鬼滅から小鬼殺しへ (清流)
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序章:『鬼斬り』
プロローグ:雲柱と呼ばれた男


ついに自分で書いてしまった……。
どっかで見た鬼滅&ゴブスレのクロスが見たいと言うのを見て、私も見たいと思っていたけど、いつまでもなくて、我慢出来なくなってしまいました。これ書くために、原作に加えてゴブスレTRPG購入してたり……。他にも連載あるのに、堪え性がない自分が情けない。

2019/11/03 22:00
一部改訂。


 「ようやく奴の血鬼術の影響下から抜け出せたと思いきや……ここどこだよ?」

 

 数分前に滞在していた場所とは、どうあがいても結びつかない目の前に広がるだだっ広い荒野に、俺は呆然と呟いた。

 何よりも致命的なのは、前世、今世双方において、絶対に見ることのなかった夜空に瞬く紅と緑の双月であり、ここが幕末の日本ではないことを如実に示していた。

 

 記憶喪失で「ここはどこ?私は誰?」とかやれたら良かったんだが、生憎と己が何者であるかはよく理解している。

 鬼を殺す鬼殺隊において、恐れ多くも『雲柱』の名を戴いていた者だ。

 

 無論、それだけでは説明不足だろう。

 

 まあ、色々端折るがこの身は現代日本の前世の記憶を持つ幕末日本に生まれた転生者だ。

 生憎と死んだ記憶もないし、定番の神様とやらにも出会わなかった。当然ながら、チートと呼ばれる異能力の類も貰っていないし、持ってもいない。

 

 物心ついて、周囲のことが詳細に把握できた時、俺は絶望した。

 『鬼滅の刃』世界だからではなく、生まれた時代がよりにもよって幕末であり、生家が薩摩藩に属する武家だったからだ。

 まあ、そもそも鬼のことなんて、襲われでもしない限り、普通は知りようがないのだから当然であるが。

 

 さて、幕末の薩摩、これを聞いてどんな想像をする?

 俺の場合は、藩主である島津斉彬をはじめとした西郷隆盛、大久保利通などの偉人に始まり、黒船来航から明治維新、果ては西南戦争と幕末の日本において重要な役割を果たすことになるということだった。

 なにせ、四大人斬りなんてものが輩出される攘夷志士と佐幕派の武士がしのぎを削りあう、あの幕末だ。大して考えなくても、死亡フラグ満載である。

 しかも、生家は中堅どころで、どう足掻いても幕末の闘争とは無関係ではいられないとくれば、俺の絶望も理解できるであろう。

 

 しかし、しかしだ、日本男児、いや、薩摩隼人たる者、座して死を待つなど許されるだろうか?いや、ない!どうせ死ぬなら、限界まで足掻いて死ね!ここら辺は、多大に今世の祖父と父に影響されたのだが、あまりに濃すぎる人達だったので、無理もないだろう。

 

 そんなわけで、俺は死にたくないが故に死に物狂いで、剣の鍛錬に励んだ。『二の太刀要らず』の示現流、薬丸自顕流の方ではない東郷の本流を俺は学んだ。

 別に俺が特別だったというわけではなく、薩摩藩の上級武士は大凡これを学ぶのが普通なので、俺もその類を出ないだけの話だ。

 

 そんな俺が、鬼殺隊に入ることになったのは、剣の師である隻腕の祖父が契機だった。

 この祖父、隻腕であるというのに、やたらに強かったのである。齢60をこえるというのに、示現流の師範代であった父ですら勝てない有様なのだから、本当におかしい強さであった。

 後から分かることだが、当然ながらその強さの秘密は『全集中の呼吸』にあったのだが……。

 

 まあ、そんなおかしい強さの祖父に、俺は見出されることになった。

 幸いにも、今世の俺には剣才があったらしく、鍛錬すれば鍛錬するほど強くなれる素養があったからというのは、祖父の弁である。

 圧倒的な剣才と、『全集中の呼吸』を身につけるために必要となる過酷な鍛錬に耐えうる素養を、祖父は俺の死に物狂いの鍛錬から見出したらしい。

 ただ、だからといって、幼い頃から呼吸の基礎仕込んだり、示現流の鍛錬に加えて拷問紛いの別の技の修練を課さないでくれませんかね!普通に何度か、本気で死にかけたんですけど……。

 

 で、十四の頃、ちょうど元服を済ませた後、俺は問答無用で祖父に拉致られ、鬼殺隊に入るべく最終選別へと放り込まれたのだった。

 まあ、周囲がペリーの来航で攘夷だなんだと騒ぎだし、そのノリについていけなかったというか、未来を知るだけに冷めた目でそれを見ていたため、馴染めているとはお世辞にも言えなかったので、鬼殺隊に入れられたことに文句はない。

 

 だが、鬼とか、日輪刀とか、呼吸についてすら一切の説明なく、「この蒼の刀で首を斬れば死ぬ」 これだけである。今、思ってもあれは流石にない。説明不足に過ぎる。

 密かに仕込まれた呼吸法が『全集中の呼吸』で、蒼の刀は祖父の日輪刀、日輪刀で首を斬って死ぬのは鬼だと今でこそ分かるが、当時は本当に意味不明であった。

 呼吸は「キツイけど普通より遙かに動けるようになる呼吸」としか認識していなかったし、「そら、首斬れば死ぬよ」とか、「綺麗な刀だな」くらいしか思っていなかったのだから。

 

 当然ながら、俺の最終選別は酷いことになった。

 初めて見る鬼という怪異に、俺は心の底から驚愕させられたのだ。

 襲い来る鬼達は、首以外を斬っても死なず、達磨にしても手足が生えてくる人を食する化物。元が人間であったなど、戯れ言にしか思えない異常性であった。

 そう言えば、『鬼滅の刃』世界であるということに気づいたのは、この時であった。

 そこでようやく全てが繋がった俺は、鬼への反撃を開始し、自覚したこともあって『全集中の呼吸』と技を以ってどうにか生き延びることが出来たのである。

 

 しかしながら、最終選別を生き延びた喜びなど俺にはなかった。

 なにせ、修羅の巷の幕末日本から逃れられたと思いきや、それ以上に過酷な鬼狩りという地獄への道を歩むことになったのだから、当然であろう。

 

 無事、鬼殺隊員となっても、俺の行動原理は変わらなかった。死にたくないので、少しでも生き延びるために医術を学んだ。

 『全集中の呼吸』は言うまでもない。原作知識から常中のことを知っていたので、早々に身につけたし、基本となる流派である炎・水・風・岩・雷、その全てを学んだ。

 

 何、なんでそんな無駄なことをって?一つの呼吸を極めればいいって?

 馬鹿を言うな!俺が祖父に仕込まれたのは、『水の呼吸』だが、俺の日輪刀の色は黄色に彩られていた。すなわち、俺の適性は『雷の呼吸』にあったのである。

 「糞爺、適性があってねえじゃねえか!」というのは、俺が日輪刀を見た時の心の底からの叫びだったが、個々人にあった呼吸の適正を見極めるのは、極めて困難なことで、日輪刀による判別が必須だというのだから仕方がないのだろう。

 

 だが、だからと言って、自分に合わない呼吸を使って自分の死の可能性を上げるのは、馬鹿のやることである。

 俺は必死に懇願し、貴重な休暇の全てと任務の合間の僅かな時間を医術の勉強と修練に費やして、『雷の呼吸』を学んだ。

 流石に適性があっただけあり、自分でも驚く程早く技を身につけられたのは幸いであった。今にして思えば、この異常なまでの修得速度と圧倒的な剣才こそが俺のチートであったのかもしれない。

 

 そうして気づけば二年が過ぎ、俺の階級は最高位の『甲』へと上がっていた。

 斬った鬼の数は40を超え、『柱』の条件である50へと王手をかけていた。

 

 とはいえ、そこまで行っても、俺の行動原理は「死にたくない」であった。

 ただ、この頃になると根幹にあるのは「死にたくない」でも、流石にそれだけではない。どうにも幕末の世に馴染めていなかった俺を同僚として、仲間として、友として受け容れてくれた鬼殺隊の面々に、生き延びて欲しいと思うようになっていた。

 

 さて、ここまで棚上げにしていた適性が欠けるものも含めて基礎の呼吸を全て学んだというのはこの時期で、その理由はただ一つ。

 ずばり、始まりの呼吸である『日の呼吸』の探求である。原作知識からその存在とヒノカミ神楽の強力さを理解していた俺は、それが生き延びるのにこの上なく役立つことを知っていたからだ。

 

 しかしながら、戦国時代に生まれたバグそのものと言うべき『継国縁壱』程、異常な才を俺は持ち合わせていないし、生来の痣者でもない。

 それでも、俺は『日の呼吸』の存在を知っているのだ。である以上、これを活かさない手はない。

 

 適性に欠ける呼吸である『炎・風・岩』は、学ぶことこそ出来たが、やはり使いこなせはしなかった。唯一、『水』だけは幼頃から仕込まれただけあって相応に使えるが、技のキレはやはり『雷』には劣るのが現実だ。

 そして、俺は『雷の呼吸』を全て使えるが、原作の我妻善逸のように唯一つを極めるのは向いていない。むしろ、『水の呼吸』を組み合わせて戦うのが俺の強さの秘訣なのだから。

 よって、『継国縁壱』の言う「道を極めた者が辿り着く場所はいつも同じだ」「時代が変わろうともそこに至るまでの道のりが違おうとも 必ず同じ場所に行きつく」 は、俺には不可能である。

 

 故に、俺は基礎の呼吸から『日の呼吸』を逆算することにしたのだ。

 

 今ある基礎の呼吸は、全て始まりの呼吸である『日の呼吸』から派生したものである。

 恐ろしいことに『継国縁壱』は、個々人の適性にあった『全集中の呼吸』を個別に教導出来る程の化物だったのである。

 で、ある以上、基礎の呼吸には、必ず『日の呼吸』につながるものがあるはずだと、俺は考えたのだ。

 

 その試みが上手くいったのかは分からない。ただ、後の世にヒントとなるものは残せたと思う。

 なぜなら、俺は『水・雷』の派生として、『雲の呼吸』を編み出し、下弦の参を斬って『雲柱』となったのだから。

 

 そして、今回の任務で運悪く堕姫・妓夫太郎の前任であろう上弦の陸と遭遇し、殺し合った。

 彼の上弦の陸は、特殊な空間と現世を自由自在に繋げるといった血鬼術を使う恐ろしい鬼であった。空中や海中に放り出されれば死は免れないのだから、その危険性は言うまでもない。

 結果として、勝ったには勝ったが、偏に運が良かっただけだ。

 事前に奴の能力の発動を見ることが出来たこと(その代わりみすみす目の前で隊士を殺させてしまった)、奴自身が自身の能力に絶対の自信をもっており、奴が成り立てで少なからず慢心していたこと、そして、俺のある特技が奴の能力と相性が良かったことが勝因となった。

 

 原作までは、上弦は一度も欠けたことがなかったというから、これは快挙であると思うのだが、最後の悪足掻きで、俺もいずこかへと放り出される羽目になった。回避することができなかったわけではない。ただ、回避したら奴の首を斬れなかったので、斬ることを優先しただけである。

 能力的にも、絶対に生かしておくわけにはいかなかったので仕方がない。

 

 「死にたくない」を根幹に生きてきた俺だが、『柱』となった今では、それ以上に死なせたくない仲間や友がいた。何より、ここで自分の命を惜しんで、鬼の首を斬れないものは鬼殺の剣士の柱石を担う『柱』ではないと確信していたからだ。

 故に相討ち覚悟で斬れた、それだけのことだ。

 

 「そうして、どこに放り出されるかと戦々恐々としてたら、これだよ……。本当に、ここどこだよ?」

 

 『鬼滅の刃』定番の走馬灯よろしく、自分の今生を回顧してみたが、当然ながら答えは出ない。人っ子一人いない荒野には、俺の問いに答える者もいない。

 ただ、俺にとってありえざる双月だけが、ここが異世界であることを俺に教えていた。




鬼鬼コソコソ話
ちなみに、柱としての任期は三年程で、鬼滅の刃原作に影響はあんまり与えてない人。
精々、鬼殺隊の医療技術の発展に寄与したのと、ヒノカミ神楽の原型に辿り着きやすくなった程度です。竈家も探そうかと思いましたが、自分のせいで鬼との縁ができたらまずいと考えてやりませんでした。単独で上弦殺してますが、その直後に後任が決まったことに加え、鬼と相討ちになったことは認識されていますが、相手が成り立ての上弦だったことはお館様も把握していないので。

実は、当初は筆者が大好きな義勇さんが主人公予定だった。
しかし、ゴブスレさんとの会話が無理すぎて断念した経緯があったり。
アニメ一話の義勇さん(心の声含む)なみに、普段も喋ってくれたらなあ……。
まあ、そんなの義勇さんじゃないということで、オリ主になりました。

2019/11/02 22:28
今更ながらに、ちょっと盛りすぎじゃねと後悔中です。徹夜テンションはいけませんね……。
生来の痣者とかはなしにする可能性高し、全部の呼吸を学んだことはなしにしませんが、全部使えるというのはなしにしようかと考え中。寿命の問題&単独で上弦殺せるレベルということで生来の痣者にしたのですが、ちょっと強すぎじゃないかと反省中です。

2019/11/03 22:00
アンケート回答ありがとうございます。許容派が多くて驚きました。正直、マジやってしまったな感があったんで。多数派は許容派だったんですが、当初の予定だと義勇さんでしたし、あまりにそこから逸脱しているのは駄目だと思いますので、やはり弱体化させます。筆者の暴走で、御迷惑をおかけ致しました。


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神々は骰子を振る

 いずこかで、コロコロと骰子が転がる音がする。

 転がしたのは《幻想》の女神様、直前にファンブルを出してしまい、そこに《真実》の男神様のクリティカルが重なり、村一つがゴブリンによって壊滅する大ファンブルになってしまいました。

 今の骰子は、最後の望みをかけた救済の骰子でしたが、偶然村に来るのはよりにもよって「往還せし者」の異名を持つ老爺で、村が壊滅した後になってからとなりました。

 《幻想》は嘆き悲しみましたが、最早彼女にはどうすることもできませんでした。《真実》はその様を見て、満足気にニヤリと笑うのでした。

 

 しかし、そんなところに新たな骰子を投げ込む者がおりました。

 投げ込んだ者の顔を見て、《真実》と《幻想》は揃って顔を顰めました。投げ込んだのは、悪戯大好きな《混沌》の神様だったからです。男神のようであり女神のようでもある《混沌》のすることは、より良くなることもより悪くなることもあり、どちらの味方とも言えない立ち位置なのです。

 

 そして、何より恐ろしいのは、彼は時に彼自身すら予想だにしない出来事を巻き起こすのです。

 

 《混沌》が投げ込んだ骰子の目は――あろうことか、クリティカル!

 

 《混沌》が手を叩いて大喜びし、《真実》と《幻想》は諦め顔で揃って天を仰ぎました。

 最早、誰にも何が起こるか分かりません。

 

 さあ、皆注目を集めた盤面、なんと世界に穴が空いたのでした。

 神々がそれを驚愕とともに目を丸くする中、現れたのは東洋の侍を思わせる青年。

 どこか、修羅めいた雰囲気を漂わせる強そうな青年に、希望を見出した《幻想》は骰子を手に取りました。

 

 信徒どころか、この世界の存在ですらない青年に託宣は届きません。

 ですが、青年が行く道を誘導出来れば、村を救えるかもしれません。上手く誘導出来るか、骰子を振ろうとしたのです。

 

 しかし、そこに《真実》が待ったをかけます。《幻想》が振るなら、勿論自分も振ると言いだしたのです。勿論、《真実》の場合は青年に悪いことが起きるかどうかです。

 自分のことで精一杯にして、村を救えなくしてやろうと企んだのです。

 

 《幻想》は迷いましたが、村が救われる可能性があるなら構わないと最終的に了承しました。

 

 コロコロコロリ、おやおや両者より早く骰子を振る者がいました。勿論、《混沌》です。

 あっと《真実》と《幻想》は絶句しますが、振られたものはどうしようもないのです。負けじと骰子を振りました。

 

 コロコロと転がる三つの骰子。

 

 《真実》の目は、先のクリティカルの揺り戻しか、ここにきて痛恨の大ファンブル。

 《幻想》の目は、成功ではありますが、ギリギリの成功と言ったところ。

 そして、《混沌》の目は――――。




四方世界のお約束的なもの。
《幻想》
村の救出判定:ファンブル 幸運判定:最低の成功
《真実》
村の襲撃判定:クリティカル 時間判定:成功
《混沌》
イベント判定:クリティカル

実際にリアルでダイス振ってますが、今回だけで、次からは描写しません。


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01:不運なる死/幸運なる邂逅

あれ?村まで行けなかったぞ……。


 闇人(ダークエルフ)は、やる事なす事全て上手くいくような全能感に酔いしれていた。

 なにせ、秩序側に捕まって絶体絶命の危機だったのにも関わらず、見事逃げ果せたばかりか、古代文明の遺産である特殊な石巨兵(ストーンゴーレム)という凄まじい力まで手に入れたのだから無理もない。

 

 きっかけは、投獄され処刑されるのを待つばかりであった闇人(ダークエルフ)に邪神の託宣が下ったことだ。

 邪神の導きによるいくつかの偶然と幸運により、彼は見事逃げ出すことに成功したのだった。

 そして、託宣の通りに古代遺跡に隠された魔道具を手に入れ、その力でまんまと守護者である特殊な石巨兵(ストーンゴーレム)を手中に収めた。

 捕まった当初は下手を打ったと思ったものだが、この石巨兵(ストーンゴーレム)を手中に収めるためだったのだと思えば必要なことだったと許容出来る。後は邪神の託宣のとおりに、示された場所へいって混沌の軍勢に合流すればいいだけであった。

 

 ――――しかし、その前に一度くらいは、こいつの力を試しておきたい。

 

 守護者として用いるためか、明らかに普通ではない石巨兵(ストーンゴーレム)の威容は、そんじょそこらの冒険者など歯牙にもかけないという確信があるだけに、その力をもって存分に蹂躙したいという欲望には抗いにくいものがあった。石巨兵(ストーンゴーレム)闇人(ダークエルフ)が好き勝手に使えるのは今だけなのだから、尚更だ。

 石巨兵(ストーンゴーレム)に命令出来るのは自分だけである以上、石巨兵(ストーンゴーレム)を取り上げられることはないだろうし、相応の地位も貰えるだろう。だが、その一方で身勝手な動きは出来なくなるのは間違いないのだから。

 

 折角、手に入った力を自由気ままに使えないというのは、秩序に属する者達を嬲ることが好きなその闇人(ダークエルフ)にとって、正直面白くはない。

 

 だが、自身が脱獄した身の上である上に、主戦力である石巨兵(ストーンゴーレム)は隠すことなど不可能だ。間違いなく秩序側に捕捉される。そうなれば、いかな石巨兵(ストーンゴーレム)といえど、多勢も無勢で削り殺されるだろうことは想像に難くない。

 その場合、自分に待っているのは死だけだろう。仮に自分だけ運良く逃げ果せたとしても、元より邪神の導きで手に入った力である石巨兵(ストーンゴーレム)を無為に失って生きていられるわけがないだのから。

 

 結局のところ、混沌の軍勢に合流することは既定路線であり、闇人(ダークエルフ)としてもそれしかないのは理解している。

 それでも尚、己を捕まえた連中に石巨兵(ストーンゴーレム)をけしかけて嬲り殺してやりたいという思いを捨てきれない。

 許容出来るからと言っても、恨みは消えるわけではないのだから。理屈ではないのだ、感情というものは……。

 

 そんなわけで、闇人(ダークエルフ)は自身の衝動の吐き出し口、有り体にいえば、八つ当たり先を無意識に探していたのだった。

 

 人気の全くない荒野を一人で行く見慣れない格好をした只人(ヒューム)の男を発見したのは、そんな時であった。

 その様は、闇人(ダークエルフ)にとって、八つ当たりに持って来いの絶好のカモがうろついているようにしか見えなかった。

 やはり、己は最高についていると彼が思ったのも、無理はないだろう。思わず、自身の欲望を満たしてくれる神の導きに、これ以上ない感謝を捧げた程であったから、その喜び様は筆舌に尽くしがたい。

 

 しかし、闇人(ダークエルフ)は知らなかった。その出会いは、《真実》の大ファンブルによって生まれたものであることを……。

 

 

 

 

 

 

 

 「あの只人(ヒューム)を捻り潰してこい!」

 

 その叫びと共に左手に嵌められた腕輪が輝き、古代言語以外では本来意思疎通ができないはずの特別製の石巨兵(ストーンゴーレム)に命令が伝わる。

 本来の主でない上に、共通語で告げられた命令だと言うのに、石巨兵(ストーンゴーレム)は命令に忠実に動き、その巨体に似合わない俊敏な動きで男を襲う。

 

 当然ながら、いくら見かけよりも俊敏であるといっても、5メートル近い巨体の接近を男が見逃すはずもなく、背後から近づく石巨兵(ストーンゴーレム)へと向き直る。

 というか、むしろ、男、いや、その侍は、闇人(ダークエルフ)よりも遙かに早くその存在を察知していた。無論、闇人(ダークエルフ)の存在をも把握済みである。

 

 「<これはまさかゴーレムというやつか?随分、ファンタジーな世界に来てしまったようだな……。>」

 

 石巨兵(ストーンゴーレム)という尋常ならざる脅威が迫っているというのに、侍にはそんなことを言う余裕すらあった。

 確かに見た目よりは素早いし、その頑丈な巨体と重量は脅威ではある。

 

 「<鬼よりは遙かに遅いし、お前以上に大きい奴ともやり合ったことはある>」

 

 しかし、侍にはなんの脅威にもならず、振り降ろされた超重量の拳を難なく躱してみせた。

 それも当然、鬼殺の剣士たる侍がこれまで斬り殺してきた化物である<鬼>は、それ以上のスピードと膂力を誇るものは珍しくなかったし、肉体を巨大化させるなんていうものは当然の如く備えている基本能力でしかないのだから。

 

 「<ちょうどいい、お前には試しに付き合ってもらおうか>」

 

 それどころか、侍は自身の動作確認に石巨兵(ストーンゴーレム)を使う気であった。

 それはけして大言壮語などではない。実際に、一分間疲れ知らずの石巨兵(ストーンゴーレム)の攻撃を回避しつづけ、しまいにはその頭の上にさえ昇ってみせたのだから。

 

 当然ながら、これに苛立ったのは、この攻防の唯一の観客であり仕掛け人である闇人(ダークエルフ)

 あっさり殺せると思っていたのに、結果は彼の想像の真逆。しかも、腕輪の効果で、侍の日本語の内容すら理解してしまったので、彼は怒り心頭であった。

 

 「なにをしている、さっさと殺せ!」

 

 命令者である闇人(ダークエルフ)の怒りが伝わったのか、はたまた石巨兵(ストーンゴーレム)にまだ余力があったのか定かではないが、ゴーレムの動きが苛烈になる。

 しかし、それはどうしようもなく侍にあることを教えていた。

 

 「<ああ、やっぱりアレが操ってるのか?いや、操るというよりは命令しているだけか。血鬼術――――いや、魔法かな?>」

 

 侍も別に遊んでいたわけではない。自分の肉体の現状を把握する為に動作確認は絶対に必要なことであったし、この世界において戦闘能力の変化しているかも把握する必要があった。

 そして、何より重要なのは襲撃者の意図の把握だ。己が誰かの領域に入り込んだ結果、石巨兵(ストーンゴーレム)をけしかけられていたというなら、非は己にあるのだから。

 まあ、それでもいきなり殺しにくるのはどうかと思うが、武装した不審人物への対処としては、そう責められたものではない。

 故に、あえて抜かずに回避に徹して、相手の様子をうかがっていたのだ。

 

 「<警告も勧告も未だなしに加えあの表情、今の叫びの内容。どう考えても、善人とかじゃないな>」

 

 本来なら、闇人(ダークエルフ)の言葉は侍にとって異界の言語であり、理解出来ないはずなのだが、侍には不思議と理解出来ていた。改めて説明するまでもなく、闇人(ダークエルフ)の腕輪の効果なのだが、侍は知るよしもない。

 

 「<石だから斬れないとでも思っているのか?岩切など最終選別をくぐり抜けた一般隊士なら誰でも出来る>」

 

 そう言うや否や、一息深く息を吸い込んだ侍は、神速とも言うべきスピードで石巨兵(ストーンゴーレム)をすり抜け、闇人(ダークエルフ)の前へと現れた。

 基本的に、人相手に呼吸は御法度というのが侍の認識であるが、相手が人間ではなく魔法を使うともなれば遠慮は無用である。

 

《雲の呼吸 壱ノ型 驟雨》

 驟雨は、《雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃》の構えが必要といった部分を侍なりに改良したもので、水の呼吸の特徴である歩法をヒントに、独自の歩法を組み合わせることで、構えをとることなく神速の抜刀を可能にするというものだ。その分、助走距離を必要とする型になってしまったが、構えなくて良いという長所に加え、重ねた踏み込みと歩法による加速は霹靂一閃を凌ぐ。

 雲の呼吸において最速を誇るこの技は、相手に何もさせずに首を刎ねることを主眼とする奇襲に特化させた技だ。

 

 侍は魔法使いとおぼしき人外である闇人(ダークエルフ)に、これ以上何もさせる気はなかったのだ。

 

 故に、その結果は当然だった。

 突然、目の前に現れた侍に驚愕の言葉をあげることすらも許されず、闇人(ダークエルフ)の首は宙を舞った。

 

 何が起こったのか、闇人(ダークエルフ)には理解出来なかった。

 いつの間にか、石巨兵(ストーンゴーレム)が達磨にされていることも、自分がなぜ死んだのかも、彼は永遠に理解することなく、消失する意識の中で刀を納める鍔なりの音を聞いたのだった。

 

 

 

 

 侍が己の計算違いに気づいたのは、闇人(ダークエルフ)の身包みを剥ごうとした時であった。

 背後から近づいてくる気配に目をやれば、そこには達磨にしたはずの石巨兵(ストーンゴーレム)が近づいてくるのが見えたからだ。

 

 ――――確かに四肢を切り落としたはず……。まさか再生したのか?

 

 そう思って、石巨兵(ストーンゴーレム)の四肢を確認するが、確かにそれは侍が切り落としたはずのものであった。造形的にも質量的にも変化は見られず、再生したというよりは、単純にくっついたと言う方が正しいようであった。

 

 「<確かめてみるか>」

 

 石巨兵(ストーンゴーレム)を再び達磨にすることもできた侍だったが、あえて両腕を切断するだけに留める。鬼殺の剣士の最高位にいた侍にとって、それは容易い所業であった。

 

 侍が観察に徹する中で、双腕を失った石巨兵(ストーンゴーレム)は動きを止めていた。

 すると、なんということだろう、完全に切断したはずの左腕が浮き上がり、切断面に嵌まったではないか。わざと切り落とさなかった右腕などは、自重に負けて落ちることもなくあっさりと切断面が結合した。

 

 「<少し面倒ではあるな。まあ、いつものことか>」

 

 通常ならば、脅威であろう自らの肉体を回復させる能力を持つ敵というのも、侍にとっては馴染み深いものでしかない。

 鬼と違って、明確な弱点は分かってはいないが、急所である首を守るために小細工する鬼は珍しくない。

 故に、やることはいつもと何らかわりはない。石巨兵(ストーンゴーレム)を結合させる小細工を破ればいいだけだ。

 

 《雲の呼吸 弐ノ型 宇迦之御魂》

 五連撃である《雷の呼吸 弐ノ型 稲魂》を、独自の歩法と併せて九連撃へと昇華させた技。

 

 神速の九連撃は、たちまちに石巨兵(ストーンゴーレム)を十分割した。

 即ち、頭、首、左腕、右腕、左足、右足、左上半身、右上半身、左下半身、右下半身と言う風にだ。

 そして、侍はまた観察する。どこを核に再生するのか、それともしないのかを……。

 

 果たして、十分割されて尚、石巨兵(ストーンゴーレム)は元通りに結合してみせた。

 多少の時間はかかったとはいえ、驚くべき現象であった。

 

 しかし、完全にその種は割れていた。侍の目には、ハッキリと右上半身を中心に結合していく様が映っていたからだ。

 故に、結合するや否や、結合の核となる右上半身を再び切り離し、中空に浮いたそれに間髪入れずに技を放つ。

 

 《雷の呼吸 肆ノ型 遠雷》

 本来、使い手が見えなくなる程の高密度の斬撃を周囲に飛ばす中距離用の技だが、対象と接近した状態で使えば――――。

 

 その答えは、石巨兵(ストーンゴーレム)が体現していた。

 結合の核があったと思しき右上半身は粉微塵になっていた。

 

 「<斬滅完了>」

 

 その呟きともに響いた納刀の音が滅びを告げたかのように、石巨兵(ストーンゴーレム)の残っていた五体もその威容が嘘のように崩れ去ったのだった。




鬼鬼コソコソ話
作中の<>がついているのは、日本語で喋っているということを表しています。
雲の呼吸は、雷の呼吸をベースに、水の呼吸の変幻自在さ、特に歩法に着想をえて編み出された呼吸です。


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02:滅びた村

誤字報告ありがとうございます。チェックが甘いと反省します。


 その日、ある辺境の村は、小鬼(ゴブリン)の群による襲撃によって滅んだ。

 幸運にも村を一時的に離れていた者など、村民にも僅かな生き残りはいたものの、村としては完全に滅んだと言っていいだろう。

 

 四方世界において、辺境の村が小鬼によって滅ぶのは、そう珍しいことではない。

 小鬼は最弱の怪物であり、単体ならば鍬で武装した農民にすら撃退される実力しかなく、多くの人にとって恐れるに足らないのが実情である。たとえ複数体が集まり、それも巣を構えるようになったとしても、新人冒険者の一党(パーティー)に退治される程度でしかないのも事実である。

 

 だが、小鬼達に数多の偶然と幸運が重なり、巣を構えて繁殖し統率者(リーダー)が生まれたり、渡りや流れ者の田舎者(ホブ)呪術師(シャーマン)などが居着くと、強大な群となる。そうなってしまえば、それは最早小鬼と侮れるものではない。今回のように村を、時には町すらも滅ぼしうるものへと変わるのだ。

 故に、強いて言うならば、その村は運が悪かったのだ。近隣に巣を作られてしまい、村人だけで撃退できる規模の群ではなくなってしまった。端的に言えばそれだけのことで、ある種の天災のようなものだ。

 

 侍が辿り着いたのは、そんな運悪く滅びてしまった辺境の村であった。

 

 

 

 遠目でも分かる村の惨状に、侍は顔を顰めた。

 すでに夜であったが、夜目が利く侍にとっては障害とならず、人による凄惨なオブジェがはっきりと見えてしまっていた。鬼殺の任務で嫌というほど、嗅ぎ慣れてしまった覚えのある血の臭いが漂っていたから予想はしていたが、想像以上に酷い。

 必死の鍛錬と何度も死にかけた経験から身につけてしまった死の気配を感じ取るという特技も、この時ばかりは恨めしかった。

 

 なぜなら、村には死の気配が満ち溢れていたからだ。

 

 侍が知る由もないが、すでに襲撃されて三日が経っていたのだから、それも当然であった。

 すでに大半の村人は、小鬼に惨殺されており、僅かな生き残りがいるばかりであったからだ。 

 

 「<最初の人里がこれか……。>」

 

 侍は、うんざりした表情でぼやいた。

 闇人(ダークエルフ)石巨兵(ストーンゴーレム)を斬滅したあの荒野から、かなりの距離を歩いてようやく辿り着いた人里なのだ。それが明らかに滅びていたのだから、ぼやきたくなるのも無理はないだろう。加えて、分かってはいたことだが、村を滅ぼしこの惨状を築き上げた襲撃者は健在であるらしい。

 

 侍の鋭敏な感覚は、周囲に散らばる複数の気配を感じ取っていた。

 

 「<槍持ちの見張りか?最低限の知恵はあるか――――それにしても醜悪だな>」

 

 侍が小鬼を初めて見た感想は、醜悪の一言であった。

 子供くらいの背丈をした緑の人型の生き物の表情はひたすらに邪悪かつ醜悪で、その所業もあいまって小人とは呼びたくなかった。

 

 ただ、少なくとも見張りを立てるだけの知恵はあること、統率する者がいるだろうこと、篝火のようなものもないので夜目が利くのだろうという情報は得られた。

 

 「<異世界にも鬼はいるか……。小鬼とでも言うべきか?醜悪さだけならこちらが勝るな。

 もっとも、さしもの鬼舞辻無惨も、これと同類にはされたくないだろうがな。

 まあ、民を虐げる鬼であるというならば、世界は違えど俺のやることに変わりはない>」

 

 侍が抜くのは闇人の持ち物であった偃月刀(シミター)であった。とてもではないが、この醜悪な存在に己の魂とも言うべき日輪刀を振るう気にはなれなかったからだ。

 本来の得物ではないが、片刃で曲刀であるならば、振るうのには子細ない。

 というか、この程度の相手ならば、呼吸を使う必要すらない。

 

 トンと地面を蹴った音だけが響き、次の瞬間出入り口の見張りをしていた二体の小鬼の首は宙を舞った。何が起きたのかすら、見張りには理解出来なかっただろう。気づいたら死んでいたというのが正しいのだから。

 故に、見張りからの声は上がらず、侍の侵入は察知されないはずであった。

 

 しかし、今回は間が悪かった。

 小鬼達は、つい先程、数少ない生存者に逃げ出されたばかりか、正体不明の敵に少なくない数の仲間を殺されたばかり。大小鬼(ホブゴブリン)小鬼呪術師(ゴブリンシャーマン)が巣から呼び出され、彼らは厳戒状態にあったのだ。

 

 「……!?GROOB!GROOB!」

 

 表にいた者達が見張りの死体を直ぐさま発見して怒号が響く。

 それが合図となったのか、家屋からのっそりと大小鬼と小鬼呪術師が姿を現し、それ以外の小鬼達も周囲を警戒する。

 

 だが、いくら目をこらそうと下手人の姿は捉えられない。

 既に侍は死角となる家の屋根に上り、村全体を俯瞰していたからだ。

 

 「<死の気配が強すぎて、生者の気配が感じ取れない。小鬼共が邪魔だな>」

 

 侍の死の気配を感じ取ると言う特技は、自身の死についてはこれ以上なく鋭敏で戦闘に役立つものだが、他者については死んでいることしか感じ取れない。

 そして、この村にはそこら中に死が振りまかれていた。槍に突き刺され、無惨なオブジェにされた者や、散々嬲りものにされた後捨て置かれて死んだ者など……。

 

 「<大きいのが二体に杖持ちがいるな。杖の方は魔法使いか?あれから仕留めるべきか――――気づかれたか>」

 

 子供程度の背丈しかない小鬼達には死角でも、巨体を誇る大小鬼にとっては違う。

 怨敵を見つけた大小鬼は、怒号とともに大金棒を家へ叩きつける。辺境の村の家屋に巨人(トロル)並の剛力を誇る大小鬼の攻撃に耐えうる頑丈さはなく、たちまちに壁が崩れ大きく家屋全体を揺るがす。

 

 「GROB!」

 

 「<その大物で振り切れば、隙だらけだ>」

 

 侍は、当たる前に飛び降りており、それどころか大小鬼の首をすれ違い様に刎ねていた。

 自然と首刎ねになっているあたり、鬼殺の剣士としての習性なのかもしれない。

 

 群の中でも相当な強さを誇る大小鬼が一瞬で殺されたことで小鬼達に動揺がはしるが、そうでないものもいた。もう一体の大小鬼と小鬼呪術師だ。もう一体の田舎者は自分なら殺せるという根拠のない自信に溢れて即座に襲撃に移していたし、呪術師の方は冷静に呪文を詠唱していた。

 

 「<なるほど、大した剛力だ。まともに当たれば、常人では只では済むまいが――――温いし鈍い>」

 

 侍は、動揺がはしる小鬼達の首をとばしながら、大小鬼を迎撃した。

 田舎者の攻撃は威力だけは大したものだが、技巧も何もあったものではなく、ただ巨体と膂力にものを言わせた大ぶりでしかない。

 故に、柱であった侍には児戯に等しいものでしかなかった。

 

 またもあっさりと大小鬼の首がおちる。立て続けの惨劇に小鬼達の動揺はここに極まったが、それを吹き消すかのように魔法が侍に飛ぶ。小鬼呪術師の唱えた真言呪文の《火矢(ファイアボルト)》であった。逆転を予期した小鬼達から歓声が上がる。

 

 「<む、撃たれてしまったか。まあ、いい。一度見ておきたかったのも事実だ>」

 

 侍は、自身に迫る《火矢》の猛威を感じながら、素早くその場を離脱する。

 

 「<おお、あっさり追尾された。魔法ってのは厄介だな>」

 

 元の位置から10メートル以上は離れたというのに、方向を変えて高速移動中の己に迫る魔法の脅威に侍は感嘆した。

 

 「<魔法対策は必須だな、これは>」

 

 そう言いながらも、侍は小鬼を一体魔法へと投げつけた。

 ものの見事に侍と《火矢》の進路に割り込むことになってしまった哀れな小鬼は、その身を焼かれて死んだ。予想だにしなかった魔法の無駄討ちに地団駄を踏む小鬼呪術師。直ぐさま次の呪文の準備に移るが、それは遅すぎた。

 

 「<二度目を許すほど甘くはない>」

 

 既に神速をもって距離を詰めていた侍は、呪文を詠唱中の小鬼呪術師の首をあっさりと刎ねた。

 これにより小鬼達の士気は完全に崩壊し、我先にと逃げ出す小鬼達。

 

 しかし、それをみすみす許すほど、男は甘くはない。

 元より速さに特化した呼吸の使い手である侍にとって、逃げ散る死の気配がこびりついた小鬼達を斬滅するのは容易いことであった。

 

 「<これで25は斬ったか?うん、25――後1体はどこに行った?>」

 

 村の外へと逃げだそうとした小鬼は、その尽くを殲滅した。侍に限って討ち漏らしは存在しない。

 で、ある以上、その一体は村内に留まっているはずであった。

 

 「<家屋の中に逃げ込んだのか?こんな状況の村での家捜しとか、嫌過ぎなんだが>」

 

 村から出ていかないなら、家屋に隠れ潜むくらいしか手はない。

 この村の惨状を見ていれば、家屋内の状況も察して余りある。家捜しの過程で、嫌なものを見ることになりそうなことを確信し、心底げんなりする。

 

 しかし、それは思いも寄らぬ事態で覆された。

 とある家屋から、小鬼達に引きずり出されるように連れ出された三人の女性が現れたからだ。

 その三人の女性には、喉に短剣を当てる小鬼が一体ずつついており、それを先導する一体の小鬼が、侍の姿を確認して邪悪な笑みを浮かべた。

 

 「<人質か――――ゲスが>」

 

 侍は、人質をとられたことよりも、三人の女性の惨状に眉をひそめ、そして表情を完全に消した。

 

 

 

 

 

 その小鬼は、他の小鬼達より頭が良かった。長じれば呪術師や統率者にだって成れるだろう個体だった。己達の遊び場兼新しい拠点となった村に侵入者があったのことにも、いち早く気づいたし、早々にその冒険者らしき只人(ヒューム)が強いことも理解していた。

 なにせ、瞬く間に威張りん坊で乱暴者の田舎者が瞬殺され、呪文すら躱してみせたのだ。それも周囲の小鬼を排除しながら!

 

 故に、ただ逃げるだけでは死ぬと彼は確信していた。

 

 そこで閃いたのは、彼に覚知神の恩寵があったのか、元よりずる賢い彼だったからこそなのか定かではないが、苗床にするつもりで生かしてある三人の女の存在であった。

 今も飽きずに遊んでいる連中もいるから最悪囮にしてやればいいし、只人をはじめとした冒険者の連中は同胞の死を酷く嫌がるから、女達を人質にしてやれば動きを止めるくらいはできるはず!

 少なくとも自分だけは逃げることくらいはできるだろうと、そう算段をつけていた。

 

 だから、只人がこちらを見て動きを止めているのを確認した時、彼は人質が有効であると確信して、なんて愚かな奴だろうと嘲笑したのだ。

 ただ、彼には運がなかった。今回ばかりは相手が悪すぎた。相手は鬼殺の剣士であり、その最高位の柱であったのだから、人質など何の足枷にもならなかったのだ。

 本来の歴史ならば、この後の討伐からまんまと逃げおせ、統率者どころか、小鬼の王(ゴブリンロード)にすら到れたはずの彼は、無常にもここで屍を晒すことになったのだ。

 

 

 

 

 彼女達三姉妹が生きていたのは、只単に運が良かっただけだ。

 彼女達が生きていられたのは、生家が村長の家で、村で一番大きな家であったことに加え、偶々三姉妹であり、一所に女が集まっているということで、絶好の苗床になるとみなされたからだ。

 いや、三日にもわたり小鬼に陵辱の限りを尽くされたのだから、ある意味では死んでいた方が幸せだったのかもしれないが……。

 少なくとも生きているという意味では、幸運だった。

 なにせ、村の他の女性達は見るも無惨な有様であったのだから、散々痛めつけられたとはいえ、重傷もなく五体満足なだけマシであった。

 

 まあ、当の被害者である三姉妹からすれば、永遠に続くように思えた生き地獄の時間であったのだから、到底幸運とは言い難いものであったが。

 

 三姉妹の陵辱が中断され、家から外に連れ出されたのは、すでにどれだけ時間が経っているのかも理解できなくなってからであった。

 彼女達は説明もしたくない汚濁に塗れており、その惨状はすでに狂っていないのが不思議なほどだった。それでも辛うじて、三姉妹が正気を保っていられたのは、同様の境遇にある互いが未だに生きていたからこそだ。

 

 それは村長の家に生まれた彼女達は相応の教育を受けており、良くも悪くも現実を知っているが故だった。今回の小鬼達の襲撃が珍しくないことも、自分達の村がとびきり運が悪かったであろうことも理解していた。

 そして、か細い線ではあるが、まだ生き残る目があることも理解していた。未だ誰も死んでいない以上少なくとも姉妹を残して、自分だけ狂って楽になるなんて出来るはずがなかった。

 

 果たして、それは報われた。

 姉妹が狂気に陥る前に、楽になりたいが故に死を選ぶ前に、本来の歴史より早く救援が到来したのだから。

 

 

 

 

 その姿をはっきりと確認したのは、一番肉体的被害が少なかった長女であった。

 二人の妹を庇うように被害を引き受けようとしていたのだが、小鬼達はお構いなしで、二人の妹を容赦なくなぶり者にした。それどころか、長女が庇おうとしているのを理解して、余計に見せつけるように嬲ったのだから、小鬼達の邪悪さは底を知らない。

 結果的に肉体的な傷は一番少なかったが、精神的苦痛をもっとも受けたのが長女であった。

 

 そんな彼女が侍を見た第一の感想は落胆であった。

 なにせ、一人だけなのだから無理もない。いかな冒険者といえども、これだけの小鬼の群を単独でどうにかできるわけがないのだから――――!

