ゲゲゲの鬼太郎 クロスオーバー集 (SAMUSAMU)
しおりを挟む

人物紹介・設定解説

ありがたいことに『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』の公開もあってか、ここ最近のアクセス数やお気に入り数が伸びてくるようになりました。

そのため、今更ですがちょっとばかし人物紹介や、本小説の独自設定などについて解説を入れていきたいと思います。
映画からこの小説を読みにきた方が混乱しないよう、特に6期の設定に関して触れていきたいと思います。



【レギュラーキャラ】

 

 

 ・ゲゲゲの鬼太郎

 

 ・cv:沢城みゆき

 

  本編の主人公、幽霊族の少年。知らぬ日本人はいないだろう、お馴染みゲゲゲの鬼太郎。本作は6期の話をメインにしていますので、通称沢城くん。6期における鬼太郎の特徴としては中性的な容姿に、性格も比較的クールなタイプ。女性の好意に対しても鈍く、鼻も伸ばさない。

 

 『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』でも描写されましたが、本作では水木という青年に拾われ、育てられたという過去が公式で明かされた。その恩返しのためか、妖怪ポストから人間たちの依頼を受け、妖怪たちの魔の手から人々を守っている。ただし人間側に非があったり、あまりにも救いようがなかった場合、チャンスこそ与えるものの見捨てることが多い。

 

  本作における鬼太郎は『妖怪と人間は交わらない、交わっちゃいけない』という考え方から、人間と適切な距離を置いている。助けを求められれば助けるが、依頼以上で人と深く関わろうとはしない。また『自分と異なるものを受け入れられない奴らが大っ嫌い』という発言から、人間を排斥しようとする妖怪や、バックベアードのような独裁者に激しい怒りを露わにする。

 

  どこか冷めたような発言や言動から冷酷な性格と見られることも多いが、その実、理想や信念、正義感といったものを胸の内側にしっかりと秘めている。その分、悩みや孤独感を一人で抱え込むことも多く。そのせいで失敗したり、大きな犠牲を払ってしまうことがあったりする。

 

  戦闘スタイルとしては『指鉄砲』。指先から青いエネルギー弾、『幽☆遊☆白書』でいうところの霊丸のようなものでトドメを刺すことが多い。髪の毛針やリモコン下駄、体内電気などといったシリーズでお馴染みの技も健在。また霊毛ちゃんちゃんこを腕に巻いたり、リモコン下駄ごと蹴りを放つなど、肉弾戦が多いのも特徴的。

 

 

 

 ・目玉おやじ

 

 ・cv:野沢雅子

 

  こちらも知らぬ日本人はいないだろう、ゲゲゲの鬼太郎の父親。それまで1期から5期まで声の担当をされていた田の中さんが死去なされたため、野沢雅子さんが今作において初めて目玉おやじを演じる。野沢さんは一期でゲゲゲの鬼太郎を担当していたこともあり、色々な意味で父親感が出ている。

 

  基本的には鬼太郎の父親、保護者としての側面が強い。かなり長生きしていることもあってか妖怪に関する知識も豊富。鬼太郎一人で攻略出来ないような妖怪を相手にする際、彼の知識が役に立つことなどが多々ある。ただ西洋妖怪に関してはあんまり詳しくはないらしい。

  

 『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』でも登場しましたが、本来の姿は鬼太郎に似た白髪の男性。その頃から一人称がわし。戦闘スタイルは鬼太郎に似ているようだが、霊毛ちゃんちゃんがない代わりに『霊毛組紐』を左手首に巻いていた。リモコン下駄や体内電気なども使用できるようだが、鬼太郎のように技名を叫んだりはしない。ちなみに目玉おやじの姿でも指鉄砲は撃てて、しかもかなりの高威力。

 

  今でこそ、スマホに反応を示したり人間社会にそれなりに興味を見せているが、肉体があった頃はあまり人間が好きではないどころか嫌っていたとのこと。幽霊族として保守的で、自然の中に引きこもって暮らしていた。その辺は鬼太郎に似ている。彼が人間に興味を持つようになったきっかけは、間違いなく妻の影響。

 

  目玉おやじの奥さんに関しては、映画では美人に描かれたが、名前は明かされていない。cvは鬼太郎と同じ、沢城みゆき。幽霊族でありながら、人間が好きだったらしく、人間社会に混じって働いていたとのこと。どことなく、猫娘に似ているとか言われている。

 

 

 

 ・猫娘

 

 ・cv:庄司宇芽香

 

  おそらく6期で一番イメチェンしたであろう、スタイリッシュな猫姉さん。今作における妖怪側のヒロインであり、そのツンデレ力と犬山まなとの百合っぽい関係性にノックアウトされた視聴者は多い筈。猫娘といえば、小さな女の子という固定概念をぶっ壊したという意味もあり、これはかなり革新的なイメチェンだったと個人的にも思う。

 

  クールなモデル女子というイメージから、一見すると冷たいような印象を受けるが、素直に好意を向けてくる相手には優しく、面倒見が良い。特に犬山まなへの対応は実の妹に向けるような愛情が感じられる。強気で漢気溢れる姉貴肌な面が強くありながらも、好きな相手である鬼太郎への好意を素直に言い出せない女性らしい面もしっかりと感じられる。

 

  服装は基本的に赤いワンピースと白いブラウス、赤いリボンで長い髪を纏めている。季節によってストッキングや冬服を着たりと、それにより物語の季節感を出してくれている。また過去話などでも、バブリーな衣装を着て当時の時代背景などを感じさせるファッションを見せてくれる。

 

  鬼太郎ファミリーの中でも特に出番が多いこともあり、歴代でも屈指の戦闘力を誇る。爪を最大で大鎌ほどにまで伸ばし、敵を切り裂く。一部界隈では『ウルヴァリン』とか呼ばれている。スマホなどの現代文明にも対応しており、情報面においても鬼太郎をしっかりとサポートとしてくれている。戦闘時に化け猫の表情になるなど、猫娘らしい個性も健在。

 

 

 

 ・ねずみ男

 

 ・cv:古川登志夫

 

  ゲゲゲの鬼太郎にとって絶対に欠かすことのできない、トラブルメーカーにしてトリックスター。6期で猫娘はかなりのイメチェンがされていますが、逆にねずみ男の性格や容姿に大きな変更点などはなし。スタッフ曰く、ねずみ男だけはいつの時代も変えられないとか。

 

  半妖であり、金に汚く、保身のために仲間を売ることもしょっちゅう。たまに漢気を見せることもありますが……次話になってあっさりと裏切ることもありますのでご注意を。鬼太郎ファミリーの中でも人間社会の、特に裏側などに精通しており、ヤクザ系の人間に追い回されながらも、きっちり生き残るタフネスは流石である。

 

  6期のねずみ男は戦争に対して、強い嫌悪感を抱いていることが特徴的。お国のために戦って亡くなったであろう、日本兵士の亡骸に対しても真摯に手を合わせたり。戦争を引き起こしかねない総理のもとに直談判に行ったりと。アニメの最終回では戦争をする愚かさを説いて人間と妖怪、その両方から戦意を削いでいった。

 

  戦闘能力はほぼ皆無であり、ねずみ男が戦いの場で活躍する機会は少ない。ただ体臭やオナラによる悪臭で敵の動きを封じたり、可燃性のあるオナラに火を付けて爆発を引き起こしたりと。サポート面では稀に活躍する場面があったりもする。

 

 

 

 ・砂かけババア

 

 ・cv:田中真弓

  

  日本を代表するババア妖怪の一人。口癖は「チューするぞ!」。活躍した味方へのご褒美や、お仕置きなどで多用される台詞だが、実際に作中でチューをしたのは……子泣き爺からの熱烈なディープキスが一回だけ。いったい、誰得? 

 

  目玉おやじ同様、知恵袋的な役割で活躍する場面も多く。同じ女性ということもあってか、猫娘の悩みに答えたりとしっかりした年長者として描かれることが多い。

 

  戦闘面では毒砂や痺れ砂など、多彩な効果を持った砂を器用に使い分けている。また薬を調合したり、砂通信といった手段で離れた相手と連絡を取り合ったりと、戦闘面以外でも便利で多彩な能力が多い。

  

  パソコンやネットに強く、ハッキングや資産運用などを巧みに熟すのが6期における独自設定。普段はゲゲゲの森に住んでいるようだが、オーナーが人間である妖怪アパートで、雇われ大家として他の妖怪たちの面倒を見ていたりもしている。

 

 

 

 ・子泣き爺

 

 ・cv:島田敏

 

  日本を代表するジジイ妖怪の一人。赤ん坊のように泣くことで石になり、その重みで敵を押し潰したり、動きを封じたりする。身体の一部、主に腕だけを石に変えて殴ったりと、意外と応用も効く能力。6期では特に酒癖が悪く、そのせいでやらかしてしまうことがしばしば。

 

  砂かけババアとは何だかんだありつつ、良き相棒といった感じ。一応ただならぬ関係性を匂わせてはいるが、そこまで気にする必要はない。他シリーズとの相違点が薄く、6期を視聴していなくともキャラクターのイメージが湧きやすいかと。

 

 

 

 ・ぬりかべ

 

 ・cv:島田敏

 

  いつの時代も変わらない、壁の姿をした妖怪。ただ近年の研究で『犬のような姿』をしていたんじゃないかという、新たな学説が他作品などで採用されつつある。

 

  5期だと結婚して女房や子供もいたが、6期だと独り身。一話限りではあるが、犬山まなに惚れたり、笹の葉の精・星華といい感じの仲になったりと、人並み(妖怪並み?)に異性に興味はあるようだ。

  

  強敵相手に粉々にされたり、壁を修復するために液状になったりと意外に身体が変化することが多く、どんなに原型がなくなっても、何故か普通に生きてる謎のタフネス。他にも地中を潜って移動したり、身体の大きさをある程度デカくすることが出来る。「ぬりかべ」という台詞が印象的だが、意外と普通にお喋りすることも可能。

 

 

 

 ・一反木綿 

 

 ・cv:山口勝平

 

  鬼太郎ファミリー、機動力の要。貴重な空飛ぶ要因として出番も多い。シリーズによっては博多弁や九州弁を話したりしていますが……6期は何弁で喋ってるんだ、これ? 

 

 「コットン承知!」が決め台詞。今期だと特に色ボケであることがピックアップされている。女の子が大好きで、どんなにやばい状況でもぶれずに女の子優先で人助けを行い、ナンパをする。

 

  鬼太郎を乗せて空中を縦横無尽に飛び回る機動力は勿論、そのペラペラの身体で相手の首を絞めたり、切り裂いたりと個体としても様々な戦い方が出来る。火には弱いが、水を浴びると身体がバラバラに切り刻まれていようと復活する。

 

 

 

【鬼太郎6期の登場人物】

 ここでは6期オリジナルで複数回出番のあるキャラクターを紹介していきます。

 

 

 ・犬山まな

 

 ・cv:藤井ゆきよ

 

  鬼太郎6期における、人間側のメインヒロイン。妖怪である鬼太郎と、人間との橋渡し的な役割。鬼太郎よりどちらかというと猫娘の方に懐いており、彼女のことを猫姉さんと慕っている。類稀なる偶然力の持ち主らしく、その影響で良くも悪くも様々な事件を抱え込むこととなる。

 

  住まいは調布市の住宅街。性格は素直で優しく、正義感が強くはあるが、妖怪相手にプライドを煽って上手く乗せたりと、結構強かな面も。かなり気が強い方でもあり、悪ふざけが過ぎる男子相手に容赦なく手を上げたりもする。好奇心や行動力も人一倍で、その積極性からトラブルに巻き込まれることも多いが、そんな彼女の行動力のおかげで突破できる局面も数多くある。

 

  物語開始当初は中学一年生ということもあり、制服でいることも多いが、私服のバリエーションもかなり多彩。猫のマークをあしらったTシャツや、白いワンピース。ジャージやパジャマ、着物姿などなど、作画スタッフの努力が垣間見える。私服のセンスは悪くないのに、何故かスマホカバーには大仏の顔がアップでプリントされているものを使用したりと、かなり独特なセンスの持ち主でもある。

 

  犬山まなという少女の存在は、これまで『人間を助けはするが、深く関わろうとしなかった』鬼太郎に間違いなく多大な影響を与えている。しかし鬼太郎との関係はあくまで友達であり、猫娘のように彼に恋心を抱いている様子はない。ただ妖怪相手に一方的に恋心を抱かれることが多く、本人はその好意に気づかないというラノベ主人公のような鈍感ぶり。

  

  彼女の母方の血筋が特異なものらしく、本編のストーリーでは『名無し』という黒幕が彼女に『五行の印』を刻んでいた。これにより、まなは一時期妖怪を魂まで消滅させる力を身につけており、その力で猫娘を消滅させて地獄へと送ってしまう。名無し編が終了してからはその力も失われている。

 

 

 

 ・犬山裕一

 

 ・cv:高塚正也 

 

  犬山まなの父親。自宅のパソコンに建物の見取り図のデータがあったことから、建設関連の会社に勤めていることが窺い知れる。しかし、パソコンの横にパスワードを書いた紙を貼っていたりと、明らかにセキュリティー意識が低い。たとえ台風で電車が止まっていようと会社に出勤しようとする、まさに社畜の鏡。

 

  彼の実家が犬山性。鳥取県の出身らしく、境港には彼の兄夫婦である庄司とリエが住んでいる。調布に一軒家を建てたり、ほとんど人気のない田舎の方とはいえ別荘を所持していることから、それなりに高所得者であることが察せられる。その上、美人な妻に可愛い娘までいるという、勝ち組……。

 

  アニメ本編においては、これといって鬼太郎たちと交流はなく、出番もそこまで多くはない。ただ本小説において、彼らはすでに鬼太郎たちと正式な形で挨拶をしているということになっています。その辺りの詳しいお話は『もっけ』とのクロスオーバーを参照してください。

 

 

 

 ・犬山純子

 

 ・cv:皆口裕子

 

  犬山まなの母親。まなに似たかなりの美人。社会人として働いている様子だが、ヘッドハンティングされて秘書業を久しぶりにやるという言葉から、わりと転職などしているように見受けられる。裕一を尻に敷いていることから、家庭内ヒエラルキーは妻である彼女の方が上のようだ。

 

  名無しの策略のせいで猫娘を襲うように洗脳され、敵だと誤解された猫娘から反撃され、危うく命を落としかける。なんとか一命を取り留めたものの、彼女が死んだと誤認された名無しの策略もあり、「母親が妖怪に殺された」とまなが鬼太郎たちを強く憎むきっかけにもなってしまう。

 

  旧姓はおそらく『沢田』。千葉県に住んでいる大叔母のフルネームが沢田淑子なところからも、そのように予想できる。6期放送中は母親の親戚関係に関してあまり深掘りされませんでしたが、本小説ではいずれその辺りを詳しくやっていくつもりです。

 

 

 

 ・桃山雅

 

 ・cv:祖山桃子

 

  犬山まなの同級生であり親友。黒髪セミロングヘアの女の子。明るく活発的だが勉強が苦手。インスタ映えする朝食を要求したり、母親のお小言に反感を抱いたりと、等身大の思春期の女の子。まなほどではないがちょくちょく妖怪の被害に遭い、親友であるまなに助けを求めることが多い。

 

  アニメ52話『少女失踪! 木の子の森』で主役に抜擢。服装がそのままでありながら、身体が大人に成長してしまっていくことで、ヘソだし着衣がキツキツなど、ニッチなスタイルをお茶の間で披露することとなる。まあ……全裸よりマシか。

 

 

 

 ・石橋綾

 

 ・cv:石橋桃

 

  犬山まなの同級生の一人。髪を二つ縛りにしたメガネの女の子。将来の夢はパティシエ。実家の喫茶店を手伝い、お菓子作りの修行として自作スイーツを店に出している。

 

  アニメ87話『貧乏神と座敷童子』で主役に抜擢。彼女自身は善良な女の子なのだが、実の両親が元詐欺師という割とクズ親。話の中で両親は座敷童子の生み出す利益に目が眩んで金の亡者となるが、娘の説得でなんとか改心。現在はこぢんまりとした喫茶店を、それなりに繁盛させているといった感じ。

 

 

 

 ・辰神姫香

 

 ・cv:上田瞳

 

  犬山まなの同級生の一人。ロングヘアを後ろで一カ所に束ね、前髪を揃えている女の子。彼女を含めたまな、雅、綾香が学校でも特に仲の良い女子グループ。学校は勿論、休日もショッピングに出掛けたりしている。

 

  本編放送中は残念ながら個別回がなく、深い掘り下げがなかった。そのため、本小説においてオリジナルの個別回を『炎眼のサイクロプス』のクロスオーバーでやりました。その話において辰神という苗字や、彼女のお嬢様設定などを独自に盛り込ませてもらいました。

 

  ちなみに他作品に『辰神姫香』というキャラがいますが、全くの偶然で特に意図したつもりはありません。あくまで辰神姫香とは本小説における独自設定ですので、お気をつけください。

 

 

 

 ・裕太

 

 ・cv:古城門志帆

  

  犬山まなの隣に住んでいる小学生の少年。まなを「まな姉ちゃん」と慕っており、まなも裕太のことを弟のように可愛がっている。メガネを掛けた大人しめの少年であり、同級生の大翔やその兄である蒼馬によく虐められている(虐めるたび、まなが彼ら兄弟に制裁を下している)。

 

  祖母から妖怪についての話をよく聞かされており、まなが妖怪の存在を信じていなかった物語の一番最初からその存在を信じていた。まなにゲゲゲの鬼太郎について話したのも裕太であり、彼がいなければまなと鬼太郎との出会いはなかったかもしれない。

 

  鬼太郎に関わりを持つ少年ポジションとして、たまに出てくる。人間でありながらゲゲゲの森に入り込むという、地味に凄いことを犬山まなよりも先に実行している。

 

 

 

 ・アニエス

 

 ・cv:山村響

 

  西洋妖怪編から登場した魔女のヒロイン。世界支配を目論む『バックベアード軍団』から脱走し、日本へと逃れて鬼太郎たちと出会う。当初は自己中心的、人の話を聞かない一方的な面が目立っていたが、それは使命感や焦燥感に駆られていたから。他者の傷つく様子やその死を悼んだりと、本来の心根は優しい性分。

 

  金髪のロングヘアにトンガリ帽子と、誰がどう見ても「魔女だ!」という分かりやすい見た目をしている。魔法を詠唱したり、箒で空を飛ぶなどのお約束もしっかりと抑えており、その箒自身にも意思のようなものが確認できる。彼女の魔法の呪文はアニメスタッフや、脚本家の名前のアナグラムになっているとのことで、本小説でオリジナルな魔法を使う際も、その法則性を意識した呪文詠唱となっています。

  

  状況に応じて様々な魔法を使うが、特に多用されるのが「タイナガ・ミ・トーチ」という火炎魔法。魔女としての潜在能力はかなり高いらしく、そのせいでバックベアードの推奨する『ブリガドーン計画』のコアに利用されようとしていた。

 

  人間に対して特に思い入れがあるわけではなかったが、犬山まなとは友人関係。彼女の持ち前の人懐っこさから交流を深め、そのおかげで張り詰めていた心が徐々に解きほぐされていく。西洋妖怪編の最後、姉であるアデルとも和解したことで二人で旅に出ることになり、鬼太郎やまなと別れを告げた。

 

 

 

 ・アデル

  

 ・cv:ゆかな

 

  アニエスの実の姉。彼女たちの家系は代々バックベアードに使えている一族らしく、魔女としての誇りや伝統を重んじているため、軍団を逃げ出したアニエスに激しい怒りを覚えていた。バックベアード軍団の中でもかなり上の地位らしく、大半の西洋妖怪たちから敬語で話されている。

 

  魔法石や魔法銃など、様々な道具を多彩に使って戦う戦闘スタイル。そのため、アニエスと違って戦闘中に呪文を唱えたりはしない。戦闘では終始鬼太郎やアニエスを圧倒したりもしたが、魔女としての潜在能力や才覚はアニエスに劣るらしい。彼女の戦闘力の高さは、あくまで魔法石などを予め大量に用意しておくといった努力の賜物。

   

  西洋妖怪編の終盤、アニエスの代わりにブリガドーン計画のコアになろうとしていたが、魔力が足りずに不発。そのためバックベアードからも「役立たず」などと結構扱いが不憫。魔女としての誇りもあるが、妹への愛情も確かにあったと。最後はアニエスを救うために鬼太郎に手を貸したり、命を賭けたりと。その行動が姉妹が和解するきっかけにもなった。

 

 

 

 ・石動零

 

 ・cv:神谷浩史

 

  大逆の四将編から登場した鬼太郎のライバルポジション。古来より妖怪退治を生業としてきた集団『鬼道衆』最後の生き残り。一応、現役の男子高校生らしいが、学校に行っている様子は一切なし。今時のアニメらしく結構な美少年。

 

  妖怪の魂を身体に取り込むことで『呪装術』という力を行使し、取り込んだ妖怪ごとに様々な力を発揮する。鬼であれば腕が鬼のものへと変化し、火の妖怪であれば炎系の力を発揮することが出来るようになる。また音波攻撃を防ぐためにノイズキャンセリングイヤホンを使用したり、複製品とはいえ伝説に出てくるような武器を顕現して使用したりと、人間らしく様々な道具を駆使して戦う。

 

  鬼道衆の里を妖怪に滅ぼされたこともあり、妖怪という存在そのものを強く憎悪していた。人間相手には持ち前の正義感を発揮し、悪人であろうと普通に命を助けたりするものの、妖怪相手には平然と拷問をかましたり、平気で約束を破ったり。妖怪全てを害悪と決めつけるその考え方が鬼太郎とソリが合わず、劇中では彼と何度もぶつかり合う。

 

  大逆の四将編の最後に、直接の仇である玉藻の前を倒すことに貢献できたこともあってか、その憎しみを薄れさせている。妖怪という存在を全て認めたわけではないとのことだが、なんとか自分の中で折り合いを見つけようと模索中。自身の師匠のような立場に収まった伊吹丸と共に一から修行の旅へと出る。学校は行かないのか?

 

 

 

 ・鬼童・伊吹丸

 

 ・cv:古谷徹

 

  大逆の四将の一人。千年前、京の都を荒らしたとされる酒呑童子の息子。鬼の中でも最強格であり、四将の中でも頭ひとつ分くらい飛び抜けて強い。過去に一国を一夜にして滅ぼしたとされ、その罪の重さから大逆の四将としてカウントされている。

 

  佇まいや口調そのものは穏やかであり、一見すると鬼らしい荒々しさなどは感じられない。しかし、ひとたび戦闘となると容赦がなく、脅しとはいえ猫娘を殺すなどと口にしたり、向かってくる石動零を平然とボコボコにしたり。ダムを壊すことで人間に被害が出ようと知ったことかと、妖怪としての容赦のなさが淡々と描写されている。

 

  千年前に「ちはや」という人間の女性と出会って恋に落ち、大江山にあった鬼たちの拠点から他の人間たちを連れ、酒呑童子の元から脱走。辺境の地で仲睦まじく平和に暮らしていた。ところが伊吹丸が不在だった際、近隣の領主から侵略を受けて村人は全て皆殺し、ちはやも首だけになって晒されるなどの所業にブチギレ。怒りのまま、その国の人間を全て殺し尽くした。

 

  愛した人を成仏させたいという願いを叶えた後は、あっさりと閻魔大王に捕まり再び地獄へと。その後、同じく大逆の四将である玉藻の前を止めるため、似たような境遇(復讐のために全てを投げ打っていた)石動零に力を貸す。四将編が解決した後は半身は地獄に、もう半身は石動零と共に。彼の師匠的な立場として、その行く末を見守っていくこととなる。

 

 

 

【主要なボス妖怪】

 ここでは本編の各章でボス枠を務めた妖怪をいくつか紹介していきます。

 

 

 ・名無し

 

 ・cv:銀河万丈

 

  ゲゲゲの鬼太郎、アニメ6期一年目のラスボス。全身黒ずくめに不気味な仮面を被った謎の存在。登場するたびに解読不能な謎のポエムを披露するなど、どこからどう見ても不審者。

 

  その正体を鬼太郎たちに悟られることなく、多くの妖怪たちの封印を解いて現代の世に『妖怪』が存在することを知らしめた。鬼太郎の世界観で妖怪が認識され始める原因を作ったといっても過言ではない存在。

 

  初登場から一年もの時間を掛け、犬山まなに五行の印を刻み、自らの思惑を成そうとした。名無しの目的はまなを取り込んで得た力で、この世の『全てを滅ぼす』こと。妖怪も人間も関係なく、文字通り全てを闇で呑み込もうとする。最終形態は巨大な赤ん坊のような姿をしている。

 

  名無しはまなの祖先である『ふく』という女性と、鬼の青年の間に産まれる筈だった半妖。二人は『妖怪と人間が愛し合ってはいけない』というタブーを犯したとされ、双方の一族から追われて殺されたが、その際にふくのお腹の中に名無し——名前を付けられる筈だった命が宿っていた。この世に生を受け、名前を付けられることすら許されなかった名無しは、長い時間を掛けて憎しみや悪意を吸収し続け、全てを終わらせようとする。

 

  最終局面、犬山まな——『真の名』という名前を付けられて誕生した彼女により、名無しは名付けられる。この世に生を受ける喜び、両親の霊に祝福されるように見つめられながら、満足げに成仏していった。尚、まなが名無しになんと名付けたかは明らかにされていない。

 

 

 

 ・バックベアード

 

 ・cv:田中秀幸

 

  西洋妖怪編のラスボス。西洋妖怪の帝王として、西洋からアニエスを追ってくる形で鬼太郎たちと激闘を繰り広げた。本体は過去作同様、目玉が付いた巨大な球体という形なのだが、登場当初は大体亜空間の中に引っ込んでおり、『空間からこちらを覗き込んでいる目玉』みたいな感じになっている。

 

  自ら帝王を名乗るだけあってかなりの力を持っている。衝撃波を放ってあらゆるものを吹き飛ばしたり、催眠術で猫娘たちを操ったり、ほとんど無制限に空間移動をしたりと。またバックベアード軍団の長として狼男のヴォルフガングや、女吸血鬼のカミーラ。フランケンシュタインの怪物であるヴィクター。さらにはベリアルやブエルといった悪魔たちなど、数多の西洋妖怪を従えている。

 

  ブリガドーン計画という、人間を妖怪奴隷にするという計画で全世界の支配を目論んでおり、そのためにアニエスを利用しようとし、視聴者からロリコン扱いされる。西洋妖怪編の最終決戦では人型へと変身。過去作では考えられなかった肉弾戦を披露し、鬼太郎と激しい戦いを繰り広げた。

 

  西洋妖怪編終了後は暫く音沙汰なかったが、最終章でぬらりひょんの手を借りたことで復活。ぬらりひょんと同盟を組み妖怪大同盟を設立、人間相手に真っ向から戦いを挑んで人間社会にとんでもない被害をもたらす。

 

  しかし、ぬらりひょんからあっさりと裏切られ毒を盛られ、その身が『バックベアード爆弾』へと変貌。自分を裏切ったぬらりひょんや、宿敵である鬼太郎諸共日本を壊滅させようと隕石のように落ちてくるが、鬼太郎の指鉄砲によって成層圏まで吹っ飛ばされ——完全にその肉体を消滅させた。

 

 

 

 ・玉藻の前

 

 ・cv:田中敦子

 

  大逆の四将の一人にして、最後の一人。大逆の四将編のラスボス。普段は美女の姿をしているが、その正体は九つの尾を持った九尾の狐。平安時代末期は玉藻の前として日本を、それ以前は中国の妲己として殷王朝の世を乱した。地獄から解き放たれて早々に鬼道衆の里を滅ぼした、石動零にとっては直接の仇。

 

  尾の数だけ分身を作り出すことができ、戦闘力も尾の数に比例して強くなっていく。九つの尾を全て合体させることで本気の姿——白面金毛九尾の狐となる。直接的な戦闘力も高いが、美女として権力者に寄り添い、魅了することによって影ながら人間社会の情勢を操ることも可能。本編では某国のトップを操り、日本に軍隊をけしかける。さらには分身たちが関係各国の重要人物を魅了し、日本を完全に孤立状態へと追い込んだ。

 

  最後の戦いにおいて、仲間たちの力を取り込んだ鬼太郎と、伊吹丸の力を借り受けた石動零の二人がかりで討伐され、再び地獄へと繋ぎ止められたと思われる。作中で明言されてはいないが、おそらくは中国妖怪に該当する大物。中国妖怪の狐といえばでお馴染みの『弟』を指しおいての活躍——いずれは、本小説にその弟の方を出演させたいと考えています。

 

 

 

 ・ぬらりひょん

 

 ・cv:大塚明夫

 

  最終章ぬらりひょん編のラスボスにして、大逆の四将を地獄から解き放った黒幕。妖怪の復権を目的として様々な場所で暗躍する老人。ぬらりくらりとどこへでも入り込み、陰謀の糸を至るところで張り巡らせていく。

 

  満を持して登場した妖怪の総大将。妖怪のために人間たちと敵対しているため、人間を嫌う妖怪たちからは支持されているが、たとえ味方の妖怪だろうと平然と使い潰す冷酷さを秘めている。ぬらりひょんにとって大事なのは妖怪という種そのものであり、朱の盆以外の妖怪一人一人に対してはほとんど興味も関心も示さない。

 

  どんな相手であろうと丁寧な言葉遣いで話し、その話術で人間の権力者とも接点を持っている。時には賄賂で自分の思惑通りに人間を動かし、目的を果たそうとする。驚くべきことに作中で戦闘をした描写が全くといっていいほどにない。自らの手を汚さずに他者を掌の上で転がすその有り様はまさに老獪の一言。

 

  最終話、バックベアードを見事に欺いて格の違いを見せつけるも、最後の足掻きとして爆弾と化したバックベアードに自らの思惑を潰される。だがそれでも尚、落ち着いた様子でたとえどんな危機を前にしても「人間と手を組むなどあり得ない」と、妖怪の総大将としての威厳を見せつける。最後には同志たちの命を無為に散らせた責任を取るとして自爆したが、魂が出てくる描写がなかったため、偽装自殺だと思われる。

 

 

 

 ・朱の盆

 

 ・cv:チョー

 

  ゲゲゲの鬼太郎でぬらりひょんという存在を語る上で、欠かすことの出来ない彼の側近。鬼のような真っ赤で大きな顔をした妖怪。原典ではかなり恐ろしい妖怪なのだが、鬼太郎シリーズでは一貫して『ちょっと間の抜けた小悪党』であり、常にぬらりひょんに付き従っている。

 

  6期の朱の盆も、それまでのシリーズ同様に少し間が抜けているのだが、その戦闘力は過去最高レベル。特に特殊な能力などは使わず、肉弾戦で鬼太郎に対抗できるほどの強敵妖怪として描かれている。さらにはガドリンガンを使って人間を殺したりと、割と洒落にならないことを平然とやってのける。

 

  最終話ではぬらりひょんが自爆したため、一人取り残された朱の盆が寂しそうにショボーンとしている。

 

 

 

【鬼太郎6期の独自設定】

 ここでは鬼太郎6期における独自の設定、最低限必要な知識を解説したいと思います。

 

 

 ・妖怪との距離感

 

  物語の当初、人間たちは完全に妖怪という存在を認知していなかったが、アニメ11話『日本征服! 八百八狸軍団』において、隠神刑部狸率いる狸妖怪たちに政権を奪取されたことをきっかけに、徐々に妖怪の存在を認知し始める。一年目が終わる頃には、大抵の国民が妖怪の存在を認識するようになり、妖怪自体が出てくることにはあんまり動じなくなっている。

 

 

 ・ゲゲゲの森

 

  鬼太郎たちが住んでいる異界の地。調布市の神社にある林の奥に入り口があるのだが、基本的に人間はその道を取ることができない。だがアニメ37話『決戦!! バックベアード』から犬山まながゲゲゲの森に認められ、鬼太郎たちの元に直接遊びに行けるようになっていた。

 

 

 ・妖怪の肉体と魂に関して

 

  6期の世界において、妖怪は倒されても肉体が消滅するだけで魂が残る。魂さえ無事であれば、長い時間をかけて肉体を修復して復活することができるとのこと。ただし魂そのものを潰されたり、消滅させられた場合、魂は地獄へと送られ二度と現世に戻ることが出来なくなる。猫娘が魂を地獄に送られながらも戻って来れたのは、鬼太郎が閻魔大王に直談判して取引をしたためで本来は駄目なことらしい。

 

 

 ・妖対法

 

  物語終盤、何故か総理大臣を続けることができていた女総理の肝入りで施行された法案。『妖怪による不等な行為の防止等に関する法律』——つまりは暴対法の妖怪版。作中では散々悪法とか言われていましたが、妖怪という存在を認めた法律としては割と画期的だったと思う。実際、妖怪の被害とか半端ないですから……。

 

 

 

【本小説における独自設定】

 ここでは本小説における独自設定、主に『日本復興編』以降の内容を語っていきます。

 

 

 ・日本復興編について

 

  本小説の『日本復興編』は鬼太郎3年目、2020年の4月から始まる時間軸を想定したストーリー展開になっています。第二次妖怪大戦争終結後、戦争の被害を受けた日本や世界が少しづつだが復興していくその過程を意識しながら、話を進めています。

 

  犬山まながゲゲゲの鬼太郎の記憶を取り戻すため、自らの思い出を差し出したことで彼女は本編二年間の『妖怪に関する知識、思い出』その全てを失っています。彼女の記憶が戻るのは10年後、2030年だとはっきり描写されているため、本小説内で彼女の記憶が戻ることは基本ありません。鬼太郎と直接絡むことが出来なくなったため、目に見えて出番が減りはしますが、ちょい役やまな自身の物語は今後も描く予定ですので、完全にいなくなったりはしません。

 

  総理大臣だった女総理を含めて主だった閣僚が亡くなっているため、臨時で新たな総理が代理で就任しています。この臨時総理との間で鬼太郎が直接和解をしましたので、人間の軍隊が妖怪たちと武力衝突する予定は……今のところありません。ただ、妖怪の被害にすぐに対応できるようにと、妖対法自体はそのまま。自衛隊や警察の動きが迅速になっている筈です。

 

  日本復興編では縦軸のストーリーとして、『ぬらりひょんの意志を継いだ朱の盆』があちこちで暗躍しています。とはいえ、あの朱の盆ですので出来ることにも限界があり、あまり上手く入っていません。あくまで『次の敵』が現れるまでの繋ぎですので、彼にぬらりひょんのような極悪な悪事はご期待なさらないように。

 

 

 

 

 

 

 

 ・中国妖怪編

 

  日本復興編完結後にやるつもりのストーリー。今はまだ未定ですが、大ボスやヒロイン?に関してはある程度決まっています。実際に始まった場合、こちらの方で改めて解説など入れてみたいと思います。

 

  

 




本小説の執筆状況などで、加筆修正することもありますのでよろしくお願いします。
何か不明な点、説明を加えて欲しいところなどありましたら、感想欄などでコメントしていただければと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

短編
ギャシュリークラムのちびっ子たち 


注意事項
 バッドエンドです。救いはありません。
 本編を読む際は『ギャシュリークラムのちびっ子たち』の原作を知った上で読み進めることを推奨します。
 思いつきで書いたものですが、ほんとに救いはありません。
 スルーしてもらっても全然構いません。


 

 

 

 その日、西洋の死神はふらりと日本に立ち寄る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あ』は あっくん   赤舌(あかした)の舌で締め殺される。

 

『い』は イトちゃん  犬神(いぬがみ)の呪いでやつれ衰え。

 

『う』は うーたん   うわんにびっくり心停止心臓ピタリ。

 

『え』は えってぃ   煙々羅(えんえら)の煙で肺をやられる。

 

『お』は おらくん   お庭の倉で鬼一口(おにひとくち)にペロリ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『か』は かいくん    河童(かっぱ)に尻子玉を抜かれて溺死。

 

『き』は きいちゃん   吸血鬼(きゅうけつき)に全身の血を抜かれる。

 

『く』は くいたん    (くだん)の予言通り死んだ。

 

『け』は けろすけ    けらけら(おんな)に死に様を笑われ。

 

『こ』は ころすけ    死体を狐者異(こわい)に喰われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『さ』は さるくん    (さとり)に心読まれて精神やられた。

 

『し』は しーちゃん   尻目(しりめ)に壁際まで迫られ。

 

『す』は すどくん    水虎(すいこ)に水分吸われて干からびる。

 

『せ』は せわくん    前鬼(ぜんき)後鬼(ごき)の喧嘩の巻き添い。

 

『そ』は そねくん    (そで)もぎ(さま)に袖を引っ張られる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『た』は たいちょう   ダイダラボッチに踏み潰される。

 

『ち』は ちいちゃん   チョキチョキに首ちょんぱ。

 

『つ』は つよポン    全身バラバラ辻神(つじがみ)の仕業。

 

『て』は てるよさん   ()()に腕を奪われる。

 

『と』は とろくん    (とお)悪魔(あくま)に後ろからグサリ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『な』は なつくん    悪い子はなまはげに連れて行かれる。

 

『に』は にいちゃん   肉吸(にくす)いは骨だけを残す。

 

『ぬ』は ぬいむらくん  沼御前(ぬまごぜん)の沼は底なし。

 

『ね』は ねこたん    猫魈(ねこしょう)に恨み晴らされ。

 

『の』は のいちゃん   顔がのっぺらぼうで息できない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『は』は はっちゃん   針女(はりおなご)の髪で串刺し穴だらけ。

 

『ひ』は ひっくん    人魂(ひとだま)の炎が燃え移って火ダルマ。

 

『ふ』は ふとしん    袋担(ふくろかつ)ぎの袋の中詰め込まれる。

 

『へ』は へいすけ    蛇神(へびがみ)に生贄として捧げられ。

 

『ほ』は ほっちゃん   彭侯(ほうこう)の美味しい漬物にされる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ま』は まとくん    二度と抜け出せない(まよ)()

 

『み』は みぃちゃん   ()目入道(めにゅうどう)に投げ出され。

 

『む』は むっくん    ムチの毒にやられた。

 

『め』は めいすけ    目ん玉を目玉(めだま)しゃぶりにくり抜かれる。

 

『も』は もーくん    魍魎(もうりょう)の拳でペッチャンコ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『や』は やよちゃん    山姥(やまんば)に全身血だらけに。

 

『ゆ』は ゆいくん     雪女(ゆきおんな)に氷漬けにされて寒い。

 

『よ』は よっちゃん    夜雀(よすずめ)の闇に呑まれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ら』は らみちゃん    雷獣(らいじゅう)の雷で黒焦げ。

 

『り』は リンリン     龍宮童子(りゅうぐうどうじ)にお願い聞いてもらえず望み絶たれた。

 

『る』は ルイくん     ルルコシンプに海へ引きずり込まれる。

 

『れ』は レイくん     霊猪(れいちょ)の大群に跳ね飛ばされ。

 

『ろ』は ろくすけ     ろくろ(くび)に首をねじ切られる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『わ』は わたし わいらの爪の餌食。

 

 

『を』と驚くゲゲゲの鬼太郎。誰も間に合わずちびっ子たちみんな死んだ。

 

 

『ん』と呟く西洋の死神。日本を静かに立ち去っていく。

 

                                      おしまい。

 

 




感想・コメントお待ちしています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

とーとつにエジプト神

とーとつですが、『とーとつにエジプト神』クロス始めます。


 

「——……日本に行きたいな」

「——えっ?」

 

 とーとつですが、ここはエジプト神の住む世界。アヌビスの部屋です。

 

「なんだか知らないけど、今は日本がアツいらしいよ、トト。だから日本に旅行に行きたいなって思ってるんだ~」

 

 アヌビスは日本に旅行に行きたいと、ズッ友であるトトに相談を持ちかけていました。

 

「じぃ~……」

 

 部屋の中にはメジェドもいます。

 白い布を被った正体不明の何かが、二人の神様の背中をじっと見つめています。

 

「なるほど、日本ですか。確かに……色々とアツいと聞きます」

 

 トトも日本がアツいということは知っているみたいですね。

 アツいと言っても、気温が暑いという意味ではありません。流行っているという意味です。

 

「でも、お仕事はどうするんですか?」

 

 そう、アヌビスたちには仕事があります。

 冥界にやってきた魂たちを導き、審判をするという大切なお仕事が。

 

 それをサボって旅行などにうつつを抜かすなど、決して許されることでは——。

 

「いいんじゃない? たまには休んでも?」

「そうですね。たまには休みましょう」

 

 許されました。

 人間も神様も、働き過ぎは良くありません。

 

「よーし! じゃあ、さっそく日本に行こう!!」

「ええ!! 行きましょう!!」

「はぁ~い!!」

 

 こうして、とーとつですがエジプトの神様たちが日本へ旅行に行くことになりました。

 

 

 

 

「着いたよ! 日本! イェーイ!!!」

「ジャパン!! ジャッポネー!! ジャバニーズ!! イェーイ!!」

「うわぁい! うわぁい!」

 

 アヌビスとトト。そしてメジェドの三人が無事日本へと辿り着きました。

 念願の地に来れたことに興奮してか、テンション高めに叫んでいます。

 

「はぁはぁ……さてと、まずはどこに行こっか?」

「はぁはぁ、そうですね……どこに行きましょう?」

 

 少し落ち着いたところでアヌビスとトトが目的地を話し合います。

 ちなみに今いる場所は日本の首都・東京。ここから日本の全国各地、どこへでも好きな場所へと行けます。

 

「そうだね、まずは……あっ!」

 

 アヌビスが行きたいところを言おうとしました。しかしそれを遮るように「グゥ~」とお腹の鳴る音が響きます。

 

「お腹、すいたね……」

「そうですね、まずは何か食べましょう。何にします?」

「せっかく日本に来たんだから、日本らしいものが食べたいな~」

 

 まずは腹ごしらえをすることになった一同。

 せっかく日本に来たので、何か日本らしいものが食べたいアヌビスたち。

 

「日本といえば……スシ、スキヤキ、テンプラ!!」

「牛丼、とんかつ、から揚げ、うどん、蕎麦、たこ焼き、お好み焼き、温泉タマゴ!!」

 

 アヌビスとトトはそれぞれ日本らしい食べ物を口に出します。

 トトの方が物知りなので、いろんな食べ物の名前が上がりますね。

 

「あっ! ねぇねぇ、ラーメンなんてどう? ほら、ちょうどそこにラーメン屋が見えるよ」

 

 アヌビスはラーメン屋の看板を見つけました。

 ラーメンも今や立派な日本食として、世界中の人々に愛されています。

 

「いいですね、ラーメン!!」

 

 トトもラーメンが食べたくなってきたみたいです。

 さっそく、メジェドも含めた三人でラーメン屋の暖簾を潜っていきます。

 

「ごめんくださ~い……って、ホルス!?」

「——いらっしゃいませ~……あっ? アヌビスにトトも!?」

 

 ラーメン屋に入ってアヌビスたちはびっくりしました。

 自分たちを出迎えた店員が彼らと同じエジプト神・ホルスだったからです。

 

 ホルスがいくつものバイトを掛け持ちしていることは知っていましたが、まさか日本でも働いているとは思いよらなかった。驚くアヌビスたちに、ホルスは接客しながら事情を説明します。

 

「最近は日本でも働いてるんだ。色々と勉強になるし、何より日本はアツいからね!!」

 

 どうやら、ホルスも日本がアツいことを知っていたみたいです。

 アツいと言っても分厚いわけではありません。流行っているという意味です。

 

「そうなんだ~、ホルスはすごいね……あっ、ボク醤油ラーメン! チャーシュー大盛りで!!」

「わたしは塩ラーメンをお願いします」

「……味噌……野菜たっぷりで……」

 

 アヌビスたちはホルスの仕事熱心さを関心しつつ、各々が食べたいものを注文していきます。

 アヌビスはオーソドックスに醤油、トトが塩、メジェドは味噌ラーメンをオーダーしました。

 

「醤油に塩、味噌ラーメンですね……少々お待ちください!!」

 

 注文を受けたホルスはさっそく厨房にオーダーを伝えに行きました。本当にいつも仕事熱心ですね。

 

「——でさ、やっぱり日本に来た以上、京都は外せないと思うんだよね」

「——私はやっぱり温泉に入りたいですね。温泉卵にやはり興味がありますから」

 

 料理を待っている間、アヌビスとトトは食事を終えたらどこに行くべきか。旅の目的地を話し合っています。

 アヌビスたち以外に、どうやらお客さんはいないみたいですね。

 

「——ふぃ~、親父、いつものチャーシュー麺大盛りで!」

「——ボクも同じものを」

 

 すると、そこへ新たな来客がありました。この店の常連客——ねずみ男とゲゲゲの鬼太郎です。

 二人は常連らしくメニューを見ることもなく、自分たちの食べたいものを即座に注文して席に着きます。

 

「いらっしゃいませ!! ぺこり!」

「……おわっ! な、何だお前!?」

 

 けれど新しい店員であるホルスとは初対面なのか。ねずみ男も、そして鬼太郎も驚いた顔をしています。

 

「あっ、初めまして! 新しいバイトで入りました、ホルスです!!」

 

 ホルスは新人店員として、しっかり常連さんに挨拶をします。挨拶は大切ですね。

 

「こんにちは!! アヌビスです!

「地元の方でしょうか? 初めまして、トトです」

「…………メジェド」

 

 アヌビスたちも名乗ります。自己紹介は大事ですね。

 

「あ、ああ……お、俺はねずみ男だ」

「ボクはゲゲゲの鬼太郎だ」

 

 鬼太郎たちも、しっかり挨拶を返しました。

 

 こうして、エジプト神たちと日本の妖怪たち。

 日本のラーメン屋で小さな異文化交流が始まりました。

 

 

 

 

「——へぇ~、そうなんだ。じゃあ、鬼太郎くんは妖怪なんだ……妖怪、なんか用かい……なんちゃって! てへへ!」

「…………」

 

 鬼太郎たちが妖怪だと知り、アヌビスが渾身の一発ギャグを披露しますが、みんなで聞き流します。

 

「アヌビス……冥界の神じゃったか。神様……いや、それにしては、随分とこう……」

 

 鬼太郎の頭から彼の父親である目玉おやじがひょっこりと顔を出します。

 

 彼はアヌビスたちの自己紹介に、それが異国の神の名であることに気が付いたようです。流石、博識ですね。

 けれど、アヌビスたちが本当に偉い神様なのか少し首を傾げています。無理もありませんね。

 

「そうです。私たち………………実は神様なんです!」

 

 目玉おやじの疑問に、今一度トトが答えます。

 

「アヌビスが冥界の神様。不肖この私、トトが知恵の神様をしています。そして——」

 

 トトはそこでメジェドへと目を向けます。

 

「……メジェドは……なんだかよく分かりませんが、とりあえず神様です!」

 

 メジェドが何の神様なのか。トトですらよく分かっていないようです。謎です。

 

「それからホルス! 彼はハヤブサの頭を持つ、天空神なのです!」

「お待たせしました! まずは醤油ラーメン、塩ラーメンです!!」

 

 店員としてラーメンを運んできたホルスの紹介もします。

 そう、日本でアルバイトに励んでいる彼も立派なエジプト神の一員。とっても力の強い神様です。

 

「そうだよ! かっこいいでしょ、フフン! あっ、味噌ラーメンもどうぞ!」

 

 ホルスは料理を配膳しながら、自身を誇るように胸を張りました。

 

 

「——クックック……ペンギンが何かほざいてやがるぜ!!」

 

 

 すると、そんなホルスを『ペンギン』と罵る謎の影が現れます。

 

「ぺ、ペンギン……お、お前は——セト!!」

 

 ホルスはペンギンと馬鹿にされたことを怒りながらその影——セトに向かって叫びます。

 そうです。そこに立っていた影の正体はセト。ジャッカルを始め、色々な動物の頭を持った破壊の神様です。

 

「セト! この国でも悪いことをするつもりだな!! そうはさせないぞ!!」

 

 二人はライバル同士。ホルスはセトが悪いことを企んでいると、彼の悪事を阻止しようと意気込みます。

 

「クックック……もう遅い! 既に俺様はこの国でありとあらゆる悪事に手を染めてしまったのだ! ニタリ!」

 

 けれど手遅れだと。セトは手に持っていたリンゴを握りつぶしながら不敵な笑みを浮かべました。

 そうです。セトはホルスが止める暇もなく、既にこの国で悪いことをたくさんしてしまっていたのです。例えば——

 

「クックック……砂場で遊んでいたガキどもの砂の城を崩してやった。下駄箱の靴を隠して、人間どもに裸足で歩くことを強要してやった。ピンポンダッシュなんざ、連続で五十件も繰り返してやったぞ!? どうだ恐れ入ったか!?」

「そ、そんな手遅れだったのか!?」

 

 それらの悪事を前にホルスががっくりと項垂れます。セトを止められなかった、そのことを悔いているのです。

 

「クックック……どうだ思い知ったか、ホルス!!」

 

 セトはそんなホルスを前に勝ち誇ります。

 

「へぇ~、すごいね、セトは……ズルズル」

「ほんと、大したものです……ズルズル」

 

 セトの勝利宣言に恐れ入りながら、アヌビスとトトはラーメンを啜っています。

 

「……ケッ、なんだそりゃ、くだらねぇ……」

 

 ですが、そこでねずみ男が口を挟みます。彼はセトの悪事を鼻で笑いました

 

「仮にも破壊神だってんなら、もっとあくどいことしてみせろよ。例えば——」

 

 ねずみ男はセトに『悪事とは何なのか』を説きます。具体的には、これまで自身の行なってきた悪事を例にして。そうです。悪いことなら、ねずみ男もたくさんしてきました。そんな彼の悪事を聞き——

 

「なっ! なんて悪い奴なんだ! 貴方はっ!!」

 

 ホルスは絶句します。これにはセトも——

 

You are crazy(貴方はイカれている)!!」

 

 と絶叫してしまいました。

 

「くそっ……!! さすが、今もっともアツい日本! こんなに悪い奴がいるとは!!」

 

 セトも日本がアツいことを知っていたようです。

 アツいと言っても、義理人情に篤いわけではありません。流行っているという意味です。

 

「……負けていられるか!! 今に見ていろ……ピンポンダッシュ、あと百件追加だ!!」

 

 セトはねずみ男の悪事に負けまいと、さらに悪事を重ねて自身の凄さを知らしめようと走り出しました。

 

「待て、セト! これ以上はやらせないぞ!!」

 

 それを止めようと、ホルスが後を追いかけていきます。バイト中なのにいいのでしょうか?

 

「……なんだったんだ、ありゃ?」

「さあ……」

 

 勿論、鬼太郎たちは追いかけません。

 まだラーメンを食べていませんし、たとえ食べ終わっても彼らを追うことはないでしょう。

 

 

 

 

「——さてと、それじゃそろそろ行こっか?」

「そうですね、では我々はこれで……」

 

 ラーメンを食べ終えた後も、適当に雑談をしていたアヌビスたち。

 さすがにそろそろ店を出ようと、彼らは鬼太郎たちに別れを告げて店を後にしようとします。

 

「あ、ああ……」

 

 鬼太郎も特に呼び止めることはなく、彼らの旅路を見送ろうとしていました。

 

「——ん? なんだ、なんだ!?」

 

 ですがそのタイミングで、何やら外が騒がしくなっていることにねずみ男が気づきます。

 何事かと、皆で一緒になって店先へと飛び出すと——そこには逃げ惑う人々の姿がありました。

 

「なんだか騒がしいね……お祭りかな?」

「日本はお祭り文化が盛んな国ですからね……きっと、これも何かの儀式なのでしょう」

 

 逃げ惑う人々を前にして、アヌビスとトトは吞気にもそんなことを話します。

 ですが、鬼太郎はそれがお祭りでないことを察し、人々が逃げてくる方角へと目を向けました。

 

 すると、海岸からは巨大な蛇のような怪物が姿を現します。

 その怪物は人々の視線を受け、声高々に笑い声を上げました。

 

 

「——ふはははっ!! 我が名はアペプ! 混沌と闇を撒き散らす邪悪の化身なり!!」

 

 

 自分で自己紹介をしたように彼の名はアペプ。 

 悪の化身にして、闇と混沌を生み出して秩序を破壊するもの。

 

 太陽神・ラーの宿敵。邪悪の象徴ではありますが、彼もまたエジプト神の一員です。

 

「ふはははっ!! 見ているがいい、ラーめ!! 貴様が贔屓にしている旅行先、今もっともアツい日本に混沌をまき散らし、貴様の旅を台無しにしてやる!!」

 

 アペプの目的は宿敵であるラーへの嫌がらせのようです。日本に混沌をまき散らし、彼の旅を寂しいものにしてやろうと企んでいるのです。

 大変です、このままでは日本が——

 

「混沌が覆う世界にしてくれるわ……はぁぁああああ!!」

 

 アペプはさっそく目的を果たそうと、辺り一帯に混沌をばら撒きます。

 黒い大きな豆のような形をした混沌が、今まさに放たれようとしています。

 

「——させないぞ!! 髪の毛針!!」

 

 ですが安心してください。

 放たれようとした混沌を食い止めるため、ゲゲゲの鬼太郎がアペプへと立ち向かいます。

 

「ムッ……邪魔をする気か、小僧!!」

 

 鬼太郎に混沌をばら撒くの阻止され、アペプはとても怒っています。

 

「よかろう……ラーの前に、まずは貴様から片づけてやる! 我が腕の中でもがき苦しみ、息絶えるがいい!!」

「やらせるか! 指鉄砲!!」

 

 アペプは自分の目的の邪魔となる鬼太郎を倒すことにしたようです。

 鬼太郎もアペプの侵略を食い止めるために戦う覚悟を決めました。

 

 頑張れ、鬼太郎!

 負けるな、鬼太郎!

 

 この国の平和は、君の手に委ねられた!!

 

 

 

 

 と、アペプと鬼太郎が熾烈な戦いを繰り広げている側で——

 

「——でさ~、やっぱり沖縄と北海道のどっちかには行きたいと思うんだけど……トトはどっちがいい?」

「——そうですね……個人的には、やっぱり北海道でしょうか。温泉がたくさんありそうですし!!」

 

 アヌビスとトトはまだ巡る観光地を決められないでいるみたいです。二人してあーでもない、こーでもないと頭を悩ませています。

 

「じぃ~…………」

 

 その話にメジェドも加わりたいのでしょう。じぃ~っと、二人の背中を見つめています。

 すると、そのときです。

 

「ニョロニョロ、ニョロニョロ」

 

 メジェドの目の前に、とーとつに蛇が現れました。

 アペプと同じ『蛇』繋がりでその辺の茂みから出てきたのでしょう。それもただの蛇ではありません。幻の生物として有名なツチノコです。

 ですがメジェド以外、誰もツチノコの存在に気付いてはいません。

 

「うわ~!」

 

 嬉しそうにはしゃぎ回るメジェド。みんなにも見てもらおうと、さっそくツチノコを捕まえようとします。

 

「ニョロニョロ、ニョロニョロ」

 

 けれど思いの外、すばしっこく。なかなか追いつけません。

 自分のことを捕まえられないメジェドに向かって、ツチノコは挑発的な笑みを浮かべています。

 

「——むかっ!」

 

 これに怒ったメジェド——

 

 

「ん……っ!! ビィィイイイイイイイイイム!!」

 

 

 目からビームを放ち、ツチノコを消し飛ばしてしまいました。

 

 

「でさ……やっぱり、温泉なら熱海が——」

「いえいえ、ここはやはり別府で——」

 

 

 そのビームの余波に巻き込まれるアヌビスとトト。

 

 

「へっ……?」

 

 

 さらにねずみ男もそのビームの光に呑み込まれていきます。

 

 

「リモコン下駄……って、うわっ!?」

 

 

 アペプと戦っていた鬼太郎ですが、彼は何とか寸前でビームを避けます。

 

 

「なっ、なにぃいいいいいいい!?」

 

 

 そして、アペプ。

 彼はビームの射線上に居座っていたため、そのビームの直撃を真っ正面から受けてしまいました。いかに頑丈なエジプト神といえども、これは只では済みません。

 

「おのれぇええええええええ!! ラーめぇえええええええ!!」

 

 全然関係のないラーへの恨言を叫びながら、遥か彼方へとアペプは吹き飛ばされてしまいました。

 アペプがお星様になった方角はエジプト方面です。きっとエジプトに帰ったのでしょう。

 

 その他にも、ビームの余波で色んなものが破壊されていきますが——なんとも都合が良いことに死傷者は出なかったみたいです。

 

 アペプの侵略も阻止できたことですし、めでたしめでたしですね。

 

 

 

 

 

「——お~い!! みんな~!!」

「あっ、ラー様だ!」

 

 騒ぎがひと段落した頃。

 その場で一息入れているアヌビスたちのところへ、エジプトの太陽神・ラーがやって来ました。

 アヌビスやトトたちのお父さん神様。旅をするのが大好きで、彼も日本に来ていたようです。

 

「いや~、まさかこんなところでみんなに会えるとは、今回の旅も素晴らしいものになりそうだぞ~」

 

 ラーが旅をするのはいつものことですが、旅先で身内に会うのは初めてのこと。

 なんとも縁起がいいと、嬉しそうにアヌビスたちに笑いかけます。

 

「あっ、そうだ! ちょっと早いけどお土産を配ろう! ほら、並んで並んで!!」

 

 ラーはいつも必ずみんなにお土産を買って帰ります。

 今回も子供たちが喜んでくれると、自信たっぷりにお土産を広げようとしています。

 

「お土産か……今回はなんだろうね」

「前回はTシャツでしたが……さてさて、今回はどうなることやら……」

 

 ですが正直、ラーにはお土産選びのセンスがありません。そのためアヌビスもトトも、あまり過度な期待はしていませんでした。

 しかし——

 

「ほら! 今回のお土産は……木刀だぞ!!」

「や、やった、木刀だ!! ありがとう、ラー様!!」

 

 ラーが買ってきてくれたお土産、木刀にアヌビスは大喜び。

 前々から欲しいと欲しいと言っていましたから。良かったですね、アヌビス。

 

「けど、アヌビス……木刀なんて何に使うんです?」

 

 ですが、喜ぶアヌビスにトトが冷静に尋ねます。木刀を何に使うのか、分からないみたいです。

 勿論、木刀を人に向けてはいけません。チャンバラごっこも危ないですね。

 

 以前も同じ質問をされました。そのときもアヌビスは答えることができませんでした。

 

「ふっふっふ……それはね……」

 

 ですが、今回はその疑問に解答を示せるのでしょう。

 アヌビスは自信満々に木刀を構え、叫ぶのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「〇〇の型!! エジプト神の呼吸!!」

「それは他作品です!!」

 

 とーとつですが、これでエジプト神の物語を終わります。

 

 

 




とーとつにキャラ紹介

 アヌビス
  冥界の神。今日本で一番忙しいかもしれない鬼滅声優。

 トト
  知恵の神。二番目くらいに忙しいかもしれない進撃声優。

 メジェド
  謎の神。演じる役はだいたいイケメン。どのイケメンが好きかで年齢がバレる。

 ホルス
  天空神。回す方のノッブ。FGOユーザーならそれで通じる。

 セト
  破壊神。土佐弁で喋れば人気になる。最初はバイキンマンかと思った。

 アペプ 
  混沌と邪悪の化身。とある世界観では犯人役が多いらしい。

 ラー
  太陽神。ふぅん……と呟く社長の人。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

しまっちゃうおじさんのこと

はい、書いてしまいました。
『ぼのぼの』に登場した『しまっちゃうおじさん』を主役にしたクロスオーバー。

MYさんからリクエストを頂いたぼのぼの。ぼのぼのの世界観をそのまま持ってくることは困難だったので、一番強烈なキャラを鬼太郎世界に召喚します。

このしまっちゃうおじさん、原作の絵本だと数えるくらいしか登場してないらしいのですが、1995年のアニメ版だとそこそこの出番があり、それによりカルト的な人気を得るようになりました。

完全にカオスです。与太話として楽しんでもらいたいと思います。


「——最近、子供たちの行方不明事件が多発してるみたいだけど……どう思う、鬼太郎?」

 

 ゲゲゲの森のゲゲゲハウス。鬼太郎を含めいつもの面子が集まる中、猫娘がスマホのネット記事を検索しながらおもむろに呟く。

 平和な昼下がりの午後、ゲゲゲの森では嘘のように穏やかな時間が流れていたが、こうしている間にも人間たちの世界ではまた新たな事件が発生し続けている。

 窃盗やら、傷害やら、殺人やらと。その数が変動することはあっても、決してなくなることはない。

 

 そんな数多くの事件が発生しては解決、発生しては未解決と繰り返されている中。

 現在、とある事件が立て続けに起こっており、巷を騒がせていた。

 

 それこそが——子供たちの誘拐、行方不明事件である。

 行方不明になっているものは皆子供。下は小学生。上は高校生までと、その全てが未成年である。

 

「うむ、新聞でも大きく取り上げられておるようじゃのう……」

「ああ……妖怪ポストにも、そういった手紙の相談がたくさん来てる……」

「…………」

 

 猫娘のスマホ以外でも、砂かけババアが読んでいる新聞、妖怪ポストから送られてきた手紙など。人間たちの社会情勢をあらゆる手段で知ることができる妖怪たち。

 

「鬼太郎よ、さすがにこれだけ連続で起きているのには……何かしらの裏があるに違いない」

「ええ、ボクもそう思います、父さん」

 

 目玉おやじの指摘に鬼太郎も同意する。

 一件や二件ならば、あくまで偶然が重なっただけ。人間同士の揉め事と彼らは気に留めなかったであろう。しかし、事件はここ数ヶ月で数十件、このままの勢いでいけば三桁に登る勢いだ。

 さすがに、これだけ子供たちの誘拐事件が立て続けに起こっているのはおかしい。

 

 鬼太郎はこの事件の裏に『妖怪』が関わっているかもしれないと、既に調査を進めていた。

 

「とりあえず……カラスたちからの報告を待ちましょう」

 

 今は鬼太郎の頼みでゲゲゲの森のカラスたちが動いている。

 彼らはこの森に住まう特殊なカラスであり、野生のカラスたちなどに指令を発することができる。関東中のカラスが街中に監視網を敷けば、必ず何かしらの動きを察知することができる筈だ。

 

 鬼太郎たちは事態が動くことを期待し、カラスたちの報告を静かに待っていた。

 

 

 

 

 

「……ここか? 本当に……ここに連れ去られた子供たちがいるのか?」

「カァッ!!」

 

 それから、数時間後。すっかり日が暮れ始めた頃に数羽のカラスたちが有力な情報を持ってきた。

 なんでも新たな誘拐事件が発生し、何者かが子供を拉致。この山中にある洞窟へとその子を連れ去っていったという。

 カラスたちの目ではその『何者か』が何であるかははっきりと視認できなかったらしいが——明らかに人間ではなかったという。

 妖怪の仕業の線がさらに濃厚となっていき、鬼太郎たちはこの事件を解決すべく重い腰を上げる。

 

「みんな……準備はいいか?」

 

 何者かが潜んでいるかもしれない洞窟の前で、鬼太郎が仲間たちに呼び掛ける。

 

「いつでもいいわよ!!」「うむ、任せておけ!!」

「まかせんしゃい!!」「ぬりかべ!!」

 

 そこにはいつものメンバー。

 猫娘に砂かけババア、一反木綿にぬりかべと頼もしい仲間達たちが揃っている。鬼太郎の号令に彼らは快く返事をしてくれる。

 

「…………」

 

 ただ子泣き爺。彼だけが何故か何も喋ってはくれなかったが。

 

 

 

「……どこまで続くんでしょう、この洞窟は……」

「油断するでないぞ、鬼太郎よ」

 

 そうして、いざ洞窟内部へと突入することになった一行。鬼太郎は松明の火で内部を照らし、目玉おやじが用心深く進んでいくよう息子に忠告を入れる。

 今のところ、洞窟内にこれといっておかしなところはない。

 しかし、油断は禁物。ここに何者かが潜んでいることは確実なのだ。鬼太郎たちは警戒を強めながら、一本道となっている洞窟の通路内を黙々と突き進んでいく。

 

「……! 鬼太郎、見て!」

 

 どれくらいの時間、歩き続けていただろう。いい加減外の空気が恋しくなり始めた頃、猫娘が声を上げる。

 前方、狭い通路しかなかった視界の先に僅かに灯が見えたのだ。そこは洞窟の最深部、大きく開けた場所になっていた。

 

 

 その開けた場所の中心部に——ポツンと何者かが立っている。

 

 

「——ふっふっふ……待っていたよ、鬼太郎くん」

「っ!?」

 

 相手が鬼太郎の名前を呼んだことから、既に自分たちがここに来ることを予想していたことが分かる。

 油断ならない相手だ。鬼太郎たちは警戒心を最大レベルまで上げ…………何だかよく分からない眼前の生物と向き合う。

 

 そこに立っていたのは当然人間ではない。

 そこに二足歩行で立っていたのは、スラリと頭身の高い……虎? いや……豹? もしかしたら……スナドリネコ?

 何だかよくわからないが、ピンク色の皮膚に黒いぶち模様が特徴的な、ネコ科の動物っぽい何かが目を細めた笑顔で立っていた。

 

「お、お前は……何者だ!?」

 

 いったい何と呼んでいいかも分からないため、とりあえず何者なのだとシリアスに問いかける鬼太郎。その問い掛けに、謎の生物は自信たっぷりに答える。

 

「私は……しまっちゃうおじさんだよ」

 

「しまっちゃうおじさん!!」

「しまっちゃうおじさん!?」

「しまっちゃうおじさん……?」

「しまっちゃうおじさん……だと!?」

 

 背筋が凍るほどに恐ろしいその名前に震え上がる鬼太郎たち。

 しかし、ここで怯むわけにはいかない。相手が何者であれ、まずは問わなくてはならないことがある。

 

「お前が子供たちを連れ去ったんだな? 誘拐した子たちをどこへやった?」

 

 そう、ここがしまっちゃうおじさんのアジトであるのならば、今回の事件の被害者——誘拐された子供たちがいる筈なのだ。

 彼らは無事なのか? 今どこにいるのか? 

 

「ふっふっふ……ふっ!!」

 

 鬼太郎の質問に不敵な笑みを浮かべながら、しまっちゃうおじさんは——パッと片手を上げる。

 

「うっ、眩しっ!?」

 

 瞬間、僅かな光しかなかった薄暗い洞窟内部がまるで昼間のように明るくなる。鬼太郎たちとしまっちゃうおじさんが対峙していた洞窟中心部の様子が——克明に照らされていく。

 

「こ、これはっ!?」

「な、なんなの……これ!?」

 

 鬼太郎と猫娘が周囲を見渡すと、広い洞窟の至る所に——石で積み上げた祠のようなものが無数に設置されていた。 

 まるで石を積み木のように積み上げた、ちょうど子供が一人分入るか入らないかくらいの大きさの石倉だ。

 

 その石の祠の中から——子供たちのすすり泣く声が聞こえて来る。

 

「——う、うう……暗いよ、誰か出して~」

「——助けて……助けてよ、ママ~」

「——ひっく……家に、おうちに帰りたいよ~」

 

「ま、まさかっ!? この中にっ!?」

 

 攫われた子供たちの現状を理解し、戦慄する鬼太郎。

 どうやら連れ去られてしまった子供たちは、誰一人の例外なく、それら石倉の中に閉じ込められているようだ。あまりに残酷な仕打ちを前に、憤りを露わにする鬼太郎が叫んだ。

 

「お前っ!! 何故こんなことを……この子たちをどうするつもりだ!?」

 

 何故こんなことをするのか。鬼太郎にはしまっちゃうおじさんの目的が理解出来なかった。

 

「私はしまっちゃうおじさん。悪い子をどんどんしまってしまうのさ……ふっふっふ」

 

 しかし、しまっちゃうおじさんはスラスラと答える。

 自身の目的。この行為にはこの子供たち——『悪いことをした子たちをお仕置きする』という、正当な理由があるのだと堂々と語っていく。

 

 

「——そこにいるタケルくん。彼はお婆さんが一人で経営している駄菓子屋に、繰り返し繰り返し万引きに入ったのだ。悪い子だ、だからしまっちゃうんだよ」

 

「——あちらのヒメノちゃん。彼女はクラスメイトの女の子にヒドイ嫌がらせをしていたんだ。そのせいでその子は不登校になってしまった。悪い子だ、だからしまっちゃうんだよ」

 

「——ヤマトくんとキョウスケくん、そしてダイキくん。彼らは寄ってたかって一人の同級生を虐め、自殺にまで追い込んだんだ。決して許されることじゃない、だからしまっちゃうんだよ」

 

 

「…………」

 

 次々に語られていくのは子供たちの『罪状』だ。これには鬼太郎たちも黙って耳を傾ける。

 そう、ここにいる子供らは、しまっちゃうおじさんが『悪い子』と認定したものたちだ。彼らにはしまわれるだけの相応の理由があるのだと、しまっちゃうおじさんは力説する。

 

「程度の差こそあれ、彼らは悪いことをした。悪いことをしたら罰を受けなければならない。だが……大人たちは誰も彼らを罰しようとはしなかった。理由は彼らがまだ子供だから。たったそれだけの理由で、人間たちは彼らの悪事に目を瞑ったのだ」

 

 そこからも、しまっちゃうおじさんの言葉は止まらなかった。

 

「アライグマくんはいつも友達のシマリスくんを殴ってばかり。シマリスくんはシマリスくんで、いつも嫌味なことを言う」

「えっ? アライグマ……シマリス?」

 

 見れば人間の子供だけでなく、何故か動物の子供たちまでしまわれている。

 なんでアライグマとシマリスなのかは知らないが、とりあえず今はスルー。

 

「ラッコのぼのぼのくんはいつもメソメソと泣いてばかりだ……泣き虫で悪い子だ、だからしまっちゃうんだよ」

「うぅう……もうダメだぁああああああああ~!」

 

 ついでにラッコの子供が絶望的な表情で項垂れているが……とりあえずそっちもスルー。

 とにかく、今はしまっちゃうおじさんの言い分に対して何か返答をすべきだ。鬼太郎は僅かに思案した後、自分なりの意見を口にする。

 

「確かにお前の言うとおり……その子たちは悪いことをしたんだろう。それに対する罰は必要なのかもしれない」

 

 鬼太郎はしまっちゃうおじさんの言い分を一部認める。悪いことをすれば罰を受ける、それに関しては同意できることだ。

 

「だけど……その判断をするのはお前じゃない! お前に……彼らの自由を奪う権利はないぞ、しまっちゃうおじさん!!」

 

 だがしまっちゃうおじさんのやり方は間違っている。人間の罪を彼が一方的に判断し、裁く権利などないのだと。

 鬼太郎は威勢よく啖呵を切り、これ以上は問答の余地もないと戦闘態勢に移行する。

 

「ならば仕方がない、鬼太郎くん。私の邪魔をするキミも……悪い子だ」

 

 そんな鬼太郎に対し、しまっちゃうおじさんは笑顔のまま言い放つ。

 

 

「悪い子はどんどん……しまっちゃおうね~」

 

 

 鬼太郎を悪い子に認定し、その身をしまってしまおうと迫る。

 

 

 

×

 

 

 

「——鬼太郎に手出しはさせないわ!」

 

 しまっちゃうおじさんの言葉に、猫娘が鬼太郎を守る立ち位置から爪を伸ばし、化け猫の表情となって威嚇する。

 彼女だけではない。砂かけババアや一反木綿。ぬりかべに子泣き爺も。しまっちゃうおじさんの魔の手から鬼太郎を守るため、それぞれが身構えていく。

 

「たった一人でわしらと戦うつもりか? 悪いことは言わん、降参しろ……しまっちゃうおじさん!」

 

 戦いが始まる前に、砂かけババアはしまっちゃうおじさんに声をかけた。しまっちゃうおじさんは一人だ。いくら何でも、たった一人で自分たちの相手などできる筈がない。

 無益な争いを避けるためにも、彼女はしまっちゃうおじさんに降伏を促す。

 

「キミたちこそ、それだけの人数で……『私たち』と戦うつもりかい?」

「私たち……じゃと!?」

 

 しかし、しまっちゃうおじさんは動じない。彼は不敵な笑みを浮かべ、浮かべ——

 

「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」

「っ!?」

 

 次の瞬間、その笑みが二重に重なる。

 一人と思われていたしまっちゃうおじさんの背後から——もう一人、別のしまっちゃうおじさんが現れたのだ。

 

「ふ、増えたっ!?」

 

 これに驚く鬼太郎だが——甘い。

 

「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」

 

 しまっちゃうおじさんの笑い声が、さらに重なっていく。

 二人いたかと思われたしまっちゃうおじさんが、さらにもう一人、二人、三人と姿を見せ——その勢いは留まるところを知らない。

 

「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」「ふっふっふ……」

 

「——な、なななななっ!?」

 

 無限に増えていくしまっちゃうおじさんたち。これにはさすがの鬼太郎も青い顔になる。

 気がつけば——しまっちゃうおじさんが視界いっぱいに広がっており、その数は洞窟内を埋め尽くすほどに増殖していた。

 

「くっ!!」

「か、囲まれたっ!?」

 

 そうして、鬼太郎たちはしまっちゃうおじさんたちに包囲され、迂闊に動けない状態まで追いやられる。そのまま一斉にしまっちゃうおじさんたちに襲われては、さすがに鬼太郎たちもタダでは済まない。

 しかし、しまっちゃうおじさんたちはその場で静止したまま。いきなり襲いかかってくるようなことはなく、暫しの間、洞窟内が静寂によって支配されていく。

 

「…………」

 

 ややあって、しまっちゃうおじさんたちの中心に立っていた、一人のしまっちゃうおじさんが手をそっと掲げる。

 まるで指揮棒を振るうかのように、周囲のしまっちゃうおじさんたちへと合図を送る。

 

 

「しまっちゃうよ〜♪」「しまっちゃうよ〜♪」「しまっちゃうよ〜♪」「しまっちゃうよ〜♪」

 

 

 するとその合図に合わせ、何人かのしまっちゃうおじさんが歌い出す。意外にも美しい歌声でハーモニーを醸し出していく、しまっちゃうおじさんたち。

 

 

「「「「「「でゅ~わ~♪」」」」」」

 

 

 刹那、動かないままだったしまっちゃうおじさんたちが、歌声に合わせて一斉に行進を始めていく。鬼太郎たちの周囲を、合唱しながら廻り始めたのだ。

 

 

「ランラン♪」「ランラン♪」「アーアー♪」「アーアー♪」「ランラン♪」「ランラン♪」「アーアー♪」「アーアー♪」「ランラン♪」「ランラン♪」「アーアー♪」「アーアー♪」「ランラン♪」「ランラン♪」「アーアー♪」「アーアー♪」「ランラン♪」「ランラン♪」「アーアー♪」「アーアー♪」「ランラン♪」「ランラン♪」「アーアー♪」「アーアー♪」「ランラン♪」「ランラン♪」「アーアー♪」「アーアー♪」「ランラン♪」「ランラン♪」「アーアー♪」「アーアー♪」「ランラン♪」「ランラン♪」「アーアー♪」「アーアー♪」「ランラン♪」「ランラン♪」「アーアー♪」「アーアー♪」「ランラン♪」「ランラン♪」「アーアー♪」「アーアー♪」「ランラン♪」「ランラン♪」「アーアー♪」「アーアー♪」

 

 

「な……なんなんだ、いったい、これはなんなんだ!?」

 

 状況に困惑する鬼太郎。

 

 しまっちゃうおじさんたちが歌い始めた時点で、既に彼の脳はパンク寸前だった。

 

 いったいこれは何なんだ? 自分は今、何と戦っているのか? それすらも分からなくなってくる。

 

「う……鬼太郎、ごめんなさい……」

「ね、猫娘っ!?」

 

 そのパニックの最中、猫娘が鬼太郎への謝罪と共に倒れていく。

 彼女だけではない。砂かけババアに一反木綿、ぬりかべや子泣き爺も無念に崩れ落ちていく。

 

 誰もが皆、しまっちゃうおじさんたちの合唱を前に成す術もなく倒されてしまったのだ。

 

「き、鬼太郎……済まん。わしも……ここまでじゃ」

「と、父さん!?」

 

 最後の頼みの綱とも言える目玉おやじまでも力尽きてしまう。

 もはや、その場に立っていられたのは鬼太郎一人だけ。その鬼太郎の意識も——徐々に、徐々に薄れていく。

 

 ——くっ、意識が……遠のいていく!

 

 自分の意識が途切れかけていることを朧げながらも認識し、何とか耐えようと踏ん張っていく。

 だが鬼太郎の努力も虚しく、しまっちゃうおじさんたちの合唱は佳境を迎える。

 

 

「ランラン♪」「アーアー♪」「ランラン♪」「アーアー♪」「ランラン♪」「アーアー♪」「ランラン♪」「アーアー♪」「ランラン♪」「アーアー♪」「ランラン♪」「アーアー♪」「アーラン♪」「アーラン♪」「アーラン♪」「アーラン♪」「アーラン♪」「アーラン♪」「アーラン♪」「アーラン♪」「アラアラ♪」「アラアラ♪」「アラアラ♪」「アラアラ♪」「アラアラ♪」「アラアラ♪」「アラアラ♪」「アラアラ♪」

 

 

 

 そして——

 

 

「——さあ、捕まえた♪」

 

 

 いつの間にか、鬼太郎の背後に回り込んでいたしまっちゃうおじさんの肉球によって——鬼太郎の両目が覆われる。

 

 鬼太郎の視界は完全に塞がれ——彼は、真っ暗な闇の中へと落ちていく。

 

 

「——さあ、どんどんしまっちゃおうね~」

 

 

 抵抗することも出来ずに石倉の中にしまわれてしまう、ゲゲゲの鬼太郎。

 

 

 しまわれてしまった鬼太郎は、もう二度と——朝日の光さえ崇めないのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——うわああああああああああ!?」

 

 

 その瞬間、鬼太郎は目を覚ます。

 

 

「——ちょっ!? 鬼太郎!? どうしたのよ、いきなり……大丈夫?」

「——しっかりせんか、鬼太郎! ……何があったんじゃ?」

 

 目を覚ました鬼太郎の眼前には、自分を心配そうに見つめる猫娘と目玉おやじの顔があった。

 そこはいつものゲゲゲハウス。鬼太郎は——どうやら、布団に包まって眠っていたらしい。

 

「はぁはぁ……ゆ、夢……? 夢……だったのか?」

 

 うなされて飛び起きた鬼太郎。彼は乱れる呼吸を少しずつ整え——どうやら自分が夢を見ていたことを理解する。

 得体の知れない悪夢だった。それが夢であったことにホッと胸を撫で下ろす。

 

「……父さん、どうやらボクは……夢を見ていたようです」

「ほう……どんな夢だったんじゃ?」

 

 鬼太郎は自分を心配してくれる父親や猫娘を安心させようと、まずは笑みを浮かべる。だが目玉おやじから「どんな夢を見ていたのか?」と問われ——言葉に詰まってしまう。

 

「それが……何も覚えていないんです……」

 

 先ほどまで、確かに悪夢は見ていた筈なのだが、その内容が全く思い出せない。

 いったい、自分は『どんな』夢を見ていたのだろうと自問自答する。

 

「でも……とてつもない悪夢であったことは間違いありません。もう二度と……あんな夢は見たくないです」

 

 しかし深く掘り起こすのは危険と判断。大抵のことでは動じない鬼太郎にしては珍しく、体を震わせながら、夢の内容を絶対に思い出すまいと首をぶんぶんと振り払う。

 

「むむ……鬼太郎にそこまで言わせるか……」

 

 その拒絶反応に目玉おやじが考え込む。

 鬼太郎をここまで怯えさせる夢に出てきた『何者』か。気にはなるが、息子のためにも深く追及はしないでおこう。とりあえず、鬼太郎を安心させようと優しく声を掛ける。

 

「きっと、とてつもない大妖怪にでも追い詰められていたんじゃろう……な~に、気にするでないぞ、鬼太郎よ!」

「はははっ……」

 

 目玉おやじの慰めに、鬼太郎は自然と笑みを溢していた。

 父親の言うとおり、あまり気にしないように努める。いずれにせよもう思い出せないのだから、時間が経てば悪夢を見たという事実も忘れることができるだろう。そう思えば心も軽くなるものだ。

 

 

 

 

 だがふと、自分でも分からないが鬼太郎は自然と疑問を口にしていた。

 

 

 

 

「——あれは……妖怪、だったのか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しまっちゃうおじさんが、鬼太郎の妄想によって生み出されたものなのか?

 

 

 それとも、別の誰かによって想像された妄想なのか?

 

 

 あれが動物なのか、妖怪なのか?

 

 

 結局のところ、それは誰にも分からない。

 

 

 だが、あれが最後のしまっちゃうおじさんとも思えない。

 

 

 きっと子供たちが『悪い子』である限り、しまっちゃうおじさんはいなくはならない。

 

 

 もしかしたらいつの世も、彼らは人間たちの動向を監視し、介入するチャンスを窺っているかも知れない。

 

 

 きっと、こうしている間にも——

 

 

 

 

 

「——ほ~ら、キミの後ろの暗闇に……ふっふっふ」

 

 

 

 

 

 しまっちゃうおじさんは、いつも貴方の背後に——

 

 

 




人物紹介

 しまっちゃうおじさん
  今回の主役。ぼのぼのの妄想が生み出した狂気の産物。
  当時、このアニメを視聴していた子供たちに強烈なトラウマを与えた元凶。
  かくいう作者も、子供の頃は伝説の回『洞窟の恐怖』をまともに見ることができなかった。
  今では笑いながら関連動画を視聴できますが……昔はほんとうに恐ろしかった。
  一応、タイトルはしまっちゃうおじさんが主役のスピンオフ絵本『しまっちゃうおじさんのこと』となっていますが、作者はその絵本は未読です。
  今作のしまっちゃうおじさんは、あくまで1995年版のアニメをモデルにしていますので、よろしくお願いします。

 ぼのぼの
  原作の主人公。
  今回は軽い友情出演としてチラッとだけ登場。
  しまっちゃうおじさんのような怪物を何体も生み出す妄想力。
  いったい、この子の思考回路はどうなっているのでしょうか?

 シマリスくん
  友情出演、ぼのぼの友達。
  シマリスくんは基本的にしまっちゃうおじさんの存在に関しては何も言いません。無視です。

 アライグマくん
  ぼのぼのとシマリスくんの友達。イジメっ子大将。
  作中でも数少ない、しまっちゃうおじさんの存在を否定してくれる子。
  1995年版の担当声優さんが好きでした。心よりお悔み申し上げます。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ダンベル何キロ持てる?

ミスった!? 朝の9時に投稿するつもりが……仕方ないのでこのまま掲載していきます。

『ダンベル何キロ持てる?』この作品の投稿を予期していた人がいただろうか?
いや!! いないと思いたい!!

短編ですがそれなりに読み応えがあり、そしてカオスです。
作中のポージングに関しては一切説明をしていませんので……その辺りは検索しながら、あとはフィーリングで読み進めていってください。


 ——どうしよう……。

 

 ——どうしたら……。

 

 ——本当に……どうしたらいいってのよ!?

 

 

 この世に妖怪としての生を受けて数十年。彼女——猫娘はずっと苦悩していた。

 勝気でどんな敵が相手であろうとも気丈に振舞ってきた女性。しかし、彼女とて『乙女』であることに変わりはない。

 

 年頃の乙女はいつだって——『恋』という命題に頭を悩ませながら生きている。

 

 

 ——どうすれば……鬼太郎は私に振り向いてくれるのよ!!

 

 

 そう、ゲゲゲの鬼太郎。

 どうしたら彼が自分の気持ちに気付いてくれるのか。その命題に彼女はいつも振り回されていた。

 

 

 この際、面倒だから認めよう。

 猫娘はゲゲゲの鬼太郎が好きだと、大好きだと。

 

 

 しかし、俗にいう『ツンデレ』である彼女はその気持ちを素直に表現することができない。ましてや告白など、それこそ世界が滅びる直前でもなければあり得ない。

 だからこそ、猫娘は鬼太郎の方から自分を好きになってくれるよう、これまで出来る限りのアピールをしてきたつもりだ。

 

 彼が危険な妖怪との戦いに赴くときなど、その助けになろうと常に力いっぱい戦ってきた。

 それとなく出来る女をアピールするため、掃除や洗濯などの家事スキルも磨いてきた。

 手料理を頻繁に振る舞い、彼の胃袋をガッチリ掴むための努力も怠っていない。

 

 しかし、そのどれも空振り。

 猫娘が何をしようと、鬼太郎はすっとぼけた表情を崩すことなく平然としている。

 

「……私って……そんなに魅力ないのかな……」

 

 猫娘とて、鬼太郎がそういった男女の関係に鈍いことくらいは承知済みだが、ここまでくると『私の方に問題があるのかな?』と、自分に自信が持てなくなってしまう。

 

「…………」

 

 道端を歩いていた彼女は不意に足を止め、ガラスのショーウインドウに映り込んでいる自分の姿を見つめる。

 

「結構可愛いと思うんだけどな……」

 

 猫娘は自分の容姿に絶対の自信を持っているわけではないが、それでも己が比較的美人であるという自覚はある。

 ただ歩いているだけで、男性から何度もナンパされたことだってあるくらいだ。スタイルもモデル顔負け、客観的に見てもきっと可愛いのだろうと思う。

 

「…………ま、まあ、こっちは……ちょっと、貧相かもしれないけど……」

 

 だが一部分だけ。本当に一点、他の女性と比べても劣っているといえるかもしれない、コンプレックスを抱えている。

 猫娘は自分自身の胸にそっと手を当てていた。

 

 

 胸、胸部、胸囲。即ち——『バスト』である。

 

 

 スタイリッシュな反面、猫娘はバストサイズが平均……より少し小さめ。その小ささといったら、中学生である犬山まなにも劣るほど。

 猫娘個人としてはそこまで気にしたこともなかったのだが、ここまで鬼太郎の興味を引けないのであれば、それも原因の一つとして考えられてしまう。

 

「やっぱ……鬼太郎も大きな子の方が……好き、なのかな?」

 

 彼の好みも、ひょっとしたら胸の大きな娘なのかもしれない。それが理由でいつまで経っても鬼太郎が自分を異性として意識してくれないのではと、そんな疑念を抱いてしまう。

 

「もしそうだったとして……どうすればいいってのよ……!!」

 

 鬼太郎に限ってそんなことあり得ないと思うが、万が一そうだった場合。残念ながら猫娘には打つ手がない。

 

 所詮持たざる者は、持つ者の強大さを前に悲観に暮れるしかないのである。

 

 

 

「とっ!? 何よ、この紙切れ……ん?」

 

 だがそのとき、何かを暗示するよう猫娘の元に一枚の紙切れが風に乗って飛ばされてくる。

 その紙を反射的にキャッチする猫娘。すぐにでも丸めてゴミ箱に捨てようとするのだが——。

 

「……シルバーマンジム? フィットネスクラブ……ってやつかしら?」

 

 それは、とあるスポーツジムへの入会を勧めるチラシの類だった。

 

 チラシにはその施設の名前——『シルバーマンジム』というフィットネスクラブの名称がデカデカと書かれており、逞しい男性と女性がそれぞれポージングしている写真が掲載されていた。

 チラシには『一日無料体験!!』やら『お友達・家族紹介キャンペーン!!』などといった、よくある文言が記載されている。

 

「ジム……ジムか……こういうところは、考えたこともなかったわね……」

 

 猫娘はこのようなスポーツ施設の類を利用したことがなかったし、利用しようと考えたこともない。妖怪である猫娘は筋肉など鍛えたところで、それが直接的な戦闘力に影響するわけでもないからだ。

 また、妖怪として肉体年齢にほとんど変化が見られないためか。極端に身長が伸びたり、体重が増えたり、減ったりすることもほとんどない。

 

 猫娘という妖怪は常にこの姿、このスレンダーな肉体を意識することなく維持できている。

 それ故に、彼女はダイエットなるものをする必要がない。世の女性たちにとっては大変羨ましい体質なのである。

 

「まっ……ありきたりな誘い文句よね。こういった言葉にころっと騙されるんだから……人間って本当に……」

 

 だからなのだろう。猫娘はそのチラシに書かれていた客を呼び込むキャッチコピーに眉を顰める。

 チラシには『理想的なボディを!!』やら『これで貴方も健康的に痩せれます!』などといった決まり文句が書かれている。

 こういった言葉に騙されて大金を浪費してしまうのだから、人間というやつは愚かであると彼女は呆れたため息を吐く。

 

「………ん?」

 

 しかし、猫娘は気付いてしまう。

 そのチラシの隅っこに——彼女が今、一番欲しているものが書かれていたことに!!

 

 その文章にチラッと目を通しただけで、猫娘の体感時間が数分ほど停止する。

『理想的なボディ』『美しい肉体』。それらの謳い文句の中に混じってその言葉が——『バストアップ』という単語が書かれていたのだ。

 

 

 バスト——即ち、胸!!

 アップ——つまりは増やすということ!!

 

 

 胸の筋肉を効率よく付けることで——胸部が大きく盛り上がるということだ。

 

「……ま、まあ……ありきたりな誘い文句よ。そ、そんなに都合よく……胸が大きくなれるなんて、あるわけないわよ……うん!」

 

 それでも、猫娘は屈しない。

 そんな陳腐な誘い文句に簡単に釣られるほど安い女ではないと。自分に言い聞かせるようにして帰り道を急ぐ。

 

「……ほんと、こんな言葉一つで世の女性たちを動かせると思ってるのかしら……」

 

 早足で道を歩いていく猫娘。ぶつぶつと愚痴をこぼしながら前へ前へと足を進めていく。

 

「嫌になるくらい浅はかよね……これだから人間って……」

 

 こんなチラシを制作したであろう人間への文句を口にしつつ————数十分後。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——ようこそ!! シルバーマンジムへ!!」

「——あっ、すいません。この一日無料体験ってやつを試したいんですけど……」

 

 

 

×

 

 

 

 シルバーマンジムは日本のみならず、海外にまで支店を持つフィットネスクラブである。建物もかなり立派で広大、トレーニング設備の規模も世界一と謳っており、かなり本格的なスポーツジムとなっていた。

 

 ——ちゃんとした施設みたいだし……とりあえず騙されてるってことはないでしょう……。

 

 そういったシルバーマンジムの概要をここに来るまでの間、それとなくネットで調べていた猫娘。彼女はとりあえず、今日一日無料体験とやらを試してみることにした。

 

 ——べ、別に! あんなくだらない誘い文句に乗せられたわけじゃないし!! 

 

 ——たまには筋トレくらいしないと、体が鈍るからよ!!

 

 誰に言い訳しているのやら。既にスポーツウェアに着替えた状態で、猫娘は待合室でトレーナーとやらがやってくるのを待っていた。

 

「——お待たせしました! ようこそ、シルバーマンジムへ!!」

 

 待機すること数分。猫娘の元にジャージを纏った、スラっとした身体つきの笑顔が爽やかな男性がやって来る。

 

「初めまして! 街雄鳴造(まちおなるぞう)です!! 今日一日よろしくお願いしますね!!」

 

 ——あら、イケメン……まっ、私には関係ないけど……。

 

 端正な顔立ちの好青年、絵に描いたようなイケメンの登場にちょっと驚く猫娘。

 惚れっぽい女性ならコロッと見惚れてしまい、それをきっかけに無料体験などすっとばしてジムの入会を決めてしまうかもしれない。

 

 しかし、猫娘には既に心に決めた人がいる。イケメンが現れたくらいで入会などすぐには決めない。

 とりあえず、ジムの無料体験とやらがどんなものかと。あまり深く考えずに彼女はジムの中核——そのトレーニング施設へと足を踏み入れることになる。

 

 

 

「——ふん! ぬらばああああああああああ!!」

「——ぬぅんんんん!! もういっちょぉおおおおお!!」

「——ラスト!! ラスト一発、いけますよ!!」

 

 

 

「…………」

 

 だが、その施設内で繰り広げられていた光景を視界に収めた瞬間、どうしようもない悍ましさが猫娘の背筋をぞくりと撫でる。

 

 そこでは……筋骨隆々な男たちが、ギュウギュウにひしめき合っていた。

 

 全身が筋肉で出来たようなムッキムキのマッチョマンたちが呼吸を荒く、鼻息も荒くダンベルやらバーベルやらを持ち上げながら汗をかき、体中から湯気を立ち昇らせている。

 部屋に入った瞬間、体感温度が五度は上がったようにも感じられた。

 

 ——えっ? な、なにこれ……? 想像の十倍くらいは……エグいんだけど……!

 

 一応はフィットネスクラブともチラシに書かれていたこともあり、猫娘はもっと意識の高い男性、女性が爽やかに汗を流す光景を想像していた。

 しかし、蓋を開けてみればこれである。そこには爽やかなイメージなど欠けらもなく、ただただ熱苦しい漢たちが、ひたすらに筋肉をガッチガッチに鍛え上げている修行場と化していた。

 

 ——……もう帰ろうかしら……。

 

 この時点で既に猫娘は回れ右をしたい気分だった。

 しかし一日だけ、所詮一日だけの無料体験だと自身に言い聞かせ、今は黙ってトレーナーである街雄の指示に従っていく。

 

 

 

「それじゃあ……早速ですが——」

 

 街雄は汗臭い男たちを平然とかき分け、とりあえず静かなスペースへと猫娘を連れてきた。

 今日一日は彼が付きっきりで色々と指導してくれるらしく、とりあえず何を始めようかと彼が口を開きかけたときである。

 

「——あれ、街雄さん? 見ない人だけど……誰?」

「——もしかして……新しく入会される方ですか?」

「——うわぁ、美人! スタイル超シュッとしてんじゃん!」

 

 街雄に親しげに声を掛けてきたのは——可愛らしい女の子たちだった。

 先ほどの暑苦しい漢たちを目撃した後だと尚更場違い感がする、キャピキャピした女子。背丈や雰囲気から高校生といった感じである

 

 ——ほっ! よかった……こういう普通の子たちもいるのね……。

 

 一番最初にガチムチな筋肉ダルマたちをその目に焼き付けてしまったため、こういうありきたりな女子たちがいるだけでなんだか安心してしまう。

 彼女たちは猫娘にフレンドリーな眼差しを向け、それぞれ自己紹介をしてくれる。

 

 

紗倉(さくら)ひびきって言います、よろしく!! もぐもぐ!!」

 

 一人は日焼けしたような褐色肌に、髪を金髪に染めている典型的な『ギャル』といった感じの少女。

 全体的に肉付きのいい体型をしているが、そうなった原因は食べ過ぎだろう。今も自己紹介をしながら、空気を吸うかのように菓子パンを頬張っていることから、それがよく分かる。

 

奏流院(そうりゅういん)朱美(あけみ)です。よろしくお願いしますね!」

 

 礼儀正しく挨拶をしたもう一人の少女は、黒髪の優等生といった感じの美少女であった。

 清楚な立ち振る舞いから、明らかにお嬢様といった育ちの良さが窺える。ギャルであるひびきとは対極にいるような人種であり、二人が仲良く揃っていることに若干の違和感を感じる。

 

上原彩也香(うえはらあやか)です! よろしく……ええっと……?」

 

 さらにもう一人は、茶髪をお団子ヘアにまとめた健康的な小麦肌の少女だ。

 へそだしのスポーツウェアから見える腹筋が見事に割れている。全体的に体型もスリムで、明らかに何らかのスポーツを嗜んでいる佇まいだ。

 

 三者三様、なかなかに個性あふれる面子である。

 

「やあ、みんな! 今日一日、シルバーマンジムを体験することになった猫田さんだ! 仲良くしてあげて下さいね!」

「よろしく……猫田です」

 

 街雄は少女たちに親しげに手を振り、猫娘のことを紹介する。一応は人間のふりをしているので、猫娘も偽名である猫田と名乗っていた。

 

 

「それじゃあ、さっそくだけど……」

 

 そうした少女たちへの挨拶もそこそこに、街雄は改めてジムでの筋トレを体験させようと何かしらの指示を出そうとしてくる。

 

『——街雄さん、街雄鳴造さん。すぐに事務所まで来てください。お電話が入っております。至急、事務所まで……』

 

 だが、そのタイミングでトレーナーである街雄を呼び出すアナウンスが流れる。

 

「ありゃりゃ? こんなタイミングで……済みません、猫田さん! 少しの間、適当に寛いでいて下さい」

 

 街雄は呼び出しに応じるべく、猫娘をその場に待機させ事務所へと向かっていた。

 

 

 

 

 

「……ところで、猫田さんは今日はどうしてジムに? どこか気になる筋肉でもありましたか?」

「き、気になる筋肉? いや、別にそういうわけじゃ……」

 

 手持ち無沙汰の猫娘を退屈させないためか、少女たちの一人・奏流院朱美が彼女の話し相手になろうと声を掛けてくる。少し妙な質問内容だったが、要するに何を目的にジムに来たかという疑問だった。

 単純にダイエットのためか、あるいは重点的に鍛えたい筋肉でもあるのか。それによってトレーニングの内容も変わるというもの。質問自体は何もおかしくはない。

 

「やっぱダイエットっすか!? わたしも最初はそれが目的だったし!!」

「ダイエットなんか必要ないだろ。猫田さん、アスリート並みにシュッとしてるし!」

 

 すると答えを聞く前に、ひびきと彩也香が猫娘がジムに来た目的を推察する。その際、猫娘のモデル顔向けのスタイルを羨ましそうに見つめているが。

 

「目的って……それは……」

 

 このとき、猫娘は言い淀んでしまった。

 同性が相手といえども、『胸を大きくしたい!!』という願望を口にするのが些か躊躇われたからだ。しかし返事をする代わりにチラリと、目線を少女たちの胸部へと向ける

 

 ——……おっきいわね……。

 

 ——あっ、でも……こっちの子は私と同じくらいかしら……。

 

 ひびきと朱美の二人は猫娘より大きいものを持っていた。だが彩也香は自分と同程度であり、その事実に猫娘は少しだけホッとする。

 

「!! なるほど……そういうことか、朱美!!」

「ええ……わかってるわ!!」

 

 するとその視線で猫田が何を目的にジムへ来たのか、それを理解した彩也香と朱美の二人が互いに頷き合う。

 

「大丈夫ですよ! 猫田さんの気持ち、同じ女の子としてよく分かります!!」

「私も普段はあんま気にしないけど、時より虚しい気持ちに襲われるときがあるからな……」

「??? ズルズル……」

 

 彼女たちは猫娘に励ますような言葉を送りながら、あえて『何が』とは口にしなかった。

 一番大きいものを持っているひびきだけはその悩みを察することが出来ず、頭にクエスチョンマークを浮かべながらカップ焼きそばを啜っている。

 

「それじゃあ、今日は大胸筋を鍛えていきましょう!! 大丈夫……きっと今からでも大きくなれますから!!」

「え、ええ……お願いね……」

 

 猫娘の胸に秘めたる願望のためにも、朱美はバストサイズを大きくするトレーニング方法を教えると申し出てくれた。

 しかしその気遣いが、その親切心が逆に辛かったりもする。

 

 

 

 

 

「——胸の筋肉を鍛えるには、一般的にはペンチプレスが効果的だと言われているわ!」

 

 そうして始まった少女たちの筋肉講座。朱美はまず最初に『ベンチプレス』の解説を始めていく。

 

 ベンチプレスとは——筋トレと言われて真っ先に思いつくウェイトトレーニングの代表格だ。

 ベンチに横たわった姿勢で、バーベルを上げ下げする。動作そのものは単純だが、重りを付けることで自分に合った重量にもできる。

 筋トレ初心者にも、上級者にもおすすめのトレーニングメニューである。

 

「——けどこの方法だと、他の筋肉にも負担が掛かってしまうの……」

 

 しかし、これだと腕や肩——上腕三頭筋や三角筋といった筋肉にも相当な負荷が掛かってしまう。

 

「——なので、もしも効率的に大胸筋、胸の筋肉を鍛えたいのであれば……チェストマシンを使うことが推奨されます!」

 

 ならばと、ここで朱美はとあるマシンに注目する。正式名称は『チェストプレスマシン』。言うなれば、座ったままベンチプレスと同じ効果が期待できるマシンである。

 背もたれが付いた椅子で身体を固定し、左右のバーを握り込む。そしてあらかじめ設定しておいた重量の負荷を受けたまま、そのバーを押す。

 

「——チェストマシンは軌道が固定されていますので、上腕三頭筋や三角筋に掛かる負担がペンチプレスよりも少ないんです!」

 

 どちらの方法でも同じ筋肉を使用しているが、チェストマシンを使った方が大胸筋により重点的に負担を掛けることができるという。

 

「——女性ならバストアップ! 男性なら男らしい胸板を! これで貴方も理想的なボディに!!」

 

 まるで何かの通販番組のように、朱美は解説を締めくくった。

 

 

 

「——なるほど、これは……結構効いてくるわね」

 

 朱美に解説してもらったこともあり、猫娘はさっそくチェストマシンを使ってみる。正直あまり期待していなかったが——これは中々良い。

 普段使っていない部分ということもあってか、妖怪である彼女の筋肉にも十分な負荷が掛かっているような気がするのだ。

 

「いいフォーム!! いいフォームですよ、猫田さん!!」

 

 朱美も猫娘の筋トレを見守りながら綺麗なフォームだと褒めてくれる。

 

 ——これで……私もきっと!!

 

 このトレーニングを続けていけば、もしかしたら自分にも美しくて豊満なボディが……。

 猫娘の小さな胸にも、そんな淡い期待が芽生え始めていた。

 

 

 

「——う、うぐあああああ!!」

 

 

 

 ところが、そんな猫娘の良い気分に水を差すよう、ジム内に暑苦しい男の悲鳴が木霊する。

 

 

「な、なんだあ!? 今の悲鳴!?」

「入口の方から聞こえてきたぞ!?」

 

 その悲鳴に戸惑いを露にするひびきたち。

 

「——!!」

 

 それなりに荒事に慣れている猫娘。

 彼女は即座に筋トレを中断し、悲鳴が聞こえてきた場所へ急ぎ駆けつけていた。

 

 

 

×

 

 

 

「——なっ!? なんなのこれは!?」  

 

 駆けつけて早々、猫娘は眼前に広がっていた惨状に目を剥く。

 そこは先ほども猫娘がマッチョたちに遭遇したスペースだ。ガチムキのマッチョマンたちに出迎えられ、色々と辟易しかけていた猫娘。

 

 だが、そこにマッチョマンの姿などどこにもいない。

 

「うぅ……ま、マチョ……」

「ま…………マチョォォ……」

 

 そこで転がっていたのは——マッチョマンだったと思われる男たち。つい先ほどまで確かに筋骨隆々だった彼らの肉体が、ガリガリの骨と皮だけになっていたのだ。

 一応息はあるようだがまさに死屍累々、実に凄惨な光景だった。

 

「うわっ!! モブマッチョたちが……!?」

「しなびたナスビみてぇに萎んでやがる!?」

 

 その光景に猫娘のすぐ後ろでひびきが目を見開き、その様を彩也香が水分が蒸発して皮だけになった野菜に例える。

 

「いったい……誰がこんなこと惨いことをっ!?」

 

 朱美など、あまりに凄惨なモブマッチョ——モブの男性たちの姿に顔を手で覆っている。実は筋肉フェチである彼女にとって、その惨状は直視するのも憚れる惨状だろう。

 

「——誰!? そこにいるのは……何者よ!?」

 

 しかし、目を背けていては——この騒動の『元凶』を取り逃してしまう。

 

 干からびたモブマッチョたち、彼らを見下ろすように何者かがその中心地に立っていたのだ。

 状況から推察するに、その大男——黒光する筋肉の鎧に覆われたそのマッチョマンこそが、この惨状の元凶で間違いない。

 明らかに人間離れした体格を誇る、禿頭のボディビルダー。猫娘はそいつに何者かと問いを投げ掛けていた。

 

 

 その問いに、奴は堂々と答えていく。

 

 

 

 

 

「——私の名は……プロポーションおばけ!! 筋肉を愛し、筋肉に愛された妖怪だ!!」

「…………はっ? プロポーション……えっ? ……なんて?」

 

 

 

 

 

「——プロポーションお化け……ですって!?」

「知ってんのか、朱美!?」

 

 その妖怪?と思しきマッチョマンの名前に目が点になっていた猫娘だが、意外なところからその名に対するどよめきが起きる。

 妖怪などと縁もなさそうなただの女子高生である朱美の口から、そのものの概要が語られていく。

 

「プロポーションお化け……古来よりボディービルダーたちの間で囁かれてきた伝説的な妖怪よ。その肉体美は人間離れしていて、まさにお化けのようだと言われているわ!! ボディビル界では特に筋肉バランスが素晴らしい人を賞賛する掛け声として、その存在が引き合いに出される! ボディビルダーたちにとって、その存在に例えられることはまさに名誉なことなのよ!!」

「…………いや、全然聞いたこともないんだけど……」

 

 もっとも、妖怪である猫娘にはどれも初耳な話ばかり。

 

「じ、実在したのか……プロポーションお化け!」

「てか……ただの掛け声じゃなかったんだな……」

 

 実際、一部の濃い関係者以外の認知度はほぼ皆無なのか、ひびきと彩也香の二人もぽかんとしている。

 だが朱美にとっては既知の存在で、彼女はさらにプロポーションお化けの説明を続けていく。

 

「プロポーションお化けは、屈強なボディビルダーを見かけるとボディビル勝負を挑んでくる妖怪なの!! 奴の筋肉を前に心の底から敗北感を抱けば……たちまち自分の筋肉が奪い取られてしまうという、とても恐ろしい妖怪なのよ!!」

「……ぼ、ボディビル勝負? ていうか、奪い取るって……どういう理屈なの?」

 

 戦い方から敗北したときのリスクまで。何から何まで意味不明な妖怪だと猫娘が唖然となる。しかし、筋肉を奪われるボディビルダーたちからすればたまったものではない。

 

「あなたはっ!! そのプロボーションを維持するために……いったい、どれだけのマッチョたちからマッチョ力を吸い上げてきたの!!」

 

 朱美はマッチョたちの思いを代弁するように叫んでいた。床に転がっている彼らこそ、まさに筋肉——マッチョ力を奪い取られたものたちの末路だ。

 朱美にとっても、ボディビルダーにとってもプロポーションお化けの行為は決して許せない悪行だろう。

 

 しかし、怒りを露わにする朱美を嘲笑うようにプロポーションお化けは平然と言い放つ。

 

「お前は、今まで摂取したタンパク質の総カロリーを覚えているのか?」

「くっ……何て非道なの!!」

 

 プロポーションお化けは人間の筋肉を鳥のササミ程度にしか考えていないようだ。倫理観の欠片もない残虐非道な解答に朱美は絶句するしかなかった。

 

 

 

「——さて、もうここに用はない。そこを退いてもらおう!!」

 

 そうした問答もそこそこに、プロポーションお化けはジムから立ち去ろうと動き出していた。

 めぼしい筋肉は全て奪い終えた。女子供の筋肉などはまるで眼中にないという態度で、ひびきたちに対して勝負を仕掛けようとはしない。

 

「このっ……! このまま逃すわけにはいかないわ!!」

 

 だがその逃走を阻止しようと、猫娘はプロポーションお化けに向かって爪を伸ばして飛び掛かる。一応は人間たちに一方的な被害が出ているのだから、ここで奴を食い止めなければなるまい。

 

「わっ!? 猫田さんの爪が伸びた!!」

「すげぇ!! ウルヴァリンみてぇ!!」

 

 猫娘の人間ではあり得ない身体の変化を目の当たりにするひびきと彩也香だが、そこに怯えはない。寧ろ映画に登場する、どこぞのミュータントヒーローのようだと喜んでいる。

 

「ほう、貴様も妖怪だったか……しかし!!」

 

 猫娘を真正面に捉えるプロポーションお化けの目が細まった。猫娘が自分と同じ妖怪であると察したのだろう。

 だが、彼女の爪程度で止まるプロポーションお化けではなかった。

 

「フンッ!! 貧弱貧弱!!」

「なっ!? 私の爪が……」

 

 猫娘の鋭い爪の一撃を以てしても、プロポーションお化けの肉体には傷を付けることも出来ない。それどころか、猫娘の爪の方が筋肉の厚みに耐えきれずにボロボロに欠けてしまう。

 すると攻撃が通じない、その理由に関して朱美が警告を発する。

 

「駄目よ!! 奴に物理攻撃の類は一切通じないわ! プロポーションお化けにダメージを与えるには……奴よりも輝かしい筋肉を見せつけるしかないのよ!!」

「限定的な退治方法ねっ!?」

 

 妖怪の中には一定の手順を踏まなければ退治できないものがおり、このプロポーションお化けもそれに該当するとのこと。

 プロポーションお化けを倒すには奴とのボディビル勝負に勝利し、その身に敗北感を味わわせてやらなければならないのだという。

 

「そのとおり!! 私と肉体美の美しさで勝負するか? 負ければ当然……お前たちの筋肉もいただくことになるぞ?」

「くっ……全然勝てる気がしない……勝ちたくもない!」

 

 猫娘は戦う前から自身の敗北を悟る。

 

 正直、こんな暑苦しい筋肉のどこが美しいのか猫娘には理解できないが、少なくとも筋肉量の時点で彼女では勝負にもならない。他の女子たちでも無理だ。きっと彼女たちでは、奴と同じ土俵に立つこともできない。

 このままではプロポーションお化けに逃げられてしまうだろう。正直、猫娘的にはもうそれでいいような気もしたが——。

 

 

「——ならば……ボクがお相手しよう!!」

 

 

 そうはさせないと。一人の青年がプロポーションお化けに勇敢に立ち向かっていく。

 

 

 

 

 

「——街雄さん!!」

 

 そこに立っていたのはシルバーマンジムのスポーツトレーナー・街雄鳴造であった。

 先ほど事務所まで何事かの用事で呼ばれていた彼が、ようやくそこへ駆けつけてくれたのだ。

 

「遅れて済まなかったね。つい先ほど、シルバーマンジム全支部に緊急通達があったんだ。ここ数日、何者かが各支部を襲撃し……会員の方々から筋肉を奪っていると!」

「それって……!!」

 

 そう、街雄が呼ばれていた理由も謎の襲撃者、プロポーションお化けに関連する注意事項だった。

 どうやらこの支部に来る前にも、プロポーションお化けは他のジムを襲撃し、マッチョマンたちから筋肉を奪っていたようだ。

 

「そうさ! シルバーマンジムの連中は素晴らしい!! 上質なマッチョ力を持つものが多くて笑いが止まらんよ、マチョチョチョ!!」

「それ笑い声なの!?」

 

 極悪非道な笑みを浮かべながら、プロポーションお化けは笑い声を上げる。その笑い方が猫娘にはだいぶ力が抜けるものだった。

 

「……けど、これ以上はやらせないよ!」

 

 しかしその快進撃もここまでだと。街雄は自分が相手をすると、プロポーションお化けの前に立ち塞がる。

 そんな街雄に対し、プロポーションお化けは嘲るような笑みを浮かべた。

 

「マチョチョ、笑わせるな!! 貴様のような貧弱な細マッチョ、私の敵にすら値せぬわ!!」

 

 プロポーションお化けの言い分も分からなくはない。

 ジャージ姿の街雄鳴造は、どこからどう見ても爽やかな好青年。ジムのトレーナーだけあって鍛えてはいるのだろうが、どう足掻いてもプロポーションお化けと張り合えるような筋肉があるようには見えなかったからだ。

 

 ところが——。

 

「おいおい……街雄さんが細マッチョだってよ!!」

「何もわかってねぇな、プロポーションお化けのくせに!!」

 

 今度は逆にひびきたちが余裕の笑みを浮かべ始める。その表情には、街雄という人間を心配する気配すらない。

 

「き、貴様ら……何を笑っている!! もっと私に恐怖せぬか……人間の分際で!!」

 

 それが気に入らなかったのか。プロポーションお化けはひびきたちに自分にもっと畏れを抱くよう、威圧感たっぷりの台詞を口にしていく。

 

 すると——。

 

 

「!! もっと……もつと……モスト…………」

 

 

 街雄鳴造がその発言に反応を示した。相手の発した言葉を何度も何度も繰り返し呟きながら——。

 

 

 

「——はいッッッ!!! モストマスキュラー!!!!!!」

 

 

 

 次の瞬間、彼の衣服が粉々に弾け飛ぶ。

 ポージングと共に解き放たれたのはジャージの下に秘められていた、街雄鳴造のはちきれんばかりの——筋肉であった。

 

 

「——えええっ!? な、なんなの、その筋肉!? すげぇ、ムッキムキ!?」

 

 

 これに真っ先に悲鳴を上げたのが猫娘。彼女は街雄という人間の筋肉……そのあまりの凄まじさにドン引きしていた。

 

 パンツ一丁でポージングを取る街雄鳴造、彼が細マッチョだなんてとんでもない。

 その肉体は、本人が爽やかなイケメンフェイスであることもあってか「合成写真かよ!」と思わず突っ込みたくなるほどの、ガキムチのゴリマッチョであった。

 

 ——あんな筋肉でどうやってジャージ着てたのよ!? 明らかに服入らないでしょう!!

 

 ——身体も……てか、体積からなんかでかくなってるし!!

 

 ——着痩せするタイプとか、そういうレベルじゃないから!! えっ、なに? こいつ妖怪なの?

 

 服を着ているときとそうでないときの落差があまりにもはげしく、もはや猫娘もツッコミが追いつかないレベルで困惑している。

 勿論、戸惑っているのは彼女だけではない。

 

「な……なんだと!? 貴様……そのプロポーション!! 人間でありながら……なんという完成度だ!!」

 

 プロポーションお化けは街雄のびっくり生態ではなく、あくまで彼の肉体美に目を向けていた。その筋肉の仕上がり具合は、プロポーションお化けの目から見ても凄まじい完成度であるようだ。

 

 暫しの間、その肉体美に唖然としていたプロポーションお化けであったが——。

 

「……まッ! マチョチョチョ!! よかろう……相手にとって不足はない!! 勝負だ、人間!!」

 

 プロポーションお化けは街雄を自分に挑む資格がある人間だと判断したのか。

 対抗心を燃やすかのように、街雄と同じモスト・マスキュラーのポージングで真っ向から向かい合っていく。

 

 

「——貴様を倒し……その筋肉、貰い受ける!! 覚悟するがいい、人間!!」

「——望むところですよ。ボクが勝ったら皆の筋肉を……返してもらいます!!」

 

 

 

×

 

 

 

 こうして始まったボディビル勝負!! 

 それはどちらの筋肉がより洗練されているのかを決める神聖な戦いだった!!

 

 

「はッ!! サイドチェストォオオオ!!」

「なんの!! トライセプトッッッ!!」

 

 街雄がサイドチェストで大胸筋(だいきょうきん)の大きさを見せつければ、プロポーションお化けがトライセプトで上腕三頭筋(じょうわんさんとうきん)や脚の太さを見せつける。

 

「これならどうだ!? フロント・ダブル・バイセプス!!」

「ならばこちらも……フロント・ラット・スプレッド!!」

 

 続け様にプロポーションお化けはフロント・ダブル・バイセプスで上腕二頭筋(じょうわんにとうきん)の盛り上がりを見せつけてくる。

 それに街雄は真っ向からフロント・ラット・スプレッドで脇の下から大きく見える広背筋(こうはいきん)を強調していく。

 

「おのれ……これならばどうだ!? バック・ダブル・バイセプス!!」

「いいでしょう! ではボクからも……バック・ラッド・スプレッド!!」

 

 焦りを見せ始めたプロポーションお化けが背中を向ける。逃げるのではない、バック・ダブル・バイセプスで広背筋のカット、筋肉のラインを浮き彫りにしていく企みだ。

 しかしそれに対抗するよう、街雄はバック・ラッド・スプレッドで広背筋の広さを見せつけていく。

 

 

 次から次へと繰り出されていく必殺技の如きポージング。

 その迫力に圧倒されながらも、何とか観客となった少女たちが声を上げていく。

 

 

「負けるな、街雄さん!! キレてる! 街雄さんが一番キレてるよ!!」

「はぁはぁ……素敵! 眼福過ぎてイっちゃいそう……」

「腹筋ダイナマイト!! 二頭筋エレベスト!! 亀の甲羅見てぇな背中だな!!」

 

 街雄の勝利を願う紗倉ひびきは、彼の筋肉が割れていることを掛け声で強調していく。

 奏流院朱美は二人の筋肉を前に興奮しているのか、目をハートにしながら涎を垂らしている。

 上原彩也香は敵味方関係なく、それぞれの部位の筋肉を何かに喩えて表現していく。

 

「えっ? なにこれ? どういうこと?」

 

 ただ一人、猫娘だけは何事かと立ち尽くすしかない。

 いきなりポージングを始めた街雄たちもそうだが、その流れを当たり前のように受け入れ、声援を送り始めたひびきたちにもついていけていない様子だ。

 

「ほらっ!! 猫田さんも!! 一緒に応援しましょう!!」

 

 もっとも猫娘の戸惑いなど関係なく、ひびきは一緒に街雄を応援しようと強制的に彼女をその輪の中へと巻き込んでいく。

 

「え、ええっと……が、頑張れ……!?」

 

 一応プロポーションお化けに勝利をされても困るので、猫娘は無難な応援でなんとかその場を乗り切っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——なんだ……これは?

 

 

 ——私が……押されているだと!?

 

 

 戦いが続いていく中、プロポーションお化けは自分が徐々に押されていることを悟っていく。

 

 

 ——この私の……プロポーションお化けの肉圧が、奴の肉圧に劣っているとでも言うのか!?

 

 

 実のところ戦いが始まってすぐ、プロポーションお化けは自分の肉圧——肉の圧力が街雄に及ばないのではと、筋肉で実感していた。

 しかし、その現実は受け入れられない。人間如きに負けるなど、妖怪としてのプライドがその事実を認めさせることを許さなかったのだ。

 

 だが——。

 

 

 ——分かっている筈です……貴方ほどのビルダーであれば……。

 

 

 突如、プロポーションお化けの脳内に街雄鳴造の声が響いてくる。

 

 

 ——はッ!? き、貴様……私の心に直接ッ!?

 

 

 格闘家が拳と拳で、剣士が刀と刀で語り合うように。

 ボディビルダーは筋肉と筋肉で語り合う。人間、妖怪という種族の壁すら超えて、二人は魂で対話し始めた。

 

 

 ——貴方のプロポーションは確かに素晴らしい……。

 

 ——けれどその大部分が……人から奪った筋肉で構成されている。

 

 

 街雄は少しだけ悲しそうに、プロポーションお化けの筋肉が所詮は紛い物でしかないことを指摘する。

 プロポーションお化けは他者から筋肉を奪い、それを我が物とする妖怪だ。その在り方は残酷で、冷酷で——そしてあまりにも悲しい。

 

 

 ——本当なら貴方は自分の筋肉を……自分だけの肉体を一から磨き上げていかなければならない!

 

 ——そうでなければ……貴方自身がその肉体に、筋肉に誇りが持てなくなってしまうのです!

 

 

 街雄はプロポーションお化けに、『他者の筋肉を奪わなければ自身のプロポーションを維持することもできない』という、その在り方そのものを変えていかなければならないのだと諭そうとする。

 

 

 ——戯言をッ!! この私に説教するつもりか!?

 

 

 だが街雄の言葉に聞く耳を持たず、プロポーションお化けはポージングを重ねていく。

 プロポーションお化けにも意地がある。何も為せないまま、ただ敗北を認めることなど出来ないのだ。

 

 

 ——無駄です!! はぁあああ!!!

 

 ——な、なんだと!? ぐはっ!!

 

 

 だがどれだけ見栄えの良いポージングを繰り出そうと、街雄はそれ以上に美しいフォームを繰り出していく。

 放たれる街雄の肉圧を前に——とうとうプロポーションお化けの肉体が耐えきれなくなった。

 

 

 

「ああ!? プロポーションお化けの奴……膝をついたぞ!!」

「流石だわ、街雄さん!! これで決着ね!!」

 

 互いに筋肉を見せつけ合う中、ついにプロポーションお化けが地面に膝をつけた。筋肉の消耗も激しく、もはやまともに立っていることもできないだろう。

 戦いが街雄の優勢で終わったことは明らかだった。ひびきたちからも、彼の勝利を祝福する喝采が起こる。

 

「えっ、終わったの? 勝敗……ていうか、何が起きてたわけ!?」

 

 もっとも、素人目にはどのような戦いが繰り広げられていたか把握することは困難。戦いの経過などがさっぱり理解が出来ず、猫娘が目を丸くしている。

 

「……もう勝負はつきました。素直に負けを認め……皆から奪った筋肉を返していただきたい」

 

 膝を折ったプロポーションお化けに対し、街雄はリラックスポーズで待機する。倒れた相手に追い討ちをかけるような真似はせず、穏やかな声音で降伏を促していた。

 

「まだだ!! まだ終わらんよ!!」

 

 しかし、プロポーションお化けは最後まで戦う意志を示す。

 満身創痍な筋肉にムチを打ち、最後の最後——それこそ、自身の肉体が砕け散るのも構わずに必殺のポージングを繰り出していく。

 

 

「——受けてみよ!! 私の最後の輝きを——アブドミナル・アンド・サイ!!!!」

 

 

 それこそが、プロポーションお化けがもっとも得意とするポージング。

 絶対の自信を込めたアブドミナル・アンド・サイ——腹直筋(ふくちょくきん)外腹斜筋(がいふくしゃきん)の絞り具合をこれでもかという勢いで見せつけてくる。

 

「くっ!? な、なんて肉圧なの!?」

「これは……さすがの街雄さんでもやばいぜ!!」

 

 まさに全力、最後の力を振り絞って繰り出されたポージングだからこそ、これまでにないほどの肉圧を纏っていた。

 惑星が死に絶える刹那、最後の輝きを放つ超新星爆発のように。プロポーションお化けという一個の命、存在そのものがまさに閃光のように輝いていた。

 

「負けるな……街雄さん!!」

 

 その輝きを前に、ひびきたちでは目を開けていることもできない。ただ負けるなと——彼の名を叫ぶことしかできない。

 

「……伝わりました、貴方の覚悟は……」

 

 ひびきたちの声援をその背に受けながら、街雄鳴造はプロポーションお化けを真正面に見据える。

 

 その気になれば、街雄はプロポーションお化けの肉圧から身体を背けることもできた。相手は最後の力を振り絞っている。その攻勢に耐えきれば、あとは勝手に力尽きるだけ。

 最後まで立っていられたものが勝者だ。どのような結末で終わろうとも、それが勝利であることに変わりはない。

 

 

「——その覚悟に全力でお応えしましょう。これがボクの……アブドミナル・アンド・サイだぁあああああ!!!!」

 

 

 だがそのような無粋な真似、同じ筋肉に生きるものとしての尊厳が許さなかった。

 相手が己の全てを出し切ってまで、自分に勝とうとしているのだ。ならば自分も真っ向からその覚悟に、思いに応えなければならない。

 

 プロポーションお化けとの戦いに終止符を打つべく、街雄は彼と同じアブドミナル・アンド・サイで迎え撃つ。

 

 

「くっ……こ、これは……ま、まさかッ!!」

 

 

 それまで、頑なに自身の敗北を認めなかったプロポーションお化けだったが、同じポージングであるからこそ互いの優劣をより明確に思い知らされる。

 

 お互い渾身の気迫を込めて放ったアブドミナル・アンド・サイは、確かに大腿四頭筋(だいたいしとうきん)——脚の太さという点でいえば、ほとんど互角だったと言えよう。

 だが、腹の筋肉——特に腹直筋の絞りにおいては、明らかに街雄に軍配が上がる。

 

 その事実は、もはや何者にも覆せない。

 

「くっ……ふっふふふ……マチョチョチョチョ!!」

 

 プロポーションお化けも、これにはもう笑うしかなかった。

 最後の力を振り絞って尚、たった一人の人間にすら敵わなかったのだ。この期に及んで負けを認めないのは、それこそ晩節を汚すようなもの。

 そんなみっともない真似を晒すなど——出来るわけがなかったのだ。

 

 

「——認めよう……確かに貴様の筋肉の方がキレていると……!!」

 

 

 

 

 

 激闘の結果、とうとうプロポーションお化けが潔く敗北を——心の底から己の負けを認めた。

 

 刹那、彼の逞しい筋肉の膨らみが萎んでいく。その肉体を構成する一部——人々から奪い糧としていた分の筋肉量が、本来在るべき場所へと戻っていったのだ。

 

「マチョ……マチョ!?」

「ああ、見て!! モブマッチョたちが!?」

 

 その影響はすぐにでも現れた。ずっと死屍累々と横たわっていたモブマッチョたちが目を覚ます。萎びたナスビのように干からびていた肉体も、その筋肉を無事に取り戻していた。

 これも全て、街雄がプロポーションお化けに勝利した結果である。だがその反面、プロポーションお化けの肉体は——。

 

「プロポーションお化け!? 筋肉が萎んで……」

「ふん……敗者には似合の末路さ。憐れみは無用だぞ、人間……」

 

 他者の筋肉で自身の肉体を構築していたプロポーションお化け、彼本来の肉体が剥き出しになってしまっていた。

 その姿は先ほどまでの逞しい姿とは比べようもないほどにやせ細った——そう、ただの細マッチョであった。

 その変わりように思わず手を差し伸べる街雄であったが、プロポーションお化けはその手を振り払う。

 

「お前の言うとおりさ……所詮あの筋肉は紛い物でしかない。本来の私は……所詮この程度の細マッチョに過ぎない……フッ、笑いたければ笑うがいい!」

「いや結構あるじゃん筋肉……それで十分じゃないの?」

 

 もっとも細マッチョと言えるだけのものは持っており、それで十分じゃないかと猫娘などは首を傾げる。しかし、プロポーションお化けとしてはそれでは不足らしい。

 

 彼はたとえ他人から筋肉を奪ってでも、ムッキムキのゴリマッチョを維持しなければならなかったようだ。

 理想の体型を維持できなくなった自身に存在意義などないとばかりに、プロポーションお化けの肉体は薄れ——今にも消滅しかけていた。

 

「だが!! 我ら妖怪は不滅! たとえ肉体を失おうと……魂さえ無事であれば再びこの世に蘇ることが出来る!!」

 

 されどもプロポーションお化けは妖怪だ。たとえその身が滅びようとも、いずれは肉体を取り戻せる。

 

「やられっぱなしで終わりはせん!! やられたらやり返す……倍増量だ!!」

 

 再び肉体を取り戻したそのときこそ、もう一度街雄に挑むときだと。筋肉量を倍に増やしての再戦を誓うプロポーションお化け。

 

 

「——私だけの筋肉を鍛え上げて……再びお前に勝負を挑もうではないか……」

 

 

 他者から奪うのではない。

 今度は自分自身の手で、一から筋肉を鍛え上げるのだと宣言しながら——。

 

 

「!! ええ、いつまでもお待ちしています……」

 

 

 プロポーションお化けの言葉に、街雄は笑みを浮かべる。

 

 最後の最後に、彼は自らの過ちに気付いてくれたのだ。人から奪った筋肉では本当のプロポーションとは呼べない。

 たとえ、どれだけ仕上がりに不満があろうとも。自分自身で鍛え上げた筋肉だからこそ、そのものの心に誇りを抱かせるのだと。

 

 

 その誇りこそ、まさに筋肉の神が与えたもうた祝福なのだと——。

 

 

「ナイスバルクでした!! プロポーションお化けさん……」

「ふっ、貴様もナイスバルクだった……また会おう」

 

 最後には、互いの健闘を讃え合う街雄とプロポーションお化け。

 だがそれを最後の言葉に——プロポーションお化け、ついにはその肉体を自壊させる。

 

 

 魂だけの存在となり、何処ぞへと飛び去ってしまったのだった。

 

 

 

 

 

「…………ふう、怪我はなかったです? 皆さん」

 

 暫くの間、街雄はプロポーションお化けの魂が飛び去っていった方角を見つめていた。しかし彼はこのシルバーマンジムのトレーナーだ。お客様でもある会員たちの無事を確かめる義務が彼にはあった。

 

「ええ、私たちは大丈夫ですよ」

「モブマッチョたちも……ほら!!」

 

 街雄の呼びかけに少女たちが答えていく。

 朱美は自分たちには怪我一つなかったことを、彩也香は被害に遭っていたモブマッチョたちが筋肉を取り戻したことを告げる。

 

『——マッチョ!!』

 

 モブマッチョたち本人も、街雄に感謝するようにそれぞれが得意とするポージングで応えていた。

 

「そうか……それなら良かった……皆さんが無事であれば……」

 

 当然ながら、皆の無事を街雄は笑顔で喜んでいた。だがその横顔には——僅かな憂いがあるようにも見える。きっと消滅してしまったプロポーションお化けのことを気にしているのだろう。

 プロポーションお化けが人々の筋肉を奪うという許し難い罪を犯した罪人といえども、同じく筋肉を愛したもの同士で、あれだけの死闘を演じた相手だ。

 ただの敵として憎み切ることは出来ない。その魂の今後などがどうしても気になってしまうのだろう。

 

「……街雄さん!!」

「……ん? どうかしたのかい、紗倉さん?」

 

 するとそんな街雄の寂しい気持ちを察してか。紗倉ひびきは元気溌剌、笑顔一杯に街雄に向かって声を掛ける。

 

「今日もご指導のほど……よろしくお願いします!!」

「おいおい……どうしたんだい、そんなに畏まって?」

 

 妙に畏まったひびきの態度に僅かに戸惑う街雄。ひびきはさらにニッコリと、八重歯がチラリと見えるチャーミングな笑顔を浮かべていく。

 

「へへへ……別にいつも通りだよ! だから街雄さんも……いつもみたいに色々教えてよ……ねっ!」

 

 そう、いつも通り。いつも通りでいいのだ。

 いつものように明るくマッチョな街雄鳴造の筋肉講座を受けたいと、ひびきはそのように彼を励ましていく。

 

「そうだね……今日もいつもと変わらず……トレーニングに励んでいこうか!」

 

 ひびきの気遣いに、街雄は微笑みを浮かべていた。

 完全にプロポーションお化けへの心残りを払拭したわけではないが、それでも今は自身の職務に集中すべきだと彼女の笑顔に教えられる。

 

「街雄さん!!」

「街雄さんっ!」

 

 朱美と彩也香も、街雄が自分たちの筋肉を導いてくれることを待ち望んでいる。

 彼女たちの期待に応えるためにも、街雄はこのジムのトレーナーとして彼女たちを指導すべく奮起する。

 

「それじゃあ! 今日は猫田さんにも分かるように解説を……って、あれ?」

 

 せっかくなので無料体験に来てくれている猫田に向けて、初心者にも分かるよう丁寧に解説しようと張り切っていく。

 

「……猫田さん、どこ行った?」

 

 だが、既にジム内のどこにも猫田——猫娘の姿はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ただいま」

 

 すっかり日も暮れた夜に、猫娘はゲゲゲの森へと帰還を果たす。

 

「やあ、お帰り……猫娘」

「随分と遅かったが……何かあったのかのう?」

 

 戻ってきた彼女をゲゲゲの鬼太郎と目玉おやじが出迎える。彼らは猫娘の帰りがいつもより遅かったことを気にし、それとなく何かあったのかと尋ねていた。

 

 その問いに対し——。

 

「——ナニモナカッタワヨ?」

 

 猫娘は無表情で答える。

 

「ベツニ……ナニモナカッタワヨ?」

「え……あ、ああ……何もなかったなら……うん……」

 

 猫娘のその返答に、色々と鈍感な鬼太郎も何かあったことは察する。

 

 しかし深く追求してはいけない。

 猫娘の死んだ魚のような目が、余計な詮索をすべきではないと鬼太郎に沈黙を保たせる。

 

 結局、その日。

 猫娘がどこで何を体験してきたのか、鬼太郎たちが知ることはなかった。

 

 

 

 

 ——…………。

 

 ——うん……今のままでいいや。

 

 ——胸が小さくても……筋肉なくてもいいや。

 

 そして猫娘自身も、シルバーマンジムの洗礼を前に色々と思考回路がパンク寸前。既に後半部分、何が起きていたのかも思い出せない。脳が自己防衛機能により、彼女の記憶をシャットアウトし始めたのだ。

 

 

 あの混沌とした時間を思い出さないためにも、猫娘は自身のバストアップに関してはとりあえず諦めた。

 

 

 そして以後。彼女があのジムに——シルバーマンジムに近づくこともなかったのである。

 

 

 

 




人物紹介

 紗倉ひびき
  主人公のギャル。常に何かを食べており、食った分だけ太っていく(それが普通です)。
  話の内容によっては時々バケモンになる。
  担当した声優・ファイルーズあいさん。これがデビュ作で主人公って……だいぶ凄すぎ。

 奏流院朱美
  超が付くほどのお嬢様。しかし重度の筋肉フェチ。
  筋肉以外のところでは……比較的まともと言えなくもない?

 上原彩也香
  ひびきのクラスメイト。実家がボクシングジムを経営している。
  それ関係なのか同作者が連載している『ケンガンアシュラ』との絡みを持ってくることがある。

 街雄鳴造
  シルバーマンジムのトレーナー。
  初見はただのイケメン好青年だが……中身はムッキムキのゴリマッチョ。
  一応、人間。一応は人間……念のため二度言っておく。

 プロポーションお化け
  本作だけのオリジナル妖怪。
  プロポーションお化けという掛け声の元となった妖怪……という設定。
  筋肉・妖怪で色々と調べたのですが、よさげな既存妖怪がいなかったのでオリジナルで創作してみました。
  
  

次回予告

「夜な夜な、何者かに連れて行かれる妖怪たち。どうやら人間たちの仕業のようですが……。
 父さん、これが彼らの総意なのでしょうか? それとも、一部のものたちの企みなのか。
 あの緑色の人たちは? 甲羅を背負っているようですが……河童ではないようです。

 次回ーーゲゲゲの鬼太郎『ヒーローはマンホールからやって来る』見えない世界の扉が開く」

 次回のクロス先、あえて秘密にしていますが……分かる人には分かるタイトルになっています。
 最近、この作品に関するゲームが出たり、映画アニメの発表があったりと、また賑やかになっていますね。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

拷問ソムリエ 伊集院茂夫

お久しぶりです、およそ一か月ぶりの更新です。
年末年始の忙しさや、風邪を引いていたこともあり遅くなってしまいましたが……二月になってようやく落ち着いたと思うので、小説の執筆を再開することになりました。

中途半端な時間での投稿になってしまいましたが、これも一刻も早く更新がしたかったから。次回からはまた元通り、九時投稿にしたいと思いますのでよろしくお願いします。

今回は本編の続きではなく。以前もどこかで予告していた通り、『ヒューマンバグ大学』との短編クロスオーバーをお送りしたいと思います。
原作はYouTubeにて配信されている漫画作品シリーズです。そこから今回は『拷問ソムリエ』の話をチョイスさせていただきました。
原作の雰囲気に合わせ、今作は伊集院視点の一人称で進んでいきます。


それから、これは個人的に語りたいことなのでここに書き記しますが……劇場版『機動戦士ガンダムseed freedom』観てきました!!

まさに二十年ぶりの同窓会、お祭り映画といった感じが最高だった!!
色々と語りたいポイントはありますが……何と言っても、シン・アスカが最高に良かった!!
今回の映画における最大の癒し枠、それでいてカッコいいところを惜しみなく魅せてくれた!!

シンが好きな人は是非劇場で彼の活躍を……それだけでも映画館に行く価値があります!!

 


 私の名前は、伊集院(いじゅういん)茂夫(しげお)

 人の道を外れた社会のゴミどもに無法の裁きを下す、拷問ソムリエだ。

 

 私の業が呼び寄せるのだろう。

 

「どうぞお掛けください。ご用件をお伺いしましょう」

「はい……」

 

 今日も心に闇を抱えた依頼者が事務所の門を叩く。

 目の前にいるのは年老いた一人の男性。生気のない顔つきではあるが——その瞳の奥には強い憎悪を宿していた。

 

 

「——私の家族を無惨に殺したあの化け物どもを……どうか地獄へ叩き落としていただきたい」

 

 

 貴一郎(きいちろう)と名乗ったその依頼者は元教師。現在は夜の繁華街を見回るパトロール活動——『夜回り先生』として、若者たちに親しまれている人物だった。

 夜の街に居場所を求める少年少女たち。彼ら彼女らが危険な目に遭わないようにと、その眼光を厳しく光らせていた。

 

「貴一郎先生! お疲れ様!!」

「お疲れ様じゃない。もう夜も遅いんだ、早く帰りなさい」

「はーい!! 今日は帰ります!!」

「またね! 先生!!」

 

 口うるさいながらも真摯に言葉を尽くす彼に、多くの少年少女たちがその心を救われてきた。彼の地道な活動は間違いなく、世のため人のためとなっていただろう。

 

 そんな依頼者にも、当然ながら愛すべき家族がいる。

 

「おじいちゃん、遊びに来たよ!!」

「おお!! よく来てくれたな、太一!」

 

 娘夫婦と、その間に生まれた孫の太一くん。

 既に病気で妻に先立たれていた依頼者にとって、まだ三つの太一くんの成長こそが何よりの楽しみだった。

 

「お父さん、もう歳なんだから……あんまり無茶しないでね?」

「お義父さん、今度一緒に飲みにいきましょう!」

 

 嫁いだ愛娘もその夫も、いつも幸せそうに笑顔を浮かべていた。

 暖かな家族だった。彼らなら自分が先立つことになっても逞しく生きてくれるだろうと。安堵した依頼者はますます夜回り先生の活動に邁進することになる。

 

 

 だが、そんなある日のことだ。

 

 

「な、何だお前たちは!?」

「夜回り先生の貴一郎だな? 一緒に来てもらうぜ!」

 

 いつものように夜回りをしている依頼者の前に、ボロボロの外套を纏った男たちが姿を現す。

 彼らは依頼者を拉致し、薄暗い地下室のような場所に彼を閉じ込めたのだ。

 

「お前たち、いったい何の真似だ! 何故こんなことを!?」

 

 椅子に縛り付けられながらも、威勢よく啖呵を切る依頼者。

 長年教職を務め、夜回り先生として時には半グレや暴力団といった連中を相手にするだけあってか、その程度で屈するような柔な精神力を持ち合わせてはいなかった。

 

 だが、そんな依頼者であろうとも——。

 

「お、お父さん!?」

「う……お、お義父さん……」

「お、おじいちゃん……助けて!!」

 

 自分と同じように地下室に連れて来られた娘夫婦、孫の太一くんを目の当たりにしたときには流石に動揺を抑えきれなかった。

 

「なっ!? お、お前たち……どうして!?」

「ひっひっひ!! さあ……お楽しみのショータイムだ!!」

 

 顔面蒼白になる依頼者を前に、外套を纏った男たちが下卑た笑みを浮かべながらその姿を晒していく。

 そのフードの下の素顔は——明らかに人間のそれではなかった。

 

「お、お前ら……まさか、妖怪か!?」

 

 そう、ボロボロの外套を纏ったその男たちは、一様に死人のように青ざめた顔をし、明らかに人ならざるものの雰囲気を纏った——本物の妖怪だったのだ。

 

「ひゃはっ!! いい女だなぁ……うへへへへ!!」

「おらっ!! 人間サンドバックだ!!」

 

 正体を現すや、妖怪どもは血に飢えた獣のように、依頼者の前で実の娘やその夫へと襲い掛かる。

 

「ぐはっ!? や、やめろ……!!」

「いやっ!! いやぁあああああああ!!」

 

 吊るした夫をサンドバッグにして殴り続け、その旦那の前で奥さんを陵辱する。

 

「や、やめろ!! やめてくれえええええ!!」

「パパ……!? ママっ……!?」

 

 悪夢のような光景を前に絶叫する依頼者。

 三歳の太一くんなど、目の前で何が起きているかを理解することも出来ず、その表情を絶望に凍りつかせていた。

 

 

 

「ふぃ~……久々にスッキリしたぜ!!」

「へへへ! 最高に気持ちよかったなぁ……人妻最高だぜ!!」

 

 そうして、何時間も掛けて妖怪どもの手により冒涜の限りを尽くされる夫妻。

 

「————」

「————」

 

 長時間に及ぶ辱めの果て、依頼者の愛娘とその夫はその場で息絶えてしまったという。

 

「そ、そんな……そんな馬鹿なっ……」

 

 絶望に打ちひしがれる依頼者。あまりの絶望に涙すら出てこない。精も根も尽き果て、正気を失ったように呆然と項垂れるしかないでいた。

 

 

「——オマエたち……随分と楽しんでいるじゃないか。このワシを差し置いて!」

「——が、ガゴぜ様!!」

 

 

 そのときだった。惨劇が繰り広げられた地下室に、一際異質感を纏った男がやってきた。

 

 他の妖怪どものようにボロボロの外套を纏った男だが、そいつを前に威勢の良かった連中が萎縮する。どうやら『ガゴゼ』と呼ばれたその男こそが、彼らのリーダー格のようだ。

 ガゴゼは自分を差し置いて楽しい思いをした手下どもに、ご機嫌斜めといった様子で迫っていく。

 

「ご、ご安心下さい、ガゴゼ様!! ガキの方は無傷で残しておきましたので!!」

 

 これは不味いと。手下の妖怪どもはすぐにガゴゼの御機嫌取りをしていく。それまで手を出さないでいた三歳の少年・太一くんをガゴセへと差し出したのだ。

 

「パパ……ママ……」

 

 両親の変わり果てた姿を前に太一くんは放心状態。心ここにあらずと虚空を見つめていた。

 

「ほう、これはこれは……うまそうな餓鬼ではないか、くっくっく……」

 

 そんな太一くんに、ガゴゼは悍ましく舌なめずりをしながら近づいていく。

 

 

「——や、やめろ!! 殺すなら私を殺せ!! その子に……孫には手を出さないでくれ!!」

 

 

 その瞬間、茫然自失としていた依頼者の瞳に光が戻ってくる。

 

 ——せめて、あの子だけでも……太一だけでも守らなければっ!!

 

 娘夫婦をすでに手遅れとなってしまったが、太一くんはまだ生きている。たとえ自分がどうなろうと、せめて孫にだけには生きていてほしいと。依頼者は己の全てを投げ打つ覚悟で叫んだのだ。

 

 しかし、そんな彼の覚悟を嘲笑うようにガゴゼは口元にいやらしい笑みを浮かべる。

 

「生憎と……貴様のような骨ばった爺の肉など、こちらから願い下げじゃ。それにお前さんには生き地獄を味わってもらわなくてはならんのでな……」

「なっ!? なんだって……!?」

 

 どういうわけか、ガゴゼたちの目的は依頼者を苦しめることにあった。

 先ほどから依頼者本人には一切危害を加えてこない。いったい、そこにどのような思惑があったのだろう。

 

 いずれにせよ、ガゴゼは依頼者をさらに苦しめるため——太一くんへと手を伸ばしていく。

 

 

「それに……子供を地獄に送ってやることこそがワシの業じゃからな、ふははははっ!!」

 

 

 そして笑いながら——太一くんを、生きたまま喰い殺したというのだ。

 

「お、おじいちゃん……助け……て……」

「た、太一!! そんな……う、うぉあああああああああああ!!」

 

 今際の際、虚な瞳のままでありながらも、太一くんは依頼者に助けを求めていた。

 貴一郎氏の悲痛な絶叫が、地下室に響き渡る。

 

 

 彼は僅か数時間の間に——大切なものを全て失ったのである。

 

 

「よかったじゃねぇか~、爺さん! あんたは無傷でおウチに帰れるぜ!!」

「せいぜい長生きするこったな! 可愛い可愛いお孫さんの分までよ! ヒャハハハ!!」

 

 その後、ガゴゼたちは宣言通りに依頼者を解放した。

 依頼者自身を無傷で返すことこそが、彼にとって何よりの苦痛だと理解した上で。

 

「あ……あ、ああっ………」

 

 事実、依頼者にはもう何も残されていなかった。

 彼は『何故自分一人だけが生き残ってしまったのか』という絶望、罪悪感に苛まれながらこの先の人生を生きていくしかないのである。

 

 

 

「…………」

 

 依頼者の話を聞き終え、私は暫し考え込む。

 

 妖怪——そう呼ばれているものが世間を騒がせていることは私も承知済みだが、まさかこのような形で彼らと関わり合いになるとは思ってもいなかった。

 薄汚い外道を人間だと思ったことはないが、本当に人間でないものを相手にするのは初めてかもしれない。仮に連中を相手取るとして、どのような方法を用いるべきかと私は思案を巡らしていく。

 

「…………伊集院さん」

 

 そのように深く考え込んでいたためか、依頼者は私が妖怪相手に尻込みしていると感じたのかもしれない。

 何としてでも私を説得しようと、自らの胸の内を正直に吐露していく。

 

「私も長いこと夜の街に関わってきた人間です。あなたの……拷問ソムリエの仕事がどのようなものか、多少は聞き及んでいるつもりです」

「!!」

 

 依頼者は夜回り先生としての活動の過程で、裏社会で囁かれる拷問ソムリエの存在を知ったという。

 

「私は……仮にも教育者だった身です。復讐などすべきではないと、子供たちに諭さなければならない立場の人間でしょう」

 

 未来ある少年少女たちに人として正しい道を歩んで欲しいと、依頼者は何十年と教鞭をとってきた。教師だった立場上、最初に拷問ソムリエのことを知ったときは、その存在に強く否定的だったという。

 

 復讐などすべきではない。たとえ罪を犯したものがいようと、その裁きは法の下で行わなければならないと。

 それが人として正しい『模範解答』だと子供たちを諭すだろうし、そうやって自分自身を納得させようとしたともいう。

 

「けど……無理だった!! 警察には妖怪の仕業だと訴えたのですが……今は彼らも大々的に動くことはできないと!!」

 

 妖怪との戦争以来、警察などの国家権力が妖怪を相手取るには慎重な対応が求められているという。

 政治的な判断というやつだ。少なくとも、依頼者のために警察が重い腰を上げることはなかった。

 

「それに……! 仮に奴らを捕まえることができたとしても……今の人間社会の法では、妖怪を裁くことはできないと言われてしまいました……」

 

 それに裁判を起こそうとしたところで、相手は妖怪だ。今のこの国に、連中を真っ当に罰する法律など存在しない。

 どう足掻いても、まともな手段では依頼者の無念を晴らすは出来ないのだ。

 

 いったいどうすればと、気が狂いそうなほどの葛藤の末——依頼者は拷問ソムリエたる私の元へ駆け込んできたのだ。

 

 

「——伊集院さん!!」

 

 

 次の瞬間、依頼者は床に擦り付ける勢いで頭を下げた。

 

「貴方にこのようなことを頼むのはお門違いだと分かっています!! ですが、私にはもう貴方にお願いする以外ないのです!!」

「貴一郎さん……」

 

 そのとき、依頼者の顔に『鬼』が宿る。

 

 

「——娘は、孫は……あの子たちは、私にとって未来への希望だった!! それを奴らは……嘲笑いながら殺したんだ!!」

 

「——どうして……あの子たちが、あんな惨たらしい殺され方をしなければならないんだ!!」

 

「——絶対に許せない!! あのケダモノどもを地獄に落としてくれるなら、私自身が地獄の業火に焼かれようと構わない!!」

 

 

 依頼者が発したのは、尽きぬ絶望と悲しみから生まれた憎悪の声。

 まさに命の灯火を燃やし尽くす勢いで吐き出された、怨嗟の絶叫だった。

 

 彼の震えるその手を振り払うなど、私には出来ない。

 

「わかりました、その依頼お受けいたします」

「生きていて……欲しかった! あの子らの行く末を……この目で見届けてあげたかった……!」

 

 その無念に応えないで、なにが『拷問ソムリエ』だ。

 

 

 

 何の罪もない人々を殺し、その死を嘲笑う鬼畜外道のケダモノめ。

 妖怪だろうと何だろうと関係ない。

 

「——貴様らには地獄すら生温い。この伊集院が……本物の生き地獄を教えてやる!!」

 

 この世に生まれてきたことを、後悔させてやるぞ。

 

 

 

×

 

 

 

 依頼者を見送った後、私は情報屋の伍代(ごだい)へコンタクトを取った。

 

 正直なところ、今回ばかりは彼の元にも情報はないと思っていた。伍代は優秀な情報屋だが、下手人は妖怪。流石に彼の手に余る案件だと考えていた。

 しかし、私の予想とは裏腹に——。

 

「ああ、その件なら既に知っているよ。ガゴゼとかいう妖怪グループが絡んでいる件だろ?」

 

 なんと、伍代はすでに依頼者の事件の情報を掴んでいたのだ。この男、陰陽師か何かと繋がっているのかと驚いたものだが——それには理由があった。

 

「単刀直入に言うが、今回の事件……実行犯は妖怪だが、奴らを雇ったのは人間だ」

「ほう……」

 

 なるほど、結局はいつもの如く人間の皮を被った外道どもの仕業というわけか。

 

「連中を雇っているのは、ここ最近になって関東に進出してきた鬼原組だ」

 

 伍代の話によると鬼原(きはら)組は活動資金を得るため、夜の繁華街で少女たちの売春やクスリの売買などの悪行に手を染めていたらしい。

 

「へっへっへ! こりゃ、いい女だな!!」

「こいつを吸えば一発でハイになれるよ!!」

 

 罪なき人々を食い物にする。どうして外道のやることはいつも似通ってくるのだろうか……虫唾が走る。

 

「お前たち、そこでなにをしている!!」

「やべっ! 貴一郎だ!!」

「くそっ! 一旦ズラかるぞ!!」

 

 しかしそんな連中の悪行に、真っ向から向かっていったものがいた。それこそ、今回の依頼者——夜回り先生としての使命感に燃えていた貴一郎氏だったのだ。

 依頼者が夜の街で目を光らせていたことで、未成年の少年少女たちは守られていた。しかしそれにより、鬼原組は少なからず損害を被ったという。

 

「目障りな貴一郎め……この俺に楯突いたこと、地獄で後悔させてやるぞ!」

 

 それに腹を立てていたのが——鬼原組の組長、毒山(ぶすじま)という男だ。

 依頼者を目障りに思った奴が、雇い入れていた妖怪グループに依頼者の家族を彼の目の前で殺すように命じたのだという。

 

「ガゴゼ、貴一郎の家族を奴の目の前で殺せ……奴は生かしておいてやれ、一人生き残る苦しみを存分に味合わせてやるんだ!」

「ふはははっ! 任せておけ!!」

 

 それがどれだけ依頼者を苦しめるかを理解した上で、あえて貴一郎氏は生かしたということだ。

 

 

 

「連中なら、空龍街の郊外に屋敷を構えてる。奴の身柄を抑えるのなら急いだほうがいい……」

 

 そうして、伍代は連中の本拠地も教えてくれたが、それと同じくらいに『重要な情報』を伝えてくる。

 

「実は今回の件……天羽組も絡んでるんだ」

「天羽組だと……? 何故彼らが?」

 

 その名を聞き、私も虚を突かれた。

 

 天羽(あもう)組——空龍街(くうりゅうがい)を拠点とする極道組織、関東でも屈指の武闘派集団だ。

 天羽の組長は仁義を重んじる人柄で知られている。それに、あそこの組員たちが妖怪なんてものの手を借りるほど、腑抜けているとは思えないが。

 

「別に複雑な話じゃない、鬼原組が天羽組に喧嘩を売ってるってだけの話でね」

 

 実際、絡んでいるといっても、それはあくまで『敵対関係』とのことだ。

 元々、鬼原組が妖怪グループを味方に引き込んだのも、天羽組に対抗するためだとか。人ならざるものの力を借りれば、人間の極道など敵ではないと考えたのだろう。

 その力を持って、鬼原組は天羽組のシマである空龍街の利権を奪おうと画策しているのだ。

 

「喧嘩を売られた天羽組も、鬼原組の壊滅に乗り出してね……早ければ、今夜にでも行動を起こすだろう」

「むっ、それは不味いな……」

 

 天羽組が妖怪相手に遅れを取るとは思っていない。それどころか、あそこの武闘派構成員たちであれば——逆に妖怪共など、皆殺しにしてしまうかもしれない。

 

 依頼者の願いを叶えるためにも、連中には死よりも壮絶な苦痛を与えなければ。

 天羽組が動き出すよりも先に、依頼者の家族を殺すように命じた毒島と、実行犯であるガゴゼとその手下共の身柄は確実に抑えなければならない。

 

 

 

 その夜、私は助手の流川(るかわ)くんを連れ、鬼原組が居を構えている郊外の屋敷へと足を運んだ。

 

「屑の分際で……随分とデカい屋敷に住んでるじゃないか」

「はい、先生!! 外道に似つかわしくない、分相応な邸宅です!!」

 

 いったい、どれだけの人々から財をむしり取って建造した建物なのか。しかし、これだけ広ければ侵入も容易だ。

 

「監視カメラも、見張もなしとは……随分と不用心だな」

 

 隠形にて気配を絶った私と流川くんは、痕跡を残さぬよう屋敷内への侵入を果たす。

 庭先や玄関にも見張りの類はいなかったが——廊下を歩いていると、下卑た男たちの笑い声が大広間らしき場所から聞こえてくる。

 

「——ギャッハッハッッハ!! 今夜は無礼講だぜ!!

「——天羽組の連中さえ潰せば、空龍街は俺たちのもんだ!!」

「——フッハッハ! 任せとけ、人間など一捻りよ!!」

 

 大広間では鬼原組の構成員と思しき男たちと、ボロい外套を纏ったものたちが品性なく酒を煽っていた。外套を纏った連中をよくよく見れば、それが人間でないことが分かる。

 

 鬼原組が天羽組を潰すために雇い入れた、妖怪グループの連中だろう。

 

「なんと喧しい、これでは獣畜生と大差ないではないか」

「はい、全くもって不快な光景です」

 

 人間だろうと妖怪だろうと関係なく、外道がゲラゲラと下品に笑い声を上げる宴会など醜悪極まりないものだ。だが生憎と、今はこのような雑魚どもに構っている暇はない。

 伍代の話によれば、天羽組の連中が今夜にでも動き出すとのこと。彼らが介入してくる前に迅速に標的を確保しなければならない。

 

 私たちは気配を絶ったまま、馬鹿騒ぎが続く大広間の横を静かに通り過ぎていく。

 

 

 

 そうして、さらに屋敷の奥へと進んでいく私たちだったが、大広間の喧騒が徐々に遠のいていったそのとき——。

 

「——なんてことしてくれやがったんだよ! あんたたちは!!」

 

 屋敷の奥から、何者かの怒声が響いてくる。

 

「……なんでしょう、先生?」

「ふむ……」

 

 怒声が聞こえてきたのは屋敷の一番奥——標的がいるであろう、鬼原組の組長室であった。

 我々は気配を絶ったまま、その部屋の中を覗き込む。

 

「どうした、ねずみ男? 何をそんなに怒ることがあるというのだ? くっくっく……」

 

 部屋の奥には、でっぷりと醜く腹の出た男が椅子の上で踏ん反り返っていた。おそらく、あの男が組長の毒島だろう。

 

「そうだぞ、ねずみ男……お前が騒ぐようなことではない」

「ヘッヘッへ……」

「ふへへへ……」

 

 そして、毒島の傍に死人のように青ざめた顔色の男たちが、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべていた。

 大広間で見た妖怪どもと似たような風貌ではあるが、連中とは存在感からして違う。

 

 それなりに上位の存在なのだろう、特にリーダーと思しき男の纏う空気。きっと奴こそが妖怪グループのリーダー格・ガゴゼ。

 太一くんを生きたまま喰い殺したという、外道妖怪どもの主犯格だ。

 

「先生……あの男、ねずみ男と呼ばれていますが?」

「ああ、名前を聞いたことはあるな」

 

 そんな中、我々の視線が毒島やガゴゼたちと対峙している——ボロい布切れを纏った一人の男へと向けられる。

 

 

 その男は、ねずみ男と呼ばれていた。

 ねずみ男といえば、裏社会でもちょっとした有名人だ。その筋の人間相手に平然と借金を踏み倒し、いつの間にか逃げおおせていたり。どこからか妙な人材を紹介しては、世間を騒がせるような事件を起こし、自身はぬけぬけと姿を晦ましたりと。

 年齢不詳。長年、裏社会で上手いこと立ち回っていることから、聞くものが聞けばピンとくる名前である。

 

 

「話が違うぜ、毒島さん!! あんたたちがヤクザ同士の抗争で人手がいるっていうから、こいつらを紹介したんだ!!」

 

 ねずみ男は、毒島相手に啖呵を切っていた。話を聞く限り、どうやらガゴゼたちと鬼原組を引き合わせたのはあの男の手引きによるもの。

 

「それなのに……抗争とは何も関係ねぇ、一般人を殺させるなんて……!!」

 

 だがねずみ男は、自身の紹介した人材が一般人——貴一郎氏の家族を手に掛けたことに憤慨していた。

 

「こんなことして、あいつが黙っているわけがねぇんだ!!」

 

 その怒りは倫理観からくるものか。それとも『あいつ』とやらの介入を恐れているからだろうか。

 

「先生、そろそろ……」

「ああ、そうだな」

 

 もう少し話を聞いていても良かったが、これ以上時間を浪費するわけにはいかない。私たちはコソコソするのをやめ、ターゲットを確保するため組長室へと乗り込んでいく。

 

 

 

「こんばんは、外道さん」

「さあ、地獄に落ちる時間ですよ!!」

 

 我々が礼儀正しい挨拶で姿を現すと同時に、ガゴゼ配下の妖怪どもが身構える。

 

「な、なんだ、テメェら!?」

「どうやってここまで……!?」

 

 連中は、私たちが音もなくここまでやって来たことに驚いていた。この程度の隠形にも気づけないとは、妖怪が聞いて呆れる。

 

「き、貴様……まさか、拷問ソムリエか!?」

 

 すると、私の顔を見た毒島が露骨に青ざめた表情になる。腐っても、一組織を纏めるだけあって拷問ソムリエの存在については知っているらしい。

 

「ご、拷問ソムリエだって!? ひぃ、ひぃええええええ!!」

 

 ついでに、ねずみ男もこれでもかというほど恐れ慄いていた。

 

「落ち着け!! 何が拷問ソムリエだ……所詮は人間に過ぎん、ワシに任せておけ!」

 

 しかし、妖怪グループの親玉であるガゴゼは微塵も狼狽えた様子がなく、我々を迎え撃つべく前へ出てくる。その立ち振る舞いは親玉なだけあって、不気味な存在感を匂わせている。

 

「流川くん、ここは私がやろう」

「お願いします、先生!」

 

 相手が妖怪という未知数な相手なこともあり、今回は私が連中と矛を交える。流川くんには下がるように言い、私が一歩前へと出る。

 

「くっくっく……しゃあああああ!!」

 

 私と対峙するガゴゼは、余裕綽々といった態度で真正面から襲い掛かってきた。その動きは確かに早い。並の人間を凌駕するものであったことは事実だろう。

 

「ふっ!!」

 

 ガゴゼの攻撃に対し、私は用心のため回避に専念する。

 相手は妖怪。身体から毒を放出したり、口から火を吐いてきたりなど。どのような奇行に出ようと対処できるよう、全神経を集中してその出方を伺っていく。

 

 

 

「…………なんだこれは?」

 

 だが時間が経つにつれ、私の用心がなんの意味もないことだったと分からせられる。

 

 ガゴゼの身体能力は確かに並の人間を越えるものだが、その挙動自体はまるで素人だ。

 身体の効率的な動かし方や、相手の動きを読む駆け引きなどがまるでなっていない。おまけに毒や火炎といった、異形のものらしい手段で攻撃してくる素振りすらない。

 まともな徒手空拳ですら扱えない奴の戦いようは、まさに猪突猛進。猪のそれと何ら変わりがないものだ。

 

「くっ!! こ、こいつ……何故、動きが捉えられない!?」

 

 そして、焦燥するガゴゼの態度からも察せられるように、それが奴の本気の実力によるものだということが分かる。

 下手に演技している様子もない。どうやら私は、このガゴゼという妖怪の戦闘能力を買い被っていたようである。

 

「時間の無駄だったな……ふん!!」

「ぐぇええええ!?」

 

 これ以上は警戒していても無意味だと判断した私は、特殊な歩法で一気に間合いを詰め、ガゴゼの顎に掌底を喰らわす。

 その一撃を避けることも出来ず、ガゴゼは呆気なく悶絶。

 

「おら、足元がお留守だ」

「グギャアアアアアアア!?」

 

 さらに倒れようとする奴の足に、ダメ出しのローキックを見舞う。ある程度加減したつもりだったが、ポッキリと骨が折れる音と感触があった。

 なんと脆い。所詮は弱い者を一方的になぶるしか出来ない、雑魚でしかなかったということか。

 

「ば、馬鹿な……こ、こんなことが!?」

 

 為す術もなく倒されるガゴゼの姿に毒島が狼狽する。せっかく雇い入れた妖怪も、ただの張りぼてに過ぎなかったことを思い知ったようだ。 

 

「き、貴様……よくもガゴゼ様を!!」

「ぶっ殺してやる!! しゃああああ!!」

 

 親玉であるガゴゼを倒されたことで、狼狽えながらも配下の妖怪が二体同時に襲いかかってくる。その動きは明らかにガゴゼに劣るものであり、やはり特殊な能力を発揮する素振りすらない。

 

「くだらんな。下衆な妖怪がいくら群れでこようと……」

 

 二対一なら勝てるとでも思っている馬鹿な外道どもを迎え撃つべく、私は拳を構える。

 

 

「——先生、危ないです!!」

「——むっ!?」

 

 

 だがそのときだった。

 後ろで控えていた流川くんの警告と共に——後方から、高速で何かが飛来してくる。その物体は私のすぐ横を通り過ぎ、私に飛び掛かってきた二体の妖怪どもを迎撃した。

 

「ぐえっ!?」

「ふぎゃ!?」

 

 呻き声を上げながら倒れ伏す妖怪ども。彼らを悶絶させたのは——二足の下駄であった。

 空中を浮遊するその下駄は、まるでリモコンで操作されているかのように動き回り、やがては持ち主の元へと帰っていく。

 

「い、いつの間に……全然、気配を感じなかった」

 

 その下駄の持ち主は、流川くんのすぐ横に佇んでいた。その人物の気配を察知することができなかった事実に流川くんは驚いていたが、その少年が相手であればそれも仕方がないかもしれない。

 そう、彼は年端もいかない『少年』だった。しかしその少年のことを、私を始めとした大多数の日本国民が知っているだろう。

 

「キミは……」

 

 数ヶ月ほど前、この国の危機を救ったヒーローといっても差し支えのない活躍をTV画面を通して見せた妖怪の少年。

 

「こんばんは、ゲゲゲの鬼太郎です……」

 

 ゲゲゲの鬼太郎、その人である。

 

 

 

「げっ!! き、鬼太郎……」

 

 鬼太郎くんの姿を目にするや、ねずみ男が顔面から大量の汗を流し始める。どうやら、この男が恐れていた『あいつ』とは彼のことだったようだ。

 

「ねずみ男、お前はまた人間に被害を……」

 

 鬼太郎くんは厳しい顔つきでねずみ男へと詰め寄る。

 妖怪でありながらも人助けをしているという噂のある少年だ。人様に迷惑を掛けた知人を責めるその瞳はどこまでも冷たく、それでいて苛烈な怒りを秘めていた。

 

「ま、待ってくれよ……鬼太郎!! 俺はただ人材を紹介しただけなんだ!! この毒島って男に……!!」

「!!」

「ヤクザ同士の抗争で戦力が欲しいからって……そしたらこいつ、その人材で一般人に手をかけやがったんだよ!!」

「ね、ねずみ男……貴様っ!!」

 

 すると、ねずみ男は鬼太郎くん相手に必死になって弁明する。

 自分はあくまで人材を紹介しただけであり、勝手な真似をした毒島こそが諸悪の根源だという。責任を押し付けられた毒島は憤慨するように顔を真っ赤にした。

 

 なんとも醜い言い争いだが、ねずみ男が毒島相手に食ってかかっていた現場は私も目撃していた。それに、ねずみ男は今回の標的に含まれていない。

 

 我々のターゲットは——貴一郎氏の家族を無惨に殺した実行犯と、それを指示した毒島である。

 

「おい、いつまでくっちゃべってやがる。テメェらの内輪揉めにつきやってやるほど、こっちは暇じゃねぇんだよ」

「き、貴様……いつのまにか!? ぐぇええ!?」

 

 奴らが話し込んでいる間にも、私は毒島の背後へと回り込み、その首を締め上げ奴の意識を刈り取っていく。

 

「流川くん、そこの外道二匹を頼む」

「承知しました、先生!!」

 

 私はそのまま毒島と、瀕死状態になっているガゴゼを。流川くんには鬼太郎くんが倒した手下二人を運ぶように指示する。

 

 

「待ってください……彼らをどうするつもりですか?」

 

 

 すると我々の行動に鬼太郎くんが口を挟んできた。彼の疑問に私は誤魔化すことなく正直に答えを返す。

 

「知れたこと、私は拷問ソムリエだ。こいつらには、地獄以上の苦しみを味わった末に死んでもらわなければならないのだ」

「…………それは、貴方がやるべきことではない筈です」

 

 私の答えに対し、鬼太郎くんは明らかに難色を示した。

 

「妖怪であるガゴゼの不始末は、ボクたち妖怪が片付けます。その人間も……悪さをしたのであれば、法の下で裁くべきではないのでしょうか?」

 

 鬼太郎くんは妖怪同士のゴタゴタは妖怪同士で。毒島の罪も、正しく法の下で裁けと綺麗事を言ってのける。

 

 子供だな……率直にそう思った。

 それなりに長く生きている妖怪といえども、その精神性は見た目通りまだ子供のようだ。

 

「今のこの国の法で、こいつらを正しく裁くなど出来ない。それに、こいつらの始末を被害者遺族が望んでいる。彼らの望みに応えることこそが……我々拷問ソムリエの存在意義だ」

 

 鬼太郎くんの綺麗事に私は毅然と答えた。

 

「…………ですが……」

 

 私の言葉に思うところはあるのだろう。それでも、鬼太郎くんは私の考えを改めさせようと何かを口走りかける。

 

 

 そんな彼に——私は強烈な圧をぶつけた。

 

 

「——よく聞け、小僧」

 

「——世の中には、生きていてもどうしようもない外道ってのがいるんだよ」

 

「——こいつらを生きている一分一秒が、被害者遺族たちにとっては苦痛でしかない」

 

「——彼らの怒りを、恨みを何兆倍にしてでもその臓腑に焼き付け、こいつらに己の犯した罪の重さを分からせる」

 

「——それを阻もうというのであれば……小僧といえども、容赦はせんぞ?」

 

 

「ひょぇえええええええ……」

 

 私の圧に当てられたためか、鬼太郎くんに擦り寄ろうとしていたねずみ男が泡を吹きながら気絶していく。なんとも肝の小さいことだ。

 

「——っ!!」

 

 一方の鬼太郎くんは、たじろぐ様子こそ見せたものの、なんとかその場に踏みとどまった。このプレッシャーに耐えるとは、それなりの修羅場を潜ってきたのだろうと僅かばかり感心する。

 

「…………わかりました」

 

 暫しの間考え込む鬼太郎くんだったが、私の言葉の重みを理解したのだろう。気絶したねずみ男を抱え、我々の前から立ち去ろうとする。

 

「ですが……貴方たちの行いは、決して許されることではありません」

 

 だが、彼は立ち去る間際にこの私に忠告を入れてくる。

 

「どんな理由があろうと、人を殺したという罪は決して消えない。その罪はあなた方の死後、地獄にて閻魔大王によって裁かれることでしょう」

「ほう……」

 

 流石妖怪というだけあってか、地獄の裁判官・閻魔大王とも顔見知りらしい。

 外道相手に閻魔の遣いを名乗ることもある私だが、本物が存在することまでは預かり知らぬこと。しかし——。

 

 

「望むところだ」

 

 

 関係ない。たとえ本物の閻魔にその罪を咎められることになろうとも、この伊集院が外道どもの裁きを止める理由にはならない。

 

「被害者たちの無念は誰かが晴らさねばならない。その助けとなれるのであれば、私は喜んで地獄に落ちよう」

「ゆめゆめ……忘れないで下さい」

 

 最後にそう言い残すや、鬼太郎くんは亡霊のようにその場から消え去っていった。

 

 

 

「フッ……良かったな、流川くん。我々が地獄に落ちることを、他でもない妖怪の鬼太郎くんが保証してくれたぞ」

「そうですか!! なら、一人でも多くの外道を道連れにしなければ行けませんね!!」

 

 鬼太郎くんが立ち去った後、私は茶化すように流川くんに地獄送りのことを口にしたが、彼はその事実を平然と笑顔で受け止めた。

 彼もこの道を進むと決めたときから、自らが煉獄に焼かれる覚悟を決めていたのだ。今後の活動に逃げ腰になるかと思ったが、無用な心配だったようだ。

 

 

 

×

 

 

 

 そうして、我々は毒島とガゴゼ、その手下二人を拷問室へと運び込んだ。

 

「いつまで寝てる、さっさと起きろ」

 

 準備が終えたところで早々に連中を叩き起こす。外道に安息の時など、一秒たりともくれてやるつもりはない。

 

「ぎゃあああああああああ!?」

「あちぃいいいいいいいい!?」

「熱した油です!! 妖怪でもこれはキツイですよ!!」

 

 みっともない悲鳴を上げながら目を覚ました奴らは、周囲の状況を見てギャンギャンと騒ぎ出す。

 

「う、動けない!? き、貴様ら……これはなんの真似だ!?」

「こ、こんなことして……ただで済むと思っているのか!?」

 

 毒島とガゴゼたちは無機質なベッドに仰向けに寝かしてあり、その身体は動けないよう厳重に拘束してある。そんな状態でありながらも、連中は強気な態度を崩そうとしない。

 

「わ、ワシの手下どもが貴様らに報復しにくるぞ!!」

「そ、そうだそうだ!! 俺の組員たちが……鬼原組の面々が黙っちゃいねぇぞ!!」

 

 連中は自分たちの組織力を鼻に掛けて脅しをかけてきた。数に頼れば勝てるなどと、なんとも情けないことだが——生憎とそれは無理な話だ。

 

「残念だが、それは不可能だ」

 

 何も知らない奴らの心をへし折っておく意味も込めて、私は大事なことを伝えておくことにした。

 

「お前たちご自慢の手下どもは……もう全員、この世にはいないぞ」

「へっ……?」

「は……? え……な、何を言って…………」

 

 私が告げた言葉の意味を理解出来なかったのだろう、奴らは間の抜けた顔で固まる。

 

 だが、これは紛れもない事実だ。

 鬼原組の組員も、ガゴゼの妖怪グループも——全て、天羽組の手によって壊滅した。

 

 

 

 そう、我々が毒島やガゴゼを屋敷の外へと運び込んだ、その直後だ。伍代が警告していた通り——天羽組が鬼原組へと殴り込みを掛けてきたのだ。

 あと少し遅ければ、私たちもその襲撃に巻き込まれていただろう。屋敷から離れた高台から、我々はその光景を眺める。

 

「外道どもが……今日がテメェらの命日じゃ!!」

「な、なんだぁああ!? て、敵襲!?」

「うぉおお!? あ、天羽組だ!!」

 

 威勢よく真正面から鬼原組の正門を蹴り破る、天羽組の先兵——あれは小峠(ことうげ)華太(かぶと)か。天羽組の中堅極道。最近では武闘派のヤクザとしてそれなりに名を上げてきている。

 もっとも、流石に妖怪が混じっている鬼原組を相手取るに彼だけでは荷が重い。それを分かっているからこそ、天羽組は戦力を揃えてきた。

 

「——そのどぶクセェ腹を掻っ捌いてやるぜ!!」

「——スリルスリル!! 今日の星占いは一位!! 負ける気がしない!!」

「——魑魅魍魎……人の世に蔓延る亡者は地に還るがいい!!」

「——グリングリーン!! この世に生きる喜び!!」

「——無駄無駄無駄無駄野田!!」

 

『ドスの工藤』『バイティング須永』『日本刀の和中』『アーミーナイフの小林』『アイスピック野田』と、そうそうたる面々だ。

 

「組長、敵襲です!! ……組長!?」

「ガゴゼ様が……い、いない!?」

「ま、まさか……逃げたのか!?」

 

 慌てて応戦しようとする鬼原組の組員と妖怪たちだが、そのときになってようやく自分たちの親玉がいなくなっていることに気付いたようだ。

 司令塔を失い、浮き足立つ連中を天羽組は容赦なく蹂躙していく。

 

「ひっ!! なんなんじゃ、こいつらは!?」

「ば、化け物っ!!」

 

 常人離れした天羽の狂人たちを前に、妖怪である筈のガゴゼの配下たちが怯え戸惑っている。

 やはりというか、所詮は烏合の衆に過ぎなかった妖怪たちが、瞬く間に蹴散らされていく光景は遠目から見てもなかなかに壮観なものだ。

 

「うわぁ……どっちが妖怪か、分からなくなりそうです……」

 

 私と一緒にその光景を眺めていた流川くんも唖然となっていた。

 

 

 

「そういうわけだ。残念だがお前たちを助けにくるものなどいない」

「そ、そんな……俺の鬼原組が……」

「う、嘘だ……ワシの部下たちが……誰よりも殺してきた最強軍団が……」

 

 こちらの話に毒島やガゴゼたちが信じられないと首を振るが、私からすれば当然の帰結だ。あの程度で最強軍団など笑わせてくれる。天羽組は始め、裏社会にはガゴゼたちなどよりも凄まじい強さを秘めた人間たちがゴロゴロいるのだ。

 まさに井の中の蛙大海を知らず。ガゴゼたちがどれだけ小さな世界で生きてきたか、容易に想像が付くというものだ。

 

「さて、私が貴様たちに問いたいのは一つだ」

 

 だが、そんな壊滅した組織のことなどもはやどうでもいい。

 

「——毒島、貴様は己の邪魔をしたという身勝手な理由から、何の罪もない貴一郎氏の家族をガゴゼたちに殺すよう命じた」

 

「——ガゴゼ、お前たちは人間たちを欲望のまま蹂躙し、あまつさえ幼子である太一くんを生きたまま喰い殺すなどという鬼畜な所業に出た」

 

「——被害者や遺族に申し訳ないと思わんのか?」

 

 どんな外道が相手でも、悔恨の念があるかを問うのが私のポリシー。

 自分たちを助ける者がいないと分かったこの状況なら、少しは殊勝な言葉が聞けるかとも思ったが——。

 

 

「な、何だと!! 元はといえば、貴一郎の奴が俺の商売を邪魔しやがったのが悪いんじゃねぇか!!」

「けっ! くだらねぇ!! 人間の一人や二人、殺したからなんだって言うんだ!!」

「人間なんざ、俺たち妖怪の餌でしかねぇんだよ!!」

「一人でも多くの子供を地獄に送る……それが妖怪としてのわしの業じゃぞ!! 何が悪い!!」

 

 

 返ってきたのは聞くに耐えない、醜悪で身勝手な理屈だった。よく分かった。ガゴゼたちは勿論だが、毒島……テメェも人間じゃねぇ。

 

「よくほざいた……やるぞ、流川!!」

「はい!! どう考えても、こいつらに生きる資格はありません!!」

 

 私の指示で流川が今回の拷問のために用意してきたものを取り出す。

 それは四十センチほどの鍋だ。鍋の中には——大量のネズミがぎっしりと敷き詰めてあった。

 

「な、なんだそれは……何をする気だ!?」

「ひぃっ!? や、やめろ……そんなもの近づけるな!!」

 

 まずは仰向けに寝かせていたガゴゼの配下たち二人の腹の上に、ネズミが敷き詰められたその鍋を上下逆さまにして被せて固定していく。

 腹の上でネズミが動き回る感覚は不快以外のなにものでもないが、当然この程度で終わるわけがない。

 

「さあ、ここからが本番だ!」

 

 次にねずみが入った鍋の上で火を焚く。すると徐々に鍋の温度が上がっていくにつれ、ネズミたちが激しく動き回り始めた。

 完全に密閉状態なのだからネズミたちに逃げ場はない。だがこのままでは熱さで死んでしまう。

 

 閉ざされた空間の中、ネズミたちが生き残るため最後に選んだ逃走経路——それこそ、連中の『体内』だ。ネズミたちは熱さから逃れようと、妖怪どもの腹を食い破り、その身体の内部へと侵入し始めたのだ。

 

「ひっ!! ひぎゃあああああ!? やめ、やめてクレェえええええええ!!」

「腹が……腹が食い破られる!!」

 

 ねずみによって生きたまま腹を喰われる感覚を味わい、狂ったように身悶えする妖怪ども。

 

「あわわわ……」

「ぐ、ぐぐぐ……」

 

 その光景を間近で見せられ、毒島やガゴゼたちが青ざめた表情になっていく。そうだ、今のうちにしっかりと目に焼き付けておけ。この後、貴様らにも同じ目に遭ってもらうのだからな。

 

 

 この『ネズミ拷問』はその名の通り、ネズミを使って行われる拷問だ。

 いつの時代、どのような場所でもネズミは不浄で厄介者として扱われてきた。そのため、罪人を苦しめるための拷問によく多用されるのだ。古代中国や古代ローマの時代から、既にこのような拷問方法が確立されていた。

 

 

 妖怪どもの体内へと侵入したネズミたちは、勢いを衰えぬままその内臓を食い破っていく。過去に経験したこともないだろう痛みに、狂ったように悲鳴を上げ続ける妖怪ども。

 

 だが、そう長くない内に——ほぼ同時に二匹の妖怪が、糸が切れたように動かなくなってしまったのだ。

 

「なんだと? もう死んでしまったのか!! なんと脆い……もっと苦しめるだろうが!!」

 

 これには私も率直に驚いた、連中のあまりの脆弱さに。

 この程度でくたばるなど、許されると思っているのか。貴様らはもっと苦しんで、のたうちまわりながら死なねばならないのだぞと、腹の底から怒りが込み上げてくる。

 

 だがそうして憤っている私の前で、不可思議な現象が起きた。

 事切れた奴らの肉体が、次の瞬間——霞のように消え去ってしまったのだ。

 

 連中の肉体に潜り込んでいたネズミたちが行き場を失い、地面へと放り投げられていく。

 

「ああ!! ネズミたちが逃げてしまいます!!」

「……なんだこれは?」

 

 この現象を前に流川くんは慌てふためきながら、逃げ回るネズミたちを回収していく。いったい、これはどういうことかと私も眉を顰めた。

 

「ふ……ふへへへ……!! ワシら妖怪は死なん!! たとえ肉体が滅びようと……その魂が無事である限り何度でも蘇ることが出来るのさ!!」

 

 すると呆気に取られる我々を嘲笑うように、表情を引き攣らせながらもガゴゼがほくそ笑んだ。

 ガゴゼ曰く、妖怪とは不滅の存在であり、その魂が無事であれば何度でも肉体を復元することが出来るというのだ。

 

「むっ……!?」

 

 奴の言葉を裏付けるように、青白い塊が二つ。ふわふわと空中を漂っている。これが妖怪の魂というやつなのだろう、暫くするとその魂が拷問室の壁をすり抜け、どこぞへと消え去ってしまった。

 

 私は陰陽師でもなければ、超能力者でもない。

 魂などというものを前にどのような手を打てばいいのか、流石に皆目見当も付かなかった。

 

「覚えていろ!! たとえ、ここで肉体を失おうと……ワシは必ず蘇る!! そして貴様に……人間どもにたっぷりと復讐してやるぞ……ふふふ、ふははははっ!!」

「せ、先生……」

 

 妖怪としての自身の優位性を思い出したのか、再び強気になったガゴゼ。たとえここで死んでも、いずれは蘇って私や関係ない人々に牙を剥くというのだ。

 これにはどうしていいか分からず、流川くんも戸惑っていた。

 

 

 だが、私の考えは違う。

 

 

「なるほど……それを聞いて安心したぞ」

「ははは……はっ?」

 

 私の言葉にガゴゼの馬鹿笑いが止まる。

 そんな奴の顔面へと顔を近づけ——私は最大級の圧を込めて囁いた。

 

 

「——てめぇこそ覚悟しろ。貴様が何度でも蘇るなら、その度に何度でも殺すだけだ」

 

「——一度や二度で許されると思うな。貴様の魂とやらがズタボロになるまで、何回でも何十回でも、何百回でも地獄の苦しみを味わせてやる」

 

「——たとえ私が寿命で死のうとも、拷問ソムリエという存在は決して消えん」

 

「——その意思を継ぐものたちが、お前という存在を永遠に殺し続ける」

 

 

 復活できるから何だというのだ。妖怪が不死身だというのなら、蘇るたびにとっ捕まえて殺すだけ。

 どこへ逃げても無駄だ、拷問ソムリエは私以外にも世界中に存在する。それに私が死んだとしても——きっと流川くんが私の後を継いでくれるだろう。

 

「ガゴゼ、我々拷問ソムリエに目を付けられた時点で、貴様の命運は確定したんだよ」

 

 貴様はこの先一生、私たちから殺され続ける。

 この世界が終わるその瞬間まで、貴様に安らぎのときなどあると思うなよ。

 

「あわわわわ……」

 

 私の言葉の意味と重みを理解したのだろう、顔面蒼白になるガゴゼの口から情けない声が溢れていく。

 

 

 

「ま、待ってくれ!! お、俺は人間だ!! 死んだら終わりなんだ……頼む、助けてくれ!!」

 

 するとガゴゼを脅し付けていたその横で、毒島がみっともなく命乞いを始めた。

 人間である自分は妖怪のように蘇ることなど出来ない、だから助けてくれと。随分と調子のいいことを口にしているが——私の答えは既に決まっている。

 

「そうだ、人間は死んだら終わりなんだよ。テメェが殺すように命じた貴一郎さんの家族は、もう二度と帰ってこない」

 

 そう、人間は——貴一郎さんの大切な家族は決して蘇ったりなどしない。

 それなのに毒島はガゴゼに彼らを『殺せ』などと、事もなげに吐き捨てたのだ。限られた人生を懸命に生きる人々を踏み躙った貴様に、救いなどあると思うな。

 

「貴様は一度しか殺せないんだ。ゆっくり、じっくりと時間を掛けて殺してやる。少しでも長生きできるよう……神様にでも祈るんだな」

「そ、そんな……」

 

 絶望する毒島を尻目に、淡々と拷問の準備を進めていった。

 

 

 

 その後、毒島とガゴゼを拷問に掛けていく。

 勿論、手下二人のように呆気なく死なないよう、細心の注意を払いながらじっくりと時間を掛けた。

 

 そうして、半日ほどの時間を掛けてまずは毒島が物言わぬ骸と化す。

 その数時間後、ガゴゼが死んだ事でその肉体から魂とやらが飛び出してきた。

 

 奴の魂は私たちから逃げるように飛び去っていった。その後を追いかけたところでただの人間である私たちに、それをどうにかできる術などないが——関係ない。

 

 もしもガゴゼが蘇るというのなら、地の果てまでも追いかけて同じ目に遭わせるだけだ。

 魂とやらが擦り切れてなくなるそのときまで、どこまでも苦しめて殺し続けてやるとも。

 

 

 

 

 

 こうして、今回の事件は幕を閉じた。

 

「地獄か……いずれ私もそこへ行き着くことになるのだろう」

 

 今回の事件、鬼太郎くんと邂逅することで死後に本物の地獄が待っているのだということを改めて実感した。拷問ソムリエの使命とはいえ、多くの命を手に掛けたこの身が地獄に落ちることは、もはや疑いようもない。

 

「終わりましたよ、貴一郎さん……」

 

 だがそれが分かったところで、私のやることに変わりはない。

 たとえこの身が地獄の責め苦を受けることになろうとも、外道を葬ることで被害者たちの無念を晴らし、彼らの心を僅かでも救うことが出来るのであれば。

 

 

 私は地獄への道を迷うことなく突き進んで行くとも。

 

 




人物紹介

 伊集院茂夫
  拷問ソムリエシリーズの主人公。おそらく作中最強の人物。
  一般の方に対しては礼儀正しい人なのだが……外道相手にはマジで容赦なし。
  外道を苦しめるためなら手段を選ばず、どんな拷問器具だろうと用意してくる。

 流川くん
  伊集院の助手。
  常に笑顔が絶えないところがサイコパスっぽいが、中身はわりと常識人?
  家族を殺された悲しい過去を持っており、それゆえに人一倍正義感も強い。

 伍代
  退廃的な雰囲気を纏った男、裏社会に精通する情報屋。 
  依頼の裏付けや調査の際、伊集院が頼りにしている相手。
  作中に登場する情報屋は他にもいるが、その中でも一番登場回数が多い。

 小峠華太
  拷問ソムリエとは別のシリーズ『華の天羽組』における主人公。
  極道としての実力は中堅クラスだが、話が進むごとに狂人度が上がってる。
  今回はチョイ役、あくまでもゲストキャラとしての登場。

 天羽組の狂人たち
  天羽組の武闘派兄貴たち。
  尺の都合上、それぞれの台詞と異名だけの登場ですが、それだけでも十分にインパクトのある面々。

 ガゴゼ
  今回のゲスト妖怪、漢字で書くと『元興寺』。
  キャラクターのモデルはそのまんま『ぬらりひょんの孫』に登場するガゴゼ。
  一方的に子供を襲う情けないところもしっかりと継承したやられ役。
  ちなみに、鬼太郎シリーズでお馴染みの『ぐわごぜ』とは完全に別個体です。
 
 貴一郎
  今作における被害者遺族枠。
  作者のオリキャラですが……一応、モデルとなる漫画キャラはいます。
  夜回り先生であるところがワンポイント。分かる人いるかな?

 毒島
  今作における外道枠。
  コイツも作者のオリキャラ。鬼原組という組織も含めて、名前だけでキャラ付けをしています。
  全国の毒島さん……本当に申し訳ございません!!
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間の物語
深夜廻 其の①


クロスオーバー集の第一作目は『深夜廻』。

日本一ソフトウェアという会社が出しているゲームが原作です。
ちなみに作者はゲームは未プレイ。興味がないわけではなかったのですが、かなり難しく、結構ホラー描写がえぐいとかで手が伸びず。
その代わり、小説の方をしっかりと読ませていただきました。
本小説も、そちらの内容を参考に書かせてもらっています。

時間軸について。
ゲゲゲの鬼太郎に関しては、話毎に時間軸がバラバラになります。一応、毎話それがいつ頃の話なのか、明言はしていきます。

後書きの方で、TVシリーズのような次回予告。クロスオーバー先の解説などを入れていくつもりです。



 

 幽霊族の末裔たる少年――ゲゲゲの鬼太郎。

 これは彼が犬山まなという人間の少女と出会う前に遭遇した物語の一つである。

 

 

 

「鬼太郎! ポストに手紙、入ってたわよ」

 

 ゲゲゲの森にある鬼太郎の家――ゲゲゲハウス。鬼太郎の仲間の一人である猫娘が手紙を片手に家の中に上がり込む。スレンダーな長身の美少女、どこかツンツンした雰囲気を纏いながら、彼女は鬼太郎宛の手紙を卓の上に置く。

 

「ああ、ありがとう猫娘」

 

 わざわざ手紙を持ってきてくれた彼女に、横に寝っころがっていた鬼太郎が起き上がりながら礼を言う。早速手紙の封を切り中身を読もうとする鬼太郎に、猫娘は椅子に腰掛けながらおもむろに溜息を吐く。

 

「ほんと、アンタも物好きよね。こんな人助け……いつまで続ける気なのよ」

 

 鬼太郎の元に届く手紙。それは『妖怪ポスト』から送られてきた人間からの依頼の手紙である。

 

 鬼太郎は妖怪に困らされている人間の依頼に応え、人助けをしている酔狂な妖怪でもあった。

 もっとも、必ずしもその人間を助けるというわけではない。その人間の相談に乗っても、人間側に非があったり、あまりにも道理に外れるような頼みであれば断り、見捨てることもある。

 それでも、人間の相談に乗るだけでも他の妖怪から見れば酔狂であり、鬼太郎と親しい間柄である猫娘から見ても物好きであることに変わりない。

 

「……約束だからね」

 

 猫娘の疑問に鬼太郎はそれだけを短く答える。

 

「ふ~ん、約束ね……で? 手紙には何て書いてあるのよ?」

 

 鬼太郎の口にした『約束』という言葉。

 昔、赤ん坊の頃に彼を助けた水木という人間の青年が関係しているらしいが、鬼太郎も彼の父親である目玉おやじも決して多くを語ろうとはしない。

 猫娘はそんな彼の過去を知りたいと思いながらも、今一歩踏み込む勇気が持てず、代わりに依頼内容について質問する。

 

「――夜に連れ去られた娘を捜し出してほしい」

 

 鬼太郎は手紙に書かれていた内容をそのまま声に出して読み上げる。

 

「夜に連れ去られた? なんとも奇妙な言い回しじゃな……」

 

 その内容に茶碗風呂に浸かっていた目玉おやじが首を傾げる。娘が行方不明になってしまったから、見つけて欲しいという捜索の依頼だろう。

 しかし、『夜に連れ去られた』とはいったいどういうことか?

 

 疑問に思いながらも依頼主に話を聞くべく、鬼太郎たちはその日のうちに家を出た。

 

 

 

×

 

 

 

「無理についてこなくてもよかったんだぞ、猫娘?」

「べ、別に……暇だっただけだし! 鬼太郎だけじゃ、頼りないだろうし!」

 

 鬼太郎と猫娘はカラスたちに連れてってもらい、目的地へと向かう。

 鬼太郎のことを物好きと言いつつも、猫娘は彼のことが心配で一緒についてくることが多い。今回も猫娘が同伴、目玉おやじを加えた三人で依頼のあった田舎町の上空へと来ていた。

 

 そこは周囲を山に囲まれた田舎町。

 日が沈み、既に町には『夜』が訪れていた。

 少女を連れ去ってしまったという夜。闇が広がるその町の中に、鬼太郎たちは降り立つ。

 

「ふむ、見たところ普通の町並みに見えるが……」

 

 町に入った第一印象を目玉おやじが口にする。

 時刻が時刻なだけあって人気はないが、町の雰囲気にこれといって変わったところはない。

 住宅地には古びた家屋が並び建ち、公園には楽しそうな遊具が集まっている。主婦たちが毎日のように買い物にやってくるスーパー。子供たちが通う通学路の向こうに、少し古いが立派な校舎がそびえ建っている。

 アスファルトの道路を照らす街灯が申し訳ない程度に点滅し、少し足元が心許ない気がしたものの、歩く分には問題無い。

 どこにでもあるような、ごくありふれた田舎町の夜の風景である。

 

「ふ~ん、ちょっと田舎すぎるけど、普通の町じゃないのよ」

 

 猫娘も概ねそんな意見だ。特に何を思うこともなく辺りを見渡す。しかし――鬼太郎だけは違った。

 

「いえ、父さん……この町、何かが変です」

 

 鬼太郎はこの町に降り立った瞬間から、その異変に気がついていた。

 彼の妖気を探知する『妖怪アンテナ』に反応があったからだ。

 

「何か……いる! 気をつけろ、猫娘!」

「っ!」

 

 鬼太郎は猫娘に警戒を促し、彼のただごとならぬ表情に猫娘が爪を伸ばして構える。

 

 次の瞬間――それは電柱の影から現れた。

 

「な、何よ! コイツ!?」

 

 白い『モヤ』のようなものが揺れ動いている。

 最初は煙のように形を持たなかったそれが、明確な意志を持って人の顔のようなものを形成していく。目や口に該当する部分には『孔』が空いており、そこから唸り声のようなものを上げ、近くにいた猫娘へと迫ってくる。

 

「このっ!」

 

 向かってくるそれに猫娘は爪を突き立てる。すると人影はあっさりと霧散し、霞のように消え去っていく。

 

「……消えた?」

 

 あまりにもあっさりと撃退できたことに拍子抜けする猫娘だが、隣に立つ鬼太郎は警戒を緩めない。

 

「気をつけろ、まだ来るぞ!」

 

 暗闇の向こうから聞こえる四足歩行の足音。目の前に現れたそれは『黒い犬』だった。その犬には目玉が一つだけ、子供を丸呑みできそうな大きな口を広げ、鬼太郎たちを呑み込もうと飛びかかってくる。

 

「髪の毛針!」

 

 鬼太郎は毛針を飛ばす。毛針は全て犬の大きな目玉に突き刺さり、犬はたまらずひっくり返る。子犬のような悲鳴を上げ、闇の中へ尻尾を巻いて逃げていく。

 

「鬼太郎、上じゃ!」

「!!」

 

 今度は目玉おやじが何かに気づき、鬼太郎に呼びかける。父の言葉に慌ててその場から飛び退く鬼太郎。次の瞬間、彼がさっきまで立っていた場所に「キャー!」と悲鳴を上げながら、女性が飛び降りてきた。

 どこから降って来たのか、地面に落下したにも関わらず五体満足のまま。女性はその場で手足をクネクネとばたつかせ、暫くすると唐突に消えていなくなってしまう。

 

「……なんなのよ、この町」

 

 立て続けに現れる『怪異』に、妖怪である猫娘が茫然と呟いていた。

 

 

 

×

 

 

 

「ゲゲゲの鬼太郎さん……ああ、お待ちしておりました……」

 

 鬼太郎たちは疲れ切った表情の女性、依頼主である深川由紀子の自宅へと訪れていた。

 

 出迎えの際、彼女は玄関に立っていた鬼太郎と猫娘を前に戸惑うように目をしばたたかせる。

 どう見ても子供な見た目の鬼太郎と、見ようによっては保護者のお姉さんという感じの猫娘。ただの人間と思われてもおかしくない二人組。

 だが、由紀子は鬼太郎たちの纏う『人ならざるモノ』の空気を感じ取ったのか、素直に彼らを居間へと通す。

 

 そうして訪れた深川由紀子の家――そこは、まるでゴミ屋敷のようであった。

 

 脱ぎ散らかされた衣服、空のペットボトルとコンビニ弁当の空箱が無造作にビニール袋に詰め込まれている。台所はお酒の空き瓶で埋め尽くされ、いたるところに煙草の匂いが染み付いていた。

 

「…………」

「…………」

 

 とても一つの家庭を支える女性が住む場所と思えず、一瞬言葉を失う鬼太郎たち。

 だが、今はそれよりも優先すべきことがあると、鬼太郎はこの町に来てから抱いていた疑問をぶつける。

 

「深川さん……この町はいったいどうなっているんですか?」

 

 鬼太郎たちが由紀子の家に辿り着く間、幾度となく彼らは『怪異』に遭遇していた。

 

 無気味な『赤ん坊の群れ』が、泣き叫びながら道を横切っていた。

 赤身がかった『影』のようなものが、左右に揺れ動きながら近寄って来た。

 体に目玉を無数に付けた、腕だけが血のように赤い『巨大な化け物』に襲われたりなど。

 

 鬼太郎たちですらまともに意思疎通の出来ない異形が、次から次へと現れては消えていく。

 

 幸い戦闘能力はあまり高くなく、鬼太郎たちなら問題なく撃退可能だ。

 しかし、これは妖怪である彼らからして見ても異常事態。こんな『人ならざるモノ』たちが夜とはいえ、人里を堂々と闊歩するなど。数百年前ならいざ知らず、闇の薄まった現代でこれは明らかにおかしい。

 

「ああ……貴方がたも、あのお化けたちをご覧になられましたか……」

 

 だが由紀子は鬼太郎の問い掛けに、さも当たり前のように答える。

 

「この町には……昔から『とある決まり事』がありまして――」

 

 それは『日が完全に沈んでから、明け方に日が昇るまでの間、決して外を出歩いてはならない』という、いつの頃からか囁かれるようになった暗黙のルールである。

 

「この町……というより、この辺り一帯の土地には、昔から……夜になると、あのお化けたちが歩き廻って夜道を歩く人間を追いかけてくるんです。いつ頃から……と聞かれると困るのですが、少なくとも……私が子供の頃からずっとこうでした」

 

 由紀子はこの町の出身だったが、幼い頃から『あれら』はずっと夜になると現れる。故にこの町の住人はそれを当たり前のものとして受け入れ、特別に騒いだりはしない。

 夜に出歩かないことを徹底し、子供たちにもそう言って聞かせる。

 

 それがこの町の住人にとっての常識であった。

 

「そう……娘にも、ユイにもそれはわかっていた……わかっていた筈なのに!!」

 

 途端、それまで淡々と話していた由紀子がヒステリックに声を荒げる。ボサボサの髪をかきむしり、涙声で表情を歪める。そんな彼女に対し、鬼太郎はあくまで冷静に話を進めていく。

 

「ユイ……いなくなった、娘さんですね」

「ええ……」

 

 夜に連れ去られたという娘――ユイというのが、いなくなった子供の名前だろう。由紀子は懐から一枚の紙切れを取り出しテーブルの上に置く。

 

『小学生の女の子が行方不明になっています――』

 

 それは行方不明者の情報提供を求めるチラシであった。掲載された写真には、頭に包帯を巻いた小学生くらいの赤いリボンの少女が映っている。この子がユイなのだろう。

 

「二週間ほど前です。私が……仕事から帰ってくるいつもの時間に……ユイがいなかったんです」

 

 由紀子は夜中に働いており、明け方までは家を空けているらしい。帰宅した日の朝、家の中にユイの姿はどこにもなかったという。

 

「娘さんの行き先に、心当たりはありますか?」 

 

 一応、ただの家出という可能性を考え鬼太郎が質問する。

 

「ありません……あてにできるような親戚も、この近くには住んでいません」

 

 その問いに由紀子は首を振る。

 

「失礼ですが……旦那さんは?」

 

 次に鬼太郎は彼女の旦那、ユイの父親について尋ねる。先ほどからそれらしい人の姿が見えないし、気配も感じない。娘がいなくなっても、仕事で出かけているのだろうか。

 

「夫、ですか……」

 

 するとその問いに対し、眉間に皺を寄せて表情の険を強める由紀子。

 

「夫なら二年前に出て行きました……私と、ユイを捨てて!!」

「…………」

 

 怒りを隠し切れない様子で由紀子が吐き捨てる。

 どうやら、父親も蒸発してしまっていたらしい。由紀子の怒りようから『それがどういった事情』なのかを察し、迂闊な質問をしてしまったことに口を噤む鬼太郎。

 黙り込む彼に、由紀子は身を乗り出して詰め寄る。

 

「ユイは……きっとこの町の夜に連れ去られてしまったんです。鬼太郎さん! お願いします! 娘を、娘を捜し出して下さい! 私には……もう、あの子しかいないんです!」

「……わかりました」

 

 母としてユイの身を案じ、自分に縋り寄ってくる彼女に鬼太郎は静かに頷く。

 

 鬼太郎たちはいなくなってしまった少女・ユイを捜すため、すぐに夜の町を捜索することにした。

 

 

 

×

 

 

 

「――リモコン下駄!!」

 

 脳波でコントロールするリモコン下駄で、鬼太郎は道端で待ち伏せをしていた『刃物を持った異形』を打ち倒す。凶悪な顔のそのお化けはすっころび、その姿を瞬く間に霧のように消してしまう。

 

「ふむ……それにしても、本当におかしな町じゃのう、ここは……」

 

 その光景を見つめながら、目玉おやじは腕を組む。

 彼は由紀子との会話の際、彼女を驚かせぬよう鬼太郎の髪の毛の中に隠れていた。彼女の話を聞いてから目玉おやじはずっとこの調子で考え込んでいる。

 

 ユイを捜すため町へ繰り出した鬼太郎たち。彼らは幾度となく異形に遭遇する。

 

 当初、鬼太郎たちはお化けたちに話を聞き、ユイの行方を尋ねようとした。妖怪である鬼太郎たちになら、彼らも耳を傾けてくれるのではと、淡い期待を抱いたからだ。

 

 しかし、その試みは無駄だった。彼らは鬼太郎たち相手にすら、容赦なく襲い掛かってくるのだ。

 

 中にはただボーッと突っ立ているだけのモノや、進路をただ塞ぐだけのモノなどもいたが、大半のモノが鬼太郎たちの姿を見かけるや、唸り声を上げながら向かってくる。

 まるで、自分たちを目の敵にでもするかのように、憎しみに駆られるかのように――。

 

「彼らは……妖怪というより、亡霊や悪霊に近いのかもしれん」

 

 まともに言葉すら通じないこの町の異形に対し、そのような印象を抱く目玉おやじ。

 

 妖怪と一言に言っても、様々なモノがいる。

 鬼太郎のように由緒正しき妖怪の一族『幽霊族』。

 かつて人間だった少女が猫との因果を持ってしまったため、妖怪になった『猫娘』。

 ぬりかべや一反木綿のように、朽ちた壁や布が年月を経た『付喪神』。

 

 そして、この町の妖怪は『かつて人だったモノ』なのではないかと、目玉おやじは推察する。

 事故、あるいは事件によって理不尽にその命を散らした者たち。そういった者らは未練や生への渇望から、成仏することができず、この世を彷徨うことになる。

 そして、それらは時として生者を妬み、自分たちと同じ目に遭わせようと、人を呪ったり祟ったりするのだ。

 中には直接的に生者を襲い、死へと引きずり込んでくる悪霊などもいる。

 そういった『モノ』たちの溜まり場。死者が死者を産みだし、それがこの町の悪循環を廻している。

 

 ここは『そういう町』なのだ。

 

「本来、こういったものたちの魂を回収するのが死神たちの仕事なのじゃがな……職務怠慢じゃぞ、これは!」

 

 亡霊や地縛霊などの人間の魂を回収し、地獄へと送る役目を帯びた『死神』という妖怪。この町の異変に気づかず、放置している死神たちの怠慢に目玉おやじは憤りを露にする。

 

「そうですね、父さん…………? 猫娘、どうした?」

 

 父の言葉に同意しながら、ふと鬼太郎は隣の猫娘へと目を向ける。

 

「……………………」

 

 あれから、深川由紀子の家に入ってからというもの、猫娘はずっと黙り込んだまま。お化けたちを撃退するときも、どこかここに心あらずといった様子で何かを考え込んでいる。

 鬼太郎に声を掛けられ、猫娘は暫し躊躇いながらも、その口を静かに開き始める。

 

「……ねぇ、鬼太郎。さっきの、由紀子さんの家だけど……」

「ああ、あの家か……」

 

 鬼太郎たちがお邪魔した彼女の家。お世辞にも綺麗とは言い難いゴミが散乱した室内。確かにあの荒れようは気になるところではある。しかし――

 

「仕方あるまい。愛する我が子がもう二週間も帰ってこないのだ。家事など手もつかんだろう……」

 

 目玉おやじは『仕方がないこと』と考えないようにしていた。

 突然いなくなった一人娘。鬼太郎たちが対面した彼女は心労で随分とやつれている様子だった。髪もぼさぼさで、衣服も皺だらけ。身なりを気遣う余裕もないのだから、部屋の片づけなど気を回せる余裕もないのだろう。

 同じ子を持つ親として、目玉おやじは由紀子の心情を痛いほど理解できた。

 しかし、猫娘の考えは違っていた。

 

「果たして、本当にそれだけでかしらね……」

「…………? どういう意味だ、猫娘?」

 

 彼女の言わんとしている意図が分からず、鬼太郎は首を傾げる。

 猫娘は女性として、自分があの部屋に足を踏み入れて抱いた印象を男二人に話していく。

 

「あの部屋のホコリの溜まり具合……とても二週間くらいとは思えないわ。少なくとも一ヶ月以上……半年はまともに掃除してないんじゃないかしら」

「なんじゃと?」

 

 その話に目をパチクリさせる目玉おやじ。

 これは、常日頃から自身の部屋をキチンと掃除している猫娘だからこそ気づいた視点だ。由紀子の部屋――あの散らかり具合は娘がいなくなる以前から、部屋の掃除をしていないと。由紀子がずっと家事の類をサボってきた痕跡だと言うのだ。

 さらに、猫娘は嫌悪感を表情に出して続ける。

 

「それだけじゃないわ。あの部屋、男の人の匂いがした。しかも、複数……」

「そ、それは!?」

 

 その言葉の意味を察し、目玉おやじが動揺する。

 二年前に夫がいなくなったと由紀子は言った。ならば猫娘がその嗅覚で感じ取った男の匂いはいったい誰のものなのか――――考えるまでもなく、わかることである。

 

「ユイって子がいなくなる前から……あの家はまともな家庭環境、だったのかしらね……」

「…………」

 

 猫娘の皮肉な予想に鬼太郎も黙り込んでしまう。

 

 蒸発した父親。

 部屋の掃除もろくにせず、男を連れ込む母親。

 そして、いなくなってしまった一人娘。

 

 この町の夜は確かにおかしいが、原因はそれだけではなさそうだと、鬼太郎たちは考えを改めさせられる。だが――

 

「とりあえず、ユイって子を捜そう。話はそれからだ……」

 

 鬼太郎はそのことについて一旦考えるのを止め、ユイの捜索に専念する。

 確かに猫娘の予想が本当なら、鬼太郎もあの母親に向ける感情を考え直すかもしれない。だが、それで幼い少女の行方がどこに行ってしまったのか、調べない理由にはならない。

 

 少女の身に何があったのか? 

 せめて、手掛かりの一つでも持ち帰らねばと、夜の町の探索を続ける。

 

「…………ええ、そうね」

 

 言い出しっぺの猫娘も鬼太郎の言葉に同意していた。

 

 

 

 既にいなくなって二週間。

 もはや『手遅れ』なのではと、心の奥底で思いながらも――。

 

 

 

×

 

 

 

「――それにしても、よく気がついたのう、猫娘」

 

 目玉おやじは感心するかのように呟く。

 鬼太郎たちは夜の探索を続け、裏山の麓近くまで来ていた。そこは人の生活圏から離れているため、街灯の明かりも少なく、妖怪である鬼太郎たちですら足元が不安定なため、由紀子から手渡されていた懐中電灯を使って進む。

 突然現れる怪異にも多少慣れ始めていた鬼太郎たち。周囲に警戒の目を向けながらも、目玉おやじは沈黙を嫌ってそのように声を発していた。

 

「気がついたって……何がよ?」

 

 目玉おやじが何の話題について口にしているのか、猫娘は聞き返す。

 

「由紀子さんのことじゃよ。部屋の散らかり具合から、男性の気配。よくそこまで洞察したもんじゃ」

 

 彼が話題としていたのは、猫娘の鋭い洞察力についてだ。部屋の中を少し覗いただけで、よくぞあそこまで見抜いたものだと、目玉おやじはしきりに頷く。

 

「別に……これくらい普通じゃないの?」

 

 もっとも、褒められた猫娘は嬉しくもなんともない。

 女性として、あれくらい察するのは当然のことであったし、見破った内容が内容なだけに自慢にもならない。

 しかし、目玉おやじは余程感心したのだろう。何を思ってか息子に厳しい口調で言い聞かせる。

 

「よいか、鬼太郎! 将来、お前も誰か女性とお付き合いすることになる。決して浮気などするものではないぞ! 猫娘のように立ちどころに見破られてしまうからな!」

「しませんよ、父さん……」

 

 父親のお小言にやや関心薄く、鬼太郎は溜息を吐く。恋もまだ経験したことのない彼にとって、そういった男女の話しは完全に他人事である。

 隣で猫娘が「……当り前じゃない、鬼太郎に浮気なんて……」と小声で呟いていることにも気づけていない。

 

「……ん?」

 

 そこでふと、鬼太郎は立ち止まった。

 山への入口付近。そこにはいくつかの立て看板があった。鬼太郎は何となくそれらが気になり、懐中電灯を向けてそこに書かれている文字を目で追っていく。

 

『命を大切に――』『思い出して、家族の笑顔――』『安らぎは生きているものにこそ――』

 

「父さん、これは……」

「ふむ……自殺防止の呼びかけ、ということじゃろう……」

 

 それらの看板が設置されている意味を、鬼太郎と目玉おやじが悟る。

 

 人は――追い詰められると自ら死に場所を求める。

 これはそういった人たちへと向けた誰かの言葉だ。

 自殺の名所などでよく見かけるもの。ここにそれが設置されているということは、この山では自殺者が多いのかと鬼太郎は考えを巡らせながら、それらに目を通していく。

 すると、その文字列の中に一つだけ、一風変わった注意書きがあった。

 

 

『山で何かに語りかけられても、決して言う事を聞いてはいけない』

 

 

「父さん、これは?」

「ううん? 山に語りかけられても……はて、どういう意味じゃ?」

 

 直接自殺を呼び止めるでもない、抽象的な言葉。『山に語りかけられる』。普通であれば一笑に付すであろう曖昧な言葉。しかし、こんな怪異が蔓延る町ではそれが返って気にかかってしまう鬼太郎たち。

 ついついその場で足を止め、考え込んでしまう。

 

「――鬼太郎!」

 

 すると、思案を巡らせる鬼太郎を猫娘が呼びかける。

 彼が振り返ると、暗闇の向こう。遠くからぼんやりと光が、こちらに向かって迫ってくるのが見えた。

 

 今まで遭遇した怪異の中には、ゆらゆらと暗闇の中を揺らめく『人魂』のようなものもいた。

 それらは突如、闇の中から出現して鬼太郎たちに燃え移ろうと迫ってくる。またもそれと似たような怪異が現れたのかと、警戒する鬼太郎たち。

 だが、その光は人魂ではなく、人口のもの。鬼太郎たちの持っている懐中電灯とまったく同じ光であった。

 

「はぁはぁ……鬼太郎さんっ!!」

「深川さん?」

 

 息を切らしながら全力疾走でこちらに走ってきたのは、依頼人の深川由紀子だった。

 

「どうして外に? ここは危険です。すぐに戻って下さい」

 

 家で待っているよう彼女に鬼太郎は忠告する。

 鬼太郎たちだからこそ、平然とこの夜の町を歩くことができるのだ。人間である彼女があの化け物たちに捕まれば最後、命はないだろう。

 

「だ、大丈夫です。その気になれば、逃げるくらい私にもできますから……それより、これを見て下さい!!」

 

 確かに由紀子の言う通り、出現する怪異の大半の動きが緩慢だ。十分に注意を払ってさえいれば、大人の足で彼らを振り切ることもできるだろう。

 だが、危険であることに変わりはない。それはこの町の住人である彼女が一番よく分かっているだろうに。

 何故、わざわざ鬼太郎を追いかけて来たのか――その理由を、彼女は切羽詰まった様子で差し出してくる。

 

「ついさっき、何かの手掛かりになるかと娘の部屋を探していたんです。そしたら……こんなものが机の引き出しの奥から……」

「これは……日記、ですか?」

 

 子供たちが使うような学習帳などではない、飾り気のない古びた黒いノートだ。

 鬼太郎がページを捲ると、そこには大人の字で様々なことが書かれていた。

 

「夫の字です……間違いありません」

 

 娘のユイの部屋から出てきたというそのノート。既に中身を読み終えているのか、由紀子は不安を隠し切れない様子で鬼太郎へノートに目を通すように促す。

 

『〇月×日。まただ、またあの声が聞こえてくる』

 

 鬼太郎は猫娘たちにも伝わるよう、書かれていた内容をそのまま読み上げていく。

 

『日に日に呼ぶ声が強くなっている。あの声にはどうにも逆らえない。頭の中に直接響いてくる声。研究のためとはいえ、私は禁忌に近づきすぎた』

 

「夫は、大学で神社や神様……民俗学の研究者をしていました」

 

 ノートに書かれている内容を補足するかのように、由紀子は説明を加える。

 彼女の夫は大学の研究者。学者として、この町の夜について調べていたらしい。この町がこうなってしまったのには必ず理由があると。それを解明することで、この町を救おうとしていた。

 彼女の声に耳を傾けながら、鬼太郎は続きを読み上げていく。

 

『×月×日。あれは巧みな話術を持っている。いかにも私が選択の権利を持っているかのように勘違いさせ、結果、自分の都合の良い選択をさせる』

 

『こともあろうに、あの声は私のみならず、家族をも連れていくと言い出した。妻と娘まで欲しだしたのだ。当然、拒否した。私にそんなことできるはずがないと』

 

『だがどうだ。人間の心は果てしなく弱い。心の奥底でそれも悪くないと考えている私がいる。だがそれだけは駄目だ。絶対に駄目だ。私に向けられた呪いに家族は巻き込めない。絶対に――』

 

「…………私は、ずっと夫が余所に女を作って私たちを捨てたと思っていました……けど!」

 

 蒸発した夫を由紀子は責めていた。自分たちを捨てて、浮気相手と共に町の外へと逃げ出したんだと。

 だがもし、この日記の内容を信じるのなら、事実は全くの真逆だったということが理解できる。

 

『×月×〇日。今日、私は禁断の方法を使うことにした。『コトワリさま』に家族との縁を切ってもらったのだ』

 

「ことわりさま……?」

 

 そこに書かれていた、聞き慣れぬ単語に猫娘は眉を顰める。

 由紀子に対して密かに嫌悪感抱いていた猫娘。だが、鬼太郎が日記の内容を読み進めていくたび、その瞳が揺らいでいく。

 

『愛する妻と娘のため、愛する彼女たちのために、私から縁を断ち切ったのだ。コトワリさまの「もう一つのルール」により、引き換えに左手を失うことになったが構わない』

 

 

 

 

 

『これで安心して私一人、あの声のもとにいける』

 

 

 

 

 

 

「……………」

 

 日記の内容を読み終えた鬼太郎の表情は暗い。

 

 文脈からでも読み取れる。この手記を残した者の強い想いが。妻と娘をどれだけ愛していたのか。

 愛する家族を守るため、この日記の持ち主は「コトワリさま」とやらに頼み、左手を差し出してまで家族だけでも守ろうとしたのだと。

 

『あの声』とやらの魔の手から――。

 

「父さん……あの声とは、もしや?」

「うむ、あの立て看板にあった注意書き……」

 

 鬼太郎たちはそこで、先ほど見つけた看板のことを思い出す。

 

『山で何かに語りかけられても、決して言う事を聞いてはいけない』

 

 それは何かの例えではない。『何か』が本当に語りかけてくることを危惧した、何者かが残したメッセージなのだ。ひょっとしたら、その立て看板を残した人物も『あの声』とやらに囁かれていたのかもしれない。

 

「私は……ずっと夫を恨んでいました。夫が……私を裏切ったんだって。だ、だから私も……私もあの人を忘れてやるんだって。あの人との思い出を、全部ドブに捨ててやるんだって。へ、部屋に、家に男を連れ込んで……」

 

 日記を読み終えた鬼太郎たちの前で由紀子は泣き崩れる。猫娘が睨んだとおり、彼女は他の男との逢瀬で現実逃避をしていた事実を、懺悔するように鬼太郎たちに告白する。

 

「…………」

 

 猫娘は彼女の行いを責めることができなかった。彼女と同じ立場だったのなら、もしかしたら自分も――と、思わず考えてしまう。

 

「きっと……ユイが出て行ったのもそのせいなんです。私が……不甲斐ないばっかりに……」

 

 由紀子は自分を責めるのを止めなかった。娘のユイが家を飛び出したのも、きっとそんな自分に嫌気がさしたからだと、良心の呵責に苛まれる。

 

 そして、とうとう耐え切れなくなった由紀子は天に向かって絶叫する。

 

「どうしてよ!? どうして、私たちがこんな目に!? 私たち家族が、何をしたっていうのよ!?」

 

 彼女の泣き叫ぶ声。それはきっと、住宅地にも届いていただろう。だが、この町の夜の怖さを知る住人たちは家の中から出てこようなどと思わない。 

 彼女の下へと駆け寄り、その悲しみに寄り添える人間など、誰一人としていなかったのだ。

 

「ふふ……もうたくさんよ、こんな町……」

 

 その事実に由紀子の心が折れる。

 

 自分たち家族がこんなにも苦しんでいるのに、地獄を味わっているのに誰もが見て見ぬふり。

 この町を覆う闇に、真夜中を闊歩する化け物たちに、自分たちの苦しみも知らずに眠りこける住人たちに向かい、由紀子は心の底から憎しみを込め、声を張り上げていた。 

 

 

 

 

 

「――もう、嫌よ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジョキン。

 

 

 

 

 

 

「――っ!?」

 

 その時、金属を擦るような音が鬼太郎の耳に届き、同時に彼の『妖怪アンテナ』が強い妖気を探知した。

 

 この町に来てからというもの、怪異のオンパレードですっかり麻痺していた鬼太郎の危機感。並大抵の怪物が相手なら、彼はもう驚きはしなかっただろう。

 だが、この時感じた妖気の質は、それまでとは明らかに違っていた。

 

「気をつけろ、猫娘。何か……何か来るぞ!!」

「――っ!」

 

 その嫌な予感に彼は猫娘にも注意を呼びかけ、二人で揃って身構える。

 

 

『それは』――何もない虚空から、染みのように浮き上がってきた。

 

 

 赤黒い煙のような固まり。腐った巨大な指のようなものが何本もそこから生えている。

 その指の先端は人間の腕のようになっており、二本の太い腕で大きな血塗れの鋏を支えている。

 真ん中の本体の奥には歯並びの悪い大きな口が見える。その口から生暖かい息を鬼太郎たちに吹きかけてくる。

 

「ひっ!?」

 

 そのあまりの不気味な様相に、由紀子は腰を抜かして、その場にへたり込んでしまった。

 その異形は、震え上がって動けないでいる彼女に向かい、人間など容易く切断してしまえそうなほどに巨大な鋏を広げ、襲いかかってきた。

 

「霊毛ちゃんちゃんこ!!」

 

 鬼太郎はその凶刃を止めるべく、腕に先祖の霊毛で編んだちゃんちゃんこを巻き付け、鋏に向かって殴りかかる。

 ぶつかる鋏とちゃんちゃんこ。ちゃんちゃんこはその頑丈さで鋏を受け止めるが、衝突の衝撃で鬼太郎の体が後方へと吹き飛ばされてしまう。

 

「ぐっ!?」

「鬼太郎……うにぁあ!?」

 

 猫娘は鬼太郎を気遣いつつ何とか応戦するも、彼女もその鋏を受けきれず、猫のような悲鳴を上げて地に伏せる。邪魔者二人を排除し、化け物は鋏をジョキジョキと鳴らしながら、由紀子へと迫る。

 

「あ、ああ…………ああ……」

 

 自分を守ってくれる者がいなくなり、無防備となる由紀子。

 そんな彼女の恐怖をゆっくりと味わうかのように、化け物は空中で不揃いの歯をガチガチと鳴らす。その様子がまるで笑い声を上げているように見える。

 そして数秒後――怪物は巨大な鋏をジョキリと開閉させながら突っ込んでくる。

 

「逃げ、ろっ!」

「由紀子さん……」

 

 鬼太郎と猫娘はダメージが抜けきっておらず動けない。

 由紀子がその鋏の餌食となる光景を、ただ見ていることしかできなかった。

 

 

 

 

 

「――危ない!!」

 

 

 

 

 

 刹那、何者かの声が響く。

 何かが暗闇の向こうから飛び出し、化け物と由紀子との間に割って入る。

 

 

 ジョキンッ。

 

 

 その何かを、異形の鋏が切断した。

 

「……えっ?」

 

 すると、不思議なことに化け物は鋏を動かすのを止め、まるでもう用は済んだとばかりに、由紀子に何もすることなく、暗闇に溶け込むように消えていく。

 

「消えた……大丈夫か、鬼太郎!?」

 

 目玉おやじは息子である鬼太郎に呼びかける。

 

「はい、父さん。しかし……今のはいったい?」

 

 鬼太郎は何とか立ち上がりながら、化け物が消えた虚空を見つめる。

 既に妖怪アンテナは何の反応も示さず、異形の姿は影も形も見えなくなっていた。

 変わりに、その場には化け物の鋏が切断した『首の無い藁人形』が落ちている。

 

「これは……あの妖怪がやったんでしょうか。けど、どうして……?」

 

 人形の首もその場に落ちており、首と胴とで切り離されている。あの鋏によって切断されたのだろうが、どうしてそんなものを切断しただけで、あの怪物は姿を消したのか。

 疑問を抱く鬼太郎たち。そんな彼らに向かって、闇の向こうから懐中電灯の光が近づいてくる。

 

 

「――あなたたち、何してるの。だめだよ、こんな夜中に出歩いてちゃ」

 

 

 先ほど叫び声を上げ、藁人形をあの怪物に投げつけた人物。

 同じように夜中に出歩いている自分のことを棚に上げ、その子供――少女が鬼太郎たちに咎めるような視線を向けてきた。

 

「――き、君は……」

 

 その少女を目の前にし、鬼太郎も目玉おやじも、猫娘も由紀子も目を見張る。

 

 それは、純粋な驚きによるもの。

 その少女は年端もいかない小学生。そう、鬼太郎たちが捜しているユイと同年代の子供だったのだ。

 青いリボンを付け、ウサギのナップサックを背負った幼い少女。

 そんな少女が怯えた様子も薄く、平然とこの町の夜を歩いている事実に彼らは驚きを隠せない。

 

「わん、わんわん!」

 

 その少女に寄り添うように、一匹の茶毛の子犬が跳ねまわっている。

 子犬は少女を守ろうと、鬼太郎たちへ懸命に吠えて威嚇する。

 

「こらチャコ、吠えちゃダメだよ! この人たちは……大丈夫みたいだから、ね?」

 

 子犬――チャコを宥める少女。

 その子犬の頭を撫でようと、彼女は右手に持っていた懐中電灯を脇に抱え、わざわざ右手でチャコの頭を撫でる。

 

 

 彼女には――左手がなかったからだ。

 

 

「あ、あなた……その手っ!」

 

 左側の衣服の袖から見える筈のものを失くしたその痛ましい姿に、思わず駆け寄る猫娘。

 その視線に、その少女は特に動揺する素振りもなく平然と答えて見せる。

 

「? ああ、大丈夫だよ。もう痛くないから」

「い、痛くないって……そういう問題じゃっ!」

 

 この町の夜を彼女のような子供が歩いているだけでも驚きなのに、片腕がないという不自由な状態で、少女は鬼太郎たちに助け舟を出したのだ。

 先ほどの藁人形、あれをあの『鋏を持った化け物』に投げつけて――。

 

「……君は、いったい?」

 

 鬼太郎が少女と向き合う。

 

 妖怪アンテナに反応はない。少女は紛れもない人間。

 ただの人間の少女が自分たちの危機を救った事実に、鬼太郎は困惑するしかなかった。

 

 すると、戸惑っている鬼太郎に少女は声を掛ける。

 

「あっ、こんばんわ。わたし、ハルって言います。あなた……お名前は?」

 

 今になって挨拶をしていないことに気が付いたのか、少女は慌てて頭を下げ、鬼太郎の名前を聞いてくる。

 

「ゲゲゲの鬼太郎だ……」

「ゲゲゲの……変わった名前だね?」

 

 鬼太郎の名前を聞き、小首を傾げるハルと名乗った少女。

 そんな愛らしい動作をするハルに、鬼太郎はたまらずその問いを投げかけていた。

 

「君は……こんな夜中に何をしているんだい?」

 

 大人たちでさえ怯え、恐れ慄く異形たちが蔓延る町中。

 そこを子犬のチャコと共に探索する少女。

 ハルは、鬼太郎の問い掛けに暫し悩んだ末、少し寂しそうな声で答えていた。

 

「……………友達を捜しています」

 

 

 

 

 

 

「あの日サヨナラした友達に……ユイに、もう一度逢いたくて……」

 

 

 

 

 




次回予告

「異形たちが徘徊する夜の町。
 そこに友達を求めて彷徨う、青いリボンの少女。
 父さん、あの少女はいったい?
 
 次回――ゲゲゲの鬼太郎『深夜廻』 見えない世界の扉が開く」


 本来であれば、この次回予告は各章の終わりに次章の内容について書くつもりです。今回は一話目ということで、特別に。次回からは『深夜廻』の解説を後書きで入れていきます。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

深夜廻 其の②

『深夜廻』は夜廻シリーズの二作目です。
本当なら、一作目の『夜廻』を先にクロスさせるべきなのでしょうが、そちらの方では上手い感じで話が纏まらず。先に深夜廻の方でクロスを書かせていただきました。

また、原作をプレイしたことがある方なら、前回の話で察していただけると思いますが、今作では深夜廻のED後の話を書いています。

大きなネタバレとなりますので、それが嫌な方はご注意ください。


「――ユイ……? 今、ユイって言ったのよね!?」

 

 夜になると『怪異』たちが蔓延り、人間を追いかけてくる田舎町。その町でユイという名の一人娘を捜し出して欲しいと依頼を受けた鬼太郎たち。

 奇しくも、町の中で出会ったユイと同じ年頃の左手を失った少女――ハルの口からその名を告げられる。

 鋏を持った化け物に殺されかけ、放心状態だったユイの母親――深川由紀子が息を吹き返したかのように立ち上がり、ハルに縋るように迫った。

 

「お願い、ユイはどこ!? ユイに会わせて!!」 

「お、落ち着くんじゃ……由紀子さん」

 

 興奮状態で幼い少女に詰め寄る彼女に鬼太郎の髪の毛からひょっこりと顔を出した目玉おやじが落ち着くように言い聞かせる。

 小さな目玉の妖怪である目玉おやじと由紀子は初対面であったが、彼女はその存在を気に留めることなく、ひたすらハルに詰め寄っている。

 

「ええっと……おばさんは、誰ですか?」

 

 一方のハルも目玉おやじの存在にそこまで驚いてはいなかった。まるでその程度の怪異なら見慣れているとばかりに、自分の友人であるユイに会わせてくれと必死に訴えかける由紀子の方に目を向けている。

 

「わたしは……わたしは、ユイの母親よ!!」

 

 一瞬躊躇いながらも、そう名乗る女性にハルは目を丸くして驚く。

 

「!! あなたが、ユイのおかあさん…………そうですか……」

「……?」

 

 ハルのその反応に、状況を静観していた鬼太郎が訝しがる。

 ユイの母親である由紀子と、ユイの友人を名乗るハル。同じ少女と接点を持っているのに、二人の間に面識はないらしい。

 ハルは初めて会うその母親に対し、一瞬どこか冷めたような目つきする。

 

「わんわん!!」

「きゃあっ!?」

 

 飼い主であるハルの意思を反映するかのように、彼女の側に寄り添っていた茶毛の子犬――チャコが由紀子に向かって吠える。チャコの激しい敵意に驚かされ、由紀子は尻もちを突いてしまう。

 

「ちょっ、ちょっと大丈夫、由紀子さん?」

 

 アスファルトの地面にへたり込む彼女に手を差し伸べ、猫娘は由紀子を立たせる。猫娘はそのまま、興奮状態で落ち着かない由紀子を下がらせ、彼女に代わってハルに話しかけていた。

 

「こんばんは、ハルちゃん。わたし、猫娘っていうの……」

 

 小学生のハルと目線を合わせるため屈み、猫娘は優しい声音で語りかける。

 

「猫娘……さん?」

 

 鬼太郎と同じ一風変わった名前に小首を傾げるハル。その仕草だけ見ると本当にただの少女にしか見えない。

 どうしてこんな普通の少女が、こんな危険な夜の町を徘徊してまで、その友達を捜しているのか。

 猫娘は疑問を抱かずにはいられなかったが、とりあえずハルの身を案じ優しく言い聞かせる。

 

「ハルちゃん……いくら友達と会いたくても夜遊びは駄目よ? 夜の町は危険がいっぱいなんだから、ほら……私たちと一緒に家に帰りましょう? 送ってあげるから」

 

 そう提案しながら、ハルに手を差し伸べる。

 だが、猫娘の気遣いに心底申し訳なさそうにハルは首を振った。

 

「……ごめんなさい。危険なのはわかっているんですけど、もうわたしには時間がないんです」

「――――」

 

 少女らしい小さな声だったが、その言葉には断固たる意志が込められており、皆を驚かせる。

 

「わたしは……もう一度ユイに会いたい。そのために今夜……もう一度、あの場所に行かなくちゃいけないんです」

「……あの場所?」

 

 ハルの口から呟かれた言葉に、鬼太郎が眉を顰める。

 彼は――少し考えてから、ハルに歩み寄りながらこう提案する。

 

「だったら……その場所にボクたちも連れてってくれないか?」

「鬼太郎っ!?」

 

 鬼太郎のまさかの言葉に猫娘が困惑する。こんな夜更けに、こんな幼い少女を連れて夜の探索に付き合わせるのかと彼を責めるように。

 しかし、鬼太郎は冷静に答える。

 

「猫娘。このまま言い聞かせても、大人しく帰ってはくれなさそうだ……それに――」

 

 きっと、自分たちが止めても彼女は夜の探索を続けるつもりだろうと、鬼太郎はハルの覚悟を感じ取った。ならば自分たちと一緒にいた方が安全だと、同伴を願い出る。

 なにより、鬼太郎は直感的に悟ったのだ――。

 

「――君は知ってるんだね? ユイちゃんに……あの子の身に、何が起きたのか……」

「っ!!」

 

 鬼太郎の言葉に由紀子が目を見開く。

 夜に連れ去られてしまった自分の娘――ユイ。その行方をこのハルという少女が知っているかもしれない事実に食いつかずにはいられなかったのだ。

 鬼太郎の言葉を否定せず、ハルは考え込んだ末に答える。

 

「……わかりました。わたしが知っていることでいいなら、全部話します」

 

 その際、彼女はユイの母親である由紀子に怒りとも悲しみともとれる、不思議な視線を送る。

 ややあって、それを振り払うようにハルは裏山を見つめた。

 

「ユイに会えるかもしれない、あの場所に……」

 

 

 

×

 

 

 

「――体内電気っ!!」

 

 街灯の明かりすらない山中に眩しいほどの閃光が迸る。鬼太郎が体内の霊力を電力に変換し、全身から雷を発して周囲を取り囲んでいたお化けたちを一掃する。

 数十と集まっていた『顔の形の白煙』たちが、道を塞いでいた『巨大ながま口』のお化けが感電し、瞬く間に消え去っていく。

 

「……すごいですね、鬼太郎さん」

 

 その光景にハルが目を丸くする。

 鬼太郎と猫娘、目玉おやじが人間ではなく妖怪であるという事実を、山に登る前にハルは聞かされていた。目玉おやじはともかく、鬼太郎と猫娘に関しては半信半疑だったのだが、鬼太郎が怪異たちをなんなく蹴散らしたことで彼女は驚きと称賛を口にする。

 

「この山……夜になるとお化けたちの住処になるんです」

 

 ハルの言葉通り、裏山に入って早々に鬼太郎たちはお化けたちの集団に囲まれていた。町の中ではまばらだった怪異たちが、この山だといたるところに潜んでいる。

 

「うむ、確かに……尋常ではない数じゃのう」

 

 目玉おやじが山の景観を見渡しながら呟く。鬼太郎が怪異たちを一掃したため今は静かだが、また数分としない内に彼らは集まってくる。もう何度目か、そんなやり取りを繰り返している。

 

「だから、わたしとチャコだけじゃ、この山を登るのには回り道しないといけないんですけど……」

 

 歩ける道も狭く、草むらに隠れてやり過ごすのも限界があるため、ハルは愛犬のチャコと一緒でもこの山を登りきれない。以前も、ハルが夜に山奥を目指した際、彼女はここではない別のルートを使っていたという。

 

「……君は、前にもこの山に来たことがあるのかね? ……にわかには信じがたい話じゃ」

 

 ハルの話を聞きながら、目玉おやじは驚愕を隠せずにいた。

 そう思っているのは何も彼だけではない。鬼太郎も猫娘も、由紀子も――誰もが彼女の体験したことを信じきれずにいた。

 

 ハルがこの山を登ったのは十日ほど前。夏の花火大会があった日の夜だったという。

 互いの両親が留守だったこともあり、ハルとユイは綺麗な花火を見に裏山の秘密のスポットへと訪れていた。

 その帰り道、少女たちははぐれないよう手を繋いで歩いていたのだが、ほんの一瞬、少しの間手を離した隙に、二人は離れ離れになってしまう。

 ハルは、消えてしまったユイを捜すため、もう一度彼女と会うために夜の町を歩き廻った。

 

「もちろんコワかったです。けど……ユイに会えなくなるのだけは、ぜったいたえられなかったから……」

 

 目玉おやじの問いに、ハルは正直に答える。

 ハルは最初、この町が夜になると『こうなる』など知りもしなかった。親の教えを良い子で守っていた彼女はその日、初めてこの町の怪異の実態を知ることになったのだ。

 当然、何度も家に帰ろうとした。暖かい家の中で襲われる恐怖から解放されれば、どれだけ楽だったことか。

 

 しかし、ユイに会えなくなるかもしれないという恐怖が幼い少女を突き動かした。

 

 ハルはユイを求めて、町中、図書館、森の中、工場、下水道、そして裏山と。一晩で様々な場所を彷徨い歩いたという。その道中、ハルはこの町のお化けたちと命がけの鬼ごっこを繰り広げたのだ。

 

「怖かったじゃろう、本当に……本当に……よく頑張った! 君は……偉いぞ!!」

 

 ハルの話に、目玉おやじが感極まったように大粒の涙を流す。

 少女が抱いた恐怖。少女が振り絞った勇気。少女が会いたいと願った想い。

 その全てが、年老いた彼の涙腺を緩める。

 

「…………」

「…………」

 

 鬼太郎も猫娘も、ハルの言葉に二の句を継げられずにいた。

 彼らには『力』がある。この夜の怪異たちをものともしない妖怪としての『強さ』がある。

 だが、ハルは本当に無力な存在だ。お化けたちを前に逃げることしかできない。にもかかわらず、最後まで諦めることなく、彼女はこの町の『夜』を乗りきったのだ。

 その奇跡を成したハルという少女に、鬼太郎たちは尊敬の念を抱き始めていた。

 

「ねぇ……ユイは? ユイのいる場所にはまだ着かないの!?」

 

 だが、ユイの母親である由紀子はその話を聞いても心動かされた様子もなく。ただひたすらに、ユイはまだかとハルに愚痴を溢す。

 

「……ええ、もう少し先です」

 

 急かす由紀子に対し、やはりハルはどこか冷めた目つきで答える。

 彼女は行く道を懐中電灯で照らしながら、鬼太郎たちを先導していく。

 

 

 

 その道中。

 

 

 

「…………」

 

 分かれ道にさしかかったところで、不意にハルの足が止まる。

 

「? どうかしたのか」

 

 怪異に襲われてもすぐにハルを守れる位置に立っていた鬼太郎が警戒して辺りを見渡すが、今のところ何かが出てくる気配はない。

 ハルも特に何かを怖いモノを見つけたわけではないらしく、鬼太郎たちの方を振り返る。

 

「すいません……少し、寄り道してもいいでしょうか?」

「寄り道……ですって!?」

 

 少女のまさかの提案に、由紀子が声を荒げた。

 

「この状況でどこに行こうっていうのよ!? それよりも早くユイに――」

 

 ヒステリックにハルに迫る由紀子。彼女は一刻も早くユイに会いたいのだろう。

 しかし、そんな母親を制し、鬼太郎は静かにハルに尋ねる。

 

「大事なことなのかい?」

「はい……」

 

 短く返事をするハル。彼女は背負っていたウサギのナップサックをゴソゴソと探り、鬼太郎たちの目の前である物を取り出す。

 

「それは……ハサミ?」

 

 ハルが取り出したもの――それは赤い裁ち鋏だった。

 全体が血のように真っ赤。可愛らしさなど微塵もない、年頃の少女が携帯するようなデザインとは思えぬ代物。

 その特徴的なフォルムに、鬼太郎はどこか既視感を覚える。

 

「その鋏……さっきの化け物の鋏に似てない?」

 

 猫娘もその鋏に対し、鬼太郎と同じ感想を抱いたのか。その既視感の正体――先ほど襲ってきた『鋏を持った化け物』のことを思い返す。

 鬼太郎たちにとって大した敵ではない怪異たちの中、唯一彼らを追い詰めた化け物。

 もしも、あの時――ハルが駆けつけて、化け物に向かって『何か』をしてくれなければ、由紀子はあの鋏の餌食になっていただろう。今のところ、鬼太郎たちにとってあの化け物が最優先で警戒しなければならない相手だ。

 その化け物の鋏より当然小さかったが、それと同じフォルムの鋏をハルは手にしていた。

 

「うん……だってこれは、あの神様からもらったものだから」

 

 猫娘の言葉をそのように肯定するハル。鬼太郎は驚いたように目を見開く。

 

「『神様』……だって?」

 

 鬼太郎たちが遭遇した化け物。腐った指に不揃いの歯。血のように禍々しい色の固まりであるあれが、どうしても神様という神聖なイメージから逸脱している。

 だが、どう見ても怨霊や悪霊と呼ぶべき雰囲気のアレをハルは敬意を込めて神様と呼んだ。

 

「この先の神社に……あの神様は祀られています」

 

 彼女は分かれ道の片方を懐中電灯で照らす。

 その神様の名を鬼太郎たちに教えながら、少女はその先の道を歩いていく。

 

 

「あの神様の、コトワリ様の神社が――」

 

 

 

×

 

 

 

 ユイの父親の日記にも書かれていた『コトワリ様』という神様。当初、ハルの寄り道に渋っていた由紀子もその名前を聞いたことで、大人しくついてくることになった。

 夫の左手を奪い、自分たち家族との縁を断ち切ったという神様の存在に興味を惹かれたのだろう。

 

 そうして訪れた神社の境内――そこには大量のゴミが散乱していた。

 

 壊れた桶やタライ、刃の錆びついた鎌や陶器の破片。

 元が何かわからなくなってしまった黒やら茶色やらの塊。

 雑巾のような汚れたぼろ切れが、あちこちにぶら下がっている。 

 

「…………」

「ちょっ! 何よ、この匂い……」

 

 その光景に鬼太郎は絶句し、漂う悪臭に猫娘が思わず鼻をつまむ。既に人が訪れなくなって久しいのだろう。境内は好き放題に荒れ果てている。

 誰もが足を踏み入れるのを躊躇う中、ハルはチャコを伴い、躊躇することなくボロボロの鳥居をくぐって拝殿へと向かう。

 

「これでも……少しは片づけたんですよ? あんまり、綺麗にはできなかったけど……」

 

 以前にも、ハルはこの場所を訪れてゴミを拾ったりした。けれども、その程度で全てが元通りになるわけもなく、境内は今も変わらず穢れを溜め込んだまま放置されている。

 

「……ん? 鬼太郎、あそこに何か書かれておるぞ」

 

 皆がそんな状態の境内に呆気にとられていると、ふいに目玉おやじが何かに気づき鬼太郎へ声を掛ける。彼は父に言われるがまま、大きな石碑――その横に立て掛けてあった看板の元へと向かう。

 

「う~む……どうやら、この神社のいわれが書かれておるようじゃが…………」

 

 目玉おやじはそこに書かれている、この神社の説明文にじ~っと目を通す。その間、鬼太郎と猫娘は周囲を警戒していたが、コトワリ様はおろか、他の怪異たちも姿を現す気配はない。 

 

「――――なるほど、そういうことじゃったか……」

「何かわかりましたか、父さん?」

 

 説明文を読み終えて一人納得する目玉おやじに鬼太郎は尋ねる。

 彼は息子の質問に、この神社に祀られている神様――コトワリ様が何者なのか語り始めた。

 

 

「コトワリ様とは、つまりは縁結びと縁切りを司る神様のようじゃ――」

 

 

 ことわり様――正式には『理様』と呼ばれ、この神社に古くから祀られている。

 その力は『悪い縁』を断ち切ってくれると、人々から敬意を払われていた。

 

 人間、誰しも望まずにして結んでしまった『縁』というものがある。

 職場での上下関係、望まぬ男女のお付き合い、しつこく付きまとうストーカーなど。

 

 コトワリ様は、そういった人間関係で息詰まる人々の願いを聞き入れ、手に持った鋏で『悪縁』を断ち切ってくれる。本来であれば、そういう役目を持った慈悲深い神様だった。

 

「似たような神社ならいくつか知っておるが……それと似たような感じじゃな」

 

 目玉おやじの知識の中にも、コトワリ様と同じように縁を司る神様がいくつか存在する。そういった神様の大半が『悪縁を断ち切る』という役割と同時に『良縁を結ぶ』という、裏返しの性質を秘めているもの。

 

「じゃが、コトワリ様は……この神社の神様は人々の『悪い』願いを叶えすぎてしまったようじゃのう……」

 

 目玉おやじが悲しそうに呟きながら、拝殿の横に掛けられていた絵馬の方に目を向ける。

 

『しねしねしね。もういやだ』

『父親が消えて親子の縁が切れますように。もういやだ』

『暴力を振るう彼が死んで別れられますように。もういやだ』

『泥棒猫死ね。もういやだ』

 

 そこには誰かの不幸、死を願う内容の絵馬がいくつも掛けられている。

 本来、縁切り神社とは人の不幸を願う場所ではない。悪しき縁にさよならを告げ、新しい縁を引き寄せてくれるよう祈願する、神聖な場所の筈であった。 

 それなのに、コトワリ様は人々の邪な負の感情に応え続けてしまう。

 

「それに、この神社の荒れよう……もう何十年と誰も来ておらんのじゃろう」

 

 加えて、この神社は人々から忘れ去られ、誰も管理するものがいなくなってしまった。

 神とは常に人々の祈りがあってこそ、その神格を維持できる。誰にも祀られなくなり拝殿が朽ち果ててしまったことで、コトワリ様は本来持つべき神としての性質を失った。

 そこに、この町の悪い瘴気が流れ込み、あのような禍々しい姿となってしまった。

 そうして――『荒神』として人々を襲うようになってしまったのだろうと、目玉おやじはそう推察する。

 

「それでも……コトワリ様はわたしを助けてくれました。わたしに……この赤いハサミをくれたんです」

 

 ハルは赤い裁ち鋏を取り出す。

 コトワリ様の持つ鋏と同じデザインで、毒々しい赤色をしているが、元々は縁を切るためだけに使われていた鋏だ。その『赤』は決して、犠牲者の血などではなく他に意味を有していた。

 運命の赤い糸という言葉がある。血の繋がり、血縁を意味しているとも。

 そういったものを断ち切ってきたからこそ、その鋏は『赤』なのだ。

 

「今日はお礼を言いにきました。このハサミのおかげでわたしは……」

「……」

 

 いったい、どういった経緯でハルがその鋏をコトワリ様から受け取ったのか鬼太郎たちは知らない。

 だが、ハルは神社の賽銭箱にお金を投げ込み、拝殿前に赤い裁ち鋏をお供えする。

 

「コトワリ様。ほんとうに、ありがとうございました」

 

 両手を――合わせることができないため、ハルは深々とお辞儀をし、感謝の意を伝える。

 一心に祈りを捧げる少女の姿を、皆がその目に焼き付ける。

 

 それから、ハルは祈りを捧げながらポツリと呟く。

 

「さっき、みなさんはコトワリ様に襲われてましたけど……」

 

 ついさっきのことだ。鬼太郎たちは唐突に現れたコトワリ様に襲われ、由紀子など後一歩で殺されかけるところだった。そのせいで鬼太郎たちは未だに、コトワリ様が良い神様であるというイメージを抱けないでいる。

 その誤解を解こうとしてか、ハルは語る。

 

「コトワリ様は他のお化けたちと違って、みさかいなく追いかけてきません。とある言葉に反応して、わたしたちの前に出てくるんです」

「……とある言葉って?」

 

 猫娘がそのように尋ねる。

 ハルは暫し考えこむが、やがて意を決したようにコトワリ様を呼び出す、その『呪文』を唱えた。

 

 

「もう、いやだ……と」

 

 

 少女の口からこぼれ落ちた、後ろ向きでネガティブな単語。

 絵馬の願い事の語尾にも書かれていたその言葉をハルが呟いた、刹那――

 

 

 ジョキン。

 

 

 境内の空気が歪み、赤黒い塊が浮かび上がってくる。

 

「鬼太郎!」

「――っ!」

 

 鬼太郎たちが息を呑む。

 一瞬前まで、なんの気配も感じなかった目の前の虚空から、あの化け物が姿を現す。

 

 血のように赤い鋏を持った縁を司る神様――理様が。

 

 

 

×

 

 

 

「ひっ!?」

 

 眼前に姿を現したコトワリ様に、由紀子は短い悲鳴を上げる。先ほど殺されかけた恐怖を思い出したのだろう、顔面は真っ青、額は汗でびっしょりだ。

 鬼太郎も猫娘も油断なく身構え、チャコですら小さな体で懸命に唸り声を上げている。

 

「大丈夫……」

 

 只一人、ハルだけはコトワリ様に怯える様子を見せず、じっとその異形を見据えている。

 コトワリ様も、そんなハルのことをふわふわと空中に浮きながら視つめ返している。

 

 交わる二つの視線。ハルは、ウサギのナップサックからある物を取り出し、それをコトワリ様の眼前に掲げる。

 それは一体の人形――先ほど由紀子を助ける際にも、コトワリ様に投げつけたものと同じ藁人形だった。

 

「これはイケニエです」

「……生贄?」

 

 ハルがその人形を地面に置き、コトワリ様から少し距離を置いた。鬼太郎がハルの呟いた単語に疑問を抱くと、彼の頭に乗った目玉おやじがハルの代わりに答えてくれる。

 

「うむ、説明文にも書かれておったが、コトワリ様にお願いするには両手、両足、頭――つまり五体のある人形を奉納する必要があるようなんじゃ」

 

 コトワリ様におまじないをお願いするには人形――人の形をした何かを捧げる必要があるとのこと。

 その人型を捧げた人間の人体に見立てて、そこに絡みつく悪縁をその鋏でコトワリ様は断ち切ってくれるのだ。

 

 事実、コトワリ様はハルが差し出した人形を静かに見下ろす。そして、それを『生贄』と判断したのか。鋏の金属音を鳴らしながら人形目掛けて襲い掛かる。

 

 バッサリと、一太刀で人形の首を切断――その姿を瞬く間に、闇の中へと溶け込ませ消えていく。

 

 

 

「…………あの言葉は、きっとコトワリ様にとって『助けて』って、意味なんだと思います」

 

 コトワリ様が立ち去り、再び静寂に包まれた境内でハルがそんなことを呟く。

 

「あの夜も……わたしは何度も『あの言葉』を呟きました。そのたびに、コトワリ様は何度もわたしに襲い掛かってきました」

 

 もう人形のストックがないためか、ハルはコトワリ様を呼び出す呪文を口にしないよう気を付ける。

 

 もう嫌だ、もう嫌だと。

 思わずそう口にしてしまうほどに辛い縁を断ち切らんと、コトワリ様は人間の願いを叶えてきた。だが目玉おやじの予想通り、その身は邪悪な願いによって、汚れてしまっている。

 それにより、コトワリ様は夜の町中で『もう嫌だ』と呟いた人間を無差別に襲う、荒神と化してしまったのだ。

 

「コトワリ様だけじゃありません……他のお化けたちにだって、人間を襲うようになった理由があると思うんです」

 

 ハルは語る。自分があの日の夜に出会ってきた『お化けたち』の姿を――。

 

 血だらけの女がいた。

 目も鼻も口もない、学生服を着た女性が血の雨と共にハルを追いかけてきた。彼女は唸り声しか上げることができなかったが、血文字でハルに向かって訴えかける。

 

『イカナイデ』『サムイ』『タスケテ』

 

 きっと、彼女は本当に助けを求めていただけなのだろう。ハルは彼女のことが可哀想になり、血の雨に濡れる彼女にそっと傘をさしてやった。

 

 空に浮かぶ大きな頭蓋骨の化け物がいた。

 その正体はネズミの集合霊。この町に作られたダム建設の際に沈められた村に住んでいたネズミたちだ。化け物となってハルに襲い掛かる直前に、彼らは少女に問いかけてきた。

 

『わたしはなにものか、しっているか』

 

 ダムの底に沈められて死んだ自分たちの苦しみを知っているのかと。 

 お前たちの生活が、自分たちのようなものの犠牲の上に成り立っているのを知っているのかと、問いかけてきたのだ。

 ハルに難しいことは分からなかったが、ネズミの遺体の一つを静かに埋葬してやった。

 

「たぶん、他のお化けたちにだって、きっと…………」

「…………きみは、本当にすごいな」

 

 悲しそうに呟くハルに、鬼太郎は心の底から驚かされる。

 

 追ってくるお化けたちから逃げるだけでも精一杯な筈のハルが、そのお化けたちの成り立ちや苦しみを考えてあげている。

 鬼太郎ですら、幾度となく現れる怪異を前にいつしか話し合うことも止め、倒すことしか考えることができなくなっていた。

 それなのに、少女はいつ死んでしまうかもわからない恐怖の中、常に『何故』と問い続けていたのだ。

 

 その優しさに、心の在り様に、鬼太郎は改めて『人間』というものについて考えさせられる。

 

「さあ、そろそろ行きましょう……」

 

 無駄話が過ぎたと謝りながら、ハルはそろそろ神社を出ようと歩き出す。

 名残惜しそうにコトワリ様が祀られている拝殿を、何度も見返しながら――。

 

 

 

 

「…………あれ?」

「どうかしたかい?」

 

 境内を立ち去る間際、ふいにハルが立ち止まり、鬼太郎が声を掛ける。

 彼女はコトワリ様が現れては消えていった地面へと目を向け、何かを見つけたのか駆け出す。すると、そこには赤い裁ち鋏が開いた状態で突き刺さっていた。

 

「……持ってろ、ってこと?」

 

 つい先ほど、神社にお参りするときにハルは最初に持っていた赤い裁ち鋏をお供えしていた。あれは以前にコトワリ様からもらった鋏で、それを返却しようと奉納したものだ。 

 奉納した方の鋏はいつの間に消えている。そして、その場に新しい別の鋏が置かれていたのだ。

 

「……うん、ありがとう」

 

 ハルはコトワリ様にお礼を述べながら、新しく貰った鋏をうさぎのナップサックに大事にしまう。

 そして、ようやく向かうべき場所へ、皆と共に歩き出すことにした。

 

 ユイに会えるかもと期待を抱いた――あの場所へ。

 

 

 

×

 

 

 

「ここに……ここにユイがいるのね!」

 

 辿り着いた先、そこはこの町の景色を一望できる山の見晴らし台だった。町の住人たちが寝静まっているせいか、住宅に灯る明かりはほとんどなく。町が闇一色に塗りつぶされるという、不気味な光景が目の前に広がっていいる。

 ユイの母親である由紀子は娘の姿を求め、声高らかに叫び声を上げる。

 

「ユイー! どこなの!? どこにいるの! ユイぃぃいいいい!!」

 

 しかし、いくら呼び掛けても、ユイが姿を現す気配はない。由紀子はたまらず、金切り声を上げハルに詰め寄る。

 

「ねぇっ! ユイはどこなの!? どこにいるのよ!!」

「落ち着きなさいよ……ハルちゃん?」

 

 猫娘はそんな由紀子を宥めながら、窺うような視線をハルに投げかける。

 ハルは由紀子のヒステリックに騒ぐ様子にも動じず、静かに、ゆっくりと右手を上げ、とある一点を指さす。

 

「――あそこです」

 

 皆の視線が、ハルの指し示した方角へと集中する。

 そこは、一歩でも道を踏み外せば転げ落ちてしまうような断崖絶壁。そこに、一本の木が生えていた。

 包み込むかのように枝を広げている、闇と同化するように黒々とした不気味な木。

 

 その枝の一本に――赤いロープが括りつけられており、輪を作っていた。

 木の根元には、足場として使われた木箱が転がっている。

 

「! ま、まさか……っ」

「と、とうさん……」

 

 その情景に目玉おやじが目を見開き、鬼太郎も息を呑む。

 彼らの抱いた『疑念』をはっきりと答えにすべく。ハルはその口を重苦しく開いた。

 

 

「ユイはこの場所で――ここで……首を吊って死にました」 

 

 

「――――――――――――」

 

 誰もが、その残酷な真実を理解するのに数十秒の時間を有した。最悪の予想をしていた鬼太郎たちですらも、呆然と立ち尽くす。

 

 いなくなって二週間。

 その間に、ユイは既に亡くなっていた。

 夜に連れ去られたのではなく、この町の化け物に殺されたのでもない。自ら首を吊って――その命を断っていたと、いったい誰が予想できただろうか。

 

「う、うそよ……嘘よっ!!」

 

 その真相を受け入れることができず、由紀子はパニックになる。

 

「あ、あなた! ユイに会えるかもって言ってたじゃない! だったら――」

 

 彼女は声を荒げハルに詰め寄る。そんな由紀子の問いにハルは冷静に答える。

 

「はい。会えるかもと思ったんです……お化けでも、幻でもかまわない。ユイが死んだこの場所なら、もう一度、ユイに会えるかもしれないと……」

 

 確かにハルはユイに会えるかもと言った。だが彼女が『生きている』とは一言も口にしてはいない。ハルは、亡霊でも構わないからもう一度彼女に会いたい。

 そう願って今日――夜にこの場所へと訪れようとしたのだ。

 

「けど……やっぱり駄目みたいです。わたしにはもう、ユイの声も聞こえない」

 

 ハルは失った左手の断面を擦りながら、自虐的な笑みを浮かべる。

 

「当然ですよね。わたしは、ユイとの『縁』をコトワリ様に切ってもらったんです。だから、もう会えるはずもないんです」

「それは……どういう意味だい?」

 

 ハルが呟いた言葉に鬼太郎が眉を顰める。大切な親友同士だった筈のユイとハル。それなのに、コトワリ様に縁を断ち切って貰ったとはどういうことなのか。

 鬼太郎の問い掛けに、ハルは心底苦しそうに言葉を紡いでいく。

 

「ユイは……死んだ後もわたしを求めてくれました。お化けになって……わたしと一緒にって……」

 

 ユイはこの場所で死に、亡霊となってハルの前に姿を現した。

 ユイは――大切な親友であるハルを求めて町の中を彷徨い歩くお化け。この町の闇を構成する怪異の一部となってしまったのだ。

 

『イッショニキテ』『オイテカナイデ』

 

 ユイの『ハルと離れたくない』という想いの強さ、絆の強さが――皮肉にもハルを道連れにしようとする意志を強めてしまう。

 怪異となったユイは、悍ましい姿でハルを求め、彼女の左手に『運命の赤い糸』を雁字搦めに巻き付けてきたのだ。

 

「わたしは……お化けになったユイを見ているのがつらかった。怖くて、苦しくて、悲しくて……」

「ハルちゃん……」

 

 そのときのこと思い出しながら話しているのだろう。ハルは涙声で震えていた。

 猫娘はそんな少女の痛ましい姿を黙って見ていることができず、後ろからそっとハルの体を抱きしめてやる。猫娘の温かさに触れ、ハルは少しだけ勇気を取り戻し、その話の顛末を口にする。

 

「だから……わたしは、コトワリ様にお願いして…………ユイとの縁を、この左手ごと断ち切ってもらったんです」

「!! そうか、君は『禁じ手』を使ったんじゃな!」

 

 ハルの言葉に目玉おやじが合点がいったと叫ぶ。コトワリ様の神社で解説文を読んでいた彼には、ハルの言っていることの意味が理解できた。

 

 本来、コトワリ様が断ち切る縁は『悪縁』だけだ。たとえ、穢れで神性を失っていてもそれだけは変わらない。

 だがもし、やむを得ない事情で悪縁ではない縁、互いに離れたくないと思っている『絆』を断ち切らねばならないとき。コトワリ様は生贄の人形と、体の一部――左手を代償にその絆を、赤い鋏で断ち切ってくれる。

 

 ユイはハルと離れたくなかった。 

 ハルも、本当はユイと一緒にいたかった。

 だからこそ、ハルはその『禁じ手』に頼るしかなかったのだ。

 

「ユイちゃんの父親……彼も家族との絆を断ち切るために、己の左手を差し出したのじゃろう……」

 

 日記を残して失踪したユイの父親。彼もまたハルと同じように禁じ手をつかい、家族との絆を断ち切った。

 彼は愛する家族を守るため、ハルは親友の壊れていく姿に耐えられなくなって。

 彼らは大切な人との『縁』ごと、左手を失った。

 

「……ごめんね、ユイ。ほんとに、ごめんね……」

「きみが……責任を感じるようなことじゃない」

 

 鬼太郎は、左手を失い親友との縁を失ってしまったハルの肩にそっと手をおく。

 幼い彼女がどれほどの覚悟で、自らユイとの絆を断ち切ることを選択したのか。その辛さを、鬼太郎には想像することしかできない。

 猫娘も目玉おやじも、ハルという少女の背負った痛みに、それ以上の半端な慰めを口することができず。

 

 ただ静かに――彼女を労りの視線で見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 これが、ハルが知っていること。ユイの母親である由紀子に伝えられることだった。

 ユイは死んだ。それは覆すことのできない事実だ。しかし――

 

「うそよ……そんなのうそよ……」

 

 その事実を受け入れることができず、由紀子はうわ言のように呟く。

 夫が消えてしまったのも、ユイが死んだのも。全て何かの間違いだと、質の悪い夢だと。

 彼女の消耗しきった心は、弱々しい声音で事実を否定することしかできずにいた。

 

 そんな疲弊しきった由紀子の耳元に、彼女の心に――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『…………オイデ』

 

 

 山が――――語りかけてきた。

 

 

 




深夜廻の登場人物紹介
 ユイ
  赤いリボンがトレードマークの女の子。プロローグで首を吊ってしまう少女の姿は初めて見たときは衝撃的でした。今作では既に死者、名前だけの登場になるかと思います。

 ハル
  青いリボンがトレードマークの女の子。本来は臆病でいつもユイを頼っていた少女が、夜の町を巡り様々な経験をして成長する。小説版での彼女の心情に何度涙腺が緩んだことか……。

 チャコ
  最強のわんこ。髑髏の怪物――がしゃどくろを吼えるだけで倒してしまう、超頼りになる犬。

 深川由紀子
  ユイの母親。その存在は小説内でちょこっと書かれていますが、名前は今作でのオリジナルです。一人残った彼女が不憫で、一応その救済のために今回の話を思いつきました。

 次回で『深夜廻』は最終回です。
 どのようなEDを迎えるか、どうかお楽しみに……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

深夜廻 其の③

深夜廻のボスキャラ紹介
 コトワリ様
  幾度となくユイとハルの前に現れ、鋏を手に襲い掛かってくる怪異。その正体は穢れた縁結びの神様。何故コトワリ様がユイとハルを追い回してくるのか、その理由など小説版の中身を参考に書かせてもらいました。

 謎の声
  本作のラスボス。ネタバレになるので、ここでは謎の声として紹介。ネット上で様々な考察がされていますが、公式の正式な発表がないため、詳しい解説は本小説内でもしません。何故襲ってくるか分からないものに追われるというのが、ある意味一番怖いかも。  

 今回で深夜廻とのクロスが完結します。何とか三話で纏められてホッとしています。
 色々と解釈違いなどあるでしょうが、これが私なりに考えた『深夜廻』と『鬼太郎』のクロスオーバー小説です。

 


 たった一人の愛娘――ユイが死んだと聞かされ、深川由紀子は絶望の淵に立たされる。

 既に夫も自分との『縁』をコトワリ様に切ってもらい、どこかへと失踪している。

 大切にしていたものが次々と消え失せ、由紀子の精神は崩壊寸前だった。

 

 そんな、壊れかけた彼女の心に――

 

『……オイデ…………こっちへおいで……』

 

 何者かの声が響いてくる。

 

 ――……だれ? あなたは誰なの……?

 

 その声に呼びかけられ、項垂れていた由紀子は立ち上がる。

 おいで、おいでと。こちらを手招くその声はとても慈愛に満ちていた。優しく包み込んでくれるような、柔らかな声に導かれるまま、由紀子はフラフラと歩き出す。

 

 

 おいで、会いにおいで

      あ、う……? だれに……誰に会いに行くの?

 よんでる、あなたの大切な人が。

      たいせつな……ゆい、ユイに会えるの?

 会いたいと願えば。

      会いたい……会いたいに決まってる!

 じゃあ、会いに行こう。このまま進んで。

      進めば……このまま進めば会えるの、ユイに?

 うん、だから進んで。そして――離さないで。

      離さない?

 うん、繋いだ手をぜったいに離さないで。

      うん、わかってる……もう、絶対に離さない。

 約束できますか? 

      約束する!

 じゃあ、掴んで。その手をしっかりと掴んで。

      手……この手でいいの?

 掴みましたか?

      うん、掴んだよ……次はどうすればいいの?

 掴んだら、その輪の中を覗き込んで。

      覗き込む? どうして……?

 大切な人が待ってる。そこに誰がいるかわかりますか?

      ユイ……ユイがいる!

 何をしてますか?

      わたしにオイデって手招きしてる。

 オイデ。イッショニイテ。

 

 

 ええ、そうよね……一緒に、このまま一緒に――――。

 

 

 

「――止めろっ!!」

「うっ!?」

 

 鬼太郎によって、深川由紀子はその体を突き飛ばされる。勢いのまま地面に尻もちをつき、その痛みで彼女は虚ろな夢から目を覚ました。

 

「いたっ! ……なにする……の…………あれ、わたしなにを?」

 

 お尻を擦りながら、由紀子は現状へと目を向ける。 

 ついさっきまで、ユイの死の真相を知り泣き崩れていた筈の自分。それがどうして鬼太郎に突き飛ばされることになったのか。その前後関係をはっきりと思い出せない。

 まるで寝起きのように頭がぼんやりとし、少しだけ頭痛がする。困惑する由紀子に向かって、猫娘が怒るように声を荒げる。

 

「あなた今、あのロープで自分の首を吊ろうとしてたのよっ!?」

「……えっ?」

 

 猫娘に言われ、由紀子は視線を上げる。

 こちらを包み込むように枝を広げた、黒々とした不気味な木。

 その太い枝の一本に、赤いロープの輪が繋がれている。

 

 ユイの命を奪った首吊りのロープが――。

 

「わ、わたし……なんで……?」

 

 ぞくりと、由紀子の背筋が震える。

 確かにユイの死を知り、死にたくなるほどの絶望を覚えたのは事実。だが今すぐ首を吊って死のうなどと、意識した覚えはない。

 ましてや、娘が自殺した同じロープで首を吊ろうなどと、そんな悍ましい真似をするなど。

 

「覚えておらんのか? ハルちゃんが気づいてくれなければ今頃……」

 

 記憶の曖昧な由紀子に目玉おやじが問い掛ける。

 そう、ハルの口から語られる真実に皆が呆然と立ち尽くす中、ハルだけが由紀子の異変を察知した。由紀子がフラフラとおぼつかない足取りで、あの黒い木に近づきロープに手を掛けようとしていたところを。

 首を括るまであと一歩のところで、ハルの叫びと共に駆け出した鬼太郎によって由紀子は突き飛ばされ、正気を取り戻したのだ。

 

「よく気が付いてくれたのう、ハルちゃん……ハルちゃん?」

 

 由紀子の異変をいち早く察知したハルを褒めながら、目玉おやじが振り返る。

 

「お、おなじだ……」

 

 そこには青白い顔で全身から嫌な汗を流して動揺するハルの姿があった。

 彼女は唇も真っ青、緊張状態で声を震わせる。

 

「わたしのときと……あのときと同じだ……」

「大丈夫か、ハル?」

「ハルちゃん!?」

 

 ハルの明らかに尋常ならざる様子に、鬼太郎と猫娘が彼女の側に駆け寄りその肩に手を掛ける。触れた手から伝わってくるハルの体温は冷たく、その体は震えていた。

 

「わたしのときも、声が聞こえてきた。その声に言われるまま、わたしも同じように――」

「声……? 声じゃと? も、もしや!?」

 

 ハルの言葉に目玉おやじが何かを悟る。

 

 鬼太郎たちには何も聞こえなかったが、どうやら由紀子には『声』が聞こえたらしい。彼女はその声に誘われるがまま、自ら首を括ろうとした。

 ハルも、過去にその『声』を聞いたという。

 ユイの父親が残した手記にもあった。『あの声』のもとに行けると。

 

 裏山の入り口に立て掛けられた看板にもあった。『山が語りかけてくる』と――。

 

「父さんっ!!」

 

 そのとき、鬼太郎の妖怪アンテナに反応があった。周辺の妖気の高まりが、その声の主――何者かの存在を鬼太郎たちに警告する。

 

 

 次の瞬間――その異変は唐突にやってきた。

 

 

 鬼太郎たちが立っていた山の見晴らし台。そこが――完全な闇によって覆われる。

 まばらに見えていた町の明かりが、星々の光も全て死に絶えるように消え去り、暗い夜が辺り一帯を支配する。虫たちの鳴き声も聞こえなくなり、絶え間なく吹いていた山風もピタリと止む。

 

「ちょっと、なんなの、これ!?」

「わん、わんわんわん!!」

 

 その景観の変化に猫娘が困惑し、ハルの愛犬であるチャコが激しく吠え猛る。そうして、困惑しながらも身構える一同。そんな彼らに――『その声』は囁いてくる。

 

『――カワイソウ、カワイソウ、カワイソウ、カワイソウ』

 

「これは……!?」

「わたしにも、聞こえる!?」

「これが……山の声なのか?」

 

 初めて鬼太郎たちにも聞こえてきた、山の語りかけてくる声が。

 それは、とても穏やかで優しさに包まれるような響きの声音だった。可哀想と情に訴えかけるその言葉に、鬼太郎たちは思わず耳を傾けたくなってしまうが――。

 

「――聞いちゃダメ!!」

 

 その声を遮るようにハルが叫ぶ。

 

「そいつの話に耳を傾けちゃダメ!! まともに相手しないで!!」

「!? ――父さん、猫娘!!」

「っ!?」

「い、いかん! 思わず聞き入ってしまうところじゃった!」

 

 少女の叫びに鬼太郎がハッと我に返り、目玉おやじと猫娘に呼びかける。二人も鬼太郎の呼びかけで正気を取り戻し、その声を聞くまいと両手で耳を塞ぐ。

 しかし、耳を塞いでも声は頭の中に直接響いてくる。

 

『カワイソウ、カワイソウ、カワイソウ』

「うるさい……うるさい、うるさい!!」

 

 その声に対し、ハルは一際頭を振って叫んでいる。拳をギュッと強く握りしめ、その瞳には激情の炎を宿していた。とても幼い少女のものとは思えぬ憤怒の表情を浮かべ、彼女は虚空を睨みつける。

 

「かわいそうなんて思ってもないくせに!! そうやって優しいフリをして、お前はみんなを連れてっちゃうんだ!!」

 

 ハルはその声の主のやり口をよく知っているのか。その手には乗らないと強く、強く拒絶の意思を示す。ハルの抵抗する姿に倣うよう、鬼太郎たちも必死になって誘惑してくる声に耐え続ける。

 

 

 

 そして――業を煮やしたのか。ついに、声の主はその姿を現した。

 

 

 

×

 

 

 

 地の底から唸り声を上げながら、鬼太郎たちの眼前にその巨体をさらけ出した『それ』は――大雑把な表現をすると『蜘蛛のようなもの』だった。

 人の手や顔や目をデタラメにくっつけて、無理やり蜘蛛の形に押し込めたような『何か』――。

 

 瘤だらけの長くて太い脚。

 丈夫そうな歯をずらりと並べた大きな口。

 両の手で目元を隠しているが、その手にも目玉が無数に付いている。

 ギロリと、こちらを見下ろしてくる目玉の一つが意味深に潰れていた。

 

 ところどころ、コトワリ様に似ている部分が多々あるようだが、こちらの方がもっと醜くて悪質な姿をしている。

 

「なんだ、こいつはっ!?」

 

 その醜悪さに鬼太郎ですら驚きの声を上げる。この町に来てからというもの様々な怪異と遭遇したが、目の前のそいつは群を抜いて、悍ましい見た目と淀んだ妖気を漂わせている。

 

『カワイソウ、イッショニキテ、イッショニキテ』

 

 醜悪な姿のまま、『蜘蛛のような』それは変わらず優しい口調で鬼太郎たちに語りかけてくる。悍ましい外見とは裏腹に、声だけは優しいまま。そのチグハグ具合が、より存在の不気味さを際立たせている。

 

 その巨大な怪物の出現と同時に、周囲からカサカサと物音が聞こえてきた。

 

「! 髪の毛針!!」

 

 その物音がした方へ鬼太郎が毛針を飛ばす。暗闇の向こう、彼が攻撃を加えた場所に人間の子供――ハルくらいの大きさの『蜘蛛のような』化け物が転がっていた。

 鬼太郎が仕留めたのは一匹だったが、その蜘蛛は二匹、三匹とゴキブリのように次から次へとどこからともなく湧いて出てくる。

 

「ひっ! な、なんなのよ!? なんなのよ、こいつら!?」

「こやつら……あの声の主の眷属かっ!? 鬼太郎っ!!」

 

 それらの怪物たちを前に、すっかり腰を抜かしてしまった由紀子が青ざめる。目玉おやじはその蜘蛛の集団を声の主――大蜘蛛の配下であると判断し、鬼太郎に警告を促す。

 

「はい、父さん!! リモコン下駄!」

「シャァアアア……!!」

 

 鬼太郎と猫娘は己の得意技を振るい、寄ってくる蜘蛛たちを端から順に撃退していく。小蜘蛛単体の力は町に出没する怪異たちと同程度で、鬼太郎たちの攻撃に呆気なく彼らは塵と消えていく。だが――

 

「っ、こいつら、キリがないわよっ!!」

 

 倒しても倒しても、一向に減る気配のない蜘蛛たちに猫娘が叫ぶ。蜘蛛は倒せば倒した分だけ増えていき、瞬く間に鬼太郎たちを取り囲んでいく。

 そして、鬼太郎たちを取り囲んだ蜘蛛たちは、一斉に口のような部分から血のように真っ赤な糸を吐いてきた。

 

「危ないっ!」

「下がって、きゃっ!」

 

 鬼太郎と猫娘はハルと由紀子を庇うため、あえて前に出てその糸をまともに食らってしまう。粘着質の糸はベタベタと彼らの体に纏わりつき、その動きを封じてしまう。

 

「鬼太郎さん!!」

 

 自分たちを庇って敵の術中に嵌ってしまった鬼太郎を心配して駆け寄ろうとするハル。だが、少女の進路を阻むように蜘蛛たちが集まって彼女の前に立ち塞がる。

 

「に、逃げろっ、ハル!」

 

 鬼太郎が体に絡む糸と格闘しながらハルに叫ぶ。しかし、ハルたちの周囲はいつの間にか張り巡らされていた赤い糸によって、『蜘蛛の巣』と化してしまっている。

 逃げ場など何処にもなく、ハルとチャコ、由紀子は瞬く間に蜘蛛たちによって周囲を取り囲まれる。

 

「ぐぅう……わんわん!」

 

 そんな中、チャコがハルを守るように唸り声を上げ、蜘蛛たちの前に立ち塞がる。蜘蛛たちは子犬であるチャコを避けるように、その場に群がるだけに止まる。

 小蜘蛛たちの代わりに、大蜘蛛の怪物がその醜悪な顔を彼女たちに近づけ、優しい声で囁く。

 

『カワイソウ、カワイソウ、カワイソウ……ホラ、カワイソウ――』

 

 大蜘蛛が「ホラ」と指し示したもの――それは『首を吊ったユイの死体』だった。

 

 突如、虚空に現れたユイの死体は一つ、二つと数を増やし――やがては六つの骸となって空中にぶら下がり、ハルと由紀子の頭上でゆらゆらと揺れる。

 

「――っ!」

 

 まるで見せつけるように彼女たちの目の前に突きつけられた、土色の顔の少女の死体。それが怪異の見せる幻影と知っているのか、ハルは悲しみを堪えながら怒った顔で大蜘蛛を睨みつける。

 

「あ、ああ……ゆ、ユイ、ユイ……」

 

 だが、ユイの母親である由紀子は、それを幻と切り捨てることができず。

 突きつけられた娘の無残な亡骸を前に、くしゃくしゃに泣き崩れる。

 

『カワイソウ、カワイソウ、イッショニキテ、カワイソウ』

 

 由紀子の反応に大蜘蛛は標的を彼女に絞る。泣き崩れる由紀子の情に訴えかけるように、大蜘蛛は――『彼女が心の奥底で抱いている罪悪感』を刺激する。

 

 

『カワイソウ、カワイソウ……ゼンブオマエノセイ……オマエノセイ』

「……わ、わたしのせい…………」

 

 

 大蜘蛛のその指摘に――由紀子は自らの『罪』を思い返していた。

 

 

 

×

 

 

 

『――なんで家にいないの!!』

 

 鬼のような形相で怒鳴りながら、由紀子は幼いユイの顔を平手打ちしていた。

 

 それはユイがいなくなる前、深川家で日常的に起きていた日々の記憶の一部である。

 夕方、日が暮れる前に由紀子は毎日のように仕事に出掛けていた。その日は偶々仕事が休みで、夜に家にいたのだが、娘のユイが遅くまで外で遊んでいて中々帰ってこなかったのだ。

 この町の『夜』の恐ろしさを理解しているだけに、門限を破って帰宅したユイに由紀子は烈火の如く怒り狂った。その叱責は勿論、娘の身を心配していたのもある。

 

 だがそれ以上に、由紀子はイライラをぶつけるためにユイに暴力を振るっていた部分もあった。

 

 夫が謎の失踪を遂げてからというもの、深川家の日常は百八十度変わった。

 深川家は由紀子と夫、ユイの三人家族。三人が揃っていた頃、由紀子は家事が得意で毎日のように家族に温かい手料理を振る舞っていた。家の中はいつも綺麗で、明るく笑顔が絶えないごく当たり前に幸せな家庭がそこにあった。

 

 だが、父親がいなくなったことで全てが壊れた。

 

 由紀子はあれだけ得意だった家事も料理もやらなくなり、家の中はすっかりゴミ屋敷化。寂しさを紛らわすため、男を家に連れ込むようになり、娘のユイに対して冷ややかな態度をとるようになっていた。

 

 適当にオモチャを買い与えて喜ぶ顔を強要した。

 夕食代にポイッと千円札だけを投げ捨てて放置した。

 叱りつけるときには暴力を振るった。失踪写真に写っていたユイの頭に巻かれていた包帯。アレは由紀子の虐待によって出来た怪我だ。

 それだけの仕打ちをしておきながらも、由紀子はユイに縋っていた。

 男がいる間は男に泣きついておきながら、一人になった途端、彼女は常にユイの存在を求める。

 

 母親としてのアイデンティティを守りたい一心で――。

 いなくなった夫との間に生まれた『絆』を手放したくなくて――。

 

 

 

 

 

 

 

「そう……ユイが死んだのも……きっと私のせい……」

 

 自身の罪を思い出し、由紀子は悟る。

 彼女はユイが失踪してからというもの、ずっとこの町の『夜』に対して、怒りを抱いていた。ユイがいなくなったのはこの町のせいだ。この町の夜が娘を連れて行ってしまったんだと。

 そう思ったからこそ、妖怪ポストに手紙を送って鬼太郎に娘の捜索を依頼した。

 

 だが違う。この町の夜など関係ないのだ。

 ユイは――由紀子の母としてのあるまじき仕打ちに耐えられなくなって自ら首を吊ったのだ。

 由紀子が――ユイに自殺という結末を選ばせてしまったのだ。

 

『カワイソウ、カワイソウダネ、イッショニキテ、イテアゲテ……』

「ええ…………そうよね」

 

 そういった負い目から、由紀子は大蜘蛛の語りかけに同意してしまう。彼女は虚ろな目で、自らの身を捧げるかのように小蜘蛛たちの元へと歩み寄っていく。

 

「駄目だっ! 由紀子さん……」

「いかん! 気をしっかり持つんじゃ!」

 

 鬼太郎や目玉おやじが身動きできない状態で彼女に呼びかけるが何の反応も示さず、由紀子はうわ言のように懺悔を口にする。

 

「ユイ……きっとわたしを恨んでるわよね……。酷いことして……ごめんね……」 

 

 今更になって謝罪の言葉を口にするが、もう何もかも手遅れだ。ユイはもうこの世にはいない。夫もきっと生きてはいないだろう。

 愛する家族がもう誰もいない。その事実が由紀子には耐えられなかった。

 だからこそ、彼女は――

 

「いま……そっちにいくから……今度こそ、ちゃんとした母親でいるから……だから――」

『オイデ、オイデ』

 

 声に導かれるまま、歩を進める。

 この『苦痛な生』を終わらせるべく、由紀子はユイの後を追い『安寧の死』を得ようとしていた。しかし――

 

 

 

 

 

 

「――――違う!!」

 

 

 

 

 

 怪物の唸り声にも負けない、囁かれる声を打ち破るほどに力強い声がその場に響き渡る。

 

「は、ハルちゃん……?」

 

 その叫びに込められていた思いの大きさに、由紀子が我に返る。

 由紀子の側には、小さな体で懸命に彼女にしがみつき、愚かな自殺行為を止めようとするハルの姿があった。ハルは涙声で由紀子に訴える。

 

「ユイは……誰も恨んでなんかなかった!! 彼女が死んだのは、おばさんのせいなんかじゃない!!」

「……えっ?」

 

 その言葉が意外過ぎたためか、由紀子は戸惑う。

 由紀子はハルと町中で出会ってから、ずっと彼女からの冷ややかな視線に気づいていた。ユイの友人と名乗る少女から向けられる、自分を責めるような視線。

 てっきり、それは由紀子がユイに行っていた虐待行為の一部を知っているためだからだと思っていた。仲の良い友人で会ったのなら、きっと体罰で負ったユイの怪我にも気づけていただろう。

 

 しかし、今ハルが怒りの矛先を向けて叫んでいるのは、大蜘蛛の怪物だけだ。

 並々ならぬ敵意をその瞳に宿しながら、少女は醜悪な怪物へとその小さな牙を垣間見せる。

 

「お前がっ! お前がユイを、ユイの心をねじまげたんだ!! ユイは、最後まで生きようとしてた! それを……お前がっ!!」

『カワイソウ、カワイソウ、カワイソウ、カワイソウ――――』

 

 吠え猛るハルに、尚も大蜘蛛は優しい声音で囁き続ける。

 

「――うるさい!」

 

 だが、そんな中身の伴っていない怪異の甘言を一蹴し、ハルはうさぎのナップサックから赤い裁ち鋏を取り出す。

 コトワリ様からもらった縁切りの鋏。その鋏を見せつけるように右手で翳した瞬間、大蜘蛛は明らかな『怯え』を露にする。そして――

 

「わたしはもう、お前なんかこわくない! お前が何度でもわたしの前に出てくるっていうなら、わたしが何度だって、お前を――やっつけてやる!!」

 

 

 そう叫ぶと同時にハルは駆け出し、周囲に張り巡らされていた蜘蛛の巣の糸をその鋏で断ち切る。

 

 

 次の瞬間――大蜘蛛の巨体が大きく態勢を崩す。空に浮いているように見えたその体が、まるで支えを失いかけたかのように、揺らいでいるのだ。

 その光景に鬼太郎は気づく。

 

「そうか……あの糸を断ち切ればいいのか!!」

 

 それは大蜘蛛や小蜘蛛たちの出現と同時に、いつの間にか蜘蛛の巣のように周囲に張り巡らされていた『赤い糸』だ。その糸によって大蜘蛛はその巨体を支え、存在を維持することができている。

 ならば、その糸を全て断ち切ってしまえば――。

 

「猫娘っ!!」

 

 なんとか糸の束縛から抜け出した鬼太郎が猫娘に呼びかける。

 

「ええ、任せてっ! シャァアアア!!」

 

 猫娘も粘着性の糸から脱し、既に自由の身となっていた。彼女の口が大きく裂け、目が金色に輝き獣じみた表情に変わる。

 猫娘も、大蜘蛛の人の弱さに付けこむやり口に相当怒りを溜め込んでいたのだろう。激情に突き動かされるまま、自慢の爪で蜘蛛の巣を斬り刻んでいく。

  

『ヤマテ、ヤメテ、オネガイ、ヤメテ』

 

 ハルの鋏と猫娘の爪で次から次へと赤い糸を切除されるたび、大蜘蛛の巨体が揺れ、先ほどまでとは違う、懇願するような悲痛な叫び声を上げる。

 大蜘蛛はハルたちの動きを阻止するべく、配下である小蜘蛛たちを総動員したり、死体の雨を降らしたりなどして彼女たちが糸を斬るのを妨害しようとした。

 

「やらせるかっ! 霊毛ちゃんちゃんこ!!」

「わん! わんわん!!」

 

 だが、鬼太郎が敵の攻撃をちゃんちゃんこで受け止め、チャコが吠えて小蜘蛛たち牽制する。

 必死の抵抗も虚しく、大蜘蛛は成す術もなく全ての糸を断ち切られていく。

 

 そしてついに――

 

『カワイソウカワイソウカワイソウカワイソ――』

 

 それが誰に対しての『カワイソウ』なのか。支離滅裂な言葉を吐きながら、大蜘蛛がその巨体を無様に地面に転がす。まるで甲羅からひっくり返った亀のように、ジタバタと瘤だらけの足をバタつかせる。

 

 そこに――鬼太郎がトドメの一撃をお見舞いする。

 

 

「――指鉄砲!!」

 

 

 鬼太郎の妖力が一点に収束され、指先から放たれる一撃必殺の光弾。その一撃を真正面から食らい、大蜘蛛は断末魔の悲鳴を上げる。

 

 

 その肉体は消滅し、ただの魂となって何処ぞへと消え去っていった。

 

 

 

×

 

 

 

「…………どうやら、終わったようじゃな……」

 

 目玉おやじが呟いた。

 鬼太郎が大蜘蛛を退治したおかげで、いつの間にか周囲の景観が正常な状態に戻っていた。親玉を倒したことで小蜘蛛たちは全て消え去り、あれだけ五月蠅く語りかけてきた『声』も聞こえなくなった。

 そこはいつもの山の見晴らし台。もうすぐ、夜が明けようとしているのか、東の空が白み始めている。虫たちの鳴き声が、優しい山風がこの夜を乗り越えた生者たちを歓迎する。

 

「………………ユイ」

 

 だが、化け物を倒しても、何度この町の夜を乗り越えようと、失われた命は帰っては来ない。ユイも、由紀子の夫も――生きた姿のまま、朝を迎えることはできない。

 その事実に打ちひしがれ、由紀子は顔を上げることができず地面に蹲る。

 

「おばさん…………わたし、おばさんに言わなきゃと思ってたことがあるんです…………」

 

 そんな意気消沈な由紀子に向かって、ハルは躊躇いながらも声を掛けていた。

 

「わたしは、いつも日が暮れるまでユイと一緒に遊んでいました。あの空き地で……チャコと、クロっていうもう一匹のワンちゃんと一緒に……」

 

 チャコ以外にも、少女たちが空き地で飼っていた子犬がいたようだ。

 その子犬が何故ここにいないのか。そのことには触れず、ハルは平静な口調で言葉を綴っていく。 

 

「帰る頃になると、いつもユイは言ってました。『家に帰りたくない』って――」

「!!」

 

 静かに告げられた言葉に由紀子がショックを受けるが、当然、それが何故なのか彼女には理解できた。

 自分のような母親がいる家になど帰りたくない。ユイの正直な気持ちがその言葉に現れている。

 

「……ユイがいなくなった後になって知りました……ユイが、どれだけ辛い日々を送っていたのかを……」

「や、やめて……」

 

 ハルの言葉が遠回しに自分を責めているように聞こえ、由紀子はたまらず耳を塞ぐ。

 しかし、ハルは真正面から由紀子を見据えて伝える。

 

 自分の知っている、『真実』を――。

 

「けど、ユイは誰も恨んでなんかいません。彼女はずっと、前向きに頑張ろうとしてたんです」

「えっ――?」

 

 先ほども、あの怪物に向かってハルは堂々と叫んでいた。ユイが誰も恨んでいなかったと。

 てっきりただの強がりな発言だと思っていたが、ハルが本気でそう思っていることがその力強い言葉から伝わってくる。

 ハルは、うさぎのナップサックからある物を大切そうに取り出し、由紀子に差し出す。

 

「それは…………日記帳?」

 

 それは夏休みの宿題である絵日記帳だった。ノートにはしっかりと『深川ユイ』と名前が書かれている。

 

「そうです。ユイの絵日記です。ここに……ユイの本当の気持ちが書かれています」

 

 そう言って、ハルは由紀子に娘の残した日記帳を読むように手渡す。由紀子は暫し躊躇いはしたものの、意を決してノートを開きページを捲る。

 

 絵日記は、毎日欠かさず書いてあった。

 夏休み中、由紀子はユイに母親らしいことを何一つしてやれなかった。そのため、その絵日記に由紀子は一切登場せず、書かれていることは町や近くの山でハルと遊んだことばかりだ。

 毎日起きた楽しいことや嬉しいこと。それが上手なイラストと共に書かれていた。

 その絵だけでも、その文章からでも、ユイの楽しそうな気分が伝わってくる。

 

「…………」

 

 娘の『遺言』を噛みしめるように文字を追う由紀子は、ついに最後のページ。

 ユイが書き残した、最後の絵日記を読み進めていく。

 

 

 

 

『〇月×日 はれのちくもり

 

  きのうはいろいろありました。いろいろありすぎて全部はかききれません。

  だから、いちばん大きなできごとをかきます。

  ハルが、とおくにひっこしてしまうと聞きました。

  びっくりしました。とてもさびしいです。けど、落ち込むことはありません。

  会いに行けばいいんです。とおくても電車があります。

  いつか、電車に乗って一人で会いにいきます。

 

  今日はこれから花火です。ハルと行くやくそくをしました。

  もうハルはひっこしちゃうけど、いつかまたいっしょに花火を見られるといいな。

  ひっこしたあとも、たくさん手紙をかきます。

  来年の夏休みに、またハルに会いに行きます。

 

  だから、がんばろう                            』

 

 

 

「……っ……う、うう……」

 

 由紀子は、涙を堪えきれなかった。

 娘の絵日記からは怒りや恨み、絶望といった感情は全く伝わってこない。母親への愚痴や恨み言の類も一切書かれていない。

 最後の絵日記からは、この夏に転校してしまうという親友・ハルに対する寂しさのようなものが書かれてはいたものの、それでも前向きになっているユイの感情がしっかりと伝わってくる。

 一番最後の『頑張ろう』という言葉が力強い字で書かれており、それがユイの本心の全てを物語っている。

 

「ユイは、生きようとしてた……だけど、あいつはその気持ちをねじまげて、ユイを……」

 

 ユイが首を吊ったのも自らの意思ではない。ユイの寂しいという気持ちに付けこみ、『山の声』が彼女を唆したことにより生まれた悲劇だ。

 

 勿論、それで由紀子がユイにしてきた仕打ちの全てが許されるわけではない。

 彼女が娘に八つ当たりのような暴力を振るってきたのも事実。だがそのことを、決してハルは責めようとはしなかった。

 

「彼女は最後まで、がんばろうと……生きようとしていました……」

 

 ハルは真っすぐ由紀子を見つめる。その瞳には、もう最初に出会った頃のように彼女を責めるような冷ややかな視線はなかった。

 

「だから……おばさんも生きてください。……きっとユイも、それを望んでいます」

 

 彼女を恨むことを親友は望んでいない。

 きっとユイなら、母である由紀子を許すと――そう思ったから。

 

「わたしも、生きていきますから。ユイのいなくなった……この世界で――」

「…………う、ううう」

 

 互いに大切な人を失った傷を負う者同士。ハルは由紀子の手を握り、日記帳をその手に握らせる。

 本当は自分が持っていたい筈の、ユイとの想い出の品を由紀子に譲る。

 

「…………」

 

 そんなハルの逞しい背中を、鬼太郎たちが静かに見守る。

 

 

 気が付けば夜も明け、朝焼けの光が町全体を照らしていた。

 

 

 

×

 

 

 

「わん! わんわん!」

「チャコ、あまり遠くに行かないでね……」

 

 山の見晴らし台。

 夜を乗り越え、朝を迎え、再び夜を迎えようとしている夕焼けの空を眺めに、ハルはチャコと一緒にこの場所を訪れていた。

 まだ明るいうちはこの山でも怪異が出現することはない。ハルだけでもこの場所へ訪れることができていた。

 

「……ユイ、やっぱり会いたいよ」

 

 失った左手を擦りながら、ハルは思わず呟く。

 ハルはこの場所へはいつも訪れていた。ユイがその命を断った場所――彼女の命を奪った木の下に、ハルは毎日鎮魂の花を添えにやってきていた。

 ハルにとって世界で一番辛い場所。だからこそ――彼女はそこから目を背けたくなかった。

 

「――ハル」

「あっ、鬼太郎さん。目玉おやじさんも、猫娘さんも。こんにちは」

 

 すると、そこに鬼太郎たちがやってきてハルに声を掛ける。彼らもそれぞれ花を持参しており、ユイの墓前に供え、彼女のために祈ってくれる。

 

 あれから、鬼太郎たちはこの町に一日留まり、町の様子をつぶさに見て廻った。

 夜になると怪異が蔓延り、人間を追いかけてくる恐ろしい町。だが、朝になれば化け物たちは影も形も見せなくなり、人々が何事もなかったかのように普通に生活している。 

 子供たちが無邪気に遊び回り、主婦たちが道端で世間話に花を咲かせる。サラリーマンたちが朝早くに忙しなく出勤に出掛け、そして夕方になって慌てて帰宅してくる。

 

 夕方ごろになって、鬼太郎はこの町に再び淀んだ空気が集まってくるのを感じていた。おそらく、日が完全に沈めば、再びこの町を『怪異』たちが歩き回ることになるだろう。

 

「結局、この町の夜に関しては、わからずじまいね……」

 

 猫娘が溜息混じりに口にする。

 ユイの命を奪った大蜘蛛の化け物を倒したところで、この町の現状は何も変わらない。魂となった奴が復活するまで、あの声が人々を死へ誘うことはないだろうが、それでも、この町を覆う『闇』は変わらず存在し続ける。

 

「それでも、わたしはこの町が好きです。この町でユイと出会って、友達になれたから……」

 

 だが、そんな歪な町であろうと、ハルにとってはかけがえのない想い出の故郷だ。

 たとえ、この町を離れることになっても、ハルは一生この町のことを忘れないだろう。

 

 

 そう――ハルは今夜、この町を発つことになっていた。

 

 

 親の仕事の都合による引っ越し。今年の夏休みの間しか、ハルはこの町に留まることができなかった。

 

「だから『時間がない』と、慌てておったんじゃな……」

 

 目玉おやじが過去にハルが発言した言葉の意味を悟る。

 時間がないと、慌てた様子で彼女は危険な夜の中、この場所へ訪れようとしていた。町を去る前に、どうしてもユイにもう一度会いたかったのだろう。

 昼間は駄目でも、夜ならユイの幽霊に会えるのではと、子供ながらにハルは考えたのだ。

 その道中で、ハルは鬼太郎たちと出会い、共にあの夜を乗り越えた。

 

「一応、由紀子さんの家には行ってきたよ。まだ、立ち直れていないようだけど……」

 

 そのよしみでか、鬼太郎はこの場所に来る前に立ち寄った由紀子の様子についてハルに伝える。

 

 家に戻った由紀子は鬼太郎たちに礼を言うこともなく、家に引き込まっていた。夫の失踪と、娘の死の真相に気持ちの整理がまだ追い付いていないのだろう。

 鬼太郎も彼女には考える時間が必要だと思い、あえて声を掛けず、今日にでもこの町を去ろうとしていた。

 

「おばさん、上手く立ち直れるでしょうか……」

 

 ハルは由紀子の今後について鬼太郎に尋ねた。

 

「それはわからない」

 

 鬼太郎はハルの問い掛けに短く答える。

 

「由紀子さんが自分の罪とどう向き合って生きていくか……その先は、彼女自身が決めることだ」

 

 冷たく突き放すような言い分だが、これ以上は鬼太郎の人助けの範囲を逸脱している。

 鬼太郎に出来ることはユイの身に起こった真相を探り、彼女の命を奪った仇である大蜘蛛を退治することくらいだ。それから先の人生、由紀子がどのように生きていくかまで、鬼太郎は関与しない。

 

「そう、ですか……」

 

 鬼太郎の言葉に、ハルもそれ以上のことは言えなかった。

 彼女は――ユイとの別れを惜しむようにじっとその場に立ち尽くし、オレンジ色の夕焼けをいつまでも、いつまでも眺め続ける。

 そして、ようやく――

 

「…………そろそろ、戻らないとね。おいで、チャコ……」

 

 時間だと。ハルは自らの意思で最後の別れを告げ、チャコを伴ってその場から立ち去ろうと木に背を向ける。

 鬼太郎たちは彼女を送っていこうと、その後に続こうとした。

 

 

 そのとき、ハルの髪を撫でるように強い風が吹く。

 風は、彼女の背後に何者かの気配を運んできた。

 

 

「っ!?」

「……どうした、ハル?」

 

 その気配を感じたのはハルだけだったらしく、鬼太郎たちは急に振り返った彼女に不思議そうな視線を送る。

 

 ハルが振り返った先には――誰もいなかった。

 皆で供えた花だけが、静かに木の下で風に揺らされている。

 

「………っ」

 

 ハルは胸が痛み、目頭の奥が熱くなるのを堪えきれなかった。

 溢れる涙を必死に塞き止めようと、右手で目を擦りつける。

 

「…………鬼太郎さん」

 

 ハルは鬼太郎たちに、そして自分自身に宣言するようにその言葉を口にする。

 

「わたし、サヨナラは言いませんから」

 

 あの日、あの夜に――ハルはユイとサヨナラをした。コトワリ様に『縁』を断ち切ってもらってしまった以上、たとえ亡霊でも、もう笑顔のユイには二度と出会えないだろうから。

 

 それでも、彼女は口にする。口にせずにはいられない。

 

 

「また……会いに来るからね、ユイ」

 

 

 たとえ引っ越しても、大人になっても、おばあちゃんになっても――。

 何度でもこの場所に来る。ユイと出会えた奇跡を忘れないと――。

 

 

 ここで眠るユイの魂に会いに来ようと、ハルは胸に誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それにしても……今回はハルちゃんには随分と驚かされたのう」

 

 ハルを両親の下まで見送り、鬼太郎たちはカラスに乗ってゲゲゲの森への帰路に発つ。その道中、空の上で目玉おやじは今回の事件について振り返っていた。

 

 親友を求めてあの町の夜を乗り越えた少女・ハル。

 彼女のおかげで、鬼太郎たちはユイという少女の顛末を知ることができた。

 たとえそれが悲劇だったとしても、由紀子にとってはそれを『知る』ことが何よりも大切なことだっただろう。

 

 また、鬼太郎たちがあの町の夜を乗り越えることができたのも、ハルのおかげだ。

 コトワリ様に襲われたときも助けてもらい、大蜘蛛との戦いでも、ハルは勇気を振り絞って敵の弱点を教えてくれた。それにより、鬼太郎たちは誰一人欠けることなく、こうしてゲゲゲの森に帰ることができる。

 

「そうですね……父さん」

 

 鬼太郎も、今回ばかりは父親の意見に賛同するしかなかった。時代が進むにつれ、人間は昔のように妖怪の存在を恐れなくなり、傲慢な態度を露にすることが多くなっていた。

 特にここ最近はそれが顕著で、鬼太郎は幾度となく人間に失望させられてきた。

 

 そんな人間たちが多くいる中、ハルは夜の闇を恐れつつも、それを乗り越える強さを持った勇敢な少女だった。

 その強さに、鬼太郎は久しぶりに人間というものに心が動かされていた。

 

「けど……それって偶々じゃない? あんな人間の子……そうそういるもんじゃないわよ」

 

 しかし、猫娘は未だ懐疑的な視線で人間を見ている。

 鬼太郎と一緒に人間たちを手助けしきた彼女は、人間の愚かさや弱さをよく知っている。

 今回はたまたま運が良かっただけ、ハルのような人間の子供になど、滅多にお目にかかれるものではないと、変に期待しないようドライに発言する。

 

「いや、ひょっとしたら、ワシらが思っているより、人間の子供というのは強いものなのかもしれんぞ?」

 

 しかし、猫娘の言葉に目玉おやじはめげない。

 

「そのうち……ワシら妖怪との共存を夢見るような子と出会うことになるかもしれん!」

 

 ハルのように妖怪に勇敢に立ち向かう少女がいるのなら、そのうち、自分たち妖怪と真正面から向き合ってくれる人間とも出会うことになるかもと。どこか夢のような意見を口にする。

 

「まさか……ありえないですよ、父さん」

 

 これには流石の鬼太郎も父親の言葉を苦笑いで否定していた。

 

 人間が妖怪に立ち向かうだけでも難しい。

 自分たち妖怪は人間とは全く違った生き物なのだ。

 それなのに、自分たち妖怪と向き合い、ましてや共存しようなどと願うなど。

 

 

 そんな人間の到来などある筈もないと、どこか達観した気持ちで鬼太郎は遠くを見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、この数年後――彼らは出会うことになる。

 

 

 犬山まな、という少女に――。

 

 

 彼女と共にいくつもの夜を乗り越え、鬼太郎たちは未来に向かって進んで行く。

 

 

 人間と妖怪の共存――それが果たして本当にただの夢物語なのか?

 

 

 鬼太郎たち自身の手で、それを探っていく日々が待っているなどと。

 

 

 このときの鬼太郎には知る由もなかった――。

 

 

  




次回予告

「毎日、吸血鬼と一緒によふかしをする少年!?
 父さん、あの吸血鬼もバックベアードの復活に関わっているんでしょうか?
 
 次回――ゲゲゲの鬼太郎『よふかしのうた』 見えない世界の扉が開く」

 次回のクロス先も、深夜廻と同じ『夜』をテーマにした作品。
 ですが、深夜廻が『夜の怖さ』を象徴とするなら、次回は『夜の楽しさ』を主軸にした作品です。多分一話、長くても二話で完結しますので、どうかお楽しみに!

 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

よふかしのうた 其の①

クロスオーバー第二弾は『よふかしのうた』。
 
『だがしかし』の作者の最新作。現在、少年サンデーにて連載中の作品。
つい先日、単行本の一巻が発売したばかりの漫画ですが、たまたま立ち読みした時に一気に世界観に引き込まれ、今回のクロスオーバーを思いつきました。

ネットで一話と二話が無料配信中。知らない方はこの機会に是非読んでみてください。

一応注意点として。
今回のクロスオーバー先の性質上、戦闘描写は一切ありません。あくまで『よふかし』を楽しむ作品だと思いますので、どうかよろしくお願いします。



 誰かが言った。

 

 

 

 

 人の血は。

 

 

 

 

 夜が、一番うまいと――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――父さん。妖怪ポストに手紙が入ってましたよ」

 

 その日、鬼太郎は目玉おやじと親子二人っきり、ゲゲゲハウスで寛いでいた。

 いつもなら、ここに仲間である猫娘やねずみ男、砂かけババア、子泣き爺、一反木綿、ぬりかべ。その内の誰か一人くらいはいそうなものだが、今日はたまたま誰も来ていなかった。

 

「うむ、手紙には何と書いてあるんじゃ、鬼太郎?」

 

 茶碗風呂で汗を流しながら、目玉おやじが手紙の内容について尋ねる。

 目玉おやじはその名前のとおり、目玉に体がくっついた、とっても不思議な見た目をしている。鬼太郎の実の父親であり、とっても息子想い。鬼太郎も小さな父親を尊敬し、親子仲はとても良好である。

 

 鬼太郎は手紙の中身を開封する。手紙には以下のようなことが書かれていた。

 

 

『拝啓 鬼太郎様。 

 妖怪の悩み事を解決してくれるとネットの掲示板で貴方のことを知りました。

 友達がおかしな妖怪? と関係を持って、ちょっと困っています。

 どうか一度、会って話だけでも聞いては頂けませんか?

 〇〇日の午後6時。小森団地の喫茶店でお待ちしています』

 

 

「ふむ、本当に単純な悩み事の相談……といった感じじゃな」

 

 手紙の中身だけを見るなら、特に緊迫した様子は感じられない。『悪い妖怪を退治してくれ!』やら『妖怪に命を狙われてる、助けて!!』といった物騒な依頼をある程度こなしてきた鬼太郎たちからすると、やや拍子抜けした内容である。

 

「約束の日は……今日ですね。父さんどうしましょう?」

 

 手紙にある約束の日付が、ちょうど今日であったことで鬼太郎は父親に依頼を受けるべきか問う。特に急ぎの用事というわけでもなさそうだし、もし大したことがないようなら、また後日にしてもよいのではないかと。

 

「いや、とりあえず話だけでも聞いてみよう。鬼太郎、今すぐ出かける準備じゃ!」

「わかりました、父さん」

 

 しかし、目玉おやじは入浴を終え、鬼太郎にも直ぐに支度をするように言う。

 鬼太郎は父の言葉に素直に頷き、手紙の送り主に会うべく、カラスたちに乗って小森団地の喫茶店へと向かった。

 

 

 

×

 

 

 

「君が……朝井アキラかい?」

「は、はい……そうです」

 

 夕暮れ時。鬼太郎は妖怪ポストに手紙を送った差出人、朝井アキラという少女と喫茶店で対面していた。

 アキラは去年鬼太郎が知り合った人間の友達・犬山まなと同い年の中学二年生。やや緊張気味ながらも、礼儀正しい姿勢で彼女は鬼太郎にしっかりと頭を下げる。

 そして挨拶もそこそこに、鬼太郎に依頼の内容について話していく。

 

「わたし、この辺りの小森団地に住んでるんですけど……最近友達が学校にも行かず、夜遅くまでずっとよふかしをしているんです」

「うむ……子供がよふかしとはいかんな!」

 

 アキラの話に鬼太郎の髪の毛に隠れていた目玉おやじがひょっこりと顔を出し、説教臭い口調でうなる。

 

「よふかしなんぞ、大人になれば嫌でもすることになるんじゃ。そうならないためにも、子供のうちから規則正しい生活をしっかりと体に覚えさせるべきじゃろう」

「ですよね!?」

 

 すると、目玉おやじの言葉に我が意を得たとばかりに、アキラは興奮気味に椅子から身を乗り出す。

 

「やっぱり学生がよふかしなんてするものじゃないですよね!? 学生は学生らしく、学校に行くべきですよね!?」

「う、うむ……そのとおりじゃ」

 

 アキラはよほどその友達に学校に来てもらいたいのか。その凄まじい剣幕に目玉おやじの方が若干たじろいでしまう。

 

「……それで朝井さん。手紙にあった『妖怪』というのは?」

 

 鬼太郎は興奮するアキラを冷静に宥めながら、例の件――手紙に書かれていた『妖怪』の部分について触れる。

 そう、友達が不登校になり、よふかしをするようになったというだけなら、それは人間の問題。わざわざ鬼太郎に頼む必要もないし、彼も介入するつもりはない。

 だがそこに『妖怪』が絡めば話は別。鬼太郎はアキラが自分に依頼を寄こすようになった原因について言及していく。

 

「そうなんです。私の友達……夜守コウって言うんですけど……彼は、その妖怪の人と一緒に毎晩よふかしをしてるみたいなんです」

 

 彼――ということはその友達・夜守コウは男の子なのだろう。

 妖怪と一緒によふかし。なんとも奇妙な状況に、目玉おやじはアキラが自分たちに手紙を出した理由に納得する。そのような相談、親や学校の先生に持ち掛けたところで、まともには取り合ってくれないだろう。

 

「なるほど……………それで? その妖怪とは、どんなやつなんじゃ?」

 

 目玉おやじは手始めに、その妖怪について詳しく尋ねる。

 妖怪にも良い妖怪、悪い妖怪。人間に害の有る無しがあると、同じ妖怪である鬼太郎たちは考える。

 無害な妖怪であるのなら、人間を巻き込まないよう少し注意するくらいで済むだろうが、もしも悪意を持って人間に害を及ぼすようなやつであれば――最悪、肉体を滅ぼして魂だけの状態にする必要があるかもしれない。

 魂だけにしてしまえば、肉体が再生するまでの間、妖怪は悪さをすることができなくなるからだ。

 

 すると、目玉おやじの質問に対し、アキラは考えながらその妖怪について語っていく。

 

「多分、悪い妖怪じゃないと思うんです。ちょっと変わったところもありますけど……危険はないと思うんです」

 

 どうやらアキラもその妖怪とは面識があるらしい。自信なさげながらも、その妖怪のことを擁護しながら語る彼女は少し楽しそうな様子だった。

 

「わたしは……別にあの人のことそんなに嫌いじゃないです。けど、やっぱり夜守とは一緒に学校に行きたいから……よふかしは止めてもらいたい……かなって思ってます」

「う~む……」

 

 彼女の話を聞き終え、目玉おやじが腕を組んで頭を悩ませる。

 アキラとしても、今すぐその妖怪をどうにかして欲しいという訳ではないようだ。ただほんの少し、その妖怪と付き合いのある夜守コウのことを心配して、自分たちに相談を持ち掛けたという感じだ。

 

「とりあえず……その妖怪に会ってみましょう、父さん」

「うむ、そうじゃな」

 

 鬼太郎たちはさしあたり、その妖怪と会うことにした。

 実際にあって、相手の妖怪が何を考えて夜守という少年と一緒によふかしをするようになったのか。その真意を問いただすつもりで。

 

 

 

 

 

 

 

「――ああ、そうだ。そういえば……その妖怪の名前、まだ聞いてなかったね?」

 

 そしてその後の詳細を話し合い、話がいい感じでまとまりかけたところで、鬼太郎はその妖怪の名前を聞いていなかったことを今更ながらに思い出す。

 もしも、その妖怪が自分たちの知り合いなら話も早いだろうと淡い期待を込め、鬼太郎は改めてアキラに尋ねる。

 

 

 しかし、朝井アキラの口から囁かれるその妖怪の『種族名』に、鬼太郎の表情が一瞬で険しいものになる。

 

 

「名前は……七草ナズナさんって言います」

 

 まるで人間のような名前を告げた後、彼女はその妖怪が『どういったものか』一言で分かるような言葉を口にした。

 

 

 

「彼女――自称『吸血鬼』なんです」 

 

 

 

×

 

 

 

「そろそろ約束の時間じゃな、鬼太郎」

「そうですね、父さん」

 

 喫茶店で一度アキラと別れた鬼太郎たち。彼らはよふかしをしているという少年・夜守コウと吸血鬼・七草ナズナに会うため、彼らがいつも徘徊しているという真夜中の団地に来ていた。

 時刻は現在、午後の11時55分。もうすぐ、日付を跨ごうとしている今日と明日の境界線の合間に立ち、鬼太郎は周囲を見渡す。

 集合住宅地である団地にはいくつもマンション建ち並んでおり、部屋の灯りのほとんどが消灯している。

 大半の人間が寝静まっているのだろう。ベンチには一人二人と、酔いつぶれたサラリーマンたちが気持ちよさそうに横になってはいるが、夜の繁華街などと違い、周辺はほどよく暗い静寂に包まれていた。

 

「それにしても、吸血鬼とはのう……これはちと厄介な依頼かもしれんぞ」

 

 待ち人を待つ間、目玉おやじは鬼太郎の頭の上で深く考え込んでいる。

 吸血鬼――その言葉の意味するところを。

 

 

 ここ日本において、吸血鬼という妖怪はマイナーな存在。

 吸血鬼という種族が最もメジャーなのは西洋――すなわち西洋妖怪である。

 そして、今の鬼太郎たちにとって、その事実は警戒に値すべき事柄であった。

 

「やはり……その吸血鬼もバックベアードの復活に何か関与しているんでしょうか?」

 

 実はここ最近、鬼太郎と仲間たちは吸血鬼に関係する事件に幾度となく巻き込まれていた。

 

 魔女の友人・アニエスの話によれば、彼ら吸血鬼は西洋妖怪の幹部であるカミーラという女吸血鬼に『世界中から人間の生き血を集めろ』と命令を受けているらしい。

 

 その目的は一つ。鬼太郎が去年退けた西洋妖怪の帝王・バックベアードの復活だ。

 

 人間の生き血がどのようにして彼の者の復活に関係しているのか、鬼太郎たちには分からない。

 しかし、実際に吸血鬼たちが世界中で活発な行動を見せていることは確からしく、その吸血鬼が今回の件に関与していると聞き、鬼太郎たちは警戒を強めていた。

 

「わからん。わからんが……決して油断はするでないぞ、鬼太郎よ!」

「わかりました、父さん」

 

 とりあえず、その七草ナズナという吸血鬼に関しては、実際にあって見るまではわからない。目玉おやじは鬼太郎に何があっても対処できるよう、心構えのアドバイスを送る。

 

「――鬼太郎さん!」

 

 そうこう考えているうち、団地の広場に設置されていた時計が午前零時を指し示す。それに合わせるかのように、少し離れたところから制服姿の朝井アキラがこちらへと手を振る。

 彼女は真夜中にも関わらず目をぱっちりとさせており、隣に立つ同年代の少年を引っ張るようにこちらに歩み寄ってきた。

 

「ほら、夜守。鬼太郎さんだよ。こんな時間にわざわざ来てもらったんだから、挨拶くらいしなよ」

「うわー! 鬼太郎、生鬼太郎だ! ていうか……本当に呼んだんだ。冗談かと思ってたよ」

 

 きっと、その少年が先ほどの話に出てきた夜守コウなのだろう。ここに来るまでの間にアキラから鬼太郎のことを聞かされていたのか、彼は感嘆の声を漏らしていた。

 

 

 二十一世紀。ここ最近まで現代人は妖怪の存在を否定し、彼らの存在を信じない傾向が強くあった。

 しかし今年の初め頃。オメガトークという動画サイトから、妖怪を認知する妖怪チャンネル動画が爆発的に広まっていき、人々が彼らの存在を徐々に認知するようになってきた。

 妖怪を捜して見つけたという動画から、一緒に遊んだという動画まで配信されたりもした。

 

 そんな動画が数多く配信される中、人間たちの間でゲゲゲの鬼太郎の活躍が生配信され、本人の知らないところで彼の認知度が一気に高まるという事件が発生。

 それにより鬼太郎は一躍人気者に、一時期は依頼の手紙に混じってファンレターが届くほどだった。

 

 あれから暫く経った後、妖怪動画が下火になり、鬼太郎の人気もガクッと下がった。だが、それでも動画はネット上に残っており、今でも多くの人々が鬼太郎の姿を映像越しに見ている。

 夜守もその動画サイトで鬼太郎の存在を知ったのだろう。有名人を生で見るような視線を鬼太郎へと向けている。

 

 

「ほら、夜守。今日は鬼太郎さんとわたしも七草さんのところに行くから。今日こそ、あのふしだらな化け物に言ってやるんだから」

 

 緊張で固まる夜守に、やや厳しめの口調でアキラが早くナズナの家に行こうと彼を急かす。

 

「……ふしだらな化物」

 

 彼女の言葉に鬼太郎は首を傾げる。妖怪を化物呼ばわりするのは人間の立場上は仕方ないことだろうが、何故そこに『ふしだら』などという単語が添えられているのだろう。

 果たして、七草ナズナという吸血鬼がどのような人物なのか。鬼太郎はやや不安な気持ちが大きくなってきた。

 

「ん? 朝井さん。君も付いてくるのかい?」  

 

 ふと、鬼太郎はアキラの言葉に気が付く。

 どうやら、今夜は彼女もよふかしをして自分たちに付いてくるらしい。てっきり、夜守コウを紹介したらそのまま帰ると思っていただけに、鬼太郎は目を丸くする。

 

「えっ? は、はい。お願いしたのはわたしですし……」

「……学校の方は大丈夫なのか?」

 

 不登校の夜守ならいざ知らず、彼女は明日も学校の筈。あまり遅くなりすぎて、彼女の生活環境が乱れては本末転倒であろう。

 しかし、鬼太郎の問いにアキラは特に困った様子もなく毅然として答える。

 

「大丈夫です。わたしはちゃんと寝ましたから」

 

 聞くところによると、アキラは毎日午後の八時には就寝し、明朝の午前四時には起きて、そのまま朝の散歩をしながら学校へ行っているらしい。

 今日も、少し早いかもしれないが睡眠は十分にとったと。話が終わればそのまま学校へ行くつもりで制服をきっちりと着こなしている。

 

「……わかった。君がそれでいいなら止めはしないよ」

 

 あまり気は進まないものの、鬼太郎は彼女の同伴を認めた。

 

 鬼太郎は夜守コウと朝井アキラ。

 二人の少年少女を伴い、七草ナズナの住まいに向かうべく、真夜中の団地を歩いていく。

 

 

 

×

 

 

 

「………静かじゃのう」

「………そうですね」

 

 夜を歩く最中、鬼太郎たちは特に会話もなく、トラブルもなく進んでいた。時折、誰かが意味もなく呟くこともあったが、そこから世間話に発展することもなく、彼らは黙々と目的地へと歩いていく。

 他に誰かとすれ違うこともない、どこかの田舎町のように怪異が襲ってくることもない。

 この世界には自分たちしかいないのではと、そんな錯覚を覚えるほどに静かな『夜』だ。その静寂に不安を覚えることもなく、寧ろ、沈黙が心地よいものとなりかけていたところ――

 

「――夜守くん……君は、どうしてよふかしをするようになったんじゃ?」

 

 目玉おやじが夜守コウへ、率直に話を切り出す。

 このまま七草ナズナの家に着く前にある程度、彼の事情を知っておく必要があると判断したのだろう。話の取っ掛かりとして、夜守が『よふかしをするようになった理由』について尋ねる。

 

「……………………多分、ボクは上手くやれていたと思うんです」

 

 目玉おやじの問いに、夜守は少し躊躇いながらも口を開く。

 もしも、人間の大人が同じような質問をしていれば、夜守も素直に答えなかったかもしれない。「どうせ説教するつもりだろう」と、ムキになって反発していたかもしれない。

 しかし、目玉おやじというファンシーな外見の妖怪に落ち着いた声音で問われ、夜守は自然と口が軽くなる。

 

 彼は自分がよふかしをするようになった理由を歩きながら語り出す。

 

 

 夜守コウ。彼はどこにでもいる、ありふれたごく普通の中学二年生だった。

 勉強もそこそこできる方で、クラスメイトとの関係も良好。

 表面上、特にこれといって問題のない生徒だったと、夜守自身もそう思っていた。

 

 きっかけは、本当に些細なことだ。

 

 ある日、良好な関係を築いていたクラスの女子から夜守は『告白』なるものを受ける。

 生まれて初めての女子からの告白に、当然夜守は嬉しい気持ちになった。

 

 だが、彼はその告白を断った。

 

 未だに初恋を経験したことのなかった夜守は、好きとか嫌いとか、愛とか恋とか。そういった感情を前にし、どうすればよいのかわからなかったのである。

 

 すると後日――夜守は名前も知らない女子たちに校舎裏に呼び出され、こう問い詰められることになる。

 

『――夜守くん、なんであの子をフッたの?』

 

 告白をするのも自由なら、告白を受けるかどうか決めるのも夜守の自由な筈。ところが、その女子たちは夜守を一方的に悪者扱いし、彼を責めた。

 夜守はそんな女子たちを前に、ただただ謝ることしかできなかった。

 

 

 

「……それから、ボクは学校に行かなくなりました」

 

 その件をきっかけに、夜守は不登校児になった。その女子たちと学校で顔を合わせるのが気まずく、学校を行くことそのものが億劫になってしまって。

 そして、昼間学校に行かなくなって動かなくなった分、夜に眠れなくなってしまった。 

 日々、眠れぬ夜を一人部屋で過ごす少年。暇を持て余した彼は悶々とした日々の中、ついに好奇心の赴くまま外の世界に出た。

 真夜中の夜に、一人で――。

 

「なるほど。その出歩いた先で、君はその吸血鬼に出会ったんじゃな……」

 

 夜守の話を聞き終え、目玉おやじが神妙な顔つきで頷く。

 彼がよふかしするようになった経緯、聞く人が聞けば「くだらない」の一言で切って捨てるかもしれない。

 だが、夜守自身の口から直接語られたその話は複雑な感情が渦巻いており、彼にとって切実な『何か』が込められているように感じられた。

 

「そう……そんなことがあったんだ」

 

 現に夜守のよふかしに反対しているアキラも、彼の話を聞いたきり黙り込んでしまう。

 

「…………」

 

 鬼太郎もだ。彼はそもそも学校に行ったことがなく、また『恋』なるものにも鈍感で、偉そうに夜守に説教を出来るような立場ではない。

 

「一つ疑問なんじゃが……夜一人で出かけることに、君の御両親は何も言わないのかね?」

 

 そんな中、人生経験豊富な目玉おやじがそんな質問を投げかける。毎日よふかしをする息子に、学校に行かなくなった子供に親は何も言わないのかと、当然といえば当然の疑問。

 

「――親……ですか?」

 

 すると、夜守はピタリと足を止める。彼は失笑を浮かべながら、感情のこもらない言葉で吐き捨てる。

 

「さあ、どうなんでしょう? 俺が夜中に出掛けてることすら知らないと思いますよ? 知ったところであの親じゃ…………」

 

 そして、何事もなかったかのように再び歩き出す。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 夜守のその反応に皆が押し黙る。どうやら彼と両親との間には、何かしらの溝があるらしい。その話題にそれ以上、触れて欲しくないというオーラがひしひしと伝わってくる。

 

「あまり深く触れない方がよさそうですね、父さん」

「うむ……やぶへびだったかもしれん」

 

 鬼太郎と目玉おやじはこっそりと話し合い、それ以上夜守の家庭環境には触れないことにする。

 鬼太郎たちの目的はあくまで吸血鬼に会うことだ。これが一時の依頼である以上、むやみやたらに首を突っ込むべきではないと判断した。

 

 

 

×

 

 

 

「――着きました、ここです」

 

 それから、黙々と歩くこと数分。鬼太郎たちは吸血鬼の住まいである、とある雑居ビルの前に来ていた。

 近所でも何に使われているか知られていない、大きな地震でも起これば真っ先に崩れてしまいそうなほどにボロボロな建物。

 ここに吸血鬼・七草ナズナは住んでいるという。

 

「ちょっと待っててくださいね。今呼び出してみますから――」

 

 そのビルの前で足を止め、夜守は腕時計型のトランシーバーを起動する。通話可能距離、約150メートルの玩具の腕時計。どうやら、それが七草ナズナとの唯一の連絡手段であるらしい。

 夜守はナズナが家にいるかどうかを確認する為、コールボタンを押した――その時である。

 

 

 トランシーバーの『プ――――ッ』という、返信音とほぼ同時に、鬼太郎の妖怪アンテナに反応があった。

 

 

 鬼太郎の頭頂部の毛髪の一本に妖怪の妖気を感じ取り、アンテナのように逆立つ髪の毛が一本生えている。これが妖怪アンテナであり、これに反応があるということは近くに妖怪が潜んでいるという証拠である。

 鬼太郎がその事実に警戒を露わにした、その刹那――

 

 

「――よお、今日は随分と賑やかだな……少年少女?」

「――っ!?」

 

 

 鬼太郎の頭上――ビルの上から真後ろに、その人影が静かに舞い降りてきた。不意打ちで声を掛けてきた相手に、鬼太郎は慌てて飛び退きながら後ろを振り返る。

 

 そこには――フード付きの黒いコートを纏った女性が立っていた。

 小柄な体形、それこそ中学生である夜守たちと変わらぬ身長。肌の色が青白く生気を感じさせない一方で、フードの隙間から見える瞳はどこか悪戯心に満ちており、口元に楽しそうな笑みを浮かべている。

 

 一風変わった雰囲気を纏ってはいるものの、その風貌だけを見るならどこからどう見てもただの人間である。

 

「わっ! びっくりした~」

「……急に現れないでくださいよ」

 

 夜守とアキラの二人は突然現れた彼女に対し、少しびくりとしながらも淡白な反応で出迎える。

 ビルから飛び降りてくる程度では、もう驚きはないのだろう。そんな夜守たちの反応から鬼太郎は理解する。

 

 眼前の、一見すると人間にしか見えない女性。 

 彼女こそ、夜守と一緒に毎日よふかしをする吸血鬼――七草ナズナなのだと。

 

 

 

「君が……七草ナズナか?」

 

 数秒ほど呼吸を整えてから、念を押すように鬼太郎が彼女に問いかける。眼前の吸血鬼だという女性に、鬼太郎は先ほどからずっと警戒を解いてはいない。

 ここ数ヶ月の間に、吸血鬼と戦い苦戦させられた記憶を思い出しているのか、彼は慎重に相手の出方を測る。

 

「そうだけど? ふ~ん……」

 

 一方のナズナはそんな鬼太郎に対し、リラックスした態度で応じる。値踏みするように彼を見つめ、ふいに何かに気づいたのか彼女は声を弾ませる。

 

「お前さん……ひょっとしてゲゲゲの鬼太郎か!? 本物――っ!?」

 

 何故かテンション高く叫ぶ、ナズナ。

 

「ボクのことを……知ってるのか?」

 

 緊張感を保ったまま鬼太郎はナズナと言葉を交わす。そして――

 

 

「そりゃ、お前は有名人だからな――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの『バックベアード様』をぶっ倒した日本妖怪の親玉って。一応、あたしら吸血鬼の間じゃあ、噂になってるぜ、お前さんは……フッ」

「――!!」

 

 わざとらしく口元を歪ませるナズナに鬼太郎は抱いていた疑念を確信に近いものに変える。慌てた様子で彼女からさらに距離をとり、臨戦態勢で身構える。

 

「? ばっ、ばっく……?」

「? べ、べあー……って、熊?」

 

 ナズナの発言や、鬼太郎の行動の意味を理解できず、夜守とアキラが頭にクエスチョンマークを浮かべる。そんな二人を置いてけぼりにして、鬼太郎と目玉おやじは緊張した面持ちでナズナと向き合う。

 

「君も……やはり、人間の生き血を集めているのか?」

 

 バックベアードを様と呼び、鬼太郎のこと知っていた。

 七草ナズナと日本人らしい名前こそ名乗ってはいるが、間違いなく彼女も西洋妖怪の一員。吸血鬼としてバックベアード復活のため、人間の生き血を集めるよう命令を受けている可能性が高い。

 もしそうであるならば、西洋妖怪帝王の復活を阻止するためにも、人間たちの被害を最小限に抑えるためにも鬼太郎は彼女をここで止めなければならない。

 

「さて、どうだろうね……」

 

 ナズナは鬼太郎の問いかけに、はぐらかすように笑みを深める。否定も肯定もしない彼女の態度に、鬼太郎たちはますます疑惑を深める。

 

 

 そのまま、硬直した状態で両者睨み合うこと数分が経つ。

 

 

「あの……とりあえず、家の中に入りませんか?」

「そ、そうだね」

 

 その沈黙に耐え切れなくなってか、夜守がそのようなことを言い出し、アキラも同意するように頷く。すると、ナズナはチラリと視線を夜守たちへと向け、何かを閃いた子供のように悪戯っぽく笑って鬼太郎に提案する。

 

「そうだな……よし! 鬼太郎、あたしと勝負しないか?」

「勝負……だって?」

 

 目を見開く鬼太郎に、さらにナズナは言う。

 

「あたしと勝負してお前さんが勝てたら、何でも言う事を聞いてやるよ。あたしの知ってることなら何でも教えてやるし……エッチなお願い事だって聞いてあげちゃうわよ?」

 

 ついでに、わざとらしく色っぽい仕草で鬼太郎を誘惑するナズナ。

 勿論、鈍感な鬼太郎がそんな誘惑に応じる訳もなく。

 

「……君が勝った場合はどうなる?」

 

 ナズナがその勝負とやらに勝利した場合に鬼太郎が負うべくリスクに関して冷静に問いかける。

 

「そうだな、そんときは……」

 

 鬼太郎の言葉にナズナは口をあ~んと開け、吸血鬼の牙を垣間見せながら不敵に笑う。

 

 

「あたしは吸血鬼だ……この意味、言わなくても分かるよな?」

「…………」

 

 

 血を寄こせ、ということだろう。

 鬼太郎は吸血鬼に血を吸われた経験がないため、その行為が自分の体にどのような影響を及ぼすか分からない。だが、如何に鬼太郎といえども無防備で血を吸われては、きっと只では済まないだろう。

 おそらく、何かしらの不調が彼の体を襲うことになる筈だ。

 

「わかった……いいだろう」

 

 しかし、鬼太郎はナズナの条件を受け入れ、彼女との勝負とやらに乗ることにした。

 バックベアード復活に関して聞かなければならないことがあるし、なによりここで逃げてはきっと夜守たちに迷惑がかかる。

 

 勝負を持ちかけてくる直前、ナズナはチラリと夜守たちに目を向け、笑みを浮かべていた。

 

 もしも、ここで逃げたら最悪――彼らが鬼太郎の代わりに吸血鬼の毒牙にかかり、血を吸われることになるかもしれない。

 鬼太郎に『逃げる』という選択肢は初めからなかった。

 

「とりあえず……場所を変えよう」

 

 戦うと決心した鬼太郎。彼はとりあえず、場所を移すようにナズナに提案する。深夜といえどここで戦えばきっと周りにも被害が出るし、夜守たちを巻き込むことになる。

 もっと人目の付かない場所、他の人間を巻き込まないようにと――。

 

「ああ、そうだな……よし、じゃあついてこい!!」

 

 鬼太郎の提案を、意外なほどあっさりと承諾する吸血鬼・七草ナズナ。

 彼女は鬼太郎と心ゆくまで戦える場所。彼を決戦の舞台へと引きずり込むべく率先して足を踏み出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自宅のある雑居ビルの中へと――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………えっ?」

 

 

 一寸遅れて、キョトンとなる鬼太郎。 

 

「ん? どうした鬼太郎? さっさと上がれよ、遠慮することはねぇぞ?」 

 

 戸惑う彼に、ナズナはまるで友達でも誘うような感覚で鬼太郎を手招く。

 

「じゃあ、お邪魔します!」

「……またここに来ることになるとは……」

 

 見れば夜守とアキラも、さも当たり前のようにナズナの後についていき、彼女の家にお邪魔しようとしている。

 

「ちょ、ちょっと、待ってくれ!」

 

 状況について行けず、鬼太郎は念を押すように聞いていた。

 

「え~っと、君とボクとで……これから勝負、するん……だよね?」

「ああ、勝負だぜ。この――――」

 

 すると鬼太郎の質問に答えながら、ナズナは懐から光輝く円盤のようなものを取り出す。

 そして、そうそうお目にかかることのない『これでもかというドヤ顔』で彼女は嬉々として宣言する。

 

 

 開戦の合図を――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日仕入れてきた――――この最新の格闘ゲームでなっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

「――――――――――――――――――――――――はっ?」

 

 

 

 鬼太郎の目が点になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




よふかしのうた 登場人物紹介

 夜守コウ
  主人公。中学二年生の男子。学校生活に疲れ、現在不登校中。
  同級生の可愛い子に告られたり、可愛い幼馴染がいるなど、わりとリア充。
  本人は「女が好きじゃない」とのこと。無論「男が好き」というわけではない。

 七草ナズナ
  ヒロイン。コウに夜ふかしの楽しさを教えた吸血鬼。
  美少女だけど、ビールと下ネタが大好きと、中身がオッサン。
  けど恋愛話に照れたりと可愛いところがある。

 朝井アキラ
  コウの幼馴染。彼と同じ団地に住む、同い年の女子。
  吸血鬼であるナズナ相手に全く物怖じしない、かなり度胸のある子。
  ヒロインのナズナより胸が大きい。


 流石に一話で纏めきることはできなかったので、二話構成にします。
 次回は――鬼太郎とナズナの壮絶な戦い?から幕は上がる。

 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

よふかしのうた 其の②

『よふかしのうた』という作品がまだ始まったばかりで、この間一巻が出たばかりです。一応、最新話までチェックして、できるだけ原作の設定に近づけていますが、今後の連載次第で新しい設定なども追加されていくと思います。

その際、今回の話と矛盾する場合があると思いますが、出来れば気にせずにおいてください。あくまで『ゲゲゲの鬼太郎』とクロスした独自設定ということにしていただければ助かります。

一応、最新話までのネタバレを含みます。注意してください。
 


 かつて――人間は『夜』を恐れた。

 

 古き時代。人は『昼』と『夜』とを明確に区別して生活していたという。

 闇夜に対し、電気やランプ、ロウソクの明かりすらなく、空に浮かぶ月明かりの光に頼っていた。

 夜になれば人ならざるモノたちが蔓延り、魑魅魍魎の行列が人里を縦横無尽に闊歩していたと信じられていた時代があった。

 その頃から、人間は日の出とともに目覚め、日没とともに眠るというメカニズムをその遺伝子に刻み込んできた。

 

 だが、人間の科学力はついにその『夜』を克服した。繁華街にはネオンの光が溢れ、今では多くの人々が深夜でも活動している。

 

 仕事帰りに同僚と一杯、そのまま終電を逃して夜明けまで飲み明かす酔っ払いがいる。

 そんな酔っ払い相手に愛想を振りまき、日々身を粉にして働く夜の蝶がいる。

 ナイトクラブで一晩中騒ぎまくり、そのテンションのまま街中を跋扈して通行人に迷惑をかける若者がいる。

 

 それぞれの世代ごとに違いはあれど、老若男女問わず、皆が『よふかし』を楽しむような時代になった。さらに時代は進み、今や街中に繰り出さなくても人々は各々に夜を楽しんでいる。

 

 買ったばかりのゲームに熱中し、徹夜で攻略に勤しむ子供たちがいる。

 深夜放送の番組をリアルタイムで視聴しながら、ネットの掲示板に書き込むネット中毒者がいる。

 夜一人で自宅酒。記憶がなくなるまで飲み明かし、虚しさと共に朝を迎えるアルコール中毒者がいる。

 

 そう、よふかしに決まった形など存在しない。照明の光さえあれば、人は夜中でも活動することができる。

 場所も人種も関係ない。複数人でも一人でも、時間さえあれば誰でも夜を楽しめる時代が訪れた。

 

 そして、ここにも――――。

 

「ギャハハハハハハ、オルァァァァア!! はい、クソザコ~! 鬼太郎よわっ~!」

「うわ~……ナズナちゃん。初心者相手に大人げねぇ……」

 

 ゲームコントローラー片手に大声ではしゃぎ回り、夜を楽しむ人間と吸血鬼の姿があった。

 

「…………なんだこれ」

 

 本来、夜が本領である妖怪の鬼太郎がそのハイテンションに付いて行けず、どこか眠そうに呟いていた。

 

 

 ここは女吸血鬼・七草ナズナの住居。テーブルや椅子などといった必要最低限の生活用品が置かれていない殺風景な部屋で、何故かテレビとゲーム機だけはしっかりと設置されている。

 

 そのゲーム機で、ナズナと鬼太郎が格闘ゲームで対戦することとなっていた。

 

 きっかけは、朝井アキラという少女から手紙を貰い、『妖怪とよふかし』をしている少年・夜守コウのもとへ鬼太郎と目玉おやじが訪れたところからだ。

 当初、ただの相談で終わるかと思っていた依頼だったが、そこに吸血鬼が関与していると聞き、鬼太郎は一気に気を引き締めてた。

 

 吸血鬼――現在、バックベアード復活のために暗躍している西洋妖怪の一員。

 

 実際、七草ナズナはバックベアードに関して何か知っている風を装い、「知りたければ私に勝って見ろ」と、挑発気味に鬼太郎に勝負を仕掛けてきた。

 西洋妖怪の中でも、吸血鬼という種族は取り分け強いものが多い。吸血鬼エリート、吸血鬼ラセーヌ、女吸血鬼カミーラ。今まで戦ってきた吸血鬼は誰もが強敵だった。

 果たして仲間たちのいないこの状況、鬼太郎は自分一人でどこまで戦えるかと心配でもあった。

 

 だが逃げる訳にもいかない。ここで尻尾を巻いて逃げれば、吸血鬼の毒牙は夜守やアキラへと向けられるだろう。それだけは阻止しなければと、単身覚悟を決めていた鬼太郎――であったのだが…………。

 

 

「父さん……ボクは何故こんなことをしているんでしょうか?」

 

 鬼太郎は現状について思わず父親に尋ねる。彼は流されるままゲーム機のコントローラーを握らされ、ナズナと対戦格闘ゲームをやらされているが――その結果は惨敗である。

 鬼太郎はこれまでテレビゲームとは無縁の生活を送ってきた。ゲームほぼ初心者に対し、ナズナはかなりこの手のゲームをやりこんでいるのか、あっさりと鬼太郎を打ち倒す。

 

「おいおい、どうした鬼太郎!? まだまだ夜は長いぜ。アンタが参ったって認めるまでコンティニューしてもいいんだぜ?」

 

 勝者の余裕を見せつけているのか、ナズナがそんなことを口にするも――

 

「いやいや、ナズナちゃん。鬼太郎をサンドバックにしたいだけでしょ。ほんと大人げない……」

 

 初心者相手に調子に乗るナズナに、その隣で夜守が呆れたように呟き――

 

「…………はぁ~」

 

 さらにその隣でアキラが諦めたような表情で溜息を吐いていた。

 

 ――いったい、これは何なんだろう。ボクは……いったい、何をやらされているんだ?

 

 鬼太郎の心中はただただ困惑していた。決死の思いで戦う覚悟を決めていただけに、肩透かしを食らった鬼太郎は悶々とした気分でゲーム機と向かい合う。

 ナズナからバックベアードに関して聞き出さなければならないことがある以上、この格闘ゲームで彼女に勝たなければならないのだが、イマイチやる気が湧いてこない。

 果たしてどうしたもんかと、彼が眠たげに目を擦る。すると――

 

「――鬼太郎、代わりなさい」

「……父さん?」

 

 眠そうな息子に代わり、目玉おやじが重い腰を上げる。

 彼は鬼太郎たちがプレイしているゲームを、先ほどから興味深げにジロジロと見つめていた。鬼太郎と同じくこういった類のものに疎い彼だが、興味はあるらしい。初めてスマホに触れたときのような好奇心で目玉おやじはコントローラーを握る。

 

「ナズナとやら、鬼太郎に代わってワシが相手をしてやろう」

「はっ? おいおい大丈夫かよ、おやじっ! そんなんでまともに操作できんのか!?」

 

 意気揚々と鬼太郎とゲーム操作を替わる目玉おやじに、ナズナはからかうように笑う。実際、目玉おやじの小さな体ではまともにコントローラーを握ることができない。地面に置かれたコントローラーに対し、小さな体を懸命に動かしてなんとか操作できていた。

 

「大丈夫ですか、おやじさん?」

「無理しない方がいいですよ?」

 

 夜守もアキラも、目玉おやじを心配して声を掛ける。

 

「ふふん、手加減はしねぇぞ。この七草ナズナ! 相手が誰であろうと全力でやっつける!!」

 

 しかし、そんな小さな挑戦者相手にナズナは獅子が兎を全力で狩るかの如き勢いでゲームを開始する。

 

 

 

×

 

 

 

 対戦が始まれば案の定、目玉おやじは一方的にやられていた。

 技コマンドや、コンボ攻撃などは勿論、ガードやジャンプといった基本操作すらまともにできない様子で、画面上のキャラがあっちへ行ったりこっちへ行ったり。

 その初心者丸出しの操作に、七草ナズナは心の内側で溜息を吐く。

 

 ――……どうやら、マジでド素人みてぇだな……弱すぎる!

 

 自信満々で鬼太郎と代わったことから、多少は腕に覚えがあるかと思いきや蓋を開けてみればこの始末である。実力は鬼太郎とどっこいどっこい。まともに操作できる分、まだ鬼太郎の方がマシである。

 念のため警戒して様子見をしていたナズナであったが、そんな心配も馬鹿らしくなり、彼女はさっさと決着を着けるべく一気に攻勢に出た。

 

 ――張り合いがねぇな……とっとと、コウ君にでも代わってもらうか……。

 

 対戦で勝てることは嬉しいが、こうも相手が弱すぎると逆に張り合いがなくなってくる。ナズナは冷めた気持ちで鬼太郎と目玉おやじから興味を失くし、まだ多少は歯応えの有る夜守コウに対戦相手になってもらおうと考える。

 あっという間に一ラウンドを制し、目玉おやじとの戦いに王手をかけた。

 

「と、父さん……やっぱり、ボクが……」

 

 自分以上に酷い操作性に鬼太郎がたまらず代わるように申し出るが、もう遅い。

 このゲームは三ラウンド制。あと一勝でナズナの勝利が確定し、二ラウンド目の火蓋も既に切られていた。

 

「ふっ、これで終わりだぜ。この勝負――あたしの勝ちだな!」

 

 必殺の十六連コンボを入力しながら、ナズナは勝ち誇ったように吐き捨てる。

 しかし――勝利を確信したその刹那、彼女は目玉おやじの口から囁かれた言葉を耳にする。

 

「ふむ、よかろう……操作の方はもう大体覚えたしのう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――…………なに……?

 

 

 ――……いま、なんて言ったんだ、こいつ?

 

 

 ――操作の方が……何だと? 大体……覚えたと言ったのか?

 

 

 自分の空耳かと思い、最初は多少の引っ掛かりを覚えた程度だ。

 だが、その懸念はやがて現実のものとして画面上に顕現する。

 

「――な、なにぃいいいいい!?」

 

 ナズナの放った十六連コンボ――その全てを目玉おやじの操作キャラが見事に防いで見せた。まだガードの操作すら満足に理解できていなかった、超初心者の目玉おやじがだ。

 これには、一人の観客として対戦を見守っていた夜守コウですら興奮して叫び声を上げる。

 

「な、ナズナちゃんの十六連コンボを全て捌いた!! 対戦環境でも忌み嫌われている、あの反則近い鬼畜コンボを、全てっ!!」

 

 さらに防いだだけでは留まらず、目玉おやじはそこから反撃――先ほどのお礼とばかりにカウンターを起点としたコンボ攻撃で畳みかける。

 

「くっ……やらせるかっ!」

 

 虚を突かれた形で態勢を崩されたナズナは、慌てて防御に徹する。だが――

 

「なっ、なにぃいいいい!! コンボの隙間に投げ技を組み込み――ナズナちゃんのディフェンスを打ち砕いた!?」

 

 ガード状態で膠着するナズナに、目玉おやじのガード不能の投げ技が炸裂。見る見るうちにナズナの操作キャラの体力は減っていき――――そのまま、試合終了のゴングは鳴る。

 

「か、勝った……。目玉おやじさんが……勝っちゃった!?」

「うむ、中々面白いゲームじゃ」

 

 回避不能かと思われていた十六連コンボからの脱出、そこからの奇跡の逆転劇。

 目玉おやじは何事もなかったかのように平然としているが、コウが信じれらないという顔で固まる。現実を受け入れることができないのはナズナも同じらしく、彼女はたまらず目玉おやじに詰め寄る。

 

「おい、目玉の! アンタ、さっきなんていった? 覚えた? 操作は大体覚えたと言ったのか!?」

 

 つい先ほどまで、目玉おやじは確かに初心者の筈であった。柔道の達人が相手の柔道着の着方を見ただけで実力を見分けるよう、ナズナにはそれが手応えでわかっていた。

 完全に素人だった彼が、あの僅か一ラウンドでこのゲームの操作方法を覚えてしまったというのか。その異常なほどの呑み込みの速さに七草ナズナは戦慄する。

 

「二度言う必要はなかろう」

 

 ナズナの問いにわざわざ答える必要はないと、目玉おやじは最終ラウンドに向けて準備を進める。このまま一気に勝負をつけようというのか、彼の半端ない威圧感をナズナは肌で感じ取る。

 

「――くっ、くっくっくっくくくく……面白い!」

 

 そのプレッシャーを前に、ナズナの身体全体に武者震いのようなものが駆け上がる。

 

「いいぜ、久々に歯応えのある相手だ。私の相手はそうでなくっちゃならねぇ!!」

 

 今日にいたるまで、ナズナはずっと目玉おやじのような強敵を待ち続けてきた。

 吸血鬼であるが故に社会に縛られず、仕事も禄にせず、毎日のように昼間からビールをかっくらい、七草ナズナはこの手のゲームをやり込んできた。

 夜守と一緒によふかしをするようになってからは、彼がずっと対戦相手を務めてきたが、夜守では実力不足で内心物足りない思いを感じていた。

 もっと本気で戦いたい。自身の全力を叩き込める、本物の強者と相まみえたいと。

 そんな燻った彼女の思いを受け止められる相手が――今、目の前に立っていることにナズナは歓喜する。

 

「いくぜ、目玉おやじっ! 貴様を倒し、鬼太郎の血を搾り取ってやるぅぅぅぅ!!」

「やっつけてやるぞい、ナズナ!」

「や、やかましぃいいいいい!!」

「ふっ!」

 

 目玉おやじもそんな彼女の思いに応えるべく、全力で立ち塞がる。

 

「すごい!! これはかつてないほどの名勝負になりそうな予感だっ!!」

 

 次元の違う戦いを前に、夜守は目を輝かせる。

 自分では逆立ちしても辿り着けない境地に立つ二人の強者。決して踏み込むことのできない世界に、少年は憧憬の念を抱きながら、この戦いを胸に刻むと静かに誓う。

 

 勝敗はどうであれ、たとえ歴史に刻まれない戦いであろうと。

 自分だけはこの戦いを忘れないと、その瞳に今という瞬間を全て余さず焼き付けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………なに、これ?」

「さあ…………」

 

 約二名ほど。その世界観に付いて行けず置いてけぼりをくらっていた。

 

 

 

×

 

 

 

「――ふぅ……今日はここまでだな。へっ、中々楽しかったぜ、おやじ!!」

「――わしもじゃ。久々にいい汗をかかせてもらったわい!」

 

 その後、白熱する目玉おやじとナズナの対戦は数時間と続いた。

 互いの勝率は一進一退で五分五分のまま。どちらかが勝利すれば、負けた方が即座にコンティニューをして、すぐさまスコアの勝敗を塗り替える。

 そんなことを延々と繰り返し、ようやくある程度気が済んだのか。二人は自然とコントローラーから手を放す。

 

「またやろうぜ。今度はあたしが圧勝してやるけどな!」

「ふっ、いつでも受けて立ってやるわい!」

 

 既に最初に提案した『賭け』のことなどなく頭になく、二人は互いの健闘を称え熱い握手を交わしていた。

 

「……ふぁ~……あれ? もう四時ですよ。父さん、どうしましょう?」

 

 ようやくゲーム画面から目を離した父親に、大あくびをしながら鬼太郎が現時刻を告げる。

 

 午前四時。朝早い人ならば既に行動を開始していてもおかしくない、明朝とも呼べる時刻になっていた。妖怪の鬼太郎でも当然眠くなってしまい、ゲームに熱中していた目玉おやじの眼球も真っ赤に染まっている。

 毎日よふかしをしている夜守たちでも、流石にもう解散する流れだろう。

 

「そうじゃな。とりあえず……今日はお暇するとしようか……いいかの、朝井くん?」 

「あっ、はい。わたしはそれでも大丈夫です」

 

 目玉おやじは依頼主である朝井アキラに声を掛け、彼女と共にこのアパートを後にしようとした。

 

 鬼太郎たちが七草ナズナと会ってみた印象。それは決して悪いものではなかった。

 初めの頃は警戒こそしたが、実際にやっていたよふかしも一晩中ゲームをするだけだったと、思ったよりも健全なもの(夜遊び自体が健全ではないのだが)。

 人間の子供を巻き込むのは感心しないが、力尽くで止めるようなものでもない。

 

 バックベアードに関して気になることを仄めかしてはいたものの、あくまでそれは鬼太郎たちの都合。

 今回の依頼には関係がなく、また後日、ナズナを直接訪ねればいいと。そのように結論を出しかけていた。

 

 だが――鬼太郎たちが立ち去ろうとしたところをナズナが呼び止め、再び話はおかしな方へと転がりこんでいく。

 

「あれ、もう帰んの? 泊ってけよ。一緒に寝ようぜ」

「「――――――はっ?」」

  

 一瞬、何を言われたか分からず硬直する鬼太郎と目玉おやじ。

 

「コウ君、布団敷くからゲーム機、片づけてよ」

「はい。わかりました」

 

 そんな彼らの眼前で、ごくごく自然な流れでテキパキと就寝の準備を進めていくナズナと夜守。

 そうして、部屋の中央には一枚の布団が敷かれ、そこに――四つの枕が並べられた。

 

「う~ん……流石に四人は狭いけど……………まっ、いっか!」

 

 その布団の端にゴロンと横になるナズナ。

 

「いやいや……どう考えても無理があるでしょ」

 

 夜守も、布団の面積の狭さにブツブツと文句を言いつつ、ナズナの隣で横になる。

 

「ん? ほらそんなとこでぼーっとしてないで。朝井ちゃんも、鬼太郎も――」

 

 ナズナは毛布をめくりながら、残り二つの枕を頭に置くべき該当者――アキラと鬼太郎に向かって妖艶な仕草で手招きしている。

 

「ほう、こっちへおいで……」

「……言っときますけど、今日はわたしここで寝るつもりはないですからね」

 

 付き合っているわけでもない若い男女。一緒に同じ布団で寝ようという、ナズナのふしだらな提案に朝井アキラは平然と言い返す。

 

 以前、ここに来たときも彼女はナズナに誘われ、夜守と三人、川の字で寝ることになってしまった。あの時は外で雨が降っており、傘も持っていなかったため、雨宿りをするために仕方なく布団で横になってしまった。

 寝るつもりなどなかったのだが、よふかしで遊び疲れてしまったのか。アキラは学校の登校時間ギリギリまで熟睡することになり、危うく遅刻しかけてしまった。

 そのときの教訓から、アキラはナズナの誘いをきっちりと断る。

 

「ええー!? なんで、いいじゃんか! 朝井ちゃんも、あたしらと一緒にいい夢見ようぜ……」

 

 そんなつれないアキラに尚もしつこく声を掛けるナズナ。彼女はニヤリと悪戯っぽく笑う。

 

「今日は鬼太郎もいるから、4Pだぜ! みんなで一緒に気持ちよくなろう!!」

「ナズナちゃん。その言い方はちょっと……べ、別に何かするわけじゃないからね。ただ寝るだけだから!」

 

 ナズナのギリギリな発言に夜守が慌てた様子で訂正を入れる。実際、夜守たちは眠くなったから寝るだけだ。今のところ――『大人の階段を登る』予定は夜守にもナズナにもなかった。

 しかし、それだけでも十分。『付き合ってもいない若い男女が一緒の布団で寝る』という行為そのものに絶句している者がいる。

 

「お、おおおおおおおお……おぬしら。い、いいいいいいいったい何をしておるんじゃ!!」

「と、とうさん! 落ち着いてください!」

 

 鬼太郎の頭の上でプルプルと震えている目玉おやじ。彼はナズナの「一緒に寝よう」という発言の時点で体を震わせ、4Pというヤバめな単語から、堪忍袋の尾を切らせていた。

 鬼太郎が必死に宥めるも効果はなく、ナズナに向かって保護者としての怒りを爆発させる。

 

「ばっかもーん!!」

「ひぃっ!?」

 

 小さな体から放たれたとは思えないほどの大音量での叱責。目玉おやじの渾身の怒声に鬼太郎はおろか、夜守やアキラでさえビクッと体を硬直させる。

 

「結婚もまだの若い男女が同じ布団で寝るなど、そんなふしだらな行い! ワシは絶対に許さんぞ!!」

 

 目玉おやじの持つ倫理観、貞操観念がそれは許されん行為だと彼を激怒させていたのだ。

 だがナズナは平然とした様子で、何故か得意げに言う。

 

「ふふふ……甘いぜ、おやじ。結婚もしなきゃ一緒の布団にもね、眠れないなんて。そんな考えは時代遅れさ。今時の若い奴らは誰とでも気軽にまぐわうし、体だけの関係なんて珍しくもねぇ。セフレっていうんだぜ。知らなかったか?」

「まぐわっ――!? せ、せ、せ……!?」

 

 ナズナの口から飛び出た破廉恥な発言に唖然となる目玉おやじ。

 

「? 父さん。まぐわう? ……セフレとはいったい、どういう意味でしょうか?」

 

 鈍感で朴念仁な鬼太郎はその言葉の意味自体を理解できないのか実の父親に尋ねる。

 

「き、鬼太郎! お前はそんなこと知らんでもいい!! と、とにかくじゃ!」

 

 目玉おやじは鬼太郎の問いを慌てて誤魔化し、改めてナズナたちに向かって目玉を真っ赤に怒鳴り声を上げる。

 

「このワシの目が黒いうちは絶対にそんなふしだらな関係など許さん! 今すぐ、夜守くんを家に返すんじゃ!!」

「ええ~……いいじゃんか、ちょっとくらい……」

 

 

「ぜったいにぃいい、許さん――!!」

 

 

 食い下がろうとするナズナだが、目玉おやじは問答無用で彼女の言い分を切って捨てる。怒り狂う彼の姿に説得は無理と判断したのか、大きなため息を吐きながらナズナは仕方なさそうに夜守に声を掛ける。

 

「ちぇっ、頭のかてぇ年寄りだな~。しゃーねぇな。今夜は解散するとしよう。いいかい、コウくん?」

「え、ええ。俺は別に構いませんけど……」

 

 思ったよりもあっさりと引き下がる、夜守とナズナ。どうやら彼らも毎日一緒に寝ているわけではないらしい。必要以上に落胆する様子もなく、夜守はサッサと帰り支度を整えていた。

 

 

 

×

 

 

 

 このとき、今度こそよふかしも終わりかと、鬼太郎たちは安堵しかけていた。

 感情が昂っている父親を落ち着かせてから、またナズナに話を聞きに来ようかと、そんな悠長なことを鬼太郎は考えていた。

 

 だが、次の瞬間――鬼太郎は思い知ることになる。

 夜守とナズナ。人間と吸血鬼である彼らが『よふかし』行う、その本当の意味を――。

 

 

 

 

「そうだ。帰る前に血吸わせてよ」

「あっ、はい。いいですよ」

 

 

 

 

 それは――自然な流れの動作であった。

 自然な調子で七草ナズナが帰ろうとする夜守コウの側に歩み寄り、夜守が少し恥ずかしそうにしながらも上着を脱いで首元を露出させる。

 ガッチリと彼の体を固定し、ナズナは彼の首筋に唇を近づけ――。

 

 そのまま、夜守の首元に牙を突き立てる。

 

「――なっ!?」

 

 毎日そうしているのか、お互いに一切の迷いも躊躇いもない動作だった。人間が米やパンを口に運ぶように、息を吸って吐くかの如き自然な動作。あまりにも自然だったため、鬼太郎はナズナの『吸血行為』を止めることが出来ず、息を呑む。

 言葉を失う鬼太郎たちを尻目に、ナズナはぢゅるり、ぢゅるるると、生々しい音をたてて夜守から血を吸い上げていく。

 

「うっ……」

 

 痛みを感じているのか夜守は僅かに顔を顰めるも、抵抗する素振りもなく黙ってナズナの吸血を受け入れる。

 

 そして――

 

「ぷはぁー、美味い! この一杯の為に生きてるって感じだ!!」

 

 まるでビールを一気に飲み干した中年のように、口元を拭うナズナ。

 

「…………はぁ~……今日も駄目か…………」

 

 噛まれた傷口の血を拭いながら、何かを残念がって落胆する夜守。

 

「……よそでやれよ」

 

 その吸血行為からそっぽ向いて、顔を背けるアキラでさえ、そこまで動揺した様子はない。

 きっと――彼らにとってそれらの行為もよふかしの一環、いつものことなのだろう。

 

 しかし――

 

「……で? そんなに殺気立ってどうした? 鬼太郎ちゃんよ?」

「…………!」

 

 ナズナの挑発的な笑みに対し、一気に剣呑な空気を取り戻した鬼太郎。

 彼は指先をナズナへと突きつけ、いつでも指鉄砲を放てるよう妖気を指先に充填していた。

 

「どういうつもりだ。七草ナズナ」

「…………」

「夜守くんを――吸血鬼にでもするつもりか!!」

 

 吸血鬼に血を吸われた人間は吸血鬼になる。

 西洋妖怪に関してあまりよくわからない鬼太郎たちでも知っている有名な逸話だ。

 そうやって長い時の中、吸血鬼は自らの仲間――『眷属』を増やしてきた。

 

 ――くっ、油断した!

 

 格闘ゲームやら、一緒に寝ようなどといった珍行動で鬼太郎もすっかり失念していた。

 

 七草ナズナが吸血鬼であるという事実を――。

 彼女にとって人間はたんなる食糧、糧に過ぎないという現実を――。

 

 先ほどまでの友好的なムードはすっかり消え去り、室内をピリピリとした空気が支配する。

 何かのきっかけで、いつ闘争が始まってもおかしくない。そんな緊張感が漂う中――。

 

「――ま、待ってください!!」

 

 血を吸われた当人――夜守コウがナズナと鬼太郎の間に割って入る。

 

「だ、大丈夫ですから! おれ、まだ吸血鬼になってないです! ほら、人間のままですし!」

 

 彼は自分が生身の人間のままだと、先ほどの吸血行為によって発生した害は皆無であると必死に鬼太郎にむかってアピールして見せる。

 

「うむ、確かにそのようじゃが……」

 

 夜守が吸血鬼になっていないことを、目玉おやじが雰囲気で悟るも渋い顔をする。それは、たまたまそうならなかっただけという話で、こんなことを続けていれば、いずれ彼も夜の住人になってしまう。

 しかし、そのように懸念する鬼太郎たちに、夜守はとんでもないことを口走る。

 

「それに……これは俺から頼んだことなんです」

「……頼んだ? 何を?」

 

 眉を顰める鬼太郎に、夜守コウは決意を込めた瞳で――。

 

 

「俺を……吸血鬼にして欲しいって――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜守コウはずっと悩んでいた。

 このまま不登校を続けていていい筈がないと。こんな夜遊び、いつか終わりにしなければ。

 いつかは学校へ行かなければならない。『こんなこと』――長く続けることはできないと。

 

 しかし、そうやって悩める少年に初めて出会った日に七草ナズナは言った。

 

『――なあ、少年。初めての夜はどんな気分だ?』

 

 初めて体感した深夜の空気。日常からはみ出した空間で何を思ったか。

 

『――ここはお前の思うめんどうやわずらわしさ。そんなものから最も遠い場所だ』

 

 ここでは学校のような堅苦しい人間関係などない。

 クラスメイト相手に笑顔を取り繕う必要もないし、女子から告白を断ったと責められることもない。

 嫌な人と顔を突き合わせる必要もない、ありのままの自分でいられる。

 

 それでも、それでも。人間としてせめて正しい価値観のもとで生きねばと思い悩む夜守に、ナズナは堂々と吐き捨てる。

 

『――別にいいじゃん。学校なんか、つまんねーだろ』

『――今日に満足できるまで夜ふかししてみろよ』

 

 

 

 

『――そういう生き方も悪くないぜ?』

 

 

 

 

『――――――――』

 

 そう言われた瞬間、夜守コウは今まで感じたことのない胸の高鳴りを覚えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの時から……俺は吸血鬼になりたいと思ったんです」

「…………」

 

 夜守の話を聞いて鬼太郎たちは黙り込む。少年の真剣な眼差しを見ればわかる。それが嘘でも冗談でもない、本気であると。本気で――彼は人間を捨て、吸血鬼になる道を選ぼうとしていることを。

 さらに続けて、夜守は熱く語る。

 

「だから――吸血鬼になるためにも、俺はナズナちゃんに『恋』をしなければいけないんです!」

「こ、恋?」

 

 いきなり話が変わって目を丸くする鬼太郎に、夜守は説明する。

 

 ナズナ曰く、彼女に吸血されて吸血鬼になるためには、彼女に『恋』をしなければならないとのこと。何とも思っていない状態でナズナに血を吸われてところで、夜守は人間のまま変わらない。

 

 ナズナのことを心の底から好きになって――人間の少年は初めて吸血鬼になることができる。

 

「わー! わー!! や、やめて恥ずかしい――!!」

 

 あれだけ卑猥な話をしていたナズナが、途端に恥ずかしそうに頬を染めていく。

 まぐわううんねんの俗っぽい話をニヤニヤと語っていたのに、恋うんねんのくだりは恥ずかしいらしく、彼女はガチに照れて誤魔化すように声を上げている。

 

「…………」

 

 そんなナズナを呆れた視線で見つめる朝井アキラ。その一方で、彼女は夜守の話に黙って耳を傾けていく。

 

「…………吸血鬼になりたい。君はそれが……どういうことを意味しているのか。本当にわかって言っているのか?」

 

 ややあって。鬼太郎は腹の底から絞り出すように声を上げる。その声音は怒っているようにも感じられる。

 

「君が思っているほど簡単じゃないだろ。『人間を捨てる』なんてこと……」

 

 人が人を捨てて、何か別の存在に生まれ変わる。

 妖怪の世界にもよくある話だ。人の身から、異形のものに変わり果てる怪談の類は――。

 だがその多くが自身の軽率な行動に後悔を覚え、遠く懐かしい人間だった頃に思いを馳せながら苦しみの生を歩んでいる。

 

「鬼太郎の言うとおりじゃ。よく考えもしないうちに人間を捨てたいなどと、軽々しく口にすることではないぞ!!」

 

 目玉おやじも鬼太郎に同意し、説教臭く夜守を説得する。

 

「吸血鬼になれば、きっと君は二度と人間には戻れん。そんな一時の感情や、やけっぱちで軽々しく人であることを諦めてはいかん。学校に行って、もっと多くのことを学んで、友達や家族ともっとよく話して――」

 

 だが、そんな目玉おやじの説教を――。

 

 

 

「――そんなことはわかってます!!」

 

 

 

 夜守コウは怒声で遮る。 

 

「確かに一時の気の迷いなのかもしれない。まだ中学生の、人生なんて禄に分かってない甘えたガキの戯言なのかもしれない。そんなことは、言われなくても分かってます!!」

 

 客観的な目線から見ても、自分が馬鹿なことを考えているという自覚は夜守にもある。

 だがそれでも――。

 

「それでも……俺は『夜』を知ってしまったんです。将来の夢も、やりたいこともなかった俺が……初めてなりたいと思えたものが『吸血鬼』なんだ!!」

 

 彼は心から叫んでいた。

 やりたいことも、なりたいものもなかったつまらない自分が、唯一胸に抱いたこの思い。

 

「俺は――この気持ちを失くしたくない!!」

 

 それが嘘なんかではないと証明するためにも――夜守コウは七草ナズナに恋をしなければならないのだった。

 

 

 

×

 

 

 

 結局その後、気まずい空気の中で夜守たちは解散することとなった。明朝四時半。ナズナのアパートから退出し、それぞれの目的地へと黙って歩いていく夜守とアキラ。

 

「…………」

「…………」

 

 そんな少年少女の背中を雑居ビルの屋上から、七草ナズナと鬼太郎が見送る。ビルの屋上に吹きすさぶ冷たい風に当たりながら、互いに何を言うこともなく静かにその場に立ち尽くす。

 

「……………悪いが、バックベアードに関してはあたしは何も知らされてねぇ」

「えっ?」 

 

 ややあって、ナズナがその沈黙を破り、そんなことを口にする。

 

「確かにあたしら吸血鬼はカミーラの命令で人間の生き血を集めてくるよう言われてる。けど、あたしみたいな、『一般庶民』にあいつらだって大した期待はしてねぇ。詳細なんか何も教えちゃくんねぇさ」

 

 ナズナ曰く、吸血鬼は貴族社会。たとえ高い能力を持っていようと、由緒ある血筋でないものに高貴な吸血鬼たちは決して恩赦を与えない。

 命令を与えるだけ与え、後はノータッチ。ナズナのようにどこの血筋かもわからないような相手に、わざわざ労いの言葉を掛けにくることもないそうだ。

 

「向こうはあたしの名前だって知らねぇんじゃねぇの? まっ、そのおかげで、あたしは毎日自由に好き勝手できるわけだが……」

 

 だからナズナも、バックベアードの為に生き血を集めるなんて面倒なことはしない。たまに病院から献血用の輸血パックを拝借し、それを月に数回バックベアード城に送りつけるくらいだ。

 鬼太郎たちが知りたがるようなことは何も知らないと、ナズナは言う。

 

「……君は、何故彼から血を吸い続けているんだ?」

 

 鬼太郎は彼女の言葉をとりあえず信用し、一旦バックベアードの話から離れる。

 彼は朝井アキラの依頼に応えるべく、ナズナが夜守コウに付きまとう理由を尋ねていた。

 

「そりゃ、あいつの血は美味いからな! あれほどの美味には、そうそう出会えねーよ!」

 

 生き生きと語るナズナ。どうやら吸血鬼からすると夜守の血は極上の美味らしい。血の味など分からぬ鬼太郎からすればさっぱりな理由だが、やはり食料としてしか夜守のことを見ていないのかと。鬼太郎は厳しい視線でナズナを睨みつける。

 

 だが――ナズナはやや照れくさそうにしながら続く言葉を口にする。

 

「まっ……別に血を吸うことだけが目的じゃないさ。アイツと出会うまでは……あたしも適当な相手を見つけて血を拝借してたんだけどよお……」

 

 夜守コウに出会うまで、彼女はずっと吸血鬼であることを隠しながら生きてきた。自身の正体を偽り、適当に深夜に徘徊する人間の生き血を少しづつ分けてもらいながら生活してきた。

 しかし、あの夜。彼女は夜守コウに自分が吸血鬼であることがバレてしまった。それでも、彼の血の美味さに感激し、また吸わせてもらうように願い出ようとしたナズナの言葉を制し、夜守の方から頼み込んできた。

 

 自分を――吸血鬼にしてくれと。

 

「正直、最初はいいカモとか思ってたよ。これで苦労せず、美味い血にありつける……てさ」

 

 ナズナにとって初めの頃は夜守などただの食料だった。適当に相手をしてやれば、血を分けてくれる簡単な人間のガキだと思っていた。

 

「けどさ……なんだか、あいつと過ごすうちに……夜の訪れが待ち遠しくなっちまって……」

 

 けれど、夜守と一緒にいくつもの夜を過ごしていくうち、彼女は彼との逢瀬を純粋に楽しんでいる自分自身を自覚していく。

 それまで適当に人間をとっかえひっかえしてきたからこそ、知ることのできなかった『誰かと過ごすよふかし』。その魅力に彼女自身もすっかり魅了されるようになっていた。

 

「吸血鬼だって…………一人の夜は寂しいもんさ」

 

 仕事にも学校にも行く必要のない吸血鬼という存在にも、そういった苦悩がある。

 その苦悩を癒してくれる、『友達』とのよふかし。

 それを、七草ナズナも居心地の良いものとして受け入れていた。

 

「…………」

「まっ……そう心配すんなって、鬼太郎!」

 

 ナズナの心中の吐露に鬼太郎が黙り込んでいると、その気まずい空気を嫌って彼女が明るく声を張り上げる。

 

「あいつは恋と性欲の区別もついてないような、ケツの青いガキだ!! あたしに……こ、こ、こ、恋心を抱くなんて……十年早ぇよ!」

 

 恋という部分を緊張気味に喋りながら、ナズナは心配無用と鬼太郎に親指を立てる。

 

「あたしもアイツに吸血鬼になられちゃ、血も吸えなくなるし……暫くはこのまま、ダラダラと過ごさせてもらうさ」

 

 ナズナの方は夜守を自身の眷属にするつもりは微塵もない。それどころか、吸血鬼になられては血も吸えなくなると、夜守には人間のままでいてもらいたいと告白する。

 

「まっ……いずれは諦めてこんな夜遊びも止めるだろう。そんときまでは……好きにやらせてくれ」

 

 長くてもあと数年でこんな関係も終わるだろうと。ナズナはどこか達観した様子で、鬼太郎にこれ以上余計な首を突っ込む必要がないことを忠告する。

 

「…………」

 

 彼女の言葉に、鬼太郎も目玉おやじは何も言い返さない。

 ナズナが嘘をついていないことは、今日一日彼女の人柄を触れてみてわかった。

 彼女に害意がない以上、後は当人たちの問題と鬼太郎は割り切って考える。

 

 しかし去り際、彼はナズナに向かって『もしもの将来』について問いを投げかける。

 

 

 

「七草ナズナ。もしも夜守くんが君に恋心を抱いて……彼が吸血鬼になったら――」

 

 

 

「その後――君はどうするつもりだ?」

 

 

 

 その問い掛けに――――。

 

 

「………………………………」

 

 

 吸血鬼は何も答えることができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃ、じゃあ……また明日」

「うん……また明日」

 

 小森団地に戻って来た夜守とアキラの二人。先ほどのこともあってか、ややぎこちない様子で手を振り、両者は別れの挨拶を口にする。

 夜守は自宅へ。アキラは学校へと。それぞれの行くべき場所へ足を進めていく。

 

「――済まない……ボクじゃ、これ以上は力になれそうにない」

 

 アキラの元へ、ナズナのところから戻って来た鬼太郎が声を掛ける。彼は依頼主であるアキラに最終的な報告をし、自分ではこれ以上首を突っ込むことができないと、申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「いえ、鬼太郎さん。今日は来てくれて、ありがとうございました」

 

 だが落胆した様子を見せることなく、アキラは笑顔で鬼太郎に礼を言う。

 

「……朝井さん。君は……夜守くんが吸血鬼になりたいと言っても驚かないんだね」

 

 平然とした様子の彼女に、鬼太郎は不思議そうに首を傾げる。

 友達から吸血鬼になりたいなどと聞かされれば、普通ならもっと動揺するものだろう。だが――

 

「……知ってましたから。夜守が吸血鬼になりたいってことは……」

 

 どうやら彼女は既に知っていたらしい。夜守の夢を――。

 彼が人間を捨て、夜の暮らしを望んでいることを――。

 

 それを理解した上で、彼女は微笑む。

 

「たとえ吸血鬼になっても、夜守は友達ですから……わたし、人間とか吸血鬼とかあまり気にしませんから」

「…………君は強い子じゃのう」

 

 アキラの言葉に、目玉おやじは感心したように呟く。

 ナズナとも普通に接していたし、彼女ならたとえ夜守が吸血鬼になっても、うまくコミュニケーションを取れるかもしれない。けれど――。

 

「けど、学校へはこれからも誘い続けますよ。吸血鬼になるにも、人間のままでいるにも……きっと必要なことだと思いますから」

 

 最終的に吸血鬼の道に進もうと、一緒に学校へ行こうと誘い続けることを止めない、朝井アキラ。それが夜守に必要なことだと信じ、彼女は今後も彼に声を掛け続けるだろう。

 

「本当に……君は強いな」

 

 そんなアキラの姿を少し眩しそうに見つめる鬼太郎。

 

「何かあったらまた手紙をくれ。ボクに出来ることなら……手を貸すよ」

 

 彼は再びトラブルが起きれば自分に手紙を出すよう言い、アキラに夜の終わりと共にさよならを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかしその後――アキラから鬼太郎の元へと手紙が送られることはなかった。

 

 

 ナズナと夜守との関係がどうなったか?

 

 

 人間の少年が吸血鬼への恋を実らせ、同じ吸血鬼となって夜を歩むこととなったのか?

 

 

 それとも、人としての正道を取り戻し、友達と共に日の当たる世界へと引き返せたのか? 

 

 

 事の顛末を、鬼太郎は想像することしかできない。

 

 

 願わくば、悔いの残らないような選択を――。

 

 

 人間であろうと、吸血鬼であろうとも自分に満足できる人生を歩んでいることを――。

 

 

 

 鬼太郎は時より彼らのことを思い出し、そう願っていた――。

 

 

 

 




次回予告

「嘘を嫌って見抜く妖怪と、ねずみ男が商売を始めたそうです。
 父さん……、どう考えても嫌な予感しかしないのですが……。

 次回――ゲゲゲの鬼太郎『道成寺の清姫』 見えない世界の扉が開く」

 次回のクロスオーバーは『FGO グランドオーダー』から清姫参戦(予定)!
 カルデア、サーヴァントという設定は出てきません。
 あくまで『清姫という妖怪』がいたらという『キャラだけ』出演にするつもりです。
 
 12月は忙しいため、当分更新が出来そうにありません。
 年明けから徐々に投稿していきたいと思いますので、よろしくお願いします。


 ついでに――今後のクロス予定について。
 ここ数日、皆さんから様々な意見を頂戴させていただき、自分も知らなかった作品に触れられてとても嬉しく思います。
 ただ、一応最初の方は作者の組んだ予定で進ませていただきます。 
 理由としては――『鬼太郎ファミリーを含んだ主要キャラを一度は登場させてみたい』というもの。いつものファミリーは勿論、まなちゃんや、石動零、アニエスにも出番が欲しい。彼らを満遍なく登場させるため、以下の作品でクロスを書いていく予定です。

『デュラララ!!』
『犬夜叉』
『魔女と百騎兵』

 あくまで予定ですので、ふ~んといった気持ちでお待ちください。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

道成寺の清姫 其の①

取りあえず書きあがりましたので投稿。
クロスオーバー企画第三弾。『FGO』シリーズから『清姫』参戦!

今後も続けば数体の鯖を参戦させる予定がありますが、取りあえず最初の一人として、物語が書きやすい彼女を主役にしました。

鬼太郎的なテーマは『嘘』。


 

 

 愛しくて、恋しくて――

 愛しくて、恋しくて、裏切られて――

 

 悲しくて、悲しくて、悲しくて――

 悲しくて悲しくて悲しくて――

 

 

 

 

 

 憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎――――

 

 

 

 

 

 

 だがら焼き殺しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――というわけでだ!!」

「…………」

「…………」

 

 本来ならば、妖怪たちしか立ち入ることが許されない領域――ゲゲゲの森。

 清流のせせらぎで心癒される川辺の付近にて。汚いボロきれを纏った人間の男らしき人物が大勢の異形・妖怪たち相手に大声で演説をかましていた。妖怪たちは胡散臭いものを見る目を男へ向けながらも、彼の話に黙って聴き入っている。

 

「このねずみ男様がプロデュースする一大プロジェクト! 乗っかるってんなら、今しかチャンスはねぇぜ!!」

 

 彼の名はねずみ男。このゲゲゲの森の顔役とも呼べるゲゲゲの鬼太郎の親友を自称する男。妖怪と人間との間に生まれた『半妖』である。

 とにかく金に汚く、自分が儲けるためなら時としてその親友である鬼太郎すら平然と裏切る。稀にではあるが鬼太郎のために命懸けの行動を起こす人情味も持ち合わせてはいるが、基本、金にも食い物にも女にも意地汚い、どうしようもない男である。

 ねずみ男のそんな人柄を知っているためか、大半の妖怪たちは日頃から彼に対して警戒の糸を緩めない。

 

「そのぷろじぇくと……てやつに入会すれば、本当に簡単にお金が手に入んのか?」

 

 しかし、そんな警戒心を薄れさせながら、妖怪の一人・呼子がねずみ男の話に前のめりになって質問する。

 

「おう、あったりめえよ! お前たちの努力次第で、いくらでも稼ぐことができるぜ!!」

 

 現在、ねずみ男が妖怪たちに話している一大プロジェクトとは――身も蓋もない言い方をすれば、ただの『ねずみ講』である。『マルチ商法』や『MLM』とは違い、今の日本社会では完全に違法なブラックな商法だ。

 勿論、人間たち相手にそれを行えばすぐに捕まる。だが、相手が法的に守られていない妖怪であれば、何の問題もないとねずみ男は考えた。

 今の世の中、妖怪でさえある程度金を溜め込んでいる。その金を掠め取ろうとさらに彼は熱弁を振るう。

 

「しかもだ!? 今加入すれば、何と入会金が通常の半額!! これを逃さねぇ手はねぇぞ!!」

「う~ん、なるほど……?」

  

 ねずみ男のさらなる追い打ちに、呼子を始めとした幾人かの妖怪が腕を組んで頭を悩ませる。

 このねずみ男、半妖として人間社会で相当の修羅場を潜ってきている。そして、このゲゲゲの森に住みついている妖怪というものは、基本的に人間社会の情勢に疎いものが多い。

 彼が本気になって話術を用いれば、世間知らずな妖怪たちを丸め込むなど造作もないことであった。

 

 ――けけけ……もう少しで何人か墜とせそうだな、へっ! ちょろいもんだぜ……。

 

 悩む妖怪たちに、ねずみ男は心の中で舌を出す。

 当然、ねずみ男は最初の入会金とやらを受け取ればすぐにでも雲隠れするつもりだ。暫く身を隠し、ほとぼりが冷めたところでまた戻り、適当な理由を付けて言いくるめればいい。

 

「さあさあ、どうする!? 得しかねぇ話だ! これを逃す手はねぇと思うぜ!?」 

 

 とりあえず、今日明日多少の贅沢が出来るだけのまとまった金があればいいと、ねずみ男は学のない妖怪たちを急かし始める。

 

 だが不幸にも――その日に限り『彼女』が、ねずみ男が話していたすぐ側を通りかかってしまった。

 

「――――『嘘』を……ついておいでですね?」

「……あん?」

 

 突然、ねずみ男の話に割って入って来たのは幼い少女だった。

 緑髪で、白拍子風の着物を纏った中学生くらいの美少女。頭には一見すると髪飾りのようにも見える、白い二本の角を生やしている。

 このゲゲゲの森に立ち入れたことや、その角から妖怪であることがわかる。

 その少女は神秘的な雰囲気、どこか品のある上品な言葉遣いで、さらにねずみ男の『嘘』について言及し始める。

 

「その方は嘘をついておいでです。得しかないなど……心にもないことを仰って……」

「おいおい、嬢ちゃん、人聞きの悪いこと言わねぇでくれよ!」

 

 彼女の指摘にギクッとしながらも、ねずみ男は咄嗟に言い返す。せっかくあとちょっとで金を騙し取れるところなのだ。こんなところで台無しにされてたまるかと、凄むように少女に声を張り上げた。

 

「俺はコイツらのためを思って今回の儲け話を持ち掛けてやったんだ! 誰だか知らねぇが、邪魔するようならどっか行ってくれや!!」

 

 自分の商売の邪魔をさせまいと、ねずみ男はさらに『嘘』を重ねて少女をシッシと追い払う。

 しかし、それがさらに少女の逆鱗に触れる行為だということに彼が気づくことはなかった。

 

「あらあら……まあまあ……」

 

 ねずみ男の『嘘』に――少女はお上品に扇子で口元を隠しながら笑みを浮かべる。

 

「また嘘ですか……嘘に嘘を重ねて……まったく、どうしようもない人ですこと……」

 

 にこやかな微笑みではあるが、その瞳の奥は――まったく笑ってはいなかった。

 まるで生ごみでも遠ざけるような視線をねずみ男に向け、徐々にその語気を強めていく。

 

 そして――

 

「そんなどうしようもない人は――燃えるごみとして焼却しなければなりませんね!」

 

 次の瞬間、少女の体から――『炎の柱』が迸る。

 

「ひ、ひぇええ~!?」

 

 メラメラと燃え盛る真っ赤な炎。火の気のないゲゲゲの森に突如君臨した災害を前に、呼子を始めとするねずみ男の話に乗っかろとしていた妖怪たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。

 

「――へっ?」

 

 そんな中、一人逃げ遅れるねずみ男。立ち尽くす彼に容赦なく怒りの業火が襲い掛かる。

 

「――あっち!? あっちぃいいいいいいいいいい!!」

 

 ねずみ男は瞬く間に火だるまとなり、体に燃え移った火を消そうと必死に地べたを転がり回り、最終的に近場にあった川へ飛び込んで炎を鎮火する。

 なんとか火は消し止められ、黒焦げになったねずみ男の焼死体(一応息はある)がプカプカと川に浮かび上がった。

 

「――なんの騒ぎだ?」

「――全くうるさいのう……静かにせんと、チューするぞ!!」

 

 妖怪たちの悲鳴を聞きつけ、たまたま近くを通りかかったゲゲゲの鬼太郎、そして砂かけババアがその場に現れる。

 

「ああ……お騒がせして申し訳ありません」

 

 現場に駆け付けてきた彼らを前に、清姫は素直に炎を引っ込めた。

 

「目の前に大声で嘘を付いている恥知らずな輩がおりましたので……私ったら、ついうっかり燃やしてしまいましたわ、ふふっ」

 

 チラッと焼け焦げたねずみ男を見下しながら、少女はにこやかに鬼太郎たちへ頭を下げる。

 

「見ない顔じゃな、お嬢さん。君は……どこの妖怪かのう?」

 

 鬼太郎の頭からひょっこりと顔を出す目玉おやじ。

 ねずみ男が酷い目に遭うのはいつものことと、黒焦げになった彼のことは目もくれず、目玉おやじは初対面である少女の妖怪に何者かと問いを投げかける。

 その問い掛けに、少女はさらに恭しく姿勢を正して挨拶の礼を述べた。

 

「あらあら……私としたことが、ご挨拶が遅れて申し訳ありません」

 

 

 

「私――『清姫』と申します。以後お見知りおき下さい。ゲゲゲの森の皆々様――」

 

 

 

×

 

 

 

「清姫か。確か……『今昔物語集』にも載っとる。紀州辺りの妖怪だったかのう?」

「あら、よくご存じで……」

 

 清姫の自己紹介に砂かけババアは茶を啜りながら古い記憶を辿っていく。自身のことを知っている砂かけババアに清姫は微笑みを向けながらこちらも茶を啜っている。

 先ほどの騒ぎから離れ、現在清姫はゲゲゲハウスにお邪魔していた。そこで鬼太郎や砂かけババアと机越しに向かい合い、お茶を頂く清姫。

 彼女はこのゲゲゲの森にいたるまでの道中を、自身の成り立ちから語って聞かせていく。

 

 

 

「時を遡ること千年ほど前。舞台は紀州……今でいう和歌山県から私の物語は始まりました」

 

 もともと清姫は人間――それも豪族、所謂貴族の出身だった。 

 彼女は豪族の一人娘として、それはそれは大切に育てられた。蝶よ花よと愛でられ、いずれは相応しい家柄の下へと嫁ぎ、人としてささやかな生を終える――その筈だった。

 だがその日――彼女は人生を狂わせる運命の出会いと遭遇する。

 

「あの日、私の生家にあの御方が……安珍様が訪れて下さったのです!」

 

 清姫が夢見る乙女のように語る安珍様とは、お坊さん――旅の僧のことである。

 当時、修行僧が宿を貸してくれと頼んでくることは珍しいことではなかった。だが清姫はよりにもよって、一夜の宿を借りに来たその修行僧に一目惚れしてしまったのである。

 

「あの方こそ私の運命の相手……翌朝には旅立ってしまうあの方の下へ、私は一夜を共にしようと夜這いをかけたのです!!」

「ぶぅー! よ、夜這い!?」

 

 あまり興味無さそうに話を聴いていた鬼太郎が、そのとんでも発言に茶を吹き出す。

 ちなみに当時の常識としては男性が女性に夜這いをするのが一般的であり、女性が男性に夜這いをかけるのは絶対にあり得ない。ましてや当時、清姫は十二歳――今でいう小学生である。

 

 『小学生』である。

 

 いかに結婚の早かった時代とは言え、流石に早すぎる。ましてや安珍は旅の僧。当然の如く彼は清姫の誘いを断った。

 

「すげなく断われる私……けれど、私は諦めませんでした!!」

 

 だが想いを断ち切ることができず清姫は食い下がる。そんな彼女に――安珍はひとつの『約束』を交わした。

 

『――帰りにはきっと立ち寄るから』

 

 清姫はその言葉を信じ、大人しく安珍に別れを告げた。きっと帰りの道中で立ち寄ってくれるであろう彼を待ち続ける日々が始まる。

 

「ですが……約束の日。待てども待てども安珍様は来てくれませんでした。日が落ち、足が棒になり、最後まで私はあの御方をお待ち申し上げておりましたのにっ!!」

「……う、うむ。それは大変じゃったのう」

 

 段々と熱を帯びていく清姫の語り口。彼女には火を操る能力があるらしいが、その炎を上手く制御できず、漏れ出た火の粉が飛び火し、目玉おやじたちが肝を冷やす。

 自身の能力を制御できなくなっていることにも気づかず、さらに清姫は熱く語る。

 

「そう……その時になって私は気づいてしまったのです。あの方が私との約束を破ったことに――」

 

 安珍が――『嘘』をついていたことに。

 

「私は必死にあの方の後を追い掛けました。もう一度お逢いしたくて、何故嘘をつかれたのか確かめたくて……」

 

 清姫は安珍の背中を求め、彼が辿ったであろう後を走って追いかけた。

 当時、清姫のような位の高い女性は歩くことすらはしたないと思われていた時代。それが身綺麗な格好のままで飛び出し、着物を振り乱して走る様は実に異様な光景に見えたことだろう。

 

 激情と憤怒に駆られて追跡を開始した清姫。彼女は走って、走って、走り続け――。

 執念の果て、ついに安珍に追いついた。しかし――彼の名を叫ぶ清姫に安珍は無情にもこう言った。

 

『――人違いです』

 

「ええ、嘘に嘘を重ねたのです。そのような不誠実……どうして許すことができるでしょうか?」

「う、うむ……そうじゃな。嘘はいかんな……」

 

 完全に病んだ目つきで語る清姫に迂闊なツッコミを出来ず、適当に相槌を打つ砂かけババア。 

 そして、ついに『安珍・清姫伝説』はクライマックスへと差しかかる。

 

「怒りのあまり……私はその身を人であることを保つことができなくなりました。気が付けば、私の体は人ならざるモノ――巨大な大蛇となって、安珍様に襲い掛かったのです」

 

 可愛さ余って憎さ百倍。安珍に裏切られた絶望と怒りが清姫を妖怪として転身させてしまったのだ。大蛇となった清姫に理性はなく、ただ安珍を求める怪物として彼に襲い掛かった。

 

 清姫から安珍は命からがら逃げ出し『道成寺』という寺に助けを求めた。

 彼女をやり過ごすべく、寺の住職は鐘撞につかう鐘をおろし、その中に安珍を隠して匿った。

 

 だが――不運にも安珍の草鞋の紐が鐘の外にはみ出し、彼は清姫に見つかってしまう。

 

 ああ、あわれ。逃げ場を失くした安珍は清姫の炎で蒸し焼きになって殺されてしまう。

 その時の情景が、現代にもわらべ歌として伝わっている。

 

『トントンお寺の道成寺 釣鐘下ろいて身を隠し

 安珍清姫蛇に化けて 七重に巻かれてひとまわり ひとまわり』

 

 

 

「うむ、そうじゃったな。確かその後……お前さんは絶望に悲観し、入水自殺を遂げたという話じゃったが……」

 

 当事者から話を聞き、砂かけババアはうろ覚えだった清姫・安珍伝説の詳細を思い出す。彼女の記憶が確かであればその後、清姫は安珍の後を追って自殺した――という結末になっている。

 しかし、当人が言うにはその下りには若干の相違点があるらしい。

 

「ええ、私もそうしようと思ったのですが……そこに偶然、法師の一団が通りかかりまして……」

 

 寺の住職が安珍を救うべく助けを求めた際、たまたま近くに法師の一団がいたという。残念ながら安珍救出には一歩遅かったものの、その法師たちは怒り狂う清姫を鎮め、その地に彼女を封じたという。

 

「そのまま封じられて千年……つい数年ほど前、何かの拍子で封印が壊され私は現代に蘇りました」

 

 千年もの長きの間封じられていた清姫は、そうして現代に解き放たれた。蘇った彼女は角こそ生えてはいたが、ほとんど人の形を保っていた。

 思考も些か冷静になり、自身のこれからを考え、彼女は自らの『願い』を叶えるべく旅に出ることになる。

 

「そう! 今度こそ安珍様と添い遂げるべく……私はあの方を捜し求める流浪の旅に出ることにしたのです!」

「……えっ? 安珍さんは君が……その、焼き殺したんじゃないのか?」

 

 清姫の出したその結論に鬼太郎が些か困惑する。

 焼き殺した筈の安珍を捜す? それも千年後のこの現代で?

 

「ええそうですとも……安珍様は死に、嘘つきの罪できっと地獄に堕ちました。けれど、あれから千年も経っているのです」

 

 いったいどういうことかと鬼太郎が尋ねるが、清姫は特に取り乱した様子もなく答える。

 

「それだけの時があればきっと生前の罪を償い終え、輪廻の輪を潜りこの世に転生している筈。生まれ変わった安珍様の魂と添い遂げる。それこそ、現代に蘇った私の切なる望みなのです!!」

「ああ……なるほど、そういうことじゃったか……」

 

 清姫の主張に呆れながらも目玉おやじが納得する。

 

『輪廻転生』という考え方が仏教にある。

 死んであの世に還った霊魂が、再びこの世に生を受けることだ。清姫は安珍の魂も生前の償いを終え、この現代に転生していると考えたのだろう。途方もない話に思えるが、一応辻褄は合っている。

 

 そうした旅の途中、清姫はこのゲゲゲの森に立ち寄り、ねずみ男が『嘘』をつく場面に遭遇した。

 

「どういうわけか私……他人の嘘がわかってしまうのです。あの小汚いねずみは臆面もなく堂々と嘘八百を並べ立てていましたので、ついうっかり燃やしてしまいましたの、ふふっ」

 

 今の姿に留まった清姫には二つの力が備わっていた。

 炎を操る力と、人の嘘を見抜く力である。二つの能力を駆使し、清姫はねずみ男にお仕置きを与えたのだろう。

 そこをたまたま鬼太郎たちが通りかかり、今にいたる。

 

「ま、まあ……見つかるかどうかは別として、今日はもう遅い。袖振り合うも他生の縁じゃ。今日はこの森でゆっくり旅の疲れを癒すといい。オババよ、一晩彼女を泊めてやってはくれんか?」

「ん……ああ、ワシは構わんが?」

 

 清姫という妖怪の根本をとりあえず理解した目玉おやじ。長々と話していたためか既に外が暗くなりかけていることもあって、目玉おやじは今日一日、このゲゲゲの森に泊まることを清姫に提案する。

 相手が女性であることから、砂かけババアの家に。砂かけババアもその提案に不満を述べることなく頷く。

 

「……そうですわね。そうさせてもらうと助かります」

 

 彼らの提案に清姫はにっこりと笑顔を浮かべ、感謝の意を示していた。

 

 

 

 

 

「――父さん、彼女……大丈夫でしょうか?」

 

 砂かけババアの家にお邪魔するべく、ゲゲゲハウスを後にする清姫の後ろ姿を小窓から鬼太郎が心配そうな表情で見下ろす。このとき鬼太郎が不安に思ったのは彼女の旅路ではない。彼女の妖怪としての『在り方』だ。

 

 嘘をついたという理由でねずみ男を消し炭にした清姫。相手が無駄に頑丈なねずみ男だからこそよかったものの、あれをもしもただの人間相手にやれば大惨事である。

 愛した男性に騙されて傷ついた彼女の気持ちはよくわかったが、ただ嘘を付かれたという理由であの調子で暴れられても困る。

 おそらく、このゲゲゲの森にいたるまでの道中でも、似たような騒ぎを起こしてきたと容易に想像できる。

 

「うむ、普通に話す分には問題なさそうなんじゃがな……」

 

 目玉おやじも鬼太郎と同じ懸念を抱く。しかし清姫とて、こちらが嘘を交えずに話す分には見た目に違わぬ普通の少女然としていた。

 穏やかで淑やかな振る舞い、非常に礼儀正しい態度で鬼太郎たちと接していた。安珍の嘘を振り返る場面で幾度となく『危険なオーラ』を纏ってはいたが、それを理由に退治するわけにもいかない。

 

「あまり人々に迷惑を掛けなければよいのじゃが……」

 

 とりあえず、目玉おやじは暫く様子を見るしかないと呟きを漏らす。

 

 これからの旅の道中、嘘を理由に彼女が『大惨事』を起こさないことを信じて――

 

 

 

 

 

「――なるほど。嘘を見抜く力ねぇ……」

 

 だがこのとき、ゲゲゲハウスの裏側で鬼太郎と清姫の会話を盗み聞きしているものがいた。

 

 ねずみ男である。

 

 大事な一張羅を真っ黒こげにされながらも、一命を取り留めた彼はなんとか自力で這い上がり、鬼太郎たちと清姫の様子を窺っていた。

 彼女の身の上話から、何か弱みでも握って仕返しできないかと小さな復讐心を滾らせながら、彼はこっそりと耳をすませる。

 だが、清姫の持つ能力――『嘘を見抜く力』とやらに着目し、ねずみ男はその瞳をギラつかせる。

 

「確かにやっかいな能力かもしれねぇな~……けど――」

 

 嘘や御託を並び立てて人を煙に巻くことを得意とするねずみ男にとって、彼女の力は脅威ではある。しかし――

 

「バカとハサミは使いよう……てね、シッシシ!」

 

 彼はいやらしい笑みを浮かべながら、その力を上手く利用する手段を思いついていた。

 

 

 

 金儲けの手段として――。

 

 

 

×

 

 

 

「それではお世話になりました、おババ様」

「うむ、道中……気を付けるんじゃぞ」

 

 翌日の早朝。砂かけババアの家に一晩泊めてもらった清姫。彼女は砂かけババアに別れの挨拶を済ませ、再び安珍を捜す旅の出るべく、ゲゲゲの森の出口へと向かっていた。

 朝早くということもあり、誰ともすれ違うことなく清姫は木漏れ日が降り注ぐ中を歩いていく。

 だが出口まであと少し、といったところで――。

 

「よお! 待ってたぜ、お嬢ちゃん!」

「あら、あなたは……」

 

 そこで清姫の到来を待ち構えていたねずみ男に遭遇する。顔を合わせるや、清姫は生ゴミを見るような目つきでねずみ男を見下す。 

 

「ああ……昨日の嘘つきさんではありませんか? 何ですか? 性懲りもなく燃やされにきたのでしょうか。懲りない困ったお方ですこと、ふふっ」 

 

 昨日の第一印象から清姫がねずみ男に抱く印象はマイナス評価。彼女は自分の眼前に立ち塞がる彼を問答無用で消し炭に変えようと、メラメラと炎を焚き始める。

 殺気立つ清姫に、ねずみ男は慌てて彼女を制止する。

 

「ちょっ!? たんま! たんま! 昨日は俺が悪かったって! お詫びといっちゃなんだが……アンタにいい儲け話を持ってきたんだ。どうだい、アンタも一口噛まないか?」

「……はぁ? 儲け話ぃ~?」

 

 ねずみ男の口から出た言葉に、呆れた様子で清姫は『小汚いネズミ』に絶対零度の視線を向ける。

 

「馬鹿馬鹿しい……どうして私がそのような話に乗らなければならないのか、理解できませんね。私、別にお金に困っているわけじゃありませんので」

 

 清姫という妖怪は特にお金がなくても生きていけていた。ここまでの道中も徒歩、交通費なども必要としなかったし、基本寝泊まりも野宿だ。

 食料などもその辺の野生の鹿や猪を捕まえ、自前の炎で適当に調理して食してきた。

 特に贅沢がしたいわけでもない、安珍を捜し出すことこそ彼女の全てなのだ。人間社会に潜り込んでまで、お金を必要とはしていなかった。だが――

 

「へぇ~そうかい。それじゃあ聞くが……これからこの先、どうやって安珍とやらを捜し出す気だい?」

「……?」

 

 ねずみ男の意味深な問いに、彼を燃やすため炎を飛ばそうとしていた清姫の動きが止まる。彼女が疑問符を浮かべたチャンスを逃さず、ねずみ男は捲し立てる。

 

「聞いたぜ、お嬢ちゃん。アンタ……安珍って坊さんの生まれ変わり捜してるんだってな? けど、この世界は広いぜ? 闇雲に捜しまわったところで、そう簡単に見つかる訳がねぇ……」

「何ですって……?」

 

 安珍は見つからない。その言葉にビキリと額に青筋を浮かべる清姫。しかし怒れる表情の清姫にも臆さず、ねずみ男は続ける。

 

「いやいや、落ち着けって……俺が言いたいのはもっと効率よく捜す方法があるんじゃないかってことさ。たとえば……これだっ!!」

 

 そう主張しながら、ねずみ男は画面の割れた自身のスマートフォンを清姫に見せつける。

 

「……なんですか、その小汚い板のようなものは?」

 

 現代に蘇って日が浅いためか、一目でそれが何なのか理解できない清姫。ねずみ男はスマホというものがいかなる代物なのか。現代文明に疎い清姫にも分かるよう、懇切丁寧に説明してやる。

 

「――なるほど。俗にいう『いんたーねっと』というやつですね。聞いたことくらいはありますが……」

 

 ねずみ男の話を聴き終え、とりあえず清姫はある程度のことを理解する。どうやら、インターネットに関する知識はこれまでの旅の道中で耳にしたことくらいはあるようだ。

 

「おうよ!! こいつを使えば、掲示板で世界中の人間に問いかけることができるんだぜ! 『安珍様を捜してる。どこかで見かけませんでしたか?』ってな!!」

 

 答えてくれるかは別問題だが、確かにねずみ男の言うとおり。掲示板や知恵袋といったサイトに書き込みすることはできる。それにより、清姫が安珍を捜している事実を世界中の人間に報せることができる。

 

「だが、こいつを手に入れるのにも、運用するのにも少なからず金が要る。悲しいがそれが資本主義ってもんなのよ……」

 

 達観した様子でうんうんと頷きながら、さらにねずみ男は畳みかける。

 

「それに、まとまった金があれば懸賞金を掛けて人に安珍の行方を捜させることも出来るし、興信所……探偵って奴等に安珍の捜索を正式に依頼することだって出来るんだ。どうでい? アンタ一人で闇雲に捜すより、遥かに効率的だと思わねぇか?」

「む……そ、それは確かにそうですが…………」

 

 ねずみ男の提案に清姫の心が揺らぐ。

 実際、ここ数年は彼女が一人で安珍を捜しており、手掛かり一つ掴めないでいる。いつか巡り合えると心の奥底から信じてはいるが、一日でも早く会いたいというのが彼女の正直な心情だ。

 それが実現できるというのならば、そういった手段も悪くないと思える。

 

 そして――清姫にとって何より大事なことなのだが。

 それはここまでの話で、ねずみ男が『嘘を何一つ付いていない』ということだった。

 

 結局のところ、清姫にとって他人という生き物は嘘を『ついているか』『いない』かで評価が二分される。

 それまでねずみ男にきつい態度をとっていたのは、初対面に彼が嘘を付いていたからだ。嘘のない情報を自分にもたらした時点で、清姫の中の彼に対する評価は大分上向きに修正されていた。

 

「……まあ、いいでしょう。とりあえず……話だけでも聞いてあげます。私に何をお望みで?」

 

 とりあえず話を聞く態勢になり、炎を引っ込める清姫。

 もし、ここでねずみ男が『体を売れ』などとほざいていれば、清姫とて顔を真っ赤に今度こそ、塵一つ残らず彼を焼き尽くしていたことだろう

 だが、このときねずみ男が考えていた金儲けの手段は清姫が思いもつかない方法だった。

 

「な~に……簡単なことさ。アンタのその嘘を見抜く力。そいつをちょっとばかし貸して欲しいだけなのよ、くくくっ……」

「???」

 

 実際に口にされた時点でも、それがいかなる方法なのか清姫には想像も出来なかった。

 

 

 

×

 

 

 

「――もう限界! 離婚よ!」

「――ああ、いいぜ!! こっちだって、お前の我侭にこれ以上振り回されてたまるか!!」

 

 現在、たった今離婚を宣言した一組の夫婦がいた。

 原因は性格の不一致、暴力、精神的な苦痛、浪費癖、性的不調和と家庭によって様々だが、その結論に到達する夫婦は決して珍しくない。

 そして、いざ離婚となれば問題となるのは『財産分与』である。

 誰だって貧乏は嫌だろう。幸せになる筈だった自分の人生をぶち壊した相手には一銭だって払いたくない。少しでも自分が有利な立場で離縁したく、ありとあらゆる手段で相手側に非を認めさせたい。

 

「……あんた、浮気してたでしょ?」

 

 そんなときに一番手っ取り早い手段が『浮気』である。離婚の原因に浮気を認めさせれば、ほぼ100%裁判でも有利に立てる。当然、そんなことは相手側も承知の上。だからこそ、浮気を疑う妻の言葉に夫ははぐらかすように答える。

 

「はぁ? してねぇよ……そんなもん!!」

 

 実際に浮気をしていても、ここで素直に頷く者はいない。だからこそ、離婚を切り出す前に探偵などに浮気調査を依頼するのが一般化しているのだが。

 このとき、妻がとった手段は思いもよらない方法だった。

 

「へぇ~、シラを切るつもり? いいわ……先生お願いします!!」

「あっ? なんだこいつら……?」

 

 既に準備をしていたのか、妻が声を上げると同時に部屋の中に一組の怪しい男女が現れる。

 

「いや~、どーもどーも。此度はご利用ありがとうございます!」

「…………」

 

 小汚い恰好をした男に、身綺麗な着物らしき和服に袖を通す美少女。愛想笑いを振りまく男とは対照的に、少女の方は冷たい視線を夫へと向けている。

 二人の風体に怪しむ夫に対し、妻は再び問い尋ねる。

 

「もう一度聞くわ。あんた『浮気』してたでしょ?」

 

 しつこく食い下がる質問に、夫は苛立ちながら吐き捨てる。

 

「だから……してないって、『浮気』なんて! 何度言ったら――――」

 

 たび重なる追及にキレかける夫。しかし、夫が何かを叫ぶ前に――

 

「――はい、『嘘』です」

「!?」

 

 夫の言葉を嘘と断定する少女の言葉が冷淡に響き渡り、彼の心胆をギクリと凍えさせる。

 実際、夫は浮気をしており、今回の離婚騒動もそれを発端とした互いの心のすれ違いが原因である。だが、それを認めれば自分が悪者になってしまう。夫は言い逃れをするのに必死だ。

 

「い、いきなり何を言ってるんだ、アンタ!? だいたい……何を証拠にそんなことをっ!?」

 

 どうして自分の嘘がバレたのかは不明だが、証拠がなければ裁判に取り上げられることもない。

 しかし、妻は追及の手を緩めない。複数の女性の写真を机の上に取り出し、一つ一つ指さしながら夫への尋問を続けていく。

 

「浮気をしてるのはこの子? それともこっちの女? 白状しなさい!!」

「だ、だから浮気なんてしてないって……なんなんださっきから!!」

 

 しつこく食い下がる妻に、夫はまだ誤魔化しきれると怒鳴り声を上げる。ところが――

 

「……右から二番目の女性。彼女を指さされたときに『嘘』をつきましたわ」

「なっ!?」

 

 またしても夫の言葉を嘘と見抜く少女。しかも、今度はピンポイントで浮気相手まで言い当ててしまう。

 

「って……課長の奥さんじゃない!? あんた、そんな人に手を出したの!?」

「おやおや。これは所謂、ダブル不倫……てやつですね? いやはや、恐れ入りました」

 

 驚く妻にニヤニヤと笑みを浮かべる小汚い男。一方、続けざまに嘘を直に言い当てられ、夫は内心テンパっていた。

 

「な、なな……なんなんだよ! 俺がその人と……どうやって浮気したっていうんだよ!?」

 

 しかしまだ大丈夫だと。夫は最後まで黙秘を貫こうと覚悟を決めたところで、今度は小汚い男の方が詰め寄ってくる。

 

「『自宅』『職場』『上司の家』『アパホテル』……」

「――っ!?」

 

 小汚い男は浮気場所の候補と思われる名前を口にしていく。すると――

 

「アパホテル……という部分で厭な匂いがしました。おそらく逢引先はそこでしょう……汚らわしい!!」

「ひぃっ!?」

 

 今度は贔屓にしていた浮気場所までズバリと言い当てられ、夫は少女に対し恐怖心を抱く。

 何故こうも次から次へと自身の嘘を見破ってしまうのか。自分に侮蔑の表情を向けてくる少女の存在に、ついに夫は腰を抜かしてヘタレこんでしまう。

 

「さあ!! この調子で洗いざらい吐いてもらうわよ!!」

 

 完全に戦意を喪失した夫へ、妻はさらに猛攻を仕掛けていくこととなる。

 

 

 

 

 

 一時間後。

 

「ありがとう……これは今回の謝礼よ」

「毎度あり!! また何かお困りの際は、ビビビサービス『嘘見破り相談室』までご連絡を!」

 

 あれから何度も質問を重ね続け、ついに夫は浮気相手との不倫を認めた。この証拠を裁判所に持ち込めば、妻の勝訴は確実。妻は今回の功労者――嘘見破り相談室所長、ねずみ男に分厚い封筒を手渡す。

 

「それじゃ……次の依頼がありますんで!」

 

 金を受け取るや、ねずみ男は用は済んだとばかりに車に乗り込む。後部座席には『嘘を見抜く』という仕事を終えた清姫が仏頂面で座り込んでいた。

 彼女を連れ、ねずみ男は次なる依頼人――『彼女の嘘を見抜いて欲しい』という男性の下へと車を出す。

 

 

 これこそ、ねずみ男が考え付いた金儲け――『他人の嘘を見抜くこと』を商売にするサービス業である。

 

 

 今の世の中、大半の人間が人には言えないような秘密や本音といった弱みを隠しながら生きている。

 そこに隠されている『嘘』を見抜き、揺さぶりや脅しを掛けることで利益を上げることをねずみ男は思いついた。

 先ほどの離婚相談での浮気相手の調査など序の口。既に何件かの依頼をこなし、ねずみ男と清姫の『嘘見破り相談室』は多額の利益を得ていた。

 

 あるときは、恋人の嘘を見抜いて別れさせてくれと若い男女に頼まれ――。

 あるときは、同僚の弱みが真実かどうか確かめてくれと平凡な会社員に依頼され――。

 またあるときは、組織の大事なブツをどこかへと隠した売人の口を割らしてくれと協力を求められ――。

 またあるときは、テキ屋のインチキを証明してくれと動画投稿者に同伴を求められた。

 

 当初、インチキ臭いとネットで叩かれたりもしたが、清姫の嘘を見破る力が本物であることが仕事を通して証明され、口コミで評判が爆発的に広がり、さらに依頼者の数は激増していく。

 

「うししっ! 今日も絶好調だぜ!」

 

 右肩上がりの収益に、ねずみ男はホクホク顔で笑いを堪えきれずにいる。

 その一方で――。

 

「……………………ふぅ~」

 

 依頼をこなせばこなすほど、清姫のストレスは加速度的に増していく。

 

 

 

 この仕事を始める前、清姫はねずみ男から何度も念を押された。

 

『――いいか? 相手が嘘を付いても、手を出してくるまでは燃やそうとすんじゃねぇぞ? 客が来なくなっちまうからな……』

 

 嘘を蛇蝎の如く忌み嫌う清姫にとっては、まるで理解できないことばかりだ。

 

 どうして、わざわざ嘘を付いてまで自身の弱みを隠そうとするのか。嘘で取り繕うくらいなら、最初から弱みなど作らなければいいのに。

 この商売だってそうだ。何故他者の嘘を見抜くことを、これほどまでに望む依頼人が後を絶たないのか。

 どうして嘘を付いた不埒者に手を出してはいけないのかと、清姫は怒りを抑えきれずにいる。

 

 ――けど、これも安珍様のため、安珍様のため…………。

 

 だが、必死に自分に言い聞かせることで、何とか清姫はこの『嘘だらけの仕事』を耐え抜いていた。

 

 あとちょっと、もう少しすれば目標金額まで到達する。そうすればまとまった金が手に入り、探偵とやらに大金を使って安珍を捜させることができる。

 そうすれば、こんな不愉快な仕事ともオサラバだと、最後まで我慢することを安珍へ捧げる愛に誓う清姫――。

 

 

 

 

 だが、その我慢が――既に限界ギリギリまで来ていたことを、ねずみ男も清姫自身も気づけずにいた。

 

 

 

 




登場人物紹介

 清姫
  ご存じヤンデレバーサーカー。
  今回はサーヴァントなどの設定がないので、あくまで生身の妖怪としての登場。
  性格や行動原理などは、ほぼ原作に近づけています。
  彼女の物語を詳しく知りたい方は『教えてFGO! 偉人と神話のグランドオーダー」を是非お読みください。

 安珍
  清姫に惚れられてしまった哀れな暗黒イケメン。
  キノコ日記的には――ゲイだったという話を小耳に挟みましたが……




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

道成寺の清姫 其の②

やはりバトル描写を最後に持っていこうとすると、長くなってしまう。
二話で終わらせたかったけど、だいたい三話が妥当なラインになるようです。


 大なり小なり、人間社会は本音や建て前などといった――『嘘』によって成り立っている。

 

 上司や同僚、家族相手であれ、自身の抱くものを全て吐き出す人間は少ないだろう。

 不満や怒り、そういった感情を腹の奥底に溜め込み、張り付けた笑顔で上手いこと誤魔化す。そうすることで、人間はこの社会で折り合いをつけることができる。

 もしも誰もが正直に、自身のやりたいことや言いたいことをところ構わず吐き出すようになれば、たちどころに人間関係は破綻し、社会全体が壊れていってしまう。

 

 この世界で生きていく上で、『嘘』というものはある程度許容しなければならない不可欠な因子なのだ。

 

 だが――最愛の人・安珍に騙された妖怪・清姫。『嘘』をなにより嫌悪する彼女にとって、そんな社会は決して理解できない。耐え難い苦痛に塗れたものであった。

 

 生まれ変わった安珍を捜すため仕方なく大金を必要とし、ねずみ男と『嘘見破り相談室』なるものを立ち上げた彼女。だが、既にその我慢も限界に近づいていた。

 嘘つきばかりの相手、自分も嘘をつく癖に他人の嘘を見破って欲しいと依頼してくる厚かましい人間たち。その全てが彼女の癪に障る。

 みるみると膨れ上がる清姫の癇癪玉。それは徐々に、しかし確実に――

 

 

 破裂するその瞬間を静かに待ち続けていた。

 

 

「……………ああ、イライラしますわね」

 

 その日、最後の仕事をこなすべく、清姫はとある都内の大病院に訪れていた。この仕事を終えれば最初に定めた目標金額に到達する。

 これ以上お金を稼ぐ必要もなくなり、安珍を捜すという自身の目的に慢心することができると、清姫はどうにか苛立ちを抑えていた。

 

 彼女とねずみ男がこの病院に訪れたのは、誰かから依頼を受けたからではない。ねずみ男はこの病院の院長と秘密裏に面会し―—とても表沙汰にできないような案件を話し合っていた。

 病院にまつわる黒い噂。医療ミスの隠蔽、反社会勢力との繋がりなどの真偽を清姫の力で見破り、それを公にしないことを条件に金を引き出す算段。

 

 つまりは脅迫である。

 

 立派な犯罪だが清姫は大した抵抗感もなく、ねずみ男の指示通り院長の嘘を見抜いて彼が金を搾り取れるように段取りを整えてやった。 

 清姫にとって『嘘』こそが『悪』。

 弱みを握られるような秘密を隠し持っていた時点で院長の落ち度。同情の余地もなく、特に罪悪感を抱くことなく仕事をやり終え、病院の待合室で待機していた。

 

「……それにしても長いですわね。まだ終わらないのかしら」

 

 とっとと帰りたい清姫は待たされている間、ずっとイライラしていた。相当ストレスが溜まっているのが傍目から見ても丸わかりなのだろう。病院関係者も患者も、誰もが腫れ物に触れるかのように彼女から遠ざかり、周囲を重たい空気が支配する。

 

「――ほら! あと少しよ! 頑張って!!」

「――う、うん。ボク頑張るよ!」

「……?」

 

 そんな空気の中、誰かを励ます声と、その声に勇気づけられる少年のものらしき返事が響いてくる。

 清姫がチラリとそちらに視線を向けると――そこには松葉杖をついて一人で歩こうとする少年、それを見守る医者と看護師の姿があった。

 その少年は足を負傷してこの病院に入院したのだろう。再び己の足で歩くためのリハビリに励んでいる様子。それを見守る医師たちも真剣で、実に感動的な光景として周囲の人々の涙を誘う。

 

「…………」

 

 だが清姫は、その光景を特に何を思うことなく眺めていた。すると彼女の視線の先で少年と医師が何やら言葉を交わしていく。

 

「先生……ボク、もう一度走れるようになりますか?」

「も、勿論だよ! リハビリを頑張れば……『また昔のように走れるようになる』さ!」

 

 

「…………」

 

 

 その会話に――清姫は重い腰を上げ、少年の方へと近寄っていく。

 

 

 

「――ふぅ~やれやれ。ワシももう歳かのう……」

 

 その日、腰を摩りながら歩く老婆――砂かけババアも、たまたまその病院を訪れていた。

 妖怪として長いこと老人をやってきた彼女は、ここ最近腰痛で悩んでいる。その治療の薬など、昔は自分で調合したりしていたのだが、最近は人間の湿布や薬のほうが効果が高いことに気づいてしまう。

 妖怪としてのプライドもかなぐり捨て、砂かけババアは素直に人間の医療を頼りに頻繁に診察に訪れていた。

 

「しかし……やはり、待ち時間が長いのが欠点じゃな……」

 

 診察までの長い待ち時間に関して愚痴りながら、彼女は処方された薬を手に病院を後にしようとする。すると―—

 

「――な、何を言ってるんだ。君は!?」

「ん? なんじゃ騒がしい。静かにせんか! ここは病院じゃぞ――」

 

 男性の悲鳴のような叫び声が院内に響き渡る。時間と場所を顧みない大声に思わず注意しようとそちらを振り返る。

 

「……って、あれは……清姫ではないか?」

 

 だが視線を向けた先に見知った顔の少女、清姫の姿を見つけ思わず出かかった言葉を砂かけババアは引っ込める。清姫は病院の医師らしき男と対峙しており、二人の間には松葉杖をついた少年が困惑した表情で立ち尽くしている。

 

 

 

「ですから……先ほど申し上げた通りです」

 

 清姫はうんざりした様子で、懸命にリハビリに励んでる少年に向かって平坦な口調のまま言い放つ。

 

「そちらのお医者様の言葉は『嘘』です。貴方の足は元には戻りません。お気の毒ですが、それが事実です」

「え? え、え?」

 

 彼女は少年の主治医に嫌悪の感情を浮かべながら、嘘を見破る能力で知った事実を口にする。通りすがりの彼女から真実を告げられた少年は、何を言われたのか理解できないようで呆然としている。

 

「な、何を……部外者がいきなり……適当なこと言わないでくれたまえ!」

「あん?」

「ひっ!?」

 

 隠していた事実を見抜かれ、医師は清姫を黙らせようと声を荒げるも、殺気だった彼女のひと睨みで逆に怯んでしまう。嘘つきな医師の戯言を黙らせ、清姫はため息を吐きながら続ける。

 

「まあ……私、医者ではありませんので怪我の具合に関してはっきりとしたことは申し上げられませんが、少なくとも――そちらのお医者様は貴方の足が元どおりになるなど、微塵も思っておりませんよ?」

 

 清姫にとって『嘘』をつくことこそが『悪』なのだ。だからこそ、ありのままの事実を正直に述べる。

 たとえ、その嘘にどのような意図があろうとも関係はなかった。

 

「おう! 待たせたな……って、なんだ? なんかあったのか?」

 

 ちょうどその時になって、院長との話を終わらせたねずみ男が姿を現す。その場の緊迫した空気に何事かと彼が尋ねるも、清姫は何事もなかったように踵を返し、その場を後にしていく。

 

「また走れるようになりたいのであれば、転院をお薦めします。では、私はこれで……失礼しますので」

「………」

「………」

 

 取り残された者たちがどのような思いを抱いていたかなど、まるで関心を示すこともなく。

 

 

 

×

 

 

 

「……それで? 話の方は上手くまとまったのですか?」

 

 ねずみ男の運転する車内。後部座席で窓を流れていく景色を漠然と見つめながら、清姫は首尾を尋ねる。自分が不愉快な思いまでしてお膳立てしたのだから、その程度の仕事出来て当たり前だろうとやや上から目線に。

 

「ああ、バッチリよ! 口止め料に一千万は固いだろうな。ケケケっ!!」

 

 運転席でハンドルを握りながら、ねずみ男は上機嫌に下品な笑みを浮かべる。院長への脅し――もとい、話し合いはつつがなく済んだらしい。

 もっとも、ねずみ男の万事上手くいったという報告にも、清姫は特に喜色の表情を浮かべることはなかった。

 

「そうですか、それは結構……では、そろそろ今月のお給金を受け取りたいのですが?」

 

 そのまま抑揚のない声音で清姫はねずみ男へ自身の取り分を要求する。彼女の催促にねずみ男は僅かに顔を顰め、分厚い札束の入った封筒を差し出しながら舌打ちする。

 

「ちっ……ほらよ。今月のお前さんの取り分だ」

「どうも。……念のため確認しますが、配当を誤魔化したりはしていませんね?」

「し、してねぇよ! 約束通り、儲けはお前さんと俺とで山分けだ……う、嘘なんかついてねぇぞ!?」

 

 ねずみ男としてはビジネスで儲けた取り分を独り占めしたい、できることなら一銭たりとも清姫に払いたくないというのが正直な心情だ。

 だが、もしも売り上げを誤魔化し、清姫への報酬を渋ればすぐにでも彼女の能力でそれが嘘だとバレてしまう。

 清姫相手に嘘をつくことがどれだけ危険なことか。初対面の時から身に染みて分かっている。そのため、ねずみ男は腹の底で不服と思いながらも、儲けた金の半分を渡すしかないことに歯噛みする。

 

「いいでしょう。確かに……」

 

 ねずみ男が取り分を誤魔化していないことを確認し、清姫は受け取った金を懐に大事そうに仕舞いこむ。

 金そのものに執着はない彼女だが、その金は安珍を捜すために必要な出費だ。なくすわけにはいかない。

 

「では約束通り、今日で私の仕事は終わりです。適当な場所で降ろして下さるかしら? 後は自分でどうにかしますので……」

 

 清姫はそう言い、ねずみ男に車を止めるように指示する。

 安珍捜索のための必要な資金は既に集まった。これ以上、躍起になって稼ぐ必要もないと、当初に取り決めていた通り、清姫はねずみ男にこの商売を降りることを宣言する。

 だがその意見に対しては、清姫の恐ろしさを知るねずみ男も素直に頷くことが出来ずにいた。

 

「ああ、それなんだけど……考え直さねぇか? ようやく商売が軌道に乗り始めたんだ。これからじゃねぇか!」

 

 もっと儲けたい。もっと金を稼いでいい思いをしたい。

 欲深いねずみ男がそのような気持ちを抱いたのは当然のこと。せっかく思いついた画期的なビジネス、ここで終わりにするのは惜しいと清姫に考え直すように引き留める。

 

「……別に私、お金が欲しいわけではありませんので。安珍様を捜すのに、これだけあればこと足りるでしょう」

 

 だが案の定、ねずみ男の提案を清姫は突っぱねる。

 既に携帯電話の契約も済ませ、彼女の手にはスマートフォンが握られている。ネットの情報から、探偵とやらに人捜しを依頼する相場がいくらくらいか調べておいた清姫はこれ以上稼ぐ必要はないと判断する。

 今の嘘つきに囲まれた職場環境になど、微塵も未練はないと吐き捨てる。

 

「いや、でもよ……金はいくらあっても困らねぇし。安珍と一緒に暮らすのにも、もっと大金が必要だろう?」

  

 しかし、こればかりはねずみ男も中々しつこく引き下がらない。あの手この手で、どうにか清姫を思いとどまらせようと必死に説得する。

 だが、いくら言葉を重ねても清姫は頑なだった。「結構です」「しつこいですよ?」とねずみ男の執拗な勧誘にだんだんと苛立ちを募らせていく。

 

「――ちっ!! おい、いい加減にしろよ!!

 

 もっとも、これに苛立ったのはねずみ男も一緒だった。ねずみ男からすれば『生まれ変わった安珍を捜すために金を稼ぐ』など馬鹿げている。そんな世迷言のせいでビジネスチャンスを逃してなるものかと。

 

 彼はついに――勢いに任せ、口にしてはならない言葉を口にしてしまう。

 

「安珍だか知らねぇがそんなやつ、見つかる訳がねぇだろ!! そんなくだらねぇもんの為に金をドブに捨てるなんて――」

 

 

 

 

「――今……なんて仰いました?」

「――!!」

 

 

 

 自身の言動にしまったとねずみ男が後悔するも、後の祭りである。

 彼は恐る恐るとバックミラー越しに清姫の表情を窺う。

 

 そこには瞳孔を開き、蛇のような舌をシュルシュルと出し入れする清姫の無表情な顔があった。

 

「あ、いや……今のは……その……」

 

 一気に血の気が引き、青ざめた表情になるねずみ男。そんな彼に清姫は静かに告げていく。

 

「私の記憶が確かであれば……探偵に依頼した方がいいと、そう提案したのはあなたでしたよね?」

「あ……だから、それは……」

「それなのに、あなた自身は見つからないと……そんなことを思っていたわけですか?」

「いや……別に……悪気があったわけじゃ…………」

 

 口に出さなかったからこそ黙っていられたが、ねずみ男自身は安珍が見つかるなど微塵も思っていなかった。

 しかし人捜しに効率的だと、清姫に儲け話を持ち掛けたのは他でもない、ねずみ男である。つまり―—

 

「つまりあなたは…………私に――『嘘』を吐いた……ということですね?」

「ひぃっ!! ち、ちがっ……!?」

 

 その裏切り行為こそ、清姫にとっては『嘘』をついていたも同然。

 ねずみ男が言い訳する暇もなく、清姫の発する『熱』に車内の温度が急速に高まっていく。

 

 

 それまで仕事のために抑え込んでいた怒りを、暴れられなかった鬱憤を晴らすかのように、彼女は怒りの炎を解放していた。

 

 

 

×

 

 

 

「――まったく、最後まで不愉快な男ですこと!」

 

 消防車のサイレンが遠くから聞こえてくる。高く火柱を上げて炎上する車になど目もくれず、車ごと焼き払ったねずみ男の生死確認をすることもなく、清姫の思考はこれから赴く興信所へと向けられていた。

 

「しかし……これでようやく、安珍様を捜すことに専念できます。長かった……本当に長かったですわ!」

 

 清姫にとって、ねずみ男との仕事は苦難の道のりだった。嘘つきを目の前にしていながら、手を出すことが許されず我慢しなければならない。彼女にとって、これほどストレスが溜まる職場もそうそうない。

 だが、もうそんな我慢をする必要もない。やりたくもない仕事から解放された今、彼女を縛るものはもう何もない。

 自然と足取りも軽くなり、鼻唄交じりに目的地へと向かう。

 

「確か、この辺りに……ああ! ありました、ありました!!」

 

 予めネットで検索しておいた興信所――探偵事務所にたどり着く清姫。まずは一軒目、それから二軒三軒と、事務所をいくつかハシゴし、複数に跨って安珍捜索の依頼を出すつもりだ。

 そのための軍資金は用意してある。清姫は意気揚々と事務所の門を叩き、輝かしい未来への第一歩を踏み出す。

 

「待っていてください、安珍様! 今、清姫が貴方様に会いに行きますから!!」

 

 愛しい人への想いが溢れる清姫の笑顔――

 

 

 しかし、三十分と経たない内――その笑顔は虚しく曇ることとなる。

 

 

「――そのような依頼をお受けすることはできません」

「……えっ?」

 

 最初に訪れた大手の興信所。そこを本命と考えていた清姫だが、担当者の人間に依頼内容を説明したところ、すげなく断られてしまう。

 

「な、何故ですの!? お、お金ならありますのに!!」

 

 報酬が足りないのかと、相場額の二倍、三倍の依頼料を現ナマのまま見せつけて清姫は食い下がる。

 しかし、大金を目の前にしながら、冷静に首を振って担当者は答える。

 

「お金の問題ではありません。そのような途方もない依頼に大事な人員と時間を割くわけにはいきません。申し訳ありませんが――お引き取りください」

「なっ!? 何ですって!!」

 

 口調こそ丁寧だが、担当者は呆れたような態度で清姫の依頼を頑に受けようとしない。その態度に腹を立て、清姫は顔を真っ赤にする。

 

「ふ、ふん! 別に構いませんよ! 興信所はここだけではありませんから!!」

 

 ムキになってその場を立ち去り、次の探偵事務所へと足早に歩を進める。

 

 だが――

 

「――申し訳ありません、当方ではお受けできません」

「――他をあたってくれません?」

「――冷やかしなら帰んな!!」

 

 どこの探偵事務所に話を持ち込んでも、反応は似通ったものだった。時にはやんわりと、時には怪しむように、心底迷惑そうに清姫を追い払い、どこの興信所も彼女の依頼に応えようとはしなかった。

 

「何故? 何故、どこの事務所も私の依頼を受けてくださらないのですか?」

 

 清姫は怒りよりも、戸惑いを強く感じていた。

 せっかく苦労して報酬を用意したというのに、これではなんの意味もないではないかと。

 

 しかし、考えてもみればこれは当然のことである。

 清姫の依頼とは即ち――『生まれ変わった安珍様を捜し出してほしい』という、余人には理解しがたい類のものだ。人捜しを主な収入源とする探偵事務所でも、こればかりはどうにもならない。

 仮に安珍とやらが本当に生まれ変わってるとして、いったいどうやって捜せというのか。

 人相書きもなく、戸籍も分からない。どこの誰かも定かではない相手を、何の手がかりもない状態で見つけ出すなど、とても人間の調査能力の範疇ではない。

 

「いえ、まだよ。まだ、諦めるわけにはいかない!!」

 

 しかし、安珍に会いたいと恋い焦がれる清姫に、そんな真っ当な理屈が通じる筈もなく。

 彼女は挫けることなく、自身の望みを叶えてくれる探偵を求め、休むことなく興信所を虱潰しに巡っていく。

 

 そして、ついに――

 

「――分かりました。その依頼、お引き受けしましょう!」

 

 その依頼に応える探偵事務所の元に、彼女はたどり着いてしまった。

 

 

 

×

 

 

 

 その探偵事務所は薄暗い路地裏の一角、こじんまりとしたスペースに設けられていた。

 デカデカと看板が掲げられているわけでもなく、人で賑わっているようにも見えない。前もって調べておかなければ、とても探偵事務所だと判別できないような場所だ。

 清姫も最初は然したる期待もせず、仕方なくその事務所を訪れていた。当たりを付けていた興信所全てに依頼を断られ、消去法でその事務所まで足を運ばなければならなくなった。

 だからこそ、清姫もそこまで期待してなかった。どうせここでも断わられる、そんな面持ちで事務所の門を潜ったのだが――

 

「安珍様、という方の捜索ですね? ご依頼に応えられるよう、誠心誠意努めさせていただきます!!」

 

 清姫に笑顔でそう答えたのは、その事務所の所長を名乗る男だった。

 口元の笑みを絶やさず、目元をサングラスで隠した中年男性。彼は後ろに部下たちを控えさせており、その部下たちが清姫の依頼内容に戸惑う中、一人だけ平然と彼女の依頼を受けると豪語する。

 

「事務所の所員を総動員し、一日でも早く吉報を届けさせていただきますね!!」

「…………」

 

 ようやく、自分の望みを叶えてくれるかもしれない相手との会合。

 その言葉だけ聞けば、清姫は念願に一歩近づいたように思われる。

 

「……………」

 

 しかし、清姫の表情に笑顔はない。

 何故なら自身の能力により、彼女は気づいていたからだ。

 

 所長の言葉が『嘘』であることを――。

 彼が、安珍をまともに捜すつもりなどないということを――。

 

「だた……内容が内容だけに、若干経費はお高くなると思いますが……そこはご理解ください」

 

 案の定、所長は遠回しに依頼料のかさ増しを要求してくる。まともな仕事などするつもりはなく、金だけ騙し取ろうという魂胆なのだろう。

 

 ――落ち着きなさい……落ち着くのよ、清姫……。

 

 意外なことに、嘘をついた所長にいきなり襲い掛かるような真似をせず、清姫は一旦落ち着くように自身に言い聞かせる。

 口先だけとはいえ、仕事を受けると宣言したのはこの事務所が初めてのこと。 

 このときの清姫はどんな小さな可能性でも構わないと、藁をも掴む思いであった。

 

「先に言っておきますが、報酬は全て依頼完了時に……。安珍様が見つからなければ、ビタ一文払うつもりはありません!」

 

 清姫は牽制として、先にそのように宣言しておく。前金だけ頂こうという魂胆なら、これで直ぐに馬脚を露すだろう。だが清姫の言葉に動揺した素振りもなく、所長はニコニコと笑顔を浮かべたまま平然と言い放つ。

 

「ええ、勿論でございます!! 依頼料は全て成功報酬として……安珍様が見つかり次第お支払いしていただければと……」

「えっ……?」

 

 これには清姫も目を丸くして驚く。『前金ではなく依頼達成時に報酬をいただく』その部分でのみなら所長は一切、嘘をついていなかった。

 いったいそれで、どうやって自分からお金を騙し取るつもりなのか。

 

「……いいでしょう。依頼はひとまず……そちらに預けます」

 

 清姫はその方法が何となく気になり、一旦依頼を所長に預けてその場から立ち去っていく。

 

 

 

 

 そして――彼女はすぐさま引き返してきた。正面玄関からではなく裏口へと回り、清姫は窓からこっそりと事務所内の様子を覗き見る。

 

「……所長。どうするつもりです? あんな依頼受けちゃって……前金も要らないって金になんないっすよ?」

 

 案の定、室内からは所員の困惑した声が聞こえてくる。今までに清姫の依頼を断ってきた事務所同様、彼らもこんな仕事は達成不可能だと思っているのだろう。

 そんな中、所長はソファーの上に偉そうにふんぞり返りながら言う。

 

「――はっ!! バカか、テメェら?」

 

 お客様である清姫に応対していたときと態度を百八十度替え、所長は威圧的な言葉遣いで部下たちを小馬鹿にする。

 

「久し振りの極太客だ。あれだけの大金、みすみす逃す手はねぇだろ、あん?」

「でも、成功報酬でしか払わないって……どうやって依頼を達成するつもりなんです?」

 

 そう、所員が疑問を持っているように、それが清姫にも分からなかった。安珍を捜すことなく、いったいどのような手段で清姫から金を騙しとる算段なのか。

 内心の怒りを押し殺しながら、清姫は続く所長の言葉を待つ。

 

「はっ! いいか? そんなんだから、馬鹿だって言ってんだ! ちょっと、待ってろ……」

 

 すると、所長は自分の携帯でどこぞへと電話をかけ始める。電話向こうの相手に「久し振り!」や「ああ、またいつものカモだ!」などの台詞を口にし、電話は三分と経たぬうちに終了する。

 手早く通話を切った所長は口元にいやらしい笑みを浮かべ、部下たちに向き直る。

 

「俺の伝手で男を一人手配する。そいつを『安珍の生まれ変わり』として紹介するんだ……それで依頼は完了っ! てわけさ……」 

「――!!」

 

 清姫の瞳孔が開く。

 まさか、そんな安易な手段で自分を誤魔化せると思っているのかと、驚きと怒りで彼女の体からは静かに火の粉が零れ始めていた。

 

「なりすましって、ことですか? いやいや流石にバレるでしょ!?」

 

 所員たちも、そんな方法では安直すぎると懸念を口にする。しかし――

 

「はっ! バーカ!! そもそもお前ら、あの女の言ってた『安珍がどうこう』なんて話……本気で信じてんのかよ?」

「………?」

 

 所長の言葉にクエスチョンを浮かべる清姫。彼女がこっそり覗き見ているなどとも露知らず、所長は平然と口にしていく。

 

 その言葉が――どれだけ彼女の怒りを買うことになるとも知らずに……。

 

「安珍? はっ! そんな奴、この世にいるわけねぇだろ? いいか? 安珍だか、生まれ変わりだか知らねぇが……ああいうガキは、そういった妄想の中で自分の理想の男を創造してるだけなんだ。運命の相手だの、白馬の王子様だの……適当なことぶっこいてるが、要はただの男漁りとなにも変わらねぇんだよ!!」

 

「――――――――」

 

「だから、『私が安珍の生まれ変わりです!』何て名乗る男の顔が良ければ、それで納得するんだ。『この人が私の運命の相手』……てなっ!」

 

「――――――――」

 

「俺らはその期待に応えて、いい男を紹介してやればいい! まっ、その相手がたまたま結婚詐欺師で、暫くすれば行方を晦ますことになるだろうが……そうなれば、また懲りずに理想の安珍様とやらを捜すことになるんだろうぜ。まったくご苦労なこった!!」

 

「――――――――」

 

「まっ、せいぜい利用させてもらうさ! 紹介料を勿論、安珍様とやらに適当に貢がせて、いい夢を見させてやる……ぷっ、プハハハハッ!!」

 

 

 

「――――――――」

 

 

 

 所長の――不愉快な男の馬鹿笑いが木霊するが、今の清姫の耳には何も届いていない。

 彼女の体は怒りに震えていた。暫くはその怒りを内側で我慢していたがついには耐え切れず、衝動的に事務所の窓ガラスをぶち破り、清姫は室内へと飛び込んでいく。

 

「なっ、なんだぁああ――!?」

 

 音を立てて割れるガラス窓に事務所内の全員が一斉に振り返る。

 

「あ、さ、さっきの……!?」

 

 そこに清姫が立っている姿を目に止め、所員一同は息を呑む。

 

「ど、どうなされましたか、お客様! 困りますよ……事務所の窓ガラスをっ!!」

 

 所長も驚いてはいたが、すぐに清姫相手に営業スマイルを浮かべ取り繕う。

 先ほどの会話を聞かれていないとでも思っているのか、所長はやや責めるような口調で清姫を糾弾する。

 

「あーあ……これは酷い、弁償ですね……。高くつきますよ、修理代?」

 

 ほんの少し、粗暴な一面をチラリと覗かせ、所長は清姫へと強面な表情で迫る。

 もっとも、そんなもので今更ビビる訳もなく、清姫は自身の今の心情をポツリと溢していた。

 

 

「――許さない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――許さない、許さない、許さない!!

 

 清姫は探偵事務所の所長――眼前の男に対する怒りで目の前が真っ赤に染まっていた。

 

『嘘』をついた。それだけでも清姫にとっては許し難き所業。

 それを、この男は嘘をついただけでは飽き足らず、清姫の安珍に対する想いまでも『妄想』と侮辱したのだ。

 

 これほどの屈辱と怒り、千年ぶりに復活して初めて――。

 安珍に『嘘』つかれて裏切られて以来のことであった。

 

「――おい! 聞いてんのか!? 窓ガラス弁償しろって、言ってんだよ!!」

 

 清姫が抱いている憎悪がどれほどのものかも理解できず、所長は尚も清姫に詰め寄る。だが――

 

「許さない、許さない、許さない……許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない――嘘つき、嘘つき、嘘つき……嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき――」

 

「ひぃっ!? な、なんだお前っ!?」

 

 病んだ目つきで繰り返し紡がれる憎悪の言葉に、ようやく清姫の持つ『異常性』に気づいたのか。

 その時点になって、やっと所長は自分が踏んではならない虎の尾を踏んでしまったことに勘付く。

 

 しかし――何もかもがもう遅い。

 

 

「嘘つきは絶対に――――許しません」

 

 

 ここに来て、ついに清姫の怒りは頂点を迎え、その身を人の姿で保てなくなる。

 化生としての本性――かつて安珍に裏切られた絶望が彼女を化け物へと変えてしまったときのように。

 今再び、彼女の姿が巨大な大蛇へと変貌を遂げる。

 

 

 これぞまさしく――『転身火生三昧』。 

 

 

 かつて愛しい相手を焼き殺した、青い炎の大蛇―—『安珍・清姫伝説』の再来である。

 

 

 




FGOも、もうすぐ第二部の五章が始まります。楽しみですね。
皆さん――石の貯蔵は十分ですか? 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

道成寺の清姫 其の③

明けまして、おめでとうございます!!
年末は更新が無理でしたが、何とか一日には間に合ったので新年の御挨拶をさせていただきます。

さて、挨拶早々にあれなのですが……今回の話を区切りに暫くの間、ゲゲゲの小説をお休みさせていただきたいと思います。

作者が同サイトで連載している、『ぬら孫』の小説の方の更新が滞っていたので、暫くの間はそちらに集中したいと思います。

ゲゲゲの鬼太郎に関しては……寧ろ、6期のアニメ放送が終わり、設定が出尽くした辺りが本番だと思っています。
それまでは、アイディアを色々と温めつつ、クロス可能な作品を色々と探っていきたいと考えております。

というわけで、今回の話で清姫編は完結。とりあえずの話の区切りとして、どうか楽しんでいって下さい。



「――ん? なっ、なんだあれは!?」

 

 お昼時。街を歩いていた通行人の一人がその異変に気付き悲鳴を上げる。

 

 それは、一見すると周囲のビルと肩を並べるように燃え盛る青い炎に見えた。

 しかし、よくよく見れば『それ』がただの炎でないことは明白。何故ならその炎の塊は明確な意思と形を持ち、生き物としての行動をとっていたからだ。

 

『――どこだ? どこに隠れた?』

 

 その炎の正体は巨大な大蛇――あの小柄だった少女・清姫が怪物として転身した姿である。

 

 かつて、人間だった彼女は安珍に嘘をつかれ、裏切られた絶望により人であることを捨てた。そのとき、安珍を焼き殺した姿こそが、この『青白い炎をまとった巨大な大蛇』である。

 まさに伝承に伝えられているとおりの恐ろしい姿で、彼女は街中を闊歩する。

 

『隠れても無駄ですわ……観念して出てきなさい! この大嘘つきめ!!』

 

 彼女がそんな姿になってまで、血眼になって捜しているのは一人の人間の男である。

 清姫に心ない嘘をつき、彼女の安珍への愛を侮辱した探偵事務所の所長。その男を焼き殺さんと、彼女は周囲一帯を隈なく捜し回る。

 

「ひっ、ひぇぇぇぇえ……」

 

 その所長は大蛇の死角、物陰にこっそりと身を隠し、なんとかやり過ごそうと必死だった。

 軽い気持ちで清姫からお金を騙し取ろうとしたどうしようもない男。彼は突如怪物に変貌を遂げた清姫に何が何やら理解が追いつかないまま、命からがら逃げ出す。

 そのまま息を殺し、見つからないでくれと普段は祈らないような神様に懇願する。しかし――

 

『――見つけましたよ!!』

「げぇっ! み、見つかっ――ひゃあっ!?」

 

 清姫は物陰に隠れていた所長を難なく見つけ出してしまう。

 もともと、蛇には獲物の体温を感じとる『ピット器官』なるものが備わっている。大蛇の妖怪と化した清姫にも似たような機能が備わっているのか。

 清姫は所長を追い詰め、彼を焼き殺すために火炎のブレスを吐こうと、大きく息を吸い込んだ。

 

「た、たすけてくれぇぇぇぇえぇ――!!」

 

 迫りくる『死』を前に泣き叫ぶ所長。

 人型状態のときとは比べられぬほどの大火力。今の清姫の火炎など浴びれば、人間など瞬く間に炭クズとなってしまうだろう。

 

「――指鉄砲!!」

 

 しかしそうはさせまいと、突如上空から妖気の光弾が撃ち込まれ、大蛇の身たる清姫を怯ませる。

 

「ひっ、ヒィいい、お助けっ!!」

 

 彼女が怯んだ隙をつき、所長は全速力でその場から離脱していく。

 

『ぐっ!? 何者です、邪魔をするのは!?』

 

 あと一歩というところで清姫は憎き相手を取り逃す。無粋な横槍を入れた乱入者に憎悪の矛先を切り替え、彼女は光弾が飛んできた上空を睨み上げる。

 

「そこまでだ、清姫!!」

 

 そこには――幽霊族の末裔たる少年・ゲゲゲの鬼太郎が空飛ぶ反物妖怪・一反木綿に乗って颯爽と駆けつけていた。

 

 

 

×

 

 

 

 鬼太郎がその場に駆けつけてこれたのは偶然ではない。

 彼は数時間ほど前から一反木綿に乗り、清姫を捜して都内上空を飛行していたのだ。

 

 そのきっかけは、砂かけババアが病院でねずみ男と一緒にいる清姫を目撃したところからだ。

 二人の奇妙な組み合わせに、これは何かあると睨んだ砂かけババアが直ぐに鬼太郎に報告。気になった彼が一反木綿と共に近辺を捜しまわっていた。

 幸か不幸か嫌な予感は的中し、鬼太郎は公道で炎上する車を発見。その車の側には、ズタボロながらも危機一髪で脱出していたねずみ男がボロ雑巾のような姿で転がっていた。

 

 鬼太郎は彼から事情を聞き出し、すぐに清姫の足跡を辿った。そして、さらに悪い予感は当たり、街中で突如火柱が上がる。

 十中八九、清姫の仕業だと悟った鬼太郎はすぐさま一反木綿と共に急行。襲われている男性を助けるため、大蛇と化した清姫に指鉄砲を放ち、何とかギリギリで彼女の殺人を阻止することができた。

 

「ハァ~あれが清姫かいね? 何か話に聞いてたのと、だいぶ違う感じばい……」

 

 清姫と初対面の一反木綿は、怒り狂う大蛇に転身してしまった彼女の姿に何やらがっかりな溜息を吐いていた。女好きな彼としては、可愛い少女の清姫の方を拝みたかったのだろう。

 

「ふむ……どうやら激昂するあまり人の姿を保てなくなってしまったようじゃ。一足遅かったか……」

 

 本来であればこうなる前に清姫を止めたかったと、目玉おやじは悔しそうに呟く。

 

「清姫、落ち着け!! 怒りを鎮めるんだ!!」

 

 だが鬼太郎はまだ間に合うと、なんとか怒りを抑えてもらうため、大蛇と化した清姫相手に説得を試みる。

 

『ゲゲゲの鬼太郎! 私の邪魔をするなら、容赦はしませんわよ!!』

 

 鬼太郎の説得に怒り狂いながらも彼女は返事をした。蛇となってしまった後でも言葉を交わせるだけの知性、理性は残っているようだ。

 それを一筋の光明と信じ、鬼太郎はさらに言葉を積み重ねていく。

 

「清姫っ! 嘘をつかれたからといって命まで奪う必要はないだろう!? そこまでで許してやるんだ!!」

 

 詳しい事情を知らない鬼太郎は彼女が大嫌いな嘘をつかれ激怒したのだと察し、彼女に冷静になるよう言って聞かせる。

 だが、もはやそんな言葉一つでどうにかなるほど、清姫の怒りは浅くなどなかった。

 

『黙れっ!! あなたに何がわかると言うんですか!?』

 

 唸り声を上げながら、清姫の体はさらに激しく燃え上がる。

 

『もうたくさんだ!! もううんざりだ!!』

 

 所長に安珍への想いを侮辱されたことが最後の引き金となって大蛇と化した清姫だが、彼女がここまで激怒するのはそれだけが原因ではなかった。

 

『なんなんですか!? 現代の人間どもは!? どいつもこいつも平気な顔で嘘をつき、人を欺き、騙し、傷つける!!』

 

 清姫の脳裏に浮かぶのは、ねずみ男との仕事で通じて関わってきた人間どもの顔であった。

 

『何故そうまでして嘘をつく!? どうしてもっと正直に生きることができない!?』

 

 誰も彼もが嘘をつき、その嘘を守るためにさらに嘘を積み重ねて清姫の追及から意地汚く逃れようとする人間たち。嘘を見破られ本質を丸裸にされた者の中には、逆ギレし「嘘をついて何が悪い!!」とばかりに開き直る者までいる始末だ。

 人を騙していることに罪悪感すら抱かない厚顔無恥な現代人というものに心底失望し――そして清姫は悟った。

 

『それが人間社会だというのなら……それが人間だというのなら、もういい!! こんな嘘だらけの社会、私には必要ない!! 私の安珍様への愛を侮辱したあの男諸共、全て焼き払ってやりますわ!!』

 

 この嘘だらけの社会を焼却するため、清姫は眼前に広がる都市――この町の全てを焼き払うことを宣言。

 その体はさらに勢いよく燃え広がり、周囲一帯の建物へと被害は広がっていく。 

 

 

 

 

 

 

「鬼太郎!! これ以上被害を出すわけにはいかんぞ!!」

「はい、父さん!」

 

 辺り一帯に飛び火する清姫の炎を前に、目玉おやじと鬼太郎は一旦説得を諦める。今の彼女はまさに炎をそのもの。世の理不尽に怒り、燃え上がる憤怒の化身だ。

 そんな状態の清姫にこれ以上言葉で語りかけても意味はない。人間側の被害を抑えるためにも、彼女自身のためにも一度弱らせ、落ち着かせてからまた説得する必要がありそうだ。

 

「仕方ない、髪の毛針!!」

 

 戦うと決めた鬼太郎は牽制代わりに髪の毛針を何十発と打ち込む。鋭く高速で飛ぶ毛針。その全てが体に突き刺さればたまらず痛みに悶えることだろう。だが――

 

『はっ!! そんなもの!!』

 

 体ごと炎と化している清姫には、そもそも毛針自体が刺さらない。全て本体に直接届く前に炎上する火炎にて焼き払われてしまう。

 

「っ! だったら、これならどうだ!!」

 

 すかさず鬼太郎は攻撃方法を変える。一反木綿から跳び上がり、さらに上空へジャンプ。体内の妖力を電力に変換し、それを落雷の如き一撃に変えて清姫へと放つ。

 

 鬼太郎の技の一つ『体内電気』である。

 

 多彩な能力を多く持つ鬼太郎の技の中でも特に威力が高い一撃だが、これは同時に自分自身にも苦痛を伴う自爆技の一種だ。

 相手に引っ付いてから直接電気を流し込むこともできるが、今の清姫相手に取りつくことなど自殺行為に等しい。威力が少し落ちるかもしれないが、やむを得ず遠距離から電撃を清姫へと浴びせる。

 

『ぐっ……この程度で!!』

 

 しかし、この技でも少し怯ませることはできるが決定打にはならない。

 

『お返しです! はぁっ!!』

 

 鬼太郎の攻撃を耐えきり、清姫はすかさず反撃に転ずる。彼女は空中で静止する鬼太郎に向かって容赦なく火炎の吐息を吹きかけた。

 

「くっ!!」

 

 逃げ場のない空中で、鬼太郎は迫りくる火炎から身を防ぐため霊毛ちゃんちゃんこを脱いだ。先祖の霊毛で編まれたちゃんちゃんこは、鬼太郎を覆い隠すほどの大きさに広がり炎の直撃を防ぐ。

 

「うわっ!?」

 

 だが、衝撃までは全て殺しきることができず、鬼太郎の体はビルとビルの隙間へと吹き飛ばされ、彼の姿は清姫の視界から消えていく。

 

『ふんっ! 他愛もないですわね!』

 

 それで鬼太郎を排除できたと考えたのか、清姫は追い打ちをかけることもなく、その場から離れていく。

 

 

 探偵事務所の所長が逃げ去った方角――人間たちが密集している地区へと移動を開始した。 

 

 

 

×

 

 

 

「鬼太郎しゃん!!」

 

 吹き飛ばされた鬼太郎が地面にぶつかる間一髪のところで一反木綿がその体を拾い上げ、その窮地から救う。

 

「すまない、一反木綿!」

 

 自分を助けてくれた彼に礼を述べながら、鬼太郎はすぐさま清姫への対策を考え始める。

 

「父さん、どうしましょう。あの炎、かなり厄介ですよ」

 

 鬼太郎が清姫と戦ってみて実感できたのは、彼女が身に纏う炎の恐ろしさである。

 

 清姫の怒りを体現するかのように燃え上がる青い炎を前に、鬼太郎は彼女に近づくことができず、遠距離から攻撃するしかない。しかし、髪の毛針やリモコン下駄のような物理攻撃では炎で燃やし尽くされてしまい、彼女にダメージを与えることすらできない。

 体内電気や指鉄砲は今のところ有効ではあるが、それらは乱発できるような技でもない。あと一、二発喰らわせたところで清姫を止めることはできないだろう。

 今の鬼太郎の能力では、どうやっても清姫を押しとどめる明確なビジョンが浮かび上がってこない。

 

「水でもかけてみたらどうばい? 炎を消すんやったら、やっぱ水やら?」

 

 迷う鬼太郎に一反木綿は安易な方法として水により、炎を消すことを提案してみる。

 

「ふむ、じゃが……ここは都会のど真ん中じゃ。あれだけの炎を鎮火する水など、どこから仕入れる?」

 

 目玉おやじが渋るように唸る。

 確かに炎を消すのに水は有効かもしれないが、あれだけの大火力の炎を消すのにどれほどの水が必要になるだろう。またそんな大量の水、いったいどうやって仕入れるのかと疑問を提示する。

 こんな大都会で鬼太郎たちが出来る水攻めなど、せいぜい給水タンクを破裂させることくらいだ。

 それなら、人間たちが消防車で水を浴びせる方がまだ効果がある。

 

「――急げっ!! 火元はこっちだ!!」

 

 実際、既に消防車が何台か出動し、燃え盛る清姫に向かって放水を開始しようと叫ぶ声が鬼太郎たちの耳にも聞こえてくる。

 ただの炎ならこのまま消防隊に任せてもいいだろうが、相手は大蛇と化した清姫だ。水など掛ける暇もなく、手痛い反撃を喰らって彼らの方が先に壊滅してしまう。

 

「どうする! 何か手はないのか!?」

 

 鬼太郎は何か妙案はないかと、必死に頭を働かせる。

 清姫を鎮めるのに時間を掛ければ掛けるほど被害は広がっていく。

 

 人間と妖怪が憎しみ合うのを避けるためにも、それだけは何としても阻止したかった。

 

 

 

 すると、そんな鬼太郎たちを見かね――

 

 

 

「――鬼太郎、ここはわしに任せてもらおう!!」

 

 

 

『彼女』が――その場に駆けつけてくれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『――邪魔だぁああああああああああ!!』

 

 清姫は眼前に立ち塞がる警官隊のパトカー、群がる消防車に向かって躊躇なく火球を放つ。清姫の炎を前に、せいぜい鉄砲でしか反撃できない警官など、成す術もなく蹴散らされていく。

 

「くそっ!! これでは消火活動に移ることもできん……どうすれば!!」

 

 その光景にこの道二十年のベテラン消防隊長が悔しそうに歯噛みする。

 清姫――あの燃え盛る大蛇が何者であるかなど彼は知らない。だが消防士として、現場に駆けつけて何もできないなどあってはならない事態だ。

 既に燃え広がった炎は、周囲の建物に甚大な被害を発生させている。

 これ以上の損害を出さないためにも、早くあの炎の大蛇をなんとかしなければならない。

 

「――清姫!!」

『――!?』

 

 すると、手をこまねいている彼らの前に少年の叫び声が聞こえてきた。

 消防隊員たちと清姫がその声に上を見上げる。

 

 

 ビルの屋上に――ゲゲゲの鬼太郎が立っていた。

 

 

 彼はそのままビルから飛び降り、炎の化身たる清姫の眼前に立ち塞がる。

 

「清姫! これ以上の被害は出させない。大人しくしてもらうぞ!」

『懲りない人ですね!! 今度は火傷程度は済みませんよ!?』

 

 しつこく立ち塞がろうとする鬼太郎にうんざりと吐き捨てながら、清姫は再び障害を取り除こうと彼に向かって火球をお見舞いする。

 

「二度も同じ手は食わない。お返しだ――指鉄砲!!」

 

 鬼太郎はその一撃をかわし、すかさず指鉄砲で反撃。

 彼の放った妖気の光弾は清姫――――から大きく狙いを外れ、明後日の方向へと飛び去っていく。

 

『はっ! どこを狙って――』

 

 鬼太郎の狙いの甘さを嘲笑う清姫。しかし、これも鬼太郎の作戦の内である。

 彼の狙いどおり――放たれた光弾は建物の屋上に設置されていた給水タンクに命中。簡易的ではあるが、その場に大量の水飛沫を発生させる。

 

『ぐっ!?』

 

 瞬間的に多量の水を浴びて怯む清姫。

 

「今ばい!! 水かけるとね! 水!!」

 

 その隙に生じ、一反木綿が飛び回りながら大声で消防隊員たちに呼びかける。空飛ぶ布切れという摩訶不思議な存在に驚きこそしたが、消防隊長もチャンスは今しかないと直感したのだろう。

 

「は、放水! 放水開始!!」

 

 消防員としての義務感を総動員し、隊員たちに大声で放水を指示する。

 

「く、喰らえっ! 化け物!!」

 

 隊長の指示を受け、消防隊員たちが一斉に巨大な火元である清姫に対し消火活動を開始する。四方から勢いよく水を掛け、なんとか彼女の炎を鎮火しようと試みる。

 だが――

 

『――小賢しいですわ!!』

 

 今の清姫にとってその程度、焼け石に水でしかない。

 彼女は水の勢いに負けまいと纏う炎の火力を爆発的に高める。その勢いは消防隊の放水を一瞬で蒸発させてしまうほどだった。

  

「なっ!?」

 

 自分たちの放水が無力化される光景に呆気にとられる消防隊長。さらに清姫はその巨大な尻尾を振るい、周囲の消防車を蹴散らし、消防隊の消火活動を妨害。

 鬼太郎たちは清姫の『炎』を止めるための手段――『水』を失ってしまう。

 

『はぁはぁ……悪あがきは終わりですか、人間……ゲゲゲの鬼太郎!!』

 

 鬼太郎と人間たちの水攻めを乗り切り、勝ち誇ったように吠える清姫。

 しかし、一度に大量の水を浴びせられたことと、無理に火力を高めたことで彼女は大分妖気を消耗してしまったらしい。傍目から見てもわかるくらいに息を切らしいる。

 

 彼女の憤怒の炎を止めるのに、あと一歩といったところ。

 そして、鬼太郎は――そのあと一押しを既に用意していた。

 

「今だっ! 砂かけババア!!」

『――っ!?』

 

 鬼太郎が呼びかける先を見上げる清姫。

 彼女の視線の先――ビルの屋上には砂かけババアが立っていた。

 

「ちんちんちなぱいぽ……」

 

 砂かけババアはその手に壺らしきものを抱え、何かしらの呪文を唱える。彼女が言の葉を紡ぐ毎に、その身に尋常ならざる妖気が集まっていく。

 

「鎮まるがいい、清姫!!」

 

 そして、砂かけババアは叫ぶ。荒ぶる清姫を鎮めるための大技を一気に解き放つために――。

 

 

「――砂太鼓!!」

 

 

 放たれた言葉と共に、砂かけババアの抱えた壺の中から大量の砂が津波の如く押し寄せる。

 これこそが砂かけババアの切り札――『砂太鼓』。燃え上がる清姫を鎮火するために放たれた最後の一撃だった。

 

『きゃあああああああああ!?』

 

 下手をすれば洞窟一つを丸呑みするほどの多量の砂によって全身を包まれる清姫。彼女の燃え盛る体が砂の中に埋もれ、その姿が見えなくなる。

 

「……やったか?」

 

 清姫を鎮めることに成功したかどうか、砂埃が晴れるまで明確には分からない。鬼太郎は目を凝らして清姫の様子を窺う。

 

「鬼太郎! あれを見るんじゃ!」

 

 舞い上がった砂煙が晴れていき、目玉おやじは声を上げる。

 彼が指さした先には――

 

「きゅぅ~…………」

 

 なんとか砂山の中から這い出した、人間形態の清姫が目を回し倒れ込んでいた。

 

 

 既に暴れるだけの体力もなく、その炎を完全に消し止めることに鬼太郎たちは成功したのだ。

 

 

 

×

 

 

 

「ふむ……とりあえず、一件落着じゃな」

 

 あれから数時間後。暮れる夕日を背に、ビルの上から眼下の街並みを見下ろしながら目玉おやじは呟く。

 街中では消防隊が決死の消火活動を続け、清姫の飛び火した炎を消し止めていた。それもつい先ほどようやく収まり、街には再び平穏が訪れる。

 

「助かったよ、砂かけババア。けど、体の方は大丈夫なのか?」

 

 鬼太郎は今回、清姫を鎮めるのに貢献してくれた砂かけババアに礼を述べながら、彼女の体を気遣う。

 砂かけババアの『砂太鼓』は威力こそ大きいものの、本人のかかる負担は他の技の比ではない。清姫を止めるためとはいえ、無理をさせ過ぎたかもしれないと、鬼太郎は彼女に頭を下げる。

 

「なに、乱用しなければ問題ないわい!」

 

 鬼太郎の謝罪に、砂かけババアは何でもないことのように言ってのける。確かに砂太鼓は消耗の激しい技だが、連発しなければ問題ないと、彼女は快活に笑い声を上げた。

 その笑みに釣られるように、鬼太郎も目玉おやじも、一反木綿も笑みを浮かべる。

 

「――何故……私の邪魔をなさるのですか?」

 

 そんな中、沈痛な面持ちで落ち込む少女が一人。

 鬼太郎たちとの輪から外れ、ビルの上から眼下の人間たちを虚ろな目で見つめる。

 

「どうして……あんな嘘つき共のために……あんな連中、助ける価値などないのに……」

 

 清姫である。

 彼女は何とか理性を取り戻し大蛇の暴走状態から抜け出した。しかし、それで人間たちへの怒りが収まる訳ではない。人間たちへの愚痴、自分の邪魔をした鬼太郎へと恨み言を力なく吐き捨てる。

 

「別に彼らの味方をするわけじゃない。けれど……君の行為は行き過ぎだ。黙って見過ごすことはできない」

 

 鬼太郎は清姫から彼女が大蛇となる経緯を聞かされていた。嘘をつかれ、安珍への想いを侮辱されたことは確かに同情すべきかもしれない。

 しかし、それでもこれはやり過ぎだと。それが彼女の暴走を止める理由だと毅然として答える。

 

「……どうして……なんで……この世界は嘘つきばかりなのです…………」

 

 しかし、もはや鬼太郎の話など清姫の耳に届いていなかった。彼女は嘘をつく人間たち、嘘つきだらけの世界に絶望し、力なく項垂れている。

 

「……のう、清姫。『嘘』というやつは、本当にそこまでどうしようもないことなのかのう?」

 

 そんな清姫に対し、何かを考え込みながら砂かけババアが声を掛ける。

 

「確かに嘘を多用するのはあまり褒められた行為ではないかもしれん。しかし、世の中には必要な『嘘』というものもあるのではないかのう?」 

「……なっ!? 何を……仰っているのですか?」

 

 すると、砂かけババアのその主張に清姫はムキになって反論する。

 

「必要な嘘!? そんなものある筈がありません! 嘘は『悪』です! 人も妖怪も皆、もっと正直に生きるべきなのです!! そうすれば、世の中はもっと素敵なものになる筈なのですから!!」

 

 嘘など、この世界には不要。それこそ、清姫にとって絶対の価値観。

 どこまでも頑なな彼女の意思。その意志を覆すことは決して簡単なことではない。

 

「……ついてこい。お前さんに見せたいものがある」

 

 それでも、砂かけババアはその凝り固まった考えを改めてもらおうと。

 彼女を――とある場所へと案内していく。

 

 

 

 

 

 

 

「? ここは……今朝の病院、ですか?」

 

 そうして、清姫が砂かけババアに連れてこられたのは、午前中にねずみ男と共に訪れた都心の病院であった。夕方で既に診察時間も終わり、多くの人で賑わっていた受付も待合室もすっかり閑古鳥が鳴いている。

 シンと静まり返る病院内。すると、そこには懸命にリハビリに励む、とある少年の姿があった。

 

「はぁはぁ……」

「ほら! あとちょっとよ、頑張って!!」

 

 手すりに掴まり、看護師に励まされながら歩く練習をしているのは、今日の今朝方――『元のように走ることはできない』と、担当医師の隠していた嘘を見破った清姫により、残酷な真実を告げられたあの少年である。

 

 普通の人間であれば、そのような事実を告げられ直ぐに立ち直ることはできないかもしれない。

 しかし、少年は決して挫けず諦めず、再び自らの足で立ち上がろうと努力を続けていた。

 

「のう、清姫よ。お前さんの言った通り、あの子の足が治る見込みは薄いそうじゃ……」

 

 今朝のやり取りを偶然見ていた砂かけババアは、その少年の容体に関して詳しい事情を聞いた。

 

 元々、あの少年は将来の夢――陸上選手になるという目標のため、日夜練習に励んでいたとのこと。だが、オーバーワークでの練習に膝の靭帯を損傷。病院での入院生活を余儀なくされた。

 医者の見立てでは少年の足が元通りになるのは難しいらしい。だがその事実を少年に伝えることは酷だと考えた医師は保護者だけに容体を説明。

 少年本人には『きっと治る』と希望的な観測のみを伝えていた。

 

「じゃがのう……それはあくまで医者の見立てじゃ。それがそっくりそのまま『真実』になるとも限らんだろう?」

 

 砂かけババアはその事実を踏まえた上で、医者の判断に対し自分なりの意見を口にする。

 

「寧ろ……治ると信じて努力すれば、たとえ『嘘』でも『真実』になる」

 

 確かに医者は『治る』という嘘をついたかもしれない。しかし、『治らない』ことが真実だからといって、最初から何もかもを諦めさせるような真似はするべきではない。

 

「あの子の努力が、熱意が……また走れるという『嘘』をひょっとしたら『本当』のことにするかもしれんのじゃ。そう考えれば嘘というもんも、あながち悪いことばかりではないと思うがのう……」

 

 そう言って、砂かけババアはチラリと清姫の反応を窺う。

 

「…………………」

 

 清姫は砂かけババアの話を黙って聞いている。彼女なりに色々と考えてはいるのだろう。

 

 

 だが、それでも――

 

 

「――それでも……私はその嘘のせいで傷つきました。それは……変えようのない事実です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ああ、安珍様……何故、何故嘘をつかれたのですか? 

 

 ――私のことがお嫌なら、正直にそう仰って頂ければよかったのに……。

 

 人間だった頃の記憶を清姫は振り返る。

 運命の人と恋慕った相手につかれた残酷な裏切り――『嘘』。

 それこそ、清姫最大のトラウマであり、彼女が嘘をどうしても許せない理由である。

 

 この記憶がある限り、彼女が嘘を許すことは一生できないだろう。

 たとえ、そこにどんな思いやりがあろうとも……。

 

 

 

「――君が……嘘を嫌うことはよく分かったよ……」

 

 砂かけババアの問い掛けにも『否』と答えた清姫に、彼女たちの側でその話を聞いていた鬼太郎が近寄ってくる。彼は清姫の意思に一定の理解を示しながらも、嘘をつく人間たちの事情も察する。

 

「だけど、人間は本当のことだけで生きて行けるほど強い生き物じゃない。ときには嘘や誤魔化しで体裁を整えないと、心の方が先に壊れてしまう。皆が皆、正直に生きれるほど……優しい世界じゃないんだ」

 

 人間たちの依頼に応え、彼らの手助けをしてきた鬼太郎も人間のつく嘘に何度も騙されそうになったことがあった。嘘をつかれたときの屈辱、悔しさ。清姫ほどではないにせよ、鬼太郎にも経験があることだ。

 

 だからなのか、鬼太郎は清姫に優しく語りかける。 

 

「けれど……君までそんな世界の流儀に染まる必要はないんじゃないかな?」

「……えっ?」

 

 その言葉に沈ませていた顔を上げる清姫。鬼太郎はそんな彼女をしっかりと見据えて言葉を紡ぐ。

 

「他人の嘘なんかに一々腹を立てる必要もない。そんな連中の相手をしても君が傷つくだけだ。君は自分自身に正直に生きればいい……きっと、その生き方に理解を示してくれる人は見つかる」

 

 誤魔化しでも慰めでもない。心の底からそのように思いながら、鬼太郎は清姫に優しく手を差し伸ばす。

 

 

 

「――少なくとも……ボクは君に嘘なんかつかない、絶対にね……!」

 

 

 

「――――っ!!!」

 

 

 

 鬼太郎の言葉に清姫は心打たれる。

 彼の「嘘をつかない」という台詞。そこには一片の嘘も含まれていない。

 

 鬼太郎は――正直な気持ちで清姫には嘘をつかないと言ってくれた。

 

 それは、嘘だらけの世界に触れてばかりだった清姫にとって、何よりの救いとなり――

 

 

 また彼女の魂に――とある『結論』を抱かせるほどに、十分な衝撃を含んだ言葉であった。

 

 

「……見つけ……ましたっ!!」

 

 

 清姫は差し伸べられた鬼太郎の手をガッチリと両手で包み込む。

 いきなりの清姫の行動に面食らう鬼太郎だが、続く彼女の言葉に彼は目を丸くするしかなかった。

 

 

「こんなところに……いらっしゃったのですね――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お会いしとうございましたっ!! 『安珍』様!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――えっ?」

 

 

 

×

 

 

 

「――鬼太郎いる? に、煮物作ってみたんだけど…………」

 

 清姫が街で大暴れした騒動の数日後。ゲゲゲハウスに猫娘が手製の煮物を持参で訪れていた。

 大好きな鬼太郎の為に作った手料理。素直になれない彼女はたびたび「作りすぎたから……」「腐らせちゃうの勿体ないし……」などと言った嘘をついて、鬼太郎に自分の料理を食べてもらおうとしていた。

 

 しかし、わざわざ手料理を持参した今日という日に限って、猫娘以外の先客が鬼太郎の隣に陣取っていた。

 

「はい、鬼太郎様。あ~ん♡」

「…………」

 

 その女は我が物顔で鬼太郎の側に寄り添い、手料理らしきものを鬼太郎に「あ~ん」と食べさせていた。

 

「き、き、き、鬼太郎……!」

 

 その光景に絶句する猫娘。思わず持参した手料理を床に落として台無しにしてしまう。

 

「やあ、猫娘……はぁ~」

 

 猫娘が来たことに気づいた鬼太郎。彼は疲れた表情で溜息を溢し、渋々といった様子でその女の行為に身を委ね、手料理を口にしていた。

 

「いかがです、この清姫の肉じゃがは? おいしいですか?」

 

 幸せそうな笑顔で鬼太郎に手料理の感想を尋ねる、清姫と名乗る女。彼女の質問に暫し考え込んだ末、鬼太郎は覇気がない声で答える。

 

「ちょっと味が濃いかな。もう少し薄味の方がいいとは思うけど……」

「あら、そうですの? では、今度はもう少しお醤油の量を減らしてみますね……ふふふ!」

 

 鬼太郎に手料理のダメ出しをされたにもかかわらず、清姫は嬉しそうな笑みを溢す。すぐさま鬼太郎のコメントをメモ、レシピの修正をノートに書き加えていく。

 

「ちょっ! 鬼太郎!! なんなのよ、その女!? い、いったい、何がどうなって――!!」

 

 呆気に取られていた猫娘はようやく我に返り、鬼太郎にこれはどういった状況なのか問い詰める。

 清姫の騒動にノータッチだった猫娘にとって、目の前の光景は何もかもが意味不明なことばかりであった。

 

 

 あの騒動の後、何がどういうわけか清姫は『鬼太郎こそが安珍の生まれ変わりである』という、結論を出してしまった。

 嘘により傷ついた清姫に向かって『嘘をつかない』と断言し、慰めたことが要因だったのか。

 清姫はあれ以降、鬼太郎をしつこく付きまとうほど、彼にべた惚れになってしまったのだ。

 

 自分に好意を寄せる清姫に、鬼太郎は何度も「ボクは安珍の生まれ変わりじゃない」と正直に告げるのだが、清姫はそれを「まだ前世のことを思い出していないだけ」と、まるで気にした風もなく、彼へのストーキング行為を止めようとはしない。

 

 いつかきっと、自分のことを思い出してくれると。安珍――鬼太郎への愛を日々育んでいく。

 

 

「どこから説明したものか……」

 

 詰め寄る猫娘に、こうなった経緯をどこから説明すべきかと頭を悩ませる鬼太郎。彼自身、いったい何故清姫が自分のことを安珍と思い込むようになってしまったのか、よくわかっていないところがある。

 

「あらあら、可愛らしいお嬢さんですこと……」

 

 言い淀む鬼太郎に代わって、清姫が猫娘と向き合う。

 猫娘を見つめる清姫の視線には、明らかに敵対心のようなものが混じっていたが。

 

「いいんです。清姫は理解のある女ですから。妾の一人や二人くらい……ええ、認めて差し上げますとも」

「め、妾っ!?」

 

 清姫の発言に顔を真っ赤にする猫娘。そんな彼女に見せつけるように、清姫はさらに鬼太郎に肩を寄せていき。

 

「私を一番に愛してくださるのでしたらそれでよいのです。だ・ん・な・様♡」

 

 そうやって、猫娘に『正妻』として牽制を入れていく。

 

「!! ちょっとあんた、鬼太郎から離れなさいよ!! 鬼太郎もっ! されるがままになってじゃないわよ! そんなにその女がいいわけ!?」

 

 清姫の挑発に当然、猫娘は大激怒。清姫のスキンシップに抵抗しない鬼太郎にまで怒りの矛先を向け、化け猫の表情で爪を伸ばして唸り声を上げる。

 

「まあ!! 私と旦那様との仲をその爪で引き裂こうというのですか!? この泥棒猫!!」

 

 清姫も清姫で、猫娘の敵対行為に真っ向から対抗。その身から炎を迸らせる。

 

 

 意中の殿方を巡る――女同士の熾烈な争いが、こうして幕を開けたのだ。

 

 

 

 

 

「…………父さん」

 

 彼女たちの闘争を目の当たりにしながらも、鬼太郎は動かない。

 彼はここ数日、ずっと清姫にストーキングされ、すっかり精神をすり減らしていた。余計な体力を使うのも億劫で、彼は父親である目玉おやじにボソリと愚痴を溢す。

 

「…………なんじゃ、鬼太郎?」

 

 茶碗風呂に浸かりながら、目玉おやじもやや疲れたように息子の愚痴に付き合ってやる。彼も清姫のストーキング行為を間近で見てきた。息子の心中を誰よりも察してやれている。

 

「安珍さんが……どうして嘘までついて清姫から逃げようとしたのか……少しだけ、分かるような気がします」

 

 安珍と清姫の伝説を聞いた時、鬼太郎は安珍のことを酷い男だと思った。

 清姫の想いを断るのならはっきりと断ればいい。彼女を傷つけてまで嘘をつく必要もなかっただろうにと、憤る気持ちを抱いていた。

 

 しかし今なら、清姫に四六時中付きまとわれ疲弊した今なら、安珍の気持ちが分かると。

 鬼太郎は逃げ出した末に焼き殺された、イケメン坊主に同情の念を抱く。

 

「鬼太郎よ。早まった真似はするでないぞ……」

 

 そんな心情を吐露する鬼太郎に、目玉おやじは早まった行為に走らないように念を押す。

 

 

 

 せめて安珍の二の舞にはなってくれるなと、彼は息子の未来が平穏であることを願うばかりであった。

 

 

 




 FGOの清姫に関しては、『大蛇』というより、『竜』であるという説明がなされていますが、本小説では色々と紛らわしいので、彼女を一貫して『大蛇の妖怪』として書かせてもらっています。

次回予告

「友達と共に池袋の街に遊びに来たまな。彼女はそこで『謎の黒バイク』に遭遇する。
 父さん、その黒バイク。噂では――首がないとのことですが……?

 次回――ゲゲゲの鬼太郎『デュラララ!!』 見えない世界の扉が開く」

 それでは、また次の機会によろしくお願いします。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

デュラララ!! 其の①

ぬら孫の小説と並行して書いている今作。とりあえず書き上がったので投稿します。

クロスオーバー企画第四弾は『デュラララ!!』。
作者の小説の師匠(勝手にそう崇めているだけ)、成田良吾先生原作のライトノベルです。

この作品はとにかくキャラが多い!! 
後書きの方で出てきたキャラに関しては順次紹介を入れていきますが、詳しく知りたい方は個別の記事をネットで調べた方が早いですね!!



「――ねぇ! 次どこ行こっか?」

「う~ん……サンシャインシティにはもう行ったし……」

「あっ! わたし、執事喫茶ってとこに行ってみたいかも!!」

 

 休日、賑やかに人々が行き交う街中。きゃっきゃと騒ぎながら四人の女子中学生が次に向かう目的地を皆で話し合っていた。

 彼女たちがいる街の名は――『池袋』。渋谷や新宿と並び、東京でも代表的な繁華街の一つである。

 渋谷が若者の街、新宿が大人の街とするなら――この街はさしずめ、その中間といったところ。

 年齢層を問わず、外国人なども多数行き交っており、それらを顧客とした商業施設やアミューズメント施設が数多く建ち並んでいる。

 

「はははっ、来てよかったね! 池袋!!」

 

 それらの施設をひととおり楽しみ、笑顔を浮かべる少女たちの一人に彼女――犬山まなの姿があった。

 

 彼女たちは東京都調布市のとある中学校に通う、ごく普通の中学生の少女たちである。

 

 髪を二つ縛りにした眼鏡をかけた――綾。

 どこか上品な雰囲気を纏う、後ろ髪を一箇所に束ねている――姫香。

 少し背が低めのセミロングヘアの――雅。

 そして、犬の尻尾のようなおさげ髪――犬山まな。

 

 学校でも特に仲の良い四人組で、学外でもよく一緒に街にお出かけしたりと休日を楽しんでいる。

 

「そうだね。カラーギャングがいるとかでちょっと不安だったけど……普通に遊びやすいじゃん!!」

 

 来てよかったと言うまなの言葉に同意するよう、彼女と親友の雅が楽しそうに頷いている。前もってインターネットで調べた情報では、この町には未だにカラーギャングといった怖い集団が少数ながらに存在しているとのこと。

 だが、そんな危なっかしい輩が絡んでくることもなく、まなたちは平和な休日を謳歌していた。

 

「そろそろお昼だし、どっかお店に入ろっか? どこがいいかな……」

 

 スマホで現時刻を確認しながら、綾がそのように提案する。

 時刻はもうすぐお昼時。スイーツなどの買い食いをしていた少女たちも、どこかで腰を据えて食事を取りたい。自分たちのような中学生でも入れる手頃な店がないかどうか。雅が辺りを見渡し、姫香がネットなどで食べログをチェックしていた。

 せっかくだから『池袋らしい』お店にでもと、まなもそう思っていた。そんな彼女たちに――

 

「――こんちわ!」

 

 と、オーバーなほどに明るい声が掛けられる。

 

「へっ?」

 

 唐突な呼びかけにそちらの方を振り返りまな。すると、そこには髪を茶髪に染めた青年が立っていた。

 耳にはピアスを、腕には派手なブレスレットをつけてはいるものの、まだどこか幼さを残した印象。おそらくは高校生くらいだろう。青年は輝くばかりの笑顔をまなたちに向け、楽しそうに話しかけてくる。

 

「君たち可愛いね! 池袋は初めてかい? よかったら、俺たちで色々と案内しちゃうけど、どう!?」

 

 そう言って軽口を流しながらも、青年はまなたちに対し恭しい態度で手を差し出す。そんな彼の言葉と態度にキョトンと少女たちは互いの顔を見合わせる。

 

 ――ひょ、ひょっとして……私たちナンパされてる!?

 

 つい最近になって中学二年生に進級したばかりのまな。彼女は女子の中でもお堅く、未だに男性とお付き合いなるものをしたことがない。

 同年代の男の子からも「デカまな」やら「ブス」などと悪口でからかわれることの方が多い。可愛いねなどと、真正面から言われることの方が珍しく、初対面の男性からこのように声を掛けられる経験など全くなかった。

 

「…………えっ?」

「……わ、わたしたち!?」

 

 雅たちもまなと同じらしく。ナンパされているという事実に不快感よりも困惑がまさり、咄嗟に返事をすることができなかった。

 

「そうそう、きみたち!! 四人ともスッゲェ可愛いよ!! こんなに可愛い子たちがズラリと揃うなんて、これはもう奇跡としか言いようがないね!! この奇跡の出会いを祝し、俺たちとめくるめく池袋の街を堪能しようじゃありませんか! ……いかがですか、お嬢様方?」

 

 言葉だけ聞くと軽薄そうに聞こえるが、不思議とこの青年から言われるとそこまで不快ではない。誘い文句の最後にキチンとまなたちに確認を取るところなど礼儀正しく、そういったことに免疫のない彼女たちにすら「ちょっとくらいいいかな?」と、思わせるような不思議な魅力が感じられる。

 しかし、これがナンパだというのなら、少しばかりおかしいところが見受けられる。

 

「――ちょ、ちょっと、正臣!」

 

 先ほどから茶髪の青年が「俺たち」と繰り返しているように、彼には数人の連れがいた。

 そのうちの一人。髪も染めず、ピアスもブレスレットもつけていない。茶髪の彼――正臣とは対照的な真面目一辺倒という感じの、黒髪の青年が慌てた様子で正臣に待ったをかける。

 

「やばいって! この子たち、どう見ても中学生じゃん! ロリコンだよ、犯罪だよ!!」

 

 その青年はそう言って、正臣がまなたちに声を掛けるのを静止しようとする。おそらく、彼も高校生なのだろう。その立場から中学生であるまなたちにナンパすること――というより、ナンパという行為そのものに抵抗感を抱いているような空気だった。

 

「何を言ってやがる、帝人!!」

 

 そんな真面目そうな彼――帝人の言葉にわざとらしいまでに声を張り上げ、正臣は反論する。

 

「こんなに可愛い子たちを前に声を掛けないなんて、それこそ男として犯罪だぞ!! 帝人よ! お前には男としての誇りと尊厳がないのか!?」

「えっ、何その理屈? ちょっと意味不明なんだけど……」

 

 正臣の謎の理屈に友人の筈であろう帝人がオロオロと取り乱す。その取り乱しようは、見ているまなたちの方が思わず心配してしまいそうなほど、純朴な反応であった。

 帝人はさらに正臣にツッコミを入れる。

 

「だいたい、なんで園原さんもいるのにナンパなんかしてんの?」

「あっ、いえ……わたしのことは気にしないでください……」

 

 正臣と帝人。二人の少年の後ろで、何故か申し訳なさそうに眼鏡をかけた女子が頭を下げている。彼女も高校生だろう。服装も地味で髪も染めていない。雰囲気としては正臣よりは帝人に近い、優等生といった空気を漂わせている。

 明らかにナンパという行為に不釣り合い――いや、そもそも何故女子同伴でナンパなどしているのだろう?

