどね」

 

あからさまな嫌そうな顔、というのを自分はしていただろうか。仕事終わり直後で気が緩んでいるらしい。慌てて取り繕ったように頰を引き攣り戻す。

 

「ほら、少しだけだから。それに遠くには行かないつもりだし」

「まぁ、それなら……」

 

久々に小鳥遊先輩に捕まり、同時に会社を出て、駅で電車に乗るととある街の駅で降りる。そこはよく知る駅で実家のある場所と同じ駅。そこから歩いて向かうようで小鳥遊先輩は先導するように歩いた。

 

「何処向かってるんですか?」

「もうすぐ着くよ」

 

それから数分、見慣れた街を歩く。

すると小鳥遊先輩は一軒の家の前で止まった。

 

「此処だよ」

「……」

 

それは紛れもなく、実家だった。

それも俺の、奈緒の。

小鳥遊先輩の実家ではなく。

高校まで過ごしていた家。

 

そして、あろうことか先輩は勝手に敷地内に入ると呼び鈴も鳴らさずに玄関のドアを開けて中に入った。

 

「先輩ッ!?」

 

いくら自分がいるとはいえ、先輩の奇行に俺は驚かされ後を追うように中に入る。廊下は薄暗く夏も終わり秋になっていることから既に暗闇となっており、灯りのない家は少し不気味に見えた。

慌てて先輩を追って玄関を上ると先輩は自分を待っていたようで、リビングの前で立ち止まる。

 

「さぁ、入って」

「……なんでそんなアットホームなんですか」

 

実は自分が住んでいた家から両親と義妹は既に引っ越しており、連絡が来ていない可能性を考える。実に荒唐無稽な話を一笑に伏して誘われるがままリビングへと足を踏み入れた。

 

その瞬間–––

 

「「「「お誕生日おめでとうーーー!!」」」」

 

–––電気がついて、クラッカーの破裂する音が響いた。

 

見渡せば沢山の人がいた。

両親。奈緒。それに瑞樹と楓、梓。

それに背中を押す小鳥遊先輩。

俺は呆然と目の前の光景に目を白黒させた。

 

「あの……これはどういう……?」

「何って君の誕生日でしょ。十月五日」

「…………あ、そういえばそうですね。忘れてました」

 

先輩は背中を押してさらに奥深くに押し込んでくる。輪の中心へ、中でも奈緒の隣へ行くと自動的に瑞樹がくっついてきた。お帰りなさい、と声を掛けてくれる。

 

「え、なにこれ?」

「素直に祝われてください兄さん」

「無理、待って、恥ずかしい逃げたい」

「逃がしませんよ。瑞樹ちゃん」

「ええ、逃さないわ」

 

両脇をがっちりと二人がホールドした。

 

「待て、俺がこういうの苦手なの知ってるだろ!?」

 

盛大に祝われるのは苦手だ。特に義母の場合、過剰に祝いたがるから天敵である。

 

「先輩、謀りましたね!?」

「私的には誕生日を教えてくれなかった神崎君に腹を立てているんだけど」

「いや、苦手って言ったじゃないですか」

 

きっと社内では噂が曲解することになる。二人きりで祝ったとか、あらぬ疑いをかけられるのだ。元より二人で飲んでいる時点で同罪だと責められたこともあるのだが。

 

「喧嘩しないの。料理が冷める前にたべちゃいましょー。せっかく可愛い女の子達が手料理を作ってくれたんだから」

「その可愛い女の子に麻奈さんも入ってたりしないよな?」

「何か言ったー?青葉くん」

「イエ、ナンデモナイデス」

 

不機嫌そうだった小鳥遊先輩も麻奈さんには勝てず、渋々引き下がっていく。全員が座ったところで豪華な夕食が始まった。

 

 

 

瑞樹達が作った料理を食べて、プレゼントを貰って、ケーキを食べればもう既に二時間ほど経っていた。先輩を車で送り届けて帰って来た俺は二階へと上がって行く。風呂にも入ったし、後は寝るだけだった。

 

「さて、疲れたしさっさと寝るか……ふぁ」

 

階段を上り切ったところで、部屋の前に誰かがいるのに気づいた。

 

「ん……瑞樹?」

「あ、青葉さん……」

 

俺を見つけるなり小走りでやってくると、勢い余って抱きついてくる。実に柔らかでいい感触だった。

 

「どうした?」

「皆で王様ゲームしようって話になってて、青葉さんを待ってたの」

「まさかそれ俺も参加するのか?」

「主役がいないと困るでしょ」

「女子中学生の園におっさんが入るのはどうかと……」

 

そこまで言って、今更な事に気づいた。

 

「それとね」

 

瑞樹が背伸びをする。

ちゅっ、と唇が触れ合った。

 

「もう一つのプレゼント、渡してなかったから」

 

それだけ言うと瑞樹は逃げるように去って行く。奈緒の部屋に入るとチラリと振り返ってから、悪戯が成功した子供のように笑って見せる。

 

「青葉さん早く」

「あっ、はい……」

 

夏は終わったのにまだ暑い夜は続いているみたいだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。