 

 そこまで考えたところで、彼女は周囲に散らばる数多の小鬼の屍をようやく認識し、驚愕した。

 ほんの少し前まで親しく話していた村人達の無惨な姿を見たくないという思いから、無意識の内に周囲を見ないようにしていたが、双月の輝くもとであれば、只人であっても夜闇に目が慣れればそれなりに見えるものだ。ぱっと見た感じでも10以上は死んでいる。中にはあからさまに強そうな巨体の遺体もあり、そのいずれも首を刎ねられていることに恐怖を覚え、首筋に寒いものを感じさえした。

 

 しかし、同時に希望が芽生えてくる。この見慣れぬ格好の只人の冒険者は、自分では到底理解が及ばない程の実力者であろうことを理解したからだ。

 自分より激しく嬲りものにされたせいで、既に妹達は肉体的にも精神的にも限界だ。狂えば殺されるだろうし、妹達が死ねば己も正気を保っていられないであろう。

 自分含めて妹達が救われるなら、今この時が限界なのだ。これ以降は、命は助かったとしても、本当にそれだけになるだろう。

 

 だから、体中から死力を尽くして、救いを求める声を捻り出す。それがどんなにみっともなくて、伝わりづらいか細い声であったとしても、彼女はそうせずにはいられなかった。

 

 「……た、助けて」

 

 その言葉が届いたのかは分からない。彼女は喉に短剣を突きつけられて、冒険者であろう存在の反応を確認する余裕はなかったからだ。

 そして、今更ながらに自分達が人質として連れ出されたことに気づき、絶望した。

 なにせ、冒険者が人質を見捨てれば、当然自分達は死ぬ。が、冒険者が人質で動けなければ、自分達も当然救われない。

 

 完全に詰みだ。もうどうしようもないではないか!

 

 内心で壊れそうな絶望の叫びを上げる中、長女は唐突に倒れ伏した。

 無理矢理立たされていたのが、支えを失ったからだ。

 

 突然のことに驚いて周囲を見渡せば、自分に短剣を突きつけていた小鬼が首を失って倒れ伏していた。

 それは自分達を先導して連れ出した小鬼も例外ではなく、少し離れたところで屍を晒していた。

  

 「<《雲の呼吸 参ノ型 疾風迅雷》、貴様らには過ぎた技だが、冥土の土産にするがいい>」

 

 冒険者が聞き慣れない言葉でなにごとか呟きながら剣を納め、こちらに歩み寄ってくるのを見て、救われたことを実感し意識を手放したのだった。

 

 

 

 

 

 人質の女性が絞り出すように呻くようなか細い声を上げる。 

 

 「……た、助けて」

 

 その言葉を聞いた時、侍には何を言っているのか分からなかった。

 それも当然、彼にとってその言葉は異界の言語に他ならなかったからだ。

 ただ、それでも伝わるものはある。幾人もの人の死を、鬼の死を看取ってきたが故に――――それは助けを求める声だと理解出来た。

 

 小鬼が邪悪な笑みを浮かべて、身振り手振りで武器を捨てろと要求してくるのを平然と受け入れた。あえて見えるように堂々かつゆっくりと鞘に収め、中空に放り出す。躊躇いは微塵もなかった。

 そうして、自分以外の者の注意が全て自分から外れた瞬間に、侍は動いた。 

 

 《雲の呼吸 参ノ型 疾風迅雷》

 多数を相手にすることを主眼とした技で、神速の歩法と踏み込みを合わせて、死角から切り崩す連続神速斬撃。相手の認識から己を外し、意識の外から攻撃することを極意とする技だ。

 

 「<《雲の呼吸 参ノ型 疾風迅雷》、貴様らには過ぎた技だが、冥土の土産にするがいい>」

 

 故に、侍が納刀した時、既に全ては終わっていた。

 小鬼達は例外なく首を刎ねられており、何が起こったのかも理解していないだろう。

 当然、彼らには人質に対して、何かする暇が寸分たりとも与えられなかったため、人質は全員無事だ。

 

 精も根も尽き果てたかのように意識を失った女性に即座に歩み寄って、肉体の状態を調べる。

 全員の生存を確認したところで、胸を撫で下ろす。

 

 「<む?もしやと思ったが、やはり無理か……。

 しかし、先の襲撃者の言葉は理解出来たとすると――――>」

 

 肉体の状態を調べている最中、幾度か寝言と思われる言葉が女性達から漏れていたが、侍にはさっぱり理解出来なかった。ある意味、納得でもある。明らかな異世界で、いきなり言葉が通じるとか、ありえないだろうからだ。

 まして、自分は神とやらにもあっていないし、何かしらの力を与えられたわけでもないのから。

 

 だが、そうすると先の戦闘の際、襲撃者の言葉の意味が理解出来たのは逆におかしいことになる。何か種と仕掛けがあるはずだ。

 

 「<すると、やはりこれか?>」

 

 幸いにも、侍はすでに当たりをつけていた。

 襲撃者が身につけていた、襲撃者に似つかわしくない蒼の宝玉がついた美しい腕輪だ。

 石巨兵に命令する為のものだと思っていたが、どうもそれだけではないようであった。

 

 「<試してみたいところだが、生存者は彼女達だけときた>」

 

 三人の生存確認後、村内をくまなく見て回ったが、小鬼の残党も村人の生存者もいなかった。

 腕輪の効果を試そうにも、意識が戻るまではお預けだ。

 

 「<持ってるだけで効果があれば良かったんだろうが、身につけないと無理なようだからな>」 

 

 本来なら、どんな効果があるか推測しかできていない腕輪をつけるなど、自殺行為でしかない。

 なにせ、どんな呪いがかかっているかも分からないし、下手をすれば一生外せなくなる可能性すらあるのだから。

 

 しかし、言葉が全く通じないというのは致命的だ。

 元の世界に帰るしろ、この世界で生活するにしろ、その為の情報収集ができないのだから。

 それどころか、不審者として扱われることすらありうるし、肉体労働以外では職を得ることすら困難であろう。

 まして、この極限状況に置かれていた娘達が、言葉も通じない見も知らぬ男をどう思うだろうか?

 少なくとも碌なことにならないだろうことは、容易に想像出来てしまう。

 

 ならば、多少のリスクをのみこんでも、試してみるべきだと侍は考えた。

 幸いにも腕輪はあっさりとはめられたりし、外せた。肉体的にも精神的にも特に影響はないように思えた。

 

 「<後は試すだけだが、流石に起こすのは忍びない>」

 

 疲労困憊で眠っている女性を起こすほど、侍は無情ではないのだ。

 

 「<……せめて拭き清めるくらいはしてやるか>」

 

 湯を沸かし、家捜しの結果見つけてきた布をつけて固く絞り、三人の女性の体を拭き清める。

 三人とも見目良く美人といえる容姿であったが、その裸を見ても些かの劣情も湧くことはない。

 ただひたすらに痛ましさを感じ、沸々と怒りが湧き上がる。

 

 彼女達がどんな目にあったのか、それを見て取るのは侍には容易なことであった。

 生き延びるために医術を学び、呼吸を研究するために人体を調べ尽くしていたからだ。

 どれ程の地獄であったろうか、辛かっただろう、苦しかっただろう。それを思うほどに侍はやるせなくなった。

 

 だから、侍に恥じ入ることは何1つない。下心があったわけでもないし、劣情を抱いたわけでもない。

 ただ、小鬼共の汚濁に塗れさせたままでいるのは、余りに不憫であったからというだけのことだ。

 

 しかし、しかしだ。善意とは言え、見も知らぬ男に寝ている最中に隅々まで裸を見られ、拭き清められて、感謝できる女性がいようか?

 断言しよう!そんな者はいない!

 まして、長女はようやく訪れた深い眠りで、少なからず寝惚けていたのだから、巻き起こる彼女の反応は仕方のないことであった。

 

 ただ、侍の間が悪かった。それだけの話だ。

 肉体的損傷が一番少なかったことから、長女の診察&拭き清めが後回しになったことに加えて、長女の肉体的疲労では一番浅く、肉体的にも一番耐久力があったが故に、他の二人よりも必要とする睡眠時間が短かったために起きた事故。

 

 「キャー、痴漢!」

 

 ちょうど拭き終わったところで、目を覚ますなり自分の状態を確認して、全裸であることを理解した長女は、躊躇いなく叫んで、侍を容赦なく平手打ちにしたのだった。

 効果は確認出来たけど、初めて聞いた言葉がこれってあんまりだろと内心でぼやきながら、甘んじて平手を受ける侍であった。

 

 




鬼鬼コソコソ話
三人姉妹は、コミック版で出たあの三人。見目良く三人も娘を育てられるなら、裕福な層だろうということで村長の娘になりました。で、ゴブスレさんの姉が苗床にされずにぶっ殺されたのって、他に確保していたからじゃね?と連想した結果、一所に固まっていた彼女達がちょうどいい候補だろうと考えたわけです。
今更ですけど、村が救える可能性はゼロでした。増えるのは生存者だけで、被害者は減らないという鬼畜仕様でした。でも、結果的に村に派遣される冒険者達の死者は出なくなりましたし、逃げ延びてロードになるゴブリンも死んだので、ちょっとはマシになったんじゃないでしょうか。
後、丸わかりかもしれませんが、ゴブスレさんが脱出した後の話です。ホブとシャーマンが巣から派遣されていたのは、その為です。


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03:雲柱

 長女の侍に対する誤解は、幸いにもすぐ解けた。

 しっかりと目が覚めれば、己の現状を嫌でも思い出すし、荒れ果てた室内の状況や、同様に安穏と寝かされている妹達の様子を見れば、目の前の男が下心などないことはすぐに理解できたからだ。

 

 ――――もっとも、小鬼に穢された今の私達に劣情など抱けないだけかもしれないけど……。

 

 現状を正確に認識すればするほど、助かったという安堵とともに、同じくらいに自分を卑下する気持ちが長女の中に生まれる。

 とはいえ、救い手にして命の恩人たる侍にそれをぶつけるのは筋違いであるし、本当に善意から拭き清めてくれたことも、彼女は理解していた。

 実際、一時でも彼女が自分の境遇を忘れることができ、目覚めが本来よりましなものになったのは、侍のおかげなのは間違いない事実であったのだから。

 

 「救っていただき本当にありがとうございました。……申し訳ないのですけど、少し一人にしてもらえますか?」

 

 冷静になれば、長女としても侍に対しては感謝しかないが、それでも今は一人になりたかった。

 

 ――――隣村との縁談は御破算でしょうね。そもそも村が壊滅したから、縁談の意義が失われてしまったし。いえ、それ以前に、小鬼(ゴブリン)に胎を穢された女を嫁に欲しがるわけないわ。

 

 小鬼禍が、辺境の村々にとって珍しい事ではないとは言っても、それとこれとは話が別である。犯し穢された娘を嫁に欲しがる男はいない。同じ人種であってもそうなのに、相手が小鬼となれば言うまでもない。

 残酷なようだが、これはある種仕方のないことでもある。強引に犯されるなどされた時、母となる機能を喪失してしまうことはままあることだからだ。血を残すことが前提で行われる嫁取りにおいて、これは致命的なものだ。

 まして、長女のように外部との繋がりを強化する為に行われる結婚においては、尚更だ。

 

 ――――ここ三代位、村内での婚姻が続いていたから、頼れる程の縁が外部にない。その為の私やあの娘(次女)の嫁入りだったんだし。

 

 面白いもので、科学技術や医療技術が進歩していなくても、人というものは経験則から答を導き出す。

 辺境の村であれば、血が濃くなり過ぎるのを嫌って、定期的に外部の血を取り入れるとか、近隣の村との婚姻によって、新しい血を混ぜるなどがそうだ。

 彼女達の村も同様で、長女と次女の嫁入りで近隣の村との連携強化する一方で、三女の婿取りで外部の血を取り入れることも狙っていた。

 

 ――――もう、村は滅びた。生き残ったのは、外に出ていた人と私達だけらしいし、村を再興するのは不可能ね。当然、私達の生活を支えてくれた畑や家畜達も駄目。畑は使い物にならないし、家畜達も略奪されてしまったか、殺された。

 

 姉妹全員の命は助かったものの、彼女達を生かすための財産は、小鬼達によって根こそぎ失われていた。嫁入りしようにも、自分達姉妹には、女として致命的な瑕疵があるも同然だ。まして、それをごり押しで通せるだけの権力も、目をつぶらせるだけの財産もないのだから、たまらない。

 

 ――――神殿に入ろうかとも考えたけど、全員生きてるのよね……。

 

 小鬼禍にあった女性が神殿の世話になることはままあることだが、あれは寄る辺がない者が優先される。神殿の予算とて有限なのだから当然だ。

 よりにもよって三姉妹全員となれば、いかに神殿といえどもいい顔はされまい。そういう時は、寄付金を積み上げるのだが、その積み上げるものがないのが現状であった。

 姉妹全員生き残ったことは幸いであったが、国や神殿による保護を求めるという意味では足枷になってしまう。

 

 ――――もう私が娼婦にでもなるしかないかしら?これでも見た目はいい方だと思うし、妹達を養うことくらいは……。

 

 考えれば考えるほどに暗澹たる未来に、自分の身を売りものにすることすら考慮するに到る。

 しっかりとした教育を受けて、なまじ頭がまわる弊害であった。

 

 「誰か来た。小鬼共ではないようだが、俺が応対するので念のためにここを出ないように」

 

 そんな彼女の思考を断ち切ったのは、何者かの到来を告げる侍の声であった。

 

 

 

 

 

 「……」

 

 村が滅ぼされたという一報は、冒険者ギルドにすでになされていた。

 村が滅ぼされるに足る小鬼の群が発生したというのも凶報であったが、それを察知出来ず適切に冒険者を派遣出来なかったことは冒険者ギルドの不手際でもあるだけに頭の痛い問題であった。

 すぐにでも被害や群の確認と討伐の可否を判断しなければならないと、急遽第六位翠玉等級の一党(パーティー)と第七位青玉等級の一党二つを護衛に村に赴いたギルド職員は、村のあまりの惨状に絶句した。

 彼も見極めを任せられる程のベテランであるから、小鬼の被害者というのは何回も見ているが、さしもの彼も滅ぼされた村を見るのは初めてであった。

 そして、その惨状は、彼の想像よりも遙かに酷かった……。

 

 「おい、胸くそ悪くなるのは同感だが、吐いてる暇ないぜ。小鬼共が退いたと思ってたんだが、どうやら違ったらしい。誰か、俺達の前に来たらしい。見ろよ」

 

 翠玉等級の一党のリーダーが指し示したのは、野晒しのままの小鬼達の死体だ。

 それだけならば、村人達の抵抗の結果と考えることもできたが、田舎者(ホブ)呪術師(シャーマン)のものまで混じっているとなれば話は別だ。

 しかも、特異なことにその尽くが斬首されているとくれば、尚更だ。

 

 「これは一体?」

 

 「俺が知るかよ。ただ、相当の凄腕なのは間違いない。他に切り傷がないからな。

 しかし、首切りに拘りでもあるのかね?」

 

 小鬼など斬首でなくても容易に殺せるのだ。巨体の田舎者はともかく、その徹底ぶりは見る者に異様なものを感じさせた。

 

 「……拘りというわけではない。単なる癖だな」

 

 「「!!」」

 

 気配もなく、突然生じた聞き慣れない声に、慌てて振り向くと、そこには奇妙な出で立ちの若い男が立っていた。

 

 「これは貴方がやったので?」

 

 「ああ、ここに来た時にはすでに酷い有様でな。襲撃されたんで返り討ちにしただけだ」

 

 「これだけの数を一人でか?それとも一党のメンバーが他にいるのか?」

 

 翠玉等級の己に気配も悟らせずに現れたことに内心警戒しながら、リーダーは尋ねた。できれば、後者であってくれと願いながら。

 

 「生憎と連れはいない。俺は一人だ」

 

 だが、返答は無慈悲なものだった。

 つまり、この男は田舎者二体に呪術師を加えた小鬼の群を単独で殲滅出来るほどの凄腕であり、殺し方を選べるほどの余裕があるということだ。

 

 「それは凄まじいですね。お話を詳しく聞かせていただいても?」

 

 ギルド職員も警戒はしていないわけではない。

 だが、身なりはしっかりしているし、冒険者にあるまじき清潔感すら感じさせることから、少なくとも無頼の輩ではないと考えていた。

 大体、襲うならさっさとやっていたはずであり、剣に手をかけてすらいない辺り、少なくともこの場でも揉める気はないのだと判断した。

 

 「それを答える前に一ついいか?お前達はこの国の国家機関所属の者という認識でいいのか?」

 

 「ふむ、私はそうですが、彼らは護衛の冒険者ですよ。……もしかして、冒険者をご存じではない?」

 

 ギルド職員の制服は特徴的なものとはいえ、覚えていない者がいてもおかしくはないが、認識票があるにも関わらず、それを理解できないのは違和感を覚えざるをえない。

 見慣れぬ格好からしてあたりをつけていたギルド職員は、内心で納得しながら、一応の確認をとる。

 

 「……冒険者か。<どこまでもファンタジーだな>

 ああ、知らない。すまないが、俺はこことは遠く離れた地の出身なんでな」

 

 「やはり、そうでしたか。では、なぜこちらに?」

 

 「来たくて来たわけではないと言って、信じてもらえるかな?」

 

 「ふむ、なにやら込み入った事情がありそうですね。では、とりあえずこの村であったことについてお話しいただいても?」

 

 ギルド職員は、男の言葉をこの場では言いたくないのだと解釈し、少なくとも大っぴらに話せるようなことではないのだろうと判断した。

 下手に突っついて藪蛇はごめんだったので、上に丸投げすることにする。彼の仕事はくまでも村の調査なのだから、それに協力して貰えるなら問題はない。

 

 「ああ、国家機関所属だというのなら、それについては異存はない。

 後は生存者はどういう扱いになるのか?」

 

 「生存者がいるのか!」「生存者がいるのですか!」

 

 村の惨状からして村人の生存は絶望的だと思っていただけに、それは思わぬ朗報だった。

 

 「ああ、女性三人だけだが助けることは出来た。少なくとも命は無事だ」

 

 「「……」」

 

 その言い回しに、生存者である女性達がどんな目にあったのか、両者は容易に想像出来た。よくあることだからだ。

 

 「大凡そちらの想像通りの状態だ。三人とも疲労困憊で今は休ませている。なので、とりあえず俺からの事情聴取に留めて貰いたい」

 

 女性達に配慮するように言ってくるあたり、相当に育ちも良さそうだと、ギルド職員はあたりをつけていた。

 

 「分かりました。護送する必要がありますし、いずれは聞かねばならないことですが、それは少なくとも今ではありませんから。

 ですが、生存者の安全は確保出来ているのですか?」

 

 「ここからさして遠くない範囲の家屋で休ませている。小鬼共は根こそぎ排除したし、俺の探知範囲内だから心配はいらない」

 

 「探知範囲って、そんなに広くカバーできるのかよ?」

 

 「この程度の村ならば、造作もない」

 

 流石に盛りすぎじゃないかと翠玉のリーダーが疑問を呈するが、男はあっさりと答える。まるで大したことでもないかのように……。

 あまりにもさらりと返されてしまい、追及しようとした側が鼻白む始末であった。

 

 

 

 

 

 

 ――――双月に冒険者と来たか……。これは完璧にファンタジーな世界だな。冒険者ギルドが国営で、冒険者は等級で管理されていると。

 

 侍は、ギルド職員の聴取に応じながらも、この世界の情報収集を行っていた。

 面白いのは、この国においては、冒険者がきっちり社会に組み込まれている点だ。

 駆け出しならば、一山いくらのごろつきとそう変わらぬ扱いのようだが、等級を上げていけば相応に扱われるというのは彼にとっても都合がいい。

 小鬼退治が駆け出しの仕事だと聞いた時は少し驚いたが、同時に納得もした。小鬼単体ではまるで脅威にならないという話は理解できるものであったからだ。

 

 ――――まあ、小鬼と言えど、村を滅ぼしうるほどの群ともなると、流石に放置は出来ないと。

 

 侍にとって幸いだったのは、数少ない生存者である三姉妹の長女が話し合いに加わり、明確に救ってくれた恩人であると証言してくれたことだ。

 おかげで、ギルド職員からの警戒はかなり下がったし、印象もかなり改善したに違いないのだから。

 

 「すぐにでも護送して差し上げたいところなのですが、生憎と馬車は一台しかありませんし、護衛の人員を貴女達の為に割く余裕もないのが実情です。

 申し訳ないのですが、私の仕事は救助ではなく調査なのです」

 

 長女は一刻も早い後方への護送を懇願するが、ギルド職員としても、はい、そうですかと聞いてやるわけにはいかない。

 こう言っては何だが、すでに村は滅びたものとみなされていたのだから、当然だ。生存者がいることなど想定すらしていまい。

 残酷なようだが、彼らの仕事はこれ以上の小鬼禍の拡大を防ぐことであり、被害者の救済ではないのだ。

 

 「……分かっています。ですが、少しでも早くあの娘達をここから連れ出したいのです。

 ここには忌まわしい記憶が染みついてしまいましたし、何よりも私達は処置を早く受けなければなりませんから」

 

 長女の言い分もけして理がないわけではないのが、話を複雑にしていた。

 被害者である三姉妹の精神的な問題は勿論あるが、それ以上に彼女達にはタイムリミットがあるというのが最大の問題だった。

 

 「ごもっともなんですが、うーむ、悩ましいですね」

 

 そして、侍の所業もことを複雑にするのに一役買っていた。

 なまじ、大量の小鬼だけでなく、大駒である大小鬼や小鬼呪術師までも排除しているために、状況を把握した群が別の場所に移動する可能性を否定出来なかったからだ。

 また、大駒と大量の雑兵を失っているということは、群の戦力が激減しているということであり、絶好の攻め時でもあるのだから。

 その為の戦力は手元にあるし、むしろ、条件は想定より良くなっていることを考えれば、ここでけりをつけられるのならつけたいというのも、ギルド職員の偽らざる本音であった。

 

 しかし、現実とはままならぬもので、彼らに迷っている時間は与えられなかった。

 

 「……来たぞ。連中、懲りるということを知らぬらしい」

 

 「「え!?」」

 

 侍の言葉の意味を尋ねるよりも早く、その言葉の意味は説明された。

 

 「旦那、大変だ。小鬼共だ。どうする、戦うのか?それとも、出直すのか?」 

 

 それは外で待機している一党の小鬼の襲来を告げる声であった。

 

 

 

 

 

 

 突然の小鬼の襲撃に対して、侍は手を出す気はなかった。

 なにせ、護衛であるという冒険者達は徒党を組み一党を構成している。つまり、彼らなりの集団戦闘があるということだ。そこに力量どころか、敵味方も定かではない己が参戦すれば、彼らの足並みを乱す可能性は高い。

 故に、ここは下手に手を出すべきではないと考えていた。

 

 侍としても、この世界における冒険者の力量を知りたいと言う気持ちが大きいのも否定はしない。

 無論、助力を求められたり、彼らが苦戦したりすれば、話は別だ。犠牲者を許容してまで、観に徹するつもりはないので、参戦するのはやぶさかではない。

 

 冒険者の手際は、侍から見ても中々のものだ。

 各々に明確な役割分担がされており、前衛と後衛が上手く連携している。特に翠玉等級の一党はそれが顕著であった。

 

 ――――鬼殺隊だと、隊員率いることになっても、全員剣士だからなあ。

 

 鬼殺の剣士の場合、鬼の特質から原則として武器が日輪刀一択になってしまうので、こういう様々な職業ごとが入り乱れての連携は中々に新鮮だった。

 しかし、侍にはなによりも重要な事があった。

 

 ――――ちょっ、小鬼ってここまでやるのか……。

 

 さしもの侍も、小鬼達が弓どころか、毒まで用いていくるのは慮外の出来事であった。

 大型の小鬼を先頭に、弓と魔法による援護を受けながら無数の小鬼が毒武器をふりかざして襲ってくるのだから、防衛側である冒険者はたまらない。

 小鬼が単体でも悪辣でずる賢いことはすでに把握していたが、複数体の場合はさらに認識を改める必要があると感じた。

 

 「冒険者どころか、この国の者でない貴方にお願いするのは恐縮ですが、戦えるのならば彼らに助力して貰ってもよろしいでしょうか」

 

 翠玉や青玉の等級の冒険者一党を過小評価しているわけではないが、本質的に戦う者ではない冒険者ギルド職員から見れば、健闘はしているが多勢に無勢という印象を受けたのは仕方のないことだろう。彼が侍に参戦を要請してきたのも、無理もない話であった。

 

 「俺が手を出さなくても勝てると思いますよ?」

 

 実際、冒険者達の戦いは盤石と言える程ではないが、その健闘ぶりから負けるとも現状では思わなかった。

 

 ――――流石、中堅クラスの冒険者だな。翠玉の方は、多少の数の差をものともしないか。強いて言うなら、青玉の一党の方が少し危なげかな?

 

 「彼らを信頼していないわけではないですが、数が違いすぎるのも事実ですし、戦場では何が起きるかも分かりません。それに時間をかければ増援の可能性もありますから」

 

 さすがに、このような緊急案件の見極めに抜擢されるだけあって、戦闘経験はなくてもギルド職員の言い分は筋が通っていた。

 生存者である三姉妹及びギルド職員の護衛は、もう一方の青玉の冒険者一党がいるので心配が不要なのも、侍の参戦を後押ししていた。

 

 「承知した」

 

 実際のところ、侍にとっても参戦要請は渡りに船ではある。

 ギルド職員も含め、少なからず侍の実力を疑っているふしがあるのを彼は理解していたし、身元不詳の不審人物というのが相応しい自身にとって、少しでも力を見せつけておくのは、今後の交渉の為にも必要なことであったからだ。

 

 故、少しやり過ぎてしまったとしても、仕方のないことであった。

 

 

 

 

 

 

 

 「ちっ、思った以上に数が多い。あれだけ死んでるのに、まだこれだけひねり出せるのか……。」

 

 特別報酬の出る依頼だからと言って、安請け負いしたのは失敗だったと翠玉リーダーは思う。

 冒険者をある程度やっていれば、小鬼退治の割に合わなさは身に染みるものだ。臭い・安い・危険の三拍子が揃っているのが小鬼退治なのだから。

 普段であれば、緊急依頼とは言え小鬼退治など請け負わなかっただろうが、近々昇格試験を控えている一党としては、少しでもギルドの覚えを良くしておきたかったのだ。

 

 ――――小鬼弓兵(ゴブリンアーチャー)も少なくないし、雑兵は数えるのも億劫だ。しかも、呪術師と田舎者どころか、それ以上の奴までいやがるとは!

 

 田舎者二体と呪術師一体の骸は、翠玉リーダーも確認している。普通に考えて、小鬼側の戦力は激減していると思っても何ら不思議ではない。

 実際、通常の小鬼の群なら半壊か、この時点で逃げ出していたことだろう。

 彼もそう考えていたからこそ、小鬼共が逃げ散る前に殲滅するべきだと考え、斥候を奴らの巣穴と思しき洞窟に派遣していたのだから。

 

 しかし、現実は翠玉リーダーの想定したものとは大きく異なった。

 巣穴には未だ十分な戦力があると、這々の体で逃げ出してきた斥候が報告してきたのだ。

 報告を受けた時はまさかと思ったが 、実際に田舎者二体と呪術士二体に加え、さらに上位種が攻めてきているのだから。

 

 村を滅ぼした時点で、この小鬼の群の脅威は相当なものだと当たりをつけてはいたが、完全に翠玉リーダーの予想を上回るものであると認めざるをえない。

 翠玉一党(自分達)に加えて、青玉一党二つなど、たかが小鬼にどれだけ警戒しているんだとギルドの心配性に呆れたものだが、実際にはそれが正しいものであったことを理解した。

 

 ――――今のところ優勢に戦えているが、あの上位種はまずい。

 

 田舎者や呪術師は、現有戦力で遠からず排除出来るだろうが、双方共に健在な状態で後方に控えている小鬼英雄に出てこられるのは非常にまずい。単独ならまだしも、周囲の小鬼共と呪術師の援護を受けた時の脅威を真っ向から止められる戦力は一党にはないからだ。

 

 翠玉リーダーは、上位種である小鬼英雄(ゴブリンチャンピオン)の脅威を正確に感じ取っていた。そもそも、呪術師や田舎者以外の小鬼上位種はそう簡単に見かけるわけでもないので、その脅威を肌で感じとれるだけ彼は優秀であった。

 

 ――――クソ、小鬼退治だからといって甘く見過ぎていたか?いや、そもそもこの依頼が俺達にまわってきたこと自体が蛇の目だったか……。

 

 村を滅ぼしたとは言え、これだけの戦力があるにもかかわらず調査だけなど弱気なものだと内心嘲っていた翠玉リーダーは、自身の認識の甘さと運の悪さを呪う。

 冒険者の中堅上位にあたる紅玉等級に手が届くところまで来ていただけに、尚更だ。

 

 そうこう思っている内に、翠玉リーダーが考える最悪の未来が到来した。

 呪術師も田舎者も健在な状態で、突然何かに押し出されるように小鬼英雄が前に出てきたのだ。

 

 ――――ええい、ままよ!

 

 しかし、翠玉の一党も様々な冒険を経て、第六位までのぼりつめた冒険者一党である。もしもの時の切り札くらいはあるのだ。

 

 「前衛は交代で秘薬を飲め!後衛は温存していた呪文の使用を許可する!」

 

 指示を出すなり、自身も筋力上昇の秘薬を飲む。一つにつき銀貨50枚もする能力上昇の秘薬の一種だ。痛い出費ではあるが、命には代えられないのは言うまでもない。今は少しでも早くあの上位種を倒さねばならないのだから。

 

 決死の覚悟で捨て身で斬り込む翠玉のリーダーの賽の目は、蛇の目ではなく見事に当たった。

 深々と上半身を袈裟斬りにしたその一撃は、まさに致命の一撃(クリティカルヒット)であった。

 

 一党メンバーから歓声が上がり、小鬼達に少なくない動揺がはしる。

 それが次の瞬間、逆転されようとは、誰も思ってもいなかったのであった。

 

 

 

 

 小鬼英雄が只人の戦士によって袈裟斬りにされた時、人喰鬼(オーガ)の苛立ちは頂点に達した。

 ケチのつき始めは何だっただろうかと思う。秩序側に悟られずに巣穴で小鬼達を増やし、まんまと只人(ヒューム)の村一つを滅ぼしたところまでは、全て上手くいっていたはずだ。

 やはり、村を攻め落としてから三日、そろそろ孕み袋となる女を巣穴に移動させようとして派遣した小鬼が全滅したことだろう。

 予期せぬ姿の見えぬ敵の襲来に動きが鈍り、対応が後手後手にまわったことは否定出来ない。

 

 だが、小鬼共は目を離せば、すぐにサボるし統率がとれなくなる。

 自分以外で統率がとれる小鬼英雄は面従腹背なのが丸わかりで、自分が赴けば直ぐさま群を自分のものとするだろう。 

 故に、力の差には忠実な大小鬼共を小鬼呪術師の補佐付で、援軍を村に送り出したのだ。

 

 しかし、その結果は最悪だった。

 いつまでも伝令一つ戻ってこないことに業を煮やした人喰鬼が、小鬼を調査に行かせれば、大小鬼と呪術師も含めた援軍は全滅したというではないか。

 それどころか、孕み袋の女達が奪還された挙げ句、滅ぼしたはずの村には冒険者共が入り込む始末だ。

 

 戦力の逐次投入は愚策とは言うが、実際にはそうするしかない事情があるということも少なくない。今回の戦いはまさにそれであった。

 そもそも小鬼の群は村を滅ぼすという戦略目標を達成しており、勝っていたのだ。彼らが戦勝気分に浮かれていたことも、少なからず影響していた。

 

 大小鬼と小鬼呪術師という大駒を失った上に、少なくない数の雑兵を失っている。

 小鬼はすぐ増えるとはいえ、その数は有限だ。巣穴の孕み袋が限界を迎えた以上、新しい孕み袋となる女の補充は急務となった。

 なにせ、減らされた以上に増やさなければならないのだから。

 

 混沌の軍勢において確固たる地位を確保する為にも、これ以上の兵力の損耗は認められない。

 自身も出ばる村への再侵攻を人喰鬼が決意したのは、そういう経緯だった。

 

 だというのに、なんたる無様か。

 総力で攻めさせていると言うのに、数では圧倒的に劣る冒険者達に阻まれ、村に入ることすらできない。

 いい加減、攻めきれぬことに焦れて、小鬼英雄を投入してみれば、捨て身の一撃を出会い頭に食らってなんの役にも立たない始末。

 相手の冒険者が何らかの水薬(ポーション)を呷ったのは見えていたというのに、何の警戒もせずに突っ込むからそうなるのだと 人喰鬼の苛立ちが頂点に達したのも、無理もないことであった。

 

 「冒険者風情が、図に乗るな!」

 

 とうとう、人喰鬼は、その重い腰を上げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 侍が参戦を決めたちょうどその時、小鬼英雄はあっさりと倒された。

 

 ――――あれの相手は俺の出番と思っていたが、やるものだな。これは俺の出番はないかな?

 

 最初の標的として目をつけていた敵の散り様に、侍はそんなことすら思う。

 初撃で決めるというのは、戦闘においては有効なことだ。それを見事完遂してみせた冒険者達に、彼は感嘆すらしていた。

 その初撃に全てをかける様は、二の太刀要らずと言われた示現流を思い出させるだけに、何か懐かしさすら感じていた。

 

 しかし、そんな侍の心情は、次の瞬間にぶち壊しにされた。

 小鬼英雄を見事に討ち取った翠玉リーダーが、突如殴り飛ばされたからだ。凄まじい勢いで吹き飛んだ彼は、その勢いのまま家屋に叩きつけられて崩れ落ちた。

 そのあまりの惨状に、歓声を上げていた冒険者達は一瞬で言葉を失い、それを成した者を確認して恐慌状態となった。

 

 それは大小鬼や小鬼英雄を遙かに超える5メートル弱の巨人だった。

 巨大としか形容出来ない戦槌をもち、その威容は見る者に畏怖を抱かせる。

 侍も初めて見る敵であった。

 

 「そんな、人喰鬼だなんて……。せめて紅玉、いや、銅以上でなければ!」

 

 後方で、ギルド職員の動揺と恐怖に塗れた叫びが上がる。

 その言葉は、幸か不幸か侍のスイッチを入れることになった。

 

 「人喰鬼(・・・)、人を喰らう鬼か!」

 

 鬼殺の剣士である侍にとって、その言葉はけして聞き逃せないものであった。

 自分で判断した時の小鬼の時の比ではない。なにせ、この世界の者によって、はっきりとそう断言されたのであるから当然だ。

 まして、目の前で人を害したのである。戦う力を持っているとは言え、柱たる彼の目の前で……。

 

 「人喰いの鬼であると言うならば、鬼殺の刃を振るう事に一切の子細なし」

 

 侍の意識が明確に変化する。剣士から鬼殺隊の誇る柱たる己へと。

 『悪鬼滅殺』の四文字が刻まれた日輪刀に手がかかる。自然と呼吸は変化し、疾く早くその言葉の意味を証明なさしめよと言わんばかりに全身に力が滾り、極端な前傾姿勢をとらせる。

 虫の息の冒険者にトドメをさそうと近づいてくる悪鬼は、すでに間合いの中だ。

 

 「鬼殺隊雲柱――――参る!」

 

 《雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃》

 

 次の瞬間、雷鳴が轟いた。いや、そうとしか思えない轟音が響いた。

 そして、人喰鬼の後ろに瞬間移動したかのように現れた侍――――雲柱の納刀の音と共に人喰鬼の首が宙を舞ったのだった。

 その瞬殺劇に、その場にいた誰もが言葉を失い、小鬼でさえも動きを止めた。

 

 そこからは、雲柱の独壇場であった。その様を見ていた冒険者達は、後に語る。

 

 「あれが目にも止まらぬ速さってやつか」「只人ってあんなに速く動けるんだな」「あれって《加速(ヘイスト)》だろう?」

 

 それ程までに雲柱は圧倒的で速く、小鬼達が全滅するまで、雲柱の姿を明確に確認出来た者はただの一人もいなかったのであった。

 

 




鬼鬼コソコソ話
この人喰鬼は、元々小鬼英雄の作った群を後から乗っ取った形です。彼の統制がきいていたからこそ、村を滅ぼせるに足るまで小鬼を増やせたわけですね。村を襲ったのは、無理矢理大人しくさせていた小鬼達の鬱憤晴らしが最大の目的でした。村で小鬼が必要以上に殺しまくったのはそこら辺もあります。巣穴にいる孕み袋が限界だったので、その補充という意味合いも強かったわけですが、ゴブスレさんのお姉さん含め、有力な候補を遊び殺してしまっているあたりが、実にゴブリンですね。

※公式設定ではありません。あくまでも筆者が原作をもとに考察した本作での設定です。


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04:予期せぬ契約

 「うーむ、何というか判断に困るものだな」

 

 王国辺境で一番大きな町の冒険者ギルド支部長である初老の男は、ある件の事情聴取を済ませて何とも言えない表情で思案していた。

 

 「《看破(センスライ)》を使いましたので、彼の言い分に嘘はなかったということは保証致します」

 

 事情聴取に立ち会った至高神の神官でもあるギルド職員が証言する。

 

 「いや、君の鑑定を疑っているわけではない。彼は婉曲な言い回しや誤解を招くような答え方はしなかったからね。

 だが、そうなると、彼の吸血鬼(ヴァンパイア)と戦った結果、最後の悪足掻きでどこへとも知れぬ場所へ飛ばされたと言うことになる」

 

 「永きを生きる吸血鬼ならば、《転移(ゲート)》が使えてもおかしくないのではないでしょうか?」

 

 「勿論、それはその通りだが、だとするとそれ程の力をもった吸血鬼が近隣にいる可能性があるということになってしまう」

 

 「彼は息の根を止めたと言ってましたし、それにも嘘はありませんでしたが?」

 

 「ああ、そうだったな。だが、そうなると今度は吸血鬼を独力で倒せてしまうほどの剣士がここにいるということになるのだが……」

 

 「調査に赴いた先輩や、護衛冒険者の一党(パーティー)も証言していますが、人喰鬼(オーガ)を瞬殺出来る程の凄腕なのは間違いないみたいですからね」

 

 「何を他人事みたいに言っているんだね。そんな凄腕を駆け出し冒険者として扱わねばならないと思うと……」

 

 胃の辺りを押さえるように支部長は呻いた。

 

 「まあ、白磁じゃないだけましでしょう。幸い、生き残りの娘さんが推薦と小鬼(ゴブリン)退治の依頼という形にしてくれたので、人喰鬼討伐も合わせて、強引ですが黒曜にできましたし、彼の腕ならばすぐにでも駆け出しから上がれるでしょう」

 

 当初、当然ながら白磁等級スタートだったはずの侍を、黒曜等級にスピード昇格させたのは、人喰鬼を単独で討伐出来るような凄腕を最下位で燻らせておきたくないというギルド側の思惑が多分に反映された結果であった。

 幸いに生存者である村長の娘が小鬼討伐を依頼した形にしてくれたので、後出しではあるが依頼達成とみなす事が出来る。推薦状も書いてくれていたので、人品と信用は最低限担保されている。

 後は人喰鬼討伐を依頼達成としてカウントすることで、黒曜等級への昇格条件は整えた。

 

 無論、人喰鬼討伐なんて危険な依頼が早々あるわけがないが、現地においてギルド職員が侍の参戦を要請したことをもって、ギルドからの討伐依頼を受注したとみなすことにしたのだ。

 

 「うむ、確かにな。それでも、しばらく駆け出し扱いは避けられないというのが、本当に嫌なのだが」

 

 「あの人、香水つけていましたし、異国の方のせいか礼儀作法は独特でしたけど、育ちは良さそうでしたからね」

 

 明らかに異国の貴人ぽい者を、一山いくらのゴロツキと同様の扱いをしなければならないというのは、何とも神経に来るものがある。

 

 「貴族にしては強すぎる感もしますけどね」

 

 そもそも貴族にあそこまでの強さは必要はない。彼らに求められるのは、もっと別なものなのだから。

 

 「武門の出なのかもしれんし、いるところにはいるものだよ。

 まあ、この地には何の縁故もない上に帰るのが絶望的で、彼の生家とかかわることがなさそうなのは幸いではある」

 

 支部長である彼は、時に規格外の存在(白金等級)というものがいることを知っている。それに比べれば、まだ理解出来るレベルの強さではあるのだ。

 

 「それで冒険者というのも大概だと思いますけどね」

 

 「だが、実際それ以外の道がないことも事実だろう。何の縁故もない彼は、当然ながら信用も信頼もない。あるのは彼自身の能力だけなのだから」

 

 信用も信頼もないのだから、まともに職に就けるわけがない。身分どころか出身すら怪しい者を雇えるほど、王国は余裕のある国ではないのだから。

 

 「そこまで分かっているなら、そんなに嫌がらなくてもいいんじゃないですか?」

 

 「確実に火種になるであろう存在がいて、平気な顔で受け入れられるものか!仕方はないにしても愚痴くらいは言わせてくれたまえ」

 

 あの等級詐欺とも言うべき男がこれから起こすであろうトラブルの数々を想像して、支部長は心底げんなりするのであった。

 

 

 

 

 

 さて、晴れて冒険者となり、周囲からすれば異例の速さで第九位黒曜級冒険者にスピード昇格を果たした侍だったが、現在進行形で追い詰められていた。

 

 「私を奴隷として受け入れて頂けませんか?」

 

 侍を追い詰めていたのは、被害者である三姉妹の長女からのこんな申し出だった。

 何を好き好んで、根無し草の冒険者、それも駆け出しでしかない黒曜等級冒険者の奴隷になりたがるというのか?

 正直、侍には何が何だかさっぱり理解出来なかった。

 

 こんなことになったきっかけは、救出の対価として、侍が文字の読み書き及び慣習などの教授を頼んだことであった。

 彼からすれば、救出依頼扱いにしてくれたことと、冒険者ギルドに推薦状を認めてくれたことで即座に昇格できたので、十二分に対価は得ているという認識であったから、これから大変であろう姉妹から金を貰う気にはなれなかった。

 それでも彼女の気が済まない&貰わないと体で返すとかいってきそうな感があったので、頭をひねって対価となりそうなものを考え出した案だったのである。 

 

 「いや、俺は貴女に文字の読み書きや慣習などの教授を頼んだはずだ。それがなぜ、俺の奴隷になることになる?」

 

 「簡単に言えば、貴方が凄腕だからです」

 

 小鬼の再度の襲撃時に未だ深い眠りにあった妹達とは異なり、長女は一部始終を把握している。

 当然、侍が人喰鬼を瞬殺したことも知っている。実際にその場面を見ていただけに、受けた衝撃は凄まじいものがあった。

 聞けば、自分と変わらぬ年だというではないか。どれ程の鍛錬を積めば、そこまで到れるのか、彼女には想像もつかなかった。

 

 もし、彼女がそれを聞いていたら、侍は真顔でこう返していたであろう。

 文字通り「死ぬほど」と。

 

 「確かに俺はそんじょそこらの相手に負けるような柔な腕ではないが、それがどうして奴隷になることに繋がる?」

 

 「お分かりかと思いますが、私達姉妹にすでに財産と言えるものは存在しません。幸い多少の蓄えはあったので、すぐに困窮するようなことはありませんが」

 

 侍が些か以上にやり過ぎたおかげで、当初予想された時間的制約は解消され、彼女達は無事タイムリミット内に処置を受けることが出来た。

 しかし、三姉妹にとっては、それからが本番である。処置は、これから生きるための最低条件に過ぎないのだから。

 

 姉妹が村から持ち出せた財産は、僅かな衣服と両親が溜めていた銀貨が200枚だけだった。

 そこから小鬼退治の依頼料銀貨20枚をひいて、残金は銀貨180枚ばかり。町で暮らそうとすれば、つつましく暮らしたとしても月に一人銀貨10枚は必要だ。

 すなわち、三姉妹は、現状では半年の蓄えがあることになる。

 

 そう半年、僅か半年の蓄えに過ぎない。縁故も殆どない上に、働き盛りの両親を失った三姉妹には厳しすぎる状況であった。

 村長の家に生まれた者として、読み書きと計数については教育を受けているが、それ以外に特別な技能があるというわけではないのだ。

 読み書きや計数の技能を活かそうにも、縁故も実績もないために、活かすための職を得ることも出来ない。

 もっとも手っ取り早い解決策である嫁入りも、小鬼達のせいで不可能になってしまった以上、彼女達に残された道は本当に娼婦くらいしかないのだ。

 

 だが、目の前の男、今は黒曜等級の冒険者となった侍は違う。

 彼もまた、想定外の出来事で現在身につけている物以外の財産を失ったということだが、すでに三姉妹以上の蓄えがあるのだ。

 長女から支払われた依頼報酬銀貨20枚など大したものではなく、彼が倒した怪物達から剥ぎ取った武具の売却益だけで銀貨200枚以上を稼いでいるのだ。

 それどころか、人喰鬼の討伐報酬にいたっては金貨100枚、銀貨1000枚に相当する収入を得ているのを彼女は知っていた。

 

 「私達姉妹は、この町に頼れる縁はありません。この場所を貸して下さった方は、村に買い付けに来ていた商人でして、そのご厚意で住む場所は紹介して頂ける予定ですが、肝心の職を得るあてが全くありません。

 ……そして、私達には売れるようなものが、穢れたこの身以外にないのです」

 

 最後は血を吐くような言葉だった。自分の身が穢れているなど理解はしていても、絶対に口にはしたくないだろうにそれでも長女は口にした。

 それは彼女なりの覚悟であり、誠意だ。穢れたこの身でもいいならば、貴方に捧げるという意思表示でもある。

 

 「……それで奴隷か。流石に捨て身過ぎやしないか?