 帝人同様、まなたちも不思議そうに首を傾げる。

 すると、正臣はまなたちにも聞こえるような大きな声で力説する。

 

「大丈夫、大丈夫! 杏里は言わば罠なんだよ! 『こんな可愛い女の子が一緒ならついて行っても大丈夫』って思わせるトラップだから! きっと安心して、この子たちも俺の誘いに乗ってくる筈さ!! ワハハ!!」

「それ、声を大にして叫んでる時点で全部筒抜けなんだけど……」

「そ、そうですよね……」

 

 わざとらしく悪役のような笑い声を上げる正臣に、帝人は冷静な指摘を加える。眼鏡の女性——杏里と名前を呼ばれた彼女も、どう反応していいものか困ったように苦笑いを浮かべている。

 正臣と帝人と杏里。見た目や口調といった、第一印象だけでもかなり性格にばらつきのありそうな男女三人組。

 

「…………」

 

 そんな彼らの漫才のようなやりとりを見せられ、雅や姫香、綾はどのようなリアクションを取るべきか。咄嗟に判断ができず固まっていた。

 

「……ふふ、仲が良いんですね。三人とも」

 

 しかし皆が戸惑っている中、まなだけはそのやり取りに微笑ましい笑みを浮かべる。

 パッと見、共通点らしきものがない三人組ではあるものの、互いに向ける笑顔や掛け合いから、気の許せる友人同士であることが容易に想像できる。

 三人の間に流れる空気も程よく温かく、その雰囲気に釣られるようにまなの心にも明るいものが込み上げてくる。

 

「おうよ! 俺たちは校内でも有名な三角関係だぜ! どっちが先に杏里と付き合うか競争している間柄なのさ!!」

 

 まなの言葉にナンパで声を掛けた正臣の方が少し意外そうな表情を浮かべるも、すぐに気を取り直し、自分たちの仲の良さをアピールするようにドヤ顔で語る。

 

「ちょっ、正臣……」

「…………」

 

 高校生らしい甘酸っぱい青春、男女の好意に関する話題。それをおおっぴらに語る正臣に、帝人と杏里は恥ずかしそうに頬を真っ赤に染めている。

 

「へぇ~、そうなんですか!? それは……是非とも詳しく聞いてみたいですな~!」

「ちょっ、ちょっとまな!?」

 

 正臣の振った話題にまなは口元をにやけさせ、グイグイと乗っかっていく。そんなまなの食いつき具合に、未だに警戒心が解けていない雅たちが驚いていた。

 勿論、まなは正臣のナンパに応えたわけではない。

 だが、まだ男の人を好きになったことのないまなは、少女漫画で恋のお勉強をする『恋に恋する乙女』である。

 そのようにお手本のような恋愛話の話題を振られ、黙っていられるお年頃ではなかった。

 

「おお、気になるかい? それじゃ……その辺で飯でも食いながら話そうぜ! 何なら君たちみんなの分は俺が奢っちゃうよ!!」

 

 正臣はまなの反応から「これはいける!」と踏んだのだろう。実に陳腐ではあるものの手堅い手段、最初の一歩としてまなたちをお昼へと誘う。

 

「えっ、奢り?」

「やった! お小遣いが浮く!」

 

 その提案に今まで乗る気でなかったまなの友達、雅と綾の二人の表情が明るくなる。少ないお小遣いをやり繰りする女子中学生にとって、お昼代が浮くだけでもかなりの利点だ。

 

「……もう、仕方ないですね」

 

 友達皆が乗る気になったことで、姫香も仕方なく付き合うことになる。

 

「よし、決まりだ!! あっ、杏里の分は帝人が奢るんだぞ?」

「えっ、なんでさ?」

「……えっ、わ、わたしも!?」

 

 最終的に女子たち全員の同意を得た正臣。しれっと帝人と杏里の二人もカウントに入れ、彼は次なる問題――『どのお店に入る』か、暫し思案を巡らせる。

 ここで下手なお店を選び、まなたちの機嫌を損ねてしまえば全てが台無しになることを正臣は経験上知っている。

 

「そうだな、せっかく池袋に来たんだし……」

 

 せっかくだから池袋らしい店と、奇しくもまなと同じようなことを考え、正臣は熟考を重ねる。

 

「よっしゃー!! せっかくだから、あそこにしようぜ!!」

 

 そして、結論が出たのか。彼は自信満々にその店の名を声高に叫ぶ。

 その店の聞き慣れぬ『店名』に――まなたちが目を丸くするであろうことを予想しながら。

 

 

「池袋って言ったらやっぱ『露西亜寿司』だろ!!」

 

 

 

×

 

 

 

「ヘイ。キダ、ミカド、アンリ、イラしゃーい!!」

「――――!?」

 

 入口のカラフルな暖簾をくぐったまなたち。彼女たちは客である自分たちに、外国語訛りの日本語を浴びせた『黒人男性店員』の存在に思わずビクリと肩を震わせる。

 東京に住んでいる彼女たちにとって、外国人などさして珍しいものでもないし、それだけで驚いたりはしない。

 

 だが、目の前に現れた黒人は体長二メートル、プロレスラーのような筋肉をガッチリと身にまとう巨漢だった。

 

 柔和な微笑みこそ浮かべているものの、その体格と纏う雰囲気でその黒人が絶対に只者ではないことが理解できる。板前のような恰好がさらにアンバランスで、まなたちでなくても初めて訪れた客はそれだけでこの店に入ることを尻込みするだろう。

 

「よお! サイモン、久しぶり!! 座敷の奥、空いてる?」

 

 しかし、正臣は眼前の大男の存在に全く動じる様子もなく、笑顔で話しかける。見れば帝人も杏里も、黒人――サイモンと呼ばれた彼に軽く会釈し、自然な流れで店の奥へと歩いて行く。

 

「……どうも」

 

 まなも彼らに習うように会釈する。

 

「オウ! カワイらしい、オジョウさんたち。イラしゃいませ!」 

 

 サイモンは初対面のまなたちにも笑顔で手を振ってくれた。強面な見た目とは裏腹な陽気で優しげな微笑みだ。その笑顔に少しだけ安堵したまなたちは店の奥、座敷の席に腰掛ける。

 

「びっくりしったかい? なかなか面白い店だろ?」

 

 まなたちの戸惑いを予想していたのか、正臣はイタズラを成功させた子どものような笑顔で呟き、この店の解説をしてくれる。

 池袋繁華街、居酒屋や飲食店が多く立ち並ぶその中にその奇妙なネーミングの店――露西亜寿司は居を構えていた。

 内装はまるでロシア王朝の宮殿をそのまま縮小したかのような飾り付け。そこに無理やり和風の寿司カウンターをくくりつけた感じの、間違ったロシア感。

 ロシア系の黒人であるサイモンが客引きやウェイトレスを務め、もう一人の白人男性が寿司を握っているとのこと。カウンター奥に立つ板前外国人。いくつもの包丁を器用に使い分けて刺身を切り分ける姿は、日本人の板前にも負けない貫禄のようなものを感じさせる。

 

「大丈夫でしょうか……ここ、なんか高そうですよ?」

 

 テーブルに座ったまな。正臣の説明を聞きつつも、彼女は真っ先にこの店のお値段に関しての不安を口にする。

 廻らない寿司屋というだけでも中学生であるまなたちにはかなりハードルが高い。その上、店の垂れ幕には『安心料金! オール時価!!』と堂々と書かれている。

 奢ってもらうとはいえ、あまりに高すぎるようなら流石に気も引けると心配になるまなに、正臣は気にした風もなく答える。

 

「大丈夫、大丈夫!! 確か学割やってた筈だから! ええと……安い握りのコース十カンで580円だったかな?」

「安っ!?」

 

 驚愕のお手頃価格にビックリする雅。綾も姫香も、その驚きの安さに目を剥いている。

 

「うん、だから取り敢えずはその握りコースでいいかな? あっ、足りなかったら遠慮無く追加頼んでいいから!」

 

 そう言いながら、正臣はちゃっかり自分のお財布にも優しいメニューを七人前注文する。あまりの安さに変なものが混じっていないかと、逆に心配になってくるまなたちであったが、ここまで来て帰るわけにもいかず。

 店員のサイモンによって運ばれた湯飲みを口にしながら、寿司が握られてくるのを待つことにした。

 

 

 料理を待つまでの間、テーブルを挟んで向かい合う正臣たちとまなたちは一通りの自己紹介を済ませる。

 

 

 最初にまなたちには声を掛けた、茶髪の高校生――紀田正臣(きだまさおみ)

 そんな正臣と幼馴染みだという、黒髪の青年――竜ヶ峰帝人(りゅうがみねみかど)

 正臣と帝人とは高校で知り合ったという、眼鏡の女性――園原杏里(そのはらあんり)

 

 彼らは池袋にある『来良学園』という高校に通う一年生とのこと。

 相手のフルネームや経歴を知ったところで、まなたちもそれぞれ名前を名乗る。そして、自分たちが調布市からやって来た中学二年生であることを明かした。

 

「へぇ~調布から……ところで、今日はどうして池袋に?」

 

 積極的に話題を振り、話の中心になっていたのはやはり正臣だった。彼はまなたちが何故池袋に遊びに来たのか、そのきっかけを尋ねる。

 彼の質問に、既にいくらか警戒心を緩めていた雅と綾が答える。

 

「私たち、この間まで放送してた池袋が舞台のドラマを観たんですよ!」

「それで一度池袋に行ってみたいなって話になって!」

 

 ドラマや映画に限らず、ニュースやバラエティ番組など。池袋という街は様々なメディアの舞台として頻繁に使われている場所でもある。池袋が舞台のドラマだけでも結構な種類の作品が存在するが――。

 

「あっ、ひょっとしてあれかな? ついこの間までやってた連続テレビドラマの……羽島幽平が主演やってるやつでしょ!?」

「あっ、それです、それ!!」

 

 正臣は最初の話を聞いただけで、それがどの作品か見当がついたらしい。作品自体の名前を思い出せなかったようだが、そのドラマの主演を演じた俳優の名前だけはすぐに浮かび上がった。

 

「ああ、それならボクも見たよ。凄かったよね、羽島幽平の演技!」

「わ、わたしも見ました……凄かったです。あの俳優さんの演技」

 

 この話題には帝人と杏里の二人も食いつく。彼らもそのドラマを視聴していたようだが、内容よりも真っ先に主演俳優の演技力を絶賛する。

 

「ですよね!? やっぱりそう思いますよね!? 羽島幽平、最高に格好いいですよね!!」

 

 一同の称賛に対し、まなたちの中でも姫香が一際大きな反応を示す。うっとりとした表情になり、素晴らしい演技を披露した押し俳優の活躍を思い出している。

 

「なるほど、姫香ちゃんは羽島幽平のファンか~」

「……あっ、い、いえ……すみません。少し興奮してしまいました……」

 

 四人の中学生の中で、特に姫香が羽島幽平の熱心なファンであることをその反応で察する正臣。彼の指摘に姫香は恥ずかしそうに顔を真っ赤に染めていた。

 

 ドラマの内容よりも先ほどから話題になっている俳優――羽島幽平(はねじまゆうへい)

 彼は現在、特に女性たちの間で話題となっているイケメン俳優である。本業はモデルらしいのだが、『吸血忍者カーミラ才蔵』というVシネマで主演のカーミラ才蔵を演じ、それをきっかけに俳優としてもデビュー。 

 その美麗な顔立ちから繰り広げられる、素人上りとは思えない怪演に人気が爆発。どのような役柄でも見事にこなす演技力が高く評価され、今ではハリウッドにお声が掛かるほどの超売れっ子役者となっていた。

 

「そうなんですよ~。姫香が羽島幽平の大ファンで……だから、今日は撮影で使われた場所を中心に回ってたんです!!」

 

 そんな彼が主演を務めたテレビドラマの撮影に池袋が使われていた。だから、まなたちはその聖地巡礼のため、こうして池袋を訪れてたとのことだ。

 

「なるほどね……で、どうだった? 実際に池袋を廻って見た感想は!?」

 

 彼女たちが池袋にやって来た理由を知り、正臣はまなたちに池袋という街の感想を聞いていた。既に池袋が地元といっても過言ではない正臣たちにとって、初めて池袋を訪れたまなたちの評価は大いに気になるところである。

 

「う~ん、そうですね……。思ってたよりは、ずっと安全で遊びやすかったです!」

 

 正臣の質問にまなが笑顔で答える。実際池袋の街は遊びやすく、彼女たちは楽しい休日を過ごすことができていた。

 

「ホント、ホント! カラーギャングがいるとか、もっと物騒なところとか思ってたけど、そんなこともなかったよね!!」

 

 まなの意見に同意し、雅も浮かれたように声を上げる。

 すると――

 

「カラーギャングか……」

 

 一瞬、正臣の目が細められ、彼から剣呑な空気が発せられる。

 しかし、それもほんの一瞬。直ぐにへらッとした人好きのする笑みを浮かべ直す。

 

「まっ、ああいった連中は基本こっちから近づかなきゃ、ちょっかいかけてくることもねぇから! 君たちみたいに可愛くていい子たちには手を出さないだろうし……。俺がいる限り、君たちを危険に晒すような真似はさせねぇぜ!!」

「……さらっと自分を売り出すアピールしてない?」

 

 カラーギャングに対しての注意点を口にしながら、正臣は『俺と一緒にいれば安全!』と、懲りずにナンパを繰り返す。そんな友人に突っ込みを入れ、帝人は溜息を溢す。

 

「ははは……本当に、仲が良いんですね」

 

 そんな彼らの掛け合いに笑みを溢すまな。

 そんな調子で――彼女たち調布からやってきた中学生は、池袋で出会った高校生たちと楽しい昼食を過ごした。

 

 

 

×

 

 

 

「あー! 美味しかった!!」

「ほんとっ!! とても580円の握り寿司とは思えないよ!!」

 

 その後、ドラマや映画、正臣と帝人と杏里たちの三角関係についての話題で会話に華を咲かせつつ、露西亜寿司を堪能したまなたち。最初に来店したときの不安は何処へやら、彼女たちは大満足で店を後にする。

 

「紀田さん、ありがとうございました! 美味しいお店を紹介して、その上奢ってもらうなんて……」

 

 まなは露西亜寿司という、彼女たちだけなら絶対に入らなかったであろう優良店を紹介してくれた正臣に改めて礼を述べる。

 

「いいって! いいって! 俺も君たちとお喋りできて楽しかったから!!」

 

 正臣は宣言通り、まなたちの分までしっかり会計をこなし、気にした風もなく笑顔で彼女の礼に応える。

 

「あの……竜ヶ峰君……すみませんでした……私も奢ってもらって……」

「いや……園原さんは気にしなくていいから……悪いのは全部正臣だから……うん」 

 

 ついでの流れで、杏里に食事を奢る羽目になった帝人。昼食で自分たちの恋愛話が話題になったこともあり、両者はどこかぎこちなく言葉を交わす。

 

「さて……これからどうするよ? まだ見て廻るつもりなら、俺たちで色々と案内するけど?」

 

 そんな友人二人を尻目に、正臣はまなたちにこの後どうするか声を掛けていた。先ほどのナンパの続きという空気ではなく、純粋な親切心からまなたちの池袋観光を心配しているような言葉遣いである。

 

「そうだね……どうしよっか?」

「せっかくだし……案内してもらう?」

「うん! それがいいかも!!」

 

 一緒に昼食をとって親交を深めたこともあってか、雅たちから反対の意見は出なかった。まなもこの人たちとならもっと池袋の街を楽しめると思い、正臣の提案に好意的に頷く。

 

「よし、決まりだっ!! じゃあ、さっそく……」

 

 まなたちが乗る気になったところで、一気にテンションを上げる正臣。さっそく彼女たちがどんな場所へ行きたいのかを聞き、それに沿ったデートコースを決めようと思案しようとした――まさに、そのときであった。

 

 

 不意に――まなたちの耳に奇妙な『音』が聞こえてきた。

 

 

「えっ?」

 

 まなは最初、その音を猛獣の嘶きか何かと思った。しかし、よくよく聞いていて見ればそれはバイクの排気音のようにも聞こえてくる。

 動物の唸り声と、機械的なエンジン音。相反する二つの『音』が同居した不思議な音響。

 

「なに……今の音?」

「馬? いや……暴走族?」

 

 雅たちも、その異質な音に思わず立ち止まって互いの顔を見合わせる。両方とも、どことなく聞いたことのある音なのに、二つが同時に合わさることで全く聞いたことのない異常な音質へと形を変える。

 その不気味さに不安そうな表情を浮かべる少女たち。しかし、それと同じ音を聞いた筈の正臣はどこか期待に溢れるような笑顔でまなたちに告げる。

 

「君たち、運がいいよ。初めて池袋に来たその日に――都市伝説を目の当たりに出来るなんて」

「都市、伝説……? あの、それって、どういう――」

 

 まなは正臣の言葉に理解が追い付かず首を傾げる。見れば帝人と杏里の顔にも不安な表情はなく、逆にまなたちのリアクションを見守るような微笑ましい笑顔を浮かべている。

 わけが分からず不安から足を止める少女たち。彼女たちが横断歩道を渡るのを躊躇っていると――

 

 彼女たちの前に――その『存在』は突如として現れる。

 

「――――――――」

 

 それはヘッドライトの無い、漆黒のバイクに跨った人の形をした『影』。

 それは並走する車の間を縫い、まなたちの目の前を音もなく走り去っていく。

 

「…………!」

 

 その黒バイクが放つ『異質感』に息を呑むまなたち。

 彼女たちの目の前を通り過ぎるとき、そのバイクからは完全にエンジン音というものが消失していた。時々、気まぐれで鳴き声のような嘶きを響かせるだけで、あとは無音の中で道路を疾走する。

 まるでそのバイクの周囲だけ、現実から切り離されたかのような違和感に戸惑うまなたち。しかし、困惑する彼女たちのことなど脇目も振らず、漆黒のバイクは当たり前のように池袋の街中を走り去っていく。

 

「……な、なに、今のっ!!」

「なんか……凄っ!!」

「…………」

 

 黒バイクの姿が見えなくなり、一気に現実感を取り戻す一同。雅や綾、姫香は見たこともない異質な存在感に言葉を失っている。

 

「今の……も、もしかして、妖怪!!」

 

 そんな彼女たちの中、犬山まなは真っ先に我を取り戻し、その黒バイクが異形な存在――妖怪ではないかと疑問の声を上げる。

 すると、そんな彼女の発想に正臣と帝人が顔を見合わせ――快活に笑い声を上げる。

 

「はははっ! 妖怪か……その発想はなかったな!!」

「うん! まあ、多分間違ってはないと思うけど……」

「……ふふ」

 

 杏里ですら口元を緩め、まなの発想に笑みを溢す。

 

「わ、笑わないで下さいよ!」

 

 まなは自分の考えが笑われ、少し不満そうに拗ねた表情で頬を膨らませる。

 

「いや~ごめんごめん。……君たちも噂くらい聞いたことないかな? 『池袋の首無しライダー』って?」

 

 正臣はまなを笑ってしまったことを直ぐに謝り、先ほどの黒バイクに関する噂を耳にしたことがないか聞いてくる。すると彼の問い掛けに、雅が何かを思い出すようにスマホを弄り始める。

 

「あっ、わたし聞いたことあるかも! 池袋の噂の中にあったやつだ!!」

 

 彼女はまなたちと池袋に遊びに来る前、事前にこの街に関する情報をネットを介して調べていた。訪れるべき観光スポット、美味しいお店、治安状況など。池袋の街をより楽しむために必要な予習をこなしてきた。

 その中から、好奇心旺盛な思春期の彼女は、池袋に関する『噂話』についてもいくつか情報収集をしていた。

 

 カラーギャング、ダラーズ、謎のバーテンダー、切り裂き魔――。

 

 深く調べれば調べるほど、非現実的なワードの類が山のように浮かび上がる。所詮は只の噂話と、ある程度は流し読みしていた雅だったが――その噂話の中から、取り分け目立った都市伝説の存在を思い出す。

 

「池袋の首無しライダー……あった、これだ!!」

 

 その噂に関して書かれている掲示板を見つけ、雅はそれをまなたちに見せる。

 

 そこに、映像ではっきりと写し出されていた。

 

 大勢の群衆に囲まれる中、漆黒のライダースーツが黒服の男たちと大立ち回りを演じる姿が――。

 戦いの最中、男の一人に警棒でヘルメットを殴られ、黒バイクの素顔が露になる。

 

 映像に映し出されるライダーに――表情など存在しない。

 首から上が――綺麗に無くなっているにもかかわらず、それは動いていた。

 

「……首無し、ライダー……」

 

 その映像を脳裏に焼き付けながら、まなが呟く。

 その映像だけを見るのであれば、質の悪いトリック映像か何かだと思い込むことができるだろう。

 

 だが、実際に黒バイクを目撃し、その異質感を肌で感じ取ったものならば信じることができる。

 その映像が何の加工も施していない、トリックでも、ドッキリでもないことを――。

 

 

 あのライダーには、本当に首から上が存在していないのだということを、直感として思い知ることが――。

 

 

 

×

 

 

 

「――鬼太郎、親父さん!! あっ、猫姉さんも。ねぇ、聞いてよ! 今日、池袋に友達と遊びに行ったんだけどね!!」

 

 日暮れ時、池袋の街から調布に帰還したまな。彼女はそのまま家には帰らず、ゲゲゲの森にある鬼太郎の家――ゲゲゲハウスへと訪れていた。彼女が家の中に上がり込むと、鬼太郎と目玉親父、そしてまなが『猫姉さん』と慕う猫娘が寛いでいた。

 

「どうしたのよ、まな? そんなに慌てて……また何か事件にでも巻き込まれたの?」

 

 まなの興奮気味な様子に猫娘が呆れながらも、心配して声を掛ける。まなが猫娘を慕うように、猫娘もまなのことを友人、あるいは妹のように大事に思っている。

 妖怪と人間――種族の異なるもの同士であるにもかかわらず、二人の仲はかなり良好だ。

 

 そう、鬼太郎たちは妖怪。彼らが住まうこの場所は妖怪のみが踏み入れることを許された領域、ゲゲゲの森である。本来であれば、人間である犬山まながこんなにも気軽に立ち入れる場所ではない。

 だが去年の春から、まなは妖怪たちと関わりを持つようになり、鬼太郎たちと友達になった。その影響からか、彼女は人間の身でありながらも、ゲゲゲの森に入ることが許されるようになり、今ではちょくちょく鬼太郎の下に遊びにくるようになっていた。

 

「はぁ~……キミはいつも何かに巻き込まれてるんだね。それで? 今日はどんなトラブルを持ってきたんだい?」

 

 まなの尋常ならざる様子に、また事件かと鬼太郎が脱力気味に溜息を吐く。

 

 もともと、鬼太郎は人間と妖怪が過度に接触することを好ましく思ってはいない。手紙の依頼などで人間の手助けをするときでさえ、必要最低限な接触でことを終わらせるつもりでいる。

 しかし、今の鬼太郎にとって犬山まなという少女は必要以上に関わりを持っている、数少ない人間の友人だ。

 彼女の自ら厄介ごとに首を突っ込んでいくような、そのお節介な性格から巻き込まれる妖怪絡みの事件も数多い。今回もそんな感じで事件に巻き込まれるのかと、鬼太郎はやれやれと肩をすくめながら重い腰を上げる。

 

「もう! 人をトラブルメーカーみたいに言わないでよ! 別に事件ってほどのことじゃないんだから……」

 

 鬼太郎の決めつけたような言動に、まなはムッと口を尖らせる。

 確かに自分が鬼太郎たちに助けを求めることは多々あるが、まるで自分が騒ぎの元凶かのような言い方は心外である。まなとて、事件にならなければそれに越したことはない。

 そう思いながらも彼女は今日、池袋の街中で見かけた黒バイク――首無しライダーのことを鬼太郎たちに語って聞かせていく。

 

 

 

「ふむ、首無しライダーか……。似たような話なら。他の地方の噂も耳にしたことがあるがのう……」

 

 まなが目撃した池袋の首無しライダーの話を聞き終え、目玉親父が自身の意見を口にする。

 

『首無しライダー』という怪談事態、それほど珍しいものではない。それこそ『口裂け女』やら『人面犬』のように、割とありふれた都市伝説の一つとして長年人々の間で語り継がれてきた。

 もっとも、そういったものの大半がデマであり、実際に幽霊として人々に害を与えるわけでもない。少なくとも、鬼太郎たちが関わってきた事件の中に、首無しライダーが暗躍していたというものは一つもなかった。

 

「違うって! あの黒バイクはデマなんかじゃない。本物だよ!!」

 

 しかし、まなはムキになって反論する。あれはその辺に転がっている噂話の類ではない、本物の怪異――本物の首無しライダーであると。

 

「どう思いますか、父さん?」

 

 まなの熱弁に父親の意見を聞く鬼太郎。息子の問い掛けに少し考えてから目玉親父は答えた。

 

「うむ、普段からわしら妖怪と接しているまなちゃんがそこまで言うのだ。おそらく、その黒バイクとやらは本物の妖怪なのかもしれん」

 

 まなが鬼太郎たち妖怪と接するようになって、だいぶ長い時間が経過している。本物の妖怪の騒動に何度も巻き込まれてきたのだ。眼前の怪異が偽物か本物か。それを正確に見分ける感覚は、他の人間よりは確かなものだろう。

 

「でも、その黒バイク、結構昔から噂されてるみたいよ? ネットの書き込みからすると、それこそ20年くらい前から……」

 

 まなの話を聞きながら、猫娘はネット上に転がる池袋の首無しライダーに関して調べていた。

 どうやら、あの首無しライダーはかなり昔から池袋という土地に根付いているらしい。ネット社会の普及から噂が他所に広まり始めたのは、ここ10年くらい前のようだが、少なくとも池袋の住人にとっては馴染み深いものらしい。

 

「……特に重要な悪さをしてるって感じでもないわね。どうするの、鬼太郎?」

 

 軽く調べた限りでは、その首無しライダーによって何か被害を受けたという報告もない。

 黒服の男たちと揉めている映像で、何かしらの危害を加えているように見えるが、傍から見るとただの喧嘩のようにも見える。

 

「う~ん……特に酷い被害があるわけでもないなら、ほっといてもいいんじゃないかな?」

 

 猫娘からの情報に、一度は腰を上げた鬼太郎が再びその場にてぐうたらに座り込む。

 もともと、めんどくさがり屋な側面が強い鬼太郎は自発的に行動することの方が少ない。依頼以外で面倒ごとに関わろうとするほど、積極的な性格でもなかったりする。

 

「20年、そんな昔から……」

 

 一方のまな。彼女は猫娘の調べた話を聞き、興味深く思案に耽っている。20年――自分が生まれる前から池袋の街中を疾走している、首無しライダーという存在に何かしらの興味を抱いたであろうことが、その表情から察することができる。

 

「……一応、言っておくけど」

 

 そんなまなに釘を刺す意味を込め、鬼太郎は彼女へと一言物申す。

 

「自分から厄介ごとに首を突っ込むような真似は控えてくれよ。ただでさえ、キミは向こう見ずなところがあるんだから」

「わ、わかってるよ! わたしだって、ちゃんと考えて行動してるんだから、ふんだ!」

 

 鬼太郎の辛辣な小言に、まなはそっぽを向く。

 彼の言葉が自分を心配してくれての発言であることを、彼女も頭では理解している。

 しかし、まるで自分が考えなしであるかのような言い方には、流石にカチンと頭にきてしまう。

 

 自分だって、好き好んで事件に巻き込まれているわけではないのだと。

 鬼太郎の忠告を胸にしっかりと刻みつける

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが――翌週の休日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ごめんね、猫姉さん。付き合ってもらって……」

「――別にいいわよ。何となく、予想してたから」

 

 

 犬山まなは猫娘と共に池袋の街を訪れていた。

 あの都市伝説、池袋の首無しライダーにもう一度出会うために――。

 

 




登場人物紹介

 紀田正臣
  ナンパ少年、けど意外と漢気もある好青年。

 竜ヶ峰帝人
 『ザ・普通』って感じの子ですが……実は作中で一番危ないかもしれない人物。 

 園原杏里
  眼鏡巨乳。意見すると文学少女のようにも思える彼女ですが……。 

 サイモン
  露西亜寿司の店員。強面な外見とは裏腹に池袋の良心と呼べる人。けど恐ロシア。

 羽島幽平
  何でもできるイケメン俳優。話題のネタとして名前だけ登場。本名は平和島幽。
  次回登場するとある登場人物の弟。

 今作において、クロス先の登場人物はホントに顔見せ程度。本格的にクロスさせるのは『デュラララ!!』という作品の主人公『首無しライダー』くらいです。
 
 一応、今はぬら孫を優先させるつもりなので、こちらの更新はスローペースになると思います。
 鬼太郎……三月には終わるそうですが、それでも本作は細々と続けて行きたいと思います。今後とも、よろしくお願いします。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

デュラララ!! 其の②

前回登場したゲゲゲの鬼太郎側の登場人物。
 
 桃山雅
  まなの親友。原作52話『少女失踪! 木の子の森』の主役。
 石橋綾
  まなの友人。原作87話『貧乏神と座敷童子』の主役。
 姫香
  まなの友人だが、今のところ個別のエピソードなし。
  アニメが完結するようなら、こっちの方で何か主役エピソードを考えてみます。

 デュラララはやっぱり登場キャラが多すぎる。
 なるべくちょい役でも登場させたいがため、文字数がかなり多くなってしまう。
 おそらく、全四話くらいで完結できると思いますが、どうかお付き合いください。



 池袋という街には、いくつもの都市伝説が蔓延っている。

 

 ネットを介してその数を増やし続けるという、無色透明のカラーギャング『ダラーズ』。

 同時多発的に出現する、瞳を真っ赤に染めた辻斬り『切り裂き魔』。

 自販機を投げ飛ばし、ガードレールを素手で引っぺがす金髪バーテンダー『池袋最強』。

 そして——『池袋の首無しライダー』。

 

 中でもとりわけ、首無しライダーの伝説はかなり特殊なものだ。

 何しろその存在は20年以上前から確認されており、今尚、廃れることなく人々の間で語り継がれている。さりとて、池袋の住人たちは特別騒ぎ立てるまでもなく、見かけたら「おっ、久々に見たわ。今日はついてる!」と、まるで珍しい動物でも見かけた程度のテンションでその横を平然と通り過ぎていく。

 無論、本当に首が無いと知れば流石に反応も異なるものとなろうが、少なくとも普段から街中を駆ける首無しライダーはフルフェイスのヘルメットを被り、ただの無灯火無免許の黒バイクとして、時折交通課の白バイ隊員に追われている。

 

 都市伝説として名を馳せながらも、その存在を街の風景に溶け込ませている——それが池袋の『首無しライダー』という存在である。

 

 そんな都市伝説の存在をまじかで目撃した少女——犬山まな。

 彼女はゲゲゲの鬼太郎や猫娘といった妖怪たちを友人に持つ、『人間と妖怪の狭間』に立つ人間の一人である。

 

 彼女の目から見て、たまたま街中で見かけた黒バイク——首無しライダーの存在は本物に思えた。

 そして、まなは『とある理由』から、実際にその首無しライダーと会って話がしてみたいと思った。

 鬼太郎からは「厄介ごとに首を突っ込むな」と忠告されてはいたものの、一度抱いた感情をどうにも抑えきれず。

 

 翌週——彼女はもう一度、池袋の地に足を踏み入れることとなったのである。

 

 

 

×

 

 

 

「ほんとにごめんね、猫姉さん。わざわざ付き合わせちゃって……」

「大丈夫よ、ちょうど暇してたし。それくらい付き合ってあげるわ」

 

 休日の午前中。二人の女子が池袋の街中を歩いていく。

 一人は犬山まな、もう一人は妖怪・猫娘。妖怪といっても、猫娘の外見はほとんど人間といってもいい。そのモデルのようなスレンダーなスタイルと美しい容姿に振り返る人間こそ入れど、誰も彼女のことを妖怪などと思いもしないだろう。

 まなは首無しライダーに会うにあたり、流石に一人では心許ないと感じ、猫娘に一緒に来てもらえるよう助けを呼んでいた。

 鬼太郎に注意を受けた手前、彼には頼みにくく、それでいて猫姉さんなら頼りになると。

 気が付けばラインで彼女に助けを要請していた。

 

「けど、理由くらいは聞いておきたいわね」

「えっ?」

 

 ラインの返信で「やれやれ」といった感じのスタンプを返しながらも、猫娘は集合場所の『いけふくろう像』の前に来てくれた。

 そのことに何度も頭を下げるまなに気にするなと言いながらも、猫娘は彼女に問いかけていた。

 

「何で首無しライダーに会いたいなんて思ったのよ? 何か理由があるんでしょ?」

「そ、それは……」

 

 猫娘の問いに、まなはピタリとその場に立ち止まる。言いにくいと言うより、何と言葉にすべきか本人の中でも迷っているような感じである。

 猫娘は通行人の邪魔にならないよう、道の脇に寄り、建物の壁に背を預けながらまなの返事を待つ。

 

 猫娘とて、まなが単純な好奇心、野次馬根性で首無しライダーを冷やかしに来たのではないことは理解している。あれだけ鬼太郎に注意されたにもかかわらず、それで考えなしにトラブルの種に突っ込むような人間ではない。

 

 まななりに真剣に考え、その上で出した結論なのだろう。『首無しライダーに会いたい』と。

 猫娘はその理由を聞きたかった。彼女が何を思い、何を考えてそのように動いたのか。

 付き添いで来ているのだから、それくらい聞く権利はあるだろうと、猫娘はまなからの言葉を待つ。

 

「実は、ね……」 

 

 彼女の中で何かしらの回答が得られたのだろう。答えを口にしようとまなは息を吐く。

 

「——あれ? まなちゃん?」

「っ?」

 

 だが、彼女が何かを言い掛けたところで、それを遮るものが現れた。

 まなは自分の名前が呼ばれたことで、声がした方を振り返る。

 

「ああ、やっぱりまなちゃんじゃん! お久し!!」

「あっ……正臣さん」

 

 そこに立っていたの茶色に髪を染めた青年・紀田正臣だった。先週、まなたちが友人と池袋へ訪れた際、彼女たちに声を掛けてきた池袋の高校に通う学生だ。

 ナンパ行為や、そのチャラついた格好、言動とは反対にその面倒見の良さで彼はまなたちから好青年と顔を覚えられていた。正臣はまなを見かけるや、嬉しそうにテンションを上げてつらつらと軽口を流す。

 

「今日は雅ちゃんたちと一緒じゃないんだね? なになに? 彼女たちに内緒で俺に会いに来てくれたのかい! 俺も罪な男だ、いたいけな女子中学生を惚れさせちまうなんて……ふっ!」

「あっ、いや……違いますけど」

「って、違うんかいっ!!」

 

 そんな彼の言動に対し、特に不快な気持ちを抱くことなくまなはサラリと流していく。彼の幼馴染みである竜ヶ峰帝人曰く、正臣の言葉をいちいち真に受けても仕方がないとのこと。

 実際、自身の発言を軽く袖にされながらも、正臣は特に気を悪くした様子もなく、笑顔でツッコミを入れてくれる。

 

「はははっ……正臣さんこそ、今日は竜ヶ峰さんたちと一緒じゃないんですね。今日は……」

 

 まなは彼のオーバーリアクションに苦笑いを浮かべながら、正臣が先週の面子と一緒でないことに気づく。同級生である竜ヶ峰帝人や園原杏里の姿はなく、彼の隣には別の人たちが立っていた。

 

「——どしたの、紀田くん? 誰その子?」

「——知り合い? 友達っすか?」

 

 正臣が連れ立っていたのは男女の二人組だった。

 どちらとも身体が青白く、やや不健康そうな印象が感じられる。男の方は目が細くヒョロっとしており、女の方は黒い髪に黒い服を纏っている。どちらとも高校生には見えない。大学生……というよりも、どこかフリーターといった印象の二十代前半の若者たち。

 

「あー、この子は先週知り合ったばかりの子で、調布市から遊びに来てるんですよ」

 

 そんな男女二人組に、正臣は敬語でまなのことを軽く紹介する。すると——

 

「へぇ~調布から! すごいじゃん、『とある』で美琴っちが暗部組織のスタディと決戦を繰り広げた『味の素スタジアム』がある場所じゃない!?」

「いやいや、『フルメタ』の陳代高校のモデルになった『神代高等学校』でも有名っすよ。そんな場所に住めるなんて羨ましい限りっすね~」

「???」

 

 彼らの口から、まなでは全く理解できない単語が飛び出してくる。どう返答すべきか彼女が迷っていると、正臣は助け舟を出すようにまなにそっと耳打ちする。

 

「……呪文かなんかだと思って聞き流しておいて。自分が知ってることは他人も知ってて当然て考えるタイプの人たちだから」

「……? そ、そうなんですか……?」

 

 なんだかよくわからないが、迂闊に突っ込んではいけないような気がし、まなは言われた通り彼らの言動をスルーする。正臣はまなに、とりあえず二人の事を紹介し始めた。

 

「こっちの女の人が狩沢さんで、こっちの男の人が遊馬崎さん。そんで……」

 

 すると正臣の紹介はそこで終わらず、まなの視線を別の方向へと誘導する。どうやら他にも連れがいるらしく、すぐ側の駐車スペースに車を止めている男二人が、寛ぎながらまなたちの方に目を向けている。

 

「あっちのニット帽を被っている人が門田さん。隣の人が渡草さん」

「おう」

「うす」

 

 狩沢や遊馬崎よりは歳上といった感じの男たちが、それぞれまなに挨拶する。

 

「あっ、ええと……犬山まなです。初めまして……」

 

 まなは彼らの自己紹介を受け、自身も深々と頭を下げて名前を名乗る。

 

「——ところで……まなちゃん。そちらの美しいお嬢さんは、どこのどちら様かな?」

 

 一通りの自己紹介を済ませた正臣。やっぱりと言うべきか、彼は目ざとくまなの隣に立つ猫娘の存在に気がつき、恭しい態度とかっこつけた笑顔で彼女が何者か尋ねる。

 まなは「あっ、これ猫姉さんにもナンパする流れだ」と、正臣の次なる行動を予測しながらも礼儀として猫娘のことを皆に紹介する。

 

「こちら友達の猫姉さんです!」

「……初めまして、猫田よ。まなからは猫姉さんって呼ばれてるわ。まあ……よろしく」

 

 まなの紹介を受け、猫娘も自分から名前を名乗る。

 余談ではあるが、猫娘は妖怪名。彼女は人間として名を偽る際、偽名として『猫田』という苗字を使っている。まなが彼女を呼ぶときの「猫姉さん」という呼び名も、ニックネームとして周囲に認知させていた。

 猫娘は初対面の正臣たちに対し、一歩引いた態度で接する。まなとは違い、多少警戒心を抱いていた。

 

「おお! 猫姉さん! なんて素敵な呼び名なんだ!!」

 

 しかし、そんな猫娘の警戒を気にした様子もなく、正臣はそっと彼女へと歩み寄り恭しい仕草でその手を取る。

 

「猫姉さん、これから俺とまなちゃん、三人で池袋の街をデートしに行きませんか?」

「えっ、わたしも!? 猫姉さんとデ、デート……」

 

 他の友人たちのいる目の前で、正臣は躊躇なく猫娘を口説く。まなは自分も一緒に口説かれている事実よりも、『大好きな猫娘とのデート』に乙女心をドギマギさせる。だが——

 

「……生憎だけど、わたしアンタみたいなナンパ小僧に興味ないのよね」

 

 猫娘は正臣の手を振り払い、彼の誘いを素っ気なく断る。ナンパをされるのも断るのにも慣れているのか、一切の迷いがない、割とドライな対応である。

 もっとも、そんな冷たい態度にもへこたれないのが紀田正臣という男だ。

 

「ではどのような殿方がお好みなのでしょう!? あなたが望むなら、俺はどのようにでも自分を、いや!! 世界さえも変えてみせましょう!!」

 

 まったく堪えた様子もなく、自分に酔った言動を恥ずかしげもなく紡いでいく。

 

「め、めげないわね、こいつ……」

 

 流石にその返しは予想していなかったのか、猫娘は気圧されたように半歩後退る。そんな猫娘の気を惹こうと、正臣はさらに何かしらの口説き文句を口にしようとする。

 

「その辺にしとけ、紀田」

  

 だが、正臣がさらなる軽口で場を混沌と乱そうとするのを防ぐかのように、ニット帽を被った男——門田京平(かどたきょうへい)がため息を吐きながらこちらに歩み寄ってきた。

 

「嬢ちゃんたちがマジで戸惑ってんぞ。口説くんなら、またの機会にしとけ」

「……そうっすね。じゃ、また今度ということで!」

 

 門田が注意すると正臣はあっさりと引き下がる。

 

「狩沢、遊馬崎、お前らもだ。頼むから初対面の相手に二次元の話から入るのはやめてくれ。会話にならねぇぞ」

「ええ~!?」

「ちぇっ、わかったすよ」

 

 彼は狩沢や遊馬崎たちにも会話のチョイスに関して軽く注意を入れる。不満げな声を洩らしつつも、彼らも門田の言葉に大人しく従う。

 どうやら、この門田という男が彼らの中で一番の年長者のようだ。彼と接する際の正臣たちには親しみの中に、一定の敬意が感じられた。

 

「ええと、犬山と猫田でいいのか?」

「は、はい!」

 

 門田はまなたちにも遠慮なく声を掛けてくる。堂々とした門田の風格に、やや緊張した面持ちでまなが返事をする。

 

「ふっ、そう固くなんな。池袋観光に来たんなら、渡草に車まわさせっけど、どうするよ?」

 

 緊張するまなに笑みを向けながら、門田はそのような提案をしてきた。

 正臣のようなナンパではなく、「ついでだから乗って行け」といった感じで、車の運転手である渡草の方に目を向ける。

 渡草も門田の意図を察したのか。何一つ文句を言わず、車を出すよう準備を進める。

 

「えっ? い、いや! 悪いですよ、そんなの!?」

 

 まなは門田とは初対面ということもあり、彼の誘いに遠慮するように首を振る。

 

「そうか? まあ、確かに余計なお節介だったかもしれん。なんか悪いな……」

 

 まなが断わると、門田は気を悪くした様子もなくあっさりと引き下がる。それどころか、変に気を回した自分の迂闊さに軽く謝罪を口にするほどの気の使いよう。基本的にいい人なのだろう。

 

「い、いえそんな! すごく有難い申し出です。けど……」

 

 まなもまなで、相手に謝らせてしまったという気持ちから、どうにか言葉を振り絞り、車を出してもらうまでもない理由をそれとなく口にする。

 

「別に行きたいところがあるわけじゃないんです。……ただ、ちょっと、会いたい人がいるといいますか、その……」

「……なんだそりゃ?」

 

 まなが言い淀む姿に門田が苦笑する。

 まなは彼らにも、自分が池袋に来た理由を話すべきかどうか暫し考え込んだ。

 彼らが池袋の住人であるのなら、首無しライダーに関しての話が聞けるかもしれない。そういった期待もあり、彼女は意を決し、自身の目的について門田たちに伝える。

 

「…………」

「…………」

 

 笑われるかもと思ったまなだったが、意外にも真剣な表情で門田や正臣は彼女の話に耳を傾けてくれる。

 若干空気が張り詰めるように緊張感が漂うも、その空気を緩和するよう、狩沢と遊馬崎の二人が和気あいあいとその話題に首を突っ込ませる。

 

「へぇ~、首無しライダーに会いに来たんだ! まなちゃん、ひょっとしてアレかな? オカルトマニアかなんか?」

「いやいや、なかなかいい目のつけどころしてるっすよ。結構そっち側の素質あるかもっすよ、犬山さん!」

「そ、そうですか?」

 

 いったい何を褒められているのかは分からないが、不思議と嬉しい気持ちに照れ臭そうな笑みを浮かべるまな。

 だが年長者の門田はニコリともせず、まなに説教くさい口調で語り掛けてくる。

 

「首無しライダーに会ってどうしようってんだ? ……言っとくが、『アレ』は本物だぜ。好奇心や冷やかし気分に半端な覚悟で触れようもんなら、人生観変わっちまうぞ?」

 

 その言い様から、門田もあの首無しライダーを本物と確信しているのだろう。もしかしたら、彼はあのヘルメットの『素顔』を見たことがあるのかもしれない。厳しい口調でまなの軽はずみな行動を戒める。

 

「い、いえ違うんです!! 冷やかしとか、遊び気分とか……そんな軽い気持ちじゃなくて——」

 

 カナは門田の忠告に思わず声を大きくして反論する。猫娘に聞かれた『首無しライダーに会いたい理由』を彼らにも話し、自分が決して軽い気持ちではないことを分かってもらおうと、口を開きかける。

 だが、そんなまなの言い分に被せるかのように——

 

「——ずいぶんと面白い話をしているじゃないか」

「……?」

 

 爽やかな男の声が響いてきた。

 まなが声のした方を振り返ると——そこには整った顔立ちの男が静かに佇んでいる。

 

「首無しライダーがどうしたって? 俺も話に混ぜてくれると嬉しいな」

「……どなたですか?」

 

 いきなり話に割り込んできたその男に対し、まなはほとんど反射的に問いかける。

 すると男は何が嬉しいのか、満面の笑みを浮かべながら、自身の名前を堂々と名乗った。

 

 

「初めまして、俺は折原臨也(おりはらいざや)。よろしく」

 

 

 

×

 

 

 

「臨也……」

「い、イザヤ、さん……」

 

 折原臨也と名乗った男の登場に、池袋の住人である面々がそれぞれ複雑な顔色を浮かべる。

 門田はいかにもめんどくさそうにこめかみを抑え、あれほど軽口を叩いていた正臣が緊張した面持ちで表情を引き攣らせている。

 

「あれ、イザイザじゃん」

「どもっす」

「…………」

 

 狩沢と遊馬崎には特に変化は見受けられないが、若干、臨也という男と距離感を取っているように思える。渡草にいたっては極力目を合わせまいと、視線をよそに向けていた。

 

「……皆さんのお知り合いですか?」

 

 友達とも、ただの顔見知りとも呼べぬような微妙な反応に、まなは不思議そうに尋ねる。

 

「ああ……気にすんな。ただの通行人だと思ってくれ」

 

 門田は彼女の質問に曖昧に暈す。臨也という男のことを紹介するつもりもないのか、まなに彼の存在を無視するよう言い聞かせる。

 すると、臨也は肩を竦め、わざとらしく大きな声で不満を漏らす。

 

「酷いな、ドタチン。人を風景みたいに紹介しないでよ……心が傷ついてトラウマになっちゃうじゃないか」

「ドタチン言うなや」

 

 ドタチン、というのは門田のニックネームなのだろう。その呼び名に嫌そうな顔をしながら、門田は臨也に向き直る。

 

「わざわざ池袋まで何のようだ? 静雄のやつに見つかっても知らねぇぞ?」

「大丈夫だって! 西口の方にはシズちゃんも滅多に来ないから!」

 

 まなの知らない人物の名前を口にしながら門田と臨也は言葉を交わしている。そのまま、既知の者同士の会話に入るかと思い、まなは大人しく口を閉じる。

 しかし——折原臨也と名乗った男はまなに鋭い眼光を向け、口元を吊り上げた。

 

「——!?」

 

 瞬間——まなの背筋に悪寒が走る。

 彼の視線が、まるでまなの存在、その人間性、価値観などといった全てを値踏みするかのように、まなの足先から頭の天辺までを舐め回すかのように見つめる。

 その視線にいやらしいものは感じられなかったが、何故かまなは鳥肌が立ち、顔色が蒼白になる。

 

「ちょっと、大丈夫まな!?」

 

 顔色を変えるまなを心配し、猫娘が彼女の肩に手を置く。猫娘は男の視線に何も感じていない——というより、臨也はまるで、猫娘の存在を無視するかのように彼女の方には目もくれない。

 臨也の興味の対象は完全に、まなという人間にのみ向けられている。

 

「あっ、臨也さん! ち、違うんすよ! この子はただの通りすがりで……」

 

 その視線に正臣は気がついたのか、まなを庇うかのように一歩前に出る。まなのことをただの通行人と称し、必死に臨也の興味から逸らそうとする。

 だがその努力も虚しく、臨也はまなに声を掛ける。

 

「君——犬山まな……だよね?」

「…………えっ? ど、どうして、わたしの名前を……!?」

 

 初対面の相手に名前を言い当てられ、まなは困惑する。どこかで会ったことがあるのだろうかと、慌てて自身の記憶を掘り起こす。

 すると、臨也は呆れたようにククっと笑い声を漏らした。

 

「おいおい、無用心だな。君はもう少し……自分の顔と名前が世間に知られていることを自覚した方がいいよ」

「えっ!?」

 

 臨也の言葉にますます混乱するまな。

 そんな彼女に向かって、臨也は手持ちのスマホで何かを操作しながら言葉を紡ぐ。

 

「でも世間て冷たいよね。あれだけ大騒ぎしてたってのに、すぐに君のことを忘れてしまうんだから……ほら」

 

 世相に対する愚痴を溢しながら、自身のスマートフォンの画面をまなに見せつける。

 

 

 画面上には編集された一本の動画が表示されていた。

 そこにはまなと猫娘、そして血だらけで倒れ伏すもう一人の女性の姿が映し出されている。

 

 まなが——右手から黄金の光を放ち、猫娘の胴体を貫いている動画がリプレイで再生されていた。

 

 

「——っ!!」

「——なっ、何よ……これ……」

 

 まなは息を呑み、その動画を初めて目の当たりにするのか猫娘が驚きの声を上げる。

 驚愕する二人に臨也はさらに笑みを深め、平然と言ってのける。

 

「そう、犬山まな。君が——そこの化け物を退治する様を映した動画だよ。綺麗に撮れてるよね、アハハ!」

 

 その動画は捏造などではない。数ヶ月前——本当にあった出来事を監視カメラが捉えた映像だ。

 

 

 かつて——『名無し』と呼ばれた闇があった。

 かの者は全てを憎み、全てを虚無に引きずり込む為、数百年に渡り人の世を暗躍していた。

 かの者は計画の一環として『人間と妖怪の対立を起こす』ことを目的にこの動画を拡散し、世論を煽動しようとした。

 

 犬山まなという人間の少女が、化け物である猫娘を魂ごと消滅させる動画だ。

 

 この動画に人間は「自分たちにも妖怪を倒すことができる」と戦意を高揚させ、逆に妖怪たちは「人間にも自分たちを殺す術を持つ者がいる」と、危機感を募らせたのである。

 それにより、人間と妖怪は対立しかけ、危うく全面戦争に発展しかけるところだった。

  

 結果を言えば、人間と妖怪の激突は起こらず、どうにか最悪な事態を避けることができた。

 しかし、その為に利用された動画は事件の後も多くの人々が視聴し、犬山まなという少女の存在を広く世間に認知させることとなったのである。

 

 

「あれから数ヶ月経って『この動画は捏造である』てことで事態は沈静下したよ。九十九屋とか事情の知るハッカーたちも、こぞってこの動画を消してまわったみたいで、拡散したやつも含めてネット上にもうほとんど残っちゃいない……まったく、あいつも余計なことするよ」

 

 動画を見せられて戸惑うまなたちにも構わず、臨也はペラペラと一人でお喋りを続けていく。

 事件の直後、マスコミなどがその動画の真偽を確かめようとまなをつけ回し、アレコレと質問攻めにしてきた時期があった。猫娘の件もあり、まなは酷いノイローゼになりかけたのだが——どうやら彼女が知らないところでこの問題を解決させたものがいるらしい。

 それにより、まなもその動画の存在を忘れ、ただの女子中学生としての日常を取り戻すことができた。

 

「……っ!」

 

 だが——まな自身の犯した罪が消えてなくなるわけではない。

 猫娘を魂ごと消滅させてしまったという罪悪感。その動画はまなのトラウマを否が応でも思い出させる。

 

「俺もたまたまこの動画を見つけて君に興味を持った口でね。情報屋として色々調べさせてもらったんだ。……といっても、流石に調布まで会いに行き気にはならなかったけど。でも、まさか池袋に来てくれるとは、いや~俺も運が良いね!」

 

 押し黙るまなたちを無視し、さらに臨也は一方的に捲し立てる。有名人に会えたみたいなテンションで笑顔を浮かべる臨也だったが——不意に『それまでとは全く別種の笑顔』をまなに向けながら彼は問い掛ける。

 

「それでだ。この動画を踏まえた上で……君に聞きたいことがあるんだけど」

「な、なんで、すか……」

 

 まなは臨也の『笑顔』を前に、息が詰まる気持ちで辛うじて口を開く。

 笑顔というものに様々な種類があることはまなも知っていた。だが、目の前の男が浮かべている笑顔は、まなが今までに見たこともない笑顔だった。笑顔を一つで、ここまで人の不安を掻き立てることができるのかと、そのような疑問を抱くほど。

 彼は本当に人間なのか? そんな疑問すら浮かぶような笑顔を崩さぬまま、臨也は平然と口にする。

 

 その質問が、さらに犬山まなという少女の傷口を抉ることを知りながら——。

 

 

「——大切な人を殺してしまったとき、君はどんな気分だった?」

「————————えっ?」

 

 

 衝撃的すぎる問い掛けに、咄嗟に返事が出来ずに硬直するまな。

 

「ちょっ、と! アンタ!?」

「……?」

 

 猫娘は無遠慮なその質問に激怒し、他の面々は臨也が何を言っているのか、いまいち把握しきれず疑問符を浮かべる。 

 しかし、周囲の反応の全てを放置し、臨也は一方的に——いっそ暴力的に吐き捨てる。

 

「大切な人を誤って殺してしまったら……そりゃあ悲しいよね。それは理解できるよ、人間として。けど……君が殺したその化け物は、今も君の横を一緒に歩いてる。どういった手段で蘇ったのかは知らないけど、そんな相手と一緒に歩くってどんな気分だい? 単純に戻ってきて、嬉しいって思うのか? それとも、本当は罪悪感に苛まれてるのを必死に隠して笑顔を浮かべてるのか? あるいは……自分の犯した罪ごと、そんな事実はなかったと記憶から忘却しているのかな?」

「や、やめて……ください……」

 

 臨也の口から吐き出される言葉の数々にまなは声を震わす。しかし、怯えるまなに構わず、彼は一切の淀みなく言葉を吐き出し続ける。

 

「聞かせて欲しいな。こういったケースは稀だから、是非とも参考にさせてもらいたいんだ。どんな答えであれ——俺は君の意思を尊重し、その全てを受け入れるよ」

「い、いや………」

 

 最後の言葉だけを聞けば慈愛がこもっているように思えるが、まなは安心感など微塵も抱けない。臨也によって過去のトラウマを掘り返えされた罪悪感に怯え、そして臨也という人間そのものに彼女は恐怖を抱く。

 その瞳から涙さえ滲み出すまな。そんな彼女を前に——

 

「——いい加減にしなさいよね!!」

「猫……姉さん」

 

 友人である猫娘が当然のように怒りを露わにする。彼女は臨也の胸倉を掴み、強制的に彼を黙らせた。

 

 

 

 

 

「ああ……なんだ、いたの」

 

 臨也は白けたような視線を猫娘に向ける。胸ぐらを掴まれている中、彼の表情に笑顔はない。その代わり恐怖や怯えといった感情も見られない。臨也は明確な侮蔑、嫌悪の感情を瞳に写し、猫娘を見下している。

 

「君……猫娘だっけ? ゲゲゲの鬼太郎の仲間の」

「!!」

 

 臨也の言葉に猫娘が驚く。先ほどから彼女を『化け物』と呼んでいることから、猫娘が妖怪であることも把握しているのだろう。

 

「君たちの噂は俺がガキの頃から、まことしやかに囁かれてたよ。それこそ『都市伝説』のようにね」

 

 淡々と知っている情報を語る臨也。だが、次の瞬間——彼は挑発的な笑みを浮かべ、敵意満々に猫娘に吐き捨てる。

 

「けど……最近の君たちは、ちょっと人間の世界に関わり過ぎじゃないかな? 妖怪なら妖怪らしく、ゲゲゲの森ってとこに大人しく引っ込んでてよ。人間の問題にいちいち首なんか突っ込んでないでさ」

「そんなの……アンタに関係ないじゃない」

 

 確かに、昔に比べて鬼太郎も猫娘もここ最近は人間社会の問題、妖怪絡み限定とはいえよく首を突っ込むようになった。これも人間の友人である、まなの影響かもしれない。

 しかし、少なくともお前には関係ないだろと、猫娘は臨也に強気に言い返す。

 

「とんでもない! 関係大ありさ!」

 

 すると、臨也は心外だとばかりに声を張り上げ、猫娘に向かって己の主張を声高に叫ぶ。

 

「——俺は人間が好きだ。一部の例外を除いて、この世の全ての人間を愛してる」

「……はっ? あ、愛? 全ての人間?」

 

 その主張は常人には理解し難く、妖怪である猫娘も困惑させる。だが臨也は気にもとめない。

 

「そう愛だよ。どんなに愚かな選択を取ろうと、どんなに醜い欲望であろうと、俺はその人間の全てを受け入れて愛することができる。当然、人間が作り出したこの醜くも愚かで愛おしい、人間社会そのものも愛してる。けど……俺が愛することができるのは人間だけだ。君たちのような化け物を愛せるほど、物好きでも、酔狂でもない」

 

 臨也の言葉は眼前の猫娘一人にではなく、全ての妖怪、人ならざる化け物たちに明確な敵意、悪意を持って紡がれていた。そして——

 

「だからさ——あんまり人間の世界にしゃしゃり出てくるんじゃないよ、化け物風情が」

「——っ!!」

 

 臨也の台詞に、ついに猫娘は自分を抑えることができなくなってしまう。彼の言葉に苛立ったのも事実だが、それ以上にこの男の存在そのものに危機感を抱く。

 彼女は公衆の面前で化け猫の表情となり、自らの爪を威嚇するように伸ばして臨也の首筋に突きつけてしまう。

 

「うおっ、な、なんだっ!?」

「つ、爪っ!? あの人、襲われてるの!?」

 

 その光景は傍から見ると『無防備な一般人を襲う爪を伸ばした化け物』という解釈にしかとれない。事情の知らぬ通行人が悲鳴を上げ、猫娘から逃げるように離れていく。

 

「すごっ! カッコいい!! アイアンクロー……いや、ベアクローだっけ!?」

「違うっすよ、狩沢さん! ウルヴァリンすよ、ウルヴァリン!!」

 

 約二名ほど、何故か無邪気に喜んでいる輩もいるが。

 

「ふ~ん」

 

 しかし当の本人、爪を突きつけられている臨也はケロリとしており、彼はしてやったりという笑みを浮かべながら猫娘に言い放つ。

 

「そうやって勢いのまま激昂して、君は犬山まなの母親——純子さんを傷つけたってわけだ」

「!!」

 

 その指摘に、今度は猫娘がショックを受ける番だった。

 

 

 先ほどの動画に映し出されていた血だらけで倒れる女性。彼女は犬山まなの母親・犬山純子である。

 彼女は名無しの策略に利用され、その身を妖怪化されて猫娘を襲うように洗脳されてしまった。

 そうとは知らず、襲い掛かる敵として純子を返り討ちにしてしまった猫娘。我に返ったときには手遅れ、そこには血だらけで倒れる犬山純子の姿があった。 

 幸い、彼女はなんとか一命を取り留めたものの、一度は危ないところまでいったという。猫娘はそのときのことを悔やんでおり、その苦い記憶が臨也の指摘によって思い起こされる。

 

 

「まったく、ほんとに短絡的で暴力的だよ。そうやって何でもかんでも、力で解決しようとしたがるんだから、君たち化け物は」

「くっ……」

 

 そういった後ろめたさもあり、猫娘は臨也の言葉に反論することができなかった。

 爪を突きつけてイニシアチブを取っているのは猫娘の筈なのに、何故か彼女の方が気圧されびっしりと額から汗を流す。一方の臨也は平然と涼し気な笑みを浮かべる。

 そうやって、互いに膠着状態のまま暫し睨み合うこと数秒――。

 

 

 

 

 

「そこまでにしとけ、お前ら……」

 

 その膠着状態を終わらせるべく、それまで沈黙を貫いていた門田が二人の間に割って入る。

 門田は横合いから猫娘の手を掴んで爪を降ろさせる。さりとて、臨也の味方をするわけでもなく、彼に向かってやれやれと溜息を吐く。

 

「臨也よ、俺には事情がサッパリ呑み込めねぇ。だが、いい歳した大人が女子供を言葉責めにしてる姿なんざ、見ていてあんまり気持ちのいいもんじゃねぇぞ?」

 

 明らかに人間離れしていた猫娘のことも含め、女子供相手に大人げないと臨也に説教する門田。彼の言い分に臨也は気を悪くした様子もなく、寧ろ嬉しそうに笑う。

 

「いいね、ドタチン。そういう漢気のあるとこ。人によっては古臭いと感じるかもしれないけど、俺は大好きだよ」

「お前は人間なら誰でもいいんだろが……」

 

 まったく反省した様子のない臨也に、門田はさらに言葉を重ねる。

 

「お前な……そうやって、誰これ構わずちょっかいかけてっと、いつか痛い目に————」

 

 諦めの嘆息を交えながらの、門田から臨也への忠告。しかし、その忠告が最後まで口に出されることはなく。

 

 

 臨也の身体は——どこからか飛んできたコンビニエンスストアのゴミ箱に直撃し、吹っ飛ばされる。

 

 

「がっ!?」

 

 余裕綽々だった臨也の口から苦悶の声が上がり、彼はその場に倒れ伏した。

 

「……言わんこっちゃない」

 

 門田は倒れた臨也を助け起こそうとはしなかった。所詮は自業自得と気遣いの声も掛けることなく、彼はゴミ箱の飛んできた方角へと目を向ける。

 

「いーざーやーくん」

「……静雄」

 

 やっぱりというべきか、そこには門田のよく知る人物が立っていた。

 金髪にバーテン服にサングラスという、特徴的な服装が目立つ長身の男。男は顔に血管を浮かべており、目の奥に怒りを滾らせながら、倒れた臨也を睨みつける

 彼の登場に正臣も狩沢も遊馬埼も渡草も「あちゃ~」という顔になり、ささっと、さりげなく臨也から距離を置く。

 

「……よお、門田。ちょっと下がってろ」

 

 静雄と呼ばれた男は門田の存在に気づいたのか。視線を臨也から逸らすことなく、門田に言葉だけで注意を促した。

 

 

「——今から、そこのノミ蟲をプチッとぶち殺すからよ」

 

 

 

×

 

 

 

「……えっ、ご、ゴミ箱? な、なんで……ゴミ箱?」

「なんなのよ、次から次へと!」 

 

 まなと猫娘の二人は状況の変化について行けず、揃って戸惑いを口にする。

 彼女たち二人は折原臨也という男の発言に、心の中の傷口を抉られ落ち込んでいた。だが、そんな傷心を吹き飛ばすかのような勢いで、コンビニエンスストアのゴミ箱が飛来し、調子こいていた臨也の身体をぶっ飛ばす。

 倒れ伏す臨也はよろめきながらも立ち上がり、突如現れた『金髪のバーテンダー』に対し、苦々しい表情を浮かべる。

 

「シズちゃん……」

「……その呼び方止めろって言ってんだろ? 俺には平和島静雄って名前があんだよ」

 

 シズちゃんと呼ばれた男・平和島静雄(へいわじましずお)。彼は怒りに染まった眼球で臨也を睨みつける。一瞬たりともその視線を臨也から逸らすことなく、彼は近くにあった道路標識を無造作に掴み取り——そのまま『それ』を根元から引っこ抜いた。

 

 

 

「————えっ?」

「————はっ?」

 

 

 

 まなと猫娘の声が見事にハモる。平和島静雄という男の取った常識外れの行動に。彼が片手で、まったく力を入れた様子もない動作で、まるで地面に突き刺しておいたシャベルを引っこ抜くかのように。

 

 地面にがっちりと埋められていた——道路標識を担ぎ上げたのだ。

 

 静雄はそのまま、それを棒切れのように片手で扱いながら臨也と対峙する。

 向かい合う臨也、彼はやれやれと呆れた様子で肩を竦める。

 

「勘弁してよ、シズちゃん? 君が片手で担いでるそれ、何キロあると思ってんの?」

「……」

「さっきのゴミ箱だってそうだよ。中がぎっちり詰まってて、すごく痛かったんだよ?」

「……」

「そんなもん平然とポンポン投げて、後片付けする店員さんたちの気持ちも考えてあげなよ」

「……」

 

 臨也がペラペラと喋る一方、静雄は何も語らない。

 静雄はさらにその全身から怒気を滾らせ、呪い殺すかのような眼力を臨也へと向ける。

 

「まったく……お互い大人なんだから。もっと常識の範囲内で行動しようよ……ね?」

 

 トドメとばかりに臨也の口から吐き捨てられる言葉。最後の台詞に対し、静雄は明確な返事を口にしていた。

 

 

「常識的に言えばよぉー。これで殴りゃ手前は死ぬよな? だから……」

 

 

 手にした道路標識を躊躇なく振り上げながら――。

 

 

 

「大人しく死ねや……イザヤァアアアア!!」

 

 

 




登場人物紹介

 門田京平
  通称『ワゴン組』のリーダー格。
  面倒見がよく、サイモンに並ぶ池袋の良心的な人。
  ただ、辻斬りを車で撥ねさせたりと、やるときはわりと過激。

 狩沢絵理華
  オタクその1。
  百合もBLもどっちもイケるという上級者。趣味コスプレ。可愛い。

 遊馬埼ウォーカー
  オタクその2。
  三次元を捨て、二次元に生きる男。炎を使い。

 渡草三郎
  運転手の人。 
  おそらくですが、リアルで怒らされた一番ヤバい人です。 
  煽り運転なんてして、この人の車に傷つけた日にはもう……  

 折原臨也
  妖怪よりも質の悪い人間その1。
  人間を愛し、化物を嫌っている。
  コイツの性格の悪さはとある敵キャラを描く上で色々と参考にさせてもらっています。

 平和島静雄
  妖怪よりも質の悪い人間その2。
  下手な化け物なら余裕で殴り殺せる『池袋最強』の男。
  普段は優しい話しやすい人なのですが、一度キレると、もう手がつけられない。

 九十九屋真一
  アニメでは未登場。というより、原作にもほとんど名前しか出てこない。
  凄腕のハッカーということ以外、ほとんど何も判明していない謎の人。
  

      次回こそ、次回こそは主役の『彼女』を本格的に登場させたい!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

デュラララ!! 其の③

前回の補足説明
 前回の話の中で、猫娘に人間の偽名として『猫田』と名乗らせましたが、これは作者のオリジナルではありません。
 ゲゲゲの鬼太郎の小説『青の刻』のお話の中で猫娘が名乗った偽名をそのまま使わせてもらっています。
 今後も本シリーズで猫娘が偽名を名乗る際は『猫田』で統一していきたいと思いますので、どうかよろしくお願いします。
 


「はぁ、はぁ……大丈夫、まな?」

「は、はい。大丈夫です……猫姉さん」

 

 池袋の路地裏へと、猫娘とまなの二人が息を切らし駆け込んでくる。相当慌てていたのだろう、無我夢中で走って来たため、ここが池袋のどの辺りになるかも分からない。

 周辺にも誰もおらず、道もかなり入り組んだ構造になっていた。

 勿論、スマホで位置情報を調べればすぐに分かることだが、今の二人にそんなことを調べている心の余裕すらない。

 

「な、なんだったのよ……あいつら」

 

 猫娘は何とか呼吸を整え、今しがた遭遇した人間たちのこと思い返していた。

 

 

 

 

 池袋という街で、猫娘とまなは様々な人々と出会う。高校生の紀田正臣にナンパされ、狩沢と遊馬崎の男女二人組からよく分からない言葉を聞かされたり。

 そんな中——彼女たちは折原臨也という男と遭遇し、過去のトラウマを抉られ、心を深く傷つけられた。

 それぞれが抱える過去の罪。それを思い起こされ、猫娘とまなは臨也からいいように罵られる。

 

 だが——そこに割り込んできた平和島静雄という男の登場により、事態はとんでもない方向に転がっていく。

 

 金髪のバーテンダーという特徴的な見た目のその男は——なんと道路標識を片手で担ぎ上げ、それを臨也相手に躊躇なく振り下ろしたのだ。

 普通の人間ではあり得ぬ怪力、そんなもので殴られれば人間の肉体などただでは済まない。

 

 しかし——臨也という男もまた只者ではなかった。

 

 彼はギリギリながらも静雄の攻撃を躱し、懐に忍ばせていた投げナイフで反撃したのである。鋭く投擲されたナイフは静雄の衣服や皮膚を切り裂き、彼の身体から血を流させる。

 もっとも、その程度で静雄は怯まない。さらに怒り狂うように彼は周辺のバイクや看板、果ては自動販売機やガードレールをひっぺがし、それを手当たり次第に臨也に向かって投げまくる。

 飛来するそれらを器用に避ける臨也。驚くべき身のこなしではあるが、それによる周囲の被害は甚大。臨也が逃げれば逃げるほど、物は壊され、人々が巻き込まれまいと必死に逃げ惑う。

 

「おい、お前ら!! ボケっとしてないでとっとと逃げろ!!」

 

 その光景に唖然としていた猫娘たちに、門田京平が叫ぶ。

 静雄と知り合いであるという彼にも、臨也と静雄の『殺し合い』を止めることはできないらしい。既に仲間たち共に立ち去る準備を済ませており、離れた場所に立っていた猫娘たちにも逃げるように言う。

 

「まな! 逃げるわよ!!」

「は、はい!!」

 

 門田の警告に我を取り戻した猫娘。彼女はまなの手を引き、急ぎその場を離れたのであった。

 

 

 

 

「まあ、ここまで来ればもう大丈夫でしょう……まな、立てる?」

「は、はい。なんとか……」

 

 あの喧騒から逃れ、彼女たちは何とか安全な場所まで逃れてきた。呼吸を整え、立ち直った猫娘は疲労で蹲るまなを助け起こそうと手を差し伸べる。

 まなも右手を差し出し、猫娘の手を掴もうとし——その瞬間、まなの脳裏にあの動画が思い起こされる。

 

 臨也から見せつけられた——右手から光を放ち、猫娘の胴体を貫く自分自身の映像。

 

「——っ!」

 

 猫娘を魂ごと消し去ってしまった罪の記憶が蘇り、まなの顔面が蒼白になる。

 

「……猫姉さん、わたし……」

「まなが気にすることじゃないわ」

 

 まなの表情から彼女が何を気にしているのか察し、猫娘がキッパリと断言する。

 

「あんな男の言うこと真に受けないで。わたしはこうしてちゃんと戻ってきたんだから……今はそれでいいじゃない」

 

 そう、確かにまなの手によって猫娘は肉体はおろか、魂すらも吹き飛ばされ消滅した。

 

 それもまた『名無し』の計略によるもの。まなの血筋を利用し、名無しは彼女に『五行』の力を植えつけた。あの映像はその力が暴発してしまったが故の悲劇である。まなに落ち度はないと猫娘は彼女を責めない。

 何より、猫娘は帰ってこれた。地上から消滅して地獄へと送られた彼女の魂を、鬼太郎が閻魔大王に頼んで元に戻してもらったのだ。

 その影響で一時期、猫娘は幼い子供の姿まで戻ったりしていたが——結果的に全て元通り、二人の顔に再び笑顔が戻ったのだ。

 

「寧ろ……謝るのはわたしの方よ。まなのお母さんを……わたしは傷つけてしまった」

 

 今度は猫娘がまなに頭を下げる。知らぬこととはいえ、猫娘はまなの母親・純子を傷つけた。彼女もその事実をずっと心の中で引きずっていたと言うのに、臨也という男に指摘され今更のように後悔を口にする。

 

「い、いえ!! 猫姉さんは悪くないです! お母さんだって、話せばちゃんとわかってくれます!!」

 

 猫娘の謝罪に今度はまなが必死に叫ぶ。猫娘は悪くないと、母親も事情を話せばきっと分かってくれるだろうと彼女を慰める。

 

「…………」

「…………」

 

 互いで互いに相手を庇い、自分で自分を責めるという状況に、二人の間から会話が途絶える。

 気まずい沈黙、どうにかこの重苦しい空気を払おうと、会話の糸口を探る両者であったが——

 

 

 二人が何かを言い出すその前に——馬の嘶きが彼女たちの耳に入ってくる。

 

 

「! ね、猫姉さん、今の!?」

「ま、まさか!!」

 

 まなは聞き覚えのあるその鳴き声に、猫娘に呼びかける。猫娘もその嘶きの異質さを感じたのか、音の聞こえてきた方角——上空へと目を向ける。

 

 

 彼女たちが見上げた先には——フルフェイスの黒バイク。俗に『首無しライダー』と呼ばれる都市伝説がいた。

 

 

 首無しライダーは何処から跳躍してきたのか、ビルの上から姿を現し、路地裏——つまり猫娘とまなのいる場所へと舞い降りて来たのだ。

 

「————!?」

 

 おそらく偶然だったのだろう。その場に人がいるとは思っておらず、着地した首無しライダーからは驚くような気配が伝わってくる。

 

「…………」

「…………」

 

 もっとも、驚いたのはまなたちも同じだ。彼女たちも咄嗟に言葉が出てこず、硬直したまま暫し首無しライダーと視線を交わし合う。

 

「————!!」

 

 やがて、何かを思い出したように首無しライダーは慌てて踵を返す。まなたちに背を向け、バイクがエンジン音と、獣の唸り声を鳴らしながらその場を立ち去ろうとした。

 

「——ま、待って!! 待ってください!!」

 

 だがそのとき——背中を向ける首無しライダーを呼び止める声が路地裏に響き渡る。

 

「わたし……わたしたち、貴方に会いに来たんです!! 首無しライダーさん!!」

 

 犬山まなである。

 もともと、彼女たちが池袋に来たのも首無しライダーに会うため。首無しライダーに会って『聞きたいこと』があったためである。

 まなはこの千載一遇のチャンスに、必死な形相で黒バイクを呼び止めていた。

 

 

 

×

 

 

 

 池袋・川越街道に建てられたとある高級マンション。無駄に広いその部屋のリビングで、男が一人寛いでいた。

 

 歳は二十代半ばほど、童顔には眼鏡と白衣というコーディネート。一見すると学者か医者というイメージをそのまま体現したような格好だが、部屋の中に特別な医療機器や複雑な研究設備などがあるわけでもなく、普通の居住空間である部屋の中で、男の存在はかなり浮いたものだった。

 男が一人で寛いでいると、そこへ「ガチャリ」と何者かの帰ってくるドアの音が響いてくる。

 

「お帰り、セルティ! 遅かったじゃないか? なかなか帰りが遅いから、君が例の白バイに捕まったんじゃないかと、僕は一日九回する思いで君の帰りを——」

 

 振り返りながらつらつらと軽口を叩く男だったが、彼の言葉は視線を向けた先で止まる。

 

 彼が振り返った先に——池袋の都市伝説・首無しライダーがいた。

 部屋の中で平然と佇む黒バイク・セルティと呼ばれた『彼女』は手にしたスマートフォンを操作し、画面上に文字列を並べる。

 

『ただいま、新羅』

「あ、う、うん。ただいまはいいんだけど……」

 

 スマホに打ち込まれた返事に戸惑い気味に答える新羅と呼ばれた男。

 しかし、彼はセルティの存在に驚いたわけでも、恐れ慄いたわけでもない。

 

「セルティ……その子たち、誰?」

 

 彼にとって首無しライダーなどいて当たり前の存在。新羅はセルティの後ろ、彼女に連れられて部屋の中に入って来た見慣れぬ彼女たちの存在に目を止めていた。

 

「は、初めまして……犬山まなです」

「……猫田よ」

 

 犬山まなに猫田と名乗る二人、まなはおどおどしながら新羅に挨拶し、猫田が警戒する様子でまなを庇うような位置に立っていた。

 

「ああ、うん。初めまして。私は岸谷新羅……セルティ?」

『実は……』

 

 訝しむ新羅にセルティは二人をこのマンション——自分たちの住居スペースへと連れてきた理由を語って聞かせる。

 

 

 

 黒バイクことセルティ。彼女は「自分に会いに来た」という少女の叫びに、思わず立ち止まっていた。

 

 しかし、その少女の願いに応えることなく、セルティはその場を立ち去るつもりでいた。

 

 見世物気分で自分という都市伝説に会いに来る輩などそう珍しくもないし、何より——セルティは現在追われている身の上である。

 追っ手を振り払うため、ビルの上からこんなところまで降りてきたのだが、それでも例の白バイクを振り払うことができず、サイレンは徐々に近づいてくる。

 その警告音にブルリと身を震わせながら、セルティは手早くスマホに文字列を打ち込んでいく。

 せめて一言くらい言い残してから立ち去ろうと、文字を打ち込んだ画面を少女に見せつける。

 

『済まない、今追われているんだ! また今度にしてくれないか!』

「——!」

 

 そのような形で返事が返ってくるとは思っていなかったのか、少女は一瞬驚くように目を見開く。

 だが次の瞬間、なんと少女はセルティの元までズンズンと歩み寄り、その手を掴み取ったのだ。

 

「こ、こっちです!」

「ちょ、ちょっとまな!?」

 

 まなと呼ばれた少女の大胆な行動に連れの女性も驚いているが、それにも構わず彼女はセルティを路地裏の奥、物置の影まで誘導する。

 そうこうしているうち、追いついてきた追手が路地裏の手前までやってきた。

 

「——よお、嬢ちゃんたち。ちょっと聞きてえんだが……」

「————————!」

 

 物陰に隠れながらも、セルティの身体は恐怖で震え上がる。その白バイ隊員——葛原金之助(くずはらきんのすけ)こそ、セルティを追いかけていた男。

 無灯火無免許運転を続けるセルティを検挙すべく池袋に配属された問題警官、国家権力の手先である。

 

 まあ、常識的に考えれば悪いのはライトもナンバープレートもつけずに街中を疾走するセルティの方だ。彼ら交通課に追われるだけの真っ当な理由、非は彼女の方にある。

 しかし、セルティにものっぴきならない理由がある。立場上、警察に捕まるわけにもいかず、彼女はいつも彼らから必死こいて逃げるしかないのである。

 

「こっちに化物……いや、怪しい黒バイクが逃げ込んで来なかったかい?」

 

 葛原金之助はあくまで警官として、その場にいた女の子たちにセルティの行方を尋ねる。

 

 ——化け物はお前だ!!

 

 彼の台詞に心中で毒づくセルティだが、その膝はガクガクと震えていた。

 すぐそこまで迫る脅威、見つかったらいったいどんなに遭わされるか。まさに『エイリアンの魔の手から隠れてやり過ごす人間の気持ち』に陥る、都市伝説の情けない姿がそこにあった。

 

「あっ、あっちです! あっちに逃げていきました!!」

 

 セルティを物陰に隠した少女は警官の質問に明後日の方向を指差しながら叫ぶ。どうやら自分を匿ってくれるらしい。

 彼女の行動に何故と疑問を浮かべながらも、セルティは息を潜め、白バイクが立ち去ってくれることを神に祈る。

 

「……そうかい」

 

 一瞬、少女の言葉に訝しむ様子を見せつつ、葛原金之助は彼女が指差した方角へとバイクを向ける。

 

「ご協力感謝します!!」

 

 警官として市民の協力に敬礼で感謝を示しつつ、見失ったセルティを追いかけるべくバイクを急ぎ走らせる。サイレンの音は徐々に遠ざかっていき、やがて聞こえなくなっていった。

 

『……ありがとう。でもどうして?』

 

 なんとか追っ手をやり過ごしたセルティは、自分を匿ってくれた少女にスマホの文章で礼を述べる。少女の隣を見れば連れの女性も彼女の行動力に驚き、呆れるようにため息を吐いていた。

 

「まな、あんたって子は……」

「ご、ごめんなさい。猫姉さん」

 

 まなという少女が猫姉さんという女性に謝っていた。警察に嘘をついてまで、怪しい不審者であるセルティを庇ったのだから無理もない。

 だが、申し訳なさそうに頭を下げながらも、まなはセルティを助けた理由を口にしていた。

 

「わたし、どうしてもこの人と話がしてみたくて……」

 

 

 

 

「……ふ~ん、それでマンションまで連れて来たってわけ? セルティは寛仁大度に心が広いな!!」

『まあ、助けてもらった手前、無下にも断りにくくてな』

 

 自分と話をしたい。そんなまなのささやかな望みを叶えるべく、最終的にセルティが彼女たちをマンションまで連れて来たという話の成り行き。その内容にそこまで驚いた様子もなく、マンションの同居人である男——岸谷新羅(きしたにしんら)はセルティの懐の広さを褒め称える。

 

 岸谷新羅は普通の人間であるが——首無しライダーこと、セルティの彼氏でもある。

 

 基本、セルティにベタ惚れである新羅が彼女の行動を否定したり責めたりはしない。セルティが連れて来た客人である以上、全てをウェルカムで迎え入れ来客に応じる。

 

「改めまして……ようこそ!! お茶でも飲むかい? それともジュースのほうがいいかな?」

「あ、は、はい。お構いなく……」

「…………」

 

 その歓迎っぷりに、無理をしてお邪魔させてもらっている立場上まなが萎縮し、猫田が尚更警戒心を高めて周囲に気を配る。

 期せずして訪れた『首無しライダーとの会合』に、まなはなかなか会話のきっかけを掴めずにいた。

 

 

 

×

 

 

 

『さて——』

 

 まなと猫田がリビングのソファーに腰を降ろし、多少落ち着けるよう間を開けてから、セルティは彼女たちに声を掛ける。

 勿論、声を掛けると言っても彼女は言葉を発しない。セルティは自前のパソコンに文字列を表示させ、それで会話の受け答えを行うのだ。

 

『改めて自己紹介をしよう。私はセルティ・ストゥルルソン。……黒バイクや首無しライダーの方が通りが早いかもしれないね』

「え、ええと……セルティ・ストゥル…………セルティさん、ですか?」

 

 セルティの長いフルネームを一度で覚えることができず、とりあえずセルティとまなは首無しライダーを名前で呼ぶ。

 

「あのセルティさん。噂では、貴方には首がないと言われますけど……」

 

 さっそくと言うべきか、やはりと言うべきか。まなはセルティに首の有無について尋ねてくる。自分と初めて会話を行う者の大半が真っ先にその疑問を抱くため、すでにその問い掛けには慣れっこのセルティ。

 

『ああ、ないよ——ほら』

 

 だからセルティもまどろっこしい真似はしない。手っ取り早く相手に真実を理解してもらうため、あっさりとヘルメットを取って素顔を晒す。

 晒された頭部には当然のように顔がなく、漆黒の影のようなものが滲み出る、首の断面だけがそこに存在している。

 そんな異常な光景、普通の人間であれば悲鳴くらい上げていただろう。肝の小さな相手ならショックで気を失っていたかもしれない。

 

「——っ!!」

「…………!」

 

 だがまなと猫田は違った。驚いてはいたものの、首がないこと自体にそこまで動揺の気配がなく。軽く息を飲む程度で実に落ち着いた態度を維持している。

 

「セルティも大胆になってきたね! ……それにしても、犬山さんも猫田さんも落ち着いてる。こういうの、ひょっとして初めてじゃないのかな?」

 

 遠慮なく正体を晒すセルティの開き直りっぷりに、寧ろ新羅の方が驚きを口にし、対面する少女たちの反応の薄さに僅かに違和感を抱く。

 

『……やっぱりな』

 

 実のところ、セルティ自身が彼女たちの反応の薄さをある程度予想していた。何故かというと——

 

『そっちのリボンの子』

「……なによ」

 

 セルティは未だに剣呑な空気を纏う猫田の方を指しながら、確信めいたタイピングで文字列を表示する。

 

『君は、私と同じ『怪異』の類だろ?』

「っ、よくわかったわね!」

 

 その指摘に、先ほどよりも驚いた様子で猫田——猫娘は自分がセルティの同類、妖怪や怪異の類であることを肯定する。

 余談だが、セルティには自分と同類のものを感じ取る知覚のようなものが存在する。それにより、彼女は猫娘の気配が人間のものではないことを見抜き、彼女たちがそういった存在に慣れっこであることを予想したのだ。

 

「そうよ、わたしは猫娘。ゲゲゲの森の妖怪……で? そういうアンタは……どこの何者なわけ?」

 

 猫娘はセルティの指摘に対し、開き直って聞き返す。猫娘の問いに暫し悩んだ末、セルティは正直に答える。

 

 

『わたしはアイルランド出身——俗にデュラハンと呼ばれる存在だ』

 

 

 そう、彼女はセルティ・ストゥルルソン。人間でも、日本妖怪でもない。ヨーロッパの伝承において、首無しの騎士として恐れられる妖精の一種——『デュラハン』である。

 

 切り落とした己の首を脇に抱え、コシュタ・バワーと呼ばれる首無しの馬を駆り、夜な夜な死期の近い者の家を訪れては死者から魂を引き剥がす『弔問者』。欧州などでは、不吉の使者の代表としてバンシーなどと肩を並べて語られる存在だ。

 当然日本の、それもこんな大都市のど真ん中をバイクで走り回りような怪異ではない。

 

「アイルランドって……まさかアンタ西洋妖怪!? バックベアードの仲間!?」

 

 その不自然さ、そしてアイルランド出身ということもあり、猫娘はセルティを西洋妖怪——自分たち日本妖怪の敵・バックベアード軍団の一員ではないかと疑いの目を向ける。

 鬼太郎が去年バックベアードを討ち取ったといえ、軍団そのものはまだ残っている。猫娘が西洋の怪異であるセルティ相手に警戒心を強めるのは無理からぬことであった。

 

『バック、ベアード? 西洋妖怪……すまないが、よく分からないな』

 

 しかし、猫娘の発言に心当たりがないのか、セルティは困ったように首を捻る。

 

『わたしはここ二十年くらい、ずっと池袋で暮らしている。昔の記憶に関しても曖昧な部分が多い……色々と訳ありでね』

 

 自分はそのバックベアードとやらが日本に攻めてくる前から池袋に住んでいる。バックベアードを頂点とする軍団にも所属しておらず、関わりすら持っていない。

 とある理由から二十年、池袋を中心に活動している一介の『運び屋』に過ぎないとセルティは自嘲気味に肩を竦めた。

 

「二十年……ずっと、人間社会で……」

 

 セルティのその話に、人間の少女である犬山まなが何かを深く考え込む。

 

『……? そういえば、君はわたしに話があったんだったね』

 

 まなが思案に耽る様子に、ふとセルティが思い出す。彼女たちをわざわざこの家まで連れてきた理由が、元はと言えばこの少女の発言からであることを。

 

『——わたし、どうしてもこの人と話がしてみたくて……』

 

 だが緊張しているのか、まなは先ほどからずっと黙ってばかり。セルティも自分の身の上話しかしていないことを反省し、まなが話しやすいようそれとなく彼女に話題を振る。

 

「え、ええ~と、それは……その……」

 

 怪しい都市伝説を呼び止めたときの大胆さは何処へ行ったのか。まなは気まずそうな面持ちで、チラリと視線を隣の猫娘に向ける。

 

「……? どうしたのよ、まな。言いたいことがあるなら、遠慮なく言ってみなさい、ねっ?」

 

 その視線に猫娘も首を傾げる。彼女もまなが『緊張している』ことを察したのだろう。まながセルティに話しかけやすいよう場を取り持つ。

 

「…………は、はい!」

 

 猫娘に促され、まなはようやく重たい口を開く。

 彼女はセルティ——そして、彼女の隣に当然のように立つ新羅の二人を見据えながら、池袋の街に来たそもそもの理由。

『首無しライダーに聞きたいこと』を問いただしていた。緊張した素人レポーターのように、やや声を上擦らせながら。

 

 

 

「——セ、セルティさんは……人間と妖怪の共存に対して、いったい、どのような意見をお持ちでしょうか!?」

 

 

 

×

 

 

「……まさか、まながあんなことを考えていたなんてね……」

 

 夕暮れ、逢魔が刻。池袋での用事を済ませ、まなとも帰路を別れ、猫娘は一人ゲゲゲの森に戻って来た。

 

「人間との共存か……やっぱり難しい問題よね」

 

 今日一日、池袋で猫娘は様々な体験をしたが、やはり一番記憶に残っているのは最後の会合、首無しライダー・セルティとまなの会話であった。

『人間との共存』について真剣に問い掛けるまなに対して、二十年もの間、人間社会に溶け込んできたセルティの出した答え。

 それを聞きたいがために犬山まなは今日、池袋までわざわざ足を運び、猫娘にまで同行を頼んだという。

 

 もともと、犬山まなはそのテーマに対する答えを自分なりに模索しているようではあった。

 彼女は妖怪である鬼太郎や猫娘たちに好意を抱いており、できることならもっと人間と妖怪が仲良く暮らせるような世界になってくれないかと、神社に神頼みまでするほど。

 だが、先日に名無しが起こした事件の一端。オメガトークでの動画配信者を使っての、人間と妖怪の対立を煽る策略。それにより起こった人間と妖怪との摩擦、誤解によるすれ違い。人間による妖怪への弾圧なども目の当たりにした。

 

 あの事件の影響で猫娘もまなに「暫くの間、自分たちとは関わらない方がいい」とまで言ってしまった。

 まなも、あの事件を通して思い知ったのだろう。人間と妖怪の共存、それが口で言うほど簡単なことではないのだと。

 

 あれから大きな対立騒動が収まった後も、まなはことあるごとにそれらの問題について一人で考えていたらしい。そんな折、彼女はたまたま遊びに出掛けた池袋の街でセルティを——首無しライダーを目撃したと言う。

 

 都市伝説でありながら二十年、人々の間で噂され、その存在を確かなものとして街に刻み付けてきたセルティ・ストゥルルソン。

 彼女がデュラハンという、妖精の一種であることを知っている人間こそほとんどいないものの、あの街で暮らす人々は大なり小なりの差はあれど、誰もが彼女の存在を『認知』していた。

 それは今まで妖怪という存在をいないものとして扱ってきた一年前のまなや、妖怪を危険なものとして排除しようとした人間たちと、少し違ったふうにまなには見えていたらしい。

 

 首無しライダー自体も、まながこれまで関わってきた妖怪たちと少し違った立ち位置にいるように感じられた。

 人々を襲うでもなく、助けるでもなく——当たり前のようにそこに存在し、街の住人として池袋で生活している姿。

 

 極端な話を言ってしまえば、あれこそ犬山まなが夢見た『人間と妖怪の共存する世界』というやつの見本なのかもしれない。

 そう思ったからこそ、あそこまでまなは必死になってセルティを呼び止め、話をしてみたいと思ったのだろうと、なんとなくだが猫娘はそんなことを考える。

 

 

「一応、鬼太郎にも報告しておこうかしらね……」

 

 そういったまなの心情や、セルティと話した会話の内容など。今日一日の出来事をとりあえず鬼太郎に報告しておこうと、猫娘の足は自然と彼の家・ゲゲゲハウスへと向けられる。

 まなが忠告を聞かず首無しライダーと会っていたと知れば、また彼が呆れると思ったが、こればかりはきちんと話をしておいた方がいい。

 猫娘はいつものように、自然な動作で家の中に上がり込む。

 

「鬼太郎いる…………って、あれ?」

 

 しかし、家の中に肝心の鬼太郎の姿がなく、彼の父親である目玉おやじもいない。

 

「——おう、戻ったか、猫娘」

 

 家の中にいたのは——ゆったりと腰掛け、茶を啜る砂かけババア。

 

「——……けっ!」

 

 そして、何故か縛り上げられた状態で座らされている、ねずみ男の二人だけであった。

 

「………砂かけババア、鬼太郎は?」

 

 とりあえず、猫娘は縛られているねずみ男には一切触れず、砂かけババアに鬼太郎の行方を尋ねる。

 

「鬼太郎たちなら出払っておるよ。目玉おやじも一緒じゃ。子泣きも、一反木綿も、ぬりかべもじゃ。ちっとばかし野暮用でのう」

 

 鬼太郎を含む、男衆が全員出払っているという状況を砂かけババアは慌てた様子もなく答える。どうやら彼女は鬼太郎が何故留守なのか、その『野暮用』の内容もキチンと把握しているらしい。

 

「ふ~ん……ねぇ、その野暮用って……」

 

 猫娘も大体の事情を察し、絶対零度の視線をねずみ男へと注ぎながら問う。

 

「そこに転がってるドブネズミと、何か関係があるのかしら……ん?」

「チッ! ハイハイ、全てあっしが悪いんでございますよ!!」

 

 猫娘のねずみ男を見る視線が雄弁に語っていた。「どうせまた、コイツが何かしでかしたんでしょ?」と。猫娘の当たり前のように自分を責める口調に、ねずみ男もあっさりと認めた。

 自身が行った悪事、その不始末を片付けに鬼太郎たちが出掛けていることを——。

 

 今回、ねずみ男がやらかしたのは『妖怪の子供を人間に売り渡す』という、人身売買ならぬ、妖怪売買。妖怪の存在がある程度認知されるようになったことで発生した、新手のビジネスである。

 もともと、人間の世界では珍しい動物や珍獣が高値で取引されている。だが法律上、そういった動物は大抵ワシントン条約などのルールの下、売買が禁止され、厳重な取り締まりが行なわれている。

 そういった法の目をかいくぐって動物たちを売り買いすることは『密輸』となり、捕まるリスクを負う一方、確かな利益も発生していた。

 

 ねずみ男は——それを動物だけに止まらず、妖怪にまで発展させたのだ。

 妖怪たちの中でも取り分け大人しく、それでいて人間受けするような珍しい種類。それをペットと称し、それらを人間に売り渡し、あぶく銭を稼ごうとしたのだ。

 もっとも、その企みは鬼太郎にあっさりと露見し、こうして仲間たちによって手痛いお仕置きを受けることになった。

 

「——このっ!! ドブネズミっ!!」

 

 しかしそれでも足りぬと、話を聞き終えた猫娘が容赦ない追加制裁を加える。縛られた状態のねずみ男の顔面を容赦なく引っ掻き回す。

 

「ぎゃあっー!! いてぇ、痛いって!?」

 

 まさに泣きっ面に蜂。猫娘の爪にさらに痛めつけられ、ねずみ男は涙目になって地べたに転がり回る。

 

「どんだけ鬼太郎に迷惑かければ気が済むのよ!! 毎度毎度、アンタってやつは!!」

 

 猫娘の怒りは尚も収まらず、彼女は牙を剥き出しにねずみ男に詰め寄る。いつもいつも、ねずみ男がそんなんだから鬼太郎が彼の尻拭いをする羽目になることを、猫娘は毎回腹を立てている。

 今回の鬼太郎たちの不在も、言うなればその後始末だ。ネズミ男が売り払った妖怪の子供たちを取り戻しに、彼らは皆を引き連れていったのである。

 

「まったく!」

 

 猫娘はねずみ男を痛めつけるのもほどほどに、すぐに鬼太郎たちの後を追おうと外へ飛び出そうとした。彼が戦いの場に赴くのであれば、自分も当然ついていくと言わんばかりに。

 

「まあ待て、猫娘」

 

 だが、砂かけババアは実に余裕のある声で猫娘を呼び止める。

 

「相手はただの人間じゃ。今から行っても、どうせ駆けつける頃には終わっとるじゃろう」

 

 ねずみ男の商売相手は反社会的な集団・所謂ヤクザではあるものの、所詮はただの人間である。その程度の相手であれば鬼太郎一人でも十分に対応可能。わざわざ自分たちまで出ていく必要もないと、はやる猫娘を落ち着かせる。

 

「たまには男共だけに任せて、わしらはゆるりと待つとしよう。なに、すぐに戻ってくるじゃろう」

 

 そう言いながら、砂かけババアは猫娘の分の茶を淹れ、彼女にも待つように勧める。

 

「それは、そうかもしれないけど……」

 

 砂かけババアの言葉に理屈の上では同意する猫娘。しかし、理屈で分かっていても、心配な気持ちというものはやはり湧いてくるもの。

 猫娘は大人しく待つべきか、それとも今からでも鬼太郎の加勢に行くべきかその場にて考え込む。

 

「——へへへ、果たして、そう上手くいくかな?」

 

 すると、悩む猫娘の不安を煽るかのように、ねずみ男が不敵な笑みを浮かべる。縛られ、顔に引っかき傷をつけられた、さまにならない状態でありながらも、彼は自信満々に告げる。

 

「ガキどもを引き渡すときに、連中言ってたぜ。「密輸船までの輸送を凄腕の運び屋にやらせる」ってな……」

 

 品物を引き渡す際、ねずみ男は取引相手から聞いていた。商品——妖怪たちを海外へと密輸するまでの経路、その道中の運搬ルートに関して。

 どうやら彼らなりに、仲間の連中が取り返しに来ることを用心しているらしい。たとえ妖怪たちが襲撃してきても撃退できるよう、その界隈でもかなり名の知れた『運び屋』に今回の仕事を依頼したとのこと。

 鬼太郎たちが仲間を取り返すためには、その運び屋から奪い返さなければならない。

 果たして彼らに取り返せるかなと、ねずみ男はいやらしい笑みを浮かべ——その運び屋に関して自身が知りうる、とっておきの情報を公開する。

 

 その一言できっと猫娘も不安がるだろうと、謎の優越感を顔一杯に浮かべながら。

 

 

「なにせ相手は——首が無いって噂の首無しライダー様だ。いくら鬼太郎でも……そう簡単にはいかねぇぜ!!」

 

 

 

 

 

 

「——はっ? ……首が無いって、まさか……!」

 

 しかし、ねずみ男の口からもたらされた情報に、猫娘はどこか複雑な顔色を浮かべていた。

 

 

 

×

 

 

 

 ——……まいったなぁ~。

 

 セルティは心中でため息を吐きながら、夜間の公道を疾走する。

 彼女はゴルフバックほどの大きな荷物をバイクのサイドカーに括り付け、目的地である港へ向け、愛馬である黒バイク——シューターことコシュタ・バワーを走らせていた。

 

 デュラハンが乗るとされる首無しの馬『コシュタ・バワー』。本来であれば、それは『首無しの馬に繋がれた二輪の馬車』という形状をしているものだ。しかし、この大都会でそんなものを使えば目立ってしょうがない。

 

 それ故に、セルティは普段はシューターを通常の二輪バイクに『憑依』させ、街中を走らせている。

 

 シューターはデュラハンにとって使い魔のような存在。憑依させたものと一体化することで存在を維持しているらしい。馬の死骸に憑依すれば首無し馬車として、バイクに憑依すれば漆黒の二輪車と形を成すことができる。

 また、セルティ自身にも『質量を持った影を自在に操る』という能力が備わっている。その力とシューターを合わせることで、セルティは高層ビルの壁をバイクで駆け上ったり、影でサイドカーを取りつけたりと乗り物の形をある程度変化させることができる。

 

 ——はぁ~……しかし、本当にまいった。

 

 セルティはさらに深々と心の奥底からため息を吐きながら、今夜の仕事内容——自身が運ぶことになった『珍獣』とやらが入った荷物に目を向けていた。

 

 つい先ほどのことだ。セルティの元に、飛び込みで仕事の依頼が舞い込んできた。

 池袋で日常生活を送るセルティだが、当然ながら彼女には戸籍というものがない。住まいは恋人である新羅の家に同居させてもらっていることでなんとかなっているが、街の住人として暮らす上で必要なものがある。

 

 『金』だ。

 

 人間の社会で暮らしていく上で金銭というものはどうしても必要不可欠。しかし、働いて稼ごうにも、首の無い怪異であるセルティではできる仕事も限られてくる。また真っ当な履歴もないため、普通に就職しようにも書類審査の段階で落とされる。

 そういった事情もあり、最終的に彼女が辿り着いたのが『運び屋』という職業であった。

 

 物や人、依頼があればたいていのものは運び込む、ちょっと危ないお仕事。指定暴力団『粟楠会』などとも関わりを持っている関係上、犯罪的な事件に巻き込まれることも多々ある。

 セルティ自身はある程度仕事を選んでいるため、『大量の白い粉の運搬』や『物言わぬ死体の処理』などといった、あからさまにヤバい案件には関わってこなかった。

 しかし、今夜の仕事はどちらかというとグレーゾーン。法的には犯罪では無いものの、真っ当な倫理観からすれば、決して褒められるものではないものを運搬することになっている。

 

 ——……やっぱり、これ……妖怪とか、そっち関係の類……だよね?

 

 セルティが依頼主に渡されたゴルフバックほどの大きさの荷物。依頼主からは『ちょっと珍しい動物の子供』と聞かされていたが、漂ってくる気配は妖怪のそれである。

 中身を開けずとも、それが『生きた怪異の類』であると、セルティは気配でそれを理解していた。

 

 ——確かに犯罪にはならないけど……心情的には複雑だな~。

 

 依頼主が知っているかは分からないが、セルティも立派な怪異の一員。つまりこの仕事は、セルティと同類である化け物を人間に売り渡す、その片棒を担ぐ仕事というわけだ。

 

 ——はぁ~、まいった……普段なら断ってたんだけどな~。

 

 こういう気分の悪くなる仕事、普段のセルティなら断っていたかもしれない。しかし、ここ数日は例の白バイが池袋内を頻繁にパトロールしており、なかなか仕事にありつけないで金欠だった。

 その上、今夜の依頼主はお得意さんの紹介であり、無下に断ればその得意先の顔に泥を塗ることになる。

 セルティの仕事は信頼と実績で成り立っている。おいそれと簡単に断ることができないときだってある。

 

 ——……よりもよって、あんないい子とあんな話題で盛り上がった後にこんな仕事だなんて……。

 

 さらにセルティの良心に追い討ちをかけているのは、この仕事を受ける直前の出来事だった。

 

 今日の昼間に知り合った二人の女子。犬山まなと猫娘。そのうちの片方、人間の少女である犬山まなにセルティは真正面から質問を投げ掛けられた。

 セルティは——その時のまなの表情を細部まで思い返せる。

 

『——人間と妖怪の共存に対して、いったい、どのような意見をお持ちでしょうか!?』

 

 とても、真っすぐな瞳だった。

 首の無い恐ろしい怪異であるセルティに臆することなく、まなは真剣に意見を求めてきた。

 伝わってくる熱意から、セルティは彼女が本気で『人間と妖怪が一緒に暮らす世界』というものについて考えていることが分かった。まながセルティにその問いかけをしたのは、所謂一つのモデルケースとしてだろう。

 池袋の街で人間たちに混じって暮らす自分に、その可能性——未来を見たからかも知れない。

 

 まなのその問いかけに、セルティは『セルティなりの答え』を彼女に示した。

 

 果たして自分の答えにまながどんな気持ちを抱いたかまでは分からない。だが帰り際、まなは笑顔でセルティに礼を言った。

 

『——ありがとうございました。今日は……お会いできて、本当に良かったです!!』

 

 とても、眩しい笑顔だった。

 純粋で、ちょっぴり薄汚れた大人の世界を知っている自分には眩しすぎる笑顔だった。

 その笑顔に心洗われ、自分も頑張ってみるかなと——そう意気込んだ矢先である。

 

 そんな人間と妖怪の共存に水を差すような仕事を、まさか自分がやる羽目になるとは——。

 

 ——……すまない、まなちゃん。……これも仕事なんだ!

 

 心の中でまなに謝りながら、セルティは意識を仕事モードに切り替え、気持ちを割り切ることにする。

 セルティはその辺の人間と比べてみても良心的で、割りかし常識的な感性を持ち合わせている。

 しかし、決して聖人君主などではない。

 自分の生活のためなら、涙を呑んで悪行を見逃す『魔』が差すことだってあるのだ。

 

 ——とっとと終わらせて、新羅に愚痴でも聞いてもらうか……。

 

 胸糞悪くなる仕事など早めに終わらせ、恋人である新羅に慰めてもらおう。

 そんなことを考えながら、彼女は黙々とシューターを走らせ、急ぎ目的地へと向かうことにした。

 

 

 

 

 

 

 ——…………ん?

 

 そのときだった。

 セルティがバイクのミラー越しの視界、そこに『それ』を捉えたのは——。

 

 ——なんだあれ? 白い……布?

 

 夜空の闇を切り裂くような勢いで、何か白い細長い布のような物体が真っすぐにこちらへと突き進んでくる。

 かなりのスピードで、とても風に流されたタオルやハンカチといったふうには見えない。

 

 ——ま、まさか……み、未確認飛行物体!?

 

 セルティは最初、それが未確認飛行物体——UFOの類ではないかと、恐怖から体をガタガタと震わせる。彼女はリトルグレイという映画を視聴して以降、宇宙人の存在がトラウマになっていた。

 ときどき、『人間の中に混じって宇宙人が自分たちの生活を監視しているのでは!?』と、不安を覚えるくらいに、宇宙人の存在を苦手としている。

 

 だが、白い布切れのような物体が近づいてくるにつれ、彼女は気付く。

 

 それが、宇宙人などではないということを——。

 その布切れの上に、何者かが乗っていることに——。

 

 ——あれ? なんだろう、あの人影……なんか見覚えがあるぞ?

 

 徐々に鮮明になってくるその飛行物体の正体に、セルティは妙な既視感を覚える。

 

 ——確か……オメガの動画サイトで……。

 

 そう、以前にも見たことがある。どこぞの会社が独自に運営していたという動画サイトを通して。

 たまたま暇つぶしで見かけたその動画内で活躍したという、『とある妖怪の姿』に酷似した人影そっくりだと。

 

 ——あれは確か、ゲゲゲの…………!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——ふぅ~ようやく追いついたばい!!」

 

 ねずみ男の手引きにより人間の魔の手に落ちた妖怪の子供たち。彼らを助けるため、一反木綿は大急ぎで夜の空を滑空し、今しがた仲間たちを運搬する『運び屋』をその視界に捉える。

 ねずみ男の話が確かであれば、あの黒バイクが自分たちの仲間を密輸船まで運ぶ役目を負った業者だ。相手が目的地にまで辿り着けば、さらに多くの人間たちの相手をしなければならないだろう。

 そうなる前に追いつけたことを幸運と、一反木綿の背中に乗る子泣き爺——そして、ゲゲゲの鬼太郎が一気に臨戦態勢に入る。

 

「ここで止めるぞ、一反木綿! 子泣き爺!」

「おうよ!」

「任せんしゃい!」

 

 鬼太郎の号令に珍しく二日酔いになっていない子泣き爺がやる気を漲らせ、一反木綿がさらにスピードを上げる。地下に潜行しているぬりかべも、鬼太郎の合図があればいつでも飛び出してくれるだろう。

 

 

 

 鬼太郎とゲゲゲの森の妖怪たち。仲間を黒バイクから取り返す——追いかけっこの時間が始まりを告げる。

 

 

 

 

 




登場人物紹介
 
 セルティ・ストゥルルソン
  満を持して登場、原作のヒロインにして、主人公。
  怪異としての存在はともかく、中身はかなり常識的な女性。
  アニメの声優、実は六期の鬼太郎と同じ沢城みゆきさん。
  次話では同じ声で熱いデットヒートが繰り広げられる……予定です。 

 岸谷新羅
  職業、闇医者。セルティの彼氏。
  能力的には普通の人間なのですが……コイツのセルティへの愛はある意味で人間を越えているかも?
  特徴として『僕、私、俺と一人称がコロコロ変わる』『四字熟語を多用する』という話し方の癖があります。一人称はともかく、四字熟語……いちいち考えるのが面倒だった。

 葛原金之助
  セルティの天敵。彼女を検挙すべく池袋に配属された白バイ隊員。
  影を行使するセルティの攻撃をことごとく躱し、問答無用で彼女を追い掛け回す超凄腕ライダー。
  バイクに乗っているときの戦闘力は『平和島静雄に匹敵する』らしい。


 次回で『デュラララ!!』とのクロスを完結させる予定です。
 最後まで、どうかよろしくお願いします!

 
  

 
   


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

デュラララ!! 其の④

ついに……この日が来てしまいました。
3月29日・午前9時。
いよいよ、ゲゲゲの鬼太郎6期最終回が放送されます。

思えば、このアニメがあったからこそ自分は今作と『ぬら孫』の小説を投稿するつもりになりました。このアニメが放送されていなければ、今こうして読者の皆さんに向けてメッセージを書くこともなかったでしょう。

最終回をリアルタイムで視聴すべく、仕事も休みを取りました。
果たしてどのような結末を迎えるか、期待と不安でもういっぱいいっぱいです。
ですがどのような最終回であれ、最後まで見届けるつもりです。

皆様も、どうか最後までゲゲゲの鬼太郎・6期をよろしくお願いします。


さて、とりあえず今回の話で『デュラララ!!』とのクロスは完結です。
こちらの方も、最後までどうかお楽しみください!



 ——そ、そうだ! ゲゲゲの鬼太郎……ゲゲゲの鬼太郎で間違いない!!

 

 池袋の首無しライダーこと、セルティ・ストゥルルソン。夜の公道をバイクで走行中、彼女は自分を追いかけてくる謎の飛行物体の存在に気づいた。

 最初はUFOかとビビるセルティであったが、すぐにそれが『一反木綿に乗るゲゲゲの鬼太郎』であることに気づく。見れば、鬼太郎の仲間とされる子泣き爺も一反木綿の背中に相乗りしている。

 

 ゲゲゲの鬼太郎。一時期動画サイトで彼のことが話題とされたこともあり、セルティは彼の容貌を知っていた。

 噂では、妖怪ポストと呼ばれる郵便箱に手紙を入れると、下駄の音と共に妖怪に困らされている人を助けにやってくると言われる、変わり者の妖怪だ。

 

 ——何故だ? 何故、私を追いかけてくる!? 私は人様に迷惑を……かけてるかもしれないが……。

 

 デュラハンという、首無しの化け物であるセルティだが、彼女はゲゲゲの鬼太郎がどうして自分を追いかけてくるのか分からなかった。

 確かに道路交通法を一部無視している自分は迷惑な存在かもしれないが、少なくとも理由もなく人間を襲ったり、食らったりしていない。

 化物の中でも穏便派といえる自分がゲゲゲの鬼太郎に目をつけられる理由に心当たりがない——と、断言しようとしたときだった。

 

 ——……あれ? ひょっとして……これか? これを取り戻しに来たのか!?

 

 セルティの視線が自身の運転するバイクのサイドカーに向けられる。そこには運び屋の仕事で渡された荷物——『珍獣の子供』の入ったバックが括り付けられている。

 依頼主には中身を開けるなと言われているが、既にその珍獣とやらが怪異の類であることをセルティは気配で察していた。

 もしかしたら、その怪異が妖怪——ゲゲゲの鬼太郎の仲間なのかもしれない。

 

 ——ああ、そっか。鬼太郎君も、必ずしも人間の味方ってわけじゃないもんな。

 ——動画だと、どうしても人間よりってイメージが強いけど……。

 

 動画サイトなどを見る限りでは、人間の味方という印象が強い鬼太郎だが、彼も妖怪の一員。

 仲間の妖怪が人間に連れ去られれば、取り戻すために人間と敵対することもあるだろう。

 

 ——さて……どうしたものか?

 

 鬼太郎が自分を追いかけてくる理由を察し、セルティはバイクを走らせたまま思案を巡らせる。

 

 ——個人的なことを言えば、素直に返してやりたいけど……。

 

 売買される怪異の運搬という、気乗りしない仕事をしているセルティとしては、大人しく荷物を明け渡してやりたいという気持ちがある。

 だが、ここで荷物をおめおめと奪われる訳にはいかない。

 運び屋にとって、荷物を他者に奪取されるなど致命的な失態だ。顧客は誰もセルティを信用しなくなり、彼女は完全に職を失うことになるだろう。

 

 ——お金を稼がないと家賃も払えなくなる! 新羅は気にするなって言いそうだけど!!

 

 仕事がなくなれば、収入もなくなる。人間社会に身を置くものとしてそれは辛い。

 セルティと同居中の恋人でもある岸谷新羅なら「大丈夫! セルティがニートになっても僕が養ってあげるよ!」とでも言いそうだが、一方的に養ってもらうのはセルティのプライドが許さないし、彼にプレゼントしてやりたいものだってたくさんあるのだ。

 新羅とは対等な関係でいたい。そのためにも、ここで職を失うわけにはいかない。

 

 自身の生活を守るため、新羅との日常を守るため。

 

 ——……よし! 逃げるか!!

 

 セルティ・ストゥルルソンは——全力で鬼太郎から逃走することを選択した。

 

 

 

×

 

 

 

「あっ! バイクの速度が上がったばい!?」

「勘付かれたか!」

 

 ねずみ男が売り渡した仲間の妖怪を取り戻すべく、運び屋を追いかけてきた鬼太郎たち。

 あと少しで追いつこうというところで、黒バイクの速度が上がる。鬼太郎たちが運び屋の存在を補足したように、追われる側も彼らの存在に気づいたのだろう。

 走行速度を上げ、鬼太郎たちを突き放そうと並走する車両を抜きまくっていく。

 

「急ぐんじゃ、一反木綿! 輸送船に運び込まれたら面倒なことになるぞい!」

 

 バイクに突き放されぬようもっとスピードを出せと、一反木綿を急かす子泣き爺。

 運び屋が港に停泊しているという密輸船に妖怪たちを引き渡せば、さらに多くの人間たちの相手をしなければならなくなる。

 騒ぎを大きくしたくない鬼太郎たちとしては、出来るだけそのような事態は避けたい。早々に決着をつけるべく、今この場であの黒バイクに追いつく必要がある。

 

「もう~、無茶言わんといてなぁ~。この速度を維持するので精一杯ばい!」

 

 しかし、一反木綿もなかなか追いつけない。理由としては鬼太郎だけでなく、子泣き爺も乗せて飛んでいるからだ。二人乗りでは、流石にこれ以上の速度は出せないと弱音を吐く。

 

「……大丈夫だ、一反木綿。このまま追い込むぞ!」

 

 だが、鬼太郎は問題ないと一反木綿にこのまま黒バイクを追い回すように指示を出す。

 何か考えがある鬼太郎の迷いない言葉に「コットン承知!」と、お決まりの返事で一反木綿は追走を続けていく。

 

 空を飛ぶ一反木綿に対し、黒バイクはその俊敏性と小回りの良さを利用し、交通の複雑な市街地、ビルの隙間や路地裏を疾走していく。

 狭い道を一度も立ち止まることなく進んでいくドライビングテクニックに翻弄され、一反木綿は見失わないようについていくのが限界だった。

 

「ああ、もう~! チョコマカとすばしっこかね!」

 

 黒バイクに翻弄され、焦りを口にする一反木綿。しかし、鬼太郎は未だに冷静だ。

 

「もう少し……このまま追い立ててくれ」

 

 彼は黒バイクの動きを追い、その動向から目を離さない。

 そして——黒バイクが細い脇道から大通りに出ようとした辺りで、鬼太郎は声を張り上げる。

 

「——今だ! ねりかべ!!」

「ぬりかべ~!!」

 

 鬼太郎の合図により、地中に潜行していた巨大な壁の妖怪——ぬりかべが姿を現す。鬼太郎の指示で先回りしていた彼は、黒バイクの眼前に立ち塞がり、その進路を妨害する。

 

「————————!?」

 

 フルフェイスのヘルメットで表情は窺い知れないが、そこにきて初めて黒バイクから動揺の気配が伝わってくる。

 

「よし! いいぞ、ぬりかべ! そのまま動くでない!」

 

 ぬりかべのファインプレーに、鬼太郎の頭に隠れていた目玉おやじが喝采を上げる。

 

 正面の道をぬりかべが塞ぎ、両脇は建物の壁で塞がっている。後ろからは一反木綿に乗った鬼太郎たちが迫り、黒バイクは完全に逃げ場を失った。

 ぬりかべとの正面衝突を避けるためにも一旦停車するしかない。当然、その隙を見逃す鬼太郎たちではない。止まったときに即座に飛び掛かれるよう身構える。

 

「————————!」

 

 だが、黒バイクは一向にスピードを緩める気配もなく、それどころかさらに加速していく。

 

「ま、まさか突っ込む気か!?」

 

 これにはさすがの鬼太郎も慌てた様子で声を上げる。このまま突っ込めば黒バイクは勿論、荷物として運ばれている仲間たちも無事では済まない。

 バイクの故障か、ドライバーの判断ミスか。まさかの大惨事に備え、気を引き締める鬼太郎たちだった。

 

 しかし次の瞬間、黒バイクは地面を——跳ねる。

 そして何の予備動作もなく、三メートルはあるであろう、ぬりかべの頭上を軽々と跳び越えていく。

 

「ぬ、ぬりかべ~!?」

 

 黒バイクの走行を阻止しようとしたぬりかべが驚きで声を上げる。後ろからその光景を見ていた鬼太郎たちも同様だ。

 

「なっ!? に、逃がすものか!」

 

 それでも、なんとか追い縋ろうと鬼太郎たちは黒バイクの後に続く。

 彼らがそのまま大通りに出ると丁度赤信号、車の大渋滞が黒バイクの道を塞いでいた。

 

「チャンスじゃ! 鬼太郎!」

 

 再び訪れた好機に目玉おやじが鬼太郎に呼びかける。

 相手が信号無視をする可能性があれば大惨事であったが、さすがに事故を起こすのは躊躇われたのか立ち往生している。今度こそ確保と飛び掛かろうとした、そのときである。

 

「————————!」

 

 黒バイクは再び地面を跳躍。渋滞を起こす自動車の頭上を跳び越え、今度はそのままビルの壁面で『着地』し、地面と水平に疾走し始めたのだ。

 

「なんじゃ、あやつは!?」

 

 ただの運搬屋では決してありえないその非常識に、妖怪である子泣き爺も仰天する。

 

「父さん、あの黒バイク……!!」

 

 その人間を越えた離れ技にようやく鬼太郎もあることに気づき、妖怪アンテナを逆立てる。

 先ほどから確かに妖気を感じていた鬼太郎だが、てっきり捕まっている妖怪のものだと思っていた。運搬されている仲間たちが放つ妖気だと、誤認していたのだ。

 だが、それは致命的な勘違いだ。鬼太郎の妖怪アンテナは——確かにその運び屋にも反応している。

 

 あの得体の知れない黒バイクを——怪異の類であると指し示していたのだ。

 

 

 

×

 

 

 

 ぬりかべの防壁を突破し、渋滞すらビルの壁面を疾走して走破するセルティ・ストゥルルソン。傍から見ると鬼太郎たちの追跡を軽々と交わしているように見えるだろう。

 しかし、実際にバイクを運転するセルティの心中は穏やかではなかった。

 

 ——……あ、危なかった~!! 危うく事故るところだった!?

 

 彼女自身は突然現れたぬりかべにも、ぴったりと追跡してくる鬼太郎たちにも内心ドキドキだったりする。

 彼らから逃げようと、かなり無茶な走行を愛馬であるコシュタ・バワーに強いている。

 

 ——すまない、シューター! もう少し付き合ってもらうぞ!

 

 まだまだ鬼太郎たちを振り切れない状況に焦りを覚えつつ、セルティはシューターに頑張ってもらうようハンドルを強く握りしめる。

 乗り手たるセルティの意思を読み取り、黒バイクは気合を入れるように馬の嘶きを響かせる。

 

 ——しかし、このままじゃまずいな……。

 

 セルティは現状を芳しくないものとして頭を悩ませる。

 今のところ鬼太郎たちから一歩リードして逃げ仰せているが、このままのペースで逃げ切れるかどうかは分からない。

 実際、先ほども事故を起こしそうになった。世間の評判や周囲の迷惑を考えているセルティとしては、自分たちのカーチェイスに誰かを巻き込むのは心苦しい。

 

 ——……仕方ない。少し大事になるかもしれないが!!

 

 セルティは現状を打開するため、鬼太郎たちを撒くためにひとつの『策』を思いつく。

 その策を実行に移すべく、彼女は黒バイクでビルの壁を垂直に駆け上がっていった。

 

 

 

 

「何のつもりだ? そっちに逃げ場はないぞ!?」

 

 黒バイクのとった行動に鬼太郎は首を傾げる。

 ビルの壁面を走るどころか垂直に駆け上るその光景に、いよいよ鬼太郎も考えを改める。この黒バイクは自分たちと同じ妖怪であると、より一層気を引き締める。

 

 しかし、黒バイクは一際大きなビルを駆け上り、わざわざ逃げ場のない屋上まで移動していた。

 

 いったい、そんなところに逃げ込んで何をするつもりかと、黒バイクの次なる行動を警戒しながら一反木綿に乗って屋上へと向かう。

 

「な、なっ、なんばしようととね!?」

 

 屋上が見える位置まで飛翔したところで、一反木綿が目を剥く。

 彼らの視線の先に、突如として『黒い繭』のようなものが出現していた。闇夜と同化するような影の塊が、まるでシェルターのように黒バイクを包み込んでいたのだ。

 

「まさか……籠城する気か!? 鬼太郎!」

 

 目玉おやじは相手の行動の意味を考え、その黒い繭を攻撃してみるよう鬼太郎に呼びかける。

 

「はい、父さん! 髪の毛針!!」

 

 父親の提案通り、鬼太郎は試しに髪の毛針を何本か撃ち込んでみる。しかし、繭はビクともず鬼太郎の攻撃は全て弾かれてしまった。

 

「これはちと面倒なことに……ん?」

 

 相手が立て籠る姿勢を見せたところで、子泣き爺が焦燥を口にする。

 運搬されている仲間が密輸船に引き渡されることはなくなったものの、これはこれで面倒だ。あの繭をどのようにして攻略するかと、考えを巡らせる鬼太郎たち一向。

 だが、そんな鬼太郎たちの安易な思考を嘲笑うかのように、黒バイクは次なる行動に打って出る。

 

 鬼太郎の攻撃でも揺るがなかった黒い繭——それが、突如ヒビ割れる。

 

 まるでサナギから成虫へと羽化する昆虫のように、そのヒビの割れ目から巨大な黒い翼のようなものが広がっていく。その正体は『漆黒のハンググライダー』であり、その中央には馬に跨った人影がぶら下がっている。

 

 十中八九——あの黒バイクだ。

 

「なんなんじゃ、こいつは!?」

 

 次から次へと様々な怪奇現象を起こす黒バイクに、さすがの子泣き爺も腰を抜かす。

 だが、戸惑う彼らを尻目に黒いハンググライダーはビルの上から飛び立つ。紙飛行機のように風に乗り、低空飛行で空を滑るように降下していく。

 

「はっ!! この一反木綿を相手に、空を飛んで逃げようって腹かいね? 片腹痛かよ!!」

 

 まさかの変身姿に最初は戸惑っていた一反木綿だったが、逆に望むところだとやる気を漲らせる。

 空を飛ぶ妖怪である自分を相手に、空を飛んで逃げようなどと愚策にも程がある。地上を走り回る相手を追いかけるよりも、寧ろこちらの方が与し易いと、一気に勝負をつけるべく一反木綿は急いでハンググライダーを追いかけようとした。

 ところが——

 

「! 待て、一反木綿!!」

 

 慌ててハンググライダーを追いかけようとした一反木綿を制止し、鬼太郎が何かを訝しがる。

 

「おかしい……どうしてわざわざ空から逃げるんだ? こっちも空が飛べることは分かっている筈なのに……」

 

 一反木綿の言う通り、空であればこちらの方に分がある。先ほどまでのように地上を走り回って逃げた方が遥かに黒バイクが有利の筈。

 

「それに……そっちは港とは逆方向だ。なのに、何故……?」

 

 加えて、ハンググライダーが飛び去った方角は港とは逆方向。そんな方角に逃げても輸送船に荷物を引き渡すことはできない。

 

「まさか……!」

 

 鬼太郎はその事実からあることに気づき、すぐにハンググライダーを追いかけず、意識を妖怪アンテナに集中させ、周囲一帯の妖気を注意深く探知する。

 

 そうすることで鬼太郎は——地上を隠れるように走行する、『本物の黒バイク』の妖気を探り当てる。

 

「やっぱり! あのハンググライダーは囮……本物は地上だ! 一反木綿!!」

「なっ!? こ、コットン承知!!」

 

 鬼太郎に指摘されたことで一反木綿も気づいたのか。派手に大空を飛び回るハンググライダーを無視し、慌てて地上へと目を向ける。

 大きく突き放された距離を縮めようと、再び地上の黒バイクを追いかけ始める。

 

 

 

 

 ——ええ!? もう勘付かれたのか!?

 

 自身の作戦が早々に看破され、鬼太郎たちが再度自分を追いかけてきたことにセルティは驚きを隠せない。

 わざわざ『繭から羽化するように飛び出す』という凝った演出をしてまで、注意を逸らしたというのに。

 

 そう、あのハンググライダーは囮。鬼太郎たちを誘導するために、全て影で作った偽物である。

 

 偽物に気を取られている隙に鬼太郎たちから逃げようというのがセルティの計画だったのだが、思ったよりも早く見抜かれたことで少し予定が狂ってしまった。

 

 ——けど、距離は稼げた! このまま一気に港まで!!

 

 だが鬼太郎たちが迷っている間にもセルティは大きく彼らを突き放していた。このまま離れた距離を維持できれば、何事もなく港にたどり着けるだろう。 

 セルティはさっさとこの仕事を終わらせようと、目的地まで急いで黒バイクを走らせていく。

 

 

 

 

 ——見えた! あの船だな!!

 

 そうして港までたどり着いたセルティ。とうとうその視界に停泊している輸送船を捉える。

 あの輸送船に荷物を引き渡せば自分の仕事は終了だ。その後で鬼太郎たちが輸送船を強襲し、仲間を奪還しようとも、それはセルティの関与するところではない。

 寧ろ、心情としてはそうしてくれとばかりに、依頼主にも鬼太郎たちに追いかけられたことは黙っているつもりだった。

 

「——逃がすものか!!」

 

 だが、そんなセルティの心の内側など知らず、執念で追いついてきた鬼太郎たち。彼女を逃すまいと髪の毛針を勢いよく撃ち込んでくる。

 目的地が見えて安心していた油断もあってか、セルティはその一撃を影で防ぐのが一瞬遅れてしまう。

 

 ——しまっ、タイヤが!?

 

 何とか躱そうとバイクを操作するが完璧には躱しきれず、数本の髪の毛針がバイクのタイヤに突き刺さる。

 勢いよくバーストする二輪車のホイール。

 走行中にバランスを崩されたことで、セルティは大きくハンドルを取られ——

 

 バイクごと、その身体が激しく地面に叩きつけられることとなる。

 

 

 

 

「はぁはぁ……何とか間に合ったばい」

 

 超特急で港まで駆けつけた一反木綿。相当無茶をしたのだろう、疲労困憊にてボロ雑巾のように力尽きる。

 

「ご苦労じゃったな、一反木綿。あとは鬼太郎に任せてゆっくり休むといい」

 

 ここまで頑張ってくれた一反木綿の苦労を労い、目玉おやじは後のことを息子の鬼太郎に託す。鬼太郎だけでなく、子泣き爺も元気いっぱいだ。もう少しすれば、きっとぬりかべも駆けつけてくれるだろう。

 

「追いついたぞ、運び屋! さあ、大人しくその荷物をこっちに——」

 

 鬼太郎は黒バイクに降伏を呼びかけていた。無駄な抵抗をせず仲間たちの入った荷物をこちらに明け渡せばこれ以上の乱暴はしないと。 

 だが、降参を呼び掛けようとした鬼太郎の言葉が途中で詰まる。

 何故なら、鬼太郎は——見てしまったからだ。

 

 地面に身を投げ出された黒バイクの運転手。その首元に——本来ある筈の頭部が無いのを。

 黒い塊であるフルフェイスのヘルメットが、身体から離れる場所に転がっているところを——。

 

「なっ!? まさか……さっきの衝撃で!?」

 

 一瞬、転んだ勢いで首がもげてしまったのかと、自分の行為によって相手を死なせてしまった可能性が鬼太郎の脳裏を過ぎる。

 だがおかしいことに、首からも身体からも血は一滴も流れていなかった。代わりに染み出しているのは黒い霧のようなもの。

 

 そして、その黒い霧を身に纏いながら——首の無い身体がゆっくりと起き上がった。

 

「なんじゃと!?」

 

 子泣き爺がその異様な光景に叫び声を上げる。

 

 首がない妖怪というものがいないわけではない。実際、ゲゲゲの森の妖怪には首どころか、まともな身体を持っていない妖怪だっている。そのことを考えれば首が無いことなど、それほど驚くことではない。

 

 しかし、眼前の黒バイクの異質感は鬼太郎たちの知る『それ』ではない。

 

 人間らしい見た目をしているのに、それでいて首だけが喪失しているという、言葉にしようのない違和感。

 いっそ、人間らしい見た目などしていない方が、まだここまで戸惑いを感じることもなかっただろう。

 

「————————」

 

 首の無い怪異である『それ』は、鬼太郎たちの驚きを嘲笑うかのようにゆっくりと振り返る。身体から滲み出ている黒い霧を手元にたぐり寄せ、一つの黒い塊として形を成していく。

 

 そうして、黒バイクの手には黒い影の得物——漆黒の大鎌が握られる。

 

 黒バイク自身の身長に匹敵するその大鎌を構える姿には、自然とそれを目撃するものに『死神』という単語を思い浮かばせるだろう。

 

「死神……いや、違う……」

 

 しかし、鬼太郎はその怪異の姿に別の存在の名を思い出す。

 それは先週、友人である犬山まなが池袋で遭遇したという、とある都市伝説の名前。あのとき、鬼太郎は彼女の話を世間話の一つ程度と軽く聞き流していた。

 そのことを心の中で謝りながら、鬼太郎はその都市伝説の名を自然と呟いていた。

 

「——首無し……ライダー……!!」

 

 

 

×

 

 

 

 ——頼む! 退いてくれ!! とりあえず、この場は一度退いてくれ!!

 

 これ見よがしに首の無い姿を見せたり、影で作った大鎌を構えて相手にプレッシャーを与えようとするセルティ。傍から見れば恐ろしい本性を曝け出した怪物のようにも見えるが、彼女の精神は割といっぱいいっぱいだったりする。

 

 ——鬼太郎君って、めっちゃ強いんだよな!? 私……このまま消されちゃうんじゃ!?

 

 彼女は鬼太郎のこれまでの活躍を動画サイトや、昼間出会ったまなや猫娘から聞かされていた。自慢話のように語る彼女たちの言葉が正しければ、鬼太郎はこれまで多くの強敵妖怪を打ち倒してきた日本妖怪のエースだ。

 

 ——私は戦闘が専門ってわけじゃないだ! 頼む、見逃してくれ!!

 

 一方で、セルティは戦いそのものを得意としているわけではない。そこいらのチンピラくらいなら軽く叩きのめせるし、拳銃や日本刀くらいの装備で彼女を殺すことはできない。

 しかし、同じ怪異が相手で自分がどこまでやれるかは分からない。そもそもな話、池袋で暮らしているセルティには『怪異同士で戦う』という経験そのものが少ないのだ。

 果たして交戦経験豊富な鬼太郎相手にどこまで立ち回れるか、かなり自信がない。

 

「…………」

 

 そんな、内心びびりまくりなセルティだが、鬼太郎は彼女のことを相当警戒しているのか慎重に距離を取る。セルティはこのまま自分を恐れ、退いてくれればとちょっぴり淡い期待を抱く。

 だが、現実はそこまで甘くはなかった。

 

「ぬりかべ~!」

 

 先ほどセルティの進路を妨害してきたぬりかべが遅れてその場に現れる。

 地中からセルティの背後に出現した彼の援軍をきっかけに子泣き爺が動き出す。

 

「ぬりかべ、挟み撃ちじゃ! ワシに続け!!」

 

 そう号令を掛けながら子泣き爺は腕を石化し、セルティに殴り掛かり、ぬりかべもその巨体で迫ってくる。

 

 ——ええい、どうにでもなれ!!

 

 前方から子泣き爺。後方からはぬりかべ。

 挟撃で襲い掛かってくる両者に、セルティはヤケクソ気味に大鎌を振り回す。正面の子泣き爺の胴をなぎ払い、返しの刃で後方のぬりかべの身体を切り裂く。

 セルティの影から作られた大鎌は、両者の体に傷一つつけることなく——その身体をすり抜けていく。

 だが、大鎌が両者の身体を通り抜けた瞬間、子泣き爺もぬりかべもその場にバタリと倒れる。

 

「子泣き爺!? ぬりかべ!? お前……いったい、何をした!!」

 

 仲間が倒されたことで、鬼太郎は怒りの視線をセルティに向ける。

 二人に外傷こそなかったものの、まるで本当に身体を切り裂かれたかのようなリアクションをとり「う、う~ん」と呻き声を上げながら地に伏せる。

 

 ——知らん! 正直、私にも分からない!!

 

 実のところ、セルティ自身もこの大鎌で切られたものがどのような状態になるかよく分かってなかったりする。以前も人間のチンピラ相手に大鎌で胴を薙いだことがあったが、そのときも似たような反応で倒れた。

 一応怪我もなく、命に別状もなかったため、おそらく子泣き爺たちも無事だろう。

 

「ボクが相手だ、首無しライダー!!」

 

 しかし、そのことを知らない鬼太郎は仲間が倒されたという怒りに闘志を奮い立たせる。

 

「鬼太郎! 油断するでないぞ!!」

 

 目玉おやじも息子に心して掛かれと忠告を入れる。

 

 ——ああ! ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ!! このままじゃ……ヤバイ!!

 

 戦う覚悟を見せる鬼太郎とは正反対に、セルティはいよいよもって危機感を募らせる。

 このままでは、冗談抜きで鬼太郎に討伐されかねない。

 そうなるくらいならいっそ、大人しく荷物を引き渡した方が良いのではと、セルティは運び屋としてのプライドをかなぐり捨てる選択肢を視野に入れる。

 

『降参』という、セルティの脳裏にその二文字が浮かびかけた——その刹那である。

 突如、薄暗かった港の倉庫街を——眩い閃光が照し出した。

 

「————————!?」

「——……っつ!?」

「——な、なんじゃ、何事じゃ!?」

 

 いったい何事かと、その場の全員が光が照らされている中心点——港に停泊していた『密輸船』に目を向ける。

 

 

 

 

「——全員動くな! 逮捕する!」

「——確保! 確保!!」

「——大人しくしろ、密輸業者どもめ!!」

 

 眩いサーチライトに照らされる密輸船。その周辺ではパトカーのサイレンや警官たちの怒号が飛び交っている。今までどこに隠れていたのか、数十台のパトカーや水上警察の警察用船舶、警視庁のヘリが密輸船を取り囲んでいた。

 

 突如、その場に姿を現したのは警察——そう、セルティが妖怪を引き渡す予定だった密輸船を、一斉検挙すべく突入してきた警視庁の人間たちである。

 

 もともとこの密輸船。妖怪の売買どころか麻薬、貴金属、保護動物の密輸や人身売買など、かなり数多くの悪事に手を染めた『真っ黒』な輸送船であった。

 いかなる偶然か、セルティがその船へ荷物を届けようとした日、突入作戦が執り行われることになっていた。

 そう、これは日夜行われる日本警察と闇組織との熾烈な争い。

 

 そして今日、桜のシンボルを背負う警察の尽力により、またひとつ——この世の悪が成敗されることとなったのである。

 

 

 

 

「人間の警察のようじゃな。あの密輸船を取り締まりに来たのじゃろう」

「……そのようですね、父さん」

 

 密輸船とは離れたところで攻防を繰り広げていた鬼太郎たちは、その騒ぎに驚きつつ、どこか他人事のようにそれを眺めていた。

 やましい気持ちのない鬼太郎たちは、たとえ警察に見つかったとしても堂々としていられる自信がある。

 だが、セルティは違った。彼女は警察の捜査が自分たちのいる場所まで及んでいないことに心底安堵していた。

 

 ——あ、危なかったぁ~! ちょっとタイミングをミスってたら、私も捕まるところだったぞ!!

 

 交通課の白バイに目を付けられているだけでも胃を痛める毎日だというのに、密輸業者に関わった一員として警察に追われることになれば、さらにセルティの心労はとんでもないことになっていただろう。

 ギリギリ危機一髪で捜査の網から流れられたことを、セルティは天に感謝していた。

 

 ——しかし……あの様子じゃ、荷物を届けることはできないな、うん。

 

 配達先が警察に抑えられてしまった以上、セルティの仕事はここまでだ。さすがにあの騒動の中に突っ込んでまで、荷物を引き渡す義理はない。仕事は失敗——それにより、それまで張り詰めていた緊張の糸が途切れる。

 

 セルティは影で作った大鎌を引っ込め、構えを解いた。

 

「——っ!?」

 

 武器を引っ込めたセルティに鬼太郎の瞳が揺らぐ。

 しかし、彼の方は未だに警戒を解いておらず、注意深い視線でセルティを見据える。そんな彼の視線を気にしつつ、彼女は地面に転がったヘルメットを拾い上げ、それを頭の位置にはめ込む。

 さらにバイクのサイドカーに取り付けていた『荷物』を抱え上げ、それを鬼太郎へと差し出した。

 

「…………どういうつもりだ?」

 

 訝しがりながらも、荷物を——仲間の入ったバッグを受け取る鬼太郎。彼はセルティが今更になって大人しく仲間を引き渡したことを怪しんでいる。

 セルティはスマホに文字を打ち込み、懐疑的な眼差しを向けてくる鬼太郎に画面を見せつける。

 

『どうやらここまでのようだ』

「……な、に?」

 

 初めてセルティの方からコンタクトされたことに戸惑いつつ、鬼太郎は続けざまに打ち込まれる文字列を目で追っていく。

 

『警察に港を抑えられた以上、私の仕事は失敗だ』

『これ以上、君と敵対してまで荷物を守る理由はない』

『元から……あまり気乗りする仕事でもなかったしね』

 

 妖怪売買の片棒担ぎなど、元から褒められるような仕事ではない。一応は運び屋の責務として最後まで完遂しようとしたが、肝心の取引先があれでは、もうどうにもならない。

 仕事の失敗でセルティの評判は下がるかもしれないが、この失敗は不可抗力でもある。

 

 この状況なら——たとえ鬼太郎に荷物を奪還されたとしても、ある程度言い訳も立つ。

 

 以上のことから、セルティは大人しく鬼太郎に荷物を明け渡すことにしたのである。

 

「やけに素直じゃのう。警察に密輸船を抑えられたくらいで……」

 

 しかし、セルティの言い分に目玉おやじも訝しがる。

 ここまで自分たちを翻弄してきた相手が、たかが警察の介入くらいで大人しく降参を選んだことがよっぽど腑に落ちなかったのか。

 だが、セルティからすればかなり切実な問題であり、ムキになったように目玉おやじに反論する

 

『おいおい、日本の警察を甘く見ないほうがいい!』

『世界から見ても、彼らは優秀な部類に入る』

『彼らに目を付けられれば、私の日常生活にも支障が出るんだからな!』

 

「日常生活って……」

 

 セルティの言い分に鬼太郎は呆気に取られる。首の無い怪異の日常生活とはこれ如何に。

 するとそんな鬼太郎に向かって、さらにセルティは力説するように熱の入ったタイピングでその文字を打ち込んでいた。

 

 もっとも、それは妖怪である鬼太郎たちからすれば、ただの皮肉にしか思えなかっただろうが——。

 

 

『それに——奴ら警察の中には、化け物がいるんだ!!』

 

 

「…………」

「…………」

 

 怪異であるセルティの言い分に、鬼太郎と目玉おやじは沈黙。

 

「……いや、それはお前さんの台詞じゃなかとね」

 

 いつの間にか復帰していた一反木綿が、二人の代わりにセルティにツッコミを入れていた。

 

 

 

×

 

 

 

「「「鬼太郎さん、ありがとう!!」」」

 

 鬼太郎は首無しライダーから引き渡された荷物を確認する。

 バッグの中からは白蛇の子供たちが数匹顔を出し、鬼太郎に礼を述べる。この白蛇たちこそ、今回ねずみ男の手引きで攫われた仲間たちだ。

 見た目は完全にただの白蛇だが、これでも歴とした妖怪。その美しい見た目、幸運を呼び込む力があるともされ、そのせいで人間たちに目を付けられてしまったのだ。

 

「いたた……ああ、腰が痛いわい」

「ぬ、ぬりかべ~……」

 

 首無しライダーに大鎌を振るわれた子泣き爺とぬりかべの二人も、ゆっくりとだが体を起こす。どうやら彼らも無事らしい。

 

「良かった……みんな無事見たいですよ、父さん」

「うむ、そのようじゃな」

 

 鬼太郎は仲間たちが全員何事もなかったことに安堵の微笑みを浮かべ、目玉おやじも頷く。

 

「————————」

 

 そんな鬼太郎たちの横で、首無しライダーは倒れていた黒バイクを起こしている。もはや戦う理由もなくなった鬼太郎は相手を呼び止めることなく、そのまま立ち去るところを見送るつもりだった。

 しかし意外なことに、首無しライダーの方から再び鬼太郎にコンタクトをとってきた。

 

『そうだ。せっかくの機会だ。君に聞いてみたいことがある』

「ボクに……? いったい何だ?」

 

 つい先ほどまで敵対していた相手ということもあり、少し厳しい口調で応える鬼太郎だったが——

 

 首無しライダーがスマートフォンに浮かべた質問の内容に彼は——この日一番の動揺を隠せないでいた。

 

 

 

『君は——『人間と妖怪の共存』について、どんな考えを持ってる?』

 

 

 

「——な、なにを、どうしてそんな質問を……」

 

 まるで、人間と妖怪の狭間に立つ鬼太郎の立場を知っているかのような問い掛け。

 見ず知らずの相手からそんなピンポイントな質問をされ、鬼太郎は困惑する。

 

『いいから答えてくれないか?』

 

 だが首無しライダーは鬼太郎にさらに詰め寄り、答えを要求してくる。

 

「…………」

 

 鬼太郎は暫し考え込む。

 先ほどまで敵対していた、しかもよく知らないような相手からの質問だ。本来なら、そんなものに答える義理も義務もない。

 

 だが、首無しライダーは真正面から鬼太郎を見据え、彼の答えを待っている。

 

 そんな相手からの質問を無視し、何も答えないでいるのは逃げているように思えた。

 ましてや、その質問の内容は『人間と妖怪の共存』という、鬼太郎にとって決して目を背けられない問題。

 

 それ故に——鬼太郎は首無しライダーの問いに、ポツリと静かに口を開き始めていた。

 

「人と妖怪は近づきすぎない方がいい……少し前までのボクなら、なんの躊躇いもなくそう答えていたと思う……」

 

 人間の依頼に応えて力を貸すゲゲゲの鬼太郎だが、その線引きだけはキチンと意識していた。

 妖怪は妖怪、人間は人間。決して交わらない、交わっちゃいけないものと考えていた。

 

「けど……あの子に……とある人間の子と出会ってから……ボクも色々と考えさせられた」

 

 鬼太郎の脳裏に浮かぶのは人間の少女・犬山まな。

 彼女と出会うようになってから、鬼太郎はもう一度人間と深く関わってみようと、彼らのことを信じてみようと思えるようになった。

 

「勿論、そのせいで痛い目にもあったさ。信じようとして裏切られて……失望させられそうになったことも、一度や二度じゃない」

 

 だが現実はそう上手くいかない。幾度となく思い知らされる。人間の傲慢さ、身勝手さ。

 救いようのない人間たちの、妖怪さえ欺き、利用しようとする卑劣さに失望を抱かずにはいられない。

 

「でも……それでも、ボクは……諦めたくない。全ての人間が悪いわけではないと、知ってしまったから」

 

 しかしそれでも——鬼太郎は信じ続けることを止めない。

 全ての人間が悪ではないと、『まな』という友達の温かさを知ってしまったから。

 

 

「彼らとの共存を——共に歩むことを、今は夢に見ているよ……」

 

 

「鬼太郎……」

 

 思いがけず息子の本音を聞けて、感極まったように涙を零す目玉おやじ。

 一方で、その質問を投げかけた首無しライダーはというと——。

 

「————————」

 

 肩をカクカクと震わせている。ヘルメットの動きと合わせて、どうやら笑っているようだ。

 

「何がおかしいんじゃ!?」

 

 息子の真剣な答えに相手が嘲笑したと思い、目玉おやじが憤慨する。だが、首無しライダーは特に気にした様子もなく、腹を抱えたままスマホの文章を突き出す。

 

『済まない。君たちを笑ったわけじゃないんだ』

『ただ……似たような質問に、似たように答えた奴を知っていてね』

 

「——?」

 

 首無しライダーの書き込みに鬼太郎は首を傾げる。自分以外の誰がそのような質問を投げかけられ、同じように答えたというのか。

 

『いや、悪かったよ。色々と参考になった、ありがとう』

 

 鬼太郎の回答に満足したらしく、首無しライダーは用が済んだとばかりに彼らに背を向け、黒バイクのハンドルを握り込む。

 

 すると、次の瞬間——黒バイクのシルエットが歪に蠢く。

 

 バイクという機械的なフォルムから、一気に生物的な姿にその形を変貌させ——数秒後、そこには漆黒の首無し馬が姿を現していた。

 

「なっ……馬?」

 

 もう何度目かになる鬼太郎たちの戸惑い。しかし、さすがにもう慣れたのかそこまで驚きはない。

 だが最後の最後、首無しライダーはその愛馬に跨りながら、鬼太郎に特大の爆弾発言を残していく。

 

『それじゃ、私は失礼させてもらうよ』

『まなちゃんや、猫娘さんによろしく伝えておいてくれ』

 

「…………はっ!?」

 

 唐突に出てきた知り合いの名前に、今までとは別の意味で目を丸くする鬼太郎。

 そんな彼の困惑を置き去りに、今度こそ首無しライダーは首の無い馬を伴い、その場を後にしていく。

 

 

 

 

「…………」

 

 それから数分間。

 港の倉庫街には狐につままれるような顔で呆然とする、鬼太郎たちが取り残されていた。

 

 

 

×

 

 

 

 池袋の首無しライダー、セルティ・ストゥルルソン。

 彼女はいつになく陽気な気分で、愛馬であるシューターを首無し馬の姿で公道を走らせていた。バイクのタイヤが鬼太郎の髪の毛針でパンクさせられたが故のやむを得ない判断だが、それとは別にセルティは愉快な気分だった。

 隣を走る自動車の運転手が自分の存在に唖然としているが、それがどうしたとばかりに駆け抜けていく。

 

 ——……人間との出会いで変えられたか。

 ——……ふふっ、私と同じだな。ゲゲゲの鬼太郎!

 

 鬼太郎に向けた『人間と妖怪の共存』についての問い掛け。それは今日、自分に会いに来たという犬山まなから投げ掛けられた質問そのままだ。

 自分が問われたことを、試しに鬼太郎にもしてみたところ——予想以上に自分と同じような答えを返されたことに、セルティは思わず笑ってしまった。

 

 そう、セルティもまた、犬山まなの質問にゲゲゲの鬼太郎と似たように答えていた。

 

 

 

 

『人間と妖怪の共存かい?』

『…………そうだな。少し前までの私なら、そんなものは戯言と切って捨ててただろう』

 

「……そう、ですか」

「まな……」

 

 今日の昼間。マンション内の自室にて緊張した面持ちでセルティと向き合う犬山まな。その隣には心配そうにまなのことを見つめる妖怪・猫娘がいる。

 セルティはまなの問い掛けに考え込みながら、隣に立つ人間・岸谷新羅を見つめて文章を打ち込んでいく。

 

『見ての通り、所詮私は化け物だ』

『この街で暮らしていたのも、とある目的を果たすためだ』

『その目的を果たせば、どうせこの街から立ち去ることになる……そう、割り切って生きてきた』

 

 それがセルティというデュラハンの偽らざる気持ちだった。

 所詮、自分は異邦人。いずれは立ち去る定めと線引きし、他者と深く関わることを避けていた。

 しかし——

 

『けれどそんな私のことを、新羅は好きだと言ってくれた』

 

「……っ!?」

「……え!?」

 

 二人の少女が驚いて顔を真っ赤に染めるが、構わずセルティは続ける。

 

『私を離したくないと、この街に繋ぎ止めてくれたんだ』

 

 そうだ。ゲゲゲの鬼太郎が犬山まなと出会い、その考えを変えられたように。

 セルティもまた、新羅との出会いで生き方を変えられた。

 

『私も新羅のことが好きだ。彼と共に生きるために、こうして池袋の街に留まっている』

「セルティ~!! そうさ! 君と俺との愛は未来永劫、変わることのない——ぐはっ!?」

 

 その言葉に感激して抱きついてこようとする新羅だが、とりあえずそれを肘打ちで黙らせる。好きなものは好きだが、一応二人の少女の目を気にして大っぴらにイチャイチャすることは控える。

 新羅のせいで緩んだ空気を引き締め直し、セルティは再びまなたちと向かい合う。

 

『そうやって、一度誰かを受け入れると不思議なものでね』

『新羅だけじゃない。他の人たちとの繋がりも大事になってくるんだ』

 

 そう、そうやって新羅の存在を受け入れたことで、セルティは他の人間との関わりも大切にするようになった。

 

 ダラーズの事件で知り合った少年——竜ヶ峰帝人。

 切り裂き魔の事件で親しくなった少女——園原杏里。

 数年前から数少ない友人でもある池袋最強——平和島静雄。

 仕事関係では情報屋の折原臨也と繋がりもあるが、正直コイツとの縁は切りたいところ。

 

 その他にも、多くの人間たちと関わりを持ち、セルティはこの街で絆を育んできた。

 きっと、これからもその絆の輪は広がっていくだろう。

 

『そうだね。そう考えると人間との共存ってのも、あながち捨てたもんじゃないと思うよ』

 

 それが——今のセルティ・ストゥルルソンの正直な思いだった。

 

「セルティさん!!」

 

 セルティのその答えに、犬山まなは希望に満ちた表情で微笑んでいた。

 

 

 

 

 ——頑張れよ。まなちゃん、ゲゲゲの鬼太郎。

 ——君たちの夢……私も応援しているからな。

 

 自分と同じように人間との共生を受け入れた鬼太郎。

 そのきっかけとなったであろう少女のことを思いながら、セルティは今日も街中を駆けていく。

 

 人間と妖怪の共存。それがどのような試練の果てに紡がれるか、セルティにも分からない。

 きっと、生半可な道のりではないだろうと、彼らの苦悩の日々を思えば胸が締め付けられる思いだ。

 

 だがそれでも、彼女は願わずにはいられなかった。

 どうか、彼らの未来に幸あれと。

 

 二人の思いが望ましい形で実現されることを、セルティ・ストゥルルソンは心から祈るのである。

 

 

「——よお、化け物」

「————————!?」

 

 

 だが——そんな思いを胸に抱くセルティの背に、聞き覚えのある男の声が浴びせられる。

 彼女は恐る恐る、背後を振り返った。

 

「随分とご機嫌じゃねぇか? そんな馬で公道を爆走しやがって」 

 

 首無し馬であるシューター。そのすぐ後ろをピッタリと張り付くように白バイ隊員・葛原金之助が追走している。彼は怪異であるセルティに、実に爽やかな笑顔を浮かべ声を掛ける。

 

「バイクじゃなくて、馬なら許されると思ってたか? 俺たちがビビると思ってたか?」

 

 ——あ、い、いや……そ、その……。

 

 弁解を口にしたいセルティだが、生憎と手綱を握るのに両手が塞がっている。

 それに、たとえどんな言い訳を口にしようとも、この男は聞き入れないだろう。

 

 道路交通法を犯すセルティに、彼はいつものように容赦のない宣戦布告を口にする。

 

 

「——化け物風情が、交機を舐めるな」

 

 

 そうして、再び街中で繰り広げられるカーチェイス。

 セルティは鬼太郎たちに追い回されたとき以上の恐怖と絶望をその背に感じながら、必死に白バイから逃げ惑う。

 

 ——ひぃええええええええ!! た、助けてくれっ! 新羅っぁああああ!!

 

 心中で愛しい恋人の名を叫びながら、彼女は考えを改めていた。

 

 

 

 前言撤回。人間はやはり恐ろしい。

 彼らとの共存は……もう少し先でいいやと。

 

 

 

 

 

 

 




次回予告
 
「自分を助けてくれた妖怪を捜して欲しいという少女の依頼。
 ですが、どこを捜せどそんな妖怪の姿は影も形も見つかりません。
 父さん、彼は何処から来た、何者なのでしょうか?

 次回——ゲゲゲの鬼太郎『戦国より来たる・犬夜叉』 見えない世界の扉が開く」

というわけで、前回とったアンケートの結果。ダントツで犬夜叉がトップだったので次回は『犬夜叉』のクロスをやる予定です。
おそらく、両作品が好きな人なら一度は考えたことのある王道のクロスオーバー。
6期の設定でしかできないようなストーリーを考えているので、どうかお楽しみに!


ちなみに、アニメの最終回がどのような結末になってもこちらの小説は続けられるよう、だいたいは時間軸を『2年目』に想定して物語の構想を練っています。
ですが、一応『3年目』の話を考えていないわけではありません。

『まなちゃんが京都に修学旅行』『3年目の境港シリーズ』『まなちゃんの母方の実家』の話なども、3年目に向けて考えています。

全ては——本家の最終回次第……それにより、それらの話を執筆するか色々と考えていきたいです。

 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

犬夜叉 其の①

ゲゲゲの鬼太郎・最終回が終わった興奮が冷めやらぬ中、次話を投稿します。
最終回の作者の感想に関してましては、コメントへの返信欄をご覧ください。

さて、クロスオーバー第五弾『犬夜叉』です。
この企画を始めようとした際、真っ先にクロス候補として頭の中に浮かんだ、王道作品。両作品を好きな方なら、一度くらい考えたことのある組み合わせでしょう。

ですが、小説を読む際にいくつか注意事項。

まず、作者は正直そこまで犬夜叉に詳しくありません。劇場版四作品は全部観て、昔放送されていたアニメの方もリアルタイムで視聴していました。
ですが、原作漫画の方は読んでおらず、細かい設定などに関しましてはうろ覚えです。一応、今作を書くにあたりいくらか予習してきましたが、どこまで正しいか……正直自信がありません。

また、ゲゲゲの鬼太郎とクロスする関係上、話の内容は現代を中心に展開されます。
そのため、クロスさせる犬夜叉側の登場人物がある程度限定されます。
また、アニメオリジナルエピソードを参考にしていますので、原作派の人では分からない話の内容が出てくるかと思いますので、ご了承ください。

三話構成で話を進めていきます。どうかよろしくお願いします。



「——あなたが……ゲゲゲの鬼太郎さんですか?」

 

 都内のとある公園。クマのぬいぐるみを抱きかかえた少女がゲゲゲの鬼太郎と向き合っている。

 あどけない表情の女の子。どこか緊張した様子で小首を傾げる小さな依頼主に、鬼太郎の付き添いでやって来た猫娘が優しく語りかける。

 

「ええ、そうよ。私は猫娘。鬼太郎の仲間なの」

 

 彼女は自身も名乗りながら、鬼太郎のことを紹介する。

 

「君が……ボクに手紙をくれたアミだね?」

 

 鬼太郎は妖怪ポストを通じて送られてきた手紙を片手に彼女——アミと名乗った少女に会いにやってきた。手紙の字の拙さから差出人が子供であることは察していたが、思った以上に幼い依頼主に若干戸惑い気味の鬼太郎。

 だが、すぐに気を取り直しアミからの依頼内容——『犬耳のお兄ちゃん』を捜して欲しいという話の詳細を尋ねる。

 

 数ヶ月ほど前のことだ。

 アミの住んでいるマンションで火災があり、彼女は運悪く火の手の上がる部屋の中に一人取り残されてしまった。消防隊が必死に救助活動を試みるも、火の勢いが激しすぎて近づくことも叶わなかった。

 このまま自分は死んでしまうのではと、アミは炎に巻かれ絶望に泣き崩れた。

 

 そんなときだった——彼が『犬耳の青年』が颯爽とその場に現れたのは。

 消防隊員が怯み腰になる中、彼はたった一人でアミを炎の中から連れ出してくれたのだ。

 

「それでね! そのお兄ちゃん、頭に犬みたいな耳が生えてたの! 可愛かったな!!」

 

 アミの話によれば、その青年には犬のような耳が生えていたとのこと。

 しかし、少女がその耳に気づくと、青年は逃げるように立ち去ってしまったという。

 

「わたしね、そのお兄ちゃんにもう一度会ってお礼が言いたいの……助けてくれてありがとうって! この花飾りをプレゼントするんだ!!」

 

 そのときにもキチンとお礼を言ったらしいが、今度はちゃんと向かい合って感謝を伝えたいと、少女は犬耳のお兄ちゃんを捜すことを決意した。

 そしてあの犬耳から、ひょっとしたらあの人は妖怪さんだったんじゃないかと、アミは子供ながらに考え、噂を頼りに妖怪ポストに手紙を送ったという。

 ゲゲゲの鬼太郎に、犬耳のお兄ちゃんを捜して欲しいとお願いするために。

 

「ああ、分かった。なんとか捜してみよう」

 

 あどけない少女の願いに、鬼太郎は笑顔で頷く。

 人間と妖怪の共存を密かに夢見る鬼太郎からすれば、今回のような依頼は寧ろ大歓迎だ。

 

 純粋に感謝を伝えたいというアミの望むに応えるべく、鬼太郎はその依頼を引き受けていた。

 

 

 

 

「ケッ、相変わらず金にもならねぇ仕事ばっか引き受けてきやがって!」

 

 ゲゲゲハウスに戻ってきた鬼太郎は、さっそくねずみ男からお小言を食らっていた。いつもいつも、報酬も受け取らずに人間たちからの依頼に応えているのが気に食わないのだろう。

 ましてや、今回の依頼主はアミのような小さな女の子。報酬を騙くらかそうとも、払える金額などたかが知れている。ねずみ男は明らかにやる気なさそうに寝っ転がっている。

 

「別に手伝わなくてもいいわよ。誰もアンタに期待してないから」

 

 ねずみ男と犬猿の中である猫娘は彼をつっけんどんに突き放す。ねずみ男の手など借りなくても困らないと、彼を無視して話を進めていく。

 

「それで……この絵が『犬耳のお兄ちゃん』ってやつの唯一の手掛かりってわけね」

「うむ、どうやらそうみたいじゃな……」

 

 猫娘の疑問に茶碗風呂に浸かりながら目玉おやじが頷く。

 実際にいざ犬耳の青年を捜すにあたり、鬼太郎たちはアミからその青年の『絵』を貰ってきた。それを卓の上に置き、一同が眺めて捜索対象を確認する。

 しかし、この『絵』というのがまた癖ものだった。

 

「まあ、よく描けてるとは思うけど……」

「そうじゃな……しかし、クレヨンで描いたイラストでは限界があろう」

 

 猫娘の懸念に酒を煽っていた子泣き爺が同意する。

 そう、アミから貰ってきた犬耳の青年の絵とは——彼女がクレヨンで描いた似顔絵だった。

 写真などなかったため、アミは記憶を頼りに手書きでイラストを描いた。これで捜せというのだから猫娘たちが不安になるのも無理はないだろう。

 

「いや、これはこれで特徴をしっかりと捉えておる。何も問題はなかろう」

 

 しかし一同が不安になる中、砂かけババアは何も問題ないとアミの描いたイラストを手に取る。

 子供の描いた絵ということもあり、ところどころ拙さが目立つイラスト。しかし、尋ね人の特徴はキチンと捉えている。

 犬耳は勿論、長い髪の毛は銀色に塗りたくられ、服装も赤い着物と古風で目立つ格好だ。

 

「よし、手分けして捜そう。皆、すまないが手伝ってくれ」

 

 鬼太郎も大丈夫と判断したのだろう。その絵を頼りに仲間たちにも協力してくれるように願い出る。

 

「ぬりかべ~!!」

 

 鬼太郎の号令に、その場を代表するようにぬりかべが元気よく返事をした。

 

 

 

 

 そうして、ゲゲゲの森の仲間たちにより、犬耳の青年の大捜索が始められた。

 似顔絵を頼りに他の妖怪たちに聞き込みをしたり、ラインなどでイラストの写真を送ったり、カラスたちに頼んで東京中を隈なく捜索してもらったりと。

 鬼太郎たちは思いつく限りの手段を用いて、青年の行方を捜した。だが——

 

「——ああ、もう! 全然見つからないじゃない!!」

 

 猫娘がじれったい思いを込めて叫ぶ。捜せど捜せど影も形も見当たらない。手がかりの一つも掴めない状況にさすがの鬼太郎たちも困惑する。

 

「うーむ……これだけ特徴的な妖怪が近くに住んでおれば、誰かしら知る者がいると思ったんじゃがのう」

 

 目玉おやじが困ったように腕を組んで考え込む。

 鬼太郎はゲゲゲの森でも顔が利く方だし、その父である目玉おやじも妖怪に関する相当な知識量を保有している。しかし、そんな鬼太郎たちの人脈を持ってしても犬耳の青年の名前すら分からず、目玉おやじも彼のような妖怪に心当たりがない。

 そのことに違和感を覚えた鬼太郎は、その場に集まった仲間たちに自身の考えを聞かせる。

 

「ひょっとしたら……この辺りに住んでいる妖怪じゃないのかもしれないな」

 

 彼はこの犬耳の青年が近場に住んでいない、よそ者である可能性を指摘する。

 たまたま近くを通りかかり、気まぐれで女の子を助けた。それならば、此処まで捜しても見つからない理由に合点がいく。

 

「少し捜索範囲を広げてみよう。皆に迷惑をかけるが、協力してくれないか?」

 

 鬼太郎は捜す範囲を広げ、もう一度仲間たちに手伝ってもらえるように頭を下げる。

 

「しょ、しょうがないわね。ここまで来たら、最後まで付き合ってあげるわよ!」

 

 猫娘は鬼太郎のお願いに頬をほんのり赤く染め、やれやれといった空気を出しつつも彼の力になることを了承。その他の面子も「何を今更と……」と、誰一人として途中で投げ出す者はいなかった。

 砂かけババアも、子泣き爺も、ぬりかべも。カラスたちでさえ「カー!」と鳴き声で返事をする(ねずみ男は最初から金にならないと、参加していない)。

 その場に集った皆が鬼太郎のため、アミのために犬耳の青年を見つけようと——。

 

「………あれ? そういえば、一反木綿はどこに行ったのよ?」

 

 だが不意に猫娘が気付く。いつもの面子の中に色ボケふんどしこと、一反木綿がいないことに。

 女好きの彼が、子供とはいえアミのような少女の依頼に応えないわけがないと疑問を抱く。

 

「なんじゃ、猫娘。気づいとらんかったのか?」

 

 すると、猫娘の疑問に砂かけババアはあっさりと答える。

 

「一反木綿なら里帰りじゃ。一週間くらい前から鹿児島の方に行っとるぞ?」

「……全然気付かなかった」

 

 特に一反木綿を目で追っていたわけでない猫娘は彼の不在を知らなかった。

 一方で、空を自由自在に浮遊できる一反木綿がいれば、もう少し捜索も楽になっていただろうと残念がる。

 

 彼の不在に「はぁ~」とため息を吐き、猫娘は鬼太郎たちと共に再び犬耳の青年を捜しにゲゲゲの森を後にしていた。

 

 

 

 

 このとき、鬼太郎の『犬耳の青年は近くに住んでいない』という考えは、ある意味的を射ていた。

 しかし、捜索範囲を広げたところで見つからない、見つかるわけもなかった。

 

 何故なら『犬耳の青年』は現在、この国にはいない。

 それどころか世界中のどこにも——この時代のどこにも、現時点において『彼』は存在していなかったのだから。

 

 

 

×

 

 

 

 現代より、時代を五百年ほど遡る。

 時は戦国——群雄割拠の乱世。

 

 名だたる大名たちが覇を唱え、血生臭い戦を日常として繰り返す日々。世の中が暗い空気に満たされていた時代。

 そういった時代の転換期は、特に妖たちの動きが活発になっていく。平然と人里を襲い、自由気ままに勝手気ままに人々を喰らい、苦しめていた。

 

「シャァー!!」

「ひ、ひぃええ! お、お助けぇえええええ!?」

 

 とある農村。

 この村にも怪異たちが早朝から姿を現しては、人間たちを喰らおうと徒党を組んで雪崩れ込んでくる。

 兵士が守りを固める城や城下町ならいざ知らず、日々の暮らしを終えるのに精一杯の農民たちでは決して抗えるわけもなく、成す術もなく皆殺しの憂き目に合っていたことだろう。

 

 だが、人間側も決してやられっぱなしでは終わらない。

 彼らは妖怪の存在を脅威と認め、様々な方法、手段で妖怪たちから身を守っていた。

 

「——飛来骨!!」

 

 男勝りの掛け声を上げながら、ポニーテールの少女が巨大なブーメランのようなものを妖たちに向かって投擲する。重量50kgほどの塊が矢のような勢いで飛んでくれば、いかに妖怪たちといえども簡単に防げる筈もなく、数体の化け物がその飛来骨によってまとめて薙ぎ払われる。

 

「おいで、雲母!!」

「ガウ!!」

 

 少女はブーメランとして戻ってきた飛来骨を易々とキャッチし、側にいた子猫の名を叫ぶ。

 雲母(きらら)と呼ばれたその子猫は、次の瞬間——炎を纏いながら巨大化。大きな化け猫の妖怪としての姿を曝け出し、少女を背中に乗せて飛翔する。

 少女の名は珊瑚(さんご)。妖怪退治を生業とする退治屋の一族であり、16歳という若さで里一番の手練れとなった実力者だ。彼女は相棒の猫又・雲母と共に悪しき妖怪を退治し、抗う術のない人々を悪鬼たちの魔の手から守護してきた。

 

「ちっ、何体か討ち漏らした……法師様! そっち行ったよ!!」

 

 珊瑚は飛来骨で仕留めきれなかった数体の妖怪を雲母と共に追いかけながら、彼らが逃げた先に待ち構えているであろう仲間に向かって叫ぶ。

 

「任せなさい、珊瑚!」

 

 法師と呼ばれた僧の男・弥勒(みろく)。彼は津波のように押し寄せてくる妖怪たちを真正面から待ち構え、十分に接近してきたところでバッと右手を翳す。

 

「——風穴!!」

 

 弥勒の言葉のまま、彼の右手の平には『風穴』が空いていた。解放されたその穴はまさにブラックホールのようにあらゆるものを吸い込む。弥勒に襲い掛かろうとした怪異たちですら、抗う暇もなく全て飲み込まれていく。

 

「ふぅ、これで終わりですか?」

 

 妖怪を吸い込み終えると、弥勒は素早くその穴を塞ぐ。風穴は強力な技だが、弥勒にも制御しきれない呪いでもある。使い過ぎれば敵はおろか、自分自身ですらいずれ呑み込んでしまう。

 敵を全て倒し終えたと思い、弥勒はほっと安堵の息を溢す。

 

「いや、まだだよ。法師様!!」

 

 しかし、警戒を緩める弥勒に珊瑚が呼び掛ける。彼女は弥勒を雲母の上に相乗りさせ、共に上空へと飛翔する。

 

「おっと、まだこんなにもいたのですか。まったく、どこから湧いてくるのか」

 

 空からだとよく分かる。妖怪たちがまだまだ大量にひしめき合っているのが。

 村の外から、さらに多くの妖たちがすぐ側まで押し寄せている光景がそこにはあった。

 

「まずいですね。あれが押し寄せてくれば村は壊滅ですよ」

 

 焦りを口にしながらも、冷静に分析する弥勒。

 あの妖怪の群れが押し寄せてくれば、彼らが守ろうとしている村が滅んでしまう。人の避難はほとんど済んでいるが、農作物に被害が出ればそれで全て台無しだ。

 何とかあの群れを阻止しなければと、そう考えていたところで珊瑚があることに気付く。

 

「!? 法師様、あんなところに子供たちが!!」

「逃げ遅れがいましたか!!」

 

 村の中に逃げ遅れていた子供たちを見つけたのだ。姉妹なのだろうか、二人の女子が体を震わせながら身を寄せ合っている。

 珊瑚と弥勒は慌てた様子で彼女たちの元へ駆け寄ろうとした。

 

「——おらに任せろ! 変化!!」

 

 だが彼らが駆けつけるより先に、幼い少女たちに駆け寄る男の子がいた。

 一見すると人間の子に見えるが、お尻に狐の尻尾を生やしており、変化の一言で子供は一瞬で巨大なピンク色の風船に化ける。

 そのまま、風船は女の子たちを乗せて上空へと避難する。

 

「でかしましたよ、七宝!」

 

 女の子たち助けた手際に、弥勒がその男の子を褒める。

 その子供の名は七宝(しっぽう)。弥勒たちの仲間の狐妖怪だ。

 狐妖怪はあらゆるものに化けることができ、化けた姿である程度の力を行使できる。風船に化ければふわりと中に浮かべるし、鳥に化ければ翼を使って空を羽ばたくこともできる。

 

「ひぃっ!! き、きた!?」

 

 しかし、七宝はまだまだ子供。化けれる範囲も、化けて出来ることにも限界があり、押し寄せてくる妖怪の群れ相手に大慌てで戦線を離脱していく。

 

「さて、あとはあの群れをどうにか出来れば……」

 

 避難していく七宝たちを見送りながら、弥勒がシリアスな顔で残党をどう片付けるか思案にふける。しかしその台詞には今ひとつ締まりがない。

 

「そうだね……って、どこ触ってんのよ!!」

 

 真面目なことを考えつつ、弥勒の手が珊瑚の尻をいやらしく撫でていたからだ。

 隙あればスケベなことをしてくる彼に、珊瑚はいつものように容赦のない平手打ちをお見舞いする。

 

 二人が極めて個人的なことで揉めている間にも、怪異たちは村のすぐ側まで押し寄せている。

 あと数歩で村の敷地内に侵入してくる。その事実に弥勒たちが肝を冷やしかけた——その直後。

 

 妖怪たちの横合いから放たれた矢が、今まさに村に入り込もうとした妖たちに突き刺さる。

 

「があああああ——!?」

 

 その矢の威力に、苦しみに悶える邪悪なものたち。放たれたのが通常の弓矢であれば、彼らもここまで苦しむことはない。しかしその矢は退魔の力が込められた『破魔の矢』だ。邪気を祓う強力な力が彼ら悪鬼の瘴気を払う。

 

「かごめ様!」

「かごめちゃん!」

「かごめ!!」

 

 待ちかねた援軍に弥勒、珊瑚、七宝が一斉に矢の放たれた方角を振り返る。

 彼らの視線の先には、明らかに戦国時代に似つかわしくない格好——セーラー服を着た少女が立っていた。

 

 彼女の名は日暮かごめ。

 現代からこの五百年前の戦国時代へとタイムスリップしてきた、中学三年生の少女である。

 

「いっけぇええ!!」

 

 神秘が薄れた現代人でありながらも、高い霊力を宿した彼女は凛とした構えでさらに弓矢を放ち、妖怪の群れを突き崩す。

 

「ぐぁあああああ!!」

 

 破魔の矢の威力にたまらず除ける妖怪たち。彼らはかごめの存在を脅威と認識したのか。標的を無人の村から彼女一人に変更し、まっすぐと突き進んでくる。

 土砂崩れの如く押し寄せてくる妖の群れを相手に、さすがに矢の数が不足している。かごめ一人ではどうやっても、あの妖怪たち全てを相手取ることはできない。

 

 だが、押し寄せてくる妖怪の群れ相手に、かごめはまったく怯まない。

 その光景を見届ける仲間たちも、一切心配する様子を見せない。

 

「——来たわよ、犬夜叉!!」

 

 何故なら、彼女は信じてるから。

 自身の隣に立つ仲間を。犬夜叉のことを——。

 

「おう! 待ってたぜ!!」

 

 かごめの信頼に応えるように、犬夜叉と呼ばれた青年が妖怪たちの前に立ち塞がる。

 銀色の髪が腰まで伸び、赤い着物『火鼠の衣』を纏っている。そして、頭には犬のような耳——その耳は彼が人間でも、妖怪でもない『半妖』であることを示す証だ。

 犬夜叉は不敵な笑みを浮かべながら、懐に差していた妖刀『鉄砕牙(てっさいが)』を抜き放ち気合一閃、その力を解き放つ。

 

「——風の傷!!」

 

 鉄砕牙から放たれる衝撃波——風の傷。

 その一撃は『一振りで百の妖怪をなぎ倒す』強烈なもの。

 

「ぐわぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 犬夜叉の放った衝撃波により、何十体と残っていた妖怪たち、その全てが粉々に吹き飛ばされる。

 

「やったわ、犬夜叉!」

「けっ、これで終わりかよ。大したことねぇな」

 

 全ての脅威を完全に退け、かごめと犬夜叉は互いに笑みを浮かべあっていた。

 

 

 

 犬夜叉、かごめ、七宝、弥勒、珊瑚、雲母。

 半妖に人間、妖怪と種族の違いがこそ目立つ一行だが、彼らはこの戦国の世を共に旅をする仲間だ。

 彼らは共通の宿敵である半妖・奈落を打ち倒すため。そして『四魂の玉』と呼ばれる宝珠。ひょんなことから各地に散らばってしまった、その欠けらを全て回収するために日本中を巡っている。

 

 その旅の道中、彼らは妖怪に狙われているという農村を訪れ、村人のために妖たちを退治していた。

 これまで多くの強豪妖怪を打ち倒してきただけあって、そこいらの妖など彼らの敵ではない。

 易々と退治し、村人から気持ちばかりの謝礼を頂く。それで終わる話だった。

 

 だが、問題は——妖怪たちを退治したその後に起こったのである。

 

 

 

×

 

 

 

「——帰れ!!」

「……!!」

 

 無事に妖怪たちから、村を守り抜いた犬夜叉たち一行。

 しかし、そんな彼らに村人たちが浴びせたのは称賛でも、お礼でもなく、拒絶の言葉だった。

 村人たちを代表し、村長が激しく犬夜叉たちを罵倒する。

 

「まさか半妖連れだったとはな! そんな汚らわしい奴を平然と連れ回すとは……恥を知れ!」

 

 村長が何より問題視していたのは、半妖である犬夜叉の存在である。

 戦国の世は人と魔の距離が近しい時代だ。妖怪の存在を人間たちは当たり前のように認知していた。それ故、かごめたち人間が、純粋な妖怪である七宝や雲母を仲間として連れていること自体はある程度許容されていた。

 

 だが、そんな時代の中でも半妖である犬夜叉は稀有な存在である。

 

 人と妖怪との間に生まれた彼らは、どっちつかずの半端者として、人間からも妖怪からも忌み嫌われている。特にこの村の住人はその傾向が強かったらしく。犬夜叉が純粋な妖怪でないと知った途端、手の平を返すように態度を豹変させる。

 

「犬夜叉……抑えてよ」

「わってるよ。もうガキじゃねぇんだ。今更だぜ、この程度……」

 

 村人たちの心ない言葉に、かごめは犬夜叉のことを気遣いつつ、怒りを抑えるように言い聞かせている。喧嘩っ早い犬夜叉ではあるが、彼にとって半妖であることを蔑まされるなど、もはや日常茶飯事。

 いい加減飽きた。というより、相手にしたくないという気持ちが強く、村人たちの批判を無視して聞き流す。しかし——。

 

「まったく! 何故お前らのような半妖が生まれてくる? 母親は人間か? 妖と交わるなど……汚らわしい女じゃ!!」

「!! んだと!? テメェ、もっぺん言ってみやがれ!!」

 

 自身の母親・十六夜への侮辱の言葉には、犬夜叉も我慢できなくなってしまう。怒りに身を任せ、鉄砕牙を抜いては威嚇するように村長に刀の切っ先を突きつける。

 

「ひっ!? な、なんだ! わしは間違ったことは言っておらんぞ!?」

 

 犬夜叉の憤慨するさまに怯えつつも、自分は間違っていないとさらに吐き捨てる。そんな村長の態度に犬夜叉はおろか、かごめや他の仲間たちですら怒りを隠しきれない様子で彼を睨み付ける。

 しかし、余計な揉め事を起こしたくはなく、かごめたちはなんとか犬夜叉を宥め、早々にその村を後にしていた。

 

 

 

 

「なんなんじゃ、あいつらの態度は! おらは久しぶりに腹が立ったぞ!!」

 

 村を立ち去ってすぐ。道中を歩きながら狐妖怪の七宝が、先ほどの村人の態度に地団駄を踏む。

 普段から犬夜叉と子供の喧嘩を繰り返しては泣かされることの多い七宝だが、それでも犬夜叉は大切な仲間だ。仲間をああまで侮辱され、愚痴を溢さずにいられるほど大人ではない彼は、誰よりも感情を露わにして怒りを口にする。

 

「そうだね。いくらなんでも、あそこまで偏屈な連中はかえって珍しいよ」

 

 妖怪退治屋の珊瑚。小さくなった雲母を優しく撫でながら、彼女も村人への嫌悪を隠しきれない。

 仕事柄、妖怪に困らされている人々と接する機会が多い彼女は人間が妖怪を恐れ、彼らを遠ざけようとする考えにはある程度の理解もある。

 しかし、純粋な妖怪にではなく、半妖にだけあそこまで拒絶の意思を抱く相手にあまり出会ったことがなく、やや困惑している。

 

「……半妖に対する偏見や差別は国や地域によって違いもありますからね。ああいった者たちがいるのも、仕方がないことかもしれません」

 

 一方の弥勒は、村人たちの思考に一定の理解を示す。

 法師として各地を巡ってきた経験の多い彼は、様々な考えを持つ人々と交流し、その土地ごとによって差別や偏見を持つ者がいる現実を思い知っている。

 一行の中でも、いくらか冷静に今回の一件を捉えていた。

 

「昔から根深いところで続いている問題ですからね。我々個人で出来ることには限界がありますよ」

 

 こういった問題は数百年と続いている。いかに犬夜叉たち一行が強かろうとも、そう簡単に解決できるようなことではない。

 それこそ国単位、歴史単位で人々の意識を変えていく流れを作らなければ、いつまで経ってもなくならない。

 

「…………」

 

 弥勒は少し先を歩く犬夜叉、その隣を寄り添うように続くかごめの方に目を向ける。

 

「あの二人のように、互いに理解し合う関係になるには……相当の年月がいるでしょう」

 

 犬夜叉と日暮かごめ。半妖と人間。まだまだ互いの気持ちに揺れる想いもあるが、仲間である彼らから見て二人は『良い関係』を気づいているように見える。

 しかし、そういった理解の深さを他の人間に同じように求めるのは無理がある。所詮個人の感情など、社会の大勢の前ではただの少数派として黙殺されてしまう。

 

「せめてこれから先、犬夜叉のような半妖が大手を振って歩けるような未来がくればよいのですが……」

 

 自身でそのような意見を口にしつつ、それが途方もない理想であることを弥勒は自覚する。

 人と妖怪が手を取り合い、半妖の存在が認められて受け入れられるようになるには、途方もない月日が必要になるだろう。

 

 あるいは、そんな日は永遠に訪れないかもしれない。

 先ほどの騒動の後では、尚更そう思ってしまうのが現実だ。

 

 

 

 

「あんまり気にしちゃ駄目よ、犬夜叉」

「………」

 

 かごめは現代から持ち込んできた自転車を引きながら、犬夜叉の隣を一緒に歩く。先ほどの村長の言葉に傷ついているであろう、犬夜叉に彼女は優しく声を掛ける。

 

「お母さんを侮辱されて怒る犬夜叉の気持ちはわかる。けど、そのたびに刀を振り回してたら、それこそ逆効果よ」

 

 彼女は全面的に犬夜叉の味方をしつつも、すぐに怒って刀を振り回す彼の短気さを嗜める。あんなことを続けていては、それこそ誰も犬夜叉を信じなくなってしまう。

 犬夜叉自身のためにも、かごめは彼にもっと堪えることを覚えて欲しかった。

 

「うるせぇな……おめえには関係ねぇことだろう。ちょっと黙ってろ!」

 

 機嫌の悪さを隠しきれない犬夜叉はかごめの言葉に聞く耳を持たず、その態度にかごめも思わずムッとなってしまう。

 

「な、なによ! 人が心配してあげてるのに!!」

 

 かごめは、あくまで犬夜叉のことを想って忠告を口にしていた。それなのに彼はそんなかごめの気持ちを察せず、自身のイライラを彼女へとぶつける。

 

「余計なお世話だ!! 人間のお前に何が分かるってんだ!!」

「——!!」

 

 犬夜叉の叫びにかごめは息を呑む。

 いつもであれば、そこで彼女もすかさず言い返していただろう。売り言葉には買い言葉と、もう何度目か数えるのも馬鹿らしいほどの口喧嘩に発展していたことだろう。

 

 だが今回、犬夜叉の抱いた怒りには彼自身の立場——半妖であることが直結している。

 

 犬夜叉は幼少期の頃から半妖であることを理由に辛い経験をしてきた。その苦しみはたとえ彼と通じ合っているかごめですら、正しく理解することはできない。

 そこに思わず疎外感を感じ、彼女は暗い気持ちから思わず立ち止まる。

 

「犬夜叉……」

 

 先を歩く犬夜叉の背中。

 それがどこか遠いものに見え、かごめの胸の奥は締め付けられる想いだった

 

 

 

×

 

 

 

 時代を再び、現代に戻す。

 半妖はおろか、純粋な妖怪の存在すら大きく減少した二十一世紀。

 

 常に妖怪に襲われる恐怖に怯えていた戦国時代の常識が過去のものとなり、人間たちは我が物顔で世界を支配していた。人口を爆発的に増やし、山野を切り崩し、自分たちの住みやすいように周囲の環境を作り替えていく。

 大都会・東京。この国の中枢であるこの街も、昔と比べてだいぶ様変わりした。戦国時代の面影など微塵もなく、巨大な建物がズラリと居並ぶ光景。

 もしも過去の時代の人間がタイムスリップしてこようものなら、どこか異国の地と誤解することだろう。

 

「……たく、何度来ても目眩がするような光景だぜ」

 

 実際に戦国時代から現代にやってきた彼・犬夜叉もその一人だ。街中を堂々と歩きながらも、ここが本当に未来の日本の姿なのか、いまいち信じきれない気持ちで周囲を警戒する。

 

「………何で学校までついて来ようとするのよ、はぁ~」

 

 隣を歩くそんな犬夜叉の様子に、元々この時代の人間である日暮かごめはため息を吐く。

 犬夜叉は帽子を被って犬耳を隠してはいるものの、服装はいつも通りの真っ赤な着物だ。銀髪のうえ、さらに裸足で道を歩くその姿は警官に不審者として職質されても文句は言えない立場である。

 

 かごめと犬夜叉。共に戦国を旅する仲間たちの中で、唯一二人だけが現代と戦国。二つの時代を往来することが出来ていた。

 かごめの実家の神社にある『骨喰いの井戸』と呼ばれる古びた枯れ井戸。そこが犬夜叉のいる戦国と、かごめの住む現代を繋ぐ、タイムマシーンのような役割を果たしている。

 何故、時代を行き来できるのか? どうしてかごめと犬夜叉の二人だけなのか?

 色々と疑問は尽きないが、そこを深く考えることはせず、かごめは現代と戦国——二つの時代の二重生活を送っている。

 

「いい、犬夜叉!? 今日は大事なテストがあるんだから、アンタは大人しく家で待ってなさいよ!」

 

 そして、ここ数日はかごめの通う中学校で大事な学力テストが実施されていた。

 一応、今年が受験生のかごめはこのテストを受けるために現代に帰還中。少なくとも、今日一日はこちらにいるつもりだった。

 

「ちっ、わったよ。終わったらすぐに戻ってくんだぞ、かごめ!!」

 

 しかし、それにどこか不満げな犬夜叉。彼はかごめが現代に戻ることを嫌がっており、少しでも我慢できなければ彼女を追いかけて戦国時代からすぐにこっちにやってくる

 早くかごめを自分の時代に連れ帰ろうと必死だが、彼女にだってこちらの生活があるのだ。

 

「もう、無茶言わないで! 私だって、こっちでやらなきゃならないことがいっぱいあるんだから!」

 

 テストもそうだが、学校を休み過ぎたせいで出席日数がかなり危ない。仮病を使っているため、周囲からも何やら訳の分からない奇病にかかっていることにされ、その誤解を解くのにも一苦労だ。

 旅に必要な食料品、医療用具もこっちで買い揃える必要がある。犬夜叉の要求においそれと応えることはできない。

 

「犬夜叉こそ、街中をフラフラと歩き廻んないでよ!?」

 

 逆にかごめの方が犬夜叉に迂闊にうろつくなと、きつく言い聞かせる。

 

「それと……草太から聞いたわよ! この間、うちの庭で刀振り回してたんですってね!?」

 

 さらに彼女は、家での犬夜叉の問題行動についても言及していく。

 草太というのは、かごめの実の弟だ。彼曰く、犬夜叉はかごめの実家の庭先で鉄砕牙を振り回し、危うく飛行機に風の傷を命中させかけたことがあるらしい。

 彼女の実家の神社には幸い隣接する民家がないため、多少の騒ぎならどうにか誤魔化せるが、さすがに飛行機なんて墜落させた日には——犬夜叉は凶悪犯扱い、現代にいられなくなってしまう。

 

「ここは戦国時代とは違うの。むやみやたらに刀なんて振り回さないで!! いいわね!?」

「お、おう……」

 

 かなり強めに叱り付けたおかげか、犬夜叉は大人しく頷く。

 相手が自分の言ったことをキチンと理解したか不安なかごめだが、これ以上は学校に遅刻してしまう。

 

「それじゃ、行ってくるから!」

 

 とりあえず犬夜叉のことを信用し、実力テストという現役の中学生としては決して避けては通れぬ難敵に挑む。

 彼女は急ぎ、学校へと駆け出していった。

 

 

 

 

「……ちっ、かごめの野郎。俺だって、少しは学んでんだよ」

 

 かごめの立ち去る背中を見送りながら、犬夜叉は不満そうに愚痴を溢す。

 

 こっち側に来るたび、なんだかんだで犬夜叉は常にかごめから説教を食らってきた。

 やれ、あれは危険なものじゃない。やれ、犬耳を隠せだのと。こちらの時代の常識を持たぬ犬夜叉に何度も何度も。しつこいようにかごめは言い聞かせてきた。

 その甲斐もあり、犬夜叉はこちら側での常識をしっかりと身に付けた(と本人は思っている)。

 いつまでも右も左も分からぬガキではないと、彼はかごめの実家へと引き返す。

 

 これ以上、かごめから口煩く説教されぬため、彼女の帰りを大人しく待つことにしたのである。

 

 

 

 

 そう、戦国時代から現代にやって来た犬耳の青年『犬夜叉』。本来であれば、彼はこの時代にはいない異物だ。

 普段は戦国時代にいる彼を、現代の妖怪である『ゲゲゲの鬼太郎』たちが捜そうとしたところで、見つかる筈もないのが道理である。

 しかし、何の因果か。この日一日、犬夜叉はこちらの時代に留まることになった。

 

 

 それにより、本来は起こり得ぬ会合が両者の間で交わされることと相成ったのである。

 

 

 




犬夜叉側の登場人物。
 犬夜叉一行
  弥勒 
   右手にブラックホール『風穴』を持つ法師。
   彼に限らず、犬夜叉一行の出番はこの一話目の部分が最初で最後。
   劇場版でいつも珊瑚の尻を撫でるのがお約束となっているエロ坊主。

  珊瑚
   妖怪退治屋の衣装がボディスーツで中々エロいお姉さん。
   愛用の武器である『飛来骨』が50㎏はあると今回調べて初めて知った。
   どんな怪力やねん……。

  七宝
   狐妖怪の子供。様々なものに変化し犬夜叉たちをサポートする。
   ただ化けるだけじゃなくて、化けた先の能力が使えるって地味に凄い気がする。

  雲母
   猫又の妖怪。猫娘と出会えば猫語で会話できそうですが、話の都合上実現はしません。
   ほんと……出番が少なくて済みません。

 現代の人々
  草太
   かごめの弟。小学三年生。犬夜叉を犬の兄ちゃんと慕っている。

  アミちゃん
   名前はこちらで考えました。
   アニメのエピソード82話『現代と戦国のはざま』で登場した女の子がモデル。
   今回のクロスを考えるにあたり、どのような話にするか現代の話を検索。
   彼女の存在が目に入り、それを元にしてクロスを考えることにしました。
   今回のクロスでは彼女がキーパーソンになります。

 
一話目はクロスが控えめですが、二話以降からちゃんと両作品のキャラを絡めていきますので、続きをお楽しみに。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

犬夜叉 其の②

今回の犬夜叉のクロスに限らず、前回の『デュラララ!!』と共通したクロスにおける注意点。

原作において、犬夜叉という物語の現代は1990年代が舞台とされています。
しかし、こちらのクロスでは鬼太郎6期の時間軸に話を合わしているため、ヒロインであるかごめが暮らす現代を2019年くらいに設定しています。
そのため、会話の流れにその時代に流行ったものや、本来なら原作に登場しないようなスマホなどが登場します。
読む際に混乱しないよう、どうか気を付けて下さい、


「——う~ん! やっと終わったあ!!」

 

 日暮かごめ、15歳。最後の学力テストを終えたという達成感を胸にガチガチに固まった体を伸ばして凝りをほぐす。ここ最近、戦国時代を走り回っていることが多い彼女からすると、机でじっと答案用紙と向かい合っている姿勢はかなり堪えるものだった。

 

 ——さてと……テストも終わったし、また四魂の欠片を集めにいかないとね……。

 

 学生としてやらねばならないことを一段落させ、かごめはあちらに戻ってやらねばならないことを思い浮かべる。

 戦国時代で彼女は犬夜叉を始めとする仲間たちと共に旅をしている。その目的は宿敵たる奈落を倒すことでもあるが、一番の目的は『四魂の玉』の欠片を集めることだ。

 なにせ、四魂の玉がバラバラに散ってしまった原因はかごめの不注意にあるのだから。彼女としてはその責任を取らねばならない。

 

 ——四魂の欠片を集め終えたら……わたし、もうあっちに行く必要もなくなっちゃうのかな?

 

 しかし、その目的を果たせばかごめがあちらの時代に行くべき理由がなくなる。そうなれば必然的にも戦国時代の人々と——犬夜叉とも別れを告げなければならなくなるだろう。

 かごめはそのことを考えるたび、切なくなるような気持ちに胸を締め付けられる。

 

 ——犬夜叉……この間のこと、引きずってなければいいけど。

 

 特にかごめにとって犬夜叉との別れは耐えがたいものがある。

 彼のことを考え——彼女はこの間の出来事で犬夜叉が傷ついていないかを心配する。

 

 先日、かごめたちはとある農村を妖の群れからは守った。だが、村人の口からはお礼でもはなく、罵声の言葉が送られた。半妖という稀有な存在である犬夜叉を差別する、心ない誹謗中傷だった。

 

 別に、犬夜叉たちはお礼が欲しくて村人たちを助けたわけではない。

 しかし、感謝されないだけならまだしも、あのような批判を受けるのは筋違いと、思わず村人に怒鳴りたくなってしまった。

 ましてや、それが『大切な男の子』を傷つける言葉なら尚更である。

 

 ——半妖って……そこまで嫌がられるものなの? そんなに……疎まれなきゃいけない存在なの?

 

 現代人であるかごめからすれば半妖と妖怪がどう違うのか、その境界線がいまいち理解できない。

 

 何故、あそこまで村人たちが犬夜叉を忌避するのか?

 何故、犬夜叉の腹違いの実の兄・殺生丸が彼を『汚れた血』と呼び、忌み嫌うのか?

 

 かごめからすれば、本当に理解できないことばかりだ。

 

 ——犬夜叉……。

 

 理解できないからこそ、彼女は半妖である犬夜叉の苦しみを真の意味で共感することができない。

 そんな不甲斐ない自分に、かごめはひたすら自己嫌悪に陥る。

 

「かごめ!! なーに、暗い顔してんのよ!?」

「せっかくテストが終わったんだから! もっと、良い顔しなよ!」

「そうですよ!」

 

 すると、落ち込む彼女にクラスメイトの由加、絵理、あゆみの三人が元気に声を掛けてくる。同級生の中でも特に仲の良い友人で、彼女たちは学校を休みがちなかごめをいつも心配してくれる。

 

「うん……そうだよね」

 

 彼女たちに心配をかけまいと、何とか無難な笑顔を向けるかごめ。だが、由加たちはそんな彼女の強がりなどお見通しなのか。いつもいつも、かごめの悩みの本質をついてくる。

 

「どうせあれでしょ? また例の彼氏のことで悩んでるんでしょ?」

「——えっ?」

 

 例の彼氏——犬夜叉のことである。

 学校の皆には当然、犬夜叉が半妖であることも、戦国時代で旅をしていることも秘密にしている。

 しかし、どういうわけか。この三人はかごめの口から語られる犬夜叉のことを『不良でハーフな二股な彼氏』と認識でいる。

 色々と誤解はあるが、あながち間違いでもないため、かごめはそれを強く否定することができない。

 

 ——それにしても……なんで、いつもいつも分かっちゃうんだろう?

 

 かごめは何故、由加たちがその犬夜叉のことで自分が悩んでいると見破るのか、その直感にいつも驚かされる。

 もっとも、これに関しては『かごめの顔に分かりやすく書いてある』としか言いようがない。ここ最近の彼女の悩みは全て犬夜叉に関連した出来事ばかり。由加たちでなくても、ある程度の予想はついてしまうものだ。

 

「……ねぇ、かごめ。せっかくテストも終わったんだし、これからみんなで買い物にでも行かない!?」

「えっ! か、買い物!?」

 

 気落ちするかごめを心配してか、由香が遊びに行かないかと提案してきた。確かにテストの影響で午後の授業はまるまる休みだ。テスト終わりに遊びに行こうと誘われても何ら不自然はない。

 

「ありがとう。けど、わたし……」

 

 だが、かごめはその誘いをやんわりと断ろうとした。

 今日は早く家に帰り、明日再び戦国時代に旅立つための準備をする予定でいた。

 それに——今は戦国からこっちに犬夜叉が来ている。

 家で大人しくしているように言い聞かせはしたが、彼が本当に大人しくしているか、それはそれで不安がある。

 自分が側にいてやらないとという義務感から、由加の誘いを断ろうとした。だが——

 

「あ~あ、ダメか……。やっぱり女の友情より、男を取るのね。なんか寂しい……」

「い、いや! そういうわけじゃ……」

 

 まるで先手を打つかのように、由加はそのようなことを呟く。すると、それに悪ノリするかのように絵理とあゆみの二人も揃って悲しそうな顔を作る。

 

「所詮女同士の関係なんてその程度、男をきっかけに壊れていくのよ。しくしく……」

「悲しいわ、かごめちゃん。しくしく……」

 

 わざとらしく、クラス中に聞こえるような声でしくしくと泣き真似する友人たち。

 周囲から何事かと好奇の視線が向けられ、かごめはいたたまれない気持ちに思わず叫んでしまった。

 

「ああ~、もう、分かった! 分かったから!! 付き合う、付き合えば良いんでしょ!?」

 

 仕方なさそうに叫ぶかごめだが、一応いつもと同じ時間には帰宅できるだろうと冷静な判断も出来ていた。

 それに、なんだかんだで由加たちには色々と相談に乗ってもらったりと、普段から世話になっているの。

 今日くらい、彼女たちに付き合おうとかごめは意を決した。

 

「さすが、かごめ!! 話が分かる!!」

 

 かごめから了解の言質を取るや、先ほどの嘘泣きを瞬時に止め、笑顔で微笑む由加たち。

 現金な彼女たちの態度に呆れつつも、かごめは久しぶりに友達と街へ繰り出せることを心から楽しみにするのであった。

 

 

 

×

 

 

 

「う~む、なかなか見つからんのう」

「そうですね、父さん」

 

 鬼太郎と目玉おやじが、ゲゲゲハウスで親子二人っきり。アミという少女が捜してくれと頼んできた『犬耳の青年』——犬夜叉が一向に見つからないことに、彼らは頭を悩ませる。

 もっとも、鬼太郎たちは犬夜叉の名前さえ知らず、その容姿もクレヨンで描かれた似顔絵だけが頼りだ。

 ましてや、相手は戦国時代からタイムスリップしてきた身の上。普段は現代にいない彼を捜し当てるのは、いかに鬼太郎たちとて困難を極めるだろう。

 

「とりあえず……一反木綿がそろそろ里帰りから戻ってくる筈ですから、帰ってきたら彼にも頼んでみます」

 

 しかし、当然ながら鬼太郎はそんなことを知る由もない。当面の対策として人手を増やすという方法でしか捜索手段を広げることしかできない自身の不甲斐なさに肩を落としながら、彼は目玉おやじに近況を報告する。

 

「そうじゃな……ところで——」

 

 息子の報告に同意するように頷く目玉おやじ。ふと、彼は周囲に誰もいないことを気にしながら、鬼太郎に別件についても尋ねていた。

 

「鬼太郎よ、例の……『大逆の四将』についてはどうなっている?」

「……そっちの方も並行して皆にお願いしていますが、まだ手掛かりがありません……」

 

 それはアミの依頼とは別に、以前から仲間たちと共に追っている『大逆の四将』という鬼太郎たち自身の問題についてである。

 

 

 大逆の四将——それは歴史上において『この世とあの世の理を破壊する』ほどの大罪を犯した極悪妖怪たちのことである。

 単純な強さではなく、その能力で人間界に多大な被害をもたらした妖怪たちのことを指す。

 その罪の重さ故に、地獄の深淵にてその魂を封じられていた彼らだが——それが数ヶ月前。何者かの手引きにより、脱獄したのである。

 

 鬼太郎は閻魔大王との取引により、その大逆の四将の魂を全て回収しなければならない。

 もしもその約束を違えれば、鬼太郎がその四将の代わりに牢に繋がれ、せっかく蘇ることができた猫娘も再び地獄へと送り返されてしまう。

 

 

「うむ、あと二体。どうにかしてあやつらの魂を回収しなければ……」

 

 既に鬼太郎たちは四将のうち、黒坊主と伊吹丸。二体の妖怪の魂を回収済みだ。

 あと半分——残りの四将の魂を見つけ出し、早急に閻魔大王に引き渡さなければならない。

 

「残る四将は玉藻の前……それと鵺の魂も『あの人間』から取り戻さなければならんぞ」

 

 残る四将は彼らの中でも特に厄介な大妖怪・玉藻の前こと九尾の狐である。

 加えて、もう一体の鵺は既に討伐済みだが、その魂はとある人間の手に握られている。『彼』からもその魂を取り戻さなければならない現状に、目玉おやじは頭を抱える。

 

「……大丈夫です、父さん」

 

 すると、先行きが見えない心配をする父親に、鬼太郎がはっきりと断言するように決意を口にする。

 

「玉藻の前を見つけ出して……彼からも必ず鵺の魂を取り戻します」

 

 必ず玉藻の前を、そして『あの人間』からも絶対に鵺の魂を回収してみせると。

 鬼太郎にしては険のある、どこか強い口調で目玉おやじに己の意思を頑に貫いていた。

 

 

 

×

 

 

 

「ほら、かごめ!! これが最近流行のタピオカだよ!」

「あんたってば、こういうトレンドに疎いんだから……ちゃんとチェックしておかないと、時代に取り残されちゃうわよ?」

 

 街に遊びに出た、かごめと由加たち。

 由加たちはかごめに最近のトレンドドリンク・タピオカを勧めていた。女子中学生らしく賑やかに会話に華を咲かせながら、かごめは友人に奢ってもらったタピオカを珍しげに見つめる。

 

「へぇ……最近はこういうのが流行ってるね。全然知らなかったわ……」

 

 かごめは戦国と現代を行き来しているため、女子中学生にしてはこういった流行を知らないでいる。とりあえず由加に促されるまま、タピオカを口にしてみる。

 

 ——……なんだか不思議な食べ物。犬夜叉に飲ませたらどんな反応するだろう?

 

 その不思議な食感に首を傾げながらも、かごめはついつい犬夜叉について考えてしまう。彼がこのタピオカを口にしたらどんな感想を抱くだろうかと、脳裏に思い浮かべる。

 その後も彼女たちは『インスタ映え』やら、『フォトグレイ』やらと、今どきの女子らしい遊びを満喫。しかし、その度にかごめは「犬夜叉ならこれは……」やら、「犬夜叉ならここで……」とか考えてしまう。

 既にかごめの生活に犬夜叉は欠かすことのできない存在になっているが、その思考に本人は無自覚だった。

 それでも、かごめは由加たちと束の間の楽しい時間を過ごしていく。

 

「皆、今日は誘ってくれてありがとう!」

 

 一通り遊び終え、かごめはそろそろ家に帰ろうかと思い立つ。

 色々と楽しませてもらったが、やはり犬夜叉のことが心配になる。彼が家で大人しく待っているなら、自分も早く帰ってあげなければと、やはりそのように考えてしまう。

 

「え~! もうちょっと付き合いなさいよ、かごめ!!」

「やっぱり、男が大事なのね!!」

 

 帰ろうとするかごめを、またもからかいながら引き止めようとする由加たちではあるが、そこに無理やり連れて行こうという意思はない。

 彼女たちも、かごめがどれだけ犬夜叉——例の不良の彼のことを大事にしているか察しているのだろう。

 

「ははは……ごめんね。この埋め合わせは、また今度するから!」

 

 かごめはどこまでも明るく自分の心配をしてくれる友人たちにありがたい思いを抱きながら別れを告げようと手を振る。

 ちょうど、目の前の信号が点滅していたため、慌てて横断歩道を渡ろうと駆け出す。

 

 

 だがそのとき——かごめは奇妙な感覚に襲われる。

 

 

「…………」

 

 前方から、スラリと背の高い女性が歩いてくる。

 フレアのミニスカートに、スラッと美脚をのぞかせたハイヒール。整った顔立ちに長い髪を赤いリボンでシニオンにまとめている。色香漂うチョーカーやアンクレットといったアイテムも見事に着こなした、まるでモデルのようにスタイリッシュな女性だった。

 同性であるかごめですら思わず魅せられ振り返った。その瞬間——

 

 ——えっ? 妖気……?

 

 かごめは感じ取った。その女性から漂う妖の気配に——

 戦国時代で幾度となく感じ取ってきた、人ならざるものの気配だ。それを現代の街中——しかも、あんなオシャレな女性から感じ取ってしまい、驚きから横断歩道で立ち止まる。

 

「どうしたのよ、かごめ? ……あの女の人がどうかした?」

「綺麗な人よね……モデルみたい!!」

「ほんと、なんか憧れちゃうな……」」

 

 由加たちが不自然に立ち止まったかごめに駆け寄る。彼女たちはすれ違った女性にかごめが見惚れたと思ったのか、そのまま立ち去っていく女性の後ろ姿を見つめながら、由加たちもその女性のモデルのようなスタイルにうっとりと目を輝かせる。

 

「……ううん、何でもない。それじゃ、みんな……また明日ね!」

 

 友人たちがそんな誤解をしている中でかごめは暫し悩むも、すぐにその女性を追いかける。

 

「ちょっと! かごめ!?」

 

 自宅の方とは逆方向に走り出したかごめを、由加たちが困惑して呼び止める。

 それにも構わず、かごめは曲がり角の向こうへと消えていった妖怪の女性を捜していく。

 

 

 

 

「妖気はこっちから……いた!!」

 

 思いの外、女性が早足だったため一旦は見失うかごめだったが、先ほどの妖気を頼りになんとか彼女を見つけ出す。彼女は誰かと待ち合わせでもしているのか、スマホの画面を操作しながら静かにそこで佇んでいた。

 

「あ、あの……」

 

 意を決して彼女に声を掛けるかごめ。

 

「ん? ……何? 私に何か用?」

 

 かごめのような中学生にいきなり声を掛けられ、女性は少し驚いたのだろう、チラリと視線を向ける。しかし、すぐに目線を操作するスマホへと戻し、声だけでかごめと応対する。

 その仕草だけ見ると、本当にただの現代人にしか見えなかったが、かごめは恐る恐る核心をつく問いかけを投げる。

 

「不躾でこんなこと聞くのは失礼かと思いますが……あなた、妖怪ですよね?」

「……!」

 

 そのときになって、ようやく女性はスマホを操作する手を止める。

 かごめの顔をまじまじと見つめ、何かしらの言葉を返そうと口を開き掛ける。

 

「——猫姉さん!!」

 

 だが、それを遮るタイミングで元気な女の子がこちらへと駆け寄って来た。かごめより、少し背の低い女の子。同じ中学生くらいだろうか、妖怪の女性を猫姉さんと呼び、親しげな笑顔を浮かべていた。

 

「遅かったじゃない、まな……」

「…………」

 

 その女の子をまなと呼ぶ『猫姉さん』。彼女はまなを背に庇うようにして立ち、自分のことを妖怪と見抜いたかごめに警戒の目を向ける。

 かごめの方も声を掛けたはいいが、どうすべきかは考えておらず、やや緊張した面持ちで立ち尽くす。

 

「? どうしたんですか、猫姉さん。その人……知り合いですか?」

「いえ、知り合いじゃないわ。けど……」

 

 静かに対峙し合うかごめと猫姉さん。その光景を首を傾げながらまなが見つめている。

 そのまま、互いに出方を窺うこと数秒——

 

 

「あの……時間も勿体ないですし……とりあえず、そこの喫茶店でお茶でもしませんか?」

 

 

 二人の間を取り持つかのように、まなが彼女たちをティータイムへと誘っていた。

 

 

 

 

「——たく、かごめの野郎……いつまで待たせる気だよ!」

 

 ちょうどその頃、日暮かごめの実家で彼女の帰りを待っていた犬夜叉のイライラが最高潮に達する。

 朝の段階ではかごめの帰りを『待つ』と決めた彼だが、途中で我慢ができなくなり、気がつけば家を飛び出していた。

 かごめの言いつけ一部守り、帽子で犬耳こそ隠してはいるものの、それ以外は普段どおりの格好で街中を歩き回る。

 

「へっ! どこに逃げても、無駄だぜ! お前の匂いならすぐに追えんだよ!!」

 

 犬夜叉はかごめの居場所を探るため、道端に四つん這いになりながら犬のように鼻を鳴らす。犬よりもさらに数倍の嗅覚を持つ犬夜叉の鼻を持ってすれば、道路上に残されたかごめの匂いを辿ることは容易だ。

 

「待ってろよ、かごめ!! 今そっちにいくからな!!」

 

 彼女の匂いを見つけたのだろう。

 周囲の視線も、脇目も振らず。犬夜叉は建物の上を跳び回りながら、急ぎかごめの元へと駆け出していた。

 

 

×

 

 

 

「——それにしても驚きました……」

 

 犬夜叉が自分を捜して街中へと繰り出しているとも知らず、かごめは先ほど出くわした女性たち。妖怪・猫娘と調布市の中学二年生・犬山まなの二人と近場の喫茶店へと移動していた。

 腰を落ち着けたところで、かごめは改めて妖怪である猫娘の正体について聞かされる。

 

「猫娘さん、あのゲゲゲの鬼太郎の仲間だったんですね」

 

 ゲゲゲの鬼太郎のことは、かごめも知ってはいた。

 かごめの祖父は実家の日暮神社の宮司であり、軽い結界を貼れる程度には神職者として信心深い。また色々と物知りで、いちいち物の由来や伝承などを語りたがる年寄りくさい人なのだが、その話の中にゲゲゲの鬼太郎のことも含まれていた。

 祖父曰く、下駄の音と共にやってきては妖怪と人間との間に起きたトラブルを解決してくれるという、変わり者の妖怪とのこと。

 妖怪の存在など、犬夜叉と出会う前までは本気で信じていなかったかごめは、その話を眉唾物程度に聞き流していた。だが、彼と共に戦国時代を旅するようになってからは『見えないもの』である彼ら妖怪のことを信じるようになった。

 近しい存在として、七宝や雲母などにも親しみを持てるようになった。

 

「そっか! かごめさんも、妖怪と仲良しなんですね!!」

 

 かごめに妖怪の知り合いがいると聞かされるや、まなは嬉しそうに表情を輝かせる。

 彼女は鬼太郎や猫娘と友達で、人間と妖怪がもっと仲良くなれば良いなという思いを日々抱いているとのこと。

 

「ははは……まあ、仲が良いばかりじゃないんだけど」

 

 だが、そんなまなの純粋な思いにかごめは苦笑いする。

 妖怪との出会いの主な舞台が戦国時代であるかごめ。時代が時代なだけあって、平然と人を喰らったり、殺したりするタイプの血生臭い妖怪の方が圧倒的に多い。

 まなのように、純粋に人と妖怪との共存を信じられるほど、夢のある考えは抱けない。

 半妖である犬夜叉への差別的な扱いを目撃した後では、尚のことだ。

 

「……猫娘さん。一つ……聞いても良いでしょうか?」

「何かしら……」

 

 ふと、犬夜叉のことを思い出し、かごめは猫娘に話を振る。

 まなとは違い、未だにかごめへの警戒心が完全に解けていない猫娘。やや険のある態度で応じるも、それに構わずかごめは彼女に尋ねていた。

 

「猫娘さんは……半妖について、どんな考えを持っていますか?」

 

 半妖。戦国時代では半端者として、人間からも妖怪からも忌み嫌われていた。

 現代において、人間は妖怪の存在を信じない者の方が増えたため、半妖に関して特にこれといった嫌悪も好意も抱いていないと思われる。

 しかし、妖怪たちは? 五百年経った今も、半妖を疎ましいものと扱っているのだろうか?

 そのことが気になってしまい、かごめは現代の妖怪である猫娘に半妖について問い掛けていた。

 

「……半妖、ですって?」

「っ……!」

 

 すると、かごめの口から半妖の単語を聞くや、猫娘は露骨に嫌そうな顔をする。

 その反応にかごめは「やはり今も半妖は嫌われる存在なのかと……」と、悲観に暮れる。

 

「ああ、勘違いしないで。別に半妖の存在自体を否定するつもりはないの」

 

 すると、かごめのがっかりした表情に気づき、慌てて訂正を入れる猫娘。

 

「ただ……私の知り合いにも半妖がいるんだけど……そいつがまた、どうしようもないやつなのよ。いつもいつも鬼太郎に迷惑ばっかかけて!!」

「ああ、ねずみ男さんですか……」

 

 どうやら、猫娘は半妖という存在そのものにではなく、知り合いの半妖個人に対していい感情を持っていないようだ。猫娘の言葉を否定できないのか、妖怪に好意を持っているまなですら、なんとも言えぬ顔色で視線を泳がす。

 

「あ、そ、そうなんですか……」

 

 二人の反応に何となく事情を察し、かごめはそれ以上の深追いを止めた。コーヒーを口に含み、とりあえず一呼吸入れる。

 

「そ、それより……かごめさん! かごめさんの話、もっと聞かせてくださいよ!」

 

 少し重苦しくなった空気を払拭しようとしてか、まなは明るい声でかごめにもっと詳しく話を聞きたいと願い出た。普段、こういった話を友達とはしないのだろう、同好の士を見つけた喜びに目を輝かせている。

 

「……ええ、良いわよ」

 

 そんなまなのことを微笑ましく見つめながら、かごめも同意する。

 かごめも、普段は友達に言えないような妖怪の話を出来て嬉しい気持ちがあった。

 戦国時代へのタイムスリップという、ファンタジーな内容こそ話せないが。彼女は妖怪のこと、旅のこと、仲間のこと、犬夜叉のこと——。

 

 時間を忘れ、立場を忘れ——ただの女の子として、猫娘やまなとの女子トークに華を咲かせていく。

 

 

 

 

「——スンスン……見つけぜ、かごめ!!」

 

 日暮かごめの匂いを追い、とうとう犬夜叉はその視界に彼女の存在を捉える。犬夜叉のいるビルの上からは、喫茶店の中で誰かと楽しそうに話しているかごめの姿がよく見える。

 

「くそっ! あいつ!! 俺のことほっといて何を楽しそうに話してやがる!!」

 

 犬夜叉は、そんな見知らぬ誰かと楽しそうにお喋りしているかごめがひどく気に入らなかった。

 犬夜叉とかごめは確かな絆で結ばれた者同士だが、それでも仲良く話すより喧嘩する方が多い。喧嘩するほど仲が良いとも言うが、犬夜叉だって怒っている彼女といるよりは、笑顔の彼女と一緒にいたい。

 そんな彼女が、別の誰かの手によって笑顔にさせられている。

 その事実に——犬夜叉は激しく嫉妬心を抱く。

 

「おい、かごめ!! てめぇ、こんなところで何遊んでやが——」

 

 子供じみた独占欲から、とっとと彼女を連れて戦国時代に戻ろうと、急ぎかごめの元へと駆け寄ろうとする。

 

「——お前さん。こんなところで何しとうとね?」

「……?」

 

 寸前、そんな犬夜叉を呼び止める、妙に訛りがかった声に足を止める。

 彼がその場で振り返ると——空中にふわふわと白い反物が浮いていた。

 

「……なんだぁ? このぼろい布切れ?」

 

 見たままの本音を思わず呟く犬夜叉。すると、ぼろい布切れが怒ったように声を上げる。

 

「誰がぼろいとね!? それと、ただの布切れじゃなかとよ!!」

「うおっ!? 喋りやがった!!」

 

 妙な言葉遣いだが、確かに人語を介する布切れに驚く犬夜叉。そんな彼に対し、布切れは問い詰めるような口調で話しかけていた。

 

「お前さん……妖怪やろ? 怪しいやつばい! この一反木綿の目の黒いうちは、可愛い女子に悪さなんか絶対に許さんばい!!」

 

 

 

×

 

 

 

 一反木綿が犬夜叉の存在に目を止めたのは、単なる偶然であった。

 鹿児島から東京へと、里帰りを終えて戻ってきた一反木綿。彼は仲間への土産を風呂敷に包み、長旅終えた達成感にウキウキしながら東京の空を浮遊していた。

 

「ああ、やっぱり東京の空はゴミゴミしていかんとね。それに引きかえ、九州の空はやっぱ清々しかったとね~」

 

 久々の東京の空を辛口評価しつつ、さっそく故郷の空を懐かしむ一反木綿。

 しかし、いつまでも思い出に浸っているわけにはいかない。とりあえず仲間に帰還したことを告げ、土産物を渡そうとゲゲゲの森の方角へと飛んでいく。

 

「ん? なんね、あれは?」

 

 その道中だ。空の上から一反木綿は、建物から建物へと何者かが飛び移る光景を目の当たりにする。

 いったいどこの誰かと近づいてみたところ、帽子を被った長い銀髪に赤い着物という、見るからに怪しい不審者であったことで、一反木綿はその青年に声を掛けていた。

 

『——なんだぁ? このぼろい布切れは?』

 

 開口一番、失礼にも自分のことを『ボロい』と評する青年・犬夜叉に一反木綿はカチンと憤慨する。

 そして、怒りながら犬夜叉のことを注意深く観察し、一反木綿は彼が人間ではない、妖の類であることを見抜く。

 

「ほんと……見れば見るほど怪しいやつかね。こんなところで何をやっとると!?」

 

 犬夜叉といくつか言葉を交え、一反木綿は彼の行動を怪しむ。

 白昼堂々、ビルの上から何を覗き込んでいたのかと、彼が先ほどまで見下ろしていた喫茶店の方へ一反木綿も視線を向ける。

 

「ん? ありゃ~! まなちゃんと猫娘じゃなかと!? 久しぶりったいね~!!」

 

 そこにいたのはゲゲゲの森の仲間である猫娘と、人間の友達である犬山まなだった。女の子が大好きな一反木綿はさっそく彼女たちの元へ移動しようとする。

 

「おいこら! 待てよ、布切れ!」

「痛っ! ちょ、ちょっと引っ張らんといてぇな~」

 

 しかし、飛んで行こうとする一反木綿を鷲掴みにし、犬夜叉はその行動を阻害する。一反木綿は自分の行動を邪魔する犬夜叉に文句を口にするが、逆に犬夜叉の方が一反木綿へと詰め寄ってくる。

 

「布切れ! お前、かごめと一緒にいる女たちと知り合いか? いったいなんなんだ、あいつらは!? かごめとはどういう関係だ?」

「……かごめ?」

 

 聞き慣れぬ女性の名前に、一反木綿は今一度まなたちの方へと視線を向ける。

 知り合いである彼女たちに混じって、知らない女の子が楽しそうにお喋りしているのが見えた。かごめとはあの少女のことだろう。

 

「おほぉ~、可愛い子ばいね! かごめちゃん言うんか! 素敵な名前たい、お近づきになりたかね!!」

 

 可愛い女の子であれば誰とでも仲良くなりたいと、割と節操のないことを口にする一反木綿。

 そんな色ボケふんどしの言葉に、当然のように犬夜叉は突っかかっていく。

 

「てめぇ、布切れ!! かごめに馴れ馴れしくすんじゃねぇぞ!!」

「うん? お前さん、もしや……」

 

 嫉妬深い犬夜叉の言葉に、一反木綿はまじまじと彼の顔を覗き込む。

 暫し考え込むこと数秒。いかなる思考過程を経てか、彼はとある結論に辿り着き、糾弾するように犬夜叉に向かって声を荒げていた。

 

 

「あっ! 分かったばい!! あんた……あのかごめって子の『ストーカー』ばいね!!」

 

 

 ストーカーの定義。特定の相手を付け回し、つきまといや待ち伏せなどの行為を繰り返す人。執拗に追いかけ回す人。

 ちなみにこの現代において、一人で街へ出かけるかごめに対し、犬夜叉がたびたび行った行為は——。

 

 ①かごめのことが心配だと学校まで追いかけ、押しかけてくる。

 ②放っておくと危なっかしいと、常に彼女の側を離れようとしない。

 ③彼女の匂いを嗅ぎまわり、その居場所を探り当てる。

 

 ……一反木綿の発想も、あながち的外れとは言えない。

 かごめの方に好意がなければ、警察に突き出されても文句は言えまい。

 

「す、すとーかー? なんだそりゃ!? 俺はただかごめのことを守ってやってるだけだ!」

 

 ストーカーという単語を知らない犬夜叉はその言葉の意味を正確には理解できないが、相手の責めるような言葉のニュアンスから、それが良からぬ意味であることを何となく悟る。

 慌てて否定し、自分はただかごめを守っているだけだと主張するが、それが返って逆効果だった。

 

「あ~、はいはい。ストーカーは皆そう言うとよ!」

 

 一反木綿の経験上、それはストーカーがよく陥る思考回路の一つである。

 以前、犬山まなの学校の七不思議に『二階男子トイレのヨースケくん』という妖怪が出没した。彼は『三階女子トイレの花子さん』に好意を抱き、その行き過ぎた思いからストーカーへと変貌。

 そのとき、彼が主張した言葉が「花子を見守っていたんだ~っ!」である。

 犬夜叉とかごめの関係を知らない一反木綿からすれば、彼の「守ってやってる!」という主張と何ら大差なく聞こえてしまう。

 

「とにかく! ストーカー行為は犯罪ばい! 即刻止めんと……鬼太郎しゃんに報告してきつくお仕置きしてもらうとよ!!」

 

 ここで一反木綿が鬼太郎の名前を出したのは一種の警告でもあった。

 日本妖怪で鬼太郎の名を知らぬ者はおらず、彼の活躍に畏れを成す妖怪も少なくない。鬼太郎の名前を出せば、無用な揉め事を避けられることも結構多い。

 今回も、鬼太郎の名前に渋々相手が大人しく立ち去るかと一反木綿は考えた。

 

「あん? きたろう……? 誰だそりゃ?」

「……鬼太郎しゃんを知らんと? もう~、あんたどこの田舎者ばい!?」

 

 しかし、犬夜叉は鬼太郎のことをそもそも知らないらしく、相手の無知さに一反木綿は呆れかえる。

 もっとも、犬夜叉は戦国時代からタイムスリップしてきたため、鬼太郎の活躍を知らなくとも無理はない。

 

「よかと? 鬼太郎しゃんはとっても強いとよ!? お前さんみたいな田舎者のストーカーなんか、けちょんけちょんに——!!」

 

 仕方なく、一反木綿は鬼太郎の強さを伝えようと身振り手振りを交えて解説する。

 それによって、相手が大人しく立ち去ることを期待しながら。

 

 ところが——

 

 

「——おい、妖怪ども。そんなところで何をしてやがる?」

「っ!?」

 

 

 隣のビルから浴びせられたその声に、一反木綿のお喋りが止まる。

 犬夜叉と一反木綿を一緒くたにして『妖怪ども』と呼ぶ男の声。

 

 その男の言葉は妖怪に対する偏見、怒り。そして——並々ならぬ敵意に満ちていた。

 

 

 

 

「あん? なんだてめぇは……?」

 

 妙な布切れに絡まれていたところに、さらに見知らぬ青年が乱入してきたことで犬夜叉の腹の虫の居所がさらに悪くなる。いつも以上に険悪な態度で、チンピラのように眼を飛ばして相手を威嚇する。

 だが、犬夜叉のそこいらの不良が震え上がるような迫力に満ちた眼光にも動じず、青年は位置的にも、精神的にも上から目線で犬夜叉たちを見下してくる。

 

「お前は……鬼太郎の仲間の一反木綿だったな……」

 

 青年はまず、犬夜叉の隣で狼狽する布切れに視線を向ける。青年に睨まれ、一反木綿と名指しされた妖怪は「あ、い、いや……その……」と何故か怯えたように後ずさる。

 次に、青年は一反木綿から犬夜叉へと視線を移動させる。

 その瞬間、相手は何かに気づいたように鼻をひくつかせ、不愉快そうに眉を顰めた。

 

「その匂い。お前……半妖だな?」

「!! だったらどうだってんだ! あん!?」

 

 相手はどういう理屈か、自分の気配を半妖と一瞬で嗅ぎ分けたようだ。犬夜叉はつい先日、助けた村人たちから半妖を理由に激しい罵声を浴びせられたこともあり、喧嘩腰に相手に怒鳴り返す。

 

「てめぇも半妖は許せねぇだの、汚らわしいだのとほざく手合いか? ああん!?」

 

 犬夜叉はうんざりしていた。

 どいつもこいつも、口を開けば半妖半妖と。自分のことばかりかそれに関わる周囲のもの全てをまとめて貶してくる。

 犬夜叉を産み、育ててくれた母親・十六夜を汚らわしいと罵り、一緒にいるかごめたちを物好きと嫌悪する連中ばかりだ。

 青年もそういった連中の類かと、怒りを隠そうともせず吐き捨てる。

 

「……いや、関係ないな」

 

 しかし意外にも、青年は犬夜叉が半妖であることをまったく気にしない。

 

「半妖も妖怪と同じだ。等しく平等に……俺たち人間の敵だ!」

「——っ!!」

 

 さらに眼光を鋭くさせて宣言する青年に、犬夜叉は瞬時に理解する。

 そう、関係ないのだ。目の前この青年にとって——半妖も妖怪も同じ。どちらも排斥すべき対象だということを、敵意に満ちたその目が雄弁に物語っていた。

 

「へっ、そうかよ!」

 

 そこにきて、青年の視線に油断ならないものを感じた犬夜叉。

 彼は警戒するように、懐に差していた鉄砕牙の柄を握りしめる。

 

「……! その刀……妖刀か?」

 

 そこで青年は犬夜叉が妖刀を所持していると気づき、警戒心を露わにする。

 

「何故、お前のような半妖がそんな妖刀を持ってやがる。その刀で何をするつもりだった?」

「けっ! うるせえよ、てめぇには関係ねぇだろ!!」

 

 青年の詰問に突っぱねた返答を返す犬夜叉。それにより、二人の間に流れる空気がますます剣呑なものになっていく。

 隣で見ている一反木綿が「あわわ……」とさらにオタオタしだす。

 

「……その刀をそっちに寄越しな。そうすればこの場を見逃してやらんでもないぞ、半妖」

 

 青年は犬夜叉に刀を引き渡すことを要求してくる。

 当然、そんな理不尽に大人しく従う犬夜叉ではない。

 

「はっ、馬鹿言ってんじゃねぇ! 誰が渡すかよ!! それに、こいつはオメェみてえな人間が扱えるような代物じゃねぇんだよ!!」

 

 犬夜叉の持つ妖刀・鉄砕牙。

 この刀は妖怪であった犬夜叉の父親が息子である彼のために残した守り刀である。一見するとみすぼらしい錆び刀だが、犬夜叉が鞘から抜き放つことで巨大な牙のような刀身へと変化する。

 強力な結界が張られており、純粋な妖怪は鉄砕牙を握ることができない。また人間が握っても妖力が伴わなければ錆びた刀のまま役に立たない。

 実質、半妖である犬夜叉専用の刀なのだ。ただの人間が手にしたところで宝の持ち腐れでしかない。

 

「……残念だったな」

 

 すると、青年は犬夜叉の反抗心に己の意思を固めたのか。

 

「俺はただの人間じゃない」

 

 パーカーの上着を脱ぎ捨て、タンクトップ姿の戦闘態勢に移行する。

 

「けっ、なんだ? やろうってのか?」

 

 相手の戦意に乗せられ、犬夜叉も身構える。

 だが、この時点で犬夜叉はそこまで目の前の青年のことを危険視していなかった。

 所詮はただの人間と、適当に相手をして追い払ってやろうと考えていた。だが——

 

「ふっ、後悔するなよ、半妖! 『鬼神招来』!!」

 

 青年がそう叫ぶや、彼の腕部分に文字が浮かび上がる。

 

『鬼』と一文字。

 

 次の瞬間——その文字通り、青年の両碗が人間のそれから鬼のそれへと姿を変える。

 

「なっ!?」

 

 これにはさすがの犬夜叉も驚愕する。

 先ほどまでは確かに人間だった腕が、突如妖怪の——まごうことなき本物の鬼神の腕へと変貌を遂げたのだ。

 ただの人間ではあり得ぬ芸当に唖然となる。

 

「くたばれ、半妖!!」

「ちっ!」

 

 口を開けたまま硬直する犬夜叉に対し、青年はその豪腕で殴りかかってくる。

 慌てて飛び退いて回避する犬夜叉。青年の繰り出した一撃は彼が先ほどまで立っていた床のコンクリを何の抵抗もなく抉り取る。 

 

「あ~れぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」

 

 鬼神の腕が床を穿つ衝撃波に巻かれ、一反木綿がどこぞへと吹き飛ばされていく。

 犬夜叉は鉄砕牙を抜き放ち、眼前の青年に対し明確な敵意を込めて叫んでいた。

 

「てめぇ!! いったい何もんだ!?」

 

 犬夜叉の怒号に、青年は床にめり込む腕を引き抜きながらゆっくりと立ち上がる。

 半妖である犬夜叉に明確な敵意を、怒りを、憎しみを——あらゆる負の感情を込め、彼は自らの名を名乗る。

 

 

「——鬼道衆・石動零(いするぎれい)

 

 

 今はもう、己一人しかいない鬼道衆の一員としての誇りを胸に青年——石動零は宣言した。

 

 

 

「人間に害をなす妖怪は——俺が全て刈り取る!!」

 

 

 




登場人物
 犬夜叉側の登場人物
  犬夜叉
   原作の主人公。少年漫画の主人公らしく、直情的な性格。
   人間と妖怪との間に産まれた半妖として、二つの種族の間で揺れ動く宿命。
   そして、二人のヒロインとの間で気持ちが揺れ動く二股男。

  日暮かごめ
   原作のヒロイン。現代から戦国時代へタイムスリップしてきた中学三年生。
   巫女としての力に優れ、弓やその霊力で犬夜叉たちをサポートする。
   絶対にスカートの下を見せない鉄壁の防御力を誇る。

  由加、絵里、あゆみ
   現代における、かごめのクラスメイト。
   原作は知らんけど、アニメだと結構出番があるとのこと。

 名前だけ出てくる人たち。
   殺生丸
    犬夜叉の兄貴。昔は極悪非道な妖怪だったが、りんと出会って浄化された。

   じいちゃん
    かごめの祖父。名前不明。うんちくを語る解説じいちゃん。

   十六夜
    犬夜叉の母親。映画以外で見たことないです。

   犬夜叉の父
    そのまんま。闘牙王とかいう名前が噂されているが、公式ではないとのこと。

 鬼太郎側の登場人物
   石動零
    6期オリジナルのキャラ。取り込んだ妖怪の力を自在に扱える。
    この時点では妖怪絶対殺すマン。
    伊吹丸に手も足も出なかった後ということもあり、精神的にも余裕がない。
    そんな状態で犬夜叉と出会ってしまった。もう……血を見るしかない。

   一反木綿
    毎度おなじみ鬼太郎の空のお供。 
    6期では主に色ボケ要因としても活躍。  
    性格は分かりやすくて書きやすいんだけど、口調の方はまったく分からん。 
    こいつ……何弁で喋ってんだ?

 次回で完結予定。予定通り三話で収まりそう。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

犬夜叉 其の③

今作には登場しないけど、紹介したい人たち。
 桔梗
  犬夜叉の元カノ。犬夜叉が好きな人は『かごめ派』と『桔梗派』で別れると思う。
  自分はどっちが好きかと、その論争に参加できるほど桔梗をあまり知らない。
  神秘的な雰囲気の桔梗は好きだけど……やっぱり「ただの女になれた」という台詞を考えると、彼女も普通の女の子になりたかったんだなと、複雑な気持ちになってしまう。

 奈落
  犬夜叉たち一行の宿敵。色んな人から命を狙われる問題をあちこちで起こしてる。
  しぶとい、とにかくしぶとい! そして、すぐ逃げる!!
  劇場版で一回死んだけど、別にそんなことなかったぜとばかりにすぐ復活!
  大ボスらしく、もっとどっしり構えろよ……。

 今回で犬夜叉のクロスオーバーを完結。
 ふと思ったけど……犬夜叉という作品を今どきの人は知っているのだろうか?
 当時は結構、人気作として流行った記憶があるけど……完結して、もう10年以上たってるからな……今の人たちにはマイナーかもしれん。





 戦国から現代へと来たる——半妖・犬夜叉。

 現代に残る妖怪退治屋——鬼道衆・石動零。

 

 二人の青年が口論の末にぶつかり合う——その数分前。喫茶店で交わされた女子トークの会話内容より。

 

 

「——でね! その犬夜叉ってやつが、ほんんんんんんんんとに、どうしようもない男なのよ!!」

 

 日暮かごめはたまたま街中で出会った女の子、猫娘と犬山まな相手に仲間である犬夜叉の愚痴をこれでもかというほど、全力で溢していた。

 相手側はかごめの実感のこもった愚痴にややたじろぎながらも、うんうんと同意するように頷いてくれる。

 

「乱暴で、わがままで、怒りっぽいうえに、すっごいやきもち焼きなの!! 私がちょっとでも他の男の子と仲良くしてると、すぐ機嫌が悪くなるんだから!!」

 

 戦国時代にタイムスリップしている事実を上手く隠しつつ、かごめは仲間のことなどを話す。

 色々な話題に触れるのだが、結局犬夜叉について語るときが一番熱がこもる。

 

「そのくせ、何でもかんでも自分一人で抱え込もうとするのよ! もっと私を……みんなのことを頼ってくれてもいいのに……」

 

 これも犬夜叉を想えばこそだ。彼のことが好きだからこそ、自分をもっと信じて頼ってくれない彼に愚痴を溢したくなってしまう。

 辛いなら辛いといって欲しい。必要ならいつでも肩を貸すのに、彼はいつだって自分一人で背負い込んでしまう。

 

 そう、つい最近の出来事。半妖であることを理由に罵倒された件もそうだ。

 

 確かに自分はただの人間だ。半妖と蔑まれる彼と同じ気持ちを共感することは出来ない。

 けど、寄り添うことはできる。彼の痛みを少しでも和らげられるのなら、自分は何だってするのに。

 なのにどうして、それすらもさせてくれないのだろうと、かごめはついつい猫娘たちに本音を溢していたところだった。

 

「——わかる。男ってだいだいそんなもんよ」

 

 すると、かごめの言葉に全力で同意するように、猫娘がしきりに頷く。

 

「鬼太郎だってそうよ。いつものほほんとしてるくせに、ここぞってときだけカッコつけて、自分一人で抱え込んで、傷ついて。こっちの気持ちなんかお構いなし。ほんとに……男って、しょうもない生き物なんだから!!」

「し、しょうもないって……猫姉さん、ちょっと言い過ぎなんじゃ……」

 

 かごめと同調するように鬼太郎への愚痴を溢し始めた猫娘。隣に座るまながそんな猫娘に若干引き気味になるも、彼女の愚痴は止まらない。

 

「大逆の四将の件だってそうよ! 閻魔大王に頼まれたかなんだか知らないけど、なんで私に黙ってたのよ!!」

 

 ここ最近の出来事。『大逆の四将』の件を引き合いに、鬼太郎への不満をさらに口にしていく。

 

「他のみんなは知ってたみたいだし……なんで私にだけ!」

 

 猫娘は鬼太郎がそんな危険な連中を追っているなどと、聞かされていなかった。他の仲間がうっかり口を滑らせて初めて、彼女はその件を知ることになった。

 何故自分にだけ黙っていたのか、猫娘はそれがひどく気に入らなかった。

 

 もっとも、これにはやむを得ない事情がある。

 鬼太郎が大逆の四将を追っているのは猫娘のため。まなが消し去ってしまった彼女の魂を地獄から取り戻すため、閻魔大王と取引したことがきっかけである。

 もしも期限内に四将の魂を全て回収しなければ、罰として鬼太郎と猫娘の魂が牢獄に繋がれることとなる。

 そんな残酷なことを、鬼太郎は猫娘やまなに告げることができずにいる。猫娘が言うように、鬼太郎もまた一人で抱え込もうとしている。

 

 これもまた——彼が男の子だからだろう。

 

「ははは……ところで、かごめさん」

「ん? なに、まなちゃん?」

 

 そうとも知らずに一人憤慨する猫娘。そんな彼女の怒りを一旦クールダウンさせるため、まなはかごめへ別の話題を振っていく。

 まなとかごめ。既にいくらか打ち解けている二人は、互いに下の名前で呼び合っていた。

 

「その犬夜叉っていう半妖の人と……その、付き合ってるんですか?」

 

 まながかごめに問い質していたのは、彼女とその犬夜叉という青年の関係である。

 かごめの口ぶり。憎まれ口を叩きつつ、それでも犬夜叉という男の子を心配する素振りから、まなは二人が『良い仲』なのかなと問い掛ける。

 

「え? ええと……」

 

 しかし、かごめの反応は微妙なものだった。

 ムキになって否定するでもなく、恥ずかしそうに肯定するでもない。なんと答えていいのか分からないといった様子で視線を泳がせる。

 

「なによ、煮え切らないわね! どっちなのかハッキリさせなさいよ!!」

 

 鬼太郎への気持ちをハッキリさせない自身のことを棚に上げ、猫娘がさらに問い詰めていく。

 かごめは暫し迷った末に、観念したかのように口を開く。

 

「……彼氏ってわけじゃないの。私が好きっていうだけで…………付き合ってるわけでもないし」

 

 そう、確かにかごめは犬夜叉が好きだ。今更それを隠し立てするつもりはない。それどころか、犬夜叉自身に己の好意をはっきりと伝えたことだってある。

 彼と、一緒にいたいと。

 その気持ちは犬夜叉も同じだろう。共に歩きたいというかごめの告白に彼は首を振りはしなかった。

 

 しかし、犬夜叉自身の口から明確な言葉で『告白』なるものを受けたことはない。

 だって犬夜叉には——既に自分以上に想っている人がいるからだ。

 

 ——桔梗……彼女がいる限り、私はきっと犬夜叉の一番にはなれない……。

 

 犬夜叉が過去に想い合っていた女性・桔梗。

 かごめの前世とも呼ばれる彼女は、かごめが犬夜叉と出会う前から『良い仲』であった。様々なすれ違いの末、桔梗は一度犬夜叉と死に別れるも、今現在——彼女は『死人』となって戦国時代を彷徨っている。

 

 犬夜叉は、そんな桔梗のことを放っておけないでいる。

 既に死人である筈の彼女をどうにか救おうと、常に心を痛めていた。

 

 きっと桔梗のためなら、犬夜叉は全てを投げ打つ覚悟で『一番』に駆けつけるだろう。

 二番手の自分に、初めから勝ち目などないのだと——少なくともかごめ自身はそう思っている。

 

 ——それでも、一緒にいるって決めたのは私なのよね……。

 

 かごめはそのことを覚悟の上で、犬夜叉との旅を続けている。

 しかし、頭で分かっていてもやはり感情は正直なもの。犬夜叉と桔梗——二人が並んで歩いている光景を想像するだけで、かごめの胸は締め付けられる思いでその表情も曇ってしまう。

 

「……何か色々と訳ありみたいね」

 

 急に黙り込んでしまったかごめに、同じ恋する乙女として猫娘は何かを悟ったのだろう。それ以上余計な詮索をせず、その話題を終わらせようとまなにも目配せする。

 

「あ……あっ、かごめさん! その犬夜叉って、どんな感じの人なんです?」

「えっ……? どんな感じって?」

「顔写真とかありません? ちょっと見てみたいな……って思ったりして……」

 

 しかし、なかなか好奇心を抑えられず、まなはせめて顔くらい見てみたいと。

 かごめに犬夜叉の人相が分かるものはないのかと問い掛けていた。

 

「写真、写真ね……あっ! それなら——」

 

 かごめはおもむろにスマホを取り出す。

 

 戦国時代ではネット環境なども整っていないため、一見無用な長物とも思われるスマートフォン。だがアラーム機能やフォト機能などはそれなりに使い道があるため、何かと重用している。

 かごめは旅の記録なども、よくスマホの写真に収めて現代で見返したりしている。その思い出の一部の中には、当然犬夜叉とツーショットで撮った写真もある。

 少し恥ずかしいが、それを見せれば一発で犬夜叉という男の子の人相が分かるだろう。

 

「ほら、これ。こいつが犬夜叉よ」

「どれどれ……あっ、耳生えてる! なんかちょっと可愛いかも!」

 

 差し出された犬夜叉の写真を興味深げに覗き込むまな。半妖である犬夜叉の特徴でもある『犬耳』に黄色い声を上げる。

 

「…………耳?」

 

 その発言に引っかかるものを感じた猫娘。

 これ以上余計なことを聞かないと決めた彼女だったが、何気ないまなの言葉に釣られて彼女もスマホを覗き込もうとした。

 

 

 そのときだ。突然——地鳴りのような轟音が彼女たちの楽しい時間を揺るがす。

 

 

「な、何!?」

「地震……いや、違うわね」

 

 まなは何が起きたかわからず困惑するも、猫娘はそれが自然現象の類ではない。

 何者か——強い力を持つ者同士がぶつかり合う余波であることを察し、すぐ隣に聳え立つビルの屋上へと目を向ける。

 

「この妖気……まさか!!」

 

 かごめも強い妖気を感じ取り、何やら思い当たる節があるような顔でビルの上を見上げる。

 

 彼女たちの視線の先で、二人の青年が何かを言い合いながら争い合っていた。

 

 その片方——長い銀髪に赤い着物、帽子が脱げて犬耳が見えてしまっている半妖の青年に向かい、かごめはその名を呟いていた。

 

「——犬夜叉!?」

 

 

 

×

 

 

 

「——くらいやがれ! 風の傷!!」

 

 鬼道衆を名乗る石動零という青年に喧嘩を売られ、犬夜叉は反撃のために鉄砕牙を抜き放つ。

 基本的に戦術やら搦手が得意ではない犬夜叉は、まず最初に先手必勝とばかりに強烈な必殺技を放つ傾向が強い。今回もその例に漏れず風の傷で反撃、放たれた衝撃波が石動を襲う。

 

「ふん!」

 

 並の相手であればその一撃で終わっていただろう。だが、石動零も退治屋として相当な修羅場をくぐってきている。真正面から放たれるその一撃を悠々と躱し、逸れていった風の傷の衝撃波がビル屋上に設置されている貯水タンクをぶっ壊す。

 

「ちっ! なら……こいつでどうだ!」

 

 水しぶきに体を濡らしながら、初手の一撃を避けられたことに犬夜叉は舌打ちする。

 どうやら相手の人間はそれなりに手練れらしい。戦国時代で数多くの大妖怪を倒してきた犬夜叉でも、油断はできない。

 そのことを直感的に理解し、犬夜叉はさらに強烈な一撃で相手を退けようと試みる。

 

「くらえっ! 金剛——」

 

 風の傷を上回る技——『金剛槍破(こんごうそうは)』を放つために鉄砕牙を振りかぶる。だが——

 

「——犬夜叉!!」

「——っ!?」

 

 自身の名前を呼ぶ、聞き馴染みのある少女の叫び声に犬夜叉の手が止まった。

 ビルの上から地上を見下ろせば、日暮かごめが何事かという表情で自分のことを見つめている。

 

「かごめ……っ!?」

 

 その瞬間、犬夜叉の脳裏に彼女との今朝のやり取りが思い出される。

 

『——むやみやたらに刀なんて振り回さないで!!』

 

 この時代で鉄砕牙を迂闊に使用するなという注意喚起。もしもそれを破り、周囲に甚大な被害を出せば——犬夜叉はこの時代にいられなくなるという。

 犬夜叉にとって、日暮かごめという少女との時間は心の癒しだ。

 彼女に出会うまで半妖である彼は誰も信じられなかった。かごめが側にいてくれたからこそ、犬夜叉は他人を信じる勇気を取り戻すことができた。

 

 そんな彼女と過ごせる時間が減ってしまう。それは犬夜叉にとって、体を切り刻まれるより辛いことである。

 

 それに今ここで石動とぶつかり合えば、戦いの余波にかごめも巻き込んでしまう危険性がある。実際、ぶっ壊した貯水タンクの破片が降り注ぎ、既に多少なりとも被害が出ている。

 

「……くそっ!」

 

 何よりも、かごめを巻き込んでしまうという危険性を考慮し、犬夜叉は刀を鞘に納める。

 そして、その場から逃げ出すという、彼にしては屈辱的な選択をするしかなかった。

 

「逃がすか!!」

 

 尻尾を巻いて逃げ出す犬夜叉を、すかさず石動零が追跡する。

 

 二人の戦いは場所を変え、さらに激化していくこととなる。

 

 

 

 

「今の人が……犬夜叉さんですか!?」

 

 遠ざかっていく二人の人影を茫然と見送りながら、まなはかごめに声を掛ける。

 かなり距離があったため、まなの視力ではその人影の人相が分からなかった。かごめが「犬夜叉!!」と叫んでくれたおかげで、片方がそうなのだと察する。

 

「そうだけど……あいつ、今誰かと戦ってた!?」

 

 たとえ離れていても、かごめには一目であれが犬夜叉だと理解できる。

 しかし、もう片方の人物にかごめは心当たりがない。そもそもな話、この現代で彼が誰かと戦わなければならない理由が分からない。以前も何度か現代の妖怪を相手にしたことはあるが、少なくとも今は邪悪な妖気の類は感じられない。いったい、あの相手は何者だろう。

 

「今の男……まさか!?」

 

 一方で猫娘の目には二人の人相が朧げながら見えていた。犬夜叉と呼ばれた『犬耳の青年』。そして、あのタンクトップの男——。

 と、猫娘がそこまで考えたところで、ヒラヒラしたボロボロの布切れが彼女たちの元へやって来た。

 

「あ~……もう! えらい目におうたばい!!」

「一反木綿!? 帰ってたの!?」

 

 里帰りを終えて戻ってきた一反木綿。やれやれとため息を吐きながら、彼は何があったか事情を説明してくれた。

 

 犬夜叉と石動零の二人が戦っているという、緊迫した状況を——。

 自分がその争いに巻き込まれ、酷い目にあったということを——。

 

「戦ってるって……犬夜叉が人間相手に!?」

 

 一反木綿から事情を聞き終え、かごめが驚いた顔になる。

 ただの人間が犬夜叉相手に戦いを挑むなど、正直無謀なのではと。彼の強さを信頼するが故に、思わず相手の身を気遣ってしまう。

 だが、石動零は普通の人間ではないと猫娘が語る。

 

「侮らないほうがいいわよ。あいつは石動零、鬼道衆の生き残り。悔しいけど……鬼太郎ですら手を焼くような相手なんだから!」

 

 鬼道衆とは妖怪退治を専門とする能力者の集団である。

 彼らは修験道と陰陽道を組み合わせた独自の呪法を用い、人間を守るために数多くの妖怪たちを葬ってきたという実績を持っている。歴史と共に弱体化が進み、霊能者の類が減った現代でも彼らの力は本物だ。

 

 そして彼——石動零は妖怪に強い憎しみを抱いていた。

 

 一族の里を大逆に四将である玉藻の前に滅ぼされ、彼女を仇として追っている。同胞を皆殺しにされた恨みから妖怪という存在そのものを敵視しているのだ。

 どういう状況かによるが、そんな石動と喧嘩っ早い犬夜叉が出会ってしまったのだ。

 激突は必定、避けられぬ衝突であろう。

 

「……犬夜叉!」

 

 相手の正体、決して侮れない実力を聞かされ、かごめは途端に犬夜叉のことが心配になってきた。

 彼がその鬼道衆に討伐されてしまうかもしれない——その恐怖から身を震わせる。

 

「ともかく! 今すぐここから避難するばい! わしゃはこれから鬼太郎しゃんを呼んでくるさ!!」

 

 一反木綿は女の子たちに、この場から離れるように提案する。一旦は距離を取った犬夜叉たちだが、いつまた戻ってきて彼らの戦いに巻き込まれるかも分からない。

 また、石動零を見つけたとも、鬼太郎に報告しなければならない。

 何を隠そう、石動が大逆の四将の一体である『鵺』の魂を所有しているのだ。閻魔大王との契約を履行するためにも、そろそろこの辺りで彼から鵺の魂を取り戻さねば。

 

「——待って!!」

 

 だが、鬼太郎の元へ飛んでいこうとする一反木綿を、彼女——日暮かごめが呼び止めていた。

 

「一反……木綿さんでいいんですよね?」

 

 初対面である一反木綿に、やや遠慮がちながらも意を決して彼女は頼み込む。

 

「お願い! 私を……犬夜叉の元まで連れて行って!!」

「——っ!?」

 

 突然の申し出に周囲が驚いた反応をするも、かごめは勢いのまま捲し立てる。

 

「私なら……犬夜叉を止めることが出来るから! 戦いそのものを、やめさせることが出来るかもしれない!」

 

 デタラメではない。確かな自信を持って、彼女は犬夜叉を大人しくさせられると語る。犬夜叉の方から手を引けば、石動零も敵意を収めるかもしれないと、彼女なりに淡い期待を抱いての提案である。

 

「え、ええっと……どないすればええんかいのう?」

 

 かごめと犬夜叉が親しい仲であることを知らない一反木綿は、状況がいまいち理解しきれずに困惑する。

 可愛い女子を乗せる分には何も問題はないのだが、果たしてこんな良い子をあんな男たちのところに連れて行っていいかどうか悩む。

 

「…………いいわ。一反木綿! 私も一緒に行く!」

 

 すると、僅かに考える時間を巡らせ、猫娘は一反木綿にかごめの提案を呑むように言う。かごめだけでは心配なため、猫娘自身も一緒について行く。

 

「カラスたち!!」

 

 一反木綿の背に飛び乗りながら、猫娘はすぐ近くの街路樹に止まっているカラスたちに声を掛けた。

 

「鬼太郎に伝えて! 石動と……例の『犬耳の妖怪』が戦ってるって!!」

「カァー!!」

 

 一反木綿の代わりに、カラスたちに鬼太郎への伝言を頼み。

 これで彼にも、石動たちの情報が伝わるだろう。あとは——

 

「まな!!」

「は、はい!?」

 

 一人どうすべきか、その場で立ち尽くしている犬山まな。

 戦闘員ではない人間の少女。本当ならこの場から避難させるか、ここで大人しくしているように言い聞かせるべきだったのだろう。

 

 しかしこのとき、猫娘はまなにとある役割を与えるために声を掛けていた。

 

 

 

「ちょっと頼みがあるの、いい? よく聞いてね。今から——」

 

 

 

×

 

 

 

「どうした、半妖! この程度か!!」

「うるせぇ!!」

 

 建物から建物へと移動しながら、石動零と犬夜叉は何度も激しくぶつかり合う。石動の鬼の腕と犬夜叉の爪による斬撃『散魂鉄爪(さんこんてっそう)』が空中で火花を散らす。

 

「その妖刀は飾りか!? 何故使わない!」

 

 石動は犬夜叉が鉄砕牙を振るわないことに疑問をぶつける。

 妖怪全般を敵視する彼は、犬夜叉が周囲の被害を気にして刀を使わない事情など一切考慮しない。妖怪に、周囲を気遣うなどという考えがあるなど、思いもしないのである。

 

「けっ! てめぇなんざ、鉄砕牙を振るうまでもねぇ!!」

 

 犬夜叉も犬夜叉で相手に弱みを見せないように強気に叫び返す。鉄砕牙を使わないのではない、使う必要がないのだと見栄を張り、己の爪のみで奮戦する。

 

「くらえ! 飛刃血爪!!」

 

 己の血を爪にまとわせ硬化させて放つ『飛刃血爪(ひじんけっそう)』などを用い、遠距離からも攻撃を加え続ける。

 

「ふん! 効くか、こんなもの!!」

 

 しかし石動零にそれらの技は通じない。

 鬼神の分厚い腕が生半可な攻撃を全て薙ぎ払ってしまうのだ。

 

「くそっ!!」

 

 さすがに素手だけでは分が悪いと判断したのか。石動を退けながら、犬夜叉はせめて刀を振るっても問題なさそうな、人気のない場所を目指して後退を続ける。

 その間、石動は喰らいついたら放さない、鮫のようなしつこさで迫ってくる。

 

 そうして、石動の攻撃を何とか凌ぎ切り、犬夜叉はようやく周囲にも人気の無い廃ビルの屋上にたどり着いた。

 

「よし、ここなら!!」

 

 ここでなら刀を振るっても問題ないだろうと判断し、再び鉄砕牙を構える。犬夜叉は守り一辺倒から、攻めの姿勢へと移行する。

 

「させるか!!」

 

 対する石動零。彼は既に犬夜叉の持つ妖刀の力を危険視していた。

 実際に振るわれずとも伝わってくる。鉄砕牙自体が放つ強い妖力を。あの刀を犬夜叉に使わせてはならないと直感で悟る。

 

 だからこそ、石動は犬夜叉が刀を振るうより先に『次なる一手』に出ることにした。

 

「——鵺招来!!」

 

 石動の言葉をきっかけに、今一度彼の腕の部分に文字が浮かび上がる。今度は『鬼』ではなく『鵺』という単語が一文字。

 次の瞬間、鬼神の腕だった腕部が変化——右腕が妖怪・鵺の頭部へと姿を変える。

 

 これこそ、石動零の行使する『呪装術』だ。

 倒した妖怪の魂を取り込み、必要に応じて己の身に憑依させることで、その妖怪の能力を自由自在に扱う呪法である。石動はこの術で様々な能力を行使できるよう、数多くの妖怪の魂を取り込んでいる。

 

『——グァアアアアアアアアアアアアア!!』

 

 鵺もその内の一体。鵺の能力——不気味な鳴き声を超音波のように放ち、犬夜叉の動きを封じ込める。

 

「な、なんだ、この音は……ぐうぅっ!?」

 

 初めて聞く鵺の耳障りな鳴き声に、犬夜叉は反射的に両手で耳を塞ぐ。人間であれば気を失うほどの絶叫、半妖である犬夜叉でもかなり堪えるものがあった。

 意識こそ保てたものの、ほんの数秒だが動きが止まる。その致命的な隙を、石動零は見逃さない。

 

「ふっ、隙だらけだぜ、半妖!!」

 

 怯んだ犬夜叉へ、鵺の頭部と化した右腕で襲い掛かる。

 

「くっ!」

 

 ぎこちない動きながらも、敵の動きに合わせて応戦する犬夜叉。鉄砕牙の刀身で鵺の牙を受け止め、何とか互角につばぜり合う。

 だがその必死な抵抗すらも、石動の予測通りである。

 

 攻防の最中、鵺の口から——鵺の尻尾でもあった『蛇』が顔を出す。

 蛇は鉄砕牙の刀身に巻きついて動きを阻害しながら、そのまま——犬夜叉の首筋に噛みついた。

 

「なっ!? こいつ、離れやがれ!!」

 

 噛まれた痛みに顔をしかめながら、即座に蛇を切り捨てて束縛を解き、改めて攻撃体制に移行しようとする。

 

 次の瞬間——突如、体の痺れが犬夜叉を襲う。

 

「!? なんだ? 体が……う、うごかねぇ?」

 

 鉄砕牙を握る手に力が入らず、思わず刀をとりこぼしてしまう。犬夜叉の体を襲った体調の変化に、石動は己の策略が見事に嵌ったことに口元を吊り上げる。

 

「残念だったな。鵺の尾には神経毒が仕込まれてる。いかにお前が半妖とはいえ、暫くは指一本満足に動かせねぇぜ」

 

 そう、鵺の尾である蛇。実はその蛇——体内で神経毒を生成する『毒蛇』だった。鵺はその毒で獲物の動きを鈍らせて狩りをするという、狡賢い性質も持ち合わせていたのだ。

 当然、石動の呪装術にもその毒蛇の特徴がしっかりと反映されていた。それにより、石動は犬夜叉にまんまと毒を注入し、彼の動きを鈍らせことに成功したのである。

 

 石動は痺れて動けないであろう犬夜叉にとどめを刺すべく、再び両腕に鬼神を宿す。

 

「終わりだ、半妖。お前も……俺の糧になれ!!」

 

 その豪腕を躊躇なく振り下ろし、犬夜叉の魂すらも取り込もうと企むのであった。

 

「くそったれ、こんな……ところで!!」

 

 奈落や殺生丸でさえない。こんな、どこの馬の骨とも分からぬ輩にここまで追い詰められるなど、犬夜叉は考えてもいなかった。

 覚悟など出来ているわけもなく、今まさに死が迫りくる瞬間、彼の脳裏に一人の女の子の存在が過ぎる。

 

 ——かごめ!!

 

 まさに、その少女の名を心中で叫んだときである。

 

 

「——犬夜叉ぁあああああ!!」

 

 

 上空から彼の名を呼ぶ、その少女の——日暮かごめの声が響き渡る。

 

 

 

×

 

 

 

 一反木綿に乗って超特急で駆け付けたおかげで、かごめは犬夜叉の姿を視界に捉える。しかし、遠目から見える彼は、どこか切羽詰まった状況に追い込まれている様子だ。

 今まさに、石動零が棒立ちになっている犬夜叉にトドメを刺そうとしていた。

 

「不味い、間に合わない!?」

 

 かごめと一緒に付いてきた猫娘が焦りを口にする。このままでは石動が犬夜叉を倒し、その魂を奪い取ってしまうだろう。

 石動の力がさらに増し、ますます手がつけられなくなってしまうことを懸念する。

 

「犬夜叉っ!!」

 

 一方でかごめは何よりも犬夜叉の身を案じる。

 どういう理由か動けないでいる彼の窮地を救うべく、彼女は大きく息を吸い込み、声が枯れるほどの大音量で『魔法の言葉』を唱えていた。

 

 

「——おすわりぃいいいいいいいい!!」

 

 

 刹那、犬夜叉の首に下げられていた首飾りが強い光りを放ち、動けないでいる犬夜叉の体を強制的に地面にめり込む勢いで引っ張る。

 

「ふぎゃっ!?」

 

 これぞ『言霊の念珠』の効果である。荒ぶる犬夜叉を鎮めるために付けられたその首飾りは、巫女であるかごめの「おすわり!」という言葉一つで、犬夜叉の体を地面に叩きつける。

 普段は犬夜叉を静止したり、お仕置きをするために使われる言霊だ。

 

「なにっ!?」

 

 だがそれにより、今回は動けない犬夜叉の『緊急回避手段』として役に立った。

 予想外の動きをされたことにより石動の一撃が空振り、犬夜叉は何とか事なきを得る。

 

「ちっ!」

 

 避けられると思っていなかったのか、石動は慌てた様子でもう一度、拳を振りかぶろうとする。

 

「させないわよ!!」

 

 しかし、一瞬でも時間を稼げたおかげで救援が間に合った。

 一反木綿から飛び降り、猫娘が上空から奇襲を仕掛ける。彼女の鋭い爪の斬撃を避けるため、石動は即座に後退。その間、一反木綿と共に犬夜叉の元へかごめが駆け寄る。

 

「大丈夫、犬夜叉!?」

「お、お前……どの口で言いやがる……」

 

 かごめは真っ先に彼の身を気遣うも、犬夜叉はピクピクと痙攣しながら言い返す。

 おすわりのおかげで命こそ助かったものの、頭をコンクリに思いっきり叩きつけられるのは当然ながらとても痛い。助かったことに変わりはないのだが、どうにも釈然としない気持ちに犬夜叉は素直に礼を言うことができないでいる。

 

「お前ら……!!」

 

 一方で、石動零は敵意に満ちた表情で自分の邪魔した猫娘、一反木綿を睨みつける。

 現在、鬼太郎たちと大逆の四将の魂を奪い合っている状況の両サイド。それでなくても、石動は妖怪を強く敵視しているのだ。いっそ、猫娘たちもまとめて刈り取ってやろうかと、握る鬼の拳に力を込める。

 しかし——

 

「そこのお前……」

「えっ……わたし?」

 

 石動は犬夜叉の側に寄り添う、かごめに声を掛けていた。

 

「お前……人間、それも巫女だな……」

 

 彼はかごめの纏う雰囲気から、彼女が巫女の類であることを見抜き、率直な疑問をぶつける。

 

「何故そんなやつの身を気遣う? そいつは半分とはいえ……妖怪だぞ? 何故人間であるお前が、半妖なんざに肩入れしてやがる!?」

 

 人間と妖怪は決して理解し合えない。それが石動零の基本思想だ。

 だからこそ、犬夜叉のことを心配そうに見つめる、かごめの存在に疑問を抱かずにいられなかった。

 何故、巫女である彼女が半妖などと違和感なく一緒にいるのかと。

 

「そんなのっ!!」

 

 石動のストレートな問い掛けに、かごめは何の迷いも答えていた。

 

 

「——仲間だからに決まってるでしょ!!」

 

 

 

 

 

「か、かごめ……」

 

 犬夜叉はかごめの顔を見つめる。彼女は半妖である自分を敵視する石動零に向かい、挑むかのような目つきで叫んでいた。自分が仲間だと、犬夜叉を庇う理由を——。

 

「仲間だと!? 人間が妖怪と……半妖なんざと仲良くできるわけがねぇ! 巫女のくせに甘ったれたこと言ってんじゃねぇ!!」

 

 巫女という立場で犬夜叉に肩入れするかごめに怒りを隠しきれないのか、石動はかごめのことすら敵意ある言葉で罵倒する。

 

「んだと……くっ!」

 

 そんな彼に何かを言い返そうとする犬夜叉だが、体の痺れが抜けきらず上手く言葉が出てこない。何も言い返せない自身の不甲斐なさに、ギリギリと強く歯軋りする。

 だが、怒りを内側に溜め込みことしかできない犬夜叉の代わりに、日暮かごめは声高々に叫ぶ。

 

「妖怪? 半妖? それが何よ!? 犬夜叉は犬夜叉よ! わたしの大切な仲間!!」

 

 つい先日の村人たちの件もあってか、半妖である犬夜叉を一方的に蔑む言葉に怒りを抑えることができない。

 かごめはついつい熱くなってしまい、周囲の視線もはばからずに己の気持ちを吐き出していた。

 

「巫女とか立場とかも関係ない!! わたしは犬夜叉と一緒にいたい!! それの何が悪いって言うのよ!? 犬夜叉のこと何も知らないくせに、好き勝手なこと言わないでよ!!」

「かごめ……」

 

 彼女の正直な気持ちに、犬夜叉の胸に温かいものがこみ上げてくる。半妖、半妖と、村人たちや石動零に罵られた心が癒されたような気分だった。

 

 しかし、それは犬夜叉と長い時間を掛けて絆を深めた、かごめだからこそ——。

 犬夜叉のことなど何も知らない、石動の知ったところではない。

 

「……ふんっ! それがどうした!! そいつは半妖、人間の敵だ! 邪魔をするなら……っ!!」

 

 石動は決して人間を殺しはしない。だが今の彼は心情的にかなり余裕のない状態であった。妖怪討伐を邪魔するようなら、たとえ人間相手でも力尽くに出る可能性は捨てきれない。

 実際、彼は自身の障害となっている猫娘と一反木綿を先に片付けようと、鬼神の腕に力を込める。

 

 

 だが、石動が動こうとしたそのとき。どこからともなく飛来した『下駄』が彼の動きを妨害する。

 

 

「——ちっ!?」

 

 石動がその下駄を振り払い弾き飛ばすと、下駄は持ち主の元へと戻っていく。

 

「——そこまでにしておくんだ、石動零」

 

 そう、カラスの報せを受けてその場に駆けつけてきた、鬼太郎の足元へと。

 

 

 

 

「鬼太郎!!」

「鬼太郎しゃん!!」

 

 自分たちのSOSに応え、当然のように来てくれた鬼太郎に猫娘と一反木綿の顔色に希望が宿る。自分たちではおそらく石動には敵わないであろうことを、先の戦いで屈辱ながらも思い知っている。

 だが鬼太郎なら石動に対抗できると、彼への信頼から猫娘たちも加勢すべく身構える。

 

「ゲゲゲの鬼太郎!! また俺の邪魔をする気か!!」

 

 妖怪たちに取り囲まれている中、石動零は苛立ちを込めて鬼太郎を睨み付ける。

 これまで幾度となく敵対し、ぶつかり合ってきた二人の相性は最悪。石動は偽善者と鬼太郎を毛嫌いし、鬼太郎もまた石動の凝り固まった考えに嫌悪感を隠そうともしない。

 出くわした以上、敵対するのは当然の事態である。

 

「こいつは大逆の四将とは関係ねぇが、人間に害を成すかもしれない妖怪だぞ! お前の出る幕じゃねえ、俺が片付けてやるから引っ込んでろ!!」

 

 石動は鬼太郎に己の意見をぶつけていた。

 犬夜叉はぶっそうな妖刀を平然とぶら下げ、人間の街に紛れ込んでいた異物だと。人間に仇なすかもしれない妖怪だと強く主張することで、鬼太郎に引っ込んでいるように告げる。

 

「お前も今まで数えきれない妖怪どもを片付けてきただろう、それと何が違う!?」

 

 悪しき妖怪を退治する。それは今まで鬼太郎も行ってきた所業だ。それらの行為と自分が犬夜叉を討伐することに何の違いがあると、自身の行動の正当性を主張することで鬼太郎を退けようと試みる。

 石動零の言い分も、時と場合によっては正しいものだろう。実際、鬼太郎はそうやって何度も悪い妖怪を退治してきた。

 

 しかし、今回に限ってその主張は通らない。

 

「悪いがそうはいかない。そっちの彼に……ボクたちも用があるんだ」

「えっ……鬼太郎が、犬夜叉に?」

 

 これに驚いたのはかごめである。

 あのゲゲゲの鬼太郎が犬夜叉に用事とはいったい何だろうと、不安と心配にその表情を曇らせる。

 

 

「——猫姉さん! 鬼太郎!!」

 

 

 すると、かごめの疑問に答えるかのようなタイミングで、カラスたちに連れられた犬山まながその場に駆けつけてきた。

 

 

「——犬耳のお兄ちゃん!!」

 

 

 その膝の上に、ちょこんと小さな女児を伴って——。

 

 

 

×

 

 

 

「よっと! 言われたとおりに連れてきましたけど……」

「ええ……ありがとね、まな」

 

 まなは猫娘に頼まれた件——アミちゃんという女の子をここまで連れてくる役割を無事にこなし、彼女と共に犬夜叉の元へとやってきた。

 まなはアミの依頼の件など知らなかったが、カラスたちが道案内をしてくれたことで無事に彼女の家に辿り着いた。アミに「犬耳の青年が見つかった」と伝え、そのままアミと一緒にカラスのブランコに乗り込んだ。

 

「犬耳のお兄ちゃん!!」

 

 ブランコから降りるや、アミは真っ先に犬夜叉の元へと走り出す。

 

「な、何だお前? ……って、誰が犬だよ!」

 

 無邪気に駆け寄ってくる幼い少女に、のぞけりながら腹を立てる犬夜叉。

 基本、彼は犬扱いされることを嫌っている。さすがに子供相手にそこまで怒鳴ったりはしないものの、あまりいい気分はしなかった。

 

「ん? お前……いつかのガキじゃねぇか?」

 

 だが、すぐに犬夜叉はその少女の顔に見覚えがあることに気づく。その少女が、過去に自分が火事の中から救出した人間の女の子であることを思い出したのである。

 

「えへへ……やっとまた逢えたね! 犬耳のお兄ちゃん!!」

 

 アミは自分を助けてくれた犬夜叉を犬耳のお兄ちゃんと慕い、無邪気な笑顔を見せる。

 

「あのね! わたしあのときのお礼がもう一度言いたくて、鬼太郎さんにお兄ちゃんのこと捜してもらってたの!!」

「……そうだったの」

 

 アミの言葉に合点が言ったと、傍のかごめがホッと胸を撫で下ろす。

 どうやら、犬夜叉が鬼太郎に目を付けられるような騒ぎを起こしたわけではないと、安堵しながら事の成り行きを静かに見守る。

 

「それでね、この花飾りを犬耳のお兄ちゃんのために作ったの。あんまり綺麗じゃないけど……受け取ってくれると嬉しいな……」

 

 彼女が懐から取り出したのは手製の花飾りだった。自分の作品にそこまで強く自信を持てないのか、不安げな表情ながら、それを犬夜叉へそっと差し出す。

 

 

 もっとも、不安を感じていたのはアミだけではなかった。

 

 

「…………お前は、俺が怖くないのかよ?」

 

 犬夜叉は自分に好意を向けてくる小さな女の子相手に、思わずそんなことを尋ねる。

 

 いつもの犬夜叉なら、そんな弱気な態度を取りはしなかっただろう。

 だがここ最近は半妖であることを理由に蔑まされ、子供の頃から迫害されてきた苦い記憶が何度も思い起こされていた。

 

「俺は……見ての通り人間じゃねぇし、妖怪でもねぇ。どっちつかずな半妖だ……そんな俺に、お前は……」

 

 そんな状況が犬夜叉自身も知らず知らずのうちに、彼の心の奥底の弱った部分を浮き彫りにさせていたのだ。

 しかし、深刻な顔色で語る犬夜叉とは対照的に、アミはキョトンとした顔で首を傾げる。

 

「はんよう? はんぱもの……? う~ん……?」

 

 幼い彼女には半妖がどうだの、差別がどうなどよく分からない部分の方が大きい。

 それでも、何とか犬夜叉の言葉の意味を考え、幼いながらもしっかりと頭を悩ませる。

 

 やがて——自分なりの答えを導き出したのか、アミはしっかりとした口調で犬夜叉に語りかける。

 

 

「むずかしいことはよくわからない……けど、犬耳のお兄ちゃんは『いい妖怪』でしょ!?」

「——っ!!」

「だって、わたしのこと助けてくれたんだもん! 全然、怖くなんかないよ!!」

 

 

 そう、他の誰が犬夜叉を半妖と蔑もうと。人間の敵だと決めつけようと。

 アミという少女にとって、犬夜叉は『自分の命を助けてくれた、カッコよくて優しいお兄ちゃん』である。

 その事実が、この少女にとっての全てなのだ。だから——

 

 

「ありがとう、お兄ちゃん! わたしのこと……助けてくれて!!」

 

 

 だからこそ、アミが犬夜叉に向ける感情は好意のみだ。

 自分が感謝しているという気持ちを最大限、精一杯表現しようと、彼女は微笑むのだ。

 

「……っ!」

 

 そんな眩い笑顔を前に、犬夜叉はどうすべきか分からずに戸惑っている。

 すると、そんな彼の背を押すべく、隣に立つ日暮かごめが犬夜叉の手を優しく触れていた。

 

「受け取って上げて、犬夜叉……」

「かごめ……」

 

 暖かな体温を肌で感じとり、犬夜叉は彼女の囁きに耳を傾ける。

 

「あの笑顔も、この花飾りも。この子なりの精一杯の感謝の気持ちだから。犬夜叉が……あなた自身が受け取ってあげないと……ねっ?」

「あ、ああ……」

 

 かごめにそこまで言われたことで、ようやく犬夜叉に手を伸ばす勇気が芽生える。

 既に蛇の毒素は薄れ、体の痺れは抜けきっていたが。恐る恐ると、割れ物でも触れるかのよう、おっかなびっくりに花飾りを受け取る。

 

「ほら、付けてあげるから。じっとしてて……犬夜叉」

 

 ようやく受け取った少女からの贈り物を、付け方が分からない犬夜叉の代わりに、かごめがそっと頭に刺してやる。

 犬夜叉の長い銀髪に、アミのプレゼントしたピンクのガーベラがよく映える。

 

 

 ガーベラの持つ花言葉は『希望』。

 特にピンクのガーベラには『感謝』の意味も込められている。

 

 

「うん! よく似合ってるわ、犬夜叉。可愛い!」

「お、男相手に可愛いとか言ってんじゃねぇよ! 俺にこんなもん……似合うわけねぇだろ!!」

 

 可愛いと褒めるかごめに、顔を真っ赤にした犬夜叉が照れた表情で言い返す。

 男の自分に花飾りなど、似合う訳もないとムキになって否定する。

 

「そんなことないよ! 犬耳のお兄ちゃん、すっごく可愛い!!」

「ほんと、ほんと! よう似合っとるばい!!」

 

 そんな犬夜叉にアミも、そして何故か一反木綿も口々に彼の花飾りを付けた姿を可愛いとか絶賛していた。

 

「だから似合ってなんか……って、何でお前までこんなところにいんだよ! この布切れが!!」

 

 可愛いなどと言われ慣れていない犬夜叉。ついつい恥ずかしさから、暴力的な口調や態度をとってしまう。

 当然、その標的は一反木綿へと集中。彼を引っ張ったり、ギュッと掴んだりして、とりあえず恥ずかしい気持ちを誤魔化す。

 

 少なくともその間、犬夜叉の心に自分が半妖だからなどという負い目は一切存在していなかったのである。

 

 

 

 

「…………ふん」

 

 犬夜叉とかごめ。アミや一反木綿たちがワイワイと賑わう光景を、石動零は険しい表情で見つめていた。

 先ほどの威勢はどこへ行ったのか、呪装術も解いてその場から立ち去ろうと、彼らに黙って背を向ける。

 

「待て、石動よ」

 

 そんな彼を、鬼太郎の頭からひょっこり顔を出した目玉おやじが呼び止める。

 

「あの光景を見ても……まだお前さんは妖怪を人間の敵と断ずるのか?」

 

 人間と妖怪と、そして半妖。種族の垣根や壁を越え、笑顔で笑い合う犬夜叉たち。

 アミが犬夜叉に助けられたという話も聞こえていた筈だ。

 それでも——それでも、まだ全ての妖怪を敵視する姿勢は変わらないのかと問い掛ける。

 

「……何度も言わせんじゃねぇ、俺の答えは変わらない」

 

 目玉おやじの言葉にも、石動はその強固な意思を崩さない。

 

「妖怪は人間の敵だ。俺たち鬼道衆は妖怪から人間を守るために生まれた。その使命を……生き残った俺が果たさなくてどうする!」

 

 自分は鬼道衆。最後の生き残りとしての誇りにかけ、決して妖怪に心を許しはしない。

 あんな光景を見せられたところで、それは変わらないときっぱりと断言する。

 

「……だが、あの子供に免じてこの場は退いてやる」

 

 この場で矛を収めるのも、あのアミという少女を巻き込まないためだ。

 さすがの石動もあんな幼い少女の前では戦いにくいのか、この場は一時退散する。

 

「だが、次はねぇぞ。ゲゲゲの鬼太郎!!」

 

 去り際。揺るがぬ敵意を瞳に込め、彼は苛立ちの全てを鬼太郎へとぶつける。

 

「今度俺の邪魔をするようなら、容赦なくお前を倒す。覚悟しておくことだ……」

「……それはこっちの台詞だ」

 

 そんな石動零の言葉に、鬼太郎も強気に言い返していた。

 

「次こそ、君から鵺の魂を取り戻す。絶対に……逃しはしない!!」

 

 閻魔との取引がある以上、鬼太郎は鵺の魂も地獄へ送らなければならない。

 無関係な人間の女の子を巻き込みたくないという思いは同じなため、鬼太郎もこの場では石動を深追いはしない。

 

 だが次こそ、次こそは必ず鵺の魂を取り戻して見せると。

 強い決意を込め、その場を立ち去る石動零の背中を静かに見送っていた。

 

 

 

×

 

 

 

「なるほど……これが骨喰いの井戸か」

 

 後日。鬼太郎と目玉おやじは日暮かごめの実家、骨喰いの井戸が祀られている神社へと足を運んでいた。

 例の——犬夜叉たちがタイムスリップをするための井戸とやらを、覗き込みながら目玉おやじが呟く。

 

 

 あのすぐ後、アミの依頼を果たした後に鬼太郎たちは『犬夜叉がどこから来た妖怪なのか?』と、素朴な疑問を口にしていた。

 結構な範囲を捜索したにもかかわらず、なかなか犬夜叉のことを見つけられなかったことに疑問を抱いたが故の問い掛けだったのだが——何故かその質問に日暮かごめが言い淀む。

 

『え、ええと……じ、実は…………』

 

 最初は何かしらの言い訳を考えていたかごめだったが、たび重なる鬼太郎たちの追及に観念したのか、彼女は自分の事情、犬夜叉の事情を全てを明かしていた。

 

 犬夜叉が骨喰いの井戸を抜け、戦国時代からこの現代にタイムスリップしてきたことを——。

 かごめが、現代人でありながら戦国時代で仲間たちと共に旅をしていることを——。

 

「ふむ、にわかには信じがたい話じゃが……」

「そうですね……父さん」

 

 当初、時代を行き来するというかごめの話に、鬼太郎たちは眉をひそめていた。

 いかに妖怪である彼らでも、時代を移動するなどという話、そう簡単には信じられない。

 

『じゃあ、先に弥勒たちと合流してくる。お前も早く戻って来いよ、かごめ!!」

 

 しかし戦国へ帰還するため、骨喰いの井戸へ飛び込んだ犬夜叉が何処ぞへと姿を消した。

 その瞬間を目撃したことで、一気にかごめの話に信憑性が増し、鬼太郎も物は試しと井戸の中に飛び込んでみる。

 

「……駄目ですね。やはりただの枯れ井戸です。彼女の言っているように、時代を行き来できるのは彼女と犬夜叉の二人だけのようです」

 

 だが、鬼太郎が井戸に飛び込んでも何も起きない。彼にとって、これはただの枯れた井戸でしかない。

 かごめの話が正しければ、この井戸を通ってタイムスリップできるのは彼女と犬夜叉だけのようだが。

 

 本当の意味で、鬼太郎にかごめの話の真偽を確かめる術はない。

 

「——そうですよね。やっぱり……信じられない話ですよね」

 

 鬼太郎たちが自分の話を疑っていることを、既にかごめは覚悟していた。

 それでも、彼女は再び戦国時代に旅立つ準備を進め、たった今支度を終え、犬夜叉の後を追うべく骨喰いの井戸の前で鬼太郎と顔を合わしていた。

 

「いや……君の話を信じよう。そんな嘘を付く理由もないじゃろうしのう」

 

 しかし、自嘲的な笑みを浮かべるかごめに、目玉おやじは彼女の話を信じると力強く頷く。

 そんな嘘を付く理由もなければ、そんな嘘を言う子に見えないと、彼の観察眼がかごめという少女の言葉を信じさせていた。

 

「済まんのう……わしらでは、君たちの旅の無事を祈るだけで精一杯じゃ」

 

 信じた上で、目玉おやじはかごめを過去に送り出すことしかできない、自分たちの不甲斐なさに頭を下げる。

 

 犬夜叉と日暮かごめの戦国時代を巡る旅。

 その行く末次第では、この日本という国の未来を変えてしまう恐れもある。

 そのような重責を、まだ中学生であるかごめに背負わせてしまう。そのことが目玉おやじには心苦しかった。

 

「そんな! 謝らないでください!! もともと……これは私たちで解決すべき問題ですから……」

 

 謝る目玉おやじに、かごめは気にしないでくれと首を振る。

 これは元から自分たちで解決すべき問題、鬼太郎たちが気に病むべきことではないと。

 

「きっとやり遂げて見せますから! 私と犬夜叉……仲間たちと一緒に!!」

 

 それに、かごめには犬夜叉以外にも戦国時代に頼れる仲間たちがいる。

 鬼太郎たちにも負けず劣らずな、頼りになる面子だ。

 

 彼らとならきっとやり遂げられると、かごめは自信満々に井戸の向こうへと旅立とうとする。

 

「それじゃ……行ってきます!!」

「——待ってくれ!」

 

 かごめが旅立つ間際、鬼太郎は彼女を呼び止めていた。

 彼も父親同様、かごめたちに全てを託すことに心を痛めているのか。

 

 鬼太郎にしては熱のこもった、力強い言葉でかごめにエールを送る。

 

「未来を……いや、『過去』を君たちに託す。どうか……よろしく頼む!」

「…………はい!!」

 

 ゲゲゲの鬼太郎に託された思いを胸に、いざ戦国時代へと旅立つ日暮かごめ。

 

 たとえ共に歩むことができなくても、これは自分たちだけの旅ではないと。

 かごめは改めて、己の背負っているものの重みを思い知らされる。

 

 戦国時代の平穏を取り戻すためにも、現代の人々が変わらぬ日々を過ごすためにも。

 

 

 立ち止まるわけにはいかないと、この旅を最後まで成し遂げることを胸に誓う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 たとえ旅の終着点に待つものが——犬夜叉との離別であろうとも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回予告

「最近、妙な視線を感じるような気がする。
 ……えっ? ボクと猫娘の本が出回っている?
 随分と薄い本ですが、中身はどうなっているんでしょう?
 父さん……同人誌って何ですか?

 次回——ゲゲゲの鬼太郎『白鷺城の刑部姫』見えない世界の扉が開く」

ちょっと真面目な話が続いたと思うので、次回はギャグ路線に振り切った話。
清姫に続き、FGO鯖より第二弾として『刑部姫』参戦!!

FGOネタは思いつき次第、ちょくちょく入れてみたいと思ってます。
次回もお楽しみに!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白鷺城の刑部姫 其の①

ようやく書けたので投稿します。

FGO系列第二弾。おっきーこと、刑部姫のクロスオーバーです。
今回の話で念のため程度に付けていた『R-15』のタグの必要性がようやく発揮される。一応、直接的な描写は控えているので『R-15』で大丈夫な筈です。

ところで、FGOユーザーの皆様は今回の2000千万ダウンロードの星5配布鯖に誰を選びましたか?
作者はあの時点で持っていなかった星5は以下の六名でした。
『ナポレオン』『ブラダマンテ』『エウロペ』
『アナスタシア』『刑部姫』『項羽』

……さて、誰を選んだでしょう?(刑部姫から目を逸らしながら……)



「——猫娘、好きだ」

「——え?」

 

 美しい夕陽が眺められる、どこかの建物の屋上。

 沈む太陽を背景に、鬼太郎が猫娘に愛を告白していた。

 彼の表情は真剣そのもの——そこに一切の躊躇も迷いもない。

 

「う、嘘よね、鬼太郎……だって!」

 

 その告白に猫娘は戸惑い、彼の言葉を鵜呑みにすることが出来ずにいる。

 

 だって、あの鬼太郎なのだ。

 色恋沙汰など興味も関心もなく、どこ吹く風と何十年もマイペースを貫いてきた。

 朴念仁でニブチンで、いつも側にいる猫娘の好意にすら気づいた様子もなく、常に彼女をヤキモキさせてきた。

 

 そんな、男として色々と鈍感な彼が、自分から愛の告白を申し出てくる。

 そんな現実離れした事実を、猫娘はすぐに受け入れることができない。

 

「……やっと気付いたんだ、自分の気持ちに」

 

 だが、これを現実と受け入れることのできない猫娘の迷いを払うかのように、鬼太郎はさらに想いの丈をぶつけていく。

 

「ずっと、君のことが好きだった……仲間としてじゃない。一人の女の子として、君を愛している」

「鬼太郎……あっ!」

 

 言葉だけで足りないのなら、直接その身に触れる。

 猫娘の華奢な体を、鬼太郎は慈しむように抱きしめる。

 

「長い間待たせて済まない。けど、もう離さない。君を……必ず幸せにしてみせる!」

「鬼太郎……鬼太郎!!」

 

 猫娘の瞳から涙が溢れ出す。

 何十年と想い続けてきた自身の恋が実ったのだ。彼女の喜びは——それはもう、言葉にできないほどのものだっただろう。

 

「好きだ、猫娘……君さえ良ければ——」

 

 返事に詰まっている彼女に、何度でも愛を囁くゲゲゲの鬼太郎。

 彼はポケットから小さな小箱を取り出し、パカッと猫娘の前で開いてみせる。

 

「ボクの……家族になってくれないか?」

「——!!」

 

 その箱に納められていたのは『結婚指輪』だった。

 清い交際も、結納もすっ飛ばし、何故かいきなり婚姻を申し出る鬼太郎に猫娘の顔をさらに真っ赤に染まる。

 

 嬉しさのあまり、とめどなく溢れ出す涙を何とか堰き止め、猫娘は輝くばかりの笑顔で彼の求婚に応える。

 

「はい! 私を……鬼太郎のお嫁さんにしてください!!」

「……ありがとう」

 

 猫娘の許しを得たことで、鬼太郎はそっと彼女の手に触れる。

 まるでお姫様の手を取る王子様のような優しい手つきで、猫娘の薬指にその指輪をはめさせる。

 

「……猫娘」

「……鬼太郎」

 

 ムードが最高潮に昂まり、両者は見つめ合う。

 どちらからともなく自然と顔を寄せ合い——二人の影が一つに重なる。

 

 

 そして二人は——幸せなキスをした。

 

 

 その後、さらに二人は暗い密室の中でズッコンバッコンと想いの丈をぶつけ合うことになるわけだが——

 

 

「——なっ……!」

 

 生憎と——現実の猫娘はそこまで読み進めることが出来ず。

 

「な、なななななななな……!」

 

 その場面が描写されるシーンを直前に。

 

「何なのよ! これはっ!?」」

 

 顔を真っ赤に悲鳴を上げながら——手にした薄い本を投げ飛ばしていた。

 

 

 

 

 時を巻き戻そう。

 

 そこにいたるきっかけは猫娘、彼女の何気ない呟きから始まった。

 

「……最近、妙な視線を感じるのよね」

 

 昼下がり。優雅なティータイムを友人と楽しんでいた猫娘。彼女は紅茶のカップを傾けながら、どこか憂鬱そうな顔色でそんなため息を溢していた。

 そのため息に対し、向かい側に座っていた猫娘の友達——おかっぱ頭の美少女・花子さんが咳き込む。

 

「けほっ! し、視線って……ど、どういうこと、猫ちゃん?」

 

 猫娘の言葉を聞くや、飲んでいた紅茶でむせ返る。彼女は学校の怪談でお馴染み『トイレの花子さん』。調布市のとある中学校の三階女子トイレに棲まう幽霊である。

 一応地縛霊の一種ではあるのだが、彼女は比較的自由に住処である学校から移動できる。数ヶ月前も、自身をストーカーしていた『二階男子トイレのヨースケくん』の魔の手から遠ざかるため、わざわざ地方の温泉へと逃げ出していた。

 そのヨースケを退治したと猫娘から連絡を貰い、花子は安心して学校へ戻ってきた。少し遅れたが今日はそのお礼にと、花子が猫娘をお茶に誘っていたのだ。

 

「そ、それって……もしかしてストーカー!? 猫ちゃんにも、あんな恐ろしい奴らの魔の手が!!」

 

 彼女は己の実体験から、好きでもない男につきまとわれる恐怖を知ってしまった。友達である猫娘も同じような目にあってるのかと、親身になって彼女の話に耳を傾ける。

 しかし、身を乗り出す花子さんとは正反対に、猫娘はどこか腑に落ちないといった様子で言葉を濁す。

 

「う~ん……そういうのとは、なんか違うのよね……」

 

 猫娘はそのモデルのようなスタイリッシュさもあってか、街中でナンパされることも多い。その中にはヨースケのようなタチの悪いストーカー男もいるにはいた。

 ところが今感じている視線はそういったものとは違うと、猫娘は詳しい内容を語っていく。

 

 

 彼女がその視線に気づき始めたのは、一ヶ月ほど前のことである。

 何気なくゲゲゲの森を歩いていた折、道先で何かしらの雑談をしている妖怪たちと出くわす。すると、彼らは猫娘の存在に気づくやギクッとした表情で固まり、すぐさま彼女から距離を置いて何やらヒソヒソ話を始めた。

 

『? 何、なんか用?』

『い、いや! べ、別に!』

『な、何でもないよ! は、ははは!!』

 

 勝気な猫娘は彼らに対して強気に問いただすも、妖怪たちは適当にはぐらかし、その場をそそくさと逃げ出していく。

 

『……?』

 

 その時は特に何も感じなかったが、異変はそれ以外に留まらない。

 

 例えば街中。たまたま見かけた知り合いの妖怪に声をかけたところ、何故か苦笑いをしながら遠巻きに離れていく。

 また妖怪アパートでも。猫娘が顔を出すや、そこの住人たちが渇いた笑みを浮かべながら一斉に自室へ戻っていく。

 最近では、一反木綿や砂かけババアなど、それなりに親しい相手からも何故か気まずそうに距離を開けられている。

 

『……何なのよ、どいつもこいつも』

 

 そう、自分に奇異な視線を向けてくるものの大半が妖怪であり、男女問わず猫娘を見るや、何やら恥ずかしそうに顔を背けるのである。

 

 

「鬼太郎やまなはいつも通りだし……まったく、意味分かんないわよ!」

 

 鬼太郎や目玉おやじ、犬山まななど。いつも通りに接してくれる面々もいるため、自分の顔に何かがついているというわけでもなさそうだ。その状況がさらに猫娘を困惑させている。

 

 いったい、他の妖怪たちの間で何があったのだろう?

 

「ねぇ、花子。あんたは何か心当たりない?」

 

 愚痴を溢した勢いのまま、猫娘は花子さんに何か心当たりはないかと尋ねる。

 もっとも、彼女とは久しぶりに顔を合わせたため、あまり良い回答は得られないだろうと思っていた。

 

 ところが——

 

「へ、へぇ~……そ、そうなんだ。な、なんか大変だね~……」

 

 花子さんは声を震わせ、僅かに頬を朱色に染めながら冷や汗をだらだらと流していた。

 明らかに動揺したその態度に、猫娘の目がギラリと細められる。

 

「花子……あんた、何か知ってんの?」

「へっ!? な、何のことかな~!?」

 

 そう指摘され、あからさまに狼狽する花子さん。その態度に猫娘は彼女が何か隠し事をしていると睨む。

 そういえば——

 

「そういえば、私は遠巻きに見てる連中の何人かが、妙に薄っぺらい本を手にしてたのよね……」

「っ!! あっ、そ、そうなんだ! へぇ~……」

 

 猫娘が思い出していたのは、自分を避けていたものの何人かが薄い本を手にしていたことだ。その本と猫娘を交互に見返しながら、妖怪たちは妙な視線を自分に向けていた。

 そして——

 

「ねぇ、花子。確か……アンタも何か読んでたわよね。私が来るまで妙に薄い本を……」

「ぎくっ!!」

 

 さらに思い出したのが、花子さんも似たような本を読んでいたことだ。

 待ち合わせの間、彼女は何かの本を一心不乱に読み進めていた。猫娘が来たところで慌ててその本をカバンの中に仕舞い込み、何事もなく笑顔を振りまいていたが。

 今思い出せば若干、その笑顔が引きつっていたような気もする。

 

「……何を読んでたのよ。ちょっと、見せてもらうわよ!!」

「あっ! やめ、やめて!?」

 

 猫娘は事の真偽を確かめるべく、花子さんのバックを引ったくりその中身をチェックする。罪悪感を覚えはしたが、花子さんの慌てた様子に何かを隠していることはほぼ確定である。

 いい加減、この何ともはっきりしない現状に終止符を打つべく、猫娘は彼女の読んでいた薄い本の正体を確かめる。

 

「まったく、何をこそこそと読んで————」

 

 だが、その本の表紙、タイトルを見た瞬間——猫娘の時間軸が停止する。

 

 

 本のタイトルは『ボクと猫娘、愛しき想いが今通じ合う』。

 表紙には——猫娘と思しき女性、そして鬼太郎と思われる少年が描かれ…………。

 

 

 

 二人は——まるで恋人のようにベッドの上で抱き合っていた。

 

 

 

「なっ——!?」

「あ!! ああ、こ、これは……その!」

 

 絶句する猫娘。花子が必死になって言い訳を取り繕うとするも、気の利いた言葉など出てくるわけもなく。

 猫娘は顔を真っ赤にしながらも、ほぼ反射的にその本の内容を確認していく。

 

 

 

×

 

 

 

「……な、なんなのよ……! いったいどういうことよ!!」

「ああ! そんな、乱暴に扱わないで!!」

 

 そして、猫娘は自分と鬼太郎の濃密なラブシーンに最後まで目を通すことができず、その薄い本を投げ飛ばす。猫娘が放り投げたその本を花子さんは慌ててキャッチし、大事そうに懐へと抱え込んだ。

 

「花子!! その本は何!? 説明して貰うわよ!!」

 

 何故花子の荷物からこのような本が出てくるのか。いや、そもそもその本は何なのかと、説明を求める猫娘。

 

「え、ええと……じ、実は……」

 

 猫娘の鋭い眼光に晒され、花子さんは観念したのか。

 やむを得ずその本——『同人誌』を入手した経緯に関して話していくこととなる。

 

 

 だがその前に——そもそも同人誌とは何なのか?

 

 

 同人誌とはその名称通り同人、すなわち『同好の士』によって製作された雑誌の略称である。

 古くは明治時代。文学や小説、俳句や短歌の同好の士が発表の場を求めて自費で刊行した同人雑誌から始まっている。商業誌などとは違い、作家たちが思い思いの作品を自由に発表する場として何かと重宝されてきた。 

 歴史上の著名人、文豪と呼ばれるようになる作家たちもそういった場で作品を発表し、後々になって有名になっていくというパターンも珍しくない。

 日本の文学界などの発展にも大いに貢献した、なくてはならない概念だっただろう。

 

 だが、近年はそういった元々の同人誌とは別の意味で界隈を賑わせている。

 漫画やライトノベル、ゲームやアニメといった娯楽作品。俗に『オタク文化』とも呼ばれる作品の刊行が圧倒的多数を占めるようになった。

 

 勿論、それも同人誌という意味では何も間違ってはいない。

 昔と違いネットの普及やコミケなどの大規模イベントの影響で需要も高まっており、多くの人たちが自身の作品を自由に発表する場を設けられ、活躍の場を広げている。

 その勢いは通常の商業誌すら上回りかねない規模で成長し、ひとつのビジネスとして形を成すようになってきた。

 

 しかし、市場規模の拡大と共に問題も浮き彫りになってくる。

 二次創作に関する著作権の問題や、実在の人物をモデルにする『実在創作』と呼ばれるジャンルの開拓。

 今回猫娘が被害にあった案件こそ、まさにこれである。自分の知らないところで勝手に自分がモデルにされ、鬼太郎とあんな事やこんな事をさせられている。

 当然、人間社会の法的にもアウトであり、本人が訴えれば間違いなく勝訴できる案件である。だが——

 

「何で、何で私と鬼太郎がこんな……こんな事になってんのよ!!」

 

 そもそもな話、何故自分と鬼太郎がモデルにされた同人誌が存在するのか、猫娘にはそれが疑問だった。

 

「花子!! どこで手に入れたか知らないけど、何でアンタもこんな本を大事に抱え込んでんのよ!!」

 

 さらに言えば、どうして花子さんの持ち物からこんなものが出てくるのか。その本を大切そうに持ち歩いているのかが分からない。恥ずかしさに赤面しながら叫ぶ猫娘。すると、その疑問に花子さんは何の気もなく答える。

 

「だって、気になってたんだもん。猫ちゃんと鬼太郎さんの、恋の行く末が……」

「はぁっ!?」

「だって猫ちゃん——鬼太郎さんのこと好きなんでしょ?」

「——!!」

 

 友人である花子さんから自分が隠し通してきた筈の気持ち——自分が鬼太郎のことを好いているという想いを指摘され、動揺が表に出てしまう猫娘。

 

「は、はぁっ? い、意味分かんないし!! 何で私が鬼太郎なんかのこと!!」

 

 自分の気持ちに素直になれない猫娘は咄嗟にそのように言い返し、自身の恋心を否定する。

 だが、それは花子さんも予想の範囲内だったのか。

 

「ああ、大丈夫だよ、猫ちゃん」

 

 猫娘の言い訳に、特に何でもないことのように告げる。

 

「猫ちゃんが鬼太郎さんのこと好きだってこと——もう大体の人は知ってることだから」

 

 もっとも、その言葉は猫娘からして見ればかなり衝撃的だったのか。

 

 

「…………………………はぁ!!?」

 

 

 猫娘は暫くフリーズした後、あまりの恥ずかしさからその後数十分間。まともに会話することもできない状態が続く。

 

 

 

 

 

 そう、猫娘が鬼太郎に淡い恋心を抱いていることは、両者を知る妖怪たちの大半が知っている事実である。

 

 気づいていないのは当の本人である鬼太郎や父親の目玉おやじ、あとはその手の話題に鈍い一部の者たちくらいだろう。

 ゲゲゲの森の仲間たちや、妖怪アパートの住人、花子さんのように猫娘と親しい友人たちにも全て、彼女が隠しているつもりの気持ちなどお見通しである。

 それは別に特別なことでも何でもない。猫娘の鬼太郎への態度、彼に向ける視線などを見れば自然と察することができる。

 

 しかし、そこで「猫娘は鬼太郎のことが好きなんだ!」と、本人たちに指摘するほど彼らも野暮ではない。

 

 猫娘の気持ちを理解した上で、何も言わずに黙っている。

 いつか、鬼太郎が猫娘の気持ちに気づくのか? あるいは、猫娘の方から鬼太郎への想いを切り出すのか?

 彼らの行く末がどのような形で収まるのか、温かい目で見守るのが暗黙の了解となっていた。(予断だが、その行く末を賭け事の対象としている妖怪たちまでおり、結構な額の賭け金が貯まってたりする)

 

 そんな中、どこからともなく出版されたこの同人誌——通称『キタネコ本』は彼らに激震を走らせた。

 

 鬼太郎と猫娘の恋が成就するまでの過程、あるいは成就したその先を描いた数々のシュチュエーション。中々進展しない二人の仲にヤキモキしていた面子にとっては、まさに目から鱗の発想だった。

 

 そうだ、現実での二人の仲が進展しないのであれば、自分たちの脳内で補完すればいいのだと。

 この同人誌が、大事なことを教えてくれた。

 

 このキタネコ本。定期的に新刊が刊行され、その度に妖怪たちの間で爆売れしている。描かれるシュチュエーションもその都度違うため、常に新鮮な気分で楽しむことができる。

 シリアスなバトルものから甘々な恋愛もの。何故か学生服を着たパロネタや、時代設定の変更まで何でもあり。

 そして、明らかに成人向けなシーンから、子供まで出来ちゃったりしている。

 まさに自由な創作活動、同人誌だからこそ出来ることの全てを表現していると言っても過言ではない。

 

「——冗談じゃないわよ!! こんなこと、今すぐ辞めさせるわよ!!」

 

 しかし、それをネタにされる本人としては決して見過ごせるような事態ではない。自分の想いが既に周知の事実だという割とショックな出来事から何とか立ち直り、猫娘はこの本の出所を花子さんに問い詰める。

 

「う~ん……元を辿るのはちょっと難しいかもね」

 

 だがこれらの同人誌を購読している花子さんにも、大元の販売元は分からないという。

 基本的にこれらの品は妖怪が目を通すようなネットショップで販売されており、花子さんもその伝手を借りて入手しているとのこと。

 一体誰がこんなものを描いて、販売しているのか誰も知らないのだ。

 

「いったいどこのどいつよ! このおっきーって!?」

 

 唯一の手掛かりは表紙に記載されている『おっきー』という作者名。身元がバレないようにするためのペンネームだろう。それだけではどこの誰と人物を特定することはできない。

 

「もう~! どうしたらいいっていうのよ!?」

 

 このまま自分と鬼太郎の薄い本が世間に広まっていくのを指を咥えて見ていることしかできないのかと、猫娘はどうにもできない事実に悔しそうに歯噛みする。

 

「………ん?」

 

 だがふと、猫娘の視界に作者名とは別の情報が目に留まる。

 それはデカデカと書かれている作者名のすぐ下。小さな文字だが、確かにこのように記載されていた。

 

 

『企画・発行——ビビビサークル』

 

 

 もう、それだけで誰が裏で糸を引いているか一目瞭然である。

 

 

「…………ねずみ男ぉおおおおおおおおおおお!!」

 

 

 猫娘は憤怒の絶叫を上げ、急ぎその男をとっちめるために駆け出していた。

 

 

 

×

 

 

 

「——痛ってぇな!! いきなり何しやがる!?」

「フシュウウウウ……」

 

 ねずみ男が住処であるボロアパートでゴロゴロしていると、突然猫娘が窓ガラスをぶち破り襲い掛かってきた。

 相当お怒りなのだろう、まともな言語を発することなく唸り声を上げながら、一匹の獣として容赦なくねずみ男をしばき倒す。

 ようやく、彼女の怒りが一旦収まりかけたところで、ねずみ男は猫娘に抗議する。いったい自分が何をしたのかと、まるで身に覚えがないとばかりに。

 

「しらばっくれてんじゃないわよ! アンタの仕業でしょ、これは!?」

 

 猫娘はねずみ男に花子さんから没収した薄い本を突きつけて問い詰める。ビビビサークル何てふざけたサークル名、彼以外の誰が用いるのだと。

 自分と鬼太郎の同人誌を売り捌いているのが間違いなくねずみ男だと、確信のもとに彼を糾弾する。

 

「いったいどういうつもりよ! こんなもの描いて売り捌くなんて! 新手の嫌がらせ!?」

「……ああ、なんだ。見つかっちまったの……はぁ~」

 

 だが、己の悪事が暴かれて慌てふためくかと思いきや、ねずみ男は意外と冷静であった。

 その言葉からこの同人誌の販売元がねずみ男であることは確かのようだ。しかし、彼に悪事を働いたという自覚はなく、どこか疲れた様子で重苦しい溜息を吐いている。

 

「な、何よその反応! アンタがわたしと鬼太郎の……こんな、ふ、ふ、ふしだらな漫画描いてるんでしょうが!!」

 

 その反応に納得がいかず、猫娘がさらにねずみ男を問い詰める。ところがそれに負けじと、ねずみ男も猫娘に言い返していた。

 

「うるせぇ!! 俺だってこんなもん、売りたくて売ってるわけじゃねぇんだ!! 何が悲しくて鬼太郎とお前がイチャイチャしているような本を売らなきゃなんねぇんだよ……」

 

 ねずみ男と猫娘は犬猿の仲だ。そんな彼がフィクションとはいえ、どうして彼女の恋路が上手くいくような話を売らなければならないのかと、かなり不満な調子で吐き捨てる。

 

「? どういうことよ。この漫画はアンタが描いたんじゃないの?」

 

 どうにも要領の得ない言い分に、猫娘は疑問を投げ掛ける。それに対し、ねずみ男は喧嘩腰に答えた。

 

「はっ! 誰がそんな気色の悪いもん描くかよ! 俺がそんな小綺麗な絵を描けるわけねぇだろ!!」

「言われてみればそうね……」

 

 どうやら、この漫画の作者はねずみ男ではないようだ。

 確かに猫娘の知る限り、彼にこのような漫画を描くスキルはない。話の内容に色々と突っ込みたいところはあるが、中身の絵自体は綺麗に描けている。

 何せ漫画など普段はあまりよく読まない猫娘の目から見ても、そこに登場する登場人物が鬼太郎と猫娘であることを一発で分からせるほど、よく特徴を捉えているのだ。

 相当な画力、それこそプロの漫画家と見まごうほどの出来栄えである。

 

「まったく……何だってそんな本が売れるのかねぇ。毎回売れ行きがいいから俺としては文句はねぇが……はぁ~」

 

 販売元であるねずみ男も、何故鬼太郎と猫娘の同人誌が売れるのかよく分かっていない様子だった。売り上げが好調で彼にしては懐があったかいようだが、どうにも素直に喜び切れない複雑な思いが、そのため息からこぼれ落ちている。

 

「けど……刑部のやつが『今はキタネコ本しか描きたくない!!』……何て言いやがるもんだからな。俺としちゃ、それを売るしかねぇんだよ。はぁ~……」

「……おさかべ? そいつがこの本を描いてんの? いったい、どこのどいつよ!?」

 

 ねずみ男が愚痴を繰り返す中、ようやく彼の口からその本の作者——『おっきー』と思しき者の名が上がる。

 おっきー。本名は刑部というのか。その人物の詳しい素性を猫娘は問い詰めた。

 

「そうだな。ここいらでこの商売も引き時かね……」

 

 観念したのかと、それとも売りたくも無いものを売っていて疲れたのか。

 ねずみ男にしては珍しく、素直にその本の作者である『おっきー』なるものの正体を白状する。

 

「そいつの名は——刑部姫。姫路城の天守閣に隠れ棲んでる……ひきこもりの妖怪だよ」

 

 

 

×

 

 

 

 姫路城は兵庫県姫路市にそびえ立つ日本を代表する城の一つである。

 

 その始まりは1333年。赤松則村という人物が姫路の地に築いた砦が始まりとされているが、今の姿に落ち着いたのはさらにその数百年後。

 関ヶ原の合戦の後に城主となった池田輝政により1609年に城の大改築が行われ、今のように城壁や屋根が真っ白に染められた。

 その美しさから別名・白鷺城(シラサギジョウ・ハクロジョウ)とも呼ばれ、その後四百年間。修復を重ねながらも、現代にその美しい姿を保ったまま現存している。

 その美的完成度、歴史的価値から国宝・重要文化財。果てはユネスコ世界遺産にすら認定されるほどの超貴重建造物である。

 

「……ほんとにこんな大それた場所に、こんなふざけた本を描いたやつが住んでるわけ?」

 

 ねずみ男の言い分をとりあえず信じ、姫路城の正門へとやってきた猫娘がその城を見上げながら仁王立ちしている。

 カラスに乗って急いでここまで来たが、それなりに時間を食ってしまい現時刻は夕暮れ時。あと一時間もすれば閉城時間になるため、観光客もまばらで人気もかなり少なめである。

 

「ああ、ここが奴の住処だ。ここで……あいつがその同人誌を描いて、俺が売るって手筈になってた」

 

 猫娘が本当にこんな歴史的建造物で同人誌が作られているのかと怪しむも、ねずみ男は疲れた様子でここで間違いないと頷く。

 

「ひきこもりの人見知りだからな。基本的にこの城から出てくることはねぇ。まっ、例外もなくはないが……」

 

 商売相手として刑部姫と接してきたねずみ男。たびたび出来上がった原稿を受け取りにここを訪れるのか、慣れた様子で姫路城の敷地内へと足を踏み入れていく。

 

「こっちだ。とっとと用件を済ませちま——」

「——あれ? ねずみ男?」

 

 だが、ねずみ男と猫娘が城門を潜るや、思いがけない人物と出会すこととなる。

 

「猫娘も一緒か……奇遇じゃないか」

「き、鬼太郎!?」

 

 何と、姫路城の敷地内に既に先客としてゲゲゲの鬼太郎がいたのである。

 同人誌のことが知られたくなかった猫娘は当然、鬼太郎には内緒でこの案件を処理しにここまでやってきた。なのに彼は自分たちより先にこの地に訪れている。

 

「なんじゃ? ひょっとして、お主らも刑部姫に用があるのか?」

 

 鬼太郎の頭からひょっこり顔を出す目玉おやじが猫娘たちに用件を尋ねる。

 どうやら彼らも自分たち同様、刑部姫に用があるようだ。そしてタイミング的に考えて、例の同人誌のことで文句を言いにきた可能性がかなり高い。

 

 ——そ、そんな!! き、鬼太郎に……アレを見られたなんて! ど、どうすれば!?

 

 もしも鬼太郎があの同人誌——自分と彼があんな風にイチャコラしている場面など見られたら日には。いかに漫画とはいえ、猫娘は恥ずかしさのあまり二度と彼の顔を見ることができなくなってしまうかもしれない。

 ある意味で鬼太郎が石にされたとか、牛鬼になってしまった以上に絶望的状況に身をよじる猫娘。しかし、慌てふためく猫娘とは裏腹に、鬼太郎は実に冷静な態度で自身がここに訪れた用件を伝える。

 

「最近、妖怪ポストにこの城絡みの相談事が多くなってるんだ。何でも、怪奇現象が頻発してるとか……」

 

 鬼太郎が言うにはここ最近、この姫路城にて不可思議な現象が起きているとの手紙が数多く寄せられているらしい。一つ一つが小さな問題ではあるらしいのだが、中には『巨大な化物』を敷地内で見かけたという報告も上がっている。

 鬼太郎と目玉おやじは事の真偽を確かめるべく、この地に棲まうとされる刑部姫に会いに来たのだ。彼女なら、その怪奇現象について何か知っているのではないかと期待して。

 

「そ、そうなんだ……ほっ」

 

 どうやら、鬼太郎は刑部姫が描いている同人誌については知らないらしい。そっちの件については一切触れてこなかった。

 猫娘はそのことに安堵し、手にしていた同人誌を後ろ手に隠す。

 

 彼にだけは絶対に知られるわけにはいかないと気持ちを引き締め、改めて刑部姫の居城・姫路城——その天守閣へと向かうのであった。

 

 

 

 

 

「刑部姫……確か、城や建物を住処とする城化物という妖怪の一種じゃったのかのう」

 

 姫路城を階段で登っていく道すがら、目玉おやじは目的である人物——刑部姫について語っていく。

 刑部姫は元々、姫路城のある姫山にいた『刑部大神』として祀られていた神、あるいは鬼神とされている。彼女は自身の土地に城が建てられたことにより、いつしかその城に棲みつくようになった。

 彼女のように城や建物に棲みつく妖怪は俗に『城化物』と呼称されているが、その正体は数百年と生きた狐の妖狐である。

 

「奴は一年に一度、城を治めていた人間の城主に自分のところに挨拶に来させていたと聞く。じゃが時代が進み、城主という存在そのものが必要なくなってしまった」

 

 姫路城は少し特殊な城で、時代ごとに城を治める城主がコロコロと変わる。

 歴代の城主の中にはかの有名な戦国武将・豊臣秀吉もいたとされ、刑部姫はそういった城主たちに対し「自分こそがこの姫路城の真の主である」と、自分に敬意を払わせ、一年に一回の挨拶を欠かさず行うよう言いつけていたという。

 だが時代が進み、城を治めるものもいなくなり、姫路城は国によって維持・管理されるようになった。

 その影響か人々はすっかり彼女の存在を忘れ、姫路城の美しさにばかり目がいくようになっていった。

 

「ここ数十年はとんと話を聞かなくなった。てっきりどこぞへと姿を消したかと思っていたが……まだこの城に棲んでいたようじゃな」

 

 そんなこともあり、目玉おやじはひょっとしたら刑部姫がもうこの地にはいない可能性を考えていた。だが、自分たちと同じように猫娘たちが刑部姫に会いに来たと聞き、彼女の健在ぶりを知ることになったのだ。

 

「へぇ~、そんな大層な妖怪だったとはね。今の姿からじゃ想像できねぇな……」

 

 刑部姫の半生を知り、ねずみ男が何とも複雑そうな呟きを溢している。

 この中で唯一、刑部姫と面識のある彼は今現在案内役を買って出ている。ねずみ男を先頭に一行は刑部姫が棲んでいるとされる天守閣までの道を進んでいく。

 

「——ほらよ、着いたぜ!」

 

 そうして、鬼太郎たちは姫路城の天守閣・最上階の一方手前までやってきた。

 最後の一階、目の前の階段を登れば最上階である大天守・刑部姫を祀る『刑部神社』へと辿り着ける。ねずみ男の話によると、刑部姫はその最上階のフロアを丸々改築し、今もこの地に居座っているらしい。

 人間たちには自分の居住フロアに入れないよう結界を張っているらしいが、妖怪である鬼太郎たちなら何も問題なく入れるとのこと。

 

「よし! では早速、会いに行くとするかのう」

「はい、父さん」

 

 鬼太郎たちは依頼解決のため、すぐにでも刑部姫に面会しようと階段に足を掛けた。

 

「ああー! ちょっと待って、鬼太郎!!」

 

 だがそんな鬼太郎の歩みを止め、猫娘が懇願するように彼に願い出る。

 

「悪いんだけど、先に私の用件から片付けさせてもらえないかしら!?」

 

 猫娘の用件、例の同人誌に関して。彼女としてはさっさとその問題を片付けて安心しておきたいという気持ちがあった。鬼太郎と刑部姫との会話の際にも、そちらの話題が上らないようにするためにもそれが不可欠。

 故に鬼太郎の用事の前に、刑部姫に釘を刺しておく必要があった。

 

「別に構わないが……そういえば、猫娘たちも刑部姫に用があったんだったな。どんな用事なんだ?」

 

 鬼太郎は特に不快感を示すことなく猫娘の提案を受け入れるが、当然の流れとして彼女たちの用事とやらを聞いてくる。

 

「べ、別に鬼太郎には関係ないことだから気にしないで! ほら行くわよ、ねずみ男!! 鬼太郎はここで待っててね!」

「痛っ! 髭を引っ張るんじゃねぇ! 痛い、痛いって!!」

「……?」

 

 勿論、その質問に答えることができず、猫娘は逃げるように階段を登っていく。

 髭を引っ張られて連れ去られていくねずみ男と彼女を見送りながら、鬼太郎は終始首を傾げていた。

 

 

 

×

 

 

「いいわね、ねずみ男? 鬼太郎には、絶対にあの本のこと知られんじゃないわよ!?」

「分かった! 分かったから、髭から手を離せよ! おお、いってぇな……」

 

 階段を登りながら、ヒソヒソと鬼太郎には聞こえない声で内緒話をする猫娘とねずみ男。鬼太郎に同人誌のことを知られたくない猫娘は、かなり必死な形相でねずみ男を脅しつける。

 彼女の本気の度合いを理解し、迂闊なことを漏らせば何をされるか分かったものではないと、今回ばかりは素直に従うねずみ男。

 そうして、細心の注意を払いながらいざ、二人は刑部姫の居住空間へと足を踏み入れる。

 

「おう、居るか刑部姫? 俺だ、ねずみ男だ」

「まったく……どんなふざけた奴よ。こんな本を嬉々として描いてる馬鹿は! 文句言ってやるんだ……から…………何これ?」

 

 開口一番、勝手に自分と鬼太郎を漫画のネタにした失礼な相手に怒鳴り込んでやろうと意気込む猫娘だったのだが——

 彼女は刑部姫の居住空間。そのプライベートスペースのあまりの混沌ぶりに暫し言葉を失ってしまう。

 

 

 猫娘たちが居る場所は天下の姫路城。日本が誇る城郭建築の最高峰、日本の美の象徴とされる世界遺産の筈だ。

 当然外観だけではなく、内部もその評価に相応しい、神聖なものでなくてはならない。

 

 だが、天守閣の最上階内部はその評価に相応しくない。

 身も蓋もない言い方をすると、俗世に染まりまくった実に『オタク然』とした様相に彩られていた。

 

 まず目に止まったのは四角い社——『刑部神社の八天堂』である。これは昔からここにあったもので、相当の年季が感じられる、実に歴史情緒あふれる社であるが…………もう、なんか『それ以外』がとにかく酷い。

 

 壁には美男子たちの煌びやかなポスターが貼られ、そのすぐ下の棚に精巧なフィギュアの数々がずらりと並んでいる。

 また壁際の本棚の中には漫画本がびっしり、収まりきれない数の本が床にジェンガのように積み重ねられている。

 天井にはいくつかの垂れ幕がぶら下がっており、その中の一つが「ひきこもりは蜜の味」と恥ずかしげもなく堂々と宣言している。

 他にもクッションやら抱き枕やら、ゲームに、ラノベ、床には食べかけのピザ……。

 

「…………何なの?」

 

 再度確認するように茫然と呟く猫娘の視線が、自然とその部屋の主の元へと注がれる。

 それは部屋の中央。何故かコタツがあり、その上にセットされたパソコンのモニター三つを眼鏡を掛けたフードの女性が鬼気迫る表情で睨みつけている。

 

「……ここで必要な描写は……いや、猫娘の気持ちを考えればまだ早いかも。……でも、彼女はずっと鬼太郎のことを待ち焦がれてたのよね……これくらい羽目を外させても………いや、やっぱり駄目よ! 駄目駄目!!」

「…………………」

 

 正直言って近づきたくない。

 そんなオーラをひしひしと感じさせるその女性を前に、猫娘は怒りさえ忘れ直立不動で固まっている。

 

「おい、刑部姫! 俺だ、ねずみ男だ! いい加減戻ってこい!」

 

 ねずみ男は既にそんな彼女に慣れているのか。さっさと用件を伝えて面倒ごとを終わらせようと、無遠慮に声を掛ける。

 

「…………ううん、でもだからこそ——ん? って、ねずっち?」

 

 そこでようやく我に返ったのか、女性がねずみ男の存在に気づき振り返る。

 

「どうしたのよ? 締め切りにはまだ早いわよ! まだ全然原稿も………………」

「…………」

 

 振り返った眼鏡の彼女は、そこで立ち尽くしていた猫娘と目と目が重なる。

 静かに見つめ合う両者。だが次の瞬間にも——

 

「ひゃあぁぁぁぁっ!? あわわ……ど、どうして? 何で猫娘ちゃんがこんなところに……はっ!?」

 

 相手が猫娘と理解するや、唐突に取り乱す。そして、その視線を彼女の手元——猫娘が刑部姫を糾弾するために持ち込んだ同人誌に向ける。

 それで全てを悟ったのだろう。彼女は見ている方が心配になるほどの狼狽ぶりで慌てふためく。

 

「ちょっと! ダメじゃない、ねずっち!! よりにもよって『生モノ』を本人に見せるなんて!! 同人界最大の禁忌なのよ!?」

「いや、知らねぇし。だったら最初から描くんじゃねぇよ」

 

 彼女の言い分に呆れ返るねずみ男。彼にはその辺のルールやタブーの問題がよく分からないがそもそもな話、本人の許可もなく勝手にモデルにしている時点でマナーも何もあったもんじゃない。

 

「あわわ……は、初めまして。ね、猫娘さん……」

 

 とりあえず背筋を正し、なんとか取り繕って挨拶をする眼鏡の女性。

 しかし、何もかもが遅い。刑部姫の描いた同人誌を手に、念のため猫娘はねずみ男に確認をとる。

 

「こいつがそうなのよね、ねずみ男?」

 

 その疑問に対する彼の返答は明確だった。

 

「ああそうさ。こいつがこの同人誌を描いた張本人だ」

 

 

 

「この漫画の作者『おっきー』こと、刑部姫。この姫路城の——自称『真の主』さ……」

 

 

 




登場人物紹介
 刑部姫
  今回の主役。一応、鬼太郎の五期に刑部姫というキャラは登場したらしいですが、あくまでFGO基準のキャラクターです。
  城化物という特性から、引きこもりという属性が付いたのでしょうが、まさかここまでの人気キャラになるとは……。
  名前に関してですが『長壁姫』という呼び方もあるそうですが、とりあえず今作では『刑部姫』で統一します。
  
次回は、彼女がキタネコ本を描くことになったきっかけからスタート。
長くても三話構成で終わらせるつもりですので、よろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白鷺城の刑部姫 其の②

ちょっと『鬼太郎』と『ぬら孫』の小説を同じ日に投稿しようとして、間違って鬼太郎の方にぬら孫の最新話を投稿してしまいました!
既に修正済みですが、混乱された方もいたみたいなので、この場を借りて謝罪させていただきます。本当に申し訳ございません!


さて、本編の方ですが読む前に軽く注意点。
FGOで刑部姫の話を見たことがある人なら分かると思いますが、刑部姫の一人称は『姫』と書いて『わたし』と読みます。
全てにルビを振るのがちょっと手間だったので、最初以外は全て『姫』とだけ記載してますので、どうか混乱なさらないようお願いします!


そういえば、活動報告の方で『これまでにコメント欄で呟かれた、クロスして欲しいオススメ作品』をリストアップしておきました。どうか参考にしてみてください。



 刑部姫という妖怪は——オタクである。

 彼女はアニメやゲーム、ラノベなどのポップカルチャーに明るく、彼女自身も同人活動に勤しんで漫画を執筆している。

 当然ながら、毎年開催される同人界の一大イベント『コミックマーケット』にも欠かさず参加していた。

 

「いや~、今回も大量大量! 売り上げも好調だったし! 次の冬コミまで引きこもってよう、うしし!」

 

 夏コミの帰り道のことである。

 彼女はゲットした戦利品を両手に抱え込み、珍しくウキウキ気分で街中を歩いていた。基本ひきこもりの身ではあるが、コミケだけは別腹と刑部姫は苦しくも楽しかった四日間の余韻に浸っていた。

 

「ああ……楽しかったけど、やっぱ疲れたな……よし、早く帰ってゲームでもしよっと! ……ん?」

 

 しかしその帰り道での道中、彼女の視線がふと道の外れに向けられる。

 

「う、うああ……腹減った……」

 

 彼女がそこで見たもの、それは空腹のあまり道端で転がっているボロの布切れをまとった男——ねずみ男であった。道行く人々はその風体から距離を置き、誰も彼を介抱しようとはしない。

 そう、ねずみ男の浮浪者のような姿を前に、極力関わり合いになりたくないと誰もがそう考えていた。

 勿論、刑部姫も普段なら絶対に近寄ったりしなかっただろう。

 

「……ねぇねぇ、そこのキミ」

「あん……だ、誰だ?」

 

 だが、このときの刑部姫は普段よりテンションがかなり高かった。

 浮かれていた感情の赴くまま、ねずむ男に気まぐれに声を掛ける。

 

 

 

 

「いや~……助かったぜ! 三日ぶりの飯だ!」

「うんうん、じゃんじゃん食べちゃって構わないよ! どうせ食べ放題だから、いくら食べても姫の懐は痛まないからね!」

 

 ねずみ男は刑部姫に礼を述べながら目の前の料理にがっつき、刑部姫も別に構わないとニコニコと笑顔を振りまく。

 現在、刑部姫がねずみ男を連れて来店したのは近くの飲食店、それも激安食べ放題のチェーン店である。この店は最初に人数分の料金を払いさえすれば、いくら食べても値段は一緒。

 太っ腹に奢ったように見えて、きっちり節約するところはしている刑部姫。彼女自身も食事をしながら適当にねずみ男の話を聞いていく。

 

「へぇ~……じゃあ、キミってば半妖なんだ。何だかんだで実物は初めて見たかもしんない」

 

 会話の最中、ねずみ男は自身が半妖であることを何気なく明かし、刑部姫を地味に驚かした。

 半妖——人間と妖怪の種族を越えた、禁断の愛の末に生まれる半端者。もっとも、刑部姫にとってそれは創作物のネタとしての方が馴染み深い。

 二次元の世界では色々と萌えたり、燃えたりするシュチュエーションだが、本物の半妖を前にしたところで特に興奮も嫌悪感も覚えない。

 適当な相槌でねずみ男の話に合わせ、自分も妖怪・刑部姫であることを明かす。

 

「刑部姫……聞いたことねぇな。どこの田舎妖怪だ?」

「はは、予想通りの反応。まあ、別にいいけどさ……はぁ~」

 

 だが、刑部姫の名を聞いたところでねずみ男はピンとこなかったようだ。その反応にがっかりと肩を落とし、彼女は盛大にため息を吐く。

 

 刑部姫は日本が世界に誇る城・姫路城の真の主。しかし、彼女という妖怪が姫路城に棲んでいることを知る現代人は意外と少ない。昔はそれなりに知名度もあった筈だが、妖怪という存在そのものが信じられなくなるにつれ、人々は次第に彼女という存在を忘れさっていくようになった。

 

 そのことに憂鬱な気持ちを感じつつも、それでも刑部姫は日々を過ごすことができていた。

 自由気ままなひきこもり生活、そして我欲に塗れた同人活動によって。

 

 

 

×

 

 

 

「しかし、何だって俺を助けてくれたんだ? 自分で言うのも何だが、一銭の特にもなんねぇだろうに……」

 

 飯もほとんど食い終わり、一息入れるねずみ男。彼は食後の一杯を口にしながら、刑部姫に率直な疑問を投げ掛けていた。

 

 それは刑部姫が何故自分を助けてくれたのかという、素朴な疑問である。

 

 基本的に損得感情で動くねずみ男は、人の善意というものをそこまで信用していない。特に現代人は冷たい傾向があると強く感じており、どことなく現代臭を漂わせている刑部姫のことを理由もなく信用することはできない。

 何か企みがあるのではと、ついつい刑部姫が自分を助けた行動の裏を疑ってしまう。

 

「いやだな~! 困っている人を助けるのは当然じゃん! ははは!!」

 

 だが、ねずみ男の疑惑に刑部姫は裏表のない笑顔を浮かべる。

 実際、刑部姫に魂胆などなく、気まぐれではあるが彼女は純粋な善意からねずみ男に手を差し伸べていた。

 それを言うのも——

 

「いや~! 実はこの間まで連載してたシリーズがようやく完結してさ~! (わたし)ってば、自分でも引くほど機嫌がいいんだよね!!」

 

 そう、刑部姫の機嫌がいい理由——それは彼女の描いていた同人誌。そのシリーズが無事に完結した達成感によるものである。

 刑部姫が同人活動においてずっと続けていた漫画、その最終巻を今回のコミケで無事出版することの出来た喜びに彼女は打ち震えていたのだ。

 彼女なりに自分の描きたいことを全て詰め込んだ自信作の完走に刑部姫はすこぶる機嫌が良く、柄にもなく人助けなどしてしまっていた。

 

「……連載? 何だ、アンタ漫画家か何かか?」

 

 刑部姫の言っていることをねずみ男はいまいち把握しきれず、そんなことを聞いてくる。

 

「漫画家じゃないよ。所詮姫はアマチュアだけど……あっ! 何なら見てみる? 姫の自信作!!」

 

 すると刑部姫は有頂天な気分のまま、自身の描いた同人誌(一般向け)をねずみ男に差し出す。自分のこの幸せな気分を少しでも理解して欲しいという気持ちからの行動である。

 

「ふ~ん……何か薄っぺらい本だな……こんなんで売れんのか? まあ……絵自体はよく描けちゃいるが……内容はさっぱりだぜ」

「む……!」

 

 しかし、刑部姫の自信作に感銘を受けた様子はなく、ねずみ男は無感情にページを捲っていく。

 その態度に、少しカチンと気分を害する刑部姫。

 

「何よ! 素人の遊びだと思ってバカにしないで頂戴よ!!」

 

 ねずみ男の発言を『同人誌のことなど何も知らない無知さ』からくるものであると考え、刑部姫はついつい素人相手に同人誌がどれだけ注目され始めているジャンルなのか、柄にもなく熱く語ってしまっていた。

 

 

 もともと、同人誌というのは文学などで作家が自由に作品を発表するために用いられた手段であり、それをきっかけにデビューする文豪だって沢山いた。その例に漏れず、現代でも漫画やラノベなどの同人誌を発表し、そのままプロの仲間入りを果たす作家だって少なくない。

 さらに言えば、現役のプロとして活躍している作家も、自費で同人誌を出版して収益を得ているものもいるくらいだ。出版社を通さずに作品を売りに出せるため、下手な商業誌で連載するより一冊当たりの利益が大きい。

 さすがに、すべての同人作家が純利益を出せるほど甘い世界ではないが、場合によっては商業的な活躍も見込める。

 既に同人誌の世界は趣味の範囲を越え、商売として成り立たせることも可能なのだ。

 

 

「ほう! そんなに儲かるのかい!?」

 

 刑部姫の説明に、ねずみ男の耳が都合のよい話だけを拾い上げる。金儲けに余念がない彼は、同人誌で一攫千金を狙える可能性があるかもしれないことに、すぐさま反応した。

 

「だったらよ、刑部姫! 俺と組まねぇか!? お前の描く同人誌……俺が高値で売り捌いてやるよ!」

「へっ……?」

 

 さっきとは打って変わり、ノリノリの雰囲気で自分を商売に誘ってくるねずみ男に戸惑う刑部姫。もともと押しの強くない彼女は、男の人に迫られて咄嗟に言葉が出てこなくなってしまう。

 それでも、何とか自分の意思でねずみ男の提案を断ろうとした。

 

「いや、別に姫はそこまでガチで稼ごうとしてるわけじゃないし……あくまで趣味の範囲だし。それに、当分の間は創作活動はしなくてもいいかなって、思ってたとこなんだよね……」

 

 そう、刑部姫自身はあくまで趣味の範囲で同人誌を描いており、利益はまったく追及していない。

 それに——今回のコミケで長い間連載していたシリーズものをひとまず完結させてしまった。その達成感から、暫くの間は創作活動に頭を使いたくないという反動が出てしまっている。

 当分は何も考えずに引きこもりたいと、既に惰性を貪るつもりで頭を切り替えていた。

 

「いやいや、そう言わずによ! 何か描いてみねぇか!? 損はさせねぇからよ!!」

 

 しかし、せっかくの機会、せっかく見つけた金づるを手放したくないと。ねずみ男は刑部姫にしつこく食い下がり、なんとか何か描いてもらえないかと、説得を続けていく。

 

「う~ん……何かって言われてもね……」

 

 ねずみ男に誘われ続け、刑部姫は乗る気ではないものの一応考えてみる。しかし、やはり原時点で彼女の方に『描きたいもの』というものがなかなか思い浮かんでこない。

 

 同人界において、その時々の流行に乗るという流れがある。その時代ごとに流行ったゲームやアニメ、テーマに乗っかった方が多くの人が本を手に取り、売上も上がるからだ。

 しかし、刑部姫は基本そう言った流行には乗らない。同人活動が趣味でしかない彼女は、自分の描きたいものしか描かないのである。

 そして少なくとも、今の段階で刑部姫の中に描きたいと思わせるほどの『何か』は存在しない。

 

「そうだ! ねずみ男。きみスマホで写真とか撮ったりしてない? ちょっと見せてくれると助かるんだけど」

「えっ? ああ、別に構わねぇけど……」

 

 そこで刑部姫が要求したのは、ねずみ男のスマホを見せてもらうことだ。

 自分の中に思い当たるものがなければ、他者の中から何かヒントとなるような題材を見つけ出す。単純な資料探しとして、ねずみ男がこれまでに撮ってきた写真など適当に眺めていく。

 

「ふ~ん……やっぱ半妖ってだけあって、結構妖怪とか写ってるね……あ、人外系とか!? う~ん……けどな……」

 

 予想どおり、写真の中にはねずみ男がそれまでに出会ってきた妖怪たちの姿などが写り込んでいた。その写真から刑部姫は即座に『人外系』『擬人化系』など様々なシュチュエーションを脳内で思い浮かべる。

 だが、いまいちピンとこない。さすがにそう簡単に「これだ!」と思えるアイディアなど浮かび上がってくるものではない。

 やはり断るべきかと刑部姫がそう思い立った——そのときである。

 

 彼女は一枚の写真を前に、スマホを操作する手を止める。

 

「ん? この男の子、誰よ?」

 

 彼女の目に止まったのは、時代錯誤にもちゃんちゃんこを纏い、下駄を履いた男の子だ。

 他に写っている妖怪たちとも毛色の違う、少年の存在感に思わず視線を釘付けにされる。

 

「ああ! そいつはゲゲゲの鬼太郎! このねずみ男様の大親友さ!!」

「へぇ~、この子が噂の……初めて見たかも」

 

 ねずみ男は自慢げに鬼太郎のことを紹介し、調子の良い彼の言葉に刑部姫は感心したかのように息を吐く。

 一応、ひきこもりの刑部姫の耳にも、ゲゲゲの鬼太郎の噂は届いている。

 

「…………BLも悪くないね」

 

 その鬼太郎の写真とねずみ男を見比べ、そんなことを静かに呟くも、やはりまだ決定打にはならない。

 

 引き続きスマホの写真を見ていく刑部姫。

 するとついに——彼女は『例のあの人物』が写り込んでいる画像に辿り着いた。

 

「!! ね、ねずみ男くん……こ、こちらの女性はどこのどなたでしょうか!?」

「あん? ああ! そいつは猫娘っていって、いっつも俺の邪魔ばかりしてくる嫌な女さ!!」

 

 そこに写っていたのはゲゲゲの鬼太郎——の背中を見つめる長身の女性。ねずみ男はすぐにそれが猫娘という妖怪であることを教え、彼女への愚痴を刑部姫に溢す。 

 ねずみ男は自身の天敵である猫娘のことを悪くいうばかり。だが残念ながら、刑部姫の耳に彼の言葉は届いていない。

 

「こ、この子!? ま、間違いないわ!!」

 

 刑部姫が注目したのは猫娘の顔、仕草、その身に纏う空気。鬼太郎の背中を見つめる熱っぽい視線に、ほんのり朱色に染まるその表情である。

 写真越しでも理解できてしまった。彼女、猫娘が——ゲゲゲの鬼太郎に恋をしていることを。

 

 さらに刑部姫ほどの妄想力があれば、彼女が鬼太郎への想いをなかなか告げることができず、いつもつっけんどんな態度しか取れず、そのことを人知れず後悔する日々を送っていることまで、全てお見通しである。

 そのシュチュエーションに、かつてないほどの『萌え』を感じとった刑部姫。

 

「ツンデレ……オネショタ……幼馴染み……届かぬ想い……!!」

「お、おい……どうした急に!?」

 

 妄想の世界にトリップし、突然意味不明なことを呟き出す刑部姫にねずみ男が呼びかける。

 だが、一度火のついた彼女の妄想力を止めることは誰にも叶わない。

 

 

「——こ、これよ!! これだわ!!」

 

 

 その日、刑部姫は運命に出会った。

 

 

 

 

 その後。すぐに姫路城へと帰還した刑部姫は、何かに取り憑かれたように同人活動を開始。

 自身の脳内に浮かび上がった妄想、それを漫画という形に収めるべく一心不乱にタッチペンを動かしていく。

 

「な、なんなんだ、いったい……」

 

 刑部姫の仕事ぶりを見学するため、姫路城にお邪魔していたねずみ男。鬼気迫る表情で同人誌を書き殴っていく刑部姫の姿に人知れず戦慄する。

 

「——で、できた! 出来たわよ……ねずっち!!」

 

 そうして、不眠不休で三日間。ついに記念すべき——『キタネコ本』の一冊目が完成した。

 いかに妖怪といえども、いかに刑部姫がひきこもりのニートといえども、この製作速度は恐るべきスピードである。

 

「な、なんじゃこりゃ!? こんなもん売れるわけねぇだろ!!」

 

 出来上がった原稿にチェックを入れるねずみ男は、その内容にダメ出しする。

 鬼太郎と、よりにもよってあの猫娘がイチャコララブラブしている漫画に需要などあるわけないと。少なくともねずみ男はそう考えていた。

 

「うるさい! つべこべ言わずにちゃっちゃっと印刷所に行ってきなさい!!」

 

 だが刑部姫は取り合わない。ねずみ男に指示を出し、すぐに別の同人誌——新たなキタネコ本の製作に打ち込んでいく。

 

「……くそっ、人選をミスったか? 仕方ねぇな……」

 

 そのときになって、ねずみ男は刑部姫に頼んだのが間違いだったかと後悔する。一応物は試しに印刷所に原稿を持ち込むが、まったく期待していなかった。

 売れ残るのを恐れて発行部数も控え目に注文し、この事業から早々に手を引く準備もしていた。

 

 ところが、ねずみ男の予想とは裏腹に鬼太郎と猫娘の同人誌は売れに売れまくった。

 用意した分などあっさり完売し、増刷を希望する声まで上がる。

 

「んな、アホな……」

 

 何故売れたのか理解できない。しかし儲けになる以上、売らないわけにはいかず、ねずみ男は釈然としない気持ちを抱きながらもこの商売を続行。

 こうして、刑部姫のキタネコ本は、瞬く間に妖怪たちの間で浸透していったのである。

 

 

 

×

 

 

 

 だがその人気が仇となり、ついに刑部姫の描く同人誌の存在が猫娘の耳に入ることになった。

 

「——なるほど。それで……それで! こんなふざけた本を描くつもりになったわけね!」

「は、はい……そのとおりでございます」

 

 刑部姫の部屋まで押しかけてきた猫娘。今まさに刑部姫を床に正座させ、彼女が自分の同人誌を描くまでに至った経緯に耳を傾ける。

 当然その理由に何一つ納得することもなく、猫娘は怒り心頭のまま説教を続けていく。

 

「まったく! 写真一枚見ただけで、どうしてそんな発想になるのよ!? 意味わかんないし!!」

 

 猫娘が特に納得できなかったのが、刑部姫が同人誌を描くきっかけとなった自分の写真とやらである。猫娘も拝見したがなんの変哲もない、ただ自分と鬼太郎が一緒に写っているだけの写真である。

 何故それを見ただけで、自分が鬼太郎に片思いしていることが分かって——もとい、勘違いしてしまうのかと。

 

「いや、でもあれは分かっちゃうでしょ。バレバレでしょ、普通に……」

 

 しかし、そう思っているのは当人だけである。

 その写真の鬼太郎の背中を見つめる猫娘の視線は——どこからどう見ても恋する乙女のそれであると。察しのいい者なら、それだけで猫娘の気持ちに気づくことだろう。(寧ろ、あんな目で見つめられていて、何故気付かないのだ、ゲゲゲの鬼太郎よ!!)

 もっとも、あれだけでそこから先の展開へと想像を膨らませた刑部姫の妄想力もさすがと言うべきか。

 

「と、とにかく!! もうこれ以上、私と鬼太郎をネタにするなんて絶対許さないから!! 今すぐにでも、アンタが描いた同人誌、全部処分してもらうわ、いいわね!?」

 

 刑部姫の指摘に動揺しつつ、猫娘は自分と鬼太郎の同人誌を描くことを辞めるよう迫る。いかに創作活動が自由なものとは言え、自分をモデルにするなど絶対に了承できない。猫娘からすれば当然の要求である。

 

「そ、そんなご無体な!!」

 

 だが、みっともなく抵抗する意思を見せる刑部姫。彼女は自身の創作活動を認めてもらおうと、粘り強く猫娘を説得する。

 

「お願いします! どうか私に貴方の恋路を最後まで描かせてください! 必ず幸せにしてみせますから!!」

「余計なお世話よ!!」

「お願いしますよ~! 寝取られとか、凌辱とかアブノーマルには染まりません! 純愛一本でいかせていただきますから!!」

「そう言う問題じゃない!!」

「そこを何とか! ご要望にはできるだけお答えしますから!! お好きなシュチュエーションはございませんか? 子供は男の子? 女の子? それとも両方? 名前も好きに決めちゃっていいからさ! 予行練習だと思って……ねっ? ねっ!?」

「う、うるさいわね!!」

 

 不覚にもその説得に揺れ動く瞬間こそあれど、結局猫娘が刑部姫の提案を呑むことはなかった。

 

「ねずみ男!!」

「お、おう……」

 

 刑部姫との不毛な問答の最中、猫娘はねずみ男に声を掛ける。猫娘を姫路城まで連れてきた時点で自分の役目は終わったと、完全に他人事のように突っ立ているがそうはいかない。

 彼にも軽率な行動のツケをとってもらわなければならないと、猫娘はねずみ男を睨みつける。

 

「アンタは既に出回った同人誌を自主回収してきなさい! 一冊残らずよ!!」

「は、はぁ~!? じ、自主回収だと!? ふざけんな!!」

 

 これにはねずみ男も当然抗議する。

 今日までねずみ男が売り捌いた同人誌は数知れず。それを客の手に渡った分まで回収して来いという猫娘の要求。膨大な手間と金が掛かることは想像に難くない。

 ねずみ男としては納得できない、どうしてそこまでしなければならないのかと。

 

 だが——

 

「————ねぇ……ねずみ男」

「な、なんだよ?」

 

 自分の要求を一度は断るねずみ男に、猫娘はゆっくりと近づいていく。

 その顔には不自然な笑みが浮かべられ、声音の方も慈悲が感じられるほどに優しげだ。

 

 もっとも、それが見せかけだけのものであることは誰の目にも明らかだっただろう。

 猫娘は、マグマのように煮えたぎる怒りを腹の中で押しとどめ、再度ねずみ男に最後の警告を言い渡す。

 

「もしも……もしもの話よ? もしもあの本が一冊でも鬼太郎の手に渡って、その目に止まるようなことがあれば……」

 

 そんなことがあれば、猫娘は恥ずかしさのあまり二度と鬼太郎の顔を見られなくなってしまう。

 彼のことが好きな猫娘としては、もはや死活問題である。だからこそ——

 

 

 

「生まれてきたことを——後悔させてやるわよ?」

 

 

 

 せめて道連れだと。お前も一緒に地獄に連れていくとねずみ男に告げる。

 

「ひっ、ひぃいい!?」

 

 普段から猫娘に怒られ慣れているねずみ男だからこそ、理解できてしまった。

 

 

 今回はマジだと。ガチで命は無いと。

 

 

 猫娘が自分を殺しかねないと、本当の意味で生命の危機を感じ取る。

 

「か、回収に行ってきます!!」

 

 生存本能に従う形で、ねずみ男は猫娘の指示どおりに動くしかなかった。

 生きるため、自らの命を守るため、その場から逃げるように立ち去り、彼は世に出回った同人誌の回収に奔走することとなる。

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

 必死な形相で立ち去っていくねずみ男を殺気のこもった視線で見送りながら、猫娘は一息入れる。あれだけ言い含めておけば、ねずみ男とてキチンと仕事をこなすだろう。

 猫娘の尊厳、ねずみ男自身の命のためにも、是非とも彼には頑張ってもらわなければならない。

 

「あの、ご要件が済んだのであれば……そろそろ帰って頂けないでしょうか?」

 

 猫娘とねずみ男のやり取りを見ていた刑部姫。控えめながらも、出て行ってくれないかと懇願する。

 もはや、猫娘の同人誌を描くことはできないと諦めたのか。涙目な戦々恐々とした様子で彼女の機嫌を伺う。

 

「……いえ、まだよ」

 

 しかしまだ終わりではない。

 

「まだ鬼太郎の用事が終わってないわ」

「えっ……? 鬼太郎くんも来てんの?」

 

 猫娘のみならず、鬼太郎まで来ている事実にポカンとなる。呆然としている刑部姫に、鬼太郎が同人誌の一件とは別の用事で来ていることを猫娘が伝える。

 

「いい!? 鬼太郎は同人誌のことなんか何も知らないの! もしも余計なことを喋れば……」

 

 彼は何も知らない無垢な少年のままだ。

 自分と猫娘が——まさか周囲からそんな目で見られているなど、思ってもいない。

 そんな彼がこれ以上、刑部姫の妄想で汚されることがないよう——

 

「分かってるわよね……ん!?」

 

 化け猫の表情となり、爪を突き立てて刑部姫に釘を刺す。

 

「サ、サー! イエッサー!!」

 

 猫娘の脅し付けに、何故か刑部姫は軍隊のような敬礼で応じていた。

 

 

 

×

 

 

 

「君が……刑部姫かい?」

 

 同人誌の一件を取りあえず片付け、猫娘は鬼太郎と刑部姫を引き合わせる。

 ちなみに、彼らが会合している場は刑部姫の私室である天守閣の最上階ではなく、そのすぐ下の一般エリア。刑部姫が「鬼太郎くんに自分の部屋を見られたくない」と彼の入室を拒んだためである。

 

「は、はい。そうです。姫が刑部姫です。こんなダメな女でどうもすいません……」

 

 鬼太郎と顔を合わせた刑部姫はのっけから卑屈なオーラ全開、泣きそうな表情で頭を下げまくっている。

 

「? なんでそんなに下手なんだ……まあ、別にいいけど」

 

 初対面の相手にいきなり謝られ、鬼太郎は困惑する。

 先の猫娘とのやり取りに立ち会っていなかった彼は、何故刑部姫はそんな表情をしているか察することができない。しかし時間ももったいないと、あえて深くは突っ込まない。

 

「聞きたいことがあるんだ。ここ最近、姫路城の周辺で起きている怪奇現象について……」

 

 妖怪ポストの手紙にあった異常事態について、順々に刑部姫へと問いただしていく。

 

 

 

ケースその① 頻繁に届けられる謎の宅配荷物

 

 姫路城には、城の管理や観光案内をする管理事務所が存在するのだが、その事務所宛にたびたび注文者不明の荷物が届けられるらしいとのこと。主に漫画雑誌やパソコン機器などから、ピザなどの飲食物。

 心当たりのない事務所側は当然、受け取りを拒否しようとする。だが、宅配業者側は届け先はここで間違いないと押し問答。

 そうこうしているうちに、いつの間にか荷物が消え去り、受け取り証明の判子まで押されているとのこと。

 代金もしっかりと振り込まれているため、業者としては問題ないらしいが、さすがに不気味だと妖怪ポストに相談事の手紙が届けられた。

 この怪奇現象に対する、刑部姫の解答。

 

「あっ! それ姫だわ!」

 

 刑部姫曰く、届けられる荷物は彼女が利用しているネット通販で注文したものらしい。

 だが受け取る度に顔を出すのも面倒なため、自身の妖術——折紙の式神を使い、荷物を引ったくっているとのこと。代金はしっかりと払っているため、本人に迷惑を掛けているという自覚はない。

 

 

 

ケースその② 天守閣から時々聞こえて来る謎の奇声

 

 姫路城の天守閣。観光客が数多く押し寄せられる中で時おり、謎の奇声や含み笑いが聞こえてくるとのこと。

 最上階から聞こえてくるその不気味な声に、観光客たちは気味悪がり、徐々にだが訪れる参拝客も減ってきているとのこと。 

 この怪奇現象に対する、刑部姫の解答。

 

「あっ! それも姫だわ!!」

 

 刑部姫曰く、その奇声はおそらく自分のものだとのこと。

 同人誌を描いている時など、彼女は知らず知らずの間に妄想の世界にトリップし、気がつけば何かを呟いたり、叫んだりしているらしい。

 そうして漏れ出した笑い声が下の階層まで聞こえ、観光客を震え上がらせていたのだろう。

 

「……同人誌?」

「な、なんでもないわ! 鬼太郎には関係ないから!!」

 

 説明の中に同人誌のワードが出され、鬼太郎が首を傾げる一場面があったものの、それを華麗にスルーし猫娘が話の続きを促していく。

 

 

 

ケースその③ 不自然に減り続ける賽銭箱のお金

 

 刑部姫を祀る社『刑部神社』は姫路城内部、刑部姫の私室に設置されているのだが、姫路城の外側にも同じ役目を帯びた神社が建てられている。ところが、その神社に設置されている賽銭箱の中身が不自然に減っているとの被害報告が寄せられているのだ。

 賽銭泥棒を疑った管理側が監視カメラなどで対策しているが、今のところ不審な人物は見られないとのこと。

 一見すると怪奇現象とは関係ない、人間側のトラブルのように思われるが——。

 

「ごめん! それも姫だわ!!」

 

 案の定、それも刑部姫の仕業らしい。

 彼女は自身を祀る神社の賽銭箱から、式神を使い人知れずこっそりとお金を引き出している。

 引き出されたお金は全て、彼女の自堕落な生活の糧になっているらしいとのことだった。

 

 

 

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 結局、全ての怪奇現象の原因が刑部姫に帰結していた事実に、なんとも言えずに黙り込み一同。

 誰も何も言わないが、刑部姫の行動に皆が呆れ返っていることがその空気から察せられる。

 

「な、何よ! なんか文句あんの!?」

 

 その雰囲気にいたたまれず、刑部姫が咄嗟に声を荒げる。

 

「姫はこの姫路城の主なのよ!? その姫が、姫の祀られている神社からお金を引き出して、いったい何の問題があるっていうのよ!?」

「……開き直ってんじゃないわよ」

 

 刑部姫の言い訳に白い目を向ける猫娘。先の同人誌の件もあり、彼女はもう刑部姫の行動や言動全てに冷たい態度を取るしかなかった。

 

「う、うむ……お前さんの言いたいことも分からんでもないがのう」

 

 一方で、目玉おやじは刑部姫の言い分にある程度の理解を示す。

 刑部姫の歴史を知る彼は、彼女がこの城ができる以前よりこの地に住んでいることを知っている。後から来たのは人間たちの方。

 目玉おやじも刑部姫がこの土地の真の主であることを認めており、多少のわがままは許容範囲と諦めている。

 

「しかし……人間を襲うのはやりすぎじゃろう」

 

 だが、それでもやって良いことと悪いことがある。

 目玉おやじは怪奇現象のケース④を引き合いに、刑部姫の行動を嗜める。

 

 

 

ケースその④ 姫路城内を徘徊する謎の化け物

 

 夜、あるいは夕方ごろ。姫路城の敷地内を徘徊するという謎の怪物の目撃証言が多数寄せられている。目撃者の証言によると、それは熊ほどの大きさを持ったイタチ、あるいはムジナにも見えたとのこと。

 幸い、その怪物に襲われ死傷者が出ているとの報告こそないが、このまま放置しておけばさらに騒ぎが大きくなることだろう。

 さすがにこれは見逃せないと、目玉おやじは刑部姫に苦言を呈する。しかし——

 

 

「……いや、それは姫じゃないよ?」」

「なに?」

 

 先ほどの流れから、鬼太郎もてっきりそれも刑部姫の仕業だと思い込んでいた。だが彼女がそのケースを明確に否定したことで目を丸くする。

 

「だって、そんなことしても姫には何の得もないじゃん? 観光客とか減って賽銭が減ったら、いったい誰が姫の引きこもりライフを支えてくれるのよ!?」

 

 自慢にもならないようなことを自信満々に口にするも、確かに彼女の言うとおり。

 

 城化物である刑部姫にとって、姫路城の発展と繁栄は切っても切り離せない関係にある。そのような騒動が世間に広まり、観光客が訪れなくなり城が廃れれば、立ちどころに刑部姫は力を失ってしまう。

 自称・姫路城の真の主という観点からしても、そのような軽率な行動を取るとも思えない。

 

「じゃあ……いったい誰が?」

 

 これには猫娘も同意し、刑部姫以外の犯人について思案を巡らせる。

 謎の化物の正体、いったいどこの何者なのかと。

 

 

 まさにその時である。

 

 

『——グルァアアアアアアアアアアアアアア!!』

「きゃああああ!?」

 

 

 身の毛もよだつような怪物の雄叫び、それに怯える女性の悲鳴が響き渡る。

 さらに鬼太郎の妖怪アンテナが巨大な妖気を探知した。

 

「父さん!!」

「うむ、出おったな!」

 

 天守閣まで聞こえてきたその叫び声と、邪悪な妖気を感じ取り素早く反応する鬼太郎たち。

 よりにもよって、自分たちが訪れたこんなタイミングで現れるとは思っていなかったが、これは好機でもある。

 

 謎の怪物の正体、襲われているであろう女性を救うべく、急ぎ悲鳴の聞こえてきた場所へと走る。

 

「うん……! いってらっしゃい~」

「アンタも来るのよ!!」

 

 それを他人事と見送ろうとする刑部姫だが、無理やり猫娘が彼女を引っ張って連れて行く。

 結局、既に東京に戻ったねずみ男を除く、その場にいる四人全員で騒ぎの中心点。

 

 

 謎の怪物の元へと——向かうこととなったのである。

 

 




登場人物紹介
 謎の怪物
  今回の話の展開上『姫路城を荒らしまわる妖怪』が必要になり、こちらの方で用意させていただいたキャラであります。
  あくまでビジュアルのイメージですが『ガンバの冒険』で出てくる白いイタチのノロイを想像していただけると助かります。
  鬼太郎にも、FGOにも登場していないキャラですが、実は……刑部姫と因縁のある相手です。
  どういった設定のキャラになるか、予想しながら次話をお待ちください。
 
  とりあえず、次話で完結予定。
  この話の後は——そろそろ勧められた作品に手を出してみようと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白鷺城の刑部姫 其の③

さて、今回の話でとりあえず刑部姫とのクロスオーバーが完結します。
しかし、今回の話を読み進める前に、一つだけ注意点。

今作の『刑部姫』というキャラクター、FGOで登場する刑部姫をモデルにして書いています。ですが、今回話の都合上、FGOでまだ実装されていない『謎の怪物』が登場します。
この『謎の怪物』との絡みで、刑部姫というキャラクターに多少の違和感が発生するかもしれません。
実際、今後のFGOで実装されるかもしれない『謎の怪物』。そのとき、刑部姫がどのような反応をするかまだ分からないので、想像で補うしかありませんでした。

果たして謎の怪物の正体は!? まあ、読み進めていけばすぐに判明するので、そこまで隠す必要もないのですが……。

ちなみに、作者は二千万ダウンロード記念の際、☆5交換には『項羽』を選びました。


『グルァアアアアアアアアアアアアアア!!』

「た、助けて!!」

「誰かっ!?」

 

 日本が世界に誇る美しい白壁の城——白鷺城、もとい姫路城の敷地内。

 閉城時間ギリギリの時間帯。そろそろ帰ろうとしていた観光客女性二人が謎の怪物に襲われていた。怪物は熊のように巨大なイタチ、あるいはアナグマ、ムジナにも見える正体不明の化物である。 

 怪物は怯える女性客に向かって両手を上げ、今まさに飛び掛かろうとしていた。

 

 まさに絶体絶命の最中、だが幸運にも——

 

「リモコン下駄!!」

『ガッ!?』

 

 姫路城を訪れていたゲゲゲの鬼太郎がその場に駆けつけ、リモコン下駄で怪物を怯ませる。

 

「逃げろっ!」

「は、はいっ!!」

 

 鬼太郎は即座に女性たちに避難を促し、彼女たちも急いでその場から離れていく。何とか犠牲者を出さずにほっとしたところで、鬼太郎は目の前の怪物と向かい合う。

 

「こいつが……姫路城に夜な夜な現れるという妖怪!」

「いったい、何が目的で人間を襲っておるんじゃ!?」

 

 鬼太郎は正体不明の怪物——おそらく妖怪だろう相手に語り掛ける。

 たびたび姫路城で目撃されるという噂の化物。いったい何を目的としてこんなことをしているのか、目玉おやじがその真意を問い掛ける。

 

『…………』

 

 だが化物は何も答えない。喋れないのか、喋るだけの知能がないのか。自分の邪魔をした鬼太郎を警戒するように睨みつけてくる。

 対話は不可能かと、鬼太郎は次の一手をどうすべきか思案を巡らせる。

 

「鬼太郎! 大丈夫!?」

「あ~……もう! 引きこもりたいよ~」

 

 そこへ遅れて猫娘、姫路城の主である刑部姫も駆けつけてきた。

 猫娘は鬼太郎を心配し、無理やり引っ張られる形で連れてこられた刑部姫が嫌そうに愚痴を溢す。

 

『——!!』

 

 すると、彼女たちの登場に謎の怪物がカッと目を見開く。

 彼女たち——厳密には刑部姫のことを見つめながら、その口からボソリとその言葉が呟かれる。

 

『お、お姉様……』

「——はっ?」

「——へっ!?」

 

 怪物の口から確かに囁かれた「お姉様」という単語に、鬼太郎たちは勿論のこと、当の本人である刑部姫も目を丸くする。

 

「お、お姉様って……言った? 今あの妖怪、あんたのこと……お姉様って言ったわよ! 知り合い?」

 

 猫娘が驚きつつ、刑部姫に知り合いかと確認をとる。

 

「いやいやいや! 知らないし! あんなおっかない子、姫の身内には…………ん?」

 

 刑部姫はその問いに、咄嗟にぶんぶん首を振っていた。あんな恐ろしい怪物の知り合いなどいないと。

 だが、何か違和感を感じたのか。彼女は目を細めながらまじまじと怪物を見つめ——もしかしてと、とある名前を口にする。

 

「あれ……? キミ……ひょっとして——亀ちゃん?」

『————』

 

 怪物が唸るように沈黙する。その気まずそうな間が、何より刑部姫の疑問を肯定していた。

 

 

 

 

「亀ちゃん……亀、亀……そうか!! お主『亀姫』じゃな!!」

 

 刑部姫の呟きに目玉おやじも何かに気づいたのか、ポンと手を叩き怪物の正体らしきものの名を叫ぶ。

 

「亀姫……誰?」

「父さん、いったい何者なんです?」

 

 猫娘と鬼太郎はその妖怪の名前に全く心当たりがなく、目玉おやじに詳しく尋ねていた。

 

「亀姫は刑部姫と同じよう城に棲みつく『城化物』の一種。猪苗代城——別名『亀ヶ城』と呼ばれた城の主じゃよ!」

 

 猪苗代(いなわしろ)城は福島県猪苗代町にあったとされる城だ。戦国時代には武家氏族の猪苗代氏の居城として、江戸時代には会津藩の重要拠点として、人間側も代々城主を配してこの城を管理してきた。

 だがこの城にも刑部姫同様、亀姫という城化物が棲みついていた。彼女も一年に一回、姫路城の刑部姫のように時の城主たちに自分のところに挨拶に来るよう命じ、その忠告を破った者を呪い殺したとされる。

 さらに亀姫の恐ろしさはそれだけに留まらない。彼女は姉である刑部姫のいる姫路城を訪れる際、男の生首を持参し、それを土産にしたという逸話があるほど血の気の多い妖怪。

 

 そう、亀姫はあの刑部姫の妹なのである。

 

「刑部姫の正体が妖狐とされているように、亀姫の正体はムジナとされておる! おそらく、間違いないじゃろう!!」

 

 目玉おやじは眼前の巨大な化け物こそ、ムジナの化身としての正体を現した亀姫であると指摘。

 刑部姫も感慨深げに亀姫の巨体を見上げている。

 

「いや~、久しぶりじゃん! 久しぶりすぎてすぐに気づかなかったわ! あれ? でも、何でそんな厳つい本性晒してるわけ? 昔みたいにお姫様の姿で良くない?」

 

 刑部姫が人間の姿をしているように、亀姫にも『姫』としての美しい女性としての姿がある。にもかかわらず、亀姫は恐ろしい怪物としての姿を惜しげもなく晒して自分の領地に訪れてきた。

 そのことに疑問符を浮かべる刑部姫。すると、亀姫は牙を剥き出しに口元を歪ませる。

 

『……お姉様にお会いするつもりはありませんでしたが、見つかってしまっては仕方ありませんね……』

「ん、どゆこと?」

 

 仮にも身内だからだろうか。亀姫の異様な雰囲気に刑部姫は気づいた様子がない。

 

「……!」

 

 しかし、傍から見ていた鬼太郎には感じ取れる。亀姫の纏う空気が徐々に殺気立っていくのが。

 

「そいつから離れろ! 刑部姫!!」

「へっ?」

 

 叫ぶ鬼太郎の警告に振り返る刑部姫。次の瞬間——無防備な彼女の背中目掛け、亀姫はムジナの爪を突き立てようと腕を振りかぶる。

 

「ボサッとしてんじゃないわよ!!」

 

 あと少しで串刺しというところで、猫娘が刑部姫の体を抱えて後方へと飛び退く。

 

「へ? な、なんで? なんでなんで?」

 

 何とかギリギリのところで刑部姫は無傷で済んだ。だが彼女は状況について来れず目を白黒させている。

 何故、妹の亀姫が自分に襲い掛かってきたのか、その理由が全く分からない。

 

『チッ!!』

 

 自身の不意打ちを躱され、忌々しげに舌打ちする亀姫。

 内側から膨れ上がる殺気を隠そうともせず、姉である刑部姫に向かって声高々に宣言していた。

 

『かくなる上は——この手で直接くびり殺して差し上げますわ! お姉様!!』

 

 

 

×

 

 

 

「二人とも、下がっててくれ!!」

 

 殺意を漲らせる亀姫を前に、鬼太郎は猫娘と刑部姫の二人を下がらせる。

 まずは牽制とばかりに、髪の毛針を亀姫に向かって撃ち込んでいく。

 

『邪魔をするな! 小僧!!』

 

 猛烈な勢いで放たれる髪の毛針を前に若干怯む亀姫だが、自身のダメージなど気にした様子もなく、その巨体から捨て身の体当たりをかましてくる。

 

「くっ!」

 

 ダンプカーの如き質量で突っ込んでくる彼女を前に咄嗟に身を躱わす鬼太郎。亀姫はその勢いを殺すことなく、そのまま姫路城の白壁と激突した。

 

「あー!? 姫の城がっ!?」

 

 姫路城が傷つくことで刑部姫が悲痛な叫び声を上げる。城化物である彼女にとって、自身の居城である姫路の城を壊されることは文字通り、身を切るような痛みである。

 

『ふん! その程度か!』

 

 一方の亀姫は特に気にした様子もなく、周囲の被害などお構いなしに激しく暴れ回る。同じ城化物でもここは亀姫の領域ではない。姫路城がいくら傷つこうが、彼女には何の影響もないのだ。

 

「まずいの……鬼太郎! ひとまず大人しくさせるんじゃ!!」

「はい、父さん! 霊毛ちゃんちゃんこ!!」

 

 このまま姫路城が壊されては刑部姫の身が持たない。そう判断した目玉おやじは鬼太郎に亀姫の動きを封じることを提案する。父親の指示に鬼太郎は霊毛ちゃんちゃんこを広げ、それを亀姫に向かって投げ飛ばす。

 

『な、なに!? 何だこれは!? ぐおお!!』

 

 霊毛ちゃんちゃんこは先祖の霊毛で編まれた特別なちゃんちゃんこ。頑丈な装備品として鬼太郎の身を守ることは勿論、その布面積を大きく広げれば敵の攻撃を広範囲で防ぐことも出来るし、相手の体を締め付けて動きを封じ込めることもできる。

 霊毛ちゃんちゃんこによって、亀姫はその巨体を縛り上げ身動きを封じられる。

 

「大人しくするんだ、亀姫!」

「亀ちゃん……何だってこんなことするのよ?」

 

 鬼太郎は亀姫に鎮まるよう告げ、姉である刑部姫がどうしてこのような暴挙に出たのかその理由を問う。

 

「前々から、お土産に男の生首とか持参してくるアクティブな子だと思ってたけど、こんなことをする子じゃなかったじゃない!」

「……それはアクティブとは言わないわよ」

 

 血生臭いエピソードを語る刑部姫にツッコミを入れる猫娘。

 皆の視線を一身に浴びながら、亀姫は歯ぎしりしていた。

 

『分かりませんか? ええ、分からないのでしょう。こんな立派な城でふんぞりかえっているお姉さまに……城を失い、惨めに地べたを這いずり回ることになった私の気持ちなど、分かろう筈もないのです!』

「——えっ?」

 

 恨み言と共に吐かれた「城を失った」という、城化物としては何気に致命的な話に刑部姫が目を丸くする。

 その話題に、目玉おやじも何かを思い出したのかその瞳を見開く。

 

「そういえば……猪苗代城はかつての戦争で失われ、今やただの廃墟と化したと聞いた覚えがあるぞ」

 

 

 そう、亀姫が棲みかとしていた城砦・猪苗代城はもう存在しない。

 かつては守りの要として名を馳せた名城だった猪苗代城。だが幕末の戊辰戦争の際、会津藩を攻めてきた官軍を前に当時の城代・高橋権太夫が守りきれないと判断したのか。

 奪われるくらいならいっそこの手でと、城に火を放たれ廃城と化した。

 

 その瞬間、猪苗代城は城としての役割を終えたのである。

 

 その後、しばらくは荒廃した状態のまま放置されていたが、現在は公園として整備され、福島県指定史跡に指定されている。春になれば多くの花見客が訪れたりと、今では多くの人々を賑わせる観光スポットにもなっている。

  

 だが、そんな事実——妖怪である亀姫には何の慰めにもならない。

 棲みかである猪苗代城が『城』という概念を失った以上、城化物である彼女に居場所などどこにもなかったのである。

 

 

「そうか! 城を失ったことでお主は弱体化。本性を隠すこともできず、そのような姿で彷徨うことになったわけじゃな!!」

 

 猪苗代城の顛末を思い出したことで、目玉おやじは亀姫の現在の状態を理解する。

 亀姫が自らの居城を失い、城化物としての力を大きく弱らせた。それにより、彼女は姫としての神格を維持できなくなり、本性であるムジナの姿を隠せないでしまっているのだ。

 

『……ええ、そのとおりですわ』

 

 目玉おやじの言葉に亀姫はちゃんちゃんこに縛られたまま、苦虫を噛み潰したような表情で吐き捨てる。

 

『愚かな人間どもが城を焼き払ったことで、私は居場所を失った。姫としての姿を維持することもできなくなり、このような醜い姿で野を彷徨うことを余儀なくされたのです!!』

 

 悔しそうに語る亀姫の様子から、今の状態が彼女にとってどれだけ屈辱的なのかが伝わってくる。

 亀姫はさらにその怒りを、姉である刑部姫にぶつけるように彼女に向かって叫んでいた。

 

『なのに! それなのに……お姉様は未だに己の城を持ち、そのように美しい姿を保っておられる! 私が泥水を啜って生き恥を晒している間も、貴方はずっと天守閣で優雅な日々を送っている……この差はいったい何なのだ!!』

「えっ? わ、姫ってば、そんなに綺麗? 可愛い? な、なんか照れちゃうな~」

「照れてんじゃないわよ!」

 

 刑部姫は亀姫が自分の容姿を褒めたことに喜んでいるようだが、猫娘はそれどころでないと彼女を嗜める。

 しかし、思わぬ形で亀姫の口から溢れ落ちた本音に、彼女が何故このような凶行に走ったのか、その理由が察せられた。

 

 つまるところ、今回の一件は——

 

「だから……お前はこの城に訪れる人間を襲って、姫路城の評判を落とそうとしたんだな?」

『————』

 

 鬼太郎の指摘に亀姫は沈黙を持って肯定する。

 亀姫が夜な夜な姫路城に現れていた理由、先ほど人間を襲おうとしていた思惑が『姫路城の評判を地に陥れる』ことだと。

 自分と違い、未だに城化物として健在な姉に対する嫌がらせ、『嫉妬』という感情によるものであることを。

 

『そのとおりですわ。姫路城の評判が落ちれば、城化物としてお姉様の力は地に落ちる。廃城ともなれば……もはやお姉様は姫ですらなくなる。私と同じ、醜い化物と成り果てるのです、くくく……』

「そ、そんな~」

 

 亀姫の企み、発言が何気にショックだったのか、刑部姫はちょっぴり涙目で落ち込んでいる。

 だが、そんな姉の表情に心動かされることもなく、亀姫からはドス黒い妖気が徐々に膨れ上がっていく。

 

『ああ……ですが、そのような方法では生温いと分かりました。こうなればここでお姉様を殺し、私がこの城の主となって差し上げましょう!!』

 

 怒りが、憎悪が亀姫の妖気を高めたのか。ちゃんちゃんこの拘束を力尽くで振り解き——彼女は再び刑部姫に襲い掛かる。

 

「しまっ!?」

 

 ちゃんちゃんこから自由になった亀姫は、その勢いに乗る形で鬼太郎を突き飛ばす。

 

「鬼太郎!? アンタ、よくも!!」

 

 鬼太郎が傷つけられたことで猫娘は激昂して飛び掛かる。しかし、それすらも亀姫は退け、刑部姫へと牙を剥き出しに齧り付こうとする。

 

「うひゃあぁあああっ!?」

 

 ビビりながらも亀姫の噛みつきをギリギリで躱す刑部姫。だが、攻撃を避けられても亀姫の猛攻を止められずに周囲の景観、姫路城の美しい庭園が荒らされていく。

 刑部姫本人が無事でも、城内が荒らされては意味がない。そのことを理解しているのか、亀姫はニヤリと口元を歪める。

 

『逃げたければ逃げても構いませんわよ? それならそれで、この城を破壊し尽くしてしまえばいいだけの話ですから!!』

 

 亀姫は刑部姫を狙っても、姫路城そのものを破壊しても構わない。

 どちらにせよ、城化物である刑部姫を疲弊させることができるのだから。

 

「くっ、やるしかないのか!」

 

 これ以上の被害を抑えるなら亀姫そのものを仕留めるしかない。なるべく話し合いで片付けたかった鬼太郎だが、こうなってはやむを得ないと、指鉄砲を構えて亀姫へと突きつける。

 臨戦態勢で身構える鬼太郎に、亀姫は声を荒げた。

 

『来るならこい! 貴様のような小僧に、私の積年の恨みがこもった妖力、退けられるものか!!』

 

 自身の城を喪失してから軽く百年は経っており、彼女は積もり積もったイライラを喚き散らすように叫ぶ。

 

『私はお姉様のように甘くはないぞ! 根暗で! 引きこもりで!! 自堕落な日々を怠惰に過ごすどうしようもない駄目な女と違って、常に人間どもに恐怖と畏怖を与えてきた!!』

「…………」

 

 それまでの鬱憤を吐き出すかのような亀姫の不平不満。それは何故か、姉である刑部姫への悪口に変換されていく。

 

『この姫路城……前々からお姉様には相応しくないと思っていたところだったのだ!! 今こそお姉様にとって代わり、私がこの美しい白鷺城を支配してくれる!! 私が城主となれば、よりこの城も栄華を極めることができよう!!』

「…………」

 

 言葉にすることで徐々に心が昂ってきたのか。ぺらぺらと饒舌な亀姫とは正反対に、刑部姫は静かに妹の話に聞き入っている。

 

『そうだ! もとより最初からお姉様には相応しくなかったのだ、このような美しい城!! それなのにお姉様は何の苦労も背負わず、いつまでも恥ずかしげなく、その地位に居座り続けた! ずるい、ずるい女ですわ!!』

 

 かなり調子に乗ってきたのか。言いたいことを好き放題に罵詈雑言を繰り出す亀姫。

 

 

 しかし——これが不味かった。

 

 

「へぇ~、言ってくれるじゃん、亀ちゃんてば……」

 

 最初こそ、妹の変わりようにビビって震えていた刑部姫だが、さすがに亀姫の発言に我慢の限界を迎えた。

 

「鬼太郎ちゃん……ちょっと下がっててくれる?」

 

 先ほどまでの怯えは何処へやら。肝の座った表情で怪物たる妹を堂々と見上げ、歩み寄っていく。

 

 

 

×

 

 

 

「お、刑部姫?」

 

 刑部姫の凛々しく佇むその姿に鬼太郎は少し驚く。彼女とは今日が初対面の彼は、刑部姫に対して『どこか影のある気弱な女性』というイメージを抱いていた。

 実際、その印象は間違っていない。彼女は人に合わせる程度にはコミュニケーションを取ることもできるが、根っこの部分は陰気で内気。ものぐさでだらしがなく、喋るのも面倒といった筋金入りの引きこもりである。

 

 しかしだからと言って——妹相手にそこまで言われて黙っていられるほど、姉としての尊厳がないわけではない。

 

「黙って聞いてれば好き放題言ってくれるね~。姫が何も苦労してないだって?」

 

 自身を侮辱する亀姫に、ご立腹な様子で刑部姫は真っ向から対面していた。

 

『な、なんですか、事実ではないですか!!』

 

 姉の思わぬ豹変ぶりに戸惑う亀姫だが、彼女は負けじと言い放つ。

 

『お姉様が今も姫として健在でいられるのは、姫路城のブランドがあってこそです!! お姉さま自身、何の苦労もなされていないじゃないですか!?』

 

 世界的にも有名な姫路城の城化物だからこそ、刑部姫は今もその城の主として君臨し続けることができている。そうでもなければ根暗で陰気な刑部姫など、誰からも忘れ去られて今頃は亀姫のように力を失っている筈だと。

 刑部姫が健全なのはこの城の知名度があってこそ。類稀なる幸運のおかげに過ぎないと、姉である彼女に亀姫は食って掛かる。

 

「そう……そんなふうに見えてたんだ……」

 

 妹の本音にちょっぴりショックを受けて俯く刑部姫。しかしすぐに顔を上げ、彼女はこの姫路城における自身の『立場』というものを亀姫に教えてやる。

 

「確かに姫の白鷺城は日本一……いや、世界一美しい城よ!? けどさ……城主も挨拶に来なくなった今、いったいどれだけの人が姫のことを『白鷺城の刑部姫』だって知ってる人がいると思う?」

『???』

 

 刑部姫の言葉にクエスチョンを浮かべる亀姫。おそらく、こればかりは実際に姫路城を棲みかとしていなければ分からないだろう。

 城が有名になっていけばいくほど、刑部姫の知名度も上がる——などと言う、そんな甘いものではないという現実が。

 

「ちょっと前にさ~、TVで姫路城の特集やってたんだけね~——」

 

 それは少し前の話。たまたま見かけたTV番組で姫路城のことが話題とされていたときのこと。

 

 姫路城は日本が誇る国宝!! 世界遺産!!

 美しい外観!! 飾らない質素な内観!! 特殊な構造!!

 昔の姿を今に伝える歴史的文化財!! 後世に伝えるべき日本の財産!!

 

 などと散々に持ち上げる内容、時間にしておよそ三十分ほどだったろう。

 その間、刑部姫は「自分の話題はまだかな~」と、何気に期待して待っていた。だが——

 

 結局、刑部姫の話題など一言も触れられないまま番組は終了した。

 

「…………」

 

 釈の都合もあったのだろう。だが、刑部姫が寂しい気持ちにさせられたのは言うまでもない。

 つまるところ、人間たちにとって有り難いのは『城』であって、その中身ではないのだ。

 

 

 誰が姫路城に棲みついていようが、どうでもいいことなのだと。

 刑部姫はその番組を通し、その事実を再認識することとなった。

 

 

「実際、城主がいなくなってからは、姫のこと信じてくれる人も少なくなったしね……」

 

 そういった『疎外感』を感じるようになったのは、何もそのときが初めてではない。

 人間の城主が置かれなくなったことにより、一年に一回の挨拶に訪れるものもいなくなった。それに伴い、徐々に人々の記憶から忘れ去られていく刑部姫の存在。

 

 誰も自分と会ってくれない、誰も自分を認めてくれない。

 誰も褒めてくれない、誰も恐れてくれない。

 

 誰一人——自分が此処にいるのだと、確信する者がいないのなら。

 自分はもう——死んでいるも同然じゃないかと、いっそ何処かに消えてしまいたいという衝動に駆られた夜もあったのだ。

 

『け、けど! お姉様は今も健在ではないですか! それもこれも、全て姫路城のおかげでしょう!?』

 

 刑部姫の意外な苦労話に驚きながらも、亀姫は反論する。

 自分と違い、刑部姫は今も『姫』としての姿を保っていられる。城を失い、醜い本性を晒すしかなくなった亀姫などと比べれば遥かに幸福ではないかと、やはり刑部姫の周囲は甘い環境だと罵る。

 

「そうだね……確かに姫は幸福だったよ。けど、それは姫路城だけのおかげじゃないから」

 

 しかし、そんな恨み言一つで揺らぐような安い場所に刑部姫は立っていない。

 姫路城の城化物であることも確かに幸運の一つ。だが、刑部姫にとって何より幸運だったのは——『彼女』に出会えたこと。

 

 

 変わらぬ日々の中で、たった一日でもあの子に——あのおっかない女武者と出会えた日があったことだろう。

 

 

 

 

『コラっ、待ちなさい!! よくも騙そうとしてくれたわね、おっきー!!』

『ひゃわわわ!! ごめんなさいっ! 許してぇええええええええ!!』

 

 彼女がどこから来た何者なのかは知らない。

 いつの出来事なのかも覚えていない。

 

 だがそれでも、鬼のような形相で追いかけてきた彼女の顔は鮮明に思い出せる。

 薄暗いところで引きこもっている自分を外へと連れ出そうと、彼女は真剣に刑部姫のことを怒ってくれた。

 

『たまには外に出て見なさいよ! きっと、今とは違う光景が見られる筈なんだからねっ!』

 

 立ち去る間際も口うるさく、まるで小姑のような小言を口にしながら彼女は消えていった。

 

 

 

 

「ほんと……おかしな子だったよ」

 

 あのときの出会いを思い出し、思わず笑みを溢す刑部姫。

 長い人生、色々な人間や妖怪と接してきたが、あれほど愉快な一夜は他になく、あれほど肉体的に走らされた記憶もない。

 正直、めちゃくちゃ疲れはしたものの、決して悪い気分ではなかった。

 

 あの出来事があったからこそ、自分はほんの少しだが前に足を進めることができた。

 そうして、腐らずに踏ん張って頑張ってきた結果——

 

「まっ、何故か知らないけど……気が付けばこんなオタク趣味全開の駄目な女になっちゃたけどさ……」

『? 何をぶつぶつ呟いているのですか、お姉様!!』

 

 刑部姫が思い出に浸っていると、亀姫は声を荒げて迫る。

 自分のことを無視し、己の世界に浸っている刑部姫を苛立ち気味に睨みつけてくる。

 

「はぁ~、まったく……わかった、わかったわよ。そんなに構って欲しいなら相手してあげるわ!」

 

 しかし、イライラしているのは刑部姫も同じだ。人ん家で暴れるだけ暴れて、ぐちぐちと愚痴を吐き捨てる妹の身勝手さに、いい加減に姉として堪忍袋の緒が切れた。

 

「覚悟しなさい、亀ちゃん! 何でもかんでも周囲のせいにして当たり散らすその腐った性根! お姉ちゃんとして、姫が叩き直してあげます!!」

 

 眼鏡を外し、凛とした瞳で相手を見据える。

 姉より優れた妹などいないとばかりに、刑部姫は堂々と亀姫の前に立ち塞がっていた。

 

 

 

×

 

 

 

『ふ、ふん!! いくら強がろうとも、お姉様は私には勝てませんわ!!』

 

 姉である刑部姫の意外な凄みに若干の怯みを見せる亀姫だが、すぐにそれがハッタリだと叫ぶ。

 

『お姉様の引きこもり気質は重々承知! 百年かけて溜め込んだ私の憎しみの妖気、退けられるものか!!』

 

 もともと、刑部姫の性格は戦いに向いていない。

 折紙の式神を用いて多彩な攻撃を行うことは知っているが、その程度の紙切れ軍団に自分は倒せないと亀姫は豪語する。

 さらに言えば、今の亀姫は城化物としては弱体化しているが長年の放浪生活、守護すべき城を失った憎しみから『祟り神』としての側面が強く浮き出ている。

 その力を持ってすれば、怠惰に耽った刑部姫など敵ではないと姉を嘲笑する。されど——

 

「忘れたの? 腐っても姫は刑部姫。そして……この姫路城は姫の領域!」

 

 刑部姫は不敵に笑う。

 実際のところ、久しぶりの実戦に若干足がぷるぷる震えてはいるものの、そんな感情おくびにも出さずに彼女は笑い——そして舞う。

 

 くるりくるりと、まるで巫女が神々に舞を捧げるかのような、一挙手一投足まで精錬された動き。

 その美しい動きに呼応するかのように、彼女の周囲から光の粒子が溢れ出す。

 

「な、なんだこれ……」

「綺麗……」

 

 姉妹の口喧嘩を一歩下がったところから見守っていた鬼太郎や猫娘がその光景に思わず見惚れる。

 既に夜になっていたこともあってか、光は河原に蛍たちが集まっているかのような幻想的風景を作り出す。その光はさらに城全体に広がっていき、姫路城の本来持っていた美しさをさらに引き立たせる。

 しかも今宵は満月。月明かりが、蛍の光が、そして刑部姫の舞が。それぞれが調和し、その光景を見つめる全ての者を魅了する。

 

『————————』

 

 これには祟り神と化した亀姫も無言だ。邪魔するのも無粋と、そう思わせるだけの美しさがそこにあった。

 観客たる彼らの期待に応えるように、刑部姫は舞いながら唄うように唱える。

 

「姫路城中、四方を護りし清浄結界——」

 

 それは、姫路城の美しさを際立たせる呪文であり。

 

「こちら隠り治める高津鳥、八天堂様の仕業なり。即ち——白鷺城の百鬼八天堂様!!」

 

 自分こそが、この白鷺城の主であることを知らしめる宣言でもある。

 

「ここに罷り通ります!!」

 

 その宣言を持って、彼女は知らしめる。

 ここに自分はいるぞと。たとえ誰も覚えていなくても、誰も自分の名を呼ばなくなっても。

 

 引きこもりでも姫はここにいるぞと、自らの立ち位置を自他共に認めさせる。

 

 

 

 

「! こ、これは!?」

 

 刑部姫の舞が終わると同時に、その異変が鬼太郎の身に降りかかる。

 

「体が軽い。それに何だろう……何か安心感がある!」

 

 少なからず亀姫からダメージを受けて重みを感じていた自分の体が、まるで羽のように軽くなった。今ならどんな相手とも戦えると、そんな根拠のない自信が心の奥底から湧き上がってくる。

 

「……なるほど、これが刑部姫の力というわけじゃな!」

 

 息子の変化に目玉おやじが気づき、そして納得する。

 先ほどの舞、あれはおそらく味方の指揮を鼓舞する儀式のようなもの。その舞をきっかけに、自らの領域である姫路城の美しさをさらに際立たせ、味方と認識した者の戦意を高揚させる精神的支柱を付与したのだ。

 これこそ白鷺城の刑部姫、城化物たる彼女の力。

 姫路城の主として、さらに刑部姫は鬼太郎たちに命じる。

 

「さあさあ、鬼太ちゃん! 猫ちゃん! うじうじと恨み言ばかりで、人様に迷惑かける亀ちゃんを懲らしめてやって頂戴!!」

「えっ!?」

「……って、私らに戦わせんの!?」

 

 当たり前のように鬼太郎や猫娘を戦わせようとするが、やっぱりそこは刑部姫。

 

「うんごめん! 姫ってば、やっぱり自分で戦うのは怖いから……」

 

 自分で戦うのは嫌だと、あくまで鬼太郎たちを頼る。

 

『!! おのれっぇええええええええ!!』

 

 そうはさせまいと、その舞に見惚れていた亀姫が我に返って再び刑部姫に襲い掛かる。

 その鋭い爪で刑部姫を引き裂こうと腕を振るった。

 

「はぁっ!!」

 

 だが、腕にちゃんちゃんこを巻いた鬼太郎が亀姫の豪腕を受け止める。刑部姫の力でブーストされた鬼太郎はもはや亀姫の攻撃にビクともしない。

 

「……いいのか」

 

 彼は刑部姫の方を振り返りながら、念のため問う。

 このまま——本当に亀姫を討伐していいのかと。

 

「ええ……構わないわ」

 

 刑部姫は静かに頷いた。

 

「このまま放置したとしても、苦しみを長引かせるだけだから……」

 

 祟り神と化した亀姫をこれ以上放置すれば、より一層歪んで他者に呪いを振りまくだけの怪物に成り下がるだろう。そんなこと、きっと亀姫自身も本当は望んでいない。だから——

 

 

「姉としてお願いします。どうか——彼女を救ってやってください」

 

 

 そうなる前に楽にしてやってくれと。刑部姫は鬼太郎たちに介錯を頼む。

 

「わかったよ……はぁあああああ!!」

 

 彼女の言葉に鬼太郎の迷いはなくなった。

 刑部姫の力で大きく昂った戦意に身を任せ、思いっきり亀姫を殴り飛ばす。

 

『ぐっ、グハァ、ガハッ!!』

 

 鬼太郎の拳に亀姫の巨体が大きくのぞける。

 怯んだ彼女の隙を突き、飛び上がった猫娘がさらに追撃を仕掛けた。

 

「シャアァアア!!」

『グアっ!? め、めが……めがぁぁぁぁぁああああ!!』

 

 猫娘も刑部姫の力でバフを掛けられており、目にも止まらぬ速度で亀姫の顔面を引っ掻き回す。

 

「——指鉄砲!!」

 

 そしてトドメの一撃。鬼太郎の指鉄砲が炸裂し、亀姫の図体に直撃する。

 

 

『お、お姉様!! おねえぇさまああああああああああああ!!』

 

 

 最後の断末魔まで、亀姫の叫び声は姉への怨嗟で満ちていた。

 

「亀ちゃん……」

 

 肉体を消滅させ、亀姫は魂だけの姿となり——刑部姫の手の平に収まったのである。

 

 

 

×

 

 

 

「とりあえず、一件落着じゃな」

「そうですね、父さん」

「…………」

 

 姫路城の騒動を解決させた一同。闇夜の中、カラスのブランコに乗ってゲゲゲの森へ帰ろうとしていた。

 

「しかし、刑部姫の提案には驚かされたのう……」

 

 その道中で、目玉おやじは今回の事件の顛末に関して感慨深げに思い返す。

 

 

 

 

「——この子の魂は姫が預かるよ」

 

 亀姫の肉体が消滅し、彼女の魂が浮き彫りになった。

 本来ならその魂は何処ぞへと姿を隠し、長い年月を掛けて再び肉体をこの世に蘇らせる。しかし刑部姫はその魂を回収し、自身の手元に置いておくことを提案してきた。

 肉体が蘇ったとき、真っ先に自分が側にいられるようにと。

 

「大丈夫なの? 命狙われてたのよ? それにアンタに誰かの面倒を見る甲斐性があるとは思えないけど……」 

 

 肉体を取り戻したらまた襲い掛かってくるかもしれない。

 それに加え、刑部姫のだらしない部屋を目撃した猫娘は彼女にそんな余裕があるのかと、その生活そのものを心配する。

 

「ムゥ! 酷いよ、猫ちゃん! まあ、実際その通りだけど……」

 

 猫娘の辛辣な言葉に口を尖らせる刑部姫だが、あながち間違いでもないため強くは否定できない。

 刑部姫も、あのオタク部屋で誰かと同棲生活を遅れるとは思ってない。正直、身内であろうとも部屋に上がらせたくないという気持ちが強くある。だがそれでも——

 

「まっ、でも一応は頑張ってみるよ。これは姫なりの……亀ちゃんへの『罪滅ぼし』みたいなもんだからさ……」

 

 刑部姫は刑部姫なりに、今回の一件で反省していることがある。

 それは祟り神と化した亀姫の近況、それを本人の口から語られるまで、知ろうともしなかったことである。

 

「正直、昔から亀ちゃんのこと苦手だったんだよね。だってこの子ってば、人の家に来るのに人間の生首とか持参してくんのよ!? いや、姫にそっちの趣味はないから!! 人間なんか食べないから!! 普通にドン引きだからね!?」

 

 妖怪としての性格が合わないのか、どうにも亀姫が苦手だったと正直に告白する。

 

「だからなのかな……亀ちゃんが遊びに来なくなっても、特に気にしてなかったよ。この子の城がとっくの昔に燃やされてたなんて、知ろうともしなかった。お姉ちゃんなのにね……」

 

 だから、刑部姫は亀姫の境遇を何一つ知らなかった。

 猪苗代城を失い、彼女がどれだけ苦しい日々を送っていたのか、今はもう想像することしかできない。

 

「だからね……今度こそ側にいてあげたいの。この子が肉体を取り戻してもう一度目覚めたとき、真っ先に手を差し伸べられるように……」

 

 それは刑部姫が過去。あの『女武者』にそうされたように。今度は自分が俯く誰かに手を差し伸べてあげたい。

 姉として、妹の助けになってやりたいと不器用ながらも、そう願うからなのだ。

 

「……わかった。亀姫のことは君に任せる」

 

 刑部姫の気持ちを尊重し、鬼太郎はこれ以上何も言わなかった。

 二人の姉妹の関係が良好なものに戻ると信じ、姫路城を後にしたのである。

 

 

 

 

「さて! 刑部姫にも行動を控えるように注意したことじゃし、依頼主に報告に行くかのう!」

「はい、父さん!」

 

 亀姫の騒動もそうだが、今回鬼太郎たちが姫路城を訪ねたのは刑部姫の起こした、いくつかの問題行動を嗜めるためだ。それらの件についても釘を差し、当面の問題は全て解決した。

  

 刑部姫と亀姫の二人の未来に希望も抱いていたため、明るい表情で帰路を急ぐ鬼太郎親子、だが……。

 

「……ごめん、鬼太郎。ちょっと先に帰ってて」

「ん? どうした、猫娘?」

 

 一人だけ、猫娘だけは未だ浮かない表情のまま俯いていた。

 彼女はカラスたちに来た道を引き返すように告げ、声低めに呟く。

 

 

「ちょっと……姫路城に忘れものしてきたから——」

 

 

 

 

 

「さーってと!! それじゃ、張り切って再開しよっか!!」

 

 鬼太郎たちが去った後の姫路城・天守閣最上階。刑部姫の私室。

 亀姫の魂を大事に保管してすぐ、刑部姫は趣味である同人活動を再開していた。

 

 新刊のテーマは勿論『キタネコ』。

 つまるところこの女——まったく懲りもせず、新しいキタネコ本の制作に着手しようとしていたのだ。

 

「いや~! まさか生でキタネコを拝めるとは!! おかげで詰まってたネームも捗る捗る!!」

 

 それどころか実際に鬼太郎と猫娘の絡みを見たことで、より一層創作意欲を掻き立てる。

 次から次へと湧き上がってくる妄想を形にすべく、タッチペンが流れるような勢いで動いていく。

 

「やっぱり二人のコンビネーションは抜群だったね!! 猫ちゃんてば、隙あれば鬼太ちゃんの背中ばっか見つめてたし……ほんと、あれで自分の片思いが周囲にバレてないと思ってるんだから笑っちゃうよね~、はははっ!!」

 

 実際に今日見た光景を思い出しながら描いているためか、自然と独り言が溢れ出す刑部姫。

 誰も聞いていないことを良いことに、結構好き放題なこと言っている。

 

「それにしても、本当に鬼太ちゃんは鈍いよ、鈍ちん!! お前はラブコメの主人公か!? 何であれで気づかないんだよ! 猫ちゃん、可哀想……けど、そんな焦れったい距離感もたまんないんだよねぇ!! ふへへへ……」

 

 さすがに夜も遅いと。誰もいないと油断してなのか、かなりの大音量。

 確かに、こんな時間に残っている人間など誰もいなかったし、通常であれば単なる妄想の垂れ流しで済んでいただろう。

 

 

 

「——へぇ~……随分綺麗に描けてるじゃない。それはいったい、何の本なのかしら?」

 

 

 

 ただ一人、わざわざ引き返してきた猫娘の存在さえなければ——。

 

「勿論、キタネコの新刊だよ!! …………っ!!?」

 

 突然響いた声に機嫌の良かった刑部姫は反射的に答えてしまうも、すぐに自身の後方に立つ『死』の気配を察し、身体中からダラダラと冷や汗が流れ出す。

 恐る恐ると振り返る刑部姫。当然ながら、そこには憤怒の形相の猫娘が——刑部姫にとっての『死神』が立っていた。

 

「ね、ねねねね、猫ちゃん……帰ったんじゃ……!?」

 

 確かに見送った筈の猫娘がそこに立っていたことに、彼女は狼狽しまくる。

 先ほどの戦いで見せた凛々しい表情など欠片もなく、ただひたすらに刑部姫は猫娘相手に怯えまくる。

 

「別に……そういえば、アンタが私と鬼太郎の本、直接処分するところ見てなかったなぁ~って思い出しただけよ」

 

 そう、猫娘が戻ってきた理由は例の同人誌、キタネコ本がちゃんと処分されているか確認するためであった。

 亀姫の件で何だかドタバタしてしまったせいで、その部分が有耶無耶になってしまったための用心だ。

 

 思ったとおり、刑部姫は懲りもせずに新しい同人誌を描こうとしていた。

 猫娘は怒りを通り越し、もはや何と表現していいのか、分からないような表情で刑部姫を見下ろしている。

 

「へ、へぇ~……そ、そうなんだ。は、ははははは……!」

 

 そんな視線に晒されながらも、刑部姫は乾いた笑い声で誤魔化そうとする。

 この期に及んで、キタネコ本の原本データが入ったパソコンを守ろうと、そっと後ろ手に隠す。

 

「ねぇ……刑部姫?」

 

 だが猫娘は見逃さない、許さない。

 彼女はおもむろに、部屋に飾ってあったコレクションのフィギュアを手に取り、刑部姫に優しく語りかける。

 

「わたし……こういうのに疎くてね。どれがアンタの描いた本だとか、ちょっとよく分からないのよ」

 

 少なくとも、そのフィギュアは処分すべき同人誌ではない。だが、次の瞬間——そのフィギュアの脳天に猫娘の爪を突き刺さる。

 

「ああ!! 姫のコレクションがぁあああ!?」

 

 大事なコレクションを切り刻まれ、悲痛な叫び声を上げる刑部姫。

 しかし猫娘は動じない、許さない。

 

「アンタが処分できないってんなら、私が直接処分してあげる。けどその場合、この部屋ごとってなるけど……」

 

 続けざま、床に落ちていたクッションを手に取りながら、それを『人質』に刑部姫に選択肢を与える。

 

「自分で『私と鬼太郎の本だけを処分する』のと『私の手でこの部屋ごと片付けられる』の——どっちがいい?」

「そっ——」

 

 実質、刑部姫に選択の余地などなかった。

 

 

 

 

「それだけは勘弁してぇえええええええええええええ!!」

 

 

 

 

 結局、他の大事なコレクションを守るため。

 刑部姫は泣く泣く、自分で描いたキタネコの同人本を自らの手で全て処分することになったのである。

 

 




登場人物紹介

 謎の怪物——亀姫。
  刑部姫の妹。姉と同じ城化物であり、姉とは違い、城を失ったことで『祟り神』的なものになってしまったという設定。
  FGOで実装された際、大きな矛盾点を出さないよう人間形態の亀姫は出ません。
  伝承にある『正体がムジナ』という側面を強く出して見ました。
  あまりメジャーな妖怪ではないようですが『刑部姫の元を訪れる際、男の生首を土産に持参した』という、実に妖怪らしい伝説が検索でたくさんヒットしました、怖い!
 
 女武者
  さすがに彼女を直接出演させるのは無理がありましたので、あくまで回想だけ。
  FGO未プレイな人は分からないと思いますので、名前は出しませんでした。
  …………いつまで『DATA LOST』のままなんだ。早く戻って来いよ。


次回予告

「猫娘を魂ごと消してしまった罪悪感に、未だ囚われ続けるまな。
 さらに追い打ちをかけるよう、騒ぐマスコミに悪意あるネットの書き込み。
 父さん、ボクに何か出来ることはないんでしょうか……。
 
 次回——ゲゲゲの鬼太郎『虚構推理』見えない世界の扉が開く」
  
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

虚構推理 其の①

今回はコメント欄でおススメされて初めて知った作品からのクロスオーバー。『虚構推理』です。
作者はとりあえずアニメの方を全話視聴し、小説も一巻の方を買って読ませて頂きました。二巻以降には手を出していないので、話の雰囲気は『鋼人七瀬』の事件を参考にさせていただいてます。
ミステリー要素は少ないと思いますが、それとなく挑戦はしてみたいと思いますのでどうかよろしくお願いします。

ちなみに、鬼太郎としての時期系列は『名無しとの決着後、猫娘が子猫娘として帰ってくるまでの間』を想定しています。



「…………う、う~ん」

 

 朝。雀たちのさえずりと共に犬山まなは自室のベッドで目を覚ます。ベッドの上はまな一人。部屋の中、他に人の気配はない。

 

「……今、何時だっけ……」

 

 寝ぼけた頭で部屋の時計を確認する。時刻は既に午前九時、いつもなら「遅刻! 遅刻!」と慌てている頃合いだろう。

 しかし、犬山まなの中学校は現在春休み期間中。そこまで慌てる必要もなく、まなは寝巻きのままベッドから身を起こし部屋を出る。二階の私室から階段を降り、リビングに顔を出した。

 

「おはよう、まな!!」

 

 リビングには先に起きていたまなの父親・犬山裕一がおり、一人テーブルでコーヒーを飲みながら新聞を読んでいる。彼はまなと顔を合わせるや、実に嬉しそうに愛娘の世話を焼きたがる。

 

「随分お寝坊さんだな、まな! お父さんもう朝食済ませちゃったぞ! まなは朝食どうする? パンが食べたいならトースター出すぞ! ジャムとマーガリンもあるし、目玉焼きならお父さんが焼いてやる! それとも、米にするか? 味噌汁ならインスタントを買ってあるし、おかずだって昨日の残りが沢山——」

「……大丈夫、自分でやるから」

 

 朝っぱらからマシンガントークの父親を、年頃のまなは少しだけうざったそうにはねのける。

 今年から中学二年生になる彼女にとって、父親の構ってちゃんほど鬱陶しいものはない。別に父親のことを嫌っているわけではないが、多感な時期の少女の心はとても繊細なのだ。

 

「うう……朝からまなが冷たい……」

 

 つれない娘の言動に涙目になりながらも、裕一はまなのために適当にコーヒーにミルクを入れて差し出してやる。

 

「うん……ありがと」

 

 特に反抗期を出す理由もないため、それは素直に受け取って礼を言うまな。

 さらにコーヒーに砂糖を入れ、トースターで食パンを温めれば軽めの朝食の出来上がり。テーブルに座って黙々と食事を済ませていく。

 

「まな。今日は十時には母さんのお見舞いに行こう。それまでに出かける準備を済ませておいてくれ」

「うん、わかった……」

 

 まなの食事中、向かい側から裕一が娘に話しかける。

 今日の予定——母親へのお見舞いを行く時間を確認し、まなもそれでいいとしっかりと頷いていた。

 

 

 本来、犬山家は三人家族だ。

 一人娘のまなに、父親の裕一。そして母親である犬山純子の三人で調布市の住宅地にマイホームを構えている。そのため、普段であれば食パンにコーヒーなどという味気ない朝食など出ない。純子が誰よりも早起きをし、温かい食事を家族に振る舞ってくれるからだ。

 

 だが現在、犬山純子は調布市内の病院に入院している。

 

 外傷による出血多量。一度はかなり危険な状態まで追い込まれた容体も今は無事に回復し、安静のために病院で世話になっている。

 大切な家族が寂しい思いをしないようにと、まなと裕一は純子が入院してからというもの、一日だって欠かさずにお見舞いに行っていた。

 もう何度と繰り返しているため、既に日課となりかけていた病院訪問という行事。

 しかしそれも——もうすぐ終わりを迎えとしていた。

 

 

「お医者さんの話によれば、もう明日あたりには退院できるそうだぞ。よかったな、まな!!」

 

 溢れ出す喜びを抑えきれない様子で裕一は語る。

 傷も癒えて容体も安定した今、これ以上入院する必要もないという担当医の言葉。犬山純子がもうすぐ退院できるという、喜ばしいニュースだ。

 二人だけで寂しかった家にまた三人の生活が戻ってくると、裕一はいつになくハイテンションだった。

 

 ところが——

 

「うん……そうだね」

 

 笑顔で語る父親とは反対に、まなは暗い表情のままぼーっとしている。その様子を心配し、裕一は父として娘に声を掛けた。

 

「だ、大丈夫だよ、まな。お医者様も言ってただろう? もう心配ないって。だから……そんな顔しないでくれよ、元気出してくれ!」

 

 まなが未だに純子の容体を心配していると思ったのだろう。

 実際、純子が病院に担ぎ込まれたときのまなの取り乱しようを酷いものだった。父である裕一に対しては年頃な反抗期的な面が目立つ彼女が藁にもすがるような思いで、くしゃくしゃの顔で泣き付いてきたほどだ。

 まなにとって、母である純子の存在は何よりも大きい。だからこそ、それを失ってしまうことを酷く恐れていると一人娘の心情を案ずる。

 

「う、うん、大丈夫! もう心配ないって分かってるから! お母さん、早く退院出来るといいね!」

 

 父親が自分の心配をしてくれていると察し、まなは咄嗟に笑みを浮かべる。

 

「……うん! そうだな!」

 

 娘のその笑顔に裕一は己の心配が杞憂であったことを悟る。

 一度は壊れかけた犬山家。だがそんな彼らの日常という平和を脅かすものは、もう何処にも存在しない。

 

 

 裕一は何の心配を抱くことなく、愛する妻が早く帰ってくる期待に胸を膨らませていた。

 

 

 

 

「……お母さん、本当に無事でよかった……」

 

 朝食を済ませ、自室でお出かけの準備を済ませながら犬山まなは一人呟く。

 母親である純子が瀕死の重傷に陥った際、まなはもう駄目かと絶望しかけていた。血だらけで倒れる母の体を実際に抱きしめたまなだからこそ、その体温が徐々に冷たくなっていく感覚をリアルに感じ取っていた。

 一度は死んでしまったと誤解し、何もかも諦めていただけに、純子が無事でいたことは本当に喜ばしいことだ。しかし——

 

「けど……」

 

 それでも、犬山まなの表情が晴々とすることはなかった。

 彼女は机の引き出しから『赤いリボン』を取り出し、それをギュッと握りしめる。

 

「猫姉さんは……もう……戻ってこない……!」

 

 弱々しい呟き。今にも泣き出してしまいそうに、くしゃくしゃに表情を歪めるまな。

 

 

 その赤いリボンの持ち主であり、まなが慕っていた妖怪のお姉さん——猫娘。

 まなにとっても大切な人である彼女は——もう二度と、戻ってこない。

 

 他の誰でもない。

 まな自身のその手で——猫娘の魂はこの世から消え失せたのだから。

 

 

 

×

 

 

 

 そもそもな話、何故犬山純子が病院に入院するような重傷を負わねばならなかったのか?

 今回の事件はそこから遡る必要があった。

 

 事件の前兆は数週間前。

 オメガトークという動画サイトを運営する会社の社長・ジョン(ドウ)という人物の起こした一連の妖怪騒動が事のきっかけとなった。

 

 いつからかは定かではない。ジョン童と人物は自社が運営する動画サイトを通じ、人ならざるものたちの動画——すなわち『妖怪』の存在を猛プッシュする動画を上げ始めたのである。

 

『チャラトミの妖怪チャンネル』を始めとする動画コンテンツで『妖怪を捜してみた』『妖怪と一緒に遊んだ』また人間の相談事を解決してくれる『ゲゲゲの鬼太郎の活躍』などを生配信し、世間に対し妖怪という存在を確かなものであると認知させたのだ。

 それらの反響もあり、人々は妖怪の存在を認め始め、彼らのことを『仲良くする隣人』と認識するようになっていった。

 

 だが——『姑獲鳥(うぶめ)が人間の赤ちゃんを襲った』というニュースがきっかけとなり、状況は一変。

 世間の妖怪に対する評価は『妖怪は危険』『妖怪は化物』という方向へと流れが変わり始めたのである。

 

 その流れに便乗するかのように、オメガトークの方でも『妖怪の危険性』『妖怪と人間の違い』といった妖怪を批判するような動画をアップしまくり世論を煽動、妖怪と人間の対立を煽り出した。

 

『いったい何者なの? この会社の社長って?』

 

 そうした、一連の流れを作為的なものだと感じた妖怪がいた。それが猫娘である。

 

 彼女はこの流れを生み出したオメガの社長・ジョン童の正体を探るべく、単身オメガの本社へと乗り込んでいき——そこで謎の妖怪に襲われ、交戦することとなった。

 話も通じず、いきなり襲われたことに戸惑いながらも、猫娘は何とかその妖怪を迎撃し、重傷を負わせてしまう。

 

 それが——犬山まなの母親・犬山純子とも知らずに。

 

 そう、犬山純子の傷は猫娘が負わせたものだ。ジョン童の手によって洗脳された純子が猫娘を襲い、相手が人間とも知らずに猫娘は純子を返り討ちにしてしまったのだ。

 その流れもまたジョン童——いや、そのように身分を偽った『名無し』の策略の一部とも知らずに。

 

『お、お母さん?』

 

 名無しはさらに追い討ちを掛けるようその現場にまなを導いた。まなに『猫娘が純子を傷つけた』という事実を見せつけることで、彼女の激情・恐怖心を煽ったのである。

 そして、その目論見は見事に成功。まなは愛する母を傷つけた猫娘に対し『その身に刻まれていた力』を暴発。

 

 猫娘の魂を——この世から消し去ってしまったのだ。

 

 

 

 

「——父さん……」

「う~む、やはりこれしか方法は無さそうじゃ…………」

 

 ところ変わってゲゲゲの森。鬼太郎と目玉おやじの二人がゲゲゲハウスで頭を悩ませていた。

 

 名無しの策略から数日。かの者の企みを阻止し、何とか平穏無事な日々を取り戻した鬼太郎たち。

 だが、その策略の過程で失ったものは鬼太郎にとっても、犬山まなにとっても大き過ぎた。

 

 特に犬山まなの心には『猫娘を自身の手で葬ってしまった』という、苦い記憶がいつまでも残り続けている。

 このままでは彼女はこの先一生、猫娘を殺した事実をことあるごとに思い出し、罪悪感に苛まれる毎日を過ごすことになってしまうだろう。

 鬼太郎もそれはあまりにも酷な人生だと。友人であるまなの心を救うことはできないかと、目玉おやじと共に考えを巡らせていた。

 

「やはり……猫娘の魂を地獄から呼び戻すしかないと思います、父さん」

 

 本来であれば、それはどうにもできない問題だっただろう。だが、妖怪である鬼太郎と目玉おやじには一つだけ、解決する手段に心当たりがあった。

 

 それは——地獄に送られてしまった猫娘の魂を直接現世へと連れ帰ることである。

 

 もともと、妖怪という生き物は死なない。妖怪は肉体を失ったとき、その魂だけが出現し何処ぞへと姿を隠す。魂は長い時間を掛けて、再び肉体を再構成する。そうすることで、妖怪は長い時の中を永遠と生きることができる。

 だが今回、犬山まなは猫娘の肉体を魂ごと現世から消滅させてしまった。

 魂が消えてしまえば、いかに妖怪といえども肉体を取り戻すことはできない。死者としてカウントされ、その魂はあの世——すなわち、地獄へと送られるのである。

 

「うむ、しかし……あの厳格な閻魔大王がそれを許すかどうか……」

 

 目玉おやじにとって、地獄に行くこと自体はそれほど難しいことではない。幽霊電車や妖怪バス、黄泉比良坂など。生きたまま地獄へと向かう手段や道筋などいくらである。

 しかし、いざ死者を連れ戻すとなっては話が変わる。

 

「地獄は閻魔大王の管轄じゃ。あの者の許しなくして、猫娘の魂を連れ戻すことはできまい」

 

 人間であれ、妖怪であれ。死者は全て地獄の裁判官・閻魔大王の管轄である。閻魔大王の許可なくして、地獄にあるものを現世へと連れ帰ることなど決して許されない。

 果たして死者である猫娘を連れて帰ることなど許されるのかと、目玉おやじはそれが気掛かりでしかない。

 

「他に何か方法はないもんか……」

 

 正直、目玉おやじはなるべくならこの方法を取りたくはない。死者を連れ戻すことが、本当ならこの世の秩序に反することだと大人な彼はしっかりと理解しているからだ。

 残酷かもしれないが、目玉おやじ自身は猫娘の死を受け入れ、仕方のないことだと割り切ってさえいた。

 

「ですが、父さん……それでもぼくは……」

 

 だが、未だに妖怪として若者である鬼太郎には、猫娘の死を仕方のないことだと割り切るだけの胆力がない。

 どんな手段を用いてでも猫娘を、そして犬山まなの笑顔を取り戻したいと父親を説得しようとしていた——そのときである。

 

「——大変じゃ! 鬼太郎!!」

「砂かけババア?」

 

 ゲゲゲハウスに駆け込んできたのは鬼太郎の仲間、砂かけババアその人である。

 彼女は息を切らせたまま、事が一刻の猶予もないことを手短に鬼太郎へと伝えていた。

 

 

「畑怨霊の奴が……まなを!!」

「——っ!?」

 

 

 

×

 

 

 

「はぁ……」

 

 調布市内の病院。母である純子の見舞いも終え、まなは一人裏庭のベンチに腰掛け、深いため息を吐いていた。

 今朝父親が言ったとおり、純子はずこぶる調子が良さそうだ。医者の話でも明日には退院できるようで、今は裕一が医者と退院の段取りなどに関して話し込んでいる。

 もう心配することもない母親の容体に、まなが安堵するのも束の間。

 

「猫姉さん……」

 

 すぐに猫娘のことが思い出され、憂鬱な気分が振り返してくる。

 母に関して心配する必要がなくなればなくなるほど、逆に猫娘のことが頭から離れない。事故とはいえ、親しい人をその手に掛けてしまったという罪悪感は、未だ中学生の少女には重すぎるトラウマだ。

 このまま一生、自分はこの思いを抱え込んで生きていくしかないのかと、彼女は思い詰めた表情で蹲る。

 

 

「——失礼、お隣よろしいでしょうか?」

「?」

 

 

 と、まながそのように落ち込んでいるときだった。

 ふいに、何者かが彼女に声を掛けてきたことで、まなは顔を上げる。

 

 視線の先には見覚えのない少女が立っていた。

 白いドレスのようなワンピース。ウェーブのかかったショートヘアの前髪が少し右眼の上にかかるようになっている。右手で赤色のステッキをつきながら体を支え、頭の上にはクリーム色のベレー帽がちょこんと乗せられていた。

 背丈から見ると中学生。ぱっと見、まなと同年代くらいの少女だった。

 

「え……ええと。はい、どうぞ……」

「ありがとう。では、失礼をして……よっこいしょっと」

 

 まながその少女の問い掛けに頷くと、彼女は遠慮なくまなの隣に腰掛けてきた。

 少女はどこか毅然とした態度に、お嬢様といった雰囲気。まなを見つめる瞳はどことなく力強く、不思議と人を惹きつけるような風格を漂わせている。

 

「今日はいい天気ですね。こういう日は思わずベンチなどでうたた寝をしたくなってしまう。そうは思いませんか?」

「え……いい天気……なのかな?」

 

 世間話のつもりなのか。少女がそのように話を振るが、その言葉に同意することができず、まなは困惑気味に空を見上げる。

 今日は朝からジメジメとした空気で、今にも雨が降り出しそうな灰色の空だ。まるで今のまなの心情を表しているかのようであり、お世辞にもいい天気とは言えない。

 

「なに、このくらいの方が外で眠るには最適なんですよ。まばらに雨でも降って入ればもっといいのですが」

「そ、そうなんだ……けど、別に昼寝をしたいわけじゃないから……」

 

 もっとも、少女にとってはこれくらいの天気が丁度いいらしい。

 笑顔でそのように力説され、まなはどう答えていいものかと。さしあたり、自分がここで眠るつもりなどないことを端的に伝える。

 

「ほう、昼寝のためではない? では何故、このような場所で一人ベンチに腰掛けているのでしょうか? それも、そんなこの世の終わりを想起させるような落ち込み具合で?」

「えっ! わたし、そんな顔してた!?」

 

 そんなことを指摘され、思わず自身の顔を手で触れるまな。自分はそんなにも分かりやすい顔で落ち込んでいただろうかと。

 

「ええ、それはもう。今にも飛び降り自殺しそうな顔で思い詰めていましたので。差し出がましいとは思いましたが、声を掛けさせていただきました……ご迷惑だったでしょうか?」

 

 どうやらこの少女、そんな顔で思い詰めるまなのことを心配し、声を掛けてくれたらしい。

 見ず知らずの相手にそんな気遣いをさせたことに申し訳なさを感じながらも、まなはちょっとだけ気が休まるような思いから礼を述べる。

 

「わざわざありがとう。けど……わたしは大丈夫だから。お母さんが入院してたんだけど、もう心配ないって。お医者様も明日には退院できるって言ってたから……」

 

 これ以上少女に心配かけまいと、まなは自分が病院を訪れていた理由をかいつまんで話していた。

 

「そうなのですか? それはそれは、退院おめでとうございます」

「いえいえ、そんな……お気遣いなく」

 

 少女はこちら側の事情を察し、祝辞を述べてくれる。相手の言葉にまなは素直に頭を下げていた。

 

「あなたは……」

「ん?」

「あなたは……どうして病院に? 誰かのお見舞い? それとも、どこか体でも悪いの?」

 

 話の流れからか、今度はまなの方から少女について問う。

 ここにいるということは、彼女も病院に何かしらの用事があるのだろう。しかし見た感じ、これといって具合が悪そうにも見えず、まなは彼女も自分と同じ、誰かの見舞い客かと思いながら声を掛けていた。

 まなの質問に、少女は少し考えてから答える。

 

「私、こう見えても定期的に病院に通わなければならない身でして。週一のペースでお医者様のお世話になっているんですよ」

「あっ……その、ごめんなさい!!」

 

 あっけらかんと口にする少女の答えに、思わずまなは謝罪を口にする。

 長期的に医者に世話になっている。深く突っ込まずとも、それが愉快な理由でないことくらい察せられる。まなは少女の背景を何となく想像し、迂闊な質問をした自身の配慮の無さに謝っていた。

 

「いえ、構いませんよ。特にそれほど深刻な病というわけではありません。ただの定期検診のようなものです」

 

 ところが少女はまったく気にした風もなく、自身の症状が重たい病の類でないことを告げる。

 さらに少女は悪戯っぽい笑みを浮かべながら話を続けた。

 

「まあ、といっても。こちらの病院でお世話になっているわけではありませんが……」

「えっ? ち、違うの?」

 

 彼女の言葉に目が丸くなるまな。この病院の患者でないというなら、何故彼女がここにいるのだろう。

 その理由が皆目見当もつかず、まなはその少女の存在に首を傾げる。

 

 まなの訝しがる視線に気づいたのか。少女は立ち上がり、正面からベンチに腰掛けるまなと向かい合う。

 

「実のところ……今日は貴方に会いにきたんですよ。犬山まなさん」

「——!? わ、わたし!?」」

 

 相手の口から自身の名前が飛び出し、まなの視線が少女の顔に釘付けになる。

 もう一度しっかりと彼女の容姿をじっと見つめ直すも、やはり見覚えのない顔だ。

 

 果たして初対面の彼女が自分にいったい何の用だろうと、まなは不安を胸に抱えたまま少女の次なる言葉を待っていた。

 

 だが、少女が何かしらの言葉を口にしようとしたその瞬間。彼女はまなの頭上を見上げ——

 

「危ない、下がって!!」

 

 何かの危機を察し、まなの体を引っ張りながら後方へと飛び退く。

 小柄な体型ながらも、見た目に反して少女の力は強かった。無抵抗だったまなの体を引っ張り、二人の少女は揃ってそのまま勢いよく後方に倒れ込む。

 

「なっ、なにを!?」

 

 いきなり何をするのかと、まなは抗議の声を上げようとした。だが、彼女たちがベンチから離れたその直後——

 

 ズシンと、巨大な頭部が頭上から舞い降り、先ほどまで彼女たちが座り込んでいたベンチを押し潰す。もしも、少女がまなを避難させていなければ——彼女も一緒にぺちゃんこにされていただろう。

 

「——ちっ! 勘付きおったか!!」

 

 間一髪で危機を逃れたまなたちに、突如舞い降りてきた巨大な頭部だけの妖怪が忌々し気に吐き捨てる。元から鬼のような形相をしているその顔を、さらに憤怒に歪めてまなを睨みつける。

 

「な、なに? だ、誰!?」

「あれは……畑怨霊ですね。私も見るのは初めてですが」

 

 突然の強襲に取り乱すまなとは正反対に、少女はまったく動揺した気配もなく襲撃者の正体を看破する。

 畑怨霊(はたおんりょう)——畑の凶作により飢えて亡くなった人々の怨念である彼は、自身の名前をズバリ言い当てた少女の存在に僅かに感心の吐息を漏らす。

 

「ほう、わしのことを知っとるのか? 人間にしては物知りだな、小娘!」

 

 しかし、直ぐにでも視線をまなの方に戻し、畑怨霊は怒りを隠しきれぬ表情で吠える。

 

「じゃが、貴様などに用はない!! 怪我したくなければ引っ込んでおれ!!」

「!!」

「犬山まな……あれから色々と考えたが、やはり貴様の存在は許せぬ!!」

 

 畑怨霊の狙いはまなだったようで、続く彼の言葉にまなはぞくりと背筋を震わせる。

 

 

「猫娘を魂ごと消し去るその力……やはり放置することはできん。ここで貴様を葬り去り、後顧の憂い断たせてもらうぞ!!」

 

 

 そう、彼は犬山まなを始末しに現れた妖怪だ。

 猫娘を消し去ってしまったことでまな自身が己を責めていたように、畑怨霊もまた彼女を責めていた。

 

 同胞の敵討ちと犬山まなを非難する、妖怪側からの報復であったのだ。

 

 

 

×

 

 

 

「——っ……!」

 

 畑怨霊が自分を糾弾する言葉に、まなは何も言い返すことができない。猫娘を消し去ってしまったことは事実であり、彼女自身も自責の念に囚われているのだ。

 いっそ——この罪悪感から解放されるのであれば、畑怨霊の手に掛かるのも悪くはない、何て馬鹿な考えを抱いたくらいだ。

 

「……下がってください。犬山さん」

「!! 無茶だよ!?」

 

 しかし、そんなことは許さないと。ベレー帽の少女がまなを庇うように一歩前に歩み寄り、畑怨霊の前に立ち塞がる。あんな凶悪そうな妖怪相手に立ち向かうつもりなのか。まなはそれは無謀だと、少女の蛮勇に声を上げる。

 

「どけと言った筈だぞ、小娘。貴様も一緒に喰われたいか!」

 

 一応、少女に対して再三の警告を促す畑怨霊。どうやら、彼も無差別に人間を襲うつもりはないらしい。あくまで目標は犬山まな一人だと、口をあんぐりと大きく広げて少女を怯えさせようと威嚇する。

 ところが、少女は全然怯えない。彼女は実に冷静な口調で畑怨霊相手に言葉を交わしていく。

 

「……まず一つ訂正を。私は現在十九歳、今年で二十歳になります。もう立派な大人の淑女ですので、小娘などと呼ばれるのは心外ですよ? まあ……妖怪相手に年齢がどうのと、言うだけ虚しいかもしれませんが」

「えっ……年上?」

 

 こんな時でありながらも、少女が自分よりも結構年上だったことに驚くまな。

 彼女はさらに、毅然とした口調で畑怨霊に言ってのける。

 

「それに、退けと言われて素直に退くわけにはいきません。貴方のような怪異と人間との間で起きたトラブルを調停するのが、私の役割のようなものなので」

「……なんだと?」

 

 これにはさすがに畑怨霊も面食らったのか。暫し考え込むように、少女の顔をまじまじと凝視する。

 

「そのように視姦されると居心地が悪くなってしまいます。セクハラで訴えますよ?」

 

 妖怪の視線にわざとらしく身を捩らせながら、そんなことを言ってのける少女。

 勿論、畑怨霊にそのような意図はない。彼はさらに少女を見つめ続けることで、何かに気付いたのか声を荒げる。

 

「貴様のその雰囲気……。もしや一部の妖怪共の間で持て囃されておる『知恵の神』とやらか!!」

「おや、ご存知でしたか。それなら話は早い」

「……? 知恵の神……?」

 

 二人の間では何かしら意味のあるワードのようだが、まなにはさっぱり分からない。知恵の神とはいったい何だろう。少なくとも、まなの目には少女がただの人間にしか見えない。

 

「ふん! 頭の悪い妖たちから随分と頼られているようだが、このわしは誤魔化されんぞ!!」 

 

 畑怨霊は少女の『知恵の神』という立場を正しく認識した上で、それを小馬鹿にするように鼻を鳴らす。

 

「邪魔をするというのなら……貴様から喰い殺してくれる!!」

 

 そしてとうとう痺れを切らし、まなと一緒にその少女もまとめて喰い殺そうと飛び掛かる。

 

「駄目っ! 逃げて!!」

 

 まなが少女に逃げるように叫ぶ。

 彼女がどのような立場でここに立っているかは分からないが、少なくとも畑怨霊の狙いはまなだ。猫娘の件もあってか、まなはこれ以上、自分のせいで誰かが傷ついてしまうことを恐れていた。

 

「おっと」

 

 だが少女は逃げない。畑怨霊の噛み付きをひらりと躱し、懐から神社のお守り袋を取り出し、それを大きな口目掛けて投げ入れる。反射的に畑怨霊がそのお守りを噛み砕いた瞬間、口の中一杯に白い粉が広がっていく。

 

「ぶへぇっ!? こ、これは……塩か! ぐぉおおおおおお……!」

 

 お守りの中身が塩だったと察し、畑怨霊は途端に苦しみだす。

 むせ返るような畑怨霊の醜態に、少女は悪戯を成功させた子供のような笑顔を浮かべた。

 

「いかがですか? 古来より塩には不浄なものを清める力があるとされています。勿論、こんなもの通じない怪異は数知れずいますが……貴方には効果的面の筈ですよね、畑怨霊さん?」

 

 少女の言うとおり、塩には厄災を退ける力があるとされ『盛り塩』や『持ち塩』といった手段で人間は不浄から身を守ってきた。一部の妖にもこの塩は有効であり、畑怨霊にもその効果が発揮されたらしく、その勢いを怯ませることに成功する。

 

「なっ! 舐めるなぁぁあああ!!」

 

 しかし、それだけで退治できるほど甘い相手ではない。畑怨霊は苦しみながらも突っ込んでいき——少女の左足に噛り付く。

 

「おっ? おおっと!?」

 

 左足をスッポンのように噛み付かれ、そのまま少女は華奢な体をぶんぶんと振り回される。

 

 すると次の瞬間——がこんと、人体から発せられたとは思えない音を立てながら、少女の左足が——外れた。

 左足と胴体が切り離されたことで、少女の体が勢いよく地面へと投げ出される。

 

「ひぃっ!?」

 

 少女の左足が喰いちぎられ、その身が地面に叩きつけられようとしていることでまなは青ざめる。あわや、頭から地面に激突して大惨事——そう思われたとき。

 何者かが颯爽と駆けつけ、少女の体を受け止めてその危機を救う。

 

「きみっ! 大丈夫か!? まなも!」

「鬼太郎!?」

 

 その場に現れたのはゲゲゲの鬼太郎だった。

 彼はまなの安否を確認しつつ、お姫様抱っこの体勢で抱き抱えることになった少女にも呼び掛ける。左足を失ったことでパニックになってもおかしくない少女だが、ケロリとした表情で彼女は返事をする。

 

「ご心配なく。元から義足なので大した痛手ではありません」

「……! キミは!?」

「お久しぶりですね、ゲゲゲの鬼太郎さん」

 

 少女は鬼太郎のことを知っていたらしく。鬼太郎も見覚えのある少女の容姿と、左足の義足という特徴に彼女の名前を思い出す。

 

「確か……岩永、そう……岩永琴子だったか!?」

「はい、覚えていただいて光栄です。ですが、再会の余韻に浸っている暇はありませんよ」

 

 鬼太郎に岩永と呼ばれた少女。挨拶もそこそこに、二人は畑怨霊の方に向き直る。

 畑怨霊はペッと、岩永の義足を吐き捨てながら血走った眼光を鬼太郎へと向ける。

 

「何をしにきた、鬼太郎! わしの邪魔をするでないわ!!」

「畑怨霊よ! お前こそ何をしておる? 何故今になってまなちゃんを狙う!?」

 

 畑怨霊の言葉に、鬼太郎と共に来た目玉おやじが彼に言い返す。

 

 名無しの起こした騒動の影響で、一時戦争直前までに発展した人間と妖怪の対立。その先頭に立って「人間と戦うべき!」と訴えていたのが畑怨霊だ。彼は元から人を襲うのに抵抗のない妖怪であり、率先して人間と戦う気満々であった。

 だが、一度は目玉おやじの顔を立てると、彼の説得に納得した。あれから対立騒動も一時的に収まり、これといって人間を襲う必要などなくなった筈である。

 

「目玉おやじ……そして鬼太郎よ。お前たちが名無しを倒し、対立を回避したことは認めよう。その功績に免じ、人間たちに制裁を与えるのは暫く先送りにしてやる……だが!」

 

 確かに彼は鬼太郎たちの活躍を認め、渋々ながらも人間相手に矛を収めた。

 しかし、ギョロりと怒り狂った目をまなに向けながら、畑怨霊は己の行動の正当性を主張する。

 

「犬山まな……その小娘の力、決して放置していい代物ではない! 猫娘のときのようにいつ何時、我らに牙を剥くやもしれん! 今のうちに殺してしまうのが得策なのだ!!」

「……っ」

 

 猫娘の名前が持ち出されるたび、まなの表情がビクつき彼女の意識は犯した罪に苛まれる。その罪の元となった『妖怪を消し去る力』に畑怨霊は言及しているのだ。

 猫娘のようにその魂ごと消されてしまうことを、彼はひどく恐れているのだ。

 

「もうよせ、畑怨霊! 今のまなにあんな力はもうない!!」

 

 それに対し、鬼太郎は『もう彼女にはそんな力がない』と反論する。

 

 元々、まなのあの力——『五行の力』は名無しによって植え付けられたものであり、彼女自身にあのような力はない。名無しとの決戦の際、鬼太郎の力を高めるのに用いられ、植え付けられた五行は役目を終えて消滅した。

 今のまなは多少霊感の強い程度のただの少女に過ぎないと、鬼太郎は事情を説明して畑怨霊に止めるように呼び掛ける。

 

「信じられるものか!!」

 

 だが、鬼太郎の言葉を鵜呑みにせず、畑怨霊は食って掛かる。

 あの場に居合わせていなかった彼は、鬼太郎の主張の真偽を確かめる術がないのだ。僅かでも危険性があるというのなら殺すべきだと、彼は疑心暗鬼に囚われる。

 

「もはや問答は無用!! 小娘、覚悟しろぉぉぉぉおおおおおおお!!」

「あ、ああ……」 

 

 業を煮やした畑怨霊は、ついに言葉を交わすことを捨て、物言わぬ化け物として犬山まなに襲い掛かる。

 まなは恐怖からか、それとも罪の意識からか。その場から動けずに固まってしまう。

 

「くそっ! 髪の毛針! 逃げろ、まなぁああああああ!!」

「犬山さん、逃げてください!!」

 

 まなを助けようと髪の毛針を打ち込みながら駆け出す鬼太郎だが、岩永を抱えているためかその動きはワンテンポ遅い。

 これには岩永も慌てた様子で叫ぶも——間に合わない。

 

 

 二人では、畑怨霊の魔の手から犬山まなを救うことができない。

 

 

「……っ!!」

 

 己の『死』を予感したのか、まなは固く目を閉じる。

 そうして、視界からの情報を遮断したまなに何かがぶつかったような感覚がし——

 

 刹那、彼女の聴覚に——ぐちゃりと、肉を喰いちぎる嫌な音が響き渡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………?」

 

 最初、その嫌な音をまなは『自分が喰い殺される音』と認識していた。しかし、自身の意識がはっきりしていることを自覚し、何の痛みも感じないことを不審に思い、恐る恐ると目蓋を開く。

 

「——キミ、大丈夫か?」

 

 視界を開いてまなが最初に見たものは、こちらを覗き込んでいる青年の顔だった。

 どことなくパッとしない平凡な顔つきだが、要所要所がそれなりに整っている顔立ち。草食系という表現が似合う、動物で例えるのなら山羊のような素朴な青年。

 

「あ、ありがとうございま……!?」

 

 彼が助けてくれたのかと、咄嗟に礼を言おうとしたまなの言葉が途中で止まり——彼女は息を呑む。

 

 青年は左手でまなを抱き抱えていたが、その反対——右手の方を喪失していた。

 畑怨霊から庇った際のものなのか——その断面は荒々しく喰いちぎられ、傷口から血が噴水のように吹き出している。

 

「な、何ということじゃ!?」

「九郎先輩!? どうしてこちらに? 待っていてくださいと言ったじゃないですか!」

 

 青年の負傷に目玉おやじが頭を抱える。その青年が岩永の知り合いだったのか、彼女は九郎という彼の名前を叫んでいた。

 不思議と、岩永の方からは焦った空気が伝わってこない。知り合いが右腕を喰いちぎられるという、取り返しのつかない事態に陥りながらも平然としていた。

 それは九郎も同じだ。彼はまるで痛みなど感じていないかのように、無表情な顔付きで岩永の呼びかけに答える。

 

「騒動を聞きつけて来てみたが……いったいこれは何の騒ぎだ? まなとかいう子とは話せたのか?」

「いえ、それはまだです。ちょっとトラブルがありまして。ですが、もう解決してしまったようなものですね……」

 

 岩永と九郎は私的な話をしていた。まだそこに畑怨霊という脅威がいるというのに、何故かもう何もかも終わったような顔で彼という存在を気に掛けていない。

 

「貴様ら、わしを無視するでな……うっ!?」

 

 畑怨霊はそのことが気に入らず、喰いちぎった九郎の腕を咀嚼しながら再び襲い掛かろうと口を大きく開ける。

 

 ところがその直後——畑怨霊は急激に顔色を悪くし、苦しみ悶える。

 その苦しみようは、弱点である塩をかけられた時の比ではなく、顔を真っ青によだれを垂らし、泡を拭いて崩れ落ちていた。

 

「な、なんじゃ、お前はっ!? その悍しい姿はなんじゃああああ!?」

「……?」

 

 青年に庇われたまなには畑怨霊の言っている意味が理解できない。まなの目から九郎というその青年は、ただの人間の男性にしか見えないからだ。

 しかし、畑怨霊には何か違うものが見えているのか。

 彼は苦しみの中にありながらも、少しでも九郎から距離を置こうと後退る。

 

「お、悍しい、恐ろしい!! その小娘といい、お前のような化け物といい……ほんとうに人間は、お、恐ろし——ぐぱっ!!」

 

 次の瞬間、畑怨霊の肉が内側からボコボコと弾け、酸を浴びたかのようにその身が溶けていく。

 

 

 彼は最後の瞬間まで——人間の恐ろしさに怯えながら骨となって朽ち果てていった。

 

 

 

 

 

「あ、あの……右手……」

 

 畑怨霊が謎の死を遂げる中、犬山まなが喪失した九郎の右手に言及する。またも自分のせいで取り返しのつかないことが起きてしまったと、暗い表情で罪悪感に押し潰されそうになる彼女。

 

「ああ、問題ない。気にするな」

 

 しかし彼は特に深刻な様子もなく、冷静に言葉を返す。何故ここまで冷静でいられるのだろうと、まなが疑問を抱いた瞬間だった。

 

 九郎の右腕が——まるでトカゲの尻尾が生え変わるように、瞬時に再生する。

 床に飛び切っていた彼の血液が、逆再生するかのように肉体へと戻っていった。

 

「——なっ!?」

「………」

 

 あまりにも非現実的な光景に、安堵よりも驚きがまさり目を見開くまな。

 九郎はそれをあたり前のように受け入れ、戻った腕の調子を握ったり開いたりして確かめている。

 

「あ、あなたはいったい?」

 

 当然のように浮かび上がる疑問を口に出すまな。

 

「まな……その人間から離れろ」

 

 すると、九郎がその問いに答えるより先に鬼太郎がまなの元に駆け寄り、彼から離れるように警告を促す。鬼太郎にしては珍しく、人間である筈の九郎相手に警戒心を抱いている様子だった。

 

「九郎先輩! いつまで犬山さんとくっ付いているんですか!! 離れてください、これは浮気ですよ!?」

 

 一方の岩永も、別の意味で九郎とまなを引き剥がそうと彼の体を引っ張る。義足を失いながらも、彼女は一本足で器用に立っている。

 

「浮気って……お前、ボクが来ていなかったら、この子はあの妖怪に喰われていたんだぞ?」

「ええ、そうでしょう! それは感謝しています! ですが、それとこれとは別問題です!!」

 

 一応自身の行動の正当性を語る九郎だが、岩永は聞く耳を持たない。二人は恋人同士なのか、和気藹々とじゃれつくように痴話喧嘩を繰り広げている。

 

「……鬼太郎、知り合い?」

 

 とりあえず九郎から離れ、隣に立つ鬼太郎にまなは二人の素性を尋ねる。先ほど、何やら知り合いのような口ぶりで岩永と会話していたのをまなも聞いていた。

 

「ああ……そっちの彼女のことは知っている。彼女の名は岩永琴子。十年ほど前、一部の妖怪たちの手で『知恵の神』になるよう、左足と右眼を奪われた人間の少女だ……」

「!?」

 

 鬼太郎の端的な説明にびっくりと目を見開くまな。だが、鬼太郎の視線は岩永にではなく、もう一人の青年・九郎へと向けられていた。

 

「だが……そっちの彼とは初対面だな。きみは……いや、お前はいったい? 『その体』はいったい何なんだ?」

 

 どうやら鬼太郎にも、畑怨霊と同じものが見えているのか。気味悪そうに彼にその素性を尋ねていた。

 

「……ゲゲゲの鬼太郎。やはり君の目にもボクという存在が異様なものとして映るか?」

 

 九郎は鬼太郎の視線を当然のものとして受け入れていた。彼にとっては、怪異たちに気味悪がれるのが当然のことなのだろう。

 それにより、やや重くなる周囲の空気。しかし、それを取り成すように岩永が皆を制する。

 

「はい! そこまでです。互いに聞きたいこともあるでしょうが、とりあえず場所を移しましょう」

 

 彼女は地面に落ちた義足を拾い上げ、それを器用に自分一人で装着し直す。再び両足で地面に足を付ける彼女は、周囲の目を気にするように声を潜ませる。

 

「先ほどの騒ぎで人が集まってきました。面倒なことになる前に……」

 

 畑怨霊が暴れたことで少なからず辺りに被害も出て、人々も騒ぎ出している。これ以上ここに留まるのは得策ではないと、岩永は病院を後にすることを提案する。

 

「一緒に来てもらえますか? 鬼太郎さん。犬山まなさん。お二人に——是非とも聞きたいことがあります」

 

 そして当初の目的でもあった、犬山まなとの対話に関して話を持ち出してくる。

 

「ぼくたちに?」

「な、何でしょう……話って?」

 

 岩永の話とやらに不審がる鬼太郎とまな。

 戸惑う彼らに、岩永琴子はズバリ『本題』について話を切り出していた。 

 

 

 

 

「『名無し』……そう呼ばれていた怪異の事の顛末に関して。当事者である貴方たちから詳しいお話を聴かせていただきたいのです」

 

 

 

 

 

 




人物紹介
 岩永琴子
  虚構推理の主人公兼ヒロイン。
  怪異からの相談に乗り、揉め事を調停する知恵の神。最初に彼女のことを知ったとき、真っ先に「この子、鬼太郎か?」と思ってしまった。
  相談事の種類・解決の仕方こそ違えど、『人間と妖怪との間に立つ』というスタンスがどことなく似ている両者。
  おそらく、一度くらいは出会っているだろうと、顔見知りの設定にさせていただきました。

 桜川九郎
  化け物もびっくり。とある『化け物』と『化け物』の混ざり物。
  次回以降、それに関しても説明させて頂きます。

 畑怨霊
  鬼太郎側からの登場人物。
  一応、まなを襲う妖怪として登場させ――哀れ九郎の犠牲者となってもらいました。
  ただ、原作の最終回に『自衛隊を喰っている』こいつを見つけて、「やべ! 退場させてしまった!」と話の構成を作ってからちょっと慌てました。
  まあ、別個体という認識でお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

虚構推理 其の②

サラッと新しい話を先頭部分に投稿しましたが、そちらは正直無視してもらっても構いません。


さて、虚構推理編の続きです。
今回は説明パートが多いので、色々とややこしいと思いますが暫しお付き合いください。


 岩永琴子がゲゲゲの鬼太郎に出会ったのは彼女が十一歳のとき。

 

 小学五年生の身でありながらも右眼と左足を奪われ、妖たちから『知恵の神』と敬われるようになって暫く経ってからのことである。

 

 何故彼女が選ばれたのか? それは彼女自身にも未だに分からない。

 だが、岩永は人ならざるものたちに山奥まで連れてこられ『どうか我らの知恵の神になってくださいまし』と懇願された。

  

 知恵の神——それは知能が低く、力や知恵が乏しい妖怪たちが頼るべき存在。自分たちのために争いを仲裁し、便宜を図ってくれる存在である。

 幼かった岩永は彼らの頼みにあまり深く考えず『はい、なりましょう』と答えてしまった。

 

 その返事に妖たちは大層喜び、早速少女を知恵の神とすべく——彼女の右眼をくり抜き、左足を切断した。

 

 それは妖たちにとって大事な儀式であり、ただの人間でしかなかった少女を『神』へと昇華させるために必要な手段であった。

 それにより、岩永琴子は一眼一足の知恵の神の資格を得て、妖たちの相談役と慕われるようになったのである。

 

 岩永のそのような状態に、当然ながら彼女の両親や友人、警察関係者などは戦慄した。十一歳の少女が片目を、片足を奪われ戻ってきたのだ。慌てふためくなと言う方が無理な話だろう。

 しかしながらも、岩永自身はそこまで悲観的になることはなかった。

 多少は不便な体にされたが、それと引き換えに彼女は妖怪を見たり、触れたりといった霊感に目覚めることが出来た。失くした体の代わりに、妖たちが彼女の身の回りの世話をするようにもなった。

 子供ながらに『悪くない交換条件だ』などと、わりと気楽に考えていた。

 

 しかし、そんな彼女の状態に一人の事件関係者が不気味な気配を察知し、妖怪ポストに手紙を入れる。

 怪異の相談事を解決してくれるという——ゲゲゲの鬼太郎に助けを求めたのである。

 

 

『——君が……岩永琴子かい?』

 

 手紙を受け取った鬼太郎が岩永琴子に会いに行ったとき、彼女はまだ病院のベッドにいた。

 そのときの彼女にはまだ義眼や義足がなく、慣れない体に一人では満足に動くこともできない状態であった。そのため、彼女の身の回りの世話を小さな二匹の白黒の狛犬たちが焼いていた。

 他の人間には見えない彼らだが、鬼太郎には一発でバレてしまう。

 

『お前たちが、この子をこんな目に合わせた犯人か?』

 

 鬼太郎は狛犬たちをとっ捕まえ、事の真相を問いただす。

 

『あちゃ~、見つかってしまいましたか……』

 

 これに慌てたのが岩永の方だった。

 彼女は今回の出来事を『よく覚えていない』と、大人たちには全て黙っているつもりだった。言ってもどうせ信じてくれないだろう、悲惨な目にあって頭がおかしくなったと変に同情されるだけだと、子供なりの知能で理解していた。

 だが鬼太郎にそんな嘘が通じる筈もなく、岩永はやむを得ず、自分の身に起こったことを包み隠さず彼に話したのである。

 

『ふ~む、知恵の神への信仰か。わしらには縁のない考え方じゃが……』

 

 話を聞き、鬼太郎の父である目玉おやじが考え込む。

 知恵の神と妖たちは彼女を敬っているようだが、全ての妖怪がその信仰を信じているわけではない。少なくとも、鬼太郎たちの周囲では縁遠い考え方であり、彼らは岩永に『そんな頼みを引き受ける必要はない』と妖たちから距離を取るよう説得した。

 

『はい。ですが、なってしまったものは仕方ありません』

 

 ところがその忠告を受け入れず、岩永は妖たちの知恵の神になることを続ける。岩永としては既に眼と足を奪われているため、今更辞めろと言われても引っ込みがつかないのである。

 

 何より——彼女自身がそれを望まなかった。

 

 彼女は妖怪が見えるようになった、怪異に触れられるようになった新しい世界観に興奮し——その先を見てみたいと思ってしまったのだ。

 妖たちと共に歩く、その先の『未来』を——。

 

『つきましては……若輩者のわたしに色々と教えてもらいたいのですが』

 

 その上で、岩永は鬼太郎に自分を師事してくれるように願い出ていた。

 この時点で、彼女は妖怪の世界についてまだ素人だ。怪異たちと関わる上での心構えや、やってはいけないような決まり事など。知恵の神という立場にふさわしい教養を学ぶ必要があった。

 

『いや……それは……けど、キミは——』

 

 そのお願いを断り、尚も岩永に手を引くよう根気よく説得を続ける鬼太郎。

 

 だが岩永琴子の決意は固く、最終的に鬼太郎はやむを得ず彼女を指導することとなったのである。

 

 

 

 

「——つまるところ、鬼太郎さんは私の師匠とも呼べるような相手でもあります」

「そ、そうなんだ……」

 

 病院の畑怨霊の騒ぎから抜け出し、岩永たちは近くの喫茶店に立ち寄っていた。鬼太郎とまなが隣り合わせに座り、その向かい側に岩永と九郎の二人が対面する形だ。

 そこで岩永は鬼太郎との出会いのきっかけ、自分が知恵の神と呼ばれるようになった経緯を犬山まなに簡潔に説明していた。

 まなは岩永が怪異たちに誘拐され、右眼と左足を奪われた事実を淡々と話す彼女にちょっぴり引いていた。もしも自分が小学生の時にそんな目に遭っていたら、ひょっとしたら妖怪など大っ嫌いになっていたかもしれない。

 にもかかわらず、それでも怪異との繋がりを絶たない岩永に感心するやら呆れるやら。

 

「君には……色々と苦労させられた思い出しかないよ……」

 

 鬼太郎もどこか疲れたようなため息を吐いている。

 彼は岩永に自分たち妖怪との関わり方をレクチャーしつつも、彼女に普通の生活に戻るよう何度も説得を続けていたという。だが、岩永は最後まで首を縦に振らず、数ヶ月後には『知恵の神』として、一人で事件を解決するにまで至っていた。

 その後、鬼太郎と岩永は住んでいた場所も少し距離もあってか、互いの交流は自然と廃れていき——今日、改めて再開することとなった。

 

「ざっと八年ぶりくらいでしょうか? 改めてお久しぶりですね」

「ああ……そうだな」

 

 久しぶりの再会に鬼太郎と岩永の二人は今一度言葉を交わすが、特にそれ以上思い出話に発展することはない。 話を脱線し過ぎないというのもあるが、それ以上に鬼太郎は岩永の隣に座る青年——桜川九郎に目がいっている。

 

「……彼は……君の……恋人なのかい?」

 

 朴念仁な鬼太郎にしては珍しく聡い質問なのは、本当に聞きたいのがそんなことではないからだろう。

 岩永もそのことを察してか、自分の彼氏である桜川九郎という人間の正体を嬉々として語っていく。

 

「はい、その通りです。九郎先輩は私の彼氏で——『人魚』と『件』の混ざり物でもあります!」

 

 

 

 

 混ざり物といっても、桜川九郎という青年は生物学上は通常の人間の範囲だ。父も母も人間だし、彼の先祖にも妖と混じったという者はいない。

 彼が妖と混ざったのは後天的な要素。彼が十一歳のとき、人魚の肉と件の肉を一緒に食べた影響によるものだった。

 

 彼の家系『桜川家』は代々、『妖の肉を喰らうことで人間にその妖の力を宿らせる』という、悪魔めいた実験を繰り返してきた血族だった。その実験で桜川家が特に欲しがった力は予言獣——件の力である。

 件と書いて『くだん』と読むその妖怪は、言ってみれば『未来を予言する』妖怪である。牛の体に人の顔を持つとされるその妖怪は未来を予言することで——生き絶え、死ぬとされる。死の間際に告げられるその予言は100%当たり、絶対に覆ることはない。

 過去、桜川家の当主はその未来を予言する力を欲した。未来を予言すれば今以上の富や力を得ることができるだろうと、件の肉を手に入れるたび、家の者にそれを食わせて件の能力を手に入れようとした。

 

 実験は概ね成功した。何人かの人間は未来を予言し——そして生き絶えた。

 

 未来を予言したところで死んでしまっては意味はない。桜川家の人間は次に『予言したら死ぬ』という課題をクリアするために、人魚の肉を一緒に食わせることを思いついた。

『人魚の肉を食えば不老不死になれる』というのは、日本ではそれなりに有名な伝説である。つまり桜川家は——件と人魚の肉を食うことで『予言して死に、生き返る』『予言して死に、生き返る』ということを繰り返すことのできる『怪物』を自らの手で作り出そうとしたのだ。

 当然ながら、そんな思いつきが簡単に実現するわけがない。二匹の化け物を食らい、無事でいられる適合者などそう都合よく存在しなかった。実験は何十年と続き、発案者である当主が亡くなったことで一度は中止される。

 

 だが、その実験は現代にて再開され——そして実現してしまった。

 

 その実験を成功させた人物こそ、桜川九郎の祖母であり、その適合者こそ桜川九郎だったのだ。

 

 

 

 

「な、なんとおぞましい……傲慢な実験じゃ!」

 

 岩永の口から説明された九郎という青年の境遇に、目玉おやじは恐れ慄く。

 妖怪の肉を食らい、数多くの犠牲者を出してまで未来を予言する力を欲した人間の欲深さに彼は戦慄していた。

 

「そうだ、実に傲慢なことだ。そんな傲慢で愚かな思い上がり……思い通りに行くわけがなかった」

 

 目玉おやじの発言を、他でもない九郎自身が肯定していた。幼い彼は知らず知らずのうちに人魚と件の肉を食らわされており、望まずしてこの力を手に入れたため、桜川家が傲慢であることを否定しなかった。

 そうまでして手に入れた力も、結果的にそこまで万能でなかったことで祖母の試みも失敗であったと愚痴を溢す。

 

「人魚と件の肉を同時に食したためか、ぼくに宿った力はどちらとも中途半端なもので終わったよ」

 

 九郎が言うに、彼の身に発現した力はどちらとも完全なものではなかったという。

 

 人魚を食らいながらも、不死ではあるが不老ではない。

 未来を予言するという件の力も、死ぬことで『起こりうる未来を自分の望むものに決定する』という、予言とは少し違うものであった。

 

「そ、そうなんですか……だから食べられた腕が元に戻ったんですね」

 

 九郎の話で、まなは彼の腕が畑怨霊に喰われても元に戻った理由を理解する。

 岩永の語った実験とやらのおぞましさに彼女も冷や汗をかいていたが、理由を理解することで多少ではあるが九郎に対する恐怖心のようなものが和らいだ気もする。

 人間というものは目の前で起こった事象に理由を付けたがり、その理由が理解できるものであれば安堵感を抱く。

 少なくとも、まなは九郎の腕が元に戻った理由に納得したため、彼と対面していても冷静なままでいられた。しかし——

 

「鬼太郎? さっきからどうしたの? 怖い顔で九郎さんのこと見てるけど……」

 

 まなとは対照的に、鬼太郎は未だに九郎に油断ならない視線を向けている。額に僅かな汗——鬼太郎にしては珍しい、恐怖心のようなものを押し殺しているような表情だ。

 

「……まな、キミには何も感じないのか? あの九郎という青年を見ていて……」

「? 別に普通の人だと思うよ。ちょっとイケメンかもしれないけど……」

 

 鬼太郎の疑問に今一度、桜川九郎という青年を見つめるまな。まなの目に彼は普通の好青年に見えた。先ほど命を助けてもらったこともあり、イケメンと若干好意的にすら見て取れる。

 そんなまなに「ダメですよ! 九郎先輩は私の彼氏です!」と牽制を入れながら、岩永は鬼太郎が怯える理由を説明してくれる。

 

「仕方ありませんよ。私たち人間から見ればイケメンですが、妖怪たちの目に先輩の姿は酷くおぞましいものに見えるそうです」

 

 岩永曰く、妖怪からすると九郎という存在はとても恐ろしいものに映るらしい。人魚と件を食べた影響か、人と魚と牛が混ざったうにゃうにゃした何か。魚臭くて獣臭い、近づくのも憚れるような存在感を常に醸し出しているそうだ。

 おまけに先ほどの畑怨霊の死に様。九郎の肉を口にすれば、それだけで妖怪にとっては害になり得る。

 

「私たち人間からすればエイリアンやプレデターが目の前にいるようなものです。いかに鬼太郎さんといえども、そう簡単に恐怖心を消し去ることはできないでしょう」

「え、エイリアン……」

 

 某有名映画に登場する怪物に例えられ、九郎はちょっぴり涙目でうなだれている。

 右腕を喰いちぎられても平然としていた彼が初めて垣間見せた人間らしい感情に、鬼太郎も少し安堵したのか。

 

「その、済まない……」

「いや、気にするな……もう慣れた」

 

 鬼太郎は九郎を化け物として見ていたことを素直に謝罪。

 九郎も仕方がないことだと、悟ったような表情で目を閉じる。

 

 

 

×

 

 

 

「さて……自己紹介を済ましたところで、そろそろ本題に入らせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

「——っ!」

 

 自分たちが何者なのか明かした岩永は、先ほども話題にした『名無し』の一件。自分たちがここへ来た用件について話を戻す。名無しという言葉が出たことで、鬼太郎とまなが息を呑む。

 

「岩永琴子よ。お前さんは名無しについてどこまで知っておるんじゃ?」

 

 少し緊張気味な二人に代わり、目玉おやじが話のきっかけとして岩永に尋ねる。まずは予備知識として、名無しについて互いに知っている情報をすり合わせなければ纏まる話も纏まらない。

 岩永は僅かに思案した後、少しずつ自身の知り得る限りの情報を開示していく。

 

「そうですね……『名無し』そう呼ばれる正体不明な怪異の存在は化け物たちの間でも、私たち『人間側』にもひっそりと知られてはいました」

「……人間側?」

 

 岩永の言葉に鬼太郎が疑問符を浮かべる。

 名無しという存在が妖怪たちの間で知られていたことは、無論鬼太郎たちも分かっていた。かの者はこれまでも多くの事件の裏で暗躍し、たんたん坊たちを復活させたり、百々爺を利用して鬼太郎を陥れようとした。

 

 しかし——その正体は不明。

 姿を見たことはあっても、名前は無い——だからこそ『名無し』と呼ぶしかなかったのである。

 

 だからこそ、そんな正体不明な存在に人間側にも気付いていた者がいたことに鬼太郎たちは地味に驚く。

 

「ええ、私は『知恵の神』として怪異たちと関わってきましたが、それ以外にも妖怪と関わりを持った立場の人間というものが全国各地に存在します。歴史あるものを挙げるのであれば『安倍家』や『鬼道衆』、神社の巫女やフリーランスの拝み屋……彼らの中にも名無しの存在に勘付いていたものはいます」

 

 昔ほどではないにせよ、そういった超常な力で妖怪を討伐したり、妖怪と人間との間を取り持つ役割を帯びた人間がいるとのこと。

 だが、そんな彼らの力を持ってしても、名無しを討伐することはおろか、その存在を明確に捉えることもできなかったそうだ。

 

「とある拝み屋のお爺さんが言っていました。あれを成仏させるには『その宿命を帯びた人間でなくてならない』と。私はその意味についてずっと考えていたのですが……」

 

 そこまで淀みなく語りながら、岩永は真っ直ぐまなを見つめる。

 

「貴方が……その宿命を帯びた人間だったんですね。犬山まなさん」

「…………」

 

 犬山まなは戸惑わない。既に彼女自身——自分と名無しの宿命について知ってしまったからだ。

 

「今回の騒動が名無しの仕業であり、それが収束するや、かの者の存在がこの世から消滅したことは確認済みです」

 

 鬼太郎とまなが名無しを倒して皆の危機を救った、という大まかな情報は岩永の耳にも届いている。

 

「ですが名無しが何者でどのようにして成仏したのか? 詳しい詳細を知るものは当事者である貴方たちだけです」

 

 だが名無しという怪異がどのようにして消滅にまで至ったのか、詳しいことは誰にも伝わっていない。

 

「もし、差し支えがないようでしたら教えていただきたい。名無しが何者で、何故長い間暗躍していた彼が今になってこのような事態を引き起こすことになったのか? 全ての情報を正確に把握した上で——今後の対応を決めさせてもらいますので」

「……? 今後の対応?」

 

 岩永の言葉にまたも鬼太郎はクエスチョンを浮かべる。

 名無しは既に消滅した。いったいその名無しの話を聞いて、何を決めようというのか。それが鬼太郎にはイマイチ分からなかった。

 

「……わかりました。全てお話しします」

 

 そんな中、まなは岩永の疑問に答えることにした。

 

「わたしも、あの子が何を望んで、何を欲していたのか。出来るだけ多くの人に知ってもらいたいから……」

 

 犬山まなが『あの子』と名無しを呼んだように、彼にも彼なりの事情が存在していた。

 ただの憎むべき敵ではない、恐れるべき正体不明の怪物でもない。

 その事実を一人でも多くの人に知ってもらいたい。

 

 

 犬山まなは『名無し』と呼ばれていた彼の全てを岩永琴子に語っていく。

 

 

 

 

 かつて、人間と妖怪が今よりも近しい時代。人間の女性・ふくと妖怪である鬼の青年の二人が出会う。

 彼らはそうなることが運命であるかのように惹かれ合い、愛し合うようになった。やがて二人は交じり合い、ふくはその男性との子供・半妖の赤ちゃんを身篭ることとなった。

 ふくはたとえ半妖でもその子を慈しみ、出産することを誓って鬼の青年と暮らすことにした。

 

 だが、それを許さぬと。愛し合う二人を責める者たちが現れた。

 ふくと青年の両親——その一族の者たちである。

 

 人間側のふくの父親も、妖怪側である青年の父親も。どちらの勢力も『人と妖が混じり合うのは汚らわしい』と彼女たちを追い立てて——殺してしまった。

 お腹に赤ちゃんを身篭ったまま殺され、打ち捨てられるふくの死体。

 

 その死体の内側から——『名無し』と呼ばれるようになる『闇』が産声を上げたのだ。

 

 

 

 

「……なるほど、名無しの正体は半妖の『水子』だったのですね」

「水子?」

 

 そこまでまなが話したところで、岩永は名無しの正体についてようやく知ることになる。聞き慣れぬ単語にまなが一旦話を止めた。

 

「水子とは死んだ赤ん坊の霊のことじゃ。生後間もなく、あるいは胎児のまま死んだ赤ん坊は水子になって母親や周囲の人間に取り憑くと言われておる」

 

 目玉おやじが水子について説明する。

 彼の言葉通り、水子とは出産されることなく死んでしまった胎児の幽霊だ。医療技術が発展した現代ではそうでもないが、昔は赤ん坊が産まれてもすぐに死んでしまうことが珍しいことではなかった。

 現代では中絶手術などで赤ん坊が水子となってしまうことが間々ある。悲しいことで——決して珍しい事例ではない。

 

「しかし、水子の霊がそこまでの脅威になるとは……失礼、お話を続けてください」

 

 岩永はただの水子がそこまでの闇に成長した事実に純粋に驚く。

 だがすぐに気を取り直し、まなに話の続きを促す。

 

 

 

 

 水子となった名無しは器も持たず、母親の愛情も知らず、人々の悪意と呪詛を糧にすくすくと成長を続けていった。

 誕生してすぐに供養をすればそこまで肥大化することもなかっただろう。だが、その存在を放置され続け、ついに名無しは通常の手段では討伐不可能な怪異にまで昇り詰める。

 全てを憎む彼は——この世の全てを虚無へと誘うため、自身の『器』となるべき存在を待ち続け、そして見つけた。

 

 犬山まな。自身の母であるふくに瓜二つの少女を——。

 

 それが名無しがまなに目を付けた理由だ。彼女はふくの遠い遠い子孫であり、名無しの器となるべき資格を持っていた。名無しはその後一年をかけ、まなに少しづつ五行の力を植え付けていく。

 そしてついに——まなの肉体を器に名無しはこの世に顕現する。巨大な赤ん坊の怪物となり、全てを虚無に引きずり込もうとしたのである。

 

 

 

 

「それがあの姿というわけですね。遠目から拝見させてもらいましたが、確かに凄まじい怨念でした」

「あのときから近くにいたのか、岩永琴子?」

 

 名無しの最終形態・巨大な赤ん坊の姿に岩永が言及したことで、鬼太郎は彼女があの場にいたのかと尋ねる。

 すると、岩永は自身のスマホを操作しながらその質問に答えていた。

 

「はい。実は例の映像……犬山さんが五行の力を発現させる動画を拝見しました。あの動画の真偽を確かめるためにも、犬山さんに会おうと調布市に向かっていたんです」

「——っ!?」

 

 そう言いながら彼女がスマホの画面に表示したのは、とある動画。名無しの策略によって世に流通した『まなが猫娘を消し去ってしまう』その瞬間を映した映像である。

 

「この動画の存在はネットを中心に人々の間で物議を醸しています。ですが、それは人と妖の間を取り持つ『知恵の神』の立場上、決して見過ごして良い内容ではありません」

 

 だからこそ、岩永はまなに会おうと調布市に急いだ。

 たまたま東京を訪れていたため、すぐに駆けつけることこそ出来たものの、名無しの顕現までは阻止できず、遠くから見守っていることしか出来なかったと彼女は語る。

 

「……この話はあとでしましょう。続きをお願いします、犬山さん」

「は、はい」

 

 どうやら、岩永の用件は他にもありそうだということが彼女の言葉からも理解できる。

 しかし、とりあえずは名無しの事の顛末が先だと、戸惑いながらもまなは最後まで語っていく。

 

 

 

 

 名無しに取り込まれたまな。そして、それを救うために鬼太郎は名無しの『内部』へと飛び込んでいった。

 名無しの内部で再開したまなと鬼太郎。紆余曲折ありながらも、二人は『名無しを止めよう』という意思を固める。

 すると、そんな彼らの意思に応えるように——名無しの記憶が二人の中に流れ込んでくる。

 

 それにより、まなは名無しの両親のこと、彼が名を付けられずにこの世に産まれたこと。

 彼が——全てのものを憎んでいることを知った。

 

 全ての真実を知った上で、まなは名無しの本体——黒い真っ黒な塊と接触する。

 

『うぅー、ふーっ! ふーっ!』

 

 こじんまりとした塊であるそれは、怯えた小動物のようにまなたちを威嚇する。

 そんな、駄々をこねる赤ちゃんのような名無しを——まなは優しく抱きしめた。

 

『——生まれてきてくれて、ありがとう……』

 

 誕生を祝福する言葉を送るとともに、まなは名無しの彼に『名前』を付けてやった。

 それがまな——『真名』という名前を授かった、自身の宿命だと知ったからだ。

 

『キャハッ!』

 

 この世に生まれて初めて、憎しみ以外の感情を知った名無し。

 彼は——祝福される喜びを知りながら、両親の霊に見守られ成仏していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「——以上が……わたしが知り得る彼の事の顛末です」

 

 全ての真実を語り終えたまな。話し終えた余韻に浸るかのように静かに目を瞑る。

 その静寂に一同は身を委ね、やがて思い出したように岩永が呟く。

 

「……あの拝み屋の老人の言っていたことの意味がよく分かりました」

 

 岩永が会ったという老人の拝み屋の「名無しを成仏させられるのはその宿命を帯びた人間でなくてはならない」という言葉。

 全ては、犬山まながこの世に生を受けたところから始まっていたのだ。

 

「その宿命を背負っていたのが犬山さん、貴方だった。(まこと)の名と名付けられた貴方が、名を与えられずに彷徨っていた水子に名を授けることで、その子はこの世に本当の意味で生まれ——そして成仏した」

「はい。この真名(まな)という名前も、わたしのひいおばあちゃん……拝み屋だった曽祖母が付けてくれたそうです」

 

 残念ながら、まなが生まれて暫くして亡くなったそうだが、その曽祖母には全てが分かっていたのだろう。

 いつか——その日がやってくることが。

 

「なるほど……わかりました。ならば名無しに関しては、これ以上心配する必要もないということですね」

 

 名無しが本当の意味で成仏できたと確信し、岩永は心配事を一つ片付けることができてホッとする。

 もう二度と暗躍することはないだろう名無しという脅威がなくなったことを確認した上で——彼女は次の問題へと移行する。

 

「ならば目下の課題は……この動画をどうにかすることでしょうね」

 

 そこで再び取り上げられるのが例の動画だ。まなが五行の力で猫娘を魂ごと消し去ってしまう動画。

 

「……っ!」

「…………」

 

 その動画を前にして、まなと鬼太郎の表情が強張る。

 二人からしてみれば、大切な人が死んでいる場面を延々と見せつけられているようなものだ。目を逸らしたくなる気持ちも分かるが、それでも現状を理解してもらうため、岩永はその映像を止めない。

 

「先ほども言いましたが、この動画はネットを中心に熱を帯びた議論が展開されています。マスコミがテレビや新聞、週刊誌で報道したこともあってか、未だにその熱が冷め止む気配がありません」

「…………」

 

 岩永の言葉にまなの表情が今にも泣き出しそうになる。

 彼女は母親が病院に運び込まれた直後、そのマスコミの強引な取材に追われかけた。「あの映像は本物か!?」「母方の血筋によるものか!?」と、無責任なまでに好き勝手なことを報道の自由の元、マスメディアは叫んでいた。

 誰よりもまな自身が、その力に困惑していたというのに。

 

 五行の力が消滅した今でも、まなはマスコミからの取材に追われることがある。街を歩けば通行人が「超能力少女だ!」と無遠慮に指差してくる。

 猫娘を手にかけたことで気を病んでいるのに、さらに容赦なく周囲の環境がまなの精神を疲弊させていた。

 

「この動画についてこれ以上、議論を白熱させることは懸命とは言えません」

 

 一方の岩永も、別の意味でこの動画の存在が注目される危険性を訴える。

 

「これは人間の戦意を高揚させ、妖怪の恐怖心を煽るものです。このまま放置すれば、一度は沈静化した人と妖の対立をぶり返すきっかけになるかもしれません」

 

 あのとき。最終形態の名無しの顕現により、人も妖も関係なく全てが虚無に飲み込まれかけた。

 だが皮肉にも、それによって一度は衝突しかけた人間と妖怪の対立が回避される。名無しという脅威を前に、人も妖も関係なく手を取り合って皆が力を合わせたのである。

 

 人間が妖怪を助け、妖怪が人間を助けて避難を促す。

 それは美しい物語ではあるだろう。だが、危機さえ去ってしまえば——もうそれは過去のものとなる。

 

「一度噴き出した炎というものは中々消えたりはしません。燻る不安や不満がまた火を吹く前に、私はこの事態に対処したいと考えています」

「対処って……いったい、どうするっていうんだ?」

 

 岩永の意見に鬼太郎が疑問を口にする。

 こういったネット関係に疎い鬼太郎は、この動画に関しては完全にお手上げ状態だ。スマホもないため、ネット掲示板の議論というやつにも参加する権利を持ち合わせていない。岩永の言う『対処』の具体的な方法など考えもつかない。

 それは目玉おやじも、現代っ子であるまなですら同じようだ。皆が揃って不安そうな表情で岩永の『解決策』とやらに耳を傾ける。

 

「はい、結論から先に言わせてもらいます。私はこの動画の存在を『完全なでっち上げ』であることを提言するつもりです」

「——!?」

 

 でっち上げという言葉のニュアンスに目を丸くする一同。

 彼らの反応を楽しむように笑みを浮かべる岩永。隣の席では九郎が呆れるようにため息を吐いている。

 

「つきましては……犬山さん」

「は、はい!?」

 

 今一度話を振られ、まなが緊張気味に返事をする。

 そんな彼女に岩永は静かに問い掛ける。

 

「そのために必要なのは正確な情報です。あの動画が撮られた経緯、貴方があの時間、何故あの場所にいたのか? 貴方の母親が何故傷を負わなければならなかったのか? 一つでも多くの正確な情報が必要なのです」

「???」

 

 動画を『偽物』とでっち上げるのに、どうして『真実』ともいうべき正確な情報が必要になるのか?

 そのことがイマイチ把握しきれないまなたちだが、それにも構わず岩永は求める。

 

「犬山さん……思い出すのも辛いと思いますが、教えていただきたい。この世界の秩序を保つためにも——」

 

 

 

×

 

 

 

「岩永……」

「何ですか、九郎先輩?」

 

 まなからひととおりの話を聞き終えた岩永と九郎。鬼太郎たちとも一旦別れ、彼らは仮住まいであるホテルへと向かっていた。道すがら、九郎は岩永にこの一件をどのように解決するか問い掛けていた。

 

「犬山まなの話を聞いて、でっち上げる物語の構成は出来上がったか?」

 

 彼が気にしていたのは今回の事件を解決するための手順だ。あの動画が偽物であることを皆に納得させるほどに魅力的な物語——『合理的な虚構』が仕上がったのか、最後の確認を取る。

 彼氏である九郎の質問に、岩永は笑みを浮かべる。

 

「ええ、犬山さんのおかげで何とか形に成りそうです。あとはこの物語を多くの人たちに認知させ——」

「ボクが『件』の力で、その物語が『信じられる未来』を掴み取ってくる。それでいいんだろ?」

 

 わざわざ岩永が全てを説明する必要もなく、九郎は自身がすべき役割を理解する。

 

 岩永がやろうとしていること。それは——『犬山まなが猫娘を消し去る動画』。それを偽物と認めさせるほどに魅力的な物語をネットで語り、それを真実と信じ込ませて事態を沈静化しようという企みだ。

 それにより、人々の意識を別のベクトルへと向けさせ、ひいては『犬山まなの力そのものが偽物』であることを証明しようとしている。

 

 真実と分かっていながら、嘘を付いて多くの人を騙す。

 人によっては欺瞞と岩永のことを責めるだろうが、この騒動を収めるためにもやるしかない。

 人と妖が衝突する未来を防ぎ秩序を守るためにも。『とある人間』の企みを阻止するためにも——。

 

「ええ、六花さんが動き出す前に片を付けます。あの人が犬山さんの力に目をつける前に……」

「……ああ、そうだな」

 

 それは岩永たち自身の問題。桜川六花との対立にも関係していた。

 

 

 

 

 九郎には従姉に桜川六花(りっか)という女性がいる。彼女は九郎と同じ『人魚』と『件』の肉を食らった過去を持っている。

 九郎は自身の体と能力に折り合いを付けている。不死であること、未来を決定してしまえること。それらを前向きに受け入れて生きていくことを決めた。

 だが六花は違う。彼女は自身の体と能力を受け入れることができず、元の普通の人間に戻るためにありとあらゆる手段を模索している。

 

 そのための手段として、彼女は過去の事件で『想像力の怪物』を生み出した。

 

 想像力の怪物とは——人の想像や妄想が幾重にも重なり合うことで誕生する化け物である。

 人々の噂や願い、こんな怪物を『見た』『聞いた』という人々のイメージが形となり、本当はいない筈なのに存在するようになってしまう怪異。岩永の考察では『口裂け女』や『人面犬』がこれに該当するとか。

 

 現代、特にネットという媒体はこの想像力の怪物を生み出しやすい環境になっている。

 

 今、一時的にとはいえ、ネット住人の目は『犬山まな』という存在に焦点を当てている。この状況を利用し、六花が『件』の能力——『未来決定』の力で、犬山まなを想像力の怪物に仕立て上げようとしているかもしれない。

 岩永たちはそれを危惧していた。

 

 

 

 

「犬山さんのあの力……六花さんの望む『想像力の怪物』の土台として申し分ありません」

 

 六花が最終的に望む想像力の怪物の理想系は——『自身の体を普通に戻せる能力』を持った神様のような存在だ。

 例えば、犬山まなの『妖怪を消し去る力』。あれを『妖怪部分だけを消し去る力』と書き換えるだけで、ひょっとしたら六花の望むような存在を生み出せてしまうかもしれない。

 今のまなは五行の力を既に失っている状態だが、そんなものは関係ない。多くの人が彼女に『力がある』と願えば、それは本当のものとして実現させてしまう。

 それこそが——想像力の怪物だ。

 

「幸いなことに、今回の事件の裏側に六花さんがいる気配はありませんでした」

 

 過去に『鋼人七瀬(こうじんななせ)』という怪物を生み出した際は、最初から最後まで桜川六花が裏で暗躍していた。だが今回の事件の黒幕は名無しだ。

 いかに六花とはいえ、ここから犬山まなを想像力の怪物に仕立てるには相当な時間を必要とするだろう。

 

 そこに——岩永たちの付け入る隙がある。

 

「今夜、仕掛けます」

「大丈夫か?」

「ええ、ここ数日で大枠のエピソードをまとめました。あとはそこに犬山さんから教えていただいた事実をいくつか加えるだけですから」

 

 名無しの騒動が収まって今日に至るまで、岩永はずっと『例の動画が偽物である』という虚構を説明するための物語を練り上げてきた。

 今夜、それを投下することでこの騒動に決着を付ける。

 それが多くの人々に信じられれば六花の企み、人と妖の無用な対立も事前に防ぐことができる。

 

 それに、何より——

 

「何より犬山さん……まなさんにこれ以上、重みを背負わせるわけにはいきませんからね」

 

 神妙な顔つきで呟く岩永琴子。

 今回の名無しの騒動、最初から最後まで岩永たちは役立たずだった。本来であれば自分たちのような『人と妖の秩序を保つ』側の人間がこのような騒ぎになる前にどうにかしなければならなかった。

 それを『名無しを成仏させられる宿命を持つ者はまな一人』と全てを彼女に背負わせ、今もまなは苦しんでいる。

 

「もうすぐ私も二十歳ですからね。大人として、まなさんのお尻を拭って上げなければなりません」

「岩永……もう少し言葉を選んでくれ……」

 

 岩永の言葉遣いに呆れる九郎だが、その通りでもあると同意する。

 子供に全てを任せるようではいけない。大人として、犬山まなの負担を少しでも軽くするため出来ることはしなければならない。

 

 それが犬山まなよりも先に、怪異たちと関わるようになった『先輩』としての矜持なのだ。

 

 

 

×

 

 

 

「父さん、岩永琴子はいったい何を考えているんでしょう?」

「う~む、あの子は昔からよく分からんところがあるからのう」

 

 午後九寺半ごろ。すっかり暗くなったゲゲゲの森のゲゲゲハウスで鬼太郎と目玉おやじが頭を悩ませる。

 久しぶりに遭遇した岩永琴子。彼女は「例の動画が偽物であることをでっち上げる」といい、必要なことだと、まなからあれこれと事情聴取的なものを行っていた。

 岩永の質問に一つ一つ丁寧に答えていくまな。彼女の話を聞き終えた岩永は暫し考え込むや。

 

『——いける』

 

 と、猛禽類の眼光を思わせるように瞳を見開く。

 いったい、岩永にはどのような解決策が見えていたのか。鬼太郎たちには彼女の考えが読めない。

 

「岩永琴子……相変わらず分からない子だ」

 

 彼女は昔からそうだったと、鬼太郎は岩永に師事していた頃のことを思い出す。

 岩永はどこかお嬢様然としているのに、ここぞというところで妙な鋭さと大胆さを見せることがある。鬼太郎はその精神性を危ういものと感じ、何度も『知恵の神など辞めるべき』と説得したが、一向に聞き入れられずに彼女とは疎遠になった。

 岩永琴子と怪異との繋がりを絶てなかった。それは、今でも鬼太郎の後悔の一つとして心の片隅に残っている。

 

「——鬼太郎!! 大変じゃぞ!!」

 

 と、彼女に関して考えていたところへ、またも砂かけババアが鬼太郎の元へ転がり込んでくる。

 昼間とは違い、その懐に一台のノートパソコンを抱え込んでいた。

 

「どうした、砂かけババア? ぱそこん……がどうかしたのか?」

 

 そのノートパソコンを卓の上で広げながら何かしらの操作をする彼女に、鬼太郎は少し困った顔をする。パソコンうんねんは聞かれても自分では答えようがない。出来れば他の人に聞いてもらいたいと思ったが——

 

「これを見てくれ!!」

 

 有無を言わさず、砂かけババアはパソコンの画面を見るように言ってきた。

 言われるまま、画面に目を凝らす鬼太郎。

 

 そこには幾つもの書き込みがなされていた。その内容というのが——

 

 

〈だからさー、やっぱこの犬山まなって子の力は本物だと思うんだよね〉

 

〈こいつのひい婆さんが拝み屋だったんだろ? 血筋的にも説明つくじゃん!〉

 

〈いや、でも超能力少女って……ワード古臭くない?〉

 

〈どっちかっていうと霊能力だろ?〉

 

〈このガキを隔離しろ!! こんなビーム砲、人間に撃たれたら大惨事だぞ!!〉

 

 

「なっ、なんじゃこれは!?」

 

 目玉おやじが瞳を見開く。そこに書かれていたコメントは全て犬山まなに関すること。

 ネット上に拡散された『例の動画』を中心に、彼女の力の真偽を面白おかしく議論し合う、未責任な発言に溢れた掲示板への書き込みだ。

 ただ単純に能力の真偽を問うコメントもあるが、中にはまな自身を攻撃するようなコメントまである。

 

「こいつは数日前から立ち上げられた〈犬山まなの能力について語る〉まとめサイトの書き込みじゃ。名無しの件が片付いても一向に衰える気配を見せん」

 

 砂かけババアが言うには、例の動画が流れてからこういったコメントがネット上に溢れていたという。

 

 

〈こいつの実家、結構歴史ある家らしいよ?〉

 

〈実家って、境港の? 妖怪騒ぎが噂になってたけど〉

 

〈いやそっちじゃない。沢田家っていう地元でも有名な地主だとか〉

 

〈まなちゃん!! もっと妖怪をぶっ殺して俺たちを救ってくれ!!〉

 

 

 今もその熱気は収まる様相を見せず、鬼太郎たちの見ている目の前で次から次へと無責任なコメントが書き連ねられていく。

 

「っ! こいつらっ!!」

 

 鬼太郎が珍しく感情的に拳を握り、怒りを露わにする。

 スマホも持たない鬼太郎には、正直ネットによる誹謗中傷というやつがどういったものか理解しきれていなかった。しかしまなが、大切な友人が顔も分からないような不特定多数の人間に一方的に罵られている光景は、見ていて胸糞の悪くなるものだ。

 まなだって苦しんでいるのに、どうしてこんなことをするのだろうとたまらず叫ぶ。

 

「砂かけババア!! どうにか出来ないのか!? ボクにやれることなら何でもする!!」

「……難しいところじゃろう」

 

 鬼太郎の叫びに、砂かけババアが「う~ん」と唸りながら彼に現実を突きつける。

 

「わしがハッキングすれば一時的にだが閉鎖に追い込むことはできる。じゃが……閉鎖されたところで他のサイトに移ったり、また新しくサイトが立ち上がるだけ……いたちごっこじゃ」

「くっ!」

 

 少しでもネットを知るものなら、砂かけババアのハッキング発言に「できんの!?」とツッコミを入れていただろう。だが、そっち方面に疎い鬼太郎は彼女の言葉にただただ悔しそうに歯を食いしばる。

 

 自分には何も出来ない。

 まなの助けになれないことを鬼太郎は心底悔しがる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——ん? なんじゃ、このコメントは?」

 

 そのとき。ふいに砂かけババアの意識が一つのコメントに向けられる。

 犬山まなに関する無責任な考察や罵詈雑言、個人情報の流出などが無秩序に書き連ねられていく中で、何故かそのコメントから目が離せない。

 まるで——『そうなる未来を決定されているかのように』多くの人々がその文章に注目することとなる。

 

 

〈この動画は偽物であり、その裏には大きな陰謀の影が蠢いている〉

 

 

 

 

 

〈ここに——その陰謀の危険性について警鐘を鳴らすこととする〉

 

 

 

 

 




人物紹介
 桜川六花
  九郎の親戚にして、九郎と同じ『人魚』と『件』の肉を食らってその能力を身に着けた女性。
  一応、虚構推理シリーズの黒幕と呼ぶべき人物ですが、アニメや小説一巻以外の話に目を通していないので、彼女というキャラクターがどういったものかイマイチ把握しきれません。
  あくまで話題だけ。ひょっとしたら裏で暗躍しているかも程度に考えておいてください。

 鋼人七瀬
  一巻のボス。人々の妄想や想像から誕生した想像力の怪物。
  今回の事件の攻略の仕方も、この鋼人七瀬攻略を参考にして考案させてもらいました。
  現時点でいくつかの布石を打っていますが、果たしてこの『推理』が読者に受け入れられるかどうか……それが今から心配です。

 次回で虚構推理とのクロスオーバーを完結させる予定です。
 その後は……そろそろ夏だし、季節ものに挑戦してみようかと思ってます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

虚構推理 其の③

お久しぶりです。今回は色々と言いたことがあるので、前書きに目を通していただきたい。

まずはゲゲゲの鬼太郎『ギャラクシー賞・テレビ部門特別賞』受賞おめでとうございます!
まあ、この賞がどれだけ凄いかとか、自分はイマイチ理解しきれていませんが、アニメでは初めての受賞とのことで『なるほど!』と凄さを何となく実感できる。
しかし、これらは全て六期だけの力ではなく、この五十年間全てのシリーズを通しての受賞だと思いますので、本当にここまで続けて鬼太郎アニメを作り上げてきた全ての人たちに『おめでとう』と『ありがとう』を伝えたいと思います。
重ねてになりますが、本当におめでとうございます!

もう一つはコメント欄の感想について。
活動報告の方でもアップさせてもらいましたが、『鬼太郎とクロスオーバー』をしてもらいたい作品に関して、あまり主張したコメントを書きすぎると運営にコメント自体を消されてしまう可能性があります。
普通に感想やコメントをしてくれるだけで嬉しいので、もしもクロスオーバーして欲しい作品があれば、作者のメッセージボックスに個別で連絡をください。
勿論、全てのリクエストに応えられるわけではないので、そこはご了承を!

さて、ようやく本編に関してです。
今回で『虚構推理』編は完結します。初めて挑戦した推理もの……まあ、虚構推理という作品を真っ当な推理ものと言っていいのかは分かりませんが。
一応、解決パートということで色々と説明させてもらいますが、それが説得力の伴うものなのか。客観的な目線がないため、ちょっと自信が持てない。

この話の流れが良かったどうか。
感想欄のコメントや、お気に入り数の増加、評価ランクなど判断しますので、どうか皆さん、色々と反応をくださると助かります。

前置きが長くなりましたが、虚構推理解決パート……どうか楽しんでください。



〈この動画は偽物であり、その裏には大きな陰謀の影が蠢いている〉

 

〈ここに——その『陰謀』の危険性について警鐘を鳴らすこととする〉

 

 

「……掴みとしてはこんなところでしょうか?」

 

 犬山まなの能力について考察するまとめサイトに、岩永琴子はそのような書き込みを投稿した。

 

 今現在、彼女がいる場所は東京都内、仮住まいのホテルの一室だ。そこを拠点にして彼女と九郎はここ数日、名無しの起こした騒動の後始末『犬山まなが黄金の光を放って猫娘を消し去る動画』が偽物であるという合理的な虚構を組み上げていた。

 昼間に犬山まなからいくつかの情報を補足した上で、岩永は満を持して仕掛ける。まずは自身の推理とも呼ぶべきその考えを多くの人間の目に止まるよう、少し思わせぶりなコメントを匂わせる。

 

 特に注目させるべきは陰謀というワード、すなわち『陰謀論』である。

 

 様々な現象の裏に、それを仕組んだ何者かが存在しているという考え方。

 陳腐とも思われる一方で、一定数の人間がそれを支持し、耳を傾けたがる。『世界は秘密結社によって支配されている』や『アメリカが既に異星人と接触している』などといった眉唾な話など、どうして人はそれを信じたがるのか。

 

 それはそこにロマンがあり、また自分たちの身にかかる不幸をそんな『見えない何者か』のせいにすることができるからだ。行き場のない不満や憤りをぶつける先として、まさに陰謀論は最適な思考パターンである。

 

 しかし、それだけで人々の注目を集めることはできない。

 ここで少しでも多くの人間の目を止まる可能性を確定させるため、九郎の件の力『未来決定能力』が必要となり、そのために——彼には一度死んでもらう必要があった。

 

 今もホテルの部屋に岩永と九郎は二人っきりだ。しかし色っぽいことが起きる雰囲気はなく、そこには桜川九郎の死体があった。自ら首の頸動脈を掻き切った——自殺した九郎の亡骸。

 

「九郎先輩……大丈夫ですか?」

 

 最愛の恋人の死に、岩永はちょっぴりだけ申し訳なさそうな声音を響かせるが、そこに悲しみに暮れる様子はない。何故ならそこは人魚の肉を食らった男、桜川九郎。

 

「ああ……大丈夫だ」

 

 数秒後、何事もなかったように生き返り、再び手に持った果物ナイフを己の首筋に当てる。

 

「九郎先輩! そう何度も何度も死んでもらう必要はありません。タイミングに関してはこちらで指示しますので、休んでいてください」

 

 またも自害しようとする九郎を止め、岩永は彼の能力発動のタイミングを待つように言う。

 

 死ぬたびに起こりうる未来を確定し、そして生き返る九郎の『件』と『人魚』の能力。この能力を用いて、岩永は自身の作戦を確かなものとしているが、さすがに一回で全てが片付くほど簡単な話ではない。

 前回の鋼人七瀬事件の際も、九郎は鉄骨を持った鋼人七瀬に『殺され続ける』ことで未来を岩永の望むように導き、人々にあれの存在を虚構と認めさせた。

 しかし前回のように、明確な敵がいるわけでもない今回の一件。九郎の能力を発動させるためには、彼自身が自ら命を断つしかない。そのため岩永以外誰もいない密室で、彼は自らの頸動脈を何度も斬り付けるというスプラッターな光景を生み出し続ける必要があった。

 

「……紗季さんがいたら卒倒しそうなシチュエーションですね」

 

 九郎のかつての恋人・弓原紗季。彼女は一般的な感性を持っていたため、九郎の体質に拒否感を示してしまい彼と別れることになった。そんな彼女が『自分から死に続ける』という今の九郎の状況を見ていれば、あまりの光景に目を回して倒れていたかもしれない。

 岩永としても、恋人が死に続けるシチュエーションは、あまりいい気分ではない。

 

 だが、九郎は顔色一つ変えず、何の抵抗感もなく自らの命を断つことができる。

 

 彼は桜川家としての実験が成功してすぐ、祖母から『本当に不死身になったか?』『どこまで予言できるか?』など、実際に体を切り刻まれ、何度も何度も致命傷を負わされた。

 その結果、ほとんど痛みを感じない。死への恐怖も全くない感覚を自然と身につけてしまった。

 もっとも、そんな彼だからこそ件の能力を何度も行使することができると、岩永は申し訳ないと思いながらも九郎の力に頼るしかない。

 

「九郎先輩、お願いしますね。なるべく回数は減らしますので……」

 

 岩永はせめて少しでも彼の負担を減らすため、能力行使のタイミングを見定めようとネット掲示板に意識を集中する。

 

「心配するな。お前の望む未来を——ボクは何度でも死んで掴んできてやる」

 

 そんな岩永の気持ちを理解し、九郎は彼女のために何度でも死に続けることを了承する。

 

 

 ホテルの狭い密室で——人知れず二人の男女の戦いが幕を開ける

 

 

 

×

 

 

 

 九郎の能力の影響もあってか、岩永の書き込みにいくつかの反応があった。

 

 

〈はっ? どゆこと〉

 

〈なんだなんだ?〉

 

〈はい出た! いまどき陰謀論かよ〉

 

〈意味不明、草w〉

 

 

 大半は懐疑的、面白おかしく嘲笑うような反応だが、それでも岩永のコメントに対する興味のようなものが発生する。

 彼女はすかさず、キーボードに続きを打ち込んでいった。

 

〈このサイトでもたびたび騒ぎの中心として話題に上がる『犬山まな』という少女。彼女の曽祖母が拝み屋なる職業をしていたことはマスコミにも取り上げられているし、確かな事実ではある〉

〈しかし、だからといって彼女にも特異な能力が引き継がれていると考えるのは安直であり、偶然にその能力が発揮されたなどと、あまりにも都合が良すぎる展開だ〉

 

 長文になりそうなところは改行など、読みやすいように並べて書き込んでいく。

 

〈寧ろ、今回の事件の犯人はそういった犬山家……実際は沢田家の血筋だが、ここでは犬山家と統一する。犬山家の事情を調べ、理解した上でこのような事件を引き起こし、周囲の目を逸らすために利用したと考えられる〉

〈犬山まなの血筋の特異性に目を引かせ、その裏に隠されている真意を覆い隠すためにあのような動画を作り事実をでっち上げたのだ〉

 

 岩永の主張にさらに反応があった。どうゆうことだ? 何が言いたいの? 意味不明?

 反応は人それぞれだが、概ね彼女の話の続きを促す声。その声に応えるため、岩永も続く『物語』の執筆を続けていく。

 

〈まず、ここで考えていきたいのが『あの夜、何故犬山親子があの場にいたのか?』ということである。それを紐解くことで徐々にこの事件の全貌が見えてくる〉

 

 ここで岩永が提示した疑問は犬山まなと純子が何故あの場所——オメガ本社にいたかということだ。

 人々の視線が動画のインパクトに惹かれている中、冷静にその前後関係について洗い出していく。

 

〈犬山純子がオメガ社にいたのは簡単な理由。彼女があの会社で社長秘書をしていたからだ。オメガの社長であるジョン・童なる人物にヘッドハンティングされ、数週間前からあの会社で働いていた〉

〈ちなみにこのジョン・童なる人物。かなり謎めいた経歴を持っているのだが、それに関しては後の方で解説しよう〉

 

 さり気なく、とある人物に対して疑惑を持たせながらも犬山親子の話を続ける。

 

〈そして、犬山まな。純子の娘だが、まだ中学生でしかない彼女が何故オメガ本社にいたかというと〉

 

 岩永は続きをすぐには投稿せず、一旦間を置いた。

 それにより、人々に一定の緊張感を持たせたところで——とある事実を告げていく。

 

〈それは母親のメールで呼ばれたからだ。『オメガの社長が一度彼女に会ってみたい』という呼び出しのメールに応えた結果である〉

 

 

 

 

「彼女だ……岩永琴子だ」

 

 ゲゲゲハウスでノートパソコンから、犬山まなのまとめサイトを閲覧していた鬼太郎たちはその書き込みをリアルタイムで目撃していた。

 ネットの匿名性から最初は誰のコメントか分からなかったものの、鬼太郎はその書き込みの情報からそれが岩永琴子のものだと察する。

 

「うむ、まなちゃんが呼び出された事実を知っているとなると……十中八九彼女じゃろう」

 

 目玉おやじも鬼太郎に同意する。

 昼間、岩永琴子は犬山まなと面会し、あの動画の瞬間の前後関係についていくつか質問しており、その中の一つに『まながあの夜、母親のメールでオメガ社に呼び出された』という事実があった。

 その事実を知っているのは一緒にその話を聞いていた鬼太郎かそのメールを送るように純子を洗脳したジョン・童に扮した名無し。

 あるいは純子の傷害事件を担当した警察関係者などが知っていたかもしれないが、タイミング的にいって間違いなく岩永のコメントだろう。

 

「いったい、何をするつもりなんじゃ、この娘は?」

 

 ノートパソコンの操作を担当しながら、砂かけババアは未だに岩永の真意が読み取れず困惑する。

 彼女がいったい何を目的とし、こんな書き込みをしているのか。

 

 その真意も分からぬまま、妖怪たちは事の成り行きを見守っていく。

 

 

 

 

〈さてこの話。少し妙だとは思わないだろうか?〉

 

 岩永はここで閲覧者に疑問を投げ掛ける。

 

〈何故? 一企業の社長が自分の秘書とはいえ、ただの中学生でしかない犬山まなに会いたいなどと申し出たのだろう?〉

 

 疑惑というほどではないにせよ、それには確かに疑問の余地があった。確かに? なんで? ちょっと気になるかもと、コメントも同意のものが多い。

 ほんの少しの小さな違和感。だが岩永はそこから一つの物語をねじ込んでいく。

 

〈動画配信サイトの運営という、ある種クリエイティブな仕事をしている社長が若い人の意見を聞きたいと。好奇心が働いた可能性もある。だが、状況から見るにそれも考えづらい。実際に呼び出された先で犬山純子は重傷を負わされており、そこへ犬山まなが駆け寄り、あのような動画が撮影されることになったのだ〉

 

 実際、それは名無しの企みである。

 まなの手で猫娘を消させて人間と妖怪の対立を煽るためにも、あのような動画を撮影したわけだが。

 

 だが岩永は——そこに自分好みの『虚構』を積み上げていく。

 

〈おそらく犯人の目的は犬山親子。この二人を害することに意味があったのではないだろうか? そしてその真意を隠すため、あのような動画をでっち上げて世間の目から自身の犯罪を隠蔽しようとしたのだ〉

 

 彼女はあくまで動画が『でっち上げ』であることを前提に話を進めていく。

 

〈真相はこうだ。あの日、犬山まなは母親からのメールでオメガ本社に向かった。親子仲の良かった彼女は特に抵抗感もなく母親の呼び出しに応じただろう〉

 

 メールは名無しが送ったもの。これは真実である。

 

〈犬山まながオメガ社に到着する頃合いを見計らい、犯人は犬山純子を刃物か何かで傷つける。既に他の社員たちも全員定時退社しているため、目撃者など勿論出ないし、犯行自体は監視カメラの死角で行われたことだろう〉

 

 だが、そこからは偽の真実を打ち込んでいく。

 岩永は猫娘ではなく『悪意のある第三者』が犬山純子を傷つけたと主張。

 

〈そして、本社に到着した犬山まな。犯人は予め決めておいた位置に犬山純子を横たわらせ、母の瀕死の姿を娘である彼女に見せつける。母親の容体を心配し、我を忘れてまなが純子の体に縋り付くことは容易に想像できる。そこへ——犯人は姿を現す〉

 

 倒れている母親の近くに急に現れる人物。もしもそんな人物がいれば、誰であれ驚くだろう。

 

〈身元がバレないよう仮面でもして顔を隠せばいい。不気味さも際立ち、怯えたまなはその人物を全力で突き飛ばそうとするだろう〉

 

 実際『いやぁー! 来ないで!!』と言って、犬山まなは猫娘に向かって手を伸ばしていた。

 その対象を、猫娘から謎の人物——純子を傷つけた犯人象に置き換えるだけでいい。

 

〈それを監視カメラの映像に収め、あとは用意していた動画と差し替えればいい。『犬山まなに突き飛ばされる謎の人物』を『犬山まなに突き飛ばされる妖怪』に変更し、何らかの加工を加え、『まるで犬山まなが手から光を放っている』かのように見せかける〉

〈この動画に登場する女性——猫娘が妖怪であることは、過去にゲゲゲの鬼太郎の活躍を生配信した姑獲鳥の事件で結構な人たちに周知の事実として知れ渡っている。人目を惹く素材としては申し分ない〉

 

 動画をでっち上げた過程を説明し、結論へと話を持っていく。

 

〈この動画を世間に流すことで人々は犬山まなの能力の方に目を惹かれ、肝心の純子が重傷を負ったという事実から目を背けさせる。自身が起こした犯罪を、なし崩し的に妖怪のせいにすることでまんまと難を逃れた〉

〈そして、それが可能な犯人像は一人しか当てはまらない。オメガ社まで犬山まなを呼び出し、立場上犬山純子を一人会社に残すことのできる人物。社内の監視カメラを自由に加工し、それを即座にネットにアップすることができた人物〉

 

 

 

〈犯人は——オメガの社長ジョン・童。彼一人しかいない〉

 

 

 

×

 

 

 

「これは……いくら何でも無理がなかろうか?」

 

 岩永の推理は読み込んで数秒、目玉おやじは頭を悩ませる。

 なるほど、彼女の推理は確かに面白い。犬山親子を害し、その罪を妖怪に押し付ける。そのために動画をでっち上げ、犬山まなという人間の特異性を世間に認知させることで『犬山純子の傷害事件』という案件そのものを有耶無耶にする。

 言いたいことは分かるし、しっかりと架空の犯人も名指しした。可能か不可能かと言われればおそらく可能だろう。

 

 問題は——わざわざそこまでする意味があるのかということだ。

 

 ネットの反応も目玉おやじの抱いた疑問に同意するものが多い。

 

 

〈はっ? 何言ってんだこいつ?〉

 

〈単純に殺せば良くない?〉

 

〈犯人頑張りすぎ!!〉

 

 

 と、語り手である岩永を罵倒、嘲笑する意見が多い。

 乱雑に並ぶコメントが多く掲示板に流れていく中——岩永のように長文で反対意見を述べるものが現れる。

 

〈その推理はなかなか面白いと思う。だがその仮説が正しいのであれば、犯人であるジョン・童氏はかなり前から用意周到に準備を重ねていたことになる。予め動画を用意し、それをすぐにネット上にアップする。犬山家の血筋の秘密を利用したというのなら、純子をヘッドハンティングしたのも意図的なものだろう〉

 

 そのコメントに岩永もすぐに答える。

 

〈そのとおり。犯人は犬山家の血筋の秘密を知っていた。こういった動画を流せば、周囲が勝手に盛り上がってくれることも理解していた。そのために犬山純子を社長秘書としてヘッドハンティングした。会社そのものもこの計画のために立ち上げたものかもしれない〉

 

〈だとすれば——ますます理解できない〉

 

 議論という形で白熱する両者。岩永の意見に反対する側は、多くの人たちが抱くであろう問題点を提示する。

 

 

〈そこまでのことをする犯人の『動機』は何だ? そこまでして、いったい犯人側に何の利益があるというのだ?〉

 

 

「確かにそのとおりじゃ。こやつの推理では犯人側の動機をまったく説明出来ておらん」

「…………」

 

 このコメントには岩永を支持したい砂かけババアや鬼太郎でさえも同意せざるを得ない。岩永は犯人側の動きや動画が偽物であることを説明しているが、肝心な動機の部分が抜け落ちている。

 たとえ犯行が可能であっても、それだけのことを仕出かす理由をしっかりと解説できなければ誰も納得しないだろう。

 

〈単純に犬山家に恨みを抱いていたのなら、犬山純子は傷害などでは済まされず殺されていただろう。娘のまなも同様だ〉

 

 反論側は怨恨という可能性を先回りで潰す。

 

〈また、ただ彼女たちを害したいのであればわざわざこんな回りくどい方法をとる必要はない。他にいくらでも簡単な方法がある。それに犬山まなが無傷で、彼女の口から『自分が突き飛ばした筈の犯人』のことが説明されていないことも不可解だ〉

 

 皆が疑問に思っていることを代表した問い掛け。

 まるで『お前にこの疑問点を解消できるのか?』と、岩永を試しているかのようでもある。

 その挑発に応えるかのように、岩永のコメントが再び息を吹き返す。

 

〈犬山純子が殺されなかったのは単純に警察の介入を最小限にしたかったからだ。いかに妖怪のせいにするとはいえ、傷害と殺人では捜査規模も違う。警察もある程度本腰を入れ、捜査のメスをオメガ社に入れることになる〉

〈犬山まなが無事だったのは、あの映像に信憑性を持たせるためだ。彼女が犯人である妖怪を退治したと仮定するのであれば、彼女は『悪しき妖怪を葬った正義のヒロイン』でなくてはならない。そのために犯人も彼女には手を出せなかった〉

〈犬山まなが頑なに事件の真相を語らないのは、おそらく犯人側から脅されている可能性が考えられる。犯人が立ち去り際『余計なことを喋れば、今度こそお前の家族の命はない』とでも脅せば報復を恐れ、彼女は固く口を閉ざすだろう〉

 

「……よくもまあ、こうまでポンポンポンポンと嘘デタラメを並び立てられるもんじゃ!」

 

 淀みなく書き連ねられる岩永のコメントに、目玉おやじは呆れるのを通り越して感心するしかない。

 彼女の言っていることが真っ赤な嘘であることを彼は知っている。にもかかわらず、ここまで堂々とコメントされれば嘘の事実なのに目を離せず読み込んでしまう。

 それだけ、岩永の話はこじつけながらも整合性が取れているように思えてしまうから不思議である。

 ひょっとしたら——これも未来を望む形に選び取るという、桜川九郎の件の能力なのかもしれない。

 

「じゃが……やはり肝心な部分が説明できておらんぞ」

 

 しかし、一番の問題点が未だに解決できていないことに砂かけババアが頭を抱える。

 反論側もそれを理解してか、的確にそこを突いてくる。

 

〈なるほど、確かにそれならばいくつかの疑問を解決できる。しかし、やはり解せないのが『動機』である〉

〈仮に犯人をジョン・童と仮定するならば何故彼が会社を一から起業してまで、あのような動画を作成するまでして、今回のような騒動を起こしたのか? それを説明できない以上、貴方の意見は全て机上の空論に過ぎない〉

 

 過ぎないも何も、岩永の推理は全て嘘で固めたものなのだから動機などあるわけもない。

 だが、動画が偽物であることを証明するためにも、そこの解説は絶対に必要な工程だ。

 

「いったい、どうするつもりだ? 岩永琴子……」

 

 少なくとも鬼太郎には、そんな動機の解説などまったく思いつかない。

 岩永琴子という少女がどこを『着地点』としているのか。その真意を知るためにも、鬼太郎もネットの書き込みを注意深く追っていく。

 

 

 

 

「——予想通りの流れです」

 

 自身の推論が不利となる流れの中、ノートパソコンの前で岩永琴子はほくそ笑む。

 

 彼女も、いかに九郎の力を借りられるとはいえ、これだけの解説で全ての人間を納得させられる合理的な虚構を組み上げられるとは思っていない。当然、口に出さないだけで多くの人間が『動機』の部分に不可解な疑問を抱くであろうと予想できる。

 

 しかし、最初の方に『動画を偽物として加工することが可能であった』という事実を刷り込むことには成功した。岩永としては、そこさえはっきりと印象付けられればそれで良かったのだ。

 

 あとはそれだけの事を仕出かす犯人側の動機を説明することができれば、そこへすんなりと人々の脳内に『ひょっとしたらあの動画は偽物だったかもしれない』という考えが植え付けられる。

 そしてその動機こそ——岩永が冒頭で『陰謀』という言葉を使った理由に直結している。

 

「さあ、ここからが本当の勝負です! 九郎先輩、お願いします!」

「ああ……分かってるさ」

 

 岩永はここを重要な局面として九郎に声を掛ける。

 彼も岩永の合図ひとつで能力を発動できるよう、首筋に果物ナイフを当てて死ぬ準備をしておく。二人の間に緊張や気負い過ぎる心はない。

 

 

 一人なら無理でも、二人なら出来る。

 この真実を虚構によって成り立たせることができると、お互いの力を信じていた——。

 

 

 

×

 

 

 

〈それを説明するには一つ、例として焦点を当てていきたい事件の存在がある。それは——『姑獲鳥による赤子の誘拐事件』だ〉

 

「なに……?」

 

 岩永の推理が突然方向転換したことに、鬼太郎は呆気に取られる。これからジョン・童の動機を説明するにあたり、何故まったく別の事件である姑獲鳥の件を語ろうというのか。

 その事件に当事者として関わったことのある鬼太郎にも、その他の閲覧者にもその流れは予測できなかったのか。

 

 

〈えっ? なに、うぶめ?〉

 

〈なんだよ、説明できずに逃げる気か!?〉

 

〈ど、どうゆうことだってばよ!〉

 

 

 逃げるように話題転換する岩永の書き込みに、避難の声が殺到する。

 だが、一定数は彼女の推理を望むかのように続きを促してくる。その望みに応えるよう岩永も物語を紡いでいく。

 

〈先日、あの動画が撮影されるよりも前に起こった事件だ。知らないもののため、サラッとだが事件の概要を説明しておこう〉

 

 そう言って、まずは姑獲鳥の事件のおさらいをしていく。

 

 姑獲鳥の赤子誘拐事件とは、姑獲鳥という鳥妖怪が人間の赤ちゃんを何人も連れ去ってしまったという事件だ。

 誘拐と言っても、本人に悪気はなかった。姑獲鳥という妖怪の性質上、泣いている赤子を放っておくことができず、その子たちを保護しようと自分の巣穴に連れ帰ってしまったのだ。

 その一件を鬼太郎が解決した。鬼太郎は姑獲鳥を懲らしめ、二度とこのような軽率な行動を取らないよう言い聞かせ、赤ちゃんたちも無事母親の元に返された。

 その様子はネットの生配信で放送されていたため、それに関して知るものは多い。

 

 当然——そのあとで起きた、赤ちゃんが瀕死の重体で運び込まれた件についてもだ。

 

〈ゲゲゲの鬼太郎に諭されたにも関わらず、あの後も姑獲鳥は再び赤子を連れ去ろうとし、その子は重体で今も病院で治療を受けている〉

 

 懲りずに悪行を繰り返し、それにより赤子を衰弱させてしまった。

 その件をきっかけに、人間の妖怪に対する風当たりが強まったと言えるだろう。だが——

 

「違う。あれは姑獲鳥のせいじゃない!」

 

 後の方の事件は姑獲鳥の仕業ではないと、遊び相手をしていた子泣き爺がアリバイを証明しているのだ。

 しかし、それを言ったところで人間は誰も信じてはくれない。妖怪が妖怪を庇っていると、さらに不信感を煽るだけだ。

 

 

〈そうそう、あれは酷かったな~〉

 

〈所詮は妖怪だったてことだよ〉

 

〈妖怪死ね! 許すまじ!!〉

 

〈ほんと、最低だぜ!!〉

 

 

「くっ!!」

 

 この件に関しては大抵の人間が姑獲鳥を非難していた。姑獲鳥が無実と知っているだけに、鬼太郎はそのコメントに反論したくてキーボードに手を伸ばすも、文字の打ち方さえ分からないためそれすらも出来ない。

 普段はあまり気にしたこともないが、こんなとき、この手の機械に疎い自分を思わず恥じてしまう。ノートパソコンの前で項垂れる鬼太郎。目玉おやじや砂かけババアも、同様に手出しできない。

 

 すると、まるで鬼太郎たちの気持ちを代弁するかのように岩永のコメントが投下される。

 

〈だが実のところ、後半の事件は姑獲鳥の仕業ではない。今になって母親の不注意が原因であることが報じられていると、知っている人間がどれだけいることだろう?〉

 

「な、なんだって?」

 

 妖怪側ではなく、人間側からそれが誤りであると。

 姑獲鳥が無実だと反論したものがいたのだと、岩永は訴えていた。

 

 

 

 

「岩永……ここに書かれている情報は確かなのか?」

 

 自殺するタイミングを待ちながら、九郎は自前のスマホを片手にサイトの流れを追っていた。

 岩永が今説明している姑獲鳥が起こしたとされる赤子の衰弱事件。その事件の犯人が姑獲鳥ではなく、母親であると言い出したところでその情報の真偽を問う。

 基本的に事態を収束させるためなら嘘も辞さない岩永だが、その嘘によって罪もない人間が責められ損害を被ることは避けている。

 赤ん坊の衰弱が母親の責任だと信じさせる、そんな未来を確定させる能力の発動を九郎も躊躇っただろう。

 

 しかし——それが本当のことなら話は別だ。

 

「はい、真実です。一部週刊誌でスキャンダル記事がすっぱ抜かれていました」

 

 サイトにその詳細を書き込むと同時に、岩永は九郎に口頭で説明する。

 

 その赤ちゃんの母親が——不倫していたという事実。

 不倫相手と二人っきりで会うために、邪魔な赤子を車に置き去りにしたこと。

 それが結果として、その子が衰弱させる原因になってしまったこと。

 焦った母親が咄嗟に『鳥の羽ばたく音が聞こえた』と供述したことで、タイミング的にも姑獲鳥の犯行が疑われたのだ。

 

「その後も、母親は不倫相手と密会を繰り返しているとのことです。使いの者に確認させましたし、間違いありません」

 

 岩永は週刊ラストウィークという雑誌でその記事を読み、それが本当か浮遊霊に追跡調査を命じていた。

 

 結果は——黒。

 

 母親は間違いなく浮気をしており、そのせいで赤ちゃんが衰弱。姑獲鳥も怒れる人間たちの手で私刑にあった。

 

「不倫は罪です。有罪です、ギルティです!」

 

 それなのに未だ反省した様子もなく、いけしゃあしゃあと不倫相手と密会を続けている母親。

 彼女自身の責任である以上、その事実を利用することに岩永は遠慮などしない。

 

「何だか私怨が混じっているようにも思えるが、そうか……」

 

 そういうことならと、九郎もそれ以上何も言わなかった。

 岩永の意見を多くの人々に信じさせるため、頸動脈を掻っ切り——自害。

 

『赤子の衰弱が母親の責任である』——その事実を多くの人々が信じる未来を件の力で選択した。

 

 

 

 

 不倫という、いかにもなゴシップネタ。元から真実というだけあってか、多くの人間が岩永の主張を信じ込む。

 

 

〈まじかよ……あの母親最低だな!〉

 

〈クズいw〉

 

〈出たよ、妖怪より人間が恐ろしいパターン〉

 

〈けど週間ラストウィークだろ? たかが週刊誌の情報どこまで信用できる?〉

 

〈けどあそこ、たまに的を得た記事書くんだよな……〉

 

 

 中にはその情報の出所を疑うものもいるが、それでも多数派が手のひらを返し、母親を責めていた。

 

〈さて、少し脱線してしまったがどうだろう? この姑獲鳥の事件、今回の犬山純子がジョン・童によって傷を負わされた事件。どこか似通った部分があるのではないだろうか?〉

 

 あくまで——犬山純子の事件がジョン・童の陰謀であると前提を立てた上で岩永は話を進めた。

 赤子の衰弱と、純子の傷害事件。一見するとまったく関わりのない二つの事件をとある共通点で結びつける。

 

〈それは二つの事件とも、人間の犯した犯罪でありながら『罪を妖怪に押し付けている』という点だ。前者は猫娘に、後者は姑獲鳥に。両者共に人間に冤罪を掛けられ、結果として人間側が罰を受けることなく難を逃れている〉

 

 それこそが岩永琴子の言いたかったことである。

 そしてサイトから余計な質問や疑問が出る前に、一連の騒動の核心部分に触れる。

 

〈つまりこのような状況——『人間が犯罪を犯そうと、全て妖怪のせいになる』そのような風潮を世に浸透させるため、ジョン・童は一から起業し、オメガチャンネルなる動画サイトを開口して妖怪の存在を世間に広く認知させたのだ〉

 

 

 

×

 

 

 

「な、なに……」

「ど、どういうことじゃ?」

「……まさか!?」

 

 岩永の推理がいよいよ佳境を迎えようとしていた。

 鬼太郎や砂かけババアは未だに彼女の意図するところが読めずにいたが、目玉おやじ辺りは岩永が最終的に何を言いたいかを察する。

 

 

〈つまり……どういうことだってばよ?〉

 

〈まさか!?〉

 

〈えっ、なに? なんなん?〉

 

〈あ~……はいはい、なるほどね!〉

 

 

 ネットのコメント欄も岩永の言わんとしていることに気づいたものと、気づかぬもので二分される。

 岩永はそれら全ての人々の意思を統一すべく、コメントを発していく。

 

〈そもそもな話。ここ最近になって世間に妖怪などという存在を大体的に認知させたのは誰の仕業だろう?〉

 

 二十一世紀。ここ最近まで妖怪の存在などほとんど信じていなかった現代人たち。

 だが、八百八狸に政権を奪取されるなどの事件を通し、人々は彼らの存在を認識し始めた。最初は懐疑的ながらも、さらに様々な事件を通して徐々に多くの人が彼らの存在を信じ始め——それは姑獲鳥の事件を通して決定的なものとなった。

 

〈姑獲鳥の事件で鬼太郎の活躍を生放送で届けたのはオメガチャンネル。つまり、オメガの公式コンテンツが最初だった。その後もオメガ社は妖怪を捜そうや、妖怪と遊ぼうなどといくつもの動画で呼びかけておき、後々になって妖怪の危険性を訴えるような方向性にシフトした〉

 

 それは確かに真実だ。名無しが人間と妖怪の対立を煽るために立てた策略なのだから。

 岩永は——その事実を利用する。

 

〈オメガはそのような手法を用いて、人間に妖怪の危険性を刷り込んだ。妖怪は危険な存在——彼らは人間を理由もなく傷つける存在、絶対的な『悪』であると〉

〈もしもそんな『悪』なる存在が事件の発生した現場近くにいれば、人々は容易く、彼らに疑いの目を向けることになるだろう〉

 

 事実、赤子を放置した母親の不注意は『鳥の羽ばたく音が聞こえた』の一言で姑獲鳥のせいにされた。

 

〈世間には今、そういった『何でもかんでも妖怪のせいにする』という流れが実際にあるのだ。その風潮、世の中の流れこそ、オメガ社——ジョン・童が一から会社を起業してまで作りたかった流れなのだ〉

〈赤子の衰弱だろうと、傷害事件だろうと……殺人や窃盗、放火や麻薬の売買。それらの犯罪が都合よく怪異の責任へと転嫁できる社会。もしもそんな世界が実現するのなら——それは犯罪を生業とするものにとって、何と都合の良い世界だろうか〉

 

 

 それは——いったい、どんな世界だろう?

 その恐ろしさに人々がぞくりと背筋を震わせたところで、さらに岩永は畳み掛ける。

 

 

〈ジョン・童。最初の方で述べたが、彼はかなり謎めいた人物だ。会社を起業する際も代理人を立て、社員たちにも素性を明かさず、業務内容の指示も全て音声のみで伝えていた〉

 

 これも紛れもない事実、実際にあの会社で働いた社員の供述した内容である。

 怪異である名無しが自らの素性を隠すために行った方法だが、その事実はジョン・童という架空の人物の不信感を募らせる材料となる。

 

〈今のご時世、そういった働き方も珍しくないのかもしれないが、それでもやはり不自然だ。自身の素性を徹底的に隠すかのような立ち振る舞い。まるでやましいことがあると言わんばかりではないか〉

 

 実際にやましいことがあったのだが、そこに岩永は自身の虚構をねじ込んでいく。

 

〈おそらくジョン・童なる人物は架空のキャラクター。オメガ社という『人々に妖怪の危険性を刷り込むツール』を上手いように操作するために用意した張りぼてだ〉

〈その実態は犯罪組織の一員。ヤクザか、マフィアか。反社会的な勢力が自分たちに都合の良い流れを生み出すため、己の犯罪を全て妖怪の責任と押し付けることのできる社会を実現するために行なった、大いなる野望への第一歩だったのだ〉

 

 ここで冒頭に岩永が呟いた『陰謀』というワードが活かされていく。

 犯罪組織たちによる『犯罪を全て妖怪のせいにできる理想社会の建設』という途方もない陰謀論。

 それだけを聴かされれば一笑に伏すような話だが、岩永の説明を聞いた後だと、もしかしたら実現されるかもと危機感を抱かせられる。

 

 

〈うへぇ~、マジかよ!!〉

 

〈ちょっ、ちょっと怖いかも〉

 

〈そ、そんな世界実現するわけないだろ!〉

 

〈いや、あながちあり得んとも言えん……〉

 

〈この流れだとな……〉

 

 

 まとめサイトの住人たちも揺れている。

 自分たちが今直面しようとしている危機を具体的なビジョンにし、それがどれだけ危険なものか。

 それをじっくりと噛み締めさせ——岩永はトドメの一撃をお見舞いする。

 

〈あの動画も、言うなれば実験的なものだ。本当に自分たちの犯罪を妖怪に押し付けることができるかと、犬山親子を使って自分たちの手で実際に犯罪を起こし、そして悠々と誤魔化して見せた〉

 

 つまり——犬山純子の傷害事件に『動機』など初めからなかったのだ。

 傷つける相手など誰でもよく『犯罪そのものを隠蔽できるか?』を実験することこそ目的だったと岩永は主張。

 一番不可解な動機の部分を説明したことで、もはや彼女の意見に大声で反論できるものなどいなかった。

 

〈そして、彼らはあの動画をネットに拡散した。これには二つの効果が期待できる。一つは自分たちの犯行を妖怪の責任に押し付けること。そしてもう一つは——人間と妖怪を徹底的に対立させることだ〉

 

 ここで動画の存在に触れ、どうしてあんな『偽物の動画』が必要だったのか理由を説明する。

 

〈全ての犯罪を妖怪のせいにしたい彼らからすれば、人間と妖怪は憎しみあっているくらいが丁度良い。徹底的に憎み合わせるため、オメガ公認キャラのオメガくんを通し、さらに世論を徹底的に煽った〉

 

 あの動画が流れてすぐ、オメガ社から『オメガくん』というキャラが公式でコメントを流した。

 

『妖怪たちはこの国に災いをもたらそうとしている!』

『妖怪たちの怨念はもう爆発寸前なんだ!』

『百鬼夜行となって怒りや怨念が溢れ出している!』

 

 あのメッセージもジョン・童に扮した名無しの仕業だ。事実なのだから、岩永の推理を補強する材料として有益なものとなる。

 もっとも、岩永はジョン・童の正体を『名無しという怪異』ではなく、あくまで『犯罪組織』ということにして人々に呼びかける。

 

 このまま犯罪者たちの好きにさせていいのかと、彼らの正義感に訴えかけた。

 

〈このまま私たちが何も行動を起こさなければ、彼らのいいように世界は歪められてしまう。良識ある人たちよ。どうか惑わされないでくれ。彼らのいいように事実を歪めさせず、真実を見極める瞳を持つことこそ、この社会を守ることに繋がるのだから〉

 

 

 

 

「なっ!! 何という娘じゃ!!」

 

 真実を歪めている本人が、人々に向かって真実を見極めよと呼び掛ける。岩永琴子という少女の面の皮の厚さに、目玉おやじは呆れずにはいられない。

 もっとも、それは彼が真実を知っているからだ。岩永の組み上げた『合理的な虚構』を真実と受け取った人々からすれば、岩永のコメントは反社会的な勢力から社会を守ろうとする正義の呼び掛けとして伝わっただろう。

 

 

〈おう、任せろ! この国の正義を俺たちが守る!〉

 

〈ジョン・童め、オメェの好きなようにはさせねぇ! 地球はオラが守る!!〉

 

〈ジョン・童って、確か一度もメディアに顔を出したことないんだろ?〉

 

〈何か今も雲隠れしてるらしいよ、オメガ社ももうすぐ潰れるって話だし〉

 

〈用済みだからか……上手いこと逃げやがったな!!〉

 

 

 途中までは岩永の推理に疑心暗鬼していた流れも一気に覆り、今や彼らの噂の矛先はジョン・童という架空の人物へと向けられている。名無しがジョン・童を演じていたのだから、不自然な点があるのは当然だ。

 その不自然さが、岩永の語った虚構に真実味を持たせることになっていた。

 

「な、何なんだこれは? こんなにも……あっさりと覆るものなのか?」

 

 鬼太郎はその流れの変化に困惑する。

 つい先ほどまで、犬山まなの能力に関してあーでもない、こーでもないと話し合っていた人々が岩永の意見を支持し、今度はジョン・童を責めている。

 件の力の影響もあるのだろうが、それにしても見事な手のひら返しに鬼太郎は開いた口が塞がらなかった。

 

「……これがネットの恐ろしいところじゃよ」

 

 一方の砂かけババア。彼女は鬼太郎たちと違って、ネット社会というものに触れているため、この流れの変化が理解できる。

 

 この掲示板は議論の場ではあるが、発言者に何の責任もなければ、それで誰かの人生を左右しているなどという自覚もない。皆が好き勝手なことを主張し、その結果がどうなるかなど深く考えもせずに誰かの意見を支持したり、罵倒したり。

 

 岩永の主張が支持されたのも、彼女の説明にある程度の合理と、ほどよい愉悦が混じっているからだ。

 

 妖怪などという存在よりも、もっと分かりやすい反社会的勢力という『悪』の象徴が提示された。

 人々は『正義』の大義のもとで彼らを糾弾し、自分たちの愉悦感を十分に満たすことができる。

 

 

〈逃げるな、ジョン・童!〉

 

〈出て来い、犯罪者め! お前らの好きにはさせねぇぞ!!〉

 

〈てめぇの犯罪だろ! てめぇで責任とれや、この野郎!!〉

 

 

 犬山まなという何でもない女の子を弄るよりも、よっぽど楽しいのだろう。最初の頃よりも熱のこもったコメントで我先にとジョン・童を始めとする犯罪者たちを糾弾する人々。

 

「恐ろしいものじゃが、今回はそれで助けられたのう……」

 

 それらのコメントを冷たい目で見ながらも、目玉おやじはホッと胸を撫で下ろす。

 少なくとも、これで当初の目的——『動画が偽物』であることを証明し、犬山まなへの疑惑も晴らすことができた。

 

 

 

 全ては岩永琴子の描いたシナリオ——計画通りと彼女はほくそ笑んでいるだろう。

 

 

 

×

 

 

 

『——奥さん! 不倫してたというのは本当ですか!?』

『——鳥の羽ばたきを聞いたってのも嘘だったんでしょ!!』

『——ち、違います! やめて下さい!!』

 

「…………」

 

 記者に追われる女性のニュース映像をスマホで見ながら、岩永琴子は人気のない公園のベンチに座っていた。

 

 昨夜の岩永のネットの主張が反映され、さっそくマスコミ各社が例の母親の近辺を嗅ぎ回り始めた。母親は不倫の事実を否定するも、いずれは根負けしてボロを出すだろう。

 岩永は特に母親のフォローに回る必要性を感じす、そこは放置することに決めていた。

 

「おっと」

 

 待ち人も来たため、彼女はスマホをしまいベンチから立ち上がる。

 

「お待ちしてましたよ、鬼太郎さん、目玉おやじさん」

「…………」

 

 待ち合わせ相手はゲゲゲの鬼太郎と目玉おやじだ。

 彼らと今回の事件の後処理について話し合うため、こうして会談の場を設けていた。

 

「その後の経過はどうですか? 犬山さんの周囲に何か動きがありましたか?」

「うむ、特に問題はない。嗅ぎ回っていた記者の数も減ったようじゃし、畑怨霊のようにまなちゃんを害そうという輩も今のところはおらん」

 

 岩永の質問に目玉おやじが答える。

 岩永のでっち上げた『ジョン・童とその裏に蠢く犯罪組織の仕業説』が世間に浸透したことで、徐々にだが犬山まなへの世間に対する関心は薄れていった。

 マスコミも興味の対象をジョン・童へと切り替え、彼に対する追跡調査を始めている。

 

 しかし、ジョン・童の正体は既にこの世を去った名無しだ。いくら嗅ぎ回ったところで、マスコミ程度ではその真に迫ることはできない。

 

 いずれ騒ぎも収まり、ジョン・童という存在は多くの謎を残して人々の記憶から忘れ去られるだろう。

 その不気味さが、さらに岩永の主張を強固なものとして後押ししてくれる筈だ。

 

「そうですか、それは良かった。あとはほとぼりが冷める頃を見計らって、ネットに拡散した動画を消していきましょう。知り合いに手練れのハッカーがいます。そちらの方も私に任せてください」

 

 騒ぎの直後に動画を消せば不自然さを拭えないが、騒ぎが一段落した後なら動画を消してもそれほど問題にはならない。

 岩永にはそっち方面の知り合いもいるらしく、アフターケアもバッチリだと彼女は笑みを浮かべて見せる。

 

「う、うむ……そうか」

 

 目玉おやじはその笑顔に気圧される。

 今回の事件解決の手段といい、畑怨霊を相手取ったときの大胆さといい。彼女には驚かされてばかりだ。

 

「……岩永琴子」

 

 すると、それまで無言でいた鬼太郎が彼女に話しかける。

 鬼太郎は——どこか不機嫌な表情で岩永と向き合っていた。

 

「今回の君のやり方……ボクは完全に納得できたわけじゃない」

 

 鬼太郎が気にしていたのは、岩永琴子の事件解決の方法である。

 彼女は今回の事件、動画を偽物と人々に信じ込ませるためにネット上で虚構を組み上げ、それを真実だと大声でぶち上げた。どこかの『嘘を毛嫌いする女妖怪』ほどではないにせよ、鬼太郎自身も嘘というものをあまり好いてはいない。

 確かに岩永の方法で事態は沈静化しつつあるが、それにより多くの人々が翻弄されるというのも、あまりいい気分はしないものだ。

 

「けど、助けられたのは事実だ。ありがとう……」

 

 もっとも、彼女によって友達のまなが助けられたのも事実。

 鬼太郎もそこは素直にお礼を言い、その場を立ち去ろうとした。

 

 

 

「——これから先、人間と妖怪はどうなっていくのでしょうか……」

 

 

 

 立ち去る鬼太郎の背中に、岩永にしては少し不安そうな声音で彼に声を掛けた。

 

「…………」

 

 鬼太郎は彼女の言葉にそこで足を止める。

 

「『人間と妖怪は近づきすぎない方がいい』……昔、貴方に教えられたことです。ですが、今やその均衡も崩れ……人々は妖怪の存在を認めるようになりつつあります」

 

 きっかけは、名無しが妖怪の封印を解いたりして、いくつもの事件を引き起こしたところにあるだろう。

 しかし、それ以外のところでも妖怪たちは騒ぎを起こし、人々の目に触れられるようになってきた。

 

「私は……今の状況を快く思っていません。その火消しのため、『秩序』を維持するためなら……いくらでも嘘を吐き続ける覚悟です」

 

 岩永はそういった不用意な人と妖との交わりをよく思っていない。

 知恵の神という立場で、これからも秩序を守るために嘘を吐き続けることを鬼太郎に宣言する。

 

「それでも……いつかこの嘘もバレてしまうでしょう」

 

 だがそれも時間の問題だ。

 いずれ——今以上に人間たちに妖怪の存在が認知され、もう嘘や狂言では誤魔化しきれないところまで行き着くだろう。

 

「そうなったとき……私たちはどうすべきなのでしょう? どうすればいいのか……鬼太郎さんも、今のうちに考えておいた方がいいと思います」

「…………」

「では、失礼します」

 

 そうなったとき、果たして自分たちはどう行動すべきか。

 

 

 結局、その答えを互いに導き出すことなく——鬼太郎と岩永はそれぞれの居場所へと帰っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 岩永と別れてすぐ、その足で鬼太郎は目玉おやじととある場所へと訪れていた。

 

「この岩をどければ、その向こうに黄泉比良坂……地獄へと繋がる道がある」

 

 そこは人気のない森の中、大岩が何かに蓋をするように鎮座している。

 目玉おやじはそれこそが『黄泉比良坂』——日本神話でイザナギがイザナミを取り戻すべく下ったされる黄泉へと続く道であることを語る。

 

 黄泉——すなわち、地獄だ。

 

 彼らは猫娘の魂を現世に呼び戻すため、閻魔大王に直談判するつもりでここを訪れていた。

 それはずっと鬼太郎なりに色々と考えて出した結論。目玉おやじも今更止めるつもりはない。だが——

 

「秩序か……」

「ん? どうかしたか、鬼太郎」

 

 ここに来て、鬼太郎の胸に迷いのようなものが生まれる。

 

「父さん。ボクのやろうとしていることは岩永琴子の言う、秩序とやらに反しているのかもしれません……」

 

 人間と妖怪が近づきすぎないことを『秩序』とする岩永の考え方。それを子供の頃に彼女に教えたのは、他でもない鬼太郎たちだ。

 その鬼太郎が『死者を呼び戻す』という、この世の理に反することを閻魔大王に頼もうとしている。

 このことを岩永が知れば——ひょっとしたら軽蔑するかも知れない。

 

「それでも……ボクは…………」

 

 だが、誰に何と言われようとやはり諦めることはできない。

 たとえ秩序に反しようとも、誰に責められようとも——猫娘の魂を連れ戻す。

 

 そのためなら、自分に差し出せるものを全て差し出すつもりでいた。

 

「……鬼太郎よ、そう気負うな」

 

 息子の覚悟に目玉おやじは優しく呟く。

 

「お前一人が何もかもを背負う必要はないんじゃ」

「…………」

「閻魔大王にはわしの方からも頼んでみる。だから……一緒に行こう!」

「ありがとうございます、父さん……」

 

 父親の後押しもあり、ゲゲゲの鬼太郎は今度こそ覚悟を決める。

 

 あの日、策略によって奪われたものを取り戻すため——

 犬山まなから失われた笑顔を取り戻すためにも——

 

 

 

 鬼太郎と目玉おやじは黄泉へと繋がる道を道なりへと進んでいった。

 

 

 




人物紹介

 弓原紗季
  桜川九郎の元カノ。九郎の体質とか、妖怪とかが基本NGな人。
  岩永とは対照的に長身で綺麗なお姉さんタイプ。
  こんな綺麗なお姉さんに振られた後に、岩永のようなロリ?と付き合うとは。
  九郎くんもなかなか侮れませんな……。

次回予告

「バックベアード不在の中、揺れる西洋妖怪の勢力図。
 関係ない場所で行われる筈の権力闘争の波が日本にも押し寄せる。
 父さん!? あの不気味な笑い声はいったい!?

 次回——ゲゲゲの鬼太郎『魔女と百騎兵』見えない世界の扉が開く」

 前回の後書きで「季節ものやる」と言いましたが、そういえば「まだアニエスを出していない!」ことに気づいたので予定を変更。
 いつか予告していた『魔女と百騎兵』とのクロスを行う予定です。
 さすがに世界観の共有は難しいので、キャラだけ設定、独自設定で行かせてもらいます。
 テーマはズバリ『魔女』。次回はあの魔女の罵詈雑言の嵐が吹き荒れる……。
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔女と百騎兵 其の①

本編の前に一つ連絡事項。
この度、活動報告の方で正式な形で『鬼太郎のクロスオーバー候補の募集』を行うことにしました。提案方法など、そちらの方に掲示しておきますので、詳しくはそちらを参照していただきたい。

さて、今回は魔女と百騎兵とのクロスオーバー。
ですがコメント欄を見ると、わりかし知らない人も多いようなので軽く概要に関して説明させて頂きます。

『魔女と百騎兵』は『深夜廻』と同じ日本一ソフトウェアという会社が出しているゲームタイトル。同社初のフルポリゴンによる3Dアクションゲームです。
原作はイデアという異世界を舞台にしていますが、本作とクロスオーバーさせるため、原作とは違う形でキャラクターの設定を鬼太郎の世界観に合わせています。

所謂、ひとつのパラレルワールドのようなもの。

そのため、原作を知らない人でも十分に楽しめると思います。
原作を知ってる人なら、メタリカの言動や行動に既視感を感じてもらえると思います。

後書きの方でキャラ設定についても解説しますので、よろしくお願いします。



 西洋——大陸のどこかにある巨大な城。

 常に暗雲が立ち込め、決して日の昇ることのない永遠の夜に包まれた空。

 人間はおろか、動物でさえ決して近寄らない。足を踏み入れることのできない怪異たちの支配領域。怪物たちの巣窟、悪鬼羅刹が蠢く伏魔殿。

 

 その城の名は——バックベアード城。

 

 西洋妖怪の一大勢力、バックベアード軍団の根城であるそこは難攻不落の要塞。

 千年前、西洋妖怪の帝王を決める戦争でバックベアードが勝利して以降、かの者はこの場所に君臨し続けていた。

 内部の反乱による脱走騒動こそあったものの、少なくとも外部からの侵略を受けたことなど、ここ数百年では記憶にない。

 

 そんな、名実ともに西洋妖怪の帝王の名を冠する城砦が——

 

 

 

 今まさに——襲撃を受けていた。

 

 

 

「——何事だ!?」

 

 唐突に起こった爆発音。

 悲鳴のようなサイレンに、壁一面に広がる目玉の監視カメラが一斉にその目を見開く。

 雑兵である首無しの騎士たちが右往左往する中、バックベアード軍団・三幹部の一人ヴォルフガングの叱責の声が飛ぶ。

 

 ヴォルフガングは一見するとスーツ姿のただの人間のようにも思えるが、バックベアード軍団きっての武闘派でその正体は狼男である。

 一度変化すれば手が付けられず、彼の機嫌を損ねまいと、首無し騎士の一人が膝をついて今の状況を報告する。

 

「て、敵襲です、ヴォルフガング様!! 城が……敵の攻撃を受けています!!」

「敵襲だと!? 馬鹿なことを言うな!!」

 

 もっとも、どれだけ礼儀正しく報告しようと、内容が内容だけにヴォルフガングは激怒する。

 

「ここをどこだと思っている!? バックベアード城だぞ! 我らが主……西洋妖怪の帝王、バックベアード様の居城だぞ!! 我らが帝王の本拠地が敵の襲撃を許すなど……」

 

 バックベアードに忠誠を捧げる彼にとってその存在は絶対だ。その絶対の主の名を冠する城が敵襲などという事態に慌てふためくなど、決してあってはならない醜態だった。

 

 だが——

 

 

「——キヒーヒッヒッヒ!! な~にが、西洋妖怪の帝王だ! 帝王の治世は既に終わったのだ!!」

 

 

 そんなヴォルフガングの忠誠を嘲笑う、甲高い笑い声が城の上空より響き渡る。

 

「!? この笑い声は……」

 

 どこか聞き覚えのある笑い声に、ヴォルフガングは暗雲立ち込める空を見上げる。

 すると、そこには一人の少女。長い金髪にとんがり帽子を被った『魔女』が城全体を見下すようにホウキの上に佇んでいた。

 

「キヒヒッ!! 久しぶりだな、ヴォルフガング」

「貴様は——沼の魔女・メタリカ!!」

 

 その魔女と面識のあるヴォルフガングは叫ぶ。その少女の名前と、魔女としての二つ名を——。

 

 

 魔女とは、西洋における代表的な妖怪の一種族だ。

 既に離反しているがバックベアードの配下にも、アニエスやアデルといった魔女が仕えていた。そして、魔女には彼女たちの他にも様々な勢力が存在し、元よりその全てをバックベアードが支配下に置いていたわけではない。

 このメタリカという魔女もその一人。

 バックベアードが飼い慣らそうとし、最後まで思い通りに従わなかった尊大な魔女の一人である。

 

 

「貴様っ! バックベアード様の要請にも従わず、今更になって何のようだ!!」

「何のようだとはご挨拶だな~、狼男! 主を失い、しょぼくれた貴様らの情けない面をわざわざ拝みにきてやったんだ。もっと喜べよ、キヒヒ!!」

「な、なんだと!?」

 

 怒れるヴォルフガングの叱責にメタリカは挑発的な言葉を返す。ヴォルフガングはその挑発に何とか言葉を返そうとするも、それが事実なだけあって上手く反論することもできない。

 

 そう、メタリカの言ったとおり。ヴォルフガングたちの主であるバックベアードは今現在動けない状態にある。

 日本でゲゲゲの鬼太郎に敗北し、そのダメージから彼を深い眠りについているのだ。

 

 その話が周辺諸国の西洋妖怪たちに知れ渡り、今や西洋は群雄割拠の時代に突入した。

 いくつもの有力な勢力がバックベアードの居座っていた『帝王』という座を狙い、虎視淡々とチャンスを窺っているような情勢なのだ。

 

「ふん! それで……? 貴様も……バックベアード様の後釜を狙っている身の程知らずというわけか?」

 

 おそらく、このメタリカもその一人だろう。ヴォルフガングは一旦冷静さを取り戻す。

 正直なところ、彼女のような手合い相手にもはやヴォルフガングたちに驚きはない。主の不在を見計らい不穏な動きを取る連中など、これまでどおり始末するだけだと、いつでも飛び掛かれるよう身構える。

 

「キヒヒッ! そのとおりよ!! これからはワタシたち、魔女の時代だ!!」

 

 案の定、不遜にもメタリカはバックベアードに取って代わることを宣言する。

 

「何なら貴様もワタシの配下に加わるか? 貴様らのような負け犬でも、雑用程度には役に立つだろうさ!!」

 

 あまつさえ、彼女はヴォルフガングに向かって自分の配下に加われと大言を吐き捨てる。メタリカのそんな戯言に、もはや我慢の限界を超える。

 

「自惚れるなよ……小娘が!!」

 

 ヴォルフガングは怒りに吠え猛り、全身が真っ赤な毛で覆われた狼男へと変身する。

 さらにそのタイミングで女吸血鬼のカミーラ、フランケンシュタインのヴィクターも姿を現す。

 

「沼の魔女……メタリカ」

「これはこれは……随分と珍しいお客さんだぁ~」

 

 ヴォルフガングと同じ、バックベアード配下の三人衆。軍団最強戦力揃い踏みだ。

 その三人でメタリカを囲みながら、ヴォルフガングは語る。

 

「確かに貴様は優秀な魔女だ。その潜在魔力はあのアニエスにすら匹敵するだろうよ……」

 

 彼らはメタリカという魔女の力を決して侮ってはいない。

 彼女の潜在的な魔力はバックベアードのお気に入りだった魔女アニエスに匹敵し、彼らが世界侵略のために重要視していた計画『ブリガドーン計画』のコアになれるほどの素質を秘めていると、むしろ高評価していた。

 

「あん? 匹敵だと……ふざけたことを吐かすな、この×&%&野郎!!」

「なっ!? なんて品のない女……」

 

 しかし、たとえが悪かったのか。ヴォルフガングの評価にメタリカは放送コードに引っかかるレベルの発言で憤り、同じ女性であるカミーラを引かせる。

 

「ワタシに匹敵する魔女などいるものか!! ワタシこそ唯一にして無二の本物の魔女! 生まれついての大魔女! 最強の魔女、メタリカ様だ!! このワタシに並び立つものなど、この世のどこにも存在せんのだ!!」

「ほざけ!! どれだけ貴様が強かろうとも所詮は『魔女』に過ぎんわ!!」

 

 自身のことを最強と自称するメタリカだが、ヴォルフガングはそれがあくまで魔女としての範疇だと鼻を鳴らす。魔女の魔法は確かに便利な能力ではあるが、その反面——彼女たちは直接的な戦闘力が低い傾向にある。

 

「我ら三人を同時に相手取って、勝てるとでも思っているのか!?」

 

 だからこそ、軍団最強戦力が揃ったこの状況でメタリカに勝ち目などないと。

 ヴォルフガングたちは微塵も自分たちの優位を疑ってはいなかった。

 

「キーヒッヒッヒ!! ワンワン吠えるな、○%&♯×♯の三下共が!! 貴様らなんかにワタシの相手がつとまるもんかよ!!」

 

 ところが、メタリカは余裕の笑みを浮かべながら倫理コード限界の言葉で三人を罵倒し、決して城上空から降りて来ようとはしない。

 まるでそこから見下ろすのが当然とばかりに、彼女は自らの手足になる——『使い魔』へと命令を下した。

 

「貴様らの相手はコイツがしてくれるよ! ワタシが長きにわたる大帝召喚の儀でようやく呼び出した——この『百騎兵』がな!!」

「ば、馬鹿な!? 百騎兵だと? あの伝説の魔神を呼び出したとでも言うのか!?」

 

 メタリカの呼び出そうとしているものの名に、ヴォルフガングを始めとする西洋妖怪たちが戦慄する。

 百騎兵——その恐ろしい魔神の名は、西洋世界で伝説として知れ渡っていたからだ。

 

 古の大魔女ウルカの著書『ドクトリン』曰く、

 

 

『その風貌、怪鳥の如き。身の丈、山の如し。

 

 禍々しい13の眼に、大地を引き裂く4本の剛腕。

 

 颯爽と天翔ける大翼は大気を震わせ。

 

 その唸り声は大地を揺るがす。

 

 口と股間から火を噴く。その数、百体からなる魔人軍団』

 

 

 色々と誇張のある伝承だが、それが『恐ろしいもの』であるというのが、その伝説を知るもの全てに通じる認識だ。メタリカはその伝説の魔神を呼び出し、ヴォルフガングたちと戦わせようというのだ。

 

「さあ! 暗闇の淵より現れ出でるがいい、百騎兵! その醜悪なる姿をコイツらに見せつけてやれ!!」

 

 彼女が号令を掛けるや、ヴォルフガングたちの眼前に黒い穴のようなものが出現。

 その奥から——何かが這い上がってくる気配を感じる。

 

「くっ!?」

「っ……!」

「むむむ……?」

 

 バックベアード軍団三人衆も、そのプレッシャーの前に固唾を呑む。

 今まさに、この場に出現しようとする伝説の魔神相手に彼らも厳戒態勢で身構える。

 

 そんな——いつ破裂してもおかしくない緊張感の中、ついに満を持して百騎兵がその姿を現世へと現した。

 

 

 

『——わきゅ!!』

 

 

 なんとも間の抜けた、愛らしい?とも呼べる鳴き声と共に——。

 

 

 

×

 

 

 

「……平和ですね、父さん」

「ああ、そうじゃな……」

 

 ゲゲゲの森の昼下がり。特に事件もなく、平和な日常を謳歌していた鬼太郎親子はすっかりダラけきっていた。鬼太郎は眠そうな目で机に突っ伏し、目玉おやじが茶碗風呂に浸っている。

 

「ちょっとアンタたち、もっとシャキッとしなさいよ……」

 

 その様子を、いつものようにゲゲゲハウスを訪れていた猫娘が呆れ気味に見ている。怠け者の男たちをしっかり者の女性として説教していた。

 

「いいじゃないか。ついこの間まで、ずっと気を張り詰めていたんだから……」

 

 しかし、猫娘の小言に鬼太郎はダラけたまま笑みを浮かべる。

 例の騒動——地獄の一件がようやく片付いた彼としては、久しぶりに穏やかな時間を迎えられ、心の底から安堵していた。

 

 

 そう、つい先日まで鬼太郎には常に『地獄の四将の魂を回収しなければならない』というプレッシャーが付きまとっていた。

 全ては閻魔大王との約束。猫娘の魂を取り戻すため、自分が地獄に繋がれるかもしれないのに交わした密約によるもの。

 結局、一人で全てを抱え込もうとしたことが猫娘にバレて平手打ちを食らうことになったが、なんとか最後の四将である九尾の狐を倒し、閻魔大王との契約を全て完了することができた。

 

 

「君が戻ってきて、本当に良かったよ……猫娘」

 

 以前のような平和な日常を取り戻し、鬼太郎は本当にホッとしていた。

 

「!! べ、別に……そんなの、今更言葉にするようなことでもないでしょ!」

 

 そんなことを鬼太郎に言われたもんだから、猫娘はニヤケそうになるの必死に堪える。色々あったが猫娘自身も今回の一件、鬼太郎がそうまでして自分を取り戻そうとしてくれたことが、本当に嬉しかった。

 

「あ、あのね……鬼太郎! これから私と……!!」

 

 その嬉しさから、勢いのまま鬼太郎をデートにでも誘おうと、猫娘が珍しく前のめりに声を掛ける。

 いつもなら恥ずかしさから伝えられない気持ちを、ひょっとしたら打ち明けることができるかと勇気を振り絞る。

 

「——鬼太郎よ、ちょっといいかのう?」

「うっ……」

 

 だがそんな猫娘の淡い期待を、砂かけババアの来客が封じ込める。さすがに人目が複数あるところで、彼をデートには誘いにくい。

 こうして、猫娘の恋路はまたも進展しないまま、話は別の方向へとシフトすることとなった。

 

「アニエスから緊急連絡じゃ。鬼太郎に伝えたいことがあるとか……」

 

 

 

 

「——沼の魔女……メタリカ?」

『ええ、そうよ』

 

 ゲゲゲハウスを出た鬼太郎たち。彼らは砂かけババアの砂通信で西洋の友人・アニエスと連絡を取っていた。

 

 この砂通信——言ってみれば、ビデオ通話アプリのようなものだ。

 砂かけババアの砂が遠方にいる人物の映像を実体化させ、あたかも目の前にいるかのような臨場感で会話することができる。ホログラム映像のようでもあるが、効果時間が短いのが欠点。

 アニエスはその短い通信時間で伝えるべき情報を伝えようと、要点を掻い摘んで話を進めていく。

 

『メタリカ……ワタシと同年代の魔女なんだけど、そいつが貴方の首を狙ってるの。だから気を付けてって伝えなきゃと思って……』

「どうして、その魔女がボクを?」

 

 鬼太郎はそのメタリカという魔女に全く心当たりがない。だからアニエスの話にもピンと来ず、どうして自分が狙われているのかと首を傾げる。

 

『どうしてって……貴方はあのバックベアードを倒したのよ!? 西洋妖怪の連中にとって貴方は忌々しい敵であると同時に、自身の力と権威を知らしめる打ってつけの『材料』なのよ!」

 

 アニエスが言うには鬼太郎、彼がバックベアードを倒した影響により、西洋では現在『熾烈な勢力争い』が行われているとのこと。

 バックベアードという、強大な影響力持っていた権力者の不在により、次なる『帝王』の座を狙って多くの有力妖怪たちが水面下で動いているというのだ。

 

 アニエスはそんな地位になど興味がないため、姉であるアデルと権力闘争とは離れた平穏な日々を過ごしている。だが、血気盛んな西洋妖怪の中にはその地位を得ようと暗躍し『自分がバックベアードよりも強い』ことを知らしめるため、その帝王を退けた鬼太郎を倒してやろうと画策しているものもいるというのだ。

 

 以前も、それで吸血鬼エリートや吸血鬼ラ・セーヌが日本を訪れ、それぞれ鬼太郎を苦しめた。

 辛くも彼らを撃退したことで、鬼太郎を狙おうという輩もなりを潜めたのだが——

 

 そんな中、堂々と名乗りを上げたのがメタリカという魔女であった。

 

『アイツはバックベアード城を急襲してヴォルフガングたちと交戦したらしいわ。その時は……どうやら決着がつかずに、メタリカの方から手を引いたらしいけど……』

「あの狼男と…… !」

 

 ヴォルフガングと戦ったことのある猫娘が顔を顰める。

 彼に散々苦しめられた苦い記憶がある彼女としては、少なくともアレと互角に戦えるメタリカという魔女の実力に渋い顔をするしかない。

 

『直接バックベアード城を占拠することに失敗したメタリカだけど、今度はアナタを狙って日本に向かったらしいの。ワタシも今からそっちに行くから、あまり無茶はしないで、鬼太郎……』

 

 そう言い残すと砂通信の時間切れか、アニエスの映像が途切れて彼女はただの砂へと戻っていく。

 

 

 

 

「……どう思いますか、父さん?」

 

 アニエスとの通信を終え、鬼太郎は先ほどの話の内容に関して目玉おやじの意見を尋ねる。

 

「う~む、沼の魔女メタリカか……地獄の一件が片付いたと思ったら、今度はまたも西洋妖怪……前途多難じゃな」

 

 地獄の騒動がようやく収まったところでの西洋妖怪の再びの襲来。いざこざの絶えない昨今の情勢に、さすがの目玉おやじも困惑を隠しきれない。

 

「ほんと……迷惑な話よね」

 

 猫娘もウンザリした溜息を吐いていた。西洋の権力抗争など、正直勝手にやってくれと思わずにはいられない。

 

「とりあえず、皆に声を掛けておこうかのう」

 

 砂かけババアはゲゲゲの森の住人たちに呼びかけを行うことにした。

 メタリカという魔女がいつやってきても対抗できるよう、皆に警戒を促そうとしていた。

 

 だが、そんなことを考えている間にも——既に侵略者の魔の手はすぐそこまで迫る。

 突然の雷鳴が森中に響いたことで、それを実感として彼らは思い知ることとなる。

 

「! なんて強い妖気だ……父さん!?」

「まさか、もう来おったのか!?」

 

 鬼太郎の妖怪アンテナにも反応があった。

 強い妖気、タイミング的にも彼女——沼の魔女・メタリカだと予測し、鬼太郎たちは急いで騒ぎのあった方向へと駆け出していく。

 

 

 

×

 

 

 

「——キヒーヒッヒッヒ!! 踊れ踊れ! 死ぬまで踊り続けろ! カスどもがっ!!」

 

 嫌な予感は的中した。そこには高笑いしながら森を焼き払う邪悪な魔女・メタリカの姿があった。そして煌々と燃え盛る炎を前に、悲鳴をあげて逃げ惑う日本妖怪たち。

 

「うグァああ……おのれぇぇぇぇ!!」

 

 大事な森を傷つけられたことで、そこを住処とする山爺が巨大化して襲い掛かる。

 

 彼は以前も森で禁忌を犯した子供相手に怒り狂い、鬼太郎たちを大分苦戦させていた。その時はなんとか怒りを鎮めてもらい事なきを得たが、今度は森を直接焼き払われている。

 去年もバックベアード軍団に森を汚された。彼の堪忍袋の緒が切れるのも当然だろう、だが——

 

 

「——消えろ、木偶の坊」

 

 

 メタリカはあっさりと言い放ち、その強大な魔力の炎で山爺を燃やし尽くす。

 

「ぐわぁぁっつ!? こ、小娘がぁぁぁあああ!?」

 

 彼の力を持ってしてもメタリカに一矢報いることができず、その肉体は抹殺されてしまう。

 

「や、山爺!?」

「なんということじゃ!!」

 

 山爺の魂が何処ぞへと飛び去ってしまう光景を見送りながら、その場に遅れてやってきた鬼太郎、目玉おやじ、猫娘、砂かけババア。

 

「あん? キヒヒッ! 来たか!」

 

 ようやく現れたお目当の相手を前に、メタリカが不気味な笑い声を森中に響かせる。その笑い声と騒動を聞きつけ、他の仲間たちも現場へと駆けつけてくる。

 

「な、なんじゃ、なんじゃ!?」

「何事とね~?」

「ぬりかべ……」

 

 子泣き爺、一反木綿、ぬりかべ。

 

「ああん? うるせぇな~何の騒ぎだよ、こりゃ?」

 

 ついでにねずみ男も顔を出す。その辺で昼寝でもしていたのか、状況がさっぱり呑みこめずに眠気眼を擦っていた。

 

「お前が、沼の魔女メタリカか!」

 

 長い金髪に見るからに魔女といわんばかりのとんがり帽子。鬼太郎は彼女がアニエスの言っていたメタリカであると察して声を掛ける。

 初対面の鬼太郎に自身の名前を呼ばれ、一瞬不思議そうな顔を浮かべるメタリカだったが、すぐにそれが誰の仕業か理解して不敵な笑みを浮かべる。

 

「キーヒッヒッヒ!! 何だ、アニエスにでも聞いたのか!? そうさ! ワタシこそが偉大なる最強の魔女! メタリカ様だ!! ソイソース臭い島国の田舎妖怪どもがっ!! 頭を垂れて感涙に咽び泣け! このワタシの威光を前に跪くがいい!!」

「な、何なのよ……こいつ!!」

 

 いきなり現れては森を焼き払い、山爺を殺した。鬼太郎たちに頭を下げろと、厚顔不遜に吐き捨てるメタリカの尊大さに呆れる猫娘。

 こいつ相手に話し合いは無理だろうと、爪を伸ばして先手必勝で飛び掛かろうとする彼女だが、それを鬼太郎が制して彼はメタリカの説得を試みる。

 

「メタリカ……ボクの首が欲しいという話だが、そんなものに大した価値があるとも思えない。この場は……大人しく引く気はないか?」

 

 自分の活躍に自覚のない鬼太郎は『自分を倒して実績にする』という、西洋妖怪たちの考えを理解できない。出来れば無用な争いもしたくないと、あくまでメタリカに戦いを止めるように提案する。

 森や山爺を焼き払われたことは悔しいが、それでも彼の魂は無事だった。

 今ならまだ引き返せると、メタリカに忠告を入れる。

 

「ほざけっ!! ゲゲゲの鬼太郎!!」

 

 しかし、メタリカはその提案を突っぱねる。

 

「西洋世界にワタシの名を轟かせるのには、やはり貴様の首を持ち帰るのが一番効果的なんだよ。未だにバックベアードに尻尾を振る連中も、そうすれば認めざるを得まいよ。このワタシの実力を! 偉大さをなっ!!」

「……どうしてもやるつもりか?」

「くどいぞ、チビガキ!! これ以上ぐだぐだ文句を垂れるなら、切り落とした生首を塩漬けにするだけではない! お前の貧弱な『アレ』の皮ひん剥いて、ネズミの帽子にでもしてしまうぞ!!」

「なっ!? な、な、な、な、何言ってんのよ、この馬鹿!!」

 

 メタリカの罵詈雑言、鬼太郎の『アレ』とやらを想像して真っ赤になる猫娘。

 彼女以外の仲間たちも鬼太郎の『アレ』……もとい鬼太郎の身を守ろうと、メタリカの前に立ち塞がる。

 

「はっ! ようやくその気になったか!! いいだろう、貴様らまとめて相手をしてやる!」

 

 自分に楯突こうとする日本妖怪にメタリカは好戦的な笑みを浮かべた。

 鬼太郎のみならず、立ち塞がる全てをなぎ払おうと——彼女は自身の使い魔に呼び掛ける。

 

「来い、百騎兵!! バックベアード城のときのような無様は許さんぞ!! お前の力……お前が真に伝説の魔神であることを、コイツらの屍を築くことで証明してみせろ!!」

「百騎兵……?」

 

 ヴォルフガングたちとは違い、百騎兵の伝説を知らない鬼太郎たちは首を傾げる。

 いったいメタリカが何を呼び出そうとしているのか、何一つ検討も付かない。

 

 だが——彼女の言葉と共に出現した黒い穴。そこから這い出そうとしているものの気配に鬼太郎の背筋が凍る。

 

「鬼太郎っ!?」

「っ……何か、いる!?」

 

 彼以外も、その場にいる全てのものが底知れぬプレッシャーを感じとった。

 穴の中から顔を出そうとしている、その百騎兵なるものに——。

 

「——っ指鉄砲!!」

 

 そのプレッシャーを理屈抜きで不味いと感じ取った鬼太郎。咄嗟に指鉄砲を放ち、先制攻撃を喰らわす。穴に向かって放たれる鬼太郎の妖気弾。

 しかし、モクモクと煙が上がるだけで鬼太郎の指鉄砲は不発に終わる。

 

「キッーヒッヒッヒ!! 不意打ちとはやるじゃないか……だが、その程度でワタシの百騎兵はやられはせん!!」

「……くっ!!」

「さあ、百騎兵よ! そいつの首をはねて、臓物をぶち撒いてやれ!!」

 

 メタリカの号令に、ついに煙が晴れて百騎兵が姿を現す。

 その威圧感に相応しい、悍ましくも恐ろしい姿を想像する一同。

 

 しかし——

 

 

『わきゅっ!!』

「…………はっ?」

 

 

 小動物のような鳴き声を上げながら登場した『それ』に、思わず呆気にとられて硬直する鬼太郎たち。

 想像していたのとは大分違う、その百騎兵の姿は——随分と可愛らしい?見た目をしていた。

 

 まず身長が低い。人間の子供ほどの鬼太郎の背丈よりもさらに低い、チンチクリな黒い塊らしきもの。

 一応人型っぽいが、その体型もアンバランスだ。胴体を中心に腕が太くて短く、足も小さく短い。兜を被った頭でっかちの頭部には、トーチのように青い炎が灯っている。

 目力もなく、キョトンと鬼太郎たちを見つめる瞳には今ひとつ迫力が感じられない。

 

『もきゅ~……?』

「……なに、これ?」

 

 そんなヘンテコの謎生物が勿体ぶって現れたもんだから、一同は拍子抜けして肩の力を抜いてしまう。

 

「……ケッ! なんでぇい、なんでぇい!? ビビらせやがって!!」

 

 特にねずみ男がそんな百騎兵を舐めくさり、無用心に近づいては汚らしい足でその兜を踏みつける。とてつもなく横柄な態度で、百騎兵などという大仰な名前のそれをイジリ倒す。

 

「ほれほれ! なにが百騎だよ。一匹しか出てこねえじゃなぇか、ほれほれ!!」

『……ぐルゥぅ~!!』

 

 そんなねずみ男に、明らかに『怒る』というリアクションを見せる百騎兵。

 

『うキャァッ!!』

 

 次の瞬間にも、犬のような唸り声を上げてねずみ男に襲い掛かっていた。

 

 

 そして————

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところ変わり、ここはバックベアード城。

 メタリカの襲撃から一夜明けてなお、城の中では兵士たちが慌ただしく走り回り、未だに緊張感を漂わせていた。

 

「急げっ!! またいつあの女の襲撃があるかも分からんのだぞ!!」

 

 そのメタリカが、今は日本へ向かったことをまだ知らないのか。ヴォルガングは再度の敵襲に備えて部下たちに指示を飛ばしていた。壊れた城壁の修復、警備兵の配置など、やることは山積みだった。

 

「ヴォルフガング、あの百騎兵についてアンタどう思う?」

 

 兵士たちを監督しているヴォルフガングに同僚であるカミーラが声を掛ける。

 先の戦い、あの忌まわしい魔女メタリカと——伝説の魔神の名を冠する、あの不思議な生物に対する意見を求めていた。

 

「そうだな……最初、奴が百騎兵と名乗ったときは何の冗談かと思ったが……」

 

 ヴォルフガングたちもあの不思議な生物が登場した際はその見た目から侮り、メタリカの言葉を全く真に受けなかった。あんな、チンチクリンな怪生物が伝説の魔神などと、どうして信じることが出来ようか。

 

「だが……認めざるを得んだろうさ」

 

 だが、実際に戦ったことでその考えが甘かったことを実感させられてる。ヴォルフガングは周囲の景観、城の被害を見渡しながら呟く。

 

 バックベアード城の被害は甚大だった。

 メタリカと百騎兵の戦いの余波で城壁がところどころ破壊され、巻き添えをくらった首なし騎士たちの残骸がいたるところに転がっている。最終的に追い払えたからこそ良かったものの、果たしてこれを勝利と呼べるのであろうか。

 

 なにせ——転がっている重傷者の中には、あのフランケンシュタインとしての本性を発揮したヴィクターの姿もあったのだから。

 

『う、うぐぁぁぁ……』

 

 辛うじて息はあるものの、起き上がる気配もなく呻き声を上げる図体がデカイままのヴィクター・フランケンシュタイン。

 同じ幹部として、それを無様などと——ヴォルフガングたちは笑うこともできない。

 

「それにして恐るべき奴だ、百騎兵。途中からメタリカの援護があったとはいえ……」

 

 三人の幹部がアレと戦い、その力の程を——嫌というほど思い知らされることになったのだから。

 

 

「まさか我ら三人を、同時に相手取るとは……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 再びゲゲゲの森。

 

「——へっ?」

 

 百騎兵相手に、ねずみ男は完全に油断していた。

 こんなチビ助に自分を害することができるわけないと、まったく予想していなかったのだ。

 

 その百騎兵が、自分の腕を巨大化させて殴り掛かってくるなどと——。

 自身の身長に匹敵するその拳をハンマーのように叩きつけられるなど、微塵も考えていなかった。

 

「おわぁぁぁぁぁっ!?」

 

 結果、ねずみ男は無防備のまま殴り飛ばされ、そのまま岩盤に叩きつけられる。

 

「ね、ねずみ男!? 大丈夫か!!」

「は、はひぃ~ほれほれ……」

 

 景気よく吹っ飛んだねずみ男に鬼太郎が叫ぶ。

 彼の体は半身が岩盤に埋まるような状態だが、生きてはいるのか返事はする。さすがにしぶとい。

 

『う~、うきゃぁぁぁぁっ!!』

 

 しかし今の一撃を皮切りに、いよいよ百騎兵が本格的にその牙を剥く。

 威嚇するような唸り声を上げ、とぼけた瞳がギラリと吊り上がる。頭部の青い炎が激しく燃え上がり、その身に溜め込まれた妖力が爆発的に高まっていくのが誰の目から見ても明らかだった。

 

「キーヒッヒッヒ!! 馬鹿めっ! 百騎兵をただの使い魔だと思うなよ! それを使役するこのワタシをただの魔女だと思うなよ!!」

 

 メタリカは無様を晒したねずみ男を嘲笑いながら、彼女自身も魔力を漲らせて戦闘態勢に移行し始める。

 

「さあ! いくぞ、百騎兵!! 今度は最初からワタシが手を貸してやる。ワタシとお前との共同作業だ!」

『わきゅっ!!』 

 

 メタリカとその使い魔——魔女と百騎兵の二人、ついに鬼太郎たち全員を相手取るべく動き出す。

 

「!! みんな、気を付けろ! こいつはっ!?」

「————!!」

 

 メタリカたちの圧力を前に、鬼太郎も仲間たちと共に迎え撃つ態勢を整えた。

 

 

 

 

 奇しくも、彼らが激突した場所は過去にバックベアード軍団の先兵として、ヴォルフガングが上陸した場所だった。

 

 一年前と同じその場所で——鬼太郎は再び西洋妖怪と矛を交えることとなる。

 

 

 




人物紹介
 沼の魔女・メタリカ
  見るからに魔女という恰好。傍若無人な言動や行動で周囲を引かせる。
  彼女の台詞がちょくちょく「ピー」という効果音で打ち消されるのは原作通りです。
  沼の魔女と名乗っていますが、優秀なので炎や雷、剣をぶん回したりなど様々な戦い方で敵を駆逐できます。
  原作では……彼女の正体そのものがネタバレのようなものなのですが、今作では……とある人物の娘という『別の可能性』——マゴリアという『IF』の世界観設定でのキャラ付けを考えています。次回以降……その母親も出てくる予定です。

 百騎兵
  メタリカが呼び出した使い魔。一応、プレイヤーが操作する原作の主人公。
  ちっこい見た目に反して、かなりの戦闘力を誇る。
  コイツの正体も……原作の完全なネタバレになるので、本作では一切説明はせず、あくまで『謎の魔神』という設定で進めていきたい。

 山爺
  鬼太郎側からのゲストキャラ。まあ、一瞬でやられちゃったけど。
  原作でバックベアード軍団に森を焼かれたときなど、感想の掲示板や放送時のコメントで「山爺はどうした?」「山爺参戦しないの?」的なコメントが印象に残っていたので、登場させてみました。
  一応、魂は無事なのでいずれは復活できます。安心してください。 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔女と百騎兵 其の②

前回の後書きで『次回のクロスオーバーの舞台はどこがいいですか?』というアンケートで『海』か『山』かという選択肢を選んでもらいましたが。
予想通り『海』と答えた方が多かったので、次回のクロス先は海水浴場を舞台にしていきたいと思います。
一応、山でもいいように色々と考えていたのですが、是非もなしか……(ノッブ風)。

さて、魔女と百騎兵の続きです。
一応、全三話で完結させるため、結構色々と詰め込んだのですが、それでも文章量が多くなり、泣く泣く出番を削ったキャラがいます。

登場人物や用語に関して、後書きの方で解説させて頂きます。


「ふん~ふふ~ん……猫姉さん、喜んでくれるかな?」

 

 その日、犬山まなは大好きな猫娘へのスイーツを手土産にゲゲゲの森を訪れていた。

 

 それは地獄の一件が無事に片付き、猫娘が完全なる復活を遂げた記念にまなが奮発して用意した祝いの品だ。

 猫娘が幼い姿で戻ってきたときもささやかな御祝いをしたが、このスイーツはそのとき以上。三丁目の安売りモンブランなどとは、比較にならないお値段の高級品だ。

 

「余計な気遣いかもしれないけど、これくらいさせてください……猫姉さん」

 

 これだけの品を用意したのも、まななりに、猫娘の件を気にしていたからでもある。

 まなが消し去ってしまったことで地獄へと送られた猫娘の魂。無事戻ってきたと思っていたが、まなが知らないところで様々な制約を課せられていたらしく、危うく猫娘どころか、鬼太郎まで地獄へと繋がれるところだった。

 本当にヒヤヒヤものだったが、地獄の騒動を解決したことで今度こそ猫娘の魂は条件なしで地上へと帰還した。

 これで、本当にもう心配することは何もなくなった。地獄を救った祝いも兼ねて皆で盛り上がろと、まなはウキウキ気分で森の中をスキップで進む。

 

 ところが——

 

「えっ!? な、なに? 今の爆発!?」

 

 ゲゲゲハウスへ辿り着いたところで誰もおらず、周囲をキョロキョロと見回したところで彼女の耳に激しい爆発音が響いてきた。

 森のさらに奥深く、普段まなが立ち入らないような方向から聞こえてくる何者かが激しく争い合う音。

 

「き、鬼太郎……? 猫姉さん!?」

 

 一瞬の間の後、まなはそこで戦っている誰かが自身の親しい相手である可能性を危惧する。

 少し迷ったが、急いで音が聞こえてくる場所へと彼女が駆け出そうとしたところ——。

 

「——まな!!」

「! あ、アニエス!?」

 

 まなの友達。西洋の魔女・アニエスがホウキに跨って森上空を飛行していた。アニエスはまなの名を呼びながら、彼女の下へと舞い降りる。

 

「どうしたの、アニエス!? 西洋に帰ってたんじゃなかったの?」

 

 友達に会えて喜ぶまなだが、同時にその顔には戸惑いも浮かんでいる。

 アニエスとはつい先日、地獄の騒動のときにも手を貸してもらったばかりだ。あの後、別れを惜しみつつ西洋への帰還を見送っただけに、間を置かずに日本を訪れていることに驚きを隠せない。

 

「そ、そうだったんだけど、ちょっとね……」

 

 まなの問い掛けにアニエスは言葉を濁す。

 彼女が日本を訪れたのは、魔女・メタリカの蛮行を阻止するためだ。

 彼女の暴虐っぷりを同じ魔女としてよく分かっているアニエスからすれば、話し合いでどうにかできるような相手ではないことも熟知している。

 否が応でも戦いになるだろう。というか、どうやら既に戦いが始まっているらしい。

 

「まな。貴方はここにいて。説明は後でするから……」

 

 アニエスは、その戦いにまなを巻き込みたくないと遠ざける選択肢を選ぶ。バックベアードとの決戦のとき、地獄での騒動のときなど、色々と助けられたりしたが、やはりまなはただの人間なのだ。

 

 ここから先は妖怪——いや、魔女同士の戦いだ。

 

「ここで待ってるのよ……いいわね?」

「あっ! アニエス!?」

 

 状況が呑み込めないでいるまなに念を押すように言い聞かせ、アニエスは地面を蹴って飛び立った。

 愛用のホウキを駆り、既に戦いが始まっている場所へと急行する。

 

 

 

×

 

 

 

「——くっ……こいつら!?」

 

 ゲゲゲの森の中でも原っぱが広がる開けた場所。そこで鬼太郎たちは沼の魔女・メタリカ。その使い魔である百騎兵と矛を交えていた。

 メタリカたちは二人。対する鬼太郎たちは鬼太郎に猫娘。砂かけババア、子泣き爺、一反木綿、ぬりかべと、ほとんどフルメンバーによる最大戦力だ。

 普通に考えれば劣勢に立たされることはない戦力差だが、相手は西洋妖怪。以前もこの場所で鬼太郎たちはヴォルフガング一人に痛い目にあった。

 そういった苦い経験もあり、鬼太郎たちもメタリカ相手に油断なく立ち回っている。

 

 だが——メタリカと百騎兵の実力は鬼太郎たちの予想を遥かに超えていた。

 

『もきゅ~!!』

 

 前線で主に鬼太郎たちと刃を交えるのは百騎兵の役割だ。

 最初、拳を巨大化させてねずみ男を一撃で戦闘不能にした、チンチクリンな謎の魔神。パッと見、何も持っていなかったためそのまま素手で戦うのかと思いきや、そうではない。

 百騎兵はどこから取り出しているのか。その手に様々な『武器』を持ち、それを自在に振るって鬼太郎たちを苦しめていく。

 

「このっ!」

『わきゅっ!!』

 

 猫娘が鋭い爪で切り裂こうとすれば、それに対抗するように自身の身の丈ほどの『大剣』を振るい、彼女の爪と鍔迫り合う。

 

「くらえっ! 火炎砂……なんじゃと!?」

『でゅわっ!』

 

 砂かけババアが遠距離から砂を振りかけようとすれば、リーチの長い『槍』で間合いの不利を覆してくる。

 

「おぎゃっ! おぎゃっ!」

「ぬりかべ~!!」

『きゅわ~!』

 

 子泣き爺が自分の体を石にしながら迫り、ぬりかべがその硬い体でとうせんぼしようとする。

 それに対し、百騎兵は『大槌』を思いっきり叩きつけ、石となった子泣き爺を殴り飛ばし、ぬりかべの体を粉々に打ち砕く。

 

「空からの奇襲! これなら対応できなか……って、なんね!?」

『うきゅっ!!』

 

 上空からの攻撃なら対応できまいと一反木綿が空から攻めようとする。

 すると、真っ赤な炎の灯った『燭台』を手にし、それを振るって上空へと火炎弾を飛ばしてくる。苦手な炎を前に一反木綿はたまらず回避に専念するしかない。

 

 さらに、百騎兵は小さな分身のような小人を生産し、爆弾のようなものを投げつけ、ブーメランのように武器を投擲してくる。

 まさに変幻自在。その戦い方は、まさに百人の兵士を相手にしているかのようだ。 

 

 しかし、鬼太郎たちも別に一方的にやられていたわけではない。

 

「体内電気っ!!」

『でゅわわわわわっ!?』

 

 元の大きさが小さいだけにすばしっこく、なかなか上手く捉えることのできない百騎兵の動きでも、なんとか攻撃を命中させる鬼太郎。

 

「もらったわよ!!」

 

 動きの止まったタイミングを見計らい、猫娘が牙剥き出し、爪を最大まで伸ばして切り裂こうと接近戦を仕掛けた。

 

「——キヒヒッ!! 隙だらけだよ!!」

「きゃっ!?」

 

 だが、それを阻止する絶妙なタイミングでメタリカが後方から茶々を入れてくる。

 

 彼女は森の上空、ホウキに乗った状態から戦場を観戦し、そこから魔法で鬼太郎たちの動きを妨害してくる。雷の雨を降らしたり、炎を放ったりと。

 どちらか一方なら、何とか抑え切れたかもしれない。

 だが魔女と百騎兵。その二人のコンビネーションに彼らは完全に劣勢を強いられていた。

 

 そうして——徐々に疲弊し、追い込まれていく鬼太郎たち。

 

「う……うむむ」

「ぬ、ぬりかべ……」

 

 一人、また一人と力尽いて膝をつく。気が付けば、鬼太郎一人が辛うじて立っているような状態だった。

 

「みんなっ!? くっ……!」

「鬼太郎! 気をしっかり持つんじゃ!!」

 

 その鬼太郎もだいぶ疲弊している。目玉おやじが必死に呼び掛けるも、なかなか上手く立ち上がれない状態だ。

 

「キーヒッヒッヒ!! 無様だな、ゲゲゲの鬼太郎!!」

 

 既に勝利を確信したのか。上空から後方支援に徹していたメタリカが地上へと降りてきた。彼女は尊大な態度で鬼太郎へと歩み寄り、その後ろに百騎兵が続く。

 

「……しかし、随分と拍子抜けだな。貴様、本当にあのバックベアードを倒したのか? にわかには信じ難いが……」

『むきゅう!』

 

 メタリカが実際に戦い、鬼太郎のことをそのように評価する。

 西洋の魔女として、曲がりなりにもバックベアードの脅威を知っている彼女からすれば、この程度の相手にあの帝王が遅れをとるなど、とても信じられないのだろう。

 傍らの百騎兵はバックベアードなど面識のない相手だが、とりあえず同意するように頷いている。

 

「キヒヒッ! まあいいさ。貴様を倒したとあれば、西洋におけるワタシのネームバリューも上がるというものだ!!」

「……ぐっ」

「しかし、このままただ殺すのもつまらんな……」

 

 鬼太郎打倒により自身の地位向上を喜びつつも、思ったより戦いが呆気なく終わって物足りなさを感じているのか。腕を組み、鬼太郎の頭を足蹴にしながら彼女は思案にふける。

 

「き、鬼太郎……!」

 

 大切な鬼太郎がそのような目に遭わされ、猫娘が何とか立ち上がる。しかし彼女もだいぶダメージを引きずっており、なかなか思うように体が動かず、悔しさから歯軋りする。

 すると、メタリカは悪戯を閃いた子供のように破顔し、その顔にサディスティックな笑みを浮かべた。

 

「!! そうだ……いいことを思いついたぞっ!! キーヒッヒッヒ!!」

 

 メタリカはそう叫ぶと同時に鬼太郎を思いっきり蹴り飛ばす。勢いよく蹴り付けられ、彼の体は猫娘のすぐ側まで転がっていく。

 

「がはっ……!!」

「鬼太郎!? アンタ——っ!?」

 

 彼へのぞんざいな扱いに猫娘が抗議の声を上げる。だが猫娘がメタリカの方を睨みつけると、彼女は何かしらの呪文をぶつぶつと呟いていた。

 

「ナブラ……マハトア……ケブラ……」 

「アブラ・アダブラ・カタブラ」

 

 それなりに高度な呪文なのか、長々と詠唱を続けるメタリカ。そして——

 

「キヒヒッ! くらえっ!!」

 

 詠唱が終わるや、メタリカは黒い瘴気の塊のようなものを真っ直ぐ鬼太郎に向かって放つ。

 動けないでいる鬼太郎。そのまま行けば、間違いなく彼の身に直撃していただろう。

 

「——危ない! 鬼太郎っ!!」

 

 だがそこへ、猫娘が咄嗟に体を滑り込ませて鬼太郎を庇う。彼に命中する筈だった魔法を、猫娘がその身を差し出すことで喰い止める。

 

「猫娘っ!?」

「きゃあああああああっ————」

 

 身代わりとなった猫娘の名を叫ぶ鬼太郎。黒い瘴気をまともに喰らい、彼女は悲痛な叫び声を上げていたが、

 

 次の瞬間——彼女の姿が目の前から消える。

 

「なっ!? そ、そんなっ……ね、猫娘?」

 

 消された——と、猫娘が魂ごと消えてしまった以前の情景とを重ねて絶望に表情を歪める鬼太郎。

 だが、彼女の存在は消えてしまったわけではない。

 

「——チュー……? チュー、チュー!?」

 

 彼女が先ほどまでいた場所に、小さな『白いねずみ』がポツンと現れた。そのねずみは今の自分の状態に困惑しながらも、鬼太郎に向かって何かを伝えようとしている。

 

「ま、まさか……猫娘か?」

「っ!!」

 

 それが何なのか、意味を理解して目玉おやじが絶句し、鬼太郎も唖然となる。

 その答え合わせをするかのように、メタリカがそのネズミの尻尾を摘み上げて口元を歪める。

 

「キヒヒッ、馬鹿な女だ。自分から呪いにかかりにきやがった。余計な邪魔をするからそんな目に遭うんだよ!」

 

 そう、それこそメタリカの唱えた魔法——『呪い』の効力だった。

 猫娘はその呪いで、その姿を哀れにも『猫」から『ねずみ』へと変えられてしまったのだ。

 

 

 

×

 

 

 

「そんな……猫娘、ボクのせいで……」

 

 自分を庇ったせいで白いねずみへと姿を変えられてしまった猫娘に、鬼太郎はショックを受ける。猫の妖怪である彼女がねずみの姿に身をやつす。彼女からすれば、かなり屈辱的な姿だろう。

 罪悪感から憔悴する鬼太郎。そこへ、さらに畳み掛けるようにメタリカが嫌味な笑い声を上げる。

 

「キヒヒッ! 本当なら鬼太郎をねずみに変えて、ヴォルフガングたちにでもくれてやろうと思ったんだが……さて、この薄汚いネズミ。どうしてくれようか?」

「チュー! チュー!!」

 

 メタリカに尻尾を掴まれ、宙ぶらりんにされるネズミの猫娘。人語を発することができないのか、ねずみの鳴き声で必死に手足をバタつかせている。

  

「そうだな……薬の材料にでもしてやろうか? それとも……このままイキのいいオスねずみ共の巣穴にでも放り込んで、子作りでもさせてやろうか!? きっと子沢山の大家族になれるぞ、キーヒッヒッヒ!!」

「チュー!? チュー! チュー!!」

 

 猫娘の処遇に関し、ぱっと思いついたアイディアをメタリカは口にする。

 当然、その嫌すぎる対応に先ほどよりも激しくバタつき——猫娘は何とかメタリカの魔の手から逃れて地面へと転がる。

 

「何だ? 気に入らなかったか……だったら——」

 

 しかし、ねずみの体では上手いことメタリカから遠ざかることが逃げ切ることが出来ず。

 

「だったらここで……ヒキガエルみたいに潰れてろ!!」

「猫娘っ、逃げろ!!」

 

 地べたに転がるねずみを踏みつぶそうと、メタリカの足が猫娘へと迫る。このままペチャンコにされてしまうかに思われた、そのとき——

 

「——ダイナガ・ミ・トーチ!!」

 

 魔法の詠唱。上空より飛来した火球がメタリカの体を吹き飛ばし、間一髪で猫娘の危機を救う。

 

「なにっ!? ぐぬ……」

『わきゅっ!?』

 

 突然の奇襲にメタリカの体が大きく後方へと除ける。百騎兵は慌ててメタリカへと駆け寄り、主人に危害を加えた乱入者への敵意を漲らせる。

 

「鬼太郎!! 無事!?」

「アニエス!!」

 

 遅れながらもその場に馳せ参じた乱入者の正体はアニエスだった。彼女の到来に鬼太郎は少し顔色を良くし、ねずみとなってしまった猫娘を急いで保護する。

 

「大丈夫か、猫娘?」

「チュー、チュー……」

 

 鬼太郎の手に包まれ、ひたまず安堵する猫娘だが、元の姿に戻れるわけではない。

 呪いをかけた張本人・メタリカを倒さねば、猫娘は一生このままかもしれない。

 

「下がってて、鬼太郎。ここは……ワタシに任せて頂戴」

 

 とりあえず、疲弊している鬼太郎を下がらせアニエスが前に出る。

 

「アニエス……。百騎兵! 手を出すなよ。こいつはワタシの獲物だ!」

 

 メタリカも、まるでそれに応じるように百騎兵に引っ込んでいるように言い聞かせる。

 魔女と魔女。西洋から来た二人の少女が、異国の地であるこの日本で正面から対峙することと相成った。

 

 

 

 

「……久しぶりだな、アニエス」

 

 睨み合うこと数秒間、最初に口火を開いたのはメタリカの方だった。

 

「貴様とこうして顔を合わせるのは……ヴァルプルギスの夜会で集まったとき以来だな……」

 

 メタリカの言う『ヴァルプルギスの夜会』とは、魔女たちの会合のことだ。

 

 数年に一回、あるいは数十年に一回。有力な魔女たちが一堂に介し『新しい魔女の任命』や『異端魔女の処遇』など。様々な議題を協議し、決定するという魔女たちの意思決定機関である。

 数年前。アニエスとメタリカはその会合の場で同時期に正式な魔女として認められた。言ってみれば同期の間柄。本当であれば、もっと仲良くするのが好ましいのだろうが——

 

「……ええ、そうね。貴方がその夜会で大暴れしたおかげで議会は途中でお開き! ワタシには二つ名も与えられなかったけどね!」

 

 実はその夜会の場で、メタリカは何が気に入らなかったのか大暴れして議会を滅茶苦茶にしている。

 そのせいでアニエスは魔女としての『二つ名』を付けられる機会を流され、未だにこれといった象徴もない、中途半端な魔女としての活動を強いられていた。

 そのことを——アニエスはちょっぴり根に持っていたりする。

 

「キーヒッヒッヒ!! 怒るな、怒るな。古臭い歴史だの、伝統だのに縛られた年寄り共に、ちょっと喝を入れてやったまでのことだ!!」

 

 一方、先に『沼』という二つ名を与えられたメタリカ。

 彼女は夜会での狼藉を大したことと思っていないのか。その議会を仕切る魔女たちを『古臭い』と罵倒し、新しい時代を生きる魔女として堂々と宣言する。

 

「ワタシはバックベアードにとって代わり、西洋妖怪を取り仕切る! 妖怪も、魔女も……そして人間も! 全てを平伏させ、このワタシの偉大なる功績を——全世界に知らしめてやるのだ!!」

 

 それこそが、メタリカの野望。

 そのためにゲゲゲの鬼太郎の首を欲し、それを手土産に西洋妖怪たちを従えようとしている。

 当然、そのような暴挙は同じ魔女として、鬼太郎の友人としてアニエスは見逃すことができない。

 

「させないわよ、メタリカ……ダイナガ・ミ・トーチ!!」

 

 メタリカを止めようと、得意の火炎魔法で再度攻撃を加える。

 

「ハッ!」

 

 しかし、真正面から放たれたその魔法に、メタリカも同種の魔法で迎撃していく。

 威力は——ほぼ互角。だが弾数はメタリカの方が多く、何発かアニエスに命中してしまう。

 

「くっ! だったら、これでどう! ウリュキノ……」

 

 それらの火炎を防御魔法で凌ぐアニエス。次なる一手として、空中に無数の光の粒子を出現させる。

 これらの粒子は炸裂弾となり、アニエスの詠唱タイミングで自由に起爆できるようになっている。彼女はその粒子でメタリカを囲み、彼女の動きを封じる。

 

「なるほど。確かに貴様の魔力は一級品だ。バックベアードに目を付けられるだけのことはある……」

 

 メタリカはアニエスの魔法を鑑賞しながら、彼女の力を推し量る。同じ魔女として、アニエスの魔力のほどが伝わってくるのか感心したように呟く。

 しかし——

 

「だが貴様の戦い方は——単調すぎる」

 

 呆れるように吐き捨てるや、メタリカは雷の魔法を自身の周囲に展開し、光の粒子を全て落雷で消し去ってしまう。

 

「そ、そんなっ……きゃっ!?」

 

 ついでとばかりにアニエスに向かっても雷を放ち、彼女の身を吹き飛ばしていく。

 

「アニエスっ!!」

『もっきゅっ!』

 

 思わず彼女に駆け寄ろうとする鬼太郎だが、それを阻止するかのように百騎兵が眼前に立ち塞がる。

 今の鬼太郎に百騎兵を退ける体力は残っておらず、アニエスの危機に彼も救援を出せずにいた。

 

 

 

 

「ふむ……なあ、アニエス。お前、ワタシに従うつもりはないか?」

「な、何ですって……!?」

 

 アニエスの魔法を魔法で退け、魔女としての力の違いを見せつけたメタリカ。彼女は少し考えるや、アニエスに自身の配下に加わらないかと誘いをかける。

 

「魔法の運用に無駄も多いが、貴様の潜在魔力は目を見張るものがある。このワタシと共に魔女の新たな歴史を紡ごうではないか!」

 

 アニエスもメタリカも、魔女としてはかなり若い部類に入る。

 メタリカは同じ世代を生きる魔女であるアニエスに注目し、共にこの激しい時代に覇を唱えないかと、そう言っているのだ。

 

 他の西洋妖怪たちを力尽くで従えようとした彼女にしては、まだ紳士的な対応だ。

 同じ魔女としての同族意識も働いているのだろう。

 

「……お断りよ!!」

 

 だが、アニエスはメタリカの提案を蹴った。

 

「ワタシはもう、支配されるのもするのも懲り懲り……」

 

 一年前まで、アニエスはバックベアードに仕えることを宿命として強要されきた。と同時に、彼の配下として他の妖怪たちを支配する立ち位置にもいた。バックベアード軍団の中でも、あのヴォルフガングやカミーラに敬意を払われる立場にあった。

 それは『ブリガドーン計画の駒として大事にされてきた』という側面もあったが、それでも立派な『支配階級を統べる』存在でもあった。

 

 だからこそ、彼女はそんなものがロクなものでないと分かっていた。

 

「ワタシはただ家族と……アデルお姉様と静かに暮らせればそれでいいんだから……」

 

 今はただ、一人残された唯一の肉親であるアデル・実の姉と穏やかに暮らせれば満足だと。

 アニエスは自身の幸せがどこにあるかを、既にもう知ってしまっているのだ。

 

「……そうか。結局のところ、貴様も古臭い『魔女会』の連中と同じということだな。『塔』に引きこもって、滅びの運命とやらを受け入れる愚者に過ぎないわけだ……ならば——消えろっ!!」

 

 その返答にがっかりしたとばかりに、メタリカは冷たい視線でアニエスを見下す。

 既にその瞳には同族に対する労りはなく、ただの敵としてアニエスを排除するため、大規模な魔法を行使しようとしていた。

 

「——アニエス!!」

 

 だがそのとき、アニエスの危機を見過ごせずにその場へと駆け付けるものが現れる。

 

「まなっ!?」

「来ちゃダメよ、まな!!」

 

 ゲゲゲの森に訪れていた犬山まなだ。アニエスの警告に一度は大人しくしようかと思った彼女だが、やはり心配で来てしまった。

 鬼太郎の叫びや、アニエスが危惧するのにも構わず、まなは一番近くにいたアニエスへと駆け寄る。

 

「アニエス!? 酷い怪我だよ!」

「だ、ダメよ、まな! 早く逃げて!!」

 

 アニエスの怪我を心配するまなだが、アニエスはアニエスでまなの身を気遣う。彼女のような無力な人間を前にメタリカが何もしないわけがない。猫娘のように、ねずみに変えられてしまうかもしれない。

 アニエスは半ば絶望的な気持ちでメタリカの様子を窺う。

 

「…………おい、アニエス。そのガキは……なんだ?」

 

 すると、メタリカはまなの存在を認識するや、詠唱中の呪文を中断してまで『それ』が何なのか問い掛けてきた。

 

「……ワタシの目に間違いがなければ……そのガキはただの人間の小娘に見えるのだが……そいつは……お前にとって、いったい何なのだ?」

「えっ……?」

 

 メタリカは、随分と戸惑った様子だった。

 心底困惑した様子で——『魔女の隣に並び立つ人間』である、まなという少女の存在に目を見張っている。あの傍若無人なメタリカの戸惑う姿に、アニエスは咄嗟に返事をすることができない。

 すると、それに代わってまなが堂々と答える。

 

「わたしは犬山まな!! アニエスの——友達よ!!」

 

 一変の迷いもない、まならしい清々しい答えだ。

 しかしそれにより、メタリカはますます混乱する。

 

「はっ……? 友達だと? おいおい、アニエスよ……このガキはいったい何を言ってるんだ? ……魔女と人間が友達になどなれる筈はないだろう……馬鹿も休み休み言え、ハハハ……」

 

 いつもの嫌味な笑い方とは違う。まるで力のない、乾いた笑みを浮かべるメタリカ。

 

「…………」

 

 だが、アニエスが何も言わずに黙ることで、まなの主張が決して間違っていないことを理解したのか。

 メタリカは——その顔から一切の表情を消し去ってアニエスに『魔女』としての問いを投げ掛ける。

 

「貴様、正気か……? 本気で魔女と人間が友達になれるとでも思っているのか?」

「…………」

 

 まるでアニエスの常識を疑うような発言だが——メタリカがそう主張する理由もアニエスには分かっていた。

 

 人間と魔女。本来であれば、そこに相容れる要素などないのだと。

 魔女たちはそれを——『歴史』として、知っているからだ。

 

「知らぬわけではあるまい。何も教えられていないわけでもあるまい。いかに貴様が半人前の魔女でも……我ら魔女と人間との間で、幾度となく繰り返された血みどろの歴史を……」

 

 

「そう——『魔女狩りの歴史』をっ!!」

「…………」

 

 

 何も答えはしないが、勿論アニエスは知っている。

 それは魔女として生きる以上、決して蔑ろにしていい出来事ではないのだから。

 

 

「魔女……狩り……?」

 

 

 ただ一人。

 何も知らないまなだけが、その言葉の響きにただただ衝撃を受けていた。

 

 

 

×

 

 

 

「どうだ、アニエス?」

「……やっぱり無理ね。ワタシじゃ、この呪いは解けそうにないわ」

 

 ここはゲゲゲハウス。何とか窮地を脱した鬼太郎たち。鬼太郎は魔女であるアニエスに猫娘にかけられた『ねずみ化』の呪いを解けないかと願い出ていた。

 

「チュー…………」

 

 しかし、アニエスの力量では猫娘を元に戻すことができず、ねずみのまま彼女は悲観に暮れている。

 

「かなり乱雑な魔法式ね、メタリカらしいと言えばらしいけど。これを本人以外で紐解けるのは……かなり高位の魔女だけよ。アデルお姉様でも難しいと思う」

「うむ……ところで、そのアデルはどうしたんじゃ?」

 

 アニエスの姉であるアデルの話題が出たところで、難しそうに腕を組んでいた目玉おやじが話を振る。今も一緒に暮らしている筈の彼女は日本には来ていないのかと。

 

「お姉様は少し遅れるわ。何でも……メタリカに対抗するために色々と準備してくるらしいから」

 

 どうやらアデルは装備を整えてくる気のようだ。そうまでしなければ勝てない相手、ということなのだろう。

 

「いったい、どういう奴なんだ! あの魔女は!?」

 

 猫娘をねずみにされてしまったからか、鬼太郎にしてはやや感情的になりながら、先ほどの行動も含めてメタリカという人物について思い出す。

 

 

 メタリカと百騎兵。二人は暴れるだけ暴れ、ゲゲゲの森に甚大な被害をもたらした。

 

 森を焼き払い、山爺を殺し、そして鬼太郎の仲間たちを傷つけた。

 砂かけババア、子泣き爺、一反木綿、ぬりかべ(ついでにねずみ男)は傷の手当てに今も療養中だ。

 猫娘もねずみに変えられてしまい、鬼太郎もかなりの痛手を負った。

 救援に駆けつけてくれたアニエスもメタリカには敵わず、そのままトドメを刺されるところだった。

 

 だが——まなの登場でその流れが変わった。

 正確に言えば、まなとアニエス——『人間と魔女』が並び立つ姿にメタリカは酷く苛立った様子を見せていた。

 

『——そうか、このワタシを袖にしておきながら……そんな人間なんざの手を取るというのだな!! そういうつもりなら、こっちにも考えがあるぞ!!』

 

 忌々し気にそう叫ぶや、彼女は百騎兵を伴ってホウキで何処ぞへと飛び去って行った。

 逃げたわけではない、きっと——もっとよからぬ何かを企てていることを予感させる動きだ。

 

 

「父さん、早く彼女を見つけ出さないと。猫娘にかけられた呪いも解かないといけません!」

「うむ、そうじゃな……」

 

 当初はメタリカとの戦いに消極的だった鬼太郎も、猫娘がねずみにされたことで戦う理由ができた。すぐにでもメタリカを見つけ、猫娘にかけられた呪いを解呪させなければと。

 

「…………ねぇ、アニエス」

 

 そんな、皆がメタリカに対抗する意思を固める中。

 ただ一人、まなだけが気落ちした様子で弱々しく口を開く。鬼太郎たちを傷つけられたり、猫娘をねずみにされたことでショックを受けているのもあるが、それ以上に——彼女はメタリカの言葉に戸惑っていた。

 

「魔女狩り……って、いったい何なの?」

「——!!」

 

 まなの疑問にアニエスがハッとなる。

 魔女狩り、その言葉の意味するところを魔女であるアニエスは当然理解しているし、魔女でなくても西洋のものなら妖怪でも、人間でも知っている事柄だ。

 だが、まなは西洋の人間ではない。

 日本のものに『魔女狩り』などという言葉自体、あまり馴染みのない響きだろう。

 

「魔女狩りか……確か、中世ヨーロッパで行われていたという、大規模な魔女への弾圧……じゃったか? ワシもそこまで詳しくはないが……」

 

 海の向こうの出来事故か、博識な目玉おやじですらそのくらいのことしか知らないのだ。中学生のまなが何も知らなくても仕方あるまい。

 

「……そんな生易しいもんじゃないわ、アレは…………」

 

 アニエスは、詳しい話をするべきか僅かに躊躇いを見せる。

 しかし、隠したところでどうしようもないと思ったのか、ポツリポツリと語っていく。

 

 魔女狩りの歴史について。

 

 

 そもそも魔女狩りとは——その言葉の響き通り、人間側が魔女たちを弾圧し、迫害した歴史そのものだ。

 古来より、宗教にとって邪悪とされてきた『魔女』という存在。実際、教会側にとっても彼女たちは『余計な知恵で民衆を神の教えから遠ざける』厄介な存在だった。

 だからこそ、教会は常に人々に魔女が敵であると刷り込み、自分たちの教えを広める際の便利な『仮想敵』としての役割を求めてきた。

 

 世が乱れたときなど、教会はいつだって口癖のように叫ぶ。

 飢餓や貧困が終わらないのは、魔女のせいだ。

 自分たちが幸せになれないのも、魔女のせいだ。

 

 そうやって、民衆の不満やストレス——フラストレーションの捌け口として常に魔女という存在を利用してきた。

 

 

「そ、そんな……酷い……」

 

 アニエスの話に、まなが呟く。

 自分たちの都合のため、魔女という存在を利用する教会側のやり方に彼女は憤りを覚えずにはいられなかった。

 

 だが——

 

「……違うのよ、まな」

「えっ……?」

 

 アニエスは、まなが抱いた感想に口出しする。

 

『その程度のこと』で安易に酷いなどと、そのような感想を抱く彼女に苦言を呈したのだ。

 

「魔女狩りの本質はそこじゃないのよ。人間が魔女を弾圧する。そこで終われば……まだいい方だったのよ……」

 

 魔女狩りの全盛期は中世。そのとき、アニエスまだ生まれてもおらず、当事者ではなかった。

 だがそれでも——魔女である彼女の耳に伝わってきた伝承だ。

 

 魔女狩りという事件の本当の悲惨さ。

 

 

 人という生き物のどうしようもない、救いようのなさが——。

 

 

 

×

 

 

 

「……ちっ! 目障りな光だな……ぺっ!」

『もきゅ~?』

 

 鬼太郎たちの前から一度離脱し、メタリカはゲゲゲの森から人間たちの世界。東京の運河にかけられた巨大な橋の上部に腰掛けていた。

 既に時刻は夕方を過ぎており、そこから見える都市部のキラキラした夜景を見下しながら、彼女は不愉快そうに唾を吐く。

 百騎兵は何故主人であるその少女が機嫌を悪くしているのか、全く理解できずとりあえず使い魔として彼女に付き従う。

 

「……おい、百騎兵」

『もきゅ?』

 

 暫くそうしていると、何の脈絡もなくメタリカが百騎兵に話を振ってきた。

 

「ものすごく胸糞悪い気分だ……何か面白い話をしろ」

『わっ、わきゅぅ~!?』

 

 いきなりの無茶振りに、困惑した感情を見せる百騎兵。面白い話をしようにも、彼は人語を発することができない。

 一定の知恵もあり、ある程度の自立意思も持ち合わせてはいるが、言葉で他者に気持ちを伝えることなどはできない。それが、百騎兵というものだった。

 

「ふん、冗談だ。貴様にそこまでのことを求めちゃいないさ……」

 

 メタリカも、百騎兵にそんなことは無理だと初めから分かっている。彼女はさらに気まぐれに、百騎兵相手に愚痴を溢していく。

 

「見ろよ、百騎兵。静寂な夜に人間たちが無遠慮に築いた、あの都市の輝きを……」

 

 メタリカの視線の先にあるのは、人間たちがその科学力で築いた文明の灯火だ。

 あの光景を眺めて人間たちは夜景が綺麗だの、ロマンチックだのほざくようだが、メタリカは全く別の感想を抱く。

 

「綺麗に着飾ってみても、まじかで見ればゴミゴミした人間どもの無秩序の集まりでしかない。いくら文明とやらが発展しようと、やっていることは中世の頃から何一つ変っちゃいない……」

 

 メタリカからすれば滑稽でしかないネオンの輝き。

 あの光輝く街の中で、昔と変わらず人間は他者を傷つけ、貶め、自らの欲望のために同じ人間同士でいがみ合っている。

 

 それこそ——中世の頃の魔女狩りのように。

 

 

 魔女狩りは——教会が魔女たちを政治的に利用するために行っていた行為だ。その魔女狩りの影響で多くの魔女たちが殺され、迫害されてきた。

 わずかに生き残った魔女たちは『魔女会』のような寄り合いを作り、身を寄せ合って互いを守るようになった。

 また、とある一族はその弾圧から身を守るために権力者——バックベアードのような強大な力を持った支配者の庇護下に入るようになった。

 それがメタリカやアニエスたちの先祖であり、彼女たちはその歴史を学んでいるが故に、人間とは相容れないという思想を理解している。

 

 

「——捜しましたよ、リカ」

「っ! ……ちっ!」

 

 ふいに、橋から人間たちの街並みを見下していたメタリカへと何者かが声を掛ける。メタリカはそれが誰なのかを声だけで理解し、そちらを振り返ることなく心底嫌そうにその者の名を呼ぶ。

 

「何をしに来やがった、マーリカ……ゲロ女め!」

「酷い口の聞き方ね……もっとお行儀良くなさい」

 

 メタリカの暴言に小言を口にしながら、その魔女——マーリカはメタリカの後ろに姿を現す。

 メタリカと同じようにとんがり帽子を被った、綺麗な大人の女性。魔女らしい怪しい格好ではあるが、どこか品性を漂わせる口調と立ち姿だ。

 

 彼女は『森』の二つ名を授けられた魔女・マーリカ。

 魔女会でも相当な地位にいる、他の魔女たちからも慕われる優しい女性だ。

 だが、どういうわけかメタリカはマーリカのことを毛嫌いしており、いつも二人は歪み合っている。……というよりも、メタリカが一方的にマーリカのことを嫌っているだけだが。

 

『もっきゅっ~!!』

 

 主人であるメタリカの敵対的な意志に呼応し、側にいた百騎兵が臨戦態勢で構える。

 だが、そんな彼のことを気にした様子もなく、マーリカはメタリカに語り掛けた。

 

「聞きましたよ、リカ。バックベアード城を占拠しようとしたり、日本妖怪に戦いを仕掛けたりと、色々と無茶をしているようですね」

「……ふん! 耳が早いな、得意の千里眼か? まっ、塔に引きこもっているお前たちにとって、娯楽といえばそれくらいだろうしな!」

 

 メタリカが口にした『塔』というのは、魔女会の拠点『幻影の塔』のことである。

 魔女狩りの迫害から逃れるため、魔女たちが逃げ込んだ先。そこは誰が建てたかも分からない天高き場所までそびえ立つ巨大な塔だった。

 魔女会の魔女たちは魔法によってその塔を異世界に隔離し、そこから千里眼で世界を眺めている。

 余計な外界の争い事と距離をとり、全てを諦めたかのように必要最低限の干渉しかしないのが、魔女会の規則だった。

 

「リカ、馬鹿なことを考えるのはやめて、塔に戻ってきなさい。今の貴方に……下界はまだ早すぎるわ」

「黙れ! いつまでも子供扱いするな、この$%&×?女が!!」

 

 メタリカは、とても子供には聞かせられないような台詞でマーリカを罵倒する。

 

「それと……ワタシの名前はメタリカだっ!! いつまでも昔の名前で呼ぶんじゃない!!」

 

 ついでに、自身の呼び方についても訂正を入れながら、リカ——メタリカと名乗るようになった少女はマーリカを突っぱねる。

 

「貴様らのようなババア共の出る幕ではない! ワタシが西洋を支配し、日本を支配し、世界中を支配した暁には魔女会もワタシの膝下に置いてやる。そのときまで、せいぜい塔の中で震えながら待っているがいい、キーヒッヒッヒ!!」

 

 メタリカは、自身の壮大な目的をマーリカに聞かせてやった。

 未だに自分を子供扱いする彼女も、それできっとビビって震え上がるだろうと。

 自分という魔女に恐れ慄くことを期待し、下卑た笑い声を響かせる。

 

 だが——

 

 

「——リカ。そんなに人間が憎いのですか?」

「…………あん?」

 

 

 マーリカの問い掛けに、メタリカの笑みが消える。

 

「ワタシたち魔女を滅びの運命へと追いやった人間が憎いのですか? 彼らに復讐するために、世界を支配しようなどと考えているのなら改めなさい。そんなことをしても……失われた命は戻ってきません」

 

 今や魔女と呼ばれる存在は少なくなり、存亡の危機に立たされている。その原因を作ったのが人間たちの行った魔女狩りだ。

 マーリカはメタリカが人間たちへの復讐のため、今回のような行動を起こしたとそのように考える。しかし——

 

「けっ……勘違いするな」

 

 特に動揺した様子もなく、メタリカは平然と言い返す。

 

「今更復讐なんかしても無駄なことくらい、ワタシにだって分かる。第一、魔女狩り如きで狩られる魔女など、所詮はその程度のヘナチョコだったに過ぎん。それでいちいち人間を憎みもしない」

 

 メタリカにとって、狩られた魔女など淘汰されて当然の弱者に過ぎない。そこに関して、メタリカは特に関心すら抱いていない。

 

 そう、メタリカは人間を憎んでなどいない。

 彼女は、ただ単純に人間という種族を見下し——呆れているだけだ。

 

「そもそも……その魔女狩りで最も被害を受けたのは『人間』たちだろうが。あれだけ自分たちで魔女、魔女と騒ぎ立ておきながら——まったく関係ない人間を魔女として殺してるんだからな……」

 

 そう、彼らが起こした『滑稽な茶番劇』に対して——。

 

 

 魔女狩りは——本来であれば教会による、異端な魔女への迫害が元となっている。教会も、最初の頃は民衆を上手いことコントロールし、正しく魔女たちを弾圧することに成功していた。

 

 だが——やがてその勢いは教会の手を離れ、民衆によるただの『私刑』と化した。

 

 魔女だけを迫害すればいいところを——ただの人間を、隣人である筈の仲間を魔女と密告し、凄惨な拷問にかけた上で自白をとり、そして処刑する。

 その一連の流れが当然なものとなり、いつしか本物の魔女かどうかすらどうでもよくなった。

 

 そう、『魔女狩り』という行為に、魔女など最初から必要なかったのだ。

 

 不安定な情勢に対する不満への捌け口さえあれば、それでよかったのだ。

 そのために——偽物の魔女、偽物の罪状で延々と魔女狩りを繰り返してきた。

 やがて、魔女狩りという言葉自体も廃れていったが、今もこの流れは人々の間で愚かな伝統として受け継がれている。

 

 

 いつだって、人間は迫害する対象を見つけ出し、弾圧することで心の安らぎを得てきたのだから。

 

 

 

「ワタシはな……そんな愚かな連中が我が物顔で世界を支配してる現状が気に入らんだけだ!! 魔女会の連中も、その現状に対して何も行動を起こそうともしない!!」

 

 メタリカはそんな愚かな人間たち、迫害される立場に甘んじて何もしない魔女たち。双方に怒りを抱いていた。

 

「だから……ワタシが変えてやるのさ! この期にワタシが全てを牛耳る! 人間も魔女も……全てワタシが支配下において、全てを正しく統治してやるのさ!!」

 

 そんな現状からの脱却。

 それこそ、全てを支配するというメタリカの野望の根底にあるものだった。

 

「リカ……」

 

 メタリカの考えに、マーリカは何とも言えない表情で押し黙る。

 同じ魔女としてメタリカの嘆きも、不満も、怒りも——マーリカには理解できてしまう。

 魔女として若い彼女なら尚更、自分たちの境遇をただ受け入れることもできないのだろう。

 

「ふん! 何かを変える覚悟もない奴が、いちいちワタシのやることに口を出すんじゃない! 行くぞ、百騎兵!!」

『わっきゅっ!!』

 

 もはや、マーリカと話す意味を見出せなかったのか。

 メタリカは百騎兵を伴い、ホウキで橋から飛び立ってしまった。

 

 目的地は——東京の大都会ど真ん中。

 

 メタリカが『愚か』と罵る民衆たちが密集する都市部で、彼女は何を仕出かすつもりなのか——。

 

 

「キーヒッヒッヒ!! さあっ! 恐れ慄くがいい、人間ども!! メタリカ様の登場だよ!!」

 

 

 笑い声を上げるその顔は——かつて邪悪と多くの人間に忌み嫌われた魔女らしい。

 貪欲で強欲で、残虐で醜悪で淫猥で下劣だったという、魔女というものを意識した。

 

 

 少女らしさを隠し切れていない——無理矢理作ったような『笑顔』によって取り繕われていた。

 

 

 




登場人物紹介
  森の魔女 マーリカ
   メタリカにとって、不倶戴天の天敵。
   原作において、メタリカという人物の人格を決定づけた相手ともいえる。
   メタリカとの関係も色々と複雑。
   今作における関係性についても、色々と含みは持たせますが、はっきりと明言はしません。メタリカとマーリカ……二人の関係に色々と想像を膨らませてみてください。


用語解説
  ヴァルプルギスの夜会
   原作とほぼ同じ、魔女たちの夜会。
   この夜会で魔女たちは色々な揉め事を調停したり、新たな魔女の任命式を行う。
   元ネタはおそらく『ヴァルプルギスの夜』。
   ヨーロッパの催事。ただ非キリストの集まりということもあり、キリスト教にとっては『魔女たちの祝宴』という偏見が強いとのこと。

  魔女会
   魔女たちの集まり。今作における西洋妖怪の勢力の一つという位置づけ。
   
  幻影の塔
   魔女会の魔女たちが拠点にしている塔——というのが、今作における設定。
   原作では『魔女と百騎兵 Revival』の追加要素として搭載されたやり込みダンジョン。
   本編とは別枠でストーリーが用意されており、本作におけるメタリカの台詞なども、そこから一部引用させてもらっています。

  教会
   具体的にどこの何教かは伏せます。色々とややこしい問題になるので……。


 次回で完結させる予定ですが……さて、あと一話で収まるのか……。
   


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔女と百騎兵 其の③

まずは謝罪を。

今回のクロス、最初は全三話で終わらせるつもりでいました。
ですが文字数や、更新頻度、話の区切りの関係上。やむを得ずあと一話追加することになります。
全部で四話。随分と長くなりますが、どうか最後までお付き合いください。


「…………」

 

 ゲゲゲハウスの片隅、犬山まなは一人放心状態で宙を見上げていた。

 魔女であるアニエスの口から語られた——『魔女狩り』という出来事。それはまな個人にとっても、かなり衝撃的な内容だった。

 

 まなはさらに、アニエスの話を聞いた上でネットを使って魔女狩りについて検索もしてみた。

 今のご時世、大抵のことはネットで調べられる。誰もが自由に書き込みが出来る関係上、その情報には信憑性が欠けるものも多い。

 だが、そこに書かれている内容はアニエスの話を補足するのに十分過ぎる内容であった。

 

 ——ホントに……こんなことが昔の外国で平然と行われていたんだ……。

 

 まなの歳で『魔女狩り』などというワード、調べようと思わなければ知ろうともしなかっただろう。

 戦争の悲惨さを初めて知った時のように、まなはそこで初めて魔女狩りの内容に触れ、こんなことが本当に人間のすべきことなのかと、ショックを受けた。

 

 魔女狩りは、魔女を弾圧するための行為ではない。

 魔女と——『疑わしきもの』全てを罰するべき行為なのだ。

 

 そのためなら、真偽などどうでもよく。

 罪状も今では考えられないような理由で、魔女としての罪を互いに擦り付け合っていた。

 

『猫を飼っている』『一人暮らし』『年寄り』などを理由に『あいつは魔女だ!!』などと告発。それが事実だと認めさせるため、被告人を『魔女裁判』にかける。

 その裁判だって、今のようにしっかりと管理されておらず、証拠も証人もまともではない。

 罪人に『自分は魔女だと……』認めさせるため、とにかく拷問にかけて自白を取ればいいだけのもの。

 無実で戻ってくるものなどほとんどいない。拷問の末に死んでしまうものもいたし、苦痛に耐えきれずに魔女と認めても処刑される。

 

 男であろうとも関係ない。一度魔女と疑われれば、それで最後。

 そんな行為が、中世のヨーロッパで当然のように罷り通ってきた。

 

 それこそが——『魔女狩り』と呼ばれる人の『業』なのだ。

 

 

「……まな、大丈夫?」

 

 衝撃的な事実を知って落ち込んでいるまなに、アニエスが気遣って声を掛けてくれた。魔女という迫害されてきた立場でありながらも、まだアニエスの方が心に余裕がある。

 それは彼女自身、既に幼い頃から学んでいた出来事であり、あくまで先祖が受けてきた痛みだからだ。

 彼女が生まれた頃には既に魔女狩りどころか、魔女という存在そのものが信じられていなかった。

 蔑ろにしていい歴史ではないが、正直そこまで引きずるようなものでもない。

 

「……うん、大丈夫」

 

 だが、まなはつい先ほど知ったばかりの事実にすぐには立ち上がることができない。口では大丈夫と言いつつ、彼女は人間として、魔女であるアニエスに謝罪を口にしていた。

 

「ごめんね、アニエス。……本当に辛いのはアニエスの方なのに……わたし……」

「ううん……。まなが謝るようなことじゃないわ。気にしないで頂戴」

 

 それはアニエスの本音でもある。

 あくまで魔女狩りは昔の人間のやったこと。それを今になって現代人のまなが、それも日本人である彼女が気にするべきことではないとアニエスは考える。

 しかし——

 

「……違うの、アニエス。わたし……アニエスに謝らなきゃいけないことがあるの」

「……?」

 

 どうやら、まなは魔女狩りの歴史とは別にアニエスに何かを謝罪しなければと、先の話を聞いたことで思い立ったらしい。彼女は恐る恐ると、アニエスに自分が思っていたことを口にしていく。

 

「わたし……魔女って……魔法って、凄いものだと思ってたの。火とか水とか色んなものを操れて、お菓子とか一杯出せて、キラキラ輝いてる。出来ないことなんてない……それが、わたしにとっての……『魔法』ってものだった」

 

 それは、ある意味で日本人らしいカルチャー文化の影響かもしれない。

 まなの世代的に『魔女』といえば『魔法の力で変身して戦う魔法少女』という存在がどうしても真っ先に頭の中に入ってくる。

 そのため、まなの中には魔法への、魔女という存在に対しての『憧れ』のような感情があった。

 自分も『魔女になって、魔法を使ってみたいな~』などと、そう思ったことも一度や二度ではない。

 

「けど……違ったんだよね? 魔法って……そんないいもんじゃないんだよね? そのせいで……苦しんでた人が沢山いたんだよね?」

「……」

「そんなことも知らずに、わたし……ずっと……」

 

 出会ったばかりの頃、魔法に対する憧れを口にしたまなにアニエスは言った。

 

『——そんないいものじゃないよ。魔法なんて……』

『——魔法使いを見掛けたら、絶対に近寄らないこと』

 

 まなはその言葉をどこか謙遜のように思っていた。アニエスなりの謙虚の表れ程度にしか思っていなかった。

 

 でも、違ったのだ。

 

 西洋の人にとって、本当に魔法なんて、魔女なんていいものでもなんでもない。

 教会の教えを重んじる人々にとって、魔女とは忌むべき存在。

 魔法を行使することすら、罪として断罪される時代があったのだ。

 

 人はその歴史を『魔女狩り』などと呼び、今でも忌避している。

 

「ごめんね……アニエス、ほんとに、ごめん……」

 

 そんなことも知らずに「魔女や魔法っていいな……」などと安易に憧れを抱き、今まで空気の読めない発言でアニエスを困らせてしまっていた。

 そのことに気付いてしまったからこそ、まなは涙ながらに謝罪しているのだ。

 

「……まな」

 

 友達の正直な告白に、アニエスは一瞬複雑そうな表情になる。

 しかし、すぐに優しい微笑みを浮かべ、まなに何かを伝えようと彼女の肩に手を置こうとした。

 

「——大変じゃぞ!! アニエス、まな!!」

 

 だがそこへ砂かけババアが血相を変えて飛び込んできたことで、二人の少女がそちらを振り返る。

 砂かけババアはスマホを片手に、今起きていることを簡潔に叫んでいた。

 

「あのメタリカという魔女が……人間界で——」

 

 

 

×

 

 

 

「ふぅ~……ここまで来れば、下手に巻き添いを喰うこともねぇだろ。悪く思うなよ、鬼太郎」

 

 夜——東京都内の薄暗い路地。

 ねずみ男は西洋の魔女との揉め事を恐れ、一人で人間の街に避難していた。

 基本、金にならない厄介事からは距離を置くことが多いねずみ男。百騎兵に痛い目に遭わされたこともあり、ゲゲゲの森からこちら側へとサッサと逃げてきたのである。

 敵の狙いが鬼太郎である以上、こちら側なら安全だろうと高を括った上での行動だ。

 

 しかし、ねずみ男の見積もりは甘く。

 メタリカという魔女は——人間界でもその猛威を振るおうとしていた。

 

「——うっ!」

「——がはっ!?」

 

 先にその異変を感じ取ったのは、ねずみ男のすぐ側を通っていた通行人たちだった。

 彼らは突然、鼻や口を押さえながら咳き込み、急に胸をつかえたように苦しみ出す。

 

「……あん? なんだなんだ……うっ!?」

 

 それらのリアクションに首を傾げるねずみ男だったが、すぐにでも同じような異変が襲いかかり、彼も鼻や口元を押さえる。

 

「——うっ! く、くせぇぇぇぇえ!?」

 

 金がないときなどは風呂にも入らないねずみ男。

 普段から、彼はその体臭で周囲のものたちの顔を顰めさせているが——それ以上の匂い。

 

 ねずみ男でさえ『臭い』と感じるような激臭が、街中に漂い始めていたのだ。

 

「うっ! だ、だめだ……い、意識が……」

 

 その匂いはねずみ男でさえ耐え切れず、彼も周りの人間たち同様に胸を押さえ、苦しみながらバタバタと路上へと倒れ込んでいく。

 

 

 

 

「——キーッヒッヒッヒ!! 苦しめ、苦しめ! 人間ども!!」

 

 その匂いの元凶、それこそがメタリカだった。

 彼女が魔法で召喚した『毒沼』——それが街中へと広がり、周囲を汚染しながら拡大していたのだ。

 

 これこそ、彼女の代名詞。

 メタリカが『沼』の異名を冠する理由である。

 

 この沼は彼女の住処である『ニブルヘンネ』という場所から魔法で転移させてきたもの。

 生命を死に至らしめる、猛毒の沼である。

 

「う~ん……いつ嗅いでも素晴らしい香りだ! キッヒッヒ!!」

 

 毒々しい緑色をしているこの沼の瘴気が漂う中では、通常の生命は呼吸すらで出来ず、やがて死んでしまう。

 しかし、どういうわけかメタリカはこの沼の匂いが大好きで、いつからか沼の周囲を拠点に活動するようになった。

 それこそ、メタリカが沼の魔女と言われる所以であり、魔女会から離脱した彼女が一人でも外の世界で活動できる理由でもある。

 この沼の激臭のおかげで、メタリカは己の領土を侵されることなく活動を続けてこれた。

 

 そんな毒沼をメタリカは無理やり街中に呼びだし、時間と共に徐々に浸食を広めている。

 このままでは周囲の生命体は全て死に絶え、人間社会にとんでもない被害をもたらすことになるだろう。

 

「——メタリカ!!」

「あん……? キッヒッヒ、来たか!!」

 

 その被害を喰い止めるため、メタリカの行動を抑止しようとするものたちが現れる。

 その登場を予想していたメタリカは口元を釣り上げ、そのものたちの到来を歓迎していた。

 

「アニエス、ゲゲゲの鬼太郎! 待っていたぞ!!」

 

 

 

 

「くっ、すごい匂いだ……」

「ほんと、マスク越しでもきつかね~」

 

 人間界での騒ぎを聞きつけ、ゲゲゲの鬼太郎は一反木綿に乗ってメタリカのいた場所——東京都庁の屋上へと駆けつける。

 その場所には高笑いを上げるメタリカの姿があった。彼女はそこから沼の瘴気に苦しむ愚かな人間たちの様子を嘲笑いながら見物していたのだ。

 

「魔法のマスクでも、この沼の瘴気は防ぎきれないわ。気をつけて!」

 

 鬼太郎たちの隣をホウキで飛ぶアニエス。彼女と鬼太郎、一反木綿はそれぞれ防毒マスクを装着している。

 

 このマスクはアニエスがメタリカが沼を呼び出すことを見越して用意した代物で、これを付けていれば多少の時間なら沼の周囲でも活動することができる。

 しかし、マスクを付けていても完全に匂いを遮断することはできず、その激臭に鬼太郎たちは顔を顰める。マスク越しでもこれなのだ。マスクを付けていない一般人など、それほど長くは持たないだろう。

 

「もう止めろ、メタリカ!!」

 

 鬼太郎たちはこれ以上の被害の拡大を防ぐため、メタリカのいるビルの上へと降り立つ。

 

「君の狙いはボクだろ!? 関係ない人間を巻き込む必要はない筈だ!!」

 

 当初、メタリカは鬼太郎の首を狙ってこの日本へと上陸した。彼は再び自分へと注意を向けさせることで、彼女の無差別テロのような行いを止めさせようと試みる。

 

「ふん……! 驕るな、小僧が! 今更貴様の首一つ如き、もはや手土産にもならんさ」

 

 だが、メタリカは既に鬼太郎への興味を失っているのか。彼の首には固執せず、別の方法で自身の力を誇示することを考えていた。

 

「それより、もっと面白いことを考えたぞ!! バックベアードが侵略し損ねた日本。私の手でこのチンケな島国をあっさりと陥落させれば、軍団の連中も私の偉大さを認めざるを得まい! ヤツらの悔しそうな顔が目に浮かぶ、キッヒッヒッヒ!!」

 

 彼女はバックベアードが支配し損ねた『日本』という国そのものを潰すことに方針を切り替え、ヴォルフガングたちに己の力を認めさせるつもりのようだ。

 

 妖怪同士の抗争から、ついでとばかりに人間への攻撃に方向転換。

『魔女狩り』を行ってきた愚かな人という種族、そのものへの『報復活動』を開始したのである。

 

「させない! 猫娘も、元に戻してもらうぞ!!」

 

 鬼太郎はそんなメタリカの横暴を阻止すべく。また、ねずみ化の呪いを解いて猫娘を元に戻すためにも、メタリカへと戦いを挑む。

 先制攻撃。メタリカの隙を作るべく、髪の毛針を連発する。

 

『わっきゅ~!!』

 

 だが、毛針は一発もメタリカに命中することなく、彼女を守るように現れた百騎兵によって蹴散らされてしまう。既に臨戦態勢に入っている百騎兵は、武器を構えて唸り声を上げていた。

 

「ふん! 貴様の相手は百騎兵が務めてくれるさ。百騎兵!! 今度こそ鬼太郎の首、容赦なく削ぎ落としてやれ!!」

 

 もはや自分が相手をする必要もないと、メタリカは手短に百騎兵に命令を下す。

 彼女の命令に、百騎兵はすかさず鬼太郎へと襲い掛かった。

 

『きゅっも~!!』

「くっ! 霊毛ちゃんちゃんこ!!」

 

 武器として大槌を取り出し、それを振り回してくる百騎兵。

 鬼太郎は腕に先祖の霊毛で編んだちゃんちゃんこを巻きつけ、それに対抗する。

 

 ぶつかり合う両雄。鬼太郎のリベンジマッチが幕を開けた。

 

 

 

 

「貴様の相手は……やはりこのワタシがしてやろう、アニエス」

「……!」

 

 鬼太郎と百騎兵が戦うすぐ横で、メタリカとアニエスが睨み合う。

 ゲゲゲの森でぶつかり合ったときのように、魔女は魔女同士で決着をつけるようだ。だがあのときとは違い、メタリカは冷たい空気、冷たい視線でアニエスを見据えていた。

 

「魔女として高い素養を持ちながら、人間のガキなんかと仲良しこよししやがって! 貴様は……ワタシが直々にその性根を叩き直してやる!」

「……メタリカっ!!」

 

 どうやら、メタリカはアニエスが人間の友達と——まなと絆を深めていることが酷く気に入らなかったらしい。

 

 

 マーリカ相手には「人間を憎みはしない」と言いながらも、やはり人間に対する遺恨を完全には捨てきれないのか。

 

 

「所詮、人間と魔女とは相容れぬ関係にあるのだ! 殺るか、殺られるか! それを……今一度はっきりと思い知らせてやる。この辺り一帯の人間どもを——全滅させてなっ!!」

 

 魔女としての怒りと憎しみを込め、人間たちへの敵対行動を宣言する。

 

「させないわよ! ダイナガ・ミ・トーチ!!」

 

 そのような無用な殺戮を止めるべく、アニエスもメタリカとの戦いを開始する。

 

 鬼太郎や仲間を。他でもない大切な友達・まなの暮らすこの国を守るためにも。

 

 

 

×

 

 

 

「…………」

 

 鬼太郎やアニエスたちが街中で戦っている最中、犬山まなはゲゲゲハウスで留守を任されていた。

 メタリカのせいで街中は大混乱。今の状態で家に帰るのは危険だと、鬼太郎たちがまなをこの場に待機させていたのだ。

 

「大丈夫かい、まなちゃん?」

「チュー……」

 

 一人では心細いだろうと、まなの側には目玉おやじとねずみにされてしまった猫娘が寄り添っている。

 二人も先ほどのアニエスの話——『魔女狩り』の内容を、まなと一緒に聞いていた。優しい彼女がその凄惨な話にショックを受けているだろうと、まなに気遣いの言葉を掛ける。

 

「…………ねぇ、目玉のおやじさん」

 

 案の定、まなの表情は暗い。彼女はどこか沈痛な面持ちで目玉のおやじに対して呟きを漏らす。

 

 それはまなにしては珍しく、どこまでも後ろ向きに己自身を否定するような言葉だった。

 

 

「人間って……ほんとうに、どうしようもない生き物なんだね……」

 

 

『——このワタシを袖にしておきながら……そんな人間なんざの手を取るというのだな!!』

『——そういうつもりなら、こっちにも考えがあるぞ!!』

 

 昼間に顔を合わせたメタリカという魔女。彼女は自分という人間を前に、随分と取り乱しているように見えた。まなのことを見つめるあの瞳からは——強い敵意と蔑みが込められていた気がする。

 そんな視線に晒されたときは『何故?』と疑問を抱いたまな。だが、アニエスから魔女狩りの話を聞いた今なら、どこか納得してしまう。

 

 そう、魔女である彼女にとって、魔女狩りを行ってきた人間という生き物はそれだけ罪深い存在。

 しかも——そういった行為は未だに人間たちの間で続けられていると、まなは以前も似たようなケースを目の当たりにしたことがある。

 

「……あの子の、名無しのときもそうだったよ。妖怪は悪だって、何も知らずに踊らされて……人の言葉に耳を傾けようともせずに……よってたかって、妖怪を虐めてた……」

「…………」

 

 名無しの事件。あの事件で人間と妖怪との対立が深まったときもそうだった。

 人々は垂れ流される情報を鵜呑みにし、ただ『妖怪』を『悪』と決めつけ、確固たる証拠もなく姑獲鳥という妖怪を私刑にしていた。

 それこそ——『妖怪狩り』を行っていたのだ。

 

『——妖怪は信用できない』

『——妖怪は敵だ! 妖怪は敵だ!』

 

 あの場の、感情と勢いのままに姑獲鳥を集団で袋叩きにする人間たちの醜悪な姿。話に聞いた『魔女狩り』とも付合するようにまなには思えた。

 結局のところ、今も昔もやることに大差はないのだと。彼女の瞳には人間に対する失望の色が宿り始めている。

 

「ほんとうに……ごめんなさい。猫姉さん、おやじさん。ほんと……どうしようもない生き物で……」

 

 自分もその人間の一人なんだと。そう自覚するや急激に恥ずかしさがこみ上げ、まなは涙ながらに謝罪する。

 こんな馬鹿な生き物でゴメンナサイと。妖怪である彼らに頭を垂れ続けるまなだったが——。

 

 

「いかんな、まなちゃん!! 君自身がそのようなことを口にしては!!」

「えっ!?」

 

 

 気弱なまなに喝を入れるよう、目玉おやじは彼女に語りかける。

 

「確かに……人という生き物は愚かかもしれん。同じような過ちを幾度となく繰り返し、魔女や妖怪……ときには人間同士で傷付け合い、醜く争い合っておる……」

 

 目玉おやじだって、それくらいは承知の上だ。

 人間は愚か。人助けを通して人間と長いこと関わり合ってきた彼には、それが実感として身に染みている。

 そんなことは、今更言われるようなことではない。けれども——

 

「じゃが、人間が本当に救いようのない生き物だというのなら。人の世など、とうの昔に終わっておるよ」

 

 そう、人が本当にどうしようもない存在だというのなら、人間は既に自滅しているだろうし、目玉おやじたちもとっくの昔に見捨てている。

 何だかんだ言いつつも人の世界は続いているのだ。それは何故か?

 

「愚か愚かと言われても、人の世は曲がりなりにも続いておる。それは誰よりも、人間自身が『頑張っている』証拠じゃないかのう?」

「……頑張ってる?」

「うむ、何度同じ失敗を続けても少しずつ、一歩ずつ前に進もうと頑張っておる。だから……人間は今もギリギリのところで、踏み止まっていられるのやもしれんぞ?」

 

 それは本当にギリギリ。一歩でも踏み外せば真っ逆さまに落ちていく、崖っぷちの状態かもしれない。

 

 だがそれでも——人はまだ終わっていないし、諦めてもいない。

 

「わしも鬼太郎も諦めておらんよ、人を信じることを! だから、まなちゃん。他でもない君自身が、人間を信じてやれなくてどうする!」

 

 極端な話、妖怪が人間を愚かと一方的に蔑むのは——その妖怪の勝手だろう。

 しかし人であるまなが。特に彼女のような素直な子が「人間は愚か」などと自己否定していて何も良いことなどない。

 彼女のような子にこそ、人の可能性を信じて欲しい。信じさせて欲しい。

 

 

 自分たち妖怪が——彼女を通じて人というものを信じているように。

 

 

「わたし自身が……信じる? ……あっ!」

 

 そんな目玉おやじの言葉をきっかけに、まなは先ほどの会話——。

 

 アニエスがここを飛び立つ、その直前に交わした会話の内容を思い出す。

 

 

 

 

『——顔を上げて、まな』

 

 これから戦いの場へ赴こうとしているとは思えないほど、穏やかな顔でアニエスは落ち込むまなに声を掛けてくれた。

 

『覚えてるまな? あの日、貴方がワタシに声を掛けてくれた日のことを?』

 

 二人の出会い。それはまなも覚えている。

 まなはアニエスが魔法使いと知り、物珍しさから追いかけて声を掛けた。もしも、あの時点で魔女狩りのことを知っていれば、まなもあんな風に無遠慮な好奇心を抱くこともなかっただろう。

 

『正直、最初は戸惑ったわ。この人間は何を考えてるの? て……』

 

 アニエスも、出会った当初はまなのことをそこまで信用していなかった。当時は特に余裕もなく、誰にも心を開くつもりもなく、一人で全てを抱え込もうとしていた

 

『だけど、貴方のその真っ直ぐな気持ちに、ワタシは救われたの。貴方が……ワタシを信じてくれたから、ワタシも……皆を信じることができたのよ』

 

 けれど、まなとの触れ合いをきっかけにアニエスは変わることができた。まなのおかげで鬼太郎たちに頼ることを——他者を信じる心を取り戻したのだ。

 

『だから、まな。貴方は貴方のままでいいの。もっと……自分自身に自信を持っていいのよ』

 

 あのときの頑なだったアニエスの心を開いたまなは、紛れもない『今』のまななのだ。

 過去の過ちから何かを学ぶことは大事かもしれないが、だからといって根本から変わる必要はないと、アニエスは言ってくれた。

 

『大好きよ、まな。貴方はワタシの……大切な友達。だから……必ず守ってみせるわ!』

 

 そんな大切な友達であるまなを、彼女の暮らすこの街を守りたいと。

 だからこそ、アニエスはメタリカとの戦いへと出向いたのである。

 

 

 

 

「わたしは……わたしのままで…………!」

 

 そんなアニエス、そして目玉おやじの言葉に後押しされ、まなは顔を上げる。

 気持ちも徐々に前向きになっていき、自分に何か出来ることはないかと考え出したところ——

 

「目玉おやじさん! 猫姉さん!!」

「うむ」

「チュー?」

 

 まなは立ち上がり、目玉おやじとねずみになってしまった猫娘に声を掛けていた。

 

「わたし、行かないと!!」

「……行く? どこへじゃ?」

 

 まなのその宣言に首を傾げる目玉おやじ。

 そんな彼に、まなは毅然と言い放つ。

 

「アニエスのところに! 鬼太郎のところに! きっと、わたしにも出来ることがある筈だから!!」 

「……そ、それは前向きすぎじゃろ……」

 

 その発言に、さすがの目玉おやじも少し気圧される。

 

「じゃが、そこがまなちゃんらしい!!」

 

 しかし、ようやくいつもの調子を取り戻した犬山まな。

 そんな彼女の姿に、目玉おやじはその瞳に確かな『微笑み』を浮かべたのである。

 

 

 

×

 

 

 

『きゅも~!!』

 

 東京都庁の屋上。

 百騎兵はその手に燭台を持ち、それを上空に向かい振るっていた。燃え盛る燭台の炎からは火炎弾が放たれ、空を飛翔する一反木綿を追尾していく。

 

「あっ、よっと! あっ、ひらっと!!」  

 

 しかしゲゲゲの森のときとは違い、完全に避けることに専念した一反木綿は軽々と火炎弾を躱していく。さらに、その背中に乗る鬼太郎が攻撃に専念することで、彼らは戦局を有利に進めていた。

 

「髪の毛針!! リモコン下駄!!」

『きゅわっ!? もきゅきゅ!!』

 

 鬼太郎の髪の毛針やリモコン下駄。遠距離からでも相手に届く攻撃はダメージこそ小さいものの、着実に百騎兵の体力を削っていく。

 

 これもメタリカの余計な横槍がないおかげと、空を飛ぶことのできる一反木綿との連携のおかげ。何よりも百騎兵自身が、対空攻撃手段をあまり持ち合わせていなかったことが功を奏した。

 接近戦では無類の強さを誇る魔神も、単独では空高くを飛ぶ鬼太郎たちへ刃を届かせることもできない。火炎弾を飛ばすか、ブーメランを投げるくらいしかできないのだ。

 

「ふっふふん! こうなったらこっちのもんばいね!! 悔しかったら、お前さんも空でも飛んでみんしゃい!!」

 

 圧倒的有利な状況に一反木綿はテンションが高まり、ついつい調子に乗る。

 やーい、やーいと。地面を駆け回ることしかできない百騎兵を挑発していた。

 

『もっ、もっきゅうぅぅぅ!!』

 

 一反木綿の煽りを理解してか。言葉を喋れずとも唸り声を上げ、百騎兵は悔しそうに地団駄を踏んでいる。

 

「一反木綿、あまり油断するな。何をするか分かったもんじゃないぞ!」

 

 そんな百騎兵を注意深く観察しながら、鬼太郎は決して油断しないよう一反木綿を諫める。

 

「平気ばい、鬼太郎しゃん!」

 

 しかし、お調子者な一反木綿は軽口で返す。

 

「さっ! ちゃっちゃっと片付けて、アニエスの援護に行くばいよ!!」

 

 そして、鬼太郎へ手早く百騎兵を倒し、メタリカと戦っているアニエスを助けに行こうと意気込む。

 可愛い女の子の危機に駆け付ける——それ自体が彼としては燃えるシュチュエーションだ。絶妙なタイミングで助け舟を出せば「ご褒美のキスくらいもらえるかいな~」などと、浮ついたことまで考え出す。

 

 まさにそのときだった。百騎兵の行動に変化が起きたのは。

 

『きゅわ? ……もっきゅう!!』

 

 一反木綿の煽りに憤っていた彼は不意に『何かを閃いた』ような顔をし、その場に立ち止まる。

 

「何だ? 何をするつもりだ!?」

 

 鬼太郎はその行動を安易にチャンスとは捉えず、迂闊に近づかないように距離を維持したまま百騎兵の様子を窺う。すると、百騎兵はそのちっこい体を必死に振るわせているかと思いきや。

 

 

 次の瞬間——彼の真っ黒なボディが膨らみ始め、その肉体が変化していく。

 

 

 手を広げたかと思えば——その手が『翼』となる。

 短い足を伸ばしたかと思えば——その足は『鉤爪』となる。

 胴まわりも一回り大きくなり——その顔に『クチバシ』のようなものを生やしていく。

 

 最終的にその姿を『騎士兜を被った巨大な怪鳥』へと変え、翼をはためかせて空へと飛び立ったのである。

 

『キュワァァァァァァァァッ!!』

「な、ななななななななあっ!?」

 

 その変貌ぶりに調子に乗っていた一反木綿が真っ青になる。

 

「……な、何なんだコイツは……」

 

 何かするとは予想していた鬼太郎も、まさか本当に翼を生やしてくるとは思わず呆気に取られる。

 

「百騎兵……ほんとうに、最後まで分からないやつだ!」

 

 鬼太郎はアニエスからあの百騎兵が『西洋世界に伝わる、謎大き伝説の魔神』という情報を聞かされていたが、結局何も分からないままだ。

 だが考えている時間も惜しく、怪鳥となって迫りくる百騎兵相手に鬼太郎は霊毛ちゃんちゃんこを細く巻き、剣のようにして対抗する。

 

「はぁっ!」

『キュワッ!!』

 

 舞台を上空へと移し、再三激突する両者。

 真っ暗な空の上、鬼太郎のちゃんちゃんこと百騎兵の鉤爪が激しく火花を散らしていく。

 

 

 

 

「キーヒッヒッヒ!! ほらほら、どうした、どうした!? 反撃してみろよ、アニエス!!」

「くっ! メタリカ!!」

 

 鬼太郎たちが上空で戦っている一方、メタリカとアニエスの二人は東京都庁のビル屋上で互いに向かい合う。

 その気になればホウキで空を飛ぶこともできる両者。だが、彼女たちはまるで示し合わせたかのように地に足をつけた状態から、互いに魔法の応酬に専念していた。

 もっとも、魔法で一方的に攻撃しているのはメタリカの方。アニエスは相手の魔法を防御するのが精一杯。その場から動くこともできず、メタリカの手から放たれ続ける様々な魔法に、結界を張って耐え忍ぶしかない。  

 

「くっ……このままじゃ!?」

 

 その結界を維持するのも、そろそろ限界を迎えようとしている。

 メタリカの魔法を受ける度、結界である光の膜がピシリピシリとひび割れていくのだ。このままでは、いずれ結界は崩壊し、直撃を受けることは確実。

 

 まさに一方的な展開。

 だが、そんな最中においても——メタリカはアニエスに対し、挑発的に叫ぶのを止めない。

 

「さあ、さあ!! 今ならまだ許してやらんでもないぞ!? 人間に与した自身の愚かさを嘆き、命乞いをするというのなら、ワタシの下僕としてこき使ってやる!! キヒヒッ!!」

 

 人間と仲良くしていたことを謝罪し、命乞いをして投降すればまだ助けると。

 とても意地悪な言い方ではあるが、魔女としてアニエスの身を欲してか、彼女の助かる道を提示するメタリカ。

 

 そんなメタリカに——

 

「……ふっ、優しいのね。メタリカは…………」

 

 苦しい表情をしながらも、アニエスは思わず口元に笑みを浮かべていた。

 

「……はぁ!?」

 

 すると、その呟きに反応してかメタリカが攻撃の手を止める。彼女は不機嫌を隠そうともしない表情で怒鳴りつけてきた。

 

「あん……!? 何だぁ、今何と言ったぁ!? 貴様……ワタシを馬鹿にするつもりか!?」

 

 この状況で『優しい』などという言葉で自分を評価されたことを『舐められている』と感じたのか。

 

「ワタシは史上最強、極悪非道の大魔女、メタリカ様だぞ!! こんな恐ろしいワタシの……どこに優しさなんてものがある!?」

 

 自身の恐ろしさをこれでもかと主張し、アニエスに先の言葉を撤回するように求める。

 しかし、どれだけメタリカが己自身を恐ろしく尊大に見せようと、アニエスのメタリカに対する評価は変わらない。

 

「優しいわよ、貴方。この後に及んで、まだワタシを勧誘しようとしてる。それって、ワタシが魔女だからでしょ? 同じ年頃の魔女だから……非情になりきれてないのよね?」

「——!!」

 

 そう、これだけの力の差を見せつけながらも、メタリカは未だにアニエスにトドメを刺そうとはしていない。それこそ、同年代の魔女としてアニエスに手心を加えている証拠だろう。

 さらに言えば——

 

「それにワタシに、『人間と仲良くしてるワタシ』に対してそれだけ怒っているのは……貴方自身が人間を許せないからなんでしょ?」

「……」

「かつて魔女たちを辱めた人間たちに、貴方は当事者でもないのに怒ってる……怒ることができる貴方は……きっと、とても優しいのでしょうね……」

 

 

 

 

「だって……魔女狩りなんて、ワタシたちの世代にとっては、ただの『歴史』でしかないんだから——」 

 

 

 

 

 魔女狩りは、確かに魔女たちにとって決して忘れてはいけない記憶だろう。

 しかし、それを実際に体験したことのないアニエスの年代からしてみれば、ただの歴史——過去の出来事に過ぎないのだ。どれだけ酷いものだった伝え聞かされようが、本当の意味でその凄惨さを理解し、実感として受け止めることはできない。

 実際、アニエス自身は特に人間たちに対して、怒りも恨みも抱いてはいなかった。

 彼女はまなに出会う前まで、特に人間という生き物に思い入れた感情を抱くことなく、無関心であった。

 それはある意味で、怒りや憎しみを抱くよりも冷たい感情かもしれない。

 

「けど……貴方は違うでしょ、メタリカ?」

「…………」

 

 自身が過去、人間に向けていた冷たい感情を吐露した上で、アニエスはメタリカに語り掛ける。

 

「貴方は今も人間に怒りを抱いて、呆れて、許せないと憤っている。そういった感情を彼らにぶつけられるのは……虐げられてきた魔女たちの苦痛を……貴方が自分のことのように思っているからなんでしょ?」

「…………」

 

 怒るのにだって、憎むのにだって、ある種のエネルギーを必要とする。

 本当に何も感じていないのなら、何の感情も抱く事なく人間など無視しているだろう。

 そのエネルギーを惜しみになく人間たちにぶつけられている時点で、それはメタリカという魔女が先祖の受けた痛みを忘れていない証拠だ。

 口では何だかんだ言いつつも、やはり魔女として同胞を思う心が彼女にはあるのだろう。

 

 だから——アニエスはメタリカを『優しい魔女』と評したのだ。

 

「……口は悪いけど、そういう優しいところはそっくりよね、貴方の『お母様』と——」

 

 そんな優しい部分がメタリカの母親——とある魔女に似ていると、アニエスがボソッと口にする。

 

 

 

「——黙れ。ワタシを……あんなゲロ女と一緒にするな」

 

 

 

 その刹那——メタリカの中で『何か』がキレた。

 

 ゲロ女と呼び捨てるほどに嫌っている母親と、一緒くたにされたのが気に入らなかったのか。

 それとも、アニエスに自身の心を見透かされたのが嫌だったのか。

 

 表面上は冷静さを装っているが、その顔色からは一切の遊びが消えてなくなり、彼女は恐ろしく冷酷な声音で吐き捨てる。

 

「もう分かった……そんなに死にたいのなら、まずは貴様から始末してやる」

 

 もはや一切の容赦なく、メタリカは自身が行使できる最大限の魔力を練り上げ、一気に魔法として解き放つ。

 放たれたのは、眩いほどの光の奔流だ。レーザーのようなその一撃が、一直線に虚空を切り裂きながらアニエスを呑み込まんと迫る。

 

「!! パ・シモート!!」

 

 再び結界を張り、光の直撃を食い止めるアニエス。

 だが本気を出したメタリカの魔法を前に、張り直した結界はすぐに限界値を迎え——瞬く間に破壊されてしまう。

 

「くっ……きゃあぁぁ!?」

 

 結界の崩壊により発生する爆発。

 その爆風に吹き飛ばされ、アニエスはビルの上から身を投げ出されてしまった。

 

「くっ…………あっ………」

 

 全身を襲うダメージで上手く体を動かせない。自我を持ち、場合によっては己の意思で飛べることのできるホウキも、一緒に吹き飛ばされて気を失っている。

 アニエスは何の抵抗もできず、頭から真っ逆さまに地上へと落ちていく。このまま地面へと激突すれば、いかに魔女とはいえ即死は免れない。

 

 地面に叩きつけられるまで数秒。その死の瞬間が迫る——まさにその直後だった。

 

「————!!」

 

 颯爽とその場に現れた何者かが、地面に激突寸前だったアニエスを危機一髪で抱き止める。

 

「う……うん…………?」

 

 落下を覚悟していたアニエスは、いつまでたっても来ない衝撃に不思議な気持ちで目蓋を開ける。

 

「——大丈夫か、アニエス?」

「あっ……!」

 

 自分を抱き止めてくれたものが、心配そうな表情でアニエスの顔色を窺う。

 

「どうやら、間に合ったようだな」

 

 アニエスが目を覚ましたことで、その人物はホッと一息つく。

 そしてアニエスも、自分を助けてくれたその人が誰なのかを理解し、その顔が喜びに満ちていく。

 

 

「——アデルお姉様!!」

 

 

 そう、アニエスの危機に駆けつけてくれたのは他の誰でもない、実の姉である魔女・アデルであった。彼女は魔法によって幾何学的な羽を造り、それを翼にビルから落下するアニエスの窮地を救った。

 そして、そのままアニエスを抱え、アデルは空に向かって飛翔していく。

 

 

「行くぞ、アニエス——反撃開始だ!!」

 

 

 メタリカの待ち構えている、ビルの屋上へ。その瞳に確かな『勝機』を宿して——。

 

 

 




今更ですが、ゲゲゲの鬼太郎側の登場人物紹介

 魔女アニエス
  鬼太郎6期、西洋妖怪編のヒロイン。
  放送当時は彼女の自分勝手に見える性格から、結構批判的なコメントが多かった。
  ですが話が進むにつれて彼女の内面が語られ、徐々に好感度も上がり、今では結構な人気キャラ。
  西洋妖怪編が終わった後も、コメントでちょくちょく『アニエスは!?』『アニエスが出てきた!!』と視聴者を一喜一憂していたのが懐かしい記憶です。 
  彼女とまなとの絡みも……猫まなに負けず劣らずに眼福でした。

 魔女アデル
  アニエスの姉。元々はバックベアード軍団の女将軍。鬼太郎やアニエスと敵対する魔女。
  実のところ今回の『魔女狩り』という題材は、彼女が本編で放った「魔女が人の子と友人になる筈がないだろう」という台詞が元ネタになっています。
  あの言葉から、魔女の歴史を考えて……今回のテーマを思いつきました。


 次回こそ、本当に最終決戦。
 最強の魔女を打ち破るべく、アニエスとアデル——そして鬼太郎が力を合わせます。
 どうかお楽しみに!! 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔女と百騎兵 其の④

……衝撃!! 

今日の朝、いつものように『FGO』を起動させたら、いきなり新OPが流れてマジでビビった……。
もう情報量が多すぎて、全てを語ることが出来ないが……個人的に一番気になったことを言わせてくれ。

来た!! プロトマーリン!! これで勝てる!!


さて、肝心の本編の方ですが。
今回の『魔女と百騎兵』のクロスは個人的に色々と挑戦した回でした。

元々の世界観が別世界、ファンタジーが舞台の作品。
それをゲゲゲの鬼太郎の現代的な舞台に落とし込むという展開。
原作である魔女と百騎兵に独自設定を加えたり、鬼太郎世界の『魔女』に関して掘り下げたりと、色々と大変でした。

ですが……今回、この作品をクロスできたということで、他のファンタジー作品もやりようによっては参戦可能ということを証明できたと思っています。

勿論、全てを実現させられるとは思っていませんが、引き続き募集の方も続けますので、アイディアの提供よろしくお願いします!!

それでは……魔女と百騎兵、最終回をどうぞ!!




「……うっ、く、くるしい……」

「た、たすけて……」

 

 沼の魔女・メタリカが毒沼・ニブルヘンネを東京のど真ん中に呼び出したことで街中は大混乱。道端のいたるところに、沼の瘴気に苦しむ人々が横たわっている。

 この瘴気の中では、まともな生物など一時間と持たない。まさに彼らの命は風前の灯火、絶対絶命の危機に瀕していた。

 

「——大丈夫か、お主ら!?」

「——しっかりせい! 今安全な場所まで運んでやるからな!!」

 

 そんな中、街中を駆けずり回り、倒れる人々を助け起こすものたちがいた。

 

 ゲゲゲの森の住人——砂かけババアや子泣き爺たちである。

 彼らはアニエスから渡されて防毒マスクを装着しており、ある程度ならこの瘴気の中で活動することができていた。

 そのマスクで瘴気を防ぎながら、倒れた人間を少しでも毒沼の匂いの届かないところへ避難させようと、救出活動に従事していた。

 

「よし、いいぞ! 運んでやれ、ぬりかべ!!」

「ぬりかべ~!!」

 

 細かい作業は砂かけと子泣きが担当し、大勢の人たちを乗せて運ぶのは体の大きいぬりかべの役目だった。

 

 先の戦いで負わされた傷がまだ完治していなかったが、この際四の五の言ってはいられない。妖怪同士のゴタゴタに人間を巻き込むわけにはいかないと。

 少しでも被害を喰い止めようと、皆が必死だった。

 

「——砂かけババアさん!!」

「ん……? おおー、まな!!」

 

 するとそこへ、一人の人間の少女——犬山まながやって来る。

 彼女もマスクをしっかりと付けており、息を切らせながらも砂かけババアの下まで駆け寄っていた。

 

「はぁはぁ……わたしにも、何か手伝わせてください!!」

「……大丈夫なのか、まな? その……お前さんは……」

 

 先ほどまで、彼女はゲゲゲの森で酷く落ち込んでいた。

 魔女狩りの話に一人の人間としてショックを受けていたことは、砂かけババアも承知の上である。

 

「大丈夫です!! わたしも……役に立って見せますから!!」

 

 しかし、今のまなからは悲壮感は欠片も感じられない。

 どうやら彼女なりに悩みを打ち払ったらしく、元気な声で自分にも何かできないかと、積極的な手伝いを申し出る。

 

「わしからも頼む……砂かけババア!!」

「チュー!!」

 

 目玉おやじや、呪いでねずみにされてしまった猫娘も、まなに引っ付いてこちらにやってきている。

 まなはもう大丈夫だと。彼女がすっかり調子を取り戻したことを伝えていた。

 

「わかった……ちょうど人手が欲しかったところじゃ! 手伝ってくれ!!」

「はい!!」

 

 ならばこれ以上は何も言わないと。

 砂かけババアはまなにも救助活動を手伝って貰うため、彼女に指示を出し始める。

 

 

 

 

「アニエス……鬼太郎……」

 

 砂かけババアの指示のもと、倒れている人々を救おうと犬山まなも動き始める。

 だが、その口からは今もこの街のどこかで戦っている大切な友達・アニエスや鬼太郎の名が呟かれていた。

 

 本当なら、本当ならまなはアニエスの下へ、鬼太郎の下へと駆け付けたかった。

 だが、今も戦っているであろう彼女たちのところに行ったところで、足手まといになるのが関の山だ。

 

 断腸の思いながらも、まなは自分にできること。

 今もこの街で苦しんでいる人々へ、手を差し伸べることにしたのだ。

 

「アニエス、鬼太郎、頑張って! わたしも……今は自分にできることをするから!!」

 

 聞こえはしないだろうが、友達に向けて放たれるまなの決意。

 その決意を有言実行のものとすべく、彼女は目の前の困難へと立ち向かっていく。

 

 

 

×

 

 

 

 東京都庁屋上での、メタリカとの頂上決戦。アニエスはメタリカと、鬼太郎は百騎兵と。それぞれ別々に戦っていた。

 アニエスはメタリカの大出力の魔法に遅れを取り、一度はビルの上から身を投げ出され、絶体絶命の危機に陥っていたところだ。

 

「アデルお姉様!!」

「いくぞ、アニエス……反撃開始だ!!」

 

 しかし、間一髪のところでアニエスは姉であるアデルに助けられた。

 アニエスは救援に駆けつけてくれたアデルと共に、再びメタリカに挑むためにビルの屋上へと向かう。

 

「メタリカ!!」

「……あん?」

 

 頂上へと戻ってきたアニエスは叫ぶ。それにより、既に勝負がついたと思い込み、背中を向けていたメタリカが気怠げに振り返った。

 メタリカはそこで初めてアニエスが戻ってきたこと、その傍らに彼女の姉・アデルがいることに気づく。

 しかし——

 

「……なんだ。誰かと思えば、出来損ないの姉の方じゃないか。今更そんな奴を戦列に加えたところで、このワタシに敵うとでも思っているのか?」

 

 アデルの存在を認識したところで、メタリカは特に取り乱す様子もない。それどころか自分やアニエスよりも、少し年代が上の魔女であるアデルに向かい『出来損ない』と暴言を放つ。

 

「何ですって!?」

「…………」

 

 アデルが侮辱されたことに妹のアニエスが怒りを露わにする。だがアデルの方は特に気にした様子も、否定する様子も見せず。

 彼女は——メタリカの侮蔑を甘んじて受け入れる。

 

 

 魔女・アデル。

 かつてはバックベアード軍団の最高幹部、女将軍としてその名を西洋世界に轟かせた魔女。

 だが実のところ——魔女としての潜在魔力はそれほど高くなく、彼女自身も己の才能の低さを自覚している。

 アデルが魔女として高い戦闘力を維持できているのは、ひとえに彼女自身の努力の賜物。『魔法石』や『魔法銃』といった、魔法アイテムの作成に常に心血を注いでいるからだ。

 戦いの場で優雅に魔法を行使しているように見えてその実、裏側では相当真面目な努力を積み重ね、道具に頼っている。

 そんなアデルの在り方が——才覚溢れるメタリカからすれば、実に滑稽に見えるのか。

 

 

「ふん……! 貴様なんぞ、端からお呼びじゃないぞ! 馬鹿な妹共々、消えてしまえ!!」

 

 元から眼中にないとばかりに、メタリカは再び大出力の魔力を練り上げる。

 全てを終わらせようと、先ほど以上の大規模魔法を行使しようとしていた。

 

「何て魔力!? こんなの、どうやって!?」

 

 メタリカが放とうとしている魔法の規模に、アニエスは恐れ慄く。

 まるで限界などないとばかりに、際限なく膨れ上がるメタリカの魔力は、あのバックベアードの妖力にすら匹敵する勢いだ。

 ただの自惚れや、考えなしで帝王の後釜につこうとしているわけではない。メタリカという魔女の恐ろしさを改めて実感として思い知るアニエス。

 

 

「……確かに大した魔力だ。しかし——」

 

 だが、他でもないアデルが。

 魔女としての才覚に、メタリカやアニエスに二歩も三歩も劣ると、自他共に認める彼女が不敵な笑みを浮かべる。

 

「潜在魔力の高さだけが……魔女同士の優劣を決めるものではない」

 

 アデルは懐から、毒々しい緑色の魔法石を取り出しながらそのようなことを呟く。

 

「アニエス、よく見ておけ。これが魔女同士の戦いというものだ!!」

 

 彼女はまるで、妹に手本を見せてやるとばかりに一歩前に出る。

 そして——その魔法石に込められた魔法式を発動させるため、拳の中でそれをギュッと握り込んでいた。

 

 

 魔法石とは、魔女が作る魔法道具の一つ。

 予めその石に魔法式、つまりは『魔法を構築する式』を刻み込んでおくことで、その石に刻み込まれた魔法を『拳を握り込む』という、簡単な動作一つで起動させることができる。

 元々は『戦闘中に呪文を唱える必要をなくす』という考えのもとに開発されたものだったが、最大の利点は『魔法の使えないものにも魔法を行使させることができる』ということである。

 

 この魔法石の作成において、アデルはかなりの熟練度に達している。

 バックベアードに仕えていた時代も、その魔法石を軍団に提供し続けることで将軍の地位を保ち続けてきた。彼女の作った魔法石は未だに軍団内に大量に貯蔵されており、ヴォルフガングたちによって利用されている。

 

 

 しかし——メタリカからすれば、それも全て弱者の『小細工』でしかない。

 

「キッヒッヒッヒ!! 何の魔法を込めているかは知らんが、無駄なことよ!!」

 

 アデルが魔法石を起動させたところで、メタリカはそれを無意味と断じる。

 相手が何をしようとも、自分の魔法の方が威力が高いと。たとえ相手がどんな魔法で抵抗してこようとも、自分の魔法ならその全てを力付くで打ち払えると信じていた。 

 それはメタリカという魔女が——魔法を威力でしか測っていないが故の慢心だった。

 

 しかし、彼女が高笑いを上げながら己の魔法を解放しようとした、その刹那——

 

「……あん? な、なんだ……ワタシの……魔法が……?」

 

 メタリカの身に異変が起こる。

 今まさに解き放たれようとしていた魔法が、せっかく構築した魔法式が崩れたのだ。かき集めた魔力が彼女の掌から霧散し、メタリカの魔法が不発に終わる。

 

 しかも——異変はそれだけに留まらない。

 

「がっ……なっ……なんだ……? こ、これはいったい!?」

 

 魔法を無力化されたメタリカが突如として表情を苦痛に歪め、叫び声を上げ始めたのだ。

 

「ぐっ、がああああああああっつ……ま、まさか……こ、これはっ!?」

「まさか……アデルお姉様!?」

 

 傍から見ているだけなら、いったい何が起きているのか理解できないだろう。

 だが、魔女であるメタリカとアニエスにはこれがどういったものか。誰の仕業なのか瞬時に察することができた。

 

「……ふっ、どうだ? 内側から自らの魔力に身を焦がされる気分は?」

 

 そうこれこそ、この異変こそアデルの魔法の効力だ。

 先ほど彼女が繰り出した魔法石に込められた魔法式が発動した影響で——メタリカの魔力が『暴走』しているのだ。

 

「貴様……!? まさか……ワタシの魔法を解析して、魔法式を暴走させる逆算式を組み上げたというのか!? そ、そんなことがっ!?」

 

 過去にもアデルはアニエスの魔法の展開パターンを解析し、それを自動迎撃するという防衛魔法を組み上げたことがあった。

 これは要するにその応用だ。メタリカの魔法の展開パターンをトレースし、そこからさらに一歩踏み込んだ形で、彼女の魔力が暴走するような逆算式を組み上げたのだ。

 

「馬鹿なっ……そんなこと、できる筈が……ない! お前には、ワタシの魔法など数えるほどしか見せていない筈だぞ!! しかも、こんな短時間にっ……そんな繊細な魔法式を組み上げるなど……そんなことがっ!?」

 

 しかし、同じ魔女のメタリカには分かる。それが、どれだけ困難なことか——。

 

 他者の魔法を解析し、あまつさえ逆算する式を組み上げるなど。極めて高度に繊細、それでいて地道な作業を何度も繰り返さなければならないような根気との戦いだ。

 それでも、肉親であるアニエスの魔法式を解析するなら、まだ納得もできよう。だが、赤の他人であるメタリカの魔法を迎撃する逆算式を組み上げるなど。

 

 

 少なくともメタリカには絶対にできない。そんな気の遠くなるような作業を繰り返すなど。

 

 

「ふっ……お前の魔法式は大雑把だからな」

 

 だがメタリカの指摘に、アデルは不敵な笑みを浮かべてみせる。

 

「それに……バックベアードの下にいた頃から、お前を無力化するための魔法式は組み上げていた。今回はその最終調整に手間取ったが、時間を掛けた甲斐はあったようだ」

 

 アデルはずっと以前から、メタリカに対抗する術を用意していたらしい。

 その手段を今この機会に披露したに過ぎないと、彼女は何でもないことのように言ってのける。

 

 その裏側ではきっと途方もない苦労を伴っているだろうに、それをおくびにも出さずに——。

 

「お姉様、さすがです!!」

 

 アニエスはそんなアデルへ喝采を上げる。

 魔法は威力ではない。魔女の才能とは潜在魔力の高さではないと。

 

 それを実戦で示して見せたアデルの背中に、妹として誇らしいと心から姉に敬意を抱くのである。

 

 

 

×

 

 

 

「くぬぬ……お、おのれぇえええ、小細工をっ!!」

 

 メタリカの苦痛は続く。

 魔法式の逆算で魔力を暴走させられる。それは途方もない魔力を持つメタリカだからこそ、最大限の効果を発揮する。

 強大な魔力を持つが故に、その魔力が大きく逆流して彼女の身を蝕んでいくのだ。

 

「ぐっ、ぐぐぐ……」

 

 その場に倒れ込み、目に見えた変化がメタリカの体に起こる。

 

「!? メタリカの髪の色が……黒に……?」

 

 アニエスが気付いたのはメタリカの髪の毛だった。倒れた拍子にとんがり帽子が脱げてしまって見えたのだが、彼女の長い輝かしい金髪が、どういうわけか真っ黒に変色している。

 色だけではない。長い髪が徐々に短くなっていき、艶やかさも失われていく。

 

「これは、なるほど……」

 

 この変化は予想外だったのかアデルも目を見張るが、博識な彼女はすぐに理解した。

 

「魔法で己の肉体の一部を変化させていたようだな。その姿……それがお前の本来の姿というわけか、メタリカ!!」

「くっ……!」

 

 メタリカは魔法で自身の容姿を変化させていたようだ。体内の魔力が暴走したことで、偽りの姿を維持できなくなってしまったらしい。

 髪の毛は黒く短く、よくよく見れば瞳の色も翆色から金色に変わっている。それが彼女の正体というわけだろう。

 

「おのれぇええええ! よくも……ワタシをこんな惨めな姿に!!」

 

 顔立ちそのものは変わっていないし、普通に考えればその姿は特に恥じるものでもない。

 だが、メタリカはその姿を晒すことにコンプレックスを感じているのか。屈辱だとばかりにアデルとアニエスへ怒りと憎悪の視線を向ける。

 

「っ! アニエス、ここで決着を付けるぞ!!」

「は、はい!!」

 

 その眼光に気圧されながらも、このチャンスを逃さまいと魔女の姉妹が動く。

 体内の魔力が暴走している間は、メタリカとて簡単には魔法を行使することはできないだろう。その隙にこの戦いに決着を付けようと、二人がかりで瀕死のメタリカに飛びかかる。

 

 しかし——

 

 

「——舐めるなぁぁああああああああ!!」

 

 

 メタリカはありったけの力を腹に込め、唸り声を上げながら立ち上がる。

 そして、虚空より『何か』を取り出し、それを横薙ぎに思いっきり振り抜いた。

 

「な、なんだとっ!?」

「……け、剣?」

 

 アデルとアニエスが、後方に吹き飛ばされながら驚愕する。

 メタリカが握り締めていたもの。それは——巨大な黒い大剣だった。

 

「ワタシは……沼の魔女、この世で最も偉大な魔女、メタリカ様だぞ! この程度でワタシを無力化できると思うなよ、三流魔女が!!」

 

 メタリカは魔女でありながらも、まるでその大剣を騎士が振るうかのように高々と掲げ、叫んだ。

 

「魔法が使えない? 魔力が暴走する? それがどうした!? 魔法を行使できないのなら、この身で暴れ狂う魔力を、この剣に込めて貴様らに叩きつけてやる!!」

「なんてやつだ。これが……沼の魔女、メタリカ!!」

 

 他でもない、メタリカの魔法を封じたアデルが驚愕する。

 

 普通の魔女であれば、魔法を封じられた時点で既に詰みだ。だが、メタリカは魔女として一番大事なものを奪われてなお、堂々と立ち上がってきた。

 体内の魔力を暴走させられ、相当に苦しいだろうに。立っているのも辛いだろうに。

 魔女としての才能だけではこうもいかない。そこに、彼女自身の精神力の強さが垣間見える。

 

「覚悟しろ、アデル……アニエス!!」

「くっ……ダイナガ——!?」

 

 そうして、メタリカはその大剣に魔力を込め、アデルとアニエスの二人へ斬り掛かる。その動きを魔法で迎撃しようとするアニエスだが、それよりも先にメタリカが間合いを詰めてきた。

 接近戦においては魔法よりも剣の方が早い。アニエスの詠唱も間に合わず、メタリカの大剣の一撃が彼女たちの身を引き裂こうとする——

 

 

「——霊毛ちゃんちゃんこぉおおおおおおおおお!!」

 

 

 だがそのときだ。上空から急降下してきた少年が——ゲゲゲの鬼太郎がメタリカに向かって拳を振りかぶる。

 

「ちぃっ!?」

 

 咄嗟の判断で大剣の剣筋を方向転換し、メタリカは鬼太郎に剣先を向ける。

 鬼太郎の拳と、メタリカの大剣がぶつかり合い、二人の体はその衝撃で大きく後方へと仰け反っていく。

 

 

 

 

「鬼太郎!? 百騎兵はどうしたの!?」

 

 鬼太郎の救援にアニエスが驚く。

 彼は百騎兵の相手をしていた筈。あの伝説の魔神を相手に、自分たちに助け舟を出す余裕があるとは思えなかった。

 

「それが……」

 

 しかしこの場に駆け付けた鬼太郎。彼自身も不思議に首を傾げながら、彼と共にその場に降り立った一反木綿が百騎兵の行方を説明してくれた。

 

「あの百騎兵! なんぞ、いきなり目を回したかと思うたら、そのまま力を失ったみたいに落っこちていったんよ~」

 

 ついさっきまで、鬼太郎と一反木綿は空中で怪鳥へと変貌を遂げた百騎兵と戦っていた。怪鳥に姿を変えた百騎兵はさらに手強く、かなり苦戦を強いられていた。

 だが突然、本当に唐突に百騎兵が動きを止めたかと思えば——彼は元のチンチクリンな姿へと戻り、そのまま地面へと落っこちていったという。

 

「……そうか!! 百騎兵はメタリカの使い魔だから、メタリカの弱体化の影響をまともに受けたのね!!」

 

 その話にアニエスが納得する。

 百騎兵はメタリカの使い魔だった。魔女と使い魔の関係性によくあることなのだが、使い魔は——主人である魔女の魔力を糧に行動していることがほとんどだ。

 おそらく、かの魔神もメタリカから魔力を貰って活動していたのだろう。

 だが、主人である彼女の魔力をアデルが暴走させた影響で百騎兵への魔力供給が滞り、魔神はそのまま戦闘不能となってしまったわけだ。

 

「ならば……あとはメタリカさえ叩けば」

「この戦いも……終わる!!」

 

 意図せずして百騎兵を無力化した。これで残る敵はメタリカのみだと。アデルとアニエスが改めて彼女へと視線を向ける。

 

「チッ! 役立たずのポンコツめ!!」

 

 メタリカは百騎兵が退場してしまったことに苛立ち気に舌打ちしながらも、再び大剣を構える。

 百騎兵の手助けがなくても戦い続けるつもりなのか。その戦意には一切の揺らぎがない。

 

「みんな……下がっててくれ」

 

 その戦意に応えるよう、鬼太郎も構える。

 彼はこの機会にメタリカを倒すべく、残った自身の妖力の全てを総動員する。

 

 

「——指鉄砲ぉおおおおおおおお!!」

 

 

 鬼太郎の指先から放たれた最大火力の指鉄砲。それが光の奔流となり、メタリカを呑み込まんと迫る。

 

 

「——舐めるなと……いった筈だぁぁ!!」

 

 

 しかしメタリカは屈しない。

 彼女は鬼太郎の放たれ続ける指鉄砲をその大剣で切り裂き、両断しながら一歩、さらに一歩と近づき、間合いを詰めようと進軍を続ける。

 

「ぐっ……なんてやつだ! ここにきて、まだこれだけの底力が!?」

 

 ここにきてこの粘り、メタリカという魔女の底力にもはやアデルは唖然とするしかない。

 

「くっ……これ以上は、ボクも……」

「くっ、くくく……どうした? ご自慢の技の威力も……だんだんと下がってきているぞ?」

 

 拮抗する鬼太郎の指鉄砲とメタリカの大剣。だがその拮抗も、鬼太郎の劣勢で徐々に崩れようとしている。百騎兵との戦いでも既にいくらか消耗していた鬼太郎の妖力が、もう底を尽きかけているのだ。

 反面、まだ体内の魔力には余裕があるのか、メタリカはニヤリと笑みを深める。

 

 このままではいずれ、メタリカが鬼太郎の指鉄砲を耐え切り、その大剣で彼の身を切り捨ててしまうだろう。

 

「……鬼太郎」

「アニエス!?」

 

 するとこの危機に、アニエスが鬼太郎の背中にそっと手を置いた。

 彼女は真っすぐ鬼太郎を見つめながら、彼へこのピンチを乗り切る打開策を申し出る。

 

「ワタシの魔力で貴方の妖力を強化するわ」

「!? それは……」

 

 アニエスのその提案に、鬼太郎の目が見開かれる。

 過去にも一度、アニエスは魔法で鬼太郎の妖力を無理に高めたことがある。そのときは器を越える魔力量を注がれ、彼の体に大きな負担を掛けることとなった。

 しかし——

 

「大丈夫、あのときのように無茶はしない。ほんの少し、ワタシの魔力で貴方の背中を押すだけだから」

 

 アニエスは、あのときの失敗は繰り返さない。

 鬼太郎の体に無茶のない範囲で彼の妖力を強化するだけだと、真摯な瞳で語り掛ける。

 

 

「信じて、鬼太郎……」

「……分かった。君を信じる。やってくれ!!」

 

 

 鬼太郎も、今更アニエスがそんな身勝手なことをするとは思っていない。既にアニエスのことを信じている彼がその提案を断る訳もなく。

 アニエスの魔力により、鬼太郎の妖力が瞬間的に高まっていく。

 

「——なっ!? ば、ばかな……この力は!?」

 

 向上する指鉄砲の威力に、余裕の笑みを浮かべていたメタリカが驚愕する。

 

 ほんの少し、ほんの少しアニエスの魔法で後押しされただけの指鉄砲なのに、威力はそれまでとは別物になっていた。着実に前へと進んでいたメタリカの進軍も止まり、ぐんぐんとその身が押し返されていく

 

 

「これが……バックベアードを倒した鬼太郎の……力だと言うのか!?」

 

 

 ついには踏ん張りも効かなくなった。

 メタリカは鬼太郎の、鬼太郎たちの力に戦慄し、その身も限界を迎える。

 

 

 そしてとうとう、指鉄砲の光に呑み込まれ——彼女は巨大な爆発に巻き込まれていく。

 

 

 

×

 

 

 

「この辺りには……うん! もう逃げ遅れた人たちはいないみたい、親父さん!」

「うむ……どうやら、そのようじゃな」

「チュー!」

 

 その頃、街中ではまなが毒沼の瘴気で苦しんでいる人たちの救援活動を続けていた。常に付き添いには目玉おやじと呪いでねずみになってしまっている猫娘がおり、まなの行動をナビゲーションしてくれている。

 

 そして肝心の救助活動の方だが。まな以外にも砂かけババアたちの活躍もあり、あらかた完了しようとしていた。少なくともまなの視界に入る範囲に苦しんでいる人はおらず、彼女は別の場所へと移動しようとする。

 

「……のう、気付いておるか、まなちゃん?」

 

 しかし、まなが次なる行動を起こそうとする前に、目玉おやじがあることに気付く。

 

「瘴気の濃度が薄れてきておる……匂いもだいぶ和らいでおるぞ」

「えっ? ……あれ、ほんとだ。臭くない……」

 

 それは毒沼の匂いが徐々に薄れてきているという事実だ。防毒マスクを付けていてもそれなりに臭ってきた異臭が、今はほとんど感じない。マスクを脱ぎ捨てても問題ないレベルにまで瘴気が薄れている。

 

 これは、アデルがメタリカの魔法を封じた影響によるもの。

 彼女の魔力が暴走していることで、毒沼の召喚術を維持できなくなっているのだ。

 結果——人々を蝕んでいたニブルヘンネの毒沼が枯れ、街が正常な状態へと戻ろうとしていた。

 

「どうやら、鬼太郎たちがあの魔女の暴虐を喰い止めてくれたようじゃ! これで騒ぎも収まるじゃろう!!」

 

 細かい事情までは知らないが、きっとこれも鬼太郎やアニエスのおかげだろうと。目玉おやじは純粋に喜びの声を上げていた。

 

「そっか……鬼太郎が、あの魔女の人を……」

 

 反面、まなはどこか複雑そうな顔をしている。

 

 街が元に戻り人々が苦しまなくて済むのは無論嬉しい。だが『魔女狩り』の話を聞いた後ということもあり、あのメタリカという魔女をただの悪者として退治することに、彼女は抵抗感を覚えてしまっている。

 戦う以外に道はなかったのかと。ついつい、そんなことを考えてしまう。

 

 

 するとそのときだ。東京の上空で爆発が発生。

 その轟音に、まなたちが空を見上げる。

 

 

「な、なに? なんの音!?」

「あれは……鬼太郎の指鉄砲じゃ!!」

 

 空を見上げれば、そこには見慣れた鬼太郎の指鉄砲の青い光が見えた。

 その一撃が決め手となったのだろう。残り香のように漂っていた瘴気も完全に消え去っていく。

 

「……これで……えっ……あれって……?」

 

 これで今度こそ終わったのかと、まなが気落ち気味に呟いたところだった。

 

 雲を突き抜ける勢いの指鉄砲の光の中から、何かが飛び出してくる。

 その何かは重力のままに地上へ。そのまま、まなたちのいた場所の近くの池へと落下した。

 

「なっ、なに!? 今の……!?」

 

 落下の衝撃で水柱が立ち、水飛沫に濡らされるまな。

 彼女は戸惑いつつも、何が池に落ちてきたのか。それを確認しに走っていた。

 

 

 

 

「——はぁはぁ……ぺっぺっ!!」

 

 池の中から地上へと這い上がってきたのは他でもない、沼の魔女メタリカだった。

 彼女は鬼太郎の指鉄砲を受けて吹き飛ばされながらも、池をクッションに地上へと降り立ち、無事生還していた。

 

「くそっ!! ワタシが……こんな醜態を晒すことになるとは……」

 

 しかし、さすがにダメージが大きすぎたのか。まともに立ち上がることもできない。

 彼女は、まさか自分がこんな惨めな目に遭うとは思っていなかったのか。屈辱に身を震わせながらも、何とか起き上がろうと身をよじっている。

 

「——ふ、ふははっ、無様なものだな、メタリカ!!」

 

 すると、そんなメタリカを嘲笑う男の声がその場に響き渡る。 

 

「貴様っ! ヴォルフガング!!」

 

 地に這いつくばったまま顔だけを上げ、メタリカはその男を睨め上げる。

 そこに立っていたのは、バックベアード軍団の幹部・ヴォルフガング。メタリカが鬼太郎たちよりも前に、喧嘩を売っていた相手である。

 

「ふっ、我らにあれだけ大口を叩いておきながらこの様とは……所詮、貴様などその程度の器よ!」

「や、やかましい!! 貴様……何でこんなところにっ!?」

 

 ヴォルフガングの嘲笑にメタリカは強気に返すも、今の態勢ではまったく様になっていない。

 彼女は自分がコケにしていた相手に見下ろされる屈辱に歯軋りしながら、何故彼がここにいるのかと問い質していた。

 

「知れたこと、貴様を始末しに来たのよ!! 我らバックベアード軍団に逆らった者に与える末路は……絶望のみ!!」

 

 それがバックベアード軍団の鉄の掟。

 一度歯向かったものに、彼らは恩恵も慈悲もくれてやらない。

 

「本当なら、貴様が鬼太郎を倒した後にでも始末を付ける予定だったが、まさか貴様の方が鬼太郎に敗れるとはな……」

 

 どうやら、彼はメタリカと鬼太郎たちとの戦いを観戦していたらしい。

 全てが終わったところで隙を突いて殺すつもりだったようだが、メタリカが鬼太郎たちに負けるのは予想外だったと意外そうに呟く。

 

「まあ、おかげで手間も省けたというもの……このまま、恥辱に塗れたまま死ぬがいい!!」

 

 だがそのおかげで、こうして何の苦労もなくメタリカを始末できると。ヴォルフガングは先に受けた屈辱を返すべく、彼女にトドメを刺そうと腕を振りかぶる。

 

「くそっ!! このっ×◇%〇野郎がっ!!」

 

 メタリカは最後まで、人に聞かせるのも失礼なほどの暴言を吐きながら、己の惨めな最後が悔しくて叫んでいた。

 

 

 

「——やめてっ!!」

 

 

 

 ところが——。

 今まさに振り下ろされようとしたヴォルフガングの凶刃。それを防ごうと彼とメタリカ、二人の間に割って入る少女の姿があった。

 

 そう、犬山まなだ。

 空から落ちてきた何かを確かめに池まで駆けつけてきた彼女がその現場を目撃し、咄嗟にメタリカを庇ったのだ。

 

「き、貴様っ、人間の小娘!?」

「あん? ……お前は、確か指輪のときの……」

 

 メタリカは憎らしい人間の少女の登場に目を見開き、ヴォルフガングがトドメを刺す手を止め、一応は面識のある少女へ怪訝そうな顔つきを向ける。

 

「何故庇う? そいつはお前たち人間の街を滅茶苦茶にした張本人だろうに?」

 

 心底、理解できないという顔で問いかけるヴォルフガング。

 

「まなちゃん! よすんじゃ!」

「チュー! チュー!!」

 

 まなと一緒にいる目玉おやじと未だねずみのままの猫娘も、彼女の無謀を止めようと説得している。

 

「…………」

 

 だが、その誰の言葉にもまなは何も答えない。

 彼女はただ毅然と、堂々とした態度でメタリカを庇うべくそこに立っていた。

 

「お、おまえ……」

「ふん、まあいいさ」

 

 まなの行動に戸惑うメタリカ。

 もっとも、ヴォルフガングの方は特に興味も無さそうに鼻を鳴らす。

 

「そんなに死にたければ……諸共にくたばるがいい!!」

 

 彼にとって、まなの存在など障害にもならない。

 立ち塞がるまなの体ごとメタリカを貫こうと狼男の本性を現し、その爪をまなたちに突き立てようとする。

 

 

 だがその直後——見えない障壁がまなとメタリカを包み込み、ヴォルフガングの獣の爪を弾く。

 

 

「何っ!? これは……結界!?」

 

 ヴォルフガングは自分の爪を弾いたものが魔法。魔女による結界魔法であることを見抜き、反射的にまなたちから距離をとる。

 

「——そこまでです。ヴォルフガング」

 

 彼の予想通り、そこにはいつの間にかもう一人の魔女が立っていた。

 今のメタリカと同じ黒い髪の、とんがり帽子を被った大人の女性が——。

 

「貴様は!? 森の魔女・マーリカ!!」

「えっ、だ……誰?」

 

 ヴォルフガングがその魔女の二つ名と名前を叫ぶも、まなはそれが何者なのか知らないため混乱している。

 

「どういうつもりだ! 魔女会は我らと敵対することも辞さないというのか!?」

 

 自分の邪魔をしたマーリカ——『魔女会の重鎮』である彼女にヴォルフガングが怒気を孕んで吠える。

 

 

 バックベアード軍団と魔女会は基本、互いに不干渉を条件に和平が保たれている。魔女会の中でも若いメタリカが粗相を働くならまだ言い訳も付くが、魔女会の中でも相当な地位を持つマーリカがヴォルフガングの邪魔をすれば、互いの関係に亀裂が入りかねないと。

 

 

「リカを……その子たちを傷つけさせはしません」

 

 しかし、マーリカは一歩も引かない。

 彼女はメタリカを、彼女を庇ってくれたまなを守ろうと、結界をさらに強める。

 

「貴方もこれ以上は諦めなさい。ワタシと……彼らを同時には敵に回したくないでしょう?」

 

 マーリカがそのように忠告を入れるや。

 

「——まなっ!!」

「鬼太郎! アニエス! ……それに、アデルさんも!?」

 

 一反木綿に乗った鬼太郎とアニエス、そしてアデルがメタリカを追ってその場に舞い降りてくる。頼もしい救援にまなの表情も明るくなった。

 

「ちっ……」

「さあ、どうしますか?」

 

 状況の不利に舌打ちするヴォルフガングに、念を押すように問い掛けるマーリカ。

 

「ふん! いいだろう、この場は退いてやる!!」

 

 さすがに、ここでこの場の全員を相手にする気にはならなかったのか。ヴォルフガングは敵意を引っ込め、魔法石を握り締めながら最後に吐き捨てる。

 

「だが覚悟しておけ!! バックベアード様復活の準備は着々と進んでいる!! あのお方が復活したときこそ、貴様らの最後だ!! ふふふ、ふはははっ!!」

 

 憎っくき怨敵、裏切り者、敵対組織。

 それら全てに向けて高笑いを上げながら、ヴォルフガングは転移の魔法でその場から立ち去っていった。

 

 

 

×

 

 

 

「あ、貴方は……」

「マーリカ様!?」

 

 ヴォルフガングが立ち去った後、その場に残ったマーリカに対し、アニエスとアデルが跪いて最大限の礼を示す。

 どうやら、魔女として二人よりも格上の相手らしい。そして若い魔女である彼女たちに対し、マーリカは優しく微笑む。

 

「久しぶりですね、二人とも……この度は、リカが本当に迷惑をかけました」

 

 挨拶もそこそこに、マーリカは今回の一件——メタリカの起こした騒動に関して謝罪する。

 本来ならば彼女が謝る必要のないことだが、まるで子供の尻拭いをするかのように頭を下げていた。

 

「ゲロ女っ……余計なことをっ!!」

 

 これに反抗心丸出しのメタリカ。余計なお世話とマーリカに噛みつく。

 

「リカ……今は大人しくしていなさい」

 

 しかし、その駄々を宥めるよう、マーリカはメタリカに大人しするように言い聞かせる。

 そして魔法でメタリカの傷を癒しながら、マーリカは鬼太郎たちに願い出る。

 

「本当に……勝手なお願いなのは分かっています。ですが、どうか……この子を許してやってはくれないでしょうか? ワタシにできる償いなら、何でもします……だから!!」

 

 懇願するような申し出だ。口先だけではなく、マーリカが本当にメタリカのためにあらゆる贖罪を辞さないことがその言葉から伝わってくる。

 

「…………猫娘を、元に戻してくれないか?」

「チュ、チュー……」

 

 その申し出に対し、鬼太郎が真っ先に頼んだのが『猫娘の呪い』を解いてもらうことだった。

 

 メタリカのねずみ化の呪いが未だに効力を発揮し、白いねずみのままで困っている猫娘。

 メタリカのことを許すにせよ、許さないにせよ。まずはそこが最優先だとばかりに、鬼太郎は前のめりに要求する。

 

「わかりました。それでは——」

 

 その要求を迷いなく受け入れ、マーリカは猫娘へと手を伸ばす。

 そして一息、何かしらの呪文を呟いた途端——ねずみだった猫娘が、あっという間に元の姿へと戻っていく。

 

「猫娘っ!? 大丈夫か!?」

「猫姉さん!! よかった……」

 

 猫娘の無事な姿に、鬼太郎とまながホッと胸を撫で下ろす。

 

「鬼太郎、まな。あ、ありがとう……」

 

 自分の復帰を喜んでくれる二人に、照れ臭そうに感謝を告げる猫娘。

 

「あの呪いを、いとも簡単に……!」

「さすがは、森の魔女……」

  

 アニエスとアデルは魔女として、呪いを一瞬で解いてしまったマーリカの魔力に驚嘆と敬意の目を向けていた。

 

 

 

 

「他に……ワタシにできることはないでしょうか?」

 

 猫娘の呪いを解いたことを何でもないことのように告げ、マーリカは鬼太郎たちのさらなる要求に応える準備する。しかし、鬼太郎としてはそれ以上何かをして欲しいと思ってはいなかった。

 

「ボクは別に構わない。けど……」

 

 彼自身はメタリカを見逃すことに特に抵抗感がない様子。しかし、今回の一件で一番被害を受けたのは、人間たちだろう。

 メタリカの呼び出した毒沼の瘴気のせいで都市機能は麻痺し、多くの人間たちが苦しんだ。だからこそ、妖怪である彼が勝手な立場で安易に許すなどと口にはできない。

 彼はその場にいる唯一の人間——まなに視線を向ける。

 

「わたしは……」

 

 まなは、自分が何かしらの答えを口にすることを求められていることを空気で察する。

 自分がメタリカの所業を許すか、許さないか。

 

「…………わたしも、構いません」

 

 まなは熟考の末、メタリカを見逃すことにした。

 彼女は街の被害を直に見てきたが、少なくともまなの見える範囲で取り返しのつかないような被害や死者はいなかった。砂かけババアたちの、先だった救助活動のおかげだろう。

 自分が代表者のように答えるのも身勝手かと思ったが、少なくともまなはこれ以上の断罪をメタリカに求めはしなかった。

 

「い、いいのですか……?」

 

 これにはさすがのマーリカも驚いたのか。少し戸惑ったような反応を見せる。だがすぐに笑顔を見せ、許してくれたまなに感謝を述べようとした——

 

「ま、待て——!!」

 

 だがまなの許しに対し、他でもないメタリカが声を荒げる。

 彼女は怒りと困惑、その両方を瞳に宿してまなに問う。

 

「人間……なぜ、ワタシを庇った? 憐みのつもりか!!」

 

 プライドの高いメタリカは、自分が情けを掛けられたと屈辱に身を震わせながら立ち上がる。マーリカに傷を癒してもらい、多少は余裕ができたが、先ほどまで彼女は本当に虫の息だった。

 ヴォルフガングから自分を庇ったのも、そんな自分への憐みからかと、怒りを露にするメタリカ。

 

「そんなんじゃないよ!!」

「!!」

 

 すると、メタリカの怒りに負けじと、まなは言い返す。

 

「そんなんじゃない……確かにわたしは……貴方たち魔女の歴史を『魔女狩り』のことをアニエスから聞かされたよ? けど、それとこれとは別だから……」

 

 まなは、確かに魔女狩りの話で魔女であるアニエスやメタリカたちに同情、憐みのようなものを抱くようになったかもしれない。

 けれど、メタリカを助けたのはそんなことじゃない。

 

 

 そんな——何か理由があって助けたわけじゃない。

 ただ単純に、困っているメタリカを見過ごせなかった、ただそれだけだった。

 

 

「……はぁ、まならしいわね」

 

 お節介な、実にまならしい理由にため息をつくアニエス。

 彼女自身もそのお節介で助けられたため、彼女としても苦笑いするしかない。 

 

「けど……やっぱり、言いたいことは言わせてもらうよ! わたしだって、何も思うことがないわけじゃないんだから!」

「はっ!? なんだ! 恨み言の一つや二つくらいなら聞いてやるぞ!!」

 

 しかし、まなとて聖人君主ではない。彼女はメタリカに言いたいことがあると、ムキになったように頬を膨らませる。

 メタリカは、それが自分に対する批判か何かと思い、まなの言葉に喧嘩腰に応じていた。

 だが——まなが言いたいことは、メタリカの予想の斜め上をいく。

 

「わたし……アニエスから魔女狩りのことを聞いて、ずっと昔に人間が貴方たち魔女にしたことを聞いて……ずっと引っ掛かってたことがあるの」

「……あん?」

 

 それは、メタリカに対する批判でも愚痴でもない。

 アニエスから魔女狩りの話を聞いてから、ずっとまなの中で燻っていた感情だ。

 

「自分の中でずっと溜め込んでたら、きっとモヤモヤして気持ちが悪いままだから。だから……この際、はっきりと言わせてもらうね!!」

「……いったい、何のことだ? 何が言いたいんだ、人間!!」

 

 まなはその感情を、困惑するメタリカにも構わずにぶつける。

 こんなことを今更言ったところで、どうにもならないことを自覚しながらも。

 

 まなは——勢いよくメタリカに頭を下げながら、叫んでいた。

 

 

 

「本当に……ごめんなさい!!」

 

 

 

 それは謝罪だった。

 魔女狩りで魔女を虐げてきた人間として、その歴史について知ろうともしなかった一人の人間として。まなはメタリカに謝りたかった。

 それこそが——まながメタリカに、魔女に対して言いたかったことである。

 

「は、はぁああ!? お、おまえ……ご、ごめんなさいって!? そんな……貴様如きの謝罪ひとつで、許されるとか思っているのか!?」

 

 当然ながらも、このタイミングでの謝罪にメタリカは思いっきり困惑し、激昂する。

 そんな「ごめんなさい」の一言で許されるほど、お前たち人間の罪は、歴史は軽くはないと。

 

「それでも……謝りたいと、思ってたから……」

 

 まなだって、こんな自分如きの謝罪で許してもらえるとは思っていなかった。

 こんなものただの自己満足だと。それを理解していながらも、言わずにはいられなかったのだ。

 

 

 

「——顔を上げなさい、人の子よ」

 

 

 

 するとまなの謝罪に、森の魔女・マーリカが魔女として応えていた。

 

「人の子よ……ワタシは魔女狩りの歴史を、あの当時の出来事を……当事者として体験しています」

「!!」

 

 そう、マーリカはアニエスやメタリカ、アデルといった若い世代の魔女とは違い、実際に中世のヨーロッパで起きた魔女狩りを直に体験している世代だ。

 

「あれはまさに『人災』。魔女のみならず、人間も……多くの生命が理不尽なままに奪われていきました」

「はい……」

 

 マーリカの言葉に、まなが暗い面持ちになる。

 それは歴史だけを知っているアニエスやメタリカでは決して伝えることのできない、当事者だからこその言葉の重みだった。

 

「ワタシたち魔女は……あの愚行を、人間たちの行った残虐な行いを……決して忘れはしないでしょう」

「……っ!」

 

 そんな相手からの厳しい言葉に、まなは顔を伏せながら、泣きそうな表情になっていた。けれど——

 

 

「ですが……許します」

「えっ……?」

 

 

 自らの思いを優しい言の葉に乗せ、マーリカは言ってくれた。

 

「ワタシは貴方を、貴方たち人間を許します。人の子よ、貴方がリカのことを許してくれたように……」

「——!!」

 

 彼女のその言葉にまなだけでなく、その場にいた全てのものが目を丸くする。

 

 

 魔女狩りでマーリカ自身、酷い目にあってきただろうに。

 人々から疎まれ、ひょっとしたら身近な人を、大切な人をその人災で失っているかもしれないだろうに。

 

 それでも、それでも彼女は『許す』と言ってくれた。

 マーリカのその言葉は本当に優しく——まるで、母のような包み込む慈愛に満ちている。

 

 

「だから顔を上げてください。そして、改めて礼を言わせてください。リカを庇ってくれて、ありがとう……」

「マーリカさん……」

 

 出会ったばかりでありながらも、まなもそんなマーリカに母性のようなものを感じ始めていた。

 彼女の許しに、救われる思いで顔を上げる。

 

「ふ、ふざけるな——!!」

 

 しかし、やはりそれに納得できない。メタリカのような魔女だって当然のようにいる。

 

「許す? 許すというのか!? こんな小娘の戯言一つで、お前は奴らの愚行を、その間違った歴史を許せるというのか、マーリカ!?」

 

 悪口でなく、マーリカのことを名前で読んでしまうほどに動揺する。

 そんなメタリカに、マーリカはあくまで冷静に語りかける。

 

「リカ、ワタシが許すと言っているのです」

「!! くそ……」

 

 それは他でもない、当事者であるマーリカの言葉だ。

 歴史だけでしか知らないメタリカでは、どうやっても彼女に言葉では敵わない。

 

「ワタシは……納得せんぞ!!」

 

 それでも、あくまでも人と敵対する道を選ぶメタリカ。

 すると、そんな彼女の反抗心に応えるように——

 

 

『キュワワワッ!!』

 

 

 かの魔神が、再びその姿を現す。

 

 

 

 

「なっ! 百騎兵!?」

「あっちゃ~……戻ってきおったばい!!」

 

 怪鳥となってその場に姿を現した魔神に、鬼太郎と一反木綿が頭を抱える。彼らは結局あの魔神を倒すことができず、メタリカの魔力供給が途絶えた影響で決着もお流れになっていた。

  

 あの魔神自体の力の底を、未だに鬼太郎たちは見ていない。

 鬼太郎自身も大きく妖力を消耗している今の時点で、あの魔神と戦うことは避けたいと思っていた。

 

 もっとも、そう思っていたのは鬼太郎たちだけではなかったようだ。

 

「百騎兵……ここは退くぞ!!」

 

 意外にも、メタリカはその場から撤退する道を選んだ。

 冷静に戦況を判断し、今の傷付いた自分では敵わないと感じたのだろう。その背中に飛び乗り、百騎兵にその場から離れるように指示を出す。

 

「覚えておけ、次はこうもいかん! 必ず、必ずや貴様らを叩きのめし、魔女の偉大さを全てのものに思い知らせてやる!!」

 

 逃げながらも、強気な言葉を捨て台詞で残していく。

 

 まだまだ、メタリカは諦めていない。

 自身の野望を、夢を——。

 

「そのときまで、せいぜい首を洗って待っているがいい!! キッヒッヒッヒー!!」

 

 最後の最後まで彼女らしい、彼女が理想とする『意地悪な魔女』の笑い声を響かせながら、百騎兵とともに空に向かって飛び去っていく。

 

 

 

 

「本当に……よかったのかしら……」

 

 懲りた様子もなく立ち去っていくメタリカに、猫娘が心配そうに呟く。

 

 本当に彼女を逃してよかったのかと。

 また同じようなことを繰り返すのではと、その後の彼女の行動に疑問を抱かずにはいられないようだ。

 

「今は……難しいかもしれませんね」

 

 猫娘の心配を、マーリカは頭ごなしには否定しなかった。

 

 若さゆえの未熟か。同胞たる魔女への思いか。

 メタリカが人間を許すことができるようになるには、まだまだ時間が必要だろう。

 

「ですが、いつかあの子にもわかる日が来ます。きっと……」

 

 それでも、いつかメタリカにもわかる日が来るとマーリカは信じる。

 信じて、遠ざかっていく彼女の背中を静かに見送る。

 

 

 まるで子供の成長を見守る、母親のような瞳で——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ!! どいつもこいつも悟ったような、わかったようなことをほざきやがって!!」

 

 百騎兵に乗って空を飛びながら、その背中で不満をぶちまけるメタリカ。

 大っ嫌いな母親譲りの黒髪を掻き毟りながら、彼女は何もかもが気に入らないと声を荒げる。

 

 

 見逃されたことも、庇われたことも。

 憐まれたことも、優しくされたことも。

 

 あんな甘い連中に遅れをとった自分にも。

 大っ嫌いなあの女に傷を癒されたことも。

 

 ごめんなさいと、素直に自分たちの非を認めて謝ったあの人間に——。

 そんな謝罪に、何もかも悟ったように全てを許すといったあの魔女に——

 

 

 ありとあらゆることが気に入らないと、メタリカは憤っていた。

 

「…………キッヒッヒッヒ! まあいいさ。このワタシを見逃したこと、いつか後悔させてやるぞ!」

 

 だが、復帰した自分が再び彼らを苦しめることになるだろう情景を思い浮かべることで、メタリカは何とか溜飲を下げる。

 

「もう一度魔力を整え、今以上の力を身につけ……必ずやワタシは、もう一度奴らを叩きのめしてやる!!」

 

 そのためにも、今は時間が必要だと。

 メタリカも今は、この屈辱を甘んじて受け入れる。

 

 いずれ、必ず自分は戻ってくる。

 そのときこそ——

 

「そのときは百騎兵! お前にもしっかりと働いてもらうからな!!」

『キュワッ!!』

 

 自分と百騎兵が全てを手に入れると。

 メタリカは使い魔たる彼に声を掛け、百騎兵も主人であるメタリカの命令に当然とばかりに返す。

 

 

 

 魔女と百騎兵。二人の戦いはこれからも続いていく。

 

 

 

 そして——その戦いの中で、メタリカは出会うことになるだろう。

 

 一人の人間の、騎士の少女に——。

 犬化の呪いをかけられた半人半獣の少女に——。

 

 彼女との口喧嘩や衝突、すれ違いを経てメタリカは『人間』について、『世界』について学んでいく。

 

 そして、その少女のために己の命すらも賭けることになるわけだが——。

 

 

 

 それはまた、別の物語としていずれ誰かに語られるだろう。

 

 

 




次回予告

「父さん、まなが友達と夏休みに海に行くそうです。
 ですが、その浜の海の家で変な女の子が働いているとか。
 イカ……? 娘……? 彼女は妖怪なんでしょうか? それとも……。

 次回——ゲゲゲの鬼太郎 『侵略! イカ娘』 見えない世界の扉が開く」

 というわけで。
 次回こそ季節もの、夏休みシリーズ第一弾『侵略! イカ娘』のクロスオーバーをやります。
 真面目な話が続きましたが、次回は今までで一番のほんわかストーリーにするつもりです。息抜きのつもりでお楽しみに!!

 

  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

侵略! イカ娘 其の①

今回のクロスオーバーは夏という季節もの。『侵略! イカ娘』です。

2010年。今から10年ほど前にアニメが報道され、一世を風靡した名作。
ただ、作者は当時にこのアニメを見ておらず、このゲゲゲの鬼太郎のクロスオーバー企画で勧められ、初めて本作のアニメを視聴させて貰いました。
作者が興味を持ったときは、丁度公式の方で二期のアニメが無料配信してましたので。

今年はコロナの影響で実際には海にも行きにくく、この作品の舞台となる由比ヶ浜のオフィシャルサイトでも、海水浴の開設を中止しているとのこと。
色々と残念ではありますが、どうかこのクロスを見た方々が少しでも『夏』という気分に浸れたらと思って書かせて頂きました。

クロス先の影響もあり、最初から最後までほのぼのとした雰囲気で話が進むと思いますので、どうかよろしくお願いします。




 ——……許さない。

 

 ——……許すまじ、人類!!

 

 ——お前たちなど、百害あって一理なし。

 

 ——お前たちなど、お前たちなど……

 

 

 

 ——わたしが、侵略してやるでゲソ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏。

 夏だ。

 

 今年も——夏がやって来た。

 

 知ってのとおり、日本では春夏秋冬と四つの季節が順々に巡ってくるようになっている。その四季の違いを風情として明確に楽しめることも、この国の特徴の一つだろう。

 

 だがその中でも『夏』というワードはこの国の子供たちにとって特別な意味が伴っている。

 何故なら——夏には、『夏休み』があるからだ。

 

 勿論、冬にだって冬休みがあるし、春には新学期の準備に備える春休みもある。

 

 だがそれでも——やはり夏休みは特別だ。

 

 特に子供たちにとって、この長期の休み期間は特別な時間。

 

 この期間にゆっくり休むのもよし!

 家族と楽しい時間を過ごすのもよし!

 友達と馬鹿をするのもよし!

 受験勉強に追い込みを掛けるのもよし!

 

 いずれにせよ、その年の夏休みは、一生に一回。一度しか訪れない。

 せめて悔いのない夏休みを過ごそうと、皆がこの期間に何をして過ごすかという命題に、いつだって全力で取り組んでいる。

 

 そして、ここにも——その命題に取り組んだ結果。

 

「——楽しみっすね! 湘南の海!!」

 

 湘南の海というワードに強い憧れを抱く男子中学生が、その衝動を抑えきれずに目的地へ向かう光景があった。

 

 

 

 現在、夏休みも中盤。

 一組の観光客が東京の調布市から、神奈川の海。所謂『湘南(しょうなん)』と呼ばれる相模湾(さがみわん)沿岸地方の有名海遊スポットを訪れようとしていた。

 移動手段は車。都内からおよそ一時間ほどで辿り着ける場所にある浜辺は、東京都民にも気軽に遊びにいけるスポットとし有名である。

 

「いや~! それにしても助かりましたよ! おじさんが車出してくれて!!」

「ほんと、おかげで電車の乗り換えとか気にせずに遊びにいけるね、兄ちゃん!!」

 

 車の後部座席、身を乗り出しながら二人の男子が運転手に話しかける。

 蒼馬(そうま)大翔(ひろと)——兄は中学生、弟が小学生の兄弟である。

 

 彼らは実に上機嫌に、自分たちを目的地まで連れて行ってくれる運転手・犬山裕一に礼を言う。

 

「いやいや、気にしないでよ! ボクも久しぶりに湘南の海に行けて嬉しいんだから!!」

 

 そんなお礼に対し、裕一は謙虚な態度で応じる。

 何だか体よく使われているような感じにも見えるが、彼自身も彼らと——そして愛娘と夏休みに海という若い頃の青春を感じさせる場所へ行け、嬉しい気持ちを隠しきれずにいるようであった。

 

「はぁ~朝からテンション高すぎだし……」

 

 だがその反面。助手席に座る裕一の愛娘・犬山まなは呆れたという態度、ハイテンションで馬鹿をやっている男三人に冷たい視線を向けている。その態度からわかるとおり、彼女自身はこの湘南への日帰り旅行をそこまで楽しみにしてはいなかった。

 元はと言えば今回の日帰り旅行、それは本当に急遽として決まったものだったからだ。

 

 

 犬山家では毎年、夏休みに何処に行くかといったスケジュールがある程度決まっている。父方の実家である境港に帰省したり、田舎の別荘でのんびりと過ごしたり。

 その合間に宿題を片付けたり、女友達とショッピングに出掛けたりと。まなは毎年のように楽しくも忙しい夏休みを過ごしていた。

 

 だが、昨日のことだ。

 この蒼馬——彼は犬山まなの幼馴染ではあるのだが、突然自分の家に訪れて来たかと思えば、まなの父親である裕一に頼み込んできたのだ。

 

『——おじさん!! 俺を……湘南の海まで連れてって下さい! 俺を——男にして下さい!!』

 

 いきなり玄関口で土下座しながらそんなことを宣うものだから、まなもさすがに唖然とした。

 何故そんなことを裕一に頼むのかと。詳しいことを聞いたところ——まなはさらに呆れるしかなかった。

 

 彼が湘南に行きたいと言い出した理由。

 別にそこに海よりも谷よりも深い理由があるわけではない。ただ単にTV番組で湘南の浜辺が紹介されていたからだという。

 そしてその番組内で『サーフボードを手にした若者たちが、水着の美女をたくさん侍らせる』などという映像を見てしまい、自分もああなりたいと、憧れを抱いたからだという。

 

 つまりこの男——『海でサーフィンを覚え、自分も水着の姉ちゃんたちにモテたい!』などという、しょうもない理由から湘南の海に行きたいなどとほざいているのだ。

 

『——馬鹿じゃないの?』

 

 まなの第一声が冷たく響いたのは当然のことだっただろう。

 どうして男子というものは、そういった下らないことに情熱を傾けることができるのか。女子の彼女からすれば、まったくもって理解し難い。

 そもそも、サーフィンができれば女の子にモテる。などと、考えている時点で浅はかとしか言いようがない。

 別に女はそんなことで男の価値を決めたりはしない。少なくとも、犬山まなはそうだ。

 

 サーフィンができようができまいが、モテるやつはモテる。モテないやつはモテない。

 悲しいが、それが現実というものである。

 

『……そうか、わかったよ!!』

 

 しかし何を血迷ったのか。裕一は神妙な顔つきで蒼馬の頼みに応え、彼の提案を快諾してしまったのだ。

 

『何を隠そう……ボクも若い頃は湘南の海でブイブイ言わせてたもんさ!! 男として君の気持ちが理解できる!!』

 

 どうやら、今の蒼馬と若い頃の自分を重ね、シンパシーのようなものを感じ取ってしまったらしい。

 

『サーフィンならボクが教えてあげよう! だから……顔を上げなさい』

『おじさん……』 

 

 サーフィンまで教えてやると安請け合いしてしまい、互いに何かが通じ合ったように玄関先で男二人が見つめ合う。

 

『…………なに、あれ?』

『相手にしちゃダメよ、まな。男の子なんて、いつの時代も変わらないんだから』

 

 呆れて言葉もないまなに、全てを悟りきったように母である犬山純子が無視するように言い聞かせる。

 

 まあ結局、そのノリと勢いのまま。

 数日後の今日、犬山まなは男たちと一緒に湘南の海へと赴くことになるわけだった。

 

 

「まったく……そんな下らない事情にわたしだけじゃなく、裕太くんまで巻き込んで。ごめんね、裕太くん。変なことに付き合わせちゃって」

 

 まなはため息を吐きながら父である裕一や蒼馬。ついでに海で大騒ぎしたいとついてきた大翔を呆れた目で見つめるが、もう一人の連れ——お隣さんの子・裕太(ゆうた)という少年に対しては同情的な視線を向ける。

 裕太は眼鏡を掛けた大人しそうな少年で、大翔と同じ小学生だ。一応は友達である蒼馬と大翔にからかわれ、振り回されることが多い。

 今回も、彼は馬鹿な兄弟のために大事な夏休みの日程を潰される形で付いてくることになった。

 

「ううん、気にしないでよ、まな姉ちゃん!」 

 

 しかし、裕太少年は特に気にした風もなく、寧ろ喜んだ表情でまなに笑顔を向ける。

 

「ボクも海に行けるの楽しみにしてたから! ……まな姉ちゃんは楽しみじゃないの?」

 

 いきなり入った予定とはいえ、彼は彼で友達と海に行けることを楽しみにしていたらしい。寧ろ、裕太はあまり楽しくなさそうなまなに、不安そうに尋ねていた。

 

「そ、そんなことないよ! わたしだって、海水浴が楽しみだよ!」

 

 裕太の問いに、まなは慌てて笑顔を取り繕う。

 本当はあまり乗り気ではないのだが、さすがに純粋に楽しみにしている子を前に「あまり楽しみじゃない」などと答え、水を差すことはできない。

 裕太の気持ちを蔑ろにしないためにも、やむを得ず楽しみだと答えるまな。

 

「そっか、よかった!! ボクもまな姉ちゃんと海に行けて嬉しいよ!!」

「そ、そうだね! はは……はははっ! ……………はぁ~、仕方ないな……」

 

 裕太の純粋な笑顔を前にチクリと罪悪感を覚えながら、まなは隠れたため息を吐く。

 

 ——まあ、腐っててもしょうがないか……。

 

 とりあえず、気分を切り替える。

 蒼馬の下らない理由に振り回されるのは尺だが、せっかくだからこの機会、せいぜい自分も楽しませてもらおうと。

 

 まなは前向きに、今回の海水浴を堪能することにした。

 

 

 

×

 

 

 

「——ほら、着いたぞ! ここが由比ヶ浜だ!!」

 

 そうこうしているうちに、ついに犬山裕一の運転する車が今回の目的地・由比ヶ浜(ゆいがはま)海水浴場へとやってきた。

 道路脇に車を止め、とりあえず今日一日お世話になることになる海岸をその場から眺める一同。

 

「わぁー! 綺麗!!」

「ああ、絶好の海水浴日和だぜ!!」

 

 そこから見える景色には、乗る気ではなかったまなも感嘆の声を上げ、始めからやる気MAXだった蒼馬もさらにテンションを上げる。

 

 由比ヶ浜海水浴場は鎌倉を代表するビーチの一つだ。有名どころということもあり、朝早くでありながらも既に多くの観光客で賑わっている。

 家族連れに、友達同士の集まりにカップル。蒼馬が期待する水着の姉ちゃんたちもたくさんいる。

 青い海に白い砂浜。潮の香りに、空も清々しく晴れ渡っている。まさに都会っ子が想像する『湘南の海』そのものである。

 浜辺には夏の日差しをカットするのに欠かせない、ビーチパラソルが既に何本も突き刺さっている。

 そして、夏の海特有の簡易的な造りのお店——『海の家』が浜辺にいくつも建ち並び、多くの人々で賑わっている。

 

 まさに、夏という舞台を全力で楽しむのに最適のロケーションであった。

 

「ところでさ……」

 

 そんな夏の海の景色に感激しながらも、犬山まなはふと懐疑的な視線を父である裕一に向ける。

 

「お父さん、本当にサーフィンなんてできるの?」  

「な、何言ってるんだい、まな! 当たり前じゃないか、は、ははは……!!」

 

 まなが道中、ずっと疑問に思っていたこと。それはこの冴えない父親が果たして『本当にサーフィンなんてできるのか?』ということである。

 

 蒼馬に意気揚々とサーフィンを教えてやろうと張り切っているようだが、少なくともまなは彼がサーフボードを手にしているところなど初めて見た。

 母である純子に尋ねたところ、『まあ……できるといえばできるんだけど……』と言葉を濁していたところから察するに、一応は乗れるようだが、そこまで上手でもないらしい。それで本当に指導なんてできるのだろうか。

 ちなみに——日帰りということもあり、今回純子は家で留守番している。

 

「さて……それじゃあ、車を駐車場に移動してくるから先に……ん?」

 

 一通りそこから見える景色を一行が堪能した後、裕一は由比ヶ浜指定の駐車場へと車を移動させようとした。

 

 

 しかし、そのときになってトラブルが発生。裕一の携帯に着信音が鳴り響いたのだ。

 それもプライベートのではない。会社の——仕事用の携帯からだ。

 

 

「ハイ、犬山です! お疲れ様です!!」

 

 もはや条件反射の域で電話のコールに出る会社員・犬山裕一。上司からの連絡だったのか、電話越しでありながらもペコペコと応じる、悲しきサラリーマンの性。

 もっとも、それだけなら特に問題もなかっただろう。休暇中に職場からの電話。あまり気分のいいものではないかもしれないが、受け答えするくらいならばまだ許容範囲内。だが——

 

「……えっ!? 先方にお渡しする資料のデータに……修正を加えたい? ……今から手直ししろ?」

 

 淀みなく受け答えしていた裕一の言葉が、やや困惑気味に陥る。

 

「ですが課長、私は休暇中で……はい、はい……」

 

 サラリーマンにだって夏休みがある。

 それを潰されたくない思いから必死に言葉を重ねる。

 

「はい……わかりました。すぐに修正して今日中にメールしますので……はい、失礼します…………」

 

 だが裕一の抵抗は徒労に終わり、彼は明らかに電話に出る前よりもテンションを下げ、通話を打ち切る。

 

「お、お父さん?」

 

 傍から聞いていただけだが、まなは嫌な予感に思わず父親の顔を伺う。

 案の定、そこには会社からの無茶難題にせっかくの休日を潰された、虚しき社会人の憂い顔が見えた。

 

 

「ごめん……ちょっと急ぎの仕事が入った。すぐにでも作業に取り掛からないと……」

『ええええっ——!?』

 

 

 ここまで来て、まさかの『仕事』である。

 その場の全員から悲鳴のような叫び声が上がったのも、当然のことだっただろう。

 

「ま、まさか……今から東京に帰るの!?」

 

 これには今回の海水浴にあまり気乗りしていなかったまなでさえ、落胆を隠し切れない。

 せっかく気持ちを切り替えて楽しもうと思った矢先、まさか東京にUターンする羽目になるなど。いくら何でもそれはあんまりというもの。

 しかし一同が心配する中、裕一は何とか表情を明るくしてグッと親指を立てる。

 

「あっ、それは大丈夫! こんなこともあろうかと……仕事用のノートパソコンは常に持ち歩いてるから!!」

「…………えっ、それっていいの?」

 

 どうやら、こういった会社からの無茶振りは一度や二度ではないらしい。慣れた様子で仕事に必要な道具なら車に積んであると、自信満々に胸を張る会社員の鏡・犬山裕一。

 娘のまなは「それって……法律的に問題ないの?」と、中学生なりに昨今の社会情勢などを鑑みて色々と心配を抱くが、あまり詳しくはないため深く突っ込むことができない。

 

「そういうわけで……ちょっとその辺の喫茶店で仕事してるから、先に浜辺で遊んでてくれ!」

 

 裕一はまなたちに必要な荷物を持たせ、彼女たちを車から降ろす。

 そして休日返上で上司の注文に応えるべく、腰を落ち着けて仕事できる場所はないかと喫茶店を探しに車を出し始めた。

 

「ちょっ、おじさん!? サーフィンは!? 教えてくれるんじゃ——」

 

 その場を離れていく車に向かって、蒼馬が慌てて手を伸ばす。

 

 サーフィンを教えてもらう約束をした彼としては、指導役がいなければ肝心の目的——『サーフィンを覚えて水着の姉ちゃんにモテる』という目的が達成できない。

 自身の邪な夢のためにも蒼馬は慌てて裕一を呼び止めるが、その手は虚しく空を切る。

 

 車は——ブロロと、慌ただしくその場を走り去っていった。

 

 

 

 

「…………」

「…………」

「……どうしよう、まな姉ちゃん」

 

 取り残される形でその場に残った一同。蒼馬と大翔が口を上げて唖然となる中、裕太が不安げにまなの顔を見つめてくる。

 

「とりあえず…………浜辺に行こっか」

 

 まなはひとまず腰を落ち着けるべく、放心状態の男たちを連れて由比ヶ浜の砂浜へと移動していくのであった。

 

 

 

×

 

 

 

「とりあえず……これでよし!!」

 

 砂浜に着いたまなは最初にビーチパラソルを立てる。これで今日一日拠点となる場所は確保した。そこにレジャーシートを敷き、荷物を置いてまずは一息つく。

 

「……で? いつまでそうやって凹んでるわけ?」

 

 そうして落ち着いたところで、彼女は改めて蒼馬の方に目を向ける。

  

「うう……だって、だってよ…………」

 

 そこにはサーフボード片手に項垂れる哀れな青少年の姿があった。

 

 せっかく憧れの湘南に来たというのに、せっかく背伸びをしてまでサーフィンに必要な道具を一式揃えたというのに。肝心の指導役がいなければ、どこからどう手をつけていいか分からない、完全にサーフィン初心者の蒼馬くん。

 彼の『カッコいいサーファーになって水着の姉ちゃんにモテる』という夢が今ここに潰えようとしていた。

 

「いや、まだだ……まだ終われねぇよ!!」

 

 しかし、諦めの悪い蒼馬はまだまだこの野望を捨て切れずにいる。

 

「こうなったら……一人でもやってやる!! 見てろよ!!」

 

 そう叫びながら彼が手にしたのはスマートフォンだ。

 困ったときはネット世代。サーフィンのやり方を検索しようと、浜辺に来てまでスマホの画面と真剣に睨めっこを始める。

 

「兄ちゃん……大丈夫?」

「…………」

 

 鬼気迫る表情の兄に、弟の大翔も堪らず声を掛けるが蒼馬は聞こえていない様子だ。

 

「大翔くん……泳ぎに行こっか?」

「う、うん……」

 

 兄に相手をしてもらえずに戸惑う大翔に、珍しく大人しい裕太の方から泳ぎに誘う。

 まずは二人の小学生が、まなや蒼馬を置いて海へと向かっていく。

 

「——よし!! いける、いけるぞ!!」

 

 その数分後。蒼馬がネットでサーフィンのやり方を検索した結果、ついに自身の目的に沿ったサイトを見つけたのか、彼は歓喜の雄叫びを上げる。

 高いテンションを取り戻し、そこに書かれている情報をつらつらと読み進めていく。

 

「ふ~ん、よかったね」

 

 その様子を、学校指定のスクール水着に着替えた犬山まなが特に関心も興味もなく見守っている。

 一応、彼女は荷物番としてその場に残るつもりのようだ。

 

「さあ——行くぜ!!」

 

 蒼馬はそんな幼馴染を置き去りに、サーフボード片手に湘南の海へと駆け出そうとしていた。

 

 そう彼の夏が、色気たっぷりの水着の姉ちゃんに囲まれて過ごす暑い夏が、今この瞬間に始まる。

 始まろうとしていたのだが——

 

 

『ピィ~!! ピィピィ~!!』

 

 

 そのとき、警笛の音が浜辺中にクリアに響き渡る。

 

「——そこの、サーフボード片手に海に突っ込もうとしている少年、止まりなさい!!」

「へっ、お、俺!?」

「……?」

 

 いきなり呼び止められたことで蒼馬だけならず、まなも驚いて振り返る。

 

 そこには——海パンに日焼けした肌、赤と黄色の水泳帽子を被った筋肉質の男性が立っており、素早く蒼馬のところに駆け寄ってきた。風貌と雰囲気から察するにライフセーバーのようだが。

 その男性は海水浴場の平和と安全を守るパトロール隊員として、蒼馬に対し厳しい現実を突きつける。 

 

「君……随分と嬉しそうに海に飛び込もうとしているところ悪いが……」

 

 

 

「——遊泳期間中、由比ヶ浜でのサーフィンは禁止だ! 他のお客さんの迷惑になるからな!!」

 

 

 

「…………」

「…………」

 

 暫し、その言葉を現実として受け止め切れず押し黙る蒼馬だったが——

 

 

「な……なにぃぃぃいいいいい!!」 

 

 

 状況を理解した彼から、本日二度目となる悲鳴のような絶叫が響き渡る。

 

「へぇ~、そうだったんですね」

 

 ライフセーバーの警告を、まなの方は特に慌てることもなく受け入れる。別にサーフィンをしに来たわけでもない彼女からすれば、特に動揺するようなことでもない。

 

「いやいやいや!! でも、昨日のTVじゃあ、普通にみんなサーフィンしてましたよ!?」

 

 しかし、サーフィンでモテたい蒼馬からすれば死活問題である。彼は諦め悪く必死に足掻き、この理不尽に抗おうと立ち向かっていく。

 もっとも、いくら彼が抵抗しようとしたところでルールはルール。ライフセーバーの男性は呆れたようにため息を吐きながらも、キチンと蒼馬に説明してくれた。

 

「そりゃ……きっとオフシーズンか、もしくは遊泳時間外の映像だな。それに公式のサイトにもちゃんと書いている筈だぞ。遊泳時間内はサーフィンはご遠慮下さい……って」

「あっ、ホントだ。ちゃんと書いてある」

 

 男性の言葉にまなはスマホから由比ヶ浜のオフィシャルサイトにアクセスしてみる。すると、そこにはキチンと遊泳期間中のサーフィンを禁止する旨が書かれていた。

 

「そ、そんな……」

 

 諦めの悪い蒼馬でも、さすがに何も言い返すことができない。

 彼は立ち塞がる現実を前にサーフボードを手放し、ガックリとその場にて崩れ落ちる。

 

 

 こうして——彼のモテモテの夏は始まることなく、終わりを告げた。

 

 

 

×

 

 

 

「君たち、見たところ中学生のようだが……保護者の方は?」

 

 蒼馬に対し同情的な視線を向けながらも、ライフセーバーの男性が続けてそのように声を掛ける。海の平和を守るパトロール隊員として、未成年者だけで浜辺に来ているまなたちを気にしての呼びかけだろう。

 

「えっと……わたしの父と一緒に来たんですけど、実は——」

 

 まなはライフセーバーの彼に心配を掛けまいと父親と一緒に来たこと。その彼がこの場にいない経緯などを簡潔に説明する。

 

「そっか……そりゃ、災難だったな」

 

 その経緯を聞き終え、先ほどよりもさらに同情的に、そしてフレンドリーにライフセーバーの彼はまなたちと接してくれる。

 

「俺は由比ヶ浜のライフセーバーをしている、嵐山悟朗ってんだ。何か困ったことがあれば、遠慮なく声を掛けてくれ!」

 

 彼——嵐山(あらしやま)悟朗(ごろう)は、保護者不在のまなたちにそう言ってくれた。

 気さくな微笑みに明るい表情。ライフセーバーの義務感というより、彼自身の正義感、人柄からくる言葉のように聞こえる。

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 まなはそんな大人の男性の頼れる言葉に素直に礼を言う。子供たちだけで浜辺に取り残され、それなりに不安もあったのだろう。

 さらに、まなは万が一の際に他のライフセーバーたちが駐在している場所、また熱中症や溺れた際に倒れた人を運び込む監視所の場所がどこにあるかなどを確認し、安全の確保についても指導を受ける。

 

「よし、それじゃあ。俺はこれで……」

「はい、お疲れ様です」

 

 ある程度の必要な知識をまなに与えた上で、悟朗はその場から離れて行こうとする。

 彼の仕事の邪魔をしないようにと、別段まなも悟朗を呼び止めようとはしなかった。

 

 

 しかしそのとき——事件は起きたのである。

 

 

「——まな姉ちゃん!!」

「!! 裕太くん!?」

 

 海の方から、聞き慣れた少年の悲鳴が木霊する。

 まなが慌ててそちらに視線を向けると——沖の方で裕太がこちらに向かって手を振っていた。

 

 小学生である彼がいつの間にか人混みを逃れるようにして、そんなところまで流されていたのだ。

 だが裕太少年は浮き輪を付けているため、足が地面に付いていなくても海面にぷかぷかと浮かぶことができている。

 問題は——その隣だ。

 

「大翔くんが——!!」

「——っ!!」

 

 裕太が叫んでいたようにそこには浮き輪も付けず、地面に足もつかないような深い海で今まさに溺れようとしている大翔少年の姿があったのだ。

 裕太一人ではどうすることもできず、彼はまなたちに助けを求めていた。

 

「たすけっ……! 兄ちゃん……!」

「——大翔!?」

 

 弟の手足をバタつかせて溺れようとしている光景には、さすがにサーフィンができずに落ち込んでいた蒼馬もすぐに顔を上げる。

 彼は弟を助けに行こうと、そして泳ぎの得意なまなも海に向かって飛び込もうとした。だが——

 

「よせ! 素人が手を出すな! 俺が行く!!」

 

 これにライフセーバーである悟朗が待ったを掛ける。

 素人が救助活動に出た場合、状況によっては二次災害を生む。助けに行こうとして、逆に溺れる。ミイラ取りがミイラになる可能性が高くなってしまう。

 だからこそライフセーバーとして、悟朗自身が素早く救助活動に向かう。

 

「待ってろ!! 今助けに行く!!」

 

 さすがは海の安全を守るプロということもあり迅速な対応。そして、見事なクロールである。

 沖の方にいる大翔たちへと、見る見るうちに距離を詰めていく。

 

 だが——悟朗が到着するよりも先に、大翔の力が尽きようとしていた。

 

「もう……だめ……だ……」

 

 足掻く体力もなくなり、少年の体が限界を迎える。

 人の子という小さな命が——まさに海という巨大な生命の母に飲み込まれようとしていた。

 

「大翔くん!!」

 

 そんな友達の溺れる姿を。誰よりも近くにいながらも、助けることのできない裕太少年。

 彼は絶望した表情で——ただただその現場を見ていることしかできなかったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 ところが——

 

「……えっ!?」

「げほ、げほっ!? あれ……?」

 

 悲嘆に暮れる裕太を、そして今まさに海に沈みかけていた大翔の体を何者かが——『何かが』ヒョイっと持ち上げる。

 体を誰かに持ち上げられたことで九死に一生を得る大翔が後ろを振り返ると——何か『青い触手のようなもの』が彼と裕太の体に巻きつき、二人の幼い体を軽々と持ち上げていた。

 

「えっ……なに、なにこれ?」

「わっ!! 引っ張られ——!?」

 

 二人がそれが何なのかを理解する前に、触手は幼い彼らの体を浜辺まで引き上げた。

 そしてそのまま、触手は二人の少年をしっかりと地面に立たせる。 

 

「……あれ?」

「なにが……?」

 

 状況を呑み込めないでいる少年二人の、その触手の主が語り掛けていた。

 

 

 

「——お前たち、駄目じゃなイカ!」

 

 

 

×

 

 

 

「……な、なに? 誰……あの子?」

「お、女の子!?」

 

 状況に付いていけないのは、裕太と大翔が助けられる光景を外から見ていたまなと蒼馬も同じである。

 まなたちはせっかく助かった少年二人の元に駆け寄ることもできずに、その光景——

 

 

 触手のような髪の毛で子供たちを助けた女の子が、その子たちに説教をする現場を目の当たりにしていた。

 

 

「駄目じゃないイカ! 足もつかないようなところで泳いじゃ危ないでゲソ!!」

「え……は、はい!」

「ご、ごめんなさい……」

 

 言っていることがまともなため、一応は返事をする子供たちだが彼らも戸惑っている。

 

 その女の子は——裕太たちよりは少し年上、中学一年生であるまなと同年代くらいの女の子だった。もっとも、纏っている雰囲気がどこか幼いため、どちらかというと小学校高学年というイメージの方が強い。

 服装は全体的に白を強調したもの。白いワンピースに白い帽子。よくよく見れば、服の下にも白いスクール水着のようなものを着用している。

 

 

 だが、やはりそれ以上に気になるのが——その髪の毛のような青い触手であろう。

 

 

「まったく……いいか、お前たち? 海を侮ったらいかんでゲソ! 海は全てを包み込むような包容力を持つと同時に、全てを飲み込む恐ろしい一面も内包しているんでゲソよ!? それをお前たちは——」

 

 女の子が何やらありがたい御言葉を裕太たちに授けてくれているようだが、内容はまったく耳に入ってこない。

 

 何故なら説教をしている間も、その触手が常に絶え間なく動いているからだ。

 

 今は見た目的にもギリギリ長い髪の毛程度で収まっている触手。だが先ほどはその触手を遥か沖の方まで伸ばし、裕太たちを助けていた。

 いったい、どういった構造になっているのか。

 

「……」

「……」

 

 その触手の挙動が気になりすぎて、何を語ったところでずっとそちらに目を奪われてしまう。

 ポカンと、黙って女の子の触手に口を開けて見入るまなたち一行。

 

「いや~、助かったぜ、イカ娘!!」

 

 しかし、そんな触手の異常さなどには目もくれず、海から上がってきたライフセーバーの悟朗が彼女に話しかけていた。

 

「やっぱりお前はライフセーバーの素質があるぞ!」

 

 彼は自分の救助活動が徒労に終わったことなどは気にせず、その少女——イカ娘というのが彼女の呼び名なのか。彼女が自分よりも先に少年たちを助けたことを我が事のように喜ぶ。

 もっとも、イカ娘の方は特に何か特別なことをしたという空気もなく、悟朗の称賛に真顔で応じる。

 

「別に……人間どもが海で溺れるなんて、海をイタズラに汚すだけじゃなイカ。それが嫌だっただけでゲソ!」

 

 

『人間ども』

 

 

 イカ娘がそのような台詞を放ったことから分かるように、彼女がただの人間でないことは理解できるだろう。

 普通の感性の人なら、その一言で彼女から遠ざかってもおかしくはない。

 

「貴方、ひょっとして……!?」

「!! イカ娘さん……って、もしかして——妖怪ですか!?」

 

 しかし、そこは犬山まな。そして妖怪が大好きな裕太少年である。

 今更まなが妖怪程度で怖気づくこともなく、妖怪である可能性に目を輝かせて裕太がイカ娘に憧れのような視線を向ける。

 

 するとイカ娘。何が気に入らなかったのか、彼女はちょっと怒ったように頬を膨らませて声を張り上げる。

 

「妖怪!? 何でゲソかそれは!! ワタシはそんなファンタスティックな生き物じゃないでゲソ!!」

「ファンタスティック……って、そんな言葉どこで覚えてきたんだ?」

 

 イカ娘の言葉のチョイスに、知り合いである悟朗が突っ込みを入れながらも、彼はふと考え込む。

 

「妖怪か……言われてみれば確かにそうかもな。イカ娘……お前って妖怪だったのか……?」

 

 どうやら、それまでは彼女という存在を深く定義付けしたことがなかったのだろう。

 悟朗は妖怪という、日本人が思い浮かべる『人ならざるものたち』の総称に、腑に落ちたといった感じでしきりに頷いている。

 

 しかし、地団太を踏んで怒りを露にするイカ娘が必死に否定する。

 

「悟朗まで何を言ってるでゲソか!! ワタシは妖怪でも、宇宙人でもないでゲソ!!」

 

 彼女——イカ娘と呼ばれた女の子。

 彼女は自分が妖怪でも、宇宙人でもないことを強調し——自分が何者なのか、胸を張りながら堂々と宣言する。

 

 

「ワタシは海からの使者、イカ娘でゲソ!! お前たち人類を侵略するために母なる海からやって来た……侵略者でゲソ!!」

 

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 

 

 沈黙。

 女の子の宣言に返す言葉もなく、困惑したまま沈黙する一同。

 

 

「ふっ……恐怖のあまり言葉も出ないようでゲソね!!」

「いや、どう反応していいか困ってるだけだろ」

 

 何故か自信満々に腕を組むイカ娘に、悟朗が冷静に今の状況を指摘する。

 

 そう、まなたちはイカ娘の言葉にどのような返答を口にすべきか。

 その答えを持ち合わせておらず、固まっているだけだった。

 

「……ねぇ、イカのお姉ちゃん」

 

 そんな中、彼女に助けられた裕太少年。

 彼がイカ娘の服の袖を引っ張りながら、素朴な質問を投げ掛けていた。

 

 

「それって、妖怪や宇宙人とどう違うの?」 

 

 

「…………」

「…………」

 

 

 

「………………………………」

 

 

 

 その疑問にイカ娘本人を含め、誰一人明確に答えられるものなどいなかった。 

 

 

 




人物紹介
 侵略! イカ娘からの登場人物
  イカ娘
   本作の主人公、看板娘。
   海を汚す人類を成敗するため、深海からやって来た侵略者。
   語尾に「ゲソ」や「イカ」と付けるのが特徴。
   その特徴的な言葉遣いは、2010年のネット流行語を大いに賑わせたという。

  嵐山悟朗
   由比ヶ浜の安全を守るライフセーバーの青年。
   イカ娘のことを「共に海の安全を守る同志」と認識している。
   基本的に彼の出番はまなたちとの接点を作ることで、次話以降は出てきません。
 
 ゲゲゲの鬼太郎・6期からの登場人物
  蒼馬
   まなと同じ中学に通う同級生の男子。
   まなと幼馴染という設定は、鬼太郎の小説版・青の刻のワンシーンからです。
   彼と接するとき、基本的にまなは冷たいですが、大半は蒼馬が悪い。

  大翔
   蒼馬の弟の小学生。
   少し虐めっこ気質でヤンチャですが、ごく普通の小学生。

  裕太
   まなのお隣さん。まなを『まな姉ちゃん』と慕う小学生(羨ましい!!)
   妖怪に詳しい祖母がいるということから、3期に登場したとある人物の孫……と噂された少年ですが。その噂の真偽が解明されることなく、物語が終わってしまった。

 
  次回からは、ちゃんと鬼太郎たちも登場します。
  イカ娘たちとの絡みを、どうかお楽しみに!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

侵略! イカ娘 其の②

個人的にですが、いいニュースと悪いニュースがあります。

いいニュースはFGOについて。
五周年で実装されたアルトリア・キャスター。プロトマーリンじゃなかったけど回した結果……10連で出てきてくれた!!
福袋も持っていなかったボイジャーと鬼女紅葉が出てきてくれたし、ついでに回したダヴィンチ・ライダーも30連で来てくれた!!
 
悪いニュースは……ジャンプで連載中の人気漫画『アクタージュ』が原作者のやらかしで打ち切りになったことだ……。
なんで……なんで……そんなことした……。これからってときに……。
鬼太郎とのクロスオーバーも考えていただけに、かなりショック。いずれはやりたいと思いますが……今後、生きる上での楽しみが一つなくなり……本当に意気消沈しております。

とりあえず…………気を取り直して、本編をどうぞ!!


「——ごめんね。いきなり呼び出しちゃって……」

 

 神奈川県、湘南の海。

 夏休みに訪れていた由比ヶ浜の海岸。そこで犬山まなは呼び出した友人たちに手を合わせ謝っていた。

 

「別に気にしないでいいわよ、まな」

「そうじゃ、困ったときはお互い様じゃろう!」

 

 そんな彼女の謝罪に特に気を悪くした様子もなく。妖怪の友人——猫姉さんこと猫娘。ゲゲゲの鬼太郎の父親である目玉おやじが犬山まなと対面する。

 

 そう、まなが呼び出した友人とは、ゲゲゲの森の妖怪たちのことである。

 スマホのラインで猫娘に連絡を取り、猫娘や『彼』にお願いして、来てもらったのである。突然の呼び出しにもかかわらず彼らは来てくれた。

 勿論、彼も——ゲゲゲの鬼太郎もである。

 

「それで……まな。いったい、何があったんだ?」

 

 鬼太郎はさっそく、まなが自分たちを呼び出した要件——妖怪絡みのトラブルについて尋ねていく。

 

 鬼太郎はスマホを持っていないため、今回の話は猫娘経由で聞いていたが、イマイチ要領を得ていない。

 彼が知らされているのは、犬山まなが打ったラインの文面だけ。

 

 猫娘に見せられたスマホの画面には——以下のような文章が書かれていた。

 

『なんか……侵略者を名乗る妖怪?の女の子が海の家で働いてるんだけど……一度会ってみてくれませんか?』

 

 である。

 それだけで詳細を察しろというのが、無茶というものであろう。

 

「う~ん……わたしもなんて言っていいかわからないんだよね。とりあえず、一度会ってみてくれない?」

 

 実際に言葉にしようと努力しているが、まな自身も何と説明していいかピンときていないようだ。

 困ったような表情で、彼女は鬼太郎たちをその妖怪の少女に合わせようと、彼女が働いているという店。

 

 

 海の家『れもん』へと、連れ立って行くことになる。

 

 

 

 

 

「焼きそば二つ!! カレーライス一つ!!」

「エビチャーハン大盛り!! エビ多めでよろしく!!」 

「生ビールまだ!? 喉乾いてるんだけど!!」

 

 海の家れもん。由比ヶ浜海岸のいたるところに点在する、海の家・飲食店の一つである。

  

 夏といえば海の家。

 真夏の浜辺の風物詩とも呼べる飲食店で食べる定番のメニュー、カレーや焼きそば、かき氷。夏の屋台で食べるたこ焼きやお好み焼きのように、普段であればあまり美味しくない筈なのに妙に旨く感じる。

 まさに真夏のテンションによる、あるあるな不思議体験。

 

 そして、れもんという看板が掲げられたこの店。周囲の他の店舗に比べてもそれなりに繁盛しているようで、お昼時ということもあり、浜辺を訪れている観光客が次から次へと入れ替わり立ち替わりに、店は大忙しだ。

 

 客たちの注文が店内で飛び交う中、数人の従業員に混じって例の少女・イカ娘とやらも忙しなく働いていた。

 

「ええっと……生ビールお待ちでゲソ! 次は……四番テーブルに焼きそば二つとカレーライス一つ。それから……」

「イカ娘! 二番テーブルにイカ墨スパゲッティだ!! 急いで用意しろ!!」

「わ、分かってるでゲソ!!」

「渚ちゃん、エビチャーハン上がったわ!! 持ってって頂戴!!」

「わ、わかりました!!」

「おっ、美味そうでゲソ……じゅるり」

「おら、イカ娘!! 客の料理に手をつけようとしてんじゃねぇ!!」

「い、痛い!! 殴ることないじゃなイカ!!」

 

 

「……なんか、すっごい忙しそう……」

 

 そんな慌ただしい店内の様子を入り口付近から覗き見る、まなと鬼太郎たち。

 何とかイカ娘に接触しようと試みるも、それどころではないほどに店内は目まぐるしく騒がしい。

 

「……あの子がイカ娘か。なるほど、確かにただの人間ではなさそうじゃな……」

 

 それでも、目玉おやじは一人の女の子を注視し、彼女がイカ娘であると当たりをつける。

 

「そうみたいですね……」

「……あれ、髪じゃないのよね?」

 

 鬼太郎と猫娘もだ。れもんとやらで働いている従業員の女の子は複数いるが、それでもどれがイカ娘とやらなのか、誰が見ても一発で分かる。

 

 なにせそのイカ娘は例の髪の毛のような触手。

 溺れそうになった子供たちを助けたというその十本の触手を器用に使い、料理の配膳から食べ終わった食器の後片付け、テーブルの雑巾掛けの全てを見事にこなしている。

 狭い店内で客とも他の従業員とも接触事故を起こすことなく、彼女の触手が縦横無尽に動き回っている。

 

「誰も……何も言わないんだね」

 

 妖怪慣れしているまなでさえ、一瞬は呆気にとられるような光景。だが、レモンを訪れているお客さんたちの大半が、そんなイカ娘の触手に対して何も言わない。

 常連らしき客は勿論、一見さんらしい人々も少しは驚くことこそあれど、誰も何も言わないからかそれをごく当然のように受け入れている。

 

 場の空気というものが、彼女の触手に対して無用なツッコミを入れさせないでいる。

 

「……とりあえず、ここで突っ立っていても他のお客の迷惑になる。テーブルに座るぞ、鬼太郎」

「そうですね、父さん」

 

 そんな状況を前に、目玉おやじは一旦腰を落ち着ける意味も含め、店内に入るよう鬼太郎を促す。

 ちょうどテーブルに空きが出たこともあり、鬼太郎、猫娘、まなの三人が店の中へ客としてテーブルについた。

 

「——ご注文はどうするでゲソか?」

 

 すると、さっそく鬼太郎たちのオーダーを取りに、イカ娘が水を配膳しながら席に近寄ってくる。イカ娘と接触できたこの機会に、鬼太郎はさっそく彼女に話し掛けた。

 

「済まない、ボクたちは客じゃないんだ。君に聞きたいことが——」

「はぁっ!? 客じゃない? だったら何をしに来たでゲソか? 冷やかしなら帰るでゲソよ!」

 

 しかし、鬼太郎たちが何も注文をしないことに、イカ娘が少し怒った声を上げる。

 この忙しい時間帯、ただテーブルを占拠して自分に話しかけてくるものたち。店側からすれば迷惑極まりない冷やかしの客——そのように受け止められてもおかしくはない。

 言葉遣いが悪いかもしれないが、イカ娘の反応も仕方がないものだろう。

 

「済まんの、お嬢さん」

 

 だがそれでも、イカ娘と話をしなければならない。

 彼女への謝罪を口にしながら目玉おやじが鬼太郎の頭からひょっこりと顔を出し、テーブルに飛び乗る。

 

「忙しいのは重々承知、じゃが……ワシらはお前さんと話が——」

 

 誠意を示し、言葉を重ね、自分たちに敵意がないことを身振り手振りで伝えながら、イカ娘のことを知りたいと願い出る目玉のおやじ。

 

 すると——

 

 

「………………………………」

「……?」

 

 

 イカ娘は目玉おやじの姿を見るや、目をぱちくりさせる。

 暫し呆然と固まっていたかと思いきや、次の瞬間——。

 

 

「め、目玉が……喋ってるでゲソ!? ば、化け物でゲソぉおおおおおおおおおお!!」

 

 

 盛大に悲鳴を上げるイカ娘。

 自分自身が人外であることを完全に棚に上げ、目玉おやじの存在に驚き、後方へとひっくり返ってしまった。

 

「えっ……めだま? わっ! ほ、ほんとだ!!」

「何だよ、イカ娘。何馬鹿なこと言って……わっ!? ま、マジだ……目玉が喋ってやがる!?」

 

 イカ娘だけではない。他の店員の女の子たちも驚愕に目を向く。

 

「えっ、う、うそ……!? そ、そんなことがありえるの!?」

「oh my God!!」

「ありえませ~ん!! 非科学的でぇ~す!!」

「ママ~、目玉の小人さんだよ!?」

「シッ!! 見ちゃいけません!!」

 

 その驚きは客たちにも伝播し、店内が軽いパニック状態に陥る。

 イカ娘の存在をこぞってスルーしていた人々が、目玉おやじの登場にこれでもかというほどに騒ぎ出すのである。

 

「うむ……ここまで驚かれると、逆に新鮮味を感じるのう!」

 

 そんな人間たちの様子に、目玉おやじは気分を害した様子もなく、寧ろどこか楽しそうに呟く。

 

 ここ最近は特に悪い妖怪が世間を騒がせており、徐々にではあるが人々が妖怪といった『怪異』の存在に慣れ始めているように思われていた。だからなのか、目玉おやじくらいに小さく、無害な妖怪程度ではなかなか人々も驚かなくなってきている。

 そのためこういった反応は久しぶり。目玉おやじはどこか懐かしさすら感じていた。

 

「わ、笑いごとじゃないよ、おやじさん!!」

 

 目玉おやじの呑気な反応にまなが呆れている。

 もっとも、彼女自身も目玉おやじと初対面のときは似たような反応だった。あまり人のことも言えない。

 

「そうね……こんなの、話し合いどころじゃないわよ」

 

 猫娘は周囲のざわつきに頭を抱える。

 目玉おやじの存在に恐れ慄く人々、肝心のイカ娘も腰が抜けたまま動けないでいる。

 とても話を聞けるような雰囲気ではない。

 

「仕方ない、一旦出直そう」

 

 その状況を重く見た鬼太郎が、一度出直そうと目玉おやじを連れて椅子から立ち上がる。

 ほとぼりが冷め、人々が落ち着くまで待ってまた来ようと、今この場での聞き取りを断念しようとした。

 

 しかし——

 

「——あらあら、どうしたの? いったい何の騒ぎかしら、これは……?」

 

 どこかおっとりとした、優しい声がその場に響き渡ったことでその状況が一変する。

 

 

 

×

 

 

 

「——あ、姉貴!! め、目玉が喋って……」

 

 海の家の従業員・相沢(あいざわ)栄子(えいこ)が姉に目玉おやじの存在を訴え、どう反応すべきか助けを求めていた。

 彼女はイカ娘と共に働く、この海の家『れもん』を経営する相沢家の次女である。

 

 れもんは相沢家が家族で経営する飲食店であり、栄子はそこで給仕を担当していた。彼女はストレートなショートボブ、髪の毛の一部が独特の跳ね方をしているが、どこにでもいるごくありきたりな高校一年生だ。

 

「あらあら……随分と可愛らしいお客様ね」

 

 そんな栄子が助けを求めた相手。彼女こそ海の家れもんを取り仕切る厨房担当。相沢家の長女・相沢(あいざわ)千鶴(ちづる)である。

 ロングヘアの髪の毛の一部が栄子同様に独特な跳ね方をしている女性。細目で穏やかな笑みを浮かべた、おっとりとしたその表情にはまったく動揺が見られない。

 イカ娘を始めとした人々が目玉おやじ相手に騒ぎ立てる中、わざわざ厨房から顔を出し、彼女は小さなお客様である彼に話しかける。

 

「ごめんなさい、騒がしくて。イカ娘ちゃんに用があるみたいですけど……あの子のお友達か何かですか?」

 

 イカ娘に話しかけていたところを見ていたのか。千鶴は彼女に何か用かと平然と尋ねる。

 堂々とした千鶴の態度に感心しながら、目玉おやじも普通に受け答えを行う。

 

「うむ……少し、あの子と話をさせてもらいたいんじゃが……」

「い、いやでゲソ! 目玉のお化けと話すことなんて、何もないでゲソ!!」

「お、おい……イカ娘!」

 

 目玉おやじの要件にイカ娘は栄子の背中に隠れ、全力で首を振って拒否を示す。

 まだ肝心の話の中身も聞いていないのにこの怯えよう。正直いって、ビビり過ぎである。

 

「ごめんなさい。見てのとおり、今はお昼時ということもあって、立て込んでるんです……」

 

 千鶴も目玉おやじの提案を一度は拒否する。 

 もっとも、それは店が忙しいというシンプルな理由からである。

 

「なので、また後で来てくれませんか? もう少しすれば……ピークも過ぎてお客さんも少なくなると思うので」

 

 だから千鶴は心底申し訳なさそうな顔をしながら、また後で来てくれるよう目玉おやじたちにお願いをする。

 一番忙しいピークが過ぎれば、きっと時間も取れるだろうからと。

 

「それもそうじゃな……忙しい時間にわざわざ来てしまって済まんのう、お嬢さん」

 

 当たり前と言えば当たり前。こんな忙しい時間帯に空気も読めずに押しかけた自分たちの無礼を目玉おやじは素直に詫びる。

 

「いえいえ、こちらこそ申し訳ありません、ウチの従業員が失礼なことを。もしよろしければ、何か注文していってください。お詫びにサービスさせていただきますので……」

 

 千鶴は千鶴で、従業員たちが目玉おやじに失礼なことを言ったと頭を下げる。

 互いに互いの非を認めることで、その場を丸く収めようとする両者。

 

 しかし——どうしてもその流れに納得が出来ないのか。千鶴の妹である栄子が姉である彼女にツッコミを入れていた。

 

「いやいやいや!! おかしいだろ、姉貴!! 目玉が喋ってんだぞ! もうちょっと何かあるだろ、もっと驚けよ!!」

「栄子の言うとおりでゲソ!! こんなの、おかしいじゃなイカ!!」

 

 イカ娘も栄子の言い分に便乗するよう、目玉おやじという謎の存在に対して疑問の声を上げる。

 

「……いや、イカの人の言えることじゃないと思うんだけど……」

 

 それに対し、れもんにアルバイトで来ている店員の女の子・齋藤(さいとう)(なぎさ)が小声でボソリと呟く。

 

 彼女はこの近辺でイカ娘の存在を唯一侵略者と恐れる、ショートカットでボーイッシュな高校生だ。

 一般的な感性から、人間でないと一目でわかる目玉おやじに相応の恐れを抱いたが、それはイカ娘の台詞ではないと同じ人外である彼女にも疑問の声を上げている。

 

「あらあら、そんなに驚くことじゃないでしょ? イカの女の子がいるんだから、目玉だけのおじさまがいたって不思議じゃないわよ? それと貴方たち……さっきからお客様に対して失礼じゃないかしら、ねぇ……?」

『ひぃっ!?』

 

 だが、そういった従業員たちのまともの反応を千鶴は笑顔でまとめて封殺し、何故かその穏やかな表情に栄子とイカ娘の二人はビクッと肩を震わせる。

 

「申し訳ありません、従業員がお騒がせしました! お気になさらず、引き続き食事を楽しんでいってください!」

 

 ついでに、千鶴は釣られて騒ぐ周囲の客たちにも頭を下げ、なにも問題ないことを店の責任者として伝えていく。

 

「……た、確かに。言われてみれば……そうなのか?」

「まあ、イカ娘ちゃんだって似たようなもんか……」

「ママ~、あの目玉の小人さん、イカのお姉ちゃんの仲間なの?」

「シッ!! 見ちゃいけません!!」

 

 千鶴のその落ち着きように感化されてか。あるいは彼女の一見すると優しげな微笑みに妙な『圧』を感じてか。

 よくよく考えればイカ娘と同じようなものかと。皆それで納得し、何事もなくいつもの日常へと戻っていく。

 

 

 

 

「……父さん、どうしましょうか?」

 

 再び通常の賑やかさを取り戻した店内。鬼太郎たちは場の空気に取り残され、暫し呆然と固まっていた。

 先ほどまでの自分たちへの奇異な視線が嘘のようになくなり、もはや誰も鬼太郎たちに注意を向けてさえいない。

 肝心のイカ娘でさえも「おかしいでゲソ……こんなの絶対におかしいでゲソ……」などと小声でぶつぶつと呟きながらも、普通に仕事へと戻っている。

 

「う~む……そうじゃな……」

 

 目玉おやじは妖怪である自分を平然と受け入れる人々の寛容さ?にありがたさ、張り合いのなさを感じつつ——

 

「とりあえず……ワシらも昼にするか!」

 

 お言葉に甘え、れもんで昼ご飯を済ますべく再びテーブルへと座り直していた。

 

 

 

×

 

 

 

「——改めまして、先ほどは失礼しました。れもんの店長・千鶴と申します」

 

 あれから、一時間ほどが経過。

 お昼のピークが過ぎ、客の大半もいなくなりガランと静まり返る店内。そのタイミングを見計らい、もう一度訪れてきた目玉おやじたちに対し、店長の相沢千鶴が店員たちの非礼を詫び、今一度頭を下げていた。

 

「ほら、栄子ちゃんもイカ娘ちゃんも。きちんと謝るのよ」

「あ、ああ。その……さっきは、すいませんでした……」

「わ、悪かったでゲソ」

 

 千鶴に倣うよう、栄子やイカ娘もきちんと頭を下げて謝罪する。まだ二人はどこか納得していないようだが、とりあえず先ほどのように騒ぐこともないようだ。

 

「いやいや、ご丁寧にどうも。ワシは目玉おやじ、この鬼太郎の父親じゃよ」

「鬼太郎です、初めまして」

「私は猫娘よ」

 

 千鶴に名乗られたこともあってか、目玉おやじを始めとしたその場に集まっていた妖怪たちが揃って自己紹介をする。

 

 ちなみに、彼らをこの場に呼んだ犬山まなは一緒に海に来ていた友達・蒼馬たちの面倒を見るために一度自分たちのビーチパラソルに戻っている。目を離した隙に裕太や大翔たちが溺れかけたこともあり、そう長くは目を離せない。

 休日返上で仕事をしている父親の代わりに、男たちをしっかりと見張るために保護者として頑張っていた。

 

「め、目玉おやじ? ね、猫娘だぁ? また妙な連中が来たもんだ……」

 

 彼らの名乗りにやはり栄子が眉を顰める。その名前の響き、そして目玉おやじの見た目からもうただの人間でないことは明白である。

 

「イカ娘……お前と似たような感じの名前だけど、ひょっとしてお仲間か何かか?」

 

 どことなく「イカ娘」と似通ったニュアンスも感じ、あれらはお前の同類かと、イカ娘に話を振る。

 

「違うでゲソ!! 一緒にしないで欲しいでゲソ!! このワタシを、あんな変な連中と同列に扱って欲しくないでゲソ!!」

 

 イカ娘はムキになって否定する。

 どういうわけか、彼女は同じ人外である筈の鬼太郎たちと同じカテゴリであることを頑なに認めようとはしない。

 

「……どう、鬼太郎?」

 

 そんなイカ娘に呆れた視線を向けつつ、猫娘は鬼太郎にこっそり耳打ちする。

 先ほどから鬼太郎は『妖怪アンテナ』を立て、イカ娘の妖気の有無を確認している。彼女が妖怪であるならば、彼のそのアンテナがハッキリとイカ娘を指し示すのだが——

 

「う~ん……微かに反応らしきものもあるが……正直、よく分からない……なんだこれ?」

 

 鬼太郎は歯切れ悪く答える。

 妖気を感じるかと言われれば感じるし、感じないかと問われれば感じないかもしれない。妖怪アンテナもなんと反応していいか困っているような微妙な感じだ。

 あるいは妖怪ではなく、本当に新種の『何か』なのではないかと、鬼太郎ですら首を傾げる。

 

 すると——

 

「ん……? ちょっと、待つでゲソ……そこのお前。さっき、きたろうとか名乗ったでゲソね?」

 

 ふいに、イカ娘が何かに気付いたかのように鬼太郎へと視線を向ける。

 

「お前……もしかして、ゲゲゲの鬼太郎じゃないイカ!! 妖怪の……ゲゲゲの森の!?」

「ひっ! よ、妖怪っ!?」

 

 イカ娘の叫びに、彼女たちの対面をこっそりと覗き見している斎藤渚がビクッと怯えて縮こまる。

 バイトが終わったこともあり、彼女はイカ娘や目玉おやじたちのゴタゴタに関わるまいと、少し離れたところで様子を見ている。今すぐ逃げ出しそうな雰囲気ではあるが好奇心もあるのか、一応は話に聞き耳を立てている。

 

「あ、ああ……そうだけど、ボクを知ってるのか?」

 

 イカ娘のリアクションに、鬼太郎は意外そうに聞き返す。

 目玉おやじの存在に驚いていたことから、てっきりそういった事情とは無縁の存在かと思っていた。しかし、彼女の口から『妖怪』という言葉が出たことから分かるように、どうやらそっち方面の知識はあるらしい。

 

「なんだよ、イカ娘。やっぱり知り合いなのか?」

 

 栄子も驚いてイカ娘に質問する。すると、イカ娘の口からは意外な存在の名前が出てきた。

 

「別に知り合いじゃないでゲソよ。ただ、ワタシが海にいた頃、『海坊主』さんに教えてもらったんでゲソ」

「海坊主じゃと!?」

 

 これに誰よりも驚いたのが目玉おやじたちである。

 

 海坊主。その名のとおり、海を住処とする黒い巨大なタコのような妖怪である。鬼太郎たちの知り合いでもあり、海の近くで呼び掛ければたまに顔を出してくれる。

 しかし、親しいというほどの関係ではなく、普段海の中で何をしているかまでは鬼太郎たちも知らない。

 だがイカ娘は彼のことに詳しいらしく、どこか自慢するように海坊主のことを解説してくれる。

 

「海坊主さんはワタシが海にいた頃にお世話になった方でゲソ。右も左も分からなかったワタシに、言葉や地上の知識を教えてくれた恩人でゲソよ。ゲゲゲの鬼太郎の名前も、そのときに聞いた覚えがあるでゲソ!!」

 

 なんと、このイカ娘の知り合いどころか、恩人だという。

 海坊主、彼こそが——イカ娘に様々な知識を授けた張本人だというのだ。

 

「おい……今サラっとすごいこと言わなかったか!?」

「あらあら、そうだったの!」

 

 何気に明かされる衝撃的な事実に栄子も千鶴もびっくり。

 

 最近は疑問にすら思わなくなったことだが、何故イカ娘が人の言葉を喋れるのか? 何故彼女の知識が変に偏っているのか?

 頭の片隅で気になっていた疑問が、氷解するように溶けた瞬間である。

 

「海坊主さんは言っていたでゲソ。『——鬼太郎は良い奴だけど、人間の味方をする困った奴』だって……」

 

 イカ娘は海坊主から聞いていた鬼太郎に関する情報をそのように開示する。

 

「……別に、ボクは人間の味方ってわけじゃ……」

 

 それに困ったような顔をしたのは鬼太郎だ。

 

 よく誤解されがちだが、別に鬼太郎は率先して人間の味方をしているわけではない。最近はまなとも友達になり、よく他の仲間からもそのように見られがちだが、昔から鬼太郎の立ち位置は変わっていない。

 彼はあくまで中立。その立場から鬼太郎はようやくイカ娘へと本題の話を切り出し始める。

 

「ボクは君が……その、侵略者だという話を聞いて……様子を見にきたんだが……」

 

 すっかり忘れそうになっていたが、それこそ鬼太郎がわざわざイカ娘に会いにきた理由だ。

 

 まなから『侵略者を名乗る女の子』の存在を聞き付け、その発言がどういった意図によるものなのか。それをわざわざ本人に確認するために彼女の——イカ娘の元へとやってきたのだ。

 色々と遠回りになったが、ようやっと本題に入れると、鬼太郎は聞き込みを開始していく。

 

「ふっ……そうでゲソね。そんなに聞きたいなら、聞かせてやろうじゃなイカ!!」

 

 鬼太郎の問い掛けに、何故か誇るように答えるイカ娘。

 彼女は自らを侵略者と名乗ったその意味——この地上を侵略しに来たその経緯を堂々と語っていく。

 

 

 

 彼女がこの海の家・れもんに襲来したのは夏の初め。この由比ヶ浜海岸が海開きされた、まさにその初日である。その日——平和だった海の家の日常に彼女は侵略者として現れた。

 

『人類よ、よく聞け!! 今からここを人類侵略の拠点にさせていただくでゲソ!!』

 

 そう、彼女こそが海からの使者・イカ娘!!

 突如出現し、日常を侵食する侵略者を前に人間たちは無力だった。イカ娘の恐ろしい威厳を前に、人々は恐怖に震え上がり、成す術もなく降伏するしかなかったのだ!!

 

『心配しなくても、お主たちを殺したりはしないでゲソ! 雑用係としてこき使ってやるでゲソ!!』

 

 寛大なイカ娘は降伏した人間たちへ命の保障をしてやる!

 その代わり、その場にいた人々を家来としてこき使ってやることにしたのだ!!

 

 こうして、その海の家・れもんを拠点に彼女の侵略者ライフが幕を開けたのであった——

 

 

 

「——って、誰が家来だ!! 嘘を教えるんじゃない!!」

「い、いたた……頬を引っ張るなでゲソ! 痛いじゃなイカ!!」

 

 などと、真実にだいぶホラ話を交えたことで怒った栄子がイカ娘の頬をつねり上げる。

 その絵面から分かるように、イカ娘とれもんの住人である相沢家のパワーバランスはその話とはだいぶ異なる。

 

 イカ娘がその日、侵略者として訪れたのは事実。

 だが、実際にれもんを侵略することなどできず、彼女は間違ってぶっ壊してしまった店の壁の修理代を払うため、アルバイトとしてこき使われている。

 壁の修理代を完済するのに5、6年は掛かるらしい。いったい、どれほどの超低賃金でこき使われているのか。

 通常であれば、労働基準法に引っかかる給料だと思われるが、人外であるイカ娘に人間の法律など適用されない。

 

 そう、これぞまさしく、違法労働!!

 これこそ、人類の闇!! 人類の業!!

 

 イカ娘が地上を侵略しにきた日。

 それ即ち、彼女がアルバイトとしてこき使われる日々が幕を開けた瞬間でもあった。

 

 

 

「ええと…………つまりは、何も問題ないというわけでいいんでしょうか、父さん?」

 

 イカ娘の何とも締まらない現状に、鬼太郎は早々に結論を出す。

 正直なところ、鬼太郎はめんどくさくなって早く帰りたくなったという気持ちが強い。だがそんな彼自身のモチベーションの低さを差し引いても、鬼太郎はイカ娘がここにいることを特に問題とは感じなかった。

 

 見たところ、イカ娘とこの浜辺の人たちとの関係はだいぶ良好に思える。

 侵略、侵略などとイカ娘は口にしているようだが、これといって支配したり、また支配されたりしているような関係性には見えない(働かされてこき使われてはいるようだが……)。

 人と人外。互いに対等な友人として上手く付き合っていけているようだ。

 

「うむ、そうじゃな……これ以上、ワシらが首を突っ込む必要も、心配する必要もないじゃろう」

 

 目玉おやじも鬼太郎に同意見だ。

 これ以上、彼女たちに自分たちが関わる必要もない。わざわざ時間を割いて色々と質問に答えてくれたことを感謝しながら、彼らはゲゲゲの森に帰ろうと、その場を立ち去ろうとした。

 

 ところが——

 

「ま、待つでゲソ!!」

 

 他でもない、イカ娘に呼び止められたことで鬼太郎たちの足が止まる。

 

「ゲゲゲの鬼太郎……ワタシは、お前に————!!」

 

 彼女はそこで、ゲゲゲの鬼太郎に向かって叫んでいた。

 

 

 その内容とは——

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——イカ墨スパゲッティおいしかったね、まな姉ちゃん!」

「——そうだね、初めて食べたけど……意外と美味しいもんだね」

 

 犬山まなと裕太の二人。お昼ご飯にまなが買ってきた、海の家れもんの名物・イカ墨スパゲッティの感想などを言い合いながら、二人で浜辺を散策している。

 

 ——鬼太郎たち……どうなったかな。あのイカ娘って子、悪い妖怪には見えなかったけど……。

 

 だが、裕太と楽しくお話ししながらも、犬山まなは常に鬼太郎やイカ娘のことを気にしていた。正直、まなも鬼太郎たちとイカ娘の対面に立ち会いたかった。

 だが、彼女は父親不在の中で裕太や蒼馬、大翔の面倒を見なければならない。あれから懲りたのか、裕太たちも大人しく砂浜や浅瀬で遊ぶようになったが、先のような海難事故が起きないとは限らない。

 出来るだけ、彼らから目を離したくはなかった。

 

「ねぇ……まな姉ちゃん。おじさん、まだ仕事終わらないのかな。全然帰ってこないね……」

 

 裕太が心配そうに呟くよう、犬山まなの父である裕一もまだ帰ってこない。

 

「そうだね……まったく、こんなところに来てまで仕事だなんて!」

 

 彼さえ最初からいてくれれば裕太たちの面倒を任せ、自分もあの場に立ち会えたと密かに残念がる。

 しかし、まなは鬼太郎や猫娘、目玉おやじのことを信じているため、あまり深刻には悩んでいなかった。

 

 

 彼らなら——きっと穏便に、平和的に解決してくれるだろうと。

 イカ娘のことも東京に帰ってから聞いておこうと、とりあえず今はこの海を楽しむことに集中しようとしていた。

 

 

「……あれ? ねぇ、まな姉ちゃん? あそこに人がたくさん集まってるよ……いったい何だろう?」

 

 するとその矢先、裕太が前方で人が集まっていることに気づく。

 見れば確かにそこには人だかりが出来ており、まなの意識もそちらへと向けられる。

 

「ほんとだ……いったい何だろう? 喧嘩かな……?」

 

 その人だかりは、何かを囲むように円となって広がっている。

 まなたちも近寄ってその先にあるものを見ようとするが、想像以上に人混みに厚みがあり、簡単に前へ進めそうにない。

 だが、見えないと逆に見たくなってくるのが人の性というもの。

 まなは「いったい何だろう?」と、人だかりの向こうで何が起きているのか、背伸びなどをして覗き見ようと奮闘する。

 

「……ん? きみは、さっきの……」

 

 まながそうしていると、偶然この浜辺で知り合った青年——先ほどお世話になったライフセーバー・嵐山悟朗がやって来た。

 

「あっ、嵐山さん。先ほどはどうも……あの、これはいったい?」

 

 挨拶もそこそこに、まなは悟朗にこの人だかりはいったい何事かと、率直に尋ねていた。

 その問いに、彼は何の気もなく答える。

 

「なんか、イカ娘のやつが騒いでてな。何でも、決闘とやらをやらかすそうだ」

「け、決闘!? だ、誰とですか!?」

 

 おそらく、普通に生きていればまず聞くことのない単語を聞きながら、まなはその決闘とやらの内容を問う。

 驚くまなをよそに、やはり悟朗は取り立てて騒ぐ様子もなく、あるがままの事実だけを伝えていく。

 

 

 その事実により、まながどれだけ驚くことになるかも知らずに——

 

 

「ああ……なんでも、ゲゲゲの鬼太郎……だったか? そいつと決闘するらしいぜ……イカ娘のやつが——」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………なんで?」

 

 

 

 

 

 

 

 




人物紹介

 相沢栄子
  イカ娘が居候することになる相沢家の次女。海の家れもんの従業員。
  作中において、ある意味一番の常識人。ツッコミ役。
  彼女が目玉おやじのような存在を目の当たりにすれば、どんな反応をするか?
  想像しながら色々と書いてみました。

 相沢千鶴
  栄子の姉にしてれもんの責任者。相沢家の長女。
  一見するとおしとやかで優しそうな女性ですが……おそらく作中で最強の存在。
  何故彼女が最強なのか? その答えは次回に持ち越しです。

 齋藤渚
  れもんでアルバイトする普通の高校生。  
  作中で唯一イカ娘のことを侵略者として恐れている。
  彼女が繊細過ぎるのか、それとも他の人たちの神経が図太いのか。
  

 次回で『侵略!イカ娘』のクロスは完結します。 
 次のクロスオーバーは……FGOからの水着サーヴァントを想定してますので次回予告をお楽しみに!!



 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

侵略! イカ娘 其の③

ふぅ~……なんとか、八月中に間に合った。『侵略! イカ娘』の最終話。

ただ三話で完結させるため、少し文字数を詰め込み過ぎたかもしれない。
今までの一話、二話よりも少し長めですが……どうか楽しんでいって下さい!


 決闘罪という罪状がある。

 

 実際に適用された例は数えるくらいだが、それでも決闘は立派な犯罪として処罰され、2年以上5年以下の懲役に科せられる恐れがある。

 決闘罪は実際に挑む側だけでなく、受けた方、準備をした者、そしてそれを見届けた観客も総じて処罰の対象となる。

 

 つまりは、この湘南の浜辺にて行われる決闘。

 そのために集まった数十人の人間たち、その全てが法に触れる可能性があった。

 

「りょ、両者……準備はいいか?」

 

 少し緊張気味に決闘の立ち会いを受けることになった相沢家の次女・相沢栄子も。

 

「頑張って!! イカちゃん!!」

「泣かすなよ、坊主!! 手加減してやれ!!」

 

 周囲でヤジを飛ばす野次馬たちも。

 その全てが処罰の対象となり、警察のご厄介になる恐れもあった。

 

 

 もっとも、その決闘罪も——人間同士の決闘であればこそ成立する話。

 

 

「ふっ……いつでもいいでゲソよ。さあ! 掛かって来いでゲソ!!」

「どうして、こんなことになったんだろう、はぁ~……」 

 

 やる気満々に準備体操で体を解す、海からの侵略者・イカ娘。

 自分はどうしてこんなところにいるんだろうと今更のように後悔している、幽霊族の末裔・ゲゲゲの鬼太郎。

 

 人ならざる彼らに、人の法など当て嵌まることもなく。

 この決闘を邪魔する権限など誰にもなく。

 

 誰一人この決闘——イカ娘vsゲゲゲの鬼太郎の戦いを止めることはできない(止める気もない)。

 

 ところで、どうしてこんなことになってしまったのか? 

 話はだいたい、十分ほど前まで遡る。

 

 

 

 

「——ゲゲゲの鬼太郎! ワタシは貴様に……決闘を申し込むでゲソ!!」

「…………はい?」

 

 海の家・れもんにて。

 謎の侵略者・イカ娘の調査を終え、ゲゲゲの森に帰ろうとした鬼太郎たち一行。イカ娘の存在を無害だと思ったからこそ、大人しくその場から立ち去ろうとした彼らの背中。それを当の本人であるイカ娘が呼び止める。

 

 しかも、その理由は決闘。つまり——自分と戦えと、イカ娘は鬼太郎との一騎討ちを申し出ていた。

 

 当然、目を丸くして戸惑う鬼太郎。イカ娘のことを知る周囲の人間たちも困惑する。

 

「ど、どうした、イカ娘? いきなり鬼太郎と戦うって……お前、何か変なもんでも拾い食いしたか?」

 

 既にイカ娘の保護者とも呼べる立場の相沢栄子が、脈絡のない彼女の提案に目を丸くする。

 何がどうなってそのような発想に思い至ったのか、栄子でもイカ娘の思考が理解できない。

 

「違うでゲソ!! ワタシはそんな、落ちてるものを食べるような、はしたない真似はしないでゲソ!!」

 

 イカ娘は栄子の失礼な発言に憤慨しながらも、自分が何故鬼太郎と戦うなどと言い出したのか。その理由を懇切丁寧に説明してみせる。

 

「ゲゲゲの鬼太郎……海坊主さんから聞いて知ってるんでゲソよ! お前が……人類の味方であるということを!!」

 

 イカ娘は海に生きるものとして、海坊主から地上に関する知識をいくらか授かって侵略行動を開始した。色々と偏った知識ではあるが、その中でもゲゲゲの鬼太郎のことに関しては詳しく聞いていたという。

 

「お前は海坊主さんと同じ妖怪という立場でありながら、人間の味方をする困った妖怪。つまり、人類の敵であるワタシの敵だということになるでゲソ!!」

「だから、それは誤解だと……」

 

 イカ娘の言い分に、再度呆れて鬼太郎は溜息を吐く。

 先ほども言ったように、鬼太郎は別に人間の味方ではない。彼は妖怪であろうと、人間であろうとも、どちらに対しても等しく平等に接しているつもりだ。

 しかし、イカ娘は鬼太郎の言葉に納得せず、尚も彼に向かって敵意満々に告げる。

 

「それに……日本妖怪の代表とも呼べるお前を倒せば、この国の妖怪どもは全て侵略したも同然でゲソ!! そうなれば、また一歩! ワタシの地上侵略の野望が実現に近づくじゃなイカ!!」

「……お前、まだ諦めてなかったんだな」

 

 果たしてイカ娘の地上侵略が実現に進んだ試しなどあったのだろうかと、彼女の発言に栄子が呆れかえる。

 

「いや、別にボクは日本妖怪の代表ってわけじゃ……」

 

 鬼太郎も、さらなるイカ娘の誤解に否定的に首を振る。

 

 だがその認識——鬼太郎が『日本妖怪の代表』という認識に関していえば、決して的外れとも言えないかもしれない。

 

 鬼太郎としてはそんなものを気取っているつもりはないが、大半の日本妖怪にとって『ゲゲゲの鬼太郎』という存在はある種のカリスマ性を秘めている。

 彼の強さや、面倒見のよさ。それにより彼を勝手に日本妖怪の代表、親玉などのように扱い、ときとして期待を裏切られたと、勝手に失望する妖怪も結構な数が存在する。

 そういったネームバリューなど、ねずみ男といった彼に近しい妖怪も度々利用することがあるほど。

 

 鬼太郎が望もうと望むまいと、彼が日本妖怪の中で一目置かれる存在であることは確か。

 

「さあっ! ワタシと勝負するでゲソ!! ゲゲゲの鬼太郎!!」 

「いや、ボクは勝負なんて……」

 

 そんな彼を倒すことができれば、自分の地上侵略がより一層捗るだろうと、イカ娘はさらに息巻いて決闘を要請してくる。それでも、鬼太郎はイカ娘との戦闘を回避するため、彼女の要求を断ろうとするのだが——

 

「…………ねぇ、鬼太郎さん。よかったら、イカ娘ちゃんと遊……じゃなくて決闘してくれないかしら?」

「姉貴? 何言ってんだよ?」

 

 思わぬところでイカ娘の要求を擁護するものがいた。

 イカ娘が世話になっている相沢家の長女・相沢千鶴である。姉のまさかの発言に妹の栄子も驚いていた。

 

「おお!! いいのか、千鶴!? 絶対に怒られると思ってたでゲソ!!」

 

 これはイカ娘も意外だったのか、一番の保護者たる彼女のOKサインにその表情を無邪気に明るくする。

 

「ええ、いいわよ。鬼太郎さんとたくさん遊んで……じゃなくて、決闘してもらいなさい」

 

 千鶴は穏やかな笑顔でイカ娘にそう言い、そしてその後、こっそりと鬼太郎に近づいてイカ娘に聞こえないよう、声を忍ばせる。

 

「ごめんなさい、鬼太郎さん。けど……あの子、きっと寂しかったと思うんですよ」

「?」

 

 千鶴の言葉に疑問符を浮かべながら、鬼太郎は彼女のヒソヒソ話に耳を傾ける。

 

「地上に出てきてから……ずっと私たち人間と過ごしてましたから。多分、同じ?妖怪の貴方たちと、仲間と一緒に遊びたいんじゃないかしら?」

 

 それが千鶴の考えだ。

 イカ娘の相手を人間である自分たちばかりがしていては寂しがるかもしれない。彼女と同じ(かもしれない)妖怪である鬼太郎たちが遊び相手になってくれれば、イカ娘も嬉しいのではないかと。

 千鶴は、そのようにイカ娘の心情を解釈していた。

 

「姉貴……アイツ自身がそれを否定してるんだけど……」

「あらあら、そうだったかしら? けど、似たようなものじゃない?」

 

 何気に妖怪であることをイカ娘自身が否定していると栄子が主張したが、千鶴はそれを華麗にスルーする。

 ぶっちゃけ、イカ娘が人外だろうと妖怪だろうと。呼び方などはどうでもいいのかもしれない。少なくとも、千鶴にとっては。

 

「そういうわけだから……栄子ちゃん、イカ娘ちゃんの面倒見てあげてね?」

「……って、あたしも巻き込まれるのかよ!?」

 

 さりげなく、千鶴は栄子にイカ娘を世話をするようにお願いする。

 栄子は、まさか自分まで巻き込まれるとは思っておらず、抗議の声を上げるが。

 

「栄子ちゃん……最近、家でゲームばっかりしてるでしょ? たまには外で遊んできなさい……ね?」

「——っ!! わ、わかったよ……」

 

 笑顔で告げられた『圧』のこもった姉の一言に栄子は息を呑む。

 そうして、彼女もイカ娘の我侭に振り回されることとなる。

 

 

 

 

「あの……ボクはまだ決闘を受けるとは……」

 

 何やら勝手に話が進んでいく中、鬼太郎は決闘など受ける気もないと再度断りを入れようとする。めんどくさい……否、無用な争いを好まない鬼太郎らしい冷静な判断。ところが——

 

「ふむ……そうじゃな。鬼太郎や、イカ娘ちゃんの申し出、ここは一つ受けてみたらどうじゃ?」

「と、父さんまで!?」

 

 何故か鬼太郎の父である目玉おやじまでその気になってしまっている。どうやら彼なりに考えがあるらしく、こっそり息子に耳打ちする。

 

「鬼太郎、ここでイカ娘ちゃんの戦意を挫いてやれば、地上侵略などという無謀なことを言い出さなくなるやもしれん。彼女が今後無茶をして、人間たちに目をつけられんようにするためにも、ここはしっかりと現実の厳しさを教えて上げるべじゃ」

「そ、それは……確かに必要なことかもしれませんが……」

 

 なるほど、目玉おやじの言い分にも一理ある。

 ようはイカ娘を打ち負かし、地上侵略など不可能だと思い知らせてやればいい。鬼太郎が憎まれ役を演じることになるが、彼女の今後を思うのなら必要な過程かもしれない。

 

「もちろん、しっかりと手加減はしてやるのだぞ……それにじゃ——」

 

 当然、息子に力加減を注意しながら、目玉おやじはさらにもう一つの本音も溢していた。

 

「お前も……ここ最近は家でずっと寝てばかりじゃったろう? 暑いからといってダラけてばかりではなく、たまには外で運動しなさい」

「…………わかりました、父さん」

 

 実に保護者らしい父からの指摘に今度こそ観念。鬼太郎は運動——もとい、イカ娘の決闘を受けることになった。

 

 

 

×

 

 

 

「それじゃあ、始める前に一つ言っておくけど……」

 

 そんなこんなで成立してしまった決闘を前に、審判役を仰せつかった栄子が口を開く。

 

「あたしが勝負有り!……って思ったらそこで終了だ。分かってるな、二人とも?」

 

 それは姉である千鶴からの注意事項だ。

 あくまで遊びの延長、決闘が殺し合いになってはならないと、栄子が念を押す。

 

「分かってるでゲソ! 心配しなくても、命までは取らないでやるでゲソよ!!」

 

 随分と自信満々に上から目線でイカ娘は頷く。自分が勝利することを微塵も疑っていないようだ。

 

「ああ、それは勿論……」

 

 鬼太郎としても、その取り組みはありがたい。

 当然手加減をするつもりだが、どこまでやればイカ娘の戦意を挫くことができるのかがわからないため、誰かが中立の立場で止めてくれれば、それが目安となるだろう。

 

 

『…………………』

 

 

 そして、いよいよ始まるといった段階で周囲もシンと静まり返る。

 誰もが固唾を呑んで見守る中、ついに決闘開始の合図として栄子が腕を振り下ろした。

 

「……よし。それじゃあ——始め!!」

 

 

 

 

「……」

「……」

 

 戦いが始まってすぐは両者共に動きはない。

 あれだけ息巻いていたイカ娘も、鬼太郎の出方を伺っているのか警戒するように間合いを図っている。

 

 ——さて、どうしたものか……。

 

 一方、鬼太郎。彼は「いったいこの決闘をどのような形で終わらせるべきか?」という方向で思案を巡らせる。

 なるべく穏便に、それでいてイカ娘に二度と地上侵略などという無茶な考えを抱かせないよう、ある程度の力を示す必要がある。実際にやろうとするとこれが意外にも難しく、力加減をどのようにすべきかという点で鬼太郎は攻めあぐねている。

 

「どうしたんでゲソ? ビビってるでゲソか?」

 

 そんな鬼太郎の態度を『怯え』と判断したのか、イカ娘が挑発的な笑みを浮かべる。

 

「来ないのなら……こっちから行くでゲソよ!!」

 

 そしてついに彼女の方から動き出し、攻撃を仕掛けてくる。

 

 イカ娘の主な攻撃手段、それは例の触手だった。

 彼女の髪の毛に擬態するようなその青い触手。ときとして人助けに利用され、ときとしてお料理の配膳に利用され——

 

 それはときとして、人を傷つける凶器にもなり得た。

 

「これでも……喰らうでゲソ!!」

 

 イカ娘が頭をブンと勢いよく振り回すと、矢印のような先端を伴ったその数本の触手が鬼太郎に向かって勢いよく迫ってくる。

 

「——!!」

 

 鬼太郎は慌てて身を躱す。完全に油断していたこともあって反応が遅れるも、なんとかその一撃を回避。躱されたことで触手は砂浜の地面に衝突。かなりの勢いでぶつかったこともあり、衝撃が浜辺一帯に砂煙を巻き上げる。

 

『おおっ——!?』

 

 観客たちから呑気な歓声が上がる。

 想像以上に派手なイカ娘の触手の威力に、まるでアクション映画に魅入るような喝采を上げている。

 

「おのれぇ! 逃さんでゲソよ!!」

 

 自分の攻撃が失敗したことを悔しがりながらも、さらにイカ娘は攻撃を続ける。

 砂煙が舞う中で一本一本の触手を器用に動かし、鬼太郎を四方八方から攻め立てる。

 

「くっ!?」

 

 砂で視界が遮られていることもあってか、なんとか回避しながらも鬼太郎は触手の一撃を二度、三度と体に受けてしまう。霊毛ちゃんちゃんこで守られていることもあり、決して深手にはならないものの、これが結構痛い。

 

 ——この子!?

 

 思った以上の威力に顔を顰めながら、鬼太郎は触手を避け続ける。

 避けているうちに砂煙も晴れ、クリアな視界が鬼太郎の元へと戻ってくる。

 

「ちぃっ! なかなかやるじゃなイカ!!」

 

 晴々とした視界の向こう、イカ娘は苦々しい表情をしている。自慢の触手攻撃を繰り出しても倒れない鬼太郎に業を煮やしたのか。

 

「ならば……これならどうでゲソ!?」

 

 そう叫びながらも、今度は大きく息を吸い込む。

 見た目が子供なイカ娘がその動作をすると、まさにバースデーケーキの蝋燭を吹き消そうとする幼子のように見えるのだが——

 

 次の瞬間、イカ娘は口から『真っ黒い液体』を噴水のように吹きかけてきた。

 

「なっ!? れ、霊毛ちゃんちゃんこ!!」

 

 これにガチで驚いた鬼太郎は目を丸くする。慌てて霊毛ちゃんちゃんこを脱ぎ、それを盾に黒い液体を防ぐ。

 その液体は、黄色と黒の縞々模様がトレードマークのちゃんちゃんこを黒一色に染め上げてしまう。

 

 

 

 

「な、なにあれ!? なんか……変な液体吐いたわよ、あの子!?」

 

 二人の決闘をなんの気もなく見届けていた猫娘も驚く。

 正直、猫娘は二人の戦いに何の関心もなかった。どうせ鬼太郎が危なげなく制するだろうと、彼の勝利を微塵も疑っていなかったからだ。

 だが、鬼太郎がまだ反撃していないとはいえ、思いのほか高いイカ娘の戦闘力、そして得体の知れない液体を口から吐く彼女のびっくり仰天な生態に猫娘ですら目を丸くする。

 

「ああ、あれはイカ墨ですよ~」

 

 だがまるで驚いた様子もなく、猫娘と一緒にその戦いを観戦している千鶴が呟く。

 千鶴が言うに、あの黒い液体はイカ娘のイカ墨——彼女の体液らしいとのことである。

 

「い、イカ墨……?」

「ええ、イカですから……何もおかしいことはないと思いますけど?」

 

 イカ娘なだけあって、イカ墨を吐く程度はなんら不思議はないと千鶴が語っているが、猫娘は若干引き気味だ。

 少なくとも、女の子が口から吐いていいような液体ではないと、素直にそう思ったから。

 

 もっとも、千鶴は猫娘のリアクションに気づいた様子もなく、さらなる衝撃事実を口にする。

 

「それにあのイカ墨、とっても美味しいんですよ!!」

「へっ……!? た、食べるの? あれを……!?」

「はい!! 今じゃ、うちの店の看板メニューの一つなので~」

 

 なんと、そのイカ墨。イカ娘の体液で作った『イカ墨スパゲッティ』をメニューとして提供しているという。

 猫娘はイカ娘が口から吐くイカ墨で完成するスパゲッティの作業工程を想像し——思わず「ウッ!」と口元を押さえる。

 

「おお!! 確かに、あれはなかなかの美味じゃったのう!」

「ええ、そうでしょう!? お客さんからも評判良くて!!」

 

 しかし、その名物を昼飯に口にした目玉おやじ。猫娘の肩に乗りながら特に気にした様子もなく感心し、それに気を良くした千鶴が上機嫌に笑顔を振りまく。

 

「……さ、さすがおやじさん………………あれ?」

  

 その胆力にさすがは目玉おやじと驚愕する猫娘だったが、一方である事実に気付いてしまう。

 

 鬼太郎たちと一緒に昼食を共にした猫娘。彼女自身はイカ墨スパゲッティなど口にしてはいない。猫である彼女がイカを食べると腰を抜かしてしまうから。

 

 だが、彼女たちとは別に料理をテイクアウトで注文していた犬山まな。

 彼女の持ち帰った料理が——確か『イカ墨スパゲッティ』だったことを猫娘は思い出す。

 

「まな……アレを食べたのよね…………」

 

 大事な妹分がアレを口にする姿を想像し、猫娘は密かに同情する。

 

「何も……言わないであげようかしら……」

 

 果たして彼女が真実を知ったとき、いったいどんな反応をするのか。

 ちょっと見てみたい気はしたものの、言わぬのが情けと。猫娘はこの事実を自身の胸に内にそっと閉まっておくことにした。

 

 

 

 

 イカ娘のイカ墨攻撃を防いだ後も、彼女の猛攻は止まらない。

 十本の触手を縦横無尽に動かし、鬼太郎を追い詰めようと奮戦している。攻撃はどんどん激しくなっていき、もはや観客である人間たちの目では追いきれないレベルに到達していた。

 

「!!」

 

 しかし、そこはやはりゲゲゲの鬼太郎。数々の修羅場を潜り抜けてきただけあって、既にイカ娘の攻撃を見切り始め、繰り出される触手を悠々と躱していく。

 

「くそっ、ちょこまかと! さっきから避けてばかりじゃなイカ!! 少しは反撃してみるでゲソ!!」

 

 己の攻撃が当たらず、避けてばかりの鬼太郎へ悔しそうに叫びながら、イカ娘は尚も触手を繰り出し続ける。

 その触手を一方的に躱し、躱しながら——ふと、鬼太郎は思案にふける。

 

 ——この子、意外に強いな……。

 

 鬼太郎が考えていたのはイカ娘の意外な強さについて。

 触手の動きといい、力強さといい。幼そうな見た目からは想像もできない、底力を身に宿しているイカ娘という存在。

 やはりどれだけ見た目が愛らしくても妖怪(本人は否定しているが)。その力や能力は明らかに人間離れしていた。

 

 ——これだけの力があれば……この平和な海岸くらいなら侵略できそうだけど……。

 

 だからこそ、鬼太郎は疑問に思う。これだけの底力がありながら、どうして未だにこの辺りの海岸が平和なのか。

 イカ娘がその気になれば日本全土は無理でも、あの小さな海の家の住人たちを脅し、無理やり支配することくらいはできそうだ。そうなれば、もっと騒ぎが大きくなり、鬼太郎の耳にも届きそうなトラブルに発展しそうなものだが。

 しかし、この由比ヶ浜はイカ娘という『異物』を抱えながらも、未だに平和を保っていられている。

 

 ——彼女自身、侵略なんてする気もないのか……それとも、何か別の要因があるのか?

 

 いずれにせよこの勝負を早めに切り上げ、そこのところをもう一度調べた方がよさそうだと、鬼太郎は戦いながらもそんなことを考えていた。

 そのせいか——彼は思わぬところで足元を掬われることとなる。

 

「っ!? な、なんだ!?」

 

 唐突に、イカ娘の触手を躱していた鬼太郎の足元がガクリと、不安定に揺れる。 

 何事かとそちらに視線を向けると——そこには『空のビール瓶』が砂浜に投げ捨てられていた。それをウッカリ鬼太郎が踏みつけ、彼はバランスを崩す。

 

「ハッ!! 隙を見せたでゲソね!!」

 

 思わぬところから勝機が転がり込んできたと、イカ娘が目をギラリと光らせ一気に勝負に出る。彼女の触手が体勢を崩した鬼太郎を絡めとろうと、一斉に襲い掛かる。

 十本の触手、その全てが鬼太郎を縛り上げ、彼の動きを封じてしまった。

 

「しまっ!?」

「鬼太郎!?」

 

 これに油断したと叫ぶ鬼太郎。信じて勝負の行く末を見ていた猫娘ですら思わず声を上げる。

 

「ふっ! 勝負あったでゲソね! さあ、このまま朽ち果てるがいいでゲソ!!」

 

 勝った!と確信したのか。イカ娘は触手で縛り上げた鬼太郎の体を高々と持ち上げ、勝利宣言に浸る。実際、イカ娘の触手にはそれなりの圧迫感があり、鬼太郎でもこの状態を力だけで抜け出すのは難しくあった。

 

「くっ……仕方ない」

 

 だがここで鬼太郎が負けてしまえば、イカ娘はますます調子づいてしまうだろう。これまで大人しかった彼女が、人類侵略とやらに本腰を入れ始めてしまうかもしれない。

 

「少し可哀想だけど……!」

 

 そうさせないためにも、鬼太郎は止むを得ず反撃に打って出ることにした。

 

 

「——体内電気!!」

 

 

 縛られた状態で発動されたのは体内電気。鬼太郎の全身から流れ出すその電撃は触手を伝わり、イカ娘本体にも電流を流していく。

 

「あべべべべべべべ!?」

 

 突然の電気ショックにイカ娘が奇声を上げる。電撃で痺れるだけでなく、電熱の影響で彼女の身からは美味しそうなイカ焼きの匂いがコンガリ香ってくる。

 予想だにしないカウンターに、鬼太郎を縛っていた触手も緩んだ。

 

「よし……リモコン下駄!」

 

 触手から解放された鬼太郎は、すかさずリモコン下駄で駄目押しの一撃を加える。

 

「あで!? ゲソ!?」

 

 鬼太郎の脳波で動くリモコン下駄は、見事にイカ娘の頭部と顎に直撃。 

 一瞬、何とか踏ん張ろうとはしていたものの、イカ娘はそのまま耐えきれずにバタリと後ろに倒れ込む。

 

 

 

 

「——しょ、勝者!! ゲゲゲの鬼太郎!!」

 

 暫くしても起き上がってくる気配もなかったため、そこで審判の栄子が声を上げる。

 

 勝負有り。

 

 結果として決闘は鬼太郎の勝利で幕を閉じ、浜辺は観客たちの歓声とブーイングの両方によって埋め尽くされていた。

 

 

 

×

 

 

 

「…………ま、負けたでゲソ」

 

 鬼太郎の体内電気で真っ黒焦げにされ、イカ娘は弱々しく呟く。

 自分の負け、すなわち敗北を噛みしめるように彼女は仰向けのまま晴々とした空を眺める。

 

「お、おい……大丈夫か、イカ娘?」

「す、済まない。少しやり過ぎた」

 

 放心状態のイカ娘を気にかけて栄子が駆け寄る。鬼太郎も、少しやり過ぎたと反省する。

 

「負け…………」

 

 しかし、そのどちらの声も耳に届いた様子がなく、イカ娘はピクリとも動かない。

 彼女は自身の敗北をゆっくり、長い時間かけて理解し————

 

 

「う……うわあーん!! ゲソゲソゲソゲソ!!」

 

 

 あまりのショックからか、その場で大声にて泣き崩れてしまった。

 

「うおい! イ、イカ娘!?」

 

 イカ娘の泣き叫ぶ姿に栄子がテンパる。

 

「えええっ!? あ、あの、その……」

 

 鬼太郎もたいへん心苦しい気持ちに晒され、どうすればいいか珍しく挙動不審に陥る。

 

「うぅう……地上に出てから今日という日まで……結局ワタシは何一つ侵略することもできずにこの始末。ワタシはワタシは……自分が情けないでゲソ!! うわぁーん!!」

 

 どうやらイカ娘。これまでの自分の成果、地上侵略を豪語しながらも何一つ進展しない己の不甲斐なさが決闘による敗北により、一気に噴き出してしまったらしい。

 恥も外聞もなく、彼女は目から滝のような涙を流してその場にて泣き続ける。

 

 

「……おい、あいつ、イカ娘ちゃんを泣かせてるぞ!」

「もうちょっと手加減してやれよ、それでも男か!!」

「ママ~、あのお兄ちゃん、いじめっ子なの?」

「シッ!! 見ちゃいけません!!」

 

 

 イカ娘の泣き崩れる姿があまりに痛ましいせいか、周囲のギャラリーたちも鬼太郎への厳しい視線を強めていき——。

 

 

 

 その中の何人かが、まさに行動を起こそうとしていた。

 

 

 

「——なっ!! 何なのよあの子!! 私のイカちゃんをあんな風に泣かせるなんて!!」

 

 手にしたハンカチを噛みしめながら、イカ娘の泣き崩れる姿に激怒する高校生がいた。

 彼女は——イカ娘のストーカーだ。イカ娘と出会ったその日に彼女に一目惚れしてしまい、それ以来、彼女への無償の愛をこれでもかというほど、注いでいる。

 イカ娘本人にはとても迷惑がられているが、たとえどのような扱いを受けようと彼女の愛は不滅。イカ娘を泣かせた鬼太郎への敵意を漲らせ、彼女は駆け出す。

 

「——待ってて、イカちゃん!! 今慰めてあげるわ!!」

 

 

 

 

「——あっ、イカちゃん先輩が!!」

「——男の子に泣かされてる!?」

 

 その場を偶然通りかかった中学生たちがいた。

 彼女たちはイカ娘の友達であり、イカ娘が鬼太郎相手に決闘騒動を起こした事実を知らず、本当に偶々そのタイミングでその現場に通りかかった。

 前後の騒動を知らない彼女たちからすれば、目の前の光景はまさに『男の子がイカ娘を一方的に泣かせている』という風に見て取れる。

 

 大事な友達が、虐められている。

 友達思いの中学生たちは決して見過ごすことができず、走り出す。

 

「——イカちゃん先輩!!」

「——大丈夫!! 私たちが付いてるよ!!」

 

 

 

 

「——イカ姉ちゃん!!」

「——やばいぞ、たける!! イカ姉ちゃんのピンチだ!!」

 

 小学生の男の子たちがいた。

 イカ娘は何故か小学生相手に絶大なカリスマ性を発揮し、イカ姉ちゃんと慕われている。男女問わず人気者で、特に相沢家の長男・相沢たけるたちのグループ・イカ娘親衛隊に懐かれていた。

 小学三年生とまだまだ幼い男の子たち。彼らはイカ娘を守るため、どのような行動を取るべきか迷いなく動く。

 

「——オレたち! イカ姉ちゃんを守り隊!!」

「——行くぞ!! ボクたちでイカ姉ちゃんを守るんだ!!」

 

 

 

 

「——Oh no!!」

「——不味いデェス、このままでは……」

「——イカ星人が、妖怪として退治されてしまいまぁす~!!」

 

 うそん臭い科学者たちがいた。

 彼らはイカ娘を宇宙人と断定し、その生態を調べようと日々画策している。そんな彼らにとって、鬼太郎の手でイカ娘が退治されてしまうことは一大事。自分たちの大事な研究対象を失う、科学者として決して見過ごすことのできない緊急事態だ。

 故に、彼らは科学の武装を手に鬼太郎へと挑みにかかる。

 

「——かくなる上は……!」

「——我々で彼女を守るのでぇす!!」

「——yahoo!!!」

 

 

 

 

「——なにぃいいい!? イカ娘が敗北しただと!?」

 

 イカ娘が決闘で負けたことを聞きつけ、別の海の家『南風』の店長・おっさんが声を荒げる。

 彼はイカ娘を打倒するため、偽イカ娘なるものを日々研究・造形している変わり者。そんな彼にとって、イカ娘が他の誰かに敗北するなど、決して許せることではない。

 奴を倒すのは俺だと言わんばかりに、ライバル心を燃やしながら新作の偽イカ娘を連れていく。

 

「——待っていろ、イカ娘!! 俺の作った偽イカ娘がその鬼太郎とやらを倒す!!」

 

 

 

 

 そう、多くの人々がイカ娘の敗北を目の当たりにし、その浜辺に集結した。

 その目的や動機などの違いこそあれど、彼らの思いは一つ。

 

 イカ娘を守る。

 

 そのために、そのために——

 

 

『——ゲゲゲの鬼太郎!! 覚悟ぉおおお!!』

 

 

 と、イカ娘を泣かせた張本人・ゲゲゲの鬼太郎へと襲い掛かったのである。

 

 

 

×

 

 

 

「——えぇ!? ちょ、ちょっ!?」

 

 これには、さすがの鬼太郎もたじろぐ他ない。

 気が付けば彼の周囲には見知らぬ男女、下は小学生から上はおっさんまで。ありとあらゆる年代の人間たちが取り囲み、彼と敵対するべく武器を構えていた。

 

「くらえぇええ~!」

「やっつけろ!!」

 

 棒切れ片手に先陣を切るのは、小学生の男の子たち。

 イカ娘を守るという意志がヒシヒシと伝わってくる、何と曇りない真っ直ぐな瞳。

 そんな瞳で睨まれた日には、自分がものすごく悪い妖怪なのではと、いたたまれない気持ちにさせられる。

 

「いたっ!! いたた……!!」

 

 反撃などできる筈もない。鬼太郎は小学生たちにポカスカポカスカと叩かれ、身を縮こませるしかなかった。

 

「yahoo!!」

「喰らいなさい、これが科学の力!」

「我々の研究の成果でぇす!!」

 

 続いて鬼太郎の前に立ち塞がったのは、何故か水着に白衣という組み合わせのうそん臭い外国人である。

 白人が二人、黒人が一人の三人組で、彼らの内の一人がその手におもちゃのような銃を構えて、引き金を引く。

 

 次の瞬間、銃口からは謎の光線が放たれる。

 

「!!」

 

 嫌な予感がしたため、その光線を避ける鬼太郎。すると光線は鬼太郎の後ろにあった、誰かが置き忘れていった西瓜へと命中。

 

 

 西瓜はチリひとつ残さずこの世から消滅する。

 

 

「——っ! か、髪の毛針!!」

 

 鬼太郎の顔から一瞬で血の気が引き、慌てて髪の毛針で反撃。

 毛針を全てそのおもちゃのような銃に直撃させ、二度と引き金が引けないようぶっ壊しておく。

 

「Oh no!?」

「我々の研究成果がぁ!?」

 

 銃を壊されて頭を抱える科学者たちだが、これに対して同情の余地はない。

 

「大丈夫、イカちゃん?」

「怪我してない?」

「ほら、顔を上げて!!」

 

 男たちが鬼太郎たちと戦っている間、イカ娘の友達である女の子たちが彼女の周囲に集まっていく。イカ娘のことを慕い、心底彼女の身を案じる中学生の少女たち。

 

「清美……みんな……!!」

 

 仲の良い友人たちに慰められ、イカ娘は顔を上げて表情を輝かせる。

 

「イカちゃん~!! 今私が傷の手当てをゲフっ!?」

 

 その一方、自分が落ち込んでいることをいいことに傷の手当てと称し、抱きつこうとする女子高生を触手でぶっ叩いて下がらせる。

 

「えへへ……元気そうでよかったわ、イカちゃん~」

 

 すげなく扱われながらも、鼻血を垂らしながら幸せそうな顔で陶酔する変態淑女。

 とりあえず彼女のことを華麗にスルーしつつ、イカ娘はもう一度立ち上がる。

 

「ありがとうでゲソ、みんな! そうでゲソね……こんなことで、いつまでも挫けていられないでゲソ!!」

 

 友達に勇気付けられ、イカ娘は今一度自らの野望に奮い立つ。

 そうだ、たった一度の敗北で諦めることなどない。自分には地上を侵略するという大事な使命があるのだ。

 その使命を、夢を叶えるためにも——

 

「——鬼太郎!! もう一度勝負するでゲソ!!」

 

 イカ娘は鬼太郎へのリベンジマッチと、もう一度彼に襲い掛かる。

 

 

 

 

「——おい、お前ら、いい加減にしろ!! イカ娘も、決闘は終わりだ! 勝負有りだって言っただろ!!」

 

 混沌とした状況の中、審判係を務めていた栄子が声を張り上げ、その争いを止めに入る。一対一の戦いで勝負有と判断した以上、これ以上はルールの範疇外、もはやこれは決闘でもなんでもない。

 だがあまりにカオスな戦況、みんなが騒ぎまくる中、誰も栄子の話になど聞く耳を傾けない。

 

「待てぇ! 鬼太郎!!」「僕たちが相手だ!!」「イカ姉ちゃんの仇!!」「我々の科学力はこの程度で屈指はしませぇ~ん!!」「今度はこの新兵器で息の根を止めてやりま~す!」「yahoo!!」「鬼太郎! 覚悟するでゲソ!!」「イカちゃん頑張って!」「イカちゃん先輩負けるな!!」「イカちゃん、愛してる!!」

 

「…………うわぁ~……なんだこれ」

 

 栄子はその光景に絶句する。

 普段であれば、なかなか一箇所に集まらないような変人・奇人・常識人たちまで大集合。その浜辺に集った人々が、イカ娘一人のために鬼太郎を寄って集って追い回している。

 

「ちょっ!? ま、ま、まってくれ!?」

 

 これには鬼太郎も、どのように対処すべきか困っていた。

 

 基本的に、鬼太郎に向かってくる人間たちの行動は『善意』からくるものだ。最初にイカ娘を大人げなく打ちのめしてしまったという負い目もあってか、彼も抵抗ができずにただ逃げ回るしかない。

 この浜辺はまさにイカ娘たちの領域、鬼太郎にとって完全にアウェー状態。

 

「ちょっとアンタたち! いい加減にしなさい!!」

「そ、そうだよ! これじゃ、鬼太郎がかわいそうだよ!!」

 

 しかし、そんな状況でも鬼太郎の味方はいた。

 彼が一方的に追い回される状況に猫娘が激怒して化け猫の表情で威嚇。犬山まなが鬼太郎を庇って周囲の人たちに呼びかける。

 

「むむむ……」

 

 猫娘とまなが割って入ることで、一度は怯みかけるイカ娘側の人間たち。

 

「——ふっ、ここは俺に任せろ!!」

 

 しかし、そこへ空気を読まずに現れたのは南風のおっさん。

 

「やれ! 新作・偽イカ娘!!」

『了解でゲソ』

 

 おっさんは打倒イカ娘のために開発した新型の偽イカ娘を猫娘たちにけしかけ、彼女たちが鬼太郎の援護に入ることを阻止する。

 

「えっ、なにこれ……」

「き、気持ち悪!!」

 

 眼前に立ち塞がる偽イカ娘なるもののデザインに、猫娘とまなの二人が及び腰になる。 

 この偽イカ娘——おっさんの独自センスでイカ娘に似せているようだが、これがとにかく不気味ずぎる。でかい無機質な顔が緑色、ボディ周りが常にウネウネとした触手で構成されている。

 そんなナリにもかかわらず、戦闘力もそれなりに高いのでタチが悪い。

 

「ちょっ!?」

「きゃあ! こっち来ないで!!」

 

 そんな偽イカ娘に追い回され、猫娘もまなも鬼太郎に助け舟を出すことができずにいた。

 

 

 

 

 

 

「…………こ、これ、どう収拾つけんだよ…………」

 

 自分の許容量を超えた目の前の混乱に、いよいよもって栄子が頭を抱え出す。だが、こればかりは一方的に栄子を責めることはできない。

 

 寧ろ、いったいどこの誰ならこの状況を鎮めることができるというのか。少なくとも普通の人間では不可能だ。

 

 

 そう——普通の人間であれば。

 

 

「————!!」

 

 

 

 

 その浜辺の混沌とした状況を見るに見かね——ついにその人物は動き出す。

 

 

 

 

 

『ゲソ?』

 

 その人物がまず行ったのが、偽イカ娘の排除である。

 作り物相手に容赦はないとばかりに、疾風の如き速度で即座に間合いを詰め、そして通り過ぎる。

 

 次の瞬間——偽イカ娘の頭部が弾け、木っ端微塵に粉砕される。

 

「ああ!? 俺の偽イカ娘がぁああ!?」

 

 いったい何をされたかもわからず、南風のおっさんが悲鳴を上げる。その人物は首を無くした残骸などには目もくれず、すぐさま次なる標的——三人の科学者たちへと目を向ける。

 

 その科学者たちはそれぞれの両手に武器を持ち、それらを鬼太郎に向かって試そうとしていた。

 どれも彼らの自信作であり、ひょっとしたらこの世界の物理法則すら凌駕する、とんでもない世紀の大発明だったかもしれない。

 

 だが——知ったことかとばかりに目にも止まらぬ速さでその全てを取り上げ、全部粗大ゴミとして粉々に粉砕。

 

「へっ?」

「おっ?」

「Oh!?」

 

 ついでとばかりに、科学者たちの白衣をズタボロに引き裂き、彼らそのものを戦闘不能へと追い込み。

 

「な、何が……?」

 

 その間、わずか5秒。

 妖怪たる猫娘の目ですらも追いきれない動きでその人物——『彼女』はさらに無邪気な男の子たちにすらその牙を垣間見せる。

 

「待てぇ、鬼太郎!! へっ……?」

 

 彼女は鬼太郎を追い回していた小学生たちの眼前に立ったかと思いきや、手刀を一振り。

 それにより、彼らの持つ棒切れ——その全てがバラバラに分解される。

 

「いっ!?」

 

 猫娘ですら初動を補足するのがやっとの動き、小学生の男の子たちでは何をされたか理解することすらできない。

 

「あ……ち、千鶴姉ちゃん……」

 

 男の子たちが絶句する中、相沢たける少年がその人物——実の姉である千鶴へと目を向ける。

 

 

「たける、駄目じゃない……みんなで寄って集って、鬼太郎さんを虐めちゃ……ねっ?」

 

 

 千鶴は、あくまで和かな微笑みで弟とその同級生を嗜める。だが笑顔の奥に隠された威圧感に震える子供達。

 

「ご、ごめんなさい……千鶴姉ちゃん」

 

 姉の威光を前にタケルは素直に謝まった。

 下手に口答えをすればどのような目に合うか——それをキチンと理解しているから。

 

「ふふふ、分かれば良いのよ……さてと」

 

 弟のたけるが大人しくなったことで、他の子供たちも静かになった。千鶴は他にお馬鹿なことを仕出かす者がいないか『生き残り』を探して周囲へと目を向ける。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 誰も、誰も何も喋らない。

 あれだけ騒がしかった浜辺が——千鶴の降臨でシンと静まり返っている。

 

 男も女も、子供も大人も関係ない。

 全てのものが千鶴を恐れ、畏怖し、大人しくなっていく。

 

 

「——イカ娘ちゃん?」

「——っ!!!」

 

 

 邪魔者がいなくなったことを確認し、ついに千鶴はイカ娘に狙いを定める。

 この騒ぎの元凶、人々が鬼太郎を責めるきっかけとなった彼女と——『お話』をするために。

 

「ひぃっ! く、来るなでゲソぉおぉおおおおおおおお!!」

 

 イカ娘は、あまりの恐怖によって正常な判断力を失ってしまったのか。あろうことか千鶴に対して反抗、攻撃を仕掛けてしまっていた。

 

 十本の触手、それらが全て千鶴へと襲い掛かる。

 

「あらあら……」

 

 千鶴はやれやれとため息を吐く。「しょうがないわね~」といった調子でイカ娘へと歩み寄り、触手を躱しながら彼女へと一歩一歩近づいて行く。

 

 

 それは過ちの繰り返し。

 イカ娘が初めて相沢家を支配しようとし——そして失敗した、敗北の歴史。

 

 彼女が——地上の人間に本当の意味で屈したときの再現である。

 

 

「ひぃっ! ひぇえええええええ!?」

 

 そのときのトラウマを思い出しながら、必死に抵抗するイカ娘。だが、そんな愚かな抵抗を千鶴はニッコリとした笑みを維持したまま掻い潜り接近、腕を振るう。

 

 千鶴の鋭い剣閃——手刀がイカ娘の触手の十本の内、九本を切り捨てる。

 さらに残った一本を掴み取り引っ張る。触手ごと、イカ娘の体を自身のいる場所まで手繰り寄せ——。

 

 

 

「ひぃっ!?」

「ねぇ……イカ娘ちゃん」

 

 

 

 至近距離で、イカ娘と千鶴の視線が絡み合う。

 もはやイカ娘に抗う術はなく、彼女はガチガチに震えたまま千鶴の次なる死刑宣告を待つしかない。

 

「栄子ちゃんが勝負有りって言ったのが……聞こえてたわよね?」

「は、ハイでゲソ!」

「イカちゃんの負けで、勝負は付いた筈よね?」

「は、ハイでゲソ!」

 

 千鶴の問い掛けに「ハイ!」としか答えられない、答えようがないイカ娘。

 まるでそれ以外の答えは許さないとばかりに、笑顔の千鶴だが——。

 

 

 次の瞬間、千鶴の目がパッチリと見開かれ、彼女の顔から笑顔が消えた。

 

 

「——だったらもう大人しくしてなさい。これ以上……私の手を煩わせたいのかしら?」

「——ひぃっ!?」

 

 

 開眼した千鶴は、まさにイカ娘を射殺せんとする殺し屋そのもの(少なくともイカ娘にはそう見えていた)。

 もはや口答えする余力もなく、こくこくと命乞いするかのように頷きまくるイカ娘。

 

「そう…………分かればいいのよ~」

 

 一瞬の沈黙の後。聞き分けのいいイカ娘を許すかのように、千鶴は瞳を閉じて和かな微笑みを浮かべ直す。

 元の優しい笑顔の相沢千鶴に戻ったことで、イカ娘は——気付けば涙を流していた。

 

「い、生きてるでゲソ……」

 

 人間相手にやられた悔し涙ではない。

 自分が生きている、生き延びたことに彼女は心底感動し、喜びに浸っているのだ。

 

「ワタシは、今日も生きている……そ、それで十分じゃないイカ!!」

 

 死を乗り越え、生を謳歌できる感動に謎の悟りを得たイカ娘。

 

 もはや鬼太郎との決闘などどうでもよく、彼女は生きていることへの素晴らしさに砂浜を飛び跳ねるのであった。

 

 

 

 

「……そ、そういうことだったのか」

 

 千鶴の介入によりイカ娘を庇う人たちの暴動が収まり、鬼太郎はホッと一息つく。 

 彼は千鶴に感謝すると同時に、先ほどの戦いの最中で抱いた疑問——『何故イカ娘がこの辺り一帯を侵略できずにいるのか?』その答えを得る。

 

 何ということはない。

 イカ娘以上の圧倒的『武力』により、彼女は大人しくせざるを得なかった。

 

 それだけの単純な話だ。

 

「……この海岸は安全だな、うん」

 

 そう、この場所は安全だろうとゲゲゲの鬼太郎も悟ったのである。

 

 

 千鶴の持つ圧倒的な武力に——鬼太郎自身も戦慄に震えながら。

 

 

 

×

 

 

 

「——まったく、千鶴を怒らせて酷い目にあったでゲソ……」

 

 あれから数時間が経った夕暮れときの由比ヶ浜海岸。イカ娘はビニール袋を片手に海岸のゴミ拾いに精を出していた。

 

 これは別に迷惑を掛けた罰としてやらされているわけではない。イカ娘にとっていつもの日課である。

 偶に小学生のたけるたちや、中学生の清美たちも手伝ってくれるが、今日は一人で作業中。

 

 そう、あれほど観光客で賑わっていた海岸を、イカ娘が一人静かに綺麗にしている。

 

「…………」

 

 心なしか、少し寂しげな後ろ姿。そんな彼女の背中に——。

 

「ねぇ、わたしも手伝っていいかな?」

「……?」

 

 ふいに、誰かが声を掛ける。イカ娘が振り返ると、そこには女の子の姿があった。

 

「お前……確か、鬼太郎と一緒にいた……」

 

 イカ娘はその女の子が鬼太郎と一緒に自分の元へと訪れた人間の一人。

 

 

 犬山まな、という少女であることを彼女自身の自己紹介で知る。

 

 

 

 

 

 

「——そっか……イカ娘ちゃんは、海を汚されるのが嫌で……人類を侵略しようと思ったんだね」

 

 犬山まなはイカ娘の手伝いをしながら彼女の身の上話を聞いていく。

 鬼太郎たちから「イカ娘は放っておいても問題ない」とお墨付けを貰ったとはいえ、やはり個人的にイカ娘のことが気になっていた。

 鬼太郎たちが帰った後、こうして一緒にゴミ拾いの時間を設けることで、イカ娘はまなに色々と話してくれる。

 

「そのとおりでゲソ!! 人間など、ワタシたち海の生き物にとって百害あって一利なし!! 海坊主さんを始めとする海の生き物たちのためにも、ワタシが人間を懲らしめてやるんでゲソ!!」

「…………そっか」

 

 誇るように宣言している姿から、それがイカ娘という存在の行動原理であることが分かる。

 

 まなは——そんなイカ娘の言い分に何一つ言葉を返すことができない。

 

 彼女の言うとおり、確かに人間は海を汚している最たる生き物だろう。中学生のまなでさえ、そんな簡単なことがすぐに理解できるほどに。

 人は長い時間を掛け、綺麗だった原初の海を汚し、今もそれを台無しにし続けている。

  

「イカ娘ちゃんは…………人間が嫌い?」

 

 ふと、ついつい気になってしまい、まなはイカ娘に問い掛けていた。

 

 今日の浜辺での騒ぎ。この由比ヶ浜の人々がイカ娘のために集結したあの光景。

 色々と鬼太郎が可哀想な出来事であったその反面、この浜辺の人たちがどれだけイカ娘のこと大切にしているかが分かるような光景でもあった。

 この浜辺の人間たちは、何だかんだで侵略者を名乗るイカ娘のこと好いている。だけど、イカ娘は……

 

 

「……嫌いでゲソ」

 

 

 案の定、冷たい回答をまなに投げつける。

 

「海を汚す生き物を……好きになれるわけないじゃなイカ……」

「……そっか、そうだよね……」

 

 当たり前と言えば当たり前の答え。

 イカ娘とそれほど親しい仲ではないまなだが、それでもショックで表情が沈んでしまう。

 

 

 けれども——

 

 

「けど……」

 

 イカ娘は若干迷いながらも、続く本音を犬山まなに溢していた。

 

「栄子や千鶴……この浜辺の人間たちのことは……そんなに、嫌じゃないでゲソ…………」

 

 海の家れもんの住人、相沢家の人々。

 ライフセーバーの青年や、小学生の子どもたち。

 中学生の友人たちや、ストーカー気質の女子高生。

 怪しい科学者の三馬鹿や、謎の対抗心を燃やしてくるおっさん。

 その他にも、今日この海岸に訪れていなかった人々も。

  

 そういった、身近な人たちのことまで——イカ娘は毛嫌いしているわけではない。

 そんな想いが伝わってくるような、小さな呟きをポロッと口にする。

 

「……そっか! よかった」

 

 その呟きに表情を明るくする犬山まな。それに対し、イカ娘は「しまった!」という表情で顔を赤くする。

 

「あっ! い、今の話は栄子たちには内緒でゲソよ!! こんなことあいつらに話したら、すぐに調子に乗るでゲソからね!!」

 

 きっと、あまり親しくない相手だからこそ、うっかり漏れてしまったイカ娘の本音。

 親しい相手には、素直に気持ちを伝えるのがきっと恥ずかしいのだろう。彼女はまなに告げ口はするなと要求する。

  

「ふふふ……分かってるよ」

 

 まなだって当然、そんな無粋なことはしない。それに、きっと言葉にしなくても伝わっている筈だ。

 

 皆が、イカ娘のことを大事にしていることが——。

 イカ娘が、皆のことを大切にしていることが——。

 

 他人事だけど何故かその事実、犬山まなはとても嬉しいと感じた。

 

 

 

 

「——お~い! まな~!!」

「あっ、お父さん!」

 

 そうして、ゴミ拾いも終わる頃。ようやく仕事を片付けてきた犬山裕一がまなを迎えに来ていた。

 

「ご、ごめん、まな。ようやく仕事が終わったんだけど……そろそろ時間だから……」

 

 裕一は結局この休日、ずっと喫茶店で仕事をしていたらしい。

 しかしもう時間だからと、今すぐ東京に帰らないと行けないことを、心から娘に詫びる駄目な父親。

 

「もう~! ホント、大変だったんだからね!!」

 

 それに文句を言うまなだが、口で言うほどそれほど怒ってはいない。

 何故ならこの海岸に来れて、イカ娘たちのことを知れてよかったという気持ちが強くあったからだ。

 

「——お~い! イカ娘!!」

「あっ、栄子!!」

 

 まなを迎えに来た裕一とは逆方向、相沢栄子もイカ娘を迎えに来ていた。

 

「そろそろ家に帰るぞ! 今日の夕飯はエビフライだってよ!!」

「ホントでゲソか!? やったでゲソ!!」 

 

 どうやら、イカ娘にも帰る家があるらしい。

 夕飯のメニューに無邪気に喜びながら、彼女は犬山まなたちに背を向けて歩き出す。

 

 

「……イカ娘ちゃん!!」 

 

 

 その背を、まなは気付いたら呼び止めていた。

 

「ん? 何でゲソか?」

「……?」

 

 キョトンとこちらを振り返るイカ娘に、相沢栄子。

 

 

 別に、犬山まなは何か特別なことが言いたくて彼女たちを呼び止めた訳ではない。

 だけど、どうしてだろう。彼女たちを見ていると、どうしても声を掛けたくなってしまう。

 これでお別れは少し名残惜しい、だからなのか。

 

 まなは——彼女たちに願うように尋ねていた。

 

 

「——来年も、この由比ヶ浜に遊びに来てもいいですか?」

 

 

 もしかしたら、来年にはイカ娘はいないかもしれない。

 海の家れもんも、閉店しているかもしれない。

 

 だけどイカ娘と栄子は——。

 

 

「好きにすればいいでゲソ!!」

「ああ!! 来年も遊びに来いよ!!」 

 

 快活に答えながら、犬山まなに笑顔で手を振ってくれた。

 

 

 

「——はい!!」

 

 

 彼女たちの返答に、まなも笑顔で手を振り、その年の別れを告げる。

 

 

 

 

 

 そして、翌年以降。

 犬山家の夏のスケジュールに『真夏の由比ヶ浜の日帰り旅行』が密かに追加されることとなったのであった。

 

 

  

   

 

 

 




人物紹介

 相沢たける
  相沢家の長男・小学三年生。
  並大抵のことでは動じない、無邪気?な小学生。
  大人げない登場人物が多い中、子どもなのに大人よりもしっかりしている。

 その他の人々
  本文に直接名前を出さなかった人々。
  文字数の関係上、一人一人紹介していたら次話にもつれ込んでしまうため、このような形になりました。
  一応分かりやすいキーワードとして。
  『イカ娘に愛を捧げる変態淑女』『侵略部の中学生』『たけるの同級生たち』
  『科学者三馬鹿』『南風のおっさん』
  といった、人たちが登場してます。

  個別で気になる方々がいれば、是非原作、アニメの視聴で確かめてみてください!


次回予告

「去年、牛鬼が暴走したことで半壊状態となった南方の島。
 復興が進んだということで招待されて来てみましたが……。
 と、父さん!? 彼女たちは、ま……まさか!?

 次回——ゲゲゲの鬼太郎『プリンセス・サマーバケーション』見えない世界の扉が開く」

 次回は夏シリーズの第二弾! FGOから水着鯖参戦!!
 あの二人が——島のリゾート地で大暴れします

 お楽しみに!!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

清姫&刑部姫 プリンセス・サマーバケーション 其の①

既に九月と、夏も過ぎ去ろうとしていますが、とりあえず夏シリーズ第二弾。
そして、FGO系列第三弾。前回の次回予告では伏せていた参戦鯖をサブタイトルで公開!

清姫と刑部姫の二人が水着バージョンで同時参戦します!

彼女たちと鬼太郎との関係は以前の話。

『道成寺の清姫』『白鷺城の刑部姫』

この二つと繋がっていますので、そちらの方も是非読んで見てください!

ちなみに、サラッと鬼太郎世界の黒幕が一人登場してますが、現時点で鬼太郎たちと顔合わせをさせるつもりはないのでご注意を……。 


 ——……ち、畜生。

 ——……なんで?

 ——どうして……こんなことになっちまったんだよ……。

 

 一人の男がいた。男は追い詰められていたが、それも全て自業自得の結末。

 彼は会社の金を横領し、それを全てギャンブルにつぎ込んでいた。そのことが会社にバレ、当然仕事をクビ。そのことを逆恨みし、男は自分の悪事を告げ口した同僚を殺害する。

 そうして、現在は警察に追われる身となった犯罪者である。 

 

 ——くそっ!! 俺が何をしたってんだよ!?

 ——なんだって……俺がこんな目に遭わなきゃいけねぇんだよ!!

 

 だが己の行動を鑑みることもなく、自分に不都合な周囲の人間たちだけをひたすら憎む男。

 全くもってお門違いな憎しみ。しかし、男の中ではそれが絶対の事実。

 

 反省などこの男は死んでもしないだろう。そんな男に対し——

 

「——随分と、お困りのようですね」

 

 しわがれた老人の声が掛けられる。

 

「なっ!? だ、誰だ!?」

 

 その声に男はビクッと肩を震わせる。

 男は警察に追われる身であり、このときも彼は小汚い格好で裏路地を這いずり回っていた。当然人の気配には敏感になっていた筈だが、男の警戒網を嘲笑うように、気が付けばその老人は彼のすぐ側に姿を現していた。

 

 ぬらり、くらりと。

 

「——ただの通りすがりの好々爺ですよ」

 

 政治家ともヤクザとも取れるような貫禄を纏った背の低い老人だった。

 後頭部が妙に長いようなその老人の言葉に、男は胡散臭い視線を向けるも——老人は不敵に笑う。

 

「どうでしょう? いい逃走先を知っているのですが……よければご案内しますよ?」

「なにっ!? 本当か!?」

 

 老人の思わぬ言葉に、男はカッと目を見開く。

 普通に考えれば怪しすぎる、都合の良すぎる老人の提案。だが世界が自分を中心に回っていると本気で思っている男にとって、それは当然の流れ。自分がこんなところで警察に捕まるなど、苦境に立たされるなどあってはならないと。

 そんな思想が、男にとって都合の良い展開をあっさりと信じ込ませる。

 

「ふふ……こちらですよ。ついてきなさい」

 

 そんな男の心情を把握してか。老人は一瞬、口元に嫌らしい笑みを浮かべながら男を案内する。

 

 

 老人が逃走先として名指しする——とある南方の島へ。

 

 

 

×

 

 

 

「——あっ! 見えてきたよ!!」

 

 真夏の太陽が照りつける大海原。定期船に乗り、観光客一行が南方のその島へと訪れようとしていた。

 甲板から近づいてくる島の様相を興奮気味に伝える、白いワンピース姿の人間の女の子——犬山まな。

 

「ええ、見えてるわよ……」

 

 まなの言葉に表面上は落ち着いた様子の猫娘。

 

「まさか、こういう形でまたあの島に来ることになるとはのう……」

「そうですね……父さん」

 

 目玉おやじとゲゲゲの鬼太郎といった妖怪たちも一緒に甲板から顔を出す。彼らは感慨深げにその船上から見える島の景色に見入っている。

 それだけ、彼らにとってこの島は特別な意味合いを持つ。何故ならこの島で——鬼太郎たちは一度、絶対絶命の危機に陥ったことがあったからだ。

 

 

 あれは今から丁度一年前。

 偶然商店街の福引で観光旅行を引き当てた一行はこの島へバカンスに訪れていた。本来なら、ただの楽しい観光で終わる筈だった南の島での一時。

 だが——楽しい筈の時間は、とある『妖怪』との遭遇で悪夢へと変貌を遂げる。

 

 その妖怪の名は——牛鬼(ぎゅうき)

 

 この島に古くから伝わる妖怪であり、『牛鬼岩』という場所に封じられていた怪物だ。この島の住人たちは密かにその牛鬼という存在を畏怖し、牛鬼岩に近づかぬよう細心の注意を払っていた。

 だがその日、牛鬼岩の封印は解かれ、あろうことか牛鬼は復活してしまった。

 その原因となったのが——島の外からの来客。島の伝説を嗅ぎつけ、それを面白おかしく報道してやろうというテレビ局の人間たちであった。

 よそ者である彼らは、牛鬼の伝説を全く信じていなかった。そのため安易に牛鬼岩に近づき、その封印を解いてしまったのだ。

 

 それが自分たちを窮地に追いやる、悪夢の始まりとも知らずに——。

 

 復活した牛鬼は島の市街地にまで乗り込み派手に暴れ回った。

 その後、紆余曲折ありながらも、最終的には再び牛鬼を牛鬼岩へと封じ込めることに成功し、なんとか事なきを得たが——。

 

 

「……っ!」

 

 そのときの苦い記憶を思い出してか、猫娘は鬼太郎の方をチラリと盗み見ながら全身を震わせる。

 

 あの当時の記憶は特に猫娘にとっては思い出したくもない、最悪の出来事だ。正直なところ、それを振り返ってしまうこの島の訪問を、出来ることなら彼女は避けたかった。

 だが一行は丁度一年後の今日、この島を訪問していた。その理由というのも——

 

「——鬼太郎さん! 皆さん!! お待ちしていました!!」

「あっ、恭輔くんだ!!」

 

 港に到着した定期船。それを出迎える島の住人たちの中に一人の少年がいた。その少年が手を振ってきたため、まなも彼に手を振って応える。

 この恭輔少年こそ、鬼太郎たちを再びこの島へと招待した相手でもある。

 

「すみません、遠路はるばる……」

「ううん! 恭輔くんこそ、今日は招待してくれてありがとう!!」

 

 定期船を降りてすぐ、真っ先に犬山まなが恭輔少年へと駆け寄る。恭輔は小学生という難しい年頃にもかかわらず、畏った態度でまなや鬼太郎たちを歓迎してくれた。

 彼は——かつての恩人でもあり、迷惑を掛けた鬼太郎たちに笑顔で挨拶をし、やや申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「わざわざご足労いただいて……あの、お手紙は読んでいただけたでしょうか?」

 

 恭輔が言う手紙とは、彼が鬼太郎宛に書いたものだ。鬼太郎が妖怪に困っている人間の依頼に応えるために用意した妖怪ポスト。そのポストに投函した手紙が、今回鬼太郎たちをこの島へと呼び寄せることとなった。

 しかし、別に恭輔は鬼太郎たちに助けてもらおうと手紙を出したわけではない。

  

「ああ、読ませてもらったよ……復興、進んでるんだって?」

 

 鬼太郎が受け取った手紙を取り出しながら、恭輔に尋ねる。恭輔は鬼太郎の問い掛けに満面の笑みを溢していた。

 

「はい! おかげさまで! まだまだ課題も残ってますが、何とか以前のように観光客の人たちも戻ってくるようになりました!!」

 

 

 牛鬼が暴れたことでこの島は壊滅的な打撃を受けていた。

 特に観光業。この島は観光で経済が成り立っていることもあり、牛鬼によって様々な施設が破壊され甚大な被害を被った。さらに化け物が暴れたという噂が広がったことでの風評被害。

 二重の意味でも、この島は牛鬼によって苦境のどん底に立たされていた。

 

 だがそこで島の住民たちは諦めず、なんとか元のリゾート地としての環境を取り戻そうと奮起した。牛鬼の危機を皆で乗り切ったということもあり、住人たちの結束力もだいぶ高くなっていた。

 それぞれの成せることを成し、互いに助け合って頑張った結果——何とか人を呼べるような状態まで復興が進んだという。

 

 

「迷惑かとは思ったんですけど、その復興ぶりを皆さんに見て欲しくて。あの……もしかして、お忙しかったりしましたか?」

 

 恭輔はその復興ぶりを鬼太郎たちに見てもらいたく、手紙を出して彼らを招待したのだ。一年前も「島が落ち着いたら、きっとまだ遊びに来てください!」と恭輔自身が言っていたことでもある。

 

「いや、ボクたちは平気さ。……けど、本当に大丈夫だったのかい? まだ復興の途中なのに……」

 

 正直なところ、鬼太郎は今回の訪問を断ろうと考えていた。

 

 鬼太郎自身が『大逆の四将』探しで影ながら動いているということもあったが、それ以上に復興途中なのにお邪魔をしたら、迷惑じゃないかと島のことを気遣っていたからだ。

 だが、他の皆に手紙が来たことを伝えたところ、まなが「行きたい!」と言い出した。

 彼女が言うには「ここで遠慮なんてしちゃダメだよ! わたしたちみたいな観光客がお金を落とすことで、それが復興支援に繋がるんだから!」と、テレビで聞きかじった知識を披露したこともあり、鬼太郎たちもやれやれといった調子で今回この島を訪れていた。

 

「勿論です!! ぜひ楽しんでって下さい!!」

 

 実際、まなの言うとおり、この島の住人たちにとって観光業は大事な復興支援となる。

 鬼太郎たちの訪問を経済的な意味でも、心情的な意味でも彼らは歓迎していた。

 

 

 

×

 

 

 

「ふむ、なるほど……確かに復興の方もだいぶ進んでおるようじゃ……」

 

 恭輔に案内され、一同は島の市街地へと足を踏み入れる。目玉おやじは鬼太郎の頭の上から町の景観を眺め、その復興具合を確認していく。

 住人の表情は明るく、これといった悲壮感はない。お土産屋や飲食店も開いており、観光客もそれなりの人で賑わっている。

 恭輔が自信満々に鬼太郎たちを招待しただけあって、確かに復旧の方はかなり進んでいる様子だった。

 

「じゃが……まだ爪痕も残っとるな……」

 

 しかし、その一方で牛鬼が暴れた痕跡も確実に残っている。

 瓦礫の撤去は粗方終わっているようだったが、幾つかの建物は崩壊したまま放置されている。

 住人の数も、騒動の以前よりも心なしか少なくなっているように見受けられる。きっと困難な復興作業に先が見えず、諦めて島を出て行ってしまった人たちも大勢いるのだろう。

 

 どれだけ人々が『理想』に燃えても、常に『現実』という壁が無情に立ち塞がる。

 

「……そう、ですね…………父さん」

 

 父の言葉と島の現状に鬼太郎は苦々しい口調で答えていた。彼にしては弱々しく、どこか申し訳なさそうな呟き。

 

「鬼太郎……」

 

 そんな彼に寄り添いながら、猫娘が堪らず声を掛ける。

 出来るだけ優しく、彼の心を傷つけぬように。

 

「これは鬼太郎のせいじゃない。だから……貴方がそうやって落ち込む必要はないのよ」

「…………いや、ボクのせいだよ」

 

 だが猫娘の慰めの言葉にも鬼太郎の心が癒えることはなく、彼は暗い表情で落ち込んでいた。

 

 

「ボクが……牛鬼になってこの島をメチャクチャにしたんだから……」

 

 

 鬼太郎の言う——牛鬼になったとはどういうことなのか?

 

 そもそも、牛鬼という妖怪には『肉体』というものが存在しない。この妖怪、見た目が牛の顔に胴体が巨大な蜘蛛という恐ろしい容貌をしているが、それはあくまで仮の姿。

 牛鬼の正体は目には見えない生きた『気体』であり、他の生物に寄生することで、その生物の細胞を無理やり変化させ『牛鬼』という怪物にしてしまう。

 妖怪という概念にさえ当て嵌めることができないかもしれない、謎の生命体なのである。

 

 そして——鬼太郎はその牛鬼に寄生され、牛鬼となってこの島で暴れたのだ。

 つまり、この島に被害をもたらした牛鬼とは——鬼太郎のことなのである。

 

 幸い、牛鬼となった鬼太郎はこの島に祀られていた迦楼羅(かるら)様のおかげで撃退され、彼も元の姿に戻ることができた。

 牛鬼として暴れていた間の記憶が、サッパリ抜け落ちているため鬼太郎自身は何も覚えていない。けれども、その被害の破壊跡を見ることで、自分がとんでもないことをしてしまったと思い知らされてしまう。

 

 

「鬼太郎……」

 

 その事実に人知れず苦しむ鬼太郎。猫娘も悲しい表情になってしまう。

 猫娘がこの島に来たくなかったのは、鬼太郎が牛鬼となってしまったときの絶望感を思い出したくなかったから。だが、それ以上に彼が自身のしでかしてしまったことに罪悪感を抱かないかと心配していたからだ。

 案の定、街の被害に鬼太郎は申し訳なさそうに俯いている。

 

「……ねぇ、鬼太郎——」

 

 そんな彼に少しでも何かしてあげたいと思い、猫娘が何かしら声を掛けようとするのだが——

 

「——おっ!? おー!! そこにいるのは鬼太郎さんたちでは!?」

 

 何者かが大きく手を振って駆け寄ってきたことで、一同の意識がそちらの方へと向けられる。

 

 

 

 

「……ん? お主……確か、あのときの……ええっと……」

 

 駆け寄ってきた人物に目玉おやじが首を傾げる。見覚えはあるのだが、その人物をどのように呼べばいいのか分からないでいる。

 それもその筈で、目玉おやじも鬼太郎も彼の名前など知らない。だが、彼がどういった『役職』の人間かはしっかりと覚えているため、猫娘が彼のことを役職名で呼んでいた。

 

「あのときのディレクターじゃない!」

「いやぁ~! どうもどうも、お久しぶりです!!」

 

 ディレクターと呼ばれたその男は、小太りで髭モジャが特徴の中年男性だった。年の割には少年のような綺麗な瞳。腰の低い姿勢で、彼は鬼太郎たちにツルツルな頭をひたすらに下げる。

 

「その節は……本当にご迷惑をお掛けしました!!」

 

 彼は牛鬼騒動の発端——その原因を作ったテレビ局の人間だ。

 彼と神宮寺という傲慢な俳優、そしてねずみ男の三人がこの島を訪れ、オカルト番組の取材と称して牛鬼岩の封印を解いてしまった。

 神宮寺はその傲慢がたたり、彼自身が牛鬼となり死んでしまった。ねずみ男は……いつものようにしれっと生き残り、特に悪びれた様子もなく平然としていた。

 

 だがこのディレクターは己の所業を心底反省し、その場で島の住人たちに土下座して謝罪した。

 

 当然、島の住人たちの怒りも予想できただろうに。軽はずみな行動の責任を取らされ、ふくろだたきにされても文句を言えなかっただろう。それでも彼はねずみ男のように逃げず、怯えながらもしっかりと己の行動の責任を取ることができた。

 

「どうしてこの島に……また何か取材ですか?」

 

 そのときのディレクターが何故この島にいるのかと、鬼太郎が訪ねる。

 よそ者である彼がこの島に用事というのであれば、また何かの取材かもしれない。もしや、またあのときのように、懲りもせずにこの島で何かやろうとしているのかと、一瞬だが疑った目で見てしまう鬼太郎たち。

 しかし、そんな心配も杞憂で終わる。

 

「いえ……実は私、もうディレクターじゃないんですよ」

「えっ?」

「あの後……色々と考えたんですが、この島に移住させてもらおうと思って……テレビ局、辞めて来たんです」

 

 なんと話を聞くに彼は既にテレビ局を辞め、この島に移住して来たのだ。

 わざわざ仕事を辞めてまでこの島に移り住んだのは——ひとえに贖罪のためだという。

 

「皆さんに迷惑を掛けた償い……私にも何かできることがないかと。今はこの島でお世話になっています」

「す、すごいですね。それは……」

 

 そのディレクター、いや元ディレクターの言葉にまなが呆気に取られる。

 子供の彼女からすれば、わざわざ住むところを変えてまで復興に協力しようなどと、まずその発想に至らない。それだけ、この元ディレクターの男性が本気で先の騒動を反省し、島のためにできることを模索していることがよく分かる話である。

 

「あっ、申し遅れました。私、熊谷(くまがい)と言います。改めてお見知り置きを……」

 

 もうディレクターではないため、そう呼ばれるのがこそばゆいのか。彼は今更ながらに自身の名前を名乗る。

 そして自分の髭を撫でながらふと、何かを思いついたように声を上げていた。

 

「いや~! それにしても、また鬼太郎さんたちに来てもらえるとは……どうでしょう? せっかくなので皆さんも『イベント』の方に参加してみませんか?」

『……イベント?』

 

 彼の提案に、鬼太郎たちは揃って目を丸く聞き返していた。

 

 

 

×

 

 

 

「ヒャッハー!! 汚物は消毒だ!!」

「Go! Go! Go!」 

「くらいやがれぇ!!」

 

 市街地、住宅地から少し離れたエリア。区切られたフィールド内を縦横無尽に駆け回る人々の姿があった。

 彼らの手には一様に『銃』が握られており、誰もがテンション高め。とち狂ったように引き金を引きまくり互いの体を的に撃ち合っている。

 勿論、そこに血生臭い景色などはない。あくまでそれは遊びである。彼らの手に握られている銃の正体は『水鉄砲』だ。

 発射される弾丸は『水』であり、全身がびしょびしょに濡れることはあっても、それで致命傷になることはあり得ない。

 

 そう、これぞ『ウォーターサバゲー』と呼ばれる、サバイバルゲーム。

 特別な資格は要らない、誰もが楽しむことができる夏のマリンスポーツの一種である。

 

 

 

「ほう! これは……なかなか楽しそうなゲームじゃな!!」

「本当だ!! ちょっと、やってみたいかも!!」

 

 熊谷に連れてこられた鬼太郎たち一行は、そのフィールドの観客席へと来ていた。

 水鉄砲を楽しそうに撃ち合う参加者たちの笑顔に、目玉おやじと犬山まなの二人が食い入るように見つめている。好奇心旺盛な二人は眼前で繰り広げられるイベントを、割と本気で体験したいとそのゲームの参加を希望する。

 

「ははは!! そうでしょ、そうでしょ!! 受付はあちらですが……よろしければ、私の方でルールを説明させて下さい」

 

 興味を持ってくれた二人のため、熊谷はウォーターサバゲーのルールを簡易的に説明してくれた。

 

 

 ウォーターサバゲーとは——その言葉通りウォーターガン、つまりは水鉄砲で撃ち合うサバイバルゲームのことである。

 通常のサバイバルゲームはエアガンという、それなりに危険性の高い武器で撃ち合う関係上、事故などが頻繁に起こりうる。また必要な道具が多く、エアガンの他にゴーグルやヘルメットを装着して安全性を確保しなければならないため、どうしても重装備になりがちだ。出費がかさみ、敷居が高く、素人では中々入りづらい環境にある。

 その反面、ウォーターサバゲーは実に身軽だ。得物は水鉄砲一つあれば十分。濡れる格好であれば飛び入り参加も全然OK!

 ゲーム性を高めるために必要な道具も、イベントを企画した熊谷たちの方で全て準備してくれていた。

 

 

「ルールは単純! このポイを頭に取り付けて下さい! このポイが破れたらそこで失格です、速やかにフィールド内から退場して下さい!」

「ポイって……これ金魚すくいのあれですか?」

 

 ゲームに必要な水鉄砲を手に取った犬山まなに、熊谷は祭りの屋台などでお馴染みな金魚すくいのポイを手渡してきた。まなは指示されたとおり、そのポイを頭に取り付ける。どうやらこのポイが破れたかどうかで、生き残りを判定するらしい。

 

「はい! OKです!! それでは……参加者の列に並んで、後は係員の指示に従って下さいね!」

 

 準備を整えたまなは熊谷の誘導に従って参加者の列に並んでいく。盛況らしく、結構な人数が順番待ちをしている。

 

「は~い!! じゃあ、ちょっと行ってくるね。鬼太郎、猫姉さん!!」

「ああ、楽しんできなよ」

「頑張んなさいよ、まな」

 

 ワクワクを抑えきれない様子でまなは鬼太郎たちに手を振る。

 鬼太郎と猫娘の二人は、そんな無邪気にはしゃぐまなを微笑ましい気持ちで見送っていく。

 

 

 

 

「ええのう、まなちゃん。わしも参加したかったぞ……」

「残念でしたね、父さん」

 

 まなが楽しそうにゲームに参加する一方、目玉おやじはガックリと肩を落とす。彼もこのウォーターサバゲーの参加を希望していたのだが、さすがにサイズ差がありすぎるということで大会の係員に止められてしまった。 

 

「すいません……さすがに、目玉おやじさんサイズの水鉄砲の用意が出来ず……」

「いえ、気にしないでください」

 

 これに熊谷も申し訳なさそうに頭を下げるが、まあ仕方ないと鬼太郎は納得する。

 水鉄砲がないというのもそうだが、それ以上に小さな目玉おやじをあんなに人々でごった返すゲームフィールドに放り込むのは、息子として抵抗があった。

 

「それにしても……すごい盛り上がりようですね」

 

 しかしと、そこで鬼太郎は改めてゲームフィールドの方へと目を向ける。

 

「そら、いくぞ!!」

「キャッ! ちょっと冷たいわよ!!」

「やったなー! 倍返しだ!!」

 

 このウォーターサバゲーとやらが年代を問わず、楽しめるゲームであることは鬼太郎にも何となく察せられる。だが、それにしたってこの賑わい、盛り上がりようは大したものだと感心してしまう。

 それほどまでに、ゲームフィールドは多くの観光客で賑わっている。イベントは大盛況のようだ。

 

「でしょ!? すごいですよね!! 今回のイベント、企画からお客さんの呼び込みも、全部熊谷さんのおかげなんですよ!!」

 

 鬼太郎の感想に恭輔少年が嬉しそうに語る。

 どうやら、今回のこの企画。全てよそ者であった熊谷が発起人であるらしい。恭輔は島の住人として、彼の功績を純粋に褒め称える。

 

「いやいや、このくらい! ディレクター時代のコネと経験をちょっと活かさせてもらっただけです!」

 

 だが、称賛された当の熊谷本人は、首をブンブンと振って謙遜する。

 周囲から見れば、これだけでも十分島に貢献できていると思われるが、本人的にはまだまだ満足ではないらしい。

 

「……この程度で罪滅ぼしができるとは思っていません。こういったイベントをきっかけに、もっとこの島の観光業を盛り上げていきたいと思っています!」

 

 いずれは、もっと多くの人たちを呼び込んでみせる。再びこの島にかつてのような活気を——いや、それ以上のものをもたらしてみせると。そこに熊谷の意気込みが感じられる。

 

「熊谷さん……ええ、頑張って下さい」

 

 鬼太郎は彼に強い敬意を感じた。

 鬼太郎と同じく、この島に厄災をもたらしものでありながらも、自分とは違い彼はキチンと己の罪と向き合い、この島の復興に尽力している。

 

「ボクにも……何か手伝えることはありませんか? なんでも言って下さい」

 

 これには鬼太郎もじっとしてはいられず、珍しく自分から手を貸せないかと申し出ていた。その申し出に熊谷は大いに喜ぶ。

 

「本当ですか!? じゃあ、イベントを盛り上げてくれると助かるのですが!!」

「ええっと……なるべく、目立たない形でなら……」

 

 彼はイベントの成功のため、鬼太郎に飛び入り参加を要請。あまり目立ちたくない鬼太郎は若干及び腰になるも、これも島への罪滅ぼしだと、割と本気でイベントへの参加を考える。

 

 

 

 

「? ねぇ、それにしても……以前と客層がちょっと違わない?」

 

 そんな中、ふいに猫娘が素朴な疑問を抱く。

 

「……? どういうことじゃ、猫娘」

 

 彼女の言葉の意味が分からず、聞き返す目玉おやじ。猫娘も何と表現していいか分からず、迷いながらも自分の感じた違和感を口にしていく。

 

「何ていうか……前はもっと派手な連中が多かった気がするんだけど……」

 

 猫娘の記憶に間違いなければ、去年この島に訪れていた客層は——もっと若い、キャピキャピした連中が多かった気がする。

 そう、例えるのならば——猫娘の大っ嫌いなハロウィンを全力で楽しんでそうな、今どきの若者といったカップルや大学の飲み会サークルといった連中が多かった気がするのだ。

 しかし、去年と違って家族、子連れなどが観光客の大多数を占めている。勿論、それは悪いことではない。今回のイベントの関係上、子どもの数が増えるのは当たり前で全然構わないのだが——

 

「…………なんか、あそこにいる連中……妙な熱気帯びてない?」

 

 その客層の一角に、猫娘は訝し気な視線を向ける。

 

 そこは——周囲とは全く別種の熱気に包まれていた。

 そこにいたのは二十代から五十代くらいの男性陣。服装は似通ったものとなっており、それぞれがアイドル、アニメのキャラなどをプリントしたTシャツを着用し、下はほぼジーンズで揃っている。機能性を重視したリュックサックを背負い、頭にハチマキやバンダナなどを巻いている。

 一目見て、誰もが彼らを『オタク』という名称で呼ぶことになるような格好だ。

 猫娘以外の一般客も、そんな彼らの装いに引いているが、そんな視線など全く気にせず——

 

『おっきー!! おっきー!! おっきー!!』

 

 彼らはゲームフィールドを駆け回る、一人の『女性』に熱いコールを送っていた。

 

 

  

×

 

 

 

「へぇ~……思ったよりも楽しいかも! サバゲーって!!」 

 

 その頃、犬山まなはウォーターサバゲーをこれでもかというほど楽しんでいた。

 今回のイベントは明確なルールを採用しており、1ゲーム・15対15のチーム戦となっていた。参加者はランダムにチーム分けされており、これといった面識のない人たちと共に戦うことになるわけだが。

 

「お嬢ちゃん! しっかりな!!」

「あんま張り切って怪我すんなよ!!」

 

 和やかなイベントということもあり、チームメンバーになった人たちがまなに気軽に声を掛けてくれる。中学生の女の子ということで気に掛けてくれる大人たちに感謝しながら、まなはゲームを進めていく。

 

「やった! 命中!!」

「ちくしょう~、やられちまったか!!」

 

 まなは相手選手のポイを撃ちぬき、敵チームの一人を脱落させる。だが、楽しいイベントということもあり、やられた相手は悔しがりながらも笑顔で退場していく。遺恨など残らない。銃の撃ち合いとはいえ、これがあくまでも『ゲーム』だということを実感させてくれる、穏やかな空気。

 

 だが、そんな楽しくも緩い空気を吹き飛ばすかのように。

 その嵐は——戦場を駆け抜ける。

 

「————!!」

「へっ?」

 

 唐突だった、唐突にまなの視界を横切る黒い影。

 まながほんの一瞬、瞬きをしたその刹那にも——その黒い影に生命線であるポイが撃ち抜かれていた。

 

「ピィィー!! 失格!!」

「……えっ、もう終わり!?」

 

 レフェリーに言われ、初めて自分が脱落させられたことを理解する。

 あまりにも実感がなさすぎて多少の不満が残るも、ルールはルール。大人しくゲームエリアから退場しようとするまなであったが——

 

「————!!」

「えっ、ちょ、ちょっと、何よこれ!?」

「し、神速!?」

 

 まなが退場するよりも早くに、そいつは次のターゲットを仕留めて脱落者を量産していく。

 明らかに遊び半分ではない。マジも大マジ、まるで本物の兵士のように次々と敵を葬っていく黒い影。

 

「くそっ! これ以上はやらせるな!!」

「弾幕張れ! 弾幕!!」

 

 あまりの本物ぶりに、危機感を抱いた味方チームも本気になる。

 生き残った七人ほどの面子が一か所に集まり、黒い影に向かって水の弾幕を張る。これには黒い影も迂闊には近寄れず、一旦はエアバンカーと呼ばれる障害物の影に隠れる。

 

「ふぅ~……これでとりあえずっ!?」

 

 なんとか黒い影を退けたと思い、彼らが息を吐くのも束の間。

 

「——狙い撃ちですわ!」

「——隙だらけでござるよ、はいズキュ~ん!!」

 

 全く別の方向から敵チームの他選手たちが攻撃を仕掛け、あっという間に脱落者の数を増やしていく。

 明らかに黒い影と動きを合わせた見事な連携。その立ち振る舞いは——明らかに素人ではなかった。

 

「ち、ちくしょう!! こいつら、いったい!?」

「や、やばいって! こんなん無理ゲーだよ!!」

「く、くそっ! なんて、大人気ない連中だ!!」

 

 もはや残り三人、愚痴を溢す生き残りが絶望する暇もなく、再び黒い影が動き出す。

 

 

 そいつは、上から姿を現した。

 

 

 二メートルはある障害物のエアバンカーを踏み台に、選手たちの頭上を飛び越えてきたのだ。

 

「——は~い! 残り三名さま、ごあんな~い!!」

 

 黒い影——その女は勝ち誇った笑顔で、生き残った三名の頭のポイを一瞬にして撃ち抜いていく。

 

「えっ?」「へっ?」「ぎゃっ!?」

 

 呻き声を上げながらバタバタと倒れていくものたち(雰囲気で)。

 彼らが地面に倒れ伏すとほぼ同時に、女は地面へと華麗に着地する。

 

「ふっ……(わたし)の勝ちね!!」

 

 彼女がそう宣言すると同時に、試合終了のホイッスルが高々と鳴り響く。

 そして彼女の活躍を追っていた観客のオタクたちが、一斉に歓声を上げるのであった。

 

 

『イェぃいいいい!! おっきー!! おっきー!! おっきー!!』 

 

 

 

 

「あ~あ、なんか知らない間に負けちゃったよ……でも、楽しかった!!」

 

 一部の熱狂的なものたちが騒ぐ一方で、犬山まなは笑顔で鬼太郎たちの元へと戻る。訳もわからずやられてしまった彼女だが、それでも十分に楽しめた。

 

「ねぇ! 今度は鬼太郎と猫姉さんも一緒に参加しようよ!!」

 

 また、もう一回。今度は鬼太郎と猫娘も一緒にと、二人を遊びへと誘う。

 しかし——まなの誘いに彼らからの返事はなかった。

 

「……………………………」

「…………あいつ、あんなところで何やってんのよ」

 

 鬼太郎は目を丸くし、猫娘が呆れた様子で熱狂の渦——その中心点へと目を向けているのだ。

 

「? どうしたの二人とも? ……あの人たちがどうかした?」

 

 まなは二人の様子を不思議に思い、その視線の先を目で追っていく。

 

 まなの目から見ても、ちょっと特殊な格好をした人の集団。彼らは先ほどのまなの対戦相手、数々のスーパープレイを披露した女性を称賛するよう『おっきー! おっきー!』と声を上げている。

 そんな彼らのエールに、満更でもない様子でその女性も応えていた。

 

「イェーイ!! みんな~、応援ありがとう!! アイアム、チャンピオン!!」

 

 おっきーと呼ばれているのは、水着姿の女性だった。

 大胆な水着はどことなく和服を思わせ、透けた袖付きに高級感を感じる装い。長い髪をポニーテールでまとめ、髪飾りのセンスなども割と洒落ている。

 黙っていれば令嬢にも見えるような雰囲気。だが、テンションマックスに水鉄砲を掲げる姿が全てを台無しにしている。

 

「みんな!! 今日も応援ありがとう!! 姫は誰の挑戦も遠慮なく受けるから、じゃんじゃんチャレンジしてね!!」

 

 どこから取り出したのか、彼女はマイクを片手に演説するように群衆に向かってシャウト。

 そして変に顔を崩し、ちょっぴり泣きそうな表情を作りながらも堂々と宣言していた。

 

 

「だたし、原稿の催促だけは勘弁な!! この刑部姫(おさかべひめ)……それ以外なら逃げも隠れもしないよ~!!」

 

 

 

×

 

 

 

 時を同じくして。

 二組の招かねざる客がこの島に上陸を果たしていた。

 

「ほ、本当に……ここなら警察も追ってはこないんだろうな!?」

「ええ、すぐには駆けつけてこないでしょう……」

 

 一組は若い男と年老いた老人の二人組。

 若い男の方は本土で犯罪を起こし、老人に言われるがまま、逃走先にこの島へと密航してきた。

 

 老人はそんな男を大丈夫と安心させながらも、いずれはここも安全ではなくなるだろうと唆す。

 その上で、とある提案を男に持ち掛ける。

 

「どうでしょう? ここから海外へ逃げるというのは……なに、心配はいりません。軍資金の方ならば、少し心当たりがありますよ」

「ほ、本当だな……か、海外で貧乏生活なんて、真っ平御免だからな!」

 

 人一人殺しておいて、自己中にもまだそんなことを宣う男。

 そんなどうしようもない男に、老人は口元を吊り上げながらそっと囁く。

 

「ええ……この島には金銀財宝が眠ってるとの噂があります」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「地元の住人はその場所を——牛鬼岩、と呼んでいるそうですよ?」

 

 ありもしない財宝伝説を語り、男に地獄の窯の蓋を開けさせるために——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、もう一人の来客だが——。

 

「ふふふ……この私から逃げられると思っているのでしょうか、おっきー?」

 

 華奢の少女が一人、にこやかな笑みを浮かべていた。

 少女もまた夏の装い、ビキニの水着の上から着物を着崩した和装。緑色の長髪を黄色のリボンで結び、頭には白い角のような髪飾りを付けている。もっとも——その角は飾りではなく、本物の角であるのだが。

 

「まったく、原稿に詰まったからといって逃げ出すなんて……これは『オシオキ』が必要ですね、うふふふ……」

 

 彼女は、表面上は笑っていた。だがその笑みの奥に——炎のような怒りを隠しているのは誰の目にも明らか。

 可愛らしい容姿でありながらも、その辺のナンパ男が自然と距離を置いていく。

 

 誰も虎の——いや『蛇』の尻尾など好き好んで踏みたくはない。そう、本能で危険だと理解できるのだ。

 

 

 今の彼女に迂闊に近づけば、命はないと。

 

 

「さて……今からそちらに行きますよ、おっきー。せいぜい……今のうちに楽しんでおきなさい」

 

 背筋の凍るような、ゾクリとする声音で少女は呟いていた。

 

 

 

 

「この清姫(きよひめ)のストーキング技術を甘く見た……貴方の負けですよ? ふ、ふふふふふ……」

 

 

 

 

 自分の元から逃げ出した愚者を、焼き殺すようなトーンで——。

 

 

 

 

 




人物紹介
 FGOからの参戦キャラ
  水着刑部姫
   作者お気に入りのフレンド弓枠のサーヴァント。聖杯でレベル90。
   星が一つ下がっていますが、使い勝手は水着の方がいいという謎使用。
   普段よりもテンションが高めですが、本質は変わってはいないとのこと。
   ちなみに、本作では第三再臨での恰好を採用しています。
 
  水着清姫
   残念ながら、作者は未所持の初期水着サーヴァント。
   いつもよりテンションが高めなようで、いつもどおりテンションがおかしい。
   さっそく刑部姫へ死亡フラグを立てる狂気のヤンデレ。
   ちなみに、本作では第一再臨での恰好を採用しています。

 ゲゲゲの鬼太郎・6期からの登場人物
  恭輔
   牛鬼が封印されていた島の子ども。
   今回、鬼太郎たちを島へと呼び寄せるキーパーソン。
   「牛鬼を殺したものは、牛鬼になってしまう!!」の解説役だった子。
   いや、もっと早く言えよ!!

  ディレクター
   神宮寺と一緒に島を訪れていた髭モジャの男。
   サングラスをかけていると高圧的でしたが、その下はつぶらな瞳のチワワ。
   モブですが、結構好きなキャラ。
   熊谷というオリジナルな名前を付けさせてもらいました。

  謎の老人 
   もう何者なのか、丸わかりな黒幕のお爺さん。
   無知な男を唆し、いったい何をさせるつもりなんだ!?(壮大な振り)
   

  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

清姫&刑部姫 プリンセス・サマーバケーション 其の②

ボックスガチャ完走!! と思いきや、間髪入れずにハンティングクエスト。
運営は鬼か!? と思いましたが、特に欲しい素材でもないので今はスルーしてます。
流石に気力がないし、小説も更新しなきゃと思ったので……。

ちなみに、今一番欲しい素材は……卵です!!

というわけで、清姫&刑部姫の続きです。
彼女たち以外でもちょい役で見知った人物たちが登場しますが、あくまで一般人という設定なので、よろしくお願いします。





「——いや~! やっぱ、サバゲーは最高だよ!! 終わった後のこの一杯のために生きてるって感じ! んぐんぐ……ぷはっ!!」

 

 とある南方の島。その島で主催されているウォーターサバゲーイベントに参加していた水着姿の刑部姫。

 本日のイベントは全て終了し、時刻は既に夕暮れ時。彼女は一汗流した後の充実感、全ての束縛から脱した開放感に浸りながら、キンキンに冷えたサイダーをビールの如く一気に口の中へと流し込む。

 炭酸の強烈な刺激が心地よいと、彼女はこの上ない幸せの境地に達していた。

 

「南の島最高!! やっぱ世の中は楽しんだもの勝ちだよ! ねぇ、くろひー!?」

「いやいや~、まったくもってその通りですぞ! 人生を楽しまないのは罪でござるからな、でゅふふふ!!」 

 

 彼女はその幸せを分かち合うかのように、共にサバゲーという戦場を駆け抜けた巨漢の男に声を掛ける。

 くろひーと呼ばれた男性は二メートルはある長身。口元に立派な黒髭を蓄えた人相の悪い男だが、纏う雰囲気が妙にチャラついており、変な親しみが感じられる。服装も白いTシャツにアニメタッチなドクロマーク、短パンとラフな夏の装いだ。

 

「あら? そろそろ時間ですわね。ではお二人とも、私はここで失礼させていただきますね~」

 

 そして、そんな二人と談笑していた女性。モデルのようにスタイル抜群、大胆なビキニ姿の外国人が二人に向かって手を振りながらその場を離れていく。

 彼女はアンという外国から訪れていた観光客。サバゲーの際、たまたま意気投合した刑部姫がチームを組もうと誘った相手だった。

 その場限りの出会いであり、連れにメアリーという女性がいるらしいため、彼女とはここで別れる。

 

「あれっ、もういっちゃうの? ……まっ、仕方ないか。それじゃ、元気でね~!」

 

 その別れを名残惜しく思いながらも、刑部姫は後腐れない笑顔で手を振り、アンが立ち去るのを見送っていく。

 

「…………おや? 誰かこちらに来るようですが?」

 

 すると、そのアンとすれ違う形で何者かがこちらへと近づいてくるのにくろひーが気付く。

 ただの通行人という訳ではない。その集団は明らかに用向きがある様子でこちらへと向かってくる。

 

「——刑部姫!」

 

 先頭を歩く、フレアのミニスカートを纏ったスレンダーな女性が刑部姫の名を呼ぶ。

 

「おっきー殿……お知り合いですかな?」

 

 くろひーはその集団と面識がなく、相手がおっきーこと刑部姫に声を掛けていたことから、彼女に知り合いかと尋ねる。

 

「えっ? あ、あれって……」

 

 一瞬、刑部姫は目をキョトンとする。

 だが次の瞬間、駆け寄ってくる一団に驚きの声を上げながらも表情を明るくしていた。

 

「猫ちゃん! それに……鬼太ちゃんに、目玉のおやじさんまで!?」

 

 

 

 

「やあ、刑部姫」

 

 鬼太郎は久しぶりに顔を合わした知り合い、刑部姫と向かい合う。

 まさかこんな南の島で彼女と遭遇することになるとは思ってもいなかったため最初は驚いた。しかし、特に取り乱すようなことではないと思い直し、普通に挨拶を交わす。

 

「刑部姫……アンタ、こんなところで何やってるわけ?」

 

 しかし、猫娘はかなり驚きながら、呆れたように刑部姫を睨みつけた。「どうしてお前がこんなところにいるんだ?」と、問い詰めるような態度で刑部姫と顔を付き合わせる。

 

「うわ~! めっちゃ久しぶりじゃん!! 一年ぶりくらい? 元気してた!?」

 

 だが猫娘の険しい視線に怯むことなく、刑部姫は意外にもフレンドリーな反応。鬼太郎と猫娘を交互に見比べながら口元をニヤつかせる。

 

「あれれ~? お二人さん、ひょっとしてデート? 南の島でのデート旅行なんて、猫ちゃんも意外と大胆なのね~!」

「なっ!? べ、別にそんなんじゃ……!」

「けどさ……いくら鬼太ちゃんの見た目がお子様だからって……親同伴ってどうよ? それとも……親公認な仲って奴!? キャ~!! 末長く爆発しろ!!」

 

 本来であれば引きこもり気質な刑部姫だが、なんともテンション高めに鬼太郎と猫娘が一緒にいることを弄ってくる。これには詰め寄る勢いだった猫娘の方が面食らってしまう。

 

「あ、アンタ……何か無駄にテンション高くない? そんなキャラだったっけ?」

「……」 

 

 前回の遭遇とは違い、だいぶアクティブな刑部姫の在りように猫娘も鬼太郎も混乱して戸惑う。

 果たして刑部姫とはこんな人物だったかと?

 

「——ねぇ、鬼太郎……この人……いったい誰なの?」

 

 その一方で、鬼太郎たちと一緒にこの島に訪れていた人間の少女——犬山まなはずっと戸惑っていた。

 刑部姫と初対面であるため、いったいこの水着姿の女性が何者なのかをそもそも知らないでいる。

 

「彼女は刑部姫じゃよ、まなちゃん」

 

 そんなまなのために、目玉おやじが刑部姫について解説をしてくれる。

 

「あの姫路城、白鷺城とも呼ばれるお城に巣食う……『城化物』と呼ばれる怪異じゃよ」

 

 

 刑部姫とは——日本有数のお城・姫路城の天守閣を棲み家とする城化物と呼ばれる妖怪の一種である。数百年の時を姫路城で過ごし、城を預かる歴代の人間の城主から地主神として敬われ、恐れられてきた存在。

 しかし、城主の居なくなった現代において、彼女は天守閣を占有して引きこもり生活をエンジョイしている筋金入りのオタクである。

 鬼太郎たちとは、一年ほど前。その姫路城を中心とするトラブルで一悶着あった。その騒動の際、その地を守護するものとして鬼太郎に色々と力を貸してくれた相手でもあるが——。

 

 

「……アンタ、あんまり調子に乗ってると、ひっかくわよ?」

 

 猫娘にとってはあらゆる意味で油断ならない相手でもある。鬼太郎との仲をからかわれたこともあり、少々怒気を込め、刑部姫に睨みを効かせる。 

 

「あっ……ご、ごめんなさい。ちょっと調子に乗りすぎました、すみません、はい……」

 

 すると猫娘の脅しにあっさりと屈して刑部姫は涙目になる。どうやら水着姿でも刑部姫の本質は変わらないようだ。脅されて口を噤む気弱なところがなんとも彼女らしい。

 

「それにしても……刑部姫よ。本当にこんなところで何をしておるんじゃ? お主は城化物じゃろう? 棲み家である姫路城を離れていいものなのか?」

 

 刑部姫が少し大人しくなったところで、目玉おやじが改めて彼女にこんなところにいる理由を尋ねる。彼女の城化物という特徴柄、城から長時間離れていると極端に力も落ちる筈だと心配の意味も込めて。

 

「あー、それは大丈夫、大丈夫! 少しくらいなら城から離れててもちゃんと力は維持できるし、ちゃんと『旗』も持ってきたもん!」

 

 胸を張りながら、刑部姫は狐の顔のようなマークがついている旗を掲げる。

 彼女が言うに、この旗を中心に自分自身の『領地』を展開しているらしく、その旗の周囲であれば、城の中にいるのと同じように活動ができるらしい。長時間の野外活動に支障を及ばさないために刑部姫が編み出した、彼女なりの創意工夫である。

 

「いやね……姫は生粋の引きこもりですが、さすがにずっと家の中に引きこもってると、なんかこう……虚しくなるわけよ……」

 

 刑部姫は語る。

 ある日、ふとした拍子に彼女は自らに疑問を投げかけたという。

 

 姫の人生——これでいいのかと。

 

 彼女自身、自分の引きこもりで怠惰な性格が根本的に解決できるとは思っていない。だが毎日毎日、城の中に引きこもってゲームや漫画、原稿にばかり向き合っていると、さすがの城化物でも気が滅入るというもの。

 せっかくの夏、丁度同人誌の原稿に詰まっていたということもあり、刑部姫は思い切って外へ飛び出すことにしたのだ。

 城化物としての活動を一時休止して、外へ出かける姫の夏休み。

 

 

 即ち——プリンセス・サマーバケーションである!!

 

 

「ふ~ん……それで、なんでサバゲーなわけ?」

 

 なるほどと、刑部姫が外をほっつき歩いている理由は何となく理解する猫娘。

 しかし、そこで何故サバゲーなのかと。それがイマイチ納得しきれずに目尻を吊り上げる。

 

「——それはですね~、拙者がおっきー殿を誘ったからでありますよ! 猫っぽいツンデレな少女よ!!」

 

 そんな猫娘の疑問に対し、それまで黙っていた刑部姫の隣に立つ大男が答える。

 

「あっ、拙者、くろひーと申します!! おっきー殿とは同好の士……共にサバゲーという戦場を駆けた、戦友でござるよ!!」

 

 サラッと自身の自己紹介を交えながら、くろひーは刑部姫がこの島に至るまでの道中を語っていく。

 

 

 城を抜け出してきた刑部姫は、とりあえず『何をするかと』いう段階で迷っていた。

 漫画やゲーム、同人誌を描くなど、インドアに豊富な趣味を持つ刑部姫だが、ぶっちゃけアウトドアは未体験の領域。また、せっかくなので誰かと一緒に遊びたいと考え、刑部姫はその相手として同じオタク仲間である、くろひーに連絡を取ったという。

 

「吾輩、おっきー殿とはそれなりに長い付き合いでありますに、同人誌の即売会でもよくご一緒させていただくのでござる!」

 

 連絡をもらったくろひー。彼は刑部姫の相談に応えるべく、さっそくいくつかの夏の遊びを提案する。

 オタクというと根暗で引きこもっているという悪いイメージを一般人は抱くかもしれないが、昨今の彼らは自分の趣味のためなら外に繰り出すことも厭わない、アクティブな面もしっかりと持ち合わせている。

 くろひーも、キャンプやツーリング、魚釣り、聖地巡りといった多岐に渡る趣味を嗜んでいたが——

 

 その中のひとつ——サバイバルゲームに刑部姫は強い関心を示した。

 

『へぇ~……なんかおもしろそうじゃん!』

 

 と、最初に軽い感じで始めようと、試しに装備を一式揃えてみたのだが——これを早々に挫折。

 理由は——暑いからである。

 

 この真夏のシーズンに通常のサバイバルゲームで重装備を背負うのは、刑部姫にはいささかハードルが高かったらしい。

 しかし、せっかく興味を持ってもらったのに、このまま止めてしまうのは勿体ないと思い試しに。

 

『……だったら、ウォーターサバゲーならどうでござるか?』

 

 と、くろひーが提案し、それに刑部姫が乗っかった結果——

 

 

 これが見事にド嵌まり。

 

 

 水を得た魚のように生き生きと、格好まで専用の水着ファッションで自身をコーディネートし始めた。

 そうして、刑部姫はくろひーと共に連日連夜、様々な場所で繰り広げられるウォーターサバゲーイベントへと殴り込みを敢行。

 

 一般参加者にとって実に傍迷惑な。

 嵐のような存在としてイベント会場を掻き乱す毎日を過ごすこととなったのだ。

 

 

 

 

「へぇ~…………意外と交友関係広いのね、アンタ……」

 

 くろひーの説明を一通り聞き終え、猫娘は率直に思ったことを口にする。

 彼女は刑部姫がウォーターサバゲーに嵌った経緯よりも、人間の友人がいたことに普通に驚いているが。

 

「ふっふふ……みくびってもらっちゃ困るね、猫ちゃん!」

 

 刑部姫はそんな猫娘のリアクションに不敵な笑みを浮かべる。

 

「こう見えても姫ってば、同人会ではそれなりに名の知れた作家なのだ! それに加えて、この可憐な姫としてのカリスマ容姿!! 姫が全力で猫被りすれば、男友達の一人や二人、簡単に釣れるんだから! にひひ!」

「…………まあ、そうですな。おっきー殿の活躍を聞きつけて、彼女のファンも押しかけるくらいですから……」

 

 刑部姫のちょっぴり腹黒発言に、くろひーがチラリと視線をよそに向ける。

 

『おっきー!! おっきー!!』

 

 そこには刑部姫の愛称を連呼する集団が控えていた。

 彼らこそ、刑部姫のファン。彼女の容貌、サバゲーにて繰り出される数々のスーパープレイ。

 

 そして——彼女の手で紡がれる『同人誌』という男のロマンに魅了された者たちの集まりである。

 

「?……同人……って、なんだ?」

 

 聴き慣れぬ単語に鬼太郎が首を傾げる。

 彼は刑部姫と面識こそあれど、彼女の趣味に関しては何も知らないでいた。

 

「!! お、刑部姫!」

 

 これに不味いと声を上げたのが猫娘だった。彼女は鬼太郎の耳に余計な情報が入らないよう、刑部姫の腕を引っ張って彼女をその場から連れて行ってしまう。

 

「へっ!? ど、どったの猫ちゃん!?」

「いいから! ……ちょっと、こっちに来なさい!!」

 

 その様相はまさに校舎裏にパンピーを呼び出す不良、レディースのようであった。

 

 

 

×

 

 

 

「刑部姫……一応、確認しておきたいんだけど」

「なっ、何でしょうか……猫娘さん」

 

 鬼太郎やまなたちからわざわざ距離を取り、猫娘は刑部姫と真っ向から対面する。

 久しぶりの再会を喜ぶという雰囲気ではなく、猫娘の視線はどこか厳しめで刑部姫もおっかなびっくりな態度で応じる。

 怯え気味な刑部姫に、猫娘は皮肉混じりに問い掛ける。

 

「——大人気作家のおっきーさん? アンタが描く同人誌とやら……まさか、また私と鬼太郎をネタにしてはないわよね……ん?」

 

 それは以前も釘を刺した件——猫娘と鬼太郎をネタにした同人誌を描かないと約束させた件だ。

 

 過去に、刑部姫は猫娘と鬼太郎の同人誌——『キタネコ本』とやらを発刊し、それを妖怪たちの間で流行らせたことがあった。当然その暴挙に猫娘が激怒し、刑部姫にきつーいお仕置きをお見舞いし、二度と彼女にキタネコの同人誌を描かないことを約束させた。

 久しぶりに刑部姫の顔を見たことで、猫娘は念のため確認をとることにした。すると刑部姫は慌てた様子で首をブンブンと振る。

 

「か、描いてない! 描いてない! 約束どおり、猫ちゃんと鬼太ちゃんの同人は描かないことにしてるから!! ねっ、そうでしょ、くろひー!?」

 

 助けを求めるように証人として付いてきたくろひーに話を振る。

 

「え、ええ……そうですな。拙者も貴殿のような女性が出ている同人誌は見たことがないでありますぞ?」

「……本当でしょうね?」

 

 猫娘は髭面の大男であるくろひーに疑いの目を向ける。刑部姫の友人である以上、口裏を合わせているという可能性もあるが、少なくとも彼に動揺した気配はない。

 オタク仲間の彼が知らないのであれば、少なくとも人間たちの間に『アレ』は流通してはいないのだろう。

 

「そっ……なら、いいわ」

 

 猫娘としては一番大事なことは確認できたので取り敢えず良しとし、刑部姫も「ほっ……」と胸を撫で下ろしている。刑部姫にとってもあの出来事での『お仕置き』はだいぶ効いたらしく、顔面を蒼白に彼女は猫娘にお伺いを立てる。

 

「あの……猫娘さん」

「なによ?」

「この島にいる間、なるべく同人誌の話はしないようにお願いしたいのですが……」

 

 刑部姫の申し出に猫娘は「?」と疑問符を浮かべた。

 

「別にいいけど……なに? アンタ悪いもので拾い食いしたの?」

「ひどっ!? 姫はそんなはしたない娘じゃありません!!」

 

 わりと失礼な問いかけに刑部姫は抗議するが、猫娘がそのように思ったのも無理はない。

 何故なら、猫娘が刑部姫と初対面したとき、彼女はキタネコ本の制作——まさにその同人誌に熱中していたからだ。猫娘にとって刑部姫=同人誌というイメージが根強く、そんな彼女がその話題に触れられることを避けていることに違和感を覚えてしまう。

 

「いやね、おっきーってば、その同人誌の原稿が捗らなくて逃げてきたから。その現実を思い出されると……ちょっとね……」

 

 そういえば、先ほども『同人誌の原稿に詰まっている』と言っていた。

 どうやら今はサバゲーに集中して、原稿が捗らないスランプを忘れていたいらしい。

 

「しかし、おっきー殿。そろそろ原稿に戻った方がよいのではないのですかな?」

 

 だが、ここでくろひーが刑部姫を現実へと引き戻す。

 

「そろそろ再開しませんと、次の即売会に間に合いませんし……吾輩、きよひー殿を敵に回すのだけは絶対に避けたいのですが……」

「きよひー……?」

 

 知らない人物の愛称に猫娘は首を傾げる。一方、その人物の話題に刑部姫は見るからに動揺する。

 

「だ、だだだ、大丈夫よ!! さ、ささ、流石のきよひーだって、こ、こんなところまで追いかけてこないでしょ!!」

 

 言っている本人が一番大丈夫には見えない、猫娘に迫られたとき以上に怯えた表情をする刑部姫。

 どうやら二人の言う『きよひー』とは相当に恐ろしい人物のようだ。

 

「きよひー……きよひー……ん? なんか……どこかで?」

 

 猫娘はそのきよひーなる人物の呼び名に、何か引っ掛かりのようなものを覚えた。

 どこかで聞いたことのある響きに、その人物の本名を聞こうとしたところ——

 

 

「——み~つけた~!」

 

 

 まさにその答え合わせをするが如く、『彼女』は刑部姫のすぐ真後ろまで這い寄っていた。

 

 

 

 

「——!!!!!!!!?」

 

『バクン!!』と、刑部姫の心臓が悲鳴を上げる。身体の全神経、全細胞が『逃げろ』と叫んでいる。

 

 しかし、刑部姫は動けない。

 

 恐怖のあまり身動き一つ取れず、彼女はすぐ側まで這い寄っている『死』の気配に成す術もなく立ち尽くす。

 

「お、おっきー殿……後ろ、後ろ!!」

「あっ! アンタは!?」

 

 くろひーと猫娘の二人も、揃ってリアクションをとる。くろひーは勿論のこと、彼女は猫娘にとっても見知った相手でもあった。

 恐怖に怯えながらも、恐る恐ると振り返る刑部姫——

 

 

 案の定、そこには彼女の想像したとおりの『女性』が笑顔で立っていた。

 

 

「ふふ……おっきー、つ~か~ま~え~た……!」

 

 笑顔、実に笑顔で鬼ごっこの終わりを告げ、彼女の手が刑部姫の肩に置かれる。その手からは物凄い力が伝わり、ミシミシと音を立てるほどの圧力が加えられている。

 もう絶対に逃げられない状態。刑部姫の顔面は歪み、既に泣き崩れた表情で彼女は必死に弁解を口にする。

 

「あ、あのね、きよひー! これには深い理由があってね……それで……あの…………!」

 

 しかし、上手い具合に言葉が出てこない。いや、出そうとしたが寸前でその言葉を呑み込む刑部姫。

 下手な嘘は逆効果だ。それを理解しているからこそ、言葉が出てこないのだ。

 

 そう、彼女を前に『嘘』は御法度。

 嘘は付いた時点ですぐにバレるし——出鱈目な言葉は吐けば最後、彼女は決して刑部姫を許しはしないだろう。

 

「ふふふ……おっきー。この私から逃げられるとでも思っていましたか?」

 

 何故なら彼女は過去、『愛しい人に嘘を付かれた』ことが原因で妖怪となった女だからだ。

 そしてその愛しい相手を、どこまでもどこまでも追い回し——焼き殺した。

 

 ここで返答を間違えれば、刑部姫もその者の二の舞。

 そう、きよひーが愛した男・安珍と同じ末路を辿ることとなるだろう。

 

「——き、清姫!? なんでアンタがここに!?」

 

 その女の名を猫娘が叫んでいた。

 きよひーとは『清姫』のことだったのかと、意外な人物の登場にやっぱり驚きを隠せない。

 

「……あら? 貴方は確か、いつぞやの泥棒猫!!」

 

 清姫はそこで初めて猫娘の存在に気づいたのか。忌々しそうに彼女のことを罵りながら眉を潜める。

 

「何故貴方がこんな辺鄙な島に……いえ、貴方がここにいるということは……まさか!!」

 

 猫娘の存在を認めるや、清姫はすぐに周辺を見渡す。

 

 そして——まさかの人物・ゲゲゲの鬼太郎をそこで見つけ、それまでの『圧力』の加わった笑顔を一変。

 心からの、恋する乙女そのものの笑顔で清姫は走り出していた。

 

 

「——安珍様、いえ、鬼太郎様!! お会いしとうございました!!!!!!!!!!!!」

「——っ!? き、きみはっ!?」

 

 

 彼女は妖怪・清姫。『安珍・清姫伝説』に登場する妖怪となった元人間の女性である。

 千年ほど前、人間だった清姫は旅の僧・安珍に恋をし、彼と再開する『約束』を交わして一度は別れた。しかし、安珍はその約束を破り、彼女から逃げ出したのだ。

 そのことに激怒した清姫。彼女は愛しい人に裏切られた絶望から大蛇の怪異となり、安珍を追い回し、最終的には焼き殺してしまった。

 

 その後、彼女は妖怪として封印され、千年後の現代になって復活した。そして復活した清姫は、現代で『輪廻転生』によって生まれ変わった安珍を探し出すべく、旅に出ることにした。

 その道中、彼女は鬼太郎たちと出会い、ちょっとしたトラブルを引き起こしたわけだが——

 

 

 そのトラブルの後、彼女は——どういうわけか、鬼太郎のことを『生まれ変わった安珍』と思い込むようになってしまったのである。

 

 

 そして、数週間にわたるストーキングで鬼太郎の精神を大いに疲弊さ、猫娘ともその時に何度か揉めることになったのだが——ある日、唐突に清姫は鬼太郎たちの前から姿を消した。

 一通の手紙を、書置きを残して。

 

『——旦那様にふさわしい女となるべく、花嫁修行に行って参ります』

 

 それからは全く音沙汰のなかった清姫だが、どうやら未だに鬼太郎への愛は健在らしい。

 

「お久しぶりでございます……鬼太郎様! 貴方の清姫、ここに参りました!!」

 

 相変わらず鬼太郎のことを安珍と思い込み、彼への良妻ぶりをアピールしてくる。

 

「や、やあ……ひ、久しぶりだね。清姫……」

 

 彼女の猛烈なラブコールに、鬼太郎が珍しく及び腰になったのは言うまでもないことだろう。

 

 

 

×

 

 

 

「——オホン! それで……清姫よ。お主、刑部姫とはどういう知り合いなのじゃ?」

 

 混沌とする場を一旦整理すべく、目玉おやじが咳払いを一つ、清姫に声を掛ける。

 

 現在、この場には鬼太郎たち一行。

 恭輔の招待で島へやってきた、鬼太郎、目玉おやじ、猫娘、犬山まなの四人。

 

 もう片方の一行は観光客として島へやってきた刑部姫、くろひー。

 そして、その刑部姫を追ってきた清姫の三人がいた。

 

「あら、これはこれは……お義父様、ご無沙汰しております」

「お、お義父さん呼びしてんじゃないわよ!!」

 

 清姫はさりげなく目玉おやじをお義父と呼ぶが、それを猫娘が牽制。同じ人を好きになった恋敵同士、二人はまさに犬猿の仲である。

 

「うわぁ~……まさか、きよひーの言っていた安珍様が鬼太ちゃんだったなんて……こ、これは修羅場だ!」

 

 刑部姫はその一瞬で鬼太郎を取り巻く恋愛事情に勘付く。普段から漫画やらアニメでそういったシュチュエーションの知識を得ているだけに、流石に聡い洞察力である。

 

「猫娘、どうしてそんなにピリピリしてるんだ?」

「そうだよ、猫姉さん……落ち着いて話を聞かないと?」

 

 だが鬼太郎とまなの二人は全然気付いていない。これには完全な部外者であるくろひーが「マジか……こいつら鈍すぎるぜ!」と白目を剥くほどビックリしている。

 

「ふふふ、そうですわね……私とおっきーの関係ですか?」

 

 そんな感じの外野をガン無視し、清姫は目玉おやじの質問に答えていた。

 

「おっきーは私の友人です。最初はメル友……というのですか? そういった関係から始まった間柄ですが……」

 

 

 清姫曰く。刑部姫とは当初、ネットの世界で意気投合したという。

 既に清姫も刑部姫も現代のネット社会というものに順応し、掲示板やSNSというものを使いこなしている。そこで独自のコミュニケーションを構築していた二人はある日、本当に偶然に互いが『妖怪』であることを知ってしまったのだ。

 これに「ならば一度くらい会ってみようか?」と、半信半疑ながらもオフ会をすることになり——そこからリアルでもちょくちょく顔を合わせることになったという。

 

 

「意外な組み合わせね……あんまり、息が合うようには思えないけど……」

 

 これに猫娘が意外そうに呟く。

 

 清姫と刑部姫。

 片や思い込みが激しく、ヤンデレ気味。

 片や卑屈で引きこもり気質な根っからのオタク。

 

 対極的な性格の二人。客観的に見ても馬が合うようには思えないだろう。

 

「……確かに、私も不思議に思ってます。どうしてでしょう……」

「う~ん……姫も分かんない! あんまり深く考えたことないし……」

 

 当人たちもこの繋がりを不思議には思っているようだ。何故、自分たちは友達でいられるのかと?

 

「……そんなの関係ないと思いますよ!!」

 

 すると、これに声を上げたのが犬山まなであった。

 

「性格とか、生まれとか……そんなこと関係なく友達でいられるなら、きっとそれでいいと思います!!」

「まな……ふっ、そうかもしれないわね」

 

 妖怪と友達でいたいと思う彼女らしいその言葉に猫娘が口元を緩める。

 そうだ、他者と仲良くすることに理由などいらない。友達であることに、わざわざ理屈をつける必要はないのだと、その言葉で大事なことに気付かされる。

 

「そうですわね……確かに、その通りかもしれません!!」

「そうそう!! まなちゃんだっけ? キミいいこと言うね!!」 

 

 清姫も刑部姫もまなのセリフに感銘を受けたのか、その言葉に同意する。

 

「私たちは友人!! きっと、それでいいのでしょう!! おっきー!!」

「そうさ!! 姫たちは友達!! それでいいのだよ!! きよひー!!」

 

 互いの友情を再確認するよう、熱い握手を交わす二人。

 

 

「——けれど……」

 

 

 もっとも、それで全てが丸く解決するわけではない。

 声のトーンを低くした清姫がグッと、刑部姫の繫いだ手を握り潰す勢いで力を込める。

 

「貴方が原稿をほっぽり出したことは別問題ですよ? おっきー!!」

「ひゃあー!? い、痛い! 痛い痛い!! ご、ごめんなさい!! 反省してるから……ゆ、許して!!」

 

 激痛に悶え苦しみながら、刑部姫は清姫に許しを乞う。

 

「き、清姫……? いったい、どうしたんだ? 原稿って……なんのことだ?」

 

 これに困惑気味な鬼太郎たち。

 そもそも、清姫が刑部姫を追いかけてこの島までやってきた理由を知らないため、目の前の二人のいざこざに置いてけぼりの一行。

 するとそんな鬼太郎たちのため、くろひーがまたも説明役を買って出てくれた。

 

「実はおっきー殿、きよひー殿と合同して同人誌……え~と、本を出版する予定だったのですが……」

 

 

 清姫と刑部姫。対照的で趣味の方も異なりそうな両者。

 だが実はこの二人、一緒に同人活動に励んでいる仲でもあった。もともと刑部姫が一人で漫画を描いている中、意外にも清姫が興味を持ったことでチームを結成。

 

 その名も『Princess×2』。同じ『姫』という名前があるもの同士で結成した同人サークルである。二人は次の即売会のため、新しい同人誌を協力して描いていた最中だったという。

 

「……その原稿をほっぽり出して、おっきー殿が遊びまわっている次第で……」

 

 ところが、原稿に詰まったことを理由に刑部姫は途中離脱。そのせいで作業は遅れ、同人誌は未完のまま。清姫に多大な迷惑を掛けることとなり、怒った彼女が刑部姫を追いかけ——とうとうこの島で追い詰めることとなった。

 

 

「そ、そうか……なんだか……大変そうだな、刑部姫も……」

 

 これに鬼太郎が同情気味に呟く。

 清姫に追い回される恐怖は、彼女からストーカー被害を受けた彼も身に染みて思い知っていた。きっと原稿とやらをサボって遊び回る中でも、常に清姫の影に怯えていたであろう刑部姫の苦労が窺い知れる。

 

 まあ、元を正せば、原稿を途中で放り投げた刑部姫が悪いのだが——

 

「わ、分かったよ! 分かったてば、きよひー!!」

 

 それは刑部姫も自覚しているのだろう。観念した様子で清姫に対してその場にて土下座する。

 

「この島でのサバゲーイベントが終わったらすぐにでも原稿に戻るから! だから、どうか……どうかあと一日だけ! 明日一日だけは遊ばせて下さい!!」

 

 それでも、懲りもせずにそんな要求をしてきた。

 どうやらこの島でのイベントは明日まで続くようで、それが終わるまでは待ってほしいと。

 

「……そうですね」

 

 この要求に関して怒り狂うかと思われた清姫だが、彼女は意外にもそこで少し考え込み、前向きな返事を返した。

 

「……まあ、いいでしょう」

「へっ? い、いいの……?」

 

 この寛大な処置には、言い出しっぺの刑部姫の方が驚いていた。

 少なくとも、彼女はもっと怒られるかと思っていたらしく、案外冷静な清姫に目をパチクリとさせている。

 

「ええ、本来であれば、私の炎で丸焦げにしているところですが……」

「ひぃっ!? こ、怖いこと言わないでよ……」

 

 何気に焼き殺す気満々だった清姫の本音に青い顔をする刑部姫。しかし、彼女は許されたらしい。その理由というのも——

 

「ですが……ええ許しましょう! 結果論とはいえ、貴方を追いかけてこんな島まで来たおかげで——」

 

 清姫は自然な動作で、まるでそうするのが当然とばかりに鬼太郎の隣へと居座り、ガッチリと彼の腕に自らの腕を絡める。

 

「こうして、鬼太郎様と運命的な再会をすることができたのですから♡」

「えっ!?」「なっ!?」

 

 清姫のボディータッチに鬼太郎がビクッと肩を震わせ、猫娘が顔を真っ赤に憤慨する。

 そう、清姫にとって何よりも大切な想い人である安珍ことゲゲゲの鬼太郎。彼との再会の喜びは、それまで抱いていた怒りを帳消しにするほどに喜ばしい。

 その功績を持って、刑部姫は許されたのだ。

 

「本来であれば、貴方様にふさわしい花嫁になるまで会いに行くまいと固く誓っておりましたが……ええ、これも不可抗力というもの!! まだまだ未熟者の身ではありますがこれまでの修行の成果、今宵存分に振るわせていただきます♡」

「な、なななな……!!」

 

 刑部姫そっちのけで鬼太郎に詰め寄る清姫に猫娘が狼狽する。だが奥手の恋敵を無視し、清姫はさらに鬼太郎へと顔を寄せ、その耳元で囁く。

 

「さし当たって、今晩のお夕食はこの清姫にお任せを♡ 先生から免許皆伝はいただいておりませんが、火の加減に関してはお墨付きです。豪快な丸焼き料理から、繊細な火入れが必要なものまで、何でもおっしゃって下さい♡」

「ちょっ! ま、待ちなさい! まさか一緒の宿に泊まるつもりじゃないでしょうね!?」

 

 花嫁修行とやらで培った調理技術を全力でアピールしてくる清姫に猫娘は声を荒げた。

 これ以上、鬼太郎に付き纏わせまいと彼と清姫を力ずくで離れさせる。

 

「いい加減認めなさいよ! 鬼太郎は安珍じゃないわよ!!」

「貴方こそ、旦那様に馴れ馴れしいですわよ、この泥棒猫!!」

 

 猫娘と清姫。出会った当初のようにいがみ合い、再び火花を散らす両者。

 意中の殿方を巡った熾烈な争いが、またも勃発する。

 

 

 

 

「ふぅ~…………何だか知らないが、助かったよ、鬼太ちゃん!!」

 

 その争いに夢中なせいか、猫娘も清姫も既に刑部姫のことなど眼中にない様子である。

 九死に一生を得た刑部姫はホッと安堵を一息、この状況を作ってくれた鬼太郎へと親指を立てて礼を言う。

 

「いや……ボクは別に何も……はぁ~」

 

 しかし、巻き込まれた鬼太郎からすれば災難でしかなく。

 

 彼は気疲れから盛大なため息を吐いていた。

 

 

 

×

 

 

 

 その日の夜のことである。

 

 一泊、島の宿に泊まることとなった鬼太郎たち、刑部姫たち一行が寝静まる。

 夜に活動する島の飲み屋街の住人や観光客ですら、疲れ果てて眠る頃合い。

 

 深夜も未明も過ぎ、空が白み始めた明け方。島の市街地から外れた沿岸部。

 

「…………ふぁ~、さすがに眠くなってきたな……」

 

 青年が一人、懐中電灯を片手に何もないところで立っていた。彼はこの島の住人であり、その背後には岩でできた祠——牛鬼岩が鎮座している。

 この岩の中にかつて幾度となく封じられ、復活して暴れ回るというサイクルを繰り返してきた妖怪・牛鬼の本体が眠っている。青年はここに人が寄り付かないよう監視し、牛鬼が解き放たれるのを阻止する『見張り役』としての役割を負っていた。

 

 そう、牛鬼の事件が色濃く住人たちの間で残る中、彼らはこうした見張りを常時立たせることで牛鬼岩を二十四時間監視していた。これもよそ者であり、実際に悪ふざけで牛鬼の封印を解いてしまった熊谷の提案である。

 あれだけの騒ぎがあった以上、島の住人が牛鬼岩をうっかりと開けてしまうことはないだろう。だが、この島に訪れる観光客は別だ。

 牛鬼の伝説を嗅ぎつけ、またいつ、誰が迂闊な好奇心を働かせてこの岩の封印を解いてしまうかわからない。

 あのような事態を二度と起こさせない為にも、交代で見張りを置き、島の住人たちはもしもの事態に備えていた。

 

 けれども——それも長く何事もなく続いていれば油断が生まれるもの。

 

「ふぅ……ちょっと缶コーヒーでも買ってくるか……」

 

 さすがにこんな時間帯では誰も来ないだろうと、青年は口元の寂しさから自動販売機を求めてその場から離れていく。

 時間にすれば数分だ。普通であれば、何事もなく終わっていてもおかしくはなかっただろう。

 

 

 だが、その僅かな隙を突き——二人のよそ者が牛鬼岩に近づいていく。

 

 

「ほ、本当に……こんな岩の中に財宝が眠ってるのか!?」

「ええ、そうですよ。この牛鬼岩の祠に……目的のものが眠っている筈です」

 

 本土からこの島へと逃亡してきた殺人犯の男と、それを手助けした背の低い老人の二人である。

 男はこの牛鬼岩の中に逃走資金である金銀財宝が眠っている。そんな老人の話を信じてここまでやって来た。

 

「ほ、本当かよ……こんな寂れた場所に……そんなものが、本当に……」

 

 しかし、さすがに都合の良すぎる展開に男も怪しんでいた。

 本当にこんな何もない場所に、そんな財宝などという冒険映画のようなロマンが眠っているのかと。ここに来て初めて老人の言葉を疑い出す。

 

「貴方も見たでしょ、先ほどの見張りの男を? 本当に何もない場所であれば、あのような監視役を立てる必要はありません。それこそ、この蓋の下に大事なものが埋まっている何よりの証拠……」

「ま、まあ……確かにその通りだが」

 

 だが老人は全く動揺した様子もなく、ぬらりくらりと男の疑惑を躱す。牛鬼岩の蓋を杖で突っつき、早く岩をどかすようにと男を唆す。

 

「さっ、急ぎませんと。見張りのものが戻って来ます、チャンスは今しかありませんよ?」

「わ、わかってるさ!! よ、よーし!!」

 

 老人に急かされ、男はいよいよ牛鬼岩の封印に手を掛けた。

 元より後がない男の境遇、身勝手な彼自身の性格が老人の『ありもしない与太話』を信じ込ませてしまう。

 

 男は自身の未来がその穴の中に詰まっていると——ついにはその蓋を自らの手で開けてしまった。

 

「くっくくく……」

 

 地獄の窯の蓋が開く間際、老人はニヤリと男の愚かさを嘲笑い、その場から静かに姿を消す。

 

 

 

 そして——。

 

 

 

「ふぁ~……もう少しで交代の時間か。あとちょっと、頑張るかな……」

 

 缶コーヒーを片手に見張りの青年が戻って来た。

 カフェインを摂取したことで眠気も覚めた。気合を入れ直し、やる気を再熱させたところ——

 

 

 彼は遠目から——牛鬼岩の上で佇む男がいるのをハッキリと視認する。

 

 

「!! お、お前っ!! そこで何をしてる!?」

 

 その光景を見咎めて声を上げるも、時既に遅し。

 男の足元、牛鬼岩の蓋は開いており——その封印が解かれていたのだ。

 

「——た、助けて………」

 

 その蓋を開けたと思われる男が、懇願するようにこちらを振り返る。何やら苦しんでいる様子で、胸元を掻き毟っているが——

 

 次の瞬間、そんな男の体が変貌していく。

 

 

『ひひっぎゃああああああっぁぁぁぁっっぁぁぁぁ!?』

 

 

 悲鳴を上げながら、ひ弱な人間であるその肉体が大きく膨れ上がる。

 腕が、足が、胴体が——そしてその顔が、人ならざる化け物へと姿を変える。

 

 手足と胴体は巨大な蜘蛛。顔はたるんだ牛。うろんだ瞳でこちらを睨みつけ、腹の底から再誕の雄叫びを上げる。

 

 

『——グアアアアアア!!』

 

 

 男の肉体を乗っ取り、ここに妖怪・牛鬼は復活してしまった。

 

 

「た、大変だぁ!! み、みんなに報せないと!!」

 

 男は大慌てで駆け出し、島の住民たちに一刻も早くこのことを報せに駆け出していく。

 そしてその後ろを——逃げる獲物を追いかける、獣の本能で牛鬼が追いかけていく。

 

 

 多くの住民たちがいる市街地のど真ん中へと、怪物が迫る。

 

 

 




人物紹介

 くろひー
  FGOで言うところの黒髭。エドワード・ティーチ。
  あくまで一般人であり、刑部姫のオタク友達という設定。
  公式のプロフィール通りだと、こいつ身長が二メートルある。 
  それに加えてあの黒髭……控えに見ても一般人には見えませんね。

 アン
  FGOで言うところのアン・ボニー。 
  あくまで一般人にして、ただの通行人。
  前話の中にも一言だけ台詞を言っているところがあります。
  ただのファンサービスですので、これ以上の登場は予定してはいません。

 メアリー  
  FGOで言うところのメアリー・リード。
  あくまで一般人、名前が出てくるだけ。
  全然関係ないけど……個人的にモーション改修を熱望する一人でもある。
  アンとメアリー。二人が並んでいる状態で戦わせてみたい……。
  
 先生
  清姫の料理の師匠。彼女が花嫁修業の一環で出会った鬼教官。
  彼女の出番に関しましては……いずれは個別の話でやりたいと思ってます。

 次回で完結予定。
 牛鬼をどうやって退治するのか、清姫と刑部姫の活躍に乞うご期待!!
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

清姫&刑部姫 プリンセス・サマーバケーション 其の③

ぐだぐだ邪馬台国お疲れさまでした!

まさかのぐだぐだイベントからの、レイド戦。
ボックスガチャの後ということもあり、なかなか進展しない討伐数。
あと一歩のところで、カルデアは敗北していました……芹沢鴨、恐るべし!!

さて、久しぶりに鬼太郎の更新。
今回で清姫&刑部姫のクロスオーバーは完結します。
もう夏って季節ではありませんが、こっちでは未だに夏イベント中。
次回のクロスも、一応は時間軸が夏なので、そこはご了承ください。

ちなみにですが……今後、鬼太郎の小説は更新を常に『午前9時』としていきたいと思ってます。理由はアニメの放送がその時間だったから。
本当は曜日も日曜に統一したいのですが……流石に曜日に関してはランダムということでお願いします。


 朝——穏やかに訪れる一日の始まり。

 だがこの日、この島に朝の訪れを報せたのは鶏の鳴き声でも、小鳥たちの囀りでもない。

 

 妖怪・牛鬼の咆哮であった。

 

『——グアアアア!!』

 

 蜘蛛の胴体に牛の顔という、生物としてあからさまに不自然な巨体が市街地を闊歩する。

 その非現実ぶり、何も知らないものからすればもしかしてCGなのではと、呑気なことを考えたりしたかもしれない。

 

「きゃあああああ!?」

「ぎゅ、牛鬼だ……牛鬼だぁああ!!」

 

 しかしこの島の住人は知っている、知ってしまっている。あの非現実な生物が本物のモンスターであると。あの怪物こそが、この島を壊滅寸前まで追い込んだ元凶なのだと。

 以前もこの島で牛鬼が暴れ回ってから、まだ一年しか経っていないのだ。そのときの恐怖の記憶が残っていて当然、人々は一目散にその怪物から逃げ出していく。

 その一方で、人々はとある疑問を口にしていた。

 

「な、何でこいつがまた復活してるんだ……!?」

「牛鬼岩の監視役は何をしてたのよ!!」

 

 妖怪牛鬼が封じられていた牛鬼岩には、島の住人たちによって見張りが立てられていた。以前の騒動から学び、しっかりとその地に監視役を置くことで牛鬼の復活を未然に防ぐ手筈を整えていた筈だった。

 故に、何故この怪物がこうもあっさりと復活しているのか。そのことが気になっている。

 

 だが、そんなことを深く考える余裕もなく、牛鬼は人間たちにその爪を突き立てる。

 

『グアアアアア!!』

「い、いやああああああああああ!!」

 

 逃げ遅れたのか、牛鬼の近くで幼い女の子が悲鳴を上げる。

 年端のいかない少女だろうが、獣に近い牛鬼に『情け』『慈悲』などという概念はなく、怪物は躊躇なくその子へと襲い掛かる。

 絶体絶命のピンチ、誰もが女の子の命を諦め掛けた——その時だ。

 

「——リモコン下駄!!」

  

 凛とした少年の声が響き、放たれた下駄が牛鬼の顔に直撃。牛鬼はその一撃によろめき、その動きが一瞬だが鈍る。

 

「——こっちよ! しっかり掴まって!!」

 

 その隙を突き、一人の女性が軽やかな動きで女の子の側まで駆け寄り、その子を抱えて牛鬼から距離を置く。

 見事なコンビネーションで少女を助けた、少年と女性。

 

「あ、ありがとう……お姉ちゃん、お兄ちゃんも!」

 

 彼らにペコリと礼を言い、少女はその場から立ち去っていく。

 そしてその場に残った少年と女性——ゲゲゲの鬼太郎と猫娘の二人が牛鬼の前に立ち塞がる。

 

「……コイツ、どうして!」

「何で復活してんのよ!!」

 

 今朝早くのことだ。鬼太郎たちが泊まっていた宿に恭輔が駆け込んできたのは。

 

「——牛鬼が復活して暴れ回っている、助けて欲しい!」と。

 

 まさかと思いつつ現場に急行した鬼太郎と猫娘。二人が駆けつけたとき、既に牛鬼が街中で暴れ回っていた。幸い、避難が迅速だったおかげで死傷者は出ていないようだが、復興途中だった建物がいくつも破壊され、それなりの被害が生じていた。 

 

「とにかく……ここで食い止めよう! 援護してくれ、猫娘!!」

「分かったわ! 鬼太郎!!」

 

 鬼太郎たちはこれ以上街に被害が出ないよう、とりあえず牛鬼を阻止することに専念する。

 何故、牛鬼がまたも復活してしまったのか? その疑問を後回しにして——。

 

 

 

 

「…………」

 

 鬼太郎たちと牛鬼がぶつかり合っているその光景を、島の高台から異教の神・迦楼羅が見つめていた。

 

 鳥の頭と翼、人の体を持った彼は千手観音の眷属である二十八部衆の一人とされ、遠い昔にこの島に上陸した牛鬼を退治し、そして封印した張本人である。

 その後、彼はこの島で眠りに付き、島の住人たちから守り神として祀られてきた。

 彼は神として、牛鬼が復活するたびに人々の願いに応え、幾度となく牛鬼を封じてきた。一年前も牛鬼を成敗し、この島を——牛鬼となってしまった鬼太郎を助けてくれた。

 

 しかし、再び復活した牛鬼と戦う鬼太郎を見つめる彼の視線は、どこか達観した冷ややかなものだった。

 その理由というのも——

 

「——手助けは無用ですぞ? 迦楼羅様……」

「…………」

 

 彼の隣に立つ老人。牛鬼岩の封印を解いた男をこの島へと誘ったその人物が、直々に迦楼羅相手に進言したからだ。手出しは——無用であると。

 

「確かに、私はあの男をこの島まで誘い、牛鬼の封印を解くよう誘導しました」

 

 迦楼羅の御前でありながらも、老人はあっさりと自らの悪事を明かす。

 しかし、そこに一切の後ろめたさはない。

 

「ですが、実際に牛鬼岩の蓋を開けたのはあの男の……人間自らの意思です。財宝が眠っているなどという、私めの言葉を真に受け、浅はかな欲深さからあの男は牛鬼岩の封印を解いてしまったのです」

 

 そう、確かに老人が望んだ結果として牛鬼は復活したが、決して老人自身が蓋を開けたわけではない。彼はあくまで唆しただけであり、最終的な判断を全て人間側に託した。

 開けるか開けないかの選択の余地も残したし、封印を解くように強要したわけでもない。

 

 

 あくまで人間たちの自業自得であるとその老人——妖怪・ぬらりひょんは口元に笑みを浮かべる。

 

 

「そんな愚かな人間たちのために、わざわざ貴方様が重い腰を上げる必要はありません。この場は静観していただければと……」

「…………よかろう」

 

 ぬらりひょんのその言葉に、迦楼羅は少し迷いながらも頷いてしまった。

 

 正直なところ、島の外から男を誘導し、牛鬼の封印を意図的に解いたぬらりひょんの悪事に、迦楼羅とて思うところがないわけではない。

 もしも、ぬらりひょんがその手で牛鬼岩の蓋を開けていたのであれば、彼に怒りをぶつけていただろう。

 だが、実際に封印を解いたのは人間自身であり、もっと自制心を働かせていれば未然に防ぐことができた人災である。

 

「今度ばかりはこの迦楼羅、たとえ人間たちの祈りがあろうとも応えはせぬ……それでよいのだな?」

 

 そういった自業自得な面を認め、さらに以前の牛鬼復活からまだ一年しか経っていないこともあり、迦楼羅も今回は助け舟を出すつもりはないと断言する。

 薄情かもしれないが、見捨てると決めた以上はキッパリと割り切るのが『神』であり、そこに人間たちへの慈悲や人情などは存在していなかった。

 

 

 

 

「ええ、ありがとうございます、迦楼羅様。さて……どうしますかね、鬼太郎くん?」

 

 迦楼羅から直々の言質をとり、ぬらりひょんは笑みを深めながら高台からゲゲゲの鬼太郎の動向を見つめていく。

 

 妖怪・ぬらりひょん。

 一見すれば少し風変わりな人間の老人にしか見えない男。だが、一部では『妖怪の総大将』などと呼ばれ、日本妖怪の中でも、取り分け頭の切れる狡猾な奴として有名である。

 古い価値観の持ち主であり、妖怪の復権を掲げて人間と敵対する意思を固めている。人間との共存を望む鬼太郎とは主義主張がまるで違う、まさに天敵のような相手だ。

 これまで、長い間沈黙を保ち続けていたぬらりひょん。今の今まで表舞台に上がることなく、彼は裏から様々な策略の糸を張り巡らし、その時が来るのを静かに待ち続けている。

 

「まっ、ほんの挨拶代わりのようなものです、この程度は……」

 

 本来であればまだその準備期間中であり、ぬらりひょんもこの時点で鬼太郎にちょっかいをかけるつもりもなかった。

 だが、鬼太郎たち一行が牛鬼が封じられているこの島へ再度訪れると小耳に挟み、物は試しとこのように一計を案じてみた。

 

 その結果——鬼太郎たちは、窮地に立たされている。

 

 彼には妖怪・牛鬼は倒せない。

 倒したところで牛鬼は別のものへと取り憑き、そのものが新しい『牛鬼』になるだけ。もしも鬼太郎が牛鬼になってしまえば最悪。もう、誰にもあの怪物を止めることができなくなってしまう。

 

「簡単ですよ、鬼太郎くん。見捨ててしまえばいい。こんな島、潰れたところで大した損失ではないのだから」

 

 鬼太郎がこの窮地を乗り越えるには——この島から逃げるのが一番だと、ぬらりひょんは口元を嫌らしく歪める。

 

 彼にはそんな無責任なことができないと。

 分かった上でそんな呟きを漏らしているのだ、この老人は——。

 

「さて、この危機をどう乗り越えるのか。お手並み拝見といきましょうかねぇ~、くくくっ……」

 

 ぬらりひょんは楽しそうに、安全地帯から鬼太郎がどうするのか高みの見物を決め込んでいく。

 

 

 

×

 

 

 

「くっ……! 髪の毛針!!」

『グアアアア!?』

 

 ぬらりひょんから見られているとも露知らず、鬼太郎は牛鬼を牽制するために髪の毛針を高速で連打していく。だがそれはあくまで足止めであり、決して本気の攻撃ではなかった。

 

「鬼太郎、駄目よ!! そいつを倒しちゃ……!」

 

 猫娘が警告を促すとおり、牛鬼を倒してはいけない。

 牛鬼を倒しても、どうせまた別のものが——あるいはまた鬼太郎が牛鬼になってしまう。そんなことをしたらまた繰り返しだ。また鬼太郎が街を破壊し、猫娘を傷つけてしまうことになる。

 

「わかってる……けど!!」

 

 鬼太郎もそんなことは重々承知である。だからこそ、手加減した攻撃で牽制に留めているのだが——

 

『グアアアアアアアアアアア!!』

 

 中途半端な攻撃のせいか、怒り狂うように牛鬼はより一層激しく暴れ回る。復興途中の建物だろうと何だろうと容赦なく破壊し、我が物顔で島の中を闊歩していく。

 

「くっ……!!」

 

 このままでは、いずれにせよ被害が広がるばかりだ。ならばいっそのことと、思わず指鉄砲を構える鬼太郎。

 

「駄目よ、鬼太郎!! 絶対駄目!!」

 

 これに猫娘が悲鳴に近い叫び声を上げる。

 無我夢中に鬼太郎の体にしがみ付き、彼が絶対に牛鬼を殺さないようにと、その動きを全力で食い止める。

 

「お願いよ……もう……嫌なの。あんな思い……もう、絶対にしたくない!!」

 

 猫娘はなりふり構わず、その瞳に涙すらためていた。

 彼女は以前の騒動の際、牛鬼となってしまった鬼太郎と戦うという、耐えがたい思いをする羽目になった。最終的には皆が助かったものの、一度は鬼太郎が死んでしまったという絶望感まで味わっているのだ。

 もう二度とあんな思いはしたくないと、猫娘は必死の形相で鬼太郎に懇願する。

 

「ね、猫娘……ああ、わかったよ」

 

 猫娘の鬼気迫る勢いに鬼太郎も己の軽率さを反省し、指鉄砲の構えを解く。短絡的に牛鬼を倒すのは簡単だが、そんなことをしても根本的な解決には至らない。

 

「……けど、どうすれば!」

 

 さりとて、手加減したままの攻撃ではいずれ鬼太郎たちの方がジリ貧になってしまう。

 鬼太郎と猫娘だけでは明らかに手が足りず、いずれ牛鬼がこの拮抗状態を食い破ってしまうだろう。

 

 だが——ここで鬼太郎たちの窮地を救うべく、援軍が駆けつけてくることになる。

 

「——ちょっ、ちょっとちょっと! 一体全体なんなのさ!? この騒ぎは!」

「……刑部姫!!」

 

 少し頼りなさそうな悲鳴と共にその場に現れたのは——城化物の刑部姫だった。

 鬼太郎たちとは別の宿に泊まっていた彼女。朝からサバゲーイベントに殴り込む気満々だったのか、昨日と同じ水着姿での登場。

 

「げっ!! な、なによ、あの化け物は……き、鬼太ちゃん、鬼太ちゃん! なんかよく分かんないけど、さっさと退治してちょうだいよ!!」

 

 事情も分からずその場にやってきたため、刑部姫は鬼太郎にあの化け物を——牛鬼をとっとと退治することを求める。

 

「ば、馬鹿言ってんじゃないわよ!!」

「えっ? な、何でそんなに怒ってんの、猫ちゃん?」

 

 これに猫娘が激怒。

 奴を倒せばどうなるか知らない刑部姫に向かい、妖怪・牛鬼の特性を戦いながら説明する。

 

「——……な~る。要するに、倒しちゃいけない系の敵ってわけね……おっと!?」

 

 猫娘の簡潔な説明を、牛鬼の攻撃を避けながら刑部姫は理解していく。

 日頃からそういった方面の知識を溜め込んでいるおかげか、戦いながらの片手間な説明でも牛鬼という妖怪がどういったものか即座に把握する。

 その特性を理解した上で、少し考え込んでから刑部姫は予想外なことを口にしてきた。

 

「OK! OK! だったら……ここは姫に任せてもらおっか?」

「あ、アンタが……?」

 

 何とあの牛鬼の相手をすると、刑部姫の方から言い出してきたのだ。

 意外な人物からの、意外な提案に猫娘が目を丸くする。

 

「いや、そんなに驚かなくても……まっ、倒せっていわれても困るけど、足止めくらいなら姫にだってできるさ。その間に、鬼太ちゃんたちはアイツをどうにかする方法を考えてよ!」

「いや……けど、それは……」

 

 自分が時間稼ぎをしている間に鬼太郎たちにあの牛鬼を消滅させるなり、封じるなりの手段を講じさせようとしてくれる刑部姫。

 しかし、彼女だけでは危険じゃないかと、その提案を渋る鬼太郎。だが——

 

「それに……まだ亀ちゃんのときのお礼をしてなかったしね……」

「!!」

 

 思い出すように呟かれた妖怪の名前に、鬼太郎が目を見張る。

 

 

 亀ちゃんとは——『亀姫』。即ち、刑部姫の妹のことである。

 以前の姫路城での騒動の際、実の姉である刑部姫を殺そうと、祟り神に堕ちてしまった憐れな妖怪。鬼太郎はそんな亀姫を退治し、刑部姫を助けて亀姫の荒ぶる心を魂だけにして沈めてくれた。

 亀姫の魂は、今も姫路城の天守閣に大事に保管されている。いつか肉体を取り戻した亀姫と、再び姉妹で笑い合う日々が来ると信じる刑部姫の手によって。

 

 

「まっ……そういうことだから、ここは姫に任せて頂戴!」

 

 そのときの借りを返すと、刑部姫は言ってくれているのだ。ならばここは素直に任せるべきかと、鬼太郎たちも一旦は牛鬼から距離を置く。

 

「わ、わかった。けど……本当に大丈夫なのか?」

 

 しかし、肝心の刑部姫に果たして牛鬼を食い止める手段があるのかと、そこが不安だった。

 そのため、何かあったときのためにあくまで後方で待機する、鬼太郎と猫娘。

 

 だが——鬼太郎たちの不安も杞憂へと終わる。

 

『グガアアア!!』

「すぅ~……はぁ~……」

 

 吠え猛る牛鬼の眼前に立ち、刑部姫は大きく深呼吸をして精神を落ち着かせている。

 僅かに緊張している様子だったが、次の瞬間にも彼女はテンション高めに声を張り上げ——『彼ら』に対して号令を掛けていた。

 

「——さあ、いっくぞ~! 全体せいれーつ! 前ならえ!!」

 

 

 

 

 

「皆さん、落ち着いて! 慌てないで避難してください!!」

「大丈夫です! 全員が乗れるだけのスペースはありますから!!」

 

 島の港。市街地から避難してきた人々が誘導員の指示に従い、順番に停泊している定期船へと乗り込んでいく。

 

 以前に牛鬼が暴れた際は、生憎の嵐で避難船を出すことができず、住人たちは島に閉じ込められる形となってしまった。しかし、此度の海の天気は快晴。船も出すことができるため、最悪人々だけでも島から避難することができる。

 また、前回の騒動から住人たちも学び、万が一の際の避難マニュアルを組んでいた。そのため、最初こそパニックに陥っていた人々も、鬼太郎たちが牛鬼を食い止めていることもあってか、今はだいぶ落ち着きを取り戻した。

 マニュアルに従い、観光客から船へと乗せるよう、島の人間たちが一丸となって協力していく。

 

「——さあ、あなたたちも早く!!」

 

 そんな中、観光客でありながらも、住人たちの手伝いをするために奔走するものがいる。

 鬼太郎たちの連れ、犬山まなだ。

 彼女は真っ先に避難する立場でありながらも、年下の子供たちなどを誘導し、島の住人たちの手伝いを率先してこなしていく。

 

「まなちゃん!! キミこそ早く避難するんじゃ!!」

 

 そんな彼女の行動、肩に乗った目玉おやじが静止していた。

 彼女のような観光客、子供こそ真っ先に船に乗り込むべきだと。目玉おやじは保護者として、牛鬼襲来の報を聞いてから、ずっとまなを説得し続けている。

 だが——どれほど言い聞かせようとも、まなは頑なに逃げようとはしない。

 

「ううん!! 鬼太郎や猫姉さんが頑張ってるんだもん! わたしだけ逃げるなんて、できないよ!!」

 

 友達である二人が頑張っている以上は、自分も逃げない。

 それが犬山まなという少女にとっての意地、彼ら妖怪と一緒にいると決めた彼女なりの覚悟なのだろう。

 

 

「——おお、おお!! 言うじゃねぇか、お嬢ちゃん! まだガキだってのに、大したもんだぜ!!」

 

 

 そんな彼女の覚悟に突き動かされたのか。一人の大男がまなへと歩み寄ってきた。

 刑部姫のオタク友達、くろひーである。

 彼はまなの行動力に触発され、その場にて声を上げる。

 

「おらテメェら! こんなガキに任せて、男として恥ずかしくねぇのか!?」

『——く、黒髭の旦那!!』

 

 くろひーの叱咤は安全圏に逃げようとしていたオタク仲間・刑部姫を追ってきたファンたちに向けられていた。

 彼らも、本来であれば真っ先に避難すべき観光客だ。だが、くろひーはそんな立場に甘えることなく、自分たちにも何かできるだろうと、彼らを指揮するように声を張り上げていく。

 

「おう! 日頃から培ってきた俺たちのチームワーク! ここで発揮せずに、いつ発揮するってんだ!!」

『りょ、了解っす!!』

 

 くろひーの率先した行動に彼らも避難の手伝いを始めた。

 歩みの遅い老人や子供たちを助け起こしたり、物資を運び入れたりと。くろひーを中心にまるで軍隊のような統率力だ。

 

「皆さん……ありがとうございます!!」

「やるではないか、くろひーとやら!!」

 

 そのおかげでさらに人々の避難が捗る。彼らの献身にまなと目玉おやじの二人も礼を述べていく。

 

「な~に、この程度!! あとでお礼のスマイルさえいただければ……デュフフフ!」

 

 まなたちからのお礼に、くろひーは何でもないことのように言いながらも、さらっと見返りに少女の笑顔を求めていた。

 

 

 

 

 そうして、人々の避難がおおかた片付いた。

 いつでも避難船が出港できるように手筈を整えるが、あくまで船での避難は最終手段である。ここまで復興が進んだ島を放置して逃げるのには、さすがに抵抗のある島の住人たち。人の命には代えられないが、できれば逃げるという選択肢は最後まで取っておきたい。

 彼らは最後の最後まで、鬼太郎たち。あるいは迦楼羅様が何とかしてくれるかもしれないという希望を捨ててはいなかった。

 

 そして——彼らは希望の一つを垣間見る。

 

「……ん? なんだ、ありゃ!?」

 

 最初に気づいたのは誰か。島の市街地上空に何か、飛行物体らしき影を見た。

 

 それは真っ直ぐと街のド真ん中。牛鬼が暴れている真上へと飛んでいき——

 

 

 

 次の瞬間——爆発物らしきものを投下し、牛鬼を攻撃していく。

 

 

 

×

 

 

 

『——グガアアア!?』

「なっ!? なにっ、今の!?」

 

 市街地で鳴り響く牛鬼の悲鳴。そして——花火のように盛大な爆発音に猫娘が思わず耳を塞ぐ。

 その破壊音の正体、それは牛鬼の頭上から飛来した物体——『紙飛行機』が投下していった『爆弾』である。

 

 紙飛行機の編隊が現れ、牛鬼に向かって空爆を仕掛けたのだ。

 パイロットとして、何故か動物を模した折り紙たちが紙飛行機を操縦している。

 

「っ!? 猫娘、足元!?」

 

 さらに紙飛行機だけならず、折り紙たちの集団——『軍隊』とも呼ぶべきそれらが鬼太郎たちの足元からも出現し、牛鬼に攻撃を仕掛けていく。

 

 小銃を持った狐や猫、カエルの歩兵部隊が牛鬼を囲い込み一斉掃射。

 リスを乗せた鶏が縦横無尽に駆け回り、マシンガンを乱射する。

 ロケットランチャーを抱えた虎が、説明書を読みながらロケランを慎重に発射していく。

 ヤドカリの戦車部隊までも登場し、後方から面による制圧射撃を行なっていく。

 

 折り紙の兵隊たちはそのどれもが小型サイズ。その手に装備した兵器もミニチュア、全ておもちゃだ。

 だが、それらの装備は全て妖力によってブーストされており、下手な本物よりも破壊力があった。

 

『グガ!? グゲガ、グギャアアアア!?』

 

 本物の銃など通じない牛鬼相手に、多大なダメージを与えてその動きを制限していく。

 

「——はい、そこ! 弾幕薄いよ!! 何やってんの!?」

 

 そして、それらの折り紙兵士たちを指揮していくのが彼女——刑部姫だ。

 この折り紙たちは全て彼女の手によるもの。妖怪・刑部姫によって折られた『式神』たちだったのである。

 

 

 もともと、刑部姫には折り紙の式神を戦わせるという戦闘スタイルがあった。だが普段の彼女は根っからの引きこもり気質であり、その性格に引っ張られる形で折り紙たちもそこまで好戦的ではない。

 

 だが——ここにサバゲー要素が加わり、刑部姫自身がアクティブになったことで、折り紙たちも最強の軍隊へと変貌を遂げる。

 

 銃火器の装備を整えた折り紙兵士の枚数は——最大で千枚。

 それほどの物量が統率の取れた動きで敵を包囲する。いかに牛鬼の巨体といえどもただでは済まない。というか、むしろ洒落にならない。

 爆撃の中、牛鬼は何とか反撃を試みるも、式神たちは全て紙で出来ている。ヒラリヒラリと牛鬼の攻撃を躱し、さらに包囲網を狭めていった。

 

 

 もういっそ、このまま折り紙たちが牛鬼を倒してしまうんじゃないかと。まさにそんな戦況である。

 

 

「ちょっ……! ちょっと!? 倒しちゃダメって言ってるでしょ!?」

 

 折り紙たちの怒涛のラッシュに唖然としていた猫娘が声を荒げる。

 足止めどころか、このまま牛鬼を倒してしまいかねない刑部姫たちの猛攻にストップをかけたのだ。

 

「それっ! 撃て撃て♪ ……へっ? あ、ああ!! わ、分かってるよ!」 

 

 折り紙たちと一緒になってライフルを乱射していた刑部姫も、思い出したかのようにハッと我に返る。

 刑部姫もだいぶ調子に乗っていたようで、倒してはいけないという牛鬼の特性を失念していたようだ。慌てた様子で自身が銃を下げ、式神たちにも一部攻撃を緩めるように指示を出す。

 

『!! グ、グガアアアアアア!!』

 

 そのとき、折り紙たちの猛攻が緩んだ瞬間、牛鬼が攻撃に転じてきた。

 弾幕が弱まった場所から包囲を突破し、指揮官である刑部姫本人に突撃をかましてきたのだ。

 

「うわぁっ! やばっ!?」

「危ない!!」

 

 咄嗟のことで動けないでいる刑部姫を鬼太郎が退避させる。それにより、何とか牛鬼の突進は避けられた。

 

 しかし、牛鬼はその勢いを殺すことなく建物へと衝突。

 その先にあった、民家らしき建造物を破壊し、そのまま何事もなく通り過ぎていく。

 

 

 

 

「……………………」

 

 すると、その建物の瓦礫から誰かが顔を上げる。 

 

「なっ!? ひ、人が……まだ残ってたの——!?」

 

 住人など、とっくに全員避難していたと思っていた猫娘が駆け寄る。

 その人物を助け起こそうと、急いで近づいていくが——。

 

「き、清姫!? アンタ、こんなところで何をっ?」

 

 そこにいたのは——妖怪・清姫だった。

 刑部姫と同じ、何故か水着姿の清姫が、どういうわけかその場にて項垂れている。

 

「き、きよひー……?」

 

 刑部姫がただならぬ清姫の様子に疑問を覚えながら声を掛けた。

 だが友人の心配に応じることなく、清姫はただ一言。

 

 静かに、しかし力強くポツリと呟いていた。

 

 

 

 

 

「——許さない」

 

 

 

 

 話をほんの少しばかり遡る。

 清姫が何故そんな民家にいたかという話だが。

 

「——ふふん♪ もう少し……もう少し煮込めば完成ですよ♪」

 

 それは彼女がその民家を借り、鼻歌を唄いながら鍋を煮込んでいたからだ。

 

 もともと、その民家には人が住んでいた。しかし、そこの住人は先の牛鬼騒動で復興を諦め、別の土地に移り住むことになってしまった。それからその家は島の管轄となり、復興委員を務める熊谷の提案で、そこを無料で使える『キッチンスペース』として開放されていたのだ。

 食材さえ用意すれば、旅先で調理できるレンタルスペース。

 清姫はそこを利用し、愛情のこもった特製カレーを安珍こと鬼太郎に振る舞おうと早朝から鍋をかき混ぜていた。

 

「まったく……昨日はあの泥棒猫のせいで鬼太郎様とあまり一緒にいられませんでしたが……ふふ、今日は違いますよ!!」

 

 清姫は昨日の夜。鬼太郎と一緒の宿に泊まろうとしたが、それを猫娘に邪魔されてしまった。

 さらに猫娘は一晩中、部屋の真ん前を監視し続けることで、清姫が鬼太郎の寝室へ侵入することも全力で阻止したのだ。

 

 その一晩の攻防は——まさに筆舌に尽くしがたいほどに壮絶だった。

 

 その戦いで清姫は一歩後れを取ることになった。しかし、その程度で諦める彼女ではない。

 

「ふふっ……! 見てなさい、あの泥棒猫め! この清姫特製愛情スパイスカレーと、艶やかな水着姿であの方を虜にしてあげ——」

 

 特製カレーで鬼太郎の胃袋を鷲掴みに。少し恥ずかしいが、この水着姿で彼を魅了しようと。

 きっと鬼太郎ならどちらとも気に入ってくれるだろうと、清姫はその頬を綻ばせていた。

 

 

 そこへ——あの牛鬼が突っ込んできたのだ。

 

 

『——グガアアアアアア!!』

 

 調理にすっかり夢中になっており、清姫は避難放送すら耳に入っていなかった。人々の悲鳴なども「少し騒がしいですね……お祭りですか?」くらいにしか思っておらず、牛鬼騒動そっちのけで料理していたのだが——

 

 そんな外の騒動への無関心さが、今回の悲劇を生んだ。

 

 牛鬼は清姫のいる家、彼女が調理している部屋の壁をぶち破り——彼女の手料理をひっくり返してしまったのだ。

 

「——っ!! わ、わたくしのカレーが……あの方に食べていただく、お料理が……」

 

 清姫自身も瓦礫に埋もれ、すぐにでもそこから這い出すが——何もかも手遅れだった。

 

「わたくしの……料理……」

 

 ひっくり返った鍋の中身は、盛大に床にぶち撒けられていた。

 長時間かけてじっくりコトコト煮込んだカレーは、鬼太郎の口に一口も入ることなく、全て床の染みとなってしまったのだ。

 

 暫く、ショックのあまり思考停止に陥る清姫だったが。

 すぐにでも現状を理解し——その視界が真っ赤に染まる。

 

「き、清姫!?」

「き、きよひー……?」

 

 自分を心配する猫娘と刑部姫の声も、今の彼女には届かない。

 

「——許さない」

 

 清姫は自分の大切なものを台無しにした怪物・牛鬼に怒りの視線を向け、狂ったように憎悪を吐き溢していく。

 

 

「許さない、許さない、許さない……許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない――憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い――憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎――殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺!!」

 

 

 憎しみは殺意へと昇華し、その恨みは晴らすべく。

 清姫はどこからともなく取り出し薙刀を呼び出し、それをグッと握りしめていた。

 

 

「——焼き、殺しますわ!!!!!!!!」

 

 

 

 

×

 

 

 

「——ひぃっ、ひぇぇえええええっ!?」

 

 清姫の怒り狂うその姿に刑部姫が腰を抜かす。

 それなりに長い付き合いの彼女でも、未だかつて見たこともない清姫の激怒する様子に、一目見ただけで説得は不可能と確信する。

 

 牛鬼なんかよりもよほど恐ろしい、憤怒の具現。

 それが今、人の形を保って立っているだけでも既に奇跡と言えるだろう。

 

「ふ、うふふふ……殺します。ええ……焼き殺しますとも……」

 

 そう、怒りが頂点に達してぶつくさと物騒なことを呟く清姫だが、未だにその姿は人のままだ。

 いつもの彼女ならば『大蛇の化身』となってしまい、人の姿も理性も、何もかも全てが吹き飛んでいておかしくはなかっただろう。

 それはひとえに、愛しの『彼』がこの場にいると理解しているから、かろうじて人のままなのだ。

 

「き、清姫……!? お、落ち着いてくれ……!」

 

 ゲゲゲの鬼太郎。彼は清姫の怒りようにビビりながらも、必死に彼女を引き止めようと説得を試みる。怒りに身を任せたまま清姫が牛鬼を殺し、彼女が牛鬼となってしまう可能性を考慮したからである。

 だが、いかに人の姿を保っていようと。

 いかに愛しい人の言葉と言えども、今の清姫の耳には入ってこない。

 

「ええ……分かっております、安珍様。清姫は……いたって冷静でございますよ。ふ、ふふふ……うふふふ……」

 

 冷静だと言葉を返しながらも、まったくその殺意を収める気もなく。

 彼女は街中で暴れ続ける牛鬼へとその歩みを進めていく。

 

『!! グ、グゴアアアアア!』

 

 清姫の接近に気づき、牛鬼が威嚇するように吠えた。 

 獣の本能で彼女が危険因子と判断したのか。清姫の華奢な体を引き裂こうと、その爪を彼女に向かって突き立てる。

 

「——あらあら……駄目ですよ?」

 

 しかし清姫はまったく動じることなく、その爪を手にした薙刀で打ち払う。

 彼女の薙刀——どうやら清姫の炎を纏っているらしく、刀身が常に青い炎で燃え滾っている。その炎が触れた爪先から牛鬼の体へと燃え移る。

 

『グァ!? グガアアア!?』

 

 炎の熱に悶え苦しむ牛鬼が、悲鳴の雄叫びを上げる。

 ただの炎であれば、牛鬼には通じない。だが、その炎は清姫の内側から燃え上がる怒りの業火だ。彼女が怒りの矛を収めない限り、決して消えることなく対象を苦しめ続けるだろう。

 

「ふふふ……それそれ♪」

 

 さらに畳み掛けるよう、清姫は連続で突きを繰り出す。

 さらなる追い討ちに、ついには牛鬼もその巨体を地面へと沈める。現在の肉体が消滅するまで、あと一歩といったところ。

 

「ま、不味い! 駄目よ、清姫!!」

「そ、そうだよ、きよひー!! そいつを殺しちゃ駄目だってば!!」

 

 そこで猫娘と刑部姫がそれ以上の追撃を止めさせようと叫ぶ。このままでは本当に牛鬼が……と、何度も抱いた不安が現実のものになってしまうと、清姫へと必死に呼びかける。

 すると、そんな彼女たちの必死さが伝わったのか。

 

「ええ、分かっておりますよ?」

 

 清姫はあっさりと薙刀を下げ、牛鬼への攻撃の手を緩める。

 刑部姫がその行動に「よ、ようやく分かってくれたか……」とホッと胸を撫で下ろすのも束の間——

 

 清姫はカケラも殺意を収めることなく、牛鬼を冷めた目で見つめる。

 

 

「——ただでは、殺しません」

 

 

 天に向かって手を翳し、牛鬼への処刑宣言を告げる。

 

 

「苦しめて苦しめて、苦しみに苦しみ抜いた上で——焼き殺して差し上げますから!!」

 

 

 次の瞬間、清姫が手を振り下ろすと同時に——その島にいる全てのものが聞いたという。

 

 

 

 

 荘厳に鳴り響く、鐘の音を————。

 

 

 

 

「ゲホッ! ゲホッ!! なっ……なんだ、今の音は……鐘?」

「き、鬼太郎! 見てよ、あれ!?」

 

 鬼太郎と猫娘の視界は、清姫が頭上から振り下ろした『何か』が落下した際の土煙によって一時的に不明瞭になる。その土煙が晴れ、ようやく視界が回復した際——そこに、牛鬼の姿はどこにもいない。

 

 そこにあったのは——『鐘』だ。

 牛鬼の巨体を覆い被せてしまうほどに巨大な釣り鐘が、地面に落下した状態で存在していた。

 

『————!!』

 

 その鐘の内部から、必死にそれを破ろうと何かが暴れ狂っている。

 十中八九牛鬼だろう。だが、いくらあの怪物が暴れようと、釣り鐘はビクともしない。そう、清姫の召喚した釣り鐘が怪物の動きを完全に封じ、閉じ込めることに成功したのだ。

 

「や、やったぜ、きよひー! 牛鬼を閉じ込めちゃったよ!!」

 

 清姫の大手柄に刑部姫が喝采の声を上げる

 牛鬼の肉体を封じ込めることに成功した今、あとは牛鬼の本体を捕まえるだけだと——

 

 

 その方法を思案しようなどと、周囲の面々が呑気に考えていた時点で、清姫は次なる一手に出ていた。

 

 

「ふふふ……動けないでしょ? ええ、そのままじっとしてなさいね……」

 

 彼女は酷評な笑みを浮かべながら、さらに空中に無数の『薙刀』を召喚する。

 それは彼女の炎によって具現化された灼熱の刃。彼女はその刃を釣り鐘に向かって飛ばし——ひとつひとつ、丁寧に突き刺していく。

 

『————!?』

 

 刃が突き立てられる度、くぐもった獣の悲鳴が鐘の中から聞こえてくる。

 鐘の内部がどのような悲惨な状況になっているのか。想像するのは決して難しいことではない。

 

「き、きよひー……え、えぐっ……」

「…………」「…………」

 

 内部の光景を想像した刑部姫。彼女は友人の恐ろしい所業に思わず口元を押さえる。 

 鬼太郎と猫娘までもが顔を真っ青にし、呆然と清姫の行為を静観することしかできずにいる。

 

 それほどまでに——清姫が怖かった。

 笑いながら、微笑いながら、嗤いながら。笑顔で牛鬼を鐘ごと串刺しにしていく光景に、もはや言葉も出てこない。

 

「ふふふ……それ~、燃えてしまいなさい!!」

 

 さらに清姫の行為はそれに留まらず。

 彼女は鐘に火を放ち、内部にいるであろう牛鬼を蒸し焼きにしていく。

 

 その光景は、まさに千年前。安珍を焼き殺した情景そのままである。

 鐘の中に隠れた愛しい人を焼き殺したという『安珍・清姫伝説』。

 

 

 名シーンの再現であった。

 

 

 

 

 

『————!!』

 

 実のところ、薙刀で二、三回貫かれた時点で牛鬼の肉体は消滅していた。

 そしてその魂、ガスである本体が肉体の檻から解き放たれ、次の憑依先を求めて近しい生物に憑依する——筈であった。

 

 しかし、解き放たれた鐘の中は完全な密閉状態。

 鐘が『結界』としての役割も果たしていたため、そこから抜け出せず、閉じ込められた状態となった牛鬼の本体。

 

「——ふふ……まだですわよ。それ~それ~♪」

 

 その上、清姫の怒りはまだまだ収まらず。

 彼女は牛鬼の肉体が消滅しようと炎を引っ込めることなく、さらに火力を上げていく。

 

 結果——牛鬼の本体はさらに灼熱にさらされ続けることとなり、その本体にじわじわとダメージが蓄積され続けていく。

 

『————!?』

 

 それは牛鬼の本体に取って初めての体験だった。

 ガスの状態のまま、密閉状態で焼かれ続けるなど。あの迦楼羅ですらそんなこと、思いもつかないような残虐な処刑方法。

 

「うふふ……ふふふ、あはははははは!!」

 

 しかし、清姫はそれを平然と行なっていく。

 それだけのことを——『愛しい人への料理を台無しにする』という、それだけのことを牛鬼はしでかしてしまったのだ。

 もっとも、ただのガスであり、知能も何もない牛鬼がそんな清姫の怒りを理解できる筈もなく。

 

『!!?!!?!!?!!!?』

 

 ガスは、何故自分がこんなにも苦しまなければならないのか。

 最後の瞬間までそれを理解することなく。

 

 

 やがてその存在を——完全に『消失』させることとなる。

 

 

 

 

 

「——ぎゅ、牛鬼の気配が……き、消えた……」

 

 清姫の行為を、その光景を高台の上から見ていた迦楼羅が唖然と呟く。

 彼は牛鬼の存在を知覚することができるのだが、その気配が完全に感じ取れなくなっていたことに絶句する。

 

 迦楼羅は基本、無益な殺生はしない。

 神としての中立性を保つため、牛鬼を封じこそすれど、それを完全に殺すことなどは初めから選択肢に存在していないのだ。

 故に清姫の牛鬼への扱いに戸惑い、まさかあんな方法でその魂を消し去ってしまうなどと思ってもおらず、完全に呆気に取られていた。

 

「——これはこれは……いささか予想外の結末ですね……」

 

 一方で、迦楼羅と同じように見物に徹していたぬらりひょんも驚きを口にする。しかし、迦楼羅に比べればだいぶ落ち着いており、彼は何が起きたのか、それらを全て把握した上でボソッと呟く。

 

「やれやれ、女の情念とは恐ろしいものです。まさか……料理をひっくり返された程度であそこまでお怒りになられるとは……」

 

 ぬらりひょんは高台から清姫の周囲を観察、崩れた建物に散乱する鍋や料理の中身から『彼女が料理を台無しにされて激怒した』と、正しく清姫の感情を理解していた。人心を掌握する術に長けている、ぬらりひょんだからこそ読み取れるさすがの洞察力である。

 そして、その理解力から——ぬらりひょんはこれ以上のちょっかいをかけるべきではないと、即座に判断を下す。

 

「……まあ、いいでしょう。所詮はその場の成り行き……物は試しと仕掛けてみたに過ぎません」

 

 ぬらりひょんにとって、今回の騒動はたまたま条件が揃ったから実行してみた。その場限りの策略である。前々から仕込んでいた訳でもなく、これから始める大掛かりな計略の一部でもない。

 特に未練も悔しさも感じることではない。

 

「さて……鬼太郎くん、今回は頼もしいお友達に救われたようですが……次もこう上手くいくとは限りませんよ?」

 

 さらに言えば、ぬらりひょんの標的はあくまでゲゲゲの鬼太郎だ。

 清姫に自身の策を阻止されたからといって別に彼女相手に妙な執着を覚えることもなく、キッパリと標的を彼だけに絞り込む。

 

「次に会うときは……正式にご挨拶に伺いましょう。それまでに、大逆の四将を捕まえてご覧なさい……くっくくく……」

 

 彼が果たして自分の敵として相応しいか?

 試すような口ぶりと笑みを浮かべ、ぬらりくらりと——。

 

 

 何一つ痕跡を残すことなく、綺麗さっぱりその場から立ち去っていく。

 

 

 

×

 

 

 

「…………いや~……何はともあれ、一件落着ということで……よかった、よかった!!」

 

 時刻は夕暮れ時。刑部姫の安堵とも、怯えとも取れる声が騒動の収まった街中に響き渡る。

 

 市街地には人々が戻り始めており、牛鬼によって崩された瓦礫などを皆して撤去している。鬼太郎たちが被害を喰い止め、牛鬼も早々に討伐されたことで街への被害が最小限で済んだのだ。この程度であれば復興にもそれほど時間は掛からないだろう。

 人々の表情からもそこまで悲壮感はなく、住人たちの顔色も悪くはない。

 

 だが——刑部姫を始め、鬼太郎や猫娘の表情は完全に引き攣っていた。

 あのシーン、安珍・清姫伝説の再現を間近で見て、いい気分でいられるわけもない。

 

「——申し訳ありません。鬼太郎様……」

 

 もっとも、その原因である彼女・清姫はしおらしい態度で項垂れている。

 

 結局、彼女が牛鬼への怒りを鎮火するのに、ほとんど一日を費やすことになった。その間、牛鬼が消滅した後も彼女は炎を延々と燃やし続け——気が付けば日も暮れかけていた。

 

「貴方様へと振る舞うお料理が……あのケダモノに全て台無しにされてしまいました……」

「……そ、そうだったのか…………は、ハハハ……」

 

 しかも、そこまでやった理由が『鬼太郎への料理を台無しにされたという』それだけの理由だったことに、もはや一同は言葉もない。あの鬼太郎ですら、苦笑いを浮かべるしかないのだ。

 

 

 清姫のおかげで牛鬼は完全消滅することとなり、鬼太郎たちも助かったのだが、正直それを手放しで喜べるような心情ではなかった。

 

 

「……まあ、その……あれだよ! これで心置きなく遊べるってもんさ!!」

 

 そんな微妙な空気を打ち破ろうと、刑部姫は改めて気分を切り替えるように叫んでいた。

 

 牛鬼の最後、騒動の収め方に色々と思うことはあれど、これで心置きなくイベントに参加できると。本日最後のメインイベント、ウォーターサバゲーへとそのやる気を漲らせる。 

 

 しかし——

 

「——あの……すいません」

 

 やる気を出していた刑部姫に、イベントの責任者である熊谷が心底申し訳なさそうに声を掛ける。

 

「誠に恐縮なのですが……イベントは中止です」

「……………へっ?」

 

 刑部姫は熊谷に聞き返すが、返答に変わりはない。

 

「本日の……今年のイベントは終了です……また来年、お越しください……」

「……あっ……やっぱり?」

 

 当たり前と言えば当たり前。あれだけの被害が出た後で呑気にイベントなどできる訳もない。

 

 

 今年のイベントは全て終了し、刑部姫の夏は不完全燃焼で終わった。

 

 

 そして約束通り。

 

 

「——では、おっきー……さっそく原稿に移ってもらいますよ?」

「!!」

 

 昨日の約束の履行——『明日のイベントが終了次第、即刻原稿に戻ってもらう』という言葉を果たしてもらうべく、清姫が刑部姫に迫る。

 

「ちょっ! ちょっと待ってよ!? それって……あまりにもご無体では……!?」

 

 ここで不満の声を上げる刑部姫。

 彼女からしてみれば当然の抗議。イベントは潰れ、結局丸一日、牛鬼の対応と後始末に時間を費やすことになってしまったのだ。

 ここからいきなり原稿に移れと言うのは、あまりにもやるせない。

 

 しかし、清姫にそんなことは関係ない。

 

「うふふ、約束は約束ですわよ、おっきー。それとも……私との約束を破る——嘘を付くおつもりかしら?」

「——ひぇっ!?」

 

 一度約束を交わした以上、それを守れないのは——嘘を付くのと同義である。

 清姫に対して嘘を付けばどうなるのか、それを今更理解できない刑部姫ではない。

 

「ふふ、ご心配なさらずともいいですわ」

 

 刑部姫が清姫への恐怖心から固まっている間にも、清姫は彼女が逃げられないように最善の一手を打つ。

 

「貴方が原稿に専念できるよう、最適の環境をご用意させていただきますから……ね♪」

 

 その刹那、再びあの音が——

 

 

 鐘の音が響いてきた。

 

 

「こ、この音……! ま、まさか!?」

 

 嫌な予感を覚えた刑部姫が自身の頭上を見上げる。

 

 案の定——そこにはあの釣り鐘が、牛鬼を封じ込めたのと同じ形の鐘が出現していた。

 

「ふふ……これから貴方には。この道成寺鐘に籠って原稿に専念していただきます♪」

 

 その鐘は清姫が安珍を焼き殺した寺・道成寺のものを具現化させたものらしい。

 牛鬼のときとは、若干だがサイズが違う。人一人がすっぽりと納まるその鐘を——刑部姫に向かって振り下ろす。

 

「ああ、注意して下さい、おっきー。サボればあのケダモノ同様……貴方も消し炭になることでしょうから」

 

 刑部姫がその鐘へと閉じ込められる直前。清姫は刑部姫に笑顔で警告を送る。

 

 

「——ぞんなああああああああああああああああ!?」

 

 

 下手をすれば、自分も『あれ』の二の舞になる。

 その絶望感に断末魔の如き悲鳴を上げ——刑部姫は、鐘の中へと閉じ込められていく。

 

 その後——刑部姫が原稿を仕上げるまで丸三日間。

 不眠不休、満身創痍ながらも原稿を仕上げることとなり——彼女はようやく清姫から許しを貰い、解放されることとなったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ねぇ、鬼太郎……」

「……なんだい、猫娘……」

 

 刑部姫と清姫の最後のやり取り。鐘の中に問答無用で閉じ込められていく刑部姫の姿を目に焼き付けながら、猫娘が鬼太郎へと話を振る。

 二人はどこか遠くを見つめているような瞳だが、その話の内容はすぐそこにいる清姫——笑顔で刑部姫の入った鐘を力尽くで引きずり立ち去っていく彼女へと向けられていた。

  

 猫娘は、心底の願いを込めて鬼太郎に注意を促す。

 

「鬼太郎……何があっても……清姫には嘘を付かないであげてね……」

 

 それは清姫の為ではなく、鬼太郎自身のためだ。

 もし彼女に嘘を付くようなことがあればどのような目に遭うか——今回の騒動で嫌というほど実感した。

 

 鬼太郎への想いに関して一歩も引くつもりもない猫娘だが、もしも鬼太郎が彼女に対して嘘を付いてその逆鱗に触れた場合——猫娘でも、ひょっとしたら庇いきれないかもしれない。

 

 勿論、鬼太郎もそれを承知済みだ。

 

「ああ、約束するよ。絶対に清姫を怒らせたりはしないと……」

 

 無条件で清姫の想いに応えるつもりはないが、それでも彼女の機嫌は損ねまいと。

 

 

 

 

 鬼太郎は、ここに改めて誓ったのであった。

 

 

 

 




次回予告

「今年もオべべ沼にある別荘を訪れた犬山家。
 まなが、今年はぼくたちにも来て欲しいと、親御さんから言われているそうです。
 そういえば……ぼくたち、まだ彼女の両親に挨拶していませんでしたね、父さん。
 
 次回——ゲゲゲの鬼太郎 『もっけ』 見えない世界の扉が開く」

 次回は夏シリーズの第三弾! 山……というか、犬山家の別荘が舞台です!
 果たしてこの舞台と、このクロス先でどのような話になるか?
 
 色々と想像を膨らませて、お待ちください!
(年末に近いということで、大分時間が掛かるかもしれません)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

もっけ 其の①

さて、本小説も初投稿からおよそ一年が経ちました。
時の流れは早いもの、今年もあと二か月。色々と波乱の一年になりますが、最後まで気を抜かずに行きましょう。

一周年記念というわけではありませんが、本日は『もっけ』という、知る人ぞ知る、隠れた名作からのクロスオーバーです。

知らない人のために概要をサラッと。

もっけは月刊アフタヌーンに連載されていた漫画が原作、コミックスは全九巻。
アニメの方も2007年に放送されています、全24話。
とある霊感体質で悩む姉妹の日常を描いた作品で、一話読み切り形式の連作短編。
アニメの方も、一話一話で話が独立している短編式。
申し訳ありませんが、自分は原作漫画は未読。今作のクロスオーバーもアニメの方を参考に書かせてもらっています。

この『もっけ』という作品、とにかく話の一つ一つが緻密でかなり凝った作りになっております。アニメの方も視聴率は芳しくなかったらしいですが、視聴した人たちからの評判はかなり良い。
今の時代に見ても色あせない、不思議な魅力の詰まった作品。
このクロスオーバーで興味を持った方がいれば是非、漫画、アニメの方も視聴してみてください。

ちなみに、今作の話は『もっけ』は原作アニメの最終回からの続き、鬼太郎の時間軸は二年目の夏になっております。


 新しい元号が発表された。その名も『令和』である。

 

 昭和から平成、そして令和へと時代は移り変わる。時代が新時代を迎えるよう、新しい技術や革新的なアイディアは常に日進月歩、人々に文明的な生活を促してきた。

 だが、そんな世の中であるにもかかわらず、今の日本ではとある存在がトレンディーな話題の的になっていた。

 

 そう『妖怪』という——いかにも古めかしい存在だ。

 

 それは去年、八百八狸によって政権が奪われた辺りからだろう。

 人間たちが妖怪の存在を徐々に認知するようになり、多くの目撃情報、被害報告が各地で報告されるようになっていった。

 そして、今年になってからの姑獲鳥騒動。動画配信サイトによる妖怪動画の猛プッシュにより、その知名度が決定的なものとなる。

 

 この現状は『妖怪大辞典』という書物の巻頭にも記されていた。二十一世紀は彼ら妖怪の時代になると。

 まさにその予言通り、世はまさに大妖怪時代。

 

 だが——忘れてはならない。

 

 妖怪という存在は、何も昨日今日とパッと出てきたわけではないということを。

 彼らはいつだって人々の営みの傍らに寄り添い、ずっとすぐ側で共に時代の流れを過ごしてきた。

 

 見えていないだけで、常に彼らは『そこ』に存在していた。

 

 

 そんな妖怪たちと、ずっと昔から付き合っていた人々もいるのだということを忘れてはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 栃木県のとある農村部。夏真っ盛りの夏休み期間中。

 都会の喧騒から離れた田舎、山々や小川の流れ、豊かな自然が昔の姿のままで残るその地を人間の少女が駆け抜けていく。

 

「——はぁはぁっ、ただいま!!」

 

 彼女の名は檜原(ひばら)瑞生(みずき)。今年で小学六年生となる、活発で元気な女の子だ。

 家で引き籠もっているよりも、外で男の子たちと一緒に野原を駆け回ることが多い彼女は今日も元気に遊び尽くし、夕暮れ時になってから我が家に帰ってきた。

 

「——おかえり瑞生。先にお風呂入っちゃいなさい」

 

 そんな瑞生を暖かく迎え入れたのが、彼女の実の姉である檜原(ひばら)静流(しずる)である。

 中学三年生の彼女は今年が受験シーズンだが、それでも姉としてしっかりと妹の世話を焼き、この家の家事全般をこなしている。それでいて成績も優秀。少し引っ込み思案な部分もあるが、誰に対しても優しく清楚。まるで大和撫子を体現したような少女で、同学年の男子生徒たちからの人気も高い(本人はそのことに無自覚だが)。

 

 静流と瑞生。二人の姉妹はとある理由から親元を離れ、この土地で二人支え合って暮らしている。

 年相応に喧嘩することもあるが、仲直りも早く。実に仲の良い姉妹として周囲からも温かい目で見守られていた。

 

 

 

 

「……あれ? お姉ちゃん、電話なってるよ!」

 

 帰宅早々、姉に言われた通り風呂に入ろうとしていた瑞生。だが風呂場で服を脱ぎかけたところで彼女は廊下の方から電話のコール音が鳴り響いていることに気づく。

 自分は出れない状態なため、慌てて姉に声を掛ける。

 

「あ、はいはい、今出るわ……もしもし?」

 

 妹の呼び掛けに料理中だった静流は慌ててガスコンロの火を止め、電話の受話器を手に取った。電話相手の言葉に一言二言「……はい……はい」と相槌を打つ。

 

「わかりました。すぐに代わりますので……」

 

 どうやら通話相手は自分ではない、別の人間に用向きがある様子だった。静流は受話器を脇に置き、その人物を呼び出すため庭先へと小走りで向かう。

 

「お爺ちゃん!! 電話、お爺ちゃんにだって!!」

「——おう……今行く」

 

 静流が呼んだのは庭先で花の手入れをしていた彼女の祖父だ。この家の家主にして、遠くで暮らす両親の代わりに静流と瑞生の面倒を見てくれている保護者である。

 すっかり白色に染まった髪、時折腰を押さえたりしている老人。しかし背が高く、些かの衰えも見せない鋭い眼光。齢七十は越えているであろうに、年齢による呆けなど微塵も感じさせない威厳ある佇まい。

 寡黙で厳格、ちょっと怖いながらも頼り甲斐のある。少女たちにとって自慢の祖父であった。

 

「もしもし……ああ、お前さんかい」

 

 静流と電話を代わった祖父。彼は通話相手が誰なのかを知り、僅かばかりに目を細める。

 

 

 そして、そのまま——電話向こうの相手と込み入った話を進めていく。

 

 

「……お爺ちゃん、まだ話してる。珍しいね」

「そうね……」

 

 既に瑞生も風呂から上がり、静流も夕食の献立を準備し終え、姉妹が二人揃ってちゃぶ台に付く。いつでも夕食を食べられる状態だが——未だに祖父の長電話が終わらない。

 普段からあまり無駄話をしない、いつも寡黙な祖父にしてはかなり珍しい状況だ。

 

「もしかしたら……『お仕事』の話かもしれないわ。お腹減ったのなら先に食べててもいいのよ、瑞生?」

 

 静流はその電話が祖父の仕事関係かと思い、瑞生だけでも先に食べているよう勧める。遊び疲れて腹ペコだろう妹を、これ以上お預け状態で待たせるわけにはいかないと。

 

「いや……待つ、待ってる!!」

 

 だが瑞生はそこですぐにはがっつかず、祖父が来るまで大人しく待つことを選んだ。きっとお腹を空かせているだろうに、彼女はきちんと我慢することにしたのだ。

 

「そっか……じゃあ、もう少し待ちましょう」

 

 そんな妹の様子を、姉としては微笑ましい気持ちで見守る。

 少し前までの彼女であれば、もしかしたら食欲に負けて先に食べていたかもしれない。妹の何気ない成長をこんな些細なことからでも感じる静流であった。

 

 

 そして、それからさらに数分後。

 

 

「——そうか、恩に着るよ、岩永の嬢ちゃん。この借りはいずれまた……」

 

 ようやく話が終わったのか祖父が電話を切り、食卓へと戻ってくる。

 

「悪いな、二人とも」

 

 さすがに待たせ過ぎたと自覚したのか孫娘に謝る。

 

「ううん、大丈夫よ、お爺ちゃん……さっ、食べましょう!」

「いただきま~す!!」

 

 姉妹は特に気にした風もなく、皆が揃ったところで手を合わせた。

 家族三人、いつもの食卓風景が穏やかに始まる。

 

 

 

 

「——それでね! 今日もいっぱい遊んだんだ! 高津と笠間も一緒にさ!」

「——へぇ……そうなの。楽しかったのね、瑞生」

「…………」

 

 食事をしながら元気よく話をするのはいつも瑞生の役割のようなものだ。彼女はその日の出来事など、いつだって楽しそうに語ってくれる。それに相槌を打ちながら、話を促していくのが姉である静流。それを見守りながら祖父が静かに黙々と食事を進めていく。

 

 これが檜原家の団欒風景だ。去年、祖母であるお婆ちゃんが亡くなってからはずっとそのように過ごしてきた。

 その光景に特にこれといった劇的な変化はない。

 

 強いて違いを上げるとするならば——

 

「それで……今日もなんだけど、友達が動画で見たって、言ってたよ!?」

「見たって……何を?」

「何をって……妖怪だよ、妖怪!!」

 

 ここ最近になって、瑞生が『妖怪』の話題を嬉々として語るようになったことだろうか。

 

「久佐子ちゃんがね、河原で緑色で、頭に皿乗せてた奴が歩いてる動画をスマホで見せてくれたんだ。ひょっとして河童じゃないかって、他のみんなも大騒ぎだったんだ! はははっ!!」

「そう……最近多いわね。うちの学校でも、結構話題になってるのよね……」

 

 静流も中学校の同級生たちが話していた内容を思い返し、複雑そうに呟く。

 そう、それらは最近何かと話題に上げられる妖怪の噂。近年になって急速に増えつつある怪異の目撃情報の多くだ。

 

 ちょっと前までは、誰も妖怪の存在など信じていなかったというのに、今では流行のように話題にならない日がないほど。人々の間で日常的な噂話として定着しつつある。

 瑞生はその状態が個人的には嬉しいのかいつも楽しそうに話しているが、静流はどうにも複雑な気持ちを隠せずにいる。

 

 今の人と妖が近しい現状——果たしてそれが『両方にとって』良いことなのかと、少し真剣に悩んでいる。

 

「——瑞生」

 

 すると、楽しそうにお喋りする瑞生に向かい、祖父がジロリと睨みを効かせる。それまで嬉しそうにお喋りを止めようとしなかった瑞生が、ゴクリと祖父の眼光に緊張して無言になる。

 大人しくなった彼女へ、祖父は静かに語りかけていた。

 

「おめぇ……自分の『体質』について周りに喋ってねぇだろうな?」

「う、うん……言ってないよ」

「そうか、ならいい。あんまり調子に乗ってうっかり口を滑らすんじゃねぇぞ?」

 

 祖父はさらに念を押すよう、浮かれる瑞生に釘を刺していく。

 

「確かに、最近の連中は活発に動いとる。普通の人間にも奴らの姿が見えるようになっちまうのも仕方がねぇ。だがな……周りが見えるようになったからと言って——おめぇが『憑かれやすい』体質だってことに変わりはねぇんだ」

「……」

 

 祖父の言葉に押し黙る瑞生。祖父はさらに姉の静流にも、ついでとばかりに話の矛先を向ける。

 

「静流、おめぇもだ」

「えっ?」

「おめぇは他の連中が見えないものまで見えちまう、『見えやすい』ってことに変わりはねぇ。周りに見えているものと、おめぇが見ているもの。それが同じとも限らんということだ。言動には注意しろよ、下手に目立っちまうからな……」

 

 

 妖怪たちの動きが活発になり、人々の注目を集めるようになってから現代人の意識は確かに変化している。以前までは見えもしない存在など、人々はいないものとして扱ってきた。

 だが見えるようになったことで、人々は妖怪などの怪異を——『良いもの』『悪いもの』を別として認識するようになっていったのだ。

 

 もっとも、世の中の風潮がなんであれ、檜原家の——静流と瑞生の怪異に対する認識に変わりはない。

 何故なら彼女たちは世間が騒ぎ出すずっと以前から、常に怪異との関係を余儀なくされてきたからだ。

 

 姉である静流にとっては『見鬼(けんき)』、見えるものとして——

 妹である瑞生にとっては『憑巫(よりまし)』、憑かれるものとして——

 

 それぞれ違った『霊的体質』によって様々な体験を経てきた。それこそ、物心ついた頃からである。

 そう、彼女たちにとって怪異などの存在は特別ではない。そこにいて当たり前のものでもあったのだ。

 

 

「まったく……どいつもこいつも悪戯に騒ぎやがって……」

 

 それは姉妹の祖父であるこの老人も同じだ。

 元を辿れば、静流たちの霊感体質も祖父の血筋から受け継いだもの。彼は今でこそほとんど引退している身だが、昔は『拝み屋』として活動し、多くの怪異、妖異と接してきた。

 静流たちが親元を離れてこの祖父の元で暮らすことになったのも、彼のそういった経験。怪異に対する正しい対処方法、知識を学ぶためでもあった。将来的に静流や瑞生が一人でも怪異に対処できるよう、孫たちの自立、成長をこの祖父はいつも促してきた。

 

「迂闊に触れては、それこそ取り返しのつかないことになっちまうだろうに……」

 

 しかし、そんな経験豊富な祖父から言わせるのであれば——そういった怪異たちに対する一番の対処法は『極力関わらないよう、距離を置くこと』である。

 見えてしまっても放っておく、取り憑かれないようそういった『出やすい』雰囲気の場所には近寄らない。

 それが祖父がこれまでの人生で培ってきた、人ならざるものたちへの処世術である。

 

 だからこそ——この祖父にとって、今の世の中の流れは実に苦々しいものであった。

 

「まったく、ネット社会ってやつは情報の広がりが早すぎる……」

 

 また昔と違い、今の時代はSNSやら、動画配信やらのせいで情報の拡散が恐ろしいくらいに早い。祖父の頃は口伝やら書物が基本であったため、そこまで噂になる方が珍しかったのだが。

 そういった時代の変化も、現状を祖父が望まぬような方向へと動かしている。

 

「これも時代か、年寄りにはついて行けんよ……なあ、婆さん?」

 

 否が応でも時代というものを感じさせられ、この祖父にしては珍しく弱気な発言。

 居間に設置されている仏壇に目を向け、先立たれた妻へと軽く愚痴を溢していた。

 

 

 その日の夜。

 

 

「——瑞生、そろそろ寝なさい! わたしもそろそろ寝るから!!」

「——は~い!」

 

 一家の団欒も終え、各自が思い思いの時間を過ごす就寝前。

 受験勉強に集中していた静流が、ふと時計の針に目をやったところ、もう結構な時間が経っていた。居間でTVに夢中になっていた妹に早く寝るよう声を掛け、自身もそろそろ就寝すべく用を足しに廊下へと出ていた。

 

「……あれ? お爺ちゃん、また誰かと電話してる……」

 

 すると、そこには夕飯前のように誰かと電話をしている祖父の姿があった。

 こんな夜更けに珍しいなと、不思議に思いながらも特に気にかけるようなこともなかったのだが——

 

「——おう、静流か……ちょうどええ」

 

 ちょうど電話を終えたのか祖父の方から声を掛けてきた。自分に用向きがあるらしく、静流は話を聞くために足を止めた。

 

「今週末、予定を開けとけ。少し遠出になるが出かけるぞ」

「いいけど……出かけるって、どこに?」

「東京だ」

「えっ!? 東京!!」

 

 その話に瑞生が興奮気味に割って入ってくる。

 

「わたし、東京行くなら渋谷とか原宿とか行ってみたい!!」

 

 ずっと田舎暮らしだからか、大都会への憧れを口にしてきた。

 だが、そんな孫娘の言葉に呆れ気味に祖父が首を振る。

 

「東京つっても山ん中だ……都会なんざ、今のお前たちを連れて行けるわけなかろうが」

「え~!!」

 

 祖父の反対意見にぶうたれる瑞生だが、こればっかりは仕方がない。

 

 怪異というやつは、山の中や田舎の方が多いイメージがあるかもしれないが、実のところ、都会などの人が多く賑わっている場所の方が凶悪で、危険な性質のものが多く跋扈している。人の欲望や情念に引き寄せられて集まってくる傾向が強いからである。

 そのため、静流や瑞生には都会での生活は刺激が強すぎる。少なくとも、未熟な今のままでは無理だ。祖父が二人を自身が暮らす穏やかな農村部で預かっているのも、それが理由の一つだったりする。

 

「本当なら、日吉さんとこにお前たちを預けたいんだが……留守みてえだからな。仕方ねぇから付いて来い」

 

 本来、祖父がこういった遠出をする場合はお隣さんである日吉家の人たちに孫を預けるのだが、生憎と家族揃っての旅行で家を空けているとのこと。

 止むを得ず、祖父は孫娘たちを連れて東京の——『依頼人』に会うために出かけるとのことだ。

 

「依頼って……拝み屋の仕事? けど……昔馴染み以外は引き受けてないって……」

 

 祖父の話に静流が首を傾げる。

 拝み屋として既に引退しかけている祖父は昔ほど精力的には活動しておらず、除霊仕事なども知り合いの間でしか行っていない。静流たちが知る限り、今回のように山の中とはいえ、東京へ出かけるなどといった話は初めての筈だ。

 すると、静流の疑問に祖父は——

 

「昔馴染みさ。随分と昔に……会ったきりになっちまったがな……」

 

 彼にしては珍しい、どこか感傷的な面持ちで遠い目をしている。

 

「……?」

 

 そんな祖父の態度に益々疑問を深める静流だったが、瑞生の方は彼の様子にあまり違和感を覚えていないのか。

 

「ふ~ん……それで? 東京のどこに行くって?」

 

 彼女は祖父に興味なさげに目的地について問い掛ける。

 孫娘のその質問に、祖父の方も特に気負うことなく答えていた。

 

 

 

「——オベべ沼ってとこだ。噂じゃ、かわうそって妖怪が出るらしいが……まあ、騙されんように気を付ければ問題ねぇだろ」

 

 

 

×

 

 

 

 檜原家がオベべ沼への訪問を決めていた、まさにその頃。

 

「——ふん~ふふ~ん♪ 明日は猫姉さんとショッピング……週末は一年ぶりの別荘、楽しみだな!!」

 

 日本の首都。東京都調布市に住む女子中学生・犬山まなもまた、オベべ沼にある別荘への小旅行を楽しみにしていた。

 現在、中学二年生である彼女はまだまだ受験勉強に本腰を入れる時期ではなく、純粋に今年の夏休みが楽しみな年頃。明日は大好きな猫姉さんと買い物、週末は家族と別荘へと。日々のスケジュールが嬉しい意味で埋まっている毎日だ。

 自室でスマホを弄りながら、明日の予定を確認しつつもそろそろ寝ようかなと、まなは就寝の準備に入ろうとしていた。

 すると——

 

「まな……まだ起きてる? ちょっといいかしら?」

「お母さん? どうしたの、こんな時間に?」

 

 部屋の扉をノックし、母親である純子がまなに声を掛けてきた。

 夜も深いこんな時間に母親が自分のところまで来るのが珍しかったため少し驚くも、まなは特に疑問を抱くことなく母を部屋まで招き入れる。

 

「ごめんね、こんな時間に。ちょっと……話しておきたいことがあって」

「別にいいけど、なになに? 話って?」

 

 純子は改まった態度で近くにあった椅子に座り込み、まなはベッドから身を起こして話を聞く態勢になる。純子はやや躊躇いを見せつつも、まなに向かって今週末の予定について話していく。

 

「週末の別荘についてなんだけど、お客さんを呼びたいと思ってるのよ……」

「お客さんって……誰を呼ぶの?」

 

 まなの記憶にある限り、家族水入らずで過ごす犬山家の別荘に人を招くというのは初めての話である。

 そのことを特に不快に感じはしなかったが、いったい誰を呼ぶのかと当然のように疑問を抱くまな。

 

 すると、純子は少し悪戯っぽく微笑みながら——まながまったく予想していなかったことを口にする。

 

「招待するのは……貴方のお友達よ、まな」

「……へっ?」

 

 母親の言葉に思わず呆気にとられるまな。さらに純子はまなにとって予想外の言葉を送る。

 

「ほら、いつか話してくれてたじゃない? 猫姉さん……って、貴方のお友達なんでしょ? その人たちをうちの別荘にお呼びしようと思うの」

「え……ええぇええええ!? ね、猫姉さんを!?」

「ええ、いつもまながお世話になってる方たちなんでしょ? 鬼太郎さんにも、ちゃんと挨拶しておきたいな……って思ってたところなんだけど、どう?」

 

 確かに、まなは両親の前で大好きな猫姉さんの話をそれとなく話題に上げたこともあるが、まさか純子の方からそんな話を振ってくるとは思わず、あまりにも急すぎる話に面食らう。

 けれども——

 

「う、うん!! わたしは全然構わないよ!!」

 

 まなとしては問題ない。それどころか嬉しい話である。

 今までは機会がなかったため、猫娘やゲゲゲの鬼太郎を両親に紹介することもなかったが、まなとしては両親に彼らのことを知っておいてもらいたいと思っていた。

 彼ら——妖怪のこと。知って仲良くなって欲しいと、鬼太郎たちと良き隣人関係を築いてもらえるのなら素直に嬉しいと思った。

 

「それじゃあ……明日猫姉さんと買い物に行くし、そのときにでも誘ってみるね!!」

 

 早速、明日お出かけするときにでも誘ってみると、笑顔で母親に報告する。

 

「!! そう、明日も会うの……本当に、仲が良いのね……」

 

 そのとき、まなの話を聞いた純子が驚き、少し複雑そうな表情になっていた。だがそれも一瞬、すぐに笑顔を浮かべ直す。

 浮かれ気分だったまなは、母親のそんな微妙な変化に気づくことがなく。

 

「それじゃ、まな……おやすみなさい」

「うん! おやすみ!!」

 

 

 そのまま、微笑んだまま純子はまなの部屋を立ち去っていく。

 

 

「……いや~、まさかお母さんたちから会いたいなんて言ってくれるなんて……ちょっとビックリしたけど、楽しみだな!!」

 

 母親が退室し、すぐにまなは浮かれた調子でそのようなことを呟く。

 大好きな両親と、大好きな妖怪たちが仲良くなってくれる。そんな光景を思い浮かべ、さらにテンションが昂るまな。興奮しすぎて「今からちゃんと眠れるかな……!」と、遠足前の眠れぬ夜を過ごすような子供の気分で布団を被った。

 明日も早いしそろそろ寝るかと部屋の明かりを消し、目を瞑って眠る態勢に入り——

 

 そこでふと、何でもない疑問がまなの脳裏に浮かび上がる。

 

 

「——あれ? わたし……鬼太郎のことまで、お母さんに話したことあったっけ……?」

 

 

 小さな疑問であったため、特にそれ以上深く考え込むこともなく。

 

 

 まなはそのまま、意識を夢の世界へ旅立たせていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

「純子さん……どうだった?」

 

 まなが寝静まった頃、リビングでは純子とまなの父親・裕一がやや沈痛な表情で顔を合わせていた。娘が起きないようにと二人は声を忍ばせ、夫婦として、まなの親として話し合う。

 

「誘ってみるって……嬉しそうにしてたわ」

「……そっか」

 

 先ほど、純子の方から話した『鬼太郎たちに挨拶しておきたい』という提案。娘の方は特に不信感を抱くことなく、嬉しそうに快諾してくれたようだ。

 あとは相手方次第にはなるが、これで鬼太郎たちが今週末、あの別荘へとやって来ることになる。

 

「大丈夫だよ、純子さん、まななら。君を責めたりはしない……きっと許してくれるさ」

「……あの子は……何も知らなかったのよ。それを……私は……」

 

 二人は何か真剣な悩みを話し込んでいるのか。落ち込み気味の純子を、裕一が慰めている。

 それは犬山家ではわりと珍しい光景だ。基本的にこの家は『母は強し』『かかあ天下』な側面が強く、弱気な夫を勝気な純子が引っ張っていくような関係にあった。

 だからこそ——『涙ぐむ妻をいつも弱気な夫が慰めている』。

 そんなあべこべな光景をまなが目撃していたのなら、きっと驚いて心配してしまうだろう。

 

 娘をそんな不安な気持ちにはさせたくないと、純子はまなの前では気丈にも笑顔で振る舞っていた。

 けど、今だって純子は不安で押し潰されそうな気持ちでいっぱいだ。そんな妻を支えようと、裕一が明るく元気付けるように声を掛ける。

 

「大丈夫さ! 子供の成長は早いって言うし。まなは……ボクたちが思っているより、ずっと強い子だよ。あの子を……信じよう!」

「ええ……そうね、あなた」

 

 その言葉で勇気づけられたのか、純子も多少は元気を取り戻し、夫に対して心からの微笑みを浮かべる。

 

 純子のその笑顔に安堵する裕一。

 彼はふいに、過去を懐かしむ口調でその名前を口にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——檜原さんか……あの方に最後に会ったのは……沢田の御婆様のお葬式の日以来だね……」

 

 

 

×

 

 

 

「——指鉄砲!」

「——ぎゃあ!?」

 

 真昼間。太陽が照りつける炎天下の中、ゲゲゲの鬼太郎の指鉄砲が炸裂し、人間に悪さを働こうとしていた妖怪『通り悪魔』を吹き飛ばす。

 

 通り悪魔とは——人間に取り憑き、その人の心を乱して悪事を唆すと言われる妖怪である。

 通り悪魔に憑依された人間は恐ろしい殺人鬼に変貌するとも、自ら命を絶ってしまうとも言われている。『通り魔』の語源とも呼ばれ、江戸時代などでは無差別殺人や、乱心騒ぎなどの元凶ともされている恐ろしい怪異である。

 伝承において決まった形がないともされているが、一説によると白い襦袢(じゅばん)と呼ばれる和服を纏う、奇怪な白髪の老人とも言われている。

 実際、鬼太郎が遭遇した通り悪魔は老人の姿をしており、その手に槍を握りしめ、自分の邪魔をする鬼太郎へと襲い掛かってきた。

 幸い本体の戦闘力は大して高くなかったため、鬼太郎はその妖異を難なく撃退することができたが。

 

「ゲゲゲの鬼太郎ぅうう~! よくも儂の邪魔をぉおお~!」

 

 しかし大分手加減したためか、通り悪魔は満身創痍に疲弊しつつ、鬼太郎へと怨嗟の視線を向けてくる。

 

「人間なんざの味方をしおってぇええ~! この妖怪の恥さらしが!!」

「……大人しくしろ、通り悪魔。これ以上人に危害を加えないと約束するなら……ボクもキミを傷つけたりはしない」

 

 鬼太郎は通り悪魔の罵倒を表面上は涼しい顔で受け流しつつ、相手が大人しく退散するなら見逃すと忠告まで入れる。

 ところが、通り悪魔は鬼太郎の言い分を鼻で笑い飛ばした。

 

「ふん! 妖怪が人間に悪さをして何が悪い!? 大体、儂が取り憑こうが取り憑くまいが……人は結局のところ悪に走るのだぁああ~。儂はただきっかけを与えてやってるに過ぎんのだぞ!? 何故それが理解できん!!」

 

 通り悪魔が主張する通り、人間は彼に取り憑かれなくとも凶悪な犯罪を毎日のように起こしている。

 このご時世、通り悪魔のせいで悪さを働く人間などほとんどいない。

 

 人は——人の意思で犯罪を起こし、他者を殺め、自らの命すらも己の意思で容易く投げ打つのである。

 

「だが、それでお前の行為が正当化されるわけじゃない。大人しく引き下がれ……でないと!!」

 

 鬼太郎もそれは理解しているため、相手の言葉を真っ向から否定はしない。しかし、今回の一件は明らかに通り悪魔が元凶である。彼への敵意を緩めるつもりはなく、厳しい口調で問い詰めていく。

 

「ちっ!! これで勝ったと思うなよぉおお~、いずれ思い知らせてくれる!」

 

 鬼太郎の迫力に圧されたのか。通り悪魔は負け惜しみを口にしつつ、その場から大人しく撤退していく。

 

 

 しかしこれぽっちも反省した様子がなく、またいつ現れるか油断できないような口ぶりでもあった。 

 

 

 

 

 

 

「——ただいま戻りました、父さん」

「うむ、ご苦労じゃったな、鬼太郎」

 

 ゲゲゲハウスへと帰ってきた鬼太郎。彼は父親である目玉おやじに今回の依頼について報告していた。

 

 今回、手紙で助けを求めてきたのは若い人間の女性だった。

 どうやら騒ぎの元凶であった通り悪魔は彼女の周囲でたびたび問題を起こし、それに危機感を抱いたその女性の母親が妖怪ポストに手紙を出し、鬼太郎に助けを求めてきたとのこと。

 母親の心配は見事に的中し、ついに通り悪魔は女性に取り憑き、その手で母親を殺めさせようとしていた寸前だった。

 間一髪のところで鬼太郎の助けが間に合い、母娘ともに無事だった。しかし肝心の通り悪魔を取り逃し、またいつ悪さを働くかわからないような雰囲気でもある。

 

「とりあえず、一反木綿とぬりかべにお願いして、しばらく様子を見ることにしました。あの二人なら、通り悪魔に遅れをとることはないと思います」

 

 そのためしばらくの間、依頼人には一反木綿とぬりかべの護衛を残してきたと鬼太郎は父に報告を入れる。二人とも、特に一反木綿は依頼主の母娘が美人だったこともあり、喜んでその頼みを引き受けてくれた。

 通り悪魔の直接的な戦闘力はそれほど高くない。あの二人がいれば大丈夫だろうと、一息入れる鬼太郎。

 

「けっ! ただ働きでそこまで面倒みてやるとは……毎度毎度ご苦労なこった!」

 

 その鬼太郎に対し、いつものようにねずみ男が悪態をつく。毎回ただ働きをしてくる鬼太郎に不満がある様子で、その場に寝っ転がって鼻糞をほじくっている。天敵である猫娘が留守にしているせいか、いつにもまして横柄な態度だ。

 

「ふん! お前さんと一緒にするでないわい。ご苦労じゃったな、鬼太郎。酒でも飲むか?」

 

 そんなねずみ男の性根と態度をだらしがないと説教くさい口調になりつつ、子泣き爺が鬼太郎に労いの酒を振る舞おうとしていた。こっちもこっちで昼間から酒を飲んだくれており、かなりだらしがない。

 

「こりゃ、子泣き! ねずみ男!! お前たち、いい加減にせんとチューするぞ!!」

「い、いや、それは勘弁じゃ!!」

「ひぃ!!」

 

 そんな男衆を、砂かけババアはお決まりの口癖で脅しつける。彼女にチューされては敵わんと、二人は揃って砂かけババアから距離を置いていく。

 

「ははは……」

 

 ここまではいつもの光景、いつもの流れだ。仲間たちと過ごす穏やかな日常に、鬼太郎も笑みを溢していた。

 

 だが——

 

 

「——ふん!! 話に聞いていた通りだな、ゲゲゲの鬼太郎!! いいように人間に使われおって情けないやつだ!!」

 

 

 そこへ見知らぬ声が響き渡る。

 馴染みの顔ぶれが揃ったゲゲゲハウスに見知らぬ相手——イタチらしき小動物がさも当然のように机の上でふんぞり返っている。

 編み笠を被ったそのイタチは、酷く気に入らない様子でゲゲゲの鬼太郎へと眼を飛ばしてきた。

 

「まったく、貴様には妖怪としての誇りがないのか!! 恥を知れ、恥を!!」

「……え~と……キミはいったい?」

 

 通り悪魔と似たようなことを言われて少し辟易する鬼太郎だったが、すぐに彼が何者なのかと問い掛ける。

 

「ああ、こやつは鎌鼬じゃよ、鬼太郎。ワシの昔馴染みじゃ」

 

 鬼太郎の疑問に答えたのは砂かけババアだった。彼女はそのイタチが『鎌鼬(かまいたち)』という妖怪で、自分の知り合いであることを紹介する。

 

 

 カマイタチ——以前もそれと同じ名前を持つ妖怪と鬼太郎たちは戦ったことがある。妖怪城を使って人間の妖怪化を企んだ一味、たんたん坊に、二口女。そして、かまいたちである。

 だがその『かまいたち』と『鎌鼬』は別個の個体であり、種族としてもだいぶ違いがあるとのこと。

 元々『カマイタチ』という単語はとある現象を指す言葉である。突如巻き起こった風により、皮膚があたかも刃物で斬られたかのように傷つくことだ。

 これには様々な俗説があり、昔の人はこれを超常的な自然現象による説や、鎌を携えたイタチの仕業と称したり色々と考察をした。

 

 その結果、まったく別種の妖怪でありながらも、同じ『カマイタチ』という名前で呼ばれる妖怪が出てくるようになったのだ。

 

 妖怪城の『かまいたち』は自然現象の方から派生した妖怪であり、イタチの姿をしてはいない。

 しかし、こちらのカマイタチは、動物の仕業という伝承から派生し、『鎌鼬』と呼ばれるようになった。

 同じ呼び名、似たような能力を持つものの両者はまったくの別物。お互いこれといって交友関係はないそうだ。

 

 

「旅の途中にフラッと立ち寄ったらしくてな……まあ、口は悪いが根は良いやつじゃ、ワシが保証しよう」

 

 先ほどから、ずっと憎まれ口を叩く鎌鼬をフォローするように砂かけババアが鬼太郎にそっと耳打ちする。面倒見の良い彼女がそういうのであれば大丈夫なのだろうと、鬼太郎もとりあえず腰をおろす。

 しかし座り込んだ鬼太郎へ、さらに鎌鼬は生意気な口調で罵声を浴びせていく。

 

「聞いとるぞ、ゲゲゲの鬼太郎! 貴様最近じゃ、人間のガキと特に仲良くしておるそうじゃないか!!」

「……まなのことか?」

 

 人間の子供。心当たりのある人物と言ったら犬山まなしか思い浮かばない。

 

「名前なんざどうでもいい! まったく……人間の、しかもガキなんぞと馴れ合いおって! 貴様には妖怪としての尊厳が——」

 

 鎌鼬はさらに不機嫌そうに、鬼太郎へと小言をぶつぶつと呟いていく。

 

「——なに言ってんでさー、兄貴」

 

 しかしその言葉を途中で遮るよう、一陣の風と共にゲゲゲハウスにもう一匹の鎌鼬が姿を現す。先に顔を見せていた厳めしい表情のイタチとは別に、こちらはなんとも呑気そうな顔立ちをしている。

 

「兄貴だって、随分前に人間の女の子の面倒を見ていた時期があるじゃないだか~」

「ばっ! 余計なことを言うな! 子分の分際で!!」

「あ、痛っ! 痛いっすよ、兄貴!」

 

 二匹のイタチは兄貴分に弟分という関係らしく、余計なことを口走った子分に兄貴であるイタチが容赦なく拳でど突く。すると、その子分の言葉に茶を啜っていた砂かけババアが口を開いた。

 

「ほう、人間嫌いのお前さんがのう。随分と珍しいこともあるもんじゃ……」

 

 彼女はその鎌鼬が人間を毛嫌いしていることをよく知っていた。そのため、彼が人間の女の子と関わりを持っていたことがよほど意外だったのか、目を丸くして驚く。

 

「ふ、ふん……昔の話だ! とっくに縁切りも済ませた。今更、あんな小娘になど何の用もないわ……」

 

 突っぱねた口調ではあるものの、イタチはどことなく寂しげな表情だ。

 何か思うところでもあるのか。どこか遠い目で、その女の子と過ごした日々を懐かしんでいる様子を見せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「——鬼太郎、ちょっといい……って、なに、こいつら? イタチ?」

 

 それから——しばらくした夕暮れ時。猫娘がゲゲゲハウスへと戻ってきた。

 彼女は今日一日、まなに付き合っていたらしく、女性同士でショッピングを楽しんでいたのだが——

 

「どうかしたのか、猫娘?」

 

 帰ってきた猫娘が浮かない表情をしていたことが気にかかり、鬼太郎が彼女に声を掛ける。

 猫娘は多少躊躇いつつも、自身の要件を鬼太郎へと伝えていく。

 

「鬼太郎、今週末なんだけど……予定空いている?」

「週末? 今のところ、急ぎの依頼は来てないけど……」

 

 通り悪魔の件以外は特にこれといった用事もないため、鬼太郎はそのように答えた。

 

「実は……まなから別荘まで遊びに来てくれないかって誘われてるのよ」

「別荘……?」

「ほら! 去年、オベベ沼であの子と出くわしたじゃない? かわうそもいたあの沼よ」

「ああ、あそこか……」

 

 去年、猫娘と鬼太郎はオベベ沼に住む、かわうそという妖怪に遭遇した。

 猫娘はそのかわうそに育てた野菜を騙し取られたり、鬼太郎に恥ずかしい格好を見られたりと色々と大変な目にあったのだが。

 結果として、かわうそという新しい仲間をゲゲゲの森へと招くことになり、話は丸く収まった。

 

「あの沼の辺りに犬山家の別荘があるらしくてね。まなのお母さんが、そこで私たちに挨拶をしたいって言ってきてるらしいのよ……」

「なんじゃと!? それは本当か、猫娘よ!?」

 

 その話に目玉おやじが誰よりも反応する。

 いつも仲良くしている人間の女の子・犬山まな。その子の母親が保護者として自分たちに挨拶をしたいと言ってきているのだ。

 同じ鬼太郎の保護者という立場上、目玉おやじも何かしらの共感を得たのだろう。

 

「それで……どうかしら? まなのご両親に……その、会ってみる?」

「そ、そうだな…………父さん、どうしましょうか?」

 

 しかし猫娘が戸惑っているように、鬼太郎もどうすればいいか分からずに困惑する。

 

 妖怪である自分たちが、人間の家族に挨拶をする。

 それも依頼ではない、友人の両親にだ。

 

 

 それは鬼太郎たちにとって初めての体験であり、彼らもどうすべきかと返答に困ることになっていた。

 

 

 




人物紹介
 
 檜原瑞生
  姉妹の妹。アニメ本編だと小学五年生ですが、本作では六年生になっております。
  怪異に憑依されやすい体質の持ち主。基本、怪異の姿を見ることはできない。
  少しそそっかしく、子供特有のわがままな一面もありますが……まあ小学生だし。
  
 檜原静流
  姉妹の姉。アニメ本編だと中学二年生ですが、本作では中三と受験生に。
  怪異を見ることのできる体質の持ち主。そのせいで、色々心配事を抱えるタイプ。
  優しい思いやりのある姉。
  もっけという物語は、基本この姉妹が中心となって話が進んでいきます。

 檜原の爺さん
  瑞生と静流の祖父。名称は不明。
  特異な体質である姉妹を預かる、拝み屋の老人。ただ高齢のため、現在はほぼ引退している。
  作品の特徴上、直接的なバトルシーンなどはありませんが、それでもかなりの実力を秘めているのではと、そう思わせるだけの貫禄がある。
  アニメ第三話『オクリモノ』での怪異への対応……マジでカッコいい。
  こういう年の取り方をしてみたいものです……。

 鎌鼬
  アニメ本編、第十話の『カマイタチ』での主役怪異。
  みんなが知っているであろう、カマイタチの妖怪。
  口では憎まれ口を叩くものの、面倒見がよく子分に慕われている漢。
  今作でも、その漢ぶりを遺憾なく発揮してもらいたいと思ってます。

 通り悪魔
  こちらは厳密にはもっけのキャラではありませんが、実際の伝承にある妖怪。
  通り魔の語源とされており、江戸時代などの記録にその伝承が記されている。


 さて、ここまで読んでもらっていかがだったでしょうか?
 本作の内容は、鬼太郎六期の話の根幹に関わってきますので、もしよろしければ次回の投稿までにもう一回、鬼太郎本編を見直してみてください。
 特に……『名無し』関連について。
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

もっけ 其の②

FGO、ついに『虚数大海戦イマジナリ・スクランブル~ノーチラス~浮上せよ』が開催されました!!
ネモの実装は予想してましたが、まさかゴッホが登場することになるとは……。
それにしても、刑部姫の扱いがひどい(笑)!! 彼女がソナー代わりに射出されるたび、口元が愉悦に歪んでしまうぞ!!

さて、もっけの二話ということで。
唐突ですが、今回は前書きの方に自分が好きなもっけのエピソード・ベスト3を書かせてもらいたいと思います。
もっけは人によって好みのエピソードが違うと思います。皆さんの方でも、感想欄の方などで好きな話など、教えてもらえれば色々と参考になるかと。

以下が作者の好きなエピソード3つでございます。(アニメ基準)

・アニメ第3話  「オクリモノ」
・アニメ第11話 「ダイマナコ」
・アニメ第22話 「イナバヤマ」



「……父さん、本当にどうしましょうか?」

「うーむ、そうじゃな…………」

「…………」

 

 太陽が沈み、夜に包まれる妖怪たちの領域・ゲゲゲの森。

 文明的な光など届かぬ場所であるため、微かに灯る行燈の光だけがゲゲゲハウスの室内を優しく照らしている。

 

「確かに一度は会って挨拶するのが礼儀というもんじゃが……」

「ワシは別に構わんぞい。のう、砂かけ?」

 

 夜は妖怪が活発に活動するとはいえ、さすがにこの時間帯。

 いつもであれば家の中は鬼太郎と目玉おやじの二人になることが多い。しかし、この日に限って猫娘や砂かけババア、子泣き爺。慣れ親しんだ面子が未だにこの場所に留まり、みんなして頭を悩ませていた。

 

 彼らが雁首揃えて首を傾げていたのは、人間の友人であるまなの——彼女の両親の招待に応じるかということだ。

 彼女の母親と父親、犬山純子と犬山裕一の『一度会って挨拶をしたい』という呼び掛けに、自分たち妖怪がどのように対応すべきかということであった。

 

「依頼だったら、こんなに悩むこともないんだが……」

 

 鬼太郎がボソッと呟くよう、もしもこれが依頼人からの要請であれば、頼みを引き受けるかどうかである程度割り切った答えを出していた。

 しかし依頼ではなく、プライベードでの誘いだからこそ、鬼太郎たちはここまで悩みに悩んでいた。

 

 友人の両親からの、言うなれば遊びに来てくれないかという誘い。

 基本は『依頼』という形で人間と関わってきた鬼太郎たちにとって、それは滅多にない機会だ。

 その機会にどのような返答を出すべきかと——未だに答えを決めかねている一同。

 

「……そもそもな話、あの子の御両親はワシらが妖怪であることを知っておるのかのう?」

「うむ、それも問題じゃな」

 

 目玉おやじの疑問に砂かけババアが同意するよう、確かにそこにも疑問の余地があった。

 

 そもそも、この誘いはどういった意図があるのだろうか?

 

 猫娘がまなから聞いた話では鬼太郎たちのことを妖怪だと、彼女から両親に直接話したことはないそうだ。偶に世間話のノリで、猫娘の話題にチラッと触れるだけだと。その際も『仲の良い友達』として当たり障りがなく語るだけだという。

 

「……普通に動画サイトとか見てれば、知る機会はあると思うけど……」

「そうじゃのう……境港の庄司さんから、間接的にワシらのことを聞いたのかもしれん」

 

 だが、まなが喋っていなくとも、自分たちが妖怪だと知る機会はいくつかある。

 姑獲鳥騒動の際、ゲゲゲの鬼太郎が活躍した動画が未だにネット上に残っている。また、まなの父方の親戚である境港の伯父・庄司やその妻のリエなど。鬼太郎たちと面識のある親族から話を聞いたのかもしれない。

 もしそうなら、鬼太郎たちが妖怪だと知った上で、犬山夫妻は自分たちに声を掛けたことになる。

   

 果たして、その真意はどこにあるのだろう。

 

「ワシらは遠慮しておこう、子泣きよ。あまり大勢で押しかけても迷惑じゃろうしな……」

「そうか? まっ、それもそうじゃのう」

 

 いずれにせよ、砂かけババアは今回の訪問、自分たちは遠慮しておこうと子泣き爺と共に辞退することにした。

 招待先の別荘とやらもそこまで大きいモノではないと聞くし、流石に大人数ともなればもてなす方も大変だろう。

 行くのならば鬼太郎や目玉おやじ。まなと特に仲の良い猫娘だけで十分だと判断した。

 

「何かあれば連絡をくれ。すぐに駆けつけるぞ」

 

 一応、問題があったときのためにいつでも準備はしておくと。

 とりあえず今日のところは解散。砂かけババアと子泣き爺の二人がゲゲゲハウスを後にしていく。

 

 

 

 

「猫娘……どうかしたのか?」

「えっ……!?」

 

 二人の仲間が立ち去って暫く沈黙が続き、不意に鬼太郎が猫娘に声を掛けた。

 鈍感な鬼太郎にしては珍しく、猫娘の異変に勘付いてのことである。

 

「さっきから、ずっとだんまりだけど……」

 

 そう、この話を直接まなから聞いてきた猫娘。彼女が先ほどからずっと黙ったまま、ほとんど何も喋っていないのだ。

 まなが猫姉さんと慕っているように、一番まなと仲が良いのは猫娘だ。その彼女が今回の話題に、ほとんど参加せず、皆の意見を聞く側に回っていた。

 本来であればもっと積極的に。それこそ、この誘いを受けるかどうかを彼女が決めてもいいほどだろうに。

 

「確かに……何か心配事でもあるのか、猫娘よ?」

「…………」

 

 息子に言われて、初めてそのことに気づいた目玉おやじも猫娘の調子を気遣う。

 二人の視線に猫娘は居心地悪気に押し黙るも、やがて観念したかのように自身の胸中を語っていく。

 

「……まなには悪いけど……私はこの話、断ろうと思ってるのよ」

「!? なんじゃと……」

 

 その発言を意外に思ったのか、目玉おやじがその目玉をパチクリさせる。他の誰が反対意見を出しても、てっきり彼女だけは招待を受けると思っていただけに、その驚きは当然のものだっただろう。

 しかし——猫娘がそう言うのも、色々と事情があったりするのだ。

 

「……だって私……まだあの人に……純子さんに謝っていないのよ……『あの時』のこと……」

「——!!」

 

 いつも勝気な猫娘にしてはしおらしい態度。それもその筈、猫娘は彼女に——犬山まなの母親である純子に対し、一つの『罪』を犯してしまったのだ。その償いを猫娘は未だに成し得ていない。

 

「あれは猫娘のせいじゃない!!」

 

 猫娘の心配がなんなのかを察し、鬼太郎が必死になって彼女を弁護する。

 あれは猫娘のせいではないと。あの出来事、『名無し』の計略の一環で起こってしまった、あの不慮の事故について——。

 

 

 数ヶ月前のことだ。名無しと呼ばれていた水子の霊にまつわる事件に関し、猫娘は一つのミスを犯した。

 

 それは犬山まなの——友人の大切な母親である純子を傷つけ、瀕死の重傷に追い込んでしまったということだ。

 

 それは鬼太郎が叫んだように、決して猫娘に非があるわけではない。

 彼女は名無しの企み、その秘密を調べるにあたり、かの者が隠れ蓑にしていたオメガという会社に潜入した。その際に謎の妖怪に襲撃を受け、それを返り討ちにしただけのことである。

 

 だが、その妖怪の正体こそが——名無しに洗脳されてしまった、犬山純子だった。

 

 猫娘は純子が人間だということに、まなの母親だということに気づかずに重傷を負わせてしまったのだ。

 

 

「……どんな言い訳をしようと、私があの人を……殺しかけてしまったことは、事実だから……」

 

 あれは名無しの思惑によるものであり、それこそ幾つもの偶然と悪意が重なって起こってしまった『事故』だ。

 しかし、そのことに未だ罪悪感を背負い、猫娘は純子と顔を合わせることを気まずく思っている。

 

「——ならば尚更じゃぞ、猫娘」

 

 すると、そんな弱気な猫娘に目玉おやじが物申す。

 

「お前さんが気にしておると言うのなら、この機会に直接会って、しっかりと謝罪すべきではないかのう?」

 

 その一件において、猫娘に非がないことは彼も承知済み。だが、もしも彼女がいつまでも気にしているのであれば、それこそ一度会って謝っておくべきではないか。

 そうすることで、猫娘の気も晴れるのではないかとそのように提案する。しかし——

 

「…………怖いのよ」

「怖い?」

 

 猫娘の表情は暗いまま、彼女は自分の不安を口にしていく。

 

「もしも……まなのお母さんに拒絶されたら……まなと……あの子とも、今日みたいにショッピングを楽しむなんてことも、できなくなっちゃうかもしれないじゃない……」

「!! 猫娘……」

 

 そこで鬼太郎は察した。猫娘がいったい、何を恐れているのかを——。

 

 もしも、猫娘が過去の過ちを謝罪し、許されるのならそれでいい。

 だがもし、純子がそのことを許さず、彼女を——妖怪である猫娘を拒絶するようなことがあれば、それは犬山家との決別を意味することになるかもしれない。

 極端な話、「娘と今後一切関わるな!」と、そう罵られる可能性だってあるのだ。

 そうなってしまえば、猫娘はまなと——姉妹のように仲の良いあの娘と、気軽に会うことができなくなってしまうかもしれない。

 

 猫娘はそれを恐れ、迂闊に純子と顔を合わせることができなってしまっていた。

 

「……だから……私は……まなのお母さんとは会わない……行くのなら、鬼太郎だけで……」

 

 そうなるくらいならば会わない方がいいと、猫娘は後ろ向きにもこの話を断ろうとしていた。

 だが——

 

「大丈夫だよ、猫娘」

「き、鬼太郎……」

 

 不安げな表情の猫娘へ、鬼太郎が優しく微笑みながら語り掛ける。そんな彼の笑顔に、こんな時でありながらも猫娘はドキッとなる。

 

「あれは君のせいじゃない。まなのお母さんも、お父さんだって……話せばきっと分かってくれる。だから……逃げずに向き合おう。でないと、いつまでもその苦しみを引きずることになってしまう」

「うむ、鬼太郎の言う通りじゃぞ!」

 

 鬼太郎の説得に目玉おやじも加わっていく。

 

「何より、まなちゃんをあそこまで良い子に育ててくれたご両親じゃ! 話せばきっと、わかってくれるじゃろう!!」

 

 鬼太郎たちの友人である犬山まな。彼女は昨今の若者にしては珍しい、正義感が強く、他者の痛みにも共感できる優しい性格の持ち主だ。その気性、好奇心の高さからトラブルに巻き込まれることも多いが、その行動力で救われた人間や妖怪だって沢山いる。

 まなを、あの子をそこまで立派に育ててくれた人たちこそが、彼女の母親と父親である純子と裕一なのだ。

 

 たとえ、自分たちが妖怪だからといって拒絶するような話のわからない人間ではあるまい。

 たとえ、猫娘が純子を傷つけたことが事実でも、その前後関係をしっかりと話せばきっと分かってくれる筈だと。

 

 面識がなくとも目玉おやじは一人の『親』として、その『子供』であるまなの真っ直ぐな在りようから、彼女の両親の人となりをそれとなく察する。

 

「そうね……そうかもしれないわ」

 

 弱気になっていた猫娘も、目玉おやじのその意見に同意して徐々に前向きな気持ちを取り戻す。

 そうだ、まなは妖怪である自分たちにだって分け隔てなく接してくれる少女だ。そんな彼女の親御さんなのだから、きっと立派な人たちに違いないと。

 

「分かった。私も……覚悟を決めることにしたわ!」

 

 猫娘は過去の間違いと向き合う覚悟を決め、犬山家の招待に応じることに決めた。

 まなの両親に会う、会って——しっかりと謝ろうと。

 

「猫娘……ああ、ボクも一緒に行くよ!」

「勿論、わしも行くぞい!!」

 

 鬼太郎も目玉おやじも共に行くことに同意する。

 二人も猫娘が純子に許して貰えるよう、彼女と一緒に頭を下げるつもりだ。

 

 

 こうして、今週末。

 鬼太郎と目玉おやじ。そして猫娘の三人。

 彼らは犬山家の別荘がある——オベベ沼へと向かうこととなったのである。

 

 

 

×

 

 

 

 そして、週末。

 犬山まなが楽しみにしていたその日はあっという間にやってきた。

 

「——着いた!! 久しぶりの別荘だ!!」

 

 都会の喧騒から離れた山の中。

 白いワンピース姿の犬山まなは、一年ぶりの別荘を前に歓声を上げていた。

 毎年、この場所に来るたびに叫び声を上げるのが通例の彼女だが、例年以上に今回の別荘訪問を楽しみにしていた理由がある。

 

 ——今年はここに猫姉さんや鬼太郎たちが来てくれるんだよね~! 楽しみだな~!!

 

 まなは猫娘から『鬼太郎と一緒にお邪魔する』という返信を既にラインで受け取っていた。

 そう、今年はここに大好きな妖怪たちが来てくれるのだ。一応は訪問して挨拶をするだけだと言われたが、もしかしたらそのまま『お泊まり会』なんてものまでしてくれるかもしれないと、まなは昂るテンションを隠しきれない。

 そのテンションの高さから、いつもであればサボり気味な別荘の掃除も手伝おうという気になるものだ。

 

 ところが——

 

「まな、お散歩でも行ってらっしゃい」

「ああ、せっかくの快晴だ! のんびりしてくるといい!!」

 

 掃除を手伝おうとしたまなへ、純子や裕一の方から外で遊んでくるように言ってきた。

 これにまなが目を丸くして驚く。

 

「……えっ? お、お掃除は……やらなくていいの?」

 

 この別荘を利用する際、まずは掃除をするというのが犬山家の決め事だ。まなはそれがめんどくさく、隙を見ては外へ遊びに逃げ出し、母である純子によく怒られたりするのだが。

 

「掃除なら私たちでやっておくから。あなたは……鬼太郎さんたちを迎えに行ってらっしゃい」

 

 お客さんを呼ぶと決めた今年に限って、掃除を自分たちでやっておくと。まなにはお客さんを迎えに行くよう、両親は娘が遊びに出かけるのを笑顔で送り出す。

 

「う、うん……分かった。じゃあ、さっそく猫姉さんに……」

 

 そんな家族の些細な違和感に首を傾げつつ、まなはさっそく猫娘に連絡を取ろうとした。

 

「ああ、まな!!」

 

 すると、咄嗟に大きな声を上げた純子が念を押すようにまなに呼び掛けた。

 

「色々と準備することもあるから……とりあえず、こっちから連絡するまでは、その……ここに来るのを待ってもらえるように伝えておいてくれないかしら?」

「え? ああ、うん……分かったけど……」

 

 準備とは、おそらく掃除のことだろう。

 しかし、どうやらそれ以外にも色々と用意することがあるらしく、実際に鬼太郎たちを呼べるようになるには、ある程度の時間が掛かるとのことだ。

 

「……じゃあ、ちょっとその辺で時間潰してくるね!」

 

 まなはそのことを少し残念に思いながらも、言われた通り外で適当に時間を潰すことにした。

 

 都会っ子の彼女にとってこの辺り一帯の長閑な風景は、ただ漠然と眺めているだけでもそれなりに楽しめる。

 いつもの散歩コースをぐるりと廻って来ようと、うきうき気分で山の散策へと繰り出していく。

 

 

 

 

「…………」

「純子さん、まなは……行ったかい?」

 

 そんな娘の後ろ姿を母である純子が神妙な顔つきで送り出していたことに、まなは最後まで気付くことができずにいた。

 夫である裕一も、まながその場から立ち去ったことを慎重に確認しつつ、純子へと寄り添っていく。

 

「ええ、行ったわ。これで、こっちから連絡があるまでは、あの子も戻ってこないでしょう」

「そっか……それじゃあ、さっそく掃除をして出迎える準備をしなきゃね」

 

 本当ならここで愛娘と一緒に散歩したく、まなの後を追っていただろう裕一が率先して箒を取り出し、掃き掃除を行っていく。

 それは早く別荘を綺麗にし、いつでもお客さんを呼べるようにしておかなければならないという、義務感があったからだ。

 

 そう、まなが帰ってくる前に——例のお客さんをお呼びしなければならないと。

 

「そろそろ、檜原さんがこっちに来る頃合いだ。わざわざ遠くからお越しになってくれてるんだ。あまり待たせるわけにはいかないからね」

「…………ええ、そうね」

 

 そう、わざわざこんな山奥まで来てくれる檜原という『拝み屋』を——。

 

 二人は鬼太郎たちが来るよりも先に、彼を出迎えなければならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——ふ、ふぁ~…………お姉ちゃん、まだ着かないの?」

「——もうそろそろだから。寝ないで起きてなさい、瑞生」

 

 拝み屋である祖父の仕事に付き添う形で、檜原家の姉妹・静流と瑞生の二人が栃木県からの長い旅路を終え、もうすぐオベベ沼へと到着するところだった。

 電車にバス、そしてタクシーと。さまざまな移動手段を乗り換えてきたため、流石に疲れが出たのか。タクシーの後部座席で眠りこけていた瑞生。静流はそんな妹に起きているように言い聞かせる。

 

「ねぇねぇ、これから行く……オベベ沼だっけ? かわうそってのがいるんだよね? かわうそ……どんな奴なんだろう?」

 

 年頃からか瑞生は何もせずにじっとしているのが嫌なのか。とりあえず適当な話題として、かわうその話を振ってきた。

 かわうそ——という動物ではない。その妖怪としての在り方についてである。

 

「かわうそか……確か悪戯好きで、人間に化けて色々と悪さするんだよね? 嘘を付いて人から食べ物とか騙しとったり……」

 

 瑞生の質問にうろ覚えの知識を引っ張り出してきた静流が答える。 

 彼女は自身の霊能力や祖父の影響からか。民俗学や怪異に対する関心が強く、そういった関連の本をよく読んでいたりする。祖父ほどではないにしろ、妖怪関係にはそれなりに詳しいのだ。

 

「ふ~ん、そうなんだ…………けど、かわうそってあの動物の『かわうそ』だよね? なんで動物なのに妖怪扱いされてんの? 狸とか、狐とか、猫とか……あっ! 三毛さんって……もしかして妖怪だったりして!!」

 

 子供ながらに抱いた疑問を率直に口にする瑞生。

 確かに日本において、かわうそを始めとした動物たち。狸や狐、猫といった唯の動物を妖怪視することが事例としてよく挙げられる。

(ちなみに余談だが、瑞生の口にした『三毛さん』とは檜原家で飼っているメス猫である。結構な高齢で稀にいなくなってはふらりと戻ってくる。現在も、まさにちょうど出かけている時期であり、今回の旅行には同伴していない)

 動物が妖怪である理由。これには諸説あり、その伝承の一つを静流が語っていく。

 

「え~と……確か動物って、昔は神様の使いってことで神聖視されてたんだよね? 『神使(しんし)』って言うんだっけ、お爺ちゃん?」

 

 少し自信がなかったため、念のため祖父に確認をとる。

 孫娘の同意を求める声に、タクシーの助手席に座る祖父が頷いた。

 

「そうだ。神道において動物は神さんの使い、もしくは神そのものとして扱われてきた」

 

 神使——動物が神の眷属として人間たちに己の意思を伝えたり、力を貸すという神道における考え方である。

 この思想は古くから日本人の宗教観に、知らず知らずのうちに根付いている

 

 

 例えば昔話。『桃太郎』という、日本人であれば誰もが知るお話において。桃太郎が旅の道中で出会う三匹のお供——犬、猿、雉。あれも言うなれば神使だ。鬼退治のため、桃太郎の元へと派遣された神様の使いである。その他にも『花咲爺さん』の犬や『舌切り雀』のスズメ。『カチカチ山』の兎などもそれにあたる。

 また、『日本書紀』に登場する日本を代表する最古の大妖怪・八岐大蛇(ヤマタノオロチ)。8つの頭に8本の尾を持つ、巨大な蛇の化物として恐ろしい姿が描写されている。だが本来であればあの蛇も由緒ある山神、或いは水神としての側面があったりする。

 

 

「神社なんかに動物の像があんのもその名残だ。そういった思想から長い時間を掛けて、次第に人々の間でその動物自体に霊的な力があると強く信じられるようになったんだ。おそらく連中が妖怪として派生したのも、その影響だろう」

 

 神社の境内に何気なく建てられている動物たちの石像。それらもその神社の神話などに関連がある動物たちだ。彼らは神様の使いとして祀られ、多くの人々の信仰を集めてきた。

 

 だが信仰を集めると同時に、人々はその存在を畏怖し——そして恐怖するようになった。

 

 その恐怖という感情から、いつしか人々は動物たちを『神使』としてだけではなく『妖怪』という、人に仇を為す化け物として見るようになっていったのだろう。

 

「神様の使いか……そういえば、イタチもそんなこと言ってたっけ……」

 

 祖父の話を聞き終えた瑞生。彼女はふと、以前に交流のあった妖怪・鎌鼬のことを思い出す。

 

 

 瑞生はその憑かれやすい体質から、様々な怪異に纏わりつかれることがよくあるのだが、その中でも鎌鼬と過ごした日々が一つの思い出として印象に残っていた。

 彼らは瑞生の疑問——『鎌鼬はどうして斬るのか?』という問い掛けに以下のように答えた。

 

『——鎌鼬の『鎌』の御業は自分たちのものではない。元々は神様のものであり、その使いようも神様への思し召しだった。けれどもいつしか自分勝手に、遊びなどで人を傷つけるようになってしまった』と。

 

 その話から察するにイタチも、元は神使——神様の使いだったのかもしれない。

 けれど遊び半分に御業を行使し、人を襲うようになり、いつしか彼らも妖怪として恐れられるようになってしまったのだろう。

 

 

「イタチか……あいつ、元気にしてるかな?」

 

 過去を懐かしんだためか、瑞生は鎌鼬のあの後——交流を終え、何処ぞへと去ってしまった彼らのことを思い返す。

 彼らとは、結局喧嘩別れのような形でその後、一切の関わりを持たなくなってしまった。一応、最後の最後には助けてくれたし、使えなくなっていた『御業』が使えるようになり、嬉しそうに高笑いもしていた。

 けど、本当だったらもっと一緒にいたかったし、助けてくれた礼などもキチンと言っておきたかった。

 

 祖父から言わせてみれば、怪異である彼らと積極的に関わることは褒められたことではないのだろう。

 けれども、やっぱり寂しいものは寂しい。

 

「はぁ~……もう一度くらい見てみたいな……あいつの『鎌』……」

 

 せめてこの目でもう一度。

 イタチたちの行使するあの御業とやらをもう一度見ておきたかったと。

 

 彼に付けられた『大事な痛み』である左手の甲をさすりながら、瑞生はどこかブルーな気持ちに浸っていた。

 

 

 

×

 

 

 

「——着きましたよ、お客さん。ここがオベベ沼です」

 

 タクシーの運転手が目的地への到着を告げ、ようやく檜原家一行は旅の終着地であるオベベ沼周辺へと辿り着いた。とりあえず荷物を車から降ろし、仕事を終えたタクシーが走り去っていくのを見送り——檜原姉妹が一言呟く。

 

「……何もないね、お姉ちゃん」

「そ、そんなこと…………あるかも」

 

 自然に囲まれた山の中と言えば聞こえはいいかもしれないが、そこは見事に何もない、人の気配もない超ド田舎だ。栃木の田舎で暮らす彼女たちですら、思わず絶句するほどに殺風景な景色が広がっている。

 

「……昔に比べてだいぶ寂れちまったな……人も少なくなっちまった……」

 

 ここを訪れたことのある祖父も、その変わりように動揺を見せている。

 彼がここ、オベベ沼を最後に訪れたのは十年以上も昔のことだと、ここにくる道中で語っていた。その時と比べても、だいぶ様変わりしてしまったようだ。

 暫しその場に立ち尽くし、無情な時の流れを寂しげな瞳で感じている。

 

「お爺ちゃん……大丈夫だよね? まさか……このままここで野宿するなんて言わない?」

 

 そんな山奥に取り残されたことに、瑞生が祖父に声を掛ける。

 タクシーも行ってしまった。旅館のようなものがある気配もなく、まさかここで野宿でもするのかと今日一日の宿を心配している。勿論いかに厳しい祖父でも、孫たちに野宿をさせるつもりなど毛頭ない。

 

「安心しろ、ちゃんと先方に話は付けてある。二人とも着いてこい」

 

 祖父は迷いない足取りで孫たちを先導しつつ、田舎道を進んでいく。

 

 

 そうして歩くこと、数分。

 

 

「——ようこそ。お待ちしてましたよ、檜原さん」

「——何もないところですが、家でよければいくらでもゆっくりしてってくださいな」

 

 辿り着いたのはごく普通の一軒家。そこで待っていた老夫婦が人の良い笑顔で檜原家の面々を出迎えてくれた。

 どうやら今夜はこの家でお世話になるらしい。古い知り合いとのことで、その老夫婦に向かって祖父が恭しく頭を下げていた。

 

「どうもご無沙汰しております。お変わりない様子で……ほら、二人も挨拶しなさい」

「初めまして……」

「は、初めまして!」

 

 祖父に促されるまま、静流は物静かだが丁寧に。瑞生は緊張気味だが大きな声で老夫婦に挨拶をする。

 

「いやはや、嬉しいね……こんなにも若い子たちが来てくれて」

「本当に……最近はますます人もいなくなって……もう知り合いはほとんど残っていませんで……」

 

 若い子供である静流と瑞生を見つめながら、老夫婦はしみじみと語る。

 彼らの言葉通り、確かに他に人がいそうな雰囲気はない。隣の家も無人でボロボロの空き家。畑の方も全く手入りされていない荒れ放題だ。

 

 人口の過疎化。

 静流たちが暮らす地域でも取り沙汰される問題だが、ここはより一層深刻な様子である。

 

「……お爺ちゃん、この人たちが今回の依頼人なの?」

 

 その問題に静流は顔を曇らせつつも、この夫婦が今回祖父を頼ってきた人たちなのかと当然の流れとして質問をする。しかし、祖父は首を横に振った。

 

「いや、この方々は昔馴染みだが、そうじゃねぇ。わしは今から今回の依頼人に会ってくるから、おめぇらここで大人しく待っとけ」

 

 このご夫妻は、あくまでご厚意で今回の仮宿を貸してくれるだけとのこと。

 依頼主は他にいるらしく、祖父はこれからその人たちと会ってくるらしい。仕事ということもあり、静流や瑞生たちを連れては行かない。

 孫たちにはこの家で大人しく待っているように言い聞かせ、祖父はさっそく出掛けようとしていた。

 

「ああ、檜原さん! 済みませんが、少し宜しいでしょうか?」

 

 だが、そんな祖父を老夫婦のお爺さんが呼び止めていた。彼は申し訳なさそうに表情を曇らせながらも、祖父にその話を持ちかける。

 

「実は……ちょっと困ったことになっておりまして。話だけでも聞いてはもらえんでしょうか?」

「……何かトラブルですかな?」

 

 正式な依頼を受けてはいないが宿を借りる手前、無下にはできない。

 祖父はお爺さんの困ったこと——ここ最近、ここいらに出没する『謎の黒い人影』らしきものの目撃情報に関して話を聞いていく。

 

 

 お爺さん曰く、ここ数日——謎の黒い人影のような『何か』がちょくちょく姿を見せているらしい。

 その黒い影は突然人の背後を取ったと思いきや、振り向いた人間の背丈を越え、じっとこちらを見下ろしてくるとのことだ。

 その影に見下ろされ続けると——何故だが意識が遠のき、しまいには倒れてしまうとのこと。

 

 

「先日も……女房の奴が遭遇しましてな。その後、丸一日寝込んでしまって……」

「いやはや……お恥ずかしい話で、ははは……」

 

 何もないところで倒れたことを恥じているのか、苦笑するお婆さん。

 しかし、笑い事で済ましていい話ではない。

 

「お爺ちゃん。その黒い影、もしかして……」

「ああ……おそらく、見越しだろう」

 

 その話を聞いた静流がその影の正体を見破り、祖父も同意する。

 その影の正体が『見越し』という、静流も一度は遭遇したことのある怪異だと。

 

 

 見越しとは——旅の僧の姿をしているとも言われる、黒い影である。

 その影は人に見上げられることでさらに大きくなり、そのまま見上げ続ければ最悪、命を落とすとも言われている。同じようなモノに『見上げ入道』と呼ばれる妖怪がいるが、それよりも下級の存在でこれといった知恵もない、野生動物に近い存在だ。

 人の恐怖心から生まれた怪異とも言われているが、退ける方法は意外にも簡単。落ち着いてその対処方法を実践すれば、普通の人間にも撃退することは可能である。

 

 

「——しかし、妙な話ですな……」

 

 祖父は老夫婦にその撃退方法を口頭で説明し、一応の対策を取らせる。その一方、何故見越しがこの山に出没したのか、どこか納得しきれていない様子で訝しんでいた。

 

「ここいら一帯はオベベ沼に住むかわうその縄張りです。あやつがこの地を陣取っている限り、見越しのような低級な怪異が入ってくることはない筈なのですが……」

 

 オベベ沼のかわうそ——悪戯好きで人間を騙し、食べ物を盗む困った妖怪。だがその一方で、かわうそは自身が縄張りと定めたこの地を守護し、他の怪異たちを退ける役割を負っていた面もあった。

 かわうそ自身もかつては神使として扱われたこともあり、位としては見越しよりは上位の妖だ。見越し程度、侵入したところで簡単に追っ払える筈だが——

 

「そ、それが……かわうそくんは去年から、ゲゲゲの森という場所に引っ越してしまいまして……」

「なんですと? なるほど、道理で……」

 

 お爺さんの話によると、妖怪のかわうそですらこの地域の過疎化問題に頭を抱え、移住してしまったという。人間に悪戯をしたくとも、その人間たちがいなくなってしまえば、かわうそもやっていられないのだろう。

 そのため、彼は妖怪の仲間たちがたくさんいる聖地・ゲゲゲの森へと移り住んだ。

 その影響により、オベベ沼は無法地帯——怪異たちが好き勝手に出入りする場所と化してしまったのだろう。

 

「ゲゲゲの森か……。やれやれ、また面倒なところに引っ込んじまったな……」

「……お爺ちゃん?」

 

 祖父が眉を顰め、ため息を付いている姿に静流がその顔を覗き込む。彼は特に『ゲゲゲの森』という、地名らしき単語に難色を示しているようだ。

 ゲゲゲの——少し前までネットで話題になっていた『あの有名な妖怪』と何か関係があるのだろうかと、このときの静流はそんなことを考える。

 

「静流」

「っ!!」

 

 だが祖父に声を掛けられ、その思考も一時中断される。

 

「わしは予定通り、これから依頼人のところに行ってくる」

 

 とりあえず、見越しの対処は後回しにするようだ。

 これ以上、依頼人を待たせることもできないため、彼は静流に言うべきことを言い残し、その場を後にしていく。

 

「相手は見越しだ。今のお前なら問題なく対処できるだろうが……一応は用心しとけ。瑞生のことも、任せたぞ?」

「う、うん! わかってる!」

 

 見越しと遭遇したことのある静流。一度はその存在に怯え、不安から涙を流したこともあった。

 だが——彼女は既に見越しへの対処方法を熟知しており、撃退に成功した過去も持っている。

 

 その経験、知識があれば大丈夫だろうと。 

 祖父は静流を信頼し、妹の瑞生のこともしっかりと守るように言ってくれた。

 

「行ってらっしゃい、お爺ちゃん!」

 

 その信頼に応えられるよう静流は力強く頷き、祖父の背中を見送っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ~あ、それにしても……かわうそ、一度くらい見てみたかったな……」

「瑞生ったら、さっきからそればっかりね……」

 

 あれから。檜原姉妹はその家に腰を降ろし、老夫婦のご厚意でスイカをご馳走になっていた。

 

 二人仲良く縁側に座り込み、キンキンに冷えたスイカの種を飛ばしながら、かわうその話題に盛り上がる。と言っても、話を振ってくるのは常に瑞生の方だ。彼女はよっぽどかわうそを見てみたかったのか、老夫婦から聞いた話なども交えて姉相手に陽気に話しかける。

 

「だって、お姉ちゃん!! かわうそは良いやつだって、あのお婆さんも言ってたよ!」  

「そうね……ただの悪戯小僧ってだけじゃないみたいね」

 

 実際にかわうそに会ったという二人が聞かせてくれた話だ。

 去年、事故にあったお婆さん。かわうそは動けなくなったそのお婆さんを看病し、食料も分けてくれたとのこと。そのおかげでお婆さんは無事、生きてこの家に戻ってこれたという。

 人に迷惑を掛けるというイメージがある一方で、時には人を助けてくれる優しい一面もある様子。

 

「けどね、瑞生。だからといって、妖怪が皆親切ってわけじゃないんだら。誰これ構わず信用しちゃダメよ? 前もそれで酷い目にあったでしょ? 例えば……あの人骨のときとか」

「うっ……そ、それもそうだけどさ……」

 

 基本、祖父からの教えで積極的に怪異に関わらないようにしている姉妹。だが、瑞生はその教えをちょくちょく忘れ、よく妖怪たちと仲良くなってしまうことが多々あったりする。

 

 イタチのときのように、それが結果的に良い方向に傾くこともあるが、当然——油断すれば奴らの餌食だ。

 以前もそれで『人骨の怪異』——あとで調べてわかったことだが『目競(めくらべ)』という妖怪だったそれに、危うく体を乗っ取られそうになったこともある。

 そういったこともあり、たとえどれだけ良い妖怪の話を聞こうとも、頭ごなしには信用しないというのが檜原静流が怪異の見える人生で得た教訓である。

 

「わたしだって……それくらいはわかってるよ……ふん!」

 

 それは瑞生だって頭では理解している。だが、幼い彼女は姉の小言に心底では納得しきれておらず、拗ねたようにそっぽを向く。

 それは彼女がまだ心身ともに幼いからか。それとも『憑かれやすい』という静流とは違う形で怪異と関わることになったからか。

 

 

 いずれにせよ、一筋縄ではいかない問題である。

 

 

「…………あれ? ねぇ、見てよ、お姉ちゃん!? あんなところに女の子がいるよ!!」

「あら本当ね。この辺りの人かしら?」

 

 すると、視線を他所へと向けた瑞生がそこで見慣れぬ人を見かけ、興奮気味に姉に伝える。

  

 妹の視線の先を見ると、そこには白いワンピース姿の少女が一人で田舎道を歩いている。

 見たところ、静流と同い年くらいの中学生といったところ。

 

「ねぇねぇ! お姉ちゃん!! あの人に話しかけてみてもいい!?」

 

 こんな場所で自分たちと同じ年頃の少女を見つけたのが嬉しかったのか。

 瑞生は浮かれた調子でその少女に近づいてみようと、姉の服の袖を引っ張る。

 

「ちょっ、ちょっと瑞生。少しは落ち着きなさ——」

 

 しかし、静流は彼女に声を掛けることに僅かな抵抗があった。

 好奇心旺盛な妹とは違い、引っ込み思案な静流が初対面の人にいきなり話しかけるのは、少しハードルが高いと若干尻込みしたからだ。

 

 

 

 だが——

 

 

 

「——っ!? 今の……まさか!!」

 

 

 一瞬、視界の端に静流は見た。例の『黒い影』らしきものが蠢いていたのを——。

 

 

 その黒い影は少女の背後から徐々に滲み寄り、彼女へと近づいていく様子だった。

 

 

 静流はその影が『なんなのか』を理解した瞬間——。

 

 

 気がつけば——その少女に向かって駆け出していた。

 

 

 

×

 

 

 

「猫姉さんと鬼太郎は……まだ来れないのか……」

 

 田舎道を散歩していた犬山まな。彼女は先ほどからスマホで猫娘へと連絡を取り、鬼太郎たちの訪問を今か今かと待ち侘びていた。

 しかし、猫娘から帰ってきたラインの返信には『もう少し時間が掛かる』とのことだ。

 

「はぁ~、流石に一人だと退屈だなぁ…………一度別荘に戻ろうかな」

 

 散歩にも飽き、手持ち無沙汰になっていたまな。

 一人でいる寂しさに耐えきれず、彼女は一度両親がいる別荘へと戻ろうとしていた。

 

 

 その矢先である。

 

 

「ん?」

 

 ふと、背後の方に何者かの気配を感じ取ったまな。

 彼女は反射的に後ろを振り返る。そう——振り返ってしまった。

 

 

 そこで黒い巨大な影のようなものが、自分を『見下ろしている』ということにも気づかずに——。

 

 

「——えっ……な、なに……これ? よ、妖怪!?」

 

 妖怪と関わりが深いまなは、それが何かしらの怪異であることを瞬時に悟る。

 

 しかし、それがいったいなんなのか? 

 どのように対処すべきモノなのか?