 別に教授料を支払ってもいい。嫌かもしれないが、同居させてくれるなら、家賃は俺が支払ってもいい」

 

 侍としても、折角助け出した姉妹を放り出して困窮させた挙げ句、娼婦にするなど御免であった。

 まして、彼女達はすでに深刻な傷を負っているのだ。それをほじくり返すような真似は避けて欲しかった。

 

 「その申し出は、本当にありがたいのですが、私にも最低限の矜持があります。命の恩人に縋り付き、ただ施しを受けるだけになるのは、流石に受け容れられません」

 

 侍の申し出は、姉妹にとって都合が良すぎるものだが、だからこそ受け容れられなかった。

 ただの辺境にある小村の田舎娘でしかなくとも、長女は村の長を務める一族に生まれた者だ。最早、跡形もなくその権威も財産も失ったとしても、その誇りだけは彼女の中に残っているのだから。

 だからこそ、彼女は後付けの依頼という形であっても、身銭を切っても報酬を支払ったし、冒険者ギルドへの推薦状を認めたのだ。

 

 「……。ここで俺が言葉を尽くしたところで、貴女は考えを変えないのだろうな」

 

 ああまで言った以上、ここで断れば、長女がどのような道を選ぶかは、最早語るまでもないだろう。

 ある意味では彼女達以上に縁故もクソもない状況の自分には、職を紹介出来る伝手もなく、援助する名目も尽くが潰されてしまった。

 侍は、どうしようもなく詰んでいることを理解せざるを得なかった。

 

 「そんな顔をしないで下さい。私なりの打算もありますから。

 ここに到るまで貴方の人柄・為さりようは見せていただきました。貴方なら、この身と妹達を任せられると思ったからです。

 それに娼婦になり、不特定多数の相手をするよりは、奴隷であっても貴方だけの方がいいですから」

 

 侍は、赤裸々に本音を語る長女に、内心で舌を巻いた。

 

 ――――なんというノーガード戦法。あえて本音を隠さず語ることで、こちらの曖昧な答を封じている。お茶を濁すのは無理か……この場で明確な回答をということだな。

 

 長女としても、下手にはぐらかされて答を留保されても困るのだ。

 なにせ、彼女には金銭的にも時間的にも、全く余裕がないのだから。

 話し合いの場所を商人に借り受けたのも、商人を立会人にして即座に契約を結べるようにするためでもあるのだ。

 

 「分かった。貴女はこの地で会った最初の人だ。その縁は大切にしたいと思う。

 俺は貴女を己の奴隷として、文字や慣習の教授をはじめとして、家事全般を任せる。その代価として、姉妹の生活費は俺が工面しよう」

 

 侍とて奴隷という言葉に抵抗がなかったわけでもないし、女性がその身を代価にというのは思うところがなかったわけではない。

 しかし、長女の目は見覚えのあり過ぎる覚悟の決まった目であったし、嫌な話だが生活に困窮した女性が身売りというのは、別段珍しい話でもないのだ。

 

 ――――馬鹿正直に抱く必要もない。彼女はきっと明確な寄る辺が欲しいだけだ。時間が次第に傷を癒やしてくれるだろう。

 

 長女が奴隷と言いだしたのは、上下関係を明確にする以上に、圧倒的な強さを誇る侍の庇護下に入りたいという気持ちが大きいのだろうと当たりをつけていた。

 実際、それは間違っていない。小鬼禍によって、命と妹達以外の全てを失ったと言っても過言ではない彼女は、安心して日々を過ごす為に、無意識の内に強力な守護者を必要としていたのだ。

 偶々、その条件に目の前ではっきりと力を示した侍が該当したに過ぎない。彼が断れば、彼女は娼婦をやりながら上客を探し出して、その庇護下におさまったであろうから。

 

 「ありがとうございます。では、契約を」

 

 隣室に控えていた商人を立会人として、奴隷契約は速やかに行われたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 「本当にあんな若造で良かったのかい?」

 

 村の取引相手でもあった商人が、侍が去った後で長女に恐る恐る聞いてくる。

 彼からすれば、侍もゴロツキと変わらぬ黒曜等級の冒険者でしかない。しかも、出身も身分も分からぬ馬の骨ときた。

 それなりに付き合いのあった取引相手の娘を、彼が心配するのも無理からぬ事であった。

 

 「はい、大丈夫です。心配はありがたいですけど、あの方はとてもお強いですし、頼りになる方です。

 その証拠は御覧になったでしょう?」

 

 長女が指し示すのは、机に置かれた銀貨の袋。その中身は実に銀貨500枚にものぼる。

 侍が当面の生活費用と家賃、そして諸々の準備費用として置いていったものだ。

 

 「確かに駆け出しにもかかわらず、あっさり銀貨500枚をポンと出せたのは驚いたけどよ、冒険者は堅気じゃない。

 お前さんの器量なら、もっとマシな相手も選べただろうに……」

 

 しかし、商人からすれば、冒険者というのはヤクザ稼業だ。日常的に命をかけて戦う明日をも知れぬ身なのだ。

 到底、安心出来る相手ではない。

 

 「この銀貨、人喰鬼の討伐報酬なんですよ。それでも不足だと思われますか?」

 

 「人喰鬼だって!?あの若造がそれ程強いって言うのかい?」

 

 予想外の単語が飛び出して、商人は目を剥く。

 

 「ええ、それも単独でですよ」

 

 「オイオイ、流石に盛りすぎじゃないかい?人喰鬼が尋常でない化物だってことくらいは、俺だって知っているぞ」

 

 商人は、流石に話を盛りすぎだと笑った。

 人喰鬼は、断じて黒曜等級の冒険者が相手にしていい怪物ではない。せめて、銅等級、いや、万全を期すなら在野最上級の銀等級の一党を充てるべき恐るべき怪物なのだから。

 

 「盛ってなどいません。掛け値無しの本当の話です。大体、単独で討伐したから、討伐報酬全額を受け取れたんですよ。

 この机に置かれているのも、その半額程でしかありません」

 

 「……確かに雰囲気はある兄ちゃんだったが。そこまでかよ」

 

 だが、商人の予想に反して、長女は真顔のままでその答は淀みない。

 俄には信じがたいことだが、目の前には証拠となる大量の銀貨が入った袋がある。彼は内心で、侍への評価を大幅に上げざるを得なかった。

 

 ――――確かに突然ふってわいたようなものだったのなら、惜しげもなく置いて行けたのも合点がいく。この娘、思っていた以上に強かで目端が利くのか……。

 

 人喰鬼を単独で倒すことができる凄腕の剣士。確かに、己の身を代価にしてもつなぎ止める価値のある存在だろう。

 将来性は十分だし、少なくとも早々に駆け出しの領域はぬけるであろうことは商人にも予想がつく。中堅以上の冒険者となれば、それなりの信用が生まれるし、実力も相応に当てに出来るのだから。

 つまり、この娘は己の賭け時を見誤らなかったのだ。

 

 「なるほど、大したもんだ」

 

 それは目の前の強かな女性への賞賛であり、そんな女に人生を賭けるに値すると思わせた侍への賞賛でもあった。

 

 ――――折角、面識ができたんだ。鋼鉄等級に昇格したら、俺も護衛依頼でもだして、顔つなぎしとくか。

 

 それでも、鋼鉄等級への昇格を待つあたり、彼もまた強かな生粋の商人であった。

 

 

 

 

 

 「<妙なことになったな……>」

 

 侍は、先のやり取りを思い返して、顔を顰めた。

 人を救うということは綺麗ごとだけでは済まない。理解していたつもりだったが、実際に直面してみると、聊か以上に甘かったと言わざるをえない。

 

 鬼殺隊は、鬼を殺す組織であって、人を救う組織ではない。

 鬼による被害者遺族のケアまでやっていられる余裕などなかったし、後始末やことの隠蔽も隠に丸投げしている部分があったから、いかに頼っていたのかが身にしみる。

 それでも、元現代人で、相応に理解があった彼は、柱の中では最も配慮していた方だったが。

 

 「<つくづく、隠は勿論、お館様は偉大だったな>」

 

 鬼殺隊の活動資金を稼ぎ、藤の花の家紋の家に支援体制の構築など、頼り放しである。

 産屋敷家の存在なしに、鬼殺隊は存続出来ないのだと改めて思い知る。

 

 「<今は頼りになる上司や同僚も、支援組織も、諜報部隊も存在しない。この身ひとつか>」

 

 侍は鬼殺隊の仲間を思い出し、少し寂しさを感じた。

 

 ――――己の死(結果としてそうなっているだろう)によって、いらぬ世話をかけていないといいが……。

 

 そんなことを考えている内に、冒険者ギルドが見えてくる。

 侍は一つ息を大きく吸い込んで気分を変えると、懐から外していた腕輪を取り出して嵌めた。

 他者から奪った物にも関わらず、不思議とその腕輪は彼の腕にフィットしていた。

 

 ――――この腕輪も謎だよな。魔法の品なのは分かるんだが、言語を翻訳しているというより意訳してるみたいだ。《通訳(インタープリター)》という魔法もあるらしいが、それとも違うっぽいし。

 

 あの石巨兵(ストーンゴーレム)に命令できていたことから、異種族との意思疎通を可能とする魔法の道具なのだろうと当たりをつけてはいるが、実際のところは不明だ。

 ただ、侍が日本語で話しているにも関わらず、この世界の者にきっちり話は通じるし、その話をこちらも理解出来るので重宝している。

 今のように外しておけば、日本語で喋ることも出来るし、考え事に集中するのに周囲の声をシャットアウトするのにも役立つ。流石に文字の読み書きまでは無理だったが、それでも十分すぎる。

 

 ――――報告しなかったのは正解だったか?貴重なものであることは間違いないだろうし、取り上げられた可能性もゼロじゃないからな。

 

 侍は闇人(ダークエルフ)と石巨兵については、冒険者ギルドに教えていない。何がどういう事情で襲われたのか、さっぱり分かっていなかったし、相手の素性も全く分かっていなかったからだ。

 万一あれが体制側であったならことだし、何よりも今この腕輪を奪われるわけには絶対にいかないのだから。

 

 「まあ、兎にも角にも日銭を稼ぐとするか」

 

 この世界の冒険者というものは、ただ強ければいいというものではないらしいことは、侍もすでに把握している。

 依頼遂行能力は勿論、信用や人品なども大いに関わっているらしいというのは、ギルド職員の態度から容易に察せられた。

 即ち鬼殺隊の柱で、そんじょそこらの冒険者など歯牙にもかけない侍であっても、いきなり在野最上級の銀等級になれるわけではないのだ。

 

 「折角のファンタジー、楽しまないのも損か」 

 

 侍はそう独りごちて、冒険者ギルドの扉をくぐったのだった。




鬼鬼コソコソ話
雲柱さんがつけているのは、藤の花の香水。原作主人公の嗅覚みたいな超感覚をもってない雲柱さんは、これに対する反応から鬼を見つけ出していました。死の気配を感じとれるようになってからは、沢山人を食べている鬼は探知出来るようになりましたけど、そうなるまでは結構苦労してました。
因みに帰還することを諦めていません。

家を借りれるほどの信用は、雲柱さんにはありません。なので、長女の信用に便乗する形ですね。契約主は雲柱さんで、家賃は前払いにしてようやく借りてます。実は持ちつ持たれつの関係です。
奴隷と言っても、債務奴隷の類なので、そこまで絶対的なものではありませんし、長女にも拒否権がはっきり存在します。ただ、奴隷である以上、雲柱さんの財産と言うことになるので、庇護と養う義務があるわけですね。長女が欲したのは、この庇護です。


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05:鬼斬り

沢山の誤字報告ありがとうございます。チェックしてるのに、なんでこんなにあるんだ……。

アンケートは締め切ります。沢山の回答ありがとうございました。
結果、ネタバレはなしの方向で行こうと思いますので、基本的にオリジナルの話が多くなります。
ゴブスレさんデビューまで一気に飛ばそうかと思いましたが、昇級や一党の話もみたいという意見も負けず劣らずでしたので、序盤を除いて飛び飛びではありますが、描写したいと思います。
原作以降とは章を分けますので、ゴブスレさんとの絡みだけが読みたい方は、しばらくお待ち頂き、次章から読んで頂けると幸いです。


 その剣士は、冒険者ギルドにおいて、いつの間にか『鬼斬り』と呼ばれるようになっていた。

 

 事の始まりは、黒曜等級の冒険者であるにもかかわらず、小鬼(ゴブリン)退治を連続で請けたことだったと、至高神の神官たる受付嬢は記憶している。事情聴取の際に、審問の為に《看破(センスライ)》を使う役目を担った縁で、暗黙の了解で事情を知る彼女が担当することになったのだ。

 

 別にその剣士も、小鬼退治だけを請けようと思っていたわけではないように思う。

 

 ただ、間が悪かったと言うだけの話である。

 黒曜等級の依頼というのは、白磁等級とそう変わることはない。なれば黒曜等級相当の依頼(白磁より美味しい依頼)というのは、早期になくなるものであり、そこら辺の機微を剣士は把握していなかったのだろう。

 彼が冒険者ギルドを訪れたのは、依頼が張り出されてより遅い時間であった。

 そうなると、必然的に彼が受注できる依頼は、塩漬け依頼か、常駐の下水掃除、残り物の小鬼退治となってしまっただけの話だ。

 

 そして、件の剣士は、初っ端からやらかしてくれた。あろうことか、彼はいっぺんに三件の小鬼退治の依頼を請けたのだ。

 

 勿論、流石にソロでは無謀だろうと受付嬢も考え直すことを勧めたのだが、剣士は半ば強引に三件とも請け負ってしまったのだ。究極的に、冒険者というのは自己責任であって、ギルド職員の仕事は依頼を斡旋するだけなのだから、受付嬢にそれを拒否することはできない。それにギルド側としても、小鬼退治は倦厭される依頼な上に、正真正銘の残り物の依頼なので、いつまでも請けられない依頼となって塩漬けになるにも困るのが実情なのだから。

 

 そんな受付嬢の心配を余所に、件の剣士はあっさりと帰ってきた。

 それも、三件の小鬼退治をきっちり終わらせて、あろうことかたった二日で帰ってきたのである。討伐依頼が成されていた場所は、いずれもそれなりの距離があり、常識的に考えて早すぎた。それでいて、討伐証明はなされており、きっちりそれぞれの依頼者から依頼完了証明の署名を得ているのだから、ギルド側はもうわけが分からない。

 

 しかも、早くも依頼達成数は五件となり、鋼鉄等級への昇格条件を満たしてしまっていた。人喰鬼(オーガ)を単独で倒せるような剣士なだけに、昇格審査を渋る理由はなかった。

 

 とはいえ、受付嬢は色々理解出来ないことも多々あったので、支部長に報告し、結果支部長が直々に剣士の昇格審査を担当することになったりした。そこで、馬でも移動手段に使ったのかと問いただしたところ、彼の口から自分の足で走ったと聞いて、《看破(センスライ)》でそれが真実だと分かった時、鑑定役として同席した彼女は考えるのをやめた。

 支部長の言う白金等級程規格外の存在ではないかもしれないが、この剣士も十分以上に異常な存在なのだと彼女は理解したのだ。こうして僅か三日で、侍は鋼鉄等級へと昇格した。

 

 そして、支部長がかつて危惧したとおり、剣士は火種となった。

 黒曜ならともかく、鋼鉄に三日でとなると、流石に他の冒険者達も無関心ではいられない。単独とは言え、彼らが雑魚狩りと嘲る小鬼退治ばかりをこなして短期間の昇格だ。未だ白磁や黒曜で燻っている駆け出しの冒険者達が不満を持ち始めたのも、無理はない。それどころか、中堅の冒険者の一部にも、贔屓ではないかという見方があったのだから、ギルド側としてはたまらない。

 

 案の定、鋼鉄等級に昇格した直後に、件の剣士は青玉等級の冒険者に絡まれることになった。

 支部長が言っていたのはこういうことだったのかと、遅まきながらも気づいた受付嬢だったが、全ては後の祭りであった。

 流石にギルド内で堂々と誤解を撒き散らされてはたまらないと、彼女が介入を決意したところで、思わぬところから救いの手があった。

 

 予期せぬ救い手は、先の小鬼禍で滅びた村への調査任務を引き受けた当時翠玉等級の一党(パーティー)だった。

 あの調査任務を経て、無事に紅玉等級へと一党は昇格しており、流石に絡んだ冒険者達も、自分より上位の等級にある一党に楯突く度胸はなかった。

 

 ただ、問題だったのはその諫め方であり、件の剣士が人喰鬼を単独で倒せる凄腕であることを語ってしまったのだ。

 最初は、当事者含め聞き耳を立てていた冒険者の誰一人として、それを信じようとしなかったが、紅玉等級の一党は真顔のままで、「後悔するのはお前らだからやめておけ」としか言わず、それ以上は語らなかった。

 

 そこまで情報を公開されてしまったのなら、冒険者ギルドとしても、贔屓や特別扱いなんだのとあらぬ誤解を振りまかれる方が困るのであり、受付嬢も積極的に真実を流布することにした。

 すなわち、剣士が本当に人喰鬼を単独で倒した凄腕の剣士であること、既に昇格条件を満たすだけの依頼を達成しており、そこに何ら特別扱いはないことを冒険者ギルドの名において保証したのだ。

 

 「そういうことだから、『鬼斬り』に突っかかるのは、本気でやめておけ。俺にすら勝てないお前ら如きじゃ束になっても勝てん」

 

 そうだ、その時のダメ押しに一党のリーダーが、件の剣士を『鬼斬り』と呼んだのがきっかけだった。

 なるほど、人喰鬼の首を一刀のもとに刎ねて見せたその所業は、『鬼斬り』というに相応しいかもしれない。

 それが更なる火種になろうとは、受付嬢も夢にも思わなかった。

 

 冒険者ギルドの真っ只中で、白昼堂々と行われたその暴露は、当然ながら多くの冒険者がそれを見聞きしていたのは言うまでもない。不満を持っていた駆け出し達が完全に怖じ気づいて消沈したのは幸いだったが、逆に腕に自信のある者達に少なからず火をつけてしまったのは、最大の誤算であった。

 

 ――――つくづく、支部長は正しかったのね。甘く考えていたわ……。

 

 受付嬢は、これからも件の剣士を中心に巻き起こるであろうトラブルを想像して、心底げんなりする。

 銅等級以上の冒険者であれば、一定以上の良識ある者達なので、無理矢理『鬼斬り』に挑むような者はいまい。

 

 しかし、中堅以下の腕自慢はどうだろうか?

 一躍広まった『鬼斬り』の異名に、それを裏付けるかのにようにスピード昇格を果たした件の剣士を倒して名声を得ようと思う者は、けして少なくないであろう。何とも、頭の痛い問題であった。

 

 「小鬼退治三件、全て終了した。確認してくれ」

 

 それにも関わらず、どこ吹く風で淡々とマイペースに依頼をこなしていく『鬼斬り』には、言ってやりたいことが山ほどあった。

 自身や支部長がどれ程の心労を受ける羽目になっているのか、こんこんと説教してやりたい衝動に受付嬢は襲われたが、すんでのところでのみこんだ。彼に非があるわけではないので言うだけ無駄だし、仕事は仕事として果たさなければならない。

 未だ書き慣れていない様子ではあったが、冒険者が書いたとは思えない形式の整った冒険記録(アドベンチャーシート)に、彼女は目を細める。

 

 ――――分かりきっていたことだけど、この人、明らかに学があるわよね。いえ、それどころか、明らかに為政者側の視点を持ってる。

 

 形式や書くべき事などを教えたのは、他ならぬ受付嬢自身だが、読む者に分かり易いように形式を整えて、綺麗に文字を書くというのは、無学で教養がない者には絶対に不可能だ。そんな者が、明日をも知れぬ冒険者なんてやってるのだから、支部長が頭を抱えたくなるのも無理もないことだと、つくづく納得せざるをえない。

 

 「はい、確かに確認しました。他に何か報告すべきことはありましたか?」

 

 わざわざ口頭で問いただすことすら必要としない詳細な内容に瞠目しながら、一応の確認もする。

 

 「いや、特にはない。強いて言うならば、そろそろ昇格だと言う話だったか?」

 

 『鬼斬り』の答に、そう言えばと依頼の達成記録を確認して受付嬢は頭を抱えたくなった。今、この瞬間に頭の痛い問題が新たに生じたからだ。

 

 「『鬼斬り』さんは、青玉等級への昇格条件を満たされました」

 

 ざわっとギルド内の空気が大きく揺らぐ。

 『鬼斬り』が冒険者となってより、僅か一月しか経っていないのだ。それにも関わらず、中堅冒険者と言える位置までのぼりつめようとしているのだから当然だった。

 

 「ですが、ギルドとしては、現時点で『鬼斬り』さんの昇格を認めることはありません」

 

 「その理由は?」

 

 「ギルドとしては、これまで貴方が単独(ソロ)での活動しかしていないことを問題視しています」

 

 「つまり、一党を組めと?」

 

 「いえ、そうではありません。他者と協調して事に当たれるかと言うことです。それが証明出来ないと、貴方をこれ以上昇格させることはできません」

 

 要するに、中堅に上がるなら単独での依頼遂行能力だけでなく、他者と組んでも問題を起こさず事に当たれるかどうかを証明しろというのが、ギルド側の要請だった。

 

 「なるほどな……。だが、そう都合のいい依頼はないだろう。まして俺と組みたい奴がいるかどうか……」

 

 流石に他ならぬ『鬼斬り』自身、ある程度自覚はあったらしい。

 彼がわざわざ人の多い時間を避けて、小鬼退治をはじめとした残り物の依頼を主に請け負っているのは、そういう理由があったのだろう。

 

 「心配は不要です。『鬼斬り』さんを指名した水の街までの護衛依頼が入っています。商人の方ですが、身に覚えはありませんか?」

 

 「――――商人、まさか彼か?だとしたら、目敏いというか何というか……」

 

 どうやら、覚えはあるようだ。依頼の途中で知り合ったのかなと、受付嬢は当たりをつける。

 

 ――――あるいは彼が保護した三姉妹の関係者かもしれない。

 

 『鬼斬り』が小鬼禍の被害者女性である三姉妹の面倒をみているのは、冒険者ギルドでは有名な話だ。小鬼禍の被害者のアフターケアというか、処置をはじめとした諸々の手続を行うのはギルドなのだから、被害者の行く先は把握している。

 というか、『鬼斬り』の昇格が通常よりが早い理由でもある。宿暮らしではなく、この地に家を借りるというのは一定の信用なくば出来ないことなのだから。人格面でも被害者保護という観点から、十分評価出来るのだから、これに実力が伴っていたら、昇格も早くなろうというものである。

 

 「この依頼、指定された『鬼斬り』さん以外にも護衛が五名募集されています。明後日が予定されているので、明日には他の人員も集まるでしょう。『鬼斬り』さんがよければ、昇格審査も兼ねて請けてみるつもりはありませんか?」

 

 護衛依頼というのは、一定上の信用がないと請けられない依頼だが、指名依頼となれば問題はない。

 基本的に複数人かつ報酬も高いため人気も高い依頼であり、彼以外の人員はすぐに集まるだろう。どこかの街や村までの護衛依頼ならば、そちらへ行く用事があればついでにということもできるし、商人と顔をつなぎ、上手いことやれば次は指名依頼が貰える可能性もあるので尚更だ。

 

 「こちらにとっても都合がいいから構わないが、よくもまあ、あつらえたように依頼があったものだ」

 

 それについては、受付嬢も同感であった。

 ギルド内でも、『鬼斬り』の実力について懐疑的な声がないわけでもなく、また臨時であっても一党を組んでの依頼遂行能力を見たいというのもあったので、ギルド側でその為の依頼を用意するかさえ検討されていたのだ。

 だが、蓋を開けてみれば、都合良くおあつらえ向きの護衛依頼が、鋼鉄等級への昇格と共に指名依頼で出されたのだから、驚きである。

 

 ――――どんなところにも、目端の利く者はいるということかしら?

 

 小鬼退治をはじめとした単独での依頼遂行能力は、受付嬢の目から見ても優秀の一言である。

 むしろ、優秀過ぎる位で、移動速度が馬も使わず常人より遙かに速いため、不審さすら覚えられたことすらあった。

 

 ――――実際には、本人の身体能力が図抜けているだけだったけど。この人、本当に只人(ヒューム)なのかしら?

 

 ギルド側からそれについて問いただされた時、見せられた『鬼斬り』の身体能力の異常さを思い出して、受付嬢はそんなことすら思う。あれを見せられて『鬼斬り』の異常さ加減を理解させられた彼女は、以来『鬼斬り』を常識の物差しで測るのは無駄でしかないと悟ったのだった。

 

 「兎に角、依頼は請けられるということでいいですね?諸々の処理はこちらでしておきますので、明日は休まれたらどうですか?」

 

 とはいえ、この一月の間、殆ど休みなしに依頼を請けていることには、受付嬢として思うことがある。

 ギルド側としては、溜まっていた小鬼退治を片付けてくれるのは勿論ありがたいのだが、無理をされて潰れてしまっても困るのだ。なにせ、このままいけば銀等級どころか、金等級も夢ではない有望な冒険者なのだから。

 

 「そうだな。確かに、たまには休みも必要か……。そうさせて貰うことにしよう」

 

 『鬼斬り』があっさり頷いたことに、受付嬢は心底安堵した。

 これでしばらくは、『鬼斬り』関係でせっつかれることはなくなると。

 

 ――――聞き分けのいい人ではあるんだけど、ちょっとストイック過ぎるというかなんというか……。

 

 『鬼斬り』という冒険者は、良くも悪くも悩みの種であった。

 

 

 

 

 

 「休み、休みか……。言われて見れば、確かに休んでいなかったか。

 鬼殺隊の時から、休暇は鍛錬と学習に全振りしてたからなあ。この世界に来てからは、やるべきことが多すぎて尚更なあ」

 

 今や『鬼斬り』の異名で呼ばれるようになった侍は、自身がワーカホリック気味であったことに今更ながらに気づいた。

 無論、彼からすれば必要あってのことだが、周囲からどう思われるかを完全に失念していたのは否めない。

 

 「それにそろそろ、流石に向き合わなきゃならないか……。ハア」

 

 己と三姉妹が同居する家が目に入り、侍は現状を思い出して嘆息した。

 

 見も知らぬ異性との同居を三姉妹の妹達が受け容れることができたかと言えば、当然ながらNOだった。小鬼により手酷い暴行と陵辱を受けた妹達は、肉体的にも精神的にも多大なダメージを負っていたのだから当然だ。結果として助けられたとはいえ、「はい、そうですか」と全てを受け容れるには、彼女達の失ったものは大きすぎたのだ。

 

 侍が命の恩人であると言っても、長女と異なりその実力を実際に目撃したわけでもない。正直なところ、姉があそこまで言うから本当にそうなんだろうと頭では理解しても、実感としては薄いのが事実であった。直前の凄惨な体験があまりに生々しすぎて、他のことに意識をまわす余裕がないというのも大きかった。

 

 結果、大好きな姉が見も知らぬ男の奴隷になり、自分達も同居してその庇護下に入ることに、ものの見事に反発した。

 

 それでも良くも悪くも世の事を知り、自身の置かれた立場を把握している次女は、すぐに現状を許容した。

 彼女は、姉が自分達の為にそうしたことを理解出来たし、実際頼れる伝手など他にないのだから仕方がないと割り切れるだけ大人だったからだ。黒曜等級から鋼鉄等級への昇格スピードから、姉が選んだ相手が普通じゃないのも理解出来たし、姉の目は確かだと彼女は己を納得させることができたのだ。

 無論、自分と同様に手酷い陵辱を受けた嫁入り前の姉が、男に肌を許すことには些か以上に思うところはあったものの、それ以外対価となるものがないのも事実であり、代案が出せない以上、文句をつける資格はないことを、彼女は痛いほど理解していた。

 

 ただ、末っ子で甘やかされて育った三女は違う。

 蝶よ花よと育てられ、ある程度のワガママも許容されてきた彼女にとって、生活環境の激変は受け入れ難いものがあった。村一番の家に生まれた事を自慢にしていた彼女にとって、何もかも失った現状は耐え難いものだったからだ。

 まして、自身は小鬼に穢されて、婿を取るどころか嫁入りさえ危うい始末だ。見た目に反して気の強い彼女は惨めだと思ったし、自身がかわいそうだと哀れまれることにも我慢がならなかったのだ。

 

 そんな有様であったから、同居三日ほどで侍を受け容れて、少なくとも態度には出さなくなった次女はともかく、未だ三女は嫌悪感丸出しで、侍とは口もきかないのがデフォルトだった。

 

 ――――まあ、その身を穢された直後に、異性との同居なんて受け容れられるわけもないか……。

 

 侍は三女の気持ちも理解することができた。

 少なくとも呑み込んだ長女と次女が凄いのであって、けして三女が劣っているとは思わなかった。

 良くも悪くも彼女はまだ幼いのだ。

 

 ――――そんな幼い身で、小鬼共の邪な欲望と悪意を一身に受ければ、異性に対して嫌悪感が出るのも当然か。

 

 むしろ、辛うじてとはいえ、同居できていることが驚きである。

 同じ食卓にはつくし、口をきかない以外にはこれと言った嫌がらせもしてこないのだから、侍からすれば十分に許容範囲であった。三女が癇癪を起こして、出てけとか言われることも覚悟していただけに、ある意味拍子抜けであった。

 

 ――――時間が解決すると思って、いない期間を多目に設けたつもりだが、さて……。

 

 侍が殆ど休みなしに依頼を請けていたのは、そういう面も多々あった。

 いかにワーカホリックな部分があると言っても、だてに医術を修めていたわけではない彼は、休むことの重要さをよく理解しているのだから。

 

 「お帰りなさいませ、ご主人様」

 

 どうかいい方向に変化してますようにと願いながら中へと入る侍を、金色の髪をポニーテールにした美女が笑みを浮かべて出迎える。

 彼が特別に仕立てさせたメイド服を着ており、とても奴隷には見えない。若奥様か貴族の侍女と言っても、通用しそうであった。

 まあ、奴隷と言ってもピンキリなので、いるところには彼女のような奴隷もいるだろうが、それでも破格の扱いであることは間違いない。

 

 ――――どうにも、この呼び名だけは慣れないな

 

  「……ああ、ただいま」

 

 侍はそんなことを思いながら、言葉を返したのだった。




鬼鬼コソコソ話
『鬼斬り』の異名は、今のところ冒険者ギルド及び冒険者の中で広まっている異名です。
ただ、人喰鬼を瞬殺したというのは、現状では結構懐疑的に見られています。
侍は当初冒険者ギルドのシステムを誤解していたので、結構やらかしてます。


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06:休日

誤字報告ありがとうございます。ちゃんとチェックしてるはずなのに……。
チェッカー変えた方が良いのかな?



 「ううむ、こいつは……」

 

 工房の親方である鉱人(ドワーフ)と見紛う老爺は、想像以上の業物に唸り声を上げた。隣で見ている徒弟の青年も、その黄色に彩られた刀の美しさに息を呑んだ。

 二人が釘付けになっている刀は、ある冒険者の持ち物だった。

 朝早く武具店ではなく、工房の方を訪ねてきたその冒険者は、『鬼斬り』と呼ばれる人喰鬼殺し(オーガスレイヤー)だった。両者共、噂は聞いていたが、正直眉唾物だと思っていたのは否定出来ない。

 

 だが、実物と会って、それが真実であることを老爺は見抜いた。

 涼しげな表情とは裏腹に、一見細身に見える体躯は鍛え抜かれており、大小二本差しの刀はこの上なく、その冒険者に似合っていた。

 彼が研ぎを頼みたいと差し出したのは、なんの変哲もない偃月刀(シミター)だったが、老爺の興味は『鬼斬り』の刀に向いていた。

 

 普通なら、工房に冒険者を招き入れたりしない老爺であったが、恐らく人喰鬼の首を一刀で刎ねたというその刀見たさに『鬼斬り』を中へと招き入れた。

 そして、研ぎの料金を伝えると、その刀を見せてくれと頭を下げた。徒弟の青年が驚愕しているが、老爺からすれば、人喰鬼すら殺せる剣士に頭を下げるのは恥でも何でもない。

 それに何よりも、明らかに業物であるその刀に惹かれていた。

 

 「……これは鉱人の作じゃねえんだよな?」

 

 手に取って鞘走らせたその刀に完全に魅了されていた老爺は、絞り出すように問う。

 

 「ああ、俺の故郷の只人(ヒューム)の鍛冶師によるものだ」

 

 その答は衝撃だった。けして己が世界一の鍛冶師などと自惚れていたわけではない。上には上がいるし、自分以上がいることなど理解している。

 しかし、この刀はどうだろう。目の前の冒険者のためだけに作られたと言わんばかりのその刀は、全ての面において彼の作品を凌駕していた。

 いや、これ程のものを鍛てるなら、それは生涯における最高傑作となるに違いなかった。

 

 「どうやったら、こんな色彩を出せるんでしょうね?」

 

 徒弟の青年の方は、刀の色彩の方が気になるらしい。

 

 「さてな、それは知らんが、この刀は『日輪刀』といい『色変わりの刀』とも呼ばれる。色は、最初に抜いた使い手によって変化する代物だ」

 

 「使い手次第で、色彩が変わる!?そんな馬鹿な!」

 

 『鬼斬り』は律儀に名称と共に教えてくれたが、到底信じられる話ではない。

 

 しかし、老爺は別だった。

 この人造の魔剣とも言うべき刀ならば、そういうこともありえるだろうと思えた。

 『日輪刀』には、鍛冶師の魂が篭もっていると彼は感じたのだ。

 

 ――――折れるような鈍ではない!

 

 そんな強烈な声ならぬ声すら聞いた気がした。

 

 「それと同じものとは言わない。同等か、少し劣るレベルでも構わない。刀を鍛つ事は可能か?」

 

 「……」

 

 『鬼斬り』の問に、老爺は黙り込んだ。

 彼にも鍛冶師としての矜持がある。こんなものを見せられて、できぬとは言いたくなかったからだ。

 

 しかし、人喰鬼の首を刎ねたであろう『日輪刀』の輝きがそれを許さない。お前に俺の代わりが鍛てるのかと言わんばかりだ。

 何より、この業物とそれを使うに相応しい腕を持つ剣士の前で、嘘をつくことは出来なかった。

 

 「……今の俺には無理だ。王都の鍛冶師に紹介状を書いてやる。偏屈な野郎だが、そいつならそのものとはいかなくても、少し劣るレベルのものであれば鍛てるだろうよ」

 

 老爺は絞り出すように答えた。

 

 「そうか、感謝する。折を見て、行ってみよう」

 

 『鬼斬り』は礼を言うと、刀を回収して背を向けた。

 工房から去ろうとするその背中に、老爺が声をかけたのは、未だ彼が枯れていない証左であったのかもしれない。

 

 「おい、いつか俺が鍛った刀を使ってくれるか?」

 

 「それが振るうに相応しいものであれば」

 

 剣士としての強烈な自負が篭もった痛烈な返答に、老爺は我知らず震えていた。

 それは怒りや屈辱によるものではない。この剣士に満足させるものを鍛ってやるという奮起の震えであった。

 

 「ああ、必ずお前の満足いくものを仕上げてやるさ!」

 

 「……楽しみにしている」

 

 背を向けたまま言葉を返し、『鬼斬り』は去ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 三女にとって、侍は気に入らない人物であった。

 命の恩人ではあるが、小鬼被害を受けた自分達姉妹に同情し哀れんでいる鼻持ちならない男であった。

 そもそも、身近に男がいるというだけでも嫌なのに、同居を強いられているのだから、たまらない。

 

 しかし、実際にはその庇護下になければ生きていけない現実があり、今の生活を支えているのは、間違いなくその男なのだ。

 男が借り受けた家は、かつての家より広いもので、三女は個室すら与えられていた。食べるものにも苦労することはなく、むしろ、村にいた頃より豪勢になった感さえある。ある程度の小遣いさえ与えられていることを考えれば、本当に破格の扱いであろうことは、流石の彼女も理解しているし、その点は感謝もしている。

 

 だが、長姉を奴隷にしているという点で、どうしようもなく拒否感があり、同衾している姉と肌を重ねているであろう事を思うと嫌悪しかわかないのだ。

 無論、それが正当な対価であり、文句をつける筋合いではないことは、彼女も理解している。

 

 なれど、納得と理解は別だ。

 頭で理解出来るからといって、自分と同様に小鬼共に穢された姉が、自分と次姉の為に見も知らぬ男に抱かれることを、彼女は断じて許容することは出来なかった。

 

 ――――お姉ちゃんだって、触られるのも嫌なはずなのに……。

 

 三女は、身内以外に触れられることが駄目になっていた。

 小鬼禍のトラウマから、姉達以外とは、接触する事が出来ないのだ。

 

 そして、これは三女だけの問題ではなかった。

 次女は、小鬼と同じくらいの身長である子供が駄目になっていたし、長女は我慢こそ出来るものの、やはり他者に触れられること自体に恐怖を覚えるようになっていた。

 

 故にこそ、そんな状態の長姉を抱く男が許せない。

 傷ついている姉を、さらに傷つける男が――――何よりも、それを許容するしかない己の弱さが許せなかった。

 

 ――――今日こそは、ガツンと言ってやるんだから!

 

 明日、護衛依頼で街を離れるので、今日は休日だと珍しく家にいた男の存在によって、三女の鬱憤は頂点に達していた。

 男は日頃、気を遣って基本出ずっぱりで、家にいることが少ないだけに、顔を合わせるのは食卓だけだったので今まで爆発することはなかった。

 一日中疎んでいる存在が側にいるというのは、彼女にとって予想以上に酷いストレスであり、長姉を困らせるだけだというのも頭から消えるほどであった。

 

 男は明日は早めに出るということで、早々に寝室へと引っ込んだ。

 勿論、奴隷である長姉も一緒だ。夜伽も含む彼の身の回りの世話が彼女の仕事なのだから。

 

 感情の命じるままに、三女は気づけば寝室の扉の前にいた。

 いざ、踏み込もうと扉に手をかけた時、聞こえてきた懺悔するような長姉の声が彼女の足を止めた。

 

 「本当にゴメンなさい。貴方の個室案を蹴って、貴方と寝室を共にすると決めた時に覚悟は決めたつもりだったのに……」

 

 男と寝室を同じにするのが長姉の提案だったというのは、初耳だった。

 てっきり、男の欲望による要求だと、三女は思い込んでいたのだから。

 

 「気にしなくていい。俺に恐怖に震える女を抱く趣味はない。

 まあ、最初は君に一室、妹さん達で一室、俺で一室と想定していた。部屋割りを任せたのは俺だが、貴女が寝室に入ってきた時は、本当に驚かされたよ」

 

 今度こそ、三女は完全に固まった。

 なにせ、彼女が想定していたものとまるで状況が違うのだから、それも当然だった。

 

 「契約書に身の回りの世話に夜伽も含む形で明記したのは、私だって言うのに、本当に情けなくて……」

 

 「構わない。貴女は十分によくやってくれている。家の管理は勿論、家事にあの娘達のケアに文字や慣習の教授、俺は貴女の働きに十分に満足している」

 

 扉越しで聞く男の声は、信じられないほどに穏やかで優しげなものだ。

 もしかしたら、三女は初めて己の偏見というフィルターを抜きに、彼の声をきいたのかもしれなかった。

 それが真実であるかのように、話す内容も優しいものだ。どう考えても、姉をいたわっているようにしか思えない。

 

 「それでは私の気が済まないんです!」

 

 むしろ、駄々をこねているのは長姉の方で、普段見せないその態度は衝撃でさえあった。

 

 「無理をするな。貴女とて、妹達に負けず劣らず傷ついているのだから。あんな目に遭えば、貴女の反応は当然だ。

 妹達の為に普段は気を張っているんだろうが、俺の前では必要ない。良くも悪くも、俺は全てをこの目で見て知っているのだから」

 

 「ゴメンなさい、本当に……。

 世話をするのは私の方であるべきなのに、眠るまで手を握って貰ったりして」

 

 「いい。何度も言うようだが、気にするな。

 貴女には、今しばらくの休息が必要だ。少なくとも貴女が独りでも安眠出来るようになるまでは」

 

 ――――――お姉ちゃんが独りで眠れない!?私、知らなかった。

 

 初めて知る驚愕の事実に、三女は何度目かの衝撃を受けた。

 言われてみれば、男が帰ってこなかった時、次姉の部屋から朝出てきた時があったことを思い出して、あれは次姉と一緒に寝ていたのだと今更ながらに悟る。

 当初は自分同様に反発していた次姉が、男を受け容れたような態度になったのは、これを知っていたからなのだろう。

 

 「もう、休め。

 心配は無用だ。ここに貴女を脅かす者はいない。いたとしても、俺が全て斬り捨てよう」

 

 「ふふ、そうね。貴方は、私のご主人様は、とても強いものね」

 

 男の力強い声に、おどけるような声で長姉が応じる。

 きっと今、姉は笑みを浮かべているのだろうと、三女は確信できた。

 

 故に、彼女は耐えきれなくなって自室へと戻り、ベッドに突っ伏した。

 頭の中はグチャグチャで、溢れる感情も制御出来ない。己の無様さに、彼女は叫びだしそうですらあった。

 

 しかし、ようやく安寧の眠りに入れたであろう姉を思うと、そんなことは出来ない。

 三女は、朝まで有り余る激情を持て余すほかなかったのだった。




鬼鬼コソコソ話
長女の心の傷は結構深い。普段は妹達がいるので気を張っていられるが、いなくなると途端に崩れ出す。誰かの体温を感じないと安眠出来ない。それでいて、身内以外の他者に触れられるのもアウト。普段は必死に我慢しているだけで、男に抱かれるなんてもってのほかだったり。


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07:護衛依頼

誤字報告、いつもありがとうございます。
祝日間一位達成!