 それはまな一人では分からない。

 

 故に——彼女は徐々に巨大化していくそれを、ただ見上げ続けることしかできなかった。

 

「あ……あ、あ………ああ………」

 

 唐突に訪れた得体の知れない恐怖。それが何かを理解することも出来ず——

 

 

 犬山まなは人知れず、命の危機を迎えようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——ダメ!!」

「えっ……?」

 

 だが、そこへ凛とした声が響き渡る。

 朦朧としかけていたまなの意識を繋ぎ止める、少女の叫び声だ。

 

 その声の主は倒れかけていたまなの身体を後ろから抱きとめ、その手を力強く握りしめる。

 それにより、まなの身に降りかかっていた謎の震えが収まり、青褪めていた彼女の顔色に僅かな生気が戻ってくる。

 

「大丈夫、気をしっかり持って……怖くなんかないわ、だってあれは……見越しだもの」

「み、みこし……?」

 

 どこかで聞いたことのある単語に、聞き覚えのない少女の言葉。

 そのままその少女はまなに優しく、諭すように語りかけてくる。

 

「下から見上げるのではなく、頭から足元を見下ろすの」

「っ……!!」

 

 まなは言われた通り、そのアドバイスに沿って黒い影の頭から足元へと視線を移動させていく。

 すると不思議なことに、黒い影は徐々に徐々にその巨体を縮めていき——やがては、まなよりも小さな小さな影として、ポツンと佇むこととなる。

 

 そこへすかさず、少女が叫んだ。

 

 

「——見越した!!」

 

 

 次の瞬間——黒い影は呆気なく霧散し、何処ぞへと消え去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁはぁ……」

 

 危機を脱した犬山まな。

 なんとか無事にやり過ごすことができたことに安堵しつつも、緊張から解放された脱力感からその場にへたれ込む。

 

「……ふぅ~……大丈夫だった?」

 

 そんな腰を抜かすまなへ、彼女の危機を救った声の主である少女が手を差し伸べる。

 

「あ、ありがとう……あ、あの……貴方は?」

 

 差し出された手を取りながら、まなは改めてその少女に目を向ける。

 自分と同い年くらいの女子。清楚な雰囲気に黒髪のストレートがよく似合う。あんな真っ黒で大きな影と対峙した後だというのに、落ち着いた態度でまなに対して気遣いを見せてくれる。まるでお姉さんのようだ。

 

「——お姉ちゃん~!! 大丈夫だったの!?」

 

 実際に彼女は姉であり、その妹らしき小学生の女の子がこちらへと駆け寄ってきた。

 

「ええ、大丈夫よ、瑞生……貴方も、立てる?」

 

 駆け寄ってくる妹に笑みを浮かべながら、彼女はまなにも呼び掛ける。

 

「は、はい!! ええっと……わ、わたし、犬山まなって言います。あの……貴方は?」

 

 相手に心配を掛けまいと、まなは急いで立ち上がる。

 そして咄嗟に自己紹介をし、助けてくれた礼を述べるためにも相手の名前を尋ねていた。

 

「ああ、檜原です。檜原静流……よろしくね、犬山さん」

 

 それが——犬山まなと檜原姉妹。

 妖怪や怪異。異なる形ではあるものの、それらと深い関わりを持つもの同士の会合であった。

 

 

 

 

 そして、その会合は別の場所でも行われていた。

 

 

 

 

「……お久しぶりです、檜原さん」

「ええ、お久しぶりですな。犬山さん」

 

 犬山家が滞在する別荘の玄関前。『依頼人』と『依頼を受けた拝み屋』という形で、犬山夫妻と檜原家の祖父が適度な緊張感を保ちつつ、対面していた。

 

 特に犬山純子。

 彼女が一番緊張しているのか、顔色も悪く、上手く言葉も出てこない様子である。

 

「と、とりあえず……こんなところで立ち話も何ですし……どうぞお入りください」

 

 そんな具合の悪そうな妻を前に、裕一は拝み屋の老人を別荘の中へと招き入れる。

 このままここで立ち話など、それこそ途中で純子が倒れてしまうと彼女を心配してのことだ。

 

「そうですな……では腰を落ち着かせてから、ゆっくりと話すことにしましょう」

 

 檜原の老人も相手の意図を察し、礼節を欠くことがないよう家の中へとお邪魔する。

 

 今回、自分がここまで来ることになった理由。夫妻に話すべき内容を改めて確認しながら——。

 

 

「貴方方、犬山家……いえ、『沢田家』から続くその因縁。それを取り巻く……『名無し』と呼ばれた怪異の顛末……全てお話ししましょう」

 

 

 

 

 

 

 

「——それが後のことを『あの人』に託され、令和などという新時代までしぶとく生き残った、私の成すべきことですから……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——けっ! 鬼太郎の奴、本当に行きやがった。わざわざ律儀な野郎だぜ、あいつも……」

 

 同時刻、ゲゲゲの森のゲゲゲハウス前。

 その辺の切り株の上にねずみ男が不貞腐れたような態度で寝っ転がっていた。

 

「まったく金にもならない。いや、そもそも依頼でもない人間の誘いを受けるなんてな……」

 

 彼も、一応は鬼太郎の仲間であり、犬山家の招待を受ける対象に含まれていた。

 しかし、彼はその誘いを断った。理由は『面倒で金にもならない』からという、実にねずみ男らしい理由だ。

 

 そしてねずみ男は、てっきり鬼太郎もこの誘いを断ると思っていた。

 

 人間を助ける鬼太郎だが、人間と妖怪との線引きは他の誰よりもしっかりとしていた筈だ。少なくとも、以前の鬼太郎であればこのような誘い、キッパリと断っていただろう。

 

「……やっぱ、あの子に出会ってからだよな……まなちゃんに出会ってから……あいつは変わっちまった」

 

 犬山まな。

 あの人間の少女と関わるようになってから、鬼太郎が徐々に変わりつつあることに——ねずみ男は何か、言葉にできないモヤモヤとした苛立ちを感じていた。

 しかし、そのイライラの正体が何なのか。そんな曖昧なことを深く考えるよりも他に、切実な問題を彼は現在進行形で抱えている。

 

「あ~、くそ! 腹減ってきたぜ!! ここ三日間くらいは、まともな飯にありつけてねぇからな……」

 

 そう、空腹であることだ。

 いつもの如く金がないとのことで、ここ数日はまともな飯にありつけていないねずみ男。

 

 どうにかしてこの空きっ腹を解決できないかと思案したところ——ふと、ねずみ男は気づいてしまう。

 

「あれ? 招待ってことは……飯くらいはご馳走になれたんじゃねぇか? しまった!! 俺としたことが、しくじっちまった!!」

 

 挨拶をしたいと呼び出す以上、もしかしたら夕食くらいは用意しているのではないかと。

 招待に応じれば金にはならなくとも、少なくともこの空腹を紛らわすことくらいはできたのではと、今になって後悔する。

 

「くそっ!! 仕方ない……俺も鬼太郎と合流して——!!」

 

 現金なねずみ男。彼は犬山家の招待に別の意味で利益があると思い直し、慌てて鬼太郎の後を追うことにした。

 今からでもご馳走にありつこうと、タダ飯目当てで犬山家の招待に応じようと考えたのだ。

 

 ところが——

 

「——鬼太郎の奴が……どうしたってぇええ~?」

「あん? 誰だ、おめぇ?」 

 

 鬼太郎の名前に反応した何者かが、ねずみ男に声を掛ける。

 その相手は——白い襦袢を身に着けた、奇怪な白髪の老人だった。老人は口元をいやらしく歪め、手にしていた槍をねずみ男へと突きつける。

 

「ひぇっ!? な、なんなんだよ、お前っ!?」

 

 突然武器を向けられ、ビビッて腰が引けるねずみ男。

 老人はそんなねずみ男へ、自身の独り言を交えながら語り掛ける。

 

「寝込みでも襲ってやろうかと思っていたが……どうやら貴様、鬼太郎の知り合いらしいなぁああ~」

「だ、だったら……どうだってんだよ!?」

 

 老人の狙いはどうやら鬼太郎らしい。

 ねずみ男が何とか隙を見て逃れようとするも、老人は獲物を付け狙う眼光で決して彼を逃さない。

 

 

 そう、その老人は——『通り悪魔』と呼ばれる怪異だった。

 彼はさらにねずみ男へと迫り、己の邪魔をした鬼太郎への復讐心を成就させるために問い質していく。

 

 

 

「——命が惜しければ吐くがいい。奴の居場所を、そして……その弱みをなぁああ~……くくくっ!」

 

 

 

 より一層、その口元を邪悪に歪めながら——。

 

 

 

 




もっけの怪異紹介

 見越し
  アニメ第1話「ミコシ」で登場した黒い影。
  今作において、鬼太郎に登場する『見上げ入道』とは別の種類ということで設定させてもらいました。しかし見上げ入道……「見上げ入道、見越したり」と、ただ叫ぶだけで二度も退治されるとは……。せめて対策くらい取れよと思った視聴者は、きっと私だけではなかった筈。

 目競
  アニメ第19話「メクラベ」で登場した人骨。
  気さくなコーチ役を買って出たかと思いきや、瑞生の肉体を乗っ取ろうとした恐ろしい怪異。けど、最後はやっぱりあっさりと退いていった。その真意は最後まで不明だったが、案外本当に瑞生を鍛えてやっただけなのかもしれない。
  ちなみに『鳥山石燕』にも描かれる歴とした妖怪。
  なんと『平家物語』であの平清盛と絡んだことのある怪異とのこと。

 三毛さん
  檜原家の飼い猫。メス。正確には怪異ではありませんが、一応紹介を。
  前書きでも述べましたが、作者が好きなエピソード「イナバヤマ」の主役。その他の回でも、地味にその存在感をアピールする、檜原家の歴とした一員。静流や瑞生にとって特別な存在。
  ただ尺と展開の都合上、今回はお留守番ということで出番は省かせてもらいました。
 
用語解説
   
 沢田家
  本シリーズにおいて、犬山まなの母方の親戚筋はすべて沢田姓で統一します。
  アニメでは母親の親戚筋が大伯母の淑子しか登場しなかったため、深く掘り下げられることがありませんでしたが。
  連載が続けば、いずれは純子の血筋・沢田家の話など、やってみたいと思ってます。


 次回で『もっけ編』も完結予定。
 今年までには仕上げますので、よろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

もっけ 其の③

だいぶ、お待たせしました。
今回で『もっけ』とのクロスオーバーは最終回。
そして、ゲゲゲの鬼太郎の更新が今年は最後となります。
 
十二月は色々と忙しいため、おそらく執筆に時間がとれないと思いますので。
次回の更新は一月、年が明けてからとなるでしょう。

さて、今回のお話。
もっけとのクロスオーバー以上に、六期の鬼太郎本編の物語にメスを入れていった感じです。
最大の課題は『まなの両親と鬼太郎たちを顔見知る』にすること。
この後の話に原作六期におけるお話——60話『漆黒の冷気 妖怪ぶるぶる』へと繋がることになるかと。

色々と詰め込みすぎてかなり長くなりましたが、途中で切ることはしたくなかったので一話にまとめました。
もしかしたら話の内容が分かりにくくなっているかもしれませんが、その辺は前の二話や、原作アニメの方を思い出しながら読み進めていって下さい。

それでは、どうぞ!



「——へぇ~!? じゃあ、犬山さんはあのゲゲゲの鬼太郎のお友達なんですね」

「——すごい!!」

 

 オベベ沼周辺の田舎道。檜原静流と瑞生の姉妹が感嘆の声を上げる。

 

 ゲゲゲの鬼太郎といえば、一時期動画サイトなどで話題に上がった有名な妖怪だ。

 今世間を騒がせている妖怪ブーム、その火付けとも呼べる『姑獲鳥の赤子誘拐事件』。その事件を解決に導いた立役者として、特にネット世代の若者たちは一度くらいその名を耳にしている。

 静流と瑞生も友人のスマホからその動画を見せてもらったことがあり、その名を記憶していた。 

 

 しかしまさか、その鬼太郎と友達だという人間の少女にこのような形で会えるとは思っていなかったのか。

 瑞生は勿論、少し内気な静流でさえ興奮気味にその少女——犬山まなの話に耳を傾けている。

 

「ま、まあね! 自慢じゃないけど、鬼太郎たちとはもう一年以上の付き合いだし、結構色々なこと知ってるんだから、ふっふっふ!」

 

 一方のまな。彼女も彼女で静流たちの反応が予想以上だった。

 最初は少し抑えるつもりであまり鬼太郎たちのことを深く話すつもりがなかったのだが、気が付けば彼や猫娘。その他の仲間たちについて饒舌に、自慢げに、誇らしげに語るようになった。

 

 どうしてこのような状況になっているのか?

 きっかけは——静流がまなを助けたところ。怪異『見越し』を見事追い払ったことにあった。

 

 

 

 

「——あ、ありがとう、ひ、檜原さん……?」

「静流でいいですよ。こっちは妹の瑞生です。ほら、瑞生?」

「こんにちは、檜原瑞生です!」

 

 犬山まなは間一髪のところを静流に助けられ、それをきっかけに顔を合わせることとなった両者。

 もっとも、何も初対面からすぐに仲良しこよしになれたわけではない。

 

「ええっと……静流さん、今の影……妖怪は……いったい?」

 

 まなは先ほどの黒い影——見越しとやらについて質問をする。

 いきなり襲われただけでも困惑していたのだが、そこをさらに助けられたことでますます彼女の混乱は深まる。

 

 あれはいったいなんで? どうして静流に退治できたのか?

 理解の追いつかない頭の中を整理するためにも、まなは静流に詳細を尋ねていた。

 

「今のは……見越しっていう怪異ですよ。あれは——」

 

 まなの疑問に静流は手短に、分かりやすいように見越しの特徴について要点をまとめて説明する。いきなりその全容を話したところで、おそらく上手く伝わらないだろう。

 まなが怪異や妖怪について素人だろうという、静流なりの気遣いからあまり踏み込んだ話はしなかった。

 

 しかし——

 

「……なんか、見上げ入道に似た感じの奴だな……」

 

 まなは見越しの解説から、以前遭遇したことのある妖怪・見上げ入道のことを思い出す。姿形こそ違うが、見上げ入道も『見越した!』と叫ぶことで退治できる妖怪である。

 すると、その呟きに静流が反応する。

 

「見上げ入道……見越しの別名ですね。一応、両者は似たような存在として同一視されることもありますが……」

「いや~……あれは違うでしょ? とても同じ奴とも思えないし」

 

 見上げ入道と二度に渡って対峙したまなからすれば、先ほどの影とあれが同一のものとは思えない。一応、巨大化したりと似通った特徴こそあれど、見上げ入道の方はしっかりと実体を持っていたし、もっと多彩な能力を行使していた。

 そのことを、まなはそれとなく檜原姉妹に話してみた。

 

「へぇ~、そうなんだ……って、詳しいね、犬山さん!!」

 

 まなの話に瑞生が目を丸くする。

 見上げ入道と見越しの違いにではない。妖怪について、まるで詳細を見てきたかのように語るまなの言葉自体に驚いたのだ。

 

 いかに昨今、妖怪が信じられるようになってきたとはいえ、ここまで詳しい内容はなかなか話題にならない。

 静流たちの友人も、面白おかしく妖怪について話すようになったが、それでも突っ込んだ内容。妖怪の生態や正体、逸話といったことまでは把握していなかった。

 

「ま、まあ……わたしも、妖怪に関しては詳しい方だと思うし……」

 

 もっとも、それは犬山まなのこれまでの経験、鬼太郎たちと共に多くの困難を乗り越えてきた経歴を考えれば当然なこと。

 何しろ彼女は聞きかじった知識だけではない。本物の妖怪・怪異を実際に目撃し、何度も襲われたりしてきたのだ。

 

 まな自身も、妖怪について知ろうとここ一年で多くのことを学んできた。

 最近の妖怪ブームに乗っかるような、知ったかぶった知識を得意げにひけらかすような連中より、たくさんのことを彼女は身をもって知っているのである。

 

「じゃあさ、じゃあさ!! この沼にいた、かわうそって奴とも会ったことあるの!?」

「ちょ、ちょっと! 瑞生……」

 

 まなの詳しいという言葉に期待してか。オべべ沼に住んでいた妖怪・かわうそについて瑞生がすごい勢いで質問する。妹の不躾な問いに、静流が初対面の相手にそれは失礼ではないかと不安を抱いた。

 しかし、まなはまるで気にした風もなく、寧ろ上機嫌に微笑む。

 

 彼女は瑞生の質問に答える形で、自分が知り得た妖怪たちとの思い出を語っていく。

 

「うん、知ってるよ! 去年も蛤船ってやつに乗せてもらったからね! あのときは本当に——」

 

 

 

 

 

 

 

 

「——でね! そのとき、鬼太郎の『指鉄砲!!』が炸裂して、たんたん坊の額を撃ち抜いたんだよ!」

「すごい!! かっこいいね、鬼太郎!!」

「ほんとう……すごいのね、鬼太郎さんって……」

 

 その後、話せば話すほどまなは饒舌になっていき、自身の冒険譚を檜原姉妹へと怒涛の勢いで聞かせていく。

 その勢いに最初は押され気味な姉妹だったが、すぐにまなの話にのめり込んでいき、それらの妖怪話に興味津々に聞き入っていく。

 

「いいな~! 羨ましいな~……わたしも、一度でいいからそんなスリルいっぱいな冒険してみたいな~」

 

 特に瑞生は男の子のように目を輝かせ、自分もそんな派手な活躍をしてみたいなと羨ましがっている。

 

「こらっ! 瑞生ってば……スリルなら今でも十分でしょ」

「そうだよ!! 瑞生ちゃんも、静流さんも。すごい体験してきてるじゃん!!」

 

 まなは自分の話を聞かせる一方で相手方の話——静流や瑞生の怪異に対する体験談に付いても聞かされていた。

 彼女たちの話は、まなと鬼太郎たちのような『派手さ』こそないものの、普通に生きていればまず経験することがないだろう。不思議で恐ろしく、それでいてどこか心が暖かくなるような話がたくさんあった。

 

「……なんだか、不思議な感じ。普段だったらこんな話、誰にも聞かせられないから……」

「わたしもすっごく楽しいよ!! 妖怪の話とか……学校の友達相手だと、やっぱちょっと遠慮しちゃうからね……」

 

 本来であれば、こういった妖怪や怪異が関わる話題。静流たちがそうであるように、まなでさえ学校の親しい友人や家族にもあまりしないようにしている。

 静流たちは祖父から『自分たちの体質のことはあまり言い触らすな』と念を押されているからであり。まなも鬼太郎の『人間と妖怪は交わっちゃいけない』という言葉を本人としては一応守っているつもりだ。

 そのため、彼女たちは妖怪や怪異の話を外ではあまりせず、いつも人と共感できない——『もどかしさ』のようなものを強く感じていた。

 

 そういった意味で両者は似たもの同士。

 檜原姉妹と犬山まな。彼女たちは怪異の話題を詳しく打ち明けられる相手として、互いに強いシンパシーを感じていた。

 

「それでね……その時、猫姉さんが——」

「そうなんですか。猫といえば、うちの三毛さんがいなくなったとき——」

 

 いつになく浮かれた調子で我を忘れ、時間を忘れ。

 これまで経験してきた妖怪や怪異に関して熱心に話し込んでいくこととなる。

 

 

 

 そうして時間が瞬く間に過ぎ去り、気が付けば日も暮れかけていた——そんな時であった。

 

 

 

「——あれ? ああ、ちょっとゴメンね」

 

 おしゃべりの最中、まながスマホの振動を感じ取り一時会話を切り上げる。画面を見れば、それが母親からの連絡だと分かり、すぐにメールの内容を確認する。

 

「なになに……『掃除終わったから、鬼太郎さんたちを連れてきてもいいよ』か……て、あれ、もうそんな時間!?」

 

 その連絡により、まなはようやく時間の経過を実感する。話に夢中になり過ぎてすっかり失念していた、自分が別荘の掃除が終わるまでの時間潰しをしていたことを。

 そして、連絡が来た以上はそろそろ帰らなければならない。檜原姉妹と別れ、こっちに来るであろう鬼太郎たちと合流しなければならないということだ。

 

「あ、その……ごめん、わたし行かないと……」

 

 せっかく気の合う相手と友好を深めていたということもあってか、まな名残惜しげに。

 本当に残念そうに姉妹たちにお別れを告げようとしていた。すると——

 

「あっ、スマホだ!! いいな~、やっぱりわたしも欲しいよ……お姉ちゃんもそう思うでしょ!?」

「そう? わたしは別にガラケーでも十分だけど……」

 

 檜原姉妹の何気ない会話。その内容にまなは抱いた疑問を思わず口にしてしまっていた。

 

「えっ……ちょっと、待って……」

 

 

 

「——まさか……スマホ、持ってないの?」

 

 

 

 檜原姉妹は——そのどちらもスマートフォンを所持していないというのだ。

 姉は未だにガラケー。妹にいたっては、携帯電話そのものを持っていないという。

 

 それはある意味『妖怪に詳しい』発言よりも衝撃的なものだ。

 小学生の頃からスマホに慣れ親しんでいる世代のまなからすれば、このご時世にスマホを持っていない同年代の人間がいること自体が信じられない。

 しかし、檜原姉妹にとってはそこまで深刻な問題ではないらしい。

 

「うん、持ってないよ? 欲しいんだけど、お爺ちゃんが許してくんないんだよね……」

 

 スマホを欲しがっている瑞生ですら『あればいいな』程度の認識らしい。ガラケーを持たせてもらっている静流も特に不満はないらしい。というのも、それにもちゃんとした理由があるとのことで——。

 

「お爺ちゃんが言うには……『今はそういうハイテク?を媒介に取り憑く奴もいる』って知り合いから聞いたらしくてね」

 

 祖父はその辺りは詳しくないらしいが、そういったネット関係に強い同業者から『ネットの闇を介して増大する怪異』がいると警告を受けたらしい。そういった類の怪異を静流たちに近づけさせないよう、孫たちにスマホを持たせないようにしているらしい。

 

「いやいや……そんな、そこまで神経質にならなくても——」

 

 まなはそれが行き過ぎた用心。スマホくらいなら別に構わないのではと安易に口にしようとした。

 だがふと、脳裏にあの言葉が響いてくる。

 

 

『——スーマホ、ばっかり見ていると……いーまに呪いがついてくる~』

 

 

「っ!! ああ……そうだね。確かに必要な用心かもね……」

 

 それは以前、まなが遭遇した——まさにスマホの闇を利用して人間を呪うアプリをばら撒いていた妖怪・くびれ鬼のやり口だ。

 まなは当時の恐怖体験を思い出してか、その身をブルリと震わせる。

 

「えっ、そうなの? スマホに取り憑く妖怪なんているの!?」

 

 まなの反応に興味を持ったのか。瑞生が詳しい話を聞きたがってきた。

 

「……うん、そうだね。知っておいたほうがいいかも。くびれ鬼って言って、あのときは——」

 

 これは知識として話しておいたほうがいいと思ったのか。

 まなは過去の経験を思い出しながら、檜原姉妹にくびれ鬼のことを語る。

 

 母親からの連絡があったことも忘れ、再び話し込んでいくこととなる。

 

 

 

×

 

 

 

「——今日は遠くからご足労いただき、本当にありがとうございました……檜原さん」

 

 ちょうどその頃、犬山家の別荘。

 犬山裕一がホッとした様子で客人に温かいお茶を淹れ直していた。

 

「どうも……」

 

 客人。そう、檜原家の拝み屋——檜原姉妹の祖父である。

 彼は一仕事。というか、一つの長い話を語り終えた後ということもあり、振る舞われたお茶を遠慮なくいただいて喉の渇きを潤していく。

  

「わしの方こそ。ようやく肩の荷が降りた気分ですよ……」

 

 彼が犬山夫妻に語った話の内容。

 それは彼が拝み屋として、ここ十年以上ずっと胸の奥にしまい込んでいたものだった。

 犬山家の……いや、沢田家から続く宿命とも呼べるそれは、彼がとある『縁』によって引き継いできたもの。

 

 本来であれば彼ではなく、別の人物が語るべき話だったのだが——残念ながらその人物は当の昔に亡くなっている。彼はその亡くなった『彼女』の代わりに、犬山夫妻にその話をしにきたのだ。

 

 

 名無しと呼ばれた怪異が生まれた経緯、そしてその事の顛末を——。

 全ての宿命が、大人たちのあずかり知らぬところで既に終わっていたという事実を——。

 

 

「さてと……では、わしはそろそろ失礼しますか」

「も、もう行かれるんですか? もう少しゆっくりしていっても……」

 

 そしてその要件が済んだということもあり、そろそろお暇しようと老人が席を立つ。裕一が呼び止めるも、老人は長居するつもりがないことをはっきりと明言していた。

 

「孫たちを待たせていますので、わしはこれで……」

 

 彼の孫である檜原姉妹。彼女たちも犬山まな同様、その生まれにより怪異に関わる運命を背負わされた血筋だ。彼女たちの躾に厳しい祖父でも、やはり孫たちのことは心配らしい。

 彼はすぐにでも孫たちの元へと戻ろうとしていた——

 

「あなた……」

「純子さん? どうかしたのかい」

 

 だがそこへ少し席を外していた犬山純子が顔を出す。

 彼女は自身のスマホを握り締めながら、夫である裕一に不安げな顔を見せる。

 

「まなにそろそろ戻ってくるようにメールしたんだけど、返信がないのよ……」

「なんだって?」

「…………」

 

 これには裕一は勿論、帰ろうとしていた檜原の祖父も足を止める。

 

「う~ん……鬼太郎さんたちとまだ合流してないだけじゃないかな?」

 

 少し考えてから裕一がそのように返す。

 今回のもう一人の客人・ゲゲゲの鬼太郎とまだ連絡が取れていないのであれば、それも仕方ないだろうと。

 

「そうね……そうなんだけど、ちょっと心配で…………やっぱり電話してみようかしら」

 

 いつもより過保護になっている純子。彼女は娘と直接連絡を取ろうと電話を掛ける。

 しかしどういうわけか繋がらない。純子の顔はますます曇る一方だった。

  

「……出ない。おかしいわね……」

「わしが捜して来ましょう」

 

 すると、この事態に檜原の老人が犬山まなを捜してこようと重い腰を上げた。

 

「いえいえ!! 檜原さんのお手を煩わせるわけには!!」

「そ、そうです!! 私たちで迎えに行きますから!!」

 

 これにびっくりした裕一と純子が慌てて彼を引き止める。

 客人であり、自分たちに『重要』なことを話してくれた老人にこれ以上面倒をかけるわけにはいかないと。外に出て行こうとする彼を追いかける形で夫婦もその後を付いていく。

 

「では、皆で迎えに行きましょう。見越し……低級ながらも怪異が彷徨いているという話ですから、別れて捜すのは危ないですよ」

 

 檜原の祖父は見越しが彷徨いているという話を考慮し、犬山夫婦と一緒にまなを捜しに行くことを提案する。

 

「場合によっては……娘さんにもわしの方から直接『例の話』をすることになるかもしれません。それに——」

 

 彼としても犬山まなと直接顔を合わせ、名無しに関する話をするのもやぶさかではない。

 今回は夫妻の希望ということで二人だけに語った内容だが、当の本人であるまなだって知っておいていい話だろう。

 

 それに——

 

「鬼太郎の面も……久しぶりに拝んでおきたいですしね……」

 

 今回、犬山家が呼んだという客人・ゲゲゲの鬼太郎。

 彼とも顔を合わしておきたいと、極めて個人的な呟きを漏らしていた。

 

 

 

 

「——そう、そう……分かった。もうすぐ着くから待っててちょうだい、まな」

『うん、分かった。待ってるね、猫姉さん!』

 

 同時刻。待ち合わせ場所であるオベベ沼へと向かいながら、猫娘はまなとの通話を打ち切っていた。

 純子の電話にまなが出なかったのは——猫娘と通話中だったからだ。まなはもうすぐ鬼太郎たちに会えると、テンションが高くなっており、キャッチ音にも気が付かなかったのである。

 

「それにしても……すっかり遅くなっちゃったわね。日も暮れて来たわ……」

「うむ、仕方がないことじゃが……少し待たせすぎてしまったかのう?」

 

 猫娘が空を見上げると、既に夕日が隠れ始めている。

 待ち合わせ時間を決めていたわけではないが、少し遅くなってしまったことを目玉おやじが心配そうに話す。

 

「ですが父さん。あの様子であれば一反木綿たちは大丈夫でしょう。これで安心して、まなのご両親に挨拶ができますね」

 

 だが、その遅刻も仕方がないことだったと鬼太郎は正論を呟く。

 

 鬼太郎たちがここまで遅れた理由は彼らの用事。先日の依頼の経過を見るためでもあった。

 先日、依頼主である人間の母娘を『通り悪魔』という妖怪から守った鬼太郎たち。その通り悪魔が再び現れ、彼女たちに危害を加えてこないかどうかを確認しに行っていたのだ。

 そして、依頼人の護衛として残っていた一反木綿とぬりかべの話によれば、通り悪魔が再び襲ってくる予兆もなく、彼らの周囲は平穏無事に済んでいるという。

 

「ふむ、そうじゃな……このまま奴も大人しくなれば御の字なんじゃがのう……」

 

 目玉おやじは通り悪魔がこのまま山奥にでも引っ込んでもらうことを期待する。

 

 ところが——

 

「——ふん!! 何が大人しくなればだ!! 何故俺たち妖怪が、人間どもの都合に合わせなきゃならんのだ! まったくもって忌々しい!!」

 

 その意見に対し、真っ向から反対意見を述べるものが鬼太郎たちの隣を歩いていた。

 

 それは昨日からゲゲゲの森に滞在していた小さな同胞——編笠を被った妖怪・鎌鼬である

 

 何故か今日一日中、鬼太郎たちの後を許可もなくついて来た彼がその行動、言動にいちいち文句を垂れているのだ。

 

「……ねぇ、アンタらどこまで付いてくるつもりよ。とっとと帰ってくれないかしら?」

 

 猫娘は鎌鼬を迷惑そうな視線で見下ろし、早く帰ってくれないかと再三にわたって愚痴る。実際、事あるごとにこちらへと反抗的な言動を挟んでくる彼の存在は割とウザったい。

 しかし、鎌鼬の方にまだ帰る意思はなかった。

 

「ふん! お前らがこれから会おうとしている人間の小娘……どんな奴か面でも拝んでやろうと思ってな!」

 

 自身の目的が鬼太郎たちの友人、犬山まなにあることを話し、自らの腕を鎌へと変化させながら血気盛んに叫ぶ。

 

「もしもつまらん奴なら、その場でこの鎌の錆にしてやる!!」

 

 鎌鼬の御業。

 つむじ風と共に現れては、人も物も気づかれぬうちに切り裂いてしまうと言われるその業でまなに危害を加えてやろうと豪語しているのだ。

 

「鎌鼬——そんなことすれば、ボクたちだって黙っては……」

 

 これに鬼太郎が厳しい顔をする。

 もしも、この鎌鼬がまなにそんなことをするのであれば、さすがに鬼太郎も動かざるを得ない。

 場合によっては鎌鼬と戦わなければならないと、あらかじめ彼に警告を入れようとする。

 

「——まあまあ、鬼太郎さん。そう怖い顔しないでくだせぇな~」

 

 だが鬼太郎が何かを言う前にもう一匹のイタチ。子分の方の鎌鼬がのんびりとした口調で話しかける。

 

「大丈夫でさぁ。兄貴は喧嘩っ早いお人ですが、いきなり理由もなく人間に危害を加えるようなお人じゃありませんて」

「……そうなのか?」

「ええ、きっと兄貴なりに気になるんでしょう。鬼太郎さんと仲良くしてるっていう女の子が……あっしにだって思うところはありますから」

「黙れ!! 別にそんなんじゃないわ!!」

 

 子分の言葉をムキになって否定する鎌鼬だが、その態度がまさに子分の言葉を肯定していた。

 彼ら鎌鼬も——以前に人間の女の子と関わりを持っていたという話だし、確かに気になるのだろう。

 

「……その女の子って、どんな子だったわけ?」

 

 これに興味を抱いた猫娘。彼女も鎌鼬たちが人間の女の子と仲良くしていたという話は知っていたが、それ以上の詳しい内容はまだ聞かされていない。

 目的地のオベベ沼でまだ少し距離もあるため、道すがらにでも聞いておこうとその話題を振る。

 

「そうですね……とにかく元気な子でしたよ」

 

 子分の鎌鼬が猫娘の質問に答え、女の子のことを語ってくれた。

 昔を懐かしむ彼の口調は自然と優しいものになっている。

 

「お姉さんがいるみたいで、その方からあっしら鎌鼬のこと色々と聞かされていたみたいで……」

「へぇ~、姉妹だったの……いくつくらいの子たち?」

「ええ……と、人間の歳はよく分かりませんけど……多分、小学生? 中学生っていうんですか? そのくらいの歳で……名前は——」

 

 その女の子たちの歳や名前といった情報を鎌鼬は話していく。

 

 その話を聞きながら目的地へと向かう一行。

 その先にこそ、『彼女』たちが待っていると露知らずに——

 

 

 

×

 

 

 

「——瑞生、そろそろ戻らないと。犬山さんも、ご両親のメール……ほっといてもいいの?」

 

 まなが猫娘と連絡を取ってから、さらに話し込むこと数十分。

 さすがにそろそろ戻らなけらばならないと、話に夢中になっている瑞生とまなにやんわりと帰宅を促す静流。

 

 もはや夕日は完全に沈みかけており、辺り一帯が暗くなり始めていた。一応、民家の明かりなどが申し訳ない程度に周囲を照らしているが、それも本当にごく僅かな光源。

 こんな山奥では街頭の明かりなどもない。日が完全に姿を隠せば後は闇が広がるだけ。

 そんな場所を女子だけでいるなど、不用心以外の何者でもない。

 

「そ、そうだね……確かにこれ以上は不味いよね……やばっ! お母さんに怒られる!」

 

 ハッと、我に返ったまなもその事実に遅れて気づく。

 母親のメールに返事をしていないことも思い出し、慌てた様子で連絡を取り始める。

 

「もしもし、お母さん!? ごめん!! さっき猫姉さんから連絡が——」

「……ねぇ、お姉ちゃん」

 

 まながそうして親と連絡を取っている横で、瑞生が静流に声を掛けた。

 

「お爺ちゃん遅いね。まだ戻ってこないのかな?」

「確かに……まだお仕事が終わらないのかしら?」

 

 拝み屋として、依頼主の元へと行ったきりなかなか帰ってこない彼女たちの祖父。あの祖父ならば何も心配することはないと思いつつ、やはり身内として不安はある。

 

「まあ、けど大丈夫よ。さっ、私たちもそろそろ帰りましょう」

 

 しかし姉として、静流は妹に心配をかけないようにその不安をおくびにも出さない。どの道どこに行ったか、依頼主がどんな人かも分からない以上、自分たちにできることなどないのだ。

 

「それじゃ犬山さん。私たちはこれで……」

「え? ああ! うん、じゃあ……えっ、お母さんたちも、今外にいるの!?」

 

 静流はまなに別れの挨拶を告げ、そのままお世話になる老夫婦の家に帰ることにした。電話中ということもあり、まなも仕方なく軽い会釈だけで別れの挨拶を済ませる。

 あれだけ親しく話していたにも関わらず、ちょっと寂しい別れ際であった。

 

 しかし——

 

「あっ!! お爺ちゃんだ!! おーい、お爺ちゃん……って、あれ? 誰だろう……」

「誰かと一緒ね……依頼人の人かな?」

 

 帰宅しようとしたその矢先、東側の道から祖父がやってくる。

 暗くて距離があるため分かりにくいが、誰か知らない人を一緒に連れ立っている。見たところ夫婦らしき男女のようだが。

 

 

 

「——あっ、猫姉さん!? 鬼太郎も!!」

 

 そして反対側。犬山まなからも、西側の方からやってくる鬼太郎と猫娘の姿が見えていた。

 

「まなっ!!」

「済まない、少し用事があって遅れた」

 

 猫娘はまなに向かって手を振り、鬼太郎が遅れてしまったことを謝りながら彼女の元へと歩み寄っていく。

 

「ふん、あれが貴様らの……ん?」

「あれ? 兄貴、あっちの子たち、気のせいか見覚えが……」

「…………?」

 

 そこでまなは首を傾げた。鬼太郎たちの他に見覚えのない妖怪たちがいるではないか。

 イタチらしき妖怪が二匹。気のせいかまなの背後にいる檜原姉妹に目を向け、驚いているように見える。

 

 そして——

 

「ねぇ、鬼太郎、猫姉さん……」

 

 まなはさらに——

 

 

「——そっちの白髪のお爺さん……誰?」

 

 

 

 鬼太郎たちの背後に忍び寄っていた——『白い襦袢』を纏った奇怪な老人を指差していた。

 

 

 

「——っ! 父さん、猫娘!!」

 

 まなの指摘を受けた瞬間、鬼太郎の頭頂部の毛が一本勢いよく逆立つ。

 彼の妖怪アンテナか敵意ある『外敵』の存在を探知したのだ。

 

 しかし、気づいて仲間に呼びかけた時には既に時遅く。

 その外敵は——鬼太郎の隙を突いて行動を起こしていた。

 

「——ひゃははははは!! 馬鹿め、油断しおったなぁああ~、鬼太郎ぉおお~!!」

「なっ!? と、通り悪魔、いつの間に!!」

 

 目玉おやじがその老人——怪異・通り悪魔の存在に目を見開く。 

 先ほど鬼太郎たちが警戒の対象として話題に上げていた相手だ。てっきり逃げ出していたと思っていた奴が、まさか自分たちの背後を付けていたとは。

 

「ふははっ!! 貴様に復讐する機会を狙っていたのよぉおお~! その娘が……貴様の弱みだなぁああ~!?」

「えっ!?」

 

 通り悪魔は鬼太郎たちを無視し、一直線に人間の少女——まなに向かって飛び掛かっていく。

 彼は復讐のため、鬼太郎が仲良くしているという人間がいることをねずみ男を脅して聞き出していた。そして彼の後をつけ、その人間の娘を利用して仕返してやろうと虎視眈々と付け狙っていたのだ。

 

 自らの能力——人間に憑依する力を用いて。

 

 通り悪魔は人に『取り憑く』ことでその人間を悪事へと唆す。

 今この瞬間、彼はまなに取り憑き、その肉体を自由自在に行使して鬼太郎たちを苦しめてやろうと企むのであった。

 

 だが——ここで思わぬ誤算が生じる。

 

「ははははっ——ん、な、なんだ!?」

 

 通り悪魔は確かにまなに取り憑こうとした。

 しかし、その場にまな以上に『怪異に憑依されやすい人間』がいたことにより、その人間の元へと自然と吸い寄せられてしまう。

 その少女の『憑依体質』が避雷針の役目を果たし、通り悪魔も意図しない形でそちらの少女へと取り憑いてしまったのだ。

 

「へっ……!?」

 

 そう、檜原の妹——檜原瑞生の元へと。

 

「なっ、瑞生!?」

「瑞生ちゃん!?」

 

 静流とまなが瑞生の名を呼び掛けながら駆け寄るも、既に手遅れ。

 ビクンと、瑞生の体が震えたかと思いきや、彼女は目の色を変えて忌々しげに吐き捨て——そのまま犬山まなに襲い掛かった。

 

『——……ちっ、しくじったか……まあいい……それならそれで!!』

「み、瑞生ちゃん……うぐっ!?」

「犬山さん!? こ、こら、瑞生!! 犬山さんから手を離しなさい!!」

 

 瑞生は自らの意思とは関係なく犬山まなの首を片手で掴み上げ、そのまま締め上げた。

 まなと静流がその手を引き剥がそうと試みるも、少女の細腕とは思えぬ力強さにビクともしない。

 まなはさらに苦悶の表情を浮かべていき、静流も怪異に取り憑かれてしまった妹の行為にその表情を曇らせていく。

 

「っ!!」

「まなっ!?」

「まなちゃん!?」

 

 まなの危機に鬼太郎や猫娘、目玉おやじが即座に動こうとした。

 すぐさま通り悪魔をあの少女から引き剥がし、まなを助けなければと——しかし。

 

『動くなっ!! 下手に動けば……この娘の命はないぞ!』

 

 瑞生の口を借りて通り悪魔が叫ぶ。それにより、鬼太郎たちの動きは止まってしまう。

 下手に動けば犬山まなの命が危ないと、危機感を察知したからだ。

 

『他の連中もだ!! いいか、絶対に動くんじゃない!!』

 

 通り悪魔はさらに周囲に向かって叫び、鬼太郎たち以外の面子に対しても警告を促していく。

 

 

「ま、まなっ!?」

「ひ、檜原さん……こ、これはいったい!?」

「…………」

 

 犬山夫妻が愛娘の窮地に悲鳴を上げる。

 檜原の祖父がある程度の状況を察し、様子を伺うように沈黙する。

 

 

「あ、兄貴~!!」

「動くな! 今はじっとしとれ……」

 

 二匹の鎌鼬も場の空気を読み取り、じっとしている。

 

 

 警告が伝わり、周囲のものたちが動かなくなったところで通り悪魔が乗っ取った瑞生の肉体を動かしながら舌打ちする。

 

『くそっ……いったいなんなんだ、この小娘は!? ……こんなに取り憑きやすい肉体は初めてだぞ!?』

 

 まなに取り憑こうとした自身の意思とは関係なく、まるで吸い寄せられるようにこちらの少女へと取り憑いてしまった。憑依した後も予想以上に馴染むその体に、喜びよりもむしろ戸惑いを感じている。

 

『だが……ふっ、これはこれで悪くない! このまま奴への復讐を果たしてやる!! 来い、小娘!!』

「い、痛っ!? 離して、瑞生ちゃん!!」

 

 しかし困惑もそこそこに、通り悪魔は瑞生の体でまなの髪を乱暴に掴み上げ、そのままどこかへと連れて行こうとしていた。

 当初の予定とは違う形で鬼太郎への復讐を果たすため、まなを使って何かしようと企んでいる。

 

「まなっ!? くっ!!」

 

 鬼太郎がその蛮行を阻止しようと試みるも、彼の立ち位置からでは下手に動けない。

 猫娘も、檜原の祖父も、鎌鼬もだ。

  

 人質のせいで実力あるものたちは誰もが足踏みするしかない。そんな中——

 

「——瑞生!! しっかりしなさい!!」

 

 誰よりもまなと瑞生の側にいた静流が体を乗っ取られた妹に向かって必死に呼び掛けていた。

 

 

「——心を落ち着かせるの! 通り悪魔に対処するにはそれしかないわ! 落ち着いて……瑞生!!」

 

 

 

×

 

 

 

 通り悪魔は人心を惑わし、人々を悪事へと駆り立てる。

 それに対抗するためには——心を落ち着かせ、通り悪魔の誘惑に打ち勝つ必要があると云われている。

 

 過去の伝承や記録にも『心を鎮め、経を唱えることで通り悪魔が去っていった』などといった記述がある。

 静流はその記録を読んだことがあり、この土壇場においてもそれを思い出して妹に助言することができた。だが——

 

 ——え、ええっ!? ……こ、心を落ち着かせるって……ど、どうやるのよ、お姉ちゃん!?

 

 通り悪魔に憑依された当の本人である瑞生。途切れかける意識の中で姉のアドバイスこそ聞こえていたものの、それを即座に実行することが彼女にはできなかった。

 未だ小学生の彼女にそれを実行しろという方が無茶であり、姉の助言は不発に終わってしまう。

 

『ふははは、馬鹿な女っ!! こんなちんちくりんなガキに、そんな芸当できるわけもなかろうがぁああ~!!』

 

 それは通り悪魔も承知済み。

 彼は瑞生の体を思いのまま動かし、余計なことを喋る静流の首を締めて黙らせる。

 

『黙っておればいいものを、まずは貴様から始末してやるぞ……女っ!!』

「くっ……み、瑞生!」

 

 苦しみに悶える静流。それでも彼女は必死に妹へと呼び掛ける。

 

 

『——死ねぇええ~!! 小娘!!』

 

 

 そんな彼女の想いを嘲笑うかのように、通り悪魔は妹の肉体を使って実の姉をその手に掛けさせようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——……しぬ?

 

 ——…………お姉ちゃんが……死んじゃう?

 

 

 意識が消えかけていた瑞生だったが、彼女は通り悪魔の何気なく放った『死』という単語にふと、考える。

 

 

 ——死んだら……どうなるだっけ?

 

 ——……死んだ人とは…………もう、会えなくなっちゃう?

 

 ——……おばあちゃん、みたいに?

 

 

 瑞生は去年、大好きな祖母を亡くしている。

 そのときに彼女は初めて身内の『死』というものに触れた。  

 

 あのとき感じた喪失、心にポッカリと穴が空いたようなどうしようもない感覚。

 それを、もう一度味わえと言っているのだ。 

 

 この通り悪魔とかいうふざけた怪異は!!

 しかもそれを、大好きな姉でっ!!

 

 

 ——っ!! ふざけんな!!

 

 

 それを理解することで、瑞生の意識が怒りと共に沸騰するかのように一気に沸き立つ。

 それは心を落ち着かせるのとは真逆。感情の赴くまま、激情に身を任せる行為であった。

 

 だが——ある意味で、それは怪異に対して効果を発揮する。

 

 

 ——離れろ……

 

 

『あん? なんだ、このガキ? 抵抗するつもりかぁああ~!? 馬鹿め、貴様のような小娘がこの儂に……』

 

 瑞生は心の中で叫ぶ。自分に取り憑いているこの小癪な怪異に向かって。

 通り悪魔はそんな瑞生の叫びを戯言として聞き流そうとしていた。

 

 

 だが、次の瞬間——

 

 

「お姉ちゃんから手を……触んなって——言ってるだろ、このくそジジイ!!!!!!」 

『————っ!!!!!!?』

 

 乗っ取った筈の瑞生の口から、吠えるような叫び声が響き渡る。

 その絶叫、迫力、眼力。怪異である通り悪魔ですら、虚を突かれ——ビビるほどのもの勢いであった。

 

『——憑かれても、それに負けない精神力を持て』

 

 以前に『目競』という怪異が瑞生に指導したときの言葉だ。

 瑞生の胆力、精神力が。一時的にとはいえ通り悪魔の意思を挫き、怪異である彼を跳ね除けたのだ。

 

 

 結果、通り悪魔の意識は瑞生へと剥がれ落ちていき——その本体が外へと弾き出されていく。

 

 

 

 

「——ば、馬鹿なぁああ~!? この儂が……人間の小娘なぞにぃいい~!?」

「なっ! と、通り悪魔!? チ、チャンスじゃぞ、鬼太郎!!」

 

 瑞生の体から弾き出された通り悪魔、その本体である老体が無防備に曝け出されていた。

 その隙を見逃さぬようにと、目玉おやじが息子へと呼び掛ける。今ならば、さらに別の誰かへと憑依する前に通り悪魔を打ち倒すことができる。

 

「はい、父さん!! 指鉄——」

 

 鬼太郎もこの好機を逃さず、通り悪魔を征伐しようと指鉄砲を構えた。

 これ以上、通り悪魔を野放しにしておくことはできないと、彼も覚悟を決めたようだ。

 

 だが、そんな鬼太郎よりも早く——

 

 

「——退けい!!」

 

 

 一匹のイタチが、風とともに躍り出る。

 

 

 

 

「——えっ!? い、イタチ……?」

 

 そのイタチを檜原瑞生は知っていた。

 その声に聞き覚えがあった。その釣り上がった目つきが特徴の一匹のイタチを彼女は覚えていた。

 

 本来、見鬼の才能がない彼女に怪異は見えない筈。しかし、一瞬。ほんの一瞬だが、そのイタチの姿を過去にも目撃したことがあった。

 あのときもこんなふうに自分を助けてくれた。あのときは必死だったこともあり、記憶は朧げだった。

 

 しかし、今度ははっきりと見えた。

 しかとその目に焼き付けた。

 

 

 鎌鼬の鎌の御業が、悪しき妖怪を真っ二つに切り裂くその光景を——。

 

 

「な、なんだとぉおお~!? そんな馬鹿なぁあああああああああああ!!」

 

 切り裂かれた通り悪魔が、断末魔の叫び声とともに魂だけの存在へと成り果てていく。

 しかしそちらに同情はしない。自分を使って姉に酷いことをしようとしたのだ。因果応報である。

 

 それよりも、瑞生はまたも自分を助けてくれた鎌鼬へとその意識を向ける。

 

「イタチ……あんた、イタチだよね!!」

「…………」

 

 瑞生はそのイタチが過去、自分と交流を持っていた鎌鼬だと確信して声を上げる。

 鎌鼬は無言を貫いているが、少女の言葉を否定はしなかった。

 

 刹那の間、瑞生もイタチも沈黙を貫いたままで視線を交差させていたが——ふいに、鎌鼬が口元に笑みを浮かべて呟いた。

 

「……少しはマシになったようだな……あの甘ったれたガキが、よくぞ成長したもんだ」

「えっ……?」

 

 イタチの口から飛び出たまさかの褒め言葉に瑞生は目を丸くする。

 自分を小娘と、甘ったれた人間と怒鳴り散らしていた日々が嘘のように。イタチは瑞生を一人の人間として認め、通り悪魔を自力で跳ね除けたその胆力を称賛していた。

 

「イタチ……」

 

 その褒め言葉にじんと感じ入るものが込み上げ、思わず瑞生はイタチへと手を伸ばす。

 しかし、イタチがその手を取ることはなく。彼はそっぽを向き、一陣の風と共に飛び去ってしまう。

 

 去り際、鎌鼬は別れの挨拶だけはキチンと済ませていく。

 

「——じゃあな、瑞生」

「っ! わ、わたしの名前……」

 

 瑞生の記憶にある限りで、イタチが自分の名前を読んだことなど一度もなかった。

 所詮は人間の小娘でしかない自分など、怪異であるイタチが名前で呼ぶ義理などないのだろうと、そう思っていた。

 

 しかし、イタチはちゃんと自分の名前を覚えてくれており——そして、呼んでくれた。

 たとえそれが今生の別れ、最後の挨拶になろうとも瑞生にはそれが嬉しく思えた。

 

 

 鎌鼬の去り際の風が、心地よく少女の髪を撫でる。

 

 

 

×

 

 

 

「兄貴!! 待ってくれだぁ~」

 

 通り悪魔を問答無用で切り裂いた鎌鼬が風に乗って何処ぞへと立ち去り、それを弟分のイタチも風と共に追いかけていく。二匹の鎌鼬が、もう用は済んだとばかりにその場から遠のいていった。

 

「あ、あいつら、何がしたかったのよ……あっ、そ、そんなことより、まなっ!!」

 

 猫娘はイタチたちの行動がいまいち読めなかった。

 それは先ほど通り悪魔に肉体を乗っ取られていた少女が、例の鎌鼬にとって顔見知りの姉妹だったと、その事情を察せなかったからだろう。

 とりあえず、猫娘は被害にあったまなの元へと急いで駆け寄っていく。

 

「まな……大丈夫!?」

「ご、ごほっ……う、うん、わたしは大丈夫……静流さん、瑞生ちゃんは!?」

 

 まなは咳き込んでいたが、とりあえず命に別状はないらしい。自分のことなどお構いなしに、すぐに静流と瑞生の無事を確認する。

 

「え、ええ、私は平気……瑞生も、もう大丈夫よね?」 

「う、うん。……二人とも、ごめんなさい……」

 

 静流も大きな怪我はなかった。瑞生も通り悪魔に憑依された後遺症などはない様子だが、迷惑を掛けたことを申し訳なさそうに謝る。

 自分の体質のせいで二人に危害を加えてしまったことを気に病んでいるのだろう。

 

「何言ってるの、今のは不可抗力よ!」

「そ、そうだよ! 瑞生ちゃんは何も悪くないじゃない!!」

 

 しかし今回の件、どう考えても瑞生に非はない。

 あんな、まさに通り魔的な怪異の到来、いったいどのように予想しろというのか。

 

「けど……」

 

 それでも一時とはいえ、肉体を操られて姉とまなに暴力を働いてしまったことに瑞生は罪悪感を抱き、しょんぼりと項垂れていた。

 

「——瑞生」

「っ! お、お爺ちゃん……」

 

 すると、そこへ檜原姉妹の祖父が声を掛ける。

 瑞生は厳しい祖父の視線に叱責覚悟で身を縮める。だが——

 

「よく追っ払った。おめぇにしては上出来だ」

「へっ……お、怒らないの?」

 

 祖父は今回の瑞生の活躍を素直に認め、そっとその頭を優しく撫でてくれた。

 

「静流、おめぇもだ。よく通り悪魔の対処方法を覚えてた」

「え、あ……う、うん」

 

 さらに姉の静流にもそのような褒め言葉を送る。実際には不発に終わったものの、通り悪魔への対処方法は静流の指摘した通り、心を鎮めるのが正解だ。

 

 怪異に対して自分たちだけで立ち向かえたことを、祖父はしっかりと見てくれていたのだ。

 静流も瑞生も、そんな祖父からの称賛に笑顔を浮かべる。

 

「——まなっ!! 大丈夫だったの!?」

「——怪我はないか!! まなっ!?」

「お、お母さん、お父さんも!?」

 

 一方で、まなの方にも純子と裕一が駆け寄っていく。

 何が起きたかなど、いまいち把握しきれていない犬山夫妻だったが、とにかく娘が無事だったことを安堵する。

 

「あれ? お爺ちゃんの依頼人って……犬山さんの御両親だったの!!」

「ああ、まあな……」

 

 そこで静流が勘付く。祖父と一緒にここへ来た犬山夫妻が今回の依頼人であったこと。

 

「? 依頼って……檜原さんのお爺さんって、拝み屋だよね。お母さん……いったい、何をお願いしてたの?」

「……拝み屋?」

 

 まなは姉妹から祖父の話を聞いていたが、それが自分の両親と会っていたことは初耳である。

 拝み屋である彼に両親が何の用事だったのかと。まなと、そして妖怪である猫娘は疑問符を浮かべた。

 

「そ、それは……」

「…………」

 

 まなの疑問に彼女の両親は言いにくそうに口を噤んでいた。いきなりのことで、何処から話を切り出すべきかと迷っているのだ。

 

「構いませんよ、犬山さん。わしから話しましょう」

 

 すると困っている犬山夫妻に代わり、檜原の老人が口を開く。拝み屋として先ほど夫妻にも話した今回の依頼内容。

 

 

 即ち『名無し』の件について、当人であるまなに語りかけていく。

 

 

 

 

 

 名無し。

 犬山まなが鬼太郎と共に立ち向かい、そして成仏させた水子の霊。

 まなは事件の当事者として名無しの誕生からその結末までを知る身だが、実のところ彼女にも知らない事柄がそこには秘められていた。

 

 例えば——名無しを成仏させるため、まなに『真の名と名付けた』曾祖母のこと。

 

 彼女は拝み屋として、一族に関わるものとして名無しの存在を予期し、様々な手を打ってきた。

 残念ながら、その結末まで見届けることができず、心半ばにして寿命を迎えてしまったが——彼女はその役目を自身と関わりの深い同業者に託していた。

 

「君のひいおばあさんは……わしにとって師匠筋に当たる人だ。あの人はわしに名無しにまつわるその後を託して……この世を去った」

「えっ……貴方が、ひいおばあさんの!?」

 

 その託した相手こそが、檜原の祖父——目の前にいる老人だったのだ。

 まなはその事実に呆気に取られているが、老人は続きを語っていく。

 

「わしらは奴の存在を認知していた。だが……わしらに奴を成仏させることはできんかった。名を付けられていない奴は……その言葉通り『名も無い存在』。存在しないものに、わしらは決して手を出すことができんかったのだ……」

 

 多くの怪異に対処してきた、拝み屋として本物の実力を持つ檜原の老人。

 だがそんな彼にですら、名無しは全くもって対処不可能な存在だったのだ。

 

「奴を成仏させるには……その宿命を帯びた人間でなくてはならんかった。その資格を持つ人間としてあの人は……わしらは君に『真の名』を付けさせた……」

「……」

 

 それはまなも既に知っていた事実だが、その名付けられた経緯を直に知る本人から知らされるとまた違った重みを感じさせられる。

 本当に——自分は名無しの器としてなるべくしてなったのだと、思い知らされる。

 

「だが……そのせいで君には辛い思いをさせてしまった。わしらは何も知らない君を……言うなれば『人柱』にしてしまったのだ。本当に……済まなかった」

「お、お爺ちゃん!?」

「お爺ちゃんが……頭下げてる」

 

 檜原の祖父が深々と頭を下げ、まなに謝罪していた。 

 その光景に孫たちがびっくりしているようだが、それだけ祖父はまなに酷いことをしていたという罪悪感をずっと胸に秘めてきた。

 

 まだ名前すら付けられていなかった赤子に、全てを背負わせるベき名前を付けた。

 それにより、まなは名無しを成仏させる『資格』を有したと同時に、名無しの『器』として狙われるようになったのだ。

 

 見方によっては人生そのものを曲げられた。

 そう思われても仕方がない事実である。

 

「まな、檜原さんを責めないで上げて。全ては……私の血筋から始まったことなんだから……」

 

 そこへ、純子が話に入ってきた。

 彼女は実の娘に老人を恨むことのないよう、全ての責任が自分の血筋にこそあると苦しい表情で告げる。

 

 

 純子も、そして裕一も。

 名無しの件については檜原の老人から聞かされ、全ての事情を理解していた。

 というよりも、実のところ曾祖母——彼女が亡くなった際の葬儀の日。十年以上も昔に、檜原からそれとなく知らされていたのだ。

 

 真の名と付けさせた理由。

 それに伴い——いつかまなの周囲に『名無し』と呼ばれる怪異が姿を現すであろうことを。

 

 しかし、当時の純子たちはその話を信じなかった。

 妖怪たちが今のように活発に活動していなかった頃だ。檜原の老人の警告も、眉唾なオカルト話として聞き流していたとのこと。

 今日、改めて聞かされたことで——犬山夫妻は名無しのせいで娘が散々な目に遭ってきたことをようやく知ったのである。

 

 

「私たちがその話を信じていなかったせいで、檜原さんは名無しの到来に気付くのが遅れて……手を打つことができなかったのよ。私たちが……私が全部悪いのよ……だから!!」

「そ、そうなんだ……お母さんたちも、知っていたことなんだ……」

 

 名無しのこと、両親も知らされていた事実にまなは衝撃を受けたのか。暫し何かを感じ入るように目を閉じる。けれども、それらの事実に表情を曇らせることはない。

 まなは真っ直ぐな瞳で実の両親を、檜原の老人を見つめて自らの気持ちを吐露していく。

 

「顔を上げて下さい、お爺さん。わたし……別に誰も恨んでませんから」

 

 真名と名付けられたことで、確かにまなの運命力は変わったかも知れない。器などにされていなければ、彼女は普通の人間として、怪異に関わらない平穏な一生を送れたかもしれない。

 

 けれどその場合。

 彼女は妖怪などとも無縁——そう、鬼太郎たちとも出会わない、そんな人生を送っていたかもしれないのだ。

 

 それはきっと寂しいことだったと。今ならばはっきりと断言することができる。

 

「わたしは今の自分の名前、とても気に入ってるんです。ひいおばあさんがこの名前を付けてくれたことで……この宿命のおかげで、わたしは鬼太郎や猫姉さん……妖怪の皆と出逢えて友達になれたと思えるから」

「まな……」

 

 その言葉に猫娘がまなを見つめる。

 

「それに名無しにだって、あの子に出逢えたことも……結果的には良かったと思えるから……」

 

 それと名無しのことも。

 まなが器としての資格を有していなければ、かの者は永遠にこの世を彷徨っていたかもしれないのだ。

 彼の生い立ちを知った今ならば、彼を成仏させることができて本当に良かったと。

 

 心からその誕生と成仏を祝福できた。

 

「だから……ありがとうございます! わたしに、この名前を……真名って素敵な名前を付けてくれて!!」

 

 だから礼を言うならまだしも、恨むなんてとんでもない。

 まなは正直な気持ちから、檜原の老人に感謝の言葉を送った。

 

「!! そうか。そう言ってくれるなら……きっとあの人も喜んでくれるだろう……ありがとう、まなくん」

 

 まなの感謝が、老人の後ろめたさを払拭してくれた。

 彼はどこか晴々とした表情で星々が輝く空を見上げる。

 

 先に天寿をまっとうして旅立った師に、此度の一件を報告するかのように——。

 

 

 

×

 

 

 

「——あなたが、猫娘さんね? まながいつもお世話になっています」

「っ!!」

 

 まなと老人の会話が終わって暫く、今度は犬山純子が猫娘に声を掛けていた。

 猫娘は以前に自分が怪我を負わせてしまった女性。負い目のある相手から声を掛けられたことでビクッと肩を震わせる。罵声の言葉を浴びせられるのを覚悟で心の準備をする。

 

 しかし、純子の口からは思わぬ言葉が飛び出す。

 

「あなたや鬼太郎さんにも、本当にご迷惑をお掛けしました。私たち一家の事情に巻き込んでしまったこと……ここに深くお詫びします」

「えっ!? そ、そんな……謝るのは私の方なのに!」

 

 純子は猫娘が自分を傷つけたことなど一切気にした様子もなく、彼女や鬼太郎たちを名無しとの一件に巻き込んでしまったことを心底申し訳なさそうに謝ってきたのだ。それに対して猫娘も慌てて謝罪する。

 謝らなくてはならないのは自分の方なのにと、純子を傷つけてしまった一件を猫娘の方から口にする。

 

「いえ……元を辿れば全て私たち沢田家の血筋から始まった問題なんです。あなたが気に病むことじゃないの。それよりも……あなたの方こそ、大丈夫だった?」

 

 だがそんなことと、当の本人は全く気にしていなかった。

 下手をすれば死んでいたかもしれなかったというのに、純子は平然と猫娘の心配をしていたのだ。

 

「…………」

 

 さすがはまなの母親。親子揃って自分のことなどより、他者のことを先に気遣うのだ。

 これでは猫娘も、何も言うことなどなくなってしまう。

 

 そして、純子はさらに猫娘へと優しく語り掛ける。

 

「それで、今更こんなことを言うのもなんですけど……」

 

 今回、鬼太郎たちをここへ呼んだ要件。

 親として、正式に鬼太郎たちに挨拶をするために。

 

「もしよかったら……これからも娘と仲良くしてあげて下さい。今日は……それをあなた方に伝えたかったのよ」

「ボクからもお願いするよ、猫娘さん」

 

 これからもまなと仲良くしてほしいと。

 純子も、そして裕一も。

 

 笑顔で妖怪である猫娘に微笑みかける。

 

「ええ、ええ!! こちらこそ……よ、よろしくお願いします!」

 

 その言葉に、猫娘は救われる思いで頷く。

 自身の犯した罪が許されたこともそうだが、なにより妖怪である自分を受け入れてくれたこと。

 

 それがたまらなく嬉しくて、彼女はその瞳に嬉し涙を浮かべていた。

 

 

 

 

 

「よかったのう、猫娘。ちゃんとまなちゃんの御両親と向き合うことができて」

「ええ……そうですね、父さん」

 

 まなの両親と猫娘が笑顔で向かい合うその光景を、鬼太郎と目玉おやじが少し離れたところから見ていた。

 最初はどうなることかと思っていたが、実際に会ってみれば実に穏やかな顔合わせ。

 

 彼らに拒絶されるかもと、気を揉んでいた自分たちの心配はなんだったのか。

 変に緊張していたついさっきまでの自分たちに鬼太郎は苦笑いを浮かべる。

 

「——よお、ゲゲゲの鬼太郎」

 

 すると、そんな鬼太郎に対して先ほどまなと話していた老人。檜原の拝み屋が歩み寄ってきた。

 

「……? あの、どちら様でしょうか?」

 

 随分と気軽に声を掛けてきたが、鬼太郎はその老人の顔に見覚えがなかったため、そのように聞き返す。

 その反応に老人は「ははっ!」と歳に似合わぬ快活な笑い声を漏らした。

 

「やっぱ覚えてねぇか? まあ、無理もねぇだろう。わしがお前さんと顔を合わせたのは……もう五十年以上昔の話だからな」

 

 五十年以上。

 妖怪である鬼太郎にとってもそれなりに長い年月。人間であればそれこそ、青年が老人になる年月の流れである。

 鬼太郎とて、これまで出会ってきた全ての人間の顔を覚えているわけではないのだ。おそらくこの老人も、鬼太郎が覚えていないだけでどこかで会ったことのある人間なのだろう。

 

 実際、老人は鬼太郎のことが印象に残っているのか。

 過去を思い返しながら、感慨深げに語っていく。

 

「あの頃のわしは青二才のガキだったよ。妖怪なんざ、怪異なんざ全て追っ払っちまえばいいと……ほんと、未熟で身の程知らずな拝み屋だった……」

 

 今でこそ怪異への深い知識や経験を持って立ち回ることのできる老人だが、彼にだって尻の青いガキの頃があった。怪異に対する無理解からその逆鱗に触れ、命の危機に瀕したことがあったのだ。

 

 その危機を救った相手が——ゲゲゲの鬼太郎だった。

 

 助けた本人はすっかり忘れているが、助けられた当人はしっかりと覚えている。

 彼はそのときに鬼太郎に言われた言葉、それを理念に拝み屋としての活動を続けて今日に至る。

 

「——妖怪と人間は交わらない、交わっちゃいけない、だったか?」

「!!」

「わしなりにその言葉を軸にやってきたつもりだったが、まさか言った本人がこうまで深く人間に関わることになってたなんてな。最初聞いたときは驚いちまったよ」

「そ、それは……」

 

 老人の言葉に鬼太郎が言い淀む。

 彼の言った言葉は確かに鬼太郎の基本理念。だがその考え方も、ここ最近になって揺らぎ始めている

 

 犬山まなと、出会うようになってから。

 

 彼は老人の言葉に、まるで過去の自分から変化しようとしている今の自分が責められているかのようで、その顔色を暗くする。

 だが——

 

「別に責めてるわけじゃねぇさ。歳を食えば考え方だって変わるもんだ……人間も、妖怪だろうとな」

 

 老人はそれが当たり前のことだと。別に鬼太郎を責めはしない。

 生きていれば、出会いによって生き方を変えられることもあるだろう。それが『人生』だと老人は経験として知っているからだ。

 

「わしも……ここ最近の情勢を見ててたまに思うんだよ。ひょっとしたら……わしの考え方は古いんじゃないかとな……」

 

 基本的に、老人は怪異と人間が深く関わることを良しとしない。故に、昨今の気軽な妖怪ブームに不機嫌さを隠せないのだが——それでも、たまに考えてしまう。

 

 もしかしたら、妖怪とああやって笑い合う。

 そう、今の犬山家と猫娘がそうしている光景が——ひょっとしたらこの先、あるべき姿になっていくのではと。

 

「——ねぇねぇ! その人がさっきの話に出てた猫姉さん? わたしにも紹介してよ!!」

「——ちょっと、失礼でしょ、瑞生! ご、ごめんなさい……犬山さん」

「——ううん、全然!! ほらっ! 猫姉さん!!」

「——あっ、まなってば! 引っ張らないでよ!!」

 

 老人がそう考えている眼前で、犬山家と猫娘の輪の中にさらに孫たちである静流や瑞生まで加わっていく。祖父の日頃の教えをどこへやら。犬山まなという仲介を伴い、孫たちが妖怪である猫娘と交流を深めていた。

 いつもならば「調子にのんなよ」と、孫たちへ小言の一つでも漏らしていただろう老人だが。

 

 不思議と——その景色を前に何も言う気が起こらなくなっていた。 

 

「……いつか、その『疑問』にあの子たちで答えを出す日がくるのかもしれねぇな……」

 

 人間と妖怪。

 果たして関わるべきか、それとも一定の距離はしっかりと保つべきか。

 

 あるいは——排斥すべき対象として、互いに滅ぼし合うことになるか。

 

 未来がどうなるかは分からない。

 それをどこまで見届けることができるのか。今の老いた彼には想像もつかない。

 

 もしかしたら、その答えを見届ける前に寿命を迎えることになるかもしれないが。

 それでもせめて、生きている間は先達者として孫たちをしっかりと導いていこうと。

 

「——静流、瑞生……そろそろ戻るぞ」

 

 彼は孫たちを帰るべき場所へと導いていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 鬼太郎は老人の言葉に考える。

 果たして自分はどうあるべきかと。今一度、己の立ち位置を見つめ直すため、少しの間そこで立ち止まる。

 

「鬼太郎や……わしらも行こうか」

 

 しかし、それは今ここで考えて分かることではない。

 目玉おやじに促されたことでハッと我に返った鬼太郎。

 

「そうですね……父さん」

 

 彼は彼で、今の帰るべき場所へと足を向ける。

 

「——あっ! 鬼太郎!! こっち、こっち!!」

「——何してるのよ、鬼太郎!!」

 

 自分に向かって手を振るまなと猫娘のいる場所へ。

 今の自分が進むべき方角へと、迷いながらも歩を進めていった。

 

 

 

 

 

 

「——ああ、今行くよ」

 

 

 

 

 

 




次回予告

「父さん、テニスに熱いあの狒々が。
 またも人間の女の子のコーチをすることになったそうです。
 熱くなりすぎて、またハラスメントなんて言われなければいいんですが……
 
 次回——ゲゲゲの鬼太郎『テニスの王子様』 見えない世界の扉が開く」

 感想の返信欄でコメントしましたが、次回はスポーツもの。
 以前もどこかで名前を挙げましたが、某テニス?漫画からのクロスオーバーです。

 完全に六期の話——55話『狒々のハラスメント地獄』の続編となっておりますので、あしからず。

 予告通り、次の更新は来年となります。
 少し早いですが、よいお年を!!


 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

テニスの王子様 其の①

あけましておめでとうございます。
今年も当小説をよろしくお願いたします!

さて、年明け一発目は予告通り『テニスの王子様』とのクロスオーバー。
いきなりですが、前書きで鬼太郎側の登場人物の紹介をさせていただきます。

狒々
 今作の主役。
 六期アニメ・55話『狒々のハラスメント地獄』の主役でもあります。
 何をやってもハラスメント扱いされてしまう、ちょっとかわいそうな妖怪。
 今回の話、一応は彼の救済も考えてはいますが……果たしてどうなることか。

岡倉優美
 狒々から教えを受けた女子テニスプレイヤー。
 妖怪にビビるどころか、妖怪を利用してでも強くなろうとした肝の据わった女の子。
 直接の出番はありませんが、過去回想など登場する予定です。
 
鬼太郎・目玉おやじ
 本来は主役とそのお父さん。
 ですが今回の話ではちょい役。前半は影も形も出てきません。ほぼ空気。

その他の鬼太郎ファミリー
 まったく出番なし。


今回の話、狒々とあのテニヌが関わるだけあってそれなりにカオスな部分も多分にありますが、話の構成自体は真面目に考えたつもりです。

テーマは『スポーツマンの葛藤』。
自分がスポーツ漫画読む際、常に考えていることをこのクロスで表現してみたいと思います。
 
 
 


「——はっ! ふっ! …………はぁ、ダメだ……。こんなんじゃ、全然ダメだよ!」

 

 東京都内、某スポーツ施設。

 女の子が一人、テニスラケットを片手にバッティングマシーンが繰り出す球をひたすらに打ち返していく。

 既に学校の部活動も下校時間も過ぎ、夜も遅いというのに未だに帰る様子を見せない、長い髪を三つ編みにしたその少女。

 何が気に入らないのか何度も何度も自身のフォームを確認し、がむしゃらにラケットを振り続ける。

 

「——こんなんじゃ、いつまで経っても強くなれないよ……」

 

 その少女の名は竜崎桜乃(りゅうざきさくの)

 東京都内青春学園中等部——通称『青学』に通う、今年で二年生の女子生徒である。

 

 元々運動が得意ではなかった桜乃だが、とある理由により中学からテニスを始める。青学の女子テニス部に入部したその日から彼女はテニス漬けの日々送り、学生らしく部活動に励んできた。

 

 だが、このように夜遅くまで。それもたった一人で闇雲にラケットを振り続けるような子ではなかった筈だ。

 どちらかというとみんなと一緒になって。勝敗に関係なく楽しく練習する。そんなプレイスタイルの子だった。

 

 ところがここ最近の彼女は強くなるという目標に向かい、ただガムシャラに——後先考えずにラケットを振り続けていた。

 

「——強くならならなきゃ……」

 

 今の彼女を突き動かしているのは『強くなりたい』という思い。

 もっとテニスを上手になりたい、試合に勝ちたいという。スポーツ選手ならば誰もが抱いて当然の執着。

 

 しかし、それは『楽しいテニス』が出来ればそれでいい筈の、竜崎桜乃という少女にとっては慣れない感情だった。

 慣れぬ感情のコントロール方法さえままらず、彼女は限界以上に肉体を行使し続け、まだ成長し切っていない未成熟な体に多大な負荷を掛けていた。

 

 何故、それほどまでに勝利へのこだわりを抱くようになったのか?

 

 それは今から数ヶ月前。

 地区大会でぶつかった、とある選手との試合が原因であった。

 

 

 

 

 今年で二年生に進級した桜乃。

 彼女は今年の春、毎年行われるテニスの公式大会。中学テニスの全国大会にエントリーすることになった。

 

『——竜崎さん、あまり気負いすぎないで。勝てればいいなくらいの気持ちで、ちょうど良いんだから』

『——は、はい!! 部長!!』

 

 大会参加にあたり部長がそのように声を掛けてくれたよう、これは絶対に負けられない戦いではない。

 

 青春学園テニス部。

 男子の方は全国区の名門ということで毎年の全国出場・制覇を目標としている。

 対して、女子テニス部はそこまで強豪というわけでもないため、部員たちの中にも勝たなければならないという意気込みは特にない。

 

 桜乃にとってもその試合は、あくまで日頃の練習の成果を試すための場でしかない。

 全国大会に絶対出場するとか、天才であることを証明するために全国一位になるとか。そういった高い目的があるわけではない。

 自分の今の実力がどの程度なのか。それをしっかりと見極め、楽しい試合ができればいいなと。少なくともその時点ではそう思っていた。

 

 実際、地区予選の第一試合は実に充実したものになった。

 対戦相手は自分と同じくらいの実力。試合は白熱し、後半はどっちが優勢などと気にする余裕もなく、無我夢中で打球を打ち合うかなりの接戦となった。

 そうした接戦の末——勝ったのは桜乃の方だった。

 

『——ありがとう、あなたと戦えてよかったよ……ぐすっ』

 

 どっちが勝ってもおかしくなかった試合なだけあって、対戦相手は悔し涙を流していた。

 けれども、最後はしっかりとスポーツマンらしく、爽やかに互いの健闘を称え合った。

 

 ——勝った……やった! どうしよう……すっごく嬉しい!!

 

 桜乃は、そんな勝負に達成感を得ていた。

 勝てたことも勿論、充実した試合内容に心から満足していた。自分の課題や欠点なども見えた、次に繋がるとてもいい試合内容だったと。

 

 その調子のまま、次の試合も実りのあるものにしようと意気込んで挑んだものだ。

 

 

 

 

 だが、その二回戦。

 次なる対戦相手から桜乃は1ゲームどころか、1ポイントも取ることができずに敗北——惨敗したのである。

 

 

 

 

 ——もっと……もっと強くならないと!!

 

 その試合の日以降だ。

 竜崎桜乃は、とにかく強さを求めて今のようにガムシャラに練習するようになった。

 

 その根底にあるのは、当然ながら無様な試合をしてしまった自身の技量を恥じた上でのこと。

 次は絶対にあのような情けない試合にはしないぞという、純粋なスポーツマンの闘争本能からくる衝動であった。

 

 

 だが、それ以上に彼女を駆り立てるものがある。

 

 

 ——強くならないと……『彼』の隣に立てない!

 

 ——今のわたしには……きっとその資格もないから!

 

 ——だからもっと、もっと、もっと……

 

 それは、まさに竜崎桜乃という少女の根幹。

 

 

 テニスを始めようと思った『原点』とも呼ぶべき感情によるものであったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、少女がそんな己の感情に振り回されていた。

 その一方で——

 

「——ふんふ、ふ~ん♪」

 

 施設内の他のコートでご機嫌気分、鼻歌交じりにラケットを振るう男がいた。

 

 彼は桜乃の使用しているバッティングマシーンよりも、さらに速い球速を的確に軽々と打ち返していく。それだけで相当な実力者だということが見て取れるだろう。

 サングラスにジャージ姿、大柄に逞しい筋肉。全身がかなり毛深く、髪はサラサラのロングヘアー。

 ニッコリと笑顔を浮かべる口からは——何やら『牙』らしきものが垣間見える。どことなく人間離れしている容貌だ。

 

「いや~、やっぱええな~!! ここのバッティングマシーンは!!」

 

 それもその筈——その男は人間ではなかった。

 

「山の中で猿相手にテニス教えるのもええけど……やっぱ、たまにはこうして人間の最新技術に触れておかんとな!!」

 

 彼の名は狒々。

 人間たちの伝承においては女性を攫うとされる大猿の妖怪だが、少なくともこの狒々にそのような趣味はなく。

 

 

 

 彼は日々『テニス』に熱中する、少し……というより、かなり風変わりな妖怪である。

 

 

 

×

 

 

 

 テニスに熱いその妖怪・狒々。

 彼とテニスとの出会いは昭和の初期ごろまで遡る。当時はそれこそ、日本でも人間たちの間でテニスが普及し始めていた頃だ。

 細かい経緯は謎だが、狒々はとある西洋風の屋敷に滞在していた少女からテニスを習うこととなった。これまでスポーツの類に一切縁もゆかりもなかった狒々にとって、その出会いはまさに運命。自身の生涯を変えるものであった。

 すっかりテニスに熱中することになった狒々。彼はひたすらに練習を重ね、その腕前のほどをメキメキと上げていく。

 

 彼にとってさらに転機となったのが、その五十年後である。

 

 相当な実力者となった狒々は今度は教える側として、とある少女にテニスを指導していくこととなる。

 

 土手久美子という少女。

 

 狒々のコーチによって才能を伸ばし、彼女は世界ランキング4位にまで登り詰める実力者にまで大成することとなる。

 そう、狒々のコーチングによって、久美子は世界に通じるほどの選手となっていったのだ。

 

 その瞬間である。狒々が指導者として『人を育てる』という喜びに目覚めたのは。

 

 

 しかし——

 

 

「——まあ、人間に教えるんはもう懲り懲りやけどな。またパワハラ言われてもかなわんし……」

 

 現在、こうして人里の最新設備を利用しに来てはいるものの、今の狒々に人間を指導するつもりはない。

 いや、少し前までならノリノリでコーチ役を買っていただろう。

 

 だが、その際に彼は思い知ったのだ。

 狒々がコーチとして全盛期だった『昭和』と現代の『令和』。時代におけるスポーツ環境の違い。

 

 パワハラ問題の壁というやつに。 

 

 

 

 

 

 パワーハラスメント。通称、パワハラ。

 ここ数年で何かとあらゆる業界を騒がせている社会問題であり、狒々が身を置いていたスポーツ界隈にも広く影響を及ぼしていた。

 実際問題、監督やコーチ、スポーツ協会のお偉いさんなど。上の立場を利用し、下の立場である選手たちに暴力や圧力などを掛ける問題など。是正しなければならないことも確かにあった。

 

 しかし、どちらかというと古いタイプの指導者であった狒々。彼は選手への暴力や暴言など、ある程度であれば許容されるべきではと考えていた。「指導者が全力でぶつかる以上、選手に対して手が出るときだってある」そういった価値観の持ち主。

 

 そんな狒々にとって、行動一つ言動一つで世間様から『パワハラ』やら『セクハラ』などと揶揄される現代は実に生きづらい、つまらない世の中なのである。

 

『——そんなつまらん世の中やったら、わしはもうええわ』

 

 そんな世の風潮には付いていけんと、狒々は未練を残しつつも指導者の第一線を自ら退くことを選んだ。

 

 今では大猿の妖怪らしく山の中で、猿相手にテニスを教える静かな日々を過ごしていた。

 

 

 

 

「さーてと、今日もいい汗かいたし……そろそろ帰るかいな!」

 

 そういった事情もあり、狒々はこの日もすぐに山へ帰ろうとしていた。

 山へ帰り、猿たち相手に根性論全開のテニスを叩き込む。それが現在の狒々のライフスタイル。

 稀に人里に降りてくることがあっても決して長いはしないし、このときもそのつもりでいた。

 

「……んっ?」

 

 だがこの日、たまたま狒々は目にしてしまう。

 隣のコート、一心不乱にラケットを振るう少女の姿を——。

 

「はぁはぁ……」

 

 

 竜崎桜乃という少女が熱心に練習に打ち込んでいるその光景を——。

 

 

 ——……ふーむ、なかなかええ筋しとるな……あの子……。

 

 コーチとしての癖か。狒々はその場で足を止め、桜乃のテニスプレイヤーとしての実力を分析する。

 狒々の目から見て、彼女の力量は決して高いものとは言えなかったが筋は悪くない。まだまだ未熟な反面、伸びしろを感じさせる素材として魅力的に映った。

 つい思わず、アドバイスの一言でも送ってみようかとそんなことを考えてしまう。

 

 ——おっと……アカンアカン! 極力人間には関わらんと、固く誓った筈やで!

 

 しかし、ギリギリのところで思い止まる。

 見知らぬ女の子に迂闊に声を掛けては、またマスコミに「セクハラだ!」などと罵られてしまう。今の狒々は過去の教訓から学び、あまり人間と関わらないように心掛けていた。

 熱心にラケットを振るう少女の姿に指導者としての血が騒ぐも、なんとかそれを抑え込みその場を立ち去ろうとした。

 

 だがそのとき、事件が起きた。

 

「——あっ!?」

 

 あまりにも熱心にラケットを振り続けていたせいか。桜乃は急激に体のバランスを崩し——その場にて盛大に転けてしまった。

 

「おっ、おいおい!! 大丈夫かいな!?」

 

 これには狒々も声を上げる。

 随分と派手に転がっていたため、助けが必要と判断して咄嗟に少女へと駆け寄っていく。

 

「痛たた……だ、大丈夫です。このくらい、大したことじゃ……あっ!?」

 

 狒々に助け起こされながらも、このくらいはなんともないと。

 強がりを口にしながら、桜乃は手を貸してくれた彼のほうに目をやり——瞬間、息を呑み。

 

 

 狒々の顔を見て、彼女はその表情を強張らせていた。

 

 

 ——はっ! し、しもうた!! ま、またセクハラになってまう!?

 

 狒々は少女のその反応から、『またも自分がセクハラで訴えられる』という可能性にビビりまくる。

 前回も馴れ馴れしく選手の肩に触っただけで悲鳴を上げられ、セクハラ扱いされてしまった。

 

 きっと自分では何をやってもハラスメントにされてしまうのだろうと。狒々は半ば泣きそうな思いで少女の次なる反応に戦々恐々とする。ところが——

 

「あなたは……狒々村コーチ……!!」

「へっ?」

 

 狒々は『狒々村』の名で叫ばれた。その名前は彼が人間社会に身を潜める際の偽名である。その名で呼ぶということは彼女が狒々のことを『テニス選手のコーチ』であると認識しているということだ。

 しかしその少女、三つ編みの彼女に狒々はとんと見覚えがなく首を傾げる。

 

 すると、少女——竜崎桜乃の方から申し訳なさそうに頭を下げてきた。

 

「あっ、ご、ごめんなさい。覚えているわけないですよね……」

「えっ……ど、どこかで会ったか?」

 

 どうやら直接会ったことがある相手らしいが、やはり狒々の方にはまったく見覚えがない。

 

 しかしそれも当然だろうと。竜崎桜乃はその表情をより一層曇らせ、自虐的な笑みを浮かべて呟いていた。

 

 

 

「わたし『敗者』なんです。狒々村さんがコーチを務めた……岡倉選手と戦って負けた……無様な敗者なんです」

 

 

 

×

 

 

 

 岡倉優美(おかくらゆみ)

 狒々が最後に指導した女子テニスプレイヤーであり、つい先日も中学女子テニスで全国制覇を成し遂げた天才少女。

 

 そして——竜崎桜乃が地区大会の二回戦で手も足も出ずに敗北を喫した相手でもある。

 

 桜乃はその試合の際に狒々村と顔を合わせていた。試合中も随分と熱心に指導していたことが、桜乃の印象として強く残っている。

 

「そ、そうか……優美と対戦した子だったんか……あ、あかん……全然覚えとらん」

 

 しかし狒々の方はまったく記憶になく、彼は自身の記憶力のなさに心底申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「はい……といっても、全然いいところもなく負けちゃいましたけど……」

 

 だが、申し訳なくしているのは桜乃も同じだった。

 彼女は狒々に自分の無様な試合、優美との対戦結果があまりにも一方的だったことを気に病んでいる。

 狒々が覚えていないのも当然と。自分がそれだけ対戦相手の印象に残らないような試合しかできなかったと、彼女は己自身の未熟さを恥じていたのだ。

 

 今現在、二人は施設内の休憩室のベンチに腰かけている。

 

 先ほど盛大に転けてしまった桜乃だったが、これといって深刻な怪我はなかった。念の為に少し体を休める桜乃の話を、狒々が静かに耳を傾けていた。

 

「それにしても、随分と練習熱心やんけ。来ないな時間まで……感心するけど、さすがに帰った方がええんちゃうん?」

 

 ふいに狒々は時計を見やる。既に時刻は八時を回っており、健全な女子中学生ならばそろそろ帰らなければならない時間帯だ。

 まあ、狒々が優美に稽古をつけていた頃はその程度の時間はぶっちぎりで無視していたかもしれないが、それはそれ。世間一般的な観点では帰らなければならない時間だと、狒々もある程度現代人の常識を学びつつある。

 

「ええ、分かってます。分かってはいるんですけど……」

 

 桜乃も、自分が無茶な時間まで練習しているという自覚はあるようだ。だが狒々の言葉に同意しつつも、彼女は握るラケットから手を離そうとしなかった。

 

「わたし……もっと強くならないといけないんです。もう二度と……あんな負け方をしないためにも」

「そ、そこまで優美に負けたことを引きずっとるんか……」

 

 狒々の胸がチクリと痛む。

 勝負の世界である以上、優美が桜乃をコテンパンに負かしたことは仕方のないことだ。だが、よもやそのせいで彼女が自分をここまで追い込むようなトレーニングをするようになったとは。

 一人のスポーツマンとして責任を感じた狒々は、なんとか桜乃を家に帰そうと説得を試みる。

 

「そ、そんなに気にすることやない、優美はこのワシが育てた選手や。並の選手で太刀打ちできる相手ではないんやから。お前さんが特別弱いってわけでもないやろ、うんうん!」

 

 だが相手を慰めるつもりで吐いた狒々の言葉も、聞きようによっては只の自慢話になってしまう。

 

「並……そうですね。わたしみたいな凡人じゃ……逆立ちしたって、勝てる相手じゃ……」

 

 桜乃もかなりナーバスになっているのか。狒々の下手くそな慰めにさらに顔を俯かせる。

 

「あっ、い、いや……べ、別にあんたが凡人やなんて言っとるわけでは……だいたい才能なんてそんなもん、無くても気合と根性で補うもんや!」

 

 焦る狒々。

 彼はさらに説得を続けようと、桜乃の弱気な言葉を否定し、ついでに己のスポーツにおける価値観について語っていく。

 

 

「——優美かて、最初から才能があったわけやないで。あの子はあの子なりに、必死に努力をして今の強さを手に入れたんや!」

 

 

 中学二年生にして全国制覇した優美をメディア各社は『天才少女』と持ち上げていた。

 

 しかし、狒々から言わせてみれば才能なんてものは二の次。スポーツマンにとって一番必要なものは気合と根性。そして、厳しい練習に耐えるメンタルであると考えている。

 最終的に——優美は狒々の厳しい訓練に反旗を翻したが、決して彼女に根性がなかったわけではない。

 寧ろ、テニスに対する情熱ならば狒々以上。彼女は生活の全て、日常の全てをテニスへと結びつけ、ありとあらゆる手段を講じてその手に栄光を掴んだ子だ。

 

「そして、選手が強くなるには優秀な指導者が必要不可欠や! それを欠いた状態でいくら練習したかて、上達なんて絶対せえへんぞ!!」

 

 さらに狒々はその上で、選手の成長には優秀なコーチ役が必要だと力説する。

 事実、優美に確かな実力を付けたのは狒々であり、その後も彼女は新しいコーチ——ぬりかべコーチの元でさらにその実力を開花させたのだ。

 

「せやから、お嬢ちゃんがこうして一人で練習してても効果は薄い……今日はもう大人しく帰りや」

 

 故に、桜乃が夜遅くまで一人きりで練習しても意味はないと。彼女の無謀な練習を狒々は止めようとしていた。

 

「優秀なコーチ、ですか……」

 

 すると、桜乃は狒々の言葉に感じ入るものがあったのか。

 何かを思案しつつ——ふいに、狒々の顔を伺うように呟きを漏らす。

 

 

「例えば——狒々村さんのような、ですか?」

「……なぬ?」

 

 

 これに狒々はキョトンと目を丸くする。

 まるで桜乃のその視線が——『自分にコーチをして貰いたがっている』ように見えたから。

 

 実際、桜乃の頭の中にそんな考えが浮かんでいたのか。

 彼女はすぐにハッと我に反り、己が知らず知らずに抱いてしまった無意識な願望、それを恥ずかしそうに引っ込めていく。

 

「あっ、す、すいません。迷惑ですよね。こんなわたしに……狒々村さんのような有名な方がコーチをするなんて……」

「あ、いや……それは…………」

 

 狒々は思わず言葉を詰まらせる。

 

 確かに狒々は人間にコーチをすることに懲りてはいたが、未練がないわけではない。もしも桜乃が自分にコーチをして欲しいと思っているのであれば満更でもない気分だ。

 しかし、仮にコーチをするとしてもだ。どうしても——これだけは聞いておかなければならないと。狒々は重苦しい口調で桜乃に例の一件を尋ねていた。

 

「竜崎はん、言うたか? あんた……わしが優美のコーチをクビになった例の騒動のことは……勿論、耳にしとるんやろ?」

 

 狒々が過去に起こした問題——それは優美選手へのパワハラ行為。

 そして、それに伴い行われた記者会見のことである。

 

 狒々は教え子である岡倉優美選手に対し、数々のハラスメント行為を重ねたとして何度も記者会見を行い、マスコミに責められ続けた。

 当時はそれが結構な騒ぎになり、スポーツ界に身を置くものなら誰もがその話題を耳にしていただろう。

 

「……はい。その件なら……わたしも記者会見を見てましたし……」

 

 桜乃はその件なら知っていると、実に言いにくそうに狒々の質問に答える。その事件のことを知っているのであれば、狒々から教えを請おうなどと普通なら思わないだろう。だが——

 

「けど……あれ、ちょっとマスコミが騒ぎすぎてたと思うんですよ」

 

 桜乃は客観的な視点から、あの騒ぎが『少しやり過ぎていた』と感じていた。

 

 暴力がパワハラにあたるというのは理解できる。

 また、女子としてセクハラが許せないという気持ちもすごくよく分かる。

 

「だいたい何なんです? エンハラとか、グルハラとか? あれ、絶対マスコミが悪ノリしてましたよね!?」

 

 しかし、それ以外のハラスメントとされた行為の数々。今時の若者である桜乃からしても意味不明である。

 

 エンハラ——エンジョイハラスメント。

 グルハラ——グルメハラスメント。

 カラハラ——カラオケハラスメント。

 スメハラ——スメルハラスメント。

 

 狒々が何をやっても、それを無理やりハラスメントとして取り扱うようなマスコミの報道。

 少なくとも、桜乃はそれらの報道に首を傾げており、狒々に対して同情的な感想を抱いていた。

 

 何よりもだ——

 

「それに、わたし知ってますから。狒々村さんが……とても真剣に岡倉選手の指導をなさっていたのを……」

 

 優美の対戦相手としてぶつかった桜乃はその目で直に目撃していた。狒々がコーチとして真剣に彼女の指導を行っていた光景を。

 桜乃はマスコミの大仰な報道よりも、自分がその時に見た印象を優先しているため、決して狒々村という指導者に悪い印象を抱いてはいなかったのだ。

 

 実際、狒々が優美に暴力を振るったことは事実だが、マスコミの報じたハラスメント報道はかなりの誇張が含まれていた。あの一件は狒々にも非はあったが、全ての責任が彼にあるわけではなかったと言える。

 

 そのことを、桜乃はキチンとわかってくれているのだ。

 

「わ、わかってくれるんか!? おおきに!! ほんまおおきに!! 竜崎はんは、ええ子やな!!」

 

 桜乃のその意見に狒々は感激する。

 あの一件は本当に狒々にとって辛いものだった。誰にも自分の気持ちを分かってもらえず、優美を含めた全ての人間が敵として立ち塞がる過酷な経験であった。

 だが本当に全ての人間が敵だったわけではないのだ。狒々が知らなかったところで自分の気持ちに寄り添っていた人もいたのだと、桜乃の言葉で知ることができた。

 救われる思いに狒々は顔面をぐしゃぐしゃに泣き崩しながら、桜乃の手を取ってものすごい勢いで彼女に礼を述べる。

 

「え、ええっと……まあ、それほどでも……」

 

 いきなりガッチリと手を握られ、顔面を崩壊させて泣き崩れる狒々にさすがの桜乃も若干引き気味。

 もっとも、それだけで相手のことをセクハラだと叫ぶこともなく。

 

 桜乃はしばらくの間、泣きじゃくる狒々が落ち着くの待つことになる。

 

 

 

 

「——よし、分かった!」

 

 そうして、数分後。

 徐々に落ち着いてきた狒々は涙と鼻水を拭いながら、自身の胸を任せろとばかりにドンと叩く。

 

「もう二度と人間のコーチなぞせんと思っていたが、桜乃はんがそこまで言うんやったらこの狒々!! あんたのために人肌脱いだる! お前さんのテニスのコーチ……引き受けたろやないか!!」

「ほ、本当ですか!? ……って、狒々? 人間って……?」

 

 狒々の言葉に喜びつつ、桜乃は彼の言動に若干の違和感を覚える。あくまで桜乃は狒々のことを『人間』として認識しているようだ。

 

「あ、い、いや、何でもあらへんよ、うん!」

 

 狒々は慌てて話を逸らす。

 彼も過去の教訓から、自身の『妖怪』であるという正体は隠し通すつもりのようだ。

 

 

 あくまで人間『狒々村』として狒々はこの少女——竜崎桜乃のテニスコーチを引き受けることとなった。

 

 

 

×

 

 

 

 こうして始まった狒々の熱血指導。

 彼との特訓は早朝や放課後。休日などの桜乃の空いた時間に限られ、実施されることとなる。

 

「——おら!! もっと速くやらんか!!」

「——ハイ!」

 

 早朝は毎日、数十キロを全力疾走。

 

「——もっともっと速くやらんか!!」

「——ハイ!!」

 

 放課後は部活が終わった後も学校に居残り、腕立て伏せや兎跳びを何十回と繰り返す。

 

「——もっともっともっと速くやらんかい!!」

「——ハイ!!!」

 

 休日は日が暮れるまで、サーブを何百本とひたすら打ち続けて行く。

 

「——あ~あ、そろそろ休憩入れとくか?」

 

 優美に教えていたときのような、かなりのスパルタ指導であったが、そこは狒々も前回の反省点を踏まえる。

 要所要所で休憩を入れようと、常に桜乃の体調にも気を遣っていた。

 

「——いえ! まだまだいけます!!」

 

 ところが、桜乃の方からそんな甘ったれた考えでは強くなれないと、狒々の申し出を断る。

 結局、狒々の指導の元でも彼女はかなりの無茶をその肉体に行使し続けることとなっていく。

 

 

 そうして数週間、狒々の猛特訓は続いた。

 彼の厳しいスパルタ教育の成果もあってか、桜乃のテニスの腕前は飛躍的に上達。

 

 そして、その成果は——学校の部活動の場においても遺憾なく発揮されていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——ゲ、ゲームセットウォンバイ、竜崎!」

「はぁはぁ……」

 

 青学女子テニス部。部活の練習試合にて、審判役の生徒が戸惑い気味に竜崎桜乃の勝利を宣言する。

 息を激しく切らせながらも勝利した桜乃の勇姿に、その試合を観戦していた生徒たちからも、どよめきが響き渡る。

 

「……す、すごい、竜崎さん……」

「いつの間にここまで……」

「ぶ、部長に勝っちゃったよ」

 

 桜乃の対戦相手は女子テニス部の部長だ。一学年上の相手であり、実力的にも部内でトップクラス。桜乃よりも格上の相手であったのだから部員たちが驚くのも無理はない。

 

「はぁはぁ……すごいじゃない、竜崎さん。……これなら、安心して後を任せられるかもね」

 

 負けた部長も桜乃の成長ぶりに驚いていた。

 三年生である彼女は、二年生である桜乃に敗北したことにショックを受けている様子だったが、有望な後輩に青学女子テニス部の次世代を託せることに安堵していた。

 

「——竜崎さん。青学の……柱になりなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——いや~……最近の桜乃、何だかすっごく絶好調じゃない!」

「あ、ありがとう……朋ちゃん」

 

 とある日の放課後。

 部活終わりの桜乃は親友である朋ちゃん——小坂田朋香(おさかだともか)と一緒に下校していた。ツインテールに泣きぼくろがチャームポイントの元気いっぱいの少女。

 今日は狒々の方に用事があるとのことで桜乃の放課後の特訓もお休み。桜乃は久しぶりに親友である朋香と穏やかな下校時間を過ごしていた。

 

「ここんところ、夜遅くまで残って練習してるしね! その成果が出てるみたいじゃない、感心感心!!」

 

 朋香は親友である桜乃がここ数週間ばかりの間、テニスの猛特訓をしていることにそれとなく気づいていた。彼女自身は幼い弟たちの面倒を見なければならないため部活動には所属していないが、誰よりも桜乃の頑張りを知っていた。

 

「けど……根詰めすぎてない? 最近は授業中もぼんやりしてるみたいだし……少しは休んだほうがいいんじゃないの?」

「そ、そんなこと……ないかもしれないけど……」

 

 しかし朋香が心配するように、最近の桜乃は随分と疲れ切っている様子だった。

 

 それもその筈。何せ狒々の特訓は勿論、彼女は彼がコーチをしていないところでも練習を続けているからだ。自宅では常にラケットの素振りをし、昼休みも当然のように筋トレ。部活動でも一切手を抜くことなく他の部員たちと同じ練習量をこなしている。

 その上で、真面目な桜乃は日々の勉学にも一切手を抜いていない。どんなに疲れていても授業中など、決してサボって居眠りしようなどとも思わない。

 

 休まる暇のない日々。正直、オーバーワーク気味なのは本人も自覚している。

 

「そ、そうだね……ちょっと疲れてきたかも……」

 

 練習試合とはいえ、格上の部長に勝ったという安心感からか。桜乃は自分が強くなっているという自覚と自信を持ち、冷静に今の自分の疲労状態を見極めることができる心境であった。

 さすがにこれ以上は不味いと。桜乃はこのとき、練習を少しばかり休むことを考え始める——。

 

 

 そんなときであった。

 

 

「——竜崎」

「——っ!?」

 

 街中を歩いていた彼女の背に、一人の男の子が声を掛ける。

 それが誰なのか。振り返らずとも理解できた桜乃がビクッと、その小さな肩を震わせる。

 

「——あっ! リョーマ様!! ほらほら、桜乃、リョーマ様よ! リョーマ様!!」

 

 朋香も、それが誰なのか一瞬で理解できたのか。

 その男の子——越前リョーマに向け、花の咲くような笑顔を向ける。

 

 

 

 越前(えちぜん)リョーマ。桜乃たちと同じ中学二年生。

 彼は去年、一年生でありながらも青学テニス部のレギュラーに選ばれ、見事母校を全国大会優勝まで導いた立役者である。

 決勝戦でも最後の大一番で勝負を決め、実質中学テニス界ナンバーワンの称号を得た。

 

 

 まさに天才少年——テニスの王子様である。

 

 

 

「リョーマ様! いつ日本に戻ってきたんですか!? 連絡してくれればよかったのに!!」

 

 その王子様のファンクラブ会長である朋香が彼の日本帰国に喜びの声を上げる。

 

 リョーマは青春学園の二年生として今も学園に籍を置く身ではあるが、テニスプレイヤーとして武者修行をしに渡米したりと、かなり風来坊な生活を送っていた。

 大事な用事や和食が食べたくなった時など。気まぐれで日本に帰国しては母校の先輩や同級生たちを驚かせている。

 

「別に……ちょっと日本に用事があったから立ち寄っただけだし……」

 

 そして、本人もかなり無愛想な性格をしている。

 久しぶりに再会した同級生の女子二人相手に、表面上は特にこれといったリアクションもなく応じる。

 

 わざわざ声を掛けておきながら、随分とぶっきらぼうなことである。

 

「リョ、リョーマくん……!」

 

 そんなそっけない男の子相手に、竜崎桜乃は実に年ごろの少女らしい初心な反応を見せる。

 

 

 何を隠そう——この少年こそ、竜崎桜乃にとって憧れの存在。

 彼女がテニスを始めたのも、彼のテニスを目の当たりにした影響。

 

 彼のテニスに、彼のようなテニスがしたくて桜乃はテニスプレイヤーとしての大事な一歩を踏み出した。

 

 まさに彼女にとってはその憧れこそが原動力であり、原点であるといえるだろう。

 

 

 ところが——

 

 

「ご、ごめん……朋ちゃん。わたし、用事思い出しちゃった……ま、また今度!!」

「ちょっ!? 桜乃っ!?」

 

 憧れの男の子と再会したばかりだというのに、桜乃は取って付けたかのような理由でその場を離脱。

 まるで——リョーマから逃げるかのようにその場から走り去っていく。

 

 そんな彼女の背中へ——

 

「竜崎……?」

 

 無愛想な男の子が、少し寂しそうに視線を送っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁはぁ…………」

 

 竜崎桜乃は走る。

 無我夢中で走り続け——そこでようやく足を止めた。

 

 そこは無人の空き地。朋香もリョーマも追ってきてはおらず、他に周囲には誰もいない。

 

「…………練習しなきゃ」

 

 誰もいないその場所で桜乃はおもむろにラケットを取り出し、素振りを始める。

 

「もっと……もっと強くならないと」

 

 疲れていると自覚したばかりだというのに、それでもまだ足りないと。彼女はひたすらに強さを求めて今日も練習に励んでいく。

 

「——でないと……置いてかれちゃう」

 

 オーバーワークだと理解しているが、それでも彼女は止まることができなかった。

 止まったら、それこそ『彼』の背中が見えなくなってしまうのではと、それが何よりも怖かったからだ。 

 

「こんなんじゃ……リョーマくんの隣になんて立てない……」

 

 桜乃にとって憧れの相手である越前リョーマ。

 そんな彼の背中に少しでも追いつこうと、彼女はとある選手のことを思い出す。

 

 

「せめて——優美選手みたいに……強くならないと……」

 

 

 その脳裏にはあの日——。

 優美選手に無様に敗退した、その試合の直後の出来事——。

 

 

 

 

 越前リョーマと岡倉優美。

 天才同士が仲良さげに会話していた、あの苦々しい記憶が思い返されていた——。

 

 




テニスの王子様側の人物紹介

 竜崎桜乃
  今作におけるもう一人の主役。
  原作漫画だとほぼ出番はなく、アニメの方で色々とエピソードが追加された子。
  ですが最近では『新テニスの王子様』の方で何かと界隈を騒がせています。
  原作の特徴上、アンチもそれなりに多いキャラですが自分は好きです。
  今作では彼女のスポーツマンとしての葛藤にスポットを当てていきたいと思ってます。

 小坂田朋香
  桜乃の親友。リョーマファンクラブの会長、常に彼のことをリョーマ様と呼ぶ。
  色々と騒がしい子ですが、この子も割と好き。
  弟たちの世話でテニスはしませんが、運動神経は悪くないとのこと。

 越前リョーマ
  原作の主人公。生意気で協調性がない。
  テニスの実力は本物だが、ジャンプの主人公として足りないものが多すぎる。
  最近は新テニスの方で桜乃とデートしたり、唐突に恋のライバルキャラが現れて馬上テニスしたりと……いや、色々とおかしいけど、ほんとなんだって!

 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

テニスの王子様 其の②

今回の『テニスの王子様』とのクロス。元々は作者の好きな『はねバド』でクロスできないかと考案していました。
ですが、流石に何の下地もない状態では上手く話がまとまらず、せっかくテニスを題材にしたアニメ回があったということで試しにテニスの王子様の方で思案した結果……結構いい感じにまとまったので、このような形でお届けすることになりました。

その名残か話の内容など。どことなくはねバドを意識している部分があります。勿論、はねバドはアニメ版ではなく、漫画版の方ですが……。


 ——…………あかんな。

 

 テニスに熱い大猿の妖怪・狒々は、ひょんなことから竜崎桜乃という女子のコーチを引き受けることになった。

 しかし彼はその特訓をこのまま続けるか、それとも一時中止するかで思案を巡らせていた。

 

「はぁはぁ……まだ、もっと……もっと!」

 

 それは今も狒々の課したメニューを必死にこなしている桜乃。

 彼女の疲労に——限界が見え始めていたからだ。

 

 現在、時刻は夜七時。

 いつものように、屋外のテニスコートで夜遅くまで練習を続ける狒々と桜乃。狒々の指示通りにサーブを何百本と打ち続ける桜乃だが、狒々はその動きが——明らかに精細さを欠いていることを見抜いていた。

 おそらくは疲労の蓄積、それがピークにきているのだろう。いつ倒れてもおかしくない少女の状態に狒々は心労を募らせる。

 

 ——限界や……そろそろ、休ませるべきなんやろな……。

 

 少し前までの狒々であれば、そんな疲労などお構いなしに特訓を続けていたかもしれない。

 血反吐を吐くまでやれ、根性を見せろと。選手として強くさせるため、心を鬼にしてさらに追い込みをかけていたかもしれない。

 

 だが、それではパワハラになってしまうと。以前の失敗を教訓に狒々の教育方針にも僅かな変化が見え始めていた。本人にはさほど自覚のない、それでいて大きな変化だ。

 選手に厳しくするのは相変わらずだが、その一方で体調にも気を使うことができるようになった狒々。自分を曲げるのは御免だと思いながらも、彼は確実に『指導者』として良い方向に変わり始めている。

 

 しかしそんな狒々の心配をよそに、竜崎桜乃という選手はより過酷な訓練を彼に要求してきた。

 

『——狒々村コーチ! わたし……もっと強くならないといけないんです!!』

 

 今日のトレーニングを始める前に、桜乃が決意表明した際の言葉だ。

 そのときの鬼気迫る表情は、狒々ですら思わず気圧されてしまうほどだった。

 

 ——なんちゅう気迫や! このわしより……いや、情熱だけやったら、優美以上かもしれん!!

 

 ——桜乃はん……いったい、何があんたをそこまで駆り立てるんや!?

 

 狒々はその気合いを前に迂闊なことも言えずにいつも通り、いつも以上に過酷なメニューを桜乃に課すしかできないでいた。

 

 

 

 

 

 

 ——強くならないと……!!

 

 竜崎桜乃という少女がここまで自身を追い込む理由。

 それは当然、強くなりたいという選手としての欲求があるのだが——

 

 

 しかし彼女の場合、それだけではなかった。

 

 

 ——弱いままのわたしじゃ……リョーマくんに呆れられちゃう……。

 

 ——せめて……優美選手くらいの実力者にならないと……話にもついていけないから……。

 

 ——だから!! 

 

 桜乃の胸のうちにある想い。それは彼女にとっての憧れ。

 少女がテニスを始めるきっかけにもなった少年——越前リョーマの存在が大きかった。

 

 彼という憧れに少しでも追いつこうと、彼のようなテニスがしたいと桜乃は今日までテニスを続けてきた。

 けれど、その彼との距離が一向に縮まることがないことを——桜乃は思い知ってしまった。

 

 

 そう、数ヶ月前の中学テニス大会の時に——。

 

 

 

×

 

 

 

「ま、負けた……何もできずに。わたし……」

 

 中学女子テニス、全国大会地区予選。竜崎桜乃は二回戦で岡倉優美選手に惨敗した。

 何もできなかった。1ゲームどころか、1ポイントも許せれずに桜乃は圧倒的大差で敗北した。

 

 一回戦の戦いを接戦にて辛くも勝利しただけあって、その敗北が桜乃にはだいぶ堪えた。

 自分が弱いという事実を、これでもかというほどに突きつけられてしまったかのようで。

 

「……負けた……優美さん……すっごく強かったな……」

 

 しかし、このときの桜乃にはまだ心にいくらかの余裕があった。ショックはショックではあるのだが自身の無力さよりも、どちらかというと優美選手の圧倒的な強さの方に目がいっていた。

 そのままであれば多少長く落ち込むくらい、数日も経てばまた元気を取り戻し、いつも通りの日常を送ることができていただろう。

 

 だがこのとき、起きてしまったのだ。

 桜乃の精神を根本から揺さぶる、彼女の心を掻き乱すことになる出来事が——。

 

「……えっ? あ、あれって……リョーマくん!?」

 

 落ち込みながら地区予選の会場を歩いていた桜乃。彼女はふいに、前方に人影を見つけてしまう。

 その相手こそが——越前リョーマだったのだ。

 

「ど、どうしてリョーマくんがここに!? も、もしかして、わたしの応援……なんてわけないか……」

 

 桜乃は無様な試合をしてしまった直後ということもあり、素早く身を隠す。どうやらリョーマの方はこちらには気付かなかったのか、そのことに桜乃はとりあえず安堵の息を吐く。

 

「……どうしよう……すっごく……恥ずかしい……」

 

 彼がどうしてこんなところにいるのかは分からない。もしかしたら、本当に自分の応援に来てくれたのかもしれないと期待する桜乃だが、リョーマの性格からして多分それはないだろう。

 それに、たとえ本当に桜乃の応援に来てくれていたんだとしても、それはそれで気まずすぎる。

 

 なにせあれだけ圧倒的な大敗を喫した後なのだ。桜乃でなくとも、気まずさから接触を避けることだろう。

 

「今は顔を合わせたくないな……引き返し——!?」

 

 そういった心情もあり、このときばかりは桜乃もリョーマへ声を掛けることなく来た道を引き返そうとしていた。

 ところが、桜乃はそこで目撃してしまう。

 

 

 彼が一人ではなく、その隣に彼女が——岡倉優美がいたことに。

 

 

「な、なんで……優美さんが……それも、あんな笑顔で……!」

 

 対戦時の闘争本能剥き出しの表情とは違い、岡倉優美は女の子らしい笑みをリョーマへと向けている。

 リョーマは相変わらずの仏頂面だが、それでも優美と何かしらを話し込んでいた。

 

 桜乃は自然と足を止め、二人の会話に聞き耳を立てる。

 

 

 

「——へぇ~……越前くん、ラケットは『ブリジストン』なんだね……私と同じだ!」

「別に……たまたまじゃないの?」

「そんなことないよ! やっぱ強い選手は道具からいいものを選ばないと……あっ! シューズは『フィラ』なんだね。ぶっちゃけ……それってどんな感じ? 履き心地とか?」

「別に悪くはないよ。だから履き続けてる訳だし……」

「ふ~ん……ねぇねぇ、越前くんって、アメリカで武者修行してるんでしょ? なんかかっこいいね、そういうの! 強い人とかいっぱいいるんでしょ!?」

「まあね、退屈はしないよ……」

「いいな~、羨ましいよ。わたしも海外とか行って、外国の選手と戦ってみたいわ!!」

「だったら試してみたら? アンタなら……まあ通じるんじゃないの?」

「いや~、わたしんとこは親が許してくんないよ! まだ実績もないし……せめて全国大会で優勝しなきゃね!」

「あっそ……まあ、頑張れば?」

 

 

 

 

 

「…………」

 

 別にそれはなんでもない。ただの選手同士の会話でしかない。

 しかも優美の方が一方的に話しかけ、それにリョーマが相槌を打つという何とも淡白な内容。

 

 けれどテニスの話題を中心とした、さらには海外で戦う話など。

 テニス経験の浅い桜乃からすればまるで付いていけないような——テニスに打ち込んできた者同士でしか伝わらないような話の流れ。

 

 負けた直後ということもあり、桜乃はその話に付いていけない自分と彼らとの間に、明確な『壁』のようなものを感じてしまった。

 

「——強く、ならないと……」

 

 気が付けば、桜乃はそこから逃げるように立ち去っていた。

 弱くて無知な自分では選手として遠いステージに立つリョーマと優美。強者である二人の間に割って入れないという、劣等感のような感情。

 

 その日からだ。せめて強くなろうと。

 

 彼の、越前リョーマの背中に少しでも追いつこうと——桜乃は自らを過酷な環境へと追い込むようになっていったのだ。

 

 

 

 

 

 

 ——まだ、まだ足りない。こんなんじゃ!!

 

 あれから数ヶ月。

 狒々と出会い、彼の特訓を受けるようになったことで桜乃は以前と比べようもなく強くなった。

 

 一度はそれに満足しかけた桜乃。しかしこの間、久しぶりにリョーマと顔を合わせたことであのときのことを思い出してしまったのか。

 まだ不十分なのではという不安から、さらなる力を求めてより一層、狒々との特訓に精を出す。

 

 ——まだ、私は…………っ!?

 

 だがいくら意気込もうとも、既に竜崎桜乃の体は限界を迎えていた。

 騙し騙しで何とかここまでやってこれたものの、蓄積する疲労はいずれ多大なしっぺ返しとして本人に返ってくる。

 

 そして、その瞬間はまさに唐突に訪れる。

 

 ——……あれ? 体が動かない? 目が、回る…………。

 

 景色がぐにゃりと歪む。

 体から力が抜け、己の意思とは関係なく地へと伏せる竜崎桜乃。

 

 彼女の意識が——そのまま徐々に遠ざかっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………桜乃はん?」

 

 狒々が瞬きをした刹那だ。サーブを打ち続けていた桜乃が突然——何の前触れもなく倒れる。

 咄嗟のことで認識が追いつかない狒々。だが数秒の沈黙の後にその顔は一瞬で青ざめ、彼は大慌てで桜乃へと駆け寄っていく。

 

「桜乃はん!? 桜乃はん!! あ、あかん、あかん!! どないしよ!?」

「はぁはぁ……」

 

 桜乃は明らかに疲労の色が濃く、気を失っているというのに息遣いが荒い。

 血色も悪く、急いで何らかの処置を施さねばならない状態なのは明白だ。

 

 しかし、狒々は教え子が倒れるという事態にあまりにもテンパり過ぎたため、どうしていいか分からずに右往左往する。

 

「あかん!! どないしよ、どないしよ!? し、審判!! 選手が倒れたで……って、わし以外誰もおらんがな!!」

 

 自分たち以外、周囲に誰もいないというのに助けを求め、思わず一人ツッコミを入れる。

 だがいかなる偶然か。叫ぶ狒々の声に呼ばれるよう——そこへとある人物が通りかかった。

 

「——あれ? 狒々じゃん。何やってんの、こんなとこで?」

 

 騒ぐ狒々とは対照的に呑気なほどに冷静な声音。どことなく聞き覚えのある声に狒々が振り返る。

 

「ああ!! お、お前は……いつぞやの泥棒猫やないか!!」

「だから猫じゃないって……オイラ、かわうそだよ」

 

 そこにいた人物を前に狒々はさらに声を荒げる。

 釣竿を背負ったその相手はパッと見は人間の子供のように見えなくもないが、よくよく見れば体毛がとても毛深い。本人も否定しているが、当然猫でもない。

 

 ただの『かわうそ』という、れっきとした妖怪である。

 

 かわうそ——彼はオベベ沼に生息していた妖怪だが、今はゲゲゲの森の一員として鬼太郎たちとも交流を持っている。人を騙したり驚かしたりと悪戯好きな側面もあるが、基本的には人畜無害。山で怪我をした人間を介抱したりと結構優しい一面もある。

 

 しかし、狒々にとってはある意味因縁深い相手。かわうそを前に狒々は敵意満々に叫んでいた。

 

「おんどれ、こないなところで何してるんや!! まさか……またわしから教え子を奪うつもりか!? そうはさせへんぞ!!」

 

 狒々は過去、かわうそに自身の教え子・岡倉優美のコーチの座を奪われたことがあり、そのことを今でも根に持っていた。

 もっとも、その敵意もかわうそにとってはお門違いなもの。

 

「いや……あれはあの子の方から無理やり……それにオイラ、コーチなんかとっくにクビになったし」

 

 そう、かわうそは優美のコーチになりたくてなったわけではない。

 

 彼がフィッシングを楽しんでいたところ、何故か優美の方から『なんて美しいスイングなの!?』『貴方、一流テニスプレイヤーね!?』『わたしのコーチになって!!』と何を勘違いしたのか、かわうそを無理やりコーチにスカウトしたのだ。

 しかも、途中で己の勘違いに気づいたのか。優美はかわうそをクビにし、ぬりかべコーチへと鞍替えした。ある意味で、かわうそも優美のはちゃめちゃぶりに巻き込まれた被害者である。

 

「……ところで、その子大丈夫なのか? なんか色々とヤバそうだけど?」

 

 それ故、かわうそはその頃の話を掘り返したくなく、彼は現状——倒れている桜乃に目を向けて狒々の注意を逸らす。

 

「あっ!! そ、そやった!! 早よう、なんとかせな!! ど、どないしたらええと思う!?」

 

 狒々も、今は過去の遺恨に拘っている場合ではないと思い直す。

 自分一人ではどうにもならない状況、桜乃を助けるにはどうすべきか。彼はかわうそに意見を求める。

 

「う~ん……普通に救急車呼べば?」

「それや!! うっかりしとったで!!」

 

 冷静なかわうそは無難な方法として救急車を手配することを提案。その案に狒々は今気づいたとばかりに自身のスマホを取り出す。

 人間社会でコーチなどやっている関係上、当然彼も現代の文明利器をある程度使いこなしている。

 

 善は急げと、狒々は桜乃のためにも急いで救急車を手配しようとした——

 

 

「——ちょっと!!」

 

 

 しかし、そこへさらなる乱入者が駆け込んでくる。

 

 

「——アンタたち、桜乃に何やってんのよ!!」

 

 

「へっ……?」

「アンタ……たち?」

 

 狒々と、おまけにかわうそにまで敵意の視線を向ける少女がそこにいた。

 

 

「今すぐ……桜乃から離れなさい!!」

 

 

 その少女の登場により、事態はさらにややこしい方向へと発展していく。

 

 

 

×

 

 

 

「……竜崎……元気なかったな……」

 

 青学男子テニス部に在籍する越前リョーマ。

 彼は現在、実家にある自身の部屋のベッドで寛いでいた。

 

 外国を飛び回って武者修行を繰り返す破天荒なリョーマだが、日本に帰れば当然のように戻るべき家がある。今夜は久しぶりに帰宅した息子に対し、母である倫子が手料理を惜しげもなく振る舞ってくれる予定だ。当然、リョーマの食べたかった和食である。

 しかし、リョーマは夕食ができるのを待ちながらも——その脳裏に一人の女子・竜崎桜乃のことを思い浮かべていた。

 

「…………あのときの負け……まだ引きずってんの?」

 

 久しぶりに会った彼女の元気がなかった理由にリョーマは一つだけ心当たりがあった。数ヶ月前の中学女子テニスの地区予選、岡倉優美という選手に惨敗したあの試合だ。あの日、あの会場にいたリョーマもあの試合は観戦していた。

 

 というより、リョーマがあそこにいた理由こそが、まさに『竜崎桜乃の試合』を見るため。

 もっと言えば——桜乃の応援にわざわざあの会場まで、足を運んでいたのだ。

 

 勿論、帰国したのは別の理由があったから。桜乃の試合を見るためだけに日本に帰っていたわけではない。ただ——

 

「竜崎には……色々と借りもあるからね……別に、それだけのことだったけど……」

 

 誰に言い訳をするでもなく、リョーマは一人そんなことをポツリと呟く。

 

 

 リョーマは去年開催されたU17の世界大会の最中。日本代表ではなく、アメリカ代表選手としてプレーをしていた時があった。最終的には日本側に戻ることになるのだが、どっちつかずなリョーマの態度には彼と仲の良い先輩である桃城(ももしろ)(たけし)でさえ激怒し、鉄拳制裁をお見舞いした。

 

『——何勝手なことしてんだよ、越前!!』

『——お前がアメリカに行ったから怒ってんじゃねぇーよ! ノコノコ戻ってきやがって!!』

『——代表に選ばれなかった奴の気持ち、考えたことあんのかよ!?』

 

 まったくもってその通りの正論。反論の余地もない。これにはさすがのリョーマも何も言い返せない。

 

 幸い、桃城がそうやって皆の意見を代弁して怒ってくれたおかげか。他の誰かが表立ってリョーマを責めることはなかった。しかし、口に出さないだけで不満も持っていた選手もいただろう。それは応援する側も同じ気持ち。

 リョーマの同級生たちなど。わざわざ海外まで応援しにきたというのに、まさかの日本ではなくアメリカの代表である。これにはリョーマファンクラブ会長である小坂田朋香でさえ、リョーマではなく日本代表の応援を優先するほどだった。

 

 だがそんな中、アメリカ代表としてプレーするリョーマを一人応援する少女がいた。

 それが——竜崎桜乃であった。

 

『——どこの代表でも、リョーマくんのテニスを応援してるから……』

 

 あの時の言葉にはさすがに鈍感なリョーマでさえ何か——『特別なもの』を感じずにはいられない。

 

 あれ以来だろうか。外国でも相変わらず不良に絡まれたり、変な王子の馬に乗せられたりと。そういった騒動に巻き込まれる桜乃のことを、あれこれ気にかけるようになったのは。

 

 

 

 

「……一応、アメリカに行く前にもう一度会っておくか……」

 

 とはいえだ。あくまで気にかける程度のこと。

 数日後にはアメリカに旅立つ予定であり、それを曲げてまで優先するほどのことではない。

 

 また渡米する前にもう一度、顔を合わせることができたらあの試合に関してそれとなく聞いてみようと。リョーマは桜乃に関してはそれで思考に整理を付けた——つもりであった。

 

 ところが——

 

「ん? 電話……小坂田から?」

 

 リョーマの携帯に着信があった。画面に表示された通話相手は桜乃の親友・小坂田朋香である。

 

 いつも「リョーマ様! リョーマ様」と自分を見かけるたびにはしゃぎ回る少女。そういった感じで自分に付きまとう相手は日本にも海外にもたくさんおり、正直そういった輩をリョーマはあまり好ましくは思っていない。

 だが、この朋香に関してはこれといって悪い感情を抱いてはいない。同級生ということもあるがこの朋香という少女、見境がないように見えて意外にも選手への配慮やプライバシーはキチンと遵守するらしい。

 一定のラインで線引きをしており、あくまでファンとして純粋にリョーマの応援をしてくれている。

 

 だからこそ、こうして携帯電話の番号を教えるくらいには気を許しているのだが——

 

「珍しいな。あっちから掛けてくるなんて……」

 

 連絡先を教えたからといって、朋香は頻繁にコンタクトを取ってくるような相手ではない。リョーマから気まぐれに連絡を取るか、本当に重要な案件があるときだけあちらから連絡があるくらいだ。

 しかも、彼女とは先日に顔を合わせたばかり。それなのにわざわざこんな夜分に連絡を取ろうとするなど、あまりにも朋香らしくない。

 

「…………もしもし?」

 

 出るか、出ないか。

 少し迷ったが、リョーマはとりあえず電話に出ることにした。

 

『——リョーマ様!! 大変!! 大変なんですよ!!』

「ちょっ……どうしたのいきなり、そんな血相変えて……」

 

 電話に出た瞬間、間髪入れずに朋香の悲鳴のような怒鳴り声が聞こえてきた。

 いつも自分には柔らかい態度の彼女にしては珍しく、そのギャップにちょっと驚きながらもリョーマは冷静に聞き返す。

 

『ご、ごめんなさい、リョーマ様!! あ~! でも、わたし、どうしたらいいか分からなくて!!』

「落ち着いてよ……ほら、一旦深呼吸して……」

『は、はい! すぅ~……はぁ~…………大丈夫です。すみません、リョーマ様……』

 

 朋香はリョーマから冷静になるように諭され、指示通り一旦深呼吸を入れる。それで何とか平静さを取り戻したようでとりあえず静かになった。

 電話先の相手が落ち着いたことを確認し、リョーマは改めて要件を尋ねる。

 

「で、なんかあったの? 珍しいじゃん、こんな夜遅くに……」

 

 夕食前のちょっとした待ち時間を邪魔されたせいか、その声音には若干の不機嫌さが混じっていた。

 だが——

 

『そ、そうだった!! 大変なんです! 桜乃がっ! 桜乃が——」

「!! 竜崎が……どうかしたの?」

 

 朋香の口から出た竜崎桜乃の名にリョーマは目を見開く。そして——

 

 

 

 

 

 

 

『桜乃が倒れて……今、救急車で病院に——』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「————————————」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少年の思考と視界が数秒、真っ白になった。

 

 

 

×

 

 

 

「はぁはぁ……」

 

 小坂田朋香から連絡を貰った越前リョーマ。彼は夕食を取る間もなく、全力疾走で夜の街を駆け抜けて目的地へと向かう。

 彼が向かう場所は——『竜崎桜乃が救急車で運ばれた』という病院である。

 

 距離自体はそれほど遠くなかったため、数十分で目的地へと到着したリョーマ。彼は息を切らしながら建物の中へと駆け込んでいく。

 

「小坂田!!」

「リョ、リョーマ様!?」

 

 病院に辿り着いて早々、彼は沈痛な面持ちで先に待合室に座り込んでいた朋香に声を掛ける。朋香はリョーマの顔を見るや一瞬その表情を綻ばせるも、すぐにその顔色を暗いものへと戻してしまう。

 さすがに親友が倒れたこの状況下で、リョーマとの会合を無邪気に喜んではいられない。

 

「小坂田、竜崎の容体は……」

 

 リョーマは乱れた呼吸を整えながら、朋香に桜乃の容態を詳しく尋ねる。

 

「——リョーマ? なんだってアンタまでここにいるんだい?」

 

 その問い掛けに朋香が答える前に、その場にいたもう一人の訪問客が口を挟む。

 その老齢の女性を前に、リョーマは襟を正す気持ちで彼女に目を向ける。

 

「竜崎先生……」

 

 その女性も竜崎。フルネームは竜崎スミレ——竜崎桜乃の祖母である。

 彼女は青春学園中等部で数学教師をしており、部活動では男子テニス部の顧問をしている。テニスの試合でも監督としてその手腕を発揮し、リョーマ自身も何かと世話になっている相手である。

 スミレは桜乃の身内としてここに呼ばれたのだろうが、何故そこにリョーマまでいるのか疑問を抱いているようだった。

 

「ごめんなさい、先生……わたしが連絡したんです。わたし……桜乃が倒れて、すごく不安になって……それで!!」

 

 朋香が申し訳なさそうに頭を下げる。

 リョーマに桜乃が倒れたと連絡を入れたのは彼女だ。本来なら身内でもなんでもないリョーマに連絡などするべきではなかったのだが、彼女はどうしようもない不安からリョーマに助けを求める思いで彼に電話を掛けてしまっていた。

 それに応える形で、こうしてリョーマが駆けつけて来たというわけだ。

 

「なるほど……まあ構わないさ」

 

 経緯を理解し、とりあえずスミレはリョーマがこの場にいることを受け入れる。彼女は桜乃を心配している子供たちを落ち着かせようと孫の容態を簡潔に述べた。

 

「桜乃は……オーバーワーク、いや……『オーバートレーニング症候群』ってやつだね」

「オーバー……? そ、それって、重い病気なんですか?」

 

 症候群などという物騒な響きから表情を不安げなものに曇らせる朋香。リョーマもその顔に緊張感を滲ませる。

 

「まあ、端的に言えば練習のしすぎ……ストレスのかけ過ぎさね。命に別状はないが……ちょっと厄介な症状さ」

 

 スミレの口から語られる、オーバーワーク症候群の主な症状。

 それはスポーツ活動において生じた肉体的・精神的な疲労が十分に回復しないまま、積み重なった状態で慢性的に体に負担を掛けている状態である。一気に激しい運動を行うことで疲労が起こるオーバーワークとも少し違う症状らしい。

 この状態が長く続くと競技成果の低下、トレーニング成果の低下を招き、さらに日常生活においても慢性的な疲労感、睡眠不足からの免疫力低下など様々な症状を引き起こす。

 直接的に命をどうこうする病気ではないが、正常な状態に戻すにはそれなりの休養が必要とのことだ。

 

「今はとりあえず安静にしていることだね。医者の話じゃ、そこまで重度の症状じゃないらしいけど……回復には少し時間が掛かるらしい」

「そんな……桜乃……」

「…………」

 

 命に大事ないとはいえ、決して手放しに喜んではいられない状態に朋香もリョーマもさらに沈痛な面持ちで俯く。そんな子供たちを見守りながら、スミレも自嘲気味にため息を溢していく。

 

「まったく……まさかあの子がここまで自分を追い込むトレーニングをしてたとはね。気づいてやれなかったあたしも馬鹿だったけど……狒々村!!」

「——ギクっ!!」

 

 彼女は保護者として孫の状態に気付けなかった自身を情けなく思いながらも——その怒りを一人の男にぶちまける。

 待合室の端っこの方で小さく蹲っていた大きな体。ジャージをまとい、室内にもかかわらずサングラスを掛けた見るからに怪しい男。

 

 狒々村こと、妖怪・狒々である。

 

「アンタがどういった経緯であの子のコーチを引き受けることになったかは知らないが、選手があんな状態になるまで追い込むなんて……アンタ、それでも指導者かい!?」

「い、いや……その、これには事情が……わ、わしもそろそろヤバいかとは思ったんやけども……」

 

 激怒するスミレに、狒々はしどろもどろな答えを返す。

 彼は現在、あくまで人間に擬態している状態であり、それがバレないかとヒヤヒヤしている。加えて、桜乃が倒れたことに彼自身も責任を感じているため、強気な態度に出ることができないでいた。

 そんな狒々にスミレと、そして朋香が非難の目を向けている。

 

「……? 小坂田、あのおっさん誰?」

 

 一方のリョーマ。そもそも彼は狒々村のことを知らないでいる。

 というよりも彼の場合、U17選抜での強化合宿など——狒々のパワハラが可愛く見えるような地獄の合宿を乗り越えてきたため、世間が気にするような道徳やら倫理などのニュースに全く関心を持てないでいる。

 強くなるためなら訓練も厳しくなって当然。それがリョーマの意見だ。だが——

 

「狒々村っていう有名なコーチですよ。けど以前も選手へのパワハラが問題になって、コーチをクビになったんです。あいつのせいで……桜乃が!!」

「——っ!!」

 

 朋香の熱のこもった発言に、リョーマの表情も自然と強張る。

 桜乃が倒れた原因に、この狒々村とかいう男のパワハラ行為があるかもしれないことに彼も胸の内側から『何か』が込み上げてくる。

 

「い、今はその件は関係あらへんがな! 別にわいは桜乃はんにパワハラなんかしてないで!!」

 

 しかし、朋香の発言に狒々が反論する。

 確かに今回、桜乃を指導するにあたり狒々は彼女を叩いたり、水を与えないなどのパワハラ行為には及んでいない。少なくとも今回の一件、以前の優美の件を持ち出して彼を責めるのは筋違いかもしれない。

 

「何よ! 言い訳する気!? あたし知ってんだからね!! アンタ、パワハラだけじゃなくて、セクハラでも問題になったんでしょ!?」

 

 だが、一度付いた悪評というものを払拭するのはなかなか難しい。

 朋香はマスコミの報道を真に受けているようで、狒々村という男へ悪いイメージを膨らませていた。

 

「どうせ特訓とかいって、桜乃にいやらしいことでもしてたんでしょ!? このケダモノ!!」

「け、け、ケダモノ……だ、誰がそないなことするか!!」

 

 さらに親友を想うあまり、朋香は過激な発言で狒々を罵倒していく。

 それに対し、狒々もそこまで言われる筋合いはないと口論へと発展していく両者。

 

 

 

 

 ——……セクハラ? 誰が、誰に?

 

 その口論の横で、越前リョーマは一人思考する。

 

 ——竜崎が……このおっさんに………セクハラ?

 

 彼の耳元には朋香の放った『セクハラ』発言が何度も響いていた。

 自分が気に掛かっていた女子が、おっさんにセクハラ紛いの指導を受けていたという可能性に——自然とその際の描写が脳内に浮かび上がる。

 

 

 そう、『ぐへへへ……』と笑う狒々村のいやらしい笑み。

 強くなるためだと、そのいやらしい行為に耐え『くっ!』と、涙ぐみながらも必死に訓練する竜崎桜乃の健気な姿。

 

 

 言わずとも、それはリョーマや朋香の完全なる誤解だ。

 優美にも、桜乃にも。狒々はそのようなハレンチな行為には及んでいない。

 

 

 

 だが、それが誤解だと理解されることはなく。

 

 

 

 高ぶる感情とともに——少年の視界は真っ赤に染まっていく。

 

 

 

 

 

 

 

「——ねぇ」

「あっ? なんや小僧、今は取り込み中……って、うおっ!!」

 

 気が付けばリョーマは狒々村へと歩み寄り、手に持っていた『ラケット』を彼の顎先へと突き付けていた。

 

 テニスラケット——こんなときでも欠かさず持ち歩いている、リョーマにとっての矛であり盾である。

 勿論、そのラケットで狒々の顔面をぶん殴るような無粋な真似はしない。あくまで自分の戦う場——『戦場』へと引きずり込むため。

 

「アンタ……有名なテニスのコーチなんでしょ?」

 

 表面上、冷静を装いながらリョーマは宣戦布告代わりに狒々村を挑発していた。

 

 

 

「——俺にも……テニス教えてよ」

 

 

 

×

 

 

 

 ——……なんでわしがこないなとこで、こんな坊主相手にテニスせなあかんのや?

 

 狒々は今の状況に困惑していた。

 

 彼は特訓中に教え子である桜乃が倒れ、焦りつつも救急車を呼んで病院まで付き添ってきた。とりあえず、命に別条はないとのことで安堵するのも束の間、彼は駆けつけてきた桜乃の保護者、病院まで一緒だった親友であるという少女から、これでもかというほどに罵倒され、非難される。

 無論、自分に非があることを理解しているため、その責めは甘んじて受ける狒々。しかし、話が過去のパワハラからセクハラへと発展したあたりでさすがに感情が昂ってしまい、思わず言い争うになってしまう。

 そこへ先ほどの少年の『俺にもテニス教えてよ』という台詞である。もう訳が分からない。

 

「——リョーマ様!! そんなやつ、コテンパンにやっつけっちゃってください! 桜乃の仇を!!」

「——ん……」

 

 狒々の眼前にはテニスラケットを構えた少年・越前リョーマがいる。

 そのリョーマを応援すべく、小坂田朋香がコートの外で手を振っている。

 

 そう、狒々たちは現在、病院から少し離れたテニスコートに来ていた。

 

 そこでどうやら自分はこの少年とテニスの試合をすることになったらしい。流されるままにここまで来た狒々は未だに理解が追いつかないながらも、とりあえずラケットを構える。

 

 ——……まあ、ええわ。適当にこの坊主の相手をしたら……また桜乃はんの容態でも聞いて……ずらかるか……。

 

 試合をする姿勢になりつつも、頭の方では未だに桜乃の容態を心配している狒々。

 彼はこの試合を適当なところで切り上げ、桜乃の容態を今一度確認。そして一旦は姿を晦ますつもりでいた。またマスコミが騒ぎ出し、面倒なことになるのを恐れているのだ。

 

 ——それにしても……はぁ~、またやってもうたな、わし……。

 

 狒々も今回の一件を真剣に反省している。

 頭と気持ちを落ち着かせるためにも、今一度人間社会から離れるつもりでいた。

 

「それじゃあ…………行くよ」

 

 そんな狒々の内なる気持ちなど知る由もなく、少年のサーブから始まる試合。

 狒々は軽い気持ちで、彼の——越前リョーマのサービスを受けるつもりでいた。

 

「らっ!!」

「——っ!?」

 

 ところが少年の放ったサーブの勢い、スピードに狒々は驚愕する。

 

 ——っ! は、速い!?

 

 速度と、そしてパワーを兼ね備えた鋭いサーブ。

 正直、これほどのサーブを打てる中学生がいるとは思ってもいなかった。

 

 ——けど……追いつけんスピードやないで!!

 

 だが予想外のサーブに驚きつつも、一瞬で思考を勝負へと切り替えた狒々はその速度に追いつく。

 選手としてかなりの技量を誇る狒々の腕前があればこの程度のサーブ、余裕で打ち返せることができる——筈であった。

 

「——なっ、なにっ!?」

 

 しかし、通常の軌道を予測して身構えていた狒々の予想とは裏腹に——バウンドしたボールは狒々の体の方、顔面に向かって飛んできた。

 

「うおっ!?」

 

 慌てて顔を逸らす狒々。

 ギリギリ直撃は免れたものの、サーブに触れることができず相手のサービスエースを許してしまう。

 

「決まったわ!! リョーマ様のツイストサーブ!!」

 

 これに朋香が大喜びしたことで狒々はそのサーブの正体が『ツイストサーブ』であることを知る。

 ツイストサーブ。通常のサーブとは逆方向にバウンドするサーブのことである。

 

 ——えっ? 今のツイスト? ツイストサーブか!? ツイストって……あないにエゲツなく曲がるもんなんか?

 

 しかしその軌道、まるで狙いすましたかのように顔面に向かって飛んできたサーブに狒々は驚愕する。

 少なくとも、彼の知識にあるツイストサーブはあのような曲がり方はしない。

 

 それをああまで鋭く、しかも中学生が打ってきたことに狒々は暫し唖然となっていた。

 

 

 すると——

 

 

「あれ……? アンタって、有名なテニスのコーチなんでしょ?」

 

 サーブを決めたリョーマが狒々へと話しかける。

 彼は、あからさまにがっかりといった態度で盛大にため息——狒々に向かって挑発的な言葉を吐き捨てる。

 

 

「この程度のサーブ……初見で打ち返すこともできないわけ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——アンタ……まだまだだね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………………………あん?」

 

 

 

 その生意気な台詞に——今度は狒々がブチキレる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——ちっ、避けられたか……もう一丁!

 

 リョーマは自身のサーブが綺麗に決まったことにも喜ばず、続け様に次のサーブを放つために構える。狒々村の顔面を狙ったリョーマからすれば、避けられた時点で失敗。いくらポイントを取ろうが何の意味もない。

 

 ——何だか知んないけど……俺、すっげ苛立ってんだよね……覚悟してもらうよ!

 

 リョーマはこの試合、ただの試合で終わらせるつもりはなかった。

 できるだけ無様に、完膚なきまでに狒々村を叩き潰すつもりでいた。

 

 スポーツマンとして色々と間違っているような気もするが、それだけ少年の心が掻き乱されている証拠だ。

 リョーマ自身、何故にこれほどまでに自身の心が荒ぶっているのか自覚はない。

 

 桜乃がこのコーチのせいで倒れた。

 パワハラ、セクハラをされたかもしれないという可能性を考えるだけで、どうしようもなくムカついてくる。

 

 ——喰らえ!!

 

 湧き上がる正体不明の苛々を解消するためにも、リョーマは容赦のないツイストサーブを再び狒々村の顔面目掛けて放っていく。

 

 だが——

 

「……ふんっ!!」

 

 またも完璧な軌道で顔面へと飛んでいくリョーマのツイストサーブ。

 狒々村はそれを巧みなステップで躱し——力強いショットで余裕に打ち返してきた。

 

「なっ!? か、返した!!」

 

 唯一の観客である朋香は狒々村がツイストサーブを返したことに驚いているが、リョーマは比較的冷静だった。

 

 ——へぇ~……少しはやるじゃん、そうこなくっちゃ!!

 

 ある程度の熟練者であれば自分のツイストサーブを返すことなど容易だ。

 少なくとも、この程度のことはできるらしい狒々村の技量に特に驚くようなことはない。

 

 ——なっ!? お、重い……!

 

 しかし、返球されたリターンをさらに打ち返そうとしたところ、その球の重さにリョーマは驚愕する。

 重い。まるで鉛玉のように重くなっていたボール。咄嗟に出した片手だけでは満足には打ち返すことができず、リョーマそのボールを高めに返球してしまう。

 

 その隙を見逃す狒々村ではなかった。

 

「——喰らえっ!!」

 

 雄たけびを上げながら狒々村はジャンプ。高々とあがったロブを、人間離れした跳躍力で飛びあがり空中でスマッシュ。

 リョーマの先輩である桃城も得意とする『ダンクスマッシュ』で打ち返された球はそのまま地面へと——突き刺さった。

 

「なっ……!」

「こ、コートに……めり込んでる」

 

 あり得ない。いったいどれほどの力を込めれば——ボールが地面にめり込むというのか。

 凄まじい威力のスマッシュにリョーマも朋香を言葉を失う。

 

「——おい、小僧」

「っ……!!」

 

 すると、今度は狒々村の方からリョーマにへと声を掛ける。

 

 

 先ほどまで、確かに狒々は桜乃のことで後ろめたさを覚えており、テニスなどやっていられる心境ではなかった。

 しかし人間の、それもリョーマのような小僧にあのように挑発され、それで黙っていられるほど彼は寛大ではない。

 

 年長者としての意地、妖怪として人間如きには負けられんと。

 狒々は闘争本能を剥き出しに、一人のテニスプレイヤーとしてリョーマを叩き潰そうと襲い掛かる。

 

 

「吐いた唾飲み込めんぞ。覚悟はできてるんやろうな……ああん!?」

 

 

 それに対し、リョーマは——

 

 

「いいよ、やってやろうじゃん……」

 

 

 さらに闘争心を燃やし、狒々村へとテニスでの勝負を挑んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、男たちがテニスで熱い火花を散らしていた頃。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……う、ううん…………あれ、わたし……どうして……?」

 

 病室のベッドに寝かされていた竜崎桜乃が目を覚ましていた。

 朧げな意識の中、まず最初に彼女はここは何処か、何故自分がこんなところにいるのかという疑問を持ち——ハッと気を失うまでの出来事を思い返す。

 

「そっかわたし、狒々村コーチとの特訓中に倒れて……それで……」

 

 彼にコーチをお願いしておきながら、どうやら自分は倒れてしまったようだ。

 桜乃は己の軟弱さ、不甲斐なさにさらに自分自身を責める思いで気を沈めていく。

 

「……目覚めたかい、桜乃」

「お、おばあちゃん? どうしてここに?」

 

 だが、自分の目覚めを出迎えてくれたのは狒々村ではなく、祖母の竜崎スミレであった。

 桜乃は周囲に心配を掛けまいと、夜遅くまで練習していることは家族にも友人にも秘密にしていた。それなのにどうして祖母のスミレがここにいるのかと疑問を抱く。

 そんな桜乃をスミレは保護者として叱りながらも、今ここに自分がいられる理由を告げていく。

 

「どうしてじゃないよ!! まったく……小坂田のやつに感謝するんだね」

「えっ……朋ちゃん?」

「ああ、アンタのことを心配して……遅くまでずっと街中を捜し回ってたそうだよ。あの子が見つけてくれなかったら……まったくどうなってたことやら……」

 

 スミレが言うに、朋香が桜乃の倒れる現場に間に合ったおかげで迅速に竜崎家へと連絡を取ることができたという。もしもあの場にいたのが狒々村だけだったなら、スミレたちの元へと連絡がくるのにもう少し時間が掛かっていただろう。

 当然事情を聞きつけてスミレ、それと桜乃の両親もすぐに病院へと駆けつけていた。両親の方は現在、医者から話聞いているため席を外しており、病室内は桜乃とスミレの二人っきりだった。

 

「そっか、朋ちゃんが……あとでお礼言っておかないと……それで、その朋ちゃんは? それに……狒々村コーチもいないけど?」

 

 桜乃は親友である朋香に心配を掛けてしまったことを申し訳なく思いながらも、胸の内には温かい気持ちが溢れる。だがその親友の姿が見えず、またもう一人、自分が倒れた現場にいた筈の狒々村がどこに行ったかを尋ねていた。

 

「小坂田なら……今頃は観戦してるだろうね。狒々村と越前の試合を……」

「えっ? リョーマくん……? 何でリョーマくんが!? それに……狒々村コーチと試合って?」

 

 スミレの説明にいまいち状況を把握できない。

 何故そこにリョーマが出てくるのか分からないし、そもそも何で二人がテニスの試合をすることになったかも謎である。

 

「……まっ、あいつもアレで男だったてことさね。女絡みで熱くなるところは……なんだかんだで親父の南次郎譲りかもしれないね」

「???」

 

 一人納得するスミレに、桜乃はますます意味が分からず疑問符を浮かべる。

 しかし桜乃の質問にそれ以上答える様子を見せず、スミレは真剣な面持ちでそれまで聞かずにいた問題の方へと切り込んでいく。

 

「それにしても……桜乃、どうして狒々村なんかにコーチを頼んだんだい? 言ってくれれば、あたしが練習見てやったてのに……」

 

 そう、狒々村コーチとの特訓の件。

 聞くところによると、桜乃の方から無理を言って狒々村にコーチを願い出たという。その事実を本人に確認し、何故自分を頼らなかったのかも聞いていく。

 

「ご、ごめんなさい。けど……おばあちゃんは男子テニスの方で忙しいと思ったから……」

 

 確かにテニスの指導者であれば祖母であるスミレに頼むこともできた。だが彼女は青学男子テニス部の顧問であり、それを邪魔してはいけないという遠慮の気持ちが桜乃に祖母を頼らせることを躊躇わせていた。

 それに——

 

「それに……知られたくなかったのかもしれない。おばあちゃんや朋ちゃんに……こんな、ぐちゃぐちゃになった自分の感情を……」

「……? どういうことだい、それは?」

 

 近しい人間だからこそ、知られたくなかった感情があったと。

 無理をして倒れた今だからこそ告白できる胸の内を——桜乃は祖母へと正直に溢していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なるほどね。そんなことを考えていたとは……」

「…………」

 

 桜乃は全てを話した。

 

 自分があの日、優美選手に負けた後にあった出来事。

 それにより感じていた焦燥、彼に——越前リョーマに付いていけない、置いていかれるという不安と恐怖。

 その不安を少しでも払拭しようと、強くなるために無茶なトレーニングを課し、たまたま知り合った狒々村にも迷惑を掛けてしまったと。

 正直なところ、桜乃も未だに自身の心がどこにあるのか定まっておらず、上手く説明できた自信はない。

 

「しかしそうか……自分一人でそこまで考えて…………子供の成長ってのは……早いもんさね」

 

 だが人生経験豊富なスミレは、先ほどの話で桜乃の悩みの本質をそれとなく見抜いたようだ。

 彼女は暫し考えこみ——そして何かを決心したかのように、真剣な眼差しで桜乃と向かい合う。

 

「桜乃には……もう少し無邪気にテニスを楽しんで欲しかったけど……こうなったら仕方ない。ここは一つ教師らしく、進路相談でもしようか」

「進路相談?」

 

 祖母が何を納得し、何故そのような言葉を口にしたのか桜乃は未だに理解しきれていない。

 しかし、スミレは困惑する実の孫に向かい、教育者としてとある質問を投げ掛けていた。

 

「桜乃……アンタはこの先の将来……テニスとどう関わっていくつもり…………いや——」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——アンタはテニスに……人生を賭けることができるかい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




人物紹介

 竜崎スミレ
  竜崎桜乃の祖母。青学男子テニス部の顧問。
  今回は貴重な教育者枠として、桜乃の悩みに答えていく役どころ。
  若い頃は美人でナイスバディだったらしいが……ギャグシナリオでは我々視聴者にトラウマを植え付けるほどのナイスバディ(笑)を披露することになる。

 桃城武  
  リョーマの先輩。たぶん同じ部活内なら一番仲の良い間柄だと思われる。
  中の人が狒々と同じヤング小野坂。
  狒々の「スマッシュ!」を見て、「ダンクスマッシュ!」だと思った人はきっと作者だけではない筈。

 越前南次郎・倫子
  リョーマの実父と実母。名前だけの登場。
  南次郎の方はアニメでそこそこ出番があるのですが、倫子の方はほとんど顔も見せない。けど若い頃の二人のエピソードは好き。今回の話の一部も、それとなくその話を参考にしたりしてます。

 かわうそ
  ゲゲゲの鬼太郎、六期のかわうそ。
  蛤船を操縦したり、女性とシェアハウスでお見合いしたりと、アニメ本編でもそこそこ出番がある。
  いつの間にかフェードアウトしてますが彼が出演したのにも、唐突にいなくなってるのにも意味があります。


 次回で『テニスの王子様』のクロスは完結。
 ここまで鬼太郎くん、影も形も出番がありませんが……ちゃんと登場しますのでご安心を!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

テニスの王子様 其の③

…………書き終わってから気づいたけど。

これ、鬼太郎の小説やない。
テニプリの小説だ!!

ほぼ八割方が『テニスの王子様』要素で覆われている。
『ゲゲゲの鬼太郎』要素は、ほんとに添える程度だ……。

一応、鬼太郎くんの出番はあるけど……うん、何も言うまい。

とりあえず書けたので……最後までお楽しみください!


 越前リョーマは中学二年生ながらも、かなりの実力者だ。

 

 去年の中学生全国大会。中一でありながらも母校の青春学園を優勝へと導き、中学テニス界No. 1の座に輝いた。

 また、同年内に行われたU17の世界大会でも代表として選ばれ、世界の強敵相手に戦い抜いた。

 その後も狭い日本を飛び出し、海外を飛び回っては世界の強豪を相手に今も活躍を続けている。

 

 彼の実力は海外のプロにすら通じるレベル、もはや中学生という枠組みに収まらない器であった。

 そんな確かな実力を持つ彼が、越前リョーマが——

 

 

 狒々村という選手相手に——思いの外、苦戦を強いられていた。

 

 

「——オラオラ、どした!! さっきまでの威勢はどこいきおった、チビ助が!!」

「ちっ!」

 

 狒々村の強烈なショットを何とか打ち返していくリョーマ。意外にも手強い相手の実力に彼は苛立ちを募らせていく。

 

 ——こいつ、なんて人間離れしたパワーだよ。ショットの一つ一つが……重い!

 

 狒々村の打球、スマッシュは当然ながらサーブもストロークもそのどれもがまるで鉛のように重い。まるで人間を相手にしている気がしない(狒々は人間ではないのだから当然)。

 

 ——しかも、あの図体でなんてすばしっこい! 

 

 しかもその巨体に見合わぬ身軽さ。どこへ返してもその人間離れした反射神経で楽々と追いつき、逆にギリギリのコースに返してくる。まるで猿のようなフットワーク(狒々は大猿の妖怪です)。

 

 ——チッ、ボールが……見えにくい! おまけに……なんか体も重いし……。

 

 加えて、今の環境。テニスコートにナイター用の照明があるとはいえ、現時刻は夜だ。

 本来、人間は夜に激しい運動をするようには出来ていない。昼間と違い、リョーマは選手としていつものパフォーマンスを発揮できずにいる(逆に妖怪にとっては夜こそが本領発揮の場である)。

 

 と、あらゆる意味で不測な事態を前にリョーマは狒々村への苦戦を余儀なくされていた。

 そんな苦しむリョーマへ、唯一の観客である小坂田朋香が声援を送る。

 

「リョーマ様、負けないで! 桜乃のためにも!!」

「——!!」

 

 彼女の言葉にリョーマは気付かされる。

 

 今、自分がここに立っている理由を——

 

 ——……そうだった。負けらんないよね。こいつのせいで……竜崎が!!

 

 竜崎桜乃は狒々村のパワハラ、セクハラのせいで倒れてしまった(それは全て誤解です)。

 

 本来、リョーマにとってテニスと自分との戦い。彼はいつだって、自分のためにテニスをしてきた。

 しかしこの試合、この瞬間だけは違う。今の彼は——桜乃のために戦っていた。

 

 桜乃の受けた痛みを、雪辱を晴らすためにも——今、ここで負けるわけにはいかないのだ。

 

 

「——これで……トドメや!!」

 

 

 だがそんなリョーマの心中などお構いなしに、狒々村は彼の息の根を止めようと再び『ダンクスマッシュ』を打ち込んできた。

 リョーマへと放たれる直撃コース、まともに受ければ人間の肉体などただでは済まない。

 

 ——こんなところで俺はっ、負けられない!!

 

 迫る脅威を前に、リョーマはこの戦いが絶対に負けられない死闘であることを改めて悟る。

 

 

 

 その刹那——彼の中で『それ』は覚醒する。

 

 

 

「な、なんやと……?」

 

 トドメの一撃を、ダンクスマッシュを放った狒々の方が唖然となる。

 

 これで終わったと思った。

 些か大人気なかったと反省しながらも、その一撃で全ての決着が付いたと確信していた。

 

 

 ところが、放たれたショットが相手のコートに突き刺さることはなく——ボールは狒々の後方、ベースライン上へと落ちていた。

 

 

 そう、狒々が渾身の力を込めたダンクスマッシュを、リョーマは華麗に打ち返したのだ。

 こちらに背を向け、両手を広げた状態で——

 

「今のは……不二先輩の羆落とし! ってことは、リョーマ様……!」

 

 観戦者である朋香はその構えが青学の天才・不二周助の必殺技『(ひぐま)落とし』を放った後のポーズであることを理解し、そして察する。

 他者の技を自分のモノのようにして扱える今のリョーマの状態。

 

 

「出た! リョーマ様の——無我の境地!!」

 

 

 それこそが今の越前リョーマ——光輝く閃光を纏った彼の覚醒した状態であると。

 

 

 

『無我の境地』とは。

 選手が限界を超えるプレイを行う際に稀に起きる現象。別の言い方で『ゾーンに入った』とも呼べる状態である。

 限界を超えた先、選手の体はほぼ無意識に動き、その状況にもっとも適切な技をこれまで体験したことのある選手たちとの対戦経験を元に模倣して繰り出すことができるようになる。

 今の攻防、狒々のスマッシュを無力化するため、リョーマはカウンター技である羆落としを模倣したのである。

 勿論、模倣できる技はそれだけに留まらない。

 

 

「——なっ!? ボールが分身して……グェッ!?」

 

 ボールが何十球にも分身したかのように見え、その全てが狒々村の体に直撃する。

 不動峰・橘桔平(たちばなきっぺい)の『あばれ球』である。

 

「——なっ!? 今度はボールが消え……ゲハッ!?」

 

 と、思いきや。今度はボールが消え去り、狒々の死角から彼の顎先へと奇襲を掛ける。

 四天宝寺・千歳千里(ちとせせんり)の『神隠し』だ。

 

「——なぬぅう!! こ、今度はボールが雷を纏って……ギャアアアアア!?」

 

 さらには、ボールが落雷の如く狒々の胸元へと突き刺さる。

 立海大・真田弦一郎(さなだげんいちろう)『風林火陰山雷』の『雷』である。

 

 そして、極め付きは——

 

「——なっ!? ボールが、わしの腕を伝って……」

「出たっ! リョーマ様のCOOLドライブ!!」

 

 相手の球をノーバウンドで打ち返そうとした狒々の腕を、まるで駆け上がるようにボールが転がっていく。

 これはリョーマ自身の必殺技『COOLドライブ』である。ボールはそのまま、狒々の顔面へと殴り込むように打ち込まれていく。

 

「ぐっ……ぐはっ!」

 

 その一撃が駄目押しとなり、狒々はそのままノックアウト。

 越前リョーマ——彼のKO勝利となり、少年は倒れる相手をギラつく瞳で見下ろしていた。

 

 

「——You still have lots more to work on(まだまだだね)

 

 

 

 

 

「やった、リョーマ様の勝利よ! さすがわたしのリョーマ様!!」

 

 越前リョーマの勝利を朋香が大喜びで祝福する。

 憧れの王子様の勝利、そして親友である桜乃の仇を討てたことで胸がすく思いである。

 

「——はぁはぁはぁはぁ……」

 

 だがリョーマは勝利を大袈裟に喜ぶことなく、激しく息を切らしていた。

 この無我の境地。強力な技ではあるのだが、いかんせん体力の消耗が激しすぎる。試合が終わったと同時に纏っていたオーラが消えるも、既にかなりのエネルギーを消耗してしまったのか。リョーマは今にも倒れそうな状態であった。

 

「リョ、リョーマ様! 待っててください! 今、何か飲み物を——!!」

 

 彼の疲労を察し、朋香は素早く動く。

 その辺の自動販売機で彼の好きなファンタでも買って水分補給をさせようと、彼女なりに気を回そうとする。

 

「——ま、待てや。小僧!!」

「なっ!? まだ動けるの……しぶとい奴ね!!」

 

 ところが倒れたと思っていた狒々村が、妖怪・狒々が再び立ち上がってきた。

 そのしぶとさに朋香が辟易するも、狒々はまったく気にした様子もなくリョーマへと鋭い眼光を向ける。

 

「おどれ……ようもやってくれたのう。そっちがその気なら……わしももう、手加減はせえへんぞ!!」

 

 リョーマの怒涛のラッシュに、ついに狒々は我慢の限界を迎える。これまでも彼は本気ではあったが——あくまで人間の範疇で収まるレベルまで力を抑えていたつもりであった。

 

 しかしこの試合、彼は生意気なリョーマを叩き潰すために自ら戒めを解き放ち、体全体に黒いオーラ・妖気を纏っていく。

 

 

「……むむむ……ぬはっ!!!!!!」

 

 

 次の瞬間にも、狒々は人間への擬態のために着ていた衣服も破り捨て、妖怪としての姿を堂々と曝け出す。

 

 

 

 その肉体を巨大化させ——体長・10メートルはあるであろう大猿へと変貌を遂げたのである。

 

 

 

「…………はっ?」

「……えっ? な、なに? 何が起こって……?」

 

 これにはさすがのリョーマも目を丸くしており、朋香にいたっては何が起きているかも理解が追いつかない。

 相手選手が、突然巨大化する。

 まあ、普通であればあり得ないことに、そのような反応になって仕方がないことだっただろう。

 

 だが——

 

「…………へぇ~、面白いじゃん。そうこなくっちゃ」

 

 リョーマが呆気に取られたのも束の間。彼はすぐに気持ちを切り替えて、巨大化した狒々と戦うべくラケットを構え直す。

 

 

 別に——世界レベルであれば選手が巨大化するなど、そう珍しいことではない。

 

 

 その程度でリョーマの戦意が挫けることも、ここで狒々を許す理由にもならない。

 彼はあくまで桜乃の受けた仕打ちを返すため、狒々を叩き潰すつもりでいる。相手が大きくなった=的がデカくなったと前向きに捉え、リョーマはさらに戦意を高揚させる。

 

『いくで……小僧!!』

 

 狒々も、巨大化したままリョーマと試合をするつもりのようだ。

 こうして、越前リョーマVS狒々の戦いも第二ラウンド、さらなる激戦へと突入する——かに思われていた。

 

 

「——そこまでだ! 狒々!!」

 

 

 しかし二人の不毛な争いを止めるべく、その場についに『彼』が駆け付けてくる。

 その人物は建物の上からこちらを見下ろし、狒々村に向かって叫んでいた。

 

「……誰?」

「な、なに、あれ? いったい、どこの誰よ!?」

 

 リョーマと朋香はそれが誰か分からず困惑する。

 

『お、お前は——!?』

 

 狒々はそれが誰なのか一目で分かったようだ。

 何故その人物がここにいるのか、彼の名前を呼びながら狒々はその理由を問い掛けていた。

 

『なんでお前がここにおんねん……ゲゲゲの鬼太郎!!』

 

 ゲゲゲの鬼太郎。

 ゲゲゲの森の顔役、日本妖怪を代表すべき妖怪である。

 

「かわうそから話は聞いたぞ! また人間にテニスを教えようとして、色々と面倒なことになったみたいだな!」

『! ちっ、あいつめ……いつの間にか姿を消しとった思ったが、鬼太郎にチクリおったな!!』

 

 どうやら、鬼太郎はかわうそから話を聞いたらしい。

 狒々がまたも人間にテニスのコーチをして——何かしらの問題が発生してしまったということを。

 

 さすがにその問題の内容まで把握していないようだが、それでも今の状況——狒々が人間相手に巨大化し、妖怪としての力を振るおうとしている現状が不味いということは瞬時に判断できる。

 

 鬼太郎と一緒にこの場に来ている彼も——目玉おやじも同意見だったのか。

 

「冷静になれ、狒々よ!! これ以上面倒を起こせば、また優美選手のときのように人間たちに目をつけられてしまうぞ!!」

『——っ!!』

 

 狒々に対して警告するよう叫ぶ。

 友人とも呼べる目玉おやじのその言葉に、怒りに我を忘れかけていた狒々もハッと正気に戻る。

 

 そうだ。前回も狒々は怒りに我を忘れ、自分にしつこいまでにハラスメント追求をしてきたマスコミ相手にブチギレた。その際も彼は巨大化し、妖怪としての本性を曝け出して人間へと襲い掛かろうとしてしまった。

 

 そのときは鬼太郎が狒々を押し留め、なんとか事なきを得たが、それと同じ失敗を——狒々はまたも繰り返そうとしている。

 

『ぐ、ぐぬぬぬ……くそっ! 分かっとるわ!!』

 

 あのときの苦い経験を思い出せたおかげか。狒々はなんとか自制心を働かせ、怒りと理性の狭間で葛藤。

 悩みに悩み抜いた末——己自身の意思で矛を治めるべく、巨大化した肉体を縮める形で己の戦意を引っ込める。

 

「な……なんなの!? いったいなんなのよ、さっきから!?」

「…………」

 

 大きくなったと思いきや、今度は風船のように空気が抜けて元のサイズに戻っていく狒々に、さらに現実を受け止めきれずに困惑する朋香。

 やはりリョーマも驚いているのか、暫しの間言葉を失っている。

 

「ふんっ……!」 

 

 二人が唖然としている間にも、狒々は高々とジャンプ。

 ビルの壁面を伝い、鬼太郎のいる建物の屋上へと瞬く間に駆け上がっていく。

 

「——っ、待ちなよ! 逃げる気!?」

 

 勝負を途中で投げ出して逃げる相手に、リョーマは驚くよりも憤りをみせる。

 まだ決着は付いてないだろうと、狒々に戻ってくるよう挑発するが——

 

「やかましい! 今夜はここまでじゃ! 命拾いしたのう、小僧!!」

 

 怒鳴り散らしながらも、狒々はその挑発には乗らなかった。

 彼は最後まで理性を保ちつつ、リョーマに向かって捨て台詞を残してその場から立ち去っていく。

 

「今度会ったときは容赦せえへんで! おんどれ、次こそは絶対ヒィヒィ言わしたるさかいな!! ……狒々だけに!!」

「……鬼太郎、ワシらも帰ろう」

「はい、父さん」

 

 狒々と一緒に、鬼太郎と目玉おやじも姿を晦ましていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………」

「…………な、なんだったのよ、あいつら?」

 

 そして、テニスコートにはリョーマと朋香の二人だけが取り残された。

 二人は狒々が——いや、『あれら』がいったい何だったのか?

 

 

 結局、何一つ理解することができず、数十分ほどその場にて立ち尽くしていた。

 

 

 

×

 

 

 

 そうして。

 竜崎桜乃が倒れた日の夜から、数日後の朝。

 

 

 

「あっ、おはようございます、リョーマ様!!」

「ん……おはよ……」

 

 青春学園中等部への通学路で顔を合わせたのは、小坂田朋香と越前リョーマ。

 なんだかんだありつつも、いつも通りの日々へ戻っていた二人。今日はリョーマも青学の制服を着て学校に登校しているようだ。朋香はリョーマと普通の学生らしい日常が送れるのが嬉しく、ついついいつも以上の元気な笑顔で彼の隣を歩いていく。

 だが、朋香は不意にその表情を険しいものに変え、周囲の目を気にしながら声を潜めてリョーマへと耳打ちする。

 

「そういえば、リョーマ様。あいつ……狒々村のことなんですけど……」

「……あのおっさんが……どうかしたの?」

 

 狒々村。あれからまったく音沙汰がなく、リョーマにリベンジしてくる気配も、桜乃の周囲を付きまとう様子もない。リョーマ自身もようやく彼のことを気にしなくなったため、わざわざ思い出させる朋香の言葉にはやや無愛想に返す。

 しかし、朋香は気にせずに続きを話していく。

 

「わたし、あれからアイツについて色々と調べたんですけど……アイツ、ネットの噂じゃ狒々とかいう妖怪だった……って話があるんですよ」

 

 狒々村の正体が『狒々』という妖怪である。

 それは事実であり、マスコミも嗅ぎつけた情報なのだが、現時点ではあくまで噂程度。それは他でもない。正体を追求したマスコミの方が『少しやり過ぎた』と、自分たちの報道が加熱気味だったことを反省したからである。

 マスコミが報道を途中で自粛した結果、狒々村という男はあくまで『さまざまなハラスメント行為を行った人間』という認識で表向きは留まっている。ただネット上などで、細々と彼が妖怪だったという話が流れている。

 その噂で聞き齧った部分を朋香はリョーマに報告していた。だが——

 

「はっ……妖怪? なにそれ。そんな噂真に受けてんの、小坂田? 妖怪なんているわけないじゃん」

 

 ほとんど興味を示すこともなく、リョーマはその妖怪説を真っ向から否定する。

 

 昨今の情勢により、妖怪の存在を信じる人間が徐々に増えてきたとはいえ、全ての人間が未だに彼らの存在を受け入れているわけではない。リョーマのようにそれらの存在を全く信じない、関心を示さない人間も一定数存在する。

 おまけにリョーマは帰国子女。そもそも妖怪というものがどういったものかも、いまいち理解していなかった。

 

「そ、そうですよね!! 妖怪なんているわけないですよね!! はは、ははは……」

 

 慕っているリョーマにそのようなことを言われれば、朋香もこの説を否定するしかない。未だシコリのように狒々村の正体、あの夜の出来事が何だったのか疑問が残るものの、これ以上はややこしくなると直感。

 

 朋香もそれっきり、あの夜のことを話題として掘り返すことはなく。

 記憶にそっと蓋を閉じ、あの出来事をなかったことにしていくのであった。

 

 

 

 

 そうして、その他の話題で適当に雑談を続けながら登校する二人は学校の前までたどり着く。

 校門には既に多くの生徒たちが集まっており、そのうちの何人かがリョーマを遠巻きに見つめてくる。

 

「あっ、越前だ! おはよ!」

「きゃー!! 越前先輩! やっぱカッコいい!!」

「ちょっ、ちょっと誰よ、あの隣の子!! 越前君と一緒に登校だなんて……う、羨ましい!!」

 

 この学校においてリョーマはかなりの有名人で通っている。

 世界的に活躍するテニスプレイヤーという側面は当然ながらも、その甘いマスク、ルックスから主に女子からの人気が凄まじい。

 特にミーハーな女子などはお近づきになりたいと、リョーマに声を掛けようとチャンスを窺うのだが。

 それは彼の隣を陣取る朋香が睨みを効かせてガードする。リョーマ自身も女子たちからの黄色い声援をほとんど無視しているため、率先して彼に近づこうという輩も殆どいなかった。

 

「——リョーマくん、朋ちゃん! おはよう!!」

 

 だが、そんな二人に大した抵抗感もなく、気軽に声を掛ける女生徒がその日は登校してきた。

 そう、彼女——竜崎桜乃である。

 

「竜崎……」

「桜乃!? アンタ大丈夫なの、体の具合は……?」

 

 病院ではない、久しぶりに学校で顔を合わせた彼女の笑顔にリョーマと朋香は驚いた。

 オーバートレーニング症候群と診断され、まだ数日しか経っていないというのにもう登校してきていいのかと、その体調を気遣う。

 

「う、うん。もう大丈夫。……ごめんね、色々と迷惑掛けちゃったみたいで……」

 

 二人に気を遣わせてしまったことを詫びながらも、桜乃は一応は大丈夫だと健康な姿を見せる。医者からも、普通に日時生活を送る分には問題ないとお墨付きをもらっているとのこと。ただ——

 

「退院の許可は貰えたんだけど……暫くは部活動禁止だって、お医者様からもおばあちゃんからも注意されちゃってるんだ。はは……当然だよね」

「あ、あったりまえじゃない!! また倒れたらどうすんのよ!?」

 

 苦笑いしながら、桜乃は未だに完全に本調子でないことを正直に告げる。

 ドクターストップが掛かっており、当面の間は部活に参加して練習をしてはいけないとのこと。朋香もそれが当たり前だと激しく同意する。

 

「まったくアンタって子は……今度は無茶する前にちゃんと相談するのよ! いい!?」

「う、うん……ありがとう、朋ちゃん。それに……リョーマくんも。わざわざお見舞いに来てくれて……」

「ん、別に……」

 

 次からは倒れる前にきちんと相談するよう念を押す朋香。

 桜乃は親友が自分を心配してくれる言葉に嬉しそうに頷き、入院している間に何度か見舞いに来てくれたリョーマにも礼を言う。

 そんなお礼に対し、ぶっきらぼうに返すリョーマ。

 

 暖かくも微笑ましい、等身大の中学生たちの日常がそこにはあった。

 けれど——

 

「そういえば、リョーマ様……。今回はいつまで日本にいられるんですか?」

 

 朋香が不安げに尋ねるように、その日常もそう長くは続かない。

 越前リョーマは頻繁に海外を飛び回っており、いつまでも日本に留まっていられる男ではないのだ。

 

 事実、彼は既に次の予定を立てていた。

 

「まあ、明日には向こうに渡るつもりだけど?」

「あ、明日!? ず、随分と急な話ですね……」

「——っ!!」

 

 何の気もなく放たれた彼の発言に朋香は驚き、桜乃も目を見開く。

 明日——明日にはリョーマもこの国を旅立ち、テニスプレイヤーとしての戦いの日々へと戻っていく。

 

「そ、そうですか……けど、仕方ありませんよね。わたし、応援してますから頑張って下さい!!」

 

 朋香はがっかりしながらも、リョーマの夢を応援すべくエールを送る。

 たとえ会えない日々が続こうとも、彼女はファンとして遠く離れても彼のことを応援し続けるだろう。

 

 

「……ねぇ、リョーマくん」

 

 

 いつもであれば、桜乃も朋香に静かに同意したことだろう。リョーマの夢の理解者として、黙って彼の背中を押したことだろう。

 ところがこのときに限り、桜乃はリョーマを呼び止めていた。

 

「今日の放課後でいいんだけど……少し、わたしに付き合ってくれないかな?」

「……? 別にいいけど……珍しいね、竜崎から頼み事だなんて……」

 

 実際、これはかなり珍しいパターンだ。

 リョーマが自分の都合で彼女を振り回すことがあっても、桜乃がリョーマを自分の都合に付き合わせることはなかなかない。桜乃の性格上、リョーマに迷惑を掛けたくないと遠慮することが多い。

 

 だが、このときの桜乃にいつものようなおどおどした気配はなく。

 彼女は自身の都合を、彼への頼み事をはっきりと口に出していた。

 

「今日の放課後……わたしと……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——テニスで勝負してくれないかな?」

 

 

 

×

 

 

 

 放課後。部活動が始まる、少し手前の空き時間。

 

 テニス部員たちの活動場所であるテニスコートには数人の部員たちがいる。まだ練習が始まる前ということもあり集まりもまばらだが、彼らは一様に、一つのテニスコートへと目を向けていた。

 

 彼らの視線の先には、二人の選手——越前リョーマと竜崎桜乃。

 それぞれジャージとテニスウェアに着替えており、これからテニスの試合をすることが雰囲気から見て取れる。

 

「桜乃ってば……いったい何を考えてるのよ!!」

 

 ギャラリーの一人である朋香がその光景を前に頭を抱えていた。

 桜乃がリョーマと試合をしたい——最初この話を聞いたとき、彼女は当然桜乃を止めようとしていた。医者から練習を止められているのに、何を考えているのだと。

 しかし、桜乃は頑なに譲ろうとしなかった。

 

『——お願い、リョーマくん! わたし……確かめたいことがあるの!!』

 

 どうやらリョーマが海外へと渡る前に、どうしても彼と戦っておきたい理由が彼女にはあるらしい。

 しかし、病み上がりの体に長時間の運動は堪えるものがある。リョーマもそのことを理解しているため『……少しだけなら』と条件を付けることで桜乃の頼みを引き受けることにしたのである。

 

「……3ゲーム制。先に2ゲーム取った方が勝ち。それでいいよね?」

 

 改めてルールの確認をするリョーマ。

 それ以上の試合時間は今の桜乃には厳しいと、彼なりに判断した結果である。

 

「うん、それでいいから……始めよう」

 

 桜乃もその条件で承諾。時間が惜しいとばかりに、流行る気持ちで身構える。

 先行は、桜乃のサービスから始まるようだが。

 

「——越前!! ちゃんと手加減してやるんだぜ!!」

 

 そのタイミングで観客からのヤジが飛ぶ。一人の男子生徒が発した言葉に、吊られるように周囲の男の子たちからも笑い声が上がった。

 茶化すような、からかうようなその態度にこの試合をハラハラした気持ちで見守る朋香が一瞬、殺意のこもった瞳でその男子たちを睨みつける。

 しかし、彼らの気持ちもある意味では仕方ない。

 

 片や、世界を舞台に活躍する天才選手。

 片や、地区予選一回戦突破がやっとの平凡な選手。

 

 勝負結果などやる前から明らか。

 だからこそ、せめて『最低限』試合になるくらいには手を抜いてやれと、そう警告しているのだ。

 

「分かってるよ、そんなことは……」

 

 対戦相手であるリョーマ自身も、桜乃相手にそこまでガチの試合運びをするつもりはなかった。

 あくまでリハビリに付き合う程度の気持ち、軽く運動するくらいのつもりで桜乃との試合に臨むつもりでいた。

 

「じゃあ……行くね!!」

 

 しかし、周囲の冷やかしの空気にも動じずに桜乃は最初のサーブ——開幕の第一打を放つ。

 

 

 

 

 

 

「15ー0……えっ?」

 

 

 

 

 

 

 その第一打に、審判役を受け持った生徒が思わず呆気に取られる。

 

「——!?」

 

 対戦相手であるリョーマもだ。

 桜乃の放ったボールは、軽い気持ちでサーブを受けようと油断していた彼の横を——凄まじい速度で突き抜ける。

 気づいたときにはボールがコートに突き刺さっており、桜乃はあのリョーマからサービスエースをもぎ取ってしまった。

 

「……お、俺より速ぇぇ……」

「じょ、女子の速度じゃねぇよ……なんなんだ、あの子?」

 

 ヤジを飛ばしていた男子たちも、明らかに女子選手の域を超えたそのサーブを前に押し黙ってしまう。

 

「当然よ、これくらい!」

「竜崎さん、頑張って!!」

 

 男子たちが静かになる反面、今度は女子たちの声援が桜乃へと注がれる。

 彼女たちはここ数週間、桜乃が凄まじい速度で成長しているのをずっと見てきたのだ。故にこれくらいはできて当然と、あわよくばリョーマを負かすことすら期待していた。

 

 

 

 

 

「…………」

 

 一方、未だにリョーマは信じられない思いで硬直していた。

 そのサーブの一打だけでも、彼は眼前の竜崎桜乃が自身の知る竜崎桜乃ではないことを思い知る。

 

 ——竜崎、いつの間にここまで……!!

 

 たった数ヶ月前だ。桜乃の試合を最後に見たのは。

 その会わなかった数ヶ月の間に、桜乃は選手として飛躍的に実力を高めていた。

 

 きっと、そのレベルアップの裏には——狒々村との特訓の日々があったのだろう。

 

「…………」

 

 その事実に忘れかけていた苛立ちが戻ってくる。

 桜乃の成長は彼にとっても喜ばしいことではあるが、どうにも釈然としない気持ちにリョーマは暫し立ち尽くす。

 

「——ぼさっとしないで、リョーマくん」

「っ!!」

 

 するとそんなリョーマに対し、桜乃にしてはやや冷やかに声を掛ける。

 彼女は既に次のサーブを打つ体制に入っており、淡々とゲームを進めていく。

 

「遠慮とか、手加減とか……そういうのは必要ないから」

 

 そこにいるのは『少女』としての竜崎桜乃ではなかった。 

 一人のテニスプレイヤーとして、越前リョーマに戦いを挑む『選手』としての竜崎桜乃がそこに立っていた。

 己の闘争心を隠すつもりもなく、彼女は堂々と願い出る。

 

 

「本気で、わたしと戦ってよ!」

 

 

 その切なる望みに——

 

 

「……来なよ、竜崎!!」

 

 

 リョーマも本気の想いで応えていく。

 

 

 

×

 

 

 

 二人の戦いは——当初の予想を覆し、白熱した試合展開となっていた。

 

 15ー15、30ー15、30ー30、40ー30、40ー40

 

 互いの点差は決して大きく縮まらず、ラリーの打ち合いもほぼ互角。

 越前リョーマが強いことは誰もが知っていることだが、まさか竜崎桜乃がここまでやれるとは。

 意外すぎる好試合を前に大いに盛り上がる観客たち。

 

 しかし、周囲のギャラリーたちが熱くなる一方で——

 

「桜乃……どうして……そんな無茶をしてまで……っ!」

 

 小坂田朋香。彼女一人だけは、どうしようもない不安感の中でその試合を見つめていた。

 

 今の桜乃がまだ本調子でないことを彼女は知っている。それなのに桜乃は限界を——限界以上の力を引き出し、なんとかリョーマについて行こうと必死に食らいついている。

 

 そんな無茶が長続きするとは思えない。下手をすれば、またも体を壊してしまうかも知れないのだ。

 だからこそ、朋香も今回ばかりはリョーマではなく、桜乃の身だけを心配していた。

 勝敗なんてどうでもいい。どうか何事もなく、無事に終わって欲しいと。

 

 

 だが、朋香の願いは虚しく——。

 

 

「——あっ!?」

 

 桜乃の動きが急激に鈍くなる。

 それまで付いていけていたラリーに体が追いつかず——あっという間に連続で2ポイント奪取されてしまう。

 

「——ゲーム越前! 1ー0!」

 

 審判が声高々とリョーマのリードを宣言する。

 その決まりきっていた結果に、周囲の誰かから落胆するような声が響き渡っていた。

 

 

「——あ~あ、やっぱりな……」

 

 

 分かりきっていたことではないかと。

 あの越前リョーマに、あんな無名の少女が敵う筈ないのだ。

 

 彼女のような、自分たちのような凡才では——どう足掻いても天才相手に勝ち目などないという、醒めた吐息。

 

 3ゲーム制とはいえ、既に他のゲームも勝負が見えたと。

 何人かの生徒はその試合から興味を失い、これから始まる部活動のために各々でアップを始めていく。

 

 

 それでも——

 

 

「はぁはぁ……まだだよ、まだ!!」

 

 

 それでも、竜崎桜乃は諦めてはいなかった。

 ボロボロになりながらも、既に体力の限界を迎えながらも——

 

 彼女はリョーマに全力でぶつかっていく。

 

「竜崎……っ、行くよ!!」

 

 そんな彼女の本気を前に、リョーマも本気でぶつかっていく。

 勿論、本気といってもさすがに『無我の境地』や『COOLドライブ』をぶつけるような大人気ない真似はしない。そういった技を抜きにして、一人のテニスプレイヤーとして。

 

 彼は桜乃に、スポーツマンとして真摯な形で応えていく。

 

 15ー0、30ー0、30ー15、40ー15

 

 そして、2ゲーム目も終盤を迎えようとしていた。

 ここに来て地力の差が出てしまったのか、リョーマがリードする形で徐々に開いていく点差。

 

 あと1点、それでこのゲームも彼の勝利で終わり、試合も終了となる。

 いよいよ後がなくなっていく中で、桜乃は——

 

 

 ——ははは、やっぱり強いや。リョーマくんは……。

 

 ——ほんと……おばあちゃんが、教えてくれたとおりだったな……。

 

 

 あの日の夜。 

 病院へと運ばれた日に、祖母であるスミレに病室で問われたことを思い返していた。

 

 

 

×

 

 

 

「——アンタはテニスに……人生を賭けることができるかい?」

「えっ……?」

 

 突然の問い掛けに桜乃はベッドの上で戸惑っていた。

 

 実の祖母であるスミレから『進路相談』と前置きをされ、何事かと身構えていたら——いきなり『人生を賭ける』という問答である。

 おそらく桜乃でなくても、その問い掛けに即答することなどできなかっただろう。

 

 けれど——

 

「ふっ……リョーマのやつだったら、きっと即答してただろうね」

「——っ!!」

 

 桜乃の憧れである越前リョーマ。

 彼であれば迷いなく答えていただろうと、スミレは口元に笑みを浮かべる。

 

「あいつはテニスに人生を……いや、あいつにとっては、テニスこそが人生なんだよ」

「テニスが……人生……」

 

 なんとなくわかるような気がする。確かにリョーマはテニスのために、その他の色んなもの犠牲にしてきた。

 本来なら、彼だって桜乃と同じ中学二年生だ。桜乃や朋香と一緒に毎日のように学校へと通い、テニスだけでなく、友人や先輩、あるいは恋人でも作って青春を謳歌してもいい年頃の筈だ。

 

 けれどもリョーマはそんな当たり前の日常を選ばず、テニスのために——夢のためにひたすら邁進する過酷な日々を送っている。

 

「アンタと対戦した、優美選手もきっとそうなんだろうさ……あの子も、きっとテニスのためなら人生を賭けることができてしまうんだろうねぇ……」

 

 スミレはさらに話題として岡倉優美選手の話を上げる。

 リョーマと同じように、きっと彼女ならテニスのためにそれ以外のものを迷いなく捨て去ることができるのだろう。

 

 そういう意味で、やはりあの二人は似たもの同士。

 

「わたしには……多分そんな生き方……できないと思うな……」

 

 その事実を前に、桜乃は改めて自分との違いを気付かされる。

 

 桜乃だってテニスは好きだ。けど、二人のようにテニスのためにそれ以外のものを捨て去ることなどできない。

 テニス以外にも大事なことが、大切にしたいことが沢山あるのだ。

 

 ——そっか……わたし……。

 

 置いてかれると。その背中に追いつくためにと、必死に努力してきたつもりだったが——とんだ思い違いだ。

 自分は最初から、彼らと同じ場所になど立っていなかったのだ。

 

「っ…………」

 

 そのことを理解してしまったせいか、露骨に気落ちする桜乃。

 

「勘違いしちゃ駄目だよ、桜乃。確かにアンタとあいつらは違う。けど……だからといって、アンタのしてきたことが全て無駄だったわけじゃないんだから」

 

 そんな孫娘の心情を察してか、スミレはすかさずフォローを入れた。

 

「肝心なのは……アンタ自身がどうテニスと向き合っていくかってことなんだからね」

「わたし自身が……?」

「そうさ……アンタにとって、テニスってなんだい?」

 

 改めて問われ、桜乃は自身に問い掛ける。

 テニスとどう向き合うか? 自分にとってテニスとは何か?

 

「ただの趣味としてテニスを続けたいってんなら、これまで通り部活動の一環として楽しんでいけばいいさ」

 

 大多数の人間が、そうやって純粋に遊びとしてテニスを楽しんでいる。

 スミレも、孫にはそうあって欲しいと願っているのか、表情を明るめに語る。

 

「もしも……プロを目指したいってんなら、アタシは全力でアンタの応援するよ……うん」

 

 リョーマや優美のように競技者としてテニスを続けたいというのなら、スミレは指導者として桜乃を全力でバックアップするだろう。

 しかし、本心では孫にそんな過酷な日々を送って欲しくないと思っているのか。いまいち気乗りしない様子だ。

 

「いずれにせよ……アンタが決めることだよ。アンタ自身が悩んで、苦しんで……その果てに、ちゃんと答えを出さないといけない」

「わたし、自身が……」

 

 未だ中学生の桜乃に、将来を決定づける選択を迫るのは酷かもしれない。

 けれど、桜乃はまさに今、この瞬間にそれを決める分岐点へと来てしまっていた。

 なればこそ、ここできちんと考えなければならないのだ。

 

 

 将来的にどのような道を選ぶにせよ、後悔のない選択ができるように——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——……分かってるよ、おばあちゃん。

 

 ——きっとわたしじゃ……リョーマくんや優美選手のような道は選べないってことが……。

 

 そして今、リョーマと実際に戦うことで彼女は改めて実感させられていた。

 自分では——きっと彼らのようなプロにはなれないと。

 実力においてという部分もあるが、それ以上に精神的な面で彼らのような生き方ができる自信がない。彼らのようにテニスだけに邁進し、それ以外のものを置き去りに突っ走っていく覚悟が自分にはないのだと。

 

 ——けど、だからといって……この試合を諦める理由にはならないよ、リョーマくん!!

 

 ——今はただ……貴方ともっとテニスをしていたい!!

 

 敵わないと。そう思いながらも、この瞬間だけでもまだ戦っていたい——いや、勝ちたいと。

 追い詰められながらも、桜乃は執念で食らい付いていく。

 

 40ー30、40ー40

 

「——並んだ!?」

 

 第1ゲーム同様、デュースに持ち込んでいく桜乃の試合運びに再び観客たちが騒ぎ出す。

 あるいは本当に、このままリョーマから1ゲーム取ってしまうのではないかと。勝負が第3ゲームまでもつれ込むのではないかと期待する。

 

「——駄目!! これ以上は駄目よ!!」

 

 しかしそれを良しとせずに、朋香が叫ぶ。

 

「これ以上、試合を長引かせないで!! お願いです、リョーマ様!! ここで決めてください!!」

 

 これ以上の試合続行は桜乃の残り体力からして危険すぎる。今だって彼女はふらふら、辛うじて立っているような状態なのだから。

 

「!! ああ、分かってる」

 

 リョーマも桜乃の状態を危ういと判断し、一刻も早くこの試合を終わらせるため、多少ごり押しながらも強引に勝利への道筋を立てていく。

 

「らっ!!」

 

 まずは1ポイントを先制。

 そして最後の一打を繰り出すため——全身全霊のスマッシュを叩き込む体勢へと入る。

 

「なっ!? あ、あの技は!!」

「サイクロンスマッシュ!?」

 

 観客たちが騒然となるのも無理もない。

 リョーマが繰り出そうとしている技は、彼の決め技の一つ『サイクロンスマッシュ』。立海大の真田弦一郎や、アメリカジュニア選抜のケビン・スミスですら苦戦させた大技だ。

 それをこの土壇場で、しかも女子相手に放とうとしているのだから。

 

「悪いけど……これで終わらせるよ、竜崎!」

 

 それだけ、リョーマも桜乃のことを選手として認めつつ、この技ならば彼女も返せまいと確信したからだ。

 これでこの試合を終わらせることができる、桜乃を——楽にさせてやれると。

 

 ——い、いやだ……。

 

 ——まだ……終わらせたくない!!

 

 リョーマがそのような気遣いを見せる一方で、桜乃はまだ試合を続けていたかった。

 もっと彼と戦っていたい、もっと彼とテニスをしていたい。

 

 だがそう思う一方で、桜乃の肉体はとっくの昔に限界を迎えていた。

 

 

 息が苦しい。

 

 

 足もガクガクする。

 

 

 汗の量も尋常ではなく、既に顔色も真っ青だ。

 

 

 この場にスミレがいれば間違いなくストップを掛けていただろう。

 誰がどう見ても、これ以上続けるのは不可能だと判断できる。

 

 

 

 

 

 しかし、そんな極限状態の中において——

 

 

 

 

 それでも桜乃は諦めず、選手としてコートに立ち続け——

 

 

 

 

 ついに、彼女も限界を超える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なっ!?」

 

 誰も、桜乃がリョーマのサイクロンスマッシュを返せるなどと思ってもいなかっただろう。迫りくる台風のような一撃を前に、皆がそれに彼女が飲み込まれてしまうだろうと確信していた。

 

 だが、彼女はその技を返すべく、相手選手へと背を向け、その両手を大きく広げようとしていた。

 その独特の構え。青学のテニス部でその技を知らぬものなど、誰一人とていない。

 

「……ひ、羆落としだ!!」

 

 既に中等部を卒業した先輩・不二周助のカウンター技。

 レベルの高い選手であれば使いこなせても不思議ではないが、竜崎桜乃という選手がそれを使うのはこの試合が初めての筈。

 初めてでありながら、桜乃は完璧なまでにその技を模倣し、繰り出そうとしている。

 おまけに——彼女の周囲に微弱だが、光り輝くオーラのようなものが見えていた。

 

 

「無我の、境地……」

 

 

 一部の選手のみが使いこなせる、己の限界を超えた者のみが辿り着ける境地。

 その境地に、彼女もまた足を踏み入れたのだ。

 

 

 今、この刹那に——

 

 

「はあああああっ!!」

「返した!?」

 

 炸裂する羆落とし、桜乃はリョーマのサイクロンスマッシュを見事に返してみせる。

 ボールは高々と宙を舞い、リョーマの後方へと落ちようとしていた。

 

「…………」

 

 そのボールを、リョーマは追いかけなかった。

 渾身のフィニッシュブローを放った後とはいえ、彼の運動能力であれば追いつける可能性があった。

 

 しかしリョーマは動けない。いや——あえて動かなかった。

 何故なら、彼は察していたからだ。

 

「竜崎……」

 

 ボールを目で追わずとも、歴戦の強者である彼には感覚で分かっていた。そのボールが——

 

「残念だけど……ここまでだよ」

 

 

 決して、コート内に入らないことを——

 

 

「——アウト!!」

 

 

 審判の判定が下る。

 ボールはベースライン上ギリギリまで、ボール一個分——届かなかった。

 

「ゲームセットウォンバイ、越前!!」

 

 リョーマの勝利が宣言される。

 と同時に、桜乃が纏っていたオーラも霧散。

 

 無我の境地は——瞬く間に役割を終え、桜乃の元から消え去った。

 

 

「——これが……わたしの限界……か」

 

 

 どこか達観したような。

 それでいってやりきったという思いが、桜乃の口から溢れ落ちていた。

 

 

 

×

 

 

 

「はぁはぁはぁはぁ……」

「……竜崎」

 

 激闘を終えた両選手が向かい合っているが、その姿は対極的だった。

 激しく息を乱す桜乃に対し、リョーマは汗一つかいてすらいない。どちらに軍配が上がったかは、誰の目にも明らかである。

 

「はぁはぁ……やっぱりすごいね、リョーマくん」

 

 桜乃は呼吸を整えながら、自分を完膚なきまでに打ち負かしたリョーマへと声を掛ける。

 

「わたしも、わたしなりに必死になって練習してきたつもりだったけど……やっぱり、リョーマくんには敵わないよ」

 

 狒々村コーチとの特訓を経てそれなりに上達したつもりだったが、それでも彼には敵わなかった。

 桜乃が強くなったように、リョーマだってどんどん強くなっているのだ。きっとこの差は——この先も大きく縮まることはないのだろう。

 

「……竜崎も、十分強かったよ。ほんと……下手な男子よりも、全然……」

 

 リョーマは慰めるように桜乃へと言葉を返す。

 しかし、口下手な彼からはいまいち気の利いた言葉が出てこない。

 こんなとき、どんな言葉を掛ければいいか分からない。テニスがどれだけ上手くても、こういったところは未だに未成熟な少年である。

 

「ふふふ、お世辞でも嬉しい……わたしの我儘に付き合ってくれて、ありがとう……リョーマくん!」

 

 リョーマの下手くそな慰めにも、桜乃は笑顔を浮かべる。そして自分の身勝手な都合に付き合わせてしまったことを謝りながら、これから海外へと旅立つ彼へとエールを送る。

 

「向こうに行っても、頑張ってね……応援してるから!!」

 

 これからも、越前リョーマは世界を舞台に孤独な戦いを続けていくだろう。

 自分の手の届かないような、高い場所で——。

 

 けれど、届かないからといって桜乃が悲しみ必要はない。

 自分の実力不足に失望することもない。

 

「わたしも……わたしなりに頑張ってみるから……」

 

 リョーマにはリョーマの戦いがあるように、桜乃にも桜乃にしかできない『人生』という戦いがこの先も待っているのだ。

 

 その人生の中で、どのような形でテニスと向き合っていくのか。

 今はまだはっきりとは言えない。けど、これだけは言えることがある。

 

「楽しかったよ!! リョーマくんとの試合……やっぱり、テニスって楽しいね!!」

 

 テニスが楽しいということ。それだけは確かだと、笑顔でそう口にできる。

 そんな桜乃の言葉に——

 

「……何言ってんの」

 

 越前リョーマもまた、はにかんだような微笑みで返してくれていた。

 

 

「——そんなの、あったりまえじゃん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——はぁ~……見てみい、桜乃はんのあの顔……」

 

 少女と少年が互いに笑顔を浮かべ合うその光景を——青春学園中等部の校舎屋上から見つめているものたちがいた。

 

「あないに嬉しそうに……あんな笑顔、わしとの特訓のときは、一度だって見せてはくれへんかったのにな~」

 

 竜崎桜乃のコーチを務めた狒々だ。

 彼は桜乃のことを心配し、ここ数日遠くから彼女のことを見守っていた。

 

「確かに……いい笑顔じゃ」

「そうですね、父さん」

 

 ゲゲゲの鬼太郎と目玉おやじも一緒にいる。

 狒々一人だとまた無茶をするのではと、彼を見張る意味でも付いて来ていたのだ。

 

「オイラは野球の方が好きだけど……テニス、ちょっとやってみたくなったな……」

 

 ついでにかわうそもいる。

 特に理由もなく同伴していたが、少年少女が楽しそうにプレーしている姿に、自分もテニスを始めてみようかなどと考えている様子だ。

 

「まっ、あの様子やったら心配することはないやろ! しかし、それにしてもホンマにいい笑顔や……」

 

 狒々は改めて桜乃の笑顔に注目、その満ち足りた表情にこれ以上、自分が世話を焼いてやる必要もないと判断。

 コーチとして、自身の役目が終わったことを悟っていた。

 

「やっぱりあれやな、イケメンやからや!! あの小僧がイケメンやから、桜乃はんもあんなに嬉しそうにしとるんや!!」

 

 もっとも、内心ではかなり複雑。

 自分ではきっと桜乃のことをあんな笑顔には出来なかっただろうと。結構しょんぼりしていた。

 

 彼女があんなにも楽しそうにテニスをしていた理由を、対戦相手の少年がイケメンだからと。どこか拗ねたように愚痴を溢す。

 

「ふっふっふ……それは違うのではないかのう、狒々よ」

 

 しかし、そういった狒々の意見を目玉おやじは否定する。

 彼はテニスコートで向かい合う二人を見下ろしながら、どこか暖かい微笑みを浮かべていた。

 

 

「あの子があんなにも楽しそうにしておるのは、相手がイケメンだからではない。相手が——『あの少年』だからではないかのう?」

 

 

「…………あ~あ、成程な……」

「あっ、そういうことか!」

 

 目玉おやじの言わんとしていることを察し、狒々とかわうそが口元に笑みを浮かべる。

 狒々も「それなら……仕方あらへんな」と愚痴りながらも笑っていた。

 

「父さん……それは、どういう意味でしょうか?」

 

 朴念仁の鬼太郎だけは何も分からなかったのか。父親の発言の意図を何一つ理解できずに首を傾げる。

 

「えっ? マジかい、鬼太郎……今ので何も分からんのかい!」

「鈍いね~……猫娘が嘆くわけだよ!」

 

 狒々とかわうそがあらゆる意味で鈍ちんな鬼太郎に呆れている。

 これでは猫娘も浮かばれない。

 

「鬼太郎、お前という奴は……父親として情けないぞ!!」

 

 相変わらずそっち関係に疎い息子に、目玉おやじですら頭を抱える始末。

 

「???」

 

 理不尽だ。何故自分がここまで呆れられ、責められているのか。

 結局、鬼太郎は何一つ分からず、釈然としないままだ。

 

 

 そんな鬼太郎へ、誰も詳しい説明などしてやらない。

 語るだけ野暮というものだろう。

 

 

 

 

 

 

 少年と少女が——この先、どのような未来へと至るかなど。

 

 

 

 

 

 

 

 




テニスの王子様 必殺技集
 こちらの方では、作中で繰り出された必殺技について簡潔に解説します。
 
 ツイストサーブ
  顔面へと飛んでいくホーミングサーブ。まだテニスをしていた時代の産物。

 ダンクスマッシュ
  ジャンプしてスマッシュ。この頃もまだテニスだった。

 あばれ球
  分身する魔球。

 神隠し
  消える魔球。

 雷 
  ガットに穴をあけるショット。

 COOLドライブ
  いかしたショット。やっぱり相手の顔面にぶつかる。

 羆落とし
  スマッシュへのカウンター。結構いろんな人が素の状態で繰り出してる。
  個人的に一番好きな技。

 サイクロンスマッシュ
  アニメオリジナル。
  台風の如きスマッシュで相手を吹き飛ばす。

 無我の境地
  覚醒。肉眼でオーラが確認できる。

 狒々の巨大化
  最初思いついたとき「これは革新的だ!!」と思ったオリジナル技。
  と、思いきや……既に新テニスの方でやってた。
  流石と言わざるを得ない。


次回予告

「父さん、まなの友達の父親が警察に逮捕されてしまったそうです。
 何とかしてあげたいですが、人間同士の揉め事は……これは、妖怪の気配!?
 それにあの男、片目が義眼のようですが……あれはいったい?
 
 次回——ゲゲゲの鬼太郎『炎眼のサイクロプス』 見えない世界の扉が開く」

 当初の予定を少し変更し、個人的にかなり気になった作品のクロスを書きたいと思います。裁判モノです。
 まなの友達で唯一個別回がなかった、あの子の主役回予定!

  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

炎眼のサイクロプス 其の①

先日、『バディミッション BOND』というゲームを買ってきました。
最初はそこまで興味がなかったんですが、なんか色々と好評らしい。今月は『ディスガイア6』が良さげだったんですが……今までのディスガイアとだいぶ毛色が違うらしいとのことでこちらの購入を今回は見送り、新しいジャンルを開拓してみようかと。
この小説を投稿した後、さっそくプレイしていきたいかと思います。

さて、本編の方ですが。今回のクロスネタは『炎眼のサイクロプス』。おそらく知らない人が大半だと思うので軽く概要を説明します。

炎眼のサイクロプスはジャンプの読み切り作品。『アクタージュ』の作画担当をしていた宇佐崎しろ先生の新作です。原作担当は石川理武さんという方。『雨の日ミサンガ』という読み切りが公式で読めます、こっちも中々面白い。
前作が衝撃的な打ち切りだっただけに、また宇佐崎先生の漫画が読めると、普段は買わないジャンプをその場で購入。何度も何度も読み返し、この度のクロスを絞り出しました。

作品の評価に関しては賛否両論。勢いはあるけど、細かい描写に突っ込みどころが多いとかなんとか。その通りかとも思いますが、読み切りとしては十分に読みごたえがあると思いますので、是非とも連載が始まって欲しいと応援しています。

原作のジャンルは『異端弁護士サスペンス』です。
冤罪をかけられた被告人を、凄腕の弁護人である主人公が弁護して無罪判決を勝ち取るという王道なもの。ですが、この主人公の男が法曹界でサイクロプスなどと呼ばれており、色々と波乱を呼んでいく。

……長くなりそうなので、とりあえず本編へ。
これ以上の説明、感想は次話の前書きに説明します。



 とあるビルの一室。会社のオフィスらしきその場所に、一人の男性が足を踏み入れる。

 年齢は四、五十代といったところ。口元の髭が綺麗に整えられており、スーツ姿も実に堂々としている。

 

「誰もいないのか。不用心だな……」

 

 男は無人らしい事務所に鍵が掛かっていなかったことに愚痴を溢す。元から厳格そうなその表情を、さらに厳しいものにしていく。

 

「まったく、わざわざ人を呼び出しておいて……あいつめ!!」

 

 誰かとここで待ち合わせをしているのだろう。その相手が先に待っていなかったことにも苛立ち気味になり、側にあったソファーに腰掛けて煙草に火を付ける。

 

「すぅ……ふぅ~……」

 

 一服、煙草の煙を大きく吸い込み、自身の苛々を落ち着かせる。

 男はこのまま待ち人が来るまで待つつもりなのか、何をするでもなく天井を見上げながら煙草を吹かしていく。

 

 すると、そのタイミングで『ガチャリ』と、事務所の扉が開く音がした。

 

「おい、遅いぞ!! いったい何をやって——」

 

 待ち人が来たと思い、男は振り返りながら叱責を口にしかけたが——その言葉が途中で止まる。

 

 

 視線の先には——獅子舞が立っていた。

 

 

「………………はっ?」

 

 目の前の現実に意識が追いつかず、暫し呆然となる。

 

 獅子舞——その存在を知らない日本人は、まずいないだろう。

 日本において、かなり昔から存在している伝統芸能であり、祭事などで祭囃子に合わせて踊る、獅子の頭部を模した被り物だ。体全体は緑色の布で覆われており、誰が入っているかは分からないようになっている。

 全国各地、ほぼそのイメージで統一されている獅子舞の姿。正月などの祭事の場であれば、見かけても珍しくない縁起物だが。

 

 その獅子舞が突如、オフィス内の一室に現れたのだ。

 どれだけ冷静沈着な人物であれ、数秒間は思考がフリーズすることは間違いない。

 

 たとえその獅子舞の手に『包丁』が握られていようとも、すぐには気付かなかっただろう——。

 

「————」

 

 獅子舞は、いや——獅子舞を被ったその人物は茫然とする男へと瞬く間に接近し、手にしたその包丁で斬りつけてきた。

 

「痛っ!? な、何をする!?」

 

 腕を斬りつけられた焼けるような痛みにより、男はようやく意識を目の前の現実へと向ける。

 今、自分は眼前の獅子舞に包丁を、殺意を向けられている。

 

 自分が殺されかかっているという、その現実を直視せざるを得なかった。

 

「だ、誰だ、貴様は!! 何故こんな真似を!?」

 

 理不尽な暴力、そしてよりにもよってこんなふざけた格好をした相手に命を脅かされ、男は怯えるよりも先に怒りが込み上げてきた。

 いったい何を目的に、こんな大それたことをするのかと問い詰める。

 

「————」

 

 しかし、獅子舞は何も答えない。

 人間らしい生気すら感じさせず、ゆらりゆらりと間合いを詰めていき——

 

 次の瞬間、獅子は口をあんぐりと開き——男の頭部へと噛み付いていく。

 

「う!? うおおぉおおおおおおおおお!?」

 

 なす術もなく男は獅子舞に噛みつかれ、その視界が意識と共にブラックアウトしていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う……うん……?」

 

 男は生きていた。

 意識を失い、獅子舞に飲み込まれた刹那は自分でも「死んだか?」などと思ったものだが、男は確かに息をしていた。

 

「な、なんだったんだ……今のは……?」

 

 目覚めたばかりの意識がはっきりしないこともあり、男は先ほどの出来事が全てタチの悪い悪夢なのではと思い返す。

 だが全ては現実だ。その証拠に腕を少し動かしただけで痛みが走る。さっき獅子舞に斬られた傷口が痛むのだ。

 

「っ……! ……ん?」

 

 その痛みに顔を顰めつつ、男はふと視線を床へと向ける。

 

 

 そこには一人の若者が血だらけで倒れていた。

 胸元は包丁らしき刃物で滅多刺しにされており、明らかに死んでいることが一目で理解できる状態だ。

 

 

「……な、なな、なんだ……と、とりあえず……きゅ、救急車……いや、警察に!!」

 

 目が覚めたら隣に死体。

 誰であれ狼狽するだろうが、先ほどの獅子舞の衝撃に比べればまだ現実感がある。

 

 こういう場合のマニュアル的な行動として男は即座に救急車、そして警察を呼ぼうと自身の携帯を取り出す。

 だが、男が何か行動を起こす前に——

 

「おはようございます……って………………」

 

 事務所の職員らしき女性が出社してきた。

 彼女は血だらけ倒れている若者、その側にいた男性を数回ほど交互に見比べ——

 

「——き、きゃあああああああああああああああああああ!?」

 

 絹を裂くような悲鳴を周囲いったいへと響かせていく。

 

 

 

×

 

 

 

「おはよ! 姫香」

「おはようございます、まなさん」

 

 調布市のとある中学校。教室に登校してきた犬山まなはクラスメイトの友人・辰神(たつがみ)姫香(ひめか)と挨拶を交わしていた。

 

 まなが特に仲の良い友人には他に親友である桃山雅、将来パティシエになりたいという石橋綾の二人がいるが、彼女たちはまだ登校していないようだ。

 手持ち無沙汰なまなは、とりあえず姫香と適当に世間話をしながら時間を潰していく。

 

「ねぇ、昨日のドラマ見てた? ほら、姫香が好きだっていう俳優さんが出てる……」

「ええ、勿論です! 相変わらず素晴らしい演技でした!」

 

 姫香は年頃の女子らしく、とあるアイドル俳優にお熱のようで興奮気味に語っている。

 しかしその一方で彼女の仕草、言動にはどこか気品らしきものも感じられる。普段からまなたちとも仲良く話を合わせてもいるが、時折お嬢様といった佇まい、立ち振る舞いが滲み出ているのだ。

 

「まな! 姫香! おはよ!!」

「なになに? なんの話してたのよ!?」

 

 もっとも、まなはそのことにこれといって距離感を感じたは一度もない。

 あとから登校してきた雅も綾も、姫香に対して遠慮など感じる様子もなく。

 

 四人の女子はいつも通り、平穏な学校生活を送っていく。

 

「——おはよう! みんな揃ってるか、出席取るぞ!」

 

 時間を潰しているうちに朝のHRの時間が訪れる。

 まなたちのクラス担任である眼鏡を掛けた男性教諭・小谷が生徒たちに着席するよう声を掛ける。特に反抗して突っぱねる生徒もおらず、みんなが大人しく自分の席へと移動する。

 全員が指定の席に座ったことを確認し、小谷は誰も欠席者がいないことに満足げに頷く。ところが——

 

「すいません……小谷先生、ちょっとよろしいでしょうか?」

「おや? どうかされましたか?」

 

 そのタイミングで別の教員が教室の扉を開き、教壇に立つ小谷を手招きする。生徒たちには聞かれたくないのか、二人の教師がひそひそと廊下の方で何事かを話し合っていく。

 

「——何ですって!? わ、分かりました、すぐにでも……」

「……?」

 

 僅かに聞き取れた小谷の驚いた声。生徒たちに詳しい事情は推し測れないが、それが切羽詰まった内容であることが予想できる。

 実際、教室に戻ってきた小谷は血相を変えた様子で声を上げる。

 

「辰神!! 辰神姫香……ちょっと来てくれ」

「……えっ?」

 

 呼ばれたのは姫香だった。

 当の本人も、まさか自分が名指しされるとは思ってもいなかったのか困惑していた。

 

「姫香……」

 

 まなも教師に呼ばれて教室を出て行こうとする姫香に不安げな視線を向ける。

 

「大丈夫ですよ、まなさん。それじゃあ……ちょっと行ってきますね!」

 

 友達に心配を掛けまいと、あくまで姫香は気丈な笑みを浮かべていた。

 

 

 だがその日——彼女が教室に戻ってくることはなかった。

 

 

 

 

 

 翌日。

 昨日と同じ時間帯。教室にはいつも通り生徒たちが集まっていたが——クラス全体の空気はどこか暗い。

 

「……姫香、まだ来ないね」

「うん、何かあったのかも……」

「ラインも、全然既読付かないよ!」

 

 姫香があの後どうなったか。まなを含め、雅にも綾にも連絡がない。こちらからの連絡にも一切応答がない状況に彼女たちは心労を募らせていく。

 

 昨日のアレはいったい何だったのか、姫香の身に何かあったのではないかと。

 

「おはよう……」

「あっ、小谷先生!」

 

 そこへ昨日と同様、担任の小谷が教室に顔を出す。

 昨日とは違い、明らかに覇気のない表情で彼はため息を吐いていた。

 

「先生……姫香に何かあったんですか?」

 

 まなは小谷の顔色に嫌な予感を覚え、彼に姫香のことを尋ねていた。教師である彼であれば何か知っているだろうと期待を込めて。

 

「……辰神なら問題ない。暫くは学校に来れないだろうが、彼女は無事だ……」

 

 予想どおり、小谷は何かを知ってはいるらしい。

 生徒たちを不安にさせないよう、姫香自身が無事であることを伝えながらも言葉は濁していた。

 

「彼女は大丈夫なんだが……その、ご家族の方が……」

「家族? 姫香の家族がどうかしたんですか!?」

 

 やはり何かしらの問題が発生したことは確からしい。教師がうっかり口を滑らせてしまった内容にまなが食いつき気味に反応する。

 

「……スマンが、それ以上のことは先生の口からは話せん。悪いな……」

 

 余計なことを喋ってしまったと、小谷は慌てて口を閉ざす。

 

 それ以降——彼の口から姫香の話題に関して触れられることはなかった。

 

 

 

 

 

「……だだいま……はぁ~」

 

 結局、姫香に関してまなは何一つ知ることができず、その日の夕方も家へと帰宅していた。

 

「おかえりなさい……って、どうしたのよ。そんな浮かない顔して……」

 

 母である純子は帰宅したまなの表情が暗いことに何があったかを尋ねる。しかし、まな自身も何が起きているのか分からないため答えようがない。

 友達である姫香の身に、いったい何があったというのか。

 

「どうしよう……電話も繋がらないし……絶対に何かあった筈だよね……」

 

 最終的に電話で連絡を取ろうと試みたが、それすらも通じない。

 友達のことが気になりすぎて、まな自身もかなり不安定な気持ちに陥ってきた。

 

「……明日は学校休みだし、ちょっと姫香の家に行ってみようかな。あれ? そういえば姫香の家、まだ行ったことなかったっけ……」

 

 幸い明日は学校が休み。何があったのか直接彼女から話を聞こうかと思い立つが、そこでまなは自分が姫香の家にまだお邪魔したことがなかったことに気付いてしまう。

 親友の雅とは小学校からの付き合いだが、姫香と綾に関しては中学からの友達。二人に関してはまだまだ知らないことの方が多いかもしれない。

 

『——次のニュースです。先日、東京都内のオフィスビルで発見された男性の刺殺遺体に関連し、警視庁は容疑者として男性一人を拘束、その後『過剰防衛』の疑いで男を逮捕しました』

 

 と、まなが明日の予定を立てていたところ。彼女の耳にテレビから流れるニュースキャスターの声が聞こえてきた。特にそちらに意識を向けていたわけではなかったが、次の瞬間——聞き逃がせない内容が報道されていく。

 

『逮捕されたのは、辰神一郎容疑者(51)。辰神容疑者は事件が発生した事務所『派遣ネットワークサービス』の親会社『Gホールディングス株式会社』の取締役社長とのことで、経済界に早くも波乱を呼んでいます』

「!! た、辰神!?」

 

 辰神——姫香の苗字だ。

 まさかと思いニュース映像に釘付けになるまな。映像の中でニュースキャスターはすらすらと原稿を読み上げていく。

 

『辰神容疑者は事務所に勤務する蛭間(ひるま)タカシさん(27)の胸元を、鋭利な刃物のようなもので殺害した疑いが持たれています。捜査関係者によりますと、辰神容疑者は被害者である蛭間さんに襲われて抵抗——その末に謝って殺害してしまった可能性があると見ています』

 

『しかし、現場の状況からそれが過剰防衛になる可能性が高いと判断し、今回の逮捕に繋がりました』

 

『警視庁は引き続き捜査を続けていくと表明しており、この件に関し——』

 

 

 

「…………」

 

 それ以上の話は、まるで頭に入ってこなかった。

 何かの間違いであればよかった思うが辰神という名前の響き、字面も間違いない。

 

 なによりも、これならば納得もできよう。

 確かに父親が警察に逮捕されたともなれば、とても学校どころではないのだから——。

 

 

 

×

 

 

 

「ええと……ここを右に曲がって……」

 

 例のニュースが報じられた次の日。

 密かに決心していたように、まなは姫香の家を訪れようとしていた。まな自身は彼女の家には初めて行くため、知っているクラスメイトたちから住所は聞いてきた。

 どうやら、姫香の家は学校から少し距離があるらしい。電車で最寄駅まで行き、徒歩で見慣れぬ住宅地の中をキョロキョロと見渡しながらまなは姫香の家を探す。

 

「あった、ここだ! ……って、デカっ!!」

 

 ようやく見つけた『辰神』という表札に安堵するも、肝心の家の大きさに目を見張る。

 

 初めて目にした姫香の家は——まなの予想以上に大きくて立派な家だった。

 

 西洋風の洋館。さすがに豪邸と呼ぶほどではないが、一般庶民からすれば十分にデカい。

 玄関がある門から肝心の本邸まで距離もあり、敷地内に広がる庭も庭園と呼ぶほどの広さと煌びやかさがある。

 

 見たところ、ここいら一帯の住宅がそれなりに高価な建物で占められているようだが、姫香の家はそれらより頭ひとつ分ほど抜けた豪華さとなっている。

 

「…………あ、そ、そうだ! 早く姫香に会わないと……御免ください!!」

 

 その光景を前に衝撃を受けて立ち尽くすまなだったが、肝心の用事を思い出したことで慌てて屋敷の呼び鈴を鳴らす。

 

『——どちら様でしょうか?』

 

 数秒ほどの間があり、インターホンには女性の声が応えた。

 姫香ではない、どこか警戒するような空気をその声音に滲ませている。母親だろうか。

 

「こ、こんにちは! わ、わたし……姫香さんの友達で犬山まなって言います! 姫香さんはいらっしゃいますか?」

『……少々お待ちください』

 

 それから待つこと数分。玄関先の門が開き、敷地内から先ほどの声の主が姿を現した。

 

「お待たせしました、どうぞこちらへ……ご案内致します」

 

 ——う、うわ~……メイド、本物のメイドさんだ!!

 

 まなを出迎えてくれたのは屋敷の使用人、いわゆるメイドであった。

 それもメイド喫茶などでキャピキャピした女の子がコスプレで着るようなメイドではない。洋画などで登場する清楚な雰囲気を纏ったガチメイドだ。

 眼鏡を掛けた若い女性。美人なのだが何故かずっとムスッとしており、ちょっとばかり威圧感を感じる。

 そんなメイドに案内されながら、まなは敷地内に入り屋敷までの道を歩いていく。

 

「…………」

「あっ、どうも、こんにちは……」

 

 その道中に庭師らしい、年老いた男性とすれ違いまなは頭を下げる。

 しかしまなの挨拶に老人はピクリとも反応せず、こちらのことをただじっと睨みつけてくる。

 

 メイドにしても、庭師にしても。

 どこかしら警戒心を滲ませているように感じられた。

 

 ——う、き、気まずい……!

 

 それらの空気に居心地の悪さを感じつつ、まなは姫香がいるであろう屋敷へと足を踏み入れていく。

 

「こちらでしばらくお待ちください。今、お嬢様をお呼びしてきますので」

「お、お嬢様?」

 

 まなは客間らしい場所へと通され、そこでメイドから待つように告げられる。

 お嬢様——おそらく姫香のことを言っているのだろうが、未だに信じられずにまなは惚けている。

 

 まさか友達がこんな屋敷で暮らし、メイドなる使用人などを雇うような家柄のお嬢様だったとは。確かに普段から気品らしきものは感じられたが、ここまでとは思いもよらなかった。

 

「——まなさん……どうして、家に?」

 

 と、ここでようやく姫香本人が顔を出す。

 二日ぶりに顔を合わせた友人に笑顔はなく、どことなく疲れた表情をしていた。

 

「ごめんね、姫香……連絡も付かないから心配で……大丈夫?」

 

 まなは家まで押しかけてしまったことを謝り、顔色の悪い姫香の体調を気遣う。

 他にも色々と聞きたいことはあったが、とりあえず今はそこまでに留めておく。

 

「……ああ、ごめんなさい。ちょっと……色々ありまして。けど……わざわざありがとうございます」

 

 姫香はまなの気遣い、余計なこと聞かずにただ自分のことを心配してくれる友達に笑顔で感謝を伝える。

 けれども、やはりその笑顔には翳りがあった。

 

 その翳りの原因——聞かずとも察することはできる。

 十中八九、父親が逮捕された件だろう。

 

「あ~、そ、それにしても凄いね! 姫香の家初めて来たけど……こんな立派なお屋敷に住んでるなんて!!」

 

 しかしその件にいきなり触れることなど出来ず、まなは努めて明るく振る舞いながら差し当たりのなさそうな話題を振っていく。

 

「……それは当然のことです」

 

 すると、その話に先ほどのメイドが反応する。

 紅茶と茶菓子を給仕しに来た彼女は相変わらずブスっとした顔付きで、さも当然のように言い放つ。

 

「お嬢様は由緒正しい辰神家の御令嬢なのです。本来であれば、貴方のような一般庶民が気安くお話しできるような相手ではありませんよ」

「芽衣さん!!」

 

 だが、そんなまなへの無礼な物言いに、姫香の叱責が飛ぶ。

 

「……失礼しました」

 

 主人の叱責にメイド・芽衣(めい)は己の無礼を詫びてまなへと頭を下げた。

 

「……そ、そうなんだ……なんか……すごいね」

 

 メイドの言葉、それら一連のやりとりにまなはすっかり萎縮してしまう。しかし姫香は乾いた笑みと共に、まなへと優しく気兼ねなく話しかける。

 

「はは……気になさらないで下さい。私自身はそこまで大した人間ではありません。たまたま、そういう家柄の家に生まれたというだけのことです。『決して己の生まれた環境にあぐらをかかない』……それが、父から教えていただいた教訓ですので」

「お、お父さん……に?」

 

 意図せずして姫香の口から父親の話題が出たことで、まなの眉がピクリと反応してしまう。

 それにより、姫香はまなが本当に聞きたいことを察してしまった。

 

「……父の件で来たのでしょう? まなさんも……例のニュースをご覧になって……」

「えっ? あ、……う、うん……」

 

 嘘が付けないまなは正直に頷いてしまう。

 

「……ええ、気にしないで下さい。気になるのも……仕方がないことですから……」

 

 表面上、動揺した素振りを見せないよう努力しているようだが——姫香の体は震えていた。 

 彼女は自身の父親が起こしてしまった『罪』を、震える声でまなへと告白する。

 

「御察しの通りです。ニュースで報じられた辰神一郎は……私の父です」

 

 

 

「私の父は——人を殺してしまったのです」

 

 

 

×

 

 

 

 姫香が事件関係者から聞かされた概要はこうだ。

 

 某日早朝、被疑者である辰神一郎は事件現場である自社グループの傘下『派遣ネットワークサービス』という子会社へと訪れていた。

 親会社の取締役社長の彼がわざわざ一子会社へと訪問するのは少し妙かもしれないが、彼は現場主義の人間だったらしい。

 その日も子会社の経営状況など、詳細を確認するためにそこでの打ち合わせを予定していたらしい。

 

 彼は朝早くから事務所へと赴いたが、そのときには誰もいなかった。

 一人、タバコを吹かしながら一郎は事務所の責任者が来るのを待った。

 

 すると、そこへ今回の被害者・蛭間タカシが包丁を持って現れ、辰神氏へと襲い掛かったという。

 そう、先に殺されそうになったのは——辰神一郎、姫香の父親の方だったのだ。

 

 当然抵抗する一郎、二人は事務所内で揉み合いとなり——

 その揉み合いの末に一郎は相手が持っていた包丁を強奪、そのまま勢いで刺殺——殺害してしまったという。

 

 それが現場検証を行った警察の見解であり、辰神一郎が逮捕された理由である。

 

 

 

 

「——それって……普通に正当防衛ってやつになるんじゃないの?」

 

 豪華な屋敷から場所を移し、ここは質素な造りのゲゲゲハウス。

 犬山まなは姫香から聞かされた話を、相談という形で鬼太郎を始めとした妖怪たちに話していた。事件の軽い概要を聞いた時点で聞き手の一人、猫娘が率直な意見を口にする。

 

 

 正当防衛——刑法第36条第1項。

『急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は罰しない』

 

 

 自分や周りの人の命、身体、財産が攻撃を受けた際など。

 それらを守るためであれば最低限、必要な行為が認めるということである。

 

 今回のケース『殺害されそうになった辰神一郎氏が、自らの命を守るためにやむを得ずに蛭間タカシ氏を殺してしまった』と主張することができるだろう。

 正当防衛が認められた場合、殺人などの犯罪行為であろうともその違法性は否定される。

 

 つまり、『無罪』になるということである。しかし——

 

「それが……今回の場合、正当防衛は難しいらしいって……」

 

 猫娘の主張にまなは暗い表情で語る。

 なんでも今回の事件、遺体の損壊がかなり激しいらしく、どう考えても正当防衛で許される範囲を超えているとのことだ。さすがに『殺人罪』が適応されるほどではないが、それでも『過剰防衛』もしくは『過失致死』で起訴される可能性が高いとのこと。

 仮に過剰防衛と判断された場合、その行為が防衛のためであることを考慮された上で刑の減刑が行われる。しかし罪を犯したということに変わりはなく、有罪は免れないとのことだ。

 

 いずれにせよ、人を殺したという事実は残ってしまう。たとえ正当防衛であろうともだ。

 裁判の判決がどうであれ、その事実は辰神家をあらゆる観点から苦しめることになるだろう。

 

「姫香のお父さん……会社の社長さんで、今回の事件の影響で色んなところに迷惑が掛かるって……」

 

 たとえば、社会的信頼。

 辰神一郎は自身が経営する会社・Gホールディングス株式会社で取締役社長を務めていた。

 企業のトップである彼が起こした不祥事に、会社の信頼が大きく損なわれることは避けられないという。

 

「……確かに、株価の方もだいぶ下がっとるのう……」

 

 砂かけババアがまなの話を聞きながら、ノートパソコンで株価チェックしていた。

 まだ事件から数日だというのに、目に見える範囲で既に影響が出始めているようだ。

 

「姫香も……お父さんが人を殺したって聞いて、すごく落ち込んでた……」

 

 精神面に関してもだ。

 罪に問われようが、問われまいが人を殺してしまったという事実は永遠に当人の心に残ってしまう。さらに家族が人を殺してしまったと、その娘である姫香の心情にも罪悪感を抱かせていた。

 周囲の視線も厳しいものになっていくだろう。殺人者の身内として謂れのない誹謗中傷を受けることになるかもしれない。

 

「このままじゃ、姫香が……どうにかならないかな、鬼太郎!?」

 

 友達の今後のことを憂いたまなはどうにかならないかと。沈黙を貫いている鬼太郎に向かって声を掛ける。

 

「……どうにかって言われても、ボクにはどうすることもできない」

 

 だが、まなの懇願に鬼太郎はキッパリと言い切った。

 

「それは人間同士の問題だ。ボクたち妖怪がどうにかできるものじゃないし、どうにかしていいものでもない」

 

 そう、それはあくまで人間同士のいざこざ。人間の手によって解決すべき社会問題の一つに過ぎない。

 

「そうじゃな……まだ犯人が見つかっていないというのなら、ワシらとて手伝うことも吝かではないが……話を聞く限り、事件そのものは解決済みなのじゃろう? ならばそこから先は裁判所……この国の司法の仕事じゃ。ワシらの出る幕ではない」

 

 鬼太郎の意見に彼の父親である目玉おやじも賛成のようだ。

 犯人捜しくらいなら手伝っても構わないが、妖怪である自分たちではそれ以上の協力はできないとハッキリ明言する。

 

「……それは、分かってるけど……」

 

 妖怪たちの主張に露骨に気落ちするまなだが、彼女とてそれは理解していた。これは人間の問題、鬼太郎たちに頼るのは筋違いだと。

 しかし、分かっていても縋りたくなってしまう。自分自身ではない、姫香のために。

 大切な友達である彼女の胸中を思うが故に、まなは何か力になれないかと必死なのだ。

 

「まな……キミが気に病んでいてもしょうがないだろう」

 

 鬼太郎も、まなが何を考えているのか大体のところはお見通し。友人のためにそこまで真剣になれるまなの性分を彼自身は好ましく思っている。

 だからこそ——これ以上まなが自身を追い込まぬよう、冷たくも現実を突き付けていた。

 

「キミやボクらに出来ることはない……あとは、その友達と家族の問題だよ……」

 

 

 

 

「……ふぅむ、少し言い過ぎたかもしれんのう」

 

 まながしょんぼりと肩を落としながらゲゲゲハウスを後にして行き、そんな彼女の後ろ姿を見送る目玉おやじもしょんぼりする。

 

「……そうね」

「うむ……あの子の気持ちも……分からんでもないんじゃがのう」

 

 猫娘も砂かけババアも。気の毒そうな視線をまなへと向ける。

 皆、まなの力になれないことを内心では気にしており、彼女の気落ちする姿に心を痛めていた。

 

「仕方ありませんよ、父さん」

 

 そんな中、鬼太郎はやはり冷静に言い放つ。

 

「まなの友達の父親が罪を犯したのであれば、それを償うべきです。そしてその償う方法は……彼ら人間たちの手で模索していかなければならない……ボクはそう思います」

 

 経緯がどうであれ、一郎という男が人間社会において『罪人』として認められたのであれば、その罪は生前のうちに償っておいた方がいい。下手に償う機会を脱するようなことがあればそれこそ死後、閻魔大王の裁きがより一層厳しいものになる可能性があるのだ。

 死後の世界・地獄がどのような場所か知っているだけに、鬼太郎は冷静な意見を口にする。

 

「まなには気の毒かもしれませんが、こればかりは……仕方ありませんよ」

 

 もっとも、彼だって本音の部分では力になりたいと思っている。まなの友人として、彼女の落ち込む顔など見たくはない。

 それでも、必要以上に人間のルールに干渉するのは鬼太郎の信条に反すること。

 

 己の信条と、まなの力になってやりたいという気持ち。

 鬼太郎は相反する二つの感情の間で板挟みに陥っていく。

 

「——お~い、鬼太郎ちゃんよ……って、なんだなんだ? どいつもこいつもしけたツラしやがって!」

 

 と、そこで一切の空気を読まずにねずみ男が我が物顔でゲゲゲハウスへと立ち入ってきた。

 こちらが落ち込んでいることなどお構いなしの自由すぎる振る舞い。猫娘が空気を読めとばかりにギロリと睨みつける。

 

「ねずみ男……アンタねぇ!!」

「な、なんだよ! 俺が何したってんだ!?」

 

 しかし、事情がサッパリ分からないねずみ男は猫娘の怒りに突っぱねる。

 そして、不貞腐れた態度で手に持っていた『それ』をテーブルへと叩きつける。

 

「まったくよ! 人がせっかく、手紙を持ってきてやったてのに……」

 

 手紙。

 言うまでもない。妖怪ポストに投函されていた鬼太郎宛の依頼の手紙であろう。

 こんなときであろうとも、事件は待ってはくれないようだ。正直とても依頼どころの気分ではないが応えないわけにはいくまい。

 人間同士の揉め事に首は突っ込まないが、妖怪絡みのトラブルであれば見過ごせない。

 それもまた、ゲゲゲの鬼太郎の信条なのだから。

 

「うむ……鬼太郎よ、手紙にはなんと書いてあるんじゃ?」

 

 手紙を開く息子に目玉おやじが尋ねた。

 他のみんなも、自分たちの力が必要そうな案件かどうか見定めるため、彼の第一声を待つ。

 

 やがて、手紙を読み終えた鬼太郎が些か困惑気味に口を開いていた。

 

 

「…………獅子舞が、暴れてるとかなんとか——」

 

 

 

×

 

 

 

「……お節介なのは分かってる……けど、やっぱりほっとけないよ!!」

 

 翌日、学校を終えた下校時刻。

 犬山まなは自宅ではなく、辰神姫香の屋敷がある方角へと足を向けていた。

 

 今日も姫香は学校へ来なかった。昨日、まなの前では務めて笑顔を浮かべるようにしていたが、やはり相当堪えているのだろう。最悪、このまま学校を辞める可能性だってあるかもしれない。

 昨日鬼太郎に言われたとおり。父親の件は自分にどうにか出来る問題ではないとまなも自覚している。しかし、姫香のために何かしてあげたいと、彼女の心に寄り添うことくらいなら自分にだって出来る筈だと。

 まなは今日も姫香に会うため、先日と同じように屋敷の前に立っていた。

 

「やっぱ、大きいな……」

 

 相変わらず豪華な洋館を前に気遅れを感じながらも、まなは呼び鈴を鳴らす。

 

「……あれ? 誰も出ない?」

 

 しかし昨日とは異なり、一切反応がない。

 まさか出掛けているのかと。暫くの間その場で待つも、やはり誰も出てくる気配はない。

 

「どうしよう……出るかどうか分からないけど、ラインで呼び掛けてみようかな……」

 

 ここまできた以上、せめて顔くらいは見たいと。

 まなは姫香に今どこにいるか尋ねようと、ラインで彼女へ連絡を試みようとスマホを取り出す。

 

「————!!」

「————!?」

 

「ん……? なんだろう……誰かいる?」

 

 だが、そこでまなの耳に何者かの声が響いてくる。

 屋敷の周辺、会話の内容こそ聞こえなかったが、何やら複数人で言い合いになっているようだ、

 

 まなはそちらの方が気になり、少し様子を見に行こうと小走りで駆け出して行く。

 

 

 

 

「——や、やめて下さい!!」

「オレ、オレオレ!」

 

 屋敷の周辺、人気のない場所で辰神姫香がその長くて綺麗な髪を引っ張られていた。

 姫香に乱暴している相手はチャラついた格好をしたチンピラだ。彼と同じような背格好の男女が数人で姫香を囲い込み、へらへらと口元に笑みを浮かべている。

 

「しっかり撮れよ、けーこ!」

「はい、ピース!!」

 

 彼らは自分たちの行動を恥じる様子もなく、それどころかスマホを姫香に向け、彼女に暴力を振るっているところを嬉々として撮影していた。

 

「ひっ!?」

 

 姫香は困惑し、恐怖していた。

 姫香と彼らとの間には何の接点もない。気分転換に屋敷の外を歩いていたところでいきなり声を掛けられ、訳もわからないまま暴力を振るわれているのだ。

 姫香は涙目になりながら、理不尽な暴力に耐え忍ぶしかないでいる。

 

「お嬢様!?」

 

 するとそこへ屋敷の使用人、メイドの芽衣が血相を変えてやって来る。

 買い物帰りのようだが彼女は状況を察するや、荷物を放り投げて主人の元へと駆け付ける。姫香の髪の毛を掴み上げているチンピラを突き飛ばし、すぐさま姫香と彼らを引き剥がす。

 

「お嬢様、お怪我はありませんか? ……何です、貴方たち! この方をどなたと心得ているのです!?」

 

 芽衣は姫香へと無礼を働いたチンピラたちに声を荒げる。

 

「ひ、姫香!? だ、大丈夫!?」

 

 さらにそこへまなも駆けつける。

 姫香の身を案じながら、彼女は友人に危害を加えていた相手に向かって叫んでいた。

 

「何なんですか、あなたたち!! 警察を呼びますよ!!」

 

 スマホを突き付けながら、まなはすぐにでも警察を呼べるぞと威嚇する。

 寄って集って女の子一人にあのような仕打ち、悪ふざけで許される範囲を超えている。誰がどう見ても批判を受けるべきなのはチンピラたちの方だろう。

 

「痛ってぇな!! 何しやがる、テメェ……!!」

「うわっ、マジもんのメイドじゃん……金持ちウザぇ……」

「んだよ~、この犯罪者を庇うってんなら、お前らも共犯だぞ!!」

 

 ところが彼らはまるで悪びれる様子もなく、それどころか姫香を庇うまなたちに非難の目を向ける。彼らは口々に姫香のことを『犯罪者』と罵り、まなたちのことすらも『共犯者』と罵声を浴びせてくる。

 

「は、犯罪者って……姫香が何したってのよ!!」

 

 訳が分からない、姫香がいったい何の罪を犯したというのだろう。

 本気で彼らの言動の意味が理解出来ず、まなはそのように言い返していた。

 

 それに対し、チンピラの一人がズバリと言い放った。

 

「ああん? 惚けようたって無駄だぜ! もうみんな知ってることなんだからな! そいつの父親が……人殺しだってな!!」

「——っ!?」

 

 人殺し。その言葉に姫香の表情が絶望的なものに染まる。

 

 彼女の父親・辰神一郎は人を殺してしまったとされており、そのことは大きくニュースでも報道されている。

 だがその被告人の情報、事件とは直接関係ない家族構成などニュースでは報道されない。被疑者のプライバシーなどを考慮し、マスコミも自重するのだが——今はネット社会の時代だ。

 

 彼らはネットの情報から、この屋敷の住人である姫香が一郎の娘であると調べ上げ——彼女を糾弾しに来たのだ。

 人殺しの身内である、彼女を——。

 

「なっ!? そ、そんなのっ……姫香には関係ないじゃん!! この子は何もしてないのよ!!」

 

 彼らの理不尽な言い分にまなは憤る。

 確かに姫香の父親は人を殺したかもしれないが、それが娘である彼女にこのようなことをしていい理由にはならない。身内だからといって、彼女にまでその罪が及ぶことなどあってはならないのだ。

 

 しかし、偏見に歪んだチンピラたちにそのような正論は通じない。

 

「うっざ……お前、立場分かってんのかよ?」

「お前らみたいな犯罪者の仲間が、俺たちみたいな善良な一般人に楯突けると思ってるわけ?」

「何がお嬢様だよ! どうせこの屋敷も、あくどいことして儲けた金で建てただけだろうが!!」

 

 まるで、自分たちこそが『正義』だとばかりに口汚く姫香やまなを罵る。

 その誹謗中傷の中には、事件とは直接関係のない僻みのような感情まで混じっている。

 

 

 彼らは——本音の部分で正義感など秘めていない。今回犠牲となった被害者を悼む気持ちすらない。

 彼らは、ただ責めたいだけなのだ。

 犯罪者である一郎、その娘である姫香を捌け口に日頃の不満や鬱憤を晴らしたいだけなのだ。そして犯罪者の娘であればそれが許されると、身勝手な理屈で自分たちの行為を正当化しているつもりでいる。

 

 

 姫香の実家が金持ちであることも、その身勝手さに拍車をかけているのだろう。

 

「お前みたいな上級国民がこの国を腐らせるんだよ! とっととどこへなりとも消え失せろ!!」

 

 遂にはより暴力的な行為で姫香に乱暴を働こうと、チンピラの一人が大きく腕を振りかぶる。

 

「姫香っ!?」

「お嬢様っ! お下がりを!!」

 

 まなが悲鳴を上げ、芽衣が主人である姫香を庇って両手を広げる。

 

「……っ」

 

 姫香はその暴力を前に屈することしかできなかった。

 彼女自身、父親の件で負い目を抱いているため言い返すこともできない。

 

 自分は殺人者の娘。

 そのことを引け目に、この先の人生も生きていかなければならないのかもしれないと。

 

 もはや何一つ抵抗する気力もなく、悲観に暮れた思いでその場の成り行きに身を任せるしかなかった。

 

 

 

 だが——

 

 

 

「——おっと! そこまでですよ……」

「あ、ああん!? な、なんだ、テメェは!?」

 

 チンピラがメイドに殴りかかる、その寸前——。

 ガシリとその腕を鷲掴みにし、その暴挙を止める者が現れる。

 

 チンピラの暴行を止めたその人物は開口一番、身勝手な彼らへと語り掛ける。

 

「刑法第208条。暴行を加えた者が傷害するに至らなかったときは、2年以下の懲役若しくは30万円以下の罰金、又は勾留若しくは科料に処される」

「あ、ああん?」

「その拳をそちらの方に振り下ろせば、間違いなく貴方の暴行罪が成立します。貴方も立派な犯罪者ですよ?」

 

 その人物——コートを羽織ったスーツ姿の男が口にしたように人に向かって殴る、蹴るなどの暴力に及んだ場合、それは『暴行罪』として成立する。加えて、もしも被害者が怪我でも負えばそれは立派な『傷害罪』。さらに重い罪として裁かれることになるだろう。

 

「? 何言ってやがる、こいつは犯罪者の身内だぞ! 警察がこんな奴らのために動くもんかよ!」

 

 しかし、男の警告に世間知らずのチンピラはまったく怯んだ様子を見せない。どうやら自分が罰せられることはないと本気で思っているらしい。

 

「はぁ~……何か勘違いなされているようですが、たとえ何者であろうとも、その人権を侵害することは許されません」

 

 警告を口にした男が溜息を吐きつつ、彼らの勘違いを正すためにさらに言葉を重ねていく。

 

「彼女の父親が犯罪者であろうとも、仮に彼女自身が犯罪者であろうともその人権はこの国の憲法によって保障され、守られているのです。学校で教わりませんでしたか? 日本国憲法第11条ですよ」

「そ、そうだよ、この間授業で習った! わたし知ってるし!」

 

 中学生のまなですら知っている、根本的な基本原則だ。

 

 

 日本国憲法第11条——基本的人権の享有。

『国民はすべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる』

 

 

 この憲法により、たとえいかなる場合であろうとも国民がその人権を侵されることはない。

 チンピラの主張はまさにこの憲法に反するものであり、何の説得力もない戯言である。

 

「う、うるせぇ!! うるせぇ!! 犯罪者に人権なんざ必要ねぇんだよ!!」

「お、おい……もうやめとけって……」

 

 完全な正論、そして男の堂々たる態度に萎縮してか、チンピラたちは旗色が悪いことを察してか及び腰に陥る。だが、暴力を働こうとした血の気の多い輩は何一つ納得せずに尚も食い下がる。

 物分かりの悪いチンピラに、男はもう一つ——彼らが抱いている勘違いを正すために口を開いた。

 

「……一つ、貴方たちは根本的な考え違いをなされている。彼女の父親……辰神一郎氏は犯罪者ではありません」

「えっ!?」

 

 その言葉に誰よりも驚いたのが姫香だ。

 彼女は既に父親が罪を犯したと知らされ、それを受け入れるしかないと諦めていた。

 

 しかし、男は毅然とした態度でそれが間違いだと主張する。

 

「何故なら彼はまだ警察に逮捕されただけです。逮捕されて起訴された段階ではまだ被疑者……裁判で有罪が確定されない以上、彼を無罪として扱われなければなりません」

 

 刑事裁判のルールに『無罪の推定』というものがある。

 

 犯罪を行ったと疑われていても、刑事裁判で有罪判決を受けない限り被告人は『罪を侵していない人』——つまりは『無罪』として扱わなければならない。

 これは憲法でも保障されている、法治国家としての正しい在り方。刑事裁判の大原則である。

  

「き、詭弁じゃねぇか!? それにそんなの……時間の問題だろうがぁ!!」

 

 しかし、これにもチンピラは声を荒げる。

 そんな大原則を知らない人間からすれば警察に逮捕されればそれで罪人。わざわざ裁判での有罪判決など待つ必要はないとでも言いたいのだろう。

 これはチンピラだけではなく、大多数の国民が誤解している認識である。

 警察に逮捕されればその時点で有罪と、日本の警察の優秀さがそのような偏見を生んでいるのだろう。

 

「確かにこの国の警察・検察は優秀です。刑事裁判の検察側の勝率、有罪率は99、9%。裁判で弁護側が勝訴する、無罪判決を勝ち取る可能性は0、1%……ほぼ皆無といってもいいでしょう」

「……っ!」

 

 男が口にした現実にまなたちの表情が再び凍り付く。

 実際問題、裁判で弁護士が無罪判決を勝ち取る可能性などそれこそ奇跡に縋るようなものである。

 

 結局のところ状況は何も変わっていない。

 今が無罪でも、どうせ有罪になるのであれば何も意味はないのではないかと。

 

 だが——

 

「ですが……その心配はありません。彼が有罪判決を受けることはないでしょう」

 

 

 

「この私が……弁護人を引き受ける以上は——」

 

 

 

「——はっ!?」

「——えっ?」

「——なっ!?」

 

 

 男の言葉にその場にいた全ての人間が息を呑む。

 チンピラたちも、まなも、メイドの芽衣も。

 

 しかし、男はその誰のリアクションにも反応しない。

 

「…………お父様の……弁護士さん?」

 

 一人罪悪感に押しつぶされそうになっている少女——辰神姫香へと歩み寄り、ただ静かに語り掛ける。

 

「失礼……ご挨拶が遅れて申し訳ありません。この度、貴方のお父様の弁護人を務めることになりました……私のことは、そうですね……」

 

 男は薄く笑みを浮かべながら、冗談交じりに法曹界で広まった自身の『異名』を告げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——独眼怪物(サイクロプス)……とでもお呼びください」

 

 

 




人物紹介

 辰神姫香
  まなの仲の良い友達の中の一人、唯一個別回がもらえなかった子。
  苗字の方は作者のオリジナル。
  原作ではあまり喋るシーンなどがなく、性格や生い立ちなど作者の後付け設定。
  なんとなく立ち振る舞いが上品なのでお嬢様属性を付けてみた。
  何故、お嬢様である彼女がまなたちのように一般の学校に通っているのかなど、その辺の設定も次話でさらに掘り下げていきたいと思います。

 小谷先生
  まなたちのクラス担任。一応は原作アニメに登場した人。
  どう見ても怪しいねずみ男からひな人形を購入、そのせいで生徒たちに被害が……。

 辰神一郎  
  姫香の父親。存在そのものが完全に作者のオリジナルです。
  企業の社長として偉い立場にいながら、現場を自らの足で回る叩き上げ。
  さらに詳しい掘り下げは次話以降へ。

 蛭間タカシ 
  被害者。名前も適当です。
  一応彼個人の事情なども考えていますが……そこまで詳しくは多分やらない。

 メイドさん
  姫香の屋敷の使用人。名前は芽衣さん……もう、そのまんまです。
  若くて眼鏡を掛けた美人メイド。深い意味はありません、作者の趣味です。

 庭師のお爺さん
  姫香の屋敷の庭師。今のところ、名前すらない。
  作者の中で庭師=寡黙、ご老体というイメージがあります。
  ちなみに、辰神家の使用人はメイドと彼の二人だけです。

 獅子舞
  謎の獅子舞。今回の『キーワード』。
  ゲゲゲの鬼太郎三期を知っている方がいれば、なんとなく今回の事件の全容が分かるかも。

 サイクロプス
  炎眼のサイクロプスの主人公。
  素性不明、本名不明。片目が義眼だからサイクロプス、独眼怪物と呼ばれている。
  おい、こんな怪しいやつを弁護席に立たせるな! と突っ込みが飛んできそうですが『弁護士』ではなく、『弁護人』だから問題はないのだろう。
  ポーズがオシャレ、宝具発動時の掛け声がカッコいい!
  どういうことか意味が分からないと思いますが……とりあえず次話まで彼の出番はお預けです。

  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

炎眼のサイクロプス 其の②

前回前書きで紹介した『バディミッション BOND』とりあえず中盤までプレイしてきました。
ゲームとしては単純な作りですが、物語としてはかなり面白い!
そっか、ストーリーってこうやって組み上げていくんだと、色々と参考にもなります!
キャラクターも好きだし、これは買っても損のないゲーム。十分に人に勧めることができる名作です!

さて、今回のクロスである『炎眼のサイクロプス』。
裁判ものを書きたくてこの作品を選びましたが、裁判ものなら『逆転裁判』を思い浮かべる人が多いと思います。
ですが、逆転裁判はキャラクターやストーリーの癖が強く、クロスするには相当の労力が必要とかなり頭を悩ませたうえ、ちょっと断念しました。
その点、炎眼のサイクロプスは読み切りである分、話が纏めやすかったと思います。

ちなみに、作者にとって初めての裁判ものは逆転裁判ではありません。
作者が好きな裁判ものは『タクティカル・ジャッジメント』『無法の弁護人』というライトノベルです。
どちらも師走トオルという方の作品。作者が好きな小説家の一人なのですが、この人の作品……全然アニメ化とかしないから、知名度が致命的にないんですよね……。

法律関係の知識とか、この人の作品を参考にさせてもらっている部分もありますので、もしよかったら読んでみてください。



「…………どうぞ、粗茶ですが」

「おっと、これはどうも。恐れ入ります」

 

 辰神家の屋敷。客間へと案内した客人にメイドの芽衣が紅茶を振る舞う。しかし客人であるスーツ姿の男を見つめるその視線にはどこか警戒心に満ちたものがあった。

 

 弁護人と名乗ったその男。一見するとごく普通の成人男性のように見えるが、髪の毛の一部が変色していたり、片目が赤かったりと、ところどころ不審な点が見られる。

 加えて、彼は自分のことを『サイクロプス』などという、どう聞いても人名とは思えない名前で自己紹介した。ふざけている、あるいは不審者として警戒されても仕方がないことだろう。

 

「ええと……さ、さいくろぷす……さん?」

「…………」

 

 依頼人の娘である姫香や、この場に同席しているまなも不信感を抱いている。

 まなは男に対して懐疑的な眼差しを向け、姫香は彼の名前を少々言いにくいそうに口にする。

 

「ははっ……弁護人で結構ですよ」

 

 だがサイクロプスは笑みを溢し、先ほどの自己紹介で名乗った異名をあっさりと取り下げた。

 

「サイクロプスというのは法曹界の人たちが勝手に付けたあだ名です。まあ……特に不快にも思っていませんから、そちらの方で呼んでもらっても構いませんよ」

 

 単純に弁護人とでも、サイクロプスとでも呼んでいいと言うが、不思議なことに本名を名乗ろうとはしない。

 そんなサイクロプスの態度に皆がますます不安感を覚えたところで、まながとある疑問を口にする。

 

「あの……サイクロプスって、どうしてそんな呼び名が?」

 

 何故、彼がサイクロプスなどと呼ばれているのかという質問。その問い掛けに男は少し考える素振りを見せてから口を開く。

 

「……お嬢さんたちは『サイクロプス』という怪物をご存知ですか?」

「か、怪物……? も、もしかして、妖怪か何かですか?」

 

 怪物。その単語からまなは妖怪の存在を想起させる。

 まなにとって、人ならざるものであれば真っ先に妖怪の存在が浮かび上がる。サイクロプスというのも、何かしらの妖怪の名前なのではと考える。

 すると、その疑問に姫香が自身の知識を思い出しながら答えていく。

 

「サイクロプス……確か、ギリシャ神話に登場する巨人の名前ですよね? 怪物、あるいは神様の子供だとか……」

「そのとおり。博識ですね、お嬢さんは」

 

 姫香の知識を褒め称えつつ、男はサイクロプスと呼ばれる存在について簡単に説明してくれる。

 

 サイクロプスとは、ギリシャ神話に登場する一つ目の怪物のことだ。

 元々の原点では神様の子とされているものの、一つ目という異様なビジュアルから後世のイメージによって野蛮で粗野な怪物として描かれるようになった。

 しかし、古来より『一つ目』という形にはある種、神聖なイメージが備わっている。

 神そのものが一つ目であったり、あるいは神への捧げ物として『聖別』——わざと片方の目を傷つけ、人と神とを繋ぐものとして祀り上げたりとする風習が、世界各地に伝承として残っていたりする。

 

 ——そういえば……。

 

 その話ならまなにも覚えがあった。過去に知り合った自らを『知恵の神』と名乗った人間の少女。彼女も人と妖の橋渡しとなるべく隻眼となり、片方の目が義眼になったらしいが——。

 

「……あれ? じゃあ……サイクロプスさんのその目って……!」

 

 まなは眼前のサイクロプスに目を向ける。

 彼の瞳は左右で色が違う。右目はごく普通の瞳だが、左目は明らかに普通の色をしていない。

 

 まるで——炎のように赤い目だ。

 

「ええ、その通り。この片目……義眼なんですよ」

 

 だからこその『独眼怪物』。

 この弁護人が、サイクロプスなどと呼ばれている由縁であった。

 

 

 

 

「! 失礼、お客様がお見えになったようです」

 

 と、その辺りまで話したところで不意に来客のチャイムがなった。メイドが客人に応じるため、すぐさま玄関先へと向かっていく。

 数分後、メイドが屋敷の扉を開けたと思しきタイミングで大きな叫び声が聞こえてくる。

 

「——お嬢さん!!」

 

 苛立った男の声だ。廊下をドタドタと荒っぽく駆ける足音がこちらへと近づいてくる。

 何事かと一同が意識をそちらへと向けた瞬間、客間への扉が乱暴に開け放たれた。

 

「姫香お嬢さん……!? 貴様……サイクロプス!? こんなところまで押しかけてきおって!!」

 

 その男は姫香のことをお嬢さんと呼びつつ、部屋の中にサイクロプスの存在を見つけるや、すぐにその表情を険しいものへと変える。

 年齢は五、六十代ほど。姫香の父親である一郎より一回り上くらいの眼鏡を掛けたそれなりに恰幅の良い男である。

 

「宍戸さん!!」

「……誰? 姫香の知り合い?」

 

 その男性・宍戸という名前なのか。どういった知り合いなのかまなが尋ねる。

 

「こちらはGホールディングスの重役……副社長を務めている宍戸(ししど)亮平(りょうへい)様です」

 

 まなの疑問にはメイドが答えた。

 一郎が社長を務める会社の副社長。それならば相当偉い地位の人物なのだろう。

 

「宍戸様、お嬢様の御前です。そのような乱暴な言動は慎んでいただきたい」

 

 だが、そんなお偉いさん相手にもかかわらず、メイドは迷惑そうな表情を隠そうともせずに宍戸の振る舞いに口を出す。どうやら個人的に、この宍戸という男のことを快く思っていないようだ。

 

「……ちっ! 相変わらず、無礼な使用人だ……まあいい」

 

 メイドの小言に宍戸は軽く舌打ちする。彼女のことをたかが使用人と侮っている態度である。

 しかしその苛立ちを宍戸はメイドではなく、サイクロプスへとぶつけるために彼を鋭く睨みつける。

 

「サイクロプス! ここは貴様のような下衆な輩が来るようなところではない、早々に立ち去れ!!」

 

 なんとも剣呑な雰囲気。もっとも、サイクロプスは平然と涼しい顔色で宍戸の怒気を受け流す。

 

「おやおや、随分な言いようで……しかし私は辰神一郎氏から正式な依頼を受けて彼の弁護を引き受けることになりました。その彼からこの屋敷に立ち入る許可を貰っています。副社長とはいえ、部外者の貴方にとやかく言われる筋合いはないと思いますが?」

「ぬけぬけと……どうやって社長を騙くらかしたかは知らんが……」

 

 サイクロプスの言葉に宍戸は苦虫を噛み潰したような顔になる。そして、彼は『とある事実』をまるで周りの人間たちに知らしめるように大声で叫んでいた。

 

 

「いくらなんでも無茶苦茶だぞ!! 貴様が社長に弁護士費用として請求した金額——五千万などと!!」

「ご、五千万!?」

 

 

 その金額にまなが仰天する。

 五千万円——中学生のまなからすればかなりの大金。それでいて妙にリアリティのある生々しい数字である。

 

「ご、五千……!?」

「…………!!」

 

 姫香や芽衣ですらかなり驚いている。

 こんな豪華な屋敷で生活している彼女たちからしても、五千万円という額はかなりの大金であるようだ。

 

 サイクロプスは、そんな高額な弁護士費用を辰神家に請求しているという。

 しかもそれだけではない——。

 

「それに私は知っているんだぞ!! 貴様が正式に資格を持っていない……モグリの弁護士だということを!!」

「——えぇっ~!?」

 

 その事実に、再びまなたちの間に衝撃が走る。

 

 

 裁判という判決次第ではその人の一生を変えてしまうかもしれない事柄。そんな裁判に関わる職種なだけあって、弁護士には高い水準の教養が求められる。

 弁護士になるには、まずは司法試験に合格する必要がある。その試験の合格率はおよそ30%前後。最難関な国家資格の割には意外にも高そうに思えるが、そもそも一般の人間は試験を受けることすらできない。

 司法試験に挑むには『法科大学院を卒業する』。あるいは『予備試験に受かる』必要がある。

 つまり試験の前段階で挑む人間を絞り込み——その中の三割ほどしか合格することができないのである。

 

 加えて、試験に合格してそれで終わりではない。

 試験を突破した後にも『司法修習』という研修を約一年ほどに渡って受ける必要がある。その研修の過酷さに途中で挫折し、弁護士になる夢を諦めてしまう者もいるほどだ。

 それだけの試練を突破して、初めて弁護士と名乗ることが許される。

 その襟元に弁護士の資格である——『弁護士バッチ』を付けることが許されるようになるのだ。

 

 だが、その弁護士バッチを——サイクロプスは身に付けていない。

 彼は弁護士としての資格を持たない、本来であればあり得ない『異端の弁護人』なのである。

 

 

「——お言葉ですが、私は自分のことを一度も弁護士と名乗った覚えはありません」

 

 しかし、そんな致命的な指摘を受けながらも、サイクロプスはケロリとしている。

 

「資格はなくても弁護はできるんです。まあ、ちょっとした制限がありますが……」

 

 サイクロプスも自分に『弁護士』を名乗る資格がないことを理解しているようだ。あくまで『弁護人』として辰神一郎の弁護を引き受けるつもりらしい。確かに弁護を受ける依頼人がサイクロプスを弁護人として指定すれば法律上、そこに問題は生じない。

 もっとも、普通であれば弁護士資格を持たない人間に弁護を依頼しようなどとは思わない。

 

「ふざけるな!! そんな理屈が通ってたまるか!!」

 

 宍戸も常識の範囲でそれがあり得ないことだ思っているのだろう。もはやサイクロプスなど相手にせず、彼は姫香に向かって言い聞かせるように力説する。

 

「……姫香お嬢さん!」

「は、はい!?」

「このような輩の力を借りずとも、我が社には立派な顧問弁護士がおります。どうか社長を説得し、この男を解雇させてください!!」

 

 元よりそのつもりで屋敷まで押しかけてきたのだろう。彼はさらに激しく捲し立てる。

 

「私から社長へと直談判しましたが……どうにも聞く耳を持ってくれません。他の重役たちの言葉にも……ですが、お嬢さんのお言葉なら社長も応じる筈です。どうかお願いします! こんな男に五千万円も支払うなど、馬鹿げているとしか言いようがありません!!」

「わ、私が……? でも、それは……」

 

 宍戸の言葉に姫香は戸惑っていた。

 確かに五千万円は大金だ。この不景気な世の中、辰神家とておいそれと出せるような金額ではない。

 だが、サイクロプスは姫香の父を無罪にすると自信満々に言い切った男だ。そんな男を辞めさせることが果たして正しいことか迷っている。

 

「……私も、五千万は些か高すぎると思われます、お嬢様?」

 

 宍戸のことをよく思っていないメイドもさすがに彼と同じ意見らしく、サイクロプスに疑惑の目を向ける。

 一般的に刑事裁判での弁護士費用は高くても二百~三百万円と言われている。いかに無罪にするとしても、五千万円は明らかに法外な額である。

 

「…………」

「姫香……」

 

 父の無罪のためとはいえ五千万をドブに捨てるか? 

 それともサイクロプスを解雇してちゃんとした弁護士に任せるか?

 

 人生を賭けた選択を迫られ、追い詰められていく姫香を隣でまなが心配そうに見つめている。

 

 気まずい沈黙が続く、そんな中——。

 

「姫香さん」

 

 サイクロプスが静かに口を開いた。

 

「これは、私が常に思っていることですが……世の中何より大事なのは『可能性』だと思うんですよ」

「……か、可能性、ですか?」

 

 姫香はサイクロプスを見る。

 彼は左右で色の違うその瞳をまっすぐ姫香へと向け、真剣な様子で彼女に語り掛けていく。

 

「皆さんが高い高いとおっしゃっている五千万円ですが、それ単体では何の価値もありません」

「えっ!?」

 

 五千万円に価値がない。

 庶民感覚では信じられない発言にまながくらりと目を回す。だが、サイクロプスは構わずに続ける。

 

「お金というものはそれ自体に価値はなく、『可能性』を媒介として初めて価値が生まれるものなんです」

 

 サイクロプスが繰り返し使う『可能性』という言葉、

 どうやら、それが彼が最も大事にしている心情——核となる部分のようだ。

 

「仮にこのまま一郎さんが有罪になってしまえば、彼が社長を務めるGホールディングスという会社の経営が大きく傾いてしまうでしょう。そうなったら、いったいどれだけの社員が解雇されることになるか……」

「む……そ、それは……」

 

 副社長として宍戸が顔を顰める。

 確かに社長が有罪判決を受けたとなれば会社の信頼は失墜する。経営は大きく傾き、人件費削減の名目でたくさんの人間が辞めさせられるだろう。

 多くの人の可能性の芽が摘み取られてしまうのだ。

 

「それに一郎さん自身の可能性……そして、姫香さんの可能性も失われてしまいます」

「わ、私の……可能性?」

 

 サイクロプスの言葉に姫香が目を剥く。

 

 裁判で有罪判決を受ければ一郎は名実ともに『殺人者』となってしまう。そうなればたとえ正当防衛が認められようと、世間から白い目で見られることは避けられない。

 彼の娘である姫香も、犯罪者の娘として多くの偏見に晒されることになるだろう。

 今後の人生——進学、就職、結婚といった大事な場面において、あらゆる『可能性』を奪われてしまうのだ。

 

「そんなあなた方の人生の可能性……五千万円で買えるなら安いものじゃないですか?」

「…………」

「…………」

 

 サイクロプスの真摯な言葉に姫香、反対していた芽衣も押し黙る。

 これは一郎本人だけの問題ではなく、姫香やこの屋敷で働く使用人。そして、今も会社で働いている多くの社員たちの人生に関わる問題なのだ。

 そのためであれば、確かに五千万という金額は決して高くないのかもしれない。

 

「一郎さんもそれに納得して、私に弁護を任せてくださいました」

「父が……」

 

 サイクロプスの言葉に姫香はシンプルに驚く。

 彼女にとっては父親である辰神一郎がこのような胡散臭い男——サイクロプスのことを信じて任せたのがあまりにも意外だったのか。

 

 姫香は不意に、自分の父親がどういった人物なのかを思い返していた。

 

 

 

×

 

 

 

 辰神一郎という男は、そもそも辰神家の人間ではない。

 

 若い頃はかなり貧しく、相当苦労して今の会社・Gホールディングスに入社した、ただの平社員であった。しかし貧乏でありながらも優秀であった一郎は、社内でもめきめきと頭角をあらわし、瞬く間に出世していった。

 そうして会社で働いていく中、彼は先代社長の娘・社長令嬢であった女性と恋に落ち、結婚して辰神家の一員として迎え入れられることになった。

 

 そう、その一郎と一緒になった女性こそ、姫香の母親である。

 彼女は一郎との間に一人娘・姫香を授かり——出産後、間もなく亡くなってしまったという。

 

 姫香は母親のことはほとんど記憶にない。

 先代社長であった祖父も数年前に病で他界し、ずっと父の背中だけを見て育ってきた。

 

『——決して己の生まれた環境にあぐらをかくな』

 

 父親が口癖のように姫香へと言い聞かせていた教訓。その教訓を自ら実践するかのように、一郎は先代の跡を継いで社長になった後も、決して驕らずに働き続けてきた。

 

『——姫香、無駄遣いはするな。余計な出費は極力抑えろ』

 

 さらに一郎はお金の管理にも厳格だった。

 このような立派な屋敷にこそ住んではいるものの、雇っている使用人はメイドと庭師の二人だけ。自分たちの身の回りの世話などは必要最低限の人員で済ませ、会社の雇用に十分な人手を回していた。

 屋敷の内装などにもお金を掛けようとせず、贅沢な調度品といった類にもまったく縁がなかった。

 姫香の進学先も変に気取ったお嬢様学校にせず、彼女自身の社会勉強を含めて一般の公立校を選ぶほどだ。

 

 そんな一郎の教育方針もあってか、姫香は自身の生まれや育ちに決して奢らない、礼儀正しい女子として立派に成長した。

 姫香はそうして培ってきた自身の価値観、父の教えを胸にもう一度サイクロプスへと向き合っていく。

 

 

 

 

「——父は……本当に貴方にお任せしたのですね、サイクロプスさん?」

 

 念を押す姫香の問い掛けに、サイクロプスは力強く返事をする。

 

「——はい、間違いなく」

 

 嘘をついている様子はない。であるならば——姫香の答えは既に決まっている。

 

「……父が決断したことであれば、きっとそれは必要なことなのでしょう」

 

 あの自他共に厳しい父が、お金の管理にも厳しい彼が五千万円という大金を払ってでもサイクロプスに弁護をお願いした。ならば、そこにはそれだけの価値があるということなのだろう。

 

「サイクロプスさん……いえ、弁護人さん。私からもお願いします。どうか……父を、父を救ってください!」

 

 改めて、姫香はサイクロプスに頭を下げる。

 父の可能性を、姫香自身の可能性を守るために彼に弁護を託していた。

 

 

 

 

「姫香……うん、そうだよね!」

「お嬢様がお決めになったことであれば……」

 

 姫香の決断にまなと芽衣が賛同の意を示す。彼女たちはサイクロプスを信じたわけではないが、姫香がそこまで力強く頷くのであれば、それ以上強く反対する理由もない。

 姫香の判断を、彼女自身の意思を尊重することにしたのだ。しかし——

 

「お嬢さん!? いけません! こんな男の口車に乗っては!!」

 

 姫香が決断を下したにもかかわらず、まだ納得しようとせずに副社長の宍戸だけは引き下がる。

 彼女の決死の判断を覆させようと、ペラペラとよく回る舌で様々な御託を並べていく。

 

 

「資格の無い弁護人など詐欺師同然です! どうせ裁判が始まったところで、何も出来ずに金だけを持ち逃げしていく——」

 

「そうだ! 弁護師団を結成しましょう! 五千万と言わず、一千万もあれば立派な弁護士たちを十分に雇い入れることが——」

 

「大丈夫!! 全て私どもにお任せください! 必ずや社長を救ってみせます。そもそも——」

 

 

「…………」

「宍戸様、お嬢様は既に決断なされました。それ以上は……」

 

 しつこいまでの宍戸の陳情に姫香が困ったような顔になり、芽衣が主人の気持ちを代弁して口を挟む。

 これ以上の議論など必要としていないことを、この男は未だに認められないようだ。

 

「……?」

 

 何をそこまでムキになってサイクロプスを追い出そうとしているのかと、傍から見ているまななどは宍戸の言動に多少の違和感を覚えてしまうほど。

 すると、そのときだった。

 

 

 

「——なるほど、アンタがこの事件の犯人……いや、首謀者か……」

 

 

 

 唐突だった。

 何の前触れもなく口を開いたサイクロプスが、宍戸に向かって吐き捨てるように言い放つ。

 先ほどまでの丁寧な敬語をとっぱらった、かなり粗暴な口調だ。

 

「——っ!?」

「サイクロプス殿……今、なんとおっしゃいました!?」

 

 いきなり口調や雰囲気が変化したサイクロプスに姫香が息を呑む。

 しかし、それ以上に聞き逃せない彼の発言内容に芽衣が即座に聞き返す。

 

 

 サイクロプスが真犯人と名指しした、宍戸へと疑惑の眼差しを向けながら——。

 

 

「なっ!? 何を……ぶ、不躾な……何を証拠にそんな出鱈目を!!」

 

 当然のことながら、宍戸はひどく驚いていた。

 疑いを向けられるだけでも心外なのに、確信を持って首謀者と名指しされたのだ。いったい何を証拠にと、ドラマで追い詰められる犯人のように猛抗議する。

 

「何も……物的証拠はありませんよ」

 

 一流の名探偵であれば、ここで証拠を提示して犯人を追い詰めていくのだろう。だがサイクロプスはあっさりと証拠がないことを認める。口調の方もいつの間にか敬語へと戻っている。

 

「ハッ! 話にならん!! 証拠もなく、人を犯人呼ばわりしおって!! 名誉毀損で訴えてや——」

 

 途端に安堵した表情になる宍戸。

 彼はサイクロプスの無礼な発言を理由に、ここぞとばかりに相手のことを責め立てようとする。

 

「——左目ですよ」

  

 ところがサイクロプスはまったく怯んだ様子を見せない。

 彼は自身の口元を手で押さえながら——その左目。炎のように真っ赤な義眼の眼光で宍戸を射貫きながら断言する。

 

「この左目の義眼が教えてくれるんです。目の前に『嘘』をついたものがいると——」

 

 その瞳の奥に、憎むべき『嘘つき』への怒りの炎を灯しながら。

 

 

「貴様が一郎さんと姫香さんの可能性を潰す、獅子身中の虫だということを——」

 

 

 

×

 

 

 

 まなが辰神家の屋敷でサイクロプスと遭遇していた頃。

 東京郊外の銀行でその事件は発生していた。

 

「——ふ、ふはははは!! 金を出せ!」

 

 銀行強盗——最近はめっきり見なくなった強盗犯罪の一種。

 

 ここ数年は特に銀行強盗といった大規模な犯罪が鳴りを潜め、コンビニ強盗のような小規模な犯罪が増加傾向にある。銀行というリスクの高いところで大金を狙うより、コンビ二といった多少は警戒の緩む場所で僅かな売上を狙って行動を起こす犯罪者が多くなっていると専門家は分析している。

 そのためか、日頃から防犯訓練を受けている銀行員たちですらも、今回の銀行強盗事件に面食らっていた

 恐怖はあったが、それ以上に戸惑いの感情を「金を出せ!」と叫んでいる男性へと向ける。

 

 その男性。いや、男かどうかすらハッキリとはわからない。

 なにせその銀行強盗は——獅子舞の格好で己の正体を隠していたのだから。

 

「ふははは!! どうした人間ども!? 大人しく金を出せ! さもなくば……」

「あ、いえ……その……」

 

 獅子舞——本来はおめでたい席で舞われる伝統芸能。正体を隠したいのであればもっと適切なものがあったのではと、銀行員は対応に困っている。

 別に武器を振り回しているわけでもなく、獅子舞はただ金を出せと叫んでいるだけなので。

 

「キミ……ちょっと交番まで来てもらおうか」

 

 一応、通報を受けて駆けつけた警官が対応するも、そこに緊張感なども感じられない。 

 獅子舞の行為を単なる愉快犯程度と認識してしまっていたのかもしれない。

 

「ほう、あくまで逆らうつもりか……ならば——死ね!!」

 

 だが次の瞬間。

 獅子舞は剣呑な空気を放ちながらその口をガパリと開き——そこから燃え盛る火の玉を吐き出した。

 

「——へっ!? ギャアアアアア!? あ、あっつ、熱い!?」

 

 いきなりのことで警官は反応することが出来ず、その火球の直撃を浴びる。

 彼の体は瞬く間に燃え上がり、舞うような炎が銀行中に飛び火していく。

 

「ヒィっ!? な、ななな……!?」

「火!? か、火事だ……みんな逃げろ!?」

 

 冗談のような空気から一変。一瞬にして恐怖の空間となった銀行内を人々が逃げ惑い、その光景を獅子舞が嘲笑う。

 

「ははは!! 逃げろ逃げろ、人間ども! 恐れ慄き、この獅子頭に頭を垂れて赦しを乞うがいいわ!!」

 

 獅子頭(ししがしら)。それがこの獅子舞——妖怪の名前なのだろう。

 銀行を襲撃しながらも、金になどまるで関心を示すことなく。彼はさらに火球を吐き出し、銀行中を焼き払おうと画策する。

 

「——リモコン下駄!!」

 

 しかしその暴挙を食い止めるべく、一人の少年が立ち向かう。

 その少年の繰り出した、リモコンのように飛んできた下駄に蹴り飛ばされ——獅子頭は銀行の外まで吹き飛ばされていく。

 

「ぐはっ! な、何奴だ!!」

 

 そんなこと——問うまでもなく決まっているだろうに。

 

「——ゲゲゲの鬼太郎だ!」

 

 そう、ゲゲゲの鬼太郎。

 妖怪ポストの依頼を受け、彼がその場に駆けつけてくれていたのである。

 

 

 

 

「父さん! 奴がここ最近、この辺りを荒らし回っている妖怪でしょうか」

「うむ、まず間違いあるまい。獅子頭……獅子舞に宿った怨念。それが奴の正体じゃ!!」

 

 獅子頭と対峙する鬼太郎と目玉おやじ。目玉おやじは即座にその獅子舞の正体を看破し、敵の成り立ちなどを息子へと伝える。

 

 

 その昔、外国から渡って来た一匹の獅子が人々に災難をもたらしていた。獅子は腕の立つ武士によって首を落とされ、見事に退治されたという。

 しかしそれから数百年後。獅子舞の頭部として使われていたその首が人々の身体を乗っ取り、踊り狂うようになったという。

 ひたすら暴れ回る獅子舞。しかしある時、とある人間たちの手によって封印の札が作られ、その怨念ごと獅子舞は封じられることになった。

 以降、獅子頭が再び世に出ることはなく、世の平穏は保たれてきたが——。

 

 

「何者かの手によって札を剥がされたようじゃ……また厄介な奴が蘇ったぞ!」

 

 目玉おやじが頭を抱える獅子頭の厄介な部分。それはこの妖怪の特性にあった。

 

「ふん! 何者か知らんが、やれるもんならやってみろ! この人間が……どうなってもいいのならな!!」

 

 獅子頭は鬼太郎相手にその身を無防備に晒す。

 両手を広げ、攻撃できるもんなら攻撃してみろと言わんばかりの挑発的態度。彼がそこまで自身満々に言い切ったのには理由がある。

 

 それはその肉体。胴体に当たる部分がまるまる生身の人間だったからだ。

 そう、獅子頭は獅子舞の妖怪。その特性は——獅子舞である本体を被った人間の身体を自由自在に操ってしまうというもの。

 

 今も肉体を乗っ取られている人間は獅子頭と何の関わりもない一般人だ。

 つまり獅子頭は——『他者の身体を手足』とし、『何の罪もない人間を人質として利用している』状態なのである。

 

「くっ、下手に攻撃すれば……操られた人間に怪我を負わせてしまうかもしれない! いったいどうすれば!?」

 

 獅子頭のその悪辣な特性を前に、鬼太郎も迂闊な攻撃が出来ずにいた。

 

「ふはは!! 馬鹿め、隙だらけだぞ……小僧!!」

 

 鬼太郎を嘲笑いながら獅子頭が口をあんぐりと開ける。その口から再び火球を放とうとする——

 

「——鬼太郎!!」

 

 まさに鬼太郎が窮地の、その刹那だ。

 物陰に身を潜めていた猫娘が獅子頭に奇襲を掛け、後ろからその身体を羽交締めにする。

 

「ぐっ!? な、仲間か! い、いつの間に!?」

 

 獅子頭が突然の事態に驚き抵抗するも、猫娘がその身体をがっちりと抑え込んでいるため動けない。

 

「今じゃ、鬼太郎!!」

「はい、父さん! 指鉄砲!!」

 

 その隙を見逃すなと目玉おやじが叫び、鬼太郎も猫娘の手助けを感謝しながら指鉄砲を放った。

 狙いは頭部だ。ここだけを砕けば操られている人間を傷つけることなく、獅子頭本体を退治することができる筈だ。

 

「ちぃっ……仕方ない!!」

 

 だが指鉄砲が直撃するその瞬間、獅子頭は乗っ取っていた肉体をあっさりと脱ぎ捨てて緊急離脱。

 獅子舞である本体が、そのまま空中を浮遊して逃げ出していく。

 

「覚えていろ、小僧! 次に会ったらタダじゃ済まさんからな!!」

 

 捨て台詞を吐き捨てる獅子頭。

 あっという間に鬼太郎たちの視界から立ち去り、何処ぞへと姿を眩ましてしまった。

 

 

 

 

「……逃してしまいましたね、父さん」

「う~む、見事にしてやられたのう……」

「もう! あと一歩のところだったのに!!」

 

 鬼太郎、目玉おやじ、猫娘の三人が獅子頭を逃してしまったことに悔しさを滲ませる。

 手紙の依頼を受けてからずっと犯人である奴を捜し回り、ようやく遭遇した絶好の機会。その機会に獅子頭を退治することができず、みすみす逃してしまったことに彼らは地団駄を踏んでいた。

 

「……う、うう……」

「大丈夫ですか? しっかりしてください!」

 

 しかし、くよくよしていても仕方がない。とりあえず今は人質だった人間——獅子頭の手足として操られていた男性が無事であったことを安堵する。鬼太郎たちは彼を助け起こそうとその人間へと駆け寄っていく。

 

「——おい!! 騒ぎがあったという銀行はここか!?」

「——こりゃ酷いな……消防車はまだ到着しないのか!?」

 

 すると、そのタイミングになって警官隊の増援が現場へと駆けつけてきた。

 彼らは獅子頭の炎で燃える銀行に気の毒そうな目を向け、その視線を厳しく引き締めて鬼太郎たち——正確には、倒れている男性へと非難の目を向ける。

 

「……そこの彼かね? 獅子舞を被って暴れていたという男は?」

「ふざけた野郎だ!! 強盗罪、並びに放火の疑いにより現行犯で逮捕する!!」

「なっ!? ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」

 

 警察官の言い分に猫娘が憤りを見せた。

 彼はただ操られただけの被害者の筈。その彼がまるで犯罪者のように扱われるの筋が通らない。

 

「待ってください。犯人は妖怪です……この人はただ操られていただけの一般人です」

 

 鬼太郎も警察官の対応は不適切だと男性を庇いながら抗議する。しかし——

 

「妖怪だと? 何を馬鹿なこと言ってる!! そいつは強盗犯なうえ、銀行に火まで放った放火犯だ! 直ちに連行する!」

 

 警官たちはまったく取り合ってくれなかった。

 男の腕に手錠を掛け——そのまま『犯罪者』としてパトカーで連行していく。

 

 

 

 

「……これで何人目じゃ。また無実の罪で一般人が逮捕されてしまったぞ」

 

 悔しさを滲ませながらも、目玉おやじは男性が連行されていくのを黙って見送るしかなかった。その光景はここ数日、もう何件と続いている不当逮捕。

 獅子頭によって操られた人間の末路である。

 

 先ほどの銀行強盗のように獅子頭はここ数日間で窃盗、傷害と悪さを起こしてきた。

 そしてそれらの犯罪を起こすたびに操る人間を取っ替え引っ替え、彼らの体を利用して犯罪を行なっていくのだ。

 

 結果——乗り捨てられた人間たちが『実行犯』として警察に逮捕されるケースが続出しているのである。

 

「あの獅子頭とかいう妖怪、どうやらこっちの方が狙いみたいね……」

 

 猫娘が分析するに、どうやら獅子頭は人間たちを苦しめるためにわざとこのような手段をとっているようなのだ。人間たちに危害を加える目的で犯罪を起こし、その罪を人間に擦りつけては、また別の犯罪を起こしていく。

 

「警察に説明したところで、彼らは聞く耳を持ってくれません……どうしましょう、父さん?」

 

 現状、警察は妖怪の存在を法的には認めていない。

 獅子頭が『人間を操っていた』と説得したところで大多数の警官たちは『獅子舞を被ったちょっとおかしな容疑者』が犯罪を行なったとし、操られた人間たちを問答無用で逮捕していく。

 操られた側の人間は獅子頭に身体を乗っ取られている間の記憶がないのか。必死に自分は無実だと訴えているようだが、まったく相手にしてもらえていない。

 

 このまま獅子頭を放置すれば被害者も加害者もない。より多くの人間たちが妖怪の悪事の犠牲者となってしまう。そのような事態を食い止めるためにも、鬼太郎たちは早々に獅子頭を大人しくさせる必要がある。

 

「ん……鬼太郎! 砂かけババアから朗報よ!!」

 

 先ほど獅子頭を取り逃がしてしまった鬼太郎たちだが、そのための方法——あの妖怪を大人しくさせるための手段を既に準備していた。

 

「例の封印のお札……何とか再現できるそうよ!」

 

 それは獅子頭を封じていたという『封印の札』である。

 その手の道具の類に詳しい、砂かけババアが何とか文献からそのお札を再現し、用意してくれる手筈を整えてくれたようだ。その準備ができたと、砂かけババアと携帯で連絡を取り合う猫娘が鬼太郎に教えてくれた。

 

「よし……鬼太郎、次こそは必ず!!」

「ええ、必ず獅子頭を捕まえてみせます!」

 

 切り札を確保した鬼太郎たちは今度こそと意気込みを入れる。

 

 

 獅子頭を捕らえ、これ以上の被害を抑えてみせると——。

 

 

 

×

 

 

 

「ここが……例の蔵ですか……?」

「はい。私も……ここに来るのは祖父が亡くなったとき以来ですが……」

 

 辰神家。

 既に時刻は夜七時を回り、一帯もすっかり暗くなっている中。辰神姫香は敷地内にあった古い蔵へとサイクロプスを案内していた。

 

「……あの、サイクロプス様。さきほどの話……あれは真実なのでしょうか?」

「さっきのおじさん、あの副社長さんが……真犯人だってやつ……ですよね?」

 

 メイドの芽衣と犬山まなも二人に付き添う形で一緒にここまでついて来ていたが、彼女たちは目の前の蔵などより、つい少し前までの話。

 ついさっき——サイクロプスが真犯人と名指しした、宍戸亮平の動向を気に掛けていた。

 

『——な、何と無礼なやつだ! お、お嬢さん!! 私はここで失礼させてもらいますよ!!』

 

 あのとき、サイクロプスから獅子身中の虫扱いされ、彼はひどくご立腹だった。

 だがそれ以上に、何かこう——図星を刺されたかのような狼狽ぶり、慌てているようにも見えた。

 

 まるで本当のことを言われ、その追求から流れるかのように。

 実際、副社長である宍戸と社長の一郎はあまり仲が良くないらしい。

 

『旦那様と副社長は社内では対立関係にあります。辰神家の婿養子である一郎様のことを、副社長は快く思っていなかったらしいのです』

 

 メイドである芽衣の証言だ。婿養子である一郎が先代から社長の地位を継いだことを、副社長は密かに妬んでいるとのこと。それが本当であれば——宍戸には一郎を陥れる理由があったということだ。

 

 

 何せ一郎が社長の地位を追われれば、次の社長は副社長である彼が継ぐことになるかもしれないのだから——

 

 

「さて……どうでしょうか」

 

 しかし、そういった疑わしい部分があろうとも、サイクロプスには宍戸が犯人だと客観的に証明する手段がなかった。

 

「私に分かったのは、あの男が嘘を……社長さんを救うなどという、心にもない嘘をついていたということだけですから」

「……? どうして、あの人が嘘をついてるって分かったんですか?」

 

 サイクロプスの言葉にまなが疑問を抱く。考えてみれば不思議なものだ。

 どうして、彼は宍戸が『嘘をついた』とここまで力強く断言できるのか。

 

「先ほども申し上げたとおり……この左目ですよ」

「左目……でもその目って、義眼なんですよね?」

 

 今度は姫香も首を傾げる。

 左目——最初の雑談のときにも話したが、サイクロプスの左目は義眼の筈。作り物である目玉には何も映らないのだから、その目が何かを『見る』という表現は適切ではない。

 だが、サイクロプスはその作り物の眼で見抜いたという。

 

 宍戸亮平という人間が抱く汚い嘘を——。

 

「この義眼は『シャマシュの眼』……嘘を見抜き、嘘を裁く審判の眼です」

「——っ!?」

 

 人の嘘を見抜く——それは、本来であれば一笑に付すであろうオカルト話だ。

 しかしサイクロプスの真っ赤な義眼。未だに彼に対して不信感を抱いている芽衣ですら、その義眼を前にするとどうしても息を呑んでしまう。

 まるで本当の『怪物』にでも睨まれたかのような、不思議な威圧感がその義眼の視線には宿っていた。

 

「私が一郎氏の弁護を引き受けようと思ったのも、彼が一切の嘘をついていないからですよ」

 

 サイクロプスはその義眼で今回の被疑者である辰神一郎が嘘を主張していないことを見抜いた。

 

「私、嘘をついている人間の弁護はしないんですよ。それが……裁判で勝つ秘訣ですから」

 

 もし、彼が嘘をついていたら弁護など引き受けていなかっただろう。

 そして、嘘つきではない一郎から聞かされた話の真偽を確かめるべく、サイクロプスはこの蔵へと訪れていたのだ。

 

「——彼は事件の直前、『獅子舞』を被った何者かに襲われたとか……その獅子舞が、もしかしたらこの蔵のものではないかと言っているんですよ……」

 

 

 サイクロプスは一郎と面会した際、彼から事件の概要を聞き出していた。

 するとその話の最中、一郎は妙なことを口走ったという。

 

『事件の直前……私は、いきなり現れた獅子舞に襲われたんだ』

 

 この証言にはさすがのサイクロプスも眉を顰めたが、少なくとも一郎は嘘をついてはいなかった。

 しかし警察は彼の証言を妄言と受け取り、まともに取り合わなかった。実際、事件現場にそんなものは影も形もなかったからだ。だが——

 

『獅子舞といえば……家の蔵にそんなものが保管されていたような……』

 

 この聞き逃せない証言を頼りにサイクロプスは辰神家を訪れた。すると——

 

『獅子舞……それでしたら私も見覚えがあります。昔、祖父からそのようなものを見せてもらった覚えがありますので……』

 

 なんと、娘の姫香も家の蔵に保管されている獅子舞らしきものを見たことがあるという。

 

 ここまで来ると単なる偶然とは思えない。

 サイクロプスはその獅子舞が事件と何らかの関わりがあると考え、辰神家に保管されていたその獅子舞を探しに来たのだ。

 

 

「——駄目ですね、どこにもそれらしきものはありません」

 

 ところが姫香たち立会いの下。サイクロプスが蔵の中を隈なく捜索したが獅子舞らしきものはどこにもなかった。

 

「この蔵……誰かが先に立ち入った痕跡がありますね。若干ですが……荒らされた形跡が残っています」

 

 だが徒労ではなかった。

 この蔵、サイクロプスたちが立ち入る前に何者かに荒らされた形跡があったのだ。おそらく誰かが先にこの蔵に忍び込み、例の獅子舞を持ち出していったのだろう。

 それを証明する『目撃証言』もサイクロプスは手に入れることができた。

 

「——それなら、わしが見たぞ」

 

 辰神家で庭師をしている老人である。

 まなやサイクロプスに対しては欠片も愛想のなかった男だが、姫香には心を許しているのか。彼は一週間ほど前、この蔵に入っていった人物がいるとはっきりと証言してくれた。

 

「あれはいけすかねぇ、あの副社長だ。あいつがあの蔵ん中に入ってくのを確かに見たぞ?」

 

 しかし、なにぶん古い蔵だ。

 盗まれて困るものがあるわけでもないため、特に主人には報告しなかったという。

 

「……お爺様、そういうことはきちんと報告して下さい」

 

 今の今までそのことを報告しなかった庭師の怠慢に、芽衣がこめかみを引きつかせていた。余談だがこの二人、祖父に孫という関係らしい。

 

「なるほど……やはり事件の鍵はあの男が握っているようですね……」

 

 その証言にますます副社長・宍戸への疑惑を深める一同だが、やはり証拠としては弱い。

 未だ事件の全容もハッキリと把握しきれていないため、無敗の弁護人であるサイクロプスも珍しく頭を抱えていた。

 

「とりあえず……明日以降の裁判で切り崩していきましょう」

 

 だがサイクロプスの主戦場は『法廷』だ。

 ここで結論を付けなくても、まだまだ挽回の余地はあると。

 

 サイクロプスは明日から始まる裁判の準備のため、今日は解散するように皆に声を掛けるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ちょっと、鬼太郎たちに相談してみよっかな……」

 

 帰宅途中、夜道を歩きながらまなは考える。

 今回の事件、部外者として話を聞いていただけのまなだが、どうにも不可解な部分が多い。

 サイクロプスやら、獅子舞やら、シャマシュの眼やら。明らかに常識で計り知れないような事象——もしかしたら妖怪が絡んでいる可能性がまなの中で浮上してきた。

 

「妖怪相手なら……鬼太郎たちも、きっと力を貸してくれるよね?」

 

 先日は人間同士の問題だと突っぱねられたが、そこに妖怪が関わっているなら鬼太郎たちも動いてくれるのではと。まなは申し訳なく思いながらも、淡い期待を抱きゲゲゲの森へと足を運ぶ。

 

「鬼太郎、ちょっといいかな……って、どうしたの? みんな揃って……」

 

 だがゲゲゲハウスを訪問したところ、そこで一同が何やら難しい顔をしていた。

 鬼太郎に目玉おやじ、猫娘に砂かけババアの四人で何かを話し込んでいるのだ。

 

「とりあえず、札は用意できたけど……」

「うむ、あとは獅子頭を誘き寄せて、この札を奴の本体に貼るだけじゃな」

「そうね、あいつが次の行動に出るのを待つしかないのがもどかしいけど……」

「そうじゃな……ん? おお、まな! 来ておったのか!」

 

 どうにも声の掛けづらい雰囲気だったが、砂かけババアがまなの訪問に気づいてくれたおかげでみんなの意識がこちらへと向けられる。

 

「まなちゃん、こんな夜更けにどうしたんじゃ? いかんぞ、今は何かと物騒じゃ!! キミも奴に襲われる危険性がある。暫くは夜一人で出歩かん方がいいな」

「……何かあったの?」

 

 まなの顔を見るや、目玉おやじは彼女に警告を促す。

 夜道が危険というのは、どうやら妖怪が暴れているかららしい。

 

「ここ数日、獅子頭という獅子舞の姿をした妖怪が暴れてるんだ」

「こいつがまたタチの悪いやつなのよ! 人間を操って無理矢理悪さをさせる妖怪でね……」

 

 と、現時点で注意すべきその妖怪の特徴を鬼太郎たちが話したところ。

 

 

「獅子舞……? 無理矢理悪さをさせるって……ま、まさか!」

 

 

 まなは心当たりがあり過ぎるその話に驚愕。

 自分が今日聞いた——姫香の父親が巻き込まれた事件、そしてサイクロプスという男のことを鬼太郎たちに話していく。

 

 

 




人物紹介

 宍戸亮平
  副社長。今回の……一応は黒幕。
  名前に特に由来とかはないです。
  こういうオリジナルキャラの名前を考えるとき、結構色々悩みます。どうすればいいのでしょう?

 獅子頭
  獅子舞そのものの姿をした妖怪。
  自身を被った人間の身体を自由自在に操ってしまう能力がある。
  ゲゲゲの鬼太郎・第三期八十七話『寄生妖怪ペナンガラン』という話に登場。
  今回のクロスを考える際、「なんかいい感じの妖怪いないかな~」と色々と調べた結果……「よし、こいつにしよう!」ということで登場させました。
  一応は過去作の内容をオマージュするように心掛けていますが、話の都合上オリジナルな部分が多分に含まれるかと思います。


 次回はいよいよ裁判パート。
 どうにか納得のいく形で完結させますので、最後までよろしくお願いします。
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

炎眼のサイクロプス 其の③

ふぅ~……ようやく書けましたが、今回は色々と反省点が多い回でした。

趣味で書いている小説とはいえ、些か趣味に走り過ぎた。
読者からの反応が鈍かったところから、それが察せられる。
一応は始めた以上、最後までキチンと完結までは持ち込めましたが、あまり評価はよろしくないだろうと戦々恐々としてます。
今回の反省を踏まえ、次回から少しメジャーな作品、リクエスト、王道な妖怪作品やホラー作品からいくつか書いていきたいと思います。

まっ! いずれはまた趣味に走ると思いますが!!

さて、今回の『炎眼のサイクロプス』の最終話。
ようやく裁判モノらしく裁判パートへと持っていくことができました。
ですが、作者は実際に裁判を傍聴したこともなく、あくまで他作品の裁判描写を参考に今回の話を書いています。
皆さんも、あまりガチガチにならずに『逆転裁判』や『ステキな金縛り』を見るようなノリで読んでいってください。

それでは……お願いします。



「すっかり遅くなったわね……最近物騒だし、急がなくちゃ……」

 

 遅くまで残業をしていたキャリアウーマンが夜道を歩いていた。

 最近、この辺りで通り魔などの犯罪が増えているということもあり、帰宅の足も自然と早まる。厄介事に絡まれまいと、できるだけ人気のある道を選んで進んでいく。

 だが都合上、どうしても人気のない路地を通らなくてはならなくなった。

 

「何も出ませんように……」

 

 路地に入る手前で祈るように呟くが、そういった場合に限って、妙なフラグというやつが作用するものだ。

 路地を歩いて一分もしないうちに不審者——『獅子舞を被った何者か』とエンカウントする。

 

「ひぃっ!? し、ししまい……へ、変質者!?」

 

 夜道にいきなり獅子舞。その正体は獅子頭という妖怪に操られている一般人の男性なのだが、女性にとってそんなことはどうでもいい。

 彼女にとって問題なのはその人物が獅子舞で顔を隠し、手に鋭利な刃物を握りしめていることだけである。

 

「————」

「い、嫌っ! こ、来ないで!!」

 

 刃物を手に獅子頭は一切の言葉を発することなく女性へと近づいていく。彼なりに『恐怖』を演出し、人間に絶望感を与えているのだ。

 被害を受ける女性も、そして加害者とされてしまう男性側も。全て獅子頭の掌で踊る哀れな子羊に過ぎない。

 

 長い間封印されていた鬱憤を晴らすため、今宵も獅子頭は人間に罪を重ねさせていく。

 そしてその凶行により、またも一人の女性が餌食とな——

 

「——霊毛ちゃんちゃんこ!!」

 

 その寸前である。

 獅子頭の蛮行を食い止め、女性を助けるためにゲゲゲの鬼太郎が闇の中から姿を現した。先祖の霊毛で編んだちゃんちゃんこを広げ、獅子頭によって手足とされている男性の動きそのものを封じる。

 

「ぐっ!? お、おのれぇ、小僧!! またしても我の邪魔をするか!?」

「きゃあああああ!?」

 

 鬼太郎にいいところを邪魔された獅子頭が怒りを露わにし、女性がその隙に悲鳴を上げながら逃げ出していく。なんとか獅子頭の次なる犯行を阻止した。だが、それで懲りるような奴ではない。

 

「そこまでだ、獅子頭! 今度こそ覚悟してもらうぞ!!」

「ふん! 何のこれしきのことで!!」

 

 鬼太郎が獅子頭に観念するように警告するも、まだまだ悪さを働く気のようだ。獅子頭は張り付いていた人間から離れ、すぐにその場から離脱しようと試みる。

 もっとも、二度も同じ手で逃げられる鬼太郎たちではない。空中へと飛んで逃げようとする獅子頭に対し、一反木綿の背に乗って上空に待機していた砂かけババアが飛び掛かる。

 

「今ばい、砂かけババア!」

「任せい! 喰らえ、痺れ砂じゃ!!」

「がはっ!? し、しまっ……ゲホッ、ゲホッ!」

 

 砂かけババア特製の痺れ砂によって獅子頭本体が咳き込み、そのまま地面へと落下していく。

 一時的にだが動きの封じられたその獅子舞へ、鬼太郎たちは最後の一手を叩き込んでいく。

 

「これで終わりよ……獅子頭!!」

 

 落下先で待ち構えていたのは猫娘。彼女は手にしていた札を素早く獅子舞の頭部へと貼り付ける。

 

「こ、これは……!! し、しまったぁああ!?」

 

 それは対獅子頭用に鬼太郎たちが用意した『封印の札』だ。過去にも獅子頭はその札と同種のものでその身を封じられていた。

 獅子頭が焦りを口にするも、気づいたときには既に手遅れ。

 

「こ、こんな……せ、せっかく……復活できたのに…………」

 

 封印の札はしっかりとその役目を果たして獅子頭を鎮めていく。

 獅子頭は妖力を封じられ、ただの獅子舞としてその意識を失っていく。

 

 

 

 

「……うむ、どうやら上手くいったようじゃな」

「そのようですね、父さん」

 

 獅子頭が元の無害な獅子舞になったことを確認し、鬼太郎と目玉おやじは作戦が功を奏したことを見届ける。これで獅子頭が人間に悪さを働くことは無くなった。これにて一件落着——と言いたいところだったのだが。

 

「じゃが……獅子頭のせいで捕まった人たちは大勢いる。どうしたものかのう……」

 

 問題はまだ残っている。

 獅子頭の犯罪によって被害を受けた被害者、そして加害者として警察に捕まってしまった者たちの処遇である。獅子頭のせいで犯罪を強要され、そのせいで捕まってしまったのだから、鬼太郎たちとしては彼らの冤罪を解きたいと思っている。

 しかし警察は勿論、裁判所といった司法機関も現時点では妖怪の存在を正式には認めていない。妖怪の存在が半ば公となっている世の中だろうと、公的機関としてそれを認める法律が整っていないのだ。

 

 いくら鬼太郎たちが妖怪の存在を訴えようと、彼らは聞き届けてくれないだろう。

 このままでは、何の罪もない人々が犯罪者として裁かれてしまう。

 

 何とかならないかと思いつつ、鬼太郎たちだけでは何もできないのが現実だ。

 

 

「——お見事です。ゲゲゲの鬼太郎さん、そして妖怪の皆さん」

 

 

 そう、鬼太郎たちだけでは不可能。

 だからこそ、彼らは自分たち妖怪以外の者の力を借りる必要があった。

 

「サイクロプス……さん……」

 

 それこそがこの男——サイクロプスである。

 

 犬山まなから紹介された『独眼怪物』と名乗る見た目はごく普通の人間。弁護人だという彼は鬼太郎たちの活躍に称賛の拍手を送りながら、動かなくなった獅子頭へと近づいていく。

 

「なるほど……正直この目で見るまでは半信半疑でしたが、彼が一連の事件の真犯人……ということで宜しいのですね?」

 

 サイクロプスがわざわざ鬼太郎たちの元へ足を運んだ理由。それは彼が担当している事件——『辰神一郎の起こした殺人事件の真犯人が妖怪かもしれない』という話をまなから聞かされたからだ。

 正直なところ、いきなりまなから獅子頭の話を聞かされてサイクロプスも困惑した。怪物呼ばわりされている彼とて、未だに裁判で妖怪が関わる案件など扱ったこともないのだ。

 

 しかし、まなも彼女の仲介で顔を合わせた鬼太郎たちも。誰一人『嘘』をついていなかった。

 それを『シャマシュの眼』で確認したサイクロプスは彼らを——鬼太郎たち妖怪を信じることにした。

 

 実際に獅子頭の存在も確認し、一連の事件の真相をある程度理解するまでに至る。

 

「……本当に大丈夫なんですか? これで……本当に人々の冤罪を晴らせると?」

 

 一方で、鬼太郎の方は未だにこのサイクロプスという男を信用できていなかった。

 彼が弁護人ということでまなの友人、辰神姫香の父親を助けようとしていることは理解できるが、一体どうやって——どうやって『獅子頭によって冤罪をかけられた人々』を助けられるというのか。

 法律やら、裁判やらに素人な鬼太郎たちではどうにも理解し難いところである。

 

 すると、サイクロプスは余裕の微笑みをたたえ、鬼太郎たちにこんな提案を申し出ていた。

 

「とりあえず、この獅子舞を『証拠物件』として採用しましょう」

 

 

 

「——裁判の常識がひっくり返ることになるでしょうが……まあ、仕方ありませんね」

 

 

 

×

 

 

 

「——静粛に! これより審理を再開します」

 

 裁判所。厳格な裁判長の声が木槌と共に響き渡り、ざわめきに満ちていた法廷内がピタリと静寂に包まれる。

 その法廷内に集まった全ての人々が今回の裁判——『辰神一郎による蛭間タカシへの過剰防衛による殺害』という事件へと意識を向けていく。

 

「本日からは弁護側からの立証となります。弁護人、最初の証人を喚問して下さい」

「はい、裁判長」

 

 裁判長が法廷右側に位置する弁護側の弁護人・サイクロプスへと声を掛ける。彼の隣に被告である辰神一郎がパイプ椅子に座らされており、その両脇を逃げないようにと係官が固めている。

 法廷左側には今回の事件で一郎を訴えた検察側・検事が佇んでいる。背の低い、少し意地悪そうな笑みを口元に浮かべた中年男性。ここまで滞りなく裁判を進めてきたためか、その表情は自信に満ち溢れている。

 

 既に裁判は数日ほど経過しており、検察側の立証は全て終了済み。検察は『被告人が有罪である根拠を証明出来た』と、自分たちの仕事がほぼほぼ終わったと思っている。

 

 現在開かれている裁判は『予備審問』という。

 

 これは公判——本格的な裁判が始まる前の簡易裁判のようなもので、『公判を開くに値する事件なのか?』それを審議する場だといってもいい。

 本来であれば、この予備審問で何かが大きく動き出すということはない。弁護側・検察側共にこの予備審問をただの前段階とし、来るべき公判を迎えるための様子見とする意味合いの方が強い。

 故に、場合によっては弁護側の反証すらなく裁判が終結するなどということも普通にあり得ることなのだが——。

 

 サイクロプスは弁護側の反証において、いきなり予想外の手段に打って出る。

 

「では本日最初の証人として——被告人・辰神一郎氏を証言台へ」

 

 

 

 

「では、辰神さん。貴方が事件当日、あのオフィスで遭遇した一部始終に関して話していただけないでしょうか?」

「はい、分かりました」

 

 前もって打ち合わせを済ましていたのか、サイクロプスの質問に証言台に立った一郎は淀みなく答えていく。

 

「私はあの日——」

 

 だが、彼の話が進むにつれ、法廷は混沌と困惑に包まれていく。

 

 ここまでの裁判の流れでは『辰神一郎は突如襲い掛かってきた蛭間タカシに抵抗する形で反撃、誤って殺害してしまった』ということになっていた。蛭間が一郎を襲った動機は『会社での自分の待遇に不満があった』『借金が重なっていて追い詰められていた』と、検察側の証拠物件や証人によって立証されている。

 そんな検察側の証明に対し、弁護側がここまで何一つ有効な手立てを打ってこなかった。まるで様子見をするように、サイクロプスは検察の主張を素直に通してきたのだ。しかし——

 

「——あのとき私を襲ったのは、獅子舞を被った謎の人物でした」

 

 突如として被告人の口から語られた真実。それはここまでまったく話題に上がらなかった例の獅子舞についてだった。突然湧いて出てきた獅子舞という単語に、当然の如く法廷中が奇妙な空気へと変貌を遂げる。

 

「——気を失い、気づいたときには私の隣には絶命した蛭間さんが倒れていました」

 

 一郎は獅子舞が現れた経緯、その獅子舞に襲われて気を失い——意識を取り戻したときには全てが終わっていたことを語る。

 獅子舞は何処ぞへと消え失せ、代わりにそこにあったのは蛭間タカシの死体だったと。

 自分がその死体に関して何一つ覚えもなく、過剰防衛どころか、抵抗すらしていなかったことを証言していく。

 

「ありがとうございます、一郎さん……さて、検事殿?」

 

 一郎の証言が終わったところで、サイクロプスは即座に検察側へと問いを投げる。

 

「被告人は警察での取り調べの際にも同じ内容を話したとのことですが、検察側の立証ではこの獅子舞に関して一切触れられておりません。それについてはいかが思いでしょうか?」

「…………謹んで申し上げます」

 

 サイクロプスの問い掛けに一時の間こそあったものの、検事は特に動じることもなく答えを返す。

 

「確かに被告人は取り調べの際にも同じことを話しました。しかし、我々検察側はそれを根拠のない発言だと考えています。実際、事件現場にそのようなものは残されておりませんでしたし、念のため事件関係者の周囲も捜索しましたがそれらしい……獅子舞など、影も形もありませんでした」

 

「証拠がない以上、それら全ては被告人の妄言、捜査をかく乱させるための茶番であると判断せざるを得ませんでした。そのような茶番に、貴重な裁判という時間を無駄にするわけにはいきません。獅子舞の行方など、分からずともこの事件の真相は明白であると……我々検察側はそう確信しておりますので」

 

 淀みなく語られる検察側の主張に今回の裁判を傍聴しに来ていた傍聴席の何人かが「そりゃそうだろ」と頷き、検事の意見に全面的に同意していく。

 

 確かに、いきなり『獅子舞に襲われた』などと意味不明にもほどがある。仮に事件現場にその獅子舞が残されていたとして、事件に何の影響があるというのか。

 既にこの裁判は——『辰神一郎が蛭間タカシを防衛の末に殺した』という流れで進んでいたのだ。今更獅子舞の一つや二つ、発見されたところで何になると、誰もが思っていた。

 

「——ですが、弁護側は事件に関わったとされる獅子舞を確保。証拠物件として本法廷に提出する用意があります」

 

 そのためか、サイクロプスが『獅子舞を証拠として提出する』と言ったところで法廷内の反応は芳しくなかった。意地悪そうな背の低めの中年検事も「それがどうした?」と言わんばかりの態度で鼻を鳴らす。

 

「……その獅子舞は、本案件に何か重要な関わりがあるのですが?」

 

 しかし、弁護側の主張に裁判長は尋ねる。

 事件と関係があるのであれば審議はするべきだと、随分と真面目な裁判長である。

 

 

「はい、大変重要な証拠です。これ一つで——この事件の根底が覆ることになるでしょう」

 

 

 裁判長の質問にサイクロプスは堂々と答える。その答えに法廷中が騒めきに満たされていく。

 

「——事件の根底が覆る?」「——それはどういう意味だ?」「——あの弁護人は何を言っているのだろう?」

 

 なんとも言えない空気感に支配されていく法廷内。そこへ裁判長の木槌の音が木霊する。

 

「静粛に! 今すぐこの命令に従わない者は退廷を命じます!」

 

 裁判長から発せられた静粛にという命令。それにより法廷内が静かになったところを見計らい、すかさず検事からの異議が飛んできた。

 

「異議を申し立てます! 弁護側は根拠のない発言により、本法廷を混乱に陥れようとしています!」

 

 検察側としてはこれ以上、弁護側に余計なことをさせたくないのだろう。

 

「ふむ……いかがでしょうか、弁護人。何か反論はありますか?」

 

 裁判長は検察の意見を考慮に入れた上で弁護人に尋ねる。もしも、ここでサイクロプスが有効な反論を述べられなければ証拠物件は法廷に提出することすら認められないだろう。

 

「時間は取らせません、裁判長。弁護側が提出する証拠は……おそらくこれ一つになるでしょうから」

「ほう……」

 

 サイクロプスの強気な発言。提出する証拠は一つで済む、つまりそれだけ自信があるということだ。この証拠一つで、本当にこの弁護人は事件を根底から覆す自信があるのだと。

 

「……いいでしょう。検察側の異議は却下します。弁護側は速やかにその証拠を提出して下さい」

 

 裁判長は『無敗の弁護人』と呼ばれているサイクロプスが何をしようとしているのか、多少興味をそそられたようだ。

 検察側の異議を退け、弁護側に証拠物件——事件と関わりがあるとされる『獅子舞』の提出を指示していく。

 

 

 

 

 やがて、係官によって弁護側証拠物件である獅子舞が運び込まれてきた。

 おそらく大多数の日本人が頭の中で思い浮かべる獅子舞そのもの。そのデザインにこれといった奇抜さはない。

 

 一つ奇妙な点があるとすれば、その頭部に何やら『お札』らしき物が貼られていることだろうか。それ以外、特になんの変哲もない獅子舞である。

 

「それで、弁護人? この証拠で何を証明してくれるというのですか!?」

 

 運び込まれてきた獅子舞を前に、検事が苛立ち気味にサイクロプスを問い詰める。

 ここからどのような詭弁が展開されるのか、どうやってこの獅子舞と今回の事件を結びつけるのか。

 

 証明できるものならやってみろと、挑発気味な態度である。

 

「…………」

 

 サイクロプスはその挑発に何も答えない。視線をほんの一瞬、傍聴席の片隅へと向ける。

 

「…………」

 

 そこで待機している少年——ゲゲゲの鬼太郎へと目配せ。鬼太郎もサイクロプスの視線にコクリと頷く。

 

 これで準備は整った。

 サイクロプスは獅子舞と、万が一のために待機する鬼太郎の存在を確認。

 

 

 

 そして、この裁判を最大の混乱に陥れるであろう『爆弾発言』を投下していく。

 

 

 

「では紹介しましょう。この獅子舞こそ、今回の事件の真犯人——妖怪・獅子頭さんです」

 

 

 

×

 

 

 

「——はっ?」

「——はっ?」

「——はっ?」

 

 サイクロプスの発言に裁判長、検事、傍聴人、その全ての目が点になる。

 皆、弁護人が何を言っているのか理解が追いついていない。

 

「この獅子舞……獅子頭には『被った人間を操る』という特性があります。今回の事件も、全てこの獅子頭が被告人や被害者である蛭間さんを操って起こさせた事件だったのです」

 

 しかし、唖然としている人々にも構わず、サイクロプスは獅子頭の妖怪としての特性を説明する。獅子頭が人間を操り犯罪を起こさせるのだと。今回の事件も、全て獅子頭の能力によるものだと。

 

 本来であれば、弁護人が裁判長の許可もなく一方的に自身の推論・意見を述べることは許されない。法廷とは証拠と証言が全て、そのプロセスに則って審議を進めていかなければならない。

 

 だが弁護人の発言を止めようにも、どうにも骨董無稽すぎて一同は話について行けていない。

 主張があまりにもブッとんでいるせいで、誰も弁護人の考えに口を挟むことができないでいる。その混乱に乗じ、サイクロプスはさらに自らの意見を口にしていく。

 

「あの日、おそらく獅子頭は一番最初に蛭間さんを操り、被告人を気絶させたのでしょう。そして、今度は被告人の身体を乗っ取り、逆に蛭間さんを殺害させた……」

 

 もしもサイクロプスの推理が正しいとすれば、蛭間タカシに手を下したのは辰神一郎の身体ということになってしまう。しかし、操られた人間が人を殺したからといって、その人間が有罪になるのか?

 

 サイクロプスは『NO』と断言する。

 

「被告人はただ獅子頭によって操られていただけに過ぎません。彼の意思で殺人が行われていない以上、彼は無罪であると判断するべきです。いかがでしょうか、裁判長?」

「え? あ……あの、その……」

 

 いきなり話を振られ、裁判長は口籠ってしまう。いかがでしょうかと聞かれところで答えようがない。少なくともそんな事例、日本の判例には存在しない。

 

 裁判長は、サイクロプスの問い掛けになんと答えるべきか考えがまとまらない心理状態へと追い込まれていく。

 

「——ふっ……ふふふ、はっはっはっはっはははははは!!」

 

 そのときだ。検察側から笑い声が上がった。

 何も言えないでいる裁判長に代わり、検事がサイクロプスへと反論する。

 

「弁護人……いや、サイクロプス。君がそのように呼ばれて揶揄されていることは私も知っている……しかしだね」

 

 あえてサイクロプスと呼ぶことで相手を小馬鹿にする検事。

 なんとか平静を装っているようだが——次の瞬間、彼は拳を思いっきりテーブルへと叩きつけて叫んだ。

 

「いくらなんでも……いくらなんでもそれはないだろ!! 独眼怪物などと呼ばれるようになって、思考まで化け物になったのか!?」

「おや、何か問題でも?」

 

 激昂する検事とは正反対にサイクロプスは至って冷静だ。逆にそれが癪に障ったらしい。

 

「大ありだ! 裁判長!! 弁護人は明らかに本法廷を侮辱しております!! 即刻、法廷侮辱罪を適用すべきです!!」

 

 検事はさらに声を荒げ、サイクロプスに『法廷侮辱罪』を適用するよう裁判長に要求する。

 

 法廷侮辱罪——法廷の秩序を維持するため、裁判官が必要に応じて下す判断である。主に裁判所の命令に反したり、暴言や暴力を行なったものに適用される。

 サイクロプスの言動は十分にその基準を満たしていると言えなくもないだろう。だが——

 

「検事殿。貴方も検察の人間であれば話くらい聞いているでしょう。ここ数日に渡り起こっている、獅子舞に関係した事件の数々を……」

「そ、それはっ……!?」

 

 サイクロプスの言葉にぎくりと、検事が顔色を悪くする。

 

 獅子舞に関係した事件。それは獅子頭が人間を操って起こさせている窃盗、傷害事件の数々だ。それらの事件は警察関係者の間でもかなり噂になっている。なにせ全ての容疑者が『獅子舞の格好をする』『犯行時の記憶がない』という、不可解な共通点を持っているからだ。

 これらの事件に警察も検察もほとほと困り果てていた。何故このような事件が次から次へと起こってしまうのかと。

 

 その原因、元凶がどこにあるのかずっと調査しているのだが——。

 

「そ、それら一連の事件も、今回の事件も……その獅子頭とやらの犯行だとでもいうのか……そんなことがっ!!」

 

 もしもそれがサイクロプスの言う通り、全てが獅子頭という妖怪の仕業だとして——それでどうすればいいというのか?

 少なくとも、現状の法律では妖怪の存在など認めていないのだ。検察側としても、『全て妖怪の責任でした』などと、とても許容できる主張ではない。

 

「ですが事実は事実です。それを認めないことに、我々はこの事件を先に進めることができません」

 

 だがサイクロプスはそれを認めない限り、この裁判は真実へは辿り着けないと。

 あまりにもあっさりと、妖怪という人外の存在を許容する。

 

「ふざけるな!! 第一、その獅子舞がその妖怪だと認められたわけではないんだぞ!!」

「そ、それは確かに!!」

 

 弁護側の主張に検察側は真っ向から対立する。検察は妖怪の存在など認めない。冷静に考えてみても、その獅子舞が妖怪だと証明されたわけではないのだ。

 獅子頭という妖怪の存在を証明しない限り、サイクロプスの主張は全て狂人の戯言で終わる。その意見に裁判長も同意する。

 

「そうですね。確かに私の説明だけでは不十分でしょう……」

 

 それはサイクロプスは重々承知のようだ。だからこそ——

 

 

「やはりここは……本人を尋問するのが一番手っ取り早いでしょう」

 

 

 彼は最も確実な手段として、獅子舞の頭部に貼り付けられていた札を——。

 鬼太郎たちが苦労して貼った『封印の札』を、あっさりと剥がしてしまった。

 

 

「——う、うむむ……ここは、何処だ?」

 

 

 それにより、妖怪・獅子頭が再び目を覚ます。

 

 

「なっ……!?」

「う、動いたぞっ!!」

「せ、静粛に……せ、せ、静粛に……!」

 

 中身に人など入っていない筈の獅子舞が動き出したことで傍聴席が俄に騒ぎ出す。裁判長が反射的に静粛にと叫ぶも、その裁判長自身が狼狽している。

 皆、眼前で動き出した獅子頭相手に度肝を抜かれていた。

 

「と、トリックだ……そ、そうに違いない!!」

 

 検事などは未だに現実が認められずにそんなことを叫んでいるが、誰も彼の意見を聞いてなどいない。

 誰もが目の前で動き出した獅子頭の動向に意識を持っていかれ、緊張状態で息を呑むしかなかった。

 

「——おはようございます。獅子頭さん」

 

 そんな法廷中がパニックに陥る中、サイクロプスは何一つ動じることなく獅子頭へと話しかけた。

 

「んん……? おおー!! 貴様か? 我の封印を解いてくれたのは!? 礼を言うぞ。これでまた……人間どもを思う存分苦しめることができる! ガハハハッ!!」

 

 サイクロプスに爽やかに挨拶された獅子頭。サイクロプスの手に握られていた札を見て、彼が自分の封印を解いてくれたと思ったのだろう。

 上機嫌に高笑いを上げながら——もはや自供とも取れる発言をしていく。

 

「おやおや……では、ここ数日に渡り起こっていた事件は……全て貴方の仕業なのですか?」

 

 サイクロプスはこの流れに乗っかり、獅子頭への尋問を開始していく。

 獅子頭はこの法廷がどういう場所なのか、自分の発言がどういう混乱をもたらすかなど何も分かっていない。

 

「おうとも、全て我の所業よ!! 人間どもを苦しめ、奴らに罪を重ねさせるためになっ!!」

 

 

 何も知らないまま、『証拠品』兼『証人』として自らの悪事を誇るように語っていく。

 

 

 

×

 

 

 

「…………………」

 

 獅子頭が語っている間、誰も何も言えなかった。獅子舞が饒舌に喋りだすという現象に、皆が唖然と立ち尽くしていたからだ。

 だが、その話を聞いていなかったわけではない。

 全員が沈黙を保ちつつ、獅子頭の話の内容へと耳を傾けていく。

 

 

 獅子頭曰く、やはりここ最近連続で起きている『獅子舞事件』は彼自身の悪行によるものらしい。

 適当に手頃な人間を見つけては自身の能力で操り、それを手足に犯行を重ねる。サイクロプスの推理を裏付けてくれる確かな証言である。

 

「……貴方は、どうしてそのようなことをなさるのですか?」

 

 サイクロプスはそこで獅子頭の『動機』を尋ねた。

 これが裁判という形を取っている以上、動機の解明は重要だ。たとえそれがどのように常軌を逸した存在、常識では考えられない内容だろうと、はっきりさせておく必要がある。

 

「知れたこと! 復讐だ!! 我の首を掻っ切り、我を封じた小賢しい人間どもへのな!!」

 

 意外なことに、動機に関してはとても分かりやすいものだった。

 復讐の二文字。どうやら妖怪もそういった感情に囚われるものらしく、なんとなく共感できる犯行動機に何故か傍聴席からホッとしたため息が洩れる。

 

「……貴方を封印したというのは……もしかして、辰神家の人間ですか?」

「な、なに!?」

 

 ふと、何かを思い出したようにサイクロプスがその質問を口にする。その質問内容には被告席で大人しくしていた辰神一郎も驚いた表情になる。

 

「そのとおりよ!! 奴ら辰神家の忌々しい連中に、我はこの身を封じられたのだ!!」

 

 獅子頭は怒り狂ったように自分を封じた一族が辰神家であること。その一族によって蔵の中にずっと封じられていたことなどを証言していく。

 これにより、サイクロプスは自身の推理の裏付け——『獅子頭が辰神家に保管されていた獅子舞である』ということを確認できた。

 

「なるほど……だから貴方は辰神一郎さんを操り、彼に犯罪を起こさせたわけですね? かの一族に、復讐するために……」

「————っ!!」

 

 それは、この裁判の核心を突く質問である。そして——

 

 

「そうだぁっ!! 身に覚えのない罪に、今頃は奴も慌てふためいていることだろうよ、ガハハハッ!!」

 

 

 獅子頭はあっさりと認めた。

 すぐ側に、自分が陥れた辰神家の人間がいることにも気付かず。

 

 

 自らの罪と、被告人の無実を——あっさりと自供したのである。

 

 

 

 

 

 

 

「……もう一つお尋ねします。貴方の封印を解いたのがどこの誰か……覚えていますか?」

 

 先ほどの証言で一郎の無実が立証された。少なくとも、これで弁護側の敗北はなくなった。

 だがこの事件の裏側を知るべく、サイクロプスはさらに獅子頭へと質問を重ねていく。

 

「……さっきから質問ばかりだな、なんなのだ貴様は……人間の名前など、いちいち覚えているわけがないだろう!」

 

 度重なる質問でさすがにイライラが募ってきたのか、痺れを切らせた様子で獅子頭の表情が険しくなる。これ以上彼を野放しにするのは危険かも知れない。

 しかし、サイクロプスは臆することなく彼への尋問を続けていく。

 

「ですが、顔くらいなら判別できるでしょう。あの中に……貴方の封印を解いた人間がいるのではないですか?」

 

 あの中と、サイクロプスが指差したのは——傍聴席だった。

 そこには一般の傍聴人の他に、この事件の関係者なども複数人集められている。

 

 サイクロプスの推論が正しければ——獅子頭は『あの人物』を指し示す筈だ。

 

「ああん? 人間どもの顔はどれも似たようなもので中々判別など……んん!?」

 

 不機嫌になりながらも獅子頭は傍聴席を見渡し——その人物を見つけた途端、声を陽気に弾ませた。

 

「おおー、あいつだあいつ! 我の封印を解いてくれた人間よ、久しぶりだなぁ~!!」

「——ば、馬鹿っ!? こ、こっちを見るな!!」

 

 獅子頭に声を掛けられ、焦った様子でその男——副社長の宍戸亮平が顔を隠す。

 明らかに狼狽した態度、きっとこのような展開を全く予想していなかったのだろう。

 

 

 まさか妖怪が証言台に立ち、自分のことを『共犯』と暴露するなど——。

 

 

「貴様には感謝しているのだぞ! 貴様のおかげで我は長きに渡る封印から解き放たれた。辰神家の連中に復讐する方法を教えてくれたのも、貴様ではなかろうが!!」

 

 そう、獅子頭が語るように此度の事件。全ては宍戸がその封印を解いてしまったことから始まったのだ。

 

 もともと、一郎のことを快く思っていなかった副社長の宍戸。彼は辰神家の蔵へと金目なもの、あるいは一郎の弱みになるようなものがないかと衝動的に侵入。その蔵の中で偶然、獅子頭の封印を解いてしまったのだ。

 動き出す獅子舞相手に最初はビビる宍戸であったが、獅子頭は上機嫌だった。自分の封印を解いてくれたことを感謝し、礼をしてやると言うほどに。

 そうして、そのお礼とやらで何ができるのだと、おっかなびっくりと獅子頭と話をしていく間——宍戸は今回の事件を思いついた。

 

 辰神家へと復讐を果たしたい獅子頭、一郎を蹴落としたい宍戸亮平。

 この二人の願望を叶える手段を——。

 

「貴様っ、宍戸!!」

「ひぃっ!!」

 

 獅子頭の暴露話についに一郎が激怒し、宍戸に向かって声を荒げた。

 

「うん……? き、貴様……辰神家の!? 何故こんなところにいる!?」

 

 そこでようやく、獅子頭は辰神一郎——自分が嵌めた筈の相手がすぐそこにいたことに気付いたようだ。

 妖気を昂らせ、憎い相手へと飛び掛かる姿勢を見せる。

 

「ふん、まあいい! もうまどろっこしい真似は抜きだ! 今度はこの手で直接っ——!!」

「——霊毛ちゃんちゃんこ!!」

 

 しかし獅子頭が暴れようとした瞬間、いつでも飛び出せるよう身を潜ませていた鬼太郎がすぐさま彼を取り押さえる。霊毛ちゃんちゃんこで縛り上げ、身動きを封じ——

 

「ご苦労様でした。もう結構ですので、また眠っててください」

「むぐ、むぐぐ…………」

 

 そこへすかさず、サイクロプスが封印の札を貼り直す。

 喋るだけ喋らせ、役目を終えた獅子頭を問答無用で黙らせてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——さて、以上で弁護側の反証を全て終了したいと思います。裁判長?」

「え……あ、は、はい……」

 

 法廷中が水を打ったように静まり返る中、サイクロプスは弁護側の反証が終了したことを告げる。しかし裁判長はもはや心ここに非ず。とても正常な職務が果たせる状態とは言えない。

 そんな法廷の権力者に対し、サイクロプスは提案する。

 

「裁判長、以上の立証からこれ以上の審議は無用だと判断いたします。弁護側は——『本件の棄却』を提案します」

 

 本件を棄却。検察側からの訴えを退け、公判にかけることなくこの裁判を終わらせるということだ。

 それは事実上の無罪判決、弁護側の勝訴を意味する。

 

「そ、そうですね! 検察側は……どうでしょう?」

 

 弁護人の提案に裁判長は息を吹き返したかのようにその表情を明るくする。

 彼としても、この件は自分の手には余ると判断したのだろう。棄却することでこの裁判を終わらせることができるのなら、それに越したことはない。その場合、当然検察側の意見も尊重しなければならないが。

 

「ど……同意…………致します」

 

 検事も、何とか声を絞り出して棄却に同意する。

 検察にとって裁判の棄却など屈辱以外の何者でもないが、受けざるを得ない。

 

 こんな、妖怪などが関わってしまった以上、裁判をセオリー通りに進めるなどもはや不可能だ。

 少なくとも現状の法整備ではどうにもならない。

 

 今の法曹界に、今の人類にこの裁判はまだ早すぎた。

 

「そ、それでは本件は棄却。これにて閉廷!」

 

 かん、と木槌を叩く裁判長。

 最後はあまりにもあっさりと——裁判は閉廷となった。

 

 

 

×

 

 

 

 裁判が閉廷後、法廷から出てきたサイクロプスたちを人々が出迎える。

 辰神姫香、その使用人である芽衣や友人の犬山まな。そして、獅子頭確保に協力してくれた鬼太郎の仲間たち。

 

「お父様!!」

 

 晴れて自由の身となった一郎に娘である姫香が飛びつく。一郎は少し戸惑いながらもしっかりと愛娘を抱き返した。

 

「姫香……ああ、心配を掛けたな……済まなかった」

「良かったですね、お嬢様……」

「おめでとう、姫香!!」

 

 無事に無実を勝ち取った親子の再会。感動的な場面に立ち合い、芽衣やまなは涙ぐみながら拍手でおめでとうと二人を祝福する。

 

 しかし——

 

 

「——ふざけるな!! こんな裁判、認められるわけがないだろ!!」

 

 

 裁判の決着を不服だと、男が一人で狂ったように叫んでいる。

 獅子頭と共謀し、一郎を陥れた副社長の宍戸亮平である。

 

「宍戸さん……少しお話を伺いたいのですが……」

 

 そんな宍戸に対し、警察関係者が事情を聞こうと彼を取り囲んでいる。

 裁判が棄却した以上、警察も検察も名誉挽回のためにも真犯人を確保しなければならない。弁護側の主張をそのまま受け取れば、犯人は獅子頭——そして、共犯関係になったとされる宍戸しかいない。

 

「断る!! あんな化け物の証言一つで逮捕されてたまるか! 私を取り調べたければ、確固たる証拠を持ってこい!!」

 

 だが、宍戸は話を聞きたいという検察の要請を拒否。

 妖怪の証言など採用される筈がないだろうと、完全に開き直っている。

 

「……ど、どうしますか、検事」

「ぐ、ぐぬぬぬ……」

 

 実際、検察は下手に宍戸に手を出すことができない。

 さすがに獅子頭の言葉だけでは宍戸を捕まえることができないのだ。そもそもな話、あれが裁判で『正式な証言』として認められるかどうかも怪しいところ。

 弁護側が被告人の冤罪を晴らすならまだしも、検察側が罪を問うにはあれだけでは足りない。より厳格な証拠や証言による立証責任が求められる。

 

 少なくとも、今のこの国の司法制度では——宍戸亮平の罪を立証することは難しいだろう。

 

「——だが、貴様は嘘をついた」

「さ、サイクロプスさん……?」

 

 検察ですら手をこまねいているそんな状況の中、弁護人であるサイクロプスが宍戸へと距離を詰めていく。

 法廷や姫香たちと接していたときの紳士的な振る舞いとは程遠い、確かな敵意と怒りの表情をその顔に浮かべながら。

 

「一郎さんを救うなどと、心にもない嘘を吐き……嘘そのもので塗り固めた事件で彼らの可能性を奪おうとした」

 

 初めから、宍戸には社長である一郎の味方をする気などなかった。

 それどころか妖怪の力を借り、罪のない社員一人の命を使ってまで彼を陥れようとした。自分の目的のため、多くの人間の可能性を奪おうとしたのだ。

 サイクロプスには——それが我慢ならなかった。

 

「!! だ、だったらどうだと言うのだ!? 私が嘘をついたからなんだと言うのだ!?」

 

 サイクロプスの怒気に怯みながらも、宍戸は逆ギレするように吠える。

 決して事件の犯人であることを認めなかったが、一郎を救う気など無かったこと——嘘をついたことは認めた。

 

 

 

「嘘を——認めたな?」

 

 

 

 サイクロプスにとってはそれで十分だった。

 

「妖怪が絡んだこの事件、この国の司法でお前を裁くことはできないかもしれない」

 

 サイクロプスは宍戸を真っ正面から見据え、その眼光で相手の目を射抜く。

 視力などある筈のない義眼——シャマシュの眼で相手の瞳を覗き込んだ。

 

「しかしその醜い嘘は——この目が裁く」

 

 その刹那、嘘を見抜くその義眼は『もう一つの効力』を発揮すべく、四芒星と波型のシンボルを空中へと浮かび上がらせる。

 

 

 

「——レクス・タリオニス」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——……熱い?

 

 ——あ、熱い!!

 

 ——体が……あ、熱いぃいいいいい!?

 

 宍戸亮平の体から火柱が上がる。

 何の前触れもなく燃え上がったその炎は、瞬く間に燃え広がりその体を焼き尽くす。

 

「た、助けっ! たすけてくれぇぇえええええええ!!」

 

 あまりの苦しみに救いを求める宍戸だが、そんな彼をサイクロプスは冷めた目つきで見下ろしていた。

 

「レクス・タリオニス……目には目を。貴様は人類最古の法典・古代バビロニア『ハンムラビ法典』の刑罪原則を知っているか?」

 

 ハンムラビ法典——それは古代ハンムラビ王が定めたとされる最古の法典。

 その法典の一説『目には目を、歯には歯を』という言い回しはあまりにも有名だろう。

 

 だが、そのハンムラビ王が太陽神から授かったとされる二つの王権の象徴——『輪と棒』について知るものは少ない。

 

「ハンムラビ王は『棒』にあたる『ハンムラビ法典』を太陽神から授かったとされている。そして『輪』にあたるとされているのが、この『シャマシュの義眼』だ。この目は嘘を見抜き、罪を犯したものに裁きを与える」

 

 審判の眼輪。

 目には目を、歯には歯を。犯した罪には、それ相応の報いがなければならない。

 ハンムラビ法典には犯してはならない法の原則が記されているが、それでも法を破ったものに対して、王はこのシャマシュの眼で裁きを与えた。

 

「この目が作動したということは……やはりお前は罪を犯したということだ」

「あ、ああ……ああ…………」

 

 サイクロプスが語る間も宍戸の体は燃え続け、やがては蝋燭のようにドロリと溶け落ちていく。

 その末路を、サイクロプスは哀れとは思わない。

 

 

 全ては自業自得、彼自身の嘘が招いた結果なのだから——。

 

 

「目に目を。現実でお前を裁くものはいない……せめてこの虚妄の業火で苦痛を味わうがいい——」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——あ、あ……か。体が溶ける……あつい、あつい……」

「お、おい! どうした!?」

「さ、錯乱してるぞ!!」

 

 と、炎で焼かれる『幻覚』に錯乱状態になる現実での宍戸。

 周囲にいた検事たちは困惑しながらも、とりあえず彼を宥めながら拘束していく。

 

「な、何をしたんだ。サイクロプス……」

「……その目はいったい?」

 

 サイクロプスが何かをしたことは明確だったが、傍から見ていた一郎や鬼太郎たちには何をしたかまでは分からない。彼らの疑問にサイクロプスは微笑みながら答える。

 

「ちょっとしたお仕置きです。数日経てば元に戻るでしょう。貴方たちが気にするようなことではありませんよ」

 

 サイクロプスは自身の義眼をさすりながら語る。

 

 彼の義眼・シャマシュの眼は嘘を見抜くと同時に、罪を犯したものに裁きを与える審判の眼輪だ。その裁きは、その罪の重さに応じた苦痛を幻覚として与えるという。

 燃え盛るような炎の幻覚、宍戸は己の罪の分だけ業火の苦しみに喘ぐことになるだろう。

 

「俺は見てきた。真っ直ぐな人が嘘によって可能性を潰されていくのを。だから俺は……この眼の力で嘘から人の可能性を守るのだ」

「……サイクロプス」

 

 それこそ、独眼怪物と呼ばれるこの男の信念なのか。

 裁判において常に冷戦沈着だった彼が、強い感情と実感を込めて語る。

 

 

 果たしてこの男は——その眼で何を見て、どんな人生を送ってきたのか。

 

 

 その義眼の出どころなども含め、鬼太郎は色々とサイクロプスのことが気にはなったが——。

 

「さて……辰神さん。さっそくで恐縮ですが、報酬の件です」

「えっ? あ、ああ……そうだったな……」

 

 打って変わって報酬、金の話になったことでガクリと肩を落とす一同。信念らしきものが垣間見えたかと思えば、五千万円という法外な額を要求する彼に少しだけ失望を覚える鬼太郎。

 しかし約束は約束。一郎もその約束を違える気は無いのか。サイクロプスから手渡される『送金先』のカードを素直に受け取る。

 後日にでも、そこへ金を送って欲しいということなのだろう。ところが——

 

「ん……? な、なんだこれはっ!!」

「お、お父様、どうかなさいました?」

 

 送金先の宛名を目にした瞬間、一郎の顔が驚愕に包まれる。娘である姫香が何事かと父親の手元にあるカードの宛名を覗き込む。

 姫香も、カードに書かれていたその住所の名称に驚いた。

 

「こ、この送金先の宛名、これは——児童養護施設ではないのですか!?」

「な、なんだって!?」

 

 思わず鬼太郎たちもそのカードを確認する。

 確かにそこには『集英養護園』と、児童養護施設の名前が記載されていた。

 

「はは、驚かせてごめんなさい」

 

 一同の反応を見た瞬間、サイクロプスは悪戯を成功させた子供のように笑う。

 彼は微笑みを浮かべながら——とある事実を辰神親子へと告げる。

 

 

「実は私……報酬を受け取れないんですよ」

『ハァッ!?』

 

 

 これには報酬を支払おうとした辰神親子も驚くような、呆れたような声を上げる。

 

 

 弁護士法第72条。

『無資格でも弁護人はできる。ただし——無報酬であれば』

 

 

 そう、最初から、サイクロプスには報酬を受け取る権利などなかった。

 これが彼の言っていた弁護士資格を持たないものが弁護をする際の、ちょっとした制限である。

 

「い、意味が分からん……だ、だったら、何故あんな法外な金額を吹っ掛けたんだ?」

 

 一郎は当然困惑する。

 最初から弁護料など受け取る気もないのに、何故五千万円などという金額を用意するように言ったのか。

 いや、そもそもな話、何故弁護人などやっているのか。サイクロプスの行動やその意図がまったく理解できない。

 

「……あ、貴方はいったい?」

 

 これには鬼太郎もびっくりだ。

 彼自身も妖怪退治などで報酬を受け取らない身だが、それでもサイクロプスの真意がよく分からない。

 何故わざわざ報酬を用意させ、その送金先に児童養護施設などを指定するのか。

 

「——五千万円は報酬の額ではありません。貴方自身の『可能性』の値段です」

 

 サイクロプス曰く、五千万円という額はあくまで目安に過ぎないとのことだ。

 辰神一郎という人間の、彼自身が広げることのできる可能性の金額だと。 

 

「勿論、その用意したお金をどうするかは……一郎さん、貴方次第です」

 

 さらに、サイクロプスはその寄付すらも強要はしない。

 あくまで一郎の自由意思に任せ、好きな金額を養護施設に寄付するように願い出ることしかできない。

 

「…………分かった」

 

 サイクロプスの言葉に色々と悩んだ末、一郎は意を決したように頷く。

 

「私にもプライドがある。報酬は全額……養護施設へと寄付させていただく」

 

 助けられた借りを返すため、彼は五千万円という額を施設へと寄付する道を選んだ。

 お金に対して厳格な彼が——その寄付を必要なことだと判断したようだ。

 

「済まんな……姫香。当分の間、贅沢は出来ないと思うが……我慢してくれるか?」

「いえ……いいえ、お父様!! 私も、それがいいと思います!!」

 

 そのせいで苦労を掛けるであろう家族へと一郎は頭を下げる。

 だが姫香は、父の判断が正しいことだとその決断を誇らしい思いで支持する。

 

 

 辰神親子も最後は晴れ晴れとした表情で、自分たちの可能性を救ってくれたサイクロプスへと感謝を述べて裁判所を去っていった。

 

 

 

 

 

「さて……では鬼太郎くん、後のことは私に任せて下さい」

 

 立ち去っていく辰神親子を見送るサイクロプスだが、まだ彼の仕事は終わってはいない。

 彼は隣に立つ鬼太郎へと声を掛け、この先の仕事も自分が引き継ぐと告げる。

 

 残った仕事。

 それは獅子頭が無差別に振りまいた『獅子舞事件』の解決である。

 

 獅子頭のせいで捕まってしまった無実の人間たち。

 サイクロプスは、それらの事件で逮捕されてしまった人々も救おうというのだ。

 

「大丈夫ですか……? ボクたちにも、出来ることがあれば何か手伝いますが……」

 

 鬼太郎はサイクロプス一人で大丈夫なのかと。彼の負担を考えた上でそのように提案する。

 既に鬼太郎にサイクロプスを怪しむ気配はない。先ほどのやり取りで、すっかり彼のことを信用するようになっていた。

 

「ご心配には及びません。獅子頭を捕まえてくれただけで十分ですよ」

 

 しかし、サイクロプスは鬼太郎の申し出をやんわりと断る。

 

「餅は餅屋とも言います。裁判は私のような専門家に……って私、弁護士資格持ってないんですけどね、ははっ」

 

 冗談を交えながらの余裕の態度。だが、少し真面目な顔つきでサイクロプスは鬼太郎たちが絡んだ際の懸念を口にする。

 

「正直なところ……君たちのような妖怪がこれ以上人間の裁判に干渉するのは……色々と不味いと思うんですよ。今回の戦法も……騙し討ち見たいなところがありましたからね」

 

 独眼怪物と称される彼でも、これ以上の妖怪の干渉による法曹界の秩序の乱れは好ましいものではない。

 人間を裁くのなら、人間の手で——本当なら、それが一番いいのだろう。

 

「いずれ、君たち妖怪の存在が公的に認められることになるかもしれません。そのときになったら……お手柔らかにお願いしますよ」

 

 それでも、いつかは今回の裁判のように——妖怪が犯人になったり、妖怪と人間が手を組んで悪事を企てるような案件が出てくることになるかもしれない。

 

 そうなったときにこそ、裁判も——今とは『別の形』になり、正式な手段でそういったものたちを裁くことができるようになると。

 その『可能性』を信じ、サイクロプスも今は一人で法廷へと挑んでいく。

 

 

「——俺の義眼が赤いうちは、決して嘘など許さんさ……」

 

 

 嘘により理不尽に奪われる、人々の可能性を守るために——。

 

 

 




補足説明

 人物紹介
  裁判長と検事。
   弁護人と同じく、裁判を語る上では欠かせない要素。
   原作はその辺が描写不足でしたので、作者なりに補強させていただきました。
   裁判長、検事ともに一応は他作品のキャラをモデルにしています。
   ちなみに豆知識。現実の日本の裁判で裁判長は木槌など持ってないそうですよ。
 
 能力紹介
  シャマシュの義眼
   サイクロプスの左目の義眼。
   嘘を見抜くと同時に、嘘をついたものに幻覚を見せる力があるっぽい。
   ちなみに幻覚を見せる際の能力発動時の掛け声。
   レクス・タリオニスはラテン語で『目には目を』と訳すらしいです。

 ペナンガランについて
  今作は三期鬼太郎のオマージュということで、獅子頭という妖怪を採用しています。
  ですが、本来であれば獅子頭には『寄生妖怪ペナンガラン』が寄生しているという設定がありました。
  しかし、尺の都合上、ペナンガランが登場する下りをカットせざるを得ませんでした。
  今作においては、単純に獅子頭という悪どい妖怪がいた。そういうことでどうか一つお願いします。


次回予告

「四将騒動もひと段落し、その役割を正常なものへと戻した地獄。
 そこへ閻魔大王の第一補佐官、鬼神の男が長期の海外出向から戻ってきました。
 気のせいでしょうか、父さん? 
 何やら閻魔大王の顔つきがたるんでいるように見えるのですが……。

 次回——ゲゲゲの鬼太郎 『鬼灯の冷徹』 見えない世界の扉が開く」

何人かの方がリクエストしてくれた作品。ずっと温めていたアイディアをようやくお披露目できるかと。閻魔大王の……その実態が判明する!!

次回もよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

鬼灯の冷徹 其の①

ゲゲゲの鬼太郎六期・映画化決定!!
内容が『鬼太郎誕生・ゲゲゲの謎』ということもあり、鬼太郎の誕生秘話が明かされる。
映画はやるかと思っていたが、さすがにこれは予想外だった!
嬉しいは嬉しいのですが……この小説でも鬼太郎の過去話をやろうと思っていただけに、これは下手なことは書けない。
設定の矛盾が出ないよう、今作における鬼太郎の過去話は暫くやれそうにありません。

さて、お待たせしました。
複数の方がリクエストされた作品『鬼灯の冷徹』とのクロスオーバーです。
二度、三度と渡ってアニメ化された作品なだけあって知名度はそれなりにあると思いますが、一応軽く概要を説明します。

鬼灯の冷徹は漫画雑誌モーニングに連載されていた作品。2020年に連載が終了してしまいましたが、それでも9年間は連載が続いた人気作品です。
鬼の主人公を中心とした『地獄の日常』を描いた作品であり、地獄のアレコレを色々と学ぶことができます。舞台が舞台なだけあってブラックジョークも多いですが、不思議と不快にはならないと思います。

自分は基本アニメの方を視聴していましたが、原作漫画も雑誌の方でよく立ち読みしてました。まだ知らない方、今回の話を読んで興味を持ったのであれば是非視聴してみてください。

今ならYouTubeの方で一話が公式で無料放送をやっている筈です。



 地獄。魂が死後に行き着く先と言われているあの世。

 人も妖怪ですらも、死ねば等しくこの地獄へと送られ——地獄の裁判官・閻魔大王の判決を受けることとなる。

 

 閻魔大王——地獄を統括するとされる裁判官、冥界の長。

 遥かな神代。この日本において『初めての死者』とされる彼は無秩序だったあの世をどうにかしてまとめられないかと。黄泉の女王・イザナミに直談判、あの世の大改革を行った。

 そうして長い年月を経たことで——地獄というシステムの基礎を築いたのである。

 

 改革が済んだ後、女王であるイザナミですら引退する中、彼は地獄の王として今なおその地位に君臨し続けている。まさに閻魔大王とは——地獄の絶対的権力者のことを指すのである。

 

 

 

 

「——判決! 焦熱(しょうねつ)地獄行き!!」

 

 地獄で閻魔大王が行う主な業務。それは勿論『裁判』である。

 地獄へと送られてきた死者の魂、亡者である彼らに審判を下すのが彼の仕事だ。

 

 裁判の結果は生前の行いによって天国行きか地獄行きかが決まる。また、地獄行きであるならば『どのような地獄か?』『どれだけの責め苦を与えるか?』など。

 それらを閻魔帳の記録や、浄玻璃(じょうはり)の鏡の証拠映像などで詳細を決めていく。

 

「ひぃっ!? じ、慈悲をっ!! 慈悲をくだされぇえええええええ!!」

 

 この日も、いつものように閻魔大王が罪人へと判決を言い渡していた。その判決を不服と、亡者がなにやら叫んでいるがその程度で大王は揺るがない。

 

「慈悲はない!! その度の過ぎた性根の悪さを顧みるがいい……連れて行け!!」

「はっ!!」

 

 厳しい顔つきで獄卒たちに命令を下し、罪人を連れて行かせる。

 今判決を言い渡した男、現世では中小企業の社長だったという。その傲慢な性格から社員たちを何人も虐め殺してきた。地獄行きは当然、焦熱地獄の凄まじい業火が男を何千年と苦しめることになるだろう。

 

「次の者、前へ!!」

 

 間髪入れずに次の裁判へと移り、別の亡者が閻魔大王の眼前へと連れてこられる。

 大王はその男の生前の所業を知り、即座に判決を言い渡す。

 

「貴様は……無間(むげん)地獄行きだ!!」

 

 無間地獄は厳しいとされる地獄の中でも最下層に位置する。殺生や盗み、邪淫や飲酒などの罪は当然のことながら、父母といった身内を殺したものなどが問答無用で落とされる地獄だ。

 この男は遺産相続のため実の父を殺し、あまつさえその罪を現世にて償うことなくここへ来た。

 もはや救いようがないと、閻魔大王もお怒りである。

 

「い、いやだっ、いやだぁああああああああああ!」

「大人しくしろ!!」

 

 厳しい判決に男が半狂乱に取り乱す。しかし獄卒たちは容赦しない。

 地獄では自業自得、自己責任が基本理念なのだ。現世では『罪を憎んで人を憎まず』とも言うが、それで済んだら地獄はいらない。

 

 そう、ここは地獄——亡者に罪を悔い改めさせるため、苦痛と絶望を与える場所なのだから。

 

 

 

 

「——閻魔大王様、本日の裁判はこれで終了です」

「むっ、そうか……」

 

 そうして、何十人もの亡者へと判決を言い渡したところで本日の仕事が終了した。いかに閻魔大王とて、一日中仕事をしているわけではない。彼にも休息が必要であり、業務がひと段落したところで体を伸ばしたり、肩をほぐしたりして体を休める。

 

「まったく、今日も罪深き亡者の多いことよ……」

 

 だがそのキリッとした表情に一切の変化はない。

 凛々しい顔つきで昨今の社会情勢からなる罪人の多さにため息を吐きながらも、己の職務に邁進していく。

 

 そう、ここは地獄であり、彼こそが最高権力者。

 権力者として君臨する以上、最大限の職務を全うしなければならない。

 

 その地位にふさわしいよう、彼は今日も威厳に満ちた姿で——

 

「え、閻魔大王様!!」

 

 そのときである。大王の元へ獄卒の鬼が駆け込んできた。

 

「何事だ、騒々しいぞ」

 

 取り乱す獄卒に対し、あくまで落ち着くように言いきかせる閻魔大王。

 そう、彼は地獄の大王。どんな問題が発生しようと冷静に対処するだけだ。

 

 それが出来るだけのカリスマを持ち、誰にも負けない屈強の力と威厳を秘めた——

 

「ご、ご報告申し上げます!!」

 

 しかし、駆け込んできた鬼は興奮した様子で閻魔大王へと報告する。

 

 

 

「長期の海外出向に出向いていたあの方が——閻魔大王第一補佐官・鬼灯(ほおずき)様が先ほどご帰国なされました!!」

「…………………………………」

 

 

 

 その報告に——

 

 

 

「——えぇ~~!? ……もう帰ってきたのぉ~?」

 

 

 

 閻魔大王の威厳が、木っ端微塵に砕け散っていく。

 

 

 

×

 

 

 

 現世。生きとし生けるものが暮らす地上。

 大勢の人たちがとある場所へと集まり、何やら賑わいを見せていた。人々がひしめき合い、長蛇の列を作っているのだ。

 

「楽しみですね、まなさん」

「まだかなぁ~? まだかなぁ~?」

「早く早く!!」

 

 その列の中に調布市から来た中学生の女子。姫香、綾、雅——犬山まなといった仲良し四人組の姿もあった。

 彼女らもそこに集まっていた人々も目的は一緒であり、『それ』を一目見るために朝から長い時間をかけて並んでいた。

 

『次のグループの方、どうぞ~!』

「来た!! いよいよだよ、みんな!!」

 

 整理券をもらってから数時間後、自分たちの番が来たことを拡声器でスタッフが告げてくる。ようやくやって来たその機会に、まなたちの顔に喜色な笑みが浮かぶ。

 周りの人々も、いよいよ来たシャッターチャンスに携帯のカメラを『それ』に向けていく。

 

「キャー!! 可愛い!!」

「シャンシャン!! こっち向いて!!」

 

 

 そう、一般公開されるようになったシャンシャン——ジャイアントパンダの子供に向かって。

 

 

 ここは上野動物園。まなは友達と一緒にジャイアントパンダの子供を見にやって来た。 

 上野動物園といえばパンダ、パンダといえば上野動物園。そう言われるだけあって、この動物園ではパンダの存在を非常に重要なものとして捉えている。今回も、久しぶりに誕生したパンダの赤ちゃんというだけあって、メディアもこのニュースを大きく扱った。

 それにより、大勢の人がこのアイドルを一目見ようと、上野動物園へと大挙して押しかけて来たのである。

 

「あっ! 可愛い~、欠伸してるよ、ははは!」

 

 まなたちも、そんな流行の波に乗って動物園にやって来たクチだ。間近で見るパンダは、思っていた以上にまなを感動に浸らせてくれたのだが——

 

『は~い、終了です! 足を止めずに進んでください!』

「えぇ~……もう終わり?」

 

 短い観覧時間に不満を漏らす一行。楽しい時間はあっという間に終わり、まなたちはその場からの強制退去を余儀なくされる。

 一人でも多くの人がパンダを見れるよう、動物園側は一人当たりの観覧時間を一、二分に設定している。当然その流れに例外はなく、まなたちもすぐさまパンダの元から離されることとなった。

 

 

 

 

「はぁ~、もう終わっちゃた……」

「どうする? もう一回並ぶ?」

 

 園内を歩きながら、まなたちは次なる予定をどうするか頭を悩ませる。彼女たちはパンダを見に来たのだが、それ以外の予定を特に定めていなかった。

 もう一度並ぶことも考えるが、また一から並ぶとなると相当な時間が掛かる。さすがにそうするだけの価値があるかどうか、それは微妙なところである。

 

「とりあえず……お昼にしない? なんかお腹減って来たし……」

「そうですね、ちょうどいい時間ですし」

 

 お昼時ということもあり、彼女らは一旦気持ちを落ち着かせることにした。

 園内の食事スペースを求め、周囲をキョロキョロと見渡す。

 

「……ん? あれは……」

 

 その際であった。まなはある動物に目が向き、そこで足を止める。

 そしてその動物も、まなのことをじっと見つめ返してきた。

 

 その動物は——ハシビロコウという鳥だった。

 大きなペリカンのようなその鳥は『動かない鳥』として有名だ。獲物を待ち伏せする習性があるため、長い時だと一時間以上、じっとしていることがある。絶滅危惧種にも指定されている、非常に珍しい鳥だ。

 一時期ブームになるなどしたこともあり、上野動物園の顔とも呼べる隠れた人気者である。

 

「…………なんだろう、ちょっと……可愛いかも……」

 

 パンダに人気が集中しているためか、その檻の周囲にはあまり客が集まっていなかった。しかし、まなはその鳥の持つ独特の雰囲気に思わず可愛いと呟く。

 それはパンダのように万人を魅了する可愛さではないものの、少なくともまなはハシビロコウのことが気に入った。思わず時間を忘れかけ、その鳥に見入ることになる。

 

「——いいですよね。ハシビロコウ」

 

 すると、そんなまなに一人の男性が声を掛けてきた。

 身長一八〇センチ以上、格好は一般的ながらも帽子を目深く被った姿が妙に威圧感を感じさせるその男。ハシビロコウのことを食い入るように見つめながらも、しれっとまなに話しかけてくる。

 

「私、大好きなんですよ、彼らの放つこの独特の距離感が……」

「えっ? ええ……そうですね。わたしも、なんか気になっちゃいます……」

 

 見知らぬ男性から声を掛けられ、少しびっくりするまな。しかし、単純に同じ動物を愛でる仲間として声を掛けられたのだろうと、深く考えることもなく返事をした。

 雰囲気からしてナンパでもないだろうと、特に男性のことを意識せずにハシビロコウを見つめていく。

 

 

「パンダもいいですが、やっぱりハシビロコウも素敵だ。そうは思いませんか——犬山まなさん?」

「——っ!?」

 

 

 だが不意に、男はまなの名前をフルネームで呼んだ。これにはさすがに驚きを隠せず、思わず後退る。

 

「な、なんでわたしの名前を? あ、あなた……誰なんですか?」

 

 まなは警戒心を滲ませながら、面識のない筈の男へと問いを投げ掛けた。

 

「ああ、不躾で申し訳ありません。私、こういう者です」

 

 しかし、まなに怖がられながらも男はいたって冷静だった。

 表情を一ミリも変えぬまま、彼は会社員のような態度でまなへ名刺を差し出す。

 

 その名刺に書かれていた男の役職をまなは読み上げる。

 

「閻魔大王第一補佐官…………えっ? 閻魔大王って!?」

 

 閻魔大王、言うまでもなく地獄の最高責任者である。

 先日の騒動、玉藻前(たまものまえ)という妖怪が起こした地獄の混乱の際にも、まなは大王の姿を遠目から拝見していた。

 

 あのときは鬼太郎と猫娘の感動的な場面に意識が向けられていたため、彼に関しては「随分と大きな人だな~」くらいの印象しかない。

 しかし、考えてみればかなり偉い人の筈だ。

 

 その偉い人の第一補佐官ともなれば、相当凄い役職の筈。そんな人がどうしてこんなところにと、まなは呆気に取られている。

 

「済みません、お友達との用事が終わった後でいいので、少しお時間の方よろしいでしょうか?」

 

 その男は呆然としているまなへの配慮を見せた上で話があると。

 事務的、かつ極めて冷静な口調でニコリともせずに己の用件を伝えてきた。

 

 

「——この度の地獄での騒動……お詫びと共に、いくつかご注意しておきたいことがありますので」

 

 

 

×

 

 

 

「——閻魔大王第一補佐官……ですか?」

「はい、初めまして。鬼灯と申します。以後お見知り置きを、ゲゲゲの鬼太郎さん」

 

 ゲゲゲハウス。ゲゲゲの鬼太郎を始めとした妖怪たちは地獄からの客人を出迎えていた。

 まなが連れてきた妖怪、閻魔大王の第一補佐官を名乗る鬼灯という男である。

 

 既に現世での変装を解いており、彼は妖怪としての——鬼人としての姿を鬼太郎たちの前に晒している。

 服装は動物園での一般的な現代服から赤い襦袢、黒い着物に着替え、帽子で隠していた額には一本の角が生えている。

 癖のない黒髪、耳が尖り、牙が生え揃い、目尻は赤く、瞳の特徴は三白眼。ところどころ鬼らしい特徴こそあるが、見た目はほぼ人間である。

 

「……ほれ、お茶入ったぞい」

「ああ、ご丁寧にどうも」

 

 砂かけババアが気を利かせて淹れたお茶も、綺麗な所作で口を付けていく。『鬼』と聞くと粗暴なイメージを膨らませがちだが、鬼灯はどこまでも礼儀正しく、佇まいも理知的であった。

 

「なるほど……お前さんが噂に聞く鬼灯か……」

「彼のことを知っているんですか、父さん?」

 

 そんな鬼灯のことを観察しながら、目玉おやじが何かを思い出したように呟く。鬼太郎は父親の反応に問う。

 

「うむ、閻魔大王の第一補佐官。地獄の獄卒の中でも相当な地位にいる鬼神との話じゃったかのう。実際に会うのは初めてじゃが……」

 

 閻魔大王と面識のある目玉おやじは鬼灯のことを噂だけで知っていたらしい。なんでも『とても有能で地位の高い鬼神』だとか。

 

「そんな大したものじゃありません、官房長官みたいなものです。地味地味……」

 

 目玉おやじの評価に鬼灯はそんな風に謙遜する。しかし、日本で官房長官といえば結構な実力者である。謙遜しているのか、自慢しているのかいまいち測りかねる。

 

「官房長官……」

 

 ちなみに、中学生のまなにとって官房長官はざっくりすると『令和おじさん』のイメージである。

 

「けど……この間の騒動のとき、アンタの顔なんか見なかったと思うけど?」

 

 しかし、そこで猫娘が疑問を投げ掛ける。

 先日の騒動、彼女も実際に地獄まで足を運び、玉藻前に操られていた獄卒と戦ったりした。

 だが戦った獄卒の中にも、正気だった獄卒の中にも鬼灯らしき人物はいなかった筈だ。いったい、どこで何をやっていたというのだろう。

 

「実は私、ここ半年ほどは海外におりましたもので……」

 

 猫娘の指摘に鬼灯が事情を説明する。

 それというのもこの鬼灯。日本地獄の一員ではあるがこの半年間、ずっと海外で活動していたというのだ。

 

「半年というと……ちょうど、大逆の四将が脱獄した時期じゃないかのう……ヒクッ!」

「……ええ、おっしゃる通りです」

 

 酒で酔っ払っている子泣き爺の言葉も鬼灯は肯定する。

 彼が留守だった期間はちょうど『大逆の四将』が脱獄、鬼太郎たちが彼らを追っていた時期と一致する。

 

「地獄を逃げ出した四将の捕縛。本来であれば、我々地獄のものが対処しなければならない案件だったのですが……」

 

 大逆の四将。何者かの手引きで地獄から抜け出した極悪妖怪たち。

 先日の地獄の混乱も、本を正せばこの脱獄騒動から端を発する出来事だ。鬼灯は自分の留守中にそのような一大事件が起きていたこと。その騒動の解決に急いで帰国できなかったこと。

 それにより、鬼太郎たちを振り回してしまったことを詫びていた。

 

「まったく、閻魔大王……あのアホが、現世にいるあなた方にまで協力を要請するとは……本当にご迷惑をお掛けしました」

「あ、アホって……お前さん、結構辛辣ばいね……」

「ぬ、ぬりかべ~……」

 

 一反木綿やぬりかべが唖然となる。彼らは鬼灯の謝罪内容よりも、彼があの大王のことを堂々と「アホ」呼ばわりしたことに戸惑う。

 確かに玉藻前に地獄を乗っ取られかけたりと情けない部分が目立った閻魔だが、それでも彼が地獄の絶対的権力者であることに変わりはない筈だ。にもかかわらず、鬼灯は大王のことを容赦なくこき下ろしている。

 この第一補佐官、どうやらただ閻魔大王に追従するだけの腰巾着ではないようだ。

 

「き、気にしないでください。協力を……取引を持ち掛けたのはボクの方ですから……」

 

 鬼灯の只者ではないその雰囲気に呑まれかけ、鬼太郎は若干引き気味にフォローを入れる。閻魔大王から無理難題を吹っ掛けられたのは事実だが、それも鬼太郎から言い出したことだ。

 地獄へと送られてしまった猫娘の魂を取り戻すため、閻魔大王に面と向かって「何でもすると!」と、言ってのけたのだ。

 それがなければ、彼だってわざわざ鬼太郎に四将の捕縛など頼みはしなかっただろう。

 

「……そうなんですよね。それもまた問題なんですよ」

「どういうことですか?」

 

 すると鬼灯。

 相変わらずピクリとも表情を変えないまま、困ったというような口ぶりでため息を吐く。

 

 その取引——『猫娘の魂を現世へと戻す』という内容に、彼は口調を厳しくしていく。

 

 

 

 

 

「亡者の魂を現世へと戻す……蘇らせる。閻魔大王にも言われたかと思いますが、これは本来であれば世の理に反することです」

「…………」

「…………」

 

 鬼灯の言葉に蘇ってきた本人である猫娘、事故とはいえその猫娘を葬ってしまった犬山まながその表情を曇らせる。話の内容が『謝罪』から『物申す』ような雰囲気に変わったことで、鬼太郎や仲間たちも身構えた。

 

「本当であれば、今も地獄にいてもらっている筈なのですが……」

「——猫娘の魂を……地獄に連れ戻そうとでも?」

 

 鬼灯の言わんとしていることを鬼太郎が先回りして潰す。

 その言い分を決して認めまいと、彼にしてはかなり語気を強めた。

 

「そんなことはさせない! たとえ、地獄を敵に回そうともっ!!」

「き、鬼太郎……」

 

 鬼太郎の発言に猫娘が頬を赤らめる。

 地獄という巨大な組織を敵にしたとしても、鬼太郎は猫娘を二度と手放すつもりはないと。

 地獄の第一補佐官にはっきりと明言し、場合によっては戦うことも辞さないと覚悟を決める。他の仲間たちも思いは一緒だ。皆が厳しい雰囲気で鬼灯と対峙する。

 

「……ああ、そう構えないでください。現時点ではあなた方と争ってまで、猫娘さんの魂を無理に回収するつもりはありません」

 

 もっとも、敵意を向けられている鬼灯は特に事を荒立てるつもりはないようだ。茶を呑気に啜りながら、こともなげに言う。

 

「世の理に反すると言いましたが……別に前例がないわけではありません。過去の事例をいくつか鑑みても、猫娘さんの復活はそこまで特別なものではないと判断できます」

「えっ……? 前例があるんですか?」

 

 あれだけ閻魔大王に渋られた猫娘の復活が、そこまで特別な事例ではないことに鬼太郎が目を丸くする。

 過去にも、亡者の魂を現世へと戻した『前例』があるというのだ。

 

「一番多いのは……植物状態からの回復ですかね」

 

 鬼灯が例として挙げたもの。

 それは人間社会でも時偶ニュースなどで取り上げられる『植物状態からの意識の回復』だ。

 

「ああいった人たちも魂は地獄へと送られます。一応は他の亡者と同じように裁判をやっていくんですが……中には体の方が全くの無傷で、脳が奇跡的に回復する人がいましてね。本人の希望にもよりますが……大抵の場合は現世へと帰っていただくことになってます」

「ああ……そういう事情があるんだ……」

 

 まなもそういった事例ならTVの特集で見たことがある。

 番組タイトル的に言うのであれば、『十年間昏睡状態の患者! 奇跡の復活劇!!』というやつだろう。

 

「あとは……極めて特殊な例ですが、地獄の受け入れを拒否せざるを得ないような方がいましてね。現世では警察官をやっている方らしいのですが……あの人、なんで首にならないんでしょう?」

 

 物凄く複雑そうな顔で鬼灯はボヤくように呟く。

 地獄でも受け入れが出来ず、天国にもいけないその人間は死んでもすぐに現世へと送り返されるらしい。名前は両◯勘◯だそうだ。

 

「あとはそうですね……七つの球を集めて◯龍に生き返るように願えば、魂は強制的に現世へと引き戻されます」

「ちょっと!! なんなの、その具体的すぎる例は!? それで大丈夫なの、地獄は!?」

 

 あまりにも特殊すぎる実例に思わず猫娘がツッコミを入れる。それで蘇らせることを黙認してしまうとは、世の理としてそれでいいのだろうか。

 

「……まあ、そういうことも往々にしてあるということですよ。私としてはもっと厳しく取り締まりたいのですが、閻魔大王が容認してしまっているんですよ……チッ!」

「し、舌打ちした……」

 

 またも閻魔大王に愚痴をこぼし、不機嫌さを隠そうともせずに舌打ちする鬼灯にまなが戦々恐々となる。

 いったい、この鬼神は閻魔大王のことを何だと思っているのか。伝承や鬼太郎たちの話を聞く限り、まなにとって閻魔大王はそれなりに怖い人物、一応は畏怖すべき対象なのだが。

 

「まあ、そういうことですので……今回のケースはそこまで目くじらを立てるものでもありません。寧ろ、取引という形を取っているだけまだマシな方です」

 

 鬼灯はそう嘆息しながらも席を立つ。

 話すことは全て話したということだろう、そのままゲゲゲハウスを後にしようとする。

 

 

「——ああ、そうそう。ひとつ……大事なことを伝え忘れていました」

 

 

 だが、最後の最後で足を止め、鬼灯は鬼太郎たちの方を振り返る。

 表情をまったく変えることなく、彼らに対して苦言を——忠告を口にする。

 

「我々地獄の獄卒は……本来であれば、現世の情勢に干渉することはありません」

 

 地獄の住人として閻魔大王と共に『あの世』を管理する獄卒たち。彼らは原則『この世』の出来事には干渉しないことを旨としている。

 

 たとえ、人間と妖怪の関係がどのようなものに変わろうとも。

 たとえ、日本が西洋からの襲撃を受けようとも。

 たとえ、名無しと呼ばれた闇が世界を覆い尽くそうとも。

 

 地獄の住人は現世にどのような混乱が起きようとも——基本は不干渉を貫く。

 今回の一件もあくまで『地獄にいるべき罪人』——大逆の四将を捕縛するため、鬼太郎の取引に仕方なく応じた部分が大きい。

 

「玉藻前を討ち取り、地獄の混乱を収めてくれたことには改めて感謝を述べます。ですが、これ以上の馴れ合いはお互いのためになりません。引き締めるところは、引き締めなければ……裁く者としての、『公正さ』が失われてしまいますので」

 

 玉藻前が企んだ地獄の崩壊。それを防いだ鬼太郎たちの活躍に鬼灯は改めて礼を述べた。

 だがそれを恩義に感じて、必要以上に鬼太郎たちに肩入れするつもりがないことも、この機会にはっきりと明言しておく。

 

 

「私たち地獄の住人は、決してあなた方の味方ではないということを……覚えておいてください」

 

 

 今後、鬼太郎たちが安易に地獄を頼らないよう——予防線を貼っておく意味合いを込めて。

 

 

「……ええ、それは勿論……理解しているつもりです」

 

 

 鬼太郎も、それを重々承知の上で頷いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——ただいま戻りました。閻魔大王」

 

 こうして、鬼太郎たちへの謝罪と感謝、忠告を伝え終えた鬼灯は地獄へと帰還した。

 閻魔大王の鎮座する閻魔丁へと顔を出し、任務を終えたことを報告する。

 

 大王も、仕事を終えてきた部下をいつもの威厳ある姿で——

 

 

 

「——お帰り~! 鬼灯くん~」

「…………」

 

 

 

 いや、そこには威厳など欠けらもなかった。

 鬼灯の眼前にいるのは——『どこまでも気の抜けた一人の大きなおっさん』である。

 

 のほほんと茶を啜りながら、彼は人の良い笑顔を浮かべて部下の苦労を労う。

 

「いや~……君も律儀だねぇ~! 帰国して早々、鬼太郎くんたちにお礼を言いにいくなんて~」

 

「わしのほうからもお礼はしておいたんだから、気を回さなくていいのに~」

 

「目玉おやじさん元気だった? 息子の鬼太郎くん、とても威勢のいい子だった。わしってば、威厳を保つのに必死でさ~! もぉ~、大変だったよ~!! はっはははは!!」

 

「…………………」

 

 あたかも他人事のように快活な笑い声を上げる、地獄の大王。

 そんな絶対的な権力者相手に、鬼灯はピキリと額に青筋を立てる。

 

 彼は内側に溜まった怒りを発散させるため、その手に鬼の代名詞ともいうべき『金棒』を携え、容赦なく閻魔大王に向かって突きつける。

 

 

 鬼神の如く、荒ぶりながら——。

 

 

「——全部……お前の、尻拭いだぁ!!!!」

 

 

 

×

 

 

 

 閻魔庁。広大な地獄の中において、閻魔大王が居を構える省庁である。

 亡者が死後の裁判においても通される道筋の一つであり、ここで閻魔大王から地獄のどこへ送られるか沙汰が下される。

 

 常に亡者たちの絶望の叫びが轟く、厳格な裁きの場として知られている——筈なのだが。

 

「お、おい! あの人、今『お前』って言ったぞ! 閻魔大王様に向かって……お前って!?」

 

 その閻魔庁に門番として入って日の浅い獄卒の鬼が困惑していた。

 今、眼前で繰り広げられているドタバタ劇。それは、これまで彼が抱いていた閻魔庁のイメージを覆すものであった。

 

「——よりにもよって現世の妖怪に助けられるなど、貴方には地獄の大王としての意地というものがないんですか!?」

「——いや~、わしだって頑張って戦ったんだよ? でもさ~、あの狐さん強すぎて……部下の子たちも、みんな彼女に誘惑されちゃったし……誰も味方がいなくてさ……」

「——そういった不足の事態にならないよう、手を打っておくのも貴方の仕事でしょうが!! 大王ともあろうものが、頑張ったでは済まされませんよ!! それで許されるのは、幼稚園児のお遊戯会までです!!」

「——ちょっ、それはさすがに厳しすぎでしょ!? せめて甲子園球場で敗れてしまった球児たちの頑張りくらいは許してあげようよ!?」

 

 先ほどから、閻魔大王が一人の鬼に対して情けない言い訳をし、その鬼は大王に容赦のない罵声を浴びせている。大王相手に不遜すぎる態度だが、その新人獄卒以外は誰もそれを不審がらない。

 寧ろ、それこそがあるべき力関係だとばかりに、第一補佐官だというその鬼の言葉に皆がしきりに「うんうん」「分かる!」などと頷いている。

 

「え、閻魔大王様も、雰囲気がいつもと全然違う……。い、いったい何がどうなっているんだ?」

 

 さらに新人を困惑させていたのは、閻魔大王の変わりようだった。

 新人の知る閻魔大王は——まさに『地獄の裁判官』の名に相応しい威厳と畏怖に満ちたお方だった。

 

「ごめんてば~、鬼灯くん~。わしも今回の一件はさすがに反省してるから~……」

 

 それがどうしたことだろう。あの鬼灯とかいう補佐官が帰ってくると聞くや否や、キリッとしていた表情を緩め、口調まで穏やかなものに様変わりしている。

 気のせいだろうか、お腹周りのお肉までタプんと緩んだような気さえしたのだ。

 

「ど、どうなっているというんだ?」

 

 まるで別人とも見紛う変わりように、新入りはポカンと口を開きっぱなしだ。

 

「——なんだ、お前知らなかったのか?」

「——閻魔大王様って、あれが素なんだよ!」

 

 すると、そんな新人獄卒に声を掛ける者がいた。

 

「あっ! か、唐瓜さん! 茄子さん! お疲れ様です!!」

 

 新米は話しかけてくれた先輩獄卒、自分よりも背丈の低い子供のような二人組に頭を下げる。

 角が生えていること以外、まんま人間の子供のようなその人物たちだが、これでも立派な成人。彼らは『小鬼』という種族であるため、大人になってもこれ以上の成長をしないのだ。

 

 唐瓜(からうり)は、黒髪に吊り目が特徴的な二本角の鬼。真面目な雰囲気が印象的だ。

 茄子(なすび)は、白髪に垂れ目が特徴的な三本角の鬼。のほほんとしたイメージが伝わってくる。

 

 彼らは大抵二人組で行動し、仲間たちからは『地獄の◯ップと◯ール』などと呼ばれているらしい。

 

「えっ、すいません、お二人とも……あれが素ってどういうことですか?」

 

 獄卒として先輩への敬意を忘れずに対応しながらも、新人は問わずにはいられなかった。閻魔大王のあの情けない姿——あれが『素』とはどういう意味だろうかと。

 

「そのままの意味さ。閻魔大王様って……基本的に人の良いおっさんなんだよ」

 

 唐瓜は新人に説明をする。

 

 閻魔大王——地獄の光景を描いた『地獄絵』などでも、獄卒たちと一緒になって亡者たちを呵責している。そういった絵面から、現世においても恐ろしいイメージが抱かれているが、実際の彼は基本的には大らかでのんびり、割と適当な人物でもある。

 勿論、亡者の裁きに手を抜いたりはしないが、仕事以外のところではかなりのほほんとしている。図体がデカイのも見掛け倒しなところがあり、一部の者からはト◯ロなどと呼ばれ、結構ぞんざいな扱いを受けてたりする。

 

「そ、そんな……信じられません!! だって、俺が閻魔庁に入ってからは一度もそんな様子がっ!?」

 

 そのような話を聞かされ、新人は信じられないとばかりに首を振る。

 彼は門番として配属され、ずっとこの閻魔庁で閻魔大王の姿を見てきた。その間、大王は今のように情けない姿を一度も見せたことがなく、常にキリッとした表情であのゲゲゲの鬼太郎に対しても、まったく退かない態度で応じて見せていたのだから。

 

「そりゃ、あれだよ。鬼灯様が留守だったからね……大王様なりに、気を張ってたんだよ」

 

 その疑問に唐瓜はあっさりと答える。

 閻魔大王がずっと真面目な顔つきを保っていたのは、大王の第一補佐官・鬼灯という鬼神に関係することらしい。

 

 鬼灯——彼は数千年以上もの間、地獄の第一補佐官として大王に仕えてきた。彼は有能な人物として多くの者に様々な仕事を任され、頼られている。

 だがあまりにも有能すぎるせいか。閻魔大王ですらも「面倒な仕事は全部鬼灯くんに回してよ!!」などと言い、彼に仕事を丸投げしてしまうほどなのだ。

 鬼灯も仕事を押しつけられる度、「あのアホが……チッ!」と苛立ちを見せるのだが、優秀過ぎるが故に大抵の問題を解決してしまう。

 そうして、いつしか鬼灯任せなところが当たり前となってしまっていた。まさに「◯◯えもん、助けてっ!!」である。

 

「けどさ、鬼灯様が長期で地獄を留守にすることになっちゃったから……」

 

 茄子も語る。

 

 そんな有能な鬼灯といえども、ずっと閻魔大王の側にいるわけではない。彼はこの半年間、海外で長期の出向をしなければならない案件を抱えることになり、地獄を留守にすることになった。

 頼れる補佐官が長い間留守になるその期間——その期間のみ、閻魔大王はキリッとした表情へと変わり、皆に威厳を示そうとするとのこと。

 どうやら、「ほ、鬼灯くんがいない……何か問題があったら、帰って来たときにドヤされる! いつも以上に気を引き締めなくてはっ!!」となり、緊張感を維持するようになるらしい。

 

「そ、それじゃ……俺が獄卒に入ったときは……」

「そっ! その期間だったってわけ!」

 

 新人獄卒が閻魔庁に入ってきた時期と、閻魔大王が唯一真面目になる期間。

 そのタイミングが偶々一致してしまい、新人は閻魔大王の本来の姿をずっと知らずにいたのだ。

 

「けどさ……そうやってフンドシを締め直した直後に、大逆の四将の脱獄なんて失態やらかしちゃったから……もう大変だったよ!」

 

 だが、そこで早くも問題発生。

 鬼灯が海外へと旅立った矢先——何者かの手引きにより、みすみす四将の脱獄を許してしまったのだ。

 

 これには、日頃から楽観的な閻魔大王もかなり焦った。

 

『——や、やばい……鬼灯くんが帰ってくる前に、何とかしなければ!!』

 

 もしもこんなことが鬼灯に知られれば、きっととんでもない目に遭わされると。

 この失点を取り返そうと、閻魔大王はいつも以上に気を引き締め、プライベートですらもずっと緊張感を保ち続けてきた。

 

 もはやなりふり構ってられぬと。偶然、猫娘の一件で取引を持ち掛けてきた鬼太郎の提案に乗り、現世の住人である彼にすら、藁にもすがる思いで四将の捕縛を頼んだのだ。

 

『——まだ四将の魂を捕らえることができないのか!?』

 

 などと。割と高圧的な態度で鬼太郎に催促したりもしていたが。

 

『——お、お願いだよ、鬼太郎くん~。早く四将を捕まえてくれ~!!』

 

 といった具合に。本音の部分ではかなり内心ドキドキであったというのが真相だ。

 

 

 

 

 

 結果として、鬼太郎たちの活躍もあり、四将の捕縛は無事に終わった。

 玉藻前の起こした混乱による地獄の崩壊も未然に防ぐことができ、とりあえず一件落着となった。

 

 だがあれほどの大混乱だ。海外にいたとはいえ——鬼灯の耳に入らないわけがなく。

 

「——この木偶の坊が!!」

 

 騒動を聞きつけた彼が日本へと帰国、現在進行形で閻魔大王に説教を垂れることになっていた。

 

「そもそも……何故、脱獄が発覚した時点で私に報告しなかったのですか!?」

 

 鬼灯が何よりも怒っているのは、閻魔大王が四将の脱獄を内緒にしていたことだ。いかに海外に出向中とはいえ、さすがに極悪な囚人たちが脱獄したと聞けば、鬼灯も急いで帰国していただろう。

 なのにこの大王ときたら。鬼灯に叱られるのが怖く、報告もせずに黙っていたというのだ。

 

「報連相は社会人の常識でしょうが!! その歳になって、そんなこともまだできないんですか!!」

 

 正直、脱獄を許したことよりもそちらの方に鬼灯は腹を立てていた。

 

「け、けどさ鬼灯くん、きみってば海外で忙しかったんでしょ? わざわざ出向中の君の手を煩わせるのもどうかと思ったんだよ~……」

 

 閻魔大王としても一応は言い分があった。

 わざわざ海外にいる彼に心配を、迷惑を掛けたくないと思っていたのだ。

 

 しかし——

 

「そんな気遣いは無用です! 寧ろ、大事になってから後始末を押し付けられる方がよっぽどタチが悪い!!」

 

 鬼灯はそんな閻魔大王の心遣いにも一切容赦しない。

 

 事実、崩壊しかけた地獄の機能を正常に戻すために多くの獄卒たちが急遽駆り出され、鬼灯も現世まで鬼太郎に謝罪を述べに行ったりと、余計な残業を抱え込むことになった。

 もしも——閻魔大王が速やかに鬼灯に報告していれば、少なくとも玉藻前の地獄侵攻は未然に防げていたかもしれない。

 四将の確保も、鬼灯であればより迅速に実行することができただろう。

 

 それほどまでに、この男は優秀な鬼神なのだ。

 

 

 

 

 

「——とにかく……今後はこういったことがないよう、しっかりと反省してください!!」

「うぅ~……わ、わかったよ~」

 

 こうして——数時間と続いた鬼灯の説教がようやく終わりを迎える。

 鬼灯の情け容赦のない責苦に、既に閻魔大王はグロッキー状態。もはや仕事に差し支えがつくレベルで落ち込んでいる。

 

「ご、ごめんよぉ~……もう二度とこんなヘマはしません……」

 

 かつてないほどに反省している閻魔の姿に、さすがの鬼灯もそれ以上の追い討ちはせずにおいた。

 この一件はここまでとし、今日の仕事はこれで終わりとする。

 

「それでは閻魔大王、私は明日から通常業務に戻らせていただきますので」

 

 鬼灯は帰国したばかりだ。本当であれば今日一日は休日、ゆっくりと休むつもりでいた。ところが鬼太郎へ会いに行ったことで、その休日も半分が潰れてしまった。

 だからこそ、せめてあと半日、あと半日だけでも休みたいと。

 部屋にでも引き籠ってぐうたら過ごそうと、彼はその場から退席しようとしていた。

 

 

「——鬼灯様っ!!」

 

 

 しかし、そこで部下の獄卒が彼を呼び止めた。

 その部下は慌てた様子で鬼灯へと歩み寄り、彼へと何事かを耳打ちする。

 

「例の件なのですが…………」

「…………閻魔大王」

 

 部下の報告を聞き終え、鬼灯は再び閻魔大王へと声を掛ける。

 大王は「ビクッ!!」と肩を震わせながらも、辛うじて鬼灯の呼びかけに答える。

 

「ど、どうしたの鬼灯くん……ま、まだ何か……あったりするのかな……?」

 

 嫌な予感がしたため身構える閻魔大王だったが——予想通りだった。

 

 鬼灯は、あからさまに不機嫌さを三割ほど増した表情を浮かべ、大王へと己自身の次なる『残業内容』を伝える。

 

「私、もう一度現世に行ってきます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——本当に……余計なことしかしませんね、このヘタレ大王は……」

 

 余計な仕事を増やしやがった上司へ、殺意すら篭った視線を向けながら——。

 

 

 




人物紹介

 鬼灯
  鬼灯の冷徹の主人公にして、おそらく作中で最強の鬼神。
  どんな問題であろうとも冷静に、冷徹に対処する男。
  獄卒としてかなり厳しく、部下である鬼たちですらドン引きするレベルのドS。
  真面目な堅物……という印象だが、実際のところ結構愉快な一面も持っている。

 今作における立ち位置
  原作とほぼ同じ地位にいますが、『鬼灯様が地獄にいたら、脱獄騒動なんて起きないんじゃないか?』と思われるほど優秀な人なので、今作では『騒動のあった間、ずっと海外で働いていた』ということで留守の設定にさせてもらいました。
  だってこの人が普通に地獄にいたら……もう、それだけで四将編は始まらなかったと思うから……。


 閻魔大王
  ご存じ地獄の大王様。亡者を裁く裁判官。
  作品によっては妖怪扱いされていますが、彼は『ずっと昔に死んだ人間』とのこと。大昔に無秩序だった黄泉の国の法整備を整え、今の地獄というシステムを構築した結構すごい人。
  けど、六期の鬼太郎では……。

 今作における立ち位置
  六期の閻魔大王と完全な同一人物として描かせてもらっています。
  性格が違う理由は作中でも述べた通り『鬼灯の留守中、しっかりしなければという意識が働いていた』から。
  そのため、中身の部分はのほほんとした鬼灯の冷徹に出てくる閻魔大王そのまま。
  だから、色々やらかしたりしたのか……。


 唐瓜・茄子
  地獄の獄卒。よく鬼灯に色々と指導してもらっている小鬼たち。
  唐瓜が真面目な社会人タイプで、茄子の方がうっかりな天然キャラ。
  二人そろって地獄のチッ〇とデー〇。
  ちなみに鬼灯の冷徹という作品の特性上、パロネタには〇〇が使われています。
 
 イザナミ  
  黄泉の女王。
  作中では、閻魔大王と共に地獄の基礎を築いたとされる。  
  元々は聡明な女性なのだが、私怨でめちゃくちゃ理不尽な地獄をたくさん作った。
  意味がいまいち分からない地獄が沢山あるのも、全部彼女のせいらしい。
  

 ちょっくら、久しぶりにアンケート取ってみます。
 良かったら答えてみてください。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

鬼灯の冷徹 其の②

鬼灯の冷徹は、やっぱ人気があるんだなぁ~と、お気に入り数が徐々に増えていったことでそれを実感しています。
ですが……自分の書くクロスオーバーは、何というか二話目以降から色々と評価が分かれるようで。
今回も、この展開に色々と賛否があるかと……。
てか……『連中』が参戦すると、本当に世界観が変わるな~……と思いながらも、どうか続きをどうぞ。

ちなみに、前回のアンケート結果を参考に次回は『FGO系列』の話を書くことにしました。誰が主役になるかは……次話の次回予告で答え合わせします。


 現世のとある山の頂。

 天高くに暗雲が立ち込め、その雲の隙間から——どデカい一本足が飛び出ていた。

 

『——人臭い、人臭いぞ!』

 

 その足の『主』と思しき恐ろしい声が、雲の上から聞こえてくる。

 それは山すらも踏み越えていけそうな巨人。足だけで十分に建物を踏む潰し、人間をぺちゃんこにしてしまうだろう巨躯。

 

『愚かな人間め!! 踏み潰してくれるわ!!』

 

 その怪物の足の裏が——今まさに地上にいた一人の人間へと向けられる。

 ただの人間であればその巨大な足に蟻のように踏み潰され、何も出来ずに絶命していたことだろう。

 

 ところが——

 

 

「——鬼神招来!!」

 

 

 その青年が掛け声を上げるや、彼の腕が人間のものから怪物の——『鬼神』のそれへと変貌を遂げる。

 そして、青年はその腕で巨人の足を受け止め——拮抗の末、弾き飛ばす。

 

『ぐむぅっ!? お、おのれぇええええ!!』

 

 まさかの抵抗に巨人は一本足を雲の上へと引っ込めた。あんなちっぽけな人間如きに、己の足を受け止められるとは思ってもいなかったのだろう。

 

「ふん、随分と見掛け倒しの図体だな……」

 

 巨人が怯んでいる合間に青年——鬼道衆・石動零は大勢を立て直していく。見かけほど大した怪力ではないと、相手の能力を冷静に見極めてその動向を観察していく。

 

『——零よ……気づいておるだろうな?』

 

 すると、石動零の背後に一人の『鬼人』が現れる。

 その存在感は極めて希薄であり、体そのものも透けているように見えた。その鬼はまさに守護霊のように石動の背後に佇み、彼に助言を与える。

 

『あの巨人の姿……あれは幻、本体は何処ぞ別の場所に身を潜めておるぞ』

「けっ! んなこと、お前に言われなくても分かってる……黙ってろ、伊吹丸!!」

 

 鬼人——鬼童(きどう)伊吹丸(いぶきまる)の助言に反発する石動。言われなくてもそれくらい分かっていると——彼は眼前の巨人のそのほとんどが仮初の姿であることを見抜いていた。

 

 そう、あの巨人は見掛け倒しの幻影。先ほどから、足だけでしか攻撃してこないのがいい証拠だろう。

 きっと本体はあの雲の向こう側のどこか、自分たちの視界に入らないところに隠れていると。

 

「だったら……これでどうだ!!」

 

 石動はまずその本体がどこにいるか探りを入れようと集中する。精神を研ぎ澄ませることで、敵の妖気の出どころを探知。それにより彼は敵の本体、そのおおよその位置を把握する。

 

「来い! 雷上動!」

 

 その上で、石動は懐の護符から弓——『雷上動(らいじょうどう)』の写しを顕現する。この雷上動は源頼政が鵺を退治する際に用いたとされる弓、その模倣品だ。オリジナルに比べれば随分と威力が劣るものの、今はこれで十分だとばかりに。

 彼はその弓に『山鳥(やまどり)矢羽根(やばね)を付けし尖矢(とがりや)』をつがえ、狙いを定める。

 

「…………そこだ!!」

 

 妖気の出どころを見定め、矢を放った。雷上動の弓の弦は通常よりも硬く、鬼神の腕でもなければ矢を放つことすらできない。

 しかしその分、威力は絶大だった。

 

『——ぎぇああああああああああああああ!?』

 

 雲を突き抜けて飛んだいった矢が敵の本体に命中したのか。

 おぞましい断末魔を上げ、巨人の幻が消え去っていく。

 

 そうして、巨人の姿がいなくなるのと同時に——立ち込めていた暗雲が晴れ渡っていく。

 冴え渡った夜空が、美しい星空が石動たちの視界いっぱいに広がっていく。

 

『ふむ、どうやら仕留めたようだが……』

 

 周囲の景観の変化に敵を討ち取ったことを悟る伊吹丸。しかし、彼は石動によって討ち取られた敵の本体——空の上から転がり落ちてきたそれに首を傾げた。

 

『あれが、あの魔性の本体か……?』

「ぐ……ぐぬぬ……おのれぇ……人間め……」

 

 そこに倒れていたのは——巨大な猪だった。

 背中に熊笹を生やした尋常ではない大きさの猪。尖矢が急所に突き刺さって既に事切れる寸前だったが、猪は最後まで人間である石動零へと血走った目を向ける。

 

「よくも我の塚を……我の眠りを……許さぬ……許さぬぞ……!!」

 

 猪は人間への恨みつらみを吐き捨てながら、そのまま肉体は消滅——魂だけの存在へと成り果てていく。

 

『さて……どうする、零よ?』

 

 伊吹丸はその魂を前にし、石動零へと問い掛ける。

 その妖怪の魂、その処遇をどうするか彼に判断を委ねているのだ。

 

「そうだな……」

 

 伊吹丸の問いに、石動零は決断する——。

 

 

 

 

 

「い、猪笹王……? そ、それがこの山々で暴れ回っていたという、巨人の正体なのですか?」

「そうだ……」

 

 巨人が出没していた近辺。山の麓にある村々の代表である村長が石動零から今回の騒動の顛末を聞かされていた。

 この村長は今回、石動零に妖怪退治を依頼した本人だ。彼はここ最近『山道を通る人間を襲う巨人』の出没に頭を悩ませていたところ、古い伝手を頼って鬼道衆・石動零にコンタクトを取ることに成功。

 そのまま、彼に巨人の討伐を頼み込んだのである。

 

 石動零は鬼道衆の生き残りとして、妖怪に困らされている人間がいれば助けることを惜しみはしない。しかし、仕事の完了を報告する石動零の態度はどこか淡々としていた。

 

「猪笹王は猟師に鉄砲で撃ち殺された猪の亡霊が、一本足の鬼となって旅人を襲うようになったとされる妖怪だ」

 

 猪笹王(いのささおう)——熊笹を背中に生やした猪の化け物。それが殺された怨念により、一本足の鬼神となったとされる怪異。

 地方によって伝承内容は異なるが、『一本だたら』という妖怪と同一視されることもある。巨人に化けても一本足だけでしか戦えなかったのは、その伝承が起因するのだろう。

 

「本当なら、十二月二十日……果ての二十日にしか出没しない筈の妖怪なんだが……」

 

 過去にも暴れまわった猪笹王は、猟師への怒りから山道を通る人々を襲い、食い殺していたという。そんな中、丹誠上人という高僧が猪笹王を鎮め、彼を弔う塚を建てたことで大人しくさせることに成功したという。

 しかし、この塚の封印には条件があった。一年の内、十二月二十日だけは封印が緩み、猪笹王が『山道を通った人間を喰らうこと』を黙認するという決まりだ。

 

 それが俗に言われる——『果ての二十日』である。

 

 人間にとって、身を慎み災いを避ける忌み日。決して山道など通ってはいけないとされる日だ。

 本来であればその日以外、猪笹王が人間に悪さを働くことはないのだが——。

 

「誰かが塚の封印を壊しちまったようだな。そのせいで奴は怒り狂ってやがった……何か心当たりはあるか?」

「そ、それは……村の若い連中が、その……」

 

 石動零は封印が人為的に壊され、その報復のために猪笹王が人を襲うようになったと告げる。

 石動の報告に村長は、後ろめたそうに心当たりを口にする。話の詳細を聞くに村の若い連中、妖怪など信じていないような血気盛んな若者たちが猪笹王が眠る塚を壊してしまったという。

 

「そうかよ……はぁ~」

 

 石動は村人たちのせいで起きてしまった今回の不始末に大きくため息を吐く。

 

「……とにかく、再度封印は施した。少なくとも、これ以上猪笹王が人を襲うことはないだろう」

 

 石動は猪笹王の魂を再度塚に封じ込めた。またどこかの誰かが封印を破壊しない限り、猪笹王が人を襲うことはない。

 

「だが、果ての二十日だけは今まで通りだ。一年に一回なんだ……それくらいは我慢して家で大人しくしているよう、村の連中に言い聞かせておけ……」

 

 しかし、十二月二十日だけは妖怪が復活する日だと。そのルールをしっかりと順守しろと、近隣住人への呼び掛けを徹底するように村長を指導していく。

 

「これからもこの近辺で暮らすなら、それくらいの折り合いをつけておけ……」

 

 人間側である石動が——妖怪側の事情を考慮するように要請していたのだ。

 

 

 

×

 

 

 

『変わったな、零よ』

「ああん?」

 

 退治の仕事を終えた石動零は夜の山道を降りていく。村長からは一泊するように勧められたのだが——色々と事情もあって断った。若い男が山道を一人。危険は伴うだろうが、石動零に限って言えば特に問題はない。

 何故なら今の彼は一人ではない。石動の背後には常に守護霊のように伊吹丸の『半身』がつきまとっているからだ。

 

『以前までのうぬならば、問答無用で猪笹王の魂を奪い取っていたのではないか?』

「……うるせぇ。そう大した付き合いでもねぇくせに、随分とわかったような口を聞くじゃねぇか……」

 

 伊吹丸の言葉にうざったそうに反論する石動零。実際、彼らの付き合いはそこまで長いものではない。

 

 地獄の四将・玉藻前が引き起こした地獄の騒動の際。その混乱を収めるべく、同じ四将であった鬼童・伊吹丸は石動に力を貸してくれた。

 その甲斐もあり、石動は鬼太郎と協力して地獄の崩壊を食い止めることができた。鬼道衆の仇でもあった玉藻前に一矢報いて、仲間の無念も晴らことができた。

 

 その縁からか——その後も、伊吹丸は石動零と行動を共にすることになったのだ。彼自身は罪人なため、半身は地獄へと繋がれたまま。もう半身、魂だけで石動の修行を面倒見ると。

 しかし、二人が行動を共にするようになってから、まだ一ヶ月ほどしか経過していない。石動としては、そんな浅い付き合いの伊吹丸に以前の自分を今の自分などと、比べられる筋合いはなかったりする。

 

『ふっ……うぬが妖怪に対して相当に当たりがきつかったであろうことは想像に難くない。我と対峙したときも、問答無用で襲い掛かってきたであろうに』

「ちっ! いちいち掘り返すんじゃねぇよ……」

 

 だが伊吹丸は余裕の態度で石動零との初対面時、彼が問答無用で自分に襲い掛かってきたことを話題にする。

 あのときの石動の態度を考えれば、彼が妖怪に対して厳しい見方を持っていたことは予想できると。

 

 事実、以前までの石動であれば猪笹王の魂を再封印など、そんな生易しい処置では済まさなかっただろう。

 自分が強くなるためにと、躊躇なくその魂を呪装術で回収し、己の糧にしていた筈だ。

 

「……別に、猪笹王の力なんざ……取り込んだところで使い道がないと思っただけだ……」

 

 そうしなかった理由に、石動は猪笹王の力など必要なかったとそっけなく口にする。

 

 石動の『呪装術』は妖怪の魂を取り込み、自らに憑依させることで力を発揮できる。しかし、どのような力が発現するかは完全にその妖怪ごとに異なり、あまりにも多くの魂を取り込み過ぎれば、その分術者に負荷が掛かってしまう。

 そういった理由もあってか。石動は今回、猪笹王の魂を取り込むことを見送った。

 

 しかし——それ以外の部分。

 単純な戦力的な理由以外のところでも、彼が猪笹王の魂を封印するに留めたのも事実だった。

 

「今回の件は……村の連中にも非がある。塚を壊さず、ルールさえ守ればそれで済む話だしな……」

 

 少し前の石動であれば『妖怪は人間の敵、全ての妖怪を殲滅してみせる』と、一切の躊躇なく妖怪を殺し尽くしていただろう。

 

 それが鬼道衆の里を妖怪によって皆殺しにされた彼の信念であり——憎悪であった。

 

 だが、今回の件を石動は『人間側の自業自得』『人間が妖怪側の決め事を守ればいい』と公平な目線から判断を下した。

 

 それこそ、以前までの石動零では決して出来なかった決断だ。

 伊吹丸の言う通り——彼自身が変わろうとしている何よりの証拠であった。

 

『……ふっ』

 

 伊吹丸は口元に笑みを浮かべる。

 石動の師匠的な立場として、弟子のような青年が成長している姿に感慨に耽っていた。

 

 その感情は、まさに人間のよう。

 彼がかつて愛した女性——ちはやがもしもここにいれば、きっと似たような感情を抱いていただろう。

 

 

 

 

『——ときに……気づいておるか、零よ?』

 

 と、柄にもなく感慨に浸る伊吹丸であったが。

 次の瞬間にも——その目つきを鋭いものに変え、石動零に警戒を促す。

 

「ああ……わかってる。だから、わざわざこんなところまで来たんだろうが……」

 

 石動も、それが何に対する警告なのかしっかりと理解していた。

 彼はその場で——人気のない森の中で立ち止まり、後ろを振り返りながら声を張り上げる。

 

 

「そろそろ出てきたらどうだ! さっきから妖気がダダ漏れだぜ?」

 

 

 闇の向こう——そこに隠れているであろう、『誰か』に向かって出てくるように叫んでいた。

 

 そう、彼らは先ほどから——『自分たちを見ている何者かの気配』に気づいていた。

 

 猪笹王を退治した直後からか、ずっと視線を感じていたのだ。

 その視線の相手を誘き寄せるため、こうして人気のないところまでやって来たのだ。

 

 

 ややあって——

 

 

「——申し訳ありません。わざわざ気を遣わせてしまったようですね……」

 

 

 石動の言葉に、暗闇の向こうから『鬼』が一匹やってきた。

 伊吹丸と同じ、『鬼人』タイプの妖怪だ。

 

「てめぇ……一体何者だ?」

 

 見覚えのないその妖怪を前に、石動は警戒心を抱きながら何者か問う。

 

「初めまして、石動零さん」

 

 彼の問い掛けに鬼はペコリと頭を下げつつ、まずは丁寧に自己紹介をしていた。

 

 

「私、地獄で獄卒をしている——鬼灯というものです」

 

 

 

 

『鬼灯……その名、聞き覚えがある』

 

 姿を現した鬼灯という鬼を前に、まずは伊吹丸が反応する。

 

『閻魔大王の側近、他の獄卒たちからも随分と慕われ、恐れられておる鬼神……』

 

 罪人として牢の中から出ることのなかった伊吹丸だが、噂話の類は聞いていたらしい。鬼灯は地獄の獄卒。閻魔大王の側近として、実質的に地獄のNo.2の地位に収まっているとか。

 

「地獄の……けっ! それで? その地獄の鬼が俺に何のようだ……」

 

 伊吹丸の話に石動零は眉間に皺を寄せ、鬼灯を睨みつける。

 

 地獄の『鬼』は現世で人間に危害を加える『鬼』とは別種の存在だ。ただ厄災の類を撒き散らす現世の連中とは違い、地獄の鬼たちは身を粉にし『罪を冒した人間を呵責する』という役割のために仕事をしている。

 石動もそのことは理解している。しかし、彼にとって地獄の連中は『大逆の四将の脱獄を許した』不甲斐ないものたちである。

 彼らがもっとしっかりしていれば、玉藻前の脱獄を防げていたら、里の仲間たちも死ななかったのではと。そういった感情があるため、地獄の使者である鬼灯を前に彼は不機嫌を隠しきれていなかった。

 鬼灯の方も、そんな石動の感情を読み取ったのだろう。

 

「まずは謝罪を。この度はこちらの不手際のせいで、貴方たち鬼道衆の方々にご迷惑をお掛けしました」

 

 鬼太郎たちにもそうしたように、石動零に対しても謝罪の意思を表明する。

 

「今後はこういったことがないよう、誠心誠意努めてまいりますので、ご容赦のほどお願い申し上げます」

 

 丁寧な言葉遣いでの謝罪。だが表情に一切の変化がないため、本当に反省しているのか分からない態度である。

 それが癪にさわったのか、石動はより鬼灯への当たりを強くしていく。

 

「ご容赦だと!? 今更……てめぇが謝ったところで、里の皆や……サヤが戻ってくるわけでもねぇだろうが!!」

 

 石動が妹のように可愛がっていたサヤという少女を含め、多くの仲間が殺されてしまった。どれだけ鬼灯が謝罪しようとも、彼女たちはもう戻ってはこない。

 あるいは、閻魔大王の権限を持ってすれば死者の蘇生も可能かもしれなかったが。

 

「そうですね。死後の裁判においては我々の不手際、貴方の供養なども含めて減刑は考慮しますのでご安心を……」

 

 現時点で鬼灯にそのつもりはないようだ。地獄側の失態、供養による減刑こそ考慮するものの、魂を戻すといった特別な措置は取らないとはっきり明言する。

 猫娘の件とは違い、石動とは何の取引もしていないのだ。鬼灯のこの判断は世の理を保つものとして当然のものだった。

 

「…………で、要件はそれだけか? だったらとっとと地獄へ帰りな……」

 

 石動はそんな鬼灯に何かを言いたげな様子だったが、それ以上は言葉も交わしたくなかったのか。

 つっけんどんな態度でシッシと、鬼灯を追い返そうとする。

 

 だが——

 

「——生憎ですが……そういうわけにもいきません」

 

 鬼灯は、姿勢こそ礼儀正しいままでありながら、僅かに声のトーンを低くする。

 元から悪い目つきをさらに鋭く細めて石動零を——正確には、その後方に佇む伊吹丸を見据えて冷たく言い放つ。

 

 

「鬼童・伊吹丸さん」

『……っ!』

 

 

 敬語ではあるがピシリと、空気が張り詰める。

 鬼灯の言葉と視線に、伊吹丸がピクリと反応した。

 

「地獄の四将、初代酒呑童子の息子。大江山の鬼として多くの人間たちを襲い、平安の京を恐怖と畏怖の下に支配——」

「だが攫ってきた人間たちと共に大江山を逃げ出し改心。彼らと小さな集落を形成、慎ましい日々を送る——」

「しかし、隣国の強襲で村は滅ぼされ、報復として敵対国を一夜で滅ぼし、その国の住人を皆殺しにする……と」

 

 鬼灯が淡々と口にしたのは——『伊吹丸の罪状』だ。

 彼が地獄の四将と呼ばれるようになった原因、経緯を語りながら鬼灯は伊吹丸へと近づいていく。

 

『…………』

 

 鬼灯の言葉に伊吹丸は弁解しない。

 全てが事実であり、彼は既にその罪を認め、千年もの間ずっと牢獄に繋がれていたのだから。

 

「おい……それ以上近づくな!」

 

 だが、石動零は身構える。

 事務的に罪状を語る鬼灯が、さりげなく一歩ずつ近づいてくる。そこに石動は不気味さと警戒心を抱き、間合いを図りながらそれ以上近づかないよう鬼灯に警告する。

 その警告にとりあえず、その場にて静止する鬼灯。彼は大きくため息を吐きながら——口調を厳しくし始めた。

 

「はぁ~……困るんですよね、仮にも貴方はその罪の重さから地獄の四将に抜擢された器だ。そんな貴方が半身とはいえ、地獄を留守にして現世を彷徨っているのは……」

『……閻魔大王からの許可は得た筈だが?』

 

 鬼灯は伊吹丸が半身とはいえ、地獄を留守にしていることを問題視しているようだ。その懸念に対し、伊吹丸は閻魔大王から許可が下りていることを主張する。

 そう、伊吹丸が石動零と共にいることに、他でもない閻魔大王が許可を出しているのだ。

 地獄の代表である彼の言葉は何よりも尊重される筈。

 

 しかし——

 

 

「——申し訳ありませんが……その話、なかったことにして下さい」

「なんだと!?」

 

 

 あっけらかんと口にする鬼灯に石動が目を見張る。

 閻魔大王の言葉をなかったことにする。つまりそれは——

 

「あのアホが何故にそのような許可を出したかは存じませんが……半身とはいえ、貴方を自由にするのはいただけない」

「今のところは安定していますが……魂の重さが足りなくなれば、いずれ地獄のバランスが崩れてしまう可能性がある」

「それでなくても、貴方は伊吹大明神に連なるもの。野放しにしておくにはあまりにも危険すぎます」

 

 伊吹丸を自由にしておく場合の懸念をいくつか口にしながら——鬼灯は金棒を構える。

 

「っ、鬼神招来!!」

 

 鬼灯のその行動を前に、石動は呪装術を行使する。

 鬼神である鬼灯を相手取るため、鬼神の腕をその身に宿らせる。

 

 そして、互いに戦闘態勢に入ったことで——戦いの火蓋は切られた。

 

 

「——四将・伊吹丸の魂……回収させて貰います!」

 

 

 地獄の獄卒である鬼灯が、伊吹丸の半身を回収するため——石動零へと襲い掛かったのである。

 

 

 

×

 

 

 

「ぐっ……!?」

 

 鬼灯の初手、金棒の一撃を石動零は鬼神の腕を交差することで受け止めた。

 石動が呪装術の中でも多用するのがこの『鬼神』の力だ。汎用性が高く、いかなる状況にも対応できるため、石動もこの能力を特に信用しているのだが。

 

 ——なっ、なんだ? こいつの一撃は……お、重い!?

 

 鬼神の腕を持ってしても、鬼灯の一撃を支えるのがやっとだった。

 金棒が重いのか、鬼灯が怪力すぎるのか。金棒を押し返すこともできず、徐々に押し込まれていく。

 

「ほう、鬼神の腕ですか。なるほど、術者としての力は本物のようですね……」

 

 一方の鬼灯は余裕の態度。

 石動の力量を冷静に分析し、彼の術者としての力が確かなものであると認める。このご時世、紛い物やインチキ霊媒師が多い中、石動のような本物の術者は貴重な存在だ。

 鬼灯の目から見ても、石動は有望株な能力者に見えていた。だが——

 

「ですが、貴方もその鬼神の腕も……若すぎですね」

「なん…だと……ぐっ!?」

 

 ボソッと呟きながら、さらに鬼灯は金棒へと力を込めていく。それにより、さらに苦境へと立たされる石動零。

 このままではいずれ力尽くで押し切られ、鬼灯の一撃をまともに食らうことになるだろう。

 

『——零よ! 受け流せ!!』

「——っ!!」

 

 そんな彼の危機を前に伊吹丸が叫ぶ。その指示を的確に読み取り石動は——踏ん張らず、逆に腕の力をほんの少し緩めた。

 

「むっ……」

 

 急激に石動の抵抗が緩んだことで、鬼灯の金棒の重心がブレる。

 そのブレを利用して、器用にも相手の一撃を受け流す石動。上手い具合に鬼灯の一撃を躱し、素早く距離を置いていく。

 

「良い動きです。それに……良い助言ですよ。伊吹丸さん」

 

 鬼灯は自分の一撃から逃れた石動、的確な指示を出した伊吹丸に感心する。だが彼自身はまだまだ余裕があり、反面、石動は今の攻防だけでもかなり消耗していた。

 

「はぁはぁ!!」

 

 激しく息を切らせる石動。そんな彼に対し、平静さを保ったままに鬼灯は告げる。

 

「ですが、まだまだ青二才だ。その鬼神の腕も……私から言わせれば若造もいいところです。こちとら……伊達に千年以上は鬼神をやってませんよ?」

 

 鬼灯が鬼として誕生したのは——神代。人類の歴史でいうところの、縄文から弥生時代の辺りにまで遡る。

 さすがに誕生してすぐに鬼神となったわけではないがこの男——千年どころか、紀元前以上昔から鬼をやっているのだ。

 そんな彼からすれば石動は勿論。石動の宿した鬼神の腕や、伊吹丸ですら若造に過ぎない。

 妖怪は年月を経れば必ずしも強いというわけではないが、少なくとも鬼灯はその年月に見合った強さをその身に秘めている。

 

「ふっ!」

 

 鬼灯は続けざまに金棒を無造作にぶん回してくる。それは技術もクソもない、単純な力任せな攻撃でしかない。

 

「なっ!? ぐぅっ! くそったれ……!!」

 

 だがそれだけでも十分だとばかりに、石動の体力と精神力をごっそりと疲弊させていく。

 そうして、力量の差を見せつけるように暴れるだけ暴れ——不意に、鬼灯は攻撃の手を緩めて石動に提案する。

 

「さて、大人しく伊吹丸さんの魂を引き渡せば……これ以上、貴方に危害を加えるつもりはありませんが?」

 

 地獄の住人として鬼灯がこれ以上、生者である石動を傷つけるのは『地獄法』に引っかかってしまう。

 あくまで鬼灯は交渉や譲渡によって、伊吹丸の魂を回収しようと石動へ迫る。

 

『零、我は別に構わんぞ……』

 

 鬼灯との力の差を前に、伊吹丸はその提案を承知するように石動に助言する。

 口惜しい思いはあるかもしれないが、彼は自身が罪人であることを自覚している。牢に戻されようと、それはそれで仕方ないとある程度割り切った考え方ができていた。

 

「はぁはぁ……生憎と、俺は地獄の連中をそこまで信用しちゃいねぇよ!」

 

 だが石動は伊吹丸の助言を拒否する。息を切らせながらも、力強い視線で鬼灯を睨み付ける。

 

「てめぇらのせいで……サヤが……皆が……!!」

 

 地獄の怠慢によって犠牲になったものたちがいる。そのことを石動は未だに根に持ち、彼に反発心を抱かせていた。その反発心から、彼は鬼灯の要求には応えられないと拒否感を示していく。

 

「それを言われると、私としては返す言葉もありませんが……それそれ、これはこれです」

 

 鬼灯も自分たちの悪いところはきちんと認めていた。

 しかし認めた上で、彼は容赦なく伊吹丸の魂を回収しようと試みる。

 

「仕方ありません、ではもう少しだけ……」

 

 金棒を構え、さらなる追撃で石動を心身共に弱らせようと襲い掛かろうとした。

 

 

 

 

 だが——そのときだ。

 

 

 

 

「……ん?」

「なんだっ!?」

 

 二人が戦っている森の中——そこへ、何者かが乱入してくる。

 ガチャガチャと甲冑音を響かせながら、その集団は石動と鬼灯を瞬く間に囲い込んでいく。

 

「…………」

「…………」

 

 殺気だった鎧の集団。そいつらには全員——首がなかった。

 

「首無しの……騎士だと!?」

 

 纏っている鎧も日本の鎧武者が着込むような甲冑ではない。大陸の、西洋の者が装備するプレートアーマー。そんな集団が突如として押し寄せ、石動を困惑させる。

 

「どうやら、西洋の方々のようですが……お友達ですか?」

 

 鬼灯は冷静に彼らの素性を推察し、石動に知り合いかどうか尋ねる。少し前まで海外で働いていた鬼灯だったが、少なくとも彼自身はこのような輩にまったく心当たりがないようだ。

 

「知るかよ! 俺だって……いや、待てよ?」

 

 石動の方も、心当たりがないと言い返そうとしたのだが。

 

 ——西洋妖怪だと……まさか?

 

 出掛かった否定の言葉を石動は吞み込んだ。

 ひとつだけ——彼にはひとつだけ、西洋妖怪に狙われる心当たりがあったからだ。

 

 

「くっくっ……ようやく見つけたぞ——石動零!!」

 

 

 案の定、首無しの騎士たちの集団に混じり——どこか見覚えのある大男が姿を現した。

 その男は人間でありながらも鎧たちより大きな巨体を持ち、憎しみの籠った目で石動零を見据える。

 

 

 その形相は——かつて復讐に燃えていた石動自身を想起させるものであった。

 

 

「お前は……」

 

 過去の自分のように憎しみに滾るその大男。石動にとっても見覚えのある顔だった。

 

 しかし名前が出てこない。

 思い出せないのではなく、そもそも名乗り合いすらしていなかった。

 

「石動ぃいい……貴様を倒すため、こうして手勢まで連れてきたのだ!」

 

 だが大男は石動の名を、怨敵の名をその心にしかと刻みつけていた。

 自らの目的を成就するための戦力を引っ下げ——彼は『復讐者』として宣戦布告する。

 

「——貴様が殺した俺の主人、吸血鬼ラ・セーヌ様の魂……返してもらう」

 

 

 

「——このマンモスが……貴様の命ごと貰い受けてやるぞ!!」

 

 

 

×

 

 

 

 ラ・セーヌ——今から数ヶ月ほど前、日本へと訪れていた西洋妖怪である。

 

 人間の貴族のような装いの美少年だが、その正体は吸血鬼。彼はバックベアード復活のため、人間の生き血を集めるために世界中で暗躍していた。世界中で大勢の人間を殺害し、その矛先をとうとう日本へと向けたのだ。

 来日早々、彼は七人もの日本人女性を犠牲者とした。さらにもののついでとばかりに鬼太郎へと戦いを挑み、彼を存分に苦しめた。

 

 しかし、最後は鬼太郎に形勢を逆転され——その魂を、突如として乱入したきた石動零によって刈り取られたのだ。

 地獄の四将とはまったく関係のない妖怪だったが、罪のない女性たちを何人も殺してきたラ・セーヌを石動零が見逃す筈もなかった。

 

 そして、マンモスは——そんなラ・セーヌに仕えていた人間である。

 

 彼は代々ラ・セーヌに仕える人間の一族出身であり、彼の身の回りの世話をしたり、その人間離れした怪力と身軽さで戦闘をサポートしていたりした。

 主の命令にも忠実で召使いとしてかなり有能な男だったが——彼は主人を守ることができず、石動によって無様に生かされてしまった。

 

『——これからお前は、主人を見殺しにした苦しみの中でのたうち、一生を過ごすがいい』

 

 ラ・セーヌを討伐した直後に石動が言い放った台詞である。その言葉どおり、石動はマンモスには手を下さなかった。

 彼の方針として人間は殺さない。たとえ妖怪に加担したとしても、石動は人間であれば誰であろうと生かすのである。

 

 だが、見逃されたマンモスは——石動零に復讐する機会をずっと待っていた。

 力を蓄え、手勢を集め。再び日本へと訪れて石動の前に姿を現した。

 

 全ては主であるラ・セーヌの魂を取り戻すため。マンモスは石動零へと戦いを挑むのである。

 

 

 

 

「いけぇええ! 首無しの騎士たちよ!!」

 

 マンモスはバックベアード軍団の兵士・首無し騎士たちを石動へとけしかけた。

 彼らはマンモスがラ・セーヌの魂奪還のため、西洋妖怪の幹部たちから特別に借り受けた一般兵である。本来であれば、人間の召使いでしかないマンモスの指示など受ける立場ではないが、彼らも上からの命令で此度の戦いに参戦している。

 

「うぉおおおおおお!」

「串刺しにしてくれる!!」

 

 そのため、マンモスの掛け声を合図に血気盛んに石動と——とばっちりにも鬼灯へと剣を突き刺していく。

 

「ちぃっ……!」

 

 石動はそれらの剣戟を躱しつつ、鬼神の腕で反撃する。かなりの数だが所詮は雑兵と、首無し騎士たちを一体一体殴り倒していく。

 

「……やれやれ」

 

 鬼灯も、降りかかる火の粉を払うべく金棒を無造作に振り回した。

 鬼灯の凄まじい膂力によって金棒から衝撃波が繰り出され、容赦なく兵士たちをまとめて吹き飛ばす。

 

「……っ!」

 

 その一撃を前に首無し騎士たちがピタリと進軍を止めた。彼らは石動以上に鬼灯の存在を脅威と判断、直感で彼への攻撃を躊躇ってしまっていた。

 

 

「——ご心配なく。あなた方の争いに首を突っ込むつもりはありませんので……よっと!」

 

 

 しかし、鬼灯は何事もなかったように言い放ち、周囲の木々の上へと飛び上がる。

 そのままその現場から背を向け、戦線を離脱しようとしていたのだ。

 

「お、おい、待てよ!」

 

 これに声を荒げたのが石動だった。

 

「こいつら、西洋妖怪だぞ! お前、仮にも日本妖怪だろ!? 放っておいていいのかよ!?」

 

 西洋妖怪が日本を侵略しようとし、幾度となく戦争を仕掛けてきたことは石動も知っている。日本の妖怪である鬼灯にとっても、彼ら西洋のものは敵の筈だ。

 彼らを一人で相手にするのは分が悪いと感じた石動が、そう叫んで鬼灯もこの戦いに巻き込もうとした。

 

「ああ、すいません。私地獄の妖怪なんで、現世に干渉するのは原則禁止されてるんですよ」

 

 ところが、鬼灯は特に動じた様子もなく平然と自らの意思を告げた。

 地獄の妖怪である彼にとって、現世の争いに介入すること自体がタブーなのだ。西洋だとか、日本だとかは関係ない。彼が現世で力を行使できるとすれば、それはあくまで『罪人の魂を回収する』などの地獄絡みの案件での場合のみだ。

 それ以外の目的で、いたずらにその力を振るうことは許されていない。

 

「ご心配なく。終わる頃になったらまた戻ってきますので。飯でも腹に入れてきますかね……」

 

 鬼灯は彼らの争いに心底興味がなさそうだった。

 とりあえず「何か食べてくるか……」と、あっという間にその場から立ち去っていく。

 

 

 

 

「あ、あの野郎……マジで逃げやがった!」

 

 本当に、躊躇なくその場から離脱していく鬼灯に石動が唖然となる。

 

『零、今は眼前の敵に集中せよ」

「! わ、わかってる!?」

 

 しかし、伊吹丸の叱責が飛んだことで、慌てて西洋妖怪たちへと向き直る。

 次から次へと、怒涛の勢いで襲い掛かってくる兵士たちを相手に——石動零は一人で奮闘していくこととなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「——おのれぇえ……やはり、こいつらだけでは分が悪いか……」

 

 石動と首無し騎士たちの戦闘を、マンモスは一人離れたところから注意深く観戦していた。

 本当であればマンモスも真っ先に石動零に飛び掛かりたいところだったが、それをグッと堪えて彼は戦況の把握に努める。

 

 戦況は——西洋妖怪たちがやや押され気味だった。

 

 数が多いとはいえ、一体一体の力は決して大きくない首無し騎士。彼らだけで石動零の相手をするには、少々力不足だったようだ。

 かなりの総数だった手勢が、徐々にだが確実に減らされていく。

 

「くそぉ、あの鬼のせいで……計算が狂ってしまった!」

 

 それは石動の実力が予想以上だったこともあるが、原因の一旦にはあの鬼——鬼灯の存在があった。

 最初の第一陣、鬼灯が金棒の衝撃波で返り討ちにした騎士たちだが——何とあれで兵力のおよそ三割が削られてしまったのだ。

 干渉する気はないと吐き捨てて立ち去っていったが、鬼灯の何気ない反撃が西洋妖怪側に結構な痛手を与えていた。

 

「…………やむを得ん……『これ』を使うしかないのか……」

 

 マンモスが悩んでいる間にも兵士たちの数は確実に減っていく。

 このままではそう時間が掛からないうちに、首無し騎士たちは全滅だ。

 

 そうなる前に何とかしなければと、マンモスはとある決断を迫られていた。

 

「出陣前に渡されたこれを……」

 

 自身の右手に握られている、いかにも怪しい装置を見つめながら彼は呟く。

 

 

「ヴィクター・フランケンシュタイン博士に渡されたこれを、使うしかないのか……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——ヒッヒッヒッ!! そうだぁ~、使ぇええ~!! 躊躇っている場合じゃないだろう~!?」

 

 同時刻。日本から遠く離れたバックベアード城。

 城内部に設けられている研究施設にて。軍団一のマッドサイエンティストであるヴィクター・フランケンシュタイン博士が監視映像越しのマンモスに向かって叫ぶ。

 白衣を纏ったヴィクターはメガネをクイっと押し上げ、ツギハギだらけの顔を狂気的に歪めている。彼は大泣きすると『怪物』としてのフランケンシュタインの本性を露わにする妖怪だが、今現在は『科学者』としての側面が強く出ている。

 映像に映し出されているマンモスの手によって、己の授けてやった『研究成果』が使用される瞬間を今か今かと待ちかねていた。

 

「……おい、ヴィクター。そろそろ種明かししたらどうなんだ?」

 

 愉快そうな笑顔を浮かべるヴィクターの後ろに、つまらなそうな顔をした狼男のヴォルフガングが立っている。

 彼は同僚のヴィクターが何をしようとしているのか何もわかっていない。そもそも、彼はあのマンモスとかいう人間に兵を貸し与えてやることさえ反対していた立場だった。

 

 

 数日ほど前のことだ。あのマンモスという男、バックベアード城へ訪れるや「兵を貸してほしい」と土下座して頼み込んできたのだ。

 本来、人間如きはバックベアード城へ足を踏み入れることすら許されない。幹部であったラ・セーヌの召使いだからと特別に話だけでも聞いてやったヴォルフガングたちだったが、人間なんぞに兵を貸し与えるなどとんでもない提案だ。

 たとえその目的がラ・セーヌの魂を奪還するためだろうともだ。そもそもな話、鬼太郎ならまだしも石動とかいう、どこの馬の骨とも分からぬ輩にやられた時点で彼らの中でのラ・セーヌの評価は最悪だった。

 所詮はその程度だったと、とっくに見切りをつけていた筈だったのだ。

 

 ところが——

 

『いいよ~、兵を貸してあげようじゃないか~!」

 

 ヴォルフガングとカミーラが反対する中、ヴィクターだけがその提案に賛同してしまったのだ。

 彼は幹部の権限でマンモスに幾ばくかの兵と——彼自身の研究成果を貸し与えてしまった。

 

 そして、窮地に陥った際はその『研究成果』を使うよう、マンモスに強く勧めていたのである。

 

 

 

 

「——あれは心臓だよ~、ヴォルフガング!」

「……心臓?」

 

 ヴォルフガングの質問に、ヴィクターは嬉々として語る。

 心臓——確かに映像の中でマンモスは人口臓器のようなものを手にしていた。ドクンドクンと脈打つ様はまさに心臓のようである。

 

『……くっ! このぉっ!!』

 

 映像の中で、覚悟を決めたらしいマンモスがその心臓を胸に押し当てた。

 するとどうだろう。心臓は——瞬く間にマンモスの体内へと吸い込まれていき、彼の肉体の一部と化した。

 

 

 次の瞬間——映像の中のマンモスがもがき苦しみ、その肉体に変調をもたらす。

 

 

『ぐぐぐぐぐ……ぐがああああああああああ!?』

 

 その肌が青白く染まっていく。

 大きな肉体が収縮と膨張を交互に繰り返していく。

 目からは血涙が流れ、体中からは——眩いばかりの稲妻が迸っていた。 

 

「ああ!! 始まる……ついに始まるぞぉおおおお!!」

「……いったい、何が起きるんだ?」

 

 マンモスの変化にテンションマックスに叫ぶヴィクター。一方でヴォルフガングの方はまったくついていけていない。

 彼はあの人間の身に何が起きているのか、再度ヴィクターに問い掛ける。

 

「あの心臓を核とすることで人間の肉体は全く別のものへと生まれ変わる!! 再構築された肉体と筋肉は収縮と膨張を繰り返す!! 周囲から微弱な妖気を取り込み、血液の流れに乗せて全身へと運び続ける!! さらに心臓自体が発電することで内部の体内温度はっ——!!」

「ええい、講釈はいい!! 結論を言え、結論を!!」

 

 しかし、興奮するヴィクターが話を専門的な分野へ広げようとしたところでそれを押しとどめる。

 学のないヴォルフガングは手っ取り早く、結論を述べるように求めた。

 

「……やれやれ、これだから下等モンスターは……」

 

 途端に醒めた目で同僚を見下すヴィクターだったが、彼も自分が興奮していたことに気付いたのか。一旦正気を取り戻し、改めて映像越しのマンモスへと目を向けていく。

 

「あれはボクが開発した半永久機関さ。あれを取り付けた人間は妖怪に……いや……」

 

 ヴィクターは語る。

 あれこそが——あの心臓こそが彼の悲願。

 自身の目的を達成させるための試作品、その実験作第一号であると。

 

 あの心臓を取り付けたことで変貌を遂げる怪物こそ、自分と同じ。

 自分と同じ、『造られた人間』となることだと。ヴィクターは狂気の笑みを浮かべて叫んだ。

 

 

 

「第二のフランケンシュタインの創造……あの心臓こそ、いずれボクの願いを叶える礎となるものさ!!」

 

 

 

 その欲望の実験のため、彼はマンモスという人間を使い捨てるのである。

 

 

 

 




人物紹介

 伊吹丸
  地獄の四将。酒呑童子の息子。
  おそらくモデルとなった妖怪は『鬼童丸』かと思われます。
  大逆の四将編以降は石動の師匠的ポジションに収まってます。
  声が『アムロ』もしく『安室』か。どっちを思い浮かべるかで世代が分かる。

 猪笹王
  熊笹を背中に生やした巨大な猪。
  伝承では一本だたらと同一視されることもある山の神。
  こいつとの戦いや後処理の仕方で石動くんの成長ぶりを表現したかった。
  ちなみに、猪笹王の戦闘描写は『朧村正』の一本だたら戦を意識してます。
  
 マンモス
  吸血鬼ラ・セーヌに仕える人間の一族出身。
  本名はザ・マンモスだと思いますが、とりあえずマンモスで統一。象じゃないよ。
  石動零に討ち取られた主人の復讐のため、魂奪還のため参戦。
  本編で描かれなかった彼の結末にも……ご注目を。

 首無しの騎士
  バックベアード軍団のモブ兵士。
  結局、本編では一度も戦う描写がなかったのでこの機会に参戦。

 ヴィクター・フランケンシュタイン
  六期のフランケンシュタイン枠。博士と怪物が融合した設定が面白い。
  原典ではヴィクター・フランケンシュタイン博士は人間。博士が作った怪物に名前はない。
  彼が怪物なら彼の悲願は『自身の伴侶を得ること』。今回の話はそのための実験。
  人間をフランケンシュタインに変えてしまう研究成果のアイディアはFGOにおけるフランちゃんの宝具を参考にしてみました。


 次話で『鬼灯の冷徹』は完結です。
 最後はキッチリ、鬼灯様で〆ますのでよろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

鬼灯の冷徹 其の③

鬼灯の冷徹、これにて完結。
最後が少し駆け足気味でしたが、とりあえずまとまったかと。

昨日はほぼ一日中『サガフロ』のリマスターをやってました。
本当に何度やっても色褪せない名作に貴重な睡眠時間まで削られていく……。
とりあえず、ブルー編をクリア。次はエミリア編……その次はT260G編を進めていこうかと。

暫くは更新が滞るかもしれませんが、次回の内容は決めています。
いつもどおり、次回予告は後書きの方で。

では鬼灯の冷徹とのクロス。最後までお楽しみください。



 かつて怪物が産まれた。

 

 ヴィクター・フランケンシュタインという『人間の科学者』が産み出してしまった名無しの怪物。それは屍体を継ぎ接ぎし、落雷の電力をきっかけに稼働した人工の生命体。

 それは極めて高度な知性と、手に負えない凶暴性。そして——どこまでも醜悪で悍ましい怪物だった。

 

 ヴィクター博士が本当は何を作りたかったのか、今となっては誰にも分からない。しかし博士はその怪物が失敗作であることを悟り、全てを投げ捨てて逃げ出した。

 

 名もなき怪物は逃げた博士を追う。そして彼に自分の仲間、同じ怪物を創造するように要求したのだ。

 それは自己の存在に悩む怪物が、自らの孤独を埋めるために仲間を——『伴侶』を欲していたからだ。自分と同じ怪物が隣にいれば寂しくないと。それ自体は純粋で細やかな望みであっただろう。

 

 だが——ヴィクター博士はその願いを拒んだ。

 これ以上、怪物が増えることを彼は恐れたのだ。

 

 博士が自分の願いを叶えてくれないと理解した怪物は逆上の末、彼を殺害した。

 そして、博士に成り代わり——自らの手で第二のフランケンシュタインを創り出すことにしたのである。

 

 その際、怪物は自らの名を『ヴィクター・フランケンシュタイン』と新しく定める。

 殺した博士の名を奪い、そのまま彼の研究を引き継ぐようになったのである。

 

 

 そうして——その誕生から数百年後の現在。

 

 

「——ヒィッヒッヒッヒ! これはいいデータが取れそうだぞぉ~!!」

 

 怪物はバックベアード軍団・最高幹部の地位を手に入れ、日々マッドな研究に明け暮れていた。

 主君であるバックベアードや、軍団のために様々な研究を並行して行うかたわら——彼は自らの悲願に関しても研究を続けていた。

 

「さあ!! 見せてくれぇ~、マンモス!! 怪物として生まれ変わった……君の力をぉお!!」

『ぐ、グゥぉおおおおおおおお!!』

 

 監視映像の向こう側、その研究成果の一部である『心臓』を取り付け、怪物と化していくマンモスにヴィクターは興奮した叫び声を上げる。

 勿論、ヴィクターはマンモスを伴侶とするために彼を怪物としたわけではない。これはあくまでも実験である。

 真のフランケンシュタイン。自分と同じ怪物を産み出す試行錯誤の過程。

 

「ふふふっ、いずれはあの心臓で……あの子を……ハッハッハッハ!!」

 

 完成品が出来たあかつきには自分好みのあの少女——犬山まなにでもあの装置を取り付けようと。

 

 愛しい花嫁との暮らしを妄想しながら、彼はさっそく科学者としてデータ観測を始めていく。

 

 

 

×

 

 

 

「な、なんだこいつはっ!?」

「——っ!?」

 

 怪物と化していくマンモスに石動零が驚愕する。首無し騎士と戦っている最中だが彼も、そして騎士たちも度肝を抜かれていた。

 マンモスは人間だ。人間離れした図体や身体能力を持ってはいたが、生物学上は確かに彼は人間だった筈だ。

 

 しかし、今の彼はもはや人間とは呼べない。

 一回り大きくなった図体。屍体のように青白く変色する皮膚。体中からは電気が漏れ、白目を剥いた目からは血の涙を流している。

 

 何より、決定的だったのは妖気の有無だ。マンモスの体からは黒く澱んだ、膨大で禍々しい妖気が大量に溢れ出している。

 

 そう、彼はこの瞬間から、人間を辞めたのだ。

 主の復讐のため、彼は妖怪に——フランケンシュタインの怪物と化したのである。

 

「ラ、ラ・セーヌ様のタマシイヲ、タマシイヲ……カエセィェエエエエエエエエエ!!」

 

 もはや正気すらも定かではないが、唯一残ったラ・セーヌへの忠誠心が彼を突き動かす。

 主の魂を奪還せんと、石動零へと襲い掛かる。

 

『!! 奴から離れよ、零!』

 

 迫るマンモスに伊吹丸が珍しく声を張り上げる。

 先ほどまで戦っていた鬼灯とは違い、今度の敵は明確な殺意を向けてくる。少しでも気を緩めばそれが命取りになりかねないと、十分な距離を取って戦うように指示を出していく。

 

「ちぃっ!!」

 

 石動もこの指示には素直に従う。

 幸い敵は丸腰、攻撃の届かない範囲まで後退し、そこから戦術を組み立てても問題ないと——そう思案する。

 

『ウゥゥゥ……ウォオオオオオオオオ!!」

 

 しかし甘かった。

 距離を取った石動に対し、マンモスはすぐ近くの味方である筈の首無し騎士たちへと手を伸ばす。

 

「なっ!? き、貴様、な、なにをす——!」

 

 困惑する騎士にも構わず無造作に彼らを掴むや——そのまま躊躇なくぶん投げる。

 フルプレートの甲冑騎士を、飛び道具として投擲してきたのだ。

 

「なんだと! がはっ!?」

 

 予想だにしなかった攻撃を前に咄嗟に防御行動を取る石動。だが鬼神の腕でガードしても完全にダメージを軽減することはできず、体が地面へと倒れてしまった。

 

「グガァアアアアアアアア!!」

 

 マンモスの猛攻は続く。

 体勢を崩した石動へ、さらに残っている騎士たちをぶん投げる。それでどれだけ味方が減ろうとお構いなしだ。もはや彼の目には憎い仇の姿しか見えていない。

 

「や、やめっ!!」

「ヒィッ、ヒィギャアアアアアアアアア!?」

 

 騎士たちは荒れ狂うマンモスを前に恐怖に怯え惑う。どっちが化け物か分からなくなる光景だ。

 そうやって、怪物は味方であった騎士たちを残らず武器として使い潰していく。

 

「ヴォォオオオオオオ!!」

「こ、このやろう!!」

 

 手頃な武器が無くなったところで再び接近戦を仕掛けるマンモス。石動はダメージを引きずりながらも、何とか鬼神の腕で相手の拳を受け止める。

 互いに互いの拳を掴み合う状態。力は——ほぼ拮抗していた。

 

「ぐぐぐ……熱っ!?」

 

 だがマンモスは体中から尋常ならざる『高熱』を発していた。そのあまりの熱さに石動は思わず相手の手を離す。

 

「グゥウウ……グォオオオオオオオオオオ!!」

 

 石動が怯んだ隙を見逃さず、マンモスは渾身の一撃を振りかぶらんとする。

 その際にマンモスの体内温度はさらに上昇、溢れ出す電力までもが放出され、彼の拳は凄まじい高温と雷撃を纏って石動零へと叩き込まる。

 

 その一撃に、石動の体が宙に浮き——その身が後方へと軽々吹っ飛ばされていく。

 

「——っ!!」

 

 激痛に声にならない悲鳴を上げ、石動の体は森の木々を薙ぎ倒しながら転がっていく。

 

「ぐっ……がはっ!」

 

 内臓にまでダメージが入ったのか、石動は血を吐いた。衝撃で呪装術までもが強制的に解けてしまい、彼の無防備な姿が晒される。

 

『——零!!』

 

 その状態に咄嗟に伊吹丸が叫ぶも遅かった。

 石動がハッと顔を上げたとき——すぐ目前にマンモスの巨体が立ち塞がっていた。

 

「カ、カエセェェエ……ラ・セーヌサマノタマシイ、カ、カエセェェエエエエエエエエエ!!」

 

 マンモスは主の魂を求めながら、相手の首を締め上げる。

 彼の剛力がついに——石動零という人間の命を握りしめたのだ。

 

「がっ! は、はなしやがれ……この、デクの棒が……!!」

 

 首を掴まれながらも、石動は何とか抜け出そうと必死に抵抗する。しかし、苦し紛れの蹴りを叩き込もうともマンモスはビクともしない。

 抵抗は虚しく、石動の首がギリギリと締められていく。

 

 ——こ、呼吸が……でき……。

 

 胸が圧迫されるような苦しみに息が出来ない。石動の意識が徐々に遠ざかっていく。

 

 ——こ、殺され……!

 

 ついに脳裏に『死』という文字まで浮かび上がり、彼は己の命が絶たれるその瞬間を覚悟する他なかった——。

 

 

 

 まさに、今際の際だった。

 

 

 

「……グゥ、グゴォ? ガ、ガガガガガガ? ガァアアアアアアアア!?」

 

 マンモスが本懐を遂げようとした、まさにその瞬間。

 窒息どころかその首をへし折らんとあと一息、腕に力を込めようとした刹那だ。

 

 

 突然の異変がマンモスの体を襲い、彼自身が苦しみ出した。

 

 

「グゥウウ、ガガガ、ガアアアアアアア……!!」

「はぁはぁ……な、なんだ?」

 

 苦しみに自身の胸を押さえ始めるマンモス。せっかくの好機を取り逃し、石動零からも手を離してしまう。

 石動は急いで酸素を肺に取り込みながら、変調をきたし始めたマンモスへと目を向ける。

 

 マンモスは、既に屍体のような顔色をますます悪化させていた。漏電する電力が壊れた家電のように全身から迸っており、さらに肉体からは——赤い煙まで出し始めていた。

 

「なっ……なんだ、何が起こってやがる?」

『分からぬが、何やら尋常ならざる様子だ……』

 

 石動も伊吹丸も、今のマンモスの状態がどのようなものか詳しい理屈までは分からない。だが『ヤバい』ということだけは理解できた。

 これ以上こいつの側にいるのも不味いと、素早く身を翻してマンモスから離れていく。

 そして、石動がマンモスから距離を置いた、次の瞬間——。

 

 ついに限界を迎えたマンモスの体が——突如、燃え上がった。

 

 

「——ギャアアアアアアアアアアアアア!!」

 

 

 聞くのも悍ましい悲鳴を上げながらマンモスはのたうち回る。何とか火をもみ消そうと地面を転がり回るが、火はさらに勢いを増して燃え盛っていき——その炎は周囲の木々にまで燃え広がっていく。

 

「!? も、森が……ヤベェぞ、こりゃ!!」

 

 炎の勢いは凄まじく、石動が何かする間もなく瞬く間に木々という木々、森という森を焼き尽くしていく。

 これはもう、マンモスどころの話ではない。

 

「麓には村が——!?」

 

 このまま際限なく燃え広がれば、さらに火は森だけには留まらず近隣の村にまで広がるだろう。

 石動はこれ以上の損害を、人的被害を出さないためにも早急に——山火事へ発達していくこの『大火災』に対処しなければならなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 一方で。

 

「——あ~あ、残念だけど……今回はここまでかぁ~……」

 

 モニター越しにそれらの映像を観察していたヴィクター・フランケンシュタイン。

 彼は炎が広がっていく光景にも、火元であるマンモスが火だるまになっていく姿にも。特に関心を持たず、ただただ実験が失敗したという結果に落胆のため息を吐いていた。

 火元のないところでマンモスが燃えた『人体自然発火現象』と思しき事象。主な事例として挙げられる過去の事象には、人体が燃え上がる原因に様々な考察がなされていたが——今回に限って言えば、原因など明白である。

 

 火元は間違いなくマンモスの心臓。ヴィクターが彼に与えたあの装置の暴走だ。

 

 人間をフランケンシュタインにする心臓。あれには運動能力を向上させるため、体内の温度を著しく上昇させる効果があった。今回はその体温調節が上手くいかなかったのだろう。

 火柱が上がる直前。マンモスの体からは赤い煙が立っていたが、あれは血液が沸騰したために起きた現象だ。ああなる前段階で何とかして体内の温度を下げてやらなければ、また同じ失敗を繰り返すことになる。

 

「ん~……やっぱり冷却装置を取り付けてなかったからなぁ~。出力の方も安定してなかったみたいだし……次からは起動に必要な電力も——」

 

 ヴィクターは今回の実験失敗に関し、何やらブツブツと呟きながら手元のメモ用紙に走り書きしていく。反省点などをまとめ、次の実験の参考データにしようというのだ。

 こういったところはやはり根っからの科学者、たった一度の失敗程度で彼は諦めはしない。

 いずれは完璧な心臓を造り出し、それを使って最高の『花嫁』を産み出す。その悲願のため、彼は今後も研究を続けていくだろう。

 

「おいヴィクター。貴様のくだらん実験がどうなろうと知ったことではないが……」

 

 だが自身の研究に夢中になるヴィクターへ、狼男のヴォルフガングが釘を刺す。

 

「バックベアード様の復活が先だろう、そっちの方の研究は進んでいるんだろうな?」

 

 自分たちには己の欲望よりも優先することがあるだろうと。彼が最優先すべき研究——バックベアードの復活を急がせる。

 

「ふん……勿論さぁ~。寧ろ、今回の研究データはバックベアード様の復活にも応用できることだよ!」

 

 ヴィクターは自分の悲願を「くだらない」と一蹴され、不愉快そうに顔を歪める。しかし、今更自身の研究を誰かに理解してもらおうなどと思っていない。

 彼は己の研究の崇高さを理解できない同僚を内心で見下しながら、バックベアードの復活が時間の問題であることを告げる。

 

「バックベアード様の命のスイッチを入れる準備は整ってる。あとはカミーラの奴が十分な血の量を確保して……問題はきっかけとなるエネルギーをどうするかだけど——」

 

 着々と、帝王の復活は秒読み段階に入っていた。

 いずれは来るであろう、そのときのため。

 

 

 西洋妖怪も——今は闇の中で息を殺し、身を潜めていく。

 

 

 

×

 

 

 

『どうするつもりだ、零』

「…………」

 

 西洋妖怪たちに『用済み』と見放されたマンモスによって巻き起こった大火災。

 発火元であるマンモスは既に火だるまとなり、今や生死がどうなどと気に掛ける余裕もない。伊吹丸も石動零も、今はただ眼前の災害をどうするべきかに意識が割かれていた。

 

『何か水や天候を操る妖怪の力を使うことはできぬか?』

 

 伊吹丸は石動にこの火災に対し、何か有効な手段がないか問いを投げ掛ける。

 

 火を打ち消すならば真っ先に思い浮かぶのが『水』だ。水を操る妖怪の魂を用いて呪装術を使えば、何かしら有効な手段が打てるのではないかと。

 天候を操り、雨雲などを呼び出せればなおさら都合がいいと石動に話を振る。しかし——

 

「水か……生憎とその手の妖怪の魂は確保してねぇな……」

 

 伊吹丸の問いに苦笑いを浮かべる石動。残念ながら、そうそう都合がよい妖怪の魂など持ち合わせていない。そうでなくとも、最近は妖怪の魂を刈り取ること自体を控えているのだ。

 現状、石動の持っている戦力では、打てる手にかなりの制限が設けられる。

 

「けどな……逆ならあるぜ!」

『逆?』

 

 ところが、水などなくとも問題はないと。疑問符を浮かべる伊吹丸に石動は強気の笑みを浮かべる。

 彼はこの状況を打破すべく——とある妖怪の魂をその身に宿していく。

 

「——化け火招来!!」

『なんだと?』

 

 石動が呼び出したその妖怪の名に、さすがの伊吹丸も眉を顰めた。

 

 

 化け火——その名前のとおり、火を操る妖怪。というよりも、火そのものの妖怪といっても過言ではない。

 

 化け火は『周遊奇談』という奇談集にもその姿が描かれている。

 彼らは四季を問わず曇りの日に現れ、小さな火元から瞬く間に巨大な大火へと成長を遂げるという。そして人型、あるいは二人の人間が相撲を取っているような姿となり、正体を明かそうと近づいたものを容赦なくぶん投げるのだ。

 基本的に近づかなければ無害な妖怪であり、これといった悪さも行わない。しかし、石動が遭遇したその個体は自ら人里へと近づき、多くの人間たちを見境なく投げるという被害を撒き散らしていた。

 そのため石動が討伐し、その魂を回収。今でもその魂は彼が管理しており、こうして呪装術でその力を引き出せるようになっていた

 

 

『零、気は確かか?』

 

 だが、その化け火の力を利用しようとする石動に伊吹丸が呆気に取られている。

 火の化身とも呼ぶべき化け火の力では、逆に炎の勢いが増すだけではないかと。伊吹丸の懸念はある意味で当然のものだっただろう。

 

「黙って見てろ……はぁああ!」

 

 しかし、石動は化け火の力を引っ込めようとはしない。彼なりに考えがあるらしく、そのまま化け火の能力を行使して周囲の炎を自分の体に纏わせていく。

 これが化け火の魂を用いた際に発現する呪装術の能力だ。化け火の力で石動は、『炎そのものを自由自在に操る』ことが出来るようになっていた。

 周囲の炎を石動が取り込んでいくことで——火種を失った辺りの火災が徐々に鎮火されていく。

 

『そうか! それがうぬの狙いか!?』

 

 これには伊吹丸も感心する。

 そう、石動の狙いは炎を全て自分の身にかき集めることで、周りの火災を鎮火することにあった。実際、石動の近くからどんどんと火は消えていき、延焼が収まっていく。

 

「ぐっ、ぐぐう……ぐ、ぐぐぐ!!」

 

 だが、如何に炎を操る化け火の力とはいえ、その身に溜め込める火力の総量にも限界がある。

 かつてない規模の火は、早くも石動のコントロールできる範囲を越え、術者である彼自身を焼き尽くしかねない勢いで燃え盛る。

 このままでは、石動自身もマンモスのように火だるまとなってしまう。

 

『零よ、空だ! 上空に向かって炎を解き放て!!』

「っ!!」

 

 そうならないようにと、伊吹丸が助言を口にする。

 彼の言葉に石動は集めた炎を手のひらに集中。そのまま真上——大空に向かって打ち出していく。

 

 勢いよく射出された炎は天高くへと舞い、そのまま上空で消えていく。空であれば火が他に燃え広がる心配もなく、空気も薄いため炎は自然と霧散していく。

 この方法であれば石動自身を燃やすことなく、この山火事を処理し切れるかもしれない。

 

 問題は——その程度で全てがかき消せるほど、火の勢いが弱いわけではないということだ。

 

「くそっ!? まだ全然残ってんじゃねぇか……!」

 

 石動が愚痴るように、彼が取り込んで消し去った火は全体のごく一部に過ぎない。まだまだ炎は燃え広がっており、延焼が収まる気配など微塵も見られない。

 先ほどの方法を繰り返していけば、いずれは完全に火事を消し去ることが出来るかもしれないが、どう考えても全ての炎を処理しきるより、火の手が回る方が圧倒的に早いのである。

 

 石動零一人では、この火災を消し去るのに手が足りていない。

 

 せめて誰か、他に『誰か』の手を借りられないかと——

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——指鉄砲!」

「っ!?」

 

 まさに、そのように考えた直後だった。

 聞き覚えのある少年の声とともに、強烈な妖気弾が火元へと撃ち込まれる。

 

 着弾した衝撃で発生した爆風が、火災の一部を見事にかき消していく。

 

 妖気弾が飛来してきた方角に石動が顔を見上げれば——そこには生意気にも頼もしい、『彼』の素知らぬ顔があった。

 

「ゲゲゲの鬼太郎!? てめぇ、なんでこんなところに!?」

 

 そこに立っていたのは紛れもなく——ゲゲゲの鬼太郎。

 石動零と何度も価値観の違いからぶつかり合った『宿敵』であり、玉藻前を倒すために力を合わせた『協力者』でもある。

 

 石動の心情的に仲間とも呼べないものの、さりとて敵とも呼べぬ妖怪の少年。

 その少年が石動の危機を前に姿を現し、そして力を貸してくれたのだ。

 

「話は後だ、石動零。まずはこの火事をっ!」

「ちぃっ! 言われなくても!!」

 

 顔を合わして早々、鬼太郎は石動に指示を出す。

 石動は鬼太郎への文句を口にしながら、彼自身も引き続き火災鎮火のために尽力していく。

 

「——霊毛ちゃんちゃんこ!!」

「——化け火招来! もっと炎をかき集めろ!!」

 

 かつては互いの主張を認められず、反目し合った間柄の二人。

 そんな二人が玉藻前の決戦のときのように、互いに背中を預け合い、同じ目的のために力を合わせていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『うむ、どうやら火は完全に消えたようだ。感謝するぞ、ゲゲゲの鬼太郎』

 

 そうして二人の尽力もあり、火は大事になる前に完全に消し止められた。伊吹丸は力を貸してくれたゲゲゲの鬼太郎への感謝を示す。

 

「鬼太郎、何故お前がこんなところに……」

 

 一方で、石動は心情的に素直に礼を言うことができなかったのか。とりあえず、どうして鬼太郎がこんなところにいるのか、その理由を尋ねる。

 石動の疑問に鬼太郎は特に隠し立てすることもなく答えていく。

 

「手紙を貰ったんだ。天を衝くような巨人が山道を通る人間を襲っているとか……」

「! 猪笹王か。お前も、奴の討伐に来たってわけか……」

 

 どうやら鬼太郎は巨人——猪笹王が暴れている話を聞きつけたらしい。

 目玉おやじが一緒ではない。どうやら、わざわざ一人でこんなところまで足を運んできたのだろう。

 

「生憎だったな。奴なら俺が先に倒しておいた。再封印を施したからな……塚が壊れない限り、もう悪さもしないだろうぜ」

「…………そうか……」

 

 石動の「妖怪は倒した」という言葉に一瞬、複雑そうな表情になる鬼太郎。だが今の石動であれば必要以上に妖怪を痛めつけたりすることはないだろうと。

 鬼太郎なりにその討伐が必要な行為であったと察し、それ以上の追求はしなかった。

 

「…………」

「…………」

 

 騒動がひと段落したということもあり、二人は一息入れる。

 だが改まって何を話していいのか分からず、両者共に沈黙を保っていた。以前までの彼らならばここで睨み合い、互いに相手の気に入らないところなどを罵り合っていたかもしれない。

 

 しかし今は違う。

 互いに異なる部分があるのだと理解し、それを尊重できるようになっている。

 いつまでも、歪み合うだけの子供などではなくなっていたのだから。

 

「……一応、礼は言っておく……この借りはいつか返——」

 

 そういった心情の変化もあり、石動はややぎこちないながらも鬼太郎へ礼を述べようとしていた——

 

 

 

「——ぐぁああああああああああ!! いするぎぃいい……いするぎ、れいぃいいいいい!!」

 

 

 

 刹那、焼け跡から黒焦げの大男がいきなり飛び出して来た。

 男は一直線に石動へと飛びかかり、彼の首筋へと掴みかかる。

 

「なっ、だ、誰だ!?」

「てめぇ! マンモス!! 生きてやがったのか!?」

 

 鬼太郎は咄嗟に気づけなかったが、その大男の正体はマンモスだ。

 先ほどまで石動と戦い、この大火事を引き起こした張本人。黒焦げの変わり果てた姿になっていながらも、まだ生きていたのかと石動は驚愕する。

 

『……いや! よく見よ!』

 

 しかしそうではないと、伊吹丸は察して叫んだ。

 

 

『こやつ……もう死んでおるぞ!』

「——っ!?」

 

 

 伊吹丸の言う通り、マンモスからは生者の気配が一切なかった。

 彼は既に人間ではなく、かといってフランケンシュタインの怪物でもない。

 

「ラ・セーヌ様のタマシイイぃい、たましぃいいをか、かえせぇえええええ!!」

 

 彼は先ほどの大火で焼死し、既に死者と成り果てた。

 亡霊となり——それでも尚、主君であるラ・セーヌの魂を求める幽鬼と化したのだ。

 

『死して尚、主の魂を求めるか……見上げた忠誠心よ』

「感心してる場合か!! くそっ、こいつ!!」

 

 伊吹丸はその忠義に感心しているが、それどころではないと石動はマンモスを引き剥がそうとする。だが、力こそフランケンシュタインのときほどではなかったが、一向に剥がれる気配がない。

 これが死者の妄執の底力かと、石動の背筋にゾクリと冷たいものが走る。

 

「っ! い、石動!」

 

 鬼太郎ですらも、亡者が抱く執念に圧倒されていた。しかし彼は何とか石動を救おうと、慌ててマンモスを彼から離れさせようと試みる。

 

 

 だが、鬼太郎や石動が何かしらの行動を起こす前に——そこへ『鬼』が戻ってきた。

 

 

「——ふっ!!」

 

 

 その鬼は一才の問答を抜きにし、手にした金棒をバッターのようにフルスイング、容赦なくマンモスをぶん殴る。

 

「ぐっ、ぐああああああ!!」

 

 痛烈な一撃でかっ飛ばされ、さすがのマンモスも石動から手を離すしかなかった。その巨体がボーリングのようにゴロゴロと地べたを転がっていく。

 

「お前は……さっきの鬼!?」

「鬼灯さん!?」

 

 その鬼の登場に目を剥く石動と鬼太郎。

 先ほど、一時戦線を離脱した地獄の第一補佐官・鬼灯。

 

「やれやれ、これはまた……派手にやりましたね」

 

 現世の揉め事には干渉しないと立ち去っていった鬼神が、再びその場へと姿を現したのである。

 

 

 

×

 

 

 

「……ぐ、ぐぉおおおお、き、きさまぁああ……」

 

 復讐の邪魔をされたマンモスがよろめきながらも立ち上がる。

 彼は憎悪の籠った瞳を鬼灯へと向けながら吠え猛る。

 

「な、なぜ邪魔をするぅううう……きさま、さっきは我々のあらそいに…介入しないといっていたではないかぁああ!?」

 

 かろうじて残る理性から、マンモスは鬼灯の介入に異議を唱えていた。

 ついさっきまで鬼灯は「現世の揉め事には首を突っ込まない」と、その場から退散していた筈だ。なのに今になってノコノコ戻ってきて、何故自分の邪魔をするのかとマンモスは怒り狂う。

 そんなマンモスの怒りに、鬼灯はあくまで淡々と答えを返す。

 

「そうですね。確かに現世の争いに我々地獄の獄卒は介入しません。地獄の司法に関わる私たちが生者の生き死にを左右してしまうのは、後々の裁判で色々と問題になりかねませんからね」

 

 死後、容赦なく罪人たちを呵責する地獄の獄卒といえども、相手が生者である内は基本的に手を出すことができない。それはどんな悪人であれ例外はなく、閻魔大王ですらもそのルールを厳守しなければならない。

 一応、例外的に生者を裁く権限を与えられている『地獄代行業』なるものも存在しているが、それにも色々とややこしい手続きが必要になってくる。

 ましてや、生者同士の争いに介入するなどもってのほかだ。いかに鬼灯といえども、そのような暴挙は許されない。もっとも——

 

「でも貴方——死人ですよね?」

「——!!」

 

 鬼灯が冷静に指摘したように、マンモスという男は死人——もはや『亡者』と化していた。死者であればそれは鬼灯たち獄卒の領分。彼が介入するのに十分すぎる理由だ。

 

「死者のお迎えは『お迎え課』や『死神』たちの仕事ですが……今の貴方を相手に彼らでは荷が重いでしょう……」

 

 鬼灯は金棒を担ぎながら溜息を吐いた。

 また仕事が増えたことにやれやれと首を振りながらも、自らの職務を果たすため虚空へと声を張り上げる。

 

 

「さあ仕事ですよ、閻魔大王! とっとと——『門』を開きなさい!!」

 

 

 鬼灯の叫びに呼応し、一つの炎が虚空にて浮かび上がった。その炎はやがて大火となり、業火の如く燃え盛る。

 

 その炎は現世にあるものを何一つ燃やしはしない。

 それはこの世のものではない。闇の中で煌々と燃えて輝くそれは——地獄へと通じる穴。

 

 あの世へと通じる、地獄の門であった。

 

「! あれは……牛頭、馬頭!!」

 

 その門が現世に出現すると同時に閻魔庁の門番——牛頭と馬頭の二人も姿を現す。

 地獄を守護する彼らがそれぞれ地獄の門の左右へと立つ姿に、鬼太郎も緊張に身構える。

 

 すると次の瞬間、門から『鎖』が飛び出してきた。

 罪人、死者を地獄へと繋ぎとめるその鎖は——既に亡者となったマンモスを雁字搦めに縛りつけていく。

 

「や、やめっ!? はなせぇえ、はなせぇええええええ!!」

 

 地獄の鎖に繋ぎ止められたマンモスは必死に抵抗する。だが彼の怪力を持ってしても鎖はビクともしない。

 鎖はそのまま亡者となったマンモスを力づくで引きずり、地獄へと連行していく。

 

「はなせぇええ!! かえせぇええ!! ら、ラ・セーヌ様のタマシぃいいいを返せぇえええええええええ!!」

「………」

 

 マンモスはそれでも抵抗を続け、石動へと叫んでいた。ラ・セーヌを殺し、その魂を所持している彼への憎悪を叫び続けていた。

 その光景に石動は複雑な思いを抱かずにはいられない。過去に同じ思いを抱いたことのある伊吹丸もだ。

 

『零、その目にしかと焼き付けよ。あれが……復讐に囚われたものの末路だ』

「……」

 

 主人の復讐に石動を狙った男・マンモス。

 だが石動も、復讐のために玉藻前を付け狙っていた立場だ。彼自身は鬼太郎とのぶつかり合いの最中で復讐以外の道を模索することができたが、マンモスは——彼は本当に復讐しか、怒りと憎しみしか残らなかったのだろう。

 

 それは決して他人事などではない。一歩を間違えれば、石動もああなっていたかもしれないということだ。

 

「ラ・セーヌさまぁあ!! ラ・セーヌさまああぁぁぁああああああああああ!!」

「…………」

 

 最後まで、主の魂を求めるマンモスを石動は静かに見送っていく。

 抵抗は虚しく、マンモスは地獄の門を潜ってあの世へと送られた。

 

 現世から、完全にその存在を消し去っていったのである。

 

 

 

 

「さて、できれば貴方にも大人しくこの門を潜ってもらいたいところなのですが……伊吹丸さん?」

 

 マンモスを地獄へ送るという仕事を見届けた鬼灯は、伊吹丸にも地獄へと戻るよう促す。

 もっとも、素直に聞き入れられると思っていないのか。金棒を構え、腕づくでも連行していこうとする気満々であった。

 

「ちぃっ! まだ諦めてなかったのかよ!!」

「……どういうことだ、石動?」

 

 しつこく食い下がる鬼灯に改めて戦意を高揚させる石動。

 途中から来た鬼太郎は状況が呑み込めずにいたが、とりあえず石動の味方をするつもりのようだ。二人揃って鬼灯と対峙していく。

 

 異様な緊張感があたり一帯に漂う。

 地獄の門番である牛頭と馬頭ですら「ゴクリ……」とその空気に呑まれていく。

 

「では……」

 

 そんな中においても、鬼灯はいたってマイペース。

 自分の職務を忠実に果たすため、再度石動零へと襲い掛かろうとする。

 

『——待てい、鬼灯よ!』

「……むっ」

 

 だがそれを静止する声に、鬼灯もピタリと動きを止めた。

 地獄の門から聞こえてきたその声はやがて強大な立体映像となり、空中にその者の姿を大きく映し出していく。

 

 地獄の絶対的権力者——閻魔大王である。

 

「おお!!」

「閻魔大王様!!」

 

 キリッとした表情、威厳たっぷりな閻魔大王の出立ちに牛頭と馬頭の二人が揃って平伏する。しかし鬼灯は上司直々に登場に特に動揺する素振りを見せなかった。

 

「なんですか、閻魔大王。わざわざそんな厳つい顔をせずとも、仕事の方は私がきっちり片付けておきますので引っ込んでて下さい」

 

 本来は意外と緩い性格の閻魔だが、鬼太郎や石動零といった地上の者たちが見ている手前、威厳ある姿を保っている。

 もっとも、鬼灯にとってはどちらでも大差ない。彼は日頃のスタンスを保ちつつ、閻魔大王に対して「わざわざ現場に出てくるな」と苦言を呈していた。

 

『——閻魔大王』

 

 すると閻魔に対し、この件の当事者でもある伊吹丸が直接物申してきた。

 

『先ほど、うぬの部下である鬼灯から地獄へと戻るように申し付けがあった』

『なれど、我が半身が石動零と同行することはうぬも認めた筈』

『よもやよとは思うが……閻魔大王ともあろうものが、約束を反故にする訳ではあるまいな?』

 

 ここぞとばかりに、強気にも閻魔大王へと直談判する。

 伊吹丸の言い分に大王も『むむむ……』と若干顔色が悪く、気のせいか頬まで弛み始めていた。

 

『そ、そうなんだけどぉ~……ん、んん!! そ、それなんだがな!!』

 

 痛いところを突かれ、危うく素が出そうになったところを慌てて引き締め直す。閻魔大王は外面を取り繕いながら鬼灯へと声を掛けた。

 

『鬼灯よ、其の方の言い分も理解できる。だが、伊吹丸の自由はこの閻魔が直々に認めたこと……なんとか穏便にことを納めることは出来ぬであろうか?』

「…………」

 

 なんだか偉そうに指示しているようにも見えるが、内心では——

 

『——頼むよぉ~、鬼灯くん~! 一度認めた手前、わしにも面子ってもんがあるんだから~』

 

 と、拝み倒している姿が目に浮かぶようだ。

 鬼灯はそんな閻魔大王へと冷たい目を向けながらも、自身が懸念している問題——伊吹丸の半身を放置しておく上で発生しかねない不安要素を指摘する。

 

「先ほどもご本人に申し上げましたが、地獄の四将が半身とはいえその器を軽くしてしまうと、地獄を支える魂の重さに不具合が生じる可能性があります」

 

 大逆の四将は『その罪の重さで地獄の最下層を支える』という、極めて重要な役目を背負っている。今のところ問題ないという報告を受けているが、必要な重さが不足すれば当然バランスも崩れてしまう。

 

「その懸念がある以上、ここで譲ることは出来ません……代わりの重しでもあれば別ですがね」

「代わりの……」

 

 鬼灯の言葉に鬼太郎が呟く。

 彼自身も閻魔大王から『四将を捕らえられなければ、お前を代わりの重しにする』と、脅された経歴がある。地獄の獄卒にとって、そこはやはり譲渡できない最低限の境界線なのだろう。

 

「……代わりの重しがあればいいんだな?」

 

 すると今度は石動零が、鬼灯や閻魔に向かってとある提案を口にしていた。

 

「だったら、こいつの魂はどうだ?」

「これは……どなたの魂でしょうか?」

 

 呪装術を使い、石動は自身が回収していた魂の一つを鬼灯へと譲渡する。しかし外見上、それが何の妖怪の魂なのか判別はできない。鬼灯はその魂が誰のものなのか問い掛ける。

 

「そいつは西洋妖怪——吸血鬼ラ・セーヌとやらの魂だ」

 

 吸血鬼ラ・セーヌ。マンモスにあそこまで執念深くつけ狙われた原因とも言うべきも妖怪の魂だ。

 

「こいつは日本だけじゃねぇ……世界中で吸血騒動を起こして、多くの人間を殺害しやがった。罪の重さって観点なら……結構な重みがあると思うぜ?」

「それは、確かに……」

 

 石動の言い分には鬼太郎も同意するしかない。

 鬼太郎はラ・セーヌたちと戦い、彼らが戦意を収めようとしたところで一度見逃し掛けた。だが、ラ・セーヌが無辜の人々を殺害してきたという点において、彼らを擁護することは出来ない。

 石動が代わりとして差し出すラ・セーヌの魂、それが鬼灯の手に渡るところを黙って見届ける。

 

「…………いいでしょう。足りない分の重さを埋めるにはちょうどいいかもしれません」

 

 熟考の末、鬼灯は石動の提案を承諾した。一国を一夜にして滅ぼした伊吹丸に比べれば強さ、罪の重さともに些か格が落ちるものの、半身を埋める分にはこれで十分だと。

 しかし、まだ何か心配すべきことがあるのか。鬼灯は伊吹丸への質問をぶつけていた。

 

「伊吹丸さん。私との戦いのときもそうでしたが、どうして貴方は『貴方自身』の力を石動さんに纏わせないのです?」

『…………』

「貴方の力を使えば……少なくとも、もっと楽に戦えた筈でしょうに」

 

 

 

 

 伊吹丸の力。それは玉藻前との決戦の際、彼が石動零へと与えた力だ。

 その力は鬼神の腕を纏っている以上に強力。地獄からエネルギーを吸い上げ、大幅に妖力を高めた玉藻前とも互角に戦えたほど。

 鬼灯との戦いの際も、マンモスとの戦いの際も。その力を使えばあそこまで苦戦はしなかった筈。鬼灯ですらも、多少は本腰を入れて石動たちに挑まなければならなかっただろう。

 

 だが、どれだけ石動が窮地に立たされていようとも。伊吹丸はその力を安易に貸し与えるようなことはしなかった。それは何故か?

 

『我は……とうの昔に滅び、地獄へと繋がれた罪人。本来であれば……現世の事情に首を突っ込むべきではない。その辺りの都合は、うぬら獄卒たちと同じよ』

 

 それは、伊吹丸自身が己を戒めているために他ならない。

 自分は本当であればずっと地獄へと繋がれておくべき罪人、現世の揉め事に干渉すべき立場にはないと。だが——

 

『だがそれでも、我はこの者の……石動零の行く末を見届けたいと思うのだ。我と同じ思いを抱きながらも、違う道を選んで進むこの男が……果たしてどのような答えを得るのか』

「…………」

 

 伊吹丸は石動零という人間の在り方に自身を重ねていた。激情の赴くままに復讐という道へと突き進んだ、過去の己と——。

 だが石動は自分とは違い、復讐に拘らずに生きることを決意した。それはあの頃の自分には決して出来なかった決断だ。

 

 その決意の先に何があるのか? 伊吹丸はそれを見届けたかった。

 

『無論、必要最低限の干渉に留めるつもり。故に口は出すが……手は出さぬ』

 

 そういった事情もあり、伊吹丸は人生の師として石動についていく。その一方で、自身の立場を弁えているため悪戯に力を貸し与えるような真似はしない。

 それが伊吹丸なりの、現世への気遣いである。

 

『もっとも地獄がまたも乱れ、天地がひっくり返るような局面であれば……話は変わってくるがな』

 

 万が一、あの力を振るうような場面があるとすれば、それはまたも地獄が危機に陥るような非常事態だ。もしも地獄があのような無様な失態を繰り返せば、それを手助けするために力を振るうのもやぶさかではないと。

 伊吹丸は、地獄側をやや挑発するようボヤキを口にする。

 

 

「——そのようなことは二度と起こさせません。それが私たち、地獄の役人のお役目ですからね」

 

 

 それに対抗するよう、鬼灯はそれだけはないと堂々と宣言する。

 自分が睨みを効かせている限り、地獄が伊吹丸の力を頼るような事態、起こさせはしないと。

 

「いいでしょう。そこまで考えているのであれば。貴方の半身の自由……私も黙認します」

 

 ここで鬼灯がついに折れた。

 半身の穴を埋めるラ・セーヌの魂を確保し、伊吹丸の現世への配慮を考慮した上で問題ないという判断を下す。

 

「では、いずれ地獄で会いましょう……」

 

 もうこの現世で自身がすべき事はないと。

 

 

 そのまま灼熱の門を潜り——鬼灯は地獄へと帰還していくこととなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして。

 大逆の四将騒動の後始末も終え、鬼灯が帰国したことで地獄はいつも通りの日常へと戻っていく。

 

 地獄の日常——それは慌ただしくて、忙しない。

 獄卒たちにとっては当たり前のように繰り返される、平凡ながらも退屈しない日々だった。

 

 

「閻魔大王様! 黒縄地獄の被害報告書が、このままでは財政破綻しそうです——」

「大王!! 亡者の数が足りません!! 何人かあの混乱で逃げ出した可能性が——」

「閻魔大王! またまた賽の河原で子供たちが反乱を——」

「閻魔亭の丁稚たちからです! 質の悪いクレーマーがここのところ多いと——」

「地獄代行業者から罪人が数名送られてきました!! この場合は——」

「西洋地獄からクレームです!! 生者が無許可で国境を通ったとかで——」

 

 

 なんやかんやで今日も閻魔庁は大忙し。閻魔大王一人に対し、獄卒たちが問題をこれでもかと持ち込んでくる。

 

「ああ……ええっとね……それはこっちで、これはあっちだから……」

 

 そんな獄卒たちの陳情に、一応は応えようと試みる閻魔大王。 

 しかしキャパシティを完全に越えているその仕事量に、彼はすぐさま自身の右腕を呼びつける。

 

 

「鬼灯くん! 鬼灯くん、何とかしてよ!!」  

『——鬼灯様っ!!』

 

 

 情けなくも側近に——鬼灯に頼るその叫びに、他の獄卒たちも揃って彼の名を呼ぶ。

 

「…………しょうがないですね」

 

 多くのものたちから期待の視線を一身に浴び、彼は今日も冷静に職務を果たしていく。

 

 

「——さあ、今日も仕事を始めますよ」

『——はい!!』

 

 

 これぞ彼らの日常。

 今日も地獄は平常運転である。

 

 

 

 




補足説明

 牛頭、馬頭
  ご存じ地獄の門番。
  鬼太郎6期では普通に男ですが……鬼灯の冷徹では二人とも女性になってます。
  ただ、この二人に関しては鬼太郎軸の内容を採用し、普通に男として扱います。
  流石に……この二人が実は女だったと、辻褄を合わせるのは無理だと思ったので。

 ヴィクターの過去
  冒頭部分。
  ヴィクター・フランケンシュタインの過去に関しては本作のオリジナルです。
  多分こんな設定かなと、想像を膨らませて書いてみました。
  彼の最終目的は、あの装置でまなちゃんをフランちゃんにすること。
  もっとも、その野望が叶うことなく。鬼太郎の最終回で彼は——

 さりげなく復讐がテーマ
  今回の登場人物たち。ほぼ男でしたが……それぞれが『復讐者』でもありました。

  石動零——里を滅ぼされた復讐で玉藻前を追い、最後は鬼太郎と共に彼女を討つ。
  伊吹丸——怒りのまま国一つを滅ぼし、復讐の虚しさを悟る。
  マンモス——最後まで復讐に固執し、身を滅ぼした哀れの人間。

  鬼灯様——自身を生贄にした村人たちを死後に見つけ出し、数千年経った今でも現在進行形で苦しめ、尚且つそれを『罰ゲーム』と称する。

  ……あれ? おかしい。一人だけベクトル違わない?
 


次回予告

「父さん!! バックベアードの復活を前に、西洋妖怪が攻勢に出ました!!
 神話より目覚めた怪物、あんなのが上陸したら日本は……っ!
 何とかしてここで食い止め……う、うわあああああ!?

 次回——ゲゲゲの鬼太郎 『進撃! 魔獣ゴルゴーン』 見えない世界の扉が開く」

 次回も西洋妖怪が暗躍、FGOから『彼女たち』が参戦します。
 何やら次回予告で鬼太郎くんがやられていますが……まあ、いつものことです。
 
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

進撃! 魔獣ゴルゴーン 其の①

久しぶりのFGO関連クロス!
タイトルにある通り、今回はゴルゴーンが敵として立ち塞がります。

鬼太郎作品でも何度か西洋妖怪の一員として登場した『ゴルゴン』。それの6期バージョンです。キャラとしてのゴルゴーンはFGOの設定基準でお願いします。

ただ、作中や後書きにも書きますが。今回はゴルゴーンを参戦させるため、ゴルゴンの神話にいくらかの独自解釈を加えています。
自分なりに神話を噛み砕いて、Fateの設定なども応用した今作におけるゴルゴーン。
色々と解釈違いがあるかもしれませんが、そこはご了承ください。

また、かなりネタ要素も満載です。
思わず「ニヤリ」とするかもしれません、どうぞ楽しんで行ってください。

のっけから……怪獣映画だ。



『——スクランブル!! 未確認生物の領海侵入を確認、直ちに迎撃せよ!!』

 

 その日、日本国内に激震が走る。

 巨大な生物が日本の領海内に侵入し、真っ直ぐ本土へと向かっているというのだ。常に冷静さが求められるオペレーターの声が緊張でやや上擦っている。それだけ事態の深刻さが伝わってくるだろう。

 

 航空自衛隊はすぐにでもこの事態に対処するため、戦闘機を緊急発進。

 海上自衛隊も護衛艦隊を出動させ、接近する未確認物体を迎撃する体制へと移行した。

 

 未確認生物の接近。

 去年、八百八狸なるものたちが差し向けてきた『妖怪獣』という怪物を相手にした経験のある自衛隊。そのときの教訓が活かされたこともあってか出動要請は迅速に受理され、攻撃命令も即座に許可された。

 数ヶ月前もA公国が領海を侵犯したりして来たが、その時に比べれば国際問題に発展しない分、命令系統の伝達もスムーズだ。

 

 その生物が日本本土へと上陸する前に叩く。パイロットもそういった意気込みの元に戦闘機を駆っていた。

 

『なっ、何だあれは!?』

『ひ、人? いや……女……女の化け物だ!!』

 

 しかし、未確認物生物と接触を果たしたパイロットたちがその怪物を前に戦々恐々となる。

 その生物が——半端ながらも人間の、それも美しい女の顔をしていたことがパイロットたちの恐怖を増長させていく。

 

 その女は、とにかく巨大だった。

 女の本体ともいうべき人体部分はおよそ十メートルほど。だが全身が『蛇』の怪物であるそれの尾の部分を含めた場合、その体長は百メートルにまで達する。

 怪物はさらに四枚の翼を生やし、その長い髪の束、一つ一つが生きた蛇のように蠢き、威嚇するような唸り声をあげている。

 

 そんな人知を超えた怪物が、海を優雅に泳ぎ渡り——真っ直ぐ日本へと向かっているのだ。

 

『げ、迎撃する! 攻撃開始!!』

 

 暫し、その女を前に唖然となるパイロットたち。しかし即座に我に返って迎撃行動に入る。数機の戦闘機がその巨大な怪物に向かい、躊躇いつつもミサイルを発射していく。

 

 

「…………うっとしい、蠅だな」

 

 

 だが、そんな必死な抵抗を前に女は白けた表情をしていた。

 自分の周りをブンブンと飛び回る『蠅』に向かって気怠そうに口を開く。

 

 

 

「溶け落ちるがいい……鉄屑め!」

『——キィシャアアアアアアアアアアッ!!』

 

 

 

 次の瞬間——女の『蛇の髪』が一斉に開口。

 蛇はその口から、熱線のブレスをレーザーのように照射した。

 

『ば……馬鹿な!?』

 

 戦闘機の放ったミサイルは、その熱線によって全て本体に到達される前に迎撃されてしまった。さらに熱線を吐いた髪の毛は、そのまま直接に戦闘機へと襲い掛かる。

 

 不用意に近づいて来た鉄の塊に噛り付き——中のパイロットごと、戦闘機を噛み砕いて呑み込んでいく。

 

『ひぃ!? ひぎゃああああああああ!!』

『や、山本ぉおおおおおおおお!?』

 

 同僚が撃墜される光景に震え上がるパイロットたち。慌てて怪物から距離を置き、再びミサイルを撃ち込んでいく。

 

『う、撃て! 撃てぇええええ!!』

 

 さらに、怪物を取り囲む形で包囲網を形成していた護衛艦からも援護射撃が放たれる。艦隊の砲門が一斉に火を吹き、怪物へと容赦のない集中砲火を浴びせていく。

 

 

「ふん! こそばゆい……」

 

 

 だがミサイルの直撃も、艦隊の集中砲火も。

 どれだけの火力で攻撃しようとも、怪物の強靭な『鱗』が防いでしまっている。

 

 

「——消し飛べ!!」

 

 

 痒い痒いと人類の攻撃を嘲笑いながら、今度は自身の眼前に強大な熱量を、妖気を集めていく。

 収束する黒い力の塊は極太のレーザーとして放たれ、一直線に護衛艦の一隻へと降り注がれ——

 

 

 甲板に直撃した刹那——護衛艦を一発で炎上させる。

 

 

『あ、あらなみ……撃沈しました!!』

『ば、バカなぁあああああ!?』

 

 一隻何百億円もする護衛艦が、たった一撃で沈められていく光景に自衛隊があらゆる意味で戦慄する。

 既に妖怪の存在が半ば認知されつつある今の世であっても、自衛隊がここまでの被害を受けるなど他に類を見ない。

 

 それこそ、ここまでの危機は妖怪獣の時以来。

 あの女は——彼らの人智を超えたまさに文字通りの『怪物』であった。

 

 

 

 

 

「……脆い、脆いな人間共……この程度で消し飛びおって!」

 

 

 一方で、女は人類側の脆弱ぶりに呆れ返っていた。

 彼女にとってこの程度は準備運動に過ぎない。憎い人間たちを直接なぶり殺しにする前のささやかな宴。

 

 この程度でここまで慌てふためられるのは返って興醒めである。

 もっとも、だからといって女は手を抜こうとも思わない。

 

 

「もういい、消え去るがいい……虫けらめが!!」

 

 

 もはや完全に眼前の自衛艦隊や戦闘機を他愛もない『虫』と認識。再び眼前に妖力を充填、髪の毛の蛇たちも一斉に熱線を吐こうと蠢き出す。

 

『ひぃっ!? く、来るな……!!』

『ば、化け物ぉおおお!?』

 

 怪物のさらなら猛威を前に半狂乱な戦闘機のパイロットたち。なんとかして化け物の脅威を排除しようと一心不乱に残りの全火力を叩き込み。

 

 だが無駄だ。

 その程度で止められるものではない。

 

 

「——死ね」

 

 

 もはやそれ以上の言の葉は不要と、端的に自身の要求を突きつけ、怪物は人間たちの死を言い渡す。

 彼女の絶対的な力を前に、自衛隊は成す術もなく消し飛ばされていくしかない——その筈であった。

 

 

 

「——指鉄砲!!」

「なん、だと……!?」

 

 

 

 女が再び熱線を放とうとしたその刹那。上空から青い光の塊が飛来し、女の頭部へと直撃する。さすがの怪物も不意を突かれたその一撃に頭が揺れ、照準がブレてしまう。

 

 結果として——怪物の熱線は護衛艦を大きく逸れ、戦闘機のパイロットたちも命からがらその場から離脱していく。

 

『た、助かった……のか?』

『お、おい! あれは……見ろ!?』

 

 九死に一生を得た彼らだが、いったい何が起きたのかまでは瞬時には理解できなかった。

 

 

 しかし、パイロットの一人が青い光が飛んできた方角へと目を向け——そこに少年の姿を見つける。

 

 

 その少年は白い布切れのようなものに乗り、人差し指が拳銃を構えるよう怪物へと向けられていた。そして続け様に、その指先から青い光を充填して怪物へと放ち続ける。

 

『あれは……あの少年は——!?』

 

 パイロットの一人はそれが誰なのか知っていた。動画などでその活躍を見たことがあるし、実際に助けられたという人からも話を聞いたことがある。

 片目が隠れた髪型に縞模様のちゃんちゃんこ。今時、下駄など履いている古風なスタイルの少年。

 

 

『ゲゲゲの鬼太郎……』

 

 

 あれこそはゲゲゲの鬼太郎。

 噂では人助けをしているということだが——まさかあのような怪物にも生身で立ち向かうとは。

 

 

 無茶だと思いつつ、彼の救援に心底では感謝するパイロットたちであった。

 

 

 

 

 

 

 

「——くっ、指鉄砲がほとんど効いていない!?」

 

 強大な妖気を感じ取り、ゲゲゲの鬼太郎は一反木綿に乗って慌てて日本海へと駆けつけてきた。不意を突いた一撃でなんとか自衛隊の命を救った彼だったが——相手のあまりに巨大さに、さすがに度肝を抜かれていた。

 切り札の一つである指鉄砲もあまり効果がない。開戦早々に自身の不利を悟っている。

 

「いったい、何者じゃ!! あの女は!?」

「結構な美人さんやけども~!!」

 

 一緒に付いてきた目玉おやじも戦慄している。一反木綿などは相手が女、しかもかなりの美人であることに浮ついた感想を抱くが、はっきりいってそれどころではない。

 

 

「小癪な……落ちろ!!」

『キィシャアアアアアアアアアアア!!』

 

 

 女は自分の邪魔をした目障りな蠅を撃ち落とそうと、髪の蛇たちを総動員して熱線を吐きかける。高熱のブレスだ。熱に弱い一反木綿では、一発でも直撃を受ければそれで終わりである。

 

「あわわわっ!! ヒラっと! あっ、ヒラっと!!」

 

 しかしそこは一反木綿。怪物の猛攻にビビりながらも、その機動力で何とか熱線を躱していく。この俊敏性は戦闘機では真似できない、彼ならではの身軽さである。

 

 

「……ほう、どうやら……ただの蝿ではないようだな……」

 

 

 鬼太郎の攻撃、一反木綿の回避能力に女が感心するように呟いた。

 そこにきて初めて——彼女は鬼太郎たちの存在に意識を向け、その視線でギロリと彼らを睨みつける。

 

「ひぃっ!? こっち見たばい!?」

「お主……いったい何者じゃ!?」

 

 憎悪の籠った鋭い眼光に一反木綿は震え上がり、目玉おやじが彼女の名を問い掛ける。

 これほどの力を秘めた怪物だ。さぞ名のある大妖怪なのだろうと鬼太郎も身構えて怪物たるその女と対峙する。

 

 

「我が名は……ゴルゴーン」

 

 

 女は名乗った。本来であれば口にするのも忌まわしい自身の『今』の名前を——。

 かつての名は当の『昔』に捨て去った。今の彼女の名前こそがゴルゴーン。

 

 

「貴様が助けた人間どもは……私が全て殺しつくす。それを邪魔する者は……誰であろうと許しはせぬぞ!!」

 

 

 人間たちへの憎悪を胸に、それを邪魔する全ての者を薙ぎ払うべく。

 

 

 

 彼女は——鬼太郎を蹴散らそうと再び進撃を開始する。

 

 

 

×

 

 

 

「——キィッヒッヒッヒ!! いいぞ、予想どおりだ!! やはり現れたな……ゲゲゲの鬼太郎ぉ~!!」

 

 日本近海で行われている鬼太郎とゴルゴーンの戦い。監視映像越しにその光景を遠目から覗き見ているものたちがいた。

 

 高笑いを上げているのが、ヴィクター・フランケンシュタインの怪物ことヴィクター博士。

 その後ろには狼男のヴォルフガング、女吸血鬼のカミーラまでいる。

 

 彼らは遠い異国の地。自分たちの本境地であるバックベアード城からその戦いを見ていた。現地の映像はリアルタイムで流れており、今もこの瞬間、あの女と鬼太郎がぶつかり合っている。

 

「……ふん、うまい具合に接敵したな……毎度毎度ご苦労なことだ……」

「ほんと……人間なんかのために体張るなんて……妖怪のくせに何を考えてるのかしら」

 

 ヴォルフガングやカミーラは高みの見物を決め込みながらも、鬼太郎が出張って来たことに多少の不快感を覚えていた。彼が人間を守ろうと動くことはある程度予想していたが、まさかそのためにあんな怪物にまで戦いを挑むとは。

 ゴルゴーンのターゲットはあくまでも『人間』。ゲゲゲの森にでも引きこもっていれば、余計な被害を受けずに済むというのに。

 まったく『妖怪』らしからぬ態度と馬鹿にする一同。最後まで西洋妖怪たちは鬼太郎とは相容れない存在である。

 

「まあいいじゃないか! おかげで、奴にあの怪物を……ゴルゴーンをぶつけることができたんだからさぁ~!!」

 

 だが不機嫌になる同僚たちにも構わず、今回の作戦の提案者であるヴィクターは上機嫌に笑みを浮かべる。

 

 あのゴルゴーンを『復活』させ、日本へと進軍するように仕掛けたのは全てヴィクターの企みだ。彼からすれば、このままゴルゴーンが鬼太郎を潰せばそれが全て自分の手柄となる。 

 

 わざわざあれほどの苦労をして、彼女を『掘り出して』正解だったと。

 

 

 ヴィクターは——ゴルゴーン復活の経緯を思い返していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほら、そこっ! もっと慎重に掘り進めるんだ! 落盤でも起こしたらタダじゃおかないからなぁ~」

「は、はっ!! かしこまりました、ヴィクター様!!」

 

 数日前のことだ。ヴィクター・フランケンシュタイン率いる西洋妖怪軍団は暗い洞窟の中を掘り返していた。

 ヴィクターの指示のもと、何十体という首無し騎士たちが連日連夜に渡って穴を掘り続ける。彼らは何のためにこんなことをしているのか詳細を何も聞かされていないが、幹部の命令には逆らえない。

 命令に従い、同じような作業をただ淡々と繰り返していく。

 

「……ねぇ、そろそろ説明したらどうなのよ、ヴィクター」

「ああ、そうだ。いったいこの島に何があるというのだ?」

 

 その作業に対し、カミーラとヴォルフガングの二人がヴィクターに疑問をぶつける。彼らもヴィクターから呼び出されてここへとやってきたが、この島に『何が』あるのかは詳しいことは聞かされていなかった。

 

 

 そう、西洋妖怪たちが訪れていたそこは『島』だ。

 

 

 地中海の一部を構成するエーゲ海。そこには大小様々な島が点在しており、ヴィクターたちが来ているその島もその中の一つ。

 そこは人間どころか妖怪も住んでいない。地図にすら名前や形も記載されていない不思議な島だった。

 

「そうだね。そろそろ説明してもいい頃合いかな……」

 

 そんな島のとある洞窟内をひたすら掘り進めていたヴィクター。道中は何を聞かれても適当にはぐらかしていた彼だったが、ようやく話す気になったのか。

 カミーラやヴォルフガングに意味ありげな笑みを向けつつ、この島の成り立ちについて語っていく。

 

「ここは……かつて『カタチのない島』と呼ばれていた場所さ」

「……? カタチがない島だと?」

「それって……地名なの?」

 

 本来の名前かも怪しい不思議な地名に首を傾げる西洋妖怪の幹部たち。どうやらそれだけではまだピンとこないらしい。

 察しの悪い二人に呆れながら、ヴィクターはさらに詳細を語っていく。

 

「その島には何もなかった……森も、動物も、供物も。あったのは荒れ果てた神殿と寄せ返す波の音だけ。静寂に包まれたそんな何もない島で……女神たちは暮らしていたんだ」

「女神……ですって?」

 

 ヴィクターの口から呟かれた単語にカミーラが眉を顰める。

 

 女神——彼ら西洋妖怪にとって、神々を始めとした『聖なるもの』の類は天敵に分類される。人間にとってはありがたい神々の祝福とやらも、彼ら西洋のモンスターからすれば毒でしかない。

 あり得ないと思うが、万が一にもでそういった者の血や涙など摂取すれば、たちまち体内の妖気と反発を起こして体は内部から崩壊してしまうだろう。

 そんな神々が暮らしていたという場所に、西洋妖怪たちは本能的な嫌悪を抱かざるを得ない。

 

 

 しかし、女神と呼ばれる全ての存在が——必ずしも聖なるものというわけではない。

 

 

「ここで暮らしていた女神は三柱。それぞれ姉妹という関係だったらしい。彼女たちは敵対する女神からの怒りを買い、人間たちからの迫害を受けてこの島へ流れ着いたのさ」

 

 伝承ではその三柱の女神のうち、末の妹である一柱の女神が敵対する女神からある『呪い』を受けたという。

 その呪いは——『成長する』という、純粋な女神であればあり得ない変化だった。

 

「女神という存在は、本来であれば成長しない。生まれながらにして完全な彼女たちは可憐な姿のまま、人間に愛される存在として君臨する……その筈だった」

 

 だがその女神は成長した。

 成長することで——徐々にそのあり方を『女神』から『まったく別のモノ』へとその身を歪めていくこととなる。

 

「成長した女神は戦う力を得ていく。そして、島を訪れる人間たちから無力な姉二人を守るため、その手を血で汚していくのさ、ヒィッヒィッ! なんて健気な話じゃないかぁ~!?」

「女神……三姉妹……まさかっ!?」

 

 ヴィクターの話を聞いていくにつれ、よもやとヴォルフガングの表情が変化していく。

 その話の中に出てくる『女神』とやらに該当する人物に心当たりがあるのか。途端に落ち着きなく周囲を見渡し始めた。

 

 

 そのときである。

 

 

「——ヴィクター様っ!!」

 

 

 ひたすら洞窟内を掘り進めていた首無し騎士の一団が声を上げ、慌てて幹部たちの元へと報告にやってくる。

 

「何やら広い空洞に行き着きました! 神殿らしき建造物が確認できます!!」

「おおっ! やっぱりあったか!? 古文書の解読は正しかったんだ!!」

「お、おい……ヴィクター!?」

「…………」

 

 部下の報告に胸を踊らせるヴィクター。まだ話の途中だったが興奮した様子で駆け出していき、ヴォルフガングやカミーラもその後に続いていく。

 

 

 

 

 首無し騎士たちが掘り進めていった洞窟の先には『神殿』らしき建造物の跡があった。既にいくらか朽ち果てているものの、未だに当時の時代背景を残している。保存状態もかなり良い。どうやらこの洞窟の中、数千年という風化から守られてきたようだ。

 

 その神殿の跡地の至る所には——『石像』らしきものが確認できる。

 

 その石像は人間の男性のものが大半を占めている。完全装備に身を固めた戦士の石像。まるで何かと戦う必死な形相を浮かべているように見えるが——

 

「おいおい、まさかと思うが……この石像っ!?」

「……こいつら……まだ生きてるわ!」

 

 その石像を近くで確認してヴォルフガングとカミーラは戦慄する。

 気配で分かってしまった。その石像は作り物などでなく——生きた人間だと。

 

 彼らは生きたまま石となり、数千年という時の中を取り残された哀れな者たちだ。

 

「ヒィッヒィッ! その通りさ!! こいつらは生きていた人間! この島の女神に戦いを挑み……敗れたものの末路さ!」

 

 ヴィクターが狂気的な笑みを浮かべる。

 この石像たちこそ、この島にヴィクターが求めているものがあるという何よりの証拠に他ならないからだ。

 

「な、なら……この島にいたという女神とやらは!?」

 

 女神、人間を石にする。

 その二つのワードからヴォルフガングたちもここがどういった場所で、ヴィクターの言っていた女神の正体とやらに辿り着いたようだ。彼らにしては珍しく、その表情が緊張に強張っている。

 

 

 西洋において、人を石にする魔物というのは何体か存在が確認されている。

 雄鳥の卵をヒキガエルが孵化することで生まれる蛇のバジリスクや、同じような方法で誕生すると伝えられる鶏のコカトリスなど。そのどちらも、視線だけで人間を石にするとされる怖るべき魔物だ。

 

 しかし、人を石に変える女神ともなれば話は別。

 それに該当するものは——もはや一柱しか考えられない。

 

 

「見ろ!! やっぱりあったぞ!!」

 

 ヴォルフガングたちが連想したものの答え合わせをするかのように、ヴィクターは神殿の奥にあるものを指差して叫ぶ。

 

「————————」

 

 その指先——神殿の奥にその『石像』は佇んでいた。周囲が男の戦士たちの石像で埋められている中、その石像の上半身は女性的なフォルムをしている。

 もっともそれは上半身だけの話。下半身は人間のものではなく、『蛇』のそれである。

 加えて、大きさも人間などとは比べるまでもなく巨大。フランケンシュタインの怪物と化すヴィクターよりも遥かに大きい。

 

 ヴィクターは、目の奥を知的好奇心で満たしながら声を張り上げる。

 

「この石像こそ!! かつてこの島で猛威を奮っていた女神……いや! もはや女神ですらなくなった怪物の残骸だ!!」

 

 かつて女神だったものは呪いによって成長し——『怪物』へと堕ちていった。

 怪物は守るべきだった姉二人すら喰らい、遂には『魔獣』として近隣諸国の人間たちに恐れられるようになる。

 

 多くの英雄と呼ばれる猛者たちがその脅威を排除しようと。討伐を試みるも悉く返り討ちにされて石となった。それ故、その怪物には『英雄殺し』の異名が与えられた。

 

 忌まわしき成長の成れの果て。魔獣の女王。肥大し続ける悪神。

 彼女の名は数千年経った今でも、悍ましい怪物の象徴として西洋妖怪たちの間で畏怖と共に知れ渡っていた。

 

 その名も——

 

 

「メドゥーサ……いや!! あれこそが魔獣……魔獣の女王、ゴルゴーンだぁああ!!」

 

 

 

×

 

 

 

 ゴルゴーン、あるいはゴルゴン。『恐ろしいもの』を意味する怪物。

 しかし本来であれば、ゴルゴンとはとある三姉妹のことを指す呼び名であった。

 

 ギリシャ神話におけるゴルゴン三姉妹とは。

 

 長女・ステンノ——強き女。

 次女・エウリュアレ——遠く飛ぶ女。

 そして三女・メドゥーサ——支配する女である。

 

 本来、彼女たち女神は永遠の存在。決して変わることなく、完璧で美しい少女のままの筈であった。だが末妹であるメディーサが女神アテナの怒りを買い、呪いをかけられてしまった。

 その呪いにより、彼女は徐々に成長。やがては肥大して暴走。その暴走の果てにステンノとエウリュアレを取り込んしまい、その呼び名もメディーサからゴルゴーンへと改められることとなる。

 

 即ち『ゴルゴーン』とは、三姉妹の神性が全て統合されてしまった際の呼び名なのである。

 

 

 

 

「ふ……ふ、ふははははは…………おい、ヴィクター……」

 

 その恐ろしい怪物の石像を前に、ヴォルフガングが引き攣った笑みを浮かべる。その笑みの半分は恐怖によって構成されているが——もう半分は嘲笑によるものだ。

 彼は、同僚であるヴィクターを小馬鹿にするように鼻を鳴らす。

 

「……貴様はこんな石ころのためにわざわざ時間を割いたのか? 今更、こんな石っころに何ができる!?」

 

 ヴォルフガングが言う通り、そのゴルゴーンの亡骸は——『石像』になっていた。

 人を石化させる魔物が何故自らも石となっているのか? それはゴルゴーンという怪物が討伐された経緯に関係している。

 

 

 ゴルゴーンは数多の英雄を返り討ちにしたが、最終的には討伐された。彼女を退治したのはペルセウスという、当時は英雄ですらなかったただの若造である。

 ペルセウスはゴルゴーン退治の際、様々なアイテムを用いたとされる。『空を駆ける羽のサンダル』『被った者の姿を消すマント』などなど。

 さらに、その中の一つに『青銅鏡の盾』というものがあった。この盾でペルセウスはゴルゴーンの石化の視線を跳ね返し、彼女自身を石に変えたのだ。それがゴルゴーンが石像となっている理由である。

 

 

「おまけに首までないではないか!? こんな首無しの石像が……いったい何の役に立つというのだ!」

「…………」

 

 ヴォルフガングの指摘に一般兵である首無し騎士たちが気まずそうな仕草をしている。だが元より首がない彼らと違い、ゴルゴーンには本来あるべき筈の頭部がそこに存在していなかった。

 

 

 石となったゴルゴーン。彼女はその後、ペルセウスの持つ『不死殺しの鎌』によってその首を刈り取られ、『魔物の首を収める皮袋』に収納されて持ち去られていった。

 首はペルセウスのその後の冒険の際にも利用され——最終的には女神アテナへと献上されたという話だ。

 

 

「まったく、とんだ無駄骨だ!! 俺は帰らせてもらうぞ!!」

 

 いかに恐ろしい魔物とはいえ石となってしまい、肝心の首までないのであれば何の意味もない。ヴォルフガングはヴィクターへ徒労の不満をぶつけながら、踵を返してその場を早々に立ち去ろうとしていた。

 ところが——

 

 

「——ヒィッヒィッ! それはどうかな?」

 

 

 ヴィクターは懐から『怪しげな液体』の入ったビーカーを取り出す。

 おもむろに、その液体をその辺りに転がっていた戦士の石像に向かって振りかけていく。

 

 

 次の瞬間——

 

 

「——ぬ、ぬわあああああああああ! ……なっ、こ、ここは……ど、どこだ!?」

 

 

 石像がひび割れたかと思いきや、何と——何と石になっていた人間が、生身の姿へと戻ったのである。

 これには石になっていた本人も、その光景を見ていた西洋妖怪たちも騒然となる。

 

「な、なんだと……!?」

「い、いったい……これは? ヴ、ヴィクター!?」

 

 帰ろうとしていたヴォルフガングは足を止め、彼と同じように呆れていたカミーラも目を剝き、ヴィクターに何をしたのかと問い掛ける。

 皆のリアクションに、ヴィクターは満足げな笑みを浮かべた。

 

「クックッ……どうだ驚いたかい!? こいつは石化復活液! 石化したものを元に戻す薬品さ!」

 

 その『石化復活液』は、ヴィクターが実験の過程で作り出した特別な調合液だ。

 硝酸とアルコールを30対70で混ぜただけと意外に簡単そうなレシピだが、ほんの少しでもその割合がズレれば石化したものは何の反応も示さない。

 現時点において、その法則を理解してこの薬品を調合出来るのはヴィクター・フランケンシュタインだけである。

 

「こいつを振りかければ、石になったものはたちどころに復活する!! どうやら、ゴルゴーンの石化にもこいつは有効らしいね……」

 

 ヴィクターはこの石化治療を、バジリスクやコカトリスによって石化した生物に幾度となく試して実験してきた。その実験の成果がゴルゴーンの石化にも効くことが分かり、内心ではかなりホッとしている。

 

「——ひ、ひぃっ!? お、おたすけぇえええええ!?」

 

 ちなみに、石から復活したその人間はヴィクターたちを見て逃げ出していった。彼はゴルゴーンに挑むような戦士だが、さすがに無防備……というより、真っ裸では何も出来ず、這う這うの体で逃げ出していく。

 石化から復活した彼は全裸だった。どうやら長いときの中、彼が着ている衣服などはすっかり風化してしまったらしい。

 

「………………だがな、ヴィクター」

 

 男としての情けからか、ヴォルフガングは全裸のその男を黙って見送る。

 そして石化から復活するという奇跡を目の当たりにしながらも、彼は一つの問題点を指摘する。

 

「お前の意図は分かった。その液体でゴルゴーンを復活させ、我らの戦力としたいのだろうが……」

 

 ここに来てようやく、ヴォルフガングはヴィクターの狙いを正確に理解する。彼は石化したゴルゴーンをこの復活液で蘇らせ、彼女を自分たちバックベアード軍団の旗下に加えたいのだろうと。だが——

 

「だがな、首がない状態で石化から戻したところで……いったい、どうしようというのだ?」

 

 ゴルゴーンには肝心の首がない。いかに神話の怪物といえども、本来あるべき首がない状態では肉体を維持することもできまい。

 今蘇らせたところで、そのままただの死体となって消滅してしまうのではないかと懸念を口にする。

 

「くっくっ……何を言ってるんだい?」

 

 しかし、そんな当たり前の疑問に対し。

 ヴィクターは口元の笑みをより一層深め——そして堂々と答える。

 

 

「首がないのなら……その首を取り付けてやればいいじゃないか? おい! 例のものをここに運んで来るんだぁ!!」

「はっ!!」

 

 

 ヴィクターの号令に首無し騎士の一団が再び動き出す。

 彼らは洞窟の外から、巨大な盾のようなものを慎重に引きずってくる。

 

 その盾には——巨大な女の石の顔が埋め込まれていた。

 

「こ、これって……ま、まさか、アイギス!?」

 

 カミーラがその盾——『アイギス』に瞠目する。

 アイギスとは、女神アテナがペルセウスに献上された魔獣ゴルゴーンの首を埋め込んだ防具である。一説では胸当てや鎧ともされているが、実際に首が埋め込まれたのは盾であり、この盾は『イージス』とも呼称される。

 

「こいつを発掘するのにはだいぶ苦労させられたよ。既にギリシャ神どもは滅んじゃったし……もうこの盾もボクのものさぁ!!」

 

 聖遺物であるそのイージスの盾をヴィクターは発掘し、ゴルゴーンの首を確保していたのだ。

 それの正当な所有者であるアテナも、他のギリシャ神たちも既に『何者か』によって滅ぼされ、この地球上には存在しない。

 ヴィクターの神をも恐れぬ暴挙に、誰も口を出すことができないでいる。

 

 この首を、あの首無しの石像に嵌め込み復活液をかければ、魔獣の女王は復活する。

 この現代に、あの伝説の魔物が——。

 

 

 

 

 

 

 そして、ヴィクターがゴルゴーン復活の準備を整えること数日。

 

 

 

 怪物は——ついに現代に蘇った。

 

 

 

×

 

 

 

「……しかし、ヴィクターよ。お前……あの化け物をどうやって日本に差し向けたんだ?」

「ん?」

 

 ゴルゴーン復活の経緯を思い返していたヴィクターに、ヴォルフガングは一つの疑問をぶつけていた。

 

「あの神話の怪物が……お前や俺たちの言うことを素直に聞くとは思えん。いったい、どうやってお前は奴の手綱を握っている?」

 

 数日かがりで行われたゴルゴーンの復活作業。他に用事があったため、ヴォルフガングとカミーラはそれらの作業の大半をヴィクターに一任していた。

 彼女が復活した方法については既に説明されたが——その際、彼らはヴィクターが『どうやって』ゴルゴーンを制御するかまでは聞かされていない。

 確かに彼女は戦力としては有用だが、あまりにも凶悪すぎる。バックベアードが不在の今の軍団では服従させようとしたところで返り討ちにあいかねない。

 いったい、どのような手段であの魔獣をコントロールしているというのか。

 

「それに……あの化け物、私たちが見つけたときよりもさらにデカくなってない?」

 

 さらに、カミーラも違和感の一つを指摘する。

 軍団がゴルゴーンの石像を見つけた当初、その大きさはどれだけ大きくても三十メートル程度でしかなかった。それがどういうわけか、復活したゴルゴーンは百メートルを超える巨大モンスターとなり、日本への進撃を開始していた。

 この違いはいったい何なのかと、改めてヴィクターを問い詰めていく。

 

「…………あの巨大化に関しては……正直言ってもボクも想定の範囲外だったよ」

 

 二人の疑問に対し、ヴィクターは眼鏡を曇らせながら答える。科学者として、想定内の出来事が起きたことを告げるのが屈辱なのか。

 彼は言い淀みながらも——ゴルゴーンに行った『処置』について説明していく。

 

 

 

 

 

 

「——何故……私を眠りから目覚めさせた?」

 

 ヴォルフガングが懸念した通り。

 永い眠りから目覚めたゴルゴーンは、実に迷惑そうにヴィクターへと静かな怒りを向けてきた。

 

 

「くだらん……今更、人間どもと敵対したところで……私に何の得があるというのだ?」

 

 

 復活したばかりの彼女は実に気怠そうに、人間に対する憎悪や怒りがそこまでではないことを口にする。永い眠りの中である程度、己の感情に対して折り合いを付けていたのか。

 ヴィクターの『軍団の配下に加わって、人間たちにその怒りをぶつけないか?』という口車にも決して乗るような素振りすら見せなかった。

 

「そうかい…………できれば、これは使いたくなかったんだけどな……」

 

 そんなゴルゴーンの態度を一応は予想していたのか。ヴィクターは溜息を吐きながら気乗りしない様子であるものを取り出す。

 

 

 それは——『黒い泥』のようなものだった。

 その泥の塊は——赤黒い触手のようなものを伸ばし、ゴルゴーンへと触れていく。

 

 

「!! かはっ!? き……貴様……な、何をっ……!?」

 

 

 その泥に触れられた瞬間、あの神話の怪物が——魔獣ゴルゴーンが恐れ慄いて仰け反る。

 その泥は、泥の形をもった純粋な呪い、人の『悪意の塊』であった。その泥に直接触れればどんな存在でさえ狂気に囚われ、魂が汚染されてしまう。

 

 その泥は日本の『冬木』という土地で誕生し、本来であれば既に消失されてしかるべきもの。

 だが、ヴィクターはその泥を『とある魔術師』から僅かだが譲り受け、それを彼なりに培養して増やそうと試みた。

 

「……やっぱり危険だな、この泥は。ここで全て使い切るか……」

 

 だが、真正なマッドサイエンティストである彼ですらも、その泥の存在はあまりに危険だと判断する。

 この機に泥を処分しようと、その全てをゴルゴーンへと注いでいく。

 

 

「ぐっ……!? ぐぁあああ!! お、おのれぇえええええええええ!!」

 

 

 その結果——ゴルゴーンの精神は汚染され、その肉体までもが膨張していく。

 三十メートルあった体長が百メートルにまで肥大化し、体も黒く染め上がっていく。さらには、その精神までもが真っ黒い感情で塗りつぶされていき——怪物は憎しみを原動力に動き出した。

 

 

 

「————————————————————ッツ!!」

 

 

 

 絶叫。

 新たに新生した怪物は絶叫という名の咆哮を上げる。

 

 心の内側から湧き上がる憎しみのまま、怒りに任せるまま——彼女はその牙を剥き出しにしていく。

 

「そ、そうだ!! いけ、ゴルゴーン!! あの海の向こうに、お前が殺すべき人間どもの国がある!!」

 

 ヴィクターは怪物の迫力に気圧されながらも、用意していた魔法石を握り込んで彼女に転移魔法を発動する。

 あらかじめ設定していた座標は日本。ゴルゴーンの質量が予想以上にデカくなりすぎたため、転移先にズレが発生し、彼女は日本近海へと水没したが——その程度なら問題ない。

 

 ヴィクターたちの思惑通り、彼女は己の復讐心を満たすために日本を目指すことになった。

 海を渡り、邪魔者を排除し、ついにはゲゲゲの鬼太郎と会敵する。

 

 

 

 つまるところ、西洋妖怪たちはゴルゴーンを『制御』などできていない。

 制御不可能な爆弾として、彼らは後のすべてをあの魔獣へと託した。

 

 

 願わくば、その牙が自分たちに向けられることがないよう、密かに祈りながら——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——くそっ!! 一足遅かったか!?」

「——……ここに、あのゴルゴーンが眠っていたのですね、アデルお姉様」

 

 ゴルゴーンが復活し、転移させられた一時間後。カタチのない島に二人の魔女の姉妹が訪れていた。

 かつてバックベアード軍団に所属していたアデルとアニエスである。

 

 彼女たちはここ最近、ヴィクターたちが密かに何かしらの企み事を図っていることを察し、秘密裏に調査を進めてきた。

 そしてその企みこそがゴルゴーンの復活だと知り、それを阻止しようと急ぎ駆けつけた。

 

 だが手遅れだ。

 既に怪物は解き放たれ、ヴィクターたちもここに用はないとばかりに島から撤収済みだ。

 

 何もなくなった島で、アデルは危機感を露わにする。

 

「不味いな! 奴らの狙いは……おそらくは日本だ!! あの怪物が相手では……いかに鬼太郎といえどもただでは済まんぞ!!」

「急ぎましょう、お姉様!!」

 

 西洋の魔女である彼女たちは『ゴルゴーン』という怪物の恐ろしさを神話によって伝え聞いている。その神話の伝承が正しいのであれば、さすがに鬼太郎といえどもあの怪物には敵わない。

 せめて自分たちも援護に向かおうと、急いで日本へ旅立とうとした。

 

 しかし——

 

「!? お、お姉様!! あそこに……あそこに、誰かいます!」

 

 アニエスが気づく。

 つい先ほどまでゴルゴーンが眠っていたその場所に——誰かがいた。

 

「…………」

 

 その人物は黒いローブのフードを目深く羽織って顔を隠しており、あっちへフラフラ、こっちへフラフラと。

 明らかに挙動不審な行動をしており、アデルの警戒心を掻き立てる。

 

「何者だ!? 貴様……バックベアード軍団の手の者か!!」

 

 声を荒げ、アデルは金色の銃をその人物へと突きつけた。

 

「っ……! あの……その……」

 

 すると、相手は怯えた声を漏らす。ひどく弱り切った女の子の声だった。

 しかし、女子だからといって警戒を緩めるアデルではない。彼女は厳しい態度を崩さぬまま、引き金を引く指に力を加えようとする。

 

「待って、お姉様!! ……その子、怪我をしています」

 

 だが姉の行動を妹であるアニエスが静止する。 

 アニエスはその少女が膝を擦りむいていることに気づき、その傷を手当てしようとゆっくり彼女へと歩み寄る。

 

「アニエス!」

 

 アデルは妹の身を案じて叫ぶが、アニエスはあくまで少女の手当てを優先する。

 

「……レイ・イスミナート」

「っ!!」

 

 少女の傷口に手を当て、静かに呟かれる回復の呪文。

 その魔法の効力により、少女の傷があっという間に癒やされていく。

 

「大丈夫? ワタシはアニエス……貴方は? どうしてこんな危険な場所に?」

 

 アニエスは質問を投げ掛けながらも、優しく少女の身を気遣う。

 過去、異国の地においてそうされたように、『人間』の少女からそうされたように、アニエスも優しさを持って少女へと接していく。

 

「…………」

 

 アニエスの問い掛けに、少女は最初こそ黙ったままだった。

 しかし徐々に警戒心を解いていき、彼女はアニエスを真正面に見据え——自らの決意を口にする。

 

「ゴルゴーンは……」

「えっ?」

「ゴルゴーンは……どこに行きました?」

 

 少女の口から呟かれた怪物の名にアニエスが戸惑う。

 何故、こんなか弱そうな少女があの魔獣の居場所を尋ねるのかと。

 

 だが、そんなアニエスの驚きにも構わず——少女は自らのやるべきこと、成すべきことを語っていく。

 

「わたしは……ゴルゴーンを止めなければならない。殺さなければならない」

 

 

 

「それが……私が『彼女』とこうして決別した理由なのですから……」

 

 

 

 

 




キャラ紹介

 魔獣ゴルゴーン
  FGOに登場するゴルゴーン。魔獣を産み出す要素こそありませんが、今作におけるゴルゴーンの戦闘力は……7章・バビロニアにおけるティアマトバージョンを参考にしています。冒頭から自衛隊を蹴散らしていくゴルゴーンはまさに怪獣。
  彼女がこうなったのも、例の『泥』の影響です。泥に関しては……冬木という地名から色々とお察しください。

 ペルセウス
  ゴルゴーンを退治した英雄。
  未だにFGOに参戦しない鯖。毎年のように、今年こそはプロトとコラボだと確信して……予想の斜め上を飛んでいく運営。まあ、今年のコラボも楽しいからいいけど!!

 謎の少女
  ゴルゴーン復活の跡地にいた謎の少女。
  今作におけるゴルゴーン討伐のキーパーソン。
  彼女が何者で、何故ここにいるのか? 
  それらの説明も次話辺りでしてみたいと思います。


アイテム紹介

 石化復活液
  便利アイテムその①。
  現在、まさに連載中の大人気漫画からのアイテム参戦。
  作品そのものをクロスさせるのは難しいのでこのような形で……。

 泥
  便利アイテムその②。
  ゴルゴーンをティアマトバージョンのように肥大化させ、精神を汚染させた劇薬。
  ヴィクターはその泥をどこぞの『悪女』から譲り受けました。
  それがどこの誰なのかは……『Fate/strange Fake』を読んだことのある方なら察せるかと。……この作品は、果たしていつ完結するのだろうか?

 アイギス
  ゴルゴーンの首が埋め込まれたとされる防具。聖遺物扱いで登場。
  色々な解釈がありますが、とりあえず本作では盾ということにさせてもらいました。この盾から、ヴィクターたちはゴルゴーンの首を切り出し、元の場所に納めました。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

進撃! 魔獣ゴルゴーン 其の②

……最近、FGOをやっている知り合いが『マスター』から『トレーナー』にジョブチェンジしてしまった!
ウマ娘……ハーメルンのランキング内も上位を独占している……恐ろしい子!

『ウマ娘』に関しては全然分からないのでクロスを書くことはないと思いますが……読者を増やすにはこういった波に乗っかることも重要なのか?

『鬼滅』とか『呪術廻戦』とか……けど、にわかだとそれはそれで変なクロスになってしまうし、原作ファンの人をがっかりさせてしまうだろう。

とりあえず、当面は今の路線で続けていきたいと思います。



 その『泥』に触れた瞬間。

 ゴルゴーンは在りし日、幸福だった時代を思い出す。

 

 

 

 

 女神アテナの怒りを買ったメドゥーサは呪いをかけられ、成長する歪な女神となってしまった。

 完全な女神でなくなった彼女を人間たちは疎んじるようになり、その迫害から逃れるためにメドゥーサは『カタチのない島』へと移り住むことになる。

 

 その際、メドゥーサに同行したのが二人の女神、姉のステンノとエウリュアレである。

 

 二人は完全な女神のままだが、不完全な女神となってしまったメドゥーサを見捨てることなく、共にカタチのない島へ移住する。

 

 二人の姉はメドゥーサにはいつも優しく…………いや、優しくはなかった。

 

『——早くなさい、メドゥーサ。まったく、貴女って、本当にグズでノロマで……』

『——は、はい!! 上姉様!!』

『——ちょっと、メドゥーサ! 洗濯物はまだ乾かないの!?』

『——も、申し訳ありません!! 下姉様!!』

 

 基本、姉二人は妹であるメドゥーサに辛辣だ。成長し、一人大人の容姿へと変貌を遂げていく彼女に対し、昔から何一つ変わらない高圧的な態度で接する。

 いつもメドゥーサのことを『奴隷以下』『駄メドゥーサ』と罵り、無茶難題を吹っかけては妹を苛めていた。

 

『お、お許し下さい!! お許し下さい!! 姉様方!!』

 

 姉二人に毎日のように弄られ、メドゥーサは常に涙目である。

 直接の戦闘力はメドゥーサの方が高く、彼女がその気になれば無力な女神でしかない姉二人など一切の抵抗を許さずにバラバラにできてしまう。

 だが、メドゥーサの神核には『妹は姉に従うべし』という理論が魂レベルまで染み付いているのだ。逆らうことなどできる筈もなく。

 

『あ、あ……あ~れ~!!』

 

 結局、何だかんだ抵抗はするのだが最終的には『お仕置き』を受け、いつも色々と悲惨な目に遭うメドゥーサなのであった。

 

 

 

 

 だが、そんな姉二人との暮らしをメドゥーサは本当に大切にしていた。

 ステンノとエウリュアレも、心の底では妹を愛していた。一緒にいるのが当たり前と、たとえメドゥーサがどんな姿に変わってしまっていても、いつまでも側に居続けた。

 

 ——……こんななんでもない、他愛のない時間が……いつまでも続けばいいのに。

 

 姉妹との生活を永遠に。

 それがメドゥーサたちのただ一つの願いであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 けれども——その願いが叶わないことを、彼女たちは知っていた。

 

 

『——殺せ!! メドゥーサを殺せ!!』

『——あの怪物を討ち取って名を上げるのだ!!」

『——美しいあの娘たちは、我らにこそ相応しい』

 

 

 ゴルゴン三姉妹が暮らすカタチのない島には、毎日のように戦士たちが押し寄せてきた。

 誰もがその島に巣食うというメドゥーサを討ち取り、怪物退治の功名を得ようと必死だった。中には美しい女神であるステンノとエウリュアレを手中に収めようと、彼女たちへ下卑た視線を向けるものまでいた。

 

 ——私を迫害するだけでは飽き足らず……姉様たちまで私から奪おうというのか!?

 

 ——許しません……決して、許さぬ!!

 

 そんな挑戦者ともいうべき戦士たちを、姉たちを汚そうとする男たちをメドゥーサは容赦なく殺していく。この頃から備わっていた『石化の魔眼』でその悉くを石とし、彼らの首を刎ねてその血を啜る。

 姉たち以外の者へ彼女が慈悲を抱くことはない。戦士たちは皆、こうしてメドゥーサの餌食となっていく。

 

 

 

 

 そうして一人、また一人殺していくたび、メドゥーサは一歩ずつ『怪物』へと近づいていった。

 人間たちの血を浴びれば浴びるほど、殺戮を重ねれば重ねるほど。その身を蝕む呪いは加速し、さらに彼女を成長——堕落させ、体も、心も、その在り方さえも崩壊させていく。

 

 

『————————ッ!!』

 

 

 そしてついに、彼女は理性というものを完全に失う。

 成長の果て、正真正銘の怪物となり——メドゥーサは二人の姉ですらも、巣に蔓延る『邪魔者』と認識するようになってしまった

 

 

『——愛しているわ、メドゥーサ』

『——愛しているわ、メドゥーサ』

 

 

 悪神と化したメドゥーサへ、ステンノとエウリュアレは愛を囁いていた。

 妹がいずれこうなることを彼女たちは理解していたのか。全てを受け入れる形で最後——

 

 

 二人は化け物となった妹に『捕食』される。

 

 

 こうして、姉二人の神性を取り込み『メドゥーサ』は『ゴルゴーン』と呼ばれるようになっていく。

 

 

 

 

 

 その後、暴走したゴルゴーンはペルセウスによって討伐された。

 魔眼の力を跳ね返されて自らが石となったのだ。石像となっている数千年もの間で、彼女はいくらかの理性を取り戻していた。

 

 故に目覚めて直後、彼女は復讐を唆すヴィクターに対し、冷めた視線を向けていた。

 今更、そんなものに手を染めたところで自分が元に戻ることはないし、姉二人が戻ってくることはないと。そのように考えることができたからだ。

 

 

 だが——

 

 

『——殺せ、殺せ!!』

『——化け物は殺せ!!』

『——怪物め!! お前のような奴がいるから!!』

 

 

 精神を汚染させる『泥』に触れたことで思い出す。

 

 自分を排除しようとカタチのない島へ乗り込んでくる、人間どもの醜悪な顔を——。

 奴らのせいで、あの人間どものせいで、自分が堕落する羽目になったことを——。

 

 

 ——化け物だと? 怪物だと? ふざけるな!!

 

 ——私を怪物にしたのは、私をこのような姿にしたのはお前たち人間だ!!

 

 ——お前たちさえ、お前たちさえいなければ……私は、私はっ……。

 

 

 

 ——姉様たちを、この手にかけることもなかったのに!!

 

 

 

 それを思い出した瞬間、どうしようもない情動が彼女を突き動かした。

 

 胸に抱いた復讐心。恨みを晴らすべく、囁かれた言葉に突き動かされるまま。

 彼女は人間たちの気配が感じられる方角、『日本』へと進撃を開始していた。

 

 

 

 その国に住まう、全ての人々を殺し尽くすために——。

 

 

 

×

 

 

 

「私の……邪魔をするな!!」

 

 

 日本海。

 ゴルゴーンは自衛隊を蹴散らしつつも進撃を続け——そこでゲゲゲの鬼太郎と会敵することになった。彼女の目的は人間への復讐だが、それを阻もうとする輩はたとえ妖怪であろうとも敵である。

 自分の邪魔をする鬼太郎を撃ち落とそうと、髪の毛の蛇たちが一斉に熱線のブレスを掃射する。

 

「ヒラッと!! ヒラっとな!!」

 

 しかし、鬼太郎の乗る一反木綿はゴルゴーンの熱線を華麗に躱し続ける。予想以上の機動力、すばしっこさに翻弄され、ゴルゴーンはなかなか上手い具合に攻撃を命中させることができないでいた。

 

「髪の毛針!! リモコン下駄!!」

 

 一方の鬼太郎。彼もゴルゴーンを止めようと反撃する。

 開幕の指鉄砲を始め、髪の毛針やリモコン下駄と。思いつく限りの方法で攻撃を繰り返す。だが——

 

「駄目じゃ! まるで効いとらんぞ、鬼太郎!!」

 

 どの攻撃もまるで効果がないと、目玉おやじが焦りを口にする。

 ゴルゴーンの巨体に半端な攻撃は通じない。分厚い鱗がその全てを弾いてしまい、本体にまるでダメージを与えられないのだ。

 

 攻撃をなかなか当てられないゴルゴーン。攻撃が当てられてもまるでダメージにできない鬼太郎。

 どちらとも、決定打に欠ける状況をもどかしく感じながらも応酬を繰り返していく。

 

「このままじゃ埒があかないな……一反木綿!! あいつの懐に飛び込む! いけるか!?」

「コットン承知!!」

 

 そういった中、先に鬼太郎側が動きを見せた。

 硬直した戦況を動かすため、多少無茶でもこちらから仕掛けようと一反木綿に号令を掛ける。一反木綿も避け続けるだけでは分が悪いと感じていたのか、鬼太郎の意向に同意する。

 距離を取りながらの遠距離戦から近接戦闘に切り替え、一気に間合いを詰めていく。

 

 

「小癪な!!」

『——キシャアアアアアアアアア!!』

 

 

 接近してくる鬼太郎たちを退けるべく、ゴルゴーンも動く。

 髪の毛の蛇たちを総動員し、その牙で近づいてくる一反木綿を噛みちぎろうと襲い掛かる。

 

「いくばい~!! と、とっと!? うわっと!?」

 

 距離を詰めれば詰めるほど、避けづらくなるゴルゴーンの攻撃。一反木綿であっても、多方面から襲い掛かる髪の毛の蛇たちに悪戦苦闘していた。

 

 それでも、なんとか鬼太郎の望む間合いまで近づいていく。

 

 

「——ここだ!! はぁっ!!」

 

 

 ギリギリまで接近できたところで、鬼太郎が一反木綿から飛び降りた。

 勢いよく跳躍し、ゴルゴーンの胸元へと着地。そこは鱗の覆われていない生身の部分だ。その胸元へ真っ直ぐに針のように細めた霊毛ちゃんちゃんこを突き刺し——さらに追撃を加える。

 

 

「体内……電気!!」

「な、なんだと!? グワアアアアアアアアアッ!?」

 

 

 突き刺した霊毛ちゃんちゃんこを通じ、体内電気で直接ゴルゴーンへと電流を流していく。

 これにはさすがのゴルゴーンも無傷とはいかず、その巨体から悲鳴が上がる。

 

 

 しかし——

 

 

「や、やるではないか、小僧……だが!!」

 

 

 怯みはしたものの、ゴルゴーンは健在だ。

 電流に苦痛を感じながらもその眼力をギロリと、鬼太郎へと向けていた。

 

 

「不用意に近づき過ぎた……これでも食らうがいい!!」

 

 

 ゴルゴーンは眼球から——黒い妖気の塊をレーザーのように照射、それを鬼太郎へと浴びせる。

 

「っ!! れ、霊毛ちゃんちゃんこ!!」

 

 慌てて霊毛ちゃんちゃんこを引き抜き、マントのように広げることで攻撃を防ごうとする鬼太郎。

 だが、一歩遅い。直撃こそ免れたものの、鬼太郎はゴルゴーンの攻撃で吹っ飛ばされ、空中へと身を投げ出されてしまった。

 

「鬼太郎しゃん!?」

 

 吹き飛ばされる鬼太郎の元へ、慌てて飛翔してきた一反木綿が彼をキャッチして拾い上げる。

 そのファインプレーで鬼太郎が海面へと叩きつけられるようなことはなくなったが——しかし、ゴルゴーンの攻撃は既に鬼太郎を蝕んでいた。

 

「ど、どうしたんじゃ、鬼太郎!?」

「と、父さん……? か……体が……うごか…………っ!?」

 

 息子の異変に目玉おやじが呼び掛ける。彼は霊毛ちゃんちゃんと鬼太郎の髪の毛の中に隠れていたため、ゴルゴーンの放った光を浴びることがなく無事だった。

 だが、鬼太郎はゴルゴーンの攻撃をその身に受けてしまい——次の瞬間にも、その肉体が石と化していく。

 

 

 そう、これぞゴルゴーンの切り札——魔眼『キュベレイ』の力である。

 英雄、勇者を悉く石としてきた魔獣ゴルゴーンの代名詞とも呼ぶべき能力。

 

 

 それにより、鬼太郎は抵抗も出来ない。物言わぬ『石像』となってしまったのだ。

 

 

 

×

 

 

 

「き、鬼太郎ぉぉおおおお!!」

 

 目玉おやじの絶叫が虚しく響き渡る。

 

「そ、そんな……鬼太郎しゃんが……い、石になってしもうたばい!!」

 

 一反木綿も絶望的な表情でしょぼくれている。彼ら日本妖怪の希望とも言うべき鬼太郎が——石となって再起不能にされてしまったのだ。

 

 

「ふふ……ふはっははははっ!! 愚かな小僧め。人間なんぞの味方をしなければそのような無様を晒さずに済んだものを!!」

 

 

 思いの外苦戦させられた鬼太郎を打ち負かしたことで、ゴルゴーンは勝利の笑みに酔いしれる。

 これで自分の邪魔をするものはいなくなったと、彼女は改めて日本への進撃を開始しようと蠢き始める。

 

「この~! よくも鬼太郎しゃんを!!」

「よすんじゃ、一反木綿!!」

 

 鬼太郎がやられたことで、彼の敵討ちだと一反木綿が血気盛んに奮い立つ。だが、息子が石にされても未だに冷静でいられた目玉おやじが彼を静止する。

 自分たちだけではゴルゴーンを足止めすることもできないと、己らの力量不足をきちんと理解しているからこその判断だ。

 

 

「なんだ……まだうろちょろ飛び回っていたのか……」

 

 

 ゴルゴーンも一反木綿と目玉おやじのことを『敵』とすら認識していなかった。彼らだけでは自分を止めることなどできないと、魔獣の本能で理解しているのだろう。

 しかし、眼前をぶんぶんと飛び回られるのはそれはそれで面倒だ。

 

 

「よかろう。そんなに後を追いたければ……貴様らも石となるがいい!!」

「!! ま、不味い!! 避けるんじゃ、一反木綿!!」

 

 

 ゴルゴーンは目障りな蠅である彼らを排除しようと、再び魔眼に妖力を充填する。一反木綿たちを石にしようと再度キュベレイの力を行使。それを彼らに向かって解き放った。

 

「あわわわっ!?」

 

 迫り来る魔眼の邪光。タイミング的にも躱すことはできない。

 鬼太郎に続く形で、彼らもまた石になってしまうのか——そう思われた刹那である。

 

 

 

「——パ・シモート!!」

 

 

 

 何者かが上空より飛来し、魔眼の光と一反木綿たちの間に割り込んだ。

 その何者かは結界魔法を張り、魔眼の力を完全にシャットアウト。その脅威から彼らを守る。

 

 それが誰なのか、一瞬遅れて理解した目玉おやじが声を上げる。

 箒に乗って現れた、その魔女に向かって——。

 

「おおっ!? アニエス!!」

「大丈夫!? みんな無事!?」

 

 救援に現れたのは魔女・アニエスだった。

 西洋の魔女ではあるが、鬼太郎たちと友情を結んだ彼女もまた彼らの仲間。

 

 思いがけない救援に目玉おやじは目を輝かせ、声を弾ませる。しかし——

 

「アニエス! 鬼太郎が……鬼太郎が石にされてしもうたんじゃ!!」

「!? くっ……一足遅かった!」

 

 アニエスのおかげで難を逃れたものの、鬼太郎は石にされたままである。

 

「アニエスしゃん! なんとか、鬼太郎しゃんを元に戻す方法はなかとね!?」

 

 一反木綿はアニエスに石にされた鬼太郎をどうにか戻せないかと尋ねる。

 

「そ、それは……あのゴルゴーンを倒さない限りは……」

 

 結界魔法で魔眼の光を遮断できるアニエスだが、彼女には石にされてしまった者を元に戻すまでの力はない。

 ゴルゴーンの石化を解呪するには、ヴィクターが調合した特別な薬品『石化復活液』。あるいは、ゴルゴーン自身の肉体を消滅させて彼女を魂だけの存在とし、その魔力を直接絶つしかない。

 

 つまり現状——ゴルゴーンを倒すしか、鬼太郎を元に戻す方法はないのである。

 

「……おやじさん、一反木綿!! ここは……一旦退くわよ!!」

 

 そして今の戦力では、今この場ではゴルゴーンを倒すことはできないと。

 アニエスは自分たちの戦力差を分析し、目玉おやじたちに一時撤退を指示する。

 

「…………仕方あるまい。ここは一度退却じゃ、一反木綿!!」

「こ、コットン承知!!」

 

 苦渋の決断の末、目玉おやじはこの案を承認する。石となってしまった鬼太郎を砕かないよう慎重に、一反木綿もゴルゴーンから背を向けて飛び始める。

 

 

「逃がさんぞ!! 貴様らもここでっ——!?」

 

 

 そんな目障りな蠅たちに向かい、ゴルゴーンは髪の毛の蛇たちを差し向ける。背を向ける彼らの背後から、容赦なく熱線のブレスを浴びせるつもりだったのだろう。

 

 だが——ここへさらに思わぬ形での救援が駆けつけ、ゴルゴーンを足止めする。

 

 

『これより攻撃を再開する』

『怪物は手負いだ。全弾撃ち尽くしても構わん! ここで食い止めるぞ!』

『山本の仇だ! 覚悟しろ、化け物!!』

 

 

 先ほど、ゴルゴーンによって撃ち落とされかけた戦闘機のパイロットたち——自衛隊である。

 彼らは『国防』という自らの職務を果たすべく、再び立ち上がってきた。

 

 ゴルゴーンが手負いであることもそうだが、既に相手の攻撃手段などを学習済みなため、開戦時よりも冷静な判断、適切な飛行距離を保ちつつ攻撃を加えていく。

 

 

『……鬼太郎くん。さっきの借りは返すぜ!!』

 

 

 その中のパイロットの一人。彼は鬼太郎に助けられた恩を返すためにも自らの命を賭けていく。

 

 

 

 

 

「くっ……! 小賢しい人間どもめ!!」

 

 

 人類側の思わぬ反撃を前に、ゴルゴーンは苛立ち気味に吐き捨てる。

 このタイミングでの自衛隊の逆襲は彼女も予想だにしていなかった。あれだけ力の差を見せつけてやったにも関わらず、尚も食い下がってくる戦闘機の集団。小癪な鉄屑の塊をまとめて撃ち落とそうと、ゴルゴーンはその眼光をギラリと輝かせる。

 

『——主砲っ!! 撃ち方用意!!』

『——撃てぇえええい!!』

 

 だがそうはさせぬと、今度は海上の護衛艦まで息を吹き返してきた。

 畳み掛けるように主砲を斉射し、戦闘機を援護。その連携は先ほどよりも統制が取られているように感じられる。

 

 

「チィッ!! 蟻どもが……無駄な足掻きを……痛っ!?」

 

 

 それでも、ゴルゴーンであれば蹴散らすことも容易であった。彼女の大火力を最大限に発揮すれば最初のように一瞬で護衛艦隊を炎上させ、戦闘機をひとつ残らず叩き落とすこともできただろう。

 

 もっとも、それは彼女が万全な状態であればの話だ。

 

 

「ぐっ……さっきの小僧との戦いで負った傷が……!!」

 

 

 そう、先ほど鬼太郎が負わせた胸の傷。それがゴルゴーンの動きを僅かだが鈍らせ、彼女の暴虐を食い止める役割を果たしていた。

 鬼太郎のその身を石にしてまでの捨て身の攻撃は——決して無駄などではなかったのだ。

 

 

「……チィッ!! 忌々しいが……ここは一度退くしかあるまい……」

 

 

 してやられた屈辱に顔を歪めながらも、ゴルゴーンは冷静に撤退を選択する。

 このまま傷を負った状態で無理に自衛隊とぶつかり、さらに致命的な傷でも負えば肝心の復讐、人類を皆殺しにするという自身の目的に大きな支障が出かねない。

 この胸の猛りを、沸る憎しみを昇華させるためにも、今は大人しく後退するしかない。

 

 

「命拾いしたな、人間ども!! だが、貴様らを取り巻く滅びの運命は決して変わらぬ!!」

『——っ!!』

 

 

 去り際、口惜しいという思いを込めてゴルゴーンは唸り声を上げた。

 その憤怒の込められた彼女の叫びには、決死な思いで反撃に転じていた自衛隊ですらも震え上がる。

 

 

「せいぜい束の間の安息に身を委ねるがいい!! いずれ来るであろう……破滅の瞬間に怯えながらな!!」

 

 

 決して負け惜しみなどではない。

 絶対に、彼女はまた戻ってくるだろう。

 

 

 そんな執念が感じられる雄叫びを最後に——ゴルゴーンは海中へと潜り、凄まじい速度でその場から離脱していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ…………なんとか、退けられたようじゃのう……」

 

 鬼太郎と自衛隊の活躍によって退いていくゴルゴーン。その様子を離れたところから見ていた目玉おやじが胸をホッと撫で下ろす。

 とりあえず、当面の危機はこれで回避された。だが——

 

「……けど、あの程度で復讐を諦めるゴルゴーンではないわ……彼女は絶対にまた戻ってくる」

 

 ゴルゴーンが撤退した先を見つめながらアニエスが呟いた。

 彼女はゴルゴーンがまた戻ってくると。傷を癒やして再び日本に攻め入ってくることを予見する。

 

「このまま彼女を放置しておけば悪戯に被害を広げるだけだわ。彼女がまた攻めてくる前に……今度はこちらから攻めないと!!」

 

 アニエスは強気にも、こちらから仕掛けるべきだと意見を口にした。

 確かにそれができればその方がいいのだろう。ただ受け身でいるより、その方が確実に他への被害を防ぐことができる。

 勿論、それは有効な攻め手があればの話だ。

 

「そ、そないなこと言うても……肝心の鬼太郎しゃんが石になってもうては……」

 

 一反木綿が気弱になるよう、ゴルゴーンに唯一手傷を負わせた鬼太郎はその傷の代償として石になってしまっている。

 鬼太郎抜きで、果たしてゴルゴーンを倒す術などあるのだろうかと。不安になるのも無理からぬこと。

 

 

「——問題ありません。ゴルゴーンは……わたしが殺しますから」

 

 

 すると、そんな一反木綿に意見するよう『その少女』が口を開いた。

 小さな呟きながらも大胆な言葉。『ゴルゴーンを殺す』という、その発言内容に目玉おやじと一反木綿が目を見張る。

 

「……? 君は……いったい、誰じゃ?」

「殺すって……お前さん、意味分かって言っとるんかい!?」

 

 先ほどのゴルゴーンとの攻防の際は気づかなかったのだが、アニエスの後ろ。箒に相乗りする形でそこに小さな少女がいることに気づいた。

 その少女は、ローブのフードで完全に顔を隠していた。しかし、小さな体からそれが年端もいかぬ少女であることだけは理解できる。

 

 そんな少女が、どうやってあの怪物を打ち倒そうというのか。

 目玉おやじや一反木綿が首を傾げ、彼女へ疑惑の視線を向けるのも当然である。

 

「…………」

「彼女は……アナよ」

 

 そんな彼らの視線を受けて少女が気まずそうにそっぽを向き、アニエスが代わりに彼女の素性を答えた。

 

 少女の名はアナ。

 

 

 

 ゴルゴーンを『殺す者』である、と。

 

 

 

×

 

 

 

 目玉おやじ、一反木綿、アニエス。そしてアナの四人は一度、ゲゲゲの森へと帰還する。

 石となってしまった鬼太郎を安全な場所まで連れてくる必要もあり、今後のゴルゴーンへの対策を話し合うためでもあった。

 

「そ、そんな……鬼太郎!!」

 

 だが鬼太郎の無残な惨状に、彼に好意を抱いている猫娘はそれどころではなくなっている。

 

「な、何ということじゃ……」

「こ、こりゃいかんぞ!」

「ぬ、ぬりかべ~!!」

 

 他の仲間たち、砂かけババアや子泣き爺。ぬりかべにも動揺が走る。

 

「あ~あ……こりゃ、もう駄目だね~」

 

 ねずみ男などは頼みの綱である鬼太郎がやられ、さっそく逃げ出す準備を始めていた。

 どこかへ身を隠そうというのか。大風呂敷を抱え、脱兎の如くその場から離脱していく。

 

 

「……皆、聞いて頂戴……」

 

 

 そんな意気消沈する一同へ、アニエスは覚悟を決めて声を掛けていた。

 皆の気持ちを察しながらも、彼女は現状を打破するために話を先に進めなければならなかった。

 

 

 鬼太郎を元に戻すためにも、この国を守るためにも——『打倒ゴルゴーン』に向けての作戦会議を始める。

 

 

 

 

 

「——ゴルゴーンは現在、日本の領海から離れてどこかへ身を隠したわ」

 

 まず最初、ゲゲゲハウスのテーブルに日本近海の地図を広げてアニエスは現状確認を行う。

 鬼太郎と自衛隊の活躍により退けることに成功したゴルゴーン。彼女は傷を癒やすためにどこかへと身を隠した。こちらから仕掛けるためにも、アニエスたちはその詳しい居場所を特定する必要があった。

 

「……ふむ、自衛隊の追跡調査によると……奴はこの辺りで消息を絶ったということじゃが……」

 

 砂かけババアは手元のパソコンを操作しながら言う。

 自衛隊のシステムをハッキングすることで、彼らが掴んでいる内部情報を調べているようだ。その情報を元に、ゴルゴーンが潜んでいる大まかな場所にあたりをつける。

 

「彼女は……おそらく陸地に上がっている筈です。そこで巣を作って……傷の回復を図っている……でしょう」

 

 そこへ例の謎の少女・アナが意見を口にした。

 彼女によるとゴルゴーンは『巣』を、自分の領域である『神殿』を構築する習性があるとのこと。そのために必要なのは陸地だ。ゴルゴーンが消息を絶った場所に近い範囲で陸地を探す。

 

「……なるほど……となれば……おそらくはこの島じゃ!」

 

 それらの情報を元にゴルゴーンの居場所を総合的に判断、目玉おやじが地図上に浮かぶとある島を指差した。

 

「……こりゃ、随分と難儀な場所へ逃げ込んだのう……」

 

 ゴルゴーンが上陸したと思われる場所に子泣き爺が顔を顰める。

 ニュースで何度か見たことがある場所だ。その島は——日本とK国が長い間、領土問題で揉めているかなり面倒な場所であった。妖怪である彼らには関係ないが、この島に潜んでいるとなれば自衛隊は手出しできない。

 必然的に、彼らからの援護は期待できないだろう。

 

「……で? 場所を特定してどうすんの? 私たちだけで……あのゴルゴーンって女とどう戦おうって言うのよ!!」

 

 ゴルゴーンの居場所の見当はついた。しかし、肝心な部分で問題があると猫娘が苛立ち気味に声を荒げる。

 鬼太郎が石像となってしまったことに未だに踏ん切りをつけられないでいる彼女は、そのイライラをぶつけるように素性の知れない少女——アナへ疑惑の眼差しを向ける。

 

「そもそも、さも当然のようにここにいるけど……アナって言ったかしら? アンタいったい何者よ!! 何であのゴルゴーンが陸地にいるだなんて、証拠もなく断言できる訳!?」

「まあまあ、落ち着かんかい、猫娘~……」

 

 気持ちが昂っている猫娘。そんな彼女を何とか宥めようと一反木綿が声を掛ける。しかし、彼女の言い分も分からなくはないため、説得の言葉にも些か力強さが欠けている。

 

「……」

「……」

「ぬ、ぬりかべ~……」

 

 他の面子も、口には出さないがアナという少女に対する不信感を拭えないでいた。

 素性どころか、顔さえもまともに見せない相手をいったいどう信用しようというのか。

 

「別に……貴方たちに信用されようだなんて思っていません」

 

 そんな日本妖怪たちに、アナは感情を見せずにあくまで淡々と述べる。

 

「貴方たちがどうなろうと、この国がどうなろうと、人間たちがどうなろうと……わたしには関わりがないことです」

「!! 何ですって!?」

 

 アナの言い草に、猫娘がさらに表情を険しくして彼女を睨みつける。しかし、アナは怯まずにはっきりと自身の主張を口にした。

 

 

「ただ……ゴルゴーンだけは殺します。わたしのこの手で……確実に!」

「……!!」

 

 

 底冷えするように冷たい、鋭さを帯びた物言い。

 純粋な殺意とも違う、何か——並々ならぬ決意が込められた言葉だった。

 

「…………まあいいわ。それよりも肝心の石化対策だけど——」

 

 秘められたその言葉の力強さから、ゴルゴーンを倒そうとする彼女の意思だけは本物だと。

 未だに目的の見えないアナへの警戒心を抱きつつも、猫娘を始めとした日本妖怪たちは話を先へ進めていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………アナ」

 

 

 

 一人だけ。

 アナの抱えている事情、その『全て』を知るアニエスだけは複雑そうな視線で彼女を見つめていた。

 

 

 

×

 

 

 

 その日の夜。

 ゴルゴーン討伐に向けて幾つかの『作戦』を話し終えた後、一同は一晩の休息をゲゲゲの森で取ることになった。日本妖怪たちにとっては住処であるゲゲゲの森での一夜だ。自分の住居へと戻り、それぞれの床に就く。

 

「…………」

 

 だが、アナにとってこの地は心が休まるような場所ではない。

 睡魔と戦いながら、周囲を警戒しつつ油断のない一夜を過ごそうとしていた。

 

「眠らなくていいの……アナ?」

「アニエス……」

 

 そこへ声を掛けたのがアニエスだった。

 アニエスに対してはアナも警戒心を緩める。初対面の際、傷を癒してくれたことで多少は心を許すようになっているのかもしれない。アニエスが隣に腰掛けてくるのを、アナも黙って受け入れる。

 

「……さっき、アデルお姉様から連絡があったわ。例の得物……明日までには必ず確保して届けるって……」

 

 アニエスはとりあえず事務的な報告を済ませる。

 それは現在も別行動をとっているアニエスの姉・アデルの動向についてだ。彼女はアナからの要請でとある『聖遺物』を確保しに動いていた。それは対ゴルゴーン戦の際に必ず必要となる必須装備だ。

 

 その武器をアナが所持することで——彼女はその刃をゴルゴーンに届かせることができるようになるとのことだ。

 

「……ありがとう、アニエス。貴方たちのおかげで……わたしは自身の目的を果たすことができそうです」

「…………」

 

 アニエスの報告にアナは柔らかい口調で礼を言う。反面、アニエスはその表情を曇らせていた。

 

 

「……本当に……それでいいの?」

 

 

 浮かない表情を浮かべながら、アニエスは堪らずアナへと問い掛ける。

 

「ゴルゴーンを倒す……それが貴方の目的。でも……それは………」

 

 あのカタチのない島でアナを保護したアニエスとアデルは彼女から事情を聞かされていた。

 彼女の目的・ゴルゴーンを倒すという意思に偽りはない。だが、ゴルゴーンを殺すということが、アナにとってどういうことになるのか。

 アナの素性を知るアニエスからすればかなり複雑な心境だ。

 

「気にしないで下さい」

 

 だが既に割り切っているアナは表面上は感情を見せないように呟いていた。

 

「わたしは……本来であればあり得ない、バグのような存在です。そんなわたしに生まれてきた意味があるとすれば……彼女を殺すことだけでしょう。気遣いなど、無用なことです」

「…………アナ」

 

 痛ましいアナの覚悟にますます泣きそうな顔になるアニエス。そんな顔をされてしまっては、寧ろアナの方が居心地の悪い気分になってしまう。

 アナはその気まずさを紛らわそうと、今度は彼女からアニエスに声を掛ける。

 

「寧ろ……貴方こそ、何故ゴルゴーンと戦う必要があるのでしょう?」

「えっ……?」

「貴方は西洋の魔女です。この国のため……人間たちのためにそこまで必死になる必要はないと思いますが……」

 

 アナが疑問を抱いたのはアニエスの戦う動機である。

 

 アニエスは西洋の魔女だ。日本妖怪と友誼を深めていることは先のやり取りで何となく察することができたが、別に彼女も、そして日本妖怪たちも。無理にゴルゴーンとぶつかる必要などない。

 ゴルゴーンの目的は人間への復讐であり、妖怪である彼女たちはその復讐の範疇外の存在だ。鬼太郎だって最初からゴルゴーンの邪魔に入らなければ石にされることもなかった。

 

 

 対岸の火事と、放置しておけばいい事態にどうして鬼太郎たちもアニエスもこんなに必死になっているのだろう。

 

 

 

「……鬼太郎は、約束がどうとか言ってたけど……」

 

 アニエスの知る鬼太郎が人間たちを庇う理由。以前に彼がそれとなく語ってくれたが、それ以上の詳しい事情は彼女も知らない。

 他の妖怪たち。大なり小なり人間に思うところはあるだろうが、彼らが戦うのは鬼太郎のためだろう。

 

 では、アニエス自身はどうだろうかと?

 そこで改めて理由を考え、パッと思いつく動機を彼女は口にしていた。

 

 

「わたしは……やっぱり……あの子が……友達がこの国にいるからかな?」

 

 

 友達——。

 鬼太郎たちとも友人と呼べる関係だし、実際に彼らのことを助けたいとも思う。

 けれど、もっと強く心揺さぶられる理由があるとするならば——それはこの国にいる、大切な人間の友達を守るためである。

 ゴルゴーンが日本へ上陸すれば、きっと『彼女』にも害が及ぶ。

 だからこそ——アニエスはここまで必死になって戦っているのだ。

 

 

「と、友達……ですか? 人間と?」

 

 アニエスの動機にアナがキョトンとしている。

 人間の友達がいるなどと、アナからしてみれば信じられないことだったかもしれない。

 

「…………アナは、人間が嫌い?」

 

 その反応にアニエスが『答えの分かっている』質問をする。

 アナという存在の経緯を考えれば——『嫌い』とはっきり断言することなど分かり切っていることだ。

 

 しかし、アナはアニエスが思っていたのとは少しだけ違う解答を口にした。

 

 

「わたしは……人間が怖いです」

「……!」

 

 

 嫌いではなく、怖いと口にした。

 それが『憎い』と叫ぶだけのゴルゴーンとの違いだろう。

 

「彼らがわたしを怪物と蔑むから……わたしも……そうなるしかなかった」

 

 本人は、淡々と口にしているつもりだろう。

 しかし、アナの体は僅かだが震えていた。

 

 

 人間に対する恐れ、それが——彼女の根底に根付いているのだ。

 

 

「ワタシは……正直、昔は人間にそこまで興味なんかなかったかな……」

 

 そんな恐怖心を押し殺してまで本心を語ってくれたアナに、アニエスも正直な気持ちを聞かせていく。昔は、それこそアニエスは人間に対して嫌悪も興味も抱いていなかった。

 彼女自身他に目的があり、そのためであれば人間や日本妖怪など、簡単に見捨てていたかもしれない。

 

「けど……あの子は、そんなワタシに手を差し伸べてくれた。魔女であるワタシとまっすぐ向き合って……友達だって……言ってくれた……」

 

 日本に来た当初、アニエスは日本妖怪からも疎まれ、一人孤独の中で押しつぶされていた。

 今思えばその孤立も自業自得でしかなく、きっとあの当時の自分は誰にも心を開くつもりがなかったのだろう。

 

 

 それでも——そうやって心を閉ざすアニエスに、『彼女』は手を差し伸べてくれたのだ。

 

 

 今の自分がここにいられるのも、あの子のおかげだ。

 だから——あの子を守るためにも、アニエスはこの国をゴルゴーンから守るのだ。

 

「……ふ、ふふふ……」

「な、なに? ワタシ、なんかおかしいこと言ったかしら」

 

 アニエスの話を聞き、何故かアナはおかしそうに笑みを溢す。

 それは——アニエスがアナと出会って初めて見る、年相応な少女の微笑みだった。

 

「だって……アニエスがその人間にされたことって、わたしがそのまま貴方にされたことですよ?」

「え、ええ!? そ、そうなるのかな?」

 

 アニエスに自覚はないが、彼女がアナにしたことはまさに自分が過去してもらったことそのものだ。

 

 一人でゴルゴーン復活の跡地で蹲るアナへ手を差し伸べ、彼女と一緒になって目的を果たそうとしている。

 きっと知らず知らずのうち、友達である彼女の影響を受けているのだろう。

 

 それが、何だかアナには面白おかしく見えていた。 

 

 

「あのう……もう少しだけ、付き合ってくれませんか? わたし……もっとアニエスの話を聞いてみたいです」

 

 

 それがきっかけとなったのか。

 アナは途端にアニエスへの興味が広がり、気が付けば色々と質問をしていた。

 

 その人間の友達とやらのこと、アニエス自身のこと、姉であるアデルのこと。

 次から次へと、話の種が尽きることはない。

 

 

「ええ、いいわ。……どんな質問でも答えてあげる。ワタシも、もっと……貴方と話をしてみたいから……」

 

 

 アニエスも、アナのどんな問い掛けにも快く答えていく。

 

 

 まるで十年来の友人のように。

 

 

 二人は深夜であることも、ゴルゴーンという脅威が眼前に迫っていることも忘れ。

 

 

 楽しく、それこそ——ただの少女のように互いに語り合っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後になるであろう、二人だけの夜を過ごしていく——。

 

 

 

 

 




キャラ紹介
 
 メドゥーサ
  彼女の呼び方には『メデューサ』『メドゥーサ』と細かな違いが作品ごとにあります。実際、自分も前回の話で『メデューサ』って書いてました。
  ですが、今作はFateを基準にしていますので『メドゥーサ』で統一します。
  ゴルゴン三姉妹の三女の中、唯一怪物になる宿命を帯びた女神。

 ステンノ 
  ゴルゴン三姉妹の長女。永遠の少女、完成した女神。
  メドゥーサのことを色々と弄っていますが、根底では妹への愛が深い。
  エウリュアレとの違いで、若干言葉遣いが丁寧。
  Fgoでのイベント『虚月館殺人事件』ではその圧倒的なヒロイン力を見せつける。
  ……あの二人のためにも、必ず汎人類史を取り戻さねば。二部の続きはまだか!?

 エウリュアレ 
  ゴルゴン三姉妹の次女。長女同様、妹を愛している。
  ステンノとの違いで、少々ツンデレ気質。特に『美しい雷光』に対してはデレる。
  Fgoでは男鯖をクラスに関係なく消滅させていく、男性特攻鯖。
  今回の『輝け! グレイルライブ!!』の高難易度では大変お世話になりました!


用語解説

 アナが持つべき得物
  本作において、現在のアナは丸腰です。 
  ヴィクターが『イージス』を聖遺物として確保したように、アデルが『例の鎌』を聖遺物として手に入れ、それをアナに渡すことで彼女はゴルゴーンを殺す切り札となります。

 どっかの島
  ゴルゴーンが上陸することになるとある島。
  名前は出しませんが、例のあの島と似たような感じの場所です。
 「領土問題などない!」「あの島は我が国の領土だ!」と、色々な意見の人がいますが、とりあえずそこはスルーしていただきたい。


 次回でゴルゴーンとの戦いは決着です。
 次の話は……修学旅行でもしてもらおうかと思ってます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

進撃! 魔獣ゴルゴーン 其の③

『劇場版Fgoキャメロット後編』割と好評らしい。
前編の前評判があまり宜しくなかったから観に行かなかったけど……後編は観に行ってみようかなと興味を注がれる。けど……ちょっと情勢が不安定かな。
もう少し落ち着いたころ、まだ映画がやってたら行ってみようと思う。

それはそれとして『終局特異点 冠位時間神殿ソロモン』は絶対に観に行く!
あの感動が……皆で素材を取り合ったあの感動がスクリーンで蘇る!!
……これが、人類悪か。


今回でゴルゴーンとの最終決戦です。
どのような結末か……最後までお楽しみください。


「…………ん。あれ……もう、朝?」

 

 早朝。ゲゲゲの森の穏やかな日差しの中、魔女アニエスは目を覚ました。

 昨日の夜からずっとアナと語り合っている最中、どうやら彼女は眠ってしまったらしい。

 

 寝ぼけ眼を擦りながら、アニエスは自身の隣に視線を向ける。

 

「……すぅ~……ううん……姉様……」

 

 そこには自分と同じよう、いつの間にか寝入っていたアナの姿があった。

 あどけない表情、穏やかな寝息だ。それだけ見れば本当にただの少女にしか見えない。

 

「アナ……」

 

 そんな少女の寝顔にアニエスは微笑ましい笑みを浮かべながらも、これから戦わなければならない相手・ゴルゴーンのことを考え、その表情を険しいものへと変える。

 

 ゴルゴーンを殺す。

 その目的を果たせば、アナは——

 

「ワタシは……この子を……」

 

 目的を達せればこの国を守ることができる。石となった鬼太郎を助けることもできる。

 けれどその果てに待つ、アナの結末を思うと——アニエスは胸が締め付けられる思いでいっぱいだった。

 

「…………もう少し、寝かせてあげなきゃ……」

 

 せめて少しでも、少しでも平穏な時間を作ってあげたいと。

 アニエスはアナを無理に起こすことなく、その寝顔をもう少しだけ見守るつもりでいた。

 

 

 しかし——運命は彼女たちに穏やかな時間すら許さない。

 

 

「っ!! な、なに!?」

「——っ!! ……アニエス!? 敵襲ですか?」

 

 不意を打つように、轟音が森中に響き渡る。

 その音にアニエスがビクッと反応し、眠っていたアナも素早く身を起こす。二人の穏やかな時間はこうして過ぎ去り、すぐに戦いの空気へと変わっていく。

 

「行きましょう、アニエス!」

「……っ! ええ……アナ!」

 

 アナはあっさりと切り替えを済ませていたが、アニエスは未だに平和な時に未練を感じていた。

 歯痒い気持ちを抱きながらも仕方がなく、彼女たちは音の聞こえてきた方角。

 

 

 ゲゲゲハウスへと、慌てて駆けつけることとなる。

 

 

 

 

 

「——ふっははは!! 鬼太郎がいなければこの程度か! 日本妖怪!!」

「くっ……!」「ぐぬぬ……」「ぬ、ぬりかべ~……」

 

「なっ!? あれは……?」

 

 ゲゲゲハウスに辿り着いたアニエスたちの目に飛び込んできたのは——西洋妖怪に苦戦する日本妖怪たちの姿であった。

 既に人狼状態となっているヴォルフガングと、猫娘を始めとする日本妖怪たちが戦っている。しかし鬼太郎が石化して戦えないため、かなり苦戦気味の様子だ。

 

「ヴォルフガング!!」

「ん……? なんだ、誰かと思えば裏切り者のアニエスか!」

 

 アニエスは急いでその戦線へと割り込み、日本妖怪たちを援護する。だがアニエスの乱入など意にも介さず、ヴォルフガングはその牙を剥き出しにし、その爪で近づくもの全てを薙ぎ払っていく。

 

「くっくっく!! ゴルゴーンのおかげで鬼太郎は石となった! このまま奴の石像を粉々に砕けば……今度こそ我らの勝利だ!!」

 

 ヴォルフガングは石になった鬼太郎にトドメを刺しに来たようだ。ここで彼の石像を砕かれてしまえば、たとえゴルゴーンを倒せたとしても鬼太郎はその肉体を失ってしまう。

 彼を完全な状態で元に戻すためにも、ここでヴォルフガングを食い止めなければならない。だが——

 

「このっ!! アンタなんかの相手をしてる場合じゃないってのに!!」

 

 猫娘が苛立っているように、こんなところでヴォルフガングの相手をしているわけにはいかない。予定ではゴルゴーン討伐のため、仲間たち全員でゲゲゲの森を出発する筈だったのだ。

 ここで時間を割いていては、いずれゴルゴーンの方から動き出してしまう。時間を掛ければ掛けるほど、いたずらに被害を広げることになってしまう。

 

「さあ……観念するんだなっ!!」

 

 こちらの焦りを嘲笑うように、ヴォルフガングが一気に勝負を決めようと襲い掛かる。その猛攻に身構える一同。

 

「——っ!? な、なんだと!?」

 

 だがその直後、虚空より弾丸が飛来し、ヴォルフガングを狙い撃つ。

 弾道の色は銀——『銀の弾丸』だ。西洋の魔物にとって『銀』は聖なる属性を帯びた素材。ヴォルフガングは大慌てで弾丸を回避し、何とか事なきを得る。

 

「——貴様の相手はこの私だ!!」

「あ、アデルお姉様!?」

 

 弾丸の射手はアニエスの姉・アデルであった。彼女は魔法の翼を生やしながら上空より馳せ参じる。

 

「チッ!! 裏切り者が次から次へと!!」

 

 アニエスに続き、アデルまで現れたことでヴォルフガングは苦虫を噛み潰したような顔になる。

 

「アニエス! ここは私に任せてお前たちはゴルゴーンを……アナ!!」

 

 そんなヴォルフガングに銃口を向けたまま、アデルはアニエスへゴルゴーン討伐に行くように指示し——

 そしてアナに向かい、自身が持参してきた『それ』を投げ渡す。

 

「!! これは……」

「お前が欲しがっていた品だ! 生憎とレプリカだが……効力はオリジナルとそう変わらん!!」

 

 アナは渡された物の包みを取る。

 中身は少女の身の丈には過ぎた大きさの『鎖の付いた大鎌』であった。アナはその大鎌を——覚悟を決めた顔でグッと握り込む。

 

「それでお前の目的を果たせ……行け!!」

「あの鎌は……ま、まさか!! おのれぇえええええええ!!」

 

 アデルはアナにさらに覚悟を促し、ヴォルフガングがその大鎌を前に表情を強張らせる。

 ゴルゴーンの神話を知るものであれば、その『鎌』がなんであるか察しがついたことだろう。ヴォルフガングはその鎌を持つアナを行かせまいと、彼女へと飛び掛かった。

 

「はっ!! させると思う!?」

「それっ! 痺れ砂じゃ!!」

 

 しかしそれを制止するべく。猫娘がヴォルフガングの爪を弾き、砂かけババアが砂をばら撒いて相手の視界を封じる。二人もヴォルフガングの足止めに入り、猫娘が残りの面子に叫んだ。

 

「子泣き爺! 一反木綿! ぬりかべ! アンタたちはアニエスたちと行きなさい!!」

「——!!」

「鬼太郎は……私たちで守るから!!」

 

 鬼太郎を守るべく猫娘と砂かけババア、アデルの三人がその場に、残りの面子でゴルゴーンを倒しにいく。

 それが、今できる自分たちの最善だと猫娘は判断した。

 

「よ~し、任せておけ!! いくぞ、皆の衆!!」

 

 猫娘の期待に子泣き爺が奮い立ち、彼を先頭にそれぞれがゲゲゲの森を出発していく。

 目指す場所は——ゴルゴーンが待ち構えている島。彼女を倒し、鬼太郎を救おうと皆が意気込んでいた。

 

「アナ! ……って言ったわよね」

「…………」

 

 その際、猫娘は改めてアナへ声を掛けた。

 

「正直、まだアンタのこと信じていいか分からないけど……」

 

 猫娘は未だにこのアナという少女を信用しきれないでいる。

 アニエスの話によれば、アデルが彼女に渡したその『鎌』がゴルゴーン攻略の鍵になるという。そんな大事な武器をアナに任せていいものか。猫娘の正直な不安である。けれど——

 

「……ゴルゴーンの相手は任せるわ……鬼太郎のこと……お願いよ!!」

 

 ゴルゴーンを倒すためにも、鬼太郎を救うためにも今はアナを信じるしかない。

 猫娘は自分が出来ることとして、今はヴォルフガングを食い止めることに集中していく。

 

「ええ……任せてください。行きましょう、アニエス!」

 

 猫娘の思いに応える形でアナも決意を固め、アニエスと共に駆け出していく。

 

 

 

 

「…………」

 

 だがそのアニエスは——未だに躊躇いを、心に迷いを抱えたままであった。

 

 

 

×

 

 

 

 ゲゲゲの森を出発した一同が海上の空を駆ける。一反木綿は自分で空を飛び、子泣き爺とぬりかべはカラスたちに運んでもらう。

 アニエスも箒にアナを乗せ、共に目的地である島まで向かうが到着までもう少し時間が掛かりそうだった。

 

「——アニエス、アニエスよ……」

「なっ! おやじさん? 付いてきてたの?」

 

 その間、いつの間にかアニエスの肩にちょこんと乗っかっていた目玉おやじが彼女に声を掛けた。てっきり鬼太郎を心配して残っていると思っていただけに、アニエスは彼の同行に目を丸くする。

 

「アニエスよ……そろそろ話してくれてもいいのではないかのう」

「えっ……?」

「あのアナという子の素性……何やらのっぴきならない事情があるようじゃが?」

 

 目玉おやじが問い掛けたのは、アナの正体についてだ。

 ここに来て、今更目玉おやじがアナへ懐疑的な視線を向けることはない。だが、何やら並々ならぬ事情があることは彼にも察することができた。

 アナのゴルゴーンに対する敵意。何より——アニエスがアナへと向ける、何とも言えない寂しさのような視線。

 

 いったい、アナもアニエスも——何を隠しているのか? 

 それが目玉おやじには気掛かりだった。

 

「そ、それは……」

 

 目玉おやじの質問に言い淀むアニエス。

 彼女は彼ら日本妖怪にもアナの『正体』について今ここで話すべきか、真剣に頭を悩ませる。

 

「……アニエス、余計なことを話す必要はありませんよ」

 

 しかし本人が、その話を後ろで聞いていたアナ自身がアニエスを口止めする。

 

「どうせ……ゴルゴーンと対峙すれば分かることです。今この場で話しても……意味はありません」

「そ、それは……そうなのかもしれないけど……」

「……?」

 

 意味はないと言い一方で、いずれは分かると投げやりに吐き捨てるアナ。その発言にどこか達観した、諦めの様なものが込められているように感じられ、ますます疑問が深まる。

 結局——島に着くまでの間、それ以上の話を聞き出せるような雰囲気でもなかった。

 

 

 

 

「——おおっ!? 見えてきたばい!!」

 

 そうこうしているうち。ついに目的の島が見えてきたと、先行して飛ぶ一反木綿が声を上げた。ゴルゴーンが神殿を構築して傷を癒しているであろう、彼女の住処となった島。

 

 その島は——日本とk国の双方が権利を主張する、領土問題で度々騒がれている島だ。

 

 現在はk国の警備隊が常駐しており、許可もなく部外者が近づけば治安維持の名目のもと、威嚇射撃くらいはしてくるかもしれない。

 だが、島へと近づいていくアニエスたち一行に、島にいる筈のk国の人間からは何のリアクションもない。

 

「これは……」

 

 何があったかは、一目瞭然だった。

 島へ上陸したアニエスたちが目にしたのは——恐怖の表情を浮かべながら石となっている兵士たちの姿。そう、島の守り手であるk国の人間たちは、一人残らず石と化していた。

 やはりゴルゴーンはこの島にいる。その石像たちこそ、その証拠である。

 

「この者たちは……」

 

 目玉おやじは人間たちの石像を見つめながら呟く。息子同様石にされた人々、ゴルゴーンを倒せば彼らも元に戻るだろう。しかし——

 

「こりゃ酷い……これじゃ、ゴルゴーンを倒したところで……」

 

 子泣き爺がその惨状に顔を顰める。

 石になった人間たちだが、その大半は首がもがれていたり、粉々に砕かれていたりと原型をほとんど残していない。これでは、たとえ元に戻ったところでただの死体だ。

 彼らは——もう、死んでいるも同然だった。

 

「……行きましょう、ゴルゴーンはもう目と鼻の先です……」

 

 そんな石ころたちを前に、あくまでクールに徹するアナ。この人間たちに構ったところで仕方ないと割り切り、ゴルゴーンの元へと急ごうとする。

 

「待ってちょうだい、アナ! ……フェカ・ト・ナヲ・イノカ・イガ!!」

 

 だがアニエスはそう簡単には割り切れなかった。

 彼女はその場で修復の呪文を唱え、何体かの石像を元に戻していく。

 

「……これで……何とか元に戻れればいいのだけど……」

「おお!! 相変わらず大した魔力じゃ!!」

 

 砕かれた破片が繋がっていき、とりあえず原型は取り戻せた石像たち。相変わらずの魔力に驚く目玉おやじではあるが、アニエスに出来るのはここまでだ。

 ここから元に戻ったとき、ちゃんと動くことができるかどうか。

 そもそも、石から生身へと戻ることができるかも、全てはゴルゴーンを倒せるか次第。

 

 全ては——アニエスやアナたちの手に委ねられる。

 

「行きましょう……今度こそ……」

 

 アニエスが石像たちを直す光景に、アナは少し複雑そうな空気を漂わせつつ。

 ゴルゴーンがいると思われる、島の中央。『神殿』の中へと飛び込んでいく。

 

 

 

 

 ゴルゴーンの神殿——といっても、そこはただの大きな洞穴だった。

 

 彼女がこの島を住処としてまだ一晩しか立っていないのだ。内装の方にも神殿らしい装飾などない。

 しかし、漂う不気味さが普通とは明らかに違う。一同は重苦しく、息苦しいその穴の中を慎重に進んでいき——そして、たどり着く。

 

 

 洞窟内の巨大な空洞、ゴルゴーンが潜んでいるであろう神殿の最奥に——。

 

 

「こりゃ!! 出てこんかい、ゴルゴーン!! 昨日の借り、きっちり利子つけて返してやるばい!!」

 

 そこへ辿り着くや、一反木綿が血気盛んに叫んでゴルゴーンを呼びつける。前回の戦いのリベンジをしようというのか、かなりやる気満々な態度である。

 

 

「…………なんだ、誰かと思えば、いつぞや見逃してやった虫ではないか……」

「で、でおったな……って、やっぱ怖か!!」

 

 

 もっともどれだけ強気になろうとも、実際のゴルゴーンの登場には肝を冷やすしかない。

 彼女は地面の巨大な亀裂から、地の底から這い出てくるかのようにその姿を現した。

 

「こりゃ……想像以上にとんでもない奴が出てきたもんじゃい!」

「ぬ、ぬりかべ~……!」

 

 ゴルゴーンと間近で対面する子泣き爺とぬりかべも恐れ慄いている。体長百メートルを越える女怪だ。話に聞いてはいたが、想像以上にデカく、そして恐ろしい形相でこちらを睨みつけてくる。

 いかに妖怪といえども、その神話の怪物を前にして平然とできる筈もないのだ。

 

「——ゴルゴーンよ!! お主、何故人間に復讐しようなどと……大人しく引き下がることは出来ぬのか!?」

 

 そんな誰もが恐怖と畏怖で萎縮する中、誰よりも小さな目玉おやじが声を張り上げてゴルゴーンに問いを投げ掛ける。

 彼は、ゴルゴーンに復讐の虚しさを説き、どうにかして彼女を鎮められないかと試みる。いきなり争い合うのではなく、まずは言葉で。年の功とも言うべき、彼らしい優しさではある。

 

 しかし——そんな生易しい思いやりなど、ゴルゴーンには届かない。

 

 

「あっはははははっ!! 何を言いだすかと思えば……何故? 私に何故と問うか!?」

 

 

 目玉おやじの言葉を、嘲笑するように笑い声を上げる怪物。

 彼女は冷酷な笑みをたたえ、その瞳の奥に燃え上がるような復讐心を滾らせて叫んでいた。

 

 

「見ろ!! この禍々しい我が姿を!! 私をこんな化け物に変えたのは他の何者でない……奴ら人間どもだ!!」

 

 

 ゴルゴーンとて、望んで今のような姿になったわけではない。

 彼女はあくまで一柱の女神に過ぎず、アテナに呪いをかけられたとはいえ、普通に過ごしていればただの『メドゥーサ』として最後まで理性を保てていたかもしれないのだ。

 

 彼女が恐ろしい怪物になってしまった最大の要因は——『人間たちへの殺戮』が原因だ。

 怪物と蔑み、襲い掛かってくる彼らの返り血を浴び続けることで——彼女は『魔性』へと身をやつすことになったのだ。

 

 

「私を化け物と呼んだのは人間だ!! 人間が、私が醜い怪物であることを望んだのだ!!」

 

 

 人々が怪物、化け物と呼ぶならそれで構わない。ならば、そのとおりに振る舞ってやるだけだと。

 ゴルゴーンは人間たちが望むように怪物としての力を発揮しているだけに過ぎない。全ては——人間たちの自業自得なのだと。

 

 

「だから私は人間どもを滅ぼす!! その全てを根絶やしにする!! そうする他に……望むことなど何もないのだから!!」

 

 

 その『復讐心』こそが、自分を突き動かす原動力だと。

 ゴルゴーンは、そうするしかない自分自身を自嘲するように高笑いを上げる。

 

 

 

 だが——

 

 

 

「——違います」

「…………なに?」

 

 そんなゴルゴーンの主張を、正面からキッパリ切り捨てるものがいた。

 フードで顔を隠した少女・アナだ。

 

「貴方は復讐など、心の底から望んでいない。その姿も……貴方自身の愚かさが招いた結果でしかありません」

 

 彼女はゴルゴーンに向かって、誰よりも辛辣な言葉を浴びせる。

 

「貴方が怪物となってしまったのは避けようのない運命だった。それを人間のせいにして、自身を正当化するのは止めなさい」

 

 

 

「貴方のそれは……ただの八つ当たりです」

「き、きさまぁあああ!!」

 

 

 

 当然だが、そんな彼女の言い分にゴルゴーンは激怒する。

 

 

「何者かは知らぬが、知ったような口を!! 貴様に私のなにが…………」

 

 

 激情したまま、ゴルゴーンはアナに噛みつこうと顔を近づけ——そこで彼女の動きが止まった。

 

 

「なっ!? なんだ、お、お前は……何故、お前は……そんな、ば、馬鹿なっ!?」

「……!?」

 

 

 彼女の態度の変化に日本妖怪たちは驚愕していた。

 あのゴルゴーンが、神話の怪物が。鬼太郎をも打ち負かしたあの魔獣が——怯えている。

 

 アナを恐れ、彼女から少しでも距離を取ろうと、その巨体を後退させていく。

 いったい、これはどういうことだと——皆がアナに注目する。

 

 

「——っ!? お、お主! その顔はっ!?」

 

 

 そこで彼らは目にすることになった。アナの正体、その素顔を——。

 

 

「今の貴方より……わたしは貴方のことを分かっているつもりです」

 

 周囲の視線を気にしつつも、アナはゴルゴーンへの語りを止めようとはしない。

 彼女は自分を見て怯えるゴルゴーンを追い詰めるように、憐れむように、悲しむように——

 

 

「——わたしは……貴方なのですから」

 

 

 見た目がそっくりなその『顔』を、ゴルゴーンへと向ける。

 

 

 そう、アナの素顔。

 大人と子供の違いこそあれども、それはどこからどう見ても全く同じ。

 

 

 あの魔獣と、瓜二つの顔をしていた。

 

 

 

×

 

 

 

 アナが何故、ゴルゴーンと『分離』したのか?

 それは、アナ自身もはっきりと理解はしていない。

 

 しかし、気がつけばアナの意識はそこにあった。『泥』の影響で暴走を始めたゴルゴーン、彼女が飛び出していったカタチのない島の跡地で。

 まるで先走った感情に取り残されるように、アナは小さな少女の肉体で目覚めていた。

 

『……止めなければ、私が、彼女を殺さなければ……』

 

 アナは目覚めて直ぐ、ゴルゴーンを殺すという目的を胸に抱いていた。

 

『……けど……わたし一人では……』

 

 だが自分一人では何も出来ない。まずはゴルゴーンを殺すための武器が必要だと。

 彼女はとりあえず、そのために活動を始めようとし——。

 

『——何者だ!? 貴様……バックベアード軍団の手の者か!!』

『……っ!?』

 

 そこで遭遇したのが、アデルとアニエス。二人の魔女の姉妹だった。

 姉の方であるアデルは敵意を剥き出しに自分に銃口を突き付けてきた。正直、今でも苦手意識がある。

 

『——待って、お姉様!! ……その子、怪我をしています』

 

 しかし妹の方であるアニエスは、アナの傷を気遣い治療までしてくれた。

 明らかに怪しいであろう自分に、労りを持って接してくれた。

 

 ——……彼女たちに事情を話せば、協力してくれるかもしれない。

 

 他に頼るものもなかったアナは、初めて出くわしたその姉妹に自身の目的、そして正体を正直に話した。

 アナという後から付けた偽名ではない、自分という『怪物』の本当の名を——。

 

 

『——私はメドゥーサ。遠くない未来……ゴルゴーンと呼ばれるようになる怪物……』

 

 

 メドゥーサ、それが自身の真名だと。

 彼女が怪物となる前、姉妹たちと楽しく笑い合って暮らしていた。

 

 

 一番最初の姿こそが——アナだったのだ。

 

 

 

 

 

「や、止めろ!! 見るな……! その目で……その顔で私を見るな!!」

 

 

 そんなアナを目の前にし、ゴルゴーンは震えていた。

 彼女にとって、アナの存在は目に入れるだけで『猛毒』だ。自分の幼い頃の姿、幸せだった日々を思い出させるアナこそ、まさにゴルゴーンにとって『劇薬』と呼ぶべき存在。

 彼女を前にゴルゴーンは明らかに怯み、弱体化していることが目に見えて確認できる。

 

 だが、それでも彼女は魔獣ゴルゴーン。ギリシャ神話最大の怪物だ。

 

 

「うぅうっ!! し、死ね!! 死ね死ね死ねぇえええええ!!」

 

 

 大きく弱体化しながらも、アナを排除しようと熱線を浴びせてくる。

 強烈な熱量だ。まともに食らえば、アナの小さな体など簡単に吹き飛んでしまうだろう。

 

「——ぬりかべェ~!!」

 

 それを——ぬりかべが阻止する。

 アナを庇うべく、その大きな体を盾に真正面からゴルゴーンの攻撃を受け止めた。

 

 

「おのれぇえええ、邪魔をするな!!」

 

 

 苛立ちを吐き捨てながら、今度は魔眼・キュベレイに妖力をかき集めるゴルゴーン。

 魔眼の力で邪魔するものを片っ端から石にしてやろうという魂胆なのだろう。彼女の瞳から石化の邪光が放たれる。

 

 

「——食らえ!!」

「——なんの!!」

 

 

 その光を——子泣き爺が一人で受け止める。

 彼は「おぎゃ、おぎゃ!!」と泣きながら、そのままゴルゴーンへと突っ込んでタックルをぶちかます。

 

 

「がはっ!? ば、馬鹿な……貴様、何故我が魔眼を受けても石にならぬ……! いや、石になっていながらどうして動けるのだ!?」

 

 

 タックルの直撃を受けたゴルゴーンは悶絶していた。

 だが物理的な痛み以上に、彼女を驚愕させたのが子泣き爺の無事な姿だ。彼はゴルゴーンの魔眼を受けていながらも、石となっていながらも平然と動き、自分に一撃を見舞ったのだ。

 その事実に驚くゴルゴーンだが、子泣き爺からしてみれば大したことではない。

 

「わしはもともと石になる妖怪じゃ! 自分から石になってしまえば……お主の魔眼など恐るるに足らんわい!」

 

 子泣き爺は泣くことでその体を石にできる妖怪だ。故に最初から全身を石化して戦えば魔眼など彼には通用しない。

 

「ぬりかべ~!!」

 

 同様の理由でぬりかべにも魔眼は効かない。彼の体もその大半が石で出来ているため、最初から石化などしよう筈がないのだ。

 この二人であれば、ゴルゴーン相手にも決して引けを取らない戦いができる。

 

 

「ほ~れ!! こっち、こっちばいよ~!!」

「チィッ! ちょこまかと!!」

 

 

 さらに——その二人をサポートする形で一反木綿がゴルゴーンの注意を引きつける。

 空を自由自在に飛び回れる彼であれば、ゴルゴーンの攻撃を避け続けることができる。石化の光も、髪の毛の蛇たちが放つブレスも、ヒラリヒラリと器用に躱していく。

 

 

「おのれ!! おのれ!! おのれェエエエエエエエエエ!!」

 

 

 だが、そこまで有利な状況に持ち込んでいても、やはり相手は神話の魔獣。その巨体のタフさ、繰り出される一撃一撃の重みに子泣き爺もぬりかべも苦戦させられる。

 

「ぐぬぬぬ、しぶといやつじゃ!!」

「ぬ、ぬりかべ~!!」

 

 二人の火力では、互角に戦うことができても決定打を与えることができない。このままでは、いずれこちら側の体力の方が先に尽きてしまうだろう。

 

 

 だからこそ——アナが必要だった。

 

 

「行きます……アニエス、援護してください!!」

 

 アナはゴルゴーンを殺す武器として、手にした『鎌』を構えた。

 その鎌であれば、ゴルゴーンに致命傷を与えることができる。

 

 そのために、ゴルゴーンの懐に飛び込むためにも——アナはアニエスに力を貸してくれと叫んでいた。

 

 

 

 

 

 ——ワタシは、ワタシは……!

 

 しかし、ここに来てアニエスの苦悩は続いていた。

 この勢いであればゴルゴーンを倒すことができるかもしれない。アナの望みを叶えることができるかもしれない。

 

 しかし、その果てに待つものは——アナの消滅だ。

 ゴルゴーンを殺せば——その分離体である彼女も諸共に消滅する。

 

 ——……ワタシは……彼女を……!

 

 その事実をアナから直接語られていたアニエスは、その手伝いをすることに躊躇いを抱いていた。

 せっかく仲良くなれたのに。友達と思えるようになった彼女を『殺す』手助けをしなければならない。

 

 ゴルゴーンから日本を守るためとはいえ、それはあまりにも酷ではないかとアニエスの心が悲鳴を上げていた。

 

 

「——アニエス!!」

 

 

 そんなアニエスへ、アナは呼びかけを続けた。

 

「……お願いします。力を貸してください……」

 

 切実な願いが、その言葉には込められていた。

 アナは誰よりもゴルゴーンを、自分自身を殺すことを望んでいる。

 

「彼女の中には……かつて取り込んだ姉様たちの魂が、今も囚われています……」

「っ!!」

 

 姉たちの魂——ステンノとエウリュアレのことだ。

 神話において、『メドゥーサ』は二人の神性を取り込むことで『ゴルゴーン』へと成り果てた。

 

 だから今も、その姉たちの魂がゴルゴーンの中で苦しんでいると。

 そこに、アナがゴルゴーンを殺す理由があった。

 

 

「眠らせてください。わたしを……姉様たちと一緒に……」

 

 

 姉二人の魂を解放し、自分自身も魂となって彼女たちの側に寄り添っていたい。

 それこそがアナの真の望みであり、そのためならば——彼女は全てを投げ打つ覚悟があった。

 

 

「姉…………」

 

 

 アナのその願いに、アニエスの心が揺れ動く。

 

 アニエス自身も、昔は姉のアデルとすれ違いの日々を送っていた。

 その苦悩の時間から解放され、今ようやく彼女は大切な家族であるアデルと共に歩んでいる。

 

 それと同じことを、アナは望んでいるのだ。

 

 

「——乗って、アナ!!」

 

 

 そう思えた瞬間——アニエスは箒を駆り、アナを後ろに乗せていた。

 目標はゴルゴーンの懐。もはや、迷うことなく一直線に突っ込んでいく。

 

「みんなっ!! アニエスとアナを援護するんじゃ!!」

 

 アニエスの肩に乗った目玉おやじが皆に号令を掛ける。

 ゴルゴーンを倒すためにも、アナの願いを叶えるためにも。今こそ一丸となって力を合わせるべきだと。

 

「よし……行くぞい!!」

「ぬりかべっ!!」

「任せんしゃい!!」

 

 少女たちの覚悟に漢たちが奮い立つ。

 

 子泣き爺が、全身を石化させ髪の毛の蛇たちを蹴散らしていく。

 ぬりかべが、その頑丈な体で強烈な熱線を防いでいく。

 一反木綿が、自慢の機動力で敵の狙いを翻弄していく。

 

 それぞれが持ち得る能力を最大限に発揮し、彼女たちのために道を開いていく。

 

 

「や、止めろ!? 来るなっ! 来るな! 来るなぁああああ!!」

 

 

 日本妖怪たちの勇猛果敢な戦いぶりに押され、ゴルゴーンはアニエスとアナの接近を食い止めることができなかった。

 アナの『顔』に怯えるゴルゴーン。彼女たちの接近を許せば許すほど、その表情が恐怖で引きつっていく。

 

 

「——ゴルゴーンォオオオオオオオオン!!」

 

 

 そんなゴルゴーンへ、ついのアナが射程距離まで辿り着く。

 彼女はアニエスの箒から飛び降り、ゴルゴーンの胸元へと大鎌の刃を振り下ろしていく。

 

 

 

 だが——

 

 

 

「あっ……」

「!? アナっ!」

 

 アナの鎌が振り下ろされる直前——放たれた熱線が彼女の小さな体を貫く。

 それは不意を突いたゴルゴーンの一撃だった。よろめくアナにアニエスが悲鳴を上げるが、無情にも髪の毛の蛇たちはアナを飲み込もうと彼女へと喰らいつく。

 

 

「は、ははっ……やった、やったぞ!」

 

 

 自身の最大の敵とも言うべきアナを排除できたと確信し、ゴルゴーンは安堵の笑い声を上げる。

 

 

「貴様にも……誰にも私の復讐の邪魔はさせぬ……そうとも! 私の復讐は終わらぬ! この地上から……人間どもを一人残らず駆逐するまで!!」

 

 

 あくまでも復讐に固執し、ゴルゴーンは叫び続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——いいえ、貴方の復讐は……ここで終わりです」

「————っ!!!?」

 

 

 けれど、そんな妄執にしがみつくゴルゴーンを。

 やはりもう一人の彼女——『メドゥーサ』であるアナが否定する。

 

 

「貴方の復讐が……『島』の外に出ることは……決してありません」

 

 

 髪の蛇に体を喰われ、満身創痍に血を吐きながらもアナは動く。

 蛇を退け、呆気に取られているゴルゴーンの一瞬の隙を突き——

 

 

「はぁあああああ!!」

 

 

 その胸元に——大鎌の刃を突き立てた。

 

 

「き、貴様……この、鎌は……!?」

 

 

 胸元に刃が喰いこんだ瞬間、その傷口から亀裂が入りその体が崩れ落ちていく。

 

 

 ゴルゴーンのあの巨体が——沈んでいく。

 

 

 それこそアナの手にした大鎌『ハルペー』の特性だった。

 かつて、石像となったゴルゴーンの首を刈り取った不死殺しの鎌。レプリカではあるものの、その特性を前にゴルゴーンのタフさも、不死性も。その全てが無力と化す。

 

 この一撃で、今度こそゴルゴーンは滅びる。

 その運命から、もはや逃れる術はない。

 

「さようなら……もう一人のわたし……」

 

 ゴルゴーンの命脈を絶ったアナは、そのまま崩れ落ちていく彼女と運命を共にする。

 

「わたしたちの悲しみは……捨てることが出来なくとも……叶えてはならないものでした」

 

 彼女の復讐は間違っていたとはっきりと断言しながらも、ゴルゴーンの感情には当然ながら理解を示す。

 

 

「せめて共に消えましょう……それが……わたしが貴方の元から分かれた理由なのですから……」

 

 

 だってゴルゴーンはアナ自身だから。その悲しみを誰よりも理解できたから。

 

 

 だからこそ——どんな手を使ってでも、アナは彼女を殺さなければならなかったのだ。

 

 

 

×

 

 

 

 ——……終わった……これで、わたしの役目は終わりました……。

 

 ゴルゴーンの巨体は、彼女が這い出てきた洞窟の亀裂の中へと吸い込まれるように落ちていく。

 アナもゴルゴーンと共に、そのまま奈落の底へと落ちていく。

 

 どのみち、大元であるゴルゴーンを殺した時点でアナに先はない。

 

 実際、ゴルゴーンの肉体が崩れ落ちていくと同時に、アナ自身の体も崩壊を見せ始めている。

 自分も死ぬ。そのことに恐怖はない。こうなることは既に分かっていたことなのだから。

 

 ——これで……やっと静かに眠ることができます……。

 

 寧ろ、アナは穏やかな笑みを浮かべていた。

 これで解放される。これで、これ以上自分が誰かを苦しめることも、苦しむこともない。

 

 やっと、楽になれると。

 

「……あっ」

 

 そう安堵したアナは、さらにそこであるものを見た。

 それは崩壊するゴルゴーンの体から解き放たれる——二つの魂。一見すると誰のものか分からないだろうが、アナにはそれが誰の魂なのか理解できた。

 

「上姉様……下姉様……」

 

 ステンノとエウリュアレ。ゴルゴーンに取り込まれ、ずっと彼女の中で閉じ込められていた姉たちの魂だ。

 不思議と、魂だけだが自分に向かって笑みを浮かべているように見える。

 

 

『お疲れ様』と、自分に労いの言葉を掛けてくれているような気がした。

 

 

「姉様方……だいぶ時間が掛かってしまいましたが……もう大丈夫です」

 

 彼女たちの魂とも再会できたアナに、もはや思い残すことはない。

 

「このメドゥーサも……すぐに姉様たちの元へ参ります」

 

 二人の魂は、そのまま何処ぞへと旅立っていく。

 

 アナはすぐにでもその後を追おうと、自身の魂が肉体という檻から解放される瞬間を待つ。

 それは『アナ』という存在の死を意味するところだったが、それは問題ではなかった。

 

 

 もはやこの肉体に、この現代に何の未練など——

 

 

 

「——アナっ!!」

 

 

 

 未練などないと、そう結論づけようとした——そのときである。

 後ろから、自分を呼び止める声が聞こえて思わずアナは振り返った。

 

「アナっ!! 手をっ!!」

「……アニエス」

 

 そこには魔女の少女・アニエスがいた。

 彼女はアナの命が残り短いことを知っていながらも、それでもアナを救おうと手を差し出していた。

 

 今にも泣き出しそうな表情で——手を伸ばしていた。

 

「…………アニエス……っ」

 

 思えばメドゥーサであった頃も、ゴルゴーンであった頃も。自分には彼女のような『関係』を築いたものはいなかった。

 姉たちとは大切な姉妹だが、『友人』と呼べるような関係は——アニエスが初めてだったかもしれない。

 

 

 ——そんな貴方と……こんなにも早くお別れをしなければならない……。

 

 

 ——それだけは……少し残念です。

 

 

 未練はないが、ほんの少しの心残りとしてアニエスの存在がアナの胸をグッと締め付ける。

 せめてもう少しくらい、彼女と語り合ってみたかった。それだけは残念だったかもしれない。

 

 

「……ありがとう……さようなら……アニエス……」

 

 

 せめて最後は笑顔で。

 そう思い、アナはアニエスに向かって笑って手を振った。

 

 

 刹那——彼女の肉体はゴルゴーン共々崩壊し、その魂が姉たちの元へと飛び去っていく。

 

 

 

 

「アナ……!」

 

 アニエスの手は、結局何も掴むことなく虚しく空を切った。

 彼女が救おうとしたアナはゴルゴーンと共に亀裂へと落ちていき、その魂は何処ぞへと飛び去っていく。

 

「……」「……」「……」「……」

 

 目玉おやじを始めとした日本妖怪たちにも、笑顔はなかった。

 

 ゴルゴーンを倒したことで、きっと鬼太郎も今頃は元に戻っているだろう。

 ゴルゴーンの脅威が去ったことで、きっと日本——大げさな言い方かもしれないが、世界が救われただろう。

 

 けれど、そのために一人の少女の犠牲が、悲しみがあったことを彼らは忘れない。

 アナという、そのためだけに生まれてきた、彼女という存在の犠牲を——。

 

 

「アナァアアアアアアアアアアアアア!!」

 

 

 アナの死を誰よりも悼み、アニエスは大粒の涙を流す。

 

 洞窟の中で彼女の慟哭がいつまでも、いつまで鳴り響いていた。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——はぁはぁ……し、しぶとい奴らだ……」

「——はぁはぁ……アンタこそ、いい加減諦めなさいよね……!」

 

 ゲゲゲの森では戦いが続いていた。

 鬼太郎の石像を砕こうとするヴォルフガングと、それを守ろうとする猫娘たちの戦い。

 

 どちらも満身創痍になりながらも、目的のために必死に喰らいつく。

 戦いに決着が見えない——そう思われたときだ。

 

「——リモコン下駄!!」

「な……なにっ!?」

 

 どこからともなく放たれたリモコン下駄、鬼太郎の得意技がヴォルフガングに襲い掛かる。

 その攻撃は何とかいなすヴォルフガングだが、『攻撃された』という事実がここでは重要だ。

 

「おおっ!! 鬼太郎!!」

「鬼太郎!!」

 

 そう、リモコン下駄は持ち主である彼の元へ——ゲゲゲハウスから出てきた鬼太郎の下へと戻っていく。それの意味するところは即ち、鬼太郎の復活、そして、ゴルゴーンの敗北である。

 砂かけババアと猫娘は歓喜の声を上げ、対照的にヴォルフガングは表情を歪める。

 

「き、貴様が元に戻っているということは……ゴルゴーンが……敗北したというのか……く、くそっ!!」

 

 作戦が失敗したことを理解した彼は転移の魔法石を握り込む、すぐにその場から撤退していく。

 

 

 

 

「そうか……ゴルゴーンを倒せたか……」

 

 アデルもまた、鬼太郎の復活にアニエスたちの勝利を知った。

 しかしその顔に笑顔はなく、彼女はアニエスたちが向かったであろう島の方角へと目を向ける。

 

 

「見事だ……アナ」

 

 

 そしてアナの健闘ぶりを称えつつも、その死を悼むように静かに瞳を閉じていた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——アナ……もっと貴方のために……出来ることがあったのかな……。

 

 ゴルゴーン討伐から半日後、アニエスは日本の街中を歩いていた。

 今頃は、アデルが鬼太郎たちにアナの素性などを説明している頃だろうが——アニエスはその場に居合わせたくなかった。

 涙が枯れ果てるまで泣き続け、すっかり泣き腫らした顔を誰に見られたくなかった。

 だから今は一人でアナが、彼女が守ったこの国の風景を漠然とした気持ちで眺めていた。

 

『——次のニュースです。日本海に出現した巨大生物の続報ですが、領海に再び侵入してくる様子はなく……』

 

『——k国の報道によれば、巨大生物は彼らの手によって討伐されたと……』

 

『——情報が錯綜しているためまだ詳しいことは分かっていませんが、巨大生物が駆除されたということは確実らしく……』

 

 すると街頭のテレビ、モニターからゴルゴーン進撃に関してのニュース映像が流れてくる。

 既にゴルゴーンの脅威が去ったということもあり、ニュースを伝える側も、それを聞く側にもその表情に笑顔があった。笑い合い「よかったね!」などと喜び合う人間たち。

 

 

 だが——その中の誰も、アナのことなど知らない。

 真実など知る由もなく、ニュースでも彼女の活躍が取り上げられることはなかった。

 

 

 ——……アナが命を張って守った国なのに……誰も、誰も彼女のことなんか……目にも留めない!!

 

 

 アニエスはそんな人間たちを見ていて、心の内側から何か、どす黒いものが溢れてくるような気がしてきた。

 アナが命を懸けて守った平和なのに、世界なのに。誰も、彼女のことなど何も知らず能天気に笑っている。

 

 そのことが癪に障るアニエス。

 いっそ何もかも吹き飛ばしてやろうかと、そんな不穏な想像が頭に浮かんでしまう。

 

 

「——あれ? アニエスっ!?」

 

 

 だが、自分を呼び掛ける少女の言葉に引き留められ、アニエスは正気に戻る。

 

 

「……あっ……ま、まな……」

 

 

 アニエスが街中で出会ったのは——彼女の友達・犬山まなだった。

 学校帰りなのか制服を着た彼女が、目を丸くしてそこに立っている。

 

「久しぶりっ!! どうしたの、日本に来てたのなら言ってくれれば…………何かあったの、アニエス?」

 

 まなはアニエスの再会を無邪気に喜び、側に駆け寄ってきてくれた。

 しかし、すぐにアニエスの異変に気付き——優し気な言葉遣いで彼女への気遣いを見せる。

 

 

「なんだか……とても辛そうだよ……大丈夫?」

「……っ!!」

 

 

 まなは、アニエスが苦しんでいることに気付いてくれた。

 アニエスが、何かを悲しんでいることを察してくれた。

 

 

 それが——今のアニエスには嬉しかった。

 

 

「ねぇ……まな。今夜……貴方の家に泊めてくれないかしら……?」

 

 気が付けば、アニエスは縋るようにまなに願い出ていた。

 今夜だけ、今夜だけは——誰かと側にいたかった。まなと一緒にいたかった。

 

「うん……いいよ。お父さんもお母さんも……きっと喜んでくれるし……」

 

 まなは理由など何も聞かず、微笑みでアニエスを受け入れてくれる。きっとお人よしである彼女の両親も、アニエスとの久しぶりの再会を喜び、歓迎してくれることだろう。

 

 

「ねぇ……まな。ワタシ……友達が出来たの……」

 

 

 まなと共に家へと向かう道中、アニエスはまなに『友達』のことを話していた。

 短い時間しか一緒にいられなかった。彼女が自分のことを友達と思ってくれていたかは分からない。

 

 けれど、アニエスにとって彼女は——アナは間違いなく友達と言える存在だった。

 それだけは、確かだと思いたかった。

 

「……友達か……その友達って……どんな子だったの?」

「……とってもお姉さん想いの子よ。ちょっと冷たい雰囲気があるけど……本当はただ怖がりなだけで……でも、とてもやさしい子だったの……」

 

 その友達の、アナのことを聞いてくるまな。アニエスは色々と思い出しながら答えていく。 

 するとその答えに、まなはさらに笑みを溢していく。

 

「ふふふっ……なんだか、アニエスそっくりだね?」

「わ、ワタシと……そっくり?」

「うん!! お姉さんが大好きなところなんて特に!!」

「そっ……! そんなこと……ないとは言い切れないけど……っ!」

 

 そんな感想を抱かれ、何だかちょっと恥ずかしい思いに顔を真っ赤にするアニエス。

 自然と、彼女の口元にも笑みが零れる。

 

 

 

「ねぇ、アニエス。もっと聞かせてよ……その友達のこと。アニエスが好きになった……その子のこと……」

 

 

 まなはさらに、アニエスにアナのことを話してくれとせがむ。

 

 

「ええ……ワタシも聞いて欲しい……あの子のこと、もっとまなに知って欲しい……」

 

 

 アニエスも、まなにアナという少女のことを知って貰いたくて話していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人はその晩も夜通し、アナのことで言葉を交わし合い。

 

 

 彼女という存在をその記憶に、心に刻み込んでいった。

 

 

 

 




補足説明

 アナの正体について
  原作知っている人には説明不要だと思いますが、アナの正体は『メドゥーサ』。
  彼女が一番幸せだった時期。姉たちと同じ可愛らしい少女であった頃。
  成長したメドゥーサにとって、この少女の姿が理想形らしい。
  今作において、彼女は暴走するゴルゴーンから分離し、本体である彼女を殺すために奔走します。
  何故この姿で分離したかについては……『何らかの要因』としか言いようがない。
  便利な説明だと思いますが……。

 子泣き爺とぬりかべについて
  感想の返信欄でも書きましたが、この二人を活躍させるのって割と難しい。
  アニメ放送がやってた頃、なかなか出てこない彼らに「もっと活躍の場を!」ってコメントをよく見かけましたが、なかなか出したくても出せない脚本家の気持ちがなんとなく分かる。
  他の面子に比べて、この二人って活躍の場が結構限定されてるし。



次回予告

「父さん……最近、何故か人間たちの間で狸虐めなるものが流行っているそうです。
 狸と言えば……八百八狸の政権奪取などが思い出されます。
 でも、あれはもう一年以上前のことですよね? どうして、今になって……。

 次回——ゲゲゲの鬼太郎 『有頂天家族』 見えない世界の扉が開く」

 次回は京都が舞台!!
「面白きことは良きことなり!」阿呆たちのバカ騒ぎが鬼太郎たちを巻き込んでいく!




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

有頂天家族 其の①

今回のクロスオーバー『有頂天家族』は京都を舞台にした現代ファンタジー。
主人公が狸。そこに人間や天狗が入り乱れる世界観が舞台となっています。

かなりの傑作だと思うのですが、知名度は結構低いみたい。
その原因はアニメの一期放送時、同時期にやっていた『進撃の巨人』や『半沢直樹』に話題性を全部持っていかれたせいらしい。
正直、もっと有名になってもいい作品だと思うだけに……かなりもったいない。

この作品がどういったものなのかは、作中で色々と語っていきますが、その前に注意事項。

今回のクロス、時期系列的に有頂天家族の最新話である『有頂天家族2』よりさらに後の話になっています。よって作中のネタバレなどガンガン出てきます。
また、有頂天家族は全部で三部構成。『有頂天家族3』がいずれ出る予定です。
もしも3が出た場合、今回の話の顛末が明らかにそれとは異なるものになると思います。

あくまでここだけのクロス話であることを念頭に、どうぞお楽しみください。



「——明日から京都だよ!! 楽しみだね~、雅!!」

 

 夕暮れ時。

 東京都調布市の中学二年生、犬山まなは浮かれ気分で学校の帰り道を親友である桃山雅と歩いていた。

 彼女がここまで嬉しそうにしている理由は単純明快。ずっと楽しみにしていた修学旅行、それがまさに明日にまで迫っていたからだ。

 学生にとって一大イベントである『修学旅行』。まなたちの通う中学校では二年生の十月に行われることが恒例となっており、まなはこの日が来るのを一ヶ月ほど前からずっと心待ちにしていた。

 少し前まで地獄の騒動などでバタバタしていたりもしたが、それも既に解決済み。ここ最近は彼女の周囲に目立った事件もなく、何の憂いもなくまなはこの日を迎えることができていた。

 

「……はぁ~……何でうちの学校は……今どき修学旅行で京都って……」

 

 その一方で、まなの隣を歩く雅はどこか気乗りしない様子。

 彼女は修学旅行の目的地が『京都』であることに不満を抱いているようだった。

 

「せっかくだったら海外に行きたかったよ……グアムとか、ハワイとか!!」

 

 グローバル化が進む昨今、最近は中学校でも修学旅行先に海外を指定する学校が多くなってきている。そんな中、自分たちの学校が京都などというどこかありふれた、悪く言えば古臭い場所に行かなければならないことに雅はがっかりしている。

 彼女だけではない。そういった生徒は割と多くいる。

 

「あ~あ……せめて国内なら北海道とか、沖縄がよかったよ……何で京都なわけ!?」

「え~! いいじゃん、京都!!」

 

 尚もぶつぶつと愚痴を続ける雅に、まなは笑顔を崩さぬままに声を上げる。

 

「わたしは楽しみだな!! 妖怪の伝説とか……いっぱいあるみたいだし!!」

 

 まな個人としては京都には何の不満もない。寧ろ、海外なんかよりずっと嬉しい。

 何故なら、京都はその歴史から多くの『妖怪伝説』が根強く残っている土地だ。妖怪に縁のある名所や、資料館。妖怪グッズなども数多く売られている。 

 妖怪に友達がいる、妖怪と仲良くしたいまなからして見れば、それだけで十分に大満足できる旅となることだろう。

 

「やれやれ、あんたも好きだね……」

 

 そんな、妖怪の歴史探索になるかもしれないと浮かれるまなに、雅は呆れた溜息を吐きつつも口元に笑みを浮かべる。何だかんだ言いつつも、雅だってまなとの修学旅行を楽しみにしている。

 早く明日にならないかと、彼女たちは今から気持ちを昂らせていた。

 

「…………あれ?」

「どしたのよ、まな?」

 

 と、そんなワクワク気分で歩いていたまなだったが、不意にその足を止める。

 雅が怪訝そうな顔でまなを見ると彼女は前方、視線の先を指さしていた。

 

「あの人……なんか探してる感じだけど……」

「…………」

 

 まなが見つけたのは——街中をウロウロしている一人の青年だった。

 

 どこかのほほんとした、気の抜けた表情をしているのその青年は、手に持ったメモ用紙を頼りに何かを捜索している様子だった。今どき、スマホの地図アプリも使わず珍しい光景である。

 

「……あの、何かお探しですか?」

「ちょっ、ちょっとまな!」

「えっ……?」

 

 まなは少し考えたが、困っているその青年に声を掛けることにした。雅が見知らぬ人へのまなの不用心さに驚いているが、声を掛けられた青年の方はもっと驚いている。

 暫し呆然と何かを考えながら、青年はまなに『とあるものの場所』を尋ねてきた。

 

「ええっと……キミたち……妖怪ポストって、どこにあるか知ってるかい?」

「! ええ、それなら——」

 

 その問い掛けに、まなは快く答えることができた。

 

 

 

 

「——なるほど、これが妖怪ポストか……」

 

 妖怪ポストは調布市の路地裏、ビルとビルの隙間にひっそりと立っている。

 位置柄、陽の光さえ当たらない真っ暗な場所。明らかに不気味な雰囲気を醸し出している木で出来た手作りポスト。青年はその前で僅かに躊躇いを抱いたが、意を決して鬼太郎宛の手紙をポストへと投函した。

 

「これでもう大丈夫ですよ! どんなトラブルだって、鬼太郎が駆けつけてチャチャッと解決してくれますから!!」

 

 それを見届けた犬山まなが笑顔で青年に笑い掛ける。

 どのような要件かは知らないが、これで鬼太郎の元まで依頼が届く。どんなに困っていようとこれで万事解決だと、彼への信頼が厚いまなはそう答える。

 

「あ、ありがとう……キミは、鬼太郎の……知り合いなのかな?」

 

 しかし、青年は苦笑いを浮かべる。

 そして、鬼太郎に関して随分と詳しそうなまなに彼との関係を尋ねていた。

 

「この子、鬼太郎と友達なんですよ」

 

 その質問に、まなのはしゃぎっぷりを呆れるように雅が答える。雅も鬼太郎との直接の面識はあるが、そこまで彼と親しいわけではない。まなほど、全面的に鬼太郎のことを信頼はしていない。

 しかし、まなの鬼太郎や猫娘への親愛はかなりのもの。

 

「いつだって鬼太郎は、困っている人間の味方ですから!!」

 

 何度も彼ら妖怪に助けられたまなは、無邪気にもそのような断言をする。

 

 それは——まな自身の誤解や偏見も入っている。

 まなにとって鬼太郎は人間の味方かもしれないが、鬼太郎自身はそう思っていない。たとえ困っている人間であろうとも、その人間に非があったり、どうしようもない連中であれば彼だって人間を見捨てることもあるのだ。

 

 しかし、まなのその言葉を真に受けた青年は呟いた。

 

「人間の味方か……それは…………ちょっと困ったな」

「えっ……?」

 

 一瞬、聞き間違いかと思った彼の発言にまなは目をパチクリさせるが、その発言を深掘りさせる暇もなく。

 

「いや、何でもないよ……ありがとう、助かった」

 

 青年は案内してくれたまなたちに礼を告げ、そのまま静かに立ち去っていく。

 

 

 

 

「……で、どうなのよ、鬼太郎? 手紙には何て書いてあるの?」

 

 夜のゲゲゲハウスにて。猫娘は鬼太郎に届けられた手紙の内容について尋ねる。

 猫娘がまなからメールで『青年が妖怪ポストに手紙を入れた』という報告を受けたため、鬼太郎たちはその手紙にすぐ目を通すことができた。猫娘は自分の助けが必要な案件かと、手紙を読む鬼太郎の様子を伺う。

 

「う~ん……依頼内容に関しては何も書かれてないな。直接会って話がしたいって……」 

 

 だが肝心の依頼内容が書いていないと鬼太郎は首を捻る。相当込み入った事情なのか、直に対面してから話すと。手紙には依頼主の所在地が——『京都』であることしか書かれていない。

 

「ほう! 京都か……それはまた、随分なところから依頼が来たのう……」

 

 茶碗風呂に浸かりながら目玉おやじが少し驚いた声を上げる。鬼太郎たちは妖怪ポストに依頼が来ればたとえ外国だろうと駆けつけるが、京都からというのはなかなか珍しい。

 

 

 というのも、京都はその土地柄。妖怪案件の事件があっても『陰陽師』や『拝み屋』といった人間側のプロが動いて解決することが多い。

 昔に比べればそういった専門家の数は随分と減ったが、それでも京都にはあの安倍晴明の子孫を名乗る『安倍家』の本家があるという噂。もしも妖怪に困らされているのなら、まずはそっちを頼る筈だ。

 にも関わらず、依頼主はわざわざ妖怪ポストに——東京にいる鬼太郎にまで依頼を持ってきた。

 そこに、何やら複雑な事情を感じられる。

 

 

「京都か……まなも明日から修学旅行に行くって言ってたけど……どうする?」

 

 猫娘はまなが京都への修学旅行を楽しみにしていることを知っている。まさか、このタイミングでその京都から依頼が来るとは思ってもいなかった。これもまた、まなの『偶然力』とやらだろうか。

 

「……とりあえず、行って話だけでも聞いてみよう」

 

 僅かに思案した後、鬼太郎は依頼主の話を聞きに京都へ行くことを決めた。

 もしも何か事件が起ころうとしているのなら、大事になる前に解決した方がいいだろう。

 

 

 修学旅行を楽しみにしている友人のためにも翌日、鬼太郎たちは京都へと赴くこととなる。

 

 

 

×

 

 

 

 京都——かつての日本の中心地。

 現代に合わせて他の都市同様に建物も近代化しているが、千年都として栄えていたため、その歴史に相応しい建造物、神社仏閣などが数多く残っている。日本有数の観光地でもあり、アメリカの大手観光雑誌などでも『世界で最も魅力的な都市第一位』として選ばれた経歴を持つ、世界が認めた華の都である。

 

 だが、そんな華やかなイメージがある一方で。

 昔からこの土地を巡り多くの人間、妖怪が絶えず争い合い、血を流してきた歴史がある。

 

 現代においてもその影響が色濃く残っているのか、どうにも血生臭い殺人事件などが頻繁に起こる傾向があったりする。

 そういった凄惨な事件が起こるたび京都府警、京都地検や科捜研などの人々が頑張ってたりするのだが……ここではその話題に触れないでおこう。

 

 とにかく華やかさがある一方で、決してそれだけではないのが——京都という街である。

 

 

 

 

「うむ、随分と様変わりしてしまったが……変わっていないところも多い。懐かしいのう!」

 

 真昼間。その京都に到着するや、目玉おやじは鬼太郎の頭の上からその街並みを眺めていた。

 彼は若い頃、全国各地を旅していたことがあり、当然ながら京都にも訪れたことがある。その頃からの違いや、変わらない風景に色々と感慨深げに呟いている。

 

「私……京都って初めてかも……鬼太郎は?」

「ボクも初めてだよ」

 

 一方で、猫娘と鬼太郎の二人は京都に来るのが初めてらしい。昔ながらの和の雰囲気が広がる街並み、歴史情緒あふれる寺や神社などの建物。観光客で賑わっているために人通りが激しいのが難儀だが、街全体の空気がどこか懐かしく、彼ら妖怪にとっては現代の東京などよりよっぽど馴染み深い。

 これが京都かと。感嘆の息を漏らしながら、一行は依頼主が指定する待ち合わせ場所へと向かった。

 

「寺町通り……寺町通り……あった、この辺りね」

 

 手紙に書かれた住所を頼りに、猫娘が地図アプリで検索しながら目的地である『寺町通(てらまちどおり)』へと辿り着く。

 

 ここは京都でも有名なアーケード街。かの豊臣秀吉が京都を大改革する際、寺院を再建して集めたことからその名がついたとか。

 その昔、寺院関係者や商人、職人などが一手に集まり、ここで商店街を形成するようになった。そのため寺院は勿論、歴史ある老舗店。さらには流行の最先端を行くお店なども共存し、独特な空気感を作り出している。

 まさに、京都を代表する商店街の一つだと言えよう。

 

 

「——あの、失礼ですが……ゲゲゲの鬼太郎さんでしょうか?」

「! ええ、そうですけど……」

 

 

 そんな京都らしい場所へと到着して早々、鬼太郎に声を掛ける人物がいた。名前を呼ばれて鬼太郎が振り返ると——そこには男性と女性が一人ずつ立っていた。

 

 男性は京都の景観に揃えるよう、和服を見事に着こなしている。黒い髪の毛が頭の先で少しとんがっているのが特徴的。何となく、老舗店の『若旦那』といった感じの佇まいである。

 

「遠いところをわざわざ……」

 

 その男性の隣に立つ女性も、鬼太郎たちにペコリと頭を下げる。

 彼女の方は一般的な洋装、清楚な服装をしている。立ち振る舞いが礼儀正しい、綺麗で真面目な感じの大人の女性。

 

 二人が並ぶ姿は——『若旦那とそれを支える女房』といったところ。今回の依頼主は夫婦のようである。

 

「貴方がたが……この手紙の依頼主でしょうか?」

「はい、矢一郎(やいちろう)と申します」

 

 鬼太郎が尋ねると男の方が名乗る。

 

「こんなところで立ち話もなんですし……ささっ、どうぞこちらへ」

 

 矢一郎は軽く頭を下げながら、鬼太郎たちを素早く『地下へ』と案内していく。

 

 

 

 

 そこは『赤硝子(あかがらす)』という店だった。

 寺町三条の地下にあるその店は昼は喫茶店、夜は酒場になる飲食店だ。今は昼間ということもあり、色んな種類の人々で席が埋まっている。お茶をしにきたマダムたちや、制服を着た学生、仕事途中に一休みしに立ち寄ったサラリーマンなど、男性客も多数いる。

 

「…………」

「ん? どうかしたの、鬼太郎?」

 

 すると、その店に足を踏み入れてすぐに鬼太郎が何やら訝る表情になった。

 彼の怪訝そうな顔色に何かあるのかと、猫娘も店内を見渡す。

 

「あれ? この店、ずっと奥まで続いてるわよ……」

 

 猫娘が気づいたのは——赤硝子には『果て』というものがないことである。

 内装は普通のバーカウンターがある喫茶店なのだが、店の奥が——何処までも何処まで続いているのだ。奥に行けば行くほど狭くなっているよう見えるその構造に、若干目眩すらしてしまいそう。

 

「さっ、こちらの席へどうぞ……」

 

 だが、矢一郎はそんな店の不思議空間などまるで気にした様子もなく、テーブル席へと鬼太郎たちを誘導する。

 鬼太郎と猫娘が、矢一郎とその連れ合いの女性が隣り合い、二組の男女が対面する形でテーブルへと着席した。

 

「それで……肝心の依頼はどのようなものなのかな?」

 

 そこで目玉おやじが顔を出し、矢一郎たちにさっそく依頼の内容を聞き尋ねる。矢一郎は目玉おやじの登場に僅かに反応を見せるも、特に驚くこともなく口を開き始める。

 

「そうですね……それをお話しする前に、一つお聞きしたいことがあります……鬼太郎さん」

「? ……なんでしょうか?」

 

 質問に質問で返され、鬼太郎が眉を顰める。

 しかし矢一郎は、少し間を置きながらもはっきりと鬼太郎へと問いを投げ掛けていく。

 

「ゲゲゲの鬼太郎さん……貴方はこれまで、多くの人間たちを助けて、悪しき妖怪を退治してきたのでしょう。その勇名は、我々京都の者の耳にも届いています」

「…………」

「そこでお尋ねしたい。貴方は……人間の味方ですか? それとも——」

 

 

 

「妖怪の味方ですか?」

 

 

 

「——っ!?」

「き、鬼太郎!? 周りを見て!」

 

 瞬間、鬼太郎たちは周囲の異変に気付いて身構えた。

 

 それまで、和気藹々と話し込んでいた店内の客たちが一斉に静かになる。マダムも、学生も、サラリーマンも。

 

 全員が全員——まるで示し合わせたかのように黙り込み、その視線を鬼太郎たちへと注いでいた。

 

「————」  「————」   「————」

   「————」   「————」

「————」  「————」   「————」

 

 店員も含めた全員が——鬼太郎たちを包囲する形、無表情でこちらを見つめている。

 

「なっ!」

「この者たちは!?」

 

 猫娘と目玉おやじが息を呑む。

 世代も年齢層もバラバラだが、どうやらこの店にいる全ての人間が矢一郎の関係者、彼の仲間であるようだ。

 矢一郎は彼らの疑問を代弁するかのように、鬼太郎へと答えを迫る。

 

「鬼太郎さん……お答え頂きたい。貴方はいったい、誰の味方なのでしょうか?」

 

 返答内容によってはただでは返さない。そんな脅し文句が聞こえてくるような空気である。

 猫娘も目玉おやじも、狭い店内で囲まれている今の状況に冷や汗を流す。

 

 しかし——たとえどんな形で脅されようとも、鬼太郎の『在り方』に何ら変わりはない。

 

 

「ボクは……誰の味方でもありません」

 

 

 矢一郎の問いに、鬼太郎は自身の信条——明確な答えを口にする。

 

「ボクは……自分が正しいと思うことをするだけですから……」

 

 それが鬼太郎の正直な気持ちだ。

 彼は人間であろうと、妖怪であろうと。間違っていると思えば止めるし、酷いようなら見捨てもする。

 人間であれば誰でも助けるわけでも、妖怪だからといって理由もなく倒すような——人間にとって都合の良い『正義の味方』ではないのだと。

 こんな状況でありながらも、一切の躊躇なく言い切ってしまった。

 

 そんな返答をする鬼太郎に対し、矢一郎は——

 

「そうですか…………それを聞いて、安心しました!」

 

 何故かホッと胸を撫で下ろしていた。

 周囲の人間たちも鬼太郎の答えを聞き、何故かにこやかな微笑みを浮かべている。

 

「えっ? ど、どういうことよ?」

 

 一気に緊張感が抜けていく状況に困惑する猫娘だが、鬼太郎にはある程度の察しが付いていた。

 

「やはり、そうでしたか……」

 

 どこか納得した様子で、ズバリ矢一郎たちに問い掛ける。

 

 

「矢一郎さん。貴方たちは……人間ではありませんね?」

 

 

 そう、この店に入った瞬間から、鬼太郎は妖怪アンテナで感じとっていた。

 

 この店に充満する微弱な妖気を——。

 ここにいる人間たちが皆、人ではないということを——。

 

「お見通しでしたか……流石です」

 

 自分たちの正体を看破した鬼太郎への賞賛を口にしながら、矢一郎たちはその『正体』を現す。

 次の瞬間にも、店内にいた人間たちが全員——毛深いその本性を晒したのである。

 

 

「——た、狸……?」

 

 

 猫娘が絶句する。

 自分たちを取り囲んでいた人間が、人間だと思っていたそれらが一人残らず小さな動物の『狸』へと姿を変えた。これこそが——彼らの正体だ。

 

「試すような真似をして申し訳ございませんでした!」

 

 一匹の狸、矢一郎と思しき個体がテーブルの上で頭を突き、鬼太郎たちへ土下座する。

 

 

「見ての通り、我々は狸! この洛中内に住まう——化け狸なのです!」

 

 

 

×

 

 

 

 狸や狐という生き物は、動物よりも妖怪に近い特性を持っている。

 彼らは『化学(ばけがく)』という力で変化することができ、特に人間を真似するのが大好きだ。

 

 彼らは人間に化け、人間社会に人知れず紛れ込んでいる。

 特にこの京都ではその絶対数が多く、一種のコミュニティを形成していた。

 

 それこそが『狸界』と呼ばれる社会である。

 

 彼らは京都の街に暮らす——『京都狸界』の住人なのだ。

 

 

 

 

「改めまして……私はこの京都で偽右衛門(にせえもん)を務めさせてもらっている、下鴨(しもがも)矢一郎と申します」

 

 自分たちの正体を暴露した後、矢一郎は改めてフルネームを名乗りながら再び人間に化けて話を進めていく。周りの狸たちも人間へと変化する。彼らにとってはこの姿の方が落ち着くらしい。

 

「偽右衛門?」

 

 聞き慣れぬ役職に鬼太郎たちは首を傾げる。それに関しては矢一郎が笑いながら簡潔に説明してくれた。

 

「京都狸界の代表をそう呼ぶことになっています。まあ……体のいい相談役のようなものですよ」

 

 偽右衛門という地位。つまりそれは、彼こそがこの京都中の狸を一手に束ねる頭領の立場にあるということだ。

 彼はその地位に就任してまだ一年と経っていないらしいが、それでも立派にその役目を果たそうとしている。

 

「先ほどは失礼しました。矢一郎の妻、玉瀾(ぎょくらん)と申します」

 

 そして、矢一郎の隣に立つ女性はそんな彼を支える奥さん。名を玉瀾という。

 二人は今年の一月に式を挙げ、晴れて夫婦となった新婚さんだ。

 

「……いいな」

 

 そんな二人が並んでいる姿に猫娘がボソッと呟く。

 何を羨ましがっているかなど、今更語ることでもないだろう。

 

「本当に済みませんでした。鬼太郎さんが人間の味方だという話を小耳に挟んだもので……念のため、貴方の考えを確認させていただきました」

 

 矢一郎があのような形で鬼太郎を詰問したのは、鬼太郎が『人間の味方』かもしれないと。妖怪ポストに手紙を投函する役目を負った狸から、そのような話を聞いたからだ。

 自分たちが狸だと分かれば力を貸してくれないのではと。それで不安を抱いてしまったらしい。

 

「ですが……過ぎた心配でしたね。貴方は公平な目線で物事を見れる方のようだ。我々も、安心してこちらの内情を訴えることができます」

 

 だが、それも杞憂だった。

 鬼太郎は決して人間側だけに寄り添うのではなく、妖怪側の事情も考慮できる器の持ち主だと。先ほどの問答でそれを知ることができ、矢一郎たちは安心して自分たちの正体を晒す決断ができた。

 

 

 気を取り直し、彼らは改めて鬼太郎へと『依頼の内容』を語り始めていく。

 

 

「皆さんは……『狸苛め』なる人間の悪行をご存知でしょうか?」

「た、狸苛め……ですか? いいえ……初耳ですが……」

 

 矢一郎が語った聞き慣れぬ言葉に再び鬼太郎たちは疑問符を浮かべる。もっとも、字面だけでそれがどういった内容なのか察することができる。

 狸を苛める。それが人間の手によって行われているという、いたってシンプルな問題である。

 

「事の発端は去年のことです。この国の政権が八百八狸という妖怪に奪われてしまったことがきっかけでした」

「——っ!?」

「……皆さんは、八百八狸についてどこまでご存知でしょうか?」

 

 八百八狸(はっぴゃくやだぬき)

 知っているも何も。鬼太郎たちにとっても、人間たちにとってもそれは忘れられない事件の一つである。

 

 

 去年の六月頃のことだ。

 何者かに封印を解かれた妖怪・隠神刑部狸(いぬがみぎょうぶだぬき)率いる八百八狸軍団。彼らは人間相手にクーデターを起こし、その政権を奪い取ってしまった。

 結果として——彼らの政権は一週間という短い期間で崩壊したが、その事件は現代において、妖怪の存在を忘れ去っていた多くの人間たちに妖怪の脅威を強く印象付けることとなった。

 現代人が妖怪の存在を『認識』するようになった、分岐点とも呼べる事件であろう。

 

 

「あの事件以降でしょうか。人間たちの間でその報復とも言うべき、狸苛めが全国各地で行われるようになってしまったのです」

 

 矢一郎の話によると、その事件が解決してしばらくの間。人間たちの間で狸への虐待が流行り始めたという。勿論、八百八狸たちとは関係ない、野生の狸たちへの不当な暴力である。

 人間たちは一時とはいえ『狸に支配されていたという』屈辱を晴らすため、無害な狸たちをいたぶって溜飲を下げていたのだ。

 主にモラルが低い、一部の人間たちによって行われた蛮行である。

 

「な、何と……そんなことが起きていたのか……」

 

 自分たちの知らないところで起きていた事件に、目玉おやじが言葉を失う。

 人間たちの身勝手な振る舞い、それにより被害を受けていた狸たち。さぞ辛かっただろう。

 

「あの当時は全国の狸界が事態の沈静化に奔走しました。中には人間への報復を叫び、徹底抗戦を唱えるものまでおりまして……」

「…………」

 

 当時の苦労を思い出してか矢一郎や玉瀾、周囲の狸たちが複雑な顔色になる。相当に苦労したのだろう、赤硝子の店内を重苦しい空気が支配していく。

 

「ですが! 我々はそれを耐え忍びました! 皆で一丸となって、その苦難を乗り切ったのです!!」

 

 だがそれも過去のことだと、矢一郎は声を張り上げる。人間たちの心ない行いに対し、狸たちは安易な復讐に走ることなく、何とかその危機を乗り切ったと胸を張った。

 実際、狸を苛めるという世の中の流れは数ヶ月ほどで収束へと至った。人間は良くも悪くも飽きっぽい生き物だ。彼らは狸を苛めること自体に飽き始め、この問題は時間の経過とともに徐々に自然消滅していったのだ。

 

 ところが——

 

「ところがです。ここ最近になって、その狸苛めがまたも頻発するようになったのです。それも……この京都市内を中心に……」

「えっ……?」

 

 だがここに来て、その狸苛めがまたも行われるようになった。それも全国ではなく、この京都市内に限定して多くの狸たちが被害を受けているのだ。

 

「何故今になって? どうして人間たちがまたも狸たちを苛めるようになったのか? その原因の究明を私共は徹底して調査してまいりました」

 

 しかしその調査の甲斐もなく、原因の発見には至れなかった。

 もたもたしている間にも、狸への嫌がらせ行為は日に日にエスカレートし、それに「反撃すべし!」いう声も若い狸たちの間で出始めている。

 

「このままでは……狸たちと人間との間に致命的な軋轢が生じかねません。そうなる前に……どうにかしてこの事態を収束させなければ……」

 

 だが、矢一郎は狸たちだけでは限界があると。

 この件を解決するのに誰か——外部の者の力を借りる必要性を感じたのである。

 

「陰陽師たちの力を借りることは出来ません。彼らは我々の存在を黙認してくれていますが、手助けもしてはくれないでしょう」

 

 だが、助けを借りると言って京都の陰陽師たちなどに頼むことはできない。

 狸はある種、妖怪の一種だ。基本、人間の味方である陰陽師を狸たちも信用してはいない。

 

「天狗の先生方の力をお借りすることも考えましたが……あまり期待はできないでしょう」

 

 また、狸たちは天狗と師弟の関係を築いているのだが、天狗が狸たちのために重い腰を上げることなどほとんどない。

 なかなかどうして、上手い具合に適任者が見当たらなかった。

 

 そこで白羽の矢が立ったのが——ゲゲゲの鬼太郎であった。

 

 鬼太郎の評判を噂で聞いた狸たちの何匹かが「いっそのこと、彼に依頼してみては?」と物は試しと提案、手紙を出すことにしたのだ。

 

 

 

 

「鬼太郎さん……こんなことを貴方に頼むのはお門違いかもしれません。ですがお願いです……何卒、我らにお力を貸してはくれないでしょうか?」

「お願いします、鬼太郎さん……」

 

 一通り、事情を説明し終えた矢一郎が深々と頭を下げ、玉瀾もそれに続く。

 藁にもすがる思いなのだろう、他の狸たちも揃って鬼太郎を拝み倒すように平伏する。

 

「……顔を上げて下さい、矢一郎さん」

 

 そんな狸たちの頼みに、鬼太郎は頷いた。

 

「ボクに出来ることであれば。ですが、事態の収拾といいましても、どこから手をつけるべきか……」

 

 彼らの頼みを聞くことに鬼太郎としても抵抗はない。人間と妖怪——いや、狸の衝突を回避するためにも、力を貸さない理由はなかった。

 だが現状で、鬼太郎は「自分に出来ることがあるのか?」と首を傾げる。

 

 狸たちは鬼太郎に何かを期待しているようだが、いったい自分にこの京都という見知らぬ土地で何が出来るのだろう。そこが疑問だった。

 

「実は……鬼太郎さんに、是非とも調査をお願いしたい人物がいるのです」

 

 すると、矢一郎は言い淀みながらも鬼太郎へ『やって欲しいこと』を口にする。

 それは狸たちにはできない、鬼太郎にしか頼めないことなのだという。

 

「今回のこの事象の首謀者かもしれない……ある男に——」

 

 

 

 

 

 

「——寿老人(じゅろうじん)という男に、事の真相を問いただしていただきたいのです」

 

 

 

×

 

 

 

「あっ、舞妓さんだ! すごいな……本物って初めて見た!」

 

 鬼太郎たちが京都を訪れていたように、犬山まなも修学旅行で京の街を楽しんでいた。

 彼女は道を歩いていた舞妓さんを見かけて手を振る。足を止めることはなかったが、舞妓さんも柔らかな笑みで手を振り返してくれた。

 

「へぇ~……舞妓って、本当に顔が白いんだな」

「写真撮影とかはNGらしいよ? まっ、仕方ないか……」

「まなっ! そろそろどっかでお茶しない? わたしちょっと疲れちゃったよ……」

 

 まなの他にも男子が二人に女子が一人。

 彼女たちは男女四人の集団で京都の花街——『祇園(ぎおん)』の表通りを歩いていた。

 

 ここ祇園は京都を代表する有名な繁華街だ。

 特に舞妓との遭遇率が高いと、彼女たちを一目見かけるのを目的にここへ立ち寄る観光客も多い。最近はその舞妓へのマナー違反が目立つことで規制も厳しくなっているが、手を振るくらいなら許されてもいいのではないだろうか。

 

 まなたちも、舞妓さんや茶屋で一休みするために祇園へと立ち寄った。今は自由行動中であるため、どこで何をするかは生徒たちの裁量に委ねられている。

 

「そうだね……ここいらで一休みしよっか!」

 

 祇園に来るまでの間、結構いろんなところを歩いてきたため、さすがにまなも疲れが出始めている。彼女たちは一休みしようと、どこかの茶屋にでも入ろうかと周囲を見渡していた。

 

「……? あれ、なんか……聞こえる……」

 

 だがふと、まなは気になる『声』を聞いて足を止めた。

 それは数人の男たちの笑い声のようなものであり、何か生き物の鳴き声のようなものでもあった。何となく気になったため、まなは声が聞こえてきた通り、表通りから外れた祇園の脇道を覗き込んだ。

 

「——へへっ、ホレ! パスパス!!」

「——おっと、もっとちゃんと蹴ろよ、下手くそ!!」

 

 祇園の裏路地は人通りも少なく、閑散とした空気を漂わせていた。そんな裏通りで、いかにもチンピラといった高校生ほどの男子が何かを蹴り合い遊んでいる。

 しかし、彼らが蹴っているのはサッカーボールなどではない。

 

 彼らが蹴っているものは——『狸』だった。

 小さな小さな子狸を、彼らはボールのように蹴って遊んでいるのだ。

 

 

「——ちょっと!! アンタたち、何やってんのよ!!」

 

 

 その光景を目に入れた瞬間、一気に頭に血が昇ったまなが怒鳴り声を上げる。彼女の怒声に同級生たちも何事かと裏路地を覗き込み、高校生たちの非道な行いを目の当たりにする。

 

「うわっ! 動物虐待だよ……引くわ……」

「最低っ!! ねぇ、ちょっと誰か呼んできてよ!」

「お兄さんたち……人として、それってどうよ?」

 

 まなほどではないにせよ、クラスメイトたちも高校生たちに非難の目を向ける。一般的な道徳観念でいえば、彼らの行いは明らかに咎められて当然の行いであった。しかし——

 

「ああん!? うっせぇぞ、ガキども!!」

「偉そうに口出ししてんじゃねぇ! これは躾なんだよ!!」

 

 まさかの逆ギレ。高校生たちの理不尽のキレように、中学生である彼らはびっくりして口を噤んでしまう。

 

「し、躾って……その子が何したっていうのよ!!」

 

 そんな中、まなだけは怯まずに高校生へと食って掛かる。彼らが躾と称して子狸を虐待する行為に、いったい何の意味があるのかと真正面からぶつかっていく。

 すると、まなの疑問に高校生たちは堂々と答えた。

 

「んなもん、決まってるだろ!!」

「人間様に逆らった馬鹿な狸たちに身の程をわからせてやってるんだよ!!」

「——っ!?」

 

 彼らの言い分にまなはハッとなる。

 彼らが何を理由に狸を苛めているのか——その動機に心当たりがあったからだ。

 

 

 狸が人間に逆らう。恐らくだが彼らは一年前の事件、『八百八狸の政権奪取』のことを言っているのだろう。

 あの事件は確かに人間にとって気分の良いものではなかった。狸に支配されたことで多くの人たちが洗脳のようなもので心すらも歪められた。『狸派』などという派閥を生み出し、『反狸派』の人々を蔑むような歪んだ社会構造まで作り出した。

 まなも、あの事件には良い思い出があまりない。狸に手の甲をキスされたり、狸にされてしまったり……。

 

 

「い、いったい、いつの話してるのよ!! そもそも、その子はあいつらとは何の関係もないのよ!!」

 

 しかし、それとこれとは話が別である。

 八百八狸とその子狸とは『狸である』という共通点以外、何もないのだ。

 そんな理由だけで、その子狸を苛めるなど許されていい訳がない。

 

「なんだぁ? さては……テメェも狸だな!?」

「その厚かましい化けの皮、剥いでやんぜ!!」

 

 しかし、高校生たちはそんな正論にすら聞く耳を持たない。それどころか子狸を庇おうとするまなに「人間に化けた狸では?」と疑いを向け、その暴力の矛先を彼女にまで向けようとする。

 

「ちょっ! ヤバいよ! まな、逃げよ!!」

 

 身の危険を感じた友人が、急いで逃げようとまなに声を掛ける。

 だがまなはそんな、どこか暴走気味な高校生たちの——『どす黒い空気』を漂わせる姿に既視感を抱く。

 

 ——あれ? この感じ、どこかで……!?

 

 以前にも、こうして正気を失った人間が理不尽な理由でのさばっていたような気がする。

 あれは確かと、彼女が何かを思い出しかけていた——その瞬間であった。

 

 

 

『——ぐらぁああああああああああっ!!』

「——っ!?」

 

 

 

 恐ろしい、それはもう恐ろしい唸り声が祇園の裏通りに響き渡る。

 まなもクラスメイトも、高校生たちでさえも仰天し、その唸り声が聞こえてきた方を恐る恐ると振り返る。

 

 

 そこには、鬼が立っていた。

 これぞまさに『鬼』だと言わんばかりの赤鬼が、恐ろしい形相で仁王立ちしていたのだ。

 

 

『がっはっはっは!! 美味そうな人間どもじゃぁっ!! 食ろうてやる、食ろうてやるぞぉおお!!』

 

 その鬼は高笑いを上げながら、有無を言わさず人間へと襲い掛かる。

 

「ヒィっ!? ば、ばけもの……ばけものだあぁぁあ!?」

「うわあああ! 逃げろ、逃げろ!!」

 

 これには高校生たちも真っ青。子狸を苛めるのもそっちのけ、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。

 

「あわわ……」

「よ、妖怪!? お、鬼だ!」

「ヤバい、ヤバいって!!」

 

 中学生グループも、ここで逃げなければひとたまりもないと。

 皆が一目散に背を向けて逃げ出していく。

 

 だが——

 

「あっ!? 危ない!!」

 

 まな一人だけが、鬼がいる方へと駆け出していた。彼女がそちらへ走ったのは——子狸がいたからだ。

 高校生たちに苛められ、負傷して動けないでいる子狸が取り残されていたから。

 

 まなはその子狸を拾い上げ、なんとかその場から逃げていく。

 

『あっ!? コラ、待てっ!!』

 

 すると、鬼は子狸を抱えるまなを急いで追いかけてきた。

 他の者たちのことなど目も暮れず、鬼はまなと子狸をぐんぐん追い詰めていく。

 

 

 

 

「はぁはぁ……い、行き止まり!?」

 

 一人、クラスメイトとも逸れたまな。

 子狸を抱えたままで何とか逃げ続けるも——とうとう行き止まりへと追い込まれてしまう。

 

『て、てこずらせおって……おっ? 美味そうな狸めを抱えておるではないか!!』

 

 巨大な赤鬼は「ゼェゼェ……」と息を切らせていた。恐ろしい見た目とは裏腹に、体力の方はそこまでではないのか。疲れ切った表情のせいで、どこか恐怖感も薄まっている気がしてくる。

 しかし、すぐにでもその表情を厳しいものへと切り替え、鬼はまなを脅すように吐き捨てる。

 

『おい、人間の小娘! その美味そうな子狸を置いていけ! そうすれば……この場は大人しく見逃してやるぞい!!』

 

 狸を置いていけばまなの命は助ける。それが本当であれば、何と破格な条件だろう。

 自分の命とあくまで動物の命。一般的な感性であれば後ろめたさを覚えつつも、我が身可愛さに狸を鬼へと差し出して助かろうとする。

 たとえそうしたところで、きっと誰もまなのことを責めはしない。しかし——

 

 

「——嫌だ!!」

 

 

 犬山まなに、そのような選択肢は選べなかった。

 彼女は今もその腕の中に抱いている子狸。傷ついて震えているその子を見捨てることができず、真っ向から鬼の要求を断った。

 

「大丈夫だよ……わたしが、何とかしてみせるから……」

 

 人間の言葉など通じはしないだろうが、子狸を安心させようと優しく囁く。

 そして、この窮地を乗り切ろうと鬼の隙を窺っていく。

 

『…………へっ?』

 

 すると、まなの返答に鬼はキョトンと目を丸くする。

 暫しの間フリーズし、もう一度咳払いをしてまなに己の要件を突きつける。

 

『うぉっほん!! …………もう一回言うぞ。その狸を置いていけばお前の命を助けてやる……どうだ?』

「嫌だって言ってるでしょ!! 何度も言わせないでよ!!」

『…………ええっと……いや、だからな……その狸を置いていけば——』

 

 そんな感じで何度も何度も。鬼は『狸を置いていけ』とひたすらに要求するのだが、まなはその全てを跳ね除ける。互いに互いの意見や主張を通そうと、なかなか話を先に進めないでいる。

 

『わからん奴だな~……狸を見捨てればお前が助かるんだぞ!! 何で離さないの!?』

「アンタこそ何なのよ!! 何でそんなにこの子にこだわるわけ!?」

 

 そのやりとりはさながら漫才のようだ。流石にしつこい鬼の要求にまなは違和感を抱き始めるが。

 

 しかしその光景を一目見るなら。それはどこからどう見ても——『鬼が女の子を襲っている』ようにしか見えない。だからなのか、騒ぎを聞きつけて駆けつけた彼が——。

 

 

 ゲゲゲの鬼太郎が一切の躊躇なく、鬼へと攻撃を放っていた。

 

 

「——髪の毛針!!」

『あでっ!? イダダダダ!?』

「えっ!? き、鬼太郎!?」

 

 鬼太郎の髪の毛針は鬼の顔面へと突き刺さり、その巨体が堪らず悶絶する。

 京都でまさかの鬼太郎とのエンカウントに驚くまなだが、そこへさらなる増援が駆けつける。

 

「うにゃぁああああ!!」

「ね、猫姉さんまで!?」

 

 追撃は猫娘。彼女の鋭い爪が容赦なく鬼の顔面を引っ掻いた。

 

『ぎゃあああああああ!!』

 

 鬼は悲鳴をあげて転がりまわる。

 その隙に、鬼太郎と猫娘の二人がまなの元へと駆け寄っていく。

 

「大丈夫か、まな!?」

「私らが来たからには、もう安心よ!」

 

 まなを守れる位置へと立ち、両者は改めて鬼へと向き直る。

 

「リモコ——」

 

 さらにもう一発。

 リモコン下駄をお見舞いして完全に鬼の戦意を削ごうと、鬼太郎は足を大きく振りかぶろうとした。

 

『——うわぁっと、ちょ、タンマタンマ!!』

 

 だが、鬼太郎が下駄を放つ前に鬼は大声を上げる。

 そして——その姿を『鬼』から『人間』へと変え、お手上げのポーズで降参を宣言した。

 

 

「——二人掛かりとは卑怯なり!!」

「へっ、に、人間?」

 

 

 今度はまなが目を丸くする番だった。

 鬼だと思っていた相手が人間だった。若い青年、大学生といった感じの彼は顔面を痛そうにさすっている。

 

「お、痛てて……酷い目にあった、まったく……」

「き、キミは……?」

「アンタ、まさか……」

 

 鬼太郎も驚きを隠せず、猫娘などは青年の正体に少し呆れたように顔を顰める。

 

「——鬼太郎さん!? どうかしましたか……って」

 

 そのときだった。

 今度はまなの知らない男性がやって来た。その男性は青年を見かけるや、物凄い渋面な顔つきになって彼へ怒声を飛ばしていく。

 

矢三郎(やさぶろう)!! お前……また人間にちょっかい掛けていたな!!」

「げっ、兄貴……」

 

 

 

 

「矢一郎さん……彼はいったい?」

 

 矢一郎が矢三郎という青年を物凄い顰めっ面で叱責する光景に、鬼太郎たちは唖然となる。

 

 つい数十分前まで、とても礼儀正しい落ち着いた振る舞いで鬼太郎たちと話し合いをしていた矢一郎だが、そんな冷静さはどこにもなく。彼はプンスカと、おそらく同じ狸であろう矢三郎を怒鳴りつけていく。

 

「矢三郎! 今は軽率に人間を刺激するなと、何度言ったら分かるんだ、お前は!」

「甘いぜ、兄貴。人間など、我らの化け力で何度でもお灸を据えてやればいいのさ!!」

「戯け!! それで彼らを怒らせて、もっと大事になったらどうする!? 今は狸界が一丸となって耐え忍ばねばならん時だというのに……お前は俺の苦労を台無しにする気か!?」

「へっ! 生憎とこれでも結構耐え忍んだ方さ! それでも連中は日に日につけ上がる一方だ! これはもう、わたしが立ち上がるしかないだろう!! なに、礼には及ばんよ!」

「偉そうに言うな!!」

 

 聞こえてくる応酬に二人がどういった関係で、何を言い争っているのか何となく察しがつく鬼太郎たち。

 

「ちょっと、アンタたち……いい加減説明を……」

 

 だが詳しい話は本人たちから聞かねばならない。そのため、猫娘が彼らの会話に割って入ろうとするのだが。

 

 

「……矢一郎兄さん、矢三郎兄ちゃんを怒らないであげて……」

「へっ? しゃ、喋った!?」

 

 

 彼らの喧嘩を止めたのは——まなが抱えていた小さな子狸だった。

 子狸は驚くまなの腕の中から飛び出し、その姿を人間の少年へと変える。

 

「兄ちゃんはボクを助けようとしたんだ。ボクが人間に捕まったと思ったんだよ……」

矢四郎(やしろう)! お前……今は迂闊に一人で出歩くなとあれほど……!」

 

 矢一郎は矢四郎と呼んだその少年を叱りながらも、その安否を気遣う。

 なるほど、この子狸も彼らの仲間。矢三郎という青年は、この少年を救うために犬山まなを脅していただけだったようだ。

 

「……申し訳ありません、皆さん。身内が……ご迷惑をお掛けしたようです」

 

 事の真相が分かったところで、矢一郎は鬼太郎たちへと謝罪する。

 その謝罪を受け取りつつ、鬼太郎の頭の上で目玉おやじが先ほどから気になっていたことを質問する。

 

「矢一郎くん、彼らは……御兄弟かね?」

 

 先ほどから、矢一郎のことを『兄』と呼ぶ青年と少年。

 何より彼らの名前が矢一郎、矢三郎、矢四郎と似通った響になっている。

 

 であれば——自ずと彼らの素性も知れることだろう。

 

「ええ、そうです。こっちは末の弟……矢四郎」

「こ、こんにちは……下鴨矢四郎です」

 

 矢四郎はおっかなびっくりとした態度ながらも、素直に頭を下げる。

 

「お姉ちゃん。さっきは……助けようとしてくれてありがとう」

「え、あ……う、うん……」

 

 その際、矢四郎はまなにも礼を言うのだが、彼女の方は状況に追いつけておらずポカンとしていた。

 

「そして……こっちが!!」

「いたたっ!! み、耳を引っ張るなよ、兄貴!!」

 

 次に矢一郎は青年の耳を引っ張り、力尽くで鬼太郎たちに頭を下げさせる。

 

「こやつが……三男の矢三郎です。先ほども少し話に出ました……『過激派』の筆頭として、若い狸たちを扇動し、人間にちょっかいをかけている常習犯です!!」

「!! 彼が……そ、そうですか」

 

 過激派というのは、狸苛めをする人間に「反撃すべし!」と声を上げている若い狸たちだ。

 彼らは自分たちを苛める人間に、化け術を持って対抗しているとのこと。

 

 穏健派である矢一郎は、実の弟でもある矢三郎に「そんなことは止めろっ!」と口酸っぱく説教を繰り返す。

 けれども、矢三郎はまったく反省した様子を見せない。

 

 鬼太郎たちに痛い目に合わされながらも、まるで懲りることもなく。

 何が楽しいのか、愉快そうな笑みを浮かべて堂々と自らの名を名乗るのであった。

 

 

 

(まか)り越しましたるは下鴨総一郎の三男、矢三郎である。いや~……今のは痛かった、とても痛かったなぁ~」

 

 

 

 




人物紹介

 下鴨矢三郎
  主人公の狸。普段化ける姿は『腐れ大学生』風。狸の名門、下鴨家の三男。
  相当な化け力を持つ狸だが、それを『面白いこと』にしか利用しない。
  自他共に認める『阿呆』。自身の父である下鴨総一郎を鍋にした女性に惚れたり、人間たちと仲良く酒を飲んだりと。器が広いと言っていいのか、これは?

 下鴨矢一郎
  下鴨家の長男。普段化ける姿は『若旦那』風。
  真面目な性格、化け力も結構なものなのだが、テンパると途端にポンコツになる。
  一応、最新話で狸たちの棟梁である偽右衛門に就任。
  偉大な父の後を継ぐべく日々奮闘している。

 下鴨矢四郎 
  下鴨家の末っ子。甘えん坊でまだまだ未熟な坊や狸。
  電気に化ける力があるっぽく、携帯とか充電できる。
  とても素直な性格、裏表がなくて可愛い。

 下鴨矢二郎 
  下鴨家の次男。作中ではカエルに化けていることが多い。
  名前は出てきませんでしたが冒頭、妖怪ポストに手紙を入れていたのは彼。
  有頂天家族2では旅に出ていたことがあり、今作でも今は旅をしている設定。
  基本良い狸ですが、ちょっとロリコンぽいところがあり、そのうえ惚れっぽい。
  
 玉瀾
  旧姓は南禅寺玉瀾。
  有頂天家族2の最後で矢一郎と結婚し、下鴨家に嫁入りしている。
  善良な狸。彼女の一族、南禅寺家は将棋好きな一家らしく当然彼女も将棋が好き。
  ちなみに、有頂天家族の狸たちの苗字は京都の神社仏閣の名前。
  その名前に該当する場所に、彼らは暮らしているという。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

有頂天家族 其の②

有頂天家族のクロスオーバーの中盤です。
これまでの経験上、一つのクロスオーバーは三話で纏めた方がいいと考えながら話を書いています。
そのため、今回は中途半端なところで切らないよう、結構な文字数になってしまいました。
また、有頂天家族側からかなりの登場人物たちが出てきます。
初見の人でも分かるよう、ざっくりとした解説を交えながら文章を考えていますが、それでも分からない場合は軽く公式サイトなどを閲覧しながら読むことをお勧めします。

それでは、続きをゆっくりとお読みください。


「鬼太郎さん、こちらです。どうぞこちらへ!」

「ええ……今行きます」

 

 京都の狸たちから『狸苛め』に関する調査依頼を受けた鬼太郎、目玉おやじと猫娘が京都で一晩を過ごしたその翌日。彼らは狸たちの案内で京都——ではなく、兵庫県『有馬温泉』へと来ていた。

 

 有馬の湯は言わずと知れた有名温泉地。京都からでも高速バスで日帰り旅行が組まれるなど、とても身近な観光地だ。しかし鬼太郎は温泉に浸かりに来たわけでも、買い食いをするために温泉街を歩いているわけでもない。

 

 この有馬の地の奥、今は閉鎖されたとある保養所に——寿老人が滞在していると。

 彼に今回の事件の事の真相を問い詰めるべく、そこへ向かっていた。

 

「金曜倶楽部の寿老人……彼が、今回の騒動の黒幕なのでしょうか、父さん?」

「うむ……分からん。分からんが……油断するでないぞ、鬼太郎よ」

 

 少なくとも、狸たちの代表である下鴨矢一郎はそう考えているらしい。

 

 昨日の——依頼された際の話を鬼太郎は思い返す。

 

 

 

 

「——寿老人……ですか?」

 

 矢一郎の口から出た名前に鬼太郎は目をパチクリさせる。『寿老人』といえばかの『七福神』の神々、その一柱である。長寿と福徳の神様でもある彼が狸苛めに関係しているなど、あまりにも突拍子がない話だった。

 

「はい……勿論、本物ではありません。寿老人と呼ばれている……金曜倶楽部(きんようくらぶ)の人間です」

「金曜倶楽部?」

 

 だがその寿老人というのはあくまでも呼び名である。

 その人物が所属する組織——『金曜倶楽部』に関して、矢一郎は苦々しい口調で語っていく。

 

 金曜倶楽部とは——京都に大正時代から存在するとされる秘密結社である。

 まあ、秘密結社といっても世界征服などを企んでいるわけではない。月一回皆で集まって楽しく、愉快に宴会を催すという、それが基本的な活動内容。

 メンバーは全部で七人と決まっており、それぞれが七福神の名を冠しているとのことだが。

 

「ですが彼らには年の瀬、狸鍋を喰うという蛮習があるのです!」

「た、狸鍋……ですか?」

「ええ、そうです。…………鬼太郎さんは、狸鍋を食したことがありますか?」

「はっ……? い、いえ、ないです!! ない…………筈です」

 

 矢一郎の問い掛けに慌てて首を振る鬼太郎。実際、彼は狸を鍋にしたことはないし、たとえあったとしてもここで「はい!」とは頷きづらい。それだけ、狸たちにとってこれは死活問題。

 年に一回は訪れるその定期的悪夢に、毎年彼らは誰かを犠牲にしなければならないのだから。

 

「かく言う私の父も……彼ら金曜倶楽部によって鉄鍋の底へと落ちました……」

「——っ!?」

 

 しかも矢一郎の父親・下鴨総一郎という狸も金曜倶楽部の手によって鍋の具材にされたという。

 まさに彼ら京都の狸にとって、彼らは天敵と呼べる存在だ。

 

「ですが我々とて、座して喰われるのを待つばかりではありません! 彼ら金曜倶楽部の邪悪な企てを……私たちは幾度となく阻止して来ました!」

 

 しかし矢一郎たちは去年と一昨年。金曜倶楽部の忘年会を二度に渡ってご破算にし、仲間が狸鍋になることを防いできた。これは近年稀に見る快挙であり、金曜倶楽部にとっても初めての体験であろう。

 

 だからこそ——その長である寿老人の逆鱗に触れてもおかしくない事態であった。

 

「この寿老人というのが得体の知れない老人でして。何やら怪しげな妖術を使うとか……彼であれば、今の狸苛めなる不可解な現象を起こすことができても不思議ではありません」

「なるほど……」

「時期的にも、そろそろ鍋の具材として狸の確保に乗り出す頃合いでしょう。そのために私たち狸側の勢力を弱めようと、今回のような企てを閃いたのではないかと我々は考えています」

 

 復讐という動機があり、それを行うだけの力を秘めている。

 現状、寿老人という男こそ——今回の事件、最大の容疑者であると狸たちなりに考える。

 

「ですが寿老人に近寄り、迂闊にもその正体を晒そうものなら、たちまち鍋の具材として捕らえられてしまうでしょう……」

 

 だが調査のために近寄ろうにも、もしも正体がバレてしまっては狸鍋にされてしまうと。

 誰も、好き好んで寿老人の側に近寄ろうなどとは思わない。

 

「こういった危険な案件、いつもであれば矢三郎という私の弟に頼むのですが……あいつは寿老人の怒りを特に買っているでしょうから……」

 

 矢一郎の弟、矢三郎。

 恐れ知らずの彼であれば寿老人の周りを嗅ぎ回ることができるかも知れないが、かの御大を怒らせているのは他でもない彼だ。

 もしも正体がバレて捕まったりでもしたら——そう考えると、さすがにそんな危険な任務を頼む気にはならない。

 

「そこで……ボクの出番、そういうわけですね?」

 

 後は矢一郎が語らずとも、鬼太郎には察しがついた。

 つまり狸たちは自分たちにできないその寿老人への調査をゲゲゲの鬼太郎にお願いしたい、そういうことなのだろう。

 

「はい。大変恐縮ですが……お願いできないでしょうか?」

 

 危険な依頼かもしれない。だが鬼太郎であれば鍋にされるということもないだろう。

 狸たちが直接調べるよりも、遥かに安全ではある。

 

「分かりました。その依頼……お引き受けします」

 

 鬼太郎としても特に断る理由はない。彼はこの頼みを引き受けることにし——

 

 

 実際に、寿老人が滞在中だという——有馬温泉の保養所へと足を踏み入れることになった。

 

 

 

×

 

 

 

「感じるか? 猫娘……」

「ええ……なんか、不思議な空気ね……」

 

 鬼太郎と猫娘は注意深く保養所——大きな建物の中を進んでいく。

 

 ここは寿老人が買収した建物で、中は旅館のような構造になっている。既に宿泊施設としては機能しておらず、他に客なども見かけられない。一応、大規模な清掃工事が行われた後はあり、ある程度片付けられてはいるが、使われていない場所は埃などが溜まっている。

 ここに今は寿老人が滞在しているという話だが、人の気配は感じられない。今のところは——。

 

「こっちじゃ、鬼太郎……こっちじゃ」

 

 すると、何かに気づいたのか目玉おやじが道筋を鬼太郎たちに指示していく。

 彼が指し示したのは『宴会場』と書かれた場所。そこの部屋の扉が半開きしており——僅かだが明かりが洩れている。

 

「鬼太郎……」

「ああ……」

 

 互いに声を掛け合い、より警戒心を保ちながらその部屋の前まで進んでいく鬼太郎と猫娘。

 鬼太郎は半開きだったその扉から、部屋の中をそっと覗き込もうとし——。

 

 

 

「——何用かな?」

 

 

 

「——っ!?」

「——っ!!!」

 

 瞬間、気配の感じられなかった背後。何者かが自分たちに声を掛けて来た。

 鬼太郎と猫娘は慌ててその場から飛び退き、後ろを振り返る。

 

「いやはや、こんなところまで客人とは珍しい。それも……人ならざる妖の客人とはな」

「! 貴方が……寿老人ですか?」

 

 そこに立っていたのは——長い長い髭を蓄えた、どこか仙人を思わせる老人であった。聞くところによると既に大還暦(百二十歳)を迎えた老体という話だが、そんな年齢など微塵も感じさせない堂々とした立ち姿である。

 七福神である寿老人はもっと福々しい顔をしているだろうが、こちらの寿老人は恐ろしく冷たい眼差しを鬼太郎たちへ、彼らの存在を値踏みするかのようにその視線を向けてくる。

 一瞥して鬼太郎たちを妖怪だと見抜く眼力といい、やはり只者ではないようだ。

 

「ふむ、その風貌……もしやお主、ゲゲゲの鬼太郎では?」

「ボクのことを……知っているんですか?」

 

 寿老人は僅かに思案するや鬼太郎の名を口にした。自分のことを知られていることに鬼太郎はますます警戒心を強めるが、寿老人にこれといって驚きはない。

 

「お主はこの業界では有名人だからのう……して? ゲゲゲの鬼太郎殿がこのわしに何用かな? 人に恨みを抱かれるような覚えは……生憎と山のようにある。はて、どのような御用件か?」

 

 人助けをしている鬼太郎が自分を尋ねてくるような理由に、寿老人は心当たりがあるらしい。

 それだけ——人に恨まれるようなことを色々として来たのだろう。それでいながらも、彼は平然と問い掛ける。

 

「京都の狸たちが、人間たちに虐げられているという話ですが……」

 

 そんな寿老人の態度に鬼太郎は不信感を募らせていく。だが今は依頼された案件を解決するのが先決と。寿老人に対しそれとなく狸苛めの件を尋ねていた。

 

「なんだ……何事かと思えば。これはまたつまらぬ用件だ」

 

 しかし鬼太郎の用事を察するや否や、寿老人は興味を失くしたかのようにそっぽを向く。そして呆れるような、どこか退屈そうなため息を吐く。

 

「大方、狸どもにでも泣き縋られてわしの身辺を嗅ぎまわりにでも来たのだろうが……疑われるのも不快故、はっきりと言わせてもらおう」

 

 彼なりに狸たちが何を考えているのかを先読みし、鬼太郎が抱いている疑念について明確な答えを返していく。

 

「京都市内で起きている狸苛めとやらに関してわしは一切無関係だ。お主の期待に添えるような答えを、わしは持ち合わせてはおらん」

「……ですが、貴方は狸の皆さんに何か恨みがあるのではないのでしょうか?」

 

 だが、寿老人の答えを鬼太郎は鵜呑みにはしなかった。何か隠していることがあるのではないかと、未だにこの老人への警戒を緩めない。

 猫娘も、目玉おやじも同意見なのか。何も言わず、油断なく寿老人の様子を窺う。

 

「ふん……なるほど。確かにわしにも憤りはある。狸どもに忘年会を台無しにされ、大事な『電車』や貴重な蒐集品の数々が粉々に吹っ飛ばされてしまった。腹立たしいことこの上ない」

 

 憤怒を押し殺すような言動で、寿老人は狸への怒りを口にした。

 それだけの怒気があるのであれば、確かに自分には動機があるのだろうと鬼太郎の言い分を認める。しかし——

 

「だが、所詮は狸のやることよ。連中への復讐にそのような策謀を張り巡らせるほど、わしも暇ではない」

 

 怒りがあることを認めつつも、その程度のことで狸たちに構うほど暇ではないとはっきりと断言する。

 

「いざとなれば狸など、力尽くで鍋に放り込めばいいだけのことよ。わざわざ、そのような回りくどいことをする必要もないわ」

「……どう思います、父さん?」

「……うむ、嘘をついているようには感じられんが……」

 

 寿老人の言い分に鬼太郎は父親の意見を求める。

 全くもって不遜な態度ではあるが、そこには嘘を吐いているような後ろめたさを微塵も感じられない。言葉通り、この老人であれば力尽くで狸たちを従わせることもできるのではないかと。そう思わせるだけの不気味な説得力が感じられた。

 ここまで来るとさすがに鬼太郎も思い直す。

 

 狸苛めを扇動しているのは——寿老人ではないと。

 

「さて、用件はそれだけかな? それではお引き取り願おう。わしも色々と忙しい身の上でな」

 

 それ以上鬼太郎たちに話すことなどないのか。寿老人はとっとと帰るように告げてくる。

 

「鬼太郎……」

「……仕方ない。一度、矢一郎さんのところに戻ろう」

 

 猫娘は寿老人の態度に不満そうに鬼太郎へと目配せする。だが鬼太郎としても、これ以上彼を追求することはできなかった。

 今は大人しく京都へと戻り、矢一郎に報告をしなければと、その場を後にしようとする。

 

「……っ?」

「ん? こ、この……匂いは!?」

 

 ふと、その直後だ。

 生暖かい風とともに、鬼太郎と猫娘の鼻腔を——どうにも特徴的な匂いが刺激する。

 

 その匂いは半開きされた扉、宴会場から香ってきた。

 その匂いの——どことなく嗅ぎ覚えのある感覚に、鬼太郎は部屋の扉を勢いよく開け放つ。

 

 宴会場というだけあって、その部屋はかなり広々としていた。

 その広い広い部屋の中央にポツンと屏風が置かれている。風は——その屏風から吹いているようだ。

 

「こ、これは……地獄絵か?」

 

 その屏風に描かれていた絵に、目玉おやじがその目玉をまん丸にする。

 

 

 そこには『地獄』が描かれていた。

 

 黒々とした岩場、炎と血で真っ赤に染まる大地。

 哀れな亡者たちが泣き叫ぶ姿に、それを追い回す鬼たちの恐ろしい形相。

 

 まさに地獄絵図。その光景は目にするだけで、人を本能的に恐れさせる迫力がある。

 だが——鬼太郎たちを戦慄させたのは、その絵から香ってくる『匂い』だ。

 

 

「この匂い……まさか、地獄の!?」

 

 その地獄絵からは『本物』の地獄の匂いがした。幾度となく地獄を訪れたことのある鬼太郎が、その匂いを嗅ぎ間違えるなどあり得ぬこと。

 

「ほう……さすがはゲゲゲの鬼太郎。よくぞお気づきになられた!」

 

 自分の敷地内で勝手をする鬼太郎たちだが、寿老人は寛大な心でそれを許した。それどころか嬉しそうに、どこか自慢するように、その地獄絵を鬼太郎たちに見せびらかして声を弾ませる。

 

 

「——左様、この地獄絵は正真正銘『地獄』へと繋がる扉。この寿老人秘蔵の品の一つである」

 

 

 

×

 

 

 

 地獄への出入り口を鬼太郎たちはいくつか知っていた。

 黄泉比良坂や、妖怪バス、幽霊列車など。自分たちが地獄へと赴く際の、もしくは人間を地獄へと送るための交通手段。

 

 だが——『これ』は鬼太郎たちも知らない。

 このような地獄絵が、地獄へと通じる扉を人間が個人的に所有するなど、妖怪である鬼太郎からすれば捨て置けない事態である。

 

「さすがは地獄へと通じる地獄絵よ。電車と共に吹っ飛んでしまったと思ったが、まるで無傷。これにはさすがのわしも驚いたものよ!」

 

 この地獄絵。実は狸たちとの騒動の折、自慢の『電車』ごと吹っ飛んでしまったかと思われていた。だがこの絵はただの絵ではないようで、決して燃やすことも粉々にすることもできない。そういう不思議な力が、この屏風の地獄絵には備わっているそうだ。

 それを誇るように語る寿老人。だが、鬼太郎は危機感を持って彼に告げる。

 

「寿老人……地獄へと通じる地獄絵など、人間が所有していいものとは思えません。この絵、手放すつもりはありませんか?」

 

 人間が生きたまま地獄へ行ったり来たりできるようになるのは問題だ。この場に地獄の住人がいれば恐らく同じような提案をしていただろうと、鬼太郎が彼らに代わって寿老人にその地獄絵を手放すように願い出た。

 もっとも、そんな提案を受け入れる寿老人ではないだろう。

 

「この絵を手放すつもりはない」

 

 案の定、彼は鬼太郎の提案を突っぱねる。有無を言わせぬ口調、交渉の余地すらない力強い発言であった。

 

「これはわしの蒐集品の中でも相当貴重な代物だ。これを所有するにあたり、色々と苦労もしておる……見よ」

 

 寿老人は地獄絵のとある部分、絵の右上を指差した。

 

「何この絵……仏様? 何か……狸みたいな顔してるわね……」

 

 そこに描かれている仏様らしき絵柄に、猫娘が気が抜けたようにコメントする。

 その仏様は明らかに後から描き足されたものであり、随分のほほんとした狸のような仏様であった。慈愛に満ちた絵のタッチ、その手からは蜘蛛の糸を垂らしているようである。

 

「さる絵師に依頼し、描き入れて頂いた仏様だ。この仏様のおかげでこの絵を安心して眺めることができよう。ありがたや、ありがたや……」

 

 寿老人でさえも、この絵は恐ろしい物品なのだろう。その仏様でもいなければ安心してその絵を眺めることもできないのだという。

 そこまでしてでもこの絵を所有していたいというのか。人間のコレクター魂に感心するや、呆れるやで鬼太郎はため息を吐く。

 

「ですが…………!?」

 

 それでも、何とかしてその絵を確保しなければ不味いのではと。鬼太郎は尚も食い下がる。

 だがそのときだった。地獄絵の屏風が一人でに動き出したことで鬼太郎たちが目を見張る。

 

 

 地獄からの生暖かい風が吹くと同時に——次の瞬間、何者かが地獄へと繋がるその絵から姿を現した。

 

 

「——あら、可愛いお客様ですこと」

「——っ!?」

 

 

 その人物は——なんとも美しい『天女』であった。

 闇夜のようなドレスを纏い、髪は少し短めでボーイッシュに揃えている。朴念仁な鬼太郎でさえ、思わず息を呑むほどの美女だ。

 だが、それで頬を朱色に染めるなどという可愛らしい反応にはならない。

 その女性の持つ美貌はまさに背筋が凍るほど。見たものをゾクリとさせる無慈悲な女神。まるで骨まで黄金で出来ているような神々しさすら感じさせる。

 

「どちら様かしら……見たところ、人ではないようですが?」

 

 鬼太郎を見下ろす視線にも、どこか冷酷さが宿っている。

 地獄絵から出てきたということもあり、咄嗟に答えを返すことができない鬼太郎たち。そんな彼らに変わり、何事もなかったように寿老人がその美女に声を掛けた。

 

「これはこれは……弁天さん。彼はゲゲゲの鬼太郎だよ。弁天さんも噂くらい聞いたことがあるであろう?」

「ああ、あの有名な?」

「どうやら狸どもに頼み込まれたらしくてな。わしの身辺を嗅ぎまわりに来たらしい」

「あらあら、それはまたご苦労なことね」

 

 ゲゲゲの鬼太郎の名を聞いても、特に関心を示した様子がない美女——弁天(べんてん)

 

「!! 貴方が……金曜倶楽部の弁天ですか……」

 

 しかし鬼太郎たちの方は彼女の名を聞き、どこか納得したように頷く。

 

 弁天の名を冠する金曜倶楽部のメンバー。既に矢一郎たちから聞き及んでいる。

 彼女も寿老人と並ぶ——あるいはそれ以上に危険な相手であると。

 

 

 金曜倶楽部は基本、ただの人間たちの集まりだ。

 そのメンバーも殆どが一般人であり、狸を喰うこと以外、これといって警戒するような相手ではない。

 

 だが、そのメンバーのうち二人だけ。明らかにただの人間の範囲を逸脱した力を秘めているという。

 その内の一人が『寿老人』。そして、もう一人がこの『弁天』である。

 

 七福神の中でも紅一点の弁天。その正体は——天狗から神通力を学んだ人間だ。

 彼女は師匠である如意ヶ嶽(にょいがたけ)薬師坊(やくしぼう)という天狗から様々な秘術を授かり、ついにはその師匠すらも超え、京都中に『天狗』としてその名を轟かせた。

 今や本物の天狗たちですら彼女には一目置くようになり、傅くようになった者までいる。

 人間として狸を喰らいながらも、天狗としての神通力を行使し、妖怪たちですらも容赦なく薙ぎ倒していく。

 

 天下無双の女天狗。彼女こそ——狸たちの真の天敵、金曜倶楽部の弁天である。

 

 

「——ところで、寿老人」

 

 その弁天だが、彼女は狸の話題にも鬼太郎という少年にも特に触れては来なかった。代わりに何が面白いのか。その口元に冷たい微笑を浮かべて寿老人へと話しかける。

 

「久しぶりに鬼たちと相撲を取ってきましたが……例のあの『二人』地獄から逃げ出したそうですわよ?」

 

 弁天はこの地獄絵から地獄へと赴き、鬼たちと相撲を取っているとのこと。彼女としては軽い運動らしい。それだけでも、この女性の恐るべき実力の片鱗が感じ取れるが——。

 

「なんと!? あやつらも中々にしぶといではないか! ……だが、この地獄絵が使われた形跡はなかったと思うが?」

 

 弁天の話に驚きながらも愉快そうに声を弾ませる寿老人。彼は疑問を口にしながら、地獄絵を不思議そうに眺めている。

 

「なんでも、先日の騒ぎで地獄と現世が一時的に繋がってしまったらしくて……その混乱に乗じて逃げ出したらしいですわよ」

「——っ!?」

 

 金曜倶楽部の二人だけで話し込んでいるようだったが——さすがにその会話内容に鬼太郎も黙ってはいられなかった。

 

 地獄と現世が繋がってしまったという騒動。

 それは鬼太郎たちが直接関わった、『例の事件』かもしれないと。

 

「すいません!! その話……もっと詳しく聞かせて下さい!!」

 

 狸苛めの件も、地獄絵の件も一時忘れ。

 鬼太郎は弁天の口にした——『地獄から逃げ出した二人の脱獄者』について詳しい話を聞き出していく。

 

 

 

×

 

 

 

「……はぁ~……鬼太郎たち、大丈夫かな?」

 

 鬼太郎たちが狸苛めの調査をしていた頃、犬山まなは京都の地でため息を吐いていた。

 人間が狸を苛めていた光景を目の当たりにし、そういった行為が今も京都中で行われていると聞き、その表情を曇らせている。

 まなは「自分にもこの事態を解決できる手伝いが出来ないか?」と申し出たのだが——

 

「まなっ? 何ぼーっとしてんの? はやく来ないと追いてっちゃうわよ!?」

「あっ、う、うん……今行く!」

 

 残念ながら、犬山まなは修学旅行の真っ只中。旅行といえども学校の行事、自由行動の時間があるといっても、さすがに一人でウロチョロするような勝手は許されていない。

 今の自分では鬼太郎たちの手助けはできない。そんなもどかしい気持ちを抱えつつ、まなは次なる目的地。

 

 

下鴨(しもがも)神社』へと訪れていた。

 

 

 賀茂御祖(かもみおや)神社——通称・下鴨神社。京都の寺社の中でも特に古い建物に分類され、『古都京都の文化財』として、ユネスコ世界遺産にも登録されている。

 

 巨大で美しい朱色の楼門が印象的。

 参道を囲むよう、周囲には原生林『(ただす)の森』が東京ドーム三個分もの面積で広がっている。

 京都市街地の中にありながらも豊かな自然が満喫できると、地元の人にも観光客にも心休まる場所として親しまれている。

 

 まなたちの学校は現在、その下鴨神社の境内を自由に散策していた。

 楼門を潜り社でお参りする生徒もいれば、糺の森の澄んだ自然を大いに体験している生徒もいる。中には歩くのに疲れ、茶屋で名物であるみたらし団子を食している生徒などもいた。

 それぞれが思い思いに、この地の魅力を満喫している。

 

「はぁ~……やっぱり気になっちゃうな……」

 

 そんな中においても、犬山まなは修学旅行に集中できていない。やはり狸苛めの件が気になってしまい、心ここに在らずといった感じ、一人何をするでもなくぼーっと参道に立っている。

 

「——おや? こんなところで何をしてるんだい、お嬢さん」

 

 すると、そんなまなに気軽に声を掛けてくる者がいた。

 学校の生徒でも先生でもない。その人物は昨日まなと顔を合わせた青年——毛深い本性を持つ一匹の狸である。

 

「あっ! え、ええっと……矢三郎、さんでしたっけ?」

「その通り、下鴨矢三郎である」

 

 今は人間の姿をしているが、それは紛れもなく下鴨矢三郎。

 昨日と同じ大学生といった風貌に化け、なんの違和感もなく人間たちの中に紛れ込んでいる。

 

「——あら、矢三郎。その子はいったいどこのどなた様かしら?」

 

 彼の隣には一人の女性が立っていた。

 割烹着を着た主婦といった感じの、一見すると若くて美人な妙齢な女性。

 

「おう、母上」

「えっ? お、お母さん!?」

 

 その女性を矢三郎が「母上」と呼んだことでまなを地味に驚かせる。矢一郎や矢三郎の母親というにしては随分と若い。もっとも、彼女も狸ならその若い容貌も頷けることだ。

 

「母上、昨日話しましたでしょう。矢四郎を助けようとしてくれた。東京から来た学生さんですよ」

「! あらあらそうなの!? それはとっても素敵なお嬢さんだわ!」

 

 矢三郎は母親である彼女に、軽くまなのことを紹介する。矢四郎の件は既に彼女の耳にも届いていたのか。とても嬉しそうな笑みを浮かべ、彼女はまなに深々とお辞儀する。

 

「矢四郎がお世話になりました。母としてあなたには感謝しかないわ。ありがとう」

「い、いえ……結局、わたしは何もできませんでしたから」

 

 母親の感謝の言葉にまなは表情を曇らせた。実際はまなが助けたというより、矢三郎が狸苛めをしていた人間を追っ払ったといえよう。まなは矢四郎を保護しようとしたが、完全に余計なお節介だったのではと、寧ろ申し訳なく思っていた。

 

「いえいえ、お気持ちだけでとっても嬉しいわ! ……人間があなたや淀川さんみたいに狸にも優しい人ばっかりだったら良かったんだけどね」

「…………」

 

 それでも、お礼はしっかりと述べる母狸。しかし狸苛めという辛辣な事件が頻発しているせいか、その顔には憂いを滲ませている。

 人間であるまなとしても、複雑な心境だ。これといって解決の手立てもなく、まなもしんみりとした表情で落ち込んでいた。

 

「あっ! いたいた、ちょっとまな!」

「雅? どうかしたの?」

 

 するとそんな場の空気を乱すよう、まなの親友である雅が慌てた様子で駆けつけてくる。彼女は見知らぬ矢三郎たちにチラリと視線を向けるも、すぐにまなの方へと向き直る。

 

「大変、大変なのよ! なんていうか……男子たちの様子が……とにかく、一緒に来て!」

「えっ? あ、ちょ、ちょっと!?」

 

 雅自身どう説明すべきかよく分かっていないのか。とにかく来てくれと、困惑するまなの手を引っ張っていく。

 

「なんだか、不穏そうね。矢三郎、あなたも様子を見に行ってらっしゃい」

「えっ? 俺がかい、母上?」

 

 彼女たちのやりとりに、矢三郎の母が息子にまなたちと一緒に行ってあげるように口を出す。

 

「他に誰がいるの? 昨日はお嬢さんを怖がらせてしまったのでしょう? その罪滅ぼしでもしてきなさいな」

「むむっ、それを言われると……分かったよ、俺にドンと任せとけ!」

 

 母親の言いつけに応じ、矢三郎もまなたちの後に続いていくこととなった。

 

 

 

 

「——寄ってらっしゃい! 見てらっしゃい!! 掘り出し物の骨董品だよ!! ここでしか買えない貴重な代物だ!! お土産にどうだい!?」

 

 参道の脇道。初詣などで屋台が出店されるその場所で、男は声を張り上げていた。

 男はブルーシートを敷いてその辺り一体を占拠。壺やら皿などの骨董品を並べ、通行人たち相手に商売を行なっている。

 

 まなは——遠目からその商売を行なっている男を見た瞬間に脱力する。

 

「ねずみ男さん……京都に来てまで何やってるんだろう……」

 

 そう、そこにいたのはボロいローブの一張羅・半妖のねずみ男である。

 昨日は鬼太郎たちと一緒ではなかったため、依頼で来ているわけではないだろう。

 おそらくは偶然。この京都の地で金儲けをしようと、骨董品と称してガラクタ品を適当に売り捌いている。

 

 そんな商売が真っ当である筈もなく、あんな怪しい品物がまともに売れるわけもない。しかし——

 

「……見てくれよ、こんなに良い壺が……とってもお得なんだ……」

「すっごい……最高の思い出だ……ありがとう……」

「ちょ、ちょっと!? どうしちゃったのよ、蒼馬たち!?」

 

 まなは目を見張る。

 彼女の同級生である蒼馬を始めとした男子たち、彼らの手には壺やら皿が握られている。彼らはあんなに胡散臭いねずみ男から、修学旅行用の資産、小遣いの全てをはたいて骨董品を購入してしまったらしい。

 いくら男子たちが馬鹿でもそんなこと、普段の彼らなら絶対にしない。

 目もどこかうつろで、言動もおかしい。男子たちの様子は明らかに異常であった。

 

「ありゃま。これは……『幻術』に掛かってるね」

「げ、げんじゅつ?」

 

 男子たちの異変に、まなに付いてきた矢三郎が指摘する。

 幻術、即ち幻を見せられている。その幻術のせいで、男子たちはそのガラクタがとても価値のある品だと思い込まされ、買わなければならないという衝動に駆られているとのことだ。

 

「け、けど……ねずみ男さんにそんな力なかったと思うけど……」

 

 しかしまなの知る限り、ねずみ男という半妖にそのような幻術なるものを行使できるスキルはなかった筈。そんな便利なものを彼が持っていればもっといろんな悪事を行い、鬼太郎たちをさらに困らせていただろう。

 

「ふ~ん……となると、やっぱりあの人がこの騒ぎの元凶だろうね。はぁ~……」

 

 まなからその話を聞き、矢三郎は視線をねずみ男からその隣——もう一人の男へと向け、ため息を吐く。

 

 

 

 

「ふっふっふ……」

 

 その男は、ねずみ男の隣に静かに立っていた。

 そしておもむろに手に真っ赤な提灯を持ち、それをゆらゆらと揺らしていく。

 

 その提灯には——『天満屋(てんまや)』の三文字が燦然と輝いている。

 

 そうして、何度かその提灯を揺らしている間にも店先にいた見物客に変化が生じる。それまでは誰もねずみ男を信用せず、怪しげな骨董品になど手も触れていなかった。

 だが、次の瞬間にも客たちは血相を変え、我先にと隣の客と奪い合うように骨董品を買い求めていくのだ。

 

「へっへっへ!!」

「ふっふっふ!!」

 

 ねずみ男は骨董品を売り捌きながら、提灯を揺らしていた男へ「グッ!」と親指を立てる。男の方もねずみ男へウインクをし、互いの健闘を称え合う。

 

 二人がグルであることはそれで明白だ。

 

「何やってるんですか。ねずみ男さん!!」

「ん……? って、まなちゃん!? なんだってこんなところに!?」

 

 そこでとうとう犬山まながねずみ男に声を掛ける。ガラクタを幻術で売りつけるという、インチキ紛いな商法に苦言を呈するためだ。

 まさかの京都での犬山まなとの遭遇に、当然ながらねずみ男も驚く。

 

「——こんなところで何をやってるんだい……天満屋さん」

 

 そして矢三郎の方も、提灯を持っていた男へと声を掛ける。

 

 胡散臭さではねずみ男に負けず劣らずな中年男性。

 みっちりとした見せかけの体躯に、鯉のようにまん丸な目玉。ニカっと歯を剥き出しにして不敵に笑うその男——天満屋とやらが、矢三郎に嬉しそうな笑顔を向けていた。

 

 

「——よおっ! 矢三郎くん!! また会えて嬉しいよ!!」

 

 

 

×

 

 

 

 幻術師天満屋。幻術を使い、狸すら化かす恐れ知らずの人間である。

 彼はもともと寿老人の手下であり、金曜倶楽部で下働きのようなことをしていた過去がある。だが本来であれば自尊心が強く、自由を愛する男だ。誰かの指図を受けることを嫌い、自分のやりたいことをやりたいようにやり、我が道を突き進んでいく。

 そんな彼が、どこで出会ったかは知らないがねずみ男と手を組み、あろうことか商売を始めてしまった。

 それがまともな商売である筈もなく、相変わらず幻術を悪用し、随分と荒稼ぎしているようである。

 

 

 

「……というか、天満屋さん。あんた、また地獄から逃げだして来たね……」

 

 天満屋の全く変わらない様子に呆れつつ、矢三郎は驚いていた。

 

 この天満屋という男。寿老人が秘蔵する地獄絵を潜り、二度に渡って地獄へと堕ちているのだ。

 一度目は寿老人を怒らせた罰として、二度目は地獄の鬼が自ら天満屋を迎えに来た。

 

 一度迷い込んだら最後、まともな手段では抜けられないのが『地獄』というもの。にも関わらず、この男は二回も地獄へと堕ち、そして二回とも自力で這い上がってきた。しぶとさという点においてならば、ねずみ男にさえも引けを取らないだろう。

 

「勿論だとも! 地獄に堕とされた程度でくたばる天満屋じゃないとも! 前にも言っただろ? 俺様がくたばる時、それは世界が終わる時だと!!」

 

 自信満々に言い切る男の笑顔に、矢三郎は肩を竦める。確かにこの男であれば、そう簡単に死にはしないだろうという不思議な説得力がある。矢三郎はこの天満屋という侮りがたし怪人に、もはや苦笑いするしかなかった。

 しかしふと、矢三郎は彼に尋ねる。

 

「天満屋さん。一応聞くけど、ここ最近京都で起こっている狸苛め……犯人はあんたじゃなかろうね?」

「えっ!?」

 

 矢三郎と天満屋の会話を横で聞いていたまなが驚いた声を上げる。鬼太郎たちが今も調べている事件の犯人。それがこの天満屋かもしれないと矢三郎は指摘しているのだ。

 もっとも、矢三郎としてはそこまで天満屋のことを疑っているわけではない。確かに彼の幻術を用いれば人間に狸を苛めるように暗示をかけることもできるかもしれない。

 とはいえ、そのような無駄な時間を浪費する男でもないと。ある意味で矢三郎はこの天満屋という男を信用していた。

 

「……俺様が? 狸を苛める……? ふ、ふっふっふ!」

 

 やはりと言うべきか。天満屋はキョトンと目を丸くし、可笑しそうに笑い声を上げる。

 

「生憎だが、俺様にそんな一銭の特にもならんようなことをする暇はないさ」

「そうだよね……さすがの天満屋さんでも。けど、寿老人の命令ってことも……」

 

 矢三郎でもそうは思った。だが寿老人の命令であれば、あるいはそれくらいの謀はするかもしれないとも考える。しかし、そんな疑いすらもケロリとした表情で受け流す。

 

「残念だったな。俺様の地獄からの復活を御大はまだ知らない筈だ。俺様は……あの地獄絵から抜け出したわけじゃないんだからな」

「へっ? 地獄絵の蜘蛛の糸から這い上がって来たわけじゃないのかい? なら、いったいどうやって……」

 

 一回目の地獄からの脱獄の際、天満屋は地獄絵の蜘蛛の糸を利用して現世へと帰還した。しかし、二回目の逃走ルートは別口のようだ。矢三郎はどうやって彼が地獄から逃げ出したのだろうかと、そんなことを呑気に考える。

 

 

 だが次の瞬間——

 

 

「……ちょっと待ってくれよ。天満屋さんが現世に戻ってきたということは……まさか!?」

 

 ふいに、矢三郎の表情に深刻なものが宿る。彼は——思い出したのだ。

 前回、鬼によって天満屋が地獄へと堕ちた時。彼と共に地獄へと引き摺り込まれたものが『もう一匹』いたことに。

 

 天満屋が地獄から抜け出したというのであれば、『彼』だって地獄から這い上がってきてもおかしくはない。

 その可能性に行き着き——矢三郎は今回の事件の『黒幕』の輪郭をぼんやりとだが捉える。

 

「天満屋さん……どうやら詳しい話を聞かなきゃならんみたいだ」

 

 矢三郎は天満屋相手に身構える。この油断ならない怪人から物事を聞き出すというのも、なかなかに骨が折れる作業だろう。

 案の定、天満屋もタダで教えようとはしてくれない。

 

「……お前さんが何を聞きたいのか、なんとなく想像はつくぜ。しかしハイそうですかと教えるようじゃ、天満屋の名が廃るってもんだ」

 

 天満屋はそこで思案に耽る。

 そして、何かよからぬことを企んでいるであろう笑顔を浮かべ——矢三郎に提案する。

 

「なあ、矢三郎くん……俺様たちと組まないか?」

「はぁっ? 組むって……俺にもそんな怪しげな商売の手伝いをしろって言うのかい?」

 

 矢三郎は天満屋とねずみ男を交互に見比べて眉を顰めた。自分にも彼らのような詐欺紛いなメンバーの一員になれなどと、正直冗談ではないと思った。

 だが、天満屋は至って真剣な様子で勧誘を続ける。

 

「ねずみ男くんの商才と、この俺様の幻術。そして……お前さんの変化の術が合わされば怖いものなしよ。キミの正体が毛深ろうとも構わん! 過去のことは全て水に流し、共に一旗揚げようじゃないか! 大きな夢を見て、俺様と面白い人生を送ろうぜ!」

「いやいや……悪いけど、俺にはそんなつもりは……」

 

 熱く語る天満屋。それに対し、矢三郎は冷ややかに答えようとする。

 だが矢三郎が明確な返答を口にする前に——天満屋は口元をいやらしく歪める。

 

 

「——それに俺様と組めば、人間への復讐だってやりたい放題だぜ?」

「——っ!」

 

 

 天満屋の言葉に矢三郎はピクリと反応を示す。

 

「狸苛めとは酷いもんだよな……全く人間ってのは身勝手な生き物さ。まっ、人間である俺様の言えた義理じゃないが……」

 

 天満屋は既に矢三郎の正体が狸であると察しているのだろう。それをはっきりと明言することを避けながらも、彼の種族的立場を考慮した提案を口にしていく。

 

「人間がお前さんたちにしたことを考えれば、キミがちょっとばかりの悪戯をしたって罰は当たらんさ! 俺様の幻術を用いれば、人間への復讐もやりやすくなるってもんだ……どうだい? 俺様と一緒に——」

「ちょ、ちょっと待ってください!!」

 

 しかし、話が不穏な方向へと傾いてきたところ、側にいたまなが我慢できずに声を張り上げる。

 

「復讐だなんて、そんな物騒なこと……! 第一、全ての人間が狸さんを苛めてるわけじゃ!!」

 

 彼女は復讐などやらせまいと。天満屋の矢三郎への勧誘そのものを遮る。

 人間が狸苛めで彼らを虐待しているのは確かかもしれないが、それでもそんな人間ばかりではないと真っ直ぐな正論を口にしていく。

 

「お嬢ちゃん。大人の話に子供が口を挟むもんじゃない。でないと——」

 

 だが、そんなまなの発言を全く意にも介さない天満屋。

 ニヤニヤとニヤつきながらも、次の瞬間——

 

 

「——怪我をするだけじゃ済まないぜ?」

 

 

 剣呑な雰囲気を纏いながらも彼は懐から——明らかにヤバめの代物を取り出し、それをまなに向かって突きつける。天満屋が構えたのは見事な装飾が施された筒状の物体——つまりは『銃』であった。

 

「っ!?」

「お、おい、天満屋!! さすがにそれは不味いって!?」

「ひぃっ!? じゅ、銃!?」「うわあああああ!?」

 

 突如向けられた凶器に息を呑むまな。ねずみ男ですら、慌てふためいて天満屋を宥めようとする。

 周囲の人々も、男が手にした明らかに御法度であるその凶器を前にし、悲鳴を上げながら逃げ出していく。

 

 だが、天満屋は騒然となる周囲のことなど一切気にせず、その銃口をそのまま矢三郎の方へと構え直す。

 

「……独逸(ドイツ)製空気銃。まだあんたが持ってたんだね、天満屋さん……」

 

 矢三郎は比較的冷静であった。天満屋がその銃を所持していることを知っていたためだ。

 しかし、余裕はない。銃口を向けられ、彼は迂闊に動くことができない状態へと追い込まれる。

 

「さあ……返事を聞こうか、矢三郎くん?」

 

 その銃で脅しながら天満屋は矢三郎へと答えを迫る。

 自分と手を組むか否か。返答次第によっては——ズドンと鉛玉が撃ち込まれることだろう。

 

 そんな、命の危機を前にし——矢三郎ははっきりと答えていた。

 

 

「——天満屋さん、悪いけど……あんたの提案は聞き入れられないよ」

「…………」

 

 

 天満屋は黙ったまま。矢三郎はさらに己の主張を口にしていく。

 

「確かに今の人間たちの行いは目に余る。調子に乗った阿呆どもには痛い目に遭ってもらわないといけないと思うんだ」

 

 だからこそ、過激派筆頭の狸として矢三郎は人間たちを化かし、彼らにキツイお灸を据えてきた。これは攻撃でも、宣戦布告でもない。お前たちへの逆襲だとばかりに。

 

「けど、私だってところ構わず、誰これ構わず脅しまわって悦に入るような見境なしじゃないさ」

 

 しかし矢三郎だって分別は弁えている。

 化かすべき人間とそうでない人間。どこまでやっていいか、やるべきか。その区別を自分自身で付けているつもりだし、やり過ぎたと思えば素直に反省だってする。

 たとえ『阿呆』であろうとも、それが最低限——自分自身で付けなければならないケジメだ。

 

「だから……天満屋さんの誘いを受けるわけにはいかないよ」

「……そうかい。そいつは残念だよ」

 

 自身の誘いを袖にされた天満屋は、表面上は無表情。しかし内心では屈辱でも感じているのか。

 殺気だった目を鋭く細め、空気銃の引き金に力を込める。

 

 そして、矢三郎へと狙いを定めていき——

 

 

「——おやおや、これはどうしたものか?」

 

 

 まさに、銃口から鉛玉が放たれようとしていたときだった。

 

 その殺伐とした場に——『英国紳士』が舞い降りる。

 

 

 

×

 

 

 

 その紳士は空からやってきた。

 白い背広、白いワイシャツ、白い靴、白いシルクハット。雪のように白い肌と全身を徹底的に白に固めたコーディネート。手にはステッキまで持っている、時代錯誤なまでの英国紳士振り。水も滴るイイ男である。

 

「えっ? だ、誰?」

「へっ!?」

「な、なんだ! お前は!?」

 

 天空より静かに地面へと着地したその紳士にまなやねずみ男、天満屋でさえも呆気に取られていた。その紳士がいったい何者なのか、彼らには検討もつかない。 

 

「これは! お久しぶりでございます、二代目」

 

 誰もが唖然となる中、矢三郎だけは瞬時にその男の降臨に膝を折った。

 二代目と、男のことを恭しい仕草でそう呼び、彼もその呼びかけに応える。

 

「やあ、矢三郎くん。久しぶりだね。元気そうで何よりだ」

「二代目こそお元気そうで……それにしても如何なされました? わざわざこのようなところにまで?」

「なに、たまたま近くを通りかかったものでね。何やら聞き捨てならない言葉が聞こえてきたのだ。銃がどうとか……」

「それはそれは……さすが『天狗』の地獄耳でありますな、はっはっは!」

 

 それは不思議な会話であった。

 矢三郎が一方的にへりくだっているようでありながらも、彼は面白そうに終始笑顔を浮かべている。二代目と呼ばれた男も、矢三郎が謙遜した態度を取るのを当然とばかりに受け入れながらも、爽やかな微笑を浮かべている。

 きっちりと上下関係を築きつつも、どこか気心の知れた友人のように二人とも楽しげだ。

 

「私は天狗ではないよ」

 

 だが、天狗という言葉を口にする際、男は常に無表情であった。

 まるでその存在を嫌悪するかのように冷ややかなものをその視線に宿し——それをそのまま天満屋へと向ける。

 

「な、なんだぁ! やろうってのか! ああん!?」

 

 二代目の冷酷な眼光に天満屋は蛇に睨まれた蛙の如くビクッと身を震わせる。

 だが、すぐにでも気を持ち直し、手にした銃を二代目へと突きつけ、威嚇するように吠える。

 

 もっとも、その程度で取り乱すような輩は紳士ではない。

 

「……そこのキミ、その独逸製空気銃を私に返してくれないかね? それは私の落とし物なのだよ」

 

 二代目の目的は、天満屋の持っていた『銃』であった。 

 彼は頼むような口調で天満屋に銃の返却を願うが、実質的にそれは『命令』だ。拒否など許さない。そんな得体の知れない圧力のようなものが彼の言葉や視線、その佇まいから発せられている。

 

「ふ、ふざけるな! 返せと言われてそう簡単に返せるものか!!」

 

 天満屋としては、その銃にかなり愛着があるのか。本来の持ち主の正当な要求に一切応じることもなく。

 次の瞬間——二代目を退けるべく、天満屋は空気銃の引き金を躊躇うことなく引いてしまう。

 

「やれやれ……」

 

 空気圧を利用して放たれる鉛の弾丸。火薬などを用いる通常の銃弾に比べれば威力も弾速も劣るが、それでも狸を射殺できるくらいの威力があった。

 しかし、紳士は一切取り乱すこともなく、発射された鉛玉を文字通り『摘まんだ』。高速で飛んできた弾丸を、まるで宝石でも扱うような優しい手つきで掴んでしまったのだ。

 ただの人間では不可能な芸当。超常の力を誇る天狗だからこそ成せる技であろう。

 

「なっ、ななあ!!?」

 

 頼みの綱である空気銃をあっさりあしらわれ、天満屋は唖然としていた。

 すると、そこへ矢三郎がすかさず叫ぶ。

 

「無礼者!! この方をどなたと心得るか!?」

 

 彼は天満屋の無礼を叱責し、まるで先の副将軍でも紹介するように芝居掛かった口調で二代目という男の素性を明かした。

 

 

「——この方こそ、二代目如意ヶ嶽薬師坊様! いずれは如意ヶ嶽一円を取り仕切ることになるであろう、偉大なる天狗様にあらせられるぞ!!」

 

 

 矢三郎にとっても師匠である如意ヶ嶽薬師坊。この男は——その息子であり、跡目を継ぐ立場にある天狗であった。その実力はそんじょそこらの天狗たちとは一線を画しており、あの弁天ですらも彼には敵わない。

 矢三郎が知る限り、天狗の中でもっとも力の強い。途方もない神通力を修めた秀才天狗なのだ。

 

「矢三郎くん。そのような紹介の仕方はやめてくれ」

 

 しかし、矢三郎の褒め称えるような紹介に二代目は照れるでもなく、より一層不愉快そうに吐き捨てた。

 

「私は天狗にはならないし、あの老いぼれの尻拭いをするつもりもない。如意ヶ嶽の管理など、鞍馬の愚か者どもに任せておけばいい」

 

 天狗は自らの縄張りを守護してこその天狗だが、二代目にそのつもりはなく。彼は尽きることのない財力を持って、京都市内に邸宅を構えて静謐に暮らしている。

 さらに言えば、彼は父親である薬師坊とも折り合いが悪い。去年の騒動で多少は軟化したものの、まともに話し合う機会などなく、百年前の天狗合戦での親子喧嘩が未だに禍根を残している。

 跡継ぎなどと、そのように紹介されることは不本意なのだ。

 

「ですが、二代目は二代目であります。我々狸にとって、私にとっても貴方は尊敬すべき大天狗。如意ヶ嶽の偉大な二代目で御座いますゆえ。貴方様が二代目でなければ……私は貴方のことを何と呼べばいいのか分からなくなって困っちゃいます」

 

 それでも、矢三郎はペラペラと喋り尽くしながら二代目への敬意を表明し続ける。

 矢三郎の尽きることのない弁舌に、さすがの二代目もやれやれと肩をすくめた。

 

「て、天狗……ってことは妖怪?」

「おいおい、マジかよ……」

 

 そんな二人の会話や二代目の素性に、まなとねずみ男は言葉を失っている。

 二人は『如意ヶ嶽薬師坊』という称号がどれほどすごいかまではよく分かっていない。だが、妖怪としての彼の凄まじい力の程は先のやり取りで感じ取れてしまった。

 

「く、くそっぉおお!!」

 

 天満屋も、まともにやって勝てる相手ではないと理解したのか。踵を返し、空気銃を抱えたまま脱兎の如く逃げ出していく。

 

「…………」

 

 それを見逃す二代目ではない。

 彼は被っていたシルクハットを脱ぎ、それを胸に当てながら一瞬だけ天に祈るかのような仕草をする。

 

 そして——逃げていく天満屋に、冷徹な表情でそのシルクハットを猛然と投げつけた。

 

「へっ? わぎゃあああ!?」

 

 いったい何の素材で出来ていたのか。シルクハットは天満屋に直撃こそしなかったものの、地面を割る勢いで衝突。衝撃の余波で天満屋の体は無様に転げまわり、その拍子に彼は独逸製空気銃を取り溢してしまう。

 

「し、しまっ!?」

「よっと!! ……二代目、どうぞお納めください」

 

 天満屋は慌てて空気銃を掴み直そうとしたが、それよりも早く矢三郎が拾い上げる。投擲したシルクハットを優雅に拾って埃を払っている二代目へと、彼はその空気銃を恭しく献上する。

 

「ようやく手元に戻ったか……だが」

 

 長年紛失していた空気銃が手元に戻ったことで、さすがの二代目も感慨に耽る。しかし、銃身に付いた汚れや細かい傷を目にするや、心底苛立ち気味に表情を歪ませていく。

 

「随分と手垢がついてしまったようだ。せっかくの芸術品を……さて、この不始末どうしてくれようか?」

「ひ、ひぇええええ!?」

 

 自慢の芸術品を台無しにされたことで、二代目は大変御立腹であった。

 その怒りは品を取り戻しただけでは収まることがなく、そのまま彼は天満屋を冷酷に見下し、何らかの罰を与えようとする。

 天狗の怒りに天満屋は成す術もなく、まるで乙女のような悲鳴を上げる。傍から見ていたまなやねずみ男も、そんな彼の怒気に震え上がった。

 誰にも、二代目の怒りを収めることなどできない——かのように思われた。

 

「——お待ち下さい、二代目!!」

 

 やはりと言うべきか。矢三郎にだけは、お怒りな二代目へと意見を押し通す度胸が備わっていた。

 

「わざわざ二代目のお手を煩わせる必要も御座いません! この男の処遇、どうかこの矢三郎に一任して頂きたい!」

「…………ふむ」

 

 矢三郎が割って入ったことで二代目も冷静さを取り戻したのか。先ほどまでの怒気を何とか霧散させ、彼は矢三郎へと申しつける。

 

「……いいとも。彼の処遇は矢三郎くん、キミに委ねよう」

「はっ! 有り難き幸せ!」

「では、諸君。私はこれで失敬する」

 

 後のことを全て矢三郎に任せ、二代目は直立不動のまま空へと飛翔する。

 

 そしてそのまま、特に振り返ることもなく何処ぞへと飛び去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……行っちゃった……」

「……な、何だったんだ、あの野郎……」

 

 見えなくなっていく二代目を唖然と見送る犬山まな。

 ねずみ男も、何が何やらポカンとしている。

 

「くぅぅ~……チキショウ!!」

 

 一方で、天満屋は物凄く悔しがっていた。

 せっかくの空気銃を失うことになり、さらには自分が撃とうとした矢三郎に庇われる形で救われたのだ。

 

 天満屋のプライドは木っ端微塵に砕け散ったであろう。

 

「天満屋さん。これに懲りたら、迂闊に天狗様の持ち物には手を出さないことだよ」

 

 そんな天満屋へ、矢三郎は苦笑を浮かべながら彼の素行を注意していく。

 天狗を怒らせるとどうなるかは、その弟子的な立場である狸が一番よく理解している。天狗は狸を苛めるものであり、その存在は彼らにとって自然災害に等しいレベルなのだ。

 

 それに比べれば——今も人間たちの間で流行っている、狸苛めなど屁でもない。

 

「さて……天満屋さん。この際だから、きっちり喋ってもらおうか?」

「む、むぐぐぐぐ……」

 

 しかし屁でもないとはいえ、原因が分かっている苛めであれば、それを追求しない理由にはならない。

 矢三郎は天満屋へと、今回の狸苛めの件。

 

 

 その『黒幕』であろう人物の所在を問い詰めていくこととなる。

 

 

 

「あんたと一緒に地獄に堕ちた筈のあの男は……夷川(えびすがわ)早雲(そううん)は、今どこにいるんだい?」

 

 

 

 




人物紹介

 寿老人 
  金曜倶楽部の首魁。大還暦、百二十歳を迎えた恐るべき老人。
  彼が何者なのか、未だに有頂天家族の原作でも説明はされていません。
  果たして、彼は本当に人間なのか?
  
 弁天
  本名は鈴木聡美。天狗の力を身に着けた人間。
  矢三郎にとって親の仇であり、初恋の相手でもある。
  何を考えているのか分からない、終始ミステリアスな女性。
  原作の二巻の最後で髪の毛が燃えてしまったため、今作の彼女はショートヘアー。

 如意ヶ嶽薬師坊
  通称は赤玉先生。かつて絶大な力を秘めていた正真正銘の大天狗。
  弁天の師匠であり、当時高校生だった彼女を誘拐した。(お巡りさん、こいつです)
  作中では矢三郎の起こした『魔王杉の事件』で神通力を失っている。
  天狗としての力が発揮できなくとも、天狗として威張り散らす毎日。
  一期と二期とでだいぶ印象の変わるキャラ。
 
 下鴨家のお母さん
  矢三郎たちの母親。本名は桃仙。子供の頃のあだ名は『階段渡りの桃仙』。
  感情が昂った時の口癖は「くたばれ!」。
  ビリヤードを嗜んでおり、その際は宝塚風の黒王子へと化ける。
  その可愛すぎる割烹着姿からは、ママこそが真のヒロインと呼ばれてる。

 天満屋 
  幻術師天満屋。謎多き怪人で寿老人の手先。
  アニメだと肉襦袢という謎スーツを着ていることになっている。
  原作二巻の最後で地獄へと堕ちたが、今作の話を形作る上で必要と感じて復活。
  この男を、どうしてもねずみ男と組ませてみたかった。

二代目
  赤玉先生の息子。如意ヶ嶽薬師坊の二代目であり、作中の表記も常に二代目。
  天狗でありながらも、天狗という存在を毛嫌いしている。
  百年前、弁天と瓜二つな女性に振られた過去があり、それ故に弁天を憎んでいる。
  ちなみに彼も子供の頃、薬師坊に攫われてきた。(お巡りさん、やっぱあいつです)
 
 夷川早雲  
  下鴨家の天敵。夷川家の棟梁。
  血筋的には、矢三郎たちの叔父にあたる。
  偉大過ぎた実兄・総一郎に強い劣等感を抱き、彼を罠に嵌めて鍋へと送り込んだ。
  原作一巻では下鴨家を罠に嵌め、政敵である矢一郎を鍋にしようと画策。
  原作二巻では金曜倶楽部に入会し、狸たちに復讐しようと画策。
  紆余曲折あり、最終的には天満屋共々地獄へと引きずり込まれる。
  彼が地獄から脱獄したことで、今回の狸苛めが起きることになった。
  しかし……黒幕は彼一人ではありません。


 次回で完結予定。
  果たしてここからどのような展開になるか、どうぞ続きをお待ちください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

有頂天家族 其の③

グランドオーダー、ついに配信された二部六章『妖精円卓領域 アヴァロン・ル・フェ』をやってたもんで更新が遅れてしまいました。
前後編と聞いたときは正直「えっ?」と思ったけど、後編の日時がしっかりと決まっていて安堵した。一ヶ月後が今から待ち遠しい……早く、続きを!!

さて、今回の『有頂天家族』とのクロスオーバーは今回で完結です。
色々とやりたいことを詰め込んだので、結構乱雑になってるかもしれません。
ゆっくりと読み進めて、どうか有頂天家族の世界観を楽しんでください。

ちなみに、ここまであえて言わずにいましたが、今回のテーマは『家族』です。
有頂天家族という作品自体も、そこに焦点を当てている感じですので。


 それは——鬼太郎たちが京都へと訪れることになる、その数週間前の出来事である。

 

 その日、地獄は未曾有の危機に瀕していた。

 地獄の四将・玉藻の前が引き起こした地獄の乗っ取り。閻魔大王は取り込まれ、獄卒たちの半分以上が彼女の精神支配の影響を受けてしまう。もはや正常な地獄の運営など不可能な状況だ。

 

 そんな状況なのだから——地獄を逃げ出そうとする『脱獄者』が出ることは必然であった。

 

「——はぁはぁ……! も、もうすぐだ……もうすぐ現世に出られますぜ……なあ、夷川さん」

「——く、くそっ!! 何故俺が貴様なんかと!!」

 

 その脱走者の中に、一人と一匹の『生者』がいた。彼らはバランスが崩れて境界線が曖昧となった現世と地獄の狭間へと向かって走っている。

 

 幻術師天満屋と、夷川早雲という人間に化けた狸である。

 

 彼らは地獄絵から地獄へと引きずり込まれた去年の年の瀬から、ずっと地獄の屋台でラーメン屋を営んでいた。

 天満屋の作るラーメンは鬼たちからすこぶる評判が良く、何を隠そうそのラーメンを作らせるため、鬼は天満屋を地獄へと連れ戻したのだ。その巻き添えを食う形となった早雲も、天満屋を憎々しいと思っていながらその店を手伝うしかないでいた。

 

 だがここへ来て、地獄を抜け出す最大のチャンスがやって来たのだ。

 この機を逃せばもう地獄から抜け出すことはできないと、彼らは必死に駆け抜けていく。

 

「おい、そこ!? 何を逃げ出そうとしとんじゃぁあああ!!」

「コラァあああ!! 大人しく戻らんかぁ!!」

 

 ところがあと少しというところで、辛うじて機能していた獄卒の警備が彼らを呼び止める。地獄の鬼が脱獄者を出すまいと、混乱の最中にありながらも目を光らせていたのだ。

 

「くそぅっ! あと一歩なんだ……あと一歩でっ……!?」

 

 早雲は焦りながらも、最後まで足掻こうとした。この追跡を振り切れれば逃げられると希望すらも抱いていた。

 

「なっ、なにぃいい!?」

 

 しかしあと一歩というところで、早雲は転倒する。

 

 天満屋が——早雲を鬼たちのいる方へ突き飛ばしたためだ。

 

「悪く思わんで下さいよ、夷川さん。あんたには……ここで囮になってもらいますぜ?」

「て、天満屋っ! き、貴様ぁあああ!!」

 

 天満屋の土壇場での裏切りに激昂する早雲だが、元より二人の間に信頼関係などない。

 

「あんただって、あわよくば俺を出し抜く算段だったでしょう?」

「ぐ、ぐぐぐぐぅううう!!」

 

 天満屋が吐き捨てるように、いざとなれば早雲も天満屋を切り捨てるつもりでいた。悪党同士、どのタイミングで裏切るかは完全に早い者勝ちだ。

 早雲は——天満屋にまんまとしてやられたのだ。

 

「捕まえた! もう逃げられんぞ、おんどれぇえ!」

 

 鬼たちは早雲に追いつき、彼を取り押さえる。

 鬼たちに捕まったショックで彼は化けの皮が剥がれ、ただの狸へと戻ってしまう。

 

「なんやぁ、こいつ? 狸か?」

「狸でも構わへん、如飛虫堕処(にょひちゅうだしょ)に放り込んだれ! おい、あの人間も取り押さえんかい!!」

 

 鬼たちは早雲が狸であったことを驚きつつも、天満屋の方にも追手を差し向ける。しかし、かなり距離が離されていたこともあり、今からでは追いつけない。

 

 天満屋はまんまと鬼の手から逃れることに成功したのだ——。

 早雲を囮にした時間稼ぎで——。

 

「おのれぇええええ!! おのれ、天満屋っ!!」

 

 早雲は天満屋への怒りにその身を震わす。けれど、彼が憎いのは天満屋だけではない。

 

 

 ——おのれぇ!! 元はといえば……全て兄貴の……下鴨家の奴らのせいだ!

 

 ——狸どもが……俺をこんな惨めな目に!!

 

 ——許さんぞ、許さんぞぉおお!!

 

 

 彼は偉大な実兄である下鴨総一郎を。

 その息子たちである矢三郎たちを。

 自分をこのような目に遭わせた狸たち、人間たち。その全てを憎んでいた。

 

 それは完全な逆恨みである。しかしだからこそ——彼の心をどうしようもなく掻き乱すのだ。

 

 

 ——俺は狸どもに鉄槌を!! 人間どもに天誅を!!

 

 ——それを果たすまでは……死んでも死に切れん!!

 

 

 鬼たちに取り押さえられながらも、早雲は全てのものへの復讐を誓う。

 その怒りが、その憎しみが——。

 

 

 彼の元に——『悪霊』を呼び寄せることになった。

 

 

「なっ、なんじゃああああ、こいつは!?」

「ヒィっ!? く、来んな……こっち来んなや!!」

 

 その『悪霊』の強大さに地獄の鬼たちでさえも恐れ慄いた。その妖気のデカさ、禍々しさに成す術もなく彼らは蹴散らされていく。

 

「なっ、なんだ? なにが起きてやがる!?」

 

 鬼たちが吹き飛ばされていくその光景を天満屋は遠くから目撃していた。

 だが彼は恐怖を覚え、すぐにでもその場から離脱していく。

 

 

 

 

「——だ、誰だ……お、お前は、いったい?」

 

 鬼たちが全て倒れ伏し、目撃者である天満屋もいなくなった。

 悪霊と早雲の二匹だけとなったその場所で、悪霊は困惑する早雲へと語り掛ける。

 

『……ふむ、いいだろう。お前に決めたぞ。そこの狸、わしの依代となれ……』

「よ、依代……だと?」

 

 その悪霊曰く。悪霊は魂だけの存在であり、地上では肉体がなければ自由に行動が出来ないという。自分のためにも生者である早雲に、その肉体を明け渡せと要求してきた。

 

「ふ、ふざけるなっ!! 誰がそんな要求を呑むと思って——」

 

 悪霊の提案に当然ながら早雲は憤慨する。どうして自分がこんな得体の知れないものに体を預けなければならないのかと。しかし——

 

『ほう……いいのか? 恨みを晴らしたい相手がいるのだろう? わしの妖力を持ってすれば……それを叶えることも容易いのだぞ?』

「——!?」

 

 悪霊は早雲の憎悪の心を見抜き、自分にはその手助けをする力があると彼を唆す。その甘言に早雲の心は揺れ動いていく。

 

『なに……そう警戒するな。お前にとっても悪い取引ではなかろう?』

 

 

 

 

 

 

 

『——同じ狸同士……仲良くやろうではないか……くっくっく』

 

 

 

×

 

 

 

「…………鬼太郎、さっきの弁天っていう人の話、どう思う?」

 

 有馬温泉。寿老人の保養所から外へ出た鬼太郎たち。猫娘は鬼太郎に、金曜倶楽部の弁天が語っていた話の真偽をどう思ったか問い掛ける。

 

 地獄絵から出てきた弁天が語った内容。それは先日の地獄の騒動——玉藻の前が地獄を乗っ取り、あの世とこの世の理をメチャクチャにしようとした際、その混乱に乗じて地獄は何人かの『脱獄者』を出してしまったということだ。

 

 そして、その脱獄者の中に本件の『狸苛め』の犯人の候補とも言える人物。

 天満屋という幻術師。夷川早雲という狸がいると、鬼たちが噂をしていたというのだ。

 

 彼らであればあるいは狸への復讐を企み、今回の事件を引き起こしてもおかしはないと。少なくとも弁天は面白そうに語っていた。

 

「う~ん、どうだろう?」

 

 しかし鬼太郎は頭を悩ませる。

 彼は天満屋とも、夷川早雲とも面識がない。彼らが本当に狸苛めを行うような人物かどうか彼では判断がつかないのだ。

 

「そうじゃのう……とりあえず、京都に戻って矢一郎くんに報告しよう……ん?」

 

 目玉おやじにもだ。だからこそ、彼らはすぐにでも京都へと戻り、この話を矢一郎と相談する必要があった。

 

「はぁはぁ……き、鬼太郎さん! 鬼太郎さん!!」

 

 するとそこへ、鬼太郎たちをここまで案内してくれた狸が姿を現す。彼は人間に化ける心の余裕もなく、かなりテンパった様子で鬼太郎の元へと駆け寄って来た。

 

「た、大変です! 大変なんです!!」

「どうかしたんですか?」

 

 只事ではない様子に鬼太郎は何があったのか問い掛ける。その狸は激しく息を切らせながら——逼迫した現状を伝えてきた。

 

「ぎょ、玉瀾が……玉瀾が!! 狸苛めの被害にっ!!」

「——っ!!」

「そ、それで……それに怒った矢一郎が——」

 

 

 

 

 

『——がぁああああ!! 許さんぞ、人間どもぉおおお!!』

 

 京都・紫雲山頂法寺(しうんざんちょうほうじ)。通称『六角堂』の境内で一匹の『虎』が怒り狂っていた。

 その虎は『一休さんが殿様に退治を依頼される』ほど、屏風の絵に描かれているような立派な虎であった。

 

 しかしその正体は狸——下鴨矢一郎である。

 

 彼は普段は冷静であろうと務め、むやみやたらに変化はしない。

 だが、その怒りが頂点に達したとき、二メートルの巨大な虎へと変貌を遂げて暴れまわる悪癖があった。

 

 それ故に、彼は『鴨虎』という通り名で恐れられている。

 

 

 

「落ち着け、矢一郎!!」

「矢一郎くん、やめてくれ! 怒りを収めてくれ!!」

 

 矢一郎を宥めるため、彼を慕う狸たちが集まっていた。何とかして彼の怒りを鎮めようと皆で説得を試みる。

 

『これが落ち着いていられるかあああ!! 玉瀾がっ! 玉瀾が奴らにっ!! 許しておけるものかぁあああああ!!」

 

 しかし矢一郎は止まらない。大事な奥さんが人間たちに、狸苛めのせいで怪我をしたというのだ。命に別状がなかったらしいが、それで彼の怒りが収まるわけもない。

 

『許さん、許さんぞ!! どいつもこいつも、ペチャンコにしてやる!!』

「おい!! もっと硬く扉を閉じろ!! 絶対に矢一郎くんを外に出すな!!」

 

 矢一郎が人間たちに危害を加えないよう、狸たちは彼をこの六角堂の境内に閉じ込めていた。寺の門を固く閉ざし、虎の体当たりにも耐えられるよう、数十匹がかりで押さえ込む。

 だがそろそろ限界が見え始めている。矢一郎の理性も、寺の門も。既に崩壊寸前でいつ解き放たれてもおかしくない状況であった。

 

「矢一郎さん!?」

「おおっ! 鬼太郎さん!」

 

 そこへ急遽呼び戻された鬼太郎たちが到着する。鬼太郎と猫娘が矢一郎の眼前に立ち塞がり、彼の暴走を止めようとしたことで狸たちの表情が明るくなる。

 

『どけっ、ゲゲゲの鬼太郎!! 俺の邪魔をするなら、貴様から噛んでやるぞ!!』

 

 しかし、鬼太郎の登場にも矢一郎は怯まない。

 もはや問答無用、誰が相手であろうともお構いなしに殺気立っていた。

 

「鬼太郎!! とりあえず止めるしかないわよ!!」

「わかってる……けど!?」

 

 猫娘は爪を伸ばし臨戦態勢に入る。勿論、殺すわけにもいかないので手加減はする。

 鬼太郎も。力尽くでも矢一郎を止めなければと腹を括っていく。

 

 だが——

 

 

「——おいおい、穏やかじゃないな、兄貴。そうカッカするなって……」

 

 

 何とものんびりとした口調で、その青年狸が姿を現す。

 

「や、矢三郎!」

「矢三郎さん……?」

 

 矢一郎の実弟、下鴨矢三郎。

 緊迫した状況にも関わらずのらりくらりと、掴みどころのない空気を纏って参上し、彼は怒り狂う兄の前に堂々と立ち塞がる。

 

 

 

 

『——っ!! 矢三郎……』

 

 実の弟の登場に矢一郎も一旦は正気を取り戻す。だがすぐにでも憤慨し直し、煮えくり返るはらわたを虎の遠吠えごと吐き出していた。

 

『矢三郎……俺が間違っていた! 合戦だ!! 今すぐ人間どもに……目にものを見せてくれる!!』

 

 穏健派の矢一郎であったが、玉瀾が傷付けられたことですっかり過激派へと転身してしまった。弟に自身のこれまでの対応が甘かったことを認め、今すぐにでも人間相手に戦争を仕掛けようと街中への突撃を敢行しようとする。

 過激派の筆頭である矢三郎であれば、それに便乗するかもしれない。鬼太郎たちは二人のやりとりを気が気でない思いで見守る。

 

「……だから落ち着けって、兄貴。そう簡単に合戦だなんて、口にするもんじゃないぜ?」

 

 意外にも矢三郎は冷静だった。怒り狂う兄に対し、落ち着くよう静かに語りかけていく。

 

『落ち着け? 落ち着けだと!? お前……自分は好き勝手するくせに、俺にはそれを止めろと言うのか!?』

 

 矢三郎の言動に、矢一郎は普段の彼の素行を引き合いに出して激昂した。

 人間に誰よりもちょっかいを掛けていたのはお前ではないかと、痛いところを突いて矢三郎の言い分を黙らせようとする。

 

 

「——そうだ!!」

『——っ!?」

 

 

 しかし、矢三郎は全く揺らがなかった。

 矢一郎の怒声にも、彼は真正面に向き合って見せる。

 

「確かに俺は人間に悪戯しまくった、連中にやり返してきたさ! 正直言って……ちょっと楽しかった!」

 

 全く悪びれることのない阿呆な告白。しかし、それでも矢三郎は矢一郎を阻止せんと言の葉を紡いでいく。

 

「けど、俺と違って兄貴は偽右衛門なんだ! 京都狸界の代表なんだ……周りを、よく見てみなよ」

『……!』

 

 弟に促され、ようやく矢一郎は周囲に意識を向ける余裕が生まれる。そうして周りを見てみれば——大勢の狸たちが不安そうな表情で矢一郎を見上げている。

 

「見ろよ、兄貴がそんな風にピリピリしてるから……皆にまで不安が広がっちまってる……」

『……っ!!』

 

 その視線と弟の言葉に矢一郎は嫌でも痛感させられる。自分がもう狸界の代表・偽右衛門なのだと。

 自分の迂闊な言動、行動一つで洛中の狸たちの命運を決めるのだと。

 

「俺がいくら阿呆なことをやっても、皆どうせ『矢三郎ならしょうがない』で片付けてくれる……けど兄貴はそうじゃないだろ?」

『…………』

「偽右衛門なんざ只のお飾りかもしれないけどさ……だからこそ、兄貴はどっしりと構えてなきゃいけないんだよ」

 

 元から阿呆として知られている矢三郎なら、どんな無茶をしても呆れられるだけで特に何ということもない。だが皆の代表である矢一郎が阿呆なことをすれば、それだけ狸界全体に不安が広がる。

 その立場の違いを、矢三郎は明確に理解していたのだ。

 

「なに、心配いらないさ! 玉瀾を傷つけた連中には、俺が後日必ずお礼参りに行ってやるとも!! 狸に手を出せばどうなるか、目にもの見せてやるんだ!」

 

 矢三郎は立場上勝手が出来ない兄に代わり、人間たちへの仕返しをちゃっかりと宣言する。

 それこそが『弟』としての自分の役割だと言わんばかりに、実に堂々と——。

 

『……調子の良いこと言って……どうせお前自身が暴れたいだけだろうに……』

「おや、バレたか!」

 

 もっとも、それは矢三郎の好き勝手したいという個人的願望が混ざっていた。それを見抜き、矢一郎は弟へ冷静なツッコミを入れる。

 

 どうやら、だいぶ頭の方も冷えてきたようである。

 そうして落ち着きを取り戻した矢一郎に——矢三郎は伝えるべき『本題』を語っていく。

 

「それに……そうやって兄貴までムキになって冷静さを失ったら……それこそ、黒幕の思う壺だろうぜ?」

『なに!? 黒幕だと……!?』

「——!!」

 

 矢三郎の発言に矢一郎だけでなく、鬼太郎たちも目を見張った。彼らも寿老人のところへと赴き、それらしい人物の情報を持ち帰っていた。

 

 奇しくも、矢三郎の知り得た情報も鬼太郎たちと同じものだった。

 そして矢三郎は——実際にその人物が『狸苛め』を扇動していてもおかしくない男だと、確信を持って叫んでいた。

 

 

「——あいつが……早雲が地獄から戻ってきたんだよ! 今もこの京都の何処かに潜伏している筈だ。手分けして捜そうぜ!」

 

 

 

×

 

 

 

「——まったく……これだから人間も狸も愚かだと言うのだ……」

 

 既に時刻は丑三つ時。夷川早雲はそのとき、とある七階建てのビルの屋上にいた。

 

 彼の目の前に広がっているのは廃墟である。そこには本来であれば彼の別邸が建てられていた。美しい庭には青々とした木々が茂っていた。

 しかし、豪華な別荘も綺麗に整えられた庭も、全て残らず燃え尽きて灰しか残っていない。去年の騒動、それによって全てが失われたのだ。

 だが早雲にとって、失われたのは豪邸だけではない。

 

 去年、この場所では偽右衛門の狸選挙が行われていた。早雲はその場へと潜り込み、あわよくばその地位を掠め取ろうと様々な謀略を張り巡らしてきた。その用意周到な策略に、何もかも上手くいっていた——筈なのだ。

 

 だが、彼の企みはあと一歩のところで失敗する。

 親不孝者な長男の帰還、立会人である天狗の追及、天満屋の裏切り。あらゆる要素が重なって彼の陰謀を台無しにしたのだ。

 あまつさえ、彼はここで地獄絵の中へと引きずり込まれ、地獄へと落ちる羽目になった。

 

 そう、この場所は過去に早雲が全てを失った場所だと言っても過言ではない。

 彼はその忌まわしき地で、改めて全てのものへの復讐を誓う。

 

「今の俺には力がある。もう偽右衛門の地位も、狸界も……俺には不要なもの……」

『——そうだ、夷川早雲よ。貴様の無念、思う存分に晴らすがよい!』

 

 地獄で出会った『悪霊』も彼の憎悪を理解し、力を貸してくれている。この悪霊の力を以ってすれば、愚かな人間たちの憎しみを掻き立て、彼らに狸苛めなる悪行をさせるなど造作もないことだ。

 いずれはより過激に、より激しく狸と人間たちを争わせ、京都中を大混乱に陥れる計画。

 

 早雲はこの『京都』という街そのものに復讐を果たすつもりでいた。

 

 

 もっとも——その企みもここまでだ。

 

 

「——見つけたぞ!! 夷川早雲!!」

「っ!?」

 

 早雲のいる屋上へ、人間に化けた狸たちが雪崩れ込んでくる。彼らは一様に不審者撃退用の防犯グッズ・さすまたを構え、早雲を取り囲むように展開していた。

 その指揮を取っているのは——偽右衛門である下鴨矢一郎である。

 

「早雲、こんなところに隠れていたとは……」

「矢一郎……貴様、どうして俺の存在をっ!?」

 

 早雲は矢一郎が自分という存在を当然のように認識していたことに驚いている。地獄にいる筈の自分が現世にいることを、もっと驚いてもいい筈なのに。

 

「天満屋から聞いたよ、叔父上。あんた……ほんとに呆れるほどに逞しい人だ……」

 

 彼のその疑問に答えたのは——矢一郎の傍に立つ矢三郎であった。

 

「矢三郎っ! お前は……どこまで俺の邪魔をすれば!!」

 

 早雲は矢三郎の憎たらしい顔を見て憤慨する。

 彼にとって下鴨家、特に矢三郎の存在は目の上のたんこぶだ。いったい何度、彼のせいで計略を邪魔されたことかと、憎しみの籠った眼光を甥っ子である彼へと向ける。

 

「早雲! 貴様の悪事もここまでだ、もう逃げられんぞ!」

「捕まえろっ!」

 

 矢一郎はまず、早雲を確保しようと狸たちに号令を掛けた。彼がどのような手段で狸苛めを行なっていたかなど、聞き出さなければならないことが山のようにあるのだ。

 狸たちもこの時ばかりは真剣に、早雲を無力化すべく彼に向かって殺到していく。

 

「——ふん! 小賢しいわ!!」

『——かあぁぁ!!』

 

 だが、その程度で今の早雲を捕らえることはできない。彼には心強い『悪霊』が憑いていた。その悪霊が放つ衝撃波のようなもので、殺到する毛玉たちが全て吹き飛ばされていく。

 

「な、なにぃいい!?」

「うわわあああっ! な、何事か!?」

 

 訳が分からずに混乱する狸たち。何匹かは驚きのあまり、化けの皮が剥がれてしまっていく。

 

「な、なにが起きている!? いったい?」 

「……っ!?」

 

 さすがにこのような事態は想定外だったのか、矢一郎も矢三郎も呆気に取られて立ち尽くす。

 

「ふっ……バレてしまったからにはしょうがない。こうなれば、貴様らをこの手で葬り去るまでよ!!」

 

 開き直った早雲がふてぶてしい顔つきでその殺意を下鴨家の二人へと向ける。狸苛めなど回りくどかった、こうなれば直接連中を亡き者にしてやろうと。

 悪霊の力を借り受け、忌々しい下鴨兄弟へと力を解き放つ。

 

 

「——霊毛ちゃんちゃんこ!!」

 

 

 しかし、それを阻止せんと立ち塞がる——ゲゲゲの鬼太郎。先祖の霊毛で編まれたちゃんちゃんこを広げ、悪霊の殺意が込められた攻撃を受け止めた。

 

「き、鬼太郎さん!」

「下がっていてください、矢一郎さん!」

 

 鬼太郎は急ぎ矢一郎たちを下がらせる。傍にはすぐに猫娘が駆けつけてくれ、二人で悪霊の取り憑いた早雲と対峙していく。

 

 

『——っ!! ほう……ゲゲゲの鬼太郎。まさか……貴様が狸どもに手を貸していたとはな……』

 

 

 そのときだ。鬼太郎の登場に『悪霊』が反応を見せる。その悪霊は黒くて禍々しい表情を空中に浮かび上がらせ、鬼太郎に怨嗟の声を紡いでいく。

 

『久しぶりだな。こんなところで貴様の顔をもう一度拝むことになるとは……くっくっく!』

「!! この妖気……まさか、お前はっ……!?」

 

 鬼太郎の妖怪アンテナも、その悪霊の妖気の波長に反応を見せる。

 鬼太郎はその悪霊の正体がなんなのかを理解し、どうして夷川早雲に取り憑いているのか問い質していた。

 

 

「——何故、お前がこんなところに……隠神刑部狸(いぬがみぎょうぶだぬき)っ!!」

 

 

 

 

 

 

 隠神刑部狸——かつてこの国の政権を乗っ取った、八百八狸軍団の頭領。

 凶暴な狸の眷属たち、妖怪獣なる怪物を使役して鬼太郎たち、日本政府を苦しめた大妖怪である。

 

 鬼太郎やまなの活躍により退治された彼は——本来であれば肉体を失い、魂となって地上を彷徨っている筈だった。

 

 しかし、彼は恨みを晴らそうと妖怪獣に取り憑き、その魂を無理に酷使してでも復讐する道を選んだ。

 妖怪は不死身の存在とはいえ、魂を直接握りつぶされたり、掻き消されたり——著しく魂を疲弊させてしまえば肉体を取り戻すことも出来なくなる。

 刑部狸の魂は深刻なダメージを受けることとなり、地獄の辺境へと流され、彼は怨念だけの存在となり燻っていたのだ。

 

 そして、その地獄の野辺で彼は出逢った。自分と同じ狸として、多くのものを憎んでいたと夷川早雲に。

 早雲は自身の肉体を貸し、刑部狸はその妖力を早雲へと貸し与えた。

 

 

 こうして二匹の狸が結託し、狸苛めなる今回の騒動を引き起こしたのである。

 

 

『——早雲よ、もはや遠慮する必要はない! 我が妖力、存分に振るって本懐を成し遂げるがいい!!』

「ははっ!! さあ……覚悟するがいい!」

 

 憎き鬼太郎を前にして、刑部狸もついにその力を解放することに躊躇いがなくなった。

 早雲の肉体を中心に、とてつもない妖力が溢れ出してくる。これは刑部狸と早雲の怨念、その二つが重なり合わさったことで生まれた相乗効果だ。

 二人の憎しみが——思いの外親和性を生み、彼らに凄まじいまでの力を与えていた。

 

「くっ……これはっ!?」

「ま、まるで台風じゃ! これでは迂闊に近づくこともできん!?」

 

 さすがの鬼太郎も踏ん張って耐えるのがやっとだ。目玉おやじが言うようにまさにそれは台風、早雲を中心に憎悪の嵐が吹き荒んでいる。

 

「お、おのれ、早雲……! そこまで堕ちたか!!」

 

 矢一郎は歯を食いしばりながら、早雲に怒りを吐き捨てた。

 自分たちへの復讐のためとはいえ、刑部狸のような狸にとっても傍迷惑な存在と手を組むなど。恥を知れとばかりに叫ぶ。

 

「黙れっ!! たとえ鬼でも悪魔でも構うものか!!」

 

 今更、その程度で早雲の憎しみは揺るがない。彼は、自身を取り巻く全てのものへの憎悪を口にする。

 

「俺にはもう、この道しか残されておらんのだ! 狸も人間も、全て……全て俺の手で消し去ってくれるわ!!」

 

 もはや完全に『悪鬼』と成り果てようとしていた夷川早雲——。

 

 

 

「——ほう……その全てとやらの中に俺たちも入ってんのかい、親父?」

「……っ!」

 

 

 

 だがその早雲に対し、とても落ち着いた声音で語りかける者がいた。

 その人物たちを前に、さすがの早雲も動きを止める。

 

「まったく、地獄から帰って来たと聞いて来てみれば……また随分とタチの悪いもんに取り憑かれてやがるな……」

 

 その男は『僧』だった。

 手には握り飯を持ち、緊迫した空気の中でそれを呑気にムシャムシャと喰っている。とても行儀の悪い、僧の姿に化けた狸である。

 

「貴様、呉一郎……」

 

 その男を前に、早雲は呻くような声を上げる。

 目の前にいるその男は夷川呉一郎(くれいちろう)という。彼は夷川家の長男——早雲の実の子供である。

 

 しかし、二人の親子仲は冷え切っており、今更彼が出向いたところで早雲を説得など出来はしない。

 呉一郎の他にも、金閣(きんかく)銀閣(ぎんかく)という双子の次男、三男もいるが、彼らも阿呆であるため早雲を止めることなど出来はしない。

 

 だがもう一人。もう一人の子供を前にし、夷川早雲も息を呑む。

 呉一郎と共に姿を見せた『実の娘』に対し、彼は動揺を隠せないでいた。

 

 

 

「か、海星……っ!!」

「…………」

 

 

 

×

 

 

 

 夷川家は『偽電気ブラン』という酒の製造から販売までを手掛けるやり手の商家である。当主である早雲が地獄へ堕ちていた間、その家の采配を振るっていたのは長男の夷川呉一郎……ではなかった。

 

 夷川の実権を実質的に握っていたのは末の娘——夷川海星(かいせい)である。

 

 彼女は幼い女の子でありながらも、こと商売に関しては誰よりもやり手である。仕切り屋気質ということもあり、あまり役に立たない金閣銀閣のケツを叩き、その横では似非坊主である呉一郎が日々お経を唱え、飯をカッ喰らうばかり。

 兄たちが役に立たない状況の中、誰よりも必死に夷川家存続のために逞しく頑張っている。

 

 早雲も、海星には特別期待を懸けていたところがあった。

 そして今も昔も、男親というやつは実の娘に弱いところがある。母親似というのであれば尚のこと。

 

 全てを憎んで捨てた筈の早雲にとって、海星の存在はまさに——最後の良心。

 

 

 

 

「……任せたぞ、海星。何とか早雲を説得してやれ……」

 

 そんな父と娘の再会を見守る矢三郎。海星を見つめる彼は——何故か化けの皮が剥がれ、ただの狸に戻っている。

 これは矢三郎にとって海星が「天下一、可愛い狸!」だからだ。彼女の前では矢三郎は腰が抜け、変化の力を保っていられないのである。

 変化自慢の彼にとって化けの皮が剥がれるのは屈辱的なことだが、それでも彼はその光景から目を離さなかった。

 

 親子の涙の再会、それを黙って見届ける所存でいた……いたのだが。

 

 

「——このっ!! 馬鹿親父!!!」

「ちょっ!?」

 

 

 矢三郎の期待とは裏腹に、海星の第一声は実の父親に対しての罵声であった。彼女は腹の底から怒りをぶつけるように夷川早雲へと詰め寄っていく。

 

「ほんっとにっ!! あんたってしょうもない狸だわ!! 散々みんなに迷惑掛けて!!」

「か、海星……ま、待ってくれ、わ、わしは……わしは……!」

 

 これには早雲もたじろいでいた。

 今の彼は刑部狸のおかげで、鬼太郎ですらも退ける妖力を発揮できるが、それを実の娘に向けられるまでは堕ちていない。娘の罵詈雑言を前に、彼は成す術もなく立ち尽くす。

 

「ほんとに何なの!? 死んだと思ったら生きてて! 生きてると思ったら地獄に流されてて! そんで地獄から戻って来たら来たで、変な悪霊が取り憑いてるわ!! ほんとうに……救いようのない阿呆だわ!!」

「お、おい、海星? もうちょっと言い方ってもんが……」

 

 海星のあまりの言いように兄として呉一郎が口を挟もうとした。だがそんな兄貴を「うっさい! 生臭坊主は黙ってろ!!」と、一喝で黙らせてしまう。

 

 海星という狸はとにかく口が悪いことでも有名だ。許嫁である矢三郎に対しても、実の兄貴たちに対しても彼女は徹底徹尾、呆れるほどの口の悪さを貫いていた。

 それは実の父親が相手であろうとも例外ではない。いや寧ろ、父親だからこそ許せないことがある。

 

 今宵海星は——溜まりに溜まった不満の全てを、早雲に面と向かってぶち撒けていく。

 

「総一郎伯父さんを鍋に放り込むとか、狸の風上にも置けない奴よ!! そんでそれがバレていたたまれなくなって姿を眩ましたと思ったら……戻って来て死んだふり? わたしたちが、どんな気分であんたの葬式やったと思ってんのよ! 葬式代だって馬鹿になんないんだからね!」

「う……そ、それは……」

「そんで呉一郎兄さんに化けて、みんなを丸め込んで偽右衛門に成ろうとして……そこまで地位や権力にしがみついていたいのかよ、狸のくせに!? 偽右衛門なんてもんにそこまでする価値があるわけないだろ、阿呆か!!」

「が~ん……」

 

 ついでとばかりにディスられた偽右衛門という地位に矢一郎がショックを受ける。彼だってそれなりに苦労してその地位に就任したのだが、そんなことお構いなしに海星の悪口は続いていく。

 

「阿呆」「馬鹿」「木偶の坊」「ビール腹」「目つき悪い」「毛が臭い」などなど。言いたい放題の海星に下鴨一家も、鬼太郎たちですらも唖然としていた。

 

 いったいこの悪口の終着点は何処へ向かうのかと、誰もが危ぶみ始めた頃だ。

 不意に——海星の言葉のトーンに変化が生じる。

 

「本当に……あんたはしょうもない狸だよ。どうしようもない……駄目な狸親父だよ……」

 

 それは悪口だが、明らかに先ほどまでとは毛色が違う。それはどこか項垂れるような、力弱い——涙声であった。

 

「けどさ……どんなに馬鹿でも、どんなに阿呆でも……あんたはわたしの、わたしたちの親父なんだよ……」

「!!」

「だから……生きていてくれて……嬉しいよ、父上……」

 

 どんなに悪虐非道な男であろうとも、早雲は海星の、夷川家の父なのだ。その事実には呆れるしかないが、それでも海星は『嬉しい』という感情を堪えきれずに早雲の胸に飛びつく。

 

「……親父、もう十分だろ?」

 

 そこへ呉一郎も声を掛ける。彼は坊主らしい、悟ったようで悟っていない口調で説法する。

 

「あんたが憎んでやまなかった総一郎さんは、あんたがこの世から払い落とした……これ以上、何が望みなんだい?」

「お、俺は……俺が望んだのは……」

「俺たちは狸だ。そんな執念深い憎しみまで、人間に似せる必要もないだろう」

 

 早雲の憎しみの大半は今は亡き総一郎へと注がれていた。その総一郎への憎しみを、早雲は彼を罠に嵌めて晴らした筈だ。

 

 これ以上は余計な憎しみなのではないのか?

 これ以上何を望むというのか? 呉一郎の言葉に早雲の中に迷いが生じ始める。

 

 

『——何を呆けておる!! 早雲!!』

 

 

 だがそんな甘っちょろい迷いを、隠神刑部狸が一喝する。

 

『貴様は誓った筈だ! 全てのものに復讐すると!! 今更何を躊躇う必要があるというのだ!!』

「う、それは……たしかにそうだが……し、しかし……」

 

 だがそれでも早雲は動けない。娘にまでは非常に徹しきれない彼の態度に、いよいよ刑部狸は業を煮やす。

 

『——おのれぇえええ! 邪魔をするでないわ、小娘!!』

「っ……!」

 

 その苛立ちから、彼は早雲の体を無理矢理にでも動かし、海星を直接手に掛けさせようとする。

 この娘さえいなければ、全てが元通りになるという企みだ。

 

 

「——やめろっ!?」

 

 

 しかし、それが返って逆効果であった。海星にまで危害を加えようとしたところで、同調していた二人の憎しみにズレが生じてしまう。

 早雲と刑部狸、この二人の憎悪は重なりあってこそ強大だったのだ。そのバランスを崩したら最後、もはやそこに全てを畏怖させるほどの迫力などありはしなかった。

 

「今だ! リモコン下駄!!」

「ぐぇっ!?」

 

 その隙を突いて鬼太郎がリモコン下駄を放つ。脳波によって誘導される下駄は早雲の顎先へとクリーンヒットし、彼の気を失わせる。

 

「——父上!!」

「——親父!!」

 

 倒れようとする早雲の体を、彼の子供たちが支えていく。

 

 

 それは様々な形で仲違いした親子が、確かに『家族』としてが一つになった瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

『——ぐぬぬっ! 愚か者めがぁあああ! 最後の最後で情にほだされおって……!』

 

 早雲という寄る辺をなくし、刑部狸は忌々しげに怨念を撒き散らす。今や依代となる肉体がまともに機能しなくなり、彼は現世にて孤立する。

 

「もう諦めろ、隠神刑部狸よ!! もはやお前に打つ手はあるまい!!」

 

 そんな刑部狸へ目玉おやじが降伏を促していた。今の彼は自身の魂を維持するだけで精一杯だと、それを見抜いた上での忠告だ。

 

『ふん! 諦めろだと……笑止っ!!』

 

 しかし刑部狸に降伏の二文字はない。

 八百八匹の眷属がいなくとも、妖怪獣がおらずとも、早雲という依代がなくなっても。

 

 彼にはまだ『最後の手段』が残されている。

 その切り札を行使するためにも、彼は滾りに滾った憎しみを燃やし——『そいつ』を京都へと呼び寄せた。

 

 

『侮るな、ゲゲゲの鬼太郎!! わしが使役できるのが……妖怪獣だけだと思うてか!?』

 

 

 

 

 

『——出でよ!! 大なまず!!』

 

 

 

×

 

 

 

 京都で狸苛めなる騒ぎが起きていたからといっても、それはあくまで狸の揉め事。人間社会にこれといって大した被害を出すこともなく、大半の人間は狸苛めが行われていた事実すら知らずにいた。

 

 しかし、そんな人間たちといえども、その『地震』を前には慌てふためくしかなかった。

 

「な、なんだ!? じ、地震か?」

「で、デカイぞ!! 皆、何かに掴まれ!!」

 

 突如巻き起こった大地震。その揺れ具合に人々は恐怖に顔を歪め、早くその揺れが収まってくれと祈りを捧げる。だが揺れが収まる気配は薄く、さらに震動は加速していく。

 

 そして——その揺れを引き起こす元凶。地底よりコンクリートの地面を突き破って『それ』は出現した。

 

 

「な、なんじゃぁ!? ありゃぁああ!?」

 

 

 誰かが見上げるようにして素っ頓狂な悲鳴を上げる。

 それはビルよりも巨大な怪物。その無駄にでかい図体を揺れ動かし、どこか惚けた、さりとて凶悪な面を人間たちの眼前へと晒す。

 

 

 それは——巨大な『なまず』であった。

 

 

 (なまず)——ナマズ目ナマズ科に属する硬骨魚類。

 日本では古くより、なまずは地震を引き起こす元凶であるとされており、江戸時代の錦絵には『鯰絵』なるものがよく題材として描かれてきた。

 今では地震をなまずの仕業だと信じる日本人などいないだろうが——今起きている地震は、まさにこの『大なまず』の仕業である。

 

 

『——ぐはっはっはははっ! 見たか、ゲゲゲの鬼太郎!!』

 

 

 その大なまずを呼び寄せた、隠神刑部狸の笑い声が京都中に木霊する。

 

 

『前回は復活したばかりということもあり、呼び出すことが叶わなかったが……こやつもわしの切り札よ!!』

 

 

 この大なまずも、隠神刑部狸の使役する妖怪だった。

 妖怪獣に勝るとも劣らぬ戦力であり、その大なまずに自らの怨念を憑依させ、刑部狸は街を破壊すべく暴れ始めていく。

 

 

 

 

「な、なんとっ!! まだこのようなものを隠し持っておったのか!?」

 

 巨大な大なまずの登場に目玉おやじは驚愕する。

 妖怪獣だけでも驚きなのに、さらにこんな怪物までも使役できるとは。隠神刑部狸の底知れぬ妖力をそこに垣間見た。

 

「猫娘っ!! 皆を避難させてくれ!!」

「え、ええ……でも、鬼太郎は!?」

 

 巨大な大なまずの登場に誰もが呆気に取られる中、鬼太郎はいち早く狸たち全員の避難を猫娘に託す。

 猫娘も即座に鬼太郎の期待に応えて頷くが、彼がどうするかを不安がっていた。

 

「——ボクは……あいつを食い止める!」

 

 当然ながら鬼太郎に逃げるという選択肢はない。たとえ相手がどれだけ強大であろうと、立ち向かうのみである。

 

 

 

 

『————————!!』

 

 巨大な大なまずは街中を動き回るだけで周囲に甚大な被害を与えていく。地震を起こし、近づくもの全てをその巨体で薙ぎ払う。

 おまけに口からは熱線を吐き、目からは破壊光線を照射する。そんな化け物がいきなり京都のど真ん中に出現したのだから、さすがに人間側もすぐには対応できない。

 

「髪の毛針!! リモコン下駄!!」

 

 今現在、大なまずに対応できる戦力はゲゲゲの鬼太郎しかいなかった。さすがにこの巨大な怪獣を前に狸たちでは荷が重く、この街を拠点にしているであろう陰陽師なども即座には動けない。

 鬼太郎はビルの上から、何とか大なまずの進撃を食い止めようとあらゆる手段で攻撃を仕掛けていく。

 

 

『——ぐはっはっはっは!! 無駄、無駄!!』

 

 

 しかし大なまずに生半可な攻撃は通じない。体を覆っている粘液が、鬼太郎の攻撃をすべて弾き返してしまっているのだ。

 大なまずに憑依した隠神刑部狸の高笑いが辺り一帯に響いていく。

 

「くっ! これならどうだ……体内電気!!」

 

 鬼太郎は零距離に密着して体内電気を直に流すが——これも大した効き目にはなっていなかった。

 

 この大なまず、単純な戦闘力ならば妖怪獣に匹敵するものがあった。妖怪獣を倒したことのある鬼太郎であれば勝機はあり得るかも知れないが、残念ながら彼が前回の戦いであれを倒せたのは『要石』の力を犬山まなに注いでもらったからだ。

 

 要石の力を借りられない現状、鬼太郎は素の力で大なまずを打ち負かさなければならない。

 それは——あまりにも無謀な挑戦だった。

 

「こいつ……! どうすれば倒せるんだ!?」

 

 大なまずの驚異的なタフさ、生命力を前に勝ち筋を失いかける鬼太郎。それでも、彼は心挫けることなく攻撃を続けていくが。

 

 

『くっくっく! これまでだな、ゲゲゲの鬼太郎!!』

 

 

 既に勝ちを確信してか、刑部狸はさらに大きな高笑いを上げる。

 

 

『この場で貴様を始末し……手始めにこの街を支配してくれる! そしてもう一度……この国の政権を我が手中に収めるのだ!!』

 

 

 今度こそ鬼太郎の打倒を成就し、その後に自らの野望をも果たすと豪語する。

 大なまずの力であればそれも可能だと、刑部狸はそれを心底から確信していた。

 

 

 

 しかし、隠神刑部狸は忘れている。

 ここが——『京』の都であることを。

 

 人や妖が、この尊い地を巡って幾度も争ってきた。この京都はまさに日本の『動乱』の中心地。

 その特異性を理解し、未だにその尊さを重んじている者たちがいる。

 陰陽師、拝み屋といった人間側の勢力は勿論だが——人間『以外』の存在も、この地には多く潜んでいる特別な場所だ。

 

 

 そういった『連中』が——狸如きの勝手を許すわけがないのである。

 

 

 

「——ほう、この国の政権とは……これはまた大きく出たものだ」

 

 東の空。

 大なまずの頭上に白い背広の紳士が浮遊していた。その紳士は冷めた目つきで大なまずを頭上から見下し、やれやれとため息を吐く。

 

「まあ、誰がこの国の政権を担おうと、私の知ったことではないが……そちらの進路上には私の邸宅があるのだよ。済まないが、暴れるなら他所でやってくれないかね?」

 

 彼は大なまずの進路上にある、自身の邸宅を壊されまいと仕方なく重い腰を上げてやってきた。

 彼にとって大なまずは自身の安眠を妨害する、まことに無粋な存在。

 

 

 

「——あらあら、狸の分際で……随分と身の程知らずなことですわね」

 

 西の空。

 夜空のように漆黒なドレスを纏った女性が浮遊していた。その女は氷のように冷たい笑みを浮かべ、大なまずを使役する刑部狸の怨念を直接見下す。

 彼女にとって、その狸の発言はあまりにも不愉快。鍋にして喰ってやりたいほどに鬱陶しい戯言だった。

 

「せっかくの優雅な散歩が台無しだわ……どうしてくれるのかしら?」

 

 自身の機嫌を害されたと、理不尽にも突っかかっていく気まぐれな天女。

 

 

 

『な、なんだと!? き、貴様ら……もしや、天狗か!?』

 

 突然空から姿を現した二人の乱入者に、狸である隠神刑部狸の怨念は戦慄する。

 たとえどんな大妖怪であろうとも、狸にとって『天狗』というやつは特別な意味合いが込められている。

 

 狸は天狗から様々なことを学ぶのが通例であり、天狗は狸を苛めるもの。

 形を成した天災たちの降臨に、刑部狸は言葉を失う。

 

 

 

「に、二代目……弁天様……」

 

 地上にて。そんな二人の天狗に気付き、大なまずから仲間たちを避難誘導していた下鴨矢三郎が膝を突く。

 慌てふためく狸たち全員の耳に届くよう、大声にて彼らの降臨を宣言する。

 

 

 

「——二代目如意ヶ嶽薬師坊様!! 並びに、弁天様のご降臨である!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 二代目如意ケ嶽薬師坊。

 金曜倶楽部の弁天。

 

 何の因果か二人はまったく同じタイミングで大なまずの眼前へと降臨した。どちらも天狗として、この京都に人知れず君臨する『魔性』そのものである。

 

 だが、この二人はかなり険悪な関係であり、どのような窮地であろうとも協力などしない。

 だからこそ、二代目も弁天も。大なまずを相手に——互いの存在を無視するかのように自由気ままに、勝手気ままに天罰を下していく。

 

「あっはっはっは!! 立派なお髭ですこと!!」

 

 弁天は大なまずの巨大な髭を結び、それを弄ぶように引っ張っている。無邪気な笑顔で飛翔するその姿はまるで玩具で遊ぶ幼子のよう。

 

 

『——痛っ! いたたたたっ!? ひ、髭を引っ張るな!?』

 

 

 大なまずと一体化している隠神刑部狸が、悲痛な叫び声を上げているのもお構いなしだ。

 

「ふん……」

 

 そんな弁天の横でつまらなそうに鼻を鳴らす二代目。彼はそこらへんの電柱を無造作に引っこ抜き——それを大なまずの体にぶっ刺した。

 二代目の天狗風と共に放たれた電柱は、粘液で守られている筈の大なまずの肉を易々と貫く。苦悶の表情と悲鳴を上げる大なまずだが、さらにそこへ二代目は『火』を放つ。

 神通力の炎が大なまずを体内から燃やし、こんがりと蒲焼風味に仕立て上げてしまう。

 

 

『ぎゃああああああ!!、あ、熱い……熱いぃ!?』

「むっ、随分と焦げ臭い……ひどい悪臭だ……」

 

 

 なまずの焼けた臭いに二代目は顔を顰め、白いハンカチで鼻を覆う。

 自分で焼いておきながら、大なまずに対して汚物でも見るような視線を送っていく。

 

「あらあら、熱いのかしら?」

 

 大なまずが熱さでのたうち回るその姿に、弁天はほくそ笑んだ。

 氷のように美しく残忍な、まるで雪女が人間の男を凍死させる際に見せる嘲笑のように。

 

「——今冷やして上げますからね?」

 

 愉快そうな口調で、今度は弁天が大なまずを『冷気』で覆っていく。

 

 

『なっ!? い、いかん!? からだが……こ、凍って——』

 

 

 凍結する肉体に焦りを口にする刑部狸だが、一歩遅かった。

 神通力の氷は瞬く間に大なまずの全身を氷結させ、その巨体が身動き一つとれずに封じられていく。

 

 

 

「い、今じゃ!! チャンスじゃぞ、鬼太郎!!」

 

 二人の天狗の理不尽な介入に唖然としていた鬼太郎たちだが、ここがチャンスだと目玉おやじは叫ぶ。

 全身がガチガチに凍って動けないでいる大なまず。今ならばトドメを刺すことも容易であると。

 

「わ、分かりました、父さん! …………指鉄砲!!」

 

 僅かに躊躇しながらも、鬼太郎は最後の一撃——指鉄砲を最大火力で発射する。

 鬼太郎の妖気弾が氷の彫像となった大なまずを粉々に砕き、その肉体を完全に消滅させていく。

 

 

 

『——お、おのれぇ、鬼太郎っ!! おのれぇえ天狗!! おのれ……おのれぇえええええええええ!!』

 

 

 

 当然、大なまずと一体化していた隠神刑部狸も道連れだ。

 最後の最後まで取っていた切り札まで失い、再び地獄の底へと真っ逆さまに堕ちていく狸の魂。 

 

「随分と汚い氷細工だ……」

「あらそうかしら? ちょっと綺麗だと思いません?」

 

 しかし、そんな怨嗟などまるで他人事のように、二人の天狗は砕け散って降り注ぐダイヤモンドダストにそれぞれ感想を抱く。

 

 

 

 そしてもう用は済んだとばかりに、別々の方角へと飛び去っていった。

 

 

 

×

 

 

 

 昨夜の騒動から一晩明けた、翌日の日中。

 鬼太郎と目玉おやじに猫娘。ついでにねずみ男が下鴨神社の楼門の入り口に立っていた。

 

「——鬼太郎さん。この度は……本当に、ご迷惑をお掛けしました!」

 

 鬼太郎たちに頭を下げるのは、京都狸界の代表・下鴨矢一郎。

 洛中の狸たちを代表し、わざわざ京都まで駆けつけてくれた一行に、今回の事件に対する感謝と謝罪の言葉を述べる。

 

「いえ、ボクは別に……あまりお役に立てていたとは思えませんし……」

 

 だが礼を述べられている鬼太郎は若干戸惑っていた。今回の事件、正直自分がいなくても何とかなっていた部分があったのではと、そこをちょっとばかり気にしている。

 

「そんなことないさ! 二代目と弁天様だけに任せてたら……もうちょっとばかし被害が広がってたかもしれんからな」

 

 そんな鬼太郎をフォローする形で矢三郎が口を出す。

 彼は二代目と弁天の気まぐれさをしっかりと理解しているからこそ、最後の最後で鬼太郎がキッチリ大なまずにトドメを刺してくれたことを感謝する。

 あの二人だけであれば——もしかしたら最後まで、あの怪物の相手に責任を持たなかったかもしれない。

 

 狸にとって天狗とは恐ろしい妖怪であり、また気まぐれな天災でもあるのだから。

 

「それにしても、玉瀾さんの怪我が大したことなくて本当に良かったわ」

「済みません……本当に心配を掛けてしまったようで!」

 

 男たちが話している横で、猫娘と玉瀾もにこやかに言葉を交わす。

 狸苛めの被害に遭ったとされた玉瀾だが、実際のところ、怪我の方は大したことない。一晩ゆっくり休み、しっかり回復した姿を見せて皆を安堵させる。

 

「いや~……まったく大変な事件でしたな~……それで、依頼料の方ですが……って、痛っ!」

「ねずみ男……アンタは帰ってからお仕置きよ!!」

 

 今回、たまたま自分の商売で京都へと来ていたねずみ男。事件解決に何も貢献していないにもかかわらず、図々しくも依頼料を下鴨家へ請求しようとする。

 しかし天満屋と手を組み、詐欺商法をしていたことが犬山まな経由で猫娘にバレた。いつものようにひっかき傷を貰い、ゲゲゲの森に帰還すればさらに厳しいお仕置きが彼を待っていることだろう。

 

「猫娘よ、まなちゃんはどうしておる?」

「まななら大丈夫。あと一日、京都旅行を楽しんで来るって!」

 

 ふと、目玉おやじがこの場にいない犬山まなの現状について猫娘に尋ねる。彼女は今も修学旅行中であり、事件解決の報せを受けて今は心置きなく旅行を楽しんでいるとのことだ。

 大なまずが京都市内を暴れまわったばかりだが、被害のなかった場所は今も平常通りに観光客を受け入れている。

 

 

 これもまた、京都という街の頑丈さだろう。

 この街ではこういった不思議なことがよく起きるのだという。

 

 さすがに昨日の騒ぎはかなりの大事ではあるが、それでも受け入れてくれるのが『京都』の懐の広さでもあった。

 

 

 

 

 

「……夷川早雲、でしたか? 彼は……今どうしてます?」

 

 そろそろ自分たちもこの街からお別れしようとしたところで、鬼太郎は今回の黒幕の一人・夷川早雲のその後について尋ねていた。隠神刑部狸に唆されてのこととはいえ、今回の事件の発端を引き起こしたのは間違いなく彼自身の意思だ。

 狸たちの間で、何かしらの判決が下ってもおかしくはない立ち場であろう。

 

「……早雲に関しては……呉一郎や海星、夷川家のものたちに一任することにしました……」

 

 しかし、鬼太郎の懸念とは裏腹に狸たちの間で早雲を罰するという決断は出ていない。身内である夷川家の子供たちに、彼の処遇を任せようという、かなり甘い判断で決着を付けていた。

 現在、早雲は家に引き籠っており、それを夷川家の子供たちが面倒を見ているという状況だ。

 いずれ復帰して何をするかは、彼ら親子の交流次第だろう。

 

「それでいいの? その早雲って男……貴方たちの父親の仇なんでしょ?」

 

 その決断に猫娘が眉を顰める。

 聞いた話では、早雲は矢一郎たちの父親を金曜倶楽部に引き渡す段取りをした狸だ。実質的に親の仇、そんな相手にそのような甘い措置でいいのかと疑問をぶつける。

 

「無論、私は叔父上を許すつもりはありません。たとえ奴が父の墓前で土下座をしようと……きっとこの胸の憤りは消えないでしょう」

「…………」

 

 矢一郎は、静かな声音で実の叔父への怒りを口にする。

 さすがに全てを許すなどと、簡単に口にすることはできない。矢三郎もそれに同意するように静かに頷いている。

 

「ですが……今になって奴の尻の毛を毟ったところで何にもなりませんから。今はただ……夷川家の子供たちを信じて彼らの決断を待ちますとも……」

「前向き……なんですね」

 

 矢一郎の答えを聞いて鬼太郎は笑みを浮かべる。

 迷いながらも親の仇に対してそういった判断ができる矢一郎、その判断に矢三郎や玉瀾も文句を言う素振りすらみせない。

 どことなくあっさりしている彼らの気持ちに、鬼太郎は感心してしまう。

 

「なに、狸だからな。それだけが取り柄みたいなもんだし!」

 

 もっともただ単純にお気楽なだけかもしれない。

 

「狸たるもの、常に面白く生きねばならない。恨みやら復讐にいつまでも執着していても気持ちが暗くなるばかりだ。何事も、ほどほどが一番なのさ」

 

 矢三郎が狸としての理念を語る。

 

 ちゃんと考えているのか、それとも何も考えていないのか。

 

 よく分からない、実にふわふわとした信念であった。

 

 

 

 

「それじゃあ、ボクたちはこれで……」

 

 そんな狸たちとも分かれを告げ、鬼太郎たちは歩き出していく。

 名残惜しいがそろそろさよならだと、京都の街に別れを告げていく。

 

「またいつでも遊びに来てください、鬼太郎さん!」

「そのときは、俺が色々と案内してやるよ!」

 

 歩き出した鬼太郎たちの背中に手を振る狸たち。色々あったが、最後はしっかりと笑顔で送り出してくれる。

 何だかんだで京都に来てよかったと、彼らに出会えてよかったと思えるさよならの仕方だ。

 

 

「父さん……次は依頼じゃなく、ちゃんとした京都見物に来てみたいですね」

 

 

 ものぐさな鬼太郎も、いつかはちゃんとした形で京都を旅行してみたいと。

 

 

 父に向かって年相応、実に少年らしい微笑みを浮かべていた。

 

 

 

 




人物紹介

 夷川海星
  夷川早雲の娘。矢三郎の婚約者。口は悪いけど可愛くて優しい狸。
  弁天様が人間側のヒロインなら、この子は狸側のヒロイン。
  矢三郎は彼女を視界に入れると途端に化けの皮が剝がれてしまう。
  あまりにも可愛すぎて。

 夷川呉一郎
  夷川家の長男。ずっと旅に出ていた京都を留守にしていた僧の狸。
  原作内に登場する彼はその大半が『死んだ振りをしていた早雲』つまり偽物。
  本物の出番は本当に最後の部分だけ。基本は飯ばっか喰っている似非坊主。

 金閣銀閣
  夷川家の次男と三男。本名は夷川呉二郎、呉三郎。
  人間時の彼らは憎たらしい小僧だが、狸の時は意外と可愛い。
  名前しか出てこないのは、単純に尺の都合。出番がなくて御免なさい!!

 隠神刑部狸
  今回の黒幕。地獄で早雲と結託し、彼に狸苛めを起こせるほどの妖気を授ける。
  彼の魂が地獄へと堕ちていたのは作中で説明したとおり『魂が疲弊』したため。
  六期の描写の中で『復活したばかりの妖怪が再び倒され、魂が霧散した』場面があったため、今回のような設定があるのではと考えました。

 大なまず
  隠神刑部狸が使役できるもう一匹の怪獣。
  原作だと出番がなかったため、今回このような形で登場させてみました。
  結構な戦闘力があった筈なのですが……二代目と弁天様の餌食になってしまった。
  実際、二人の天狗ならこれくらいできそうかなと、思ってのことです。




次回予告

「猫仙人の事件以来、どこか塞ぎ込みがちな猫娘。
 何とか元気を出してもらえるよう、まなにお願いしたのですが。
 そんな中、またも街中で猫の妖怪が暴れまわっているそうです。早く止めないと!
 ……えっ? 猫だけど……妖怪じゃない? 父さん、あの猫は……いったい!?

 次回——ゲゲゲの鬼太郎『史上最強のニャンコ参上!!』 見えない世界の扉が開く」
  

 次回は完全に趣味に走ります!
 参戦作品のタイトルも隠しますが……分かる人には分かる次回予告。
 一応、短く纏めるつもりなので、どうかお付き合い願いたい。
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

サイボーグクロちゃん 其の①

今回のクロスオーバー作品は『サイボーグクロちゃん』。

コミックボンボンにて連載されていた漫画。ボンボンの黄金期を支えた名作である。
作者は横内なおき先生。この作品が初めての長期連載作だというから恐れ入る。

アニメ化もされており、視聴率も好評であったためにかなり長期まで放送されていたのだが、製作会社が倒産して打ち切りという不本意な結末で終わってしまった。
今はアニメがネットでも見れたりするが、この作品の真骨頂は原作の漫画版にこそあると思います。アニメではかなり規制されている残酷描写や、絵のタッチなど色々と人を選ぶ作品ではありますが、一度は読んでみることをオススメします。

現在は新装版が販売されているため、ある程度入手はしやすい筈ですが、かつては単行本版が絶版状態でなかなかお目にかかれなかった。
ちなみに作者は単行本版を全巻執念で揃えた。我ながらかなり頑張った!!

あまり語りすぎるとネタバレになるので、この辺りで……本編をどうぞ!



 唐突ではあるが、貴兄らは『北海道の黒い悪魔』をご存知だろうか?

 

 北海道の黒い悪魔——その名を聞けばある者は震え上がり、ある者はキョトンとする。

 知っている者は知っている、知らない者は全く知らない。正直言って、その呼び名での認知度はそこまで高くはない。

 

 だが、この悪魔が活動範囲としている北海道。

 その北の大地にて行われる破壊活動——『約八割』がこの悪魔、あるいはその関係者の仕業だと言われている。

 

『ハイウェイ巨大暴走自動車事件』

『巨大ロボット襲来事件』

『米国原子力空母乗っ取り事件』

『ライオンの大脱走』

『恐怖の大王降臨による悪魔的破壊活動』

 

 片手で数えるだけでもこれほどの事件が例として挙げられるが、それでもまだ足りない。

 この悪魔のせいで人間社会は多くの損害、負傷者を出している。その一方で、何故か死者の数はビックリするほど少ないのだから不思議なものである。

 

 この悪魔の正体に関しては未だはっきりとしたことは分かっていない。一見するとただの『黒猫』らしいのだが、これだけのことを仕出かす輩が普通の猫である筈がない。

 きっと猫の皮を被った、得体の知れない『何か』なのだろう。

 もしかしたら彼もまた、今世間を騒がせている『妖怪』の一種なのかもしれない。

 

 いずれにせよ、北海道に暮らす人々はどうか用心してほしい。

 あの北の大地で暮らす以上、この悪魔との関わり合いを避けることは絶対にできない。

 

 どこにいようとも、その『弾丸』の流れ弾が当たらぬよう、頭を低くして生きていくしかないのだから……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ごめん、私そろそろ寝るわ。お休み……」

 

 夜、ゲゲゲの森の広場で猫娘が素っ気なく呟く。

 妖怪にとってまだまだ夜はこれからだというのに、一人だけさっさと森の奥へと引っ込んでしまう。

 

「ああ……お休み、猫娘……」

 

 そんな猫娘の背中をゲゲゲの鬼太郎は黙って見送る。しかし彼女のことを心配しているのか、その瞳には憂いのようなものが宿っていた。

 

「……鬼太郎や。猫娘のやつ……何かあったのか? ここ数日、あまり元気がないようじゃが?」

 

 猫娘の背中と、それを見つめる鬼太郎を見比べて砂かけババアが声を掛ける。

 彼女だけではない、その場にいる全員。子泣き爺、一反木綿、ぬりかべなどの面子が、心配そうな眼差しで猫娘の背中を見送り、鬼太郎に何があったのかと問いかけたい様子だった。

 

「うむ、実は……」

 

 彼らの疑問に目玉おやじが答える。

 猫娘がどこか不調な理由——それは先日の『猫仙人』の一件が原因であると。

 

 

 

 猫仙人——その名の通り、仙術を極めて猫から猫へと魂を移す術を極めた仙人だ。彼は二百年前に猫塚という場所に封じられたのだが、数日前に復活を果たし、とある騒動を引き起こした。

 彼は手始めに人間の暮らす町一つを猫だらけにした。人間を猫に変え、人という生き物をその町から無くしてしまったのだ。

 さらに猫を虐待する人々を檻の中に閉じ込め、生きたまま飼い殺そうともした。実際に——猫仙人に喰われてしまった人間もいたという。

 

 猫仙人が人間にそのような仕打ちをした理由には——『人間の猫に対する扱いの雑さ』があった。

 

 猫仙人が封じられる以前の時代。人と猫は曲がりなりにも共存し、少なくとも『飼い猫』として大切に扱われていた筈だった。だが現代で猫は『ペット』として売り買いされ、『生き物』としてではない『物』としてぞんざいに扱われるようになった。

 

 人間に危害を及ぼす可能性があるからと、保健所では動物たちを毎日のように——殺処分。

 無秩序、無計画に猫を飼い、異常繁殖の末に共食いまで追い込んでしまう——多頭飼育崩壊。

 繁殖用に猫を飼い、子供が産めなくなった親猫は用済みとばかりに殺す——悪質なブリーダー。

 

 そう、物になった猫たちに、人間は人の所業とも思えぬ残酷な行いを平然と行うようになったのだ。

 猫仙人は猫の妖怪としてそのことを許すことができず、人間たちも同じ目に遭わせてやろうと彼らを生きたまま檻へ閉じ込め、腐らせ——そして殺していったのだ。

 

 鬼太郎と猫娘は、その行き過ぎた復讐を止めるべく猫仙人を打倒した。

 全ての人間が猫に酷いことをしているわけではない。その事実を根拠に猫仙人を打倒し、猫に変えられていた人々、檻に囚われていた人間たちを救助したのだ。

 

 

 だが——

 

 

『——そんなの関係ねぇ! 法律上は物と同じだ!!』

『——ペットを売って何が悪いんだよ!?』

『——買う奴がいるから売る! それだけの話だし!!』

 

 猫に姿を変えられていた一般人はともかく。猫仙人が牢に閉じ込めていた人間たちは——まさに猫に酷いことをする人間の代表格だった。

 彼らは猫仙人に痛い目に遭わされながらも何一つ反省せず、今後も猫たちへの対応を改めるつもりがない様子だった。

 

 そんな彼らの態度に猫娘は激昂し、そして失望していた。

 

『——あんな奴らでも……助けなきゃいけないの?』

 

 今にも消え入りそうな声で、鬼太郎にこの人助けに何の意味があったのかと問い掛けた。

 

 その問いに鬼太郎の口から——彼女を慰める言葉は何一つ出てこなかったのである。

 

 

 

「なるほど……そんなことがのう」

 

 目玉おやじから一部始終を聞き終え、砂かけババアは頷く。その事件に関して猫娘自身、きっと未だに割り切ることが出来ず、落ち込んでいるのだろうとその気持ちを察した。

 

 しかしこれは、『猫』の妖怪である猫娘だからこその感情だ。

 同じ妖怪でも、砂かけババアや鬼太郎ではおそらく本当の意味で彼女の気持ちを真に理解することはできない。

 それほどまでに『猫』という生き物に密接した、解決しようもない根本的な悩みである。

 

「まあ……今は仕方ない。いずれ……時間が解決してくれるじゃろうて……」

 

 こういう場合の対処法を、砂かけババアは長年の人生経験から悟る。こういう時、何かと世話を焼こうとすると逆に傷口を広げかねない。

 本人が自力で立ち上がることを信じ、ただ静かに見守ってやることも大切なのだと。

 

「そう……なんだろうけど……」

 

 しかし、砂かけババアのように悟った見方が出来ないでいるゲゲゲの鬼太郎。彼はどこか納得しきれない様子で、猫娘が立ち去っていった方角をじっと見つめ続けている。

 

 本人に自覚はないだろうが、これが依頼主の人間などであれば鬼太郎も放っておくという決断が出来ただろう。

 落ち込んでいる相手が猫娘だからこそ、気になってしまうのではないかと。砂かけババアなりに鬼太郎の心を読み解いていく。

 

「……そんなに猫娘のことが心配なら、何処か連れてってやったらどうじゃ? パーッと遊べば……あやつもそれで気分転換になるじゃろうて!」

 

 そして「遊びに誘ってみろ」と、さりげなく猫娘と鬼太郎の仲を取り持とうとする女性ならではの後押し。

 周りの仲間たちは口元を押さえたり、何かを期待して鬼太郎の反応を窺う。もっとも——

 

「そうだな。今度まなにお願いして猫娘を元気付けてもらおう。あの子と一緒なら……きっと辛いことも忘れられるだろうし……」

 

 それで「自分が!」、という発想にならないのがゲゲゲの鬼太郎だ。

 まなの方が猫娘を元気付ける役目に向いていると、発想が斜め上にズレている。

 

「鬼太郎……お前という奴は……」

「そういうところじゃぞ!!」

「はぁ~……ほんと……猫娘が不憫たい……」

「ぬ、ぬりかべ……」

 

 これには仲間たちも盛大に呆れ果てていた。

 鬼太郎の鈍感ぶりに——いったい、いつになったら猫娘の想いは実るのやらと、彼女に同情する一同。

 

「???」

 

 鬼太郎は仲間たちが何に呆れているのか、何故自分に責めるような視線を向けているのか。

 何一つ察することもなく、ただただ首を傾げるばかりであった。

 

 

 

×

 

 

 

「——お待たせっ! 猫姉さん!!」

 

 数日後の日曜日。犬山まなは猫娘を遊びに誘っていた。

 事前に鬼太郎から頼まれていたという裏事情もあるが、それとは関係なしに二人は頻繁に遊びに出掛けている仲だ。今更、互いに遠慮などするような間柄でもない。

 

「……待ってたわよ、まな。……それで? 今日はどこへ行きたいのかしら?」

 

 だが、今日の猫娘はどこか心ここに在らずだった。まなの誘いだったからこそ重い腰を上げたものの、どうにもそれどころではない空気だ。

 やはり猫仙人の件が尾を引いているのだろう。あまり乗り気ではない猫娘。

 

 しかし、まなは挫けない。

 今日は猫娘に思いっきり楽しんでもらおうと——。

 

「実はわたし……前々から気になってた場所があるんですよ!!」

 

 まななりに前から気になっていた『特別な場所』へと、猫娘を誘うこととなっていたのだから。

 

 

「猫姉さんは——メイド喫茶って興味ありません?」

「…………はっ?」

 

 

 その誘いに、ちょっぴりセンチになっていた猫娘も変な声を出すしかなかった。

 

 

 

 

「——お帰りなさいませ、お嬢様方!!」

 

 メイド喫茶。

 店名通り、店員がメイドさんになりきって接客をしてくれる喫茶店のことである。日本発祥のカルチャーであり、今や世界にも通じる『文化』としてその存在は一般人にも広く認知されている。

 一昔前までは、かなり敬遠されがちなイメージではあったものの、最近ではコスプレ文化そのものが大衆化しつつあり、興味本位などで店内を覗きに来る一般の客などもだいぶ多くなってきている。

 

「驚いたわね……私たちを含めて、女性客しかいないじゃない……」

 

 当初、メイド喫茶などと聞いて眉を顰めていた猫娘も、店内の雰囲気に思わず目を見張った。

 彼女たちが入店したそのメイド喫茶は——店員はおろか、客層までもが全員女性で埋め尽くされていたのだ。

 

「凄いですよね!! わたしも……さすがに実際に来るのは初めてですけど、今はこう言った店も結構多いらしいですよ!」

 

 まなも興奮気味に驚いている。実際にこの店に入ろうと予め事前情報を仕入れていた彼女も、まさか本当に女性しか入れないとは思ってなかったのだろう。

 しかし、この店ではこういった『女性客限定』やら『メイド以外のコスプレ』など。日ごとによって異なるイベントを催し、新しい客層を常に呼び込もうと営業努力を続けている。

 今やメイド喫茶も様々な形で進化している。ただ「ご主人様♡」などと言っているだけでは、店を存続させることも難しいのだ。

 

 特にメイド喫茶が数多く立ち並ぶ、この『秋葉原』においては——。

 

 そう、まなと猫娘は現在、秋葉原に来ていた。

 秋葉原といえば、漫画やアニメといったサブカルチャーに強く傾倒している街として有名であり、実際にメイド喫茶という店が主流になったのも秋葉原がきっかけだ。

 もともと電気街であったこの街では飲食店が少なく、そのため休憩所としても利用できるメイド喫茶は大繁盛。そのまま一大ブームを巻き起こし、それが全国的に広まっていくことになった。

 

「ご注文はお決まりですか、お嬢様」

「は、はい……! え、ええっと……あっ!?」

 

 しかも、やはり本場の秋葉原のメイド喫茶。その辺に転がっているなんちゃってメイドカフェとは一味も二味も違う。

 店員さんが可愛いのは当然だが、一人一人の接客技術が恐ろしく高い。凛々しく堂々とした、まるで生徒会長のような女性店員に「お嬢様」などと呼ばれ、不覚にもドキリとしてしまう犬山まな。

 どぎまぎしすぎて、とっさにメニュー表を取り落としてしまう。

 

「まったく……ほら、もっとしっかりしなさい。楽しみにしてたんでしょ?」

 

 そんなまなのおっちょこちょいに、猫娘は口元に笑みを浮かべていた。

 

 メイド喫茶など、最初に聞いたときはかなり面食らったが、実際に入ってみるとこれはこれで悪くない。店内は綺麗で、女の子たちも華やか。正直、こういったものに偏見を抱いていた猫娘ですら素直に感嘆している。

 

「まっ……たまにはこういうのも悪くないか……」

 

 難しいことを考えず、猫娘はこの一時に身を委ねていく。

 

 

 謀らずも、猫娘に『辛いことを忘れて楽しんでもらう』という、まなや鬼太郎たちの思惑が叶った瞬間である。

 

 

 

 

 

 

「父さん。猫娘とまなは今頃楽しんでいるでしょうか?」

「そうじゃな……まなちゃんに任せておけば、大丈夫だとは思うが……」

 

 同時刻。ゲゲゲハウスでは鬼太郎と目玉おやじが猫娘やまなの動向を気に掛けていた。

 そんなに気になるのなら一緒に着いていけばよかっただろうに、そこは『女の子同士の交流を邪魔するのは申し訳ない』という、変な方向で気を遣う男たち。

 猫娘が本当に望んでいるのはそんな気遣いではないだろうに、いったいいつになったらその勘違いに朴念仁な少年は気付くのだろう。

 などと、ゲゲゲの森の仲間たちも影で盛大な溜息を吐いていたのだが——。

 

「鬼太郎、ポストに手紙が入っとったたぞ?」

 

 そのタイミングで、砂かけババアが妖怪ポストに投函されていた依頼の手紙を持ってきた。

 

「ああ、ありがとう」

 

 依頼が来ること自体はいつものことだ。鬼太郎は自然な動作で手紙を開き、依頼内容にさらっと目を通す。

 

「…………っ!!」

 

 だが手紙を読んだ瞬間、彼はその場にて硬直——その表情を厳しいものに変えていく。

 

「……ど、どうしたんじゃ、鬼太郎? 手紙には……なんと書いてあるんじゃ?」

 

 息子の異変に目玉おやじが手紙の内容を問う。いったい、何をそこまで顔を険しくする必要があるのか。

 訝しむ父親に、鬼太郎は安堵と怒りを僅かに含んだ声で呟いていた

 

「父さん……猫娘がまなと出掛けていて……本当によかったです」

 

 

 

「この依頼だけは……今すぐにでもボクの手で解決して来ます。これ以上、猫娘には傷ついて欲しくありませんから——」

 

 

 

 手紙には——以下の内容が書かれていた。

 

 

 

 

『——野生の猫たちが人間を不自然に襲っています。妖怪の仕業かもしれないから調べて欲しい』と。

 

 

 

×

 

 

 

「あ~っ……楽しかった!! ねっ? 猫姉さん!!」

「そうね。思ってたよりは悪くなかったわ……」

 

 メイド喫茶を満喫したまなと猫娘は楽しかった余韻に浸りながら、二人で秋葉原の街を散策していた。

 

 現在、彼女たちが歩いているのは秋葉原の『歩行者天国』だ。

 この歩行者天国、以前はかなり荒れていた。傍迷惑なパフォーマンス、扇情的なゲリラライブやアイドルの撮影会など。お世辞にも、治安が良いとは言えない状態だった。

 

 そして例の事件——2008年に起こった惨劇。

 

 その事件を契機に、一時この歩行者天国も廃止にまで追い込まれていた。あんな事件が起きるくらいなら歩行者天国などやらない方がいい。そんな意見の元、封鎖されていた時期があったのだ。

 

 だがそれでも、それでも多くの人にこの秋葉原を楽しんでもらいたい、この街を歩いてもらいたい。

 秋葉原で店舗、施設の運営を担う多くの団体、町内会の人々のそんな願いの元——およそ二年以上の歳月を費やし、歩行者天国は復活した。

 

 惨劇が二度と起きないようルールを厳格化したり、パトロールを強化して防犯意識を高めたりと。秋葉原に関わる人々は『街の人を守る』にはどうすればいいか、徹底して話し合ったのだ。

 その結果として、秋葉原は事件前のような『偏ったイメージ感』から脱却。以前よりも歩きやすい、外国からの観光客なども安心して来れるような、過ごしやすい街として生まれ変わったのである。

 

「ふ~ん、綺麗な街なのね。昔はもっとゴミゴミしてた気がするけど……」

 

 これには秋葉原のイメージが、それこそ十年以上前で止まっている猫娘も驚いていた。妖怪である彼女にとって十年なんて瞬きの間だ。その十年の間によくぞここまで立て直したものだと、素直に感心していた。

 

「そうですよね! わたしも……変なイメージがあって……色々と不安だったんですよ」

 

 犬山まなも、秋葉原にはあまりいいイメージがなかったことを素直に告白する。きっと猫娘が一緒でなければ自分のような中学生は道も歩けないような、そんな治安の悪さを想像していた。

 だが実際はそこまで悪いものではなく、人の流れなどは他の都市区と大差ない。東京暮らしであるまなや猫娘にしてみれば、特になんてこともない環境である。

 

「……って、あれ?」

 

 しかしだ。それはあくまで、自分たちがこういった都市部の環境に慣れているためだ。

 そういった環境に慣れていない観光客——。

 

「——う~む……また道に迷うてしもうたの~……」

「——またか! まったくしょうがねぇ、ジジイだべ!」

 

 そう、例えば——まなたちの目の前で困惑している『老夫婦』にとって、ここはやはり複雑な構造をした街なのだろう。

 スーツケースを片手に、そのおじいさんとおばあさんは歩行者天国のど真ん中、キョロキョロと周囲を見渡している。

 

「あの……どうかされましたか?」

「道に迷ったみたいだけど……大丈夫かしら?」

 

 そんな老夫婦へ、いつものお節介で声を掛けるまな。猫娘もまなの世話焼き体質に慣れたもので、文句一つ言うことなく彼女に付き合っていく。

 

「ん……おおっ!! 済まんねぇ……お嬢さんたち。ちいとばかし、道を尋ねたいんじゃが……」

 

 まなに声を掛けられた老夫婦のおじいさん。彼はまなのお節介に嬉しそうに頬を緩ませる。

 そして、何故か世界地図を片手に——自分たちの『目的地』に行くにはどうすればいいか、彼女たちに道筋を尋ねていた。

 

 

 

「——奈良の大仏さんを拝むにはどっちに行けばいいんじゃろうかのう?」

 

 

 

「…………えっ?」

「…………はっ?」

 

 

 しかし予想していなかった問い掛けに、二人の思考がピタリと停止してしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ~……まさか、ここが東京だったとはのう!」

「道理で人が多いわけだべ!」

「いや~……はははっ……」

「普通気づくでしょうに……」

 

 人混みの多いメインストリートから外れ、老夫婦とまなたちは人気の少ない公園で腰を下ろしていた。

 秋葉原といえば人でごった返す印象が大きいが、表通りを少し離れればこういった閑静な住宅街、公園などが数多くある。

 静かな公園で一旦腰を落ち着かせ、まなたちは老夫婦からここへ到るまでの道のりを聞かされていく。

 

「ええっと……それじゃ、藤井さんたちは奈良の大仏が見たくて、北海道から旅を続けているんですか?」

「そうじゃ。だけんども……行けど行けども、奈良の大仏さんにまで辿り着けねぇ。不思議なもんじゃよ」

 

 話を聞くに彼ら藤井さん夫婦は北海道出身らしい。北海道から大仏を見るため、奈良県へと向かっているそうだ。

 しかし、二人は極度の方向音痴らしく、なかなか目的地まで辿り着くことが出来ないでいるのだ。今いる東京都に来るまでの間にも、大阪や鹿児島、沖縄に新潟。何故か香港、アマゾンといった海外にまで行ってしまったことがあるという。

 

「……いや、どう考えてもおかしいでしょ!! 絶対途中で気づくでしょ!?」

 

 あまりの方向音痴っぷりに、猫娘も驚き呆れていた。

 百歩譲って国内で迷うのならまだ理解できるが、外国に行くともなれば色々と手続きが必要になる筈。その間に、少しでもおかしいとは思わなかったのだろうか。

 

「まっ、生きておればいつか辿り着けるべ」

「んだな。せっかちなこと言ってちゃ、旅はできねぇべさ」

 

 というのも、本人たちがそこまで事態を深刻に考えていないようだ。老夫婦はあくまでのほほんと、旅そのものを楽しんでいる。

 

「すごいタフネス……いや、そうじゃなくて!!」

 

 老人特有の呑気さ、老夫婦の見た目以上の頑丈さにまなは唖然となるも、さすがに何とかしてあげたいと思い、彼女は提案する。

 

「わたしがっ!! お二人を奈良まで連れて行きますから、安心して下さい!!」

「ちょっと、まな!?」

 

 この提案にはさすがに猫娘も驚いたが、まなだって付きっきりで奈良県まで同伴するつもりではない。あくまで二人が目的地に辿り着けるよう、公共の交通手段を調べてそこまで連れてってあげるだけだ。

 幸い、ここは日本の首都・東京。新幹線なり、夜行バスなり。奈良県まで直通で行けるルートがある筈だと。さっそくスマホで奈良までの交通手段を調べていく。

 

「まったく……本当にお人好しなんだから……ん?」

 

 そんなまなの余計なお節介に呆れながらも、猫娘は表情を緩ませる。

 覚悟を決め、まなの気が済むまで自分も付き合ってあげようかなと——そう思い立ったときである。

 

 

 突然、『ガタ!! ゴト、ゴト!!』と。物音が聞こえてきた。

 

 その音は——藤井夫婦が所持している荷物、スーツケースから聞こえてくる。

 

 スーツケースに——『何か』が潜んでいるのだ。

 

 

 

「……何? い、生き物かしら……?」

 

 これに猫娘が反応する。彼女は藤井夫婦にお伺いを立てながら、ゆっくりとスーツケースを開いていく。

 

「…………」

 

 すると——そこには一匹の『猫』がいた。

 一見すると野良猫っぽい、ちょっぴり汚らしい一匹の『黒猫』が横たわっていたのだ。

 

「なっ!? ちょっ、ちょっと、アンタ、大丈夫!? ニャニャ!! ニャニャニャ!?」

 

 その猫の身を心配し、猫娘は慌てて『猫話』で呼び掛ける。

 その猫語に反応し、そのオスネコも猫娘にだけ伝わる猫語で彼女の呼び掛けに答えていた。

 

 

「ニャ、ニャァ~ン……(燃料……いや、腹減った……なんか飯くれ)」

 

 

 

 

 

 

「——お? おめぇ、クロでねぇか? 荷物に紛れてついてきちまったんだな~、しょうがねぇヤツだべ」

 

 その猫のことを老人は『クロ』と呼んだ。黒猫だからクロということなのだろう。なんとも安直なネーミングセンスだ。

 クロは、藤井家の飼い猫とのこと。本来であれば、北海道にある実家で留守番をしている筈なのだが——どういうわけかスーツケースの中に忍び混んでついてきてしまったらしい。

 腹ペコで動けないところ、たまたま猫娘が見つけて今はご飯にがっついている。

 

「そっか……別に虐待ってわけじゃないのよね……」

 

 クロの元気そうな様子に猫娘は安堵の息を吐く。

 当初、スーツケースの中から出てきたときは「まさか……虐待では?」と老夫婦のことを疑ってしまった。猫仙人の一件で人間の横暴な一面を見てしまったばかりだからこそ、抱いてしまった懸念である。

 

「ほれ、クロっ! 羊羹も食え!!」

 

 しかし、クロと老夫婦の関係は至って良好に見えた。クロが夢中で飯にありつく姿を、彼らは微笑みを浮かべて見守っている。

(※猫に羊羹を与えてはいけません)

 

「ニャニャニャ……ニャニャ(あんたの飼い主は……いい人たち見たいね)」

 

 猫娘はそれが嬉しく、猫語でクロへ言葉を掛ける。

 

「ニャッ……(まあな……)」

 

 クロも素っ気ないながらも、猫語でそのように答えていた。

 

 

「——ああっ!?」

 

 

 しかし和んでばかりもいられないと、おばあさんが叫び声を上げる。

 

「大変じゃぞ、ジジイ!! クロがここにいるってことは……家の戸締りができてねぇってことだ!! 急いで帰らねぇば!!」

「ほんとじゃ、そりゃいかん! トラだけじゃ、心配じゃ!! 早く帰るべ!!」

 

 藤井夫婦は出かける際、留守番を全て家の猫たちに託しているとのことだ。

 家にはクロ以外にも、『トラ』という虎猫がいるとのことだが、一匹では家の守りに不安があった。

 

 急いで家に帰ろうと、彼らは目的地を『奈良県』から『北海道』へと変更する。

 

「ええっと……北海道ですか? それなら空港から飛行機で……」

 

 急な予定変更に奈良までのルートを調べていたまなが戸惑うが、すぐに対応して北海道までの道筋を検索し直す。もっとも、東京から北海道なら一番の最短ルートは『飛行機』であると調べずとも分かる。 

 あとは羽田か、成田か。今から予約が取れるのか、時間は何時か、予算は幾らかなど。藤井家の代わりにまなはそれらを事細かに調べようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのときだ。

 今度は物音ではない。はっきり『声』という形でその言葉は聞こえてきた。

 

 

『——助けて』と。

 

 

 

×

 

 

 

「——っ!」

「——っ!」

 

 その叫び声に反応できたのは——猫娘とクロの一人と一匹だけだった。

 なにせ他の人間たちにその声は、ただの『鳴き声』にしか、聞こえなかったのだから——。

 

「? なんだろう、あの猫……迷子なのかな?」

 

 最初、その『子猫』を見つけた犬山まなが率直にそのような考えを抱く。

 彼女たちの目の前に現れたその子猫。一見するとただ愛らしい、可愛らしいだけの猫に見えるだろう。

 

「待って……この子、怪我してるわ!」

 

 しかし猫娘はすぐに気づく。その子猫が怪我を負っていることに——。

 その怪我が明らかに人為的なもの。つまり、『人間』につけられたものだと——。

 

 さらに、子猫は猫語で猫娘へと助けを求めていた。

 

 

『助けてっ……このままだとママが……ママが人間に殺されちゃう!!』

「——っ!!」

 

 救援を求めるその声に、猫娘は一目散に駆け出していた。

 

 

 

 

「——……ここなの? って、何なの!? この匂いはっ!?」

 

 猫娘が子猫の案内で辿り着いたのは——住宅地の奥にある、とある一軒家だった。

 

 大きな塀に囲まれたその家は、一目見ただけでは中がどうなっているかなどわからない。だが、猫娘の嗅覚はそこから漂ってくる『悪臭』を嗅ぎ取っていた。

 それは——『動物』の匂いだ。しかも複数、普通に飼っていればまず抑えられるであろう悪臭を、その家はなんの躊躇もなく垂れ流していた。

 

「……っ!!」

 

 

 嫌な予感がした猫娘。彼女は僅かに躊躇いつつも、塀を飛び越えて敷地内へと侵入する。

 

 

「な……なによ、これ……」

 

 

 家の敷地内、その庭先に広がっていた光景を目撃した瞬間、猫娘は言葉を失ってしまう。

 

 そこでは動物たちが、小さなケージの中に何匹も押し込まれていた。

 猫や犬たちを入れた鉄の檻が、『物』としてそこらじゅうに無造作に放置されているのだ。当然、体のケアなどなされているわけもない。満足に餌も与えられていないのだろう、猫も犬も皆痩せこけている。

 飼育環境などという言葉はどこにもない。それ以上は口にするのも憚られるような劣悪な環境の中で、彼らは生きることを余儀なくされている。

 

 そう、まるで猫仙人が人間たちを飼殺しにしていた光景のよう。

 もっとも今の日本の社会では、これこそが『よくある』光景なのかもしれない——。

 

 そして——

 

「——あん? なんだ貴様っ!! 何を勝手に入って来てやがる!?」

 

 そこにいた人間。その男が猫や犬たちの飼い主なのだろう。

 今まさに、檻から出した一匹の猫の首根っこを持ち上げ——明らかなる虐待行為を行おうとしていた。

 

『——ママ!!』

 

 ぐったりとするその猫に対し、子猫が鳴き声を上げる。男に掴まれているあの猫が、この子の母親らしい。彼女を助けて欲しいと、子猫はこの家から必死の思いで逃げ出して来たのだろう。

 

「あんた……っ!! その猫から手を離しなさい!!」

 

 猫娘は真っ先にその猫を救うべく、化け猫の表情へと変貌。男の首元に爪を突きつける。

 

「ヒッ!? ば、化け物!?」

 

 一瞬で立場が逆転する。

 どれだけ動物たちに横暴な態度を取ることができようとも、所詮はただの人間。猫娘を前に成す術もなく悲鳴を上げ、男は彼女に向かって『化け物』と叫んでいた。

 

「化け物……ですって?」

 

 その叫び声に猫娘がさらに苛立ちを募らせる。

 

「私から言わせれば……アンタの方が化け物よ!!」

「ちょっ……!? 猫姉さん!?」

 

 後から追いついて来たまなが猫娘の怒りように何事かと目を剝く。しかし、まなも家の敷地内を見渡し、どうして猫娘がここまで激怒しているのか理解する。

 

「ひ……ひどい……こんな……どうしてこんなこと……」

「何でこんな真似が平然とできるのよ!? コイツらだって……必死に生きてるのよ!! それをこんな……!!」

 

 虐待を受けていたであろう動物たちを前に——猫娘の脳裏に、猫仙人の発言が思い出される。

 

 

『——狭いところで次々と子猫を産ませて、売り捌き』

『——産めなくなった猫は用済みとばかりに殺した』

 

 

 おそらくこの男は、ここにいる動物たちのブリーダーだ。

 猫仙人が言っていたように、コイツはここで猫や犬たちを繁殖させ、ペットショップへ売り捌いているのだ。

 

 そして用済みとなった親猫を——まさに殺そうとしていた直前だった。

 

「……っ、許せない!!」

 

 一瞬にして、男への殺意が芽生える猫娘。どす黒い感情が彼女の中を暴れ回っていく。

 

 

 いっそのこと、こんな人間はこの場で——何て考えまで脳裏を過ぎる。

 

 

「——猫姉さん……大丈夫!?」

「はっ!?」

 

 だがそんな考えは、心配そうな表情で覗き込んでくるまなの存在で吹き飛んだ。

 彼女の前で、これ以上自分が取り乱すわけにはいかないと。冷静さを取り戻した猫娘はブリーダーへと要求を突きつける。

 

「今すぐ……こいつらを解放しなさい。そうすれば……この場は見逃してやるわ」

「は、はぁっ!? い、いきなり乗り込んできて、何ふざけたこと言ってやがる!!」

 

 だが、猫娘のその要求に男は激しく憤る。

 脅されていることに怯えながらも、男は自身の正当性を訴えて来た。

 

「こ、こいつらは俺の所有物なんだよ!! それを勝手に連れ出そうとすれば……お前らが泥棒になるだけだぜ!!」

 

 日本の法律において、動物は飼う人間の所有物である。たとえ助ける目的であろうとも、それを許可なく連れ出せば立派な窃盗罪になってしまう。

 勿論、『動物愛護法』の観点からすればこの悪徳ブリーダーが裁かれる可能性もあるが、よほど悪質でない限り、罰金を払う程度で済んでしまう。状況から鑑みるに——おそらくこの男の行為も罰金を払うだけで終わるだろう。

 

「け、警察を呼ばれたくなかったら、とっとと帰るんだな!! それで罪に問われるのはお前らだぜ!!」

「そ、そんな……」

 

 自身の正当性を自覚し始めたのか、男は強気な態度で猫娘たちを言いくるめようとする。男の言い分、自分たちの方が罪に問われるなどと言われ、まなはショックを受けたのか固まってしまう。

 

「アンタ……!」

 

 しかし、猫娘は一歩も引かなかった。

 たとえ警察が自分を捕まえようとしても構わない。間違っているのはこの男だと。たとえどんな奴が相手であろうとも、動物たちを助けるために徹底して戦う構えでいた。

 

 

 

 

 だが、猫娘の覚悟は取り越し苦労で終わる。

 何故なら警察などが駆けつけてくる前に——動物たちはとっくに檻から抜け出していたからだ。

 

「…………あれ? お、おい……何を勝手に抜け出して……あれ?」

 

 その事実に気づいたブリーダーが間抜けな声を零す。

 そう、男が猫娘と口論している間にも——『そいつ』はケージの鍵を開け、動物たちを解放してしまっていた。

 

 

 その犯人は、まるで見せびらかすように鍵の束を手の中にぶら下げ、動物たちに『猫語』で語りかける。

 

 

「ニヤァァ、ニャニャニャ……ニャニャ、ニャ〜ン(逃げ出すか、ここに残るか……あとはお前らの自由だ、好きに生きな)」

「クロっ!?」

 

 猫娘も目を丸くする。ケージを開けて動物たちを檻から出していたのは——藤井家の飼い猫、クロだった。

 いつの間にか家の中へと侵入した彼が、ケージの鍵を使ってさっさと檻を開けてしまっている。何て抜け目なく、器用な猫なのだろう。

 

「あっ!? おいこら!!」

 

 ブリーダーは慌てて動物たちの脱走を阻止しようと手を伸ばす。だがクロが男へと飛びかかり、その顔面に容赦のない『猫パンチ』をお見舞いする。

 

「ブミャアアアア!!(テメェはすっこんでろ!!)」

「ボガァッ!!?」

 

 そのパンチの想像を絶する威力に、男の体が仰け反ってそのまま倒れる。

 とても猫のものとは思えぬ鉄拳、クロはあれこれ理屈をほざく悪徳ブリーダーを問答無用、拳一発でノックアウトしてしまう。

 目を回して倒れる男に対し、クロはぺっと吐き捨てていた。

 

「ニャニャ、ニャニャニャ、ニャニャ〜ン(罪がどうとか、色々とほざいてやがったが、残念だったな)」

 

 

 

「ニャニャン、ニャニャニャーニャ、ニャニャ!(この国に猫を裁く法律はねぇ、オイラを訴えられるもんなら……訴えてみやがれ!)」

「く、クロ……アンタ……」

 

 

 

 自分たちがモタモタしている間にも、さっさと動物たちを助け出していたクロの活躍。

 彼の勇姿、彼の頼もしい台詞に、思わず目頭が熱くなってしまう猫娘であった。

 

「…………何て言ってるんだろう?」

 

 もっとも、猫語が理解できないまなには、クロが何を言っているのか最後までさっぱりだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、クロの活躍によってこの悪徳ブリーダーは成敗された。彼が己の正当性をどれだけ訴えようとも、相手が猫ではどうしようもない。まさか猫相手に本当に裁判を起こすわけにもいかない。そんなことをすれば世間の笑い者にされるだけなのだから。

 

 だがこう言った光景——悪辣な人間の手によって動物たちが飼い殺しにされる環境は、今の日本でたいして珍しいものではない。

 日本は動物愛護の点からすれば後進国。欧米諸国に比べて完全に『遅れている国』なのだから。

 

 勿論、そういった環境に危機感を抱き、動物愛護法の改正を望む声は人間たちの間でも上がっている。実際に改正法は可決され、あと一年以内には施行される予定だ。

 この改正で、少しでも動物たちの犠牲が減らせると信じたいところである。

 

 

 だが、この瞬間にも動物たちが下劣な人間に虐げられ、苛められ、そして殺されている事実は変わらない。

 そして、その現状を嘆き、怒りを募らせている『妖怪』が、猫娘や猫仙人以外にもいた。

 

 

 

 

「——ニヤァ〜ン! ニャニャ、ニャニャ!!」

 

 そこはどこかの空き地だった。そこには都内中の『猫たち』が数百匹と集まっており、皆一様に殺気立ってる。

 ニャニャ、ニャニャと。その場の全員が『人間許さん!!』『人間倒すべし!!』などと、猫語で物騒な言葉を叫んでいた。

 

 

「——同士諸君!! ついに時が来たぞ!!」

 

 

 そんな中、空き地の中心地で猫にも人間にも伝わる言語で——『三叉の尾』を持った一匹の巨大な猫が息巻いている。

 その猫はまるで政治家の演説のように、広場に集まった猫たちへと力説する。

 

「今日に到るまで……我々はあらゆる手段で人間に警告を促してきた!! 猫に……動物にひどいことをすればどうなるか、あらゆる手段で分からせてきたつもりである!!」

 

 ここ数日、この巨大な猫を中心になって猫たちは人間を襲ってきた。

 ターゲットは主に悪徳ブリーダーや猫を蔑ろにするペットショップなど。ある程度ターゲットを限定し、被害も最小限にまで抑えてきたつもりである。

 

「にも関わらずだ!! 人間は一向に態度を改めることもなく、同胞たちの命を蔑ろに扱うばかりだ!!」

 

 しかし猫たちに痛い目に遭わされながらも、人間は何一つ考えを改める素振りを見せず。

 未だに多くの猫、動物たちを蔑ろにし、彼らの生命を脅かしている。

 

「もはや……我慢の限界である!! これ以上、奴ら人間どもをのさばらせておくわけにはいかない!!」

 

 握る肉球に力を込め、その猫は堂々と宣言する。

 

 

「——虐げられてきた猫たちのためにも……この猫ショウが!! これより人間どもの大粛清を行う!!」

 

 

 全ての猫たちのために、妖怪・猫ショウは奮い立つ。

 

 

「——いざ!! 革命のときである!!!」

 

 

 その日、猫たちによる恐るべき逆襲の物語が幕を開ける。

 

 

 




人物紹介

 クロちゃん
  本作の主人公。ボクらの兄貴分。
  主人公なのに主人公らしからぬ意地悪な面があり、真っ当なヒーローとは少し違う。
  けれど本当に困ったときにこそ現れ、立ち塞がる扉を無理矢理にこじ開けてくれる。
  猫なのにかなり器用で賢い。果たしてその正体は!?(タイトルが既にネタバレですが……)

 じいさん、ばあさん
  クロの飼い主にして彼の恩人。
  ただの老人なのだが、あらゆる環境に適応する生命力を持っており、クロ以上に不死身疑惑がある。
  名前は不明だが、苗字はフジ井。今回は分かりやすく藤井と漢字で表記しています。
 
 猫ショウ
  今作の敵妖怪。ちょっとデカイ三叉の尾を持つ猫の妖怪。
  モデルは5期鬼太郎に登場する猫ショウをそのままイメージしてもらえれば助かります。
  この猫ショウと鬼太郎。そしてクロが次回激突する!
  

補足説明
 
 メイド喫茶ネタについて
  今回出てきたメイド喫茶ネタですが、特に深い意味はありません。
  今回の舞台を『秋葉原』に設定したく、こんな感じで話を纏めてみました。
  秋葉原といえば電気街。珍しいジャンクパーツを求めて、『彼ら』も東京に来るかもしれません。

 動物愛護法について
  今回、ちょこっと触れた動物愛護法に関しては作者も詳しいことは知りません。
  『ワイルドライフ』という漫画を参考に色々と書いてみましたが、この漫画もかなり前の作品。
  ネットでちょろっと調べた限りでは、動物愛護法が改正されたのはここ数年でのことらしい。
  自分は動物などを飼ってはいませんが、もっと動物たちに優しい法律になればいいと思います。

 
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

サイボーグクロちゃん 其の②

『スパロボ30』の参戦作品が発表されました。
個人的には『ナイツ&マジック』や『グリッドマン』の参戦が嬉しい。

しかし何故でしょうか?
何故、参戦作品の中に『サイボーグクロちゃん』の名前がない!?

そう、作者的に今一番スパロボに参戦してほしい作品が……クロちゃんなのです!!

いや、ちょっと無理があるというのは分かるけど……サイボーグ枠での参戦は決して不可能ではない筈。

いつかクロちゃんがスパロボで参戦する夢を見ながら……とりあえず、今は鬼太郎とのクロスを書いています。


さて、今回でクロちゃんとのクロスオーバーは最終回です。
久しぶりに二話での完結。ちょっとスピーディーな展開ですが、これもクロちゃんらしいかなと。
駆け足気味で至らぬ部分もありますが、どうか最後までお楽しみください。



「…………なんだ、あれ?」

 

 その日、東京在住の青年は不思議な光景を目の当たりにする。

 

 彼が訪れていたのは秋葉原だ。秋葉原の中でも特にディープなスポット『ジャンク通り』。

 中央通りから外れた裏路地、ユニークな雑貨屋や一風変わったお土産屋。普通の家電量販店では手に入りにくいジャンク品を扱うPCショップなど、マニアックな店が立ち並ぶ通り。

 

 その通りのPCショップ——その店から、妙な集団が出てくるところだった。

 

「——いや~……さすが秋葉原! ゴミ山にもないようなレアパーツも揃っているとは、わざわざ足を運んだ甲斐があったというものだ!」

 

 ちんちくりの、寸足らずな男性。人として明らかに何かがおかしい卵型の体型をしたその男は大量のジャンクパーツを腕の中に抱えていた。頭の毛もかなり薄く、相当に歳をとっている。

 そんな彼の横に、小学生らしい少年が一緒だった。

 

「——ほんとうに素晴らしい品揃えでしたね、博士!」

 

 その少年は寸足らずな男性を『博士』と呼んでいた。そして少年自身——何故か黒猫の着ぐるみのようなものを着ている。

 ここが秋葉原であることを考えればコスプレも珍しいことではないが、どうして猫なのだろう?

 

「これで……コマネチ装置を作ることができそうだよ! 帰ったらさっそく取り付けてあげるからね、ダンク!!」

「アオ~ン!!」

 

 その少年は何の役に立つのかも分からないような装置のことを口にしながら——隣を歩いている『大型犬』に向かって話しかけていた。

 

 ——犬……犬? いや……犬だよな?

 

 青年はその大型犬を二度、三度と見直しながら自分の目を擦る。

 その犬は確かに犬ではあるのだが、サイズが微妙におかしい。犬と言われれば犬なのだが、大きさでいえばライオンくらいはありそうだ。

 見た目もどことなくぬいぐるみっぽい。ちょっぴり間抜けそう面をした、シャイなワンちゃんであった。

 

「——剛くん!! コタローくん!! ダンク!!」

 

 そして、これが一番おかしいのだが。

 寸足らずな男性、黒猫のコスプレをした小学生、大型犬。それぞれをキチンと名前で呼びながら——『猫』が声を上げる。

 その猫は当たり前のように人語を話しており、これまた当たり前のように二本の足で歩いている。

 そう、全身が『メタルボディの猫』……いや、ホントに何なんだろうと、青年は自身の正気を疑う。

  

「そろそろお昼ご飯にしようよ!! お弁当にサンドイッチ、作ってきたんだ!」

 

 その猫はさらに当然のようにお腹を「パカリ」と開け、その中から弁当の入ったバスケットを取り出した。いったい……どういう構造になっているんだろう?

 

「さすがミーくん! 用意がいいな!! よーし……せっかくミーくんがお弁当を作ってきてくれたんだ!! どこか景色のいい場所で食べよう!」

「賛成!!」

「アオッ! アオオッ!!」

 

 周りにも飲食店はあるが、それよりもこのメカのような猫・ミーくんとやらが作ってきたというお弁当の方が嬉しいのか。

 そのお弁当が美味しく食べられる景色の良いスポットを探しに、その集団はその場から立ち去っていく。

 

 

 

 

「…………きっと疲れてるんだ。だから幻覚を見るんだな……」

 

 彼らの背中を黙って見送りながら、青年は自分が見た光景が幻覚だったと結論付ける。

 きっと疲労が溜まっているんだろうと、そのまま真っ直ぐ自宅へと帰宅する道を選んだ。

 

 

 

 

 青年がお家に帰る一方で、その一団はお弁当を食べる場所を探して周囲を見渡していた。

 だがその道中、フルメタルボディの猫であるミーくんがその『異変』に足を止める。

 

「……? ねぇ……剛くん? なんか……変な声が聞こえてこないかい?」

 

 彼が感じた異変は『声』だった。

 何か普通ではない不思議な声が耳元に聞こえてくると。同じような声を他にも誰か聞いていないかと、彼は剛へと不安げに話しかける。

 

「声? いや……わしには何も聞こえないが?」

「空耳じゃないの? ボクにも聞こえないよ」

 

 しかし剛とコタロー。二人の人間には何も聞こえていないらしい。彼らの反応に自分の耳がおかしいのかと不安げな表情になるミーくん。

 

「アオッ!」

 

 だがダンクと呼ばれていた大型犬。彼は着込んでいたシャイなワンちゃんの『着ぐるみ』を脱ぎ、ミーくんの肩に前足を置いた。

 ダンクは『聞こえてるよ、その変な声』と書かれたカンペを額から展開し、自分にもその声が聞こえていることをアピールする。

 

「あっ、コラ!? 駄目じゃないか、ダンク。ちゃんと着ぐるみ着てないと!! ここはライオンに免疫がある地区じゃないんだからね!」

 

 そんなダンクをコタローが叱った。ダンクの本来の姿が——犬の着ぐるみを被った『ライオン』だったからだ。

 ミーくんと同じメタリックボディのライオン。それがダンクの正体であり、それを周囲に知られないように彼はシャイなワンちゃんの変装をしていたのだ。

 もしもライオンが街中を歩いているともなれば、きっと大騒ぎになってしまう。ここが彼らの地元であれば、ライオンが歩いている程度では何も騒がれないのだが。

 

「ふむ、ダンクにも聞こえているのか……ネコ科の動物だからか?」

 

 ダンクとミーくんの証言を元に、剛は博士らしくその異変の正体を分析する。人間ではない、おそらくネコ科の動物にだけ聞こえる声なのかもしれないと。

 

 

 当てずっぽうな推論ではあったものの、それは間違いではなかった。

 

 

 

 

「——クックック! さあ、目覚めよ同胞たち! 今こそ立ち上がるのだ!!」

 

 その『声』は都内中の猫へと、とある『妖怪』が発信しているメッセージだった。

 その声を聞き届け、多くの猫たちがその意思の元に活動を始めていく。

 

 そう、妖怪・猫ショウによる——人間たちへの大粛清だ。

 その目的のために——彼は猫たちへと『人間をやっつけろ!!』というメッセージを電波のようなもので発信していた。

 

 

「——全ての人間どもに制裁を!! 思い知るがいい、これぞ猫たちの怒りだ!!」

 

 

 その発信力は徐々に高まっていき、やがて都内中の猫たちが人間を襲うようになっていく。

 

 

 

「——ニャアアアアアアアアア!!」と暴れ回る猫たちに、やがて人間社会は大混乱に陥っていく。

 

 

 

×

 

 

 

 猫ショウのメッセージが発信される——少し前のことである。

 秋葉原の公園のベンチで藤井老夫婦。彼らは膝に乗った黒猫、飼い猫であるクロの頭を撫でていた。

 

「そうか~、クロがのう……相変わらず喧嘩っ早い奴じゃな~……」

「けど……お手柄だったぞ、クロっ!」

「ニヤァ~ゴ」

 

 彼らはクロが行った行為——悪徳ブリーダーを懲らしめたという話を、まなや猫娘から聞かされた。

 クロの行為は人様に迷惑を掛けるものではあったが、結果的には多くの動物たちを救った行動でもある。その行為を老人たちは肯定し、クロを素直に褒めている。

 

「ほんとうに凄かった! 凄かった……ですけど……?」

 

 一方でその現場を目撃していたまなはどこか納得しきれない、腑に落ちない気持ちに首を傾げる。

 

 クロが猫たちを救ったのは彼女だって嬉しい。嬉しいのだが——そもそもクロが猫たちを『助けられたこと』に違和感を抱く。

 

 クロは猫だ。少なくとも、表面上はただの猫だ。

 普通の猫はケージの檻を鍵で開けたり、屈強な成人男性を猫パンチで殴り倒したりできない筈。藤井夫婦はそう言った行動に全く違和感を抱いていないようだが、少なくともまなにはそれがおかしいことだと認識するだけの常識があった。

 

「猫姉さん。もしかして……クロちゃんって、妖怪なんでしょうか?」

 

 その常識から判断し、クロがただの猫ではない。もしかしたら『妖怪』なのではないかと猫娘にこっそりと尋ねていく。

 

「……いえ、それはないわね。こいつは妖怪じゃない……それだけは断言できるけど……」

 

 しかし、そんなまなの考えを猫娘は明確に否定する。

 猫娘とて妖怪だ。鬼太郎のように『妖怪アンテナ』で妖気を探知することこそ出来ないが、これだけ間近まで接近すれば、相手が妖怪かどうか雰囲気で察することくらいできる。

 そして、このクロという黒猫にはそういった、妖怪特有の気配のようなものがほとんど感じられない。

 

 少なくとも、クロは『妖怪』ではない。それだけは断言できる。

 

「まあ、確かにおかしいっちゃ、おかしいのよね……ねぇ、ちょっとアンタ。ニャニャッ——」

 

 勿論、それでもクロがただの猫ではないという違和感は猫娘も抱いていた。

 彼女はこっそりと猫語でクロへと話しかけ、彼の口からその疑問の答えを問いただそうとする。

 

 

 その間際——例の猫ショウの発信した『メッセージ』を、猫の妖怪である猫娘も受信することになる。

 

 

『——人間を倒せ』

「……えっ?」

 

 最初は囁きかけるかのように小さな声。それが徐々に大きな鐘が鳴り響くように——猫娘の脳内にガンガンと響き渡る。

 

『人間をやっつけろ! 人間許すまじ! 今こそ奴らに制裁を下すべし!!! 人間を——』

「ちょっ……な、何よ……これ!?」

「ね、猫姉さん!? どうしたんですか!?」

 

 突然、頭を押さえて苦しみ出す猫娘にまなが慌てて駆け寄る。

 それはネコ科の動物にしか聞こえない声なため、まなには猫娘の身に何が起きているか分からない。今この瞬間、この場で彼女の苦しみを理解できるのは同じ猫であるクロだけだ。

 

「ニャニャニャ~? ……ニャァン?(おいおい、大丈夫か? ……何だってんだ、この声は?)」

 

 だが、クロの方は猫娘ほどしんどくはないのか。声そのものは聞こえているが特に苦しむ様子を見せず、猫語で猫娘を気遣う余裕さえ見せている。

 同じ猫なのに、いったいこの違いは何なのだろうと。

 

 

 しかし猫娘がそんな疑問を抱く暇もなく——

 

 

「——きゃあああああああ!!」

「っ!! 今の悲鳴はっ!?」

 

 

 人々の悲鳴が、街中を木霊していく。

 

 

 

 

 

 その日、東京の街は大混乱に陥っていた。

 

「ブミャアアアア!!」「ニャアア! ニャアア!!」「ニャニャ!! ニャアアア!」

「う、うわああ!?」「な、何だってんだ……や、やめろ!」「ちょっ! ひっかかないでよ!?」

 

 野良猫、飼い猫といった区別なく、街中の猫たちが一斉に人間を襲い始める。

 尋常ならざる鳴き声を上げながら、猫は道を歩く通行人に噛み付いたり、ひっかいたり。老若男女、誰これ構わず無差別に被害を広げていく。

 

「こ、このっ! クソ猫がっ!!」

「ブミャアア!?」

 

 だが相手は猫だ。いきなりで驚きこそすれど、それだけで人間を一方的に倒すことはできない。

 たかが動物風情がと、手にしていた荷物や、その辺に落ちていた棒切れなどで猫に向かって反撃に打って出るような、血気盛んな人間もいる。

 

 そうして、猫と人間が互いに争う。

 争いが激しくなればなるほどに、猫も人間も傷ついていく者が増えていくばかりだ。

 

 

「——止めなさい!! アンタたち!!」

 

 

 そんな中、猫にも人間にも縁深い妖怪である猫娘がその場へと駆けつけた。

 彼女は両者の争いを止めようとその間に割って入る。猫には猫語で、人間にはしっかりとした言葉で争うことの愚かさを説く。

 

「猫姉さん! わたしも!!」

 

 猫娘の後を追って犬山まなもその場へと現れる。猫娘と一緒になって、目の前の争いを止めさせようと声を上げた。

 

 だが——

 

 

「や、やめろっ!」「フシュウウ!!」「この野郎、よくもやりやがったな!!」「ニャアアア!!」「ニャニャ、ブニァア!」「ヒィッ!? こ、こっち来ないで! 触んないでよ!」「こいつ……離れろ!!」「ブミャア! ブミャアア!!」「に、人間様を舐めんなよ……猫如きが!!」「ママ!! ママ!!」「ね、猫が……猫が!?」「シャアアアア!!」

 

 

 人間も猫も、猫娘やまなの言葉など聞く耳を持ってはくれない。皆、争うことに夢中でそれどころではないのだ。

 言葉だけでは決して止まらない。やむを得ず、強硬手段に出るしかなかった。

 

「このっ、やめろっての!! フシュウウ!!」

 

 猫娘は表情を化け猫の形相へと変化させ、唸り声を上げながら爪を伸ばして威嚇する。

 

「ヒィっ、化け猫!?」

「ニャニャ!?」

 

 それが功を奏したのか。猫娘の表情を見た人間が恐れ慄き逃げ出していき、猫たちが彼女の威嚇に本能で立ち去っていく。

 だが、それで争いを阻止できるのもごく一部。猫娘の表情など見えていない、鳴き声など聞こえていない人間や猫たちが何十人、あるいは何百人という規模で街中へと戦火を広げている。

 

 もはや猫娘だけでは収拾がつかない。

 そのうえ、彼女も猫たちを狂わせている謎の怪電波——『声』の影響を受けつつある。

 

「ぐっ!? な、何だってのよ……さっきから!!」

 

 今この瞬間にも『人間をやっつけろ』といった声が猫娘の脳内を揺らしてくる。妖怪であるため抵抗はできるが、気を抜けばすぐにでも我を忘れて暴れ出してしまいそうだ。

 

 いったい、この声はどこから聞こえてくるのかと。

 

 

「——貴様……猫の妖怪か? 何故我々の邪魔をする?」

 

 

 彼女がそう考えたまさにそのとき。

 この騒ぎの元凶——猫たちに争うように指示を出している『声の主』がそこへ姿を現した。

 

 

 

×

 

 

 

「アンタ、いったい、何者よ……」

「お、大きい……ね、猫?」

 

 姿を見せた『巨大な猫』を前に、猫娘とまなは緊張気味にその身を強張らせる。

 その猫はライオン並みの大きさを有し、三叉の尾を生やしていた。猫と人が入り乱れる混乱の最中、猫たちが苦戦している人間等を適当にしばき倒しながら、猫娘へと人語を介して話しかけてくる。

 

「私の名は猫ショウ!! 革命のために立ち上がった……猫たちの先導者である!!」

「……革命? 先導者? アンタ何を言って……」

 

 いきなり現れて気取った言葉を吐く猫ショウに猫娘は眉を顰めた。

 しかし、続く彼の言葉に猫娘は目を見開く。

 

「貴様も猫であれば知っている筈だぞ! 人間が我々に何をしてきたのか!」

「!! どこかで聞いたような台詞を……っ!」

 

 人間の猫に対する仕打ち。つい先日の猫仙人との遭遇の際にも言われたことだ。この猫ショウとかいう妖怪も、あの仙人と同じような不満をぶちまけていく。

 

 

「人間は我々猫を好き勝手に飼い潰し……用済みだからと捨てていく!!」

 

「今この瞬間にも、猫たちは人間どもの身勝手な理屈で苦しめられているのだ!!」

 

「私はそんな猫たちの自由と権利を獲得するために立ち上がった勇士である!!」

 

「貴様も猫なら……私に賛同せよ!! そして、共に人間どもの社会を叩き壊すのだ!!」

 

 

 自分の主張を一方的に捲し立て、猫ショウは同じ猫の妖怪である猫娘にも自分に付き従うように要求してきた。

 

「ふざけないで!! 誰がアンタなんかとっ!!」

 

 猫ショウの要求に、猫娘は考える間もなく即答する。

 似たような問答であれば、既に猫仙人との間で済ましている。確かに人間に猫たちを含めて多くの動物たちが苦しめられているだろう。それは覆すことのできない事実だ。

 

 しかし、そんな人間が全てではない。猫に優しい、猫と絆を深めている人間だっているのだと。

 先日の騒動で関わった老婆と猫のような。さきほど出会った藤井家やクロのような。

 

 そういった人々がいると分かっているからこそ、猫ショウの放つ言葉くらいで猫娘も揺るぎはしない。

 

「おのれぇ!! ならば……無理にでも従わせてやるぞ!!」

 

 猫娘が従わないと分かるや、猫ショウはすぐにでも強硬手段に打って出た。

 さっきから発しているであろう謎のメッセージ。そう、猫たちを扇動するために猫ショウが発している怪電波だ。

 

 猫ショウその力を——猫娘一人を操るために彼女へと集中し始めたのだ。

 

「ぐっ!? この声……アンタの仕業だったのね……っ!」

 

 囁かれていた声の主が猫ショウだと知り、猫娘が焦りを見せるも既に遅かった。一点に集中して放たれた怪電波に、猫娘の精神は大きく掻き乱されていく。

 

 

『人間は悪、人間は滅ぼすべき。人間を倒せ倒せ倒せ倒せ——』

「ぐぅう、う、うるさいっ! だ、誰が……そんなこと考えて……ぐぅっ!?」

 

 

 その『声』は最初よりも大きく強まっていく。人間への憎悪を、無理矢理にでも猫娘の脳内へと刷り込もうとする。

 何とか必死に抵抗するがとても耐え切ることができず、猫娘は苦痛から膝を折ってその場に蹲ってしまう。

 

「猫姉さん!? だ、大丈夫——」

「ま、まな……来ちゃダメ……!」

 

 その異変に慌てて駆け寄るまなだったが、猫娘はそれを静止する。

 

「近づいちゃダメ、何がきっかけで……アンタに襲い掛かるか分かったもんじゃないから……離れてなさい!!」

「!!」

 

 自分の理性を保っているのも限界と感じたのか。何とかまなにだけは被害が及ばないよう、猫娘は大事な妹分を遠ざけようとする。

 このままでは本当にまなや他の人間たちに危害を加えかねない。まさに——理性を保っていられるかどうかの瀬戸際だった。

 

 

「——リモコン下駄!!」

「あでっ!?」

 

 

 そのとき、猫娘に怪電波を送っていた猫ショウの顔面に、高速で下駄が激突する。

 その威力にひっくり返る猫ショウ。その瞬間、猫娘を苦しめていた『声』が勢いを失い、彼女の苦しみが和らいでいく。

 

「大丈夫か!? 猫娘!!」

「はぁはぁ……き、鬼太郎? た、助けに来てくれたの……ありがとう」

 

 苦しんでいたところを救われ、いつもと違い素直に礼を言う猫娘。 

 だが、猫ショウの発する怪電波はまだ途絶えておらず、周囲では未だに猫と人間たちが争い合っている。

 

 猫ショウを何とかしない限り、この騒動は収まりそうになかった。

 

「もう止すんじゃ、猫ショウ!! これ以上は猫たちを無駄に傷つけるだけじゃぞ!!」

 

 猫ショウの蛮行をやめさせようと、鬼太郎と一緒だった目玉おやじが叫ぶ。

 

 

 彼らは妖怪ポストの依頼——『猫が不自然に人間を襲っている』という相談を受けて事件を調査していた。そして、その事件の黒幕が猫ショウという妖怪にあると突き止め、この場へと駆けつけてきたのだ。

 本来なら猫娘が関わる前に解決したかったと、鬼太郎は彼女を巻き込んでしまったことを後悔している。

 

 

「ふ、ふん! 誰が止めるものか!!」

 

 猫ショウは鬼太郎の登場に怯みながらも、決して退こうとはせず激しく息巻く。

 

「元より革命に犠牲はつきものなのだ!! これしきのことで、我々猫の積年の恨み、止められると思うなよ!!」

 

 猫のためと言いつつ、その猫たちが傷つく手段も辞さない猫ショウ。

 結局のところ、猫ショウ自身も『革命』という響きに酔いしれている。己のエゴで動いているに過ぎないのかもしれない。

 

「邪魔をするなら、貴様から片付けてやる!!」

「くっ……」

 

 猫ショウは邪魔者である鬼太郎を排除しようと妖力を高めていく。

 それに応じる形で、鬼太郎と猫娘も身構えた。

 

 一触即発、まさに両者がぶつかり合おうとした——その刹那だ。

 

 

 

『パーン』と、一発の乾いた銃声が街中に響き渡る。

 

 

 

「い、今の……銃声!?」

 

 物騒な筒音にまながビクッと肩を振るわせる。

 今の音。乱戦の末、ついに人間側が猫に対して『銃』を使い始めたということだ。警察か、あるいは非社会的な勢力か。

 いずれにせよ——銃を相手にしては猫たちもそう長くは耐えられない。

 

「ちぃっ、人間どもめ! しかし、その程度で我らの戦意を挫くことは……」

 

 人間側が銃で反撃をし始めたことを察し、猫ショウは憤慨する。

 それでも、彼はこれも革命のための犠牲だと。全てを割り切って進軍を続けようとしていた。

 

「挫く……こと……はっ?」

 

 続けようと、したのだが。

 

「えっ、……何この音? 本当のただの銃?」

 

 絶え間なく響いてくる銃声——否、『爆音』を耳にしてその表情を困惑に歪める。

 

 そう、聞こえてくる銃声は所謂『拳銃』といった類のものと違う。

 明らかに、それよりも物騒な『兵器』による発砲音。まるで鉄の獣が吠え猛るような『バルルル!!』という射撃音だった。

 

 そして、その音は——徐々にだが確実に、猫ショウや鬼太郎たちのいる方へと近づいてくる。

 

「きゃああああ!?」「た、助けてくれぇええ!!」

「ニャニャニャッツ!?」「ブミャアアアア!?」

 

 音が聞こえてくる方角から、人間と猫たちが悲鳴を上げてすっ飛んできた。

 互いに争い合う余裕すらなく、誰もが銃声を響かせながら近づいてくる『そいつ』から必死に距離を置くため、全速力で逃げ出していく。

 

「な、なんだ!? いったいなんだというのだ!!」

「何か……来る!?」

 

 猫ショウの仕業でも、鬼太郎の仲間でもない。

 何か、得体の知れないものの襲来に顔を強張らせる一同。

 

 

 そして——銃撃によって崩れ落ちていくビルを背に、その『悪魔』は姿を現した。

 

 

「——イーヤッハー!! この騒ぎの元凶はどこのどいつだ!?」

 

 

 今まさに、自分自身が騒ぎの中心になっているであろうに。

 銃声を鳴り響かせながら——その『黒猫』は叫び声を上げていた。

 

 

 

「…………………えっ? クロちゃん……?」

 

 

 

 その猫の見知った姿に、犬山まなは目を丸くするしかないでいる。

 

 

 

 

 

「な、何だ、貴様……猫か!? …………いや、ね、猫だよな?」

 

 猫ショウですらも、咄嗟に相手が猫なのか疑ってしまう。それほどまでに衝撃的な光景だった。

 

 猫が二本足で立っているのは別にいい。立つだけならレッサーパンダにだって出来る。

 その猫が人語を話しているのも別にいい。声真似ならインコにだって出来る。

 

 

 しかし、猫が『ガトリングガン』を連射しているのがもうおかしい。

 

 

 そう、その猫は腕に機関銃の先端のようなものを取り付けており、そこから弾丸を無差別に乱射していた。建物を破壊し、猫と人間たちの争いを仲裁——というか、蹂躙していく。

 心なしか己の破壊活動そのものに酔いしれているような、どこか楽しそうな顔をしている。

 

「えっ……アンタ、クロ……クロ、よね?」

「し、知り合いなのか……猫娘?」

 

 猫娘はその黒猫が藤井家の飼い猫、クロだと気づいた。

 さきほどまで一緒にいた猫。少しおかしい猫だとは思っていたが、これはあまりにも予想外すぎると彼女も呆気に取られている。クロのことを知らない鬼太郎も、当然だが唖然としている。

 

「!! っと、嬢ちゃんたちか……今日はじいさん、ばあさんが世話になったな」

 

 クロは猫娘やまなの存在に気づくや、手にしていたガトリングガンの銃口を下げる。意外にも冷静に、律儀に飼い主たちが世話になったことを感謝していた。

 

「礼と言っちゃなんだが、ここはオイラに任せときな! そこのワルモノ~、オイラが懲らしめてやるぞ~」

 

 それが礼だと言わんばかりに、クロは猫ショウへギロリと視線を向ける。

 

 

 どっちが悪者か。ちょっと分からなくなるようなニヤついた表情を浮かべながら——。

 

 

 

 

 

「お、おのれぇえ……! 貴様……何故私の声に従わぬ!?」

 

 クロと対峙する猫ショウは狼狽しながらも、両手をチョキにして(猫でもチョキが出せるのか!?)額に手を当てた。

 

「貴様がどんな妖怪であれ! 猫であれば私に従うしかない筈なのに!?」

 

 そのような問い掛けを投げかけながら、彼は額から謎の『怪光線』を発射してクロを攻撃する。

 

 銃を乱射するという眼前の黒猫は確かに不合理な存在。

 しかし、仮にもネコ科の動物であれば猫ショウの怪電波の影響を受けない筈がないのだ。現に猫娘ですら強く影響を受け、精神を侵食されかけている。

 どんな妖怪でも猫である以上、猫ショウの『声』から逃れる術はない。

 

 

 そう、妖怪であれば——

 

 

「ああん? んな、細かい理屈なんか知るかよ? ……確かに変な声は聞こえてっけど……オイラにとっちゃ、うるさいだけの声だぜ?」

 

 クロは猫ショウの声は聞こえているが、特に問題ではないと。

 迫り来る怪光線を前にしながらも全く慌てる様子を見せず——。

 

「それと、オイラは妖怪なんて……そんなファンタジーな生き物じゃねぇ!」

 

 そう叫びながら、クロはお腹を「パカリ」と開いた。

 

「……えっ?」

 

 生物として何かがおかしい謎のギミックにぽかんとする猫娘。しかし、その腹の中から出てきた——『巨大な剣』を前にさらに度肝を抜かれる。

 

「デカッ!?」

「って、剣!?」

 

 クロがお腹から取り出したその剣は、彼の図体を軽々と超えていた。

 どう見ても腹に収まる筈のないサイズ。人間の身長くらいはありそうなそれを、彼は軽々と片手で振り回し——猫ショウの放った謎の怪光線を切り裂いていく。

 

「ば、バカなぁあああ!!」

 

 光線が切り払われる光景に猫ショウは絶叫。

 怪電波も怪光線も通用しない。完全に自分の理解を越えた存在に恐れ慄く。

 

 そんな猫ショウへ、クロは堂々と叫ぶ。

 自分が妖怪などという不思議生物などではない——

 

 

 

「——オイラは……サイボーグだ!!」

 

 

 

 単なる『戦闘型サイボーグ』に過ぎないと。

 

 

「さ、さ、さ、さ、さいぼおぐ……? な、なんじゃそりゃ!?」

 

 

 猫ショウにはその言葉の意味が理解できない。サイボーグとはなんぞやと。鬼太郎も猫娘も、目玉おやじですらも呆然としている。

 

 

「え、サイボーグって…………えっ、ほんとに……?」

 

 

 一同の中ではただ一人。犬山まなだけが、その存在についてある程度の知識を持ち合わせていた。

 

 

 

×

 

 

 

 サイボーグ——サイバネティック・オーガニズムの略称。

 

 元々は人間の各部分を人工機器に置き換えることで、過酷な環境でも活動ができるようにしようという考え方。これにより、人類は宇宙や深海といった極限地帯へと行動範囲を広げることができるという。

 

 しかし、現代のサイボーグ技術というのは、もっぱら医学的な面での発展が目覚ましい。

 病気や事故、年齢などで衰えた臓器などを人工的なものに取り替え、機械による制御システムでそれを運用する。義手や義足などを脳の信号でコントロールするなど。

 一昔前まではフィクションの産物と思われていた技術だが、それは確実に現実のものとなりつつある。ニュースなどでも取り上げられる話題だ。

 

 そう、少し前までサイボーグ技術というやつはフィクションの産物だった。

 SF小説などで題材にされるサイボーグ。機械技術で改造され、超人的な活躍で戦うヒーロー。どちらかと言えば、まなの中にあるイメージはそっちの方で固まっている。

 そういったヒーローたちの多くは『自分は人間なのか? それともただの機械なのか?』といった命題に頭を悩ませるものなのだが——。

 

「——ギャハハハハ!! いくぜッ!!」

 

 このクロというサイボーグキャットからは、そんな悲壮感は微塵も伝わってこない。

 なにせ、元から『人』ではないのだから。なにせ彼は『猫』なのだから。

 

 自分がサイボーグであることに、何の後ろめたさを抱く様子もなく。

 クロは、猫ショウ相手に派手に暴れ回る。

 

 

 

 

「くらいなっ!!」

 

 クロの右手に装着されたガトリングガンが再び火を吹いた。

 さきほど、人や猫たちを追い払うために使っていたクロの主武装。とても嬉しそうに乱射していることから、彼にとってもそれがお気に入りの装備であることが伺える。

 

「ブキィッ!?」

 

 そのガトリングの一撃をモロに受けた猫ショウの巨体がふらつき、後ろへと仰け反っていく。

 

「そらよっ!!」

「もげっァ!?」

 

 そこへすかさず、クロは左手に構えていた巨大剣のハラで猫ショウの頭部をぶっ叩いた。間髪入れずの追撃に、猫ショウの口からは生物としてやばい感じの呻き声が上がる。

 

「よっと……こいつも持っていきな!」

 

 ついでとばかりに、クロはさらなる一撃を叩き込む。

 くるりと猫ショウに背中を向けたかと思いきや、尻尾の先端が「パカリ」と開いた。その尻尾から——小型のミサイルを発射したのだ。

 

「ぐぎゃあああ!!」

 

 ミサイルは「チュドーン」いう爆発音で着弾。猫ショウの体から「プスプス」と焦げた臭いが漂うことになる。

 

 

「…………」

「…………」

 

 

 流れるような一連の動作を唖然と見送る鬼太郎と猫娘。本来ならば、彼らも猫ショウの暴虐を止めなければならないポジションなのだが——これではどちらを止めればいいのか分からない。

 少なくとも、今の流れを見るだけならクロの方が暴走気味。猫ショウが被害者の立場にいるような気さえしてくるのだ。

 

「く、くそぅ……かくなるうえはっ!!」

 

 だが、クロの怒涛の連撃に猫ショウは怯まなかった。

 ちょっぴり黒焦げになった体を労わりながらも、最後の手段とばかりに彼は自身の能力を最大限に発揮する。

 

「集えっ! 猫たちよ!! 我が声に応じ……この悪魔を皆で八つ裂きにしてやるのだ!!」

 

 再び発せられたのは猫ショウの怪電波だ。

 猫たちを操るその『声』で、彼らの無意識へと呼び掛ける。

 

「ぐっ!? ま、また……この声なの!!」

 

 何故だかサイボーグであるクロには通じないが、猫娘などの妖怪には効力を発揮できる。この力で街中の、東京中の猫たちをかき集めれば流石のクロでも——多分どうにかできる筈と。

 少なくとも猫ショウはそう確信し、猫たちの兵力を総動員しようと試みる。ところが——

 

 

「——あうっち!!?」

「……?」

 

 

 怪電波を強めようとした瞬間、猫ショウの体がひとりでに跳ねた。勝手にぶっ倒れる猫ショウにクロも鬼太郎も疑問符を浮かべる。

 

「あれ……? 声が……消えた?」

「ん……あれま、ほんとだわ……なんでだ?」

 

 それと同時に、猫ショウがそれまで発信していた怪電波の『声』も綺麗さっぱり消え失せる。その声に苦しめられていた猫娘や、それをうざったく思っていたクロたちの表情が明るくなった。

 

「ば、馬鹿なっ!? わ、わたしの力が……かき消されている!! い、いったい、何故!?」

 

 猫ショウ自身は、それを『自分の能力がかき消された』ことだと察する。何者かが自分の怪電波を無効化し、それを打ち消しているのだ。

 いったい何者がと。動揺する猫ショウの前にその人物たちは駆けつけてくる。

 

 

「——おーい、クロ!!」

「——クロちゃん!!」

 

 

 クロの名を呼びながらやって来たのは——寸足らずな男性と猫の着ぐるみを着た少年だった。彼らはそれぞれ両手に謎の機械を抱えている。

 

「げっ……剛にコタロー……なんでお前らがここにいるんだ?」

 

 その人物たちと知り合いだったのか。クロはその表情を若干嫌そうに歪めて問い掛ける。

 

「それはこっちの台詞だ! まさか東京に来てまでお前の顔を見ることになるとはな……」

「クロちゃんってば、東京でも何も変わらないんだね!」

 

 彼らもクロとの遭遇は予期していなかったらしい。クロの破壊活動に呆れた表情をしつつ、自分たちの『発明』を見せびらかしていく。

 

「これを見るがいい! 猫たちを操る謎の怪電波の周波数を解析する装置だ!!」

「そんで……こっちがその解析した電波を吸収して、打ち消すための装置だよ! これで街中の猫たちを操っている怪電波は全部無効化されるんだ!」

「なっ! なんだとっ!?」

 

 これに誰よりも驚いていたのが猫ショウだ。

 自分の能力を打ち消す装置。そんなものを人間が発明し、あまつさえ実戦で即座に投入してくるなど、でたらめにもほどがある。

 いったい、彼らは何者なのか。

 

 

 寸足らずな男性——彼こそ、クロをサイボーグに改造した男・(ごう)万太郎(まんたろう)博士だ。クロの他にも、ミーくんやダンクといった猫やライオンたちもサイボーグへと変えた、世紀のマッドサイエンティストである。

 彼がクロをサイボーグに改造したのは——ひとえに世界征服のためであった。猫のサイボーグ軍団『ニャンニャンアーミー』を率い、世界征服を企む危ない科学者であった。

 しかし、その野望を幾度となくクロによって阻止され、その過程ですっかり世界を支配する気勢もそがれてしまった。

 今ではゴミ山に小さな小屋を作り、相方のミーくんと静かに暮らしている。

 

 そしてコタローという少年は、剛博士の助手をしている小学生だ。クロちゃんに強い憧れを抱いている彼は、日頃からクロの格好を模した『クロちゃんスーツ』を着込んでいる。

 コタローは剛博士のサイボーグ技術に感銘を受け、彼に弟子入りしたが——ぶっちゃけ、科学者としては剛以上のマッドぶりを発揮している。

 アメリカの原子力空母をパソコン一台で乗っ取ったり、東京に核ミサイルを撃ち込もうとしたりと。若さ故の問題行動も多かったりする。

 

 そんなマッドで困った二人だが、その科学力は本物だった。

 彼らの手にかかれば、猫ショウの怪電波を解析し、それを無効化する装置を作るなど造作もない。

 実際、彼らはものの三十分でそれらの装置を作り、猫ショウの能力を無効化してしまった。

 

 猫を操る術を失った猫ショウなど、孤立無援——まさに裸の王様に過ぎなかった。

 

 

「——ミーくんとダンクが残った猫たちを説得してくれている! この騒ぎも時期に収まるだろう!」

 

 それでも、僅かだが猫ショウを支持する猫たちが未だに人間と争っていた。怪電波の影響とは関係なく、人間に恨みを抱いている猫たちだ。

 しかし、それらの猫たちを同じ猫であるミーくん、そしてライオンのダンクが説得してくれている。

 穏やかな性格の二人であれば、彼らを宥めることができるだろう。騒動は既に沈静化しつつある。

 

「そうかい……そんじゃ、あとはこいつをぶっ倒せばマルっと解決……ってわけだな!」

 

 剛たちの話にクロは「ニヤリ」と口の端を釣り上げる。

 

「邪魔者はいなくなった」「あとはお前だけだ」と。その表情が雄弁に語っていた。

 

 

 

 

 

「——ヒィっ、ヒィいいいい!? ま、待て!! 待ってくれ!!」

 

 自身の能力を全て無力化され、すっかり腰が抜けてしまった猫ショウ。

 彼は命乞いするかのように、クロを説得しようと声を荒げていた。

 

「わ、私は悪者ではない! 猫たちのために立ち上がった、革命の勇士だ! お前も曲がりなりにも猫ならば知っているだろう!? 人間が猫たちに何をしてきたかを!!」

「——っ!!」

 

 猫ショウの言葉に誰よりも反応していたのは、やはり猫娘だった。

 

「保健所の手によって殺処分される動物たちは年間、四万匹を超えている!! 多頭飼育問題で部屋の中に閉じ込められ、空腹に飢えた親猫が子猫を喰い殺すということもあるのだぞ! 悪質なブリーダーは、子猫を売り捌くためだけに親猫を飼育する! そんな現状が……当たり前のように蔓延っているのが人間社会なのだぞ!?」

 

 彼の言っていることに嘘偽りはない。それ事態は事実であり、猫娘もクロもついさきほど、そういった悪質なブリーダーを目の当たりにしたばかりである。

 

「私は、その現状を変えるために立ち上がったのだ!! さいぼおぐ……だかなんだか知らんが、お前も猫の端くれなら……」

「…………」

 

 猫ショウの言葉に猫娘は何も言い返せない。猫ショウのやり方こそ間違ってはいるものの、その言葉には頷ける部分も多くあったからだ。

 

 しかし——

 

 

 

「——……いや、よく知らんけど?」

 

 

 

 猫の困窮する現状を力説する猫ショウに対し、クロは素っ気ない言葉で返す。

 

 

「…………えっ?」

「…………はっ?」

 

 

 これには猫娘も猫ショウも目を丸くする。

 猫たちが抱える社会問題。それを——クロは全く関心がないようにボソリと呟いていく。

 

「いやいや……そんな、知ってて当たり前みたいなノリで話してっけどよ……普通の猫はそんなこと、いちいち気にして生きてねぇから。保健所の殺処分数とか……多頭、飼育問題? そんな難しい言葉、何が何だかサッパリだぜ?」

 

 クロはサイボーグだが、あくまで一匹の猫に過ぎない。

 彼の立場からすれば人間の算出した統計データやら、人間が新しく作った造語など。口にされても頭に入ってこない。

 これはクロが特別なのではない。実際、そういった問題に「あーだこーだ」と頭を悩ませているのは人間側だけだ。

 

 猫たちに多頭飼育やら、飼育環境がどうなどと。問いを投げ掛けたところでどうなるという?

 彼らはただ——その日その日を懸命に生きていくだけなのだから。

 

「オイラたちは猫さ。猫なら猫らしく自由に生きりゃいい! それがたとえ……飼い猫でもだ!」

 

 クロもそういった問題を細かく考えたことはない。

 ムカつく奴がいればぶん殴るし、困っている奴がいれば助けもする。その時々の感情に任せ、彼はいつも生きるのに全力だ。

 

 

 それが『猫』というものではないだろうか?

 

 

「自由に……」

 

 クロの言葉に猫娘がハッと顔を上げる。

 彼女自身、人間たちが口にする『社会問題』などといった言葉に振り回され、知らず知らずのうちに囚われていたのかもしれない。

 

 猫娘だって猫なのだから、もっと自由に生きてもいい。そう言われているような気がした。

 様々な問題で心を病みかけていた彼女にとって、その言葉はある意味『救い』でもあった。

 

 もっとも——

 

「とりあえず、今はテメェをぶちのめすぜ!! 難しいことをペラペラほざいて、猫たちを大勢巻き込みやがって。その曲がりに曲がった性根……オイラがボッコボコにしてやっからな!!」

「ヒィッ……ひえぇええええええええ!?」

 

 クロは少しばかり自由過ぎるかもしれない。そんな自由なクロの鉄拳制裁によって——

 

 

 猫ショウは文字通り——『ボッコボコ』に叩きのめされることとなった。

 

 

 

×

 

 

 

 それから、一時間後。

 暮れる夕日が一部瓦礫と化した街を燃やすように照らす中——

 

 

「——この度は……この度は本当にご迷惑をお掛けしました!!」

 

 

 今回の騒動の中心地でライオンほどの大きさの猫が、一匹の黒猫に平身低頭。勢いよく土下座をして許しを乞うていた。

 言うまでもなく頭を下げているのが猫ショウ。相手の黒猫はクロちゃんである。

 

「この通り!! 谷よりも、海よりもふか~く、反省しております!! だからどうか、どうかこの辺りで勘弁してもらいたい!!」

 

 宣言通り、クロによってボッコボコに叩きのめれた猫ショウ。いったいどれだけぶん殴られたのか、顔はパンパンに腫れ上がり、元の原型をほとんど留めていなかった。

 鼻血を垂れ流し、歯も何本か欠けている。ボロ雑巾のようなそのナリは、見るもの全ての同情を誘う実に哀れな姿であった。

 

「まっ、そういうわけだ。こいつも反省してるみたいだし……今日はこの辺で勘弁してやっちゃくれねぇか?」

 

 猫ショウをそこまでギタギタにした張本人のクロ。

 ひと暴れして色々と気が済んだ彼は鬼太郎や猫娘たちに、今回の騒ぎでの猫ショウを許してやれと声を掛ける。

 

「……それは勿論……ボクたちは構わない……」

「というか……それは私たちの台詞でしょ!?」

 

 鬼太郎も猫娘も異存はない。というか、ここまでボロボロにされた猫ショウをこれ以上どうしろというのか。

 これ以上の追い討ちは死者に鞭を打つようなもの。そんなひどいことを彼らができる筈もない。

 

「いや~……ほんとうに申し訳ありません! これからは人間様に迷惑をかけないよう、静かに暮らしていきますので……」

 

 すっかり弱気になってしまった猫ショウは今後の生活。自分の猫生においても人様に迷惑を掛けないと誓いを立てようとする。

 きっとそれでクロも満足してくれると、彼の機嫌を伺いながら。

 

「——いや? 別にそんなこと、約束する必要はねぇだろ? 人間に復讐したけりゃ、好きにすればいいさ」

「えっ……?」

 

 しかし、クロはそんな猫ショウの考えを即座に否定する。別に人間に迷惑を掛けたって構わないと。

 

「言っただろ? 自由に生きりゃいいって。人間がムカつくってんなら、それをぶちのめすのもお前さんの自由だ。オイラは別に止めたりしねぇぜ?」

「ちょっ、ちょっと、クロ!?」

 

 これにはさすがに猫娘も口を挟んだ。人間への復讐など、それこそ真っ先に止めなければならないことではないだろうかと。

 けれど、クロは特に気負うことなく気怠げに答えていく。

 

「オイラだって今日、ムカつく人間を一人ぶちのめしたところだ……おめぇだって、嫌味な人間がいれば一発でも十発でもぶん殴ってやればいい。そのくらいでオイラがしゃしゃり出ることはねぇ、安心しろ」

 

 クロだって今日、悪徳ブリーダーを一人ぶちのめしたところだ。

 それに彼は過去に人間を殺傷したことだってある。自らの命を守るため、仲間を守るため。ときにはその手を血を染めることも必要になると。野生の世界、弱肉強食の理で生きたことのあるクロはそれを実感として理解している。

 

 猫ショウの行動、その全てを彼は否定しているわけではないのだ。

 

「だが今日みたいないらん騒動は起こすなよ? 関係ねぇ猫たちを大勢巻き込むなんざ……あまり褒められたやり方じゃねぇからな」

「はっ、はい!! 肝に銘じて!!」

 

 クロが怒っていたのは——関係ないものを猫ショウがたくさん巻き込み、いらぬ騒動を起こしたからだ。

 やるなら自分が責任を取れる形でやれ、ということだろう。猫ショウはクロの言葉に感銘を受けたように再び頭を下げていく。

 

「よく言う、いつもわしらを巻き込んどるくせに……」

「ほんとほんと……誰よりも自分勝手なのはクロの方だろうに……」

 

 しかしいい感じで話が纏まろうとしたところを、剛と猫たちの説得を終えて戻ってきたミーくんがボソボソと愚痴を溢す。

 彼らも彼らでクロの起こす騒動に巻き込まれることが多々あるのだ。猫ショウに偉そうに説教できる立場ではないだろうと、割と正論を口にする。

 

 

「——そこっ!! 何か言ったか!?」

 

 

 そんな彼らに——クロはガトリングガンを突きつけて文句があるのかと尋ねた。

 

 

『——いえっ!! 何でもありません!!』

 

 

 クロの脅しに屈するかのように、彼らは敬礼して何も問題ないと襟を正すのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——いや~……なんだか色々と世話になって……あんがとのう、お嬢ちゃんたち」

「——迷惑かけたべ……ほんとうに!」

 

 猫ショウの騒動の翌日。

 藤井夫婦は羽田空港を訪れており、今まさに新千歳空港行き、北海道へと向かう飛行機の搭乗ゲートを潜ろうとしていた。

 

「いえ……私たちも、色々とお世話になって……」

「…………」

 

 犬山まな、猫娘の二人は夫婦を見送る形でその場に来ていた。

 方向音痴である藤井家の二人がここまで来れたのも、ひとえに彼女たちの案内があったおかげだ。あとは飛行機に乗り、藤井家がある北海道・桜町という場所に帰るだけである。

 

「それじゃあ……クロちゃん! 後のことはお願いね!」

「ニャッ!(任せときな!)」

 

 まなは北海道に着いた後、藤井夫婦を家まで送り届ける最後の役目をクロへと託す。まなの言葉に対し、クロはあくまでただの猫を装い、猫語で返事をする。

 

 クロがサイボーグである事実を、彼は飼い主であるじいさん、ばあさんには秘密にしているとのこと。

 あの騒動があった日も、クロは二人を安全な場所へと避難させてから猫ショウへと喧嘩を売りに来たのだ。

 彼にとって、それだけこの二人が大切な存在ということなのだろう。

 

『まったく……アンタには、なんていうか色々と言いたいことがあるけど……』

 

 飼い主の前で大人しくしているクロに対し、猫娘は今回の騒動での愚痴を猫語で零す。

 

 クロのおかげで猫ショウを懲らしめることができ、あの妖怪を改心させることができた。

 しかし、彼が暴れたおかげで街は結構な損害を被った。

 幸い死者こそいなかったものの、これではどっちが妖怪かわかったものではない。

 

 割と無茶苦茶なクロの行動、しかし猫娘も言うほどそこまでは怒ってはいない。

 

『けど……今だけは礼を言っておくわ……ありがとう』

 

 猫娘がクロに礼を言ったのは——彼に『猫』である自分が自由であると諭されたからだ。

 彼の言葉を参考に、もう少し気ままに生きてみることにすると。猫娘は少しだけ前向きな気分にしてもらえた気がする。

 

『? ……どういたしまして?』

 

 一方のクロは、猫娘に何故礼を言われたかあまり分かっていない様子であった。

 今回の騒動。彼にとってはいつものことだ。いつも通り、遊んで、暴れて——そして助ける。

 

 

 彼にとってはこれこそがいつもの日常。サイボーグキャットとして、今日もクロちゃんは自分の心の赴くままに生きていくだけだった。

 

 

 

 

「行ったかい、猫娘?」

「まったく……嵐のような連中じゃったわい……」

 

 空港の外、滑走路から飛び立っていく飛行機を見送っていく鬼太郎と目玉おやじ。

 彼らはどこか疲れたよう、やれやれとため息を吐いていた。

 

「それにしても……結局連中は何者じゃったんじゃ?」

 

 目玉おやじは最後までクロの正体・サイボーグとかいう奴がどんなものか完全に理解することができずにいた。

 詳しい説明を受ける間もなく、クロもクロを改造したという剛博士たちもさっさと北海道へと帰ってしまったからだ。

 

「……北海道が彼らの本拠地ということでしたが……あちらは大丈夫なんでしょうか、父さん……」

 

 鬼太郎も、あのクロとかいうサイボーグが住処とする北海道の情勢をなんとなく気にしていた。

 あんな、あのような破壊活動を平然とこなす黒猫がいて、あの地は果たして平気なのだろうかと。

 

 北海道など鬼太郎にとっては行ったこともないような未開の土地だが、彼の地の心配を何故だが抱いてしまう。

 

「大丈夫なんじゃないの? 私たちが気を揉んだってしょうがないわよ! 依頼があれば、助けに行けばいいだけなんだし」

 

 一方で、猫娘はまったく気にしていなかった。

 同じ『猫』としての直感か。あのクロに任せておけば「まあ、大抵のことは何とかなるんじゃない?」と、何故か気軽に考えることができてしまう。

 

「それよりも……鬼太郎! ちょっと付き合ってくれないかしら?」

「えっ……?」

 

 そんなことよりと、猫娘は鬼太郎の手を引き——彼を『デート』へと誘っていく。

 

「さっき空港のロビーで美味しそうなスイーツショップ見つけたのよ! せっかくだから付き合いなさい!」

「いや……ボクはその手の店はあんまり……」

 

 鬼太郎は猫娘のその誘いをやんわり断ろうとする。

 その手の店に自分は詳しくないし、それならまなを誘ったほうがいいのではと。これまた変な気遣いを見せようとする、鈍感な鬼太郎。

 

 

 けど——

 

 

「いいから……私が、鬼太郎と一緒に行きたいんだから!!」

「——!?」

 

 

 猫らしい気まぐれで、猫娘は鬼太郎を強引に誘っていく。

 この瞬間だけは、彼女もどことなく大胆に、勝手気ままに鬼太郎を誘うことができていた。

 

 既にその表情に翳りはなく、彼女は猫たちの社会問題やら、彼らの未来やら。そんな難しいことで頭を悩ませることもなく。

 

 

 

 ちょっとばかし気楽に、前向きに——彼女は今、この瞬間を楽しんでいく。

 

 

 




人物紹介

 剛万太郎
  作中での呼び名は剛くん。万太郎とフルネームで呼ばれることはあまりない。
  クロをサイボーグにした張本人。世紀のマッドサイエンティスト。
  体型とか色々とおかしいがその化学力は本物。
  三日三晩徹夜しただけで『魂を吸引する装置』とか作ってしまう。

 ミーくん
  剛くんの相方。というより、もはや嫁のサイボーグキャット。
  連載当初はかっこいいライバルポジだったけど、中盤辺りではただの良い猫。
  剛くんのことを誰よりも大切に想っており、彼の敵となるものに容赦しない。

 コタロー
  剛を超える天才科学者。作中でだいぶ時間が経過しているが、たぶん小学生。
  登場当初は子供としての未熟さから、かなりやばい思想、思考をしていた。
  しかし作中内で失恋や、憎んでいた父親との和解など。
  色んな経験をして人間的にもいくらか成長していく。
  
 ダンク
  コタローの友達。瀕死のところ、剛の手によってサイボーグとして蘇る。
  額からカンペのようなものを展開し、その都度意思表示をする。
  コマネチ装置がなければコマネチができないライオン。


 本当はもっとクロちゃん側から登場人物を出してもっと活躍させたかったのですが、作者の発想ではこれが限界でした。どうかご容赦を。


次回予告

「父さん、最近……ねずみ男のやつ、随分と羽振りがいいようです。
 本人は真っ当な金儲けで儲かっているなどと言っていますが。
 本当に信用していいんでしょう? 嫌な予感がしますが……。

 次回——ゲゲゲの鬼太郎『こちら葛飾区亀有公園前派出所』 見えない世界の扉が開く」

 次回は、もはや説明不要なあの作品とのクロス。 
 久しぶりにねずみ男が……活躍しますよ?


  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

こちら葛飾区亀有公園前派出所 其の①

お待たせしました。
ついにあの国民的作品『こちら葛飾区亀有公園前派出所』略して『こち亀』とのクロスオーバーです。
いろんな方がコメント欄で呟いてくれたため、真剣にクロスを考えて今回の話ができました。

もはや説明不要の本作ですが、読む前にいくつかご注意を。

こち亀は四十年もの間ジャンプで連載していた超長寿作品。
そのため話の幅が広くギャグからシリアス、人情ものに流行話を盛り込んだりと。様々な顔を持つ作品です。
今回、どんな話を書こうかと色々と構成を考えた結果ーー人情ものを書く運びになりました。

ですがただの人情ものではない。シリアス度120%、ギャグ漫画らしからぬ、かなり……あれな話になってます。
何故こんな話になってしまったのか? これはこち亀か? こち亀なのか?
と、自分でも自問自答しながら書いた本作。
ですがこれもまた『こち亀』です。どうか多くの方に、この話を知ってもらいたくて書きました。





今作は、原作単行本123巻『檸檬が泣いた日……の巻』の続編として書いています。
それを覚悟の上で、どうか読み進めていってください。




『……どうして?』

   

 

   『どうしてこんな目に遭わなければいけないの?』

 

 

『いたい、いたいよ!』

 

 

   『どうして、なんでこんなことするの?』

 

 

『ボクたちは、わたしたちはただ生きていただけなのに……』

 

 

   『生きているだけでよかったのに……』

 

 

『どうすればいい? どうしたらよかった?』

 

 

   『教えて、誰か……誰か……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『——あんたたちも、踏み潰されればいいんだ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

『…………そうか、そうすればいいんだ』

 

 

   『うん、そうしよう』

 

 

『踏み潰そう、踏み潰しちゃおう』

 

 

   『ボクたちがそうされたように』

 

 

『わたしたちがそうだったように』

 

 

 

 

 

 

『あの子も、きっとそれを望んでくれる筈だから……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——やあやあ、チミたち!! 相も変わらず貧乏くさい、しけた面をしとるじゃないか! ん? ううん!?」

『…………』

 

 ゲゲゲの森のゲゲゲハウス。鬼太郎や猫娘、砂かけババアなどが歓談中。ねずみ男がズケズケとその場に上がり込んでくる。

 いつものボロい一張羅——ではない。ピカピカのお洒落スーツに袖を通した、体の垢を削ぎ落とした綺麗なねずみ男がそこにいた。

 

 そんな彼の出立ちを目にした瞬間、ゲゲゲハウスにいた全員が一斉にねずみ男へと疑惑の目を向ける。

 

「……で? アンタ、今度はどんな悪どい商売を始めたのよ?」

「今のうちに白状した方が身のためじゃぞ。痛い目を見る前にな……」

 

 猫娘や砂かけババアなど。爪を伸ばしたり、砂をかける準備をしたり。いつでもねずみ男にお仕置きできる体勢へと入り、彼に悪事を堂々と白状するように迫る。

 どうせまた、いつものように悪い事をして儲けているのだろうと。

 

「い、いきなりなんだよ!? 人の顔を見るなり!! 誰が悪どい商売で儲けてるって!?」

 

 ねずみ男は有無を言わさず決めつけてくる猫娘らの反応に反感を抱き、逆に彼女たちを小馬鹿にするような笑みを浮かべていく。

 

「俺はお前さんたちと違って立派に社会貢献しているのだよ! このスーツも! リッチな生活も! 貢献に応じて正当な報酬を頂いているに過ぎないのさ! 碌に仕事もせず、昼間っからゴロゴロしているチミたちと一緒にして欲しくはないね!!」

「何ですって!!」

 

 ねずみ男の言いようにますます殺気立つ猫娘。しかし、ねずみ男も負けてはいない。

 彼はまるで『後ろめたさなど微塵もない!』とばかりに胸を張り、猫娘や砂かけババアたちを無視し、ゲゲゲの鬼太郎へと陽気に声を掛ける、

 

「おう、どうだい、鬼太郎!? こんな分からずやな女どもなんかほっといて、男同士で夕飯でも食いに行こうぜ!! 超高級寿司店に案内してやるからよ!!」

「いや、ボクはラーメンがいいんだけど……」

 

 ねずみ男の誘いに鬼太郎は乗る気じゃない様子で顔も上げなかった。

 別に高級寿司など興味はなかったし、どうせ奢ってもらうならラーメンのほうがいいと。

 

 鬼太郎はねずみ男の誘いをやんわりと断ろうとする。ところが——

 

「……まあ待て、鬼太郎よ」

「父さん?」

 

 全然行く気のなかった鬼太郎に、目玉おやじがそっと耳打ちした。

 彼は息子に、ねずみ男の提案を受ける気になるよう意見を口にする。

 

「あやつが本当に悪どい商売をしていないかどうか、それとなく探りを入れてきたらどうじゃ? なにも問題なければ……そのままご飯を食べて帰ってくればいいだけなんじゃから」

「なるほど……父さんがそう言うのであれば……」

 

 父の言葉に頷く鬼太郎。もしもねずみ男が、またも人様に迷惑を掛けるような商売をしているのであれば、それを辞めさせなければならない。

 万が一、億が一。ねずみ男の主張通り、彼が真っ当に商売をしているのであればそれで問題はない。そのときは本当にご飯だけ奢って貰えばいいのだから。

 

「分かった……行こうか、ねずみ男」

「き、鬼太郎!?」

 

 目玉おやじの後押しがあったことで鬼太郎は重い腰を上げた。ねずみ男について行こうとする鬼太郎に、猫娘がちょっぴりショックを受けたように声を上げる。

 

「おお、そうこなくっちゃ!! と、いうわけだ! チミたちは川の魚や森のキノコでも採って質素な食事を済ませたまえ!! じゃあな!!」

 

 鬼太郎が自分の誘いに乗ったことでねずみ男が勝ち誇った顔になる。

 さらに嫌味ったらしい表情で猫娘たちを見下し、悠々とゲゲゲハウスを後にしていく。

 

「~~! 悔しい!! 何よ、あの顔!!」

「まあまあ……あとは鬼太郎に任せておけば良かろう……」

 

 それに猫娘は悔しそうに歯軋りする。

 砂かけババアは鬼太郎を信じて冷静に見送るも、やはりどことなく不安は残る表情であった。

 

 

 

×

 

 

 

「……それで? 今はどんな商売をしてるんだ、ねずみ男」

 

 ねずみ男が運転する高級車の助手席に座った鬼太郎。目的地である超高級寿司店とやらに着くまでの間、彼はねずみ男から色々と聞き出そうと話を振っていく。

 ちなみに、目玉おやじの姿はない。ねずみ男も鬼太郎と二人っきりの方が本音で喋りやすくなるだろうと目玉おやじなりに気を利かせ、家で留守番をしている。

 正真正銘二人っきりの車内で、鬼太郎とねずみ男は話をしていく。

 

「なんだよ……お前まで俺を疑ってんのかよ?」

 

 鬼太郎の問い掛けにねずみ男は表情を歪める。猫娘たちだけではなく、鬼太郎にまで疑われて若干不機嫌そうだ。

 

「別に……だけど、普段のお前の行いを考えれば……そう思われても仕方がないだろう?」

 

 もっとも、こればかりは鬼太郎たちの反応の方が正しい。いつもの例から考えれば——ねずみ男が羽振りのいい時、それは何かしらの悪どい商売で儲けている時だ。

 それが人間の法的に、あるいは倫理的にどうなのかはケースバイケースだが、大抵は碌な商法でないことを鬼太郎たちは経験として知っている。

 それでも懲りずにヤバめな金儲けに走るのがねずみ男という存在なのだ。鬼太郎はもう何度目かになるかも分からない彼の悪行に溜息を吐きながらも、一応は彼の言い分に耳を傾けていく。

 

「ぐぐっ……ま、まあ、今までの俺ならそう思われても仕方ねぇ。けどな! 今度ばかり違うんだぜ! 見ろよ!!」

 

 鬼太郎に痛いところを指摘され、さすがにねずみ男も一瞬押し黙る。

 しかし、それでも今度ばかりは違うと——彼は自信満々に鬼太郎に向かって『あるもの』を突きつけた。

 

「……なんだこれ? 明細書? 高額当選……?」

 

 ねずみ男が鬼太郎に見せつけてきたものは、一枚の紙切れだった。

 レシートのようにも見えるが、そこには『高額当選』の文字が堂々と書かれている。だが、一目見ただけでは鬼太郎に『これ』が何を意味しているのか理解はできなかった。

 反応がイマイチな鬼太郎に、ねずみ男が誇らしげに声を張り上げる。

 

 

「宝くじだよ! 宝くじ! たまたまゴミ捨て場で拾った宝くじ券が大当たりだったのさ!!」

 

 

 そう、『宝くじ』だ。

 それぞれ違った番号が書かれている券を購入し、それが後日発表される当選番号とピッタリ一致すればお金がもらえるという。日本では『当せん金付証票法(きんつきしょうひょうほう)』という法律で認められている商売。ギャンブルかどうかは意見が分かれるところ。

 

 正直なところ、宝くじの当選確率はかなり低い。

 競馬や競輪、ボートレースなどと比べても、当たりクジを引く確率は天文学的数字だと言われている。ましてや高額当選など、所詮は夢物語に過ぎない筈なのだ。

 

 しかし、ねずみ男の取り出した明細書には——ちょっと口にするのも憚れるような金額が書かれていた。

 その全額が、ねずみ男の懐へと転がり込んできたという。

 

 つまり、ねずみ男の羽振りが良いのは商売などではない。文字通り、幸運を拾ったに過ぎないということだ。

 

「へへ……これだけあれば当分は食うに困らねぇ。そんで、今はこの資金を元手にちょろっと株取引やってんだ!」

 

 そして、ねずみ男はその金を元手に手堅く資金運用をしているという。

 

 いつもの彼であれば、その金を使ってさらに大儲けを……なんて考えを抱いて失敗。さらにそこから一発逆転を狙って邪な商売を……などと、ズルズル落ちていくのがいつものパターンだ。

 しかし今回は違う。そこから高望みなどせずにその資金を増やしたり、減らしたり。決して博打などせず、手堅く着々と資産を増やす生活を送っているという。

 

「……なるほど。まあ、それならボクがとやかくいう筋合いはないな……」

 

 ねずみ男の話に鬼太郎はとりあえずホッとする。

 いつもの彼らしからぬやりようではあるが、それで誰かに迷惑を掛けているわけでもない。どうやら今度ばかりは何の悪事にも手を染めず、珍しく大人しい生活を送っているようだ。

 鬼太郎は安心して、素直にねずみ男に夕食を奢ってもらうことにした。

 

 

 

 

「——よし!! 着いたぜ、鬼太郎!!」

 

 それから数十分ほど車に揺らされ、鬼太郎とねずみ男は目的地へ到着した。

 近くの駐車場に車を止め、ねずみ男は今宵夕食を取る予定になっている店の看板を指し示した。

 

 

「俺も入るのは初めてなんだぜ! 前々から気になっててな……」

 

 

 

「——超神田寿司って言うらしいぜ? へへ、名前からして高級店って感じだよな!」

 

 

 

×

 

 

 

超神田(ちょうかんだ)寿司』——東京都千代田区の外神田に本店を構える寿司屋である。

 

 千代田区自体は東京都のほぼ中心地に位置している。そのため、この日本の中核を成すいくつもの『特色』が備わっていた。

 政治の『永田町(ながたちょう)』。行政の『霞ヶ関(かすみがせき)』。象徴の『皇居(こうきょ)』。

 オフィス街としては『丸の内』や『大手町』。

 日本一の電気街として有名なあの『秋葉原』も千代田区に位置している。

 

 そして超神田寿司の名前にもなっている『神田町』。ここでは下町としての風土が未だに強く残っていた。

 都内でも最も古いとされる神社『神田明神(みょうじん)』。その神社で取り行われる『神田祭』は日本三代祭の一つとされており、大小含めて二百基もの神輿が担がれて街中を練り歩く光景は圧巻の一言。江戸っ子であれば思わず参加せずにはいられない、凄まじい熱気を伴っている。

 また神田川には美しい橋が架かっている。この橋の両岸、南側にニコライ堂、北側に湯島聖堂という建物があり、その二つの聖堂を繋ぐことから、この橋は『聖橋(ひじりばし)』と名付けられた。

 

 そして、そんな神田町に古くから残る老舗店、それが超神田寿司である。

 

 記録によるとこの店、何と享保二年・1717年には開業しているとのこと。その当時からの伝統を現代まで守りつつ、最近では時代に合わせて様々なサービスを展開しているとのこと。

 これまで消極的だった支店の増加や、来日観光客向けの寿司作り体験などで確実に売り上げを伸ばすことに成功する。

 逆に奇抜すぎるアイディア。水上オートバイ配送や雪山の秘境に支店を開いたりと、ちょっと意味が分からないところで失敗を重ねることも多々あった。

 

 そんなこんなで何かと変革を受け入れてもいる超神田寿司だが——神田町の本店であるこの店自体に、これといっておかしな変更点はない。

 昔と変わらぬ味を、腕の良い職人たちの手によって数百年と引き継いできている。

 

 

 

 

「——いらっしゃいませ!! 二名様ご来店です!!」

 

 超神田寿司の暖簾をくぐる、ねずみ男とゲゲゲの鬼太郎。

 店内の作りはシンプルなもの。奥の方に個室の座敷などが見受けられるが、特に予約などしていなかったため一見客として二人はカウンター席につく。

 

「さあ、何を握りましょうか!?」

 

 初めての客であるねずみ男たちに対しても、超神田寿司の職人たちは快く応じてくれた。老舗だからといって変に格式ばってはいないようだ。

 

「そうだな……とりあえずおまかせで! 鬼太郎もそれでいいか?」

「ああ、別に構わないさ」

 

 何を注文するかで迷ったため、ねずみ男はおまかせを頼むことにし、鬼太郎もそれに同意する。

 

 こういったカウンター席の寿司屋でよくある問題として『何を注文していいか分からない』という点が挙げられる。

 意識の高い店などは、変な注文をするだけで職人が機嫌を悪くしたりする。寿司業界のしきたりや暗黙のルールなど、教えられてもいないのに守ることを強制されても客側はしんどいだけだ。

 その点、この超神田寿司にそういった問題はないようだ。

 

「はいよ! おまかせ、二人前!!」

 

 ねずみ男の注文に慣れた様子でネタを握り始める板前。

 おまかせのコース握り。時価ではなくお品書きにもちゃんと値段が書いてあるため、成金のねずみ男も安心して注文することができた。

 

 二人は暫くの間、出されてくる品の数々に黙って舌鼓を打つことになる。

 

 

 

 

「いや~! やっぱ高い寿司は違うぜ!」

「美味しいな……」

 

 超神田の寿司は美味かった。ものの値段や価値など、特にこだわりのないねずみ男ですらも素直に上手いと感じる。

 鬼太郎も、淡白ながらも感動したようにボソリと呟きを零していく。

 

「ありがとうございます!! 追加で何か握りましょうか?」

 

 二人の感想に感謝を述べながら、板前はさらに何かを握るかと笑顔で尋ねてきた。

 既におまかせは全て提供し終えたようだ。ここから先、何を注文するかは完全に客の好みである。

 

「そうだな……とりあえず、熱燗一本貰おうか!」

「ボクはもう十分です」

 

 板前の申し出にねずみ男は上機嫌で日本酒を注文し、鬼太郎は満足したのか無言でお茶を啜っていく。

 既に食後。それぞれが静かに、ゆったりとした時間を過ごそうとしていた。

 

 

「——出前、戻りました!!」

 

 

 そんな中——ものすごいデカい声が店内に響き渡る。

 掛け声からも分かるように、出前から店員が戻ってきたようだ。かなりの声量から放たれるダミ声、鬼太郎ですらも思わず「ビクッ」となって入り口の方を振り返る。

 

 

 そこには——『原始人』が立っていた。

 

 

 無論、人として服はちゃんと着ている。他の板前たちと同じ、寿司屋らしい白い清潔な制服。

 だが、その制服を着ている男そのものが『野生児』と呼ぶのに相応しい、そういう出立ちをしていた。

 

 

 まずは顔。

 いい言い方をすれば、どこか渋めの中年男性といったところなのだが——全体的に濃い。

 剛毛な角刈り頭に無精髭、両眉が完全に繋がったM字眉毛がものすごくぶっとい。

 一度見たらちょっと忘れられない、インパクトのある顔だ。

 

 体格の方もかなりがっちりしている。

 身長が低い胴長。サンダルを履いている足は短く、昔ながらの日本人体型。筋肉の方はしっかりとついており、毛がぼうぼうに生えている二の腕がとても逞しい。遠目からシルエットだけを見れば、それこそビックフットに見えなくもない。

 

 纏っている空気も、やはり野生児といった感じ。

 全体的に粗暴な雰囲気であり、理性よりも本能で行動してそうなイメージを初対面の相手にすら抱かせる。

 身も蓋もない言い方をすれば、服を着ている原始人といった感じである。

 

 

「おう!! 戻ったか、一郎」

「お帰り、両さん!」

 

 出前から戻ってきたその男の帰還を、板前たちは笑顔で迎え入れる。

 店の従業員としてかなり信頼されているのだろう。彼らの明るい声からそれが感じ取れる。

 

 その男の名前なのか、板前たちは男のことを「一郎」もしくは「両さん」と呼んでいた。

 一郎に、両さん。それだけだと男の本名が何というのか、いまいち推し量ることができない。

 

 

 しかしこのときだった——。

 

 

「……ん? 両さん?」

 

 従業員たちが口にした「両さん」という呼び名にねずみ男が反応する。

 ねずみ男は日本酒を口にしていたため、かなりほろ酔い気分だった。だがそこに立っていた男を視界に入れるや、酔いが覚めたかのように目をカッと見開く。

 

 

「だ、旦那!? 両津の旦那じゃないですかい!!」

「……? 知ってるのか、ねずみ男?」

 

 

 その人間と顔見知りだったのか。ねずみ男は彼のことを「旦那!」と呼び、鬼太郎を地味に驚かせる。

 

「ん……? お前……もしかして、ねずみ男か!?」

 

 一方、旦那と呼ばれた両津という男。相手が誰だか分からなかったのか一瞬反応が遅れる。ねずみ男がスーツなど着ていたせいだろう。

 しかし、相手がねずみ男と分かった瞬間、声を陽気に弾ませて彼へと歩み寄る。

 

「おお!! 久しぶりじゃねぇか、ねずみ男!! 何だその格好は……またあぶく銭で儲けたのか、ハッハッハ!!」

「両さんこそ!! あんた、いつから寿司職人になったんだよ!!」

 

 二人は再会を祝い、男同士で抱き合い、互いの肩を叩き合う。

 その光景に鬼太郎は勿論、店内の板前たちも呆然と立ち尽くす。

 

「りょ、両さん……そのお客さんと知り合いなのかい?」

 

 板前の中でも年配の男が両さんにねずみ男との関係を問いただす。

 その問いに、両さんはねずみ男と肩を組みながら満面の笑みで答えていた。

 

 

「おう!! こいつはねずみ男と言ってな!! わしの古い知り合いだ! 昔はよくこいつと一緒に色んな商売に手を出したもんだ……いや~、懐かしいぜ!!」

 

 

 

×

 

 

 

 この両さんと呼ばれた男。フルネームは両津勘吉(りょうつかんきち)という。

 彼は過去、若い頃にねずみ男と共にいくつものビジネスを立ち上げ、かなり荒稼ぎしてきたという過去があった。

 

 もともと、ねずみ男にはある種ビジネスの才能があった。

 妖怪の仲間内からは『ビジネスセンスがない』などと言われることがある彼だが、それは間違いだ。現に彼は——ある一定のところまでは、商売を上手く成り立たせることが出来る。

 常識に囚われない閃きやアイディアを思い付ける発想力。それらを即座に実行に移せる行動力。半妖として妖怪と人間の間を絶妙なバランスで仲介する交渉力。

 それらの能力を多彩に駆使し、彼はいつもある程度のところまで業績を一気に伸ばすことが出来ていた。

 

 そして両津勘吉という男も、ねずみ男とは違った方向での商才を秘めている。

 発想力や行動力は当然ながら、彼の場合は様々な分野における知識量が半端ない。単純な学力は低いのだが、金儲けのことになると途端に頭脳がフル回転するのだ。また手先も器用なので、職人として質の良いものを作ることが出来る。

 さらに彼の場合、人間社会での人脈が広い。資産家や商売人たちとの繋がりをフル活用することで、一気に市場を自分色に染め上げる影響力を発揮することができる。

 

 そんな二人が金儲けのために組むのだから、それが上手くいかないわけがない。

 ねずみ男と両津勘吉が手を組んだとき、相乗効果で利益は何十倍にも跳ね上がる。

 

 もっとも——転落する速度も数十倍だ。

 一定のところまで商売を上手く成り立たせた直後——彼らはいつもお約束のようにその商売を台無しにしてしまう。

 

 原因として挙げられるのが二人の性分である。

 二人とも調子に乗りやすく、金に汚く、それでいて飽きっぽい。商売が軌道に乗るや、すぐに楽をしたがり安易な方法で目先の利益だけを増やそうとする。そのためならば犯罪すら厭わないほどに。それが必ず裏目となり——最終的には破綻していく。

 互いにそういった欠点を補い合えるのであれば別なのだろうが、二人は全く同じ方向性での欠点を担っているため、転落していくところを誰も止めてくれないのだ。

 

 結果として、二人の商売が完全に上手くいったことはない。

 それでも彼らは懲りることなく、幾度も金儲けに走ってきたのだが——。

 

 

「いや~…本当に懐かしい! お前とは……確か、大原部長に戦車で追い回されたとき以来か?」

「そうそう! そんなこともあったよ! あのときは本当に死ぬかと思った……お互い、よく生き延びたもんだぜ!」

「…………いや、どんな状況なんだ、それは?」

 

 彼らは久しぶりの再会を、客と店員という立場の垣根を越えて祝っていた。

 彼らが最後にあったとされる状況、明らかにおかしいとされる点があって鬼太郎がツッコミを入れるも、二人がそれを気にした様子はない。

 

「ほらよっ! これはわしからの奢りだ。食ってくれ!」

「おおっ! いいのかよ、両さん!? ありがとよ!!」

 

 両津は再会の挨拶代わりに板前として寿司を握り、それをねずみ男へとご馳走する気前の良さを見せてくれる。

 

「ほれ、坊主! お前も食え!」

「あっ、どうも……頂きます」

 

 ついでとばかりに鬼太郎の分も握り寿司を差し出す。鬼太郎もこれには礼を言い、素直にご馳走になった。

 

「!! うめぇえ!? すげぇじゃねぇか、両さん!!」

「ほんとだ。もしかしたら……さっきのより美味しいかも……」

 

 両津の握った寿司をねずみ男と鬼太郎は絶賛する。

 最初の板前に握ってもらったものに匹敵する、あるいはそれを越える絶妙な握り加減だ。

 

「おいおい……勘弁してくれよ、一郎。お前さんにそんな寿司を出されたんじゃ、何十年と修行してる俺の立場がないぜ」

 

 これに板長が笑いながら頭を抱える。

 現場をまとめる責任者として、両津にあっさりと自分に匹敵するかもしれないネタを握られて悔しがっているのだ。

 両津のことを一郎と気軽に呼びながらも、目の奥は職人としての対抗心に燃えていた。

 

「……一郎? 両さん、あんたなんで一郎なんて呼ばれてるんだ?」

 

 ここでふと、ねずみ男は違和感に気付く。

 さきほどから、一部の店員が両津のことを「一郎」と呼んでいるのだ。いったい、両津勘吉というフルネームのどこを取れば、そんな呼び名になるのだろう。

 

「それに……両さんは警官だろ? こんなところで働いてていいのかよ?」

「け、警官!? この人間は警察官なのか?」

 

 さらにねずみ男は両津が——『警官』である彼が超神田寿司で働いていることにも疑問を抱く(鬼太郎は目の前の男が警察関係者であることに驚いていたが)。

 警察官は公務員だ。基本的に副業は禁止とされており、バレたら厳しい罰則が課せられる。本来であれば過去にねずみ男と一緒にやっていた商売もグレーゾーン……いや、完全にアウトな闇営業なのだが。

 しかし、そんな当たり前の疑問に両津は動揺することもなく平然と答えていく。

 

「この超神田寿司はわしの親戚がやっとる店なんだ。親戚の手伝い……ということに表向きはなっとる。勿論、給料もボーナスもきっちり貰っとるがな……ふっふっふ!」

 

 警察官としての彼は様々な問題行動を起こし、幾度となく減給処分を受けており、常に懐はカツカツだ。

 反面、超神田寿司で働く彼は職人としての働きが認められ、給料もボーナスも右肩上がり。正直、警官として働くよりも稼ぎがいいらしく、この店で定期的にアルバイトしているという。

 

「それに、ここで働くわしは両津勘吉ではない。浅草一郎という別人として勤めているのだ。わざわざ新しい戸籍を買ってな!」

 

 さらに彼は保険として『両津勘吉』とは違う。別名義の戸籍を取得し、その名前を用いて超神田寿司で働いている。

 その偽名が『浅草一郎』という。この店で働き始めた頃もずっと一郎で通しており、その名残で板前たちの中には未だに彼のことを一郎と呼ぶものもいる。

 

「…………それは、いいのか?」

 

 鬼太郎はそれで問題はないのかと疑問を抱くが——勿論、駄目です。

 

 しかし、それでも金のためなら押し通すのが両津勘吉という男だ。

 もはや周囲も文句を言うのを諦め、この店で働くことに関しては黙認しているという。

 

「相変わらずだな、両さんは!!」

 

 両津の健在ぶりに、ねずみ男は我が事のように喜びの声を上げる。長年会っていないながらも、両津勘吉という男の『芯』はブレることがなく、何も変わってはいなかった。

 そんな彼を前にし——ねずみ男の『商売人』としての血が激ってくる。

 

「……なあ、両さん。今俺、結構金が有り余ってんだよ。この金を元手に……また一緒に商売を始めてみないか?」

「おい、ねずみ男。今回は大人しくしてるんじゃなかったのか?」

 

 両津に昔のように一緒に商売をしてみないかと。車の中で話していた『手堅く生きていく』という趣旨の内容をあっさりと撤回し、彼に誘いをかける。

 これには鬼太郎も横から口を出し、二人が手を組むことを未然に防ごうとする。

 

 ねずみ男のあの顔、確実によからぬことを企んでいる顔だ。

 そんな顔であの両津勘吉という人間と金儲けに走ろうとしているのだ。絶対にろくな結末にならないと今からでも断言できる。

 

 鬼太郎の心配は当然のものであり、周囲の店員たちも嫌な予感がすると表情を顰めている。

 

 

 

 ところが——

 

 

 

「——いや、やめておこう。今は……とてもそんな気分にはなれんのでな……」

 

 

 ねずみ男の誘いを、両津は自らの意思で辞退する。

 今はそんなことを——『金儲け』などする気分ではないと、首を横に振ったのだ。

 

「お、おい……両さん? ど、どうしちまったんだよ!? なんか……ヤバいもんでも食ったのか!?」

「い、一郎!? お前、熱でもあるのか!? でも……お前は風邪なんか引かない筈なのに……!」

 

 これにはねずみ男も、超神田寿司の面々も目を丸くし、信じられないと仰天していた。

 

「ええい、お前ら!! わしのことを何だと思っとるんだ!?」

 

 彼らの言いように両津は怒りを露わにする。

 しかし、すぐにでも冷静に戻り——彼は静かに呟きを洩らす。

 

 

「……わしだって。そういう気分になれんときもあるんだよ……『あんな事件』が、あった後なんだからな……」

「!!……そうだな。そりゃ、そうだ……」

 

 

 両津の言い分に対し、超神田寿司の職人たちも口を噤む。

 彼の気持ちを察するかのように、皆が一斉に黙り込んでしまったのだ。

 

「な、なんだよ……いったい、何かあったんだ?」

「……?」

 

 まるでお通夜となってしまった店内の空気に、ねずみ男も鬼太郎も首を傾げる。ただの一見客でしかない彼らには、何故店の人々がここまで落ち込んでいるのか分からない。

 

「……水くさいぜ、両さん。何か悩みがあるなら、俺が相談に乗るからよ! ……話しちゃくれねぇか?」

 

 ねずみ男は純粋に両津のことを心配し、彼への気遣いの言葉を掛ける。

 いつものねずみ男であれば所詮は他人事と、ここまで深く首を突っ込もうとはしないだろう。

 

 相手が両津勘吉という、自分に近しいものを持っている人間だからこそ——こうして悩み相談を願い出たのだ。

 

「……そうだな。……一応は客のお前さんに、こんなこと話すのも気が引けるんだが……」

 

 ねずみ男の申し出に両津は僅かに思案し、一度は首を振る。

 少なくとも、今この場で話すべき内容ではないと。とりあえず仕事をこなしながら——何かを思いついたように彼は提案していた。

 

 

 

「ねずみ男……この後、時間はあるか? ちょっくら一杯付き合ってくれ……」

 

 

 

×

 

 

 

 この超神田寿司は『擬宝珠(ぎぼし)家』という家が営んでおり、店の敷地内に彼らの住居がある。料亭も兼ねているだけあってだだっ広く、お座敷から見える日本庭園もとても立派だ。

 また、建物の中には従業員用の住み込み部屋も用意されており、この店で働く両津勘吉もこの家の敷地内で寝泊まりしている。

 

「待たせたな。それじゃ、ついてこいよ」

「お、おう……」

「…………」

 

 超神田寿司の閉店後。仕事を終えた両津はねずみ男と鬼太郎を店の奥へと案内する。既に他に客の姿はなく、彼らは奥座敷のひとつを目指して屋敷の廊下を歩いていた。

 

「——おや? どうしたんだい勘吉、その人たちは……」

 

 すると、向かい側の廊下から一人の老婆が姿を見せる。

 着物に袖を通したお婆さん。老眼なのか眼鏡を掛けており、かなり歳をくっているように見える。

 だが足腰が衰えた様子も、意識がボケっとしている感じもない。老婆は鋭い目つきで、両津が連れてきたねずみ男たちを値踏みするかのように睨め付ける。

 

「おお、夏春都(ゲパルト)!! こいつらはわしの昔馴染みと、その連れだ! ちょっと思い出話に花でも咲かせようと思ってな! 奥の座敷借りるぜ!」

「げ、ゲパルト? す、すげえ、名前だ……日本人か?」

 

 両津がその老婆を『ゲパルト』と呼んだことでねずみ男は驚く。響きだけ聞くと完全に外国人だが、歴とした日本人である。

 

 彼女の名は——擬宝珠(ぎぼし)夏春都(ゲパルト)。齢百歳を越えて尚、未だに現役。この擬宝珠家を実質的に取り仕切る大女将。両津にとっては大叔母に当たる人物である。

 この擬宝珠家では彼女こそが絶対。どんな無茶難題だろうと、夏春都に話を通せば大抵のアイディアが実行に移される。

 ここ最近、超神田寿司が突拍子もないサービスを幾度となく展開していたのも彼女と——両津がいるからだ。

 両津が思い浮かんだ奇抜な提案に、彼女がGOサインを出す。それにより超神田寿司は大きな利益を生み、それと同じくらい大きな損失を出している。

 幾度となく成功と失敗を繰り返し、それでも変化することを恐れない。

 未だにバイタリティに溢れる、恐るべき老婆である。

 

「ふ~ん……別に構いやしないが、あんまり煩くするんじゃないよ。子供はもう寝る時間なんだからね」

 

 夏春都はねずみ男と鬼太郎に胡散臭いものを見る目を向けながらも、彼らの存在を受け入れる。基本的に懐が広いのだろう。特に文句を言う素振りもない。

 

「……そっか、もう寝ちまったか。あいつの……レモンの様子はどうだった?」

 

 夏春都の言葉に、両津は今日はもう眠ったとされる『子供』について尋ねていた。

 これほど大きな家なのだから、子供の一人や二人くらいはいるだろう。しかし両津は真面目な顔つきで、ほんの僅かに父性らしきものを匂わせながら——『レモン』という子供について夏春都に問い掛ける。

 

「どうもこうもないさ。人前で泣くようなことはないが……落ち込んでるのが見え見えさね」

 

 両津の真摯な問いに夏春都は真正面から答える。 

 その会話だけを聞けば——『二人がレモンという子供のことを心配している』ということだけは理解できる。

 

「両さん、さっきからなんの話を……?」

「……?」

 

 だが、詳しい内容までは部外者であるねずみ男や鬼太郎に伝わってはこない。

 

「ん……おお、すまんな! 今話してやるから……」

 

 どうやら、両津が悩みとして零そうとしている『あんな事件』と、そのレモンという少女には何かしらの因果関係があるらしい。

 

「ほれ……まずは一献。坊主、お前も呑むか?」

「おっと、すまねぇ! 頂くぜ!」

「いえ、ボクは結構です」

 

 座敷に座り込んですぐ、まずは酒を一杯。それとなくねずみ男と鬼太郎にも進めながら(外見が未成年の鬼太郎に酒を勧めるのもどうかと思うが)、両津は少しずつ、例の事件の詳細を話し始めていく。

 

 

 

 擬宝珠(ぎぼし)檸檬(レモン)——この家で暮らす四歳の幼稚園児である。夏春都の孫であり、両津にとって『はとこ』にあたる。

 やや子供離れした味覚と度胸の持ち主ではあるものの、まだまだ幼い少女。親戚である両津にはよく懐いており、両津もレモンに対してはどこか父親らしい側面を垣間見せ、自分の娘のように彼女のことを可愛がっていた。

 

 事件は——そんな彼女の通う幼稚園で起こった。

 

 レモンは幼稚園が大好きだった。大人びたレモンも、幼稚園で過ごす際はどこにでもいる普通の園児になる。

 友達や先生と過ごす日々は彼女にとって宝物。決して何かに変えることの出来ない、かけがえのない日々だった。

 

 そんなある日のこと。レモンのクラスで『ハムスター』を飼うことになった。

 全部で六匹。子供たちは皆、ハムちゃんたちを可愛い、可愛いと大切に面倒を見ることにした。その飼育に特に熱心だったのがレモンだ。

 彼女はクラスでも生き物係に任命されており、ハムスターたちのことを誰よりも大切に想っていた。

 

 ハムスターの一匹一匹に名前を付け、どれがどれだかをきっちりと見分け、どんな体調の変化も見逃さなかった。

 そんな彼女だからこそ、ハムちゃんのうちの一匹。コロチューの元気がないと獣医を呼ぶことができ——その子が妊娠していることがすぐに判明したのだ。

 

『……そうか、コロチュー。お前、お母さんになるのか』

 

 新しい命の誕生に胸躍らせ、レモンは生まれてくる彼らのために新しいカゴまで用意した。

 赤ちゃんたちの名前も考え、その日はかつてないほど嬉しい気持ちで幼稚園へと登園してきた。

 

 だが——そこには既に警官たちがいた。

 そう、問題の事件はその日。ハムスターたちを預けた幼稚園で起こっていたのだ。

 昨晩のうちに何者かが侵入、保管されていた金品が強奪され——。

 

 

 園に預けられていたハムスターたちは、全てぐちゃぐちゃに踏み潰され、さらに刃物でバラバラにされていた。

 その遺体を——レモンはその目で直視してしまったのだ。

 

 

 

「なんだそりゃ!!? 誰だか知らねぇが、ひでぇ話じゃねぇか!!!」

「それは……酷いですね」

 

 両津の話にねずみ男は怒りを堪え切れず、感情を剥き出しに叫んでいた。

 鬼太郎も感情を表にこそ出さずにいたが、かなり不快な気持ちを込めて呟く。

 

 特にねずみ男がご立腹だ。ねずみとハムスターは生き物として違う部分が数多くあるものの、分類としては同じ齧歯類。

 同胞の死を、彼は自分のことのように涙を流して悔しがっている。

 

「……本当に酷いのはここからさ……」

 

 しかし、そんな二人の反応に両津はまだ話の途中だと。

 さらに胸糞の悪くなる——この事件の真相、結末を最後まで語っていく。

 

 

 

 ハムスターとはいえ、命をそこまで無惨に惨殺する犯行に警察は危機感を抱き、早急に捜査を進めていった。

 そして事件現場に残された手掛かりや、目撃証言などから、捜査線上に——とある中学生の不良グループの存在が浮かび上がる。

 

 彼らこそ、深夜遅くに幼稚園へと侵入して金品を強奪した犯人。

 ハムスターたちをゲーム感覚で殺したのも彼ら。これは未成年者による残酷な殺害だった。

 

 容疑者が未成年者と特定された段階で、両津たちは彼らの両親や学校側にコンタクトを取った。

 少年犯罪はデリケートな部分も多い。まずは保護者に事情を説明し、捜査に協力してもらわなければならない。

 

 ところが——

 

『——息子にはあまり関心をもたないことにしてるから』

『——今忙しいから』

 

 容疑者の親たちは協力するどころか、子供たちが今どこで何をしているかも知らないと。彼らが通学する中学校側からも、ほとんど門前払いをくらった。

 

 少年犯罪など、まるで他人事だ。

 彼らが盗みを働こうが、命を弄ぼうが。保護者たちは——『それがどうした?』と、少年たちの存在ごとこの事件を無視したのだ。

 

『まわりくどいから直接本人だ!』

 

 これに業を煮やした両津は本人たち、中学生たちが屯しているゲームセンターへと体一つで乗り込んだ。親の許可も学校の許可も、礼状もなく。彼らを確保すべく独断専行で突撃したのだ。

 

『大きく話題になってたな!』

『有名な幼稚園だったみたいだな、あそこは!』

 

 ゲームセンターには昼間っから学校にも行かず、遊び歩いていた彼ら中学生たちの姿があった。

 自分たちのやったことを、まるで誇るかのように仲間同士で和気藹々とする少年たち。両津はその胸ぐらを掴みながら言ってやった。

 

『よかったな。明日からは学校も堂々と休めるぞ……逮捕だ!』

 

 そんな両津に対抗し、中学生たちは『証拠は?』『手続きは?』などと小賢しい知恵を弄そうとしたが——そんなもの、両津勘吉という男には全く意味をなさない。

 きっと他の警官たちなら自分のクビなどを惜しみ、中学生たちに手を出せなかっただろう。だが両津はそんな男ではない。

 クビで上等だと。同僚の婦警の静止を振り切り——彼らに向かい、躊躇なく殴り掛かったのだ。

 

 

『——親も教師も見放したこいつらを……誰が目を覚まさせるんだぁああああ!!』

 

 

 自分たちのしたことがどれほどの痛みを伴うものなのか。直接体に分からせてやるために——。

 

 

 

「な、殴ったのか!? 大丈夫なのかよ……今はそういうの、色々とうるさいって聞くぜ?」

「ああ、見事に謹慎処分くらったよ……」

 

 中学生たちを殴ったという話に、ねずみ男は両津の進退を心配する。今の世の中、未成年者に警官がそんなことをすれば、世間が黙ってはいない。『警官、中学生たちに暴行!』などという新聞の見出しが、容易に目に浮かぶようだ。

 実際、両津は今回の件で上からお叱りを受け、自宅謹慎処分を受けた。本来であればもっと重い処分もあったかもしれないが、上層部も今回の事件に関しては色々と思うところがあったのだろう。

 しかし、両津はそれでも不満を隠しきれない態度だった。

 

「ふん! それがどうした? わしらの時代じゃ、悪いことをすればぶん殴られるのが当然だったんだ。こんなことで問題視されるようなら、それこそ警察官なんて辞めてやるさ!」

 

 両津自身、子供の頃は結構な悪ガキだった。

 そのためしょうもない悪戯を仕出かしては、その度に大人たちからぶん殴られていた。

 

 父親からもぶん殴られ、教師からもぶん殴られ。

 仕舞いには、近所の頑固親父からもぶん殴られる。そうやって、人の『痛み』というやつを体で覚えていったのだ。

 

「それがどうだ!? 最近じゃ、そんなことをすればパワハラだのなんだと、いちいち世間が首を突っ込む! 親もそういう周囲の目を気にし過ぎて、子供をきちんと叱ることもできない!? そんなんだから……あんなガキどもが、残忍なことを平然とやれるようになっちまうんだ!」

「…………」

 

 両津の愚痴に鬼太郎などは何も言わなかったが、一定の理解を示すかのように黙って頷く。

 鬼太郎自身、そこまで人間の社会に深入りはしないが、傍から見ているだけでも、人間たちの世情の移り変わりには目を丸くしてしまう。

 

 少し前まで、子供を殴るのは躾の一環だったと。必要悪だとか言っていたような気がする。

 しかし、今ではそれを虐待だと。暴力は何があっても許されないと、世間が監視の目を厳しく光らせている。

 

 時代ごとに言っていることが、やっていることが全然違う。いったい、彼ら人間にとって何が正義で、何が間違いなのだろう。

 そんな、ぶれっぶれの人間社会にほとほと呆れてしまうことが多々あるのだ。

 

「わしは……そんな世間様の目とやらを気にして、自分の生き方を曲げるのはごめんだ!!」

 

 その点、この両津勘吉という人間にはそういったブレがないように見える。

 彼は自分の『芯』をしっかりと貫き——中学生たちを厳しく取り締まったのだ。

 

 

 

『——ボクたちが……犯人です』

 

 中学生たちをボコボコにした後、両津は彼らをとある場所へと連行した。それは警察署ではなく、事件現場だった。

 そう、彼らがハムスターたちを殺した、あの幼稚園だ。

 

 幼稚園の花壇にはハムスターたちのお墓があった。園児たちがハムちゃんたちの死を悲しみ、その魂を弔うために墓を作ってやったのだ。

 その墓の前にあの少女が——レモンがいた。

 

 誰よりもハムちゃんたちの死を悼んでいた彼女の眼前に、両津は中学生たちを連れてきた。

 彼らに、被害者であるレモンへと直接謝罪させるために。けれど——

 

『お……おそいよ、もう……』

 

 今更謝ったところで何もかも手遅れだ。

 

『一生懸命生きてたんだよ……ハムちゃんたちだって……生きてたんだよ……』

 

 失われた命はもう戻ってこない。園児たちの傷付いた心はそう簡単に癒されない。

 

 

『それなのに……なんで……うぅ……うわああああああん!』

 

 

 擬宝珠檸檬は強い少女だった。ハムちゃんたちのお墓を作る間も、他の子供たちが泣いている中、一人だけ決して涙を見せようとはしなかった。

 

 そんな彼女が——大粒の涙を流して泣いていたのだ。

 

 これには、中学生たちも何も言えなかった。

 自分たちがどれだけ酷いことをしたのか。彼らはこのときになって、初めて理解したのである。

 

 

 

「…………」

「…………」

 

 事件の結末に、ねずみ男も鬼太郎も何も言えなかった。

 事件は確かに解決した。だけど、それで誰かが幸せになることはない。誰も救われない、嫌な事件として関係者の心に深く残ったのである。

 

「……あのガキ共も、大したお咎めもなく釈放になっちまったしな……」

 

 今回の事件の加害者である中学生たち。彼ら自身は罪を認めて反省の色を見せたものの、その行為が厳しく罰せられることはなかった。

 彼らの保護者・親たちの猛抗議によって、何と家庭裁判所が『審判不開始(しんぱんふかいし)』という判断を下してしまったのだ。これは事実上の不起訴処分に近い。

 

 あれだけ子供たちの罪状に興味のなかった親たちが、いざ実際に逮捕となった途端に怒り狂ったように声を上げたのである。

 それは息子たちの身を案じてのことではなく、身内から犯罪者が出るという、世間体を気にしてのことだった。

 しかもタチが悪いことに、この親たちはそういったところにかなりの『コネクション』を持っていた。

 

 親たちは、子供たちに何一つ反省する場を設けることもなく。ありとあらゆるコネを使って彼らの罪を揉み消したのである。

 

「何だよそりゃ!! ますます頭にくるぜ!!!」

 

 酒が入っていることもあり、ねずみ男は顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げる。

 そんなことがまかり通る世の中でいいのかと、彼でなくても怒りたくなる話だ。

 

「ほんとうにな。何のために警官やってるのか……わしも分からなくなっちまったよ……」

 

 これには、両津ですらも虚しさを感じていた。

 せっかく犯人を逮捕したのに。中学生たちが反省する良い機会を得られたのかもしれないのに。大人たちの都合で、それが全て台無しにされたのだ。

 

 このときほど、両津勘吉が本職である筈の『警察官』という職業にやるせない気持ちを抱いたことはなかった。

 

「……いっそ、警官なんか辞めちまった方がいいのかもな。ここで寿司職人として働いていた方が……わしにとっても……」

「両さん……」

 

 いつになく弱気な言葉をポロっと零す両津勘吉。

 昔の彼をよく知るねずみ男も、これにはかける言葉が見つからない。

 

 気まずい沈黙が、部屋の中を覆いつくしていく。

 

「——……なんてな! ハッハッハ、悪い、悪い! 変な空気にしちまって!!」

 

 しかし、その沈黙を吹き飛ばす勢いで、両津はわざとらしく笑い声を出してみせる。

 それは無理にでも重苦しい空気を払拭しようとした、両津が空元気で出した笑顔だった。

 

「せっかく再会できたんだ! 積もる話もあるだろうし……今日は夜通し呑み明かそうぜ!!」

「……そうか、そうだな!」

 

 両津の言葉にねずみ男も同意する。

 彼が未だに例の事件のことを引きずっていることを察しながらも、それに関してこれ以上は深く突っ込まない。

 

 それよりも、今宵は二人が再会できた奇跡を祝おうと。

 何度も何度も酒を酌み交わしていく、両津勘吉とねずみ男であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——おい、勘吉!! いい加減、起きろ!!」

「ん……んん……ああ、纏か?」

 

 翌日の早朝。両津勘吉を長身の美女・擬宝珠(ぎぼし)(まとい)が叩き起こしていた。

 彼女もこの擬宝珠家の一員、年齢は十九歳。かなり歳は離れているがレモンの姉である。

 

 彼女も両津と同じ警察官だ。両津と同じ下町育ちであり、男顔負けの腕っ節の強さ、度胸の強さを誇る女性である。

 警察官としてはまだまだ新人の彼女だが、両津相手に引けを取らない気の強さを発揮し、ときには彼の暴走を戒めることもある。実際、例の事件で中学生たちをボコボコにした両津に対し「やり過ぎだ!」と、彼を止めるためにボコボコにしていた。

 実は両津とは結婚寸前まで行った間柄なのだが、二人が親戚であったことや、両津の金に汚い面が出てしまったことでその話は破談となった。だが、そんな気不味いことがあった後も、両津とは親族として仲良く接してくれている。

 

「おう、今起きる……おい、ねずみ男! お前も起きろ」

 

 そういった経緯もあり、擬宝珠家の中においては両津も纏には頭が上がらない。

 彼女に叩き起こされ、特に不満を言うことなく起き上がり、隣で寝ていたねずみ男にも声を掛ける。

 

「むにゃむにゃ……あれ、鬼太郎は?」

 

 酒瓶を抱きしめながら眠っていたねずみ男は、寝惚け眼を擦りながら鬼太郎の姿を探す。

 昨日の夜、記憶があるまでは確かに彼の姿を目に留めていた筈だが、そこに鬼太郎はいなかった。

 

「あの坊主だったら、昨日のうちに帰ったぞ! それなのにお前らときたら……酔い潰れるまで騒ぎやがって……!」

 

 鬼太郎は酔っ払いたちと最後まで付き合うことができず、先に帰ってしまったとのこと。

 酒を飲まない以上、それは仕方がないことであり、寧ろ飲んだくれて酔い潰れてしまった両津やねずみ男に対して、纏は迷惑そうに愚痴をこぼす。

 

「いや〜、すまんすまん!! 久しぶり過ぎて盛り上がってしまってな。待ってろ、今準備するから……」

 

 怒る纏に謝りながら、両津は出掛ける準備をしていく。

 出かける場所は『河岸(かし)』だ。超神田寿司の従業員として働いている両津は、早朝の河岸に行って食材を仕入れるのが既に日課と化していた。ほとんど条件反射で河岸行きの支度を整える両津。謹慎処分で警察官として働けていない分、頭の中はもはや完全に寿司職人である。

 

 しかし——当たり前のように河岸へと向かおうとする両津を纏は呼び止める。

 

「勘吉……今日は仕入れに行く必要はないよ。部長さんが……勘吉を呼んでるんだ」

「……な、なんだと?」

 

 纏の言葉に両津がピクッと硬直する

 部長というのは両津の直属の上司——大原部長のことだ。警官として破天荒すぎる両津を誰よりも強く叱ることのできる人物。両津とはかなり長い付き合いで、よく喧嘩したり、互いに罵り合ったり。

 だが余計な気遣いをしない分、両津にとっては気心の知れた相手でもある。

 

 今回の謹慎処分に関しても、中学生たちを殴った両津を叱りつつ、それでも必要以上に彼のことを責めなかった。

 そんな彼が自分を呼んでいると言われ——両津は露骨に嫌な顔をする。

 

「わしはまだ謹慎中だぞ? 処分が解けるのはまだ先だろ……いったい、なんの用事だってんだ?」

 

 その顔から『行きたくない』といった両津の気持ちが如実に伝わってくる。

 どうせまた小言でも聞かせるつもりなのだろうと、説教など聞きたくなくて両津はその要請をすっぽかそうとした。

 

 しかし、そういうわけにはいかない。

 これは——そういう呼び出しではないのだと、纏は真面目な顔つきで両津へと語り掛ける。

 

「いや、どうやらそうじゃないみたいだ。派出所じゃなく……事件現場に直接連れて来いって言われたからな……」

「現場だと……?」

 

 両津勘吉は派出所勤務。所謂、交番のお巡りさんである。

 ただのお巡りさんである彼に、いったいどんな物々しい現場へと赴けというのか。

 

 ますます嫌な予感のする両津であったが——彼の予想を上回る事件が、その現場では起きていた。

 

 それは警察官である以上、誰でも一度は関わることになるかもしれない。

 だけど、決して関わり合いにはなりたくない——最悪な事件。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「勘吉……コロシだ」

「——!!」

 

 

 殺人事件。

 その響きを前に、さすがの両津勘吉も凍り付いていた。

 

 

 

 




人物紹介

 両津勘吉
  もはや説明不要。日本で最も有名なお巡りさんキャラ。
  階級は巡査長。勤務は派出所、交番のお巡りさんである。
  基本的な性格は原作と変わっていませんが、今回の話がシリアスなので終始真面目な雰囲気。
  たまに出てくる人情家としての両さん、それを今回は前面に押し出しています。

 擬宝珠纏
  両津の親戚、擬宝珠家の長女。両津とは一度結婚までいきかけた仲。
  作品の都合上、両津を結婚させるわけにはいかないという理由で破談になりましたが、それで険悪な間柄になるようなこともなく、まるで夫婦のようなやり取りをその後も繰り返していく。
  彼女を始めとした超神田寿司の面々の登場に抵抗感がある人も多いと聞きますが、自分は彼女たちがいるのが当たり前だった世代です。
  今回の話も、纏の妹である『彼女』が物語の鍵を握ります。

 擬宝珠檸檬
  擬宝珠家の次女。両津にとっては娘のような存在。
  時代劇が大好きなのか、〜のじゃ口調で話す、幼稚園児。
  とても芯が強く、子供らしからぬ性格だが、今回の事件では……
  あの両さんも、檸檬に対してはとっても過保護。その様相はまるで別人格と言われるほど。
  きっと両さんにとって、彼女が良心なのでしょう……個人的にだがそう思ってます。

 擬宝珠夏春都
  擬宝珠家の大女将。超神田寿司の実質的な責任者。
  夏春都と書いて、ゲパルトと読む……読めるか!
  アニメを見ているとかなり暴力的なイメージがありますが、原作の彼女は寧ろどっしりと構えていることの方が多い。
  両津に関してもなんだかんだで信用している部分があり、厳しいが話せばキチンと理解してくれる立派な大人だと感じられる。

 大原部長
  もはや説明不要。両津勘吉の上司、階級は巡査部長。
  バカモーンでお馴染み。いつも無茶をする両津を叱るストッパー役。
  しかし彼自身もかなりはっちゃけることがあり、俗に言われる『大原部長オチ』では最終的に戦車まで持ち出す始末。
  長い付き合いなだけあって、誰よりも両津の行動パターンや警察官としての彼を熟知している。

 ねずみ男
  こちらも説明不要。鬼太郎にとってなくてはならないキャラクター。
  コメント欄では『両津と組んで商売をして、最終的には大原部長に怒られてそう』というオチを浮かべている人が大半でした。
  そのため、今回のクロスにあたり『二人は既に知り合い』という設定にさせてもらいました。
  実際にこの二人が出逢ったら、こんな感じで意気投合してくれるかなと思ってます。
  今回はねずみ男もシリアスに。人情で両津を助けていく、そんな彼の一面を書いてみたいと思います。


 ここから、さらにシリアスになっていきます。それでよければ、どうか続きをお楽しみに……。
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

こちら葛飾区亀有公園前派出所 其の②

『こち亀』とのクロスオーバーの中盤、今回は三話構成で話をまとめるつもりです。
しかし……書けば書くほどシリアスになっていく。
一話以上にさらにアレな展開になっていますので、お気楽なこち亀を期待される方はご注意下さい。

ちなみに、読む前に今回の話の時間軸に関して説明を。
今回のお話、まなちゃんは出てきません。それはつまり時間軸が一年目、二年目の話ではないということです。
今回の話は年代的にも昔の方。鬼太郎が犬山まなと出会う、ずっと前を想定しています。そのため、今回の鬼太郎はかなり冷たい印象です。

6期の本編でもたまに垣間見せる、人間に容赦のない姿勢が前面に出ています。
そういった鬼太郎の一面と、両津の人情家な一面との対比をどうか楽しんでみてください。




「なんでわしが、殺人現場になんざ行かなきゃならんのだ……」

「あたしに聞かれても分からないよ。とにかく勘吉を連れて来いって、大原部長から言われてるんだから……」

 

 早朝。擬宝珠纏の運転する車の助手席に座り、両津勘吉は愚痴を溢していた。彼が連れて行かれようとしている場所は殺人現場だ。誰だっていい気分のするものではない。

 

 

 両津は二十年以上前、刑事だったことがある。

 短い時間であったこともあり、ほとんど聞き込みばかり。映画やドラマのように、そこまで頻繁に殺人事件が起こるわけでもない。

 

 だが、その短い間の刑事生活で——両津は慕っていた先輩に殉職された経験がある。

 両津のミスにより死なせてしまった先輩・南部刑事という。

 

 彼の死をきっかけに、両津は自身の未熟さを痛感。自ら派出所勤務を希望し、一からやり直す決心をした。今でも両津は南部刑事の命日には欠かさず墓参りをしている。それだけ彼との時間、その『死』が両津という人間に大きな影響をもたらしているのだ。

 

 また南部刑事以外にも、過去に数回ほど両津は警察官として人の『死』というものを触れてきている。あの体験は警察官だからといって慣れるものではない。出来れば今後も一切関わりたくないものだ。

 

 

 そんな死と否が応でも関わらなければならない殺人現場にこれから行く。そのことに両津は不満を隠し切れない様子だった。

 

「まあまあ、両さん!! 俺も一緒についていくからよ!」

 

 すると、そんな両津に後部座席から陽気に声を掛ける男がいた。

 昨日の夜から、ずっと両津と擬宝珠家で飲み明かしていたねずみ男だ。何故かひょっこりと付いてきている彼に、纏が運転席から不審そうな目を向ける。

 

「おい……勘吉。こいついったい何なんだ? お前のダチか? 見るからに……胡散臭そうな奴だな……」

 

 いつものボロボロな格好ではなく、ビシッとスーツ姿であるのにも関わらずのこの評価。格好を立派にしたからといって、彼の胡散臭さが完全に払拭されることはない。

 

「……おい、ねずみ男、お前はもう帰れ。これは遊びじゃないんだからな……部外者はお断りだぞ」

 

 纏の言葉を受け、両津もねずみ男には帰るように促す。

 これから両津たちが行こうとしている場所は殺人現場だ。いかに旧知の間柄とはいえ、警察官でもないねずみ男が気軽についてきていい場所ではない。

 

「おいおい、両さん! 水くさいことは言いっこなしだぜ!」

 

 しかし、これにねずみ男は不満そうに口を尖らせる。

 

「何かあったら俺も力になるからよ!」

 

 珍しいことに、今のねずみ男を動かしているのは純粋な善意、両津への友情だった。

 それは彼の懐が金銭的に潤っている心情的な余裕もあるが。相手が両津か、あるいは鬼太郎でもなければさすがにここまで面倒ごとに首を突っ込もうとは思わなかっただろう。

 付き合いの長さこそ鬼太郎には劣るものの、ねずみ男は両津勘吉という男に対し、鬼太郎にすら抱いたことのない強い『シンパシー』のようなものを感じているのだ。

 

「……ふん! 勝手にしやがれ……」

 

 両津の方も。過去に幾度となく苦楽を共にした仲であるねずみ男をそれなりに信用していた。口では憎まれ口を叩きつつ、その口元にはちょっぴり笑みを浮かべている。

 

 そんな二人の男同士の軽快なやり取りもあり、何となく車内の空気が和んでいく。

 このままの空気であれば、現場に赴いてもそこまで殺伐とした空気にならないのではと。両津はいつもの『ノリ』と『勢い』で事件現場へと乗り込んでいく。

 

 

 だが、その現場において——

 

 

「……な、何だこりゃ?」

「おいおいマジかよ……」

「…………」

 

 両津も纏も、そしてねずみ男も言葉を失うこととなる。

 

 

 

×

 

 

 

 その現場は住宅地が密集しているエリアだった。周囲には立派な一軒家が数多く立ち並んでいるが。

 

 その中に、ぽっかりと『空き』があった。家があったと思われる一箇所が——更地になっていたのだ。

 周囲には『残骸』が転がっており、確かに家があったという証拠が残されている。

 

 しかし、もうそこには瓦礫しかない。

 巨大な『何か』が通り過ぎた跡だけが残されており、何もかもが粉砕されている。

 現場には、全てが『蹂躙』された跡しか残されていなかったのである。

 

 

「あっ!? 先輩! よく来てくれました!」

「おおっ、中川か! お前も呼び出されたのか、朝からご苦労だな……」

 

 現場では鑑識が慌ただしく動き回っており、警察管理の下に『立ち入り禁止』の規制線が張られていた。殺人事件だということもあり、ほとんどが両津にとって見慣れぬ関係者ばかりであったが、そこに見知った同僚・中川の姿を見つけ、内心ほっとする。

 

 今回、急な呼び出しであることもあってか、両津と纏は私服のまま。周囲の警官たちもお決まりである青色の制服を着ている中。何故か一人だけ、黄色の制服らしきものを着た『長身のイケメン』がそこに立っている。

 彼の名は中川圭一(けいいち)。両津と同じ亀有公園前派出所勤務の警官。階級は巡査、両津にとって直接の後輩に当たる。

 

 彼の実家は世界的な大企業『中川コンツェルン』。父や母、親類縁者を含めて彼ら中川一族によって運営される巨大企業グループの御曹司だ。圭一自身も警察官として働く傍ら、いくつかの企業の社長をしており、『億』どころか『兆』単位の金を動かすことのできる本物の金持ちである。

 そんな彼が何故警察官として勤務しているかは永遠の秘密だが、中川と両津は長い間一緒にコンビを組んできた。

 互いに上流階級、下町育ちという相反する家庭環境の中で育ちながらも、足りない部分を互いに補い合うという絶妙なバランスで相棒関係が成り立っている。

 まあ、両津の金遣いの荒い部分などで、中川の会社に経済的な打撃を与えることもままあったりするのだが——そこはご愛嬌。

 いずれにせよ、二人が良き先輩後輩関係であることに変わりはない。

 

「来たか……両津」

 

 さらにもう一人。中川以外の顔見知りが両津の訪問を顰めっ面で出迎える。両津の先輩・大原部長だ。

 両津の顔を見るたびに何かと理由を付けて怒鳴りつける彼だが、今回は殺人事件という慣れぬ事件のためか、いつもよりも緊張気味であった。

 

「部長……いったい何があったんですか?」

 

 そんな上司の緊張を察し、両津も無駄口を叩くことはせずに早速本題に入る。

 

「何でわしがこんな現場に呼び出されなければならんのです? わしは一介の派出所勤務ですよ……おまけに今は謹慎中の身の上。いったい何があったっていうんですか?」

「実はだな……」

 

 両津の疑問にさすがの部長もすぐに説明しようとした。ここに呼び出された以上、両津には知る資格があるし、自分たちも色々と話を聞くために彼を呼び出したのだから。

 

 

「——君が両津勘吉巡査長かね?」

 

 

 だが、大原部長が口を開く前に、見慣れないスーツ姿の男・刑事が横から割って入ってくる。彼はいかにも刑事らしい鋭い視線で、両津に疑いの視線を向けてくる。

 

「君の噂は色々と聞き及んでいるが……本当に警察官なのかね? とてもそうは見えないのだが……」

 

 両津勘吉という警察官は、東京都どころか全国の警察の間で有名な存在となっている。勿論、悪い意味でだ。

 これまで起こしてきた数々の問題行動。その中には何と警察署、警視庁すらも爆破したという話もあるくらいだ。それで何故クビにならないか疑問なのだが、それは彼が多くの犯人を逮捕、検挙しているからに他ならない。

 

 もともと、両津は『毒を以って毒を制する』という考えのもとにヘッドハンティングされた不良中の不良であった。

 警官として問題行動を起こすことも想定内。より多くの犯罪を抑止できるのであれば、危険でも彼を警官として雇っている意味がある。

 

 もっとも、だからといって何をしてもいいわけではない。

 いかに両津勘吉とはいえ、シャレでは許されない——『殺人』の疑いに関しては徹底的に調べなければならない。

 この刑事は両津に掛かっている『容疑』に関する重要な情報を開示していく。

 

「この家……家があった場所には、とある一家が住んでいた。君も知っている筈の『彼ら』だよ」

 

 そう言って刑事が取り出したのは一枚の顔写真だった。

 この残骸の中で見つかったとされる遺体。その被害者一家の生前——中学生の息子の写真。

 

「——こいつはっ!?」

 

 その顔を一目見た瞬間、両津は息を呑む。

 その顔は、そこに写っている中学生の顔はつい先日、両津がぶん殴ったばかりの顔。先の事件でハムスターをバラバラにするという所業を、ゲーム感覚で行った不良中学生。

 

 

 その不良グループの一人が、共に暮らす両親と共に——バラバラ死体として発見されたのだという。

 

 

 

 

 

「遺体の方は既に運び出している。あまりにも無惨なものだったのでね……」

 

 事件の概要を要約するとこういうことになる。

 

 本日未明。近所の住民が大きな物音を聞いて飛び起きた。住民は何事かと部屋の窓から外の様子をそっと覗き込む。

 すると——そこには巨大な『何か』が蠢き、徹底的に住居の一つを破壊していた。暗闇ではっきりと見えなかったらしいが、何か生き物のようにも見えたという。

 巨大な何かは、ひとしきり暴れ回った後、もう用は済んだとばかりに轟音を上げながら立ち去っていった。あまりに現実離れした光景にパニックに陥りながらも、目撃者は警察に通報。

 駆けつけた警察は現場を捜査するためにその場に明かりを灯す。そこで彼らが目にしたもの——

 

 

 それこそが瓦礫と化した一軒家。バラバラとなった一家の死体だったのである。

 

 

「両津巡査長。君は……数日前にこの家の息子さんを殴ってしまったそうだね? 聞くところによると、その一件について少年の親は君を暴行罪で刑事告訴しようとしていたそうだよ。実際に裁判沙汰になったら、どうなっていたことやら……ねぇ?」

 

 刑事は意地悪そうな笑みを浮かべ、両津がこの事件に関与しているのではと疑いの目を向ける。

 

 先の事件で両津が中学生たちを殴ってしまったこと。そのことを口実に、この家の一家は両津を訴えようとしていたという。

 刑事の推理では『両津がその目論見を先んじて潰すため、自分の不祥事を有耶無耶にするため一家を殺害した』ということになっているようだ。

 

「……なんですか、それは? あんたはこれをわしがやったと、そう言いたいわけか!?」

「待ってください!! 先輩がそんなこと……だいたい目撃証言についてはどう説明するつもりですか!?」

 

 刑事の暴論に当然両津は反発する。中川も両津の味方をし、冷静な観点から刑事の推測を否定する。

 目撃者の証言によれば、巨大な『何か』が家を破壊し、一家を惨殺したものと思われている。この破壊跡から見ても、とても人間の成せる技とは思えない。しかし——

 

「君は重機の運転が出来るそうだね? ショベルカーか、ブルドーザーでも使えば……あるいは犯行も可能なのではないかね?」

 

 その巨大な『何か』を『重機』に置き換える刑事。確かに両津は様々な車種の運転免許を取得しており、重機の操縦だってお茶の子さいさいだ。重機を乗り回し、家を破壊することも不可能ではない。というか、過去に実際やったことがあるかもしれない。

 

「そ、それは……確かに先輩なら、それくらい出来ると思いますが……」

「……………………出来るのか」

 

 もっとも、これは割と無茶苦茶な推理である。中川が両津であればそれも可能と、言い訳ができないでいることに寧ろ刑事の方が驚いている。

 刑事側も、この事件を何とか『人間の犯行』にしたいという思い込みが働いている。目撃者の見た『何か』を重機にさえしてしまえば、とりあえずの理屈は付けられるのだ。

 

「とにかく……詳しく話を聞かせてもらいたい、署までご同行願おうか!」

「や、やめろ、わしは何もやっとらん!!」

 

 刑事はそういった考えから、両津をとっ捕まえる。「もうこいつが犯人でいいんじゃないか?」と割と投げやり気味に事件を強引な解決へと導こうとしていた。

 

 

「——待ってください、警部殿」

 

 

 だがそんな安易な推測を、力強い声音で否定するものが前へと踏み出す。

 

「お、大原部長……」

 

 両津の上司である大原部長だ。彼は階級的にも、キャリア的にも目上である刑事の警部に対し、堂々と自身の意見を口にする。

 

「確かにこの男はどうしようもなく駄目な奴です。礼儀作法もなっていないですし、生活態度も最悪。警察官の恥と言われても仕方がない問題行動をいくつも起こしている。流れからして、貴方がこの男に嫌疑を掛けるのもやむを得ない判断でしょう」

「どっちの味方なんですか、部長は!?」

 

 やはりと言うべきか。部長の口からは両津に対する不満が出てくる出てくる。

 彼が普段どれだけだらしないか、それを誰よりも理解している大原部長だからこそ、不平不満を口にせずにはいられない。しかし——

 

「ですか……この男も警察官です。どれだけ愚かでも、どれだけ自分勝手でも……決して人様の命を奪うような真似はしません。私は上司として、絶対にこの男が犯人ではないと断言します!!」

 

 誰よりも長く、誰よりも一緒に過ごしてきたからこそ。彼が殺人などという『タブー』にだけは絶対に触れまいと。大原部長は両津の無実を信じて意見する。

 

「ぶ、部長……」

 

 これには両津も感激で涙目だ。普段は喧嘩ばかり、小言しか言わない上司の存在を、これほどありがたいと感じた瞬間はなかっただろう。

 

「そうだぜ! 両さんがそんなことするもんかよ!!」

 

 さらに両津を擁護するものはそれだけに留まらない。

 

「そもそも犯行があったっていう昨日の夜、両さんと俺は一晩中飲み明かしてたんだぜ? そんなこと出来るわけないだろう!」

「ちょっ! 勝手に入らないでください!?」

 

 警察官の静止を振り切ってその場に割り込んできたのは、ねずみ男だった。

 部外者ということで規制線の外側で大人しく待っていた彼らだが、両津が連行されようとしているのを見て堪らず声を上げた。

 昨日の犯行時刻と思われる時間帯、ねずみ男は両津とずっと呑んだくれていた。両津の犯行は物理的に不可能だと、彼のアリバイを証明する。

 

「それはあたしも保証するよ。こいつら……ずっと人の家でドンちゃん騒ぎしてやがったんだから!」

 

 これに纏も口裏を合わせる。

 彼女も両津たちが騒いでいるのを一晩中耳にしていた。そのせいで寝不足だと、若干恨めしい視線を男たちへと送っている。

 

「むむむ……じゃ、じゃあ! いったい、誰が……誰がこんな真似をしたというんだね!?」

 

 両津のアリバイが証明され、刑事もさすがに押し黙るしかなかった。

 

 しかしそれなら——それならいったい、誰がこれほどの破壊を巻き起こしたというのだろう。

 全く見当もつかず、刑事や両津たちですらも途方に暮れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——妖怪ですよ」

 

 

 するとそのときだった。一人の少年が、おもむろにそんなことを呟く。

 

「き、きみ……!? 勝手に入っちゃ駄目だよ……っていうか、いつの間に!?」

 

 その少年は立ち入り禁止のテープを乗り越え、瓦礫の中で何かを探るように蹲っていた。いつの間に侵入したのかと、警官は少年に出ていくように注意を促す。

 だが、少年は警官の勧告を華麗にスルーし、頭を悩ませている一同に静かに真実を告げていく。

 

「これは妖怪の仕業です。まだここにも妖気が残ってたか……」

「き、鬼太郎!?」

  

 その少年——ゲゲゲの鬼太郎の言葉に、誰よりも真っ先にねずみ男が反応を示す。

 今朝になったらどこかへといなくなっていた鬼太郎。とっくにゲゲゲの森にでも帰ったと思っていた彼が、突如この場に現れて警告を口にしていく。

 

 

「——あまり深く関わらない方がいいですよ。今回の妖怪相手に……ボクたちに出来ることは何もありません」

 

 

 少し意味深に、どこか冷たく突き放すように——。

 

 

 

×

 

 

 

「まったく、人を呼び出しておいてもう帰れってか……何様のつもりだ、あの刑事は!!」

「いいじゃないか、勘吉。疑いが晴れたんだからさ」

 

 事件現場での問答の末、両津勘吉に対する疑いは晴れた。

 

 被害者たちとの関連性から容疑をかけられたようだが、彼に今回の犯行は無理があると判断された。元からこじつけに近い推理で、アリバイまで証明されたのだから当然だろう。

 しかし、両津は纏が運転する帰りの車の中でも未だにお冠である。疑われて呼び出されたのに、用件が済んだらそれでさよなら。謹慎中であったこともあり、捜査にも参加させてもらえなかった。

 大原部長や中川が今回の一件を手伝うとのことだが、両津としては色々とモヤモヤが残る。

 

「……そうか。あのガキ……死んじまったのか……」

「……」

 

 親と一緒に死んでしまったとされる中学生の不良少年。彼の死は両津にとっても、纏にとってもかなり複雑だ。

 確かに憎たらしい相手ではあった。いくつもの場所で盗みを働き、幼稚園にも侵入し、ハムスターたちを殺した不良少年の一人。レモンを悲しませ、泣かせた相手。両津にとってはいくら殴っても殴り足りないクソガキだ。

 だが、死んでいい人間だったかと問われれば決してそんなことはない。寧ろ、生きて償って欲しかった。

 

 生きて、自分のやったことがどれほど罪深いことだったのかを、ずっとその心に残して欲しかった。

 

「……おい、鬼太郎。さっきの話は……本当なのか?」

 

 と、両津たちが何とも言えないモヤモヤ感を抱えている中、車の後部座席ではねずみ男とゲゲゲの鬼太郎が何やら話し込んでいた。

 ねずみ男としては先ほどの鬼太郎の言葉——あの惨事を生み出したのが『妖怪』であるという、鬼太郎の発言の真偽を確かめたかったのだろう。

 

「ああ、間違いない。あれは……妖怪の仕業さ」

 

 ねずみ男の問いに鬼太郎は妖怪アンテナを立てる。そしてあの家を破壊したのも、一家を殺害したのも現場に残されていた妖気の持ち主の悪行だと断言する。

 

 しかし、現場の人間たちは鬼太郎の発言に一切耳を傾けなかった。

 

 現状、警察は妖怪の存在を公的には認めていない。鬼太郎の発言を証拠として採用するなど当然出来ず、ほとんど門前払いで両津共々現場から追い出されてしまった。

 刑事たちは、あくまで『人間』を犯人として捜査を続けるつもりだ。それでは永遠にこの事件の真相には辿り着けないこともお構いなしに。

 

「おい、坊主」

 

 だが、警察の中にもオカルトに対して物分かりのいい人間はいる。

 

「何か手掛かりがあるようなら協力してくれ。この事件の犯人は……わしの手で捕まえたい!」

 

 両津勘吉だ。彼は過去にもお化けを使って金儲けをしたり、自分自身が幽体離脱を体験したり、実際に死んで地獄へと堕ち、手に負えないからという理由で追い返されたことがある。

 今更、妖怪の有無などで尻込みはしない。いるならいるで、そいつをとっ捕まえるだけである。

 

「何の妖怪か知らんが……今回ばかりはわしも頭にきたぞ! そいつを捕まえて、わしの身の潔白を完璧に証明してやる!!」

「おいおい……まじで言ってんのかよ、勘吉」

「当たり前だ!! そいつには……しっかりと罪を償わせなきゃならん!!」

 

 纏の方は未だに現実を受け止めきれないが、両津の頭の中では既に妖怪に手錠を掛けるイメージまで浮かんでいる。

 その妖怪のせいで自分が疑われたのも許せないが、あの家の一家を——不良中学生を殺したことにはもっと頭にきている。

 

 まだやり直せたかもしれない少年の命を奪ったことに、両津は人として許せない気持ちを抱いていた。

 

「両さん……よっしゃー!! 乗りかかった船だ、俺も協力するぜぇ! なぁ、鬼太郎!?」

 

 そんな両津に感じ入るものがあったのか、ねずみ男も協力を申し出る。

 妖怪が人間に迷惑を掛けているのだから、当然鬼太郎も手伝ってくれるだろうと、隣の彼にも声を掛けていた。

 

 

「——残念だけど……今回の一件、ボクに手伝えることはないよ」

「な、何でだよ、鬼太郎!?」

 

 

 ところが、今回の一件に鬼太郎は乗り気ではない。

 いつもであれば、寧ろ鬼太郎が人間側に味方をし、人間を騙すなどして商売をするねずみ男を取っちめるパターンだろうに。何故か今回の事件、鬼太郎は人間側の味方をしたがらない。

 

「両津さん……貴方もこの一件には深く関わらない方がいい。彼らの怒りは『正当』なものです。それを止めることは……誰にも出来ない」

「それは……どういう意味だ? 坊主、お前……何を知ってる?」

 

 鬼太郎の不思議な言いように両津は首を傾げる。

 鬼太郎は深くを語ろうとはしないが、何かを知っている様子。もしかしたら、彼はこの事件を引き起こしている妖怪に心当たりがあるのかもしれない。

 

 詳しく話を聞き出そうと、両津はさらに突っ込んだ質問を試みる。

 

「ん? おっと、電話か……もしもし?」

 

 だが、そんな最中に両津の携帯電話に着信音が鳴り響いた。

 

「おお!! レモンか……いったい、どうした? こんな時間に……」

 

 電話相手は纏の妹でもある擬宝珠檸檬だ。

 今の時間帯、彼女であれば幼稚園に登園している筈。そんな時間にいったい何の用事かと訝しがる両津であったが——。

 

「なに!? 分かった!! すぐそっちに向かう、待ってろよ!!」

 

 レモンからの要件を聞くや、すぐに血相を変えた様子で両津は叫んでいた。

 

「纏!! すぐに幼稚園に向かってくれ!!」

「わ、分かった!!」

 

 纏も両津の慌てように何かを察する。詳しいことは後回しにし、妹のいる幼稚園へと全速力で車をかっ飛ばしていく。

 

 

 

 勿論、法定速度はキチンと守りながら。

 

 

 

「——カンキチ!!」

 

 幼稚園の正面玄関、小さな女の子が両津たちを出迎える。髪をツインテールで可愛くまとめた少女・擬宝珠檸檬である。彼女はまだ四歳の幼稚園児なのだが、他の子に比べるとだいぶ達観しており、大人顔負けの特技をいくつも持ち合わせている。

 特にすごいのが『味覚』だ。レモンは百年に一度の神の舌の持ち主だと言われ、どんな味の変化も見逃さない。素材の産地は勿論、その料理人の精神状態をも見抜くことができるほどだ。

 他にも将棋や書道も上手く、時代劇が大好きと。特技や趣味も完全に大人向きのものが多い。その影響か感情の起伏が薄いと、若干子供らしからぬ面を周囲の大人たちが心配していたりするのだが。

 

「カンキチ! 大変なのじゃ!!」

「レモン!! どうしたんだ、そんなに血相を変えて……?」

 

 不安そうに両津のズボンの裾を引っ張るレモンは、完全に子供のそれだ。彼女もここ最近は両津の影響で素直に子供らしい面を見せるようになった。両津もレモンのこととなると必死になる。何も知らない人が見れば親子にも見える二人の関係。

 

「花壇が……ハムちゃんたちのお墓が……」

「——!?」

 

 レモンは涙こそ見せはしなかったが、今にも泣きそうな顔になっていた。彼女や他の園児たちが大切にしていたハムスターたち、彼らの墓に目に見えた異常があると。

 レモンは両津を電話で呼び出し、幼稚園の敷地内へと引っ張っていく。

 

「おいおい、そんなに引っ張るなっ…………って、何じゃこりゃ!?」

 

 有無を言わさず引っ張りまわされ困惑する両津だったが——そこで目にした光景に呆気に取られる。

 

 ハムスターの墓は幼稚園の敷地内、庭の花壇の片隅に設けられていた。数日前に園児たちの手で「天国へいって欲しい」という願いが込められ、建てられた小さなお墓。

 決して誰にも荒らされないようにと、大切にしていたその墓に——

 

 

 ポッカリと——大穴が空いていたのだ。

 

 

「こ、こいつは……いったい……」

「何だってんだよ……次から次へと……」

 

 後から駆けつけてきた纏やねずみ男もこれには絶句する。

 

 それはただの穴ではない。まるでショベルカーで掘り返したような、途方もなく『巨大な穴』が幼稚園などという、平和の日常のど真ん中に出現したのだ。

 一晩で更地にされた一軒家の跡地を前にするよりも、よほど衝撃があった。

 

 いったい何故こんな大穴が空いているのかと。誰もが疑問と恐怖を覚えるであろう、その景色を前に——

 

 

「……そうか。ここから這い出てきたのか……」

 

 

 ただ一人。ゲゲゲの鬼太郎は何かに納得するようにその穴を静かに見つめていた。

 

 

 

 

 

「——とりあえず、警官の見廻りを強化させますので……」

「——はい、よろしくお願いします」

 

 両津たちがその大穴を確認して数十分後。応援の警官を呼び、園の責任者である先生たちと話し合いを行った。

 穴に関して原因は不明だが、一応は警官の見廻りを強化する方向で話をまとめる。何一つ根本的な解決になっていないが仕方がない。

 今すぐ原因を特定するには、あまりにも不可解な穴だ。警察としても、これ以上取れる手段がない。

 

「カンキチ……ハムちゃんたちは無事に天国に行けるのか? お墓がなくなってしまって……迷ってしまったりはせぬかのう?」

「レモン……」

 

 大人たちが話し合いを終えた後も、レモンは不安そうな表情で両津を見上げる。

 ハムちゃんたちのお墓は大穴のまさに中心地にあった。ハムスターたちの名前が書かれていた墓石も木っ端微塵に粉砕されてしまい、遺体もどうなったか調べようがない。

 レモンは子供ながらに「お墓がなくなったせいでハムちゃんたちが成仏できないのでは?」と不安になり、両津のズボンを縋るように力強く掴む。

 

「……ふっ! 大丈夫だ、レモン!! お墓がなくなっても、また作ってやればいい! 今度はこーんなに、デカイやつをな!!」

「カンキチ……」

 

 不安がるレモンに両津は何でもないことのように笑顔を浮かべた。その大きな手でレモンの頭を撫でてやり、優しい声音で彼女を諭す。

 

「だからお前は何も心配せず、いつも通り過ごせばいい……いいな?」

「うん、分かった!!」

 

 両津の言葉にレモンもようやく笑顔を浮かべる。

 彼を信じ、自分はいつも通りの日々を過ごそうと。無事だった幼稚園の学舎へと駆け出していく。

 

 

 

 

 

「勘吉、ちょっといいか?」

「ああ……」

 

 元気に駆けていくレモンへ笑顔で振りながらも、彼女が建物に入って見えなくなった途端、深刻な表情になる大人たち。纏は園児たちに聞こえないよう声を忍ばせながら、あの大穴に対する自身の見解を両津へと耳打ちする。

 

「あの大穴……ありゃ、自然に出来た穴でも……誰かが掘った穴でもないぞ」

「ああ、土の盛りようを見りゃわかる……」

 

 私見ではあるが、二人はあの穴の跡を見て、それがどういった方法で掘られたものかを理解する。

 特に両津は脱走や侵入のために幾度となく穴を掘ってきたのだ。それがどんな目的のために掘られた穴かなど、一目見ただけで分かるというもの。

 

「あれは誰かが穴を掘り返したんじゃない……内側から、『何か』が飛び出してきたんだ……」

 

 あの穴は何者かが『地上から掘った穴』ではない。何かが『地中から這い出るため』に開けた穴なのだと。

 

 

 

「なあ、鬼太郎……お前さん、さっきから変だぜ?」

「…………何がだ、ねずみ男」

 

 両津と纏がその穴に関して話していたとき、そのすぐ横でねずみ男が鬼太郎に疑惑の目を向ける。

 

「さっき妖怪アンテナ使ってたよな? これも妖怪の仕業なんだろ? なのに……何でそんなに落ち着いてんだよ?」

 

 大穴を見つめている最中も、妖気を探知する鬼太郎の妖怪アンテナは作動していた。つまり——この穴も妖怪の仕業ということだ。

 しかし、バラバラにされた一軒家での時もそうだが、妖怪が関わっていると口にしながらも鬼太郎は積極的に動こうとはしない。先ほども両津への協力を拒んでいた。

 

「お前、何か隠してるだろう? このねずみ男様の目は誤魔化されねぇぜ……さあ、さっさと白状しな!!」

 

 鬼太郎の様子がおかしいことで、ねずみ男は彼が何かを隠していると睨んだ。いつもとは立場が逆、その隠し事を暴こうとねずみ男が鬼太郎へと詰め寄っていく。

 

「……別に隠してるわけじゃないさ」

 

 だが、ねずみ男に迫られても鬼太郎に動揺はなかった。特に感情を表に出すこともなく、彼は淡々と事実のみを述べていく。

 

「ただ、今回は依頼を受けたわけでもない。ボクが人間のために積極的に動く必要もないだけだ……」

「……?」

 

 先ほど同様、意味深な鬼太郎の台詞にねずみ男はますます疑問を深めていくばかりだった。

 

 

 

「……むっ、またか。次から次へと……もしもし?」

 

 鬼太郎とねずみ男が話し込んでいる間、またも両津の携帯電話に着信があった。

 早朝に呼び出しを受けたり、そのすぐ後にレモンからのSOSを受けたり。謹慎中なのに今日は忙しい日だなと思いながらも、電話にはしっかりと出る両津。

 

『せ、先輩……た、助けてください……!』

 

 すると、耳元には先ほどまで顔を合わせていた後輩・中川圭一の弱々しい声が響いてきた。

 

「中川か!? どうした、何があった!?」

 

 例の事件を捜査中である筈の彼が、いったい何故こんなにも切羽詰まった声で自分に助けを求めてきたのか。両津は驚きながらも、警察官としての経験から素早く相手の要件を問い訊ねる。

 

『先輩……この事件は……先輩でなければ、解決出来ません……』

 

 中川は頼みの綱が両津であること。事件解決には常識外れの彼の力が必要だと。

 両津に大事なことを伝えようと——まさに受験生が試験終了間際まで必死に問題を解こうとする精神でその言葉を口にする。

 

 

 もっとも——

 

 

 

『は、ハムスターが……ハムスターが!!』

 

 

 

「…………はぁっ?」

 

 

 さすがの両津も、そんな言葉だけでは何が起きているのか直ぐには理解できなかった。

 

 

 

×

 

 

 

「ここは……確かあのガキの……」

 

 中川からの応援要請を受け、慌てて駆けつけた両津たち。そこは住宅地の中でも、特に小さなマンションやアパートが密集する地区だった。

 両津はこの場所に見覚えがある。そこは両津自身が例のハムスター事件で聞き込みを行った場所。

 

 あの三人の不良中学生、そのうちの一人の家がある場所だ。そこの親に両津は『息子にはあまり関心を持たないことにしてるから』などと言われて追い返されたのだ。

 

「…………」

 

 そのときのことを思い出し、僅かにブルーな気持ちに浸る両津。だがそんな彼の心情もお構いなしに事態はさらに加速する。

 

「お、おい……勘吉。あ、あれ見ろ、アレ!!」

「あん? 何か見つけたのか、纏?」

 

 車の運転をしていたためか、前方に意識を向けていた纏が真っ先に『それ』の存在に気付いた。続いて、助手席にいた両津もその存在を目の当たりにする。

 

 

 

 それは巨大な生物だった。

 ふさふさの毛をした、丸々太ったずんぐりむっくりな体型。それはキョロキョロと周囲を見渡し、鼻をヒクヒクさせながら、短い手足をバタつかせ、四足歩行で狭い住宅地を歩き回っている。

 

 その仕草や姿——それは、どこからどう見ても『ハムスター』だった。

 ハムスターとしか形容しようのない——体長5メートルはあろうかという、巨大な物体がそこにいたのである。

 

 

 

「…………なんなんだ、ありゃ?」

 

 中川が『ハムスターが……』などと狂ったように口にしていた理由がよく分かる。あれはハムスター以外の何者でもない。

 おかしいのは体のサイズだけ、それ以外はまさにハムスターそのものだった。

 

 

 しかし、そこに本来の愛らしさなどない。

 可愛らしい筈のつぶらな瞳は血走っており、その毛には赤黒い血痕が染み付いている。爪も異様に鋭く尖っており、その手も口元も真っ赤な鮮血に彩られていた。

 明らかに何かを——誰かを殺戮した痕跡がその体の至る所に残されている。人間で言えば、血塗れの包丁を握りながら外を歩き回っている状態だ。

 

 

「!! こりゃひでぇ、パトカーが……」

 

 さらにその現場では四、五台のパトカーがひっくり返されていた。巨大ハムスターと警察が衝突した結果なのだろう。転がっている刑事や警官、負傷者の数も尋常ではない。

 

「中川……ぶ、部長まで!? 大丈夫ですか!? しっかりして下さいよ!!」

 

 両津はその負傷者の中に中川と大原部長を見つけ慌てて駆け寄る。二人とも体のあちこちがボロボロ。中川は気を失い、大原部長など頭から血を流している。

 

「りょ、両津……あ、あのハムスターが……今回の事件の犯人だ……」

「なっ、なんですって!?」

「例の中学生が……また一人……襲われてしまった」

「——!!」

 

 今回の事件、大原部長たちは『怨恨』ということで捜査を進めていた。

 両津が刑事から疑われたように例の不良中学生三人組の繋がりから、残りの二人にも話を聞こうと。部長たちはこの地区のマンションにある少年の家まで足を運び——。

 

 そして、事件の犯人である——『コイツ』に出くわしたのだ。

 

 聞き込みの最中、突如として出現したこの巨大ハムスターは中学生に襲い掛かった。

 困惑しながらも慌てて応戦した警察官たちは、応援を含めて全て退けられてしまった。そして例の中学生も、ハムスターの手によって——。

 

「……頼むぞ。奴を……奴を止めるんだ……」

「部長!?」

「大丈夫。気を失っただけだから……」

 

 大原部長はそう言い残してガクリと意識を失う。思わず死んでしまったのかと身を乗り出す両津だが、纏の方で部長の生存をしっかりと確かめる。

 中川や他の警官たちも怪我こそあるが、皆命に別状はなかった。

 

 

 

「りょ、両さん!! は、ハムスターがこっちに来やがるぜ!?」

『アアアアアアアアアア!!』

 

 しかしホッとするのも束の間。周囲の様子を窺っていたハムスターが両津たちに狙いを定めたとねずみ男が警告を促す。生き物の鳴き声とは思えない声を上げながら、こちらへと巨大な怪物が突進してくる。

 

「部長、説教は後で聞きますよ!!」

 

 両津は突撃してくるハムスターに対抗すべく、大原部長の腰に取り付けられている拳銃のホルスターに手を伸ばす。

 両津自身は非番のため拳銃の持ち合わせがない。同じ警官とはいえ、他人の拳銃を発砲するのは後々問題になりそうだが、四の五の言ってもいられない。

 

 この危機を乗り越えるためにも、両津は躊躇うことなく——拳銃の引き金を引いた。

 

 

『アアアアアアアアアア!?』

「当たった!? 相変わらずいい腕してるな……勘吉!」

 

 

 両津の狙い済ました銃弾はピンポイントにハムスターの眼球に命中。急所を抉られた痛みに悶え苦しみその巨体が沈む。

 纏が両津の腕前を褒め称えたように、彼の射撃センスは警官の中でもトップクラス。その早打ち速度0.009秒と、ほとんど人間の限界を越えている。

 一介の交番勤務にはちょっと過ぎた技能かもしれないが、それがこの窮地に役に立ったと。とりあえず安堵する一同。

 

「まだだ!! まだ動いてやがるぞ!?」

 

 だが、その一撃だけではトドメには足りない。ハムスターは苦しみながらも体を震わせ、再びその巨体を起こす。

 さすがに拳銃一丁で仕留められるほど容易い相手ではない。両津はさらに追い討ちをかけようと、今一度拳銃の引き金に指をかける。

 

 

 

『——邪魔をしないで』

 

 

 

 だがそのとき、声が聞こえた。

 まるで人間の、子供の泣き声のような声が——ハムスターの方から聞こえてきたのだ。

 

 

『ボクたちの邪魔をしないで……』

 

   『ひどいことしないで、痛いことしないで』

 

『もうこれ以上、わたしたちをいじめないで』

 

 

「しゃ、喋った!? に、人間の言葉だ……」

 

 どこから声を出しているのか、纏はハムスターが人語を話していることに度肝を抜かれる。

 だが——両津は彼らの言葉の内容にこそ、耳を傾ける。

 

 

『ボクたちにひどいことをする、君もあいつらの仲間なの?』

 

   『わたしたちを殺すの? あのときみたいに殺すの?』

 

『またバラバラにされるの? そんなのは嫌だよ』

 

 

「お、お前……お前ら、まさか……」

 

 ハムスターの、ハムスター『たち』の悲しむような声に両津は瞬時に悟った。

 今目の前にいるこの巨大ハムスターが、いったい、どういう存在なのかを——。

 

 

『……許さない、絶対に!』

 

   『あいつらを踏み潰すんだ! バラバラにしてやるんだ!!』

 

『まだ一人、あと一人残ってる』

 

 

 悲しみの声はすぐさま憎悪の声に塗り替えられ、さらに目を血走らせる。

 

 

『だから……邪魔をするなアアアアアアアアアアアア!!』

「——!!」

 

 

 そして巨大な怪物は、両津が動揺したその一瞬の隙を突き——彼から背を向ける。

 そのまま物凄い勢いで駆け出していき、その場から立ち去ってしまった。

 

 

 

 

 

「…………」

 

 それから数分後。他の警官隊が現場へと駆けつけ、大慌てで負傷者の手当てなどに奔走する中、両津たちは何も手を付けられず呆然と立ち尽くしていた。

 

「……勘吉。今のやつ……まさか?」

 

 時間を置いたことで、纏もハムスターが口にしていた言葉の意味を噛み締める。彼らがどういった存在なのか彼女も理解したようだ。

 

「言ったでしょ? この事件には関わらない方がいいと」

「坊主、お前……」

「鬼太郎……」

 

 そこへ鬼太郎も声を掛ける。

 彼は言葉にならないでいる両津やねずみ男たちに現実を教えるため——あれがどういった存在なのかを口にしていく。

 

 

「あのハムスターは貴方が昨晩話してくれた、あの事件の犠牲者たちですよ。中学生たちに殺された……ハムスターたちの集合霊といったところでしょうか」

 

 

 

×

 

 

 

 鬼太郎があの夜、あの巨大な怪物に出くわしたのは本当にただの偶然だった。

 ねずみ男と両津の馬鹿騒ぎに最後まで付き合いきれず、彼は途中から擬宝珠家を抜け出していた。夜遅かったこともあり、そのままゲゲゲの森に帰ろうとしていたのだが。

 

 その道中、鬼太郎は妖怪アンテナで妖気の高まりを探知。何事かと——妖気の出所へと駆け付けていた。

 

『お前!! そこで何をしてる!?』

 

 鬼太郎が現場へと駆け付けたとき、既に犯行は終わっていた。

 瓦礫と化した住宅、バラバラにされた家の住人たち。そう——両津も呼び出しを受けた例の殺害現場だ。

 

 あの現場に通報を受けた警察が駆けつける前に、既に鬼太郎は犯人であるハムスターと遭遇していたのだ。短い時間だが、言葉も交わしていた。

 

『お前は……いったい何者だ?』

 

 初めて会合したとき、鬼太郎にも相手の正体が分からなかった。その出立ちからハムスターだということは理解できたが、さすがにそれですぐに『あの話』とは結びつかない。

 まさかそのハムスターが——両津勘吉の話していた、幼稚園で殺されたハムスターたちの集合霊などと、思いもしなかっただろう。

 

 だが——

 

 

『邪魔をしないで』

 

   『ボクたちは仕返しをしているだけだよ』

 

『あの日バラバラにされたように』

 

   『わたしたちもあいつらをバラバラにしてやるんだ』

 

 

 鬼太郎の問い掛けに彼らは言葉を返す。男の子のものとも、女の子のものとも取れる幼い子供のような声音だった。

 

『!! キミは、キミたちは……まさか……』

 

 両津から話を聞いた直後だったこともあり、鬼太郎はすぐにでも彼らの真実へと思い至った。

 彼が、彼らが例のハムスターたちの亡霊であると。三人の不良中学生、自分たちを殺した人間へ『正当な復讐』を掲げているだけだと。

 

 

『誰にも……ボクたちは止められない』

 

 

 ハムスターはそのまま、鬼太郎など脇目も振らずに立ち去っていった。

 その時点で既に一人を殺し、残りは二人と——次なる目標へと狙いを定めていた。

 

「…………」

 

 鬼太郎はその後を追いかけなかった。このまま放置していれば、きっと残りの少年たちも殺されるであろうと。

 

 

 分かっていながら——彼は復讐の鬼と化した怪物を放置したのである。

 

 

 

 

 

「——するってと何か? お前は、あいつの正体や目的を分かっていながら放っておいたってのか!?」

「おい、勘吉。病院だぞ……少し静かにしろって」

 

 騒動の後、両津たちは病院へと来ていた。

 警官や刑事たち、大勢の負傷者が運び込まれたことで病院は軽いパニック状態に陥っている。医師や看護師たちが慌ただしく動き回っている様子が、待合室で待機している両津たちにも伝わってくる。

 しかし、そのような光景のすぐ横で——両津は纏が制止するのにも構わず、鬼太郎の胸ぐらを掴んでいた。

 

「坊主!! 何故そのことをすぐにわしに言わなかったんだ!?」

 

 鬼太郎であれば、その場でハムスターを退治することが出来たかもしれない。それでなくても、誰かにその事実を報告すれば、また違った結果になっていたかもしれない。

 中川や大原部長を含めた警察官たちがここまで傷つき、病院に担ぎ込まれることもなかったかもしれない。

 二人目の犠牲者も——出さずに済んだかもしれないのに。

 

「……貴方の話を聞いていましたから。ボクにはあの妖怪を止める理由も、人間たちを助ける理由も思いつきませんでした」

 

 しかし、鬼太郎はドライに淡々と事実のみを述べる。鬼太郎は人間からの依頼を受ければ人助けもする妖怪だが、だからといって全ての人間を救うわけではない。

 たとえその人間が危機に陥っていようとも、それが自身の行いの因果応報、自業自得なものであれば手を差し伸べないことだってある。

 

 今回の事件の被害者——三人の中学生たちは鬼太郎にとって『それ』に当て嵌まっていた。

 積極的に助けようとも思えない、鬼太郎にとって彼らはそんな人間なのだ。

 

「鬼太郎。だからお前、ずっと黙ってたのか……」

 

 鬼太郎の言葉に、それまで彼の行動を疑問視していたねずみ男がようやく納得を見せる。

 鬼太郎がこういったところでドライなのは彼も理解している。半妖であるねずみ男も、心情的にはハムスターたちの無念に理解を示していた。

 

 

 いっそのこと、最後の一人もハムスターの手で片付けさせてやった方が——そんな考えすら脳裏を過ってしまう。

 

 

 

「——馬鹿野郎!! そんなこと……やらせるわけにいくか!!」

 

 

 

 しかしそんな妖怪よりの考えを、両津勘吉は真っ向から否定する。

 彼だってハムスターたちの無念は理解できる。彼の死を誰よりも悼んでいたレモンの悲しみにも寄り添える。

 

 だがこれだけは——これだけは認めるわけにいかないと、彼は怒鳴り声を上げていた。

 

「——ちょっと、両ちゃん!! いったい何が起きたの? これは何の騒ぎなのよ!?」

 

 すると、病院で大声を出す両津の元に一人の女性警官が駆け付けてきた。ピンク色の制服を着た、金髪の美女。見たところハーフらしき顔立ちをしている。

 

「麗子さん……」

 

 その女性は纏と同じ葛飾所の婦警。両津勘吉の同僚、亀有公園前派出所勤務の秋本麗子(れいこ)である。

 日本人とフランス人のハーフである彼女はミドルネームを含めると秋本・カトリーヌ・麗子というのが本名になっているが、署内ではもっぱら麗子と下の名前で呼ばれるのが殆どだ。

 彼女も両津とは長い付き合い。中川や大原部長が負傷して動けない中、彼女も両津の理解者として彼の力になってくれるだろう。性格もかなり大胆であり、警官であるだけあって腕っ節も決して弱くはない。

 

 しかし、今回は相手が相手だ。彼女一人が応援に来たところであの怪物の相手などできる筈もない。

 

「……麗子。中川と部長のことは任せるぞ」

 

 両津もそれを分かっている。あんな怪物の相手、まともな人間につとまるわけがないのだと。彼は麗子に怪我人の面倒を任せ、病院を後にしていく。

 

「……どこへ行くつもりですか?」

 

 鬼太郎は病院を出ていこうとする両津の背中へと問いを投げかけた。

 両津は振り返りこそしなかったが、毅然とした態度で鬼太郎の問いに答えを示す。

 

「決まってんだろ。最後の一人……まだ生きてるガキのところだ」

 

 ハムスターたちをバラバラにし、彼らの恨みを買ったであろう中学生は三人いた。

 二人は既に手遅れとなってしまったが——まだ一人、生きている少年がいるのだ。

 

「纏、ねずみ男……お前らまで無理に来ることはないぞ」

「勘吉……」

「両さん……」

 

 両津はここまで一緒だった纏やねずみ男へ、冷たく突き放すように吐き捨てる。

 ハムスターたちに同情し、迷いを抱え込んでいる二人はどのような行動をすべきか、未だ判断が付かないでいる。

 二人がどのような選択をするにせよ、もう少し時間が掛かるかもしれない。

 

 

 しかし、両津勘吉という男に迷いはなかった。

 自身の為すべきことを為すため、彼は何の躊躇もなく走り出す。

 

 

 

 

「わしは一人でも行く。わしが……あいつらにカタをつけてやる」

 

 

 

 

 守るべき命を守るため。

 止めるべき怨嗟を止めるため。

 

 

 漢——両津勘吉。

 華々しく散る覚悟すら胸に秘め!! いざ、戦いの舞台へと!!

 

 

 

 




人物紹介

 中川圭一
  皆さんお馴染み、超セレブな男。中川財閥の御曹司にして何故か警官をやっているイケメン。
  公務員なのにいくつもの会社の社長をやっています。日本の警察はそれでいいのか?
  金持ちで金銭感覚が庶民と違う以外、常識人のように見えますがそれは見せかけ。
  酔っ払ったりすると両津ですらも制御不能な狂人と化す。
  今回は話がシリアスなため、一般的な警官として動いてもらいました。

 秋本麗子
  本名は秋本・カトリーヌ・麗子。今回小説を書くにあたって、初めて本名を知りました。
  金持ちのお嬢さんで、こっちも何で警察官やってるのか謎である。
  話によっては両津に惚れたり、惚れられたり。一応彼とのフラグも建っています。
  今回、最後らへんに駆けつけてくれましたが、ぶっちゃけ出番はこれくらい。
  あくまでサービス出演です。麗子ファンの方には申し訳ないことをした。

 南部刑事
  両津が刑事だった頃に世話になった先輩。物語中では既に故人。
  過去話とはいえ、こち亀で死人が出たのはかなり衝撃的な展開。
  この話があったからこそ、今回のクロスで殺人なんて話題を出す覚悟が決まりました。
  立派な先輩として、きっと今でも両津の胸の中に彼との思い出が残っていることでしょう。

 巨大ハムスター
  今回の敵妖怪。殺されたハムスターたちの集合体。
  見た目はそのまんま巨大ハムスター。話の都合上、一目でハムスターだと分かる外見にしたかった。
  ハムスターの妖怪で色々と検索しましたが、該当する妖怪がなかったため、名前はないです。
  あえて言うのならば、『窮鼠』ならぬ『窮ハムスター』。


 次回で完結予定。
 最後までシリアスですが、どうかお付き合いください。  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

こちら葛飾区亀有公園前派出所 其の③

……よ、ようやく書けた……。
今までで最長の長さになった今回の話。
途中で切ってもよかったのだけど、やっぱり三話構成にしたかったのでだいぶ時間が掛かってしまいました。

ですが、自分の書きたいことは全て積み込みました。
長くてちょっと読むのが大変かと思いますが、最後までどうぞじっくり読み進めてください。

『こち亀』とのクロスオーバー、これにて堂々完結です!


「——な~にぃいい!? それはどういうことだ!」

「ひぃい!? すみません! すみません!!」

 

 病院を飛び出した両津勘吉。彼は一人その足で——とある警察署へ訪れていた。

 

 今回、中学生の三人が復讐鬼と化した巨大ハムスターに狙われた事件、担当は葛飾署ではない。おまけに両津は謹慎中、応援要請を受けてもいない彼は本来であれば事件に関われる立場にない。

 そのため、彼は今回の事件を担当する署に直接出向き、直談判するためここへ来た。

 力尽くでも捜査情報を聞き出し、残る最後の一人がどこにいるかを聞き出すために。

 

 だが、事態は両津の予想以上に深刻だった。

 

「いなくなったてのはどういうことだ!? お前らも、あのガキが狙われてることくらい理解出来るだろう!?」

 

 最後の一人、妖怪に狙われている例の少年を——何と見失ってしまったというのだ。

 関連する二人の少年が殺されたのだから、残った一人が狙われていることくらい、妖怪を公的に認められない警察にだって把握できるだろうに。

 彼らの不手際に、両津は鬼のような形相で受付係の男性へと食ってかかる。

 

「しょ、少年の方から姿を眩ましてしまいまして……我々も彼を捜しているんですよ……」

 

 受付係の男は両津に迫られ、自分たちの情けない現状を白状していく。何でも警察官たちが少年の家に行ったところ、そこに彼の姿はなかったという。

 

「ご、ご両親が……彼を家から追い出してしまったそうで、それで……」

「——!!」

 

 家にいたのは、少年の両親だけだった。他でもない少年の親が——保護者である彼らが子供を外へ追い出したという。

 巻き添えを避けるためだ。実際、一家が全員殺されてしまったケースが出ているのだから、彼らが恐怖するのも分かる。

 

 しかし、それはあまりにも無責任。親としての責任を放棄する行為だ。

 

 

「——ちょっと、ちょっと! 勘弁してくださいよ、刑事さんたち」

「……!」

 

 

 その行為の代償としてか。例の少年の両親が警察官たちによって連行されていた。丁度、両津が受付係に詰め寄っているタイミングだった。

 彼らは両津や他の人々が見てる横で、堂々と声高らかに何事かを叫んでいる。

 

「私たちは被害者ですよ!? あの馬鹿息子のせいで、こっちはとんだ災難な目に遭ってるんです!」

「そうよ! そうよ! なんでこんな犯罪者みたいに連れてこられなきゃならないわけ?」

 

 身勝手な親たち、荒っぽい口調の男性とその妻の聞くに堪えない見苦しい言い訳。

 あの少年を、不良少年たちが『ああなる』まで放置していた毒親。それだけでも印象が最悪だが、それ以上に彼らは身勝手で我儘な人間たちであった。

 

 その言動を聞けば、彼らが自分たちのことしか考えていないのは明白だろう。今もどこかで命の危機に瀕しているであろう子供のことなど、彼らの頭の中にはない。あるのは自分たちの保身だけ。

 彼らの態度と言動には、さすがに両津以外の警官たちもカチンとなっている。

 

「……貴方たちには保護者責任者義務違反の疑いが掛かっています。詳しい話を聞かせていただきますよ?」

 

 夫妻をここまで連行してきた刑事が冷たく言い放つ。この二人は命の危険がある未成年者を外へと放り出した。虐待、保護者義務違反として罪に問える可能性がある。

 しかし、どのような罪状で取り調べを受けようとも、彼らの根本的な愚かさが悔い改められることはない。

 多くの人たちから非難の目で見られながらも、彼らはさらなる愚痴を零そうとしていた。

 

 

「ほんと、なんであんな風に育ったのかしらね……」

「まったくだ、あんなガキ……生まれてこなければ——」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——おい」

 

 

 

 そこが彼の——両津勘吉という男の我慢の限界点だった。

 次の瞬間にも——男の顔面を、両津は容赦なくぶん殴っていた。

 

 

「ぎゃあああ!?」

「ひぃっ!? な、何よ! なんなのよいきなり!?」

「お、お前!? 何をしてるんだ、馬鹿!」

 

 

 殴ったのは男親の方だけ。いくら頭に血が上っていようと、女の顔に傷をつけるほど両津勘吉も野蛮ではない。だが、いきなり拳を振るったことで女親も周囲の警官たちも騒然となる。

 しかし、そんな彼らの反応などお構いなしに、両津はぶん殴って倒れる男の胸ぐらを掴み上げていた。

 

「誰のせいで……誰のせいで、あいつらがあんなになっちまったと思ってるんだ!!」

「ひぃっ! ひゃあああああ!?」

 

 激怒する両津に怯えているようだが、彼らには両津が何故怒っているのか一生理解できまい。

 

「テメェらが……テメェらが……あいつらがああなる前に止めなくちゃならなかったんだぞ!! 悪いことを悪いと……叱ってやらなきゃならなかったんだぞ!!」

 

 人ごとのように子供の悪行を非難している親たち。だが少年たちがそのような非行に走ってしまったのは——間違いなく、彼らの子供たちへの接し方が問題だった筈だ。

 

「お前らが、あいつらのことをしっかりと見てれば……こんなことにはならなかったんだぞ!!」

 

 もっと親として子供に関心を持っていれば、日頃からちゃんと叱ってやれば。あのような事件を起こすこともなく、こんなことにもならなかっただろうに。

 それすらも理解できずに——彼らは今、親として絶対に口にしてはならないことを口にしようとしたのだ。

 

 両津勘吉の堪忍袋の尾がキレた。こうなったら、たとえ誰が相手であろうとも——彼は叫ばずにはいられない男なのだ。

 

 

「——テメェらに……人の親を名乗る資格はねぇえええええええええ!!!」

 

 

 

×

 

 

 

「——くそっ……! あいつらに構ってて、無駄な時間費やしちまった!」

 

 あれから一時間ほど。警察署内で問題を起こしたことで、両津はその場にいた警官たちに取り押さえられた。暫くの間、そこで拘束されることになった訳だが、それもすぐに解かれて今は警察署内から追い出されている。

 この署内の警察官たちも、色々と思うところがあったのか。あるいは両津に構っている場合ではないと、事態の深刻さを理解しているのか。

 

 いずれにせよ、彼らも少年の捜索をし始めた。両親から見放された『最後の生き残り』を保護するため、あの巨大ハムスターを退治するためにも、警官を動員していく。

 

「さて、どこから手を付けたもんか……」

 

 両津も彼らに負けじと自分の足を動かすが、少年の行き先は誰にも分かっていない。

 既に日も暮れ、周囲の景観は真っ暗だった。人間が活動しにくい時間帯であり、逆に妖怪・特にハムスターは夜行性とも聞く。

 このままではハムスターの方が先に少年を追い詰めてしまうと、両津は焦りを感じ始めていた。

 

 

「——勘吉!」

 

 

 だが急ぐ両津を呼び止めるものが、車で彼の迎えにやって来た。

 

「纏……」

 

 擬宝珠纏だ。病院で一旦別れた彼女が、まるで両津の行動を先読みするかのように彼の隣に車を寄せる。彼女は笑みを浮かべながら、両津に車の助手席に座るよう促す。

 

「乗って来なよ。とりあえず、一旦家に戻ろう」

「い、家って……超神田にか? いや、しかし……」

 

 纏の提案に両津が表情を曇らせる。

 この状況で家に、超神田寿司に戻るなどと。そんな悠長なことを言っている場合ではないだろうと。

 

「闇雲に捜したって見つかりっこないさ。大丈夫、あたしの方で色んな人に声を掛けといたから、見つかったら連絡してもらえる手筈になってる」

 

 しかし、ここに来る前から纏はあらゆる方面に声を掛け、手を打っていた。

 

 彼女は義理人情に厚く、その姉御肌な性格から多くの人に慕われている。特に地元の神田町内、葛飾署の婦警たちから絶大な信頼を寄せられており、その伝手を使って今回の少年捜索に人手を割いてもらっているとのことだ。

 これなら両津一人が闇雲に捜し回るより、よっぽど効率的に動けるというものだ、

 さらに言うのであれば——

 

「それに勘吉……お前、今朝から何も食ってないだろ?」

「……あっ? そ、そういえば……」

 

 纏に言われて気づく。彼女の言う通り、両津は今朝から何も口にしていなかった。

 早朝から色々な場所に呼び出され、食事どころではなかった。その事実が思い出されたことで、両津のお腹が『ぐぅ~』と腹の虫を鳴らす。

 自らの空きっ腹を自覚した途端、急に足元もふらついてくる。

 

「ほら見ろ! そんなんじゃ、いざってときに力が出なくなっちまうぞ!」

 

 そう、空腹で両津の体調が万全でないことを纏は見抜いていたのだ。もしもの有事に備えるためにも、彼女は両津のコンディションを整えていく。

 

 

「まずは腹ごしらえだ。うちの寿司……たらふく食わせて貰えるよう、ばあちゃんに事情を説明してやるから……さっ、行くよ勘吉!!」

 

 

 

 

 

「——なるほど……。そりゃまた、随分と厄介なことになってきたね……」

 

 超神田寿司のカウンター席にどっしりと構える老婆・擬宝珠夏春都は煙管を吹かせながら、これまでの経緯に耳を傾けた。

 さすがに年の功だけあって、ハムスター事件の少年たちのことや復讐するために蘇った動物の集合霊など。オカルトじみた話すらも平然と聞き入れている。

 

「いいだろう……おい、夜婁紫喰! 寿司握ってやんな、今回は特別だよ」

「分かりました、母さん!」

 

 そして纏の提案——両津に力を貸すべく、夏春都は寿司職人でもある実の息子・擬宝珠(ぎぼし)夜婁紫喰(よろしく)に寿司を用意するように命じた。

 

 夜婁紫喰と、これまた一段と変わった名前だが、彼も擬宝珠家の一員だ。両津の従叔父、纏や檸檬の父親にあたる人物である。擬宝珠家の大黒柱なのだが、実質的な決定権を夏春都が握っているためあまり目立たない。

 個性が強い面々が揃う擬宝珠家の中ではパッとしない、ごく普通のオジサンといった感じである。

 

「ほら、イチローくん。うちの寿司を食べて力をつけてくれ」

 

 夜婁紫喰は人の良い笑みを浮かべながら次々と寿司を握り、それを両津の目の前に差し出していく。ちなみに、彼は未だに両津のことをイチローと呼ぶことが多い。

 

「……いただきます!!」

 

 握られていく寿司を両津は次々と口の中へ放り込んでいく。よっぽどお腹が空いていたのか、まるで掃除機のような吸引力。そんな彼の食欲に呆れるやら感心するやら、夏春都はやれやれとため息を吐きつつ、両津に問いを投げ掛けた。

 

「それで勘吉。そのガキンチョを助けたとして……その後はどうするつもりだい?」

 

 夏春都は両津が例の少年——レモンを泣かせる所業を行った不良少年を助けること自体には何も反対意見を出さない。その代わり、その少年を助けた後にどうするか、その後の扱いについて意見を尋ねる。

 今回の一件で、少年は実の親に見捨てられた。たとえ命が救われたとしても、元のような生活に戻ることは難しいだろう。

 

「さてな……あの馬鹿な親どもに子供を育てる資格がないと判断されれば、施設送りになるかもしれん……」

 

 子供を養育できない、する気のない親であった場合。その子供がまだ未成年であれば、家庭裁判所の判断で児童養護施設へと入居させられるケースがある。もっとも今回のケースがそれに該当するか、両津の知識では判断が付かない。

 そういった細かいところまで、彼はまだ考えていない。

 

「それよりも、まずはあのガキを保護することが先だ! その後のことは……本人の意思次第だ」

「そうかい。まあ、あたしゃ……どっちでも構わないがね」

 

 まずはその命を助けることが先決と。両津は深くは考えずとも、やるべきことをしっかりと見定めている。

 夏春都も、それ以上特に何かを口うるさく言う素振りも見せなかった。

 

 

 

 

 

「——よっしゃああ! 食った食った! 纏、わしらも捜索に出るぞ!!」

「オッケー! 車回してくるよ」

 

 そうして、寿司を何十人分と食いまくり両津は空腹を十分に満たした。

 腹さえ空いていなければ怖いものなしと、彼は再び少年の捜索へと乗り出し、それに纏も応えてくれる。

 彼女のおかげで神田町の人々や葛飾署の婦警たちも手を貸してくれているというが、全てを人任せにするつもりはない。たとえ闇雲だろうと、徒労に終わろうとも自分の足を動かす。

 

 それも刑事時代——南部刑事に教わったことの一つだ。

 

「それじゃ行ってくる! 夏春都、夜婁紫喰、世話になっ——」

 

 両津は飯を世話してくれた擬宝珠家の人々に礼を言いながら、その場を後にしようとする。

 

 

「——カンキチ」

 

 

 だが、そのときだ。

 

「——れ、レモン?」

 

 既に店が閉まった夜更けでありながらも、そこに彼女の——擬宝珠檸檬の姿があった。パジャマ姿でぬいぐるみを抱える彼女に、父親である夜婁紫喰が慌てて駆け寄っていく。

 

「レモン、どうしたんだい。もう遅いんだから……寝てなくちゃダメじゃないか」

 

 父親として娘を布団に戻そうと手を差し出す。しかしその手を取ることもなく、レモンは——感情の抜けた声で両津に問い掛けた。

 

 

「——カンキチ……あいつらを、ハムちゃんたちを殺した奴らを助けるのか?」

「——っ!!」

「……」

 

 

 夜婁紫喰が思わずギョッと動きを止めた。夏春都も孫の冷たい声音に眉を顰める。

 

「……聞いてたのか、レモン」

 

 レモンの言葉に、両津は先ほどの話を——彼らが夏春都たちに話した『今回の事件』の概要を聞いていたことを察する。

 

 レモンは幼稚園児ではあるが賢い少女だ。

 寝ぼけて起きてしまったところを通りかかり、たまたま大人たちの話を立ち聞きしただけなのだろう。それでも、彼らが話していた内容を理解し——そして知ってしまったのだ。

 

 ハムちゃんたちを殺したあいつらを、両津が必死になって助けようとしていることを——。

 

「……どうして? どうして助けるのだ、カンキチ? なんで……カンキチがあいつらのために必死にならないと駄目なんだ?」

「レモン!」

 

 幼稚園児とは思えない、暗く澱んだ瞳。そんな彼女の異変に、姉である纏が叱りつけるように呼び掛ける。だがレモンの暗い情動は止まらない。彼女は——感情を昂らせて両津へと訴える。

 

「あんな奴ら……! カンキチが頑張って助ける必要なんかない!! ハムちゃんたちみたいに——踏み潰されちゃえばいいんだ!!」

 

 あの日、ハムスターたちの墓前で少年たちに吐き捨てた言葉だ。彼女の悲しみや怒りは、たった数日で収まるほど小さくはない。

 あのときと同じ思いで感情を爆発させる少女に、誰もが掛ける言葉が見失う。

 

「レモン……」

 

 しかし、両津勘吉は冷静だった。彼はレモンの側でしゃがみ込み、彼女と視線を合わして静かに語りかけていく。

 

「お前の気持ちは分かる。わしだって、あいつらには今でも怒っとるんだ。その気持ちは……お前と一緒だよ」

 

 両津もレモンと同じ。彼らがハムスターたちを殺したことを今でも許してはいない。

 その思いは同じだと少女に諭しながら、それでも彼は首を横に振る。

 

「だが、放っておくわけにもいかん。たとえ誰であろうと、そいつが命を脅かされているのなら、わしはそいつを助けなきゃならん」

「それは……カンキチがお巡りさんだからなのか?」

 

 レモンは両津の言葉に、彼が少年を助けなければならない理由を『両津がお巡りさんだから』なのかと問う。

 両津勘吉は警察官。レモンにとってお巡りさんは正義の味方だ。市民を守るためなら体を張るのがお巡りさんの職務だと、彼女は純粋にそう信じている。

 

「……いや、それがな……こればっかしは、わしにもよく分からん」

 

 ところがその問い掛けに両津は即答しない。彼自身も何のために少年を助けようとしているのか、口で説明ができない。

 

「わしの場合……頭で考えるより先に体が動いとるんだ。動かなきゃならんと……多分、本能か何かが訴えとるのかもな」

 

 両津勘吉という人間を医学的に調べたところ、驚くべきことに、彼は通常時に左脳が機能していないということが判明した。

 言語や理性、論理的な思考を司る左脳が全く動いておらず、本能や直感に優れている右脳のみで普段は活動しているというのだ。

 

 だからこそ、両津は行動を起こすたびにいちいち立ち止まらない。

 

 気に入らない相手に噛み付くときも、ギャンブルに走るときも、商売で荒稼ぎしようと思ったときも。

 そして、人を助けるときも。彼はいつでも全力で突っ走るだけなのだ。

 

「レモン……お前にもいつかそんな場面が来るかもしれん。だが今はきちんと寝ろ。夜にちゃんと寝ないと立派な大人になれねぇぞ?」

「カンキチ……」

 

 両津はレモンへ笑顔を向けながら、彼女の頭を撫でてやった。

 彼に優しく撫でられたことで、レモンの目の奥から暗い色が消えていく。代わりに少しだけ寂しそうな瞳の色をしていたが、それでもしっかり両津のことを見つめていた。

 

 

「じゃあ、行ってくる」

「…………」

 

 少年を助けに行くという両津勘吉の後ろ姿を、少女はしかとその目に焼き付けていた。

 

 

 

×

 

 

 

「——はぁはぁ……ヒィっ!? な、なんだよ……なんなんだよ!」

 

 少年は、一人闇の中で蹲っていた。

 既に時刻は深夜を回り、空が僅かに白み始めている。空がもうすぐ夜明けを迎えようとしていたが、それでも、少年は未だ『闇』の中にいた。

 先など見えぬ、お先も真っ暗。『孤独』という闇の中で一人蹲っている。

 

「うぅううう……なんだってこんなことに……」

 

 少年は泣いていた。いつ殺されるかも分からない恐怖に怯えていた。それは彼の自業自得な行いによるものであったが、それだけのことと斬り捨てるには、少年はあまりにも若すぎる。

 未成年である少年には彼を『保護してくれる存在』が必要不可欠だった。

 

 しかし、今の彼に頼れるものなどいない。

 仲間であった二人が怪物に殺された。両親も、彼を疫病神として家から追い出した。

 

 

『——出て行け!! お前がいると、俺たちまで危ないんだ!!』

 

 

 今まで親らしいことを何もしてくれなかった両親の罵声が、今も少年の耳に残る。

 元から少年は両親から『いないもの』として扱われてきた。今更あの親に期待することなど何もなかったが、はっきりと言葉にして追い出されたのには、さすがに堪えるものがあった。

 

 親という本来であればもっとも頼りになるであろう存在から見放され、ついに少年に味方するものはいなくなった。

 全てのものが敵に見える。少年を保護しようと警官を始め、多くの人々が動いていたが、少年からすると全て自分を追い詰めようとする追手に見えてしまう。

 

 周りは全て敵だけだと。不安いっぱいに押しつぶされそうになりながら、彼はずっと逃げ回ってきた。

 

「もう嫌だ……誰か、誰か……助けてくれよぉ……」

 

 だが限界だ。一晩中逃げ回っていたことで体力的にも精神的にも参ってしまった。

 寒空の下、このまま自分はここで死んでしまうのではないかと。諦めと空虚の中——少年はそのまま意識を失うところだった。

 

 

 そんな彼に——

 

 

「——ようやく見つけたぞ……坊主」

 

 

 手を差し伸べてくれる男がやって来た。

 

 

「っ!? えあっ!! あ、あ……あ、あれ? あんた……あのときの警官?」

 

 条件反射で逃げようとした少年。だが、目の前にいた相手が予想外の人物だったためにその動きを止める。そこに立っていた男は——以前、自分を殴った警官だ。

 

 忘れる筈もない、自分が悪いことをしたんだと叱ってくれた人物であった。

 

 

 

 

 

「……よお、元気そう……ではないな。立てるか?」

 

 河川敷の橋の下。両津は疲弊しきっている少年を見つけ出すことが出来た。これも手伝ってくれた人たちのおかげだ。彼らが根気強く捜索を続けてくれたからこそ、ここに少年がいると分かったのだ。

 

 だが両津は『自分が行くまで、誰にも少年には近づかないよう』周囲に伝達していた。

 

 いつあの巨大ハムスターが襲いかかってくるかも分からず、迂闊に近づくのが危険だったということ。また見知らぬ人間が近づいて、少年が怯えて逃げ出さないようにするため。

 少年の心は疑心暗鬼だ。親からも見放され、警官からも逃げ回って来た。きっと自分には誰も味方してくれないと、そう思い込んでいるだろう。

 そんな心情でまた姿を眩まされても不味いため、とりあえず確実に確保するため両津勘吉が自ら少年の元へと赴くこととなった。

 

「……な、なにしに来たんだよ、あんた……」

 

 少年は両津の顔を見るや、怯えきった表情を浮かべる。

 ハムスター事件で殴られたこともあり、当然ながら少年は両津の顔を覚えていた。あのとき自分を叱り、責めた男が自分の危機的状況に現れる。

 その事実に——少年は卑屈な顔つきになる。

 

「お、俺を笑いに来たのか!? こんなことになって、あの二人が死んじまって……ざまあみろって俺を笑いに来たのかよ!?」

 

 少年は両津が自分のことを嘲笑しにきたと思い込んでいる。あるいは、間違っていた自分を糾弾するために現れたか。

 

「……分かってんだよ!! あんたが言いたいことなんて!! どうせ俺たちが悪かったて……全部、自業自得だって言いたいんだろ!?」

 

 少年は両津が言いたいであろうことを、先回りに叫んでいく。

 どうせこの警官も「お前のせいだ!」と。全てが因果応報だと、自分を責めにきたんだろうと。何もかもを諦めきった精神で、開き直るように少年は両津を睨みつけていく。

 

 

「…………」

 

 

 けど両津は何も言わなかった。黙って少年の方へと歩み寄り、彼の体調を窺う。

 

「怪我をしてるみたいだな……見せてみろ」

「えっ……?」

 

 両津は少年の膝に擦り傷を見つける。そしてそれを、ただ淡々と手当てしていく。

 

「な、なんで……なんで何も言わないんだよ……」

 

 少年は困惑する。てっきりあのときのように怒鳴られるかと、殴られるとさえ思っていた。この警官も自分を追い詰めるためにここまで来たのだろうと、そう思い込んでいた。

 けれど両津は少年を責めない。過去の過ちよりも、今は彼の身を純粋に気遣っていく。

 

「お前には言いたいこともあったが……正直、そんな気もなくなった」

 

 傷の手当てをする片手間に、両津は少年に対する自分の気持ちを吐露していく。

 本当であればもう少し何か言ってやるつもりだった。彼らがハムスターたちを残酷に殺さなければ、そもそもこんなことになっていなかったと。説教の一つでもしてやりたい気持ちはあった。

 

「けど、ガキのお前さんにそんな顔をされちゃな……」

 

 だけど少年の、今にも死にそうな顔を見せられてはそんな気持ちになどなれない。年端もいかない子供にそんな顔をされてしまったら——大人として、力を貸さないわけにはいかない。

 

 両津は年長者としての責任を全うすべく、少年へと手を差し伸べていた。

 

「さあっ、行くぞ! お前さんには生きてもらわなくちゃいかん! 生きて……自分のしてきたことを反省してもらわなきゃな!」

「お……お巡りさん……」

 

 両津の真剣な思いが少年にも届いたのか、彼は感極まったように涙ぐむ。

 そのまま、少年は差し伸べられた手を握り返そうとする。

 

 

 

『——アアアアアアアアアアアア!!』

 

 

 

 その刹那、のそのそと蠢き回る物音と共に——どでかい怪物の鳴き声が響き渡る。

 

「!! ちっ、とうとう見つかったか!?」

 

 よもやと思い両津が振り返れば——そこに巨大ハムスターの姿があった。

 もさもさの毛に巨大な図体。隻眼の眼を血走らせ、次の瞬間にもどこから発声しているのかも分からないような、幼い子供の声を上げる。

 

 

『見つけた』

 

   『見つけたよ。最後の一人』

 

『お前で最後、お前を殺せば……ボクは、ボクたちはぁあああああ!!』

 

 

 そして最後の一人。

 殺すべき最後の標的へと狙いを定め——恨みを抱く怪物は少年へと襲い掛かっていく。

 

 

 

×

 

 

 

「——逃げるぞ!! 掴まってろ!!」

 

 突撃してくる巨大ハムスターを前に、両津勘吉は慌てて少年を担ぎ上げる。中学生の身体能力では逃げ切ることは不可能と咄嗟に判断した彼の行動に間違いはなく。

 

「う、うわあああああ!?」

 

 少年がさっきまでいた場所を巨大な図体が駆け抜けていく。あのまま立ち尽くしていたら、彼は間違いなくただの肉塊と化していただろう。少年は恐怖でパニックになるが、間一髪で命は拾った。

 ハムスターはそのまま突進の勢いを殺すことができず——河川敷の川の中へと突っ込んでいく。

 

『——っア、アアア!?』

 

 途端、盛大に水を被ったハムスターがその巨体を不快そうによじらせた。

 ハムスターは水が苦手、水に濡れるのを嫌がる動物とも言われている。生きていた頃の名残からか、水浸しになることに極度のストレスを感じている様子であった。

 

「な、なんだか知らんが……チャンスだ!!」

 

 そういったハムスターの生態を知っていたわけではないが、相手がもたついていることは両津にも理解できた。彼は少年を担ぎ上げたまま、急いで河川敷を全速力で離れていく。

 

『ウゥ、ウウウウウ!!』

 

 だがそれで稼げた距離も僅か数メートル。すぐにハムスターは活動を再開。さらに憎しみを増大させるよう、唸り声を上げながら両津のすぐ後ろを追いかけてくる。

 

「お、お巡りさん!? 後ろ!! すぐ後ろに来てる!!」

「静かにしてろ! 舌噛むぞ!!」

 

 ハムスターが間近にまで迫る光景に、さらにパニックに陥いる少年。しかし両津も後ろを振り返る余裕などなく全速力で走っていた。

 彼自身も、追いつかれそうになっている危機を背後からのプレッシャーで実感している。

 

 追いつかれたら最後。頑丈な両津はともかく、少年の方は只では済まないだろう。

 その恐ろしい獣が、まさに両津の尻に齧り付こうとした。

 

 

『ギィアアアアアア!?』

 

 

 そのときだ。

 どこからともなく飛来した『下駄』が怪物を食い止める。小さな下駄の一撃がハムスターを悶絶させ、そのまま持ち主の元へと戻っていく。

 

 

「——もうそこまでにしておいたらどうだ」

 

 

 幼い子供の、どこか達観した冷たい溜息。

 両津が前方に目を向ければ、そこに先日知り合ったばかりの少年——ゲゲゲの鬼太郎が立っていた。

 

「お、お前……どうして!?」

 

 両津は彼が下駄の一撃で怪物を沈めたことにも驚いたが、それ以上に鬼太郎がこの場に駆けつけたことに呆気に取られていた。

 あれだけ「関わらない方がいい……」と、両津に警告していた筈の少年が何故と。

 

「……あいつに、頭を下げられましたからね」

 

 両津の疑問に鬼太郎はボソッと呟く。

 それは不満そうな口調でありながらも、どこか仕方がないと慣れきった溜息。鬼太郎にこんな感情を抱かせながらも、彼を動かすことができる人物はそれなりに限られている。

 

 

「——両さん!! 大丈夫か!?」

 

 

 彼——ねずみ男である。

 両津の窮地に彼自身も高級車を乗り回しながら現場へと駆けつけて来てくれた。鬼太郎に助けを求めたのも彼なのだろう。そのおかげで何とか九死に一生を得る両津たち。

 

『ジャ、ジャマを……ジャマをするなアアアアアア!!』

 

 しかし先の一撃だけで撃退できたわけではない。邪魔者の介入にさらに憎しみを燃やし、その場にいる全てのものへとハムスターは怨嗟の声を上げる。

 その絶叫に狙われている少年が「ヒィッ!?」とますます恐怖心を募らせる。

 

「両さん、乗ってくれ!! 後のことは鬼太郎に任せとけ!!」

 

 ねずみ男はこの場を素早く離脱するため、両津に車に乗るよう促していた。鬼太郎の実力を信頼しているからこそ、ここは鬼太郎一人で十分だと判断できるのだ。

 

「いや……けどなっ!?」

 

 その提案に両津は躊躇する。今の攻防で鬼太郎が何となく人間離れしていることを察し始めた。だが、さすがに一人であの怪物の相手をさせるのには抵抗を感じる。

 狙われている少年だけを車に避難させ、両津自身はその場に残ろうかと足踏みする。

 

 しかし、そんな両津に鬼太郎は冷たく言い放った。

 

「いいから行ってください」

 

 特に気負う様子も見せない、僅かに感情のこもった声で。

 

 

「貴方にはお寿司を奢ってもらった借りもあります。それを今のうちに返しておきますよ」

 

 

 

 

 

「……よし! ここまで来ればもう大丈夫だろうぜ!」

「………済まんな、ねずみ男。おかげで助かった……」

 

 高級車を飛ばすこと数分。河川敷から離れ、ハムスターや鬼太郎たちの姿が見えなくなったところで、ねずみ男が助手席に座る両津へと声を掛ける。

 両津もねずみ男に礼を言う。彼が車で来てくれなければ、鬼太郎を連れてきてくれなければ今頃どうなっていたことやら。

 

「た、助かったんですか? お、俺、助かって……」

 

 少年も安心しきった表情で、後部座席に力なく項垂れかかっている。

 

「……それで、両さん。これからどうするよ? ……こいつを、どこまで連れていくつもりだい?」

 

 車を走らせながら、ねずみ男は両津に行き先をどうするか尋ねた。こいつと、少年にチラリと視線を向ける彼の目には非難の色が宿っている。ねずみ男は両津のために力を貸しているが、少年の悪業に関してはまだ許せていない部分があった。

 その敵意の視線に、少年は「う、うう……」と俯いてしまっている。

 

「よせ、ねずみ男……とりあえず、病院に連れてってやろう。傷の手当てもしてやらなきゃならん、一応医者に診てもらう」

 

 ねずみ男を嗜めながら、両津は行き先を病院に指定した。小さいながらも外傷があり、精神的な観点からも医者の世話になった方がいいだろうと。今にも気を失ってしまいそうな少年の顔色から、そのような判断に至っていた。

 

「それにしても……あの坊主に任せてきて本当に大丈夫なのか? まあ確かに、只者じゃないんだろうが……」

 

 そうして向かう先を決めたところ、両津がねずみ男に改めて問い掛ける。

 

 鬼太郎が只者でないことは分かった。きっと彼もあのハムスターと同じ、妖怪と呼ばれる存在なのだと。その戦闘力が自分たち人間などより、はるかに実践的なのも明白だ。

 しかし、見た目が小僧っ子の彼を一人にするのは大人としてやはり抵抗がある。果たして鬼太郎一人に任せて本当に良かったのかと、両津は一抹の不安を拭えない。

 

「鬼太郎なら大丈夫だって!! あんな図体がデカイだけのハムスターじゃ、あいつには逆立ちしたって勝てないさ!」

 

 反面、ねずみ男は全く問題ないと笑みすら零す。

 彼は鬼太郎の強さを知っている。あの巨体から繰り出される体当たりなど、確かに人間であれば脅威だろうが、鬼太郎にとっては何ら問題ないと素直に判断していた。

 

 

 

 

 

 実際、ねずみ男の読みは的を射ている。

 

「——体内電気!!」

『——アアアアアア!?』

 

 河川敷に残って巨大ハムスターとの戦いを引き受けた鬼太郎。彼の体内電気が濡れていた相手の体を感電させ、その巨体を黒焦げにする。鬼太郎の妖怪としての実力は抜きん出ており、ただデカイだけの動物霊など彼の敵ではない。

 鬼太郎が介入して時点で、もはやこの事件は解決したようなものだった。

 

「このまま大人しく諦めるなら、ボクもこれ以上はキミに危害は加えない。大人しく立ち去れ……」

 

 だが鬼太郎はとどめを刺さない。刺せないでいる。

 彼らの悲惨な生前を知っているからこそ、そのまま倒してしまうことに抵抗感を抱いてしまう。妖怪の事情も考慮する彼の公平さが甘さとなった結果、ハムスターは未だに肉体を保ち続ける。

 

『ウゥウウ、ウゥウウウウウ!!』

 

 鬼太郎の説得にハムスターは応じない。もはや明確な知能すら見せることがなく、息を荒げるばかりで話にもならない。

 

「…………大した執念だな」

 

 そんな荒ぶる姿を目に焼き付けながら。鬼太郎はふと疑問を呟く。

 

「何がそこまでキミを駆り立てる? 殺された復讐心……それは理解できる。けど……」

 

 

 生きながらにして体をバラバラにされたハムスターたち。確かにそのような目に遭わされれば人間を憎み、化けて出るようになってもおかしくはないだろう。

 だが通常、そういった動物霊が妖怪になるにはある程度の年月、手順を必要とするものだ。猫が怨霊と化した『化け猫』や、犬を呪詛として練り上げる『犬神』など。

 猫や犬といった『化けて出やすい動物』ですら、そう簡単に妖怪になどならない。ただのハムスターがいきなりこんな怪物に変貌を遂げるなど、本来であればあり得ないことだ。

 

 何故、彼らはこんな怪物となったのか?

 そこには——彼ら自身の憎しみ以外に、外的な要因があったとしか考えられないのだ。

 

 

 

 

 

『——いたい、痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!』

 

 生きながらにしてバラバラにされ、踏み潰された六匹のハムスターたち。

 もはやどれがどの個体だったかも分からないほど、ぐちゃぐちゃに潰され——彼らの意識は一つとなった。

 

 ただただ『痛い』という苦痛の中で、彼らは集合意識として混ざり合ったのだ。

 彼らは、『どうしてこんな目に遭わなければならなかった?』と自問しながら——子供たちの涙する声を聞く。

 

 えーん、えーんと。

 自分たちの死を悼んでくれる、幼い子供たちの泣き声。実のところ、それだけでも彼らの供養となり、痛みは僅かにだが和らいでいた。

 そのままであれば、彼らが化けて出るようなこともなかっただろう。しかし——

 

 

 一際自分たちへの想いが強い『少女』の言葉が、彼らの魂を響かせた。

 

 

『——あんたたちも踏み潰されればいいんだ!!』

 

 

 ……そうだ。踏み潰してしまえばいい。

 自分たちをこんな目に遭わせた連中など。『あの子』を悲しませる奴らなど——全て踏み潰してやればいい。

 

 

 邪魔する奴らも同罪だ。全て……全て殺してやる!!