 護衛依頼当日、待ち合わせ時間より早めにつくように家を出、すでに万事整えた隊商と門前で合流する。何気に侍が一番のりであった。

 

 「随分早いじゃないか……『鬼斬り』なんて呼ばれているから、もっとあれだと思ってたぜ」

 

 隊商の主である商人が破顔して、侍を迎える。

 侍が予想していたとおり、見たことのある顔だ。長女との契約の立会人になった商人で間違いない。

 

 「仕事である以上、万全を期すのは、当然のことだ」

 

 侍は、護衛の人数や積み荷の優先順位、壊れ物の有無などを聞き、いざという時の対応などを決める。彼からすれば、当然のことだった。

 

 「ああ、お前さんがこんなに早く昇格できたのに納得出来たぜ。連中にも、見習って欲しいところだな」

 

 時間ギリギリになって来た青玉等級の一党(パーティー)を遠目に見ながら、商人はどっちが等級上なのか分かったもんじゃないなと内心で独りごちた。

 

 「あんたが依頼人か。俺達一党が護衛に当たる。これでも青玉等級だ、安心してくれて良いぜ」

 

 別に間に合っていないわけではないので、商人は何も言わない。

 ただ、護衛の主力でありながら最後に来たこととか、何とも思わないのだろうか?

 

 「……ああ、任せたぜ」

 

 積み荷について詮索しないのはマナーだろうが、それでも確認すべきことはあるはずだ。侍との落差に商人はなんとも言えないものを感じた。

 

 「……お前は」

 

 侍は、その一党を見て瞠目した。これまた見覚えのある顔であった。

 それもそのはず、その青玉等級の一党は、ギルド内で己に絡んできたあの冒険者達だったのだ。

 

 「お前への指名依頼らしいが、等級は俺達の方が上だ。指揮には従って貰うぞ」

 

 等級でマウントをとり、得意げな一党のリーダーに内心で侍はげんなりする。

 化けの皮を剥がしてやると言わんばかりの一党のリーダーだったが、侍はどこ吹く風で、違うことを考えていた。

 

 ――――なるほど、冒険者ギルドもやってくれる。この連中と上手くやってみせろというわけだ。

 

 侍は、ギルド側があえてこの依頼をこの一党に斡旋した意図を正確に見抜いていた。

 

 ――――恐らく失敗すれば、当分昇格は見送りだろう。色んな意味で容赦がないな。恨まれるようなことは……いや、十分してるか。

 

 客観的に見れば、幾度も騒動を起こしている侍は、間違いなくトラブルメイカーだ。ギルド側に面倒をかけたことは幾度もある。

 考えてみれば、彼の時だけ受付嬢が特定個人に限定されていたり、昇格試験の際に支部長が直々に出張ったりするなど、色々ありえないことだらけである。

 それらも含め、異例の昇格スピードも併せれば、侍の昇格試験がからくなるのも当然と言えよう。

 

 ――――ううむ、もう少し自重すべきか?感覚の違いや価値観のすり合わせがまだ完全じゃないからな……。

 

 この一月で大分マシになったとはいえ、異邦人である侍にとって優先されるのは、言語の習得だった。

 

 ――――さっさと、腕輪の世話になっている現状から脱却せねばな。いつまでも分からないままは怖い。

 

 前世の知識で、RPGでは定番の呪いの装備や何らかの代償が必要なものとかも思い当たるだけに、現状効果以外何も分かっていないも同然の腕輪は、色々な意味で怖かった。

 

 「おい、聞いているのか!」

 

 自分達が上だとか、格の違いを教えるとかどうでもいいことを延々と喋っていたので、侍は聞き流してつらつらと考えごとをしていたのだが、流石に気づいたらしい。

 

 「聞いている。原則として指揮には従うが、判断が遅い場合はこちらで勝手に動く。異存はないな」

 

 「俺がお前より判断が遅いと 「積み荷の優先順位や壊れ物の有無、いざという時の動きの確認、これだけ必要なことの確認を怠る者が俺より判断能力が高いとでも?」……」

 

 侍の指摘に一党のリーダーは、黙るほかなかった。

 指摘されてみればその通りだからだ。積み荷はともかく、いつもなら優先順位と緊急時の動きの確認くらいはしていたはずだ。

 それがおざなりになっていたのは、気に入らない相手に指名依頼を出すような依頼人ということで、無意識の内にフィルターがかかっていたからにほかならない。

 こういう個人的な感情を仕事に多分に反映させてしまうのが彼の欠点であり、一年以上たっても青玉等級から昇格できない理由であった。

 

 「お前達が俺を嫌うのは構わん。

 だが、それを仕事に影響させるな。やるべきことをやれ」

 

 侍は、社会に出た以上、それは当然のことだと思っているので、容赦がなかった。

 仕事で金を貰う以上、好悪に関係なくその分の仕事はこなす。それがプロフェッショナルというものだと、彼は考えていたからだ。

 

 「ぐぬぬ、兎に角指揮には従って貰う!いいな!」

 

 だが、それを明らかに自分より年下、かつ等級でも格下の者に言われて、青玉リーダーに素直に受け容れられるはずもない。

 それができるなら、彼はとうに翠玉等級に昇格できたであろうから。

 彼に出来たのは、悔しげに唸り捨て台詞を吐き捨てることだけだった。

 

 「やれやれ、これは前途多難か」

 

 侍はこれからの旅路を思い、独りぼやいたのだった。

 

 

 

 

 

 『鬼斬り』が危惧したのとは裏腹に、往路では何のトラブルもなく水の街に着いた。

 魔神王が六英雄に倒されたと言っても、《混沌》の軍勢の残党は、今も活発に各地で蠢動しているのだ。

 故に、襲撃も予想されていたのだが一度もなく、それどころか野性動物とかち合うことすらなかったという、隊商の誰もが拍子抜けした程で安穏とした旅路であった。

 

 「何事もなかったのを喜ぶべき何だろうけどよ……。

 まさか、帰りもそうだなんてことはないだろうな」

 

 隊商の主たる商人は渋い顔だった。生粋の商人である彼からしてみれば、これで復路までとなれば、道中の護衛代は丸損に等しい。

 勿論、必要経費だと理解はしているが、ぼやくのはやめられなかった。

 こんなことがあるから、隊商を組めない零細商人が一か八かで、護衛なしで行商するなんて馬鹿な真似をするのだ。

 

 「積み荷も人員も無事なのだ。嘆くことはない。それに十分に元は取ったのだろう?

 それにまだ無事に帰り着いたわけではない。取らぬ狸の皮算用はやめるべきだな」

 

 そんな商人に諫めるように声をかけたのは、『鬼斬り』だった。

 

 「まあ、そうだな。確実に儲けを出すのが、一流の商人ってもんだ。

 それにしても、面白い言いまわしだな。なんとなく意味は分かるが……」

 

 「故郷でことわざと呼ばれる教訓のようなものだ。この場合の意味は、得ることが確定してもいないのに、得ることを前提にして計画するということだ」

 

 「間違っちゃいないが、仮にも依頼主にハッキリ言うな『鬼斬り』よ」

 

 「依頼主が誤っていれば、正すのも仕事の内だ」

 

 「お前さんは、大したタマだよ」

 

 直に話し合ってみて、こいつはでかくなると商人は確信する。

 

 ――――つくづく、あの嬢ちゃんの目は正しかったわけだ。尻馬に乗った形だが、ここで渡りをつけられたのは悪くない。

 

 『鬼斬り』との縁は、後々に大いに役立つと彼は予想していた。

 

 「まあ、帰りも頼むぜ『鬼斬り』」

 

 「ああ、お任せあれ」

 

 何ら気負うこともなく引き受ける『鬼斬り』に、商人は今回の商売の成功を確信したのだった。

 

 

 

 

 

 正直な話、今回の仕事は請けたこと自体が間違いだったと、一党の斥候を務める圃人(レーア)は思う。

 一党が青玉に昇格して以来、停滞していたのも事実だが、だからと言って、その鬱憤を他者にぶつけるのはどうかと思う。

 

 ――――それがよりによって『鬼斬り』なんて、一体何を考えているんだか……。

 

 新人が人喰鬼(オーガ)を単独で撃破したという噂を聞いた時は、斥候圃人だって眉唾物だって思ったし、売名のためのハッタリだと見ていた。

 

 しかし、実物に会った時、それが嘘でもなんでもないことに彼は気づいてしまった。

 実力を見抜けるような目は持っていなかったが、なんというか普通の冒険者とは雰囲気が違ったのだ。

 何より、ここまで彼を生き残らせてきた生存本能が言うのだ。こいつに喧嘩を売るな、死ぬぞと。

 

 だから、斥候圃人はリーダー達が突っかかった時も、真っ先に止めに入ったし、必死に宥めた。

 まあ、努力空しく結構な大事になってしまい、紅玉等級の一党とギルド職員が出張ることになったが……。

 

 ギルドにも贔屓だなんだと難癖をつけた挙げ句、ギルド内部で等級が下の冒険者に複数人で突っかかったのだから、罰則(ペナルティ)は避けられない。

 

 ――――こういう短絡的なことするから、昇格出来ないんだよねー。

 

 内心で呆れながら、一党の仲間達と共にギルド側の裁定を待った。

 意外なことに罰則はなかった。厳重注意を受けたくらいで、降格処分を受けたりという実害はなかった。

 それどころか、今回の護衛依頼を斡旋されたのだ。

 一党の仲間は喜んだ。護衛は実入りがいいし、顔を売るのに持って来いだからだ。

 

 だが、斥候圃人はその依頼にきな臭いものを感じていた。

 罰則を受けて然るべき場面で、斡旋された依頼なのだから当然だろう。

 彼以外に只人(ヒューム)の魔術師が待ったをかけたが、結局多数決で請ける方向に押し切られてしまった。

 

 案の定、それは件の『鬼斬り』へ指名依頼の他の護衛人員の募集依頼だった。

 リーダーは勿論、その内容に一党全員の顔が引きつったが、護衛と聞いて飛びついたのはこちらなのだ。今更、嫌とか言えるわけがない。

 何より、決定的な一言が叩きつけられた。これはボク達の翠玉等級昇格依頼であると。

 依頼達成数だけで言えば、昇格条件は満たしているはずなのに、青玉等級で停滞しているというのは、一党全員の共通認識だっただけに、それは美味しすぎる餌だった。

 唯一の頼みの綱である魔術師まで賛成にまわり、最早斥候圃人も反対出来る空気ではなくなってしまった。

 

 ――――蓋を開けてみれば、案の定だもんねー。

 

 待望の昇格を前に、一党は明らかに浮き足立っていた。いや、気持ちは分かる。分かるのだが……。

 リーダーなど、普段なら絶対にしないミスをしているし、等級でマウントをとりにいくなどみっともないことをしていた。

 

 そこへ行くと『鬼斬り』の対応は見事なもので、誰よりも早く来ていたことを皮切りに、隊商の詳細把握などやるべきことをやっていた。

 馬より速く走るとか、わけの分からないことをしていたりもしたが……。

 

 ――――全くどっちが等級上なのか、分かったもんじゃないよ。

 

 それでも、往路はなにもなかったので幸いだった。

 この時ばかりは、普段は神に祈らぬ斥候圃人も、心から神々に感謝したものだ。

 

 しかしながら、やはり常に幸運ばかりが続かないのが冒険というものだ。

 復路も半ば以上を消化し、後もう少しで目的地が見えてくるというところで、予期せぬ遭遇(ランダムエンカウント)ときた。

 蛇の目も、こんな場面では遠慮して欲しいと斥候圃人はぼやいた。

 

 

 

 

 

 

 「高速で接近してくる存在が5、そちらの斥候は確認できているか?」

 

 突然の『鬼斬り』の言葉に、斥候圃人は目を瞬いた。

 言っていることが本当なら、本職の自分は未だ確認出来ていないかったからだ。

 

 「いや、ボクはまだだね。方向は?」

 

 いい加減なことを言うなと一党のリーダーが言おうとしたが、斥候圃人は口を挟ませなかった。

 本当なら、そんなことを言っている場合ではないし、彼は『鬼斬り』の力量を一党でもっとも評価していたからだ。

 

 「西、あの林の方からだ」

 

 「土煙に……この音、来る!

 敵は騎兵!数は少なくとも5騎以上、こっちの足じゃ逃げられない!」

 

 地面に耳を当てたかと思うと、斥候圃人は即座に叫んだ。

 その叫びを肯定するかのように、西の林からそれは土煙と共に姿を現した。

 

 「なんだ、ありゃ?」

 

 「悪魔犬(ワーグ)小鬼(ゴブリン)共が乗っていますね。さしずめ、小鬼騎乗兵(ゴブリンライダー)といったところですか」

 

 リーダーの困惑に、魔術師が答える。

 小鬼騎乗兵、その名の通り襲い来る小鬼達は悪魔めいた巨大な犬に騎乗していた。

 

 「リーダー指示を。あいつら、想像以上に速い!」

 

 只人の神官が焦ったように声を上げるが、それもそのはず。彼らの予想を上回る凄まじい勢いで、小鬼達は迫っていた。

 

 「街も近い。当初の打ち合わせ通り、馬車は先に逃がす。

 魔法全使用許可。兎に角、連中の足を止めろ!残りは投石と矢で攻撃しろ!絶対に奴らの進路に出るな、騎兵突撃(チャージ)で吹き飛ばされるぞ!」

 

 「「「「了解」」」」

 

 流石に、青玉等級まで到った一党だけあって、一度戦闘となればその動きは迅速であった。

 

 魔術師の《火矢(ファイアボルト)》が、神官の《聖撃(ホーリー・スマイト)》が、先頭をかける二体の悪魔犬に直撃し、たまらず動きが鈍ったところで前衛二人の投石が直撃し、死亡。

 そのスピードのままに、騎乗していた小鬼を巻き込んで盛大に転がる。

 

 残るは三騎の内、一騎は斥候圃人が騎乗する小鬼を見事矢で射貫いていたが、悪魔犬はそのまま突っ込んできた。

 しかし、前衛二人は既に武器をメインのものに持ち替えており、悠々と迎撃してみせた。

 

 残る二騎をやったのは、『鬼斬り』であった。

 凄まじい速度で一騎ずつ肉薄し、反応させる暇も与えずに悪魔犬と小鬼の首を刎ねて見せた。

 余りの早業に、遠目では一瞬の内に、首がとんだようにしか見えなかった。

 

 「あいつ、やっぱりヤバイわ。人喰鬼、殺したのもふかしじゃないな」

 

 遠目に見ていた一党の自由騎士が言う。

 

 「ちっ、そんなことは分かってんだよ。だが、気にくわねえんだよ!」

 

 リーダーが、忌々しげに怒鳴り返す。

 

 「お気持ちは理解しますが、それを他者にぶつけるのはいかがなものかと」

 

 神官が諫める。

 とはいえ、僅か一ヶ月で、年下の新人に追いつかれそうになったことには、彼とて思うところはある。

 

 「『鬼斬り』とボク達じゃ色々違うんだから、しょうがないでしょ」

 

 斥候圃人が呆れたように言う。

 

 「お前達、そんなことを言っている場合か!恐らく、これは……遅かったか!」

 

 一人、現状を分析していた魔術師が警告の声を上げようとしたところで、逆側の林から逃がした馬車の進路を防ぐように、石塊の如き様相の魔神(デーモン)が小鬼達を引き連れて現れていた。

 

 「あれはまさか、石の魔神(ストーンデーモン)か?!陽動かよ!」

 

 「足の速い連中は、護衛を馬車から離すための囮役だったんでしょうね」

 

 自由騎士が相手の策を見抜き、神官が解説するが、後の祭りだ。

 いかに積み荷満載の馬車が鈍足とは言え、小鬼騎乗兵迎撃のために足を止めた一党とは、それなりの距離を隔てているのだから。

 それも、神官や魔術師の魔法が届かないだけの距離が空いてしまっている。

 

 「ちくしょー、間に合え!」

 

 必死の形相で走るリーダーは、石の魔神と目が合った気がした。

 そして、おかしくてたまらないという嘲笑をそれは浮かべているように見えた。

 

 最初に小鬼というのが、悪辣な罠であった。

 小鬼と見れば侮る冒険者に、早々見ない小鬼騎乗兵をぶつける。侮って小鬼騎乗兵にやられてくれれば、それはそれでよし。

 侮らずそれなりの労力を割けば、護衛の足は必然的に止まる。そして、街ほど近いこの場所なら、先に護衛対象を逃がしたくなるのは人情というものである。

 結果、ものの見事に石の魔神の目論見通りとなった。

 後は無防備になった連中を蹂躙し、兵力の逐次投入という愚を犯している一党を順次片付けるだけだ。

 

 しかし、何事にも想定外というものはあるものだ。

 護衛の中で唯一、小鬼騎乗兵迎撃後も気を抜かず、全力で馬車を追いかけていた男がいた。

 その男は、『鬼斬り』と呼ばれる冒険者であった。

 

 「ある程度、頭のまわる鬼ならやってきそうな手だな。まあ、こっちは人間じゃなくて、小鬼が手駒だが」

 

 多くの人間を喰った鬼と同様に、石の魔神とやらは酷く死の気配が濃い。

 

 ――――あれは相当に殺しているな。おかげで察知出来たんだが。

 

 自然、目が細まり、『鬼斬り』の中でスイッチが入れ替わる。

 あれは鬼と同様に人に仇なすものだ。人を嬲って殺す悪鬼の類だと。

 日輪刀に刻まれた『悪鬼滅殺』の理念は、今も『鬼斬り』の中で確かに息づいているのだ。

 

 ――――鬼は斬る!《雲の呼吸 壱ノ型 驟雨》

 

 助走距離が十分以上にとれているこの状況こそ、雲の呼吸が真価を発揮する状況に他ならない。

 連続して雷鳴の如く轟音が響く。

 その音こそが、只の人間が大地を蹴った音であるなど、誰が思おう。

 

 突然の雷鳴に、その知能の高さから注意を取られ、動きを止めてしまう石の魔神。

 それが致命的な隙となった。

 

 一党が必死の形相で走るその先で、石の魔神の首があっさり刎ねられた。

 それは冗談のような光景であった。強靱な外皮を持ち、その外皮を支える筋骨も強靱で、恐るべき敵である石の魔神が、一瞬にして命の灯火を吹き消されていたのだから。

 

 《水の呼吸 参ノ型 流流舞い》

 

 変化はそれだけに留まらない。

 石の魔神を先頭に、馬車へと殺到していた小鬼達は、例外なく首を刎ねられていた。

 大小鬼(ホブゴブリン)も含めた十数体の小鬼は、なんら隊商に被害を出すことは出来ず、その屍を晒したのだった。

 

 一党がようやく追いついた時、すでに戦闘は終了していた。

 隊商に所属する誰もが、新たに生まれた魔神殺し(デモンスレイヤー)に畏怖の目を向ける。

 油断なく周囲を睥睨しながら納刀する『鬼斬り』の背中に描かれた『滅』の一文字が、一党の目に焼き付く。

 彼らにその意味は理解出来ないが、なぜだか『鬼斬り』の有り様を示しているように思えた。

 

 「……ものが違うってのかよ!くそっ!」

 

 一党のリーダーは毒づき、今度こそ心の底から敗北を認めざるをえなかった。




鬼鬼コソコソ話
雲柱さんは、機動力においては柱随一。雲の呼吸が独特の歩法を極意としていることから、移動距離が半端ではない。善逸のような六連とか八連はできないが、足を犠牲に四連くらいならできる。雲柱さんの場合は、連続で出すのではなく、歩法で間を取って霹靂一閃を使うのが普通。


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08:一年

誤字報告ありがとうございます。
※怪物の強さを知りたいという声がありましたが、知りたければゴブスレTRPGを買うのだ!
TRPGには怪物の詳細能力載っていますが、流石にそれを書くわけにはいけませんし、大体の強さの目安だけ。
レベル
人喰鬼>石の魔神>小鬼英雄
但し、石の魔神は特殊能力持ちで二回攻撃してきます。

34回も2D6振れば、クリティカル2回くらいでるんやなって。
でも、仲間判定は1回も出ないとか、どういうこと!


 「この世界に来て、もう一年か。時が経つのは早いものだ……」

 

 気づけば、侍が四方世界に来てから、すでに一年余りが経過しようとしていた。

 思えば色んな事があった。あの護衛依頼を経て青玉等級に上がり、その二ヶ月後に翠玉等級、さらに三ヶ月を経て紅玉等級に。

 そして、すでに紅玉等級になってから半年余り、光陰矢の如しとは言うが、時の経つのは本当に早いものだと実感する。

 

 すでに言語や慣習の習得を終え、文字の読み書きも難なくこなせるようにはなっている。

 お陰で元の世界に戻ることをはじめとした種々の情報収集は捗った。帰還の方法は未だ見つかっていないが、依頼をこなす傍らで調査した結果、古代魔法文明に異世界に渡る手がかりがあることはつかんだ。

 他に可能性があるとすれば、魔法や奇跡だろうと当たりをつけていた。生憎と彼には一切使えなかったが……。

 

 「現状で可能性が最も高いのは、遺失魔法(ロストマジック)である《転移(ゲート)》なんだろうが、そもそも使える者がいないと来た」

 

 冒険者として、すでに第五位紅玉等級と、中堅最上位まで到った侍だったが、未だ単独(ソロ)なのは少々頂けなかった。

 自分が使えない以上、魔法使いの仲間が必要なのだが、彼に合わせられる魔法使いなどまずいない。

 今までも、在野の魔法使いと臨時に組んだことは何度かあったが、彼の動きに付いてこられる者は一人としていなかった。

 

 侍と組みたいと言ってくる者は、魔法使いに限らず多くの冒険者がいたが、彼の実力を目の当たりにして、身を退く者が殆どであり、そうでない者は端から寄生目的であったり、彼の持つ財産(日輪刀など)を目的とする者ばかりで、組むに値しなかった。

 

 「もう青田買いして、一から育てるしかないか?いや、そもそも育てたところで遺失魔法を使えるようになるとは限らん。

 そもそも、遺失魔法をどうやって覚えるという問題もある。まだ、その効果がある魔法の道具を探した方が可能性が高そうだ」

 

 魔術師の極みに達すれば、異界渡り(プレインズウォーカー)に到るとも聞くが、そこまで行ける者は本当に一握りだろう。

 魔法を全く使うことのできない侍に、魔術師の才を見抜くなど無理難題もいいところなのだから、青田買いも一か八かの賭けにしからならない。

 なんとも頭の痛い現実だった。

 

 「まあ、帰ったところですでに後任がいるだろうが……」

 

 己一人が欠けたところで、鬼殺隊が潰れることはない。そんな柔な組織ではないし、すぐに次の柱が立つであろうから。

 平安の世から連綿と続く鬼殺の刃は、いつか必ず鬼舞辻無惨に届くと、侍は確信している。

 そういう意味では、無理に戻る必要はないが、友や仲間の力になれないのは歯がゆかった。

 

 ――――せめて、魔法の武具や道具だけでも送ってやれれば……。

 

 四方世界には、侍が思ってもみなかった便利な物が沢山ある。全てではないにしても、幾つかだけでも送れれば、どれだけ鬼殺の手助けとなることか。

 そう思うと、やはり帰還の術を探すことは、諦めきれないものがあった。

 

 ――――とはいえ、彼女達を見捨てるわけにもいかんのが、難しいところだ。

 

 同居して一年も経つのだ。鬼殺隊の柱として活動した結果、色々擦り切れていた侍であっても、それなりに情は移るというものだ。

 彼があの滅んだ村で救った三姉妹の傷は、時間という薬を以てしても未だその傷は癒えていなかった。

 無論、何の変化もなかったわけではない。長女は他者に触れるようにはなったし、次女は怯えを隠して地母神の神殿に通うようになった。三女は、何を思ったのか「冒険者になる!」と言いだし、戦女神の神殿に入り浸るようになってしまった。

 

 ――――いずれにせよ、彼女達が前に歩き出せたのは悪いことではない。

 

 侍としても、色々思うところはあるが、三姉妹の変化は喜ばしいものであることには違いない。

 

 ――――牧場の娘は、未だ引きこもり同然だと聞いたからな。

 

 侍も後から聞いた話だが、村の滅びを運良く逃れた者が、この街の郊外にある牧場主の姪だ。

 彼女はちょうどこちらに来ていた為に穢されることこそなかったものの、それ以外の全てを失った。今ではかつての明るさが嘘のような陰気な様子だという。彼女と親しかったある姉弟の姉と親友であった長女はそう語った。

 

 会わなくて良いのかと尋ねたが、お互いの為にならないだろうというのが、叔父である牧場主と長女の結論であった。少なくとも、もう少し時間をおいて傷が癒え、純粋に互いの無事を喜べるようになるまでは。

 

 ――――人間は感情の生き物であり、この手の遺族というのはえてして理不尽なものだからな。

 

 侍も、鬼殺隊として、鬼の被害者遺族に理不尽な感情をぶつけられたのは一度や二度ではない。

 人間の感情は、そう簡単に割り切れるほど、単純なものではないのだから。

 そういう意味では、両者の結論が間違っているとは思わない。

 

 ――――しかし、折角の数少ない同郷の人間。いつか、手を取り合えると良いが……。

 

 侍は、三姉妹のためにも、その日が来ることを願ってやまなかった。

 

 

 

 

 

 

 「『鬼斬り』さん、鑑定出来ました」

 

 たまの休養日ということで、珍しく依頼を請けていない『鬼斬り』の家に、諸々の事情から彼専用の受付嬢と化している冒険者ギルドの監督官である女性は訪れていた。

 彼女と『鬼斬り』の付き合いは長く、業務外での付き合いもそれなりにあるようになっている。

 というか、彼女は長女と茶飲み友達であり、『鬼斬り』に用がなくとも、度々この家を訪れている。必然家主にして、長女の主人である『鬼斬り』との交流機会も増す。

 こうして、個人的な頼み事をされる程度には、彼女は『鬼斬り』からの信用を獲得していた。

 

 「そうか。で、どうだった?」

 

 休日の『鬼斬り』は、平時より気安く常在戦場といった雰囲気が薄まっているように思う。

 服装も当初の見慣れぬ特徴的なものではなく、こちらのものになっており、大分こちらに馴染んできたように思う。

 強いて言うなら、デザインはともかく、生地と仕立ての良さは、冒険者が着るようなレベルのものでないのが気になるところだろう。

 

 「どこでこんな貴重なものを手に入れたんです?指輪もそうですけど、特にこの腕輪は尋常じゃないですよ」

 

 今回、『鬼斬り』から鑑定を頼まれたのは、これまでの冒険の過程で得たという魔法の道具と思われる一つの腕輪と三種類の指輪だ。

 全て『祈らぬ者(ノンプレイヤー)』から鹵獲した物だというが、《鑑定(ジャッジ)》した結果は敵に使われれば、いずれも厄介な効果を持つ物ばかりだった。

 

 「指輪は、右から《呼気(ブリージング)》、《浮遊(フロート)》、《抗魔(カウンターマジック)》の効果です。

 腕輪の方は、正直驚きでした。聞いていた話であれば、《通訳(インタープリター)》の効果と思ったんですが、実際には祖竜術の《念話(コミュニケート)》を再現した大変貴重な物のようです。

 あっ、いずれも呪いとかはかかってはないですし、使用することで悪影響とかもないです」

 

 真言呪文の効果を付与した物ならともかく、祖竜術の再現した物となると監督官も記憶にない。

 一級の宝物であるのは間違いなく、存在を知れば好事家は勿論、学院からも垂涎の的だろう。

 

 ――――ギルドを通さず、私に個人的に依頼したいと言ってきたから、何かと思ったけどこういうことか……。

 

 至高神の神官でもある監督官は、《鑑定》の奇跡を授かっている。

 《看破(センスライ)》の奇跡も合わせて、彼女が冒険者ギルドにおいて重宝されている理由でもある。

 普通ならば、一冒険者の頼みなどで、易々と行使するものではないのだが……。

 

 ――――でも、『鬼斬り』さんだからなー。この人、銀どころか金を確実視されている人だし。

 

 今や、中堅最上位の紅玉等級まで上り詰めた『鬼斬り』は、その異例な昇格スピードととんでもない戦闘速度から、『最速の剣士』とか『雷閃』とも呼ばれる時の人だ。

 それでも、流石に急ぎであれば引き受けなかっただろうが、一ヶ月という長期の期限であり、日々の業務が終わった後で奇跡の行使回数が残っている時にやればいいと緩いものであった。

 個人的な友誼もあるし、これまで担当として散々世話を焼かされ、ギルド職員では最も付き合いが深い自覚があるだけに、断る気は起きなかった。

 

 「そうか、石巨兵(ストーンゴーレム)に命令を下すのに使われていたものだから、普通ではないと思ったがやはりか。

 ありがとう、無理を聞いてくれて本当に助かった。些少だが、これは報酬だ、確認してくれ」

 

 石巨兵の件は、監督官も初耳であった。後で問い詰めてやろうと、彼女は心に決めた。

 一方で、テーブルの上に無造作に載せられたあらかじめ用意されていたであろう袋から、金貨が顔を覗かせたことに目を剥いた。

 

 「ちょっと、多すぎじゃないですか?奇跡の安売りはしませんけど、適正以上の額をもらうのも問題なんですから」

 

 ぱっと見て、金貨100枚はあるのではないだろうか?

 金貨100枚もあれば、今回鑑定した指輪と同様に《呼気》の効果がある水中呼吸の指輪が2個買えてしまうのだから、流石にもらいすぎだと言いたくもなる。

 

 「ギルドを通さずの個人依頼、かつ貴重な奇跡の複数回行使。妥当な相場であると思うが?」

 

 「それは……ああ、口止め料も込みってことですね!」

 

 監督官は、自分なりに納得できる理由を見出す。

 確かに、この腕輪を他にもらさず黙っていろという意味合いも含んでいるなら、この額も納得であると彼女は思った。

 

 「いや、正当な働きの対価だが?そもそも、貴女は余所に漏らさないだろう」

 

 「――――」

 

 監督官を信用していると当然のことのように語る『鬼斬り』に、彼女は思わず言葉を失った。

 

 ――――こういうことを平然と言うから、この人はずるいわよね!長女(あの娘)がずるい人っていうのも、よく分かるわ!

 

 内心でキシャーと威嚇の唸りを上がるが、当然ながら目の前の『鬼斬り』には届かない。

 口説いているつもりはないのだろうし、その意図がないのも分かる。

 しかしだ、彼女ですらグラッとくる言葉を唐突に不意打ちで口に出すのは、本当に勘弁して欲しかった。

 

 「どうした?」

 

 「なんでもないです!報酬はありがたく頂きます!」

 

 もうこうなったら、ここをさっさと去ろうと決意して、監督官は報酬の入った袋を持ち上げる。

 流石に金貨100枚となればズシリと重いが、ギルド職員としてこの程度は慣れっこである。体勢を崩すことなく踵を返す。

 

 「おや、ゆっくりしていかないのか?彼女は、まだ戻って来てないぞ」

 

 本来ならば、この後長女と茶飲み話をする予定であったが、今の精神状態ではまずいと監督官は判断したのだ。

 

 「またの機会にします。彼女には謝っておいて下さい」

 

 「そら、構わないが本当にいいのか?風呂にも入っていかなくて?」

 

 監督官は「うっ」と呻いて、足が止まる。この家、なんと風呂が備え付けられているのだ。それも全身入浴できるやつが。

 元はなかったらしいが、『鬼斬り』が大枚はたいて後付けしたらしい。結果的に借家であったのに、買い取る羽目になったとか聞いた時は、本気で呆れたものである。

 

 ――――なんというか、ずれているんですよね。最初の大きな買い物が、《浄化(ピュアリファイ)》の指輪だなんて……。

 

 何に使うのだと聞いたら、浴槽の水の浄化に使うのだと聞いた時は、本当に頭が痛くなった。

 

 ――――お風呂に入らないのが耐えられないって、やっぱりどこかの貴族様だったのかしら?

 

 などと、その当時は考えを巡らせたものだが、この家に訪れた時に入浴するのが密かな楽しみになっている現状の彼女にはどうこう言う資格はないだろう。

 

 ――――ああ、入っていきたい。で、でも!

 

 凄まじく内心で葛藤する監督官。

 しかし、ここでこの誘惑に負けるのは、色々駄目な気がする。

 

 「いいんです!今日は帰ります!また、来ますから!」

 

 監督官は最後まで意地を通し、長女が帰ってきてなし崩し的に帰れなくなる前に、見事に虎口を脱した。

 ただ、その帰還の足が、どうしようもなく重いものになってしまったのは、美を追究する女としての宿業だったのかもしれない。




鬼鬼コソコソ話
雲柱さんは、ゴブスレ原作は知りません。どちらかというと、伝奇ものとか歴史ものが好きだったようです。また、ゴブスレさんみたく小鬼退治ばかりしているわけでもありません。基本的に依頼を選ばないだけです。
因みにつけている防具は、鉢金に手甲と鎖帷子だけ。死にたくないので、鬼殺隊では重装備な方。ただ、それでも動きを阻害したら意味がないので、影響がでない最低限かつ特注品を使っています。自分ではメンテしかできないので、壊したらどうしようと内心戦々恐々としていたり。


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断章01:竜巫女

ようやく仲間判定でクリティカルが出たぞー!
そのテンションのままに、書き上げたので修正するかも。
見よ、蜥蜴人なのに人間よりのハーフやぞ。それでいて魔術師&竜神官という謎ビルド。
全てダイスが悪いんや!


 蜥蜴人(リザードマン)にあって、蜥蜴人に非ず。それが私という存在だった。

 父は典型的な蜥蜴人の信仰篤き竜司祭の戦士で、母は只人(ヒューム)の魔術師だったから、当然かもしれない。

 つまり私は、混血(ハーフ)だったのだ。それも白子(アルビノ)の……。

 

 私は母の血が強く出たらしく、父のような猛き爪牙を持たなかった。

 申し訳程度の尻尾と角があるだけで、殆ど只人と変わらないのが私という存在だった。

 それでいて、色素のない真っ白の髪に血のように紅い目。里の者達が不気味に思うのも無理はないだろう。

 それでも父母は愛情を持って、育ててくれた。

 

 父は、弱い私に根気強く戦い方を仕込んでくれたし、祖竜信仰についても教えてくれた。

 母も、その魔術の粋を私に教え込んだ。

 やはり、私は母の血が強かったらしく、私は主に魔術に才能を示した。祖竜術も使えることは使えたが、とてもではないが実用に足りなかった。

 父は猛き竜の魂が欠けているからだと言ったが、私には理解出来なかった。

 

 強さを尊ぶ蜥蜴人の里において、爪牙も鍛えずひたすら書物に埋もれ、魔道の探究にふける私が異端視されるのはそう遅いことではなかった。

 それでも強い戦士である父と、強大な魔術師である母の庇護の下で、私は好きなことをして生活出来た。

 

 しかし、それがいけなかったのだろう。

 結局、私は両親の庇護の下、安穏と過ごしていただけだったのだ。

 その報いは、両親の死と共に当然のように訪れた。

 

 圧倒的な力に魅せられて、混沌の軍勢に合流するという里の者達を止めようとして、両親は死んだ。

 死因は私だ。

 狡猾な群れのリーダーは、私を人質にして両親を封殺したのだ。

 いかに魔術師としての腕に優れようとも、真言を口に出せぬように物理的に塞がれてしまえば為す術ない。

 私は、彼らにとって目障りな両親への対抗手段として、まんまと虜囚にされてしまっていたのだ。

 強さを信条とする蜥蜴人は、戦士の死後を貶めたりはしないので、両親が楽に死ねたのだけは救いだったかもしれない。

 後は、この行いによって、何人かの離反者が出たことだけが幸いと言えることだった。

 

 それ以来、私は奴隷となった。

 白子は不吉だということで、身を穢されることはなかったものの、それ以外は何でもやらされた。

 両親が自分のせいで殺された私には、反抗する意思などあろうはずもなく、人形のように唯々諾々と従うだけだった。

 混沌の軍勢に合流してからも、それは変わらず、魔神王が六英雄に倒され、混沌の軍勢が瓦解してからもだ。

 

 私の主人となった群れのリーダーは、その狡猾さだけは褒められるべきで、混沌の軍勢が瓦解しても見事に逃げ果せていた。

 但し、群れは無傷とはいかない。3分の2が死ぬか、離反するかして霧散。数多くいた奴隷も囮や肉壁として磨り潰しており、戦力は大きく目減りしていた。

 気づけば、私は貴重な呪文遣い(スペルスリンガー)となっていた。

 

 浅ましくも私は、両親を死なせておきながら、それでも生きたかったらしい。

 主人の無茶ぶりに呪文の使い方を工夫することで対応する内に、私の魔術の腕は飛躍的に向上していたのだ。

 そこに価値を認められたのか、待遇はずっとマシになったが、私が奴隷であることに変わりはなかった。

 結局、死ぬまで、狡猾なリーダーに手駒として使われるのだろうと諦観と共に思っていた。

 

 しかし、人生とはままならぬもの。

 ここまで狡猾に立ち回り、蛇の目を避けてきた群れのリーダーもとうとう蛇の目に当たったらしい。

 

 いや、これは本当に蛇の目と言えるのだろうか?

 討伐に差し向けられた紅玉等級の冒険者一党二組を罠に嵌めて殲滅したところまでは、順調だったはずだ。

 その後は冒険者も用心深くなったのか、殲滅こそは出来なかったが、上手いこと撃退していたように思う。

 

 結局、狡猾極まる群れのリーダーの死神となったのは、一人の只人剣士だった。

 とんでもなく速く、とんでもなく強い剣士だった。刀を使っていたことから、刀剣術を修めた侍なのかもしれないが、異常としか言えない強さであった。

 雷鳴が轟く度に群の誰かの首が飛んだ。それを防ぐ術はなく、肉体差から押し潰そうと不用意に近づいた者も、もれなく斬首された。

 強さを至上とする蜥蜴人が50人以上いた群、それがたった一人の剣士に蹂躙されていく。冗談のような悪夢の如き光景だった。

 

 剣士はなぜか私を殺さなかった。いや、正確には奴隷を殺さなかった。

 気づけば、群れのリーダーと奴隷以外は皆殺しにされていた。その尽くが斬首されており、シュールとすら感じさせる。

 恐るべきことに、圧倒的大多数の蜥蜴人の群相手に、この剣士は敵を選別する余裕があったのだ。

 

 群れのリーダーは完全に恐慌状態にあった。

 狡猾で悪辣極まりない男であったというのに、今やそれは見る影もなく、みっともなくも側に控えさせていた呪文遣いである私を人質にとって震える有様だった。

 当然ながら、生き残った奴隷達に彼のために戦おうという者は誰もいない。

 それどころか、全員武器を捨て、理不尽な主であった男の最期を見ようと周囲に集まっていた。

 

 そして、肝心の私だが、呆けていた。

 いや、正確には目の前の剣士に魅了されていた。

 強いということは、ただそれだけで美しいのだということを、私は初めて知った。

 極まった剣技は、芸術と言って差し支えのない舞踏のようであった。

 強さなどに一欠片も価値を見出したことのなかった私が、生まれて初めて純粋に強さに憧れた。

 今なら、父の言った猛き竜の魂が私にも理解出来る気がした。

 

 ――――この剣士になら殺されてもいい。いや、むしろ、死ぬなら、この剣士に殺されたい。

 

 心から、私はそう思った。

 だから、私を捕らえている男は邪魔でしかなかった。

 気づけば、私は胸の内に生まれた熱い衝動に突き動かされるままに、使えた事のない《竜爪(シャープクロー)》を使って、リーダーの喉を竜化した爪で抉っていた。

 

 この時のリーダーの驚愕は、記憶に新しい。

 言われたこと以外は呪文の使い方を工夫するだけの人形同然の私が、自発的に初めて抵抗したのだから当然だろう。

 私が使える祖竜術は《竜牙刀》だけのはずだったから、それも無理もないかもしれない。

 

 喉を抉られて尚、リーダーは生きていた。

 強さを至上とする蜥蜴人において、彼が群のトップであったのは、その狡猾さだけでなく肉体的強さもあったのだから当然だった。

 只人とさして変わらない力で喉を抉られた程度で、死ぬほど彼は柔ではなかったのだ。

 その表情は、直ぐさま驚愕から憤怒へと変わり、自分に逆らった愚かな奴隷にその矛先が向けられる。

 

 が、その一瞬で、剣士には十分過ぎたらしい。

 雷鳴が轟いた後、私の主だった男は一瞬にして首を失った。

 噴水のように噴き出す鮮血だけが、それが現実であると私に教えていた。

 

 血潮を払い納刀した剣士が一歩一歩近づいて来るのを、私は今か今かと待ちわびていた。

 次に死神の鎌を振り下ろされるのは、私かもしれないというのに!

 他の生き残りと同様に奴隷とは言え、言われるがままに魔法を使い、私が剣士の妨害をしてきたのは間違いない事実なのだから。

 

 気づけば、私は跪き首を差し出すようにしていた。

 それが正しいことのように思えたからだ。

 

 「――――何をしている?」

 

 それが生涯の主と仰ぐことになる方の第一声であった。




鬼鬼コソコソ話
この竜巫女さん、雲柱さんと邂逅するまで、祖竜術はクソ雑魚ナメクジでした。祖竜信仰とか知識では理解来ても、本質的には分かってないから、仕方ないね。でも、雲柱さんの強さを見て、良くも悪くも覚醒して理解してしまいました。彼女も立派な蜥蜴人だったということさ!




2019/11/25今更だけどキャラシート

─────────ゴブリンスレイヤーTRPG冒険記録用紙───────────────

 名前:【竜巫女】  種族:【蜥蜴人(10)/只人(90)】  性別:【 女 】  年齢:【 17 】

 経歴:【 冒険 / 奴隷 / 上司 】  等級:【 白磁 】

 身体的特徴:【 アルビノ 】

 経験点:【 500 / 16500 】  成長点:【 0 / 116 】

───────────────────────  設定  ──────────────
ダイス神の思し召しにより爆誕した設定過積載の蜥蜴人魔術師。
アルビノ(体力点-1持久度-1魂魄点+1集中度+1)補正を受けている。ボーナスは知力振り。
奴隷の嗜みとして忍耐を身につけているほか、アルビノなので免疫強化にも振っている。
呪文遣いとしての適性は高いが、技能が足りていない。
沈着冷静持ってるけど、平時で主様が関わると途端に働かなくなる。
─────────────────────────────────────────

◆能力値
            ┌───┬───┬───┬───┐
            │体力点|魂魄点|技量点|知力点|
            |   3  |   4  |   1  |   4  |
    ┌───┼───┼───┼───┼───┤
    │集中度|      |      |      |      |
    |   4  |   7  |   8  |   5  |   8  |
    ├───┼───┼───┼───┼───┤
    │持久度|      |      |      |      |
    |   1  |   3  |   5  |   2  |   5  |
    ├───┼───┼───┼───┼───┤
    │反射度|      |      |      |      |
    |   3  |   6  |   7  |   4  |   7  |
    └───┴───┴───┴───┴───┘


  生命力:【 14 】    生命力2倍:【 28 】   負焦点:【 0 】

  移動力:【 22 】   呪文使用回数:【 06 】

  呪文抵抗基準値(魂魄反射+冒険者LV+呪文抵抗):【 12 】

  因果点:【 0 】

◆消耗 (EX)
  1  □□□□□(□)  全判定-1
  2  □□□□(□)   全判定-2 移動力半減
  3  □□□(□)     全判定-4 移動力と生命力半減
  4  □□(□)       気絶 移動不可 生命力半減
  5  □(□)       死亡

◆継戦カウンター
 □□□□○ 5 □□○□□10 ○□□○□15 ○□○□○20
 ○○○○○25 ○○○○○30 ○○○○○35 ○○○○○40
※○1つにつき1点消耗

◆冒険者レベル:【 5 】
  職業レベル:【 魔術師:6 】
  職業レベル:【 竜司祭:4 】

◆冒険者技能   初歩 / 習熟 / 熟達 / 達人 / 伝説 / 効果
  【免疫強化】   ●     ●     ●     ○     ○  / 毒や病気に対して、強い抵抗力を持っています。
  【忍耐】      ●     ●     ○     ○     ○  / 苦痛や疲労に耐えて行動し続けることができます。
  【魔法の才】   ●     ●     ●     ○     ○  /  修練によって、呪文を扱う才能に磨きをかけ、呪文回数増加
  【怪物知識】   ●     ○     ○     ○     ○  /  祈りし者と敵対するもの達の生態や能力についての知識を身につけています。
  【追加呪文】   ●     ●     ○     ○     ○  / 追加で呪文を習得できます。
(真言系統)

◆一般技能     初歩 / 習熟 / 熟達 / / 効果
  【暗視】    ●     ●     ●            / 暗闇を60m先まで見通せる。
  【竜の末裔】   ●     ○    ○            / 生まれながらに硬い鱗と鋭い爪を持っています。
  【労働】     ●     ○     ○            / 仕事のコツをつかみ、要領よく働けます。
  【沈着冷静】  ●     ●     ○            / 簡単に動揺せず、感情を抑制して冷静さを保つ。 

◆呪文
 呪文行使基準値(知力集中or魂魄集中):【 08 】
 真言:【 8 】  奇跡:【 0 】  祖竜:【 8 】  精霊:【 0 】

 ◎習得呪文:《 開錠 》《 力与 》《 抗魔 》《 粘糸 》《 矢避 》《 火球 》《 力矢 》《 施錠 》
       《 竜牙刀/竜爪 》《 竜牙兵 》《 竜息 》《 小治癒 》

◆攻撃
 命中基準値(技量集中):【 5 】
 近接:【 0 】  弩弓:【 0 】  投擲:【 0 】

 ◎武器:【 〇〇〇〇 】
   用途/属性:【 ○○/○○ 】  命中値合計:【 0 】
   効果:

 ◎効力値
  -14:変化無し 15-19:+1D6 20-24:+2D6 25-29:+3D6 30-39:+4D6 40:+5D6

◆防御
 回避基準値(技量反射):【 4 】

 ◎鎧:【 司祭服 】
   属性:【 ○ 】  回避値合計:【 3 】
   移動力合計:【 18 】  装甲値合計:【 2 】 隠密性:【 悪い 】

 ◎盾:
   属性:【 ○ 】 盾受け基準値合計:【 0 】  盾受け値+装甲値合計:【 0 】  隠密性:【 0 】
   効果:

◆所持金
  銀貨:20枚

◆その他の所持品
  真言呪文の発動体であるイヤリング(500枚相当)
  冒険者ツール(鈎縄,楔x10,小槌,火口箱,背負い袋,水袋,携帯用食器,白墨,小刀,松明x6)
  携帯食×7日分、衣類

────────────────────────────────────────


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断章02:深奥なる鋼の秘密

誤字報告ありがとうございます。


 「いらっしゃい……って、あんたか」

 

 武器屋の店番をしていた青年は入ってきた客に顔を顰めた。

 その客は白髪の少女を連れた只人(ヒューム)の剣士だ。首には銀等級の認識票をつけているのが見える。

 青年にとって、色々な意味でどうにも気に入らない客であった。

 

 「あんた、昇格したのか?」

 

 前回、この剣士が訪れた時は、まだ銅等級の冒険者であったはずだ。

 

 「ああ、今回の依頼で昇格がちょうど認められてな」 

 

 剣士はなんでもないことのように答えるが、在野最上位と呼ばれる第三位銀等級は、伊達や酔狂でなれるものではない。

 明らかに自分より年下である剣士の偉業に、青年はますます面白くなかった。

 

 工房と武器屋を繋ぐ扉が乱暴に解き放たれたのは、その時だった。

 

 「おう、帰ってきたか!早速、見せてもらおうじゃねえか」

 

 扉を開けて飛び込むように入ってきたのは、青年の師である鉱人(ドワーフ)の鍛冶師だった。

 その顔は常にない笑顔でありながら、目は爛々とギラついていた。

 

 「約束通り、この刀で斬ってきた。斬った数は54、相手は混沌の軍勢の残党である蜥蜴人(リザードマン)の群だ」

 

 「……これで50以上の蜥蜴人を斬ったって言うのかよ」

 

 渡された数打ちの刀を鞘走らせて見つめる師の声は、青年からしてもはっきりと震えていた。

 そして、青年はその刀の状態を見て、絶句した。刃こぼれ一つなかったからだ。

 

 「ああ、その通りだ。何かおかしいか?」

 

 ――――おかし過ぎるわ!

 

 青年は、心の底から叫びたかった。師匠の作る刀は最高だと彼は、常々思っている。それが数打ちとはいえ、自分の打つ刀とはものが違う。

 しかし、しかしだ!いかに師匠の刀とはいえ、50以上の蜥蜴人を斬って、刃こぼれしないはずがない。ましてや、専用に作った銘刀でもなんでもない数打ちだ。物理的に不可能だとしか思えなかった。

 

 「お前は、本気でトンデモナイ奴だな。あいつがあんな手紙を書くくらいだから、相当なもんだとは思ってはいたが……」

 

 「師匠、信じるんですか!?」

 

 青年には、ホラ話としか思えなかったが、師は信じるというのだ。驚くのも無理もないだろう。

 

 「馬鹿野郎!信じるも何もねえ!お前にはこの鋼の声が聞こえねえのか!

 ……これだけの血を吸った刀を見るのは、本当に久し振りだぜ」

 

 だが、師には信じるに足る確たる証拠があるらしい。

 師は、剣士の言葉をまるで疑っていなかった。

 

 「で、でも、刃こぼれ一つしてないんですよ。そんなことありえるんですか!?」

 

 「無礼な!主様の言葉に嘘はない。主様は、その刀をもって確かに群を全滅させたのだ」

 

 それでも信じがたいと声を上げた青年に対して、強い口調で口を挟んだのは、それまで沈黙していた白髪の少女だった。

 真紅の瞳が、青年を鋭く射貫き、それ以上の言葉を封じた。殺意すら篭もっていそうなその眼光に、青年は完全に縮こまった。

 

 「悪いな嬢ちゃん、こいつはまだまだ未熟者でよ。鋼の声を聞くどころか、剣士の腕の良し悪しも見抜けねえのさ」

 

 それを宥めたのは、師だった。自分より遙かに年下の少女にあっさりと頭を下げて、詫びてみせたのだった。

 

 「……次はない」

 

 師の行動に、少女は誠意を感じ取ったのか、それだけ告げると再び剣士の後方へと下がった。

 儚げな見た目とは裏腹に苛烈な意思を宿した少女だと、青年は思い知った。

 

 「これ程のもんを見せられたら否はねえ。ちょっと待ってろ」

 

 そう言って、師は工房へと戻り、二振りの刀を持って帰って来た。

 

 「まず、研ぎが終わったお前さんの日輪刀とやらだ」

 

 そう言って、剣士に渡された刀こそは、日輪刀。

 預けられて以来、師と青年を魅了してやまなかった至高の芸術品とも言える刀だった。

 斬ることを骨の髄まで追求した機能美と、芸術品を思わせる刀としての美しさ。どうやって、染色しているかも分からない色彩も含めて。

 

 ――――ああ、あれを自分の物にできたならどれほど良かっただろうか。

 

 青年がそんな風に思えてしまうほどに、日輪刀は素晴らしい刀だった。

 同じ物は絶対に打てないだろうが、己の最高傑作であると飾っておくだけで箔がつくのは間違いないであろうから。

 

 「確かに」

 

 剣士は鞘走らせて、刀を確かめるとすぐに納刀して、腰へと差した。

 青年には、非常に気に入らないことに、そこにあるのが自然であるというように、剣士に日輪刀は似合っていた。

 

 「そして、本題はこっちだ。

 ……情けねえが、ほぼ模倣になっちまった。お前さんの刀はそれくらい完成している。お前のために作られたお前のためだけの刀だ」

 

 この一ヶ月、師が日輪刀に勝るとも劣らない刀を作ろうとして、寝食を忘れて苦心してきたのを青年は知っている。

 何本の刀を作り出して、これでは駄目だと炉に放り込まれたか。工房の炉が、魔法の力を持った特殊なものでなければ、たちまちに工房の財政は傾いていたであろうレベルだ。

 そして、その積み上げた犠牲の上に、今朝作り上げた最高傑作が、その刀だった。

 師は自虐するが、青年から見れば、それは日輪刀に劣らない代物だ。

 

 「ふむ」

 

 鞘走らせて、刀の出来を確かめる剣士に、青年は沸々と怒りが湧いてくる。

 

 ――――こんな奴に、刀の良し悪しが分かってたまるものか!師匠の刀は、お前などには勿体ない!

 

 「どうだ?そいつはお前が振るうに足るものか?」

 

 「試し斬りがしたい」

 

 「おう、勿論だ!そう言うんじゃねえかと思って、用意はしてある」

 

 代金を貰う前に刀で試し斬りなど、本来正気の沙汰ではない。

 普通の両手剣や直剣などに比べ、正しく振るわれなければ折れやすいのが刀というものだ。

 だというのに、師は剣士の腕に全幅の信頼をおいているのか、嬉々としてそれに応じた。

 

 果たして庭に設えたそれは、巻き藁などではなく、騎士のつけるような板金鎧(プレートアーマー)だった。

 断じて試し斬りに使うものでもないし、けして安いものでもない。

 

 「おう、来たか。確かに注文通り用意したが正気か?俺の鎧はちょっとやそっとの代物で斬れるようなもんじゃねえぞ」  

 

 準備を頼まれていたであろう武具店の主が呆れた顔で言う。

 大枚叩いて、自分では使わないであろう最高級の板金鎧の使い途が、あろうことか試し斬りなのだから、そうも言いたくなるだろう。

 青年は全く同感だった。

 

 「いいから、お前は黙って見てろ!テメエの自信作が、ぶった斬られるのが見たくねえっていうんなら帰ってくれてもいいんだぜ?」

 

 「ぬかせ!その兄ちゃんが、どれ程の遣い手か知らねえが、俺の鎧が易々と斬れるわけがねえ」

 

 師の言葉に、武具店の主は鼻で笑って下がった。彼にも己が作品への自負があるのだろう。

 そして、庭に残されたのは、剣士だけだった。

 

 「では、参る!」

 

 一声、そう発すると共に剣士の雰囲気が変わった。まるで別人になったかのようであった。

 空気すら影響されたのか、肌にピリピリしたものすら青年は感じた。

 

 上段に構えられた刀が振り下ろされ一閃、まるで雷鳴がはしったかのようであった。

 パチンという納刀の音がいやに大きく響いた。

 

 「……嘘だろう」

 

 茫然自失の武具店の主がどうにか絞り出したその声は、明らかに震えていた。

 青年も、そして師も、あの白髪の少女さえも言葉を失っていた。

 目の前には、縦から真っ二つにされた板金鎧があったからだ。

 

 「良い刀だ、確かに注文通り。代金は言い値で払おう」

 

 その偉業を成し遂げた剣士だけが、何の感慨もなくそう言った。

 

 「……金貨10枚でいい。久方ぶりに満足いく仕事をさせてくれたのと、いいものを見せて貰った礼だ。

 ただ、次があるなら50は貰う」

 

 師がつけた値段は金貨50枚であっても、明らかにかけた費用や労力と釣り合っていなかったが、師の顔はどこまでも満足気で、到底口を挟める雰囲気ではなかった。

 

 「……感謝する。次があるかどうかは先約があるのでな。どうなるか、分からん」

 

 「ふん、あいつか。面白え、あいつが俺を超えられるかどうか楽しみにしてるぜ。

 また王都に来ることがあったら、顔を見せな。次こそはお前を満足させるに足る刀を作ってやる」

 

 青年は、今度こそ絶句した。

 これだけの結果を出して、尚、剣士は刀の出来に満足していないのだと知って。それを当然のことのように受け容れて、雪辱を誓う師の有様に。

 鋼の秘密というのは、なんと奥深く深淵なものなのだろうか。

 

 「楽しみにしていよう――――行くぞ」

 

 「はい、主様!」

 

 儚げな雰囲気はどこへやら、目をキラキラと輝かせた白髪の少女が、剣士に続く。

 遠ざかる二人の背中を、青年は見つめることしかできなかった。

 

 「お前もちょっとは理解出来たか。あれが自分の鍛えた刀を振るって欲しいとすら思える達人ってやつだ」

 

 師の言葉に青年はようやく理解する。

 なぜ、あれほど師が打ち込めたのか、採算度外視だったのかも。

 あれ程の剣士に、自分の鍛えた刀を振るって貰えるのは、鍛冶師としてどれだけの誉れだろうか。もし、自分の刀を振るって偉業をなしたならば、それだけで鍛冶師として生涯の誇りとなろう。

 

 「いつか、お前もあいつに使って貰える刀が鍛てるようになりな」

 

 「……」

 

 自分より遙か高い腕を持つ師の現状における最高傑作でも満足させられない剣士が振るうに足る刀……。

 あまりにも遠すぎる師の言葉に、青年は黙って頷くことしか出来なかった。

 

 後に刀匠として名を馳せることになる男の若き日の出来事であった。




鬼鬼コソコソ話
鉱人の鍛冶師は、刀剣に特化した変わり者。それでも王都に店を構え、食っていけるだけの腕はある。弟子である青年は、師匠の刀に一目惚れして弟子入り。なので、そんな尊敬する師匠が、自分より年下の雲柱さんを認めているのが面白くなかったというお話。


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09:合縁奇縁

誤字報告ありがとうございます。
今回の話は、銀昇格後のお話。


 ――――奇妙なことになったものだ。

 

 四方世界に来訪してより早二年、今や銀等級の冒険者となった『鬼斬り』は、久方ぶりに純粋に困惑していた。

 その原因は、自らの影のように側を離れない儚げな見た目をした白髪紅眼の少女だ。

 

 この白髪の少女は、銀等級になるための昇格依頼で、討伐対象であった混沌の軍勢の残党である蜥蜴人(リザードマン)の群に囚われ使役されていた奴隷の一人だ。

 只人(ヒューム)との混血(ハーフ)である彼女は、只人の血が表面に出たことにより、通常の蜥蜴人より肉体的に脆弱であったことから同じ蜥蜴人の里の出でありながら、両親の死をきっかけに奴隷にされてしまったという。

 里において、アルビノが不吉・凶兆とされていたこともあって、体こそ穢されなかったようだが、碌な扱いを受けていなかったらしい。

 

 ――――だからといって、いきなり首を差し出すとはな……。

 

 何をとち狂ったのか、少女は『鬼斬り』の強さに惚れたといい、自身を殺してくれるように懇願してきたのだ。

 

 ――――少数の鬼が正気を取り戻して、殺してくれと言われたことはあるが、流石にあれは初めての経験だったな。

 

 しかも、質の悪いことに少女は狂気に冒されたわけでもない。彼女は心の底から、『鬼斬り』の手にかかることを望んでいたのだから、始末に負えない。

 彼女の目はどう見ても本気だった。鬼殺隊の柱として、覚悟が決まった者達を見てきた彼がそれを見紛うことはありえなかった。

 

 どうにか説得して諦めさせたものの、冒険者ギルドの事情聴取と報告が終わってからが問題だった。

 少女は、『鬼斬り』の奴隷になりたいと言いだしたのだ。

 これにはギルドも『鬼斬り』も困惑した。折角、奴隷身分から解放されたのに、なぜまたと。

 考え直せと説得するギルド職員や『鬼斬り』を尻目に、少女は頑なだった。

 ギルド職員が根負けして、その路線で行こうとしたくらいだから、筋金入りと言えよう。

 

 とはいえ、三姉妹の件で懲りていた『鬼斬り』がそれを受け容れるはずもなく、彼は「奴隷は必要としていない」と明確にそれを拒否した。

 すると、少女は自分を剣の糧として欲しいと懇願し始めた。彼から離れるくらいなら、せめてその手で殺して欲しいと。

 

 流石の『鬼斬り』もこれにはお手上げだった。少女は本気だということを嫌というほど理解出来てしまったからだ。

 「何をしたんですか?」と言わんばかりのギルド職員の痛すぎる視線が突き刺さる。

 

 結局、『鬼斬り』は妥協した。仲間としてなら、受け容れると。

 少女が、彼が求めていた優れた魔術師であることは、道中散々邪魔されたことから知っていたし、必要もないのに命の灯火をかき消すのも御免だったからだ。

 結果、その場で彼女は冒険者登録を行い、晴れて白磁等級の冒険者となった。以来、どこへ行くのにも付いてくるようになったというわけだ。

 

 ――――昔から女に甘いとは言われたが、そんなに甘いか?俺は普通に接しているつもりだが……。

 

 『鬼斬り』の致命的な失敗は、彼の女性に対する接し方が、前世の現代基準になっていると言う点である。

 基本、男尊女卑がまかり通る幕末の世や、四方世界においてそれが女性側にどう思われるのか、彼は未だ理解していなかった。

 

 「主様、何かお考えことですか?」

 

 知らず知らずの内に足を止めていた『鬼斬り』に、少女の声がかかる。

 

 「いや、なんでもない。行くぞ」

 

 考え事をしていても、『鬼斬り』の足はしっかり目的地へ向かっていたらしい。目前には、王都の冒険者ギルドが見えた。

 彼は考えても仕方がないと頭を振ると、ギルドの扉をくぐったのだった。

 

 

 

 

 

 

 「……おい、あいつ」「あれが、あの……」

 

 竜巫女とその主がギルド内に入ると、少なからずざわめきが起こる。

 それは竜巫女の主が在野最上級の銀等級の冒険者ということもあるだろうが、それ以上にその所業が話題になっているのだろう。

 

 曰く『首狩り』、『死神剣士』と。

 主の斬首は癖だと竜巫女は聞いていたが、周囲からみればその徹底ぶりは異様にうつるらしく、異名にさえなりつつあるようだ。

 決定的だったのは、竜巫女がいた群を殲滅したことらしいので、申し訳ないと言う気持ちを彼女は多分に抱いたが、同じくらい誇らしかったのも事実であった。

 

 「『鬼斬り』さん、今日はどのようなご用件でしょうか?」

 

 竜巫女達の姿を確認したギルド職員がわざわざ要件を確かめに来る。

 通常ならありえないことであるが、竜巫女の主は、この一ヶ月間の王都滞在で色々やらかしたらしく、また何かやらかすのではと警戒されているらしい。

 

 「いや、そろそろ王都を離れるのでな。その挨拶と、最後に一つくらい依頼をこなしていこうかと思っただけだ」

 

 「そうですか。それはご丁寧にありがとうございます。依頼は、ちょうど一つおすすめがあるんですが、聞かれますか?」

 

 「ああ、頼む」

 

 主に依頼されたのは、つい二、三日前に王都近郊に突如出現した館の調査だった。

 王都の近郊ということで、すぐに軍が動いたが、館の中には入るどころか辿り着くことすらできない有様。仕方ないので、冒険者に調査を依頼したところ、ある一定以上の人数がいると館に辿り着けないことが判明した。

 その数は僅か三人で、今いる銀等級の一党は殆ど四人以上であり、数少ない三人以下の一党は王都を離れているということだった。

 そこで単独(ソロ)にもかかわらず破格の戦闘能力を持ち、驚異的な昇格スピードで銀等級に上がった主に白羽の矢が立ったということらしい。

 

 「依頼内容は、館内部の調査、可能ならば館が現れた原因の排除か。ふむ、そうなると――――」

 

 主が言葉を切って、竜巫女を見つめる。

 その目は、言外に連れてはいけないと告げていた。

 

 「そうですね、基本的には『鬼斬り』さんへの依頼となりますので。それでもついて行くというのならば、自己責任となります」

 

 「構いません、主様が行くところなら、私はどこへでも参ります!」

 

 「だ、そうだ」

 

 「そのようですね、ははっ」

 

 竜巫女の力強い宣言に、主は諦めように笑い、ギルド職員も乾いた笑いを漏らすのだった。

 

 

 

 

 

 「さて、思った以上にあっさり辿り着けたが、これはどういうことだろうな?」

 

 『鬼斬り』が背後に目をやるが、今し方通ってきたはずの扉はどこにもなかった。

 今、彼は調査を依頼された館の内部へと侵入したところだったのだが、早速の異常に眉を顰める。

 

 「主様、これは侵入者を逃がさない為の仕掛けかと思われます。ギルドも内部調査はしたとは言っていませんでしたし、元々この館はそういうものではないのでしょうか?」

 

 竜巫女は少し考えながら、所見を述べる。

 

 「なるほど、そもそも少人数しか辿り着けないのは、誘い込んで確実に殺すための罠だからか」

 

 「……ほう、少しは考える頭のある奴が来たらしいな」

 

 「何奴!?主様に非礼であろう!早々に姿を現しなさい!」

 

 聞き覚えない声が聞こえ、竜巫女が叱責するように誰何する。

 

 「やれやれ、鼻息の荒いお嬢様だ。これは面倒な相手に声をかけてしまったかな?」

 

 そんなことを嘯きながら、姿を現したのは人ではなく烏だったことに、『鬼斬り』と竜巫女は瞠目した。

 

 「烏が魔法の気配もないのに喋ってる!?」

 

 竜巫女が驚愕を露わにする一方で、『鬼斬り』は懐かしさすら感じると共に、明確な違和感を抱いた。

 これは鎹烏のように、言葉を学習した烏が喋っているわけではないと。

 

 「落ち着け、烏が喋っているわけではない。その口を利用して、人が喋っているだけだ。そうだろう、魔術師?」

 

 「ほう、使い魔でないと看破したその娘もそうだが、魔法の気配がないと聞いて尚、なぜ私が魔術師だと?」

 

 烏の目は鋭い、それは見定めるように二人を観察するものであった。

 

 「鳥に人語を話させようとすれば、それは特徴的なものになる。そうでなくとも、なにかしら違和感を抱かせるものだ。

 だが、お前の話し様にはそれがない」

 

 断定するように言う『鬼斬り』に、竜巫女は目をキラキラさせ、烏は感心した。

 

 「なるほどな、これは本当に当たりを引いたかもしれんな。少なくとも、今までの奴のように、私の正体について考えを巡らせもしない盆暗ではないようだ」

 

 「俺達以前にこの館に入り込んだ者が?」

 

 「ああ、少なくとも15人は入ってきているな。

 大方、この館に財宝でも隠されていると思っていたに違いない。全く、いつの世も、人の欲望には限りがないものだ」

 

 「ふむ、それでお前は、俺達に何をして欲しいのかな?」

 

 「……察しのいい男だ。まあ、話が早いのは悪いことではない。貴様らに頼みたいことはただ一つ、この館を根城にしている不死の呪術師(リッチ)の討滅だ」

 

 「不死の呪術師!?」

 

 竜巫女が驚愕の声を上げる。それも当然、こんな王都近郊で遭遇していいレベルの怪物ではないのだから。

 呪文遣い(スペルスリンガー)として、それなりの自負がある彼女であっても、魔法の腕では圧倒的に劣っていると認めざるをえない、恐るべき死に損ない(アンデッド)の魔法使い。

 それが不死の呪術師という存在なのだ。

 

 「そうだ、奴はこの館に陣取り、彷徨い込んだ愚か者を自らの手駒とし、死者の軍団をつくりあげようとしているのさ」

 

 「……死者の軍団か、ぞっとしない話だ」

 

 死後を弄ぶなど、鬼でもやらぬ鬼畜の所業である。自然と『鬼斬り』の声には鋭いものが混じっていた。

 

 「主様、これは想像以上の案件です。今すぐ戻ってギルドに報告すべきです」

 

 竜巫女は、主のやる気を感じ取りながらも、勘気を被る覚悟で進言していた。

 彼女からすれば、どう考えても一冒険者がどうこうする案件ではない。明らかに国が動くべき案件なのだから。

 

 「それは無理なんだろう、魔術師?」

 

 「本当に察しのいい男だ。その通り、お前達がこの館を出るには奴の手駒となるか、奴を倒す以外に方法はない。

 元より、この館は生命あるものを逃がさぬ為の儀式場なのだ」

 

 烏の答は、およそ『鬼斬り』の予想通りであった。そうでなければ、これ見よがしに入り口を消したりはしまい。

 

 「そんな……」

 

 竜巫女は、その絶望的な答に顔を俯かせた。

 

 ――――折角、生きる意味を見つけたのに!ようやく、父の言ってたことが理解出来たのに!

 

 「おい、なぜそんな顔をして俯く?お前は、まさかお前が主と仰ぐ者がそんなに弱いとでも?」

 

 「いいえ、いいえ、けしてそんなことはございません!主様の強さは誰よりも理解しているつもりです。で、ですが……」

 

 『鬼斬り』の強さを知り、魅せられ信仰していると言っても過言ではない竜巫女ではあったが、それでも不死の呪術師に『鬼斬り』が勝てるという確信は持てなかった。

 それ程に不死の呪術師というのは恐ろしい怪物であり、ある意味では(ドラゴン)以上の難敵なのだから。

 

 「やれやれ、思っていたほど信用されていないようだな。

 まあいい、それならよく見ていろ」

 

 「おい、貴様、いやに自信ありげだが、本当に大丈夫なのか?奴の魔法と奴の手駒は、その娘の言うとおり厄介だぞ」

 

 「だろうな……。それより、奴の居場所は分かっているのだろう?案内して貰おうか」

 

 「……本当に大丈夫なんだろうな?」

 

 僅かの躊躇も見せない『鬼斬り』に、烏は少し不安になりながらも案内するのだった。

 

 

 

 

 

 

 ――――ほう、また生者が入って来たか。ククク、人とはなんとも愚かな者よな。

 

 確実にこの館に囚われることになるであろうことを思い、不死の呪術師はほくそ笑む。

 手駒が増えれば増えるだけ、封印の負荷は小さくなり、いずれ自身をこの館に縛る忌々しい封印を砕くことが出来るだろう。

 

 ――――あの馬鹿弟子は、未だ足掻いてはいるようだが、無駄なことよ。

 

 自身が不死の呪術師となるために生贄と捧げた愚かな弟子を嘲笑う。

 生贄にされながらも自身をこの館に縛り、異次元への封印を成し遂げたのには驚かされたものだが、すでに封印は綻びつつある。

 こうして現世と繋がり、生者が彷徨い込んでいるのが何よりの証拠だ。

 

 ――――どうせ生贄にされるのだからと、我が身も省みぬ限界突破(オーバーキャスト)とは、大したものであったが、それも直に水泡に帰す。

 

 着々と手駒は増えており、自身を縛る封印の負荷は徐々に軽くなっているのが実感出来る。

 

 ――――まさか、使い魔の烏に魂を移すことで逃げ延びられるとは思わなんだが、烏の身では何も出来まい。魔法が使えても、お前はこの部屋の扉すら開けられないのだからな。

 

 不死の呪術師は、今も無様に生き延びているであろう愚かな弟子の無力を嘲笑する。

 恐るべき怪物が解き放たれる時は、刻一刻と迫っていた。

 

 

 

 

 「奴はあの部屋から出ることが出来ない。そういう風に封じてやったからな。

 だが、奴は恐るべき魔法の使い手だ。奴の視界に入れば、雨霰と魔法が放たれるだろうよ」

 

 地下祭壇へと続く扉の前で、烏は不死の呪術師の脅威を語る。

 彼にとっては忌々しいことだが。師であった不死の呪術師は一流であり、魔法の腕は確かだ。少なくとも、所在なさげに『鬼斬り』を見つめる竜巫女では、到底抗うことは敵うまい。

 

 「心配は無用。思ったより広くはないし、距離もない。十分に殺せるだろう。

 いい機会だ、新しい刀のお披露目といこう。この刀に《力与(エンチャント・ウエポン)》を頼む」

 

 「は、はい!アルマ(武器)……マグナ(魔術)……オッフェーロ(付与)

 

 竜巫女の真に力ある言葉(トゥルーワード)が、蜜蝋を触媒に刀に魔法の力を宿らせる。

 

 「確かに、それなら奴に有効なダメージを与えられるだろうが、本当に一人でやるのか?」

 

 不死の身体を持つ不死の呪術師には、通常の物理攻撃では効果が薄い。そういう意味では、《力与》は有効な手段ではあった。

 しかし、一人でやるというのが、烏には理解出来ない。確かに竜巫女は、魔術師としては及ばないだろうが、それでも腕のある呪文遣いなのだ。多少の助けにはなろう。

 

 「はっきり言うが、足手まといだ。俺の合図で扉を開けたら、二人とも下がれ。いいな?」

 

 『鬼斬り』の言葉には、反論を許さぬ強さがあった。

 烏がそれ以上、何も言う気がなくなり、竜巫女が黙って頷くほかなかったのも無理のないことであった。

 

 『鬼斬り』は扉が少し離れた場所に立つと、懐から短刀を取り出して抜き、その場で二度三度軽く跳んだ後に叫んだ。

 

 「今だ!」

 

 竜巫女が勢いよく扉を開け放つ。

 

 《雲の呼吸 壱ノ型 驟雨》

 

 瞬間、雷鳴が轟き、『鬼斬り』は姿を消したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――ククク、愚か者め。まんまと真っ正面から突っ込んでくるとは!

 

 地下祭壇にある不死の呪術師が座る玉座は、地下祭壇へと続く扉の真っ正面にある。当然、侵入者があれば丸わかりであり、迎撃も容易なのだ。

 よって、手駒も既に配置してあり、侵入者を封殺する準備は万端であった。

 

 ――――扉が開くと同時に、《火球(ファイヤーボール)》で諸共に丸焼きにしてくれるわ!

 

故に扉が開け放たれた時に、すでに火球は準備済みだった。

 そして、その火球の大きさときたら、凄まじいものがあった。間違いなく彼は、魔術師として一流なのだろう。

 

 「……投射(ヤクタ)!」

 

 最後の真言と共に放たれる火球は、狙い過たず地下祭壇の入り口を灼いた。

 

 「む、誰もおら――――ガァッ!?」

 

 タイミングはドンピシャだったはずだというのに、《火球》には誰も巻き込まれているようには見えない。

 不審を感じた不死の呪術師だったが、次の瞬間それどころではなくなった。なにせ、彼の胸を短刀が貫いていたからだ。

 それも半端な痛みではない。まるでそこから力が失われていくように、存在が削り取られるが如き痛みだった。

 

 「グガガガガ」

 

 抜こうとするが、触ること自体が禁忌のようで、さらなる激痛が不死の呪術師を襲う。

 

 ――――馬鹿な、なんだこの短刀は。まるで太陽の光を直接浴びたような……。

 

 「まさか、こうなるとは思わなかった。望外の幸運だったな」

 

 不死の呪術師前には、いつの間にか一人の剣士が立っていた。

 

 ――――こうも簡単に近づかれるとは!手駒はどうした!なっ!?

 

 ありえぬ事態に驚愕しながら、激痛に苛れつつも手駒の状態を確認して、不死の呪術師は絶句した。

 彼の手駒である冒険者あるいは仕掛け人の屍人(ゾンビ)悪霊(ゴースト)は、一体残らず斬首されて、消滅するか倒れ伏していたのだから、無理もないだろう。

 

 「固めておいてくれて助かった。これ見よがしに、正面の玉座に座っていてくれたことにも感謝しよう。

 死後を弄ぶ悪鬼よ、お前に慈悲はない」

 

 ならばと、魔法を放とうとするが、それよりも早く剣士の刀が閃き、不死の呪術師の首を刎ねた。

 あまりに呆気ない不死の呪術師の最期であった。

 

 「斬滅完了」

 

 剣士の納刀の音だけが、地下祭壇に響き渡るのだった。

 

 

 

 

 

 「……はぁっ!?」

 

 烏は、己の目を疑った。

 瞬殺、まさにそう形容するほかない。数多の侵入者の命を奪い、自身の手駒としてきた邪悪な不死の呪術師は、今ここに討ち果たされたのだ。

 

 ――――馬鹿な、あいつ何者だ!不死の呪術師だぞ、なり損ないの幽鬼(レイス)ごときとはわけが違う真性の化物だぞ。それがこんな……。

 

 刀を納め、ゆっくりとこちらへ戻ってくる無傷の『鬼斬り』の姿に、烏は心から畏怖を抱いた。

 剣士を馬鹿にしていたつもりはない。だが、心のどこかで、魔法より下に見ていたのは事実だ。

 だが、どうだろう?目の前の現実は!これを見て尚、剣士が魔術師に劣るなど、どうして言うことが出来ようか!

 

 「主様、流石です!ああ、私は何という愚か者だったのでしょうか」

 

 感極まった声で、恍惚の表情を浮かべる竜巫女に、烏はひいた。

 それは恋慕などという生やさしい感情では断じてなかった。

 

 ――――これは崇拝であり、信仰だ。いや、混血とは言え蜥蜴人なら無理もないのか?

 

 蜥蜴人の友人がいたので、彼らの価値観は烏もそれなりに知っている。

 それを考えれば、竜巫女がこうなるのも無理はないかもしれない。なにせ、剣など握ったことすらないおのれでさえ、一瞬とはいえ、憧憬の感情を抱いたのだから。

 

 ――――極まった技術は、魔法と変わらないというわけか……。確かにお前の言うとおりだった。

 

 今は亡き旧友の言葉を思い出し、烏は内心で苦笑する。つくづく、あいつの言ったことは正しいことが多かったものだと。

 

 「魔術師、お前はどうする?」

 

 そんなことをつらつらと考えていた烏に、『鬼斬り』の声がかかけられる。

 もう、戻って来ていたようだ。見れば。竜巫女もすまし顔で、すっかり元の様子である。

 

 「どうすると言われてもな……。奴を討つことが唯一の心残りだったからな」

 

 生贄を使うような外道に堕ち、悪しき死人占い師(ネクロマンサー)と化した師を止めることが、唯一の弟子であった彼の責務であり未練だった。

 こうして討ち果たされた以上、最早現世に残る意味はない。

 

 「良ければ、俺達と共に来ないか?」

 

 「何?」

 

 「折角の縁だ。これでお終いというのも味気なくはないか?」

 

 「ふむ……」

 

 意外な『鬼斬り』の提案だったが、烏は悪くない提案だと思った。

 これ程の剣士に誘って貰える事自体が誉であったし、彼自身、今の世界への興味があることも否定出来ない。

 そして、彼とて男である。若い頃は冒険者への憧れがなかったわけではないのだ。

 

 ――――こいつと一緒に行けば、普通じゃ見れないものが見られそうだ。よしっ!

 

 「いいだろう。今の世にも興味があったところだ。飽きるまでは、貴様らについて行ってやろう」

 

 「こいつ、主様に!」

 

 「いい、まあ、そう来なくてはな。簡単に腑抜けになられても困る。

 さて、では名乗ろう。俺の名は――――」 

 

 「ふん、そうだな。俺の名は――――」 

 

 烏は、数百年ぶりに、己の名を名乗ったのであった。

 只人の剣士と混血の蜥蜴人の魔術師、そして、死人占い師の烏。奇妙な一党がここに結成されたのだった。 




鬼鬼コソコソ話
この不死の呪術師は烏の師匠で、弟子を生贄にすることで、不死者と到りました。ちなみに魂は捧げられる前に烏に移してあり、肉体しか捧げられていない為に、儀式は完遂していません。なので、当人に自覚はありませんが、不完全体でした。日輪刀が必要以上に効いたのはそういうことです。


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断章03:義兄のような人/とんでもない王都土産

誤字報告、ありがとうございます。
今回は次女のお話。


 私には義兄のような人がいる。

 

 ――――いえ、姉さんの向ける感情や現在の状況を客観的に見れば、最早義兄以外にどう呼べばいいのかっていうレベルよね。

 

 人の良すぎる男で、私達姉妹の命の恩人でありながら、小鬼禍の被害を受けた私達の面倒を見てくれている。たとえ、それが姉が奴隷になることと引き換えだったにしても、どう考えても釣り合いがとれていないのだから、やはりお人好しが過ぎると思う。

 

 今、姉妹で住んでいる家だって、あの人が買い上げたものだ。それも、ところどころに手が入れられ、快適さは、村に住んでいた頃より遙かに上だ。

 先頃、出て行ってしまった妹は理解していないかもしれないが、あの人がどれだけ私達の為に心を砕いていたか、語るまでもないだろう。

 

 姉の目は確かで、遠方からの異邦人であるというあの人は、優れた剣士だった。

 

 ――――まあ、常識では到底考えられない速度で、在野最上級の銀等級の冒険者へと駆け上がったことを考えれば、そんな言葉では足らないかもしれないけど。

 

 私達の村で人喰鬼(オーガ)を殺し、冒険に行けば魔神(デーモン)を。そして、今回はついに不死の呪術師(リッチ)さえ斬ってきたらしい。

 そういったものに詳しくない田舎娘である私ですら、英雄譚でしか聞いたことのない、いずれ劣らぬ怪物達である。その尽くをあの人は斬って捨てたというのだから、『鬼斬り』の異名も納得の凄まじい戦果であった。

 

 ――――つくづく、姉さんは正しかったわ。あの人に賭けたのは間違いなんかじゃなかった。

 

 今や吟遊詩人にすら歌われるあの人は、まさに英雄だった。その庇護を受けられるようにしたのは、間違いなく姉の英断だった。

 姉は娼婦になってでも、私達を養うつもりだったらしいが、実際にはそれが不可能であったことは、未だあの人に抱かれていないであろうことからも明らかだ。

 姉妹である私達とあの人以外に触られると、その場では耐えられても吐き気すら催す状態だったのが姉だ。それも独り寝もできないレベルで常に怯えていたのだから。

 

 とはいえ、私や妹も姉のことをどうこう言えた義理ではない。

 妹は酷い人間不信に陥って姉と私以外の者に触れることすら忌避していたし、私も小鬼(ゴブリン)の影がちらつき、近い背丈の子供に対する忌避感がでてしまい、働きに出るどころか人混みに入れば狂乱しかねない始末だったのだから。

 

 勿論、私達姉妹も二年間、ずっと停滞したわけではない。

 姉は、あの人に文字を教えていたことがきっかけになって、近所の子供達に文字や計数を教えるようになった。

 こうして、あの人が長期留守にしても、私の所に来ないあたり、ようやく独り寝もできるようになったのだろう。

 

 ――――まあ、そうじゃなきゃ、あの人もこんなに長期間留守にしたりしないわよね。

 

 妹は、あの人への対抗心からか、はたまた小鬼達への憎悪からか、冒険者になると言い出し、戦女神の神殿に入り浸るようになり、ついには住み込みで修練すると、この家を出るに到った。

 

 ――――戦女神の神殿になんの縁故もない貴女が、どうして戦う術を教えて貰えたのか。住む家も、肉親もある貴女が、なぜ住み込みでの修練が認められたのか。そこら辺を考えられないあたり、あの娘はまだまだ子供だわ。

 

 世間知らずの末妹のやらかしに、姉とあの人が動いていたことは知っている。戦女神の神殿に少なからぬ金貨を、あの人が喜捨したことも知っている。

 

 ――――当然、私が通う地母神の神殿もよね。あの人、ああ見えてそういう所は如才ない人だもの。

 

 元々信仰していた地母神に帰依し、一応神官と名乗れるようになったのも、あの人のお陰だ。 

 勿論、私も努力したが、それでも最初から忌憚なく受け容れられたのは、間違いなくそこら辺が影響しているのは間違いない。

 なにせ、神殿だって、霞を食べて生きているのではないのだから。特に地母神の神殿は、孤児や小鬼禍の被害者などの保護に熱心であるから尚更だ。

 

 今こうして、曲がりなりにも神官を名乗れるようになってはいるが、未だあの人の足下にも及ばないのは、私自身が一番よく理解している。あの人が持っていた種を庭で育てるとかもしているが、恩返しにはほど遠い。このままでは恩義が積み重なっていくばかりだ。

 

 ――――もしかしたら、あの娘もそう思っていたのかしら?

 

 当然ながら、私が内心で抱いたその問に答えてくれる者は、誰もいなかった。

 

 

 

 

 一ヶ月の王都滞在を終えて、銀等級の認識票を携えてあの人は帰ってきた。

 ついにそこまで到ったのかとは思ったが、驚き自体はあまりなかった。姉も私も、あの人が銀どころか金等級にすらなれるのではないかと思っていたから。

 強いて言うなら、渡された王都土産の上等な絹の服の方が驚いたくらいであった。かなり値の張る物であろうことは一目見て分かった。

 サイズはどうしたのかと聞いたら、私達姉妹が利用する服屋に赴いて、縮尺を紙に書かせたらしい。なのであの人自身は、知らないとのことだった。

 そこまで気が回せるなら、人間関係にももう少し気を遣って欲しいと、後に切実に思うことになろうとは、夢にも思わなかった。

 

 真の衝撃は、その後だったのだから。

 

 「主様、ここが主様の家なのですか?」

 

 あの人の後から、儚げな雰囲気の美少女が姿を現したからだ。

 新雪を思わせる透き通るような白い髪に、鮮血を思わせる真紅の瞳。角が特徴的だが、それは欠点になっておらず、むしろ、同じ女である私にさえ、はっとさせる怪しい色気を放っている。

 姉も私も、容姿はいい方だと思うが、この娘に比べられてしまうと一歩劣ると言わざるをえない。知らず、私は息を呑んでいた。それは姉も同様だった。

 はっきり言えば、私も姉も目の前の少女に完全に呑まれていたのだ。

 

 「ああ、そうだ。挨拶を、彼女達は俺の――――身内だ」

 

 そんな私達を正気に戻したのは、何気ないあの人の言葉だった。

 少し考えるような間はあったが、彼ははっきりと私達を身内と宣言したのだった。

 どう表現すればいいのか迷った末の苦肉の策として出た言葉だったかもしれないが、少なくとも彼は他者にそう思われても構わないくらいには思ってくれているということだ。

 その時抱いた感情を、私はどう言えばいいか、分からない。

 ただ、絶望に沈みそうな顔だった姉が、たちまちに息を吹き返し、喜色満面になるくらいの衝撃があったことは間違いない。

 

 「主様の御身内ですか。初めまして、私は主様に仕える巫女で――――と申します」

 

 少女は、自己紹介すると優美な所作で頭を下げた。その様子からは、こちらを下に見るようなものは一切感じなかったし、私達を排除するような意思も見受けられなかった。

 なんのことはない。私達のひとり相撲だったということだ。

 その後、私達はお互いに自己紹介を終え、とりあえず一緒に食事でもということになった。

 

 しかし、それにあの人が待ったをかけた。

 

 「おい、いつまで我関せずを貫くつもりだ」

 

 あの人が声をかけたのは、いつの間にか彼の肩に留まっていた烏だ。

 普段、街で見かけるような烏とは違って汚れがなく、見事な濡羽色の毛並みが美しい。

 

 「やれやれ、折角人が人間模様を楽しんでいたというのに、無粋な男だな」

 

 なんと、その烏は人語を喋ったのだった。しかも、情緒たっぷりに。

 仕草もあいまって、本当に人が喋っているようであった。

 

 「悪趣味なことだ。いいから、さっさと自己紹介しろ。放り出されたいのか?」

 

 「ちっ、短気なことだな。まあいい、私は――――」

 

 珍しく苛立たしげなあの人に促され、烏は自己紹介する。

 故あって、烏に宿ることになった元只人(ヒューム)の魔術師であると。

 

 私達と言えば、目を丸くして聞くしかなかった。

 この二人(?)は、以後私達の新しい同居人となった。

 

 後に混血(ハーフ)の蜥蜴人の魔術師である少女が、あの人に向ける感情が恋慕なんて生易しいものではないことを私は知る。

 

 ――――喋る烏に狂信者……。どこをどうすれば、こんなとんでもない王都土産を用意出来るのかしら?