 

 

 

 

 

『……泣いてる。あの子が泣いてる』

 

   『ボクたちのことを、誰よりも見てくれていた子が……』

 

『許せない……あの子を泣かせる奴らが許せない!!」

 

 

「……っ!?」

 

 瀕死の重傷だったハムスターが起き上がり、その体から黒い妖気が沸き立ってくる。戦いが終わったと思い込んでいた鬼太郎がその異変に驚愕し、反射的に身構える。

 いったい何が起こっているのか、鬼太郎ですらも理解出来ぬ状況だ。

 

 

『お前も、あの子の邪魔をするのか?』

 

   『あの子の願いを踏み躙るのか?』

 

『許さない。それだけは絶対に許さない!』

 

 

 ハムスターたちの内なる叫びが、ただの恨言から何か、別のものへと変わっていく。

 根本的な憎しみはそのままに、それが自分たちではなく、誰か別の人を想っての行動であると叫び声を上げている。

 

「あの子……まさか!?」

 

 両津からハムスターたちの話を聞いていた鬼太郎には、それが誰のことを指すのか察しがついてしまった。

 その子の想いが——皮肉にもハムスターたちをこんな怪物へと変えてしまったのかと、それを理解する。

 

 

『——アアアアアアアアアアアア!!』

「し、しまっ……!?」

 

 

 そんな思考に囚われてしまっていたためか。さらに凶悪化した怪獣による捨て身のタックルに、鬼太郎は咄嗟に対処することができなかった。

 

 

 ハムスターの巨体が鬼太郎の小さな体を突き飛ばし、彼の身が河川敷の彼方まで吹っ飛ばされていく。

 

 

 

×

 

 

 

「……明るくなってきたな」

 

 危険地帯から離れ、病院に向かって車を走らせる両津一行。警戒心も和らぎ、静かに街中の様子を観察していた。

 日は昇り、朝早い人間はとっくに活動を始めている。早朝出勤者の車や、通行人があちこちで見られる時刻。

 もしも万が一、こんな場所で狙われたら被害はさらにとんでもないことになっていただろうと、不吉な考えを浮かべる。

 

「もうすぐ病院に着くぜ、両さん」

 

 車の運転をしていたねずみ男が両津へと呼び掛けた。彼も今頃は鬼太郎があの怪物を退治していると信じきっているためか、すっかり油断し気を緩めていた。

 

 だからなのだろう。

 バックミラー越し、後方から巨大な影が迫っていることに——ねずみ男は気づいていなかった。

 

 

『——アアアアアア!!」

「な、なな、な、なな、なに? なんなんだよ!?」

 

 

 恐ろしい唸り声に、後部座席で眠りかけていた少年が飛び起きる。

 後ろを振り返れば——すぐ目前まで、あの巨大ハムスターが迫っていた。血走った眼光が、殺すべき対象である少年をロックオンする。

 

「!! ねずみ男っ!! 速度を上げろ!!」

「りょ、了解!!」

 

 両津もハムスターの存在に気づく。ねずみ男も慌てて車の速度を上げ、一気に追跡者を突き放しにかかる。だがそのすぐ後ろを、ピッタリと怪物は追いかけてきた。

 街中で追いつかれたら最後の、カーチェイスが突如として繰り広げることとなる。

 

「な、なんで!? 助かったんじゃな!? なんで、なんでぇえええ!?」

 

 この状況に誰よりもパニックになっていたのは少年だ。助かったと思った矢先に、またも命を狙われる。希望と絶望のゆり幅が、少年の精神を激しく取り乱させる。

 

「あいつ……さっきよりデカくなってないか!?」

 

 一方で、両津は冷静にハムスターの姿を見極めていた。

 彼は相手の姿が、先ほどよりも巨大になっていることに気付いたのだ。5メートルほどだったその体躯が一回り大きくなり、およそ7、8メートルほど。1、5割ほどの増量だ。

 

「まさか鬼太郎……やられちまったのか!?」

 

 敵の巨大化、奴がここまで追ってきたことからそう考えるのは当然の流れ。ねずみ男は鬼太郎があれに返り討ちにされてしまったことに驚愕を隠し切れない。

 鬼太郎が勝てない相手など、どう足掻いても自分たちに勝ち目などないのだと、死に物狂いで車を爆走させる。

 

「うおっ!? 危ねぇぞ、ねずみ男!! もっとしっかり運転しろ! ぶつかるとこだったぞ!!」

「んなこと言われたってよ!?」

 

 だが彼らがいるのは街中、市街地のど真ん中だ。まだ早朝でそれほどではないが、他の自動車も道路を走っている。先ほどもすれ違った対向車と危うく正面衝突するところだった。下手に逃げ回れば逃げ回る分だけ、街中の被害を拡大させてしまう。

 

「ねずみ男っ!! とりあえず高速に!! それから——っ!?」

 

 そういった懸念から、両津は周囲に被害を与えない方向での逃走経路をねずみ男に指示する。少なくとも今はそうするしかないだろうと、真っ直ぐ高速自動車道への道をナビゲーションしようとした。

 

 

 その直後——

 

 

「うおおおっ!! しまっ——!?」

 

 目の前の交差点が赤信号になる。止まるわけにも行かず交差点へと突っ込んでいき、なんとか他の車を避けようとハンドルを操作。

 しかし、車は完全に制御を失い——そのまま大横転。

 他の車に被害を与えこそしなかったが、ねずみ男の高級自動車は完全にスクラップ。

 

 両津たちは、逃げるための足を完全に失うこととなる。

 

 

 

 

 

「いててて……お、おい大丈夫か、ねずみ男!?」

「あら、ほれ、ひれ……」

 

 横転した車の中、両津は運転席のねずみ男に声を掛けた。彼は横転したショックに目を回し、完全に意識を失っている。幸い体の方に怪我はなかったため、両津はそのまま少年の安否を確かめていく。

 

「しっかりしろ、坊主! 生きてるなら、返事しろ!」

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁっ!!」

 

 両津の呼び掛けに少年は返事をする。もっとも、それはただ呼吸を荒げているだけだ。既に少年に正常な思考能力はなく、発狂寸前で息をするのも精一杯だった。

 とりあえず駆け寄って落ち着かせてやりたかったが、生憎と身動きが取れない。

 

「くそっ! おい、動けるようなら、お前だけでも逃げろっ!!」

 

 横転した車に閉じ込められており、両津は助手席から抜け出せなかったのだ。一方で少年は運よく車から抜け出せた。というよりも、横転した衝撃で車から放り出されていた。

 一人だけ自由に身動きができる少年。しかし——彼には逃げ出せるだけの気力が残っていなかった。

 

『ウゥウウ……ウゥアアアアアア!』

 

 そんな少年へとゆっくり、血に飢えた魔獣が鼻をヒクヒクさせながら近づいていく。獲物を追い詰めた蛇のよう、逃げ場のない獲物をいたぶるかのようにじっくりと。

 

「————」

 

 少年は悲鳴を上げることもできず、呼吸すら止まっていた。

 息を飲んだ瞬間にも、それが合図となって襲い掛かってくる。そんな緊張感すら漂わせながら、ハムスターは最後の怨敵へとにじり寄り——。

 

 

 

「——ハムちゃん!!」

『——っ!!』

 

 

 

 そんな絶望の最中に小さな、とても小さな女の子の声が響き渡る。

 車の中から両津が、怪物であるハムスターがその呼び掛けに振り返った。

 

「れ、レモン!? なんでこんなところに!?」

 

 そこには——擬宝珠檸檬が、幼稚園児の少女が立っていた。

 彼女は今にも泣き出しそうな表情で、眼前の怪物と化したかつての愛すべき小さな生命に呼び掛けていた。

 

 

「……ハムちゃん、なんだよね?」

 

 

 

×

 

 

 

 時を僅かに遡る。

 擬宝珠檸檬がその現場に立ち会えたのは、まさに運命の悪戯だった。

 

「……いつも済まんのう、三平」

「いえ、檸檬お嬢様……」

 

 レモンは幼稚園への送り迎えを超神田寿司の従業員にやってもらっている。車での送り迎え。その日も、いつものように真っ直ぐ幼稚園へと向かっていた。

 

「檸檬お嬢様。今日は随分と早いんですね。今の時間では……まだ誰も幼稚園に来ていないと思いますが?」

 

 いつもと違っていたのは登園時間だ。いつもよりやや早めに家を出たい、というレモンの要望に運転手の三平が疑問を抱いていた。

 レモンはあまり我儘を言わない子だ。普段であれば、従業員の都合を無視してまで登園時間を早めたりしないのだが。

 

「……今日は、皆が来る前にハムちゃんたちのお墓を整えてやりたいのじゃ」

 

 レモンは消え入りそうな声で、幼稚園へ朝早くから出向く理由を口にした。

 昨日の大穴のせいで荒れてしまったハムスターたちのお墓。業者が穴自体を埋めてくれたという話だったが、お墓までは建ててくれない。

 レモンはそのお墓を早く建て直してやりたいと、早めに幼稚園へ行くことにしたのだ。

 

「お嬢様……ええ、そういうことでしたら、自分もお手伝いしますよ!」

 

 幼い少女の健気な願いに、三平はじーんと感極まる。それなら自分も手を貸すと、従業員としてではなく、一人の大人として彼女の手助けをしたいと申し出ていた。

 

「……ありがとう、三平」

 

 三平の親切にお礼を言いながら、レモンは幼稚園に着くまでの間、静かに窓の外の景色を眺めていた。

 

「……っ!? な、なんだぁあ!?」

 

 その直後だった。レモンと三平が進もうとしていた交差点の目の前で——車の横転事故が起きる。

 信号を無視して交差点へと突っ込んできた高級車が、他の車を避けようとしてクラッシュしたのである。

 

「あ、危ないな。こんな朝っぱらから……って、なんだあれはぁあああ!?」

 

 こんな時間から事故を引き起こす自動車に、三平は不機嫌に眉を顰める。だが彼はそこで、横転した車に近づいていく『巨大なハムスター』の怪物という、理解不能な光景を目の当たりにしてしまう。

 今回の事件に深く首を突っ込んでいない彼では、それが何であるかなど理解できない。

 

「あっ!?」

 

 しかしレモンには。昨夜に両津たちの話を立ち聞きしていたレモンには、それが何であるか。何であったかを理解するだけの下地があった。

 もはや以前とは見る影もない姿だが、間違いなくあのハムスターは——

 

「……っ!?」

「あっ!? お、お嬢様っ!!」

 

 気がつけば、レモンは考える間もなく車から飛び出していた。

 

 そしてあのハムスターの元へ、ハムちゃんたちだったものへと駆け寄っていた。

 

 

 

 

 

『キミは……』

 

 レモンの存在に、怪物はその動きをピタリと止めた。体中から滾っていた黒い衝動も鳴りを潜め、血走っていた眼からも殺気が消え失せる。

 怪物は正気を取り戻したかのように、レモンに無邪気な子供の声で語り掛けた。

 

 

『覚えてる。この声、この匂い』

 

   『ボクたちのために泣いてくれた子だ』

 

『わたしたちに優しくてくれた子だ』

 

 

 微笑むような、笑いかけるような優しい声音だった。それまでの暴虐ぶりが嘘だったかのように、ハムスターは穏やかな顔つきでレモンの匂いを嬉しそうに嗅いでいる。

 

「ハムちゃん……レモンのことが分かるのか?」

 

 ハムスターが自分を認識していることにレモンはびっくりしている。ただのハムスターであったときには聞けなかった彼らの気持ちなどを聞けて、レモンは僅かに頬を綻ばせる。

 

『当たり前だよ』

 

 レモンの呼び掛けに当然のように答えるハムスター。驚くほどスムーズに会話自体が成立しているが——

 

 

『あなたがわたしたちに願ったのよ』

 

   『キミが……あいつらを踏み潰して欲しいって——』

 

 

「…………えっ?」

 

 ハムスターの言葉がレモンという少女に衝撃をもたらす。こうしている間にも両津が横転した車から「レモン、逃げろ!」と叫んでいるが、それすらも聞こえてこない。

 

「れ、レモンが……願った? レモンが……」

『そうだよ。キミが望んだことじゃないか。あいつらなんか——踏み潰されちゃえばいいって……』

「——っ!!」

 

 レモンが何にショックを受けているのかも理解できず、ハムスターは笑みを溢した。

 自分たちが生まれたのは彼女の、レモンのあの叫びがきっかけだと。幼い彼女に向かってその現実を無邪気に突きつける。

 

 

『待ってて、これで最後の一人だから』

 

   『これでキミの望みが叶うよ』

 

『これで……全部終わるんだよ』

 

 

 そしてハムスターは最後の一人を、少年を殺そうとその巨体をゆり動かす。

 あと一歩で、少年を踏み潰せる間合いへと踏み込もうとし——

 

 

「——だ、ダメだよ、ハムちゃん!! そんなことしたらダメなのじゃ!!」

 

 

 レモンは叫ぶ。

 ハムスターたちの行いをやめさせようと、勇敢にも彼らの前に立ち塞がっていた。

 

 

『……どうして? どうして止めるんだい?』

 

   『キミが望んだことじゃないか』

 

『そうだよ、キミが願ったことじゃないか』

 

 

 心底、理解できないという気持ちでハムスターは首を傾げる。

 

 自分たちは彼女の悲痛な叫び声から誕生した。

 少女の願いを叶えるために、自らを魔性へと堕としたのだ。

 

 なのにその行いを、他でもない少女が止めようとする。彼らからすれば存在意義を否定されたようなもの。その矛盾に苛立つよう、ハムスターは全身の毛を逆立てていく。

 

 

「ダメなんだよ、ハムちゃん。弱い者をイジメるのは……いけないことなのじゃ!」

 

 

 だが苛立つハムスターにも怯えず、レモンはキッパリと、彼らの行いが悪いことであると諭す。

 人間として純粋で善良な少女は、どんなことがあったにせよ命を奪うことが悪いことだと知っている。

 

 あのとき放った彼女の暴言も、確かに『本心』ではあったが『本気』ではなかった。

 心が取り乱して出てしまった弱音であり、実際にそれを誰かに実行して欲しいなどと、夢にも思っていなかった。

 

 だから、彼女は力強く宣言する。間違いは間違いだと、揺るぎない正義感を胸に秘めて。

 

 

「だから……もうやめよう? こんなことしたって……レモンは嬉しくなんかないのじゃ!!」

 

 

 その言葉に——ハムスターたちの中で何かが崩壊する。

 

 

 

『……何で?』

 

   『……どうして?』

 

『だってボクたちは……』

 

   『わたしたちはキミのために』

 

『願ったのはキミなのに……』

 

  『キミがボクたちを否定するの?』

 

 

 

 ぐちゃぐちゃに混ざり合っていた集合意識が、さらにぐちゃぐちゃになっていく。少女のためにという存在理由を、少女自身から真っ向から否定されたのだ。とてもではないが、正気など保っていられない。

 

 

 この少女に捧げる自分たちの献身が全て否定された。

 

 

 

 ならば後に残るのは——憎しみだけしかない。

 

 

 

『——じゃあ、もういいよ!!』

 

 

 

 愛を失った獣は、再び血に飢えた魔獣と化す。

 穏やかになりかけていた心が一瞬で狂気へと塗り替えられ、彼らは己のためだけに暴力を振るう怪物となった。

 

 

『殺す、殺す殺す殺す殺す……死ね死ね死死死死死死死っ!!!』

 

 

 完全に制御を失った殺戮マシーンのように、彼らの視界にはもう——自分たちを殺した怨敵しか映っていなかった。

 

「——っ! ハムちゃん!!」

 

 レモンの呼び掛けにも、もはや何の返答も示さない。

 そのままレモンごと、彼らは少年を殺そうと牙を剥こうとし——

 

 

「——やらせるかっ!!」

 

 

 それを阻止しようと、両津勘吉が怪物に向かって飛び掛かる。

 

 

 

 

 

「カンキチ!!」

 

 ハムスターの背中に飛び掛かっていく両津に、レモンは叫び声を上げる。両津はレモンがハムスターと対峙している間にも横転した車から抜け出し、ここで躊躇なく飛び掛かったのだ。

 ハムスターの暴走を、何とかその身一つで食い止めようと体を張る。

 

「逃げろ、レモン!! ここはわしに任せて……逃げるんだ!!」

 

 ハムスターの背中に張り付きながら、両津はレモンに逃げるように叫んでいた。

 

「……っ!」

 

 両津の呼び掛けにレモンは頷いた。避難することを了承した上で——彼女は呆けていた少年に、ハムちゃんたちを殺した不良中学生へと手を伸ばす。

 

「立って! こっち!!」

「……えっ?」

 

 放心状態だった少年がレモンに手を引かれ、されるがままに力なく連れていかれる。

 ハムちゃんたちを殺した彼を、レモンは助けようと手を伸ばしたのだ。

 

 何故そんなことをしたのか、レモン自身も説明できない。

 ただこうすべきだと、体が勝手に動いていた。

 

『——ア、アア、アアアアアア!!』

 

 遠のいていく。自分たちが殺すべき怨敵が、自分たちを愛してくれていた少女と共に立ち去っていく。

 あり得ない、あってはいけない光景に怪物はますます発狂していく。

 

 背中の両津を振り払おうと、眼前のあってはならない光景を振り払おうと体を震わせるハムスター。

 

 そんな暴れまわる怪物に向かって、両津は渾身の力を込め——。

 

 

「馬鹿野郎!! これ以上、レモンを悲しませるんじゃねぇええええええええ!!」

 

 

 その顔面に——叱りつけるような鉄拳をお見舞いする。

 

 

『——っ!? あ、ああああああああああ……』

 

 

 それは、本来なら大したダメージになどならない筈だった。

 だが現実を、あの子が悲しんでいるという事実を突きつけられ——亡霊は力なく項垂れていく。

 

 自身の存在理由の半分を失い、妖怪はその力を大きく弱体化させていた。

 

 

「——指鉄砲!!」

 

 

 そこへさらなる追い打ちが叩き込まれた。

 

 河川敷で吹っ飛ばされたゲゲゲの鬼太郎。何とか戦線へと復帰し、ここまで一心不乱に駆けつけてきた彼が、会敵すると同時に渾身の妖気弾を撃ち込んだのだ。

 

 

 それがトドメとなり、ハムスターの巨体が沈む。

 

 

 今度こそ完全に、ハムスターは起き上がる気力など一欠けらも残さずに沈黙した。

 

 

 

 

 

『どうして……なんで、なんだよ』

 

 瀕死の最中においても、ハムスターは憎しみを吐き出していた。しかし、そこに先ほどまでの迫力はない。

 もはや臨終する間際の最後の吐息だ。彼らの命は長くない。その肉体が消滅するまでもって一分といったところ。

 

 今更何もできることはない。このままであれば、怪物は憎しみを抱えたまま空虚に消滅するだけだっただろう。

 

 

「——もういいんだよ、ハムちゃん」

 

 

 だが怪物のすぐ側まで、擬宝珠檸檬が近づいていく。既に亡骸にも等しいその巨大な体に、そっと手を触れる。

 

「キミ……」

 

 レモンの行動に「まだ相手が抵抗してくるかも」と、鬼太郎が危ないと警告を口にしようとする。

 

「……大丈夫だ、信じてやれ」

 

 しかしそれを両津勘吉が止める。彼はレモンを信じた。レモンがハムちゃんたちにしてやれる最後のことこそが、お互いのためになると信じて黙って見届ける。

 

「もう痛いこともない、苦しいこともないんだよ……誰も、ハムちゃんたちの眠りを邪魔したりしないから……」

 

 レモンは今にも泣き出しそうな声で。今にも叫びたそうな胸のつっかえ抱えながらハムちゃんたちに語りかける。

 

 けど涙は見せない。涙を見せてしまったら、それが未練になってしまうと思ったから。

 

 

「だから……安心して、静かに眠ってね」

 

 

 だから、ハムちゃんたちが今度こそ静かに眠れるようにと。

 強がりでもいい。笑顔で——彼らへと別れを告げる。

 

『…………あったかい』

  

 レモンに触れられ、笑顔で見送られ、冷たいだけの彼らの体と魂に幾ばくかの体温が戻ったような気がした。

 

 ハムスターたちは最後の最後、憎しみ以外の感情を瞳に宿しながら——その肉体を砂のように霧散させていく。

 

 

 

 

 

「カンキチ……レモンのせいなのか?」

 

 消えていくハムちゃんたちを見送りながらも、レモンは震えた声で両津に問いかける。

 

「レモンが……あんなこと言ったから、こんなことになってしまったのか?」

 

 レモンは自分の言葉が、『あんたたちも踏み潰されればいいんだ!!』という叫びが、全ての引き金になってしまったことを知ってしまった。

 自分があんなことを言わなければ、こんなことには、誰も苦しまずに済んだのではと自分自身を責める。

 

 

「——それは違うぞ、レモン」

 

 

 両津は静かだが、キッパリとレモンの負い目を否定する。

 ここで僅かでも逡巡した返事をしてしまえば、今回のことはレモンという少女の胸に一生、『疵』として残ってしまう。

 

 だからこそ両津は断言する。今回の事件、レモンには一切の責任がないと。

 

「レモンは悪くない。悪いのは……わしらのような大人たちだ」

「えっ?」

 

 両津は諭すように責任の在処を明確にした。その言葉に鬼太郎が驚いて目を見開く。てっきり、今回の事件の元凶として不良中学生たちの悪行を口にするかと思っていたからだ。

 しかし、両津は彼らすらも責めようとはしない。全ての責任は——自分たちを大人のせいだと明言する。

 

「こいつらの両親が……もっとこいつらをちゃんと見ていてやれば、こいつらだってあんな事件を起こさなかった」

 

 少年の方を見ながら、彼の両親の愚かさを口にする。

 

「わしら警察がもっと迅速に動いていれば……被害者を増やさずに済んだんだ」

 

 自分たち警察の不手際を両津は口にする。もっと自分たちが妖怪相手に本気になれる捜査体制であれば、少なくとも二人目の犠牲者は出なかったと。

 

「済まなかったな。お前のダチを……わしらは守ってやれなかった。全く、情けない大人たちだよ……揃いも揃って……」

 

 両津は己自身の不甲斐なさを詫びるよう、自嘲するよう少年に対して頭を下げた。

 

「お……お巡り……ざん……」

 

 少年は何も言えなかった。喉が詰まったように、嗚咽を堪えるしかできないでいる。

 

 

「……そんなことないのじゃ」

 

 

 しかし、レモンは口を開いた。落ち込んでいるようにも見える両津を励まそうと、彼女なりに日頃から思っていることを言葉にしていく。

 

「カンキチは情けなくなんかないぞ」

 

 いつだって、レモンにとって両津勘吉は頼りになる男だ。

 たまに金儲けにずるくなって、色々と自業自得な目に遭って、何かとみんなから白い目で見られるようなことがあっても、レモンにとって両津勘吉は誰よりも頼りになる大人だ。

 

 

「世界で一番かっこいい……世界一のお巡りさんなのじゃ!!」

 

 

 花が咲くような満面な笑みで彼女は両津へと笑いかける。

 

 

 

「!! そうか……そうだったな」

 

 その笑顔と力強い言葉に、両津は大事なことを思い出させて貰った。

 

「わしはお巡りさんだ。これまでも……これからもずっと……」

 

 自分でも忘れそうになったり、嫌気がさしてしまうこともある。

 だがそれでも——両津勘吉は『警察官』なのだと。

 

 そう求めてくれる人が一人でもいる限り、自分はいつまでもそう在り続けることができると。

 

 

 それを再確認し、彼は誇らしく顔を上げる。

 

 

 すっかり晴れ渡っていた空には、眩しいほどの太陽が燦々と輝いていた。

 

 

 

×

 

 

 

「——なるほど……わしが知らぬところでそんな事件がのう……」

「済みません、父さん。あのときは……ずっと家に帰ることができませんでした」

 

 事件から数日後。

 街中を歩きながらゲゲゲの鬼太郎が、実の父である目玉おやじにハムスター事件の経緯を語っていた。

 

 あの事件の間、鬼太郎はゲゲゲの森にも帰らず、ずっと目玉おやじの世話を猫娘たちなどに任せっきりだった。事件に関わるまいと思っていたのだが、結末くらいは最後まで見届けようと思っていたためだ。

 結局、ねずみ男に頼まれて首を突っ込むことになったが、あれで本当に良かったのかと今でも自問している。

 

「ふふっ……構わんさ。鬼太郎がそうすべきと思ったのなら、それで正しかったんじゃろう」

 

 目玉おやじは鬼太郎が自分を放っておいたことも、彼が事件に首を突っ込んだことも責めはしない。親として鬼太郎の意思を尊重し、彼を信頼しているからこそ、どっしりと彼の帰りを待っていることができた。

 無責任に子供を放置する親などとは違う。そこには確かに息子へと向ける愛情が感じられた。

 

「ところで……」

 

 ふいに、目玉おやじはその視線を鬼太郎の隣を歩く人物へと向ける。

 

「ねずみ男……お前さん、いつの間にいつも通りに戻ってしまったんじゃ?」

「う、うう……」

 

 そこにいたのはねずみ男だった。スーツ姿ではない、いつものボロい一張羅を纏った見慣れたねずみ男の姿だ。数日前まで確かに成金的な格好で森の仲間たちを馬鹿にしていた筈。いったい、ここ数日で何があったというのか。

 

「……それなんですが、父さん。あれから色々ありまして……」

 

 事情を知る鬼太郎が説明する。

 

 

 例の事件で、ねずみ男の乗っていた高級車がオシャカになってしまった。実のところあの車、ねずみ男にとって財産的にも大変お高い一品だったという。それが粗大ゴミとなってしまったことで焦ったのか、彼はその損失分を取り返そうと、健全な投資から博打的な投資へと方針を切り替えてしまったのだ。

 

 あとは、絵に描いたような転落だった。

 幾度となく資産運用に失敗し——気がつけば、本当に気がついた時には全財産を失っていたという。

 

 

「う~む……悪銭でなくても身につかんのか。なんとも難儀な男じゃのう……」

 

 その話にさすがの目玉おやじも同情する。

 今回ばかりはねずみ男も何も悪いことをしていない。寧ろ善行をしたのにも関わらずこの結末だ。ねずみ男に厳しい猫娘がここにいたとしても、憐れみの視線を彼に向けていたことだろう。

 

「ちくしょう~!! この世には、神も仏もいないってのかよ!?」

 

 ねずみ男は天を呪うかのよう、青空に向かって叫んでいた。

 今回ばかりは真面目に生きていたのに、何で自分はこうまでツイていないのかと。

 

 それこそハムスターたちにも負けない憎悪を抱え込むよう、ねずみ男は険しい顔つきになっていく。

 

 

「よおっ、ねずみ男!! なんだよ、いつの間にか景気の悪い面に戻っちまって……まあ、その方がお前さんらしいが!!」

「貴方は……」

 

 

 するとそんなねずみ男へ気さくに声を掛けるものが一人。制服警官の格好をして歩み寄ってきた。両津勘吉だ。格好から見るに、どうやら無事に謹慎が解けて職務に戻ったらしい。

 

「おっ、坊主も一緒か!! お前さんたちには世話になったな……今度飲みにでも行こう、わしが奢ってやるよ!!」

 

 両津は先日の事件の礼を言い、ねずみ男の肩を組みながら朗らかな笑みを向けてきた。

 

「お、おお……そいつはありがたいぜ、両さん!!」

 

 その笑みに、不思議とねずみ男から険悪な空気が消えていく。飲みに行こうという誘いをありがたく受け取り、ねずみ男の方からも両津へと笑みを返す。

 

「……あれから、あの女の子はどうですか?」

 

 そんな二人の何でもないやり取りに笑みを浮かべつつ、鬼太郎は擬宝珠檸檬について尋ねていた。

 あの事件、誰よりも幼いながら心に衝撃を受けたのは間違いなくあの少女だろう。鬼太郎なりに彼女のことを心配し、その近況を伺う。

 

「ん……? ああ、レモンなら心配いらんぞ!! この間、自転車をプレゼントしてやってな!! これが嬉しそうに毎日乗り回してるんだよ!!」

 

 しかし杞憂だと。両津は満面の笑みでレモンのことを語る。

 何でもあの事件の後、親しい仲間同士で彼女に自転車をプレゼントしたらしい。それですっかり元気を取り戻したと、自分の娘のことのように彼女のことを話してくれた。

 

「そうですか……それなら良かった」

 

 どうやらあの少女は大丈夫なようだ。きっと彼女のため、両津が色々と気を回したおかげだろう。

 

 

 両津勘吉。この人は立派な人間だと、鬼太郎は彼に敬意のようなものを抱き始め——

 

 

「そうそう、その自転車がきっかけで……今度自転車のカスタム店を始めたんだが……」

「…………」

 

 風向きが一瞬で怪しい方向へと変わる。両津は口元に何だかいやらしい笑みを浮かべ、そっとねずみ男へと耳打ちした。

 

「これがまた儲かりそうな商売なんだよ……どうだ、ねずみ男? お前さんも一枚噛んで見ないか?」

「!! へっへっへ! いいねぇ~……さすが両さんだ。よし!! 久しぶりに一緒にやるか!!」

 

 あっという間に意気投合した二人が、互いの腕を組み合い怪しい商売を共同で始めていく。

 

 

 

「…………よく分からない人だな」

 

 芽生え出した敬意が一瞬でどっかに放り投げられた。

 人情深いような、子供に優しいような一面を見せた途端、いきなり欲深い一面を見せられてしまった。

 

 

 いったい、両津勘吉という人間は『どれ』が本当なのか。鬼太郎には理解しかねることであった。

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、これが両津勘吉だ。

 

 欲深くもなれば、人情深くもなる。優しいところもあれば、厳しいところもある。

 

 金に汚くて、意地が汚くて。非常識に見えて、変なところで常識的なところがあって。

 

 卑怯で卑猥なところがあると思えば、立派で男らしいところだって見せてくれる。

 

 面倒見が良いかと思えば、目先の利益のためならばあっさりと裏切ることだってある。

 

 だけどやっぱり子供には優しくて、特にレモンには頭が上がらない子煩悩なところもあって。

 

 そういった全てが——両津勘吉という男の姿だ。

 

 決して一言では語り尽くせない、彼という人間の在り方。

 

 

 きっとこの先の人生も、彼はこのような人間で在り続ける。

 

 

 きっといくつになっても変わらない、ありのままの『人間』として生きていくことだろう。

 

 

 

 




人物紹介
 
 擬宝珠夜婁紫喰
  擬宝珠家の大黒柱……なんですけど、影が薄い。
  父親役をほとんど両津に食われている人。……やばい、それ以上説明しようがない。

 三平
  超神田寿司の従業員の一人。名前がある分だけ、他の店員よりは恵まれてる?

 不良中学生たちとその親
  こち亀史上において、一,二を争うほどに胸くそ悪くなる登場人物。
  学生の歳が原作で明言されてませんでしたが、未成年と分かりやすいよう中学生にしてみました。
  彼らに相応の報いを受けてもらいたく、今回のような話の流れを思いつきました。
  ただ,流石に全員死んでしまうのはあまりにもあれなので、最後ひと組だけ生き残ります。
  ……きちんと反省し、やり直すことができれば、それに越したことはありませんから。

次回予告

「ゲゲゲの森に突然現れた小さな妖精。何でも「花嫁になって欲しいとか」どうとか。
 猫娘やアニエスに声をかけているようですが……えっ? そういう意味とはちょっと違う?
 花嫁を送り出すことを生きがいにしている? なんだか不思議な妖精ですね、父さん。

 次回ーーゲゲゲの鬼太郎 『ハベトロットの花嫁衣装』 見えない世界の扉が開く」

 次回はFGOからあの妖精さんが参戦! 6章のアヴァロンルフェで活躍する素敵な妖精さん。
 ハッピーエンドをお届けするよ!! というわけで、次回もよろしくお願いします!





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ハベトロットの花嫁衣装 其の①

皆さん、夏のFgoイベントは楽しんでいますか?
今年の冒険の舞台はカリブ海! 今年も夏が我々を待っていた……もう9月ですが。

『カルデアサマーアドベンチャー』クリアしましたか!
一言で言うならば……今年はコロンブスが熱い年でしたね。
量産型に、ショタに、巨大卵……もう、わけがわからないよ……。

ガチャの方は石を200ほど消費してアナスタシアと清少納言をゲット!
星5は当たりませんでしたが、個人的にはなぎこさん推しなので大満足!
ここいらで撤退しないと……爆死の予感が……。

さて、今回は6章のアヴァロン・ルフェでも活躍したハベトロットが主役です。
感想欄でも結構コメントがありましたが、やはりハベにゃんは人気キャラのようです!
強くて、優しくて、周回でも活躍する彼女はまさに頼れる妖精さんの良心!
…………ボクは自爆特攻的な使い方はしてませんから?

後書きの方でもまたキャラ紹介や今作におけるとあるキャラの独自設定など。
色々と紹介したりしますが……とりあえず楽しんでいってください。




「——どうして……?」

 

 雨が降っていた。土砂降りの雨が降る只中で、一人の女性が地面に膝をついていた。

 まだ成人したばかりで、女の子と呼んでも違和感のない幼さと儚さを合わせ持った女性。彼女は目に涙をため、自分の腕の中で眠ろうとしている『小さな妖精さん』に向かって、嗚咽混じりに何故と問い掛ける。

 

「なんで……貴方は、そんなになってまで……」

 

 妖精は今にも消えてしまいそうだった。

 無理をして、無茶をして女性に尽くそうとした結果によるもの。心身ともにボロボロになってしまった妖精はここで肉体を消滅させる。

 その運命からは、どうあっても逃れられない。

 

 ——なんでって……そんなの決まってんじゃん……。

 

 けれど、妖精の表情に絶望の色はない。

 声にならないほどに弱りきった吐息だが、妖精はとっても嬉しそうに満面の笑みで微笑んでいた。

 

 ——だって……君はこれから『花嫁』になるんだぜ?

 

 ——花嫁は……幸せにならないといけないんだから……。

 

 その女性は明日にも結婚式を控えていた。

 一人の男性と夫婦となり、紆余曲折ありながらもやっとの思いで開くことができるようになった結婚式。男性の親戚方は皆で二人の門出を祝福してくれている。

 けれど女性の親族。訳あって彼女の親戚筋からは伯母が一人しか出席してくれない。おまけに仲の悪い親族の一人からは嫌がらせを受け——せっかくの花嫁衣装が用意できないという、あってはならない事態に陥ってしまったのだ。

 

 女性はその事実を、誰にも相談できないでいた。下手なことを言えば両家で軋轢を生み、それが取り返しのつかない事態に発展してしまうのではと恐れたからだ。

 心優しい女性は夫にもその問題を打ち明けることができず、今日という日まで一人不安を胸に溜め込んできた。

 

 

『——そんならボクに任せなよ!!』

 

 

 するとそんな彼女を見かねたその妖精が、どこからともなく現れて声を掛けてきたのだ。

 

 

『——ボクが素敵な花嫁衣装を……超特急で用意してやっからさ!!』

 

 

 彼女の根本の悩みである『花嫁衣装が用意できない』という問題を解決すべく、妖精自身の手でウェディングドレスを用立ててくれたのだ。

 それも僅か一日で。まるでシンデレラに舞踏会行きの馬車やドレスを用意してくれる、魔法使いのような手際だった。

 妖精の手で編まれたその花嫁衣装は、他のどんなドレスよりも彼女を輝かせてくれるだろう。

 

 しかしその奇跡の代償。そして『何者』かと争った結果——妖精は満身創痍の死に体へと追い込まれてしまう。

 最後の最後、花嫁衣装を彼女まで届けたところで妖精は力尽きてしまい、まさに今消滅しようとしている。

 

 ——たはは……キミの花嫁姿がこの目で見れないのは……ちょっと残念かもしれないけど……。

 

 ——でも、大丈夫。ボクは妖精だから……決して死にはしない。

 

 ——この胸に輝くものがある限り……ボクたちは何度でも立ち上がることができるんだ。

 

 妖精は彼女を心配させまいと、自分という存在が決してここで終わるわけではないと語った。

 実際に『妖精』という生き物はこの国でいうところの『妖怪』と一緒だ。体が消失しようと、魂さえ無事であれば長い時間をかけて肉体を再構築することができる。

 妖精自身の魂が無事である限り、決して完全に滅びることはないと。

 

「……分かんない!! 分かんないよ、そんなこと!!」

 

 だが、妖精や妖怪の在り方に詳しいわけではない人間の彼女にそんな説明をしたところで納得など出来るわけがない。

 彼女は今この瞬間にも失われようとしていく命に、ただ涙を流すばかりだ。

 

 ——困ったな……キミにそんな顔をされちゃ……ボクも安心できないよ。

 

 ——……仕方ない。泣き虫なキミに、ちょっとした魔法をかけてあげるね……。

 

 そう言いながら、妖精は女性の額にそっと手を伸ばす。

 口から何かしらの呪文を唱え、彼女に対してちょっとした『暗示』をかける。

 

 ——……これで、キミがボクのことで悲しみ必要はない。

 

 ——その胸の悲しい気持ちも、明日になれば綺麗さっぱり忘れることができるからね……。

 

 それは妖精が彼女のことを想ってかける、優しくも残酷なおまじないだ。

 一度でも眠れば目覚めたときに自分のことを——妖精のことを全て忘れるようにと。

 

 これで手元に残るのは美しい花嫁衣装だけ。

 彼女も安心して結婚式を迎えられるだろうと、妖精は笑顔を浮かべる。

 

「そ、そんな……そんなの……忘れるなんてできないよ!!」

 

 女性はそんなことはできないと、妖精のおまじないを振り解こうと首を振る。

 けれど彼女の意思は関係ない。一度でも眠れば彼女は妖精のことを忘れる。それはもう、覆しようのない現実だ。

 

 ——……そうだね。もしも……もしもキミとボクがもう一度出会うことができれば……。

 

 ——けど……それはないかな。失った肉体を取り戻すには……少なくとも十年以上はかかるからさ……。

 

 万が一、忘れた後でも二人が顔を突き合わせればそれをきっかけに彼女も妖精のことを思い出せるかもしれない。

 だがそのためには十年以上先で、また二人が出会わなければならない。妖精はともかく、十年もすれば人間は変わる。思い出も失われる以上、もう一度出会える確率はほとんど偶然といっていい。

 

 ——あ、やばい……そろそろ眠くなってきた……。

 

 きっとそんな都合の良い奇跡など起こりはしないだろうと、妖精はもう二度と彼女とは会うことができない寂しさを隠し、微笑みながら眠りにつく。

 ずっと耐え忍んでいた眠気に身を任せるよう、そっと目を閉じていく。

 

 ——ほら……早く家に帰らないと、風邪をひいてしまうよ。

 

 ——今日はこんな土砂降りでも……きっと記念日は良い天気になるから……。

 

 

 ——だから安心して……ボクはキミに……幸せになって欲しい……だけ、なんだから……。

 

 

 そうして、最後まで彼女の幸せを願いながら——妖精さんはその肉体を消滅させた。

 

 

「——あ、あ、ああ? あああああああああああ!?」

 

 腕の中から消えてしまった小さな命に、悲しみから絶叫する女性。

 だけど妖精が予告したとおり。翌日には全ての悲しい出来事を忘却し、彼女は晴れ渡る青空の下で結婚式を挙げた。

 

 妖精が用意してくれた美しいドレスが、いったいどこの誰が用意してくれたものなのかも忘れ——。

 彼女は多くの人々から、その幸せを祝福される。

 

 

 

 

 

 それが十五年前の話だ。

 十五年後の現在、彼女は一児の母となり——今も幸せに暮らしている。

 

 

 

×

 

 

 

「ふぁ~……あーあ……どっかにいい儲け話。転がってねぇかな……」

 

 ゲゲゲの森。壮大な自然が溢れる中で何とも即物的なことを口にしながら欠伸をしている男がいる。岩の上でだらしなく寝っ転がっている、毎度お馴染みのねずみ男だ。

 懲りもせず、何の苦労もなく大金が手元に転がり込んでこないだろうかと思案に耽っている。

 当然、そんな話が都合良く思い浮かぶわけもなく、特に何事もない平和な昼下がりが過ぎていく。

 

 ところがそんな呑気な空気を吹き飛ばす、ちょっとした『嵐』がゲゲゲの森で騒動を巻き起こすことになる。

 

 

「——……ど………た」

「……あん?」

 

 何かの声が聞こえたような気がし、ねずみ男は体を起こす。しかし目に見える範囲に異変などない。

 気のせいかと彼がもう一度寝っ転がりかけた、次の瞬間——

 

 森の向こうから、何かが物凄いスピードでねずみ男の方へと近づいてくる。

 

 

「——どいた!! どいたぁあああ!!」

「うおぉおおおっ!?」

 

 その正体不明な物体はねずみ男のすぐ横をすさまじい速度で駆け抜けていく。直接ぶつかりこそしなかったものの、その余波でねずみ男はくるくると目を回す。

 

「い、いったい……何だってんだよ……」

 

 そのままパタリと倒れる。

 しかし、ねずみ男はすぐさま起き上がり、いったい何事かと状況を把握しようとし——先ほど通り過ぎていった『それ』がゆっくりと戻って来た。

 

「あはは……ゴメンゴメン! 怪我はなかったかい?」

「……なんだお前、見ねぇ面だな……どっから来た?」

 

 ねずみ男は自分の側に寄ってきた、その小さな異邦人に対し眉を顰める。

 

『彼女』は魚のような乗りものに乗っていた。体長はおよそ50から60cmほど。普通の猫よりは少し大きめの小人だった。

 ピンクの長髪、おしゃれな帽子。ダボダボな服にズボンと、服装だけ見ると男の子と勘違いしそうな人もいそうだが、歴とした『女の子』である。

 彼女は年相応の愛らしい笑顔に自信をたっぷり、元気を満々に乗せ、ねずみ男の「誰だ?」という問いに答えていた。

 

 

「ボクはハベトロット!! 花嫁の味方で、裁縫の達人で、ハッピーエンドを運ぶ妖精さ!!」

 

 

 

 

 

「はぁ…………ウェディングドレスか……」

「……ん? 何か言ったか、猫娘?」

「べ、別に……何でもないわよ!」

 

 ゲゲゲハウス内のあまりにも緩みきった平穏な空気のせいか、猫娘はため息と共にそんな呟きを迂闊にも零していた。幸い鬼太郎には聞き取れていなかったようだが、彼女は恥ずかしさから顔を真っ赤にしてそっぽを向く。

 

 猫娘が目を通していたのはファッション雑誌だ。女性としてある程度ファッションを意識している猫娘にとってその手の雑誌は必需品。

 さりとて別に躍起になってるわけでもなく、ごく自然に、特に意識を高く持つこともなくパラパラとページを捲っていただけなのだが——

 

 

 彼女はとあるページに書かれていた『ウェディングドレス特集』という項目に思わず目を止めてしまっていた。

 

 

 ウェディングドレス。女性なら誰でも一度は着てみたいと思う憧れ、幸せの象徴。

 だがそれを着るということは、『誰か』と結婚式を挙げるという意味だ。当然、猫娘にとってその相手は一人しか考えられない。

 

「湯加減はどうですか、父さん」

「うむ、バッチリじゃぞ、鬼太郎。ああ、生き返る……」

 

 だというのに、そのお相手は目玉である父親のお風呂のお湯加減を世話していたりと。猫娘の気持ちにすら気付く様子が見られない。

 

 ——……まったく……人の気も知らないで……!

 

 自分が彼のことを勝手に好きになっているのだから苛立つのも筋違いというもの。それでも、胸の奥から込み上げてくるモヤモヤに猫娘は腹を立てる。

 とりあえず一旦冷静になろうと、彼女はその場を離れ、外の風を浴びにハウス内を後にしていく。

 

 ——……? あれって……ねずみ男……と、誰かしら?

 

 するとゲゲゲハウスを出てすぐ、猫娘は眼下の広場で仇敵のねずみ男と——見知らぬ何者かが話し込んでいる景色を目の当たりにする。猫娘側からはねずみ男の後ろ姿しか見えず、誰と何を話しているかまでは皆目検討も付かない。

 ただちょうど機嫌が悪かったこともあり、彼女は自らの怒りをぶつけるかのよう、ねずみ男に向かって大声で張り上げる。

 

「ちょっと、ねずみ男!! あんた、また何か変なこと企んでんじゃないでしょうね!?」

「っ!! な、なんだよ、猫娘!! いきなり怒鳴り声上げんじゃねぇ……びっくりするじゃねぇか!!」

 

 猫娘の唸り声に条件反射でビクッと肩を震わせるねずみ男。彼としても常に悪いことを話しているわけではないのだろうが、どうにもこればかりはしょうがない。

 

 ねずみ男の日頃の行いが悪いのもあるが、彼と猫娘の関係が険悪なのだ。

 これは猫とねずみという動物としての構造上、仕方がない自然界の摂理なのである。

 

「……ん、誰だい……って、おおっ? おおおっ!?」

 

 そんな猫とねずみの終わることのない戦いをよそに、ねずみ男と話をしていた何者かがで猫娘の方へと視線を向ける。

 ふらふらと宙に浮く鯉のぼりにも見える乗り物に乗ったその小人は、猫娘の姿を見るや——彼女の側までものすごいスピードでカッ飛んできた。

 

「な、なによ……アンタ……」

「ふ~む……ほうほう。これはこれは……」

 

 猫娘は見知らぬその小人にじろじろと観察されて思わず後退る。しかし相手が同性であったこともあり、それを力尽くで追い払うような真似はしなかった。

 暫し観察されることを黙認していると、小人の方から元気一杯に声を掛けてくる。

 

 

 

 

 

「いいね! キミ、ボクの花嫁になってくれないかい!?」

 

 

 

 

 

「…………は、はぁああああああ!?」

 

 あまりにも唐突な発言に最初は何を言われているのか分からなかった。その意味を理解し、我に返った猫娘が素っ頓狂な叫び声を上げる。

 初対面の相手から、わずか数秒で結婚(しかも同姓から)を申し込まれたのだ。猫娘でなくても驚きたくなるというものだろう。

 

「どうしたんだ、猫娘?」

「何を騒いで……ん? 誰じゃお前さん、見ない顔じゃのう」

 

 さらに猫娘の悲鳴を聞きつけ、ゲゲゲハウスから鬼太郎や目玉おやじまでも顔を出してきた。

 

「き、鬼太郎!? いや、なんでもない!! なんでも——」

 

 このタイミングでの鬼太郎の介入に猫娘はさらに顔を真っ赤に叫ぶ。何とか平静を装って彼を下がらせようとするのだが——

 

「おっ!! 良さげな相手もいるみたいだね! お嫁さん力も高そうだし、キミなら最高の花嫁になれるよ!!」

「は……はぁっ!? 相手って……えっ? き、鬼太郎が……え、ええええ!?」

 

 小人は鬼太郎を指し示しながら、さらにとんでもないことを言ってのける。

 

 ——き、鬼太郎と……け、け、け……!?

 

 ——いや、ていうか……さっきから言ってることが矛盾してない!?

 

 小人の言葉にさらに動揺する猫娘だが、よくよく考えると言っていることに変な食い違いがある。

 小人自身が「ボクの花嫁になってよ」などと言っておきながら、鬼太郎を指して「良さげな相手」などと、鬼太郎との結婚を勧めるような言動をしてくる。

 いったいこの小人は何を言っているのだろう。困惑と恥ずかしさからまともな受け答えができない猫娘。

 

「あ~……おーい、ハベトロットとやら……」

 

 そうして猫娘が困り果てていると、まさかのところから助け舟が出される。彼女よりも先に小人と話をしていたねずみ男だ。

 彼は小人——ハベトロットという名の小さな異邦人に対し、どこか呆れた様子で声を掛ける。

 

「お前さん……他に花嫁がいるって言ってなかったっけ? それなのにそんな野暮ったい女に粉かけてる暇があんのかよ?」

「だ、誰が野暮ったいよ! って……他の……女?」

 

 ねずみ男のデリカシーのない台詞にカチンとなりながらも、猫娘はますます意味がわからず眉を顰める。他に女性がいるというのはどういうことだ。場合によっては浮気、不倫、アバンチュールなどといった言葉が連想される危険な状況である。

 

「あー、そうだった、そうだった! ボクの悪い癖だな。良さげな子を見つけちゃうと、ついつい声を掛けちゃうんだわ!!」

 

 しかしハベトロットはあまり気にした様子もなく、特に悪びれずに無邪気な笑顔を振りまいていく。

 

「待っててね! 今の子を無事に送り出せたら、次はキミを幸せにしてあげるから!! よーし! そうと決まれば……張り切って仕上げちゃうぞ!!」

 

 などと気合を込めて叫びながら、ハベトロットはゲゲゲの森の奥深くへとフラフラと飛び去って行ってしまった。

 

 

 

 

 

「…………なんなの?」

「……?」

 

 その場に残された猫娘は唖然となり、鬼太郎も訳が分からずに首を傾げている。

 小人は小さいながらも嵐のように現れ、嵐のようにその場を引っ掻き回していった。

 

 

 これがゲゲゲの森の妖怪たちと妖精・ハベトロットとのファーストコンタクトである。

 

 

 

×

 

 

 

 ハベトロットとは——スコットランドやイングランドに伝承として登場する、糸紡ぎの妖精である。

 

 言い伝えでは糸を噛んでの裁縫仕事で唇が垂れ下がった、醜い老婆での姿が定番となっているらしい。

 だがそれは人間側の勘違い。彼女たちは基本的に子供の姿をしているらしく、近年のハベトロットたちは美容のケアを怠らないため、唇がたらこ唇になることもないそうだ。

 

 裁縫仕事のプロであるハベトロットたちが作る衣服には特別な力が宿るとされる。彼女たちの紡ぐ糸で編み込んだ衣服を着れば、立ちどころに病が治り、幸せになれるというのだ。

 彼女たちはその力を人間のために、特に困っている若い娘のため行使する。大量の針仕事を命じられて途方に暮れている貧しい娘や、結婚前、てんやわんやで忙しい花嫁のために全力で力を尽くしてくれるという。

 

 そこには一切、後ろめたい企みなどない。

 純粋にその人間を幸せにしたい、『花嫁』を幸福にしたいという願いのために走り回る。

 

 それこそが、ハベトロットという妖精なのである。

 

 

 

「……ってのが、俺があいつから聞いた話だ。まあ、どこまで本当かは知らんがね……」

 

 と、ねずみ男はハベトロットという妖精のことを鬼太郎や猫娘へと語っていた。もっとも、彼自身も本人からの受け売りだ。その話がどこまで本当かなどは何一つ保証できない。

 

「落ち着いて針仕事ができる場所を貸して欲しいとかって、俺に尋ねてきてな……」

 

 ねずみ男はそのハベトロットから道を尋ねるような気軽さで「洞窟でも木の中でもいいからさ、どっか針仕事ができる場所貸してくれない?」と声を掛けられたらしい。

 ゲゲゲの森には妖怪が住み着いていない洞穴や樹洞などといった、がらんどうの住居がいくつかあったため、ねずみ男はそこを紹介してやっていたのだ。

 

「なんでもあいつ、困っている花嫁のために花嫁衣装を作りたいとかなんとか……」

 

 ハベトロットが仕事場を欲していたのは、花嫁衣装を編み上げるためだという。明日にも結婚式を控えている娘のため、今日のうちにウェディングドレスを用意しなければならないのだとか。

 そのために集中できる仕事場を探していたところ、彼女はこのゲゲゲの森に辿り着いたという。西洋の妖精であるハベトロットにとってもこの森は居心地が良いらしく、仕事場には最適な環境らしい。

 

「ハベトロット……父さん、聞いたことあります?」

「いや、初耳じゃ。妖精……日本でいうところの妖怪、いや……精霊に近いんじゃろうが、違いもよく分からん……」

 

 ねずみ男の話を一通り聞き終え、鬼太郎と目玉おやじは思案に耽る。

 目玉おやじは妖怪については博識だが、西洋の妖怪に関してはほとんど知識がない。さらに相手は『妖精』という、鬼太郎たちにとっても未知の存在。

 似たような存在としての『精霊』であれば『木の子』や『トゥブアン』といったものたちと面識もあるが、彼らも彼らでよく分からない価値観の元、独自の生存圏を維持している。

 

 ハベトロットと名乗った妖精も、一見すると特に害意がないように見えるが、よく分からない相手である以上油断は禁物。未知数な相手として、ある程度警戒心を持って接する必要があるかもしれない。

 

 

 

「……それで? なんであいつは私のことを『花嫁にする』だかどうだか言ってたわけよ……」

 

 そんな中、それまで沈黙を保っていた猫娘がぶすっとした表情で口を開く。ハベトロットのおかしな言動に翻弄されたり、恥ずかしい目にあわされたりと。鬼太郎の前で恥をかかされ、かなりご立腹な様子だ。

 

「猫娘、何でそんなに不機嫌なんだ?」

「……なんでもないわよ! ……ふんっ!!」

 

 それなのに、鬼太郎の方はまるで気にした素振りを見せず、猫娘がどうして怒っているのかも理解出来ていない。

 

 ——何よ!! ちょっとは動揺するなり! 嫉妬するなりしなさいよね!!

 

 自分が他の誰かの花嫁になるかもしれない、あるいは自分と一緒になるかもしれない可能性を示唆されたのだ。猫娘としては鬼太郎にも、もっと感情を露わにするなり、取り乱したりして欲しいと思ってしまう。

 

 果たして、猫娘の繊細な乙女心を理解する日が鬼太郎にやってくるのだろうか?

 この調子では少なく見積もってもあと数十年は掛かるだろうと。二人の恋路を静かに見守る森の仲間たちが、人知れずため息を吐いていたというのは完全な余談である。

 

 

 

 

 

 そんなこんなもあり、一晩の時間が流れていく。

 

 

 

 

 

「ええっと……あの妖精の仕事場は……こっちか?」

「なんで私まで……」

 

 翌日の早朝。鬼太郎と猫娘はハベトロットの仕事場へと足を伸ばしていた。

 ねずみ男が彼女に勧めたその場所は、お世辞にも環境がいいとは言えない、暗くてじめじめした洞窟である。彼女はその洞窟に入ったっきり、そこから一切出てくる気配を見せない。

 どうやら本当に一晩中そこにこもって、花嫁衣装の制作に没頭しているようだ。

 

「……それにしても、花嫁衣装というやつは一晩で出来るものなのかのう?」

「そんなわけないでしょ。普通はもっと時間が掛かるものよ……」

 

 鬼太郎の頭の上で目玉おやじは素朴な疑問として首を傾げ、そんな彼の安易な疑問に猫娘が呆れて首を振る。

 

「私もそこまで詳しいわけじゃないけど早くても二ヶ月……普通でも半年前から準備しておくものだそうよ」

 

 それは、昨日読んでいたファッション雑誌のウェディングドレス特集に記載されていた注意事項だ。

 通常、ウェディングドレスをオーダーメイドで用意する場合、ドレスのオーダー方法による違いこそあるものの、二ヶ月から四ヶ月。素材から特注する場合は六ヶ月以上の制作期間を必要とする。

 当然ながら費用もばかにならない。安いものでも十万。デザインや質でこだわったブランドものであれば、五十万から百万はするとのこと。

 

 そのため、結婚式を挙げる女性の大多数はドレスの購入ではなく、レンタルに留めておくのが基本だとされている。雑誌の調べによれば、その比率はおよそ2:8。ほとんど八割の女性がウェディングドレスをレンタルで済ましているという。

 レンタルであれば予算も抑えられるし、長い制作期間を掛けずとも着ることができる。決して裕福な人が多いとは言えない昨今の情勢を鑑みれば、その理由も納得が出来るというもの。

 

「それなのに一晩でドレスを仕上げようだなんて無茶苦茶よ! そんなの間に合いっこないわ!」

 

 ねずみ男の話によれば、ハベトロットとやらは今日までにドレスを一式用意しなければならないという。今日の午前中には、彼女がいう『ボクの花嫁』とやらが結婚式を挙げる予定だとか。

 未だにハベトロットが口にする『ボクの花嫁』という言い回しには慣れないが、要するに『結婚を控えている女性』という解釈で問題ないのだろう。

 

 困っている娘を助ける、ハベトロットという妖精らしい面倒見の良さだが、いかに裁縫仕事が得意であろうとも、それはあまりにも無茶というもの。

 故に鬼太郎たちはハベトロットの仕事が間に合っておらず、今頃は途方に暮れているであろうと彼女の心配をしていた。

 

 

 ところが——

 

 

「——へ、へへへ……やったぞ、間に合った!!」

 

 鬼太郎たちが彼女のいる洞窟に立ち入ろうとしたところ、ハベトロットの方から外へ出てきた。手には妖精である彼女よりも大きな箱を、意外にも力持ちなのか片手で持ち上げている。

「万歳! 万歳!」と無邪気に喜んでいることから、その箱の中身こそが例の品だと理解できる。

 

「まさか……もう出来たの!?」

「なんと!? 仕事の早い奴じゃのう……」

 

 まさか本当に一晩でドレスを仕上げてしまうとはと猫娘が目を見張り、目玉おやじも驚きを隠せないでいる。

 

「……と、とっとっと?」

 

 だがそのとき、はしゃいでいたハベトロットの体が突然、電池切れを起こしたかのように倒れ込んでいく。

 

「! 危ない!?」

「っと……ちょっと、気を付けなさいよね!! ……大丈夫?」

 

 鬼太郎が慌てて彼女へと駆け寄り、その小さな体を抱き上げる。猫娘はハベトロットの手から地面に落ちそうになっていた箱をキャッチする。

 ハベトロットや大切な荷物を無事に守ることができたのだが、ハベトロット自身がかなり消耗しきっている。

 

「うぅう……ね、眠い……」

 

 診断するまでもなく寝不足による疲労だ。夜を通してドレス制作に向き合っていたのだから、ぶっ倒れるのも無理からぬこと。おまけに彼女が仕上げていたのはウェディングドレス。そんじょそこらの衣服とは制作に必要になってくる技量も段違いに跳ね上がってくる。

 鬼太郎たちにはその苦労を想像することしかできないが、きっと相当な負担がハベトロットという妖精の肉体にかかっているのだろう。

 

「ど、ドレスを……ドレスを……ボクの花嫁に届けないと……」

 

 だがハベトロットは自身の疲労困憊など気にも留めない。せっかく作った花嫁衣装を花嫁の下まで送り届けようと。地面を這ってでも進もうとしている。

 

「こりゃ! あまり無茶をしてはいかん! 無理をすれば……お前さんの肉体が消滅してしまうぞ!」

 

 目玉おやじが無理をしてでも動こうとするハベトロットを嗜めた。

 妖怪や妖精が過労死するかどうかは知らないが、今のハベトロットの疲労具合を見ていると本当に死んだしまうのではないかと心配になってしまう。

 

「けど、花嫁が……ボクの花嫁が、待ってるんだよぉ~……!」

 

 それでも、ハベトロットは涙ながらに叫ぶ。

 せめてこの花嫁衣装を届けねば死んでも死に切れないと。ボロボロの体になりながらも花嫁の幸せを願い続ける。

 

「……分かった。そこまで言うのなら、その衣装はボクが届ける」

「まあ、そうなるわよね……し、仕方ないし、私も付き合ってあげるわよ!」

 

 その健気さに心を打たれたのか。鬼太郎はハベトロットの代わりに花嫁衣装を届けると申し出ていた。猫娘もそこまで必死なところを見せられては手伝うしかないと、嘆息しつつも重い腰を上げる。

 

「——ほんとかい!? じゃあ……悪いけど、頼むよ! あっ、出来れば、写真も撮ってきてくれるとハベにゃんは嬉しいな!!」

 

 すると、その途端「にぱぁ~!」と元気な笑顔になるハベトロット。

 手提げカバンからカメラまで取り出し、それを鬼太郎に手渡していく。

 

「それじゃあ、後はよろしく!! Zzz……」

 

 それで安心したのだろう。ハベトロットは速攻で倒れ込み、その場にて眠りこける。

 

 

 そのまま穏やかな——というより、結構呑気な寝息を立てながら爆睡するのであった。

 

 

 

 

 

「……意外と余裕そうね、コイツ……」

「……ま、まあ、とりあえず……今は寝かしておいてやろう。のう、鬼太郎?」

「……そ、そうですね、父さん」

 

 ハベトロットのあまりの寝付きの良さに、安心するなり呆れるなりする一同。

 本当は割と余裕があるのではと思いながらも、とりあえず引き受けた仕事をこなすために顔を上げる。

 

 

 ハベトロットからカメラと一緒に渡された地図を頼りに、花嫁が待っているという『式場』へと赴くこととなる。

 

 

 

×

 

 

 

「はあ~……いいなぁ~、ウェディングドレス……わたしもこんな素敵なドレスが着てみたいよ……」

 

 休日の朝。学校がお休みで特に出かける用事がないこともあり、犬山まなは自宅のリビングで寛ぎながら朝の情報番組に目を通していた。

 平日とはちょっぴり趣が違う感じで流れる休日の朝番組。その日の番組内では『ウェディングドレスの輝き』と銘打たれた内容がワンコーナーで特集されていた。

 まなは女の子として、目を輝かせながらテレビに釘付けになる。もっとも猫娘とは違い具体的な相手がいるわけでもない。

 単純に素敵なドレスを着てみたいという、ただの憧れでしかなかったりするのだが。

 

「——う、ウェディングドレスだって!? だ、ダメだ! ダメ! 結婚なんて、ウェディングなんて、まなにはまだ早すぎるよ!」

 

 未成年の娘のちょっとした憧れを本気と受け取り、彼女の父親である犬山裕一が全力で拒否反応を示す。

 愛娘である彼女がウェディングドレスを纏い、誰かに嫁入りするかもしれない。未だに娘離れができていない彼にとって、それは想像するだけでも泣きたくなる光景だ。

 

「あなた……まなはまだ中学生よ。今からそんな心配したってしょうがないじゃない」

 

 そんな父親の親馬鹿ぶりに呆れる妻・犬山純子が溜息を吐く。父親よりも母親の方が娘の嫁入りには理解があるというのが一般的だが、犬山家においてもその法則が当て嵌まるようだ。

 

「まなも、そういう話は相手を見つけてからにしてちょうだい。浮ついた話もないのにそんなこと言ったって、虚しいだけよ?」

 

 寧ろ、純子としては娘のまなに好きな相手の一人くらいいないのかと。彼女の恋愛事情にそれとなく物申す。

 運命の相手が何やらと少女漫画の影響を受け、色んな人の色恋沙汰に首を突っ込むまなだが、当の本人は未だに『LIKE』と『LOVE』の区別すらついていないお子ちゃまだ。

 この調子では娘の嫁入りなど夢のまた夢だと、純子はやれやれと肩を竦めている。

 

「む……ふ~んだ! ほっといてよ……」

 

 痛いところを突かれた母親の台詞に、まなは拗ねたように頬を膨らませる。

 

「そ、そうだよな……まなが結婚なんて……そんなのありっこないじゃないか……は、ははは……」

 

 裕一は娘の結婚など、それこそ遠い未来の話だと理解したのか。湯呑み茶碗を持つ手がプルプルと震えているなど、動揺こそ隠しきれていなかったがとりあえず大人しくなった。

 

 

 何にせよ犬山家は平和だった。

 平穏な休日の午前のひとときが、今日も穏やかに過ぎ去っていく。

 

 

「……まな、ちょっと良いかしら」

「なに、お母さん?」

 

 そんな何でもない日になる筈だった休日に、ちょっとした事件が起こる。

 手持ち無沙汰になっていたまなに、不意に純子が声を掛ける。彼女は少し悪戯っぽい笑みを浮かべながら、まなにとある提案を持ち掛けていたのだ。

 

「ウェディングドレスが着てみたいって言ってたけど……私ので良ければ、試しに着てみても良いわよ?」

「……えっ? う、うちにあるの? ウェディングドレス!?」

 

 これにはドレスを着てみたいとぼやいていたまなもキョトンと目を丸くする。

 ウェディングドレスなど、それこそ一生に一度でも着れれば最高という代物だ。特に相手を決めているわけでもない今のまなからすれば、あまりにも現実感がない御伽噺の代物にすら思えてしまう。

 そんな娘の反応にしてやったりの笑顔を浮かべ、純子は軽くウィンクをして見せた。

 

「お父さんには内緒よ? まなのウェディングドレス姿なんて見たら……あの人、今度こそ泣いちゃうかもしれないから」

 

 

 

 

 

「よっと……ほら、これよ」

 

 そうして、彼女たちがやって来たのは純子のクローゼットがある部屋だった。普段はまなもあまり立ち寄らない小さな一室。そのクローゼットの奥の奥に、そのドレスは大切に保管されていた。

 

「…………す、すごい……すっごく綺麗……」

 

 いざ憧れのドレスを目の前にし、まなの口からは感嘆の声しか出てこない。遠目からしか見ることのできなかった『ウェディングドレス』。それが、今まさに手の届くところにある。

 しかし、そのドレスには安易に手を伸ばすことができない。それほどまでに触れ難い、神々しさのようなものがそのドレスには感じられた。

 

 デザインはシンプルで、何の混じり気も飾り気もない純白の花嫁衣装。

 それなのに綺麗や美しいといった感想以外、何も口にできない。まさに花嫁のためだけに洗練された『宝物』がそこにはあった。

 

「ほら、まな……こっちいらっしゃい」

「う、うん……」

 

 その宝物の持ち主である純子がそのドレスを手にし、娘であるまなを自分の元へと手招きする。

 あまりにも美しいドレスの前で萎縮しきってしまったまな。彼女は恥ずかしそうに頬を染めるばかりで、母親の着せ替え人形になってしまっていた。

 

「う~ん……まあ分かってたけど、まだ全然サイズが合ってないわね」

 

 試着する前に軽く衣装を当ててみるものの、残念ながらサイズが全然合っていない。当たり前の話だが、十四歳のまなに純子が二十代のときに着ていたドレスなど、着れるわけもなかったのである。

 

「うわぁ~……すごい……」

 

 だが、花嫁衣装と一緒に映っている自分の姿を鏡越しに見れただけでもまなはうっとりと見惚れていた。これでも十分過ぎると、まなはすっかりお姫様気分に浸っていく。

 

「まっ……今はこんなところかしらね。まなにはもうちょっと大きくなってもらわなきゃ。このウェディングドレスを着れるくらいには……ねっ?」

「う、うん……えっ? わ、わたしが着てもいいの? このドレスを!?」

 

 見惚れていて反応が遅れてしまったが、純子はこのドレスをまなに結婚式で着せてやりたいと母としての願いを口にしていた。まなはこんな素敵なドレスを自分が貰ってもいいのかと、目を丸くして驚いている。

 

「勿論! まなが良ければだけど……それとも、こんなおさがりのドレスじゃ……嫌?」

「う、ううん!! わたし着る!! 自分の結婚式には、絶対にこのドレスを着るから!!」

 

 母親の言葉にまなは全力で笑顔を輝かせる。

 家族仲の良い母娘が、母から娘へとウェディングドレスを引き継がせるのは、おさがりとはいえ家族的な繋がりを感じられるロマンチックなものだ。少なくとも、まなにはとても嬉しいことのように思えた。

 それにこのドレスには新品の、時代やらトレンドやらを反映させた最新デザインのウェディングドレスなどにも負けない、『凄み』のようなものが感じられる。

 

 とても十五年前のものとは思えない。長い間仕舞われていても全く衰えない、『輝き』がこのドレスにはあった。

 こんな素敵なドレスが着れるなど、それこそ夢のようだ。

 

「そのためにも……まずは相手を見つけてもらわないと! お父さんがなんて言って騒ぐかはしらないけど、私はまなが一緒になってもいいなって思える人なら……いつだって大歓迎よ?」

 

 しかし、やはりそのためにも『相手』が必要不可欠だと。将来的にその相手をまなが連れて来たとき、父である裕一とどんな一悶着があるかなどを心配しつつ。

 

 純子は母として、そんな未来がいずれやってくることを思い浮かべながら。

 ドレスを前にはしゃぐ娘に、嬉しさと寂しさを同居させた微笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

「——それにしても……凄いね、お母さん! うちにこんな立派なウェディングドレスがあったなんて!」

 

 その後、ウェディングドレスが仕舞われながらも、未だに興奮が冷めやらぬ調子でまなが口にする。

 

「こういうのって、普通はレンタルとかなんじゃないの? わざわざオーダーメイドで作ってもらうなんて!」

 

 ウェディングドレスのような特別な行事で着る、値段も特別な衣装。成人式で着るような振袖など、まなたちの世代からすればこういった類のものは基本的に『レンタルで済ませる』といった価値観が根付いている。

 なのに、まさか自分の母親がこんなにも素晴らしいドレスをオーダーメイドで発注していたことに驚きを隠せない。

 こんなに素敵なドレス、きっとかかった費用だってバカにならなかっただろうにと。

 

「ははは! そんなわけないでしょ。私だって、このドレスは貰い物よ?」

 

 しかしまなの予想とは裏腹に、純子もこのドレスが頂き物だと愉快そうな笑い声を上げる。

 

「オーダメイドだなんて……あの頃はそんな余裕、とてもじゃないけどなかったんだから……」

 

 今でこそ調布市に一軒家を構えるほどには恵まれた暮らしをしている犬山家だが、若い頃、特に結婚する最中の二十代は特に苦労していたという。

 夫婦共働きで何とか生活できるくらいの稼ぎだったと。純子は当時の苦労を思い出すような遠い目で語っていた。

 

「へぇ~、そうなんだ……じゃあ、このドレスは誰から貰ったの? やっぱりお母さんも自分のお母さんから貰ったものなの?」

 

 まなはそのドレスが誰から譲られたものなのかと。自分が母親である純子から引き継ぐように、彼女もこのドレスを実の母親から引き継いだ、由緒ある品なのかと尋ねていた。

 

 

「……それはないわ。あの人が……私のためにドレスなんて、用意するわけがないんだから……」

 

 

 その瞬間、純子はどこか冷めた目つきになっていた。

 

 純子の母親。まなにとっては母方の祖母ということになるが——まなはその人物とあったことがない。

 父方の親戚とは毎年のように会いにいくほどに仲がいいのだが、純子の実家である『沢田家』とはほとんど交流らしいものをしたことがない。辛うじて面識があるのは大伯母の沢田淑子くらいである。

 

 幼い頃はあまり深く考えたこともなかったが、どうやら純子は実家と色々あって距離を置いているらしい。まなは今の歳になって、そこに並々ならぬ事情があるのだと察するようになっていた。

 

「……じゃ、じゃあ……いったい、誰なの? こんなに素敵なドレスを送ってくれた人は?」

 

 複雑なお家の事情に言葉を濁らせつつも、やはりドレスの出所が気になってまなはその質問を繰り返す。

 実の母親でないのなら犬山家のお義母さんだろうか。それとも別の誰かなのかと、何となく答えを予想しながら純子の言葉を待った。

 

 

 

 

 

「それは………………あれ?」

 

 

 

 

 

 だが、そこで純子は言い淀んでしまう。

 言いにくいというより、答えそのものが浮かんでこないと彼女は頭を押さえていた。

 

「…………はは、嫌ね……歳かしら……すぐに名前が……出てこないわ…………あれ?」

 

 最初、純子はド忘れしてしまったと。すぐに思い出せないのを年のせいだと自嘲していた。

 

 しかし——どれだけ待っても、どれだけ時間をかけても。純子の口からその答えが出てくることはなかった。

 

 

 

 

 

 ——なんで? 私……何で……?

 

 

 その事実に純子自身が驚いていた。

 

 このウェディングドレスが貰い物であることは間違いない。

 

 そうでなければ、こんな高価なものを今も自分が持っている理由に説明が付かない。

 

 このドレスがここにある以上、それをもたらしてくれた『誰か』が存在していたのは確かなのだ。

 

 

 なのに、思い出せない。思い出そうと記憶を探っても——何故かぽっかりと穴が空いているかのように何も浮かんでこない。

 

 

 ——どうしても……それだけが思い出せない……。

 

 

 このドレスを着て、式を挙げたことは思い出せる。

 

 式に参列していた人たちの、自分と裕一を祝福してくれる皆の声援が未だに耳に残っている。

 

 その席の中に母親や沢田家の親族たちの姿がほとんど見られず、少し寂し思いをしたことも。

 

 唯一、沢田姓で出席してくれた淑子に涙ながらに感謝したことも思い出せるのに。

 

 何故か、このウェディングドレスを用意してくれたのが『誰』なのか思い出せない。

 

 そもそも、そんな人物がいたことすらも今の今まで気付くことができなかった。

 

 

 ——どうして……何で、こんな……。

 

 

 幸せに彩られていた筈の記憶に翳りが生じる。

 

 幸せだったことに間違いはない筈なのに。今も幸せな筈なのに。

 

 

 ただ一人、自分に幸福をもたらしてくれた人のことを——どうしても思い出すことができない。

 

 

 ——なんで……どうしてこんな、切ない気持ちになるんだろう……!

 

 

 その事実がどうしようもなく切なく、たまらなく悲して。

 

 

「う、うう……うぅ…………」

 

 

 純子は胸が詰まったかのように、まるで帰り道を失った迷子の子供のように泣き崩れていた。

 

 

 

「お、お母さん!? ちょっ……だいじょ、え? えぇええ!?」

 

 いきなり泣き出した純子にまなは仰天する。

 

 いつも気丈な筈の母親が、自分の眼前で涙を流していることに戸惑いを隠せない。

 

 彼女には母親がそのように泣く理由も、慰める方法も分からなかった。

 

 

 ただただ子供のように泣き続ける母親を前に、あたふたと慌てふためくしかなかったのであった。

 

 

 




人物紹介

 ハベトロット
  今作の主役。花嫁をぜったいぃいいいに幸せにする妖精さん。アヴァロン・ルフェで妖精という存在に絶望したマスターたちの心に一筋の希望を抱かせてくれた。
  彼女やマイク、レッドラやコーラル、モルガン一家には敬礼を! 妖精ども……特にオーロラ、テメェはダメだ!!
  今作のハベにゃんはあくまで単体での出演です。Fgo世界限定のハベにゃん砲とかは出ないのでそこはご了承下さい。

 犬山純子
  今作におけるキーパーソン。
  あまり説明してしまうとネタバレになってしまうので、話の流れから色々とお察し下さい。
  尚、『もっけ』とのクロスの際にも後書きに記入しましたが、本作における純子さんの親戚筋は『沢田姓』で統一しています。そして、本シリーズにおいて、純子さんは実家から距離を置いている、という設定です。
  彼女の実家は……『月姫』的にいうと遠野家のようなーー『旧華族』的な家のイメージです。
  色々と由緒ある家であり、そこで縛られる窮屈なしきたりなどに嫌気がさし、実家を飛び出した純子。
  それと似たような経歴であることから淑子さんから、色々と面倒を見てもらっている……といった感じのバックストーリーでお願いします。

  とあるクロスオーバーにおける大事な伏線。
  いずれ回収すると思いますので、そのときまでお楽しみに!
  
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ハベトロットの花嫁衣装 其の②

こんにちは、ハベトロットの花嫁衣装、中盤のストーリーです。
当初の予定では……今回はハベトロット以外のfgoキャラを出す予定がなかったのですが。
今回、ちょっとしたゲストキャラを出すことになりました。

あくまで敵枠キャラとして出すため、あまり深掘りはしないつもりです。
ですが、ハベトロットとの接点が全くないキャラではないです。
いずれハベトロットがイベントなどで登場し、このキャラと絡んでいるところなど見てみたい思い登場させていきたいと思います。

それでは本編をどうぞ!


「——ど、どうでしょうか? 似合って……いますか?」

「——……う、美しい……き、綺麗だ……」

 

 とある結婚式場の控室にて。その式の主役である新婦と新郎の御両人が見つめ合っていた。花婿は白いタキシードに、花嫁は純白のウェディングドレスにそれぞれ着替えている。

 花嫁のウェディングドレスはマーメイドドレス。人魚のようなシルエットがふんわりと広がるスカート。スリムな脚線美を際立たせるそのデザインは、彼女の健康的でスレンダーな美貌をより一層引き立てている。

 ドレスを纏った女性の美しさに新郎は見惚れている。単純な褒め言葉以外何も浮かばない、ただのポンコツと化していた。

 

「…………」

「…………」

 

 それはドレスをここまで運んできた、ゲゲゲの鬼太郎と猫娘も同じだった。ハベトロットから花嫁に渡すように託されたそのドレスは、女性が着ることであるべき姿へとなった。

 ドレス単体でも十分に綺麗だったのだが、彼女がそのウェディングドレスを纏うことで美しさが段違いに跳ね上がる。

 その麗しさを前にしては、あの朴念仁の鬼太郎でさえも唖然と立ち尽くすしかないでいる。

 

「鬼太郎よ、見惚れるのもよいが……あやつのために写真を撮らせてもらわんと……」

「……はっ! そ、そうですね、父さん」

 

 目玉おやじが鬼太郎の耳元で囁くことで彼は正気を取り戻す。疲労で寝込んでいるであろうハベトロットのためにも、女性の花嫁姿を写真に収めなければならないことをそこで思い出す。

 

「ええ、いいですよ! せっかく妖精さんが仕立ててくれたドレスなんですから、あの子にも……見てもらいたいんです!」

 

 女性は快く写真撮影に応じてくれた。彼女の好意に甘え、鬼太郎はカメラマンとなって女性のウェディングドレス姿を撮影していく。

 

「……貴方は……あの妖精と、ハベトロットとはどこで知り合ったの?」

 

 鬼太郎が撮影をしている最中で猫娘が花嫁に尋ねる。彼女がハベトロットという西洋の妖精とどのような経緯で知り合い、どうしてそのような美しいドレスを用意してくれる流れになったのかを尋ねていた。

 

「……実はこのドレス……亡くなった母の形見なんです」

「……えっ?」

 

 すると女性から予想外の答えが返ってくる。いきなりの話題に目を丸くする猫娘だが、花嫁は気にすることなくさらに詳細を語ってくれる。

 

 

 

 女性の話によると、彼女の着ているウェディングドレスは元々が母の形見であり、それをリメイクして着用するつもりでいたらしい。リメイクの際には昔のデザインを今の時代に合わせて補修するものだ。そうやって、そのドレスは幾度となく引き継がれてきた。

 

「けれど……式の前日に事故がありまして。業者に仕立て直して貰ったドレスが……台無しになってしまったんです」

 

 しかし、せっかく業者にリメイクして貰ったドレスが式場スタッフのミスで見るも無残な姿になってしまったという。そこからドレスを補修するのに、少なくとも数週間かかると言われてしまった。

 

「代わりを用意すると言われたのですが……私、どうしてもこのドレスで式を挙げたかったんです……」

 

 式場側から責任を持って代わりを用意すると提案されたのだが、彼女はどうしてもこのドレスで結婚式を挙げたかった。形見の品を身に付けることで、幼い頃に亡くなってしまった母が今も見守ってくれていると。そう思いたかったのだ。

 けれど、彼女一人の我儘で式全体の日程を遅らせることもできない。出席者は皆、忙しい中をわざわざこの日のために集まってくれたのだから。

 

 彼女はやむを得ず、代わりのドレスを着て式に出ることを了承するしかなかったのである。

 

「そうして困っていた私に……あの妖精さんが声を掛けてくれたんです」

 

 それでも、未練は捨てきれずに一人気落ちしていた女性。するとあの妖精が——ハベトロットがどこからともなく現れ、声を掛けてきたという。

 

『——任せときなよ!! キミの形見の花嫁衣装……ボクが明日の結婚式までに仕立て直して上げるからさ!!』

 

 花嫁から事情を聞き出したハベトロットは、そのドレスを自分が『直す』と申し出ていた。

 得体の知れない妖精からの提案に女性の中では様々な葛藤があったが——結論として、花嫁は形見のドレスをハベトロットに預けることにしたのだ。

 

「……本音を言うと……あまり本気にしてませんでした。あんなにボロボロだったドレスを一日で仕立て直すだなんて、出来っこないと思ってましたから……」

 

 もしかしたら、そのままドレスを持ち逃げされるのではと。自分が騙されている可能性すらも脳裏を過った。

 けれど、母のドレスで結婚式を挙げられないと、自暴自棄になっていたところもあったのか。半ばヤケになり、彼女はハベトロットにこのウェディングドレスを渡していたという。

 

 

 

「……そう、だったんですね」

 

 後のことは鬼太郎たちも知ってのとおり。ハベトロットは見事に一夜で仕事を終え、『母のドレスで結婚式を……』という花嫁の願いを叶えることに成功した。

 

「……あの妖精さんに……伝えてください……」

 

 花嫁は感謝と感激のあまり涙を流しながら、鬼太郎たちに頼んでいた。

 ここへ来れなかった妖精さんに、ハベトロットにお礼の言葉を伝えてくれと。

 

 

「——ありがとう。貴方のおかげで……私、今とっても幸せです!!」

 

 

 輝かしいほどの笑顔で自分が今この瞬間——。

 

 

 紛れもなく、世界一の幸せ者であることを伝えて欲しいと託していた。

 

 

 

×

 

 

 

「あのハベトロットという妖精……どうやら悪い奴ではなさそうじゃな」

「そうですね、父さん……」

 

 ウェディングドレスを無事に送り届けた帰り道。鬼太郎と目玉おやじはハベトロットという妖精について話していた。

 それまではどこか正体が不明で何気なく警戒していた相手だが、先ほどの花嫁の事情を聞けばそんな気も失せてくる。

 

 あのハベトロットという妖精の行いは正しく、そのおかげで一組の夫婦が幸せになれた。

 人間をあんなとびっきりの笑顔にできるドレスを作ってしまった妖精の技術と情熱に、鬼太郎たちは素直に感服するしかない。

 

「……いいな。私も……あんな綺麗なウェディングドレスがあれば……」

 

 猫娘もあのドレスの出来栄えには見惚れていた。自分も「いつかあんなドレスを着て……鬼太郎と」などと。チラチラと彼の横顔を盗み見ているが、意中の相手は当然ながら全く気が付いていない。

 

「写真も撮れましたし……あの妖精に報告しましょう、父さん」

 

 彼はハベトロットとの約束を守れたことに安堵しきっており、猫娘の密やかな恋心など勘づく素振りすらない。

 今はとにかくあの妖精に花嫁の言葉を伝えてやろうと。一行は彼女を寝かしているゲゲゲハウスへの帰路を急いでいく。

 

 

 

「——お帰り~!! ドレスはちゃんと届けて来てくれたかい?」

 

 ゲゲゲハウスに戻ってきた鬼太郎たちを、笑顔のハベトロットが出迎える。

 ウェディングドレスを仕立ててすぐに眠りこけていた彼女だが、鬼太郎たちが出かけている間にすっかり体力を回復させ、身を起こしていた。

 

「ふぃ~……やっぱ労働の後の温めたミルクは格別だねぇ、ほっ……」

 

 縁側で茶を啜るご老体のような仕草で温かいミルクを口にし、まるでそこを我が家のように一息ついている。

 

「ああ……ちゃんと届けてきたよ。写真も撮らせてもらった……見るかい?」

 

 人の家で随分とリラックスしているハベトロットに何か言いたげな鬼太郎だったが、とりあえず依頼の報告を先に済ませる。花嫁の手に無事ウェディングドレスが渡ったことや、彼女が感謝していたこと。

 そして、花嫁のウェディングドレス姿をカメラに収めたことを伝えるや、ハベトロットは眩しいほど輝かしい笑顔で喜びを露にする。

 

「ほんとかい!? いや~……それならボクも頑張った甲斐があったよ! あっ、写真、写真も見せて! ああ、やっぱり綺麗だな~! ウェディングドレスを着たあの子は……本当にお姫様みたいだよ!!」

 

 ハベトロットはカメラを手に取るや、自分の仕立てた花嫁衣装に袖を通す新婦の写真姿にはしゃぎ回る。

 

 

「……うん、本当に……幸せそうで良かった……」

 

 

 そのまま、ハベトロットはじっと花嫁の姿を目に焼き付けるかのように写真を見つめ続ける。

 

「よーし!! じゃあ、次はキミの番だよ、猫のお嬢さん!! 次はキミを幸せにしてあげるから……まずは寸法から測らせてくれよ!」

 

 しかし、すぐにでもそのカメラをカバンの中に仕舞い込み、代わりに採寸ようのメジャーを取り出し、それで猫娘の体のサイズを測ろうと彼女へと歩み寄る。出会い頭に言っていたように、今度は猫娘を『自分の花嫁』にして送り出そうとしてくれているようだが。

 

「ちょっ、よ、余計なことしないでよね!! べ、別に私は……そんな、結婚とか、予定にないんだから!!」

 

 ハベトロットのお節介に猫娘は赤面しながらも叫ぶ。

 ハベトロットの作るあんなに綺麗なドレスを自分も着れると考えれば満更な気分でもないが、そのためにはやはり鬼太郎と結婚する必要が出来てしまう。

 まだ彼と付き合うことも出来てない自分にそのゴールは早すぎる。ハベトロットのお節介を今は全力で否定するしかなかった。

 

「えっ? でも相手なら…………あ~、なるほど、なるほどね!!」

「……?」

 

 猫娘の否定にハベトロットは鬼太郎の顔を見ながら、腑に落ちないような顔つきになった。だが、すぐに得心がいったとばかりに手をポンと叩く。彼女は猫娘の反応と鬼太郎のとぼけた顔つき、それで二人を取り巻く恋愛事情をそれとなく悟ってくれたようだ。

 

「オッケー、オッケー!! そういうことなら……これ以上、ボクの方からそいつを口にするのは野暮ってもんさ!」

 

 ハベトロットは採寸道具を仕舞い込みながら、猫娘の耳元でそっと囁く。

 

「……キミが勇気を踏み出して彼に想いを伝えられるようになるまで、ボクはいつでも待ってるからね……」

「っつ!?」

 

 いきなり確信を突かれた言葉に、猫娘は顔を真っ赤に恥ずかしがる。

 

「そんときになったらボクの名を呼んでくれよな!! 何処にいたってすぐにでも駆けつけて……キミのために最高の花嫁衣装を作ってあげるからさ!!」

「…………?」

 

 何でもお見通しとばかりにウィンクをするハベトロット。

 やはりというべきか、そんな二人のやりとりをどこか他人事のように鬼太郎は不思議そうに眺めるばかりであった。

 

 

 

「……ときにハベトロットよ。お前さん、これからどうするつもりじゃ?」

 

 そんなやり取りの後、ふいに目玉おやじがハベトロットの今後の身の振り方について質問していた。

 

「お前さんは西洋の妖精のようじゃが、もしもこの森に留まりたいと言うのであればわしらは反対せん。なんならあんなジメジメした洞窟より、もっと良い住居も紹介するが……?」

 

 ハベトロットという妖精が悪しきものではないと確信しつつある目玉おやじは、彼女にこの森の一員として留まることを容認する口ぶりで提案した。

 住居もいくらか余っているため、一人二人増えたくらい問題はない。ハベトロットがわざわざこの森を仕事場として選んだのも、ここの環境が彼女にとっても居心地がいいからだろう。

 余所者である妖精にとってこの提案は悪くないものであり、これに鬼太郎や猫娘も異を唱えることはなかった。

 

「う~ん……ありがたい申し出なんだけど……ボク、どこか一箇所に留まるつもりはないんだ!」

 

 しかし、ハベトロットは難しそうな顔をしながら首を横に振る。

 

「ボクの夢はね……一人でも多くの花嫁を幸せにすることなんだ! そのために、世界中を旅して巡ってるんだよ!!」

 

 ハベトロットは弾けるばかりの笑顔で己の夢を語る。

 

 彼女は糸紡ぎ車の妖精、裁縫の達人、幸福の運び手。ハベトロットという妖精自体が人間の味方であり、彼女たちは故郷の土地でも困っている娘たちに多くの幸福をもたらしてきた。

 その中でも彼女というハベトロットは変わり者であり、自分から世界中を旅し、一人でも多くの花嫁たちを幸せにするという、夢のために頑張っているんだとか。

 

「まあ、暫くの間は面倒をかけるかもしれないけど……時期が来たらまた旅に出るよ」

 

 そのため少しの間なら厄介になるかもしれないが、決して一箇所には長居しないという。

 

「きっと世界の何処かに、ボクの手助けを必要としてくれている『ボクの花嫁』が待っているかもしれないからね!」

 

 世界の何処かでハベトロットの助けを必要としてくれる花嫁がいるなら、彼女はそこがどこであろうとも駆けつける。

 それが——自分という妖精の『在り方』なのだと自信満々に語っていた。

 

「そうか……わかった。何か困ったことがあれば遠慮せずに言ってくれ」

 

 そんなハベトロットの力強い想いに、鬼太郎も口元に笑みを浮かべる。

 微力ながらも力を貸すと。鬼太郎にしては珍しく、自分から彼女の世話を焼いてやりたいという気持ちにさせられていた。

 

 

 

 

 

「……とりあえず、最初の洞窟よりはいい場所に案内しといたわ。あんなジメジメした洞窟よりは……まあ、住み心地はいいでしょ」

「ああ、ありがとう……猫娘」

 

 その後、猫娘がハベトロットを仮住まいの住居へと案内し、彼女は暫くの間そこで寝泊まりすることになった。ねずみ男が最初に紹介した洞窟は明らかに住むにしては難しい環境だったため、あれよりはマシな物件を鬼太郎たちで紹介してやったのだ。

 

 それでも、時期とやらがくればその場所からも立ち去り、彼女は旅立ってしまうのだろう。

 あの小さな体で、より大きな夢を叶え続けるために——。

 

「父さん、世界中にはいろんな妖怪、いえ……妖精がいるんですね」

「うむ、そうじゃな!」

 

 鬼太郎と目玉おやじは感心していた。彼らにとって妖精は未知の存在であり、当初はかなり警戒心を持って彼女と接していたと思う。おまけに西洋の存在といえば鬼太郎たちにとっては『侵略者』という側面が強かった。バックベアード然り、吸血鬼然り。

 しかし、ハベトロットにそのような心配は無用であると。

 彼女が自分たちと敵対するようなことは起こり得ないだろうと、安堵しきった心持ちで呑気に茶など啜っていく。

 

「——鬼太郎しゃん! 鬼太郎しゃん!! ちょっといいばい?」

 

 するとそのとき、どこか慌てた様子でゲゲゲの森の仲間である一反木綿がハウスへと顔を出した。

 彼ははしゃぎながら、顔に隠しようのない喜びを浮かべてその人物を鬼太郎の元へと連れてくる。

 

「お客さん連れてきたばい!! ほれ、早うこっち来るね!!」

「……久しぶりね、鬼太郎」

「なんだ、誰かと思えばアニエスじゃないか」

 

 一反木綿が連れてきたのは——アニエスであった。

 西洋妖怪でありながらも鬼太郎たちと友誼を結んだ、魔女の少女だ。今は日本から離れ、姉であるアデルと二人で静かに暮らしている筈の彼女が、一人でゲゲゲハウスへと顔を出しにきた。

 

「どうしたのよ? ひょっとして……また何かあったのかしら?」

 

 アニエスに対して友好的な態度を取る猫娘だが、その反面、彼女は僅かに眉間に皺を寄せて身構える。

 これまでの経験上、アニエスが日本に来る場合——大抵は何かしらの事件が起きている。

 

 吸血鬼たちの動きが活発化したり、口汚い魔女の襲来があったり、魔獣の進軍があったりと。

 

 アニエスの責任ではないのだが、彼女の来日=何かしらの事件という図式が鬼太郎たちの脳内に出来上がりかけている。

 

「そうじゃないわよ! たまたま近くを通りかかったから……少し顔を出そうと思っただけなんだけど……」

 

 けれど、その可能性をアニエスは否定する。今回は何の事件も起こっておらず、単純に鬼太郎たちに会いに来ただけだと。だが——

 

「さっき森の中で……見慣れない子を見かけたんだけど……あれって妖精よね?」

 

 ここに来るまでの道中に、アニエスはハベトロットを見かけたらしい。

 西洋の住人であるアニエスは、遠目から目撃しただけでもハベトロットが妖精であると一目で理解できたようだ。

 

 どこか不安そうに、どこか心配そうに眉を顰め——鬼太郎たちに警告を促していた。

 

 

「——大丈夫かしら? 妖精と関わると……大半はろくな目に遭わないっていうのが……西洋だと通例なんだけど……」

 

 

 

×

 

 

 

「…………」

「純子さん? おーい、純子さん!!」

「……えっ? な、何? どうかした……あなた?」

 

 犬山家。妻である純子に、夫である裕一が声を掛けていた。

 

「どうしたのって……鍋が吹きこぼれてるじゃないか! ……気が付かなかったのかい?」

「えっ? ああ、ごめんなさい!! うっかりしてたわ!!」

 

 既に時刻は夕方となっており、純子はキッチンで夕飯作りを始めていた。しかし、彼女は吹きこぼれるまでに煮立った鍋を放置し、心ここに在らずとボーッとしていた。裕一に注意されたことで慌ててコンロの火を止める。

 仕事も家事も、何事もそつなくこなす彼女にしては珍しい凡ミスである。

 

「……なあ、まな。純子さん……何かあったのかい? 昼過ぎ辺りからずっとこうなんだけど……」

 

 妻の異変に裕一は困惑していた。朝に家族で団欒したときには何の変化もなかったのに、お昼を過ぎた辺りからずっとこの調子の純子。

 その変化に心当たりのない裕一は、娘なら何か知ってるかもしれないとまなに心当たりを尋ねる。

 

「……わたしも、詳しいことは分からない。けど……」

「けど……?」

 

 純子に何があったかなど、まなも詳しくは知らない。

 

 まなは純子の調子が悪くなる直前、彼女が大粒の涙を流していた現場に出くわしていた。それは午前中、家にあったウェディングドレスを見せてもらってからだ。そのドレスを見せてもらい、そのドレスの贈り主が誰なのかを尋ねたところ——純子は涙を流し、調子を悪くし始めた。

 どうやら、ウェディングドレスの贈り主が誰なのかを思い出せず、そのことをずっと気に病んでいるようだ。

 

「ああ、あのウェディングドレスか! ……言われてみれば、ボクも知らないな。あれは……確か純子さんが式場に持ち込んだものだったと思うけど……」

 

 裕一もそのドレスのことは覚えていたようだが、贈り主に関しては何も知らないとのこと。

 純子のようにそこまで悲しい気持ちになったりしていないところを見るに、彼は元からそのウェディングドレスについて詳しいことを知らないようだ。

 あのドレスを結婚式で着るのを選んだのは純子。何故そのドレスを着ることになったかの経緯も、全ては純子の胸の内にしかない。

 

「……何で、私……思い出せないんだろう?」

 

 しかし全てを知る筈の当人が何も覚えていない以上、そこから先の詳しい記憶を掘り返すことはできない。

 忘れてしまったという記憶を無理にでも思い出すか。それとも、思い出すことを諦めて今まで通りの日常を過ごしていくか。

 

 全ては純子次第。彼女の心の整理がつくまで、暫くはこの不調が続くかもしれない。

 

 

 

「大丈夫かな、純子さん……。よりにもよって……こんなときに……アレに出席しないといけないだなんて……」

 

 妻の不調に当然ながら裕一は不安いっぱいで頭を抱える。しかもタイミングが悪いことに純子と裕一には明日、とある式に出席しなければならない予定が入っていた。

 

 その式とは——何を隠そう、『結婚式』であった。

 

 実は明日、裕一と純子は共通の友人。そのゲスト客として結婚式の招待状を受け取っていた。

 本来なら喜ぶべき祝いの席なのだが、その結婚式の思い出を振り返ってしまったことで純子は辛い思いをしてしまっている。

 

 こんな調子で他人の幸福など祝えるのだろうか、更に悲しい気持ちにならないだろうかと。裕一は妻の心情を心配していた。

 

「……おっと!? 電話……もしもし?」

 

 だがそんなときだ。裕一の携帯電話に着信があった。彼は電話に出るや、すぐにヘコヘコと頭を下げ始める。 

 

「あっ、課長!! いつもお世話になって……えっ? 明日? 会社に出て来いって……えっ?」

「……あれ? なんかこの流れ……前にも……」

 

 電話の相手は会社の上司だった。

 まなにとっても、何だかどこかで見たことのあるやり取りを経つつ——徐々にだが裕一の顔色が悪くなっていく。

 

「し、しかし、課長っ!! 私は明日どうしても外せない用事が……はい、はい……わ、分かりました……」

 

 裕一は色々と抵抗していたがすぐに根負け。

 電話を切るや、そのまま力なく肩を落として項垂れていく。

 

「……お、お父さん……まさかとは思うけど……?」

「うん……お父さん、明日会社に行かないといけなくなっちゃった……」

 

 予想通り、休日に会社に出て来いという上司からの理不尽な命である。本来なら断るべきところだったが、社畜根性の染み付いている裕一には、本気で上司に逆らうという選択肢が取れなかった。

 

 これにより、裕一は明日の結婚式に出席することが出来なくなってしまう。

 

「ど、どうしよう!? 先方に謝らないといけないだろうし……今の純子さんを一人にはしておけないし!」

 

 この事態に裕一はパニックに陥る。

 

 招待された結婚式に自分が出席できない無礼は、最悪でも誠心誠意謝れば済むかもしれないが、純子のことは頭を下げればいいという単純な問題ではない。

 今の彼女は何をやっても身が入っていない状態だ。そんな妻を一人だけで結婚式に参加させるなど不安しかない。しかしだからといって、夫婦揃って欠席するのはさすがに失礼過ぎる。

 この事態にどうするべきかと、裕一はうんうんと頭を悩ませていた。

 

「……それなら、わたしがお父さんの代わりに式に出ようっか?」

「……えっ? ま、まなが?」

 

 すると父の悩みに、娘であるまなが解決策を提示してみせる。

 

「わたしはお父さんたちの友達って人と面識はないけど……今のお母さんが一人で出席するよりはずっと良いと思うけど?」

 

 もともと、この結婚式にまなは呼ばれていなかった。招待状は犬山夫妻の二人にだけ送られたものであり、まなは一人で留守番をする予定だったのだ。

 だが裕一が参加できないのであれば、まなが父の名代として式に出席しても何らおかしくはない。

 まなが純子と一緒に行き、本調子ではない不安定な母親をサポートすればいいのだ。

 

「う、う~ん……そうだな……それがいいのかもしれないけど……頼んでもいいのかい、まな?」

「勿論! 任せてよ!!」

 

 父親はまなを「見知らぬ人の結婚式になど出席させて大丈夫だろうか?」と心配していたが、まなとしては特に問題なかったりする。

 彼女自身、結婚式という行事に直接参加したことがなかったため、個人的にも興味があった。

 

 いずれは自分が挙げるかもしれない、あのウェディングドレスを着ることになるかもしれない人生最大のイベントだ。

 ひょっとしたら、将来的に何かの参考になるかもしれないと、割と前向きに此度の緊急参加を楽しみにしていたりする。

 

 

 当然だが、それを口には出さない。娘が結婚式を自分の将来に活かそうとしている。

 その上でさらにブーケトスまでキャッチしようものなら、父親が泣いちゃうかもしれないからだ。

 

 

 

 

 

「…………不思議よね。何でか分からないけど……思い出せないのよ……」

 

 夫と娘が明日の結婚式の出席云々をすぐ横で話し合っている最中も、純子は虚空を見つめていた。

 家族の話すらろくに耳には入って来ない。彼女は——あのドレスの贈り主が誰なのかを思い出そうと、必死に過去の記憶を思い返している。

 だがどれだけ記憶を巡っても、その相手の顔が出てこない。名前すらも浮かんでこない。

 

 時間を掛けたことで辛うじて思い出せたのは——小さな手、小さな体、小さな声。何もかもが小さい相手だったということ。

 それではまるで子供だと。そんな子供がドレスを贈ってくるなどあり得ないのに、それが正しいと納得してしまう不思議な感覚だった。

 

 

「あの人は……あの子は、誰だったのかしら?」

 

 

 それでも、それが誰だったかという明確なことは何一つ思い出せない。

 何にも思い出せないことを、ただただ『悲しい』と感じてしまう。

 

 

 結局その日、一日。

 彼女はそれ以上のことは何も思い出すことができず、夜を明かしていくこととなる。

 

 

 

×

 

 

 

「ほ~れぇい! 今日は無礼講じゃ!! 飲めや、宴や!!」

「いつも飲んどるじゃろうが……この酔っ払いが!!」

「もう~! 硬いこと言いっこなしばい……今日くらいよかとね!」

「ぬりかべ~!!」

 

 夜のゲゲゲの森。森の広場ではいつもの面子が集まっていた。

 子泣き爺、砂かけババア、一反木綿、ぬりかべ。皆がそれぞれ酒や食べ物を持ち寄り、ささやかながらにも宴会を催していた。

 

「へっへっ! 俺もご相伴に……って、痛ぇええ!?」

「馬鹿もん! 何も持ってこない奴が、タダ酒だけありつこうとするな!!」

 

 中にはねずみ男のようにタダ酒と食い物目当てで紛れ込んでいるものもいるが、子泣き爺が手厳しい言葉と共にその卑しい手を叩く。少なくとも、飯くらい持って来なければこの宴に参加する資格はないと叱りつける。

 

「なんだよ!! あいつらはダダ飯食ってんのに……俺だけ仲間外れかよ!?」

 

 それにねずみ男が不満を口にする。自分以外にも何も持ってきていないのにこの宴会に参加している者がいると。彼なりの正論を口にし、何とかして食べ物にありつこうとするが。

 

「馬鹿もん、あやつらは主役じゃ!! ゲストの『あの子』たちをお前さんと一緒にするでない! グダグダ言うとると……チューするぞ!!」

「ひぇええええ!! チュー、チューは勘弁!!」

 

 ねずみ男の言い分は砂かけババアによって一蹴されてしまう。これ以上グダグダ文句を言うようならその口を物理的に塞いでしまうぞと、唇を突き出しながらねずみ男へと迫る。

 これにはたまらんと逃げ出す、ねずみ男。そんな彼を尻目に——

 

「ははは……相変わらずね、みんな……」

「いや~、賑やかだね! ハベにゃん、こういうの嫌いじゃないぜ!」

 

 この宴のゲストである彼女たち——アニエスとハベトロットが柔らかな笑みを浮かべていた。

 

 

 今日の宴会の目的は、久し振りに日本へと戻ってきたアニエスを歓迎することにあった。

 バックベアードとの決戦以降、何かと日本を訪れる機会があったアニエスだが、その殆どが戦いによるやむを得ない来日。いつもアニエスが日本に来る際は何かと戦っているときであり、心休まる時間などあった試しがないのだ。

 しかし、今回は何かしら強大な敵が迫っているわけでもなく、アニエスも単純に皆の顔が見たくなってふらっと日本に立ち寄ったという。

 

 ゲゲゲの森の面子はそんな彼女に良い思い出を作ってもらいたいと、こうして宴の席を設けていたというわけだ。

 

「なんか悪いね!! ボクまでこんな素敵な席にお呼ばれしちゃって!」

 

 その席にハベトロットがいたのは、言ってみればもののついでだ。

 ハベトロットは『花嫁を送り出す』という大仕事をこなした後でもあったため、その頑張りを労う意味でも、彼女をアニエスと一緒に宴のゲスト席へと招いていた。

 

「なに、気にするでない……のう、鬼太郎?」

「そうですね、父さん」

「まっ……別にいいんじゃない? それだけのことはやったわよ、アンタも……」

 

 目玉おやじや鬼太郎、猫娘といった顔ぶれもこの宴には参加している。というよりも、ハベトロットをこの席に呼ぼうと提案したのは意外にも彼らだった。ハベトロットの頑張りの成果を直に見た鬼太郎たちだからこそ、素直に彼女のことを労ってあげたかった。

 

 そして、この提案に——ハベトロットと同じ西洋の住人であるアニエスも快く応じてくれた。

 

「まさか、貴方があのハベトロットだったなんてね……会えて嬉しいわ」

「こちらこそ!! 可愛らしい魔女のお嬢さん! ところでキミ、ボクの花嫁になってくれないかい!?」

 

 アニエスの方からハベトロットに握手を求め、それにハベトロットも笑顔で応じる。何気にアニエスにも「花嫁にならないか?」と決まり文句を口にするハベトロットだが、そちらの方は華麗にスルーしていた。

 

 

 

 本来、西洋において『妖精』という存在は、あまり歓迎されるものではない。

 実際、アニエスも相手が妖精であると知るや、露骨に警戒心を漂わせていた。妖精といえば可愛らしいイメージが一般的には先行しがちだが、それはフィクションでの話。

 

 西洋の住人は——彼ら妖精の大多数がろくでもない連中であり、関わると大概は酷い目に遭うということを知識として知っている。

 

 それは妖精というやつの性質によるもの。

 彼らは確かに無垢で純粋で無邪気だ。だが、その無邪気さが——他の知性体の価値観とは大きく突き離れており、彼らがやらかす洒落にならない『イタズラ』によって、ときには取り返しの付かない被害を被ることがある。

 

 例として挙げられるのは、妖精の『取り替え子(チェンジリング)』だ。彼らは人間の赤子を自分たちの子供と入れ替え、連れ去ってしまうという。

 彼らがそんなことをする理由は——『純粋に人間の子供が欲しかった』あるいは『人間で遊びたかった』という単純なもの。そんな理由で自分の子供を連れ去られてしまうのだから、やられる側からすればたまったものではない。

 

 その価値観の違いから、あのバックベアード軍団でさえも妖精からは距離を置き、アニエスも彼らとは無闇に関わらないようにと、魔女としてそのように教育を受けてきた。

 

 たとえ魔女であっても油断できないのが妖精というものなのだ。しかし——

 

 

「——ハベトロットであれば大丈夫。彼女たちは善良な妖精なのよ!」

 

 

 ハベトロットは妖精の中でも例外的な立場にいる。彼女たちは極めて善良な性質をしており、関わった者を絶対に不幸にしない、幸せにすることを心情としている。

 特に困っている若い娘には親切で、その娘がどのような後ろ暗い事情、罪状を背負っていようとも手を貸してくれるという。

 自分自身の身さえ顧みないほど。まさに献身の塊、自己犠牲の妖精だと呼べるだろう。

 

 妖精とはいえ、そんなハベトロットが相手であればアニエスも警戒心など抱こう筈もなく。

 宴の席は、終始穏やかなムードで進んでいく。

 

 

 

 

 

「——そういえば……ハベトロットは日本に来てどれくらい経つのかしら?」

 

 そうして、宴が何事もなく終わろうとしていた頃。アニエスはハベトロットに何気ない質問を投げ掛けていた。

 その内容はハベトロットが「いつから日本にいたか?」ということだ。

 

 世界を旅して廻っているというハベトロットが、この国でどれくらいの期間活動し、どれだけ多くの人に幸福をもたらしたのか。単純な興味としてアニエスは問い掛けていた。

 

「う~ん……実のところ、今日送り出した子で……多分二人目なんだわ」

 

 するとハベトロットは頭を悩ませながら、自分のことなのにどこか自信なさげに、必死に過去の記憶を思い返すようにしてその質問に答えていく。

 

「実はボク、この国に来てすぐに……肉体を消失しちゃってるんだよね」

『——えっ!?』

 

 何でもないことのように言ってのけるハベトロットだが、その発言にはその場にいた全員が唖然となる。

 

 肉体を消失——それは簡単には死なないとされる妖怪にとっても只事ではない。肉体という器を失えば魂だけになってしまい、新たに肉体を再構築するまでの間、無防備となり何も出来なくなってしまう。

 西洋の妖精もそれは同じらしく、彼女は長い間ずっと魂だけの存在としてこの国を彷徨っていたという。

 

「肉体を取り戻してから、ボクなりに暦とか調べてみたんだけど……多分十年……いや、十五年くらいは経過してたかもしんないんだ」

「十五年……意外と早い方じゃが……うむ」

 

 ハベトロットが眠っていたとされる年月に、目玉おやじが思案顔に耽る。

 十五年という年月は妖怪にとってそこまで長い時間ではない。日本の妖怪でも肉体の再構築にはさらに数十年、もしくは数百年単位をかけるものもいる。それに比べれば十五年程度、妖怪にとっても、妖精にとっても刹那の間である。

 

「そんでね……肉体を喪失する前、そのときにも一人、ボクの花嫁を送り出したとおもうんだ……」

 

 ハベトロットは肉体を失う前に一人、肉体を取り戻した直後に一人、それぞれ花嫁を見送っているという。一人は言うまでもなく今日見送った子だ。満面の笑みで写真に写っていたし、彼女に関しては心配もいらないだろう。

 

「だけど……復活の後遺症なのかな? 最初の方に送り出した子のことが……はっきりと思い出せないんだよ……」

 

 しかし病み上がりのせいで記憶が混乱しており、肉体を失う直前のことをあまり思い出せないと暗い顔をする。

 

「きっと大丈夫だとは思うんだけど……ちょっと心配なんだよね……」

 

 自分が紡いだウェディングドレスを着たのなら、その子だってきっと幸せになれたとハベトロットは思っている。けれど、その笑顔を見た記憶がないため——いまいち確信を持つことができない。

 

「せめて、あの子の顔をもう一度見ることができれば……色々と思い出すこともできると思うんだけど……」

「それは……難しいんじゃないか? 十五年は……人間にとってそれなりに長い年月だから……」

 

 ハベトロットの呟きに、鬼太郎が気の毒そうに首を振る。

 妖怪や妖精ならともかく、人間にとって十五年は長い。その女性がいくつになっているかは知らないが、十五年もあれば子供も産まれ、その子を立派に育て上げていることだろう。

 激動の人生を歩む中で、ハベトロットという恩人の存在すら忘れていても不自然ではない。

 

 その女性とハベトロットが出会える確率など、それこそ天文学的な数字といっても過言ではなかった。

 

「そうだね……うん。ボクも、それは仕方がないことだとは思ってるよ……」

 

 ハベトロット自身もそれを理解している。

 だから彼女もこれ以上、無理に自分の記憶を掘り返そうとはしない。過去のことをクヨクヨと考えるよりも、今は一人でも多くの花嫁を幸せにしたい。

 

 前向きに未来のことを考えるハベトロットは——既に次の目的地すら決めていた。

 

「じゃんじゃじゃーん!! これを見てくれ!!」

「……何それ? ……パンフレット?」

 

 気を取り直してテンション高めに彼女がカバンから取り出したのは、一枚のパンフレットだった。

 そのパンフレットがいったい何なのかと猫娘が尋ねる。正直、中身など大体予想はつくが——

 

 

「——へっへん~!! これは結婚式会場の紹介パンフレットさ!!」

 

 

 案の定、それはハベトロットの望みを叶えてくれる魔法の地図だった。

 

 その地図を頼りに明日、ハベトロットはいくつもの結婚式会場に直接乗り込むとのこと。

 

 

 きっとその式場の中に、自分の花嫁になってくれる子がいる筈だと——彼女はまだ見ぬ新婦の姿に瞳をキラキラに輝かせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぅ……な、何なのよ……何なのよ、あれは!?」

「しぃー! 静かにしろ……あいつに勘付かれちまうぞ!?」

 

 一組の男女が息を殺し、闇の中に身を隠していた。

 彼らは山の上から夜景を見ようとしていた、どこにでいるごくありきたりな普通のカップルであった。

 

 夜景が綺麗な穴場スポットまであと少し、あと少しと車で山道を走っていたところで——彼らは『それ』と遭遇する。

 

 

 

『——ぐるぉおおおおおおおおおおおおお!!』

 

 

 

「ひぃ!?」

 

 恐ろしい唸り声の持ち主だった。

 その声の主はいきなり道路へと飛び出し——男女の乗っていた車を物凄い力でひっくり返したのだ。

 

 その怪物の前では自動車などただの鉄屑に過ぎない。車をひっくり返されながらもなんとか一命を取り留めた彼らは、そのまま車の中で息を潜め、その怪物が通り過ぎていくのをただ神に祈るばかりであった。

 

『ぐるるる……』

 

 祈りが通じたかどうかは分からない。だが、その怪物はひとしきり暴れ回った後、何事もなくその場から立ち去っていく。

 のっしのっしと、その重苦しい図体を揺らしながら、闇の中へと姿を眩ましていく。

 

「た、助かった……のよね」

「あ、ああ……ああ」

 

 怪物の気配が完全になくなったことで顔に正気が戻っていく。正直、あの怪物がいる間は生きた心地がしなかった。

 それほどまでに、それほどまでにあれは『怪物』だと、一目で恐ろしさが理解できるフォルムをしていたのだ。

 

「——なんで……なんだってあんなもんが、あんな、恐竜が……こんなところを闊歩してるんだよ!」

 

 そう、見た目から理解できるように、あれは『恐竜』だった。

 体調は二メートル程。サイズは小型だが、どことなくティラノサウルスを彷彿とさせる出立ちをしていた。

 そんな凶悪な肉食恐竜がいきなり目の前に現れたのだから、彼らがパニくるのも仕方がないことだ。

 

「で、でもさ……あの恐竜、変じゃなかった?」

 

 だが混乱する一方で、カップルの片割れ——女性の方はその恐竜がおかしな格好をしていたことに気付いていた。

 女性だからこそ、恐竜が着ていた衣装が何であるかを理解し、それに対する疑問を口にする。

 

 

「……何であの恐竜……白無垢、なんて着てたわけ?」

 

 

 白無垢(しろむく)。全体が真っ白い生地で仕立てられた和服。

 日本では古来より様々な行事の際に用いられた衣装だが、現代で白無垢を着るとなれば用途は一つしか考えられない。

 

 結婚式。

 その式で新婦が嫁入りのために着る衣装。

 

 即ち——花嫁衣装である。

 

 そう、あの恐竜——『妖怪』は、花嫁衣装を見に纏い、暴れまわっていたのだ。

 

 

 

 

 

 彼女の名は——鬼女(きじょ)紅葉(こうよう)

 

 (みなもとの)経基(つねもと)の寵愛を受けながらも他の妻を呪ったとされ、京都を追放された女性。

 流された土地で朝廷を恨む者どもをまとめ上げ、山賊となった女性。

 朝廷からは『鬼女』として恐れられ、討伐を命じられた(たいらの)維茂(これもち)によって討ち取られてしまった女性。

 

 

 あの白無垢衣装の恐竜は——その成れの果ての姿である。

 

 




人物紹介

 鬼女紅葉
『紅葉伝説』という伝承に登場する鬼女。媒体によっては名前がなかったりするらしいですが、とりあえずfgo基準で鬼女紅葉(きじょこうよう)と呼ばせていただきます。
 間違っても(もみじ)と読んではいけません、紅葉さんが激怒してしまうので。
 fgo世界では何故か恐竜と化している彼女。今回のサマーアドベンチャーにメインで登場しても良かったんじゃないの? 高難易度じゃなくて!
 今作ではあくまでハベトロットが主役。尺の都合上、彼女が人間形態になることはないのでそこはご了承ください。
  
 次回でハベトロット編は完結予定。
 そろそろ……鬼太郎も『三年目』に突入させる準備をしておこうかと思ってます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ハベトロットの花嫁衣装 其の③

この小説の投稿時間、ちょうど同じタイミングで『デジモンゴーストゲーム』の放送がスタートしていますね。
デジモンアドベンチャーのリビルドは……正直、今一つ、よく分からないものでした。

ですがこのゴーストゲーム、私が観たかったデジモン……のような気がする!
PV映像ではジャンルが『ミステリー』と銘打たれていました。
正直デジモンのクロスオーバーは難しいと思っていましたが、この作品ならクロスできるような気がします。
とりあえず、一話目の放送を楽しみに待機してます!

さて、今回でハベトロットの物語は完結です。
色々と紆余曲折ありながらも、最後はハベトロットという妖精に相応しいハッピーエンドを目指しました。
どうか最後まで楽しんでいってください。


「——いや~……いい天気だね!! まさに絶好の嫁入り日和って感じだわ!!」

 

 太陽が燦々と照りつける青空の下、妖精ハベトロットは上機嫌に空を見上げていた。

 彼女がやって来ていたの大きな結婚式会場のガーデンスペースだ。ここは下見会場として一般開放されている場所であり、多くの人で賑わっていた。ハベトロットはその人混の合間を通り抜け、キョロキョロと周囲を見渡す。

 

 この中にきっと『自分の花嫁』になってくれる子がいる筈だと、良さげな感じの子を捜し回っていた。

 

「ちょっとハベトロット、あんまり一人でちょろちょろすんじゃないわよ!」

 

 そんなハベトロットに声を掛ける女性がいる。

 

「呼んだかい、猫ちゃん? あっ! もしかして、ボクの花嫁になってくれる気になったのかな?」

「何でそうなるのよ!!」

 

 猫娘である。ハベトロットは小人で、サイズ的には人間の子供にも見えなくはない。猫娘が一人勝手に歩き回るハベトロットを叱る、まるで親と子供のような立ち位置。

 

「ハベトロット、あんまり一人でウロウロしてたら迷子になっちゃうわよ?」

 

 さらに猫娘と一緒に魔女・アニエスも同伴していた。会場でも魔女の格好をした彼女はかなり目立っており、周囲の人々もちらちらと視線を向けてくる。

 ハベトロットと猫娘とアニエス。見方によっては人間の女子三人に見えなくもない面子で式場を歩き回る。一応目的はハベトロットの花嫁探しであり、あとの二人は彼女が無茶をしないようにという付き添いであった。

 

「いやいや、ボクそんな子供じゃないし……まあ、見た目は子供なんだけど……これでも多分キミたちよりは年上なんだわ」

 

 ハベトロットは自分のことを子供扱いする猫娘とアニエスに少し困ったような顔をする。

 そう、ハベトロットは確かに見た目も言動も子供っぽいが、これでも猫娘たちよりも古参の妖精。少なく見積もっても千年以上は生きているという。

 

「そっか、確か妖精って……基本的に成長しないのよね?」

 

 これにアニエスが妖精というものの知識を引っ張り出しくる。

 妖精は生まれたままの姿で変化をしない。妖怪の中には徐々に大人になっていくタイプのものもいるが、妖精は常にその姿を一定のままで存在し続ける生き物だ。

 

 それはハベトロットとて例外ではなく、彼女はずっと子供の姿のまま、千年以上の時を過ごしている。

 

「そうだよ! ボクは生まれてこの方、ずっとハベにゃんなのさ! ……これからも、ずっとこの姿のまま……だから、ボクは……」

「……?」

 

 アニエスの説明を元気よく肯定するハベトロットだったが、一瞬だけその表情を暗くする。

 その表情の変化に、猫娘は何となくハベトロットという妖精の『憂い』を感じ取り、それがいったい何なのかと首を傾げる。

 

 

「——あれ、猫姉さん? ……って、アニエスまで!!」

 

 

 だが、そのことを詳しく本人に問い掛ける暇はなく。

 驚きながらも声を掛けてきたその少女と、猫娘とアニエスはバッタリ鉢合わせすることになる。

 

「まなじゃない! アンタ……こんなところで何してんのよ?」

「まなっ! 久しぶりね、会えて嬉しいわ!!」

 

 そこに立っていたのは学校の制服を礼服のように着こなした犬山まなだった。猫娘は彼女がここにいることに驚き、アニエスはまなとの再会に笑顔を浮かべる。

 

「二人こそ、何でこんなところに……ま、まさか! ね、猫姉さん!! 誰かと……け、結婚するんじゃ!?」

 

 まなは猫娘やアニエスに会えたことを喜びつつも、二人が結婚式場にいたことに疑問を抱き——すぐにその理由を『猫娘の結婚』へと発想を飛ばしていく。

 

 まなにとって猫娘は憧れの女性だからこそ、結婚するともなれば一大事である。

 もしも納得いかないような相手と結婚するようなことがあれば、式場へと殴り込んででもその式を妨害し、花嫁である猫娘を拐っていくかもしれない。

 そんなことを妄想するくらいには、まなは猫娘のことが大好きなのだ。

 

「な、何でそうなるのよ!! 私は別に……ただハベトロットの付き添いで来ただけで……」

 

 まなの発言に猫娘は顔を真っ赤にして叫ぶ。

 自分は花嫁を探しに来たハベトロットのお目付役であり、別にそれ以上の目的はないと。式場を下見して鬼太郎との結婚を妄想したりしていないと、ムキになって否定する。

 勿論、妄想はしていた。そんなことを妄想するくらいには、猫娘は鬼太郎のことが大好きなのだ。

 

「……あら? ハベトロット……ハベトロット?」

 

 しかし一人だけ、特に何も妄想していないアニエスがふと気付く。

 

 

 いつの間にか、ほんの一瞬目を離した隙に彼女が——ハベトロットがいなくなっているということに。

 

 

 

 

 

「全く……みんなしてボクを子供扱いするんだから……心配してくれるのは有難いけどさ!」

 

 猫娘たちが外のガーデンスペースでてんやわんやしていた頃。ハベトロットは建物の中に入り込み、花嫁になってくれそうな子を探し回っていた。

 この辺りはさすがに式場関係者しか入れないのだが、そんなことはお構いなしにハベトロットは一人でてくてくと建物の廊下を進んでいく。

 

「——それはどういうことですか!!」

「……? なんだなんだ?」

 

 その際、廊下にまで聞こえてくる怒鳴り声にハベトロットは足を止めた。その声は通り過ぎようとしていた控え室から聞こえてきた。

 結婚会場というめでたい席に相応しくない剣呑とした空気に、入り口の扉から部屋の中をハベトロットはそっと覗き込む。

 

 

 

×

 

 

 

「それじゃあ、皆さんは!! 僕とアカネさんとの結婚を認めないって言うんですか!?」

「…………」

 

 控え室には複数の人間が集まっていた。

 白いタキシード姿の新郎が向かい合う相手に食ってかかっており、その隣でウェディングドレス姿の新婦が椅子に座ったまま項垂れている。

 新郎が怒鳴り声を上げている相手は、新郎側の親族たちだ。彼らには新たな夫婦の誕生を祝うような気持ちがなく、露骨に新婦に対し否定的な視線を向けていた。

 

「べ、別に認めないって訳じゃないんだが……」

「アカネさん……学生時代は相当やんちゃしてたらしいじゃない? そんな人が親戚になるっていうのも、ちょっとねぇ……?」

 

 口調こそやや抑え気味ではあるものの、彼らの言葉には新婦に対する明確な『棘』があった。

 どうやら新婦の過去の振る舞いや行いに目くじらを立てており、それを理由に二人が結婚することに難色を示しているようだ。

 

「いつの話をしてるんですか!? 彼女はもう昔のことをきちんと反省して、真っ当に生きているんです!? それをこんな場所で、いちいち掘り返さないで下さい!!」

 

 親族の言葉に新郎は反発する。

 確かに彼らの言うとおり、新婦は若い頃に色々と派手にやってきたという。そのことは新郎も既に知っており、それを承知しながらも彼女と一緒になることを決心したのだ。

 にもかかわらず、親族たちは未だに新婦の過去を掘り返し、ネチネチと小言を口にしてくる。

 その振る舞いに新郎は激昂し、親戚一同に向かって真っ向から噛み付いていた。

 

「ま、まあ……別にいいですけど。私たちに恥をかかせるような真似だけはしないでくださいよ?」

「そうですね。せいぜいボロを出さないよう、式の席では大人しくしてなさい」

 

 新郎の勢いに押されてか、一応はその場を退く親族たち。しかし彼らは吐き捨てるように新婦への嫌味を言い残し、その場から素っ気なく立ち去ってしまう。

 

「何なんですかその言い草は!? ちょっと待ってくださいよ!!」

 

 彼らの言い分に未だ怒りが収まらず、そのすぐ後を追いかけていく新郎。

 

「おっと……!」

 

 部屋から出て行こうとする人間たちと鉢合わせしないよう、ハベトロットは扉の影に隠れて彼らをやり過ごした。

 

 

 そうして部屋にはただ一人、新婦だけが取り残されていく。

 

 

 

 

 

「……何よ、あたしだって……あたしだって……!」

 

 一人になったところで新婦は涙と共に弱音を溢していく。

 

 彼女は人並み以上に度胸が強く、美人だが気の強そうな顔立ちをしていた。しかし新郎側の親族たちから好き放題言われ、何も言い返すことができずに深く傷ついた。

 実際、若い頃に相当にヤンチャをしてきたことは事実なのだ。既に反省して更生しているとはいえ、それを過去のことと切り捨てることが本人には出来なかった。

 もどかしい思いを胸に、彼女は一人で泣き崩れる。

 

 

「——ダメだな……せっかくの晴れ舞台だってのに、花嫁であるキミがそんな悲しそうな顔をしてちゃいけないよ!」

「えっ……?」

 

 

 そんな辛い思いをしている花嫁に——あのハベトロットが声を掛けない理由がなかった。

 

「な……だ、誰よ……何よ、アンタ……!」

「通りすがりの、お節介なハベにゃんさ!」

 

 見知らぬ小人を相手に動揺する新婦に構わず、ハベトロットは笑顔で彼女の世話を焼きたがる。

 

「決めた! 次の花嫁はキミだ!! ボクがキミを……幸せに送り出してあげるからね!!」

「は、はぁ? 私を送り出す? 幸せにする? アンタ何を言って……」

 

 当然だがいきなりそんなことを言われて警戒しない筈もなく、新婦はハベトロットから距離を置こうと後退っていく。

 

「とはいっても……さすがのボクも今からドレスを仕立てるのは無理があるからね。よーし! キミが自分自身に少しでも自信を持てるよう……ちょっとばかし飾り直してあげよう!!」

 

 花嫁の警戒心すらまるで気に留めず、ハベトロットは静かに歩み寄っていく。

 しかし、一晩でドレスを仕立ててしまうハベトロットといえども、今から新しくドレスを製作するには無理がある。なのでハベトロットは、今の自分が出来る全力で花嫁を応援しようと、彼女の着ている衣装を拡張する方針で仕事道具である針や糸を手にしていく。

 

「ちょっとじっとしててね……いま、ドレスアップしてあげるから!」

「はっ!? ちょ、ちょっと!?」

 

 ハベトロットが何をするかも分からずに抵抗しようとする花嫁。しかし逃げる暇などなく、ハベトロットは花嫁の周囲を跳ね回り——瞬きの間に仕事を完遂させてしまう。

 

「——ほら、出来た! さあ、鏡を見てご覧よ?」

「アンタっ! 何を勝手なこと…………」

 

 何をされたかは分からなかったが、きっと余計なことをしたであろう妖精に新婦は怒りを口にする。

 

 だが、鏡に映る自分の姿を瞳に入れた瞬間——

 

「……う、嘘? これが……あたし……?」

 

 見違えるようなドレス姿に新婦は唖然となる。

 

 元からウェディングドレスを纏っていて美しかった女性だが、その美しさがさらに際立つようにドレスが輝きを放っている。これもハベトロットの力だ。糸紡ぎの妖精である彼女が衣装に手を加えれば、それだけで十分に効力を発揮できる。

 今の花嫁にはハベトロットの加護が与えられている。その効果は外側の美しさだけでなく、花嫁の内面すらも強化してしまう。

 

「そうだよ、これが今のキミだ。キミは花嫁なんだから、幸せになる権利があるんだよ! たとえ過去に、どんな過ちを犯していようともね」

「そ……そうなんだ。……何だか分からないけど……あたし、大丈夫な気がしてきた!!」

 

 不思議と心持ちが軽くなったことで花嫁が顔を上げる。ハベトロットのおかげで彼女は自身の過去の罪を認めつつ、自分の足で立ち上がることが出来た。

 

「あ、ありがとう……けど、どうして? 何であたしにこんなことしてくれるわけ?」

 

 感謝の言葉を述べつつも、女性はハベトロットの親切に戸惑っていた。

 

 何故、どうして見ず知らずの自分にこんなことをしてくれるのかと?

 

 そんな花嫁の疑問に、ハベトロットは堂々と答えてみせる。

 

 

「——ハベトロットはいつだって女の子の味方なんだよ! キミたちを幸せな花嫁として送り出すことがボクの生き甲斐で、存在意義なんだから」

 

 

 

 

 

 話を立ち聞きしていたハベトロットだが、目の前の花嫁が過去にどんな罪状を犯していたかなどは何も知らない。また、どのような罪を背負っていようとも関係がない。

 彼女は花嫁の幸せの未来のためならば、自分の身を犠牲にしようとも身を粉にして働く、献身の塊なのだから。

 

 ハベトロットがそうまでして花嫁の幸せにこだわるのには——彼女自身が『花嫁衣装を着ることができない』という事情があった。

 妖精であるハベトロットは成長しない。何も変わらない『少女』のままだ。

 

 

 永遠に『大人』になることのできない彼女が、本当は誰よりも花嫁衣装に憧れを抱いていた。

 

 

 けれど、自分は成長しないから、花嫁衣装を着ることができないから。

 だからこそ、その代償行為として花嫁たちの世話を焼きたがる。それがハベトロットという妖精の『芯』なる部分だ。

 

 その行為の果てに——『いつか、わたしも……』などと考えてはいるものの、その胸の内を他者に明かすことはない。

 

 

「さあ、行っておいで。新郎がキミを待ってる……キミの幸せな姿を、多くの人たちに見せてあげるんだ!」

 

 

 自身の叶うことのない願いを胸の奥に仕舞い込み、今日もハベトロットは満面の笑むで麗しい女性たちを送り出していく。

 

 

 

×

 

 

 

「……お母さん、そろそろ挙式だけど……結局花嫁さんたちとは挨拶ができなかったね」

「……ええ、そうね……会えなかったわね」

 

 結婚式会場の礼拝堂にて。

 親族などの出席者の中に混じり、犬山純子とまなの親子二人もその中に列席していた。

 

 しかし、友人枠でこの挙式に参加していた二人は、ここに来てまだ一度も新郎新婦と顔を合わせてはいなかった。どうやら新婚夫婦と親族との間でちょっとしたトラブルがあったらしく、他のゲスト枠にまで挨拶をする時間的余裕がなくなってしまったとのことだ。

 

「なんでみんな素直に祝えないんだろう……せっかくの晴れ舞台なんだから、応援して上げればいいのに!」

 

 そのことを小耳に挟んだまなは本当に理解に苦しんだ。親戚同士の揉め事とか、どうして大人たちはそういう問題をこういった場所まで持ち出してくるのだろう。

 一生に一度の晴れ舞台なのだから、こんな日くらいみんなで仲良く新郎新婦を祝福すればいいだろうに。

 

「そうね……本当にそうだと思うわ」

 

 娘の純粋なコメントには、純子も心苦しそうに同意するしかなかった。

 純子自身も実家の『沢田家』やその親戚周りに軋轢を抱えており、自分の結婚式のときにも色々と嫌がらせを受けた覚えがある。

 

 そのときだったか——最初に着る筈だったウェディングドレスを、親族の誰かに台無しにされたのは。

 

「そっか、その後よね……あのウェディングドレスを……『あの子』が運んできてくれたのは……」

 

 ふと、また一つ思い出す。

 例のウェディングドレスを用意してくれた、名前も思い出せない誰かさん。子供っぽい小さなその誰かは、自分がドレスを着られないと悩んでいたところで声を掛けてきてくれたのだ。

 

 

『——ボクが素敵な花嫁衣装を……超特急で用意してやっからさ!!』

 

 

 ——……確か、そんな感じのこと言われたっけ……。

 

 こんなときでも、純子は過去の出来事を思い返そうと記憶の糸を手繰っていた。様々なことをきっかけに少しづつ輪郭が見え始めていた『何者』かのシルエット。

 あと少し、あと少しで全容が思い出せそうな気がしていたが。

 

「もう~、お母さん!? ちゃんと式に集中しないと……花嫁さん、可哀想だよ?」

 

 娘であるまなが、ぼーっとしている純子を注意する。ドレスの贈り主が気になるのは分かるが、さすがに今は目の前の式に意識を向けるべきだと。

 

「……ええ、そうね。ごめんなさい……ありがとう、まな……ふふっ!」

 

 娘に叱られるという、いつもならあり得ない立場の逆転に謝罪と感謝を述べながらも、純子は口元に微笑を浮かべる。

 まなの言うとおりだ。今は過去の出来事を思い返すよりも、前を向くべきだと反省。

 

 気持ちを切り替え、純子は他の列席者同様に式が始まるのを今か今かと待ち侘びていた。

 

 

「——お待たせしました。参列者の皆様、一同ご起立願います」

 

 

 そうこうしている内に式が始まった。さすがに皆が静粛になり、新婦を快く思っていないであろう親戚面々も大人しく司会者である牧師の言うことに従っていく。

 

 式はセオリーどおり、まずは新郎が先に入場してくる。白いタキシードでビシッと決めた男の精悍な顔つき。しかし、その表情はどことなく怒っているようにも見受けられる。

 親族たちと色々やり合った後なのだろう、きっと腹の底にまだ怒りが残っているのだ。

 

「——新婦の入場です」

 

 新郎がそんな状態であろうとも、式は予定どおりに進められていく。

 新郎の後に登場するのは勿論、新婦だ。礼拝堂の中心——バージンロードを父親と腕を組んで歩いていく。

 

 純子もこのバージンロードを通ってきた。まなもきっと何年後かにはこの道を通るのだろう。

 それぞれそんなことを思い浮かべながら——新婦が入場してくる入口へと振り返る。

 

 

 刹那、その新婦のウェディングドレス姿を目に入れるや——純子とまなの息が一瞬だが停止する。

 

 

「はっ……?」

「えっ……?」

「……あ、アカネ……さん?」

 

 

 犬山親子だけではない。式の参列者の殆どが——新婦のウェディングドレス姿に呼吸すら忘れて息を呑む。彼女の存在を快く思っていないであろう親戚も、彼らへの怒りで御立腹だった新郎でさえも。

 

 見違えるほどに美しくなった女性の花嫁姿に、何も言えないほどに見惚れていた。

 それほどまでに彼女は美しく、またその顔つきは己への自信に満ち溢れていた。

 

「…………」

 

 式の直前に新郎の親戚から色々と言われただろうに、まるでそんなこと知ったことかとばかりの堂々とした立ち振る舞い。

 その姿はまさにファッションショーの最高峰と言われる、パリコレを歩くトップモデルのよう。

 

 その煌びやかな立ち姿に、参列者たちの視線が釘付けになっていく。

 

「……し、失礼しました! それでは次に……え、ええっと……讃美歌の斉唱を——」

 

 祭壇の前までやってきた花嫁に、司会進行役の牧師ですら己の職務を忘れてしまうほどに見入っていた。

 讃美歌の斉唱の後は、牧師の聖書朗読やら神への祈りなどがあるのだが、そういった重要な段取りすらもおぼつかないほどに牧師は動揺しまくっている。

 誰もそれを責めることができない。それほどまでに彼女は美しくそこに佇んでいたのだから。

 

「そ、それでは……誓約へと移ります……」

 

 自分自身で式の進行を確認するように、牧師が『誓約』の準備へと入る。

 

「病めるときも、健やかなるとき——」

 

 挙式において最も重要とされる誓約。さすがにここをしくじるわけにはいかず、牧師は持ち直した表情で司会進行を立派に務めていく。

 まさにお約束どおりの文脈を読み上げ、新郎新婦に互いの愛を誓い合わせる。

 

「ち、誓います!」

「誓います」

 

 新郎は緊張気味に、新婦は毅然と誓いの言葉を口にしていく。

 次に行われるのは指輪の交換だ。目に目える印として、婚姻の証を互いの左手薬指にはめていく。

 

「……しっかりしてよね、シンヤ」

「……えっ?」

 

 その際、緊張でガチガチの新郎に対し、新婦が口を開く。

 

「あたしを……幸せにしてくれるんでしょ? だったら、もっと堂々としてなさいよ」

 

 プロポーズされたときから『キミを幸せにする』と彼は誓いの言葉を口にしてくれた。だったらその約束を守って欲しいと、新郎を叱咤激励する。

 

 

「あたし……絶対に幸せになってみせるから……だから、一緒に幸せになりましょう!」

「あ、アカネさん!!」

 

 

 新婦の言葉に感極まってしまった新郎。

 彼は花嫁があまりにも愛しくて、その先の手順を全てすっ飛ばし、彼女の顔を覆っていたウェディングベールを剥いでしまう。

 

「あっ、ちょっと!?」

 

 司会の牧師が困った様子で新郎を制止するも、時すでに遅く。

 新郎はそのまま、新婦の唇を誓いのキスで塞いでいく。

 

「……っ! …………ん」

 

 これに驚く新婦だったが、静かに目を閉じ、花婿の行為にただただ身を委ねていく。

 

 

 

「お、おめでとう!!」

「おめでとう!! 二人とも……」

「絶対に……絶対に幸せになってくれよ!!」

 

 二人の情熱的なベーゼに当てられた周囲の人々。主に友人席のゲストたちを中心に盛大な拍手が送られる。

 正式な挙式としての段取りが無茶苦茶になってしまったが、それを指摘するのも無粋というもの。これだけ熱狂する人々を前にすれば、二人の結婚を反対していた親戚一同も黙り込むしかない。

 

 もはや、二人の幸せに水を差す者など誰一人いない。

 二人は皆の前で正式な夫婦として認められ、幸福への一歩を踏み出すこととなる。

 

 

 

 

 

「——よしよし! これでもう大丈夫だね……」

 

 その挙式の様子を、式場の後方端っこからハベトロットがそっと見守っていた。

 自分が送り出した花嫁が無事に挙式を終えられるか、それを最後まで見届けていたのだ。

 

「きっとキミは幸せになれるから……もう安心していいんだ……うん」

 

 最後まで見届けた結果、あの子なら幸せになれると確信するハベトロット。

 もはや何も心配することはなく——彼女の気持ちは既に次の女の子へと向けられていた。矢継ぎ早に次の花嫁を探しに行こうと、礼拝堂を後にしようとしていく。

 

「さーてと、次はどの子を……ん?」

 

 だがふと、ハベトロットはその女性たちに目を留める。

 

「あの子は……さすがにまだ早いかな?」

 

 ハベトロットがまず目にしたのは、挙式の列席者の中にいた中学生の少女——犬山まなである。

 新郎新婦の結婚式に感動し、涙ぐみながらも拍手を送る彼女。しかし花嫁になるにはまだ少し早いと、判断を一旦保留にするハベトロット。

 

 そのまま、その視線を隣にいた母親——犬山純子へと向けていた。

 

 ハベトロットは気に入った子であれば、ほいほいと声を掛ける惚れっぽい性格だが、さすがの彼女も人妻には手を出さない。

 本来であれば既に結婚している純子は、ハベトロットの花嫁には当て嵌まらない——筈なのだが。

 

「あれ? あの子は……どこかで見た覚えが……」

 

 不思議と純子から目を離せずにいるハベトロット。

 もしかしたら、過去に一度あった覚えがあるかもと記憶を掘り返し——。

 

 

 彼女はふいに、その時のことを思い出した。

 

 

「ああっ!? あの子だ!! ボクの花嫁の——」

 

 ハベトロットは思い出したその内容を咄嗟に口に出そうとする。

 

 

 まさに、その瞬間だった——。

 

 

『——ぐるぁああああああああ!!』

「うわっと!? なんだなんだ!?」

 

 

 式場の外から凄まじい唸り声が轟き、ハベトロットは思い出しかけたことを、少しの間ど忘れすることとなってしまう。

 

 

 

×

 

 

 

「い、いったい何なのよ、こいつ! いきなり出てきて!?」

「油断しないで、猫娘!! コイツ……かなり手強いわよ!?」

 

 結婚式会場のカーデンスペースにて。猫娘とアニエスの二人がその『怪物』と交戦していた。

 彼女たちはまなとは違い招待客ではなかったため、礼拝堂など建物の中には入れない。仕方なく外で迷子になったかもしれないハベトロットを捜し回っていたのだが——

 

『ぐるるる……ぐらあああああ!!』

 

 そこで彼女たちはこの恐竜とも呼ぶべき怪獣——『鬼女紅葉』と遭遇する羽目になったのである。

 

 ガーデンスペースの敷地内に突如として出現した、肉食恐竜に誰もが度肝を抜かれた。妖怪というより、もはやティラノサウルスという出立ち。恐ろしい唸り声を皮切りに、人間たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。

 

『ごぁああああああああ!!』

 

 そんな人間たちに向かって、気が狂ったかのように暴れまわる鬼女紅葉。動くもの全てに牙を剥き、本能の赴くままに周囲のものを破壊し尽くしていく。

 

「このっ!!」

「手を貸すわ! ダイナガ・ミ・トーチ!!」

 

 猫娘はその凶行を阻止しようと、爪を伸ばして鬼女紅葉へと飛び掛かる。さらにアニエスも魔法で猫娘を援護し、ふたりがかりで肉食恐竜の侵攻を押さえ込んでいく。

 

『ぐるあああ!!』

 

 だが、鬼女紅葉も負けてはいない。

 恐竜であるにもかかわらず器用に握り拳を固め、向かってくる猫娘をその剛腕で殴り飛ばす。アニエスの火炎魔法を迎撃するために、口から熱線を放射するなど、やりたい放題に暴威を振るっていく。

 

「きゃあっ!?」

「ちょっ! 嘘でしょ!?」

 

 もはや、ただの恐竜の枠に収まらないスペックに圧倒される猫娘とアニエス。その高い戦闘力に彼女たちは成す術もなく蹴散らされていく。

 

『ごがぁああああああ!!』

 

 さらに鬼女紅葉は容赦をせず、怯んだ猫娘とアニエスに対し突進攻撃を繰り出していく。

 猛烈な速度で駆けてくるそのぶちかましをまともに食らえば、彼女たちの華奢な肉体など易々と吹き飛ばされてしまうところだっただろう。

 

 

「——ぬりかべ~!!」

 

 

 しかし、そこで地面から巨大な壁が出現し、鬼女紅葉のタックルをなんとか食い止める。壁の正体は、ぬりかべだった。守り自慢の彼が盾となることで、どうにか鬼女紅葉の動きを封じ込める。

 

「あ~、もう!! なんね~、この恐竜は!?」

「大丈夫か!? 猫娘、アニエス!!」

 

 さらにそこへ援軍として一反木綿、その背中に乗った鬼太郎が駆けつけてくる。彼らもハベトロットのことが気に掛かっていたのか、猫娘たちと合流しようと会場に向かっており、そこで鬼女紅葉とエンカウントする。

 

「父さん!! こいつはいったい、何者なんでしょうか?」

「わ、分からん! いや、わしも恐竜はちょっと……」

 

 正体不明の恐竜、一応妖気を感じられることから相手が妖怪だとは把握できる。しかし目玉おやじにも、眼前のティラノサウルスがいったい何の妖怪に該当するのか、瞬時に判断がつかない。

 

 

 日本妖怪に詳しい目玉おやじは、戸隠山(とがくしやま)紅葉(もみじ)伝説。その伝承に登場する鬼女のことであれば当然知識として保有していた。

 しかし、目玉おやじには眼前の肉食恐竜と、その伝承とを結びつけることが出来ない。

 

 そもそも、鬼として語られている鬼女紅葉がどうしてこのような姿をしているのか?

 それは、本人にもよく分かっていないことであり、さらに今の鬼女紅葉は己の言葉を他者に伝える術を持っていない。

 

 

『ぐるらああああああああ!!』

 

 

 現在の彼女の言動は全て恐竜の唸り声として処理され、その真意を伺うことは不可能に近く。

 

 鬼太郎たちには鬼女紅葉が——『どうして怒っている』のか?

 それを理解することが出来ず、止むを得ず彼女と相対することとなっていく。

 

 

 

 

 

「はぁはぁ……猫姉さん! アニエス!!」

 

 恐ろしい唸り声から遠ざかろうと人々が逃げていく中、犬山まなは逆にその人混みをかき分け、騒動の中心地へと走っていた。

 先ほど偶然に出くわした猫娘とアニエス。あの後すぐに別の用事で別れてしまった彼女たちだが、きっとこの騒ぎの真っ只中にいるだろうとまなは直感する。

 恐ろしい唸り声の持ち主、おそらくは何かしらの妖怪と戦っているだろうと予想。友達である彼女たちを心配し、まなは居ても立っても居られずに駆け出していた。

 

「待ちなさい、まな!! どこに行こうっていうの!?」

 

 そのまなを制止しようと純子も走っていた。

 他の人々が避難していく中、娘が一人で危険な場所へ行こうとしている。母として止めようとするのは当然の感情である。

 

「だって猫姉さんが、アニエスが戦ってるかもしれないんだよ!? 放っておけないよ!!」

「!! だからって、あなたが行ったところでどうにかなる問題じゃないでしょ!?」

 

 娘の叫びに純子は、詳細まではよく分からないが何となく状況を理解する。

 以前、夏の別荘で鬼太郎たちと顔合わせを済ませ、拝み屋の老人から『名無し』関連の話を聞かされていたことから、彼女も妖怪の存在を概ね肯定している。

 もっとも、だからといって娘が危険な目に遭うことを容認しているわけではない。避けられる危機なら避けるべきであると、まなの軽率な行為に待ったをかける。

 

「けど……あっ!?」

 

 それでも、まなは負けじと母親を説得しようとする。だが、既に彼女たちは騒動の範囲内へと足を踏み入れていた。

 猫娘とアニエス。そして鬼太郎や一反木綿、ぬりかべといった面子が戦っているのが遠目から見えた。

 

 

 彼らは全員で一丸となって——恐竜らしきものと交戦していた。

 

 

「恐竜……? えっ……えぇえ!?」

「……ティラノサウルス……?」

 

 親子揃って唖然となる。

 鬼太郎たちが戦っている相手は誰がどう見ても恐竜、二メートルと小型ながらもティラノサウルスと呼べる個体であった。

 何故か白無垢を纏っており、頭には鬼のよう二本角、人間のような長い黒髪と。どこかしらにただの恐竜とは違った相違点が見受けられたが、そんな細かい差異をこの状況で見分けられるわけもなく。

 妖怪などよりもよっぽど衝撃的な怪獣を前にして茫然自失となる。

 

「——このっ!」

「——大人しくするばい!!」

「——ぬりかべ~!」

 

 その恐竜を相手に鬼太郎が髪の毛針を撃ち込んだり、一反木綿が巻きついて動きを封じようとしたり、ぬりかべがその巨体で力比べをしたりと。様々な方法で恐竜を押さえ込もうと躍起になっている。

 

「——ニャアア!!」

「——パ・シモート!!」

 

 さらに猫娘やアニエスが援護に入ることで、どうにか進撃を食い止めている。

 けれどそこから先、決定打にまで持ち込みことが出来ず。拮抗状態のまま、鬼太郎たちと恐竜は互いに顔を突き合わせていた。

 

 

「——ちょっと、ちょっと! いったい何をやってるのさ!?」

 

 

 すると、そんなときだ。さらなる乱入者の存在でそのバランスが崩れることとなる。『彼女』はまなと、純子の後方から——二人の間をすれ違うように通り過ぎていく。

 

「……? なに、今の……小人?」

 

 一瞬でよく見えなかったが、それはふわふわと宙に浮く魚のような乗り物に騎乗した小人であった。何かしらの妖怪なのだろうが、鬼太郎たちと交流の深いまなでも初めて見るタイプの怪異である。

 

 彼女が何者なのかも分からず、さらに困惑するまなであったが——

 

 

「——!! い、今のは……」

 

 

 その小人を目撃した瞬間、犬山純子の脳内に電流が走る。

 

 それまでどんなに思い返しても断片的で、大事なことを何一つ思い出せなかった——ウェディングドレスの贈り主。

 

 思い出せないことを『悲しい』と、純子はずっと気に病んでいた。

 

 だがその小人——ハベトロットの姿を視界に収めた瞬間、彼女は全てを走馬灯のように思い出す。

 

 

 

 あの雨の日に、いったい何が起こっていたのかを——。

 

 

 

×

 

 

 

 十五年前。

 

 

「——どうしよう……妖精さん……やっぱり、間に合わなかったのかな……」

 

 

 土砂降りの雨の中、傘も刺さずに若い頃の純子はずっとハベトロットがやって来るのを待っていた。

 

 明日にも結婚式を控えていた純子。しかし親族の嫌がらせのせいで、せっかくのウェディングドレスを滅茶苦茶にされ、そのことを誰にも相談できず、どうにもできない思いをずっと抱え込んでいた。

 このままではせっかくの式が台無しになってしまう。せっかく一緒になってくれた裕一さんにも合わせる顔がないと、彼女はずっと落ち込んでいた。

 

『——そんならボクに任せなよ!!』

 

 そんな純子に——通りすがりのハベトロットは歩み寄ってくれたのだ。

 初対面にもかかわらずドレスを用意してあげると、彼女は純子を無事に送り出してくれると約束してくれた。

 

「……やっぱり無茶だったんだよ。一日でドレスを用意するだなんて……」

 

 けれど、約束の時間になってもハベトロットは来てくれなかった。

 彼女の言葉を最後の希望としていただけに、僅か数分の遅れでも純子はハベトロットが『自分を見捨てた』などと早とちりしてしまう。

 

 

「……どうして? どうして……わたし、こんな気持ちにならなきゃいけないのよ!?」

 

 

 全てのものから裏切られたと思い込み、純子は心底から絶望する。

 

 せっかくの結婚式なのに、人生の晴れ舞台だというのに。

 

 親族たちからは嫌味を言われ、嫌がらせを受け。

 

 母親からは何一つ気の利いた言葉を掛けてもらえない。

 

 

「なんで……なんで、こんな目に遭わなきゃならないのよ……!?」

 

 

 全てが暗転する。悲しみと悔しさから、純子の胸の内から——どす黒い何かが込み上げてくる。

 

 

 

 自分ではどうしようもない、どうにもできない昏い情動。

 その昏い感情に引き寄せられるようにして——その『闇』は純子の眼前に姿を現した。

 

 

 

「………………」

「……えっ!? だ、誰!? 誰なんですか、あなた!?」

 

 

 背後に気配を感じた純子が振り返ると——そこには『全身黒ずくめの人物』が立っていた。顔には不気味なお面を被っている。その素顔も正体も何一つ察することのできない、恐ろしげな闇そのもの。

 

 

 

 そこにいたのは——『名無し』と呼ばれる暗黒であった。

 

 

 

 沢田家が相対する運命を負った、宿命の相手。

 後の世、純子の娘である『真名』が器となり、その闇を払う使命を背負うことになる相手。

 

 しかしその当時、まなはまだ誕生する気配すらなかった。

 名無しの方も沢田家の血筋をずっと監視している段階であり、そこまで本格的に活動する時期ではなかった。

 

 

 ところが、純子が闇に染まりかけていたところに名無しが反応してしまう。

 

 

「………………」

 

 

 もしかしたら、純子のことを器にするかどうか、値踏みしていたのかもしれない。

 絶望に染まりかけていた彼女に、下準備として何かしらの『印』を刻もうかと、その禍々しい魔の手を伸ばしていたのだ。

 

「い、いや!? 来ないで!!」

 

 迫る魔の手に恐怖に陥る純子。そのまま成す術もなく、名無しの手によって闇へと堕とされかけ——

 

 

 

「——ボクの花嫁に……手を出すなよな!!」

「っ!?」

 

 

 

 そんな絶体絶命の最中に——ハベトロットが駆けつけてくれたのだ。

 約束どおり、超特急で花嫁衣装を仕立てたハベトロット。少し遅れて待ち合わせ場所に来たところ——自分の花嫁が何者かに襲われているではないか。

 

 基本的にハベトロットは争いを好まない妖精だが——彼女は本能的に名無しを危険なものと判断。

 

「こんにゃろ!! あっちいけ!!」

 

 花嫁を救うためにも、名無しへと戦いを挑むことになる。

 意外にも力持ちなハベトロットは杖型の糸車でぶん殴ったり、毛糸玉を飛ばしたりなどして奮戦する。

 

「………………」

 

 名無しもハベトロットを邪魔者と認識し、彼女を消し去ってしまおうと襲い掛かる。

 その身から放たれる凄まじい邪気がハベトロットへと降り注ぎ、徹夜仕事で疲弊していた彼女の身を蝕んでいく。

 

 

 

 

 

 戦いの末、名無しは退けられた。

 花嫁を守護するハベトロットの意地が名無しに手傷を負わせ、彼を暫しの休眠状態へと追いやったのだ。

 けれど、ハベトロットもただでは済まなかった。

 名無しに致命傷を負わされた彼女は魂こそ無事ではあったものの、肉体は大きく傷つくこととなり——その体を、純子の眼前で消失させることとなった。

 

 

「——ボクはキミに……幸せになって欲しい……だけ、なんだから……」

 

 

 消滅する直前になっても、ハベトロットは誰も憎まない。

 

 ただただ花嫁の幸せを願い続け、笑顔で泣きじゃくる純子へと別れを告げたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——ダメじゃないかキミたち!!」

 

 現在。

 鬼太郎たちと鬼女紅葉の戦いに割り込んだハベトロットは両陣営にプンスカと怒っている。

 

「ここは花嫁たちが未来に向けて旅立つ場所なんだぞ! そんな場所で喧嘩なんかしてるんじゃないよ!」

「いや、喧嘩って……そんな生易しいもんじゃ……ないんだが」

 

 ハベトロットは結婚式会場という素敵な場所で、戦いなどという野蛮な行為をしている者たち全員への文句を口にしていた。争いを好まない彼女だからこそ、尚更この神聖な場所を荒らすことが許せないのだ。

 けれど鬼太郎たちも好きで戦っているわけではない。鬼女紅葉が理由も分からずに暴れまわっている以上、彼らとしては自衛するしかないのである。

 

『ぐるるぅ……? ぐるああああ!!』

 

 鬼女紅葉も、ハベトロットの登場に一瞬だけ怪訝そうに動きを止めたものの、構わずに再度暴れ始める。

 

「すごか~、力ばい!? 体が引きちぎられそうよ!!」

「ぬ、ぬりかべ~!?」

 

 今はなんとか一反木綿が巻き付き、ぬりかべが抑え込むことで動きを封じられているが、少しでも油断すればすぐに逆転されてしまいそうだ。

 だがそんな緊迫した状況下でも、ハベトロットは鬼女紅葉にすら物申していく。

 

「あ、もう~! キミもキミだよ! そんなに素敵な花嫁衣装で着飾ってのに、何をそんなに怒ってるんだい!? そんな姿のままで暴れちゃ、せっかくの衣装が台無しに……ん?」

 

 ハベトロットの知識の中にも、白無垢が花嫁衣装だという認識があるらしい。そんな素敵な衣装で暴れまわる鬼女紅葉のズボラさに説教を口にするも——途端、何かに気が付いた。

 

「キミが着ているその衣装……見たところ大分傷んでいるね。おまけに……ここんところにも大きな穴が開いちゃってるよ!」

 

 鬼女紅葉の白無垢。鬼太郎たちは戦いに夢中で気付いていなかったが、よくよく見ると結構キズだらけであり、大きな穴まで空いている。

 それはこの戦いでできたものではなく、かなり前から空いていたものだ。

 

「そっか……それでキミは気が立っていたんだね? せっかくの花嫁衣装がボロボロになっちゃって……」

「……えっ、そうなの?」

 

 ハベトロットの指摘にまさかと呆けた声を上げる猫娘。まさかそのような理由でここまで暴れていたわけではないだろうと、皆の視線が鬼女紅葉へと向けられる。

 

 

『……ぐるぅううう』

 

 

 するとその視線の中、ハベトロットの言葉を肯定するよう鬼女紅葉が頷く。

 どうやら本当に——『白無垢の花嫁衣装が汚れていた』せいで、彼女は気が触れたかのように暴れまわっていたらしい。

 

 

 実のところ、この白無垢がここまでキズだらけになってしまったのは、人間のせいだったりする。

 人間が彼女の生息域へと迂闊に近づき、誤ってこの花嫁衣装にキズを付けてしまったのだ。にもかかわらず、その人間たちはお詫びの言葉を口にすることもなく逃走。

 鬼女紅葉はそれに激怒し——人里に降りてまで、人間たちに怒りを撒き散らしていた。

 

 それだけ鬼女紅葉にとってこの白無垢は大事なもの。汚されれば当然、正気など保っていられない。

 

 

「そっか……よーし! ボクに任せときなよ!!」

 

 事情を悟ったハベトロットは、すぐに裁縫道具をカバンから取り出していた。

 このお節介な妖精が、花嫁の味方であるハベトロットが花嫁衣装の相手に優しくしないわけがなく。

 

「キミの大事な花嫁衣装を……ボクがあっという間に縫い直してあげるからさ!!」

 

 彼女はビュンビュンと鬼女紅葉の周囲を飛び回り、超特急で白無垢のキズや汚れを縫い直していく。

 

『……ぐるるぅぅぅ……』

「お、大人しくなってく……」

 

 ハベトロットの補修作業が進めば進むほど、鬼女紅葉は暴れるのを止めた。そしてハベトロットの作業が完全に終わる頃には——その瞳に理性的な光を宿し、完全に知性を携えた存在として静かに佇むようになる。

 

『……ぐるるっ、があっ!』

 

 結局、鬼女紅葉が最後まで理解のできる言語を口にすることはなかった。

 しかし、彼女はハベトロットに向かってお礼を口にするように吠え。

 

 そのまま、大人しくその場から立ち去っていくこととなる。

 

 

 

 

 

「バイバイ~!! 待ったねぇ、ボクの花嫁!!」

『ぐるるる……』

 

 夕焼けに染まる空。暮れる夕日と共に去っていく鬼女紅葉に、ハベトロットは満面の笑みで手を振っていた。彼女からしてみれば、一日に二人も花嫁を送り出すことができるという、とっても充実した素晴らしい日であった。

 

「…………」

「…………」

「……なんなのよ、それ~……」

 

 一方で、鬼太郎や猫娘。その他大勢の妖怪たちはすっかり疲れ切った顔をしている。

 暴れるだけ暴れて、怒りを沈めてはさっさと帰ってしまった鬼女紅葉。まさか花嫁衣装のキズだけであそこまで怒り狂っていたとは。互いに血を流すことなく解決できたのは良かったが、かなりの強敵だっただけにガクッと肩透かしを食らった気分である。

 

「み、みんな……だ、大丈夫だった?」

 

 精神的にも肉体的にも疲弊している妖怪たちに、犬山まなが声を掛ける。彼女も騒動の解決を遠目から拝見していたが、正直訳がわからなかった。

 あの恐竜は何がしたくて、何であんなにも暴れていたのか。彼女の視点からでは尚更意味不明である。

 

「……無事だったのね、まな……いや、ワタシも正直、なんて言っていいのか……」

 

 まなの顔を見てアニエスがほっと息を吐くものの、正直彼女にも説明するだけの気力がまるでなかった。とりあえず疲れたなと、その場にて尻餅をつく一行。

 

 

「——こんにちは、皆さん」

 

 

 そんな彼らにまなの母親である彼女・犬山純子が声を掛けてきた。

 

「おや、純子さん。久しぶりじゃのう!」

 

 夏の別荘以来、久しぶりに顔を合わせた犬山純子に目玉おやじも挨拶する。

 大人の女性である彼女を前にし、さすがに疲弊していた他の面子も立ち上がって挨拶を返そうとした。

 

 だが妖怪たちへの挨拶もそこそこに、純子はハベトロットへと声を掛ける。

 

「……こんにちは、妖精さん。お久しぶりですね……私のこと覚えていますか?」

『……えっ?』

 

 純子の言葉の意味が咄嗟に理解できず、周囲の面々がキョトンとなる。

 

「……キミは。……ああ、勿論覚えてるよ! この国に来て一番最初の……ボクの花嫁だ!!」

 

 しかしハベトロットは純子の方を振り返り、すぐに微笑みを返す。

 既に彼女も全てを思い出しており、互いに記憶の欠如はない。

 

 

 土砂降りの雨の中、悲しみとともに別れた妖精と人間。

 

 

 十五年後の今、茜色に染まる空の下——こうして再会する運びとなったのであった。

 

 

 

×

 

 

 

「……まさか、ハベトロットの言っていた人間が……純子さんだったとはのう」

 

 目玉おやじが感じ入るよう、うんうんと頷く。

 彼らもハベトロットから『日本で最初に送り出した花嫁』の話は聞いていた。けれどハベトロットはその相手を思い出すことができず、花嫁の方もすっかり忘れていると思っていた。

 そのため二人が再会することはないだろう。再会しても互いにそのことを思い出すことはできない。そのように考えていた。

 

 しかし、実際に互いの顔を見た瞬間、お互いに忘れていた筈の相手のことを思い出していた。そう、たとえ表面上は忘れていても、心の奥底の部分でずっと覚えていたということだ。

 それほどまでに、二人にとってあの雨の日は決して忘れることのできない思い出だったのだろう。

 

「……いったい何を話してるんだろう? なんか気になっちゃうな……」

 

 ふいに、まなが覗き込むように目を凝らす。

 

「————」

「————」

 

 今現在、ハベトロットと純子は皆とは少し離れた場所。二人っきりで何かを話し込んでいた。

 会話内容までは聞こえてこないが、互いにとてもいい表情をしている。娘であるまなは母親があの妖精と何を話しているのか、気になって気になってしょうがなかった。

 

「やめとこう、まな。ボクたちが首を突っ込むことじゃない」

 

 そんなまなの好奇心を、鬼太郎がやんわりと注意する。

 二人の過去の出来事は、二人の間だけで共有される思い出であり、娘であるまなでも迂闊に口を出すべきではない。きっと当人同士だけで、積もる話があるのだろうと。会話が終わるまでそっとしておくべきと気を利かせる。

 

 

「——それじゃあ……元気でね、妖精さん」

「——ああ、キミの方こそ……」

 

 

 しかし、僅か数分ほど話しただけで、純子はあっさりとハベトロットに別れを告げる。ハベトロットの方も、それを名残惜しむ様子がなく、バイバイと手を振っていた。

 

「帰りましょう、まな」

「へっ? も、もういいの、お母さん?」

 

 あっさりと話を切り上げてしまった純子に、まなは目が点になる。

 てっきりもっと長く話し込むと思っていただけに、それでいいのかと問い掛けずにはいられない。

 

「ええ、もう大丈夫。心配かけて……ごめんなさいね」

 

 だが、まなの不安そうな表情を前にしても純子は揺るがなかった。あれだけ『思い出せない』と気に病んでいたのが嘘のように、今の純子の表情は晴々としていた。

 

 心も清々しいまま、娘であるまなを伴いその場から立ち去っていく。

 

 

 

「も、もういいのか? ハベトロット……」

 

 ハベトロットと純子のあっさりとした別れには鬼太郎たちも驚いていた。あれだけ『心配していた』と呟いていたのに、随分と簡単に別れるんだなと、ハベトロットの表情を伺っていく。

 

「……ボクってさ、結構薄情な妖精なんだわ……」

「……?」

 

 ふいに、純子の背中を見送りながら、ハベトロットは少し寂しそうな呟きを口にする。

 ハベトロットほどに面倒見の良い妖精、なかなかいないだろうに。彼女は自嘲するように本音の部分を口にしていく。

 

「ボクってば……花嫁を送り出すことばっかに気を取られて……送り出した後のことは、あんまり考えてないんだよ」

「……っ!」

「きっと幸せだと思うけど……彼女たちがこの先ずっと幸せかどうかまでは……最後まで見届けないんだ」

 

 ハベトロットは、花嫁を幸せにして送り出すことを生き甲斐としている。しかし彼女は花嫁を送り出した後、その先の人生を最後まで見届けるわけではない。

 一人の花嫁を幸せにしたら、また次の花嫁へと。一人の子にいつまでも執着するより、一人でも多くの子を幸せにするためにと、世界中を旅してきた。

 

 だからこそ、送り出した子たちが——その『先』もずっと幸せなのか。

 ひょっとしたら自分の見えないところで、不幸になってるんじゃないかと。花嫁たちの『その後』に関してはノータッチであった。

 

 けれど——

 

「だからさ……今日はあの子に会えて……本当に良かったよ!」

 

 ハベトロットにとって、花嫁として送り出した子と再会する機会などほとんどない。

 偶然とはいえ、十五年前に送り出した子と現在になって再会できた。それにより、彼女は花嫁の『今』を知ることができた。

 

「あの子は……今もきっと幸せなんだね! ボクがやってきたことは無駄じゃなかったんだ!!」

 

 犬山純子は笑っていた。十五年後の今も、幸せそうに笑っていた。

 今まで送り出してきた子たちも、きっと純子のように幸せでいると、勝手かもしれないがそのように希望を抱いてしまう。

 

「……そんなの、当たり前じゃない」

 

 ハベトロットの希望を後押しするように、魔女であるアニエスが口を開いた。

 

「貴方は糸紡ぎの妖精・ハベトロットなのよ? 貴方の糸で紡いだ花嫁衣装を着て……幸せにならないわけないじゃない」

 

 妖精にかかわるとろくでもない目に遭うというのが通例ではあるが、ハベトロットは違う。

 彼女たちは関わった人間を絶対に不幸にしない。彼女たちの紡いだ花嫁衣装は着て結婚式を挙げた女性たちが、不幸になるなんてことはないのだ。

 きっと、これまでハベトロットが送り出した花嫁たち全員、一人残らず幸せになっていると。

 

 

 夢物語かもしれないけれど、そう信じたいものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてと……それじゃあ、そろそろ行くけど……本当に付いてくる気なの、ハベトロット?」

「うん!」

 

 犬山純子とハベトロットが再会を果たした、その翌日の早朝。

 ゲゲゲの森ではアニエスとハベトロットが旅支度を終わらせていた。アニエスは姉であるアデルが待つ家へと。そしてその後をハベトロットが一緒に付いていく。

 

「日本も悪くないんだけど……ボクも偶には里帰りしないとね! 故郷の土地にも、きっと困ってる子たちがいっぱいいると思うからさ!」

 

 アニエスが西洋へと帰るのに便乗し、ハベトロットも西洋へ帰るとのことだ。長い間、故郷の土地であるブリテン島を留守にしていたこともあってか、そろそろ戻って見ようかなと思ったらしい。

 もっとも、体を休めるつもりで帰るわけではない。

 故郷に帰ってもやることは一つ。一人でも多くの花嫁を幸せにする。ハベトロットのその信念に揺るぎはない。

 

「もう行くのか?」

「そんなに慌てんでも、もっとゆっくりしていってもよかったんじゃぞ?」

「まあ、元気にしてなさいよ、二人とも……」

 

 見送りには鬼太郎、目玉おやじ、猫娘の三人が顔を出していた。

 彼女たちの旅立ちに名残惜しそうな顔をしているが、そこまで悲壮感は感じられない。

 

 別に今生の別れではない。アニエスとは勿論、ハベトロットともいずれ何処かで会えるだろうと。

 何の保証もないが、純子とハベトロットの再会を目撃した後だと、尚更そんなふうに思えてしまう。

 

「ええ、まなにもよろしくね!!」

「あの子にも……ああ、そうだ!!」

 

 アニエスは箒に跨りながら、ハベトロットは魚型の乗り物に騎乗しながら空へと旅立とうとする。それぞれがまなや純子への挨拶を託そうとしていたが、ふと思い出したかのようにハベトロットが口を開いた。

 

「そうだ、あの子の娘さん……まなちゃんって子にも伝えてくれよ!」

「……伝えるって、何をだ?」

 

 鬼太郎は首を傾げたが、ハベトロットが犬山まな——麗しい少女への伝言などおそらくは限られているだろう。

 彼女はその顔には優しげな笑みをたたえながら、嬉しそうにそれを口にする。

 

 

「——いつかキミが大きくなったとき、もしもあのウェディングドレスを着るようならボクに言ってくれ」

 

 

 例のウェディングドレスを、純子は今も大切に保管していると言ってくれていた。

 そのドレスで娘も結婚式を挙げたがっていると。ならばハベトロットのやることは一つだけ。

 

 

「——あのドレスがキミ自身にフィットするよう、ボクが責任を持って仕立て直してあげるから……ってさ!!」

 

 

 純子に続いて、まなも『自分の花嫁』として送り出すと。

 それができる幸福にハベトロット自身も幸せな気分に浸りながら、笑顔で旅立っていく。

 

「それから猫ちゃんも!! その気になったらいつでもボクを呼び出してくれていいからね、にしし!!」

「よ、余計なお世話よ!!」

 

 最後の方、猫娘に対してもハベトロットはからかい混じりに声を掛ける。

 それに猫娘が真っ赤な顔で反論し、鬼太郎と目玉おやじが親子揃ってとぼけた顔をし、アニエスがやれやれと首を振ってため息を吐く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実際に、猫娘がハベトロットの世話になるのはこれからだいぶ後のことであり、その日が来るまで彼女との再会はおあずけとなる。

 

 

「——それじゃあ……ばいば〜い!!」

 

 

 いつかは来るだろう再会の時まで、今は暫しの別れである。

 

 




次回予告

「体調が悪いというまなの大伯母の淑子さん。
 ここ最近、まながずっとお見舞いに行っているようですが……。
 えっ、死神が? 彼女の命を狙っている? 父さん、ボクは……どうすべきなんでしょうか?
  
 次回ーーゲゲゲの鬼太郎 『西洋地獄からの使者 死神エミーゼル』 見えない世界の扉が開く」

 次回は少し趣向を変え、『とある作品』のキャラたちを順々に出していき、一つのシリーズとして完結させていきたいと思います。
 その名も『西洋地獄』シリーズ。作中でもチラリと名前が上がった、西洋地獄ネタを拾い上げていきたいと思います。いったい何の作品のキャラかは、次回タイトルからお察しください。

 ちなみにこの西洋地獄シリーズ終了後に、この作品の時間軸も前に進めていきたいと思います。
 鬼太郎三年目の物語ーー『日本復興編』へと。
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔界戦記ディスガイア4 死神エミーゼル 其の①

『デジモンゴーストゲーム』、一話と二話を視聴してきました。
……これだよ!! これが見たかったんだよ!! 
これぞまさにデジモン!! 『アドコロ』とはいったいなんだったんだろう?

特に二話は序盤としては完ぺきな流れだった。
終盤の挿入歌が入るシーン! これだけで一週間は過ごせそう!
だけど、一週お休みで次話は二週間後。
早く見たいと、これだけアニメの放送が待ち遠しくなるのはすごい久しぶりだ!
これからも、自分はデジモンゴーストゲームを追いかけていきます。

さて今回の話は前回予告したとおり。『西洋地獄』シリーズとして複数の話を繋げてお送りします。
話の軸になるクロスオーバーは『魔界戦記ディスガイア4』。
日本一ソフトウェアの看板タイトル。その中でも屈指の人気を誇る『4』からキャラたちを順々に登場させていきます。

最初は死神エミーゼル。
テーマも死神らしく『生と死』を題材にしていきます。
尚、今回の話で……6期アニメのとあるキャラが……。

この話自体は前後二話でお送りしますので、よろしくお願いします。
ちなみ今回の話の時間軸ですが、原作アニメの94話と95話の間ーーちょうど三週間、鬼太郎の放送がお休みだった時間軸で起きた話として認識していただければ。
このシリーズのあと、こちらも時間軸を進めていきますので。


 地獄——死した者が魂となって行き着く場所、奈落の底。

 

 現世で命を落とした者の全てがこの地獄へと送られ、閻魔大王による裁判を受ける。その裁判の判決次第では天国行きや、転生を選ぶ権利などが与えられるが、大半の亡者はそのまま地獄の刑場へと送られ、生前に犯した罪状に等しいだけの責め苦を受けることとなる。

 

 亡者たちを苦しめる役割を持った『獄卒』たちの手によって——。

 

「ふぅ~……今日も疲れたぜ。最近は亡者たちの数が増えるばかりだ……」

「今のご時世、刑罰もなしで転生できるやつなんか少ねぇからな……俺たちの仕事も忙しくなる一方だぜ」

 

 亡者たちには情け容赦のない獄卒たち。しかし、彼らにも地獄での日常生活がある。

 亡者たちを痛めつけるのも交代制。二十四時間働き続けるのはブラック労働だと推奨はされていない。獄卒たちにも労働基準があり、それによる休日があり、仕事帰りに同僚と一杯やる楽しみがある。

 

 今日も地獄の飲み屋街には多くの獄卒たちが集まっていた。今日の仕事内容を愚痴ったり、昨今の社会情勢を話し合ったり、適当な雑談で会話に華を咲かせたり。わいわいと賑やかに酒を酌み交わしていく。

 

 そんな獄卒たちが集まる居酒屋、バーカウンターの一角にて——。

 

「はぁ~……退屈だな……いつになったら俺は現場に復帰できるんだよ……ヒック!!」

 

 仕事もせずに酒に溺れた、一人の『死神』が酔っ払いながら管を巻いていた。

 

 

 

 死神——死んだ人間の魂を地獄へと送り届ける役目を帯びた妖怪。

 彼らは『お迎え課』という部署に所属し、亡くなった人間の魂を速やかに肉体から切り離し、確保することを職務としている。

 死亡した人間の中には未練から『地縛霊』となったり、『浮遊霊』となったりして生者に迷惑をかけるものもいる。妖怪なんかに転生し、人間という枠組みから外れるものまで現れる。

 そのような事態にならないためにも、常に地獄は人々の死期を監視し、それに応じて死神を派遣する。

 

 日本の死神たちは常に忙しなく、営業サラリーマンのようにあちこちを走り回っているのが普通……の筈であった。

 

「……お客さん、飲み過ぎでは? それ以上はお体に触りますよ?」

「うるへ~! これが飲まずにいられるかってんだ!」

 

 しかし、彼は違っていた。

 酒場のマスターである鬼がそれとなく控えるように言うも、その助言を突っぱね、死神は昼間からずっと酒を飲み続けていた。

 

 その死神は——職務ナンバー106号。

 

 死神は国によって容姿が異なるのだが、日本の死神は皆——骸骨のような顔つきに、しゃくれた顎を持った種族となっている。

 彼らは子供の時からその姿であり、生まれたときから『死神』とされている。

 

 そのため名前で区別はされるのだが、仕事上においては全員が番号によって統一されている。

 

 番号も交代制で、世代によって変わるが——この時代の106号。

 彼は死神として起こしてはならない『タブー』を起こし、謹慎処分を食らっていた。

 

「ヒック! ちくしょう~……このままじゃ家のローンも払えねぇ……どうしろってんだよ!」

 

 謹慎処分中も一応給料は出るのだが、それもスズメの涙ほど。もともとエリート街道を真っしぐらに突き進んでいた106号に、そんな端金は何の気休めにもならない。

 

「このままじゃ、家族も養えねぇ~……どうすりゃいんだよ!」

 

 彼にだって養う家族がいる。嫁と子供、二人の食い扶持を稼ぐためにも、大黒柱の彼がしっかりと働かなければならないというのに。

 106号は思い通りにならない現状に、手にしたグラスをバーカウンターに叩きつけながら——自分がこうなってしまった元凶へと怒りをぶちまけていた。

 

 

「それもこれも……全部鬼太郎のせいで!! あいつらが俺のことを閻魔大王にチクらなければ……こんなことにはならなかったんだよ!!」

 

 

 死神106号。

 日本の死神は全員が似たような容姿をしているため、傍から見ても分からないだろうが——彼は境港という場所で、あのゲゲゲの鬼太郎と揉め事を起こした死神である。

 

 境港の隠れ里。

 

 彼はそこに囚われていた魂を回収しようとしたのだが、それを鬼太郎によって阻止された。

 人間の魂を回収するのは死神の役目。本来であれば鬼太郎が首を突っ込む問題でもなければ、それで謹慎処分を食らう謂れもない。

 

 しかし不味かったのは——106号が曲がりなりにも『生きている人間』に手を出そうとしたことだ。

 まだ寿命が残っている人間に直接手をかけるのは死神業界にとって、完全なる『禁忌』とされている。

 

 それを未遂とはいえ行おうとしたことを——あろうことか、閻魔大王に告げ口されてしまったのだ。

 その当時、鬼太郎たちは閻魔大王から地獄の四将の魂を確保するよう密命を帯びていた。その報告の最中に『境港にこういう死神がいたんだが……』と呟きを口にしたらしい。

 

 それに激怒した閻魔大王はすぐに死神たちの内部捜査を始め——結果、106号の問題行為が明るみになり、彼は降格と謹慎処分を受けることになった。

 

 年を跨いだ今になってもその処分は続いており、いつまで経っても仕事に復帰できないもどかしさに106号は焦りを口にする。

 

 

「くそう~……このままじゃ飼い殺しだ! 何とかして……何とかして金を稼がなければっ!!」

 

 地獄の沙汰も金次第という言葉があるように、地獄の住人にとっても先立つものは必要だ。

 このままでは妻子共々路頭に迷ってしまうと、彼が何かしら非合法な手段でもいいから金を稼ぐことを考え始める。

 

 

『——死神106号!! 死神106号!! すぐに閻魔庁に出頭せよ! すぐに閻魔庁お迎え課に出頭せよ!!』

「——!!」

 

 まさにそんな、魔が差した考えが浮かんだときである。

 酒に溺れていた彼の元に呼び出しの着信メールが鳴り響く。今や地獄もスマホやタブレットを導入する時代である。仕事用に配給されている携帯電話の呼び出しに、106号はすぐさま反応する

 

「ちっ! 今からかよ!! ……まっ、ここでぐだぐだしてるよかはマシか!」

 

 こんな時間での呼び出しに苛立ちを覚える106号。しかし、それと同じくらい淡い期待が胸に宿る。

 もしかしたら、もしかしたら『職場復帰』のお達しであるかもしれないと。

 

 酒代の勘定をバーカウンターに叩きつけながら、急いで閻魔庁お迎え課へと走り出していた。

 

 

 

×

 

 

 

「——やぁ~、久しぶりだね……106号! なんだか随分と酒臭い。平日にもお酒が飲めるなんて羨ましい限りだ! まったくいいご身分なことで!」

「……すみませんね、係長。他にやることがないもんで……」

 

 閻魔庁のお迎え課に到着して早々、死神の上司から嫌味を言われる106号。

 直属の上司である死神42号。彼はデスクにふんぞり返り、あからさまな態度で106号への小言を口にする。

 

 ——くそっ! 偉そうにしやがって……俺が降格される前は、階級が下だったくせに!!

 

 106号が謹慎処分を食らう前まで、二人の関係は逆の立場であった。

 106号の方が階級が高く、42号にふんぞり返る立場だった。しかし今やその力関係も逆転。42号の顔には愉悦の表情が浮かんでおり、出世競争に躓いた106号を露骨に見下してくる。

 

「まったく……キミは自分の立場を理解しているのかね? キミの穴埋めのために、どれだけ私たちが忙しい日々を送っているのか……それなのにキミときたら——」

 

 42号はお前のせいで自分たちは忙しいと、お前の不祥事のせいでこっちは迷惑をしとるんだと。もう何度目かになるのも分からない文句を口にし、106号をねちねちといびり倒していく。

 

「ええ……それは勿論。大変反省しておりますので……はい」

 

 その小言を前に、表面上は「はい、はい……」しか言えないでいる106号。

 

 ——けっ! せいぜい今のうちに調子に乗ってやがれ!

 

 その一方で、心中では悪態を付いてどうにか自身の中の憤りを処理していく。

 

 ——すぐに手柄でもなんでも上げて……お前なんざ追い越してやるからな!

 

 復帰したらさっさと実績でも上げてお前を追い抜いてやると。106号は嫌味を言う上司、その他大勢の同僚たちへの対抗心で己の心を奮い立たせていく。

 

 

 

 

 

「——まあ、それはさておきだ」

 

 それから三十分ほど。長々と説教を終えたところで42号は口調を改める。

 

「本日を持ってキミの謹慎処分を解けという上からのお達しだ。……精々業務に励み、これ以上の失態を重ねないように努力したまえ」

「は、はい! 承知しております!」

 

 42号はようやく106号へ『現場復帰』の指示を言い渡した。これにより、106号は以前のように人間の魂を回収するという仕事に明け暮れることが出来るようになった。

 

 ——よーし、これでまた仕事が出来る! あんな虚しい日々とはもうおさらばだ!!

 

 106号はさっそく労働意欲を湧かせた。仕事というやつはずっと続くと嫌になってくるものだが、働けない期間が長すぎると逆に体を動かしたくなるものだ。

 数ヶ月間、ずっと飲んだくれるしかできなかった彼にとって、また働けるという事実は実に心躍るものであった。

 

 ところが——

 

「……そこでだ! 復帰にあたり……キミにやってもらいたい仕事がある」

「や、やってもらいたい……ですか?」

 

 106号の喜びに水を差すよう、42号はニヤリと口元を歪める。

 その表情から何かよからぬことを企んでいるのが明白であり、106号は身構えながらも上司から直接押し付けられる『大事な仕事』とやらに耳を傾けていく。

 

 

 

 

 

「——キミも知ってのとおり。我々日本地獄は今後、各国の地獄と繋がりを深めていく方針で話を進めている」

 

 この世界にはその国に応じた地獄が存在し、それぞれ独自の法によって死者たちを裁いている。

 日本地獄では閻魔大王を始めとした十王が死者たちの裁判を担っているが、その他の地域では全く別の支配者たちが亡者たちを裁いている。

 基本的にその裁判によその地獄が口を出すことはない。たとえ何者であろうとも、その地域で死んだ者はその地域の地獄で裁くのが基本原則。だが——

 

「は、はい……確か、閻魔大王様の第一補佐官殿が各国を飛び回って話をつけてきたとか……」

「そうだ。現世でグローバル化が進む昨今、日本国籍を持つ者が海外の事故や事件に巻き込まれて死亡してしまうケースが後を経たない。だがその場合、正しい形でその者の罪を裁くことができないのだ」

 

 

 例えば——西洋などで日本人が死亡した場合、その人間は西洋地獄の、西洋での法で裁かれることになる。しかし、それでその者の罪を正しく裁くことができるかと問われれば『否』である

 日本生まれの者の生前の記録は、当然日本地獄で管理されている。『閻魔帳』の記録や『浄玻璃の鏡』での証拠映像など。これらを用いることで、初めてその亡者に正しい判決を下せるのだ。

 逆もまた然り。西洋で生まれ育った者の記録は西洋地獄で管理している。西洋人に日本で死なれたところで、記録などが不足しているためにきちんとした裁判ができないでいた。

 

 

「こういった事態を防ぐためにも、我々地獄の住人は各国と連携し、亡者の引き渡し条約などを強化してきた。これも……第一補佐官殿が長年海外を飛び回った成果だよ」

 

 これらは長年問題視されてきた課題であり、各国がそれぞれ頭を悩ませていた。より公平に、より正しく亡者たちの罪を裁くにはどうすべきかと。

 

 そんな問題に一石を投じたのが——仕事中毒……もとい、有能と名高い閻魔大王の第一補佐官である。

 

 彼を中心とした各国の地獄の管理者たちが、何度も何度も顔を突き合わせ、協議を重ね続けた結果——国境を越えた亡者たちの引き渡し、裁判記録の貸し出しなど。必要とあらばその都度要請に応じる体制へと移行し始めているのだ。

 勿論、まだまだ問題は山積み。完全な形で実現するには、いくつもの課題をクリアしていかなければならない。

 しかし、各国で手を取り合い始めた事実こそが何よりも重要なのだと。死神42号は地獄の明るい未来に感慨深げにうんうんと頷いていく。

 

 

 

「はあ~……すいません、係長。それで自分にやってもらいたいという仕事の方は……?」

 

 しかし、一介の死神でしかない106号はその話に何かを感じ入る様子もなく。その話と自分に任せる仕事とやらになんの関係があるのかと首を傾げる。

 

「おっと、少し脱線しすぎたやもしれん……話を戻そう」

 

 42号は少し話が逸れたと、そこからようやく本題に入っていく。

 

「まあ……そういうわけでだ。各国との友好をさらに深めるという意味合いも兼ね、この度……日本地獄は他国からの留学生を数人受け入れることとなった」

「留学生……ですか?」

「そうだ。その内の一人を……我らお迎え課でも引き受けることになった」

 

 現世でいうところの交換留学生というやつだろう。外部の妖怪を暫し客人として預かるということだ。

 

「ついてはその留学生を……君に任せたいのだよ、106号!!」

「なっ!! じ、自分にですか!?」

 

 そしてその客人を——よりにもよって106号に任せると、42号が彼の肩を叩いた。

 

 客人を任せると言えば聞こえはいいかもしれないが、これは体のいい厄介払いでもある。もしも、その留学生とやらに何かあるようなら、真っ先に106号の監督責任が問われる。

 あるいはその責任を取らせるのが目的なのか。42号の顔には明らかに「してやったり」といった笑顔が浮かんでいる。

 

「言うまでもないと思うが拒否権はない。これも先に起こした不祥事のペナルティだと思ってくれたまえ」

「くっ……」

 

 ここで先の問題行動の罰であると、理由を添えて逃げ道を塞ぐ。用意周到に準備を進めていたのだろう。106号は言い訳も許されず、面倒な仕事を押し付けられてしまった。

 

「ではさっそくだが当人と引き合わせよう……申し訳ありません! 話が付きましたので……どうぞお入りください!!」

 

 そうして42号は畏まった口調で、既に隣の部屋で待機していた——その留学生とやらを呼び出していた。

 

 

 

「——お前か……ボクの研修に付き合うことになった、死神は……」

 

 日本死神たちの前に姿を現したのは——彼らと同じ『死神』だった。国外からやって来たという西洋の死神。その容姿は日本の死神とは違い、見た目は完全に人間の子供。

 緑のフードを目深く被った少年。どこか生意気そうな顔立ちだが、意外にも冷静な雰囲気を保っている。

 背中には死神の象徴でもある武器——大鎌(デスサイズ)を背負っている。

 

「……係長、留学生ってのはこのガキですか?」

 

 未だに幼さを残したその少年を前に、106号は怪訝そうな顔つきになった。元より留学生の面倒など見たくもなかったが、その相手がこんな子供であれば尚更である。

 自分にこんな子供のお守りを押し付ける気かと、ますます上司への反感を強めていく。

 

「ば、馬鹿!! 何という口の利き方だ!!」

「痛っ!! 何すんだ!! ……じゃない、何するんですか!?」

 

 すると、42号は焦ったように106号の頭を無理やり押さえつけ、その少年死神相手に土下座を強要する。自分自身も平身低頭しながら、少年がどのような相手なのかを声高らかに告げる。

 

「この方をどなたと心得ている!! 西洋地獄の重鎮……死神王ハゴス様の御子息にあらせられるのだぞ!?」

「し、死神王……!?」

 

 死神王——日本地獄には存在しない階級だが、上司の狼狽ぶり。そして地獄の重鎮ということからその権威の高さを察することができる。

 きっと係長など吹けば飛ばされてしまう。それほどまでに雲の上の存在、特権階級に君臨する血筋なのだろう。

 

「……そういうのいいから、とりあえず自己紹介させてくれよ……」

 

 しかし表面上、少年の方にそういった特権意識に縛られる様子はなかった。

 彼はへり下る日本死神たちの態度にうんざりとしながら、自分から名前を名乗っていく。

 

「——ボクはエミーゼル……死神エミーゼルだ。今回の留学で日本の死神たちのやり方……色々と学ばせてもらうからな」

 

 

 

×

 

 

 

「——……で? これからどうする? この国の死神のやり方はよく分からないからな。とりあえず、お前の方針に従うぞ……106号」

「——そ、そうですかい…………くそっ、なんだってこんなことに……」

 

 職場復帰して早々、死神106号は西洋死神エミーゼルとバディを組むことになったのだが、106号はその現状に小言で悪態を付く。

 

 本当なら自分一人でとっとと人間の魂をかき集め、さっさと点数を稼ぎたいところ。死神が出世するためにはより多くの、それでいて質の良い魂を回収するのが一番の早道なのだ。

 だが、足手まとい——もとい、留学生のエミーゼルの面倒を見なければならなくなった都合上、そう簡単にはいかない。

 彼に日本死神の職務を指導しながら、通常の業務もこなさなければならない。間違いなく自分一人でやるよりも仕事の効率は落ちるだろう。

 

 ——ちくしょう……あのクソ上司! まんまとやってくれやがったな!!

 

 106号は自分にエミーゼルの世話を押し付けた係長を心中で罵倒する。

 ただの留学生であれば、最悪適当に扱っても問題はなかっただろう。しかし相手は他国の重鎮の御子息。もしも下手に放置すれば、上にどんなお叱りを受けるか分からない。

 

 実際上司からは——

 

『——言うまでもないと思うが……彼にもしものことがあった場合、キミの首が飛ぶことになるから……物理的にね』

 

 と、脅し文句で念押しまでされてしまった。

 上からの不況を買わないためにも、この坊っちゃんの機嫌を取りながら仕事をこなさなければならないのだ。

 

「……はぁ~」

 

 憂鬱な気分に106号の口から自然とため息がこぼれ落ちていた。

 

 

「——お前さ……ボクのこと、厄介者だと思ってるだろ?」

 

 

 するとそのため息に反応し、エミーゼルが106号をジト目で睨みつける。

 

「えっ!? い、いや……そんなこと、思ってないですぜ!」

 

 いきなり確信をついた問い掛けにギクりとなりながら、106号は相手の機嫌を損ねまいと慌ててゴマをすろうとした。

 

「別に隠す必要はないさ……留学生なんて、いきなり押し付けられればボクだって困るだろうし……ボクがお前たちにとって、扱いにくい人材だってことくらい分かってる」

 

 しかし、エミーゼルが特に不快感を示すことはなかった。それどころか彼自身、自分がどこか腫れ物のように扱われていることを理解しているようだ。

 権力者である『死神王の息子』という立場で周囲を恐縮させていることを——。

 

「けど……ボクにはボクの目的がある。ボクはこの留学で……立派に死神としての務めを果たすんだ!」

「し、死神としての務め……ですかい?」

「そうさ!! それで父上の力がなくてもやっていけると、ボク自身の力を西洋地獄の皆に分からせてやるんだ!!」

 

 エミーゼルは『死神王の息子』という事実にコンプレックスを抱いているようだ。何となく生意気そうな印象から、父親の権力で好き勝手をやるイメージを抱いていただけに、エミーゼルの言葉には106号も僅かだが感嘆の声を漏らす。

 

 ——ほう~……親の権威に胡座をかいただけのボンボン……ってわけでもなさそうだな……。

 

 多少は彼のことをただの『甘やかされた坊ちゃん』ではないと見直す。しかし、扱いにくい客人であることに変わりはない。

 

「ええっと……それじゃ、さっそくですが仕事に入りましょうか……」

「……ああ、よろしく頼む」

 

 ある程度、下手な態度でエミーゼルと接していく106号。エミーゼルは一歩下がった相手の態度に何か言いたげだったが、とりあえずそのままのスタンスで二人は死神としての仕事を始めていく。

 

 

 

 

 

「ところで——」

 

 ふと、エミーゼルは周囲を見渡しながら106号に尋ねていた。

 

「さっそく現世に出てきたけど……ここはいったいどの辺りなんだ?」

 

 そう、既に地獄を出立して現世へと降り立っていた死神二人。だが日本の地理に詳しくないエミーゼルには、自分たちが今どこにいるのかが分からない。

 彼らが立っていたのは、まさに田舎といった感じの土地。周囲に広がるのは畑や小さな森など。その風景の中に昔ながらの一軒家がまばらに建っている。ビルなども全く見えず、人の気配すらほとんど感じられない。

 今時珍しいくらいに穏やかなド田舎。果たしてここはどこなのだろう。

 

「ええっと、現在地は……ああ、千葉ですね。千葉県……関東の……一応は東京の隣の県です」

 

 エミーゼルの質問に106号は手元のスマホを使用し、現在地を確認する。西洋の死神であるエミーゼルにも分かりやすいよう、ここがどこだか噛み砕いて説明するのだが。

 

「チバ? 千葉って、あれか? イワシで有名なあの千葉か?」

「えっ? い、イワシですかい? いや、それは知りませんけど……好きなんですか、イワシ?」

「いや、ボクは魚が苦手だけど……そうか、ここが千葉なのか……」

 

 何故か千葉と聞いてエミーゼルはイワシの名産地だと即答する。その豆知識にイワシが好きなのかと106号が問い掛けるも、エミーゼルは首を振り——どこか遠くを見つめる。

 

「千葉産のイワシ……土産にでも買ってってやろうかな……」

「???」

 

 誰に聞かせるわけでもないエミーゼルの呟きに106号は疑問符を浮かべるが、とりあえずスルー。

 

「けど、ボクたちがここに出たってことは……」

「ええ、そうっすね……」

 

 二人の死神は、改めて自分たちがこの場所へと出てきた『その意味』を確認し合う。

 

 

 

「——もうすぐ、この辺りで寿命を迎えるやつがいる……ってことだからな」

 

 

 

 本来、地獄である『あの世』と現世である『この世』を行き来するには、特別な出入り口を通る必要がある。

 日本であれば黄泉比良坂、幽霊電車。あるいは閻魔の権限で地獄の門を開くこともできるが、一般の獄卒がそれを利用するには面倒な手続きが必要になってくる。地獄の住人とはいえ、そう簡単にあの世とこの世を頻繁に出入りすることはできないのである。

 

 しかし——死神という『種族』は別だ。

 

 神話の時代。死者の世界が一つの『国』として認識され、地続きだった頃から。死神たちは『二つの世界』を自らの意思で瞬時に移動できる存在であった。だからこそ、彼らには魂を運ぶ役割が与えられている。

 

 これは現代でも、国が違えども『死神』であれば同じこと。国ごとに死神と呼ばれる種族は全くの別物だが——死神である以上、この能力は誰もが等しく所持している。

 

 この能力を行使し、エミーゼルと106号は揃って現世へと移動した。しかし移動先を——彼らは選ぶことができない。

 

 死神が地獄から現世へと飛び出す際、その出現先は——必ず死期が訪れようとしている人間のすぐ側。

 死神はその性質上、『死人』が出るであろう現場へと、引き寄せられるように現れるのである。

 

「ここでもうすぐ……よし、さっそく探しに行くぞ」

 

 その理屈を、死神たちは自分でも理解はしていない。

 そういうものなんだと。それを己の性質として受け入れ、導かれるよう——『死』を迎えようとしている人間の元へと歩き始めていく。

 

 

 

×

 

 

 

「——いましたぜ、坊ちゃん……この家だ」

 

 対象はすぐに見つかった。

 ポツンと佇む一軒家。年老いた老婆が一人、何をするでもなく縁側に腰掛けていた。

 

「ゴホッ! ゴホッ! …………ふん」

 

 明らかに体調が悪く、ときより咳き込みながら庭や空を漠然と見つめている。その家に一人で暮らしているのか、他に人間の気配はない。

 

 結構な歳であり、おそらく本人も——そろそろ『お迎え』が来る頃だと自覚しているのだろう。

 その瞳には死に対する恐怖よりも、どこか達観した諦めのようなものが浮かんでいる。

 

「沢田……」

 

 家の表札に書かれている唯一の人名には『沢田淑子(としこ)』と明記されていた。エミーゼルはその人間の名前をボソリと呟きながら、彼女の様子を遠巻きに見つめていく。

 

「ああ、あの感じなら今夜にでもくたばりそうっすね。とりあえず、待機しておきましょうか?」

 

 106号はもうすぐ死ぬかもしれない人間を前に淡白な言葉を口にする。死神としてエリートコースを歩んできた彼だ。人間の死など見飽きるほど見届けてきた。

 もはや人間個人の死に何かを感じることはない。ただの流れ作業として、沢田という老婆が力尽きる瞬間を今か今かと待ち構える。

 

「……ああ、そうだな」

 

 それは、少年死神であるエミーゼルでも変わらない。

 僅かに感傷的な視線で独りぼっちの老婆を見つめるも、そこに個人的な感情を持ち込むことはなく。

 

 

 

 死神たちは人間が死ぬ瞬間——魂を回収するタイミングを見計らい待機していく。

 

 

 

「——淑子伯母さん!!」

「……ん? 来客か……」

 

 そうして待機していること数時間。夕日が落ちるその時刻に——少女が一人、淑子の家に足を踏み入れた。

 エネルギッシュに満ちた制服姿の中学生。彼女は元気いっぱいな笑顔を老婆へと向ける。

 

「なんだい……まな。今日も来たのかい」

 

 その少女の訪問に、淑子は眉間に皺を寄せて渋い顔をする。表面上は少女を歓迎していない風だが、一人寂しく佇んでいたときよりは明らかに顔に生気が宿っている。

 その表情から、少女の訪問を嬉しく思っているのは明白であった。

 

「……あの婆さんの孫か? ……でも、伯母さんとか言ってたな……」

 

 老婆と少女の会話を物陰から覗き込みながら、彼女たちの様子を伺い続けるエミーゼル。二人の関係がどのようなものか何気なく考察するが、自分の仕事とは関係ないと頭は冷静である。

 

 たとえ孫がいようと関係ない。その時がくれば魂を刈り取るだけだと大鎌の手入れをしていく。

 

 

 ところが——

 

 

「あ、あのガキは?」

 

 その少女の来訪に、誰よりも死神106号が驚いていた。

 ベテラン死神である彼にとって、本来なら人間の顔など記憶するに値しない情報だ。今までに何百人という人間の死を目撃し、その魂を回収してきたのだ。それら一人一人の顔など、覚えていてもキリがない。

 

 だが、あの少女のことは106号もはっきりと記憶していた。

 

 なにせあの少女・犬山まなとゲゲゲの鬼太郎。彼らと関わってしまったがために、106号は謹慎やら降格処分などを受ける羽目になったのだから——。

 

 

 

 

 

「淑子伯母さん! また薬持ってきたんだ、これ飲んで元気になってよ!」

「またかい……あんたが持ってくる薬を飲んでから、こちとら体が良くなってしょうがないよ。いったい、なんの薬だってんだい?」

「いいから、いいから! 大丈夫!! 変なものは入ってない……筈だから!」

 

 死神たちが潜んでいるともつゆ知らず、まなは淑子へと駆け寄る。カバンから包みに入った粉薬のようなものを取り出し、それを水の入ったペットボトルと一緒に淑子へと勧める。

 既に何度か飲んでいるのか、淑子は軽く愚痴を溢しながらもまなから受け取ったその薬を服用する。

 

 次の瞬間——明らかに淑子の体に幾らかの活力が戻っていく。

 それは、生命の灯火が見える死神だからこそ察するくらいの誤差に過ぎないが——老婆は命を長らえたのである。

 

「——っ! 今の薬は……!?」

 

 その薬の効力にエミーゼルが目を見張る。人間の死する運命を僅かだが引き伸ばした——寿命を伸ばしたと言っても過言ではない薬の効果に驚きを禁じ得ない。

 

「ふぅ……相変わらず苦いね。飲むのが億劫だよ、まったく……」

「そう言わないで……良薬口に苦しって言うんでしょ?」

 

 相当苦い薬なのだろう、淑子は渋面仕切った顔で不満を口にするが、その分効果は確かだろうとまなは胸を張る。

 

 

「——この薬を飲んでいれば、いつまでも元気でいられるから! だから……もっと頑張ってよ!」

 

 

 それは、少女の心からの願いだ。

 淑子伯母さんにもっと生きていて欲しいという、犬山まなの切実な願いだったのだろう。

 

「ふん……私はいつでもくたばる覚悟は出来てるけどね……とりあえず、礼だけは言っておくよ」

 

 そんな少女の願いに対し、老婆の方はいつでも『覚悟』は出来てると。

 薬を持ってきてくれたまなにお礼の言葉を述べつつ、どこか——どこか疲れたようにため息を吐いていた。

 

 

 

 

 

「あ、あのガキ! いったい、何を飲ませやがった!?」

 

 まなが淑子に飲ませた薬の効果に106号が憤慨する。せっかく今夜あたりにでも魂を回収できると思っていたのに、老婆は命を持ち直してしまった。死神の規定上、肉体が生命活動を停止しなければ魂を刈り取ることは許されない。

 もしもこんなことが繰り返されれば、彼らの仕事はいつまで経っても終わらない。死神の立場からすれば無為に残業時間を増やすようなもの、たまったものではない。

 

「——それじゃ、明日も来るから……またね、淑子伯母さん!」

 

 その後、淑子と色々なことを話し込んでからまなは帰路へ着く。既に日が沈みきって辺りが完全に暗くなっていることもあり、彼女は慌てて駆け出して行った。

 

 

「——おい、106号。あの女の跡をつけろ」

「へっ? あ、あのガキのですかい!?」

 

 するとまなの背中を見送りながら、エミーゼルが106号へと指示を飛ばす。まなを尾行しろという彼の指示に、106号は目を丸くするが。

 

「あの薬の出所が知りたい、尾行して突き止めてくるんだ。ボクはあの老婆の方を見張っておく……早くしろ!!」

「わ、分かりました……行けばいいんでしょ、行けば……」

 

 少女の持ってきたあの薬が何なのかを知りたいようだ。それなら自分で行けばいいだろうと思った106号だが、逆らうわけにもいかず。

 

 

 とりあえず——帰宅する犬山まなの跡をこっそりとついて行くことになった。

 

 

 

×

 

 

 

「……長いこと電車に乗ったが……あいつ、東京からあんな辺鄙な田舎まで一人で来てんのか?」

 

 犬山まなを尾行する106号は想像以上の道のりに少々うんざりしていた。

 まなは淑子の家に行くまでに、電車で一時間以上の時間を掛けていた。乗り継ぎも含めるとかなり面倒な道順。それでもまなは嫌な顔一つすることなく、淡々と帰路についていくが。

 

「今日のうちにお礼言っておこうかな……」

 

 彼女の住まいかと思われる住宅地にたどり着いたものの、まなは家には戻らずとある場所へと向かう。その跡を尾行してついていく106号。ふいに——周囲の景観が瞬く間に『森』へと変貌を遂げる。

 

「おっと……!? こいつは……噂に聞くゲゲゲの森か。こんなところにあったとはな……」

 

 まなの尾行に気を取られて気がつかなかったが、いつのまにか妖怪たちの聖域・ゲゲゲの森へと足を踏み入れていたようだ。彼自身この場所へ来るのは初めてだが、ここが日本妖怪たちの主要な住処の一つであることは知っていた。

 そしてこの場所に奴が——ゲゲゲの鬼太郎が住んでいることも。

 

「っ、鬼太郎……!」

 

 106号が慌てて木々の隙間に身を隠す。まなが入っていく小屋・ゲゲゲハウスに鬼太郎の姿を見かけたからだ。106号は咄嗟に大鎌を構えるが、ここで襲い掛かったところで自分に確実な勝ち目があるわけではない。

 はやる気持ちを抑えつつ、気付かれないようゆっくりとゲゲゲハウスへと近づいていく。壁に耳を当て、中から聞こえてくる彼らの会話に耳を傾ける。

 

「——まな……淑子さんの様子はどうだった?」

「——うん、元気だったよ! 砂かけババアさんが調合してくれた薬のおかげで!」

「——そうか……まあ、力になれたのなら何よりじゃよ」

 

 ハウスの中からは鬼太郎と犬山まな。そして106号の知らない妖怪・砂かけババアとやらの声が聞こえてくる。彼らはまなから淑子の容態を聞かされていた。会話内容から察するに、あの薬は砂かけババアが調合したもののようだ。

 

「そうか……! 妖怪の調合した薬だったか……どうりで」

 

 薬の出所が分かったことで106号は得心を得る。

 妖怪の知識で精製した霊薬の類であれば、あれだけの効き目も納得だ。さすがにあんな薬が人間社会に出回り、日常レベルで使用されていれば色々と問題である。

 

 人間の寿命を伸ばすほどの効能がある薬など、それこそ『生と死の理』に反するというもの。

 人間の『死』を生業とする死神としては、決して看過できない事態である。

 

「それで……明日もこの薬を持って淑子さんのところに行くのかのう?」

 

 死神が思案を巡らせている間も、ゲゲゲハウス内の会話は漏れ聞こえてくる。

 砂かけババアがまなに明日の分の薬を手渡しながら、本当にその薬を持参して行くのかと、何故か不安そうに問い掛けていた。

 

「勿論だよ! 明日は学校もお休みだし……朝から顔を出そうと思ってるの!」

 

 砂かけババアの問いにまなは元気な声で返事をした。しかし声のトーンを一段下げ、少しばかり暗い表情で心配な本音を語る。

 

「淑子伯母さん……先週から容態が良くないって……」

「……」

「お医者さんからも、本当は入院しなきゃいけないくらいだって言われてるんだけど……」

 

 沢田淑子という人間の不調は今に始まったことではない。彼女は以前も一度倒れたことがあり、そのときから徐々に体が悪くなっていく一方だったという。

 それでも、何とか今日まで持ち直してきたのだが、一週間くらい前からさらに体調が悪くなったらしい。

 医者から入院を勧められたのだが、それを拒否してでもあの家に独りぼっちで居座っている。

 

 

「——どうせ死ぬなら……自分の家で死にたいって……」

 

 

 まるで自身の死期を悟るかのように——。

 まなはその報せを受けたことで、どうにかできないだろうかと鬼太郎たちに相談していたのだ。

 

「けど、大丈夫だよね! 砂かけババアさんの薬のおかげで元気になれたみたいだし!」

 

 その相談の末、砂かけババアが処方したのがあの薬だ。特別な霊草を練り込んでいるらしく、その薬のおかげで淑子は生きる力をその身に取り戻していった。

 

 

「——このまま、前みたいに元気になってくれるよ、きっと!!」

 

 

 このまま薬を飲み続けていれば、もっと体も良くなっていくだろうと。

 いつまでも元気でいられると、まなは眩いほどの笑顔を鬼太郎たちに向けていた——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——砂かけババア……やっぱり不味かったんじゃないか?」

 

 まながゲゲゲハウスから立ち去るのを確認してから、鬼太郎は砂かけババアに声を掛ける。

 

「いや、わしもどうかとは思ったんじゃが……あんな顔であの子に泣きつかれてはのう……」

 

 砂かけババアも迂闊なことをしたという自覚はあるらしく、決まり悪げに頭を抱える。

 

 そう、彼女は例の薬をまなに渡したこと。沢田淑子の寿命を伸ばすような薬を処方してしまったことを——少しばかり後悔していた。

 

「人の生き死にというものは、本来であればどうにもできない。どうにかしていい問題ではないと……頭では分かっておるんじゃが……」

 

 何故ならそれは『正と死の理』に反すること。死神が問題としていた点を、鬼太郎たちもしっかりと理解していた。

 だが、砂かけババアは犬山まなへの情が勝ってしまった。彼女に悲しい思いをさせまいと、自分ができる最善としてあの薬を調合し、処方し続けている。

 

 けれども——それも長くは持たないだろうと踏んでいる。

 

「あの薬も……所詮はその場凌ぎにしかならん。いずれは効果も薄まり……淑子さんは……」

「…………」

 

 妖怪たちは既に覚悟を決めている。あの薬の効き目がなくなり始めた頃、それで淑子が『どうなって』しまうのか。

 だが、犬山まなは覚悟など何も定まっていない。

 

 このまま、淑子の容態が安定すると無邪気に信じ込んでいる。

 そんな彼女に——いかにして『現実』を理解させるか?

 

 そんな問題に、鬼太郎たちはいつまでも頭を悩ませていた。

 

 

 

 

 

「……ちっ、余計なことしやがって……」

 

 鬼太郎たちの会話を聞き終え、106号は心底面倒そうに舌打ちをする。

 彼らがあのような薬を老婆に処方した経緯などは興味がなく、死神として老婆が鬼太郎たちの影響で命を長らえているという事実に忌々しいと顔を歪めた。

 

「まあいい……とりあえず、あの坊ちゃんに報告だ」

 

 しかし、今は先に報告を済ませようと。

 ここで聞いた話をエミーゼルにも伝えるべく、106号はその場から静かに立ち去っていく。

 

 

 

×

 

 

 

「ただいま戻りました、坊ちゃん!!」

「おう……で、どうだった?」

 

 千葉県の沢田淑子の家の門まで戻ってきた106号をエミーゼルが出迎える。暇つぶしのためか、エミーゼルは何やら分厚い本に目を通していたが顔を上げ、106号の報告に耳を傾けていく。

 

「——そうか……まさか、あのゲゲゲの鬼太郎が絡んでくるとはな……」

 

 話を聞き終えたエミーゼルが嘆息する。

 西洋の死神である彼の耳にも、ゲゲゲの鬼太郎の噂は届いていた。なにせあの西洋妖怪の大御所——バックベアードを打ち倒したほどの相手だ。

 西洋地獄の住人である死神は、直接バックベアードやその軍団と関わり合いになるようなことはないが、それでも彼らを倒したという鬼太郎の武勇がどれほどのものかは理解できる。

 そんな相手が今回の案件に首を突っ込んでいると、エミーゼルはやや緊張気味に表情を固める。

 

「それでどうします? あのババアの魂を諦めて、さっさと他のとこ行っちゃいますか?」

 

 鬼太郎と関わりたくない106号はそのように進言した。

 死せる人間の魂など、他の場所にいくらでもゴロゴロ転がっている。彼個人としても、あの老婆の魂に執着する理由がない。薬の効力とやらが切れるのを待つのも億劫だ。どこか別の場所へ向かった方が遥かに効率がいいだろう。

 

「いや、問題ない……」

 

 だがエミーゼルは首を横に振った。

 

「一応マニュアルを確認したが……今回のケースならあの婆さんの魂、今から刈り取っても問題にはならない」

「マニュアル……? ああ、何を読んでるかと思ってましたが……あんな分厚い規則書読んでたんすね……」

 

 エミーゼルが先ほどまで読んでいた本——それは死神たちの『就業規則』が書かれていた本だった。

 

 日本死神の仕事内容におけるルールが膨大に記載されているマニュアル本。しかしそんなもの、いちいち事細かに読んでおく真面目な死神などほとんどいない。

 所詮は筆記試験などの際に一夜漬けで詰め込んでおく知識。現場主義者の死神たちはそういったルールに関してアバウトであり、割と好き勝手に自身の裁量で仕事をしている。

 そんな不真面目な日本死神相手に、西洋死神であるエミーゼルはそこに記載されていた就業規則の一文を読み上げる。

 

『——魂を回収する際、その人間の生命反応が完全に停止していることを確認した上で、肉体から魂を切り離さなければならない』

 

 死神としての基本原則だ。それを破ってしまったからこそ、106号は謹慎処分などを受ける羽目になった。

 だが——何事にも例外というものは存在する。その例外的な措置が書かれている一文を、エミーゼルはさらに読み上げていく。

 

『——万が一、肉体が何らかの理由で定められた寿命を越えてしまった場合、その人間の肉体的な死を待つことなく、その者の魂を肉体から切り離すことが許可される』

「……それって……!」

 

 読み上げられた内容に106号の顔が明るくなる。それはまさに今回のケース——薬で寿命を伸ばしている沢田淑子に当て嵌まるものだ。

 死神のルールそのものが、今からあの老婆の魂を回収しても問題ないと保証したのである。

 

「それなら何も問題ないっすね!! さっさと収穫しちゃいましょう!!」 

 

 先ほどまでの渋い態度とは正反対に、死神106号が意気揚々と大鎌を取り出す。

 

「へっへっへ! 鬼太郎のやつ、悔しがるだろうぜ!!」

 

 今のうちに淑子の魂を回収してしまえば、いかに鬼太郎とて何も出来まいと。境港での一件の趣向返しになると106号は今から愉快な気持ちであった。

 

 

「——待て」

 

 

 ところが、106号の行動にエミーゼルが待ったをかける。

 

 彼は何事かを思案した上で——106号にこれからの方針について話していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふん、ふふ~ん♪ 淑子伯母さん……喜んでくれるかな?」

 

 休日の朝。既に沢田淑子の家近くまで来ていた犬山まなはご機嫌に鼻歌など唄っていた。

 彼女の手には砂かけババアから受け取った薬の他に、色々なお菓子の袋が握られている。苦い薬の口直しのため、まなが取り揃えたものだ。

 ここ連日、まなはこのように淑子の家を訪れては彼女を見舞っている。

 

「明日にはお母さんが出張から帰ってくるし! きっと淑子伯母さん、会いたがってるよね!」

 

 今現在、まなの母親である犬山純子は仕事で家を留守にしていた。淑子の具合が悪くなったという報せから、突然仕事が忙しくなってしまっていたのだ。そのため、純子は未だに淑子のところへお見舞いに来れないでいた。

 しかし、明日になれば仕事もひと段落片付き、純子も淑子の見舞いに来れるようになる。

 

 純子と淑子——彼女たちはお互いに似たような境遇、沢田家の実家から飛び出してきた間柄だという。

 

 そのため、淑子は若いころから純子の面倒を見てきており、純子の方も世話をしてくれた淑子にこの上ない感謝を抱いている。

 

 そんな純子が見舞いに来れば、さらに淑子の容態は良くなるだろうと。

 まなは淑子を『生かせる』という希望を無念に抱いていた。

 

 

「——おい、そこの人間」

「えっ!? わ、わたし……?」

 

 

 だが、そんなまなの希望を根底から覆す存在が姿を現す。

 人間たちを『死せる』運命へと導く——死神という存在である。

 

 

「ええっと……キミは……どこの子かな? お姉ちゃん、ちょっと寄るところがあるんだけど……」

 

 フードを被った男の子・西洋死神エミーゼルから声を掛けられた当初。まなは彼をただの子供だと思い、やんわりとその呼びかけに断りを入れる。

 小学生くらいの彼と今は遊んではあげられないよと、言い聞かせるような口調で。

 

「——おい小娘!! 坊ちゃんに舐めた口きいてんじゃねぇぞ!!」

 

 すると、そんな無礼に彼の横に立った死神106号が苛立ち気味に吐き捨てていく。

 

「あ、あなた……境港のときの!?」

 

 日本死神の特徴的な顔を見た瞬間、彼女は境港での一連の出来事を思い出して身構える。

 

 境港の隠れ里。

 子供たちが閉じ込められていた異界。その異界から子供たちを連れ出し——その魂を無理やりにでも奪おうとした『悪い』妖怪だ。

 少なくとも、それが犬山まなという少女の死神に対する印象であり、今この瞬間もその感情は変わらない。

 

「な、何しに来たの!! わ、わたしを……こ、殺しにっ!?」

 

 そのときの印象から、まなは死神が自分の命を奪いに来たと思い込んで身構える。

 

 

 しかし、それは大きな勘違いである。

 

 

「へっ! 残念だが……お前さんの魂に用はないさ。用があるのは……あの沢田とかいうババアの魂だ!!」

「ああ、ボクたちは今宵、あの老婆の魂を刈り取る」

「——そ、そんな!?」

 

 死神たちが狙っているのは寿命を迎える沢田淑子の魂であり、それをわざわざ犬山まなへと告げていた。彼らの言葉にショックを受けるまな。

 そうやって現実を分からせたところで——死神たちはまなに背を向ける。

 

 

「——これは決定事項だ。せいぜい今日のうちに、別れを済ませておけ……」

 

 

 まるでそのくらいの猶予時間はくれてやるとばかりに、死神エミーゼルが素っ気ない言葉を残していく。

 

 そうして彼らは音もなく、その場から一時消え去っていく。

 

 

 

 

 

「……淑子伯母さんが……死ぬ? 死神に……こ、殺されちゃう?」

 

 まなは暫くの間、動揺で身動きが取れないでいた。

 

 淑子が死ぬ、魂が奪われる。

 

 死神たちのその言葉に——まなは境港での一件を思い返す。

 

 

 隠れ里の異界で出会った子供たち。

 短い間だが友好を深め、友達になった子供たち。

 

 鬼太郎のおかげで彼らの魂があの死神に奪われることはなかったが——それでも彼らに待っていたのは『死』だった。

 二百年と異界に閉じ込められていた彼らの肉体は、現実世界に戻った瞬間、その時間の揺れ幅に耐えることが出来ずに崩壊した。

 

 

 まなは彼らが死ぬ瞬間を——彼らが骨となり、その痕跡すら跡形もなく風化する瞬間を目撃した。 

 まなにとって——死ぬとは『ああなる』ということである。

 

 

「い、いやだ……そんなの嫌だよ!!」

 

  

 もうあんな悲しい気持ちにはなりたくない、誰にも死んでほしくない。

 そんな思いに駆られ、まなはすぐにでもスマホで助けを呼んでいた。

 

 

「——お願い、助けて!! 猫姉さん……鬼太郎!!」

 

 

 ラインで連絡が取れる猫娘へ。

 

 

 そして——誰よりも強く、頼れるゲゲゲの鬼太郎へと。

 

 

 

 

 それで淑子は助かると、心からそう信じて——。

 

 

 

 




人物紹介

 死神エミーゼル
  ディスガイア4に登場する主要キャラの一人。
  原作では最初、魔界大統領ハゴスの息子として傲慢で我儘なクソガキとして登場しました。
  物語が進むごとに成長していくのですが、今作では既に成長している状態。
  そのため、ある程度冷静なエミーゼルくん。真面目な死神としての一面を描いていきます。
  でも彼らしいツッコミ役、苦労人な面もいずれは描写していきたいとは思います。

 沢田淑子
  前回のハベトロットの回にもちょっと話に出てきた、沢田家の親族。
  九十歳にしてかなり気の強い、まなの大伯母。
  きっと純子にとって、唯一頼りになる親族だった。それが本作の設定です。
  アニメ20話『妖花の記憶』でのゲスト。
  今回の話で……彼女はーー

 死神たち
  死神のクロスオーバーと言えば『BLEACH』を思い浮かべる人が多いでしょう。
  ですがあの作品は世界観が特殊すぎて、鬼太郎との兼ね合いがちょっと……。
  なので今作の死神は鬼太郎の世界観を優先した容姿になっています。あくまで日本の死神はですが。
  彼らの地獄での生活感は『サラリーマン死神』、そして『鬼灯の冷徹』の獄卒たちの暮らしをそれとなくイメージしてミックスしてます。
  彼らにも、養うべく妻や子供がいるのです。

 106号
  鬼太郎アニメでも死神は番号で呼ばれることがあります。
  本作では106号をアニメ66話『死神と境港の隠れ里』で登場した死神としています。
  
 42号
  お迎え課の係長。106号にとって嫌味な上司。
  ちなみに割り振っている番号はアニメや漫画に出てきた死神の実際の番号。
  ただ番号は同じでも完全に別人なのでご注意ください。

 今回の話は死神や地獄の設定など。色々と作者独自の解釈を交えて描写しています。
 何か不明な点や不可解な点があれば感想欄でどうぞ。必要に応じそれとなく解釈を足してみたりしますので。
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔界戦記ディスガイア4 死神エミーゼル 其の②

『デジモンゴーストゲーム』三話もしっかりと面白かったです。この調子でデジモンというコンテンツが盛り上がってくれると、ファンとしてはうれしい。
しかし、あちこちのコメントで見かけるけど……これ話の流れとか、わりと『鬼太郎』だよね?
次回予告を聞くたびに、最後『見えない世界の扉が開く』って、勝手に脳内再生されるんだけど!
まあ、進化要素とかで差別化はされてるから全然問題はありません。
やっぱデジモンには挿入歌がないとね!

さて、今回の話。『ディスガイア4』というわりと明るい原作を元にしながらも、結構しんみりとしたお話。
人の『死』というものを題材にしているだけに、最後もちょっぴりビターかな?
ですが人間にとっても、その他の物事においても終わりというのは避けられないもの。

これは『ゲームエンド』ではなく『ゲームセット』なんだと。
どこかで聞いたことのあるコメントを思い出しながら、書き進めていきました。

どうか、最後までお楽しみください。




「——猫姉さん! 鬼太郎! 来てくれてありがとう!!」

 

 千葉にある沢田淑子の家の前。犬山まなは猫娘とゲゲゲの鬼太郎の姿を見るや、表情に笑みを浮かべた。

 

 今朝方、まなは早くから大伯母である淑子の家に彼女を見舞いに来ていた。淑子は九十代のお婆さんだ。ここ最近は特に調子が悪いとずっと体調を崩していた。

 まなはそんな淑子の心配をしてここ一週間、毎日のように『薬』を持参して彼女の元を訪れていた。

 特別な霊草を煎じたその薬を服用し続けることで、淑子は何とか体調を持ち直す。このまま快方に向かい以前のように元気になれると、まなは心から信じていた。

 

 しかし——

 

『——僕たちは今宵、あの老婆の魂を刈り取る』

 

 そんなまなの前に『死神』を名乗る二人組が姿を現したのだ。片方は見たことのない人間のような少年であったが、もう片方の死神はまなが境港で遭遇した死神だった。

 

 境港の隠れ里。

 

 去年の夏。まなはその隠れ里に迷い込んだ際、そこで二百年もの間ずっと閉じ込められていたという少年少女たちと出会った。短い間だが友好を深め、彼らと共に隠れ里を抜け出して一緒に生きようと約束を交わしたのだ。

 そのときは鬼太郎の活躍もあって何とか死神を退けて里から脱出できた。これで全て解決、新しい時代での新しい生活が子供たちに待っていた——筈であった。

 

 けれど——子供たちは死んだ。

 

 外の世界に出たことで里の中では止まっていたという二百年分の時間が一気に襲い掛かったというのだ。瞬きの間に風化していった彼らの亡骸を、まなは瞳に焼きつけていた。

 

 ——淑子伯母さんも……ああやって死んじゃうの?

 

 まなは淑子の死とあのときの光景を結びつける。実際に子供たちが死んだのは死神のせいではないのだが、そんな違いは些細なものだ。

 死んだら何もかもが終わってしまうという絶望に、まなは表情を曇らせていく。

 

 ——い、嫌だ! 死んじゃやだ!! 死なせたくない!!

 

 故に死神たちの魔の手から淑子を守ろうと、鬼太郎たちに救援を頼み——それに応じる形で彼らも駆けつけてくれたのだ。

 

 

 

「ええ、大丈夫……安心しなさい、まな」

 

 駆けつけて早々、猫娘はまなを優しく抱き止める。不安な表情、今にも崩れ落ちてしまいそうなまなを支えてあげようとする彼女の気遣いがそこに垣間見える。

 

「まな……死神が現れたというのは、確かなのか?」

 

 一方の鬼太郎は冷静な表情。死神が本当に現れたのかまずは確認を取る。

 

「う、うん。一人は知らない子だったけど……もう片方はわたしのこと覚えてるみたいだったし」

 

 まなは片っぽの死神が境港の時と同じ相手であることを話し、さらにもう一人の死神の見た目がただの子供のようでもあったことを説明する。

 

「ふ~む? 人間の子供のような死神じゃと? それはおかしいのう……」

 

 すると、その話に鬼太郎の頭の上で目玉おやじが首を傾げた。

 

「死神族は皆ほとんど同じ見た目をしている筈じゃ。人間のような外観を持った死神など……聞いたこともないが……」

 

 目玉おやじの知っている死神というやつは、その全てが骸骨のような顔つきにしゃくれた顎を持った種族となっている。外見が人間のような死神の存在など、少なくとも目玉おやじの知識にはない。

 

「まなちゃん、本当に相手はただの死神だったのかい?」

 

 そのため、相手が本当に『正式な死神』であったかどうかを再度尋ねていた。

 

「間違いないよ! 淑子伯母さんの魂を刈り取るって……確かに言ってたもん!」

 

 だが、まなは断言する。相手が間違いなく死神を名乗っていたこと。沢田淑子の魂を回収するとはっきり明言していたことを。

 

「淑子さんか……彼女は今どうしてる?」

 

 鬼太郎はそこで沢田淑子の様子を尋ねた。

 鬼太郎たちと淑子には直接の面識がない。まなからは彼女の人柄など、かなり気が強い女性であることくらいしか聞かされていない。しかしいくら気が強いとはいえ、死神に命を狙われていると知れば心穏やかにはいられないだろうと、その心労を不安視する。

 

「今は家にいるようにお願いしてる。事情は……まだ何も話してないんだ……」

 

 まなは淑子には死神の件を話していないらしい。あくまで家にいるよう、お願いするだけに留めているという。

 

 考えても見れば、淑子は妖怪については何も知らないのだ。彼女は『妖花』の一件の当事者ではあるものの、厳密に言えばあれも妖怪の仕業ではなかった。

 

 淑子にとって今回の件は初めて妖怪に遭遇する、襲われることになる事件とも言える。

 

「……そうか。淑子さんは何も知らんのか」

「あっ、砂かけババアさん! 砂かけババアさんも来てくれたんですね!?」

 

 ふと、そこへもう一人——砂かけババアが遅れて馳せ参じてくれたことで、まなの表情がさらに明るくなる。

 砂かけババアは今回の件で例の薬、淑子の体調を癒すための薬を処方してくれている大恩人だ。鬼太郎に猫娘。さらに目玉おやじや、砂かけババアまで加わってくれるのであれば戦力としては十分。

 きっと死神など境港のときのようにやっつけてくれると、まなの顔色に希望が宿る。

 

 ただ——

 

「まな。済まんが……淑子さんと話をさせてくれんか?」

「えっ? 淑子伯母さんと……話?」

 

 砂かけババア自身からは沸るような戦意を感じられず、彼女は沢田淑子との面会を希望していた。

 

 

「わしの方から……直接話しておきたいことがあるんじゃ……」

 

 

 まなにも内緒で——二人だけで大事な話があると。

 

 

 

×

 

 

 

「……そうかい。アンタがあの薬をね……色々と礼を言うべきなんだろうけど……ゴホッ!」

「そう無理をなさるな……ほれ、水じゃ」

「ああ、ありがとう……それにしても、妖怪か……」

 

 まなの紹介で家へと上がらせてもらった砂かけババアが沢田淑子と対面する。一見すると人間でも通じる砂かけババアだが、彼女は自分が『妖怪』であることを正直に話し、淑子もそれを平然と受け入れた。

 さすがに九十歳にもなればその程度のことでは動じない。淑子は妖怪の存在をすんなりと受け入れ、相手が例の薬の製作者であることを知り、頭を下げた。

 

「大したもんだよ。あの薬のおかげで……あたしはこうして生き長らえてる。そうじゃなかったら……もうとっくにくたばっててもおかしくはないんだろうに」

「…………」

 

 淑子自身、自分の体調が本来であれば芳しくないことを察していた。あの薬がなければ今頃、自分は布団から体を起こすこともできないほどの重態だろうと。もっとも、それでも彼女は体を起こすのが精一杯の状態であった。

 どんなに効き目のある薬を飲んでいても、日に日に弱っていく自分の体調というやつを淑子は実感していた。

 

「それで? わざわざ薬師であるアンタが出張ってきたってことは……」

 

 そういった体の不調もあってか、淑子は砂かけババアが直に顔を出してきた意味を何となく察する。

 きっとこれ以上は——薬を処方する必要もないのだろうと、心しながらも相手の宣告を待つ。

 

「それなんじゃが……どうにもややこしいことになっとるようなんじゃ……」

 

 しかし、事態は淑子が思っているよりも少し複雑であると。

 砂かけババアは淑子の身に忍び寄っている死の使い——死神についても話をしていく。

 

 

 

「はぁ……死神……まさか、そんなもんにまで命を狙われるとは……」

 

 まなが伏せていた死神の話を聞いても、淑子は至って冷静であった。信じていないわけではないが、やはり今更死神の一人や二人、お迎えに来たところで新鮮な驚きなど何もない。

 そんな動じない淑子に、砂かけババアはさらに詳細な内容を話していく。

 

「……本来、死神は生身の人間に手を出してはならん規則の筈じゃ。連中はあくまで魂の運び手、肉体から魂を切り離す行為も、規定の範囲内で行われておる」

 

 死の神と——名前が不気味な響きのせいで誤解されがちだが、死神は決して『悪い』妖怪ではない。

 

 彼らは地獄からの正式な遣いであり、死した人間の魂が正しく地獄へと辿り着けるよう導く存在だ。迷える想いや、上手く成仏できない魂をあるべき形に戻すことこそが、彼らの存在意義。

 中には手柄欲しさに生きている人間に手を出すという不正行為を働くものもいる。今回姿を現した死神たちが、そういった規則違反に該当するかは——正直、砂かけババアには分からない。

 

 今の淑子は曲がりなりにも生者だが、それも薬の効果があればこそ。砂かけババアは自身の親切心が起こしてしまった今回の事態に、少し心苦しそうだった。

 

「淑子さん。鬼太郎であれば、死神を追い払うこともできるじゃろう……」

 

 複雑な心境を抱えたまま、砂かけババアは淑子へと語りかけを続けていく。

 まず前提として、鬼太郎であれば死神たちを退けられると断言。彼のことを仲間として信じているからこそ、そこに迷いはない。

 

「そして……ここに、一週間分の薬がある」

 

 さらに彼女は懐から薬を取り出した。それだけあれば暫くの間、淑子の健康を維持できるだろうと。

 

 反面、それ以上は用意できない——用意したところで意味がないということだ。

 

「一週間か……ふっ、思ってたよりは時間があるんだね……けど——」

 

 砂かけババアの話に淑子は皮肉な笑みを浮かべる。本人としてはそれだけ長い時間持つとは思っていなかったのか。

 

 彼女は差し出されたその薬に冷たい眼差しを向け。

 

 

 そして——自らの運命を選択した。

 

 

 

×

 

 

 

 日中の時間は瞬く間に過ぎ去り——『夜』がやって来た。

 

 人々が寝静まる頃合い、人ならざるものたちが活発に活動する時間帯。田舎の空には星々が点々と輝いている。光害の多い都会では滅多にお目にかかれない眩いほどの夜空。

 

「……まな、少し眠ったらどうだ? ずっと起きてるのはキミだって辛いだろ?」

「う、ううん! 起きてる!」

 

 しかし、そんな星空に見惚れている場合ではないと。鬼太郎を始めとした妖怪たち、人間の犬山まなでさえも淑子の家の外で見張りを続けていた。常に周囲に目を光らせて敵の——死神たちの襲来に備える。

 

「絶対っ! 死神の思い通りになんか、させないんだから!!」

「まな……」

 

 特にまなは気合が入っていた。淑子伯母さんの魂を死神なんかに渡してなるものかと、その意気込みで自身の眠気を吹き飛ばしていく。その力の入れ込みようを猫娘などが心配する。

 一方で、淑子や砂かけババアは家の中で待機している。淑子は命を狙われているとはいえさすがに歳なので、ずっと起き続けていることなどできない。

 既に布団に入って休んでいる淑子。それを砂かけババアが付きっきりで護衛するという役割分担だ。

 

 

 

 時間が進んでいくごとにさらに闇が深まっていく。

 

「……っ!? き、鬼太郎!? あれを見るんじゃ!!」

 

 時刻が丁度、丑三つ時を差し掛かった頃だった。目玉おやじが空の異変を察知して何かを指差す。

 

「……!」

「なによ、あれ……月がっ!?」

 

 鬼太郎たちが顔を上げると——空には『赤い月』が浮かんでいた。

 

 満点に輝いていた星空に突如として出現した『赤い満月』が、周囲の景観を一瞬にして塗り替える。

 血のように真っ赤でありながら、どうか幻想的な赤い月。辺り一帯の原っぱからは虫たちの声が一斉に途絶え、その鳴き声と入れ替わるように響いてくる——子供たちの恐ろしくも悲しげな、歌声のようなメロディー。

 

「…………」

「…………」

 

 その歌声に不思議と聞き入ってしまう一同であったが——。

 

「——別れは、ちゃんと済ませたのか?」

「——!?」

 

 刹那、その赤い月を背後に——大鎌を担いだ少年が姿を現したことで、意識を一気に現実へと引き戻される。

 

「やっぱり来たか……ゲゲゲの鬼太郎」

 

 まなの言っていたフードを被った少年だ。淑子へと死を宣告した彼が、鬼太郎たちのすぐ眼前に立っていた。

 

「……お主、何者じゃ? その容姿……日本の死神族ではなかろう」

 

 開口一番、その少年に対して目玉おやじが質問を投げ掛けた。明らかに日本の死神族とは違う容姿に、相手が『本物』の死神ではない可能性を期待したのだ。相手が『偽物』の死神であれば、むざむざ淑子の魂を渡す道理もないと。

 だが少年はまったく動揺した様子もなく、自らの立場と正体を明かす。

 

「ボクは死神……西洋死神エミーゼルだ」

「っ! 西洋死神……じゃと?」

「ああ、留学中の身だが……死神としてやることは変わらない」

 

 西洋の死神・エミーゼル。余所者ではあるが、既に日本地獄の認可の元で彼は死神としての任に就いている。

 異国の地でも変わらぬ自らの役目を果たすために、彼はここに改めて宣言する。

 

「死するべき命運にあるその魂……刈り取らせてもらう!!」

 

 大鎌を高々と掲げながら、目の前の邪魔者への敵意を滾らせて。

 

 

「ゲゲゲの鬼太郎! お前が『俺様』の邪魔をするというのなら……力尽くで排除するだけだ!!」

「……! 霊毛ちゃんちゃんこ!」

 

 

 振るわれるエミーゼルの大鎌に、鬼太郎もちゃんちゃんこを剣のように細めて対抗する。

 二つの意思と武器がぶつかり合い、闇の中で激しく火花を散らせていく。

 

 

 

「——鬼太郎!! ……っ!?」

「——おっと、そうはさせねぇぜ!」

 

 戦いが始まった。猫娘も鬼太郎を掩護しようと、爪を伸ばしてエミーゼルに飛び掛かろうとする。だがそれを阻止しようと、もう一人の死神が彼女の行く手を遮る。

 

「っ……死神っ!」

「へへっ、久しぶりだな!」

 

 特徴的なしゃくれ顎を持った妖怪、日本の死神族だ。境港で鬼太郎たちと遭遇した個体——106号。

 

「あの坊ちゃんの邪魔をさせるわけにはいかねぇんでな! お前はここで大人しく切り刻まれてろ!!」

 

 106号も邪魔者を排除しようと大鎌を構える。大鎌を持ったまま、体を竜巻のように回転させて真空の刃で猫娘へと襲い掛かる。

 

「くっ! こいつ……!?」

 

 猫娘はその攻撃から逃れるために死神から距離を置いていくしかない。爪による近接戦闘が主な攻撃手段である彼女にとって、死神のこの戦法はかなり厄介なもの。攻撃するために近づけば問答無用で弾き飛ばされてしまうため、迂闊な接近は命取りなのだ。

 鬼太郎はこの竜巻攻撃を『霊毛ちゃんちゃんこで相手の体を拘束する』ことで封じていたが、猫娘にはそのような戦法を取ることができない。相手の猛攻が止むまで、距離を取り続けるしかないと慎重に間合いを測っていく。

 

「猫姉さん!?」

 

 猫娘の危機的状況を前に、戦いを見守るしかできないまなが叫んでいた。一応は戦闘が始まると同時に避難しているように言われていた彼女だが、全てを鬼太郎たちに任せて自分だけ安全地帯に逃げるほど無責任ではない。

 彼女は苦戦する猫娘を心配するあまり思わず駆け寄ろうと、106号の攻撃範囲に足を踏み入れかけようとしてしまう。すると——

 

「——プリニー隊!!」

 

 鬼太郎と戦いながら、その様子を視界に収めていたエミーゼルが何かに向かって号令を掛ける。その命令に——どこからともなくワラワラと小さい『何者』かが出現する。

 

「——プリニーッス!!」

「——了解ッス!!」

「——頑張るッス!!」

 

「えっ、な、なに!? なんなの!? ……ぺ、ペンギン!?」

 

 それは、一見するとペンギンのような物体だった。

 ペンギン型のぬいぐるみのような小さい生物。やる気のなさそうな無気力な魚の目。背中にはコウモリの翼が生えており、それをパタパタとはためかせながら彼らはまなへ殺到していく。

 

「その人間を近づかせるな!! 事が終わるまで、どっか適当なとこに連れて行け!!」

『アイアイサーッス!!』

 

 エミーゼルから『プリニー』と呼ばれたペンギンたちは彼の命令に従い、まなを胴上げのように担いでそのまま戦線を離脱。どこかへと連れ去ってしまう。

 

「わっしょい! わっしょい!」

「ちょっ、なにするの!? 下ろして! 下ろしてよ!?」

 

 ペンギンのような訳のわからないものに連行され、まなの顔には恐怖以上に困惑が強く浮かんでいた。

 

「まなっ!」

 

 まなとペンギンたちが遠ざかっていくその光景に、鬼太郎は咄嗟に助けに行こうと駆け出していく。

 

「安心しろよ……あの人間に危害を加えるつもりはない」

「!!」

 

 しかしエミーゼルは鬼太郎を呼び止め、挑発的な態度で大鎌をチラつかせてきた。背中を見せれば、その瞬間にも大鎌を振るってくることだろう。

 鬼太郎は無用意に隙を見せることができず、まなを助けに行くことが出来なかった。

 

「生きている人間の魂に手を出すのは死神としての原則に反するからな……仕事が終わるまで、あの人間には大人しくしてもらうだけだ」

 

 もっとも、正式な死神であるエミーゼルはまなの——生者である彼女の魂には興味がない。

 死神が決して生きている人間に手を出してはならない基本原則に基づき、彼女には危害を加えないとはっきり明言する。

 

「……生きていると言うなら、淑子さんも同じだ。彼女はまだ……生きている」

 

 それに鬼太郎が疑問を投げ掛けた。生きている人間に手を出せないのであれば、沢田淑子の魂を狙うのは腑に落ちない。

 彼女はまだ生きているのだから、エミーゼルたちの行いは完全な越権行為ではなかろうかと。

 

「生憎だが……あの人間はとっくに寿命を迎えている」

 

 だがエミーゼルはあっさりと、今回の件に関する問題点を指摘する。

 

「あの肉体は既に死に瀕している。それなのにその肉体を無理に維持させているのは……どこの誰だ?」

「そ、それは……」

 

 その指摘には鬼太郎も口籠る。それは彼ら自身、問題があるのではと話していたことだ。後ろめたさがある手前、その件に関しては鬼太郎も容易に反論することが出来ない。

 

「……エミーゼルとやらよ。お前さんの言っていることは間違っておらん」

「父さん!?」

 

 すると、そこで目玉おやじが口を挟む。

 

「確かにわしらのやっていることは、自然の摂理に反することなのかもしれん」

 

 命を引き延ばすという行為。それに関して目玉おやじは自分たちの非を認める。認めた上で——エミーゼルに何とかならないかと交渉を持ち掛けていた。

 

「だが、せめて時間をくれないか? あの子……まなちゃんや淑子さんが、己の心の整理を付け……自らの運命を受け入れられるように……」

 

 そのための準備として、砂かけババアが既に淑子と話をしている筈だ。彼女たちがどのような結論を出したかはまだ聞いていなかったが、少なくともこの場は退いてくれないかと。目玉おやじは死神たちに願い出ていた。

 

「時間なら……既に与えたぞ」

 

 しかし、目玉おやじの頼みにもエミーゼルは首を振る。

 

「別れを済ませるように言った筈だ……これ以上は、待てない!」

 

 一日待っただけでも、彼なりに譲渡した方なのだ。これ以上は死神として見過ごすことができないと。生真面目な彼は鬼太郎たちの申し出を一蹴する。

 

「話は終わりだ! ここからはボク……俺様も死神として本気でやらせてもらうからな!!」

 

 そう叫ぶなり、彼は懐から仮面を取り出してそれを装着する。

 不気味な骸骨の仮面。まさに死神と呼ぶのに相応しい形相の仮面で、己の私情に蓋をするように顔を覆い隠す。

 

「——これでも食らいな、ゲゲゲの鬼太郎!」

 

 その仮面を起点にエミーゼルの妖気が集まっていき、次の瞬間——仮面からレーザーが放たれ、鬼太郎を襲う。

 

「——くっ! 指鉄砲!!」

 

 鬼太郎も何とか指鉄砲で対抗。

 二つの妖気弾が空中で激突し合い、さらに戦いは激化していく。

 

 

 

 

 

「——ちょっと!! そこ通してよ!!」

「ダメッスよ~……ここで大人しくしてもらわないと、俺たちがエミーゼル坊ちゃんに叱られるんスから……」

 

 ペンギンの集団——プリニー隊に連行されたまなは戦線からも離れ、どこか見知らぬ空き地へと放り込まれた。まなは急いで元の場所に戻ろうと立ち上がるが、その行動をプリニーたちが阻止する。

 

「危害を加えないように念押しされてるんスから……あんまり暴れないで欲しいッス!」

 

 彼らが言うように、プリニーたちは決してまなに暴力を振るおうとはしなかった。あくまでも彼女の動きを阻害しようと、集団でとおせんぼするだけに留めている。

 

「いいからどいてよ! この——!!」

 

 しかし、淑子のことで焦っているまなはプリニーたちの言葉に聞く耳を持たない。何とか彼らの通行止めから逃れようと——プリニーの一匹を持ち上げ、そのまま放り投げてしまう。

 

「あっ!? 危ないッス! 離れるッス!!」

「えっ?」

 

 すると、プリニー隊は大慌てで投げられたプリニーから距離を置いていく。

 

 

 次の瞬間——投げられたプリニーは大爆発を起こし、周囲のものを凄まじい火力で吹っ飛ばした。

 

 

「え、ええぇ~!?」

 

 いきなり自爆したプリニーにまなは目を丸くする。投げられたプリニーは原型こそ留めているが、真っ黒焦げにプスプスと煙を上げてしまっている。

 

「投げないで下さいッス! あっしらは投げられると……爆発するンスから!!」

「なんで!?」

 

 このプリニーという生物、衝撃を加えると『爆発』する性質を秘めているらしい。何故そのような仕組みになっているのか全然分からないが、これでは迂闊に彼らをどかすこともできない。

 

 まなの周囲は——まさに生きた爆弾が動き回っているようなもの。

 

 その全てが誘爆を引き起こせば、まなもプリニーたちもただでは済まない。まなは下手な行動が出来ず、その場での足止めを余儀なくされる。

 

「——まな! 下がっておれ!!」

 

 だが、そんなまなの元へと颯爽と駆けてくるシルエットが宙を跳ぶ。

 プリニーたちの頭上を行く彼女——砂かけババアが、彼らに砂を振りかけたのだ。

 

「それっ! 痺れ砂じゃ!!」

「へっ!?」

「ぎゃあああああああああッス!」

「し、痺れ……痺ればびでぶ~……ッス」

 

 砂かけババア特製の痺れ砂をまともに浴び、プリニーたちは一匹残らず泡を吹いて倒れていく。直接的な戦闘力はそこまで高くはないのか、あっという間に無力化されていくペンギンもどきたち。

 

「無事か、まな!? 何やら凄まじい爆発音が轟いてきおったが……」

「砂かけババアさん! ありがとうございます!! ……って、あれ?」

 

 砂かけババアはプリニーの爆発音を耳にしたことでこの場へと駆けつけ、まなを助けてくれたようだ。彼女のおかげでプリニーたちから解放されたと礼を言うまな。だが——

 

「砂かけババアさん……どうしてここに? 淑子伯母さんと一緒にいる筈じゃ?」

 

 淑子に付き添っている筈の砂かけババアが、ここにいること自体にまなは首を傾げる。

 どうして彼女が自分などを助けているのだろう。本当なら淑子の側から、片時も離れてはいけない状況だというのに。

 

「……まなよ。心して聞いてくれ……」

 

 まなが抱いた疑問に、砂かけババアは重苦しくも口を開く。

 

 彼女は沢田淑子という人間が選んだ『選択』。それによってもたらされる『結果』について、慎重に言葉を選んでいく。

 

 

 

×

 

 

 

「はぁはぁ……大丈夫か、猫娘?」

「鬼太郎こそ……結構苦戦してるじゃない」

 

 混戦の最中、鬼太郎と猫娘は合流し、互いに背中を預け合いながら目の前の敵と向かい合う。

 前方にエミーゼル、後方には死神106号。丁度挟み撃ちにされる絵面、一見すると鬼太郎たちが追い詰められているようにも見える。

 

「くそっ! しぶとい……これじゃ埒があきませんぜ、坊ちゃん!」

「……そうだな」

 

 だが、死神たちの方も正直あまり余裕がない。鬼太郎は勿論だが、猫娘相手にも決定打を与えれられていない戦況。このままではキリがないと、エミーゼルも106号も焦りを口にする。

 

「仕方ない……こうなったら奥の手でっ!!」

 

 そろそろ決着を付けなければという気持ちから、エミーゼルは本腰を入れることを決意する。今までも本気ではあったが、ここから先はさらに全開で己の妖力を解放する。

 

 

 

『——宵闇に彷徨える魂の使者よ……』

 

 エミーゼルは呪文らしきものを唱えた。その詠唱に呼応し、彼の頭上には『魔法陣』のようなものが展開され——彼はその陣を潜っていく。

 瞬間、黒い妖気の塊が彼を包んでいき、それは徐々に肥大化していく。

 

 そして——肥大化する黒い満月のようなその塊を、空中に現れた『巨大の大鎌』が真っ二つに切り裂く。

 

 

『——移ろう世の理を示せ!!』

 

 

 割れた闇の中から、まるで卵から何かが産まれ落ちるかのように——『巨大な怪物』が出現する。

 

「っ!?」

「ぼ、坊ちゃん!? な、なななな……何すかその姿は!!」

 

 その怪物——再誕したエミーゼルの姿に敵味方問わずに驚愕する。

 それは死神エミーゼルが、自身の妖力で己の才覚を最大まで強化した姿だ。それは強大な亡霊、あるいは道化師のような格好でもあった。

 

『いくぞ……これが俺様の力だ!!』

 

 その姿から、彼は三つの魔法陣を同時に展開。それぞれの陣から『火炎』『吹雪』『突風』の力を行使し——それを鬼太郎たちへと放っていく。

 

 

 

 

 

「——猫娘っ! こっちへ!!」

「——へっ? きゃあ!?」

 

 エミーゼルの切り札を前に、鬼太郎は猫娘の体を引っ張り自分の元へと抱き寄せる。気になる異性からのいきなりのアプローチに頬を真っ赤に染める猫娘だが、当然ながらそんな浮ついた感情はすぐに吹き飛んでいく。

 鬼太郎が猫娘を抱き寄せたのは、敵の攻撃から彼女を守るためだ。すぐに密着した猫娘の体と自身の体を覆い隠す大きさへと霊毛ちゃんちゃんこを広げ、敵の怒涛の攻撃を防いでいく。

 

「くっ……熱い!! ……いや、冷たっ!?」

 

 しかし、霊毛ちゃんちゃんこ越しにも伝わってくる敵の『火炎』と『吹雪』という相反する属性の攻撃。急激な温度差に晒されては、妖怪である鬼太郎たちの肉体にもダメージが通ってしまう。

 

「うっ! この風っ……!?」

 

 さらにそこへ『突風』まで吹き荒んでいく。

 まるで自然災害を相手にしているかのような技を前に、鬼太郎たちはひたすら耐え忍ぶしかない。

 

『はぁあああああ!!』

「おおっ!? いい感じっスよ、坊ちゃん!! そのまま鬼太郎なんかやっつけちまってください!」

 

 さらにエミーゼルは技の威力を強めていき、ちゃっかり安全地帯まで下がっている106号が勝利を盛り上げるように喝采を上げる。

 

 これで鬼太郎たちも一巻の終わりだと、既に勝ちを確信する死神たち——。

 

 

 

「……鬼太郎よ、よく見てみよ。あの技……どうやら規則性があるようじゃぞ?」

「えっ?」

 

 だが勝負はまだついてなどいない。鬼太郎の髪の中に隠れながら、目玉おやじが敵の技を冷静に分析する。彼が見る限り、エミーゼルの技にはある種の『規則性』が存在していた。

 

 エミーゼルは三つの魔法陣を展開し、そこからそれぞれの属性攻撃を操っているが——それを同時に制御しているわけではなかった。

 

『火炎』の魔法陣が起動しているときは『吹雪』の魔法陣が停止している。

『吹雪』の魔法陣が起動しているときは『突風』の魔法陣が停止している。

『突風』の魔法陣が起動しているときは『火炎』の魔法陣が停止している。

 

 エミーゼルは上手い具合に調節して相反する属性を操っているように見せているが——魔法陣を起動するタイミングは一つずつだ。

 

 そしてその制御を——彼は巨大な大鎌を用いて行なっている。あの大鎌から妖気を送り込み、魔法陣を操作しているのだ。

 ならば、あの大鎌がエミーゼルの手から離れれば——この技は停止する。

 

「猫娘っ! タイミングを合わせてくれ!!」

「!! OK、任せて!!」

 

 鬼太郎は猫娘へと協力を仰ぎ、彼女も鬼太郎の意図を理解して身構える。霊毛ちゃんちゃんこの影に隠れながらタイミングを見計らい——

 

 

「——ここだ!!」

 

 

 そこだと思える瞬間——鬼太郎は霊毛ちゃんちゃんの影に隠れながら、指鉄砲による狙撃を実行。

 

『な、なんだと!? し、しまった!!』

 

 鬼太郎の狙い澄ました一撃はエミーゼルの大鎌に命中、彼の得物を遠くへと弾き飛ばした。その途端、制御を失った魔法陣が一斉に停止し、全ての攻撃が停止する。

 

「ニャアアアア!!」

 

 その機を逃さずに猫娘がエミーゼルへと飛び掛かる。今のエミーゼルは丸腰、猫娘が接近戦を仕掛ければ容易に制圧できる。

 

「さ、させるか!!」

 

 だがそうはさせまいと、106号が猫娘の攻撃に割って入る。エミーゼルの身に何かあれが彼が責任を問われるのでかなり必死である。その必死さから、何とか猫娘の攻撃を防いでいく。

 

「甘いわよ!!」

 

 しかし猫娘の攻撃すらも陽動に過ぎないと。さらにそこから——ゲゲゲの鬼太郎が突撃を敢行。

 

 

「——霊毛ちゃんちゃんこ!!」

 

 

 彼は腕に霊毛ちゃんちゃんこを巻き付け——そのまま思いっきりエミーゼルの腹部を殴り付けた。

 

『ぶげっ!?』

 

 異形と化していたエミーゼルの体がその一撃によって吹っ飛ばされる。

 

 彼の体が二回、三回と地面をバウンドし——その衝撃で変身も解けていくのであった。

 

 

 

 

 

「ぼ、坊ちゃん!! しっかりしてくだせぇ!?」

「う……お、お腹痛い……」

 

 戦いは終わった。今の一撃でエミーゼルはお腹を痛め、106号も大慌てで彼に駆け寄っていく。死神たちから戦う気勢が失われたことを感じ取り、鬼太郎が再度彼らを説得する。

 

「エミーゼル……といったか。この場は大人しく退いてくれないか? これ以上、ボクもキミと戦う理由はない」

 

 鬼太郎は死神たちを倒したいわけではない。彼らが諦めて今夜の仕事を取り止めると言うのであれば、これ以上危害を加える理由はない。

 

「ふ、ふざけんな!! それじゃ……あの婆さんの魂が手遅れになっちまうぞ!!」

 

 だがエミーゼルも退くことは出来なかった。彼は腹パンされたお腹を押さえながら、死神として淑子の魂を見逃せぬ理由を大声で叫ぶ。

 

「いいか!? 魂っていうのは無理に留めれば留めた分だけ、業が積み重なっていくんだ!! 肉体だけ生かすなんて真似いつまでやってみろ!! どんなに綺麗な魂も腐り落ちて……それだけで地獄送りが確定しちまう!!」

「な、なに……?」

 

 驚愕の事実に唖然となる鬼太郎たち。彼らは淑子の『死』の運命こそ否定する気はなかったが、死んだ後のことまでは考えていなかった。

 だが、エミーゼルは淑子の死後のことまでを案じ、魂を急いで収穫しようとしていたのだ。

 

 

 淑子の魂が、手遅れになる前に——。

 

 

「——そうか。そいつは……困ったね」

「——っ!!」

 

 そのときだった。戦いを終えた妖怪たちの元に、一人の人間が姿を現す。

 

「……沢田、淑子さん……どうしてここに?」

 

 その人間こそ、鬼太郎や死神たちが話題に上げていた老婆——沢田淑子その人である。

 彼女はたった一人で、死神のいるこんなところまで足を運んできた。

 

「……アンタがゲゲゲの鬼太郎かい? 砂かけババアさんから話は聞いたよ。色々と……面倒をかけたみたいだね」

 

 淑子はその場に顔を出してすぐ、まずは鬼太郎に礼を述べた。二人はここが初対面の場ではあるが、互いに何者かの説明は一切不要だ。

 猫娘のことも、目玉おやじのことも。淑子にとって彼らへの挨拶は重要なことではない。彼女は自分の味方と呼ぶべき鬼太郎たちに背中を向け、死神たちの方へと向き直った。

 

「アンタたちかい? あたしを迎えに来た……死神とやらは?」

「そ、そうだ。一応……そういうことになってる」

 

 淑子の態度があまりにも堂々としていたため、エミーゼルの方が及び腰になってしまう。鬼太郎にやられたダメージもあってか、はっきりとしない答えを口にしてしまう。

 するとそんなエミーゼルを、淑子はギロリと睨みつける。

 

「一応? あたしゃはっきりしない返事が一番嫌いなんだよ!! 『はい』か『いいえ』かでしっかり答えな!!」

 

 そして、何と死神に対して説教をかましたのだ。これにはエミーゼルもビクッと、姿勢を正しながら即答するしかなかった。

 

「——は、はい!! その通りです!!」

 

 その答えを聞いて——。

 

「そうかい。それなら——やっておくれ」

「…………へっ?」

 

 何気ない呟きであったために聞き逃してしまったが——確かに淑子は己の選択肢を口にしていた。

 

 既に出ていた、その答えを——

 

 

「——あたしの魂とやらを回収してくれと……そう言ってるんだよ」

 

 

 

×

 

 

 

「——っ!!」

「…………」

「……淑子さん……そうか、それが……貴方の選択か」

 

 淑子の決断を聞き届け、鬼太郎たちがそれぞれの反応を示す。皆一様に驚きこそあれど、そこまでの動揺はない。淑子がいずれそうなるであろう運命を、彼らも覚悟していたのだ。

 それが遅いか早いかの違いでしかない。少なくとも、妖怪たちはそのように捉えることができる。

 

「——ちょっ、ちょっと待ってよ!?」

 

 しかし、割り切ることのできないものもいる。彼女——犬山まなのように、淑子が死ぬこと自体を認められず、異議を唱えるものもいるのだ。

 

「まなっ! 無事だったのか!?」

「うむ、大丈夫じゃ……あのペンギン?たちも、とりあえず大人しくさせたんじゃが……」

 

 まなをプリニーから助けた砂かけババアも一緒にその場へと駆けつけていた。

 彼女たちは既に沢田淑子の決断を知っている。砂かけババアが淑子の決意を聞き届け、砂かけババアからもまなへそれを伝えたのだ。

 

 

 淑子が『薬』を受け取らなかった。延命を望まなかったという決断を——

 

 

 だが、まなは淑子の決断に納得が出来ず——こうして本人へと、直接その真意を問い質しに来ていた。

 

「淑子伯母さん、どうして!? 死んだら何もかも終わりなんだよ!? 死んじゃったら……もう、誰とも会えないんだよ!? なのに……何で!?」

 

 年若いまなにとって『死』は終わりと同義だ。死んでしまえば人間はそこで終わってしまう。もう誰とも話すことができず、残されたものには悲しみしかない。

 どうしてそんな『死』を容易く受け入れられてしまうのか。今のまなにはそれが全く理解できなかった。

 少々錯乱気味なまな、そんな彼女に淑子は穏やかな口調で語りかけていく。

 

「もういいんだよ、まな。私は……自分の人生に満足してる」

 

 

 

 沢田淑子は、ずっと独りっきりで生きてきた。

 誰かと一緒になることもなく、親戚とも距離を置き、他人をずっと寄せ付けず——ずっと孤独に過ごした九十年。

 

 けれど、彼女に後悔などといった感情はない。誰よりも彼女自身が、自分の人生に納得している。

 

「——あの人が……ずっと帰って来てくれてたってことが分かったから……もう、思い残すことなんてないんだ」

 

 あの人——かつて淑子が愛した恋人・総二郎という人のことだ。

 

 

 七十年も昔。淑子が愛を誓い——裏切られたと思い込んだ相手。彼との離別があまりにもショックであったために、彼女はそれからずっと、人というものを信じることが出来なくなってしまっていた。

 裏切られるくらいなら、あんな思いをするくらいなら誰も信じない方がいいと。ずっと心を閉ざしていた。

 

 だけど違ったのだ。

 総二郎は決して淑子を裏切ったわけではない。遠い戦地での望まぬ従軍を強いられ、異国の地で志半ばにして朽ちてしまっていたのだ。その事実を淑子に伝えることもできず、二人はすれ違ったまま死別してしまった。

 

 その事実を——淑子は七十年後の現代になって知った。

 彼の想いを乗せて届けられた『妖花』によって。その妖花がどこから来たのかを調査したまなによって。

 

 

「そう……アンタのおかげだよ、まな。アンタのおかげで……私はあの人の本当の気持ちを知ることが出来たんだ……ありがとう」

 

 まなが彼の気持ちが綴られた手紙を、淑子の元へと届けてくれたのだ。その想いを知れたからこそ、彼女には何の後悔もない。

 

 自分の人生が——意味のあるものだったと。今際の際にも実感できたのだ。

 

 

 

「……わたしのせい? わたしのせいで……淑子伯母さんは生きるのが嫌になっちゃったの?」

 

 しかしそんな淑子の言葉も、まなはマイナスに捉えてしまう。自分が余計なことをしてしまったから、淑子は生きる理由を失ってしまったのかと。

 

「違うよ、アンタのおかげだ。……まなにも、いつか分かる日が来るさね……自分の定めってやつが……」

「——っ、来ないよ!! そんな日は来ない!!」

 

 さらなる淑子の説得にも、まなは必死に叫んでいた。涙を堪え切れず、顔をくしゃくしゃにして泣き崩れる。

 

「どうして……何でみんな……それを定めだって受け入れちゃうの!? どうして……そんな風に笑っていられるの!?」

 

 境港で死んだ子供たちもそうだった。

 一之進という子も『これは定めなのだ……』と、苦しそうな顔をしながらも笑顔を浮かべていた。

 

 それが——まなには心底から理解できない。

 

「分からないよ……わたしには……分からないよ……」

「まな……」

 

 もはや嘆くしかないまなに猫娘が寄り添う。何一つ納得できていないが、今は見届けるしかないのだ。

 

 

 

「——時間を取らせたね。さあ、やっておくれ……」

 

 まなとの会話を済ませ、淑子は死神たちに声を掛けた。

 既に彼女は覚悟を終え、別れも済ませた。ここから先は死神である彼らの——エミーゼルの仕事である。

 

「……いいんだな、本当に?」

 

 念を押すように問い掛けるエミーゼル。それに対し、もはや言葉は不要と淑子は黙って頷く。

 

「よし……沢田淑子。お前の寿命は既に尽きている。死神としてお前の魂を刈り取らせてもらう」

 

 宣告を口にしながらエミーゼルは大鎌を取り出し、腕を振り上げ、そして——

 

 

「——死神エミーゼルの名のもとに……その魂と現世との繋がりを……絶つ!」

 

 

 大鎌が振り下ろされた瞬間、淑子の体から白い球が——魂が解き放たれる。

 

『——ああ……これでやっと……』

 

 魂は安堵のため息を吐きながら、死神エミーゼルの手元へと引き寄せられる。

 彼はその魂をガッチリと確保。残された肉体の方は——糸が切れた人形のようにゆっくりと倒れていく。

 

「おっと! これで……よかったんじゃな。淑子さん……」

 

 空っぽになった肉体を砂かけババアが丁寧に受け止める。

 既に物言わぬ亡骸だが、この肉体こそが沢田淑子が確かに生きていたという証。

 

 九十年もの時を最後まで過ごした、彼女の人生の結晶であるのだから。

 

 

 

 

 

「う、う……うううっ……!」

「まな……まなっ……!」

 

 淑子が死に、まなはさらに悲しみに暮れていく。苦しむ彼女を猫娘がさらに強く抱きしめ、少しでもその悲しみを和らげようと温もりを与えていく。

 静寂の中、まなの涙する声だけが響き渡っていくが——

 

「——おい、ゲゲゲの鬼太郎!」

「……」

 

 そんな中、空気を読まずに鬼太郎へと突っかかるものがいた。エミーゼルの仕事を後ろで見届けていた、死神106号である。

 

「テメェ……何で境港でのとき、俺の仕事の邪魔をしやがったんだ? あのガキども……結局最後にはくたばったて言うじゃねぇか? だったら俺が魂を回収しても……何も問題はなかっただろうに!」

 

 こんなときだというのに、彼は去年の夏の件を蒸し返す。

 あのときの境港の子供たちも、隠れ里を出てすぐに死亡した。彼らも寿命が既に過ぎ去っていた人間だったからだ。そういう意味では淑子と似たようなケースであり、彼らの魂を回収するのは死神として正当な業務だったと言えたかも知れない。

 

「……お前は、まなの魂も一緒に刈り取ろうとしただろ」

「あっ……いや、それは……」

 

 だが106号の言葉に鬼太郎は怒ったように即答する。彼は死ぬべきではない犬山まなの魂まで刈り取ろうとしたのだ。それは立派な規定違反であり、降格処分を受けても仕方がない問題行動である。

 

「それに……ボクだって最初から諦めていたわけじゃないさ……」

 

 さらに鬼太郎は自身の思いの丈をぶつける。彼自身も、最初から全てを諦めていたわけではない。

 

 もしかしたら、もしかしたらあの子供たちが外の世界で生きられたかもしれない、その可能性に賭けたのだ。だから、まだ生きている間は死神にも手出しをさせず、子供たちを守ったのである。

 

「……ケッ! でも結局はあいつらは死んじまった……お前の余計なお節介のせいで、こちとらいい迷惑だぜ!」

「ちょっと、アンタね!!」

 

 鬼太郎の思いに死神106号は不貞腐れたような暴言を吐き捨て、それに猫娘が苛立ちを募らせる。まなが泣いているというのにお構いなしに、この死神は自分の都合ばかり口にする。

 彼の態度には他の妖怪たちも顔を顰めていく。

 

「106号……その辺にしとけ」

 

 それは同じ死神であるエミーゼルもだった。

 彼は106号の言葉に不快そうに顔を歪め、その態度を窘めていく。

 

「ハイ! 坊ちゃんが仰るのであれば!!」

 

 エミーゼルの言葉には106号も素直に頭を下げた。

 先ほどの鬼太郎との戦闘で意外にもエミーゼルの実力が高かったことが分かり、かなり下手になって彼へと擦り寄っていく。宮仕えぶりが、随分と板についてきたようである。

 

「地獄に帰るぞ……もたもたするなよ」

「は、ハイ! 畏まりました!!」

 

 そのまま、『地獄へ戻る』というエミーゼルの言葉にも文句ひとつ言うことなく従い、106号は彼の後ろを黙ってついて行く。

 

 

 

「…………」

「う、うう……」

 

 死神としての能力を駆使し、現世から地獄へと移動していく最中。一瞬だが、エミーゼルは泣き崩れる犬山まなへと視線を送った。

 しかしそれも一瞬だ。それ以上は迷うこともなく、死神たちはあっさりとその場から消え去って行く。

 

 まるで幻のように、まるで痕跡を残すことなく。

 ただ『沢田淑子』の人間の死という、結果のみを残して——。

 

 

 

 

 

 気がつけば夜も明け、憎らしいほど眩い朝日がその場に残っていた者たちを照らしていた。

 

 

 

×

 

 

 

 沢田淑子の『死』から——数日後。

 

 彼女の死亡が人間社会的にも認められ、正式な形で葬儀が行われることになった。葬式は生者が死者にお別れを告げるための大切な儀式。故人を偲ぶ人がどれだけいるかで、その人の人生が垣間見えるともいう。

  

 だが、沢田淑子の葬儀の参列者は——驚くほど少なかった。

 

 淑子は元々から人を寄せ付けない生き方をしていた。それでも昔の仕事仲間など古い知人はそれなりにいたのだが、そのほとんどが先立って逝去しており、生きている者たちも高齢で中々重い腰を上げることができない。

 また、実家である『沢田家』とはかなり昔から縁が切れており、そちら側の親族はほとんど顔を見せなかった。親族として葬儀の指揮を執り行ったのは——犬山純子だ。

 彼女は悲しみに暮れる間もなく、葬儀の手配などを粛々と指揮していく。

 

 そうして、お通夜や告別式を滞りなく終え——沢田淑子の遺体は火葬場へと送られる。

 

 

 

「ねぇ……お母さん」

「なに、まな……?」

 

 火葬場の煙突から上がる黒い煙を、喪服を纏ったまなと純子が見つめていた。

 

「どうして……淑子さんは……自分の死を、あんなにも簡単に受け入れちゃったのかな……」

 

 まなは純子に沢田淑子という人間の最後を全て話していた。彼女が薬のおかげで何とか命を保っていたこと。死神が彼女の魂を回収したこと。

 

 淑子が——自らの死を、穏やかな感情で受け入れたこと。

 

 全てを母である純子に語り、自分には分からない疑問を彼女へと投げ掛ける。

 

「……さあ、どうしてかしらね……」

 

 純子にも明確なことは何も分からない。淑子の心の内は結局のところ、彼女自身にしか理解できないのだ。

 だが理解できないながらも、純子は淑子の『死』そのものは受け入れているようだった。悲しそうな顔こそしてはいるものの、葬儀の最中も彼女は涙一つ見せなかった。

 若い頃から淑子には世話になっていただろうに、まな以上に彼女の死に思うことがあるだろうに。それを感情として表に出さないでいる。

 それがまなをひどく不安にしてしまい、思わず彼女は口走ってしまう。

 

「……お母さんは……悲しくないの?」

 

 それは、口にするにはあまりにも愚問な問い掛けだ。

 それでもまなの迂闊な問いに、純子は優しく諭すように答えてくれる。

 

「勿論悲しいわ……けど、覚悟はしてたからね……」

 

 そう、純子は既に覚悟を決めていた。淑子の体調が悪いという報せを受けていたときから、こんな日が来るのではないかと。

 いつでもそのときが来てもいいようにと、心を強く保っていたのだ。

 

 リスクやショックに対し、あらかじめ身構えていれば冷静に対処できる。

 それが——大人というものなのかもしれない。

 

「そんな……そんなの!!」

 

 しかし、覚悟などまるで定まっていなかった子供のまなにはそれが出来ない。この後に及んでも淑子の死を受け止め切れず、またも涙が溢れ出してくる。

 

「いいのよ、まな……泣けるうちは泣いておきなさい……」

 

 何度も何度も泣き続けるまなを、純子が優しく抱きしめる。

 母親として娘の悲しみを癒そうと、あるいは——自分自身の悲しみを癒してもらうために。

 

 同じ苦しみを抱えた母娘が、互いに互いの温もりで慰め合っていく。

 

 

 

 

 

「…………」

 

 涙が枯れ果てるまで泣き続けたまなは、一人外ベンチに腰掛けて休んでいた。

 

 純子や父である裕一が、今頃は火葬を終えた淑子の骨壷を受け取り、葬儀に参列してくれた数少ない人々にお礼の挨拶をしているだろう。まなもそこに同席すべきなのだろうが、生憎とそういう気分にはなれない。

 立ち直るにはもう少し時間が必要かもしれない。するとそんな彼女の元に、一人の少年がやって来る。

 

「……人間、お前大丈夫か? なんか、目の下にすっごい隈が出来てるけど……」

「あ、あなた……死神……!」

 

 フードを被った西洋死神・エミーゼル。淑子の魂を刈り取った張本人が、またもまなの前に姿を現したのだ。

 

「何しに来たの!? また……誰かの、命を奪いにっ!?」

 

 これにまなが不安と怒りを込めて声を荒げる。今の彼女にとってまさに死神は許せない敵。大切な人の魂を容赦なく奪っていく悪い妖怪である。

 

「な、なんでそうなるんだよ! い、言っとくけど……ボクら死神は、むやみやたらと人間を殺しまわっているわけじゃないんだからな!」

「…………」

 

 まなの敵意にエミーゼルはムキになって反論し、自分たちが決して無差別に人を襲っているわけではないと主張する。実際、彼は死神としての仕事を果たしただけだ。

 だが、彼の正当な言葉にもまなはジト目を送る。その視線に居心地悪そうにそっぽを向くエミーゼルだが——ふと、独り言のようにその呟きを洩らしていた。

 

「……あの淑子って婆さんだけどな……第一審で無罪判決が出たぞ」

「えっ?」

 

 エミーゼルが語り出したのは——淑子が死後どうなったかということ。

 生者であるまなでは知りようもない、地獄での裁判の結果を、エミーゼルはまなに話していた。

 

「あの婆さん……このご時世では珍しいくらい、清い魂の持ち主だったらしくてな……最初の裁判で天国行きが許されたよ」

 

 日本地獄において、死者は閻魔大王率いる十王の裁判によって生前の罪が裁かれる。その判決によってどのような地獄に落とされ、どれほどの刑罰を受けるかが決められるわけだ。

 

 だが、沢田淑子はその裁判で早々に——『お咎めなし』という判決が下された。

 

 これは厳しくも、清く正しく生き続けて来た彼女自身の功績だ。それにより、淑子は死後の快適な生活、天国への移住が認められることとなった。しかし——

 

「けどあの婆さんは……天国で暮らすより、転生する道を選んだ……まったく、物好きなことだ」

「て、転生……」

 

 輪廻転生——新しい魂に生まれ変わり、全く違う存在としての生を一から始めるということだ。

 転生先は完全にランダムであり、どのような人生を歩むことになるかも分からない。ある意味では苦行とも言える選択肢だが、淑子は迷うことなくその道を選んだという。

 

「……今頃は、この国のどこかで生を受けていることだろうさ……」

「……この国の……どこかで……」

 

 空を見上げながら語るエミーゼルにつられるよう、まなも空を見上げた。

 

 きっとこの空の下、淑子の魂を引き継ぐ『誰か』が祝福と共に産声を上げているかもしれない。その誰かと、もしかしたらどこかで出会えるかもしれない。

 

 そう思うと、なんだか少しだけ心が軽くなったような気になる。

 

「……あなたは……それをわざわざ教えに来てくれたの?」

 

 まなは、キョトンと目を丸くしてエミーゼルを見つめた。彼女は死神の彼がわざわざ自分のところまで来て、淑子のことを教えてくれたことに驚いている。

 何故、どうしてそんなお節介とも呼べる行動をしてくれているのかと。

 

「べ、別に……死神として当然のことをしたまでだからな!」

 

 まなの疑問にエミーゼルは素っ気なさそうに、これも死神の義務だと答える。だが——

 

「——何言ってんすか、坊ちゃん。普通の死神はそんな面倒なことしないっすよ!」

 

 それが死神の業務外の行動だと言うことは、しれっと現れた死神106号の態度からも察せられる。彼はやれやれと肩を竦め、エミーゼルのお節介な行動に呆れたため息を吐く。

 

「それなのに坊ちゃんてば……あのババアの裁判を優先的にやってもらうよう、お父上の権力まで使って閻魔大王に進言して……」

「そ、それは……!?」

「だいたい、坊ちゃんは甘過ぎっすよ! あのババアの魂だって、あの夜にとっとと刈っちまえばよかったんだ。なのに……わざわざ一日待ってやるんだもんな~……ほんと、死神としてどうかと思いますぜ、そういうのは……」

「ば、バカ! 余計なこと言うな!!」

 

 さらに106号は余計な愚痴を溢す。それを慌てて黙らせようとするエミーゼルだったが、少しばかり遅かった。

 

「えっ……それって……どういう……あっ!?」

 

 死神たちのその会話を聞き、ふとまなは思い出す。初対面のとき、エミーゼルに言われたあの言葉を——。

 

 

『せいぜい今日のうちに、別れを済ませておけ——』

 

 

 もしかしたら、あれはエミーゼルなりの気遣いだったのかもしれない。

 その気になればいつでも淑子の魂を回収できたのに、わざわざお別れの時間を設けてくれたのだ。

 

 死の神と物騒な名前の響きや、106号の素行のせいで死神という妖怪を誤解していたが、彼は——この少年死神には人並みの情があるのかもしれない。

 それが果たして死神として正しいのかどうかは分からないが、少なくともまなにはありがたいものに思えた。

 

「……ええっと……エミーゼルくんだっけ? ありがとね。淑子伯母さんのこと……色々と気に掛けてくれて……」

 

 その気持ちから、まなは思わずエミーゼルへとお礼の言葉を述べていた。

 未だに複雑な気持ちではあるものの、それでもこの少年のおかげで——きっと淑子の魂は救われたのだと、そう思うことが出来たから。

 

 そんな、まなのお礼の言葉に——

 

 

「っ!! べ、別に……人間のお前に……礼なんて言われても、嬉しくもなんともないからな!!」

 

 

 エミーゼルは年相応の少年らしく。恥ずかしそうに顔を真っ赤に染め、そっぽを向く。そしてそのまま、怒ったようにその場から立ち去ってしまう。

 

「ああ! 待って下さいよ、坊ちゃん! エミーゼル坊ちゃん!?」

 

 その後を106号が慌てて追いかけていく。

 こうして、死神たちはまなの元から風のように立ち去っていったのである。

 

 次の獲物、いや……。

 

 

 

 未練や妄執に縛られているかもしれない、迷える魂を救い上げに。

 死するべき運命にある魂を回収するため、今日も彼らは奔走する。

 

 

 

 それが死の神として、自分たちが為すべき使命なのだと信じて——。

 

 

 




人物紹介

 死神王ハゴス
  前回紹介し忘れてた、エミーゼルのパパさん。
  本人の登場はありませんでしたが、話の中で名前だけは出たので一応紹介。
  原作では魔界大統領という地位でしたが、今作では西洋地獄の重鎮の一人。
  息子の写真を常に懐に忍ばせているほどには親馬鹿。 
  変身を二回ほど残してたらしいが……原作では披露されず。

 プリニー
  ディスガイアシリーズでお馴染みのマスコットキャラ。
  中に罪人の魂が入れられた、ペンギン型の謎生物。
  投げると爆発するため、取り扱いにはご用心。
  罪人として一日二十時間労働を強いられ、日給はイワシが一匹。
  ……はて? これでどうやって転生のお金を貯めるというのだろうか?

必殺技に関して
 今回の戦闘描写においてエミーゼルが使った技の数々。
 原作ゲームの固有技がモデルになっていますので、一応は紹介。

 グリムスペクトル
  謎の仮面を装着してレーザーを放つ。
  おそらく元ネタは『BLEACH』の敵キャラ、破面たちが使っていた虚閃(セロ)。
  これ以外にも、ディスガイアは何かとパロネタ技が多いのが特徴。

 デルタオブデス  
  巨大なピエロのような怪物に変身。炎、氷、風の属性魔法で攻撃する必殺技。
  その攻撃範囲の広さから色々とお世話になりました。
  4のメインキャラは何かと変身したり、何かを呼び出したりします。


次回予告

「淑子さんが亡くなってからというもの、何かと元気がないまな。
 彼女を励まそうと、まなの友達がささやかながらもパーティーを計画中。
 父さん……彼女はいい友達を持ちましたね。
 けれど、そのパーティーの最中に謎の少女たちが……
 いったい、彼女たちは何者なのか!?

 次回——ゲゲゲの鬼太郎 『暴走姉妹 フーカ&デスコ』 見えない世界の扉が開く」

 今回は終始真面目な話でしたが、安心してください。
 次回はギャグ全開、シリアスをコミカルに消し飛ばす彼女たちの出番です。
 
 アプリポワゼ!! 颯爽登場、プリニカイザーXX!!
 ……果たして日本は沈没せずに耐えられるのか? 乞うご期待!


  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔界戦記ディスガイア4 暴走姉妹フーカ&デスコ 其の①

お待たせしました。
なんやかんやで丸一か月経ちましたが、ようやく更新の目途が立ちました。

今月は仕事が忙しかったこともありましたが、だいたい『スパロボ30』や『遊戯王ラッシュデュエル最強バトルロイヤル』。
そして、FGO最新イベント『ぐだぐだ龍馬危機一髪 消えたノッブヘッドの謎』の影響で執筆が遅れていました。

特に今回のぐだぐだイベントは実に良かった! もしかしたら過去最高のぐだぐだイベントだったのではないでしょうか?
高杉も、武市先生も、新兵衛も。全員が欲しくなるような大活躍。
……でも、みんな揃ってNPCなんですよ……。
運営さん、せめてバトルモーションがある田中くんだけでも、実装してくれんでしょうか? 彼らと人理を救えないのが、とっても辛いです……。

それはさておき。
今回は前回と同じ『ディスガイア4』シリーズから、フーカとデスコの二人が参戦します。
前回の話の続きではありますが、この話だけでも楽しめるような構成にはなっています。
ここ最近、ずっとシリアスな話が続いていたようなので、今回はギャグ全開!!
彼女たちの破天荒な活躍をお楽しみください!




「…………はぁ~…………」

「……まなってば、最近ずっとあの調子なのよね……」

 

 調布市にある中学校、とある二年生のクラス。

 そのクラスの女子生徒・犬山まなが窓際の席でため息を吐いており、その様子を彼女の親友である桃山雅が心配そうに見つめていた。

 

「そうだね……確か、親戚の人が死んじゃったんだっけ?」

「ええ、お婆さん……いえ、大伯母様が亡くなられたとか……」

 

 雅だけではない。まなと仲の良い他の女子——石橋綾や辰神姫香も、ずっとまなのことを心配していた。

 

 まなに元気がない理由なら彼女たちにも分かっている。先日、まなが数日ほど学校を休んだ際、彼女が親戚の葬式に出席しているのだと担任の先生から聞かされた。

 

 親しい人の死——それ自体は既に過ぎ去ってしまった過去であり、その事実を覆すことは誰にも出来ない。

 

 生きている人間に出来るのは亡くなってしまった人の分まで生きていくことだけ。悲しみに折り合いを付けながら、少しずつでもいつも通りの生活に戻っていくしかないのだ。

 

「…………」

 

 だが、まなは未だに悲しみから立ち直れないでいる。ため息の数も多く、いつもの快活さも失われたまま。これでも大分マシになった方なのだが、周囲の人々はそんな彼女の落ち込みようを案じていた。

 どうすれば以前のように笑顔が溢れる彼女に戻るのかと、色々と知恵を巡らせる友人たち。

 

 悩んだ末の結論として——

 

「ねぇ!! 今日の放課後……わたしたちでまなを元気づけて上げない!? こう……パアッっと、盛り上げてさ!!」

 

 親友である雅がまなを励まそうと、みんなと一緒に騒ぐことを——パーティを催すことを提案する。

 

「そうだね……」

「ええ、私もそれがいいと思います!!」

 

 安易な思いつきだったが、綾も姫香もこれに賛同した。難しいことを何も考えずに楽しめれば、きっとまなも笑顔になってくれるだろうと期待する。

 

「じゃあ……どこで集まろっか? カラオケ? ファミレス? わたしはどこでも構わないけど!」

 

 そうと決まれば次は会場の確保だ。とはいえ、そこはやはり中学生。パーティといってもそこまで大規模なものではない。

 いつも行っているような場所でどのように遊ぼうか、とりあえず候補を述べていく。

 

「——それなら、わたしの家に来なよ!」

 

 すると、これに石橋綾が声を上げる。

 

「ちょうど新しいスイーツを考案しようと思っててさ。みんなに試食して貰いたいんだけど……どう?」

 

 石橋綾の実家は『モモ』という喫茶店をやっている。彼女はその店で自作スイーツを提供しており、それがニュースなどで取り上げられたりもした。

 将来の夢は天才パティシエール、日々のスイーツ開発に余念がないのである。

 

「そうね……わたしも、一度綾ん家の喫茶店には行ってみたいと思ってたとこだし!」

「私もそれで構いません!」

 

 これに雅と姫香が二つ返事で了承する。

 

 

 こうして放課後、雅たちはまなを喫茶店『モモ』へと連れて行くことになった。

 

 

 

×

 

 

 

 調布市の商店街。様々な店が立ち並ぶ中、喫茶店モモは隅っこの方にポツンと建っていた。

 

 店の隣には広い空き地が広がっており、少し前まではそこに巨大デパートやら、巨大ランドなどが建造されていた。それらの商業施設も石橋家が経営するお店で、周囲の商店街の客層を丸ごと奪っていたのだが、今はそれらの支店も潰れて元の空き地へと戻っている。

 石橋家の本店であるモモも、以前よりは多少見栄えが良くなったくらい。相変わらず小さな喫茶店として営業を続けている。

 

「ただいま~!!」

「ああ、おかえり……綾」

「綾、お帰りなさい」

 

 その喫茶店兼実家でもあるモモに帰宅した綾。店の主人でもある両親に元気よく帰宅を告げれば、父である智也(ともや)も、母である睦子(ちかこ)も。それぞれ返事を返してくれる。

 

「お父さん、お母さん! 今日は友達が来てくれたんだけど……」

「こんにちは……」

「初めまして……」

 

 綾は両親に友達——雅と姫香の二人を紹介する。

 彼女たちがこの喫茶店に来るのは何気に今日が初めてだったりする。初訪問で店の内装へとチラチラ視線を向けながら、おっかなびっくりと挨拶をしながらモモへ足を踏み入れる。

 

「……お邪魔します」

「やあ! ええっと……犬山まなちゃんだったかな? よく来てくれたね」

 

 二人の後に続き、犬山まなも喫茶店の扉を潜った。

 彼女の方はこの店を何度か訪れているため、綾の両親とも顔見知りだ。久しぶりに訪れてくれたまなに智也たちも快い笑顔で彼女を迎え入れる。だが——

 

「……あれ? なあ、綾……あの子、大分元気がないようだけど、何かあったのかい?」

「あ……それはね……なんて言うか……」

 

 面識があるからこそ、まなの顔色が優れないことに気づいてしまう。心配する両親が娘の綾に何かあったのかと尋ねるも、彼女も返答に窮してしまう。

『まなの親戚が亡くなって元気がない』と、そういうことを大っぴらに言うべきではないと迷ったためだ。

 

「まあ、色々あってね。今日はまなのためにみんなで軽くパーティーでもしようかと思って……ちょっと騒がしくなるけど、大丈夫だよね?」

 

 とりあえず、まなに元気がないことを伝え、彼女を励ますために友達とこの店に集まった趣旨を綾は両親に説明する。

 

「ええ、私たちは構わないわよ。お客さんも……今はいないみたいだしね」

 

 店主として、綾の両親は娘の提案を受け入れる。

 店内を見渡せば他に客もおらず閑古鳥が鳴いていた。店側としては悲しいことだが、他にお客さんがいないともなれば好都合。

 綾は友人たちを店の奥の席まで連れて行き、そこで腰を落ち着かせる。

 

「さてと……それじゃあ——」  

 

 皆が席に座ったことを確認し、綾はさっそくキッチンへと向かう。考案していた新作スイーツをまなたちに披露しようと、気合を入れて調理に取り掛かろうとした。

 

「——すいませ~ん!!」

「あ……お客さん?」

 

 だが間が悪いことに、そのタイミングで他のお客さんが来店。綾の両親もそちらの対応を優先することになってしまう。

 

「いらっしゃ……!?」

「ませ……っ!?」

 

 しかし、来店したお客と思われる二人組。

 その『少女』たちの姿を目に留めた瞬間、店内にいた全てのものが言葉を失うこととなる。

 

 

 

「——ん……ちょっと、レトロな感じだけど……まあいいわ! ここで少し休憩しましょう!!」

 

 客の一人——先頭に立っていったのは見た感じ、学生といった年頃の少女だ。ジャージを羽織り、その下に制服らしきセーラー服を纏っている。少々幼い顔つきから高校生というよりは中学生と呼んだ方がしっくりくるだろう、ちょうどまなたちと同じような年代の少女である。

 髪型は長めのツインテール、背中にバッグを背負い、何故かペンギンっぽい帽子を被っている。もっともそれ以外でおかしな違和感はなく、あくまでただの女子中学生として受け入れることができる出立ちだった。

 

「——はいデス!! お姉様!!」

 

 問題なのはもう一人、もう片方の少女だ。

 その少女の背丈は小学生くらい。ペンギン帽子の女の子を『お姉様』と呼んでいることから、もしかしたら彼女の妹分なのかもしれない。

 

 だが、実の姉妹ではないと思われる。似ている似ていない以前に——彼女は明らかに人間ではなかった。

 

「デスコもここでお休みしたいデス! お腹がとっても空いたのデス!!」

 

 呑気に空腹を訴える、自身のことを『デスコ』と自称する少女。

 彼女の本体と思しき『人間体部分』。それ自体、一応は少女と言えなくもないシルエットであった。小さな角や、尻尾が生えていたり。額に巨大な目玉のようなものがあったりと、ところどころおかしなパーツ構成ではあるものの、一応は人の形?を保っている。

 

 しかし、その背中に装備されている別パーツの『ユニット』。それが彼女という存在を、もはや人間ではないことを明確に表現している。

 

 まるでイカやタコのような触手を伸ばした謎の浮遊物体。所々に目玉のようなものがついており、それ自体がまるで生き物のように蠢いている。ぶっちゃけ、ちょっぴりグロテスク。

 

「…………」

「…………なに、あれ?」

 

 そんなものを背中に取り付けている謎の少女に、誰もが唖然と放心状態に陥っている。

 だが当人らは周囲の視線などお構いなし。何事もなく店内へと足を踏み入れていく。

 

「い、いらっしゃいませ……」

「ええっと……二名様でよろしいでしょうか?」

 

 動揺しながらも、店員として綾の両親は彼女たちに声を掛けた。あまりにも異形な客ではあるが——『こういったもの』の相手をするのは初めてではない。

 そのため、ある程度冷静に対処が出来てしまう石橋家の人々。

 

「えっ……二人?」

 

 すると、それにペンギン帽子の女の子が驚いていた。彼女はデスコという少女の方を振り返りながら、少し不思議そうに口を開く。

 

「……デスコ、ちゃんと気配消してる? この人たち……アンタのこと認識してるみたいだけど?」

 

 ペンギン帽子の彼女はデスコが他人にも見えている事実に驚いていた。普通に考えればこんな外見の少女、視線を集めてもおかしくはないのだが。

 

「ちゃんと言われた通り消してるデス!! けど、それでも見えちゃうってことは……この人たちはそういう、見えてしまう人たちなのデス!」

 

 デスコはちょっぴりむくれながらそんなことを呟く。その呟きに真っ先に反応したのが犬山まなであった。

 

「あのっ!!」

 

 二人のやりとりからもしやと、ある種の確信を持って——まなは彼女たちに問い掛けた。

 

 

「——アナタたち……もしかして、妖怪ですか?」

 

 

 

×

 

 

 

「——へぇ~!! そうなの!? わたしが留守にしている間に、日本も随分とファンタジーな国になったもんね……」

「——ビックリなのです!! まさかデスコの存在を認識できる人間が、こんなにも沢山いるなんて!!」

 

 数分後。例の少女たちはまなたちと同じテーブルに座り、親しげに話しかけていた。

 

「え、ええ……そうなんです、はははっ……」

「まあ、もう慣れたもんよね……はぁ~」

 

 まなたちの方も、自然な調子で少女たちのことを受け入れていく。

 なにせ、彼女たちのような『妖怪』の存在。それはまなにとっても、その友人たちにとっても、もはや当たり前のものとなりつつあるからだ。

 

 

 本来、『妖怪』といった人ならざる存在を、現代人たちはそう簡単に認識できない。科学の発展と共に信心深さを失い、闇への恐怖や畏怖を忘れた人間たち。彼らは妖怪を『いない』ものとして認識し、妖怪たちも安易に人前では姿を晒さないようにしていた。

 だが昨今の妖怪騒動により、大衆の間で彼らの存在は一般化。妖怪の存在を信じるのものも多くなり、霊感が高くないような人間でも、ちょっとしたきっかけで彼らを認識できるようになっていた。

 

 喫茶店モモにいたメンバーも。鬼太郎と友達であるまなを含め、その全員が何かしらの形で既に妖怪と関わりを持っている。

 だからこそ彼女——デスコという妖怪少女の姿を、ここにいる人々は明確に視認することが出来ていたのだ。

 

 

「じゃあ、改めて自己紹介するわ! アタシはフーカ……風祭フーカよ! (セント)ゴリアテ中学三年B組!」

 

 まなたちがデスコを認識したことをきっかけに親近感を抱いたのか。まずはペンギン帽子の女の子、見た目は完全に人間な風祭(かざまつり)フーカが元気よく名乗りを上げる。

 

「言っとくけど……アタシはただの人間だから! そこんとこ、勘違いしないでね?」

「えっ!? ああ、そうだったんですね、わたしはてっきり……」

 

 人ならざる異形と一緒にいたフーカだが、自分はあくまでただの人間だと自称する。鬼太郎や猫娘のように、一見すると人間に見える妖怪もいるため、まなはうっかりフーカも妖怪だと思い込んでいた。

 彼女は帰国子女とのことで、今回久しぶりに日本を訪れたという。一応は一歳年上の彼女へと敬意を払いつつ、続くその言葉に耳を傾けていく。

 

「そんで、この子がデスコ!! アタシの……可愛い妹よ!!」

「初めまして!! お姉さまの妹……デスコなのデス!!」

 

 一人称から既に名前らしきものを何度も叫んでいたが、改めて異形の女の子が自身の名前を名乗る。

 

「……い、妹……ですか?」

「…………妹?」

 

 デスコという少女。フーカの妹だと言うが、こちらはどう見ても人間ではない。人間の少女が妖怪の少女を妹として連れ回っている。そこに何らかの事情を感じ取り、あえてまなたちからは何も聞かないでいる。

 すると、フーカの方からデスコとの関係。彼女がどういった存在なのかを説明してくれた。

 

「デスコはね……科学者であるアタシのパパが造った、アタシ専用の妹なのよ!!」

「つ、造られたって……え? 造ったて……デスコちゃんを!?」

 

 これには、まなたちも驚きを隠せない。

 妖怪であるというだけならまだ納得も出来るのだが、さすがに『造られた』というのはあまりにも予想外だ。

 人間の科学技術によって造られた妖怪——そこに禁忌的なものを感じずにはいられない。

 

「そうなのデスよ!! お姉様とデスコのパパは世界でも指折りの頭脳を持つマッドサイエンティストなのデス!!」

 

 しかし、デスコからはこれといった悲壮感は感じられない。彼女は自分を造ってくれた父親のことを誇るかのように語り、自らが造られたその存在理由を元気よく叫んでいた。

 

 

「——デスコはお姉様の世界征服の夢を叶えるために造られたのデス!! お姉様のために、デスコはこの世界を支配するラスボスを目指しているのデス!!」

 

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 

 幼い子供が無邪気に夢を語っている。その輝かしい顔だけを見るならば微笑ましい気持ちになれるのだが——語られた内容が内容だけに皆が黙り込む。

 それだけ『世界征服』という響きには強烈なインパクトがあり、実現するにはちょっとばかしハードルが高過ぎる気がするのだ。

 

「ああ……今の話はなし! 聞かなかったことにしといて……」

 

 実際、姉であるフーカもその夢を実現するのには色々と障害が多すぎると分かっているのか。少し気まずげにデスコの言葉を聞き流してくれるようお願いする。

 

「そ、そうだ!! せっかくだし……さっき話してた新作スイーツってやつ、アタシたちも食べてみたいわ! ねぇ、デスコ!?」

 

 そして、露骨に話題をまなたちが試食しようとしているという新作スイーツへと持っていく。それは話を逸らしたいというのもあったが、女子として甘いお菓子に興味があるというのもまた事実。

 

「おお! 新作のスイーツ!! デスコも食べてみたいデス!!」

 

 これにはデスコも勢いよく食いついた。

 世界征服の野望よりも、今は目の前の甘いスイーツだと。ちょっぴり意地汚くも、涎が口元からこぼれ落ちる。

 

「えっ……? ああ、そうですね。急いで用意します!」

 

 その要望にハッと目を覚ましたかのように、将来の夢がパティシエールである石橋綾が慌てて席を立つ。

 当初の目的であった試作スイーツをみんなに楽しんで貰おうと、厨房へと駆け出していった。

 

 

 

「——お待たせ!!」

 

 そうして、待つこと三十分。綾が試作スイーツをテーブルへと運んでくる。

 

 運ばれた時点でそれは銀のトレーに乗せられ、銀の蓋によって覆われていた。

 その蓋を目の前でオープンし、皆を驚かせようという趣向なのか。作り手である綾が不敵な笑みを浮かべていることから、相当自信のある一品であることが窺い知れる。

 

「それじゃあ……オープン!!」

『——おおっ!?』

 

 綾は意気揚々と覆われていた蓋を外し、秘されていた中身は皆に開示する。まなたちはその新作スイーツを目の当たりにし、歓声を上げた。

 

「——これが、喫茶店モモの新しい看板商品……マリトッツォよ!!」

「……なにこれ!!」

「す、すごい……クリームが溢れんばかりに……」

 

 綾の新作スイーツは——マリトッツォ。イタリア発祥のお菓子であった。

 これはブリオッシュ生地に、たっぷりの生クリームを挟んだ一品である。本場ローマでは朝食として、カプチーノと一緒に楽しむんだとか。

 特徴的なのは、なんといってもそのビジュアル。パンの間にクリームを、これでもかと溢れんばかりに盛り込んだ一品。正直、胸焼けしそうなほどの量である。

 

「凄いバズりそう! ……ねぇ、これ、インスタに上げていい?」

 

 その見た目から、食べるよりも先にスマホで写真を撮る桃山雅。フォロワー数爆上がり間違いなしと、さっそく自身のSNSで拡散していく。

 

「全然いいよ、寧ろどんどん広げちゃって! 今年は絶対これが流行ると思うから!!」

 

 それを快くOKする綾。彼女にとってもそれが狙いで、今年はこのマリトッツォを流行らせていきたいとのこと。

 ちなみに、このSNSへの投稿をきっかけにマリトッツォは瞬く間に日本での知名度がアップ。そのビジュアルを活かし、各種メーカーが様々なアイディア商品を開発。

 来年の暮れには、流行語大賞にノミネートされるほどの話題スイーツになるのだが——それはまた別の話。

 

「これは……凄いわね、想像以上だわ!」

「クリームがこんなにたっぷり!! 夢のようデス、お姉様!!」

 

 今はただ眼前のスイーツを全力で楽しむばかりと、フーカやデスコも幸せそうにマリトッツオを口いっぱいに頬張っていく。

 

 

 

「ふふふっ……ほんと、美味しそうだね」

 

 友達や今日知り合ったばかりの子たちが嬉しそうにスイーツを頬張っていく光景を前に、まなの口元からも笑みが溢れていく。

 それは意識することなく、自然と溢れ出た笑みだったからこそ、犬山まなという少女の心情を如実に表していた。

 

「——元気になれましたか、まなさん」

「……えっ?」

 

 そんなまなの微笑みに、辰神姫香が安心したように笑いかける。

 

「雅さんも、綾さんも。私も……とても心配してたんですよ……まなさんのこと」

「あっ……」

 

 姫香の言葉にまなはハッと気づかされる。

 ここ数日。大伯母である淑子の件をずっと引きずっており、まなは自分でも落ち込んでいることは自覚していた。しかし、それを心配してくれる皆のことまでは考えていなかった。そのせいで周囲に迷惑を掛けていたと、今更ながらに気づいたのだ。

 

「ご、ごめんね……なんだか、心配掛けちゃってたみたいで……」

 

 友人に心配を掛け、色々気を遣わせてしまったことをまなは謝罪する。きっと今日の唐突に開かれたこのお茶会のようなパーティーも、自分のために催してくれたものなのだろう。

 そのことに申し訳なさを感じつつ、胸の内からは嬉しさが込み上げてくる。

 

「けど、もう大丈夫だから……励ましてくれてありがとう!!」

 

 色々と悲しいこともあったが、皆のおかげで今度こそ完全に吹っ切れた。

 いつまでもくよくよしてはいられないと。まなはいつもの調子を取り戻し、心の底からの笑顔を浮かべる。

 

「……どうやら、そのようですね。安心しましたわ!」

 

 まなが空元気でないことを察し、姫香も安堵したようにホッと息を吐く。

 

「さあ! 私たちも食べましょう!! 面白い見た目かもしれませんが、見ているだけでは勿体ないです!!」

「うん!! そうだね!!」

 

 気分を取り戻したのなら、後はこのパーティーを楽しむだけだ。

 まなや姫香も遅れてマリトッツォを口にしていき、その美味しさに舌鼓を打っていく。

 

 

 

 

 

「……なんだか知らないが、良かった良かった」

「……子供って、本当に強いのね」

 

 まなが立ち直っていく様子を含め、子供たちがはしゃぐ光景を店のオーナーである石橋夫婦が見守っていた。

 何があったかは知らないが、大人である自分たちが手を差し伸べる必要もなく、子供たちは自分らの力で抱えていた問題を解決してしまった。子供というものは本当に強いものだと『改めて』感心する。

 自分たちもあの子たちを見習い、とりあえず仕事に精を出すかと。お客様の来店に備えてキッチンで作業を進めていく。

 

「おっ? ああ、いらっしゃいませ——」

 

 すると、そのタイミングで入り口の扉が開く鈴の音が鳴り響く。

 店のものとして新たなお客様に対応しようと、石橋夫婦がそちらの方を振り返るが。

 

「——おやおや、すっかりしょぼくれたお店に戻っちゃってまあ……」

「っ!! あんた……いつぞやの!」

 

 店の入り口に立っていた人物を前に、彼らは顔を顰める。

 

 その男は、まさにうそん臭さの権化。

 ボロ布を纏った、あからさまに怪しい出立ちの男であった。

 

「……ん? って、臭っ!?」

「は、鼻が曲がりそうなのデス!!」

 

 その男の放つ悪臭を前に、フーカやデスコが思わず鼻を摘む。嗅ぎ慣れていないものにこの匂いはかなりキツイものがあるのだろう。

 

「うわ~……」

 

 しかし悲しいかな。彼女——まなにとっては、ある意味嗅ぎ慣れた匂いだ。

 顔を見るまでもなくそこにいる男が誰なのかを理解し、のっけから呆れた顔つきで仕方なく彼に声を掛けていく。

 

「何しに来たんですか……ねずみ男さん?」

 

 そう、そこに立っていたのはねずみ男。

 知り合いながらもどこか——というか、だいぶ信用の置けない相手である。

 

「おう、まなちゃん、久しぶりだな!」

 

 ねずみ男の方からも顔見知りであるまなへと挨拶をしつつ、彼女に用はないと雑に言い放っていく。

 

 

「悪いが、今日はそちらのご夫婦と『大人』の話をしに来たんだ。お子様は大人しく引っ込んどいてくれよ?」

 

 

 

×

 

 

 

「——あんたと話すことなんかない。とっとと帰ってくれ!」

 

 対話を望むねずみ男の登場に、石橋智也が問答無用で彼を追い返そうと声を荒げる。その反応から察せられるように両者は面識があり、その仲は決して良好とは言えない。

 

 それは以前、石橋家の商売が大成功した際、ねずみ男がその儲けを上手いこと騙し取ろうとしたことから端を発する。

 詐欺や強請りに恐喝と、あらゆる手段でねずみ男は一家から金を毟り取ろうとしたのだ。歓迎できる訳もないだろう。

 

「そう邪険にするなよ、石橋さん。俺は客だぜ? まずは水の一杯でも出すのが礼儀ってもんじゃないかな?」

 

 にもかかわらず、ねずみ男は自分を客として扱うよう、カウンター席にドカッとふんぞり返り。

 厚顔無恥とはまさにこのこと。相変わらず面の皮が分厚い男である。

 

「生憎……分不相応な財産は全て処分した。あんたに金を渡すような余裕、今のうちにはないぞ」

 

 そんな横柄な態度のねずみ男に、彼の目的を先読みして智也がはっきりと言い切る。狙いが『金』を自分たちからふんだくることにあるのであれば、残念だがその目論見は破綻することになる。

 

 確かに石橋家には無限に湧き上がるほどの、それこそ山のような『財』が築かれていた。デパートやアトラクションに加え、自分たちの御殿まで建設し、それでも尚余りあるほどの金だ。

 しかし、彼らはその財産をほとんど処分した。自分たちのような人間が大金を持つと碌でもないことになると骨身に染みたからである。

 今の彼らはこの小さな喫茶店を経営するだけが精一杯の経済力しかなく、誰かに施しを与える余裕などない。

 

 だが——

 

「そんなこと言って……どうせいくらかは残してんだろう?」

 

 その言い分をねずみ男は全く信用していなかった。どうせどこかに金を隠しているのだろうと、いやらしい笑みを浮かべながら彼らにそっと耳打ちする。

 

「あんたたちみたいな人間が、そう簡単に手にした金を手放す筈がねぇんだ。あんたたちみたいな……欲深い人間がな」

「……っ!!」

「あ、あなた……」

 

 ねずみ男の言葉に石橋夫婦は何も言い返せなかった。実際に彼ら自身、自分たちが欲深い人間である事を『前回の事件』で思い知ったからだ。

 

 

 今年の初め、石橋家は商売が大繁盛することで信じられないほどの大金持ちとなった。だが、それは彼ら自身の努力による成果ではない。

 自分たちの家に住み着いた妖怪・座敷童子(ざしきわらし)。『幸運を呼び寄せる』という彼の者の力を利用した、偽りの繁栄に過ぎなかったのである。

 だというのに、彼らはすっかりセレブ気取り。夫婦揃って座敷童子の恩恵に胡座をかき、目の前の金にだけ執着するような、浅ましい人間へと成り果ててしまった。

 

 そんな彼らの目を覚まさせたのが——娘の綾である。

 

 お金のせいで人が変わってしまった両親に、彼女は訴えたのだ。『お金なんか要らない!!』『自分の作った料理を美味しいと言って欲しいだけなんだ!!』と。

 娘の涙ながらの説得に、彼らは自身の過ちに気づいた。子供のおかげで親として、人として本当に大事なものを悟ったのだ。

 そうして反省した夫婦は心を入れ替え、一からやり直すために分不相応な財産を全て処分したのである。

 

 

「俺には分かるぜ……あんたたちは俺と同類だ。どうあったって、自身の欲望に抗うことなんか出来ねぇんだよ」

「……」

「同類は同類同士、仲良くやろうじゃねぇか……なぁ?」

 

 しかし、ねずみ男は夫婦のそういった感情を一時の気まぐれ程度にしか思っていない。彼らからは自分と同類——お金に汚い匂いがすると、馴れ馴れしくもすり寄っていく。

 

「あんたたちも俺も、脛に傷のある身だ……過去の醜聞が明るみに出るのは、色々と不味いだろ?」

「っ……!」

「昔は随分と荒稼ぎしたそうじゃないの……被害を受けた人間も結構いるって話だし……なあ?」

 

 その際、ねずみ男はチラリと脅し的な言葉も付け加えていく。夫婦が過去にしでかした悪行——詐欺紛いな会社を作り多くの人々を苦しめていたことに言及した。

 そう、座敷童子の件で金に目が眩んだのも、もともと彼らにそういった側面があったからだ。お金のためならば他者の幸せを踏み躙る、人間として欲深い一面。

 その弱みにつけ込み、ねずみ男は上手いこと夫婦から金を引き出そうと試みていた。

 

 

「——ちょっと、いい加減にしてください、ねずみ男さん!!」

 

 

 しかしその企みもここまで。

 その場にまながいた時点で、ねずみ男の計画は既に破綻していた。

 

「それ以上酷いこと言うようなら、わたし怒りますから!!」

「まなだけじゃないよ、おっさん!」

「そうです、私たちも許しません!」」

 

 まなだけではなく、雅や姫香も。彼らの会話に聞き耳を立てていた彼女たちが、揃ってねずみ男へと棘のある視線を向けていく。

 

「……まなちゃん、話を聞いてたんなら分かるだろ? こいつらは悪いことして儲けてたんだ人間なんだよ。そんな連中をお前さんたちは……」

 

 それに対し、ねずみ男は彼らが悪人であったという事実を強調していく。こんな悪人、わざわざ庇ってやる必要はないと。その事実を盾に無知な子供たちを黙らせようとする。

 

「そんなこと——ねずみ男さんに言われるまでもありませんから!!」

 

 もっとも、その程度のことで黙る犬山まなでも、その友人たちでもない。

 

「綾の両親が悪いことをしていたのは聞いてます。でもそんなの関係ありません!! 綾は私たちの大切な友達で、その人たちはその家族ですから!!」

 

 まなは既に知っていた。

 例の座敷童子の騒動で明るみになった、綾の両親の秘密を。他でもない、綾自身の口から聞かされたのだ。

 

『——わたしの両親……実はさ……』

 

 それは、後ろめたさから思わず溢してしまった綾自身の罪の告白だ。

 自分の両親が悪いことをして生きてきた人間だと。それを友達に不意打ちで知られてしまうより、自分から話して楽になってしまおうと。綾はまなたちに口を滑らせていたのだ。

 その事実を話した際は、それこそ軽蔑されてしまうのではと、覚悟はしていたようだが——

 

『——そんなの関係ないよ!』

 

 綾の不安をまなたちは一蹴した。両親の過去の罪状など関係ないと。

 魔が差してしまうことは誰にでもある、大事なのは——そこから立ち直れるかどうかだと。

 

 結果として、綾の両親はそこから這い上がってきた。ならばそれ以上、まなたちが四の五の言う必要など何処にもない。

 

「それ以上しつこいようなら、鬼太郎や猫姉さんに言いつけますからね!!」

 

 半端な揺さぶりなど、彼女たちには効果がなかった。

 まなはねずみ男を退散させようと、鬼太郎たちの名前を出して逆に揺さぶりをかける。

 

「むむむ……」

 

 鬼太郎、おまけに猫娘にまで首を突っ込まれては、さすがにねずみ男も黙るしかない。

 そのまま尻尾を巻いておめおめと逃げ出すかと——そう思われたときであった。

 

 

「——どけ、ねずみ男! 貴様のやり方は、まどろっこしいわ!!」

 

 

 ねずみ男ではない、何者かの大きな声が店内中に響き渡る。

 

 

 

 

 

「誰よ!? ……って、デカッ!!」

「っ!? な、なんですか、貴方は!?」

 

 その声の主の登場に、雅と姫香の二人が思わず息を呑む。

 

 その男は、店の出入り口を塞ぐかのように扉の前に仁王立ちしていた。筋骨隆々の大男。見かけから威圧感がたっぷりであり、並の人間の胆力では一瞥しただけでたじろいでしまうほどの迫力がその男にはあった。

 口元は鬼めいたマスクによって覆われており、よく見れば額に二本の小さな角が生えている。

 体格も相まって人間離れ。いや、明らかに人間ではないオーラを全身から放っている。

 

「——き、金鬼の旦那!? も、もうちょっと待ってくれ! 今話をつけるところだから!!」

 

 その男と顔見知りなのだろうが、何故かねずみ男もビビりまくっている。

 金鬼(きんき)——と呼ばれたその男。ねずみ男の制止も聞かずズカズカと、喫茶店の中を無許可で踏み荒らしていく。

 

「この店の店主は……貴様か?」

「な、なんだお前は……ぐっ!?」

 

 金鬼の恫喝混じりの問い掛けに対抗し、店の責任者として智也も強気に睨み返す。

 だがそんな彼の虚勢を、金鬼は無慈悲な暴力で黙らせる。その首元を問答無用で掴み上げ——片手の腕力だけで彼の体を持ち上げていく。

 

「あなたっ!?」

「お父さん!?」

 

 一家の大黒柱の危機に妻の睦子と娘の綾が悲鳴を上げる。だが家族の悲痛な叫びも虚しく、一切の抵抗が無意味。「ぐ……っ!?」と苦しむ智也の首をさらに締め上げながら、金鬼とやらがドスの効いた声で自身の要求を突きつける。

 

 

「——今日よりこの土地は我ら『四鬼(よんき)組』が面倒を見てやる。痛い目を見たくなければ、黙って上納金を納めるがいい!!」

 

 

 この男の狙いも『金』であった。しかもねずみ男のように回りくどい手段はとらない。単純な暴力、恐喝によって無理矢理にでも人様の財産を奪っていく腹づもりだ。

 そのやりようは、『ヤクザ』というより『半グレ』そのもの。

 あまりに直接的な手段を前に、彼の共犯者らしきねずみ男も冷や汗をかいている。

 

「よ、よしてくれ、金鬼!! ここはあんたたちが幅を利かせてる伊勢や伊賀とは違うんだ! 下手な真似しようもんなら、すぐにでも鬼太郎が駆けつけて、全部台無しにしちまうぞ!!」

「そ、そうよ!! こんなことして、鬼太郎が黙ってないんだからね!」

 

 ねずみ男は鬼太郎に首を突っ込まれたくないらしく、まなも彼の名前を出して大男を下がらせようとする。

 だが、泣く子も黙る鬼太郎の名前を出したところで、金鬼の暴挙が止まることはなく。

 

「——笑止!! 鬼太郎が怖くて妖怪ヤクザが務まるものか!!」

 

 怖いもの知らずの妖怪ヤクザ——極道者として、彼は声高らかに叫ぶ。

 

 

 妖怪ヤクザ。

 妖怪のことを知って二年になる犬山まなですら聞いたことのない用語だが、妖怪はいつの時代も人の歴史の影。社会の裏側を隠れ蓑にするものだ。

 そして、人間社会にもはみ出し者——ヤクザや極道と呼ばれる集団がいる。妖怪の中にはそういった組織の中に紛れ、そこに生きる人間たちを模倣する形で独自の生態系を維持するものもいる。

 

 それこそが、妖怪ヤクザ——所謂『妖怪任侠』と呼ばれる集団である。

 

 彼らは他の妖怪たちよりも、さらに陽が届かない裏社会を住処としている。そのため滅多なことでは人前に出ることもなく、鬼太郎と揉め事を起こすこともほとんどなかった筈であった。

 

 

「呼びたければ呼ぶがいい!! あんな噂だけの小僧、この金鬼が返り討ちにしてくれる!! ガハッハハハ!!」

 

 しかし、この金鬼という極道妖怪。いかなる理由かは知らないが、こうして表舞台に堂々と姿を晒している。

 それなりに腕っぷしにも自信があるのか。鬼太郎の存在を必要以上に恐れてもいない。自信満々に高笑いを上げ、さらに調子に乗って石橋家の人間を締め上げていく。

 

「——っ!! 鬼太郎、猫姉さん!!」

 

 これに危険な気配を感じ取ったまながすぐにでも鬼太郎に連絡を入れようと携帯を取り出す。

 鬼太郎への直通ラインは猫娘への電話だ。猫娘にSOSを伝えれば、すぐに鬼太郎も駆けつけてくれるだろう。

 

 

 

「——おいコラ、デカブツ……」

 

 

 

 だが、まなが猫娘に連絡を取るよりも先に彼女が——風祭フーカが動いていた。

 

「ああん? なんだ小娘、邪魔をするなら貴様も容赦は——」

 

 彼女は金鬼に罵声を浴びせ、金鬼もそれに反応してフーカを睨みつける。自分の邪魔をすれば女子供でもタダでは済まさないと、威嚇的な眼光で彼女を黙らせようとしていた。

 

 しかし金鬼が威嚇するよりも先に、フーカはどこからともなく取り出していた木製バットを構える。

 

 

 そしてそのバットを——思いっきりフルスイング。

 

 

「——チョコレート!!」

 

 

 謎の掛け声と共に放たれた全力の一撃が、見事に金鬼の顔面にクリーンヒット。

 

 

「ガハッ!?」

 

 

 野太い悲鳴を上げながら、金鬼は吹っ飛ばされていき。

 

 

 その巨体が——喫茶店の壁に大穴を開けながらぶっ飛んでいった。

 

 

 

×

 

 

 

「……ゴホッ! ゴホッ!」

「あなたっ!?」

「お、お父さん、大丈夫っ!?」

 

 金鬼が吹っ飛ばされたことにより、首を絞められていた智也が解放された。咳き込む彼に睦子と綾が慌てて駆け寄っていく。

 

「あ、ああ……大丈夫だ。……け、けど……み、店が……」

 

 智也は苦しみから脱したことに安堵しつつ、店の損害に目を丸くする。

 助けられたとはいえ、さすがにこれは被害がデカすぎる。風穴が開いてしまった店の壁面を前に智也は顔面蒼白になっている。

 

「…………ちょっ!? ふ、フーカさん!?」

 

 これには、まなも唖然となった。

 人を助けるためとはいえ、いきなり相手の顔面に問答無用でバットを叩きつけたフーカの凶行に驚き、さらにその結果もたらされた破壊の爪痕に言葉を失う。

 店の壁に大穴を開けるほどの勢いで金鬼なる妖怪を吹っ飛ばした少女——風祭フーカ。人間を自称しているが、その怪力は明らかに人間の域を逸脱している。

 

 いったい、彼女は何者だというのか。

 

「よーし!! いい感じにかっ飛んだわね!」

「素晴らしいスイングデス、お姉様! これが野球の試合なら、場外ホームラン間違いなしなのデス!!」

 

 一方で、金鬼をぶっ飛ばしたフーカは満足気に汗を拭う。デスコも喝采を上げ、姉であるフーカのバッティングセンスをよいしょよいしょと持ち上げる。

 まさにスポーツ感覚、バッティングセンターでのワンゲームを終えた高校球児のように盛り上がっていた。

 ところが、その一撃で終わりはしなかった。

 

「——こ、小娘ェエエエエエエエエエ!!」

 

 バットでおもくそぶん殴られた金鬼だが、肉体そのものは無事。彼は小娘にしてやられた屈辱に顔を歪めつつ、瓦礫を押しのけながら体を起こす。

 今一度、フーカたちの眼前へと立ち塞がる。

 

「へぇ~……今のくらって立てるんだ。結構ガッツあるじゃない……チンピラにしては!」

 

 すぐにでも復活した金鬼にフーカは感心したように呟きつつ、少々皮肉っぽく吐き捨てる。

 いくら頑丈であろうと、所詮は一般人から金を巻き上げるようなチンピラに過ぎないと。彼の存在そのものを格下と見下した発言だ。

 

「ほざけ!! その程度で倒される私ではない。私は金鬼! 藤原千方(ふじわらのちかた)の四鬼の中、最も堅固な肉体を持つ鬼なのだ!! 見ろっ!!」

 

 だが金鬼も負かされてばかりではない。転んでもタダでは起きないとばかりに、彼は自分を殴ったフーカの獲物——木製バットを指差す。

 見れば彼女のバット——中の方からポッキリと、芯が完全に折れてしまっている。

 

「ありゃりゃ? これじゃ、もう使いもんにならないわね、このバット……」

「ハッ!! そんな得物で私を殴るからだ!! この金鬼の堅固さ、甘く見てもらっては困る!!」

 

 フーカの無茶な怪力と、金鬼の驚くべき堅固さ。その二つが衝突を起こしたことでバットの方が耐えられなくなってしまったのだ。

 フーカは武器を失い、無防備となってしまう。

 

「さて……これだけのことをしたんだ。覚悟は出来ているのだろう?」

 

 しかし、無抵抗になったからといって容赦はしない。

 ヤクザに逆らえばどうなるか、金鬼はフーカを徹底的に痛めつけようと彼女へとにじり寄っていく。

 

「に、逃げてください、フーカさん!! デスコちゃん!!」

 

 これに悲鳴を上げるよう、まなは二人の避難を促す。

 いくらなんでも素手で妖怪の相手などできない。フーカが本当に人間であれば尚のこと、これ以上は逃げるしかないと。

 

「ふん……いきがってくれるじゃない、三下!!」

 

 しかし、フーカは退かなかった。

 彼女はニヤリと口元を歪めつつ、デスコへと。これまた謎の号令を掛け——空高く大ジャンプ(その際、店の天井を躊躇なく破壊していく)。

 

 

「——やるわよ、デスコ!! フォーメーション……アルティマウェポン!!」

 

 

 すると、その号令に合わせるよう、デスコもジャンプして叫んだ(勿論、店の天井は木っ端微塵)。

 

 

「——ラジャーなのデス、お姉様!! チェンジ・デスコ……スイッチ・オン!!」

 

 

「???」

「???」

 

 

 唐突に始まってしまった何かに、クエスチョンマークを無数に浮かび上がらせる一同。

 だが次の瞬間——それらが全てビックリマークへと置き換わる。

 

 

『——魔チェェエエエエエエエエエエエエエンジ!!』

『——な、なにぃいいいいいいいいいいいい!!!』

 

 

 ありのまま起こったことを説明しよう!!

 空高くまで舞いあがったフーカとデスコ。両者の影と声は空中で重なり合い——刹那、デスコが『剣』へとフォームチェンジ!

 禍々しい姿の魔剣となったデスコをフーカが握り締め、美少女剣士・風祭フーカがここに降臨したのである!!

 

 

 

「…………いやいや!! 待て待て!? なんなんだそれは!?」

 

 

 よくよく考えれば意味不明な仕組みだが、こういうのは突っ込んだ方が負けである。

 フーカたちも、戸惑う金鬼の問い掛けになどいちいち答えない(というか、本人たちも理解していない)。

 

 

「さあ、いくわよ……覚悟しなさい!!」

 

 

 そのまま問答無用、風祭フーカは勢いに任せて戦いのゴングを鳴り響かせる。

 

 

 

「——ドリームファイト……レディィイイイイイイイ……ゴ————ッ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、戦いは呆気なく終わりを告げる。

 

 

「う……ば、バカな。こんな訳もわからん連中に……この金鬼が……」

 

 最強の魔剣を手にしたフーカが、金鬼という名の鬼をボッコボッコに叩きのめす。金鬼も金鬼で頑張ったのだがいかんせん、フーカたちの攻撃が苛烈すぎた。

 途中までは自慢の堅固さで何とか耐え忍んでいた金鬼も、彼女たちの武装合体したコンビネーションアタックは最後まで受け切れず。

 最終的には根負けし、店の隣に広がっていた空き地へと、その身を沈めることとなる。

 

「ふぅ~……やれやれ、ようやく倒れやがったわね、しぶとい奴だったわ……」

「ですが、お姉様……これでこの商店街の平和は保たれたのデスね……」

 

 金鬼を倒したことで達成感に満たされるフーカと、いつの間にか元の姿に戻っているデスコ。

 喫茶店モモを含め、この商店街一帯から甘い汁を吸おうとしたならず者・金鬼はぶちのめした。これでこの地域は平和になるだろう。

 彼女たちは大袈裟にも世界を救ったような気分に浸り、その場からクールに立ち去ろうとする。

 

「——あの……」

 

 しかし、それで一件落着とはいかない。喫茶店モモの店長である智也がフーカたちを呼び止め。

 

「……うちのお店の被害は……どなた様に請求すれば……」

「ギクッ!?」

 

 彼女たちがノリと勢いでぶっ壊した店の賠償金、それを遠回しに請求してきたのだ。

 

「…………ええっとね……ちょっと、ちょっと待っててちょうだいね……ほほ、ほほほっ!!」

 

 これに困り顔になるフーカ。すぐさまデスコとヒソヒソ話を始めていく。

 

 

『……どうすんのよ! お店を修理する修繕費なんて、そんな大金持ち合わせてないわよ!』

『ですが、お姉様。これは不可抗力なのデス! 勝利のためのやむを得ない犠牲なのデス。ここはあの人たちに諦めてもらうしかないデス!』

『んなこと言ったって……ここで何もしないで去ったら後味悪すぎでしょ! お菓子だってご馳走してもらったんだから!』

『じゃあどうするデス? あっ? なんなら、プリニーさんたちに来てもらって直してもらいますデスか?』

『そ、それよ!! グッドアイディアよ、デスコ!! じゃあ、さっそく……』

 

 

 話し合いの末、一応は何らかの解決策を得られたのか、少女たちの顔が明るくなる。

 フーカは懐からスマホ端末を取り出し、どこかしらへと連絡を取ろうとする。

 

「——き、貴様ら!! こんなことして、タダでは済むと思うなよ!!」

 

 すると、倒れていた金鬼が瀕死な体で地面を這いずりながら、フーカやデスコへと恨み節を炸裂させる。

 

「我々の崇高な志を邪魔したこと……必ず後悔させてやるぞ!!」

 

 我々という言葉から、金鬼が決して一人ではないことが分かる。

 先ほども『四鬼組』と、自らが所属する組織の名を口にしていた。もしかしたら、すぐにでも彼の仲間が報復にやってくるかもしれない。そのことに石橋家の面々が「ビクッ!」と肩を震わせてしまう。

 

「はぁ!? な~にが、志よ! 普通に生きてる人たちからお金巻き上げようとするチンピラが、偉そうに吠えるんじゃないわよ!!」

 

 だが、風祭フーカにそのような恫喝通じない。彼女は電話を掛けようとした手を止め、這いつくばる金鬼を見下ろしながら堂々と物申していた。

 

「その通りなのデス! カタギの皆さんからお金を巻き上げるだなんて……そんなせこい金の集め方、ラスボスのすることではないのデス!!」

 

 これにデスコも賛同の意を示す。もっとも彼女の場合、お金を奪い取る相手を選べと言っているように聞こえてしまうが。

 いずれにせよ、彼女たちは金鬼の野蛮な行為を責めていた。だがそれで反省するようなら、最初からこんなことをしてはいないだろう。

 

「黙れ!! その金は全て、妖怪の復権のため、『先生』の活動資金として使われるものだ!! 断じて私利私欲で使われるものではない!」

 

 金鬼には金鬼なりの大義あると、奪い取る金が如何なる目的で使われるかを力説する。

 

「妖怪の……復権? 先生? それってどういう……ねずみ男さん、何か知りません?」

 

 金鬼の言葉に妖怪との繋がりが深いまながハッと目を見開く。金鬼の言葉の真意を尋ねようと、共犯者としてこの店に来ていたねずみ男に質問を投げかける。

 

 だが——既にそこに彼の姿はない。

 

「あの人ならとっくにどっか行ったけど……」

「…………」

 

 どうやら、フーカたちと金鬼の戦闘が始まった時点でそそくさと立ち去ったらしい。さすがの逃げ足の早さである。

 

 

 

「——ふん、くだらないわね!」

 

 一方、金鬼が口にした大仰な目的を、フーカは鼻で笑い飛ばしていた。

 

「どんなご大層な理想を掲げようと、アンタたちが善良な人々を困らせた事実に変わりはない!! そんな連中のやろうとしていることに、意義なんてあるわけがないわ!!」

 

 フーカは人としての正論をぶつけ、妖怪である金鬼の大義を真っ向から否定する。

 

「そんなくだらない目的のために、お店にこんな風穴まで開けちゃって……いったい、どう落とし前をつけるつもりよ!」

「……いや、それはお前がやったんだろ……」

 

 しかし、どうにも話がおかしな方向へと転がり込む。

 フーカは自分たちのやってしまったことまでも、どさくさに紛れて金鬼のせいにしようとしたのだ。これには、さすがの金鬼も呆れたように言い返すのだが。

 

「シャ————ラ————ップ!!」

「あでっ!?」

 

 と、叫びながら金鬼の頭をぶん殴り、彼を強制的に黙らせるフーカ。

 

「いずれにせよ、アンタたちが碌でもない集団であることに変わりはないわ!! そんな連中を放置しておくわけにも行かないし……何より、そんな目的のために人々のお金が使われるなんて耐えられない!!」

 

 そのまま、彼女は怒りと勢いに任せるまま——力強く宣言する。

 

 

「——これはもう徴収ね!! 徴収するしかないわ!!」

 

 

 

「…………」

「…………」

「……えっ? はっ? ……徴収、だと?」

 

 

 

 フーカの宣言に目を丸くする一同。

 いったい何をするつもりだこの女はと。デスコ以外の誰もがフーカの次なる発言を待つしかない。

 

「おお!! お姉様!! もしかして……アレをやるつもりデスか!?」

 

 妹分であるデスコにはフーカのやろうとしていることが分かっているのか。何故か嬉しそうに両手を万歳させる。

 

「ええ、やるわよデスコ!! 悪の組織の元に集められた悪銭なんか、根こそぎ徴収してやるんだから!!」

 

 デスコの期待に応えるように、フーカは立ち上がった。

 この金鬼の所属する『四鬼組』なるものたちへと天誅を下すため——いざ、闇夜を切り裂く美しい天使たち。

 

 

「——さあ!! 美少女怪盗団トライエンジェル出動よ!!」

 

 

 美少女だらけの怪盗団!! 『トライエンジェル』の出動をここに宣言したのである!!

 

 

 

 

 

 ちなみに——エンジェルと銘打っているが、フーカもデスコも天使ではない。

 唯一の天使である『彼女』も今回は欠席。トライですらないのであしからず。

 

 

 




人物紹介

 風祭フーカ
  ディスガイア4に登場する主要キャラの一人。
  プリニー帽子を被った女子中学生。本人はあくまで人間と言い張っていますが……勿論、ただの人間ではありません。
  その独特のテンション、最初のころはちょっと「うざいかな~」と感じた人もいたと思いますが、慣れてしまえばこれが結構癖になる。
  原作ゲームでは追加シナリオで主人公を務めたほど。
  今作でも原作通りのポジティブパワー、存分に発揮してもらいます。

 デスコ
  同じくメインキャラの一人。
  風祭フーカの父親、風祭源十郎によって造られた人工悪魔。今作では人工妖怪とさせてもらっています。
  妹として、フーカのためならば世界征服もなんのその!
  彼女のために立派なラスボスとなるべく修行中。
  フーカに比べると、割と常識的?
  ですが今回はストッパ―役がいないので、二人揃って大暴走しちゃいます。

 石橋智也、睦子
  まなの友達、石橋綾の両親。
  作中で名前を呼ばれることはありませんでしたが、一応EDに名前の表記があったので。
  原作87話『貧乏神と座敷童子』の話で登場。過去に詐欺会社を運営していたという、友達の両親にしては珍しい元悪人ポジション。
  一応は改心したということですが……人間の欲望は留まることを知りませんので。

 金鬼
  今作のゲスト妖怪……というか、やられ役。
  元ネタは『藤原千方の四鬼』という、何気に鬼太郎シリーズでは初登場かもしれない。
  今回は話の都合上、『妖怪ヤクザ』なるものを出したかったため、何か適当な妖怪はいないかなと。迷っていたところ、それとなくいい感じだったので出演してもらいました。
  見た目のビジュアルは筋肉ムキムキの大男。ぐだぐだイベントの田中くんをちょっと意識してます。
  金鬼の出番は今回限りですが、次回は他の鬼たちも登場します。
  ですが、彼らのポジションも……

風鬼「金鬼がやられたようだな……」
水鬼「フフフ……奴は四鬼の中でも最弱」
隠形鬼「小娘ごときに負けるとは、妖怪の面汚しよ……」

  てな感じです。
 
 次回でフーカとデスコの話は完結させる予定。
 なんとか、今年中には仕上げたいと思っています。
 
 
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔界戦記ディスガイア4 暴走姉妹フーカ&デスコ 其の②

FGO最新イベントのクリスマス。イベントとしては普通に面白く、いつものボックスガチャ。
ですが今回から一気に回すことが可能、これはだいぶ効率化が図れる!
今年は何箱まで行けるか、林檎をガッツリと齧りたい……

などと思っていましたが、次回のイベントでついにあのコヤンスカヤが登場!
『非霊長生存圏 ツングースカ・サンクチュアリ』。
レイドイベントの噂も流れていますし、そちらのために林檎を温存しておきたい気持ちも……。

いずれにせよ、FGOユーザーにとって熱い年末になることは間違いないでしょう!


今回でフーカ&デスコが主役の物語は完結です。
彼女たちの破天荒な暴れっぷり、どうぞ最後までお楽しみに!



 妖怪ヤクザ・四鬼組。彼らは伊勢や伊賀、三重県を縄張りとする地方妖怪である。

 

 構成メンバーの大多数が『鬼』であり、その中でも幹部として実権を握っているのが——『藤原千方の四鬼』と呼ばれる四体の鬼である。

 彼らは飛鳥時代、藤原千方という豪族の人間に仕えていた過去を持つ、歴史に名を残すほどの鬼たちだ。

 

 金鬼は、矢に射られても傷一つ付かない堅固さを誇る。

 風鬼は、強風を起こして敵陣を破壊する。

 水鬼は、水を自在に操り洪水や大雨を起こす。

 隠形鬼は、気配を断ち、姿を晦まし奇襲をかける。

 

 それぞれが得意とする『業』をもって、彼らは多くの人間たちを薙ぎ倒してきた。藤原千方の元を離れた後も、独自の勢力として四鬼組を結成。今日に至るまで妖怪ヤクザとして権勢をふるってきた。

 

 そんな彼らの組が、妖怪ヤクザ四鬼組が——

 

 

 

 今まさに、壊滅の危機に瀕していた。

 

 

 

 

 

「——ひ、怯むな!! 撃て撃て!!」

「——ここから先に通すんじゃない!!」

 

 港の倉庫街、黒服姿の鬼たちが怒号を上げながら拳銃を乱射している。

 ここは東京湾沿岸の倉庫街。東京進出を果たしていた四鬼組はこの倉庫周辺をアジトとし、ここからさらに勢力を拡大させるつもりでいた。

 元々は地方ヤクザでしかなかった四鬼組だが、昨今の妖怪情勢。妖怪の存在が半ば世間から認められようとしている波に便乗し、さらなるシノギに手を伸ばそうとしていた。

 そのための関東進出、彼らも今回の遠征には相当に気合を入れていた。

 

 だが、その関東で大した活躍をする間もなく、四鬼組は謎の勢力からの襲撃を受ける。

 

「——おりゃッス!!」

「——特攻っッス!!」

「——プリニーッス!!」

 

 それはペンギンのようなマスコットキャラに蝙蝠のような翼を生やした妖怪。

 自分で自分たちのことを『プリニー』と叫ぶ、謎の生物たちの群れであった。

 数十匹というプリニーたちが懐のカバンから短刀やら爆弾やらを取り出し、それを四鬼組に向かって一斉に投擲してくる。

 

「クソッ!! 何なんだこいつら!?」

「ボサッとするな!! こちらからもやり返せ!」

 

 怒涛の攻撃にやや押され気味な鬼たち。しかし、それだけでやられるほど四鬼組もぬるくはない。

 プリニーというペンギンたち。数こそは多いものの、一匹一匹の実力はそれほどではなかった。奇襲を受ける形で劣勢に立たされてはいるが、ここを耐え抜けば彼らにも立て直しを図ることが可能。

 実際、プリニーたちだけであれば鬼たちも、ここまでの苦戦を強いられることはなかっただろう。

 

 そう、敵がプリニーたちだけならば——

 

 

「——チョコレートっ!!」

「——おもちっ!!」

 

 

 プリニーの群れの中に異物として紛れている少女たち。好物である食べ物の名前を叫びながら、敵対する鬼たちを容赦なく叩き潰していく。

 

 プリニーという生物と似たような帽子を被った中学生ほどの少女。

 背中に異形な生物らしきものを背負った小学生ほどの少女。

 

「ほらほら!! ボサッとすんじゃないわよ!!」

「プリニーさんたち、もっと頑張るデス!!」

 

 その二人が明らかに戦力としてずば抜けて強く、彼女たちの指揮を受けてプリニーたちの勢いも苛烈さを増していく。

 

「りょ、了解ッス!!」

「フーカさんとデスコさんに続くッスよ!!」

「これも特別ボーナスのため……気合を入れてくッス!!」

 

 プリニーたちにとって彼女たち——フーカとデスコという少女たちは逆らえない存在なのか。

 もしくは、特別ボーナスという響きに釣られているだけなのか。

 

 いずれにせよ、彼らは益々調子に乗って敵勢力である鬼たちを蹴散らしていく。

 

 

 

「な、なんなんだ、あいつら……」

「ヤベ……ヤベェよ、あの女ども!?」

 

 この時点で、既に多くの鬼たちが戦意を喪失し始めていた。このまま成す術もなく訳も分からない連中に蹂躙されてしまうのかと。下っ端構成員はただただ震え上がるしかないでいる。 

  

 そんな中——

 

「——やれやれ、この程度の敵にビビりおって……それでも鬼か、情けない!」

「——どけ、若造ども! 此奴らの相手は我らが務める!」

 

 自信に満ち溢れた声が一帯に響き渡り、突如巻き起こる『風』が戦況を覆していく。

 

 

 

 

 

「ん……? う、うわああああ!! と、突風ッス!!」

 

 行進していたプリニー軍団を一陣の風が吹き飛ばす。それは唐突に巻き起こった突風であり、小さなプリニーたちをすぐ隣の海面へと容赦なく叩き落としていく。

 

「えええええ!? う、渦がっ……め、目が回るッス!?」

 

 さらに追い討ちとばかりに、落ちていった海上にいきなり『渦潮』が発生。海流に飲まれていくプリニーたちが目を回しながらガボガボと溺れていく。

 

「ちょっと、どうしたってのよ! しっかりしなさい!?」

「プリニーさんたちが……流されてしまったのデス!?」

 

 大多数のプリニーが戦線を離脱させられ、フーカとデスコが面食らった表情になっていく。彼女たちは突風を平然とやり過ごしていたようだが、プリニーたちの被害は甚大だった。

 かろうじて残ったプリニーの戦力を数えながら、少女たちは——『突風や渦潮を起こした敵主戦力』と正面から対峙することとなる。

 

「ふん! この程度か……他愛もない!」

「雑兵など、いくら束になろうと我らの敵ではないわ!」

 

 そこに仁王立ちしていたのは、筋骨隆々の大男。鬼めいたマスクで口元を覆い隠し、額に小さな二本角を生やした——言ってみれば、喫茶店モモに現れた『金鬼』の色違いのような鬼たちである。

 片方が緑っぽい、もう片方が青っぽい色彩をしている。

 

 

「我は風鬼(ふうき)!!」

「我は水鬼(すいき)!!」

 

 

 二人の大男は特に聞いてもいないがわざわざ自己紹介をしてくれる。

 そう、彼らも金鬼と同じく四鬼組の幹部。藤原千方の四鬼に名を連ねる二体の由緒正しき鬼である。

 

「貴様らだな? 金鬼を倒したという、小娘どもは?」

 

 風鬼は威圧感たっぷりにフーカたちを睨みつける。

 既に彼女たちが金鬼を打ち負かし、その勢いに乗じて自分たちを潰そうとやってきた襲撃犯であることは把握している。しかし、風鬼に焦燥感のようなものはなく、あくまでどっしりと構える。

 

「金鬼を倒した程度で調子に乗るでない! 所詮奴は硬いだけが取り柄……我らには遠く及ばぬ存在よ!」

 

 水鬼も嘲るように吐き捨てる。

 同じ幹部の四鬼であろうと、自分たちと金鬼では格も実力も段違いであると。お前たちなど物の数ではないと偉そうに踏ん反り返っている。

 

「ぷぷぷっ! なにそれ? いかにも雑魚キャラが言いそうな台詞じゃない?」

「その通りデス、お姉様! よくて中ボス……ラスボスが口にするような台詞でないことは確かなのデス!!」

 

 それと対峙するフーカたちも堂々としていた。

 プリニーたちを蹴散らしながら登場した風鬼と水鬼に怯むどころか、彼らの名乗りを陳腐なものであると揶揄うだけの精神的な余裕を見せつけていく。

 

「ふっ、愚かな小娘どもめ……せいぜい今のうちに調子に乗っているがいい。やるぞ、水鬼!!」

「おうよ、風鬼!! 我らに牙を剥けたこと……地獄で後悔させてくれようぞ!!」

 

 余裕綽々なフーカとデスコの態度に気を悪くしながらも、風鬼と水鬼は互いに呼びかけて攻勢に出る。自分たちに逆らった愚か者に天誅を下すべく、大技を繰り出そうと自身の妖気を高めていった。

 

 

「はああああっ!!」

 

 

 風を操る風鬼が天に向かって手を翳すと、上空の大気が風鬼の手のひらへと集まっていく。

 

 

「こおおおおおっ!!」

 

 

 水を操る水鬼は地に向かって手を突き出すと、海の水が水鬼の手のひらへと集まっていく。

 お互いに司る能力を最大限に高め——次の瞬間、かき集めたその力を二つに合わせる。

 

「で、出るぞ! 風鬼さんと水鬼さんの必殺奥義!!」

 

 これに周囲で待機していた四鬼組の妖怪たちが色めき立つ

 まさにこれこそ、風鬼と水鬼の必勝パターン。二人の力が合わさることで生まれる究極の奥義。その名も——

 

 

『——食らえ!! 水流大旋風波(スパイラルジェットストリーム)!!』

 

 

 水流を旋風に乗せて放つ波動攻撃、風と水の力を合わせた合体技。海流の渦が、まるで滝の如き勢いでフーカたちに向かって一直線に放たれる。

 

「すげぇ!! 水と風が一つになって、あの小娘共に迫っていく!!」

「これを破った妖怪は一人としていねぇ! 攻守共に完璧な技だ!!」

 

 下っ端の鬼たちが技の解説をしながら、勝利を確信して喝采を上げる。事実、この技を破ったものは未だかつておらず、風鬼と水鬼たちですらもその顔に勝利のニヤケ顔を浮かべている。

 

 

 しかし——

 

 

「ふん……デスコ!!」

「了解なのデス、お姉様!!」

 

 鬼たちの必殺奥義を前にしながらも平然とするフーカ。彼女は妹分であるデスコを信頼し、その技の迎撃を彼女に任せる。

 フーカの期待を一心に背負いながらデスコが一歩、その技の前に躍り出た。

 

「その程度の攻撃……デスコに通じると思ったデスか?」

 

 デスコは背中のユニット、触手部分に妖気を集中。次の瞬間、その触手の先っぽ二つの口がぱっくりと開き——それぞれの口から『灼熱』と『氷結』、二つの異なるエネルギーがブレスとして放たれる。

 二つの相反するブレスが、風鬼と水鬼の奥義と正面衝突。

 

 

 そしてあっさりと、あまりにもあっさりと。彼らの必殺技を『相殺』してしまった。

 

 

「な、なにぃいいいい!? 我らの奥義が……!」

「や、破られただと……!? ば、バカな!?」

 

 驚愕に目を見開く風鬼と水鬼。自分たちの奥義が破られるなどと、夢にも思っていなかったのか。彼らは呆然と立ち尽くすしかないでいる。

 

「ふはははっ!! ぼさっとしている暇はないデスよ!!」

 

 だがその間にも、デスコは次の攻撃準備に入っていた。立て続けに触手の口から灼熱と氷結のブレスを吐き出していく。

 

「だ、第二撃っ!? い、いかん!!」

「こ、こちらの準備がまだ……っ」

 

 慌てて風鬼と水鬼が応戦しようとするが、彼らが奥義を放つには数秒の『溜め時間』を必要とし、迎撃も間に合わない。

 結果、無防備な鬼二体のところへ、デスコのブレス攻撃が容赦なく叩き込まれていく。

 

 

「ぐぉおおおおおお!?」

「ぎゃああああああ!?」

 

 

 灼熱のブレスを浴びた風鬼が、全身を火だるまにしながら慌てて海へと飛び込んでいく。

 氷結のブレスを浴びた水鬼が、その場でカチンコチンになって身動きを封じられる。

 

 四鬼組が誇る幹部二人が、デスコの手によって易々と戦闘不能に陥ってしまう。

 

 

 

「ふっ、他愛もないデス。鎧袖一触(がいしゅういっしょく)とはこのことなのデスね……」

「が、がいしゅう? む、難しい言葉知ってるのね、デスコ……まあ、それはさておき!」

 

 デスコが難しい四字熟語で敵を容易く蹴散らしてしまった虚しさを表現するが、フーカにはその言葉の意味自体が伝わっていない。

 フーカよりも、デスコの方が博識であることが判明する。まあ、それはそれとして。

 

「よーし! これで邪魔者は消えたし……じゃんじゃん進むわよ、プリニー隊!!」

「りょ、了解ッス!!」

 

 敵の主戦力を薙ぎ倒したフーカたちは、プリニーの残存勢力をまとめ上げて再び進軍を開始する。

 

「——さあ、徴収よ! 徴収!! 悪の妖怪組織の溜め込んだ悪銭……たっぷり徴収してやるんだから!!」

 

 彼女たちの狙いはこの倉庫街にあるという、四鬼組のアジト。そこに保管されている金庫である。

 フーカはそこに納められている『金』を徴収しなければならなかった。

 

 全ては正義のために、信念のため。

 壊されてしまった(フーカたちが壊した)喫茶店モモを修繕するため。

 

 

 

 決して日本旅行を楽しもうだとか、スイーツ食べ歩きの費用に充てようとか。

 そんな邪なこと、考えてもいないので予めご了承ください。

 

 

 

×

 

 

 

「——な、なんだと!? 風鬼と水鬼の二人が……敗れたというのか!?」

 

 倉庫街の最奥にある四鬼組のアジト事務所。部下の報告に驚きを隠せないでいるのは最後の幹部・隠形鬼(おんぎょうき)である。

 彼は四鬼組の中でもリーダー格にあたり、四鬼たちを含めた全ての構成員を統べる立場にある。

 黒っぽい衣装に筋骨隆々の肉体。鬼めいたマスクに小さな二本角。やはり彼の容貌も他の四鬼たちと似通ったものになっている。

 

 だが、隠形鬼は他の四鬼よりも直接的な戦闘力に乏しく、どちらかといえば頭脳派担当。特に近年は裏方業務に回ることが多い。

 無論、下っ端妖怪たちよりは高い戦闘力があるのだが、風鬼と水鬼のゴールデンコンビには隠形鬼とて敵わない。

 

 風鬼と水鬼が倒された時点で、既に四鬼組に勝ち目などなかった。

 

「て、敵はすぐそこまで迫っております!!」

「お、お逃げください、隠形鬼様!!」

「ここは我らが時間を稼ぎます!! その隙に……」

 

 報告に来た側近の鬼たちもそれを理解しているのか、組のトップである隠形鬼に一時撤退を進言する。既に組織は壊滅寸前だが、組を指揮する隠形鬼が無事であれば立て直しを図ることも出来るだろう。

 そのためであれば自分たちは捨て駒になると、組織への献身を示す健気な手下たち。

 

「に、逃げろだと!? ふざけるな!! そんな恥知らずな真似が出来るか!!」

 

 しかし、これに簡単には頷けないのがリーダーの辛いところ。

 どこの馬の骨とも分からぬ連中に好き放題にやられ、その果てに逃げ出した。そのような醜聞が外部に知れ渡れば面子丸潰れ。舐められたら終わりのこの稼業、たとえ生き残っても妖怪ヤクザとしての再起は絶望的だ。

 だがそれでも、それでも部下たちは訴える。

 

「隠形鬼様、貴方は生き延びねばなりません!!」

「生きて……妖怪の復権のために……『先生』のために力を尽くさねばなりません!!」

「……っ!!」

 

 妖怪の復権。それこそ、この四鬼組が最大の目的として掲げている理想の到達点。

 彼らはそのために妖怪ヤクザなどに身をやつし、アコギな商売をしてまで『先生』のため、金を掻き集めてきたのだ。

 その理想のためであれば、不名誉の一つや二つは致し方なし。たとえ泥水をすすってでも生き延びねばならないのだと。部下たちの必死な訴えが隠形鬼の心を動かす。

 

「…………分かった。お前たちの言う通りだ。恥辱ではあるが……ここは引こう」

 

 屈辱にその身を震わせながらも、隠形鬼は生き残るために逃げる道を選んだ。

 活動資金である金が詰まったジュラルミンケースを大事に抱え込み、修羅場と化していく戦場からの離脱を試みる。

 

 

 だが、一歩遅かった。

 

 

「……っ!? 伏せっ——!!」

 

 

 手下の一人が『何か』に気づき、仲間たちに警告を促そうとする。

 しかし、彼の声が発せられるよりも先に——

 

 

 突如、事務所内が閃光によって包まれていく。

 

 

 

 

 

「——よし!! 命中♪」

「——おおっ! これはまた、派手に爆発したのデス!!」

 

 フーカとデスコ。そしてプリニーたちが爆発する建物を遠巻きに眺めている。

 

 あの建物こそ敵アジトの事務所。それをプリニー隊からの報告で知ったフーカ。彼女はその手に握り締めた木製バットを用い、躊躇なく爆弾をあの建物へと打ち込んだのだ。

 爆発によって真っ黒な煙が上がる事務所。果たして中にいるものたちの運命は如何に!?

 まあ、無事に済んでいないことは誰の目にも明らかだが、そこで終わらせるほどフーカもデスコも慈悲深くはない。

 

「さあ、プリニー隊! さっさとお金を徴収してくるのよ!!」

『アイアイサーッス!!』

 

 フーカは黒煙が上がる事務所への突入をプリニー隊に指示する。

 プリニーたちもその命令を忠実に実行すべく、敵の屍が転がっているであろう建物へと殺到していく。

 

 だが——

 

 

「——髪の毛針!!」

「いたっ!? いたたたたッス!!」

「——リモコン下駄!!」

「ぎゃん!?」

 

 

 上空より銃弾のように飛来した針、そしてライフル弾のように飛んできた下駄によってプリニーたちが吹っ飛ばされる。

 思わぬ形で突入を阻止され、彼らは建物に近づけない。

 

「むっ! 何者デスか!?」

 

 この後に及んで誰が自分たちの邪魔をするのかと、針や下駄が飛んできた方角へと目を向けるデスコ。

 するとそこには——

 

「……そこまでだ、キミたち」

 

 暗闇の中から、一人の男の子が姿を現す。

 下駄にちゃんちゃんこという、時代錯誤な格好をした少年。何者だという少女たちの疑問に、彼は静かな声で答えていく。

 

「ボクは……ゲゲゲの鬼太郎だ」

 

 

 

 

 

 ゲゲゲの鬼太郎がこの場に駆けつけてくるまでには、ちょっと複雑な経緯が語られる。

 

 まず最初、彼は犬山まなから『友達の家が妖怪ヤクザなるものたちから理不尽な脅迫を受けた』という連絡を猫娘を通して知らされた。詳しく話を聞くに、そのヤクザたちにはねずみ男が一枚噛んでいるというではないか。

 激昂した猫娘がねずみ男をとっちめ、彼から詳しく事情を聞きだしていく。

 

 ねずみ男の話によると、彼は妖怪ヤクザ・四鬼組の関東進出に協力してやっていたという。

 藤原千方の四鬼が率いる四鬼組。地元では結構有名な鬼たちだが、所詮彼らは田舎者。何の後ろ盾もない状態で関東進出など容易く出来るわけもなく、地盤固めの段階から相当に苦労していたとのこと。

 

 そこで名乗り出た、ねずみ男。彼は困窮している四鬼組に言葉巧みに取り入り、関東での口利きを引き換えに金銭を要求したのだ。実際、ねずみ男の仲介によって様々なシノギに手を伸ばすことに成功した四鬼組。

 徐々にだが確実に、関東での地盤を確立していった。

 

 しかし、その四鬼組の順風満帆なヤクザ道に暗雲が立ち込めることとなった。

 謎の少女たち、フーカとデスコの登場である。

 

 まなの話によると、彼女たちは四鬼組が溜め込んだお金を徴収すべく、彼らに喧嘩を売りにいったとのこと。

 フーカたちの身を心配したまなが、鬼太郎に彼女たちの様子を見てきて欲しいとお願いしたため、彼は四鬼組のアジトへと単身で乗り込んだのだが——

 

「これは……ひどいな……」

 

 現場へ駆けつけた鬼太郎。彼は死屍累々と横たわる(一応、息はある)四鬼組の面子を目の当たりにし、自身の考えを改める。

 ここに来るまで、鬼太郎は四鬼組の鬼たちを止めるため。その活動を自粛させ、人間社会への手出しを控えさせるために彼らを説得しようと決意を固めていた。

 フーカやデスコという少女たちのことは二の次、あくまで四鬼組を止めることを目的としていた。

 

 だが、鬼太郎が説得する相手は四鬼組ではなかった。彼らを瀕死に追いやったあの少女たちこそ、鬼太郎が止めるべき相手だったのだ。

 こうして、鬼太郎は暴走するフーカとデスコの前に立ち塞がっていた。

 

 

 

「何よ、アンタ。いきなり出てきて……アタシらになんか用?」

 

 プリニー隊を蹴散らした鬼太郎に、フーカは気を悪くしたように突っかかる。

 相手が誰かも分からないフーカにとって、鬼太郎の存在は邪魔者以外の何者でもない。自分たちの『正当』な徴収を邪魔するイレギュラー。イケメンだからといって、決して許されることではないのだ。

 すると一匹のプリニーがフーカへと歩み寄り、鬼太郎が何者なのか説明を入れてくれる。

 

「フーカさん、フーカさん……ありゃ、ゲゲゲの鬼太郎ッスよ」

「ゲゲゲの……鬼太郎? ゲゲゲって……なに、それ苗字?」

「日本じゃ割と有名な妖怪らしいッスよ? なんでも……困っている人間の相談に乗って、悪い妖怪を退治してくれるとかなんとか……」

 

 そのプリニーが語った内容もあくまで聞き齧ったレベルの噂話だ。鬼太郎自身は決して人間の味方というつもりはない。

 

「まなからキミたちのことは聞いてる。風祭フーカと……デスコというのはキミたちのことか?」

 

 鬼太郎は相手を落ち着かせるため、自分が犬山まなの知り合いであること、彼女の頼みを受けてここまで来たことを話す

 

「あら? なんだ~! まなっちの知り合い? それならそうと言いなさいよね!!」

「おおっ!! まなっちさんの友達デスか!!」

 

 すると、険しかったフーカとデスコの表情が途端に柔らかくなる。

 

 まなっちと。喫茶店モモで知り合ったまなのことをニックネームで呼んでいることから、彼女や他の同級生たちには既に親しみを抱いているのだろう。

 その知り合いということから、鬼太郎にもフレンドリーに接するフーカたち。だが——

 

「色々と言いたいことはあるが……とりあえず、今日はもう帰るんだ。これ以上、彼らを追い詰める必要はない」

 

 鬼太郎はフーカたちに矛を納め、そのまま家に帰るように促す。公平な目線から見て、これ以上はただの一方的な暴力だと。四鬼組への執拗な攻撃を止めさせようとする。

 

「はぁっ!? 帰る? バカ言わないでよ! 肝心の獲物をまだ頂戴してないのに、帰るなんて出来るわけないじゃない!!」

 

 しかし、その説得を素直に聞き入れる訳もなく。フーカはまだ目的を果たしていないと鬼太郎の要求を突っぱねる。

 

「アタシたちは怪盗……美少女怪盗団トライエンジェルなのよ!? 怪盗が獲物を前にみすみす引き下がるなんて、怪盗の名折れ……ここまで来た以上、きっちりお金は徴収して帰らないと!!」

「そ、その通りなのデス! デスコたちは怪盗としてのお仕事でここまで来たデス! タダ働きのままでは引き下がれないのデス!」

 

 そう、本人たちも忘れていたが、彼女たちは正義の怪盗——『美少女怪盗団トライエンジェル』としてここまで来たのだ。

 やり口が思いっきり強盗だとか、予告状はどうしたとか、トライなのに二人しかいないとか。

 色々なところからツッコミやクレームが来そうなフーカたちの行動だが、それを指摘するほど鬼太郎は怪盗とやらのお約束に通じてはいない。

 

「…………どうしても、引く気はないのか?」

 

 心中であまりこの子たちに関わりたくないと思いながらも、説得は不可能と判断。

 多少なりとも力を行使する必要があると、気乗りはしないが戦闘態勢に構える。

 

「あら、やる気? 何よ、上等じゃない!!」

「お姉様の邪魔するもの……誰であろうと『死』あるのみデス!!」

 

 鬼太郎の戦意を読み取り、フーカとデスコもすかさず身構える。

 

 港の倉庫街で——少年と少女たちが臨戦態勢で対峙する。

 

「…………」

「……ゴクリッス」

 

 その光景を固唾を呑んで見守るプリニーたち。彼らはあくまで傍観者に徹するようだ。

 このままなし崩し的に戦闘に入るのかと。

 

 そう思われたときである。

 

 

「——お前ら……何をやってるんだ!!」

 

 

 鬼太郎とは別の少年の怒号が響き渡り、その場にいた誰もがその声がした方を見上げる。

 

 

 

 そこに立っていた人物も少年だった。

 黒煙が上がる四鬼組の事務所。その建物の上から、月を背にして現れた——フードを被った男の子。

 

 その背には身の丈ほどの『大鎌(デスサイズ)』が背負われている。

 

 大鎌——それは魂の収穫者『死神』の得物であり象徴。

 死神——それは彷徨える霊を刈り、その魂を正しい道筋へと導く死の使い。

 

 日本の死神族は骸骨のような顔つきにしゃくれた顎が特徴的だが、少年はその特徴には該当していない。

 そう、死神は死神でも、彼は日本死神ではない。

 

 

「これ以上の勝手は……このボクが許さないからな、フーカ、デスコ!!」

 

 

 彼は西洋死神——死神エミーゼル。

 それがその少年死神の、個人としての名前である。

 

 

 

×

 

 

 

「キミは……!?」

 

 死神エミーゼルの登場に鬼太郎はやや緊張に身を強張らせる。

 彼は先日、犬山まなの大伯母の魂を刈り取り、その命を終わらせた死神だ。それは死神としての正当な業務ではあったが、まなを大いに悲しませる原因にもなっている。

 それ故に鬼太郎の心中は複雑。敵対心というほどではないが、エミーゼルに対してどこかしら警戒心を抱いてしまう。

 

「あら……誰かと思えばエミーゼルじゃない。こんなところで何してるのよ?」

「久しぶりデスね、エミーゼルさん!!」

 

 だが鬼太郎とは正反対に、フーカとデスコの二人がエミーゼルに平然と声を掛ける。その反応を前に鬼太郎もエミーゼルに話しかける。

 

「彼女たちと知り合いなのか……死神エミーゼル?」

 

 やや張り詰めた鬼太郎のその問いに——

 

「……知り合いといえば知り合いだけど……正直、知り合いたくなかった……」

 

 エミーゼルは何とも複雑そうな顔で渋々と頷く。その表情は真面目な死神としてのそれではなかった。年相応に少年らしい感情を昂らせ、彼は声高々に叫ぶ。

 

「お前たち、いったいどういうつもりだ!? プリニーたちまで巻き込んで……こんな大それた真似しやがって!!」

「ひぃっ!? も、申し訳ありませんッス!! エミーゼル坊ちゃん!!」

 

 彼の激昂する様子にプリニーたちが揃って平伏する。

 エミーゼルは西洋地獄においてかなり重鎮の死神王、その息子である。権力者の怒りを買いたくないという一心で、フーカたちに従っていたプリニーたちが一斉に武装放棄していく。

 

「何って……決まってるでしょ? 徴収よ、徴収!!」

 

 もっとも、フーカやデスコたちにその権威が通じない。全く悪びれもせず、恥ずかしげもなくフーカは言い放つ。

 

「この国に蔓延る悪の組織を懲らしめて、ついでに連中の溜め込んだ汚いお金を綺麗さっぱり徴収するのよ!! そうすることでこの国は救われ、ついでにアタシたちの懐は潤う……まさに一石二鳥!! それがアタシたちの正義! 信念なのよ!!」

「…………せ、正義? し、信念……?」

 

 あまりにも滅茶苦茶な言い分に鬼太郎は眩暈がしてきた。そう思ったのはエミーゼルも同じだ。

 

「正義? 信念? お前たちの行動のどこにそんなものがあるんだ!? お前らのやっていることは強盗だ!! ただの犯罪だ!!」

 

 鬼太郎の言いたいことを代弁するかのように、全くの正論を説くエミーゼル。

 さらに彼は死神として、フーカという存在の根幹にまで切り込んでいく。

 

 

「——だいたい、フーカ! お前はプリニーの……死人の分際でそんな勝手が許されると思ってんのか!!」

 

 

「!! し、死人……?」

 

 聞き捨てならない単語に思わずギョッとする鬼太郎。その反応に答えるよう、エミーゼルはさらに声を荒げる。

 

「そうだ!! こいつはこれでも一応はプリニーなんだ!! そこにずらっと並んでいる連中と同じ……亡者の一員なんだよ!!」

 

 

 

 プリニー。

 

 ペンギンのマスコットキャラのようなふざけた見た目の謎生物だが、彼らにも『正体』がある。

 それはその皮の中身に、死んだ人間の魂が封じ込められているということ。彼らは妖怪であると同時に人間——『亡者』でもあるのだ。

 

 西洋において、死した人間の魂は西洋地獄へと送られ、罪深い人間はそのままプリニーとして加工される。

 プリニーとなった彼らは生前の罪を償うため、最下層の身分として地獄での過酷な労働を強いられる。   

 そして労働の対価として支払われる金銭、それを貯蓄することで『転生』する権利を得ることができるのである。

 

 何故プリニーなのか? どうしてお金を貯める必要があるのか? 大昔に偉い誰かが決めたことであり、その起源を知るものは現在では誰もいない。

 とにかく、プリニーとは働かされるもの。ただひたすら贖罪のため、労働に勤しむ者たちなのである。

 

 

 

 しかし、何事にも例外は存在する。

 

 

 

「——違~う!! アタシはプリニーでもなければ死んでもない!! これは夢なの! タチの悪い悪夢なのよ!!」

 

 この風祭フーカという少女。本来であれば他の罪人たち同様、プリニーとして加工される筈だった。

 だがちょっとした手違いにより、彼女は人間ボディを保ったまま、『プリニーの帽子を被せられる』という、中途半端な処置で落ち着いてしまったのだ。

 もっとも、それだけならば大した戦闘力もないただの亡者だ。地獄の住人として普通にこき使われるだけの日々を送っていただろう。

 

 ところが——

 

「ここはアタシの夢の中!! やってやれないことなんて……ないんだから!!!!」

「な、なんだ!? なんだかよく分からないけど……ものすごいプレッシャーを感じる!?」

 

 フーカの全身から、鬼太郎ですらもたじろぐほどの、凄まじい威圧感が放たれる。

 それは妖気でもなければ、霊気でもない。強いて言うならば『気合』。まさに火事場の馬鹿力ならぬ、乙女の思い込み!!

 この風祭フーカという少女。自分が死んだという現実を受け入れることが出来ず、眼前の出来事を全てを夢だと思い込んでいる。

 そして『夢の中なら何でも出来る!!』という思い込みから、『自身の潜在能力を限界以上まで引き出す』という、割ととんでもないことを平然と行なっている。

 ただの亡者の枠組みを越えた、規格外の存在なのである。

 

「お姉様……デスコもお姉様と共に戦うデス!! はぁああああああ!!」

 

 そして、それに付き従う妹のデスコも人工妖怪として規格外の存在。

 規格外の暴走姉妹の心が一つになるとき、彼女たちの織りなす世界観は混沌と化す。

 

 

「行くわよ、デスコ!! フォーメーション!! ウィー・アー・トライエンジェル!!」

「フォーメーション・ラジャー!! 準備オーケーなのデス、お姉様!!」

 

 

 互いに謎の号令を掛け合い、空高くまで舞い上がるフーカとデスコ。

 彼女たちは何故いちいち飛ぶのか? 何のフォーメーションなのか? 結局のところそれは誰にも分からない。

 

 いずれにせよ、彼女たちは引かない! 媚びない!! 省みない!!!

 たとえ誰が相手であろうとも、立ち塞がる全てを薙ぎ払い、必ずやお金を徴収してみせる。

 

 

「——エンジェルファイト……レディィイイイイイイイ……ゴ————ッ!!!!」

 

 

 それこそ『美少女怪盗団』トライエンジェル。

 美しすぎる天使たちに課せられた使命なのだから——

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……つまり……どういうことなんだ?」

「……いや、ボクに聞かれても分からないからな?」

 

 

 

×

 

 

 

 と、いうわけで。

 

 なんやかんやで始まってしまった、フーカ&デスコとゲゲゲの鬼太郎&エミーゼルのタッグマッチ。

 何故かエミーゼルと組むことになり、フーカたちと戦うことになった鬼太郎は「……あれ、何でボクここにいるんだっけ?」などと、当初の目的を忘れるほどに困惑していた。それくらい色々と思考が追いつかない。

 だが、そんな風に途方に暮れていられるのも束の間——

 

「くっ!! この子たち……!?」

 

 鬼太郎は予想以上の苦戦を強いられ、目の前の戦闘に集中することを余儀なくされる。それほどまでに、フーカとデスコの二人は冗談抜きで強かった。

 

「それっ!!」

 

 風祭フーカが手にした木製バットを振り下ろせば、その度に大地を揺るがすような一撃が襲いかかってくる。とても少女の華奢な身体から繰り出されるとは思えない。まさにゴリラ! ミスゴリラのようなパワー!!

 

「ふはははっ!! トラウマになるがいいデス!!」

 

 さらにデスコが高笑いを上げながら、背中の触手を縦横無尽にぶん回してくる。無邪気ながらも触手の一本一本に明確な殺意が込められており、鬼太郎も避けるのが精一杯。

 

 反撃の隙間など与えない怒涛の連続攻撃。姉妹を名乗るだけあって見事なコンビネーションアタック。さすがの鬼太郎でも、一人っきりであったのならやられていただろう。

 

「——このっ!! いつまでも調子に乗るなよ!!」

 

 だが今はエミーゼルという相方がいる。

 先日は敵として鬼太郎の前に立ち塞がった彼だが、今回は味方として援護をしてくれている。これが意外と頼もしく、知り合いというだけあってフーカとデスコの動きをある程度予測して動いている。

 

「今だ!! 合わせろ、ゲゲゲの鬼太郎!!」

「指鉄砲!!」

 

 彼女たちの隙を突く形で、ところどころ鬼太郎へと的確な指示を出す。

 二人の連携は即席ながらも悪くない。鬼太郎の多彩な技もあって、彼らはこの戦いを五分五分の状況へと持ち込んでいく。

 

 

 

「……ふん、案外やるじゃない……エミーゼルのくせに!」

「むむむ……なかなかやるじゃないデスか!! エミーゼルさんにしては!!」

 

 何合かの打ち合いの後、フーカとデスコが不満げに口を尖らせる。

 エミーゼルとの戦いなど楽勝とでも思っていたのだろう。なかなか決着を付けられない現状に不満タラタラな様子で顔を顰める。

 

「ボクだって成長してるんだよ!! いつまでもやられっぱなしのままで終わると思うなよ!!」

 

 エミーゼルはそんなフーカたちに「ざまあみろ!」とばかりに強気に叫ぶ。

 知り合いとしていつも苦労を背負わされている立場上、彼女たちの思い通りにならないのはこの上ない意趣返しとなる。いつもの仕返しとばかりに、エミーゼルはかなり生き生きと大鎌を振るっていく。

 

「ふふふ……甘いわね。この程度で喜んでるようじゃ……まだまだお子ちゃまよ!!」

  

 だが、フーカもデスコもまだまだ元気だ。そしてフーカはこの戦いに終止符を打つべく、懐から『切り札』を取り出す。

 

「覚悟しなさい!! アンタたちまとめて踏み潰してやるんだから!! この『プリニカイザーXX』の力でね!!」

「げっ!? お、お前……あんなもんを現世に呼び出す気か!? ば、馬鹿なことはやめろ!!」

「……プリニ、カイザー……なんだって?」

 

 フーカが見せつけたのは何かを呼び出すためのスイッチ——リモコンだ。それが何を呼び出すものなのかを察し、エミーゼルが慌てふためいている。だが鬼太郎には何のこっちゃ分からない。

 プリニカイザーXXとはいったい、なんぞや?

 

 

 説明しよう!!

 プリニカイザーXXとは——科学者であるフーカの父親・風祭源十郎が娘のために建造した、巨大プリニー型ロボっトである。

 黒鉄の怪鳥とも称されるそいつは目から怪光線を照射し、立ち塞がる全てを焦土と帰する。

 フーカの世界征服の野望を叶える、まさに夢のスーパーロボットなのだ!!

 

 

 

「おっほっほっほ!! 今更慌てふためいても、もう遅いわ!! さあ……覚悟なさい!!」

 

 自身の絶対的優位を確信するフーカの高笑いは、まさに世界征服の野望を抱く悪の組織の女幹部のようだ。

 テンションMAX、優越感たっぷりにプリニカイザーXXを召喚するスイッチのボタンへと手を伸ばしていく。

 

 

 

「——はぁあああ!!」

「へっ?」

 

 

 

 だが、フーカがボタンが押そうとした刹那——いきなり現れた大男が、決死の気合とともに彼女の手に握られていたリモコンを蹴り砕く。それにより、プリニカイザーXXが呼び出されることは何とか阻止する。

 その男の気配にはフーカを含め、その場にいた全員が現れる直前まで気付くことすら出来ないでいた。

 

「なっ!? いつの間に……誰よ、アンタ!!」

「俺は四鬼。藤原千方の四鬼……隠形鬼だ!!」

 

 その大男は四鬼組の幹部——隠形鬼であると、自身の立場と名前を堂々と告げる。

 そう、事務所と共に吹っ飛んでいたと思われていた四鬼の最後の一人だ。あの爆発の直後、彼は何とか建物の外へと命からがら脱出していたのだ。

 そのまま遠くへと逃げ出すことも出来たのだが、彼はそうしなかった。

 

 

「妖怪ヤクザを……舐めるなよ、小娘ぇええええ!!」

 

 

 自らの面子のため、犠牲になった仲間のためにも。自分たちを甘く見た小娘たちにせめて一矢報いるべく、得意の隠形で姿を眩まし、ずっと反撃の機会を窺っていた。

 その甲斐もあり、これぞというタイミングでフーカたちの意表を突くことに成功。隠形鬼は、妖怪ヤクザのプライドを見事に見せつけたのである。

 

「おのれぇ、死に損ないめ!! お姉様から離れるデス!!」

 

 しかし肝心要の隠形の技も、攻撃に転じてしまえばその姿も露見してしまう。姿が露わになった隠形鬼へ、デスコは姉の邪魔をされた怒りと共に襲いかかる。

 

「ぐっ…………ふん!!」

 

 デスコの攻撃、触手によってぶっ叩かれる隠形鬼。だが、彼はそこでも意地を見せるべく奮闘する。デスコの触手を捨て身の覚悟で掴み取る。

 

「なっ!? こ、このっ、離れるデス!! 離せデス!!」

「今だ……俺ごとやれ!! ゲゲゲの鬼太郎!!」

 

 そのままデスコの動きを封じ込め、本来ならば敵対していたかもしれない相手——鬼太郎に向かって自分ごと攻撃しろと叫んでいた。

 その決死な想いに、鬼太郎も応える。

 

「……っ! 体内……電気!!」

 

 遠距離から放たれる体内電気。雷が矢の如き勢いで注ぎ込まれ、デスコと隠形鬼の両者を諸共に感電させる。

 

「あべべべべべべ!?」

「ぬうううう!!」

 

 高圧電流の直撃を受けたデスコは黒焦げ。隠形鬼は余波だけで済んだが、それでも結構なダメージを受けて倒れていく。

 

「デスコ!?」

「! 今だ……これでも食らえ!!」

 

 妹が倒されたことに狼狽するフーカ。その隙を突く形でエミーゼルは大鎌の一撃を振るう。

 死神の大鎌はフーカの肉体ではなく、魂そのものにダメージを与える。

 

「…………あれ、力が……入らな……」

 

 その効果により、フーカは肉体が無傷ながらもその意識を失っていく。

 

 コロンと、力なく横たわる二人の少女。

 二人の暴走姉妹を何とか打ち負かし、この馬鹿騒ぎがようやく収束したのであった。

 

 

 

×

 

 

 

「ふぅ~……全く、手こずらせやがって……プリニー隊!! 今のうちにこいつらをふんじばれ!!」

『あ、アイアイサーッス!!』

 

 フーカとデスコを無力化してすぐに、エミーゼルは周囲のプリニーたちに彼女たちを縛り上げるように命令を下す。

 今は気を失っているが、タフな彼女らのことだ。いつ起き上がっても不思議ではない。

 今のうちに動きを封じ込め、そのまま彼女たちを連行するようプリニーたちに指示を出していく。

 

「……なんか、迷惑をかけたな……とりあえず、礼は言っておくよ……」

「……いや、キミが謝ることじゃない……」

 

 プリニーたちの監督をしながらも、エミーゼルは鬼太郎へと声を掛けた。一時的にとはいえ共闘を組んだ相手への礼儀であり、鬼太郎もその礼に応える。

 

「死神も……いや、キミも色々と大変なんだな……」

 

 その際、鬼太郎はチラリと気絶しているフーカやデスコたちを一瞥し、エミーゼルの苦労を偲ぶ。今宵、彼女たちと多少相手をしてやっただけでも、相当に疲れた鬼太郎。

 こんな相手が知り合いにいて、このような騒ぎを定期的に起こしているなどと、想像するだけでも胃が痛くなるというもの。

 

「分かるか? 分かってくれるか、ゲゲゲの鬼太郎。まあ、もう慣れたもんさ……はは、ははは……」

 

 同情してくれる鬼太郎に対し、エミーゼルは乾いた笑みで応える。

 強がってはいるが、その顔には疲労の色が濃く出ている。死神としての仕事のときは決して見せなかった表情だ。

 その顔色を見れば死神としての本分を果たすよりも、フーカたちの相手をする方がよほど疲れるであろうことは明白。

 

「じゃあな……」

 

 それでも、エミーゼルははっきりと弱みを口にすることはなく、しっかりとした足取りでその場を去っていった。

 

 

 

 

 

「大丈夫か、隠形鬼……?」

「はぁはぁ……気遣いなど不要だ。ゲゲゲの鬼太郎」

 

 エミーゼルたちが去ったことで、寂れた倉庫街には鬼太郎と隠形鬼だけがとり残される。鬼太郎は息も絶え絶えといった様子の隠形鬼を心配するが、それを余計だと彼は突っぱねる。

 

 妖怪ヤクザとして、妖怪の復権のために活動して人間を苦しめる四鬼組。

 人間の相談を受け、人助けのためなら場合によっては妖怪と敵対する鬼太郎。

 

 同じ妖怪でも両者の在り方は全くの正反対。一時的な共闘をしたが、それで彼らが仲良しこよしになれるわけではない。

 

「ふん……我らを討伐しなくていいのか? そのために、ここまで来たのだろう?」

 

 それどころか、隠形鬼は鬼太郎に挑発気味に吐き捨てる。自分たちを抹殺するなら今がチャンスだと、勝ち目などないだろうに相手の戦意を煽っていく。

 

「そんなつもりはない。今のキミらを、これ以上追い詰めるつもりは……」

「……」

 

 だが鬼太郎は妖怪だが、鬼ではない。いくら人間を苦しめる相手であろうとも、死人に鞭を打つような真似はしない。

 既に彼らの組は壊滅状態なのだ、これ以上何をどうしようというのか。

 

「それよりも、聞きたいことがある。キミたちが『先生』と呼んでいる妖怪、それはもしや……」

 

 その代わりに鬼太郎が尋ねたのは——四鬼組が先生と呼ぶ人物。

 彼らがその先生とやらを慕い、彼のために資金を集めていることは聞いている。

 

 その人物はもしや——あの妖怪なのではと、鬼太郎の脳裏に『とある老人』の顔が浮かび上がる。

 

「……その質問には答えられん。恩師を売るような真似、妖怪ヤクザのすることではない」

「…………」

 

 鬼太郎の問いに隠形鬼は何も答えなかった。妖怪ヤクザとして、あくまで仁義を貫く。

 

「どの道、この被害では組運営もままならん。暫くは活動自粛だ。地元に戻って一からやり直すしかない。先生に合わせる顔もない……」

 

 彼らは自分たちの未熟を恥じ、一からやり直す決意を固める。

 残った四鬼組の構成員たちをまとめ上げ、関東から姿を消していった。

 

 

 

 

 

 此度の騒動に関して。

 妖怪ヤクザ・四鬼組は風祭フーカとデスコの手によってほぼ壊滅。

 彼女たちもエミーゼルと鬼太郎、隠形鬼の活躍で捕縛。

 

 一連の騒動は痛み分けで幕を閉じ、日本に束の間の平和が訪れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、騒動の数日後。

 

 

「——綾ちゃん!! ギモーブとクリームソーダ! それから、シュークリーム追加でお願い!!」

「——デスコはマリトッツォってやつをまた食べたいデス!! 早く正式なメニューに加えて欲しいのデス!!」

「は、はい!! た、ただいまお持ちします!!」

 

 喫茶店モモには、何事もなかったかのように二人の少女——フーカとデスコが来店していた。

 自分たちが壊してしまった壁や天井の修理はプリニーたちに任せ、呑気にスイーツなどを注文。日本での観光を満喫している。

 

「お前ら……!! いい加減、西洋地獄に帰れ!! いつまで日本にいる気なんだ!?」

 

 そんな彼女たちの元へ、げっそりした様子のエミーゼルが駆け込んでくる。

 フーカとデスコを捕まえ、西洋地獄へと送り返してホッとしたのも束の間。彼女たちはそこから脱獄し、またも日本へと遊びに来ていたのだ。

 

 これにエミーゼルが何度も帰れと叫ぶも、彼女たちは頑なに首を縦に振らない。

 

「いや~よ!! アンタだけ楽しい思いをしよたって、そうはいかないんだから!!」

「そうデス、エミーゼルさんだけズルいのデス!! デスコたちもまだまだ遊び足りないのデス!!」

「ボクは留学生として死神の勉強のために来日してるんだ!! 遊び気分のお前らと一緒にすんな!!」

 

 

 あーでもない、こーでもないと騒ぐ少年少女。

 ワイワイガヤガヤと、騒ぐ少年少女。

 

 

 

 西洋地獄の住人である彼らを巡る物語は、もう少しばかり続きそうである。

 

 

 

 




人物紹介

 風鬼&水鬼
  藤原千方の四鬼の二体。それぞれ風と水を操る能力を持っている。
  中ボス。厨二っぽい必殺奥義を放つもあっさりと退場。咬ませ犬的な存在。
  決して弱くはないのですが……今回は相手が悪すぎたということで。


 隠形鬼
  藤原千方の最後の一体。一応、四鬼組を纏め上げる司令塔。
  姿を隠す『隠形術』を得意とする。
  予定ではこいつもあっさりと退場する筈でしたが、最後の最後で妖怪ヤクザとしての意地を見せてもらうことに。
  ちなみに、彼らが慕う『先生』は……本編でも暗躍するあの老人。
  先生の下に集う妖怪は、四鬼組の他にもたくさんいる。やはり油断できない、妖怪の総大将は……。


次回予告

「未だ日本に留まり、遊び惚けるフーカとデスコ。
 そんな彼女たちを連れ帰ろうと、西洋地獄からまたも来訪者が。
 しかも今度は……吸血鬼に狼男!?
 父さん、彼らは一筋縄ではいかない相手のようです!!
  
 次回――ゲゲゲの鬼太郎『吸血鬼ヴァルバトーゼ』見えない世界の扉が開く」

 というわけで、次回で『西洋地獄編』は完結。
 満を持して、あの方が登場します。

 お楽しみに……と言いたいところですが、残念ながら続きは来月。年を跨いでからになります。
 今年もあと数週間。少し早いですが……皆さん、よいお年を!





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔界戦記ディスガイア4 吸血鬼ヴァルバトーゼ 其の①

少し遅くなりましたが……明けましておめでとうございます!!
今年も本小説をどうかよろしくお願いいたします。

さて、去年にも書きました通り。新年最初のクロスオーバーは『ディスガイア4』の最終章。
西洋地獄シリーズと長く続きましたが、これにて完結でございます。
最後の章タイトル『吸血鬼ヴァルバトーゼ』となっていますが、彼以外のキャラクターも当然たくさん登場します。
また今回が話の総決算ということもあり、おそらく全三話構成くらいにはなると思います。

最後まで、どうかお付き合いいただければと……。




 西洋地獄。西洋地域に広範囲で広がっている、あの世。

 

 西洋で死んだ人間や妖怪はこの地獄へと送られ、それぞれの身の丈にあった『役割』が与えられる。

 人間の罪人がこの地獄へと送られる場合、特に例外がなければ『プリニー』に加工されることになっていた。

 

 プリニーは西洋地獄では最下層の身分にあたる。

 ペンギンのマスコットキャラのようなふざけた見た目の彼らだが、中に詰まっているのは罪人の魂だ。加工工場から出荷されたばかりのプリニーは、その大半が反抗的で刹那的。罪を償うために働くなど、とてもではないがそんな殊勝なことを素直に行う訳がない。

 

 そういった彼らの腐った根性を叩き直し、一人前のプリニーに教育するためにも。地獄には『プリニー教育係』なる役職が存在している。

 

 彼らの手で教育されることによって、初めてプリニーとして働く心構えが身に付き、語尾に『ッス』をつけられるようにもなる。

 だがこのプリニー教育係も、言ってしまえば閑職だ。誰も好き好んでこの職に就きたくなどなく、地獄の獄卒の中でも相当にやらかしたものがこの役職を押し付けられる。

 地獄でなりたくない職業、ぶっちぎりNo. 1。この役職に真面目に取り組むものなどいるわけもなく、適当な教育者のもとで育ったプリニーたちは適当な性格のまま、地獄各地へと派遣され、適当な仕事をしながら地獄での日々を適当に過ごしていくこととなる。

 

 そんな適当な流れが当然なものとして定着していた。だが——

 

 

 

 

 

 広大な西洋地獄、その中でもグツグツとマグマが煮えたぎる灼熱のエリア。そのエリアの一角に小さな屋敷があった。

 お世辞にも立派とは呼べない屋敷だが、五、六人くらいであれば何不自由なく生活ができそうな邸宅。

 

 

 その邸宅の門の前。

 その屋敷で働くプリニーたち全員が、数十匹はいそうなプリニー共が——

 

 

「…………」「…………」「…………」

「…………」「…………」「…………」

 

 

 一糸乱れぬ姿勢のまま、敬礼をしていた。

 誰一人ピクリとも動かない。その直立不動の姿が表すものは——忠誠。

 

 

 圧倒的忠誠である!!

 

 

 本来、プリニーとは自堕落なもの。表面上、主人に従っているように見えていても、心の奥底では舌を出しているもの。少しでも自分たちが優位に立てると感じれば簡単に裏切る、寝返る。

 そのため、弱肉強食の地獄においては彼らを力尽くで従えるのが基本。決して心からの信頼など期待できない筈である。

 

 だがこのプリニーたちは違った。確かな忠誠心の下で眼前の主人への敬意を最大限の姿勢で示している。

 それほどまでに——プリニーたちにとって『彼』は敬意に値する人物だということだ。

 

「——閣下!! おでかけッスか!?」

 

 プリニーの一匹が恐れ多くも『閣下』へと尋ねる。これから出掛けようとする主人の予定を予め聞いておけば、それに合わせて最適な行動が取れる。この屋敷で働くものとしては当然の心構えである。

 

「うむ、少し出掛けてくる。留守は任せたぞ、プリニーども」

 

 プリニーの問いに閣下と呼ばれた主人は簡潔に答えた。それ以上の言の葉は必要ないと、彼はプリニーたちに留守番を任せる。

 すると閣下の言葉を補足するよう、『執事』であるもう一人の男が口を開く。

 

「お前たち……閣下はお前たちの日頃の働きを信用し、留守を任せるのだ。その信用……決して裏切るような真似はするなよ?」

 

 念を押すかのような執事の脅し。もしも留守中、何かしらの粗相があればタダでは済まされないであろうことが、その言葉の威圧感からも察せられる。

 

「ご安心くださいッス!! 閣下の教育を受けたプリニーとして、しっかりと務めを果たすッス!!」

『——お任せくださいッス!!』

 

 しかしそんな脅しにもへこたれず、とても良い返事で一斉に敬礼するプリニーたち。やはりこの屋敷に勤めるプリニーたちは練度が違う。

 適当な教育で育った自堕落なプリニーではない。本気で更生しようという、罪を償おうという強い意思がその働きぶりから伝わってくる。

 

 そんな勤勉なプリニーたちに見送られ——閣下と執事が西洋地獄を出立する。

 

 

「さあ、行くぞ!!」

「はっ! 全ては我が主のために……」

 

 

 西洋地獄の住人である彼らの向かう場所。

 

 

 目的地は——日本だ。

 

 

「——あの愚か者を……あのプリニーもどきを連れ帰るのだ!!」

 

 

 それこそが彼の——プリニー教育係の使命であった。

 

 

 

×

 

 

 

「——カッキーン!!」

 

 

 現世の日本、ゲゲゲの森。

 晴れ晴れとした青空の下、少女の振るう木製バッドが快音を鳴り響かせる。彼女の打った球は高速でグングン飛距離を伸ばしていき、超速で森の中へと消えていく。

 

「ほ、ホームランデス!? またしても場外ホームランなのデス!!」」

 

 ベンチに座っていた異形の女の子が喝采を上げる。

 文句なしの場外ホームランに、またもチームに得点が入る。これでまた一歩、自分たちの勝利が近づいたのだ。

 

 ちなみに、ホームランを打たれたピッチャーは彼——ゲゲゲの鬼太郎だ。

 

「また打たれた……」

 

 やや気怠げながらも、球が打たれたこと自体はしっかりと悔しがっている。

 彼だって男の子だ。二打席連続で女子から場外ホームランを打たれれば、それはそれで悔しいと思うのが当然の感情であった。

 

 

 

 

 

「……ええっと、これ……何してるの?」

 

 そんな眼前の光景に犬山まなが首を傾げる。

 

 彼女はつい先ほど、このゲゲゲの森に遊びに来たばかりだった。森に来てすぐ、いつものようにゲゲゲハウスに顔を出したのだが、そこには誰もおらず。

 

 森の主要な面子は全員、広い原っぱに集まり——そこで『野球』をやっていた。

 

 別に妖怪が野球をやっていてもおかしくはない。いや、ビジュアル的に色々と言いたいことはある。 

 鬼太郎がピッチャーをやっていたり、猫娘がセカンドを守っていたり、ねずみ男がファーストを務めていたり。人間的な見た目の彼らが野球をする分には何も違和感などない。だがぬりかべや一反木綿がライトやレフトの守備につくのはいかがなものだろう。

 ぬりかべは体の大きさを変えられるし、一反木綿に限っては空も飛べる。ただの人間では届かない球でも、彼らなら捕球出来てしまう。ちょっと不公平ではなかろうかと。

 

 もっとも、鬼太郎たちの対戦相手もただの人間ではない。

 試合自体も、その対戦相手がリードしており、鬼太郎たちは思いの外苦戦していた。

 

「へへ……どう? ざっとこんなもんよ!! アタシの夢の中でアタシに勝てるわけないじゃない!!」

 

 鬼太郎率いる日本妖怪チームと野球で勝負していた相手は——西洋地獄妖怪チーム。

 自称人間である彼女——風祭フーカが率いる球団であった。

 

 彼女は胸を張りながら、ちょっとよく分からないことを自慢げに語る。それに対し——

 

「さすがなのデス、お姉さま!! これは現実ですが……だからこそ、お姉さまの格好良さが際立つのデス!!」

「あ~、はいはい……お前は生きてる、これは夢の中の出来事だよ~。はぁ~……なんでボクがこんなことを……」

 

 人工的に造られた妖怪女子、デスコ。

 西洋の死神である、エミーゼル。

 

 その二人が同じチームとしてベンチに腰掛けている。

 

「いや~、ほんと……さすがッスよ、フーカさん」

「実質、フーカさん一人で戦ってるもんスからね~……俺たちはただ立ってるだけッスから」

 

 さらにその周囲にはペンギンもどき、プリニーたちがワラワラと群がっていた。

 西洋地獄妖怪チームといっても、メンバーはこれだけ。フーカとデスコ、そしてエミーゼル以外はその全てがプリニーたちによる人数合わせだ。

 そんな急造チームなのに、鬼太郎たち日本妖怪チームに勝ってしまっている。

 

 

 恐るべし、西洋妖怪!! 恐るべし、風祭フーカ!!

 彼女こそがこの試合のMVP!! 打ってよし!! 投げてよし!!

 西洋地獄リーグの二刀流とはまさに彼女のこと!! 今日も彼女が、妖怪野球史に新たな歴史を刻んでいく!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……結局さ……なんでこんなことになってるわけ?」

 

 攻守交代となったことで守備についていた日本妖怪チームが、鬼太郎たちがベンチへと戻ってくる。そのタイミングでようやく犬山まなが彼らに『どうしてフーカたちと野球などやっているのか?』その理由を問いただす。

 

「いや、なんでって言われても……ボクたちも困るんだが……」

「こっちが聞きたいくらいよ。……いつに間にかグラウンドに立たされてたし……」

「たく……こんなの一銭の特にもなんねぇのによ……」

 

 しかし問われた鬼太郎たちも首を傾げており、猫娘もねずみ男も揃って愚痴を溢している。彼らにとってもこの試合は不本意な流れによるものらしい。

 

「まあまあ、良いではないか! これであの子らの気が紛れるなら。また街中で暴れられても厄介じゃしのう!」

「父さん……それはそうなんですが……」

 

 そんな中、不満を抱える一同を宥めるように目玉おやじが口を開く。その言い分に息子の鬼太郎が渋々と同意する。

 

 そもそもの発端は彼女——風祭フーカがゲゲゲの森へと乗り込んできたことから始まった。

 

 

 

『——リベンジよ、ゲゲゲの鬼太郎!! もう一回、アタシと戦いなさい!!』

『——勝負するデス!! 鬼太郎さん!』

『…………』

 

 そう、風祭フーカとデスコ。彼女たち二人がゲゲゲの鬼太郎を相手にリベンジマッチを申し込んできたのだ。

 それは先日、自分たちの『徴収』を邪魔されたことへの腹いせ。負けっぱなしのままだとなんか気に食わないという、ふわっとした理由からの申し出だったりする。当然、そんな理由で鬼太郎が彼女たちとの戦いに応じるわけもなく。

 鬼太郎も『自分の負けでいいから……』と大人な対応でフーカたちにお引き取り願った。

 

『いやよ! 早く構えなさい!! でないと、ここから動かないんだから!!』

 

 しかし、しつこく引き下がるフーカ。そのまま頑とその場から動こうとはしなかった。

 これに困った鬼太郎。さてどうしたものかと頭を悩ませていたところ——

 

『それじゃ……野球で勝負ッス!!』

 

 と、何故かフーカたちの付き添いでやって来ていたプリニーの一匹がそんなことを口走る。

 何故いきなり野球なのかと疑問を抱くかもしれないが、プリニーたちの間では『実力で敵わない相手にスポーツ勝負をふっかける』ということが割と一般的らしい。

 野球のみならず、サッカーやらボーリングなど。これも彼らなりに生き残るための処世術とのこと。

 

『おお! 野球か……随分と久しぶりかもしれん……なあ、鬼太郎よ?』

 

 すると、この提案に目玉おやじが頷いた。

 野球ほどにメジャーなスポーツであれば、妖怪たちもルールくらい知っている。というか、過去に何度か人間たち相手に野球で試合をした経験もある。

 物騒に殴り合うよりずっと平和的な、それでいて健全な勝負方法だ。

 

『どれ……さっそくメンバーを集めてくるとするか。鬼太郎、みんなに声を掛けてくるのじゃ!!」

 

 すっかりやる気になった目玉おやじの一声によって慌ただしく動き出す妖怪たち。

 息子である鬼太郎も、父親の意見であれば大人しく受け入れるしかない。

 

 こうして、日本妖怪チームと西洋地獄妖怪チームの野球試合が実現する運びとなったのであった。

 

 

 

「——よーし、いいぞ!! ぬりかべよ! かっ飛ばすのじゃ!!」

「——ぬりかべ~!」

 

 そういこともあってか、あまり乗る気でない日本妖怪たちの中、唯一目玉おやじだけがこの試合に全力で望んでいる。彼自身は選手として参加出来ないため、監督役として。ユニホームまでしっかり着込んで選手たちに指示を飛ばしていく。

 日本妖怪たちも、やる以上は勝つつもりでプレイに望んでいる。だがいかんせん、相手チームの投手であるフーカの豪速球が凄まじい。

 

「ぬ、ぬりかべ~!?」

「三振!! ストライク!! バッターアウトッス!!」

 

 審判役を務めているプリニーが声高らかに叫ぶよう、強打者であるぬりかべですらも容易く三振を取られてしまう。ここまで驚くべきことに、誰一人彼女からヒットすらも打てていないのである。

 

「ふんふふーん♪ どんなもんよ!? これがアタシの本当の実力よ!!」

 

 これにすっかり調子に乗った風祭フーカが得意げに鼻歌など歌っている。

 どうやら、鬼太郎にしてやられた雪辱は果たせたようだ。このまま試合が終われば、きっと彼女も満足してこの森から立ち去ってくれるだろう。

 

「ふぅ~……やれやれ……」

 

 そのことにひとまずはホッとする鬼太郎であった。

 

 

 

×

 

 

 

「あれ? そういえばフーカさん、なんでゲゲゲの森に入れるの? あの人…………一様、人間……なんだよね?」

 

 何事もなく試合が進む中、ちょっとした疑問がまなの脳裏を過った。

 風祭フーカとは、とあることがきっかけで友人関係になったまなだが、そのフーカが当然のようにゲゲゲの森に足を踏み入れていることには首を傾げる。

 ゲゲゲの森は基本的に妖怪しか入ることが出来ず、まなのように『妖怪に近しいもの』として森が認めてくれなければ、人間はその森の存在を認識することも出来ない筈だ。

 なのにフーカはゲゲゲの森で妖怪相手に野球などやっており、しかも圧倒している。いったい全体、これはどういうことだろうか。

 

「ああ……あいつは曲がりなりにもプリニーだからな。もう完全に人間辞めちゃってるところあるし……」

「エミーゼルくん?」

 

 すると、その謎に西洋死神であるエミーゼルが答えを口にする。

 今は西洋妖怪地獄チームが守備についているのだが、誰もフーカの球を打てないために暇なのか。彼は守備をサボり、日本妖怪チームのベンチで休憩していた。鬼太郎たち同様、フーカに振り回されて心なしか疲れている様子である。

 

「プリニー? ああ、あのペンギンさんたちですか……」

「……前から気になってたんだけど、あのプリニーって……結局なんなわけ?」

 

 エミーゼルの発言に、まなと猫娘がそれぞれ疑問を口にする。さも当たり前のように「プリニーだから……」と言うが、そもそも日本の住人である彼女たちには『プリニー』という存在が何なのかが分からない。

 これには博識の目玉おやじや砂かけババア。日本妖怪が揃って首を傾げる。

 

「プリニー……確かあの中には……罪を犯した人間の魂が入ってるとか……」

 

 ただ一人、前回の騒動でプリニーが『死人』であるという事実を聞かされていた鬼太郎だけが神妙な顔つきになる。

 

 そう、プリニーとは死んだ罪人の魂が詰まった妖怪。

 彼らは罪の贖罪のため、黙々と働き続けなければならないもの。本当ならこんなところで油を売っている暇などないのだが、フーカは自分の罪など知ったことかとばかりに遊び呆けている。

 

「罪を? ……フーカさんは、いったい何の罪で……」

 

 その話を聞き、まなは少しショックを受けたように顔を曇らせ、フーカへと目を向ける。

 

「ははは!! そーれー!!」

 

 マウンド上でピッチャーを務める彼女は実に楽しそうに、生き生きと無邪気に野球を楽しんでいる。

 少し強引なところもある彼女だが、その性根には嘘のない真っ直ぐさがある。短い付き合いだが、まなはフーカの人となりに素直に好感を抱いていた。

 あの笑顔の裏に——地獄に突き落とされるだけの罪を抱えている。まなにはそれが信じられなかった。

 

 そんなまなの憂う横顔をチラッと盗み見ながら、エミーゼルはフーカの罪状をボソッと呟く。

 

「……世界征服を企んだ罪だ」

「…………えっ?」

 

 一瞬、エミーゼルが何を言っているのか分からず聞き返す。しかしまなが何度聞き返そうとも、風祭フーカの罪状は変わらない。

 

 

「『身の程知らずにも世界征服を企んだ罪』。それが風祭フーカが地獄に落とされた理由だ」

 

 

「……えっ?」「……はっ?」「……あん?」

 

 これにはまなだけでなく、妖怪たちもポカンとするしかない。

 

 そう、何を隠そう——風祭フーカは子供の頃、『世界征服』を夢見たことがあった。

 世界征服。その言葉通り、世界を意のままにしてしまうこと。とっても悪いことである。

 本人は覚えていないと主張しているが、しっかりとした証拠映像も残っており、言い逃れなどできない。

 もはや待ったなし、問答無用で有罪(ギルティ)である。

 

「いやいや!! それ、子供の頃の話でしょ!? それで地獄行きって……ちょっと厳し過ぎない!?」

 

 これにまなが咄嗟に反論する。所詮は子供の戯言。実際に世界征服のために何かしらの活動をしたわけでもないのに、それで地獄送りにされるのはあまりに理不尽ではないかと。

 これにはまな以外のものたちも「うんうん」と同意するように頷いている。

 

「うーん……でもあいつの場合、そうとも言い切れないんだよな……」

 

 しかし、その弁護も風祭フーカに対しては通じないと。事情を知るエミーゼルは難しそうな顔で彼女の罪の形を語る。

 

「その発言のせいで、あいつの父親は道を踏み外してマッドサイエンティストになって……西洋妖怪は結構な被害を被ることになったからな……」

「えっ……」

 

 

 

 エミーゼルの話によると、フーカは五歳の頃に父親に願ったという。

 

『——妹が欲しいの……アタシの世界征服を手伝ってくれる、超高性能な妹が!!』

 

 その願いを聞き届けたことにより彼女の父・風祭源十郎は一念発起。愛娘のため、世界征服を実行するのに相応しい最終兵器——『人工妖怪』の研究に手を出した。

 研究のため、源十郎は西洋妖怪たちを実験台として捕獲。公にできないような恐ろしい実験に手を染めていく。

 さらには研究資金のため、世界滅亡を望むようなかなりヤバい悪党とも手を組んだ。見返りに研究成果の一部を提供し、文字通り世界を混沌へと陥れたのだ。

 既にフーカの母親・源十郎の妻が亡くなっていたこともあり、その暴挙を止められるものなど誰もおらず。

 

 研究の末、世界征服を可能とする高性能な妹。人工妖怪である彼女——デスコも誕生したのである。

 

「そ、そうなんだ……それでデスコちゃん……ラスボスになるのが夢だなんて……」

 

 まなはデスコの話していた夢の内容を思い返す。

 彼女はフーカのためにラスボスになると豪語し、姉の世界征服を手助けすると嬉しそうに語っていた。幼い彼女がそのような考えに至ったのは当然のこと。それこそが彼女自身の造られた理由であり、存在意義なのだから。

 

 

 

「そんなわけでだ……あいつはプリニーになって罪を償うことになったんだ。本人は絶対に認めたがらないけどな……」

 

 それらの事情を総合的に鑑みた判決として、風祭フーカはプリニーになることが決定されたのだと、エミーゼルは話を締め括る。

 だが、プリニーを加工する工場の不手際により、フーカは人間姿にプリニー帽子だけを被せてそのまま出荷。

 プリニーもどき、中途半端に力を持った存在として、好き放題に過ごすようになってしまった。

 彼女自身も自らの罪を受け入れることが出来ず、今起きている出来事を全て夢と認識している。

 

「——夢の中なら……アタシは、大リーガーにもなれるんだから!!」

 

 お聞きのとおりだ。罪の自覚がない以上、それを償うつもりなど微塵もなく。

 彼女はプリニーとしての大前提を失い、いつまでも風祭フーカとして西洋地獄に居座り続けている。

 

「まっ、あの様子じゃ、罪を償うなんざ百年かかっても無理だろうな~。さすがにボクも諦めてるし……」

 

 本来、死神であるエミーゼルには『罪を償い終えたプリニーたちの魂を刈りとる』という仕事が残っている。

 贖罪を終えた彼らの魂を『転生』へと導くのも死神の仕事の一環なのだ。

 

 しかしフーカに関しては……なんかもう、色々と諦めている。

 彼女を矯正するなど、誰にも不可能だろうと。プリニーもどきである彼女を放置するしかないのが現状であった。

 

 そんな、死神として弱気な彼のその発言に対し——

 

 

 

『——たわけ!!!! だからといって……このまま放置していいわけがなかろう!!!!』

 

 

 

 叱りつけるような檄が飛ぶ。

 

 

 

 

 

「——っ!?」

「えっ? ちょっと、何?」

 

 その声は、その場にいた全ての者の耳に響き渡る。

 怒鳴り声と言うほどではないものの、威厳に満ちた、覇気の感じられるよく通る声だ。

 

 その声がどこから発せられたものなのか、それを探ろうとキョロキョロと周囲を見渡す一同。

 

「……? なに、あれ?」

 

 するとそのとき、皆の視界に黒い『何か』が横切っていく。

 それは小さな真っ黒い飛翔物体——コウモリであった。

 

 闇夜のような漆黒のコウモリが一匹、二匹と。

 その数は瞬きの間に増えていき——気が付けば、何十匹というコウモリの群が周辺一帯を埋め尽くす。

 

「これは……妖気!?」

 

 そのコウモリたちを前に鬼太郎の妖怪アンテナが反応を示す。彼らは自然動物の類ではない。妖気を纏った存在——妖怪の一部であった。

 

 やがて、グラウンドの中心地に妖気を纏ったコウモリたちが集い、寄り固まって人の形を成していく。

 次の瞬間、そうして人型となった『何者』かがマントを翻し——

 

 

「——見つけたぞ、小娘。こんなところで遊び呆けているとは……」

 

 

 風祭フーカに対して厳しい言葉を投げかけるとともに、その姿を現した。

 

 

 

×

 

 

 

「……何者じゃ? あやつは?」

「見ない顔じゃのう……どこの妖怪じゃ?」

 

 突然現れたその人物——少し細身の青年を前に、砂かけババアや子泣き爺などは戸惑いを隠せないでいる。ただでさえ野球試合になど巻き込まれている中、さらに見たこともない謎の来訪者。

 他のゲゲゲの森の面子も、そこに立っている青年が何者なのか理解が追いつかずに困惑していた。

 

 だが——フーカやデスコ、エミーゼルたちは別だ。

 西洋地獄からやって来た面々はその青年と顔見知りなのか、その表情をハッとさせる。

 

 特に劇的だったのが、プリニーたちのリアクションである。

 

「ヴァ……!!」

「ヴァ……!?」

 

 彼らはまるで息を詰まらせるように硬直した直後、眼前の人物の名前を一斉に叫んでいた。

 

 

『——ヴァルバトーゼ閣下!!!?』

 

 

 ヴァルバトーゼ。それが目の前に立っている青年の名前らしい。

 体格はやや小柄、スラッとした細身で肌も青白い。男性としては全体的に線が細く、体つきという観点だけ見れば少し頼りないようにも感じられる。

 

 だがその眼光は鋭く、立ち振る舞いも堂々としていた。

 多くの視線に晒される中においても、まるで揺らぐことのない絶対的に強靭な意思をその瞳に宿している。その鋭い眼光で彼は周囲一帯を見渡していく。

 

「……ふむ、ここまで澄んだ現世の空気は久しぶりだな。ゲゲゲの森か……事前に聞いていた通り、良いところのようだ……なあ、フェンリッヒよ?」

「……?」

 

 第一印象としてゲゲゲの森の感想を述べ、それを別の人物に話題として振っていく。だが見たところ、青年の側に他に人影らしきものはない。

 いったい誰に話しかけているのかと、鬼太郎が首を傾げたところ——

 

「——左様でございますか」

「——っ!?」

 

 ヴァルバトーゼの問いに当たり前のように答えるものが——鬼太郎たちのすぐ側、日本妖怪チームのベンチから現れた。

 

「い、いつの間に……!?」

「フェ……フェンリッヒ!!」

 

 声を発するまで、気配すら感じられなかった相手の出現に日本妖怪たちはギョッとなる。またその男とも顔見知りなのか、ベンチで寛いでいたエミーゼルが彼の名を口にした。

 

 フェンリッヒ。それがこの男の名前なのだろう。

 ヴァルバトーゼとは対照的に高身長。長い銀髪をなびかせ、明らかに尻尾のようなものが生えている。素肌の上に赤いジャケット、下はレザーパンツと。服装やその風貌はかなりワイルドなのだが、見た目の印象とは裏腹に姿勢そのものは執事的。

 フェンリッヒは鬼太郎たちのすぐ側に現れながらも、彼らのことなど一瞥もせず、ゆっくりとヴァルバトーゼの元へと歩み寄っていく。

 

「森周辺を一通り調べて来ましたが……これといって脅威になりそうなものはございませんでした、ヴァル様」

 

 彼はヴァルバトーゼの危険を極力排除するため、ゲゲゲの森一帯を偵察して来たらしい。これも主人に仕える執事としての気配り。

 もっともそこまで警戒する必要もなく、この森に自分たちの脅威になるものなどなかったと。

 完全に日本妖怪たちを侮った発言。それだけ、自身や主人の実力に絶対の自信を持っている証拠だ。フェンリッヒの佇まいからも、強者特有の余裕を感じられる。

 

「そうか、ご苦労だった」

 

 フェンリッヒの報告をただの事実として受け入れ、ヴァルバトーゼは部下である彼の仕事を労う。

 そうして、ようやく本題だとばかりに——さらに目尻を釣り上げ、その視線を一人の少女へと集中させた。

 

「小娘……風祭フーカよ」

「ヤッホー、ヴァルっち!! ヴァルっちも日本に遊びに来たのかしら? 一緒に野球する? 楽しいわよ!!」

 

 ヴァルバトーゼの厳しい視線も、鋭い言葉も。名前を呼ばれた当の本人、風祭フーカには暖簾に腕押し。彼女自身は何ら気負うこともなくヴァルバトーゼと向き合っている。まるで友達感覚。

 

「…………」

「…………」

 

 しかし、周囲のものたちはヴァルバトーゼが纏う剣呑な空気を感じ取っていた。

 明らかに不機嫌というか、怒っている様子の彼を前に口を挟むこともできず、とりあえず事の成り行きを見守っていく。

 

「……遊ぶだと? ふざけるな!! 貴様に遊んでいる暇などあるわけがなかろう!!」

 

 案の定、フーカの能天気な反応にヴァルバトーゼはストレートな怒りを露わにしていく。

 

「小娘……お前は生前に罪を犯し、プリニーとして地獄へと送られて来た! その貴様が罪を償うのを疎かにするどころか……現世の、しかも他国で遊び呆けるとはどういう了見だ!?」

 

 ヴァルバトーゼはフーカがプリニーとしての責務を放棄し、現世の日本で遊び歩いていることが許せないと叫ぶ。それも当然のこと、基本的に地獄の住人が現世に干渉するのはどこの国においてもタブーだ。

 死神の仕事などの、特殊な事情がない限り許されることではない。

 

「これ以上の狼藉はプリニー教育係として見過ごすことは出来ん!! 早急に西洋地獄へと戻り、プリニーとして馬車馬のように働くのだ!!」

 

 さらに、ヴァルバトーゼには『プリニー教育係』としての責務がある。

 そう、彼はプリニー教育係。誰もやりたがらない閑職を誇りと使命感を持って勤め上げている強者だ。そんな彼の教育を受けたプリニーたちも、並のプリニーではない。

 

『…………』

 

 ヴァルバトーゼが顔を出してからというもの、グラウンド内に散らばっていたプリニーたちが一斉に整列し、ざわつき声一つ上げることなく黙り込んでいる。

 野球をしていたときは落ち着きもなく、割と好き勝手に振る舞っていたが、ヴァルバトーゼという真の主人を前にした途端にこの変わりよう。

 それだけプリニーたちがヴァルバトーゼを畏怖し、心底から彼のことを慕っているということ。

 もっともそのカリスマも、やはり風祭フーカには通じていない。

 

「嫌よ!! アタシ、プリニーなんかじゃないもん!! 罪の償いだかなんだか知んないけど、身に覚えのないことのために働くなんて冗談じゃないわ!!」

 

 現実を夢と認識し、プリニーであることを否定し、自分の罪から目を逸らしているフーカからすれば、ヴァルバトーゼの言葉は暴論である。

 自分の自由を束縛されてたまるか。働きたくないとばかりに反抗的な態度で真っ向から立ち向かっていく。

 

「あくまで逆らうか……ならば再教育だ!! この機会に貴様のその言動、その態度!! 力づくにでも矯正してくれる!!」

 

 フーカの反抗心を前に、遂にヴァルバトーゼも直接的な手段へと打って出る。彼女をプリニーとしての正道へと叩き戻そうと、握る拳に力が入る。

 

「それはいいお考えです、閣下」

 

 これにフェンリッヒも素早く同意した。

 

「語尾に『ッス』をつける件すらウヤムヤのまま、ここまできてしまっていますからね。この機会に再教育し、プリニーの立場というものをこの小娘に分からせてやりましょう。骨の髄まで、徹底的に……」

「うむ、その通りだ!!」

 

 ヴァルバトーゼはあくまで教育係としての使命感から頷いているが、フェンリッヒの顔には含みのある笑みが浮かんでいる。風祭フーカという存在を彼自身は快く思っていないのか。フェンリッヒが口にする『再教育』という台詞の響きにも不穏な気配が感じられる。

 

「ちょ、ちょっと待つデス!!」

 

 その不穏な香りに、それまで黙っていたデスコも立ち上がる。

 

「お姉様の自由を奪おうだなんて、たとえヴァルっちさんたちでもそんな暴挙は許さないデスよ!!」

「いや……暴挙っていうか……正論なんだが……」

 

 お姉様が絶対であるデスコはフーカを全力で庇うべく彼らの前に出る。それに対し、死神であるエミーゼルはため息を吐いている。

 ヴァルバトーゼたちの言っていることは、西洋地獄の観点からすれば思いっきり正論である。プリニーであるフーカに初めから自由などない。これまで好き勝手に振る舞っていたこと自体が異常なことなのだから。

 

 

「…………」

「…………」

 

 

 そうして、言葉を出し尽くした両者は静かに睨み合っていく。もはや言葉は不要とばかりに、いつでも戦闘に入れるよう臨戦態勢で身構えていく。

 先ほどまで、のほほんと野球を楽しんでいたグラウンドの中心点で、ヴァルバトーゼとフーカが。フェンリッヒとデスコがそれぞれ視線をバチバチと散らしていく。

 

 

 

 

 

「——ああ……お主ら、もう少し落ち着かぬか?」

 

 そんな一触即発の中、一人の人物が彼らに声を掛けた。

 

「事情はよう分からんが……もっとお互い、冷静になって話し合うべきではないかのう?」

 

 目玉おやじである。

 未だにユニホーム姿のままだが、思考は真面目な方向へと切り替えている。鬼太郎の肩に乗り、彼らと同じ目線から年長者としてその状況に意見していく。

 

「そ、そうですよ!! 喧嘩する前に、もっとちゃんと話し合いましょう!!」

「……ていうか、アンタたち。こんなところでおっ始めるつもり? 迷惑だから……せめで余所でやってくれないかしら?」

 

 これに犬山まな、猫娘の二人も同意する。

 まなは平和的な解決を訴え、猫娘はせめて場所を選べと。意見そのものは別ものだが、それぞれがこの不毛そうな争いを仲裁しようとあえて首を突っ込んでいく。

 

「……口を挟むな、女ども。これは我々西洋地獄の問題だ。部外者が首を突っ込む話ではない」

 

 これにフェンリッヒが不機嫌に顔を歪める。ここまでまるで日本妖怪側の存在を無視してきたフェンリッヒだが、さすがにすぐ側に彼らがいることは認識していたようだ。

 フェンリッヒはその視線を不愉快そうにまなや猫娘へと向け、明らかに見下した発言で険を強めていく。しかし、彼の主人であるヴァルバトーゼは違っていた。

 

「まあ待て、こやつらの言うことにも一理ある。ここは一度西洋地獄へと戻り、そこで改めてこの話に決着を……」

 

 寛容にも彼女たちの意見を聞き届け、一度西洋地獄へ戻ることを考える。確かにこれが西洋地獄の問題であれば、西洋地獄内で片付けるべき案件である。

 この場で揉めるのは筋違い。当然の礼儀としてヴァルバトーゼはその場での矛を納めようとする。

 

 

「……ん?」

 

 

 だがここでヴァルバトーゼにとっても、そして鬼太郎たちにとっても不測の事態が発生してしまう。

 

「……な、なんですか?」

「な、なによ……私たちの顔に、何かついてる?」

 

 意を決してヴァルバトーゼたちに声を掛けた二人の少女、まなと猫娘。彼女たちの顔を一瞥した瞬間、ヴァルバトーゼの視線がそこで停止する。何か引っかかるものでもあるのか、彼女たちの顔をジッと見つめる。

 

「……フェンリッヒ!」

「はっ!」

「例のリストを持ってこい」

「はっ、こちらに……」

 

 そして、すぐにフェンリッヒに声を掛け、彼に『リスト』なるものを持ってくるように指示する。

 主の要望に即座に答えるフェンリッヒ。彼はどこからともなく紙の束を取り出し、それをヴァルバトーゼへと差し出した。

 

「…………」

「何してんだ、あれ?」

「さあ……?」

 

 ヴァルバトーゼは黙々とその紙の束をめくり始めた。いったい何を見ているのかとねずみ男が疑問を抱くが、これにはエミーゼルも答えることができない。

 何かの資料をチェックしているようだが、果たしてそれが何なのかは当人たちにしか理解できない。

 

 ややあって——

 

「ん! やはりそうか……」

 

 ヴァルバトーゼの手が止まる。彼はその眉間に皺を寄せながら、手を止めたページを隅々までチェックしていく。

 

 そして顔を上げた次の瞬間、フーカに向けていた厳しい視線を——まなと猫娘の二人へと注ぎ、力強く叫んでいた。

 

 

「——プリニー隊!! その小娘二名を拘束せよ!!」

「えっ……え、ええ!?」

「ちょっ……!?」

 

 

 いきなりのことで唖然となるまなと猫娘。だが戸惑う彼女たちなどお構いなしに、ヴァルバトーゼの指示を受けたプリニーが一斉に彼女たちを取り囲んでいく。

 

『アイアイサーッス!!』

 

 懐の鞄からナイフを取り出し、一気に殺気立つプリニーの群れ。ヴァルバトーゼの指示を彼らは何ら疑問を抱くことなく実行しようとする。

 

「待て!! いきなり何の真似だ!?」

「ちょっと、ヴァルっち!? いったいどうしちゃったのよ!? 何でまなっちたちを!?」

 

 これに対抗し、鬼太郎とフーカが抗議の声を上げながら前に出た。

 二人がプリニーたちの前に立ち塞がることで彼らも動きを止めざるを得ない。彼らと鬼太郎たちとでは戦闘力に絶対的な差がある。

 プリニーたちはどうすべきかと、命令を下した主人の顔色にお伺いを立てる。

 

「どうもこうもないわ。その二人は罪人……西洋地獄へと連行し、早急に処罰を下す必要があるのだ!」

 

 ヴァルバトーゼの方は一歩も引く気はない。誰が邪魔をしようとも、罪人である彼女たちを必ずやひっ捕らえようと目がマジになっている。

 

「ざ、罪人……って、わたしと猫姉さんが?」

「いったい何のことよ!? こっちは西洋地獄とは関わりすらないんだから!!」

 

 身に覚えがない罪にまながビックリしている。勿論、猫娘もだ。

 彼女たちには、ヴァルバトーゼが口にする『罪』というやつに全く心当たりがない。それどころか、西洋地獄自体とほとんど関わり合いがない。

 

 いったい、彼女たちの罪とは何なのか?

 

 すると、ヴァルバトーゼは一旦気持ちを落ち着かせるように息を吐く。彼は冷静に、言い聞かせるようにしてまなたちにとある事実を告げた。

 

 

「……覚えていないか? 貴様ら、以前西洋地獄に無断で入国してきたことがあっただろう?」

「…………あっ」

 

 

 問われたことで思い出す。

 まなと猫娘の二人は——確かに一度だけ、西洋地獄の地に足を踏み入れていたことがあった。

 

 

 それは去年の秋頃のこと。

 例の地獄での騒動。四将の一人・玉藻の前が地獄を乗っ取った事件の際、その企てを阻止しようとまなと猫娘は日本地獄の中枢へと侵入することになった。

 その際、通常のルートでは地獄に侵入したことが感知されてしまうと。彼女たちは裏道的なルートとして『国境を跨ぐ』という道順を選択したのだ。魔女の友人であるアニエスたちの力を借り、西洋地獄から日本地獄へと突入することになった。

 これはまなの思いつきによるもの。おかげで彼女たちは日本地獄へ無事潜入、微力ながらも鬼太郎の手助けをすることが出来た。

 

 しかし——

 

 

「本来……互いの地獄を行き来するには厳重な審査が必要になってくる。だが貴様らは……その手順をすっ飛ばした!!」

 

 この世であろうと、あの世であろうと。国境を越えるにはちゃんとした手続きを踏む必要がある。出入国管理施設でパスポートの有無や犯罪歴、不当なものを持ち込んでいないか、不穏な企みを抱いていないかなど。事細かにチェックする必要があるからだ。

 その手順を踏むことなく他国に侵入することは当然犯罪であり、まなと猫娘は——意図せずして、その禁止規定に抵触してしまっていたのだ。

 ヴァルバトーゼは、そのことを怒っているのである。

 

「貴様らは!! 国家間で定められている条約を……『約束』を破ったのだ!! これを罪と呼ばずに何と言うか!?」

「え、ええ~、そんな……」

「あ、あれは不可抗力で……」

 

 まなと猫娘はヴァルバトーゼの言い分に釈然としないものを感じ、何とか反論しようと試みる。だがそんな彼女たちの言い分を、ヴァルバトーゼは怒りのままに封殺する。

 

「言い訳を聞くつもりはない!! 『約束』を破ることの重み……貴様らの魂に直接刻み付けてくれる!!」

「っ……!!」

 

 すっかりお冠な彼の怒号に、少女たちは迂闊な言い訳を口にすることが出来ない。そしてヴァルバトーゼの怒りに呼応するかのように、プリニーたちもさらに殺気立っていく。

 このままでは問答無用、少女たちを容赦なく拘束するべく、プリニーたちが一斉に襲いかかってくることになったであろう。

 

 

「——ちょっと待った!!」

 

 

 しかしそうはさせまいと。当然ながら多くの仲間たちが異議を唱えていた。

 

「それ以上は……いくらヴァルっちでも許さないんだから!!」

「そうデス!! まなっちさんはデスコにとっても大切な友達なのデス!!」

 

 風祭フーカとデスコ。

 友人であるまなを守ろうと、プンスカと怒りを露わにする。

 

「……貴方の言い分は理解した。けど、だからって……はいそうですかと納得することは出来ない!」

「そうじゃ、鬼太郎! お前の思うようにすればよい!」 

 

 鬼太郎と目玉おやじ。

 鬼太郎は大切な彼女たちを守ろうと奮起し、目玉おやじが息子の意思を尊重して彼の背中を押す。

 

「やれやれ……人様の森に土足で踏み込んでおいて、随分な言い草じゃのう?」

「まったくじゃ……西洋妖怪はどうにも喧嘩っ早い奴が多くて敵わんわい」

 

 砂かけババアや子泣き爺。

 野球の後で体力的に疲れている二人だが、それでも重い腰を上げていく。

 

「まなちゃんには指一本触れさせんばい!! どうしてもっていうんなら、わしらが相手になったるけんね!!」

「ぬりかべ~!!」

 

 一反木綿とぬりかべ。

 レディの危機に女好きな一反木綿がやる気を漲らせ、ぬりかべもその巨体を静かに揺り動かす。

 

「俺には関係ねぇこった、今のうちに……」

「う~ん……どうしたもんかねぇ……」

 

 皆が立ち上がる中で、ねずみ男は素知らぬ顔でそろりそろりと逃げ出そうとする。

 エミーゼルは死神として、あくまで中立的な立場で様子を見るつもりのようだ。

 

「鬼太郎、みんな……っ!」

「べ、別に、鬼太郎がそこまで必死になる必要は……でも、ありがと……」

 

 妖怪たちに全力で庇われ、まなは感激に笑顔を浮かべる。

 猫娘は特に鬼太郎の反応に対し、照れ臭そうに頬を赤く染めて礼を述べていた。

 

 

 

「ふっ……仲間のためにこの俺に立ち向かうか。その蛮勇だけは認めてやろう……」

 

 そんなゲゲゲの森の妖怪たちの全力なる抵抗に、ヴァルバトーゼは愉快そうに口元を綻ばせる。彼は仲間のために自分に歯向かってくる相手の精神性を心地よいものとして受け取り——

 

「だが、俺に抗おうとするその根性は却下だ!! 邪魔をするというのであれば……貴様らもまとめて再教育してくれる!!」

 

 その上で、それを真っ向から叩き潰すべく戦意を高揚させていく。

 ここが敵地であろうと、多勢に無勢であろうと、相手が何者であろうと関係ない。

 

 ヴァルバトーゼは自らの職務を全力で全うするのみ。

 その使命を邪魔するものは、全て再教育の対象だ。いついかなる場所、状況であろうとも彼は己の意志をただ貫き通すのみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——お待ち下さい、閣下」

 

 と、まさに全面衝突待ったなしというそのタイミング、ヴァルバトーゼの執事としてフェンリッヒが口を挟む。

 

「この程度の俗事……閣下が直接手を下す必要はございません。このフェンリッヒめに妙案がございます」

「ほう、妙案だと?」

「…………」

 

 フェンリッヒの進言に耳を傾ける形でヴァルバトーゼの動きが止まる。鬼太郎たちも、相手の出方を窺う姿勢でひとまずは矛を収めた。

 

「はい。あの小娘ども……プリニーもどき・風祭フーカ。そして西洋地獄への領域侵犯を犯した二人の小娘。此奴らの罪を断じるのに、わざわざ閣下が労力を費やす必要はないかと。ここは一つ、小娘どもに例の建造中の地獄——その被験者になって貰いましょう」

 

「地獄の……被験者だって!?」

「……?」

 

 物騒な響きに眉を顰める鬼太郎たち。しかし、フェンリッヒはお構いなしに自身の考えを一方的に告げていく。

 

「そうだ。西洋地獄では現在、地獄の新しい形を模索中であり、いくつかの新造地獄が試験運転中……」

 

 

「貴様らにはその『モニター』を務めてもらう。そうすれば、そこの小娘たちの罪状……いくばくか減刑するよう、俺の方から上層部へと取り計らってやろう……クックック」

 

 

 提案という形でフェンリッヒは鬼太郎たちにそのような要求を突きつけた。

 だが、その口元には明らかに邪悪な笑みが浮かんでいる。

 

 

 

 控えめに言っても——何事かを企んでいるのは明らかである。

 

 

 




人物紹介

 ヴァルバトーゼ
  ディスガイア4の主人公。章タイトルにもある通り、吸血鬼。
  歴代シリーズの中で、もっとも大人な主人公。たいていの無礼を「まあ、よいではないか」で許してくれる寛大なお方。ですが今作の彼は『とある理由』からちょっと不機嫌です。
 『約束』を守ることに異常な拘りを持ち、それが原因でプリニー教育係という地獄でも底辺の仕事を押し付けられています。
  彼の掘り下げに関しましては次回のお話で。とりあえず、今回は顔見せです。

 フェンリッヒ
  ヴァルバトーゼの忠実な僕。執事として仕える狼男。
 「全ては我が主のために……」が口癖であり、常に主のため先回りで策謀を巡らせている。主のためならば、主すらも騙す。
  基本的にヴァルバトーゼ以外のものに心は許さず、フーカたちのことを仲間と認識しているかも怪しい。
  今回はそのフェンリッヒの企みという形で……鬼太郎たちが西洋地獄で『地獄体験』をすることになるでしょう。


 野球シーンについて
  今回入れたかったシーン。
  鬼太郎でも人気のエピソード『おばけナイター』。
  風祭フーカというキャラの戦闘スタイルにも野球が取り入れられており、両者の共通点を活かす形で今回は書かせてもらいました。
  いずれはきちんとした野球作品とクロスオーバーし、妖怪バットの話など書いてみたいですが、今回はその予行練習。

 ちなみに日本妖怪チームのメンバーに関して——

 日本妖怪チーム
  1番 サード    〇〇
  2番 セカンド   猫娘
  3番 ファースト  ねずみ男
  4番 ピッチャー  鬼太郎
  5番 ライト    ぬりかべ
  6番 キャッチャー 子泣き爺
  7番 レフト    一反木綿
  8番 ショート   〇〇
  9番 センター   砂かけババア

  監督   目玉おやじ
  応援団員 犬山まな
 
 ってな感じのチームメンバーを即興で思いつきました。
 〇〇に入る妖怪は……読者の皆様でそれぞれ想像してみてください。
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔界戦記ディスガイア4 吸血鬼ヴァルバトーゼ 其の②

そういえば、FGOの福袋。ユーザーの皆様はどれを回しました?

自分は去年の正月も、六周年の際も。持っているキャラが重なるという悲劇があったため、確実に未所持サーヴァントが当たるような福袋を選びました。
具体的にはアーツのエクストラ枠。唯一持っていたのも北斎と、確立的にはほとんど重ならない。
その中でも狙いは水着カーマ、スペースイシュタルといざ回した結果……!!

出たのは、水着キアラさんでした。

………いや、別にキアラさんが嫌だというわけではありませんが。
未所持鯖で確かに嬉しいのですが……何だろう、この釈然としない気持ちは。

あの魔性菩薩……いずれは、この小説にも出番を与えるべきか否か……


それはさておき、ヴァルバトーゼ編の中盤です。
西洋地獄シリーズと銘打ってきた本シリーズですが、ようやく舞台を西洋地獄へと移すことになりました。
西洋地獄に関しては、神話での伝承とかいろいろありそうですが、今回はディスガイア基準で語らせていただきます。
西洋は広いですから、きっと地獄と一口に言っても様々なものがあるのでしょう。
他作品でのクロスオーバーで、いずれその辺りも深く掘り下げられればと思います。




「……ここが……西洋地獄なのか?」

「なんていうか……日本の地獄とあんま違いはないのね……」

 

 鬼太郎と猫娘が周囲の情景に思ったままの感想を口にする。

 薄暗い洞窟のような暗さの中、グツグツとマグマが燃えたぎる大地。不気味で殺風景な光景だが、日本地獄で見慣れた景色なので特に驚きはない。

 

「でしょ? ほんと何もないところなんだから!! もうちょっと乙女チックな光景にできなかったのかしらね、アタシの想像力ってば……」

 

 その反応にこの地獄の情景すらも、自身の夢だと思い込んでいる風祭フーカ。西洋地獄の罪人である彼女にとってここはホームグラウンド。変わり映えもなければ面白みもないと、ダラダラ不満を口にしていく。

 他のメンバーも——

 

「まったくもってお姉様の言うとおりなのデス!! 地獄には致命的に乙女成分が足りていないのデス!!」

 

 フーカの考えに激しく同意するのが、デスコ。

 

「お前ら、地獄にいったい何を求めてるんだよ……」

 

 彼女たちの妄想力に呆れ返っている、エミーゼル。

 

「お主ら……遠足に来とるわけじゃないんじゃぞ、もっと気を引き締めんか!」

「うむ、それもそうじゃが……むっ、酒が切れてしもうたわ!」

「はぁっ~! 女っ気もなんもない……寂しいとこばいね~……」

「ぬりかべ~」

 

 さらには砂かけババア、子泣き爺、一反木綿、ぬりかべ。彼らも彼らで割と好き勝手にお喋りしている(ちなみにその中にねずみ男の姿はない)。

 意外と心に余裕はあるようだ。しかし油断は禁物。

 

 なにせここは敵地——鬼太郎たちに挑戦状を叩きつけたプリニー教育係。

 

 吸血鬼ヴァルバトーゼがその身を構える本拠地であり、彼らはこれからこの地獄のエリアを一つずつ『攻略』していかなければならないのだから。

 

 

 

 

 

 事の成り行きは、今から一時間ほど前。

 ヴァルバトーゼの従者・狼男のフェンリッヒ。彼からのとある提案から始まった。

 

「——そうだ、貴様らには新造されたいくつかの地獄……そのモニターを務めてもらう」

 

 ゲゲゲの森。殺気立った面々を前にし、フェンリッヒは平然とそんな提案を口にする。

 その発言に返す言葉を失い、暫し呆然と立ち尽くす鬼太郎。だが、すぐにでも「そんな提案呑む必要などない」と、相手の要求を突っぱねる。

 

「ほう、いいのか? もしもこの提案を断るのであれば……そこの人間の小娘は『罪』を背負うことになる。死後どのような処遇になるか……一切の保証は出来んぞ?」

「——っ!!」

 

 しかし、フェンリッヒもすかさず揺さぶりを掛ける。もしもここでこの提案を断れば彼女に——犬山まなに害が及ぶことになるかもしれないと。

 死んだ後、地獄に落とされたまなの魂が——『西洋地獄に不法入国した罪』を背負うことになると脅しを掛けてきたのだ。

 

 実際のところ、西洋地獄の獄卒であるフェンリッヒたちが、日本で没するであろうまなの処遇を決めることができるとは思えない。だが、彼らは西洋地獄内では結構顔が効く方らしい。

 その気になれば外交手段などを用い、今回の件を国際問題化。日本地獄の上層部に物申し、引き渡し要求などしてくる可能性がある。

 実際に日本地獄がどのような対処に出るかは不明だが——少なくとも、それを実行するだけの行動力、交渉力がヴァルバトーゼやフェンリッヒにはあるそうだ。

 西洋地獄の情勢に詳しいエミーゼルの助言である。

 

「な、なんて陰険なやり口なの……フェンリっちってば!?」

「き、汚い! さすがフェンリっちさん……汚いのデス!!」

 

 これにフーカとデスコの二人が抗議の声を上げる。とても悪どい大人のやり口に、清らかな?子供の立場から意義を唱える。

 

「ふんっ! なんとでもほざくがいい。別に俺はその小娘の処遇などどうなろうと構わんが……さあ、どうする?」

「くっ……!」

 

 もっとも、そんな子供たちの罵りなどでフェンリッヒはビクともしない。彼はどちらでも構わないと、選択権を鬼太郎たちへと委ねた。

 これに苦悶の表情を浮かべる鬼太郎と仲間たち。まなのことを思えば、その要求を受けないわけにはいかない。だが地獄の被験者など、迂闊に引き受けていい案件ではないのも事実。

 どうしたものかと、僅かに返答を詰まらせた。

 

 

「——だったら……だったら勝負よ!!」

 

 

 すると、これに真っ向から喧嘩を売るよう、風祭フーカがバットをぶん回しながら吠える。

 

「その地獄のモニターとやらをアタシたちが最後までやり遂げれば……まなっちと猫ちゃんの罪は帳消し!! アタシも晴れて自由の身!! アタシがプリニーじゃないと認めなさい!!」

「お前……どさくさに紛れてスッゲェ図々しいこと要求してるぞ!?」

 

 まなと猫娘を庇っての発言だが、ちゃっかりと自分自身の要求も盛り込んでいる。フーカの図々しさにエミーゼルが呆れ返る。

 

「ふっ……よかろう! その勝負、受けて立つ!!」

 

 ところがこの要求、ヴァルバトーゼはホイホイと受けてしまった。

 

「もしも、お前たちが地獄の苦行に最後まで耐え切ることが出来れば……その小娘たちの罪を許そう! お前がプリニーではない、風祭フーカ個人であるとも認め、自由に振る舞うことを許可する。現世で野球を楽しもうと、日本旅行を満喫しようとお前の自由だ! 好き放題、勝手放題に過ごすがいい!」

「そ、それはそれで……こっちが困るんだけど……」

 

 寛大にも全てを許すというヴァルバトーゼの御言葉に、日本側を代表して猫娘が渋い顔をする。

 自分たちの罪を許してくれるのはありがたいのだが、フーカに日本での自由を許すのは日本妖怪として困る。また騒動を起こすかもしれないのだから、さっさとお引き取り願いたいのが本音である。

 だが日本妖怪側の都合など完全スルーし、ヴァルバトーゼは力強く宣言してしまった。

 

 

「——このヴァルバトーゼの名に懸けて『約束』しよう!!!」

 

 

 約束——必ず守ると。

 

 

 

×

 

 

 

「みんな、ごめんね。わたしのせいで……こんなことになって……」

 

 今回の一件、当事者として犬山まなも西洋地獄を訪れていた。

 生身の人間なのだから、大人しく森で待っているべきだと皆で止めたのだが、原因は自分にあると。まなは心苦しそうに、自分のしでかしてしまった『不法入国』の罪を悔いていた。

 こんなことになるのなら、安易な思い付きなど実行に移すべきではなかったと後悔している。

 

「そう落ち込むでないぞ! まなちゃんは何も悪くないんじゃから!」

「そーよ、まなが気に病む必要なんてないんだから……」

 

 それを目玉おやじが元気づけ、また猫娘が優しく慰めていく。

 実際、まなの思い付きによって日本地獄が救われたのも事実。あの時はああする他になかったと、同じ罪を犯した猫娘は何も後悔をしていない。

 

「そうよ! そうよ! まなっちは何も悪くないんだから!!」

「気にしちゃダメなのデス!! ヴァルっちさんたちは頭が固すぎると思うのデス!!」

 

 フーカとデスコもまなは悪くないと元気な声で励ます。ヴァルバトーゼたちの方が聞き分けがないと、寧ろ相手方を責めていく姿勢だ。

 

「頼むから……お前らはもう少し反省する心を持ってくれ……」

 

 もっとも、フーカたちの場合は完全に彼女たちに非があるのではないだろうか。エミーゼルはフーカらにもっと自分たちの行いを反省するように促していく。まあ……馬の耳に念仏だろうが。

 

 

 

「——よく来たな、待っていたぞ」

 

 そうして、西洋地獄内を道なりに進んでいく鬼太郎たちの前に、一人の男性が立ち塞がる。

 その男は覆面にマント、謎のヒーロー風な格好をした成人男性だった。どことなくプリニーに似ているような雰囲気がある。

 

「ええっと……どっかで見た顔ね、誰だっけ?」

「確か……指導教官のニーノさんデス! ヴァルっちさんと同じ職場で働いている、プリニー教育係の人デス!!」

 

 その男と顔見知りなのか。フーカとデスコは彼のことを思い出しながらその名を呼ぶ。

 

「その通り。俺はプリニー教育係のニーノ。プリニーたちの指導教官を務めている。ヴァルバトーゼ様の部下さ、よろしくな」

 

 ニーノと名乗った男は物腰が柔らかく、ヴァルバトーゼのような覇気も、フェンリッヒのような容赦のなさもなかった。

 本当に一般人の男性といった感じだ。一応、彼も西洋地獄の獄卒の筈なのだが。

 

「キミらのことはフェンリッヒ様から説明を受けている。例の地獄に挑戦するんだって? 物好きだね……本当に大丈夫かい? 怪我だけはしないよう、しっかりここで準備していくんだぞ。ほらっ、そこの人間のキミはこの防護服を着て。地獄は色々と物騒なんだから。死んじゃったら元も子もないからね?」

「あっ、どうも……わざわざすいません……」

 

 彼は鬼太郎たちに気遣いの言葉を掛け、特に生身の人間であるまなに対して世話を焼く。その親切にはまなも恐縮して頭を下げ、一行の緊張感もやや薄れていく。

 

「ごほん……では改めて説明しよう!!」

 

 だが、すぐにでも気を引き締めるように咳払い。彼は道案内役として、鬼太郎たちに今回の『地獄攻略』そのルール説明を行なっていく。

 

「これからキミたちにはいくつもの地獄を巡ってもらう! それらは現在新しく建造中の地獄だ。何が起こるかは保証できないから、そのつもりでいろよ?」

「…………」

 

 脅しではなく単純な事実として注意事項を述べていく。その説明に鬼太郎たちは改めて自分たちが危険な敵地の真っ只中にいるという現実を自覚させられる。

 

「はっ、上等じゃない!! どんな地獄だろうと全部薙ぎ倒してやるわ!!」

「お姉様のため、デスコも本気でいくデスよ! 邪魔する奴はみんな灰にしてやるデス!!」

 

 一方で、フーカやデスコはプレッシャーなど微塵も感じていない。立ち塞がるもの全てを灰燼と帰す勢いで殺気を撒き散らしていく。

 

「おいおい、物騒だな……まあ、それはそれとして……」

 

 彼女たちの迫力に押されて及び腰になるニーノ。だがナビゲーター役として最後まで説明責任は果たしていく。

 

「移動にはこの『ゲート』を用いる。自動で設定された座標に転移される手筈になっているから、その都度利用するように」

「ゲート?」

 

 ニーノが合図すると同時に、何もない空間にぽっかりと『穴』が開いた。

 

 これぞ——『時空の渡し人』が用いるとされるゲートである。

 

 広大な地獄内を移動するためのものらしく、西洋地獄ではこれが一般的な移動手段になっているとのこと。これは現世でもバックベアード軍団が用いていた、魔法石による空間転移と同じ魔法技術である。

 

「では、健闘を祈る! さらばだ!!」

 

 全ての説明を終え、ニーノは役目を果たしたとばかりに鬼太郎たちに背を向ける。

 そして、まるで怪獣をやっつけてその場から飛び去っていく、ヒーローのよう「シュワッチ!」と空の彼方へと立ち去っていった。

 

 

 

「……よーし!! みんな、準備はいいわね!?」

 

 ニーノの説明から数分ほどで準備を終え、フーカが鬼太郎たちに号令を掛ける。これから始まるかもしれない激しい戦いの前に、皆の戦意を高めようと激励の挨拶をかましていく。

 

「ここから先は何があるか、アタシたちにも予想がつかないわ。フェンリっちのことだから、きっと恐ろしい地獄をいくつも用意しているに違いないけど!」

 

 フェンリッヒの容赦のなさ、性格の悪さはフーカたちがよく分かっている。

 彼とは仲間として共に戦った経験があるため、敵に対する苛烈さ、手段を選ばない容赦のなさなど間近で見てきている。決して一筋縄でどうにかなる相手ではないと。

 だが、それでも——

 

「それでも! それでもアタシたちはやり遂げなければならないの!! まなっちと猫ちゃんの罪を帳消しにするために……何より!! アタシ自身の自由のために!!」

「……お前、さてはそれが目的だな?」

 

 本人はいいことを言っているつもりのようだが、明らかの自分のために叫んでいるところの熱量が半端ない。

 さてはまなと猫娘はついでだなと、エミーゼルはフーカの心情を的確に読み取っていく。

 

「ふぅ~……まあいいさ。ここまで来た以上は最後まで付き合ってやるよ」

 

 しかしため息を吐きながらも、ここまで中立を貫いてきたエミーゼルがフーカたちに力を貸すと重い腰を上げる。西洋死神である彼がフーカや鬼太郎たちを手助けするのは色々と問題がありそうだが、彼にだって人並みの情がある。

 同年代の友人と呼べなくもないフーカやデスコ。そして——何故か犬山まなにも肩入れする。

 

「ありがとう、エミーゼルくん……」

 

 まなもエミーゼルの助太刀には素直に礼を言った。淑子の件は既に彼女の中で折り合いがついているため、彼に対するわだかまりもない。

 すると、そんなまなのお礼に——

 

「べ、別に……お前のためじゃねーし! 礼を言われるようなことじゃないからなっ!!」

 

 と、エミーゼルは顔を真っ赤に叫んでいた。彼のそんな態度にフーカとデスコが目敏く反応する。

 

「あれれ~? エミーゼルってば、頬なんか染めて何をムキになっているのかしら~?」

「怪しいのデス、エミーゼルさん。なんだかとっても……甘酸っぱい気配がするのデス! これはもしや……っ!?」

「へ、変な勘ぐりするなよ!! ボクは別に……!」

 

 少年の純情ぶりを弄くり回す少女たち。

 少年はからかってくる彼女たちに余計な言葉を言わせまいと全力で抵抗する。

 

「……?」

 

 彼らのやりとりが何であるか。いまいち理解しきれず、犬山まなは頭に疑問符を浮かべていた。

 

 

 

「なんとまあ……マイペースな子たちじゃのう……」

 

 子供たちのやりとりに目玉おやじが脱力する。

 これから激しい戦いがあるかもしれないと言うのに、何やら青春的な話でじゃれあっている。緊張感も何もあったものではない。

 

「ですが、父さん。おかげで変に緊張せずに済みます」

 

 しかし、それを鬼太郎は好ましいものとして微笑みを浮かべる。

 負ければどうなるか分からない。まなや猫娘のためにも絶対に敗北は許されない戦いだが、気負いすぎても本末転倒。適度に肩の力を抜くことで、寧ろいつもよりコンディションが整えられた気がする。

 

「さあ、そろそろ行こうか……」

「ええ、そうね!!」

 

 それは鬼太郎だけではなかったようで、猫娘の返事にも快活なものが感じられる。

 他のメンバーの顔色もいたって良好。西洋地獄の只中に立たされていながらも、彼らの表情に絶望的なものなど何一つなかったのである。

 そう、たとえこの先にどんな地獄が待っていようとも、みんなが一緒ならきっと乗り越えられると。

 

 

 希望を胸に、一行は勢いよくゲートへと飛び込んで行った。

 

 

 

×

 

 

 

『——きゃああああ! 素敵ぃいいい!』

『——カッコいい、痺れるッス!』

『——もっと! もっと激しくメチャクチャにしてェエエエ!』

 

「えっ……な、なにこれ!?」

「……なんだ? この歓声は?」

 

 ところがゲートを潜って数秒ほど。移動先として辿り着いたエリアで鬼太郎たちを待っていたもの。それは燃え盛るような炎でもなければ、凍えるような吹雪でもなかった。

 

 彼らを出迎えたもの——それは、割れんばかりの大歓声である。

 

 そこは遊園地のようなアトラクションが数多く設置されたエリア。

 それらの遊具は獄卒たちが自身を鍛え上げるためのトレーニングマシンだったり、亡者たちを苦しめるための拷問用具だったりと。それだけでもある意味で斬新な地獄なのだが。

 

「……なにこれ……? ライブかなんか?」

 

 それ以上に意味不明だったのが、そこに集まっている獄卒やプリニーたち。その全てが熱狂、あるいは発狂していたということである。

 そこに集まっていた、ざっと数百人はいそうな群衆が——特設ステージらしきものに向かって黄色い声援を送っていたのだ。

 

 ステージ上に立っているのは一人の男。先ほどからその男の歌声と、観客たちの声援によってエリア全体が地響きのような揺れを起こしている。

 

「こ、この歌声……まさか!?」

「う、嘘だろ……っ?」

 

 鬼太郎たちには何が何やら、皆目検討も付かない。一方でフーカやエミーゼルたちはその表情を強張らせていく。

 

 彼らには分かってしまっていた。その男が何者であるか、彼が如何なる人物なのか。

 

 だからこそ、信じられない。彼が賞賛を受けているという状況が——。

 脳みそが、それが現実のものであると認識することを拒んでいた——。

 

『——待っていたぜ、お前たち!! ようこそ……俺様の特設ステージへ!!』

 

 しかし、これは夢でも幻でもないと。

 鬼太郎たちの到来を待ち構えていたその男が、ステージ上から彼らに向かってマイク越しにシャウトする。

 

『お前たちの前に立ち塞がる第一の地獄!! このエリアを統括するのはこの俺様……』

 

 

 自身の誇り高きその名を声高らかに、震え上がる魂と共に歌い上げるように叫んでいた。

 

 

 

『——監獄長、ダークヒーローの……アクターレ様だぁぁああああああああ!!』

 

 

 

 

 

「……なに? この……見るからに頭の悪そうな奴は……」

「随分とチャラい格好の若造じゃのう……」

 

 監獄長を名乗ったその男の登場に、猫娘や砂かけババアが即座にパカっぽいと辛辣な言葉を吐き捨てる。

 実際、彼女たちが見抜いた通りだ。彼は——アホである。

 

「——出たわね! アホターレ!!」

「——バカターレさん!! どうしてここにいるデスか!?」

「——何しに来やがった! ハナターレ!!!」

 

 フーカ、デスコ、エミーゼルの三人からも総スカンを食らう。顔見知りである彼らの表情からも『極力関わり合いになりたくない』というオーラが包み隠さずに溢れ出していた。

 

「アクターレだ!! キミたち、人の名前を間違えるなんて失礼じゃないか!!」

 

 馬鹿っぽい男——もとい、アクターレ。 

 意外にもまともなことを指摘しながら、彼はその肉声を鬼太郎たち一行に聞かせていく。

 

 アクターレは地獄の監獄長にして、超人気のダークヒーロー(と、本人は思い込んでいる)。

 金髪に褐色肌、半裸姿に白いコートを纏い、その手にはエレキギターを携えていた。見るからにチャラついたロックバンドのボーカルといった感じの青年である。

 

「……あなたがこのエリアの……責任者、なんですか?」

 

 アクターレ相手に一応鬼太郎は敬語で尋ねた。彼の主観からでもとてもまともな人物には見えないが、それでも初対面の相手として最低限の礼儀は尽くす。

  

「その通りさ! ヴァルバトーゼに命令されてな!! ここでお前たちを迎え撃つように言われているんだ!!」

「お前……監獄長のくせにプリニー教育係に従ってるんじゃないよ……」

 

 鬼太郎の問いにアクターレは胸を張って答える。だが彼は監獄長という、一応は責任のある立場。それなのに、プリニー教育係であるヴァルバトーゼの指示でここにいるという。

 部下的な立場の相手にこき使われているアクターレの情けなさに、エミーゼルが呆れ果てる。

 

「だって、近頃のあいつちょっと怖いんだもん!! 口答えしたらしたらで、再教育とか物騒なこと言ってくるし!! 従うしかないだろ!!」

「アンタ……上司としてそれでいいの?」

「もん……て、いい歳した大人が何を言っとるばい……」

「ぬ、ぬりかべ~……」

 

 アクターレは泣く泣くヴァルバトーゼに従っているという現状を堂々と訴える。ますます持って情けない彼にフーカが憐れみの目を向け、その感情は日本妖怪たちにまで伝播する。

 出会って数分だが、もはや初対面である鬼太郎たちの中でも、アクターレの存在が『アホ』で定着しつつあった。

 

 

 

「——だが安心しろ!! ここは地獄とは名ばかり、天国のような場所さ! 見ろ!!」

 

 気を取り直し、アクターレはこのエリアの番人として鬼太郎たちと対峙する。

 ここは彼が支配する領域であり、鬼太郎たち同様、ここにはこの地獄を体験する『被験者』たちが集められていた。

 

 そう、先ほどからアクターレに黄色い声援を送っているものたちは——サクラだ。

 西洋地獄中から集められた罪人、プリニー。ヘマをやらかした獄卒たちなどである。

 

『すご~い……さすがアクターレ様だぁあ』

『アクターレ様の美声が聴けるだなんて……なんて幸福なんだぁああ』

『素敵~……アクターレ様、ばんざぁああああああいッス』

 

 一見すると口々にアクターレを称賛しているように見えるが、よくよく聞けばそれらの歓声には何一つ心がこもっていない。

 彼らは自らの意思とは関係なく、アクターレを崇め奉り続けることを——強いられているのだ!!

 

 見よ!! 彼らの死んだ魚のような目を!!

 浜辺に打ち上げられ、座礁したイルカやクジラのように死にそうな顔色を!!

 鯉のように口をパクパクさせながら、泡まで吹いているその疲弊ぶりを!!

 

 彼らは24時間、365日。

 ここで永遠にアクターレを称賛し続けなければならない。

 

 

 これこそ新しい地獄の形——名付けて『アクターレ地獄』である!!

 

 

「ふっふっふ……そうか、そうか!! そんなに嬉しいか、お前たち!!」

 

 だが、当のアクターレ本人はこの地獄を素晴らしいものであると心から信じていた。

 自分という偉大な存在を永遠に崇め続ける彼らを真の幸せ者だと。ここが極楽だと本気で、いやマジで思ってる。

 

「よーし!! そんなお前たちのために、今日は新作のダークポエムを披露してやるぜ!!」

 

 彼らのためにも、アクターレはご褒美と称し、新作のダークポエムを披露する。

 ダークポエムとは、アクターレからファンたちに贈られるありがたい『詩』である。

 

 さあ、耳穴かっぱじって聞き惚れるがいい!! 

 アクターレ様の口から綴られる、美しい言葉の羅列を!!

 

 

 

 ああ 俺様よ 俺様よ どこまで輝けば気が済むんだい 俺様よ

 

 誰もが羨み嫉妬する 熱いダークなヒーローの俺様

 

 今日も俺様は輝いている 太陽が焦がれるほどに

 

 世界よ 今日も俺様色に染め上がるがいい

 

 

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 

 

 そんな、ありがたくもない寝言を聞かされ——

 

 

 

「「「——ふざけんなっ!!!!!」」」

 

 

 

 もはや我慢の限界だと、フーカやエミーゼルたちが暴動を起こす。

 地獄のモニターなど知ったことかと、アクターレを容赦なくしばき倒していった。

 

 

 

※ここから先はあまりにも一方的な戦いのため、戦闘描写は省略させていただきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——ふっ、まったく……照れ屋な奴らだぜ……ぎゃわん!!」

 

 

 そうして、フーカたちの手でボコボコにされたアクターレ。

 彼は最後の最後まで、自分が人気者だと錯覚したまま——逝った。

 

 

 

×

 

 

 

「はぁはぁ……お、恐ろしい地獄だったわね、アクターレ地獄」

「ボクたちの精神を斜め上に抉ってくる。さすがだよ、アクターレ……」

「こ、怖かったのデス、お姉様。デスコ……今になっても鳥肌が止まらないのデス……」

 

 アクターレを圧倒的戦力差で叩き潰したフーカたちだが、想像以上にダメージを食らってしまった。無論、肉体的なものではない、精神的なものだ。

 特に彼のダークポエムが効いた。そのあまりの意味のなさ、くだらなさに戦いが終わった今になっても震えが止まらない。

 ある意味強敵だったと、フーカたちはその場で膝を突いてしまう。

 

「こ、これが……西洋地獄のやり方、なのか?」

「な、なんていうか……どっと疲れたわね……」

 

 鬼太郎や猫娘たちも、今のでかなり疲労を溜め込んだ。彼らもまさかあのような相手が立ち塞がってくるとは、予想することも出来なかった。

 まったく違う意味での難敵を前に、物凄い肩透かしを食らった気分である。

 

「——やはりアクターレでは足止めにもならんか……だが、そうでなくてはつまらん」

「——問題ありません、閣下。奴には最初からあまり期待していませんでしたから」

 

 すると、疲弊している一同を前に、この地獄の仕掛け人である二人が音もなく姿を現す。

 

「!! ヴァルバトーゼ……」

「フェンリッヒ……」

 

 ヴァルバトーゼとフェンリッヒ。

 未だにその実力の片鱗すら見せない相手を前に、鬼太郎や猫娘を始めとした日本妖怪たちが油断なく身構える。ゲゲゲの森とは違いここは敵地でもあるため、さらに警戒心が高まっていく。

 

「ちょっと、ヴァルっち!! 初っ端からなんてもんぶち込んでくんのよ!! 危うく発狂するところだったじゃない!!」

 

 一方で風祭フーカは至って平常運転。第一の刺客にアクターレなんぞを差し向けてきたヴァルバトーゼの人選に物申す。もっともそんな不満すら、ヴァルバトーゼは涼しい顔で受け流す。

 

「ふっふっふ、どうであった? あのアクターレを延々と応援し続けなければならないという拷問にも等しい苦行! プリニーもどきのお前にはちょうどいい地獄であろう?」

「そ、そんなに理不尽なことなんですか?」

 

 アクターレ地獄の恐ろしさを自信満々に告げるヴァルバトーゼだが、それがどれだけ恐ろしいか日本から来たまなにはしっくり来ない。

 一応は一人の青年をただ応援し続けるだけの地獄。そこまで言うほどの苦行なのだろうか。

 

「ひぃ……た、助かったッス~……」

「も、もう……勘弁してくれ……」

 

 だが、アクターレが気を失ったことでアクターレ地獄から解放されたプリニーや獄卒たちが安堵しきった表情でその場に倒れ込んでいく。彼らの顔色を見るに、相当に苦しかったようである。

 この苦しみは、アクターレの人物像を知る西洋地獄の住人であればこそであろう。

 

「だからって……こんなの理不尽にもほどがあるでしょうが!!」

 

 アクターレという存在がある意味で驚異的だと、フーカですらも戦慄している

 こんな地獄やってられるかとばかりに、彼女は不平不満をぶちまけていく。

 

 だが——

 

「もとより……地獄とは理不尽なもの。プリニーとは、理不尽を押し付けられる存在。どんな命令だろうと実行に移さなければならない」

 

 ヴァルバトーゼは語る。

 地獄の意味を。この地獄でプリニーが為すべきことを——。

 

「主人に雨を降らせろと言われれば降らせる……」

 

「鼻でスパゲティを喰えと言われれば喰う……」

 

「読み逃した先週の超撃大魔王を買ってこいと言われた、何としてでも買ってくる! それがプリニーの役目だ!!」

 

 それは本当にくだらない。理不尽でどうにもならない注文ばかりだろう。だがそれでも、プリニーである以上はその命に従わなければならない。

 

 何故なら——彼らは『罪人』だから。

 

 罪を犯して地獄へと送られてきたのだから、その汚れた魂を浄化するためにも、プリニーたちは贖罪のため働き続けなければならない。

 

「そう、理不尽に耐えること!! それがプリニーの……即ち、罪人である『お前たち』の本分なのだからなっ!!」

「ざ、罪人……」

「…………」

 

 彼の言葉はフーカだけではない。西洋地獄への不法入国という『罪』を犯したまなや猫娘たちにも向けられていた。彼の気迫がこもった説法に、彼女たちも神妙な顔つきになる。

 そうして、ヴァルバトーゼの言葉は続く。

 

「ここから先の地獄も……お前たちに我慢や忍耐を要求する理不尽なものになっているだろう」

 

 まだまだ地獄のモニタリングは終わらない。ここからさらに鬼太郎たちはさまざまな地獄を巡り、それに耐えなけれなならない。

 

「その理不尽に耐えることで、お前たちは否が応でも己の犯した罪と向き合うこととなる……」

 

 だがそれも必要なことだ。ここが地獄でフーカたちが罪人である以上、避けては通れない道。

 もとより地獄とは罪を償う場所、苦しみに耐えることで己の罪と向き合い、自身の汚れた魂を浄化する。

 

 そのための修行の場こそが、地獄。

 苦痛に耐え続けることで魂は再生され、罪人たちの罪は償われるのである。

 

「せいぜい抗ってみせるがいい! ここまできた以上、お前たちに引き返すなどという選択肢はないのだからな……」

「連中がどこまで耐え切れるか。見ものですね、閣下」

 

 言いたいことを言い終えるや、ヴァルバトーゼはマントを翻し、フェンリッヒを伴ってその場から立ち去っていく。

 

 その後ろ姿を、鬼太郎たちは黙って見送るしかできなかった。

 

 

 

 

 

「罪……罪人……」

 

 ヴァルバトーゼが嵐のように立ち去った後、犬山まながボソッと口にする。

 彼に言われた『罪』という言葉が誰よりも彼女の中に響いてきた。自分の犯してしまった罪、勝手に他国へと侵入してしまったという『罪状』をより深く意識する。

 

「まなちゃん、キミが罪悪感を覚える必要はない……と、言うわけにもいかんようじゃのう、その顔を見るに……」

 

 そんなまなに、目玉おやじを始めとした日本妖怪たちは気にしないようにと何度も声を掛けてきた。だが、周囲がどれだけ言い聞かせたところで、彼女自身が既に罪の意識を持ち始めている。

 もはや言葉だけで、まなの罪悪感を拭うことは出来ない。

 

「……プリニー……理不尽に耐えることで、罪と向き合う……」

 

 まなの影響か、あの風祭フーカですらも難しい顔で悩み始める。彼女の場合はまなたちよりもっと深刻。なにせプリニーとして罪を償わなければ、彼女はいつまでも地獄に囚われたまま。

 

 永遠に、自身が夢だと思い込んでいるこの悪夢から醒めることなど出来ないのだから——。

 

 

 

「そ、それにしても、あのヴァルバトーゼとやら。何というか……随分と律儀なやつじゃのう……」

「そうじゃな。わざわざ足を運んで……色々と説明してくれとる。西洋地獄ではあれが普通なんかのう?」

 

 少女たちの重苦しい空気を感じてか、砂かけババアと子泣き爺がそれとなく話題を変える。二人が気になったのは、ヴァルバトーゼという西洋妖怪の生真面目さである。

 

 西洋地獄を巡ることになった鬼太郎たち。ヴァルバトーゼはそんな彼らの前にわざわざ姿を現し、挑発じみた言葉を投げつつも、フーカやまなに罪と向き合うこと、地獄の存在意義などを講釈してくれた。

 あれが一般的な西洋地獄の獄卒なのかと。日本妖怪たちはその生真面目さに感心するなり、呆れるなりしている。

 

「そんなわけないだろ」

 

 だが日本妖怪たちの考えを、エミーゼルはため息を吐きながら否定する。

 

「あいつの馬鹿正直さは、西洋妖怪でも珍しい方だよ。妖怪なのに曲がったことが大っ嫌い。他人を騙すことも、嘘をつくこともしない。そもそも……プリニー教育係なんて閑職、あいつ以外の誰があんなに熱心にこなすっていうんだよ」

 

 エミーゼル自身も、西洋死神としては仕事熱心な方なのだが。そんな彼の目から見てもヴァルバトーゼの勤勉ぶりは呆れるほど異常なものだという。

 

 彼はどんなときでも、決して自分自身を曲げることがない。

 有言実行で嘘も吐かない。誰かを疑うこともしないし、仲間と認めた相手を絶対に裏切らない。

 

 いついかなるときでも、『誇り高い妖怪』でありたいと自分自身を戒めているという。

 

「特にあいつは約束を守ることに関しちゃ筋金入りだ。一度交わした約束は誰が相手だろうと絶対に守り通す。たとえ何があってもな……」

「約束……」

 

 ヴァルバトーゼが信条としている『約束を守る』という信念。それに珍しく鬼太郎が興味を示す。

 彼自身も昔、人間の男性と交わした『約束』を大事にしている。彼との約束を守るためにも、鬼太郎は妖怪ポストで人間からの手紙を受け付け、妖怪に困らされている人々からの相談に乗るなどしている。

 約束を守ることに関しては、鬼太郎も一家言ある身の上だ。

 だが、ヴァルバトーゼの約束に関する信念は鬼太郎以上に頑固で融通が効かない。

 

「……なるほど。道理で私たちに対する当たりが……あんなにも強くなるわけだわ……」

「…………」

 

 ヴァルバトーゼは猫娘やまな。彼女たちが領域侵犯、国家間で交わされている決め事を——約束を破ったことにも怒りを露わにしていた。

 自分のみならず、他者に関しても約束を守らせることに固執するらしい。その律儀さも、ここまでくると本当に筋金入りだ。

 

「まったく……こっちはそんなこと知りもしなかったのに……少しは融通を効かして欲しいもんだわ」

 

 猫娘からすれば、地獄同士の決め事などそれこそ知ったことではないのだが、あの様子を見るに知らなかったでは済ませてくれないだろう。

 やはり彼女たちの罪を許してもらうためにも、西洋地獄の攻略は必須のようである。

 

「まあ、無理だろうな。あいつは約束を守る為なら何でもする。それこそ……自分自身がどうなろうともな……」

 

 エミーゼルも、あのヴァルバトーゼの約束事に関するスタンスだけはどうやっても変えることができないという。

 なにせ彼は約束を守り続けるため、今も自分自身を縛り続けている。

 

 

 数百年も昔、『人間の女性』と交わした、とある約束事を守り続けるために——

 

 

 

×

 

 

 

 吸血鬼・ヴァルバトーゼ。

 今でこそプリニー教育係などという立場に収まっている身だが、かつての彼はそのような身分に甘んじる器ではなかった。

 

 数百年前の彼は現世において『暴君』と呼ばれるほどに恐れられる、吸血鬼族の若き帝王としてその名を轟かせていた。

 その力は凄まじく、人間は勿論、西洋妖怪たちの間でも彼の名は恐怖と畏怖の象徴として語られていた。

 その強さはあのバックベアード軍団ですら迂闊には手が出せないほど。彼が今も暴君として君臨を続けていれば、間違いなく西洋妖怪の勢力図は塗り変わっていたであろう。

 

 だが、今の彼に暴君と恐れられていた時代ほどの力はない。

 それはヴァルバトーゼが吸血鬼として人の血を——『吸血行為』の一切を禁じてしまったからだ。

 

 吸血鬼にとって、人間の血を吸うことにはいくつもの理由がある。眷属を増やしたり、妖力を高めたり、単純に快楽のためだったり。だが大半の吸血鬼にとって、吸血行為は純粋に食事としての意味合いが大きい。

 人間の血を吸うことは彼らにとって生命線。人間が食べ物や水を飲まないと生きていけないように、彼らも人間の血を吸い続けなければ生きていくことが困難になる。

 

 

『——人間の血を吸わないと生きられないなんて、可哀想ですわね』

 

 

 そんな吸血鬼の在り方を同情し、憐れんだ一人の女がいた。

 彼女はシスターだった。戦火に喘ぐ西洋の地で、懸命にも看護師として人々を救い続ける、ただの修道女。

 そんな彼女と、暴君と恐れられていたヴァルバトーゼは出会った。

 

『女……お前は俺が恐ろしくないのか? 俺を恐れぬとは……何者だ?』

 

 ヴァルバトーゼにとって女の存在はひどく不可解なものだった。

 普通の人間であれば、ヴァルバトーゼの姿を見るだけでも恐れて逃げ惑うもの。彼を前にすればどんな屈強な兵士も赤子同然、虚勢を張ることすら困難であった筈だ。

 なのに、女は微塵もヴァルバトーゼを恐れなかった。それどころか他の人間たちを守るため、自分の血を吸えと。己の命を差し出すような真似までしてきたのである。

 これに、ヴァルバトーゼは誇りを大きく傷つけられた。

 

『吸血鬼を恐れぬ人間から血を吸うなど、俺のプライドが許さん!!』

 

 ヴァルバトーゼの手にかかれば、女の命など簡単に奪えた。しかし、ただ殺してしまっては彼の誇りが損なわれたままだ。

 そこでヴァルバトーゼは女に対し、一つの提案を持ち掛ける。

 

『俺は貴様を恐怖のドン底に陥れてからその血を吸う。お前が俺を恐れたとき……そのときこそ、俺の誇りは保たれ、お前はその命を無様に散らせることとなるのだ!!』

 

 自信満々に告げたその言葉に、女は笑顔でこう返した。

 

『ふ~ん……じゃあ、約束です。私を怖がらせるまで、誰の血も吸わないでくださいね?』

『約束だと?』

 

 当時から、ヴァルバトーゼは約束にこだわる吸血鬼であった。だが自分であれば、その約束を容易く果たせるという自信があったのか。

 

『良かろう!! 約束してやるとも!! 貴様を恐怖に陥れるなど、容易いことなのだから、フフフハハハハハッ!!』

『フフッ、約束ですからね。言っときますけど、私を怖がらせるのはとっても……難しいですわよ?』

 

 こうして、二人は互いに笑い合いながら約束を交わした。

 決して破ることは許されない、二人だけの約束を——

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして——その約束が果たされることはなかった。

 

 

 

 女は死んだ。ヴァルバトーゼとの約束を果たす前に。戦火の最中、彼女は同じ人間の手によって殺されたのだ。

 

 彼女の敵味方問わない救命行為を『スパイ』だと決めつけた、同郷の者の凶刃によって殺された。

 不幸中の幸いか。絶命するその間際、ヴァルバトーゼと女は言葉を交わすことができた。

 

『……吸血鬼……さん』

『死ぬな!! 目を開けろ!! お前が死んだら……俺は、俺は……!』

 

 自分が彼女を怖がらせねば、ヴァルバトーゼは二度と人間から血を吸えなくなる。吸血鬼としてそれは致命的。だからこそ、彼女には是が非でも生きてもらわねば困るとヴァルバトーゼは叫ぶ。

 だが、彼の思いとは裏腹に冷たくなっていく女の体。彼女の華奢な肉体から熱が失われていくにつれ、ヴァルバトーゼの胸の中にもポッカリと穴が空いていく感覚があった。

 

『ごめんなさい……変な約束で……貴方を困らせて……』

 

 女は自分の命ではなく、ヴァルバトーゼの身を案じていた。

 

『貴方に、血を吸わせて……あげられなかったのが……唯一の……心……残り……』

 

 自分が死んでしまったせいで、ヴァルバトーゼが血を吸えなくなってしまうのではないかと。

 彼のこの先の生き方を縛り付けてしまったのではないかと悔いていた。

 

『お……おい!! 死ぬな!! 俺に約束を守らせぬまま、勝手に死ぬことは許さんぞ!!』

『————』

 

 ヴァルバトーゼの慟哭も虚しく、女は静かに息を引き取る。

 

 

『————!!!』

 

 

 言葉にならない胸の痛みがヴァルバトーゼを苦しめる。

 彼は彼女の亡骸を抱き抱えながら、その女の名を叫び続けていた。

 

 

 その日を境に、暴君の名は廃れていく。

 血を吸わなくなったことで急激に力を弱めたヴァルバトーゼ。彼はそのまま現世での勢力争いからも自然淘汰されていき、西洋地獄へと落とされることとなる。

 弱体化した彼に、もはや暴君など務まらず。

 そのまま地獄の最下層にて『プリニー教育係』などという閑職へと追いやられ——今に至る。

 

 

 もっとも——

 

 

「——クックック、さすがに一筋縄ではいかぬか。さすがは風祭フーカ、そうでなくては面白くない!」

 

 悲しい過去もそれはそれとして。現在の苦境を、彼はまったく苦とも思っていなかった。

 たとえどのような立場にいようとも、自分は職務を全うするだけだと。プリニー教育係という仕事すらも全力でやり通していくヴァルバトーゼ。

 今はとりわけ、風祭フーカというプリニーもどきを再教育することに集中している。

 

 現在、ヴァルバトーゼとフェンリッヒは自分たちの屋敷へと戻っていた。

 彼らはそこから、フーカたちがどのようにしてこの地獄の数々を踏破していくのか。それを注意深くモニターするつもりでいる。

 彼女たちは新造された地獄を巡っている。その動き次第では、試験運転中の地獄にいくつかの改修案を盛り込む必要がある。

 彼女たちが地獄を突破しようと、屈しようと。ヴァルバトーゼたちにとっては益しかない。

 

「全てはヴァル様の掌の上、ということですね。さすがは我が主」

 

 主の余裕な態度に感服したとばかりにフェンリッヒは背筋を正す。しかし、彼は表情をやや曇らせながら眉を顰める。

 

「ですが日本妖怪ども、あのゲゲゲの鬼太郎とやらがどう出るかが不透明ですね……」

 

 風祭フーカやデスコ、エミーゼルといった面子の行動パターンであればフェンリッヒも熟知している。実力ならともかく、精神面だけならまだまだ子供。彼女たちを手玉に取るなど容易いと胸を張る。

 だが、ゲゲゲの鬼太郎を始めとする日本妖怪たちに関してはデータ不足だ。実力で自分ら西洋地獄の猛者たちに勝てるとは思っていないが、予測不能な行動には注意すべきだと進言する。

 

「ふむ、そうだな。あの小僧はあのバックベアードを退けたとも聞く。なかなかに油断できない相手のようだ」

 

 従者の言葉にヴァルバトーゼも頷く。

 彼の耳にも、ゲゲゲの鬼太郎が現世でバックベアードを打ち負かしたという話は届いている。ヴァルバトーゼはその話を事実として受け入れ、ゲゲゲの鬼太郎を一人の敵として認めているようであった。

 

「さすがにそれは買い被りだと思いますが……ヴァルバトーゼ様の御意のままに」

 

 ヴァルバトーゼの評価にフェンリッヒは過大評価ではないかと疑問を口にしつつ、彼に従う姿勢を崩さない。

 あくまで執事として、どこまでもヴァルバトーゼに追従するフェンリッヒ——

 

「——ヴァ、ヴァルバトーゼ様!! 大変ッス!! 一大事ッス!!」

 

 するとそのときだ。一匹のプリニーがヴァルバトーゼたちの元へと駆け込んで来た。慌てふためくその様子から、何やら只事ではない様子が伝わってくるが。

 

「プリニーの加工工場でトラブルッス!! このままだと、プリニーの皮の生産に支障をきたす恐れがあるッス!!」

「なんだとっ!? 確かにそれは一大事っ!!」

 

 プリニーの報告にはヴァルバトーゼも目を見張る。プリニーの皮が生産出来なくなる。それは地獄へと送られてきた罪人の魂を、プリニーに加工出来なくなることを意味する。

 即ち、応急処置としてプリニーの帽子だけを被せるという、風祭フーカにした処置と同じ方法をとらざるを得ないということだ。

 下手をすれば第二、第三の風祭フーカが誕生してしまうきっかけになるやも知れない。そう考えれば、早急に対処する必要がある案件であった。

 

「フェンリッヒよ! 俺は今からプリニーの加工工場へと向かう! お前は小娘どものモニターを続けよ!! 何か動きがあればすぐに俺に報告するのだ、良いな!?」

「はっ……承知致しました」

 

 慌ただしくも的確な指示を飛ばし、ヴァルバトーゼは早急にプリニーの加工工場へと足を運ぶ。

 留守の間は全てをフェンリッヒに任せるつもりのようだ。その采配にフェンリッヒも不満を漏らすことがなく、唯々諾々と従っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………やはり……この機会を利用すべきか……」

 

 ヴァルバトーゼのいなくなった部屋の中。フェンリッヒは一人、モニターに映る風祭フーカやゲゲゲの鬼太郎へと視線を移す。

 一行はちょうど次の地獄へと移るため、時空ゲートを潜ろうとするところであった。

 彼らが次なる試練に立ち向かっていく光景を見つめながら、フェンリッヒは思案は巡らせていく。

 

「あの小娘どもは当然……あの鬼太郎とかいう小僧も、いずれは我が主の障害になるやもしれん……」

 

 フェンリッヒは、暴君時代からヴァルバトーゼに仕えている忠臣である。

 主であるヴァルバトーゼが今の待遇に何一つ不満を抱かぬ中、彼自身は主がプリニー教育係などやらねばならない現状に不満を抱いていた。

 

「いずれヴァル様にはこの世界の覇者となっていただく。どんな小石であろうとも、片付けておく必要があるな……」

 

 フェンリッヒはヴァルバトーゼを世界の覇者とすべく、今でも暗躍を続けている。

 いずれはヴァルバトーゼが再び人間の血を吸うことを期待し、暴君としての力を取り戻し、この世を支配することを望んでいる。

 そのためにも様々な策謀を数多く張り巡らせており、このときも、彼は未来への布石のために裏で糸を引いていく。

 

「あの『女』が地獄を留守にしている今が好機だ。このチャンス……逃す手はない!」

 

 幸い自分を邪魔するものはいないと。

 その瞳は獲物を狙い澄ました狩人のように、妖しい色を宿していた。

 

 

「——全ては我が主のため。災いは全て消え去るがいい……クックック!」

 

 

 フェンリッヒにとって災いとは、主の台頭を脅かす全ての存在。

 風祭フーカもゲゲゲの鬼太郎も、彼からすれば等しく邪魔者でしかない。

 

 

 主の為にも、自分自身の目的の為にも。

 彼は今日も、主の意思とは関係ない場所で謀略を巡らせていく——

 

 




人物紹介

 ニーノ
  原作をプレイしたことのある人でも「誰?」と思うかもしれません。
  拠点にいる覆面ヒーロー。『強欲の天使』に給料をつぎ込み続ける『漢』。
  彼の存在がストーリーと絡むのは『フーカ&デスコ編』くらいなもの。
  今回の話の流れも、その辺りを参考に書かせてもらっています。
  ちなみにこの男が、フーカをプリニーもどきにした張本人。
  つまり、今のフーカがらみの争乱。その全ての元凶がコイツ。

 アクターレ  
 『ディスガイア2』がデビュー作。番外の主人公も務めた開発陣のお気に入り。
  ディスガイア4では地獄の監獄長を務め、ゆくゆくは地獄のトップ魔界大統領にドサクサに紛れて就任する。
  基本的にアホだが、やるときはしっかりとやる男。
  書いててとても楽しいキャラ。コイツの描写部分、一番筆が乗ったかもしれん。開発陣が何度も何度もゲスト参戦したがる気持ちがよく分かってしまう。

 シスター 
  数百年前、ヴァルバトーゼと約束を交わした人間の女性。
  彼女との約束がきっかけでヴァルバトーゼは魔力を失い、プリニー教育係へと落ちぶれる。
  一応、原作のネタバレになるので名前は記しませんでした。
  まあ、普通にバレバレだと思いますが、とりあえず何もツッコまないでください。
  今作において、彼女の出番は……さて、どうなるでしょうか?


 次回で『ディスガイア4』もようやく完結予定!!
 長かったですが、ここまで来ればあともう一息。


  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔界戦記ディスガイア4 吸血鬼ヴァルバトーゼ 其の③

まずは読者の皆さんに謝罪を。

次回でキッチリ終わらせると宣言しましたが……申し訳ありません。
尺の都合上や、作者の調子。
あらゆる観点から、今回で終わらないような調整になってしまいました。

三話ではなく、もうあと一話。
全部で四話というダラダラとした構成になってしまいました。

一応、この方が西洋地獄シリーズの最後としてしっくりくると。
色々と悩んだ結果での構成なので……どうかお許しを。

とりあえず、今回は起承転結の『転』といったところ。
次回こそ、次回こそ必ず『結』にしてみせますので、どうかご容赦を……。

始まる前にもう一つ。『時空ゲート』について解説をしておきます。
時空ゲートはディスガイアシリーズに登場する概念であり、ゲーム上、『時空の渡し人』なるキャラがこのゲートであらゆる地域へと移動できる手筈を整えてくれます。
一応、今作においては魔法の一種であると解説させていただきますので、あまり深く考えないで『そういうもの』だという感じでお楽しみ下さい。
座標さえ設定してしまえば地獄どころか現世、月にまで行ける時空ゲート……何気にすごいな。


「——これで……どうだぁああああ!!」

「——霊毛ちゃんちゃんこ!」

 

 迫り来る眼前の敵を風祭フーカがバットのフルスイング、ゲゲゲの鬼太郎がちゃんちゃんこをぶん回して蹴散らしていく。

 

「ほげぇええ!?」

「だああああ!?」

 

 二人の強烈な一撃に成す術もなく吹き飛んでいくのは、西洋地獄の獄卒たち。

 死告族と呼ばれる大鎌を持った妖怪。エミーゼルと同じく、西洋では死神として活躍する一族である。

 

「ニャアアアア!!」

「ふはははっ! 逃げ惑うがいいデス!!」

 

 また、猫娘が爪で敵を引っ掻き回し、デスコが触手で相手を殴り飛ばしていく。

 彼女たちが相手をしている敵も女性。夜魔族と呼ばれるサキュバスに、猫娘と同種と思われる猫娘族のネコマタ。日本の猫娘とは違い『ボンキュッボン』とグラマラスなボディを持つ彼女たちを相手に、心なしか猫娘の爪がいつも以上に鋭く尖っているような気がする。

 

「これでも……くらえっ!!」

「ぬりかべぇえええ!!」

 

 さらに、エミーゼルが鎌の一撃で珍茸族というキノコ型の妖怪を切り裂き、ぬりかべが屍族のゾンビたちをその巨体で押しつぶしていく。

 それぞれ「エリッ!?」や「グルル!?」と断末魔の悲鳴を上げるが、彼らは特に再生力の高い種族なので暫くすれば元通りに復元する。

 

「それっ、火炎砂じゃ!!」

「おぎゃ!! おぎゃ!!」

「いくば~い!!」

 

 さらにさらに、砂かけババアが砂を振りかけたり、子泣き爺が石となったり、一反木綿が空を飛翔したりと。

 粘液族のスライム、魔獣族のガーゴイル、魔翔族のモスマンなどの西洋妖怪たちをそれぞれが打ち負かしていく。

 

 

 

「ふぅ~……とりあえず、片付いたわね……」

「……ああ、そうだな……」

 

 彼ら彼女らの獅子奮迅の活躍もあり、こうして西洋地獄の獄卒たちは悉く退けられていく。

 もう何度目になるかも分からないぶつかり合いに汗を流しながらも、今回も危なげなくフーカ&鬼太郎たちの勝利だ。

 これでこのエリアも攻略完了。また次のエリアへと歩を進めることが出来る——筈なのだが。

 

「あの……今更なんですけど……」

「うん? どうかしたかい、まなちゃん」

 

 ふいに、戦いを終えた一行に犬山まながおずおずと声を掛けた。

 非戦闘員である彼女はみんなとは少し離れたところから戦いを見守っていた。それに寄り添う形で、目玉おやじも彼女の肩に乗っている。

 まなはやや躊躇いながらも、自身の中に浮かんできたその疑問を口にしていく。

 

「……これって……これでこの地獄を『攻略』したことになってます?」

「…………」

「なんか……ちょっと違うような気がするんですけど……」

 

 そう、彼女が疑問に思ったこと。

 それは『このような手段で地獄のモニター』とやらが、きちんと務まっているかということである。

 

 

 フーカやまなたちは、自分たちの罪の償いのため、ヴァルバトーゼの挑戦を受ける形で新造された西洋地獄を巡っている。

 その目的はあくまで『被験者』として地獄を体験することであり、決して敵をぶちのめすことではない筈だ。

 しかしいつの間にやら、敵を倒すことに心血を注ぐようになってしまい、肝心な地獄体験を何一つ行っていないことに気づいたのである。

 果たしてこれで本当に良いのか、今更ながらに疑問を呈する。

 

 

「ふーむ……それは、わしも疑問に思っていたことじゃが……」

「しょ、しょうがないじゃない!! あっちから襲い掛かってくるんだから!! 不可抗力ってもんよ!!」

 

 まなと似たようなことを考えていたのか、目玉おやじも彼女に同意する。一方で、フーカはまなたちの意見に動揺しながらも、弁明のようなものを口にしていた。

 フーカはあくまで正当防衛、この戦闘行為が仕方がないものだと主張する。

 

「いや……どのケースでも、お前から先に手を出してる気がするけど……」

 

 けれども、その言い訳にエミーゼルが冷静にツッコミを入れる。

 先に仕掛けているのは、どう考えてもフーカだと。短気な彼女の喧嘩っ早さが戦闘のきっかけになっているパターンがほとんどだと。

 実際、西洋地獄の獄卒たちも、最初から戦おうという意識は低い。

 彼らはあくまで試練を与える形で立ち塞がり、最終的にフーカの先制パンチに対抗するため、仕方がない形で応戦しているのだ。

 

「だって仕方ないじゃない! どいつもこいつも、しょうもない試練ばっか押し付けてくるんだから!!」

 

 だがフーカが言うように、西洋地獄側が押し付けてくる『試練』というやつが割としょうもないのもまた事実。

 

 

 第一の地獄であった『アクターレ地獄』は言わずもがな。それ以降の第二、第三と続く地獄も、結構馬鹿馬鹿しいものが大半であった。

 

『指導教官の長くてクドイ話を聞き続ける地獄』

『獄卒たちが掘った穴をひたすら埋め続ける地獄』

『胸がペッタンコの少女を「ナイスバディ!!」と崇めなければならない地獄』

 

 などなど。

 いったい何の為にこんなことをしなければならないのか、訳が分からない地獄ばかりである。

 

 

 ——あるいは、そういう馬鹿馬鹿しいことに耐えさせることが目的なのかもしれんのう……。

 

 これらの地獄に対し、目玉おやじはそういった『馬鹿馬鹿しい』ことを『我慢』することに意味があるのではないかと。この地獄の発案者の意図をそのように読み取っていく。

 

 ヴァルバトーゼも語っていた。『理不尽に耐えることこそ、罪人の本分』だと。

 

 何が何だか分からない理不尽なことを必死に耐え抜くことで『己の罪と向き合い』、自身の行いを振り返ることを期待してるのかもしれない。

 もっとも——

 

「だいたい、現役の女子中学生に理不尽に耐えろだなんて……そんな無茶を要求する方が無謀なのよ!!」

「えっ……そ、そんなことないと思いますけど……」

 

 一番己の罪を省みなければならない、プリニーもどきのフーカがこれだ。ときより考えるような素振りこそ見せるものの、彼女自身は反省する気などさらさらない様子。

 ちなみにフーカの、全国の女子中学生への大変失礼な発言に対しては、同じ中学生のまなからクレームが入る。

 そんな堪え性のないフーカによって、問答無用で倒されていく各地獄の指導教官たち。フーカの戦意に引き摺られる形で、鬼太郎たちも戦闘に入らざるを得なかったりする。

 

「……まっ、いちいち付き合っていてもキリがないのも事実じゃしな……」

「というか……どこまで続くんじゃ? この地獄のモニターとやらは……」

 

 一応、砂かけババアや子泣き爺が言うように、西洋地獄のやり方に合わせていても正直キリがない。

 いつまで続くか分からない地獄体験、サクサクっと進めてとっとと終わらせたいというのが本音である。

 

「あっ!? 見てくださいデス! 次のゲートが開きましたデスよ!!」

 

 実際、この進み方で何も問題ないのか。獄卒たちを倒して数分もすれば、次の時空ゲートが開く仕様になっている。

 今度もまた新しいゲートが開いたと、デスコが皆に進むべき道を指し示す。

 

「……まあ、ここでぐだぐだ考えてても意味ないわよ。気持ちを切り替えて進みましょう、まな」

「は、はい……そうですね、猫姉さん」

 

 道が開いた以上は次に進むしかないと。猫娘が悩めるまなに優しく気遣いの言葉を掛ける。

 姉貴分である猫娘の言葉に励まされ、まなも難しいことを考えるのは後回し。

 

 今はとりあえず、この西洋地獄巡りを早急に終わらせようと先を急ぐ。

 

「……やれやれ、次はどんな地獄が待っていることやら……」

 

 鬼太郎も、ここまでの道中の苦労にため息を吐きながらも時空ゲートを潜る。

 

 

 そうして、皆で次のエリア——新たな地獄へと移動していく。

 

 

 

×

 

 

 

「さてと、次の地獄は……なんじゃ、これは?」

「これが地獄? けど……これじゃ、まるで……」

 

 時空ゲートを潜って数秒、即座に次のエリアに辿り着いた一行。だが眼前に広がっていたその光景を前に、彼らは目を丸くする。

 

 そこに広がっていた景色は『地獄』などではなかった。

 地獄とはその名の通り、『地』の『牢獄』である。生前に罪を犯した罪人を閉じ込めておく場所。彼らに相応しい苦痛を与える場所。

 そのため、どうあってもネガティブなイメージを拭いきれない筈の場所だ。

 

 だが、そこにあったのは一面の花畑。

 お日様がポカポカと当たるような陽だまり。暖かい広場には木々や花々が生い茂り、そこでぬいぐるみのような動物や、メルヘンチックな妖精たちが愉快にパレードを繰り広げている。

 

「~~♪」「~~♪」「~~♪」

「……なに、こいつら? ……こいつらも、地獄の獄卒なの?」

「いや……こんな連中、初めて見たけど……」

 

 これに猫娘が疑問を口にするが、エミーゼルは首を傾げる。

 西洋地獄の情勢に詳しい彼にも、ここがどこであれらが何なのか把握できない様子。いったいこれはと、誰の頭の上にも疑問符が浮かび上がる。

 

 

「——おや? お客さんが来るとは聞いていませんでしたけど……」

 

 

 そのときだ。途方に暮れる鬼太郎たちに声を掛ける、一人の少女がいた。

 彼女は戸惑いながらも、実にのほほんとした口調で。自分の『エリア』に足を踏み入れてきた一行を歓迎する。

 

「あらまっ!? 誰かと思えばフーカさんにデスコさん! それにエミーゼルさんじゃないですか!」

 

 おまけに彼女は、フーカたちとも知り合いであった。

 

「あれ? なんだ~……誰かと思えば、天使長じゃない!」

「…………えっ? て、天使……?」

 

 フーカが代表して、その少女がいかなる立場の存在なのかをはっきり明言する。

 だが彼女の素性に、鬼太郎たちはさらにキョトンとなった。

 

「お久しぶりです、皆さん……そちらの方たちとは、初めましてですね?」

 

 そんな日本妖怪たちを前にして、少女はマイペースながらも、礼儀正しいお辞儀で挨拶をしていく。

 

 

「——わたしは天使長のフロンと申します。どうかお見知り置きを!」

 

 

 

 

 

「て、天使って……あの天使……よね?」

「そ、そう見たいじゃな……わしも、見るのは初めてじゃが……」

 

 猫娘や砂かけババア。彼女たちは妖怪として長い時を過ごしてきた身だが、『天使』とは初めて会合する。

 

 天使——すなわち、天の使い。

 

 そういったものが『いる』というくらいは知っていた。もっとも日本妖怪たちにとって、その存在はほとんど幻と言ってもいい。

 それこそ、人間が妖怪の存在を信じていなかったように。彼ら妖怪も、天使の存在を心から信じてはいなかったかもしれない。

 

 しかし、目の前にいるフロンと名乗った少女。

 彼女には天使らしい、綺麗で立派な白い翼が生えている。また純白の衣装に、流れるように美しい金髪。頭にはちょこんと青いリボン。顔立ちに純朴な少女としてのあどけなさを残しつつ、神々しいオーラが全身から放たれている。

 確かに彼女は『天使長』と呼ぶのに相応しい佇まいをその身に秘めているようだ。

 

「その天使が、何故地獄に? いや……そもそも、ここは本当に地獄なんですか?」

 

 天使の存在に驚きながらも、鬼太郎はフロンへと尋ねる。

 天使である彼女のいる場所が地獄というのもおかしい。もしや、自分たちは彼女たちが住むとされる『天界』或いは『頂の世』とやらに迷い込んでしまったのではないかと。

 

「ええ、安心してください。ここは確かに地獄です。内装はわたし好みに色々と弄っていますが……」

 

 だがフロンが言うに、ここは地獄で合っているらしい。

 

「それというのもですね……わたし、地獄の方々にお願いされまして。ここで指導教官なるものをやらせてもらってるんですよ」

「えっ!? 天使が……地獄に協力?」

 

 その言葉に人間のまなが驚く。

 天使といえば一般的にも神聖なイメージだ。妖怪や悪魔といったものらと敵対し、彼らと常に争い合っているような解釈がされているもの。

 

「別にそんなにおかしいことではありませんよ? 地獄も天国も、言うなれば同じあの世。必要であれば協力し合うのが当然のことですから」

 

 だが、フロンはにっこりと微笑みながら答える。

 

 彼女が言うように、天国も地獄も括りとしては同じ『あの世』に該当する。

 現世で悪さをする西洋妖怪などであれば、天使たちも厳しい態度を取らざるを得ないが、地獄で働く獄卒たちであれば敵対などもしない。

 獄卒と天使は、同じあの世を運営する職員同士。交流もあるし、必要とあれば協力だって惜しまない。

 

「ヴァルバトーゼさんたちが提唱する新しい地獄の形……そこに天界としても参入してみようかと思いまして、わたしが代表で指導教官を務めさせてもらってるんですよ」

「へぇ~……じゃあ、ここも新しく建造された地獄なのか? 普通に楽園ぽいとこなんだけど……」

 

 フロンの話に納得を示しつつ、エミーゼルが西洋地獄の住人として疑問を呈する。

 彼女の支配領域であるこの場所。一見すると地獄とはかけ離れた景観、まるで天国のようなところだ。

 

 このような地獄で、いったいどのように罪人に罰を与えようというのだろう。

 

「……わたし、ずっと考えていたんです。地獄に落ちた人たちにも、癒しが必要なんじゃないかと……」

 

 するとフロンは唐突に語り出す。彼女がどうして指導教官などを引き受け、このような楽園を地獄に築いたのか、その理由を——。

 

「罪を犯して地獄へと落とされた罪人の皆さん……ええ、彼らが罰せられるのは仕方がないことです。生前にそれだけのことをしてきたのですから……」

「……」「……」「……」

 

 悲しそうな彼女の呟きに、地獄から罪人認定を受けているフーカやまな、猫娘が押し黙る。彼女たちにとっても他人事ではない話だ。大人しく耳を傾けていく。

 

「けど!! 罪人だからといって、ただ苦しめるだけではいけません!! わたしは『愛』によって彼らの心を浄化し、真の意味でその魂を救済したいと考えています!!」

「あ、あい!?」

 

 放たれた力強い台詞に、聞き手である猫娘が頬を赤らめる。『愛』などと、普通であれば人前で口にするのも恥ずかしい単語。

 だがフロンは全く動じることなく、地獄の中心で愛と叫んでいた。

 

 

「そう、愛です!! 見てください!! この愛に満ち溢れた理想郷の姿を!! こんなに素晴らしい景色を前にすれば、どんな悪人さんでも、きっと心が洗われて浄化される筈なのです!!」

 

 

 フロンは自信満々に、己の持論を展開しながら周囲の景観を指し示す。

 木々や花々、愛らしいぬいぐるみの動物、メルヘンな妖精が愉快に闊歩するこの場所こそ、彼女の理想とする楽園だと。

 この理想郷を前にすれば、どのような悪人であれ罪を悔い改めるだろうと瞳を輝かせる。ところが——

 

「——うおおおお~、やめろ!! ここから出してくれぇええ!!」

「——め、目が……目が腐るぅううう!!」

 

 フロンの主張に対し、悲痛な叫び声が周囲に木霊した。

 

 この楽園の中心地には、一際大きな大木があった。

 そこでは罪人たちがノミムシのような状態で吊るされている。彼らは身動きが取れないまま、延々と永遠と。お花畑やメルヘンな仲間たちによるパレードを強制的に見せられ続ける。

 

 これが悪人たちの精神には大分堪えるものらしく、ものすごい形相で彼らはもがき苦しんでいた。

 過剰な愛の押し付け。それは浄化というより、むしろ洗脳に近いものがある。これはこれで正しく地獄として機能しているようであった。

 

「…………」

「…………」

 

 そんな地獄の、なんとも言えぬ居心地の悪さを沈黙で表現する一同。

 

「……ところで、今日はどういったご用件で?」

 

 押し黙る一行を前に、フロンも何となく気まずさを覚えたのか。

 話を逸らすかのように、鬼太郎たちがここに訪れている用件を笑顔で尋ねていく。

 

 

 

 

 

「——なるほど、そういう理由で地獄巡りを……ちょっと失礼」

 

 全ての話を聞き終え、フロンはおもむろに虚空に向かって手を伸ばす。

 すると空中にパネルのようなモニターが投影され、それを彼女が操作していく。何をしているのかと思いきや、エリア権限者として時空ゲートとやらの履歴を調べているらしい。

 

「これはまた……随分と、ハイテクなもんじゃのう……」

 

 まるで近未来SF映画のような西洋地獄のハイテクぶりに、目玉おやじは唖然となる。

 知り合いであるアニエスの魔法にもいつも驚かされてはいるが、西洋地獄や天界が用いる魔法技術とやらは、さらにそれ以上の目覚ましい進化を遂げているようであった。

 

「ああ、なるほど……分かりました!」

 

 数分ほど時空ゲートを調べた結果、フロンは得心が行ったと叫ぶ。

 

「ゲートの方に不具合が発生しちゃったみたいですね。本来のコースを大きく逸れてこっちに来ちゃったようです」

「えっ……? ああ、そうだったんだ……ほっ」

 

 一行は予期せぬアクシデントでこんなところまで迷い込んでしまったらしい。とりあえず、ここの地獄を体験しないでいいことに、皆がほっと胸を撫でおろす。

 

「ちょっと待ってて下さいね。今ゲートを修正して……これで良しと!」

 

 そのまま、フロンはゲートの設定に手早く修正を入れる。そこまで難しい作業は必要ないのか、すぐに新しいゲートがその場に開かれた。

 

「このゲートを潜れば本来のコースに戻れますから。次で最後みたいですし、頑張って下さいね!」

「あっ、次で最後なんだ! よっしゃー!! みんな、気合い入れていくわよ!!」

 

 ゲートを弄った際に鬼太郎たちが巡るコースの予定を把握したのか。次が最後であるとフロンは教えてくれた。

 長かった地獄での試練がようやく終わると分かり、フーカが改めて気合を入れ直していく。

 

「……あの、フーカさん」

「ん? 何かしら?」

 

 その際、フロンは天使長として風祭フーカに声を掛けた。

 

「プリニーとしての罪の償い……この地獄での試練を通して、ヴァルバトーゼさんが貴方に伝えようとしていること……それは貴方にもちゃんと伝わっている筈です」

「そ、それは……」

 

 真面目な口調で語るフロンを前に、フーカが神妙な顔つきで黙り込んだ。

 馬鹿馬鹿しい試練の数々と力づくで突破してきたものの、どうしてこんなことをしなければならないのか。

 

 何となくだが、フーカの中にも答えらしきものが導き出されようとはしている。

 

「どうかしっかりと向き合って下さい。それがきっと貴方『たち』のためにもなりますから……ねっ?」

「…………」「…………」

 

 その答えから、現実から目を逸らさないで欲しいと。フロンはフーカのみならず、まなや猫娘にもさりげなくアドバイスを口にする。

 天使であるフロンの助言に、二人の少女も自分たちの『罪』を強く意識させられる。

 

「それじゃあ……頑張って下さいね!!」

 

 だがそれ以上は、フロンも口喧しく説教などはしない。

 ただ優しく、彼女たちの旅路に幸あれと。笑顔で手を振りながらその場から去っていった。

 

 

 

 

 

「……………」

「お姉様……大丈夫デスか?」

 

 フロンが去っていく背中を、フーカは静かに見つめ何事かを考え始める。いつもと調子の違う彼女を心配し、妹分のデスコが呼び掛けるが反応はない。

 さすがのフーカも色々と思うところはあるらしい。そんな彼女へさらにエミーゼルも皮肉まじりに声を掛ける。

 

「なんだ、柄にもなく大人しくなったな? 今になってヴァルバトーゼの再教育を受ける気にでもなったか?」

「そ、そんなんじゃないわよ!! わたしは風祭フーカ、プリニーなんかじゃない!! それだけは譲れないわ!」

 

 やはりと言うか、フーカは一向に折れる気配がない。どこまでも意地を張る彼女に死神のエミーゼルも諦めムード。

 

「やれやれ……さすがのヴァルバトーゼも、あの天使長も……お前を更生させるのは無理だったみたいだな……」

「その通りなのデス!! 再教育なんて絶対……ゼェえええええったいにお断りなのデス!!」

 

 デスコまでも、それが当然だと息巻いていく。

 やはり風祭フーカを止めることは誰にも出来ないのだろうか?

 

 

 その答えは——次のエリア。

 最後の試練にて明らかになることだろう。

 

 

 

×

 

 

 

「ここが最後……って、なんね、元の場所に戻っとるやないか~」

「ぬりかべ……」

 

 最後の時空ゲートを潜った先、それは一番最初に西洋地獄を訪れた際に見た景観。グツグツとマグマが燃えたぎる灼熱のエリアだった。

 長い試練をようやく乗り越え、彼らはスタート地点へと戻ってきたらしい。

 

 その始まりの場所で一行を待っていたものは——

 

「——フン……戻ってきたか。さすがにしぶとい。ゴキブリ並みの生命力だな……」

 

 顔を合わせて早々に毒舌を浴びせてくる人狼族の青年・フェンリッヒであった。

 

「せっかく地獄の最下層まで叩き落としてやったというのに……あの天使長め。指導教官としてこいつらに愛とやらをひたすら説い続けてくれればいいものを……」

「……?」

 

 彼は実に忌々しいという表情で、フーカや鬼太郎たちを見下しながら何やら不穏なことを口にしていた。その言葉の真意が何なのか、鬼太郎が疑問を抱くが——

 

「まあいい、戻って来たら来たで歓迎してやるまでのこと。とりあえずここまでの道中……ご苦労だったな」

 

 フェンリッヒは柄にもなく、一行の労をねぎらう。これにフーカなどの西洋地獄の面々がキョトンと目を丸くする。

 

「あらあら? やけに素直じゃない? このアタシを再教育するなんてことがどれだけ無謀か、ようやく実感出来たってところかしら!!」

 

 その表情を明るくし、自慢にもならないことを得意げに語るフーカ。それに対してフェンリッヒも口元を釣り上げていく。

 

「いや、実際恐れ入ったよ。こちらの用意した関門を全て力づくで突破するお前たちの傍若無人ぶりには……」

「そ、それは……」

「…………」

 

 気にしていたところを突かれ、犬山まなが言い淀む。

 彼女が懸念していたとおり、やはりあの突破方法は色々と間違っていたようだ。それを理由に難癖をつけてくるかもしれないと、鬼太郎たちも身構えていく。

 

「その様子では『自らの罪と向き合え』という、閣下のありがたい御言葉も意味をなさなかったようだな……全く不遜な連中だ」

 

 実際、フェンリッヒは呆れたようにため息を吐く。また主の言葉を蔑ろにされ、怒っているようにも見えた。

 

 しかし、彼の側にその主——ヴァルバトーゼの姿がない。

 

 ヴァルバトーゼが不在という僅かに不自然な状態のまま、フェンリッヒはさらに言葉を投げ掛けていく。

 

「まあいいさ。お前が何を学ぼうが学ぶまいが、俺にとってはどうでもいいことだからな……」

「ムキ~!? 何よ、ムカつく!! なら、なんでわざわざこんなことさせんのよ!?」

 

 フェンリッヒの言いよう、フーカがムキになって怒りを露わにする。

 ヴァルバトーゼはともかく、フェンリッヒ自身はフーカの行く末には何も興味がない様子。ならば何故、彼は主人であるヴァルバトーゼを巻き込み、フーカや鬼太郎たちにわざわざ各地獄を巡るように提案したのだろうか。

 

「なに、お前らがわざわざ体力を消耗するような方法で地獄を突破してくれて……こちらとしても手間が省けたというもの」

「はぁ!? 何よそれ……どういう意味?」

 

 フェンリッヒの、答えになっていないような答えに訝しがるフーカ。これにはデスコも、エミーゼルも頭に「……?」とクエスチョンを浮かべる。

 

 だが、次の瞬間——

 

「——……!? 伏せろっ!!」

「——へっ?」

 

 彼が、ゲゲゲの鬼太郎が飛び出す。

 突然叫び声を上げたかと思いきや、鬼太郎はフーカへと一直線にダイブ。彼女に抱きつくような形で、その体の位置をずらす。

 

「ちょっ!? 何すんのよ、アンタ——」

 

 それに当然ながら文句を口にしようとするフーカ。

 

 

 だが刹那——フーカが立っていた場所を、一発の銃弾が通り過ぎていく。

 

 

「へ……?」

 

 位置がズレたことで、その銃弾はフーカの頬を掠めるだけで済んだが——鬼太郎が動いていなければ間違いなく、その弾丸はフーカの脳天を撃ち抜いていたことだろう。

 これにはフーカも理解が追いついておらず、ただ呆然と立ち尽くす。

 

「チッ! 躱したか……」

 

 その奇襲を防がれたことで舌打ちする『仕掛け人』であるフェンリッヒ。

 彼は即座に思考を切り替え、軽く手を上げて——合図を送る。

 

 

 その動きに合わせて、『彼ら』も蠢き出す。

 

 

「——ワォオオオオオオオオン!!」

「——ガアアアアア!!」

 

 轟き渡る鳴き声、唸り声。気がつけばそこら中にウヨウヨと敵の影があった。

 

 幻獣族のヘルハウンド、ブラックドックといった凶暴な猛犬たち。

 さらに狙撃手である銃魔神族。バキエルと呼ばれる、右手が銃に改造されている西洋地獄でも特に凶悪な魔神の一種。

 

 最初から鬼太郎たちの周囲を取り囲んでいたのか、その包囲を狭めるようににじり寄ってくる血に飢えた魔獣ども。

 

「な、なんデスか!? これも、地獄の試練というやつなんデスね!?」

「それにしたって、やり過ぎだろ!!」

 

 デスコとエミーゼルは、これも試練の一環なのだと思い込み、フェンリッヒに苦情を吐き捨てる。

 だが、日本妖怪たちは違う。彼らはこの西洋地獄に足を踏み入れたときから——こうなることを予め予期していた。

 

「やっぱり、罠だったってわけね!!」

「ようやく本性を見せよったか!? 西洋妖怪!!」

 

 初めからこうするつもりだったのだろうと、フェンリッヒの『殺意』が本物であると感じ取っていた。

 

 

 

「念のため断っておくが……これは俺の独断だ」

 

 憤る日本妖怪に対し、フェンリッヒは涼しい顔で言ってのける。

 これはあくまでも自分の独断、少なくともヴァルバトーゼにこのような『騙し打ち』をする気などなかったと。

 

 だが、主が望まなくとも、主のためになると判断した結果——フェンリッヒはその牙を垣間見せる。

 

「風祭フーカ、デスコ……お前らとの馴れ合いは、閣下の覇業を妨げる要因の一つでもある」

 

 彼は常日頃から、ヴァルバトーゼの手を煩わせる二人の少女のことを好ましく思っていなかった。プリニー教育係として彼女たちの面倒を見るために奔走する主の姿に、いつも不満を抱いていた。

 この二人に関わっている時間も主には惜しい。フェンリッヒはヴァルバトーゼにもう一度『暴君』と呼ばれていた頃に返り咲いて欲しいと。

 そのための下準備の一つとして、彼女たちの排除を実行に移す。

 

「そして……ゲゲゲの鬼太郎。お前の存在は……いずれ閣下の覇道の妨げになるやもしれん」

「——っ!!」

 

 そのついでとばかりに、フェンリッヒはゲゲゲの鬼太郎にもその凶刃を振り下ろしていく。

 

 鬼太郎は現世でバックベアードの企みを阻止した実績がある。

 狭い地獄を飛び出し、いずれは現世へと侵攻を果たす予定のフェンリッヒ。暴君としての力を取り戻した主であれば鬼太郎など敵ではないと感じつつ、やはり不確定要素として彼の存在を放置することは出来ない。

 

「——全ては我が主のため。ヴァル様の妨げとなる可能性の芽は……全てこの俺が摘み取る!!」

 

 この機会を利用し、全てを蹴散らそうと企む。

 

 

 そう、これが彼のやり方。フェンリッヒという男が信じるものは、いつだって己の才覚と主であるヴァルバトーゼのみ。

 それ以外の何にも信じない、頼らない。

 

 

 それこそ、フェンリッヒという男の生き方である。

 

 

 




人物紹介

 天使長フロン
  アクターレに続くゲスト参戦。
  初代ディスガイアではヒロインを務めたペッタンコ少女一号。
  ディスガイアシリーズでは堕天使の姿が印象的かもしれませんが、ディスガイア4の時間軸では天使に復帰しています。
  彼女を出演させたかったのもありますが、『天使』や『天界』という概念を出したかったてのが本当のところ。
  この天界は『鬼灯の冷徹』風にいうところの桃源郷、白澤なんかがいる場所。
  いずれこの天界、あるいは頂の世と呼ばれるその場所から、クロスする作品があるかと。

 西洋地獄の獄卒たち
  今回登場した西洋地獄の獄卒たち。
  ○○族とわざわざ表記させていただきましたが、全てゲーム本編に登場する連中がモデルになっています。
  サキュバスやスライム、ガーゴイルといった多作品から出てもいいような魔物。
  銃魔神族といった、ディスガイアオリジナルの怪物。
  ディスガイア4では魔物キャラは魔チェンジ要因としてかなり需要があります。
  作者も邪竜族に『真魔剛竜剣』とか名付けて遊んでたな……懐かしい。

 次回で確実に終わります。
 本当に申し訳ありませんが、あとしばらくお付き合い下さい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔界戦記ディスガイア4 吸血鬼ヴァルバトーゼ 其の④

お疲れ様です!

西洋地獄編、『魔界戦記ディスガイア4』シリーズ、今回で今度こそ完結であります!
去年から続いたこのシリーズ、ここまで飽きもせずに付き合っていただいた読者の皆様には本当に感謝を!

正直、ここまで長くなるとは自分でも思っていなかった……。
今回でしっかりと完結させ、次のクロスオーバーに繋げたいと思いますので、よろしくお願いします!

最後の最後、かなり詰め込みましたが……吸血鬼ヴァルバトーゼとその仲間たちの物語。
どうかお楽しみ下さい……。


 西洋地獄巡りもいよいよ大詰め。

 しかし、これで最後かに思われた試練場で予想外の事態が発生する。

 

「——貴様ら全員……ここで骸を晒すがいい」

 

 ヴァルバトーゼ腹心の部下、フェンリッヒによる強襲。

 それにより、周囲を敵に囲まれてしまう鬼太郎たち。

 

 彼らに一行を試そうという意思はなく、その目的は——殺戮。

 鬼太郎たちも、フーカたちですらも、この場で始末してしまおうというフェンリッヒの企みである。

 

 

 

「ちょっと! ここに来てこれだけの数は……シャレになんないわよ!!」

「来るぞ、皆構えよ!!」

 

 数十匹もの魔獣たちを前に、猫娘や砂かけババアが叫んでいた。

 ここまでの連戦に次ぐ連戦、道中でもかなり体力を消耗して限界が近い一行。だがそんなことお構いなしに、フェンリッヒの命を受けた魔獣どもは鬼太郎たちへと襲い掛かる。

 幻獣族のヘルハウンドやブラックドックが群れとなって縦横無尽に駆け回り、銃魔神族のガキエルが一斉に改造された右手の銃をマシンガンのように乱射する。

 

「うわわっ! どうすっとね、これ!?」

「ぬ、ぬりかべ!!」

 

 幻獣の速度を前に一反木綿でも逃げきれない。銃撃の雨はぬりかべが防いでいくがそれも限界がある。早急に対処しなければ全滅もあり得る。

 そんな危機的状況の最中、何をすべきか即座に判断を下すものがいた。

 

「鬼太郎!! あの狼男の青年を倒すんじゃ!! ここを突破するにはそれしかない!!」

「はい、父さん!」

 

 目玉おやじだ。耳元で鬼太郎にアドバイスを送り、彼もそれに応じていく。

 この集団の司令塔であるフェンリッヒ。彼を倒せば全て解決とまではいかないが、敵の勢いを削ぐくらいはできるだろう。その隙にこの場から離脱し、態勢を整えることができればと。

 起死回生を狙い、鬼太郎はフェンリッヒへと向かっていく。

 

「みんな!! 鬼太郎を援護するわよ!!」

「ここはわしらに任せい!! おぎゃ!! おぎゃ!!」

 

 鬼太郎を信じて猫娘が叫び、子泣き爺も赤ん坊泣きしながらそれに応じていく。

 こういったときのチームワークはさすがの一言。多くの修羅場を共に潜り抜けてきただけに、以心伝心で互いの役割を瞬時に把握する。

 

「フェンリっちめ! 一発ぶん殴ってやんなきゃ、気が済まないわ!!」

 

 一方で、フーカはフェンリッヒにしてやられた悔しさをバネにバットを強く握り込む。あの野郎をぶちのめしてやりたいと、ものすごい私怨で駆け出していく。

 

「援護するデス、お姉様!!」

「う~……フェンリッヒの奴、ボクまで巻き込みやがって!!」

 

 それを援護するお姉様大好きなデスコ。エミーゼルは自分まで巻き込んだフェンリッヒのやりように腹を立てて戦意を高める。 

 それぞれの思いはまるでバラバラだが、目的は同じ。これもこれで一つのチームワークと呼べよう。

 

 結果として、鬼太郎と風祭フーカの二人がフェンリッヒの相手を。それ以外の全員で周囲の魔獣たちを食い止めていく。

 

 

 

「フン……時間を掛けていられないのは、こちらも同じだ」

 

 鬼太郎とフーカの二人を前にフェンリッヒはつまらなさそうに鼻を鳴らす。

 

「ヴァルバトーゼ様がお戻りになるまでそう時間もない。手早く片付けるぞ」

 

 独断で動いている彼の行為をヴァルバトーゼが知れば止めに入るかも知れない。後ろめたさなどは特に持ち合わせていないフェンリッヒだが、いたずらに主の手を煩わせるのも本意ではない。

 そのため油断などせず、最初から『全力』で鬼太郎とフーカを仕留めに掛かる。

 

「光栄に思え。貴様ら如きに……この俺がわざわざこんな姿になってやるのだからなっ!!」

 

 人狼族であるフェンリッヒにとっての本気——即ち、狼男としての『変身』である。

 

 突如、彼の身に宿る妖力が増大する。

 それに合わせてその体躯も大きく膨らみ、全身が黒色の毛皮によって覆われる。曲がりなりにも人の姿をしていたシルエットが、完全に獣のそれに姿を変えていく。

 人狼族特有の彼ら本来の姿、狼男としての戦闘形態である。

 

「その姿は!? そうか人狼族……ヴォルフガングと同じ!!」

「なるほど、アンタもマジってわけね……フェンリッち!!」

 

 鬼太郎はその姿にバックベアード軍団の一人、狼男のヴォルフガングと似たものを見出す。フーカはフェンリッヒが滅多に見せることのない姿を前に、彼が本気であると実感する。

 二人は改めて気合を入れ、フェンリッヒと対峙していく。

 

「霊毛ちゃんちゃんこ!!」

「チョコレート!!」

 

 まずは先制パンチ。鬼太郎がちゃんちゃんこを腕に巻き、フーカがバッドのフルスイングでフェンリッヒに殴り掛かっていく。

 

「ウゥウウ……ワォオオオオオオ!!」

 

 だが、フェンリッヒはその力任せの一撃をさらに力づくで受け止める。そして反撃とばかりに、その剛腕を大きく振るって向かってきた二人を吹き飛ばす。

 

「うきゃっ!?」

「フーカ!?」

 

 そのカウンター気味の一撃に風祭フーカが突き飛ばされ、一時戦線を離脱させられてしまう。鬼太郎は彼女の心配をするが、とりあえずその体に大きな怪我はなさそうだった。

 怪物化したフェンリッヒの肉体を前に無策の接近戦は分が悪いと、その一合で思い知らされる。

 

「二対一でも押し切れんか……やむを得ん、鬼太郎! アレの出番じゃ!!」

「はい……指鉄砲っ!!」

 

 まともに戦っていても勝ち目が薄いと判断するや、目玉おやじはすぐに鬼太郎にある指示を出す。

 それは西洋地獄に乗り込むと決めたときから、相手が『狼男』や『吸血鬼』であると分かっていた時点で用意していた『切り札』である。

『それ』を指先に添え、必殺の指鉄砲に乗せて撃ち放つ。

 

「フン、そんな攻撃……っ!?」

 

 その一撃を鼻で笑い飛ばそうとしたフェンリッヒだが——すぐに何かに気づき慌てて回避する。ギリギリで避けたその弾道の軌跡を目に焼き付け、彼はそれが何であるかを瞬時に理解する。

 

「……っ!」

「チィ、銀か……」

 

 不意をついた初手の一撃を避けられて鬼太郎が苦しい顔つきになる。フェンリッヒも鬼太郎の用意していた対策を前に忌々しいと吐き捨てる。

 

 鬼太郎の用意していた切り札。それは銀の弾丸——シルバーブレットだ。

 聖なる属性を帯びた金属——『銀』。西洋では古来より邪悪を討ち払う力があると信仰されており、特に狼男や吸血鬼を相手に絶大な力を発揮するとされている。

 いかにフェンリッヒやヴァルバトーゼといえども、この法則からは逃れられない。人狼族の妖力の源である月が満月であれば、あるいは狼男でも銀弾を無効化することができたかもしれないが、生憎と月は半月状態。

 

「フン、間が悪いものだ……しかし!!」

 

 満月でないことに苛立ちを覚えるフェンリッヒだが、その程度のことでは止まらない。彼は銀弾を前に怯むどころか、さらに速度を上げて鬼太郎の周囲を疾風の如き速度で駆け巡っていく。

 

「は、速い!?」

「どんな強力な武器であろうと、当たらなければ意味はない! 貴様如きの反応速度で、追いつこうなどと思うなよ!!」

 

 その動きに翻弄される鬼太郎。フェンリッヒの言うように、いくら銀弾でも当たらなければ効力は発揮できない。

 

「くっ……そこか!!」

 

 苦し紛れになんとか弾を放ってみるも、敵の俊敏な動きを捉えきれずにあっさりと躱されてしまう。また一発、銀弾を無駄にしてしまった。

 

「クックック……さあ、残る銀はあと何発だ? いくら準備していようと用意できる数には限りがある筈だ、違うか?」

「…………」

 

 高速移動を続けながら、フェンリッヒは鬼太郎の戦力の把握に務める。

 実際、彼の読みは的中しており、鬼太郎の手元にある銀弾はあと『一発』だけだ。西洋地獄に来ること自体が急な話であったため、それほど大量には用意できなかったのだ。

 

 この最後の一発を外せば、もう鬼太郎に勝機はない。

 その事実に動きそのものが慎重になる鬼太郎。だが額に汗を伝わせる彼とは正反対に、フェンリッヒの心情には余裕と、そして慢心があった。

 

「さあ、撃ってこい!! その一発を放った瞬間、貴様の喉元に喰らいついてくれる!」

「……っ!」

 

 フェンリッヒは次の攻撃に合わせたカウンターでその息の根を止めると予告。それにより、さらに鬼太郎に重圧を与えていく。

 

「鬼太郎よ、落ち着け……よく狙いを定めるのじゃ!」

「分かっています、父さん……ですが!?」

 

 目玉おやじは焦る鬼太郎を落ち着かせ、しっかりと狙うように声を掛けた。しかし時間を掛ければ掛けるだけ、時間稼ぎをしてくれている仲間たちを危険な目に合わせることにもなるのだ。

 仲間のためにも絶対に外せないという責任感が、ますます鬼太郎の動きをぎこちないものにさせていく。

 

 何であれ、緊張状態が過ぎれば良い結果を生まない。

 このままでは鬼太郎ですらも、プレッシャーで押し潰されていたかもしれない——そんなときである。

 

「——鬼太郎!!」

「……!!」

 

 態勢を整えて戦線に復帰した風祭フーカ。彼女がバットをブンブンと回しながら声高々に叫んでいた。

 

 

「——さっさと投げなさい、ピッチャーライナーよ!!」

 

 

「? 何をほざいている!? とち狂ったか?」

「……な、何を言っとるんじゃ!?」

 

 一瞬の間。

 

 彼女が何を言っているのか、それは誰にも理解できない。

 フェンリッヒにも、目玉おやじにも。フーカの言葉の真意を読み取ることは難しかっただろう。

 

 

「……っ!!」

 

 

 しかし、鬼太郎には。

 風祭フーカと真っ向勝負——『ピッチャー』として彼女と対峙した彼にだけは、その言葉の意味が理解できた。

 

 フーカの言わんとしていることを察し——鬼太郎は銀弾を放った。

 

「——指鉄砲!!」

 

 

 

「莫迦め!! そんな当てずっぽうの一撃など!!」

 

 指鉄砲と共に放たれた最後の銀弾をフェンリッヒは悠々と躱す。

 そして宣言通り、そのまま鬼太郎へと急接近し、その喉元に喰らいつこうと牙を剥いた。

 

「いかん、鬼太郎!!」

「鬼太郎、逃げて!?」

 

 鬼太郎の危機に仲間たちが悲鳴を上げる。だが彼らも眼前の敵が邪魔で助けに行けない。

 鬼太郎自身も全力で指鉄砲を放った反動により数秒、硬直状態でその場から動けないでいる。

 

 

「——とった!! これで……終わりだぁあ!!」

 

 

 勝利を確信したフェンリッヒが、鬼太郎の首元にその牙を突き立てようと迫る。もはや誰にもその暴挙を止めることは叶わない。

 

 

 かに思われた、そのときだ。

 

 

「——まだ……終わってないぃいいいいい!!!」

 

 

 その刹那の間に、風祭フーカが既に動いていた。

 彼女はフェンリッヒの背後。彼が避けた銀弾が——直撃を受ける直線上に立っていた。

 

 フーカに向かって迫る銀弾。彼女はそれをバッティングの構えで迎え撃つ。

 

 

「いっけええぇぇええええええ!!」

 

 

 そのままバットをフルスイング。完璧なフォームで銀弾を捉え——まさに『ピッチャーライナー』の要領で打ち返した。

 

 

「なっ!? なにぃいいいい!?」

 

 

 打ち返された弾丸は、狙い澄ましたかのように彼を——フェンリッヒを捉えた。

 さすがの彼も、完全に油断していた背後からの一撃に即座に対応することが出来ず。

 

 銀弾は——狼男であるフェンリッヒの表皮へと直撃する。

 

「ぐっ……ぐぉおおおおおおお!?」

 

 人狼は銀弾の威力に絶叫する。しかもただの銀弾ではない。鬼太郎の指鉄砲による一撃を、さらにフーカが打ち返すことで相乗的に威力を増した銀弾だ。

 たった一発の弾丸だろうとタダでは済まない。それは着弾した後も銀の浄化作用が働き続け、フェンリッヒの肉体を激しく蝕んでいった。

 

 

 

「はぁはぁ……やってやったわ! どんなもんよ!!」

「む、無茶をする娘じゃのう……鬼太郎も、よくぞあの一瞬で!」

 

 フーカは激しく息を吐きながらも、フェンリッヒに一矢報いてやった達成感にガッツポーズ。

 目玉おやじは『鬼太郎の指鉄砲を打ち返して相手にぶつける』などという離業をやってのけたフーカ。彼女のハチャメチャぶりに咄嗟に合わせることの出来た、鬼太郎の機転に驚きを隠せない。

 

「フェンリッヒ……周囲のものたちを下がらせろ。そうすれば銀弾はボクが取り除く……」

 

 鬼太郎は倒れ伏すフェンリッヒへ言葉を投げ掛けた。

 これで勝負はついた。ここで大人しく敵対行為を中断するのであれば、鬼太郎はフェンリッヒを蝕む銀弾を取り除くと約束する。

 鬼太郎にとって銀弾は何の効力も発揮しない。彼であれば、フェンリッヒを助けることは容易だ。

 

「な、舐めるなよ!! 貴様のような小僧に……屈するわけにはいかんのだ!!」

 

 しかしフェンリッヒはその提案を拒否。たとえ銀弾で体を破壊され続けようとも敵の情けなど受けぬと。そのまま、戦う意志を見せつけるべく立ち上がってみせる。

 

「無茶をするでない! 無理に動けば……肉体が崩壊するぞ!?」

「まだやろうっての!? フェンリッち!」

 

 目玉おやじが相手の無茶に制止の言葉を掛け、フーカがまだやるのかと目を見張る。

 しかし、誰に何と言われようとフェンリッヒが己の意志を曲げることはない。

 

 彼に口出し出来るものがいるとすれば——おそらく、それはこの地上ではただ一人だけ。

 

 

「——その辺にしておけ……フェンリッヒよ」

「……っ!!」

 

 

 そのたった一人の男が、駆けつけてくる。

 漆黒のコウモリたちと共に、マントを翻しながら彼が——

 

 

 吸血鬼ヴァルバトーゼが、灼熱の大地に舞い降りた。

 

 

 

×

 

 

 

「ヴァル、バトーゼ……!」

「ヴァルっち!!」

「ヴァルバトーゼ様……!」

 

 ヴァルバトーゼの登場に全てのものが息を呑む。

 鬼太郎も、フーカも、フェンリッヒも。日本、西洋に関わらずその場にいた全ての妖怪たちが動きを止めた。

 

「ワゥ~……」

「グルル……」

 

 理性などなさそうなフェンリッヒの手下たちの魔獣どもでさえ、ヴァルバトーゼの前では萎縮しきっている。

 有無を言わさぬ威圧感。今のヴァルバトーゼが纏っている覇気はまさにそれであった。

 

「…………」

 

 静寂に包まれる中、ヴァルバトーゼがゆっくりと動き出す。彼はフェンリッヒの側まで歩み寄り、黙って手を伸ばした。

 その手の先にあるのは——フェンリッヒの身を蝕む銀の弾丸。

 

「っ!! い、いけません、閣下!?」

 

 ヴァルバトーゼのやろうとしていることを察し、慌てて叫ぶフェンリッヒ。

 だが、下僕の言葉にヴァルバトーゼが耳を貸すことはなく。

 

 彼はその手で——その銀の弾丸に触れる。

 

「……!!」

 

 瞬間、銀の浄化作用がヴァルバトーゼにも作用する。彼とて吸血鬼だ。銀を手で掴むなど自傷行為に等しく、掴んだ掌から銀がヴァルバトーゼにもダメージを与えていく。

 

 しかし——

 

「……フンッ!!」

 

 銀の効力でその身を蝕まれようと眉一つ動かすことなく、ヴァルバトーゼは銀弾を摘み上げ——そのまま握り潰す。

 銀弾はただのガラクタと化し、フェンリッヒも苦痛から解放される。

 

「ご、ご無事ですか!? 閣下の手を煩わせるとは……このフェンリッヒ、一生の不覚!!」

 

 フェンリッヒは即座に通常の姿へと戻り、ヴァルバトーゼに膝をつく。

 彼は自分の体のことより、主の身を真っ先に心配する。主に怪我を負わせてしまった己の不甲斐なさを悔いるように顔を伏せた。

 

「心配するな。この程度……どうということもない」

 

 そんなフェンリッヒに気にするなと、ヴァルバトーゼはこともなげに言ってのける。

 

「それより……これはどういう状況なのだ?」

 

 だが、この状況まで見過ごすことはできない。いったいこれはどういうことかと、周囲を見渡しながらフェンリッヒに説明を求める。

 

「——どうもこうもないわよ、ヴァルっち!」

 

 ヴァルバトーゼの疑問にはフーカが荒ぶるように答えた。彼女はまるで先生に言いつけるような語気で、フェンリッヒの企みをヴァルバトーゼに報告した。

 

「フェンリっちてば、アタシたちを邪魔者として排除しようとしたのよ! ほんと、マジで死ぬかと思ったんだから!!」

「ほう……」

 

 だが、興奮気味に語るフーカとは対照的に、ヴァルバトーゼのリアクションは薄い。

 彼はフーカの言葉が本当かどうかと、視線でフェンリッヒへと問う。

 

「言い訳をするつもりはございません。全ては我が主のため……」

 

 フェンリッヒも釈明はしなかった。フーカたちを排除しようとしたことは事実であり、それが主の意向とは別のところにあることも理解している。

 もしも、これで主に罰せられるというのであればそれも本望。フェンリッヒは膝をついたまま主から沙汰が下されるのを待った。

 

「お前が俺のためにしたことだ、咎めるようなことはせん……」

 

 もっとも、ヴァルバトーゼに部下を罰しようという気はなく。

 彼はフェンリッヒの、見方によっては裏切りとも取られかねないその行為を平然と受け流し、その器のデカさを見せつける。

 

「だが、ここから先は口出し無用だ……良いな?」

 

 しかしその一方で、ここから先は余計なことをしないようにと釘を刺すことも忘れない。

 

「はっ!! ヴァルバトーゼ様の御意のままに……」

 

 主から直接命じられればフェンリッヒも大人しくそれに従う。

 彼は自分の部下である魔獣たちも下がらせ、後のことを全てヴァルバトーゼへと託していく。

 

 

 

「どうやら……俺の部下が余計なことをしてしまったらしい。済まん!!」

「え……あ、いえ……」

 

 改めて鬼太郎たちと向き合うや、ヴァルバトーゼは謝罪を口にした。それもものすごい勢いでの、全力で頭を下げた謝罪だ。

 その見事なまでの頭の下げ具合に、鬼太郎たちは呆気に取られている。

 

「とはいえだ……お前たちに課す地獄の試練がまだ終わったわけではない」

 

 だが、フェンリッヒが余計なことをした件と、地獄の試練の件は別件であると。ヴァルバトーゼはすぐに頭を上げ、引き続き最後の試練を鬼太郎やフーカたちへと課していく。

 

「最後はこの俺が直々にお前たちを試してやろう」

「……っ!!」

 

 瞬間、ヴァルバトーゼから凄まじいほどの闘気が迸る。

 

 

「この俺の攻撃に耐え抜くことが出来るかどうか……さあ、お前たちの力を俺に見せてみろ!!」

 

 

 最後の試練、最後の指導教官として。吸血鬼ヴァルバトーゼが動く。

 自らの手で直に鬼太郎たちを試そうと、彼らの前に立ち塞がる。

 

 

 

 

 

「これで……正真正銘最後……じゃが……」

「ぜぇぜぇ……こっちも、もうヘトヘトじゃぞ……」

 

 ようやくこれで最後かと気合を入れるべき正念場。しかし、先ほどのフェンリッヒとの一戦、これまでの地獄の試練。それら全ての戦闘が、鬼太郎たちから戦う体力を根こそぎ奪ってしまっている。

 特に砂かけババアや子泣き爺などは、もう歳だ。

 

「デスコも……これ以上はきついデス……」

「くそっ、少しは手加減……しろっての……」

 

 さらにデスコやエミーゼルといった若い世代ですらもヘトヘト。さすがにこれ以上の戦闘継続は彼らにも無理があった。

 

「みんな、下がっててくれ……ここはボクが!!」

「鬼太郎!?」

 

 そんな皆の負担を気にしてか、鬼太郎は単身でヴァルバトーゼへと戦いを挑む。

 幸い、相手も一人だ。ヴァルバトーゼ一人さえ打ち負かすことができれば、長かった西洋地獄での戦いも終結する。

 その事実を頼りに何とか最後の力を振り絞っていく。

 

「髪の毛針!! リモコン下駄!!」

 

 まずは牽制とばかりに飛び道具で攻撃。

 

「フッ!」

 

 無論、その程度の攻撃でヴァルバトーゼはビクともしない。鬼太郎の怒涛の連続攻撃を彼はマントで振り払ってみせる。

 

「これならどうだ!? 体内電気!!」

 

 あっさりと攻撃を防がれたが、ここで止まるわけにはいかない。鬼太郎は息をつく暇もなく、さらに強力な技でヴァルバトーゼを追撃する。

 

「……何だそれは?」

 

 すると、ヴァルバトーゼはこの攻撃を避けることなく真正面から受け止めた。かなり強力な電気ショックの直撃を食らうが、それでも彼は表情一つ揺らさない。

 

「くっ……効いていない!? けどっ、まだっ!!」

 

 未だ一歩もその場から動くことなく、攻撃を受け止め続けるヴァルバトーゼ。眉一つピクリとも動かさない吸血鬼を相手に動揺しつつ、鬼太郎はさらに畳み掛けていく。

 

「指鉄砲!!」

 

 次は指鉄砲。銀弾を抜きにしても相当な妖力が込められた一撃。これをまともに受けてはどのような妖怪でも無傷ではいられない——筈なのだが。

 ヴァルバトーゼは、その指鉄砲ですらも平然とした顔で正面から受け止める。

 

 そして、何が不満なのか一言——

 

 

「——この……愚か者め!!」

 

 

 激昂しながら自らの妖力を解放する。

 解き放たれたヴァルバトーゼの妖力は凄まじい衝撃波となり、鬼太郎のみならず周囲にいたものたち全てを巻き込んでいく。

 

「なっ!? うわあ!?」

「きゃあああ!?」

 

 空気を震わせる轟音、そのすぐ後に響き渡る皆の悲鳴。

 

 

 そして——

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……な、何が起きて……?」

 

 犬山まなには、何が起きているかさっぱりであった。

 鬼太郎とヴァルバトーゼが戦い、そのまま鬼太郎が押しきるのかと思いきや——その直後、空気を震わせる何かが自分たちに襲い掛かる。

 まなが受けた被害は一瞬目眩がしたくらいだった。何故ならまなの身を守るよう、彼女の目の前に大きな壁が聳えたっていたから。

 

「って……ぬりかべさん!?」

「……まなちゃん……大丈夫?」

 

 壁の正体はぬりかべであった。彼が咄嗟に庇ってくれたおかげでまなは何とか難を逃れたようだ。

 だが、肝心のぬりかべ自身はボロボロ。次の瞬間、彼の巨体が音を立てて崩れ落ちていく。

 

「し、しっかりしてください……あっ!?」

 

 まなは倒れたぬりかべに呼び掛ける。自分のせいで傷を負ってしまったのだから気遣うのは当然のこと。

 しかし、視界を遮ってくれていた彼が倒れたことで、眼前の惨状がまなの視界に飛び込んでくる。

 

 そう、倒れているのはぬりかべだけではない。

 

「……き、鬼太郎……? 猫姉さん!? み、みんな……!!」

「……う、くっ……」

「ま、まな…………」

 

 鬼太郎や猫娘を含めた日本妖怪たちが、苦悶の表情を浮かべながら地に伏していた。

 

「いたたた……」

「う~ん……目がグルグルするデス……」

「うぇ……」

 

 フーカやデスコ。エミーゼルといった面々も目を回しながら気を失っている。

 仲間たちが、まな以外の全員が死屍累々と地獄の大地に横たわっていた。

 

「そんな……みんな……負けちゃったの!?」

 

 皆が倒れているという事実が、まなにその現実を理解させてしまい、思わずその場にへたり込む。

 

 

 そして、一行が倒れ伏しているその爆心地の中心で——

 

 

 ヴァルバトーゼとフェンリッヒ。二人の強者だけが毅然と仁王立ちしていた。

 

 

 

×

 

 

 

「——流石です、閣下。所詮閣下の威光の前で奴らなど赤子同然……」

 

 フェンリッヒの主を称賛する言葉が、静寂になった地獄に響き渡る。

 

 ヴァルバトーゼの放った衝撃波。それが全てのゴタゴタを一瞬で片付けてしまった。

 無謀にもヴァルバトーゼに戦いを挑んでいた鬼太郎は勿論。周囲で戦いを見守っていた日本妖怪たち。フーカやデスコ、エミーゼルなどの面々も。ヴァルバトーゼの一撃を前に沈黙を余儀なくされる。

 流石は我が主だと、フェンリッヒは下僕としてヴァルバトーゼの力を賛美する。

 

 もっとも——

 

「……どうした、もう終わりなのか!? この程度の衝撃波! 歯を食いしばって耐えて見せんか!?」 

 

 部下からの称賛に、何故かヴァルバトーゼはとても不満げだった。

 それは彼自身、この戦果が自分の実力だけではないことを分かっているからだろう。

 

「お前たちが本調子ではないことは知っている。ここに至るまでに相当、体に無茶を強いてきたのだろう? それは理解しているつもりだ!」

 

 ヴァルバトーゼは鬼太郎たちが万全な状態でないことをしっかりと把握していた。各地獄での試練、フェンリッヒとの戦い。そうした戦闘を重ねた上での自分との決戦だ。

 どうあっても、ベストコンディションでの戦いとはならないだろう。そのことはヴァルバトーゼ自身も不本意ではある。

 

「だがそれでも!! それでも貴様には立たねばならん理由がある筈だ!! この俺に抗おうとしたときに見せたあの根性はどこへ行った!?」

 

 だがヴァルバトーゼの心中には、鬼太郎たちに対してそういった不利すらも跳ね除ける『期待』のようなものがあった。

 自分にあれだけの啖呵を切って見せた相手なのだから、この程度で終わる筈がないと。

 

「……ボ、ボクは……!」

 

 実際、鬼太郎の目は死んでいない。倒れて尚、その瞳の奥には抗おうという意志が垣間見える。

 しかし、肉体の疲労が精神について来れないでいるのか。そこから這い上がって立ち上がるのに、だいぶ悪戦苦闘している。

 

「…………」

 

 ヴァルバトーゼはそんな鬼太郎を嘲るでもなく、邪魔するでもなく。ただ静かに見つめていた。

 まるで、鬼太郎が必ずや立ち上がるであろうことを、確信するかのように——。

 

 

 そして——

 

 

「——も、もうやめてください!!」

 

 

 鬼太郎が立ち上がるよりも先に、そのものは声を張り上げながら進み出た。

 倒れている鬼太郎と、彼が立ち上がるのを待っていたヴァルバトーゼとの間に——

 

「もうやめて……わたしが、わたしが全部悪かったんです!!」

 

 彼女——犬山まなが鬼太郎を庇うように歩み出ていた。

 

 

 

 

 

 西洋地獄を巡っていた間、まなはずっと考えていた。

 何故、どうして自分たちはこんなことをしなければならないのかと?

 地獄中を巡り、無茶難題を吹っかけられ、こんな馬鹿馬鹿しいとも言えるような試練に耐え続けなければならないのか?

 

 まなは考え——いや、考えるまでもなく分かっていたことだ。

 

 

 全て——自分が悪いと。

 

 

「きゅ、吸血鬼さん! 西洋地獄を跨いで日本の地獄に侵入しようって、提案したのはわたしです! 悪いのは……全部わたしだったんです!!」

 

 まなは必死になって訴える。

 ヴァルバトーゼが怒っていた、『まなと猫娘が西洋地獄へと領域侵犯を犯した一件』。元を辿るのであれば、あれはまなが思いついたことである。

 日本地獄を掌握した玉藻の前に悟られないよう、地獄の最下層に侵入する手段として彼女が発案したアイディアだ。

 それが『罪』になるとは深く考えもせず、安易に思いついて実行してしまった。

 

 鬼太郎たちはそれが仕方がないことだったとまなを庇ってくれるが、そのせいで皆を今回の騒動に巻き込み、傷つけてしまったのは事実。

 これ以上、その事実から目を背けることは出来ない。

 

 フロンという、あの天使長も言っていた、『どうかしっかりと向き合ってくれ』と。

 ヴァルバトーゼだって何度も口にしていた、『理不尽に耐えることで己の罪と向き合え』と。

 

「再教育でも何でも受けますから……!」

 

 だから、まなは彼らの言葉を受け入れることを決意する。

 

「だからこれ以上……みんなを傷つけないで下さい!! 罰なら……罰なら、わたし一人で受けますから!!」

 

 自身のしでかしてしまったことの責任を取るためにも——

 これ以上、皆を傷つけないためにも——

 

 

 

「ほう、殊勝な心掛けだな……如何なされますか、閣下?」

 

 まなの覚悟にフェンリッヒが感心しながらも、主であるヴァルバトーゼに確認を取る。先ほども主から直接「口出し無用」と釘を刺されたため、フェンリッヒからは下手な干渉をしない。

 この場を取り仕切るのはあくまでヴァルバトーゼ、ただ主の指示に従うべくその意向を伺う。

 

「…………吸血鬼さんか……」

 

 だが肝心のヴァルバトーゼの反応は鈍い。彼は一瞬、まなが口にした言葉から何かを連想するように呆けている。

 

「閣下……? どうなされました?」

「い、いや……なんでもない……」

 

 フェンリッヒは再度主に呼び掛け、ヴァルバトーゼもそれにようやく言葉を返す。

 我に返ったヴァルバトーゼは、まなの覚悟に対して何かしらの決断を下そうと口を開きかける。

 

 

 だが——

 

 

「——その必要はないよ、まな」

「!! き、鬼太郎……」

 

 

 ヴァルバトーゼが何かを口にするに先んじて、鬼太郎がまなに言葉を掛ける。

 瀕死の体にムチを打ちながらも立ち上がり、挑むかのようにヴァルバトーゼの前に立ち塞がりながら。

 

 

 

「罰を受ける必要なんかない。キミが……責任を感じる必要なんてないんだ」

 

 まなが自分たちを庇い、その身と引き換えにみんなを助けようとする姿を目に焼き付けた瞬間、鬼太郎は立ち上がっていた。

 正直、肉体の方が限界に近かったが、まなが何もかも一人で背負うとしていることが我慢ならず、彼は踏ん張る足に力を込める。

 鬼太郎はまなを諭すかのように、あるいはヴァルバトーゼに聞かせてやるかのように、さらに言の葉を紡いでいく。

 

「だって……キミは、何も悪いことなんてしてないんだから……」

「なんだと?」

 

 これにヴァルバトーゼが眉を顰める。彼はまなのやったことを罪と断じ、彼女を再教育しようと西洋地獄に連行しようとしていた。

 国家間の条約、『約束』を違えたまなや猫娘にヴァルバトーゼはひどく怒りを露わにしていたのだ。それは彼という吸血鬼が、何より約束を重んじる性分であるからこそ。

 

 約束の重み。それは鬼太郎にも分かっている。だからこそ、ヴァルバトーゼの憤りも理解は出来る。

 けれども、それで納得出来るかどうかはまた別の話だ。

 

「まな……キミは正しいことをしたんだ。日本を救うために、ボクを助けるために……」

 

 まなの決断は、ある意味で仕方がないところがあった。

 もしもあのとき、まながあのような無茶をしてでも地獄への侵入を試みてくれなければ。鬼太郎は玉藻の前に敗北し、地獄はあの狐の手によって完全に掌握されていただろう。

 そうなれば今頃は日本が、世界そのものが大変なことになっていた。

 あの世とこの世の理は無茶苦茶になり、人間、妖怪問わずに多くのものたちが苦しむことになっていただろう。

 

 まなはそれを未然に防いだのだ。何より、鬼太郎自身も彼女の判断によって救われた。

 だから、彼にはそれが罪と断じられ、まなが罰せられることになるなど耐えることができなかった。

 

「もしも、それが罪になるというなら……それが許されないというのなら……」

 

 だからこそ、ヴァルバトーゼがまなを罪人と定めるなら。どうしても彼女に罪を背負わせたいというのであれば——

 

「キミ一人に全てをなしつけたりはしない。ボクも一緒に……その罪を背負う!」

「!! き、鬼太郎……」

 

 その罪はまな一人の責任ではない。そうさせてしまった自分にも咎があると。

 鬼太郎は、彼女と一緒に地獄に堕ちる覚悟すら厭わずに叫ぶ。

 

 

「——だって……キミは大切な友達だから……!」

 

 

 そう、何故ならまなは鬼太郎の友達。

 いつもならば照れ臭くて恥ずかしくなるような正直な気持ち。それをこの瞬間、鬼太郎は堂々と吐露していく。

 

 その叫びに呼応するかのように——

 

「ああ……その通りじゃ、鬼太郎!!」

 

 息子の側に常に寄り添って来た、目玉おやじも力強く頷く。

 保護者として、鬼太郎やまなの行く末を最後まで見守ると彼も覚悟を決めている。

 

「私を忘れてもらっちゃ困るわよ!! 私だって……その子と一緒の罪を背負ってるんだから!!」

 

 さらに猫娘も立ち上がる。彼女自身も同じ罪状を問われているのだから、最初からまな一人に背負わせる気などさらさらない。

 

「わしらも……まだ戦えるぞ!!」

「まだ……終わっておらんぞい!!」

「まなちゃんにここまで言わせておいて……男として黙っとるわけにはいかんばい!!」

「ぬ、ぬりかべっ!!」

 

 そして砂かけババア、子泣き爺、一反木綿、ぬりかべも当然のように立ち上がる。仲間として、決してまなや鬼太郎に全てを背負わせまいと、皆で肩を寄せ合うことを誓うのだ。

 

「まったく……年下にここまで言わせて、アタシが何もしないわけにはいかないじゃない……先輩として!!」

 

 ここへさらに風祭フーカも加わる。

 フーカとまなは付き合いこそ短いものの、年頃としては一番近い。一学年先輩のフーカとしては意地を見せたいところ。

 

「お姉様……はいデス!! デスコも、いつまでもへばっているわけにはいかないデス! ラスボスとして!!」

 

 フーカが立ち上がるのであれば、当然デスコだって立ち上がる。

 立派なラスボスになるためにも、ここで倒れるわけにはいかないと彼女なりの意地を示す。

 

「……やれやれ、ほんとに世話のかかる奴らだよ!」

 

 エミーゼルも、一行の奮い立つその光景に感化されていく。

 彼自身、ここでヴァルバトーゼとぶつかったところで何一つメリットなどない。死神としての立場的には、ヴァルバトーゼの味方であると言えるくらいだ。

 だが、彼はこの地獄巡りが始まる前に「最後まで付き合う」と渋々ながらも口にしてしまった。約束をしてしまったのだ。

 ならばその約束を守ろうと。とことんまで付き合ってやるとばかりに大鎌を背負っていく。

 

 

 

「立った!? なんとしぶとい連中だ……!」

 

 半死半生の身から立ち上がって見せた一行の底力に、フェンリッヒは苦虫を噛み潰したような顔になっていく。完全に力尽きていた筈なのに。気力、体力共に限界だった筈なのに。

 いったい、どこからそんな力が湧き上がってくるのか。フェンリッヒにはそれが不可解でならない。

 

「クックック……それでこそ、それでこそだ!!」

 

 一方で、ヴァルバトーゼは腹の底から快活な笑い声を上げ、今日一番の笑顔を鬼太郎たちへと向ける。

 決して鬼太郎たちを嘲笑しているわけではない。寧ろ、その逆。彼は嬉しさを抑え切ることができず、声を上げて笑っているのだ。

 

 この地獄の試練を一行に課す際、ヴァルバトーゼは鬼太郎たちのこれまでの戦いについて情報収集を行なっていた。

 指導教官としては指導するものの経歴を知らなければ、正しく教え導くが出来ないと。教育係としての信念から、できる限り鬼太郎たちのことを調べ上げたのだ。

 

 そうして、ヴァルバトーゼは知った。

 ゲゲゲの鬼太郎が、彼らが今日までどのような敵と戦い、そして勝利してきたのかということを——。

 

「それがお前たちの強さの根底にあるもの……その『絆』こそが!! お前たちの力の源!!」

 

 鬼太郎は妖怪としてはまだ若く、決して最強と呼ばれるほどに圧倒的なわけではない。

 バックベアードという大物を始め、多くの戦いで苦戦を強いられ、勝利のみならず敗北も数多く重ねてきた。

 

 それでも彼が今日まで、戦い抜いてこれたのは——いつも側に仲間がいたからだ。

 共に戦い抜く、信頼する仲間との絆があったからこそだ。

 

「フッ……その絆の在りよう……俺にも覚えがある……」

 

 その絆の強さを、ヴァルバトーゼは知っている。

 

 人間も妖怪も、天使すらも関係ない

 互いに互いを思い合う、心からの信頼。

 

 絆こそが、何物にも変え難い力になると彼は知っているのだ。

 

「その強さに……その絆に敬意を示そう。さあ!! もう一度、全力で掛かって来るがいい……ゲゲゲの鬼太郎!!」

 

 だからこそ、ヴァルバトーゼは鬼太郎たちを真に強敵であると認める。

 この手で闘うに値する敵であると、もう一度全力で彼らの前に立ち塞がっていく。

 

 

 

 

 

「——みんな!! これで最後だ!! もう一度だけ……ボクに力を貸してくれ!!」

 

 鬼太郎は立ち上がった仲間たちに向かって声を張り上げる。

 先ほど彼は一つのミスを犯した。それは仲間たちに負担を掛けまいと、たった一人でヴァルバトーゼに戦いを挑んだことだ。

 それにより返り討ちにあい、結果として仲間たちを危険に晒してしまうことになった。

 同じ失敗はもう繰り返さない。ヴァルバトーゼという一人ではどうにもならない強敵を倒すためにも、今度こそ皆の力を借りることに躊躇いなどなかった。

 

「任せい、鬼太郎!! おぎゃ! おぎゃ!!」

「オレ……鬼太郎と戦う!!」

 

 鬼太郎の信頼に応えるためにも、まずは子泣き爺とぬりかべが動く。子泣き爺は腕を石化させ殴りかかり、ぬりかべもその巨体から力強い一撃をお見舞いしていく。

 

「来い……受けて立つ!!」

 

 ヴァルバトーゼは二人の重い一撃を真正面から受ける。

 先ほどもそうだったが、彼は相手の攻撃を決して避けようとはしない。敵の攻撃を正面から受け止めるという、ヴァルバトーゼなりの美学なのかもしれないが。

 

「グッ……! 何の……これしき!」

 

 その美学を貫き通すたびに、彼の肉体には小さくないダメージが蓄積されていく。さすがに限度があり、ヴァルバトーゼはその体勢を大きく崩していく。

 

「よーし、いくばーい!!」

「くらえっ!! 痺れ砂じゃ!!」

 

 その隙をついて一反木綿が空を飛翔する。その背には砂かけババアが乗っており、彼女がヴァルバトーゼの頭上から痺れ砂をこれでもかというほど大量にばら撒いていく。

 

「ムッ……小癪な!」

 

 これには堪らず口元をマントで抑えるヴァルバトーゼ。しかし完全には防ぎ切れず、僅かだが砂を吸い込んでしまい体の動きが鈍っていく。

 

「いっくぞ! 勝負だ、ヴァルバトーゼ!!」

「よかろう! 掛かってこい、小僧!!」

 

 まだまだ鬼太郎たちの攻勢は止まらない。

 次なる一手として今度はエミーゼルがヴァルバトーゼへと勝負を挑む。エミーゼルにとってヴァルバトーゼは仲間であり、『父親の権力に頼ってばかりだったお坊ちゃん』だった頃の情けない自分を変えてくれた、恩人とも呼べる相手。

 その恩人相手に、エミーゼルは容赦なく切り掛かっていく。まるで自身の成長を見せつけるかのように。

 

「良いぞ!! さらに出来るようになったな、エミーゼル!!」

 

 これにヴァルバトーゼも嬉しそうに応じる。虚空より一振りの剣を取り出し、エミーゼルの大鎌と刃を合わせていく。

 

「アタシたちも行くわよ! デスコ!!」

「はいデス、お姉様! 魔チェンジ!!」

 

 さらにフーカとデスコも揃って参戦。

 デスコが魔チェンジで魔剣へとフォームチェンジ。フーカがその刀身を握り込み、姉妹が一体となってヴァルバトーゼへと勝負を挑んでいく。

 

「二人……いや、三人がかりか!! 良いだろう!!」

 

 これにもヴァルバトーゼは怯むことなく応じていく。さらにもう一振りの剣を虚空より取り出し、二刀流の構えでフーカ&デスコ、エミーゼルと切り結ぶ。

 数的不利をものともしない見事な剣捌き——しかし、やはり限界はある。

 

「おりゃああああ!!」

「このぉおおおお!!」

 

 絶え間ない剣戟の末、フーカ&デスコが右手の剣を、エミーゼルが左手の剣をヴァルバトーゼの手からそれぞれ弾いていく。

 

「ニャアアアアアアア!!」

 

 両手の剣を取りこぼしたことで無防備となるヴァルバトーゼに猫娘がさらに駄目押し、伸ばしきった爪による容赦のない斬撃を浴びせていく。

 もはや後先のことは考えない。全てを出し切る勢いで繰り出す死力を尽くした連撃だ。

 

「クッ!?」

 

 その死闘の末。ついに、ついにヴァルバトーゼが——膝を突いた。

 

 

「今よ!! 鬼太郎!!」

 

 

 ここだ!! このチャンスを逃してはならないと猫娘は叫んだ!!

 最後の一撃を繰り出すのはやはり彼の——ゲゲゲの鬼太郎の役目であると。

 

 

「——霊毛ちゃんちゃんこぉおおおおお!!」

 

 

 仲間たちを信じて力を溜めていた鬼太郎が、全ての一撃を霊毛ちゃんちゃんこに込める。

 ちゃんちゃんこで巻かれた鬼太郎の腕の中に、かつてないほどの妖気がスパークし、光が迸っていく。

 

 

「——まだだ!! まだ俺は屈しておらんぞ……鬼太郎ぉおおおおおおお!!」

 

 

 それにヴァルバトーゼも拳で応じる。

 膝をついた状態でありながらも、渾身の力を込めて拳を突き出す。

 

 そして——両者の拳がぶつかり合い、激突する。

 

 

「くっ……ぐぐぐぐ……!!」

「グッ! グヌヌヌ!!」

 

 

 拮抗する互いの拳、衝撃の余波が周囲のものを容赦なく吹き飛ばしていく。

 

「閣下!!」

「鬼太郎!!」

 

 フェンリッヒがヴァルバトーゼに、猫娘が鬼太郎に呼び掛けるが、激突の衝撃波で近づくこともままならない。

 もはや誰にも、この拳の間に割って入ることは出来ない。

 

 最後を決めるのは、やはり両雄の純粋な力比べか——

 

 

「——鬼太郎ぉおおおおお!! 負けるなぁああああ!!」

 

 

 そう思われた刹那、彼女が——犬山まなが声を張り上げていた。

 

 彼女なりに出来ることをしようと、まなは鬼太郎へと精一杯の声援を送る。

 その声援が、最後の一押しになったかどうかは定かではない。

 

 

「!! はぁあああああああ!!」

 

 

 しかし、鬼太郎の拳が勢いを増したのは確かだった。

 まなの声援を背には受けた瞬間——彼の中の『負けられない』という感情がさらに強くなっていく。

 

 

「お、オオオオオオオオオッ!?」

 

 

 この勢いが、瞬間的にだがヴァルバトーゼの拳の威力を上回っていく。

 そして、ついに——

 

 

 鬼太郎の渾身の一撃が、ヴァルバトーゼにボディーブローとして突き刺さる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁはぁ!! はぁはぁ!! はぁはぁ…………か、勝った……のか?」

 

 鬼太郎自身も確信を持てないまま呟く。

 ぶつかり合いの末、確かに自分の一撃が何かにぶち当たる感触があった。

 

 だが、疲労困憊の鬼太郎には、それを確認する余力もない。

 今にも倒れ込んでしまいそうになる疲労感の中、とても長い長い体感時間を過ごし——

 

 

「——ああ、お前の勝ちだ」

「……っ!!」

 

 

 瞬間、ヴァルバトーゼの呟きが鬼太郎の耳に届く。

 バッと顔を上げれば——そこにはヴァルバトーゼの五体満足な姿があった。

 

 その表情どこまでも清々しく、とても満ち足りたものであった。

 とても敗者のものとは思えぬ顔色だったが、それでもヴァルバトーゼは胸を張って宣言する。

 

 

「お前の……お前たちの勝ちだ」

 

 

 勝者である鬼太郎にその事実を伝えた直後——ぐらりと、ヴァルバトーゼの体が揺らぐ。

 

 

「誇るがいい。お前たちは見事に俺の課した試練を……乗り越えたのだからな……」

 

 

 そして最後まで鬼太郎たちを称賛しながら、そのまま吸血鬼はゆっくりと崩れ落ちていった。

 

 

 

×

 

 

 

 西洋地獄、灼熱の大地。

 そのエリアの一角にポツンと建てられた屋敷。その屋敷の門の前に多くの者たちが集まっていた。

 

 屋敷勤のプリニー、屋敷の雑務を執事として取り仕切る狼男のフェンリッヒ。

 そして、屋敷の主人である吸血鬼・ヴァルバトーゼの姿もあった。

 

 

「——見事……見事だったぞ!!」

 

 

 屋敷の門の前で、彼は見送る客人たちに称賛の言葉を送る。その相手は当然鬼太郎たちである。

 彼らはヴァルバトーゼの課した地獄体験を見事にやりきったとし、西洋地獄側から正式に『客人』として扱われるようになった。

 

 客人としてあの戦いが終わった後、すぐにヴァルバトーゼ共々この屋敷へと運ばれ、怪我の手当てと療養をするように言われたのだ。

 それによりいくらか回復した鬼太郎たち。だがその姿は結構痛ましいものだ。ところどころに包帯を巻かれ、その顔には疲労の色が濃く見える。

 ちなみに傷の手当てを受けたのはヴァルバトーゼも同じなのだが——

 

「それにしても最後のパンチは効いたぞ! やはり強いな……ゲゲゲの鬼太郎よ!!」

「そ、それは……どうも……」

 

 この通り、今はもうすっかり傷も癒えて、体力も回復もしている。

 何なら勝者である筈の鬼太郎よりも気力に満ち溢れており、機嫌もすこぶる良くなっているくらいだ。

 

「あの吸血鬼……何であんなにピンピンしてんのよ……」

「ほんとにね~……ヴァルっちってば、呆れるほどタフなんだから……」

 

 これに猫娘やフーカまで呆れている。勝ったの自分たちなのに、負けた筈のヴァルバトーゼの方が元気溌剌。これではどっちが勝者か分かったものではない。

 

 しかし、それでも鬼太郎たちが勝利したという事実に変わりはなく。

 

「約束だ……犬山まなに、猫娘よ。お前たちが西洋地獄へ無断侵入した件に関しては不問とする!」

 

 ヴァルバトーゼはまなたちの罪を赦し、これ以上は何も文句を口にしないと約束を履行することとなった。

 

「あ、ありがとうございます! もしも次があるなら……なるべくちゃんとした方法で入るようにしますから……」

 

 これにまなは素直に感謝し、次からはきちんとした方法で入国の手続きを踏むと誓いを立てる。

 本当ならば入国などしない方がトラブルにもならないのだろうが、また似たような危機がないとも言い切れない。

 そうなったとき、きっとまなは同じように西洋地獄の力を借りるかもしれないと、予めヴァルバトーゼに断りを入れておく。

 

「うむ! そのときは一報入れるが良い!! この俺が直々にお前たちの入国を審査してやろう!!」 

 

 そのことを、ヴァルバトーゼは別段怒りはしなかった。

 彼が責めていたのはあくまで『無断』で侵入して来たからであって、西洋地獄に足を踏み入れること自体は特に問題とも思っていない。

 連絡さえ入れれば協力してやると約束まで交わしていく。

 

「そして……風祭フーカ! お前ももう自由の身だ。日本でもどこでも、好きな場所に行くがいい……」

 

 次いで、ヴァルバトーゼは風祭フーカの扱いについても言及した。

 成り行きとはいえ、彼女とも約束を交わしている。この試練に耐え抜けば、プリニーもどきである彼女の自由を認めると。

 ヴァルバトーゼはそんな無茶な約束であろうとも、しっかりと守ることを誓う。

 

「ヤッタアアアアア!! これでお姉様は自由の身デス!! どこへでも行きたい放題なのデス!!」

 

 これにデスコが大喜び。

 大好きな姉との生活を誰にも邪魔されないと、両手を上げて幸せ気分を表現する。

 

 ところが——

 

「…………そうね、それも悪くないけど……」

 

 これにフーカは複雑そうな顔をしていた。

 

「とりあえず、暫くは大人しくこっちに戻ることにするわ……アタシも、アタシなりに……色々考えなきゃね」

「……フーカさん?」

 

 彼女は何かを考え込みながら、何故かまなのことを見ていた。

 

 あの瞬間、己の罪と向き合うことを決意した犬山まなのことを——

 

 ひょっとしたら、そんな後輩の姿にフーカも『何か』を学んだのか。いずれにせよ、いつかは彼女もこの地獄から旅立つ日が来るかもしれない。

 その日まで、とりあえず判断は一旦保留である。

 

「ボクも暫くはこっちに戻っていようかな。偶には父上に顔を見せなきゃなんないし……」

 

 留学中のエミーゼルも、父親に顔を見せるという親孝行のために西洋地獄に留まることにしたようだ。

 

 結局、日本妖怪たちは日本へ。

 西洋地獄の面々はこのままここに留まると。

 

 互いに元の鞘に収まったという感じで別れを告げていく。

 

 

 

「……ゲゲゲの鬼太郎よ」

「っ!」

 

 最後の別れ際、ヴァルバトーゼは改めて鬼太郎へと声を掛けていた。

 

「忘れるなよ……仲間との信頼が、その絆がお前たちの強さだ」

「…………」

「それさえ見失わなければ、お前たちは誰にも負けない……ゆめゆめ忘れぬことだ」

 

 ヴァルバトーゼは最後まで、鬼太郎に絆の大切さを説いていた。

 そのことに、鬼太郎は苦笑しながらも頷く。

 

「本当に……変わった吸血鬼ですね、貴方は。でも……はい。ボクも、その通りだと思いますから」

「うむ!! お前もだいぶ変わっている……大した妖怪だ!」

 

 その会話を最後に、鬼太郎たちは西洋地獄からサヨナラをしていく。

 

 

 長かった彼らの西洋地獄巡りが、こうして終わりを告げたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、疲れた!! さすがにもうちょっと休んでいたいわね……」

 

 鬼太郎たちが去った後、風祭フーカは屋敷の前で大きく伸びをする。

 さすがの彼女も今回はだいぶ疲れを溜め込んだ。色々と考えることはあるが、とりあえず今は休んでいたいと——そのまま屋敷の門を潜ろうとする。

 

「おい、小娘! ……何故当然のように屋敷に入っていく?」

 

 それに苦言を呈するフェンリッヒ。

 

「ヴァル様が好きな場所へ行けと仰られたのだぞ? 何処へなりとも、とっとと消え失せるがいい!」

 

 彼はフーカがこの屋敷に留まることが気に入らず、露骨に彼女を追い出そうとする。

 もはやプリニーもどきとして指導する必要も無くなったのだから、彼女をここに留めておく理由がないというのがフェンリッヒの言い分である。

 

「ええ! だからここに留まるのよ?」

 

 しかし、フーカはこれをいい笑顔で拒否する。

 

「何だかんだでこの屋敷って居心地いいし!! どこに行くのもアタシの自由なんでしょ? なら、ここにいたって問題ない筈じゃない?」

「その通りなのデス!! ここにいるのもお姉様の自由なのデス!!」

 

 フーカもデスコも、自由になったからといってここから出ていく気はなさそうだ。他に行く場所もないし、やはり当面はこの屋敷を拠点に活動を続けていくとのこと。

 

「くっ! おのれ……!」

 

 フェンリッヒは忌々しげに舌打ちする。

 せっかく、どさくさに紛れて彼女たちを始末しようとしたのにそれが元の木阿弥。いや自由になった分、以前よりもさらに厄介な状況になったとも言える。

 

「……また何か対策を考えねば……」

 

 いずれはこの状況も打開せねばと、フェンリッヒは懲りもせずに策謀を巡らせていく。

 すると、そんな悪巧みを思案する狼男に対し——

 

 

「——あらあら、今日はまた一段と悪い顔になっていますわよ、狼男さん?」

「……ムッ!」

 

 

 どこからともなく、上品な言葉遣いで女性が声を掛けてきた。

 彼女の声を聞くや、これまで以上にフェンリッヒの表情が不機嫌に歪んでいく。

 

 その女性には白い翼が——『天使』の翼が生えていた。

 女性本人とその翼の美しさから、どことなく清廉なイメージが感じられる。だがそのイメージに反し、着ている衣装は露出度が高く大胆なもの。

 天使長であるフロンよりも神々しさという面では劣っているものの、その衣装から繰り出されるセクシーさにはフーカやフロンには出せない、大人の女性としての魅力や色気が垣間見えた。

 

「あ、アルティナちゃん!! 久しぶりっ!!」

「いつ天界から戻って来たデスか!? デスコとっても寂しかったです!!」

「ええ、私も寂しかったですわ、フーカさん、デスコさん!」

 

 その天使——アルティナと呼ばれた彼女へ、フーカとデスコの二人が勢いよく抱きつく。久しぶりに再会を祝う仲の良い友達としての抱擁。それにアルティナも快く応じてくれる。

 

「ねぇねぇ!! 聞いてよ、アルティナちゃん!! フェンリっちってば、ヴァルっちを独り占めするために、アタシたちを追い出そうとしたのよ!?」

 

 再会の挨拶が済むや、フーカはアルティナにフェンリッヒの悪行を報告していた。今回の一件でフーカたちが一番腹を立てている事柄であり、その企みのせいで余計に疲れたと愚痴をこぼす。

 

「あらあら、またですの? ……困った狼男さんですわね」

 

 だが、フーカの話にアルティナはまったく動じていない。フェンリッヒが悪事を企むなどいつものことと、さらりと受け流していく。

 

「フン……随分と早いご帰還だったな、泥棒天使! そのまま、ずっと天界に留まっていればいいものを!」

 

 平然としているアルティナが、いや彼女という女そのものが気に入らないのか。フェンリッヒはアルティナを泥棒などと吐き捨て、邪険に扱っていく。

 

「いえいえ、確かに私は天使ですけど……」

 

 そんな露骨なフェンリッヒの態度にも、アルティナは優しく微笑んで見せる。

 ちょっぴり悪戯っぽくウィンクをしながら、彼女は何気なくその言葉を口にしていた。

 

 

「——私の居場所は……この地獄にありますから……」

 

 

 そしてその視線を、そのままヴァルバトーゼへと向けていく。

 

「……ただいま戻りましたわ、吸血鬼さん」

「……ああ、よくぞ戻った……アルティナよ」

 

 意味ありげに視線を交わし合う、吸血鬼と天使。

 そんな男女の姿を、フーカとデスコが「きゃっきゃっ!!」と囃し立てる。

 

「うきゃぁああ!! 今の何!? 何!? もしかしなくても……愛の告白ってやつ!?」

「キュンキュンするデス!! お姉さま、デスコとってもキュンキュンするデスよ!?」

 

 年頃の女子として、そういった男女の恋愛に敏感に反応する。

 これはラヴか? LOVEなのか?

 

「貴様らっ!!! クソくだらないことをほざくんじゃない!! ぶっ殺すぞぉおお!!」

 

 そんな彼女たちの思考をくだらない妄想だと断言し、何故かブチ切れるフェンリッヒ。

 少女たちを黙らせようと、物凄い形相で睨みを効かせていく。

 

 

 

 ——……あれ?

 

 そうやって皆が騒ぐ光景を、エミーゼルは少し離れたところから眺めていた。彼自身はいい加減疲れていたということもあり、その輪の中にも入らず、あえて余計なことも一切喋らない。

 しかしそのおかげか、エミーゼルはあることに気がついてしまう。

 

 ——もしかして、ヴァルバトーゼの機嫌が悪かったのって……。

 

 今回の地獄巡りでヴァルバトーゼと対立していた間、エミーゼルはずっと彼の纏う空気がいつもよりピリピリしていたように感じていた。

 もっとも、それも僅かな違和感程度だ。どうせ大したことではないだろうと、あえて何も言わずにいたことだったのだが——

 

 ——……アルティナの奴が地獄を留守にしてたからじゃないのか!?

 

 そう、先ほどアルティナと視線を交わしたあの瞬間。あの瞬間にも、ヴァルバトーゼの表情から険しさが消え去ったような気がしたのだ。

 勿論、ただの気のせいかもしれない。まさか暴君とまで恐れられていた男が、女一人のために機嫌を浮き沈みさせるなどと。

 未だにお子ちゃまなエミーゼルには、それが信じられなかった。

 

 ——……まあいいや。これ口にしたら色々と面倒なことになりそうだしな……。

 

 とりあえず、エミーゼルはこの事実を黙っていることにした。

 沈黙は金ともいう。これ以上のゴタゴタは御免被るとばかりに、彼は口を噤むのである。

 

 

 

「——そうそう! 今日は吸血鬼さんにお土産をお持ちしましたのよ、受け取ってくださるかしら?」

 

 ふいに、タイミングを見計らいながらアルティナはその『お土産』とやらを取り出す。

 お土産といえばご当地のお菓子などが定番だが——彼女が取り出したものは、何故か『寸胴鍋一杯のカレー』であった。

 

「なんだそのカレーは……そんなもの捨ててしま……っ!?」

 

 フェンリッヒは彼女のその土産を一瞥するや、そんなもの不要だと冷たく言い放とうとする。

 だが、そのカレーが『何』を材料にしているかを察し、目を見開く。

 

「お、おい……そのカレーは……もしや!!」

「はい! イワシカレーです!!」

 

 アルティナが持って来たものは何と『イワシカレー』。イワシをふんだんに盛り込んだお手製カレーであった。

 

「天界のプリニーさんたちの間で流行っているらしいですわよ! 吸血鬼さんにもどうかと思いまして!!」

 

 余談だが天界にもプリニーがいる。地獄と同じく中身は罪人の魂だが、地獄に落とされたプリニーたちに比べれば軽い罪のものが多い。

 そんな天界のプリニーたちの間で流行しているというイワシカレー。それを吸血鬼であるヴァルバトーゼに薦めるアルティナ。

 

「何とっ!? これは素晴らしい……これならば、より多くのイワシパワーをこの身に取り込むことが出来るぞ!!」

 

 これにヴァルバトーゼが歓喜した。

 吸血鬼として人間の血を吸わなくなったヴァルバトーゼだが、彼はそれに代わる食材を口にすることで己の魔力を維持していた。

 

 

 その食材こそが、何を隠そう『イワシ』なのだ!!

 彼の血肉はイワシで出来ている!! そう断言してもいいほどに、彼はイワシという小魚にハマっていた!!

 

 

「よくぞ、このような料理を見つけてくれた……感謝するぞ、アルティナ!!」

「い、いえ……! この程度は……お安いご用ですわ」

 

 素晴らしい料理を持って来たとヴァルバトーゼは感謝を口にし、それにアルティナが頬を赤らめていく。

 

「チッ……」

 

 またも主といい感じの雰囲気になるアルティナに、嫉妬心からかフェンリッヒが舌打ちする。

 だが、彼は何かを思案するように、鍋に入ったイワシカレーに着目し——

 

「狼男さん……このカレーの中に人間の血を仕込めば……なんて考えてません?」

「き、貴様っ! 何故、それをっ!?」

 

 しかし、フェンリッヒの企みを先読みするかのように、アルティナが彼の考えを指摘した。

 

 主に黙って主の食事に人間の血を仕込む。それはフェンリッヒが定期的に仕掛けている小細工である。

 主人に暴君時代の力を取り戻して欲しく、彼は何とかしてヴァルバトーゼに人間の血を接種させようと企んでいる。

 

 そんなフェンリッヒの謀に、アルティナは釘を刺していた。

 

 

「ダメですよ! 吸血鬼さんが人間の血を吸うなら——私との約束を守ってもらいませんと……ねっ?」

 

 

 

 

 

『——私を怖がらせるまで、誰の血も吸わないでくださいね?』

 

 数百年前、シスターだった人間の女性が吸血鬼であるヴァルバトーゼと交わした約束。

 その女性は人間同士の戦争によってその命を散らしてしまい、ヴァルバトーゼは約束を果たせなくなっていたが——

 

「——楽しみにしてますからね、吸血鬼さん?」

 

 彼女は数百年経った現代、天使として活動していた。

 そう、アルティナというこの天使こそが、そのときの女性なのだ。

 

 天使として生まれ変わった今も、アルティナは当時の約束を覚えており、ヴァルバトーゼもその約束を守るつもりでいる。

 

「——当然だ!! 俺は必ず約束を守る!! お前の恐怖に怯える表情を肴に、その血を吸い上げてくれよう! フフフ、フハハハッ!!」

 

 ヴァルバトーゼは今度こそ、彼女を恐怖のドン底に陥れてやろうと嬉しそうに高笑いを上げる。

 

 必ずや彼女を絶望させる。

 そのためにも——必ずや、彼女をこの手で守ってみせると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それまで、俺の側から黙っていなくなるなよ……アルティナ」

「はい……吸血鬼さん」

 

 

 約束は、今も二人の胸の中に秘められている。

 

 




人物紹介

 アルティナ
  原作では当初、ブルカノなんてゴツい名前を名乗り、一応何者かを隠していましたが……正直バレバレ。
  その正体はヴァルバトーゼが暴君時代に約束を交わしたシスター。彼女が天使となったもの。
  天使の彼女は『業欲の天使』などと呼ばれ、地獄で盗み……徴収をしていましたが、それも全て世界を救うため。
  ちなみに彼女の集めたお金は……フロンによって全額グレートフロンガーXという巨大兵器にぶっ込まれる。
  フロン、お前……部下が必死に集めた金でそんなオモシロ兵器を……。
  今作において、彼女の出番は少なめ。最後のまとめ担当で申し訳ありませんが、どうかご容赦下さい。

次回予告

「……戦争は終結した。けれど多くの人間や妖怪が傷つき、その爪痕が街中に残っている。
 傷つき倒れる人々に対して、ボクに出来ることなんて……。
 ……? 父さん、あの人……あの黒い外套の人、医者でしょうか?
 ボクはあの人を知っている気がします。確かあれは……ずっと昔に——

 次回——ゲゲゲの鬼太郎 『ブラックジャック』 見えない世界の扉が開く」

 次回から鬼太郎の世界観を三年目に『日本復興編』へとシフトさせていく予定です!
 そして最初のクロスオーバー作品はあの手塚治虫の名作から。
 
 どういった物語になるかは、まだ秘密。
 色々と仕掛けを施してみようと思いますので、どうかお楽しみに。





 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

日本復興編
ブラック・ジャック 其の①


いきなりですが、まずは謝罪を。
本来なら、本小説は朝の9時に更新するのが通例でした。ですが諸事情により、朝の投稿は難しいということで、今回だけはこの時間に投稿することとさせていただきます。
次回からは、また朝9時投稿に戻りますので、よろしくお願いします。

さて、今回から本作は『日本復興編』。時間軸を鬼太郎6期の『3年目』へとシフトしていきます。
もっとも、今回のクロスオーバーは冒頭こそ、最終回の例の場面から始まりますが、話のメインは過去回想が中心となっております。
次回のクロスオーバーから本格的な3年目に突入していく予定なので、今回は軽い番外編みたいな感じでお楽しみください。

そして今回のクロスは『ブラックジャック』。日本人ならまず知らない人はいない、手塚治虫先生の代表作の一つです。自分はブラックジャックの漫画を中学校の図書室で読んでいました、まさに青春の作品!

ブラックジャックという作品は各メディア、連載時期なので事細かな設定に違いがありますが、とりあえず基本的な部分は抑えて話を考えていきます。

さらに今回のクロスはーー
ゲゲゲの鬼太郎×ブラックジャック×〇〇〇の多重クロスとなっております。
〇〇〇の部分になにが入るかは……どうぞ、読み進めていくことで明らかにしていってください。




 人里離れた崖の上。雄大な海が一望できる崖っぷちにその家は建っていた。

 

 見た目はオンボロ、少々時代遅れ感が否めない一軒家。だが中身は石造でしっかりとした基礎が出来上がっており、リフォームさえすれば普通に住む上では何不自由なく過ごせるだろう。

 もっとも家主に改築する意思はなく、ボロっちいままの一軒家に——彼と彼女の二人は住んでいた。

 

「——そこっ!! もっと踏ん張りなちゃいよ!!」

 

 家の住人の一人に、小さな子供がいた。

 どこからどうみても幼稚園児くらいにしか見えない女児。だが本人は十八歳のレディを自称している。彼女は舌足らずな言葉遣いでTVに向かって叫び声を上げていた。

 その様はまるでヒーローショーに夢中になる男の子のようであり、手振り身振りを混え——彼女は画面越しの人物へと声援を送る。

 

「ほら、こちっ!! もっと腰をおとちゅのよ!! 踏ん張れ……ゲゲゲの鬼太郎!!!」

 

 その画面の向こう側に見える映像は、決してヒーローショーなどではない。

 LIVE映像——今まさにリアルタイムで起きている世界の危機だった。

 

『——うう、ぐうううっ!!』

 

 TV画面に映し出されている少年の名は——ゲゲゲの鬼太郎。ここ昨今、何かと世間を騒がせている妖怪の一人である。

 

 妖怪などという存在を、ここ最近まで信じてこなかった人々。しかし、今や妖怪は多くの人間たちから認知され始め、政府機関ですらもその存在を認識。

 彼らを取り締まる法律——『妖対法』なんてものまで施行するようになった。

 

 その妖対法を巡って激しくぶつかり合う人間と妖怪。その果てに勃発した——『第二次妖怪大戦争』。

 東京都の渋谷を中心に拡大する戦乱の渦。その流れはそのまま全国各地へと広がっていき、人と妖の争いは際限なく広がっていくかに思われた。

 

 だがその最中、一人の男が叫ぶ。

 

 

『——お前ら馬鹿か!!』

 

 

 突如、TV画面に映し出されたボロい布切れを纏った小汚い男。彼が何者なのか、それは大半の人間には分からないことだっただろう。

 しかし、彼の言い放った言葉にTVを見ていた視聴者たちの視線が釘付けになる。

 

『——この期に及んで、まだ争いやがって!!』

 

『——戦争なんて腹が減るだけだ!!』

 

『——勝ったら何が残るってんだよ!!』

 

 彼は今も争いが続く戦地で戦争の愚かさを叫んでいた。その言葉には、戦争を実際に体験しているものとしての実感が込められている。

 

 そして——

 

 

『——てめぇらがくだらねぇ理由で殺し合ってる間に、一人で頑張ってる奴がいる!!』

 

 

 その男が指し示す先にこそ彼が——ゲゲゲの鬼太郎がいた。

 

 皆が愚かな争いを繰り広げている最中。鬼太郎は一人、上空から落下してくる『巨大隕石』らしきものを押し返そうと奮闘していた。

 禍々しい黒い塊の如き隕石。その地表への激突を阻止しようと、指先からレーザーのようなものを繰り出し、踏ん張っていたのだ。

 

 

『——戦争なんかしている暇があったら、鬼太郎を応援しろ!!』

『…………』

 

 

 鬼太郎の姿に、男の言葉に——その光景を目撃したものたちの心が揺さぶられる。

 

 

『——鬼太郎……』

 

『——鬼太郎っ!!』

 

『——頑張れ……鬼太郎ぉおおおお!!』

 

 

 映像越しからも伝わってくるようだ、現地で鬼太郎に声援を送る人々の声が——

 きっとこの映像を見ている人たちも、彼に頑張れと祈るように声を上げている筈だと——

 

「きちゃろぉおおおぉおお!! がんばりゅのよぉおおおおお!!」

 

 この家の女児も、彼に声援を送る者の一人である。

 彼女は鬼太郎と面識などないが、それでも「頑張ってくれ」と。舌足らずな口調をさらに崩すほどに興奮しながら叫んでいた。

 

 

 

 

 

「…………」

 

 そんな少女の後ろに、安楽椅子に深く腰掛ける男がいた。

 

 それなりに壮年な男。若さが残るように見えて、その顔には数々の修羅場を潜り抜けてきたもの特有の凄みがある。

 容貌そのものもかなり特徴的。半分は普通の黒髪なのだが、もう半分は白髪。染めているわけではなく地毛だ。その顔にも明らかな手術後が残っており、一部本人のものとは違う、黒人のものらしき皮膚が使われていた。

 

 彼は目の前のTV、世界の危機を告げる映像を前にしながらも一切取り乱さない。画面の向こう側で踏ん張っているゲゲゲの鬼太郎を、ただ静かに見つめている。

 

 ——ゲゲゲの鬼太郎……。

 

 一見すると冷たく、心動かずボーッと座り込んでいるようにも見えるだろう。

 

 だが、鬼太郎を見つめるその瞳には確かな『熱』がこもっている。

 声になど出さずとも、彼は心の中から鬼太郎に声援を送っていた。

 

 ——……負けるな。ゲゲゲの鬼太郎。キミならば……この危機も乗り越えられる筈だ!!

 

 

 

 

 

 その男の名は、(はざま)黒男(くろお)

 またの名を——ブラックジャックという。

 

 医学界でその名を知らぬものなどいない天才外科医であり、その神懸かったメス捌きで彼はいくつもの難病から多くの人々の命を救ってきた。

 しかしその一方、無免許で活動したり、法外な手術代を受け取ったりと色々と問題行動も多い。彼という医者が、人間がどういう人物なのか。それを一言で説明するのは難しいだろう。

 

 天才と名高いその医療技術を頼りに、今でも世界中から彼に病気を治して欲しいという依頼が絶えない。

 だが輝かしい経歴や才能が溢れる彼にだって、失敗がなかったわけではない。若い頃は特に何度も挫折を味わい、苦い経験をし、取りこぼしてしまった命も数多くあった。

 

 様々な体験を経て、今の彼がある。

 その経験の中の一つに——あの少年、ゲゲゲの鬼太郎と出会う事件があった。

 

 あれは今から十年以上も前のことだ。

 助手である少女・ピノコとも出会う前。

 

 彼はあの忌まわしい『(しゅ)』と対面することになった。

 

 

 

×

 

 

 

「——腫瘍摘出完了。心拍数は?」

「あ、安定しています!!」

「……っ」

 

 とある大学病院。手術中のランプが灯る緊迫した室内にて、数十人もの医師や看護師たちがその手術に立ち会っていた。

 執刀を担当していたのは、若き日のブラックジャック。彼はこの病院に常勤する医師ではなかったが、患者の指名でその日メスを握っていた。

 

 彼は無免許医であるため、本来であれば病院側が彼に患者を明け渡すような真似はしなかっただろう。しかし、この病気は彼でなくては治せない。それほどまでに難しい手術として医師たちを悩ませた。

 病院としてのプライド、威信、患者の命。そういったものを天秤に掛けた結果として——彼らはブラックジャックの執刀を許可することになった。

 

「……信じられん、何てスピードだ!?」

「動きに無駄がない……これが、ブラックジャック!?」

 

 誰もがその手術の難易度の高さに尻込みする中、ブラックジャックは軽快なメス捌きで病気の原因であった腫瘍を瞬く間に摘出して見せる。

 人間業とは思えない執刀技術に、医師たちは尊敬と嫉妬が複雑に混じった視線をブラックジャックへと向ける。

 

「術後処置に入る」

「は、はい!!」

 

 だがそんな外野からの視線を全て無視。最後の術後処置までもしっかりとやり終え、ブラックジャックはその大手術を完遂させる。

 

 

 

「いや~! 聞きしに勝るとはこのことです!!」

「素晴らしい!! いや、本当に!!」

 

 手術を終え、帰り支度をするブラックジャックに医師たちが声を掛ける。よそ者である彼に頼ることを最初は渋っていた彼らも、手術が終わった後はすっかり掌を返す。

 ブラックジャックの天才的技術を前に分かりやすいほどのおべっか、少しでも彼のご機嫌を取ろうと揉み手で擦り寄っていく。

 

「……後の処置はお任せします」

 

 もっとも、ここ最近のブラックジャックにとってその流れはよくあること。特に誰とも親しく言葉を交わす必要はなく。残りの処置を病院の医師たちに任せ、その場から立ち去っていく。

 

「ブラックジャック先生……どうぞ、こちらをお受け取り下さい」

 

 立ち去り際、病院の出入り口には患者の家族と思しき女性が待っていた。彼女はトランクケースを抱えており、僅かに躊躇いながらもそれをブラックジャックへと差し出す。

 

「手術料の三千万です」

「さ、三千万!?」

 

 トランクケースにはぎっしりと札束が詰まっていた。周囲にいた医師たちがその額を聞いてくらりと頭を押さえる。

 一回の手術で三千万。普通の医師からすればあまりにも法外な金額。要求する方もだが、それをあっさりと一括で払ってしまう方もどうかしている。

 

「……確かに」

 

 しかし、これを当たり前のように平然と受け取るのがブラックジャックだ。トランクケースの中身を一瞥しただけで指定の金額であることを確認。

 そのまま、軽々とケースを担いで歩き出す。

 

「では、また何かありましたらいつでもご連絡を……」

 

 得意げな笑みを浮かべながら、そのまま病院側が用意したタクシーへ。

 ブラックジャックを乗せたタクシーが、颯爽と病院から走り去っていく。

 

 

 

 この頃のブラックジャックは、まさに『天才外科医』の名を欲しいままにしていた。

 ありとあらゆる難病を治癒し、どんな困難な手術からも患者を生還させる。彼の神懸かったメス捌きを前に、多くの同業者が羨望の眼差しを向ける。

 

 苦しい時期、未熟だった時期を乗り越えての才能の開花でもあったため、ブラックジャック自身もかなり自信に満ち溢れ——そして、自惚れていた。

 

 自分であれば、どんな危険な手術でも乗り越えられる。

 必ずや患者たちを救って見せるという、医師としての使命感。

 

 それらの感情が色々と混ざり合い——ブラックジャックという男を天狗にさせていたと言ってもいい。

 

 そんな時期でのことだ。

 まさにその天狗だった鼻っ柱を——『人ならざるもの』たちによって、へし折られることとなる。

 

 

 

 

 

「お客さん、着きましたよ」

「ああ、ありがとう」

 

 始まりはブラックジャックの家。海に向かった斜面にポツンと建っている例の一軒家から始まった。

 一仕事終えた彼は、自身の診療所兼自宅でもあるその家の前でタクシーから降りる。報酬であるトランクケースを担いだまま家路を歩くのだが——

 

「——よう! 待ってたぜ、無免許医……ブラックジャック先生よ!」

「…………」

 

 家の前で待ち構えていた男が一人。その人物を前に仕事終えた充実感など全てが吹き飛ぶほど、ブラックジャックの表情が露骨に不機嫌になる。

 思わず文句が口から出そうになるも、ブラックジャックは抱いた不満を全て呑み込み、その男の存在を無視して家の中へと入ろうとする。

 

「おいおい、無視すんじゃねぇよ!! 人がせっかくこんな辺鄙なところまで来てやったってのによ!!」

 

 だが男はその程度でブラックジャックを逃さない。当たり前のように彼の後に続き、家の中にズカズカと上がり込んでいく。

 

「帰れ……帰らなければ不法侵入で訴えるぞ……」

 

 ブラックジャックは冷たくその男を家から叩き出そうとする。

 

「おいおい、それを俺に言うかい? こっちはお前さんを無免許で逮捕してやってもいいんだぜ?」

 

 しかし、それで追い返せるほど甘い男ではない。

 なにせ、男の職業が職業だ。『本職』の人間を相手に法律を説くことがどれだけ無謀なことか。少なくとも『無免許医療』というウィークポイントがある以上、ブラックジャックには男を追い払うことが出来なかった。

 

 そう、このいかにも厳つい顔の男性。彼は『刑事』である。

 高杉(たかすぎ)という警視庁の刑事で、公然の場でブラックジャックのことを平然と「無免許医!」などと無神経に呼びつけ、何かに付けて絡んでくる。

 もっとも、ブラックジャックが無免許であることは歴とした事実。それを分かった上で見逃してくれるのだから、まだ話が分かる相手だ。

 

 しかし、やはり気に食わないものは気に食わない。

 とりあえず家には上げてしまったが、ブラックジャックに男を歓迎する気などさらさらなく。茶の一杯も出さずに彼を適当にあしらおうとする。

 

「なんだ? この診療所は客にコーヒーの一杯も出さないのか? サービス悪いぜ」

 

 高杉刑事はそんなブラックジャックの塩対応に不満を洩らしながらタバコを吹かしていく。人の家だというのに平然とソファーを占領し、吸い殻を床へと溢していく。

 そのデリカシーのなさに、ますます不機嫌になっていくブラックジャック。

 

「生憎と、金を払わない人間を客だと思ったことはない……用がないならお引き取り願おうか」

 

 これ以上は無駄話していても埒が明かないと。ブラックジャックは早々に『要件』に入るように告げる。

 さすがにこの男が自分の家まで押しかけてくるのだから、何かしらの用事があるのだろうと予想はしている。

 

「まあまあ、そう慌てなさんな……今日はお前さんに患者を紹介してやろうと思ってな」

 

 ブラックジャックの読み通り。高杉は医者としてのブラックジャックに用事があった。

 彼はタバコの火を携帯灰皿でもみ消しながら、ようやく『本題』となるその患者のことを口にしていく。

 

 

 

「俺の親戚……甥っ子が今度嫁さんを迎えることになったんだが……」

 

 嫁さん、つまりは結婚するということだろう。

 通常であればおめでたい事柄だが、高杉の声はどことなく暗い。

 

「ところがだ……両親を含めた親戚一同から猛反対されてる」

「…………理由は?」

 

 ブラックジャックは安楽椅子に腰掛けながら高杉の話に耳を傾けていく。嫌な相手からの依頼とは言え、一応話くらいは最後まで聞くつもりのようだ。

 実際に依頼を受けるかどうかはまた別の問題だが。

 

 

「その相手の嫁さんってのが……『病持ち』だからさ」

「…………」

 

 

 病持ち。あまりいい表現の仕方ではないが、そう呼ばれるだけの『難病』を患っているということなのだろう。

 ブラックジャックは無言で高杉に話の続きを促していく。

 

 

 高杉の話によると、その病というのは『遺伝的』なものであるらしい。

 親から子へ、子から孫へと。そうやって何代にも渡り、その家の人間たちを苦しめてきた厄介な病気。

 

 だが、その病気の『遺伝の仕方』には、さすがのブラックジャックも眉を顰めるしかなかった。

 

「……一人?」

 

 訳が分からないと言った感じで、ブラックジャックが高杉に聞き返す。

 

「ああそうさ……一人だ。その病気は常にその家の人間の『一人』にだけ発症し、その人間だけを苦しめていく」

「?……意味が分からない。病気が遺伝的なものであるというのなら、親と子の両方に発症してもおかしくはない。何故一人だけなんだ?」

「俺に聞くなよ! そんなこと、俺に分かるわけないだろ」

 

 話を持ってきた高杉もその病の不可解さには首を傾げている。しかし彼はあくまで刑事だ。その病気の『ルール』など明確に理解出来る筈もない。

 

 そう、高杉の話を信じるのであれば、その病気は一世代に『必ず』一人にしか発症しないという。

 親がその病に苦しんでいる間、子に同じ症状が現れることはない。

  

 親が死に、親がその苦しみから解放された直後、その子供に全く同じ病が発症するという。先祖代々、そうやって一族のものたちを長々と苦しめてきたのだ。

 高杉の親戚たちはその病気の症状よりも、そういった在り方に嫌悪感を抱き、甥っ子の結婚に反対しているという。

 まるで『呪い』のようだと——

 

「莫迦な……呪いだのと。そんな非科学的なことが起こりうるものか……」

 

 ブラックジャックは医学という最先端科学に生きる現代人として、その病気の在り方に否定的だ。

 呪いなど信じられない。それが病気である以上、必ずその在りようには科学的根拠がある筈だと。

 

「まあ……お前さんがどういった感想を抱くかは自由だがね……」

 

 そこまで話し終えるや、高杉はソファーから立ち上がる。

 

「もしもこの依頼を受ける気になったら、ここの病院に連絡を入れろ。その嫁さんの主治医とやらの連絡先だ」

 

 一枚の名刺をスッとテーブルの上に置き、そのまま未練なく立ち去ろうとする。

 

「依頼を受けるか、報酬をどうするとかはその嫁さん……もしくは甥っ子の方と話し合ってくれ。俺はあくまでただの仲介人だからな」

 

 親戚事とはいえ、そこまで首を突っ込むつもりはないらしい。

 だが立ち去る間際、高杉はブラックジャックの方を振り返りながら呟きを残していく。

 

「あまり甥っ子をイジメんでくれよ。俺の甥とは思えないほど……なかなかの好青年なんだからよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 高杉が立ち去った後、ブラックジャックは安楽椅子に腰掛けたまま深く考え込む。

 高杉の甥、その婚約者である女性を苦しめているという病。それがどのようなものかは実際に診察しなければ分からない。

 

 しかしその病気の在り方。必ず一人にしか発症しないという病のルールに、どこか作為的なものを感じていた。

 あるいは本当に『呪い』なのかもしれないなどと、このときのブラックジャックは考えもしない。

 

 ——呪いなど……ある筈もない!

 

 その病気の原因を突き止めてやるという負けん気も働いたのか。

 

「…………もしもし」

 

 結論として、ブラックジャックはその依頼を受けるべく電話の受話器を手に取っていた。

 

 

 

×

 

 

 

「——おお!! ようこそお越し下さいました、ブラックジャック先生!!」

 

 高杉から話を聞いた翌日。ブラックジャックは患者の主治医がいるという病院を訪れていた。

 

「お初お目にかかります。私は当医院の院長、古賀(こが)と申します。こんな田舎まで……わざわざご足労いただいて恐縮です!」

 

 古賀と名乗ったその医師は小さな病院の開業医であった。その病院自体もかなり田舎の方にあり、ここまで来るのにもだいぶ時間を浪費し、既に時刻は夕暮れ時。

 

「電話でお話ししましたが、まずは患者に会わせていただきたい。依頼をお受けするかどうかはその後に……」

「分かりました。どうぞこちらへ……」

 

 挨拶もそこそこに、ブラックジャックは患者との面会を希望する。彼の要望に嫌な顔一つせずに応じる古賀。基本的に人が良いのだろう。

 

「いや~、まさかあのブラックジャック先生にお越しいただけるとは……これであの子を、あの忌まわしい呪いから解放して上げられるかもしれません」

 

 古賀はブラックジャックが来てくれたことに安堵してか、そのような呟きを零す。するとそれにブラックジャックが不快そうに反論する。

 

「医者が軽々しく呪いなんて言葉を……口にして欲しくはありませんな」

「これは、大変失礼致しました!」

 

 ブラックジャックの怒ったような口調に慌てて口を塞ぐ古賀。しかし、彼はそれでもと弱気な言葉を口にしていた。

 

「しかしそう思いたくもなるのです……彼女たちの苦しむ様子を見ていると……」

「彼女たち……患者は一人だけと聞いていましたが……?」

 

 高杉の話が確かであれば患者は一人。その世代に必ず『一人』しか発症しない筈だが。

 

「ああ、電話ではお伝えしていませんでしたが……私、彼女の母親の主治医もしておりました」

 

 どうやらこの古賀という医者、母娘二代に渡ってその病気と向き合ってきたらしい。その病を今は娘の方が発症しているとのこと。

 

「母親は……やはり病気で?」

 

 つまりそれは——母親が既に亡くなっていることを意味している。その母親の死因がなんだったのか、ブラックジャックは病気の原因究明のためにも踏み込んだ質問をしていく。

 

「いえ……自殺です」

「…………」

 

 だが古賀の返答に暫し言葉を失う。

 

「もう十年以上も、その病気と闘ってきたのですが……精神的に限界が来たのでしょう」

 

 母親もこの病気を発症し、長い長い闘病生活を送っていたという。だが、年齢を重ねるごとに肉体的にも、精神共にも耐えることが出来なくなってしまったのか。

 

「もう半年前になります。発作の最中……自分の喉を果物ナイフで突き刺して……自ら命を絶ちました」

 

 最後は自分自身の手で、その命を終わらせたという。

 

「母親が亡くなって……その三日後です。今度は娘の方にも同じ病状が……」

 

 そして、その病気はセオリー通り。次なる世代である娘へと引き継がれてしまったという。

 その娘というのが今回の患者であり——彼女が『最後の一人』だという。

 

「最後……父親は? それに……他の親族たちは……」

 

 最後という言葉にその返答を予想しつつも、ブラックジャックは質問する。

 古賀は黙って首を振りながら、その問いの答えを口にしていた。

 

「いません……私が知る限り、もう誰も。正真正銘……彼女が最後の一人なのです」

 

 もはやその患者には、家族どころか親族もいないという。

 

 

 彼女は正真正銘——天涯孤独の身なのであると。

 

 

「千代ちゃん! 千代ちゃん!! ブラックジャック先生をお連れしたよ……」

 

 そうして、話をしながらブラックジャックたちは彼女が入院している部屋の前まで辿り着いた。古賀はその部屋をノックしながら、患者であるその女性の名を呼んだ。

 

「あっ、は、はい……どうぞ……」

 

 古賀の問い掛けに対し、か細い少女の声が返ってくる。

 部屋の主である彼女の許可を得たことで、ブラックジャックは今回の患者であるその人物と初めて対面することとなる。

 

 

「——は、初めまして……千代女、望月(もちづき)千代女(ちよめ)と申します」

 

 

 

 

 

 ——……若いな。

 

 患者への第一印象、それがブラックジャックが抱いた感想だった。

 

 患者は女性というよりも、乙女と表現するのが相応しい年頃の娘であった。まだ二十代には満たない、おそらくは十代後半。

 腰まで伸びた黒髪。どこか儚げな印象の少女である。

 

 見目麗しい容姿だけでも十分に人目を惹きつけるだろうが、それ以上に人目を引くのが——右目の眼帯だ。

 その眼帯も、あるいは彼女を蝕む病に何かしら関係があるのかもしれない。

 

「まずは診察をさせてもらいたいのだが……構わないだろうか?」

 

 その病気への知的好奇心からか、はっきりと依頼を受けると断言する前からブラックジャックは彼女の容態を診たいと申し出る。

 

「は、はい……分かりました」

 

 ブラックジャックの不躾な申し出に不快感を示すこともなく、千代女は彼の診察を受けるべく、ベッドに横たわる。

 

 

 

「——この痣……なるほど……確かに話に聞いていた通りだな」

 

 診察に入って早々、ブラックジャックはその病気の特異性に目を光らせる。

 電話で一通りの症状を聞かされてはいたが、実際に目にするとやはり違った印象を抱くもの。現時点において、それが何と呼ぶべき病状なのかブラックジャックにも分からない。

 

 千代女の全身には『痣』があった。

 その痣は腕から脚、背中や顔に至るまで続いていた。まるで全身を『何か』によって縛られたような跡だ。

 

「その眼帯……取ってもらっても?」

「……はい」

 

 さらにその痣は彼女の眼帯の下、眼球にまで異常をもたらしている。

 彼女の右目は真っ赤に変色しており、その瞳を前に——不思議と蛇の瞳孔を連想させる。

 

 そう『蛇』だ。全身の痣も、荒縄というよりは大蛇によって全身を締め付けられた跡といった感じ。

 無論、そこに科学的根拠はない。あくまで直感的にそのようなイメージを抱いてしまったというだけのことなのだが。

 

「……時おり、全身が締め上げられるような痛みに襲われるとあるが?」

 

 ブラックジャックは千代女のカルテを確認しながら、具体的な症状に関して質問をしていく。

 

「はい……今は落ち着いているんですけど……時々全身が痛くて……熱も出るんです……」

「それはどのくらいの頻度で?」

「……一日二回……多いときで三回……」

「それ以外で、何か変わったことは?」

 

 発作的に全身を襲う痛み。それだけでもかなりの苦痛だろうが、カルテにはそれ以外に変わった症状があるとは書かれていない。

 ブラックジャックは治療の取っ掛かりとして、他に何かないかと質問を続けていた。

 

「…………誰かが」

「ん?」

 

 すると千代女は怯えた様子で、自身の体を抱きしめながら震える声で口にする。

 

「誰かが……わたしを見つめてくる。暗闇の中から……責めるように見つめてくるんです」

「…………」

 

 誰かが暗闇から見つめてくる。

 病気への恐怖から幻覚でも見ているのかもしれない。少なくともそのように判断するしかなかった。

 

 だが、それをただの幻覚と片付けるにしては——千代女の怯えようは異常であった。

 

「……じゃ、ない……わたしじゃない!! わたしじゃないのに……何でっ!! どうして……!?」

「お、落ち着きなさい、千代ちゃん!!」

 

 古賀が主治医として彼女を宥めようと側まで駆け寄っていく。

 しかし、それでも千代女の震えは止まらない。

 

 怯えた表情で、まるで何かに許しを請うかのように——

 

 

 

「——どうして、『呪い』は……わたしたちを許してはくれないの?」

 

 

 

×

 

 

 

「いかがでしょうか、ブラックジャック先生?」

 

 一通りの診察を終えたブラックジャックが古賀から問い掛けられた。

 二人は現在、医院の待合室で話し合っている。患者の診察を終えたところで、改めて千代女の治療を受けてくれるかどうか聞いているのだ。

 

「一つ、お尋ねしたいのですが……」

 

 古賀の問いに対し、ブラックジャックは逆に質問をする。

 

「彼女の婚約者という男性は? 一応、彼からの依頼だと聞かされたのだが……」

 

 肝心の依頼主は古賀でもなければ千代女でもない。あの高杉刑事の甥であり、千代女の結婚相手となる男性の筈だ。

 彼は今どこにいるのだとブラックジャックが尋ねる。

 

「ああ! 森時くんでしたら、そろそろ……」

 

 その問いに古賀は迷わずに答えようとする。するとまさにそのタイミングで——

 

「——はぁはぁ……古賀先生!! ブラックジャック先生が来てくれたとか……あっ!?」

 

 激しく息を吐きながら、一人の青年が彼らのいる待合室へと駆け込んできた。

 

 

 

「ブラックジャック先生。彼が千代ちゃんの婚約者……森時くんですよ」

「は、初めまして! 森時と言います……」

 

 森時(もりとき)と名乗ったその男性は、どこにでもいる青年といった感じだった。

 容姿的な特徴は短髪の黒髪に、やや癖っ毛が強いといったことくらい。それ以外は本当にありきたりで、平凡な青年としか表現しようがない。

 

 だが不思議と、その瞳には力強い意志のようなものが感じられる。

 ブラックジャックという天才外科医を前にしながらも、彼は微塵も揺らいだ様子がなく、静かにこちらを見つめてくる。

 

「キミは……学生かね?」

 

 ブラックジャックはその青年の姿勢や、その若さに少し驚いていた。

 千代女の年齢からある程度予想はしていたが、彼も十代後半といったところ。雰囲気からもどことなく社会人という気がしない。

 

「はい。今年で大学一年になります……一応、医大生です」

「ほう……同業者か」

 

 医者の卵も卵。将来的には同業者にもなるかもしれない若い雛鳥にブラックジャックの目が細まる。

 だが、相手が未成年ともなれば心配なことがいくつかある。ブラックジャックはその疑問を解消するため、森時に問い掛けていく。

 

「キミは彼女に結婚を申し込んだそうだが……その歳で、将来的な不安はないのか?」

 

 結婚が早いか遅いかなどは人それぞれだろう。しかし彼らはまだ学生。若気の至りの一言で片付けるにしては、あまりにも多くの課題をクリアしていかなければならない。

 経済的に家族を養えるのか、勉学を疎かにしないか、周囲の理解を得られるのか。

 彼の場合、ただでさえ親戚一同から反対されているのだから、その苦労は人一倍だろう。

 

 そういった不安が皆無ではないのだろう。森時はやや暗い表情で、自身の心情をポツリポツリと語っていく。

 

「俺……彼女とは中学からの付き合いなんです。その頃から……彼女の家のこと……病気のことは知っていました」

「…………」

「俺が医者を目指したのも……病気の原因を突き止めたかったからなんです。医者になって、彼女の母親の病気を……いずれ彼女に降り掛かることになる病気を……俺の手で治してあげたかった……」

 

 千代女のために自身の進路さえも決めたという森時。それだけ、彼が千代女のことを深く想っていることが伝わってくる。

 

「だけど……俺は間に合わなかった! 彼女のお母さんは亡くなって……とうとう病は彼女にも……」

 

 だが、森時が医師として自立する前に千代女の母親は亡くなってしまった。

 病気は当然のように千代女にも発症。現在進行形で彼女を刻一刻と苦しめ続けている。

 

「彼女は……今一人なんです。たった一人で……病気と闘ってる!」

 

 おまけに、望月千代女という少女にはもはや家族すらいない。このままでは彼女は一人、孤独にさらされ続けながら、病気と向き合わなければならなくなってしまう。

 それはあまりにも過酷だ。娘という支えがあった母親以上に、千代女の精神を疲弊させていくだろう。

 

 それこそ——母親のように『自殺』してしまう可能性だってある。

 

「だから……! 俺はそんな彼女の支えになってあげたい!! 彼女と家族になって……ずっと側に寄り添って上げたいんです!!」

 

 千代女を決して一人にしないためにも、森時は彼女と結婚を——家族になる決意を固めた。

 たとえ周囲にどれだけ反対されようと、その決意が揺らぐことはない。

 

 それだけの覚悟が、彼の力強い瞳から感じられる。

 

「……なら、私への依頼料はキミが支払うということで構わないわけだね?」

 

 そんな森時の本気を感じ取り、ブラックジャックも本気で相手と向き合うべく、その話題を口にした。

 自分に病気の治療を頼むのであれば、最低限支払わなければならない代償というものがあるのだと。

 

 

「二千万だ。びた一文まからない」

「に、二千……」

 

 

 ブラックジャックの値を聞くや、主治医である古賀が卒倒しそうな顔になる。そのリアクションから、ブラックジャックがどれだけ法外な報酬を要求しているのかが窺い知れるだろう。

 

 だが、森時の方は全く怯んだ様子もなく——

 

「——お支払いします」

 

 キッパリと、二千万という代償を自分が背負うと断言する。とはいえ、所詮は学生の身分。すぐにそれだけの大金を用意できるわけもない。

 

「……今すぐは無理ですけど……なんとしてでも払って見せます! なんなら、大学なんて辞めて今すぐにでも働きに——」

 

 森時は医大生だが、それも全ては千代女のため。もしも彼女の病気が治るというのであれば、わざわざ大学を出て医者になる必要もないと。

 今後の自身の人生、その全てを捧げることになるであろう決断を森時はしてみせる。

 

 しかし、それにブラックジャックは待ったを掛けた。

 

「その必要はない」

「……えっ?」

 

 ブラックジャックは焦る青年に、静かに言い聞かせていく。

 

「キミは大学でしっかりと勉強して……医者になりなさい」

 

 たとえ、きっかけが一人の女性のためだったとはいえ、医者になろうとしたその志は本物の筈だ。

 そんな将来有望な若者の未来を閉ざすことは、ブラックジャックとて本意ではない。

 

「医者として患者を救い、正当な報酬を得て……そのお金を私に支払うんだ」

 

 医者になれと。

 そうして患者を救うことが——結果として、千代女を救うことに繋がるのだと。

 

「……っ!! は、はい!! ありがとうございます!!」

 

 ブラックジャックの言いたいことを理解し、森時は相手への感謝と共に深々と頭を下げる。

 

 

 こうして、ブラックジャックは正式に望月千代女の治療を引き受けることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——……心臓に明らかな異常が認められる……病巣があるとすればそこだろう……。

 

 依頼を引き受けた日の夜。ブラックジャックは古賀氏の医院に泊まり込み、一人で患者のカルテを纏めていた。

 既に彼は千代女の病がどこから起因するものなのか、ある程度の当たりを付けていた。

 夕方の診察の際、明らかに心音にノイズが混じっていたのだ。心臓の弁などに問題があり、そこが正常な役割を果たしていない可能性が高い。

 

 ——……明日、街の病院に彼女を連れて行こう。もう少し詳しく調べてみる必要がありそうだ。

 

 しかしそこから先、詳しいことはこの病院の設備では分からない。何故か『心音に雑音がある』ということくらいしか、ほとんど異常が見られないのだ。

 具体的に『どこ』に『何』があるのか。もっと詳しく調べてみる必要性を感じた。さすがに長年の間、望月家を苦しめているだけあって、一筋縄ではいかない病のようだ。

 

 ——あの手の肌の変化は内臓機能の低下……あるいは腫瘍と関係している可能性もあるが……。

 

 あの『痣』に関しても不透明なことが多い。ああいった異常が肌に見られる原因についても突き止める必要があると。

 ブラックジャックは千代女のカルテを作成しながら、今後の治療方針などを頭の中で整理していく。

 

「…………」

 

 だがふと、数時間前に耳にした千代女の言葉を思い返したところで、ブラックジャックのペンを走らせる手が止まった。

 

 

『——呪いは……わたしたちを許してはくれないの?』

 

 

 何かに怯えるように患者の口から発せられた言葉。それが嫌にブラックジャックの耳に残っている。

 

「……呪いなど……そんなもの、存在するわけがない……」

 

 医者として『呪い』などという、不確かなものの存在を認めるわけにはいかない。

 あくまでこれは『病気』。体に必ず病の原因たるが何かがあり、それを取り除くのが医師の仕事であると。

 まるで自分自身に言い聞かせるように、ブラックジャックは強気な独り言を口にしていた。

 

 この時点までは、彼も信じていなかったのだ——

 科学で証明出来ないものの存在を、人ならざるものたちの存在を——

 

 あくまで真っ当な価値観、論理的思考で望月千代女という少女の病気を治療しようと意気込んでいた。

 

 

 

 しかし、そんな彼の元に——

 

 

 

 カランコロンと、その音を鳴り響かせるものが訪れる。

 

 

 

「…………なんだ? ……下駄? こんな時間に……いったい、どこから?」

 

 聴こえてきた異音にブラックジャックは眉を顰めた。

 

 静かな夜の静寂に鮮明なほどクリアに響き渡ったのは——下駄の音。

 今時珍しく、そしてこんな時間の病院内で聞くには、あまりにも不自然な物音であった。

 

「……誰かいるのか?」

 

 不審に思ったブラックジャックは部屋から顔を出し、院内の廊下を覗き込む。

 今のところ、病院内には自分を含めて院長である古賀と入院患者である千代女の二人しかいない筈だ。

 

 しかしその二人が起きたような様子もなく、廊下はしんと静まり返っている。

 

「…………気のせいか」

 

 ブラックジャックは聞き間違いかと思い、そのまま静かに扉を閉じようとし——

 

 

「——貴方ですか……望月家最後の一人を看取りに来た医者は……」

「——っ!!?」

 

 

 刹那、自分の真正面に何の前触れもなく——唐突に一人の少年が姿を現した。

 全く気配を感じさせない、幽霊のような少年の佇まいにはさすがにブラックジャックの心臓もバクンと高鳴る。

 

「だ、誰だねキミは……ここは病院だ。急病人でもないのなら、早々に立ち去りなさい」

 

 だがすぐに落ち着きを取り戻し、怪我人や病人でもない少年にここから立ち去るように告げる。

 しかしふと、相手の呟いた言葉にブラックジャックは表情を険しくしていく。

 

「いや……待ちなさい。キミは今なんと言った? 最後の一人を……看取りにだと?」

 

 その発言を、彼女の治療を引き受けた身としては聞き逃すことが出来なかった。

 

「……どこでどのような話を聞いたかは知らないが……私が来た以上、彼女が最後にはならない」

 

 望月千代女は今後も生き続ける。

 病気を治し、最愛の人と寄り添い——そして新たな命を紡いでいく。

 

 決して彼女が最後の一人になどならないと。

 

 

 だが——

 

 

「——貴方に彼女は治せませんよ」

「……なんだと?」

 

 

 少年は、まるでそれが当然のように冷たく言い放つ。

 その言葉にブラックジャックの顔がますます険しくなっていくが、それでも少年は平静な口調を崩そうともしない。 

 

「これは罰なんです。彼女の遠い祖先が犯してしまった『罪』……」

 

 あくまで淡々と、あるがままの事実を忠告と共にブラックジャックへと告げていく。

 

「最後の一人である彼女がその命を終えるとき……その罪は濯がれる……ボクたちに出来るのは、それを見届けることだけです」

 

 

 

「下手に首を突っ込むと……貴方にも呪いが飛び火するかもしれませんよ?」

「…………」

 

 

 そんな不吉なことを口にする少年を、ブラックジャックも憮然と睨みつけていく。

 

 

 

 それがその少年——ゲゲゲの鬼太郎とブラックジャック。

 二人のファーストコンタクトであった。

 

 

 




人物紹介

 ブラックジャック
  ご存じ、我らが無免許医。
  本名は間黒男ですが、本文では常にブラックジャックと記載していきます。
  冒頭のブラックジャックはある程度歳を取った、OVA版の彼を参考にしています。
  過去回想のブラックジャックは若く、割と調子こいていた頃の話を元にしています。  
  天才といえども、決して完璧超人ではない。そんな彼を今回は描いていこうと思います。

 ピノコ
  ブラックジャックの助手兼自称恋人? それとも奥さん?
  冒頭の部分ではTVに向かって叫んでいますが、回想がメインなので出番はこれくらい。
  呂律が回らない話し方をどう表記するかが大変です。

 高杉刑事
  原作でいうところの友引刑事。原作やアニメだとブラックジャックを目の敵にしている感じ。
  OVAだと名前が高杉に変わっており、割とブラックジャックにも友好的。
  今回は話の取っ掛かりとして、ゲスト参加していただきました。

 望月千代女
  FGOからのゲスト参戦。名前はそのまんまですが、同一人物ではありません。
  そっくりさんであり、例の『呪い』をその身に引き継いだ子孫という設定。
  その身に宿る呪いにブラックジャックがどう立ち向かっていくのかという話。

 森時くん
  千代女の婚約者。名前は望月千代女の夫とされている『盛時』。現代風に『盛時』を『森時』に変えています。
  見た目の容姿はそのまんま『藤〇立〇』ですが、その名前で登場させるのは避けました。
  ぐだのお相手は〇〇だ!! いや、〇〇だ!! と、下手したらそれだけで論争が起きそうなので……。
  あくまでそっくりさんですので、どうかご注意下さい。

 古賀医師
  千代女の主治医。役割上登場させることになったキャラクター。
  特に深い設定はありませんが、OVA版に登場するアルマン・ロシャスという医学博士をモデルにしています。
  
 今月はちょっと忙しいので、続きは3月投稿になると思います。
 3話構成くらいにはなると思いますので、どうかお楽しみに。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ブラック・ジャック 其の②

『ロシアによるウクライナ侵攻に関して。
 このような場で語るべきことではないと思いますが、触れないわけにもいかないので一言だけ。
 何故、こんなことをしているという憤りしかない。
 様々な人々がそういった怒りをメッセージとして配信しているだろう。
 自分もこの憤りをさりげなく作品に落とし込む形で発信していきたいと思います』


本作のクロスオーバー、其の①を読んでもらえたのならお分かりかと思いますが。
今作は『鬼太郎』『ブラックジャック』そしてfgoの『望月千代女』のクロスオーバーとなっています。
望月千代女の設定や、彼女に取り憑いている『呪』の正体に関してはfgoの設定を中心に色々と織り交ぜています。
後書きの方で解説しますので、とりあえず続きをお楽しみください。




 それはブラックジャックが望月千代女という少女の治療を引き受けることになった、その翌日のことであった。

 

「いや~! まさか、こうした形でブラックジャック先生に力を貸すことになるとは……」

「…………」

 

 ブラックジャックは患者を連れ、街の病院を訪れていた。

 

 そこはまさについ先日、とある患者に大手術を行った大学病院である。

 ブラックジャックに借りを作ってしまった手前、彼の頼みを無下に断ることも出来ず。特に使用予約も入っていなかったため、大学側は最新設備の数々をブラックジャックへと貸し出した。

 大学病院の様々な最新機器を用い、ブラックジャックは望月千代女という少女の身体にどのような異常が起きているのか、多角的に情報を集めていく。

 

「あの……ブラックジャック先生?」

「はい? どうかされましたか、古賀先生」

 

 その検査の最中、同伴していた千代女の主治医である古賀がブラックジャックにお伺いを立ててくる。

 

「ここまでしなくてはならんのものなんでしょうか? いえ……千代ちゃんのためになるのなら必要なのでしょう……ですが……」

 

 古賀はブラックジャックが望月千代女に行なっている検査の数々に、少々疑問を抱いている様子であった。

 大学の最新設備、古賀医院のような小さな病院では見たこともない機器。それらを有効に用いれば確かに病気に関する正確な情報、今まで分からなかった病気の原因なども判明するかもしれない。

 

「はぁはぁ……!」

 

 だがハードな検査を重ねれば重ねるほど、それは千代女の体力を著しく消耗していくことにも繋がる。ただでさえ病気の影響で体力が低下しているのだ。これ以上は彼女の肉体にも掛かる負担が大き過ぎる。

 

「申し訳ない……ですが、今は少しでも多くの情報が必要なんです……」

 

 ブラックジャックもそれは重々承知していた。千代女に負担が掛かっていることを理解し、それを彼女に了承してもらった上で、今回の精密検査をやや強引に進めていく。

 

 ブラックジャックがここまで躍起になっていたのには理由がある。

 

 それは昨夜、古賀医院で遭遇した——ちゃんちゃんこを纏った少年の存在が関係していた。

 

 

 

 

 

「——呪いなどと、何を根拠にそんなことを……」

 

 深夜、突如として姿を現した下駄の少年を前に、ブラックジャックは険しい顔つきになる。

 いきなり病院内に不法侵入してくるや、『呪い』だの『罰』だの『罪』だのと、不吉なことを口にする不気味な少年。

 冷たくぶっきらぼうな彼の言動には、たとえブラックジャックでなくとも不快感を抱いたことだろう。

 

「生憎と私は呪いだの、そんな不確かなものは信じない。そのような迷信やまやかしに振り回されるようでは、医師など務まらないからな」

 

 ブラックジャックは少年の言動に対し、あくまで平静を装って毅然と言い返す。呪いなどは勿論、ブラックジャックはオバケや妖怪といったものの類を信じてはいない。

 そんなものに人間の命を好き勝手にされてたまるかという、彼自身の考えなどが影響している意見である。

 

「そうやって……目を背けているから見えないんですよ」

 

 ブラックジャックの真っ向からの反論に、少年はその答えを分かりきっていたとばかりに微動だにせず。

 まるで感情など感じさせない表情で——

 

 

「——見ようとしない限り、そこから目を逸らし続ける限り……貴方に彼女を救うことは出来ません」

 

 

 次の瞬間にも、ブラックジャックの眼前から姿を消していく。

 

 

 

 

 

 ——私に……この患者が救えないだと!?

 

 少年の発言や、彼が幽霊のように掻き消えた事実を思い出しながら、ブラックジャックは手元のモニターへと視線を移す。

 こうしている間にも千代女の検査は続いていき、その結果がパソコンの中へデータとして蓄積されていく。

 今の時点では病気の要因が何であるかなどを断定することは出来ない。この解析データを持ち帰り、改めてデータの分析を進めていく必要があるだろう。

 

 そうすることで病気の原因を突き止め、患者を救う術が見つかる筈だと。

 医者という存在はそうやって、何度も何度も四苦八苦の末に人間の命を救ってきたのだ。

 

 

 今回だって救える筈だと。ブラックジャックは覚悟と決意をその胸に秘めていく。

 

 

 

 

 

 そうして、大学病院で行える全ての検査が終了。ブラックジャックたちは病院での検査データを持ち帰り、車で古賀医院までの帰り道を走っていく。

 

「…………」

 

 朝方から夕方まで続いた長い検査に最後まで耐え抜いた千代女。彼女自身にも病気を治したいという強い意志があったのだろう。

 だがさすがに疲労も溜まり、車の後部座席でぐったりしている。

 

「もうすぐ着くから、もうちょっと辛抱しててね……千代ちゃん」

「…………」

 

 古賀は車を運転しながら、ブラックジャックは助手席から。それぞれ彼女の容態をバックミラー越しに確認する。

 今のところ、体力を消耗している以外にこれといった異常は見られないが。

 

「……古賀先生……森時くんはどうしてますか?」

 

 ふいに、外の景色を漠然と眺めながら千代女が古賀へと尋ねる。

 検査の間も彼女が気にしていたのは自身の体のことではなく、婚約者である森時のことであった。朝早くに大学病院へと赴いたため、今日はまだ彼とは一度も顔を合わせてはいない。

 

「森時くんなら大学だよ。昼間はちゃんと大学に行くっていう……ご家族との約束だからね」

「そうですか……そう、ですよね」

 

 古賀がそのように答えるや、千代女は寂しそうな、申し訳なさそうな複雑な顔色を浮かべる。

 

 森時は千代女との結婚を家族に反対されており、しかもまだ学生だ。森時の両親は彼が千代女の見舞いに行くことですらもあまりいい顔をしない。

 そんな両親に千代女との仲を認めてもらうため、森時は家族間である約束を交わしているとのこと。

 

 それが——きちんと大学に通い、勉学を疎かにしないということである。

 

 その約束を守ることで森時は千代女との付き合いを黙認してもらっており、彼女の見舞いに行くことを許されているそうだ。

 そういった事情もあり、森時は現在『昼間には街の大学』に通い『夕方には千代女の見舞い』に古賀医院へ通うという、忙しい日々を送っている。

 

「千代ちゃんの実家の方も、今は森時くんが管理してくれてるそうだけど……」

 

 さらに森時は『夜は望月家の実家』で寝泊まりをしているという。

 

 千代女の母親が亡くなり、彼女自身も入院している現在、望月の実家は誰もいない空き家となっている。誰かが管理をしなければ荒れ放題、空き巣も入り放題だ。

 森時はいつでも千代女が帰って来れるよう、彼女の居場所である生家を守ってくれてもいる。

 

「…………」

 

 そんなことまでしてもらっていることを千代女も内心は嬉しく思っているのだろうが、やはり後ろめたさの方が強く感じているのか。彼女はますますその表情を曇らせていく。

 そんな望月千代女に——

 

「千代女くん。キミが難しいことを考える必要はない」

「え……?」

 

 ブラックジャックが声を掛ける。

 

 ブラックジャックは千代女に森時との交際をどうとか。二人の結婚がどうとか。そういった小難しい問い掛けをしたりはしない。

 既にその辺りの問答を森時との間で済ましている以上、ブラックジャックが患者である千代女に求めることは一つである。

 

「キミは病気を治し、全快することだけを考えればいい」

 

 医師であるブラックジャックが彼女を『治そうとする』のは当然だが、患者である千代女にも『治ろうとする』意思がなければ病気は完治などしない。

 医者と患者が互いに闘う決意をすることで、初めて病気という困難に打ち勝つことが出来るのだ。

 

「いいね? キミは病気を治すことを……全快することだけを考えるんだ」

 

 だからこそ、ブラックジャックは千代女に病気の治療に専念するように念押しする。

 森時との結婚をどうするかなどは、それこそ——病気を治してから考えればいいのだけのことだと。

 

「ブラックジャック先生……」

 

 ブラックジャックの言葉に千代女は僅かだが、その顔から憂いを消していく。

 

 

 しっかりと頷き、改めて病気と闘っていく決意を固めていくのであった。

 

 

 

×

 

 

 

「——さあ着いたよ、千代ちゃん」

 

 随分と時間は掛かったが、一行は古賀医院へと戻ってきた。古賀は千代女をエスコートし、彼女を病室へと連れて行こうとする——その直後である。

 

「うっ!? う……ぐっ……っ!!」

「……? どうした、千代女くん!?」

 

 千代女の容態に異変が生じる。それまで何ともなかった彼女が突如として苦しみ出したのだ。

 ブラックジャックは初めて目の当たりにする彼女の『発作』に目を剥くが、ここは古賀が冷静に対処する。

 

「これは……ブラックジャック先生! 彼女を病室までっ!!」

「ええ、わかりました!」

 

 さすが長年、望月家の病と真っ向から向かい合ってきただけのことはある。素早い的確な古賀の指示通り、彼女を病室まで運んでいく。

 

「ぐっ……うぅ……ぐくぅう……!!」

「千代ちゃん!! しっかり、気を確かに持ちなさい!!」

 

 病室まで戻ってくるや、直ぐに千代女を横たわらせ、古賀が彼女に呼びかけを続けていく。発作が一刻も早く収束してくれることを、願うような気持ちで古賀は千代女の手を握っていた。

 

「…………」

 

 だが、ブラックジャックに指を咥えて見ている気はなかった。発作の最中にこそ千代女の容態を逐一チェックし、その体に何が起きているかを調べていく。

 通常時では分からない体の変化というものもある。こういう時にこそ、病魔はその原因の片鱗を覗かせるものだ。

 

 ——心拍数がかなり上がっているな……やはり原因は心臓か?

 

 千代女の胸に聴診器を当てると、すぐに違和感を発見出来た。彼女の心臓がまるで軋むかのように、悲鳴を上げるかのように脈拍数が多くなっているのだ。

 やはり心臓に何かしらの異変があることは確かだと。ブラックジャックは改めて、これが病気であると再確認していく。

 

 ——そうだ……呪いなどではない。確かにこの患者を蝕む病には……こうした原因がある。

 

 昨夜に遭遇したあの少年の言葉を、真っ向から否定するかのように——

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ…………」

 

 それから数分後、一旦発作が収まったことで苦しみから解放される千代女。彼女はそのまま、息切れを起こしながら気を失うように眠っていく。

 

「……この時間帯なんですよ。いつも、この時間になるとこうして発作が起きて……」

「…………」

 

 眠る千代女の顔色にとりあえず安堵する古賀が、彼女の体調を診ているブラックジャックに声を掛けた。

 彼の話によると、この発作は特に夕暮れ時に起きることが多いらしい。ブラックジャックが訪問した昨日はたまたま調子が良かったこともあり、発作もほとんどなかった。

 だが、普段であれば日の暮れどきに一回目の発作が起きる。ここからさらに深夜にかけて二度三度と発作が起き、患者を毎日のように苦しめているそうだ。

 逆に言えば、その時間帯以外で発作が起きることは殆どないという。こういった規則性もこの病の特徴である。

 

「ブラックジャック先生もお疲れでしょう……コーヒーでも淹れてきますよ」

 

 容態が落ち着いたこともあってか、古賀がコーヒーを淹れに病室から席を外す。

 

 長い検査は患者の体力は勿論、医師であるブラックジャックたちにもかなりの疲労を蓄積させる。ここからさらに、ブラックジャックはデータの分析作業などもこなさなければならないのだ。

 気を休めるときに肩の力を抜いておく必要があるだろうと、古賀は一服入れることを推奨する。

 

「ええ、お願いします……ふぅ……」

 

 これにはブラックジャックも素直に頷く。

 患者も眠っていることから、誰にも見られるという心配もなかった。彼自身も気を緩めるように一息入れる。

 

 

 その時だ。

 日が沈み、世界に夜の闇が訪れようとした——逢魔ガ時。

 

 ブラックジャックの背筋に、瞬間的な寒気が走る。

 

 

「——!!」

 

 彼が感じた寒気の正体は——何者かの『視線』だった。

 見られている。理屈ではない、直感的な何かに従ってブラックジャックは後ろをゆっくりと振り返る。

 

 

『…………』

 

 

 いた。

 

 そこには——『黒い影』らしきものが静かに佇んでいた。部屋の天井高さにまで長く伸びた、巨大な『何か』が。

 

「……っ!?」

 

 思わず息を呑む、ブラックジャック。

 目に見えないものは信じない主義のブラックジャックだが、今そこにあるのは目に見える形での脅威だ。

 その影は、まるで見下すかのような視線をブラックジャックに、ベッドの上で眠っている望月千代女へと注いでくる。

 

 ——な、なんだこいつは……! う、動けない……!?

 

 理解不能な存在を前にブラックジャックの頬に汗が伝う。

 その影のシルエットはまさに『大蛇』のようであり、彼は睨まれた蛙のように動けなくなってしまっている。

 

 ——……な、なんだ、これは!? ま、まずい!! 呑まれ……っ!?

 

 大蛇は別に何をするでもなく見下ろしてくるだけなのだが、その存在感を前に意識を呑まれかけるブラックジャック。

 悲鳴を上げることも、呼吸すら満足に出来ず。窒息するかのように息苦しさに意識が途切れかけ——

 

 

「——お待たせしました……ブラックジャック先生? どうかされましたか?」

 

 

 そこへ、コーヒーを運んできた古賀が何事もなく部屋の扉を開けた。

 

「はぁはぁ……! ……はっ!?」

 

 その刹那にも、ブラックジャックは息苦しさから解放される。

 先ほどまで見えていた筈の大蛇のシルエットは——もう影も形も見当たらなくなっていた。

 

「古賀先生!! 先ほどまでここに…………いえ、何でもありません」

 

 我に返ったブラックジャック。古賀に先ほどの影について聞こうとするも、寸前で思い留まる。

 古賀相手に「呪いなど……」と彼の言い分を否定していた手前、それを連想させるものの存在を口にするのは抵抗感があったからだ。

 ところが——

 

「……もしかして……ブラックジャック先生も……その、何かを見たのですかな?」

「!! 分かるのですか!? 今の……影のようなものが何か!?」

 

 古賀の方から、ブラックジャックが見たかもしれない『それ』ついての言及があった。

 自分以外にも見たものがいるというのであれば、あれをただの幻覚と決めつけることは出来ない。ブラックジャックは古賀に詳細な説明を求める。

 

「い、いえ。私は一度も……。何と言えばいいのでしょう。どうにも私、そういったものへの才能……霊感?のようなもが、からっきしのようでして……」

 

 だが、古賀はそういったものの存在を一度として認知したことがないらしい。

「呪いから解放……」などと口にした古賀が何も見ることが出来ず、「呪いなど……」とその存在を否定をしているブラックジャックが、逆にそれらの存在を感じ取れるという皮肉。

 

「千代ちゃんもそうなのですが……見舞いに来る森時くんも……何かしらの視線を感じたことがあるそうなんですよ……」

 

 ブラックジャック以外に、先ほどの『蛇』の存在を感知したものは二人だけ。

 

 病に侵されている千代女などは、それこそ「誰かが……暗闇から見つめてくる」などと怯えていた。

 森時も千代女の看病をしているときなど、あの蛇のような影に睨まれ、金縛り状態に遭うことがあるそうだ。

 

 しかし、あの影自体が悪さをしてくることはないという。

 

 

 あの影はただそこに在り、望月家の人間たちをただ責めるように見つめてくるのだという——

 

 

 

×

 

 

 

「…………」

 

 その日の夜。ブラックジャックは徹夜で検査データの精査に入っていた。

 望月千代女に行った数々の精密検査。そこから得られる情報を元に、彼女の病気が何に起因するものなのかを突き止めようとしていた。

 

 ——腫瘍の兆候は皆無、内臓機能にも異常なし……。

 

 ——CTによる脳の断層映像、脳波にも異常は認められない……。

 

 ——薬物経験の痕跡もなし…………幻覚を見ているというわけではない、ということだが……。

 

 だがあらゆる検査結果が、彼女の肉体に致命的な欠陥がないことを示していた。調べれば調べるほどにそれは顕著であり、ブラックジャックを大いに困惑させていく。

 

 ——やはり原因は心臓部……だが、肝心の病巣が全く見えてこない!! どうなっているんだ!?

 

 唯一、問題が認められる箇所は心臓だけだ。それも心音に問題があるという、聴くだけで分かるような異常だけ。

 何故心音にノイズがあるのか? どうして心拍数が不自然に多くなったりするのか?

 

 肝心の理由がサッパリ見えてこない。

 

「…………くそっ!」

 

 いかに天才的な外科手腕を誇るブラックジャックといえども、取り除くべき『何か』が見えてこなければ打つ手はない。

 どうすればいいのか分からず、どうすることもできない。

 

 ここ最近は感じることも薄かった無力感を前に、ブラックジャックは人知れず頭を抱えていた。

 

 

 そんな、一人孤独に苦悩する深夜に——

 

 

「……こんばんは」

 

 またしても例の訪問客が訪れる。

 

「……またキミか……」

 

 何の前触れもなく自室に現れたのは——下駄にちゃんちゃんこの少年だ。

 患者のことで精神的な焦りこそあったものの、二度目の会合ということもあってか。ブラックジャックは唐突に現れたその少年を前に、ある程度落ち着いた対応を取ることが出来た。

 

 ——この感覚……この異質感……。

 

 そうやって少年と真正面から向き合うことで、ブラックジャックはあることに気付く。

 眼前に立つ少年の放つその存在感が、周囲の空気を切り取ったかのような異質感が——あの『大蛇の影』に類似しているということに。

 

「…………キミは何者だ? 何故、私の前に姿を現す?」

 

『そういったもの』の存在を認めることには未だに抵抗感があったが、とりあえず話だけでもと。ブラックジャックはその少年との対話を試みていく。

 

「そういえば、まだ名乗っていませんでしたね。初めまして……ゲゲゲの鬼太郎と言います」

 

 自分がまだ名乗っていないことを思い出したのか、一応は礼儀を正して名を名乗る——ゲゲゲの鬼太郎。

 

「ゲゲゲの鬼太郎……どこかで聞いたことがあるな」

 

 その名乗りに、ブラックジャックは微かな記憶を頼りに彼のことを思い出していく。

 

 ゲゲゲの鬼太郎。

 その名前をブラックジャックも聞いたことくらいはある。もう何十年も昔から、人々の間で噂として細々と伝わってきた存在。最近ではネットなどでも、所謂都市伝説の類として、さまざまな説がまことしやかに囁かれている。

 

 曰く、妖怪ポストとやらに手紙を投函するとやって来てくれる——妖怪。 

 曰く、妖怪に困らされている人間たちの味方をしてくれる——怪異。

 曰く、人を助けるのと引き換えに依頼者の魂を奪っていく——オバケ。

 

 話の中には嘘やデタラメなども多分に混じっているが、概ね彼が『人間ではない』というのが確かな事実であるかのように語られている。

 

「妖怪か……ふっ。それで? その妖怪少年がどうして私に声を掛ける? 何が目的だ?」

 

 妖怪などという存在を前に、思わず笑いが込み上げてくるブラックジャック。だが一応話だけは聞いてやるとばかりに、やや喧嘩腰ながらも引き続き鬼太郎と対峙していく。

 

「……貴方にあの患者の治療から手を引いてもらおうかと」

 

 鬼太郎がブラックジャックに望んだのは、望月千代女の治療から手を引けということであった。

 

「これ以上、彼女に関わっても意味はないかと……貴方には、他の患者の治療にでも専念してもらいたいので……」

 

 鬼太郎なりに遠回しな表現を選んでいるようだが、暗に「時間の無駄だと」とその顔が告げているようだ。

 当然、そのような要求にブラックジャックが応じられるわけもなく。

 

「キミは……彼女の、望月家の何を知っている? 呪いとはいったい何を意味している……答えろ!!」

 

 苛立たしさを抑えきれなかったのか。ブラックジャックは問い詰めるように鬼太郎へと叫んでいた。

 

「…………あれは——」

 

 ブラックジャックの問い掛けに暫し考え込みながらも、鬼太郎はそれを口にしようとする。

 望月家の者たちを苦しめてきた、病魔の原因とされるものの名前を——

 

 

「——ぐっ!? ああ、ああああああああああ!!」

「……っ!?」

 

 

 だがそのタイミングで、病室の方から望月千代女の絶叫が響いてくる。

 鬼太郎との問答を一旦中断し、ブラックジャックは急いで駆け出す。

 

 

 

 

 

「だ、大丈夫かい!? ち、千代ちゃん!?」

「古賀先生! 容態は?」

 

 ブラックジャックが駆けつけると、既にそこには古賀医師の姿があった。誰よりも先に彼女の異変を察知して千代女を診察する古賀だが、その表情は困惑に彩られていた。

 

「い、いつもの発作? いや、違う!! これは……こんなに苦しそうにしているのは……私も初めてです!! ど、どうすれば!?」

 

 千代女と彼女の母親、二代に渡ってこの病気と向き合っていた古賀だが、ここまで患者が苦しそうにしているのは初めてだと狼狽えている。

 

「はぁはぁ……!! ぐっ!? ああああああああ!?」

 

 昼間の発作とはまるで別物。千代女は全身が軋むかのようにベッドの上で痙攣を起こしている。

 気のせいか、彼女の全身に巻き付くかのように浮き出ている例の『痣』が、僅かに発光しているように見えるのだ。

 

「古賀先生、鎮静剤を! このままだとショック状態になりかねません!!」

「わ、分かりました!!」

 

 不足の事態に狼狽する古賀に、今度はブラックジャックの方から適切な指示を出す。

 これは自然に収まるのを待っていていい発作ではない。鎮静剤を打ってでも落ち着かせないと、取り返しのつかないことに成りかねないと。

 

「はぁはぁ……! せ、先生……? ぶ、ブラックジャック先生……」

「無理をするな……今……ん?」

 

 古賀が鎮静剤の準備をしている間、千代女は苦痛に表情を歪めながらもブラックジャックに何かを伝えようと、彼の衣服の袖を引っ張る。

 患者に無理をさせないようにと、ブラックジャックは千代女に大人しくしているように言うのだが——

 

 

「————————」

「……っ!?」

 

 

 千代女は、か細い声ながらも確かにその『言葉』を伝えた。

 彼女に『それ』を伝えられ、目を剥くブラックジャック。だが、すぐにその表情が決意あるものへと変わっていった。

 

「先生!! 準備が出来ました……ブラックジャック先生?」

 

 鎮静剤を用意した古賀は、ブラックジャックのその表情の変化に訝しがる。

 しかし、もはやブラックジャックの目には患者しか見えていない。

 

 的確な手順、適切な処置で手早く千代女の発作を鎮めていく。

 

 

 

 

 

 鎮静剤を打ったことで、とりあえず落ち着きを取り戻した千代女。念のため彼女に付き添うと、今は古賀が彼女の病室に留まってくれている。

 

「これも、キミの言う……呪いというやつの影響なのかな……ゲゲゲの鬼太郎?」

「…………」

 

 その間、病院の待合室でブラックジャックはゲゲゲの鬼太郎と再び向かい合っていた。

 

「古賀先生が仰るには、今までと苦しみ方が違うという話だが……まさか、キミの仕業というわけではないだろうね?」

 

 表向きは驚くほど冷静にブラックジャックが鬼太郎へと探りを入れていく。彼が千代女から手を引けといった瞬間、彼女がこれまでの前例にないほど苦しい発作を起こした。

 そこに何かしらの結びつきを感じ、鬼太郎へと疑いの目を向ける。

 

「いえ……ですが、ボクが思っている以上に……呪いは彼女の身をこれまで以上に蝕んでる……」

 

 だが、鬼太郎もこれは想定外の出来事であると。それまでほとんど感情を見せなかった彼の顔にも戸惑いが浮かんでいた。

 

「最後の一人だからかもしれません。次に続くものがいないと……呪いは本気で彼女を追い詰めていくつもりなのかも……」

 

 鬼太郎曰く、もはや望月家の人間が千代女一人だけだからだろうと。

 次に繋がるものがいないから。未だかつてないほどに『呪い』は彼女を本気で苦しめているのだと予想する。

 

 本来であれば、この病気は何十年と時間を掛けてその対象を苦しめていくものだ。

 もはや母親のケースも当てにはならない。病気は——呪いは新しい形となって、患者の生命を刻一刻と削り取っている。

 

「呪いか……未だに信じ難いが…………」

 

 ブラックジャックはこの『病気』を『呪い』と表現することに、やはり抵抗感を抱いている。だが鬼太郎が言っていたように、目を背けているようでは治せるものも治せない。

 

「何か知っていることがあるのなら教えてくれ……頼む」

 

 いったい、どのような心境の変化か。ブラックジャックは鬼太郎にこの呪いの正体について教えてほしいと頭を下げていた。

 あくまで医師として、この病気と向き合うために——

 

 

「………伊吹大明神」

「…………?」

 

 

 頭を下げるブラックジャックを見つめながら、鬼太郎はその名を口にした。

 

「伊吹大明神……その分霊を祀るとされる神社が、彼女の実家近くにあります……」

「…………」

 

 病気とはまるで関係のない、いったい何の話かも分からない鬼太郎の言葉。

 しかし、彼が出鱈目を口にしているとも思えず、ブラックジャックは静かにその話に聞き耳を立てていく。

 

「そこを訪れて見てください。そこで知ることが出来る筈ですから、彼女の祖先が犯した……罪について」

 

 そう言い残すや、鬼太郎はその場から霞の如く姿を消していく。

 待合室で一人佇む、ブラックジャック。

 

 

「伊吹……伊吹、大明神……」

 

 

 鬼太郎の口にしたその名を——とある『神様』の名前を繰り返し、繰り返し呟いていく。

 

 

 

×

 

 

 

 滋賀県と岐阜県の県境にある、伊吹山地。

 その御山の中でも最高峰の高さを誇るとされる、伊吹山。

 

 その山の麓には『伊夫岐(いぶき)神社』と呼ばれる神社が古き時代より鎮座していた。

 その神社は霊峰と名高い伊吹山におられる神を、御祭神として祀っているとされている。

 

 その名も——『伊吹大明神(いぶきだいみょうじん)』。

 

 地元では山の神、あるいは水の神として崇められ、付近を流れる姉川の水を全て掌握しているともされている。

 

 しかし、その神には荒ぶる別側面。

 それが如何なる存在かを、日本中の人々に理解させる別名が存在していた。荒ぶる神、日本最古の大妖怪としての別名。

 

 

 その名も——『八岐大蛇(やまたのおろち)』。

 

 

 一つの胴に八つの頭、八つの尾を持つとされる、山ほどの大きさを持つとされる大蛇。

 日本神話において、破壊と暴虐の限りを尽くしたとされる大怪物。『一人の英雄と一匹の白い犬』に退治されて尚、『分霊』となってさまざまな形でさらなる厄災を撒き散らしたとされる存在。

 

 

 その八岐大蛇こそが——伊吹大明神。

 

 

 即ち、望月千代女という少女を苦しめている元凶なのだ。

 

 

 

 

 

「……ここが、鬼太郎の言っていた神社か……」

 

 早朝、ブラックジャックは鬼太郎の言っていた通り、千代女の実家近くにある神社を訪れていた。

 

 午前中は千代女の容態も比較的安定していることもあり、ブラックジャックも病院から離れることが出来た。

 やはり朝は、日が差している間はあの『大蛇』も千代女に大した悪さが出来ないらしい。

 

「…………」

 

 ブラックジャックはここへ来ることに複雑な心境を抱きながらも、神社の境内へと足を踏み入れていく。

 

 神社そのものはだいぶ寂れていた。もう人が寄りつくこともないのか、人気もほとんどない。

 

「これはこれは、こんな寂れた場所まで……何の御用でしょうかな?」

 

 だが幸運なことに、その神社にも神主はいた。

 かなりの高齢だが、今は彼が一人でこの神社を管理しているらしい。アポイントもなしに訪れたブラックジャックに物珍しげな視線を向けつつ、怪しい風貌の彼を参拝客として受け入れてくれる。

 

「この神社は……伊吹大明神を祀っていると聞きました。何故、東京の片田舎に……そのような神社が?」

 

 ブラックジャックは神主にその話題を振る。

 鬼太郎はこの神社が伊吹大明神の分霊を祀る、分社であると言っていた。だが何故、こんな伊吹山と関連がなさそうなところに、そのような神社が建てられているのか。

 その理由に合点がいかず、話の取っ掛かりとしてそのことについて尋ねる。

 

「…………なるほど。ではどうぞ……奥の方でお話ししましょう」

 

 すると、その問いに何か勘付いたのか。

 込み入った話になると、神主はブラックジャックを本殿の奥へと招いていく。

 

 

 

 

 

 結論から述べるのであれば——この神社は『伊吹大明神の怒りを鎮める』ため、建立されたものだという。

 

 

 

 

 

 遠い昔、近江(おうみ)甲賀(こうが)の国主に三郎という男がいた。

 三郎はある日、伊吹山の地底へと落ち、そこに広がっていた地底世界を彷徨うことになる。

 

 長い彷徨の果て、何とか地上へと戻ることができた三郎だが、彼はその身に『呪』を帯びていた。神々の領域を犯した罰として、彼は『蛇』と成る呪いを伊吹大明神より授けられてしまったのだ。

 

 三郎自身はそのまま神になったり、あるいは人間に戻るなど。地方によって結末が違う物語が方々で語られているが——その伝説には続きがあった。

 

 三郎の死後、その呪いは姿形を変え——彼の子孫にまで、引き継がれていくようになったというのだ。

 

 三郎の子孫。その家系こそが、望月家——つまり、千代女の一族なのである。

 三郎が亡くなった後も、必ず一世代に一人。この呪いを受け継ぐものが生まれるようになり、血族のものたちを病のような形で苦しめるようになったのだ。

 

「この神社を管理していたのも……元々は望月家の人たちなんですよ……」

「…………」

 

 本殿の奥で、神主はブラックジャック相手にさらに言葉を綴っていく。

 

 この神社はこの地に移り住んだ望月家の人々が、伊吹大明神の呪いを何としてでも鎮めたいと建立したものなのだという。

 遠い先祖の罪を許してくれと神に祈りを捧げ、許しを請い。

 

 いつの日か、呪いから解放されることを願って。

 その身を捧げるように懇願し続ける儀式の場こそが——ブラックジャックたちが今いる、この本殿でもあったのだ。

 

「けれどね……それを覚えている人は……もう、誰もいなくなってしまったよ……」

 

 されども、その罪が許されることはなく。

 あまりに途方もない時代の流れの中、祈ることすらも忘れてしまった望月家の人々。

 

 彼らの身にはただ呪いだけが残ってしまったのだと、神主は悲しむように——

 

 あるいは、諦めるような嘆きを口にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 神主の話を聞き終え、ブラックジャックは一人本殿の外へと。

 彼がとぼとぼと歩いていると、その向かい側からゲゲゲの鬼太郎が声を掛けてきた。

 

「何十年も昔のことです。ボクはここであの神主から今の話を聞き……呪いのことを知りました」

 

 鬼太郎は語る。彼自身も過去、この神社に訪れて『呪い』のことを知った身だと。

 

 と言うのも、元々は鬼太郎も『望月家に取り憑いている大蛇の怨念を鎮めて欲しい』と、先ほどの神主からの依頼を受け、この地に足を運んだとか。

 一応は神主の頼みを引き受ける形で、一度はあの大蛇の影と接触した鬼太郎。人知れずあれと交渉し、何とか望月家の人間を許してくれるように口添えしたという。

 

「けれど、大蛇はボクの言葉に聞く耳を持ってくれません……しかもあれは実体のない、所詮は影に過ぎません」

 

 だが、大蛇は鬼太郎の言葉になどまるで聞く耳を持たず。力づくで追い払おうにもあの影は水面に映った月のようなものであり、あれを攻撃したところで全く意味がなかった。

 

「それに……伊吹大明神の言い分を無視するわけにもいきませんから」

 

 さらに言ってしまえば、鬼太郎には大蛇——伊吹大明神側の言い分に頷けてしまう部分があった。

 

 伊吹大明神が三郎へ、その子々孫々にまで呪いという罰を下したこと。

 それは住処を荒らされた大蛇からしてみれば当然の報復であり、三郎は勿論、望月家の人間たちもその咎を背負わなければならないというのだ。

 

「……ふざけたことを言うじゃないか……!!」

 

 しかし、その言い分にブラックジャックが反論する。

 

「もう数百年も昔の話だろう!? そんな遠い先祖の責めを……何故、現代に生きる人間が負わなければならないんだ!?」

 

 数百年も前の先祖など、それこそ赤の他人のようなものだ。 

 親が罪を犯したからといって、子にまでその責任を負わせるのは間違っていると。現代の人間の価値観からすればそれは道理が通らない。

 ブラックジャックは怒りを抑えきれずに叫ぶ。

 

「残念ですが、それは人間の価値観です」

 

 だが、それに鬼太郎は冷静に言い返す。

 

「伊吹大明神からすれば、つい昨日のことも同然なんです。その程度の年月で……到底償い切れるものじゃない」

 

 悠久な時を生きる、神にも近しい魔性からすれば数百年程度は刹那の時間に等しい。その程度の時間で恨みなど晴れるわけもなく、大蛇は未だに怒りの炎でその身を焦がし続けているという。

 

「ふっ……神様ってやつは随分と了見が狭いんだな……」

 

 そういった伊吹大明神の在りようを、ブラックジャックは器が小さいとばかりに鼻で笑った。

 

「悪いが……私はキミのように納得も出来ないし……諦めるつもりもない!」

 

 そんなふざけた言い分など認められるかとばかりに吐き捨て、急ぎ足でその場から立ち去ろうとする。

 逃げるのではない、戦うために。患者が待っている古賀医院へと戻ろうとする。

 

「どうして、そこまでして……これ以上は貴方の身にも危険が及ぶかもしれないんですよ?」

 

 そんなブラックジャックの姿勢に鬼太郎は疑問を投げ掛ける。

 

 何故、この人間はここまで必死になるのだろう。確かに彼の職業は医者だ。病気を治し、人の命を救うことが医師の本文だと言えよう。

 だが、それだって限度というものがある筈。いくらお金を積まれようとも治せない病気というものもある。

 これ以上首を突っ込めば、彼までも伊吹大明神の怒りを買うことになるかもしれないのだ。

 

 ブラックジャックに、そこまでして望月千代女を救う理由などない筈だと。

 少なくとも、そのときの鬼太郎はそのような考えを抱く。

 

 

 しかし——

 

 

「危険がどうした? 患者と向き合うとき、私はいつだって命懸けさ……」

 

 ブラックジャックは毅然と言ってのける。

 

 他の医者がどうかは知らない。だが少なくとも、ブラックジャックという男はいつだって命懸けで患者の治療にあたっている。

 己の命を賭けるからこそ、患者にも同じような『覚悟』を求める。高額な手術代を請求するのもその一環だし、何より——望月千代女には、生きたいと強く願う『意志』があった。

 

「彼女は私に……祈るように懇願していた」

 

 それは昨夜の発作の際、千代女がブラックジャックにだけ聞こえる声で呟いたときだ。

 小さな声であったが、確かにその声はブラックジャックの元へと届いた。

 

 

『——助けて』

 

 

 そう、彼女は助けを求めていた。

 自分をこの苦しみから解放してくれと——『生きたい』と、強く願っていたのだ。

 

「妖怪やら神様なんて存在からすれば……人間の足掻きなど取るに足らない、ちっぽけなものなんだろうさ……」

「…………」

 

 喧嘩を売るように、ブラックジャックは鬼太郎へ鋭い眼光を飛ばす。

 鬼太郎は何も答えない。ただ静かにブラックジャックを見つめ返している。

 

「だがそれでも! 彼女は生きようと……生きたいと強く願っている!!」

「…………」

 

 ブラックジャックの叫びは徐々に熱を帯びていく。

 その間も、鬼太郎は口を挟めずにいる。

 

「私は人間だ……神様なんかのように……人の生き死にを自身の都合で左右できるほど器用じゃない」

 

 神の手などと持て囃されるブラックジャックの外科的手腕。だが、彼は本物の神様じゃない。

 己の意志一つで人の生死を決定できるような神様なんてものに比べれば、その腕ですくいとれる命にも限界がある。

 

 

 だがそれでも——

 

 

「医者である私が真っ先に諦めてどうする? 彼女の覚悟に応えないでどうする!?」

 

 ブラックジャックの瞳の奥には、燃えるような闘志が激っていた。

 目の前で苦しんでいる命を救う、その胸に秘めた情熱が彼を突き動かす。

 

 

「諦めるわけには、いかないんだよ……!」

「………………」

 

 

 最後まで、ブラックジャックの叫びに鬼太郎が何かを言い返すことはなかった。

 しかし、ブラックジャックが鬼太郎の返答を待つ義理などなく。

 

 

 彼は患者の元へ——その命を救うべく向かっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——そうさ、救ってみせる。

 

 ——たとえ神様なんてものが相手であろうと、屈するわけにはいかない。

 

 

 

 ——負けるわけには……いかないんだ!

 

 

 




伊吹大明神

 伊吹大明神もとい、八岐大蛇。
 原作のfgo。英霊・望月千代女に取り憑いている呪いであり、彼女自身もこの呪を力の一端として行使している。
 今作においても、この伊吹大明神の『分霊』が千代女に取り憑き、彼女を苦しめています。
 ちなみに、今作において八岐大蛇本体は『一人の英雄と一匹の白い犬』によって退治されているという設定。
 いつかは……本当にいつかはこの伏線を回収する日が来るかもしれませんので、まあ気長にお待ちください。
 さらに言ってしまうと、八岐大蛇の『分霊候補』はまだいますので……どうかお楽しみに。

 次回でブラックジャックとのクロスオーバーは完結予定。 
 呪いなんてもの相手にどうやってブラックジャックは立ち向かっていくのか!!
 ……まあ、原作でも宇宙人やら、人面瘡やら、超能力腫瘍やらと向き合ってるし……特に問題にはなるまい。
 
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ブラック・ジャック 其の③

何かと巷を騒がせている『チョコボGP』買って来ました!

課金要素やストーリーの雑さなど。『チョコボレーシング』を期待して買った人ほど。これはちょっと……といった要素が多い今作。
しかし、レースゲームとしてはかなり面白い部類です。
自分は『マリオカート』をやらない人間なので、それと比べるとどうなるかという話は出来ませんが、普通に遊ぶ分に問題ない感じです。
無料版もあるので、とりあえず遊んでみても損はないかと。

さて、今回で『ブラックジャック』とのクロスオーバーが完結します。
手術描写や病気の解決策など、俄かな知識ですがなんとかそれっぽい雰囲気で纏めてみました。
今作はブラックジャックのOVA、その中のとあるエピソードを特に参考にさせてもらっています。

どうなることか……どうぞ最後までお楽しみ下さい。


「…………いったい、どうすれば……」

 

 古賀医院。ブラックジャックにあてがわれている個室。

 

 望月千代女という少女の身を蝕む病気の正体が——伊吹大明神。八岐大蛇とも呼ばれる怪物の『呪い』であることを知ったブラックジャック。

 本来であれば、呪いだの妖怪だの。そんな非科学的なことを認めたくはない彼だが、もはやこの事実を認めない限り一歩も先に進むことは出来ない。

 苦渋な決断ではあるものの、ブラックジャックはこれが『呪い』であることを再認識。

 

 それを踏まえた上で——この『呪いという名の病気』をどう治療すべきかと頭を悩ませている。

 

 ——心臓に異変が起きていることは明らかなんだ……。

 

 その際、ブラックジャックが着目したのは——心臓に異常をきたしているという事実だった。

 あらゆる検査で千代女の身体に『異常なし』という検査結果が出ている中、唯一心臓だけが何かしらの異変を抱えている。

 ならばその心臓をなんとか出来れば、というのがブラックジャックの結論である。

 

 ——……心臓移植を試みる他にはないが……その場合、やはり問題はドナーだな……。

 

 その場合、一番シンプルな解決策に『心臓移植』がある。心臓に問題があるのであれば、その心臓を換えてしまうという何とも分かりやすい結論。

 もっとも、そう単純にはいかないのがドナーの問題である。

 

 心臓は、一人の人間に一つだけというのが基本中の基本。心臓を移植するともなれば、その臓器提供者が『脳死』するのを待つしかない。

 今から望月千代女という人間に適合する心臓を持った人間が脳死し、臓器提供が可能な状態まで待つ。

 

 言うまでもなく、限りなく0に低い確率である。

 

 ——今の彼女には……それを待つ時間すら残されてはいまい。

 

 よしんば、都合よくそのような奇跡が起ころうとも、それを待っている時間すら今の千代女にはない。

 今までのケース、これまでの例をあげれば、それこそ数年単位で待つことも出来たかもしれない。

 

 だが、今や状況は一変した。

 

 呪いは新しい段階へと移行し、これまで以上に激しく千代女という少女の肉体を蝕んでいる。

 もはや一年、二年と悠長に待ってはいられない。早急に何とかする手段を確保しなければならない。

 

 ——……ここであれを使うか? 研究中の……人工心臓をっ!?

 

 ブラックジャックは一つの決断を迫られていた。

 今回の患者に彼が自作した——『人工心臓』を埋め込むべきかと。

 

 

 そう、人工心臓だ。

 ブラックジャックが密かに研究を続けているものの中には、人工的に作り出した心臓の試作品が存在している。

 

 

 これはブラックジャックの命の恩人であり、彼が唯一心から尊敬する医師——本間(ほんま)丈太郎(じょうたろう)

 彼が発見し、命名したとされる病気——本間血腫に対抗するため、ブラックジャックが研究を続けてきた代物だ。

 

 本間血腫とは心臓の左心室に血栓が発生し、除去しても除去しても再発するという原因不明の奇病である。世界でも二十件くらいしか実例が報告されておらず、その全ての患者が死亡しているという恐ろしい病である。

 本間丈太郎という男が医学科から追放されるきっかけともなった、ブラックジャックにとっても忌むべき病気である。

 いつの日か、その本間血腫に対抗するためにと。ブラックジャックはその人工心臓を秘密裏に準備していた。

 

 ——だが……私の研究も完全じゃない……。

 

 ——よしんば成功したとしても……患者の寿命は……。

 

 もっとも、ふと昔ならいざ知らず、現在の医療技術であれば人工心臓を使用した移植の実例はいくつか存在する。

 ブラックジャックの他にも実際に人工心臓を埋め込み——ほとんどの患者が数日、よくて数ヶ月という短い間に死亡したという結果まで出ている。

 

 ブラックジャックの人工心臓でも、おそらくもって一年といったところだろう。所詮は延命行為にしか過ぎない処置だ。

 

 ——……僅か一年、もって一年……。

 

 ——その一年のために手術するのか……それとも……。

 

 一年でも寿命を引き延ばすことを良しと、手術すべきか。そもそも、手術自体が成功したとしても本当に患者の苦しみがなくなるかも疑問だ。

 相手が『呪い』なんて得体の知れないものである以上、心臓を入れ替えたところでまた同じ症状が出るのではないかと。

 

 いずれにせよ、これはブラックジャック一人で判断を下せる問題ではない。

 患者本人である千代女、そしてその連れ合いとも呼ぶべき森時に話を通さなくてはならない。

 

 と、まさにブラックジャックがそのような考えを抱いていたときである。

 

「先生……ブラックジャック先生……今いいでしょうか?」

「……ん? 森時くんか……構わない、入りたまえ」

 

 ちょうど森時の方から、ブラックジャックの元を訪れてきた。ノックをする彼に部屋に入るよう促す。

 

 

 

「先生……彼女の様子が急変したと……古賀先生から聞きました……」

「…………」

 

 ブラックジャックと対面するや、森時は千代女の容態について問い掛けてくる。

 

 現在時刻は午後一時。本来であればこの時間、森時は大学の医学部で勉学に励んでいる筈だった。勉強を疎かにしないという家族との約束を守り続けることで、彼は千代女との仲を渋々ながらも家族に認められていた。

 だが、その状況も千代女の命があればこそ。彼女が危機に瀕していると聞き、いてもたってもいられず授業を抜け出してきたのだろう。

 

「先生!! 俺に出来ることなら何でもします!! お願いです! どうか……どうか彼女を助けて下さい!!」

 

 森時は必死になって頭を下げた。ブラックジャックに千代女の命を助けてくれるように懇願する。

 所詮は医大生に過ぎない彼では、それ以上出来ることがないのだと。自らの無力感を悔しがるように、血が滲むほどに唇を噛み締めている。

 

「……出来る限りのことはする……だが……」

 

 森時の懇願にブラックジャックは明確な答えを出せないでいる。

 必ず助けるという気持ちこそあれど、それを現実にするのは難しいと理解しているからだ。

 

「……森時くん……実はだが……」

 

 このとき、ブラックジャックは『千代女に人工心臓の移植する』という選択肢があることを森時に話そうとした。

 彼に話を通し、千代女にも話を通す。

 

 もしも二人がこの提案に『YES』と頷くようであれば、ブラックジャックもこの処置を患者に施していたかも知れない。

 

 

 しかし、そうはならなかった。

 

 

「……? ブラックジャック先生? それは……彼女の……検査データですか?」

「ん……? あ、ああ……そうだが……?」

 

 ブラックジャックが口を開きかけたとき、森時の方からとある疑問を投げ掛けられる。

 彼が指摘したのは机の上に並べられていた、大学病院で徹底的に調べた患者に関する検査データだ。

 あらゆる方面から採取したデータの数々。そのほとんどを未だ学生である森時は理解できなかっただろうが——。

 

「先生……そのレントゲン写真。彼女の心臓周り……何か、変な靄が写り込んでませんか?」

「……なんだって?」

 

 彼は千代女の胸部を写したとされるX線写真。壁に貼り付けられていたその写真の中に、何か『黒い靄』のようなものが写り込んでいると指摘してきたのだ。

 それも心臓周り、千代女の肉体に明確な異変が起きているとされる部分にである。

 

「……いや、そんな影など……どこにも映っては……」

 

 これにブラックジャックは頭を振る。

 もしも本当にそんなものが写り込んでいるのであれば、気が付かないわけがないのだ。だがまさかと思いつつも、念のため写真を見直していく。

 

 

 すると、どういうわけか。

 確かにレントゲン写真には黒い靄——『何か』が千代女の心臓にまるで巻き付いているかのように写り込んでいたのだ。

 

 

「そ、そんな馬鹿な!? さっきまでは何も……こんな見落としをするわけが……!!」

 

 ブラックジャックの瞳が驚愕に見開かれる。

 

 このX線写真は大学病院の検査ではなく、古賀医院の設備でも撮れるようなごくありきたりなものだ。古賀も定期検診などで何度も撮影しているであろう、ただのレントゲン写真。

 こんな靄がこれほど露骨に写り込んでいて、気が付かないわけがない。

 だと言うのにだ。森時に指摘されるその瞬間まで、誰もその靄を認知することが出来なかったという。

 

 

『——見ようとしない限り……そこから目を逸らし続ける限り……』

 

 

 ふいに、ゲゲゲの鬼太郎の言葉が脳裏を過ぎり、とある仮説をブラックジャックに抱かせる。

 

「……見ようとしない限り……彼が認識したことで見えるようになった……とでも言うのか?」

 

 馬鹿馬鹿しい話かもしれないが、今はそんな論理でさえも受け入れなければならないようだ。

 こうやって呪いの存在を信じたり、霊感などに頼ることで、今まで見えなかったものが明確になるというのであれば——

 

「ふふふ……はっはっはっはっ!!」

「ぶ、ブラックジャック先生? ど、どうしたんですか!?」

 

 ブラックジャックは込み上げてくる笑いを抑え込むことが出来ずにいた。いきなり笑い声を上げるブラックジャックに森時は若干引き気味だが、それを無視して彼は問い掛ける。

 

「はっはっは…………森時くん」

「は、はい!! な、何でしょうか……先生……」

 

 やや冗談混じりに、それでいて真剣な眼差しを向けながら——

 

 

 

「——キミは……人より霊感がある方かな?」

 

 

 

×

 

 

 

「しゅ、手術……ですと!? ほ、本気ですか……ブラックジャック先生!?」

 

 その日の夕暮れ時。ブラックジャックは主治医である古賀に『望月千代女の手術』を行う旨を報告していた。

 天才的なメス裁きを誇るブラックジャックが手術をする。それ即ち病気の原因である腫瘍、あるいはそれに類似する『何か』を突き止めたということなのか。

 本来であれば大変喜ばしいことと。病気快方への第一歩として受け止められていたことだろう。しかし——

 

「で、ですが……先生。このレントゲンにも……他の画像データにも……取り除くべき腫瘍の類があるようには見えないのですが……」

 

 古賀の反応は芳しいものではなかった。

 それもその筈、ブラックジャックが手術を行うと言った心臓周辺。そこには未だに何の異常も確認されていなかったからだ。

 ブラックジャックが森時の指摘で発見したと思った『黒い靄』も、霊感がほとんどないという古賀の目では視認することも出来ない。

 

 それはブラックジャックも同様だった。

 

 先ほど、確かに確認したと思った黒い靄。ところが今はそんなもの、写真のどこにも映っていない。

 影も形も見えなくなってしまった『靄』。もしかしたら見間違いではないかと、少し前までのブラックジャックであればそう思い込むことにしただろう。

 

「……分かっています。もしかしたら徒労に終わるかもしれません……それでも、今はこれに賭けるしかありません」

 

 だが、ブラックジャックの『直感』はここだと告げている。

 医者としてそんなものに頼るのも我ながらどうかしていると思ったが、それでもここにこの病の——呪いの根源たる何かが潜んでいる可能性が高いと。

 ブラックジャックはこれを一種の賭けとし、狙いを心臓へと絞っていく。

 

「か、賭けですと!? 千代ちゃんの……患者の命を賭けるなんて……そんなことは!!」

 

 ブラックジャックの発言に、これまで温厚な態度を貫いてきた古賀が怒りを露わにする。

 患者の命を賭ける。真っ当な倫理観からすれば、決して見過ごしていい考え方ではないのかもしれない。

 

 しかし、これにブラックジャックは反論する。

 

「この世に100%成功する手術なんてありませんよ。どんな手術であろうとも……常に命の危険が伴うものです!」

 

 そう、天才と謳われるブラックジャックであろうと——患者が絶対に助かるとは保証はできない。

 どんなに難しい手術であろうと、どれだけ簡単な手術であろうとも。些細なミス一つが命取りになる。思わぬアクシデント一つで全てが台無しになってしまう。

 

 それが、外科手術というやつの恐ろしさだ。

 人の身体を開き、そこにメスを入れるのだ。その行為そのものが賭けに等しいといえる。

 

「それでも……数%でも可能性があるのなら……それに賭けるしかないんですよ!!」

 

 それでも、それがどんなに分の悪い賭けだとしても。この世の摂理に反する愚かな延命措置だとしてもやるしかないのだ。

 このまま放っておいても、千代女の病気が勝手に治ったりはしない。どこかの誰かが助けてくれるわけでもない。

 

 ならば、僅かでも光明が見えたのなら、そこに賭けるしかない。

 患者の命と自身の命を——共に賭ける思いでブラックジャックはメスを握る。

 

「!!…………分かりました。では、今すぐ手術の準備を……」

 

 ブラックジャックの覚悟のほどが伝わったのか、古賀も力強く頷く。今まで通り協力する姿勢を示し、急いで手術の準備を始めようと動き出す。

 

「いえ……手術は明朝、夜が明けてから行います」

 

 だが、急ぐ古賀にブラックジャックは待ったをかける。

 

「手術中に発作が起きるのは避けたい。手術はリスクの低い、朝一に行いたいと思っています……」

「た、確かに……それもそうですね」

 

 夕方から深夜にかけて起こることが多いという千代女の発作。少しでもリスクを避けるために、手術は発作が起こることがないだろう朝の時間帯で行う。

 これ自体は至極当然の提案であり、古賀も納得している。

 

 しかし、ブラックジャックの更なる提案にはさすがに目を丸くする。

 

「執刀は私が……助手役は彼に……森時くんに努めてもらおうと思っています」

「な、なんですと! そ、それはまたどうして……!?」

 

 執刀医は——ブラックジャック。そして手術のアシスタントとして——なんと森時を指名したのである。

 医大生になったばかりで、まだまともに患者の治療なども体験したことがないであろう、医者の卵に手伝いをさせると言う。

 

 これには当然、古賀が何故と疑問をぶつける。しかしブラックジャックはその疑問に対する明確な答えを、上手く言語化することが出来ないでいる。

 

「彼が私たちの中で……そう、一番……そういったものを『見る』ことができるでしょうから……」

「…………?」

 

 先ほども冗談混じりに『霊感があるか?』などと森時に聞いてみたが。

 

 実際に、彼は子供の頃からそういった——『見えないものが見える』ような人間だったらしい。

 

 誰にも気付くことが出来なかった、レントゲン写真の異常を最初に発見したのも森時だ。

 彼が手術に立ち合い、実際に千代女の心臓を『見る』ことで、何かしらの発見があるかもしれないと。不思議とブラックジャックはそのような考えを抱くようになっていた。

 

「古賀先生は朝までの間、千代女くんの容態を……バイタルを常にチェックするようにお願いします」

  

 無論、古賀という医師を蔑ろにするわけではない。手術前の夜の間にこそ、危険な発作の時間帯がやって来る。それを乗り切るためにも古賀の協力は必要不可欠。

 しかし、彼のような『見えない人間』——身も蓋もない言い方だが、霊感がない人間が一緒だと見えるものも見えなくなってしまうかもしれないと。

 不本意だと思うが、今回の手術に古賀を立ち会わせるわけにはいかなくなった。

 

「とにかく! 今夜が山場です。今夜を凌ぎ切れば……活路を見出すことが出来るかもしれません」

 

 いずれにせよだ。

 これから朝に掛けてまでが勝負の時。今宵を乗り切り、朝一番の手術まで繋ぎ——肝心の病気の原因たる『何か』を『見つける』ことが出来れば、この病を治すことが出来るかもしれないと。

 

 

 本当に綱渡りな治療だが、それでも今はこの方法を試すしかないとブラックジャックは決断を下す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うっ!」

 

 しかし、そうは問屋が卸さないとばかりに。

 その夜、呪いはかつてないほどに激しく望月千代女という患者を苦しめていった。

 

「はぁはぁっ!! あ、あああああああ!!」

 

 まるで呪い側からの反発。思い通りにさせるかとばかりに、繰り返される発作が絶え間なく彼女に襲い掛かっていく。

 

「ち、千代ちゃん!! し、しっかり!!」

「鎮静剤の投与!! 急いで!!」

 

 これには古賀も、ブラックジャックも焦りを見せていた。

 千代女の状態を常にチェックしながら、必要に応じて鎮静剤を連続投与。かなり無茶な処置を行わなければならなかった。

 

「はぁはぁ……あ、ああああ!!」

 

 千代女自身もかなりの苦痛を強いられ、体力を著しく消耗していく。こんな状態では手術など勿論出来ないし、朝方に行う予定の手術にも耐えられるか分からない。

 

 肉体的にも、精神的にも追い詰めらていく望月千代女という少女。

 

 

 けれども——

 

 

「——大丈夫だよ……千代ちゃん」

 

 彼女の側には彼が——森時が付き添っていた。

 

 いつもであれば、千代女の生家で彼女の帰る場所を守っている彼だったが、今回の手術に立ち会うことになったため、今日は古賀医院に泊まり込んでいる。

 千代女の側に寄り添い、その手を力強く握っている。少しでも彼女の力になろうと、その耳元で優しく囁いていく。

 

 

「俺が付いてる。絶対に治るから! だから……だから頑張ろう、千代ちゃん!!」

 

 

 大切な人からの、愛しい人からの励ましに——

 

 

「……う、うん……!!」

 

 

 苦しみに喘ぎながらも、千代女の顔に笑顔が灯っていく。

 

 

 結局のところ、患者にとっての一番の特効薬は大切な人からの声援だ。

 こればかりは、どんな名医にも処方できない。

 

 愛しい人が側にいるから、一緒に戦ってくれる人がいるから耐えられる。

 

 気持ち的にも何とか持ち直し、千代女はその夜を無事に乗り越えていく。

 

 

 

 

 

 そうして——

 

「…………すぅ……すぅ……」

 

 発作の波も収まり、何とか千代女にも心休まる時間が訪れた。

 睡眠を取り、いくばくかの体力を回復。その間にも時間は経過し——朝日が昇っていく。

 

「……時間だ」

「……はい」

 

 日が昇り始めたそのときこそ、彼らが待ち望んでいた瞬間だった。

 

 ブラックジャックと森時。

 意を決した二人が手術着に袖を通していく。

 

 

 ようやくだ。

 ようやく、ブラックジャックの土俵である——外科手術まで、持ち込むことが出来たのである。

 

 

 

×

 

 

 

 古賀医院にも小さいながら手術室があったことが幸運であった。

 勿論、最新機器などが揃った大学病院などとは比べるべくもないが、その程度であればブラックジャックにとって大したハンディにはならない。

 なにせ、彼は自前の医療器具を常に持ち歩いているくらいだ。どんな場所、どんな状況であろうと。彼が患者の前に立てば——そこが手術室、医師である彼にとっての戦場へと早変わりする。

 

「——では、これより患者のオペを執り行う」

「——は、はい……よろしくお願いします……」

 

 だがブラックジャックにとっては慣れたものでも、森時にとっては初めての体験。おまけにその初めての患者が誰よりも大切な人。

 麻酔で穏やかに眠っている千代女を前に、どうあっても緊張を抑え切れない。

 

「ふっ……そう緊張するな、森時くん」

 

 そんな森時の心情を察し、ブラックジャックがやんわりと声を掛ける。

 

「手順に関しては前もってレクチャーした通りだ。キミは私の指示通りに動けばいい」

 

 既に手術を執り行う数時間前から。ブラックジャックと森時は今回の手術に関するシュミレートを入念に行なっている。

 使用する器具、患者に行う施術の手順、測定器のモニターの仕方など。全て一から教え込んでいる。

 

「それに……手術そのものはそう難しいものにはならない筈だ……」

 

 さらに言ってしまえば今回の手術自体、そこまで複雑な手順を必要とはしていない。

 今回の手術、ブラックジャックは望月千代女の胸部を切開。心臓までの道のりをメスで切り開いていく。

 

 そして、心臓部へと到達した後。千代女を苦しめているであろう——『それ』を見つけ出す。

 そう、レントゲン写真にも映り込んでいた例の『黒い靄』。あれを森時が視認することが出来れば、あるいはブラックジャックにもそれを『見る』ことが出来るかもしれない。

 

「そこから先は……私の仕事だ。発見し、見つけ次第……私がそいつを切除する」

 

 呪いだろうと、何だろうと。形があるものであればブラックジャックはそれを切除して見せると、外科医としての意地を見せるつもりだ。

 

「け、けど先生……本当にそんな、呪いなんてものが……」

 

 そういった手順を、打ち合わせの段階でブラックジャックは森時に話していた。

 必然的にも呪いの存在、それが伊吹大明神——八岐大蛇に関わるものだとも。ブラックジャックが神主や鬼太郎から聞かされたものと同様の話を、森時にも伝えていたのだ。

 

 やはり森時も困惑気味ではあった。

 人より『見える』体質であるとはいえ、彼自身が強く妖怪やら幽霊やらを信仰しているわけではない。彼が不安を抱くのも当然である。

 

 しかし——それでは駄目だと。ブラックジャックは森時に言い聞かせる。

 

「森時くん、キミが疑いを持っては駄目だ」

「えっ……?」

「キミが見ることで、確信することできっと『ヤツ』も姿を現す……」

 

 無茶なことを言っている自覚はある。だか、これは森時にしか出来ないことだとブラックジャックは考える。

 

 というのも、ブラックジャック自身が未だに『そういったものの存在』を完全に信じ切れていない部分があった。

 もともと非科学的なことに否定的な性分であったため、頭で理解していても気持ちの部分で未だに納得し切れていないのだ。

 

 きっと自分一人ではその存在を捉えることは難しいだろう。霊的なものを信じるという部分では、いつになく弱気なブラックジャック。

 

「信じろ!! これはキミにしか出来ない……そう、信じるんだ」

 

 だからこそ、森時に頼るしかなかった。

 少しでも見える可能性のある彼が、その存在を信じることで見えるようになれると。何度も何度も強く言い聞かせていく。

 

 千代女を苦しめている存在を、信じなければならないというのも大分皮肉ではある。だが——

 

「俺にしか出来ない……分かりました。初めてください」

 

 自分に出来る、自分にしか出来ないことで千代女を救えるというのであれば——森時はそれを強く信じ切ることが出来るだろう。

 

「……よし。胸部切開……開始」

 

 森時の覚悟が定まったことで、ブラックジャックも準備が整った。

 

 いざ——患者の身体にメスを入れていく。

 

 

 

 

 

 この作戦が功を奏したかどうか。それとも、何も見つからないまま全てが徒労で終わることになるのか。

 いずれにせよ、それは結果のみで判断される。そこに至るまでの過程は、この際問題とはならない。

 

「——汗」

「——はい……」

「——バイタルは?」

「——安定しています」

 

 千代女が助かったという結果さえもぎ取れれば、何者の仕業だろうと構うものかと。ブラックジャックはいつも通りの手腕で的確に患者に必要な施術を施していく。

 

「凄い……」

 

 そこに一片の無駄もないことが、外科手術初経験の森時にも理解できてしまう。迷いのない動き、流れるような動作。問題の心臓へと到達するのに、十分と掛からなかっただろう。

 

「心臓部に到達……」

 

 そうして、ブラックジャックの手によって——患者の心臓が顕になる。

 ドクンドクンと、力強く脈を打っている心臓。その鼓動は望月千代女という少女が確かに生きているという証である。

 

 一見すると、その鼓動には何ら問題がないように見える。

 心臓周りにも、これといった異常をブラックジャックの視点からでは発見出来ない。

 

「どうだ……森時くん」

「…………」

 

 率直に森時からの視点を伺う。彼の瞳に千代女の心臓がどのように写っているのか。彼の反応が芳しくないところから、現時点で何にも見えていないことが明確である。

 

「……大丈夫です。俺は……信じる。千代ちゃんを……助けるためにも!」

 

 だが、そこですぐに諦めるようであればこんなところに立ってはいない。

 千代女を助けたい。その一心から、彼は呪いの存在をより一層強く意識していく。

 

 そこに『在る』と。必ず『見つける』と。

 

 精神を集中し、神経を研ぎ澄ましていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………っ!! ブラックジャック先生!」

 

 瞬間、森時の背筋に戦慄が走る。

 彼が『それ』の存在を感じ取った刹那、世界そのものが裏返っていく。

 

 先ほどまでただの手術室だったそこが、全く別の空間にでもなったかのような錯覚。

 

 目眩がする。気を抜けば倒れてしまいそうな寒気を感じ取りながら——森時はその存在をはっきりと視認していた。

 

「…………先生」

「……ああ……私にも見えているよ」

 

 森時がそれを認識したことがきっかけとなり、ブラックジャックの目にもそれがはっきりと見えた。

 まさに狙い通りの展開、ブラックジャックは賭けに勝ったともいえる。

 

 しかし——

 

「……なんだ……これは!? こんなものが……本当にっ!!」

 

 実際に目の当たりにしてみると、やはり困惑を隠し切れない。想定していた事態ではあったものの、そこでブラックジャックの手が動揺で止まってしまう。

 

 だが、これが現実だ。

 そいつは確かに千代女の体内にいた。見えないだけで、常にそこに潜んでいたのだ。

 

 

 この『心臓に巻き付いている小さな蛇』は——

 

 

「これが……呪いの正体!?」

「望月家を苦しめ続けた……元凶……!」

 

 ついに辿り着いた呪いの源泉。それは蛇としての形を成しており、千代女の心臓を締め上げるように蠢いていた。

 以前、逢魔ガ時に対面した『大蛇の影』とは違う。あれはあくまで蜃気楼のような幻影でしかなかったが、こちらの蛇には確かな質感、リアリティーのようなものが感じ取れるのだ。

 

 この蛇さえ、この蛇さえ切除出来れば——望月千代女を救うことができる。

 根拠こそなかったが、そう確信させるだけの存在感をその蛇は纏っていた。

 

 

 

「……っ!! これより、腫瘍の切除を行う……森時くん、もう一度メスをっ……」

「は、はい!!」

 

 暫し呆然としたものの、ブラックジャックはこの蛇を千代女の体内から取り出そうとメスを握る。さすがの彼もこの未知な腫瘍を前に緊張気味で、かなりの汗をかいている。

 

 しかし、動きそのものに迷いはない。

 慎重に、それでいて大胆に。ブラックジャックの一刀が——その蛇の体を切り裂く。

 

 

 次の瞬間——

 

 

『————————!?』

 

 

 蛇が声にならない悲鳴を上げる。

 自身の体が切り裂かれるという痛み。それがあまりに予想外の出来事だったのか。

 

 だが、すぐにでも反撃に出るべく。蛇は——千代女の体内から勢いよく這い出てきた。

 

「なにっ!?」

 

 飛び出してきた蛇は牙を剥き、自分を傷つけた相手であるブラックジャックへと襲い掛かる。その蛇の噛みつきを咄嗟に回避するブラックジャック。

 すると、飛び出してきた蛇はさらなる変化を見せつけ、人間たちを驚愕させる。

 

 蛇が、千代女の体内に収まるくらいに小さかった蛇が——徐々に肥大化していく。

 その大きさを人間よりもさらに巨大な質量へと変化させ——瞬く間に、ブラックジャックたちを見下ろすほどの巨体へと変貌を遂げたのだ。

 

『————————!!』

 

 巨大化した蛇が叫ぶ。

 その絶叫には憎しみや怒り、大蛇の持つ怨念が凝縮しているかのように感じられた。自分を傷つけたものへ、自分を晒しものにしたものへ。

 

 そして——自分の住処を荒らした、三郎の子孫。望月家への怨嗟に満ち満ちているようだ。

 

「くっ……森時くん!! 下がっていろ!!」

「ぶ、ブラックジャック先生!?」

 

 大蛇のプレッシャーを前に、ブラックジャックは何とか正気を保ちながら必死の抵抗を試みる。森時を下がらせ、未だ手術台で眠っている千代女を庇うように前へと躍り出る。

 こんな怪物を前にただの人間に出来ることなど限られているだろうが、ブラックジャックは手にしていたメスを投擲。何とかそれを、蛇の眼球部分へと命中させることに成功する。

 

『————————!?』

 

 急所へのダメージに若干だが怯みを見せる蛇。しかし、その程度は焼け石に水だ。もはや我慢の限界だとばかりに、蛇はその巨体での体当たりを敢行する。

 

「くっ!?」

 

 絶体絶命、千代女の命どころか自分の命すらも危うい状況。

 

 それでも、ブラックジャックは逃げることだけはしなかった。

 

 最後のその瞬間まで、彼が患者を見捨てて逃げるようなことはなく——

 

 

 

 

 

「——髪の毛針」

 

 その意気に応えるかのように、『彼』もその姿を現す。

 

『————!?』

 

 突然の奇襲。無数の針が大蛇へと襲い掛かり、蛇の巨体を除けさせる。大蛇が怯んだその隙に、攻撃を仕掛けた少年が——ゲゲゲの鬼太郎がブラックジャックたちを庇うように進み出てくる。

 

「鬼太郎っ!? 何故!?」

 

 ゲゲゲの鬼太郎を前に、ブラックジャックが戸惑い気味に叫ぶ。

 その叫びには『いつの間に手術室に入ってきたのか?』という純粋な疑問以上に、『何故自分たちを助けるのか?』という困惑が大半を占めていた。

 

 鬼太郎は大蛇の、伊吹大明神の言い分も分かると妖怪側の視点を語っていた。

 だからブラックジャックも、彼がとっくに人間など見捨てて、どこへなりとも去っていったと思っていた。

 

 だが、ゲゲゲの鬼太郎は千代女を、ブラックジャックたちを助けた。

 

「あれの相手はボクがします。貴方はその患者の処置を!」

「…………!!」

 

 そのまま、大蛇と本格的な戦闘に入るためにも鬼太郎は拳を振りかぶる。着ていたちゃんちゃんこを腕に纏わせ、そのまま蛇へと強烈なボディブローをぶち込んでいった。

 

『————!?』

 

 その一撃に悶絶し、大蛇は手術室の壁を壊しながら建物の外へと倒れ込んでいく。揺れる古賀医院、手術室を照らすライトがチカチカと点滅する。

 

「こっちだ、来い!」

 

 周囲にそれ以上の被害を出さないためにも、鬼太郎も建物の外へと飛び出した。大蛇を挑発するかのように、履いていた下駄を弾丸のように飛ばし、さらなる追撃を加えていく。

 

『————!!』

 

 畳み掛ける鬼太郎の連続攻撃に大蛇は憤慨したように吠える。すっかり頭に血が昇ったのか、標的を完全に鬼太郎へと切り替えていく。

 

 鬼太郎の挑発にまんまと乗せられる形で、彼らはブラックジャックたちの前から遠ざかっていく。

 

 

 

「な、何の音で……!! こ、これは!? い、いったい何が起きてっ!?」

「ブラックジャック先生!? あ、あの少年はいったい……!?」

 

 騒動を聞きつけ、外で待機していた古賀が手術室へと駆け込んでくる。実際に大蛇と鬼太郎との戦いを目撃した森時も、何が何だか分からない様子である。

 いったい何が起きているのか、二人がブラックジャックに問い掛けるのは当然。

 

「……!! 患者の容態は!?」

 

 しかしどのような状況であれ、何よりも優先されることがある。患者である望月千代女の生命維持だ。

 今の大蛇と鬼太郎とのぶつかり合いで、千代女の容態に致命的な不具合がないかどうかを確認するのが先であった。

 

「……っ!! だ、大丈夫です、バイタル……問題ありません!!」

「……ち、千代ちゃんは!? ぶ、無事なのですか?」

 

 森時も古賀もそれを瞬時に理解し、彼女の生体情報を映しているモニタをチェック。幸いにも、機器自体に故障や破損もなく、表示されている情報にも何ら異常は確認されない。

 千代女自身も麻酔で深い眠りに入ったままであり、その顔も心なしかどこか穏やかに見える。

 

「……術後処置に入る! 二十秒で準備!!」

 

 患者の体内にも、それ以上の何かが潜んでいる気配はなく。内臓にも損傷の類は見受けられない。ブラックジャックはこれを『腫瘍の摘出』が成功と判断。

 通常通りの術後処置に移行すると二人に指示を出す。

 

「は、はい……準備します!」

「わ、私も……手伝いましょう!!」

 

 森時も古賀も千代女の命こそを大事に思っており、説明など詳しくは求めなかった。

 慌ただしくも、患者の術後処置に入る一行。

 

「落ち着け……いつも通り……いつも通りだ……!」

 

 ブラックジャック自身も己に言い聞かせるよう呟き、心を落ち着かせていく。

 

 ここまできた以上、いつも通り最後までしっかりとこの手術を終わらせることが何よりも優先される。

 あの大蛇がどうなったか、鬼太郎がどうするつもりなのか。

 

 それを確かめにいくのは——この手術が終わってからでも遅くはないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここは……」

 

 ブラックジャックたちが千代女の手術を最後までやり遂げようとしていた頃。鬼太郎は例の神社——伊吹大明神を祀る分社の境内に立っていた。

 あの大蛇を人気がないところへと誘導しようとし、自然とその場所へと辿り着いていたのだ。

 

「…………」

『…………』

 

 伊吹大明神の怒りを鎮めるために建立された神社の境内で、怒れ狂う大蛇の呪いそのものと対峙する鬼太郎。相手の反応を窺いながらも、鬼太郎は大蛇に話しかけていく。

 

「もう十分だろ。もう彼女たちを許してやれ、伊吹大明神……」

 

 伊吹大明神の怒りを鬼太郎は理解している。だがそれもここまでだ。

 

 まさか、このような形であの医者が大蛇の呪いそのものを千代女の体内から切除しようと試み、そして成功するとは思ってもみなかった。

 人間の外科手術、そしてブラックジャックという男の信念を侮っていた。鬼太郎も、伊吹大明神もだ。

 だが、さすがに呪いの本体を相手に戦う術はなかっただろう。鬼太郎は影ながらブラックジャックたちの手術を見守っており、襲われるタイミングで彼らを助けるために飛び出していた。

 

「人間たちは十分苦しんだ……彼らなりに償いを済ませたんだ……この辺りで見逃してやれ」

 

 望月家の肩を持つわけではなかったが、結果的に呪いそのものが千代女の体から切り離された以上、ここが落としどころ。

 人間の味方でも、妖怪の味方でもない鬼太郎なりの仲裁案。この辺りが互いに妥協すべきラインだと大蛇へ言い聞かせていく。

 

 

『——まだだ、まだ終われぬ……』

 

 

 するとここに来て、大蛇が言葉を発した。

 ただの雄叫びでしか己の怒りを表現できていなかった呪いが、人語を介して己の恨みつらみを吐き捨てていく。

 

『決して赦されぬ……決して赦さぬ。人間どもめ……よくぞ我に……我の住処を!!』

 

 大蛇の恨みは未だ晴れない。

 望月家の祖先、三郎によって自らの住処を荒らされた伊吹大明神はいつまでも、いつまでもその事実を根に持ち続ける。

 きっと千代女が死に、望月家が断絶しようとも、その憎しみが消え去ることはないだろう。

 

 八岐大蛇という魔性であり、伊吹大明神という神でもある大蛇にとって、時間とは永遠にも等しいもの。

 何人、何十人と人間たちを呪い殺そうとも、きっとその憎しみが晴れることはない。

 

「そうか……お前の恨みはよく分かった……」

 

 永遠の憎悪。そんなものを抱え続けなければならない伊吹大明神の『在り方』に、鬼太郎は僅かに同情を込めた呟きを洩らす。

 しかし、そんな一方的な憎しみに、やはり人間たちは最後まで付き合うことは出来ないだろう。

 

 所詮『神』と『妖怪』と『人』といった、種族が異なるもの同士は分かり合えないのだろうと。そんな虚しさをゲゲゲの鬼太郎は胸の内に抱えながら。

 

 この場においては——人間側の肩を持つべく、鬼太郎は呪いを打ち倒すという決断を下す。

 

 

「——指鉄砲」

 

 

 無造作に放たれる鬼太郎の妖気弾。伊吹大明神の呪いとはいえ、あくまでも分霊に過ぎない蛇にそれを阻止する術はなく。

 

 

『赦さぬ!! 赦され——』

 

 

 光の奔流に呑まれながらも、最後まで赦しを口にすることなく。

 

 

 呪いは——憎悪を抱え込みながらこの世から消滅していく。

 

 

 

「…………」

 

 こうして、呪いは倒された。

 数百年にも渡る望月家と伊吹大明神の因縁に終止符が打たれた。

 

 これでもう、千代女の命が脅かされることはない。

 愛しい人と、血族の歴史をもう一度新しく築くことができるだろう。

 

 

 

 だが、大蛇にとどめを差した鬼太郎の表情に笑顔はなかった。

 

 

 

×

 

 

 

「……本当に……信じられません! こんな日が、来ることになるなんて!!」

 

 澄み渡った青空に、病魔から解放された望月千代女の眩い笑顔がよく映える。

 何者にも束縛されることなく、発作の恐怖に怯えることのない日常。どれほどこの日が来ることを、望月家の人間が待ち望んでいたことか。

 

「……もう大丈夫そうだな。その様子を見る限り……」

 

 あの激動の手術から一週間。

 前例がない病状のため、念のためにと患者の経過観察で古賀医院に滞在していたブラックジャック。しかし、彼の心配は杞憂となった。

 

 もはや発作が起こる兆候は皆無。千代女の身体中にあったあの痣も綺麗さっぱり消えている。やはり体内に潜んでいたあの蛇こそが全ての元凶であり、呪いの根源だったようだ。

 

 それを切除した今、千代女を苦しめるものなど、この世のどこにも存在しないのであった。

 

「本当に……何と感謝したらいいか……!!」

「ありがとうございます!! ブラックジャック先生!!」

 

 これには古賀医師も森時も感激の涙を目に浮かべた。古賀医師にとっては、千代女の母親の代から何十年と戦い続けた病気。森時にとっても、愛しい人を苦しめ続ける忌むべき病だった。

 彼らがブラックジャックに感謝するのは当然、喜びもひとしおだろう。

 

「そこまで……礼を言われるようなことではないさ……」

 

 しかし礼を言われた当の本人、ブラックジャック自身がそれほど嬉しそうではなかった。

 

 結果的に患者が助かったとはいえ、今回の一件は彼にとってあまりに現実離れしすぎた。呪いやら、妖怪やらの存在を前提とした治療。正直、医者としての自信を喪失しそうな案件でもあった。

 

「……私に出来ることなど……それこそ何もなかったのだからね……」

 

 おまけに、ブラックジャックに出来たことなどそれほど多くはない。

 

 千代女を苦しめていた『呪いの源』も、森時が認識することでようやく視認することが出来た。もっと言えば、彼があのレントゲン写真の異常に気が付かなければ、そもそもあのような形で手術をしようとも思わなかった。

 ブラックジャックのおかげではない。森時がいてくれたからこそ、千代女は病気を治すことが出来たと言えるだろう。

 

「ですが……それで手術料がいらないというのは……」

 

 そういったこともあってか、ブラックジャックは森時たちに今回の報酬を一銭も求めなかった。

 

 本来であれば二千万という、法外な治療費を請求していたのだが、ブラックジャックはその金を『支払う必要はない』と自分から断った。

 自分が救ったわけではない患者の治療費を受け取るなど、それこそ彼のプライドに反するというのだ。

 

「……そうだな。もしもキミが……その感謝を謝礼として伝えたい相手がいるなら……」

 

 もしも、もしもその金を受け取る権利があるものがいるとすれば。

 それは森時自身か、もしくは——あの少年だろう。

 

「その金は……妖怪ポストにでも送りつけてやるといい」

「はっ……? よ、妖怪……ポスト……?」

 

 もう一人の功労者、ゲゲゲの鬼太郎。

 彼があのとき助けてくれなければ、千代女どころかブラックジャックも危なかったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、特に名残惜しむ必要もなく、ブラックジャックは古賀医院を後にしていく。

 

 患者の治療が終わった今、彼があれ以上あそこに留まっている必要もなくなった。健康な人間に医者の手など必要ない。ここから先の人生、あの二人がどのように生き、どのような苦難を共に乗り越えていくのか。

 それはブラックジャックには与り知らぬことであり、病気が再発でもしない限り、彼が今回の患者のことを深く思い返すことはないだろう。

 

「………ん?」

 

 しかしブラックジャックが古賀医院から、その田舎町から立ち去ろうと、寂れたバス停でバスが来るのを待っていたところ。

 

 そこには既に先客が——ゲゲゲの鬼太郎が立っていた。

 

「…………」

 

 相変わらず何を考えているか分からない無表情な顔。出会って当初はその仏頂面に嫌なイメージを抱いていたが、色々あった今となっては、その無愛想な顔つきにもだいぶ違った印象を抱くようになる。

 

「……今回はキミに助けられたな……感謝するよ」

 

 ブラックジャックは小さく笑みを浮かべながら、鬼太郎へ礼を述べていく。

 

 あの大蛇、あれからブラックジャックたちのところに戻ってくることもなければ、千代女の症状が繰り返されることもなかった。

 きっとゲゲゲの鬼太郎があれを倒してくれたのだろうと、感謝するばかりだ。

 

「いえ……」

 

 だが、ブラックジャックの感謝に対し、鬼太郎はどこか気まずそうに視線を逸らした。

 

「……本当なら諦めていましたから。望月家の人間を救うことを……」

 

 ブラックジャックとは違い、鬼太郎は途中で諦めた者だ。妖怪側の立場も理解できると言い訳し、人間側から求められた助けを、一度は振り払った立場だ。

 そんな自分が今更お礼の言葉を受け取るなど、厚かましいのではと鬼太郎は謙遜している。

 

「けど貴方は……貴方たちは最後まで諦めなかった。今回は……そんな貴方がたの手助けをしたまでのことです」

 

 鬼太郎が助太刀したのは、ブラックジャックの諦めない決意に敬意を表したまでのこと。

 彼が最後まで患者と向き合い、命を諦めなかったからこそ、鬼太郎も彼らを助けようと動いたまでのことだった。

 

「それでも構わないさ。キミが彼女を……私たちを救ってくれたことは確かなのだから」

 

 けれど、そんな鬼太郎の複雑な感情などはブラックジャックには関係ない。

 

 自分たちは鬼太郎に助けられた。それが事実であり真実だ。だからこそ、ブラックジャックにはこの『借り』をそのままにしておくことが出来なかった。

 

「……この借りはいずれ返す。もしも何か病気にでもなったら、私の元を訪れてくれ。そのときは特別にタダで診てやろう」

 

 本来であれば一千万、二千万と大金を請求するであろうブラックジャックの治療費。しかし鬼太郎への借りを返すためなら、タダ働きもやぶさかではないと言ってのける。

 

「お言葉はありがたいのですが……ボクたちのような妖怪が人間の医者の世話になることはないと思いますよ?」

 

 もっとも、人間と妖怪では体の仕組み、怪我や病気などの在りようも違う。

 妖怪には妖怪専門の医者もいるため、鬼太郎たちがブラックジャックの世話になることはないだろう。

 

「それでも……いつかきっと……」

 

 それでも、ブラックジャックがこの恩を忘れることはないだろう。

 いつの日か、必ずこの借りは返すことになるだろうと。科学的根拠はないが、そんな予感をこのときのブラックジャックは感じていた。

 

 

 

 そうして、二人が話を終える頃。タイミングよくバス停にバスがやって来た。

 

「では、さよならだ」

「ええ、またどこかで……」

 

 ブラックジャックはそのままバスへ乗り込む。

 鬼太郎は徒歩で帰るようだ。

 

 特に未練を感じることもなく、そこで互いに別れを告げたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから十年以上。

 この伊吹大明神の一件以降も、ブラックジャックの元にはいくつもの『不可思議』な案件が舞い込むようになった。

 

 ミイラの『呪い』によって負傷した学者たちを助けるため、死体であるミイラの傷跡を綺麗に治療してやった。

 

 肉体を失い、魂だけとなった患者を『見える人間』のアドバイスに従って手術したりもした。

 

人面瘡(じんめんそう)』という人の顔が人体に浮かび上がるオカルトな腫瘍に対し、心理学的な観点から治療を試みたり。

 

 挙句の果てには『宇宙人』の手術もしたりと、鬼太郎にさえ驚かれそうな事件にまで首を突っ込んでいる。

 

 

 そして——超能力を操る畸形嚢腫(きけいのうしゅ)。摘出されたその子のために、人工的な身体を作ってやったりと。

 

 

 それらの尋常ならざる案件に、困惑しながらもある程度冷静に対処出来たのは、このときの経験が生かされていたからかもしれない。

 大蛇の呪いなんてものと真正面から向き合ったおかげで、嫌でも耐性が付いたのだろう。

 

 それでも、それらの事象全てにブラックジャックは納得しているわけではない。

 彼の心中には今でも超常現象、オカルトの類を信じることに対する抵抗感のようなものがある。

 

 これもブラックジャックの性格だ。そう簡単にその価値観、人生観を変えることは出来ないだろう。

 

 

 

 だが、今現在——画面向こうで起きていることは紛れもない現実であると、ブラックジャックも受け入れることが出来ていた。

 

 

 

『——くっ、ぐぅうううう!!』

 

 そう、ゲゲゲの鬼太郎。彼が巨大で歪な隕石らしきものの衝突を、指鉄砲の一撃で食い止めようとしている映像だ。

 もはや頼みの綱は彼のみと。日本中の人間、妖怪たちが彼に声援を送っていることだろう。

 

「がんびゃれ!! きちゃろうぉおおおおお!!」

 

 ブラックジャックが面倒を見ている少女・ピノコもその一人。当然、ブラックジャックも鬼太郎を応援するものだ。

 

 

「……頑張れ、ゲゲゲの鬼太郎……」

 

 

 安楽椅子に腰掛けながらも、小さな声で。それでいて真摯な気持ちを込めて彼へと声援を送っていく。

 

 その思いが通じたのか——

 

 

『——うぉおおおおおおお!!』

 

 

 鬼太郎の身体が白い光によって包まれていく。まるで鬼太郎に力を分け与えるかのように、周囲から光が集まっているのだ。

 

 次の瞬間にも、その光の効果は発揮される。

 それまで青白かった指鉄砲の光線が、眩いほどの閃光となり——勢いよく巨大な隕石を押し返していく。

 

 

『——おおおおおおおおおお!!』

 

 

 隕石らしきそれは、最後の最後まで怨念のような叫び声を上げるが、それも周囲からの声援によって掻き消されていく。

 

 

『——鬼太郎!』

 

『——鬼太郎……』

 

『——鬼太郎!!』

 

 

 皆の声援が、鬼太郎へと力を託す思いが、たかが隕石もどきに防ぎ切れるわけがなかった。

 

 そのまま、指鉄砲の威力に押し返された隕石は成層圏まで吹っ飛んでいき——爆散した

 欠片すら残さず、文字通り『光』となって消えていったのだ。

 

 残ったのは隕石——バックベアードと呼ばれた大妖怪と、それに取り込まれた手下たちの魂だけ。

 その魂たちもすぐにどこぞへと消え去り——空には、どこまでも澄み渡る青空が広がっていた。

 

 

『…………い、ヤッタァああああ!!』

 

『鬼太郎が……やってくれたのね!!』

 

『助かったんだ! 俺たち!!』

 

 

 人々の歓声が聞こえて来る。現地の人間たちの歓声が全ての戦い——この戦争が終わったことを明確に示していた。

 

「はぁはぁ……よし!! よくやった……よくやっちゃわよ!! きちゃろう!!」

 

 TVに釘付けだったピノコも、息切れを起こしながら喝采の声を上げる。

 きっと彼女のように、日本中の人々が鬼太郎に感謝の念を抱いていることだろう。

 

 それはブラックジャックも同様である。

 

 ——本当に……よくやってくれた、ゲゲゲの鬼太郎!

 

 ——これで……またキミに一つ、借りを作ってしまったな……。

 

 隕石が地表に激突していれば、きっと日本中に被害が及んでいただろう。大蛇のときと同じく、またも鬼太郎に助けられた。

 いや、今回に限っては日本が、大袈裟かもしれないが世界そのものが救われたと言ってもいい。

 

 前回に引き続きこれほどまでの借り、返さずに放置しておくことはブラックジャックのプライドが許さなかった。

 

「……ピノコ、出掛ける準備をしろ」

 

 ブラックジャックは椅子から重い腰を上げ、ピノコへと直ぐに出立の用意をするように声を掛ける。

 

「あら、ちぇんちぇい、どちらまで?」

 

 特に依頼の電話があったわけでも、患者の予約があったわけでもない。いきなりのことで首を傾げるピノコ。そんな彼女に手短に——ブラックジャックは目的地を伝える。

 

「——渋谷だ」

「——っ!?」

 

 その一言でブラックジャックの意図が伝わったのだろう、ピノコは目を丸くしている。

 

 渋谷。今まさにTVに映っている場所。

 先ほどまで、妖怪と人間が争い合っていた戦地。戦乱そのものは収まっているだろうが、きっと多くの怪我人が苦しみに喘いでいることだろう。

 

 そこへ医者が赴く——つまりそれは、そこで患者たちを治療することを意味している。

 

「あら、珍しい! ちぇんちぇんいが、慈善活動だなんて!」

 

 ブラックジャックの意図を察し、ピノコは嬉しそうな笑みを浮かべながらも疑問を投げ掛ける。

 

 基本的にブラックジャックはボランティアというやつをしない。どんな患者であれ、必ず報酬や見返りを求める主義だ。

 たとえ一千万だろうと、一円だろうと。必ず報酬を支払うと約束させる。

 

 しかし、今回ばかりは事情が違っていた。

 

「借りを返しにいくだけさ……」

「うん……借り?」

 

 鬼太郎とのことは未だにピノコにも話していないから、きっと彼女にはよく分かっていないだろう。

 しかしブラックジャックの意図がどうであれ、彼が渋谷に赴き、人々を救おうとしていることは伝わった。

 

「ハァーイ!! 今すぐ用意しまぁす!!」

 

 ピノコは慌てて出掛ける準備を進めようと、どこまでもブラックジャックに付いていく姿勢を見せる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——さあ、鬼太郎。

 

 ——ここから先は……私たち医者の仕事だ。

 

 ブラックジャック自身も出掛ける支度をしながら、心の中で鬼太郎へと語りかける。

 

 人間と妖怪の全面戦争は鬼太郎が止めてくれた。

 ならば今度は、その戦地で苦しんでいる人々を助けるのが——医者であるブラックジャックの仕事だ。

 

 もしかしたら、妖怪たちの手当てなどもすることになるかもしれないが、それでも構わない。

 今の自分であればそのくらい、手探りでもやってみせるという不思議な度胸がブラックジャックの胸中を鼓舞していく。

 

 

 ——あの日の借りを返そう……たとえ、キミが覚えていなくても……!

 

 

 借りを返すため、そして命の灯火を一つでも多くすくいあげるため。

 

 

 いざ、ブラックジャックは医師としての戦地へと立ち向かっていくのであった。

 

 

 




 本間丈太郎
  ブラックジャックの恩師。子供の頃に大怪我を負った彼を手術した凄腕の外科医。
  けれどその手術の際、メスを体の中に置き忘れるという、結構失敗も多い人。
  原作では大人となったブラックジャックと対面し、彼に手術までしてもらうが、最後は老衰で亡くなった。
  亡くなった幻影がブラックジャックに語りかける際の台詞がかなりの名言。

 心臓移植に関して
  原作では本間血腫の対抗策として丸ごと心臓を替えるという、治療法が模索されていました。
  連載当時はそれこそぶっ飛んだ手法だったのでしょうが、最近の医学だと一応は選択肢の中にある手法らしい。
  最近のニュースで言えば、豚の心臓を移植した男性がいたとか。
  けれどその方は二ヶ月で亡くなってしまった……これも医学の限界か。

次回予告

「戦争による爪痕、変わっていく人間と妖怪の関係、そして記憶を失った大切な友達……。
 まだまだボクたちには、解決しなければいけない課題が山積みのようです。
 今後の行く末、ボクたちは……果たしてどこに向かって進んでいるのでしょうか、父さん。

 次回——ゲゲゲの鬼太郎 『異邦の影、千年の復讐』 見えない世界の扉が開く」

 次回のクロス先は……現時点では秘密にしておきましょう。
 作品的にはバリバリの妖怪ものなのですが、知名度の関してはそこまで一般的じゃないかも。
 サブタイトルにそれっぽいワードを入れておきましたので、色々と予想しながら次回をお楽しみに!




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

少年陰陽師 其の①

ゲゲゲの鬼太郎6期の放送完結から、ちょうど2年。
終わってしまった本編、そこから続くストーリーを自分なりに考え、ずっとアイディアを温めてきました。

そして今日、本小説もようやくここまで来れました。
あの最終回の続き……これが作者が考えた、鬼太郎『3年目』のストーリーです。

前回の『ブラック・ジャック』から日本復興編と銘打ってきましたが、今回から明確な続編として話を構成していきたいと思います。

鬼太郎とまな。あの10年後の再開に向けて……今後とも話を綴っていきたいと思いますので、よろしくお願いします。


そして今回のクロスオーバーは『少年陰陽師』です。

原作は角川ビーンズ文庫より刊行されているライトノベル小説。
かなりの長期作品であり、本編以外の短編や外伝を含めると50巻以上が刊行されています。
メディアミックスもされており、自分はアニメを全話視聴させてもらい、今回の話を書かせてもらっています。

本編の舞台は平安時代なのですが、番外で『現代編』なるものが2巻ほど書かれています。今回はその現代版を主軸に、クロスオーバー設定を盛り込んでいます。

平安版の本編の方はかなり長く、今から入るにはちょっと大変かもしれない作品。
そのため、今回はアニメ前編の話を主軸にストーリーを組み立てました。
原作が未読な(自分のようなにわか)な人にもきっと楽しんで頂けるかと。

また、今回は鬼太郎6期の続きとしてもお楽しみいただけるよう、鬼太郎本編での伏線や設定の回収などを試みています。
作者なりに考察した結果なので、解釈違いなどもあるかと思いますが、そこはご容赦下さい。

では、どうぞ……続編の物語を。




「——いかがですかな? ——殿?」

『…………』

 

 巨大な宮殿内、対峙する二つの影。

 片方は老人。一見すると人間のようにも見えるがその眼光は鋭く、纏う気配も人間ではなく妖怪のそれだ。口元には人を食ったような笑みが浮かべられており、決して油断ならない相手であることが窺い知れる。

 

 対するもう片方は巨大、あまりにも巨大な怪物。

 この宮殿の主なのだろうか。怪物は玉座に腰掛けており、老人を見下すように睨め付けていた。老人も玉座の主に失礼がないよう、片膝をついてこうべを垂れている。

 

 両者が向かい合う構図はまさに王に謁見する臣下、もしくは下民といったところだろう。

 

『…………』

『…………』

『…………』

 

 そして、二人の周囲には異形の化け物たちが控えている。

 

 化け物どもは各々、目を血走らせたり、鼻息を荒くしたりなど興奮状態に陥っている。宮殿の主が『待て』と命令していなければ、即座に老人へと襲い掛かっていたことだろう。

 もっとも、周囲をそんな化け物どもに囲まれていながらも、老人は平然としている。

 平然と、玉座の怪物に向かって何事かを進言している様子だった。

 

「西洋妖怪を率いていたバックベアードの敗北、奴が世界中に撒き散らした被害、妖怪の認知による人間社会の混乱……世界情勢は、まさに混沌の極みに達しております」

 

 老人は語る。世界が今、かつてないほどの混乱に陥っているということを——。

 

 バックベアードという、西洋妖怪の一大勢力を築いていた首領が打ち倒された。

 そのバックベアードは破滅の間際、自身の体液を流星群のように降らせ、決して小さくない被害を世界中にもたらした。

 そして妖怪の存在が公的にも認知され、人間社会は否が応でも変革が求められようとしている。

 

「貴方様が覇権を握るまたとない好機! この機会を……逃す手はないと思われますが?」

 

 この混乱に乗じ、勢力を拡大させることが出来れば覇権を——世界の主導権を握ることができるだろう。

 眼前の怪物に今こそ奮起するときだと、老人は熱く語る。

 

「私も……微力ながらお手伝いさせて頂きますよ?」

 

 そのためならば自分も力を貸すと。

 老人は頭を低くしながら、怪物へと耳障りのよい言葉を囁いていく。

 

 

 しかし——

 

 

『——失せよ、日本妖怪』

「……!」

 

 怪物の目が鋭く細められる。その言の葉に殺意すら乗せ、怪物は老人の提案を一蹴した。

 

『我が異界に無断で忍び込んできたその度胸に免じ……この場は見逃してやろう』

 

 自身の宮殿——『異界』に許しもなく侵入してきた老人。本来であればその無礼を咎めるところだが、侵入してきたという事実を率直に褒め称える。

 侵入そのものが容易いことではないと自負しているだけに、その老人の能力には目を見張るものがあった。

 もっとも、それで怪物は老人に気を許したりはしない。玉座に腰掛けたまま妖気を昂らせ、吠えるように吐き捨てる。

 

『だが、貴様の甘言に乗るつもりはない。お前がそのバックベアードとやらにした裏切り……我が知らぬとでも思っているのか?』

 

 怪物は知っていた。

 老人が何気なく口にしたバックベアードという妖怪が、どうして滅びの道を辿ったのか。

 

 西洋妖怪のトップであった彼は、この老人の仕掛けた策略にまんまと嵌められて破滅したのだ。

 自分に対して同様「お手伝いをする」だのと、調子の良いことを口にしながら、用済みになった途端に暗殺紛いの卑劣な手段でバックベアードに毒を盛ったのだ。

 そのような輩をどう信用しろというのか。怪物が老人の提案を袖にしたのは当然の判断である。

 

『早々に立ち去れ! さもなくば……この場でこやつらの餌にするぞ?』

 

 寧ろ、問答無用で八つ裂きにしなかっただけ寛大だろうが、それもここまで。それ以上くだらない戯言を口にするようであれば、躊躇なく周囲の化け物どもをけしかけると脅しを掛ける。

 

『キシャアアア!!』

『ブルゥウウ!!』

『グルゥウウウ!!』

 

 主の意志に呼応するよう、化け物たちも唸り声を上げる。

 様々な獣たちが、それぞれ独特な鳴き声を発している。主の許しさえあれば、即座に老人へとその牙を、爪を突き立てることだろう。

 

「……分かりました。どうやら時期尚早だったようです。この場は……大人しく下がらせていただきましょう」

 

 怪物を動かすことが出来ないと悟るや、老人はあっさりと退いていく。

 あれほど言葉を尽くしてはいたが、特に残念がってはいない。堂々とした足取りで、無防備にも化け物たちに背中を見せながらその場から退席しようとし——

 

 

「……ああ! そうそう!! ひとつ、貴方様に手土産となる話を……」

 

 

 わざとらしく、何かを思い出したような仕草で老人は足を止めた。

 

「貴方様の好みそうな獲物について、耳寄りなお話がありましてね……」

『…………』

 

 怪物は何も言わない。だが『聞くだけなら聞いてやる』というのが態度から伝わってくる。怪物の許しを得たことで老人は、彼の好きそうな『獲物』とやらについての情報を話していく。

 

「貴方様の力の糧となり得る……『強い霊力』を持ち、尚且つ……『髪が長い』年頃の娘……」

『ほう……』

 

 それが怪物の好みだ。人間を、特に高い霊力を持つ人間を喰らえば喰らうほど、怪物はその妖力を高めていく。

 しかしこの現代においては、そういった獲物を調達するのも一苦労。怪物が暴れ回っていた何千年前とは違い、満足のいく獲物の確保にもなかなか難儀している。

 

 老人はその弱みをついていく。

 

 その話を聞けば怪物は必ず動く。

 必然的に『ヤツ』ともぶつかることになるであろうと。

 

「その娘の名は——」

 

 

 口元をいやらしく歪めながら、その少女の名と彼女の所在を告げていく。

 

 

 

×

 

 

 

 雨が降っていた。

 

 ゲゲゲの森の上空に暗雲が垂れ込み、ポツポツと小雨を降らせ続ける。その雨でじめじめと湿った、どんよりとした空気。

 まさに現在の彼らの心境を表しているようだ。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 ゲゲゲの鬼太郎と猫娘。そして西洋の魔女・アニエス。

 ゲゲゲハウスの前に集まった皆の心にも暗雲が立ち込め、それが重苦しい空気となってさらに彼らの気持ちを押しつぶしていく。

 

「鬼太郎……お前さんのせいじゃないぞい……」

「そ、そうじゃ! 猫娘もアニエスも、そう気を落とすでない……」

 

 そんな空気を見かね、子泣き爺や砂かけババアが鬼太郎たちに声を掛ける。

 彼らも鬼太郎たち同様に落ち込んではいるものの、年の功というやつか。自身の感情にある程度整理を付けることができている。

 

「いや……ボクのせいだ。ボクが……まなから記憶を奪ったようなものだ……」

「鬼太郎の……せいじゃないわよ……」

「…………まな」

 

 しかし、妖怪としても年若い面子には、未だその苦悩と折り合いを付ける術が思い浮かばない。

 

 まなと特別仲の良かった猫娘やアニエスは勿論。

 鬼太郎などは自分が彼女から『記憶』を奪ったのだと、己自身を責めていた。

 

 

 そう、犬山まな。

 人間でありながらも鬼太郎たちと友好を深めた少女。これまでの多くの困難、先の戦争でも彼女のおかげで鬼太郎は救われ、ひいては日本が、世界が助かったと言っても過言ではなかった。

 

 だが、その犬山まなが——鬼太郎たちと過ごした二年間の記憶を丸々失ってしまった。

 

 あらざるの地で全てに絶望し、自らの記憶に蓋を閉じていた鬼太郎。

 彼の記憶と心を呼び覚ますために、彼女は自らの記憶を——『思い出』を捧げたのだ。

 

 それによって鬼太郎は大切な記憶の全てを思い出したが、その代償として——犬山まなは鬼太郎たちとの思い出を何もかも忘れてしまった。

 

 

「まなちゃんの御両親の話によると、日常生活には何一つ不便はしとらんらしい……不幸中の幸い……じゃな」

「……父さん」

 

 目玉おやじがボソッと呟いたように、知識面については特に問題ないらしい。

 まなの両親からこっそりと教えてもらったことであり、まなの周囲の人たちは今でも鬼太郎たちのことを覚えている。

 

 やはり、まなだけが鬼太郎たちとの思い出を含め、妖怪についての出来事を忘れてしまっている。

 今のまなは二年前。妖怪をまったく信じていなかった、鬼太郎と出会う前の彼女なのだ。

 

『——め、目玉が喋った!? な、なんで浮いてるの!? ありえないっ! ありえない!!』

 

 目玉おやじのような存在が喋ることに、一反木綿が宙に浮いていることに驚いていた。

 あれほど慕っていた猫娘や、友人のアニエスに泣きつかれても戸惑うばかり。

 

 今のまなにとって、まさに妖怪などあり得ない存在——化け物も同然なのだろう。

 

「…………」

 

 これにはさすがの鬼太郎もだいぶこたえており、未だに立ち直る気配を見せていなかった。猫娘もアニエスも、戦争終結から数日経過した今になってもしょぼくれていた。

 

 

「——だぁああ、もう!! いつまでもくよくよしてんじゃねぇーぞ!! てめぇら!!」

 

 

 そんな鬼太郎たちを見るに見かね、ついに一人の男が声を荒げた。

 

「ね……ねずみ男……」

 

 そう、ねずみ男だ。

 彼はいつまでも落ち込んだままの鬼太郎や猫娘に活を入れる。

 

「忘れちまったもんはしょうがねぇだろ!! おめぇらがここで項垂れてて、それであの子の記憶が元に戻んのかよ!?」

「う、うむ……それはそうなんじゃが……」

 

 ねずみ男のはっきりとした物言いには、目玉おやじのような年長者ですらも目を見張る。

 

 勿論、ねずみ男とてまなが記憶を失ったことにショックを受けていないわけではない。ときには金儲けや我が身可愛さのため、鬼太郎やまなを売り飛ばすこともある彼だが、それでも彼らに対する確かな情というものがある。

 それは先の戦争でも、彼自身の活躍によって証明された。

 

 しかし、他の誰よりも現実主義的なところのあるねずみ男だ。

 彼は悲しむよりも先に出来ることがあるのではないかと。叱りつけるように鬼太郎たちへと叫んでいた。

 

「ここでウダウダしてても何にもなんねぇ!! 一銭にもなりゃしねぇんだよ!!」

 

 

 

「こんなところでボケっ~っとしている暇があったら!! まなちゃんの『記憶を元に戻す方法』でも考えてみたらどうだ!!?」

 

 

 

「——!!」

「——!?」

 

 その発言に——それまでどんよりと沈んでいた一行が勢いよく顔を上げる。

 

「そ、それじゃ!! ねずみ男の言う通りかもしれん!!」

「な、なにがだよ……」

 

 目玉おやじがグイっと反応を示すも、発言した当の本人がその食いつきに驚いている。

 

「ねずみ男……お前さんにしては妙案じゃ!」

「う~む……わしも、その発想はなかったぞ!」

 

 しかし、その考えには砂かけババアや子泣き爺も感心するように唸っている。

 

 

 そうだ、記憶を元に戻す。

 一見すると無茶なことに思えるが、アイディアとしては一番建設的な意見のように思えてくる。

 

 鬼太郎とて一度は記憶や思い出を失い、それを取り戻した身。その際はまなが代償を支払ったが、そんなものなくとも、記憶を呼び覚ます方法が他にあるのではないか。

 全てが手遅れだと結論付けるのは、早計ではないだろうか。

 

 

「鬼太郎!!」

「…………そうだな……試して見る、価値はあるかもしれない!!」

 

 猫娘も表情を明るくして鬼太郎に呼び掛ける。鬼太郎も決意に満ちた表情で顔を上げた。

 

 幸い時間ならある。

 バックベアードやぬらりひょんといった主だった敵が倒れ、あれだけの戦争が終わった直後だ。何かしらの事件が起きているという話もない。調べごとをする時間くらいは確保できるだろう。

 

 そう思い立つや皆の行動は早かった。

 

「わ、ワタシ! アデルお姉様に色々と聞いてみるわ!!」

 

 アニエスが箒で空へと飛び立つ。

 今は席を外している姉のアデルのところへと赴き、彼女と共に何かないかと考えを巡らせるつもりのようだ。西洋の魔女である彼女たちであればこそ、思いつく閃きや蓄えた知識があるかもしれない。

 

「こうしちゃおれん!! 子泣きよ、わしらも調べるぞ!!」

「合点承知じゃ!!」

 

 砂かけババアと子泣き爺も急ぎ駆け出していく。

 二人が向かうのはゲゲゲの森の奥にある図書館だ。古文書などの古い資料や記録、数多くの文献が残されているあそこなら、何かしらヒントになる書物が見つかるかもしれない。

 

 そうだ、きっとどこかにある筈だ。あの子の記憶を呼び覚ます方法が。

 その手段を探し出すためにも、各々が出来る限りの知恵を絞っていく。

 

 

 

「ねずみ男……アンタにしちゃ、珍しく良いこと言うじゃない」

「ウルせぇな! 俺は常に良いことしか言わないのさ!」

 

 ねずみ男の言葉には猫娘でさえも感心せざるを得なかった。ねずみ男は心外だとばかりに言い返すが、互いに険悪な空気はない。

 犬猿の仲、もとい猫と鼠という相容れぬ両者だが、今回の件に対する思いだけは一致している。

 

「よし……わしらも行くぞ、鬼太郎よ!」

「はい、父さん!」

 

 鬼太郎も目玉おやじも一緒だ。

 皆で調べればさらに効率も上がるだろうと、砂かけたちの後を追い図書館へと向かおうとする。

 

 だが——

 

「——お~い! 鬼太郎しゃん~!!」

「……一反木綿?」

 

 彼らが駆け出そうとしたとき、上空から鬼太郎のことを呼びながら、一反木綿がヒラリと舞い降りてくる。

 

「どうしたのよ、一反木綿? 街の方で何かあった?」

 

 一反木綿にはここ数日、人間たちの街の被害などを見てもらっている。しかし定時連絡で帰ってくるのにはいささか早すぎる時間帯だと猫娘が疑問を抱く。

 何か不測の事態でもあったのかと、少し心配になりながら問い掛ける。

 

「鬼太郎しゃんに、客が来とるばい」

「ボクに……?」

 

 一反木綿が口にしたのは来客の知らせだった。

 直接鬼太郎の元に来るのではなく、わざわざ一反木綿を仲介してでの来客。

 

「いったい誰だよ、こんなときに……」

 

 そのまどろっこしさにねずみ男が悪態を吐く。これから忙しくなるというのに、いったいどこの誰だと不満そうに口を尖らせる。

 

「それが……」

「……?」

 

 するとそれらの反応に対し、一反木綿も若干言いづらそうに。

 

 

 その客人の『人間』の名前を口にしていた。

 

 

 

×

 

 

 

 調布市の調布ヶ丘に『布多天(ふだてん)神社』という社がある。

 調布市内でも指折りのパワースポット。古きよりこの地に鎮座する由緒ある神社であり、神聖な空気感を現代にも保っている。

 この神社では経営、酒造、温泉、医学など。非常に幅広い分野で活躍したとされる神『少名毘古那神(スクナヒコナノカミ)』や、学問の神として有名な『菅原道真公(スガワラノミチザネコウ)』を御祭神として祭っている。

 一年を通しての様々な年中行事から、結婚式やお宮参りなどとの個別の訪問にも対応している。

 広い境内にはたくさんの高木が生い茂っており、観光地としても、地域のちょっとした散歩スポットとしても多くの人間たちから愛されてきた土地である。

 

 しかし、その存在が広く知られている一方で、その本殿の裏手に広がる森が——あの『ゲゲゲの森』に通じているということを知るものは意外と少ない。

 鬼太郎たちを始めとした多くの妖怪たち。彼らにとってもこの地は大切な住処なのである。

 

「…………」

『…………』

 

 そんな布多天神社の本殿の前にて。一人の人間の青年とその背後に浮かぶ霊が一体、鬼太郎が来るのを待っていた。

 青年は現代人らしくスマホで待ち時間を潰している。ここ最近の時事ニュースなどにさらっと目を通す、片手間の情報収集。青年が弄るスマホを、背後霊が興味深げに見つめている。

 

「……鬼太郎、来た……」

 

 青年と少し距離を置いて佇んでいた巨体、ぬりかべが鬼太郎の来訪を青年に告げる。

 すると青年はスマホから顔を上げ、敵意とも好意とも違う。何とも言い難い視線を鬼太郎へと向ける。

 

「よお、ゲゲゲの鬼太郎……」

 

 一応は顔見知りのため挨拶をするが、決して馴れ馴れしいわけではない。ある程度の距離感は当然、彼の立場を考えればそれも仕方がないことだったりする。

 

「石動零? それに伊吹丸も……」

 

 待ち人相手に鬼太郎も意外そうな顔になる。

 鬼太郎を呼んでいた相手は鬼道衆・石動零。その背後には彼の師匠的なポジションに収まっている鬼童・伊吹丸の姿もあった。

 

 過去に幾度となくぶつかり合った間柄。色々と思うところはあるものの、今の両者に争い合う意志などない。

 もっとも敵でなくとも、味方ではない。先の戦争でも協力こそしたが、少なくとも石動零は鬼太郎を全面的に信頼しているわけではない。

 そういった感情が傍目から見ても分かるからこそ、鬼太郎はやや戸惑っていた。

 

 この青年が自分をわざわざ呼び出す。いったい、そこにどのよう思惑があるのだろうと。

 

「この手紙を……とある『お偉いさん』から預かっていてな。お前に渡してくれと頼まれた」

 

 石動はまどろっこしい話を抜きに、単刀直入に鬼太郎へと用向きを伝える。

 彼が懐から取り出したのは一通の手紙であった。鬼太郎に手紙——本来であれば、それは妖怪ポストを介すればそれで済む話だったのだが。

 

「お前……妖怪ポストが壊されたままだったぜ? あのままにしておくつもりかよ?」

「あっ……」

 

 石動の指摘に鬼太郎が表情に暗い影を落とす。

 

 あの戦争、第二次妖怪大戦争が始める直前。バックベアードが宣戦布告に放った一撃により、人間側に多くの死傷者が出てしまった。

 あの一撃で人間たちの間に妖怪に対する怒りや憎しみが増大。政府も妖対法——妖怪を殲滅することを目的にした法案を正式に施行。

 世間の風潮は、まさに『反妖怪』一色に染め上がってしまったのだ。

 

 その流れに乗ってか、鬼太郎が人間の依頼を受けるために設置していた妖怪ポストが、何者かの手によって破壊されてしまった。

 おそらくは『妖怪である鬼太郎の手など借りない』という意思表示であったのだろう。

 

 騒動の後も、鬼太郎はその妖怪ポストを未だに修理していない。

 直す暇がなかったというのもあるが、単純に——直す気が起きなかったというのもある。

 

「これからも人助けをするつもりなら、とっとと直しておくんだな。そうすれば、俺がお前に手紙を渡すなんて手間も省ける」

「…………」

 

 憎まれ口を叩きながらも、石動は妖怪ポストについてどうするか言及してくる。鬼太郎はそれに明確な返事が出来ないでいる。

 彼の中で迷いがあるのだ。戦争が終わったとはいえ、人間たちの手によって破壊された妖怪ポスト。

 

 それをもう一度直し、以前のように人助けのために役立てるのか?

 果たしてそれを、人間たちが心の底から望んでいるのだろうかと?

 

「……それで? いったいどこの誰からよ、そのお偉いさんってのは!?」

 

 石動の問いに鬼太郎が答えられないでいるのを見かね、代わりに猫娘が相手の手から手紙を引ったくる。

 わざわざ石動を小間使いにし、鬼太郎に一方的に手紙を送りつけてくる、そのお偉いさんとやら。

 いったいどこの何様かと、猫娘には苛立ちがあった。

 

「……! ちょっと、これって!?」

「ああん……? おいおい、マジかよ!!」

 

 すると、その手紙に書かれていた『差出人』。その『名称』に目を通すや、猫娘とねずみ男の顔が強張っていく。

 

 

 その手紙の裏には差出人の名称として——『内閣府』と記載があったのだ。

 内閣——即ち、行政機関。

 

 

 この国の首相——内閣総理大臣が所属する組織からの招待状である。

 

 

 

 

 

「……ケッ!! あのババア!! どの面下げて今更手紙なんざ!!」

「…………」

 

 手紙の差出人が判明するや、一拍遅れでねずみ男が激怒する。鬼太郎でさえも咄嗟に言葉が出てこない。

 

 人間と妖怪同士の争いが本格的に激化する間際、鬼太郎とねずみ男はなんとかその争いを回避しようと人間側の代表——つまり総理大臣へと直談判しに、首相官邸へと乗り込んでいった。

 鬼太郎たちを出迎えた総理は老齢の女性であった。日本初の女性総理大臣ということで色々と話題になったこともある政治家なのだが——

 

 

『——嫌いなものは嫌いなんです』

 

『——この国に、妖怪はいらない!!』

 

 

 待っていたのは拒絶の意志。平和的に話し合おうとした鬼太郎たちに対し、彼女は銃口で応えたのだ。

 

 その銃は日本政府が妖対法の下に制作した、対妖怪用の特殊拳銃である。

 如何なる技術でそのようなことが可能なのかは定かではないものの、その銃によって撃たれた妖怪は『魂』そのものに致命傷を負うことになる。

 

 不意をついた総理の至近距離からの銃撃、鬼太郎はそれを無抵抗に受けてしまった。ねずみ男を庇うため、あくまで平和への思いもあったために反撃も出来ず。

 

 銃弾をしこたま浴びせられた鬼太郎の肉体は限界を迎え——消失。

 絶望と失望のあまり、その魂は地獄へも落ちず、あらざるの地へと流されることになってしまったのだ。

 

 

「こいつの……こいつのせいで鬼太郎が!! まなが!!」

 

 その事実を前に、猫娘が本性を剥き出しに激怒している。

 まさにあの総理こそが鬼太郎を殺め、間接的にまなが記憶を失う要因を作った相手とも言える。

 

 戦争の虚しさから、憎しみが何も生まないことは彼女とて理解はしている。しかし、気持ちの面でその怒りを完全に抑え切れることができない。

 瞬間的に、受け取った手紙を破り捨てたい衝動に駆られていく。

 

 

 ところが——

 

 

「何だお前ら? ニュース……見てねぇのか?」

「……?」

 

 鬼太郎たちの反応に石動零が不思議そうに首を傾げる。未だに何も知らない鬼太郎たちに、石動は何気なくその情報を伝えていた。

 

 

「あの婆さん、総理なら……死んだよ」

「「「————っ!!?」」」

 

 

 初耳の話に目を見張る鬼太郎たち。もっとも、人間社会ではとっくに広まっている情報だ。

 

「あの西洋妖怪の親玉が撒き散らした体液の爆発に巻き込まれたらしくてな……主だった官僚共々、亡くなったってニュースで報道されてたぜ」

「バックベアードの……そうか……」

 

 バックベアードの暴走、バックベアード爆弾とでも言うべきか。

 ヤツの溢れ出した体液が首相官邸にも降り注ぎ、そこで陣頭指揮を取っていた総理や官僚たちを吹き飛ばしてしまったという。

 

 総理である彼女は、最後まで妖怪との徹底抗戦を唱えていた。

 バックベアードも、人間たちをどこまでも見下していた。

 

 認め合わぬもの同士が互いに撃ち合い——最後には両者共に滅んだのだ。

 

「…………」

 

 後味の悪い結末に、鬼太郎の表情がいかんとも言いがたいもので固まる。

 猫娘もねずみ男も。総理への怒りこそあれど、既に亡くなった相手をそれ以上罵倒することもできず。

 

 行き場のない怒りは霧散し、どうしようもない虚しさだけが心中に残されていく。

 

 

 

 

 

「まあ……そういうわけだ。今は政府も大慌てでな……。臨時の総理を立てたりなんかして、なんとか対応しようとしてる」

 

 押し黙る一行に対し、さすがに気まずさを感じながらも石動が話を前へと進めていく。

 

「その手紙はその臨時総理からだ。まあ……俺もそいつから直接受け取ったわけじゃない。その総理代理の……顧問ってやつから、お前にそれを渡すように頼まれた」

「……顧問?」

 

 総理代理の顧問。それはいったい『どういう立場の人間』なのだろうと、ちょっとした疑問が鬼太郎の脳裏を過ぎる。

 

「実際に会ってみれば分かる……何というか、驚くとは思うが……」

 

 石動はその顧問とやらについて詳しくは話さなかった。会えばわかると、それ以上のことは説明する義理もなく。

 

「じゃあな……確かに渡したからな」

 

 そのまま素気なく、その場から立ち去ろうと鬼太郎たちに背を向けていく。

 

 

 

『……暫し待て、零よ』

 

 その際、それまで沈黙を貫いていた伊吹丸が石動に待つように言った。

 

『ゲゲゲの鬼太郎、犬山まなどうしておる?』

 

 彼が気にしていたのは、犬山まなの様子だ。

 伊吹丸にとってまなは色々と迷惑を掛けたり、世話になったりした人間だ。『彼女の記憶が失われても、命があっただけ良しとせよ』何てことを言ってはいたが、やはりあれからどうしているか気にはなるのだろう。

 

「…………」

 

 これには石動も足を止める。彼の方も、まなのことが気に掛かってはいるようだ。

 

「まなちゃんは相変わらずじゃ……今は皆で、あの子の記憶を取り戻す方法が何かないか調べているところじゃよ……」

 

 伊吹丸の問い掛けに目玉おやじが答えた。ついでに、自分たちがまなの失われた思い出を取り戻そうとしていることも話す。

 

『記憶を取り戻すか……果たしてそれで……』

 

 これに伊吹丸は表情を崩さなかったが、含んだ物言いで何かを言いかける。

 

『いや、今は人間たちとの話し合い……それが何事もなく終わることを切に願う』

「…………」

 

 しかし今はただ、総理との話し合いが無事に終わることを願いながら。

 石動と共にその場から静かに立ち去っていく。

 

 

 

×

 

 

 

「……どうするの、鬼太郎?」

 

 石動と伊吹丸がいなくなった後、猫娘は手紙の『中身』を確認しながら鬼太郎の判断を仰ぐ。

 

 総理代理とやらがよこしてきた手紙には『直接会って話がしたい』と、場所と時刻が記載されていた。話があればそちらから出向けばいいものを。政治家という奴は本当に偉そう、豪華な椅子で踏ん反り返っている——というイメージが猫娘の頭の中に浮かんでくる。

 

「う~む~、この期に及んで騙し討ちなどないとは思うが……」

 

 目玉おやじも腕を組みながら頭を悩ませている。

 さすがにこれ以上は人間側も無益な争いなどしたくはないだろうが、だからといって無条件に信用できる相手とも思えない。

 

「ケッ!! やめとけ、やめとけ! どうせ碌な話じゃねぇ! 会うだけ時間の無駄だって!!」

 

 ねずみ男は明らかに不機嫌に吐き捨てる。

 前総理に目の前で鬼太郎を殺されているせいか、それと同じ役職に就いたという人間には不信感しかない。

 

 皆それぞれ、人間側からの誘いには否定的な意見を口にしていた。

 

 

「…………いや、会ってみよう」

 

 

 だが仲間たちの言葉に耳を傾けながらも、鬼太郎は熟考の末、この人物と会うことに決めた。

 

「もう一度……話をしてみようと思うんだ……」

 

 決して盲目的に人間を信じているわけではない。

 差し出した手をはねのけられた失敗を、忘れているわけではない。

 

 けれども、たとえ何度裏切られたとしても、信じること自体を諦めたくはない。

 

 

 きっと——記憶を失ったあの子も、それを望んでいる筈だから。

 

 

「——なら、私も行くわ!!」

「——俺もだ!!」

 

 鬼太郎が総理代理に会うと決心するや、猫娘とねずみ男が間髪入れずに同行を志願する。

 特に猫娘は必死だ。先は鬼太郎に何もかも背負わせてしまい、それが彼を失うきっかけになってしまった。

 もう二度とあんな思いをしたくはない。待っているだけなのは御免だと、鬼太郎に引っ付いて行く。

 

「よし! では出発じゃな!!」

 

 勿論、何も言わずとも目玉おやじも一緒である。

 

「……分かった。みんな……よろしく頼む」

 

 皆の同行に対し、今回ばかりは鬼太郎も黙って頷く。

 

 大勢で押しかけては相手を警戒させる。皆を危険に巻き込みたくはないと。前回はそれで失敗し、危うく取り返しのつかない事態にまで発展してしまった。

 今度はそのようなことにならないよう、十分に警戒した上で仲間たちと共に行く。

 

 

 素直に皆の力を借りる。『仲間との信頼が、その絆が自分たちの強さ』だと。以前にも言われ、先の戦争でそれを改めて気付かされたからこそ遠慮はしなかった。

 

 

 こうして、鬼太郎は総理代理と会うことになった。

 他の仲間たちにも、とりあえず総理のところに行くとは伝えたが、これ以上の人数でぞろぞろと押しかけるのはさすがに躊躇われた。過剰な戦力を引き連れれば、それこそ争いの火種になりかねない。

 それに、他の仲間たちにもそれぞれ役割がある。

 

 壊れた街を見て回ったり、他の妖怪たちが無茶をしないように目を光らせたり。

 まなの記憶を取り戻すという、本当に大切なことに時間を割いてくれるものたちもいる。

 

 当初の予定通り、鬼太郎は目玉おやじに猫娘、ねずみ男の三人と共に目的地へと向かっていく。

 

 

 

 

 

「——お待ちしておりました、どうぞこちらへ……ご案内致します」

 

 総理代理が待っているというその場所は、都内にある緊急災害対策本部、その予備施設とのことであった。その施設の門の前で秘書を名乗る男性が鬼太郎たちを丁重に出迎え、建物内を案内してくれる。

 

「…………」

 

 道すがら、施設内で働いている人々の動きが鬼太郎たちの目に止まる。

 

 様々な人々が難しい表情で顔を突き合わせ、忙しなく動き回っていた。戦争が終わっても、それにより発生した被害までもが消えてなくなるわけではない。

 

 戦後処理、被害の把握や人々の救援に努めている職員たち。

 誰もが自分に出来ることをしようと、必死に汗水を流して働いている。

 

「っ!!」

「おっと……」

 

 だが、そんな忙しさの中にあっても、人間たちは鬼太郎らの姿を見かけるやその足を止め、チラチラと視線を向けてくる。

 妖怪である鬼太郎がここにいることへの戸惑い。妖怪たちのせいで被った被害などへの憤り、一方でゲゲゲの鬼太郎には日本を救ってもらったという感謝もある。

 例えようのない、言葉にしようもない複雑な感情が妙な緊張感としてピリピリ伝わってくる。

 

「…………」

 

 無用な衝突を避けるためにも、そんな人間たちの横を鬼太郎たちは素通りしていく。

 

 

 

 

 

「この部屋の中でお待ちです」

 

 そんな人々の視線に晒されながらも、とりあえず総理代理が待っているという部屋には何事もなく辿り着いた。しかし、案内役であった男性はそのままどこかへと行ってしまう。

 鬼太郎たちだけで部屋に入れということだろう。一瞬、罠か何かの可能性が脳裏を過ぎるが——

 

「……失礼します」

 

 ここで立ち往生していても仕方がないと、鬼太郎は覚悟を決めてドアをノックをする。

 

「——どうぞ~」

 

 部屋の中からは、声音だけで結構な歳を感じさせる渋みな返答が返ってくる。どうやら今度の総理は男性らしいと、そんなことを考えながら鬼太郎たちが室内へと足を踏み入れていく。

 

 

「やあ、やあ~! よく来てくれたね、待ってたよ! うんうん!!」

 

 

 部屋の中では年老いた男性が椅子に腰掛けていた。

 

 かなりの高年齢で見た目からも年齢を感じさせる、おじいちゃんといった風貌。政治家にしては、なんとも緩い空気感が漂っている。

 とてもではないが一国の総理、臨時とはいえそれが務まるような雰囲気、責任感といったものを第一印象からは感じ取ることができなかった。

 

「……? あの……すみません——そちらの方は?」

 

 本来であれば、その総理代理を相手に色々と話を始めるところなのだが。

 

 このとき、鬼太郎は総理の背後——彼に付き添うように立っている、もう一人の老人に自然と目がいってしまった。

 その老人は、どう見ても政治家には見えない。

 

 神職に類ずる人間——『宮司』の格好をしていた。

 おまけに佇まいからも、どこか只者ではない気配を感じさせる。

 

「初めまして、ゲゲゲの鬼太郎殿……お噂はかねがね聞き及んでおります」

 

 鬼太郎の問いに答える形で、その白髪の老人が口を開いた。

 総理よりも先に、自分が何者であるかを名乗ることで、鬼太郎たちにその存在感を示していく。

 

 

「——私は……名を安倍晴明(あべのせいめい)と申します。以後お見知り置きを……」

 

 

 

×

 

 

 

 安倍晴明。

 

 世代、人間・妖怪という種族も問わず、その名を知らないものはこの日本にいないだろう。そう言えるだけの知名度を誇る『陰陽師』の名前である。

 陰陽師という職業がどういうものなのか、詳しくは知らない現代人でも、彼の名を一度は耳にしたことがある筈。

 

 数多の妖異を調伏したとされる、様々な伝説に彩られた天才。

 その活躍は人の器に収まらず、死後にもその存在が神格化され、彼という神を祀る神社が建立された。

 

 そう『死後』だ。平安時代に活躍したとされる彼は、既に千年前に亡くなっている。

 安倍晴明には妖狐の血が混じっているという伝説もあるが、それでも彼は死んだとされている。

 

 では、この人物は?

 伝説と化した大陰陽師を名乗るこの老人はいったい何者なのか。

 

 

「……っ!!」

「…………!」

 

 妖怪である鬼太郎たちは警戒心を隠しきれず、身構えた姿勢で安倍晴明を名乗った老人と対峙する。

 

「あ~……驚いちゃった~? 驚いちゃったかな~……まあ、無理もないか~」

 

 するとその緊張感をぶっ壊すように、総理代理である老人が間伸びした声で待ったを掛ける。

 彼はおどけた態度で、鬼太郎たちにその人物がどのような『血筋』にあたるかを説明をする。

 

「いやね~、安倍晴明って言っても、あの晴明さんとは別人だよ~? この人は安倍家の人間で、たまたま晴明って名付けられただけ……ただの子孫ってだけの話なんだから~」

「安倍晴明の……子孫!?」

 

 とりあえず彼は千年前に死んだとされる『安倍晴明』本人というわけではないようだ。しかし、全くの無関係というわけではない。

 

「はい……恐れながら。彼の偉大なる先祖と同じ名を頂きました。既に引退した身ではありますが……今も陰陽師の端くれとして、細々と活動させてもらっております」

 

 彼はあの安倍晴明の子孫、れっきとした『安倍家』の人間だ。

 石動零などと同じ、妖怪や怪異といったものたちに対抗する術を持った術者。千年前から続いていることが確かであれば、その歴史と伝統の重みは他者の追随を許さないだろう。

 

「あんまり大きな声では言えないんだけど……安倍家の人たちとは昔から付き合いがあってね~。今回は立会人ってことで、わざわざ来てもらったんだよ~」

 

 臨時で総理に就いたこの老人は、古くからその安倍家と交流があるとのこと。というよりも、安倍家自体が昔から政界や財界と深い結びつきがあるというのだ。

 

 

 政治の世界は権謀術数、人の心の闇が魑魅魍魎の如く跋扈する世界だ。いつの世も、そんな政治屋たちの闇、恨みや嫉妬といった醜い感情に引き寄せられるように、本物の怪異たちがひっそりとだが集まってくるとのこと。

 そういった『表向き』には出来ない薄汚い闇と、安倍家の人間は人知れず戦ってきたという。

 

 

「……けっ!! 安倍晴明の子孫だか、なんだかしらねぇが……今更どの面下げて出てきやがった!?」

「……ねずみ男?」

 

 するとそんな安倍家の人間に対し、ねずみ男が苛立ちを露わにする。

 

「政界と陰陽師が繋がってただぁ~!? だったらなんで、今まで何もしてこなかった? 国の危機だってときに、てめぇらは何をしてやがった!? 面倒なことは全部鬼太郎に任せて……それでも陰陽師かよ!?」

 

 ねずみ男は怒っていた。今の今まで——お前たちは何をやっていたんだと。

 

 

 先の戦争のときもそうだが、これまで安倍家の陰陽師とやらが活躍しているところを見たことがない。ここ数年、立て続けに起きたこの国の根幹を揺るがす事件も、大抵は鬼太郎が解決してきた。

 

 八百八狸の政権奪取に、バックベアード軍団による日本侵略。

 地獄の四将による現世への甚大な被害、玉藻の前の策略によって危うく外国と戦争にもなりかけた。

 そして、此度の戦争におけるぬらりひょんの暗躍。

 

 本当に政界に繋がりがあったというのであれば、何故これらの事件の際に姿を見せなかったのかと、ねずみ男は彼らを責めていた。

 

 

「——返す言葉も御座いません。誠に申し訳ない」

 

 これに安倍晴明は素直に頭を下げる。言い訳の一つもせず、自分たちの無力さを正直に謝罪した。

 

「っ!! 謝ればそれで済む話じゃ——」

 

 それでもねずみ男の怒りは一向に収まらず、さらに口汚い言葉で相手を罵ろうとし——

 

「まあまあ、そう怒らないでちょうだいよ~。安倍家の人たちにも、色々と事情があったんだからさ~」

 

 その罵倒を総理代理がやんわりと止める。

 

「君たちは知らないと思うけど……実はあの戦争、東京だけで起きてたわけじゃないんだよね~」

「——!?」

「全国各地で一斉に妖怪が暴れ始めたらしくてね~。安倍家を含めて色んな人たちが、その対応に追われていたんだよ~」

 

 それは鬼太郎たちには初耳であったが、確かな事実である。

 

 鬼太郎たちが東京での決戦に意識を裂かれていた間、実は他の地域でも似たようなことが起きていた。

 関東のみならず、関西、九州、四国、東北、北海道、沖縄と。ありとあらゆる地域で、同時多発的に妖怪によるテロ活動が行われていた。

 まるでタイミングを見計らったかのように、闇に潜んでいた連中が一斉に動き出したのだ。

 

「父さん、もしや……!」

「うむ……おそらく、ぬらりひょんの仕業じゃろう……」

 

 これを鬼太郎はぬらりひょんの仕業だと推測し、それに目玉おやじも同意する。

 

 ぬらりひょんは全国各地から妖怪の同志たちを集めていた。彼であれば、全国に散らばらせておいた同胞たちに号令を掛け、一斉に動かすことが可能であろう。

 本命である東京に相手方の戦力を集中させないよう、各地の同志たちを捨て駒にしてでも陰陽師や退治屋といった連中の視線を地方へと釘付けにしておく。

 どこまでも用意周到。ぬらりひょんらしい、実に卑劣で嫌らしい策略である。

 

「今までのことだってねぇ~……ボクなんかは、すぐにでも安倍家の人たちにお願いしようとしたんだよ~?」

 

 それから、これまで表舞台に出てこれなかった件について。それに関しても大人の事情があるのだと総理代理は愚痴をこぼす。

 

「けど、レイミちゃん……ああ、前総理の名前ね!! 彼女がそれを許さなかったんだよ~」

「レイミちゃんって……」

 

 あの前総理を「ちゃん」付けで呼ぶ気軽さに猫娘が呆れている。

 どうやら政治家としてはこの総理代理の方が年季が入っているようだ。有能かどうかはさておき、この老人、かなりの年月を政界で生き抜いてきたらしい。

 

 しかし相手は総理大臣。党のトップであり、選挙で選ばれた政治家たちの代表だ。

 その代表たる彼女の意向により——『国としては安倍家の手は借りない』という方針が打ち出されていたという。

 

「あの子は妖怪も嫌ってたけど~……それと同じくらい、陰陽師とかも敬遠してたんだよねぇ~」

 

 前総理が妖怪の存在を毛嫌いしていたことは周知の事実だが、それと同じくらい、彼女は『そういったもの』に関わる職業の人々も快く思っていなかったのだ。

 陰陽師や霊媒師、拝み屋といった人々をうそんくさい連中だと。決して国の大事に関わらせなかった。

 

「政府として頼めない以上、大っぴらに動いてもらうわけにはいかないでしょ~? これも人間社会のしがらみ……仕方がないことなのよ~」

 

 安倍家という歴史と伝統のある家柄だからこそ、勝手なことは許されない。彼らが依頼でもないのに自己の判断で妖怪討伐になど乗り出せば、政府の立場がなくなってしまう。

 そのような悪目立ちをすれば、安倍家の人たちは政治的、社会的に各方面から袋叩きにあってしまう。

 人間社会で生きている以上、周囲との関係を無視はできない。妖怪である鬼太郎や、フリーの術者である石動零のように、その場その場の感情だけで動くわけにはいかないのだ。

 

「いえ、全ては私たちの不徳の致すところ。今までお役に立てず……本当に申し訳ございませんでした」

 

 それでも、安倍晴明自身は決して言い訳をしなかった。全ては自分たちの不甲斐なさが原因だと。

 ただ伏して、鬼太郎たちに許しを請うかのように謝罪を続ける。

 

 

 

「…………」

 

 これにはねずみ男も何も言えない。

 人間社会のそういったわずわらしさであれば、ねずみ男もそれなりに経験がある。彼の場合、面倒になればゲゲゲの森にでも逃げ込み、ほとぼりが冷めたところでまた出て来ればいい。

 

 けれども、安倍家の人たちは逃げるわけにもいかないのだ。

 自分たちの立場、生活、家族などを守るためにも、制約があっても耐え続けるしかない。その立場を甘んじて受け入れなければならないのだ。

 

「……分かりました。そのことに関しては、ボクたちもこれ以上は何も言いません」

 

 安倍家の事情をそれとなく察し、鬼太郎もそれ以上は何も言わなかった。

 とりあえず安倍晴明の同席を容認し、総理代理と話を続けていく。

 

 

 

 

 

「——まあ、話って言っても、そこまで大したことじゃないんだよね~」

 

 総理が勧めるまま、応接用のソファーに腰掛ける鬼太郎たち一行。向かい側に総理が座り、安倍晴明が立ったままその後ろに控える。

 

「この機会にこれからは仲良くしましょうって……まあ、和平交渉? 停戦協定? 呼び方はどうだっていいんだけどね~」

「そ、そうなんですか……」

 

 随分と適当な感じで話を進める総理代理。それが彼という人間の気質なのか、声を聞いているだけでなんだか力が抜けてくる。

 陰陽師も同席している会合だ。油断してはならない、もっと気を張っていなければならないと分かっているのだが、どうにも緊張感が保てない鬼太郎たち。

 

 しかし、肝心の部分で手を抜く気はないのか。

 総理は瞬間——真摯な気持ちを言葉に乗せ、はっきりと意見を口にする。

 

「とにかく、これ以上は争いたくない! ……ってのが、お互いの共通認識だと思うんだけど~……これはいいよね?」

「ええ、それは勿論……ボクたちも、戦争なんて……もうたくさんですから……」

 

 鬼太郎も総理のその言葉にはしっかりと頷いた。

 戦争などしたくない。これは人間にも妖怪にも言えることである。

 

 だからこそ、そのためにも例の法案——この争いの原因となった『あの法律』をどうにかしてほしいと、鬼太郎も意見を口にした。

 

「でしたら、妖対法を……ボクたち妖怪を虐げるこの法律を、どうか撤回してください」

 

 妖対法は前総理が政治生命を賭けてでも成立させたいと言い放ち、世論の後押しもあって施行された法律だ。

 妖怪を一方的に排除するために作られた法案。この法律がある限り、この国の妖怪に安らげる場所はない。

 

 妖怪側の当然の要求として、鬼太郎はこの法律の取消を求める。

 

「う~ん……今すぐ妖対法を無効にするのは……ちょっと難しいかな~?」

 

 しかし、総理も安易には頷かない。

 

「妖怪の脅威が完全に拭い切れたわけじゃないんでしょ~? そういった脅威から迅速に国民を守れるようにするためにも、現時点で妖対法を白紙化することはできないのよ~」

 

 戦争は終結したが、全国各地で暴れ回っていた妖怪など。未だ闇の中で蠢く脅威が見え隠れしている。

 それに現状、妖怪の存在を公認した上で動くことのできる法律はこの妖対法だけである。この法律がなければ、そもそも妖怪がいることを『事実』として認めることができないのが、今の政府の在り方なのだ。

 

「まあ、法改正したり~、別の法案を通したりでバランスを取ることはできると思うけど……それも今すぐは無理かな~」

 

 いずれは何かしらの形で調整が入るかもしれないが、今はそれを即座に実行に移すことができるような状態ではない。

 

「復興にも時間が掛かるだろうしね~。所詮、ボクはピンチヒッターの代理総理だから……そんなに勝手なことはできないのよ~」

 

 今は戦争の被害、その爪痕を修復することに尽力する期間だ。少なくとも総理が臨時である間は、そこまで大きく法改正などの手を加えることは出来ない。

 所詮、自分は政治的空白を埋めるための中継ぎ程度でしかないと。何一つ重大な決定権を持っていないことを愚痴っていく。

 

「けどね~……そんなお飾りの総理でも、出来ることがあるんだな~」

 

 しかしここで代理だからと。何もせずに終わらないのが、この老人の強かなところである。

 臨時とはいえ総理という立場を利用し、彼は鬼太郎たちをこの場へと招き入れた。

 

「一国の総理として、こうして君たちと顔を突き合わせて話し合う……今はその事実が重要なんじゃないかな~……って思ってる」

 

 本来であれば、話し合う余地などなかった人間と妖怪。

 しかし今、戦争の終結をきっかけに、こうして同じ席に着いて言葉を交わし合う機会を得た。

 

 これは非公式の場だが、鬼太郎たちが来ていることはこの施設の職員たちの目にも堂々と触れられている。

 人の口に戸は立てられぬ。鬼太郎と臨時総理が一緒になって何事かを話し合っている。その事実が人々の間に噂となって広まっていく。

 その噂話が友好的なものであれば、後々の政権にも少なからず響いてくるだろう。

 

「とりあえず、握手でもしよっか~? こうした既成事実が後々効いてくると思うからさぁ~」

「既成事実って……」

 

 互いに歩み寄る第一歩として、総理代理は鬼太郎へと手を差し伸べた。

 総理の言いように鬼太郎は苦笑を浮かべるも、差し出されたその手を取る。

 

 

 総理代理の飄々とした態度。どこまで本気でどこまで冗談なのか分からず、腹の底までは見えてこない。

 もしかしたら、調子の良いことを言って鬼太郎を騙しているだけかもしれない。

 

「…………」

 

 けれど、固く握られた掌からは確かな力強さを感じた。

 彼個人は決して争いなど望んでいないと、その掌から伝わってくる熱さが教えてくれる。

 

「……ええ、よろしくお願いします」

 

 その熱さに応えるように、鬼太郎もその手を強く握り返した。

 まだまだハードルは高いかもしれないが、それでも自分たちはこうして話し合えた。

 

 

 人間と妖怪。

 きっといつか、こうやって多くのものたちが和解し合えるようになると——今は信じるしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鬼太郎が総理代理と握手を交わしていた頃。

 災害対策本部で大勢の人たちが働いていたように、街中の現場でも多くの人間たちが駆けずり回っていた。

 

「——クレーン車!! こっちだこっち!!」

「——生存者を確認!! 手を貸してくれ!!」

 

 戦争によって多くの被害がもたらされた東京の街。争いが終結して数日は経過したが、未だに復興の目処などは立っていない。

 崩れた建物の瓦礫の撤去に、その瓦礫の下に埋もれてしまっている人々の救助。助かる人もいれば、手遅れな人もいる。負傷者、死者ともに日を追うごとに増加していくのが現実だ。

 

「痛い……痛いよ!!」

「お父さん!? なんで……どうして!?」

 

 怪我や病気で苦しむ人々の叫び、亡くなった犠牲者に遺族たちが嘆き悲しんでいる。

 悲しみに暮れる人々の涙は、まだまだ一向に癒える気配がない。

 

「大丈夫ですか!? しっかりしてください!!」

「医療班!! ストレッチャーを早く!!」

 

 それでも、救助隊や自衛隊が必死になって作業を進めていく。

 一人でも多く、助けられる命を助けるために。

 

 

 自らの危険すらも顧みず、彼らは危険な現場を駆けずり回っていく。

 

 

 そんな、人々が懸命に足掻く災害現場に——

 

 

『……グルルルゥウ!!』

 

 

 化け物たちが姿を見せる。彼らは——まるで動物の群れのようであった。

 

 牙を剥き出しにした凶暴な猿たち。

 鼻息を荒くした猪に、肉食獣のように目が血走った山羊。

 三ツ首の鶏や一つ目の虎といった、明らかに尋常ではない見た目のものもいる。

 

 そういった動物紛いの化け物たち。多種多様な怪物どもが、どこからともなく大量に湧き出てくる。

 

「ひっ!! ば、化け物!?」

「で、出たぁぁあ!! 妖怪だ!!」

 

 戦争直後で、妖怪たちへの恐怖が色濃く残っている人間たちは戦慄する。

 やはり妖怪は信用できない。この機会にきっと自分たちを皆殺しにするつもりだと。

 

 

 

 

 

「——妖怪め……来るなら来やがれ!!」

 

 そんな中、逃げる人々の前に出る形で、化け物に立ち向かっていくものがいた。

 妖怪の残党を警戒して配備された、警官隊の一人だ。妖怪どもが現れても即座に対処できるよう、支給されていた特殊拳銃で対抗する。

 

 妖怪の魂にすら致命傷を与えるその銃であれば彼らを倒せる。連中の思い通りにはさせないと、決死の覚悟で引き金に指をかける。

 

「死ねぇええ!! 化け物!!」

『グギャア!?』

 

 妖怪への憎しみを叫びながら放った銃弾が、化け物の一匹に命中する。化け物は苦悶の表情を浮かべながら、その魂すらも霧散させていく。

 

 

 しかし——それだけだ。

 

 

 群れの一匹が死んだところで、化け物たちは止まらない。仲間の死などまるで気にした様子もなく、我先にと人間へと襲い掛かっていく。

 

「くそっ!! くそっ!! なんなんだ……なんなんだよ、こいつらは!?」

 

 警官は尚も発砲を続けながら困惑した。

 

 この化け物たち、先の戦争でも全く見かけなかった連中だ。群れとして完全に統率されており、まるで一つの生き物のように集団が蠢いている。

 一匹一匹を始末したところで全く勢いが削がれない。恐れも慈悲も知らぬのか、一才の躊躇も迷いもなく、人間たちをその牙の餌食としていく。

 

「ちっ……ちぐしょうぉおおおおお!!」

『ゲギャギャギャッ!!』

 

 抵抗を続けていた警官も、その群れの前に成す術がなかった。

 

 ついには喉元を食いちぎられ、その命を無惨に散らしていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『——違う』

 

『——こんなつまらぬ命ではない』

 

 

 動かなくなった警官の血肉を貪りながら、化け物たちが吐き捨てた。

 

 彼らにとって人間こそが最高のご馳走。その肉を貪り、その血を啜ることで飢えを満たし、その妖力を高めていく。

 しかし、どんな人間でもいいというわけではない。彼らにも食の好みがあり、こんな平凡な人間では到底満足できぬと。

 今しがた命を奪った警官の遺体を無造作に投げ捨てながら、次なる標的へと狙いを定めていく。

 

 

『このような矮小な血肉では満足できぬ……』

 

『主もお喜びになられぬ……』

 

 

 彼らは探していた。

 もっといい獲物を——『主』に献上するのに相応しい贄を探していた。

 

 

『探せ……探し出せ!』

 

『見つけるのだ……そして献上せよ!』

 

 

 きっとこの地にいる筈だ。

 極上の霊力を宿した人間が、主の好みでもある髪の長い娘が——。

 

 

 その娘を見つけ出せと、全ての化け物どもに——主から命が下る。

 

 

 

『——犬山まなとやらを……探し出せ!!』

 

 

 

 その命を果たすため、異形の化け物どもが一斉に街中へと解き放たれていった。

 

 

 




人物紹介

 安倍晴明
  もはや説明不要。日本で一番有名な陰陽師。
  ですが作中での解説にもありますように、平安時代の本人ではありません。
  あくまでそっくりさん。生まれ変わり……ぽい人。
  少年陰陽師の現代版設定では、こうしたそっくりさんがたくさん登場します。
  作品タイトルにもありますよう、次回からは『少年』陰陽師が登場しますのでお楽しみに。

 総理代理
  アニメ本編で吹っ飛んでしまった前総理。
  その代わりとなるべく、急遽立てられた代理の総理。
  名前は記しませんでしたが、『シン・ゴジラ』とは何も関係がありません。  
  あくまで!! 似たような感じの人ってだけですので!!
 
 前総理
  アニメ本編で大活躍?をした日本初の女性総理大臣。
  人間側の悪い部分を象徴するよう、とってもアレに描かれてました。
  妖怪に終始振り回され、最後には吹っ飛んだある意味で可哀そうな人。
  本編では名前がないですが、一部では担当声優から「れいみ総理」とか呼ばれているらしい。
  担当声優さんには申し訳ありませんが、今回はその案を採用させていただきました……本当に御免なさい!


 最初の話として、其の①では敵妖怪の名前など出てきませんでした。
 ですが、今回は3年目の最初ということで、それなりに大物妖怪が出てきます。
 きっと少年陰陽師本編を知っている人であれば察しが付くと思いますが、とりあえず現時点では秘密。
 次回をお楽しみにお待ちいただければと……。
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

少年陰陽師 其の②

『星のカービィディスカバリー』楽しくプレイしています!
カービィとして初めての本格3Dアクションということもあって、色々と心配していましたが。これはすごく面白い!
カービィを動かしているだけで、もう見ているだけで楽しすぎる。
ゆっくり進んでいるのでまだストーリーの全貌は見えてきませんが、今回の世界観設定を考えればこの小説とのクロスも普通にできそう。
まだまだ何もストーリーを考えていませんが、いずれはカービィも登場させてみたいと思ってます。

さて、今回で『少年陰陽師』二話目ですが、今回は尺の都合上、四話構成で行きます。
三年目冒頭の話になるので、アニメでいうところの二話分の尺を使うようなボリュームでお送りします。
少年陰陽師の知名度はそこまででもない感じでしたが、どうかお付き合いください。

全然関係ありませんが、某動画のコメント欄で『中学校の図書館でこのラノベ借りてた』というコメントがありました。
作者自身も色々なラノベを学校で借りてたと思う。
けど今のラノベは、教育上けしからん描写が多いからきっと学校の図書にも置けないんだろうな〜。
というか、既に表紙からけしからんものも多いらしい。……ラノベ業界の明日はどっちだ!!



「——総理! 大変です、総理!!」

 

 災害対策本部の一室。総理代理の元へ一人の男性が血相を変えて駆け込んでくる。総理に手紙で呼ばれたゲゲゲの鬼太郎たちをここまで案内してくれた秘書の男だ。

 

「どうしたのよ~、そんなに慌てて~?」

「…………」

 

 秘書の切羽詰まった様子に総理代理はキョトンとしているが、あくまで飄々とした態度を崩さない。総理の後ろに控えている白髪の老人・安倍晴明も、何事かと眉を顰めているが平静だ。

 年の功もあるのか、それなりに落ち着いた反応の二人。だが、それとは対照的に秘書は緊迫した状況であることを息切れを起こしながら伝えてくる。

 

 

「はぁはぁ!! よ、妖怪です!! 街中に妖怪どもが出没して……人々を襲っています!!」

 

 

「——っ!?」

「な、なんじゃと!?」

 

 この報せに誰よりも驚いていたのは鬼太郎、目玉おやじといった妖怪たちだ。

 

「そんなっ……どうして!?」

「ちっ!! どこの馬鹿だよ……この期に及んで!!」

 

 猫娘やねずみ男も動揺を隠せないでいる。

 互いに傷つけ合うことが虚しいだけだと、妖怪の意地など見せたところで何にもならない。戦争などもう御免だと妖怪たちも理解したばかりの筈なのに、未だに人間憎しと戦争を仕掛ける大馬鹿者がいるのか。

 鬼太郎たちには、それが信じられなかった。

 

「やれやれ………それは、困ったねぇ……はぁ~」

 

 一方で、総理代理も深々と溜息を吐いた。

 一見すると態度そのものに変化はないように見えるが、その視線に冷ややかなものを宿して鬼太郎を見ている。

 総理自身も戦争は御免だと、彼らと和解しようと握手したばかり。

 しかし、妖怪側から仕掛けられた以上、臨時とはいえ総理として対応しなければならない。

 

「妖対法に基づいて警察、自衛隊の出動を要請しなきゃいけないね~……仕方がないけど……」

 

 総理代理としての権限を用い、妖対法を行使することを躊躇いはしない。

 国民も戦争などしたくなかろうが、妖怪から身を守るためであれば世論も納得せざるを得ないだろう。

 

 やはり——妖対法は必要な法律であると。  

 

「——待ってください!!」

 

 しかしそれに彼が——ゲゲゲの鬼太郎が待ったを掛ける。

 

「ボクが……ボクたちが止めに行きます」

 

 今ここで人間と妖怪が再び大々的に争い合うような絵面を見せれば、せっかくの和平ムードが台無しになってしまう。

 再び互いに憎しみ合うという最悪の事態を避けるためにも、鬼太郎たちはこの事態を『自分たち妖怪の手だけで』解決することを提案する。

 

「ふ~ん……大丈夫なの? 相手は同じ妖怪だよ? キミたちの仲間かもしれないんだろ~?」

 

 鬼太郎の言葉に、総理は半信半疑といった風で疑問を投げ掛ける。

 彼の中にも迷いはあった。鬼太郎に任せるか、それとも自衛隊や警官隊を一斉に投入するか。どちらに『利』があるのか、それを冷静に見極めようとしている。

 

「……おい、暴れてる連中ってのはどんなヤツらなんだ!?」

 

 そんな総理の表情をチラッと観察しながらも、ねずみ男が秘書の男性に尋ねていく。もしもゲゲゲの森の妖怪たちが暴れているようなら、鬼太郎が直に行って止めるしかないだろう。

 

 ところが——

 

「そ、それが……見たこともない奴らで……」

 

 秘書の男は困惑気味に答える。

 彼が言うに、暴れている妖怪とやらがこれまた見たこともない連中らしく、先の戦争で暴れていたゲゲゲの森の妖怪たちは一匹も確認出来ないとのこと。

 それらは猿やら猪やら、蛇やら牛やら怪鳥やら。ここ近年でもあまり存在を確認できなかったような個体も混じった——『動物紛いの化け物たち』。

 そういった珍獣紛いの妖獣どもが、群れを成して人間たちを襲っているとのことだった。

 

「獣の群れ……もしや?」

 

 この報告に何か心当たりがあるかのように安倍晴明が反応を示す。しかし、晴明が何かに勘付く様子に鬼太郎たちが気付く暇はなく。

 

「とにかく……すぐに止めさせよう!! でないとまた……!」

「ええ、急ぎましょう!!」」

 

 鬼太郎と猫娘が慌てて部屋から飛び出し、現場へと向かっていく。

 

 時間を掛ければ掛けるほど人々の犠牲は増えていく。仮にゲゲゲの森の妖怪たちの仕業でなくとも、被害が広まればまたも妖怪に対する反感が強まってしまう。

 そうなれば人と妖怪との和解が遠のくばかりか、再び戦争に発展するなんてこともあり得るのだ。

 

 それだけは、避けなければならない。

 自分たちがやってきたことを、決して無駄にしないためにも。

 

 

 

 

 

「…………キミは行かなくていいのかな~?」

「……へっ! 悪いが……俺はまだお前さんを信用しちゃいねぇ!」

 

 脇目も振らずに現場へと直行する鬼太郎たちとは異なり、ねずみ男は総理代理の前から頑なに動こうとはしない。

 それは自分だけが危険を冒したくないから行かない——というわけではない。

 

「あんたが余計なことしないようにな。暫くはここにいさせてもらうぜ……」

 

 ねずみ男は総理代理が鬼太郎を危険に晒すような命令を出さないよう、ここで彼を見張っているつもりのようだ。

 目の前には陰陽師の代名詞とも呼べる安倍晴明、彼の名を継ぐような術者もいるが——そんなこと知ったことではない。

 

 もしも総理が変な指令を出すようであれば、それこそ命懸けでそれを止める気でいる。

 いつもピンチになればそそくさと逃げるようなねずみ男だが、今回ばかりは引く気はないと。

 

「…………」

 

 彼の覚悟のほどが、その真剣な表情から伝わってくる。

 

「なるほど……さすがだね~! 前総理相手に大臣の椅子を掠め取ろうとしただけのことはあるよ~」

 

 ねずみ男の堂々とした態度に総理代理はかつて、ねずみ男が浄水器詐欺をやらかして件を引き合いに出してくる。

 彼も政治家として、ねずみ男の悪事などはしっかり把握している。

 

 互いに直接的な武力こそ持ち合わせてはいないものの、言葉と視線のみで両者はバチバチと火花を散らせていた。

 

 

 

 

 

「——昌浩(まさひろ)

 

 そうやって、ねずみ男と総理代理が互いに牽制し合う中。ふいに、安倍晴明が何者かの名前を呼ぶ。

 

「——失礼します」

 

 すると、その呼びかけに隣の部屋から返事があった。あらかじめそこで待機していた何者かが、晴明たちのいる部屋へと顔を出したのだ。

 

「…………子供?」

 

 その人物を前にねずみ男は顔を顰める。

 

 姿を現した彼はまさに『少年』と呼ぶのに相応しい、年頃の男の子であった。

 晴明のように陰陽師としての格式張った格好ではなく。半袖のパーカーにTシャツ、ブルーのジーンズといった現代的なものをオシャレに着こなしている。

 一見すると、ただの中学生にしか見えないのだが——

 

「私の孫で昌浩といいます」

「昌浩です。よろしくお願いします」

 

 ねずみ男の懐疑的な視線に気付いたのか、晴明は自身の孫である少年——安倍昌浩を紹介する。

 昌浩の方も特に緊張などはなく、丁寧にお辞儀しながら淡々と挨拶していく。

 

「昌浩や……話は聞いていたな?」

「はい、じい様」

 

 鬼太郎と総理の話の邪魔にならないよう、隣の部屋で待機していた昌浩。だが話の内容はしっかりと聞いていたらしく、そんな実孫に晴明は『陰陽師』として指示を出していく。

 

「お前も現場へ行ってきなさい。鬼太郎くんの手助けをするのだ」

「!! おいおい、本気かよ!? 晴明さんよ!」

 

 その指示にねずみ男が思わず身を乗り出す。

 

「こんなガキに鬼太郎の援護が務まるのか!? 足手まといになるだけじゃねぇのかよ!?」

 

 ねずみ男の物言いは乱暴だったが、それも無理はない。

 晴明の孫ということは、きっと昌浩も陰陽師なのだろう。しかし、見かけからは本当にただの中学生という感じしか伝わって来ないのだ。

 

 ただでさえ、現場は大量の妖獣たちが溢れかえっているという危険な場所だ。そんなところへ、こんな少年を派遣しようという晴明の判断には疑いを持たざるを得ない。

 

「ご心配なく。半人前ではありますが、陰陽師として必要なことは全て教え込んでおります」

 

 しかし晴明は全く動じていない。彼は心配無用と笑みを浮かべながら——

 

「それに他にもつけますので……紅蓮(ぐれん)六合(りくごう)

 

 さらに他の人物を呼びつける。

 

 

「……出番か? 晴明」

「…………」

 

 

 彼の呼び声に応え、二つの人影がそこに『出現』する。

 

「なっ……いつの間に!?」

 

 いつの間にか。少なくともねずみ男も全く気付けなかったが、そこには二人の男性が立っていた。

 

 紅蓮と呼ばれた男はやや長めの髪をざんばら、肌も赤色に近い褐色をしている。

 六合と呼ばれた男は腰まで伸びた長髪、端正な顔立ちだがほとんど表情を崩していない。

 

 両者ともに格好こそ現代的ながらもどこか人間離れしている。しかし、妖怪といった雰囲気でもない。いったい何者かとねずみ男が訝しがる。

 

 

 

 

 

「二人とも、昌浩と共に街へと赴き、暴れている妖どもを征伐してほしい……宜しいですかな、総理?」

 

 晴明は紅蓮と六合の二人と顔を合わせながら改めて指示を出す。勿論、正式に動く許可を政府から得ることも忘れてはいない。

 

 陰陽師である自分たち場を収めれば、少なくとも警官隊や自衛隊が大量の武器で妖怪を駆逐しようとするよりはマシな絵面にはなるだろう。

 さらにここで鬼太郎と安部家の人間が共闘をすれば、『妖怪と人間が互いに共通の敵と戦う』という既成事実とやらを作ることも出来る。

 これは政治的な判断を考慮した上での提案でもあった。

 

「うん! いいよいいよ、やっちゃって!! 責任は全部ボクが持つからさ~!!」

 

 総理代理も軽いノリで晴明の要請に応じた。今までの総理大臣であれば、陰陽師の手助けを公的に借りることに、多少なりとも尻込みをして判断が遅れることになっていただろう。

 野党の反発やら、国民の反応やら、次の選挙の勝敗やら。そういったものをいちいち考えなければならないからだ。

 

「どうせ、何やったて責任を取らされる形で辞めることになるんだし~……だったら最後くらいは好きなようにやらせてもらうさ~!」

 

 もっとも、彼の場合はその必要もない。

 現政権の最高指導者として、そう遠くない内に全ての責任を一身に受け『引退』する身だからだ。

 

 そう、全ての責任を取って後のことを若手に任せる。

 老兵は死なず、ただ消え去るのみ。ここが政治家としての引き際であると既に腹を括っている。もはや怖いものなど何もないとばかりに、完全に開き直ってドンと胸を叩いていた。

 

「ボクが総理である間は周りの連中に文句なんか言わせないからさ~。好きに動いちゃってよ、晴明さん!」

「ありがとうございます、総理……」

 

 これに晴明は深々と頭を下げる。

 歴史ある安倍家の人間として、常に政治の都合に振り回され、大掛かりには動くことの出来なかった立場だ。

 手を出したくて出せない。これまでどれだけ歯痒い思いをして来たことか。

 

 しかし、少なくともこの瞬間だけは彼ら安倍家を束縛するものは何もない。 

 陰陽師として培ってきた力を見せつけるときだと、彼自身も重い腰を上げる。

 

「それに……」

 

 それに、たとえ政府に止められたとしても、今回ばかりは動かないわけにはいかない。

 

 

 なにせ今回姿を現した敵は——

 今街中で暴れている妖異どもは——

 

 

「——此度の連中……我々安倍家と因縁深き相手かもしれませんから……」

 

 

 

×

 

 

 

『キシャアアア!!』

『ブギャアア!!』

 

 少しずつだが復興が進んでいた街中で、化け物どもが暴れ回っていた。

 傷つき弱り果てている相手だろうと彼らには一切の容赦がない。寧ろこれを好機だとばかりに、弱った人間から躊躇なくその牙の餌食としていく。

 

「きゃああああ!?」

「く、来るな!!」

 

 これに成す術もなく怯え惑う人々。

 現場の自衛隊や警官たちも奮戦はしているが、如何とも手が足りていない。化け物たちは広範囲に広がっており、その全てをカバーできるほど人間側の戦力も態勢が整っていないのだ。

 

『シャアアアア!!』

「い、いや!! 誰か……誰か助けて!!」

 

 ここにも一人。幼い少女が悲鳴を上げるが、駆けつける大人たちの姿はない。

 守ることのできない、取りこぼされた幼い命を妖異たちは容赦なく貪っていく——

 

「——ぬりかべっ!!」

『ギギャ!?』

 

 だが人間でなくとも、救援に駆けつけるものはいる。

 今まさに少女へと飛び掛かろうとした猿たち相手に、巨大な壁が立ち塞がった。壁はそのまま勢いよく倒れ込み、何匹もの敵をまとめて押し潰していく。

 

「今のうち……逃げる……!」

「う、うん……ありがとう! おっきなカベさん!!」

 

 壁の正体はぬりかべだ。地中から街中を見回っていた彼が慌てて地上へと浮上、少女の危機を救ったのである。

 自分を救ってくれた大きなカベさんを相手に少女は素直にお礼を言い、急いでその場から立ち去っていく。

 

『ギャギャギャ!!』

 

 その小さな後ろ姿に向かって、さらに上空から怪鳥が飛来してくる。

 獲物を逃してなるものかと、本能のままに逃げるその背中へ爪を立てようとする。

 

「——可愛い女子に何やっとるばい!!」

『ギャギャ!?』

 

 しかし、その襲撃はどこからともなく飛んできた一反木綿が妨害する。

 怪鳥の体に巻きつき、キツく締め上げることで相手を飛行不可能な状態へと追いやっていく。翼をもがれたかのように、怪鳥はそのまま地上へと墜落していく。

 

「まったく! こいつら、どこの妖怪ばい!?」

「……分かんない……初めて見る……」

 

 地面に横たわる怪鳥、押し潰された猿どもに目を向けながら一反木綿とぬりかべは互いに顔を見合わせた。

 先ほどから人間たちを襲っている妖怪を、彼らはこれまで見たことがなかった。ゲゲゲの森の妖怪でないことは確か。かといって、西洋妖怪という感じでもない。

 

 いったい、彼らはどこから来た何者なのか?

 

 

 

「一反木綿!! ぬりかべ!!」

「おおっ!! 鬼太郎しゃん! いいところに来たばい!!」

 

 そうやって頭を悩ませている彼らの元に、ゲゲゲの鬼太郎が駆けつけて来る。猫娘も目玉おやじも一緒で、ねずみ男だけはついて来てなかったが、それに気付く心の余裕が今の彼らにはない。

 

「ここに来るまでの間に何匹か退けてきたけど……」

「いったいなんなのよ、こいつらは!?」

 

 鬼太郎や猫娘も人間たちを助けながら、この獣たちを退けてきた。しかしこの妖獣たちが何者で、何が目的かなどは分かっていない。

 何度か問い掛けはしたものの、鬼太郎たちの言葉を理解していないのか、あるいは理解していて無視しているのか。

 問答無用だとばかりに次から次へと襲い掛かってくるばかりで、まるで話にもならないのである。

 

「……!! 鬼太郎、新手じゃ!!」

「!!」

 

 だが、彼らが思案に耽る暇もなく、新たな敵の出現を目玉おやじが警告する。

 父親の叫びと、妖気アンテナの反応に振り返る鬼太郎。

 

 

 するとそこには、一頭の『牛』がいた。

 四本の角が禍々しく、白くて長い体毛が蓑のように逆立って広がっている。

 

 

 妖怪アンテナで感じ取れるその牛の妖気は、明らかにこれまでの雑兵共とは一線を画していた。

 

「……お前が、この妖怪たちの主人か……?」

 

 無駄かと思いつつも、鬼太郎はその牛に向かって問いを投げ掛ける。すると——

 

 

『——否』

 

 

 返事があった。

 鬼太郎の問い掛けに、牛ははっきり『違う』と答える。

 

『我らが主の命だ。主に献上するのに相応しい供物を探している』

「……主?」

 

 どうやらこの牛も、その『主』とかいうものの配下に過ぎないらしい。だがただの使いっ走りにしても、その牛の妖力は凄まじいものがある。

 

『何人たりとも邪魔するものは許さん。ここで朽ち果てよ!』

「なっ!?」

 

 牛はさらに妖気を爆発的に高め、鬼太郎たちへと突進してくる。鈍重な見た目からは想像もできない速度に、鬼太郎らの反応が一瞬遅れてしまう。

 

「ぬりかべ~っ!!」

 

 辛うじて、鬼太郎たちを庇う形でぬりかべが前に出る。その巨体が牛の突進を真正面から受け止めてくれた。

 

『小癪なっ!』

「ぬ、ぬりかべ~っ!?」

 

 だが拮抗状態も束の間、牛はぬりかべの巨体をなんなく撥ね飛ばす。トラックにでも轢かれたかのような勢いで、ぬりかべが後方へと吹き飛ばされてしまった。

 

「ぬりかべ!? ……っ、髪の毛針!!」

「ニャアアアアアア!!」

 

 仲間を戦闘不能に追いやられ、鬼太郎が咄嗟に反撃に出る。猫娘もその爪を鋭利に伸ばし、牛に向かって斬り掛かっていく。

 しかし、生半可な攻撃ではその牛の突進を止められない。

 鬼太郎の髪の毛針も、猫娘の爪も弾きながら、牛は鬼太郎たちの周囲を縦横無尽に駆け回る。何度も何度も突進攻撃を繰り返し、鬼太郎たちの体力を削っていく。

 

「うわわぁ!? また来るとね!」

 

 突進を続けるたびに牛は勢いを付けていき、その繰り返しに一反木綿も狼狽する。

 

「鬼太郎よ! このままでは保たん! 迎え撃つしかないぞ!」

「はい、父さん……!」

 

 このまま勢いが増し続ければ手がつけられなくなる。目玉おやじは暴れ回る牛を止めるべく、攻勢に出るように指示を出す。

 父のアドバイスに従い、鬼太郎も覚悟を決めた。

 

「……!」

 

 牛の突進に対し、鬼太郎が指鉄砲を放つために構える。

 真正面から互いの一撃がぶつかったとき、果たして吹き飛ぶのはどちらか。それは試してみなければ分からないことだろう。

 

「指鉄っ——!」

 

 鬼太郎の指先から青白い光が放たれようとし、まさにその結果が判明しようとした。

 

 

 だが、鬼太郎が渾身の一撃を放つよりも先に——横合いから放たれた『業火』が牛に襲い掛かる。

 

 

『なにっ!? こ、この炎はっ!?』

 

 轟々と燃え盛る炎の直撃を受け、牛がその動きを止めた。牛の体を焼き尽くさんと、炎はまるで意志を持っているかのようにその身に巻き付いていく。

 牛はその業火に耐えるものの、炎の方も一向に消える気配を見せない。延々と燃え続ける炎の中で、牛がもがき続ける。

 

「——ふん……相変わらずタフなやつだ……」

 

 牛の頑丈さに呆れるように嘆息しながら、炎を放ったと思われる男が姿を現す。

 その男は現代人のような格好をしていたが、すぐにその姿を——人ではないものへと変え、本性を露にする。

 

「誰……貴方は、いったい?」

「……っ!」

 

 その姿が放つ『神々しさ』を前に思わず敬語になる鬼太郎。他の妖怪たちも、明らかに人間ではないその男に畏敬の念を抱いてしまう。

 

 男の出で立ちは『仏像』を思わせるものだった。

 赤い髪に褐色の肌。背が高く、剥き出しの肩に無駄のない筋肉。ゾッとするほど整った顔立ちも含め、全体的に人間離れした造形美を醸し出している。

 さらに顕著なのはその身に纏う気配。人間でもなければ、妖怪でもない。

 それは神々の眷属だけが纏うことを許された『神気』と呼ぶべきもの

 

 その男は——所謂、神と呼ばれるものの類だ。

 しかも生半可なものではない。その強烈な神気、かなり高位の神族であるということが窺い知れる。

 

「案ずるな、ゲゲゲの鬼太郎……」

 

 そういった神聖なものたちと妖怪である鬼太郎たち。元来であれば敵対するような関係にあたるものだが。

 

「晴明に頼まれてな……お前たちの手助けに来た」

「晴明さんに……?」

 

 しかし、その神族の男は安倍晴明。あの老人の命令で鬼太郎たちの手助けに来たという。

 あの安倍家の陰陽師が自分たちの手助けをしてくれる。その事実自体に一瞬理解が追いつかずに呆気にとられる鬼太郎たち。

 

「——危ない! 後ろ!?」

『キシャアアア!!』

 

 だが呆然としている暇などなく、さらなる襲撃者の影。

 いつの間に集まっていたのか、街中で暴れていた獣たちの群れが神族の男の周囲を取り囲んでいた。雄叫びを上げながら、数匹の猿が彼の背後から奇襲を掛ける。

 

「——禁!!」

 

 しかし、猿たちの牙が彼の肉体に傷をつけることはなかった。

 

 神族の男の影にいたために気付かなかったが、彼の側には一人の少年が付いていた。その少年が前方に向かって叫ぶや、光り輝く障壁のようなものが立ち昇る。

 

 邪悪なるものの侵入を拒む結界が、血に飢えた獣たちを弾き飛ばしていく。

 

「紅蓮、油断しすぎ!」

 

 少年は隙を見せた神族・紅蓮という男に軽口を叩く。自分が助けに入らなければやられていたかもしれないぞと、その声音はどこか得意げだった。

 

「お前の見せ場を作ってやったんだ。感謝しろ、昌浩」

 

 もっとも、紅蓮からすればその程度は油断のうちにも入らない。その証拠に彼は即座に炎を解き放って反撃に移る。

 放たれた炎はまるで巨大な蛇のように這いずり回り、周囲に展開していた猿どもを一気に蹂躙していく。

 

 

 

 

 

「…………」

「あわわ! おっかなか……」

 

 紅蓮という男から放たれる炎の凄まじさに鬼太郎は言葉を失い、炎が苦手な一反木綿などは戦々恐々となる。

 全てを灰燼と帰すその炎の熱さは地獄の火炎を連想させる。罪人を焼き尽くすとされる煉獄の炎。鬼太郎たちでもあの熱さには耐えられない。まともに喰らえば、きっと灰も残らないだろう。

 実際、炎に呑み込まれていった化け物たち。その全てが断末魔を上げることすら許されずに焼き尽くされていった。

 

 

 たった一匹を除いて——

 

 

『————!』

「なっ!?」

 

 突如、咆哮が周囲一帯に響き渡る。爆発的な妖気の高まりに驚いて振り返れば、そこには一番最初に炎に呑まれた筈の牛の姿があった。

 牛は、その全身を真っ黒に焦がしながらも生きていたのだ。灼熱の業火に耐え切り、自身を束縛していた呪縛の如き炎を四散させる。

 

『おのれ……神将! 人の配下に落ちた神風情が……!』

 

 かなりの痛手を負っているようだったが、迫力の方は全く衰えていない。それどころか、先刻以上の怒気と殺意をその瞳に込め、紅蓮を『神風情』と見下しながら睨みつけている。

 

『二度も貴様らなどに遅れを取るわけにはいかぬのだ! 我らが主の命、今度こそ果たさせてもらうぞ!』

 

 全身を焼かれた満身創痍の状態でありながらも、牛は真っ向から突撃してくる。自らの命すらも捨て、『主』とやらの命令を果たそうとする。その姿からは忠誠心よりも恐ろしい、執念のようなものを感じ取れる。

 

 だが、己の全存在を掛けたその体当たりが、紅蓮や鬼太郎たちのところに届くことはなかった。

 

「——ふっ!」

 

 牛の直線上の上空から、長身の男が舞い降りてくる。

 その男が振り下ろした槍の一閃が、朽ちかけていた牛の体を見事バッサリと両断したのだ。

 

 

『ぐっ!? おのれぇええええ! 申し訳ありません……様!』

 

 

 死に際、牛は主らしきものの名を絶叫しながら——今度こそ完全にその肉体を崩壊させていった。

 

 

 

×

 

 

 

「……貴方たちは? 晴明さんの指示とのことですが……味方と、考えてもいいんでしょうか?」

 

 化け物たちの中でも特に強力だった『牛』の妖怪が沈黙したことで一旦は腰を落ち着ける鬼太郎。

 猫娘や一反木綿、一時は戦線離脱していたぬりかべなど。仲間たちと共に、安倍晴明が寄越してきた救援者たちと向かい合う。

 

「ああ……うん! 俺は昌浩、じい様の孫だよ。よろしく、ゲゲゲの鬼太郎……さん!」

 

 鬼太郎の問いに率先して答えたのは人間の少年だった。

 安倍晴明の孫であるという安倍昌浩。祖父と同じ陰陽師なのだろうが、服装があまりにも普通過ぎるのでいまいち貫禄がない。だがそれでも一角の術者、先ほども見事な陰陽術で妖怪たちを退けていた。

 

 もっとも、他二人に比べればまだまだ未熟者だろう。

 あの牛を屠りさった神族の男が二人。炎を操っていた男と、鋭い槍の使い手たる男。あの牛は彼らのことを憎々しげに神将、また『人の配下に落ちた神』と口走っていたが。

 

「俺のことは騰蛇(とうだ)と呼べ。こっちが六合だ」

「…………」

 

 炎の使い手である褐色肌の男が自分の名と、寡黙なもう一人の名を告げる。それ以上、自分たちが何者なのか詳しく説明するつもりはないのか、余計なことはあまり喋らない。

 

「騰蛇じゃと!? それに六合といったか? ……なるほど、お前さんたちが噂に名高い十二神将か……!」

「父さん? 彼らのことを知っているんですか?」

 

 しかし、彼らの名前に目玉おやじが驚愕に目を見開く。当然の流れとして、鬼太郎は父に彼らのことについて尋ねる。

 

「うむ……千年前の安倍晴明、かの陰陽師が従えていたとされる式神たちじゃよ!」

 

 

 十二神将(じゅうにしんしょう)

 平安時代に生きていた安倍晴明本人によって使役されていたとされる、十二の式神。彼らは陰陽師たちが占術の際に使用する『六壬(りくじん)式盤(しきばん)』という器具にその名が記されている神だ。

 仏教においても十二神将と呼ばれる、薬師如来を守護する武将たちの名が上げられることもあるが、それとは明確に違う存在。

 十二天将とも呼称され、式盤に記されている属性や、吉凶、陰陽、方角によってそれぞれ違った能力、役割を秘めているとされる。

 

「わしも噂だけで直に見るのは初めてじゃが……彼らは代々の安倍家の人間たちに仕え、それを守護していると聞く」

 

 安倍家の本家が京都にあり、目玉おやじ自身が陰陽師たちに狙われるような悪事をしてこなかったため面識はないが、彼らの存在は妖怪たちの間で畏怖の象徴として語り継がれてきた。

 もしも安倍家に目をつけられるようなことをすれば陰陽師だけではなく、彼ら神将をも敵に回すことになる。悪事を働く妖怪たちにとって、これ以上の恐怖はないだろう。

 

「最近ではほとんど名を聞くこともなくなったが……」

 

 もっとも、現代では安倍家が大々的に動くことが出来なくなったためか。その活躍を耳にすることもほとんどなくなった。

 既に人界から身を引き、彼ら本来の居場所である天界にでも帰ってしまったと思われていた。

 

 

「……そうだ。俺たち神将は晴明の……最初の主であるあいつの頼みで、ずっと安倍家と共にある」

 

 しかし、神将たちは現代でも安倍家の人間たちと共にあった。

 初代の主である安倍晴明の頃から千年間、ずっとその子孫を見守り続けてきたと。どこか感慨深げな視線を騰蛇は昌浩へと向ける。

 

「そうそう! こう見えても紅蓮はお爺ちゃんなんだよ! ねっ!?」

「神を年寄り扱いするな。俺たち神将は人間のように歳など取らん」

 

 すると昌浩は、そんな保護者的な立場である騰蛇の背中を無邪気にドンドン叩きながら、彼と気さくに接する。

 ちなみに、昌浩はあの神将『騰蛇』を何故か『紅蓮』と気軽に呼んでいる。

 

 騰蛇といえば、十二神将でも『驚恐(きょうきょう)』を司る狂将。神将の中で最も獰猛で凶悪。地獄の業火をその身に纏う煉獄の主とされている。

 先ほども容赦なく妖たちを焼き尽くしたように、その炎は凄まじいの一言に尽きる。

 

「…………」

 

 今は味方とはいえ、そんな業火を前にしては鬼太郎たちでさえも警戒を緩めることが出来ない。

 そんな凄まじい煉獄の主を相手に、昌浩は無防備な笑顔を向けている。

 

 彼の騰蛇——紅蓮に対する信頼感がそこから垣間見えるようだ。

 

「……騰蛇、昌浩。新手だ……」

「……!」

 

 しかし、そんな風に彼らが和んでいたのも束の間。それまで無駄口を叩かないでいたもう一人の神将・六合が新たな敵の接近を警告する。

 

「……上だ!」

 

 鬼太郎たちもその敵の影に気付き——上空を見上げた。

 

 

 

 

 

『ほう……これはこれは。とんだ巡り合わせもあったものだな、(ガク)よ』

『然り。まさか、斯様な地でこやつらと再び相まみえようとはな、(シュン)よ』

 

 羽ばたき音を響かせながら上空より舞い降りてきたのは——二羽の怪鳥であった。

 人間を捕食できそうなほどの大きさ。獰猛な嘴や爪は大鷲を思わせるが、明らかに異質感を隠しきれぬ風体。

 互いのことを『ガク』『シュン』と呼び合いながら、その鳥たちは鬼太郎や昌浩たちの眼前へと降り立った。

 

「この妖気は……」

「こいつらも、さっきの連中の仲間か?」

 

 その鳥妖どもを前に、先ほどまで笑顔を浮かべていた昌浩もさすがに真顔になっていく。鬼太郎も妖怪アンテナで相手の妖気を探るが、感じ取れる力は先ほどの牛と同等、あるいはそれを上回るものであった。

 それが二羽。いかに鬼太郎たちでも迂闊に動くことは出来ない。それは安倍家の面々も同じ。

 

 相手の出方を伺う必要があると、暫し静かにその鳥たちと対峙する。

 

『!! 見てみよ、鶚よ!!』

 

 すると、片方の鳥妖が目を見開く。

 

『あれなるは我らを討ち滅ぼした憎き方士の小僧! 神将のみならず、あやつまでもがこの時代に生き延びていようとは……』

『鵕よ、お主の言うとおりだ。あれは間違いなく、あの方士めの小僧だ。きっとおかしな術でも用いて生き延びたのだろう、小癪な小童め!』

 

 二羽の怪鳥は方士の小僧——昌浩のことを見つけ、その顔を歪めた。

 その表情からは憤怒、憎悪。昌浩に対する並々ならぬ敵意が感じ取れる。

 

「………えっ? はっ? お、俺?」

 

 しかし当の本人は呆然としている。相手が何を言っているのか分からないといった感じだ。

 

「…………」

「…………」

 

 一方で神将たちは何も言わない。彼らは昌浩を庇うような立ち位置で鳥妖どもを睨み付けている。特に紅蓮の視線からは、まるで相手を射殺さんとするばかりの殺気が放たれている。

 

『鶚よ、連中は相変わらず人間などに使われているようだな……落ちた神とは惨めなものよ』

『そう言うな、鵕よ。所詮神などその程度。いずれにせよ、たかが知れたものよ』

 

 だが、神将の殺意をも平然と受け流しながら、互いに軽口を叩き合う鶚と鵕。先ほどの牛同様、安倍家の式神である紅蓮や六合のことを落ちた神と嘲笑っている。

 

「……ふん、笑わせるな」

 

 すると、それに紅蓮が鼻を鳴らした。

 

「その神風情に遅れを取ったのはどこのどいつか、もう忘れてしまったようだな? 知っているか? そういう物忘れが激しいやつのことを、人間たちの間では鳥頭と馬鹿にされるそうだぞ」

『なんだとっ!?』

 

 挑発的な神将の言動に片方の鳥が憤りを露わにする。鳥である彼らにとって、その発言は最大限の侮辱だろう。

 しかし、怒っているのは紅蓮も同じようだ。

 

「性懲りもなくこの騰蛇の前に出てくるとは……今度は魂までも燃やし尽く、二度と現世に出てこれなくしてやるぞ!!」

 

 紅蓮の怒りと連動するように、彼の体から自然と炎がこぼれ出している。

 

「……っ!」

「あわわ……」

 

 彼の怒気や炎の熱さを肌で感じ取り、猫娘や一反木綿などが人知れず体を震わせる。

 

「ぐ、紅蓮……?」

「…………」

 

 これには紅蓮に全幅の信頼を置いているであろう昌浩も戸惑う。唯一、紅蓮の怒りの理由を理解しているのか、六合は何も言わないでいる。

 

 

 

「…………」

 

 このとき、鳥妖怪と神将らの会話に耳を傾けながら鬼太郎は思案に耽っていた。

 

 先ほど、牛の妖怪と戦っていたときもそうだが、神将たちは我が物顔で街を荒らし回っているこの連中と面識があるような口ぶりである。

 過去に戦ったことのある相手なのか、相手側からも紅蓮や昌浩に対する強い怨念のようなものがヒシヒシと伝わってくる。

 

「…………?」

 

 しかし、恨まれている当人である昌浩自身が未だに状況を把握し切れていない。

 何故、この妖怪たちが自分のことを『方士』と名指しし、恨み節を吐き捨ててくるのか、全く身に覚えがない様子だ。

 

「ガク……シュン……どこかで聞いた、その名を見た覚えが……」

 

 その一方、鬼太郎の頭の上で目玉おやじも腕を組んでいる。

 鳥妖怪の名前と思しき、鶚と鵕と言う響きに必死に頭を悩ませているが、歳のせいかなかなか思い出せないでいる。

 

 果たしてこの鳥どもは何者なのか。神将たちとどのような因縁があるのか。

 とりあえず、鬼太郎は事の成り行きを見守っていく。

 

 

 

 

 

『落ち着け、鶚よ。確かに我らを一度敗れた。それは事実よ……』

『……そうであったな鵕よ、二度とあのような不覚を取らぬためにも、心して挑まねばなるまい』

 

 紅蓮の挑発に、もう一羽の鳥が冷静になるように言い含める。

 互いに息の合ったもの同士、その指摘で落ち着きを取り戻したのか。二羽の妖鳥から、油断や慢心といった感情が消え去っていく。

 そして、互いに内なる妖気を静かに高めていっているのが気配から伝わってきた。

 

 ——来るか!?

 

 昂る妖気と戦意、いつ襲い掛かってきてもおかしくない相手の姿勢に鬼太郎たちも身構える。

 昌浩も懐から何かしらの呪符を取り出し、神将たちも神気を昂らせていた。

 

 このまま一気に戦端が開かれる。その場にいた全てのものが思っただろう。

 

『——!!』

『——!!』

 

 しかし、今にも飛び掛かって来そうに身を乗り出していた双璧の鳥が揃って動きを止める。

 彼らは憎き怨敵である方士や神将たちを前にしながらも、どこかあらぬ方向を振り返っていた。

 

「……? なんだ、何を見てる?」

 

 つられて鬼太郎たちもその方角に視線をやったが、そちらからは何の妖気も感じ取れない。

 いったい、彼らが何を見ているのか検討も付かない。

 

『——控えよ、貴様らも妖ならば、最低限の礼儀を尽くせ』

『——許しを請うように這いつくばれ。我らが主の御前である』

 

 すると、鶚と鵕はその視線を鬼太郎たちへと向け、彼らに平伏するよう高圧的に命じる。

 同じ妖怪である彼らに、せめて襟を正せ——主の御前での無礼は許さない、そう言っているのだ。

 

「……!? なんだ? 何か……いる?」

 

 その言葉にもう一度、鶚と鵕が見ていた方向に目をやる。

 やはり何の妖気も感じ取れなかったが——そちらから、何かがのっそりと歩いて来ているのが見えた。

 

 鶚と鵕が歩いて来る——『それ』のため、互いに左右に別れて道を開けた。

 

 

 

 

 

「…………牛?」

 

 そこにいたのは、またも一頭の牛であった。

 しかも先ほどの四本角の牛とは違い、全くといっていいほどに妖気が感じられない。大きさも普通、本当にどこにでもいるような、真っ黒いただの牛である。

 

 少なくとも、外見上は——

 

『これは驚いた。神将どもだけではなく。よもや貴様とも再び巡り合うことになるとはな……方士よ』

 

 しかし、こいつもただの牛ではなかった。

 その牛は無機質な目を神将、そして陰陽師である昌浩へと向けながらくつくつと嗤う。

 

「貴様っ! やはり……!!」

「…………!」

 

 その牛に対し、紅蓮や六合がこれまで以上に警戒心を剥き出しにする。鳥妖以上に、油断出来ぬ相手だということだろう。

 

「な、何なんだよ……さっきから。俺はお前らのことなんか知らないぞ!」

 

 だが、やはり昌浩には相手が何を言っているのかさっぱりだ。

 

 立て続けに自分のことを知っているかのような妖怪どもの口ぶりに、いい加減彼自身も苛立ちを募らせる。お前たちのことなど知らない。何者かも分からない相手に、一方的に恨まれるような筋合いはないと真っ向から吐き捨てた。

 

『——なんだと?』

 

 だがこの返答に——牛は激怒した。

 

 

『我を……忘れたと? 貴様が我に与えた屈辱の数々。それを貴様は……覚えていないとでも、ほざくのかぁあああああ!!』

「……っ!?」

 

 

 荒ぶる牛が、その蹄で激しく地面を踏み荒らす。

 その身に妖気など全く纏っていない筈なのに、その怒号だけでも昌浩の背から冷たい汗が滝のように流れ落ちていく。

 

『あ、主よ!! 怒りをお鎮めください!!』

『き、貴様……方士! 我らにだけでなく、主にまでそのような舐めた口を!!』

 

 怒り狂う主に鶚と鵕が狼狽。怯えながらも、何とか主の気を落ち着かせようと宥めている。

 二羽の鳥妖にとっても、この何でもないような牛がよっぽど恐ろしい相手なのだろう。

 

『……そうか。覚えておらぬか……』

 

 鶚と鵕の言葉もあり、牛も一旦は気を落ち着かせる。だが、すぐにでもその表情を嗜虐的なものへと変え、口元をニタリと歪める。

 

 

『——ならば……思い出させてやるまでのことよ! 我の恐怖を……今一度なぁぁ!!』

 

 

 そう叫びながら——牛は化け物としての本来の姿を曝け出していくことになる。

 

 

 

 

 

「……なっ!?」

 

 化け物の変わりようには、鬼太郎も目を見張った。

  

 まずはその体躯。ただの牛だったその姿が大きく膨れ上がり、黒一色だった毛並みに金と黒の縞模様が浮かび上がってくる。

 口元には鋭い牙を覗かせ、四肢の先には長くて鋭利な爪。その姿は動物でいうところの『虎』に似たものであった。

 そこへさらに普通の虎には絶対にない、大鷲の如き翼をはためかせ周囲に旋風を巻き起こす。

 

 

『——ぶらあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!』

「こ、こんな……妖気がっ!?」

 

 

 牛から虎の怪物へと変化したそれが咆哮を上げる。それにより解き放たれる膨大な妖気に絶句する一同。

 先ほどまでの擬態した姿からは全く妖気を感じられなかったからか、尚更それが強大なものに感じられる。この怪物が放つ威圧感に比べれば、側に控えている二羽の怪鳥の存在感など児戯にも等しい。

 鳥妖どもが、この主とやらに当然のように仕える理由も納得できるというものだ。

 

 これほどまでに強烈な妖気、かの西洋妖怪の帝王にも全く引けを取っていない。

 これほどの妖気を持った大妖が、未だこの国に潜んでいたことに驚きを隠せない。

 

「こ、こやつ……もしや、窮奇(きゅうき)か!?」

「窮奇……ですか、父さん?」

 

 そこで目玉おやじが声を上げる。

 ずっと何事かを考えていた彼が、ようやく何かを思い出したとばかりにポンと手を叩いたのだ。

 

「そうじゃ……山海経じゃ! 鶚と鵕! あやつらの名も、確か山海経に書かれておった!!」

 

 山海経(せんがいきょう)とはその昔、はるか西の大陸からこの東洋に伝わってきたとされる書物である。そこには大陸の山や川といった地理の情報。動物や植物、鉱物などの産物の記録が多く記載されている。

 あまりにも古すぎる記録のため、完全な原本は残されていない。今現存する山海経も写本であったものを復元したり、再編集したりしたものがほとんど。

 ゲゲゲの森の図書館にもその写本が一部残されており、それに目玉おやじは目を通したことがあるらしい。

 

「窮奇は牛から翼の生えた虎に姿を変えるという……まず間違いなかろう!!」

 

 山海経の一説には、妖怪や神々などに関する記述もあるという。

 鶚と鵕という妖怪の名もその書物に記載があり、勿論、眼前の怪物——窮奇に関する記述もあったという。

 

 その姿は牛によく似た、はりねずみの毛、虎に変化し大鷲の翼を持つとされる。

 

「妖怪たちが暮らす山、その頂の一つに君臨するとされる大妖怪……四凶の一つにも数えられる魔獣じゃ!」

 

 さらに窮奇といえば大陸の神話においても悪神とされる、四体の魔獣——『四凶』の一柱としても恐れられている。

 これほどの妖気を持ち、鶚や鵕といった妖怪たちを従える。窮奇という大妖怪であれば納得も出来よう。

 

 

 

「大陸の……じゃあ!? こいつが高龗神が言ってた……異邦の影ってやつなのか!?」

 

 目玉おやじの言葉に昌浩が何かを理解したように叫んだ。

 

 

 昌浩が口にした『高龗神(たかおかみのかみ)』とは、京都にある貴船神社。そこに御祭神として祀られている水の神様である。

 古くより安倍家の人間たちとは馴染みが深いとされ、時折彼らの夢の中にその姿を現し、神託を告げるという。

 大抵は『偶には顔を出せ』とか、『もっと自分を敬え』とか。割とどうでもいいことばかりを気紛れに告げるのだが。

 その高龗神が、至極まともな口ぶりで昌浩の夢に現れ、警告を促したという。

 

『——心せよ人間、かつて我の力を封じた『異邦の影』どもが、再びこの国に災いをもたらそうとしている』と。

 

 その夢の内容を晴明や紅蓮たちに話すや、彼らの顔が険しいものに変わったことを昌浩は覚えている。

 この瞬間にも、彼はそのときのことを思い出しながら、この大妖怪と対峙していく。

 

 

「……ああ、そうだ。こいつらが異邦の妖異……いや……」

 

 そんな昌浩を、窮奇の放つ恐ろしい妖気から庇いながら、紅蓮は忌々しげに相手を睨みつけていく。

 

 彼ら神将にとっても窮奇はかなりの難敵だった。

 その当時の戦いの記憶を思い出しながら、ふと紅蓮は場違いにもあることを考える。

 

「今は、そんな言い方はしないんだったな……」

 

 そう、『異邦の妖異』とは、彼らが窮奇と初めて対峙した平安時代での呼び方だ。

 あの時代はこの国、日の本の国の外。海から渡ってきたものを一括りに『異邦』と呼んでいた。

 

 しかし今の時代、そのような呼び方はしない。

 窮奇がどこから来た何者なのか。何と呼ぶべきかを理解しているからこそ、紅蓮も思わず彼らのことをそのように口走っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「中国妖怪……窮奇!!」

 

 

 大陸から海を越えてやって来る、想像を絶する化け物たち。

 

 この令和の世にも、彼らの魔の手がこの日本に迫っていた。

 

 




人物紹介

 安倍昌浩
  原作の主人公がようやく登場。今回は現代版がメインですので、思考そのものは現代っ子。
  平安版も昌浩という主人公であり、現代の昌浩とそっくりさん……といった設定らしい。
  タイトルにもある通り、今回は彼の『少年』としての成長を描写していきたいと思います。

 紅蓮
  昌浩の相棒的存在。十二神将の騰蛇。紅蓮は晴明によって名付けられた別名です。
  自分が認めたもの以外は決して紅蓮とは呼ばせない。作中では晴明と昌浩しか呼んでいなかったと思う。
  とりあえず、地の分では紅蓮と表記させてもらいます。騰蛇って、書くのすごくめんどい。

 六合
  十二神将の一人。アニメでは風音編で色々と活躍する色男。
  普段から寡黙な性格であまり喋らない。
  今回の話自体もあくまで窮奇編をメインにしていますので、活躍は控えめにさせていただきます。

 窮奇様
  少年陰陽師を知らない人でも、一度は聞いたことがあるだろう大妖怪。
 『スパロボ』では窮奇王というロボットとして、『半妖の夜叉姫』でも女性窮奇が登場します。
  自分は窮奇といったら、少年陰陽師のが一番好きです。
  初期のボスですが、悪役として三巻にわたって主人公を苦しめていく。
  強力若本ボイスの影響でさらに大物感アップ!

 鶚と鵕
  窮奇の配下。二羽で一組といった感じの怪鳥たち。
  こいつらに限らず、窮奇の配下は全員『山海経』に名前が記されている妖怪たちです。
  鶚と鵕の場合、原点では『大鶚』『鵕鳥』という記載があるそうです。
  こいつら以外もそうですが、中国妖怪ってみんな漢字がめんどくさすぎる。
  普通に変換しようとしてもまず出てこない。書けるかこんなのっ!!

 ゴウエツ
  四本角、白い体毛が蓑のように広がっている牛。人を喰らう怪物。
  作中では名前を記せませんでした。こいつに限っては、マジで漢字変換できんかった。

 中国妖怪
  というわけで、今回から登場しました中国妖怪!
  一応、6期の原作でも画皮や九尾の狐がこの中国妖怪に分類される筈だと思います。
  ちなみに、6期は妖怪が登場する際、『青い炎で妖怪の名前を浮かび上がらせる』という演出がありますが、西洋妖怪は鐘の音。大逆の四将は悲鳴のようなBgmが鳴り響きます。
  中国妖怪の場合、自分は銅鑼の音をイメージしています。「銅鑼を鳴らしなさい!!」……これは誰の台詞でしたかな?
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

少年陰陽師 其の③

唐突ですが、皆さんは『ダイの大冒険』のアニメを視聴していますか?
作者はダイの大冒険の原作コミックスは全巻所持し、2020年にアニメ化されると聞いてとても楽しみにしていたのですが。実際に見てみると「あれ? この台詞飛ばすんだ」とか「……ここの描写、省かれとる」とか。
ちょっと細かいところが気になってしまい、途中から全てを見るのは諦めて飛ばし飛ばしで見てきました。
まあ、傑作であることは分かっていたので、要所要所が見れればいいかな……と思っていたんですが。

ただ73話、『炎の中の希望』だけは全てガッツリ試聴して来ました!
ここだけは、ここだけは絶対に見たかった……このシーンだけでも、ダイの大冒険を現代に蘇らせらた意味があったと、大きな声で言えるほど!!
リプレイで試聴するたびに涙がボロボロ出てしまう……一応ネタバレを防止するために詳細は語りませんが、まだ見てない方は、ダイの大冒険に少しでも思い入れがある方であれば是非とも試聴していただきたい。
こんなん……絶対泣くわ。


さて、肝心の本編。
其の③でもまだ途中ということですが、それでもかなり長めとなってしまいました。
結構読みにくい部分とかあるかなと、個人的にも思いますので、どうぞゆっくりと読み進めて頂きたい。

ちなみに、今作のテーマは『少年が戦う理由』です。
ここでいう少年とは、安倍昌浩とゲゲゲ鬼太郎のことを指しています(鬼太郎も妖怪的には少年だと思いますので)。
二人の少年の視点に注目して、楽しんでもらえればと。



 ——な、なんなんだよ……こいつ……。

 

 安倍昌浩は戸惑っていた。

 眼前に立ち塞がる強大な妖異・窮奇を前に得体の知れない感情が彼の胸中を支配していく。

 

 

 安倍家の人間として生まれた昌浩。彼は当然のように『陰陽師』となる道を選んでいた。

 それは別に誰に強制された訳でもない。安倍家の人間に生まれたからといって、必ずしも陰陽師として大成しなければならない訳でもない。

 現に昌浩の父や歳の離れた兄たち。彼らは皆、別の仕事に就いたり、学業に集中したりと。陰陽師としての修練を積みながらも別の道を進んでいる。

 

 このようなご時世だ。少なくとも、陰陽師だけで食っていけるほど甘くないのが人間社会というもの。

 昌浩はまだ中学生ということもあって、陰陽師以外の将来について明確なビジョンを浮かべられてはいない。

 とりあえずの目標として陰陽師の修練を積みながら、安倍家の一員として妖怪、悪霊を退治したり鎮めたりする仕事を、小規模ながらもひっそりとこなしてきた。

 

 無論、陰陽師を名乗る以上、半端な仕事は許されない。

 昌浩以外もそうだが、陰陽師としての訓練を課される際、安倍家の人間は徹底的に『十二神将』たちにしごかれることになっている。

 

 十二神将。

 

 ご先祖様の中でも特に有名とされているあの『安倍晴明』の頃から千年間。昌浩が生まれるずっと前から安倍家の人間を守り続けてきた式神たち。

 昌浩も赤子の頃から彼らに面倒を見てもらっているため、一向に頭が上がらない。

 

 特に騰蛇——紅蓮には本当に世話になっている。十二神将の中でも特に彼のことを信頼しており、その力を頼りにしている。

 彼が操る『炎』。妖怪たちからすれば恐ろしくてたまらないものに見えるらしいが、紅蓮を慕っている昌浩からすれば何てこともない。

 

 寧ろ、綺麗だと思った。

 まるで水面に咲き誇る紅の蓮のようだと。柄にもなく、そんな詩的な表現が浮かんだほどだ。

 

 ああ、だから——『騰蛇』は『紅蓮』なんだと、妙に納得したほどだ。

 

 

 

 

 

 だからなのだろう。

 それほどの信頼を紅蓮や十二神将たちに抱いていたからこそ。

 

 昌浩は——『ここ最近の妖怪情勢に対する安倍家の対応』に、少なからず不満を抱いていた。

 

 安倍家が昔から政界との繋がりが深いことは、昌浩も幼少期の頃から聞かされている。

 過去にも歴代当主が何度か政治家からの依頼を受け、この国の危機を人知れず救ってきたという武勇伝も伝わっている。

 

 しかし、前総理——あの女性が総理を務めるようになってからというもの。安倍家が国家の大事のために動くことはなくなった。

『この国を守るのに、陰陽師などという訳のわからない連中の力など必要ない!!』というのが、彼女の言い分だという。

 国の代表がそのような方針であったために、安倍家は重大事件の際、常に蚊帳の外に置かれていた。

 

 八百八狸に政権が乗っ取られたときも。

 玉藻の前を始めとした、地獄の四将たちが現世を混乱に陥れていたときも。

 バックベアードが、正面から全面戦争を仕掛けてきたときでさえも。

 

 面子やら政治的駆け引きやら。政治家たちの身勝手な都合のために動くことが許されず、結果として多くの人々が苦しむことになってしまった。

 

 あのとき自分たちが動けていれば、人々の犠牲はもっと少なくなっていた筈だ。

 昌浩自身は自分が未熟者であるという自覚はあるが、十二神将たちであればあのようなものたちに遅れを取ることもないと。

 そういった不満を、昌浩はずっと胸の内にため込んでいた。

 

 

 しかし、それを愚痴として溢すと神将たちは決まって難しい顔で言うのだ。

 

 

『——自分たちでも、確実に勝てるとは限らない』と。

 

 

 ——……そうかな? 紅蓮たちなら、楽勝だと思うんだけど……。

 

 神将たちの実力を昌浩は知っている、知っているつもりだ。

 自分など足元にも及ばない、彼らの強烈な神気を前にすればどんな妖とて物の数ではない。

 

 今までこの国を苦しめてきた大物妖怪でさえも、神将たちであれば容易く撃退できる筈だと。

 

 彼らを苦戦させる妖怪など、そうそういる筈もないと——そう、思っていた。

 

 

 

 

 

『——ぶらぁあああああああああああああああ!!』

 

 だがここにきて、昌浩は思い知ることになる。

 

 ——……なんなんだよ!! こいつはっ!?

 

 強大な妖気に冷や汗が溢れ出す。体が震えるのを止められない。

 窮奇という大妖を前に、少年の陰陽師としての自負や覚悟など張り子の虎も同然だった。あまりの恐怖から、隣に立つ紅蓮の手を縋るように掴んでいた。

 

「……大丈夫か、昌浩。気をしっかり持て」

 

 昌浩の動揺を察して紅蓮が声を掛けてはくれるものの、その視線はずっと窮奇へと向けられている。

 目を逸らす余裕がないということだろう。もう一人の神将である六合も、ゲゲゲの鬼太郎とその仲間たちも。

 窮奇に対して隙を見せまいと、皆が臨戦態勢で構えている。

 

 ——みんな……怖くないの? こんな……化け物を相手に……!?

 

 周囲の反応に昌浩は戸惑う。

 今にも足がすくんで躓きそうになる自分とは違い、彼らは強い決意を持ってその場に立っている。

 窮奇という存在を脅威と感じていながら、それでも堂々と立っていられる彼らが率直にすごいと思った。

 

 

 昌浩は、これまで妖怪というやつを芯から『怖い』と思ったことがない。

 幼少期から十二神将という神秘に触れており、陰陽師としても妖怪と対峙してきた。されども、彼らに対する忌避感というのもほとんどなく、何なら友達のような関係の雑鬼・力の弱い妖たちだっている。

 

 彼にとって妖怪とは、そこにいて当たり前の存在。

 良くも悪くも日常の一部であり、それを変に意識することもなく今日に至っている。

 

 だが、目の前のこれは——窮奇は違う。

 

 これは存在そのものが、そのまま『死』に直結する化け物だ。

 人間とは決して相容れない、邪悪の権化、暴力の化身。

 

 同じ空間内にいるというだけで息が詰まる。こんな化け物が、当然のように存在しているのが衝撃的だった。

 

 ——これが、本物の……大妖怪……。

 

 十二神将であれば楽勝などと、とんだ思い違いである。

 彼らでさえも絶対に勝てるとは断言できない妖怪が、まだまだこの世にはいるのだと。

 

 

 昌浩はこの日、恐怖と共にその事実を実感として思い知ったのである。

 

 

 

×

 

 

 

『ふん……どうだ、思い出したか? 我に対する恐怖を! この窮奇と対峙する絶望をなぁ……』

 

 顔面蒼白になる昌浩を視界に収めながら、窮奇は満足気に嗤う。

 

 自分のことを知らないなどとほざいた、憎き方士の小僧・安倍昌浩。窮奇にとって少年はまさに因縁の相手。自身の雪辱を遂げるためにも、必ずや殺さなければならない怨敵だ。

 それなのに「覚えていない」などと、ふざけるにもほどがある。窮奇が怒り狂うのも当然のことであった。

 

『今更後悔しても遅いぞ、方士!』

『その不敬を含めた無礼の数々……死を持って詫びるがいい!』

 

 窮奇の配下である鶚と鵕もまた、十二神将や昌浩に恨みを持つ身だ。過去の無念を晴らそうと、主同様に妖気を昂らせている。

 

 さらに、ここにいる以外にも昌浩たちに恨みを持つものが窮奇の配下には大勢いる。

 その全てが昌浩の命を、いや殺すだけでは飽き足らない。彼という人間を生きたまま苦しめてくれようと、その身を付け狙っているのだ。

 

 だが——

 

「し、知らない……お前たちのことなんて……俺は知らない……」

 

 それだけの恨みに晒されながらも、恐怖に顔を引きつらせながらも、昌浩は彼らのことなど『知らない』という事実を口にする。

 

『くぅ! 貴様……この期に及んで……まだ白を切るかぁああああ!!』

 

 その台詞に、窮奇は大妖怪としてのプライドを大いに傷つけられる。

 自分に『あれだけ』の屈辱を与えておきながら、その当人はそれを覚えていないという。この窮奇を侮辱する気かと、ますます怒り狂ったように咆哮を上げる。

 

「……っ!」

「……!!」

 

 その怒号に昌浩や鬼太郎たちまでもが、さらに身を固くする。

 

「待て、窮奇!!」

 

 だが、ここで十二神将の一人、騰蛇こと紅蓮がたまらず声を張り上げた。

 

 

「——こいつは……こいつはお前の探している昌浩じゃない!!」

「……えっ?」

 

 

 その言葉に昌浩は目を見開く。

 自分が『昌浩』ではないとはどういうことかと、思わず紅蓮の顔を窺う。

  

「…………」

 

 紅蓮は昌浩を守るため、窮奇を相手に一歩も引かない姿勢を見せつける。相変わらず頼りになる精悍な顔つき。

 

 しかし——昌浩は、その紅蓮の横顔に一抹の寂しさのようなものを感じ取る。

 

 こういう紅蓮の顔を昌浩は知っている。

 幼少期の頃から、自分を見つめる際に時折見せる表情だ。もしかしたら自分ではない『昌浩』という別の人のことでも、思い出しているのかもしれない。

 

「あいつは死んだ……もういない! ここにいる昌浩は別人だ! 千年前にお前を打ち倒した安倍昌浩とは……違う!」

 

 千年前。

 それが窮奇と十二神将、そして『昌浩』という陰陽師がこの強敵と初めて対決したときなのだろう。

 だが人間は千年も生きることはできない。たとえ同じ名前でも、どんなに似ていようとも。

 

『現代』を生きる昌浩と、『過去』を生きた昌浩は違う人間だと。

 

 紅蓮は——まるで自分自身にも言い聞かせるように叫んでいた。

 

 

『ほざくな、神将!!」

 

 

 しかし、紅蓮のその言葉を窮奇は戯言と切って捨てる。

 

『その顔……その身に宿した霊力!! その魂の形を見間違う我だと思うな!!』

 

 窮奇は昌浩へと視線を向けながら吠えたける。

 面差しだけではなく、その内面的な資質まで。よっぽど千年前に戦ったとされる『昌浩』に酷似しているのだろう。

 

『その小僧は紛れもなくあの方士!! 千年前に我を討ち滅ぼした……我が怨敵! よしんば違ったとしても……生まれ変わりの類には相違あるまい!!』

 

 自分を倒した相手に間違いはない。たとえ違っていたとしても、何の関係もない訳がないのだと。

 

 かつて滅ぼされたその憎しみ。

 その全てを昌浩という人間にぶつけるため、窮奇は殺意をさらに剥き出しにしていく。

 

 

 

 

 

「!! 鬼太郎、また新手じゃ!!」

 

 目玉おやじが周囲を見渡す。

 主である窮奇の殺気立った咆哮に引き寄せられたのか。あちこちに散らばっていた獣の群れがまたも集まってくる。

 

「まだこんなに……」

「こんなの……キリがないわよ!」

 

 これまでも何度か撃退した筈なのだが、一向に減る気配のない妖獣ども。いったい、どれだけの配下を従えているのか。その群れの規模にもはや辟易するしかない。

 

『……おい、貴様ら! 与えられた役目はどうした?』

 

 窮奇側はその群れを自分たちにけしかけ、一気に攻勢に出るかに思われた。

 だが、鳥妖の片割れ・鵕は集まってきた獣たちに向かって何事かを問い掛ける。

 

『…………』

『…………』

 

 その問いに獣たちの何匹かが互いに顔を見合わせるが、誰も返事はしない。どうやら彼らは肝心の『命令』とやらを未だに完遂していないらしい。

 

『ちっ! 何とも不甲斐ない連中よ。小娘一人探すのに何を手間取っておるか!』

 

 配下たちの愚かしさを、鶚の方も呆れ果てるように叱りつけていく。

 

「…………小娘?」

 

 鳥妖たちが口にした命令、小娘という言葉に鬼太郎は引っ掛かるものを覚える。

 嫌な予感だ。そしてその予感は——次の瞬間、最悪な形として的中する。

 

 

『——とっとと主のために供物を……犬山まなとやらを探し出してこぬか、この鈍間どもめがぁ!!』

 

 

「——っ!!」

 

 鳥妖たちが何気なく口にした、『大切な友達』の名前に鬼太郎の心臓が跳ねる。

 何故、よりにもよってこの中国妖怪たちの口からその名が出て——あまつさえ、『供物』などという不穏な台詞を響かせるのか。

 

「っ!? あ、アンタたち!! 何でまなのことをっ!?」

「まなちゃんを……供物って!?」

「ぬ、ぬりかべ~!!」

 

 これには猫娘や一反木綿、ぬりかべも即座に反応を示す。

 

 それまでは窮奇と安倍家に因縁らしきものを感じ、何処となく話に割り込みにくかったが、彼らがまなを標的にしているのであれば黙っているわけにもいかない。

 連中がどうしてまなを狙うのか、その理由を問い詰める。

 

『知れたこと! その身に極上の霊力を宿しているという娘!』

『贄として相応しい……主に献上するのみ!』

 

 鶚と鵕は、さも当然とばかりに言い返す。

 彼らは人間、特に霊力の高いものを喰らうことで自身の妖力を高める。それ自体に因縁めいた理由などは必要なく。

 ただの食糧——『ご馳走』として、彼らはまなを探しているに過ぎないのだと。

 

『……! そうか……貴様が、ゲゲゲの鬼太郎だな……くっくっ』

 

 すると、そこで窮奇は初めて鬼太郎たち、日本妖怪に意識を向ける。

 昌浩や神将たち相手とは違い、その視線はどことなく愉快で興味深げなものであった。その口元に愉悦じみたものを浮かべながら、窮奇は鬼太郎に向かって言い放つ。

 

『なに、人間にしてはなかなか強い霊力を宿していると聞いてな。腹の足しくらいにはなると探しておったのよ』

「……っ!!」

『もっとも……方士がいると分かれば、そのような小娘に構っている暇などないわ』

 

 窮奇自身は、まな個人にそこまでの拘りはないとのこと。

 より霊力が高く、尚且つそれが因縁の相手であればそちらの方に目がいくというもの。既に興味の対象はまなから昌浩へと移っており、まなのことなどすっかり眼中にない。

 

 しかし——

 

『まあ、今頃は……我が配下の誰かがその小娘の元に辿り着いているだろうがな……』

「……!?」

 

 窮奇の命令は、彼の配下全員に行き届いている。

 そしてここにいないだけで、まだまだ窮奇の配下には力を持った妖異が控えていた。

 

 その妖異が、今頃はまなの命を——

 

 

「——まな!!」

 

 

 鬼太郎はとっさに、彼女の名を叫んでいた。

 

 

 

×

 

 

 

「——な、なに? い、いったい、何が起きてるの!?」

 

 犬山まなは現在の情勢に大いに混乱していた。

 

 そのとき、彼女はとある総合病院に母親の純子と共に訪れていた。彼女が受診していたのは『心療内科』である。

 あらざるの地に行ったことで記憶が一部喪失することになってしまった、犬山まな。彼女のその症状を医学的な観点から診てもらっていたのだ。

 まなの両親も鬼太郎たち同様、娘の失われた記憶を戻す方法がないかと試行錯誤していたのだ。

 

 しかしこの日、まなが診察に訪れたときから病院内には慌ただしい空気が蔓延していた。

 

「——退いてください! 急患です!!」

「——誰か! 手を貸してくれ!!」

「——すぐに手術の準備を……急がないと手遅れになりますよ!」

 

 次々と救急車などで運び込まれてくる患者たち。中には命の危機に瀕した重傷者までいる。病院側は通常の業務が追いつかないほど、それらの対応に追われている。

 そして患者のほとんどは、今も街中で暴れ回っている『妖怪』とやらに襲われ、傷ついた人々だという。

 

「妖怪……本当に……そんなものがいるなんて!?」

 

 それは鬼太郎たちのことを含め、妖怪に関する記憶を全て失っているまなにとっては信じられない光景だった。

 妖怪なんてものが現実に存在し、あまつさえそれを当たり前のように認知している世間。

 

 ——わたしが覚えていない二年間に……いったい、何があったっていうの!?

 

 まな自身、両親から『自分が思い出を失っている』という話は聞かされている。実感こそなかったものの、確かにここ二年間。自分が誰とどのように過ごしてきたか、そういった記憶が酷く曖昧であった。

 正直なところ話半分ではあったものの、目の前の惨状を見せつけられれば認めざるを得ない。

 

 自分は記憶を失っている。

 失われた思い出に対し、もっと真剣に向き合う必要があるのではないかと。

 

 

『——見つけた、見つけたぞ……』

「っ!?」

 

 

 だが、まなが内心でそのような覚悟を決めようとしたとき。

 彼女を供物として捧げよとの命を受けた——窮奇の配下の魔の手が彼女に迫る。

 

『お前が、犬山まなだな?』

「えっ……な、なに……犬? ……ひぃっ!? な、なんなの、これ!?」

 

 最初、病院の廊下に響き渡ったのは犬の鳴き声であった。しかしまなが振り返ると、そこには明らかに得体の知れない生物がヒタヒタと床を歩いてくる。

 それは胴体がねずみ、首はスッポン。大きさ自体は小型犬ほどなのだが、その身に纏う黒い瘴気のようなものが、まなの背筋に冷たいものを走らせる。

 

 今までこんな恐ろしい生物とは出会ったことがない。まなはそれがなんなのか直感的に悟る。

 

 眼前の『これ』こそが——妖怪。

 人に仇なす存在——化け物であると。

 

『なるほど……話に聞いていたとおりだ。相応しい……その霊力……』

「えっ!?」

 

 その妖怪はまなの名を呼び、まなの姿をその眼球で捉えるや、舌なめずりをしながら口元を醜悪に歪める。

 

『主に献上する……これで、窮奇様の妖力も……さらに高まろう……』

「きゅ、きゅうき? 誰それ……な、なにを言ってるの!?」

 

 相手の言葉の真意が理解できない。

 妖怪が何なのかを未だに理解しきれていない彼女にとって、何故襲われるのか分からないのが何より恐怖であった。

 

『捧げよ、娘! その身を……我が主に!!」

 

 しかし、困惑するまなの感情など気にも留めず。妖怪は問答無用で彼女へと襲い掛かる。

 その鋭利な爪が——まなの身を引き裂こうと迫る。

 

「——まなっ!?」

 

 そこへまなを守ろうと、一緒に病院へ来ていた母親の純子が駆け出してくる。

 純子はその身を盾にすることでまなを守り——代わりに、その背中を妖怪の爪によって抉られてしまう。

 

「あっ……」

「お、お母さん!!?」

 

 まなの悲痛な叫び声が病院中に響き渡る。

 

「なっ! なに!? なんなの!?」

「よ、妖怪だ!! こんなところにまで!?」

 

 彼女の悲鳴に、周囲の人々も妖怪の侵入に気が付いた。

 妖怪の被害にあった人々が大半を占めるこの病院内において、妖怪はその存在だけでも恐怖となる。恐怖は人々の間を伝播し、あっという間に院内をパニックへと陥れていく。

 

『ちっ……邪魔をするな。貴様のような只人の血肉など……主には相応しくない』

 

 だが、妖怪は怯え惑う人間たちになど目もくれず、自分の邪魔をした純子を忌々しげに睨みつける。

 まなの母親、沢田家の血筋とはいえ、純子には娘のように強い霊力はない。妖怪にとって、彼女の命など無象有象も同然である。

 

『邪魔を、するなら……貴様から先に始末してやろう!』

 

 無論、その命を奪うことに躊躇いなどない。

 最後まで娘を庇おうとする純子に、もう一度その爪を振り下ろそうとする。

 

「お母さん!! 逃げてぇえええええ!!」

 

 まなの絶叫が木霊する。

 血を流す母親を前に——まなの脳裏が何か、苦い記憶をフラッシュバックさせていく。

 

 

 

 

 

「——鬼神招来!!」

 

 刹那、犬山親子の元に何者かが駆け付けくる。

 その者は『鬼神の腕』を纏いながら、そのまま勢いよく妖怪の顔面に向かって拳を叩きつけた。

 

『ぐぎゃあ!?』

「!?」

 

 短い悲鳴を上げながら吹っ飛んでいく妖怪。

 間一髪のところで危機を脱したまなは傷を負った母親を抱きかかえながら、駆けつけてきたその青年に目を向ける。

 

「……あ、あなたは……誰?」

「……無事か、犬山まな……」

 

 その青年はまなの問いには答えなかったが、彼女を気遣う様子を見せた。

 

 

 そのまま、その青年——石動零が。

 まなを後ろに庇いながら、妖怪と対峙していく。

 

 

 

 石動零がその場に駆けつけてこれたのは偶然であった。

 

 窮奇の配下たちが街で暴れているという情報は彼の耳にも届いていた。鬼道衆の生き残りとして人々を守るため、石動もこの危機に力を振るい、妖異たちを退けていたのだ。

 そうして、あらかた妖怪を片づけたと安堵するのも束の間。石動は近くの病院、人々が密集している施設内に妖怪の気配を察知。

 慌てて病院内に駆け込んでみれば、見知った顔が妖怪に襲われているではないか。

 

 石動は考える間もなく呪装術を用い、自身に鬼神の腕を纏わせながら躊躇なく妖怪を殴り飛ばしていた。

 

『……ちょこざいな……邪魔をしおって!』

 

 殴り飛ばされた妖怪だが、それだけでは倒されなかった。すぐに身体を起こし、邪魔をしてきた石動にどす黒い殺意をぶつけてくる。

 

『——用心せよ、零。こやつ見た目のナリこそ小さいが、それなりの妖力を秘めておるぞ』

「えっ!? なに? 幽霊!?」

 

 これに石動の背後から伊吹丸が浮かび上がり、忠告を口にしていく。

 突然出てきた半透明な人影にまながギョッとしているが、今はそちらに構っている余裕がない。

 

「ああ。分かってる……こいつ、蛮蛮(ばんばん)だな……!」

 

 石動も相手の妖力のほど。そして、敵の素性まできちんと把握する。

 この妖怪——蛮蛮も、山海経にその名が記されている妖である。石動もその文献には目を通したことがあり、見た目の特徴からすぐにそれだと理解する。

 

「てことは……こいつも中国妖怪かよ! いったい、なにが起きてやがる!?」

 

 蛮蛮以外にも、街で暴れていたものらの中にも、山海経に描かれているのと一致するような妖たちが多数いた。

 中国妖怪の暗躍がこの騒動の元凶。しかし、誰の命令で動いているまでは石動も把握しきれていない。

 

「まあいい、今はとにかく……こいつを片付けるのが先だな!」

 

 しかし誰の指示であろうとも関係ない。無辜の人々にここまで明確に仇を成すのであれば、石動零も容赦はしない。

 

「場所を変えるぜ……中国妖怪!」

 

 とりあえず、ここでは周囲の被害が大きいと判断。石動は鬼神の腕で蛮蛮の身体を掴み取る。

 

『ぐむっ!? き、貴様っ!!』

「おらっ!!」

 

 そのまま、抵抗しようとする蛮蛮を思いっきり窓ガラスに向かってぶん投げた。

 蛮蛮はガラスを突き破りながら病院の外へ、それを追って石動も外へと飛び出していく。

 

 そうして、両者は戦場を病院の外へと移していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、お母さん!? しっかりして!! ねぇっ!?」

「だ、大丈夫よ……まな、私なら……大丈夫だから……」

 

 ひとまずの脅威が去った病院の廊下で、まなは母親への呼び掛けを続けていた。娘を庇って背中に蛮蛮の爪を立てられた純子。それでも、彼女はまなに大丈夫だと微笑みかける。

 しかしそれも空元気だったのか、すぐに力尽きたように気を失ってしまう。

 

「お母さん!?」

「っ!! キミ、下がって!」

 

 倒れ伏す純子。するとそこに医者らしき男性が駆けつけてくる。

 

「もう大丈夫だ! さあ、早く処置を!」

 

 医者はまなを安心させるように力強く頷きながら、急ぎ純子に傷の手当てを施していく。

 幸い命に別状はなかったようで。医師の的確な応急処置もあってか、純子の顔色も徐々に良くなっていく。

 

「……なんなの……」

 

 だが母親が無事だったとしても、まなの受けた衝撃は計り知れない。

 

「何なのよ!! 妖怪って!! なんで……なんでこんな!!」

 

 それまでは正直、妖怪に対して特別に何かを感じたりはしなかった。妖怪なんてものが実際にいたとしても自分には関係ない、どこか遠くの出来事のようにさえ思っていた。

 

「妖怪なんか……妖怪なんか……!!」

 

 だが、まなは直接妖怪に襲われる恐怖を味わい、大好きな母親にも怪我を負わされてしまう。

 そのことがひどくショックで、とても怖い目にあったことでパニックに陥る。

 

 その瞳に涙すら浮かべながら——彼女は叫んだ。

 

 

「——妖怪なんか……大っ嫌い!!」

 

 

 少なくとも、それがこの瞬間——。

 犬山まなという少女が胸に抱いた、正直な気持ちであった。

 

 

 

 

 

「…………」

 

 その叫びを、廊下の片隅で聞いているものがいた。

 

 妖怪の少年——ゲゲゲの鬼太郎である。

 

 つい数十分前まで。窮奇たちと対峙していた彼だが、まなが危険に晒されていることを知り、急ぎ彼女の元へと向かったのである。

 ゲゲゲの森の仲間たちも、安倍家の昌浩や神将たちも、戦線を離脱する鬼太郎を援護してくれた。

 

 その甲斐もあって彼はこの瞬間、ここに立ち会うことになってしまったのだ。

 

「鬼太郎……」

「鬼太郎しゃん……」

 

 目玉おやじが、ここまで超特急で飛んでくれた一反木綿が。鬼太郎の顔色を心配そうに見つめる。

 

 鬼太郎たちは、一歩遅かった。

 彼らが飛び出そうとするその刹那に、僅かに先に駆けつけていた石動零がまなの命を救ったのだ。

 

 どちらにせよ、まなは助かった。それは本当に良かったのだが——

 

『——妖怪なんか……大っ嫌い!!』

 

 まさか、そんな言葉を彼女の口から聞くことになるとは思わなかったが、それも仕方がない。

 今のまなは真っ白な状態。妖怪に対する情も知識も持ち合わせていない、どこにでもいるような中学生なのだ。

 

 彼女自身の性格が根本から変わったわけではないだろうが、そんな状態で妖怪に襲われ、大切な人が傷つけられれば、そのような感情を抱いてしまうのも無理からぬこと。

 

 今の彼女にとって、まさに妖怪は恐怖そのものでしかないのだろう。

 

「…………」

 

 鬼太郎は、そんな彼女の前に出るのが怖かった。

 

 もしもあのときのよう——名無しの事件のときのように、彼女から憎しみを向けられてしまったら。

 

 そう考えるだけで足がすくんでしまい、二の足が踏めなくなってしまっていた。

 

「——化け火、招来!!」

『ぎゃあああああ!?』

 

 鬼太郎がそうして立ち尽くしている間にも、病院の外では石動が妖怪にトドメを刺していた。呪装術で化け火の炎を呼び出し、蛮蛮を焼き払うことで戦いに決着を付けていたのだ。

 これで当面の危機は去ったといえよう。近くに妖怪の気配もないし、ここの守りは石動一人で事足りる。

 

「……戻りましょう、父さん、一反木綿……」

 

 暗い表情をしながらも、鬼太郎は急いで来た道を戻ることを選ぶ。

 仲間たちや、安倍家の人々がきっと今も窮奇たちと戦っている。自分をここまで送り出してくれた彼らを、今度は助けるために鬼太郎は急ぐ。

 仲間たちが心配という気持ちは、当然ながら強くある。

 

 

 だが今はそれ以上に——ここに留まり、まなの泣き顔を見ていたくなかっただけかもしれない。

 

 

 

×

 

 

 

「——報告を聞こうか……紅蓮よ」

「ああ……」

 

 夕暮れ時。だだっ広い屋敷で安倍晴明は紅蓮からの報告に耳を傾けていた。

 

 ここは晴明が暮らす東京都の郊外にある別邸だ。既に陰陽師として引退した身である晴明は京都にある本家に家督を譲り、ここで隠居生活を送っている。

 この屋敷に暮らしている人間は晴明と孫である昌浩だけだ。人間以外ならば十二神将たちもいるが、その全てが常に待機しているわけでもない。

 あるものは本家の京都に。またあるものは地方の妖怪を征伐しに。海外で人間の護衛をしているなんてものもいる。

 

 今現在、この屋敷内に戻ってきている神将は、紅蓮と六合の二人だけ。

 二人だけではあるが、なんとかあの窮奇を相手に昌浩を無事に家まで連れ帰ってこれた。

 

 だが、その戦いの結果は——実に苦々しいものとなっていた。

 

 

 

 

 

「——まな!!」

 

 窮奇たちが街中で暴れていた理由。それは犬山まなという少女を餌として確保することにあった。まなと友人である鬼太郎が血相を変え、どこにいるかも分からない彼女の名を呼ぶ。

 

「鬼太郎!! アンタは急いであの子のところに行きなさい!!」

 

 そこへ猫娘が助け船を出した。

 

「今の時間帯なら病院にいる筈よ、急いで!!」

 

 彼女はまなが心療内科に通っていることを知っていた。

 まなの様子がどうなっているか。彼女の両親と何度か連絡を取り、その近況を把握していたのだ。

 

 猫娘はまなを守ることを最優先に、鬼太郎に行けとその背中を押す。

 

「…………分かった。けど、無理はしないでくれ! 一反木綿!!」

「コットン承知!!」

 

 猫娘の言葉に力強く頷き、鬼太郎は急いでまなの元へ。この場から離れることに躊躇いはあったが、時間を浪費した分だけまなに危険が及ぶ可能性が高まる。

 迷っている時間はないと、一反木綿と共に病院まで向かおうとする。

 

『そのような勝手が……!』

『許されるとでも思うてか!?』

 

 しかし、これに鶚と鵕の二羽がすかさず翼をはためかせる。

 主に対して背を向けるその無礼を許すまじと、彼ら自身が鬼太郎の後を追おうとしたのだ。彼らと空中戦にでもなれば、ますます時間を食ってしまうだろう。

 

「——行かせないわよ!!」

 

 故にそうはさせまいと、猫娘が俊敏な動きで鳥妖に飛び掛かり、その動きを牽制する。

 

「——やらせん!!」

 

 そして紅蓮も鬼太郎たちの事情をそれとなく理解し、炎を放って援護してくれる

 

『お、おのれっ!』

『小癪な!』

 

 無論、それらは必殺の一撃にはなり得ない。鶚も鵕も即座に身構え、それらの攻撃を迎撃する。

 しかし、これで彼らの初動を防ぐことは出来た。

 

『チィッ! 逃したか……!』

 

 二羽がもたついている間にも、鬼太郎を乗せた一反木綿がぐんぐんと距離を稼いでいく。

 鬼太郎たちの姿はあっという間に見えなくなり、何とか妨害もなく彼らはまなの元へと向かうことができたのであった。

 

 

 

『貴様ら……このようなことをして!』

『ただで済むと思うな! いけ、お前たち!!』

 

 鬼太郎を逃してしまったことで、鶚と鵕は怒りの矛先をその場に残った面子へと向ける。昌浩や十二神将は元より、猫娘やぬりかべ相手にもそれ相応の怒りをぶつける。

 一気に押し潰してやろうと、周囲に群がる配下たちにも号令を掛けていく。

 

「ただで済むか……ですって? それはこっちの台詞よ!!」

「ぬりかべっ!!」

 

 だが、怒っているのは猫娘やぬりかべも同じだ。

 まなの命を狙っているだけでも許し難いのに、彼女一人を捜索するためにさらにこれだけの被害を人間社会にもたらす中国妖怪たち。もはやそんな連中に容赦など必要ない。

 向かってくるケダモノどもを猫娘が躊躇なく爪で切り裂き、ぬりかべもその巨体で敵を押しつぶしていく。

 

「節度を知らぬ、異形ども……燃えろ!」

「はぁっ!」

 

 さらに、そこに主戦力として紅蓮と六合が加わる。

 紅蓮の灼熱の炎、六合の槍捌き。鬼太郎がいなくとも、彼らがいれば戦線を維持できる。有象無象な雑兵どもは勿論、鶚と鵕ですらも迂闊には寄せ付けない。

 神将たちの一騎当千が如き活躍が、戦場の空気を支配していく。

 

 だが戦闘を優位に進めていても、神将たちの顔色に余裕はない。

 なにせ後方に控えているのは——あの窮奇だ。

 

 大妖・窮奇に比べれば群がる獣どもも、鶚や鵕でさえも比較の対象にはならない。

 奴一匹だけでも十分に戦況をひっくり返すことが出来る。それだけの妖力を秘めているのがあの怪物だ。

 

 ここで窮奇まで参戦してくるようであったならば——神将たちとて、それ相応の『覚悟』が求められることになっただろう。

 

『…………』

 

 だがこのとき、窮奇は動かなかった。あれだけ怒り狂っていた化け物が、戦いが始まった途端に冷静になり、見物に徹している。

 一度滅ぼされたが故の慎重さか。窮奇は後方から、方士——昌浩の戦いを注意深く観察するに留まっていたのだ。

 

「オ、オンアビラウンキャン、シャクラタン!!」

 

 その視線に、昌浩も当然気付いている。

 あの恐ろしい妖怪が、窮奇が自分の一挙手一投足に注目しているという重圧からか、妖異たちを退けるために唱える真言の詠唱もどことなくぎこちない。

 

「縛鬼伏邪、急々……如律令!!」

 

 印を組み替えたり、刀印を結んで振るわれる腕の動作にも今ひとつキレがなく。昌浩の動きをそのものが、全体的にぎこちないものになっていた。

 

『——貰ったぞ、方士!!』

 

 そういった昌浩の隙を、鳥妖の鵕が見逃さなかった。昌浩が術を使った直後、疲弊する絶妙なタイミングを見計らい不意打ちを仕掛ける。

 

「昌浩!?」

『させぬわ!!』

 

 紅蓮がその攻撃に割って入ろうとするが、その援護を鶚が邪魔してくる。六合も、猫娘やぬりかべも他の敵を相手にしているために手が塞がってしまっていた。

 

「くっ……!」

 

 昌浩自身もこの奇襲に対応することができず、鵕の爪が憎き方士の血肉を抉り引き裂こうと迫っていく。

 

「——それ、毒砂!!」

「——おんぎゃ!! おんぎゃ!!」

 

 しかし、そうそう思い通りにならないのが世の常。昌浩への奇襲は今一歩届かない。

 あらかじめ猫娘からメールで連絡を受け、こちらへと向かっていたゲゲゲの森からの援軍——砂かけババア、子泣き爺によって間一髪で阻止される。

 

『ぐわっぷ!? お、おのれ!!』

 

 毒の砂を被り、石化した腕でぶん殴られた鵕が怯む。さすがにこれはかなり効いたのか、堪らず後退していく。

 

『鵕!? 貴様ら……よくも鵕を!!』

 

 鵕に手痛いダメージを与えたことで鶚が怒りに震える。

 鶚と鵕。罪を犯して異形へと成り果てたもの同士。常に二羽で行動を共にしているだけあって互いへの絆だけは本物。

 

 片翼が傷付けば、もう片翼が憤る。

 激昂する中国妖怪たちが、さらに激しく昌浩たちを攻め立てようとする——

 

 

『——鶚、鵕よ』

 

 

『っ!? は、ははっ!!』

『きゅ、窮奇様!!』

 

 だが、熱くなる鶚と鵕に冷や水を浴びせるよう、窮奇が鋭く二羽の名を呼び付けてその動きを止めさせる。主からの呼び掛けとあらば、いかに怒りで我を忘れていようとも応じなければならない。

 服従する姿勢の二羽に、窮奇は何気なく吐き捨てる。

 

『一度退くぞ。出会い頭に片付けるには、勿体ない好機だからなぁ……』

 

 元より、この遭遇戦は窮奇の意図したものではない。

 霊力の高い獲物を探していて、偶々因縁の相手と出くわした。昌浩たちも十全に準備が整っていなかったように、窮奇たちの方も万全に戦力が揃っているわけではなかった。

 

 

『方士よ!!』

「——っ!?」

 

 

 一旦仕切り直し、窮奇は憎き怨敵である昌浩へと宣戦布告するように叫ぶ。

 

『我は貴様の一族への復讐の機会を……ずっと待っておった』

 

 千年前——『安倍昌浩』によって倒された窮奇。

 長い時間を掛けて肉体を取り戻した彼は、そのままひっそりと力を蓄え続けていた。

 

『確実に貴様らの血筋を、この世から根絶やしにしてやるためになぁ……』

 

 全ては昌浩への、安倍家への復讐のため。彼の子孫たちの全てを確実に葬れるだけの妖力を得られるまで、ずっと機を窺っているつもりだった。

 

『だがっ!! 貴様自身がこの世に生まれ変わっているのであれば話は別よ!! 貴様から受けた屈辱の数々は……貴様自身の身に償わせてやる!!』

 

 しかしこの瞬間、窮奇の獲物は安倍家ではなくーー安倍昌浩一人へと定まった。

 わざわざ一族全員などという遠回りな復讐をする必要はない。その愚かさの代償は——直接当の本人に払わせればいいのだから。

 

『待っておれ……じきだ。じきに……決着を付けてやろうぞ!!』

 

 この巡り合わせを、この宿縁を窮奇は絶対に逃さない。

 今は退くが、近いうちにもう一度行動を起こす。昌浩を必ずやこの手で始末するためにも。

 

 

『その時まで……せいぜい震えて待つがいい……ふははは!』

 

 

 大鷲の羽を広げ、その巨体を悠々と羽ばたかせて彼方へと飛び去ってしまった。

 

 

 

×

 

 

 

「……見逃した。いや……見逃されたと言うべきか……」

 

 紅蓮からの報告を聞き終え、晴明は思案を巡らせる。

 窮奇ほどの大妖を逃してしまったのは痛手だが、下手に街中で暴れられなくて良かったと前向きに考えることもできる。もしもそのまま戦いが続いていれば、街への被害はさらに甚大なものとなっていただろう。

 窮奇が撤退したことで、その配下たちも残らず街中から姿を消したという。とりあえずの混乱は収めることができたと言えよう。

 

「鬼太郎たちも一度ゲゲゲの森に帰った。まなという娘も無事だったそうだ」

 

 紅蓮はさらに鬼太郎たちの無事も報告。窮奇たちが狙っていたという少女、犬山まなの安全もとりあえず確保できたという。

 

「そうか、それは何よりだな」

 

 これに晴明は笑みを浮かべた。

 晴明は個人的にも、政治的にも鬼太郎たちとは友好的な関係を築いておきたいと思っている。犬山まなという少女のことも、名無しの件が陰陽師界隈でもそれなりに有名だったため、その存在はずっと気に掛けていた。

 そのため、彼らの方にこれといった被害がなかったという報告に安堵する。

 

「それにしても、窮奇か……予想していた事態とはいえ、かなり不味いことになったな……」

 

 しかし、不安要素は拭い切れていない。当面の問題である窮奇の対処をどうするか晴明は頭を悩ませる。

 

 窮奇の存在は高龗神からの警告によって前々から用心していた。連中が現れた場合などはすぐさま行動を起こせるようにと、政府関係者に色々と根回しをしておいたほどだ。

 だが、よりにもよってこのタイミング。先の戦争の被害が未だ癒えず、神将たちが各地に散らばっているこの状況下で連中が大規模に動くとは。

 安倍家といえども万能ではない。限られた戦力で窮奇の相手をするのは——あまりにも無茶がすぎる。

 

「……聞けば窮奇は……昌浩を目の敵にしておるとのことだが?」

「ああ、奴の狙いは間違いなく昌浩だ。奴はあいつを……千年前に自分を倒した『昌浩』の生まれ変わりだと心底から疑っていない」

 

 さらに、窮奇は昌浩個人に標的を定めている。

 千年前にしてやられた屈辱を、直接その本人にぶつけてやろうと息巻いているのだと、紅蓮が苦々しい表情で語る。

 

 

 それほどまでに似ているということだろう、二人の昌浩が——。

 生きている時代が違えども、その魂の色や形が——。

 

 

「晴明、次に奴が姿を現したのなら……俺たち神将だけで出るぞ」

「……!」

「今のあいつに……窮奇の相手は荷が重い」

 

 そうした窮奇の狙いが分かっているからこそ——紅蓮は、その昌浩を戦闘に参加させないと宣言する。

 はっきりと昌浩の未熟も指摘する。今の昌浩では窮奇を相手にすることは出来ない。今日の戦いでも敵の強大さに気後れし、相手の攻撃に対して反応が鈍くなってしまっていた。

 厳しい言い方ではあったが、それも彼という人間を気遣っているからこそだ。

 

 

「……昌浩が……『昌浩』の宿縁に振り回される必要はない。俺たちだけで……ケリをつける!」

 

 

 そう、同じ昌浩でも互いに違う人間なのだと。

 千年も昔の因縁に今の昌浩を巻き込むわけにはいかないと、紅蓮は改めてその事実を自分自身にも言い聞かせていく。

 

 

 

 

 

「…………」

 

 安倍家の屋敷。既に月が出ている夜空を見上げながら、その庭先で安倍昌浩は一人悩んでいた。

 

 ——俺……何も出来なかったな……。

 

 今日の戦い、自分は常に周囲の状況に振り回されていただけだと。その情けない戦いぶりに彼は自己嫌悪に陥る。

 

 客観的に見れば、そこまで酷いというほどでもない。昌浩は自分の実力を駆使し、中国妖怪たちから身を守っていた。

 神将やゲゲゲの鬼太郎たちの助けがあったとはいえ、あの状況をほぼ無傷で生き抜いたという事実が、彼が並の術者ではないということを証明している。

 

 ただ単純に——相手が悪すぎた。

 

 窮奇という化け物の迫力に萎縮した昌浩は、普段通りの実力を発揮できていなかった。若くして妖怪や亡霊と何度も退治し、自信や経験を積んできただけに今回の失態にはだいぶ堪えていた。

 肝心なところで、自分は何も出来なかったと無力感に項垂れているのだ。

 

 ——……どうやったら、あんな化け物を相手にできるんだろう? どうしたら……。

 

 それでも、昌浩はあの窮奇と対峙するにはどうすればいいかと考えていた。

 逃げるのではなく、立ち向かうにはどうすればいいか。陰陽師としての責任感から、そのような方向で苦悩する少年。

 

「昌浩」

「あっ……六合?」

 

 そんな思い詰めた表情の昌浩に、神将の六合が声を掛けてきた。普段から寡黙であまり余計なことを喋らない彼だが、さすがに今回の件に関してはそれとなく気を回してくる。

 

「大丈夫か? 気分が悪いようなら、もう休んだほうがいい」

「ううん、大丈夫……でも、ないかな……」

 

 六合に心配され、咄嗟に強がりを口にする昌浩。しかし、神将相手に取り繕ったところで意味はないと悟ったのか。

 少年は自分の中の不安や疑問、自身の胸の内を正直に吐露していく。

 

「六合はさ……『昌浩』って人のこと……どれだけ覚えてる?」

「……」

「やっぱり……俺とそんなに似てる……のかな?」

 

 昌浩が口にしたのは『昌浩』という、千年前に窮奇を討伐したという陰陽師のことだ。

 

 妖である窮奇が自分と面差し重ね、恨みをぶつけてきた。

 神将である紅蓮なども、時折自分の中にその人の面影を見ているのか懐かしそうに、どこか寂しそうに見つめてくることがある。

 

 これまであまり考えないようにしてきたが、そうまで似ていると言われればやはり気になってくる。

 紅蓮には聞きずらい。彼は特別『昌浩』という人物に思い入れがあるらしい。ここはどことなく、落ち着いた雰囲気を持つ六合に問い掛ける。

 

「ああ、似ている。瓜二つと言ってもいい……」

 

 昌浩の問いに六合は真剣に答えた。

 彼の目から見ても、昌浩は千年前の『昌浩』とそっくりだ。窮奇が彼を生まれ変わりだと断言し、紅蓮が昌浩の中に『昌浩』を見出してもおかしくはないと。

 

「……そっか……そうなんだ……」

 

 その答えに昌浩の表情がますます曇っていく。別にショックを受けたわけではないが、何となく気まずい気持ちになる。

 

「け、けど……凄いよね。その昌浩って人! あんな、とんでもない化け物を退治しちゃんだからさ! 俺なんかとは比べようもないほど……強くてかっこいい人だったんだろうな……」

 

 そのきまりの悪さから気を紛らわせるためか。昌浩は不自然などほど明るく、自分の先祖のことを褒め称える。

 窮奇と正面から対峙しただけで震える自分とは違い、『昌浩』はあの大妖を調伏せしめたのだ。きっと似ているのは顔つきだけで、自分などより遥かに優れた陰陽師なのだろうと。

 

 そこに羨望を、僅かばかりの嫉妬を込めて呟くが。

 

 

「——それは違うぞ、昌浩」

 

 

 しかしそんな昌浩の考えを、六合はキッパリと否定する。

 

「あいつは……多分、お前が考えているような……かっこいい人間ではなかったと思うぞ」

 

 彼は語る。千年前の平安時代を生き抜いた『昌浩』という人間が、どういった人物だったのか。

 その断片を——

 

 

 

 かの有名な大陰陽師・安倍晴明の孫として生まれた安倍昌浩。晴明の孫と呼ばれ、あの晴明からも唯一の後継と認められたほど。その実力、秘められた潜在能力は確かに目を見張るものがあった。

 だが彼自身は、晴明の孫と呼ばれることを嫌がっていた。それどころか晴明のことを目の敵にしたかのように『くそ爺っ!!』やら『狸爺!!』やらと、人目も憚らず叫んでいた。

 そんな反抗期真っ只中の、どこにでもいる普通の少年だったのだ。

 

 

「へ、へぇ……そ、そうなんだ……なんか、意外……」

 

 この話に昌浩はポカンと口を開ける。昌浩としてはもっと立派で真面目な、それこそ完璧な陰陽師を想像していた。

 窮奇を始め、多くの妖たちをその類稀なる才能で易々と退治してきた。そんな、天才的な陰陽師の姿を思い浮かべていたのだ。

 

「ふっふっ……そんなわけないだろう」

 

 昌浩の想像する『誇張された昌浩像』に六合が肩を震わせて笑っている。彼がこういったリアクションを取るのは珍しい。よっぽどおかしかったということだろう。

 

「あいつだって……お前くらいの歳の頃はまだまだ未熟者だった。傷つき、倒れ……何度も痛い目にあって……」

 

 現在十三歳の昌浩。そして、あの『昌浩』も同じ十三歳のときに窮奇と戦ったとされている。

 だが易々とだなんてとんでもない。『昌浩』にとっても、窮奇は初めて相対した大妖。あまりの敵の強大さを前に恐怖で足を震わせ、体全身を震わせ。

 数えきれないほど倒され、その度に己の未熟さを痛感させられ続けた。

 

「それでもあいつは諦めなかったよ。立派な陰陽師になるという目標もあったからだろうが……」

 

 十三歳の『昌浩』には目標があった。それは——『誰も犠牲にしない、最高の陰陽師になる』という、あまりにも夢想が過ぎる夢だ。

 だがその理想に向かって、少年は脇目も振らずに走り続けた。どんな障害があろうとも、決して屈することなく。

 

「……夢……夢か……」

 

 それは明確な将来像を、具体的な目標や夢を未だに抱けていない昌浩にとって衝撃的な話だった。

 やはり、自分と『昌浩』では器が違い過ぎる。自分ではそのような立派な夢を描くことが出来ないと。ますます己の無知さを思い知らされてしまったようだ。

 

 しかし、それだけではないと。寧ろ、それ以上に『大切なもの』があったと六合は語る。

 

「だがそれ以上に……あいつの胸には、決して譲れない……譲ることの出来ない想いがあった」

 

 少年が、己の夢以上に大切に想っていたもの。それは——

 

 

「——大切な人を……護りたいという想いだ」

「——っ!!!」

 

 

 それはきっと特別なことではない。誰の胸にも宿る気持ちの筈だ。

 

『昌浩』にもいた。己の命を懸けてでも護りたいと願った——大切な人が。

『あの子』のためなら、『あの子』が笑ってくれるのなら、何でもすると。そう想えるだけの相手と——既に『昌浩』は出会っていたのだ。

 

 だから戦えた、だから立ち向かえた。

 どんなに強大な敵が相手であろうとも、『あの子』が幸せになってくれるのならばそれでいいと。

 

 少年は、全てを投げ打つ覚悟で窮奇へと戦いを挑み——そして、勝利をもぎ取ったのである。

 

 

「昌浩、お前にもいる筈だ。そう想えるだけの相手が……」

「!! そ、それは……」

 

 六合に冷静に指摘された昌浩は少年らしく、少し恥ずかしそうに真っ赤にした顔を背ける。

 確かに、昌浩にも護りたいと願う子がいる。昌浩の幼馴染で、いつも側にいるのが当たり前となっている子だ。

 

 彼女は陰陽師ではないが、かなり高い霊的素質を秘めている。そのせいで怪異に付け狙われることが多々あり、そのたびに昌浩は必死になって彼女を護ってきた。

 

 もしもの話だが——彼女の存在を窮奇が知れば、間違いなくその身を付け狙ってくるだろう。

 昌浩への意趣返しのためにも、自身の妖力を高める獲物としても。

 

 

 その考えに行きついた瞬間——昌浩の心に灯る炎があった。

 

 

「——させない。そんなことは……絶対に!!」

 

 

 あれだけ恐怖を感じていた窮奇を相手に、今は無性に腹が立ってくる。

 ヤツがあの子を苦しめる可能性があると思っただけで——絶対に勝たなければならないという気持ちが込み上げてくる。

 あの子のことを想うだけで、不思議と立ち向かえる勇気が湧いてくるのだ。

 

 

「窮奇は……俺が倒す!」

 

 

 なんてこともない。結局のところ、昌浩も『昌浩』も同じだ。

 

 生きた時代、育ってきた環境、趣味嗜好や抱いた理想など。細かいところでの違いはあるのかもしれない。

 今の昌浩と過去の『昌浩』が全く別の人間であることに変わりはないのかもしれない。

 

 だがそれでも、いつの時代でも変わらない想いがそこにはある。

 その想いのためならば、いつだって戦える。

 

 

 それが、それこそが——『安倍昌浩』という少年の在り方だったのだ。

 

 

「……ふっ」

 

 昌浩がいつもの調子を取り戻したことを見届け、六合はその場から静かに去っていく。

 

 

 

×

 

 

 

「そう……と、とにかく!! まなも純子さんも無事ってことよね? よかった……」

「…………」

 

 ゲゲゲの森の集会所。昼間の騒動から森へと帰還していた鬼太郎たち一行。互いに情報共有をしながら、今後の方針について話し合っていた。

 

 まずは鬼太郎から、まなが無事であったという報告を聞かされ、猫娘がほっと胸を撫で下ろす。母親の純子が怪我をして入院することになったというが、命に別状はないとのこと。

 今はその病院にもまながおり、一反木綿とぬりかべが密かに護衛についている。もしも中国妖怪たちがまた襲撃してきたとしても、そう簡単に彼女を害することはできない筈だ。

 

「うむ……ときに砂かけババア、小泣き爺よ。まなちゃんの記憶を戻す手掛かりについては、何か進展はあったかのう?」

 

 次に目玉おやじが、砂かけババアと小泣き爺に調べ物の進捗具合を尋ねた。

 先の戦いに救援として駆けつけてくれた二人だが、元々はゲゲゲの森の図書館で『まなの記憶を戻す方法』がないかを調べていた筈だった。

 

「いや……それに関しては何とも……」

「色んな文献をひっくり返しては見たんじゃがのう……」

 

 しかし、砂かけババアたちからの返答は芳しくない。まなの記憶を取り戻すという当初の目的に関しては、未だ手掛かりすら掴めていないのが現状だった。

 

「そうか……」

「…………」

 

 その答えに対し、目玉おやじが腕を組みながら考え込み、鬼太郎も暗い表情のままずっと黙り込んでいる。だが、鬼太郎の様子がおかしいのは森に帰ってきてからずっとである。

 

 ずっと、一人で何かを抱え込むように悶々と考え込んでいる。

 

「鬼太郎……どうしたの、さっきから? 何かあったのなら……ちゃんと相談しなさいよね!」

 

 これに猫娘が心配し、鬼太郎に積極的に声を掛ける。

 皆に迷惑を掛けたくないと、あまり余計なことを喋らないのが彼の悪い癖。一人で抱え込まないよう、何か心配事があるのなら話してほしいと猫娘が鬼太郎に歩み寄っていく。

 

「…………みんな……ボクから一つ提案があるんだ……」

 

 猫娘から呼び掛けてくれたこともあってか、鬼太郎はその重苦しい口をようやく開く。

 彼にしては珍しく緊張した面持ちで——自分が思い浮かべている『ある考え』について、皆の意見を聞こうとした。

 

 

「——おーい!! 大変!! 大変だぜ、鬼太郎!!」

「……ねずみ男?」

 

 

 ところが鬼太郎がようやく口を開こうとしたそのタイミングで、森中に響く喧しい声でねずみ男がやって来た。

 

「ちょっと、ねずみ男!! アンタ……今までどこほっつき歩いてたのよ!!」

 

 これに猫娘が非難の声を上げる。

 せっかく鬼太郎が意を決して何かを話そうとしてくれていたところだったというのに、それを邪魔するかのようなタイミングでの乱入。

 それでなくとも、いつの間にかいなくなっていたことを含め、彼に怒りをぶつけようとする。

 

「それどころじゃねぇよ!! 大変だぜ、鬼太郎!!」

 

 しかし、ねずみ男も猫娘の怒気に怯みはしない。

 

 彼とて先ほどまで総理代理の元に留まり、彼の動きを牽制したり、今後の話し合いについて予定を調整したりと。色々と忙しい時間を過ごしていたのだ。

 そういった総理との話し合いも先ほど終わったばかりで、ようやくゲゲゲの森へ戻って来たところ。

 だが戻って早々に、彼は大慌てで鬼太郎を探し、ここまで駆けつけて来た。

 

 

 一刻も早く、自分が目にしたその『異常事態』を鬼太郎へと報せるために——

 

 

「——お、お前ん家の池にところに……で、でっけぇ化け物が!!」

「——っ!?」

 

 

 

 

 

 鬼太郎の家、ゲゲゲハウスの周りには小さいながらも池がある。

 特に名前もない、とても綺麗な池だ。鬼太郎などはそこでたまに水浴びもするくらいなのだが——その池に今は『濁り』がある。

 

『…………』

 

 水面の上に浮かび上がった、黒いシルエットという濁り。

 それは虎のような身体に、大鷲のような翼。まさについ先刻まで対峙していた怪物——窮奇そのものであった。

 

「きゅ、窮奇!?」

「こ、こやつ……いつの間に!?」

 

 全く気配を感じさせずに、自分たちの生活圏に忍び込んできた窮奇に驚きを露わにする一同。いったい、どうやってこんなところにまで侵入してきたというのか。

 

「……リモコン下駄!!」

 

 しかし、まずは牽制とばかりに、鬼太郎が窮奇に向かってリモコン下駄を放つ。不意を突いた先制攻撃、どうあってもよけられるタイミングではなかった筈だ。

 

 だがその攻撃は、窮奇のシルエットをすり抜けていくかのように素通りする。まるで手応えなどなく、そのまま何事もなかったかのように、窮奇は怪しげな笑みを浮かべる。

 

『くっくっく……』

「……鬼太郎! 水の下じゃ!!」

 

 そこで目玉おやじが声を張り上げた。

 見れば水面の下、水鏡に窮奇の姿が映り込んでいるではないか。水面を軸に対称的に投影されている怪物の姿。そちらの方が本体かと、鬼太郎はもう一度攻撃を仕掛けていく。

 

「これならどうだ!? 体内電気っ!」

『………ふっ』

 

 しかし、水に向かって放った体内電気もまるで効果が見られない。電撃が水中全体に衝撃を伝えているというのに、窮奇はまるで微動だにしないのだ。

 

「ど、どうなっとるんじゃ!?」

「……っ!!」

 

 これには目玉おやじも、仲間たちも目を剥いて驚いているが。

 

「……妙です、父さん! 窮奇の妖気が……まるで感じられない?」

 

 いち早く違和感に気付いたのは鬼太郎だった。

 彼の妖怪アンテナが反応しない。昼間対面したときは確かに感じ取れていた巨大な妖気が、今は全く探知できないでいる。

 姿が見えるのに、その存在を感じ取れないという矛盾。これはいったいどういうことか。

 

『無駄よ、無駄……我はこの場にはいない。我の力によって生み出された異界から……お前たちに語りかけているのだ』

「異界……だって?」

 

 その疑問に窮奇は口元を歪めながら答える。

 

 

 そう、今現在。窮奇という妖怪は——この世界に存在していない。

 かの大妖は、その恐ろしい力で水面の裏側に——『水鏡の向こう側』に自分だけの異界を作り出しているのだ。

 

 窮奇ほどの大妖怪がこの現代で潜伏を続け、力を蓄えてこれたのもこの能力のおかげ。一度水鏡の向こう側に引っ込んでしまえばそこは別世界。現実世界には存在していないも同義である。

 よっぽど忍び込むのが上手い輩でもなければ、その異界に窮奇の許しなくして足を踏む入れることは出来ない。

 

 そして、窮奇はその水鏡の向こう側から鶚や鵕といった配下の妖たちを送り出したり、逆に人間を水鏡側へと引き摺り込んだりして狩りをする。

 水さえあれば、水面さえあれば——窮奇はどこからでも人々の生活を、その命を脅かすことができるのだ。

 

「…………!」

 

 鬼太郎は、そのような能力を持つ窮奇に危機感を抱く。

 ただでさえ、まなのことを餌として狙っているような相手だ。これ以上野放しにすれば、まなが——彼女以外の人間も大勢、窮奇たちの餌食となってしまう。

 そんなことはさせないと。鬼太郎は仲間たちと共に、窮奇と対決する姿勢をとっていく。

 

『くっくっく……そういきり立つな』

 

 しかし、殺気立つ鬼太郎たちとは正反対に、窮奇には戦う意志が見られない。

 彼は水鏡の向かう側から、鬼太郎たちが手を出せないことをいいことに——自らの要求を一方的に突きつけていく。

 

 

『——我の配下にくだるつもりはないか? ゲゲゲの鬼太郎よ』

 

 

「……なんだって?」

「…………!!」

 

 思っても見なかった言葉に、鬼太郎も仲間たちも相手が何を言っているのか理解できず呆気に取られる。しかし呆然とする鬼太郎たちにも構わず、窮奇はさらに語りかけを続けていく。

 

『我はお前の力を高く評価しているのだ。バックベアードを滅ぼし、あの九尾すらも打ち倒した貴様の力をな……』

 

 鬼太郎が西洋妖怪の帝王・バックベアードを倒した事実。それは多くの妖怪たちから話題とされ、鬼太郎という妖怪の強さそのものを評価する一つの指針となっていた。

 

 しかし窮奇にとって、中国妖怪にとってはバックベアード以上に玉藻の前——『九尾』を倒したという事実の方が優先される。

 

 それは九尾という妖自体が元々は大陸、『中国』からやって来たものだからだ。中国においては玉藻の前は『妲己』として、殷王朝の紂王を唆して暴虐の限りを尽くさせ、人間社会を大混乱に陥れたとされている。

 同じ中国妖怪である窮奇にとっては、鬼太郎がその九尾を『倒した』という事実こそが何より侮り難いものであった。

 

 

『我の配下にくだれ。我と共に人間どもを……あの憎き怨敵を!! 方士を滅ぼすのだ!!』

 

 故に、窮奇は鬼太郎に配下にくだれと迫る。

 鬼太郎が手下に加われば確実にあの方士を——安倍昌浩を殺すことができると、怒りに震えるように唸り声を上げる。

 

「……断る」

 

 しかし当然ながら、鬼太郎がそのような提案を受け入れるわけがない。

 

「お前のようなやつに……ボクは従わない!」

 

 元より『誰の味方でもない』と公言する鬼太郎だが、特に支配者階級。バックベアードや窮奇のように、上から物を言ってくるような傲慢な輩。

 連中のように凝り固まった思想を持つ、独裁者の存在が鬼太郎は大っ嫌いだ。取り付く島もなく、窮奇の要求などキッパリと突っぱねる。

 

『ふっ……焦って答えを急ぐ必要はない。今一度……考える時間をやろう』

 

 だが窮奇も一度断られた程度ではまるで動じない。彼は鬼太郎の気が変わるやもしれないと言葉巧みに甘言を弄していく。

 

『我が配下にくだるのであれば、貴様には相応の地位をくれてやる。お前の願いも……叶えてやろうぞ?』

「生憎だが……お前に叶えてもらいたい願いなんて、ボクには——」

 

 もっとも、その甘言も自分には意味がないと。鬼太郎が窮奇に叶えてもらわなければならない願いなどあるわけもないのだからと、動じずに向き合っていく。

 

『くっくっ……それはどうかな?』

 

 だが、窮奇はどこか自身ありげな笑みを最後まで崩さない。

 最後までほくそ笑みながら——彼は告げる。

 

 

『待っておるぞ……明日の夜! 洗足池(せんぞくいけ)! その水鏡の内で我は貴様の『答え』を待っている』

 

 

 時間と場所の指定。

 明らかに罠と分かるような誘いに嘲笑を浮かべながら——窮奇はその姿を水鏡から消し去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『——そうだ……我は待っているぞ』

 

 

『——方士に……神将……そして、ゲゲゲの鬼太郎』

 

 

『——我は、お前たちを待っているのだ……ふふふ、ふははははははっ!!』

 

 

 

 




人物紹介

 蛮蛮
  窮奇配下の一匹。スッポンの首に、ねずみの胴体。
  体の大きさや鳴き声は犬というそれなりに個性のある見た目。
  名前付きということもあり、それなりに強敵らしいですが……あくまでそれなりですので。
  中国妖怪にしては名前が書きやすい。ただし『蛮々』ではなく『蛮蛮』ですので、そこだけは注意。

 藤原彰子
  尺の都合上、名前の解説などもありませんでしたが原作のヒロイン。
  平安版でも、現代版でも変わらない『昌浩が必死になって戦う理由』。
  平安版では何か……とっても辛くてややこしいことになっとるらしいですが。
  とりあえず、昌浩は彼女のために戦っているということを物語としても強調したかった。


 次回で完結します。
 どうか最後までお付き合いください。

 ちなみに次の次回予告のジャンルは……一応『魔法少女』枠からのクロスを考えていますのでそれもお楽しみに。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

少年陰陽師 其の④

ようやく書けました……『少年陰陽師』とのクロス完結編。
GW中、ずっと仕事で、本当に忙しくて、ほとんど執筆時間が取れませんで。

とりあえず、今回の話で『犬山まな』の立ち位置など、アニメ6期の10年後のあのシーンへと続く形で何とか納めることができたかと。

今回も例によって例のごとく、色々と詰め込んでいますが、どうか最後まで楽しんで行ってください。
 
ちなみに補足説明。
前話からもそうだったのですが、今作では現代版の昌浩と、平安版の『昌浩』をはっきりと分けて描写しています。
平安版の昌浩を指す場合、名前に『』表記をしておりますので、どうかお気をつけください。


「なるほど、お話は分かりました。わざわざ伝えに来ていただき……ありがとうございます」

「いえ、こちらこそ……こんな時間にお訪ねして申し訳ありませんでした」

 

 深夜。東京都郊外にある安倍晴明の別邸に『客』が訪れていた。

 仮にも陰陽師である安倍家の住居だ。本来であれば、妖や悪霊の類は強力な結界に侵入を阻まれ、近付くことすらままならない。しかし、その客人の訪問は総理代理を通して予め報されていた。

 

 安倍晴明は総理からの要請に応えるべく、その客人——ゲゲゲの鬼太郎を応接室へと通したのであった。

 

「それにしても洗足池……そこに窮奇が潜んでいると……」

「はい……奴は、そう言っていましたが……」

 

 鬼太郎がわざわざ晴明の元へと訪れてきたのは——中国妖怪・窮奇のことを伝えるためである。

 窮奇がゲゲゲの森に現れ、その居場所を自ら告げた。相手の言い分を鵜呑みにするのであれば、奴は明日の夜には洗足池に姿を現すことになる。

 

 洗足池は東京都大田区にある、都内でも屈指の広さを有する淡水地である。

 池周辺は公園にもなっており、ボート乗り場や水生植物園。桜の名所としても有名で丁度この季節、春頃になると大勢の人々で賑わいを見せる。

 

 そんな、人々の憩いの場に——大妖怪が潜んでいる。

 陰陽師としても決して看過できない、非常に不味い状況であろう。

 

「とりあえず総理に連絡して、すぐにでもその辺り一帯を封鎖してもらいましょう」

 

 人々の無用な犠牲を失くすためにも、まずはそこに人が近づかないよう総理に働きかける。

 こういうとき、政府との繋がりがあると便利だ。今の総理代理であれば晴明の言葉を信用し、すぐにでも規制線を張ってくれるだろう。

 

「それで……晴明殿は、いかがなされるおつもりかな?」

 

 当然のことながら、それだけでは根本的な解決にはならない。関係のない人々を遠ざけた上でどうするか。鬼太郎と共に晴明の元へと訪れていた目玉おやじが彼に問い掛ける。

 

「窮奇は……明日の夜に鬼太郎を待つと言っていたが、これは明らかにあなた方への誘いじゃ」

 

 窮奇は洗足池で鬼太郎を待つとも告げた。彼を配下に加えたいとのことだが、それが建前であることは明らか。

 窮奇が本当に待っているのは安倍家——安倍昌浩だろう。

 

「わしらがこうしてあなたに相談しに来るのも……きっと奴の思惑のうちじゃろうて……」

「ええ……おそらくはそうでしょうな……」

 

 あの少年への復讐を果たしたい奴が、鬼太郎たちをメッセンジャー代わりに利用しているに過ぎない。

 鬼太郎たちから安倍家へ。そして昌浩へと情報が伝わればきっと自分を討伐しにノコノコやってくる、そう睨んでのことだろう。

 

「しかし……放置しておくわけにもいきません」

 

 だが、これが実際に『罠』であると分かっていても、晴明たちは動かざるを得ない。

 

 窮奇は水鏡の向こう側に自らの異界を作り出すことができ、基本的にこちら側から異界へと侵入する術はない。奴が異界に引きこもったままでは、昌浩たちは窮奇と対面することすらできない。

 いつまで経っても、奴の脅威を拭い去ることが出来ないままだ。

 

「このまま窮奇を野放しにしておけば……大勢の人々が奴の餌食とされてしまうでしょう」

 

 窮奇がその気になって姿をくらませば、安倍家といえども奴の居所を補足することは難しくなってしまう。奴がこちらに誘いを掛けている、今のうちであればまだ戦いようもあるというもの。

 明日の夜、洗足池に奴が姿を現すというのであれば、あえてこの誘いに乗る。

 

 その上で——窮奇を打ち倒すしかない。

 

「うむ……僭越ながら、わしらにも手伝わせてくれぬか? 窮奇を野放しにできないのは、わしらとて同じじゃ」

「……宜しいのですか? 申し出はありがたいのですが……」

 

 その際、目玉おやじから晴明に、窮奇討伐に同行するという申し出があった。

 晴明としても、その申し出は素直にありがたい。

 

 安倍家の主力には十二神将たちがいるが、そのほとんどが地方や海外に出払っている。いかに窮奇討伐のためとはいえ、すぐには戻ってこれないのが現状だ。

 今の時点で戦力として割けれるのは、紅蓮と六合の二人だけ。神将たちが一騎当千の力を秘めているとはいえ、窮奇側にも配下の妖怪たちが大勢控えている。

 

 大群を相手にする以上、戦力は多いに越したことはない。鬼太郎やその仲間たちが戦列に加わってくれるというのであれば、これほど頼りになる援軍もない。

 

「……晴明さん」

 

 だが、そこで鬼太郎が口を挟んでくる。

 

「代わりと言っては何ですが……一つ、あなたにお願いしたいことがあります」

「お願い……ですか?」

 

 力を貸す代わりに、鬼太郎は頼み事があると言う。彼がこのような要求をしてくることを、晴明はかなり意外に思った。

 聞くところによれば、鬼太郎は人間の依頼を受けても、報酬の類を一切受け取らないという。常日頃から何も見返りを求めないような彼が、改まった態度で陰陽師である晴明に頼みがあると。

 

 いったいどのような要件か、晴明ですらも予想が出来ずに少し身構える。

 

 もしも、鬼太郎のその『要求』が受け入れ難いものであった場合は、最悪それを断らなくてはならない。

 事と次第によっては、鬼太郎という妖怪に対する見方すらも変わっていたかもしれない。

 

「実は——」

 

 鬼太郎は緊張した面持ちで、その『頼み事』とやらの内容を口にしていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——分かりました。その依頼……お引き受けしましょう」

 

 鬼太郎の話を聞き終えた晴明が答える。

 なんてこともない、やはり妖怪でありながらも鬼太郎は信用のおける人物のようだ。

 

 彼の頼み事というのも、決して自分のためではない——『大事な人』のことを思ってのことであった。

 陰陽師である晴明にとっても、その願いを聞き入れることは全く問題にもならない。

 

「よろしく……お願いします」

「……鬼太郎」

 

 しかし、鬼太郎にとっては苦渋の決断によるもの。

 晴明に『その願い』を託した後も、その表情が完全に晴れることはなく。そんな息子の苦悩する姿に目玉おやじも労わるような視線を向けていた。

 

 

 

×

 

 

 

「それでは、お邪魔しました」

「いえ、ではまた明日……よろしくお願いします、鬼太郎殿」

 

 夜遅くということもあってか、詳しい段取りなどを後日に回し。今日のところは帰っていく鬼太郎を晴明が玄関先で見送っていく。

 

「——ゲゲゲの鬼太郎との共同戦線か……」

「不服か、紅蓮よ?」

 

 鬼太郎が立ち去った直後、晴明のすぐ横に紅蓮が姿を現した。

 話の流れから晴明が独断で鬼太郎たち、妖怪の手を借りることを決めてしまった。その決定に不満があるかどうか、本来であれば紅蓮の意見も尊重しなければならないだろう。

 

「いや……あの連中であれば問題はない」

 

 もっとも、紅蓮としても特に文句はない。

 既に鬼太郎たちの実力を直に見ており、彼らであれば足手まといにはならないだろう判断する。妖怪の手を借りること自体にもこれといった忌避感はない。

 

「うむ、こちらが動かせる戦力にも限りがあるからのう……」

 

 安倍家として、窮奇討伐に回せる戦力は紅蓮と六合の二人だけだ。もう少し日を置けば戻ってくる神将も何人かいるだろうが、さすがに明日の夜までには間に合わない。

 だからこそ、鬼太郎たちが加わってくれるのは本当にありがたい。しかし、それでも盤石とは言い難い。

 場合によっては安倍晴明、彼自身が直接出向く必要があるかもしれないが——。

 

「晴明、お前は昌浩と残れ。お前も……さすがに歳だろう」

「むっ……それは、否定できんが……」

 

 だが、晴明が出張ることは紅蓮が止める。おそらく、安倍家で陰陽師としての実力が一番高いのは晴明だ。伊達に『安倍晴明』を名乗ってはおらず、その名に相応しい実力を持っている。

 

 しかし彼も結構な歳だ。術者としては一流でも、肉体そのものがかなりの高齢。身も蓋もない言い方をするならば、体のあちこちに『ガタ』がきている。

 窮奇との戦いはかなりの混戦が予想される。敵味方が入り乱れる戦場では周囲に目を配る注意力や、機敏な立ち回りなどが必要となってくる。

 年老いた今の晴明に、その両方を求めるのは些か酷というもの。

 

「俺と六合……それと鬼太郎たちでやる。お前は万が一のために後方で待機を……」

 

 故に、紅蓮は晴明に後方支援としての役割に徹するように言う。神将として、安倍家の守護者として、あくまで晴明たちを危険な最前線から遠ざけるつもりでいた。

 

 

「——俺も行くよ……紅蓮」

 

 

 だが紅蓮の考えとは裏腹に、既に戦場へと赴く覚悟を決めた少年がいる。

 

「昌浩!?」

「まだ起きていたのか……」

 

 紅蓮と晴明の会話に割って入ってきたのは、寝巻き姿の昌浩であった。既に寝ていると思っていた子供に声を掛けられ、大人たちは驚かされる。

 

 しかし、何より驚いたのは——昌浩が『窮奇との戦いに参加する』と言い出したことである。

 

 既に窮奇との戦闘に昌浩は連れて行かないと、そのように結論がなされていた。昌浩に大妖怪との実戦はまだ早いと、彼自身も先の戦いで己の未熟さを痛感した筈だろうに。

 

「昌浩、お前にはまだ早い。窮奇を相手にするのに、今のお前では……」

 

 だからこそ、紅蓮は早る気持ちの少年に落ち着くように冷静に言い聞かせていく。

 

 

「——でも、『昌浩』さんなら……きっと逃げないと思う……」

「——!!」

 

 

 だが、昌浩の口から『昌浩』——千年前に窮奇を討伐した、かの陰陽師の名前が出されたことには紅蓮も咄嗟に言葉を失う。

 動揺する紅蓮に対し、昌浩は自分が行かなくてはならない理屈を口にしていく。

 

「あいつが……窮奇が狙ってるのは俺なんだろ? なら俺が行かないと……窮奇が異界から出てこないかもしれないし」

 

 窮奇がもっとも雪辱を晴らしたい相手は昌浩だ。

 奴は昌浩のことを『過去に自分を滅した安倍昌浩の生まれ変わり』だと思い込んでいる。もしも昌浩が洗足池に赴かなければ、肝心の復讐対象がいないと異界に引きこもったまま、姿をくらましてしまうかもしれない。

 

 窮奇本体を誘き寄せるためにも、昌浩は『囮』になる必要がある。

 

「お前は『昌浩』じゃない! お前があいつの因縁のために、危険を犯す必要はないんだぞ……」

 

 紅蓮はそんな昌浩に、現代を生きるこの少年に過去の因縁に囚われて欲しくないと首を振る。

 ここにいる昌浩と、過去を生きた『昌浩』は違うのだと。二人をしっかり別人だと理解した上での発言だ。

 

「……分かってるよ。俺は『昌浩』さんじゃない。あの人みたいに最後まで頑張れるか分からない。もしかしたら、みんなの足を引っ張ることになるだけかもしれない……」

「いや、そういう意味で言ったわけでは……!」

 

 その発言を昌浩は自分の未熟さを指摘されていると受け取る。紅蓮としては昌浩を未熟だからという理由だけで、邪険に扱っているわけではないのだが。

 

「けど、俺だって安倍家の男だ!! 敵が大妖怪だからって……逃げるわけには行かないよ!!」

 

 しかし彼とて陰陽師。未熟者だからといって、大人しく引っ込んでいるわけにもいかない。

 決して意固地になっているわけでも、ムキになっているわけでもなく。昌浩自身、子供ながらに陰陽師としての責務を全うしようとしている。

 

「行かせてやればいい」

「……六合!?」

 

 すると昌浩を擁護するよう、彼の後方から六合が姿を現した。

 

「紅蓮、お前はどうにも昌浩に甘い。それではいつまで経っても、こいつの成長につながらんぞ」

「…………」

 

 六合に鋭いところを指摘され、紅蓮が押し黙る。

 確かに紅蓮は他の神将よりも、昌浩に過保護なところがあるかもしれない。甘やかしているわけではないが、やはり未意識のうちに彼を——千年前の『安倍昌浩』の面影と重ねてしまうからだろう。

 

「信じてやれ。足りないところは、それこそ俺たちで補えばいい」

 

 一方で、六合は紅蓮ほど昌浩と『昌浩』を重ねてもいなければ、対比もしてはいない。彼を一人の陰陽師として見ており、あくまで合理的な判断から連れていくべきだと進言する。

 

「……確かに、昌浩でなければ窮奇も食いつかんかもしれん……」

 

 それらの意見には、晴明も頷かざるを得なかった。

 たとえ実の孫であろうとも、必要とあれば危険な案件を任せなければならないときがある。この機会に確実に窮奇を仕留めるためにも、ここは陰陽師としての義務を優先させる。

 

 

「よかろう。昌浩……紅蓮、六合と共に行きなさい。大妖・窮奇の討伐、見事成し遂げてみせよ!」

「——はい!!」

 

 

 晴明から直々に窮奇討伐の任を受け、昌浩が力強く頷く。既にその表情からは大妖怪と相対する緊張感、昼間には感じられた気後れさなど微塵も見受けられない。

『男子、三日合わざれば刮目して見よ』とも言うが、僅か半日でこの心境の変化は大したものである。

 

「…………」

 

 これには紅蓮ももはや何も言えない。

 この少年を信じ、戦場を共にすることを決意するしかなかったのである。

 

 

 

 

 

 そうして、時は満ちる。

 

 窮奇たちが出没した翌日の日中は、実に穏やかであった。

 これといったトラブルもなく、皆が復興に励んでいる。争いの爪痕が未だに人々に暗い影を落としているが、そこから立ち直ろうとする気概というやつも確かに感じ取れた。

 また平和な日々を——きっとそれは人間だけではない、争いを望まない妖怪たちも同じ思いだ。

 

 そんな中での窮奇の暗躍は、まさにその平穏を脅かす影そのものである。

 またいつ連中のような暴虐な輩が暴れ出すかと、誰もが戦々恐々としている。

 

 窮奇が水面下に潜んでいる限り、本当の意味でこの国に平和など訪れることはない。

 

 奴を放置しておくことが出来ないと思うのは、人々を護る陰陽師として当然。

 その気持ちは、ゲゲゲの鬼太郎たちも一緒。

 

 だからこそ、彼らは共に戦うのだ。

 

 

 

×

 

 

 

「そろそろ時間じゃが……」

「そうですね、父さん」

 

 日が暮れる頃。洗足池のすぐ近場、洗足池駅のホームで鬼太郎たちは待ち人を待っていた。

 

 既にホームには鬼太郎や目玉おやじの他にも、猫娘や砂かけババア。子泣き爺に一反木綿、ぬりかべといつもの面子が集まっている。ねずみ男はいないが、彼も彼なりに裏方として頑張っている。

 この一件に対する仲間たちの気持ちは同じ。陰陽師との共闘にもこれといって文句はない。

 

「ごめん、ごめん!! すっかり待たせちゃって……」

「…………」

 

 そこへ鬼太郎たちと合流すべく、安倍昌浩もホームへと到着した。既に打ち合わせは済ませており、そこには昌浩以外にも神将・六合の姿が見受けられるが。

 

「——済まんな、支度に色々と手間取った」

 

 さらにもう一人、もう一匹と言うべきか。見慣れない『異形』が昌浩の肩に乗っている。

 それは犬でも猫でもない、全身が真っ白な毛並みに覆われている何かしらの獣であった。人語を介していることからただの動物ではないことが一目瞭然だが、不思議と妖気の類も感じ取れない。

 

「ええっと……キミは誰だ?」

 

 さも当然のように声を掛けてきたその異形に、鬼太郎は首を傾げながら問い掛ける。

 すると、その異形は鬼太郎の問いに「ああ……」と、『この姿』で会うのは初めてだったなと、自らの正体を明かす。

 

「俺だよ、俺……騰蛇だ」

「えっ……? 騰蛇……って、あの神将の!?」

 

 小さな異形の正体は神将・騰蛇——紅蓮だった。

 神将の中で最も獰猛にして凶悪と名高い煉獄の主。地獄の如き炎をあれほど巧みに操っていた褐色肌の青年が、どういうわけかその姿を可愛らしい小動物に変化させてやって来た。

 その姿には一体どういう意図があるのだろうと、尚も不思議がる一同に紅蓮は堂々と答える。

 

「この方が小回りが効く。奴の狙いは昌浩だ、俺がこいつの側を離れるわけにはいかないんでな」

 

 紅蓮曰く、窮奇の狙いが昌浩を『異界に引き摺り込む』ことにあると用心してのことだ。

 

 千年前の戦いでも、窮奇は『昌浩』一人を水鏡の向こうへと引き摺り込み、戦力の分散を図った。

 そのときは何とか神将たちも異界へと侵入し、昌浩と合流を果たすことができたが、同じような手法がそうそう都合よく通じるとも限らない。

 昌浩の孤立そのものを防ぐためにも、紅蓮は彼の側を離れずにその姿で護衛に徹するという。

 

「もっくん……やっぱ過保護じゃない?」

 

 昌浩はそんな紅蓮に苦笑いを浮かべる。

 ちなみに、この姿の紅蓮を昌浩は『もっくん』と呼んでいる。誰に教えられたわけでもなく、ごく自然にそう呼ぶようになっていた。

 

 千年前も『昌浩』から、紅蓮はその姿を『もっくん』と呼ばれていた。

 違うと思っていても、やはり魂は引き継がれているものである。

 

「うるさい、当然の用心だ!」

 

 昌浩への過保護っぷりを本人にも指摘されたが、もっくんはムキになって言い返す。実際に前例がある以上、そこは彼としても譲れない一線だ。

 陰陽師として覚悟を決めていようと、それでも昌浩の安全が第一であると。

 

 とりあえず一行はそのまま目的地——窮奇が待ち構えているであろう、洗足池へと向かう。

 

 

 

 今朝の時点から、既に洗足池周辺は数キロにわたり、総理代理の指示を受けた警官隊によって封鎖されている。

 その陣頭指揮を安倍晴明が取っており、配備された警官たちもそれなりの装備で身を固めている。

 窮奇の手下は数も多いが、この体制であれば多少の撃ち漏らしも対処できる。一般人を巻き込む心配もなくなったことで、一行は安心して窮奇との戦いに専念していく。

 

「……どう、鬼太郎? 何か感じる?」

「いや、何も……相変わらず……何も感じ取れない」

 

 神経を研ぎ澄ましながら、一歩ずつ洗足池へと近づいていく。その際、猫娘が鬼太郎に妖気の有無などを確認していくが、やはり妖怪アンテナには全く反応がない。

 鬼太郎や昌浩たちが近づいていることは窮奇も感付いている筈だが、異界に引っ込んだまま未だ動きを見せない。

 

 警戒を続けながら、鬼太郎たちは池のほとりまで辿り着きそこで待機。

 互いに動きがないまま数秒、あるいは数分間。それが悠久とも錯覚する時間感覚に襲われる中で——

 

 

「…………っ!! 来るぞ!!」

 

 

 誰の叫びか。静寂は唐突に破られる。

 

 広大な池の水面に波紋が広がる。

 何も感じられなかった水面から妖気が、盛大な水飛沫と共に迫り上がって来る。

 

 水鏡の向こう側から姿を現したのは——窮奇配下の妖異ども。白い羊に率いられた、妖獣たちの一群である。

 

土螻(どろう)!!」

 

 先兵として姿を現した妖怪に昌浩が声を張り上げる。予習として『山海経』に目を通してきた彼は、それが土螻と呼ばれる妖異であることを知っていた。

 四本の角を持った白い羊。窮奇配下の中でも、かなりの妖力を秘めている中国妖怪だ。

 

『久しいな……神将ども』

 

 土螻もまた、昌浩や神将たちに恨みを持つ身。

 窮奇の命令は当然ながら、自身の恥を雪ぐためにも彼らへと容赦なく襲い掛かっていく。

 

 さらに、土螻だけでは留まらない。昌浩や神将への復讐心に満ちた輩がまだまだ後続に控えている。

 

「気を付けろ!! まだ何か来るぞ!!」

 

 またも水面が揺れ、そこから妖異たちが飛び出してくる。

 

『——愚かな奴らよ。罠と分かっていながら、むざむざやられに来るとは……!!』

『——勝ち目のない戦いに挑むのは勇気とは呼ばぬ……ただの蛮勇よ!!』

 

 出現したのは昨日の戦闘時にも姿を見せた二羽の怪鳥、鶚と鵕である。先の戦いでやられた傷の恨みを晴らすためにも、砂かけババアや子泣き爺へと飛び掛かっていく。

 

「子泣きよ!」

「おうよ!!」

 

 それに砂かけ、子泣き爺が真っ向から応戦した。

 さっそくぶつかり合う両陣営。さらに敵の増援が次々と現れ、それに鬼太郎たちが交戦していく流れとなっていく。

 

 

『ウラアアアアアア!!』

「ぬりかべ!!」

 

 巨大な猿の妖異は——挙父(きょほ)

 その巨体に恥じぬ力自慢なのだろう、同じような巨体を誇るぬりかべと力比べで張り合っていく。

 

 

『ヒャアアアアア!!』

「なんの!! ヒラっとな~!」

 

 翼の生えたネズミのような怪鳥——寓鳥(ぐうちょう)

 快音波のようなブレスを吐いてくるも、それを一反木綿が軽やかな飛翔で躱していく。

 

 

『シャアアア!!』

「このっ!! ちょこまかと!!」

 

 太い荒縄のような蛇——長蛇(ちょうだ)

 そのすばしっこさで猫娘を撹乱しながら、他の妖獣たちとの連携で戦場を引っ掻き回していく。

 

 

 他にも大小様々な妖異どもが、水鏡の向こう側から続々と雪崩れ込んでくる。それらを相手に昌浩や神将たち、鬼太郎も奮戦していく。

 

 どうやら、相手方は出し惜しむをするつもりがないのか、一気に戦力を投入してきた。

 中国妖怪の大群。紅蓮が当初予想していた通り、戦いはかなりの混戦状態へともつれ込んでいく。

 

 

 だが、その中に肝心の敵大将——窮奇の姿はどこにも見受けられなかった。

 

 

 

 

 

「——(のぞ)める(つわもの)(たたかう)うもの、(みな)(じん)(やぶ)れて(まえ)()り!」

 

 敵味方が入り乱れる激しい乱戦の最中においても、昌浩は冷静な立ち回りを見せていた。

 力強い詠唱で霊力の刃を放ち、向かってくる敵を的確に迎え討っていく。その動きには一片の澱みもなく、緊張で変に挙動がおかしくなることもない。

 

 自らの役目を全うしようとする陰陽師としての責務か、大切なものを護りたいという強い意志がそうさせているのか。

 安倍家の陰陽師に相応しい、実に勇猛果敢な戦いぶりであった。

 

 

『——よくぞ来た……方士よ』

「っ!?」

 

 

 そんな昌浩を前に、ついに窮奇がその姿を水面に映し出す。

 昌浩を自らの異界へと引き摺り込もうと——木の蔓のように黒い触手を伸ばし、それを彼の足に巻き付かせていく。

 そのまま異界に引きずり込まれれば、千年前の『昌浩』同様、敵陣の中で昌浩が孤立してしまう。

 

「——させるか!!」

 

 だが、その動きは既に読んでいる。窮奇の狙いが昌浩だと分かっている以上、その企みを未然に防げないわけがない。

 昌浩のすぐ側で護衛に徹していたもっくんが、全身の毛を逆立てながら並々ならぬ闘気を放出。

 小さな異形の姿でも問題なく力を発揮できるのか、昌浩の足に絡みついていた触手を熱風の刃が切り裂いていく。

 

「サンキュー、もっくん!!」

 

 窮地を救ってくれたもっくんに、昌浩がすかさず礼を言う。

 

「油断するな、昌浩! 次が来るぞ!!」

 

 しかし、こんなものは序の口だともっくんは警戒を促す。予想通り、窮奇は昌浩を異界に引き摺り込もうとしつこく黒い触手を伸ばしてくる。

 

「はぁっ!!」

 

 今度は六合が昌浩の元へと駆けつけ、触手がその足に触れる前に槍の一閃で切断していく。

 千年前のような失敗は繰り返さない。窮奇が昌浩を連れ去ろうとするその思惑を尽く潰していく。

 

 

『——ふっ……』

 

 

 しかし、それも想定内とばかりに、水面に映った窮奇が嘲笑を浮かべる。

 窮奇の狙いが『昌浩への復讐にある』『奴は必ず昌浩を狙ってくる』という、神将たちの思考の裏をかくかのように——

 

 

 その触手を——ゲゲゲの鬼太郎の足元へと伸ばしていた。

 

 

「えっ? うわあああ!?」

 

 周囲の敵相手に善戦していた鬼太郎も、掴まれる直前までその触手の存在に気付くことが出来なかった。

 そのまま呆気に取られる暇もなく、触手は凄まじい速度で鬼太郎を水面へと引き摺り込んでいく。

 

「鬼太郎!? うひゃっ!?」

「父さん!? くっ!」

 

 引っ張られる勢いに、鬼太郎の頭の上にいた目玉おやじが振り落とされる。鬼太郎は地面へと転がり落ちる父親に手を伸ばすが、既に体の半分以上が水面へと呑み込まれている。

 

 必死の抵抗も虚しく、ゲゲゲの鬼太郎は一人水面へ——水鏡の向こう側へと消え去ってしまった。

 

 

 

「そ、そんな……鬼太郎が!!」

「莫迦な……何故、鬼太郎を!?」

 

 その光景を見ていることしかできなかった猫娘が、昌浩の護衛に徹していたもっくんが呆然と立ち尽くす。

 

『——ぬかったな、神将。我が主の狙いは、始めからあの小僧にあったのだ』

 

 唖然とする紅蓮たちに土螻が口を開き、窮奇の狙いが最初から鬼太郎にあったことを語る。

 鬼太郎を異界へと引き摺り込むことが目的であり、最初の昌浩への接触はあくまでカモフラージュに過ぎなかった。

 主の思惑が見事に嵌まったことを、したり顔でほくそ笑む。

 

「なんで……どうして鬼太郎を!?」

 

 これに猫娘が納得できないと、怒りに顔を歪めながら叫んだ。

 窮奇と鬼太郎との間に因縁めいたものはない。殆ど関わりがない筈の鬼太郎を異界へと連れ去り、いったい何を企んでいるというのか。

 

『それを貴様らが知る必要はないわ!!』

『貴様らはここで、方士と共に滅びるのだ……殺れ!!』

 

 だが鶚と鵕は猫娘の叫びを一蹴。自身の妖気を昂らせ、さらに配下たちに命令を飛ばす。

 鬼太郎以外に用はないとばかりに。猫娘ら日本妖怪に、妖獣たちが一斉に群がってくる

 

 

「——貴様ら!!」

 

 

 これにもっくんがその姿を紅蓮へと戻し、苛烈な神気を迸らせる。昌浩のために守勢に回っていた彼が、一気に攻勢へと転じたのだ。

 

 全力で解き放たれる紅蓮の炎。真っ赤な炎蛇の如き紅色の炎が、白銀の龍の如き神聖なる白炎へと変化していった。

 邪悪を滅する業火が何十匹という化け物どもを、熱さすら感じさせる間もなく一瞬で蒸発させていく。

 

「こ、これが紅蓮の……」

「神将の……本気!!」

 

 これには紅蓮を慕っている昌浩も、今は味方と肩を並べて戦っている日本妖怪たちも絶句する。

 これこそが紅蓮の真の力。十二神将最強の男、冷酷無慈悲と恐れられる煉獄の主が操る全力の炎である。

 

 もっともその力をもってしても、これだけの大軍団を一息で全滅させることは難しい。

 

『おのれぇええええ!』

『神将め!!』

 

 紅蓮の業火を前に怯みはするものの、そこで逃げ出そうという気配はない。

 窮奇の配下どもはまさに、死をも恐れぬケダモノたちの群れ。

 

 敵の増援も一向に途切れる様子がない。これらを全て倒し尽くすには——相当な時間を要するだろう。

 

 

 

 

 

「……鬼太郎、無事でいて!!」

 

 それまでの間、果たして鬼太郎が無事でいられるか。

 猫娘は祈る気持ちを胸に抱きつつ、眼前の敵との交戦を続けていくしかなかった。

 

 

 

×

 

 

 

「…………ここは?」

 

 鬼太郎がはっと目を覚ますと、そこには見知らぬ空があった。

 夕焼けのように赤く、暗雲が不気味に漂う空。乾いた風が鬼太郎の身体に絡みつくように吹き荒れ、その心身を芯から震え上がらせる。

 

「!! ここが窮奇の……異界……」

 

 鬼太郎は一寸遅れで自分があの黒い触手に掴まれたことを思い出し、ここが話に聞いていた水鏡の向こう側——窮奇が作り出した異界であることを悟る。

 周囲を見渡しても誰もいない。どうやら自分一人だけが異界に連れ込まれたようだと、鬼太郎は気を引き締める。

 

 

『——来るがいい……』

「っ!!」

 

 

 すると鬼太郎の意識が覚醒するのを待っていたかのように、何処からともなく声が響いてくる。

 

『我の下へ来るのだ……』

 

 窮奇だ。

 この異界に鬼太郎を引き込んだ張本人が、自分の下に来るように誘いをかけている。

 

「…………行くしかないか」

 

 僅かに逡巡した後、鬼太郎は声がした方角へと歩き出していく。

 ここで立ち止まっていても何もならない。今は窮奇の誘いにあえて乗り、そこからどうにかして活路を見出すしかなかった。

 

 鬼太郎が歩く度、周囲の景観が悉く変化していく。

 最初はただの森でしかなかった場所が、どこかの農村に。さらには様々な建造物が立ち並ぶ街中へと発展していく。

 だが全体的にどこか異国感が漂っており、建物の作りなどもかなり古い時代のものだ。

 

 恐らくは窮奇が大陸にいた頃の景色だろう。ここは窮奇が作り出した異界なのだから、その景観も奴の意思一つで自由自在に変化するというわけだ。

 やがて、その景観はどこかの建物の内部へと。まるで大陸の皇帝が住まうような宮廷へと様変わりしていき——

 

『——よくぞ来た……ゲゲゲの鬼太郎』

 

 気が付けば、鬼太郎は辿り着いていた。

 大妖が潜む宮廷の最奥、玉座にあぐらをかくように鬼太郎を待ち兼ねていた——窮奇の眼前へと。

 

 

 

 

 

「——窮奇っ!!」

 

 対面早々、鬼太郎はリモコン下駄や髪の毛針で窮奇に攻撃を仕掛ける。

 

 窮奇との戦いに臨む際、鬼太郎は安倍家のものたちから奴と対峙する注意点をいくつか聞かされていた。

 窮奇相手に気をつけるのは、その妖力の強大さだけにあらず。言葉巧みに他者を操ろうとする、その狡賢さも十分に脅威になり得るという。

 事実、千年前も奴は人々の心の弱さを巧みにつき、いいように利用し、自らの思惑を成し遂げてようとした。

 窮奇の言葉は、耳を傾けるだけでも十分に『毒』となり得るのだ。

 

『ふっ……そう慌てるな、ゲゲゲの鬼太郎よ』

 

 鬼太郎の攻撃を軽くいなしながら、やはり窮奇は語りかけてきた。

 

『先日の問い掛けの、答えを聞かせるがいい』

 

 先日、鬼太郎に対して——『配下にくだれ』と要求してきた件だ。てっきり昌浩をここへ誘き寄せるための方便かと思っていたが、どうやら本気らしい。

 本気で窮奇は、鬼太郎を配下に加える用意があるようだ。

 

『我が配下にくだるのであれば、相応の地位をくれてやる。他の日本妖怪どもにも、決して手を出さないと約束してやろう』

 

 窮奇は鬼太郎の利益となる条件を提示しながら、不意にその視線を空中へと向ける。

 視線の先を追えば、そこには外の景色らしき映像——『洗足池で戦っている皆の様子』が映し出された。

 

 昌浩や神将たちは当然ながら、目玉おやじに猫娘を始めとした、ゲゲゲの森の妖怪たちが窮奇配下の妖獣たちと決死の戦いを続けている。

 

「父さん!? 猫娘!! みんな!!」

『あの方士と神将どもは無理だが……他の妖どもであれば生かしてやっても構わん』

 

 窮奇はその光景を見せつけながら、再度脅迫するように迫る。

 憎い方士らはともかく、他のものたちであれば鬼太郎の返事次第で見逃してやると、寛大なところを見せつけようとしてくる。

 

「……何故だ。何故そこまでして、ボクを配下に引き入れようと……」

 

 仲間たちの危機という焦りもあってか、鬼太郎はたまらず窮奇へと問いを返してしまう。奴と言葉を交わすことが危険だと承知済みだが、どうしても聞かずにはいられない。

 

 何故そうまでして、自分を配下に加えようというのだろう。

 

『……言った筈だ。貴様はあの九尾を討ち倒した』

 

 すると窮奇は言葉に重みを加え、鬼太郎の疑問に答える。

 

 

 

 九尾の狐、玉藻の前——あるいは、妲己。

 中国妖怪にとっても、そして窮奇にとっても、その存在は重要な意味合いが秘められている。

 

『我はかつて……九尾との戦いに敗れた。奴に棲家を追われる形で……この国へやってきたのだ!!』

 

 窮奇は屈辱の戦歴を忌々しくも吐き捨てた。

 

 そう、彼がこの日本で『安倍昌浩』に敗れたのも、元を正せば大陸においての縄張り争い——『九尾たち』との小競り合いに敗北したからでもあるのだ。

 窮奇がこの国に流れてきたのも、『昌浩』に敗北し彼を強く憎むようになったのも、全ての元凶に九尾という妖怪の存在があった。

 その九尾への『真なる復讐』を果たすためにも、窮奇は鬼太郎の力を欲する。

 

『あの女を……妲己を倒した貴様の力が加われば奴を……もう一匹の九尾の片割れ、弟の方も滅ぼすことができよう!!』

「……弟? 九尾に……弟……?」

 

 呪詛すらこもっていそうな窮奇の叫び。何気に初耳な情報で鬼太郎が眉を顰めるが、正直それどころではない。

 今は眼前に聳え立つ窮奇の問い掛けにどのように応えるか、それが求められていた。

 

『……その話はいずれまたの機会にしてやろう……して? ゲゲゲの鬼太郎よ、我の配下にくだるか?』

 

 窮奇は鬼太郎にこだわる理由を改めて説明してやった。これで自分が本気で彼を配下に引き込もうとしていることが伝わっただろうと。

 三度、ゲゲゲの鬼太郎に——自分の仲間になるかどうかの問いを投げかける。

 

 しかし、鬼太郎の答えなど考えるまでもなく決まっていことだ。

 

「ボクは……お前の配下になんかならない!!」

 

 既に答えたように、鬼太郎が窮奇の配下に加わることはない。どんな逆境に追いやられようとも、窮奇のような独裁的なものに鬼太郎が靡くことなど、絶対にありはしないのだ。

 たとえ援軍が望めない、絶望的な状況であろうとも。鬼太郎は窮奇への戦意を一向に緩めない。

 

『言った筈だ。お前の願いも……叶えてやろうと』

 

 しかし、窮奇も執念深い。

 ここまでは想定内とばかりに妖しく笑みを浮かべながら、自分の配下にくだる見返りとして鬼太郎の願いを——

 

 

『——そう、犬山まな。あの娘の失われた記憶……取り戻してやると言ったら、どうだ?』

 

 

 今、鬼太郎がもっとも望んでいるであろうことを実現して見せると囁いた。

 

 

 

 

 

「な……なん、だと……?」

 

 これには、さすがの鬼太郎も息を呑む。

 窮奇がまなを獲物として狙っていたのは確か。しかし何故、まなが記憶を失っていることまで奴が知っているのか。

 

『知っているぞ。あの娘があらざるの地へと貴様を助けに行き、その代償として記憶を失ったとな……』

 

 窮奇は何もかもお見通しだった。

 まなが鬼太郎のために己の記憶を犠牲にし、彼をあらざるの地から救い出したことを。

 鬼太郎を助けるためにまなは妖怪との繋がり、彼らとの絆を失ったのだと。

 

『お喋りな爺から色々と聞かされてな……くっくっ!』

 

 犬山まなを配下たちに捜索させる際、『とある老人』からそれらの事情を聞かされ、全てを把握していたのだ。

 その情報を利用し、窮奇は鬼太郎へと揺さぶりを掛けていく。

 

『小娘一人の記憶を呼び覚ますことなど、我が妖術を持ってすれば容易いことよ』

 

 自分ならば、犬山まなの失われた思い出を呼び覚ますことができるだろうと。今一度、彼女との絆を取り戻すことができると堂々と告げていく。

 

 

『——どうだ? 我が配下にくだり……その願いを叶える気はないか?』

 

 

 

 

 

 ——堕ちろ……! ゲゲゲの鬼太郎!!

 

 無論、窮奇の言葉は出鱈目だ。

 彼に犬山まなの失われた記憶を取り戻す、明確の術などある筈もなく。これはあくまでその場凌ぎの甘言に過ぎない。

 

 だが、一度でも窮奇の問い掛けに頷き、彼の命令を聞いてしまえば最後。そのまま道を踏み外し、鬼太郎は窮奇の同類、人に仇を成す妖異へと成り下がるだろう。

 そうなってしまえばどうとでも操れる。その心を意のままに支配できる算段が、絶対の自信が窮奇にはあった。

 

『さあ!! 返答やいかに!?』

 

 肝心なのは、最初の一歩だ。

 一度でもその手を汚させれば、あとは真っ逆さまに堕ちていくのみ。

 

 その一歩を踏み外させるために、窮奇は鬼太郎の心の隙間を巧妙に突いていき——彼を跪かせようと迫る。

 

 

「——断る」

『……なに?』

 

 

 しかしそれでも、鬼太郎の心は折れない。

 窮奇の耳障りのよい言葉になど惑わされずに、己の意志を貫いていく。

 

『貴様……!! あの娘は貴様のせいで記憶を失ったのだぞ!? 失われた記憶を、忘れ去られた思い出を、取り戻させてやりたくはないのか!?』

 

 窮奇は叫んだ。

 まなは鬼太郎のせいで記憶を失ったのだと。その責任も償いも果たすことなく、自分だけのうのうと生きていくつもりかと、彼を責め立てていく。

 

「……そうさ、全てはボクの愚かさが招いたことだ。お前に言われるまでもない。そんなこと……分かってるんだ……」

 

 鬼太郎もそれは理解している。事実、彼の心は今でも罪悪感に押し潰されそうだった。

 自分のせいでまなは皆と過ごした二年間の思い出を。これから先、過ごすことになったかもしれない何十年という時間を失った。

 

 

 自分のせいだ。彼女の口から『妖怪なんか……大っ嫌い!!』などと、叫ばせてしまったのは。

 

 

 もはや今のまなは、鬼太郎の知る彼女ではなくなってしまっている。

 もしも今すぐにでも、彼女が記憶を取り戻し、以前のように自分たちに笑いかけてくれるのであれば。

 

 またもう一度、『鬼太郎!』と笑顔で微笑みかけてくれるのであれば、それに勝る喜びはないだろう。

 

「けど! お前に従って記憶を取り戻せたとしても……それじゃ、意味がないんだ!!」

 

 だが、それで自分が窮奇の配下に堕ちるようでは本末転倒だろう。

 窮奇に従って悪行に手を染めるような鬼太郎になど、きっとまなも笑顔を向けてはくれない。

 

「たとえ記憶が戻らなくても……まなが笑顔でいてくれれば……それだけで、ボクはっ!!」

 

 記憶が戻って欲しいという自身の気持ちは、あくまで二の次だ。

 たとえ、まなが自分に笑いかけてくれなくとも、彼女が笑顔で生きられるのなら——。

 

 この先の人生を幸せに生きていてくれるのであれば、それだけど十分なのだと。

 

 

 それを守るために、鬼太郎は頑張れる。

 その幸せを台無しにしようとする、窮奇に対し毅然として立ち向かうことができるのだ。

 

 

 

×

 

 

 

『——ならば……もはや貴様に用はない!!』

 

 こちらからの誘いを幾度として断り、自身の面子に泥を塗った鬼太郎を許すまじと窮奇は憤慨する。

 

『かくなる上は貴様を殺し、我が九尾を上回ったという証を立てるまでのことよ!! 死ね、小僧!!』

 

 もう一体の九尾との決戦のため、鬼太郎の力を得られれば良しと思っていた窮奇。だがそれが無理だというのなら、九尾を倒した彼を倒すことでも、自身のプライドを保つことができよう。

 もはや一才の容赦なく、鬼太郎を亡き者にしようと襲い掛かる。

 

「来い! お前は……ここで倒す!!」

 

 それに真っ向から応じる鬼太郎。たった一人では戦力的に心もとないが、それもやむなし。

 ここが窮奇の異界である以上、逃げ場はなく、援軍もきっと望めない。たった一人きり、真正面からぶつかっていくしかないのだと、鬼太郎も既に覚悟を決めていた。

 

 

 ところがだ。鬼太郎の窮地を前に、窮奇の支配する異界に——突如、ポッカリと穴が開く。

 

 

『なんだと!?』

「っ!?」

 

 虚空に開かれたその穴に鬼太郎は勿論、窮奇ですらも瞠目する。

 いったい何が起きているのかと、彼らの脳裏に疑問が浮かぼうとした、その刹那——

 

 

「——窮奇!!」

 

 

 その穴から彼らが——神将たちが飛び出してくる。

 灼熱の炎を操る紅蓮が、神速の槍捌きを誇る六合が。姿を現すと同時に渾身の一撃を窮奇へと叩き込んだ。

 

『ぐはっ!? ば、莫迦な……どうやって、貴様ら……どうやって我が異界に侵入して来た!?』

 

 その一撃をまともに食らい、窮奇の巨体が大きくのけぞっていく。

 だが肉体的なダメージより、精神的な衝撃の方が大きい。何故、窮奇の許しもなく彼らが異界へと足を踏み入れられたのか。

 

 千年前も、神将の紅蓮は確かに力尽くで異界への扉をこじ開けたことがあった。

 しかしそれは『昌浩』がいたからだ。一人異界で孤立する彼を助けるため、紅蓮が彼との『絆』を辿って道を開いた。

 だが、今回異界に引き込まれたのは、ゲゲゲの鬼太郎。彼と神将たちとの間に、『縁』を手繰り寄せられるほどの絆があるとは考えにくい。

 

「俺たちだけでは無理だったさ……だが!!」

 

 その事実を、他でもない紅蓮自身も認める。

 いかに彼でも、鬼太郎のためにそれだけの力を発揮することは出来ない。実際、神将が異界に入ることができたの彼ら自身の力ではない。

 

 全く別の技術を持った——『彼女』のおかげである。

 

「鬼太郎!!」

「紅蓮! 一気に畳み掛けるぞ!!」

 

 その彼女が——自分の『箒』の後ろに安倍昌浩を乗せながら、鬼太郎の元へと飛んでくる。

 

「っ!? アニエス!!」

 

 そこにいたのは、鬼太郎の仲間の一人——魔女・アニエスだった。

 

 まなのことで未だに日本に残ってくれていた彼女が、鬼太郎の危機に駆けつけてくれたのだ。西洋の魔女であるアニエスの魔法という技術があればこそ、別次元にある異界への侵入もスムーズに済んだ。

 まさにこの状況、これほど頼もしい援軍はないだろう。

 

「ワタシだけじゃないわよ、鬼太郎!!」

 

 さらにアニエスは、友軍が自分だけではないことを告げる。

 

「アデルお姉様が外で猫娘たちと戦ってる……他の神将って人たちと一緒にね!!」

「——!!」

 

 アニエスがいる以上、彼女の姉であるアデルも来てくれていることは予想できた。

 だが他の神将——紅蓮たち以外の神族が参戦してくることは予想外だ。

 

『まさか……』

 

 アニエスの言葉に、窮奇がもう一度外の様子を映し出す。鬼太郎に見せつけるためではない、自らの目で真偽を確かめるためだ。

 

 再び空中に映し出される洗足池の様子。

 そこでは確かに猫娘たち日本妖怪とアデル。そして——鬼太郎の見知らぬ者たちが、妖獣どもと戦っていた。

 

 小さいツインテールの女の子が風を巻き起こし、飛翔する怪鳥たちを吹き飛ばしていた。

 赤髪の青年が大剣を片手で軽々と振り回し、地面を蠢く猿どもを切り裂いていた。

 その青年の隣に立った儚げながらも美しい女性が、結界を張って仲間たちを守っている。

 

 それぞれ個性的な面子だが、類似点として皆が一様に神聖な空気を纏っている。

 紅蓮や六合と同じような、神の眷属に連なるもの特有の気配。

 

 まさしく、あれなるは——十二神将。

 かの大陰陽師・安倍晴明が使役し、彼の死後もその血筋たる安倍家を千年間、守護し続けてきた式神たち。

 あれで全てではないだろうが、その神将たちが洗足池に結集していたのだ。

 

「間に合わない……って話じゃなかったのか!?」

 

 鬼太郎が前もって聞かされていた話では、紅蓮や六合以外は参戦できないとのことだった。

 皆それぞれに役割を抱えており、援軍には間に合わないと。晴明ですらもそう判断していた筈だった。

 

 だがそれでも、彼らは来てくれた。

 与えられた役目をしっかりと終わらせ、無理を押してでも駆けつけて来てくれたのだ。

 

 さすがに遅ればせながらの参戦になってしまったが、これで数的不利は解消された。

 窮奇配下の妖獣どもがいかに大群といえども、これだけの神将、そして鬼太郎の仲間たちが揃えばもはや掃討も時間の問題だ。

 

「外の方は時期にカタがつく……残るはお前だけだ、窮奇!!」

 

 そうなれば、残った脅威は窮奇だけであると。

 

 奴との決着を付けるためにも、鬼太郎を手助けするためにも。昌浩や紅蓮たちはこの異界へと、自ら飛び込んできたのだった。

 

 

 

 

 

『——舐めるなぁあああああああ!!!!』

 

 もっとも最後に残った脅威こそが、最大の難敵。大妖怪・窮奇が怒りの咆哮を上げた。

 窮奇の雄叫びは、奴が住処としていた宮殿に亀裂を走らせる。自らが作り出した異界すらも崩壊させる勢いで、窮奇がその身に蓄えた妖気を解放していく。

 

「くっ! こんなっ!?」

「ちぃっ!!」

 

 解き放たれた妖気は衝撃波となり、鬼太郎や神将たちへと襲い掛かる。なんとか踏ん張ることはできるが、正直立っているだけでも精一杯、凄まじい妖気の質量である。

 やはり他の有象無象どもとはわけが違う。どんなに有利な状況であろうとも、油断をすれば窮奇一体に戦況がひっくり返されてしまう。

 

「喰らえ!!」

「はぁっ!!」

「体内電気!!」

「ダイナガ・ミ・トーチ!!」

 

 戦いを長引かせるのは得策ではないと、誰もがそう判断したのか。紅蓮は白炎を放ち、六合が槍を一閃。ゲゲゲの鬼太郎が電撃を纏い、アニエスが魔法で攻撃していく。

 一気に勝負を決めるべくその力を一点に集中させ、窮奇へと叩き込んでいった。

 

『小賢しいわぁあああ!!』

 

 だがそれら全ての攻撃を、窮奇は真正面から蹴散らす。

 紅蓮の炎を妖気で消し飛ばし、六合の槍をその巨腕で振り払い、鬼太郎の電撃を稲妻を招来して相殺し、アニエスの魔法を翼から起こした竜巻で吹き飛ばしてみせる。

 無論、ノーダメージではない。神将や鬼太郎たちの攻撃、それら全てを完璧に防ぎ切ることなど窮奇とて不可能だ。

 

『——ぶらぁあああああああああああああああ!!』

 

 しかし、どれだけの手傷を負わせようとも一向に倒れる気配すら見せない。それどころか、さらに窮奇の反撃は苛烈さを増していく。

 

 窮奇の本領。

 大妖怪としての尊厳、誇り、意地といったものがその姿から垣間見えた気がする。

 

 

 

 ——もう一押し……。

 

 双方が譲れない意地でぶつかり合う最中、昌浩は思案を巡らせていく。

 

 ——あと一押しっ! あと一手……何かが足りてない!!

 

 昌浩の陰陽師としての才能が彼に訴えかけている。あと一手、窮奇を押し切るには奴の力を上回る、決定打となり得る『何か』が必要なのだと。

 

 その一手を担うのは誰か?

 それは紅蓮でも、六合でも、鬼太郎でも、アニエスでもない。

 

 自分だ。この安倍昌浩だと。

 かつて窮奇を討ち倒した——『安倍昌浩』の名と魂を継ぐ自分でなければならないと、理屈ではなく直感でそのように悟る。

 

 ——俺に……足りてないもの! 

 

 故に少年は求める。今の自分に足りていない——『力』を。

 

 窮奇を倒せるだけの力。それはきっと、『ここ』にあるのだと彼の中の何かが訴えかけていた。

 

 だから、まるでそうするのが当然だとばかりに、昌浩は無意識のうちに——天に向かって手を突き出していた。

 

 少年の戦う覚悟と意志に——『それ』も応えてくれる。

 

 

 

 

 

 それはまさに晴天の霹靂。

 異界の空を突き破りながら、雷光の如く飛来するものが昌浩の眼前の地面に突き刺さる。

 

『——ば、莫迦な!?』

 

 眩く舞い降りてきた『それ』を前に、窮奇が動揺を見せる。

 

『何故だ!! 何故……そんなものがここに!?』

 

 その瞳に宿るのは——明らかな恐怖。

 どこからともなく飛来してきた、その一振りの『剣』を前に大妖怪は恐れ慄いていた。

 

「こいつは……!?」

「……!!」

 

 紅蓮や六合にも困惑があった。

 それは何故ここにその剣が——『降魔(ごうま)(つるぎ)』が存在しているのかという、純粋な疑問である。

 

 

 降魔の剣。

 千年前、あの安倍晴明自身が鍛え上げたとされる退魔の剣である。

 柄には呪禁の紋様。その刀身には徒人には見ることのできない神呪が刻まれており、剣そのものにも邪悪を祓う力が付与されている。

 

 その剣にさらに霊力を込めれば——どんな大妖とてひとたまりもない。実際、千年前も『昌浩』がその剣の力を借りて窮奇を打ち倒した。

 

 しかし、本来であればその剣は失われていたもの。窮奇との戦いの折、何処へと紛失してしまった筈の代物だ。当然だが、代わりのものなどそう簡単に用意できるわけもない。

 いったいどうしてその剣がここにと、その場に暫しの静寂が訪れる。

 

「……そうか! 昌浩!! その剣を取れ!!」

 

 だがそれも一瞬だ。紅蓮は何かを悟ったかのように、昌浩へと叫ぶ。

 

「それはあいつが……『昌浩』が窮奇を討滅する際に用いた剣だ!! この千年間……朽ちることなく、持ち主が現れるのをここで待っていたんだ!!」

 

 そう、降魔の剣は窮奇との戦いで失われた——失われたかに思われていた。

 だがその実、剣はこの異界内にてずっと『使い手』たる者を待ち続けていたのだ。

 

 窮奇の作り出した異界は、その主がいなくなったことで一度は崩壊した。

 ただの虚無となった空間内、生き物であれば生きていくことは出来ない。ただの剣であれば、もはや朽ち果てて使い物にならなくなっていただろう。

 

 だが、降魔の剣は——千年間待ち続けた。何もない虚無の中を、朽ちることなく漂い続けていたのだ。

 最後の持ち主であった『昌浩』——彼の意思を引き継いだものが来てくれると。

 

 真の武具は持ち主を選ぶとも言う。きっと剣は昌浩の戦う意志に応え、その力を貸してくれるというのだろう。

 

 

 勿論、全ては憶測に過ぎない。だが真相がどうであれ、降魔の剣がこうして目の前にあるのは事実。

 

「——うおおおおお!!」

 

 紅蓮の叫びに応じ、昌浩は降魔の剣を両手で引き抜く。それと同時に自身を鼓舞するよう咆哮を上げ、窮奇へと駆け出していった。

 

『小癪なっ!!』

 

 対する窮奇も雄叫びを上げる。

 剣を手に駆け出してくる昌浩を間合いまで近づけまいと。地を揺るがし、天より稲妻を走らせ、全霊を傾けて彼を退けようとする。

 

「指鉄砲!!」

「パ・シモート!!」

 

 だが、窮奇の猛撃は鬼太郎とアニエスが防いでいく。鬼太郎の指鉄砲が窮奇の腕を打ち払い、アニエスの結界魔法が昌浩の身を守っていく。

 

「昌浩、行け!!」

「……!!」

 

 さらに紅蓮が白炎を召喚、六合が強烈な槍の一撃で窮奇の動きを封じる。昌浩が窮奇の身に剣を突き立てることができるよう、全力で彼の動きをバックアップしていく。

 

『ぐぬぬっ!!』

 

 紅蓮たちの連続攻撃を前にさすがの窮奇も身動きが取れない。相手を蹴散らすことも、自分から引くこともできず、その場にて動きを止められる。

 

 

「——窮奇!!」

 

 

 そして、ついに昌浩の渾身の一撃が、振り下ろされた退魔の剣の一振りが窮奇の身に突き刺さる。

 突き立てた剣に霊力を込めるべく、昌浩は詠唱を紡いでいく。

 

 何と唱えるべきかは、剣自身が既に教えてくれていた。

 

 

「——雷電神勅(らいでんしんちょく)……急々如律令(きゅうきゅうじょりつりょう)!!」

 

 

 降魔の剣に残されていた『昌浩』の霊力の残滓が、聖なる力の片鱗が雷となって発現した。

 凄まじい爆発が、剣を伝って窮奇の内側で爆発する。

 

 

『——ぐわああああああ!? おのれ!! おのれぇええええええええ!!』

 

 

 窮奇の肉体が弾け飛ぶ。それと同時に、降魔の剣の刀身もひび割れていく。

 

 千年ぶり、二度にわたって力を行使した影響だろう。剣そのものが保たずに粉々に砕け散ってしまう。

 役割を終えた剣が、今度こそ完全に消滅していく。

 

『九尾! ゲゲゲの鬼太郎!! 方士!! 許さん、許さんぞぉお……貴様らぁああああ!!』

 

 大妖怪が断末魔の絶叫を上げる。奴が怒りの矛先を向けるのは——自身に屈辱を与えたものたち全てだ。

 

 縄張り争いに敗北し、結果としてこの島国へと流れるきっかけを作った——九尾。

 同じ妖怪の身でありながらも自身の誘いを断り、人間の味方となることを選んだ——ゲゲゲの鬼太郎。

 そして、一度ならず二度までも自分に土を付けた方士の小僧——安倍昌浩。

 

 特に彼に対する憎しみを強く叫ぶ。

 

『我は……我は滅びん!! たとえ何百年……何千年掛かろうとも、蘇る!! 次こそは!! 必ずや貴様らの血族を根絶やしにしてくれるわ!!』

 

 妖怪の魂は不滅。たとえ肉体を失おうとも、その魂が無事である限り再びこの世に蘇ることができる。

 いずれまた、時代を越えて窮奇は復活を遂げる。そのときこそ、今度こそは必ず復讐を果たすと。

 

 窮奇は最後まで憎悪を吐き捨てながら——そして朽ちていく。

 

「……だったら、何度だって倒してやるさ!」

 

 しかし恐れるには値しないと、昌浩も言い返していた。

 

「俺はいないかもしれないけど……きっと、俺以外の誰かが……必ず、お前を倒す!!」

 

 人間は妖怪のように不滅ではない。昌浩自身も老い、いずれは死んでしまうだろう。もしかしたら安倍家という名の陰陽師も、時代のうねりに流され、消えていってしまうかもしれない。

 

 だがそれでも、人間の意思は引き継がれていくものである。

 たとえ安倍家がその家系を維持できなくなろうとも、人間そのものの戦う意志がなくならない限り、必ず誰かが蘇った窮奇を止めてくれる。

 

 そう、人間は不滅ではないからこそ、その意志を次の世代へと託すことが出来る。

 

『昌浩』から昌浩へと、その魂が引き継がれたように。

 きっと自分の意思や思いも、誰かに引き継がれると。

 

 少年は何の疑いもなくそれを信じ、ただ未来へと歩を進めていくだけなのであった。

 

 

 

×

 

 

 

「……ここは、戻って来れた?」

 

 窮奇の肉体の消滅を確認した後、昌浩たちは異界からの脱出を果たす。昌浩や神将だけであれば、崩壊する異界からの脱出も困難だっただろう。

 しかし、アニエスという魔女のおかげで出入り口も簡単に開くことが出来た。

 西洋の魔法、陰陽術とは違う形での発展を遂げているようだと、こんなときでありながらも妙に関心する。

 

「よくやったな、昌浩」

「もっくん……」

 

 力を出し尽くし、燃え尽きたように立ち尽くす昌浩にもっくんの姿となった紅蓮が声を掛ける。

 今回ばかりは、もっくんたちも昌浩に助けられた。未熟者だと彼の参戦自体を渋っていたが、それが間違いだったと思い知らされる。

 

「昌浩。お前も……もう子供じゃないんだな……」

 

 年齢的にはまだ十三の少年だが、これが平安時代なら元服を済ませる歳——もう立派な成人だ。

 今回の活躍でも、陰陽師として使命を果たす立派な姿を見ることが出来た。もう迂闊に子供扱いすることも、きっと出来ないのだろう。

 

「……もっくん、俺……決めたよ」

 

 昌浩自身の中にも、この戦いを通して生まれる願いがあった。

 

「俺……陰陽師になる。『昌浩』さんみたいに立派になれるかは分からないけど……最高の陰陽師になって……みんなを守るんだ!」

 

 自身の未来が不透明なのは相変わらずだが、それでも彼は陰陽師に——『最高の陰陽師』になりたいと夢を描く。

 きっと『昌浩』の話を聞いた影響もあるだろうが、この夢は自分自身の内側から生まれた彼自身の願いでもある。

 

「昌浩……」

 

 己の夢を語る昌浩の姿に、やはりもっくんは『昌浩』の面影を重ねてしまう。

 しかし、彼という存在が『昌浩』とは違う人間だということは理解している。

 

 今後もどこかで『昌浩』のことを思い出しながらも、昌浩の成長を見守っていく。

 

 それを楽しみにもっくん——紅蓮たち神将は、これからも安倍家とそれに繋がる人々を守っていくことだろう。

 

 

 

「はぁはぁ……」

 

 一方、昌浩たちと共に異界からの帰還を果たした鬼太郎も、激しき息を切らしていた。窮奇を倒せてひと段落ついたという安心感もあってか、洗足池のほとりで仰向けに倒れ込む。

 

「ご苦労じゃったのう……鬼太郎」

「……お疲れ様、鬼太郎」

 

 そんな鬼太郎に目玉おやじや猫娘、そして仲間たちが駆け寄ってきてくれる。

 彼らも窮奇の配下たち相手に大立ち回りを演じて、疲弊しきっているだろうに鬼太郎の苦労を労ってくれる。

 

「ああ……。アニエス、アデル……キミたちが来てくれて助かった……ありがとう」

 

 鬼太郎は心配してくれる仲間たちを安心させようと返事をし、遅れながらもアニエスとアデルにも礼を言う。

 魔女である彼女たちが駆けつけてくれなければ、あのまま鬼太郎は一人異界で窮奇と対峙する羽目になっていただろう。

 そうなっていたら、さすがに勝ち目はなかったと。改めて彼女らの救援に感謝する。

 

「お礼なんかいらないわよ! 仲間……なんだから……」

「ふっ……そうだな」

 

 鬼太郎の礼に少し照れながらアニエスが頬を赤く染め、そんな妹の微笑ましい様子に姉であるアデルが笑みを溢す。

 

「けど、これで終わった……のよね?」

「うむ、そうじゃな……これでようやく……」

「ぬりかべ……」

 

 そして、色々あったが窮奇は討伐されたと、ほっと胸を撫で下ろす一同。

 

 

 

「——いや……まだだ」

 

 

 

 しかし、鬼太郎は体を起こしながら首を振った。

 

「最後に……見届けなきゃいけないことがある……」

「っ! ああ……そうじゃったのう……」

 

 鬼太郎の言葉に目玉おやじが神妙な顔つきで頷く。既に彼ら親子の間では意思の疎通がなされているのか。

 

「みんなにも……話しておかなくちゃならないことがあるんだ」

 

 鬼太郎はこの戦いが終わったら話そうと思っていた——『その件』について。

 

 仲間たちに、重苦しい口を開いていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——それでは私はこれにて……」

 

 窮奇討伐の翌朝、安倍晴明はとある住宅地を訪問していた。

 あれだけの大物を討伐した後だ。いかに後方支援に徹していたとはいえ、晴明にも疲れがあるだろうに。そのような疲労を顔色に微塵も見せることなく、彼はその一軒家を後にしていく。

 

「はい……あの、鬼太郎さんにも……よろしくお伝えください」

 

 その家の主である男性・犬山裕一が頭を下げて晴明を見送っていた。

 

 彼にとって、晴明は今日初めて顔を合わせた相手。妖怪や霊媒師などに面識があり、色々と耐性のある裕一でも陰陽師との接触はこれが初である。

 本来であればアポもなく、何の前触れもなく訪れてきた相手に、そこまで礼儀を尽くす必要もなかっただろう。

 

 しかし——鬼太郎の紹介であれば話は別だ。

 

 まなにとって良き友人である、鬼太郎の『依頼』でやって来たという晴明を邪険にすることはなく。

 裕一は晴明から手渡された『お守り』。それを確かに娘に渡すと、専門家の助言に耳を傾けていた。

 

 

 そう、安倍晴明は鬼太郎から頼まれたこと——『窮奇の戦いで手を貸してもらう』、その見返りの依頼をこなすため、犬山家を訪れていた。

 そこで晴明が行った処置は——まなの手に、彼のまじないを施したお守りが渡るようにすることだった。

 

 そのお守りには、悪霊や妖怪といったものたちを退ける力がある。

 そのお守りを犬山まなが手にしている限り、妖怪が彼女を害することはない。窮奇のときのように、その高い霊力を目当てに狙われるということもなくなるのだ。

 

 勿論、近づけない妖怪の中には——鬼太郎たちも含まれている。

 

 まなの手にお守りが渡れば、いかに鬼太郎たちといえども気安く彼女に近づくことが出来なくなってしまう。出来てもせいぜい、遠くから見守ることくらいか。

 

 まなを妖怪から遠ざけること。それは彼ら鬼太郎たちとの関わりをも断つことも意味している。

 しかしそれでも、鬼太郎はまなを守れるようにと、晴明に頼んだのだ。

 

 たとえ二度と昔のように笑い合えなくとも、彼女が幸せでいてくれればそれで十分なのだと。

 窮奇に向かって鬼太郎が断言したことは、決して強がりな虚言などではなかった。

 

「これで良かったのですね、鬼太郎殿……」

 

 仕事を終えた安倍晴明は、一人呟きを漏らしていく。

 気配で分かる。遠巻きから自分を、犬山家を見つめているであろう鬼太郎たちに問い掛けるかのように。

 

 

 

 

 

「これで……まなが妖怪から襲われることはなくなった筈だ……」

「…………」

「…………」

 

 犬山家から距離を置いた場所から、安倍晴明が自分との約束を守るところを鬼太郎は最後まで見届けていた。

 鬼太郎だけではない。目玉おやじも、猫娘も。ねずみ男、砂かけババア、小泣き爺、一反木綿、ぬりかべ。アニエスやアデルもいた。

 

 皆一様に複雑な表情をしていたが、誰一人文句は口にしない。

 これもまなが、彼女が妖怪に狙われないようにするために必要な処置だ。文句など付けよう筈がないではないか。

 

 彼女の記憶を戻す目処が経っていない以上、これこそが最善なのだと。

 いや寧ろ、記憶を失っている今だからこそ取れた方法とも言える。

 

 記憶が戻ったら戻ったで、きっとまなは自分たちと一緒に在ろうとするだろう。

 

 彼女がいてくれたことで窮地を乗り越えられたこともあったが、やはり彼女が危険な目に遭うのは鬼太郎たちにとっても辛いことだ。

 

 

 だから、これでいい。

 これで良かったのだと、自分自身に言い聞かせていく妖怪たち。

 

 

「……行こう。時々なら……様子を見に来れるから……」

 

 別に永遠の離別というわけでもない。

 まなと触れ合うことができなくとも、彼女の成長を遠くから見守ることくらいは許されている。

 

 もしかしたら、見ているだけの方が辛いかもしれない。

 それでも犬山まなという少女から、目を逸らすことだけはしたくなかった。

 

 鬼太郎にとっても、仲間たちにとっても、彼女は大切な友達。

 短くとも彼女と過ごした日々は、何物にも代えがたい日々だったと胸を張って言えるから——

 

 

「………………さようなら、まな」

 

 

 ただケジメとして、鬼太郎は彼女への別れを口にしていた。

 

 

 

 誰にも聞こえないほどに、消え入りそうな声で——

 

 自分自身ですらも聞き取れないほど、小さい声で——

 

 

 




人物紹介
 もっくん
  騰蛇こと紅蓮の別の姿、別の呼び名。
  結構可愛い、もふもふな白い獣。
  紅蓮に、騰蛇、もっくん……呼び名がいっぱいあってややこしいけど、全部同じ人物を指します。

 窮奇配下の愉快な仲間たち
  土螻
   白い羊。窮奇の配下の中では……一応出番がある方かな?

  挙父
   大柄の猿。アニメだと体に鎖を巻いてて、どこかヤンキーっぽい。
    
  寓鳥
   原作だと名前が出てなかったが、アニメだと書物の方に名前が記載されている描写がある。

  長蛇
   味方に殺され散った蛇。意外にも山海経に名前が記されてる妖怪。


 他の神将に関して
   尺の都合上、紅蓮と六合以外ほとんど出番がありませんでしたが、何人かはちょこっと登場しています。

   小さい女の子が——太陰。
   赤髪の青年が——朱雀。
   儚げな女性が——天一。 

   個々の活躍に関しては、原作やアニメなどで補完していただきたい。
  
   
  九尾という妖怪に関して
   今回の話で窮奇に語らせてみましたが、少年陰陽師の原作でも窮奇は九尾に対して因縁を持っています。
   ですが、今作での九尾の設定はあくまで鬼太郎基準。
   一人は、6期アニメでも登場した。姉である玉藻の前こと、妲己。
   そしてもう一人の弟は、鬼太郎でもお馴染みの『アイツ』です。
   いずれ出演させてみたいとは思いますが、今のところヤツが登場するエピソードはまだ考えていません。


次回予告

「謎の瘴気が街中に漂い、人が妖怪を襲い、妖怪が人を襲う。
 さらには見たこともない『モノ』までもが現れる。
 誰もがパニックになる中……何処からか歌が聞こえくる。 
 父さん、あの歌はいったい? 
 彼女たちは何故、歌いながら戦っているのでしょうか?

 次回——ゲゲゲの鬼太郎 『戦姫絶唱シンフォギアXD』 見えない世界の扉が開く」

 シンフォギアは魔法少女枠です、異論は認めない!!
  
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

戦姫絶唱シンフォギアXD UNLIMITED 其の①

お待たせしました。
今回のクロスオーバーは……『戦姫絶唱シンフォギア』。
正式名称は『戦姫絶唱シンフォギアXD UNLIMITED』です。シンフォギアシリーズのアプリゲームがクロス先になっています。

このハーメルンを利用される読者の方の間であれば、おそらく鬼太郎よりは知名度が高いかと思われます。
シンフォギアの第一作が放送されたのが、2012年。そこから第五作まで放送され、気が付けば10年と。かなりのロングタイトルとなりましたね。

シンフォギアは少女たちが歌って変身、歌いながら戦うという王道(?)な魔法少女ものです!!
しかしただの魔法少女では終わらないのがこの作品の肝。詳しくはここで説明するより、原作を見てもらった方が早いです!

ちなみに今回の話、基本的にシンフォギア装者たちの視点で物語が進んでいきます。
ぶっちゃけ、シンフォギアの専門用語とかバンバン出てきます!
一応、作者なりにかみ砕いた説明を入れてはいますが……シンフォギア初心者の人がこれを理解するのはまず困難かと。

分からなければ……とりあえず、ノリと勢いで読み進めていってください。
つまりは……『ついてこれる奴だけついてこいッ!!』ということです。



「——きゃああああ!!」

「——の、ノイズだ!? みんな逃げろ!!」

 

 人々の悲鳴が木霊する。

 平和だった街中に何の前触れもなく出現するのは、人間にとって脅威以外の何者でもない存在。

 

『ノイズ』。

 

 ノイズとは特異災害に認定されている、人類共通の天敵である。その存在は有史以来から確認されていたが、正式にノイズという呼称が付いたのはここ数十年でのこと。

 それまでその存在は正体不明な異形の類として、伝承や都市伝説などで語られるひどく曖昧な脅威だった。実際、ノイズと遭遇する確率はかなり低く、『東京都民が一生涯に通り魔に巻き込まれる確率を下回る』とも試算され、ノイズの遭遇件数も被害報告も数える程度でしかなかった。

 

 だがここ数年、異常なまでのノイズの出現例が各地にて報告され、多くの人々が犠牲となっている。

 原因は色々と挙げられるが、この近年で最も多いとされる要因は——

 

「——行け、アルカノイズども!! この街の人間どもを残らず分解してやれ!!」

 

 ノイズに向けて命令を飛ばす、ローブを纏った怪しげな男。

 彼のような錬金術師がアルカノイズを製造し、それを犯罪に多用するようになったからである。

 

 現代科学とは別次元に進化したとされる異端技術『錬金術』。それを使用する術者が『錬金術師』であり、欧州を中心とした裏社会で彼らは常に暗躍してきた。

 しかし近年、錬金術師たちを統率していたとされる秘密結社『パヴァリア光明結社』なるものが瓦解。組織の総帥を失ったことで多くの末端構成員が野に降り、それぞれが個々に悪事を働くようになった。

 その錬金術師たちが兵力として多用しているのが『アルカノイズ』という、錬金術の技術で独自の改良が施されたノイズである。

 通常のノイズと僅かな違いこそあるものの、それが人間にとっての脅威であることに変わりはない。

 

「ひぃっ!? た、たすけ、あッ——」

 

 たった今、アルカノイズに触れられた男性の体が——赤い塵となって崩れ落ちた。ノイズやアルカノイズには、触れた人間を炭素や赤い塵へと分解してしまう機能が備わっている。

 さらにノイズたちには『位相差障壁(いそうさしょうへき)』と呼ばれる特性があり、あらゆる物理干渉を減衰、無効化してしまう。これによりノイズには通常兵器の類が全く役に立たない。銃火器は勿論、戦車砲やミサイルでも効果的なダメージを与えることが出来ないのである。

 

 そのため『一部の例外』を除き、ノイズに抵抗する術は皆無と言っていい。

 それを知っているために人々は逃げ惑い、錬金術師たちはアルカノイズを兵器として運用するのだ。

 

「ふ、ふははははッ!! 逃げろ、逃げろ!! 我々の崇高な研究の邪魔をした罰だ!!」

 

 高笑いを上げているこの錬金術師も、かつては結社に所属していた身。

 だが、組織が瓦解してしまったことによって自身の研究が続けられなくなり、各国機関からの追手。残党狩りから逃げ惑う惨めな日々を送る羽目になった。

 

 この街にアルカノイズを放っているのも、単なる腹いせだ。

 己の破滅と引き換えにせめて一人でも多くを道連れにしようという、自暴自棄による暴走。

 

 

 その身勝手な願望により多くの人間たちが犠牲となり、残された遺族が悲しみの涙に暮れることとなる——筈であった。

 

 

「——!! こ、この歌は!?」

 

 だが、聞こえてくる。

 逃げ惑う人々の悲鳴の合間を縫うように響き渡る、清廉なる歌声が——。

 

 瞬間、人々に殺到しようとしていたアルカノイズの群れが『爆散』する。

 あらゆる物理法則を無効化する筈のノイズたちが、まるで殴り飛ばされたかのように吹き飛んでいったのだ。

 

「ッ!! ば、馬鹿な!! 何故、何故……貴様らが!?」

 

 錬金術師は狼狽しながらも、その歌声の主——歌い手たちに対し、憎悪のこもった視線を向けていく。

 聞こえてきた歌声、アルカノイズがいとも容易く葬り去られたという事実。

 

 それが誰の仕業なのかなど、考えるまでもなく理解できることである。

 このような芸当が出来るのは、この世界でただ一つ——

 

 

「——そこまでだ! パヴァリア光明結社の残党!!」

「——観念してお縄に付きやがれ!!」

「——大人しくすることね……怪我をしたくなければ!!」

「——……これ以上の抵抗は駄目!」

「——デスデスデース!!」

 

 

 そのただ一つの手段を持ち合わせた——『少女たち』が口々に叫ぶ。

 いつだって、理不尽を行使ししようとするものたちの魔の手から人々を守るため。力なき人々の砦となり、剣となろんと——。

 

「——これが私と響のッ!!」

「——私たちの……シンフォギアだ!!」

 

『シンフォギアシステム』。

 特異災害であるノイズに唯一対抗できる装備。それを纏うことのできる『装者』としての誇りを胸に彼女たちは拳を握り込む。

 

 

『——はぁあああ!!』

「お、おのれぇええええええ!!」

 

 

 装者たちの熱き拳が、思いの丈を込めた歌が、人々に仇を成す筈だった全てを打ち砕き、錬金術師の愚かな破滅願望は不発と消し去る。

 

 

 そう、これぞまさしく彼女たちのシンフォギア。

 少女たち、それぞれの胸に抱いた想いが具現化した、アームドギアの力なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、これだけでは何を言っているか全然わからないだろう。

 故にもう少しだけ補足説明をさせていただく。

 

 

 

 ときは2045年。

 まずは彼女たちの所属。彼女たちは国連直轄下の組織『S.O.N.G.(そんぐ)』に属するメンバーであることが前提となっている。

 

 S.O.N.G. とは『Squad of Nexus Guardians』の略称であり、その主な活動内容はあらゆる災害から人々の命や尊厳を守ることにあった。この災害という枠組みの中には当然、ノイズへの対処も含まれている。

 この地球上、ときには宇宙空間でさえも。国連の承認が必要という『枷』こそあるものの、それら全てが彼女たちの活動範囲、守護すべき対象となっていた。

 

 そして世界のどこへでも駆けつけられるよう、S.O.N.G.の本部は海の中——巨大な潜水艦の内部に存在している。

 それも最新鋭の技術で建造された次世代型だ。ノイズの発生を素早く検知するシステムや、シンフォギアシステムのバックアップ設備。潜水艦にとって命綱であるステルス性も、従来のそれとは比較にならない。

 

 また、海中という閉鎖空間。長期任務などで一ヶ月以上は缶詰になるかもしれない職員たちのため、艦内はストレスが極力溜まらないような設計にもなっている。

 医療施設や生活居住区は勿論、娯楽施設なども充実している。任務外でのクールタイムなど、各々が思い思いの時間を過ごすことが出来るのだ。

 

 

 

「ふぃ~……今日も疲れましたよ~」

「お疲れ様。あったかいものどうぞ」

「あっ! あったかいものどうも!」

 

 ここはレクリエーションルーム。

 職員たちの憩いの場の一つであり、そこで装者の一人である立花(たちばな)(ひびき)がオペレーターの一人である友里(ともさと)あおいから、あったかいものを頂きました。

 

 響は今回の作戦で相当な無茶を己に強いたのだろう。本部に戻った途端、力尽きたかのようにフニャッと表情筋を緩め、だらしない姿を皆の前に惜しげもなく曝け出している。

 激しい戦闘でかなりお疲れ気味だ。そんな響に対し、共に戦う仲間たちがそれぞれ声を掛けていく。

 

「立花、作戦直後だからといって気を緩めすぎではないか? 常在戦場(じょうざいせんじょう)……常に防人(さきもり)に求められる心構えだぞ!」

 

 ロングヘアを髪飾りで纏めた、スラッとした少女。どこか侍のような佇まいは——風鳴(かざなり)(つばさ)

 装者として戦いに身を投じてきた戦歴は他の追随を許さず。常に人々を守る(つるぎ)であろうと、先輩として後輩たちにもその心構えを説いていく。

 

「まったく! 相も変わらず……向こう見ずに無鉄砲な突撃バカだな、お前は!!」

 

 響を気軽にバカ呼ばわりする、小柄ながらもなかなかのものをお持ち。ダブルウルフカットの髪型は——雪音(ゆきね)クリス。

 少々口が悪く、行動も男勝り。だが心根は優しく、辛辣な言動も響のことを純粋に心配しているからであろう。

 

「まあ、貴方らしいといえばらしいけどね……けど、油断は禁物よ!」

 

 響の性格自体は好ましく思いながらも。それだけでは罷り通らないことがあるのだと、豪気に叫ぶのは——マリア・カデンツァヴナ・イヴ。

 装者の中でも最年長、戦場(いくさば)に立つメンバーでは唯一未成年ではない大人の女性だ。

 

「響さん……一人で突っ込みすぎ……」

「そのとおりなのデス! 少しはわたしと調を見習うデス!!」

 

 物静かながらも、響のダメなところをしっかり指摘するのは——月読(つくよみ)調(しらべ)

 調の意見に元気いっぱいに乗っかっていくのが——(あかつき)切歌(きりか)

 いつも一緒の二人。こうしている今も自然と手と手が重なり合い、互いの肌の温もりを確かめ合っている。

 

 そして最後に——

 

「みんなの言うとおりだよ! 響ってば……いつだって隙あらば一人で頑張っちゃんだから!」

「うぇ~ん、みくぅ~……」

 

 小日向(こひなた)未来(みく)

 立花響の幼馴染にして親友。彼女からのきついお説教には、さすがの響も情けない声を漏らす。

 本来であれば、未来はS.O.N.G.の正式メンバーではなかった。だがいくつかの事情が複数個重なり合うことで、彼女も響たちと同じ装者へと。

 正式に皆と同じような立場となり、響の隣で日々濃厚な時間を過ごしている。

 

 

 

 以上、計七名。現状『この世界』で存在が確認されているシンフォギア装者たちだ。彼女たちだけが、ノイズという名の特異災害に真っ向から立ち向かえる——人類の希望。

 もっとも、その『希望』という名の象徴も周囲からの押し付け感があるのが否めない。国家という枠組みが彼女たちを囲い込み、その力をコントロールしようと大人たちが躍起になって権謀術数をめぐらす。

 

 しかし、そんな後ろ暗い事情に晒されながらも、少女たちの精神状態はいたって良好だった。

 任務のないときは学校に通ったり、歌手として世界中を飛び回ったり。夏休みや、ハロウィンや、クリスマスや、正月を満喫したりなど。

 

 とても特殊機関の一員とは思えない。ごくごくありきたりな、年頃の女の子としての青春に瞳を輝かせている。

 

 

『——ブォーン!! ブォーン!!』

 

 

 しかし、それでも彼女たちが戦う意志を持った者。シンフォギア装者であることに変わりはない。

 

「——ッ!!」

「この警報は!?」

 

 一度騒動が起きれば、それまでののほほんぶりが嘘のようにキリッとした表情で立ち上がる。

 

 異常事態を告げる艦内の緊急警報。

 新たな危機を前に、向かうべき場所へと素早く駆け出していた。

 

 

 

×

 

 

 

「——司令!!」

「——師匠!!」

「——オッサン!!」

 

 S.O.N.G.中核、作戦司令部。

 警報を聞き付けた装者たち一同がその領域内へと足を踏み入れる。司令部に顔を出すや、それぞれが別々の呼び方で同じ人物を名指ししていく。

 

「ふむ……皆揃っているようだな」

 

 少女たちの呼び掛けに振り返ったのは、ネクタイを赤いシャツの胸ポケットにしまう屈強な男性——風鳴弦十郎(げんじゅうろう)である。

 彼こそがS.O.N.G.の司令官、響たちにとって直接の上司にあたる存在だ。

 装者たちが戦場に赴く傍ら、ときには司令官として、ときには責任者として彼女たちの行動を支援してくれる。 

 大人としても、保護者としても。常に彼女たちの生命や意思を尊重し、その道筋を見守ってくれている人物だ。

 

「司令、先ほどの警報ですが……」

 

 ズラッと並び立つ装者たちの中から風鳴翼が口火を切る。『風鳴』という苗字からも察せられるよう、二人は同じ血族にあたる。翼もプライベートでは弦十郎のことを「叔父様」と呼んだりもするが、任務中のときはあくまでも司令だ。

 上司、部下という枠組みから逸脱することはなく、速やかに先ほどの警報について詳細を尋ねていく。

 

「——ああ、ギャラルホルンが反応を示した。またしても、新しい世界への扉が開かれたということだ」

 

 翼の問いに弦十郎は速やかに解答する。

 警報の原因にあるのは——ギャラルホルン。

 

 

 完全聖遺物が知らせてきた、世界の危機であると。

 

 

 

 聖遺物。

 世界各地の神話や伝承に登場する、超常の武具のことである。現代の科学では製造不可能とされている異端技術の結晶。古代遺跡などで発見されることが多く、それらの管理や運用もS.O.N.G.の職務の一つとされている。

 装者たちがノイズとの戦いに必要としているシンフォギアシステム。それもまた、この聖遺物の存在が根幹として組み込まれているからだ。

 

 例を挙げるのであれば、風鳴翼のシンフォギア——『天羽々斬(あめのはばきり)』。

 日本神話において、荒ぶる神様・須佐之男(すさのお)があの大妖怪・八岐大蛇を討伐する際に用いられたとされる刀だ。適合者である翼の『歌』が天羽々斬を起動させ、彼女を瞬く間に凛々しい剣士へと変貌を遂げさせる。

 彼女のアームドギアと化した刀が刃として、ときには夢に向かって羽ばたく翼として。彼女の意志一つで自在にその姿を変えていく。

 

 しかし、その天羽々斬も一部しか発見されておらず、その欠片をシンフォギアシステムに組み込むことで聖遺物としての力を引き出しているに過ぎない。

 造られた当時のままの状態で発見される、『完全聖遺物』が起こす超常の力は欠片とはもはや別次元。

 事実、ギャラルホルンには——『並行世界の危機を感じ取り、そのために互いの世界を繋げてしまう』という、まさに次元を越える力を秘めているのだから。

 

 並行世界——『パラレルワールド』。

 ここではない別の宇宙。極めて近く、限りなく遠い世界。その存在を現代の科学者たちは、否定も肯定も出来ないものとして結論を出せないでいた。

 そんな中、北欧神話の最終戦争を告げる角笛の名を冠するこのギャラルホルンは、悩みに悩む科学者たちの議論の上をすっ飛ばし——並行世界が存在することを証明してしまっているのだった。

 

 

 

「——師匠!! 私はいつでも準備バッチリです!!」

 

 立花響が弦十郎を師匠と呼ぶ。これは響が彼から武術の手解きを受けているからである。

 彼女はいつでも準備は出来ていると。ギャラルホルンの導きのまま、すぐにでも並行世界への出発を進言する。

 

 ギャラルホルンがアラート音を鳴らしているということ。それはその世界が重大な危機に瀕しているということを示す。

 そして、その危機はその世界の住人では解決不可能、シンフォギア装者たちがいなければ『詰んでしまう』ということを示唆している。

 きっと装者たちが行かなければ、多くの人々が困ったことになってしまう。世界は違えども、一刻も早い事件解決が強く望まれる。

 

「焦るな、響くん。焦りは何事も良い結果を生まんぞ」

 

 だが、風鳴弦十郎は前のめりになる響に落ち着くよう言い聞かせる。

 

「まずは状況の整理をさせてくれ。お前たちも……先ほどの戦いでだいぶ疲れが溜まっているだろうからな」

 

 S.O.N.G.は先刻、結社の残党を相手に戦いを終えたばかり。組織として、まずはその後処理を終わらせなければならない。

 それに装者たちの疲れも完全には抜けきっていないと、弦十郎はその眼力で彼女たちの疲労を見抜いていた。

 

「二時間後……ギャラルホルンのゲート前に集合してくれ。こちらも、それまでに並行世界への調査メンバーを選抜しておく」

 

 とりあえず二時間の猶予。その時間を休息に充てるよう、弦十郎は少女たちに指示を下すのであった。

 

 

 

 

 

「…………」

 

 司令に言われたとおり、皆がそれぞれの部屋で体を休める中。一人、立花響だけがレクリエーションルームで難しい表情をしていた。

 

「響……何か悩み事?」

 

 親友の異変に当然ながら気付いていた小日向未来。曇り顔の響に笑顔を向けながら、ごくごく自然な動作で彼女のすぐ隣に寄り添っていく。

 

「未来……へへ、未来に隠し事はできないな~」

 

 自分の心情がバレバレなことにちょっぴり照れ笑い。しかしすぐにでも真顔に戻り、響は自分が今も抱えている悩みを口にしていく。

 

「……さっきの戦い。私たちが駆け付けるまでの間にも……被害が出たって……」

「…………」

 

 先刻の、錬金術師の繰り出したアルカノイズとの戦い。

 今の装者たちにとって通常のノイズ戦などもはや問題にはならない。ましてや、先の戦闘では装者たち全員が一斉に出揃った。こう言っては何だが、錬金術師一人が抱え込めるアルカノイズの総数からして考えれば、過剰戦力もいいところである。

 

 けれども、彼女たちが駆け付けるまでの間。少なからずもノイズの手によって塵と化してしまった、何の罪もない一般人がいる。

 それは襲われた街の規模などを考えれば決して多くない。だが『犠牲』を数字上のデータとして捉えることを、響は良しとは割り切れない。

 

「いつだって、私たちは何かが起きた後を……間に合わなかったことを悔いるしかないんだって……」

 

 響は間に合わなかった『命』を後悔している。

 誰に対しても手を差し伸べたいと望む彼女だからこそ、その手が届かないことを誰よりも悔しがる。

 

 どうしようもないことだと頭で理解しながらも、心のどこかでそれに納得しきれていないのだ。

 

「響……無理に一人で抱え込んじゃダメだよ?」

 

 けどそういった親友の悩みに、未来は堂々と応えていく。

 

「響が誰よりも一生懸命なのは私がよく分かってる。響が誰よりも優しいってことも……」

 

 そう、小日向未来は知っている。親友である立花響のその手が、優しさに満ち溢れていることを。

 決してうわべや見せかけなどではない。彼女は本当に、それこそ自分自身が『不幸のどん底』であろうとも、苦しむ誰かのために手を伸ばせる人だと。

 

 その背中を見つめながら共に過ごした——『中学時代』。

 あの頃から未来は響の隣を歩きたいと思い、少し前まではその背中を見送るだけだった。

 

 けど、今は違う。

 

「けどね、響。今は私だって装者なんだよ?」

 

 今の小日向未来は『神獣鏡(シェンショウジン)』の適合者。響と同じ前線に立つことのできる、シンフォギア装者なのだ。

 

「そりゃ……ずっと戦ってきた響や翼さん、クリスちゃんとかに比べれば全然力不足かもしれないけど……」

 

 もっとも未来が正式な装者に認められたのはつい最近のこと。他の装者たちに比べると、やはり力量不足な面が否めない。

 

「でも私だけじゃない。マリアさんだって、調ちゃんや、切歌ちゃんもいるんだから!!」

 

 だけど、未来だけではない。さらに多くの仲間たちが響の助けになってくれる。みんなあれやこれやと響に口うるさく言ったりもするが、それも彼女のことを放っておけないからだ。

 

 自分たちを今の『居場所』へと繋ぎ止めてくれた、立花響という少女のことを。

 響一人が苦しむことなど、きっと彼女たちも望んではいない。

 

「みんなで頑張れば、きっともっとたくさんの……それこそ、一人じゃ抱え込めないほどの人を助けられる筈だから!」

 

 未来は響の手を優しく包み込む。

 

「だから、もっとみんなを頼りなよ! いつだって、私たちは……私は響の味方なんだから……ねっ?」

「ッ!! ありがとう、未来!!」

 

 未来に諭されることで、響の表情から憂いが消え去っていく。

 単純かもしれないが、やはり誰よりも長く連れ添ってきた小日向未来の励ましこそ、立花響にとって何よりの癒しだ。

 

「やっぱり未来は大親友! ズッ友だよ、ズッ友!!」

「こらこら……調子いいんだから、もう……ふふふ」

 

 テンションが上がったことで、響は未来への愛情表現から彼女へと抱きついていく。

 それにやれやれと息を吐きながらも、未来は優しく受け止める。

 

 抱いた不安は、少女たちが互いに寄り添い合うことで解決して見せた。

 次の任務のために、二人はそのまま一緒に休息を取り合うこととなり。

 

 そうして——瞬きの間に、穏やかな時間は過ぎ去っていく。

 

 

 

 

 

「——よし! 全員、遅刻もなく集まってくれたな!!」

 

 再び集った装者たちの前に風鳴弦十郎が仁王立つ。

 あれから二時間後。装者全員がギャラルホルンの保管されている一室——そのゲートの前に立っていた。

 

 機械仕掛けの法螺貝のような物体、その眼前に大きな穴が展開されている。

 これこそが、ギャラルホルンが並行世界の入り口として開くゲートだ。このゲートを通ることで——シンフォギア装者たちは他世界への時空移動を可能としていた。

 

『——はい!!』

 

 装者たちが一斉に返事をする。

 休養を終え、十分に英気を養った今、もはや彼女たちを止められるものはない勢いである。

 

「すみません、メンバー選抜の前にボクから今回のゲートに関して説明をさせてもらいたいことが……」

 

 しかし、意気込む装者たちに待ったを掛ける。弦十郎の横に立っているのは、白衣を纏った金髪の小さな女の子——エルフナインだ。

 幼い見た目ながらもS.O.N.G.の技術担当。錬金術の分野に精通しており、彼女の異端技術に対する見識の深さはもはやなくてはならないもの。

 装者たちがシンフォギアを纏うために必要となってくる、聖遺物の欠片が組み込まれたペンダント。そのメンテナンスなども一手に引き受けてくれている才女だ。

 

「今回のギャラルホルンの反応……やはり新しい未知のものです。どこのどんな世界に通じているかは……行ってみるまでは分からないようなんです」

 

 これまでに何度かギャラルホルンがゲートを開き、いくつかの世界の危機を知らせて来た。ゲートは騒動が治まった後も開かれており、それにより交流を持つようになった並行世界も多い。

 しかし、今回の反応は今までにはないパターン。つまりは『新しい』並行世界の危機だとのこと。

  

 実際にどのような脅威が装者たちを待ち受けているのか。どんな世界が待っているのか。

 それは、装者たちがその目で確かめなければならない。安全が確保できない場所に彼女たちを向かわせることに、エルフナインはどうにもモヤモヤを抱いている様子。

 

「へッ!! そんなの心配するな!! アタシらにとってはいつものことさ!!」

「ああ!! どのような世界が待っていようと……防人としての務めを果たすのみだ!」

 

 もっとも、装者たちにとって想定外の事態など想定内だ。

 たとえ、どんな困難や障害があろうと——やることはいつもと変わらない。

 

 人々を守る。

 装者たちのその想いは人種や国、世界という垣根すら越えて実行に移されることなのだから。

 

 

 

「では……今回の並行世界の調査、その選抜メンバーを発表する!!」

 

 ここでようやく、風鳴弦十郎の口から明かされることとなった。

 新たな並行世界へ。未知の世界へと挑む装者が誰なのかということが——

 

 

 

×

 

 

 

「——着いた!! てッ……真っ暗!?」

「——くそっ!? さっそく敵襲かよ!!」

 

 ゲートを潜った先、新たな並行世界。そこは真っ暗な闇に包まれていた。

 

 突然の暗闇を前に、今回の調査隊として派遣された装者——立花響と雪音クリスが面食らう。

 その闇がいきなりの敵襲によるものかと、クリスなどは既に展開していたアームドギアをさらにフル稼働させるような予備動作に入る。

 

「——落ち着け二人とも……これは……どこかの建物の内部のようだが……?」

 

 だが困惑する二人を、もう一人の調査メンバーである風鳴翼が差し止める。

 よくよく周囲を観察すれば分かることだが、彼女たちが今いる場所。それはどこかの建物の内部。真っ暗なのは外からの光が入ってこないためだ。

 暗闇に順応することで徐々に見えてくる筈だと、数秒ほど耐え忍ぶ。

 

「……寺? いや……この構造は神社か……」

 

 目が慣れたことで見えてきた建物の内装は、どこぞの神社を思わせる造りをしていた。しかし管理するものも、お参りに訪れるものもいなくなって久しいのだろう。ところどころが老朽化、埃は積もり放題、あちこちに蜘蛛の巣まで張っている。

 何の神様を奉じているか知らないが、これが人の手が入らなくなった社の成れの果てである。

 

「なんか……お化けとか出てきそうな雰囲気だね……」

「ば、バカヤロウッ!! お、お、お、お化けなんかいるわきゃなぇーだろ!!」

 

 その場所のシュチュエーションも相まってか、響は何となくお化けが出てきそうな雰囲気だと呟きを漏らす。

 一方のクリス、彼女は響の『お化け』発言に挙動不審に陥ってしまう。

 

「そういえばクリスちゃん、お化けとか苦手な人だっけ? 怖がらなくても大丈夫だよ! ほらほら!!」

「バカ、引っ付くな!! 暑苦しいッて!!」

 

 響はクリスの怖がりように、不用意な発言で彼女を怯えさせてしまったと反省。クリスに寄り添い、抱きつくことでせめて恐怖心を和らげてあげようとする。

 それを暑苦しいと、クリスは頬をほんの少し赤く染めながらも響を押しのける。

 

「二人とも、じゃれ合うのは後だ。まずはここを出て、この世界の様相をこの目にしかと焼き付けねば……」

 

 任務中ということもあり、翼は引っ付き合う響とクリスを軽く嗜める。

 とりあえずここから出ようと、二人を先導しながら建物の外へと歩きだしていく。

 

 外に出て分かったことだが、廃棄された神社はどこかの郊外。人口が密集している都市部から、少し離れた森の中にあったようだ。

 

「好都合だな。これならば、ゲートを人の目から遠ざける必要もあるまい」

 

 翼は妙な場所にゲートが開かれたと思いながらも、それが結果として良かったとまずは安堵する。

 

 通常、ギャラルホルンのゲートを通れるのは装者だけ。だがそれ以外の人間にも、ゲートの存在自体は認識することができる。

 毎度毎度、開かれる度にそのゲートに関して現地の人々にどう説明するか。色々と頭を悩ませる問題だが、これならばわざわざ対処方法を考える必要はない。

 人が訪れることがなくなって久しい廃社であれば人目に触れることもあるまいと、さっそく調査の方へと注力していく。

 

「とりあえずは街に下っての情報収集だ。行くぞ、二人とも!」

 

 このメンバーの中では一番の年長者である翼が、他二名に声を掛けながら天羽々斬のギアを解除していく。

 纏っているシンフォギアさえ解除してしまえば、凛々しい剣士とてどこにでもいる普通の女の子に早変わりできる。

 

「はい、行きましょう!!」

「よし……じゃあ、行くとするか!!」

 

 響とクリスもギアを解除し、それぞれの私服へと。これならば怪しまれることもなく、街中を歩き回ることが出来る。

 今の彼女たちを目撃し、一目で『別の世界からやって来た』などと勘付く人間はまさかいないだろう。

 

 こうして三人の少女たちが、この世界に起きている異変を調査すべく歩き出していた。

 

 

 

 

 

「これは……」

「ひどい……こんなのッ……!?」

 

 だがその一歩を踏み出して早々、翼と響の顔色に陰りが生じる。

 

 装者たちが降り立った土地、それは彼女たちにとっても馴染み深い『日本』であった。

 しかも『東京都』だ。一般道への案内標識が、ご丁寧にも彼女たちのいる場所を明確に教えてくれている。さらに遠目にぼんやりとだが、東京を象徴する例の電波塔が見えた。

 装者たちの世界で電波塔といえば『東京スカイタワー』だが、あれはこの世界で何と呼ぶのだろうか。

 

 いずれにせよ、ここが日本であることに間違いはなさそうだ。

 日本といえば人類同士の争い、武力の行使を憲法で放棄している国家だ。少なくとも名目上、この国で戦争など起きよう筈がない。

 

 だが、その日本の街並が——まるで戦争でもあったかのように、ものの見事に破壊されていた。

 

 瓦礫と化しているビルの残骸や、黒く乾いた血溜まりなど。いたるところに惨状の爪痕が残っている。

 地震などの災害といった可能性もあるが、それにしても甚大な被害であることに変わりはない。

 

「……ッ!」

 

 その光景を前に、特に雪音クリスが苦しそうに胸を押さえている。

 彼女は幼少期の多感な時期を、政情不安定な内戦地で過ごした。その内戦に巻き込まれて、誰よりも大好きだった両親を失っている。

 目の前に広がっている惨状は、クリスに幼い頃のトラウマを思い起こさせるのに十分過ぎるものだ。

 

「クリスちゃん……」

「雪音、大丈夫か?」

 

 響と翼がそんなクリスの心情を察し、気遣いを見せようとする。

 

「……大丈夫だ。それよりも……あっちに人が集まってるみたいだ……行ってみよう」

 

 しかし、その心配を無用なものだとクリスは突っぱねる。

 それは強がりな彼女の性分ではあるものの、確かに大丈夫だと心から言えることでもある。今の彼女は辛い過去も乗り越えていける、強い想いを『歌』と共にその胸に秘めている。

 その想いから、この惨状に対する個人的感傷よりも、被害をこれ以上出してはならないという前向きな姿勢が勝るのだ。

 

 いったいこれが何による被害なのかを把握するためにも、特に人が密集している場所へと迷わず足を進めていく。

 

 

 

「ここは……避難所のようだが?」

 

 翼が口にしたように、そこはどこかの避難所。おそらくは体育館か何かを避難場所として解放しているスペースなのだろう。

 そこは行き場を失くした人、行方が分かっていない家族を捜しに来た人々でごった返しになっていた。

 

「——す、すみません! 主人は……夫はまだ見つかっていないんでしょうか!?」

「——配給です!! 落ち着いて、順番に並んでください!!」

「——ママは? ねぇ……ママはどこに行ったの?」

 

 人々の悲痛な叫びが、否が応でも装者たちの心を揺さぶっていく。

 

「いったい何事かと……聞けるような状況ではないぞ、これは……」

 

 翼はその光景を前に僅かに尻込みする。

 

 本来であれば、任務のためすぐにでも情報収集に励むべきなのだろう。

 だが避難所にいるものたちの心情を鑑みれば、事情を聞き回るなどという無粋な行為がそうそうできるわけもない。

 何の被害も受けていない自分たちがこの場にただ傍観者として居座るだけでも、被災者たちへの冒涜に成りかねない。

 一瞬とはいえ、二の足を踏んでしまう少女たち。

 

「——あッ!?」

 

 もっとも彼女——立花響に迷いはなかった。

 彼女は避難所の一角。何やら苦しそうに蹲っている老婆を発見するや、目にも止まらぬ速さでその人の元へと駆け寄っていく。

 

「大丈夫ですか!? しっかり、おばあちゃん!!」

「あっ……ああ、ありがとうね、お嬢ちゃん……」

 

 そのまま老婆を避難所のテントへ、日向に座らせることでおばあさんの顔色も良くなっていく。

 

「ママ……ねぇ、ママは!?」

「ボク、お母さんとはぐれちゃったのかな? お姉ちゃんと一緒にお母さんを捜そう!!」

 

 立て続けに、今度は母親と逸れて泣きじゃくる小学生の男の子へと声を掛ける。その子の手を取りながら一緒に避難所内を歩き回り、無事男の子を親元へと送り届ける。

 

「手伝います!! これを運べばいいんですよね!?」

「あ、ああ……よろしく頼む」

 

 さらにはボランティア活動に従事していたスタッフへと声を掛け、そのまま彼らの仕事を手伝う。

 支援物資の運び込みから、炊き出し、建物の清掃など。何から何までを率先して手助け——『人助け』を行っていく。

 

 

 

「全くあのバカは……考えなしに動きやがる……」

「だが……それでこそ立花だ!」

 

 いきなりの流れでボランティア活動を始めてしまった立花響。きっと彼女の頭の中に『被災者たちの覚えを良くし、情報収集を効率よく』などといった、駆け引きの類は一切ないだろう。

 

 ただ助けたいと思ったから手を伸ばす、単純明快な思考だ。

 

 その単純さに、クリスも翼も困ったように肩をすくめた。しかし、すぐにでも響を見習うよう、一緒に復興作業の手伝いをしていく。

 

 そうだ、任務も大事かもしれないが、この惨状を前にただ黙っているだけなど彼女たちには出来ない。

 目の前で苦しんでいる人を放置して、どうしてこの世界の危機を救えるものかと。

 

 

 ギャラルホルンが告げているであろう異常事態を探る前に、まずは被災地者たちの心に寄り添っていく。

 

 

 

×

 

 

 

 そうして、復興の手伝いに励むこと一時間ほど。

 響たちの献身的な行動に被災者たちの心がほぐれていったのか、自然と彼らの方から声を掛けてくれるようになった。

 

「……お嬢ちゃんたち、ボランティアの子かい?」

 

 親しげな第一声を放ったのは、響が一番最初に手助けした老婆だった。彼女は響のことをまるで孫でもみるような目で見つめてくる。

 

「済まないね、わざわざこんなところにまで来てもらって……お嬢ちゃんたちだって大変だろうに……」

「いえ、全然大丈夫ですから!! へいき、へっちゃらッです!!」

 

 老婆は彼女たちの苦労を労うが、それに対して響が元気いっぱいに返す。

 

 へいき、へっちゃらッ——立花響の口癖だ。

 彼女が実の父親から受け取った言葉。どんなに辛いときでもこの言葉がある限り、響はどんな苦境にも挫けはしない。

 

「けど……あんまり無茶しちゃダメだからね」

 

 だが、響のへっちゃらッという言葉にも、老婆は心配事を隠せずにいる。自分たちを援助してくれるのもありがたいが、それでも無理は禁物だと。

 

「何かあったらすぐに逃げるんだよ? またいつ……妖怪が襲ってくるか分かったもんじゃないからね……」

「はい!! …………へッ?」

 

 ありがたい忠告をくれ、それに響もとても良い返事をするのだが——すぐに何かおかしいことに気づく。

 今この老婆が何と言ったか。瞬時にその単語の意味を理解することが出来なかった。

 

「……ん?」

「……えッ?」

 

 翼やクリスもポカンとなるが、呆ける彼女たちそっちのけで、被災者たちが『それら』についての愚痴を溢していく。

 

「まったく、政府も適当なこと言うよな!! 連中との和解は済んだって……出鱈目じゃねぇか!」

「ほんとよ!! いつになったら、あいつら大人しくなるわけ!?」

「ママ……ボク怖いよ。もう、いやだよ……」

 

 人々のそれら——『妖怪』なるものへの不満と怒り。

 気のせいか、それらを口にする際。彼らの体から『黒い靄』のようなものが立ち込めているような気がするのだが。

 

「な、何言ってんだよ、アンタたち。妖怪なんて、そんなもん…………」

 

 これにクリスが声を上擦らせながらも反論しようとした。お化けなど、ましてや妖怪など存在するわけもないだろうと。

 

 だが彼女がその主張を通そうとした。その直後——突如として地響きが鳴り響く。

 

「な、なんだッ!? 地震か!!」

「落ち着け、雪音。あまり騒いでは人々の心に無用な不安を抱かせる……」

 

 突然の揺れ。クリスは動揺を見せるが、それを翼が慌てないようにと言い聞かせる。

 これまで見てきた被害が大地震か何かによるものなら、余震が起こっても不思議はない。こう言った状況において、大事なのはパニックにならないことだ。

 装者たちは平静さを保ちながら、もしものときに備えて避難経路を確保していく。

 

「こ、この揺れ……またなの!?」

「まただ……またあいつらが!!」

 

 ところが周囲の人々、避難所の空気がその揺れによって一変する。彼らは一様に『何か』に怯えるよう、身を寄せ合い始めた。

 

 この怯えよう、明らかに地震が直接的な要因ではない。

 この地震をきっかけとして起きること。口々に叫ばれた——『あいつら』とやらの到来をひどく恐れている。

 

「まさか……ノイズ!?」

 

 人々の怯えように、響の脳裏にノイズの存在が過ぎる。

 彼らが『妖怪』だというものの正体、それ自体がノイズである可能性だ。実際、彼女たちの世界でもノイズが特異災害に認定される前は正体不明の異形。あるいは、怪異の類として認識されていたという。

 この世界では、ノイズが『妖怪』として恐れられているということかも知れない。

 

 ならば、やることは一つだ。

 

「皆さん、下がっていてください!! ここは私が……」

 

 相手がノイズであればシンフォギア装者である響たちの役目。きっとギャラルホルンも、そのために自分たちをこの世界に遣わせたのだろうと。

 翼もクリスも、ノイズとの交戦に備えて身構える。

 

 

 次の瞬間、地の底から『それ』は姿を現した。

 響たちの予想通り、それは『怪物』だった。人々から平穏を、財産を、その生命を奪い去っていく化け物。

 

 

 全長五メートルはありそうな——巨大ムカデ。

 ムカデ型のノイズという意味ではない。本当にあの昆虫の『ムカデ』が、そのまま大きくなったような化け物が地中から這い出てきたのだ。

 

 

「……いッ!?」「ゲッ!?」「なんとッ!?」

 

 

 装者たちの口から変な声が出てしまう。

 

 ムカデ。

 クネクネと胴体をくねらせ、数十本はありそうな足をバタつかせ、牙をガチガチと鳴らす。このフォルムの生物に好意的な感情を向けられるものは、一部の愛好家くらいだろう。

 

 少なくとも一般人の感性からすれば——素直に気持ち悪い。

 それが、自分たち人間を捕食できるほどの大きさともなれば、生物的本能からも恐怖しか生まない。

 

「う、うわああ……」

 

 それは響とて例外ではなかった。

 彼女も年頃の乙女、そんな巨大ムカデを前にすれば鳥肌の一つも立とうというもの。

 

 

『——キィイイイイイイイ!!』

「…………えッ?」

 

 

 故に——その隙を突くかのように、ムカデが自分の方へと突進してきたとして、それに咄嗟に反応が出来なくても仕方がないことだった。

 

「た、立花ッ!?」

「よ、避けろ! バカ!!」

 

 これに翼もクリスも叫びながら駆け寄ろうとするが、あまりにも遅かった。突然過ぎるムカデ——妖怪の強襲に、ギアを纏う暇すらない。

 いかに装者といえども、ギアを纏っていなければただの人間と変わりない。

 

 響はその命を唐突に、理不尽に散らせることとなる。

 

 

 

 

 

「——指鉄炮」

 

 しかし、どこからともなく飛来した光の塊が、ムカデの体当たりから立花響を守った。

 

『ギィイイイイイイイイ!?』

 

 光の直撃を受けたムカデは胴体に大きな風穴を開け——黒い霞となって散っていく。

 

「……えッ?」

 

 響は自分が助かったと理解するよりも、ムカデが跡形もなく消えたことに驚きを隠せなかった。

 彼女は光の弾らしきものが飛んできた方角を見つめ——そこに、一人の男の子の姿を見つける。

 

「…………」

 

 時代錯誤にも下駄を履いた、黒と黄色のちゃんちゃんこ纏った少年。伸ばした前髪が左目を隠しており、どことなく暗く、人間離れした雰囲気だった。

 

「き、きみは……?」

 

 いったいその少年が何者なのか、何も知らない響が少年に問い掛ける。

 だがこの世界の、少なくともこの国に住むものであれば彼の顔くらい知っていてもいいだろう。

 

 少年自身も特に名乗る必要性は感じなかっただろうが、それでも律儀に響の問いに答えを返していく。

 

 

「——ゲゲゲの鬼太郎だ……」

 

 

 

 

 

「ゲゲゲの……」

「鬼太郎だぁッ!?」

 

 翼やクリスは見ていた。ゲゲゲの鬼太郎と名乗った少年が指先から光弾のようなものを発射し、ムカデを倒して響を助けてくれた光景を。

 外見は少なくとも人間の男の子にしか見えない彼に、何故そのような真似が出来るのかと疑問を抱く。

 

『キィィイイ!!』

『キィキィ……』

 

 しかし、彼女たちがその疑問を解消する暇もなく。さらにもう二匹ほど、地中から再びムカデが出現する。

 

「なッ?」

「!? あ、危ない!!」

 

 さっきのムカデと同程度の大きさのそれらは鬼太郎の背後から現れた。仲間をやられた怒りからか、二匹とも真っ直ぐ鬼太郎へと襲い掛かる。

 

「髪の毛針!!」

『キィィイイ!?』

 

 だが鬼太郎は慌てず騒がず、振り返りながら髪の毛を、まるで針のように高速で飛ばすことでそれに対処する。

 髪の毛の集中砲火を浴び、ムカデが一匹悲鳴を上げながら崩れ落ちていく。

 

「髪の毛を……飛ばしたぁあ!?」

「だが……もう一体残っているぞ!」

 

 髪の毛を飛ばすという非常識に驚く装者たち。だがムカデはもう一匹残っている。残った方のムカデは鬼太郎に対応する暇も与えず、その牙で彼の体に噛みつこうとする。

 

「——ニャアアア!!」

 

 すると、今度は鬼太郎の背後を守るように女性が飛び出してきた。

 フレアのミニスカートにスラッとした美脚をのぞかせる、スレンダーな美人。小顔もとても愛らしい女性だが、次の瞬間にもその顔を化け猫のように歪め、爪を鎌のように伸ばしてムカデの巨体を切り裂いていく。

 切り裂かれたムカデは、これまた黒い霞のように散っていく。

 

「これって……どうなって?」

 

 それらの光景、ムカデたちが退けられたことに響たちは驚きを隠せない。

 いや、あれくらいの怪物退治であれば彼女たちもギアさえ纏えば可能だろう。問題は、少年や女性があくまで生身であるということ。そして、明らかに人間離れした『能力』を行使していることだ。

 いったい、彼らは何者なのだろう。装者たちの疑問がますます深まっていく。

 

『ギィ……ギィ……』

 

 だが、そんなことを考えている間にも髪の毛針を撃ち込まれたムカデが、辛うじてだが息を吹き返した。

 ムカデは瀕死の胴体を引き摺りながら、地中へと潜ることでその場から逃げ出していく。

 

「鬼太郎、追うわよ!!」

「ああ……!」

 

 女性とゲゲゲの鬼太郎が、直ぐにその後を地上から追っていく。

 これまた人間離れした脚力でその場から跳躍、あっという間にその背中が見えなくなってしまった。

 

 

 

×

 

 

 

「無事か、立花!?」

「たくッ……ボケッとしやがって……!!」

 

 ムカデの化け物もゲゲゲの鬼太郎とやらも去った後、翼とクリスはすぐに響へと駆け寄った。今の騒動で怪我がなかったか、彼女の身を案じていく。

 

「う、うん……私は大丈夫……あッ、避難所の人たちは!?」

 

 幸い響にはかすり傷一つなかった。しかし自分以外はと、そこで周囲への被害を真っ先に心配してしまうのが、立花響の立花響たる所以だろう。

 

「ああ、皆無事だ。これもあの者たちのおかげだが……」

「けど、アイツら……いったいなんだってんだ?」

 

 響が助かったのも、周囲への被害がほとんどなかったのも。全てはあの鬼太郎とかいう少年が迅速に巨大ムカデを討伐してくれたおかげだ。

 もっともその正体が何だったのか。本人たちに直接聞く暇もなく、彼らは行ってしまった。

 あるいは、この世界の住人であれば鬼太郎のことも、あのムカデの怪物のことも何か知っているのかもしれない。

 

 

 だが現状——それを避難所の人々に尋ねるのは難しい。

 

 

「——ちっくしょう!! またかよ!! これじゃ、いつまで経っても復興なんて進まねぇよ!!」

「——獣の群れの次はムカデ!! もういい加減にしてよ!!」

 

 直接的な被害こそなかったものの、今のムカデの襲撃が人々の精神に多大な負荷を掛けたのだ。

 人間たちはうんざりだとあのムカデ、さらには他の化け物——妖怪への憤りを吐き捨てていく。

 

「けど……また鬼太郎は助けてくれたし……」

「やっぱり政府と和解したって噂は……本当だったんじゃ……」

 

 勿論、全ての人間が怒りだけを抱いているわけではない。自分たちを助けてくれたあの少年——ゲゲゲの鬼太郎の行為に、純粋に感謝を表明する人間もいる様子だった。

 

「そんなの、分かったもんじゃねぇよ!! 鬼太郎だって所詮は妖怪だろ!?」

「てめぇら……いったいどっちの味方なんだ!? あん!?」

 

 しかし、そんな鬼太郎を擁護する言葉が気に入らなかったのか。過激な言動、行動の人々が気に入らない相手の胸ぐらを掴み、さらにそのまま口汚く罵っていく。

 

「ちょっ……ちょっと皆さん、落ち着いてください!!」

 

 これに大慌てで響が静止しようと試みる。だが彼女の言葉になど耳を傾けず、人々は諍いを止めようとはしない。

 

 まるで『何か』に取り憑かれたかのように。

 いかに精神的に不安定だろうとはいえ、その様相は些か常軌を逸しているようにも見える。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

「そこッ!! 何を騒いでいる!?」

 

 ムカデの襲来から少し遅れて、そこに自衛隊らしきものたちが駆けつけてくる。彼らは避難所の被害がどうだったかを問い掛けつつ、争い合う人々の仲裁に入ろうとした。

 

「来るのが遅せぇぞ!! この役立たずども!!」

 

 だが怒りが収まらない人々が、その矛先を自衛隊にまで向ける。

 ムカデ退治に間に合わなかった彼らを役立たずと詰め寄り、騒ぎはちょっとした暴動へと発展しかける。

 

「こ、こらッ!? 大人しくしろ!!」

「……やむを得ん! 取り押さえろ!!」

 

 自衛隊はパニックを収めるため、仕方がなく力による鎮圧という手段を選ぶしかなかった。

 

 

 

「……立花、雪音。ここは一旦退くぞ……」

 

 事態が混迷を極める中、翼は響やクリスにこの場からの撤退を提案する。

 

「ここに私たちが残っていても……出来ることはなさそうだ……」

 

 既に怪物による脅威はなく、これ以上自分たちがここに残っていても出来ることはない。後のことは、この世界の自衛隊に任せるしかないと。

 

「……で、でも……」

「先輩の言うとおりだ。今この場でアタシたちが首を突っ込んでも……話がややこしくなるだけだ」

 

 響は人々が傷つけ合う光景を放っておくことに抵抗感を示したが、クリスは翼の言葉に従う。

 悔しいかもしれないが、この状況で響たちのような小娘が無理に首を突っ込んでも火に油を注ぐだけである。

 

 現時点で彼女たちに出来ることはなく、大人しく避難所から立ち去るしかなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから、装者たちは街中の様子を見て回った。

 

 この世界にとっても首都である東京の街。全体的に被害こそあるものの、ところどころライフラインなどは機能していた。

 どうやら、彼女たちが最初に降り立った地区が特に被害の大きかった場所らしく、地域によって被害がそこまでではないところもある。

 

 だが、肝心なのはその被害が——『妖怪との戦争』によってもたらされたという事実だ。

 

「どうやらこの世界には『妖怪』が実際に存在し……人々と争い合っているという状況らしい」

 

 被害が特に少なかった住宅地を歩き回りながら、風鳴翼が状況の整理を行っていく。

 この世界では『妖怪』と呼ばれるものたちが実在し、それが人間と争い合った結果——このような被害が発生してしまったらしい。

 その戦争そのものは小康状態に収まったようだが、未だに小競り合いのようなものが続いている様子。

 

「妖怪ッていうよりは……怪物、怪獣って感じだったな……あのムカデの化け物は……」

 

 妖怪の存在に若干及び腰だったクリスも、さすがにこれには同意せざるを得ない。

 もっとも、彼女が苦手としているのはお化け的な、いわゆる幽霊や悪霊といった感じのもの。先ほどのムカデたちは実体のある、どちらかというと怪獣といった類の化け物だった。

 あの手の手合いであれば、他世界でも何度か応戦した経験がある。クリスが極端に怖がる必要もない。

 

「あの子……」

「どうした、立花?」

 

 ふいに、立花響がボソッと呟く。

 彼女は巨大ムカデよりも、その脅威から自分を守ってくれた『彼』に意識を向けていく。

 

「さっきの男の子、鬼太郎ッて……あの子も、妖怪なんでしょうか?」

「そうだな……避難所の人々の話からはそのように察せられるが……」

 

 響や避難所の人々をムカデから守った少年——ゲゲゲの鬼太郎。

 

 見た目はほとんど普通の人間だったが、その能力は常人の範疇を超えていた。避難所の人たちも「鬼太郎だって妖怪だろ!?」と叫んでいた。

 あの少年もあのムカデたちと同類。人ならざるものということになる。だが——

 

「あの子は……人間を助けてくれたんですよね!? なら、きっと分かり合える筈です!! あの子からも話を聞いてみませんか!?」

 

 妖怪と一口に言っても色々といるようだ。ムカデたちのように言葉も話すことができず、意思の疎通すら困難な相手であれば戦うのも止む無し。

 

 だが、あの鬼太郎という子のように言葉が通じ、それでいて人間を助けてくれるような相手であれば話し合う余地がある。

 もっと言えば、一緒に戦うことも出来るのではないかと。響は鬼太郎との共闘すらも視野に入れ、彼との接触を翼やクリスに提案する。

 

「そ、そうだな……確かに彼は人々を守るのに尽力してくれているようだが……」

「つッても、アイツらがどこにいるのかも分かんなきゃ、お話になんねぇぞ?」

 

 翼とクリスも、特に妖怪に対して忌避感を抱いてはいない。しかし、響のようにそこまで積極的に彼らと協力しようとは考えていないようだ。

 

 妖怪の——鬼太郎とやらの手を借りるのであれば、まずは彼らとコンタクトを取らねばなるまい。だが、彼の居所も分かっていない今の段階で、そのために時間を費やすのは早計だ。

 

 まずはこの世界の異変——ギャラルホルンがアラートを鳴らした原因を探らなければならない。

 ただ妖怪が暴れているからというわけではないだろう。きっとそれ以外に、装者たちがこの世界に呼ばれた『意味』が必ずある筈なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——きゃあああああ!?」

 

 

 と、まさに装者たちが次なる行動を決めかねていたときだ。平和な住宅街に——助けを求める悲鳴が木霊する。

 

「!! 今の叫び声はッ!?」

「ちッ! またムカデのお化けか!?」

 

 またしてもムカデたちの襲撃かと、叫び声が聞こえてきた場所へと急行する装者たち。

 一刻も早い事態の解決が望まれるが、やはり人的被害を抑えるのが何よりも優先される。

 

「急ぎましょう!! こっちです!!」

 

 今度は先ほどのようなヘマはしない。

 たとえ何者が相手であろうと、助けを求める『誰か』を守ってみせると。

 

 立花響は、拳を握り締めながら走り出していた。

 

 

 

 

 

「こ、来ないで!! 化け物ッ!!」

「————」

 

 全速力で駆け付けたおかげか、現場へと直行できた響たち。

 そこで彼女たちは目撃する。中学生くらいの女の子が異形のものに襲われている光景を。しかもその異形はさっきのムカデでも、その他の妖怪たちでもなかった。

 

「あれは……ノイズ!?」

「しかも……カルマノイズじゃねぇか!!」

 

 襲撃者の正体は、装者たちにとっては見慣れた存在——ノイズ。

 しかも、全身が禍々しい瘴気に覆われた真っ黒いノイズ——『カルマノイズ』だった。

 

 カルマノイズはノイズの中でも特殊な個体。

 通常のノイズではあり得ない攻撃力、耐久性、持久力を併せ持った強力なノイズだ。ノイズとの戦いに慣れた装者たちでさえも、決して油断できない相手。

 さらに言えば、このカルマノイズこそが、並行世界に異変をもたらす原因。ギャラルホルンが他の世界にまで助けを求めてゲートを繋ぐ、その最たる要因でもある。

 

 その元凶が目の前にいる。無垢な人々に仇を為そうとしている。

 装者たちの戦意は高揚し、その血潮が熱く昂っていく。

 

「——やらせないッ!! 絶対に……やらせはしない!!」

 

 先陣を切って突き進む立花響が、一刻も早くカルマノイズの魔の手から少女を救おうと——胸に抱いた想いを『歌』に込めて唱える。

 

 

 次の瞬間にも、響の体が光に包まれた。

 

 

 彼女の歌声に呼応し、胸のペンダント——シンフォギアシステムが立花響を闘う者に相応しい姿へと変化させる。

 

 黄色やオレンジをメインカラーにあしらったインナー。

 ガントレットのような腕部ユニット。レッグガードのような脚部ユニット

 耳にはヘッドホン的な装甲を、胸元にはシンフォギアシステムの根幹たるペンダントが花のように咲き誇る。

 

 

「——はぁあああ!!」

 

 

 マントのようなマフラーを風に靡かせながら、走り抜けていく彼女の拳がカルマノイズに叩き込まれていく。

 

「————!」

 

 その一撃に、カルマノイズが吹っ飛ぶ。

 ノイズが少女に触れることを阻止し、その危機を救ったのである。

 

 

 

 これぞ、立花響のシンフォギア——『ガングニール』。

 その手に武器らしきものが握られていないが、握った拳こそが彼女のアームドギア。

 

 その手に何も持たないからこそ、他者と手を取り合える。

 繋いだその手を決して離さない。まさに、彼女の心情がそのまま形となったようである。

 

 

「——誰も犠牲になんかしない!! ガングニールは……そのための力なんだ!!」

 

 

 立花響は今日もギアを纏い、その拳を握りしめる。

 

 

 人々の脅威となるノイズを打ち砕くため——

 救いを求める人たちへと手を伸ばし、握った拳を開くためにも——

 

 

 




人物紹介

 立花響
  シンフォギアの主人公にしてヒロイン。
  ガングニールの装者。アームドギアは握った拳。
  どんなときでも、へいきへっちゃら!
  好きなものはゴハン&ゴハン。着やせするタイプ。
  
 風鳴翼
  防人(SAKIMORI)語を使いこなす歌姫。
  天羽々斬の装者。アームドギアは日本刀。
  スレンダーな美人、その分ぺったんこ。
  基本的に凛々しいが、天羽奏が絡むと乙女になる。

 雪音クリス
  豊富なワードセンスの持ち主。
  イチイバルの装者。弓ではなく重火器がメイン武装。
  背は低いけど、その分よりデカく見える。 
  結構ツンデレ気質。あとは……食べ方がきちゃない!

 以上三名、今回の物語に深く絡むメイン装者たちです。
 他の装者たちに出番がないわけではありませんが……今回はこの三人が主役。

 
 友里あおい
  あったかいものを提供してくれる女性オペレーター。
  オペレーターはもう一人いたと思うけど……出番はなし!

 風鳴弦十郎
  響たちの上司、司令官。
  作中最強の大人(OTONA)。ノイズが相手じゃなきゃ彼一人で解決できる筈。
  けど指揮系統が乱れるから出撃してはいけないらしい。
 
 エルフナイン
  元は性別不詳のホムンクルス。
  キャロルと合体したことで正式な女の子になったとのこと。
  いわゆる知恵袋的な役割だが、今回は出番薄め。
  さすがに妖怪の知識はないでしょ……。
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

戦姫絶唱シンフォギアXD UNLIMITED 其の②

も、文字数が多い……ッ!!

『戦姫絶唱シンフォギア』とのクロスオーバー。
最初は三話構成で終わらせようと頑張ってみましたが……とても三話では書ききれねぇ!
シンフォギア初心者(シンフォギア知らん人がこの小説を読むのかは謎だが)のために、専門用語やら世界観やら解説しながらだから……余計に文字数が嵩張る!