 

 私が、そう思ったのも無理もないことだった。




鬼鬼コソコソ話
次女は、リハビリを一番頑張った人。人混みに入る事自体きついのに、我慢して地母神の神殿に通った。姉や妹の状態をよく理解していたので、せめて自分は迷惑かけないようにと奮起した。原作女神官をはじめとした神殿の子供達との触れ合いで、大分回復しつつあり、恐怖症も解消に向かっている。
地母神の神官であり、土関係には造詣が深く園芸担当。雲柱が持ち込んだ藤の種から、藤を育てた。


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二章:『小鬼殺し』との邂逅
10:出会い


誤字報告、ありがとうございます。
ついにゴブスレさんの登場だ!ヒャッホー!……エタる前にここまで来れて本気で良かった。

※今回の話以降、原作ゴブリンスレイヤーならびに外伝イヤーワンのネタバレが多量にもりこまれますので、ご留意してお読み下さい。


 漆黒の髪の異邦人

 其は 剣の申し子にして 雷霆の化身

 振るう片刃は 血霧を生み出し 邪悪を刈る死神の鎌となる

 その身は雷霆 神速をもって 敵を討つ

 一度抜けば 魔神を斬り 人喰鬼を斬る

 鬼斬りの刃に 斬れぬものなし

 

 辺境最速と謳われる『鬼斬り』を歌った吟遊詩人の歌より

 

 

 黒き髪に 黒き瞳

 漆黒の喪服に身を包む 其は死神たる剣士

 死を操る烏を肩に乗せ 忠実なる竜の魔女を従える

 剣が抜かば首が落ち 命の灯火を吹き消す

 雷霆の如きその動きは けして獲物を逃がさない  

 祈らぬ者よ 邪悪なる者よ 恐怖せよ

 今宵 死神が 汝の首を命と共に刈り取らん 

 

 王国最恐と謳われる『死神剣士』を歌った吟遊詩人の歌より

 

 

 

 

 四方世界に来てより、早五年。良くも悪くも剣士は名が売れていた。

 王都方面では、『死神剣士』『首狩り』などと畏怖と共に呼ばれ、本拠地である辺境においては『鬼斬り』の異名がすっかり定着していた。

 

 「あの娘も、ようやく翠玉等級。中々に時間がかかるものだな」

 

 この三年で白磁だった竜巫女も、翠玉等級に昇格するに到っていた。

 勿論、通常より早いのは言うまでもなく、『鬼斬り』の感覚がおかしいだけである。

 

 「いや、『鬼斬り』さんの昇格速度が異常なだけで、三年で翠玉等級は十分に早いですから!

 先輩から聞いてはいましたけど、やっぱりちょっとズレてますね」

 

 『鬼斬り』の独白にツッコミを入れたのは、冒険者のギルドの監督官だった。

 五年経てば人員も入れ替わるものであり、彼女の言う先輩は前任者であり、『鬼斬り』専属の受付嬢と化していた女性のことだ。

 

 「彼女がそんなことを?最後まで世話をかけてしまったようだな」

 

 貴族の娘であった前任者は、結婚を理由にすでに職を辞している。剣士は、今も文通する程度の交流はあるが、馴染み深い彼女の顔が見られなくなったことはそれなりに寂しさを覚えた。

 

 「先輩から引き継ぎはされていますので、ご心配なく。『鬼斬り』さんの事情は理解していますので、ギルドに御用命あれば私にお願いします」

 

 どうやら再び監督官である彼女が、二代目の専属受付嬢になるらしい。

 相変わらず、『鬼斬り』は冒険者ギルドにとって、到底放置しておくことができない存在のようであった。

 

 「承知した。面倒をかけると思うが、よろしく頼む」

 

 「こちらこそ、よろしくお願いします。……お願いですから、程々にして下さいね」

 

 「善処しよう」

 

 剣士としては、そんなつもりはないのだが、なにかと騒動の火種になることは否定出来ない事実であった。辺境最速と謳われる程の異例のスピードで在野最上級まで、昇格してみせた剣士は、色々な意味で注目の的だ。良くも悪くも、人を惹きつけるし、騒動が寄ってくるのだ。

 

 「それ、駄目なやつですよね?本当にお願いしますよ!」

 

 監督官は、前任者から聞いた『鬼斬り』にまつわる話を聞いてはいたが、金等級への昇格を蹴ったなんて話もあったので、正直話半分であった。

 だが、こうして実物に会うと、むしろ、割り引いた話だった気がしてくる監督官であった。

 

 ――――もしかして、私、とんでもない貧乏籤引いたんじゃ!?

 

 今更ながらにそんなことを監督官は思うが、最早後の祭りである。

 少なくともしばらくは、彼女はこの支部で監督官を務めねばならないのだから。

 

 「ああ、分かっている。肝に銘じるさ」

 

 そう言って去って行く剣士の背中を、監督官は微妙に信用出来ないという思いを抱きながら、見つめるのだった。

 

 

 

 

 さて、そんな不信の目で見られていた剣士であったが、久方ぶりに工房に呼ばれており、ギルドの帰り道に工房に寄った。

 

 「使える腕も、買う金もねえ奴が寝言言ってんじゃねえ!」

 

 入るなり聞こえてきた怒声に、剣士は目を瞬かせた。この工房の親方である老爺は、ぶっきらぼうではあるが、未熟な駆け出しにもそれなりの対応をするし、かなり辛抱強い方で、こんな風に怒鳴ったりすることは滅多にないのだ。

 

 「お、俺はただ……」

 

 「魔剣だのなんだのは、テメエには十年早い!まして、そいつに触ろうとするとは!」

 

 剣士が見たのは、青筋を浮かべて憤懣やるかたないといった様子の老爺と、怒鳴られて縮こまる青年の姿であった。

 

 ――――普段なら、駆け出しの妄言くらいは流したんだろうが、今回みせてくれる予定の刀に触ろうとしたんで、ぶち切れたと言ったところか?

 

 どうも常とは異なる老爺の手にある刀を見て、剣士は大凡の所を察した。

 この工房の老爺は、五年前剣士が研ぎを頼んで以来、剣士が振るうに足る刀を鍛えようと苦心していたのだ。今日は、その五年の成果のお披露目を台無しにされそうになったのだから、彼が怒鳴り散らしたのも無理もない話であった。

 

 「親方、落ち着け。駆け出しに怒っても仕方がないだろう?」

 

 「……『鬼斬り』来てたのか。すまねえな、みっともないところを見せた」

 

 「『鬼斬り』って、あの!?」

 

 老爺の言葉に、青年が目を輝かせて剣士を見るが、剣士は一顧だにしなかった。

 

 「いや、気持ちは分かる。貴方の五年の集大成、軽々しく扱っていいものではないからな。

 だが、彼にはそれが分からないのも事実。ここは収めてくれ」

 

 「ちっ、確かにあんな妄言吐く野郎に、こいつの価値は分からんか……。

 おい、小僧。さっさと要件を言え。俺はこの後、大事な大一番が控えてるんだ!」

 

 「お、おう。これで買える一番強い武「待て」――――えっ?」

 

 金袋をそう言って差し出す青年だったが、あまりの言い様に見るに見かねて、流石に剣士は口を挟んだ。

 

 「お前は武器を扱った経験はあるのか?」

 

 「いや、ないけど。腕っ節には自信があるぜ!」

 

 自信満々に胸を叩く青年に、剣士は頭が痛くなった。

 

 ――――何の心得もないのに、武器の種類さえ指定しないで、一番強い武器と来たか……。

 

 「お前、死にたいのか?」

 

 気づけば、そんなことを剣士は口にしていた。

 

 「えっ?」

 

 「武器とは使いこなしてこそ意味がある。例えば、あの刀を使えば、俺は十人以上殺せるが、お前では一人とて殺せまい。

 いいか、よく聞け。何のために使うのか、何が敵なのかで、選ぶべき武器は違う。そして、お前は一番強いといったが、どういう意味で一番強いのだ?破壊力か?速度か?切れ味か?リーチか?」

 

 「そ、それは、えっと……」

 

 剣士の問に、青年は答えられなかった。そんなこと、考えもしなかったからだ。

 

 「腕っ節に自信があるなら、それを活かせる得物を選べ。武器を使ったことがないなら、尚更だ」

 

 「……」

 

 これがただの客なら、青年は激昂していたであろう。

 しかし、目の前の剣士は、彼が憧れる英雄そのものなのである。自分がいつかそうなりたいと思う存在の言葉を彼は無視出来なかったし、怒ることもできなかった。

 

 「まずは何のために武器を持つのかを明確にすることだ。それがあって、初めて武器の選定に移れる」

 

 「何のために武器を持つのか?」

 

 「そうだ。例えば、護衛と怪物退治に必要な武器は同じだと思うか?」

 

 「同じじゃないのか?」

 

 「お前は馬鹿か?同じであるわけがない。怪物退治であれば、怪物を倒すに足る威力のある武器を必要とするし、逆に護衛ならば、依頼人を守るために武器の携行性や耐久力が重視される。

 それとも、お前は、怪物退治にリーチも威力もまるで足りない短剣(ダガー)で挑み、護衛のために狭い室内や街の往来で大剣(グレートソード)を振り回すのか?」

 

 「ううっ……」

 

 流石に具体例を出されれば、いやでも理解出来てしまったらしく、青年は己の愚かさをこれでもかと思い知らされ項垂れた。

 新しい客が入ってきたのは、そんな時であった。

 

 無造作な足取りで、ギルドの受付側から入ってきた新しい客は、みすぼらしい格好をした若者だった。

 顔立ちこそ整っているが、無愛想に無表情があわさり、まさに無頼漢の風体であった。

 

 「装備が欲しい」

 

 若者が開口一番に言ったのはそれだった。あまりに端的でぶっきらぼうな物言いであった。

 

 「そりゃあそうだ……金はあんのか?」

 

 「ある」

 

 そう言って若者が置いたのは、彼に似つかわしくない財布であった。

 老爺は、色々気になることはあったが、剣士との大一番が控えていることを思い出し、余計な詮索はしなかった。

 唯一、財布の中身の金貨が本物であるかを確認すると、若者を客と認めた。

 

 「で、何が欲しい?」

 

 「硬い革の鎧(ハードレザー)円盾(ラウンドシールド)を」

 

 「ほう」

 

 まず、武器ではなく防具から、それも明確に物を指定してきた。こいつは先の青年よりはマシな客であると、老爺はあたりをつけた。

 意外に武器より防具を優先するという発想は生まれない。攻撃こそ最大の防御、それはけして間違いではないからだ。

 数多のRPGでもそれは同じだ。効率を重視するなら、敵を殲滅する速度が重要となるのだから。

 

 しかし、現実となるとそうはいかない。武器に全振りして防具を揃えておらず、死に際の反撃で相討ちになったなど目も当てられない。

 現実においては、何よりもまず生き延びることこそが重要なのだ。生きてさえいれば、反撃の目は、再起の可能性はそこに存在するのだから。

 

 剣士もまた、若者が青年の目指すべき有様であることを気づき、黙って若者を見るように青年を促した。

 

 「武器はどうする?」

 

 ――――ここまでは分かってる奴のチョイスだ。それじゃあ、武器は何を選ぶ?お前は本当に理解しているか?

 

 「剣……片手剣を」

 

 「盾持ちなら当然だな」

 

 老爺は、愉快になってきた。青年のような無知蒙昧な輩が来たかと思えば、若者のような分かっている奴も来るのだから。これだから、人生というやつは面白い!

 自分の仕事をするべく、カウンターから剣を選び出し渡す。何の変哲もない鉄の剣だが、その中でも割合マシな出来のものだ。

 若者が剣を腰に差すと剣の重さに負けて重心のバランスが崩れたのか、身体が傾くのがいかにも新人らしかった。

 

 「革鎧は後ろの棚だ。盾はそっちの壁に引っかけてあるのから選べ」

 

 「わかった」

 

 革鎧と盾を引き剥がす動作は、褒められた所作ではなく、見る者に強盗の如き印象を与えた。

 老爺が鼻白み、剣士が苦笑を浮かべたのも無理もないことであった。そんな二人の反応に勇気づけられたのか、青年は若者に声をかけた。

 

 「な、なあ、あんたも今日冒険者登録をしたのか?」

 

 若者は答えなかったが、頷いて見せたので、青年は相手も自分と同じ新人であることに勇気づけられて、さらに続けた。

 

 「あんたは何をしに行くんだ?何のためにそれを選んだんだ?」

 

 青年は、若者が本当に分かっているのか知りたくなったのだ。

 本当は、自分と大差ないのではないか?偶々、注文がいい感じになっただけではないか?と疑っていたのだ。

 

 「小鬼(ゴブリン)だ……俺は小鬼を退治しに行く!」

 

 しかし、青年の望みとは裏腹に、若者の答は明瞭であった。もっとも、低い声で地を這うかの如き声だったが……。

 老爺と剣士は、その声に含まれる重々しい感情を感じ取り、若者の有り様に納得した。

 

 ――――なんのことはない。この若者は……。

 

 他方、青年は、若者に気圧された。彼は小鬼退治なんてと馬鹿にしていた数多くの者の一人だ。

 だが、こうして目的を持って装備を選び、武器だけでなく防具にも金を使い、準備を整える若者を見ると、自分の未熟さを否応なく理解してしまう。

 自分はなんと底の浅い男だったのだろう。伝説だの、魔剣だの言う以前の問題だったと、今更ながらに彼は気づいたのだった。

 

 そうこうしているうちにも、若者は鎧を身につけ、腕に楯を括りつけ、軽く素振りするなどした後、盾を構えて剣を抜き、動作確認していた。

 その様子は、身なりこそ安っぽいものの、青年がなりたかった一端の冒険者そのものであるように思えた。

 

 「貰「待て」……?」

 

 だが、実際にはそうでなかったらしいことに、剣士が若者を止めたことで、青年は気づいた。

 

 「小鬼を殺すなら、小剣(ショートソード)で十分だ。その剣では長すぎる。開けた場所ならいいが、狭苦しい奴らの巣穴では引っ掛けるぞ」

 

 ――――武器を振るう対象はおろか、地形まで想定するのか!

 

 それは思いもしなかった想定だった。武器一つ選ぶのに、これだけの情報が必要なのかと青年は戦慄する。「一番強い武器」などと言った自分の注文は、どれ程滑稽で愚かしいものだったのだろうか。

 

 「むっ」

 

 若者は腰に差していた剣を抜いて振り上げてみた。自身の身長も合わせて、思った以上に高い。確かに洞窟なら、天井や壁につかえそうであった。

 剣士の言葉が正しいことを理解したのだろう。若者は剣を納めた後、腰から外しカウンターに置いた。意味するところは明白であった。

 

 「……ちょっと待ってろ」

 

 老爺は、剣士の方を少し面白げに見やると、剣を元にあった場所に戻し、新しい剣を持ってきた。

 その剣は、長剣(ロングソード)とも短剣とも言えない、なんとも中途半端な長さの剣であった。

 

 若者はそれを黙って受け取り、腰に差す。今度は、身体は傾かなかったし、剣を抜いて振り上げてみても十分に余裕はある。

 

 「これを貰う」

 

 「毎度」

 

 少なからぬ金貨が財布から抜き取られる。青年はぼったくりではないかと思ったが、同じように見ている剣士は何も言わないのを見て、口に出す愚を犯さなかった。

 これ以上、英雄と言ってなんら差し支えのない憧れの存在の前で、醜態を晒したくはなかったのだ。

 一方、若者は残った金貨を数えていた。

 

 「水薬(ポーション)はあるか?」

 

 初めての冒険で小鬼退治。それも水薬まで用意するとは、どこまで用心深いのだと老爺は感心すると共に、こいつは長い付き合いになるとある種の確信を抱いた。

 

 「今回は用意してやるが、次からは受付で買え」

 

 再び財布から金貨が抜き取られ、カウンター裏から二つの小瓶が取り出される。並べておかれたそれは、僅かな薬草臭を漂わせた薄い緑色の液体だった。

 要望に応えた上で、購入場所まで教え、次に言及までしてやる。中々のサービスぶりに、剣士は内心で笑みを零した。 

 

 「解毒(アンチドーテ)治癒(ヒーリング)の水薬だ。間違えるなよ」

 

 「ああ」

 

 若者は首肯してズタ袋に放り込んだ。

 そうして残った金貨は4枚。

 

 「……あと、必要なものはあるか?」

 

 無愛想だが、分からないことを人に素直に聞けるのは長所である。改めて目の前の若者を見直した老爺は、しっかりと答えてやることにした。

 

 「そうさな……冒険者ツールは持っていけ。今は何に役立つのかと思うかもしれんが、冒険に必要なものがおよそ揃っている。それを只の荷物にするか、道具として有効活用できるかはお前次第だ」

 

 老爺はそう言って、大きな袋を置き、金貨を3枚抜き取った。

 

 「もう、不足はないか?」

 

 若者の確認に、老爺は今一度若者を観察する。

 革鎧に円盾と剣、背にはズタ袋。誰がどう見ても駆け出しの冒険者そのものだ。

 

 「そうだな……強いて言うなら兜か」

 

 「兜」

 

 「頭は守れ。他が無事でも、頭を強く殴られれば、それだけで死んじまうもんだからな。待ってろ、ちょうど手頃なのがある」

 

 最後の金貨を手に取ると、老爺は工房奥の倉庫へと向かった。

 一連の流れを見ていた青年は、自分への対応の落差に愕然とした。これが分かっている客と、無知蒙昧な輩への対応の差なのだと、彼は理解してしまった。

 英雄に憧れていたというのになんたる無様だろうか。今の己は、『鬼斬り』どころか、目の前の同期の冒険者に劣るのだから。

 

 「顔を売る気がないなら、せめて兜くらい覚えて貰え」

 

 程なく老爺が戻って来た。手には両側に角が生えた安っぽい兜があり、呪われていると言われても違和感ない古びた代物だった。

 

 「……」

 

 若者は黙って頷いて、兜を手に取った。

 

 「待て、その角は不要だろう。別にお前は見栄えを期待しているわけではないのだろう?」

 

 再び剣士が口を挟む。この若者に余計な装飾は不要だと彼は感じていたし、敵に掴まれるようなものをそのままにしておくのは頂けないと思ったからだ。

 

 「ああ」

 

 「ならば、取っておけ。敵に掴まれて、利用されたくはないだろう?」

 

 「確かに」

 

 剣士の言葉に理があるのを認めたのか、若者は再び兜を降ろした。

 

 「おい、『鬼斬り』。これを加工しろってことなら、工賃で足が出ちまうぞ?」

 

 「ふむ、それならば……ッ!」

 

 瞬間、銀閃がはしった。

 いや、周囲にはそうとしか見えなかっただけで、実際には刀を抜いて斬ったのだろう。

 その証拠に、納刀の音と共に兜の角が二本とも落ちたのだから。

 

 その場の誰もが目を見張る、電光石火の早業だった。

 

 「相変わらず、お前さんはとんでもねえな。断面もやすりかける必要すらないときた」

 

 老爺は感嘆とともに兜を確認するが、それは感嘆を深くするだけだった。切り口が綺麗すぎて、最初からこうだったようにすら思えるのだから。

 

 「これでよかろう。後は老婆心ながら、忠告させて貰うが、お前、水薬をどうやって使うつもりだ。緊急時に、わざわざそのズタ袋を降ろして、取り出して飲むのか?敵がそんな暇を与えてくれるとでも?

 まして背負うものに入れておけば、背後から奇襲された時、背中から倒れた時に割れるぞ」

 

 「む」

 

 若者は唸る。剣士のいうことは、はなはだもっともだったからだ。

 

 「親方、ベルトポーチを」

 

 剣士は、この見所のある若者に、幾分かの支援をしてやる気になっていた。

 小鬼への隠しきれぬ憎悪と復讐に燃える昏い瞳は、彼にとっても身近なものであったからだ。

 

 「払いはお前さんがするのか?」

 

 「ああ、頼む」

 

 剣士は金貨1枚を弾いて渡した。

 

 「おう、確かに」

 

 カウンター下から取り出されたそれが置かれると、若者は訝しげに剣士を見た。

 なぜ、こんなことをしてくるのかと言わんばかりだ。

 

 「俺にはこれを貰う理由がない」

 

 「先輩冒険者から、見所のある後輩への援助というやつだ。

 別に後で返せとも言わんし、そこまで生活にも困っていないのでな」

 

 若者は確かめるように老爺を見るが、老爺は呵々大笑して言った。

 

 「くっ、くくくははは……。いいから貰っておけ。そいつは、お前らが束になっても敵わねえ凄腕だ。この程度、痛くも痒くもねえよ」

 

 「分かった、貰おう」

 

 若者は、ベルトポーチをベルトに通し、水薬を移動させる。

 

 ――――なるほど、確かにこれならすぐ飲める。

 

 先人の知恵に感心する彼の前に、新たに一つ水薬が置かれた。

 

 「これは?」

 

 「強壮の水薬(スタミナポーション)だ。冒険者なら、いざという時の為に一つは常備しておけ。

 それが最後の命綱になることもある」

 

 「分かった」

 

 若者は、素直に受け取るとベルトポーチに収納した。

 

 「世話になった。礼を言う」

 

 そして、兜を被ると彼は、老爺と剣士に頭を下げると、足早に去っていた。

 

 ――――なんとまあ、随分入れ込んだもんだな!

 

 ――――そちらも常にないサービスぶりだったと思うが……。

 

 老爺と剣士は顔を合わせて、お互いを笑い合った。

 あの風変わりな駆け出し冒険者に、幸運があらんことを祈りながら……。

 

 「あ、あのー」

 

 若者のやりとりでいかに無知であったかを理解した青年は、改めてアドバイスをもらおうと二人に尋ねたのだが、勿論先の若者と同様の対応をして貰えるなんてことはありえない。

 

 剣士は素知らぬ顔だし、憤怒を忘れたわけでもない老爺も対応が渋かったのは言うまでもない。それでも、最初よりは余程有意義な買い物ができたのは間違いないので、彼もまた幸運であることは確かであった。




鬼鬼コソコソ話
先代監督官さんは、残念ながら寿退職されました。元々はヒロインいない設定だったから、仕方ないね!
ゴブスレさんに、雲柱さんが好意的なのは、三女の姿がダブって見えたからですね。すでに身内扱いである姉妹を散々に痛めつけた小鬼禍は、彼にとっても忌むべきものとなっています。良くも悪くも依頼を選ばないので、被害者や遺族を大勢見てますからね。ゴブリン死すべし、慈悲はない!


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断章04:ある幸運な冒険者のお話

誤字報告ありがとうございます。
2019/12/01 4:16加筆修正


 「うう、痛たた……」

 

 英雄譚に憧れて、冒険者となってより早一週間。

 朝の早い時間に、庭先で転がされた俺は痛みに呻いていた。

 

 「どうした、立て。立たないならば、これで終わりにするが」

 

 しかし、それを許してくれないのが、目の前での存在であった。

 平服を来た黒髪黒瞳の木刀を持った男――――『鬼斬り』である。在野最上級の銀等級であり、吟遊詩人にも歌われる彼はまさしく英雄であり、俺が目標としていたものだ。

 

 「い、いえ、まだやれます!」

 

 痛みを我慢して、慌てて立ち上がる。

 冒険者として登録したあの日、俺は自分がどれだけ未熟で愚かだったか、工房で思い知らされた。

 その後は、散々ダメ出しされて、どうにか買い物を終えたわけだが、流石に俺より分かっている同期の奴より、ちょっと扱いが酷いんじゃないかと思ったが、当初より遙かに有意義な買い物が出来たのも事実なので、文句が言いにくい。

 

 ――――それに今なら、工房の爺さんがぶち切れたのも分かるんだよな。これ程の剣の達人に捧げる剣に、俺みたいなド素人が触ろうとすれば、そりゃあな……。

 

 最終的に長剣(ロングソード)を買うことにした俺だったが、あれだけダメ出しされれば、剣の扱い方の基礎も知らないまま、振り回すことの無謀さは否応なく理解出来た。

 だから、剣の修練を出来る場所はないかと聞いた時、『鬼斬り』が剣の手ほどきをしてくれると申し出てくれたことは望外の幸運だった。

 

 とはいえ、見るに見かねてと言った面が多々あることは否定出来ない。今でこそ自覚出来るが、俺はそれくらい酷かったのだ。運はいい方なので、それでも生き延びられたかもしれないが、必ずどこかで躓くことになっていただろう。

 

 ――――いや、理由はどうでもいい!今は兎に角、この幸運を活かさなきゃ男じゃねえ!

 

 眼前を見れば、前に立つのは木刀を利き腕ですらない左手で持った『鬼斬り』の姿。その足下には円が描かれており、彼がそこから動かないという制限であった。

 だが、それだけの制限が合って尚、『鬼斬り』は強大すぎる壁だった。

 

 ――――こっちは真剣でやってるのに、なんで斬れないんだよ!?

 

 斬りかかった俺の剣を、いとも容易く受け流す『鬼斬り』の姿に、何度目かの戦慄を抱く。

 買ってそれなりに手に馴染んできた長剣は、別に切れないわけではない。切れ味は確かめたし、鈍でないことは間違いない。

 だというのに、『鬼斬り』の木刀を斬ることができない。魔法がかかって居るわけでもない。目の前で適当に作られた木刀だというのに。

 

 「ふむ、素振りは欠かさなかったようだな。最低限の動きは身についているか。正直、荒削りどころの話ではないが、一週間ではこの程度が関の山か」

 

 返す刀で、あっさりと俺を吹き飛ばした『鬼斬り』はそんな風に論評する。

 

 ――――当然だろ!一週間しかねえんだからさ。

 

 地面に叩きつけられて呻く事になったが、直ぐさま立ち上がる。

 この手解きは、完全に『鬼斬り』の厚意で行われている。別に銀貨1枚とて俺は支払っていないのだから。

 剣の持ち方から始まり、基本となる構えなど、基礎中の基礎であろうが、『鬼斬り』は俺に剣を仕込んでくれたのだから、感謝しかない。

 

 ――――うん、本当に俺無謀だったわ。そら見るに見かねるか……。

 

 知れば知るほど、学べば学ぶほど、自分がどれだけ足りなかったかが理解出来てしまう。

 『鬼斬り』や工房のオヤジが、どんな思いで俺を見ていたのかは、正直考えたくない。間違いなく完膚なきまでにへこむ。

 

 「刃筋を立てろなんて、素人に毛が生えた程度のお前には言わん。

 故に一太刀で決める覚悟で剣を振れ。さもなくば、避けられることを前提に体勢を崩さない程度の力で振れ」

 

 ――――言われて出来るなら、苦労しねえよ!というか、あんた強すぎじゃね?

 

 俺は、全力で剣を振っているのに、まるで当たる気がしない。『鬼斬り』は涼しい顔で、いとも容易く俺の剣を避けるし、受ける。

 

 「剣の腹では切れるものも切れん。斬りたいのならば、当てるべきは剣先だ。

 そうでないなら、重量で強引に押し切るしかない。剣に体重をのせろ。それが破壊力となる。

 たとえ斬れなくても、鋼鉄の塊でぶん殴られて平気な奴はいない」

 

 喋りながら、容赦なく俺の全身を叩く木刀。『鬼斬り』の攻撃は速すぎて、防御するなんて考えはまるで浮かばない。

 

 ――――これで手加減してるというんだから、ふざけてるよな!

 

 工房で見せられた電光石火の早業は、記憶に新しい。憧れの背中は、どこまでも遠かった。

 

 「当たらぬなら、当てられるように努力しろ。目潰しでもいい、不意を打ってもいい。不格好でもなんでもいい。とにかく、当てろ。当てて、敵を押し留めろ。

 敵を後方に通すなど、前衛の名折れだ。両手でしか剣を使うことが出来ない以上、お前に出来るのは剣を持って止めることだけなのだからな」

 

 木刀だけに注目していたせいか、突然の蹴りに反応できず、しこたまくらう。

 手加減は多分にされているのだろうが、その場にうずくまる程度には痛い。

 

 「相手が剣を持っているから、剣しか使わないとでも?想定が甘い。あるものは何でも使え。地形や天気に肉体の疲労状態、その全てがお前の敵であり、同時に武器となる。

 ……そこでうずくまっていていいのか?そこは俺の剣の間合いだぞ」

 

 ゾクッとしたものを感じ取った俺は無様に転がって、その場を離れる。

 次の瞬間、俺の頭があった場所に振り下ろされる木刀に、冷や汗が流れる。

 

 ――――クソ、本気で容赦がねえ!

 

 内心で毒づく俺だったが、それは甘い認識だったと知るのは、その直後だった。

 立ち上がろうとした俺を、投げられた木刀が打ちのめしたからだ。

 

 「俺がこの場所を動かないから、攻撃出来ないとでも思ったか?木刀を投げなくても、投石だってできる。実戦では投擲も侮れない武器となる。

 折角、投擲に適した肉体をしている只人(ヒューム)なのだから、暇を見て投擲技術も磨いておけ」

 

 ――――確かにそこから出てないが、そこまでやるのか……。

 

 「常に最悪を想定しろ。現実は精々その二つ上か一つ上であることが殆どだ。悲観しろとは言わん。ただ、あらゆる可能性を想定しろ。

 現実に絶対はないのだから。最後まで生き延びることを諦めるな」

 

 ――――あんた、本当に容赦ねえよ。

 

 薄れゆく意識の中でそんなことを思いながら、俺は最後の教えを聞いたのだった。

 

 

  

 

 

 

 「いい加減に起きなさい」

 

 俺が起こされたのは、咎めるような声が原因だった。

 目の前には、烏を肩にのせた不機嫌そうな銀髪紅瞳の角が特徴的な美少女と、こちらを心配そうに見つめる長い金髪を後ろで結った美女がいた。

 前者は、『鬼斬り』の一党(パーティー)メンバーである混血の蜥蜴人(リザードマン)の女魔術師で、後者は、『鬼斬り』の身内である女性だという。

 

 ――――こんな美人を囲えるんだから、やっぱり英雄って凄いよな。この家も持ち家らしいし、どんだけだよ。

 

 自分との落差に思わず溜め息をついてしまう。俺が同じ事をできるようになるまで、どれだけの時間と努力が必要になるか、考えるのも億劫だ。

 

 「本当に大丈夫?打ち所が悪かったかしら?」

 

 「主様の命とは言え、《小癒(ヒール)》まで、わざわざ使ってやったのです。心配はいりませんよ。

 まあ、最後ということで、主様も厳しくやられたようですが、それでも感謝して欲しいくらいです」

 

 言われてみれば、あれだけボコボコにされたのにも関わらず、身体に痛みはない。

 確かにこの手解きは、『鬼斬り』の厚意で行われているものであり、そこで受けた傷は俺の自己責任だ。

 呪文まで使って癒やして貰えたことには感謝すべきだろう。

 

 「ああ、ありがとう。お陰様で痛みはない。ところで、『鬼斬り』さんは?」

 

 「私などではなく、主様に感謝するべきですね。主様は、あそこです」

 

 女魔術師が指し示すところには、確かに『鬼斬り』がいた。それも何者かと対峙している。

 小槍(スピア)を構えた短髪の黒髪の美少女だが、どこか見覚えがある気がして、振り返る。

 

 「ええ、お察しの通り、私の末の妹です」

 

 思いがけず、目が合った金髪の美女がそう言って微笑む。

 

 ――――なるほど、妹か。確かに、どことなく面影がある気がする。

 

 「うん?なんでその妹さんが『鬼斬り』さんに槍を向けているんです?」

 

 「あの娘は、貴方やあの人と同じ冒険者なのですよ」

 

 そう言っている間にも、事態は動いていた。

 『鬼斬り』めがけて鋭い突きが繰り出されるが、彼はあっさりとそれを受け流した。

 しかし、それで終わる妹さんではなかった。突きに払い、時に足払いなども交えて、果敢に攻めかかる。

 

 ――――うへ、今の俺だとボロ負けするな。

 

 そんな俺の内心を察したのか、女魔術師が口を開く。 

 

 「あの娘は戦女神の神官でもある戦士です。四年以上、修練を積んでいます。貴方とは年季が違います。

 貴方は、むしろ、己の幸運に感謝することです。主様に剣の手解きを受けられるなど、望んでも早々叶うことではないのですから」

 

 「分かってるよ。自分がいかに幸運かなんてさ」

 

 女魔術師の言うとおり、在野最上級の銀等級であり、英雄にして剣の達人である『鬼斬り』から剣の手解きを受けるなど、本来は相当な大金を積まねば不可能なことだろう。

 まして、直接の指導は早朝一時間のみとはいえ、修練の場所まで提供してもらっているのだ。自分がいかに幸運であるかなどは、改めて語られるまでもなかった。

 

 「ならば良いのです。くれぐれも主様から剣を教えて貰ったなどと吹聴せぬことです。そんなことをすれば、どれだけの者が押しかけてくるか見当もつきません。

 これはあくまでも主様の気まぐれからの御厚意だということをくれぐれも忘れないことです」

 

 「ああ、分かっている。誰にも言う気はないさ」

 

 俺が受けられたのなら、自分もと言い出す輩が出てくるのは容易に想像出来る。俺のように何も分かってない駆け出しには値千金の教えだとは思うが、流石に俺も恩を仇で返すような真似はしたくない。

 

 ――――仮にそんなことになったら、あんたにどんな目にあわされるか分かったものじゃないからな……。

 

 目の前の女魔術師の目は、どこまでも冷たくこちらを油断なく観察している。彼女は、己の主に仇なす者に容赦しないだろう。

 

 「そう脅かしてやるな。こいつも、そこまで愚かではあるまい」

 

 女魔術師の肩にのっていた烏が喋ったことに驚愕する。そう言えば、『鬼斬り』が人語を喋る世にも珍しい烏を連れているのは有名な話だ。

 魔術師が使役する使い魔という説が有力だが、実際に話しぶりをみると、どうも違っているような気がする。

 

 「主様に仇なす者は排除する、それは当然のことでしょう?それが恩知らずなら尚のこと」

 

 「やれやれ、その狂信者っぷりは、本当に変わらんな。

 まあ、安心しろ。貴様が馬鹿をやらん限り、こいつは何もせんよ」

 

 「は、はあ」

 

 安心させるように言ってくる烏になんともいえない気分で頷く。まるで年長者と話しているようだ。

 

 「あちらも、もう終わりですね。主様相手によくやったと思いますが」

 

 そんなことを言ってる内に、『鬼斬り』と妹さんの方も終わりが近いらしい。

 見れば、猛攻を繰り広げていた妹さんの方は疲弊し肩で息をする始末。

 だというのに、『鬼斬り』は涼しげな表情で何ら変わりはない。相変わらず、円から出ておらず、傷一つない。

 

 「こうなったら……!我らに、いずれ挑むべき頂点をお示し下さい――――《戦槍(ヴァルキリーズジャベリン)》」

 

 妹さんは、焦れたのかなんと奇跡を使った。こんな街中、それも義理とは言え身内相手にやることでは断じてない。

 

 「なっ!?」「あの娘ったら!」「青いな」

 

 女魔術師が表情を変え、姉である女性が慌てた様子で席を立つ。唯一、烏がやれやれと言わんばかりに頭を振った。

 

 「ふむ、奇跡か……温い!」

 

 《雲の呼吸 肆ノ型 雲散霧消》

 冨岡義勇の編み出した《水の呼吸 拾壱ノ型 凪》を参考にした雲の呼吸唯一の防御特化の技。

 斬撃の結界による全周囲防御。日輪刀でどうにかなるものなら、一切合切を弾き掻き消す。

 

 放たれた光の槍を、『鬼斬り』は動揺することなく迎撃した。

 この日、初めて抜き放たれた刀は、狙い過たず光の槍を切り刻んだ。

 

 「はあっ!?」

 

 俺が驚愕の叫びを上げたのは当然だろう。術を剣で掻き消すとか、わけが分からなすぎる。というか、そもそもそんなことが可能なのかという話だ。

 

 「流石は主様!」

 

 「あのトンデモ剣士が、あの程度の術でどうにかできるものかよ」

 

 女魔術師はキラキラと目を輝かせ、烏は呆れたように言う。姉である女性は、ほっとしたように胸を撫で下ろしたが座らず、俯いて表情を隠すと『鬼斬り』達の方へと歩き出した。

 

 「何よ、それ!?インチキよ!」

 

 まさか、奇跡を剣で防がれるなんて夢にも思っていなかったであろう妹さんは、当然ながら噛みついた。

 

 ――――いや、気持ちは分かる。分かるが、後ろ―――――!

 

 ゴツン、そんな音すら聞こえた気がした。妹さんの背後から近づいたお姉さんの拳骨が、脳天へと振り下ろされたのだ。

 あれは痛い、そう確信できる一撃だった。それを証明するかのように、妹さんは頭を抱えて蹲った。

 

 「い、痛い!?何すんのよって、お姉ちゃん!?」

 

 「貴女は、どうしてそう短絡的なのかしら?こんな庭先で奇跡を使うなんて、何を考えているの!」

 

 優しげな表情はどこへやら、お姉さんが怒気を露わにしていた。

 

 「ううっ、だってだって……」

 

 「言い訳しない!今日という今日は許しませんからね!」

 

 そこからはお姉さんの独壇場だった。怒濤の勢いで説教が始まったのだ。奇跡を使ったことだけでなく、無関係の事柄までそれは及んでいたが、口を挟める者は『鬼斬り』も含めて誰もいなかった。

 嵐が過ぎ去った後に残ったのは、泣きべそをかいた妹さんと、すっきりした表情で佇むお姉さんだけだった。

 

 「まあまあ、確かに驚かされたが、この通り怪我はない。心配させたことは悪かったが、その辺で許してやれ」

 

 「貴方がそういうなら……」

 

 お姉さんも、当人である『鬼斬り』には弱いのか、それ以上追撃をかけることなく、こちらへと戻ってくる。

 『鬼斬り』と泣き止んだ妹さんも後に続く。

 

 「お疲れさん、貴様は相変わらず派手だな。どれだけの手管を隠しているやら」

 

 「なに、何事も備えあれば憂いなしってな。偶々、対応出来る技があっただけだ」

 

 茶化すように声をかける烏に、あれ程の絶技を見せておきながら、『鬼斬り』はなんでもないことのように答える。

 

 「ううっインチキよー。とっておきだったのに!」

 

 妹さんがブーたれる。

 

 「まあ、奇跡も万能たりえないということだ。それに今回は運も良かったしな。

 ……それはそれとして、試験は合格だ。反則気味ではあったが、俺に抜かせたことは事実。君の研鑽を認めよう。よくぞ、そこまで積み上げた」

 

 どうやら、あれは妹さんの試験であったらしい。合格条件は、『鬼斬り』に刀を抜かせることだったようだ。

 

 「本当に?」

 

 「ああ」

 

 「やったー!これでようやくアイツらを、小鬼(ゴブリン)共を殺せるわ!」

 

 喜ぶ妹さんだったが、その発言内容は物騒そのものだった。

 そして、その声に含まれる重々しい感情を、俺は感じ取っていた。常の俺なら、気づかなかっただろう。

 だが、俺はそれをつい最近、全く同じものを感じたことがあったのだ。

 

 ――――小鬼への計り知れぬ憎悪!そうか、あいつもそうだったのか……。

 

 脳裏に浮かんだのは、自分よりは分かってはいたが、やはり完璧とはいかなかった自分と同期の冒険者の顔だった。

 辺境において、小鬼禍は珍しいことではない。当然、その被害者も少なくはない。

 妹さんも、あいつも、運悪くその一人になってしまっただけなのだ。

 

 だが、実際の当事者であるあいつや妹さんが、不運だったで納得出来るわけがない。彼や彼女には、納得するための手段が必要だったのだ。

 

 ――――復讐か、『鬼斬り』があいつにあれだけ支援したのは……。

 

 やけに手厚いと思った『鬼斬り』の支援にも納得がいってしまった。

 彼は、自分と違ってあの時に気づいていたのだろう。同類(妹さん)を知っていたから。

 何よりも、小鬼退治であったから。

 

 俺は、小鬼を最も弱い雑魚とみなし、小鬼退治も馬鹿にしていたが、実際にはここまでの害悪なのだと実感したのだった。

 小鬼退治とは、そういう意味では、価値のある仕事なのかもしれないと思い直す。

 

 ――――今度、あいつと会ったら、一回くらいは小鬼退治に付き合ってやろう。

 

 そんな風に、俺は思ったのだった。




鬼鬼コソコソ話
実は三女の戦槍の成功率は高くない。この時も一か八かで成功した。
雲柱さんは、奇跡の詠唱自体を中断させることもできたが、試したいことがあったのであえてやらせた。結果は見ての通り。
とはいえ、本人もいっているとおり、運がよかったに過ぎない。光の槍だったので、日輪刀の太陽属性で掻き消せただけ。基本的に魔法は、魔法の力を持ったものじゃないと消せない。


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断章05:異端なる柱

誤字報告ありがとうございます。
今回は、雲柱さんの過去について。鬼殺隊への影響とか。


 「ケホッケホッ、ゴフッ」

 

 産屋敷の屋敷にて、今代炎柱である煉獄の報告を聞いていた当代は、突然酷く咳き込んだ。

 口元を押さえた手からは血が零れており、吐血しているのは明らかだった。

 

 「お館様!誰か、雲柱を――――チィ、あやつはもうおらんか!侍医を呼べ!」

 

 今代における鬼殺隊の柱の一人である雲柱は、優れた医師でもあり、産屋敷の健康維持にも大いに寄与していた男であった。

 

 「大丈夫だよ、煉獄。この程度、いつものことだからね。

 まあ、あの子がいれば、即座に駆けつけて診てくれたんだろうけど」

 

 「あやつ、肝心な時におらんとは!

 何のために、医術を学んだのか、分からんではないか!」

 

 鬼殺隊の隊士として、剣の腕を上げることに専念せず、蘭学医術すら学んだ雲柱は、当初誰もが柱になれるとは思っていなかったし、好かれてもいなかった。なにせ、殆どが鬼憎しで凝り固まっている鬼殺隊である。一般隊士が鬼を殺すこと以外に労力を割くことは、あまり好まれていなかった。

 大体、それをするなら、『隠』になればいいと言う話でもあるので、全く筋違いというわけではない。

 

 「そう言わないでやっておくれ、煉獄。あの子は、柱としての使命を果たしたんだ。

 誰よりも生きるということに貪欲だったあの子が……」

 

 「確かにあの周辺で起こっていた失踪事件は、めっきり起こらなくなりましたが、鬼が逃げ失せただけでは?あやつはそれを恥じて、逃げただけではないですか?」

 

 「自分でも全く信じていないことを言うのはおやめ、煉獄。誰がなんと言おうと、あの子は柱だ。

 鬼を見逃して、自分だけ生き延びるような男ではないよ。何より、あの子が鬼殺隊を捨てることなどありえない!……そうだろう?」

 

 「失礼致しました。どうにも歯がゆいというか、未だあやつの死を消化出来ていないのやもしれませぬ」

 

 煉獄は恥じ入るように頭を下げた。

 彼とて、本当は理解しているのだ。雲柱が鬼殺隊を捨てることなどありえないと……。

 

 「そうまでしても、友に生きていて欲しいという気持ちは分かる。何より、生きたいが口癖の子だったからね。でも、あの子は命の賭け時を誤る男ではない。相討ちであっても、鬼を殺すことが最善と考えたのなら、それを躊躇いなく選ぶ」

 

 生きることに誰よりも貪欲なあの雲柱が命を賭けた以上、相手の鬼は死んでいると産屋敷当主は確信している。

 

 「それは疑っておりませぬ。変わり者ではありますが、あやつも柱ですからな」

 

 そもそもが雲柱と呼ばれた男は、鬼への憎悪を持たない異端な鬼殺隊隊士であった。

 その上で、呼吸の研究や医術の習得など、普通の鬼殺隊隊士ではやらぬことばかりやれば、それは変わり者と言われよう。

 

 「ふふふ、酷い言われようだ。あの子のおかげで色々楽になったし、煉獄も世話になっただろうに」

 

 雲柱が鬼殺隊に与えた影響はけして少なくない。隊全体に及ぶものとしては、医療面での寄与や、藤の有効利用などが挙げられる。呼吸の研究も、雲柱の主観によるものではあるが、それぞれの呼吸について一応の注釈書が作られて、産屋敷の屋敷に納められていた。

 

 「それはそうですが、あやつが変わり者なのは事実でございましょう。

 鬼に身内を殺されたわけでもなく、『育手』に育てられたわけでもなく、鬼殺隊に入ってから、自身の呼吸を完全に変えた者など他には知りませぬ」

 

 甲の隊士であった祖父に水の呼吸を教わり、拉致同然に最終選別に叩き込まれたという異色の経歴を持ち、鬼への憎悪を持たない。しかも、鬼殺隊に入ってから、呼吸を学び直し水の呼吸から雷の呼吸に切り替えるなどという荒業をやってのけた者を、煉獄は他に知らなかった。

 

 「あの子から言わせれば、適性のある呼吸で戦うのは当然だということだけど、やはり、皆、最初に学んだ呼吸への愛着が強い。そもそもが、そう簡単にかえられるものでもないか」

 

 まだ一般隊士であった雲柱自身から、その言い分を聞いた産屋敷当代も、聞いた当初は随分な変わり者が入ってきたと思ったのだから、煉獄の言はもっともであった。

 

 「一つの呼吸を極めることこそが最善と考えるのが普通ですからな。呼吸が適性に合わないにしても、それは自分なりに昇華し呼吸を派生させることで適応させればいいだけのこと。あやつのように全ての呼吸を学ぼうとする者など、まずおりませぬ」

 

 不幸なことだが、適正な呼吸は日輪刀を抜くまでは分からない。どんなに、青色に染まったとしても、修めていたのは炎の呼吸などということがままあるのが現実だ。この場合、自分なりに工夫して、技に適応させていくか、技の方を自分に適応させて呼吸を派生させるのが、今までの鬼殺隊隊士のやり方だったのだから。

 

 「あの子は水の呼吸を捨てたわけでも、軽んじたわけでもないよ」

 

 「それは誰よりも我が知っております。大体、あやつの雲の呼吸の歩法は、水の呼吸から着想を得たものですからな。雷の呼吸の倍、水の呼吸を修練しているのには呆れたものですが」

 

 「適性のない呼吸を実戦で使いこなせるようにするには、それだけの努力が必要だと聞いたよ」

 

 「そこまでやれるのなら、水の呼吸から派生させても良かったのではとも思うのです」

 

 「雲の呼吸は、あくまでも雷の呼吸の派生である生存特化の呼吸だからね」

 

 重ねて言うが、雲柱は誰よりも生きることに貪欲な男だった。

 当然、編み出された呼吸も生き延びることに特化した呼吸であった。

 

 「全集中の呼吸の負担を低減でしたか?言いたいことは分かりますが、あやつは何を考えていたのか、未ださっぱり分かりませぬ」

 

 「全集中の呼吸を身につけること自体が寿命を削るとあの子は言っていたよ。それも使う度に削り続ける決死の技だと。常中に到ることで、肉体が適応して解消されるけど、減った分が戻るわけではないらしいからね」

 

 「常中を身につけられぬ隊士は、寿命が来る前に死ぬから明らかになっていないだけだとも言っていましたね。最初は臆病者の戯れ言だと思いましたが……」

 

 そもそも常人なら死にかねないような鍛錬を経て、ようやく素質のある者が身につけることができるという苦行の末の業なのだ。寿命を削るというのは納得できる話であった。

 

 「全集中の呼吸が肉体に負担をかけるのは修めた者なら分かりきった事実だし、鬼を殺せる能力を得ることが重要で、その部分は真剣に考えてこなかった。あの子はそこら辺をどうにかできないかと悩んでいたよ」

 

 雲の呼吸は、全集中の呼吸の負担を低減することを主眼にした持久力に優れた呼吸だと、雲柱が語っていたのを当代は思い出す。

 

 「呼吸の極みに到れれば間違いなく強くなるが、間違いなく早逝するとも言っておりましたな。呼吸の極みなど夢物話だと思いますが」

 

 「夢物語などではないよ。過去には無惨を追い詰めた剣士がいたというし、あの子は擬似的にそれを再現しようとしていたからね」

 

 全ての全集中の呼吸を学ぶことで、派生元である始まりの呼吸、すなわち日の呼吸を逆算して導き出そうとした試みのことである。雲柱は、始まりの呼吸研究の第一人者でもあった。

 

 「あやつは自分では一つの呼吸を極めることは出来ないなどと嘯いておりましたが、霹靂一閃を三連続で放っておいて言うことではありませんな。先代の鳴柱が驚愕しておりましたぞ」

 

 これが自分の限界だといいながら、雷の呼吸の基本にして奥義である霹靂一閃を三連続で放って見せたのはよく覚えている。驚愕する先代の鳴柱や煉獄を尻目に、「これでは足りない」「足を犠牲にしても四連が限界か……」「やはり、この方向性は向いてない」などと言っていたのだから、本当に理解不能である。

 

 「一つを極めるということに何か拘りを感じたね。あるいはその先が見えていたのかもしれない」

 

 「あれで足らぬと言うなら、どれだけあやつの求める極みは遠いのか……。本当に目標が高すぎて、足が地に着いているようには思えませんでしたな」

 

 実際には、我妻善逸の霹靂一閃八連や霹靂一閃神速を知っているからこその結論なのだが、無論彼らがそれを知る由もない。

 

 「雲の呼吸の究極、それは呼吸の極みに到らずに同等の強さに到ることだと、あの子は言っていたよ」

 

 「トンチですかな?あやつほどの頭もない我にはさっぱり分かりませぬ」

 

 「急激に到るから、肉体に過負荷がかかる。あの子は緩やかに上昇させることで身体を慣らし、負荷を軽減すると言っていたよ」

 

 「鬼との戦いで、そんな悠長なことをしている暇があるとは思えませんがな」

 

 「そこはどうしようもない欠点だとあの子も言っていたよ。独特の歩法と呼吸で調整しているらしいけど、完成には程遠いともね」

 

 「あやつは、あれでも下弦を二体斬っておりますし、その実力を疑うことはしませんが、やはり、考えだけは理解出来ませんな」

 

 「あの子は、自分だけでなく鬼殺隊の仲間にも長生きして欲しかっただけさ。呼吸の研究も医術の研鑽も全てはその為だった。少しそれが徹底し過ぎて病的だったことは否定しないけどね」

 

 「そう言えば、あやつほど休まぬ奴はおりませなんだな。なにかに追い立てられるように、貴重な休暇や傷病による治療期間ですら、鍛錬や研鑽につぎ込んでいましたからな」

 

 原作を知ってる雲柱からすれば、いつ死ぬかも分からない鬼殺隊である。幕末という時代もあいまって、歩く死亡フラグ満載の世界なので、ワーカホリックの如くになるのも致し方のないことであった。

 

 「そういえば、どこでも寝れるのが特技の一つだと言っていたよ。睡眠時の呼吸を工夫して、疲労回復を促すとかもやっていたみたいだけど、完成したのかな?」

 

 「そんな便利なものが完成しておれば、止血同様にあやつは伝えていたでしょうから。何かしら欠陥があったか、未完成だったのでしょうな」

 

 「そうだね。こうしてみると、あの子を失ったのは、本当に痛手だった。

 欠けは鳴柱が埋めたけれど、少なからず失われたものも多い」

 

 雲柱の医療技術や薬剤調合の腕は、鬼殺隊としても是が非でも欲しいものであった。

 

 「どこで学んだのかと思うことを知っておりましたからな。今の侍医もけして悪い腕ではないのですが……」

 

 雲柱は、前世知識による大幅なブーストにより、この時代にはない医療知識を多分に備えていたのだから無理もない。これは侍医が劣っているとかではなく、比べること自体が間違っていると言えよう。

 

 「あの子は特殊だったから、比べてはいけないよ。私は彼の働きに満足しているし、こうしていられるのも彼のお陰だからね」

 

 「申し訳ございません、失言でした。

 結局、今あるもので人事を尽くして天命を待つしかないのでしょうな」

 

 「……そうだね」

 

 そこまで話したところで、侍医が到着したと言う先触れが来る。

 

 「それでは、これにて御前を失礼いたしまする」

 

 煉獄が立ち上がる。

 思いがけない思い出話となったが、報告自体はすでに済んでいるのだ。煉獄は、これ以上当代に負担をかけるつもりはなかった。

 

 「ああ、煉獄ご苦労だったね」

 

 「いえ、それでは」

 

 束の間の思い出話は終わり、両者は再び鬼殺の為に走り出す。

 雲柱も含めた数多の犠牲を無駄にせず、いつか鬼舞辻無惨を滅ぼすために。




鬼鬼コソコソ話
雲柱さんは、鬼殺隊に食育とか衛生概念とかをそれとなく広めている。栄養素とか解明されてないけど、栄養のあるものとか、その調理法とかを書物で残したりしている。藤の香水を作ったりもしている。これは柱以上向けで、藤の香りに反応した奴を選別して、鬼を見つけ出すことを目的としている。見つけ出す前に逃げられる可能性が高いので、実質柱専用。
原作本筋には全く影響ないけど、地味に医療面や食事面では改善されている。


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11:深い傷跡

誤字報告ありがとうございます。
今回は、三女の冒険。次はゴブスレさんや牛飼娘との交流かな?


 戦女神の神官戦士である少女は、意気込んでいた。

 憎き小鬼(ゴブリン)共に、五年前の復讐を遂げるのだと。姉達の分まで、己が復讐を果たすのだと。

 

 課題であった、『鬼斬り』からもようやく合格が貰えたのだから。

 規定年齢である15歳になると同時に冒険者になる事自体はすぐに認めて貰えたものの、長姉との約束で、『鬼斬り』から合格が貰えなければ小鬼退治を請けることは許されなかった。

 

 少女にとって誤算だったのは、課題となる『鬼斬り』が想定以上に強すぎたことだ。

 戦い方を多少かじった程度では、足下にも及ばない。正直、武の頂点にいるのではないかと思える程の強さだったのだ。そのせいで、こうして小鬼退治に行けるようになるまでに二年もかかってしまっていた。

 とはいえ、そのお陰で満足のいく一党(パーティー)メンバーを集めることが出来たのだから、その二年はけして無駄ではなかったが。

 

 「奇跡斬るとか、頭おかしいよね?」

 

 「ははは、意外に冗談が上手いよね?いくらあの『鬼斬り』だからって、流石にそれはないって」

 

 少女の言葉に、一党メンバーの混血森人(ハーフエルフ)の女斥候が笑い飛ばす。

 

 「だよねー。いくら強いからって奇跡を斬るとかありえなさ過ぎ!」

 

 同調したのは、同じく一党メンバーである只人(ヒューム)の女魔術師だ。

 魔法第一主義の彼女からすると、魔法や奇跡と言った類のものが、剣で斬られるなど認められるわけがなかった。

 

 「ボクも流石にありえないと思うけど。で、でも、あの人ならありえるかも……」

 

 唯一、可能性があるかもしれないと言及したのは、只人の女武道家だった。

 彼女は一党メンバーで唯一、少女以外で『鬼斬り』と面識のある人物だった。

 

 「ハア、冗談なら、どれだけよかったか……」

 

 少女はメンバーの言い分がもっともだと思いながら、現実の理不尽さを思う。

 昨日、滅多に成功しない《戦槍(ヴァルキリーズジャベリン)》を、あっさりと切り払って見せた『鬼斬り』の絶技は、彼女の目に焼き付いている。

 

 「え、冗談じゃなくて、本当の話?」

 

 先導していた女斥候が、思わず足を止める。

 

 「ありえないでしょ、そんなのは……。本当に?」

 

 女魔術師も表情を硬くして、確かめるように尋ねる。

 

 「ああ、うん。あの人ならやりかねないよね」

 

 一人諦めたように笑う女武闘家。彼女は、『鬼斬り』に挑んで素手でボコボコにされたことがあるだけに、その声には諦観と達観が同居していた。

 

 「そうよ、本当の話。あたしだって目を疑ったわよ!珍しく成功した渾身の《戦槍》だったのに、あいつは理不尽過ぎるわ!」

 

 「「……」」

 

 少女の叫びに、どうやら本当らしいと理解して、女斥候と女魔術師は言葉を失った。

 使用者が未熟な少女とは言え、奇跡を切り払うとか尋常の業ではないのだから。

 

 「うーん、本当なのは分かったけど、常にやれるようなものでもないと思うよ。『鬼斬り』さん、他に何か言ってなかった?」

 

 一方で、良くも悪くも『鬼斬り』を直接知っている女武闘家は違った。

 さしもの彼も魔法や奇跡には、対策なしには対処が難しいと言っていたのを思い出したからだ。

 

 「あっ、そう言えば、運がよかっただけとか、偶々対応出来る技があっただけとか言ってた気がする」

 

 「なあんだ、やっぱり運がよかっただけなのね」

 

 「そうよね、いくらなんでも……」

 

 少女からの追加情報に安心したように胸を撫で下ろす女斥候と女魔術師。

 彼女からすれば、伝え聞く噂だけどこまで化物なんだと言いたくなるレベルなのに、この上術の類まで斬れるときたらもう……。

 

 ――――でも、条件さえ揃えば、やっぱり同じ事ができるってことだよね?

 

 両者の懸案事項は、まるで解決していないことに、女武闘家は気づいていたが、また足が止まったり、依頼前に一党を混乱させるのは避けたかったので、あえて何も言わない。

 

 「そうよ、あいつだって無敵じゃないんだから、今度こそは渾身の《戦槍》をぶち当ててやる!」

 

 ――――その前に、神官修行頑張って、祈念の成功率上げた方がいいと思うけど……。

 

 意気込む少女に、そんなことを思うが、やはり女武闘家は口に出さない。折角気分も新たに決意をしたのに、そこに水を差したくはなかった。

 なにせ、今回の依頼は少女が待ち望んだ小鬼退治であり、黒曜等級への昇格依頼でもあるのだから。

 

 

 

 

 

 

 さて、そんな一党を後方から見やる影があった。

 

 「あれは来るのが分かっていたと言う面が大きいからなあ。

 実際、無詠唱とかされると、どうにもならんからなあ。結局、何もさせずに殺すのが最適解か……」

 

 少女達の話を優れた聴力でそれとなく拾っていた『鬼斬り』は、独りごちる。

 

 「普通はそれが無理だからな?貴様は色々とズレているのを自覚しろ」

 

 それに対し、彼の肩に留まった烏が呆れた様子でツッコミを入れる。

 

 「手厳しいな鴉、いや、言わんとすることは分かるがな」

 

 「それにしても、あの新米に続き過保護なことだ。

 ここで失敗して死んでも、結局あの娘はその程度のものだったということだろうに」

 

 烏は、『鬼斬り』と違い、三姉妹に何の感慨も抱いていない。彼の興味は、あくまでも『鬼斬り』に対してのものであり、ひいては今の世界を知ることに占められている。

 竜巫女とは異なるが、烏は烏で興味がないことはとことんどうでもいいのであり、彼もまた中々に歪な思考形態をしていた。

 無論、同居人のよしみで、目の前で襲われていれば助けるし、他の者よりは特別扱いではあるが……。

 

 「あの娘の傷は、姉妹の中では最も深い。自覚はないだろうが、精神が大人になる前に被害にあった影響は凄まじいものだ」

 

 「だから、あんな高難易度の試験を課したのか?正直、無理難題もいいところだろうに」

 

 「それが、あいつ(長女)の頼みだったからな」

 

 「ならば、なぜ合格にした?いくらでも不合格にすることはできたはずだ」

 

 奇跡を用いるなど、反則どころの話ではない。まして、身内相手に使うなど、本来許されることではない。

 

 「……彼女の時間が進まないからだ。姉達はどちらも自分なりの道を見つけて歩み始めているが、彼女だけは違う。彼女の時間はあの時で止まってしまっている。小鬼を殺すための修練に没頭することで、恐怖を押し殺しているに過ぎない。

 彼女が本当に憎悪に振り切れているのなら、俺が合格を出す以前にとうに小鬼共を殺しに動いていただろうさ」

 

 同じ被害者である姉達を見守ってきた彼だからこそ、それは理解出来たことだった。

 

 「そこまで理解しながら、恐怖の源である小鬼と対峙させるのか?随分と酷薄な真似をするものだな。荒療治と言えば聞こえはいいが、下手をすれば、恐怖で動けなくなる可能性もあるぞ」

 

 「そうなってもいいように、命の危機になれば、身体が勝手に反応する程度には仕込んだ。あれなら、動きが鈍ることはあっても、完全に動けないということはないからな」

 

 無論、それくらいは『鬼斬り』も予想している。鬼殺隊でも鬼に家族を皆殺しにされて、恨み骨髄であっても、実際に鬼と対峙すると、恐怖で動けなくなる者や、満足に剣が振るえなくなる者がいないわけではない。最終選別で落ちるのは、そういう者達なのだから。

 

 だからこそ、『鬼斬り』は理不尽とも言える高さの壁となり、三女の修練が骨身に染みこむだけの時間を費やさせたのだ。

 

 「……もしかしたら、貴様が一番厳しいのかもしれんな。

 まあ、それでもこうしてつけているあたり、貴様も徹し切れてはいないようだが」

 

 「甘いと言われようが、俺には彼女達を助けた責任がある。二度と同じ目に遭わせる気はない」

 

 それは誰に頼まれたでもなく、彼女達姉妹を救った己の責任だと『鬼斬り』は考えていた。

 

 「まあ、貴様がついているなら万が一はあるまい。まして、あの狂信者も近隣の村に配置する辺り、本当に抜かりはないな」

 

 「離れて行動することに、思いきり不満をぶつけられたがな。悪いとは思うが、あの娘は目立ちすぎる」

 

 「クククッ、確かにな……。だが、そういう問題ではないのは理解しているのだろう?」

 

 「さてな……無駄話は終わりだ。行くぞ」 

 

 『鬼斬り』は烏のその問にあえて答えず、歩み始めた。

 

 「やれやれ、難儀なことだ」

 

 烏は溜息をつくと、その後を追うのだった。

 

 

 

 

 ――――大丈夫、あたしはもう大丈夫!

 

 そう自分自身に言い聞かせるが、少女の振るう短槍(スピア)からは常の鋭さが失われていた。

 

 「あっ!?」

 

 今もそうだ、本来一撃で胸を刺し殺していたはずなのに、ずれて腕を貫く。結果的に小鬼の武器を封じる形になり、その隙を逃さず鋭い蹴りを決めようとして、足が動いてくれなかった。

 

 ――――な、なんで!

 

 完全に隙を晒すことになった少女だったが、それでも小鬼の反撃を許すほど甘くはない。刺さった槍を抜くことなく、洞窟の壁へ叩きつけて首の骨を折った。

 死体をそのまま、他の小鬼にぶつけて動きを封じたところを首をつく。今度は狙い過たず首を貫き、女武闘家が仕留めた二体に、女斥候が首を斬った一体と合わせて、都合五体の討伐は終わった。

 

 「ねえ、あんた大丈夫?いつものあんたらしくないわよ」

 

 唯一、戦闘に参加せず状況を俯瞰していた女魔術師が少女に声をかける。

 彼女の目から見ても、少女は明らかに精彩を欠いていた。

 

 「大丈夫よ、あたしは大丈夫……。それより浚われた人がいるんだから急ごう」

 

 そう答える少女だったが、明らかにその声に力はない。まるで自分に言い聞かせるかのようであった。

 

 「村で聞いた話と確認出来た足跡から、恐らく後五、六体ってところかな?この巣穴は元々あった洞窟を利用しているみたいで、そんなに広くないみたいだし」

 

 周囲を観察していた女斥候が、報告する。

 彼女は、只人の混血森人だが、鉱人(ドワーフ)に育てられただけあって、建造物などへの造詣が深いのだ。

 

 「見張りも最低限だったしね。武器もお粗末で毒もない。多分、厄介な頭のいい奴や渡りはいないと思う」

 

 小鬼達の武器を回収して調べていた女武闘家が、そう報告する。

 彼女は一党で唯一少女の来歴を知っている。故に、小鬼退治の情報も『鬼斬り』から収集済みだ。

 

 「やっぱり、小鬼退治に解毒薬(アンチドーテ)は大袈裟だったんじゃない?」

 

 やはり、小鬼が毒を使ってくるなんて杞憂だったのだと女魔術師が言う。

 未だ白磁等級である彼女達一党にとっては、水薬の銀貨10枚の出費は馬鹿に出来るものではないのだ。

 

 「それで油断して孕み袋にされたいの?」

 

 それを冷たい声で諫めたのは、女斥候だった。

 彼女は小鬼達に囚われた女性がどうなるのか、よく理解していたからだ。

 

 「そんな怖い顔しないでよ。あんただって、最初は渋ってたじゃない」

 

 「わざわざ、銀等級の『鬼斬り』が伝えてきた知識なのよ。油断は出来ないわ。それに毒に冒されて尚、貴女は呪文を使えるの?」

 

 女斥候は自身も毒を使うので、その恐ろしさは身に染みている。

 声を出すことが困難になるレベルの毒と聞けば、たかが小鬼とは侮れないのだから。

 

 「そ、それは……」

 

 「あー、やめやめ。こんなところで言い合っても仕方ないわ。呪文も使ってないし、皆怪我もないし、余力もある。さっさと終わらせよう」

 

 頬を叩いて立ち上がった少女に、一党メンバーは顔を見合わせるが、あえて何も言うことはない。

 それが空元気であることは、誰もが理解していたが、一党のリーダーは彼女で、最も腕が立つのは紛うことなき事実なのだから。

 

 「これだけ騒いだから、小鬼達は待ち伏せしてると思うけど、どうする?」

 

 村人から聞いた洞窟の広さは、大したものではない。奥に広まった空間が一つあるだけで、完全な一本道だ。

 

 「《酩酊(ドランク)》をお願い。あたしとこの娘で突っ込むから、後は浚われた娘の確保といざという時の為に呪文の用意を」 

 

 「うん」「任せて!」「了解」

 

 そこから先は、楽なものであった。《酩酊》によって、眠りこけた小鬼達にトドメをさすだけだ。

 幸いにも浚われた女性は無事だった。奇妙なことに暴行された形跡すらない。本当に浚われたばかりのようだった。

 

 「この娘、運が良かったわ。小鬼共に穢された形跡がない。これなら、処置も必要ないわね」

 

 女斥候が女性の様子を確かめながら、言った。

 

 「あれ?浚われたのは昨夜という話だった気がするんだけど……」

 

 女魔術師は、不思議そうに言う。伝え聞いた話ではあるが、小鬼が女をどうするかは知っている。

 半日以上経っているにもかかわらず、無事などと言うことがありえるのか?という疑問が浮かぶ。

 

 「偶々運が良かったんじゃないかな?ボク達だって、朝一で速攻を選んだわけだし」

 

 女武闘家は、そこまで違和感を覚えなかった。単純に運が良かった、そういうこともあるのではないかと。

 

 「……」

 

 唯一難しい顔で考え込んでいたのは、頭目たる少女だ。彼女は小鬼達の悪辣さとゲスさを骨の髄まで知り尽くしている。

 なにせ、自身も小鬼よりこの世の地獄を体験させられたのだから、当然だ。

 

 ――――なにかおかしい……。小鬼達が獲物を嬲りもせずに我慢する?そんなことありえるの?同胞が死んでいても、平気で自分の楽しみを優先するような奴らが?

 

 【いずこかで骰子が振られる。一方の出目は、クリティカル手前の最大値の成功だったが、もう一方はファンブルであった】

 

 それは突然だった。そして、何より間が悪かった。

 洞窟内の小鬼を殺し尽くし、浚われた女性の安全を確保したことで安心し、洞窟内の探索に女斥候が注力していたタイミングであったのだ。つまり、索敵が疎かになっていたその瞬間であった。

 

 その報いを受けたのは、違和感について一人考え込んでいた頭目たる少女であった。

 

 「キャー!」

 

 背後からの棍棒の一撃を受けて、彼女は洞窟の壁へと勢いよく叩きつけられたのだ。

 

 「なっ!?」「嘘!?」「こいつ、どこから!?」

 

 少女を吹き飛ばした犯人は、洞窟の入り口の方からのっそりと顔を見せたのは、醜悪な顔をした大小鬼(ホブゴブリン)であった。

 一党のメンバーが驚愕で声を上げる。彼女達に見落としはなかったのだから、当然だ。

 

 そもそも、この洞窟は一本道で逃げ場や隠れる場所は皆無であり、隠れ潜むのは不可能に近い。一党は道中も含め洞窟内の小鬼を掃討したはずであり、万が一の見逃しや、隠し通路の存在を恐れての女斥候の探索だったのだから。

 

 「なんで?私はここまで見落としてない!どこから田舎者(ホブ)が!?」

 

 女斥候がありえないと叫ぶ。彼女は、けして見落としなどしていないのだから当然だ。

 ただ、彼女達は運が悪かったのだ。まさか、一党が洞窟内の小鬼討伐を終えたタイミングで、渡りである大小鬼がこの洞窟を訪れようとは、夢にも思わなかったのだから。

 それは余りにも不運な偶発的遭遇(ランダムエンカウント)であった。 

 

 「一本道だし隠れ潜んでいたわけじゃない!このタイミングで渡りか、流れ者!?」

 

 「ついていないにも程があるでしょ!」

 

 『鬼斬り』から小鬼退治について、色々話を聞いていた女武闘家は、直ぐ様心当たりを思い出し、間の悪さに舌打ちし、女魔術師は自分達の不運を嘆いた。

 しかし、彼女達の不運は、まだ終わっていなかった。

 

 大小鬼の巨体に隠れて見えていなかったが、その後ろには小鬼呪術師(ゴブリンシャーマン)がいたのだから!

 彼こそが、この巣のトップであり、小鬼達に折角の孕み袋となる女性を壊さぬように、自分が戻るまで手出し厳禁と小鬼達を統制していたのだ。

 

 「――――!」

 

 突如響いた甲高い声が不明瞭なまじないを唱え、小鬼呪術師の杖先から雷電が迸る。

 この時、女魔術師と女斥候の肉体は、不運にもその一直線上にあり、雷電は無情にも二人を容赦なく貫いた。

 比較的に近距離かつ、小鬼の呪術師の存在をギリギリで察知出来た女魔術師は、幸いにも最低限の心構えが出来たが故か、少なくないダメージは受けたものの動くことはできた。

 が、もっとも深部にいた女斥候にとっては完全な不意打ちであり、彼女は雷電をまともに受けて身体が麻痺し、動けなくなってしまったのだ。

 

 「こいつ!……邪魔するな!」

 

 次の呪文を唱えさせまいと、女武闘家が飛びかかろうとするが大小鬼の巨体に阻まれる。

 女武闘家めがけて、容赦なく棍棒が振り下ろされるが、彼女はそれにカウンターを合わせて、喉を突いた。

 流石の大小鬼もカウンターで喉を突かれてはたまらない。完全に動きを止める。

 

 本来なら、ここで誰かしらの追撃が入りトドメをさすのが理想であったが、それをするべき二人が生憎と戦闘不能。

 唯一、手が空いている女魔術師は、魔術至上主義と一撃もらったことで頭に血が上り、完全に意識は小鬼の呪術師に釘づけだった。

 結果、追撃をできるのは、女武闘家以外おらず、致命的な隙をさらした大小鬼にトドメをさすことは叶わず、さらにダメージを重ねるに留まった。

 

 これは女魔術師が悪いと言うよりは、偏に一党の経験が足りていないということにほかならない。

 まず、頭目である少女がやられたというのが大きい。指示を出し、連携の要である彼女が真っ先にやられてしまったことで、一党は完全に浮き足だってしまった。

 次に女武闘家も怒りから冷静に物事がみられておらず、知らず少女が健在であることが前提の動きをしていた。後衛がいるのにもかかわらず、大小鬼を放置して小鬼の呪術師を狙ったこともそうだし、追撃に仲間の誰かが入ってくれると思い込み、動きが遅れたこともそうだ。

 最後に、女魔術師も小鬼の呪術師に固執せず、臨機応変に大小鬼のトドメにまわるべきであった。前衛のいない呪文詠唱者(スペルキャスター)などいい的なのだから、小鬼の呪術師は大小鬼を仕留めてからでも問題はなかったのだから。

 

 だが、経験不足から一党の歯車は噛み合わず、全ては後手後手に回ってしまった。

 その報いは、最悪の現実となって訪れるはずであった。

 

 しかし、今にも次の呪文を唱えんとした小鬼の呪術師の頭を投げられた短槍が刺し貫いていた。

 誰がどう見ても、致命的な一撃(クリティカルヒット)であった。

 

 「呪術師(シャーマン)は仕留めた。二人とも、田舎者に専念して!」

 

 それを成したのは、頭目たる少女であった。彼女は全身を襲う苦痛に耐えて、渾身の投擲を成功させたのだ。

 

 「分かった」「了解!」

 

 頭目の指示を聞いた女武闘家と女魔術師の表情から焦りが消え、応える声にも力が戻る。

 

 「ボクが隙を作る!トドメをお願い!」

 

 「任せなさい!サジタ()……インフラマラエ(点火)

 

 再び大小鬼と対峙する女武闘家だが、今度は完全に意識を大小鬼に向けており、呪術師に気を取られていた時よりも明らかに動きが良かった。

 とはいえ、手痛い攻撃を受けた大小鬼にも、最早侮りはなく、孕み袋として生かしてやろうなどと微塵も考えていない。完全に殺意に染まっていた。

 そんな両者の攻防は一進一退だったが、頭目の少女が投げた小鬼の短剣が大小鬼の目を貫いたことで、形勢は決まった。

 

 「こんの――――今!」

 

 腰を深く落とした女武闘家渾身の正拳突きが、大小鬼の鳩尾に突き刺さり、再び大小鬼の巨体が動きを止めた。

 

 「……ラディウス(射出)!」

 

 女魔術師はその隙を逃さず、すかさず準備しておいた《火矢(ファイアボルト)》を放つ。

 《火矢》は狙い過たず、悶絶した大小鬼に命中し、その身を焼き尽くした。

 

 「やった!」「ええ!」

 

 女武闘家と女魔術師が喜び合って抱き合うが、そこに水を差す甲高い声が響いた。

 

 「GROB、GROB!GROBBR、GROBB!」

 

 一党が見やれば、そこには一体の小鬼が黒い液体を滴らせた短剣を、倒れた女斥候に突きつけていた。

 この小鬼、大小鬼や小鬼の呪術師に一党が意識を囚われている最中、死角からコソコソと近づいていたのだ。

 

 「あ、あんた!」

 

 「GROBB!」

 

 女斥候が人質にとられたことに激昂する女魔術師だったが、直ぐさま小鬼の制止が入り、迂闊に動けなくなった。

 

 「GROOBBB、GROOBBB」

 

 完全に動きを止めた一党のメンバーの様子に、小鬼は顔を醜悪に歪め嘲笑した。

 

 ――――なんと愚かな連中だろう。自分のように囮にして隙を突けばいいものを。

 

 だが、小鬼は完全に見下し嘲笑していたが故に、目をつぶったまま微動だにしない少女の様子に気づかなかった。

 さてどうしてやろうかと腹の内で舌なめずりしていた小鬼は、その身を光の槍で突如貫かれた。

 

 「……あたしの拙い祈りに応えてくれた戦女神に感謝を」

 

 頭目たる少女は、無詠唱で《戦槍》の奇跡を成功させたのだ。神官としての技量はそれ程でもなくても、この四年間で彼女が培った信仰心の賜物であった。それがこの土壇場での活路となったのだ。

 

 「「「ハア……」」」

 

 今度こそ脱力して、一党のメンバーはその場に座り込んだ。

 しばらくはなにもする気が起きないくらい、精神的にも肉体的にも彼女達は疲れていたからだ。

 

 「大きい奴に、呪文に毒……先人の言葉は聞いておくべきだよね」

 

 女武闘家がしみじみ言う。

 

 「ああ、私が悪かったわよ!でも、全部来ることないでしょ!運悪すぎ!」

 

 女魔術師がヒステリックに叫ぶ。

 だが、彼女の言い分はもっともだ。いかに神々の骰子次第の四方世界といえど、蛇の目が過ぎた。

 実際には、クリティカルを出したおかげ上位種が留守にしている間に小鬼討伐ができ、その後の遭遇判定と索敵判定でファンブルが出てしまっただけなのだが……。

 

 「悔しいけど、あいつの言うとおりだった。あたしは……!」

 

 頭目たる少女は、己の現状の情けなさに歯噛みする。

 気強い彼女も、流石に既に己の傷の深さは自覚していた。

 自分が小鬼に直接触ることをどうしようもなく忌避していることを、それどころか、あの甲高い声を聞いただけで身が竦むことを。蹴れなかったのもそうだし、槍が鈍ったのもそうだ。戦女神の神殿で勧められた下着鎧(ビキニアーマー)ではなく、肌の露出が少ない防具を無意識の内に選択していたこともそうだ。

 

 少女は、未だ小鬼への恐怖を克服など出来ていなかったのだ。

 知らず涙する少女を女武闘家が抱きしめる。大丈夫だというように、一人ではないと言うように。

 

 「ちょっと、あんた大丈夫?」

 

 女魔術師はそれを見ない振りをして、女斥候を介抱する。

 

 「あははー、正直厳しいわ。ゴメン、しばらくは動けないわ」

 

 どうにか、声を出せる程度に回復した女斥候が絞り出すような声で応える。

 

 「まあ、《稲妻(ライトニング)》の直撃を受ければ、そうなるか。……ゴメン、正直甘く見てた」

 

 毒らしき黒い液体を滴らせた短剣を見ながら、女魔術師は自身の不明を詫びた。

 伝聞ではあるが、《鬼斬り》から確かに話は聞いていたのだ。巨体を誇る田舎者や呪文を操る呪術師などの上位種、小鬼の悪辣さに毒まで用いる手管。全て聞いていたことだった。彼女は、所詮小鬼だと侮り、話半分で聞いていたのだ。

 

 「いいわ。なんだかんだ言っても、対策をとる準備を否定はしなかったし、銀貨も出してくれたじゃない」

 

 「そう、じゃあ、気にしない」

 

 「ええっ!?」

 

 「……冗談よ。流石にここまでやられて小鬼如きと侮ったりはしない」

 

 女魔術師は笑みを浮かべながらも、目は微塵も笑っていなかった。

 

 「私も小鬼禍のことは知っていたけど、実際にはここまで怖いものなんだね」

 

 女斥候も真剣な表情で頷いた。

 

 「まあ、それにしても運が悪すぎたと思うけど」

 

 「それを言ったら、お終いだよ」

 

 二人は顔を見合わせて笑い合うのだった。

 

 

 

 

 

 

 そんな一党の様子を影から見ている者がいた。

 醜悪な小鬼であった。彼は洞窟の見張りとして置いておかれたもので、呪術師が留守にしていることをいいことに役目をサボっていた個体だった。それが幸いして、少女達の一党とも遭遇せず、難を逃れていたのだ。

 

 流石にそろそろ呪術師が戻ってくる頃だと小鬼が戻って来てみれば、同胞は全滅していた。それも彼らにとっての絶好の獲物である女ばかりの一党の手にかかってだ。なんと情けない奴らだろうと彼は、同胞を蔑んだ。

 

 とはいえ、多勢無勢で小鬼も分が悪いのは理解していた。

 しかし、絶好の獲物をみすみす逃すなんて真似はしたくなかった。

 

 ――――幸い連中は疲れている。呪文も使い切っただろう。不意を打てばやれる!

 

 幸いなことに連中の動きを止める方法は、光の槍で貫かれた間抜けな同胞が教えてくれていた。小鬼は何の根拠もなく自分なら上手いことやれると確信していた。

 

 実際、やれば一人か、二人は殺せたかもしれない。少なくとも一人には痛撃を与えることができただろう。

 今の彼女達一党には疲労で全く余裕がないのだから、尚更だ。それが致命傷になりえることすらありえた。

 

 しかし、その未来は永遠に訪れることはなかった。

 不意を打とうとした小鬼は、何者かによって背後から首を斬られていたのだから。

 

 

 

 

 

 少女達一党が洞窟を脱出し、無事村へと辿り着いたのを見届けた『鬼斬り』は、足早に帰路へと着いた。

 

 「運がいいのか、悪いのか?あの娘も中々数奇な命運を持っているようだな」

 

 そんな彼に烏が愉快そうに声をかけた。

 

 「全くだ。流石に、討伐後に上位種が戻ってくるとは俺も思わなかったぞ」

 

 「ククク、寿命が縮んだか?随分な心配ぶりだったからな」

 

 いやらしい声で笑う烏に、『鬼斬り』は仏頂面で応える。

 

 「最後まで手は出さなかっただろうが」

 

 実際、『鬼斬り』は上位種を洞窟に入る前に斬り殺すこともできたのだ。

 それをあえて見逃したのは、限界まで手は出さないと決めていたからこそだ。

 

 「最後の最後で手を出していれば、意味がないと思うがな」

 

 「流石にあれはな。これ以上は不要だと判断しただけだ」

 

 田舎者に呪術師、毒に人質、少女達は十分過ぎるほどの試練に直面していたのだ。

 流石に、あそこでさらなる不意打ちは、酷すぎると『鬼斬り』は判断したのだった。

 

 「まあ、確かにな。しかし、見張りをサボっていたことが生存につながるとはな。なんともいやな現実だ」

 

 「人生そんなものだ。人間万事塞翁が馬と言うからな」

 

 「なんだ、それは?」

 

 「後で教えてやる」 

 

 そう言って、『鬼斬り』は帰路を急いだ。

 家で待つ少女の姉達に、少女の無事と冒険の成功を告げるために。




鬼鬼コソコソ話
気づいた人もいると思いますが、三女は嫌悪する性行為へとつながりかねないことから異性と一党を組めません。その為、同性でメンバーを埋めています。そして、三女はゴブリンに直接触れることができません。万一触られたら、恐慌状態に陥りかねないくらい、小鬼への恐怖は深いです。彼女が自分の武器に槍を選んだのも、少しでも小鬼との距離をあけるためだったりします。


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12:生き残った者達と意外な趣味

気づいたら、一年経ってた!?
大変遅くなりました。申し訳ありません。
2/10 20:10 加筆修正。


 ある時、辺境の農村が滅んだ。村の住人であった生存者は――――僅か五名。

 

 一人は幸運なる少女。タイミングよく村を離れており、唯一小鬼禍そのものから難を逃れたが、彼女は親しい人を全て失って精神に変調をきたし、外界との接触を断つことになった。

 

 一人は不運なる少年。小鬼禍に巻き込まれ、最愛の姉が姉でなくなる一部始終をみていることしかできなかった。自身の無力を許せぬ彼は、小鬼への憎悪で染まり復讐の鬼となった。

 

 一人は責任感の強い女性。小鬼禍により命以外の全てを失い、約束されていた幸福なる未来すら無惨に閉ざされることになった。彼女は妹達の為にその身を奴隷に費やして、強者の庇護を得た。

 

 一人は不屈なる女性。小鬼禍により命以外の全てを失い、恐怖に囚われた。しかし、姉と妹の為に自らが規範とならんと立ち上がり、見事恐怖を克服せしめた。

 

 一人は不幸な少女。小鬼禍により命以外の全てを失い、性への拒否感と小鬼への憎悪と恐怖を刻まれた。彼女は異性を受け容れられず、小鬼の恐怖を忘却することもできなかった。

 

 幸運なる少女が、死んだと思っていた不運なる少年と予期せぬ再会をはたした。

 その結果、少女は少年と共にあるために顔を上げ、再び前へと歩き出した。それは彼女が、隠していた顔を晒し外界へと歩み出したことを意味していた。

 故に、生活圏が重なることになった生存者達は、ついに再会を果たすこととなった。

 

 

 

 

 

 辺境の一大拠点でもある街の郊外にあるその牧場は、常にはない客を迎えていた。

 牧場側の住人は、牧場主とその姪である少女。そして、最近居候になった少女の幼馴染みであり、冒険者でもある青年。

 常にはない来客は、街に住む三姉妹だ。長女は子供達に文字や計数を教えており、次女は地母神の神官であった。三女は戦女神の神官戦士であり、冒険者をしている。

 

 この一見、共通点が無さそうな面子は、一つの大きな共通点を持っていた。

 それは、小鬼禍によって滅びたある村の住人若しくは縁者であるということだ。

 

 牧場主は、親愛なる妹夫婦を失った。少女は、両親と帰るべき家を失った。

 青年は、最愛の姉と夢を見失った。三姉妹は、命以外の全てを失った。

 皆、小鬼禍によって、失ってはならぬものを失ったのだ。

 

 お互いの生存を知っていたのは、牧場主と長女だけであり、彼らは五年もの間、お互いに会わぬ事をよしとした。

 牧場主は姪のことで精一杯であったし、長女もまた生活と妹達のことで精一杯であり、とても他人のことまで気にかける余裕はなかったからだ。

 

 何よりも彼らは、互いの憎悪と深い傷跡を癒やすための時間を必要としたのだ。

 故に、この再会は本来ならもっと後になるはずのものであった。

 

 しかし、己の世界に閉じこもり、牧場から出ようともしなかった少女が、死んだはずの幼馴染みの青年と再会したことで、全ては変わったのだ。

 

 少女は、滅びた村の跡を訪れ、一定の区切りをつけた。顔を隠すように伸ばしていた前髪をきり、目を出した彼女は、伯父の優しい箱庭から外界へと歩き出したのだ。その全ては再会した幼馴染みと少しでも共にあるために。彼女の停滞していた時間はようやく動き出したのだ。

 

 そんなわけで、少女の生活圏が拡がった結果、三姉妹の生活圏と重なり、街で再会することになったというわけである。

 

 「正直、驚きました。まだ生きていた人達がいたなんて」

 

 少女は、恐る恐るではあるが、驚きも露わに口を開いた。

 幼馴染みである青年との予期せぬ再会の後に、これである。彼女の驚きはもっともであった。

 

 「黙っていて、ごめんなさいね。私達も自分のことで精一杯だったの。お互い時間が必要だと思ったの。元気になったようで嬉しいわ。

 ……あなたもよく無事で!」

 

 長女が少女に申し訳なさそうに応える一方で、見知った少年の面影がある青年を見て、喜びを露わにしていた。彼女は、親友の弟である青年が生きていたことを心から喜んでいたのだ。

 

 「姉が守ってくれました。俺は隠れて見ていることしかできなくて……」

 

 それに応える青年の声は低く重い。淡々と話してはいるが、実際には激情が渦巻いているであろうことは、その場の誰にも察せられた。

 

 「そう、あの娘は最後まで……。

 何も出来なかったのは、私も同じだから。結局、妹達を守ることも出来ず、嬲られるだけだった。

 胸をお張りなさいな。あなたが生きていることこそがあの娘の喜びであり生きた証なのだから」

 

 「……そうでしょうか?俺は未だなにもなせていない」

 

 姉の親友であり、少なからず面倒を見て貰ったことのある長女の言葉に、青年は少し考えることこそしたものの懐疑的だった。彼の復讐は、この世から小鬼(ゴブリン)共を根絶するまで終わらないのだから、当然だ。

 むしろ、多少なりとも彼の感情を揺らしただけ偉業と言えよう。

 

 「別に何かを成す必要なんてないのよ。今、ここでこうして生きている、それが何よりも大切で尊いことなのだから」

 

 青年の昏い感情を感じ取ったのか、諭すように言ったのは次女だった。

 その顔には、憂慮がありありと見られた。

 

 「そ、そうだよ。君も私もここにこうして一緒にいられる。それじゃあ、ダメなのかな?」

 

 幼馴染みである少女も勢い込んで言う。

 彼女にとっても、実のところ気が気ではないのだ。居候させることには成功したものの、いつの間にかいなくなっていそうな危ういものを彼は感じさせるのだから。

 

 「ダメではない。だが、俺は…「ああ、もう!」…むっ?」

 

 青年は珍しく言い淀んだ。

 彼としても、幼馴染みの少女と共にあれることは嬉しいことだし、姉の親友であった女性との再会は予期せぬ吉事であることは間違いない。

 

 しかし、それでも青年には譲れぬ事がある、それだけのことなのだ。

 

 「皆して、まどろっこしいのよ!いいじゃない!皆、生きて再会出来たことを素直に喜べば!」

 

 室内の微妙な空気に耐えられなかったのか、暗い顔はうんざりだと言わんばかりに三女は叫んだ。

 

 「……その通りだな。皆、色々思うところはあるだろうが、今はこうして再会できたことを、互いの無事を喜ぼう」

 

 牧場主が、しっかりと年を経た者にしか出せない重みのある声で諭すようにまとめる。

 確かに互いに不幸不運はあるだろう。無論、憎悪も後悔も、そして互いへの羨望も……。

 それを理解しているからこそ、牧場主と長女はあえて会わなかったのだから。

 

 だが、それでも、今この時だけは純粋に互いの無事と、再び出会えた幸運を喜んでもいいだろう。たとえ、それが互いの傷のなめ合いに過ぎないにしても、それは生き残った者には必要な儀式なのだ。

 

 

 

 

 そんなしんみりした室内とは対照的な雰囲気の奇妙な集団が、牧場の一角に陣取っていた。

 

 黒髪黒眼の『滅』とかかかれた黒装束の只人(ヒューム)の男に、これまた漆黒に染め抜かれた司祭服に身を包んだ白子(アルビノ)の妖しげな雰囲気を持った角ある少女。そして、濡羽色の毛並みをが見事な鴉。漆黒に彩られたその集団は、言わずと知れた『鬼斬り』の一党(パーティー)であった。

 

 彼らは、三姉妹たっての希望で、身内兼護衛として同行していたのである。

 

 辺境においては、凄腕の冒険者として最早知らぬ者はおらず、少なからぬ畏怖と羨望をもって語られる存在である『鬼斬り』一党であるが、今はその片鱗は欠片も見受けられなかった。

 なにせ、その中心人物であり、リーダーたる只人の男が腕まくりして料理をしているのだから、然もあらん。

 最高峰の剣士であるはずのその男は、得物を普段の刀から包丁に持ち替えており、常にはない嬉々とした表情で腕を振るっており、普段の厳粛さを微塵も感じさせなかった。

 

 「主様が料理がお得意とは知りませんでした」

 

 竜巫女は、己が主と仰ぐ『鬼斬り』の意外な特技に驚いて、目を丸くしていた。

 

 「そうか?そういえば、醤油や味噌作りはしても、腕を振るったことはなかったか……。

 意外に思うかもしれないが、俺は食にはこだわりがあってな。それが高じて、気づけば趣味になっていたというわけだ」

 

 そう言いながらも、『鬼斬り』の動きは淀みなく、その包丁捌きは見る者に熟練のものを感じさせた。

 まあ、その包丁がそこいらの剣より高いマイ包丁な時点で、趣味どころの話ではないだろうが。

 

 「ふん、意図的に腕を振るっていなかったくせに、よく言う」

 

 そんな『鬼斬り』の言に、呆れたように鴉が口を出す。

 

 「うん?どういうことですか?主様は、これまであえて腕を振るうのを自重してきたと?」

 

 鴉の言に引っかかるものがあったのか、竜巫女は訝しげに問う。

 

 「そうだ、こやつはあえて料理をしなかったのだろうよ。恐らく、いや、十中八九あの娘の為だろう」

 

 推測しているようで、その実確信していたのだろう。鴉の言い様は断定に近かった。

 

 「ああ、そういうことですか。主様は本当にお優しい」

 

 それだけで、竜巫女も大凡のことを察する辺り、『鬼斬り』を含めた彼ら三人の付き合いも長くなったものである。

 

 「そういうのは、言わぬが花というものだぞ。それにそれだけというわけもないしな」

 

 図星であるが、必要だったからそうしたまでで、『鬼斬り』からすれば別に誇るようなことでもなんでもない。

 そもそも、長女との奴隷契約には、長女の意思によって明記された夜伽をはじめとして、言語や慣習の教授に身の回りの世話が義務として定められている。当然ながら家事全般、勿論料理も仕事の内だ。

 だが、夜伽は長女自身の精神的な事情によりどうしようもない。『鬼斬り』からすれば、嫌がる女を抱く趣味はないので問題はないのだが、客観的に見て、対価として最も重要な夜伽が出来ないというのは、大きなマイナスであるのは、厳然たる事実である。

 故に、鴉が断定したとおり、彼女の仕事を取り上げまいと腕を振るうのを自重してきたのは事実であった。

 

 しかし、しかしだ。そもそもの前提が間違っているのだ、

 それは『鬼斬り』が、前世において飽食の国とさえ呼ばれた現代日本を生きていた人間であり、食事の要求する水準の異常なまでの高さであった。

 彼にとって食に拘ることは当然であり、四方世界に来る前から、大枚叩いて味噌や醤油を自作するなどしていたのだ。

 なにせ、いくら同じに国に転生したとはいえ、現代と幕末では、百年以上の歳月がもたらした技術や道具の研鑽など、残酷なまでの差があらゆる意味であるのだから。本当の意味で、『鬼斬り』が満足する食事をしようとすれば、自分自身でやるしかなかったのである。

 幸い、前世では男やもめなこともあって、凝った料理を作るのは趣味だったので、食に拘って手間暇かけるのは苦痛ではなく、むしろ、色々工夫するのは楽しさすら覚えた。もっとも、その飽くなき食への情熱とかけた金額の凄まじさは、親友である健啖家の炎柱にすら呆れられるレベルであったが……。

 

 「ほう、他にどんな理由があると?」

 

 「俺はこれでも凝り性でな。ようやく納得できる水準のものが出来上がったのだ!」

 

 ドドーン!と言う効果音がつきそうな勢いで、『鬼斬り』は二つの壺を誇るようにさした。

 二つの壺には、彼の四方世界に来て以来の苦労の結晶である醤油と味噌が入っていた。

 

 「大豆を大量に買い込んで、何か作っておられたのは存じていますが、これがその成果ですか」

 

 竜巫女が珍しげにそれを見やる。

 実は彼女も魔法の道具の調達などで協力してはいる。だが、貴重で高額なそれらが、まさか味噌と醤油作りに使われていたなど、夢にも思っていなかった。

 

 「ああ、ようやく他者に食べさせてもいいと思える水準になったからな。俺の故郷の料理には欠かせない味噌と醤油だ!」

 

 満面の笑みを浮かべて、満足気に『鬼斬り』が頷く。

 そう、この男、自身の食への拘りから、今まで腕を振るわなかったのである。

 この二つの壺にある醤油と味噌を作り出すまでにかけられた費用は、並大抵のものではない。なにせ、『鬼斬り』の冒険者報酬の半分近くがつぎ込まれているのだから。他者が知れば、絶句するか、呆れるのは間違いない。

 

 「……。とんだ食道楽だな」

 

 鴉は、その様子からこれが出来るまでにかかった費用と労力を察したのだろう。心底呆れた風情であった。

 

 「そう言えば、主様は携帯食の改良や開発にも熱心であられましたからね。なるほど、これもその成果というわけですか」

 

 竜巫女も、主が携帯食の不味さに文句を言い、干し肉を自分で作ったりしているのを思い出し、納得する。かかった労力や費用については考えないし、言及もしない。彼女にとって重要なのは強さであり、趣味で何をしようが、個人の自由である。それに、どうせなら彼女だって美味しいものが食べたいというのが本音なのだから。

 

 「ああ、様々な魔法の道具を用いての最適な環境の作成。(前世の)知識と幕末での経験があったとはいえ、納得が出来るものを作るまでにどれだけ苦労したことか……」

 

 しみじみと苦労を語る『鬼斬り』だったが、鴉は呆れをさらに深くするだけで、右から左に聞き流していたし、竜巫女は中々見ること出来ない主の様子に笑みを深めるばかりで、肝心の話の内容は誰も聞いていないのであった。

 

 ちなみに、この後振る舞った味噌と醤油を使った料理は、鴉と竜巫女は勿論のこと、この場にいなかった六人にも大好評であったという。




鬼鬼コソコソ話
基本的に装備を更新する必要がない&損耗が非常に遅いということで、『鬼斬り』は、経費をかなり浮かしてます。その分を食事関係にぶっ込んでいるわけですね。家の設備投資に金かけたのも、自分が風呂に入りたいというのもありますが、味噌・醤油造りに必要な環境作りのためでもあったわけですね。


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13:剣士と戦士

 「力みがないのはいいが、抜きすぎているのも問題だ」

 

 「むっ、こうか?」

 

 そう言って、剣を振るった青年の肉体に触れ、力を入れるべき場所を指導するのは、王国最凶とか、辺境最速とも謳われる『鬼斬り』だ。在野最上級の銀等級冒険者にして、最高峰の剣士たる彼がマンツーマンで剣の手解きをするなど、剣を使う者なら垂涎の出来事だが、生憎と受けている青年は、それを理解しているようには見えず、ぶっきらぼうに応えるだけだった。

 

  まあ、幼馴染みの牛飼娘が見ていたら、緊張でいつもにまして無愛想になっているだけだと笑っただろうが。

 

 「やはり、お前は師より正当な剣術を学んだというわけではないのだな」

 

 青年の剣の振りは、基本は押さえていても、正当な剣術流派にある流れや癖というものを感じさせない。

 本来なら繋げて技とするところを、「振り下ろし」「突き」「薙ぎ払い」などいう風に、一つの動作を抜き出してきて、仕込んだように『鬼斬り』には感じられた。

 

 「ああ、先生が教えてくれたのは基本となる剣の振り方だけだった。後は、自分で工夫しろと」

 

 青年の体捌きは剣士としてのものではなく、剣はあくまでも武器の一つでしかないのだろう。

 というか、骨身に仕込まれている気配遮断や静かな歩き方などの根本にあるそれは、戦士と言うよりはむしろ斥候のそれに近い。青年の師は、恐らく熟練の斥候だったのだろうと、『鬼斬り』は当たりをつけていた。

 

 「ふむ、慧眼と言うべきかな。正直言って、お前に剣一本で生きていけるほどの剣才はない。体格も恵まれた方ではないし、才とは関係なしに本格的に仕込むのには些か歳を取り過ぎているからな」

 

 『鬼斬り』は、青年の剣才がそこそこの水準に留まるものでしかないことを、情け容赦なく断定した。

 彼からすれば、事実を言っただけに過ぎないが、これで相手が剣で身を立てていこうと思っている若者だったら、心がへし折れてもおかしくない物言いであった。

 

 とはいえ、『鬼斬り』は、鬼殺隊の雲柱として、命懸けで鬼狩りをしてきた男だ。才が足らず柱には到れない鬼殺の剣士や、才があっても最終選抜を突破できない隊士候補生、そもそも剣才はあっても、全集中の呼吸を身につけることが出来ない者など、多々見てきているだけに、彼は良くも悪くも才については一切虚飾を用いない。無駄に希望を持たせて、間違った頑張りで時を浪費するなど、害悪でしかないと彼は考えていたからだ。

 

 「……そうか。だが、それでも、俺はやるべきことをやるだけだ」

 

 流石に、無口&無愛想極まる青年も、英雄と言っても過言ではない先輩冒険者である『鬼斬り』から、はっきりと剣才がないと断定されるのは堪えたのだろう。僅かばかり、間があった。それでも、すぐに止まらない旨の意思表示をできるのは、賞賛すべき心の強さであろう。

 

 「まあ、待て。誰も何も教えられないとは言っていない。少なくとも、正当な剣術を仕込んでやることはできるし、冒険が楽になるちょっとした技法も教えてやろう」

 

 青年の剣は、泥臭さの塊だ。けして洗練されたものではない。鬼殺の剣士などとは比ぶべくもない。最下級の癸にさえ劣るであろう剣の業。

 

 ―――それでも絶体絶命の状況で生き延びるのは、こいつの方だ。

 

 だが、そんなものを吹き飛ばすほどの即断即決とも言える判断力の良さと、思考を常に巡らせ創意工夫するその戦いぶりは、『鬼斬り』をして賞賛に値するものだ。

 

 武器が損耗するなら、躊躇なく武器を使い捨て、敵から奪ったものを使えばいい。小鬼(ゴブリン)相手なら調達は容易だし、余計な金もかからない。剣に拘る剣士には、できない発想だ。その場の状況によって臨機応変に武器を変え、棍棒どころか、松明までも武器にする青年は剣士ではなく、正しい意味で戦士であると言えよう。

 

 正直、死んだ後のことを考えて、残った装備を小鬼に利用されぬようにという考えのもと、粗末な装備を使うのは行き過ぎだと思う部分もあるが、至極合理的であることは認めざるをえない。実際、青年がすでに何件ものゴブリン退治を単独(ソロ)でこなしていることと、『鬼斬り』自身の経験も考慮すれば、至極納得のいく結論ではあるからだ。

 

 ―――小鬼退治には、魔剣どころか魔法の武器、いや、真銀(ミスリル)の武器すら過剰ということか。

 

 良くも悪くも、青年は小鬼退治というものをよく理解している。

 小鬼とは、最下位の白磁等級の冒険者どころか、農村の村人が農具で武装して追い返せる程度の存在でしかない。そう、単体では巨大鼠(ジャイアントラット)大黒蟲(ジャイアントローチ)にも劣る脅威に過ぎないのだ。

 そんな程度の脅威を偏執的に狩る。その行為が周囲にどういう風に映るのか、青年は理解している。けして誇れることなどではないことも、多大な評価を得ることがないことも。

 

 故に、青年は相応の得物を使うのだろう。

 安っぽい?汚れている?馬鹿を言うな、小鬼に対する備えとしては十分過ぎるものだ。

 

 ―――あるいは、彼なりの皮肉なのかもしれんな。小鬼程度にはこの程度の装備がお似合いだと……。しかし、まあ、あまりに合理的すぎるというのも問題だろうが。

 

 流石の『鬼斬り』も、小鬼の臓物を引き出して、その血潮を持って臭いを誤魔化すというのは、閉口せざるを得ない。彼とて鬼を斬るためなら、手段を選ばない方ではあるが、選べる手があるなら、マシな方を選択する分別はあるのだから。そこへいくと、青年のそれは経済的で有効な手口だとは言うのは認めるが、いくらなんでも行き過ぎである。いかに風評に無頓着とはいえ、限度があろう。

 そんなわけで、『鬼斬り』が支援として最初に決定したのは、藤から作った消臭剤だったりする。材料費がただ同然なので、一般に売られている消臭剤や香水の類よりは、遙かに安く提供できるし、多少なりとも青年の外見と風評を改善できると考えたからだ。

 ただ、無償でやるという考えは、『鬼斬り』にはなかった。いかに身内扱いの三姉妹の縁者とは言え、そこら辺をなあなあにすると経済感覚が疎かになり易いし、甘えも出易いので、ケジメは必要だと考えていたからだ。

 

 ―――まあ、この男にはそんな心配は無用かもしれんがな……。

 ―――それにしても、不思議な縁もあったものだな。思った以上に世界は広く、狭い。

 

 『鬼斬り』は、青年と不思議な縁があった。

 そもそも、青年はこの世界において最初に訪れた人里である滅びた村の住人であった。あの頃は少年であったようだが、『鬼斬り』が来訪する以前に運良く他の救いの手によって救い出されたので、実際に会うことはなかったが、接点であることは間違いない。

 

 初見は、青年の冒険者デビューの日に、工房で出会った。

 そこで三女との共通点から、また冒険者の先達として、少しばかりの助言と援助を与えた。

 

 しっかり、話し込んだと言えるのは、村の生存者・縁者が一堂に会した牧場の時だ。

 その時は、青年から改めて助言と援助の礼と、彼のやり口について説明を受けた。

 

 この時の話で、色んな意味で衝撃を受けた長女から、可能なら支援してやって欲しいと頼まれて、今日の指導へと繋がったというわけだ。

 

 ―――さて、何を教えたものか。全集中の呼吸はなしだな。素養はありそうな気がするが、確信はないし、恐らく常中は無理だ。寿命を縮めるだけになるだろうからな。

 基本は出来ているから、対人剣術の基礎を徹底的に仕込むか。剣才とは異なり、咄嗟の判断力には秀でているし、肉体操作は悪くないものを持っている。呼吸と歩法も、多少仕込んでやればいい糧になるか。

 

 『鬼斬り』は、四方世界においても、全集中の呼吸については研鑽を続けているし、研究も欠かしていない。教えようと思えば、水と雷の二つの呼吸は間違いなく教えられるだろう。

 もっとも、彼は誰にも教える気はない。全集中の呼吸とは、徒人が鬼という超常の存在に挑むために編み出し研鑽してきた死と隣り合わせの業なのだ。どこの世界に、必要もないのに死ぬかもしれない鍛錬を施す馬鹿がいるだろうか。しかも、そこまでしても習得できないかもしれない可能性があるのが、全集中の呼吸であるのだから。

 

 故に、『鬼斬り』が青年に教えるのは、あくまで対人剣術の基礎であり、独自の呼吸と歩法だけだ。剣技は教えない。教えることで剣に固執しては、一つの武器に執着せず使い捨てる思いきりの良さという青年の長所を殺してしまうからだ。

 無論、独自の呼吸といっても、雲の呼吸ではない。日の呼吸の探求中に一時期迷走していた時期に作りあげてしまったもので、所謂意図的な肉体のリミッター外しを可能とする特殊な呼吸だ。歩法の方も、精々移動する際、速度が上がり、疲れにくくなる程度のものでしかない。

 

 客観的に見れば、それでも十分過ぎる援助であろうが、雲柱たる『鬼斬り』からすると、些か不満であった。なにせ、彼は身内というか、懐に入った者には凄まじく甘いからだ。

 

 ―――余り過度な支援はするべきではないだろうし、この若者は受け取るまい。装備も必要十分なものを揃えている以上、余計なものは不要ときている。

 

 教えるだけではなく、物理的な支援をとも考えたが、余計なお節介になるという確信があるだけに、それもできない。なんとも言えない歯がゆさがあった。

 

 「では、始めようか。言っておくが、俺は厳しいぞ」

 

 そんな諸々の葛藤を断ち切り、『鬼斬り』は指導に専念することにした。

 

 ―――今回のことを糧にするも、捨てるもお前次第。さあ、お前の可能性を見せてみろ!

 

 どの道、なるようにしかならないのだ。ならば、どうするのかは青年自身に任せれば良いと、彼は開き直ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 寝床に倒れるように突っ伏しながら、厳しいと言った『鬼斬り』の言葉に嘘はなかったと心から青年は思った。

 彼の先輩冒険者は、己の肉体的限界を完全に見抜いていた。先生ですら、ここまでは肉体的に疲れさせられたことはない。

 だというのに、同じメニューを平然とこなして、涼しい顔をしている『鬼斬り』の姿は、世の無常をこれでもかと青年に感じさせた。

 

 「無理を意識的にか……」

 

 限界外しと『鬼斬り』は言っていた。人の筋肉は、平時全力を出しているつもりでも、本当の意味で全力を出しているわけではなく、無意識の内に限界を決め、そこに収まるように制御されているのだと。危急の際、思わぬ力が出ることがあるのは、一時的にこの限界が外れる為と、彼は語っていた。

 

 「確かにそれが可能なら、有効なのは間違いないが、果たして可能なことなのか」

 

 生憎と青年は、それ程賢い方ではないと自分のことを思っている。

 故に、説明された理屈は分かっても、それが本当に可能なのかは半信半疑であった。

 

 「いや、呼吸自体にも疲れにくくなる効果はあった。歩法も有効なものだった」

 

 教えられた呼吸は、限界外しだけではない。平常時の呼吸についてもだ。意識的に呼吸することで、多少なりとも恩恵があったのは、青年にとっては結構な驚きであった。歩き方からして、徹底的に仕込まれた歩法などは言わずもがなで、常時出来るようになれば、多大な効果があるのは間違いなかった。

 

 「結局、剣より呼吸と歩法についての指導が殆どだったか」

 

 剣の指導は実践的で、『鬼斬り』は何通りかの構えとそこからの入りについて実地で叩き込んできた。後は、その対応について青年に考えさせて実践。剣技は一つも教えてくれず、ただ基礎の素振りをこれでもかというくらいにやらされたのだった。

 

 「剣士ではなく、戦士か」

 

 剣才がないとバッサリ断定されたのは、流石の青年もショックであった。なまじ、自覚があっただけに、他者からああも言われるとキツイものがある。

 

 「俺の道は間違っていないか」 

 

 だが、同時に青年を真っ正面から肯定してくれたのも、『鬼斬り』であった。

 判断の速さと、臨機応変さ、思考を止めないこと、戦い方の創意工夫については大絶賛してくれたのだ。

 剣は手段の一つでしかなく、才が足りないなら他で補えばいいだけのことで、己の目的からすれば、今のやり方は合致していると評価してくれた。

 

 「もっとも、苦言も呈されたが」

 

 臭い消しに小鬼の臓物の絞り汁を塗りたくるのは、非常時以外はやめろと言われたのだった。

 『鬼斬り』はその有効性と経済的な観点から評価はしてくれたものの、それを非常時以外にやるのは、流石に人として駄目だと。倫理的な問題に限らず、衛生面でも問題があるし、風評をより悪くする。長く続けたいというのなら、そこら辺は配慮すべきであるとのことであった。

 

 もっとも、否定するだけで終わらないあたり、流石は在野最上級の銀等級冒険者と言うべきか。

 自家製の臭い消しを格安で譲ってくれるという。確かめた効果は、一般に売られているものに勝るとも劣らない。それでいて、値段は十分の一にも満たないというのだから、話がうますぎると思わないわけでもない。

 が、『鬼斬り』からすれば、材料費はタダ同然で、調合も彼自身が行っているから、本当に原価は安いらしく、それでも利益が出るというのだから、驚きである。

 

 「俺にここまでして貰う価値はあるのか?」

 

 正直、好待遇過ぎて、青年が色々裏を疑いなくなるのも、無理もないことだった。

 だが、いくら疑ったところで、英雄と言っても差し支えのない最高峰の冒険者たる『鬼斬り』が己から得られるものなど欠片も思いつけなかった。

 

 「唯一あるとすれば――――いや、ないな」

 

 幼馴染みの少女の顔が脳裏を一瞬よぎるが、即座にその可能性を切り捨てた。

 牛飼娘が美人ではないなどとは欠片も思わないが、『鬼斬り』を身内として紹介してくれた姉の親友であった(ひと)は間違いなく美人であったし、『鬼斬り』の従者であるという角を持つ銀髪の少女などは、絶世と言ってもいい蠱惑的な美しさをもっていたからだ。両者共に、『鬼斬り』に向ける好意は明らかであったし、『鬼斬り』が女好きであると言った風聞も聞いたことはない。

 

 「であれば、純粋な好意であるということになるが……」

 

 『鬼斬り』は、長女に頼まれたからだなどと説明はしなかったし、三女とダブって見えたことなどもおくびにも出さなかった。見るに見かねてと言う感すらあった。

 

 「やはり、見るに見かねてということか?」

 

 青年は、何度か小鬼退治に付き合ったこともある同期の冒険者が、『鬼斬り』に指導してもらったことがあることを聞いていた。誰にも言うなと念を押された上での話だったが、まさか己もそれを受けることになろうとは夢にも思わなかった。

 

 「小鬼共には絶対に真似できない只人(ヒューム)だからこそなしえるものか」

 

 歩法と呼吸、いずれも一朝一夕で身につけられるものではない。形になるのに才能があっても最低半年、才なくばその三倍はかかるということであった。但し、毎日欠かさずに訓練すれば、必ず効果はでると。

 

 「……秘伝の類なのではないかとも思うのだがな」

 

 本来、呼吸も歩法も赤の他人に教えるようなものではないことは、いかに世事に疎い青年であっても理解はできた。実際、教えられたことの口外は厳に禁じられたし、他者に教えることも禁じられたのだから、間違いないだろう。

 だというのに、それでも教えた。それは先輩冒険者の見るに見かねてのお節介というには、あまりに逸脱していた。

 

 「あの(ひと)のお陰か……。

 姉さんは、今も俺を助けてくれるのか」

 

 見事、『鬼斬り』の真意に辿り着いた青年は、姉の親友が己を想像以上に気にかけていてくれることを理解するとともに、今も亡き姉が助けてくれていることを実感し、胸が暖かくなった。

 

 程なく眠りについた青年の顔は、とても安らかなものであったという。




鬼鬼コソコソ話
長女とゴブスレさんの姉が親友であったというのは、村では貴重な知識階級であったというところから来ています。ゴブスレさんの姉は、村で一番頭がいいとゴブスレさんに思われているくらいで、子供たちへの読み書き手習いによって糧を得ていました。ならば、当然村長の娘とは交流があるだろうということで。ゴブスレさんの発想と機転が利くのは、後天的に鍛えたのは勿論、お姉さん譲りの頭の良さがあるのかもしれませんね。


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断章06:雲耀の太刀

やだ、雲柱さん強すぎかもしれん……。
でも、柱だからなあ。弱いというのは個人的に受け付けない。
いいや、このまま突っ走ります!


 女騎士は、一人の男を前に剣を向けたまま動けなかった。

 己が激情に駆られ、一方的に勝負を挑んだにもかかわらず。

 相手は未だ剣すら抜いていないというのにだ。

 

 それでも女騎士は動けない。

 

 女の身でありながら剣の天才と言われ、最年少で騎士叙勲を受けた俊英であるというのに。

 それに奢らずたゆまぬ修練を積み、並み居る男性騎士を差し置いて最強の一人と目されるようになったというのに。

 相手は在野最上級の銀等級冒険者とはいえ、騎士である己とは比ぶべくもない一介の冒険者に過ぎないというのに。

 

 ただ、目の前の男が己の方に身体を完全に向けた、たったそれだけのことで女騎士は動けなくなってしまった。

 舞うように戦うことから剣姫とすら謳われた彼女が、駿足で知られる自慢の足を微動だにさせることはできない。

 

 だって、女騎士は理解出来てしまったからだ。

 少しでも動けば、己は死ぬと……。

 

 気づけば、全身からは嫌な汗が噴き出していた。まるで、激しい全身運動を長時間行った直後のように。

 剣は構えたまま一振りすらしていないというのに、剣を支える腕は鉛のように重くなるばかりであった。

 

 「……おま――――いや、貴方は何だ?」

 

 確実な死を突きつけられた女騎士に出来たことは、口を開くことだけだった。

 口が普通に動いたのが驚きで、声が震えていないのは奇跡のようにすら感じられた。

 

 女騎士の問に男は、驚いたような顔になった。想定とは違う反応を彼女がしたということなのだろう。

 彼女はそれも無理もないと思う。実際、直前までは斬りかかるつもりだったのだから。

 

 「……銀等級冒険者『鬼斬り』」

 

 男は少し考えた後に、そう答えた。

 

 「そんなことは知っている。そうではない、そうではないのだ!」

 

 女騎士は、男の返答が不満だった。彼女が聞きたいのはそういうことではないのだ。

 大体、この国有数の剣の腕を持つ己に、剣を抜かずに敗北を刻み込む存在がただの冒険者であったたまるものか!

 

 「ふむ……。

 では、こう名乗ろうか。鬼殺隊が柱、雲柱の名を冠する鬼滅の刃の一振りであると」

 

 鬼を殺す隊と書いて鬼殺隊、まるで聞いたことのない組織と称号であった。

 だが、男の名乗りは堂に入っており、心なしか誇らしげでもある。それは間違いなく実在する組織であり、男の地位もまた嘘ではないのだろう。

 

 「雲柱?それは称号なのか?」

 

 「そうだ。鬼殺隊を支える柱石、最高位にあたる鬼殺の剣士九人を柱と呼ぶ」

 

 つまり、雲柱とは、男がたった九人しかいない最高位の剣士の一人であることを示しているのと同時に、雲というのが男を形容したものなのだろう。

 

 「やはり、主様は最高位の剣士であられたのですね!」

 

 そういって喜色満面の笑みを浮かべて男に近づくのは、ついさっきまで女騎士に無表情で絶対零度の視線を向けていたはずの白髪の美少女だった。とてもではないが、同一人物であるとは思えない変わり様であった。

 

 「ほう、お前の昔話か。興味深いな」

 

 それにのっかるように、見事な漆黒の毛並みの鴉が降りてくる。

 呪文遣い(スペルキャスター)であるという少女の使い魔かとも思ったが、少女と鴉は対等であるようでどうにも違うらしい。

 

 「お前達、好奇心全開だな……。

 騎士殿、この勝負はなかったことにしていいかな?」

 

 それは多分に女騎士を慮った発言であった。

 この勝負の敗北どころか、そもそも勝負自体をなかったことにしようとしてくれているのだ。

 それは即ち、無理矢理勝負を挑んだ女騎士の非礼すらも水に流すということだ。

 

 「……いや、気遣いはありがたいが、明確な私の負けだとも。

 ここまで明確な敗北を認められないような狭量な剣士には成りたくないし、これ以上の恥を晒すのは勘弁願いたい」

 

 身勝手な理由で、嫌がる相手に真剣勝負をふっかけておいて、手も足も出ずに負ける。挙げ句、命を見逃して貰った上に、勝負自体をとなれば……。

 女騎士は、そこまで恥知らずにはなれなかったし、成りたくもなかった。

 

 「そうか……。

 だが、落ち込むことはない、闇雲に剣を振るうことなく敗北を悟れたのは、君が紛うことなき天才である証拠だ。

 もう少し周囲を見る視点の広さを身につけて経験を積めば、きっと君はもっと強くなる」

 

 「強くか……それは貴方の領域までか?」

 

 確かに己にはまだ伸び代が十二分に残っていようが、それでも目の前の男には届くとは女騎士には思えなかった。

 なんというか、男は文字通り格が違ったのだから、無理もない。

 

 「……」

 

 その問に、男はあえて答えなかった。

 なにせ、全集中の呼吸を身につけ、常中まで到っている男は、根本的に常人とは異なるのだから。

 

 全集中の呼吸とは、神域の天才である継国縁壱が、人外の力を持つ鬼と戦う為に自身の呼吸を元に生み出した特殊な呼吸法なのだ。それを身につけることは、すでに常人とは比べものにならない心肺機能を手に入れたことになる。常中をも身につければ、それを常に発揮しても耐えうる肉体さえも手に入れたことになるのである。文字通り、常人とは比べるのも馬鹿らしい差をもたらす。

 隻腕かつとっくに肉体的にはピークを通り過ぎて老境にある祖父に、東郷示現流の師範代である父が勝つことが出来なかったように、全集中の呼吸の習得の有無がどれ程の残酷な差をつけるのか、男は嫌というほど実体験として理解していった。

 

 だが、だからといって、全集中の呼吸を女騎士に教えようとは思わない。

 いや、そもそも誰にも教えるつもりはない。唯一あるとすれば、男の後継となる者、実子くらいのものだろう。

 それくらい、全集中の呼吸の扱いは気をつけねばならない。

 

 なぜなら、単純に習得難易度が高いことは勿論だが、それ以上に人をくらう悪鬼を討滅するために編み出され、長い時を経て洗練されていったものであるという思いがあるからだ。本来、人に向けて使うものではないのだ。

 実際、男自身、全集中の呼吸を人に向けて使ったことは殆どない。無論、それで死んでしまえば元も子もないので、いざという時は使用を躊躇わないが、対人の際はできうる限り東郷示現流の方を用いるようにしているのであった。何気に男は幼い頃から仕込まれた東郷示現流もまた修練を欠かしたことがないのだ。

 

 実のところ、今回も東郷示現流で相手をするつもりであった。

 しかし、しかしだ、結局のところ、東郷示現流であっても振るうのが全集中の呼吸で強化済みの肉体である以上、厳然たる格差が存在することは否定できない。示現流自体が「初太刀は外せ」「二の太刀要らず」と言われた一撃必殺を旨とする実戦剣術であるのもよくなかった。女騎士からすればどう動いても死ぬことを幻視させたのだろう。

 

 男の蜻蛉からの斬撃は、ただの棒で岩を唐竹割にできる領域にあるのだから、然もありなん。

 手加減が手加減になってないという酷い状況になっていたわけである。

 

 「どうやれば、そこまで強くなれるのか……正直、想像もつかない。少なくとも、貴方と同じ年月を積み重ねても、その領域に到れるとは、私には思えない」

 

 剣の天才である女騎士でさえ、後十年余りで男の領域に到達できるとは、到底思えなかった。

 

 「悪いが秘奥の類なので、教えることはできん。そもそも教えたところで習得できるか分からないものだからな」

 

 「……私の才に不足があると?」

 

 「いや、そうは言わんよ。厄介な話でな、実際にやってみないと習得できるかどうか分からないものなのだ。

 これは剣才とは全く別の才能が必要になるものなのでな。君にその才があるかどうか……。

 流石に君も、身につけられるかも分からないもののために、死と隣合わせの鍛錬など受けたくはあるまい?」

 

 「それは……」

 

 剣に生涯を捧げても構わないと思っている女騎士でも、死と隣り合わせの鍛錬となれば流石に迷わざるをえない。

 なぜなら、彼女はそんなことをしなくても、まだ十分過ぎるほどに伸び代があるからだ。

 実際、本来の流れを辿るならば、少なくとも彼女は後数年で『剣聖』の名を冠する程の剣士となるのだから。

 

 「そう、王道で強くなれる君には必要のないものだ。焦らずとも、君は最高峰の剣士にいずれ成るだろう。

 最初に言ったように、私の剣は、人を喰らう悪鬼を討滅するために身につけたものだ。そも、人に向けて使うものではない。故に王道をいく騎士である君には必要のないものだろう」

 

 「対人剣術ではない!?そんな馬鹿な、貴方の剣には確かな術理が見られたというのに」

 

 「ああ、失礼した。私が君に向けて使っていたのは、間違いなく対人剣術だよ。私が本来使う技とは異なるものだ」

 

 「本来とは異なる!?あれで尚手加減されていたと?」

 

 少しでも動けば、一刀両断される未来を幻視させるほどの領域にある剣術が、本来ものではないなどとありえるのか。女騎士は信じたくなかった。

 

 「いや、勘違いして欲しくはないが、対人剣術の範疇では間違いなく本気であったよ。殺気も本物だったろう?」

 

 「それは確かに」

 

 己を殺すという明確な意思がのった視線であればこそ、女騎士は己の死を幻視し、負けを悟ったのだから。いくらなんでも、あれが偽物であるということはありえない。

 

 「ふむ、しかし、本来の剣を見せず、対人剣も見せぬと言うのは、流石に非礼が過ぎるか……。

 よろしい、これから一手指南致しましょう。と言っても、ただの一振りをお見せするだけですが。

 先の先、先手必勝の極み、雷霆が如しと形容された示現の太刀を御覧あれ」

 

 そう言って、男は修練場にあった穂先が折れた木槍を手に取り、初めて明確に構えて見せた。

 それこそは『蜻蛉』と称される示現流独特の構えであった。

 

 「ハアアーーーー!」

 

 凄まじい叫びと共に振り下ろされた棒は、あろう事か修練所にこしらえていた木人形を唐竹割にしていた。

 まさに電光石火。雷霆という相応しい一振りであった。

 

 「「「――――」」」

 

 女騎士も含めそれを目撃した者にできたのは、絶句することだけであった。

 

 ただの棒きれというしか言えないもので、斬った(・・・)。それがいかに出鱈目な所業なのかは語るまでもないのだろう。

 しかも、押し潰すのではなく唐竹割にする。それは棒で押し潰す力よりも、振り下ろす斬撃の鋭さがなければ為し得ないものだ。男にかかれば、人体であっても、ただの棒きれで同様のことを為しうるだろう。尋常ならざる絶技であった。

 

 「我が剣術の源流たる示現流が奥義『雲耀の太刀』。これをもって君への指南としたい。

 この一振りからなにを見出すかは君の自由だ。君の工夫に期待する」

 

 そう言って、男は踵を返した。

 この騒ぎにもかかわらず、人が誰も来ていないことから、招かれざる客が来ていることに気づいていたからだ。

 その客自体は嫌いではないが、相手をするには色々面倒な御仁であることも間違いない。

 

 「剣の道は深淵だ。どうか、これに迷わず王道を持って、自身の剣を見出して欲しい」

 

 男は修練場の出入り口で立ち止まって最後にそう言うと、少女と鴉を従えて去っていくのだった。

 

 

 

 

 

 「陛下、アレとはやったら駄目だよ」

 

 「……どうしてもか?」

 

 陰ながら護衛をしてくれている者の言葉に、黄金の王者は不満げに言葉を漏らした。

 

 「不満そうな顔をしても駄目。アレだけは絶対に駄目!

 アレにその気があったら、庇う事もできずに殺される。仮に間に合ったとしても、諸共斬殺される。どれだけ頑丈な鎧着ていようがね」

 

 「それ程か?」

 

 「陛下だって見たろう。アレは木の棒で人形を斬った。達人の中の達人になって、ようやく可能とするような絶技だ。

 それをああも間単にやってのけ、見せつけた。つまり、アレにとってあの絶技は秘匿するようなものでも、出し惜しみするようなものでもないってことだ。まあ、見たところでどうしようもないという意味では問題ないのかもしれないけどね」

 

 「言わんとするところは、俺とて理解してるつもりだ。

 だが、この時間を捻出するために、俺がどれほど努力したのか知らぬわけでもないだろう?」

 

 元冒険者でもあり、自身の武芸にも相応の自負を持っているだけに、強者との戦いは、彼にとって絶好の娯楽であった。国王という立場にあり、その武を振るう機会は、年を経るにつれ激減する一方なので尚更だ。

 故に、在野最上級の銀等級冒険者にして、金等級昇格を断ったという異例な男である『鬼斬り』との戦いは、彼にとって近年一番楽しみにしていたイベントでもあったのだ。

 

 なので、ここ最近、彼は王である己が戦っても問題の出ない舞台を整える為に、余暇も削って執務に専念するほど頑張ったのだ。それでも捻出できたのは、僅かに1時間だというのだから、王という立場がどれほど多忙で重責なものかは語るまでもないだろう。

 

 「いや、見てたから分かってるよ。執務も頑張ってたし、念入りに人払いまでやって、問題のない舞台を作り上げた。その労力と努力は認めるよ。その舞台を彼女に横取りされた挙句、あんなものを見せられたんだ。気持ちは痛いほど分かるよ」

 

 実のところ、女騎士は偶然にも人払いをかいくぐって、謁見から帰る途中の『鬼斬り』と遭遇したに過ぎない。

 というか、彼女はほかならぬ黄金の王者から、王城の修練場を自由に使う権利を得ているので、止められなかったというのが正しいのだが。

 

 「そうだろう!まさか、こんな形で先を越されるとは!何たる不覚!

 さあ、そこをどけ!」

 

 今までの苦労や、『鬼斬り』の絶技、女騎士に先を越された悔しさなど諸々の感情が溢れ、自制心が吹き飛ぶ。本当に彼は心の底から、『鬼斬り』と剣を交わすことを楽しみにしていたのだ。

 

 「駄目だね、まだこの距離なら、追えば城を出る前に間に合ってしまうからね。そうなれば、陛下の望みが叶う可能性はないとはいえないからねえ。ここは通せないねえ」

 

 「どうしてもか?」

 

 「どうしてもさ!おっと強攻策は無駄だよ。実力行使しようとしたら、全力で大声あげてやるからねえ。周囲を固めてる部下どもによってたかって拘束される羽目になるだろうさ。

 恨むんなら王になった自分を恨むんだねえ。あんたはもう、気軽に剣をかわすなんてことができる身軽な冒険者じゃないんだよ」

 

 「王位についたことに後悔はないし、今までの行いを否定するつもりもない。

 だが、今日ばかりは、王であることが恨めしいな……」

 

 てこでも動かないという鋼鉄の意志を護衛から感じた黄金の王者は、己の望みが叶わないことを悟り、全身から力を抜いた。彼だって本当は誰よりも理解しているのだ。自分が他者と軽々しく剣を交わすなどあってはならないことだと。国王という地位につきまとう権威と名声、行使できる権力から発生するありとあらゆる柵がそれをよしとしない。

 そも、それが可能ならば、彼はその為に絶大労力を必要としなかったし、鬱憤が爆発して時折『金剛石の騎士(ナイト・オブ・ダイヤモンド)』なんてやっていなかっただろう。

 

 「今までの頑張りを徒労として受け入れ、そこで素直に諦められるあたり、アンタは立派な王様だよ、我が君(マイロード)

 

 こういう男だからこそ、旧知の仲とはいえ性に合わない宮仕えをして護衛なんてやっているのだから。しかも、『金剛石の騎士』なんて酔狂な活動にも、黙認した上で協力すらしているのだからと、護衛は笑う。

 

 「しかし、あれでも第二位金等級相当だっていうんだから、第一位白金等級ってのはそれ程なのかね?」

 

 達人の中の達人である『鬼斬り』であっても、白金等級とは認められなかった。では、その上とはいかなる存在か?

 

 「白金等級か、あれは規格外。そういった存在に与えられるものだ。人でありながら人の理を超越した存在だという。『鬼斬り』はギリギリではあるが、理解できる存在ではあるからな。昇格こそ早いが、年齢や功績を見れば、そこまで逸脱したものとは言えん。規格外とは、良くも悪くも逸脱しているものだからな」

 

 黄金の王者は、知己である六英雄の顔を思い浮かべながらも、彼らもまた底辺から成り上がった存在であることをおかしく思っていた。なにせ、彼らと知り合った時には、「死の迷宮」の奥底に挑み、魔神王を討ち果たすなどとは夢にも思わなかったのだから。

 

 「ふーん、規格外ね。……会ってみたいかい?」

 

 意地悪な笑みを浮かべて、護衛が問う。

 

 「ふん、本音を言えば会ってみたいとは思う。運命に選ばれたような存在を見てみたい。だが、国王としては会いたくないな。

 そのような存在が誕生するということは、すなわち苦難と激動の時代となるであろうからな」 

 

 しかし、黄金の王者の思いは叶わない。彼はこの五年後に、太陽の聖剣を携えた規格外の少女と出会うことになるからだ。

 そう、彼もまた苦難と激動の時代に生きる者なのであった。




鬼鬼コソコソ話
雲柱さんは、割と容赦なく人を斬ります。幕末という激動の時代に生きたせいもありますが、鬼に協力して欲望を満たす人間の汚濁なども沢山見ているからです。なので、対人技もちゃんと稽古は欠かしていません。彼の命を狙ったランナーが5人ほど唐竹割にされていますが、些細なことですね。


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