なので申し訳ありませんが……今回も四話構成でお届けする予定です。
で、でも……シンフォギアだから、許してくれるよね……(震え声)。

それはそうと……『シン・ウルトラマン』観てきました!
色々と迷った上で映画館に足を運びましたが……行ってよかった!
個人的には『シン・ゴジラ』や『シン・エヴァンゲリオン』よりも面白かった。
メフィラス星人、あれだけ飲み食いしておきながら、ウルトラマンに割り勘を要求するセコさ……。
俳優さんの演技も相まって、作中で一番好きなキャラかもしれん。

今朝、ジャンプ立ち読みしに行ったらしれっと『ルリドラゴン』連載スタートしてて笑った!
読切の頃からクロスできないかなと、結構好きな作品でしたので地味に嬉しい。
けどこれ……ほのぼの路線で行くのか? それとも途中でバトル路線に切り替わるのか?
今後が非常に気になる作品ですね。




「——おりゃあああ!!」

 

 立花響のガングニールが開放全開。乾坤一擲の先制攻撃が中学生と思しき少女に触れようとしていたノイズへと叩き込まれる。

 ノイズは景気よく殴り飛ばされ、何とか少女は無事危機から脱する。

 

 さりとて、相手はただのノイズではない——カルマノイズだ。

 

「————」

 

 不意をついたガングニールの一撃にも耐え切り、逆に反撃体勢を整えていく。

 見た目が一般的なヒューマノイドノイズでありながらもこの耐久力、やはりカルマノイズは侮り難い存在である。

 

「——援護するぞ、立花!!」

 

 もっとも、響とて一人ではない。共に戦う仲間である風鳴翼がアームドギア・天羽々斬を展開していた。

 青をメインカラーとしたインナー、各部に装甲を纏った防人の戦装束。

 その手に握られた刀身から放たれる斬撃の衝撃波——『蒼ノ一閃(あおのいっせん)』がカルマノイズを切り裂かんと迫る。

 

「————」

 

 しかし、その鋭い一撃すらもカルマノイズは軽やかに躱す。

 通常のノイズではあり得ない跳躍力を用い、後方へと大きくジャンプしてみせる。

 

「——逃すかよ!!」

 

 だが、それは悪手だ。相手が身動きの取れない空中にいるのであればそこを撃ち落とせばいい。

 赤をメインカラーとしたインナー、全身から各武装・重火器を展開するのは『イチイバル』のアームドギアを纏った雪音クリス。

 ガドリンガンによる集中砲火——『BILLION MAIDEN(ビリオンメイデン)』をカルマノイズへと浴びせていく。

 

「やったよ、クリスちゃん!!」

「バカッ!? フラグを立てるな!」

 

 クリスの銃撃の雨、高火力の攻撃でカルマノイズを「倒した!!」と響が喝采を上げる。しかし、それを迂闊だとクリスが叱りつけた。

 

 事実——カルマノイズは立っていた。

 あれだけの集中攻撃をその身に受けて尚、未だに倒れていないのは恐るべき耐久力。

 

 しかし、無傷というわけでもない。

 動きそのものに明らかな『揺らぎ』が見える。装者たちも自分たちの優勢を、確かな手ごたえとして感じ取っていたことだろう。

 

「好機だ! このまま一気に畳みかけ——」

 

 それでも最後まで油断することなく、一気に攻勢を掛けるべしと翼が号令を掛けようとする

 

 

 すると、まるでそれを阻止せんとばかりのタイミングで——『彼ら』は地響きを起こしながら地上へと姿を現す。

 

 

『キィイイイ!!』

『キィキィキィキィ!!』

 

「なッ!? 先ほどのムカデ!?」

「よりにもよって……このタイミングでかよッ!?」

 

 姿を現したのは、先ほども会敵した——ムカデの妖怪たちだ。

 まさかのタイミングでの乱入、しかも一匹や二匹ではない。少なく見積もっても十匹以上。それほどの数のムカデたちが、響たちがノイズと交戦していた住宅地に出現したのである。

 

「くッ!! カルマノイズだけでもッ!!」

 

 だが、ムカデたちの大群を前に気を取られ、ノイズを逃したとあっては防人の名折れ。

 翼は先にカルマノイズだけでも仕留めておかなければと。目にも止まらぬ電光石火の居合い——『蒼刃罰光斬(そうじんばっこうざん)』の斬撃波にて、ピンポイントにカルマノイズを狙っていく。

 

 ところが——

 

『キィキィ!』

 

 次の瞬間、翼の放った必殺の一撃とカルマノイズとの間に——ムカデの一匹が、自らの胴体を盾として割り込ませた。

 ムカデが——カルマノイズを守ったのである。

 

「なんだとッ!?」

 

 これには風鳴翼も驚愕を禁じ得ない。まさか妖怪がノイズ庇うなどと、いったい誰が予想出来ただろうか。

 ムカデのおかげで致命傷を避けたカルマノイズ。そのまま、装者たちの前からその姿を消してしまう。

 

「くッ!! 逃したか……」

 

 逃げた、というよりも幻のように姿が薄れて消えていった、カルマノイズ。

 通常、ノイズというものは一定時間経過すれば自然と自壊するものだが、カルマノイズの場合は撤退するだけだ。何処ぞへと姿をくらまし、時間が経てばまた現れる。

 確実に倒しておかなければ再び出現して人々に被害をもたらす。出来ることなら、ここで確実に仕留めておきたかったところだが——

 

「翼さん!!」

「今はこのムカデどもを片付けるぞ、先輩!!」

 

 逃してしまった以上、何を言っても栓無きこと。

 今は新たな脅威として出現したムカデたちを倒し、人々への被害を減らすことが何よりも重要だと響とクリスが叫ぶ。

 

「ああ、行くぞ二人ともッ!!」

 

 翼もそれに素早く同意、これ以上の暴虐は許さんとばかりに剣を構え——。

 

 

 少女たちは己の心の赴くままに、その胸の『歌』を響かせていく。

 

 

 

 

 

「…………すごい」

 

 響たちシンフォギア装者に助けられたその中学生は、彼女たちの戦う勇姿に視線を釘付けにされていた。

 

 突然、訳の分からない化け物——カルマノイズが目の前に現れたとき、少女は咄嗟に逃げることが出来た。

 少女自身、それがいったい何だったのかを理解していなかったが、既に妖怪に対して『恐怖心』を抱いていたため、それが危険なものだと判断。

 実際のところ、ノイズはこの世界の妖怪とはその存在理由からして全く違う別物なのだが、それこそ少女には関係のないことだ。

 

 異形の怪物は全て妖怪——怖いものという『刷り込み』が今の少女にはあった。

 

 だが目の前の彼女たちは、その怖い妖怪を難なく倒している。

 その拳が、その剣が、その銃火器が。巨大なムカデのお化けたちを蹴散らし、少女に安心感を与えてくれている。

 

 さらに少女の胸を揺さぶったのが——彼女たちの口から紡がれる『歌』であった。

 

「……これって、歌? 歌いながら……戦ってるの?」

 

 そう、何らかなの装備で武装していた彼女たち——その誰もが歌を歌っているのだ。

 

 

 これこそ、シンフォギアシステムの真骨頂。

 櫻井(さくらい)了子(りょうこ)によって提唱された『櫻井理論』を基に作り上げられた『FG式回天特機装束(えふじーしきかいてんとっきしょうぞく)』。聖遺物の欠片が埋め込まれたペンダントに『聖詠』を口ずさむことでギアは展開される。

 さらに、適合者たる装者たちが歌唱することによって、シンフォギアは稼働するために必要となるエネルギー『フォニックゲイン』を増幅、それがそのまま彼女たちの戦闘力に直結する。

 さらにこの歌だけが、通常の物理法則下に存在しないノイズたちに効果的なダメージを与えることができるのだ。

 

 その反面、交戦中に歌が途切れたりしてしまうと装者たちの戦闘力は大きく低下してしまう。

 ちなみに装者たちが紡いでいる歌の歌詞は、彼女たちの性格や心象がそのまま形になったもの。その時々の精神状態にも大きく作用され、浮かび上がる歌詞はその瞬間によって違う。

 装者たちも、自分がこの瞬間にどんな歌を歌っているのか自覚はないという。

 

 

「……なんだろう……すっごく……安心するていうか……」

 

 戦いながら歌っているせいか、ところどころ叫びながらで音程もおかしくなったりしている、装者たちのその歌。

 しかし彼女たちの歌声は力強く、聞いているものの心までも奮い立たせる。実際、あれだけ怯えていた少女が、その場から逃げることを忘れて聞き入ってしまっている。

 

 しかし、そのせいか——。

 

 

 少女は——すぐ後ろの地面から飛び出してきたムカデの存在に、全く気付くことが出来なかった。

 

 

「ッ!! そこから逃げてッ!!」

「え……?」

 

 少女の間近、地中からいきなり出現したそのムカデには流石の装者たちも救援が間に合わない。

 ムカデの毒牙が、今まさに少女の身を害そうとした——。

 

 

 その直後である。

 

 

『——ギィッ!?』

「……!?」

 

 少女が何をするでもなく、ムカデは何かに弾かれようにその身体を仰け反っていく。まるで見えない壁のようなものが、少女を守ったかのようにも見えた。

 

「はぁあああッ!!」

 

 ムカデが怯んだ隙に、立花響は少女の元へと駆け寄りながら拳を振りかぶる。ムカデを一撃で沈め、すぐさま少女の身を気遣う。

 

「大丈夫!? 怪我はない!?」

「は、はい……わたしは大丈夫ですけど……」

 

 少女が言うように怪我はない。

 響たちがノイズやムカデたちを退けてくれているというのもあるが、少女自身にも『何か』の力が作用し、その身が守られた。

 

 

 いったい、それが何だったのかは少女——。

 

 

「……もしかして、このお守りのおかげ……なのかな?」

 

 

 今現在の『犬山まな』には何も理解することが出来ず、胸元に忍ばせていた『お守り』を握りしめながら、ただただ首を傾げるばかりであった。

 

 

 

×

 

 

 

「とりあえず、片は付いたが……」

 

 出現したムカデたちを倒しきり、危険がなくなったことを確認しながらギアを解除する装者たち。だが肝心の元凶に逃げられてしまったため、彼女たちの表情は若干沈み気味だ。

 

「やはり、あれを倒さない限りはギャラルホルンのアラートも鳴り止むまい……」

「やっぱ出てくるよな……カルマノイズがッ!!」

 

 翼とクリスが互いに顔を見合わせながら、今回の騒動の原因——カルマノイズに付いて話す。

 そう、並行世界の異変を告げるギャラルホルンが警告した通り、やはりこの世界にカルマノイズが出現していた。

 今回も早急にあれを捜し出し、倒す必要があるわけだが。

 

「あの……ありがとうございます! おかげで助かりました……」

「ううん!! 怪我もないみたいで良かったよ!!」

 

 今回は犠牲者も出なかった。

 無事であった少女のお礼の言葉に、響はその事実を笑顔いっぱいで喜ぶ。

 

「……けど、あなたたちは? それに……あの黒いのはいったい?」

 

 しかし、助けられた少女からは疑問が投げ掛けられる。

 この世界の住人にとって妖怪であるムカデの化け物は既知の存在。脅威ではあるが不思議ではない。

 少女の問い掛けは最初に出現したカルマノイズに、そしてそれらを打ち倒して追い払った響たち装者へと向けられている。

 

「ええっと……それはね……」

 

 これに響が困った顔をする。

 基本的に立花響は人助けを優先するため、助けた後のこと——自分たちの素性に関する説明などあまり深くは考えない。

 

 だが当然ながら、自分たちが別の世界——並行世界からやって来たことなどは秘密にしなければならないし、出来ることなら自分たちが『シンフォギア装者』であることも極力明かしてはいけない。

 その世界に余計な混乱を生まないためにも、情報の開示に関してはいつも慎重にならなければならないのだ。

 

 しかし、少女は目の前でギアを纏って戦う響たちを直に目撃してしまった。

 これを誤魔化すというのはなかなかハードルが高く、さてどうしたものかと響は頭を悩ませる。

 

「立花……話は後だ」

「翼さん?」

 

 すると、翼が周囲を見渡しながら声を潜ませて響に耳打ちしていく。

 

「騒ぎを聞きつけた人たちが集まってくる……今はここから離れるのが賢明だ」

 

 装者たちの戦いを直に目撃していたのは少女一人であったが、激しい戦闘音に何事かと住宅地の人々が俄に騒ぎ出す。

 既に通報もされているのか、遠くからサイレンの音も鳴り響いていた。

 警察などの公的機関にでも干渉されれば、さらに話がややこしくなってしまうだろう。

 

「あ、あのッ!!」

 

 それで響たちが困ることを、少女——犬山まなは察したのか。

 

「わ、わたしの家に来ませんか? すぐそこですし……助けていただいたお礼もしたいので……」

 

 思わずそのような提案を口にしていた。それに対して——。

 

 

「そうだな……」

 

 

 風鳴翼はやや思案を巡らし、そして——

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これ……粗茶ですけど……どうぞ……」

「ありがとう、まなちゃん!! ちょうど喉乾いてたんだ!!」

 

 立花響たち装者は、助けた少女・犬山まなの実家である犬山家のリビングにお邪魔していた。

 父親も母親も留守にしているということで、家にはまな一人。そういう意味で、避難する先としては上々だったかもしれない。

 

「いいのかよ……先輩?」

 

 雪音クリスなどは、一般人であるまなの好意に甘えてしまったこと。迂闊な接触だったのではと、お茶を頂きながらも、風鳴翼にこっそりと尋ねているが。

 

「……ほとぼりが冷めるまでの間だ。暫しの間、ここに留まらせてもらおう」

 

 翼もそれなりに迷った末での選択だった。

 先ほどの戦闘をこの世界の公的機関、政府関係者に説明して協力を仰ぐというのも一つの手だったかもしれないが、今の段階でその判断は早計。この世界の者たちが必ずしも協力的だとも限らない。

 装者たちの力を知ったところで、それを体よく利用しようとする輩とているのだ。

 

 今回の一件、この世界の住人に事情を話してまで協力する必要があるのか。それを判断するためにも、まずはこの世界のことについてもう少し知る必要があるだろう。

 

「犬山さん。済まないが……いくつか質問したいことがあるのだが……」

「は、はい! 何でしょうか?」

 

 情報収集の延長として、翼は一般市民である犬山まなにも詳しいことを尋ねていく。

 

「先ほども説明したとおり。私たちはあの黒い怪物、カルマノイズを追ってこの日本までやって来た……とある国の政府機関のものだ」

 

 翼はまなの家に上がる際、自分たちのことを『外国からノイズを追って来た政府機関の人間』というバックストーリーを語った。『並行世界から来た』ことを除けば本当のことであり、自分たちが変身して戦ったことも内密にして欲しいと頼んだ。

 幸いまなは善良な少女だった。こちら側の意を汲んでくれ、深い追求もしないでくれている。

 

「あのムカデたち……妖怪、というのが出没するのは……この国では一般的なことなのだろうか?」

 

 翼が最初に質問したのは『妖怪』という存在について。

 あの大きなムカデなど、あれが一般的に出現するような世界なのか。妖怪が実在するというのであれば、他にどのような脅威があるのか。

 この世界の常識に関わることだ。この日本に住まうものであれば誰でも答えられることだろう。

 

 しかし、まなから返ってきた答えは意外なものだった。

 

「……ごめんなさい。わたしも……よく分からないんです……」

「分からない……?」

 

 この世界の、この国の人間であるにもかかわらず、まなは妖怪に関して『分からない』という。と言うのも、それには理由があって——。

 

 

「……実はわたし……ここ二年間くらいの記憶が…………ないんです」

 

 

 それは犬山まなという少女が、この二年間の思い出を失っているという個人的な事情である。

 

「ここ二年の間……誰とどう過ごしたのか。その記憶が曖昧でして……はは、はははっ……」

「…………!!」

 

 苦笑しながら話しているが、それが衝撃的な事実であることに変わりはあるまい。あまりの話に装者たちですらショックを受けて言葉を失っている。

 まなのような思春期の少女が、二年間もの思い出を欠落している。これは尋常ならざる事態である。

 

「け、けど! 少なくとも二年前までなら……誰も妖怪なんて信じてなかったと思うんです!! わたしも……正直、未だに信じられなくて……」

 

 だが表向き、まなは響たちに気を遣わせまいと明るく振る舞ってみせる。

 少なくとも記憶を失う二年前は、妖怪など誰も信じていなかったと、自分の知る限りのことを話してくれた。

 

「そ、そうなのか……済まない。踏み込んだことを、話させてしまったな……」

 

 これに翼は沈痛な面持ちで謝罪する。

 そして、これ以上はまなの口から色々と聞き出すわけにはいかないと思い立ち。

 

 ふと、何かを思い付いたように口を開く。

 

「——不躾で申し訳ないが、スマホ……いや、パソコンか何かあれば少し使わせてもらえないだろうか?」

 

 

 

 

 

「……で? どうするつもりだよ、パソコンなんか借りて?」

「翼さん?」

 

 クリスと響が翼に疑問を投げ掛ける。

 リビングから、まなの父親の書斎へと移動した三人。翼は部屋のパソコンを起動、ネットを介して情報収集を行っていくつもりのようだ。

 

「犬山氏の言っていた二年前……そこから遡って、妖怪について検索をかけて見よう」

 

 ネットは真偽に関わらず様々な情報で溢れかえっている。それら全てを鵜呑みにするのは危険だが、この世界の概要、常識的なことを調べる分には問題ないだろう。

 

 ありがたいことに、父親のパソコンであればまなも好きに使ってくれていいと言った。

 パソコンのパスワードが机の横に貼ってあったり、ほとんど初対面の相手に自宅のパソコンを弄らせたりと。

 親子揃って色々とセキュリティが甘いような気もするが、そこは翼たちも悪用するつもりはないので目を瞑ってもらいたい。

 

 

 

× 

 

 

 

「なるほど……」

 

 一時間ほど。妖怪関連を中心に検索した結果、大まかにだが分かったことがいくつかあった。

 

 まず初めに、この世界の西暦が2020年であったことだが、これに関しては大した問題ではない。

 装者たちの世界の西暦2045年とそれなりの差異があるが、世界そのものが違うのだからそういこともあるだろうと軽く流していく。

 

 次いで、重要な事実として——この世界には『ノイズがいない』ということが分かった。ノイズという呼び方がなどという話ではなく、ノイズそのものが存在しないようなのだ。

 

 ノイズらしきものの目撃証言、人的被害。それに対する政府機関の対応など。装者たちの世界に当然のようにあるそれらのものが、検索したところで一件もヒットしなかった。

 どうやら、あのカルマノイズが初めて現れたノイズであり、この世界にとっては異物そのもの。

 ギャラルホルンがアラートを鳴らした原因であることもほぼ間違いない。あれを排除することこそ、装者たちの使命であると確信できる。

 

「肝心の妖怪の被害だが……確かに二年前から頻発するようになってきているな……」

 

 そしてまなの言葉どおり、妖怪関連の事件に関しては二年前——2018年の頃から。

 それ以前は、人々の間で妖怪などという存在を信じる言動などはなかった様子。だが、如何なるきっかけがあったかは不明だが、確かにその頃から不可思議な事件が全国で多発するようになり——徐々にだが、人々の間で妖怪の存在が認知されるようになっていったようだ。

 

「妖怪の事件……具体的にはどんなものが!? どれだけの人が被害に遭ってるんです!?」

 

 これに響が食い気味に質問する。

 人々への被害、彼女としてはそれが真っ先に気になる問題である。

 

「一概にどうとは言えんな……単純に負傷者の数が多いだけが問題ではないようだ……」

 

 妖怪と一口に言っても様々な種類がおり、それによってどんな事件を起こすのかは差異がある。

 あのムカデのように直接的に危害を加えるものもいるようだが、妖怪らしく魂だけを奪っていったり、尻子玉を奪っていったり——。

 

「し、尻子玉ッ!?」

 

 クリスは顔を真っ赤にお尻を守る。

 

「他にも……八百八狸とやらに一時政権を奪われたこともあるらしい……」

 

 さらに有名どころに『八百八狸』。狸妖怪たちに政権を奪取されたことが挙げられる。良くも悪くも、この一件が妖怪の存在を世間へと知らしめる大きな要因となってしまっているようだ。

 

「た、狸にだぁ!? 大丈夫なのかよ、この国の政治家連中は……」

 

 クリスが素っ頓狂な声を上げる。狸などに国の主導権を奪われるなど、装者たちの世界からすれば想像も出来ない失態である。

 この世界の政治がキチンと機能しているのか、やや心配になってくる。

 

「ッ!! これは……二人とも! これを見てみろ!!」

 

 だが、それよりも重要な事件に目を止めた翼が二人に声を掛ける。

 それは、ここ最近の日本情勢を知る上で重要な話題となっていた。

 

 

「バックベアードとぬらりひょんによる……妖怪大同盟? 妖怪たちからの宣戦布告に……人間たちへの先制攻撃だとッ!?」

「……ッ!!」「……ッ!?」

 

 

 西洋妖怪の帝王・バックベアード。

 妖怪の総大将と噂される・ぬらりひょん。

 

 ビッグネームを持つとされる二体の妖怪が手を組み——人間に対して真正面から宣戦布告したというのだ。

 しかも八百八狸のように政権を奪うなどという、生易しいものではない。彼らは人間たちに対し、ただ一つの要求——『滅亡』を突き付けた。

 

 宣戦布告の際、バックベアード・巨大な球体の怪物が、市街地に向けてレーザーのようなものを放っている。

 それにより街は大炎上、直撃を受けた市街地は壊滅し——数万人単位で死者が出たとされている。

 

「……酷い……こんなのッ……」

 

 その際の動画が、未だにネット内に残っていた。

 燃える街、助けを乞う人々の悲鳴。響たちでも思わず目を逸らしたくなるほどの光景——地獄絵図である。

 

「これがきっかけとなり……人々の間で反妖怪運動が活発化。政府は……妖怪による不当な行為の防止等に関する法律……『妖対法』を議会で可決……!」

「よ、妖対法!? なんだよ、そりゃッ!?」

 

 翼やクリスは驚いているが、この世界の人間からすれば当然の判断なのかもしれない。度重なる妖怪による被害、自分たちの生活が人ならざるものたちに侵食されてしまう恐怖。

 国民の反妖怪運動の声も後押しとなり、議会は満場一致で妖対法を——妖怪を正式に取り締まる法律を施行することになった。

 

 これにより、人間と妖怪との間に泥沼の抗争が勃発。

 政府は妖怪をテロリストと呼称し、妖怪側も取り締まりに反発する形で人間への敵意を強めていく。

 

 終わりの見えない憎しみの連鎖、これこそ戦争の始まりだ。

 

「……だけど……違う! こんなのは……違うよッ!!」

 

 立花響は、その対立に心を痛めた。

 妖怪の犠牲になった人たちの気持ちも理解はできる。自分だって大切な人が理不尽に奪われれば、きっと憎しみや悲しみで心が埋め尽くされてしまうだろう。

 だけど、違うと。言葉の通じる相手との話し合いにも応じず、その全てを滅ぼそうとするのは間違っていると。

 

 脳裏に、自分を助けてくれた少年の姿を浮かべながら思った。

 ゲゲゲの鬼太郎——彼のような妖怪がいるのであれば、きっと手を取り合える可能性はあるのだと響は信じたかった。

 

「ああ……違うな。この世界の人々も……それに自力で気付いたようだぞ、立花」

「……え?」

 

 すると翼は口元に笑むを浮かべながら、響の前で別の動画を再生して見せる。

 

 

 

 その動画には、まさに例の少年——ゲゲゲの鬼太郎の姿が映っていた。

 彼が巨大隕石らしき物体を押し返そうと、指から強烈な光を放ちながら踏ん張っている。だが一人きりでは限界があるのか、徐々にだが隕石の勢いに負け、押し潰されそうになっていく。

 このままでは隕石は地表に衝突、彼を含め多くの者たちが犠牲となってしまうことだろう。しかし——。

 

『——鬼太郎』

 

『——鬼太郎ッ!』

 

『——頑張れッ! 鬼太郎!!』

 

 声が聞こえた。それは鬼太郎へ声援を送っている『人間たち』の声だった。

 その動画自体は編集されたものなのだろう。あらゆる場所、あらゆる地域から鬼太郎に向かってエールを送っている人々の姿が移り変わりに映し出されていく。その中には明らかに異形のもの『妖怪』の姿もあった。

 誰もが鬼太郎に『頑張れ!』と叫んでいたのだ。彼らの思いは、やがて白いオーラのようなものとなり、鬼太郎へと集まっていく。

 

 そして、皆から受け取った力で一気に出力を上げた鬼太郎の光線が——巨大隕石を押し返す。

 成層圏まで吹っ飛ばされた黒い塊が、悲鳴のようなものを上げながら木っ端微塵に吹き飛んでいく。

 

『——おおおッ!! ヤッタァッ!!』

 

 人間、妖怪問わずに歓声が上がる。

 鬼太郎がやってくれたと、絶体絶命の危機を乗り越えられた喜びを共に分かち合う。

 

 確かにその瞬間——人と妖の心は一つになったのである。

 

 

 

「……そっか。そうだよね!! やっぱり分かり合うことは出来るんだ……妖怪とだって、きっと!!」

 

 その動画は立花響の心を勇気付けてくれた。

 やはり妖怪とも話し合う余地があると。言葉が通じる相手であれば、彼らと手を繋ぐことも出来るのだと。

 

「けどな……その後も、人間と妖怪の争いは続いてるんだろ?」

 

 しかし現実問題、争いは続いているとクリスは指摘する。

 確かに鬼太郎の活躍により、戦争そのものは収束したらしい。政府も大々的に妖対法を行使することを控え、非公式にだが鬼太郎と面会して和解した、なんて噂まで流れている。

 

 だが未だ小競り合いのようなものが各地で起きており、人々の間でも不安が再熱している。響たちが戦ったあのムカデたちも、そういった不安の種の一つだ。

 

 如何なる理由かは不明だが、数日前からあのムカデたちは街中に出没し、人々を襲うようになったという。

 このままムカデたちを放置すれば、せっかく回避した人間と妖怪の全面戦争が——またも繰り返されてしまうかもしれない。

 

 

「——翼さん!! クリスちゃん!!」

 

 

 響は二人に向かって力強く宣言する。

 

「止めましょう!! 私たちが……戦争なんて起きる前にッ!!」

 

 戦争など未然に防ぎたい。

 それは任務とは関係なく、響自身の心の内側から湧き上がった願いである。

 

「まあ、あのムカデたちにはカルマノイズが関わっている可能性があるからな」

「仕方ねぇが……事のついでだ!」

 

 その願いに、翼やクリスも頷いてくれる。

 表向きは任務のついでという体を装っているが、戦争など起こさせたくないと思う気持ちは彼女たちとて同じ。

 

 

 たとえ、ここが自分たちの世界でなくとも、守りたいと思う心に揺るぎはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう、まなちゃん!! おかげで助かったよ!!」

「いえ……わたしの方こそ。今日は助けていただき、本当にありがとうございました!!」

 

 その後、夜遅くまでお邪魔するのは迷惑だろうと、響たちは犬山家からお暇する。まなは最後まで装者たちのことを深く追求せず、礼儀正しく見送ってくれた。

 

「さて……これからどうするよ?」

 

 クリスは今後の方針を仲間たちに尋ねる。

 この世界の事情は大まかにだが理解した。人間が妖怪と一度は戦争にまで発展しながらも、なんとか戦火は収まった日本。

 

 この世界の住人ではない装者たちに、未だに燻っている人と妖の対立を根本的に解決することは、正直難しいだろう。

 彼女たちに出来ることは——『カルマノイズを見つけて倒す』こと。そして、それに関係しているかもしれない、『ムカデたちの調査』だ。

 カルマノイズを庇ったムカデ。ほぼ同時期に両者が姿を現していることも考えれば、そこに何かしらの因果関係があるかもしれない。

 

「一度本部に戻ろう。これまでに調べた情報を司令に報告し……その上で対策を立てるのが賢明だ」

 

 翼はこれらの情報を一度持ち帰ることを提案する。

 カルマノイズへの対処はいつも通りだが、妖怪に対する対策などは彼女たちにとっても未知の領域。弦十郎やエルフナインにも意見を伺うことで、また新しい知恵も浮かび上がってくるかもしれない。

 

「そうですね、一旦戻りましょうか」

 

 これに響も特に反対はしなかった。

 カルマノイズの動向も気にはなるが、姿を見せない以上こちらから打って出ることは出来ない。あのムカデたちも、あれから姿を見せていない。

 

 ここからどうするか、今のうちに考えをまとめる時間が必要かもしれない。

 そのために彼女たちは郊外へ。ギャラルホルンのゲートが開かれている廃れた神社へと向かう。

 

 

 

 

 

 闇夜を歩いていく装者たち。

 既に夜も遅く、向かう場所が場所だけに人とすれ違うこともなく目的地へと到着する。

 

 彼女たちは周囲に人がいないことを確認しつつ、廃社へと入っていく。

 誰にも見られていないと、人影は誰もいないと安堵する。

 

 

「…………」

 

 

 だが、人はいなくとも——カラスたちが見ていた。

 数羽のカラスが、まるで監視するかのように装者たちが建物の中へと入っていく姿を見届け——。

 

 

 すぐにでもその事実を伝えに、何処ぞへと飛び立っていく。

 

 

 

×

 

 

 

「ただいま帰還しました、司令」

「戻ったかッ! 三人とも」

 

 S.O.N.G. の司令室。無事に並行世界から帰還した響、翼、クリスを出迎える風鳴弦十郎。

 三人はさっそく、自分たちがこれまでに得た情報——妖怪とカルマノイズについて報告をしていく。

 

「——なるほど……妖怪か。ノイズがいない代わりに……そのような脅威が……」

 

 妖怪など、こちら側の常識では信じがたい装者たちの話。しかし弦十郎は彼女たちを信頼している。翼たちの報告を全て理解した上で、今後の対応をどうするか方針を固めてくれるだろう。

 

「ところでおっさん、こっちの方はどうなってる? ノイズの被害なんかは……」

 

 あちら側の世界の事情を話し終えるや、今度はクリスが自分たちの世界の無事を尋ねていた。

 

 本来、装者たちの世界に『通常のノイズ』が出現することはない。過去の戦いでノイズが収蔵されていた『バビロニアの宝物庫』。その中身の全てを消滅させることに成功していたからだ。

 彼女たちの世界を脅かしているノイズのほとんどがアルカノイズ。錬金術師の手により、その場で製造されるノイズのみとなっている。

 

 しかし、ここにギャラルホルンが絡んでくると事態がややこしくなってくる。

 

 ギャラルホルンがアラートを鳴らしたままゲートを開いている状態だと、別の世界から通常のノイズが雪崩れ込んでくるようになり、ノイズの出現率自体もかなり高まってしまうのだ。

 そのノイズたちへの対処のためにも、響たち以外のメンバーがこちらに留まり、装者として人々を守らなければならなかった。

 

「ああ……確かにあれから何度かノイズの襲撃があったが……」

「マリアさんや、未来さん。切歌さん、調さんのおかげで問題なく対処出来ています」

 

 弦十郎の言葉を引き継ぐ形で、技術顧問のエルフナインが口を挟む。

 

「また、現時点ではこちら側でのカルマノイズの出現も確認されてはいません」

 

 さらにカルマノイズ。あれは異変のあった世界に現れると別の世界、ギャラルホルンで繋がっている響たちの世界にも流れてくる可能性があった。

 そう、危機に晒されているのはこちらの世界も一緒なのだ。だからこそ、装者たちは一刻も早く異常事態の元凶であるカルマノイズを打ち倒さなければならない。

 

「それと……皆さんのお話を聞いて、ボクなりに気になったことがあるのですが……」

 

 その解決の一歩として、エルフナインは今回の一件の肝——『カルマノイズと妖怪』の関連性について自身の意見を述べていく。

 

 

 

「まず妖怪に関してですが……すみません、ボクにも詳しいことは……」

 

 最初にエルフナインは妖怪に関して何か気の利いたアドバイスはないかと口を開きかけたが、すぐ申し訳なさそうに口を噤んでしまった。

 異端技術に見識が深いエルフナインだが、妖怪に関してはさすがに専門外。

 聖遺物の伝説に妖怪の伝承などが絡んでいればまだ考察しようもあるのだろうが、ムカデの妖怪に関しては思いつく限りの知識を引っ張っては来れなかった。

 

「気にするな、エルフナインくん。我々の世界で妖怪はあくまで想像上の存在。仕方がないさ……」

 

 これにすかさず弦十郎がフォローを入れる。

 少なくとも、こちらの世界に妖怪など実在しない。存在しないものに対する対策など、そう簡単に思いつくものではない。

 

「ただ……カルマノイズとムカデたちの関係性について、気になる事が一つ。あくまで推測になりますが……」

 

 しかし、そこで思考を停止させないのがエルフナイン。

 直接戦闘で役に立てないことを気にし、彼女なりに皆の力になろうと必死に知恵を絞る。ムカデたちが何故——『カルマノイズと共に出現し、庇うような真似までしたのか』その考察を立てる。

 

 

「おそらくですが……ムカデたちはカルマノイズの瘴気……呪いの影響を受けて凶暴化している可能性が考えられます」

「——ッ!!」

 

 

 カルマノイズが纏っている黒い瘴気、あれには生物の負の感情や悪意を増幅させる力がある。

 

 人間がその瘴気に当てられると、他人を襲うような破壊衝動に芽生えてしまう。また人間以外の生物がカルマノイズを取り込んでしまうことで、その個体の凶暴性が増したという例も報告に上がっている。

 カルマノイズの『呪い』は、人間以外の生き物にとっても脅威なのである。

 

「そ、それじゃあ!! あのムカデたちが……本当なら人を襲わないような妖怪ッてことも……!?」

 

 響は愕然となる。

 言葉も通じず、倒すしかないと思っていたムカデの化け物たち。しかし、本当であれば倒す必要もなかった。理解し合える存在なのではないかと、彼女の中の正義が揺らいでいく。

 

「ムカデたちの性質が分からない以上、断定は出来ませんが……可能性としては考えられます」

 

 エルフナインはムカデ妖怪そのものが悪性である可能性を否定しなかったが、内心ではその可能性も低いと思っていた。

 実際、装者たちが調べた情報を信じるのであれば、ムカデたちが人間を襲い始めたのはここ数日内でのこと。元から人を襲うような怪異であれば、もっと早い段階で人々に被害を出していた筈だ。

 ギャラルホルンが異変を察知した時期に暴れ出し、さらにカルマノイズを庇うような行動まで取っている。

 

 最悪、カルマノイズに使役——操られている可能性すら考えられる。

 

「…………」

 

 エルフナインの推測に、響はすっかり意気消沈して黙り込んでしまう。

 出来れば戦いたくないと、常日頃から他者の手を取ろうと奮闘する響だからこそ。ムカデたちがカルマノイズに操られているだけかもしれない可能性にショックを受けていた。

 

 だが——。

 

「立花……顔を上げるんだ!」

「ッ……!!」

 

 しょぼくれる立花響に、風鳴翼が叱りつけるように声を掛ける。

 

「あのムカデたちが、本来であれば人に無害な妖であったとしても……今は人々に危害を為す脅威となっている。私たちは防人として、彼らから人々を護る剣でなくてはならない……分かるな?」

「…………はい」

 

 響の性格や心情は翼も承知済み。しかしそれでも剣を取らなくては、拳を握らなければならないときもある。

 戦うことを躊躇ってしまえば、もしものときに仲間や守るべき人々、自分自身すらも危険に陥れかねない。

 今は躊躇している場合ではないと、翼は響自身のためにも助言する。

 

 

 それでも、立花響の表情から完全に迷いが晴れることはなかったが。

 

 

「いずれにせよ、カルマノイズの撃破が優先事項だ。元凶を倒せば……ムカデたちも大人しくなるかもしれないしな……」

 

 話のまとめ。弦十郎は司令として装者たちに倒すべき敵を明確に示した。

 第一目標はやはりカルマノイズ。あれを倒さないことには、こちら側の世界にも危険が残り続けるばかりだ。

 

 だがカルマノイズさえ倒せば、ムカデたちも大人しくなり、妖怪との無用な争いも回避できるかもしれない。

 希望的な観測ではあるが、その可能性を視野に入れて作戦を立案していく。

 

 

 

×

 

 

 

「ただいま……未来!!」

「お帰りなさい、響」

 

 司令への報告を終えた響たちは、一旦本部で休養を取ることになった。

 当然、響は真っ先に自室へ。きっとそこで自分の帰りを待っているであろう親友——小日向未来の元へと駆け込んでいく。

 

「疲れたよ~、ミクゥ~……ミク成分補給させて~……」

「あッ! もう響ッてば……くすっ」

 

 二人っきりであることをいいことに、響は未来に全力で甘えていく。自分に抱きついてくる響に未来もやれやれと息を吐きつつ、その頭を撫でて上げたりと、優しく受け入れていく。

 

「未来、大丈夫だった? 怪我とか……してないよね?」

 

 そのまま、響は未来に膝枕をしてもらいながら、自分が留守にしていた間の近況を尋ねる。

 ちょっと前までならそこまで心配することもなかったのだが、今は未来も装者としてノイズと戦っているのだ。自分がいない間に怪我でもしていないかと、どんなときでも響はその心配を常に抱いている。

 

「私は大丈夫だよ……響の方こそ、無茶してない? なんだかちょっと……元気がないような気がする」

 

 未来は自分は大丈夫だと笑顔を浮かべる。寧ろ響の方こそ無茶をしていないか、無理をしていないか。親友の心が僅かに沈み気味であることを見抜く。

 

「へへ……やっぱ、未来にはお見通しだね…………実は——」

 

 未来に自分の感情がお見通しであることに照れ笑いを浮かべながら、響はあちらの世界で見聞きしたことをポツリポツリと語っていく。

 

「そっか……人間と妖怪が対立……争い合っている世界……」

「そりゃあ……私たちの世界だって人のこと言えないよ? あれだけの戦いがあった後でも……戦争とか、差別とか。今でも続いてるわけだし……」

 

 複雑な顔色になる未来と響。

 相容れぬもの同士の争い、戦争、迫害、差別。それらは決して彼女たちにとっても他人事ではない。

 

 

 

 立花響は中学時代——『いじめ』にあっていた。

 もっとも、それはいじめなどという言葉で片付けていいほど生温いものではない。

 

『死ね』『人殺し』『なんでお前だけ助かった』。

 

 それが、立花響という少女に投げ掛けられた罵倒の言葉だ。

 ノイズの大量発生、それにより人生を奪われた人々が、同じ事件に立ち会いながらも生き残った彼女に非難の矛先を向けた。

 彼女には何の罪もないのに、まるで自分たちこそが正義だとばかりに、大衆は少女の人生を理不尽に踏みにじっていく。

 

 この世界にも戦争はある。ノイズという脅威に晒されながらも、人類同士が争いを止めることはない。

 軍事国家は己の利益のために自国民を苦しめ、大国は自分たちの権威や正当性を主張する一方、弱者からの搾取を止めようとはしない。諸外国は上手い具合に立ち回り、他国から利益だけを搾り取ろうとする。

 

 これらを全て『バラルの呪詛』によるものだと言うものもいる。

 

 アヌンナキ——神と呼ばれていた者たちにより、バラ撒かれた呪い。人類の相互理解を拒む原罪。

 統一言語は失われ、それにより迫害や差別、戦争といった不和が生まれたとされる。

 

 理解し合えぬと絶望した先史文明期の人類は、惑星環境を損なわず同じ人類を殺戮する自律兵器——ノイズを作り出す。

 

 そう、人類共通の脅威とされているノイズも、元を正せば同じ人間の生み出したもの。

 人間同士の戦争によって誕生した兵器は、人間だけを殺す異形の怪物として、今尚人類を苦しめている。

 

 

 

「……ほんと……人のこと言えないよね……」

「響……」

 

 沈む表情で自分たちの歴史を思い返す響に、未来は少し不安げに声を掛ける。

 

 装者たちはこれまで幾つもの戦いを潜り抜け、幾つもの苦難を乗り越え、幾つもの奇跡を紡いできた。

 それでも、人々が傷つけ合うことがなくなったりはしない。こうしている今も、きっと世界のどこかで誰かが泣いている。

 

 同じ人間同士でこれなのだ。

 人間と人間でないものが互いに理解し合おうなど、さらに途方もない夢物語なのかもしれない。

 

 

 だがそれでも——

 

 

「それでも……響は手を伸ばし続けるんでしょ?」

「うん……勿論!!」

 

 

 立花響という人間が挫けない、諦めないことを小日向未来は知っている。

 弱気になることもあるだろうが、それでも最後には必ず立ち上がり、いつものように『誰か』と掌を繋ごうとその手を伸ばし続ける。

 

 その相手は、たとえ人間でなくとも変わらない。

 分かり合えると感じたのなら、きっと妖怪とだって掌を繋ぐことが出来るだろうと。

 

 小日向未来は立花響を信じて——並行世界への旅立ちを見送っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし! では、二人とも準備はいいか?」

 

 本部にて一晩身体を休めた後。再び装者たち三人がギャラルホルンのゲートを潜り、並行世界へと足を踏み入れた。

 

「まずはムカデたちの目撃証言を追おう。彼らが瘴気の影響を受けているのであれば……その近くにカルマノイズが出現する可能性が高いというのが、エルフナインの見解だ」

 

 翼が確認するよう、それが出発前、本部にて弦十郎とエルフナインが打ち出した今後の方針である。

 

 カルマノイズ自体には『人の多い場所』や『フォニックゲインのエネルギーが高いところ』に高い確率で出現するという法則があるが、それだけではより正確な位置を割り出すことは出来ない。

 しかし、今回はその法則以外にも手掛かりがある。例のムカデたちとカルマノイズ。それが互いに何かしらの関係を持っているのであれば、ムカデたちの出現する場所にカルマノイズも姿を現すかもしれない。

 前例のないことなため、確実な手法とは言えない。だがそれでも、何も行動を起こさないよりはマシである。

 

「はいッ!!」

「よし……行くか!!」

 

 響もクリスもその方針に異論はなく、力強い一歩を踏み出そうと——建物の外、寂れた神社から外へと飛び出していく。

 

 

 

 

 

 そのときだった。

 

 

 

 

 

 カランコロン——と。

 どこからともなく、下駄の音が聞こえてきたのは。

 

「……ッ!! 二人とも止まれッ!!」

「へっ?」

「……ッ!?」

 

 その異音と共に感じた『気配』に翼が二人へと警戒を促す。響とクリスは困惑しつつも、その指示に従い立ち止まる。

 

 

 時刻は夜明け頃。人気のない郊外の廃れた神社。

 訪れる人などいないだろうに、確かにその周囲には複数の気配があった。

 

 まるで装者たちがいた廃社を取り囲むような形で——何者かが潜んでいる。

 

「何者だッ!! 姿を見せよ!!」

 

 その姿なき影に向かって翼は声を張り上げる。

 

 

 その声に——

 

 

「…………」

 

 

 下駄を履いた、黄色と黒のちゃんちゃんこ。

 装者たちにとっても見覚えのある——妖怪の少年が姿を見せる。

 

 

「き、キミは……」

「ゲゲゲの鬼太郎!?」

 

 

 予想外の人物の登場に戸惑いを見せる装者たち。

 既に彼のことを調べていた彼女たちにとっても、この来訪は予期せぬ出来事。

 

 

 一方で、ゲゲゲの鬼太郎もどこかピリピリとした空気を纏っていた。

 彼は目に見えるほどの警戒心を滲ませながら、装者たちに向かって油断なく問いを投げ掛ける。

 

 

 

「——キミたちは……いったい、何者だ?」

 

 

 

 まるで装者たちのことを、疑うかのように——。

 

 

 

 




人物紹介

 櫻井了子
  シンフォギアというぶっ飛んだ装備を開発した才女。
  既に故人であり……第一期のラスボス。正体はフィーネという先史文明期の巫女。
  世界を巻き込んでの大騒動を引き起こした人物だが、その実……恋に生きた乙女。
  
 小日向未来
  響の嫁(公式)。旦那への愛が重く、浮気にはすぐに気づく。
  毎日一緒にお風呂に入り、毎晩同じベッドで眠る。
  神獣鏡の装者。アニメだと二期でギアが消失したが、ゲーム版では装者として復活。
  アニメの最終話では、響と結婚式を挙げてハッピーエンド。

 カルマノイズ
  とっても強い真っ黒ノイズ。
  並行世界が危険に晒される大体の原因はコイツ。
  今回は通常のヒューマノイドタイプのノイズが一体、敵として登場します。
  周囲に呪いを振り撒き、人も、今作では妖怪をも狂わせる。

 大百足
  今回の敵妖怪。
  そういえばまだ6期で登場してないな……と今回の話で登場させてみました。
  現時点では『五メートルくらいのムカデたちが無数に出てくる』といった感じ。
  しかして、その真の正体はーー

 犬山まな
  ご存じ、ゲゲゲの鬼太郎6期の人間ヒロイン。
  アニメ最終回で記憶を失い、十年後にその記憶を取り戻す。
  今シリーズにおいては、記憶を失ったままの状態でいくつかの話に登場する予定。
  前回のクロスの際、『高名な陰陽師』から御守りを貰っているので、妖怪が彼女を襲おうとすれば結界によって弾かれるという設定です。
  でもノイズは妖怪ではないので、普通に襲われてました。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

戦姫絶唱シンフォギアXD UNLIMITED 其の③

『FGO』の新イベント『南溟弓張八犬伝』にて。アーチャー『鎮西八郎為朝』が実装!! 
……カノウさん、新鯖は『曲亭馬琴』だけじゃ、なかったんですか……。

トラオムの時から狙っていたサーヴァントなだけに、久しぶりに全力出しました!
性能なんか二の次! とりあえず宝具2にして、聖杯で100レベにしたぜよ!

使った人はみんな共通で思っただろうけど……これ、完全にロボットや!!
駆動音が完全にモビルスーツ!! 宝具がもはやサテライトキャノン!!
毎回、宝具使うたびに爆笑してしまう……!

武者がロボとか、オーバーな表現のように思えても、為朝の逸話を調べれば調べるほど納得してしまう謎の説得力。

平家にあらずんば人にあらず=源氏はバケモン。

余談ですが、作者が為朝の名を始めて創作物で目にしたの『屍姫』。
そこでは為朝が大怨霊に、主である『崇徳天皇』と一緒になって日本をめちゃくちゃにしてたわ。


さて、だいぶ間が空いてしまいましたが。ようやく『シンフォギア』の続きが書けました。
今回は繋ぎとしての意味合いが強い回ですので、説明などが多くなっているかもしれません。
とりあえず、次回の其の④の完結に向かって必要な情報を整理する感じで読み進めていただければと。



「——二人とも、下手に動くな。彼を……ゲゲゲの鬼太郎を刺激しないようにな……」

「……ッ!!」「…………」

 

 人間と妖怪の戦争の残り火が未だ燻っている世界。そんな並行世界に足を踏み入れた二度目の訪問にて——さっそく装者たちに緊張の瞬間が訪れる。

 

「——答えてくれ。キミたちは……いったい何者だ?」

 

 そこは郊外にある寂れた神社。偶然で誰かと出くわすような場所では決してない。

 にもかかわらず、まるで装者たちの来訪を待ち構えていたかのように、その少年——ゲゲゲの鬼太郎は姿を現したのである。

 

「……ッ! 周囲を見ろ……他にも、何人か……ところどころに潜んでいるぞ」

 

 さらに風鳴翼が立花響と雪音クリスに警戒を促すよう、そこにいたのは鬼太郎だけではない。

 

「…………」

 

 鬼太郎のすぐ後方、腕を組みながらも装者たちに油断ならない視線を向けている女性が一人。

 響たちにも見覚えがある。ムカデをその爪で切り裂いていた、猫娘という鬼太郎の相棒とも名高い妖怪だ。

 

「やれやれ、ようやく出てきたか……」

「いったいこんな廃れた神社で、何をやっておったんじゃろうな……?」

 

 茂みの中から出てきたのは、二人の老人。

 砂かけババアと小泣き爺。見た目は人間の年寄りだが、彼らもれっきとした妖怪。落ち着いた佇まいだが、やはり装者たちに向ける眼差しには用心深いものがあった。

 

「はぁ~!! 三人とも可愛い女子ばいね~! お近づきになりたいとよ~!」

「ぬりかべ……」

 

 そして、明らかに人間離れした外見のものも。

 ヒラヒラとした白い布切れ・一反木綿が装者たちにいやらしい目を向けており、巨大な壁の怪異・ぬりかべが読めない表情で佇んでいる。

 

 概ね、鬼太郎の仲間と一般的にも認知されている仲間たちがほぼ全員。装者たちのいる廃社を取り囲む形で集合していた。

 程度の差こそあれ、その誰もが懐疑的な視線を少女たちへと向けている。

 

 

 

 ——……いったい、何故彼らが!? 

 

 眼前の妖怪たちを前に、翼は思考を巡らす。

 

 どうして妖怪たちがこんなところへ、それも自分たちがこの建物から出てくるのを知っていたかのように待ち構えていたのか。

 まさか、自分たちが並行世界からやって来た装者だと知られているわけではないだろう。

 とりあえず、相手の出方を窺う意味でも翼は慎重に言葉を選んでいく。

 

「何者とは……いったいどういうことでしょうか? 見ての通り……私たちはただの一般人で——」

 

 今の自分たちは見た目、ただの女子供でしかない筈。まずは自分たちがただの人間であることをアピールし、どうにかこの場を乗り切れないかと試みる。

 だが、そんな翼の考えを鬼太郎は一言で一蹴する。

 

「キミたちが大百足と戦っていたところを……カラスたちが見ていた」

「ッ!?」

 

 鬼太郎の言葉を肯定するよう、彼の肩にピタリと一羽のカラスが止まり、「カァッ!」と鳴いて返事をする。他にも何十羽というカラスたちが木の枝に止まり、装者たちに感情がこもったような視線を向けてくる。

 

 どうやら、鬼太郎はカラスたちと意思疎通が出来るらしい。あの住宅地での戦いを目撃していた彼らが、鬼太郎に報告したということだろう。

 戦っていたところを犬山まな以外の人間に見られていないと、油断していた装者たちのミスである。

 

「キミたちは……妙な格好に変身して、あの大百足たちを倒していた。ただの一般人にそんなことは出来ない」

「…………」

 

 鬼太郎たちが露骨に警戒していた理由もそれで頷ける。

 人間の少女が大仰な装甲を身に纏い、妖怪であるムカデたちを打ち倒していく。シンフォギアという装備を知らない鬼太郎たちからすれば驚くべき事実だろう。

 彼女たちがいったい何者なのか、その正体を知るためにこうして接触してきたのも当然のこと。

 

「キミたちがどこから来た何者なのか……何故『あの子』に近づいたのか。この場で洗いざらい……喋ってもらう!!」

 

 最初に誤魔化そうとしたことが裏目に出たのか。鬼太郎は羽織っていたちゃんちゃんこを腕に巻きつけ戦闘態勢に移行しようとし、彼の仲間たちも同様に身構えている。

 

 ——あの子? いったい誰のことを……。

 

 ——いや、それよりも……これは話し合いという空気ではッ!?

 

 鬼太郎の言動に少々の疑問を抱く翼だったが、今はそれどころではなかった。彼らの高まっていく戦意に触発される形で、彼女も反射的に胸のペンダントを握りしめる。

 このまま彼らの戦意に応じる形で、ギアを展開するしかないのかと。

 

「チィッ!!」

 

 後ろで待機していたクリスも、舌打ちしながらペンダントを手にしていく。

 もはや開戦まで待ったなしといった、緊迫した空気。

 

 

 だが、翼とクリスの二人が聖詠を唱えて戦装束を身に纏うよりも先に——。

 

 

「——ハイッ!!」

 

 

 片手を上げながら姿勢を正した、立花響が声を張り上げていた。

 

 

「——私は立花響、十七歳!! 誕生日は九月の十三日で、血液型はO型!! 身長は158cmで、体重は男の子には秘密ですッ!! 趣味は人助けで、好きなものはごはん&ごはんッ!! それと……彼氏いない歴は……年齢とおんなじですッ!!」

 

 

 彼女はつらつらと、自身のプロフィールを述べる。

 いったい何者だと聞かれたことに対する、立花響なりの返答なのだろう。

 

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 

 無論、そういうことを聞きたいのではない妖怪たち。そんな答えが返ってくるとは思ってもおらず、呆気に取られている。

 ピリピリとした緊張感が一転、場の空気がシーンと静まり返る。

 

「…………ん? お前……身長ちょっと伸びたんじゃねぇか?」

「へへッ……分かっちゃった? この間の身体測定で1センチだけ伸びてたんだよ~!」

 

 クリスなどは、響の自己紹介に細かくツッコミを入れる余裕があった。長い付き合いである彼女には、響のこういうちょっとズレた部分も慣れたものである。

 

「……っ!」

 

 しかし、そんなことではぐらかされないと。気を取り直し、改めて身構える鬼太郎たち。

 

 

「——こらこらっ! 落ち着かんか……鬼太郎! お前たちも!!」

 

 

 だが、殺気立つ面々を叱りつけるように。鬼太郎の頭からひょっこり顔を出した目玉の小人が皆を静止する。

 

「そんな喧嘩腰で迫ってどうするんじゃ!! まずは落ち着いて、話し合いをじゃな……」

「……め、目玉が喋ってる!?」

 

 その目玉の登場には響もびっくり。もっとも、既にある程度この世界のことについて調べていた装者たちなら、それがどのような存在なのか予想が付く筈である。

 

「あれが目玉おやじ。ゲゲゲの鬼太郎の……父親だったか?」

「本当にあんなのがいるんだな……」

 

 翼やクリスはそれが鬼太郎の父親・目玉おやじだと察する。それでも驚きを隠し切れてはいないが。

 

「ふむ、わしらのことは知っているようじゃが……こちらも自己紹介といこうか」

 

 自分たちのことを知られていると理解しながらも、目玉おやじは響に合わせる形で自己紹介をしていく。

 

「わしは目玉おやじ、鬼太郎の父親じゃ。そしてこっちが、わしの息子の鬼太郎じゃよ。ほれ、鬼太郎……ご挨拶なさい!」

「どうも……ゲゲゲの鬼太郎です」

 

 父親に促されることで鬼太郎は渋々と頭を下げる。すると、それに便乗するように名乗りを上げるものがいた。

 

「あ~ん、ご丁寧にどうもね! わしは一反木綿言います!」

 

 ヒラヒラと薄っぺらい一反木綿である。相手が可愛い女の子であればと、神速の速さで響へと近づきその手を取る。

 

「ハイッ!! よろしくお願いします!!」

「握手! 握手! あ~……響ちゃん言うたか? あんた手がすべすべしとるね~!」

 

 響は妖怪と握手、手を取り合えることを純粋に喜びながらその掌を握るが、一反木綿の手つきは明らかにいやらしい。これが人間の男性とかであれば、流石の響も尻込みしていたことだろう。

 

「こらっ!! この色ボケふんどし!!」

「いやらしい手つきで撫で回してんじゃないわよ!!」

「あ~、ちょいちょい!! 引っぱんといてな~!!」

 

 幸い、一反木綿がさらなるセクハラ行為に及ぶ前に、砂かけババアや猫娘がそれを阻止せんと彼を問答無用で引っ張っていく。

 色ボケふんどしが何やら抗議の声を上げているが、同じ女性としてそれ以上はNGである。

 

「は、ははは!」

「なんつか……ナンパな奴だな、あの布キレ……」

 

 そのやり取りに響が笑みを浮かべ、クリスが呆れた視線を向けていく。だが襲い掛かってくるだけのムカデたちと違い、しっかりと言葉が通じる妖怪たちの受け答え。

 当初のピリピリとした空気感は拭われ、その場の雰囲気もほどよく和やかになっていく。

 

「さて、先ほども話した通りじゃが……わしらはキミたちが大百足たちと戦ったという事実を、カラスたちを通して知ってしまった」

 

 その空気を維持しつつ、目玉おやじが先ほども鬼太郎がした質問を繰り返す。

 

「じゃが……キミたちが何者なのかまでは知らん。そのせいで、キミたちと向き合うのに少々物々しくなっていたかもしれん。まずはそれを謝らせてくれ……」

 

 それは一方的な問い掛けではなく、自分たちの態度を詫びた上での大人の対応だった。言葉遣いからも話し合おうという誠意がしっかりと伝わってくる。

 

「いえ……私たちこそ。あなた方のことを……見くびっていたやもしれません」

 

 これに翼も真摯に応じる。目の前でシンフォギアさえ纏わなければ誤魔化せると、安易に考えていた己の浅薄さを恥じた。

 彼らに自分たちの『力』について断片でも知られているのであれば、下手にはぐらかしても不信感を募らせるだけだ。

 ここは自分たちの『事情』をあるがまま話し、彼らに協力を仰ぐのが最良と判断する。

 

「いいのかよ、先輩?」

 

 その判断にクリスが渋い顔をするが、なにも翼の独断というわけではない。

 

「ああ、司令からも……状況によっては彼らに協力を仰ぐように言われているからな」

 

 そうなのだ。

 既に司令である風鳴弦十郎の判断の下。現地の住人——特にゲゲゲの鬼太郎たちと、問題がなければ協力を要請しても構わないと言質を貰っている。

 

 

 それは立花響が——『ゲゲゲの鬼太郎が自分を助けてくれた』ことを事実として報告し、その上で『彼らと共闘できないか』と直談判したことに起因している。

 たとえ妖怪だろうとも、彼らと分り合いたいという響の真っ直ぐな思いだ。

 

 弦十郎はそんな響の気持ちを尊重し、そうなった場合の裁量を彼女たちに一任した。

 装者たちが鬼太郎たちを信用できると判断したのなら、その決断を信頼する。彼自身現地に赴くことが出来ないからこそ、現場の柔軟な対応を優先したのであった。

 

「では、お話しましょう。少し、長くなると思いますが……」

 

 そうして、叔父である司令の後押しもあり、風鳴翼は自分たちの素性を嘘偽りなく鬼太郎たちへと話していった。

 

 

 

×

 

 

 

「——ふむ……並行世界にシンフォギア。S.O.N.G.に……人類の敵、ノイズか。ふむ……」

「——信じ難いことだというのは承知の上です。ですが……」

 

 長い時間を掛けることで、翼は自分たちの抱えている事情を話した。

 

 まなのときのように、並行世界の存在だけでも上手く隠せないかと迷いはしたものの、それは不誠実であると思い直す。

 彼らに協力を求める以上、隠し事は禁物。人間と妖怪という種族の違いがあるからこそ、下手な誤魔化しは不協和音の原因になりかねない。

 勿論、翼たちの話を彼らが信じてくれるかどうかという心配はあったが——。

 

「いや、信じよう」

 

 目玉おやじはキッパリと、装者たちの不安を払拭してくれた。

 

「嘘だとしてもあまりに途方もない話じゃ。キミたちがそんな作り話を語るような子たちとも思えん」

 

 装者たちが鬼太郎たちを信じたいと思ったように、目玉おやじも彼女たちを信じようと感じてくれていた。

 彼女たちがそんな壮大なほら話を、意味もなく吹聴するような輩だとは最初から考えてもいない。

 

 なにより——。

 

「それに……こんなものを見せられれば、信じざるを得まい……のう、鬼太郎や?」

「ええ……そうですね、父さん」

 

 父親の同意を求める問いに、鬼太郎ですらも素直に頷く。

 彼らの眼前には、並行世界への出入り口とも呼ぶべきもの——『ゲート』が存在していた。

 

 そう、今現在。装者たちと鬼太郎たちは廃棄された神社の中。少女たちがこの地に足を踏み入れた、スタート地点にて言葉を交わしていた。

 自分たちの話を信じてもらうためには論より証拠と。実際にゲートを目の前にしながら、装者たちは自分たちの素性や目的を語ったのである。

 

 その甲斐もあり、鬼太郎の仲間たちからも彼女たちの話を疑うような意見は出てこなかった。

 

 

 

「それにしても……カルマノイズと言ったか? そやつの放つ瘴気のせいで、大百足たちが暴れ回っておるということじゃが?」

「ええ、エルフナイン……私たちの技術顧問の推測になりますが……」

 

 そうして、互いに腹を割って話し合うことになった装者たちと妖怪たち。さっそく今回の騒動の元凶——カルマノイズについての情報共有を行なっていく。

 

 装者側の代表として、風鳴翼が『カルマノイズの影響でムカデたちが凶暴化しているかもしれない』というエルフナインの見解を伝え、その話に妖怪側の代表として目玉おやじが暫し考え込む。

 

「ふむ……確かにわしの知る限り。ここ百年……大百足が暴れ回ったという話は聞いたことがないな……」

 

 妖怪たちの中で、誰よりも物知りで長生きの目玉おやじ。彼は自分の記憶を思い返し、装者たちの考えを裏付けるような証言をする。

 少なくとも目玉おやじが見聞きした限りで、ムカデの妖怪たちが人を襲ったという事件は起きてはいなかった。

 

「大百足といえば、ときには水神たる龍神すらも喰い殺すとされた。強大な妖怪としても語られておるが……」

 

 目玉おやじは知識として一つの例を語る。

 

 

 大百足という妖怪の伝承は数あれど、その中でも有名なのが『三上山の大百足』だろう。

 その昔、巨大な大百足が水神たる龍の一族を付け狙ったとされた。伝承によるとその百足は『三上山を七巻半』するとされ、全長は数kmをゆうに越えていたと伝えられている。

 

 たとえ龍といえども、まともに相手をすることが出来ない。まさに——怪物である。

 

「だが百足は神使としても祀られておる。一概に……悪しき存在とも言い切れん」

 

 しかしムカデには神使、神様の使いという側面もあった。

 有名どころで言えば——毘沙門天。かの越後の軍神・上杉謙信が崇拝したとされる戦神の眷属が百足であるとされているのだ。

 また、百足の特徴でもあるあのおびただしい足の数。あの無数の足から『客足が伸びる、増える』という意味合いが取られ、商売人たちからも商売繁盛のご利益があると多大な信仰を集めてきた。

 

 龍すら脅かす邪悪な存在として恐れられる一方、縁起の良い神様としても慕われる。

 それが『百足』という存在である。

 

 

「じゃあ、やっぱり……あのムカデさんたちも……」

 

 その話に立花響が複雑そうな顔になる。

 

 言葉が通じないからこそ、仕方なしに人間を襲うムカデたちを倒した装者たち。だが本来のムカデの性質が邪悪なものではなく、人々に敬われるような善良なものであったのなら。

 いくら彼らを倒しても、それは無益な犠牲だ。早急に彼らを凶行に走らせている元凶——カルマノイズを倒さねばと、改めて決意を固めていく。

 

「カルマノイズの出現パターンに関しましては、私たちの方でデータが揃っています」

 

 そのための前提条件として、まずはカルマノイズを見つけ出さなければならない。装者たちはこれまでも何度かカルマノイズを見つけ出し、倒してきた。

 その経験からカルマノイズの行動分析であれば、ある程度の範囲まで絞り込むことが出来ると翼は言ってのける。

 

「ですが、ムカデたち……妖怪に関しましては、まだ未知の部分が多く……」

 

 しかし、カルマノイズと共に現れるであろう大百足たちに関しては知識が足りないままだ。

 

「彼らの足取りを掴むためにも、人々を守り抜くためにも、どうか貴方たちの力を貸していただけないでしょうか?」

 

 ムカデたちの動きを捉えるためにも、これ以上の被害拡大を抑えるためにも。翼は鬼太郎たち妖怪に事件解決の協力を要請していく。

 

「うむ! 大百足たちの動きであれば任せてくれ!」

 

 翼の頼みに目玉おやじは快く応じる。元より大百足の動向なら彼らも追っていたところ、今更頼まれるまでもない。

 

 

 装者と妖怪の共同戦線。お互い協力することに何の異存もないと力強く頷いていく。

 

 

 

×

 

 

 

「——よ~し! それじゃあ、張り切って行きましょう!!」

 

 話し合いを終えた一行はそのまま廃社を出る。暗い建物から陽の光が当たる場所へ出るや、立花響は意気込むように大きな声を上げていく。

 鬼太郎たちと共に戦えることがよっぽど嬉しかったのか、彼女の表情はどこか晴れ晴れとしていた。しかし、そのテンションに周囲はちょっと驚いている。

 

「立花、少しは落ち着け……」

「ああ……妖怪連中、びっくりしてるぞ……」

 

 翼とクリスの二人は慣れたものではあるが——。

 

「いや……まあ、はい……」

「元気な子ね……」

 

 鬼太郎や猫娘など、他の妖怪たちも目を丸くしている。

 協力することにこそ納得はしているが、やはりまだコミュニケーション不足なのは否めない。もっともそんなことは関係なく、響はぐいぐいと率先して妖怪たちに話しかけていく。

 

「あッ、そうだ! 私、鬼太郎くんにお礼を言わなきゃと思ってたんだ!!」

「…………お礼?」

 

 響が真っ先に声を掛けたのは、ゲゲゲの鬼太郎だった。彼女は鬼太郎にお礼を言わなければならないことを、遅ればせながらも思い出した。

 

「そッ! お礼!! 私、鬼太郎くんに助けてもらったから!!」

「ボクが……キミを助けた?」

 

 鬼太郎は立花響を助けてくれた恩人でもある。

 

 響がこの世界で初めてムカデたちと遭遇したあのとき。ギアを纏う暇もなかった響は、危うくムカデの牙を無防備な姿のまま受けるところであった。

 装者といえども、あれは危なかっただろう。鬼太郎が助けてくれていなければ、きっと大怪我を負っていた筈だとその感謝を伝える。

 

「ああ……あそこにいたのか。いや……別に礼なんて……」

 

 もっとも、鬼太郎自身は響個人のことを覚えていない。

 あのときは、大百足に襲われていた人間たちをまとめて助けただけ。わざわざ礼を言われるほどのことでもないと、謙虚な姿勢で響の感謝を軽く受け流す。

 

「そんなわけにはいかないよッ!! キミのおかげで助かったのは確かなんだから!!」

 

 だが、鬼太郎がどれだけ謙遜しようが、響が彼に助けられた事実に変わりはない。

 自分がどれだけ感謝を抱いているか。その気持ちを表現すべく、響は懐からあるものを取り出す。

 

「私……鬼太郎くんにお手紙書いたんです!! これッ!! よかったら、受け取ってください!!」

「……手紙?」

 

 響が鬼太郎に差し出したのはラブレター……などでは当然ない。響が鬼太郎宛てに書いた、お礼の手紙である。

 

 

 それは、装者たちがS.O.N.G.本部に戻った際のこと。

 響が親友の小日向未来と共に過ごした休憩時間の最中。妖怪たちの話題を話したときに、ふと思いついたことでもある。

 

 鬼太郎に手紙を書いて、彼に感謝を伝えようと。

 

 本当なら直接会ってお礼を言うのが一番なのだが、そのときはそこまで都合よく遭遇できるとは思ってもいなかった。

 だが手紙にしたためておけば、任務の最中だろうが——『妖怪ポスト』に手紙を入れることができると考えたのだ。

 

 そう、鬼太郎とコンタクトを取るには、どうやら妖怪ポストとやらに手紙を投函すればいいとのこと。

 

 これはこちらの世界ならネットでも広く知られている内容であり、響がそう思いついたのもある意味自然な流れであっただろう。

 

 

「手紙か……久しぶりに受け取った気がするのう、鬼太郎」

「……ええ。そうですね、父さん」

 

 しかし鬼太郎も目玉おやじも、響から受け取ったその手紙を『久しぶり』と。どこか感慨深げに見つめている。

 

「久しぶり……って? 鬼太郎くんは手紙で人間とやり取りするんじゃないの?」

 

 響は何の気もなく質問する。

 ネットの情報を信じるのであれば、鬼太郎にとって手紙を受け取ることはさして珍しいことではない筈。すると目玉おやじは意外な答えを返し、響を軽く驚かせてしまう。

 

「それがのう、妖怪ポストは壊されたままになって……今は人間からの依頼も受け付けておらんのじゃよ」

「えっ……」

 

 確かに、少し前までなら結構な頻度で送られてきた人間たちからの依頼の手紙。

 だがここ最近は、それも全く届かなくなっている。

 

 その理由は——妖怪ポストが人間たちの手によって壊されてしまったせいだ。

 

 鬼太郎の手を借りることを拒絶した人間自らの手で、鬼太郎宛ての手紙が届かない状態となってしまっている。

 鬼太郎自身も、妖怪ポストを修理するかどうか未だに決めあぐねていた。

 

「……そ、そうだったんですか…………」

 

 響の表情が曇る。

 せっかく鬼太郎たちと協力体制を敷けたと喜んでいたのだが、その鬼太郎たちが今は人間とそれなりの距離を保っている様子。

 

 

 人間と妖怪の共存が、やはりそう簡単には上手くいかないことを実感させられる話だ。

 

 

「まあ、せっかくだし……」

「それで……? 手紙には何て書いてあるのよ?」

 

 しかし、せっかく貰った手紙だ。本人が目の前にいるが、そこにどんなことが書かれているのか。鬼太郎はその中身を読ませてもらう。

 猫娘も、横からチラリと手紙の内容を覗き込んで確認する。

 

 

『ゲゲゲの鬼太郎さん 貴方のおかげで助かりました! ありがとうございます!!

 何か困ったことがあれば、私も力になりたいです!! よろしくお願いします!! 立花響』

 

 

 手紙は女の子らしくオシャレな封筒、可愛い便箋に手書きで書かれていた。しかしその中身は……何というか、実に簡潔な内容に収められている。

 

「…………」

「…………」

 

 これには鬼太郎や猫娘など、どう反応していいか分からず押し黙る。

 

「立花……もう少し他に書きようがあったのではないか?」

「ほんとだな……小学生でも、ちっとはマシな文章書くと思うぞ?」

 

 ついでとばかりに手紙に目を通した翼とクリスからも、あまりに単純な内容だと呆れた意見が上がってしまう。

 

「いや~……手紙って、普段はあんまり書かないし……何て書いていいか分からなくて……」

 

 皆の反応に、響は照れくさそうに頭をかく。

 いざ手紙を書いてみた響だが、普段はメールなどで済ますため、何をどう書くべきなのかいまいち分からないでいたのだ。

 彼女くらいの年頃、世代であればそれも仕方がないことだろうが、さすがに文章力が拙すぎると。

 やれやれと、周囲から世代なため息がこぼれ落ちる。

 

「——いや、気持ちは十分伝わったよ」

 

 しかし、手紙を受け取った当人であるゲゲゲの鬼太郎は少し遅れて口元を綻ばせる。単純な内容ではあるものの、その分気持ちは伝わったと。

 ここまで響たち相手にほとんど感情らしきものを見せなかった少年が、初めて見た目相応の少年らしさを垣間見せる。

 

「おおっ! 鬼太郎しゃん!」

「……鬼太郎……笑顔、久しぶり……」

 

 彼の微笑みに、一反木綿やぬりかべなどもその表情を緩ませていく。

 

 ここ最近は様々な事件が重なって起きたせいか、知らず知らずのうちに笑顔も少なくなっていた妖怪たち。初対面の響たち相手に、妙に殺気立って対応してしまったのもそのせいだ。

 

「そうだった。これが……手紙というものだった……」

 

 しかし鬼太郎は『手紙』というものの温かさを、自分がどうして人間たちからそのような形で依頼を受けたのか、少し思い出したような気がした。

 もしもこの騒動が終わったら、時間があれば妖怪ポストを直してみるかと。

 

 

 響から受け取ったその手紙が、そう思えるきっかけの一つとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『——ヤッホッー!! ヤッホーッ!!』

「——!!」

 

 ところが、そうして一行が和むのも束の間。

 街全体に響き渡るように聞こえてきたその『声』に、鬼太郎たちの表情が一瞬で険しくなる。

 

「……? 何だ今の……?」

「……山彦のようなものが響いてきたが……?」

 

 装者たちには、それが何なのか分からなかった。彼女たちには、それが山彦(やまびこ)——山の頂上などで叫んだ際に返ってくる、反響音にしか聞こえなかっただろう。

 

 だが、鬼太郎たちには『それ』の意味するところが瞬時に理解でき、彼らはすぐにでも仲間たちと駆け出していく。

 

 

「——鬼太郎……今のは、呼子の!?」

「——ああ、出たぞ……大百足だ!!」

 

 

 

×

 

 

 

『——ヤッホー!! ヤッホー!!』

 

 街中に妖怪・呼子(よぶこ)の叫び声が木霊する。

 

 呼子とは笠を被った、一本足で立つ案山子のような妖怪だ。これといって戦う術を持たない大人しい気質だが、彼には『自身の声を遠くにいる人に届ける』という特技があった。

 その特徴的なおらび声で、彼はこの街のどこかにいる鬼太郎たちに向かって——大百足の出現を伝える。

 

 そう、鬼太郎たちは街中に大百足が出現した際。すぐに現場に駆けつけられるようにと、ゲゲゲの森の妖怪たちに声を掛けていたのだ。

 カラスたちが街中を飛び回り、シンフォギア装者たちの戦いを目撃したように。他の妖怪たちにも街中を巡回し、神出鬼没な大百足たちの動向を探ってもらっていた。

 

 そのうちの一体がこの呼子であり、彼の叫び声の上がったところで——既に大百足が暴れ出していた。

 

 

 

『キィキィ!!』

「きゃああああ!?」

「で、出たぁああああ!?」

 

 街中の、それも人の密集している地点に姿を現した大百足を前に、人々の顔が恐怖に引きつっていく。

 もはや日常と化してきたムカデたちの襲来だが、被害に遭う当人たちは『まさか自分が襲われる』などとは夢にも思ってはいない。

 なんで自分たちが、こんな理不尽な化け物に襲われなければならないのか。そんなことを考えながら、ただ逃げ惑うしかないでいる。

 

 

「——はぁああああッ!!」

 

 

 だが、そんな助けを求める人々の元へ、超特急に救援が駆けつける。既にシンフォギアを纏った立花響のガングニールの一撃が、ムカデたちをまとめて殴り飛ばしていく。

 

「髪の毛針!! リモコン下駄!!」

 

 勿論、響だけではない。

 装者たちと共同戦線を張ると約束した鬼太郎も、彼女と肩を並べて大百足たちを退けていく。響の力強い拳や、鬼太郎の多彩な攻撃をもってすれば、大百足など物の数ではない。

 

「こちらです!! 慌てず……落ち着いて!」

「これこれ! 他の人を押し退けるんじゃない……」

「そう慌てんでも、大丈夫じゃぞ!」

 

 そして、互いに協力体制を組んだおかげか。戦うだけでなく、避難誘導にも人手を割くことができている。

 翼がムカデたちの注意を引きながら人々に避難を呼び掛け、砂かけババアや子泣き爺も率先してそれを手伝っていく。

 

「まとめて……吹っ飛びやがれ!!」

 

 人々の避難が完了したところを見計らい、クリスが一気に高火力でかたを付ける。大型ミサイルの一斉発射——『MEGA DETH INFINITY(メガデスインフィニティ)』で大多数の大百足をまとめて焼き払った。

 

『キィイイイイイイイイ!?』

「…………」

 

 悲鳴のような鳴き声を上げながら消滅していくムカデたち。その断末魔の叫びに——立花響は複雑な表情で立ち尽くす。

 

 

 カルマノイズのせいで凶暴化しているかもしれない、大百足たち。

 彼らが自分の意思で人々を襲っているのではないと思うと、それを倒してしまうのは忍びない。

 

 ムカデたちは言葉は話せない妖怪のようだが、それでも彼らと分かり合えることも出来たのではないかと。その後悔が、少女の胸を痛めていく。

 

 

 だが、そうやって彼女が落ち込んでいる暇もなく——。

 

「——立花、雪音!! 出たぞ!! カルマノイズだ!!」

「——ッ!!」

 

 翼の叫び声に装者たちの間に緊張が走った。

 

 

 

「————」

 

 ムカデたちの群れのすぐ後方。そこに全ての元凶——カルマノイズがいた。奴は何をするでもなく、ムカデたちを従えるかのよう、静かに佇んでいる。

 

『ギィィイイ!!』

『ギィギィッ!!』

 

 カルマノイズの登場に、生き残っていた大百足たちがより一層激しく暴れ出し、さらに何匹か地中から増援まで現れた。

 

「あれが……ノイズ……」

「なるほど……確かに見たこともない……妖怪とも違うようじゃな……」

 

 大百足のさらなる出現に警戒しなければならない。だが、鬼太郎たちは初めて目の当たりにする脅威——カルマノイズとやらに視線を釘付けにされていた。

 

 真っ黒い人型の『なにか』。一目見ただけでもそれが妖怪でないと、これまで遭遇したこともない未知の物体であることを強制的に理解させられる。

 確かに、あれは放置していいものではないと。妖怪である彼らの背筋にもゾクリとくるものがあった。

 

「けど、この距離なら……指鉄砲!!」

 

 だが、それでも倒してしまえば関係ない。

 カルマノイズのいる場所は、ちょうど鬼太郎の指鉄砲の間合いだ。今ここで元凶を打ち倒せばこの騒動も丸く収まるかもしれないと、鬼太郎は渾身の一射を放つ。

 

 ところが——。

 

「————」

「なっ!? すり抜けた!?」

 

 鬼太郎の指鉄砲は何者にも阻止されることなく、カルマノイズ本体に直撃した——かに思われた。だが彼の攻撃はカルマノイズの体を通り過ぎ、何らダメージを与えることができなかった。

 

「鬼太郎くん!! カルマノイズに通常攻撃は通じないよ!!」

「ここはあたしたちに任せろ!!」

 

 やはり、妖怪の攻撃もノイズには通じないようだ。ここは自分たちが対処すべきと、素早く装者たちが駆け出していく。

 響が拳を握りしめて突撃。

 クリスがミサイルを雨のように降らせる——『MEGA DETH PARTY(メガデスパーティー)』でカルマノイズを攻撃していく。

 

 だが——。

 

『——キィ!』

 

 装者たちの攻撃を阻止すべく、またもや大百足たちがその身を盾としてきた。

 

「ッ!! そこを……退いてッ!!」

 

 響がムカデたちに向かって叫ぶも、彼らは彼女の進路を妨害し、クリスのミサイル攻撃からもカルマノイズを守っていく。

 そうして、響たちがもたついている間にも——。

 

 

「————」

 

 

 カルマノイズの姿は蜃気楼のように薄れ——そのまま、その場から姿を消していく。

 

「くそッ!! また逃げられちまった……」

「だが、これではっきりした。やはりあのムカデたちは、カルマノイズに傀儡とされているようだと……」

 

 クリスはカルマノイズを取り逃したことに舌打ちするが、翼は今ので確信する。

 こちらの予想通り、大百足たちはカルマノイズの影響を受け——おそらくは、その支配下に陥っている可能性が高い。

 

 最初の交戦時も、ムカデはカルマノイズを庇った。一度だけなら偶々とも取れたが、二度目ともなればもはやただの偶然では片付けられない。

 カルマノイズと大百足。この二つの問題を紐解くことこそ、この異変の原因を究明する一筋の光明かもしれないと。

 

 

 解決の糸口が僅かにだが、垣間見えた瞬間でもあった。

 

 

 

 

 

「ニャアアア!!」

「これで……最後ばい!!」

 

 猫娘の爪が一閃、一反木綿が大百足の巨体をキツく締め上げる。カルマノイズが立ち去った後も、数匹の大百足が最後まで暴れ続けていたが、何とかそれも撃退。

 

 これで当面の脅威は去ったと、人々の避難も完了していたその場で——ふと、目玉おやじが何かを考え込む。

 

「ふーむ……やはり、妙じゃな……」

「どうかしましたか、父さん?」

 

 父親が何に頭を悩ませているのか鬼太郎には分からない。

 目玉おやじは大百足たちの遺体——それが『霞のように消え去っていく光景』を眺めながら呟く。

 

「前々からおかしいと思っていたが……やはり『魂』が出てくる様子がないのう」

「た、魂……ですか?」

 

 妙なことを口にするなと翼が困惑する。しかし、それはこの世界の妖怪からすれば確かに違和感を感じる話であった。

 

「そうじゃ。わしら妖怪は、基本的に死ぬことがない。肉体が消滅しても、魂さえ無事なら長い年月を掛け、復活することが出来るんじゃよ」

「!! そ、それ、ほんとですか!?」

 

 目玉おやじの説明に、響が食い入るように身を乗り出してくる。

 操られているムカデを倒すしかないと思っていた響にとって、妖怪は倒されてもいずれは復活するというその話は、ある意味救いのようにも思えたからだ。

 

 しかし——。

 

「う、うむ……普通はそうなんじゃが……こやつらはその『魂』が出てくる気配がない。ただ肉体だけが消滅しているようなんじゃよ」

 

 響の疑問を肯定しながらも、やはりおかしいと目玉おやじは首を傾げる。

 

 魂さえ無事なら確かに復活は出来る。だがそもそも、この大百足たちにはその『魂』そのものが存在していないようなのだ。倒されても、ただ霞のように肉体だけが消失しているのがその証拠。

 通常であれば、消え去った肉体の中から魂が飛び出し、何処へと飛んでいく筈なのだが。

 

「それって……魂ごと消滅させてるってわけじゃないのか?」

「いや、それならそれで……魂は地獄へと送られる筈じゃ」

 

 その謎の解答としてクリスが思い付いた答えを提示するが、それは砂かけババアが否定する。

 現世で魂が消滅するのであれば、その魂は地獄へと送られる。だが大百足たちには、地獄に送られる魂すらない。

 

 本当に——空っぽの中身しかないのだ。

 

「ふーむ、こやつらは……本当に大百足という妖怪なのかのう……」

 

 ここに来て、新たな疑惑が浮上する。

 自分たちが相手をしている『大百足』とはいったい何なのだろうという、素朴な疑問が——。

 

 

 

 

 

「……む、どうやらこれ以上は、ここに留まっとる訳にも行かなくなったぞい!」

 

 だが、それをここで考えている余裕はないと、小泣き爺が警告を促す。

 既にムカデたちの撃退は済んでいたが、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。誰かが警察にでも通報したのだろう、数台のパトカーがこちらまで向かってきていたのだ。

 

「一旦、ここから離れましょう。また後で合流を……!」

「ああ……分かった」

 

 この場に残っていては、警察に事情聴取を求められる。それは装者たちにとっても、鬼太郎たちにとってもあまりよろしくない事態だ。

 無用な混乱を避けるためにも、翼はこの場からの離脱を提案し、それに鬼太郎も理解を示した。

 

 

 これだけの人数がまとまって行動すると目立つこともあり、散り散りになって街中へと撤退していく。

 

 

 

×

 

 

 

「……なあ、先輩? 連中……どこまで信用できると思う?」

 

 人気のない裏路地。

 鬼太郎たちと別行動を取っているということもあり、雪音クリスがズバリ風鳴翼に疑問を投げ掛けていた。協力体制を取ることになった鬼太郎たち妖怪を、どこまで信用すべきかという疑問だ。

 

「クリスちゃん……鬼太郎くんたちのこと疑ってるの?」

 

 これに表情を曇らせるのが立花響。

 もはや完全に鬼太郎たちのことを信じて疑わない彼女からすれば、大切な友達であるクリスが未だに妖怪たちに対し猜疑心を抱いていることがただただ悲しかった。

 

「べ、別に……信用してない訳じゃない。連中の手を借りられるなら、それに越したことはねぇと思ってる!」

 

 そんな響に気を遣ってか、自身の言葉を一部否定するクリス。

 彼女とて、妖怪との共闘に今更になって反対するわけではない。実力も申し分なかったし、人手が多ければ多い分、大百足の捜索も掃討も楽になるのは事実だ。

 

「けど相手は妖怪だ。あたしたち人間の価値観がどこまで通じるか……分かったもんじゃねぇぞ?」

 

 だが、どれだけ信用に足ると感じても相手は——妖怪。装者たちにとって全く未知の存在であることに変わりはない。

 表面上の彼らがどれだけ信用できるように見えていても、どこかでズレた考え方を持つかもしれない。

 

 人と妖の価値観の違い。それが決定的な場面で、致命的なすれ違いを起こさないかどうかをクリスは危惧していた。

 立花響という少女が全く他人を疑わない分、クリスが余計に警戒心を絶やさないようにしている。

 

「……私は信用しても良いとは思っている。だからこそ……彼らに全てを話した」

 

 翼は、少し考え込みながらそのように答える。それは響のように『助けられたから』という感情だけの判断ではない。

 

 彼らが自分たちを騙してまで、こちらに協力して人間を守る理由はない。きっと彼らも人間たちとの無益な争いを避けるため、この状況を何とかしたいと切実に思っている筈だと。

 鬼太郎たちの考えを読み解き、その上で下した合理的な判断である。

 

「いずれにせよ、彼らの助けは心強い。それでもし何かあれば……その時は私が責任を持つ!」

 

 その上で翼は年長者として、万が一のときは自分が責任を持つと腹を切る覚悟を示す。

 

 それは、もしかしたら何かあるかもしれないと。彼女も鬼太郎たちのことを、無条件には信用しきれていない証明でもあった。

 

 

 

 

 

「……ところで、先ほどから妙に騒がしいような気がするのだが?」

「ああ……あたしも気になってた。喧嘩かなんかか?」

 

 ふいに話は変わり、装者たちは先ほどから聞こえてくる喧騒に耳を傾ける。

 

 それは装者たちのいる裏路地に響いてきた、何者かが言い争うような声だった。

 このような裏路地だ。不良たちの揉め事の一つや二つくらいは普通にあっても不思議ではないだろう。

 そういった個人のトラブルに、自分たちのような余所者がいちいち首を突っ込むべきではないかもしれない。かといって、放置するわけにもいかない。

 

 まずはそこに何があるのか。少女たちはヒョイっと裏路地の奥を覗き込んでいく。

 

「——おい!! テメェだろ……さっきのムカデの化け物ども呼んだのは!?」

「——お前ら妖怪どものせいで街は滅茶苦茶だ! どうケジメつもりだ、ああん!?」

 

 予想通り、そこには明らかに強面の男たちが何人もいた。見ればその男たち、ひ弱そうな『妖怪』を複数人で取り囲んでいるではないか。

 

「うぅ~……お、オラ……オラはそんなこと……ヒィッ!?」

 

 その妖怪はたった一人。鬼太郎たちのように戦える様子もなく、ただただ人間たち相手に怯えている。

 

「ちょっ!? ちょっと待って下さい!!」

 

 これに立花響が当然のように物申す。

 ただの喧嘩であれば、口を挟む道理はなかっただろう。だが強者が弱者を虐げるような恫喝であれば、相手が人間だろうと、妖怪だろうと見過ごすことはできない。

 

「やめてください! この子、怯えてるじゃないですか!!」

 

 響は人間の男たちから、その妖怪を庇うために前へと進み出ていた。

 

「何があったかは知りませんが、大の男が寄ってたかって……あまり誉められた行動ではありませんね」

「まっ、みっともないことは否定できねぇな……」

「いや……こ、これは……」

 

 勿論、響の後には翼やクリスも続く。三人の女子から非難され、流石に男たちも決まりが悪そうだ。

 

「あ、ああん!? なんだてめぇら! 人間のくせに妖怪の味方する気か!?」

 

 しかし引っ込みが付かないのか。男たちのうちの一人が、割り込んできた響たちに語気を強めて叫ぶ。

 

 彼はその妖怪には責められるだけの理由があるのだと。何も知らない少女たちに教えてやる。

 

 

「そいつがあの化け物を……ムカデどもを呼び寄せてるんだよ!! そいつが『ヤッホー』なんて叫びやがった直後に、あのムカデたちが現れやがったんだからな!!」

「!?」

 

 

 その話に思わず目を見開く装者たち、だがそれは誤解である。

 

「ち、違うよ……オイラは、大百足が出てきたから……助けを呼ぼうとして……」

 

 小声ながらも、そう言い返す妖怪——呼子。

 そう、彼はあくまで大百足がその場に現れたから叫んだだけだ。鬼太郎に助けを求めようと『ヤッホー』と、自身の能力を行使したに過ぎない。

 

 だが、その事実を知らない人間からすれば、『呼子がムカデを呼び寄せている』と見ようによっては勘違いしてもおかしくはない。おそらく、目撃されたタイミングが悪かったのだろう。

 呼子こそが全ての元凶だと思い込んだ男たちが、彼一人に責任を押し付けていたのだ。

 

「そっか……キミが呼子くん。あの声の主なんだね?」

 

 その話に、響は呼子へと向き直る。

 既に鬼太郎から呼子のことを聞かされていた響たちは、彼が悪い妖怪でないことを知っている。それどころか、彼が大百足の出現を知らせてくれたからこそ、助けを求める人々に手を差し伸べることができたのだ。

 彼を責めるなど筋違い。寧ろ感謝するべく、響は呼子へのお礼を口にする。

 

「キミのおかげで駆けつけることができたよ……ありがとう!!」

「へっ?」

 

 響が何者かを知らないためか、呼子は呆気に取られている。だが今はそれでも良い。

 呼子に責任などないと分かれば、響は迷いなく彼を——妖怪を庇うことができる。

 

「それは誤解です! この子は……助けを呼ぶために叫んでくれてたんです!! この子がムカデを呼んでいたわけじゃありません!!」

「んなこと……信じられるかよ!!」

 

 それでも、響の言葉すら否定して呼子を責める男。

 興奮気味に叫ぶ彼の全身からは——何やら『黒い靄』のようなものが見えていた。

 

 

 

「なあ、先輩。連中のあの感じ……?」

「ああ、正気ではないな。先日の避難所で襲われた人々も、ちょうどあのような様子だったが……」

 

 響とその男のやり取りを、翼とクリスはいつでもフォローできる位置に立ちながら、俯瞰的な視点で男の様子を観察する。

 彼女たちにはその男の苛立ちようが、やや過剰なものに思えた。

 

 それこそ、避難所で暴動を起こしかけていた人々のように、何かしらの影響を受けているという印象を肌で感じている。

 

「カルマノイズの瘴気に当てられた人々に近いものはあるな……」

 

 翼は直感的に、男の様子を『カルマノイズの瘴気の影響を受けた人々』。それに似通ったものがあると感じる。

 

 

 実際——風鳴翼の読みは的中していた。

 

 

 大百足たちは、カルマノイズの影響によって人々を襲っている。そして、ムカデらの体内にはカルマノイズの瘴気が『蓄積』していたのだ。

 ムカデを倒せば、体内に溜まっていたその瘴気が空気中に拡散され、人々に影響を与える。

 それは、直に瘴気を浴びるのと比べれば効果も薄いが、元から芽生え始めていた妖怪への敵対心を煽るという意味では十分だった。

  

 ムカデたちが倒されれば倒されるほど、人々はカルマノイズの瘴気を吸ってしまい。

 知らず知らずにうちに、その意識を侵食されていくのだ。

 

 

 

「立花、ここは一旦……」

 

 その事実に翼は気づき始めていた。故にここで正気を失っているかもしれない相手と、これ以上押し問答をするのは不毛だと。

 呼子を連れ、急ぎこの場から立ち去ることを提案しようとする。

 

「……ん?」

 

 だが、ここで不意に地面が揺れる。

 ムカデたちが現れる前兆かのように、響たちのいる裏路地に地震が響き渡ったのだ。

 

「!! で、出るぞ! ムカデどもだ!!」

「う、うわあああ!? 逃げろ! 逃げろ!!」

 

 これに大慌ての男たち。呼子や響などそっちのけで、その場から一目散に逃げ出していく。

 

「来るか!!」

「呼子くん……下がってて!」

 

 響たちもこれには臨戦態勢で身構える。呼子を後ろに庇いながら、大百足の出現に備える。

 

 

 だが、地中から飛び出してきたのはムカデなどではなかった。

 

 

「ぬりかべ~!」

「ぬ、ぬりかべさん?」

 

 地中から顔を出したのは、鬼太郎の仲間であるぬりかべだった。ムカデたちと同じような出現方法だったため、てっきり敵襲かと勘違いしてしまったようだ。

 

「……呼子……見つけた」

 

 ぬりかべは呼子を捜していたらしい。その姿を見つけるや、どこか安堵したような声を漏らす。

 

「呼子!」

「あっ……鬼太郎!!」

 

 するとそこへ鬼太郎も駆け付けてきた。呼子は鬼太郎の顔を見るや、安心しきった表情で彼の側までピョンピョン一本足で飛び跳ねていく。

 

「無事だったか。姿を見かけんから心配したぞ……」

 

 目玉おやじも顔を出し、呼子の無事な姿にホッと一息つく。

 

 大百足の出現を知らせてくれたのは呼子なのに、その姿がどこにもなかったと。それを鬼太郎たちは『大百足に襲われてしまったのか』と、心配していたようだ。

 

「お、オラ、大百足からは逃げられたんだけど……その後に人間たちに捕まっちまって……」

 

 呼子は大百足の脅威からは逃れていた。鬼太郎たちを呼んで、すぐに現場を離れていたため無事だった。

 だがその逃げた先で、彼は人間に捕まってしまったという。

 

 捕まった彼はそのまま裏路地に連れ込まれ、男たちから身に覚えもない罪を責め立てられていた。

 さぞ怖かったのだろう、今も小さな子供のように震えている。

 

「けど、その子らに助けてもらったんだ!! ありがとな……姉ちゃんたち!!」

 

 しかし、そんな呼子を彼女——響たちが庇ってくれたと。呼子は嬉しそうな笑顔で礼を言う。

 

「ううん! 気にしないで!! 全部、キミが勇気を振り絞ってくれたおかげなんだから!!」

 

 それに響も笑顔で応える。

 寧ろ礼を言うのは自分の方だとばかりに、彼女は呼子の頑張りこそを称賛する。

 

 

 

 

 

 そうやって笑い合う響と呼子、そんな人間と妖怪の光景を——。

 

 

「……そうか。彼女たちに……」

 

 

 鬼太郎は、どこか眩しそうな目で見つめる。

 既に過ぎ去った『掛け替えのない日々』でも思い返していたのだろう——。

 

 

「……っ!」

 

 だがすぐにでも、そんな感傷的な感情を打ち払うように首を振った。

 そしてとりあえず、鬼太郎も今は眼前の少女たちに向き直り、改めて礼を述べていく。

 

「ボクからも礼を言わせてくれ。呼子を……仲間を助けてくれてありがとう」

 

 それまで、鬼太郎はどことなく響たちに対して『壁』を作っていた。

 父親の目玉おやじの勧めもあったからこそ、とりあえず協力していた。そういった部分をやはり否定はできなかった。

 

 だがその瞬間は、確かに自分自身の意思で鬼太郎は響に礼を言う。

 そして自然な動作で、彼女に向かって手を指し出すことができていた。

 

 

「改めて……よろしく頼む。あのカルマノイズとやらを倒すためにも……力を貸してくれ」

「そんなこと言われるまでもないよ!!」

 

 

 こうして、改めて固く握手を交わす鬼太郎と立花響。

  

 

 その光景を前にしては、翼もクリスも口元に笑みを浮かべるしかない。

 

 

 人と妖。先ほどの懸念のとおり、種族の違いがある限り、どうあっても完全にはお互いを理解しきれない部分はあるだろう。

 

 

 しかしその瞬間。固く握手を交わしたその瞬間は、二人の気持ちが一つになっていた。

 

 

 絶対にこの事件を解決する。もうこれ以上、苦しむ人間も妖怪も出したくないと。

 

 

 その思いだけは同じだと、熱く握った掌から確信することができたのだから。

 

 

 

 




人物紹介

 呼子
  ゲゲゲの鬼太郎では毎度お馴染みの妖怪。
  6期の73話『欲望のヤマタノオロチ』に呼子の一体が出てきますが、あれとは当然別個体。
  ゲゲゲの森に住む方の呼子。42話『百々爺の姦計 妖怪大裁判』の証言台に立たされていた呼子です。
  話の流れ上『鬼太郎たちに助けを呼ぶ』『人間たちに虐げられる』この二つの要素が欲しくて、今回は呼子をチョイスしました。
  能力に関しては、5期の方で披露した『ヤッホー』というあれを思い浮かべてもらえると助かります。


 次回で今度こそ『シンフォギア』とのクロスは完結です。
  その次は……FGOの鯖を出す話を、考えていますのでそちらもお楽しみに!
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

戦姫絶唱シンフォギアXD UNLIMITED 其の④

書けた!! 最後まで書き切った!!

だいぶ時間が掛かってしまいましたが、これで『戦姫絶唱シンフォギアXD』とのクロスオーバーは完結です!
紆余曲折ありましたが、大筋のお話は当初の予定通りです。
どうか最後まで、お楽しみに!

ちなみに作者、XDではグレ響や天羽奏の新ギアが来たら狂ったようにガチャを回します。
それまではずっと石を貯め続ける日々で、最大8000個まで貯蓄したことがあります。

8000個……これだけの石がFGOでもあれば……。




 シンフォギア装者・立花響が妖怪であるゲゲゲの鬼太郎と固く握手を交わす。

 繋がれた掌を通じ、互いの目的や気持ちを再確認していく。

 

 共に協力し、互いの世界に異常をもたらす元凶——カルマノイズを打ち倒そうと。

 

 風鳴翼と雪音クリスも、その思いに力強く頷いてくれる。目玉おやじや猫娘といった鬼太郎の仲間たちも全力で力を貸してくれるだろう。

 

 

 

 だが、事態は彼女たちが思っていたほどに深刻であり——既に切羽詰まった状況まで迫っていた。

 

 

 

『ギィ……ギィギィ……』

 

 大百足の『本体』。S.O.N.G.のブレーンでもあるエルフナインの推測通り、その意識はカルマノイズによって支配されていた。

 カルマノイズの放つ瘴気の影響で、大百足は人間を襲う邪悪な妖怪と化す。

 

 しかし、元々の性質上——大百足とは『悪性』に染まりやすい妖怪でもある。

 

 確かに百足は毘沙門天などの神様の使いとして、神格化されるほどの信仰心を人々から集めている。

 だが、やはりその特徴的なグロテスクな見た目、獰猛な攻撃性や毒を持つものもいることから、その存在自体が忌み嫌われることもまた事実。

 そういった人間たちの嫌悪感、悪いものであるという思い込み。それが妖怪としての大百足の源流、人間やときには龍神すらも害する『怪物』の誕生のきっかけともなった。

 

 人間たちの心の在り方一つで『善』にも『悪』に染まる。

 それこそが神様、あるいは妖怪というものの本質なのかもしれない。

 

 いずれにせよ。今や妖怪の存在が多くの人間たちに認知されている中、大百足は人々を襲い始めた。

 当然、人々の間には大百足に対する怒りや不満が爆発。鬼太郎や装者たちが倒したムカデの残骸から、さらにカルマノイズの瘴気が空気中に拡散されていったこともあり、人々の心は昏い感情に支配されていく。

 

 大百足を、妖怪憎しと叫ぶ人間たちの負の感情。

 それがさらに、大百足を——『かなりまずい』方向へと進化させていくことになってしまう。

 

「————」

 

 果たしてそれが、カルマノイズの『狙い』だったかどうかは定かではないが。 

 

 

 ついに大百足は——伝承にも語られる、その真なる姿を人間たちの前へと晒していく。

 

 

 

×

 

 

 

「……なっ、なに? なんなんの!?」

 

 異変は早朝から始まった。

 大きな揺れにビックリした、犬山まなが自室のベッドから飛び起きる。二日ほど前に大百足に遭遇した彼女には、その地震がムカデたち出現の前兆であると即座に察することができた。

 

 案の定、窓の外に大百足の姿があった。

 全長五メートルほどの大きなムカデが、犬山家のすぐ側に姿を現したのだ。

 

「い、いやっ!?」

 

 妖怪への恐怖心が未だに強く残っているまなは咄嗟に目を閉じた。襲われる恐怖に怯えながらも、衝撃に備えて身を固める。

 

「…………えっ?」

 

 しかし、いつまで経ってもムカデが彼女を襲ってくる気配はない。それどころか、ムカデはまなに気付いた様子もなく、どこか違う方角へとその虚な視線を向けている。 

 

 そして次の瞬間にも、大百足は地響きを鳴らしながら移動を開始し始めた。

 

「……何が起きてるの?」

 

 まなは無事だった安心感よりも、大百足の行動に嫌な予感を覚える。

 いったい、何が起きているというのか。不安ではあるが記憶を失っている今の彼女では、それを『彼ら』に聞く術すら思い浮かばなかっただろう。

 

 

 犬山家のある調布市だけではない。その日、ありとあらゆる場所に大百足たちは姿を見せた。

 

 渋谷、新宿、池袋、葛飾、永田町、総耶。

 埼玉、鎌倉、横須賀、横浜、船橋、浦安。

 

 東京どころか関東周辺に、同時多発的に大百足たちがその姿を現す。

 しかしこれまでのように無差別に人間を襲うようなことはなく、彼らは一斉に『目的地』に向かって移動を開始していた。

 

 

 

 

 

「こ、これは……いったい、どういうことだ!?」

 

 その異変を、装者たちも直に目撃していた。

 

 彼女たちは例の廃社にいた。つい先ほどまで彼女らは自分たちの世界、S.O.N.G.本部へと定時報告に戻っていたところだった。鬼太郎たちと協力することになった旨を司令である弦十郎に報告し、カルマノイズとの決着も近いうちにつけるとも宣言した。

 鬼太郎たちの協力があればそれも可能だと、彼女たちなりに胸を張っての報告だったのだが——。

 

 だがこちら側に戻ってきて早々、彼女たちはその『恐ろしい光景』を目の当たりにする。

 

「凄い数……こんなにも沢山のムカデたちがいたなんて……」

「き、気分悪っ……やべ、流石に吐きそう……」

 

 響とクリスがそれぞれ感想を述べる。彼女たちは既にギアを展開しており、廃社近くの一際大きな木の上から、その情景を瞳に焼き付ける。

 

 

 それは、無数のムカデどもが地上で蠢いている姿。これまでどこにこれだけの数が潜んでいたのか。数百、数千にも上る大百足の大群が、地上を埋め尽くさん勢いで広がっていたのだ。

 まるで、この世の終わりを思わせるような悍ましい光景だ。

 

 東西南北、四方から押し寄せてくる大百足たち。

 その全てが『ここ』を——装者たちのいる『廃社』を目指しているようだった。

 

 

「いったい何故? 私たちを狙ってか? それとも……」

 

 この状況に翼は困惑する。

 あの大百足たちが何故こちらに押し寄せてくるのか。装者たちを脅威と認識し、彼女たちを排除するために集まっているのか。あるいは、何か別の目的でもあるのかと。

 

 様々な考察を浮かべる翼であったが——刹那、彼女たちのいる地点にも地震が発生する。

 

「——ッ!? 二人とも、ここから離れるぞ!!」

 

 その揺れはまさに大百足出現の前兆を意味するもの。しかもそれまでのどんな揺れよりも、遥かにデカい規模である。

 

「は、ハイッ!!」

「クソッ!! 何が起きてやがるんだよ!?」

 

 翼の警告に響もクリスも木の上から飛び降り、素早く地震の発信源と思われる廃社から距離を置いていく。

 何が起きているか明確には理解できないでいたが、このままこの場にいることが『まずい』ということは直感的に悟る。

 

 実際、装者たちの読みは的中する。

 彼女たちがその場から離れた、次の瞬間にも——。

 

 

『——ギィイイイイイイイイイイ!!』

 

 

 一際巨大な大百足が大地を隆起させ、廃社を木っ端微塵に吹き飛ばしながらその姿を地上へと晒した。

 その大百足の全長は、おおよそ三十メートル。それまで見てきたどのムカデたちよりも遥かに大きい。

 

「デカッ!?」

「!! 神社が……ゲートがッ!?」

「案ずるな!! ギャラルホルンのゲートに物理的な干渉は通じない」

 

 そのムカデの大きさ。さらには神社も破壊され、その残骸によって建物の中にあったゲートが埋まってしまう。

 

 だが翼が言うように、ギャラルホルンのゲートそのものに通常の方法で危害を加えることはできない。瓦礫に埋まろうとも、それを取り除けば今まで通りに使用可能だ。

 故に今はゲートのことよりも、眼前の大百足の方へと意識を向ける。

 

 目の前に立ちはだかるその巨体を見上げ——。

 

「!? おい、アレ見ろ! あのムカデの……頭のてっぺんだ!!」 

 

 そこでクリスが何かに気付いて声を張り上げた。彼女の指し示した先、そこにあったのは大百足の頭部。そしてそこには——。

 

「——カルマノイズ!?」

 

 真っ黒いノイズの姿もあった。

 この騒動の元凶と思われていたそいつが、大百足の頭部に埋まり——同化していた。

 

 

 そう、カルマノイズは大百足と『一体化』していたのだ。

 

  

 まさに『寄生』でもするかのように。カルマノイズは大百足の頭脳から、その全てを支配していたのだ。

 

「!! なるほどな……やはり、このムカデたちはカルマノイズに!!」

「だったら、ここで奴を倒しさえすれば!!」

 

 その衝撃的な姿に驚きこそすれども、まだ冷静でいられる翼とクリス。どのような形であれ、カルマノイズが大百足を支配下に置いていることは、彼女たちにとっても想定内。

 姿を見せたのなら好都合。このまま頭部に寄生しているカルマノイズだけを倒してしまえば、それでムカデたちが大人しくなるかもしれない。

 

 ここで決着を付けるつもりで気合を入れる装者たち。

 

『ギィ……ギィギィ……』

 

 だが、カルマノイズと同化したその大百足も、響たちなどには目も暮れず移動を開始。押し寄せてくる大百足の群れと合流するため、装者たちから背を向けた。

 

「——逃さん!!」

 

 立ち去ろうとする大百足に対し、風鳴翼が仕掛けた。

 己のアームドギアを空中へと放り投げ、自身も空中へと跳躍。剣を巨大化させ、そこに己の蹴りも一緒に叩き込む大技——『天ノ逆鱗(てんのげきりん)』。

 必殺の一撃で一気にカルマノイズを撃破しようと突撃を敢行する。

 

『ギィギィ!!』

「な、なにッ!?」

 

 ところがその一撃も、さらに地中から出現した数匹のムカデたちによって阻止される。翼の攻撃を何匹ものムカデたちが代わりに受けることで、一番奥のカルマノイズは全くの無傷となる。

 

『ギィィイイ!!』

『ギギィイイ!!』

 

 そのまま、さらに何十匹もの大百足が装者たちを取り囲んでいく。

 まるで彼女たちを足止めせんとばかりに。その間、カルマノイズと大百足の本体と思しき個体がその場から離脱していく。

 

 

 

「ま、待ってッ! ……はああああ!!」

 

 それを慌てて追いかけようとする響だが、いかに装者といえども無数のムカデたちに進路を妨害されては追いかけるのもままならない。

 まずは眼前の敵を叩くべく、響は苦い表情を浮かべながらも拳を繰り出していく。

 

「退け!! 魔性ども!!」

「群がって来んなら……蹴散らすだけだ!!」

 

 翼も剣を振るい、クリスの銃火器の大火力が何匹ものムカデたちをまとめて撃ち抜いていく。

 だがいかんせん、数が多すぎた。倒しても倒してもさらにムカデの増援は現れ、彼女たちをその場に釘付けにする。

 

 

「——体内電気!!」

 

 

 だが、援軍が駆けつけたことで形勢は逆転する。

 

「鬼太郎くん! 来てくれたんだね!!」

 

 その場に現れると同時に電撃を大百足たちに浴びせていく、ゲゲゲの鬼太郎。彼の救援に響の表情がパァッと明るくなっていく。

 勿論、来てくれたのは鬼太郎だけではない。

 

「ニャアアアア!!」

「それっ! 火炎砂じゃ!!」

「おんぎゃ! おんぎゃ!」

「いくばーい!!」

「ぬりかべ!!」

 

 猫娘、砂かけババア、子泣き爺、一反木綿、ぬりかべ。

 ゲゲゲの森の戦力が加わることで、装者たちも一気に攻勢へと出る。次から次へと出現する大百足たちを退けて、とりあえずその場は事なきを得た。

 

 

 

「ふむ……一応、片はついたようじゃが……」

「まだです!! まだッ!」

 

 数分ほどで、その場に出現した大百足たちを全て撃退した一行。だがこうしている間にも、あのカルマノイズと同化した大百足本体が、各地より集まってくるムカデたちと合流している筈だ。

 いったい、これから何が起きようとしているのか。少なくともこの時点では博識な目玉おやじにも、響たち装者にも分からなかったが。

 

 

 しかし、彼女たちはすぐにでも『それ』を目の当たりにする。

 大百足たちが何を成さんとしているか、その『脅威なる姿』を次の瞬間にも目撃することになっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『——ギィ……ギィィイイ!!』

 

 カルマノイズと一体化していた大百足の本体を中心に、群がるムカデたちが集結する。

 合流した彼らは——まずは手始めに互いに互いの身体へと噛み付き始めた。それはもしや共食いでもするのかと疑問を抱かせる光景であったが、そうではない。

 

 彼らは寄り集まり、噛みつき合い、身体を連結し合うことで——その身を『同化』させていたのだ。

 

 連結、同化、吸収、融合することにより、見る見るうちに膨れ上がっていく大百足の体躯。その大きさを数メートルから、数十メートル、数百メートル。

 

 

 あるいは——『数km』へと昇華させていく。

 

 

「……な、なにが……起きて?」

「……い、いったい、これは……」

 

 その光景が間近まで見える現場に駆けつけた装者や、妖怪たちが揃って目を丸くする。いったい何が起きようとしているのか、彼らには予想が付かなかっただろう。

 

「……ま、まさか……」

 

 ただ一人、目玉おやじだけがその光景を前に、もしやと疑念を浮かべる。

 自身の中にある知識、眼前で大百足たちが成ろうとしているものが、『それ』と一致するのではないかと、背筋をゾクリと震わせた。

 

 

 それは既に装者たちにも語っていた、例え話の一つとして上げた伝承だ。

 

 

『三上山の大百足』——龍神の一族を狙ったとされるその大百足は、全長が三上山を七巻半するほどあったと語られている。

 

 その話を目玉おやじから語られた際、装者たちは『いくらなんでも誇張表現』だろうと、無意識のうちにその話を否定していた。

 それは、その伝承を語った目玉おやじ本人ですらも、『流石にちょっと盛っている』だろうと思っていたことだ。

 

 いくらなんでも大き過ぎる。そこまで巨大なもの、いくら妖怪でもあり得ないと。

 大きくともせいぜい数百メートル。それでも十分に巨大生物と呼べるサイズなのだから、それで十分だろうと。

 

 

 だが、そんな安易な思考は——眼前の『実物』を前に否定された。

 

 

 誇張などではなかった、大袈裟などではなかった。

 確かにそれは山すらも越える、天を突くほどの見上げる巨体。

 

 身体の大部分がとぐろを巻いているおかげでかろうじてその全体像が垣間見えるが、だからこそ目撃した人々の絶望感もひとしお。

 突如街中に君臨した『それ』を前に一般人は当然ながら、装者や鬼太郎たちですら唖然となる。

 

 

 

「そ、そうか……そういうことじゃったか……」

 

 こんなときでありながらも目玉おやじは納得し、そして理解する。今まで倒してきた大百足たちの身体から、どうして『魂』が出てこなかったのか。

 

 それはあのムカデたちが、ただの『一部』に過ぎなかったからだ。

 大百足という、巨大な本体のほんの一欠片。切り離されたトカゲの尻尾に意思など宿らぬように、体の一部をいくら倒そうとも魂など出てくる筈もなかった。

 

 大百足という妖怪は無数のムカデたちの群れなどではなく、たった『一体』の大きなムカデからなる妖怪だったのだ。

 その大百足が、各方面へと散らばせていた自身の身体たちを呼び寄せて——そして元の姿へと戻った。

 

 

 そう、これこそが本来の姿。

 その正体は伝承にも語られていた、三上山を七巻半——。

 

 

 

 全長数キロメートルにも及ぶ、超特大サイズの大百足であったのだ。

 

 

 

×

 

 

 

「……ッ!! ふざけんな!! いくらなんでも……デカ過ぎんだろ!?」

 

 唖然としていた雪音クリスだが、ようやく我取り戻して叫び声を上げる。その叫びはまさに他の装者たちの気持ちも代弁している。

 

 彼女たちはこれまでも巨大なノイズ、戦艦。他世界であれば怪獣などと幾度も交戦経験があった。巨大な敵との戦闘にはそれなりに慣れているつもりであり、それこそ百メートルくらいであれば何とかなるという自信もあった。

 

 しかしこれは、これはいくらなんでも『デカ過ぎる』。

 まさに天を突く長さ。見上げることで、かろうじてカルマノイズが埋まっている頭部が視認できるが、当然そこまで攻撃など届かない。

 

 カルマノイズを倒すためにも、まずはこの巨大ムカデをどうにかする必要があるだろう。だが何の対策も取っていない今の戦力では、それに対抗する術などまるで思い浮かばない。

 

「こ、こんなものが暴れ出したら……いったい、どれほどの被害が出るかッ!?」

 

 それでも、ここで奴を食い止めなければならないと翼は叫ぶ。本来の姿に目覚めたばかりで覚醒しきれていないのか、現時点では全く動く気配を見せない大百足。

 

 だがいつまでも放置はしていられない。こんなもの、動き出すことを許しただけでもいくつもの都市が壊滅する。

 人々を、妖怪たちを、この日本を守るためにも。何としてでも、この大百足は今この場で倒さなければならないのだ。

 

 

 

「ッ!! 迷ってはいられない! はぁああああ!!」

 

 巨体の迫力に気押されながらも、誰よりも早く立花響が拳を握りしめながら大百足へと突撃していく。

 大百足の足元、とぐろを巻いている部分であれば響の間合いだ。少しでもダメージを与えられればと、全力の一撃をそこへ叩き込んでいく。

 

「指鉄砲!!」

 

 これに合わせる形で鬼太郎も指鉄砲を放った。

 渾身の妖力を込めた手加減のない一撃だ。並の妖怪であれば、それこそ肉体が消し飛ぶであろう威力である。

 

 だが——。

 

『————』

 

 ビクともしない。いや、それどころか大百足は響たちの存在にすら気づいていない。

 人間が足元の『(アリ)』相手に関心など抱けぬように、大百足もちっぽけな豆粒になど何の意識も向けない。彼女たちの足掻きなどガン無視し、自身が動き出すために必要な準備なのか。ゆっくりと体内に妖力を溜め込んでいく。

 

「そ、そんな……」

「こんな、こんなの……どうしようもっ!?」

 

 絶対的な戦力差を前に流石に青ざめる。全力の一撃を放った響と鬼太郎だからこそ、この巨体を物理的な手段で崩すのは不可能だと強制的に理解させられてしまったのだ。

 

「父さん!! 何か……何か手はないんですか!?」

 

 絶体絶命の最中、鬼太郎はこの大百足に対する有効な手段がないかを父親に問い掛けていた。

 大百足の伝承を語った目玉おやじであれば、この怪物が『どうやって退治されたか』を知っている筈だと、そこに一縷の望みを掛ける。

 

「そうじゃな……弓さえあれば……何とかなるかもしれんが……」

 

 鬼太郎の問いに対し、目玉おやじは明確な答えを——『弓矢』さえあれば対抗できると、はっきり断言する。

 しかし鬼太郎たちの中に弓の使い手などおらず、今からそんなものを調達してくる時間すらないのが現状。

 

 

「弓……弓だと?」

 

 

 しかし、これにシンフォギア装者・雪音クリスが反応を示す。

 

 

「——だったら、あたしに任せとけッ!!」

 

 

 彼女は得意げな表情を浮かべながら——己のアームドギアを一瞬で『弓』のフォルムへと変化させていく。

 

「キミのその武器は……!?」

 

 クリスの武器の変わりように驚く鬼太郎だが、これこそがアームドギア・『聖弓イチイバル』のあるべき姿である。

 クリスの心象イメージから普段は銃火器として使用されているイチイバルだが、その本来の有りようは——弓。

 さらにクリスはそれを『和弓』へと変化させ、すぐにでも矢を番える準備を進める。

 

「おお! これなら……! 何とか対抗できるかもしれん!!」

 

 クリスが弓矢を構える姿に、目玉おやじが希望に声を弾ませる。

 さっそく、彼はその弓で『どのように』大百足を討滅すべきか、皆に説明をしていく。

 

 

 

 

 

「——その昔……三上山の大百足と対峙した秀郷は、弓矢で大百足を仕留めたとされておる……」

 

 三上山の大百足を退治したのは、藤原秀郷(ふじわらのひでさと)という名の武者であった。

 元より勇猛と名高い彼の噂を聞きつけた龍神の一族が、彼に大百足を退治してくれるように願い出たのである。

 秀郷はその依頼を引き受け、その強弓で大百足を仕留めてみせた。

 

「勿論! ただ矢を放つだけではダメじゃ!!」

 

 しかしその秀郷といえども、ただ弓矢を放っただけであんな怪物を退治したわけではない。

 彼は弓矢に——『あるもの』を付着させて矢を放ち、それが魔性たる大百足を退けたのだ。

 

(つば)じゃ! 矢に人間の唾をつけるんじゃ!!」

「よし、任せろ! …………は、はぁああ!? つ、唾だぁ!? 何だってそんなもんつけなきゃ……」

 

 目玉おやじの言葉に相槌をついたクリスだったが、唾をつけろという指示に素っ頓狂な声を上げる。何故そんなものをつけなければならないのか。

 

「当時の民間伝承に『百足は人間の唾を嫌がる』というものがあった。秀郷はそれを思い出し、唾を矢の先端につけたんじゃ!!」

 

 するとどうだろう。どんな攻撃をも跳ね返す頑丈な表皮に矢の一撃が刺さるや、大百足は呆気なく轟沈したという。

 見事大百足を退治した秀郷はその後、龍神の一族から感謝の証として『米の尽きない米俵』を受け取ったとされる。

 そのことから、彼は別名『俵藤太(たわらのとうた)』とも呼ばれるようになった。

 

「時間がない! さあ、さっそく試してみるんじゃ!!」

 

 この手段が本当に有効かどうかは、正直目玉おやじも半信半疑だ。だが今はこの手段に賭けるしかないと。

 この場で弓矢を引けるクリスの腕に、自分たちの命運を預ける。

 

「………………」

 

 ところが、クリスはそこから動こうとしない、プレッシャーのあまり緊張で身を固めてしまった。というわけではなく——。

 

 

「いや……唾を吐けとか言われても……なんか、恥ずいし……」

 

 

 単純に、恥ずかしかったとのこと。

 皆の視線が集中する中で唾を吐くだなんて。そんなはしたない真似、年頃の乙女であるクリスにはむず痒く、顔を真っ赤に染めたまま動かなくなってしまっていた。

 

「雪音ッ!! 羞恥に顔を染めている場合ではないぞ!!」

「そうだよ、クリスちゃん! 恥ずかしいなら……私が手伝ってあげるから!!」

 

 だが、翼と響はそれどころではないと叫ぶ。同じ乙女でありながらも、響などは率先して己の唾を提供しようかと、はしたないことまで口にしていく。

 

「わ、分かった!! 自分でやるから……お前らあっち向いててくれ!!」

 

 二人に促されて流石に観念したのか。とりあえずその場にいる全員に視線を外すように言いつけ——矢の先端に己の唾を付着させていく。

 

「ちくしょう……こうなりゃ自棄だ!! 食らいやがれ!!」

 

 本当にこれで効果があるのだろうか。クリスは恥ずかしさに身悶えしながらも矢を放った。

 

 

 次の瞬間——。

 

 

『——ギィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!?』

 

 

 クリスの矢が刺さり、大百足が悲鳴を上げた。

 何をしてもビクともしなかったあれだけの巨体が——たった一射で揺らいだのである。

 

「効いてるよ! クリスちゃん!!」

「う、嘘だろ!? マジかッ!?」

 

 これに響が喝采を上げ、放った本人であるクリスが信じられないとばかりに目を見開く。まさか本当に、こんな手段でダメージを与えられるとは思ってもいなかった。

 だが、通じると分かればもはや躊躇はない。恥ずかしさよりも倒せるという意気込みが勝り、クリスは素早く次矢を装填しようと弓を構えていく。

 

『——ギィィイイ!!』

 

 しかしそうはさせまいと、大百足の視線が眼下の装者たちへと向けられた。それまで歯牙にもかけなかった小さな存在を、大百足は脅威と判断したのか。

 彼女たちを排除しようと、怪物は何かの合図のように鳴き声を轟かせる。その声に応じてか——。

 

「!! この揺れ……!!」

 

 地震が起きる。もしやと思い、それの襲撃に備えて身構えていく一同。

 

『ギィギィッ!!』

『ギィィイ!!』

 

 予測通り、地面から姿を現したのはムカデたちの群れだ。

 まだ同化しきっていなかった無数のムカデが、司令塔である大百足本体を守ろうと装者たちに牙を剥いていく。

 

「ここはボクたちに任せてくれ!!」」

「アンタたちは、本体を!!」

 

 そのムカデたちには鬼太郎や猫娘を始めとした妖怪たちが、装者たちを守るべく応戦していく。

 

「翼さん、私たちも!!」

「ああ……しかし、この数はッ!?」

 

 響たちも、妖怪たちに手を貸すべく動いた。

 クリスの弓であれば大百足を倒すことができると、彼女を信じてムカデたちの足止めへと戦力を回していく。そうしなければならないほどに、その群れの規模が凄まじかったのだ。

 倒しても倒しても、次から次へと無限に湧き出てくるムカデたち。

 

 このままではその勢いに押され、呑み込まれてしまうと。

 流石にこれでは保たないと、翼が弱気な言葉を口にしようとしーー。

 

 

 

「——狼狽るなッ!!」

 

 

 

 そんな翼を叱咤するように、凛とした女性の声がその場に響き渡る。

 

 刹那、集団で群がってくるムカデたちの横合いから——青白いエネルギー波が放たれた。その一撃により、大量のムカデたちがまとめて吹き飛ばされ、薙ぎ倒されていく。

 

「今の輝きは……もしや!!」

 

 先ほどの叫びにその攻撃。それが誰のものなのか、翼には直ぐに理解できた。

 

 

「——この程度で狼狽るだなんて、らしくないんじゃない……翼?」

 

 

 まさしく、そこには翼が思い浮かべていた人物が堂々たる風格を携えて立っていた。

 

「マリア!!」

 

 それは白をメインカラーにしたインナー。

 輝きに満ちた装甲『アガートラーム』のアームドギアを纏った女性——マリア・カデンツァヴナ・イヴ、その人である。

 

 

 響たちが危機に陥っていたこの苦境に、頼もしい援軍の『一人』としてその場に駆けつけていた。

 

 

 

×

 

 

 

「マリアさん! いつからこっちに!?」

 

 マリアの援軍に立花響も大いに喜びを露わにするが、いつからこちら側に来ていたのかと率直な疑問を浮かべる。

 つい先ほど、S.O.N.G.本部に戻ったときには顔を合わせる時間もなかった。てっきり彼女も他の任務で手一杯かと思っていたのだが。

 

「ついさっきよ! こっちに着いて早々、ゲートの出口が瓦礫に埋まってるわ、ムカデの大群に出くわすわ……もう散々よ!」

 

 マリアは愚痴を溢しながらも、素早く戦線に加わるべく刃を振るう。

 アガートラーム——白銀の左腕部より抜き放たれた正義の剣が、カルマノイズの悪意に染まってしまったムカデたちを蹴散らしていく。

 

「助かった……礼を言うぞ、マリア!!」

 

 マリアの活躍に風鳴翼が微笑みを浮かべる。

 装者たちの中でも年長者同士、任務でもバディを組むことが多い二人。互いに息の合った剣裁きを見せつけ合い、ムカデたちを寄せ付けないでいる。

 

「言っとくけど……私だけじゃないからッ!!」

「えッ?」

 

 しかし喜ぶのはまだ早い。マリアは自分以外にも——頼もしい救援がいることを告げる。

 

 

「——マリアの言う通りデス!! 私たちを忘れてもらっちゃ……困るデスよ!!」

 

 

 元気一杯に叫びながら、巨大な大鎌を振り下ろす少女。

 緑をメインカラーとしたインナー、刺々しい装甲『イガリマ』のアームドギアを纏った——暁切歌。

 

 

「——私たちも……戦線に加わります……!」

 

 

 その切歌に続き、ヨーヨーのような武器にローラースケートで縦横無尽に戦場を駆ける少女。

 桃色をメインカラーとしたインナー、兎の耳のような頭部装甲が特徴的な『シュルシャガナ』のアームドギアを纏った——月読調。

 

 装者たちの中でも一番の年少者だが、連携、ユニゾンという点で言えば他の誰よりも呼吸を合わせる術に長けている。

 互いを思い合うコンビネーションが力となり、ムカデの群れを次々と蹴散らしていく。

 

「やるじゃねぇか! 後輩たち!!」

 

 切歌と調の参戦に雪音クリスが口元を吊り上げる。

 彼女にとっては学校内でもよく面倒を見ている後輩たちだ。先輩として遅れを取ることはできないと、クリス自身も本腰を入れて大百足と対峙する覚悟を決めていった。

 

 

「——響ッ!!」

 

 

 さらに、立花響にとって何よりも嬉しい救援がもう一人。

 紫をメインカラーとしたインナー。周囲に単独で浮遊する『鏡』を複数枚展開し、そこから放たれる光が不浄に染まったムカデたちを浄化していく。

 

 アームドギア・『神獣鏡』の装者。立花響の親友・小日向未来である。

 

 

「未来ッ!? 未来も……来てくれたんだ!!」

 

 

 心情的には誰よりも心強い援軍に、響の拳がさらに力強く握られた。

 これで彼女たちの世界の装者。その全員が、鬼太郎たちの世界を救わんと終結したことになる。

 

 

 

「けど……私たちの世界は!? みんなでこっちに来ちゃって大丈夫なの!?」

 

 けれど、彼女たちは彼女たちで自分たちの世界を守るために残っていた筈。

 ここまでこちら側に戦力を集中させていいのか。響は自分たちの世界の守りが手薄になっているのではと不安な表情を浮かべる。

 

「心配無用よ!!」

 

 だがこれにマリアが代表し、力強く宣言した。

 

「今あっちの世界には……セレナや奏が来てくれているわ!! あの二人が、私たちの代わりを務めてくれている筈だから!!」

「奏が!? そうか……ならば、何も問題ないなッ!!」

 

 マリアが口にした装者の名に、翼も大いに納得する。

 

 セレナ・カデンツァヴナ・イヴ。

 天羽(あもう)(かなで)

 

 両名とも、違う並行世界の守り手たる装者たちだが、ギャラルホルンが繋げたゲートを通じ、常日頃から交流を重ねている相手だ。

 その二人が来てくれているのならば心配ない。マリアはセレナを、翼は奏を誰よりも信頼しているからだ。

 

 故に装者たちは安心して、この世界の危機に尽力できると。

 己の胸の中の『歌』を響かせながら、大百足たちへと立ち向かっていく。

 

 

 

「綺麗で……力強い歌だ……」

「……ええ、そうね……」

 

 立て続けに現れる響たちの仲間。心強い援軍ではあるが、誰か誰とも分からず困惑するというのが、鬼太郎たちからすれば正直なところ。

 彼女たち一人一人の人となりなど、ちゃんと推し量れない中、戦場で背中を預けるなど無謀なことだったかもしれない。

 

 だがそれも、彼女たちの『歌』を聞けば問題ないと分かるだろう。

 

 彼女たちの凛々しく、真っ直ぐ、優しく、力強い歌声。その歌を聞けば不思議と彼女たちそれぞれの心の有り様なども伝わってくる。

 鬼太郎も猫娘も、激しい戦いの最中だというのに思わず聞き入ってしまう。それだけの力が——彼女たちの『歌』には秘められていた。

 

 きっとその歌は鬼太郎たちだけではない。街中に響き渡り、多くの人々がその歌声に俯かせていた顔を上げているだろう。

 絶望的な怪物・大百足に立ち向かおうとする彼女たちの歌が、姿が——きっと多くの人々の希望となっていたことだろう。

 

「……みんな、ボクたちも!!」

 

 そんな装者たちに対抗意識を燃やすというわけではないが、彼女たちばかりに任せてもいられない。

 自分たちも負けじと鬼太郎とその仲間も。ムカデの群れを相手に臆さず立ち向かっていった。

 

 

 

 

 

「——クソッ! とっとと倒れやがれってんだ!!」

 

 心強い救援、鬼太郎たちの奮戦もあり、クリスは大百足本体への攻撃に専念することが出来ていた。だがその一方で、大百足の巨体は一向に倒れる気配を見せない。

 

 先ほどからずっと、クリスは矢の先端に弱点である唾をつけ、それを何度も何度も放ち続けている。

 だが、何発打ち込んだところで、それが決定打になることはない。確実にダメージを与えることには成功しているようなのだが、それでも大百足はその巨体を保ったままだ。

 

 このままのペースではあと何十発、何百発。矢を射ったところで、大百足が倒れるとは思えない。

 しかし、これ以上もたついていては大百足が覚醒して動き出してしまう。そうなってしまえば街は壊滅してしまうだろう。

 焦燥感に駆られるクリス。矢の量をさらに増やし、絶え間なく放ち続けていく。

 

 

「——駄目じゃ!! 駄目じゃ!! そんな闇雲に打っても……!!」

 

 

 すると焦るクリスの耳元から、彼女を叱りつけるような檄が飛ぶ。

 

「め、目玉のおやじ!? あんた……いつからそこにッ!?」

 

 声の主は、雪音クリスの肩にちょこんと乗っていた目玉おやじであった。

 いつの間にそんなところにと目を剥くクリスだが、戸惑う彼女に向かって目玉おやじはアドバイスを口にしていく。

 

「いくら数を打っても意味はないぞ!! 大事なのは、一撃にありったけの思いを込めることにあるんじゃ!! 実際、藤原秀郷は一発であの大百足を仕留めた言われておる!!」

「はぁあッ!? あ、あんなバケモンを一発!? そ、そんなの……できるわけねぇだろ!?」

 

 過去にあの大百足と同等のサイズを、クリスのように弓で仕留めたとされる藤原秀郷。だが同じ弓であれに立ち向かっている彼女だからこそ、その武勇伝が眉唾物だと信じられないでいた。

 あんな巨大な怪物を一撃で仕留めるなど、たとえ人の唾が効果的だとしても不可能だ。それこそ人間業ではないだろうと。

 

 しかし、それでもと目玉おやじは叫ぶ。

 

「出来る!! 出来ると信じるんじゃ!! やる前から気持ちで負けてどうする!!」

「ッ!!」

 

 ハッと目を見開くクリス。目玉おやじのその言葉は、大百足に決定打を与えられずに焦っていたクリスの気持ちを冷静にさせてくれる。

 

「良いか、お嬢さん? 秀郷は大百足を仕留める際、自らの唾を一本の矢の先端に滲ませた……」

 

 クリスが落ち着きを取り戻したところを見計らい。目玉おやじはもう一度、大百足討伐に対する手順を説明していく。

 

「心を落ち着かせ、そして唱えた。『南無(なむ)八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)。願わくば、この矢を届けたまえ!』とな……」

「八幡……なんだそりゃ?」

 

 初めて聞く言葉にキョトンとなるクリスに、目玉おやじは手短に答える。

 

「八幡大菩薩……八幡神。全国の武家から信仰を集めていた武神のことじゃ!!」

 

 元々の名は八幡神であったが、後に仏教守護の神として『菩薩』の神号が贈られたとされる。武士たちは負けられない戦に臨む際、戦神である八幡大菩薩に戦勝祈願を願ったという。

 また『弓矢八幡』という言葉があるように。弓の名手として名高い、かの那須与一も。船の上に浮かぶ扇の的を射抜く際、「南無八幡……」と唱えたとされる。

 

 矢を番えてその神の名に祈るということは、武士たちにとって絶対に外せない、一発必中を意味する。

 必ず当たれと神に祈ると同時に、必ず当てると誓うことでもある。

 

「さあ、キミも彼らのように。まずは落ち着いて……心を鎮めるのじゃ」

「…………すぅ……はぁ……」

 

 目玉おやじの助言にクリスは大きく深呼吸、焦りで昂っていた自身の気持ちをゆっくりと落ち着かせていく。

 

 

 

 

 

 ——………………。

 

 クリスは精神統一のために目を閉じ、視界を封じた。さらに周囲の喧騒から遠ざかるため、聴覚すらも意識的に封じていく。

 深く、より深く集中していく中、クリスは『弓道』の姿勢を意識する。

 

 彼女は以前より、自身の戦闘力向上のために弓道を習っていた。本来は弓であるイチイバルの力を引き出すため、彼女なりに様々な戦い方を模索した結果である。

 その弓道に触れる際、指導してくれた担当教官がクリスに教えてくれた言葉がある。

 

『弓道の矢は正射必中(せいしゃひっちゅう)。正しい射法で射られた矢は必ず当たる。まずは美しい姿勢を心掛けなさい』

 

 弓道が競技として成立している以上、的を正確に射て得点を競うことは間違いではないだろう。

 だがそれよりも、弓道には大事なことがある。的に命中させることに躍起になるより、まずは美しい射法を意識することだ。

 正しい構え、正しい動作。美しい所作で放たれた矢は、必然的にも正確に命中すると。

 矢を番える前から、矢を放った後。その一連の流れの全てが『弓道』として成立するのだと。

 

 ——…………集中…………。

 

 教えを思い出しながら、まずは背筋を伸ばす。

 そして、そこからどのように肉体を動かしていくのか、頭の中に常に『美しい』自分自身の動作を思い描いていく。

 

 イメージの中の自分には一切の迷いもなく、澱みもなかった。

 

 彼女の実際の身体も、そのイメージ通りに動いていく。

 

 

 ——…………行ける!

 

 

 変に意識したわけではなかった。

 だが、これから放つ自分の矢がこれまでとは全く違うものだとクリスは『確信』する。

 

 

 瞳を開く。

 

 

 眼前からは大百足の巨躯が迫っていたが、それに対する焦りは全くなかった。

 

 

 唾を飛ばして矢の先端に付着させる。そこに一切の羞恥心もない。

 

 

 心を平静に保ったまま、クリスは弓を引き絞る。

 

 

「南無八幡大菩薩……」

 

 

 矢を放つと同時に、彼女の口からは自然と必中を願う祈りの言の葉が紡がれていた。

 

 

 

「——その矢を……届けやがれッ!!」

 

 

 

 かくして、イチイバルの矢は放たれた。

 ありったけの思い、願いが込められたその矢は何者にも阻まられることなく、まっすぐ大百足の巨体へと飛んでいく。

 

 そしてそれが必然であるとばかりに、矢は——大百足の胴を貫く。

 

 

『——ギィ……ギィイイイイイイイイイイイアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?』

 

 

 刹那、それまでとは全く違う、断末魔の絶叫が大百足の口から響き渡る。

 

 唾を付着させた矢、さらに祈りの言葉が大百足に致命的な損害を与えたのか。その身体がピシピシとひび割れていき、矢に込められていたエネルギーまでもが迸っていく。

 

 大百足の内部から放射線状に広がっていく、その輝きこそが——『ARTHEMIS CAPTURE(アルテミスキャプチャー)』。

 雪音クリスの一矢が、真の意味でも大百足を捉えたことの証明に他ならない。

 

 崩壊していく大百足の身体が、次の瞬間にも——内側から弾け飛ぶ。

 

 粉々に砕け散る巨体。

 行き場を失った『魂』が肉体から解き放たれ、どこぞへと飛び去っていったのである。

 

 

 

×

 

 

 

「す、凄いデス……クリス先輩……!」

「本当に……やっつけてしまいおったぞ……!」

 

 雪音クリスの一撃が大百足を粉砕した光景に、装者や妖怪たちが唖然となる。弱点を突いたとはいえ、あれほどの巨体が本当に沈むとは夢にも思わなかったのだ。

 本体の崩壊と合わせるかのように、周囲に群がっていた分体のムカデたちも次々に活動を停止させていく。

 

 妖怪・大百足は本当に討滅されたのだと、ほっと胸を撫で下ろす一同。

 

「……!! まだだ! 気を抜くなッ!!」

 

 だが、緩みかける場の空気を引き締めるように翼が叫ぶ。確かに大百足は倒した。しかしその残骸——その死体がまだ残っていたのだ。

 流石にあれだけの質量。その全てが都合よく、散りのように消えてくれるわけではなかったようだ。

 

 粉々に飛び散る大百足の肉片が——辺り一面に、雨のように降り注いでくる。

 

「街に被害を出すわけにはいかない!! 全て撃ち落とすぞ!!」

 

 残骸といえどもあんなものが落ちてくれば、それだけで街に被害を生んでしまう。そうはさせまいと、装者たちは広範囲の攻撃で、降り注ぐ肉片を消し飛ばしていく。

 

 先陣を切る風鳴翼が、エネルギー状の剣を上空へと飛ばしていく——『千ノ落涙(せんのらくるい)』。

 分裂させた暁切歌の大鎌の刃が、ブーメランのように投擲される——『切・呪りeッTぉ(きる・じゅりえっと)』。

 月読調がヘッドギアから、円盤柄の丸ノコを大量に飛ばしていく——『α式・百輪廻(アルファシキ・ひゃくりんね)』。

 高出力のビームを一点に集中して対象を浄化していく、小日向未来の——『久遠(くおん)』。

 

 その一撃一撃が、着実に降り注いでくる残骸を蹴散らしていく。

 

「全部……撃ち落としてやる!!」

「ハッ!!」

 

 さらに雪音クリスも、アームドギアの形状を弓から銃火器へと戻し、ミサイルで広範囲を爆撃。

 マリアはアガートラームでエネルギーベクトルを操作、エネルギーシールドを限界まで広げて街を守っていく。

 

「ニャアアアア!!」

「砂太鼓!!」

「おんぎゃああ!!」

「ぬりかべッ!!」

 

 装者たちほどの火力を広範囲では展開できないものの、妖怪たちも街を守るためにそれぞれの力を出し尽くしていく。

 そんな、降り注ぐ残骸から街を守るという激闘の最中——。

 

 

「!! みんなっ!! アレを見るんじゃ!!」

 

 

 雪音クリスの肩から上空を見上げる目玉おやじが何かに気付き、皆の視線をそこへ向けさせる。

 

「ッ!! カルマノイズ!!」

 

 粉々に砕け散っていく破片の中には、大百足の頭部が混じっている。そこには当然、大百足と同化したままのカルマノイズもいた。

 

 そのままであれば、遥か上空から頭部と一緒に落ちてくるところ。だが、カルマノイズは——そこから抜け出そうとしていた。

 用済みとなった大百足との同化を解き、逃げようとしていたのだ。

 

 

「——逃さないッ!!」

 

 

 これに立花響が真っ先に走り出す。

 他の皆よりも広範囲で攻撃する術に劣っている自分こそが、あのカルマノイズにトドメを刺すべきだと判断しての行動だった。しかし、いかにシンフォギアといえども、未だ落下途中の奴の元に辿り着くには至難である。

 

 

「——立花響!!」

 

 

 そこでゲゲゲの鬼太郎が、初めて響の名前を呼ぶ。

 

「追うぞ、乗るんだ!!」

 

 彼は一反木綿を呼んでその背に飛び乗っていた。響にもその背中に乗り、一緒にカルマノイズを追えということだ。

 

「うんッ! 一緒に行こう!!」

「しっかり掴まってなしゃいよ〜!!」

 

 響は鬼太郎の意図を察し、素早く一反木綿の背に飛び乗る。二人を連れ、一反木綿が地上から超特急で飛び立つ。

 

「立花が行ったぞ!! 皆、援護しろッ!!」

「響ッ!!」

 

 翼が響の援護に回るよう、皆に指示を飛ばす。

 響たちのそのすぐ後を、唯一単独での飛行能力を持った小日向未来が遅れながらも追っていく。

 

 

 

 

 

 降り注ぐ大百足の残骸を掻い潜りながら、一反木綿は大空を飛翔していく。

 目指すは全ての元凶、カルマノイズ。他のものには一切目もくれない。街は仲間たちが守ってくれると信じ、その瞳にカルマノイズのみを見据えていく。

 

 最速で! 最短で! 真っ直ぐに! 一直線に!

 この胸の響きを!! 奴に叩き込むために!!

 

「————」

 

 だが、この時点で既にカルマノイズは大百足の頭部から抜け出していた。同化から解けた奴は、この瞬間にもその存在感を朧げにしていく。

 

「このままじゃあ……!」

 

 鬼太郎が焦りを口にする。

 せっかく大百足を倒したところまで追い詰めたというのに、このままでは逃げられてしまう。ここで逃せば次にどんな厄災を齎すか分からない。カルマノイズは確実に、ここで倒してしまわなければならないというのに。

 

 果たしてここから、カルマノイズが消えるまで間に合うかどうか——。

 

 

「鬼太郎くんッ!!」

 

 

 だから、響は叫んでいた。

 

 

「——今から飛ぶよ……拳を貸してッ!!」

 

 

 詳しいことまで話している時間がないため、彼女は手短に要件だけを伝える。『飛ぶ』、『拳を貸す』。果たしてそれで伝わったかどうか。

 

 

「はぁあッ!!」

「な、ななな……響しゃん!?」

 

 

 それを確認する間もなく、響は一反木綿の背中から——跳んだ。

 飛行能力のない響ではそのまま落ちていくしかないだろうと、一反木綿は焦りを見せるが。

 

 

「——霊毛ちゃんちゃんこ!!」」

 

 

 しかし鬼太郎は全く慌てることもなく。霊毛ちゃんちゃんこを腕に巻きつけ、拳を突き出していた。

 

 

 その拳の上に——立花響が乗る。

 鬼太郎の拳を踏む台にし、彼が拳を振りかぶる勢いに乗って——響はさらに上空へと跳躍したのだ。

 

 鬼太郎の拳の威力も上乗せされた、響自身が光速で飛来する弾丸と化す一撃——『我流(がりゅう)瞬光妖弾(しゅんこうようだん)』。

 

 

「——つらぬけええぇええええええええええッ!!」

「————!」

 

 

 その一撃が——カルマノイズに届く。

 避ける暇も、逃げる隙間も与えずに、一撃で奴の真芯を撃ち貫く。

 

 散りとなって消滅する、カルマノイズ。

 今度こそ間違いなく。この世界に蔓延っていた異変の元凶を彼女が——響と鬼太郎の二人で打ち砕いたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 落ちていく。

 カルマノイズを倒すことに全てを出し尽くした響は、頭から地上へと真っ逆さまに落ちていた。

 燃え尽きる流れ星のように。いかにギアを纏った状態といえども、このまま落下すればタダでは済まないだろう。死ぬことはないだろうが、激痛は避けられない。最悪、かなりの重傷を負うことになったかもしれない。

 

 

 けれど、響に不安はなかった。

 

 

 その口元には微笑みすら浮かべられている。

 

 

 何故なら彼女は、信じていたからだ。

 

 

「——響ッ!!」

 

 

 いつだって戦いを終えた先に、自分の帰る場所があると。

 

 

 そこで『彼女』が待ってくれていると、確かな確信を抱いていたから。

 

 

「もう……相変わらず無茶し過ぎなんだから。私が受け止めてなかったら、どうするつもりだったの?」

「平気だよ! だって、未来がいるんだから!」

 

 まさにその想いに応えた——小日向未来。

 立花響の落下地点を予測でもしていたのか、落ちてきた彼女の身体を空中で抱きとめる。未来はいつもの響の無茶に少し怒った顔をするが、それに響は平気へっちゃらと笑みで返す。

 

 

 至近距離で見つめ合う二人。戦いを終えた後はいつものように、互いの無事を笑顔で喜び合った。

 

 

 

「——ただいま、未来」

「——お帰りなさい……響」

 

 

 

×

 

 

 

 大百足、カルマノイズとの戦いが終わり、半日が経過していた。

 

 急遽救援に駆けつけてくれていたマリア、切歌、調。そして未来の四人は先にゲートを通り、S.O.N.G.本部へと帰還した。他の並行世界の装者である奏やセレナが留守を守ってくれているとはいえ、それに甘えるわけにもいかない。

 二人にだってそれぞれ守るべき世界があるのだ。自分たちの世界を守るなら、自分たちの手で。本当ならそれが一番なのだから。

 

「……やはり、どうしても損害は出てしまったか……」

「しゃーねぇだろ……寧ろ、この程度で済んだのが奇跡だって……」

 

 去るものがいる一方で、最初の調査メンバーであった翼、クリス。そして響の三名は戦いの被害を調べるため、こちらの世界に留まっていた。

 装者や鬼太郎たちもかなり奮戦したが、やはり街の方にもそれなりに被害が出てしまっている。

 

 この被害が、人と妖怪の情勢にどのような変化を齎すことになるか。それは現時点では分からない。

 カルマノイズの瘴気が晴れたことで、人々が極端に暴走するようなことはなくなっただろうが、それでも元からあった対立が綺麗さっぱり消えてなくなるわけではない。

 

 人間と妖怪との溝。まだまだ、両者のわだかまりが埋まることはなさそうだ。

 

「…………」

 

 そのことに、響は不安げな表情を浮かべていた。

 そういった問題を残したまま、この世界から立ち去らなければならない自分たちの立場を、非力さを憂いているようだ。

 

「立花……これ以上この世界に私たちが留まることは許されない。カルマノイズの脅威が去った以上、あとこの世界の問題だ」

 

 そんな響の心情を察しながらも、翼はあえて厳しい言葉を投げ掛ける。

 既にこの世界の異物であったカルマノイズは倒した。あとはこの世界の住人である鬼太郎や妖怪たちが、人間相手にどうやって接していくかを考えていかなければならない。

 

 これ以上の介入は、逆に響たちの方こそが異物と成りかねない。

 心残りだが、この辺りが引き際だろう。

 

 

 

「しっかし……ものの見事にぶっ壊れちまったな、この神社も……」

 

 既に鬼太郎たちとも別れを済ませていたため、装者たちはこの地を去るべくギャラルホルンのあるゲート前へと来ていた。

 そこでクリスは周囲を——神社跡地を見渡しながら呟く。

 

 大百足本体の出現と同時に粉々に粉砕されてしまった廃社は、もはや見る影もなく瓦礫の山と化した。ゲートそのものは無事であったが、これではもはや神社としての役目は果たせまい。

 元より人が訪れなくなった廃社とはいえ、この最後はあまりにも寂しいものである。

 いったい何を祀っていた神社かも、もはや知る機会もなかったのだが——。

 

「……! 二人とも、これを見てみろ……」

「どうかしましたか、翼さん?」

「なんだよ、何か見つけたのか?」

 

 ふいに、何かに気づいた翼が瓦礫の山からその破片を拾い上げる。

 

「これは……ムカデの彫り物か?」

 

 それはかろうじて原型を留めていた、神社の装飾の一部——『百足の彫刻』であった。

 建物が健在であった頃は、内部が常に薄暗かったために気づけなかったが、その装飾を見るに——どうやらこの神社では百足を眷属として祀っていたようだ。

 

 百足を祀っていた筈の神社の真下から、あの大百足が出現した。

 その事実に、翼の脳裏にとある推測が浮かび上がる。

 

「そうか……もしかしたら、あの大百足も元々はこの神社の神使とやらだったのかもしれんな……」

 

 目玉おやじが教えてくれた『百足』という妖怪の在りよう。今回の事件では邪悪な妖怪として人間たちに恐怖を与えたが、ときには信仰の対象としても扱われる存在だ。

 

 もしかしたら、あの大百足も元々は神々に仕える眷属だったのかもしれない。

 しかし神社が廃れ、訪れる人もいなくなり、この地の百足は神使としての役割を果たせなくなった。

 

 信仰心を失い弱体化——そこを、カルマノイズに目をつけられた。

 

 かの者の邪悪な瘴気は浴び、人間たちを襲うようになった。

 それが結果として、あのような怪物を誕生させてしまうきっかけになったのかもしれない。

 

「……ムカデさん。今度肉体を取り戻したときは……良いムカデさんになってて下さい!」

 

 翼のその推測を聞いた響は、何処ぞへと姿をくらました大百足の魂へと手を合わせる。

 

 今度、肉体を取り戻したときにはせめて『良き存在』に成れるようにと。

 それが今の自分にできる、あの大百足へのせめてもの弔いだと信じ、ただ静かに祈りを捧げていた。

 

 

 

「さてと……それじゃ、そろそろ戻るとするか」

「ああ、そうだな……」

 

 皆でムカデへの鎮魂も済ませ、クリスと翼が改めてギャラルホルンのゲートへと向き直る。

 やれることは全てやった。あとはこのままゲートを潜れば、それでこの世界ともお別れとなる。

 

「——あっ! やっぱりいた! 皆さん!!」

 

 だが、そのタイミングで何者かがやって来る。

 人など滅多に来ることのないその場所に、装者たちを呼び止めるものが駆け寄って来たのだ。

 

「なっ! だ、誰だッ!?」

「あれは……まなちゃん!?」

 

 ゲートの前で人に見られたことを焦る翼だったが、それが自分たちにとって見知った相手、犬山まなであったことに響は目を丸くする。

 装者たちにとって、彼女はこの世界のことをより詳しく知るきっかけとなった相手だ。一言二言くらいならば別れの挨拶をしても問題にはなるまいと。

 装者たちは、まなが駆け寄ってくるのを静かに待つ。

 

「はぁはぁ……」

「どうしたんだ? こんなところにまで……」

 

 だいぶ慌てていたのか。軽く息切れを起こすまなにクリスが不思議そうに尋ねる。

 何故彼女がここにいるのか。そこまで必死になって、自分たちのところに走ってきたのか率直な疑問を浮かべた。

 

「はぁはぁ……わたし、皆さんのこと捜してたんです! そしたら……たまたますぐ近くで、響さんの後ろ姿が見えて……」

 

 響たちを捜していたという、犬山まな。

 しかし、何の手掛かりもなく街中を捜し、そう簡単にその所在に行き当たるだろうか?

 

 無論、それは起こりうることだ。犬山まなの『偶然力』を以ってすれば——。

 

「わたし……響さんたちにお礼が言いたくて……!」

 

 そう言いながら、まなは響たちに向き合うや姿勢を正していく。

 

「あのおっきなムカデ……倒してくれたの、響さんたちですよね!? 響さんたちの歌……わたしのところにも届いてました!!」

 

 あの特大大百足の巨躯を、まなもしっかりと目撃してしまっていた。

 その圧倒的なスケール感を前に、彼女も他の一般人同様に絶望するしかなかっただろう。

 

 だが、そんな絶望の最中にも聞こえてきた装者たちの歌声。大半の人はそれが誰の歌声なのかも分からずにいたが、まなは響たちの戦う姿を一度直に目撃している。

 故に聞こえてきた歌声が、彼女たちのものであると察することができたのだ。

 

「響さんたちのおかげで……ほんとにありがとうございました!!」

 

 だから、まなは響たちにありがとうと頭を下げ——。

 

 

「——やっぱり、響さんたちは凄いですね!! 皆さんの手にかかれば……どんな悪い妖怪だって、コテンパンにやっつけられちゃいますよ!!」

 

 

 それはまなとしては、特に何か含みがあった発言ではない。

 ただ単純に、悪いモノを退治してくれた彼女たちに、心から感謝しているため自然と出てきた言葉であった。

 

 だが、そんな犬山まなの発言に——。

 

 

「…………」

 

 

 何故だか、響はとっても悲しそうな表情になってしまう。

 翼もクリスも。何とも複雑そうな顔で固まってしまっていた。

 

「ど、どうしたんですか? わたし、何か気に触るようなこと言っちゃいました!?」

 

 彼女たちの顔色の変化にまなが慌てふためく。何か知らないうちに、失礼なことを口走ってしまったのか不安になっている様子だ。

 そんなまなに対し、響は首を横に振りながらも——真摯に問いを投げ掛ける。

 

 

「ねぇ……まなちゃん。まなちゃんは……妖怪が嫌い?」

「——ッ!!」

 

 

 大百足の被害にあった彼女に、こんなことを問い掛けても答えなど分かりきっていただろうに。

 それでも、響には問わずにはいられなかった。

 

 大百足が、妖怪が『悪いもの』であると。疑いようもなくそう思っているまなの感情を、どうしても放置することが出来なかったのである。

 

「…………嫌いというより、怖いです……」

 

 まなは響の言葉に僅かに言い淀みながらも、自身の正直な気持ちを吐露する。

 

 二年間の記憶の空白がある犬山まな。彼女にとって妖怪とは、ある日突然、自分の日常に顔を出した異物そのものである。

 どこから、いつからそんなものが出てくるようになったかも理解できず。何も分からないまま、平和な日常を脅かされてしまっている。

 

 しかも、あの大百足以外にも。まなは一度妖怪に襲われ、そのせいで彼女の母親も傷付いたことがあるという。

 そういった経緯を考えれば、まなが妖怪に対して良い感情を抱けないのも、仕方がないことだろう。

 

 

 それは理解できる。けど、それでも響は——。

 

 

「まなちゃん。人間にも悪い人がいるように……妖怪にだって、良い妖怪がいるかもしれないよ?」

 

 響はまなに対し、妖怪を擁護する発言を口にしていた。彼女の脳裏に浮かび上がるのは、今回の騒動を共に解決してくれた——ゲゲゲの鬼太郎とその仲間たち。

 いや、本当だったら。あの大百足だって神々の眷属として人間たちを見守る存在であったかもしれない。

 ただの悪ではないと。少なくとも、響たちが今回関わった妖怪たちはそうだった。

 

「怖いッ……ていう気持ちは、私に分かる。けど、ひょっとしたら……今回の事件でも人間たちを守るために頑張ってくれた妖怪さんがいるかもしれないんだ」

 

 だから、立花響は必死に言葉を紡いでいく。

 決して自分の考えが一方的な押し付けにならないように、まな自身に考えてもらう余地を残すように言葉を選びながら。

 

「だから……怖がらずに向き合ってみよう? そうすれば……いつかは彼らとも手を取り合えるかもしれないから」

「…………」

 

 響の言葉にまなは沈黙。だが決して、頭ごなしに否定するような態度ではない。

 きっとまななりに、響の言葉を聞いて考えてくれているのだろう。

 

「……立花、そろそろ……」

「……わかりました」

 

 だがまなの答えを聞く前に、そろそろ時間だと翼が声を掛ける。響もそれ以上は、何も語らずにただ手を振っていく。

 

 

「さようなら、まなちゃん。私も頑張るから……まなちゃんたちも頑張ってね!!」

 

 

 そうして、響たちはあえてまなの目の前でギャラルホルンのゲートを潜り、その世界や犬山まなと別れを告げていった。

 

 

 

 

 

「き、消えた!? ま、待っ——」

 

 空間に開かれた穴のようなものを潜るや、姿を消してしまった響たちにまなは思わず後を追おうと駆け出す。

 

 だが次の瞬間にも、ギャラルホルンのゲートはその役割を終えたかのように消失——その場から消えてしまう。

 

 通常であれば残り続けるゲートもあるが、どうやらこの世界での装者たちの役目はこれで終わりのようだ。

 今後も様々な問題が起こるだろうが、それは装者たちの力がなくても解決できると。世界そのものが判断した結果、ゲートは完全に消えてなくなった。

 

「………」

 

 響たちがゲートと共に消えた光景に、流石にまなは呆気にとられていた。

 だがすぐにでも我に返り、彼女は響に言われた言葉を思い返す。

 

「……怖がらずに、向き合う……」

 

 勿論、その言葉だけでまなの価値観が一瞬で切り替わるわけではない。

 妖怪に対する、まなの『怖い』という感情が拭いきれるわけではなかった。

 

「…………今度、色々と調べてみようかな……」

 

 だがそれでも、その言葉は妖怪そのものを怖いと拒絶していたまなの心情に一筋の光をもたらした。

 まずは知る努力から始めてみようかなと、少しだけまなの気持ちが前向きになっていく。

 

 

「ありがとう……響さん」

 

 

 まなは、最後まで自分のことを気に掛けてくれた立花響という少女への礼を口にした。

 

 

 きっと、彼女たちと再会することはないだろうと。

 

 

 一抹の寂しさを感じながらも、その口元には確かな笑みが浮かべられていた。

 

 

 




人物紹介
 
 真・大百足
  今回のシンフォギアとのクロス、まずは敵をどうするかで悩みました。
  作中でも言われているとおり、シンフォギアってわりと非常識な存在。
  その非常識に対抗するには、並みの妖怪ではパワー不足と。
  それに負けない相手として……今回はこの大百足。
  三上山伝承に登場する、山を七巻半するというバケモンにご登場願いました。

 藤原秀郷
  大百足を討伐した逸話を持つ武者。FGOユーザーには俵藤太の方で通じる。
  敵が大百足であった場合、どうやって退治するかで自然と彼の名前が登場。
  その伝説をなぞる形で、クリスが大百足を弓矢で討伐するという流れ。
  
 マリア・カデンツァヴナ・イヴ
  アガートラームの装者。アームドギアは謎の左腕。
  通称アイドル大統領。彼女だけ二十代……魔法少女とはいったい?

 暁切歌
  イガリマの装者。アームドギアは大鎌。
  語尾に常に「デス!」が付く子。ディスガイア4のデスコじゃないよ? 

 月読調 
  シュルシャガナの装者。アームドギアは丸ノコ? ヨーヨー?
  装者たちの料理番、『調めし』なる番外編があるとか。

 天羽奏
 セレナ・カデンツァヴナ・イヴ
  名前だけ登場。それぞれ本編ではお亡くなりになっている装者たち。
  こういったキャラが登場するのが、XDの醍醐味かと。



次回予告

「劇場に響く歌声、舞台の裏で暗躍する怪人。
 狙われる出演者たち……それでも、彼女たちは演じることを止めはしない。
 父さん、彼女たちのあれは……本当に演技なんでしょうか?

 次回——ゲゲゲの鬼太郎『アクタージュ オペラ座の怪人』見えない世界の扉が開く」


 次回は『ゲゲゲの鬼太郎』×『アクタージュ』×『FGOのファントム』
 多重クロスでお送りいたします、お楽しみに……。

 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アクタージュ オペラ座の怪人 其の①

7月は個人的に欲しいゲームが目白押しです。

ようやく発売されることになった『デジモンサヴァイブ』
大人気シリーズのナンバリングタイトル『セノブレイド3』
隠れた名作のリメイク『グリムグリモア oncemore』

とりあえず、デジモンとグリムグリモアは予約済み。ゼノブレイド3は評判を見てから購入を検討。
全部買っても一気には出来ないですし、一本ずつ楽しんでいきたいと思います。

さて、今作のメインクロスオーバーは『アクタージュ』
ジャンプで連載されていた、役者物語。現代版『ガラスの仮面』と呼ばれていた作品です。
この作品をクロスすることに賛否両論あるかと思いますが、個人的には好きな作品なのでやっていきます。

そして今回はそこに、fgo仕様の『ファントム・ジ・オペラ』を参戦させていきたいと思います。
初めてになるかな? はっきりと明言した上での同時多重クロス。次回以降もこういった形でのクロスオーバーが増えていくかと思います。

それでは……アクタージュの役者たちによる、オペラ座の怪人の公演をお楽しみ下さい……。




 クリスティーヌ……。

 

 嗚呼……クリスティーヌ……クリスティーヌ……!

 

 我が愛! 我が歌! 我が命!!

 

 その顔をもっとよく見せておくれ……。

 

 その声をもっとよく聞かせておくれ……。

 

 クリスティーヌ、キミが望むのならば……私はキミを見送ろう……。

 

 キミが『彼』と共に旅立つのを……この暗い地下の底から……。

 

 

 …………だが、クリスティーヌよ。

 

 

 キミに置いて行かれる私の気持ちを……キミは汲み取ってくれるのだろうか?

 

 私はキミは愛した……だがキミは私を……愛してくれていたのだろうか?

 

 たとえ愛してくれていたとしても、きっと『彼』との幸福な日々が私との思い出を過去のものとしてしまうだろう。

 

 私はそれが恐ろしい! キミに忘却の彼方へと追いやられるのが……心底恐ろしい!!

 

 

 だから、クリスティーヌよ……。

 

 

 私を……やはりお前をっ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——まずいことになったよ、黒山」

「…………」

 

 深夜の繁華街。二人の男性が居酒屋のカウンター席に隣り合わせに座っていた。

 

 一人は黒いスーツをきっちりと着こなしたビジネスマン風の男。まずいことになったと言いながらも、その口元には常に柔和な笑みが浮かべられている。額のほくろが特徴的。その笑みも含めて、全体的にどことなく胡散臭い空気を漂わせている。

 

 もう一人は無精髭を生やした、黒山と呼ばれた中年男性。楽しい酒の席であるというのに、その顔はずっと不機嫌。髪もボサボサ、服装もだらしなく、パッと見では何の職業をしているのか分からないが、少なくともサラリーマンの類でないことはまず確実だろう。

 

 あらゆる意味で対象的な二人。そんな彼らが同じ席で酒を呑んでいることにだいぶ違和感を覚える。

 実際、仲良しこよしというわけでもないのだろう。無駄な世間話などに興じることもなく、淡々と仕事の話を進めていく。

 

「例の件、スポンサーが何社か降りることになってしまったよ。曰く、『こんな大変な時期に映画なんぞのために金は出せない……』とのことだ」

「……ちっ、日和やがって! 世知辛い世の中だな、まったく……」

 

 ビジネスマン風の男の『まずいこと』とやらに黒山は舌打ちしながら、生ビールを一気に飲み干していく。酒には強いのか特に酔っぱらう様子もなく、彼は不平不満をぶち撒ける。

 

 例の件というのは、彼らが撮ろうとしている作品——『映画撮影』に関してであった。

 

 無精髭の男は——映画監督・黒山墨字(くろやますみじ)

 国内の知名度は高くないものの、国外では数多くの映画賞を受賞している稀有な日本人男性だ。

 彼の作る映画は、基本的には大衆向けではない。その粗暴な見た目からは想像もつかないほど繊細な作品を作り、それが一般受けすることがなかった。

 また彼自身が富や名声を求めなかったこともあり、これまで世間的にあまり注目もされないでいた。

 

 しかし業界内で黒山墨字の名は知れ渡っており、そんな彼が今回——初めて『大作映画』を撮ろうとしている。

 

 まだ脚本も出来上がっておらず、出演者も確定していないが、構想だけならば既に黒山の頭の中にある。彼にとっても、かつてないほど大規模な撮影が必要になってくる映画だ。それ相応の予算を確保するためにも、各企業からのスポンサー支援を取り付けていた——筈であった。

 

「仕方がないさ。スポンサーの中には自社ビルが吹っ飛んで、会社そのものが倒産してしまった。なんてところもあるのだから」

 

 ビジネスマン風の男が言うように、支援すると約束していた企業が映画への出資を取り止めてしまった。

 しかし、それはある意味仕方がないところがあり、一概に企業側を責めることもできない。

 

「まさか、妖怪なんてものにここまで人間社会が脅かされることになるとは。数年前までは想像もつかなかった事態だよ」

「…………」

 

 ビジネスマン風の男は平然と言い放つも、それに黒山は微妙な表情を浮かべる。

 

 妖怪。

 そんなものは黒山にとって、それこそ映画の中だけに登場する存在だった。だが近年、妖怪の存在が徐々に表立って登場するようになり、ついには彼らとの戦争にまで発展した。

 幸いにも、黒山や彼の周囲の人々にそこまで直接的な被害は出ていなかったが、それを他人事として片付けられないのが人間社会というもの。

 

 戦争の被害によって受けた企業側の損害。それが予想も付かない形で黒山の映画制作に歯止めを掛けてしまっていたのだ。

 スポンサーが付かなければ、予算が下りない。予算が下りなければ、映画制作など出来ない。悔しいがそれが現実というもの。

 

 もっとも——。

 

「つっても、お前のことだ。もう新しいスポンサーに目星は付けてるんだろ? 守銭奴の天知君」

 

 黒山はビジネスマン風の男——天知という人間の『プロデューサー』としての手腕だけは信用していた。この程度のことで挫折するような男でもないと、理解しているつもりだった。

 

「勿論だとも。私のコネクションを甘く見てもらっては困るよ」

 

 予想通り、天知は既に新しいスポンサーに当たりを付けていた。彼がその支援者たちと話をつけることができれば、黒山も映画監督として予算の心配などする必要もなくなる。しかし——。

 

「だが彼らを動かすためには、もう少し実績が欲しいところだ。彼らを納得させるだけの説得力がね」

 

 映画だけに限った話ではないが、興行というものは決してボランティアではない。スポンサーも、支援するだけの見返りがあると判断したからこそ、協力企業として名前と金を出してくれる。

 新しい支援者たちにも、黒山監督の映画に出資することが利益になると。これが『良い話』であることを納得させる必要があった。

 

「そこでだ、黒山。キミにはもう一度、演出家としてとある舞台の演出を手掛けて貰いたい」

「…………」

 

 舞台の演出——即ち『演劇』だ。

 本職が映画監督の黒山に演劇の演出をやらせようなどと無茶振りのように思えるが、それは彼にとっては何ら問題ではない。

 前回も黒山は『羅刹女(らせつにょ)』という芝居の演出を手掛け、見事に大成功させている。

 

「勿論、主演は『彼女』だ。彼女の商品価値を改めて世間に知らしめる必要がある」

 

 さらに天知はその芝居の主演女優を指定してきた。天知の言う『彼女』こそ、黒山が撮ろうとしている映画の主役となる役者だ。

 全ては黒山墨字が——彼女という才能の『原石』を見つけ出したことから、始まったのだから。

 

「それは……本当に必要なことか?」

 

 しかし、天知のその提案に黒山は難色を示す。

 

「あいつには……あちこちでCMに出演させて名前を売らせてるんだ。今更演劇での売名行為なんざ……ほとんど意味ねぇだろ」

 

 役者が、芸能人が名前を売る手段として最も有効なのはTV出演だろう。その中でもCM出演はかなり効果的だ。ドラマやバラエティも悪くはないが、そういった番組は興味のある人間でなければチャンネルを合わせない。

 だがTVCMであれば、たとえ意識しなくとも目にされる機会が増え——それをきっかけに知名度も上がる。

 

 実際、CM出演の影響で今やお茶の間で『彼女』の顔と名前を知らぬものなどいないほど。

 故に、わざわざ知名度の上がったこの時期に演劇で名前を売ろうなど、正直言って不自然でしかない。

 

 演劇は純粋に役者としての芝居が評価されるコンテンツだが、その分一般的とは言いがたい。

 たとえどんなに素晴らしい演技をしようとも、それが純粋な認知度の向上に繋がるとも限らない。

 

「……天知。お前……今度は何を企んでる?」

 

 そんなことが分からないプロデューサーではないだろうと、黒山は不自然な天知の提案に彼を怪しんだ。

 

 何故ここに来て演劇なのか。その真意はどこにあるのか。

 黒山のその問い掛けに対し——。

 

 

「ふっ……」

 

 

 天知は何も答えない。ただ柔和な笑みを浮かべ続けるだけであった。

 

 

 

×

 

 

 

「——ええっと……プロデューサーの……天知さん?」

 

 その日、ゲゲゲの鬼太郎は妖怪ポストに届いた手紙の依頼に応えるため、とあるビルの一室を訪れていた。

 

 

 第二次妖怪大戦争直前、人間たちの手によって無惨に破壊された妖怪ポスト。鬼太郎の手など借りないという、人間たちの意思表示なのか。

 

 戦争終結後、人間側と一応の和平が済んだ後も、鬼太郎は壊されてしまったポストを直すかどうか悩んでいた。

 直したところでまた壊されてしまうのではないか。人間に自分たち妖怪の手助けなど必要ないのではないのか、散々悩んだものだ。

 だが悩んで悩んで、迷いに迷った末——鬼太郎は、妖怪ポストを直すことにした。

 

 もう一度、人間の依頼を受けてみようと。彼らの助けを求める声に耳を傾けてみよう、信じてみようと思ったのだ。

 

 そうして、妖怪ポストが修理された——その数日後。

 さっそく鬼太郎の元に依頼の手紙が届けられたことで——彼は今回も事件へと巻き込まれていく。

 

 

「はい、天知心一と申します。この度はお呼び立てして申し訳ありませんでした、ゲゲゲの鬼太郎さん」

 

 鬼太郎に手紙を出したその人間は天知心一(あまちしんいち)、プロデューサーを名乗った。

 

 人間社会に疎い鬼太郎から見ても、どことなくやり手のビジネスマンという印象を抱かせる男性だ。口元には常に柔和な笑みが浮かべられており、その表情は一向に崩れる様子を見せない。

 その佇まいからも、余裕のようなものを感じられる。とても妖怪に困らされて、鬼太郎に助けを求めているという感じには見えないが。

 

「いえいえ! ご依頼さえあれば。鬼太郎はいつでもどこへでも、駆けつけますとも……へへっ!」

 

 鬼太郎と天知の話に割り込むように、今回の依頼に無理やりついてきた、ねずみ男が口を挟んでいく。

 戦争終結や、戦後交渉など。ここ最近は妖怪と人間との間を何かと取り持ってくれた彼だが、それがひと段落するや相変わらずの調子へと戻っていた。

 

 意地汚く、金に汚く、すぐにお調子に乗る——ある意味でねずみ男らしい。

 

 今回の話にも、隙あらば依頼料の名目で金銭を要求しようと、その魂胆が透けて見えている。

 

「余計なことすんじゃないわよ、ねずみ男!!」

「痛っ! やめれ、耳を引っ張るなよ! いでででっ!!」

 

 だが、そんなねずみ男に余計な悪知恵を働かせまいと、同行していた猫娘が目を光らせる。

 彼女がいれば、ねずみ男も下手な真似は出来まい。ねずみ男の監視を猫娘に任せ、とりあえず鬼太郎は天知から詳しい話を聞いていく。

 

 

 

「——実は怪人を名乗るものから、脅迫状が届きましてね」

「はい? 怪人……脅迫状、ですか?」

 

 開口一番、天知は『怪人』なるものの存在を仄めかす。妖怪ではなく、怪人とはっきり断言する彼の口ぶりに、鬼太郎は目を丸くするしかない。

 

「はい、昨日の夕方頃のことです。この脅迫状が私のデスクの上に置かれていました」

 

 戸惑う鬼太郎にも構わず、天知は実際に届いたという手紙——その脅迫状を見せてくれる。

 

 

『クリスティーヌを主役に。

 この命令に背いた場合、諸君に想像を絶する災いが起こるであろう』

 

 

 短く簡潔な内容の文章。文字は新聞紙の切り抜きを貼ったという。いかにもな雰囲気の、確かにそれが脅迫状であると判断できるものだ。

 

 しかし鬼太郎には、脅迫文の内容の意味が分からなかった。

 特に『クリスティーヌを主役に』という一文に関しては、いったい何のことを示唆しているのかさっぱりである。

 

「クリスティーヌ…………これって……もしかしてオペラ座の怪人?」

「知ってるのか、猫娘?」

 

 だが首を傾げている鬼太郎をよそに、その脅迫状を横から覗き込んだ猫娘が何かを察した。どうして彼女が『怪人』の存在を理解しているのか。それにどういう意味があるのかを鬼太郎は尋ねる。

 

「オペラ座の怪人……確か原作はフランスの小説だったかしら? 人間たちの間じゃ、結構有名な物語よ」

 

 

 オペラ座の怪人。

 1909年にフランスの小説家、ガストン・ルルーによって発表された怪奇小説である。

 舞台は19世のパリ、オペラ座・ガルニエ宮。その地下迷宮に潜むとされたオペラ座の怪人——ファントム。彼がクリスティーヌという歌姫に恋をし、彼女のために謎めいた事件の数々を起こしていく。

 クリスティーヌへの恋が、愛が——怪人を嫉妬に狂わせ、最後は彼自身も命を落としていくという話だ。

 

 

「へぇ……詳しいじゃないか、猫娘」

「このくらいは一般教養の範囲よ。少し調べればネットにも出てるわ」

 

 人間たちの創作した、しかも外国の物語なのによく知っているなと感心する鬼太郎だが、この程度であれば知識として一般的にも知られている範囲だと言う。

 実際、オペラ座の怪人という作品は小説のみならず、映画やドラマ。舞台やミュージカルと、あらゆるコンテンツでメディア化されている。それらの作品に触れていなくとも、タイトルや軽い概要くらいならば知っているという人も多いだろう。

 それほどまでに、この『オペラ座の怪人』という物語は世界的にも浸透しているということだ。

 

「ふ~む……? しかし、何故そこで脅迫状なんじゃ? それに……それは人間の作った架空の物語なのであろう?」

 

 ここで、目玉おやじが鬼太郎の頭から顔を出して疑問を投げ掛ける。

 鬼太郎たちと違って明らかに人間離れした彼の登場に天知が「ほう……」と僅かに感嘆の声を洩らすも、やはりそこまで動じてはいない。

 

「オペラ座の怪人の一幕にあるんですよ。怪人がオペラ座の支配人に対し、脅迫状を送るという描写が」

 

 平然とした様子で、天知は目玉おやじの質問に答えていく。

 

 

 オペラ座の怪人にはいくつか印象的なシーンがあり、その中の一つに『怪人が脅迫状を送りつける』というものがある。

 脅迫状の内容に関しては、作品が作られる度に色々な解釈がなされるが、基本的に怪人はクリスティーヌを歌姫にするため、彼女を主役に抜擢するよう、オペラ座の支配人を脅すとされている。

 その脅迫を断れば当然——『想像を絶する災い』とやらが降りかかることになる。

 

 

「かくいう私も、ちょうどオペラ座の怪人の劇をプロデュースしている最中でしてね。まさにこの手紙は、私という支配人に向けて怪人から送られた脅迫状なんですよ」

 

 そして天知心一は現在、まさに『オペラ座の怪人』という演劇そのものをプロデュースしているという。

 そんな彼の元へと送り付けられた脅迫状——まさに劇中の物語はなぞるようである。

 

「けっ!! なんだそりゃ……くだらねぇ!!」

 

 しかし、そこまで話を黙って聞いていたねずみ男がガッカリしたように踏ん反り返っていく。

 

「こんなものただのイタズラだろ! こんな脅迫状一つで、いちいち俺たちを呼びつけてんじゃねぇよ!!」

 

 実際に依頼の手紙を受け取ったのは鬼太郎で、ねずみ男は勝手について来ただけ。

 だが、自分たち妖怪をこんなイタズラとしか思えない案件で呼びつけた依頼人の対応に彼はご立腹であった。

 きっと金にもならないと思ったのだろう。媚びる必要もないと、遠慮なく素の表情を曝け出している。

 

「ええ、仰るとおり。確かにイタズラの類と考えるのが自然でしょう」

 

 ねずみ男の言い分を、天知という男はあっさりと認める。

 

「しかしこのビルの警備上、このような手紙が私のデスクの上に置かれていたことが不自然なんですよ。監視カメラなどもチェックしましたが、誰かが侵入した形跡もありませんでした」

 

 だがその一方で、彼はこの脅迫状が何の前触れもなく自分の元へと届けられた事実に疑問を抱かざるを得なかった。

 

 彼の仕事場であるこの部屋も、このビル自体にも当然ながら警備網が敷かれている。もしも誰かがイタズラで脅迫状など送りつけようものなら、直ぐにそれが誰の仕業か判明するというのだ。

 しかし、警備の人間は誰も不審者など目撃しておらず、監視カメラの映像にも何も映っておらず。この脅迫状だけが、何の前触れもなく天知心一の手元へと届けられた。

 状況から考えて透明人間、あるいは妖怪・怪人の仕業としか思えないとのこと。

 

「それにオペラ座の怪人という物語自体、ただのフィクションとも言えないところがありますから」

 

 さらにオペラ座の怪人という物語にも、色々と曰くがある。

 

 

 オペラ座の怪人の著者であるルルーは、実際に物語の舞台となるオペラ座・ガルニエ宮を取材し、そこで受けたインスピレーションを元にこの小説を執筆したとされている

 物語もその経緯が『新聞記者でもあったルルーの実際の取材談』として語られ、あたかもノンフィクションであるかのような印象を読者に与える。

 何よりルルー自身が、死の床の際——『オペラ座の怪人は実在する』という言葉を残したとされている。

 虚構か現実か。オペラ座の怪人は、その境目が曖昧な作品でもあるのだ。

 

 

「このようなご時世です。怪人など存在しないと、はっきり断言することも出来ません」

「…………」

 

 それでもちょっと前までなら、天知も怪人など存在しないと胸を張って言えただろう。

 しかし、今や妖怪の存在が当たり前のように認知されている社会だ。鬼太郎という妖怪だって目の前にいるのだから、怪人の一人や二人、実在していても何ら不思議ではない。

 

「万が一何かあってからでは遅いと思いまして。鬼太郎さんには、これが怪人の仕業ではないという確証をいただきたいのですよ」

「……分かりました。そう言うことであれば……」

 

 ビジネスマンらしく、リスクを避けたいということだろう。

 用心深く自分を呼びつけた天知の対応に、鬼太郎は一応の納得を見せる。

 

 

 

「では、さっそくですがオペラ座。いえ、今回の劇を主催してくれる劇団の元へ向かいましょう」

 

 とりあえずの概要を説明し終えたところで、天知は鬼太郎たちをとある場所まで案内しようとする。

 もしも怪人が出没するとすれば、それはオペラ座——今回の場合、劇を主催してくれる劇団の稽古場に現れる可能性が高いとのことだ。

 

 鬼太郎がそこまで出向き、妖気の有無や怪人の気配などを確認。それで何事もなければ、今回の依頼はそれで完了ということだろう。

 

「そういうことでしたら……まずは受け取るものを受け取りませんと、へへっ!!」

 

 特に労力を必要とする仕事ではない。しかしこれが正式な依頼と認識するや、ねずみ男は再び態度を一変させ——依頼料を要求した。

 わざわざ自分たちを呼びつけたのだから、幾らかの見返りは当然だといわんばかりに。

 

「ねずみ男……アンタね!」

 

 ねずみ男の図々しい態度に、こめかみをひくつかせながら猫娘が爪を伸ばす。そのまま彼の顔面をひっかき、お灸を据えるのがお決まりのパターン。

 だが、彼女がねずみ男をとっちめるよりも早く——。

 

「——どうぞ、お納めください」

 

 天知心一はねずみ男に対し、分厚い茶封筒を差し出していた。

 

「依頼料です。ちょうど百万はありますよ」

「なっ!?」

「ひゃ、百万円!!」

 

 まさかの金額に目を剥く鬼太郎。これには流石のねずみ男も驚愕していたが、すぐにでも天知の手から封筒をひったくる。

 そして中身を確認、実際に諭吉が百人いるかを数えていき。

 

「一、十、二十…………百枚!! 確かにお受け取り致しましたぜ!! そんじゃ……あとはよろしく頼むぜ、鬼太郎ちゃん!!」

「あっ……ねずみ男っ!?」

「ちょっ!?」

 

 そのまま脱兎の勢いでその場から逃げ出していく。あまりの逃げ足の速さに鬼太郎も猫娘も追いかける暇がなかった。

 

「はぁ~……全くしょうがない奴じゃな!! 済まんのう、お金は後で全額返金させますんで……」

 

 これに、目玉おやじが呆れ返るようにため息を吐いていた。

 元から自分たちに報酬など受け取るつもりはなかったし、そもそも何もしないねずみ男があのような大金を貰う権利などない。

 あのお金は必ず全額返金させると、その場ですぐに頭を下げていく。

 

「——その必要はありませんよ」

「……えっ?」

 

 しかし、これに天知は平然と言ってのけた。

 

「あのようなはした金で鬼太郎さんたちの貴重なお時間をいただけるのであれば安いものです」

「は、はした金って……」

 

 百万もの大金を『はした金』と言い放つ、天知の金銭感覚に唖然となる鬼太郎たち。もっとも驚くのはまだ早い。

 

「ご安心ください、あれはただの手付金。成功報酬は別途お支払いしますので」

 

 何とあれはただの前金で、さらに追加で報酬を支払う用意があると言うのだ。

 

「い、いいえ!! 受け取れませんよ、そんなもの!!」

 

 鬼太郎はすぐにでも首を横に振り、そんな金は受け取れないとはっきり断りを入れる。

 自分は金のためにやっているわけではない。遠い日の約束を守るため、人間をもう一度信じてみようと思ったから、困っている人々に手を差し伸べているだけなのだ。

 

 しかし、鬼太郎がそのような思いを抱く一方で、天知も天知なりの考えを淡々と述べる。

 

「正当な働きに対し、相応の報酬を支払うのは当然のことです。貴方のような有名人をわざわざ呼びつけておいてタダ働きをさせたとあっては、私という人間の信用問題に関わります。この業界では信用が第一、信用を失くせば私もたちまち業界からはじかれてしまいますよ」

「…………」

 

 そういうものなのかと、つらつらと述べられる天知の言葉を疑問に思いながらも。

 鬼太郎は、やはり報酬など要らないとはっきり断ろうとしたが——。

 

 

 

「——これはビジネスですよ。ゲゲゲの鬼太郎さん」

 

 

 

 天知という男は笑みをさらに深めた。傍目から見れば、ただ微笑んでいるだけにしか見えないのだが——。

 

「——っ!?」

 

 瞬間、鬼太郎は得体の知れない寒気にゾクリと身体を震わせる。ふと自身の手の甲を見れば、知らず知らずのうちに鳥肌が立っていた。

 

「……? どうかしたのか、鬼太郎?」

「顔色が悪いわ、大丈夫?」

 

 妙な寒気に襲われたのは、鬼太郎だけだったなのか。目玉おやじと猫娘は何も感じた様子がなく、鬼太郎の顔色が冴えないことを指摘してくる。

 

「い、いや……なんでもないよ。と、とりあえず……その稽古場とやらに行きましょう!」

 

 咄嗟に鬼太郎は誤魔化すように叫んだ。

 相手はただの人間で、特に妖気を感じたわけでもないのだ。先ほどの感覚も気のせいだと、自分自身に言い聞かせ。

 

 

 とりあえず、怪人が現れるかも知れない現場へと足を運ぶことにする。

 

 

 

×

 

 

 

「——さあ到着しましたよ、皆さん」

 

 そうして、天知の運転する車で鬼太郎たちは目的地へと連れてこられた。

 そこは東京都内の住宅地の中、ひっそりと佇む少し大きな建物。巨大な劇場というわけではない、あくまで練習用の稽古場として建てられた小劇場だ。

 

 建物の管理者を示す表札には『劇団天球(げきだんてんきゅう)』と書かれている。

 

「劇団天球……」

「ええ、業界内でも屈指の実力を誇る演劇集団です。鬼太郎さんは、巌裕次郎という方の名前をご存知ですか?」

「い、いいえ……」

 

 呟きを溢した鬼太郎に、天知が世間話の流れで尋ねる。先ほどの妙な寒気のこともあって少し気後れする鬼太郎だが、今は何も感じなかったため彼の質問に正直に答えていく。

 

(いわお)裕次郎(ゆうじろう)。有名な舞台演出家、演劇界の重鎮の一人でした。完全実力主義と言われていただけあって、彼の集めた劇団員の演技レベルは非常に高い。その実力を見込んで、今回は劇団天球さんにオペラ座の怪人の公演をオファーさせていただいた次第です」

「…………でした?」

 

 本人や劇団のことを称賛する一方。巌裕次郎という人物のことを過去形で話す天知に思わず猫娘が聞き返してしまう。

 

「彼は去年、膵臓癌のため亡くなりました。最後は病院のベットで、自身の手掛けた公演を見届けることなく息を引き取ったそうです」

「そう……ですか……」

 

 かなりの著名人だったこともあり、その死は多くの人たちに惜しまれ、ニュースとしても大々的に報じられたという。

 もっとも、天知はこれといって自身の感情を挟むことはなく、淡々と話を続けながら鬼太郎たちを建物の中へと案内していく。

 

「ご存知でしょうが、今は人間社会も大きく混乱しています。妖怪との戦争が終結して一ヶ月以上が経ちましたが、未だにその爪痕が社会全体に暗い影を落としているのです」

「…………」

「…………」

 

 天知は廊下を進みながらも話を続けていく。その後を黙ってついて行く鬼太郎たちだが、当然その表情は優れない。

 自分たち妖怪との戦争、それが人間たちを苦しめていると。それが戦後という環境においても変わらず、むしろ様々な問題が浮き彫りになっているという。

 

「戦争で失われた人命、破壊された建造物の数々。政治は混乱し、犯罪率も高まっていると聞きます。まさにこの国は今、未曾有の危機に晒されていると言っても過言ではないでしょう」

「…………」

「こんなときに演劇になど金を回せないと、そのようなことを仰る方もいます。もしかしたらあの脅迫状も、情勢を鑑みずにお芝居をプロデュースしようなどという、私への抗議文なのかも知れません」

 

 プロデューサーという、一般人からすれば何をして儲けているかも分からないような職種で。景気良く興行に出資する程度にはお金に余裕のある立場の天知。

 戦争の被害で普通に生きていくだけでも難しい生活困窮者が多い中、自分のようなある意味『成功者』とも呼べる人間が非難を向けられる。

 そういった周囲からの妬みといった感情は、天知も意識はしているようだ。

 

「ですがこういうときだからこそ、人々には潤いが必要なのだと私は考えます。戦後の荒波で人々の心が荒れきっている今だからこそ、こういった娯楽が人々に心のゆとりを取り戻させ、それが復興への活力に繋がるのだと」

「…………」

「それに、こちらの劇団員の方々にも生活があります。どのようなご時世であろうとも、彼らのような素晴らしいアーティストたちは正当に評価されるべきなのです」

「…………」

 

 それでも、この演劇を成功させたいと願う天知の言葉。そんな彼の台詞に鬼太郎たちは感じ入るものがありながらも——黙り込む。

 

 なんだろう。言っていることはとても感動的で素晴らしいのだが。どうにもこの天知という人間の口から言われると——胡散臭さを感じる。

 嘘偽りを口にしてはいないと分かるのだが。同時に、何か裏があるのではと勘ぐってしまう。

 

 彼という人間が持つべき気質なのか、どうあっても不信感というものを拭いきれない。

 

「!! ……お話は分かりました。本当に怪人が現れるようなら、微力ですがボクも力になります」

 

 しかし、それは偏見であると鬼太郎は第一印象だけで天知の人間性を疑ってしまった自身を恥じる。

 彼だって、きっと良かれと思って今回の演劇を支援している筈なのだから、その気持ちを疑うのは無粋だろう。

 

 まずは目の前の問題に——本当に怪人が姿を現すかどうか、それを見定めようと気を引き締めていく。

 

 

 

 

 

「さて、役者たちと顔合わせといきたかったところですが、どうやら稽古中のようですね」

 

 天知との会話を続けていた間に、鬼太郎たちは役者たちが集まっている中央ホールの扉の前へと来ていた。扉の向こうからは人の気配、稽古をしている役者たちの台詞などが洩れ聴こえてくる。

 

「邪魔にならないよう、お静かに……」

 

 天知は人差し指を口に当てるジェスチャーをしながら、ホールへと足を踏み入れる。鬼太郎たちもそれに倣うように、息を潜めながら扉を潜り——。

 

 

『——嗚呼……クリスティーヌ、クリスティーヌ……』

「——!!」

 

 

 刹那、鬼太郎たちの視界に——『彼』という人物が飛び込んできた。

 

 それは、唄うような語りかけだった。静かだが耳元で反響するような、凛とした響き。

 ホールの入口からその人物のいるステージ壇上まで、それなりに距離がある筈なのに——不思議と『彼』という存在をすぐまじかに感じられる。

 

『微睡むキミに私は歌うよ……愛しいキミへ私は歌うよ……。クリスティーヌ……クリスティーヌ……!』

 

 彼はクリスティーヌ——オペラ座のヒロインへの愛を語っていた。

 その胸に抱え込んだクリスティーヌへの、彼女に向けられた焦がれるような想いがその口から綴られ、鬼太郎たちにも、それがどれほどのものなのか伝わってくる。

 

 これほどの愛を、クリスティーヌへと向けられるほどの人物。

 それこそまさに——オペラ座の怪人以外には考えられないだろうと、聞くものに確信させる響だ。

 

「っ!? 怪人っ!!」

「まさか……本当に出てくるなんてっ!!」

 

 その尋常ならざる存在感を含め、鬼太郎たちは彼こそが『オペラ座の怪人』なのだと直感的に悟る。

 いつでも戦闘態勢に入れるよう、素早く身構えていく。

 

「落ち着いてください。あれは怪人ではありませんよ」

「……えっ?」

 

 だが、冷静な天知の言葉が逸る鬼太郎たちの行動を静止する。

 

「あれは紛れもない人間です。怪人の役を演じている『役者』に過ぎません」

「役者……? え、演技……? いや、それにしては……」

 

 天知に言われ、鬼太郎は我に返る。

 確かに、その人物から妖気の類は一切感じられない。格好もTシャツに長ズボンと、明らかに現代人だ。その醜い容姿を覆い隠しているとされる『仮面』もつけていない。

 あらゆる要素が、彼が紛れもない人間であることを論理的に証明している。

 

『——さあ、共に歌おう。聞かせておくれ、キミの小鳥のように美しい歌声を……』

 

 だが人間だと分かって尚、それが本当かどうか疑問を抱きかねない。それほどまでに、彼の演技には『真』に迫るものがあった。

 その所作が、流れるような動作が、息遣いが。人間離れした怪人の恐ろしさを表現し、まさに彼こそが怪人なのだと見るものに強烈な印象を与えていく。

 

「まあ、鬼太郎さんたちが勘違いされてしまうのも無理はありません」

 

 戸惑う鬼太郎たちの反応に、それも仕方がないことだと天知は語った。

 

「彼こそ、この劇団天球の看板役者。あの巌裕次郎が見出した稀有なる才能の一人」

 

 この劇団天球の役者たちは、皆が巌裕次郎という演出家にその実力を認められたものたちだ。

 鳴り物入りで芸能界に入り、半端な演技力でドラマや映画に出演する、知名度だけの下手な役者に比べれば個人個人のレベルも非常に高い。

 

 しかし、そんな実力派集団の中においても彼の才能は別格だという。

 

「無垢な少年から、恐ろしい怪人まで。ありとあらゆる役柄を演じることのできる、カメレオン俳優」

 

 彼の芝居はまさに『憑依』だ。演じる役柄そのものに成りきり、人格までもが一瞬で切り替わる。

 数多の色に変化し、それを表現するだけの技量も備えていた。

 

 

「——舞台役者、明神阿良也。今回、怪人の役を演じることになった、主演の一人です」

 

 

 彼こそが舞台俳優・明神阿良也(みょうじんあらや)

 オペラ座の怪人を演じることになった、演劇界の怪物である。

 

 

 

 そして、その怪物に対抗するよう——。

 

 

 

『——天使様!!』

「——っ!?」

 

 その向かい側から、その少女が姿を現した。

 阿良也の存在感に意識を割かれていた鬼太郎たちだが、彼女の第一声で瞬間的にそちらへと意識を持っていかれる。

 

『音楽の天使様、どうかを私を……お導きください!』

 

 その少女は、怪物とまで称される阿良也に全く引けを取らない存在感で鬼太郎たちの視線を釘付けにする。

 彼女自身、元から人の目を惹きつけるような容姿ではあるのだが、それだけではない。儚い少女の可憐な表情、透き通るような声で『音楽の天使』への感謝や憧れといった感情を見事に表現していた。

 

「そして彼女こそがもう一人の主演。この舞台でクリスティーヌを演じることになった、今を時めく新人女優」

 

 彼女のことをどこか自慢するような口ぶりで、天知は鬼太郎たちにその名を伝えていく。

 

 

「——役者・夜凪景(よなぎけい)。あの巌裕次郎が最後の意思を託した。次世代を彩る期待の大型新人(ルーキー)ですよ」

 

 

 

×

 

 

 

「やあ、調子はどうだい黒山」

「帰れ。見てわかんねぇのか、今は稽古中だぞ」

 

 二人の主演が壇上で台詞の応酬を続ける中、天知は少し離れたところで彼らの演技を見守る無精髭の男——黒山へと声を掛けた。

 だが、この芝居を支援してくれているプロデューサーが顔を出したにも関わらず、黒山は愛想笑いの一つもしない。

 寧ろ邪魔をするなと、視線すら向けずに天知の存在を冷たく突き放す。

 

「先ほどメールで伝えただろう。例の怪人対策に来てもらった、ゲゲゲの鬼太郎さんだ」

 

 しかし、天知も天知で黒山の態度など気にも留めない。既に前もって連絡していたのか、簡潔にゲゲゲの鬼太郎のことを紹介していく。

 

「どうも、ゲゲゲの鬼太郎です」

「…………」

 

 鬼太郎も軽く会釈して挨拶をする。だが黒山は彼をチラリと一瞥するも、すぐに興味を失ったように眼前の稽古へと向き直っていく。

 

『——さあ、今日も一緒に練習しよう』

『——はい、天使様……』

 

 壇上では阿良也と夜凪。怪人とクリスティーヌの芝居が進んでいく。だがオペラ座の怪人の登場人物は二人だけではない。すぐに場面転換となり、新たな登場人物たちが次々と現れる。

 

『——まただ……また怪人からの手紙が……!』

 

『——この私に降板しろですって!?』

 

『——久しぶりだね!! クリスティーヌ……ボクのことを覚えているかい?』

 

 怪人からの脅迫状に怯える支配人。

 我儘で意地悪なプリマドンナ。

 クリスティーヌに淡い恋心を抱く貴族の青年。

 

 主演の二人ほど抜きん出た存在感こそないが、彼らも彼らで素晴らしい迫真の演技を見せつけてくれる。

 

「——アキラっ! 羞恥心が抜けきってねぇぞ!! もっと青臭さを出していけ!!」

「——は、ハイっ!!」

 

 しかし、まだまだ完成には程遠いと。役者の詰めの甘さを黒山は容赦なく指摘していく。彼の叱責に役者たちも素早く修正を入れながら、そのまま一通りの流れで演じ続けていた。

 

「…………」

「…………」

 

 すぐまじかで繰り広げられる圧巻の芝居に、鬼太郎も猫娘も魅入られていく。

 鬼太郎とて芝居を鑑賞したことくらいはあるが、こうした稽古中の練習風景をすぐ近くで見るのは初めての体験だった。

 本番の舞台とはまた違った緊張感、ピリピリとした空気が漂っており、それが本来であればこの場にいるべきではない鬼太郎たちに居心地の悪さを感じさせる。

 

「! おっと、失礼。少し席を外します」

 

 そんな中、天知が胸ポケットから振るえるスマホを片手に席を立った。プロデューサーというだけあって忙しいのか。仕事の電話に出るため、ホールから退出していく。

 

「……それで、どうじゃ鬼太郎? 何か感じるか?」

 

 席を外していく天知を横目にしながら、目玉おやじは息子に尋ねる。

 眼前の芝居に目を奪われのも分かるが、自分たちには他にやるべきことがある。肝心の怪人の気配がこの稽古場内に蔓延っていないか、鬼太郎に妖気の有無を確認する。

 

「……いいえ、父さん。今のところは、何も……」

 

 鬼太郎とて、大事なところで手を抜いたりはしていない。しかし、今のところ『本物』の怪人が姿を現すような気配はなく、妖気の類も全く感じられない。

 今はただ息を潜めているだけなのか、それともやはりあれはただのイタズラだったのか。

 もう少し様子を見る必要はあるだろうが、今は稽古の邪魔にならないよう、部屋の隅っこへと移動していく鬼太郎たち。

 

「——ええっと……キミ、ゲゲゲの鬼太郎くん……でいいんだよね?」

「はい? そうですけど……あなたは?」

 

 すると、そんな鬼太郎に一人の若い女性が声を掛けてきた。

 化粧っ気のないさっぱりとした美人。動きやすいよう作業服を着ているところから、役者ではなく裏方のスタッフだということが分かる。

 

「あっ……私、柊雪(ひいらぎゆき)って言います。墨字さん……黒山さんの助手みたいなもんです」

 

 そう名乗った彼女は今回のオペラ座の怪人の演出を担当する、黒山墨字の補佐を務めているとのことだ。

 芝居を監督する人間の補佐。立場的にも稽古場の様子など、詳しく観察していることだろう。

 

「柊さんは、怪人について何か伺っていますか?」

 

 黒山が自分たちに関心を示さないということもあり、わざわざ声を掛けてくれた柊に鬼太郎は怪人について尋ねてみる。

 

「ええ……まあ一応は。あのプロデューサー、天知さんのところに脅迫状が届いたってことくらいは……」

「稽古場の方では……何か異変を感じたりは?」

「う~ん、今のところは特に……皆さん、いつも通りに演技してますし……これといって変わったこともないかな」

 

 しかしその返答もパッとしない。

 柊自身あまり異変らしい異変を感じてはいないのか、あまり参考になるようなことを答えられず、鬼太郎に申し訳なさそうに頭を下げている。

 

「——まあ、怪人の噂なんざ、俺たち劇団関係者からしたらいつものことだし、特に気にするようなことでもねぇわな」

 

 するともう一人、眼鏡を掛けた男性が鬼太郎たちの会話に入ってくる。

 稽古の邪魔にならない程度に音量を抑えながらも、彼は威勢よく鬼太郎たちに自己紹介をしてくれる。

 

「俺は亀太郎ってんだ、よろしくな、ゲゲゲの鬼太郎くん……それと美人な姉ちゃん! あとでお茶でもしない?」

「遠慮しとくわ」

「えっ、バッサリ? 思考する余地もなく断られた……」

 

 亀太郎(かめたろう)となかなかに個性的な名前の彼は、美人な猫娘へと声を掛け、速攻でフラれる。

 呆気なく轟沈し、その場にどんよりと項垂れる亀太郎。少しオーバーだが『落ち込んでいる』という感情が全身で表現されているその様は、なるほど彼が役者であることを納得させるものであった。

 

「亀太郎くんとやら。先ほどの言葉……『いつものこと』と言っておったが、それはどういう意味かのう?」

 

 落ち込む亀太郎を特に励ましはしないが、彼の発言に引っ掛かりを覚えた目玉おやじがその言葉の真意を尋ねていく。

 亀太郎は「うおっ……マジで目玉が喋ってる!」と分かりやすいリアクションをしながらも、鬼太郎たちを妖怪だと壁を作ることもなく、普通に質問に答えてくれる。

 

「ああ、俺たち劇団関係者の間じゃ、結構ありふれてる噂話なんだわ。オペラ座の怪人を上演しようとすると、『ファントムの亡霊』が現れるってのは……」

 

 

 いつの頃から囁かれるようになったかは定かではない。

 オペラ座の怪人という作品を劇にしようとすると——必ずと言っていいほど、劇団関係者の周囲に『怪人』の噂が立つとされていた。

『ファントムの亡霊』と呼ばれるそれは、それこそ作中での怪人の動きをなぞるように、謎めいた行動を取るという。

 

 ヒロインであるクリスティーヌを演じる女優の楽屋に、天使として声だけを届けたり。

 稽古中に大道具を落とし、役者に怪我を負わせたり。

 それこそ、公演元であるプロデューサーや座長に脅迫状を送ったりと。

 

 オペラ座の怪人という作品の特異性なのか。あるいはその特異性を利用した誰かのイタズラなのか。

 真相は不明だが、少なくともそういった噂が常に付き纏う作品こそが——『オペラ座の怪人』なのだという。

 

 

「まっ……そういった噂を利用して、昔は殺人事件なんかもあったって言うからな。あのプロデューサーが神経質になるのも無理はないか」

「殺人事件……」

 

 

 さらには、そのファントムの亡霊という噂話を利用した、『殺人事件』が過去にあったという。

 全てを怪人の仕業に見せかけた、人間の犯罪。恨みを持った共演者に対する復讐だったとされるそれは、偶々現場に居合わせた高校生探偵の手によって解明されたとのこと。

 プロデューサーの天知は『怪異』である怪人以外にも注意を払い、何かあったときのために鬼太郎を呼び寄せたのかもしれない。

 

 

「まっ、つってもうちの劇団にはそういった殺伐とした人間関係はないから! そこんとこは心配する必要もないだろうけど!」

 

 しかしそれは無用な心配だと。少なくとも、劇団員同士で殺し合いが起きるようなドロドロな人間関係、自分たちにはないと亀太郎は気楽な笑みを浮かべている。

 その意見には、柊も——。

 

「でも、亀太郎さんは危ないですよね」

「え、なんで?」

「だって、七生さんにかなりうざがられてますし……」

「えっ? 俺、七生に命狙われてんの?」

 

 と言った感じの軽い冗談?で同意する。

 そう言った軽口を叩けるだけには、余裕のある稽古場で——鬼太郎たちは改めて、舞台の芝居へと意識を向けていた。

 

 

 

『——ああ! 腹立たしい!! この私に代わって、あんな小娘がプリマドンナですって!?』

 

 ステージ上では一人の役者が、とある女性のヒステリックに叫ぶ様を演じていた。

 眼鏡を掛けた金髪のツインテールに、そばかす顔が印象的な女優。未だ稽古の段階でありながらも傲慢で我儘、意地悪なプリマドンナという役柄を分かりやすく演じている。

 

「いいね……七生のカルロッタ! あいつの性格の悪さも相まって、ハマり役なんじゃねぇの?」

 

 七生(ななお)というのだろう。その役者の演技に亀太郎は褒めているのか、貶しているのか分からない言動で茶化しを入れる。

 そんな亀太郎に柊は「そんなこと言ってるからうざがられるんだよな……」と呆れた視線を向けていたが。

 

「……? なあ、柊ちゃん? ここのシーンて、カルロッタに向かってはシャンデリアは落とさないんだよな?」

 

 ふと、何か気になったのか。亀太郎が真面目な表情で柊に質問をする。

 

「え? ええ、そうですね。シャンデリアはあくまで客席に落とすって、墨字さんが……」

「……?」

 

 二人は台本を手にしながら劇の内容について話しているが、オペラ座の怪人のことを全く知らない鬼太郎にはどういう意味なのか分からない。

 

「劇中でもかなり有名なシーンよ。舞台の上演中に、シャンデリアが落下してくるって……」

 

 右も左も分からぬ鬼太郎に、ここは猫娘が捕捉説明を入れていく。

 

 

 オペラ座の怪人といえば、やはりこの『シャンデリア』のシーンを欠かすことはできない。

 脅迫状で支配人にした要求、それを断られた怪人がその報復として。あるいはクリスティーヌへの愛のため。オペラ座にあるシャンデリアを落下させ、客席を大混乱に陥れるというものだ。

 

 シャンデリアを落とすタイミングなどは、それを手掛ける演出家によって代わってくるだろうが、とある劇の中には——カルロッタという意地悪なプリマドンナの真上からシャンデリアを落とし、彼女の命を奪うというストーリーの流れもある。

 まさにこの場面だ。しかし、黒山はあえてここではシャンデリアを活用しないとしていたが——。

 

 

「じゃあ……『あれ』なんなん? なんであそこに……シャンデリアなんか用意してあんの?」

「……?」

 

 亀太郎は天井を見上げながら柊にそのような指摘をする。それに彼女は意味が分からないと疑問符を浮かべながらも、同じように天井を仰ぎ見た。

 

「……?」

「……?」

「???」

 

 二人の動きに釣られるよう、鬼太郎や猫娘。目玉おやじに、他の役者たちも何人かが天井へと視線を向ける。

 

 

 

「…………えっ? なんで……?」

 

 

 

 すると視線の先にあったものに、柊の口から呆けた吐息が洩れ出る。

 

 そこには、本来であればある筈のない『シャンデリア』があった。

 このシーンで使わないからという意味ではない。まだ制作途中、それこそこの世に存在する筈のない大道具が、いつの間にか用意されていたのだ。

 

 豪華絢爛なシャンデリアは、稽古場という明らかに不釣り合いな場所に不思議と溶け込んでおり、誰もそれがおかしいということに、今の今まで気づくことができずにいた。

 

 

 だが、次の瞬間——流石にそのシャンデリアが落下してきたことで、皆が騒然となる。

 

 

「——逃げろ、七生!!」

「——っ!?」

 

 亀太郎が壇上にいた、カルロッタ役の七生に向かって叫ぶ。

 七生も、そこでようやく自分の頭上からシャンデリアが落ちてくることに気づいて息を呑むが——どうあっても避けられるタイミングではなかった。

 

「七生さん!!」

「おいっ!?」

 

 皆の悲鳴が絶叫する中、一人の役者がまさに絶体絶命の危機に立たされる。

 

 

 

「——指鉄砲!!」

 

 

 

 しかし、この窮地にゲゲゲの鬼太郎が動く。

 彼がステージの外側から、落ちてくるシャンデリアを狙って指鉄砲を放った。

 

 その一撃は見事にシャンデリアの真芯を捉え、七生の——カルロッタの命を奪う筈だった運命をぎりぎりで回避することとなった。

 

 

 

 

 

「はぁはぁ……! い、生きて……っ!」

 

 シャンデリアの直撃を免れ、九死に一生を得た七生。しかし、壊れた際の破片などが彼女の身体に傷を負わせ、もはや稽古どころではなかった。

 

「大丈夫か、七生!?」

「七生ちゃん!!」

 

 これにすぐさま亀太郎や、他の役者たちも駆け寄っていく。

 

 誰もが七生という仲間の身を心底から心配し、その生存に心から安堵している。その姿を見れば分かるように、確かに彼らの間にドロドロとした確執はない。

 人間関係の拗れから怪人の噂を利用した殺人事件など、起こしようがないことは理解できる。

 

「くそっ! いったい誰だ!? こんなもの用意しやがったのは!!」

 

 しかし、目の前の惨状を無視することも出来ない。

 道具係の一人が、どうして予定になかったシャンデリアなど用意したのか。危うく大惨事になるところであったと憤慨する。

 

 だがそもそも——あのシャンデリアは『いつから』そこにあったのか、という疑問が浮かぶ。

 予定にないというより、そもそもまだ作られてもいない大道具なのに。しかも、それは落ちてくる直前まで誰にも気づかれず、自然と風景に溶け込んでいたのだ。

 

 明らかに、尋常ならざる手段で用意したとしか思えなかったシャンデリアに、誰もが不自然な違和感を覚える。

 

 その直後だった——。

 

 

 

 

『——嗚呼、クリスティーヌ……クリスティーヌ……!』

「……!?」

 

 怪人のものと思しき台詞が、ホール全体に歌のように木霊する。

 こんな状況下での芝居の続行に、数人の役者たちが怪人役である明神阿良也へと目を向けた。

 

「…………」

 

 だが彼は台詞を発してはいない。彼自身もシャンデリアの事故にさすがに呆然と立ち尽くしており——。

 

 

 その視線は、見知らぬもう一人の『怪人』へと向けられている。

 

 

『——クリスティーヌ……クリスティーヌよ!!』

 

 阿良也の視線の先にいた『そいつ』は中世の貴族のような紳士服に、黒い外套を纏った謎の青年だった。

 両手には鋭い鉤爪が、その顔は——醜い容姿を隠すとされる仮面によって覆われている。

 

「!? お、おい……あれ……!!」

「マジかよ……まさか本当に!?」

 

 他の団員たちも、その存在に気づき始めてざわめき立つ。その怪人は阿良也以上に不気味な存在感を放ちながら、ゆっくりと壇上へと上がってきた。

 

「——っ! 父さん!!」

「うむ、今度こそ間違いあるまい……」

「……あれが……怪人!」

 

 鬼太郎たちも、その怪人を視界に捉える。

 今度は勘違いではないと、鬼太郎の妖怪アンテナもそれが妖気を放つ怪異であることを証明している。

 

 

 イタズラではなかった。ただの噂ではなかった。

 眼前のその人物こそが、この騒動の元凶。シャンデリアを落とし、カルロッタ役の命を奪おうとした冷酷な殺人鬼。

 

 オペラ座の怪人が上演される度に、その存在がまことしやかに囁かれる——ファントムの亡霊。

 

 

 

 オペラ座の怪人——ファントム・ジ・オペラである。

 

 

 




人物紹介

 黒山墨字
  映画監督。アクタージュの主人公・夜凪景の所属する『スタジオ大黒天』の責任者。
  髭面で粗暴、物語当初は夜凪にも「生理的に無理」と言われるほど。
  しかし、物語が進むごとにちゃんと大人であることが分かり、羅刹女編では見事に全員を救ってみせた。
  たった一本の映画を撮るため、そのために夜凪景を役者として導いていく。

 天知心一
  悪徳プロデューサー。物語中盤に登場したあからさまに胡散臭い男。
  どんなときでも柔和な笑みを崩さず、常に先を読んで行動するやり手。
  作中の人たちから悪魔扱いされたり碌な認識をされていないが、仕事はきっちりとこなす。
  黒山と何かしらの関係があり、彼とのとある問答の時だけ、その笑みを崩して真剣に向き合っていた。

 巌裕次郎
  有名な舞台演出家。演劇界の重鎮。
  演出家としての最後の舞台『銀河鉄道の夜』の公演をラストまで見届けることなく、息を引き取る。
  自分の死すら芝居の中に組み込み、最後まで演劇に全てを捧げた老人。
  彼が夜凪と縁側で交わした会話は、今読んでもジーンとくるものがあります。

 柊雪
  スタジオ大黒天所属。黒山墨字の助監督。
  読み切り版の主人公らしい(作者は読んだことない)
  役者じゃないけど可愛い、とにかく可愛い。
  完全に夜凪家の保護者枠。キャラ投票で自分は彼女に清き一票を投じました。

 青田亀太郎
  巌裕次郎の劇団『劇団天球』所属の舞台俳優。ノリが軽い、ムードメーカー的な立場。
  普段は割とぞんざいに扱われているが、ここぞというときの決断力はある。
  劇団内でも割と上の立場なのか、結構頼られている兄貴分。

 三坂七生
  亀太郎と同じく、劇団天球の舞台女優。亀曰く、ブスの振りをしている美人。
  役者としての色気は夜凪より上っぽく、酔っ払うと割と見境がない?
  男勝りで気丈だが、実のところ涙脆く繊細な一面も。
  

 今回はこのくらい。
 次回の人物紹介でアクタージュの主要メンバー、ファントムの紹介を入れていきます。
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アクタージュ オペラ座の怪人 其の②

『週刊少年ジャンプ』皆さんは読んでいますか?
基本的に自分は毎週欠かさず立ち読みしており、その時々に必ずといっていいほど、コミックスを買うほどの『推し作品』が存在しています。

もう十年以上前にはなるけど『ぬらりひょんの孫』。少し前までなら、それこそ『アクタージュ』。
そして最近は『逃げ上手の若君』これが好き!
『魔人探偵脳噛ネウロ』『暗殺教室』の作者である松井優征氏の最新作!
暗殺教室のときもそうだったけどこの作者、中性的な美少年を描くのがほんとに上手いな!!
今後も若様の活躍を追いかけていくつもりで、ジャンプを手に取っていきます。

ちなみに、次に気になり出した作品こそが『ルリドラゴン』。
…………いつまでも待ってるから、万全な状態で連載再開してください。コミックス一巻出たら買いますから!!


さて、アクタージュとオペラ座の怪人、其の②です。
今回も結構苦戦した。一度書いたものを消して書き直したりと。一応、話として纏まった感は出たかなと思いましたので……とりあえず投稿。




『——嗚呼……クリスティーヌ……クリスティーヌよ!!』

 

 突如、舞台『オペラ座の怪人』の稽古中であった劇団天球の前に——その怪人は姿を現した。

 その存在感、明らかに尋常ならざるものが纏う空気。送られてきた脅迫状がただの噂話、あるいはイタズラの類だと思っていた劇団員も、これは認めざるを得ない。

 

 まことしやかに囁かれていた都市伝説が本物だったと。ファントムの亡霊が実在したということを——。

 

『——クリスティーヌ……キミの栄華を妬むカルロッタは……私の手で始末しよう……』

「……っ!!」

『——カルロッタ……! 貴様にプリマドンナを名乗る資格はない……。我が歌姫の舞台から……即刻退場せよ……!』

 

 ファントムはシャンデリアでのカルロッタ殺害を企み、それが失敗するや自らが壇上へと舞い降りる。その不気味な鉤爪を妖しく光らせながら、カルロッタ役を務める役者へと襲い掛かる。

 

「髪の毛針!!」

 

 しかしやらせはしないと。ゲゲゲの鬼太郎が髪の毛針を連射してファントムを跳ね除ける。

 

『——ムッ……!?』

 

 相手の反撃を想定していなかったようだが、怪人は軽やかなバックステップでなんとか鬼太郎の攻撃を回避する。

 

「ニャアア!!」

 

 そこへさらに猫娘が追撃を仕掛ける。

 彼女の鋭利な爪と、ファントムの鉤爪がぶつかる。互いの力は——ほぼ拮抗していた。

 

『——小癪な……っ!』

 

 これに怪人が忌々しいとばかりに、表情の顔半分をひくつかせている。

 きっともう片方の顔半分を覆っている『仮面』の下の表情は、さらに憤怒に歪められているだろう。そのことが窺い知れる怒りを押し殺すような発声で、尚も芝居がかったような動作で怪人は台詞を口にしていく。

 

『——邪魔をするな……私の、クリスティーヌの邪魔をするなっ!!』

 

 彼はあくまでもクリスティーヌのため、彼女を歌姫にしようとカルロッタの殺害を実行に移そうとしていた。

 

 

 カルロッタは劇中でも、クリスティーヌが賞賛されるのを快く思っていなかった者の一人だ。

 自分の代役に過ぎなかったクリスティーヌが周囲から評価されるのを妬み、彼女が表舞台に立って歌う機会を権力者のコネなどを利用して悉く潰してきた。

 クリスティーヌを歌姫にしようとするファントムにとって、決して見過ごすことのできない配役の一人だろう。

 

 

『——クリスティーヌ……嗚呼! 私のクリスティーヌよ!!』

 

 怪人は鬼太郎たちの妨害でカルロッタを始末できなかったことを嘆きながら——その視線をクリスティーヌ役を演じる主演女優・夜凪景へと向ける。

 

「………!!」

 

 怪人からの熱い視線に晒される夜凪景だが——彼女は目を背けなかった。

 まるで怪人の存在をその瞼に焼き付けるかのよう、彼女もまた怪人を見つめ返す。

 

『——嗚呼……クリスティーヌ! 我が愛しき歌姫よ……!! キミがプリマドンナとして輝くことこそ……私の望み……!!』

 

 そんな夜凪の、一心に自分を見つめ返してくれる視線がファントムの琴線に触れたのか。

 彼はさらに感極まったよう声を昂らせ——。

 

『——クリスティーヌ……キミこそが私の——』

 

 その姿を——舞台裏の暗闇に溶け込ませるように消えていった。

 

 

 

「消えた……鬼太郎!」

「……駄目です、父さん! 今はもう、何も……感じ取れません」

 

 一瞬でその姿が掻き消えた怪人を前に、目玉おやじは咄嗟に鬼太郎へと呼び掛ける。だが鬼太郎の妖怪アンテナを持ってしても、ファントムの気配を追うことはできなかった。

 姿形どころか妖気の痕跡すらも残さず、怪人は鬼太郎たちの前から完全に行方をくらましたのだ。

 

 

 まさに幻、それこそ亡霊のように——。

 

 

「……な、何だってんだよ…………」

「…………」

 

 劇団天球の役者たちが一様に立ち尽くしている。あれほど不気味な存在感を放っていた怪人が、今や影も形もないのだ。

 もしかしたらタチの悪い白昼夢でも見ていたのではないかと。目の前で起きていたそれらが全部夢だったのではないか、そんな疑いすら抱いてしまう。

 

「痛っ……!」

「七生さん!? 大丈夫ですか!?」

 

 しかしどれだけ現実逃避しようとも、落下してきたシャンデリアが、それにより怪我を負った役者の存在が彼らをリアルへと引き戻す。

 そう、全ては紛れもない現実だと。すぐにでも我を取り戻した人々が慌ただしく動き回っていく。

 

「——失礼しました。別の仕事の電話が……どうかされましたか?」

 

 ちょうど、そのタイミングで席を外していた天知心一が戻ってくる。

 怪人の出没に出くわさなかった彼は、忙しなく動き回る人々を前に呑気に首を傾げるしかなかった。

 

 

 

×

 

 

 

「——なるほど。まさか本当に怪人が現れるとは、困りましたね」

「……」

 

 騒ぎから十分ほど、天知は鬼太郎から怪人出現の経緯を聞かされる。もっとも、脅迫状の時点である程度予想はしていたのか。

 実際に怪人が現れたところで、天知にはほとんど動揺が見られない。

 口で困ったと言いつつも柔和な笑みが崩れることはなく、さて対応をどうすべきかと静かに思案に耽っている。

 

「そっち持ってくれ!!」

「せーのっ!!」

「……おいおい、大丈夫かよ?」

「まさか……本当に出てくるなんて……」

 

 天知と鬼太郎が話をしている一方。ステージ上では落ちてきたシャンデリアを片付けようと大道具係が汗水を流し、役者たちが落ち着きなく自分たちの今後について不安を洩らしていた。

 演劇の稽古中に『本物』の怪人が現れたなど。通常であればどう対応していいかも分からない、関係者の頭を大いに悩ませる問題であることは間違いないだろう。

 

「天知さん……今回の舞台、オペラ座の怪人の公演を中止してはもらえないでしょうか?」

 

 そんな中、鬼太郎は冷静に考えた上でプロデューサーの天知に今回の演劇——『オペラ座の怪人』の公演、そのものを中止できないかと尋ねていた。

 

 青田亀太郎という役者が教えてくれた『オペラ座の怪人を上演しようとするとその周囲に怪人の影がちらつく』という、劇団関係者の間に伝わっていた怪談。

 あくまで根拠のない噂話として役者たちは深刻に考えていなかったが、実際にファントムが姿を現し、そして実感したことだろう。

 

 この都市伝説は本物であり——ファントムは『オペラ座の怪人を公演しようとする劇団の前に現れる怪異』であると。

 ならば、オペラ座の怪人の演劇そのものを止めてしまえば、あるいは奴もいなくなるかもしれない。

 

 確固たる根拠こそないものの鬼太郎はそのように考え、そうすることがこの件をもっとも穏便に済ませる手段だと彼は提案する。

 

「——中止ですって? 馬鹿言わないで! そんなこと出来るわけないじゃない!!」

 

 だが鬼太郎の提案に真っ先に反発したのは他の誰でもない。ファントムに襲われ、危うく命を奪われかけた女優・カルロッタ役の三坂七生である。

 

「怪人に襲われたから劇を取り止めました? そんな説明でお客さんが納得するとでも思ってんの? 劇団天球に……巌さんの残した劇団に傷を付ける気!?」

 

 他の団員たちから傷の手当てを受けながらも、彼女は鬼太郎に食ってかかる。

 簡単に舞台を中止しようなどと言い出し、劇団天球の名前を辱めようとする彼に、七生は巌裕次郎の名を出して憤りを露わにしていた。

 

「おいおい、七生……気持ちは分かるが落ち着けって……!」

「そりゃ……確かに簡単に中止なんか出来ないけど……」

 

 亀太郎を始めとした団員たちが興奮気味の七生を宥めるが、彼らとて気持ちは彼女と同じだ。

 

 巌裕次郎。既に亡くなった舞台演出家。

 この劇団天球の創設者である彼にその実力を見出された役者たちにとって、巌裕次郎はまさに父親も同然。彼亡き今、彼が残した劇団を存続させ、盛り上げていくことこそが彼らの成すべきことだ。

 それなのに公開予定の芝居を『怪人如き』の影響で取り止めるなど、それは劇団天球の評判を貶める行為に他ならない。

 

 彼らにとって簡単に承諾できるような話ではない。

 

「そうですね。ここで公演を取り止めるのは、かなりリスキーな選択です」

 

 役者たちに同意するよう、プロデューサーである天知も意見を挟む。

 

「今度の舞台はただの舞台ではありません。全国シネコン、動画配信サイトでも公開予定の映像作品として、既に大々的な宣伝活動を行なっています」

 

 天知は今回の舞台を、ただの舞台で終わらせるつもりはなかった。

 彼は前回も『羅刹女』という芝居をプロデュースし、その際にも舞台を数十のカメラで撮影——それを映像作品として公開。かつてない規模で展開されたその舞台は、それにより見事に世間の話題を集め、莫大な収益を生み出した。

 今回も似たような手法を用いて、多くの利益を生み出そうとしているようだが——。

 

「その分、宣伝に掛けている費用もバカになりません。協力してくださっている各企業の方々にも、多大なご迷惑を掛けることになるでしょう」

 

 その分、宣伝などの広告費にも多大な費用が掛かっており、協賛企業の数も通常の舞台公演とは比較にならないほどだ。これほどの金と人を集められるのも、天知のプロデューサーとしての力があってこそだろう。

 劇団天球の人脈だけでは、ここまで大規模な芝居をプロデュースすることもできなかった。

 

「この業界は信用で成り立っています。ここで公演を取り止めるというのは、その信用を裏切ることに他なりません。きっと私は業界からはじかれるでしょうし、その影響は劇団天球さんにも及びますよ」

 

 だからこそ、ここで芝居を取り止めるのはリスクがデカ過ぎる。各企業へと協力を取り付けた業界人としての天地の信用は失墜し、劇団天球にも舞台の中止は不名誉な経歴として傷跡が残ってしまう。

 

「まして、止める理由が怪人……妖怪の仕業とあっては、彼らへの風当たりがますます厳しくなることでしょう。それは貴方たちにとっても、困ったことになると思いますが……ゲゲゲの鬼太郎さん?」

「天知さん、それは……」

 

 さらに天知は被害が『舞台を妨害したファントム』——妖怪側、ゲゲゲの鬼太郎たちにも及ぶかもしれないとしれっと言い放つ。

 世間からすれば、怪人も鬼太郎たちも同じ『人ならざるもの』として一括りにされているのだ。

 天知の言動に、鬼太郎は厳しい表情で顔を顰めていく。

 

 

 

「……ど、どうしましょう、墨字さん?」

 

 皆がそれぞれの立場から発言をしていく中。プロデューサーとしてでも、役者としてでもない。別の視点からこの公演をどうすべきか話し合うものたちがいた。

 舞台の裏方である柊雪が、この芝居の演出家である黒山墨字に問いを投げ掛ける。

 

「…………」

 

 柊の言葉に黒山はすぐに返事をしなかった。仏頂面を引っ提げたまま、何事かをずっと考え込んでいる様子で暫し黙り込む。

 

「……夜凪。お前はどうしたい?」

「!!」

 

 熟考の末、黒山は主演の一人。クリスティーヌを演じる夜凪景へと声を掛けた。舞台のキーとも呼ぶべき主演女優の意見が聞けると、皆が彼女に注目する。

 

「…………」

 

 誰もが舞台の公演をどうするかで揉めている中、夜凪景は先ほどからずっと、怪人が消えた舞台裏の闇の向こうを黙って見つめている。

 まるで彼女一人だけが、未だ芝居の世界に取り残されているかのようである。

 ややあって、我を取り戻した景が口を開いていく。

 

「黒山さん。私、羅刹女を……妖怪を演じたことはあったけど……本物のお化けとはまだ会ったことなかったわ……」

「…………」

 

 景は『羅刹女』の主演として、羅刹女という恐ろしい女妖怪を演じたことがある。

 

 妻である自分を蔑ろにする夫・牛魔王への怒り、恨み言を吐き捨てるその様相は、芝居の外にいる筈の観客たちをも恐怖に震え上がらせるほどであった。

 だが、今度の芝居では景の方が怪人に怯える恐怖の感情を演じなければならない。

 

「あれが怪人。想像してたより、阿良也くんの怪人より……ずっとずっと恐ろしく感じた。あれが本物の妖怪なのよね……」

 

 景は一人の人間として、怪人を間近に目撃しその恐ろしさを肌で感じ取ったようだ。しかし怖気づいたとも思われる発言をするも、その顔に恐怖の色はほとんどない。

 

「あんな恐ろしい怪人を前に……彼女は、クリスティーヌは何を思ったのかしら? 恐怖? それとも……音楽の天使への憧れや感謝が上回ったのかしら?」

 

 景が真っ先に考えていたのは、怪人に害されるかもしれないという恐怖ではなく、その怪人を前に——『どこまでクリスティーヌに近づけるか』ということだけだった。

 芝居を降りるつもりなど毛頭ない。元より彼女の頭の中には、芝居を取り止めるという選択肢すらなかったようだ。

 

 

 

「そうか……」

 

 そんな景の役者としてのプライドを見せつけられては、黒山も演出家として応えない訳にはいかなかった。そして他の役者たち、劇団天球の皆に関してはもはや聞くまでもないこと。

 

「お前たち役者がやる気になってんだ。演出家が途中で放り投げる訳にもいかねぇ……」

「墨字さん……!」

 

 黒山墨字も舞台続行を支持、それに補佐役の柊も頷く。

 無論、舞台を続けると決めた以上、彼には責任者として果たさなくてはならない務めが生じる。

 

「ゲゲゲの鬼太郎……」

「!!」

 

 ここで黒山墨字は初めて、ゲゲゲの鬼太郎と真正面から向き合った。

 

「妖怪のお前にとっちゃいい迷惑だろう。俺たち人間の都合に……何の関係もないお前を振り回すことになるんだからな……」

 

 初対面のときに鬼太郎を無視していたようにも見えた黒山だが、あれは稽古中だったからに過ぎない。演出家が役者に指導を行なっているときに、他所に目を向けるわけにはいかないからだ。

 だが今の彼は一人の人間として、大人として鬼太郎に向き合い、自分たちの思いの丈を伝えていく。

 

「だが俺たちにとっては大事なことだ。この舞台を成功させためにも……頼む。こいつら役者を守ってやってくれ……」

「!!」

 

 そう言いながら、黒山は迷うことなく鬼太郎に頭を下げた。自分の力だけでは役者たちを守り切ることが難しいと理解しているからこそ、誠心誠意頼み込んでいる。

 黒山墨字。無愛想でどこかとっつきにくい印象だが、しっかりと筋は通せる人間のようだ。

 

「……分かりました。ボクたちも……出来る限りのことはします」

 

 これには鬼太郎も折れるしかなく、当面の間は様子見という方針で話を進めていった。

 

 

 

×

 

 

 

「じゃあ……そっちの方は頼んだ、猫娘」

「ええ、任せてちょうだい」

   

 夕暮れ時。劇団天球の小劇場前で鬼太郎と猫娘はそれぞれ二手に分かれていた。

 

「三坂さん……って言ったかしら?」

「七生で言いわよ。面倒掛けることになるけど……よろしくね」

 

 猫娘が挨拶を交わしていた相手は、先ほどの騒動で怪人に命を狙われたカルロッタ役・三坂七生であった。

 

 先のシャンデリア騒動から数時間。当初の予定を変更しつつも、稽古自体は時間一杯まで続けた役者たち。

 公演を続けると決めた以上、本番に向けて真剣に準備を進めていかなければならない。

 肝心の舞台でお客さんに半端な芝居を見せたとあっては、それこそ劇団天球の名に傷が付いてしまう。彼ら役者には公演までの限られた時間内に、芝居をより良いものにする使命があるのだ。

 

 稽古の間、再び怪人が出現する兆候はなく、何事もなくその日の練習は終わった。

 しかし油断は出来ない。怪人がどういった法則で出現するかも分かっていない以上、いつ何時襲われるか分かったものではない。

 

「七生さん、気を付けて……」

 

 そのため、未だに怪人に命を狙わているかもしれないカルロッタ役に護衛として猫娘を付ける。怪人の魔の手が迫るかもしれない七生に、舞台仲間の少女が彼女への気遣いを見せていた。

 

「何言ってんのよ! 一番気を付けなきゃいけないのは、アンタじゃない……景」

 

 だがこれに七生は言い返す。

 確かにカルロッタ役の七生は怪人に敵意を向けられる配役だが——それ以上に、怪人に付け狙われる可能性が高い役どころがある。

 

「…………」

 

 他の誰でもない、怪人が愛した女性。クリスティーヌ役・夜凪景である。

 

 

 元よりオペラ座の怪人とは、クリスティーヌと怪人を主軸とした物語だ。

 物語の序盤、怪人は『音楽の天使』としてクリスティーヌに音楽の指導を施し、彼女の才能を開花。プリマドンナとしての成功をもたらしてくれる。

 だが、徐々に怪人はクリスティーヌへの愛を暴走させ——その狂気を垣間見せていく。

 クリスティーヌを我が物にしようと彼女を誘拐したり、人質をとって彼女に婚姻を迫ろうとしたり。

 直接命の危険はないかもしれないが、それでも彼女こそが誰よりも怪人に狙われる立場となっている筈なのだ。

 

 

「わ、私は大丈夫よ。鬼太郎くんが守ってくれるから……ねっ、ゲゲゲの鬼太郎くん?」

「ええ、天知さんや黒山さんにも頼まれましたし……」

 

 それを劇団側も分かっており、天知と黒山——特にプロデューサーの天知が、夜凪景の護衛に鬼太郎を直接指名した。

 カルロッタの命を奪いに七生を狙うか、クリスティーヌを連れ去りに景の元へ来るか。どちらに怪人が現れてもいいよう、万全の体制を敷いていく。

 

「そう……それじゃ、お互い気を付けましょう。また明日ね……」

「ええ、また明日……」

 

 不安の種を残したままだが、とりあえずその日は互いの無事を祈ってそれぞれの帰路につく役者たち。

 

「それじゃあ……私の家まで案内するわね」

 

 景もゲゲゲの鬼太郎を伴い、寄り道をせずに真っ直ぐ家へと帰ることにする。

 

 

「——夜凪くん!!」

 

 

 その際、車のクラクション音と共に夜凪景を呼び止めるものがいた。

 

「アキラくん?」

 

 景はその車の運転手、金髪の青年・アキラのお誘いに目をキョトンとさせる。

 

「黒山さんからも頼まれてね、家まで送っていくよ! 鬼太郎さんも乗ってください!」

 

 アキラは演出家である黒山から、景を無事に家まで送り届けるように頼まれたとのことだ。ちなみに、黒山はプロデューサーの天知と話があるとかで動けないとのこと。

 確かに徒歩や電車などの公共機関を利用するよりは、車での移動の方が道中の危険は少なく済むだろう。

 

「……そうね、それじゃあ、お願いしようかしら!」

「鬼太郎、わしらも乗せてもらおう」

 

 アキラの申し出に景は素直に乗車させてもらい、目玉おやじもその後に続くように鬼太郎へと声を掛ける。

 景が助手席へ、鬼太郎が後部座席へと乗り込んでいく。

 

「よし、それじゃ……」

 

 それで準備が出来たと、アキラは車を発進させようとする。だが——。

 

 

「——うん、じゃあよろしくね……堀くん」

「えっ?」

 

 

 景たちに便乗するよう、もう一人の男性がナチュラルに車へと乗り込んでくる。後部座席にいた鬼太郎は、いきなり隣に腰掛けてきたその男性に目を丸くする。

 

「阿良也くん……」

「……いや、なんでさも当然のように乗り込んでるんですか、阿良也さん?」

 

 これには景も、名前を間違えられた星アキラも呆れるように息を吐く。

 だが皆の困惑の視線をまるで気にした様子もなく、オペラ座の怪人のもう一人の主演・明神阿良也は実にマイペースな態度で車の発進を促していく。

 

「? 久しぶりに夜凪カレー食いたくなっただけだよ? ほら、早く行こうよ」

 

 

 

 

 

「——そういえば……まだ自己紹介をしていませんでしたね」

 

 車での移動中、同乗する役者たちが鬼太郎に自己紹介するために口を開いていく。

 

「星アキラと言います。この度の舞台ではラウル子爵を演じることになりました。よろしくお願いします」

 

 車の運転をしながらも礼儀正しく鬼太郎に挨拶していくの役者・星アキラ。見るからに好青年と言った印象。その見た目に違わぬ、実直な性格であることが丁寧な言葉遣いから伝わってくる。

 彼のオペラ座の怪人での配役はラウル・ド・シャニィ子爵。歌姫であるクリスティーヌに恋をし、彼女を守るために怪人へと立ち向かっていく青年だ。

 原作小説ではラウル子爵の視点でも物語が進んでいくとか。この舞台においても準主役という、かなり重要な役どころの一人である。

 

「私は夜凪景。役者よ、よろしくね!」

 

 次いで、自分を役者だと胸を張るように声を上げたのが夜凪景。長い黒髪が美しい少女。期待の新人女優である彼女は今年で高校三年生とのことだ。

 未だ学生の身でありながらもいくつかの作品に出演し、そのずば抜けた演技力で多くの人々を驚嘆させる実力派の役者。さらに最近ではTVCMなどにも引っ張りだこ。

 自宅にTVもない鬼太郎は知らないだろうが、今もっとも注目度を集めている芸能人といえばまず真っ先に彼女のことが思い浮かばれる。

 

「……はじめまして、明神です」

 

 景の後に、明神阿良也が簡潔な挨拶で鬼太郎への挨拶を済ませる。

 先ほどの稽古では、鬼太郎たちにすらも本物の怪異ではないかと錯覚させるほどの演技力を見せつけた彼だが、今はどこからどう見ても普通に人間だと分かる。

 ボソボソの髪に、目の下に大きな隈。気怠げな態度の彼は——ふいに、鬼太郎に顔を近づけ鼻をクンクンさせる。

 

「な、なんでしょうか?」

 

 いきなりの奇行に流石の鬼太郎も驚くが、阿良也は特に悪びれもなく言ってのける。

 

「キミ……あんまり臭くないね」

「???」

 

 別に貶している訳ではないだろう。寧ろ、普通なら褒め言葉のようにも聞き取れる。

 しかし、阿良也の言葉がどういう意味なのか理解しているのか。アキラと景が慌てた様子でフォローを入れていく。

 

「き、気にしないでください、鬼太郎さん! 失礼ですよ、阿良也さん!」

「そうよ、阿良也くん! 鬼太郎くんは、別に役者って訳じゃないんだから……」

 

 二人のその態度から、決して鬼太郎がいい匂いだと褒められた訳ではないことが伝わってくる。

 

「景は相変わらずすごく臭うし……堀くんも最近は結構臭くなってきた。いいと思うよ?」

「阿良也くん、いい加減セクハラで訴えるわよ?」

「だから堀じゃなくて星ですって……わざと、それわざとですよね!?」

 

 逆に阿良也は景やアキラを『臭い』と称賛する。彼の無遠慮な言葉に景は女子としてこめかみを引くつかせ、何度も名前を間違えられていることにアキラは声を上げる。

 しかし、決して互いを罵り合っているわけではない。和気藹々と言葉を投げ掛け合う、何だかんだで良好な関係を気付いている三人の役者たち。

 

 

 

「キミたちは……今度の舞台をどう思っておるんじゃ? 怪人に襲われるリスクを冒してでも……公演を続けるべきだと、本心から思っておるのか?」

 

 すると彼らの掛け合いで車内の空気がいい感じになったところを見計らい、目玉おやじが声を掛ける。

 

 既に結論が出た舞台の続行に関して、今度は個人の意見を訪ねていく。

 彼らは舞台でもそれぞれが重要な役どころを演じているようだし、彼らの内誰か一人でも公演に反対してくれれば、あるいは皆の気持ちを動かすこともできるのではないかと期待する。

 

 しかし——。

 

「そうよね……クリスティーヌもそれ相応の恐怖は感じている筈だし……もっと彼女の気持ちに近づかないと……」

 

 夜凪景に関してはもはや聞くまでもない。既に彼女の気持ちは確固として舞台の中にあるようで、ぶつぶつとクリスティーヌという役どころに関してだけ頭を悩ませている。

 

「? 役者はいつだって命懸けだよ? 常に『役に飲まれる』かもしれないリスクが伴ってる。そこから帰って来れるかどうか……自分の居場所を見失わないようにしないとね……」

 

 阿良也の方も、鬼太郎たちの懸念などまるで理解できないとばかりに。彼なりに役者としての心情や矜持を語る。

 

「それに……本物の怪人が来てくれるなら、それはそれで好都合さ」

「……?」

「怪人を演じようと色んなものを『喰ってきた』けど……やっぱ、本物を喰ったほうが手っ取り早いし、より怪人に近づくことができる……もう一度現れてくれないかな?」

 

 しかしそれは鬼太郎たちは勿論、余人にすら理解できないような考え方であることから『阿良也節』などと呼ばれている。

 阿良也は怪人の存在を憂うどころか、もう一度出てきてくれないかと亡霊の再出現を願っているようだった。

 

「阿良也さん、流石にそれはちょっと……。その怪人のせいで……七生さんも危うく大怪我するところだったんですからね」

 

 その考え方に対し、星アキラは苦言を呈する。

 実際に怪我人が出ているのだ。また怪人に現れてほしいと願うのは、少し不謹慎ではなかろうか。

 

「そうかな? ファントムに命を狙われるカルロッタの気持ちを体験できたんだ。七生だって結果オーライだと思ってるんじゃないの?」

「いやそれは……そう思えるのは、阿良也さんくらいだと思いますよ……多分」

 

 だがそれでも、阿良也はその経験すらも役作りに組み込めと言う。

 決して仲間の心配をしていないわけではないようだが、それでも役者としての在り方が彼としては優先されるようだ。

 

「……アキラくんと言ったか。キミがこの中で一番、真っ当な感性を持っとるようじゃな」

 

 そんな阿良也とのやり取りから、目玉おやじは星アキラという青年がこの中で一番話が通じ易そうだと彼に声を掛ける。

 

「キミはどう思っておる? このまま舞台を続けるべきか、否か。率直に思ったことを聞かせてくれ」

「…………」

 

 アキラは目玉おやじの問い掛けに、安易な返事ができないでいた。

 やはりこの青年は、主演の二人よりは一般的な感性を持ち合わせているようだ。目玉おやじが心配する懸念にも、真摯に向き合うよう考え込んでくれている。

 

「確かに夜凪くん、いえ……役者たちの安全を第一に考えるのであれば、この芝居は取り止めるべきでしょう。天知さんはああ言っていましたが……やむを得ない事情であれば、きっと世間も納得してくれる筈です」

 

 彼は役者の視点だけでなく、プロデューサーの視点からも。公演を中止することが不可能ではないこと。言い訳次第でリスクも最小限に抑えられると、冷静な意見を述べてくれる。

 

「でも、ボクは……ボク自身が、この舞台を続けたいと思っています。ボクの演じるラウルがどこまで夜凪くんのクリスティーヌや、阿良也さんの怪人に張り合えるかを……試してみたいんです」

 

 だがその上で、アキラにも譲れない役者魂がある。危険を承知でこの舞台を続けたいと、彼は自らの思いを正直にぶつけていく。

 

 

 

「……そうですか」

 

 一見常識的に思えた星アキラですら、公演の中止を考えることはできないようだ。

 やはり現時点で人間たちを説得するのは無理だろうと、鬼太郎は大きくため息を吐いていく。

 

 

 

×

 

 

 

「さあ。着いたよ」

「ここが……夜凪さんの家、ですか?」

 

 それから三十分ほど。星アキラの運転する車が夜凪家へと到着する。

 車は夜凪家の敷地内に停められたが、彼女の家自体はそこまで大きくなかった。それどころか周囲の家々に比べてもひと回り小さく、外観もかなりボロっちく見える。

 苔やらの植物が自生しており、壁面などにも修繕された跡が多数ある。とてもではないが、人気急上昇中の注目女優が住むような場所ではない気がする。

 

「……夜凪くん。やっぱり引っ越しを考えるべきじゃないかな? その……この家も悪くはないんだけど、やはり防犯上のセキュリティが……」

 

 夜凪家を前にアキラは言葉を濁しながらも、彼女に引っ越しを勧める。

 怪人の件を抜きにしても、この家の構造では防犯的な観点から色々と問題があると。彼自身もイケメン俳優として追っかけの女性が多いことから、そのような意見を口にする。

 

「ううん……この家を手放すつもりはないの。ここには……亡くなったお母さんとの思い出が沢山詰まってるから」

「!!」

 

 景は会話の中で、何気なく母親が亡くなっていることを口にし鬼太郎を驚かせる。しかしそこに悲壮感はなく、既に母の死から立ち直っている強い意志がその横顔からも垣間見える。

 

「それに……あの子たちも、この家が好きだって言ってくれるし……」

 

 そう、たとえ母親がいなくとも、彼女は決して天涯孤独の身ではない。

 

 

「——あっ!? お姉ちゃんだぁ! お帰り!!」

「——お帰りなさい!! お姉ちゃん!!」

 

 

 景の帰宅を察した家の住人・幼い少年少女が玄関から飛び出してきた。

 子供たちは姉である夜凪景の膝下へと抱き着いていく。嬉しそうに駆け寄ってくるその子たちを、景もまた嬉しそうに抱き寄せた。

 

「弟妹のルイとレイよ。ほら二人とも……お客さんが来たんだから、挨拶しなさい」

 

 夜凪景の幼い弟と妹——ルイとレイ。

 まだ小学校の低学年。元気いっぱいに姉と戯れながらも、訪問客である男性陣へと目を向けた。

 

「ああ!! ウルトラ仮面だ!! ウルトラ仮面、今日もオフなんですか!?」

「ジョバンニも一緒! ……サンカク? お姉ちゃん、またサンカクカンケーなの?」

 

 すると弟のルイは星アキラを『ウルトラ仮面』と呼び、妹のレイが阿良也を『ジョバンニ』と呼ぶ。

 

 ウルトラ仮面、ジョバンニ。それぞれアキラや阿良也が別の番組や舞台で演じた役どころである。

 ヒーローものが大好きなルイにとって、アキラはまさに『憧れのヒーロー』そのもの。二人にとって阿良也は『空想好きで孤独な少年』ジョバンニとして、どこか友達感覚で接している。

 芝居と現実の区別が曖昧な、子供だからこその感性だろう。

 

「ああ!? 鬼太郎だ!! お姉ちゃん……ゲゲゲの鬼太郎がいるよ!!」

「えっ……ボク?」

 

 さらにルイはもう一人。そこにゲゲゲの鬼太郎の姿を見つけるや、何故か興奮するように叫び声を上げていた。

 鬼太郎は特に何かを演じたことがあるわけではないのだが、ルイが彼に向けるキラキラとした視線は、どことなくウルトラ仮面を見つめるものに近い。

 

「そうよ、鬼太郎くん!! この間もTVの中で頑張ってくれていたわ……お礼を言いましょう!」

「うん!! 鬼太郎さん……ボクたちを、みんなを助けてくれてありがとうございました!!」

 

 というのも、鬼太郎は少し前にTVに出ており、その勇姿を日本中に見せてくれた。例の戦争時、バックベアードの衝突から日本を守ったあの光景である。

 きっと夜凪家の面々もあの映像を見ていたのだろう。戦争の背景など何も知らない子供たちからすれば、鬼太郎はまさに日本の危機を救ってくれたヒーローそのものなのだ。

 

「…………」

 

 だがルイが自分を見つめるその視線に、鬼太郎は複雑な顔色を隠せないでいる。

 

 鬼太郎自身、自分のことをヒーローなどと思ってもいない。

 子どもたちの輝くような視線も、彼にとっては非常に居心地が悪く。その視線から逃れるよう、鬼太郎は顔を伏せってしまう。

 

「……さっ、上がってちょうだい、鬼太郎くん! 阿良也くんも、アキラくんも! カレーでよければご馳走して上げるから!!」

 

 鬼太郎の心情をなんとなく察したのか。それ以上その話題には触れず、とりあえず景は鬼太郎を家の中に招き入れようと声を掛ける。

 ついでに阿良也やアキラにも、夕食を出して上げようと声を掛ける。

 

「お姉ちゃん!! 天使さんが遊びに来てるよ!」

「天使さんがお台所でカレー作ってる!!」

 

 

 だが、そこでルイとレイの二人が——『天使』が来ていると、とっても嬉しそうにその事実を告げた。

 

 

「……天使?」

 

 一応は本物の天使と面識のある鬼太郎が『この日本に天使が?』と、天使そのものが訪問している可能性を僅かでも思案する。

 だが当然、子供たちの言う天使は本物ではなく。あくまで役どころ——つまり『天使と称されるほどに美しい役者』という意味である。

 

「天使って……!?」

「まさかっ!?」

「……!」

 

 そのような役者に心当たりがあるのか。

 景のみならず、アキラや阿良也でさえもその表情に動揺が浮かぶ。

 

 

「——ああ、ようやく帰ってきたんだ、おかえりなさい!」

 

 

 そうした、彼らの反応に応えるよう——確かに『天使』は玄関先から顔を出す。

 

 

 その天使は、美しく可憐な少女だった。

 小柄で小顔で、肌も輝いているように白く、ショートボブの髪が雲のようにフワッとしている。

 その容姿、佇まいからも確かな神秘性が垣間見えるようだ。

 

 だが、微笑みを浮かべるその表情は、どこか不自然なほど造り物めいていた。

 人間離れした造形美。まさに天が創り出した創造物——『天使』と呼ばれるのも納得できる『役者』であった。

 

 

「なぜ、キミがここにいるんだい……千世子くん」

 

 

 その女優と長い付き合い、同じ事務所に所属する星アキラが彼女がここにいる理由を尋ねる。

 戸惑い気味の彼の問いに、彼女——百城千代子(ももしろちよこ)は笑みを崩すことなく堂々と答えていく。

 

 

「——ん? 別に遊びに来ただけだけど……アキラくんも、カレー食べてく?」

 

 

 

×

 

 

 

「ふ~ん……百城カレーも結構いけるね……悪くないよ」

「ありがとう、阿良也さん。あっ、おかわりいる?」

 

 夕食時。なぜか夜凪家のテーブルで明神阿良也が百城千世子の作ったカレーを食べていた。

 元から景の作るカレー目当てにやって来ただけあって、阿良也には遠慮というものがない。もう何杯目になるかもわからない天使カレーを、ただ黙々と食していく。

 

「鬼太郎くんはどう? 妖怪さんの口に合うかどうか分からないけど」

「いえ、普通に美味しいです。ごちそうさまです」

 

 鬼太郎もとりあえず千世子のカレーを頂いていた。妖怪である鬼太郎相手にも、千世子は全く態度を変えずに接してくれている。

 

「もぐもぐ……美味しかった、天使さんのカレー!」

「うん!! 天使カレー、美味しい!!」

 

 ルイとレイの二人も天使のカレーを笑顔で食べきり、食後の運動とばかりに食卓から少し離れたところで遊んでいる。

 

「目玉おやじさん、ちっちゃくて可愛い!!」

「おやじさん、絵本読んで!!」

「分かった! 分かったから……そう突っつくでない! くすぐったいぞい!!」

 

 子供たちの面倒は、目玉おやじが見てくれていた。

 恐れ知らずの子供たちからすれば、目玉おやじも『可愛い小人さん』といった程度の認識だ。目玉おやじも自分を慕ってくれている幼子たちを邪険にすることなく、大人の対応で接してくれている。

 

 

 

「千世子ちゃんのカレー……美味しいよ。美味しいけど……なんで?」

「いや、本当……何をしに来たんだ、千世子くん……?」

 

 他のものたちが千世子の存在をそこまで意識していない中、家主である夜凪景がこの状況に一番戸惑いを見せていた。

 常識的な星アキラも、突然夜凪家に訪れていた同僚に呆れたようにため息を吐いている。

 

「えー、だからさっきも言ったじゃない、遊びに来たって……まあ、一応様子を見に来たってのもあるけどね」

 

 困惑している景やアキラに、千世子は天使の笑顔を貼り付けたまま答えていく。

 百城千世子は景たちと同じ役者だ。景たちの世代を代表する若手トップ女優であり、知名度だけでいえばアキラや阿良也ですらも凌駕する。

 

 彼女や星アキラが所属する事務所『スターズ』の方針は——『スターは大衆のためにあれ』。

 

 その方針の元に作り上げられた彼女こそ、まさにスターズの最高傑作——『スターズの天使』。

 人間離れした美しさ、研鑽された技術、計算し尽くされた戦略的演技。その全てが大衆の心を虜にしていく。

 

「連絡しなかったのは、ごめんなさい。ちょっと夜凪さんの驚く顔が見たかったからなんだ」

 

 ただ今の彼女は天使というより、ちょっぴり小悪魔ぽく。舌を出しながら軽くウインクなどして見せる。

 

「聞いたよ。本物の怪人が出たんだって? 怪我人もいるとか、大変なことになってるみたいだね?」

「!! 耳が早いな……誰から聞いたんだい?」

 

 彼女は景たちが抱えている騒動、怪人の出現について言及してきた。

 だが、千世子自身は今回の舞台に参加していなかった筈。いったいどこから情報が漏れたのか、世間に下手な噂が流れることを危惧し、アキラはその話の出どころについて尋ねる。

 

「天知さん経由でね。アキラくんを預けている以上、スターズの方にも報告が来るのは当然でしょ?」

 

 もっとも、それ自体は杞憂だ。あくまで千世子は関係者である天知から聞かされたことであり、天知もプロデューサーとして、出演者の所属事務所に報告を怠らなかっただけのことである。

 

「アキラくんのところにも、アリサさんから連絡が来てるんじゃないの……出演を辞退しなさい、とかさ?」

「えっ? そうなの……アキラくん?」

 

 さらに、千世子はアキラにこの舞台の出演に関して踏み込んだ話をしていく。『辞退』という不穏な響きに景はアキラの表情を窺う。

 

「……ああ、確かに母さんから直接連絡は貰ったよ。今すぐ戻って来いって……」

「心配してるんだよ、アリサさんだって……」

 

 アリサとはスターズの社長。アキラの母親・星アリサのことだ。彼女は元女優だが、今は経営者として多くの俳優たちを育てる立場にいる。

 その立場上、彼女は今回の怪人騒動に自社のタレントが関与することを快く思っていないようだ。

 それが自分の息子であるならば尚更のこと。アリサは社長としても母親としても。息子を危険な現場から遠ざけようと、彼個人に『戻ってこい』と連絡を入れていたらしい。

 

「だけど、ボク一人だけが逃げる訳にはいかないさ……」

 

 しかしその問答なら既に車内で済ませている。アキラ自身にこの舞台から降りるという選択肢はない。

 

「ボクの力がどこまで通じるか試してみたいし……それにここで降りたら、ボクをキャスティングしてくれた黒山さんにも、申し訳が立たないしね」

 

 彼には役者としての力をこの舞台で試してみたいと考えがあったし、何より自分をラウル役に抜擢してくれた黒山墨字の期待に応えようという思いもあった。

 

「黒山さんが、アキラくんを? それは初耳だわ……」

 

 その話に景が反応を示す。

 アキラの役者としての能力を疑っているわけではないが、あの黒山がわざわざアキラに声を掛けたのが少し意外に思えた。演出家の意図がどこにあるのか。景は役者としてアキラがラウル役を演じる、その意味について考え込んでいく。

 

 

 

「ふーん……そっか。まっ、アキラくんからすれば、願ったり叶ったりだもんね!!」

 

 一方で千世子はアキラの答えに一瞬だけ真顔になる。だが、すぐにまた小悪魔のような笑みを浮かべ、揶揄うように微笑んでいた。

 

「堂々と夜凪さんと熱愛できる機会だもんね! これを逃す手はないでしょ!!」

「いや、なんでそうなるんだい!?」

 

 熱愛。

 千世子やアキラのような、若いスターとして輝く二人には今後の芸能活動をも左右する、重大なスキャンダルになりかねない響きだ。

 過去にも、アキラと景の二人は『熱愛か!?』というスキャンダル記事をすっぱ抜かれたことがある。それは完全に誤解であり、何とか世間に対する言い訳をアリサが用意してくれたことで損失を最小限に抑えることができたが。

 

「そうよ、千世子ちゃん。私アキラくんと熱愛なんかしてないんだから」

 

 それがきっかけで、仲間内ではその熱愛ネタが一つの定番と化してしまった。揶揄われる度、景はつっけんどんな態度でアキラとの熱愛を否定するのだが——。

 

「ええ? けど、夜凪さんはクリスティーヌでアキラくんはラウル子爵なんでしょ? 役作りのためにも、二人は熱愛するぐらいが丁度いいと思うけど?」

 

 千世子が言うよう、オペラ座の怪人ではクリスティーヌとラウル子爵が互いに惹かれ合い、恋に落ちていく。

 その関係は——まさに熱愛と呼ぶのに相応しい。

 

「あっ……そうよね。私、クリスティーヌなのよね……じゃあ、アキラくんと……ラウルと熱愛しなくちゃ……ぐ、んん……」

 

 これに景が、心底から困ったという顔を浮かべてしまう。

 熱愛などしたくないが、役作りのためならば仕方ない。よりクリスティーヌに近づくためにも『アキラと熱愛しなければならないのか?』と、かなり真剣に悩んでいる様子。

 

「——別に堀くんと無理に熱愛する必要はないんじゃない?」

 

 すると、そこにカレーを食べ終わった阿良也が口を挟み、話をさらにややこしくしていく。

 

「熱愛の経験が喰いたいなら、俺とすればいい。俺たち親友だし、別に構わないんじゃない?」

「いやいや!! 阿良也さん、親友って……そういうのじゃないでしょ! ふざけてるんですか!?」

 

 これにアキラが真っ向から反論。

 親友と熱愛は何の関係もないだろうと、少しムキになって叫んでいく。

 

 

 

 

 

「元気なもんじゃのう……怪人に狙われておることなど、忘れているようじゃが……」

「そうですね、父さん……」

 

 賑やかに騒ぐ役者たちを横目にしながらも、目玉おやじと鬼太郎は決して警戒を緩めてはいなかった。

 皆がすっかりその存在を忘れかけている怪人・ファントムがいつまた現れても対応できるよう、鬼太郎は常に妖怪アンテナで家の周囲を探知している。

 

 しかし、妖気などは特に感じられず。

 あくまで現時点ではあるが、怪人がこの夜凪家へと訪れる兆候はほぼ皆無であった。

 

 

 

×

 

 

 

「それじゃあ、ボクたちはそろそろ……」

「明日も稽古場でよろしく」

 

 そうして、何事もなく夜が深まっていく中、星アキラと明神阿良也の二人が夜凪家を後にしようとする。

 流石に若い男性である二人が夜凪家に泊まるわけにはいかない。それこそ、本当に熱愛だと言われかねないからだ。

 

 今も夜凪家に残るのは、家の住人である景とルイにレイ。良い子であるルイとレイは決められた就寝時間には布団に入り、既にぐっすりと熟睡している。

 あとは初めから泊まるつもりで来ていた千世子、そして景の護衛として鬼太郎と目玉おやじが夜凪家に留まるとのことだ。

 

「うん、二人とも気を付けてね」

 

 玄関先でアキラたちを見送るのは景。家主として、客人が無事に家まで帰れるのを祈る。

 

「夜凪くん、一番気を付けなきゃならないのはキミだろ? 何かあったら連絡をくれ、すぐに駆けつけるから!」

 

 だがその気遣いに、当然ながら景の方が用心すべきだとアキラは口酸っぱく注意を促す。

 景の身の安全のためならば、自分も直ぐに駆けつけると。そこに下心はなく、アキラは純粋に仲間として彼女の心配をするが。

 

「ありがとう、アキラくん……でも私たち熱愛はしてないけど?」

「いや、これは熱愛とかは関係ないからね!?」

 

 つい先ほど熱愛のことをネタにされたためか、景はつーんと冷たくアキラのことを突き放す。

 

「けど、クリスティーヌとしてはラウルと……でも熱愛なんて、何をすればいいか分からないし……う~ん……」

 

 しかし、彼女は役者としての使命感に考え込んでしまう。

 芝居のことを考えれば、クリスティーヌとラウルの関係を考えるのであれば、アキラと『そういった雰囲気』になることが必要なのかもと。

 多少無理でも熱愛すべきかと、少しズレたところで悶々と悩み始めた。

 

「…………」

 

 そんな景の様子に、アキラは真剣な顔つきで彼女を見つめ——。

 何かを思い付いたのか、ふいに笑みを浮かべながら声を張り上げる。

 

 

『——久しぶりだね!! クリスティーヌ……ボクのことを覚えているかい?』

「……!!」

 

 

 唐突にその名を口にした星アキラ。景は少し驚いた素振りを見せつつ——すぐに役者として彼の台詞に応える。

 

『——ラウル!? 貴方、ラウルよね!! ああ、懐かしい……また貴方と再会できるだなんて……』

 

 一瞬だ。

 彼女は一瞬でクリスティーヌへと切り替わり、ラウル子爵である星アキラに笑顔を向けていく。

 

 

 これは舞台の序盤、幼馴染であったラウルとクリスティーヌが大人になってから再会するシーンだ。

 カルロッタの代役、臨時のプリマドンナとして活躍するクリスティーヌに、彼女への恋心を思い出すラウル。

 オペラ座を終えたクリスティーヌの楽屋へと、彼は労いの花束を贈りに行く。

 

 

『——舞台の成功おめでとう、クリスティーヌ。夢を叶えたんだね……キミはもう、立派なプリマドンナだ!』

『——そんな……あれはただの代役で……私なんてまだまだよ……』

 

 家の玄関先であるにも関わらず、淀みなく演じ続ける二人。舞台の公演はまだずっと先だが、それでも十分に見応えのある即興劇。

 

「…………」

 

 傍にいた阿良也も二人の芝居には口を出さず、それぞれの演技を値踏みするように見つめている。

 

『——クリスティーヌ……いえ、マドモアゼルクリスティーヌ……またお会いしましょう……』

 

 するとアキラは恭しい仕草で景の手を取り、その場に膝を突いた。

 

 

 そして次の瞬間、彼女の手の甲に——そっと口付けをする。

 

 

「ちょっ!? ちょっとアキラくん!? いきなり何を……!?」

 

 これに夜凪景が、演技をする余裕もないほどに動揺を見せてしまう。

 未だ男性とお付き合いなどしたことがない、『恋』すら知らない少女にはやや刺激が強すぎたかもしれない。実際のところ、ここはアキラのアドリブで台本にもない行動である。

 

「ははは、ごめんごめん……だけど、夜凪くん。その戸惑いでいいと思うよ?」

「えっ?」

 

 アキラは突然の無礼を謝りながらも、そのリアクションこそが正しいんじゃないかと景にアドバイスする。

 

「確かにクリスティーヌとラウルは惹かれ合い……最後には結ばれたかもしれない。だけどこのときのクリスティーヌは……ラウルの気持ちをどう受け取っていいか分からず、戸惑っていたんじゃないかな?」

 

 

 劇中において、ラウルとクリスティーヌは恋仲となり、最後には夫婦として結ばれる。

 だが物語の当初、クリスティーヌの心は怪人に——自分を優しく指導してくれる『音楽の天使』の方に向いていたのではないだろうか。

 少なくとも、序盤はラウルからの一方的な好意に過ぎず。その時点では、クリスティーヌもラウルには恋をしてはいなかっただろう——と、アキラは物語の流れをそのように読み解いていく。

 

 

「確かにクリスティーヌは自分を守ろうと必死になるラウルに惹かれていったかもしれないけど、その気持ちは物語の最中に育まれていくものなんじゃないかな?」

 

 勿論、それも解釈の仕方の一例に過ぎない。オペラ座の怪人は長い歴史を持ち、公演される舞台ごとに、演出家の違いによって様々な色合いを見せる作品だ。

 クリスティーヌとラウル、そしてファントムを含めた三人の愛憎劇。彼らの気持ちがどのように揺れ動いているかという問い掛けに、初めから正解など存在しない。

 

「だから無理にボクを……いや、ラウルを今すぐに好きになる必要もないと思うよ? 舞台までまだ時間はあるんだし、稽古の中で彼との向き合い方をゆっくり育んでいけばいいんじゃないかな?」

 

 アキラはあくまで景の緊張を和らげようと、彼女の肩を緩めるために自分なりの考えを話していた。それが正しいかどうかは別として、そういう考え方もあるんじゃないかと助言したのだ。

 効果はあったのか、アキラのアドバイスに景はその表情をパアっと明るくしていく。

 

「そっか! じゃあ私、無理にアキラくんと熱愛する必要なんてなかったんだわ!! 良かった!!」

「……うん、そこまで露骨に喜ばれると、ボクもちょっと傷付くんだけど……」

 

 熱愛しなくてもいいという喜びから、景は無邪気にアキラの手を取っていく。彼女の大袈裟な喜びように、アキラは男として複雑な気持ちに陥る。

 しかしこれで良かった。変に意識されるよりは自然体で演じてくれた方がアキラも気が楽だと。再び口元に微笑みを浮かべていく。

 

 

「それじゃあ、また明日……」

「ええ、また明日!」

 

 

 そして、あくまで同じ役者として、仲間として。笑顔で別れを告げていく二人の男女——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな二人の、微笑ましいやり取りを——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『——クリス……ティーヌ……』

 

 怪人は、闇の向こう側から覗き見ていた。その声音は嫉妬に震えており——。

 

 

『——おのれ……ラウル!! どこまでも、目障りな男めっ!!』

 

 

 その瞳の奥には、禍々しい憎悪の炎が燃え滾っていた。

 

 

 

 

 




人物紹介

 夜凪景
  原作『アクタージュ』の主人公。
  自らの過去を追体験する演技法・メソッド演技を独力で身に付けた異能の天才。
  彼女が新しい役を披露する瞬間は必殺技。他の役者たちがみんな揃ってビビりまくってる。
  一般的な感性(主に服装のセンス)が、天才故なのか割とズレている天然さん。

 星アキラ
  スターズに所属するイケメン俳優。あまりにもイケメン過ぎて、最初はモブかと思ったわ。
  元女優の息子だが、彼自身には母のような才能がなかった。
  しかし脇役としての道を示され、役者として一皮剥けた演技が評価される。
  何気に作者の一番好きなキャラ。人気投票では柊雪と彼に票を投じさせていただきました。

 百城千世子
  ライバル女優。最初に主人公の前に立ち塞がったボスキャラ枠。
  天使と称される美しさ、しかしそれは苦労の末獲得していったものであり、意外に努力型。
  リアル人気投票では主人公を押し退けて一位に輝いた。
  尺の都合上、舞台そのものには出演なし。彼女売れっ子だし、きっとスケジュールが合わなかった。
  
 明神阿良也
  演劇界の怪物。どんな役も演じるカメレオン俳優。
  マタギになるために熊肉を喰い、ジョバンニになるために夜凪を喰う。
  夜凪に似たタイプであり、それを自由自在にコントロールできる分、阿良也の方が上手?
  臭くない役者は好きではなく、臭いのきつい夜凪がお気に入り。

 以上、おそらくアクタージュにおけるメインキャラになっていたかと思われる四人。
 この四人、原作だと全員が一堂に会したことがなく、今回は夜凪の家に皆を集めてみました。

 ルイとレイ
  夜凪景の弟妹。泣き虫の男の子・ルイ。しっかり者の女の子・レイ。
  作中で明言されてなかったと思うけど、おそらく小学一、二年くらい。
  汚れ切った大人には眩しすぎる、純粋な天使たち。とても可愛い。
 
 星アリサ
  星アキラの母親、元女優。今は芸能事務所『スターズ』の社長。
  景が『星アリサの再来』と呼ばれていることから、かなりすごい女優だったことが分かる。
  結構ドライな経営者かに見えるが、意外と情が深い苦労人。
  天知曰く、経営者に向いていないとか。
  
 ファントム・オブ・ジ・オペラ
  オペラ座の怪人の亡霊。今作におけるモデルはfgoにおけるファントム。
  低レアながらも、ストーリーやイベントではそこそこ出番がある、名脇役?
  理知的に話しているように見えるが、それは自分の中のドス黒い衝動を抑えるため。
  もしも一度でも狂気に染まれば、またも惨劇を引き起こすという。
  今回はそんな、徐々に暴走していく怪人を描ければと思ってますが……。
  
 ちなみに、以下がオペラ座の怪人における主要メンバーの配役です。
  
  クリスティーヌ 夜凪景
  オペラ座の怪人 明神阿良也
  ラウル子爵   星アキラ
  カルロッタ   三坂七生
  謎のペルシャ人 青田亀太郎
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アクタージュ オペラ座の怪人 其の③

……ごめんなさい。
あれだけ前回、三話構成で終わらせられそうと言っておきながら……今回も完結はしませんでした。
書いても書いても終わらない……何故か文字数が増えていくばかり。

今年のFGOの夏イベントのミニサバフェスでジャンヌダルク・オルタが言っていた、『削るわ』の言葉通りに色々と削ったのですが……なかなか纏まらず。

とりあえず、いい感じのところで一度区切り。また後日、其の④を投稿して完結となります。

既にほとんど全体は書き終わってはいますので、今月中には最終話も投稿できる筈ですので……それで勘弁していただきたい。


「——やってくれたね、堀くん」

「えっ、な、何がですか……阿良也さん?」

 

 夜凪家にお邪魔していた星アキラと明神阿良也。

 夜遅くなったこともあり、アキラの運転する車で自宅へと帰ろうとしている中。助手席に座る阿良也はどこか不機嫌そうにアキラにジト目を向けていた。

 家の玄関先で景とアキラが即興劇をしてから。もっと言えば——芝居の中でアキラが景の手の甲に口付けをしてからずっとこの調子である。

 

「まっ……俺も怪人にまた一歩近づけたからいいけど。なるほど、これが嫉妬か……」

 

 阿良也は今しがた自身が抱いた感情を、自らが演じる怪人の感情へと落とし込んでいく。

 

 彼にとってアキラが景に、自分に先んじて彼女へ『粉をかけた』ことへの苛立ちは、まさに『オペラ座の怪人』で言うところの『クリスティーヌとラウルが愛を誓い合う』密会場面に遭遇した感情に近しい。

 二人の逢瀬を物陰から見ていた怪人の心中が大きく揺らいでいたように、阿良也の心も決して穏やかではいられない。

 

 だがその『嫉妬』という感情ですらも、阿良也は自らの血肉へと変えていく。

 より怪人に近づくために、その全てを『喰らって』いく。

 

 

 それこそ、演劇界の怪物——明神阿良也の役作りである。

 

 

「あっ、そこ右ね。俺の家、もうすぐそこだから」

「あ、はい……」

 

 だがそれはそれとしてだ。今はとりあえず家に帰らねばなるまい。阿良也は自身の帰宅路を指し示し、アキラも指示通りに車を走らせる。 

 何事もなければ、あと数分ほどで阿良也を自宅へと送り届けていたことだろう。

 

「ん……?」

 

 ところがだ。あと少しで到着といったところで阿良也は唐突に顔を顰めて、一言。

 

「……臭うな」

「ちょっ!? いきなり何言ってるんですか?」

 

 いきなりの発言にアキラから突っ込みが入る。人の愛車内が臭いなどと、失礼にも程があるだろう。

 

「違う。いきなり臭いが濃くなってきて……」

 

 だがそうではない。単純に車内が臭うという意味ではない。

 これは何者かの臭い。彼の役者としての嗅覚が、何か得体の知れないものの接近を察知したということだった。

 

 阿良也が、まさにその『何者か』に警戒心を滲ませた、その直後——。

 

 

 ドン!! と、走行中の車のボンネットに、黒い外套を纏った人物が舞い降りて来る。

 

 

「なっ——!?」

 

 

 突然の強襲に運転手であるアキラが顔を強張らせる。一瞬、それが何なのか思考する暇すらなかったのだが——。

 

『——ラウル子爵』

「!! か、怪人!?」

 

 その黒い外套の男、仮面を被った怪人。

 彼が星アキラ——ラウル子爵へと憎しみを吐き捨てたことで事態を把握する。

 

 そう、カルロッタ役の七生、もしくはクリスティーヌ役である景を狙うかも知れないと警戒していた自分たちの警戒網を掻い潜る形で。

 怪人はラウル役である、星アキラを狙いに来たのだと。

 

『——我が歌姫を惑わす……不埒者め! 貴様は……目障りだ!!』

 

 怪人はボンネットの上に乗ったまま、その不気味な鉤爪を車のボディーに、その内部にあるエンジンルームへと突き立てた。

 車は煙を上げて炎上。制御も困難になり、その車体が大きくふらついていく。

 

『——フンッ!!』

 

 すると、それでもう用は済んだとばかりに、怪人は車の上から飛び降りる。

 切羽詰まった状況のアキラたちを置き去りに——再び闇の中へと姿をくらましていく。

 

 

 

「星くん!! ブレーキ!!」

「ぐ、ぐううう……!」

 

 制御を失った車内に取り残された阿良也とアキラ。どうにかして車を止めなければと、車全体のバランスを取りながら星アキラは必死にハンドルを操作していく。

 だが努力の甲斐も虚しく、次の瞬間——車は盛大に路肩へと乗り上げ、火花を散らしながらガードレールへと突っ込む。

 

「————!!」

 

 激しい衝撃が、アキラと阿良也の身体を大きく揺さぶっていく。

 

 

 

 

 

「そろそろ遅いし……私たちも寝よっか、夜凪さん?」

「ええ、そうね……千世子ちゃん」

 

 その頃、夜凪家では夜凪景と百城千世子が就寝の準備を進めていた。

 

 仲の良い友人同士で交流を深めながらも、怪人の襲撃を警戒している彼女たち。天使と呼ばれる千世子ですらも、笑顔を浮かべながらピリピリと気持ちを張り詰めていた。

 とはいえだ。怪人を気にし過ぎて身体を休めない訳にもいかない。お互い明日も仕事で朝早く、よふかしもお肌の天敵。

 自分たちの健康管理も、女優としての大事な仕事の内である。

 

「あっ、鬼太郎くんもここで休む? お布団ならまだ余ってるけど……」

 

 自分たちが寝るということで、景は護衛として張り付いてくれている鬼太郎の分も寝る場所を確保しようとした。妖怪で相手が男性といえども、見た目はただの少年だ。特に同じ空間内で夜を過ごす抵抗感もなく、彼の分も布団を敷こうとする。

 

「いえ、ボクは廊下で構いません。どのみち、今日はずっと起きているつもりなので」

 

 しかし、鬼太郎はそれを丁重に断る。

 元より今日のところは寝ずの番をするつもりでいた。夜が深まれば深まるほど、ファントムのような亡霊はその妖力を高めていく。

 寧ろ本番はここからだと、今から気を引き締める気持ちである。

 

「そんなの駄目よ、よふかしなんて!!」

 

 だがそんな鬼太郎を、景は常識的な観点から叱りつけていく。

 

「子供なんだから、ちゃんと寝ないと大きくなれないわ!! いい子だから早く寝ましょう!!」

「それじゃ、本末転倒な気がするんじゃが……」

 

 弟と妹の世話をしているためか、保護者——それも母親のような口調である。その言いように鬼太郎の本来の父親・目玉おやじが困ったような顔をしてしまう。

 言っていることは尤もなのだが、それでは自分たちがいる意味がなくなってしまう。怪人の襲撃に備えるためにも、鬼太郎や目玉おやじはずっと起きている必要があるのだから。

 保護者目線でそれを許さないという景をどのように説得しようか、目玉おやじは頭を悩ませる。

 

 

 そんなときだ。不意に携帯のバイブ音が鳴り響く。

 

 

「あっ、ごめん、私だわ……って、アキラくんから?」

 

 着信は千世子の携帯電話からだった。スマホのディスプレイには——星アキラの名前が表示されていた。

 

「……もしもし? どうかした、アキラくん?」

 

 ついさっき帰宅したばかりの彼からの連絡に、少し不安を抱きつつも千世子はその電話に応じる。

 

「あれ、阿良也さん? 何で阿良也さんが……アキラくんの携帯に?」

 

 ところが電話の相手は明神阿良也だと、千世子は軽く驚きを口にする。何故彼がアキラの携帯から連絡をしてきたのか、彼女は疑問を浮かべるが——。

 次の瞬間にも、その疑問は驚愕へと変わっていく。

 

「えっ……交通事故? 怪人に……襲われた!?」

「!!」

 

 彼女の言葉に鬼太郎が素早く振り返る。鬼太郎に電話相手の声は聞こえてこないが、その呟きだけでも只事ではないことが窺い知れる。

 案の定、千世子は鬼太郎の反応を見ながら——先ほど帰っていった彼らがどのような目に遭ったかを、報告するように話してくれる。

 

「——アキラくんが狙われて……怪我をしたって……!!」

 

 これに鬼太郎が動かない訳には行かなかった。

 

「鬼太郎!!」

「はい、父さん!!」

 

 詳細を聞くよりも先に、鬼太郎は駆け出す。

 玄関先、来客用のスリッパから自身のリモコン下駄へと履き替え——そのままアキラたちの元へと急ぐため、夜凪家から飛び出していく。

 

「鬼太郎くん、私も……」

「いえ!! 夜凪さんたちは家の中に!!」

 

 それを追おうと景までもが外へ出ようとする。しかしそれは駄目だと、鬼太郎は強めの口調で彼女に家にいるようにと指示を出す。

 

「——ボクが戻るまで絶対に外に出ないように!!」

 

 友達が心配なのは分かるが、ここで無防備にも景を外に出す訳にも行かない。戸締りを怠らないようにと、注意だけはしっかりと促していく。

 

 

 

 

 

「——鬼太郎、あれを見てみい!!」

 

 数分ほどで、鬼太郎はその現場へと駆けつけることができた。

 事故の報せを受けたのか、パトカーや救急車のランプが辺りを照らしており、周囲には人だかりもある。

 そんな中、目玉おやじはその騒動の中心——ガードレールに突っ込んだまま大破している、星アキラの自動車を指し示す。そこには忙しなく動き回る救急隊員や警察官も。

 

 そして、怪人に襲われたであろう明神阿良也と星アキラの姿もあった。

 

「明神さん! 星さん!?」

「な、なんだね、キミは? ここは関係者以外……」

「大丈夫、一応は知り合いだよ」

 

 彼らの姿を見かけるや、すぐにその場へと舞い降りる鬼太郎。急に姿を現した彼に他の人間たちがギョッと驚いているが、それらは阿良也が制していく。見たところ、阿良也に目立った外傷はない。

 

「鬼太郎くん? どうしてここに……」

 

 だが星アキラの方は救急隊員によって手当てを受けており、その頭には包帯が巻かれていた。

 

「大丈夫でしたか? 怪我は……?」

「大したことないよ、割れたガラス片でちょっと頭を切っただけだから……」

 

 アキラの容態を確認する鬼太郎。それに対し、アキラは何事もなかったように笑顔で返してくれた。どうやら、そこまで重症という訳ではないらしい。まずはそのことに一安心。

 

「それで……怪人は? 奴は今どこに……」

 

 しかしすぐに周囲を警戒しながら、彼らを襲撃したであろう怪人の居所を探ろうとする。もっとも、怪人の姿は影も形もなく、やはり妖気の痕跡すらも残されていない。

 この辺りに奴はいない。それでも身を固くする鬼太郎に、阿良也は口を開く。

 

「あいつらなら……車をぶっ壊した後、すぐにどっかに消えてったよ」

 

 阿良也の証言によれば、怪人は車を破壊する一瞬だけ姿を見せ——そして消えたらしい。

 その気になれば事故の後。すぐには動けないアキラたちに追い討ちをかけることも出来ただろうに、何故か怪人はそうしなかった。

 

 いったい、これはどういうことだろうか?

 

 

「……! 鬼太郎くん、夜凪くんたちは!?」

 

 

 その疑問はすぐに焦りとなって、アキラに『嫌な予感』を抱かせる。鬼太郎はこの場に来たが、怪人は既に別の場所へと移動した。

 

 ならば怪人は——次に『なに』を狙って『どこ』に姿を現すつもりか。

 

「!! 星くん、携帯借りるよ!!」

 

 阿良也もその考えに至ったようだ。星アキラから借りていたスマホで、もう一度百城千世子——景と一緒にいるであろう彼女に連絡を試みる。

 なかなか繋がらずに鳴り続けるコール音が、彼らの不安を掻き立てていく。

 

 ややあって——。

 

「百城!! そっちは今——」

 

 電話は無事繋がった。

 そのことに僅かに安堵しながらも、彼女たちの安否を確かめる阿良也だったが——。

 

「……分かった。すぐにそっちに行く。落ち着いて待ってろ、いいな?」

 

 一瞬、阿良也はカッと目を見開く。しかし通話相手に不安を与えないよう努めたためか。平静を保ちつつ、すぐに駆け付けると伝えて電話は切った。

 通話を切った直後。阿良也は重苦しいため息を吐きながら、明らかに渋い顔で鬼太郎たちの方を振り返る。

 

 

「やられたよ」

「!!」

 

 

 その言葉で全てを悟り、鬼太郎は己の迂闊さを思い知る。

 

 そう、これは『罠』だ。

 怪人の襲撃を聞き、焦ってアキラたちを助けに駆け付けた鬼太郎。そんな彼の行動、思考の裏をかくように——怪人は本命を手中に収めるべく動いた。

 

 怪人にとっての本命。即ち、クリスティーヌである——夜凪景の身柄だ。

 

 

「——夜凪が連れ去られた。怪人の仕業だよ」

 

 

 その思惑が達成されてしまったことを、阿良也は淡々と告げるしかなかった。

 

 

 

×

 

 

 

「ごめんなさい、私が付いていながら……」

 

 夜凪家のリビング、鎮痛な面持ちで百城千世子が項垂れていた。

 

 彼女の話によると、本当に一瞬だったという。

 アキラたちを心配し、起きていた彼女たちの元へ——怪人は音もなく忍び寄ってきた。

 そして、二人が悲鳴を上げる間もなく、奴は夜凪景を瞬きの間に連れ去ってしまったというのだ。

 鬼太郎の護衛もなかった状況ではそれを防ぐ術もなく、千代子は友人をみすみす連れていかれたことに罪悪感すら抱くように落ち込んでしまっている。

  

「いや、キミは何も悪くはない。わしらが迂闊じゃった……」

「ええ……そうですね、父さん」

 

 そんな落ち込む千世子を、急ぎUターンして来た目玉おやじと鬼太郎が励ます。彼女に落ち度はない。全ては怪人の行動力を甘く見た自分たちの責任だと。

 

「まさか……あんな亡霊のような男が、ここまで狡猾な立ち回りを見せるとはな……」

「……」

 

 その第一印象、幽鬼のような佇まいからあの怪人を見誤っていた。同じ目的を果たすにしてももっと直接的な、力ずくで事を為そうとする、本能のままに行動する怪異の類だと誤認していたのだ。

 しかしその考えが甘かった。奴は目的のためならいくらでも搦手を使える。冷酷冷静な犯罪者なのだと思い知らされる。

 

「そうだね。確かに奴はクリスティーヌを手に入れるため、ラウルたちが敷いた警備網を突破した」

 

 これに鬼太郎と共に夜凪家に戻って来た阿良也が頷く。

 

 

 作中においても、怪人はクリスティーヌを守ろうとするラウルと警官隊の包囲網を嘲笑うように破って見せた。

 奴はオペラ座の舞台に主役として出演するクリスティーヌの相手役、役者として表舞台に姿を現したのだ。

 予想外の方法で姿を見せた怪人にラウルたちが手をこまねいている間にも、奴は客席に混乱をもたらし、衆人環視の中で堂々とクリスティーヌを連れ去って行ったのだ。

 

 

「全くたいした役者だよ。あの臭さも納得だね……」

 

 そう、怪人も自分たちと同じ『役者』だった。目的のためならばどんな役でも演じて見せるだろう。それを一瞬とはいえ、阿良也も『臭い』で感じ取っていた筈だ。それなのにまんまとしてやられた。

 平静を装ってはいるものの、彼も内心ではかなり悔しがっている。

 

「ど、どうすれば……早くしないと、夜凪くんが!!」

 

 景の危機に星アキラは声を荒げる。

 彼自身怪我を負っており、自慢の愛車を破壊された身の上。だがそんなことより、彼女の身が危ないと。誰よりも分かりやすく、まさにラウルのようにクリスティーヌでもある景の身を案じる。

 

「慌てなくても大丈夫だよ」

 

 すると阿良也。やけに冷静に、その場にいる全員に向かってまだ大丈夫だと語っていく。

 

「怪人は……連れ去った景をまずは自分の隠れ家に、誰の目にも届かない場所に連れて行く筈だ。奴も景の前ではただの『音楽の天使』でいたいだろうし……下手に危害を加えることはないだろう」

「……? どうして、そう言い切れるですか?」

 

 阿良也の推測に過ぎない話に、鬼太郎は疑問を抱かざるを得なかった。

 

 相手は怪人などという得体の知れないものだ。その動きは妖怪である鬼太郎にも読み切ることができない。

 なのに阿良也は、まるで確信でもあるように怪人の行動、心情までも断言していく。 

 いったい何を根拠にと、思わず疑いの目を向ける鬼太郎だったが——。

 

 

「どうして? 分かるさ……だって——私も怪人だからな』

「!!」

 

 

 刹那、明神阿良也の纏う空気が一変する。

 

 そこに立っていたのは、阿良也という青年ではなかった。

 稽古のとき同様、彼は自らが演じる役に『オペラ座の怪人』へと変貌を遂げたのである。寧ろ、その演技力は何度も亡霊を間近で目撃したことにより、さらに研ぎ澄まされている。

 

 そうして、自らが怪人そのものになりきることで——その思考すらも読み解いていく。

 

『私に……いや、怪人にとってオペラ座こそが世界そのものだ。あいつが戻る場所は……そこにしかない」

 

 怪人の帰還する場所。それは当然——オペラ座以外には考えられない。

 オペラ座・ガルニエ宮。その地下に広がる迷宮こそが彼の居場所。幼少期の頃よりその迷宮で育った彼にとって、世界とはその閉ざされた空間のことを指す。

 アキラを殺そうと走行中の車を襲撃したり、景を攫うために夜凪家まで訪れたりと。随分と派手な立ち回りこそ見せてはいるが、最後には必ず——怪人の行き着く先はオペラ座へと帰結する。

 

 

 だが、ここ日本にガルニエ宮など存在しない。

 ならば今の奴にとって——オペラ座とは『どこ』を指すのか?

 

 

「灯台下暗し……とは言ったもんだね。最初から奴はオペラ座にいた。あの事故こそ……あそこがオペラ座である証明だよ」

「それって……まさか!?」

 

 その答えも既に提示されていたと。阿良也の言葉にその『事故』がどこで起きたのかをアキラは思い出す。

 そう、怪人が初めて姿を見せた場所。オペラ座の怪人の代名詞でもある『シャンデリアの事故』。怪人は『あの場所』をオペラ座と定めたからこそ、あそこでシャンデリアは落ちたのだ。

 

「——いい度胸じゃないか。巌さんが残した俺たちの居場所を根城にするなんてね……」

 

 その事実を断言する阿良也は実に不機嫌だった。景を連れ去ったこともそうだが、それ以上に彼にとって許し難いこと。

 

 よりにもよって、自分たちの居場所を——『劇団天球』を自らの住処にするなど。

 隠しきれない阿良也の怒りが、その言葉の端々から伝わってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ん? あれ……? ここは、どこ?」

 

 微睡の中から目を覚ました夜凪景。

 彼女が目を開けるとそこには見知らぬ天井、明らかに自分の家ではない部屋のベッドで寝かされている。

 

「私……どうしてこんなところに……って!! なんかドレス着てるし!?」

 

 意識を覚醒させ、真っ先に景が驚いたのは——何故か自分が西洋風のドレスを着せられていることだった。一応は彼女自身の私服の上に着込んでいることから、脱ぎ換えされたという訳ではなさそうだ。

 そのことにちょっぴりホッとしつつも、やはりこの状況はおかしいと改めて考え込む。

 

「ええっと……私、家で千世子ちゃんと……そうだ! アキラくんが無事かどうかって、話をしてて……」

 

 景は自身の記憶を少しづつ掘り返していく。自分は確か自宅にいた筈。そこで千世子と一緒にいて、それから——。

 

「そうだ、怪人!! 目の前にいきなり怪人が現れて……」

 

 そう、オペラ座の怪人。

 あれが亡霊のようにいきなり現れ、きっと自分に何かしたのだろう。悲鳴を上げる間もなく徐々に意識が薄れていき——気が付けば、こんな見知らぬ場所で目を覚ました。

 

「なら……ここは怪人の部屋? ……ここに——」

 

 ならば、自分をここまで連れてきた元凶がいる筈だと。景が周囲を見渡したその矢先。

 

『————』

「——っ!!」

 

 

 いた。眼前に怪人がいた。

 

 

 彼は部屋の出入り口を塞ぐよう、亡霊の如くそこに立ち尽くしている。

 怪人を目の前に流石の景も息を呑むが、すぐにベッドから立ち上がるや、挑むような視線で相手を睨み付ける。

 

 するとその視線に——。

 

『——驚かせて済まない……』

「……!?」

 

 怪人は驚くほど優しい声音で景への、クリスティーヌへの謝罪を口にしていた。その佇まいも紳士的で、纏う空気そのものが穏やかなものに変わっている。

 

『キミを傷付ける気はないんだ……私はただのエリック。クリスティーヌ、キミを愛してしまった……ただのエリックなんだよ』

「!! ……」

 

 

 怪人は自らの本名・エリックの名と共にクリスティーヌへの愛を告白する。

 エリック、それこそが彼の人間としての名前。その恐ろしい風貌や、尋常ならざる力に忘れそうになってしまうが、本来であればオペラ座の怪人の正体は——ただの『人間』でしかない。

 天使でもなければ、幽霊でも、怪物でもない。ただ一人のエリック——ただクリスティーヌに恋をした男性だった。

 しかし、眼前の怪人に人ならざる力があることは認めなければならない。

 そもそも、オペラ座の怪人の物語が誕生したのも百年も昔だ。たとえ本物のエリックが実在の人物だったとしても、それが現代に生きている訳もない。

 

 いったいこの男は何者なのだろう。そんな疑問が今更ながらに浮かび上がってくる。

 

 

 ——落ち着け……落ち着くのよ、夜凪景!

 

 だが正体が何にせよ、今の景ではここから逃げ出すこともできない。下手な抵抗も自分の身を危険にするだけだと、彼女は冷静に思案を巡らせていく。

 

 ——大丈夫! きっとみんなが助けに来てくれる筈だから!!

 

 彼女は希望そのものを捨ててはいない。

 千世子や阿良也、アキラといった仲間たちであれば、きっとここを見つけ出してくれると。ゲゲゲの鬼太郎であれば怪人もやっつけてくれると信じ、ここで救助を待つことにする。

 

 ただ待つ以外にも、自分に出来ることがあるのではないかと。

 

『——エリック、私の音楽の天使。オペラの指導をしてくれませんか? また、いつものように……』

 

 そう考えたとき、景は自然と——クリスティーヌとしての台詞を紡いでいた。

 

 ——私は役者だ! クリスティーヌならどうするかを……考えるんだ!!

 

 自らの芝居を向上させるためにも、今この瞬間の経験を『喰らう』べきだと。彼女の役者としてのプライドが叫ぶ。

 この亡霊を相手にクリスティーヌ役を貫き通せるのであれば、きっと自分はより高みに立てると。

 適度な緊張感、恐怖心もあってか。景はかつてない程の勢いで役へと潜り込んでいく。

 

『——!! 嗚呼、クリスティーヌ……そうだね、歌おう。今日も舞台に向けてレッスンだ……!』

 

 そんな景の芝居に、怪人も応えた。

 彼は心底嬉しそうに、どこから持ってきたのかピアノの前に座り、クリスティーヌへオペラの指導を施していく。

 

 

 暫しの間、怪人は音楽の天使として心穏やかな時間を過ごしていく。

 

 

 

×

 

 

 

「ここに? 本当にここに……怪人や夜凪さんが?」

 

 鬼太郎は昼間も訪れていた劇団天球の前で妖怪アンテナでの探知を試みる。だが表面上、やはり妖気の類は感じ取れない。

 果たしてここに怪人の住処などあるのだろうか。ここへ来ることを決めた明神阿良也の判断に疑問を浮かべる。

 

「間違いないよ。うん、臭いも濃く残ってるしね……」

 

 しかし阿良也はこの小劇場のどこかに怪人の住処があると、鼻をすんすん鳴らしながら迷いのない足取りで敷地内へと進んでいく。

 

「——まるで犬だな……阿良也の奴。ああ、言っとくけど……あれが役者の当たり前だと勘違いしないでくれよな?」

 

 そんな阿良也に呆れた視線を向けるのは——鬼太郎たちをここまで車で送ってくれた、青田亀太郎だった。

 星アキラの壊れた愛車がレッカーで運ばれてしまったため、その代わりの足として彼に声を掛けたという。体のいいタクシーのような扱いだが、事情を話すや亀太郎もすっ飛んで来てくれた。

 それだけ、彼も景の心配をしてくれているということだろう。

 

「夜凪くんが、無事でいてくれ……」

 

 さらに星アキラの姿も。頭の包帯こそ取れていないが、彼も景を助けるためにここまで来た。

 

 一方で、先ほどまで一緒だった百城千世子は夜凪家で景の帰りを待っている。

 家にはまだ何も知らされていない、ルイとレイがぐっすり眠っている。あの子たちを二人っきりにしないためにも、千世子が景の代わりに夜凪家を預かってくれている。

 

 そうだ、幼い景の弟妹たちのためにも。

 一行は今夜中にも怪人の魔の手から景を取り返さなくてはならなかった。

 

 

 

 

「こっちだ。俺が怪人なら……入口はあそこしかない」

 

 肝心の建物内。一行を率いて進む阿良也の動きに迷いはなかった。怪人への理解を己の芝居によってさらに深めていった彼はすぐにその場所。

 

 役者たちの『楽屋』の一つへと行き着く。その楽屋は特に景が利用することの多い控え室でもある。どうやら、ここが怪人の『住処』への入り口らしいが。

 

「…………」

 

 部屋の扉を開けるや、阿良也は数秒ほど室内を見渡す。そしてすぐにでも何かに気づいたのか、部屋の隅に設置されていたロッカーへと手を伸ばした。

 

「阿良也さん? それはただのロッカーで……」

 

 星アキラは『そこを開いても掃除道具くらいしかないだろう』と、阿良也の行動に口を挟もうとする。

 だが、ただのロッカーに過ぎないそこに、明らかに不釣り合いなものが——。

 

 

 地下へと続く『階段』らしきものが確かに存在していた。

 そう、それこそが怪人が潜むとされている地下迷宮への入り口に他ならない。

 

 

「おいおい……冗談だろ? なんだってこんなものがこんなところにあるんだよ!?」

 

 劇団天球の一員として亀太郎が当惑いを口にする。

 当然ながらそんなもの、本来であれば存在する筈もない。ここはあくまで劇団天球のホームであり、ガルニエ宮ではないのだから。

 

「!! この階段……この通路の先から妖気が感じられます! これは……怪人の!?」

 

 しかし、このタイミングで鬼太郎の妖怪アンテナも反応を示した。ここまで近づくことで、やっと怪人の足取りを掴んだのだ。

 怪人がこの階段の先にいることは、もはや確実だろう。

 

「怪人がここをオペラ座だと定めたからだろ? 奴がそう決めた瞬間から、ここはガルニエ宮になったんだ。地下への入り口くらい、あったって不思議じゃない」

 

 阿良也は感覚として、怪人の在りようを理解していた。

 

 今このとき、この建物は奴にとってのオペラ座・ガルニエ宮となっている。そのように奴が定めたのだから、そこに地下迷宮くらいあってもおかしくはないと。

 最初に稽古場にシャンデリアが落ちてきたときもそうだ——『オペラ座ならシャンデリアが落ちてきても何ら不思議ではない』。

 自らが潜む場所をオペラ座へと改変する。おそらくそれこそが、あの怪人の怪異としての性質なのだろう。

 

 

 

「……では、ここから先はボクたちだけで行きます。皆さんはここで待っていて下さい」

「うむ、これ以上は流石に危険じゃからな……」

 

 ここで、鬼太郎と目玉おやじが集まった面々に向き直る。

 ここまで来たのならば、あとは自分の役目。役者といえども、あくまで一般人である彼らを危険に晒さないためにも、景は自分が救助するからここで待っていて欲しいとお願いする。

 

「? いや、一緒に行くよ。最後までちゃんと見届けないと。俺もまだ完璧に怪人を掴みきれてる訳じゃないし」

 

 しかし阿良也は当然のように、地下に突入する準備をしていた。

 自衛のためか、何かしらの武器を肩掛けの細長い袋に収納している。景を心配している気持ちもあるのだろうが、それ以上に『怪人をもっと知りたい』という、役者としての本能を優先しているようだ。

 

「ボクも行きますよ。ラウルなら……ここでクリスティーヌを助けにいかないわけがありませんから」

 

 阿良也に比べて一般的な感性を持ったアキラでさえも、ここで待つのは『ラウル子爵』として間違っていると。自らの役を演じるように景を、クリスティーヌを助けに行くと決心する。

 

「やれやれ……二人が行くってんなら、俺も付いていかないわけにはいかねぇよな! なんたって俺、謎のペルシャ人だし!」

 

 亀太郎も、少しおどけた調子で二人に続く。

 彼のオペラ座の怪人における配役は『謎のペルシャ人』。怪人の正体を知るものとして、ラウルをクリスティーヌの元まで導く案内人だ。

 ラウルが彼女を助けに行くのであれば、自分も行かなければ始まらないと豪語していた。

 

 

 

「どうして、そこまでして……」

 

 役者たちを前に、鬼太郎は困惑気味に目を見張るしかない。

 短い間ながらも、彼らの芝居に対する真剣さは多少なりとも理解したと思う。しかしここから先は本当に命の保障すらない。

 

 仲間を助けるためとはいえ、彼らにそこまでするほどの理由があるのだろうか。

 命を賭けるほどの、『何か』があるというのだろうか。

 

「お前さんの言いたいことは分かるぜ、ゲゲゲの鬼太郎……」

 

 鬼太郎の戸惑いに関しては亀太郎が察してくれた。

 

「お前からすりゃ、馬鹿げてるように見えるんだろう。芝居如きにここまでムキになる、役者なんて生き物が……」

 

 景を助けに行こうとする蛮勇だけではない。危険を承知で芝居を続けると決めた劇団の判断、芝居の向上のために怪人に近づこうとする役者たちの業の深さ。

 それら全てが、鬼太郎の目には奇異なものとして映るのだろう。亀太郎自身もそれは分かっている様子だ。

 

 だがたとえ理解されなくとも、彼らにだって譲れないものがある。

 

「けどな……その芝居に俺たちは救われたんだよ。何もなかった俺たちは……芝居と出会うことで変わることが出来たんだよ」

「芝居が……救いになる?」

 

 それは、きっと言葉だけでは伝わらない体験だ。だが亀太郎を始めとした劇団天球の役者たちは、確かに巌裕次郎の——今は亡き演出家の手掛ける芝居によって救いを見出された。

 

 

 自分の容姿に自信のない女の子は、芝居を通して自分の本当の美しさ教えてもらえた。

 

 才能がないと自分自身を卑下する青年の芝居に、他者を輝かせる道があるんだと気付かせてくれた。

 

 毎日は死ぬほど退屈だった少年。嘘吐きだらけのこの世界で決して嘘を付かない覚悟を決めたもの。それが役者なんだと、その生き方が役者に向いているんだと。

 人生そのものを救われた気さえしただろう。

 

 

「景だってそうだろう。あいつもきっと芝居で救われた口だ。芝居のおかげで……俺たちは繋がれてる」

 

 怪人に連れ去られた夜凪景も、きっと自分たちと同じだと。同じ舞台に立つ役者同士だからこそ、彼女の気持ちが良く分かると。

 普段は陽気なムードメーカーの亀太郎が、真剣な表情で鬼太郎へと自分たちの有り様を語っていく。

 

「だから、景は俺たちが助けに行ってやらないとな。ちゃんと最後まで……みんなで演じきってみせるさ」

 

 景は自分たちの手で助け出す。そして最後まで今回の公演を——『オペラ座の怪人』という芝居そのものをより良いものにしてみせる。

 そのためなら、命だって賭けられる。

 

 それが役者という生き方に人生を救われた、自分たちの覚悟なのだと。

 

「ああ、そうだね」

「亀太郎さん……はい!!」

 

 阿良也も、アキラも。亀太郎の言葉に何ら異論がないのか力強く頷いていく。そんな役者たちの思いに——。

 

「……絶対に、無茶だけはしないでください」

 

 鬼太郎はもはや何も言えない。

 自分では彼らを止めることは不可能だと。その思いを尊重し——彼らと共に、怪人の潜む地下迷宮へと足を踏み入れていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『——♪ ——♬ ——♫』

『——♫ ——♪』

 

 怪人が自ら作り出した地下迷宮の一室で、クリスティーヌこと夜凪景はエリックに音楽のレッスンを施されていた。

 景たちの公演するオペラ座の怪人はあくまで演劇であり、ミュージカルのような歌唱力を必ずしも必要とするものではない。

 だが、エリックとオペラの練習をする景は、自身の歌声が鮮明に研ぎ覚まされていくのを感じていた。

 

 まさに音楽の天使の加護。今やクリスティーヌでもある景は、自身の音楽が上達していることをただただ純粋に喜ぶ。

 クリスティーヌの喜ぶに、エリックも歓喜の笑みを浮かべつつピアノの旋律を奏でていた。

 

 音楽に触れているときのエリックは本当に心穏やかで、彼があの恐ろしい怪人と同一人物なのか思わず疑ってしまうほどである。

 

 

 しかし——。

 

 

『——…………』

『——どうしたの、エリック?』

 

 鍵盤を弾くエリックの手が止まった。

 景はクリスティーヌとして、途中で演奏を止めたエリックにどうしたのだろうと疑問を投げ掛ける。

 

 

『——ネズミめ……』

 

 

 刹那、あれほど穏やかだったエリックの雰囲気が——豹変する。

 

 声音からは隠しきれない不快感が滲み出ており、その全身から黒いオーラを発している。

 そこに優しかった天使の面影などどこにもない。ピアノを壊さないように外されていた鉤爪が一瞬で彼の手元に顕現する。

 恐ろしい怪人の風貌へと、瞬時に変貌を遂げたのである。

 

 

『——どこまでも、私とクリスティーヌの邪魔をする……!! 忌まわしい……忌まわしい!!』

『——!!』

 

 その変わりように景も息を呑む。

 ついさきほどまで、彼は確かに天使だった。自分にオペラを教えてくれる彼はとても優しく、クリスティーヌを演じている景にとっても親しみやすい相手だった。

 恐怖心も大分薄れており、寧ろ音楽への深い情熱が感じられる彼に好感すら抱いていた。

 

 

 

 そう、エリックは『天使』のままでいられたのだ。

 邪魔者さえ、自分の領域に入って来なければ——。

 

 

 




前書きでコメントしたとおり次話で完結、今月中には投稿します。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アクタージュ オペラ座の怪人 其の④

今年の金曜ロードショー、3週連続のジブリ祭はどうでした?
今回放送された中でも、自分は『耳をすませば』が一番面白かったかも。思い出深い作品といえば『となりのトトロ』でしたが、最近はよりリアリティのある作品が好きになって来まして。意外と『コクリコ坂から』とかも好きですね。
まあ、ジブリアニメの何が一番好きかは、人によって違いますし、下手に優劣を付けようとするとそれだけで論争になってしまいそう。


さて、ようやく書けました『アクタージュ オペラ座の怪人』今回でようやく完結です。
果たしてどのような結末になったか、ちょっと駆け足気味になってしまった感はありますが、どうかじっくり読んでくれるとありがたいです……!


「——ほぉ~……こりゃすげぇな。これが、オペラ座の裏に広がる地下迷宮……ってやつか」

 

 暗い地下通路を懐中電灯の灯りを頼りに進んでいく一行。青田亀太郎の口からは観光名所に感銘を受けるようなため息がこぼれ落ちる。

 そこはオペラ座の怪人が潜むとされる地下世界。かの怪人の亡霊が劇団天球のホーム地下に許可もなく『再現』した彼のかつての根城だ

 作中でも怪人はこの地下に隠れ住み——そしてここで育ったとされる。

 

 

 元々、パリのオペラ座・ガルニエ宮は1875年に建てられた歌劇場だ。

 当時の最先端技術で建造された豪華絢爛な劇場は、きっと人々の胸を打つような、煌びやかな装飾が数多く施されていただろう。

 しかしあまりにも広大、かつ複雑な構造からオペラ座の関係者の間ではその裏で蠢く『何者か』の存在がまことしやかに囁かれていた。

 

 その影を——『得体のしれない怪人』だと噂するものもいた。まるでその噂を肯定するかのように、シャンデリアが落下するなどの事故や、殺人事件まで起きたという話だ。

 オペラ座の怪人の著者であるガストン・ルル―もその噂話からインスピレーションを受け、かの物語を執筆したのか。

 

 あるいは、本物の怪人の伝記でも描こうとしたのか。

 今となっては何が真実なのか、それを確かめる術はない。

 

 だが今この瞬間、この地下世界に『オペラ座の怪人』を名乗るものがいることは間違いない。

 この通路の先に怪人が、そしてクリスティーヌとして連れ去られた夜凪景にいるのだ。彼女を助けるためにも、彼らはこの先へ進んでいかなければならない。

 

 

「ふ~ん……迷宮って言うよりは、下水道って感じの造りだね。これが……怪人の見ている世界か……」

 

 明神阿良也は役作りのためか、警戒しながらも地下世界の風景をその瞳に焼き付けていた。

 地下に広がる怪人の迷宮だが、造りとしては単純な下水道といった感じだ。特にこれといって妙な仕掛けが施されている様子は見られない。

 

「異臭はしますけど……生き物の気配がありませんね」

 

 しかし、そこがただの下水道とは違うことを星アキラは感じ取っていた。異臭などの匂いこそリアルに嗅ぎ取れるが、そこにネズミや害虫などといった生命体の生きている痕跡は見当たらない。

 その地下通路が所詮は造りものでしかないことを証明するよう、ただひたすら静寂に包まれている。

 

「こっちです。こっちの方から……色濃い妖気が流れてきます」

 

 道中、何度か分かれ道などに遭遇するも、そこは鬼太郎の妖怪アンテナがより濃い妖気の方角を指し示すことで迷わずに済んだ。

 一行は特に目立ったトラブルにも見舞われることなく、黙々と黒闇の中を歩いていく。

 

 

 そうして、どれだけの時間歩き続けただろうか。

 真っ暗な通路の向こう側に——ふと怪しい光が差し込んできた。

 

 

「灯りじゃ……皆の衆、気を引き締めるんじゃぞ!!」

 

 これに目玉おやじがやや興奮気味に声を上げる。

 地下迷宮の終わり、そこにきっと怪人がいる筈だと。さらに警戒心を強めながら、一行は光が灯るその空間内へと足を踏み入れていく。

 

 

 

 

 

「——こ、これは!?」

 

 その空間を照らしていた光は、壁に立て掛けられた燭台の蝋燭だった。暗闇の中で無数に揺らめく紫色の炎が、その空間内を不気味に照らしている。

 空間そのものに遮蔽物の類はなかったが、一つだけ。誰の目ですらも釘付けにする『それ』が空間の奥に鎮座していた。

 

「あれは……オルガンか?」

 

 それは、一際巨大な——『パイプオルガン』だった。オペラ座においても欠かすことのできない巨大な演奏装置である。

 まるでその空間内を支配するかのように、巨大なオルガンがそこに聳え立っている。

 

「随分と立派な……あれ? あのオルガン……何か妙じゃないか?」

 

 そのオルガンの見事な佇まいに思わず呆然と立ち尽くす亀太郎。しかし、すぐにそれがただのオルガンでないことに気付く。

 

 一見すると立派なオルガンにも見えるのだが、その所々に——『人間の白骨』らしきものが部品として使用されているのだ。

 オルガンの中央部には、まるでシンボルのように骸骨も添えられている。

 

「……死臭がする。本物だね……あの髑髏……」

「なっ!? まさか……人間の死体で!?」

 

 これには流石の阿良也も不愉快そうに顔を顰め、アキラの表情からも血の気が引いていく。

 

 そう、そのオルガンには『人間の骨』がパーツとして使われていた。生者として本能的な不快感が込み上げてくるだろう、悪趣味にして残忍な禍々しい人体芸術。

 それが、オペラ座の怪人という男の本性なのか。あるいは——人々が怪人という存在に『そのようなイメージを膨らませている』が故なのか。

 いずれにせよ、奴が身も心すらも怪人であることを、そのオルガンが証明していただろう。

 

「うっ……!」

 

 その死の芸術を前にアキラは込み上げてくるものを抑えきれず、口元を押さえてその場に蹲る。それは人として当たり前の反応であり、誰も彼を責めることなど出来はしない。

 

 

 だが、その脆弱さを突くように——。

 

 

『——我が聖域を踏み荒らす、愚か者め』

 

 

 怪人は、音もなく忍び寄ってくる。

 皆が禍々しいオルガンに呆気に取られていたその一瞬、天井からアキラを——ラウル子爵を狙って舞い降りて来る。

 落下の速度に任せたままの鉤爪の一撃が、アキラの首元を正確に指し貫こうと迫った。

 

 

「——星さん、下がって!!」

 

 

 だが、その凶刃は寸前のところで鬼太郎によって阻止される。鬼太郎の変幻自在のリモコン下駄が怪人の身体そのものを吹き飛ばし、奴の魔の手からアキラを救う。

 

「はっ!? あ、ありがとう……鬼太郎くん!」

 

 九死に一生を得たアキラが鬼太郎に礼を言う。

 

『——ぐっ……! おのれぇ……貴様は何者だ!? 何故……私の邪魔をする!?』

 

 吹き飛ばされた怪人の方は、すぐに身を起こしながら醜悪に顔を歪めて鬼太郎を睨み付けた。

 鬼太郎は役者ではない。どの配役にも当て嵌まらない存在だったが、何度もその暴虐を阻止したことで怪人に『敵』として認識されたらしい。

 舞台に無遠慮に上がるイレギュラーな存在に、何故自分の邪魔をするのかと怪人は問い掛ける。

 

「ゲゲゲの鬼太郎だ。オペラ座の怪人……夜凪さんはどこだ? 彼女を攫って何をするつもりだ?」

 

 怪人の問い掛けに、鬼太郎は逆に聞き返す。

 

 怪人が景をクリスティーヌと認識していることは分かったが、鬼太郎としてはそれはどうでもいい。大事なのは彼女を——クリスティーヌを怪人がどのように扱うか。

 まさか、あのオルガンの部品として組み込むつもりかと。既に『そうされている可能性』に鬼太郎は戦慄する。

 

『——彼女は、クリスティーヌは私のものだ!! 私の……私だけの歌姫!! 誰にも……誰にも渡さない!!』

 

 鬼太郎の問い掛けに、怪人は答えになっているかどうか判断がつかない解答をする。亡霊としても、怪人としても、彼は既に狂った狂人だ。もはやまともな意思疎通すら困難だろう。

 

 会話による説得はやはり不可能かと。鬼太郎も覚悟を決めてオペラ座の怪人と対峙していく。

 

 

 

『——エリック!!』

 

 

 

 だがその場に——少女の悲鳴が木霊したことで事態は急変していく。

 

 

 

×

 

 

 

「よ、夜凪? あいつ、いったい何を……」

 

 反対側、怪人のすぐ近くから姿を現した夜凪景に亀太郎が訝しがる。

 彼女は西洋風のドレスを身に纏い、エリック——オペラ座の怪人の本名を叫びながら彼に懇願するように寄り添っていた。

 とりあえず無事な姿に一安心だが、明らかに様子がおかしい。いったい彼女の身に何が起きているのか。

 

「夜凪、完全に芝居に入ってるね……」

 

 それを阿良也は一目で、『景がクリスティーヌを演じている影響』だと見抜く。きっと怪人に連れ去られた今の今まで、ずっとクリスティーヌとして怪人と接し続けていたのだろう。

 やはり彼女は役者だ。たとえどんな危機的状況であろうとも、それすらも『喰らって』己の芝居の糧にしようとしている。

 

「いいね。いい表情をするようになったよ、クリスティーヌ……」

 

 こんなときでありながらも、阿良也は彼女のブレない役者としての有り様を、その芝居を褒め称えている。

 

 

 

 ——夜凪くん……キミは……やはり怪人に惹かれているのか?

 

 その景の芝居を、星アキラは複雑な思いで見つめていた。

 

『——クリスティーヌ、部屋で待っているように言ったじゃないか……』

『——エリック、私の音楽の天使。もう止めて、これ以上……罪を重ねるのは……』

 

 エリックとクリスティーヌ。互いに名前を呼び合う二人の間には、確かな『絆』のようなものが垣間見える。

 それを『愛』と呼ぶかどうかは分からない。だがその絆は、怪人が音楽の天使としてクリスティーヌを導いてきたからこそ得られたものだ。

 音楽という芸術が、才能が。二人の関係をより強く結びつけているように思える。

 

 

 それは、『音楽の才能が乏しい』ラウルでは——『芝居の才能が乏しい』星アキラでは得られない結びつきかもしれないと、かつての自分自身の境遇へと重ねていく。

 

 

 ——分かっているさ。やはりボクでは……夜凪くんや阿良也さんのような芝居は出来ない。

 

 星アキラはずっと苦悩を繰り返してきた。役者としての才能が乏しいこと。景や阿良也のように、万人を魅了する凄まじい芝居が自分には出来ないことを。

 勿論、その事実に絶望している訳ではない。今の自分には他者を、主役を輝かせる美しさ『脇役』としての道が示されている。

 主演と助演に優劣などない。寧ろ助演でしかできない芝居もあるのだから、それが求められる自分の立ち位置に今は満足している。

 

 だがそれでも、それを分かっていても手を伸ばしたくなってしまうときがあるのだ。

 彼女の——夜凪景のような芝居を、彼女が見ている世界を自分も見てみたいという思いが、心の奥底では未だに燻っている。

 

 ——届かないかもしれない……それでも、ボクは……!!

 

 もしかしたら、自分では決して辿り着けない場所に景は立っているのかもしれない。

 それでも、アキラは諦めたくないという葛藤を胸に秘めたまま。

 

 

 届かない星に向かって、手を伸ばしていく。

 

 

『——クリスティーヌ!!』

 

 怪人とクリスティーヌ。決して入り込めない絆が芽生えたかに見えた二人の間を裂くように、アキラは——ラウル子爵は声を上げた。

 

「!?」

「あ、アキラ……?」

「…………」

 

 いきなりラウルとしての芝居を始めた彼に鬼太郎や亀太郎は面食らっているが、阿良也は何も言わずに見守ってくれている。

 アキラは周囲の反応など気にも留めず、ただラウルとしてクリスティーヌへ言葉を投げ掛ける。

 

『——必ずキミを助ける! 怪人……お前の思い通りになどさせない!! クリスティーヌを……返してもらうぞ!!』

 

 それは、もしかしたら余計な横槍なのかもしれない。共感できない二人の絆に無粋に立ち入る、自分こそが邪魔者なのかもしれない。クリスティーヌの気持ちがどちらに傾いているか分からない現状では、それを確かめる術はないだろう。

 だがラウルなら、クリスティーヌをただひたすらに想っている彼ならば、たとえ何者が相手であろうと手を伸ばしただろう。

 クリスティーヌは誰にも渡さない。愚かしくも純粋なその想いだけは、決して怪人にだって負けはしない。

 

 そうして、差し伸ばされたアキラことラウルの手に——。

 

 

『——ありがとう……来てくれたのね、ラウル!!』

 

 

 景も、クリスティーヌも手を差し返す。

 明るくなったその表情を見れば分かる。今この瞬間、確かにクリスティーヌはラウルが来てくれたことを心の底から喜んでくれている。

 ラウルとクリスティーヌ。互いに想い合う気持ちが確かに通じ合ったと、誰の目から見ても明らかな場面であった。

 

 

『——ラウル!! 貴様は……どこまで私の邪魔をっ!!』

 

 

 そんな二人の仲に、怪人は心を激しく掻き乱される。

 自分を慕ってくれていると思っていた愛しい女性が、別の男性にその笑顔を向けている。怪人は男としての自尊心を激しく傷付けられ、その顔に嫉妬と憤怒の感情を浮かべていく。

 

 

 

 

 

「——醜いな」

『——なんだと?』

 

 

 

 

 

 そんな怪人の姿に、ボソリと呟くものがいた。

 これに怪人がギロリと、発言者——明神阿良也を睨みつける。

 

「お、おい……あ、阿良也?」

 

 空気を読まない彼の言葉に亀太郎が止めに入るが、阿良也は全く動じなかった。

 怪人を挑発するような言葉を投げかけながら——その醜い表情をもっと間近で見たいとばかりに、その側へと歩み寄っていく。

 

「なるほど……これは醜い。嫉妬に狂ったその姿……実にみっともない」

「さ、下がってください! それ以上は危険ですよ!?」

 

 鬼太郎が無防備に怪人へと近づこうとする阿良也を静止しようとするも、彼は全く意に介そうともしない。

 

「なんてこともない。あんたは単純に嫉妬しているだけなんだな。ラウルに……いや、クリスティーヌを取り巻く全てのものに。彼女と陽の当たる世界で過ごせる何もかもが……あんたには許せないんだ」

『——っ!!』

 

 それは、まさに怪人の心情を的確に射抜いた言葉だった。

 研ぎ澄まされた演技力で怪人の真にまで迫った阿良也だからこそ、その胸に秘められた目を逸らしたくなるほどの黒い情動にまで気づいてしまう。

 

「だからクリスティーヌを連れ去った。あいつを光照らされる世界から引き摺り下ろして……自分と同じ闇の世界の住人にしたかったんだ」

『——や、止めろ……み、見るな……』

 

 今の阿良也は、まさに怪人の心を移す鏡そのものだ。己の醜さを正面から突きつけられた怪人は、ただの人間である筈の阿良也相手に怯えたように後退していく。

 

「ああ、そっか。あんたも所詮は……人間でしかなかったんだな」

 

 怯える男のそんな姿に、阿良也は彼が『人間』だったことを思い出す。

 

 怪人などと恐れられ、悪魔のような所業に手を染め、人々から怪物のような幻想を抱かれようと——エリックという男は本来であればただの人間。

 今の彼がどういった存在として成立しているかは知らないが、少なくとも原典での彼はクリスティーヌを愛し、彼女を手に入れるために犯罪に手を染めた——殺人鬼に過ぎない。

 

 

「あんたはただの人間だよ。嫉妬に狂った……惨めで憐れな……どこにでもいる平凡で愚かな人間だ」

『——止めろ!! それ以上! 私を……見透かすな!!』

 

 

 それ以上は聞いてもいられない。阿良也の口を物理的に塞ごうと、怪人は必死の形相で彼に向かって飛び掛かる。

 

「阿良也さん!?」

 

 それに鬼太郎が、彼を守ろうと割って入ろうとするのだが——。

 

 

「——まっ……そうなるよね、図星を刺されちゃ……」

 

 

 その動きを予測していた阿良也は、地下突入前から準備していた護身用の武器を構える。

 

 彼の肩に掛けられていた細長いケース。そこから取り出された装備——それは先端が黒光りする一丁の『猟銃』だった。

 阿良也はその銃口を怪人へと向け、躊躇うことなく発砲。鉛の弾丸を一発、怪人へとお見舞いする。

 

 

『——ガッ!?』

 

 

 銃声と共に響き渡る、怪人の短い悲鳴。放たれた一撃は顔面に命中し、怪人は悶絶するように顔を抑えてその場に蹲ってしまう。

 

「ちょっ!? 阿良也、お前!?」

「阿良也さん!? 何やってるんですか!?」

 

 阿良也のまさかの反撃に、怪人のみならず身内からも驚愕の声が上がる。アキラなど、あまりに驚き過ぎて芝居が解けてしまっている。

 

「大丈夫、大丈夫。俺免許持ってるし」

「そういう問題じゃないですよ! 夜凪くんに当たったらどうするんですか!?」

 

 仲間の反応に、阿良也は免許があるから問題ないと平然としている。事実、阿良也は役作りの一環で猟銃の資格を取っており、実際に熊を仕留めたこともあるほどの腕前だ。

 だが、アキラは誤射を恐れて怒ったように叫ぶ。ちゃんと怪人に命中したからこそまだ良かったものの、もしも狙いが逸れて景にでも当たったらどうするつもりだったのかと。

 

「そんなヘマはしないよ。けど……」

『——ぐぅ、お、おのれぇ……!』

「今ので致命傷にならないってことは……やっぱりこいつ、肉体の方は人間じゃないみたいだね……」

 

 アキラの心配をよそに、阿良也は猟銃を構えたままの姿勢で怪人と対峙する。

 

 怪人の精神性をただの人間だと見破った阿良也。しかし猟銃の一撃をまともに喰らっても怪人は悶絶する程度だ。この地下を創り出した不可思議な力といい、その肉体はやはり人のものではないらしい。

 オペラ座の亡霊——人ならざる怪物が相手ともなれば、やはり阿良也にはこれ以上の致命傷を与えることが出来そうにもない。

 ここは素直に鬼太郎に任せるべきかと、阿良也は怪人から少しづつ距離をとっていた。

 

 

 

『——え、エリック!! 怪我を……』

 

 するとここで景が、クリスティーヌが動きを見せる。

 怪人がよろめく光景に彼の怪我を手当てしなければと思ったのか。クリスティーヌとして怪人の元へと歩み寄り、彼が手で覆っている部分を診ようとする。

 

 

 だが——。

 

 

『——っ!!』

 

 

 その直後、景が凍りつくように固まる。

 

 

「——!?」「っ……!!」「……っ!」

 

 彼女だけではない。阿良也もアキラも、亀太郎も。鬼太郎や目玉おやじでさえも——皆の顔が恐怖で引きつっていた。

 

 

『——あ、嗚呼? アアアアアア!?』

 

 

 怪人の絶叫が木霊する。

 撃たれた痛みに苦しんでいるのではない。銃撃によって自身の『仮面』が弾き飛ばされてしまったことに気が付いてしまったからだ。

 

 その仮面の下の素顔が、白日の下に晒されている。

 その醜い容姿を覆い隠すマスクの下は——まさに、この世のものとは思えないほどの悍ましさを孕んでいた。

 

 腐ったように爛れた皮膚、ガリガリに骨張った骸骨のような面構え。その全てが、目を覆いたくなるほど醜かった。

 その醜さを前にすればどんな純真な心の持ち主だろうと、まずは恐怖を抱かずにはいられない。

 

 怪人のことを、音楽の天使と慕っていたクリスティーヌでさえも——。

 

『——ひっ!?』

 

 その悍ましさの前に、思わず声を上げてしまう。愛しい人が自分に悲鳴を上げ、嫌悪感のこもった視線を向けてくる。

 その絶望を前に怪人は——。

 

 

 

『————見たな?』

 

 

 

 聞くものの心胆を寒からしめるような冷たさで呟く。自分の正体を暴いた阿良也に、それを目撃した全てのものに、その禍々しい眼球を向ける。

 そのあまりの陰惨たる様に、相対するものたちは言葉すら出てこない。

 

 

『——私の素顔を……この醜い顔を……!!』

 

 

 絶句する彼らに、怪人は尚も憤怒に染まっていき——。

 

 

『——よくもクリスティーヌの前で晒しものにしてくれたな!?』

 

 

 その顔をさらに醜悪に歪めながら憎悪を込めて叫ぶ。そんな怪人の底なしの怨嗟に呼応するかのよう——。

 

 

 その空間内を支配するように鎮座していた『巨大なパイプオルガン』が一人でに旋律を奏で始めた。

 

 

 

×

 

 

 

「なっ!? こ、この曲は!!」

 

 突如動き出したパイプオルガンは、オペラ座の怪人を知るものであれば誰もが聞いたことのあるメインテーマ、あの恐怖の旋律を奏で始めた。不気味に響き渡るメロディが、聴くもの全ての背筋を震わせる。

 だが、それはただ音楽を奏でるだけのものではなかった。死体で組み上げられた演奏装置はまさに死者たちの絶叫のように、聴くものの精神を激しく蝕んでいく。

 

「こ、こいつは……!?」

「っ!?」

「ぐぅうううぅ!?」

 

 これに普通の人間は耐えられない。耳をつんざく不快音に役者たちが全員、その場に苦痛に満ちた表情で蹲ってしまう。

 

「くっ……き、鬼太郎……耐えるんじゃ!!」

「は、はい……父さん……ですが、これは……!!」

 

 目玉おやじや鬼太郎ですらも膝を付いていた。妖怪である彼らにもそれは耐え難い不協和音だった。何とか反撃を試みようとするが、その音響の嵐の中では鬼太郎も身構えることすら出来ない。

 

『——ハッハハハハハッハ!! 死ね!! 死ね!! 死ね!!』

 

 身動きできない彼らを嘲笑うように、怪人は声を荒げた。

 もはや体裁を取り繕う必要もない。その醜い素顔を堂々と見せつけながら、その醜悪な内面を余すことなく晒け出しながら。怪人は全てを呪うように絶叫する。

 

 

 

『——い、いや……も、もう、やめて!!』

 

 

 

 だがそんな怪人の凶行を阻止しようと、景が——クリスティーヌは勇気を絞った。

 クリスティーヌを傷つけないようにという、怪人の良心でも作用していたのか。パイプオルガンの怪音波も景にだけは効果を及ぼしていない。

 彼女は怪人の凶行を止めようと、必死に彼を説得しようとする。

 

『——お願い、もうやめてエリック! こんなことを続けていたら、貴方は本当に……誰からも愛されない怪人になってしまうわ!!』

 

 クリスティーヌにとってエリックは『音楽の天使』でもある。自分に音楽を教えてくれたときのような、穏やかな彼に戻って欲しいとクリスティーヌは懇願する。

 

『——ハッ!! 愛……愛だと!?』

 

 しかし、愛する彼女の言葉でも怪人は止まらない。

 

『——お前が私を愛していないことなど最初から分かっている!! 私の顔を見て恐れただろう!? どんな女だってそうだ!!』

 

 もはや天使の面影などどこにもなく、狂気に満ちた悪魔の如き嘲笑で、彼はクリスティーヌを責めるように吐き捨てた。

 

『——私が貰った母からの初めてのプレゼントは……『母がこの顔を見ない為』の仮面だった!!』

『——!!』

『——誰も……私を心から愛したりなどしない!! だから私は……この手を悪逆に染めるしかなかったんだよ!!』

 

 

 エリックは、産まれたときから醜い容姿をしていたとされ、実の母親からも愛を受けることはなかった。偏見や差別で多くのものから迫害を受け、やがては生きるために犯罪に手を染めていく。

 さらには見世物小屋に売り飛ばされ、『悪魔の子』として奇異の視線に晒される日々。

 そうして、最後に行き着いたオペラ座の地下で、身を隠すように生きることを強いられていく。それらの不幸な生い立ちが、彼を恐ろしい怪人に変えてしまったのかもしれない。

 

 

『——さあ選べ、クリスティーヌ!! 彼らを見殺しにするか!! それとも彼らを助けるために、私のものになるか!!』

 

 怪人の捻じ曲がった醜悪さは留まることを知らず、醜い欲望がクリスティーヌに残酷な二択を迫っていく。

 

 

 

 

 

 ——ああ……何て恐ろしい……。

 

 ——そして……何て悲しい人なの……エリック……。

 

 皆の命を盾に自分に残酷な選択肢を迫る怪人。

 そんな彼を景は心底から恐ろしい人だと思いながらも、クリスティーヌとしては心の底からエリックを憐れだと思った。

 

 ただ純粋に愛を求め、歌姫と過ごす日々に手を伸ばしたエリック。けれどその想いは、他の男の登場で醜く歪んでしまった。

 せっかく掴んだ自分にとっての『救い』を手放したくなくて、彼は無理矢理にでもクリスティーヌを自分の物にしようとした。

 

 彼自身『悪逆に手を染めるしかなかった』と言ったように、きっとそれ以外の方法を知らなかったのだろう。

 母親からもまともな愛情を受けてこなかった彼には、そうする他にどうすればいいか分からなかったのだ。

 

 血と暴力によって目的を果たすしかなかった怪人に、善良な人間として嫌悪感を抱きつつも。

 それと同じくらい、景は彼が悲しい人だと憐れんだ。

 

 

 だから、これはただの同情に過ぎないのかもしれない。

 彼にどんな感情を抱いていたかどうか、クリスティーヌの本当の想いを今の景では表現しきれない。

 

 

『——可哀想……可哀想なエリック……』

 

 

 けれど、景は怪人をそっと抱き寄せた。そして正視に耐え難い彼の顔を直視しながら——その頬にそっと口づけをする。

 きっとクリスティーヌであればこうしていただろうと、彼女の意思を代弁するかのように。

 

 

 

『——あ、嗚呼? 嗚呼……嗚呼アアアアアアアアアアアアアアアアッ!?』

 

 

 

 クリスティーヌの接吻に、怪人は激しく頭を揺さぶる。

 愛を知らなかった男が、曇りのない無償の愛を与えられる。それは痛みを受けるよりも、蔑みの視線を向けられるよりも激しい心の揺れ動き。

 押し寄せる感情の波に思考が追いつかず、怪人はどうしていいか分からず苦しみに喘ぐしかなかった。

 

「……!! お、音が……止んだ?」

 

 怪人が苦悩していることに影響したのか。あれほど五月蝿く鳴り響いていたパイプオルガンが演奏をピタリと止めた。それにより自由の身となる役者たち。

 

「——!!」

 

 鬼太郎も素早く起き上がる。これを好機と捉えた彼はそのまま、怪人に向かって身構えていく。

 

「…………」

 

 僅かな迷いはあった。目の前で苦しんでいる怪人に対し、何も思わなかった訳ではない。

 しかし、ここは役者たちの安全を確保するのが最優先だと自身に言い聞かせ。

 

 

「——指鉄砲!!」

 

 

 鬼太郎は怪人を打ち倒すべく、必殺の一撃を撃ち放つ。

 

 

『——ぐああああああああああ!!』

 

 

 指鉄砲に貫かれた怪人が断末魔の悲鳴を上げていく。

 

 

『——エリック!?』

 

 

 致命傷を受ける怪人——エリックに向かい、景は最後までクリスティーヌとして叫んでいた。

 

 

 

 刹那、怪人を中心に光の奔流が辺り一体を包み込んでいき——。

 

 

 

×

 

 

 

「…………ここは?」

 

 夜凪景は目を覚ます。

 つい先ほども、怪人の住処という見知らぬ場所での意識の覚醒を経験した景だったが、そこは彼女にとって見知った場所であった。

 照明の灯りに、簡易的な客席。何より役者が芝居を演じるためのステージがある。劇団天球の稽古場で間違いない。

 怪人が創り出した地下世界から一転、景を始めとした皆がそこで横たわっていた。

 

『ラウル……あ、アキラくん……」

 

 景はまずはすぐ側で倒れていた星アキラ。咄嗟にラウルと勘違いしてしまいそうになったが、なんとか実名で彼の名前を呼びかける。

 

「よ、夜凪くん。良かった、無事だったんだね……」

「……それはこっちの台詞よ……もう~!」

 

 アキラは目を覚まして早々、景の無事にホッと胸を撫で下ろす。 

 頭に包帯を巻くような怪我をしているのは自分だろうに、真っ先に他人を心配するアキラに景は微笑みを浮かべた。

 

「あれ? 俺たち……いつの間にこんなところで?」

「……やあ、おはよう夜凪」

 

 続いて、亀太郎や阿良也が意識を取り戻す。

 亀太郎は何故自分たちが地下ではなく、こんな場所で気を失っているのかと疑問符を浮かべているが、阿良也にいたってはマイペースで景に呑気な挨拶をする。

 どうやら、彼らの身体にも異常らしきものはないらしい。自分を助けに来てくれた友達が全員何事もなく、景は安堵感に包まれていく。

 

「——皆さん! 気を付けて!!」

 

 ところが安堵するのも束の間。景たちよりも先に目覚めていたのか、ゲゲゲの鬼太郎か油断ない視線をステージ上へと向ける。

 

 

『————————』

 

 

 視線の先に佇んでいたのは怪人だった。

 彼の創り出した地下迷宮こそ消滅したが、その本体は未だにこの劇団天球に留まっている様子。しかしその姿に先ほどまでの狂気は全く感じられない。

 憑き物が落ちたような穏やかな表情に、半透明な姿。次の瞬間にも儚く散ってしまいそうな、朧げな存在へと成り果てた。

 

 きっとその姿を保っていられるのも限界なのだろう。今にも消えそうなかすれた声で、怪人は景へと語りかけていく。

 

 

『——クリスティーヌ……いや……お前がクリスティーヌでないことは……初めから分かっていた」

「——!」

 

 その瞳の奥に、怪人はクリスティーヌという幻想を既に映してはいなかった。景という一人の少女に向かって、彼は自らの罪を懺悔するように言葉を紡いでいく。

 

「だが分かっていても、求めずにはいられなかった。クリスティーヌ……我が愛しき歌姫。彼女への執着だけが私という存在を形作る……」

 

 それは、彼が『オペラ座の怪人』であれば仕方がないことだ。

 怪人である彼がクリスティーヌを求めることは、アイデンティティそのものだと言ってもいい。

 

 たとえ景でなくとも、誰かが舞台の上でクリスティーヌを演じれば、その女性をクリスティーヌとして、亡霊は再び動き出す。

 これは終わることなく、永遠にクリスティーヌを求め続けなければならない、怪人としての運命だ。

 

 彼自身どうすることもできず、この流れを終わらせるには——その未練を断ち切ってやる必要があった。

 

「…………」

 

 夜凪景は、その手段を理解していた訳ではない。

 役者でしかない彼女には、ただ流されるままにクリスティーヌを演じることしかできなかっただろう。

 

「——エリックさん」

 

 だが景は、クリスティーヌを演じた一人の役者として、怪人に声を掛けていた。

 

「あなたの言うとおり。私……クリスティーヌじゃないの。だから、彼女が本当は誰を愛していたか……今の私じゃ……演じきれない」

 

 景は家族への『愛情』を知っている。友達への『友愛』にも覚えがある。

 けれど怪人やラウルのように、狂おしいほどに異性を欲する『愛』を彼女はまだ知らない。そんな自分ではこの愛憎劇において誰を愛していたのか、その答えを導き出すことができないと自覚する。

 

 けれど、そんな彼女にも。

 一つだけ。これだけは確かだと確信を持って言えるクリスティーヌの気持ちがあった。

 

「けどクリスティーヌはきっと、エリックさんには感謝していると思うわ……音楽の天使」

「——!!」

 

 そう、音楽の天使。クリスティーヌは当初、姿を見せずに語り掛けてくるエリックをそのように呼び慕っていた。

 その天使の熱心な指導のおかげで、クリスティーヌがプリマドンナとしての才能を開花させたのも事実だ。

 

「私も……あなたに音楽教えてもらえている間は、とても楽しかった」

 

 景自身も、エリックから音楽の指導を受けていた。

 彼と一緒に音楽に興じた時間は本当に楽しくて、自分が恐ろしい怪人に捕まっているんだという事実も忘れてしまうほどであった。

 

 きっとクリスティーヌも、そんな楽しい時間を過ごしていたことだろう。

 それだけは確かだったと、景は胸を張って言える。

 

 

「——だから、ありがとう! 私に……音楽の素晴らしさを教えてくれて!!」

 

 

 だから景は怪人にお礼を口にする。クリスティーヌも、きっとそれだけは同じ想いをだったと信じて——。

 

 

「ありがとうか……ふ、ふふ……はははっ!!」

 

 思いがけない感謝の言葉にエリックは笑顔を浮かべる。手放しで褒められた少年のように、大きな笑い声を上げていた。

 

 

「——私はその言葉が聞きたくて……長い時間の中を延々と彷徨い続けたのかもしれんな……」

 

 

 その感謝の言葉一つで、何もかも救われた気がした。

 自分がこうして亡霊として生まれた意味を、諭されたような気さえしたのだ。

 

 もう未練はない。

 もう十分だと、その言葉を胸に秘めたままに——エリックは逝く。

 

 

 瞬間、彼の身体はガラスのように砕け散り、その破片すらも風に吹かれて消えていった。

 

 

 

 

 

「あっ……エリックさん!?」

 

 跡形もなく消えていく怪人に向かって、景は思わず駆け寄った。クリスティーヌとしてではない、音楽の天使と穏やかな時間を過ごした一人の少女として、純粋に彼との別れを惜しんだ。

 けれどその思いも虚しく、最後には彼に触れることすら叶わない。何もかもが消えて、最後に残ったものは——。

 

「これって、怪人の仮面……?」

 

 怪人の顔を覆い隠していた仮面。それだけが遺品のように、怪人が立っていた場所に残されている。

 

「むっ? 少しいいかのう、夜凪くん」

 

 その仮面に目玉おやじが興味を示した。それを鬼太郎に手に取ってもらい、まじまじと観察していく。

 

「鬼太郎、この仮面……」

「はい、父さん。微かですが……妖気の残り香を感じます」

 

 鬼太郎も気が付いたように、その仮面からは怪人と同質の妖気が感じられた。もうほとんど残されていないが、その仮面があの怪人のものだということに疑いはないだろう。

 

「——なるほど、この仮面があの怪人の正体というわけじゃ。この仮面を起点に怪人は怪異として成立していた……ということじゃろう」

 

 目玉おやじは自身の知識を総動員し、その仮面から怪人の成り立ちを推測する。

 

 

 あの怪人は、百年前に実在していたかもしれないエリック本人ではない。

 恐らくこの呪物——『オペラ座の怪人』で使用されていた仮面そのものに意志が宿り、自らで肉体を構築して動き始めたというところ。

 日本でいうところの『付喪神』に近い性質なのだろう。

 

 

 そう、この仮面こそが——劇団関係者の間で都市伝説となっていた『亡霊』の正体だったのである。

 

 

「この仮面はわしらの方で預かっておこう。もう二度と……あやつが亡霊として人々に危害を加えないようにな……」

 

 正体を知った以上、放置しておく訳にもいかない。

 もう二度とオペラ座の亡霊が姿を現さないよう、目玉おやじはその仮面に封を施すことに決める。

 

「お願いします。きっと彼も疲れていたと思うから。ゆっくり休ませてあげてください……」

 

 景もその決定に同意し、仮面は鬼太郎たちに託すことにした。

 きっと亡霊も眠りたがっているだろうと、エリックと名乗ったあの青年のことを思いながら——。

 

 

 

 

 

 そうして、オペラ座の怪人は消え去った。

 暫くの間は、その余韻にしんと静まり返る小劇場内だったのだが。

 

 

「——景ちゃん!!」「——景!?」「——夜凪さん!!」

 

 

 直後、そこに大勢の人たちが駆け込んで来たことで一気にその場が騒がしくなっていく。

 

「!! ゆ、雪ちゃん? それに、七生さん……み、みんなも! どうしてここに!?」

 

 稽古場に雪崩れ込んできたのは、柊雪や三坂七生。そして他の劇団天球の劇団員たち、ほぼ全員であった。壁に立て掛けられた時計に目を向けるが、やっと夜明け前といった時間帯だ。

 こんな時間からどうしてみんながと、景は疑問符を浮かべる。

 

「俺が声を掛けといたんだよ。地下に突入する前に連絡を回すように頼んどいたのさ!」

 

 すると亀太郎が笑顔で告げた。

 どうやら彼が景のことが皆に伝わるよう、気を回してくれていたらしい。連絡を受けたものから順に集まっては、ここで景たちの帰りを待ってくれていたようだ。

 

 

 

「鬼太郎!!」

「ね、猫娘……」

 

 その中には七生の護衛という立場だった猫娘もいた。彼女はひどくご立腹な様子で、鬼太郎へと詰め寄っていく。

 

「アンタね……なんで私の到着を待たなかったのよ!! 

「す、済まない……その、今回は時間もなかったから……」

 

 猫娘は鬼太郎が自分の到着を待たず、男たちだけで夜凪景を助けに地下に降りていったことを怒っていた。

 鬼太郎は景の救助にあまり時間を掛けたくなかったという言い訳を述べるが、それもあまり効果はなく。

 

「全く……本当にアンタはそうやって抱え込んで……って聞いてんの!?」

 

 いつもいつも自分を置いて無茶ばかりする鬼太郎に、猫娘はお叱りの説教をしていく。

 

 

 

「景ちゃん大丈夫!? 身体は!? どこも怪我してない!?」

 

 一方、押しかけて来た人たちを代表し、柊雪が景に怪我がないかを確かめていた。柊は景にはどこか保護者のようなところがあり、その光景はまさに我が子を心配する母親のようであった。

 

「大丈夫よ、雪ちゃん。みんなが……私を助けてくれたから!」

 

 柊の過保護っぷりに景は僅かに頬を染めつつ、自分を助けに来てくれた仲間たちに目を向ける。

 

「ボクたちは何も……」

「礼は要らないよ。俺としてもいい経験になったからね」

 

 その視線にアキラは申し訳なさそうに首を振り、阿良也はこれも役作りの一環だと素っ気なく答える。

 鬼太郎と違い、彼らが直接的に怪人の打倒に役立った訳ではない。自分たちなど何の助けにもなっていなかったのではと、謙遜ではなく本気でそのように考える。

 

 けれど、そういうことではない。

 来てくれただけでも心強かったと、景は重ねて礼を口にしていく。

 

「ううん……来てくれただけで嬉しかったわ、アキラくん……阿良也くん……あ、あと亀太郎さんも!」

「あれ? なんか俺に対する感謝だけ軽くない?」

 

 亀太郎にだけは、何故かついでのように声を掛ける景。

 それに周囲からどっと笑い声が上がり、皆が和やかなムードに包まれていく。

 

「まっ、なんにせよだ! 怪人も成仏したみたいだし……景も無事だった。これで何の問題もなく舞台を続けることができるってもんだよ!」

 

 めでたしめでたしと。最後には亀太郎がそのように話を締め括っていく。

 

 

 

 

 

「——あれ? ねぇ……ちょっと、鬼太郎くん……その仮面?」

 

 だが、ここで柊雪が鬼太郎に声を掛ける。彼女は鬼太郎の手に渡った、怪人の仮面に着目しているようだった。

 

「はい? なんでしょう……この仮面がどうかしましたか?」

 

 鬼太郎は柊の問い掛けに答える形で、その仮面を彼女に差し出す。

 怪人の意志が宿っていた危険極まりない代物だが、今のところはただの仮面。後で厳重に封じる必要はあるが、現時点ではそこまで警戒する必要もなかった。

 

「う~ん……ん?」

 

 柊は受け取ったその仮面をまじまじと見つめる。この時点で、彼女はそのマスクが今回の騒動の元凶——オペラ座の亡霊そのものであったことなど知る由もない。

 彼女からすれば、何の変哲もないマスク。しかし、柊はその仮面に何かしらの既視感でもあるのか。暫く頭を捻った後、何かを思い出したように声を上げる。

 

「——やっぱり……この仮面のデザイン、見覚えがあるよ!」

 

 一般的にオペラ座の怪人の仮面といえば顔半分を覆うマスク、白一色のシンプルなものが多い。

 だが、その仮面はそういった単純なマスクとも些かデザインが異なるものだった。右半分を覆う目の部分が真っ黒に染まり、口元にも歯が剥き出しになったような笑みが描かれている。

 一目見ると、ちょっと忘れられそうにないデザインをしていた。

 

 裏方として小道具を管理していることもあってか。柊はその怪人の仮面に見覚えがあると、それをどこで目にしたのかを口にしていく。

 

 

 

「——確か、あのプロデューサー……天知さんが用意した小道具の中にあったと思うけど、なんでこんなところに……って、どうしたの鬼太郎くん? そんな怖い顔して……」

 

 

 

×

 

 

 

「——ええ、そうです。夜凪景は無事だったと、先ほど連絡がありましたので……」

 

 早朝。まだ人気もない自社ビルの前で、天知心一はスマホを片手に誰かと連絡を取り合っていた。

 

「はい……では手筈通り記事の内容は……ええ、それで構いませんので。では……」

 

 通話相手と話している間も、天知の口元には相変わらずの微笑みが浮かべられている。だが用件を済ませて電話を切るや、その笑みがより一層深くなったようにも見えた。

 どこかご機嫌といった様子で、彼は太陽が昇り始めた空を見上げている。

 

「——天知さん」

「…………」

 

 するとそんな彼の元に、ゲゲゲの鬼太郎が顔を見せにきた。

 鬼太郎自身は無表情だが、隣に立つ猫娘は苛立っているのか腕を組んでいる。今回の事件を依頼して来た天知心一という人間に対し、二人ともただならぬ雰囲気を纏っている。

 

「おや、これはこれは……ちょうど今回のお礼を支払いに、そちらにお伺いしようかと思っていたところですよ」

 

 鬼太郎たちの突然の来訪だが、天知は取り乱さない。依頼を見事に解決してくれた鬼太郎に追加報酬でもと、懐からいくらか金銭を支払おうとするほどには余裕があった。

 

「天知さん、あなたに聞きたいことがあります」

「……!」

 

 だが鬼太郎は天知に例の物——『オペラ座の怪人の仮面』をそっと差し出す。瞬間、天知の動きがそこで止まった。

 

「柊さんから聞きました。この仮面はあなたが用意した小道具だと……」

「…………」

「あなたはこの仮面が怪人の亡霊の正体だと……知っていたのではありませんか?」

 

 それは、あくまで状況証拠に過ぎない。天知がその仮面を用意したからといって、それに怪人の意志が宿っていたかを知っていたかどうかなど。

 実際、知らなかったと言えば白を切ることも出来ただろう。しかし——。

 

 

「——そうですか……バレてしまっては仕方ありませんね」

「——!!」

 

 

 天知は、その事実をあっさりと認める。

 その仮面に怪人の意志が宿っていたことを——その仮面が、役者たちに危険をもたらす可能性があったことを理解していたと。

 

「まあ、私にはそれが『本物』かどうかを知る術はありませんでしたが……」

 

 一応弁明らしきものを口にしながら、天知はその仮面を手に入れた経緯を語る。

 

 

 彼曰く、その仮面のあるところに『怪人の亡霊』が出現するという噂は、もう何十年も昔から業界内で囁かれていたという。しかし確証がある訳でもなし。怪人なるものの存在を本気で信じるものも少なかったという。

 だが天知は、その曰く付きの仮面が偽物であるかもしれないことを承知の上でそれを求めた。

 わざわざ大金をはたいてまで、その仮面を海外から取り寄せたというのだ。

 

 

「ちなみにこの手紙に関してですが……」

 

 ついでとばかりに、天知は例の手紙——怪人から送られて来た『脅迫状』を懐から取り出しながら、しれっと白状する。

 

「実はこれ、私が書いたんですよ。万が一怪人が現れても対処できるよう、鬼太郎さんをお呼びする口実として……ねっ」

 

 そう言いながら、天知は自分の手のひらを見せる。そこにはマジックペンで『ドッキリ大成功』と書かれていた。仮面が偽物で怪人が現れなければ、全てドッキリだったで済ませるつもりだったのか。

 

 しかし実際に怪人はその姿を現し、役者たちを襲うという今回の事件を引き起こした。

 

「な、なんでそんなこと!! アンタ……いったい何がしたかったのよ!?」

 

 これに猫娘が激昂する。天知心一が何故そんなことを、わざわざ鬼太郎まで巻き込んで彼が何をしたかったのか、彼女には理解が出来ない。

 鬼太郎もだ。彼としては天知が何を目的としていたのか、その真意を問い質したかった。

 

 

「——宣伝ですよ」

「……せ、宣伝……?」

 

 

 しかし、天知の口から聞かされたその目的は、鬼太郎たちからすれば理解し難いものであった。

 その一言だけでは何を言っているのかさっぱりだ。呆然とする妖怪たちに、天知は自らの思惑を語って聞かせる。

 

「——今を時めく新人女優、夜凪景。彼女が主演で出演する演劇ともなれば……きっと多くの人々がその舞台を楽しみにしてくれるでしょう」

 

 その語りようは、わざとらしく芝居がかったものだった。胡散臭い天知が話すと、尚更作り話めいたものを感じる。

 

「——ですが、その舞台に立つ彼女は、不幸にも本物の怪人に目を付けられ……連れ去られてしまいました。夜凪さんのファン、彼女の芝居を楽しみにしていた観客たちは悲観に暮れ……きっと怪人への憤りをその胸に抱くことになります」

 

 事実、景はクリスティーヌとして怪人に攫われた。その流れすらも天知は予想していたということだ。

 

 

「——しかし、そこへ颯爽と駆け付けたのが皆のヒーロー、ゲゲゲの鬼太郎さんです!!」

「——!?」

 

 

 天知の言葉に鬼太郎が目を見開く。ヒーローなどと、自分が思ってもいない役割を押し付けられ、厳しい表情を浮かべる。

 もっとも、そんな鬼太郎の反感もお構いなしに、天知は言葉を紡いでいく。

 

「——貴方の活躍により悪しき怪人は退散。夜凪景も無事に助け出されました。きっとこの救出劇に、多くの人々が鬼太郎さんに賞賛を! 救い出された夜凪景にはより一層の注目が集まることでしょう」

 

 

 つまり、それこそが『宣伝』ということだ。

 鬼太郎が怪人からヒロインを守り切るという物語そのものを、広告塔にしようという狙いだった。

 

 

「既にマスコミ各社に今回の事件の顛末をリークしています。来週発売の週刊誌にも、詳細な記事を載せるように依頼しておきました」

 

 関係各所への根回しも済んでいるとのこと。先ほどもどこかしらに電話をかけていたが、きっとその週刊誌とやらに載せる記事の内容を指示していたのだろう。

 

「……あなたは、そんなことのために……彼女たちを危険な目に遭わせたんですか?」

 

 話を聞き終えた鬼太郎は、天知に冷たい視線を向ける。役者たちの舞台を続けたいという思い、芝居に命すら賭ける彼らの覚悟には鬼太郎も共感こそ出来なかったが、一定の理解は示した。

 しかし舞台宣伝のためならば怪人すらも利用し、何も知らない役者たちを危険に晒すような天知のやり方にはこれっぽちも共感できない。

 ましてや、自分をヒーローに仕立て上げようとする彼のイメージ戦略に鬼太郎が付き合ってやる義理などない。

 

「鬼太郎さん……貴方が望もうと望むまいと、人間たちは貴方に自身が理想とするヒーロー像を求めているんですよ」

 

 だが天知は鬼太郎の冷え込むような視線にも笑みを絶やすことなく、彼に人間たちが抱いているであろう『理想像』について語る。

 

 

 元より、ゲゲゲの鬼太郎は人間の依頼に応えて助けてくれる妖怪だった。しかも金銭といった報酬を求めない。本人に自覚はなくとも、その有り様はまさに無償で人助けをしてくれる『正義の味方』のようなものだ。

 時と場合によっては人間を容赦なく見捨てることはあれども、そういったマイナス面でのイメージなどほとんど気にされない。人間は都合の良い部分だけを抜き出し、偏見や先入観で他者をイメージするものだから。

 

 だから、一般的には正義の味方と言ってもいい鬼太郎が、巨大隕石——バックベアードの衝突から日本を救い、戦争を早期に終結させるきっかけを作ったことに多くの人間たちが感謝をした。

 さらには戦争終結後、総理代理と非公式ながらも面通りし、和解の握手までしたという。今最もホットな話題として、多くの国民が鬼太郎の活躍——『次は何をするのだろう』とその動向に目を向けた。

 そんな彼に『救われた』人気急上昇中の若手女優ともなれば、その注目度は計り知れないものとなる。

 

 たとえ役者たちが襲われるリスクを背負ってでも、やる価値のある『宣伝効果』だったと天知は賭けに出て——そして勝ったのだ。

 

 

「それに、これは貴方にとっても『良い話』ですよ。貴方が人々からの支持を得られれば……貴方の仲間たちに対する風当たりは弱まるでしょう」

 

 さらに天知は猫娘に目を向けながら、鬼太郎側のメリットを語る。

 彼女を始めとした鬼太郎の仲間たちも、鬼太郎の評価が高まればその分、人間から好意的に見られると。しかも今回騒動を引き起こしたのはオペラ座の怪人——言うなれば西洋に属する怪異だ。

 

『日本妖怪たちが西洋妖怪の魔の手から可憐な少女を救った』と。

 そのような記事を書けば、人々の妖怪に対する敵意さえも西洋・外側へと向けることができる。

 

「このっ!!」

 

 猫娘は鬼太郎を納得させるため、自分たちをダシにするような天知の言いように苛立ちを覚える。化け猫の表情を剥き出しに、爪を最大まで伸ばし、威嚇するように唸り声を上げた。

 しかしそんな刺々しい敵意を前にして尚、天知は堂々としている。彼が鬼太郎たち相手にその微笑みを崩すことはなかった——。

 

 

 

 

 

「——なるほどな、そういうことだったか」

「……っ!」

 

 そのときだった。

 一人の男性が、天知と鬼太郎たちの間に割って入ってくる。

 

「おまえが演目を『オペラ座の怪人』に指定してきたときから何かあると思ってたが……まさかそういう事情だったとはな」

「貴方は……」

 

 鬼太郎にも見覚えがある。夜凪景や劇団天球の役者たちに演出の稽古を付けていた、鬼太郎たちに役者を守ってくれと誠意を込めて頭を下げていた演出家だ。

 確か名前は——。

 

「黒山……」

 

 黒山墨字。その男を前に——天知心一の笑みが崩れる。

 怒りを露わにする鬼太郎たちを前にしても浮かべられていた微笑が消え去り、彼は真顔で真正面に立つ黒山を見据えた。

 

「キミにも分かっている筈だ、黒山」

「…………」

 

 天知と黒山。二人は鬼太郎たちそっちのけで、互いに顔を突き合わせながら言葉を交わしていく。

 

「戦争の被害で演劇を始めとした芸能業界は大きな打撃を受けた。政府からの復興の金もそのほとんどが生活支援に優先的に配られている。人々は生きることに必死で、映画館や劇場からも客足は遠のくばかりだ。企業も興行のための金を出し渋っている」

 

 全ては戦争の影響だ。劇団天球の劇団員のみならず、多くの芸能関係者がこの向かい風に苦しんでいる。

 

「この流れを覆すためには相当なインパクトが必要だ。それこそ……妖怪なんてものの力を借りるほどのな」

「っ!!」

 

 そう言って、天知はチラリと鬼太郎に視線を向ける。

 妖怪としてのネームバリューであればこの国で鬼太郎に勝るものはいない。彼ら妖怪のせいで起きた戦争なのだから、それを利用して注目を集めることの何が悪いと。

 

「今や妖怪は一大コンテンツとして定着しつつある。それを逃さない手はないんだよ、黒山」

 

 良くも悪くも、妖怪という存在そのものが今や人々の関心を集める一つのコンテンツとして成立しつつある。その関心を上手い具合に利用し、広報を通すことで観衆の感情を思惑通りに誘導することができれば、大きなビジネスチャンスを掴むことができるだろう。

 今回の事件はまさにその先駆け、先行投資と言ってもいい。

 

「そのために夜凪たちを危険な目に遭わせたってのか……ふざけんなよ」

 

 ここで黒山がはっきりと怒りを見せる。

 妖怪を利用しようとしたことではない、宣伝とやらのために大切な役者たちを——夜凪景を危険に晒した天知に黒山ははっきりと怒気を抱いていた。表面上は落ち着いているように見えるが、その握る拳には力が入る。今にも天知に殴りかかっていきそうな雰囲気だが。

 

 

「……本来の目的を忘れるな、黒山監督」

 

 

 しかし天知はどこまでも冷静だった。黒山墨字に——黒山映画監督に『自分たち』の目的を再確認させるためにはっきりと意見する。

 

「私たちは映画屋だ。『あの映画』を撮るために、ここまでやってきた筈だ……違うか?」

「…………」

 

 二人の話を前に鬼太郎たちは傍観者に徹するしかない。彼らの間に何があるのかは知らないが、それが決して迂闊に踏み込んでいいものではないと感じられたのだ。

 常に微笑みを浮かべていたときとはガラリとその雰囲気を変え、天知は自身の決意を黒山へと言い放った。

 

「そのために必要なものがあるのならば、私が全て用意しよう。邪魔なものは私が全て排除しよう」

 

 

 

「——立ち止まっている暇などない。たとえ社会がどのように変わろうとも……私たちは前へ進んでいくしかないんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「父さん……」

「なんじゃ、鬼太郎よ……」

 

 鬼太郎たちは自分たちの居場所、ゲゲゲの森へと帰ろうと街中を歩いていた。まだ朝は早いが、既にチラホラと通行人の姿も見られる。どこか意気消沈と歩く鬼太郎に、道行く人々が何度か振り返るが声は掛けてこない。

 

「鬼太郎……」

 

 猫娘も、鬼太郎の心情を気遣いながらも黙って彼の隣を歩いていく。

 

「結局ボクらも……怪人も、あの人の手のひらの上で踊らされていただけだったようですね」

「…………」

 

 鬼太郎の言葉に目玉おやじが押し黙る。

 そう、結局のところ、今回の事件は天知心一が怪人の特性や、鬼太郎たちの力を利用して引き起こした、マッチポンプに等しい行為だった。そのことを糾弾しに行った鬼太郎の言い分すらも、彼は涼しい顔で受け流した。

 

『——では、追加報酬の方は後ほど郵送でお届けしますので』

 

 黒山墨字との問答が終わった直後も、天知はそのように微笑みを浮かべ直した。既にそれ以上は鬼太郎にこだわる理由もなかったのか、その場から静かに立ち去っていった。

 

『——迷惑をかけたな。夜凪を守ってくれたこと……感謝する』

 

 黒山の方も。鬼太郎に心からの感謝を述べつつも、やはり芝居を優先してかすぐにその場を後にする。

 今回の体験を糧に成長した役者たちが待つ劇団天球へと。『オペラ座の怪人』の公演をより素晴らしいものにするため、きっと日々の稽古に励んでいくことだろう。

 

「…………」

 

 そんな彼らの立ち去る背中を、鬼太郎は呼び止めることが出来なかった。

 形は違えども、舞台を成功させようとする強い意志が両者から感じられた。所詮は部外者でしかない鬼太郎では、そこへ半端に踏み込むことも出来ない。

 

 いずれにせよこの事件は解決したのだ。鬼太郎がこれ以上、彼らに関わる理由もない。

 

 

 

 

 

 そうして、鬼太郎たちは調布市にある布多天神社へと戻ってくる。

 この神社の境内の奥に、鬼太郎たち妖怪の住処であるゲゲゲの森が広がっている。一人の例外だった少女を除けば誰一人、人間は足を踏み入れることが許されない聖域だ。

 

 ずっとその森の中にいれば——きっと人間とも関わらずに済むのだろう。

 

「父さん、妖怪ポストを直したのは……早計だったかもしれません」

「鬼太郎……!」

 

 鬼太郎の深いため息のような吐息に、目玉おやじが目を見開く。

 一度は破壊された妖怪ポストを直して、もう一度人間の依頼に応えてみようと思った鬼太郎。彼としても散々に迷った末、また人間を信じてみようと思ったからこその決断だった。

 

 しかしその思いも虚しく、人間は自らの目的のために鬼太郎を利用した。

 改めて依頼を受け付けて、一番最初に解決した事件それだったために鬼太郎のショックも大きかった。

 

 いっそ人間との関わりなど断ち切り、森の中で静かに暮らそうか。そんな弱気な考えすら頭の隅に浮かんでしまう。

 

 

「——鬼太郎くん!!」

 

 

 だがそんな落ち込む彼の元に、陽気に手を振りながら駆け寄ってくる少女がいた。

 

「夜凪さん? どうしてここに……」

 

 今回の事件の真相を何も知らないまま巻き込まれた、女優・夜凪景だ。

 彼女がわざわざこの神社まで、自分に会いに来たようだったので鬼太郎は驚きを隠せないでいる。

 

「鬼太郎くんに、どうしても直接お礼が言いたいって……この子たちがね!」

「鬼太郎!!」

「鬼太郎!!」

 

 彼女は自身の幼い弟妹・ルイとレイと一緒だった。元より男の子のルイは鬼太郎にキラキラとした視線を向けていたが、今は女の子のレイも感謝の視線を彼に向けている。

 

「天使さんから聞いたよ!!」

「鬼太郎が……お姉ちゃんを助けてくれたんだって!!」

 

 今朝方のことだ。景がファントムに連れ去られて家を不在にする中、ルイとレイは目を覚ました。

 最初は『お姉ちゃんがいない!!』とパニックになったのだが、すぐに桃城千世子が天使のような笑顔で子供たちに吉報をもたらした。

 

『——大丈夫だよ、お姉ちゃんなら……鬼太郎くんが助けてくれたから!』

 

 そう、子供たちが目を覚ました頃には既に事件は解決しており、家を預かっていた千世子の元にも景が無事だったという連絡が行き届いていたのだ。

 実際に姉の顔を見るまで不安だった子供たちも、景が何事もなく戻ってきてくれたときには大粒の涙を流した。

 

 その喜びを、感謝をどうしても伝えたくて。子供たちは鬼太郎の元までやって来たという。

 

「——鬼太郎はやっぱりカッチョイイな〜!」

「——ありがとう!! ゲゲゲの鬼太郎!!」

 

 二人の無邪気な視線が、鬼太郎に突き刺さる。

 幼い子供たちが鬼太郎を見つめる曇りなき眼は、まさに正義のヒーローに向けるそれであった。

 

「……違う……ボクは……ヒーローなんかじゃ」

 

 そんな子供たちの視線に、先ほど天知に言われた人間たちが求める『理想像』の話がぶり返される。自分は彼らが望むようなヒーローなどではないと、天知の言い分を否定したい思いで鬼太郎は子供たちの礼にも首を横に振ろうとする。

 

 だが——。

 

 

「鬼太郎くん……」

 

 

 子供たちの姉である景が、鬼太郎にしか聞こえないような声で囁いてくる。

 

「あなたが何に苦しんでいるかは分からない……もしかしたら、天知さんが何かしたのかもしれないけど……」

「!!」

 

 聡い子である。鬼太郎の反応と、天知があの仮面を用意したという事実から、彼らの間に何かあったと理解したらしい。無論、鬼太郎が何に苦しんでいるのか、その心情まで全てを把握しているわけでもないだろうが。

 

「だけど、私を助けてくれたあなたは……私にとって、ううん……この子たちにとって、紛れもないヒーローなのよ」

 

 それでもと、景は自分たちが鬼太郎に救われた事実を。

 誰がなんと言おうと、たとえ本人が否定しようとも。子供たちにとって彼が紛れもない正義のヒーローであることを伝える。

 

 その期待は、もしかしたら鬼太郎にとっては重荷にしかならないのかもしれない。けれど——。

 

 

「——どうか『演じてあげて』……今このときだけでも、この子たちのために……」

 

 

 せめて子供たちの前では、純真無垢な彼らの願いまでは否定しないで欲しいと。鬼太郎に向かってそう願う。

 

「…………」

「どうしたの、鬼太郎?」

「大丈夫、鬼太郎?」

 

 何も知らない子供たちが、何も言わないでいる彼を不安そうに見つめている。ここで鬼太郎が子供たちの感謝にそっぽを向けば、きっと彼らの表情を曇らせてしまうだろう。

 別に彼らが泣こうと悲しもうと、妖怪である鬼太郎にも何にも関係がない筈だ。

 

 

「どう……いたしまして……」

 

 

 けれど、鬼太郎は彼らの思いに応える形で、その口元に笑みを浮かべた。

 少なくとも、子供たちを悲しませる理由が鬼太郎にはない。こんな幼い子供たちの気持ちを裏切るような真似——彼には出来なかった。

 

 

「鬼太郎!!」

「鬼太郎!!」

 

 ぎこちない鬼太郎の笑みだったが、それでも子供たちの表情がパーッと明るくなる。嬉しい気持ちがいっぱいで、子供らは鬼太郎にじゃれつくように抱きついていく。

 

 

 

「ふむ……」

「鬼太郎……」

 

 そんな鬼太郎と子供たちの触れ合いに、目玉おやじや猫娘が複雑な思いを抱きながらも笑みを浮かべる。

 

 確かに今度の依頼、自分たちは人間に都合よく利用された。

 けどこの子供たちの笑顔を守れたのも、鬼太郎が人間の助けを求める声に応えようと、再び手紙を受け取るようになったからこそだ。

 

 

 鬼太郎のおかげで、救われた人間も確かにいる。

 その事実を胸に、今はただ純粋に喜ぼうと——眩しい子供たちの笑顔をその目に焼き付けていく。

 

 

 

 




いつもであれば、ここで次回予告に入るのですが……ちょっとここらで短編を書きたいと思いますので今回は予告も見送り。
最近はシリアスな話ばかりを書いててちょっと疲れ気味で……久しぶりにギャク全開の話を書こうと思いますので……どうかよろしくお願いします!




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ミュータントタートルズ 其の①

FGOのぐだぐだイベントに外れなし! 今回も楽しませてもらいました!
始まる前は『ぶっちぎり茶の湯バトル』とは何ぞやと、サブタイトルに突っ込みが入りましたが、その言葉に偽りなし……見事な伏線回収!
本編はシリアス、おまけはぐだぐだと。お約束も健在で登場鯖も魅力的。
また実装待機列のNPCが増える。個人的には田中くんと高杉社長を実装して欲しい。

さて今回のクロスオーバーは『ミュータントタートルズ』です!!

原作は『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』と長いタイトルになっていますが、あくまで今作のクロスは『旧亀』——タートルズ初期のアニメ作品をモデルにしています。
おそらく、日本でもっとも有名なタートルズ作品。ついこの間も『ミュータントタートルズ:シュレッダーの復讐』でゲーム化しました……今更!?

作風は、古き良き時代のアメリカアニメって感じ。
自分、洋画とか海外のアニメとか率先して見ないけど、こういう吹き替え版特有の軽快なノリって凄い好きです!
作品自体も、謎の超理論や突っ込みどころ満載の爆速展開。吹き替えの声優陣が好き勝手アドリブ入れていることもあってか、マジで腹筋崩壊する。

今時のアニメのように作画がキレイではないですが、こういう作品の勢いと面白さは……現代でも通じるものがありますね。

まさに頭を空っぽにして見れるアニメ。
流石に今作のクロスではある程度、話の流れなど考えていますが……出来るだけ、原作の雰囲気とノリを大切にしていきたいと思います。

ちなみに、旧亀のアニメにはいくつもの吹き替え版があります。
一般的にはアドリブが多い地上波版が主流かと思われますが、自分はビデオ版で育った世代です。
なので登場キャラのイメージも、そちらのビデオ版を主軸にしていきますので、その点は予めご了承ください。



『——立て続けに起こっていた妖怪に関連した事件でしたが、ここ数日でようやく落ち着きを取り戻し……』

 

『——被害の大きかった東京都には復興の為のボランティアが県外から……』

 

『——先ほど、総理代理が記者会見で妖怪との友好関係について改めて……』

 

『——人気急上昇中の若手女優が、あの妖怪に助けられたと今注目を集めて……』

 

 

「やれやれ、相も変わらず人間たちの世界は忙しいようじゃのう……」

 

 東京都の郊外にあるボロアパートの一室。

 一匹の妖怪がテレビから流れてくる昨今の社会情勢に耳だけを傾けながら、黄昏ていく空を見つめて物思いに耽っていた。

 

 その妖怪の名は——『いそがし』という。

 

 いそがしはその名のとおり、人を『忙しく』する妖怪である。

 いそがしに取り憑かれたものは仕事に没頭し、延々と忙しなく働き続ける。心のゆとりや他者への優しさを忘れ、自分が何の為、誰の為に働いているかも分からなくなってしまう。

 人として大事な『何か』を失わさせる——ある意味恐ろしい妖怪であった。

 

「忙し過ぎて……ワシが取り憑く余地もないわ。全く世知辛い世の中じゃ……」

 

 だが近年、いそがしが人間に取り憑かずとも、人々は仕事に追われる日々を送っている。特に最近は妖怪との戦争。その戦後復興のため、多くの人間たちが労働に従事しているとも聞く。

 自分たちの生活を取り戻すため必死に働くのだから、そこにいそがしが横槍を入れる余地などない。

 

「今は人間たちとの間に、余計なトラブルを生むわけにもいかんしのう……」

 

 さらに言えば、現在は人間と妖怪との関係が非常にデリケートな時期だ。こんなときに妖怪が騒ぎを起こそうものなら、また人間たちが妖怪への反感を強めてしまう。

 今の総理代理も妖怪たちとの和解を推進しているため、妖対法を積極的に行使しようとする気配はないが、その状況も何をきっかけに様変わりするか分かったものではない。

 

「戦争などごめんじゃしのう……けど、寂しいのう……ぐすっ!」

 

 余計な争いの火種を生まないためにも、いそがしも今まで以上に人前に出ることを控えている。

 しかしそれでも人肌、人間に取り憑くのが恋しいときがある。その寂しさを何とか酒で紛らわし、涙で枕を濡らすような毎日を送っていた。

 

 ところが——。

 

 

 ——ピンポーン!!

 

 

「…………ああ、なんじゃ?」

 

 唐突にインター音が鳴り響いたことに、いそがしが眉を顰める。

 彼が住処とするこのアパート、既に人間が寄り付かなくなって久しい空き家である。そのボロい外観からも、普通に人が住んでいそうにないことが分かりそうなものだが。

 

 ——ピンポーン!!

 

 ——ピンポーン!!

 

 しかし来訪者は、まるでそのアパートに誰かが住んでいることを知っているかのように、二度三度とチャイムを鳴らし続けてきた。

 

「誰じゃ!? 言っとくが……新聞の勧誘なら間に合っとるぞ!!」

 

 この不可解な訪問者、いそがしは適当にあしらおうとする。

 

 それというのも、いそがしというこの妖怪。それなりに人間離れした見た目をしている。

 はだけた着物を纏った、全身の身体が青くてガリガリの人型。長い舌に、大きくて真っ赤な一つ目。妖怪慣れしていない一般人が目撃すれば、悲鳴の一つくらいは上げるだろう。

 万が一、その見た目から騒ぎになっても面倒だ。いそがしは無用なトラブルを避けるためにも、玄関先へと顔を出そうとはしなかった。

 

 ——ピンポーン!!

 

 ——ピンポーン!!

 

 だがそれでも、呼び鈴は鳴り続ける。

 

「ああん? 宗教の勧誘ならお断りじゃぞ!!」

 

 いそがしは苛立ち気味に返事をする。この時点で、来客が顔馴染みの妖怪という可能性も消えた。

 もしも妖怪仲間であれば、普通に声くらい掛けてくるだろう。しかしその訪問者は黙々と、ただ呼び鈴だけを押し続けてくる。

 

 ——ピンポーン!!

 

 ——ピンポーン!!

 

 ——ピンポーン!!

 

 ——ピンポーン!!

 

 ——ピンポーン!!

 

「ああ、もう!! うっとしいのう!!」

 

 一定の時間間隔で鳴り続けるチャイム音。これには流石のいそがしも重い腰を上げる。

 もうこの際、ちょっとくらい騒ぎになってもいいやと開き直り、ズカズカと苛立った足音を立てながら玄関へと近づいていき——勢いよく扉を開けた。

 

「言っとくがワシは受信料なんぞ絶対払わんからな!! ……!?」

 

 個人的な怒りと共に、それまでのイライラを吐き捨てるいそがし。

 しかし、彼がそのように怒りをぶちまけられたのも一瞬だけ。直ぐにいそがしの方が困惑する事態へと陥ってしまう。

 

 

「な……なんじゃ!? お、お前らは!?」

 

『————』『————』『————』『————』『————』

『————』『————』『————』『————』『————』

『————』『————』『————』『————』『————』

 

 

 いそがしの目の前。ボロアパートの玄関先には——覆面姿の人間たちが密集していた。

 数十人もの同じ格好をした正体不明の覆面たちが、部屋から出てきたいそがしへと無言のまま視線を向けているのだ。

 妖怪からしても、それは異様な光景に映ったことだろう。

 

「なっ!? ど、土足で入ってくるな!! おい!?」

 

 さらに覆面たちは家主の許可もなく、部屋の中へと雪崩れ込んでくる。制止するいそがしの声にも、まるで聞く耳を持たない。

 

『————』『————』『————』『————』『————』

『————』『————』『————』『————』『————』

『————』『————』『————』『————』『————』

 

 やがて狭い室内に覆面たちがひしめき合い、彼らは全員でいそがし一人を取り囲んでいく。さらに次の瞬間にも、覆面の何人かが荒縄(あらなわ)やら猿轡(さるぐつわ)やらを取り出す。

 事態を把握しきれずに混乱するいそがしの身体を、それらの拘束具で容赦なく縛っていく。

 

「なっ!? な、何をするんじゃ!? や、やめろっ!?」

 

 これに抵抗しようとするが、流石に妖怪でも数の暴力の前には屈するしかなかった。いそがしはあっという間に手足を縛られ、身動きを封じられてしまう。

 

「た、助け——もご!? もごごご!?」

 

 咄嗟に大声で助けを呼ぼうにも、すぐに口も塞がれてしまった。

 そのまま、覆面たちは拘束したいそがしを担ぎ上げて外へ移動。ボロアパート前に停車していた大型トラックの荷台へと彼を押し込んでいく。

 

「もががががが——」

 

 最後まで懸命に足掻くいそがしだが、荷台の奥に押し込まれてしまっては外に声を届けることもできない。

 いそがしを荷物のように運び込んだ覆面たちも、そのまま荷台へと乗り込み——その直後、トラックは走り出していく。

 

 

 何とも手慣れた手口。いそがしの部屋まで侵入し、彼を拉致するまで一分と掛かっていなかった。

 

 

 

×

 

 

 

「——街中に住んでいる妖怪たちと……連絡が取れなくなってる?」

 

 日差し穏やかな日中、ゲゲゲの鬼太郎の困惑した声が森中に響き渡る。

 彼が今いる場所はゲゲゲの森の集会場だ。妖怪同士が話し合う際に用いられる広場で、鬼太郎は相談事を持ってきた妖怪たちの話に耳を傾けていた。

 

「そうなんだよ!! ここ最近、俺たちみたいに街中で暮らしてる連中の消息が次々に途絶えていってんだよ!!」

 

 鬼太郎の元にその訴えを持ち込んできたのは、傘の妖怪——唐傘(からかさ)であった。

 唐傘は和傘に目玉、逞しい二本の腕と一本の足が生えている傘の付喪神だ。細かいことをあまり気にしない豪快な性格だが、そんな彼からしても『仲間の妖怪たちと連絡が取れない状況』というのはかなり深刻な問題だった。

 

「骨女やいそがし。他にもいなくなっちまった連中が大勢いてね……」

 

 彼と一緒に来ていた、女妖怪・ろくろ首も困った表情を浮かべている。

 ろくろ首は首が伸びることで有名な妖怪だが、通常時の外見はごく普通の和服美女。少し時代がかってこそいるが、人間とそう変わらない見た目をしている。

 性格も姉御肌で面倒見の良い女性だ。いなくなった妖怪たちの行方が、杏として知れないことを心配している。

 

「ほら、こういったご時世だろ? お互いの無事を確認し合うためにも連絡は密に取り合おうって、この間も会合で話し合ったばかりでね……」

「そうだったのか……」

 

 ろくろ首が言うに、ここ最近になって街中で隠れ住んでいる妖怪同士、連絡を取り合うコミュニティを形成し始めたとのこと。最近の情勢、人間と妖怪の関係が以前よりも近くなったことで起きてしまういざこざ、トラブルなどを危惧したためだ。

 皆で情報を共有し合い、互いに安否確認ができるようにしようという試みである。

 

 その試みは、決して間違いではなかった。

 なにせ互いの無事を確認することが出来ず——『妖怪たちの失踪』という事件にいち早く気付くことができたのだから。

 

「実はこの子が、あかなめが……いそがしの連れ去られる現場に遭遇したっていうんだよ」

「ハッ!! ハッ!!」

 

 ろくろ首はさらに詳細な情報を鬼太郎に伝えるため、隣に立っていた妖怪あかなめに話を振る。

 あかなめは風呂場にこびり付いた垢を、舐めるための舌が異様に発達した妖怪だ。その長い舌を犬のように突き出し、呼吸を荒くしながらも、ろくろ首の言葉を肯定するよう頷いていく。

 

「この子の話によると……いそがしは、覆面を付けた人間たちの集団に連れ去られちまったらしいんだよ」

 

 あかなめはあまり喋るのが得意ではないのか、ろくろ首がその言葉を通訳していく。

 彼がたまたま目撃したという話をまとめると、いそがしを誘拐したのは人間らしきものたちの集団。覆面を被った謎の連中がいそがしの住居に大挙して押しかけ、そのままトラックの荷台へと乗せられ、どこかへと連れ去られてしまったとのこと。

 流石にそのトラックがどこへ行ったかまでは、追跡できなかったというが。

 

「…………あかなめ。人間の集団というのは……確かなのか?」

 

 鬼太郎は深刻な顔色で、あかなめの話に念を押すように問い掛ける。

 人間と無用な争いをしたくない鬼太郎は、それが人間たちの仕業でないことを心から祈りたかったが。

 

「ハッ!! ハッ!!」

 

 鬼太郎の思いとは裏腹に、あかなめは躊躇なく頷いた。

 少なくとも、あかなめ自身はその覆面たちが人間だったと認識しているようだ。その点について彼が嘘を付く理由はない。

 いそがしを連れ去った相手は妖怪ではなく人間——あるいは、それに類するものである可能性が高い。

 

「鬼太郎よ。これは放置してよい問題ではないぞ……」

 

 鬼太郎と共に一通りの話を聞き終えた目玉おやじが、神妙な顔つきで腕を組む。

 

 妖怪たちの失踪、それも大勢の人間たちが関わったかなり組織だった犯行だ。これが本当に人間たちの仕業であるのならば、今は大人しくしている妖怪たちも黙ってはいられない。

 せっかく小康状態になりつつある人間と妖怪の対立を再び煽りかねない、新たな火種となりかねない由々しき問題である。

 何者の仕業であれ、早急に行方不明になっている妖怪たちの居場所を突き止め、この事件を解決に導く必要があるだろう。

 

「ねぇ、他には何かないの? ほら……手掛かりとか?」

 

 そのための足掛かりとして何かないかと、鬼太郎と一緒に話を聞いていた猫娘も口を開く。

 トラックの行き先、誘拐された妖怪たちの共通点、人間と何かトラブルがなかったかなど。何でもいい。手掛かりの一つでもないかと、ろくろ首たちに尋ねていく。

 

「手掛かりって、言われてもね……」

「う~ん……あっ! そういえば!」

 

 その問いに首を伸ばしながら悩ましげに傾げるろくろ首だが、唐傘の方は心当たりがあったのか。懐から何かを取り出していく。

 

「いそがしの部屋に、こんなもんが落ちてたんだけどよ……」

「これは……ロープか?」

 

 それは、何の変哲もないただのロープであった。いそがしを拘束する際に用いられたもののあまりなのか。それ単体では、とても手掛かりとはいえない。

 しかし一つだけ。手掛かりと言えるかどうかは謎だが、一箇所だけ気になる部分があった。

 

 

 そのロープの端っこ。ロープがどこで作られたものなのか、ご丁寧に明記されていたのだ。

 そう、『MADE IN JAPAN』——つまりそのロープが、日本製であることが英語で書かれている。

 

 

「……いや、ここ日本なんだけど……」

 

 もっとも、日本で起きている事件なのだから、それが日本製のものであっても何ら不思議ではない。何故英語なのかという疑問はあるが、今の時点でそれを論じても意味はない。

 

「と、とにかく……警戒は強めたほうがいいじゃろう! 今夜からはワシらも見回りに入ろう……のう、鬼太郎や!」

「ええ……そうですね、父さん」

 

 少し緩んだ場の空気を締め直すように、目玉おやじが大きな声で当面の対策を練っていく。

 鬼太郎たちのようにゲゲゲの森に住んでいるものであれば、夜中に人間たちか襲ってくることを心配する必要はない。

 その分、街中で暮らす同胞たちのために戦力を割くことができるというものだ。

 

「猫娘、みんなにも協力してくれるように声を掛けておいてくれないか?」

 

 さっそく鬼太郎はこの場にいない、いつもの仲間たちにも力を貸してもらえるように猫娘に頼んでいた。

 

「わかったわ! ……って、鬼太郎はどうするのよ?」

 

 当然、その頼みを快く受け入れる猫娘だが、鬼太郎が自分に仲間たちへの声掛けを一任したことに首を傾げる。

 自分が他のみんなに協力を頼む間、彼はいったいどこで何をしようというのか。

 猫娘の素朴な疑問に、鬼太郎は彼女に心配を掛けぬようにと——肝心な部分をぼかしながら答えていた。

 

 

「——ボクは……ちょっと人と会ってくるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——それで、ボクのところまで来たのかい~? キミも大変だね~……ゲゲゲの鬼太郎くん」

「——そう言う貴方も……随分とお忙しいようですが?」

 

 数時間後、鬼太郎は都内のとある屋敷内にてその人物と対面する。

 仕事中なのか、その老齢の男性は執務室で大量の資料に目を通していた。忙しいときに押しかけてしまったことへの謝罪を口にする鬼太郎だが、そんな中でも、彼がわざわざ自分のために時間を設けてくれたことに少し驚いている。

 

 面会など断られると思っていた。

 なにせ相手は、代理とはいえ一国の代表——『内閣総理大臣』その人であったのだから。

 

 そう、鬼太郎の目の前にいるこの男こそが、現政権における最高責任者・総理大臣の代理だ。先の戦争で前総理を含めた主だった政治家たちが亡くなった、その混乱の最中に抜擢された老人。一応は鬼太郎とも面識があり、和解の握手までしている。

 年の功とも言うべきか、老人は鬼太郎の突然の訪問にも慌てず騒がずどっしりと腰を据えていた。

 

 

 鬼太郎が、わざわざ総理代理に直接会ってまで問い掛けていたのは——確認だった。

 今回の一件——『妖怪たちが次々と誘拐されている事件』に政府が絡んでいないかどうかの確認だ。

 

 あかなめの話を信じるのならば、いそがしを連れ去っていったものたちは人間。それも一人や二人ではない。数十人以上の人間たちが、いそがしの誘拐に関わっている。

 さらに被害はいそがしだけには留まらず、他の妖怪たちにまで及んでいる。ともなれば、より大勢の人間たちが関与している可能性が高い。

 

 それほど大規模な人員を即座に動員できる、組織力のある集団。残念ながら、鬼太郎の脳裏には——警察や自衛隊など。政府の手のものという考えがチラついてしまった。

 勿論、積極的に政府関係者を疑いたいわけではないが、それでも無視できる問題ではないと。鬼太郎は現政権の長である総理代理に、事の真偽を確かめようと訪れたわけだ。

 

 

「……でっ、キミが話してくれた件についてだけどさ~」

「…………」

 

 鬼太郎が詳細を話し終えるや、総理代理は自分の仕事の手を止める。

 総理の返答次第、態度次第では再び大規模な争いに発展することは避けられない問題なのだが、本人は相変わらずのほほんとしている。

 これは考え過ぎたかと。政府の関与を勘繰っていた鬼太郎がホッと安堵しかけるが——。

 

「——実のところ……心当たりがあるっちゃ、あるんだよね~」

「——っ!!」

 

 意外な言葉が総理代理の口から飛び出す。まさか本当に、この事件の裏に政府の人間が絡んでいるのかと鬼太郎は緊張で顔を強張らせる。

 

「ちょいちょい! そんなに殺気立たないで……言っとくけど、犯人はボクたちじゃないからね~」

 

 しかし総理は素早く自分たちの関与を否定。あくまで心当たりという名の『情報』があるだけだと——そこで隣に立つ秘書の男性へと視線で合図を送る。

 

「どうぞ、こちらが資料になっております」

「資料じゃと? これはいったい……?」

 

 秘書から鬼太郎へと手渡されたのは数枚の報告書だった。そこに書かれていた内容に息子と一緒に来ていた目玉おやじも目を通す。

 資料の内容を補足するよう、秘書の男性が口頭での説明を加えていく。

 

「実はここ数週間、犯罪件数がさらに増加しておりまして……調べたところ、それらの大多数にその覆面集団が関わっているとのことなのです」

「なんじゃと!?」

 

 秘書の言葉に目玉おやじは目ん玉を見開く。

 あかなめが目撃したという覆面たち。彼らは妖怪の誘拐だけではなく、様々な犯罪を方々で起こしているというのだ。

 資料には、彼らが関わったとされる事件に関する詳細が記載されていた。

 

「銀行や宝石店での強盗や窃盗。ハイテク企業に侵入しては貴重な機材を片っ端から奪い取り、化学工場からは危険な薬品を選んで盗んでいってます。しまいには、動物園から動物を丸々一匹盗んだりと。正直、私共も頭を抱えておりまして……」

「すごい数の被害報告ですね……」

 

 一見すると統一性のない事件の数々。しかしどの犯罪にも必ず『覆面姿の集団』が目撃されているという。次から次へと巻き起こる事件の山に、警察機構もほとほと困り果てているとのことだ。

 総理代理も口調こそ穏やかながら、苦虫を噛み潰したような顔で愚痴を零していく。

 

「この覆面集団、本当見境がなくてね……こっちも困ってるんだよ~。けど、これだけのことが出来るんだから……よっぽどデカイ犯罪組織なんでしょう? こっちの対応も慎重にならざるを得なくってね~」

「犯罪組織……」

 

 総理が口にしたその単語に、鬼太郎は目を見開く。

『犯罪組織』——人間社会の裏側に蔓延る、妖怪とはまた違う形の『闇』だ。半端な地上げ屋程度の連中なら、鬼太郎たちも撃退したことはあるが。

 

「無用な心配かもしれないけど、一応警告はしとくよ。本当の犯罪組織ってのは……そんじょそこらのチンピラとは訳が違うからね」

 

 だが、総理代理はそういった連中への警戒を怠らないように鬼太郎に釘を刺す。

 古い時代の政治家として、裏社会を生き抜く人間たちの怖さなど身に染みているのか。いつになく真剣な口調であった。

 

「……ご忠告痛み入ります、総理代理」

「いいよいいよ! 気にしないでちょうだい!!」

 

 総理からの忠告、そして提供された貴重な情報を手に鬼太郎は頭を下げた。総理代理は気にするなと言ってくれたが、ここはしっかりと礼を述べるべきだと。

 

「お時間を取っていただき、本当にありがとうございました。このお礼はいずれさせていただきます……」

 

 わざわざ時間を割いてくれた老人に、鬼太郎は一個人として敬意を込めた礼で感謝を伝えていった。

 

 

 

×

 

 

 

「よっしゃっ!! 鬼太郎も来てくれたことだし……来るなら来やがれってんだ!!」

「唐傘、気合いが空回ってるよ。もう少し落ち着きなって……」

 

 午後五時を過ぎた頃。

 自分たちの住処に戻ってきた唐傘やろくろ首は、妖怪に危害を加えようとする襲撃者たちの到来を今か今かと待ち構えていた。

 

 彼らが住んでいるその場所の名は——『妖怪アパート』という。

 元々は人間たちの集合住宅であったが、あまりにも古く既に人間の借り手など居なくなって久しい。そのため妖怪たち専用のアパートとして、唐傘たちを始めとする大勢の妖怪がここに住みつくようになった。

 

「よく来てくれたのう、鬼太郎。とりあえず今日一日、よろしく頼むぞ!」

「ああ、任せてくれ……砂かけババア」

 

 ちなみにこの妖怪アパート、砂かけババアが大家となり日頃の管理をしているのだが、建物の持ち主は夏美という人間の成人女性である。

 夏美も普段は別のところに住んでおり、たまに妖怪たちの元に遊びに来るほどには良好な関係を築いているが、流石に今回は危険だと。暫くの間、アパートに近づかないよう注意喚起を促しておいた。

 

 彼女や総理代理のように妖怪に友好的なものもいれば。覆面集団のように敵対的なものもいる。

 人間との共存も一筋縄ではいかないものだと、鬼太郎は改めて複雑な気持ちを抱いていく。

 

「鬼太郎! 予定どおり、他のみんなも所定の位置についたわ……準備完了よ!」

「ああ、ありがとう……猫娘」

 

 そこへ猫娘も妖怪アパートに駆け付けてくる。

 彼女は鬼太郎に頼まれていたとおり、ゲゲゲの森の仲間たちに声を掛けてくれた。一反木綿や子泣き爺、ぬりかべと。彼らは街中に散らばり、怪しい動きをする集団がいないか目を光らせてくれているとのことだ。

 

「……ん? そういえば……ねずみ男はどうしてる? 最近、あいつの姿を見かけた覚えがないんだが……」

 

 ふと、そこで鬼太郎はねずみ男の所在を気に掛ける。

 正直、鬼太郎もねずみ男が直接的な戦力になってくれると期待しているわけではないが、それ以前に彼の姿を最近になって見ていないことを思い出す。

 ねずみ男も、時と場合によっては街中のボロアパートに勝手に住み着いて雨風を凌いでいる身だ。まさか彼も、覆面集団に連れて行かれてしまったのかと。一応はねずみ男の身を案じる。

 

「ああ……あやつなら、今は日本におらんぞ。海外に高飛びしておる」

「はっ? 海外……? 高飛び……?」

 

 だがそんな心配を吹き飛ばすように、砂かけババアがねずみ男のことを口にする。

 誘拐されたわけではないらしいが、海外に高飛びとはどういうことだろうと鬼太郎の目が点になる。

 

「まとまった金が入ったとかでのう……その金を元手に商売を始めて……夢のアメリカンドリームを掴むとか言っておったぞ? 確か行き先は……ニューヨークだったか?」

 

 どうやらねずむ男、また懲りもせずに何かしらの金儲けを思いついたようだ。

 それがどういった商売なのかまでは、砂かけババアも知らないようだが、その行き先がニューヨークであり、そこで一旗揚げるという意気込みだけは聞かされたらしい。

 

「なんでも、日本の経済は駄目だとか。今はアメリカンな時代とか……わけわからんことぬかしておったが……」

「何やってんのよ、あの馬鹿……」

 

 これには猫娘も頭を抑えながら天を仰ぐ。

 日本妖怪が大変なこんなときに、呑気に渡米なんざしているその図太さに心底呆れてそれ以上は言葉も出てこない。

 

「ま、まあ……それならそれで、今回の件には関わってはおらんじゃろう。そのうち帰ってくるじゃろし……今は放っておこう」

「そうですね、父さん」

 

 しかし、初めからいないならいないで構わないと。寧ろ、余計な心配や勘繰りをせずに済むと目玉おやじはねずみ男の不在を放置する。

 いずれは日本に逃げ帰って来るだろうと、鬼太郎もさして心配していない。

 

 当たり前だが——誰もねずみ男がアメリカンドリームを掴めるとは考えていなかった。

 

 

 

 

 

 そうして、準備を整えること数時間後。

 いつもであれば妖怪アパートの住人らも寝静まる頃合いだが、今夜ばかりは目を開き、覆面たちの到来を今か今かと待ち構える。

 建物の灯りも消し、異様な静けさの中をただ静かに息を潜めていく。

 

「………来ねぇな」

「………そうだねぇ」

 

 しかし、なかなか姿を見せようとはしない覆面たち。もしや今夜は現れないのかと、待ち疲れた唐傘やろくろ首たちの気が僅かに緩み始めてくる。

 

「……! 鬼太郎、一反木綿から連絡よ」

「……!!」

 

 だがその刹那、猫娘の携帯電話に連絡が入った。

 上空から夜の街並みを見回っていた一反木綿から——『怪しいトラックが二台、妖怪アパートに接近中』とのことだ。

 

「みんな! 気を引き締めてくれ!!」

「ええ、分かってるわ!!」

「お、おうっ!!」

「アタシたちもやるよ!!」

 

 鬼太郎が皆に号令を掛け、それにより緊張感を取り戻していく一同。鬼太郎と猫娘、唐傘、ろくろ首。

 

「ハッ! ハッ!」

「よーし……いつでも来るがいい!!」

 

 さらに、あかなめや砂かけババアも臨戦態勢で身構えていく。

 

 

 

 そうして、とうとう妖怪アパートの前に二台の大型トラックが停車する。

 

『————』『————』『————』『————』『————』

『————』『————』『————』『————』『————』

『————』『————』『————』『————』『————』

 

 あかなめの目撃証言どおり、トラックの荷台からは覆面姿の人間たちが何十人と姿を現した。彼らは統率された軍隊のような動きで、まずは妖怪アパートの周囲を取り囲んでいく。

 住人たちの動きを封じ込めてから、仕事に取りかかろうということだろう。包囲が完了するや、正面玄関からアパート内へと押しかけてきた。

 

「——そこまでだ、髪の毛針!」

 

 だが、既にその動きを予測していた鬼太郎が先制攻撃を仕掛ける。

 敵が建物に侵入してきた直後、髪の毛針を連射。並の相手であればそれで十分に怯ませられ、相手の出鼻を挫くことが出来ただろう。

 

『————』

「なっ! 弾かれた!?」

 

 ところが、覆面たちに髪の毛針は通じなかった。人間が相手だと思い手加減したというのもあるが、それを差し引いても耐えられるような一撃ではなかった筈だが。

 

「にゃああああ!!」

 

 すかさず鬼太郎の失敗をフォローするよう、今度は猫娘が覆面たちにその鋭い爪を振り下ろしていく。

 しかしこちらも大した効果が得られず、逆に猫娘の方が自身の腕を抑える。

 

「痛っ!! 金属音!? こいつら……服の下に鎧かなんか着込んでるわよ!!」

 

 見れば猫娘の爪が欠けてしまっていた。どうやらこの覆面たち、全身が金属の鎧にでも覆われているのか、多少の衝撃ではビクともしない。

 

『————』『————』『————』

 

 鬼太郎たちの突然の奇襲に慌てた様子もなく、反撃とばかりに覆面たちが一斉に動き出す。どこからともなくサーベルやら槍などの武器を取り出し、鬼太郎たちへと襲い掛かってきた。

 

「うわっと!? この野郎、やりやがったな!」

「舐めんじゃないよ!!」

 

 当然ながら、これに妖怪アパートの住人たちも黙ってはいられない。サーベルの斬撃や槍の刺突を華麗に躱し、相手の隙を逃さず反撃に打って出る。

 

 

 開戦の火蓋は切って落とされ——アパート内が一気に混沌とした戦場へと化していく。

 

 

 

×

 

 

 

「くっ……この!!」

「大丈夫か、猫娘!?」

 

 狭い建物内での混戦、鬼太郎と猫娘は背中合わせに覆面たちを迎え撃つ。

 当初こそ、相手が鎧で身を固めている厄介さに眉を顰めたが、覆面たち一人一人の実力はそこまで大したものではなかった。純粋な接近戦であれば十分にいなせると、向かってくる相手から順々に倒していく。

 

「しぶといわね……鬼太郎!! こいつら……本当に妖怪じゃないのよね!?」

 

 だが時間が経過していくにつれ、徐々に鬼太郎も猫娘も敵の勢いに押されていく。

 鎧で身を固めている相手に、鬼太郎たちはそれなりに強い打撃を繰り出していた。その衝撃は内部へと伝わり、いかに鎧で守っていようとそう簡単に起き上がれるようなダメージではない筈。

 

『————』『————』『————』

 

 ところが覆面たちは一向に怯まない。倒れてもすぐに起き上がり、再び武器を手に襲い掛かってくる。

 その不屈さ、もしや彼らも妖怪なのではと。猫娘は加減を忘れそうになってしまう。

 

「ああ、それは間違いない……間違いないけど……!!」

 

 それでも妖気の類は全く感じ取れない。妖怪アンテナが反応を示さないことからも、それは確かだ。

 しかしおかしいと、鬼太郎も訝しがる。確かに妖怪ではないが——そもそも動きそのものに、生き物特有の呼吸や生気を感じ取れない。

 まるでロボットのように、与えられた命令だけを実行しようとひたすら向かってくる。このままでは相手の勢いに呑まれ、為す術もなく連中の手に捕まってしまうだろう。

 

「うぅぅ!? うぅぅ!!」

「あかなめっ!?」

 

 その懸念は、すぐに現実のものとなってしまった。

 妖怪の一人、あかなめが覆面たちの手に落ちてしまう。ロープでぐるぐる巻きにされ、そのまま外へと連れて行かれていく。

 

「行かせない! リモコン下駄!!」

 

 すぐにあかなめを救おうと、鬼太郎はリモコン下駄を全力で放つ。アパート内を埋め尽くすように並んでいた覆面たちが、その一撃でドミノ倒しのように倒れて道は開かれた。

 

 鬼太郎たちは急いであかなめの後を追い、アパートの外へと飛び出していく。

 

 

 

「——うぅうう!! うぅううう!!」

「あかなめ!! やばいぞ、このままじゃ連れて行かれちまう!!」

 

 アパートから出た瞬間、あかなめがトラックの荷台に放り込まれようとしている光景が鬼太郎や唐傘たちの視界に飛び込んくる。なんとか阻止しなければならないのだが、鬼太郎たちのいるところからでは間に合わない。

 このままでは、またも罪なき妖怪が一人。彼らの魔の手に落ちてしまう——。

 

「——わしに任せい!! おんぎゃ!! おんぎゃ!!」

 

 だがそうはさせまいと、そこで助っ人参上。

 騒ぎを聞きつけた子泣き爺が現れ、トラックの上から飛び降りて来たのだ。泣き声と同時に石になった彼が、あかなめを連れ去ろうとした覆面たちを全力で押し潰す。

 あかなめもロープの束縛から逃れ、間一髪で逃げ出すことに成功した。

 

『————!』

 

 鎧を着込んでいようとも、子泣き爺の重さには耐えきれないだろう。次の瞬間、押し潰された覆面が——煙を上げながら炎上する。

 

「なっ!? 爆発した? まさか……霊毛ちゃんちゃんこ!!」

 

 人間ではあり得ない破壊音に目を見開く鬼太郎。試しにすぐ近くにいた覆面の一体に、全力で拳を叩き込んでみる。

 

『————!!』

 

 加減のない一撃で粉々に吹っ飛ぶ覆面。その服の下から現れたのは——剥き出しの機械ボディだ。

 まるでではない、相手は正真正銘——機械仕掛けのロボットだったのである。

 

「き、機械じゃと!? よーし……みんな、手加減は無用じゃ! 全力でぶっ飛ばしてやれ!!」

 

 相手の正体が判明するや、目玉おやじが皆に向かって叫ぶ。

 人間と余計な揉め事を起こさないことを考慮し、ある程度の加減を強いられていた鬼太郎たちだが、相手が機械であれば話は別だ。

 心を持たないマシーンに遠慮など不要と。これまでセーブしていた力を、全力で発揮するよう指示を出していく。

 

「にゃあああ!!」

「それっ! 火炎砂じゃ!!」

 

 遠慮が必要なくなった途端、すぐに猫娘が本気の斬撃で覆面ロボットを真っ二つに切り裂き、砂かけババアが火炎砂でまとめて敵を燃やし尽くしていく。

 一気に形成は逆転。謎の覆面集団改め——謎のロボット軍団がみるみるうちにその戦力を減らしていく。

 

「よーし、これなら……!?」

 

 ロボットの正体に関して新たな疑問が生まれたものの、この場はなんとか乗り切れそうだと鬼太郎は安堵しかける。

 だが、ここでさらに予想もつかない襲撃者が姿を現していく。

 

 

「——おいおい! 何を手こずってやがる……このロボットポンコッツめ!!」

「——どけっ!! 俺たちがぶっ潰してやらぁ!!」

 

 

 碌に言葉も話さなかった人型ロボットたちを押し退け、何者かがトラックの荷台から降りてくる。

 その影は二つ。一見すると人のようでもあったが——そのシルエットは明らかに普通の人間とは異なるものだった。

 闇夜に輝く月明かりの光が、そのものたちの姿を白日の元へと晒していく。

 

「なっ! 何よ……こいつら!?」

「サイに……!? ぶ、ブタ人間!?」

 

 そいつらの風貌を一言で表すのであれば——まさにその表現こそが相応しかった。

 サイのようだとか、ブタのようだとか。そんな比喩表現ではない。まさに『サイとブタが人の形を取ったモンスター』。

 そんな正体不明の化け物が、鬼太郎たちの目の前に姿を現したのだ。

 

「誰がブタだ、コラッ!! 俺はイボイノシシだ、ブヒッ!!」

 

 するとサングラスにモヒカン頭、鼻輪を付けたブタ人間から抗議の声が上がる。自分はイノシシだと、鬼太郎たちに文句を付けてきた。人語を理解し、反論する程度の頭脳は持ち合わせている様子。

 

「お前ら、大人しくしやがれ!! 怪我をしたくなかったらな!!」

 

 さらに、頭に帽子とゴーグルを付けたサイ人間も唸り声を上げる。

 彼らが覆面たちを従えているのなら、当然目的は妖怪たちの身柄だろう。大人しく自分たちに連れ去られろと、乱暴な物言いで鬼太郎たちに降伏を促す。

 

「お前たち、何者……いったい、どこの妖怪じゃ!?」

 

 そんな彼らに向かい、目玉おやじは困惑しきった表情で声を上げる。

 サイ人間とイノシシ人間。妖怪に関する知識が豊富な目玉おやじですら、彼らがどのような妖怪に該当するのか分からない。

 もしかしたら海外の、それこそ西洋妖怪や中国妖怪である可能性を考慮し、相手の素性を見定めようとする。

 

「ようかい……だと? けっ! 俺たちをお前らみたいなバケモンと一緒にすんじゃねぇぜ!!」

 

 するとサイ人間、目玉おやじの問い掛けに逆上するように声を荒げていく。

 

「俺たちはミュータントだ!! お前らみたいなひ弱な生物なんか、目じゃねぇぜ!!」

 

 続けてイノシシ人間も、自分たちが妖怪などとは違う。全く別種の存在——ミュータントだと口走る。

 

「みゅ……みゅーたんと……!? こいつら、妖気が……ない?」

 

 実際、人間離れした見た目にも関わらず、彼らからは妖気のよの字も感じられなかった。彼らの口にした『ミュータント』という単語も、鬼太郎は理解できずにいる。

 

「いくぜ、オラッ!!」

「フガッ!! フガガッ!!」

 

 しかし混乱する鬼太郎たちにもお構いなしに、堪え性のないサイ人間やイノシシ人間は攻撃を仕掛けてくる。

 サイ人間はその角で突き上げるような突進攻撃を。イノシシ人間はその剛腕で近くにあった自動車をぶん投げようと持ち上げる。

 

「くっ……! こいつ、凄い力だ!?」

 

 サイ人間の突進を、鬼太郎はちゃんちゃんこを巻いた腕で受け止めた。まさにサイを思わせるその力強さに、鬼太郎の小さな体が徐々に押されていく。

 

「けど……これならどうだっ!?」

「な、なに!? うわっと!!」

 

 もっとも、単純な力比べで挑む必要はない。

 鬼太郎は角の先端から掛かってくる力を僅かに逸らすことで、サイ人間の攻撃を軽く受け流す。闘牛士が興奮する牛をやり過ごすように、サイ人間はぶつかる対象を失って地べたへと転がっていく。

 

「それっ、目潰しじゃ!!」

「フガッ!? ま、前が……見えねぇ!!」

 

 イノシシ人間の方も、砂かけババアが目潰しの砂を振りかけてやることで視界を封じられ、自動車をあさっての方角へと投げ飛ばす。

 それにより、自動車の下敷きになったのは覆面のロボットたちだった。思いがけない形で味方を潰してしまい、自軍の戦力を減らしていく。

 

「ふ~ん……力はそれなりにあるみたいだけど……オツムの方は大したことなさそうね、アンタたち!!」

 

 見た目よりも呆気ない敵の醜態に、猫娘は余裕の笑みを浮かべる。確かに腕力などの腕っ節には目を見張るものがあるが、頭を使った戦い方が苦手なのか。搦手で攻めると呆気なく崩れる。

 第一印象の外見にインパクトがあっただけに、その落差に肩の力が抜けるというものだ。

 

「お前たち、何が目的でこんなことをしてるんだ? 洗いざらい吐いてもらうぞ!」

 

 サイ人間たちを負かしたことで、鬼太郎は彼らに問いを投げ掛ける。

 何故彼らが妖怪たちを誘拐しているのか。連れ去られたものたちが何処へ行ったのかも、彼らなら知っている筈だ。その目的と正体、全てを話してもらうと詰め寄っていく。

 

「へっ! もう勝った気になってんのか? 調子に乗んなよ!」 

「まだまだ……勝負はこれからだぜぇ!!」

 

 しかし、サイ人間もイノシシ人間もそう簡単に負けを認めない。頑強さも相当なものなのか、平然と立ち上がり——懐から新たな得物を取り出していく。

 

「——こいつで蜂の巣にしてやるぜ……覚悟しなッ!!」

「——銃っ!?」

 

 彼らが突きつけてきたのは銃。しかも見るからに普通の拳銃などではない。銃口から発射されたものも鉛玉などではなく、赤く輝く光線——所謂レーザーのようなものだった。

 

「ちょっ!? 危ないわね!!」

「皆、避けるんじゃ!!」

 

 これには猫娘も砂かけババアも面食らう。

 あんな頭の悪そうな連中が、いきなりあのようなハイテク装備を持ち出してきたのだ。驚くなという方が無理な話だろう。

 

「ホレッ、ボサッとすんじゃねぇ!! オメェらも加勢しやがれってんだ!!」

『————』『————』『————』

 

 さらにイノシシ人間が号令を掛けることで、覆面ロボットたちもそれぞれ光線銃を取り出す。

 数十もの銃口が一斉に火を噴いた。その銃撃の全てを躱すのは、いかに鬼太郎たちでも至難の業だっただろう。

 

「——ぬりかべ!!」

 

 だが、ここでぬりかべが地中から姿を現す。その大きな体で仲間たちを銃撃から守ってくれる。

 

「うおおお!?」

「危ないね、一時退散だよ!!」

「ハッ!! ハッ!?」

 

 ぬりかべが敵の攻撃を防いでくれている間にも、唐傘やろくろ首、あかなめなどの妖怪たちがアパート内へと逃げ込み、戦線を離脱していった。

 

 

 

 

 

「本当になんなのよ、あの連中!!」

 

 ぬりかべの影に隠れて銃撃をやり過ごしながら、猫娘は相手の素性の不可解さに頭を混乱させていた。

 覆面のロボット軍団に、妖気のない動物人間。さらにはハイテクな光線銃と、自分たちの常識とかけ離れた情報が怒涛の勢いで押し寄せてくる。

 相手が何者なのか、彼女では推測することも出来ない。

 

「どうするんじゃ、鬼太郎?」

「このままじゃ、ジリ貧じゃぞ!」

 

 しかしそういった敵の素性も今は後回しだ。砂かけババアや、合流した子泣き爺がこのままでは反撃もままならない。ぬりかべの耐久力にも限界があると、鬼太郎にここからどうするかを尋ねた。

 

「……ボクが合図を出す。そしたら……みんなで一斉に飛び掛かってくれ!」

 

 鬼太郎は素早く作戦を立てた。

 相手の光線銃に、自身も指鉄砲で対抗しようと指先に妖力を集中。さらに自分の攻撃の後に続くよう、仲間たちに指示を出していく。

 

「うむ、心得た!」

 

 これに砂かけババアが返事をし、他の仲間たちも黙って頷く。あとはタイミングを計るだけと、チャンスを窺っていく。

 

「よし……今っ!?」

 

 そして好機が訪れたと、鬼太郎が指鉄砲を放とうとした。その刹那——。

 

 

 突如——道路上に設置されていたマンホールの蓋が、空気圧に押し出されるように勢いよく噴出した。

 

 

「な、なんだぁ!?」

「マンホールが……ああん?」

 

 天高く宙を舞うその蓋に皆の視線が釘付けになった——その隙を突くかのように、下水道から『何者』かが飛び出してくる。

 

 

 その影の数は——四つ。

 彼らは暗闇の中を素早く駆け抜け——覆面のロボット軍団へと奇襲を仕掛ける。

 

 

「——そらっ!! これでもくらえっ!!」

 

 影の内の一人が、長い木の棒でロボットのドタマをかち割る。粉砕された頭から煙を噴き上げ、ロボットがその機能を停止していく。

 

「——いくぜぇ……タートルパワー!!」

 

 もう一人はヌンチャクを器用に操り、相手の足を掬い上げる。転んだロボットに向かって、さらに真上からトドメの一撃を振り下ろす。

 

「——それっ! 御用だ!!」

 

 次に(サイ)——十手のような刃物を持った影が敵の肩関節を指し貫く。急所を穿たれ、満足に武器を持つことも出来ずにその場に蹲るロボット。

 

「——冷たい刃の味はどうだ!!」

 

 そして最後の一人、二刀流の刀が覆面たちを粉微塵に切り裂く。瞬きする間もない鋭い斬撃に、ロボットたちが為す術もなくスクラップと化していく。

 

 

 マンホールから現れた謎の四人組の手により、ロボット軍団が悉く叩き潰されていった。

 

 

「なんじゃ!? いったい、何が起きてるんじゃ!?」

「わ、分かりません、父さん。敵ではないようですが……緑の人影!?」

 

 何者かの介入に目を丸くする目玉おやじ。妖怪である鬼太郎の夜目でも、素早いその影を捉えることが出来ない。

 かろうじて、緑色の何かが動き回っていることだけは視認出来るが——。

 

「こ、こいつら……ま、まさかッ!?」

 

 味方が次々と倒されていく光景にイノシシ人間が目を見張る。その緑色の影に心当たりでもあるのか、明らかな動揺をその顔に浮かべていた。

 

「ロックステディ! 一時退却だ!! こいつらのこと……ボスに報告するんだ!!」

「ま、待て……待ってくれよ、ビーバップ!!」

 

 サイ人間・ロックステディと呼ばれた怪物が、イノシシ人間・ビーパップと共に逃げ出す。

 残っていた覆面ロボットたちも、次々とトラックの荷台へと乗り込んでいき、修羅場と化した現場から離脱していく。

 

 

 

 

 

「——逃げたか……どうする、リーダー? 後を追うか?」

 

 敵集団を撃退した緑色の影たちが仲間同士で話し合う。逃げ去っていくトラックを追いかけるかどうか、相談しているようだが。

 

「いや……深追いはよしておこう。それよりも……今はこちらさんの被害状況を確認する方が先だ」

 

 リーダーと呼ばれた影は冷静に状況を判断し、トラックを追うよりもまずはこちらに——妖怪アパートに被害がなかったかを気に掛けてくれる。

 

「ハロー! ジャパニーズの皆さん! 怪我はなかったかい?」 

 

 日本妖怪のことを敵とは認識していないのか、実にフレンドリーに声を掛けてきた。

 

「え、ええ……大丈夫です。あの……あなたたちは、いったい?」

 

 彼らの活躍もあってか、今回は目立った被害もない。アパートに多少の損害こそあれど、連れ去られた妖怪は一人もいなかった。

 そのことに安堵しつつも、鬼太郎は近づいてくる緑の影たちへの用心を解いてはいなかった。彼らが何者なのか、その正体が明らかになるまで油断は出来ないと身構える。

 

「俺たちかい? 俺たちは……こういうものさ!!」 

 

 鬼太郎の警戒心を彼らも察したのか。自分たちが敵ではないことを証明するよう、各々の武器を引っ込めながら彼らは近づいてくる。

 

 

 顕になる四つの影。その正体は——全身が緑色の、甲羅を背負った人型の何かだった。

 

 

「アンタたち……もしかして、河童?」

 

 彼らのビジュアルを前に、猫娘は真っ先に河童を連想する。

 妖怪である彼女からすれば、そちらの方が馴染みやすい。寧ろ、河童であってくれという願望を込めてその名を呟く。

 

「かっぱ? かっぱ……ああ、河童ね! 知ってる! 尻子玉を引っこ抜くっていうあれだろ!?」

「おいおい、よしてくれよ! 俺たちのどこが河童だって? 頭に皿なんか乗せてないだろ? 頭の上に皿を乗せたまま一生を送るなんて、そんな人生真っ平ごめんだね!!」

 

 しかし、彼ら自身の口から河童であることは否定された。河童に割と失礼なことを口にしながら、彼らは仲間内で言葉を交わし合う。

 

「そうかな? 道行く人たちがその皿にピザを乗せてくれるってんなら……へへ! 俺は別に構わないけど!」

「ミケランジェロ、河童になったらキュウリしか食べられないぞ? それでもいいのか?」

「!! 何てこったい……そんなことになったら、何を楽しみに生きていけばいいんだよ、ラファエロ?」

「お前、食べること以外に考えられないのか? 今はそれどころじゃないだろ!」

 

 

「…………何なのよ、こいつら……」

 

 あっという間にロボットたちを倒した必殺仕事人のような活躍とは裏腹に、随分とお喋りな緑色の彼ら。軽快なトークに猫娘は口を挟むことができず、ちょっぴりたじろいでいる。

 

「お前たち、ちょっと静かにしててくれ! このままじゃ話が進まない……済まないね、お喋りな連中で……」

 

 すると、比較的まともそうな一人が仲間たちを黙らせる。どうやら彼がリーダーのようだ。そのリーダーに向かい、鬼太郎は改めて彼らが何者なのか問いを投げ掛ける。

 

「あなたたちは……妖怪ではないようですが……」

 

 そう、見るからに人間ではない緑のものたちだが、やはり彼らからも妖気を全く感じ取れない。

 あのサイやイノシシたち同様。鬼太郎の理解を越える存在であることは確かだろう。

 

 そんな鬼太郎の疑念に、リーダーであるそのものが代表して答えていく。

 

「その通り! 俺たちは妖怪じゃない。ミュータント……言うなれば、突然変異種ってやつさ!」

「ミュータント……?」

 

 先ほどのサイやイノシシたちも、そのような言葉を口走っていたことを鬼太郎は思い出す。

 ミュータント——すなわち、突然変異種。

 

 彼らは自分たちが『何』の突然変異種なのか。

 

 自分たちの『呼び名』を声高らかに叫んでいく。

 

 

「——人呼んで……ミュータント・ニンジャ・タートルズさ!!」

 

 

 




人物紹介

 謎の覆面ロボット・フットソルジャー
  敵組織の量産型人型兵士。仮面ライダーでいう、ショッカーの戦闘員みたいなもん。
  彼らが着ている衣装って、一応は忍び装束らしい。
  
 サイ人間・ロックステディ 
  バカ一号。  
  元々は人間だったが、二話にしてサイのミュータントになった。
  力はそれなりにあるのだが、その力を扱いきれるだけの賢さがない。
  文字も満足に読めないらしく、作中でも一番のおバカさん。

 イノシシ人間・ビーバップ
  バカ二号。
  相棒のロックステディと同じ経由でイノシシのミュータントになった。
  驚くことに、地上波版の吹き替えが三木さん。
  つまり、ロックオン・ストラトスが「ブヒブヒ!」言ってるってこと。
  
 唐傘、ろくろ首、あかなめ
  ゲゲゲの鬼太郎6期・23話『妖怪アパート秘話』で登場した妖怪たち。
  50年以上もの間、妖怪アパートに住み着いている主なメンバー。
  唐傘は初登場の後も、71話『唐傘の傘わずらい』で個別話があった。
  ろくろ首が何気に美人。あかなめは……可愛いか、これ?
  
 いそがし
  ゲゲゲの鬼太郎6期・9話『河童の働き方改革』にて登場。
  最初こいつを知ったとき「鬼太郎のオリジナル妖怪か?」と思ったけど。
  実際の絵巻に名前と絵が残されている、歴史ある妖怪。
  昔の人、何を思ってこのような妖怪を描いたのだろう?
  今回では囚われのヒロイン枠……やめて、乱暴しないで!!

 
 主役の四人と、例の鉄仮面は次回に本格登場。お楽しみに!!

  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ミュータントタートルズ 其の②

今年も始まりましたね、FGOのハロウィンイベント。
今回はチェイテ城と梁山泊との組み合わせ。チェイテピラミッド姫路城を経験した熟練マスターであれば、別に驚く必要はない……これがハロウィンだ!
本イベントで実装された、呼延灼ちゃん。最初見た時はクール系かと思いましたが、まさかの承認欲求モンスター!
しかし不覚にも共感してしまう部分もある。自分だって、もっともっと小説を読んでもらいたい!
お気に入り数を増やしたい!! 評価値を上げたい!!
褒めてくれる感想……いつでも待ってますから!!!!

さて、肝心の本編……タートルズの中盤です。今話からタートルズのキャラがガッツリ出てきますが、一点だけ注意。
前回も少しお話したと思いますが……旧亀は吹き替えの違いによって、メインキャラに性格の差異が結構出る作品でもあります。
自分はビデオ版をメインにキャラクターを立てていますので、地上波版に慣れている方には違和感を感じる人もいるかも知れません。
一応、後書きの方でキャラクターの性格などそれぞれの紹介はしていきますので、どうかご容赦ください。

余談ですが……夕方の地上波で放送していたタートルズの後番組って『新世紀エヴァンゲリオン』らしいですよ?
当時のちびっ子たちは、この落差をどのように受け入れていたのだろうか……。




 深夜、零時過ぎ。

 謎の覆面ロボット集団を退け、一時の静寂を取り戻した妖怪アパート。当面の危機が去ったということもあり、唐傘やろくろ首。あかなめといった住人たちは自室に戻って体を休めている。

 日頃から戦い慣れていない彼らでは、これ以上の連戦はキツいだろう。ここから先は鬼太郎たちといつものメンバー。

 

 そして——彼ら緑の四人組で立ち回っていくこととなる。

 

「ほれ、お茶じゃ。冷めんうちにどうぞ……」

「あっ、これはどうも!」

 

 大家である砂かけババアは、妖怪アパートの自室にその四人組を招き入れてお茶を淹れてやった。

 四人のうちの一人……いや、一匹と呼ぶべきか。リーダーと思しき個体が礼儀正しく頭を下げていくが——。

 

「ねぇねぇ!! ◯◯ハットでデリバリーピザ頼んでいい!? 俺腹減っちまったよ!」

「これ◯◯映んないの? 俺日本のアニメ見たいんだけど……」

「おい、見てみろよ、この冷蔵庫!! 旧式だけど◯◯ソニック製だ! やっぱ日本の技術は進んでるよな!」

 

 他の三匹はまるで落ち着きがなく、好き勝手に室内をいじくり回している。

 受話器を片手に出前を頼もうとしたり、座敷に寝っ転がってテレビを観ようとしたり、冷蔵庫の中身を物色したりと。割とやりたい放題である。

 

「ほんと……なんなのよこいつら……」

「…………」

 

 初めて訪れた人ん家でここまで遠慮なく振る舞える彼らの図太さに猫娘は呆れ返り、鬼太郎は言葉すら出てこない。

 

「流石にこの時間帯に出前は無理じゃが……冷凍ピザならあるぞ、食うか?」

 

 もっとも、部屋の主である砂かけババアは特に気にした様子もなく。緑の彼らのヤンチャを軽く受け流す懐の広さを見せる。深夜であるためデリバリーピザは注文できないが、冷凍ピザなら用意できると彼らの要望を一部叶えてもやる。

 

「うわっ!! マジ!? やったぜ、ピッザタイムダ!!」

「コーンフレークかけてもいい? ないなら……ピーナッツバターかホイップクリームでもいいんだけど!!」

 

 砂かけババアから許可を得たことで、緑の彼らは水を得た魚のようにはしゃぎ始める。冷凍庫からピザを取り出し、さらにトッピングで自分好みにピザを彩っていく。

 

「おい、お前たち!! せっかく日本に来たんだから……もっと健康的なものかけろ!! 俺、しらすと梅干しなっ!!」

 

 これには先ほどまで落ち着いていたリーダー格の彼も慌てて仲間たちの元へと駆け寄り、一緒になってピザを堪能していく。

 

 

 

「ご馳走様でした! いや~、日本の冷凍ピザも大したもんだよ!!」

「ほんとほんと!! サイズはちっとばかし小さいけど……」

「おい! せっかくご馳走になったんだ、文句言うなって!!」

「……とっ! ほんと、すいません! 話の腰を折っちゃって……」

 

 そうして、ピザを美味そうに平らげたことでようやく落ち着きを取り戻していく、緑の四人組。

 今度はきちんと全員で鬼太郎たちと向かい合い、リーダー格の一匹が代表して口を開いていく。

 

「俺たちはミュータント・ニンジャ・タートルズ! ……って、それはさっきも名乗った、ははは!!」

「……ニンジャ? いえ……タートルということは……あなた方は……亀ということでしょうか?」

 

 初対面のときも名乗った『ミュータント・ニンジャ・タートルズ』という肩書きから、鬼太郎は相手の正体の一部を察する。未だにミュータントという言葉を完全に呑み込めてはいないが、ニンジャやタートルという言葉の意味なら流石に知っている。

 

 ニンジャとは、即ち——忍びのことを指す。

 タートルとは即ち——亀のことを指す。

 

 つまり彼らは——亀の忍者!!

 色々とおかしい字面だが、とりあえずそういう意味合いで己を納得させていく鬼太郎。

 

「そのとおり! 俺はリーダーのレオナルドだ、よろしくな!!」

 

 その解釈は間違いではなかったようで、亀忍者の筆頭・レオナルドが意気揚々と頷く。

 

 全身が緑色に甲羅を背負ったその姿は、パッと見では四匹とも同じ亀に見えるのだが——彼らはそれぞれが異なる色付きのバンダナを鉢巻のように目元に巻いている。

 レオナルドは青い鉢巻、背中には二本の剣を背負っている。リーダーらしくしっかりと落ち着き払った性格のようだ。

 

「そんで……こっちがドナテロ。棒術の達人にして、チームのブレインだ!」

「どうも! よろしくね、日本の皆さん」

 

 さらにレオナルドは他の亀たちの紹介も行っていく。

 紫色の鉢巻に木の棒を背負ったのがドナテロという亀だ。真面目で穏やかそうな口調。ブレインというだけあってか、どこか知性を感じさせるような佇まいでもある。

 

「こっちの彼がラファエロ、釵使いの名人で——」

「妖怪か。改めて見てみると……やっぱり変な生き物だね、おたくら」

「……ちょっぴり皮肉屋だけど、あまり気にしないでくれ、はははっ……」

 

 赤い鉢巻に、釵という十手のような刃物を器用に手の中で弄んでいるのがラファエロだ。自分たちが亀であることを棚に上げ、妖怪である鬼太郎たちに奇異な視線を向ける。

 彼の発言や態度に、慌てて弁明を入れるレオナルドが乾いた笑みを浮かべしまう。

 

「そして——」

「そしてこの俺がミケランジェロ!! タートルズで一番の……ピザ回しの名手で~す!!」

 

 レオナルドの言葉に割り込み、自分で自己紹介をしていくのがミケランジェロだ。

 橙色の鉢巻、ヌンチャクを器用に振り回す技能こそ見事なものだが、いかんせんかなり騒々しい。深夜帯で静かにしなければ近所迷惑にもなるというのに、今も調子良くはしゃぎ回っている。

 

「おい、ミケランジェロ。その辺にしとけって……」

「お前が喋り出すと話が進まないんだよ」

 

 これには他の仲間からも大人しくしているように釘を刺される。どうやらメンバー内でも特にミケランジェロが騒がしいというのが共有認識らしい。

 

「まっ、そういうわけで……俺たち四人でタートルズ! ニューヨークの正義と平和を守る、ミュータントヒーローさ!!」

 

 途中で話が脱線したりもしたが、とりあえず四人の通称。それぞれの呼び名の紹介まで無事に終え、レオナルドは茶を啜りながら一息ついていく。

 

 

 

「ニューヨーク? って、アンタたちアメリカから来たの!? 何だってそんなところから……わざわざ日本に?」

 

 相手の自己紹介から、猫娘は彼らの出自が某大国であることを知って首を傾げる。

 米国と日本は確かに友好関係にある国家同士ではあるが、彼らのような存在がわざわざ日本に、それもどうやって来たというのだろう。

 まさか観光というわけではあるまい。彼らがこの国を訪れた、そもそもの目的は何なのか問い掛ける。

 

「俺たちは連中を……フット団を追ってきたのさ! あいつらがこの国で悪さをしてるって情報を掴んだんだ!!」

「そうそう……まあ、ネットの動画でチラッと見かけただけなんだけど、あれは間違いなくフット団の連中だったよね、へへ!」

 

 レオナルドは情報を掴んだと。何だかそれっぽいことを格好つけて口にしているが、情報の出どころ自体はインターネットからだ。

 

 通行人が目撃し、撮影したとされる『犯罪の決定的瞬間!』と銘打たれた動画タイトル。ネットサーフィンをしていて、たまたまその動画を見つけたミケランジェロが自慢げな笑みを浮かべる。

 常識外れな存在であるタートルズだが、一般的なネット知識は保有しているらしい。これに関しては日本妖怪だって、スマホやパソコンを使いこなしているのだから、そこまで驚くべきことではない。

 これも時代の流れというやつだ。

 

「フット団……それがあの覆面集団。あんなロボットたちを使って妖怪たちを誘拐している……犯罪組織の名前でしょうか?」

 

 総理代理に忠告された『犯罪組織』というワードを頭に入れながら、鬼太郎は襲撃してきたフット団なるものたちのことを思い浮かベる。

 覆面のロボット軍団に、サイ人間とイノシシ人間の二人組。彼らが妖怪たちを何処ぞへと連れ去り、さらにはあちこちで窃盗や強盗などの犯罪を繰り返している。

 妖怪にとっても、普通に生きる一般人にとっても彼らの存在が迷惑極まりないことは確実だろう。

 

「そのとおり。ちなみに……あのサイはロックステディ。イノシシの方はビーバップ」

「どっちもお間抜けさんでよ、あいつらだけなら大したこともないんだけど……」

 

 ドナテロからは先ほどのサイとイノシシの名前を教えてもらい、ラフェエロが彼らの脅威がそれほどではないことを付け加える。

 鬼太郎たちもあれらと戦ってみて、パワーこそ大したものだったがそれを活用するほどの賢さがないと感じた。動きも読みやすく、攻撃も単調。あの光線銃は少し厄介かもしれないが、それも間合いさえ詰めれば特に問題にはならない。

 あの二人とロボット軍団だけであれば、鬼太郎たちだけでも対処は簡単だろう。しかし——。

 

「問題はシュレッダーだ! あの二人が来ていて……あの悪党が来ていないわけがない!!」

「ああ! あの鉄仮面といったら、本当に性格が悪いんだから!!」

 

 もう一人。タートルズが追っているフット団には、彼らを指揮する『親玉』がいるという。

 奴こそが、日本妖怪たちを連れ去るようにロボットたちに指示を下している黒幕であると。

 

 

 タートルズはその名を、ウンザリするように吐き捨てていく。

 

 

 

×

 

 

 

「——それでノコノコ戻ってきたってのか……このバァカモン共が!!」

 

 巨大なコンピュータールーム。

 何に使用されるかも分からないハイテク機器の数々を背にしながら、深く椅子に腰掛ける男が一人。仕事をしくじった部下たちに、苛立ち混じりの怒声を浴びせていた。

 男は鉄の兜に鉄の仮面でその表情を覆っていたが、大変お怒りであることはしっかりと伝わってくる。

 

「す、すみません……ボス!!」

「ふ、フガフガッ!!」

 

 そのお叱りに、サイとイノシシ——ロックステディとビーバップの二人がすっかり縮こまっている。覆面ロボットたちを従えていた二人だが、この男はさらに上の立場にいるようだ。

 

 それもその筈。この男こそが、フット団を指揮する司令官——鉄仮面・シュレッダーその人。

 タートルズ、永遠の宿敵である。

 

「で、ですけど、ボス! タートルズの奴らがこっちに来ていることを、いち早く伝えようと思いまして……」

「そうそう、戦略的撤退ってやつですぜ!」

 

 彼らは任務の失敗をタートルズの出現。それをシュレッダーに迅速に伝えようとした、やむを得ないものだと弁明する。

 緑の亀たちと幾度となく熾烈な戦いを繰り広げてきた彼らといえども、まさかこの日本にまで連中が自分たちの邪魔をしに来るとは思ってもみなかったのだ。

 

「言い訳ぬかすなバカモン共が!! それならそれで、妖怪の一匹や二匹でも連れ帰ってこんか!! 手ぶらで帰還しおって、このノロマどもが!!」

 

 しかし、そのような言い訳で納得するような御仁ではない。タートルズの出現はそれとして、シュレッダーは何一つ成果を上げられなかったロックステディたちに辛辣な言葉を吐き捨てていく。

 せめて当初の予定どおり、妖怪の一匹でも連れ帰ればここまで怒ることもなかっただろうに。

 

「ええい! それにしても忌々しい!!」

 

 シュレッダーはさらに怒りを拗らせ、精密機械だろうがお構いなしにその豪腕を叩きつけていく。

 

 

「——まさか古巣の日本に戻ってまで、奴らの妨害を受けることになるとは……吉浜武の亀どもめが!!」

 

 

 

 

 

「——吉浜武?」

 

 奇しくも、シュレッダーがその人物への怒りをぶちまけていた頃、タートルズたちの口からもその名が呟かれた。

 

「そうさな……俺たちタートルズとシュレッダーとの因縁を語るには、まずは彼について話しとく必要がある……しらんけど!」

 

 レオナルドがそのような考えに至ったのは、ゲゲゲの鬼太郎たちの疑問が未だに尽きなかったからだ。

 自分たちミュータントタートルズが、シュレッダー率いるフット団と敵対していることは鬼太郎たちも理解してくれた。

 

 しかし、そもそもフット団とは何か?

 シュレッダーとは何者なのか?

 ミュータントとは、いったい何なのか?

  

 フット団の蛮行を阻止するためにも、鬼太郎たちは敵についてある程度知っておく必要がある。また鬼太郎たちがタートルズと連携を取り合うため、その存在が何なのかはっきりさせておくのもいいだろう。

 まだ『時間はある』。次のアクションを起こす前に、可能な限り互いに情報の整理をしておきたい。

 

 

 レオナルドは熟考の末——まずは『吉浜武(よしはまたけし)』なる人物について語っていくことにした。

 

 

「吉浜武は日本に存在していた、とある忍び集団に所属する男だった。忍びの流派はフット流。吉浜はそこで弟子たちに忍びの技術を教える指導者の立場にいたんだ」

「フット流、それは……もしや?」

 

 その話、忍びの流派『フット流』なる名称に鬼太郎は眉を顰めた。今現在、巷で暗躍している犯罪組織の名前が『フット団』だ。この類似、ただの偶然ではないだろう。

 

「そう、お察しのとおり。そのフット流ってのが後々のフット団。悪の犯罪組織に落ちぶれちまった……忍び集団の成れの果てさ」

 

 やはりというか、ラファエロが鬼太郎の疑惑を肯定してくれた。フット流という忍者集団こそが今のフット団なのだと。

 問題は——何故そのように歴史ある忍びたちが犯罪集団に落ちぶれてしまったかということだが。

 

「フット流を今のような犯罪組織に貶めたのは、沢木小禄という男だ。奴はフット流を我が物とするため、師であった吉浜武を狡猾な罠に陥れた。忍びの指導者の座から、吉浜を払い落としたんだ!」

「——!」

 

 ここで登場するのが、沢木小禄(さわきおろく)という男。

 彼はフット流の実権を握るため、邪魔者である吉浜武を罠に嵌めたという。二人は師弟の間柄であったが、師匠である吉浜は弟子である沢木の策略により、謀反の罪をでっち上げられた。

 掟に厳しい忍びたちは、吉浜武に『国外追放』という非常に重い罰を与え、彼を日本から追い出したのだ。

 

「国を追われた吉浜武は各地を流れに流れて……最終的にはニューヨークへと辿り着いた。金もなく一文なしだった彼は、そのまま下水道で暮らすことになった」

 

 忍びの技術を以ってすれば、手段さえ厭わなければ金銭を得ることは出来たかもしれない。しかし忍びの里で生まれ育った彼の矜持が、自分の利益のためだけに忍者の技を行使させることを躊躇わせた。

 彼はニューヨークの地で、その生涯を終える覚悟を決めたのだ。

 

「けれど吉浜も全くの孤独というわけではなかった。下水道にはねずみたちが住み着いていて、彼らは吉浜にとっての良き友人だった」

「ね、ねずみ……」

 

 ねずみが友達と聞き、猫娘が複雑な表情になる。

 そういえば、今はねずみ男がニューヨークへ旅立っていたが……そこはいずれ触れよう。

 

 ここで大事なのは——吉浜武が『特にねずみと仲が良かった』という部分であり。

 

「それから……近所の子供が誤って下水道に流してしまった、四匹の亀たちとも彼は友達だった」

 

 他に四匹の亀——ミドリガメの友達がいたということ。それも重要だという。

 

「……四匹の亀? まさか……」

 

 四匹の亀と言われ、鬼太郎は眼前のタートルズたちへと目を向ける。彼らもちょうど四匹、この一致はやはり偶然ではないだろう。

 

 

「——そんなある日のことだ。吉浜武と亀たちが暮らしていた下水道に、妙な化学薬品が流れ込んできたのは!」

 

 

 ここで話が急展開。いよいよ核心へと迫っていくのか、レオナルドの口調も自然と熱を帯びてくる。

 そう、下水道に流れ込んできたという、その『光り輝く謎の薬品』こそが問題だったのだ。

 

「後になって分かったことだが……そいつは『ミュータンジェン』と呼ばれる薬品だった」

「ミュータンジェン?」

「……?」

 

 聞き慣れない、というよりそっち方面に関しては完全に知識不足な鬼太郎。他の日本妖怪たちもピンときていないのか、全員が首を傾げている。

 

「ミュータンジェンってのは、特殊な薬品同士を混ぜ合わせることで作り出される危険な薬品のことさ。そいつに触れてしまった生物は、『そのときもっとも身近に接していた生物』へとその姿を変えちゃうんだ」

 

 ここで、ドナテロが説明を付け加えてくれる。

 ミュータンジェンという薬品の危険性。生物はそれに触れることで突然変異を起こし——ミュータントへと変貌を遂げるのだと。

 

「このミュータンジェンを浴びたことで、ただのミドリガメたちは吉浜武の影響で人間……いや、亀人間になった。つまり……」

「!! なるほど、その亀たちがお前さんたち……タートルズということなんじゃな!?」

「そのとおり! 流石に察しがいい!!」

 

 そこでようやく、目玉おやじが得心が行ったとばかりに頷く。

 

 レオナルド、ドナテロ、ラファエロ、ミケランジェロ。

 彼ら四匹の亀はミュータンジェンという薬品の効果によって人間へと変身した——突然変異種の亀なのだと。

 

「俺たちタートルズはミュータントになって自由を得た。けど……人間であった吉浜武。彼もミュータンジェンの影響を受けてしまったんだ……」

 

 もしも変異を起こしたのがタートルズだけなら、結果的にはそれで良かっただろう。しかしミュータンジェンは、人間という生き物にもその効果を発揮してしまった。

 

 ミュータンジェンは吉浜武という人間をミュータント——『ねずみ人間』へと変えてしまったのだ。

 

 これは、吉浜の一番身近にいた動物がねずみだった影響だ。

 元より人間社会のはみ出しものだった吉浜だが、ねずみ人間となったことでさらに人前に出られない体になってしまった。

 

「けど、吉浜……いや、スプリンター先生は俺たちに忍術の稽古を付けてくれたんだ!! このミケランジェロって、イカした名前も先生が付けてくれたんだぜ!!」

「……スプリンター?」

 

 突然、ミケランジェロが新しい人名を叫ぶが、それは既知の人物のことを指している。

 たとえどんな姿になろうとも、吉浜武が亀たちにとって親しい隣人であることに変わりはない。タートルズたちは親しみを込め、吉浜をスプリンター・『叩きのめす者』いうニックネームで呼ぶことにした。

 そのお返しとばかりに、スプリンターもタートルズたちそれぞれに名前を付けた。名前は自己の確立への第一歩。名前を得たことで、タートルズたちもそれぞれが独立した個体へとその人格を形成していくこととなる。

 

「ああ、だからアンタたち……忍者なのね……」

 

 ここで猫娘が、彼らタートルズが『ニンジャ』である意味を悟る。

 彼らは伊達や酔狂、おふざけで忍者の名を口にしていた訳ではない。彼らはスプリンターこと吉浜武から忍術を学んだ、流派的にもフット流忍者の正式な系譜なのである。

 

「そうさ! 先生は俺たちに自分の身を自分で守れるよう訓練を付けてくれた! 先生の教えがあればこそ、今の俺たちがあるんだ!!」

 

 リーダーのレオナルドがスプリンターへの敬意を示す。

 彼らタートルズたちにとって、スプリンターは友人であり、師匠であり、そして親なのだ。

 

 彼から忍者としての正しい教えを受けた身としては、同じ流派で間違った道を進むフット流——フット団の連中を野放しにしておくことは出来ない。

 たとえ他国に渡ろうとも関係ない。追いかけてでも、奴らの悪行を阻止するのが彼らの使命なのだ。

 

 

 

×

 

 

 

「さて……とりあえず、俺たちが何者なのかは分かってもらえたと思うけど……ここまで聞きたいことはあるかい?」

 

 一通りの説明を終えたレオナルド。ワンクッション入れる意味合いを込め、ここで質問タイムを設ける。

 自分たちの素性、フット団と戦う理由など。このくらい話しておけば自分たちの行動にも色々と納得してもらえると考えたが。

 

「吉浜武……いや、スプリンターと言ったか? その御仁はこっちに来とらんのか?」

 

 ふと気になったのか、子泣き爺がそのような質問をする。

 スプリンターと名乗る、ねずみ人間とやらの姿がここには見えない。もしかしたら、もう既に亡き身なのか……なんて考えが頭を過ぎる。

 

 もっとも、それは無用な心配というもの。

 

「そうなんだよ! 先生にもボクらと一緒に日本に来るようお願いはしたんだが……断られちゃったんだ!」

「自分は日本を追放された身だからだってさ。そんなの気にすることないのに……」

 

 ドナテロとラファエロの説明によると。スプリンターは未だ健在だが、彼は自分が『祖国から追放された身』だと、日本への同行を断ったという。

 彼を追放処分にしたフット流はかつての面影もなく悪の犯罪組織となったのだから、今更そんな命令を律儀に守る必要もないだろうに。

 今頃はニューヨークの下水道で、タートルズたちが帰ってくるのを待っているとのこと。

 

「大丈夫だって!! 先生の手を借りなくたってあんな連中! 俺たちの手でフルボッコにしてやるぜ!!」

 

 スプリンター不在で若干戦力不足なタートルズだが、そんなの関係ねぇとばかりにお調子者のミケランジェロはやる気を漲らせる。

 フット団など先生の手を煩わせることもない、自分たちだけで簡単にやっつけてみせると。

 

「慢心はよせ、ミケランジェロ」

 

 しかし、そんなミケランジェロをレオナルドが嗜めた。

 

「シュレッダーの奴が何を目的に日本に来ているかも、まだ分かっていないんだ……油断は禁物だぞ!」

「……? その、シュレッダーってのは……結局何者なんじゃ?」

 

 その言葉に対し、砂かけババアは今更ながらに疑問を抱く。

 シュレッダー。敵の親玉らしき男の名前は既に聞いたが、彼が何者なのかはまだ詳しく聞いていないような気がする。

 その男と彼らタートルズとの間に、果たしてどのような因縁があるのだろう。

 

「……ああ! そういえば言ってなかったけ?」

 

 するとその疑問に、ミケランジェロは言い忘れていたことを思い出す。

 

「沢木小禄の今の呼び名だよ。あいつ、今はシュレッダーなんて名乗ってるのさ!!」

「!!」

 

 そう、シュレッダーの本名が沢木小禄。

 つまりは吉浜武・スプリンターのかつての弟子。タートルズとは兄弟弟子の関係にあたる。

 

 タートルズたちと同じ師匠から忍術を学んだ沢木だが、彼はその業を悪のために用い、フット流を乗っ取りフット団を結成。

 さらには執念深く、追放された吉浜武を追って彼もニューヨークへと渡った。

 

 師匠である吉浜を確実に始末しようと——奴はミュータンジェンを下水道にばら撒いたのだ。

 

「えっ!? それって……」

「そっ……スプリンター先生がねずみになっちまったのも……俺たちがミュータントになれたのも……全部シュレッダーの仕業なのさ」

 

 その経緯に目を見開く鬼太郎。ラファエロもどう表現していいか分からない、複雑そうな顔をしている。

 

 タートルズたちにとって、シュレッダーは師匠を他国へと追いやった憎たらしい相手。だがそれと同時に、自分たちミュータントタートルの誕生にも一枚絡んでいる。

 シュレッダーがいなければ、ミュータントタートルズは生まれてこなかっただろう。

 

 

 まさに奇縁!! 

 複雑に絡み合った運命の糸が、両者を争い合わせているのかもしれない!!

 

 

「……改めてお願いしたい! フット団の企み……シュレッダーの野望を阻止するためにも、俺たちと協力して奴らと戦ってくれないか?」

 

 全ての事情を話し終えたレオナルドは、日本妖怪の力を借りたいとはっきり明言する。

 下手なプライドや面子になど拘らない。フット団の野望を確実に挫くためにも、是非とも鬼太郎たちの力が必要なのだと頭を下げる。

 

「……顔を上げてください、レオナルドさん。それは寧ろ、こちらから願い出たいところですよ」

 

 そんなタートルズたちの頼みを、鬼太郎は躊躇うことなく引き受けた。

 

 今回の敵——フット団が日本で行なっている悪行の数々を鑑みれば、連中が掛け値無しの悪党であることは明白だ。

 実際に日本妖怪も被害を受けているのだから、鬼太郎がタートルズたちの要請を断る理由はない。

 

「ええ、そうね」

「うむ、それが良かろう!」

「よーし……やったるぞ!」

 

 猫娘や砂かけババア、子泣き爺といった仲間たちにも異論はない様子。

 

「オッケー! ブラザー!! レッツロックンロール!!」

「まあ、おたくらなら……足手まといにはならないだろうさ」

「よし、そうと決まれば……」

 

 ミケランジェロ、ラファエロ、ドナテロも。リーダーであるレオナルドの判断に従っていく。

 

 かくして、妖怪とミュータントタートルズ

 本来ならば交わることのなかった両者が、共通の敵に立ち向かうため互いの手を取り合うこととなったのだ。

 

 

 

 

 

「——お~い!! 鬼太郎しゃ~ん!!」

「!!」

 

 そうして、鬼太郎とタートルズが固い握手を交わした、まさにそのタイミングで上空より何者かの声が響いてくる。

 

「戻ってきたようじゃな……鬼太郎!」

「はい、父さん!」

 

 すると目玉おやじが鬼太郎に声を掛け、彼も素早く妖怪アパートの外に出る。鬼太郎に続き、皆も外へと飛び出していく。

 

「お帰り……一反木綿……」

「おうっ! 今戻ったばい!!」

 

 妖怪アパートの玄関先には室内に入れなかったぬりかべが待機しており、そこで彼はどこからか帰還してきた一反木綿を出迎えていた。

 

「首尾はどうだった、一反木綿?」

 

 一反木綿が舞い降りてくるや、鬼太郎は単刀直入に尋ねる。その問いに一反木綿はいい笑顔で答えていく。

 

 

「——バッチリばい!! 連中のトラックは二台とも、山の中に入っていったとね!!」

 

 

 それはフット団の襲撃を退けた、その直後のことだ。

 走り去っていく彼らのトラックを黙って見送りながらも、鬼太郎は一つの指示を一反木綿に出していた。

 

『——あのトラックを尾行してくれないか? 彼らがどこから来ているのか知りたいんだ』

 

 鬼太郎たち全員で地上から尾行すれば、おそらく気付かれてしまう。だが、空を飛べる一反木綿がこっそりと後を付ければ、彼らに勘付かれることなく最後まで尾行することができると考えたのだ。

 

 時間は掛かったようだが、一反木綿はしっかりと敵アジトの場所を突き止めてくれた。フット団のアジトがあると思われるのは——とある山中。

 そこにはきっと、連れ去られた妖怪たちも捕らえられている筈である。

 

「でかした! きっとその山奥のどっかにフット団のアジトがある筈だ!」

「よし、行こう!!」

 

 これにラファエロも素直に感心。レオナルドが一反木綿の活躍に目を見張る。

 さっそく、敵アジトに乗り込もうと。そのために必要な準備を——タートルズたちも既に進めていた。

 

「ん……! どうやら、こっちの応援も駆け付けてくれたみたいだよ!」

 

 ドナテロが道路の方へと目を向ける。するとそこには妖怪アパートへ真っ直ぐ走って来る、一台のワゴン車があった。

 

「みんな隠れて!?」

 

 一般人の車かと、騒がれることを恐れて慌てて身構える妖怪たち。しかし、それは無用な心配だ。

 

「安心してくれ、僕たちの仲間だ……お~い、エイプリル! こっちだ!!」

「ハーイ! 待たせたわね、タートルズ!!」

 

 ドナテロが声を掛けるとワゴン車は妖怪アパートの前で停車、運転席から人間の女性が顔を出してきた。黄色いつなぎの作業服を纏った、スタイルも抜群な実にアメリカンな美女である。

 彼女は人間ではない緑の亀たちにも動じず、彼らに対して実に親しげな笑顔を向けている。

 

「お、お知り合いですか?」

「ああ、彼女は——」

 

 タートルズと知り合いらしい、その女性が何者かを鬼太郎が問い掛ける。その質問にレオナルドが答えようとするのだが——。

 

「——あら!? あなた、もしかして……ゲゲゲの鬼太郎!? 嘘……本物なの!?」

「え……ええ、そうですけど……」

 

 タートルズたちから紹介されるよりも先にワゴン車から降りてくる女性。彼女は興奮した様子で、ゲゲゲの鬼太郎と無遠慮に距離を詰めていく。

 

「なっ!? ちょっ、ちょっと!? 何やってんのよ、アンタ!?」

 

 これに猫娘が嫉妬心を拗らせ、鬼太郎から彼女を遠ざけようと慌ててバリケードを張る。しかし彼女はそれでも鬼太郎へと近づき——彼にマイクを向けていく。

 

「わたし! チャンネル6……ニューヨークの放送局でレポーターをやってるエイプリル・オニールっていうの! あなたのこと取材させて貰えないかしら……ゲゲゲの鬼太郎くん!!」

「えっ、ボクを……取材……?」

 

 エイプリルと名乗った彼女はアメリカTV局の人間だったようで、鬼太郎にインタビューを求める。

 これに鬼太郎は困惑した。確かに日本ならば鬼太郎の知名度は高いだろう。インタビューの一つや二つ、物好きなキャスターならしてみたいと思うかもしれない。

 しかし彼女はアメリカのレポーターだ。他国の人間が何故自分などに取材を求めるのだろうと、鬼太郎は首を傾げる。

 

「ええ、勿論よ!! 日本を……いえ、世界を救った小さなヒーローさん!! あなたの活躍は、アメリカにいる私たちの元にもちゃんと伝わってるんだから!!

「……えっ?」

 

 するとエイプリル。鬼太郎の疑問に答えるため、割と衝撃的な事実を口にする。鬼太郎の存在は日本だけに留まらず、今や海外にまで知れ渡っているというのだ。

 

 きっかけは例の動画——鬼太郎が巨大隕石。いや、バックベアードを指鉄砲で押し返したあの動画だ。

 あれはねずみ男が砂かけババアに頼んで、日本中のTV放送をハッキングして流した動画だ。本来であれば、日本の放送局以外では流れていない。

 しかし今やインターネットの時代。戦争を止めようと流されたあの動画は、役目を終えた後もネットを介して海外にまで渡った。リアルタイムではないが、今尚外国でもそれなりに多くの人々があの動画に目を通しているというのだ。

 

 あの動画の光景を目に焼き付けたものたちにとって、まさに鬼太郎は日本どころか世界も救ったと言っても過言ではない、英雄という認識だ。

 その噂のヒーローに間近に会えたのだから、TVリポーターとしてエイプリルが興奮してしまうのも無理からぬこと。

 

「…………」

「鬼太郎、大丈夫か?」

 

 これに相当複雑な顔をし、父親に心配される鬼太郎。

 まさか海外の人にまで自分がヒーロー扱いされるとは。本人にそんなつもりがない分、その期待は彼にとっては重荷にしかならないのだが。

 

「ああ……済まないがエイプリル。そいつは後回しにしてくれないか? 今は急を要する……」

「そうそう、これからフット団のアジトに突入しよってんだぜ! スクープならそっちを狙ってくれよ!!」

 

 だが、ここでドナテロとミケランジェロが鬼太郎に助け舟を出すよう口を挟んだ。今は鬼太郎のインタビューよりも優先することがあるだろうと、彼女の関心をフット団へと向けさせる。

 

「あら、そう? 残念だけど、仕方ないわね。タートルズと一緒にフット団秘密アジトへの潜入……うん! スクープとしてなら、こっちの方がインパクトありそう!!」

「……ふぅ〜」

 

 エイプリルは鬼太郎へのインタビューをあっさりと断念し、興味の矛先をフット団へと向ける。そこまでしつこくは絡んでこない大人な対応に、鬼太郎はとりあえず一安心。

 

 

 

「……おっほん! 改めて、紹介しよう……友達のエイプリルだ!!」

 

 ここで一度レオナルドが咳払い、改めてエイプリルという女性の紹介をしていく。

 

 エイプリル・オニール。アメリカの放送局・チャンネル6のTVリポーターとして活躍している、タートルズの友人だ。

 人間ではないタートルズは、当然ながら人間社会では鼻つまみ者だ。悪の組織たるフット団と日夜戦いを繰り広げていようとも、ニューヨークの人々にとって彼らが化け物であることに変わりはない。

 彼らを支持するものもいるが、理解を拒むものだっている。

 

 そんな中において、エイプリル・オニールはタートルズに理解を示し、手を貸してくれる協力者の一人だ。

 人間社会の常識や情報に明るくない、タートルズたちの面倒を色々と見てくれているという。彼女の協力のおかげで打開できた局面も数多い。

 

「感謝しなさいよアンタたち!! 私に特派員としての仕事がなかったら、日本に来ることもできなかったんだから!!」

 

 実際、ミュータントであるタートルズたちが日本に来れたのも、エイプリルのおかげである。

 ニュースキャスターである彼女は、たまたま本社から『日本の現状』をレポートしてくるという仕事を仰せつかった。妖怪との戦争、戦後の日本を直接現地取材してこいとのことだ。

 その彼女の仕事の手伝い、スタッフという体でタートルズたちは日本への入国を果たすことができたという。

 

「このタートルワゴンだって! 局の車ってことで部長にごり押したんだから!!」

 

 さらにエイプリルが乗ってきたワゴン車、緑の甲羅のような意匠が屋根などに施されている独特の車両。この車はタートルワゴンといい、タートルズたちが普段から使用している改造車だ。

 そんなものまで日本に持ち込むとは……ほんとう、どんな手段使ったんだろう。

 

「うわおっ、すげぇっ!! よく税関通ったね!!」

「あっ! でもこれ……キャノン砲とか外されちゃってるよ?」

 

 ミケランジェロはエイプリルの手腕を称賛するが、ラファエロはワゴンに取り付けられていた武装などが外されていることを指摘する。

 

「そりゃあね……流石に日本に銃火器の類は持ち込めないから……事前に外させてもらったわよ」

 

 しかし当然ながらキャノンだの、ランチャーなど。そんな物騒な代物を日本に持ち込むことはできないと、エイプリルは当たり前のように言う。

 

「へぇ〜、日本ってみんな不用心なんだな……」

「ニューヨークじゃ、おばあさんだってマシンガンで武装してるってのに……」

「ぶ、物騒なのね……アメリカって……」

 

 これに意外そうに呟くタートルズたちと、冷や汗を流す猫娘。日本とアメリカの防犯意識の差が、その言葉に如実に現れているようだ。

 

「いや、問題ない! レーダー機器の類はそのままだ! これなら奴らの居場所を探知することも出来る筈さ!!」

「……なんだか、凄そうな装備じゃのう」

 

 もっとも、その他の機器——エネルギー測定器や、音波探知機といった装備は無事だとドナテロが安堵する。

 タートルワゴンの内部はまさにそれらの機器で溢れかえっており、パソコンに強い砂かけババアでも、何をどう使用すればいいのかも分からない。

 

「よし! エイプリル、運転は任せるよ!! 鬼太郎くんたちも乗ってくれ!!」

 

 レオナルドはそのままエイプリルに車の運転を任せ、鬼太郎たちにもすぐ同乗するよう声を掛ける。大勢で移動するのなら、このタートルワゴンで皆を運んで行った方がいいだろうという判断だ。

 

「分かりました。一反木綿、案内を頼む!!」

「コットン承知!!」

 

 鬼太郎はすぐさまタートルズの後に続いてワゴン車へと乗り込み、一反木綿にはフット団が逃げ去った場所までの案内を頼む。

 

「それじゃあ、飛ばすわよ! しっかり掴まってなさい!!」

「エイプリル……日本は左側通行だから気を付けてね」

 

 飛び立っていく一反木綿を追い、エイプリルは景気良くタートルワゴンを走らせていく。

 

 ミケランジェロは彼女の日本での運転を心配しつつ——お決まりの台詞で気合を入れていった。

 

 

「——さあ、行くぜ……カワバンガ!!」

 

 

 

×

 

 

 

「——ん? なんだ? 誰かが……この基地に近づいているだと!?」

 

 フット団のアジト。

 設置された監視用のセンサーが何者かの接近を察知したことに、鉄仮面シュレッダーが眉を顰める。

 

「気のせいじゃないですか、ボス?」

「こんな山奥に人なんか来るわけねぇよ! 野生のイノシシでも迷い込んだんじゃねぇのか……ブヒッ!」

 

 ロックステディとビーバップの二人はそんなもの、機器の故障じゃないかと楽観的な言葉を口にする。彼らが今いる基地は人里離れた山の中。そのように考えるのも無理からぬことではある。

 

「いや! 確実に近づいてきている……モニターに出すぞ!」

 

 しかし気のせいではない。シュレッダーは手元の機械を操作し、巨大モニターに外の監視映像を映し出させる。

 

「なんたることだ!? これは……タートルズどものワゴン!!」

 

 案の定、そこには憎きタートルズの愛車であるタートルワゴン。それに乗るタートルズの憎たらしい顔が映り込んでいた。

 

「おい! あの女レポーターまでいやがるぜ!」

「フガッ!? 見ろよ、鬼太郎とかいう妖怪どもも一緒だ!!」

 

 さらにはタートルズの味方をするTV局の人間。日本妖怪たちまで相乗りしており、かなりの大所帯となっている。

 

「吉浜武……いや、スプリンターはいないようだが……」

 

 シュレッダーはそこにタートルズたちの——そして自分の元師匠・吉浜武ことスプリンターがいないことに、若干物足りなさそうな顔をする。だがすぐにでもその顔に怒りを浮かべ、忌々しげにモニターを睨み付けていく。

 

「亀どもめが!! どうやってここを嗅ぎ付けてきた!?」

 

 ひとえに間抜けな部下たちが尾行されたせいなのだが、それを知ればさらに烈火の如く怒り狂うだろう。

 

「…………いや、考えようによっては、これもチャンスかもしれんぞ!」

 

 しかしその怒りが沸点を越える前に、シュレッダーは冷静に思案を巡らせる。アジトの場所を突き止められたのは予想外だが、これは好機でもある。

 

「飛んで火に入る何とやら……来るならこい!! 返り討ちにしてくれるわ!!」

 

 この状況を逆手に取り、彼らを一網打尽にすればいいのだと。その冷徹な頭脳で狡猾な謀略を張り巡らせていく。

 

 

 

 

 

「——なぁ……ほんとに、こっちで道あってんの? 俺たち迷子になってない?」

 

 一方、車で山の中を走るタートルズと鬼太郎たち一行。彼らは未だにフット団のアジトの正確な場所を掴めずにいた。

 

 一反木綿の道案内に従って車を走らせること一時間ほど。連中がトラックで逃げ込んだ、何処ぞの山の中へと辿り着いたところまではよかった。ただそこから先、具体的に山中の何処に奴らが身を潜めているかまでは、一反木綿も追跡しきれなかったようだ。

 先ほどから、道なき山道をあてもなく走っている。果たして本当にここで間違いないのかと、何名かの表情が不安そうに曇っていくが。

 

「いや、こっちで合ってる。見てみろ、タイヤの跡だ! 連中がここを通っていたのは間違いない!!」

 

 しかし、レオナルドはフット団がここへ逃げてきた確かな証拠を掴む。足元、今も車を走らせている山道にタイヤの跡がしっかりと残っているのだ。ラインの本数や車幅からして、彼らが使用していた大型トラック二台で間違いない。

 

「……わざわざこんな山ん中から出勤とは……連中もご苦労なことで……」

 

 これにラファエロが敵アジトに近づいている喜びよりも、こんな山奥までトラックで移動してきているフット団の非効率さに呆れる。街で悪さを働くたびにこんな山道を行ったり来たりするなど、正直気が滅入るだろうとため息を吐いていく。

 

 と、次の瞬間だった——。

 

「——!!」

 

 運転手のエイプリル・オニールが慌てて急ブレーキを掛けた。

 

「うおおおっ!?」

「ちょっと? 急に止まんないでよ!! こっちはただでさえ、すし詰め状態なんだから!!」

 

 これにワゴン内で悲鳴が上がり、ラファエロが代表して文句を口にする。

 

 彼の言うとおり、現在タートルワゴン内はかなり混沌とした状態となっていた。

 運転席のエイプリルや、その隣の助手席に座る猫娘と砂かけババアといった女性陣は無事だ。レディーファーストということで、彼女たちのスペースにはそれなりに余裕がある。

 だが後部座席はタートルズや鬼太郎、子泣き爺といった男性陣が窮屈なスペースの中をぎゅうぎゅうに押し合っている。確実に定員オーバー。ワゴン内の重要な機器を壊さないようにしていることもあってか、ほとんど余裕がない。

 ちなみに一反木綿はワゴンの外を飛び、ぬりかべは地中を移動中だ。

 

「……そんなこと言われても、道がなきゃ進めないわよ」

 

 もっとも、急に車を止めたエイプリルにも言い分がある。前に進もうにも——そこで道が途切れてしまっているのだ。

 目の前には断崖絶壁の『壁』が立ち塞がっており、これ以上はどうあっても前に進むことが出来ない。

 

「おっかしいな……こっちで合ってる筈なんだが……?」

「タイヤの跡もちゃんと残ってるぞい?」

 

 これに首を傾げる一同。

 車から降りて周囲を見て回るが、やはり他に道らしきものはない。しかしトラックのタイヤ痕など、痕跡ははっきりと残っている。

 この矛盾、これはいったいどういうことだろう。

 

「ちょっと待って……」

 

 すると、ここでドナテロが声を上げる。ワゴンに設置されている探知機と睨めっこしながら——気付いたことを口にしていく。

 

「この壁の向こう……空洞になってる! おそらく、この辺りに出入り口がある筈だ!!」

 

 探知機の反応を見るに、立ち塞がる『絶壁』の向こう側に広い空間があるというのだ。ならばこの壁の向こうへと進むための、何らかの手段がある筈だと。彼は徹底して目の前の壁を調べていく。

 

「……あった!! おそらく……この窪みを押せば……」

 

 やはりその壁は人工物だったらしく、ドナテロはその壁を開くための仕掛けを見つけて作動させる。

 次の瞬間、大きな音を立てながら壁が——壁に偽装されていたシャッターが開いていく。

 

「へへへ!! 開け、ゴマってか!?」

「こ、こんな大掛かりな仕掛けが……」

 

 ミケランジェロは道が開けたことに得意げに鼻を鳴らし、鬼太郎がまさかのギミックに驚く。

 きっと日本妖怪だけでは、仕掛けに気付くこともできなかっただろう。タートルズたちが一緒で良かったと、彼らのことを頼もしく思いながら——その道の先へ進むために顔を上げる。

 

「連中、どうやら山の中枢に基地を建設してたみたいだな……みんな、甲羅を引き締めろ!!」

「「「おうっ!!」」」

 

 レオナルドは敵アジトの規模に生半可な覚悟ではいけないと、改めて仲間たちの覚悟を促す。リーダーの呼びかけにチームメイトたちが景気よく返事をするが——。

 

「……わしら、甲羅ないんじゃが……」

「……いちいち突っ込むでない! 空気を読まんかい!!」

 

 引き締めようにも自分たちには甲羅がないと子泣き爺は呟く。余計なことを言うなと、砂かけババアが彼の言動を嗜めていく。

 

 

 

 

 

「——広いとこに出たな。サッカー場……野球場くらいはあるか?」

 

 そうして、敵アジト内部への侵入に成功した一同。彼らが最初に辿り着いたのは——スポーツが出来そうなほどに広々とした、駐車場スペースだった。どうやらここがこのアジトの入り口、玄関先であるようだ。

 

「おい、あれを見てみろよ! 奴らのトラックだぜ!!」

 

 その証拠に、そこにはフット団が使用していた二台の大型トラックが停められていた。だが既に車内はもぬけの空、駐車場自体にも人の気配がない。

 

「ここから先は、徒歩でいくしかなさそうだな……」

「そう、それは残念だわね……」

 

 レオナルドはその駐車場から先へと続く道を覗き込み、それが車の通れるような通路でないことを確認する。自動車で進めるのもここまでと、エイプリルがその場にタートルワゴンを停車させた。

 

「皆、気を付けい。ここは既に敵の腹の中も同然じゃ! わしらがここに来ていることは……向こうにもお見通しじゃろう!」

 

 ここで目玉おやじが皆に警戒を促す。

 ここは敵の本拠地だ。いつどこから敵襲・奇襲があるかも分からない。

 

「ええ……分かっています、父さん」

「任せときな、おやじさん!! さあ、どっからでも掛かってこいってんだ!!」

 

 日本妖怪も、タートルズたちもそれは百も承知だ。

 父親の言葉に鬼太郎は内側の妖気を激らせ、タートルズの面々も武器を構えていく。

 

 

『——そのとおり……諸君らの行動は、全て筒抜けだ!! わざわざ我輩の元までやられにくるとは……殊勝な心がけよ!」

「——この声はっ!?」

 

 

 と、まさに皆の緊張感がピークを迎えたその刹那、基地内に威圧的な声が響き渡る。

 

『——ようこそ! タートルズ……そして、日本妖怪の諸君!!』

「この声は……間違いない、シュレッダーだ!!」

「こいつが……シュレッダー!?」

 

 鬼太郎にとっては初めて聞く声だが、タートルズにとってはすっかり馴染みとなった宿敵のダミ声。スピーカー越しに聴こえてくる声だけのイメージであれば、恐ろしく冷酷な血も涙もない悪党という印象を受けるのだが。

 

「やい、シュレッダー!! 俺たちに勝てないから活動拠点を日本に移そうだなんて、情けないと思わないのか!!」

 

 ここでミケランジェロ、軽い挨拶代わりに挑発を口にしていく。本来であれば主な活動拠点がアメリカである筈のシュレッダーに対し、日本で暗躍していることに『逃げた』という表現を用いる。

 タートルズに勝てないから逃げたと、そう思われること自体が彼にとっては屈辱だろう。

 

『ふんっ!! 見え見えの挑発だな……そのような手に乗る我輩ではないわ!!』

 

 しかしシュレッダー、これを軽く受け流す。流石にフット団を率いるボスなだけあって冷静な思考である。

 

『それに勘違いしてもらっては困るな。我輩はお前たちから逃げたのではない! 出張で一時的にこの国に戻ってきただけに過ぎぬ!!』

 

 ついでに、自身が日本へと訪れた理由にも軽く触れる。逃げたのではなく、あくまで仕事の一環だと。

 

「出張だって? お前いつからサラリーマンになったんだよ?」

 

 シュレッダーの言葉にラファエロが言い返す。

 出張。その響きだけを聞くと、なんだか『海外に派遣されるサラリーマン』といった感じだ。するとこの指摘に——シュレッダーは激怒。

 

『誰がサラリーマンだ!! 我輩は真っ当に働くってのが大っ嫌いなんだ!! 二度と我輩をサラリーマンなんて呼ぶな!!』

「そんなカッカすんなよ。小魚でも食べて落ち着けって……」

 

 その怒りよう、ドナテロが相手のカルシウム不足を心配する。仮にも一団の長が、こんなことで我を忘れるほどに怒り狂っていいのだろうか。

 

『はぁはぁ……ふん、まあいい! それよりもどうだ? 我がフット団、日本支部秘密基地の感想は!?』

「……日本支部だって?」

 

 なんとか落ち着きを取り戻したシュレッダー。彼はこの場所——フット団日本支部の規模を自慢するように告げる。

 これに日本妖怪たちが眉を顰めた。日本にずっと住んでいながら、鬼太郎たちはこのような基地の存在に今まで気付くことも出来ないでいたのだ。

 

『そうだ!! 元々我がフット団は日本で発足した組織だ。我輩が不在の間も、こうしてこの地で悪の根を張り巡らせてきたのだ!!』

 

 フット流というただの忍び集団は、沢木小禄ことシュレッダーの手によって悪の組織と化した。シュレッダーが吉浜武を追ってニューヨークへと赴き、その地にアメリカ支部を結成している間も、日本に残ったフット団は秘密裏に活動を続けてきた。

 アメリカで大々的に活動するシュレッダーに比べれば小規模だが、このような基地を秘密裏に建設する程度の暗躍は造作もない。

 

『貴様らに、この基地の防衛網を突破することが出来るかな?』

 

 今度はシュレッダーが挑発を口にし、タートルズたちを基地内部へと誘い込もうとする。

 

『ちなみに……捕らえた妖怪どもも、この施設内のどこかにいる』

「——っ!!」

 

 さらには捕まえてきた日本妖怪たちがここにいることを示唆し、鬼太郎たちが逃げられないように予防線を張っておく。

 

『さあ!! 我輩のところまで辿り着いてみせるがいい!! フフフ……フハハハハハハハハハッ!!』

 

 自身の勝利を確信するかのような、シュレッダーの甲高い笑い声が基地中に響き渡っていった。

 

 

 

「……さて、どうする? 十中八九……罠で間違いないと思うけど」

「俺その言葉嫌いよ」

 

 言いたいことを言い終え、一方的にプツリと途切れるシュレッダーの笑い声。そんな仇敵の嫌味な声に顔を顰めながら、タートルズたちが互いに顔を見合わせる。

 誰がどう考えても、明らかに罠だと分かる展開だ。果たしてこのまま基地の奥へと進んでいいものかと、一行の歩みがそこで止まる。

 ここで一度撤退し、万全の準備を整えてからもう一度来るのも一つの手ではなかろうか。そんな考えすら浮かんでくる。

 

「——行きましょう。捕まっているみんなを……放っておく訳にもいきませんから」

「鬼太郎……」

 

 しかし二の足を踏むタートルズたちは正反対に、鬼太郎に退く気は一切なかった。

 フット団に連れ去られた妖怪たちがどんな目に合っているかも分からないのだ。一刻も早く彼らを救出しなければ、何のためにここまで来たかも分からなくなってしまう。

 鬼太郎の強い決意を前に、浮き足立っていたタートルズたちの口元にも笑みが浮かぶ。

 

「そうだな……虎穴に入らずんば虎子を得ずだ、行こう!!」

「難しい言葉知ってるんだな……それ、どういう意味?」

 

 軽口を言い合えるだけの余裕を取り戻していき、いざ今度こそ——基地内部へと侵入していく。

 

 

 

 

 

「——ロックステディ! ビーバップ!! 奴らを盛大に出迎えてやれ!!」

 

 タートルズと鬼太郎たちがアジト内部へと突入してくる光景を監視カメラ越しに確認しつつ、シュレッダーは部下たちに指示を出す。この基地の戦力を総動員してでも、奴らは確実にここで始末する。そんな彼の強い意気込みがその言動から感じ取れる。

 

「でもよ、ボス。出迎えようにも……クリスマスケーキも七面鳥も用意してないぜ?」

「バカ言ってんじゃねぇ!! クリスマスなんて季節外れだろう!! ここはバースデーケーキをだな……」

 

 しかし何を勘違いしているのか。ミュータントの部下たちは的外れなことを口にし、それがシュレッダーの怒りに火を付ける。

 

「バッカモン!! 誰がクリスマスや誕生日を祝えといった!! 奴らを迎え撃てと言っとるんだ!!」

 

 少し遠回しな表現を使っただけでこの始末である。

 

「ええい!! やはりお前たちだけには任せておけん……」

 

 今更ながらに部下たちの頼りなさを思い出したのか。彼らではタートルズは勿論、日本妖怪の相手も無理だと悟る。

 

「仕方ない……『例』の連中を出すしかあるまい……」

「——!!」

 

 そこでシュレッダーは——『別の者』たちに声を掛けることにした。それにロックステディたちが、明らかな動揺を見せる。

 

「け、けどよ……ボス! あいつら、まだ実験段階なんじゃ!?」

 

 不安を隠しきれない表情で、その者たちを使うことへの不安材料を口にしていく。

 

「寧ろ好都合よ!! 実戦でのデータ収集のまたない機会だからな!!」

 

 しかしシュレッダーは聞く耳を持たない。戸惑う部下たちを尻目に——基地内の何処へと通信を繋げていった。

 

 

「——聞こえるか、お前たち。つい先ほど、この基地内に敵が侵入してきた」

『…………』

 

 

 シュレッダーの第一声に対し、その者たちは返事をしなかった。

 だが無視されたことにも腹を立てず、シュレッダーは伝えるべきことを一方的に話していく。

 

「侵入者の中には日本妖怪、ゲゲゲの鬼太郎も含まれているぞ……」

 

 シュレッダーは意図的に彼の——ゲゲゲの鬼太郎の名を口にした。

 

 

 すると——。

 

 

『——鬼太郎……?』

『——ゲゲゲの……鬼太郎!』

 

 返事が帰ってきた。

 おおよそ血の通った生物のものとは思えない、まるで死人のような絶叫。

 

「あわわ……!!」

「ひいッ!?」

 

 通信越しにも伝わってくる、その悍ましい叫び声にロックステディとビーバップの両者が互いに身を寄せ合う。今でこそミュータントの二人だが、彼らとて元々は人間だ。

 人としての本能が、それらの発する音響に拒否反応を示していた。

 

「そうだ!! ゲゲゲの鬼太郎だ!! 人間の味方をする……お前たち、妖怪の裏切り者だ!!」

 

 一方で、その者たちの反応にシュレッダーは嬉しそうな笑みを零し、さらに捲し立てていく。

 自分自身が人間であることを棚に上げながらも、彼らの戦意を煽るように鬼太郎の存在を強調していく。

 

『——オオオ……ウオォオオオオオオオオオオオオオ!!』

『——鬼太郎!! 人間の味方……許さないィイイ!!』

『——人間ンンン!! ニンゲンンンンンン!!』

 

 鬼太郎への、そして人間という種族への怨嗟に満ちた悲鳴。

 どれだけの年月、どれだけの時間を憎むことに費やせば——これほどの怨念を生み出せるというのか。

 

「くっくっく……そうだ、行け! その恨み、存分に連中にぶつけてやれ!!」

 

 その者たちの憎しみに悶える姿をモニター越しに見届けながら、シュレッダーは手元の機械を操作。彼らが閉じ込められている部屋のロックを解除する。

 

『——ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』

 

 刹那——解き放たれた怪物どもが、我先にと部屋から飛び出していく。

 行く先は侵入者——ゲゲゲの鬼太郎の元。

 

 憎むべき人間の味方をする、妖怪の裏切り者への憎悪を胸に、基地内を這いずり回っていく。

 

 シュレッダーは、彼らが必ずやタートルズや鬼太郎たちを倒してくれると期待し——その名を叫んだ。

 

 

「さあ、行け! 狂骨(きょうこつ)たちよ!!」

 

 

 

 

 

「——ミュータンジェンの力で生まれ変わったお前たちの力を見せつけてやれ!!!」

 

 

 

 

 

 

 




人物紹介

 レオナルド
  一人称は俺。鉢巻の色は青、装備は二刀流の剣。
  タートルズのリーダー。基本的にどの吹き替え版でも真面目で冷静なリーダー役。
  真面目過ぎて影が薄いとか言わないで上げて。
  はっちゃける時は割とはっちゃける、彼も歴とした旧亀の一員であることを忘れてはいけない。
  
 ドナテロ
  一人称は僕。鉢巻の色は紫、装備は木の棒……地味。
  タートルズの頭脳役……というか、発明係。タートルズが作中で利用しているハイテク機械はほとんど彼の発明。
  何か困ったことがあればとりあえずドナちゃんを頼ればいい。
  どんな複雑な機械だろうが、その辺のガラクタを集めて三十分内(番組時間内)で作ってくれる。

 ラファエロ
  一人称はビデオ版だと俺。鉢巻の色は赤、装備は釵(サイ)という説明がめんどくさい武器。
  おそらくシリーズの中でも一番性格が安定していない。
  旧亀の設定だと、皮肉屋ながらもクールで陽気な性格。
  ただ番組後半だとメタ台詞が多くなったりする。例『ここでCM、でもチャンネルはそのままだよ!』

 ミケランジェロ
  一人称はビデオ版だと俺、鉢巻の色は橙、装備はヌンチャク。
  どのシリーズでも、タートルズの中で一貫して陽気でテンションが高い。
  主人公気質なのか、主役の回が結構多い印象。
  ちなみに彼に限らずだが、タートルズの名前は全てルネッサンス期の画家たちの名前。

 吉浜武・スプリンター
  フット流の忍者だったが、サワキちゃんの狡猾な策略によって国を追われた男。
  追放されてニューヨークの下水道でねずみ人間になるまでの流れ。色々とツッコミどころ満載だが気にしない。
  一応はタートルズたちの師匠なのだが、よく敵に捕まってヒロインしていることが多い。
  今回はニューヨークでお留守番……けど、番組後半ではしっかり登場する予定なのでお見逃しなく。
  
 エイプリル・オニール
  タートルズの友人。人間の女性でチャンネル6というニューヨークのTV局でレポーターを務める。
  タートルズがティーンエイジ、13歳から19歳とのことで。それを見守るお姉さん的な立場となる彼女は28……。
  タートルズたちにとって良き理解者であり、彼らのイメージが良くなるよう好意的な放送をしてくれている。
  戦闘能力はない筈だが……何故か最新作のゲームでは撮影機材をぶん回して戦っている。

 シュレッダー・沢木小禄
  タートルズたちの宿敵。フット団アメリカ支部のリーダー。
  設定だと、あくまで一支部のリーダーに過ぎない……彼が作ったフット団じゃないのか?
  師匠である吉浜を避け難い罠で嵌め、彼が追放された後も何故か追いかけてきた。
  忍びとして最高の技を持っており……ぶっちゃけ部下や小細工を使うより、自分で戦った方が強い。
  愛称はお馴染みサワキちゃん! 彼の相方である脳みそくんの登場は……また次回。
  
 狂骨
  今回の敵妖怪枠。
 『ぬらりひょんの孫』だと可愛い女の子になっているが、元来の狂骨は実体のない、幽霊のような妖怪。
  ゲゲゲの鬼太郎では5期で一度だけ登場。井戸にうち捨てられた激しい怨念で特に知性もない。
  イメージが固まっていない妖怪なので、今回はミュータンジェンの力でフォームチェンジ!
  どのような姿になっているかは……次回のお楽しみ!!


 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ミュータントタートルズ 其の③

今回も、だいぶ時間が掛かってしまいましたが……なんとか三話構成で納めることができました。『ミュータントタートルズ』今回で完結です!!

結構ギリギリまで加筆修正とかしてましたもんで……誤字とかあるかもと不安です。
何か不備があればすぐに報告を。すぐに修正しますので、よろしくお願いします!!



 山の中枢、秘密裏に建設されたフット団・日本支部。

 フット団の親玉・シュレッダーの野望を阻止するためにも、連れ去られた仲間の日本妖怪たちを救出するためにも。

 ミュータントタートルズとゲゲゲの鬼太郎たちがアジト内部へと突入する。

 

『————』『————』『————』

『————』『————』『————』

 

 広々とした入り口スペースから一転、高度に機械化された狭い通路へと足を踏み入れてすぐ、まずは覆面の忍び集団——フットソルジャーが鬼太郎たちを出迎えた。

 彼らは全てロボット、与えられた命令を実行するだけの冷徹なカラクリマシーン。話し合いや説得の類は一切通用しない。

 

「——体内電気!!」

「——カワバンガ!!」

 

 そんな相手に手加減など不要と。鬼太郎は電撃でロボットの回路をショート、タートルズたちも各々が得意とする武器で敵を蹴散らしていく。

 特にタートルズたちにとっては戦い慣れた相手、別段苦戦する理由もなかった。

 

「……とりあえず、こんなところかしら?」

「やれやれ、ようやくひと段落といったところか……」

 

 そうして、何度かぶつかり合ったところでソルジャーの襲撃がピタリと止んだ。

 敵がいなくなり、猫娘や子泣き爺といった妖怪たちは安堵するが、一方でタートルズのリーダー・レオナルドがどこか納得がいかないと首を傾げる。

 

「妙だな……ここは連中の本拠地だろ? もう少し抵抗があってもいいような気がするんだけど……」

「お前……その性格直した方がいいよ?」

 

 リーダーの言葉にラファエロはすかさずツッコミを入れる。そんなことを言って、本当に敵が出てきたらどうするんだと。

 

「でも、確かに戦力が少ないようにも感じるな」

「ああ! ロックステディたちの姿も見えない……もしかして、逃げたのか?」

 

 しかし、敵が少ないと感じたのはドナテロも一緒。ミケランジェロも顔馴染みの面子が姿を見せないことを不思議がっている。

 

「……考えていても仕方ありません。今はとりあえず……先に進みましょう」

 

 だが、勘ぐってばかりもいられない。鬼太郎たちには仲間の妖怪を救出するという、何よりも優先しなければならない目的もある。

 たとえ何かしらの罠が待っていようとも、ここで歩みを止めるわけにはいかないのだ。

 

 

 

 警戒するタートルズの心配とは裏腹に、一行は何事もなく基地の奥へと突き進んでいく。基地内部は進めば進むほど機械化が進み、道順も複雑になっていく。

 周囲を警戒しながら部屋の一つ一つ、その隅々までチェックしていく。

 

「ここは……コンピュータールームみたいだが……」

 

 その道中、彼らは巨大なコンピュータールームへと辿り着く。シュレッダーの姿こそなかったが、いくつものハイテクコンピューターがズラリと並ぶ光景は圧巻である。

 

「ドナテロ! ここから何か有益な情報を取り出せないか?」

 

 そんなハイテクな機器を前に、レオナルドはチームのブレーンであるドナテロへと声を掛ける。

 タートルズの中でも彼は機械の扱いに長けた技術派。タートルズの愛車・タートルワゴンだって彼の発明だし、パソコンの操作もお手のもの。

 困ったとき、とりあえずドナテロに頼れば大抵のことは何とかなる。

 

「そりゃ、やれと言われればやるけどさ……僕一人じゃ手が足りないよ」

 

 しかし、リーダーからの頼みにドナテロは自分だけでは手が足りないと愚痴を零す。これだけの巨大コンピューターを操作するのに、一人では時間が掛かり過ぎるというのだ。

 

「どれ……それなら、わしも手伝おうかのう」

 

 ならばと、ここで砂かけババアが重い腰を上げる。

 妖怪たちの中では、彼女が一番パソコンの扱いを熟知している。二人掛かりで手元のコンソールを操作していき、何とか情報を引き出そうと試みる。

 

「敵の気配なか……けど、油断は禁物ばいね!」

「ぬりかべ!」

 

 その間、一反木綿やぬりかべといった他の妖怪たちが周囲に気を配る。

 彼らもスマホ程度の扱いなら容易だが、ここまで複雑な機械を扱うのは流石に無理だ。ここは大人しく二人の護衛に徹していく。

 

「亀と妖怪のおばあさんの共同作業……う~ん、撮れ高としてはイマイチね……」

 

 ちなみに、二人の作業風景はエイプリル・オニールによって撮影されている。

 基地内部に突入してからというもの、彼女はずっとタートルズや妖怪たちの活躍をカメラに収めていた。

 

 

 

「——それにしても、随分とハイテクな機械よね……」

 

 待ち時間中、ふいに猫娘が周囲の機器を見渡しながら呟く。

 

「忍者って言うから……てっきり、武家屋敷みたいなところをアジトにしてるイメージがあったんだけど……」

 

 彼女はシュレッダー率いるフット団が、このような機械化されたアジトに身を潜めていたことに違和感を覚えていた。

 曲がりなりにも、彼らはフット流という忍者が源流にある組織の筈。それなのに忍術のようなものを行使することもなく、戦闘にもロボットや光線銃などの科学の力を用いてきた。

 勿論、猫娘も忍者に詳しいわけではない。イメージに合わない近代的なその有り様を、ちょっぴり意外に思ったくらいだ。

 

「いや、他の流派の忍者がどうかは知らないけど……シュレッダーはちょっと特殊なんだよ」

 

 すると、その疑問にレオナルドが答える。

 長年シュレッダーと戦い続けている彼らは、何故フット団がこのような最新テクノロジーを手にしているのか、その理由を知っていたのだ。

 

「さっきも話したけど、シュレッダーはスプリンター先生を追ってアメリカに渡ってきた。その際、奴はクランゲから最新テクノロジーの数々を提供されたんだ」

「……クランゲ?」

 

 ここでまたも初めて聞く名前。

 クランゲ——控えめに言っても、一般的な人間の名前には聞こえない。実際、シュレッダーのような悪党に手を貸す輩がマトモな奴であるわけがない。

 

「クランゲってのは、シュレッダーの同盟者……いや、一応は上司なのか?」

「あの脳みそダコ……あんまりシュレッダーから敬われてないから、判断に困っちゃうよ」

「……の、脳みそダコ?」

 

 ラファエロとミケランジェロがそのクランゲなる人物のことを説明しようとし、脳みそダコなる渾名で呼んだことが鬼太郎を困惑させる。

 だが、そうとしか説明しようがないのだ。

 

 

 クランゲは——まさに『脳みそに手足が生えた、タコのような物体』なのである。

 

 

 元々はちゃんとした肉体があったという話なのだが、少なくともタートルズたちは見たことがない。彼らが対峙するようになったときから、クランゲは脳みそだけの本体に『シュレッダーが作ったロボットに乗り込む』という形で行動するようになっていた。

 

 彼本来の肉体は——『ディメンションX』から追放される際に失われてしまったという。

 

「でぃ、でぃめんしょん……えっくす? なにそれ?」

「…………うん? それはもしや……並行世界というやつかのう?」

 

 またも新しい単語に目を回しそうになる猫娘だが、目玉おやじはすぐに理解を示した。

 

 こことは異なる次元、『並行世界』という概念。それ自体は妖怪たちにとっても既知のもの。少し前も、別の世界からやってきたという『少女』たちと共に戦った記憶が新しい。

 ディメンションXとやらも、その並行世界にあたるのかもしれない。目玉おやじの解答に、ドナテロが忙しなく機械の操作をしながら答えてくれる。

 

「並行世界……いや、どっちかっていうと別の惑星の住人、宇宙人って言った方が正しい。スペーストンネルを通ってこの地球にやってきた侵略者さ!」

「う、宇宙人……」

「スペーストンネルって……」

 

 次から次へと怒涛の勢いで流れ込んでくる情報量に、妖怪たちの脳みそはパンク寸前だ。

 既にミュータントという存在を呑み込むだけでも割と一杯一杯なのだ。これ以上新たな情報を聞かされたところで、それを処理し切ることができない。

 

 今のところ、クランゲという奴まで日本に来ている気配はない。

 今は当面の敵であるシュレッダー、奴が支配するこの日本支部をどう攻略するかに意識を切り替えていく。

 

 

 

「よし、これだ!! みんな注目!!」

 

 そうこうしているうちに作業が終わったのか。ドナテロは声を上げ、眼前の巨大モニターに画像を映し出していた。

 

「これがこの基地の大まかな全体像だ。山の中をくり抜いて建造されてる、かなり大規模だな要塞だねこりゃ……」

 

 ドナテロの説明通り、モニターには山のシルエット、その内部に造られた基地の全体像がマップで表示されていた。パッと見ただけでは細かな詳細まで把握しきれないが、どこに何があるかくらいは読み取れる。

 

「ここが今ボクたちがいる現在地……ちょうど山の中腹あたりだ」

 

 ドナテロはモニター内のカーソルを動かしながら解説、まずは自分たちが今いる場所を指し示し。

 

「でもって……こっちの下層の方にメインコンピュータールームがある。シュレッダーも恐らくはここにいる筈だ」

 

 次に基地の下層部。

 山の麓あたり、地面の近い部分にメインコンピューターが集中しているとのこと。シュレッダーがいるとすればそこだと当たりを付ける。

 

「捕まっている妖怪たちの居場所は分かりますか?」

 

 しかしそれ以上に知りたいこと、囚われている妖怪たちがどこにいるかを鬼太郎が尋ねた。その問いにドナテロは素早くコンピューターを操作していく。

 

「ちょっと待ってね……ここだな。基地の上層部に牢屋らしきものが設置されてる。妖怪たちが捕まっているとすればここしかないだろう」

「敵の親玉がいる場所とは完全に逆方向じゃな。さてどうしたもんか……」

 

 その答えに目玉おやじが頭を悩ませる。

 シュレッダーがいる場所と、仲間が捕まっている場所はまるで正反対の方向。どちらか一方に行くかそれとも——。

 

「仕方ない、戦力を二手に分けよう! 俺たちがシュレッダーをとっちめにいく!! その間に、君らで仲間を助けにいくんだ!!」

 

 ここでリーダーらしくレオナルドが率先して意見を口にする。シュレッダーの相手はタートルズが、妖怪の救出は鬼太郎たちが担当するべきだと提案する。

 実際その案は理に適ったもの、特に反対する理由もないのだが。

 

「……いえ、ボクもあなたたちと一緒に行きますよ」

「鬼太郎!?」

 

 だが鬼太郎は、自分だけでもタートルズたちに同行すると言い出した。これに驚く猫娘だが——。

 

「ここまで協力してもらって……僕たちだけ目的を果たしてサヨナラというわけにもいきませんから」

 

 鬼太郎たちにとって、シュレッダーとの戦いはあくまで二の次。極論だが、仲間の救出さえ済ませてしまえば、この基地の攻略にそこまで固執する理由もない。

 しかし、タートルズはシュレッダーの企みを挫くため、わざわざアメリカからこの国までやって来た。シュレッダーと決着を付けるまでは退くわけにもいかないし、そんな彼らにだけ全てを押し付けるわけにもいかないと。

 タートルズへの義理を果たすためにも、鬼太郎は最後まで彼らに力を貸すつもりでいた。

 

「……そういうことならお言葉に甘えよう! エイプリル! キミは妖怪たちと一緒に行ってくれ!」

「ええ!? 私だけ仲間外れ!?」

 

 それならばと、レオナルドは鬼太郎の代わりにエイプリルを妖怪たちに同行させる。エイプリル本人はタートルズと一緒に行けず不満そうではあったが。

 

「そう言わないでよ! 妖怪の人質救出ってのも……なかなかスリリングな体験だと思うよ?」

「それに、エイプリルが一緒ならタートルフォンで連絡を取り合うことも出来るからさ!」

 

 彼女の不満を、ミケランジェロやラファエロがメリットを提示することで抑えようとする。

 決してエイプリルが足手まといというわけではない。寧ろ彼女のタートルフォン、タートルズたちが常用している特殊な通信機があれば、互いの連絡もスムーズに済むと利点を上げていく。

 

「う~ん……しょうがないわね、オッケー!! こっちは任せてちょうだい!!」

 

 悩んだ末、エイプリルも納得する。

 流石に敵地で駄々をこねるほど彼女も子供ではない。信頼するタートルズがそのように判断したのなら、それがベストなのだと指示に従っていく。

 

 

 

「鬼太郎……」

「大丈夫だ、猫娘……みんなを頼んだ」

 

 一方で、猫娘などは鬼太郎と別行動を取ることに不安を抱いていたが、これも必要なことだと彼女を納得させる。

 

「さあ、行きましょう……タートルズ!!」

「オッケー、ブラザー!! レッツロックンロール!!」

 

 仲間のことを猫娘たちに任せ、タートルズと鬼太郎は共に——敵の本丸へと駆け出していく。

 

 

 

×

 

 

 

「——よう! よく来やがったな、亀ども!!」

「——わざわざやられにくるとは……亀スープにして食ってやるぜ!!」

 

 そうして、シュレッダーが待ち構えていると思われた区画——メインコンピュータールームへと辿り着く一行。

 もっとも、真っ先に出会したのはいつもの二人組・ロックステディとビーバップ。何の捻りも代わり映えもない彼らの台詞に、タートルズたちが脱力気味に肩を落とす。

 

「なんだ、またお前らかよ……」

「お前たち……よっぽど暇なんだな……」

 

 ミケランジェロやラファエロなど、露骨にため息まで吐いている。

 無論、連中も決して弱いわけではない。サイとイノシシから得たミュータントとしての力は本物であり、油断すればタートルズといえども足元を掬われかねない。

 だがいかんせん、頭が悪すぎる。力だけでは勝てないのが勝負の世界、残念だがこの二人では逆立ちしてもタートルズには敵わないだろう。

 

「お前たち、痛い目に合う前に降参するんだな!」

 

 もはや戦う前から結果は目に見えていると。レオナルドもさっさと降伏を促していく。ところが——。

 

「へへッ!! バカなやつらめ……調子に乗っていられるのも今のうちさ!!」

「お前らなんざ、わざわざ俺たちが相手をしてやるまでもねえ……来やがれ!!」

 

 ロックステディもビーバップも、妙に自信たっぷりの笑みを浮かべる。彼らは自分から戦おうという気配を見せず、誰かに向かって合図をするよう手を上げた——次の瞬間である。

 

 

 

『——ウォオオオオオオオオオオオオオ!!』

 

 

 

「なっ! なんだぁ!? 今の雄叫び!?」

 

 まるで地の底から轟いてくるような、悍ましい叫び声が通路の奥から聞こえきた。

 この世のものとも思えない、得体の知れない『何か』の遠吠えが、怖いもの知らずなタートルズたちの背筋すらも凍らせていく。

 

「鬼太郎!?」

「はい、父さん! これは……妖気!?」

 

 これに一緒に付いてきていた目玉おやじが叫び、鬼太郎も油断なく身構える。というのも、鬼太郎の頭部『妖怪アンテナ』が強い反応を示したのだ。

 タートルズやロックステディたちのようなミュータントであれば、妖気など感じない筈。だがその雄叫びが聞こえてくる通路の奥からは、確かに強烈な妖気が迸ってくる。

 

 妖怪に類する何かが潜んでいるのはもはや確定。問題は——どのような妖怪であるかということだが。

 

 

「……っ!? 来るぞ!!」

『——キュアアアアアアアアアア!!』

 

 

 刹那、荒々しい奇声を上げながらまず一匹。高速で飛び掛かってくる影があった。その影に対し、咄嗟に武器を構えてドナテロが応戦する。

 

「こ、こいつは……と、鳥!?」

 

 高速で飛来した影の正体は——怪鳥と呼ぶほどに巨大な鳥だった。

 人間一人を鷲掴みに出来そうなほどに巨大な鉤爪が、ドナテロの武器である木の棒をガッチリと掴んで離さない。

 その膂力は恐るべきものだが、それ以上に特筆すべきはその外見である。

 

「なんだ、こいつ!?」

「ほ、骨? 骸骨の……鳥!?」

 

 その鳥には——肉が付いていなかった。余計な肉片が全て削ぎ落とされた、全身が白骨化した姿はまさに骸骨の怪鳥。

 全身が骨だけでありながらも凄まじい速度で飛翔し、猛禽類を思わせるその鋭い鉤爪は一度掴んだ獲物を決して離そうとしない。

 

「こ、こいつ!? 離れろよ!!」

「大丈夫か、ドナテロ!?」

 

 これに必死に抵抗するドナテロ。仲間の危機にタートルズたちが慌てて助け舟を出そうとする。

 

「気を付けい、まだ来るぞ!?」

 

 だが続け様、さらに通路の奥から飛び出してくる影があると目玉おやじが警告を飛ばす。またも怪鳥の骸でも飛び出してくるのかと、身構える一同だったが。

 

 

『——ウォオオオ……ウホッホッホ!!』

「な……ご、ゴリラ!?」

 

 

 次に通路の奥から顔を出したのは——世界最大の霊長類・マウンテンゴリラの骸骨だ。

 習性なのかドラミング、自身の胸を叩きながら突撃してくる姿はさながらキングコングのよう。その巨体から繰り出される剛腕の一撃に、ラファエロとミケランジェロの二人が理不尽に殴り飛ばされていく。

 

「ゴリラって……心優しい生き物じゃなかったけ!?」

「おいおい、そりゃないよ!?」

 

 強烈な一撃に吹っ飛ばされながらも、何とか受け身を取った二人が口々に叫ぶ。

 いつものように軽口を叩いているようにも見えるが、余裕はない。いきなりの強襲、しかも理解不能な存在を前に、彼らも困惑を隠し切れていなかった。

 

 

『——グォオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』

『——ガァアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』

 

 

 さらに駄目押しとばかりに、またも骸骨のモンスターが姿を現す。しかも今度は——ライオンにゾウという組み合わせだ。

 

 白骨化して尚、百獣の王者としての威厳を纏った、恐ろしい骸骨の風貌となった獅子が吠え猛りながら駆け出してくる。

 マンモスが墓場から蘇ったかのような威風、重量感たっぷりに巨象が迫ってくる。

 

「おお!? こ、この野郎!!」

「くっ!? 霊毛……ちゃんちゃんこ!!」

 

 それらの怪物たち、レオナルドが剣戟でライオンの爪と鍔迫り合い、鬼太郎が霊毛ちゃんちゃんこを広げて巨像の押し潰し攻撃を真っ向から押し返そうとする。

 だがどちらの攻撃も鋭く、重たい。レオナルドは獅子の猛攻に一方的に押され、鬼太郎は巨像に踏む潰される直前、何とか退避して攻撃を躱すしかなかった。

 

「こりゃ……旗色が悪いぜ!?」

「一旦体勢を立て直すんだ! みんな、集まれ!!」

 

 他の面子も、それぞれ怪鳥やゴリラの怪物を相手に防戦一方となっている。少なくとも個々の戦闘力は向こうが上回っていると、レオナルドが皆に号令を掛ける。

 何とか合流し、互いをフォロー出来るよう、背中合わせに円陣を組むタートルズと鬼太郎。すると、それを取り囲むような形で展開される骸骨の獣たち。

 

 怪鳥、ゴリラ、ライオン、ゾウ。なかなかにレパートリー豊富な面子である。

 

「おいおい……フット団はいつから動物園になったんだよ!?」

「割と前からじゃないの? サイにイノシシだっていたんだから!?」

 

 そんな動物もどきたちを前に、タートルズらは疑問を呈する。

 ロックステディやビーバップのような、ただのミュータントであれば彼らもここまで驚きはしない。だが眼前のこいつらは肉体が完全に骨と化しており、明らかに通常の生物の枠組みを越えている。 

 

「鬼太郎くん、こいつら……妖怪なんだろ!? なんて連中なんだ!?」

 

 理解の及ばない存在を前に、レオナルドは鬼太郎へと話を振る。

 先ほど、鬼太郎は彼らから妖気を感じると口走った。であるならば、これは鬼太郎の領分。連中がいったいどんな妖怪なのか彼に問い掛けるしかない。

 

「父さん!?」

「……わ、分からん。こんな妖怪……少なくとも、わしの知っている中にはおらんぞ!?」

 

 ところが妖怪に詳しい目玉おやじでさえも、彼らがどのような妖怪に該当するか皆目見当も付かないという。

 骸骨の妖怪というのであれば、『がしゃどくろ』や『骨女』。あるいは『化け鯨』など、それとなく思い浮かぶものはいるだろう。

 だがこんな動物の、しかも統一性のない個体ばかり並べられては予想することすらままならない。

 

 いったい、この骨の怪物たちは何だというのか?

 

 すると、戸惑うタートルズや鬼太郎たちの姿に優越感を抑えきれなかったのか。高みの見物を決め込んでいた、ロックステディたちが調子良く声を張り上げていく。

 

「いいぞ!! そのままカメどもをぶっ倒せ!!」

「いけ!! 一気に畳みかけちまえ……キョウコツ!!」

 

 その際、ビーバップの口からその妖怪の名前と思しき言葉が叫ばれる。

 

「なに、きょうこつ……狂骨じゃと!?」

 

 これに目玉おやじが目を丸くする。そういった名前の妖怪であれば、鬼太郎にも聞き覚えはあった。

 

「狂骨……父さん、それって確か?」

「うむ、井戸に打ち捨てられた人間の死体……その骨に宿った幽霊。それが狂骨という妖怪じゃ!!」

 

『狂骨』——井戸に放置された死体が白骨化し、それに怨念が宿った妖怪とされている。

 自ら井戸に身を投げたのか、あるいは誰かに殺されて捨てられたのか。それは定かではないが、常に強い怨念を抱いて井戸から出てくるというのが通例だ。

 

「じゃ、じゃが!! 狂骨は人間の死体から生まれる亡霊の筈じゃ! 奴らが動物の死体に宿るなど……聞いたこともないぞ!?」

 

 しかし狂骨はその誕生の経緯から、人間の白骨がベースとなっている妖怪だ。

 基本的には骸骨で幽霊のような姿。稀に実体を持つものもいるというが、それでも人間の姿形から大きく一脱することはないという。

 あのように鳥や獅子といった動物たちが狂骨になるなど、前例が存在しない。

 

「んなこと言われたって……実際に目の前で暴れてるでしょうが!!」

「ゴリラちゃん! お腹空いてるならバナナ食うかい!?」

 

 だが実際、狂骨は動物の白骨となって暴れ回っており、苦戦しながらも何とか応戦するしかないタートルズたち。

 

『——し……もしもし? タートルズ? 応答してちょうだい!!』

 

 と、このタイミングでエイプリルの声が聞こえてきた。

 彼女の呼び掛けに答えるべく、レオナルドは懐から通信機・タートルフォンを素早く取り出して返事をする。

 

「なんだい、エイプリル!? 今取り込み中なんだ! 悪いけど手短に話してくれ!!」

 

 しかし今は狂骨と交戦中。彼らの苛烈な攻撃を凌ぎながら、呑気に世間話に花を咲かせるわけにはいかない。手短に要件だけを伝えるように叫ぶ。

 

『もしもし! 鬼太郎、聞こえてる!? 私……猫娘よ!!』

「猫娘、そっちの首尾は!?」

 

 すると今度は通信越しに猫娘の声が聞こえ、これに鬼太郎が大声で返事をする。仲間の救出を第一に動いていた彼女たちだが、果たして肝心の目的は果たせたのだろうか。

 

『大丈夫!! 捕まっていた妖怪たち……いそがしや、骨女! 連れ去られていた連中はみんな無事だったわ!!』

「!! そうか……それはよかった!」

 

 狂骨たちの猛攻に苦しめられながらも、鬼太郎は笑みを浮かべる。一番の懸念だった仲間の安全が無事確保できたと、その朗報だけでも肩の荷が下りる気持ちであった。

 

『ただ……』

「ただ……? どうかしたのか!?」

 

 だが、そこで猫娘の報告は終わらない。彼女は少し困ったように、自分たちが直面している現状を口にしていく。

 

『その……妖怪以外にも捕まっている子たちがいるんだけど、それが……動物なのよ』

「……動物?」

 

 猫娘によると、妖怪たちが捕らえられていた牢のすぐ側、別の牢屋に動物たちが閉じ込められていたというのだ。

 

「そういえばフット団の奴ら……動物園からも動物を盗んでいると、総理が言っておったのう」

 

 ここで目玉おやじが、総理代理から聞いた話を思い返していた。

 妖怪の誘拐以外にも、フット団は数多くの犯罪に手を染めており、その中に動物の窃盗も含まれていると。十中八九、その動物たちは動物園から盗まれたものだろう。

 しかし動物は勿論、妖怪を誘拐して何をするつもりだったのか。その目的を鬼太郎たちは未だに理解しきれていなかった。

 

「ちょっといいかな!?」

 

 すると、ここでドナテロがタートルフォンに向かって叫ぶ。

 

「その動物ってのはどういう種類? 具体的に言ってもらえる!?」

『どういうって……ええと……』

 

 捲し立てるように問いただすドナテロの言葉に、猫娘も空気を読んで簡潔に答えていく。

 

『大鷲に、ライオン。それからゾウに……ゴリラなんかもいるんだけど……』

「!! その組み合わせって……」

 

 その言葉に鬼太郎は目を見開く。

 猫娘が口にしたその動物たちは、まさに眼前にいる狂骨たちと同じ種類だったのだ。この一致は偶然ではないだろう、タートルズのブレーンであるドナテロは、その理由までも瞬時に把握する。

 

「そうか……分かったぞ!! シュレッダーの奴、妖怪にミュータンジェンを使ったんだ!!」

「ミュータンジェン!?」

 

 ミュータンジェン——生物を歪な形で変化させる危険な薬品。

 ただの亀を人間に。人間をねずみやサイ、イノシシへと変えてしまう代物。ドナテロが推測するに、シュレッダーはそれを『妖怪』に使用したというのだ。

 

「おそらく、狂骨とそれぞれの動物たちを一緒に配置してミュータンジェンを使ったんだろう。その結果が……あの姿ってわけだ!」

 

 それこそ、連中が『狂骨』という同じ妖怪でありながらも、全く別の姿をしている理由だ。ミュータンジェンの効力には『対象を身近に接していた生物へと変える』というものがある。

 大鷲の近くにいたものは怪鳥に、ライオンの近くにいたものは獅子に。ゾウやゴリラといった動物の姿や能力も、そのようにして獲得したものだという。

 

 

「——その通りだ!!」

 

 

 するとドナテロの推測に答えるよう、メインコンピュータールームに堂々と男が一人姿を現す。

 鉄の兜に鉄仮面、鉄の小手に具足、鉤爪まで装備したマントを羽織ったその姿は、タートルズにとってはあまりにも見慣れた宿敵。

 

 

「出たな、鉄仮面! 相変わらず、無愛想なツラだぜ!!」

「あいつがシュレッダー……!」

 

 

 鬼太郎にとっては初対面であるフット団の親玉・シュレッダーの登場に、その表情が自然と険しくなっていった。

 

 

 

×

 

 

 

「フッフッフ……驚いたようだな、タートルズの諸君!!」

 

 勿体ぶって姿を見せたシュレッダー。僅かに見える鉄仮面の隙間から得意げな笑みを浮かべ、彼は意気揚々と語っていく。

 

「我輩は忍びの修行時代から、お前たち妖怪に強い関心を抱いていたのだ。この国に来たのは別件だが……この機会に奴らにミュータンジェンを使ったらどうなるか、色々と試させてもらったのよ」

「そのために、妖怪たちを誘拐していたのか!!」

 

 その言葉で、鬼太郎もシュレッダーが妖怪を連れ去るなんて真似をしていた理由を悟る。彼は自らの知識欲を満たすため、妖怪を実験材料に強いミュータントを生み出そうとしていたのだ。

 そんな彼の我欲のせいで仲間たちを危機に晒され、鬼太郎の握り拳にも自然と力が入る。

 

「結果はご覧の通りだ! この狂骨どもは新たな肉体を得て、大幅にパワーアップした!!」

 

 しかし鬼太郎の怒りに気付いた様子もなく、シュレッダーは科学者として研究成果を得意げにお披露目していく。

 

「元々こいつらには肉体がなかった。その分、元となった動物たちの特性を強く引き継いだようでな……最初のテストケースとしては、申し分ない成果だったぞ!!」

『——オオオオオオオオオオオオオオ!!』

 

 シュレッダーの解説に応えるよう、動物の形へと変化した狂骨どもが唸り声を上げる。既に狂骨としての性質は『体が骨であること』それから『強い恨みを抱いている』ということくらい。

 もはや彼らは、完全に獣としての獣性に自らの意思を支配されている。

 

「あとは実戦でその性能を試すだけだ……さあ行け、狂骨ども!! 奴らを叩きのめせ!!」

 

 そんな獣たちに向かい、シュレッダーは命令を飛ばす。

 狂骨たちも自らの破壊欲、憎しみという名の復讐心を満たすため。敵であるタートルズや鬼太郎へと群がっていく。

 

 

 

「おいおい……どうすんだよ、こいつら!?」

「この狂骨って奴ら、何か弱点とかないわけ!?」

 

 狂骨の激しい猛攻に晒されながらも、タートルズたちは不利な戦況を何とかしようと、連中に付け入る隙がないか妖怪である鬼太郎たちに問いを投げ掛ける。

 

「う~む……狂骨は元々文献も少ない妖怪じゃからな。人間に強い恨みを抱いているという以外、あまり知られておらんのだ」

 

 だが、目玉おやじの知識にも狂骨に弱点などない。

 そもそも資料自体が少ない妖怪であり、特徴らしい特徴も『人間相手に強い怨念を抱いている』ということくらいだろう。

 

「人間に強い恨みって……だったらシュレッダーに襲い掛かってほしいもんだよ!!」

「ああ、この中で一番人間なのは奴だからな!!」

 

 人間に強い恨みと聞き、ミケランジェロやラファエロの視線がシュレッダーへと向けられる。

 皮肉だが、この場で一番人間なのはシュレッダーだ。ミュータントでも妖怪でもない、純粋に人間という種族。

 

『ニンゲン?』

『に、にんげん!?』

 

 タートルズの指摘が狂骨たちにも聞こえたのか、そこで彼らは一斉にシュレッダーを振り返る。

 

「ば、バカモン!! 誰のおかげでその力が手に入ったと思っておるのだ!!」

 

 意外にも焦りを見せるシュレッダー。だがすぐに気を取り直し、次のように言い返す。

 

「我輩は極悪人だ! 人間社会に仇を成す存在である! そんな我輩よりも……そこにいるゲゲゲの鬼太郎の方が、よっぽど人間の味方をしておるぞ!!」

「えっ!?」

 

 まさかのご指名に鬼太郎が目を見開く。しかし彼の言い分や戸惑いなど関係なく、狂骨たちも鬼太郎をそのようなものであると認識しているのか。

 

『鬼太郎……人間の味方!?』

『妖怪の裏切り者……許さないィイイいいい!!』

 

 鬼太郎への憎悪を剥き出しにしながら襲い掛かってきた。

 

「くっ……髪の毛針!!」

 

 その勢いの前では反論をする余地もなく、鬼太郎も必死に応戦するしかなかった。

 

 

 

「やばいぜ……鬼太郎が劣勢だ!?」

「待ってろ、今援護してやるからな!!」

 

 敵の戦力が鬼太郎へと集中していく戦況に、ラファエロとミケランジェロがすかさず援護へと走る。

 短い付き合いとはいえ、このまま彼が倒されてしまうのを黙って見過ごすわけにはいかない。鬼太郎と一緒に狂骨と戦い、その勢いを食い止めていく。

 

「…………」

「どうした、ドナテロ? 何か気になることでもあるのか?」

 

 そうして仲間たちが戦線を維持している間、ドナテロは少し離れたところからその戦いを観察していた。ドナテロの思案顔に何かしら策でも浮かんだかと、レオナルドが声を掛ける。

 

「なるほどね……妖怪については分からないが、ミュータンジェンで動物の特性を引き継いでいるのなら……何とかなるかもしれないぞ!!」

「本当か、ドナテロ? どうすればいい!?」

 

 どうやら、本当にあの凶暴な狂骨への対抗策が思い浮かんだようだ。

 

「つまりだな……ゴニョゴニョ……」

「……なるほど。よし……やってみるか!」

 

 ドナテロは敵さんに聞かれないよう、レオナルドにこっそりと耳打ちし『どう攻めればいいのか』を説明する。

 彼の作戦に十分な勝算を見出したのか。反撃のきっかけを作ろうと、レオナルドが動き出す。

 

 

 

「——ミケランジェロ! ラファエロ! 二人で何とかゴリラもどきを抑えといていてくれ!!」

 

 レオナルドは最初、ミケランジェロとラファエロに向かって叫んだ。

 

「よっしゃ、任せとけ!!」

「ゴリラさん、ここまでおいで!!」

 

 その言葉には細かい説明が何も含まれていなかったが、二人は何の迷いもなくその指示に従う。リーダーであるレオナルドへの熱い信頼が、その短いやり取りから垣間見えた。

 

『ウォオオオ……ウホッホッホッ!!』

 

 ミケランジェロの挑発もあり、まんまと集団から引き離されていくゴリラタイプの狂骨。

 残る敵戦力は怪鳥、獅子、巨象タイプの狂骨たち。果たしてこの連中を相手に、どのような戦術で立ち回ろうというのか。

 

「鬼太郎くんはこっちだ! 俺に付いてきてくれ!」

「は……はい!!」

 

 次にレオナルドは鬼太郎へと声を掛ける。いきなりのことで流石に戸惑っていたが、鬼太郎もレオナルドを信じてその指示に従う。

 二人は互いの動きをフォローしながら、敵の懐へと突っ込んでいった。

 

『——キュアアアアアアアアア!!』

 

 そのとき、上空から怪鳥タイプの狂骨が襲い掛かってくる。鬼太郎たちの無防備な背中をその鉤爪で引き裂こうというのか、上空から一気に降下してきた。

 

「——おっと、お前さんの相手はこっちだよ!!」

『キュア!?』

 

 だが、その動きを待っていたとばかりに、ドナテロは怪鳥を『上空』から強襲。

 彼は自身の得物である木の棒を用い、棒高跳びの要領でジャンプしていたのだ。そのまま怪鳥の背中へと組み付き、亀が鳥の制空権を奪っていく。

 

「今のうちに……ほれこっちだ! こっちに来な!!」

「リモコン下駄!!」

 

 ドナテロが怪鳥の動きを封じている間、レオナルドと鬼太郎が同時に仕掛ける。それぞれが獅子と巨象へと適度な攻撃を加え、その注意を引きつける。

 

『ガァアアアアアアアアアア!!』

『オオオオオオオオオオオン!!』

 

 半端な攻撃で傷付けられ、ムキになった狂骨たち。反撃しようと獅子は前足でひっかきを繰り出そうと身を乗り出し、巨象はその巨体から体当たりをぶちかましてくる。

 どちらも強烈な一撃だ、まともに受ければ致命傷は避けられないだろう。

 

「——よーし……今だ!!」

 

 だが、その反撃こそレオナルドが待ち兼ねていたものだった。相手の攻撃をギリギリのタイミングまで引きつけ——直撃の寸前で躱す。

 鬼太郎も、レオナルド同様に狂骨たちの攻撃を回避する。

 

 それにより標的を見失った獅子と巨象、それぞれの攻撃が——対角線上に立っていた両者に直撃した。

 獅子には巨象の体当たりが、巨象の足を獅子の爪が切り裂いたのだ。

 

『グルッ!? グアアアアアアッ!!』

『パッ!? オオオオオオオオオオ!?』

 

 これに怒った狂骨同士、まるで互いを責め合うように唸り声を上げ——両者はそのまま同士討ちを始めてしまう。

 

「ば、バカモン!! 何をやっているのだお前たちは!?」

 

 思わぬ光景に、戦況が有利だとほくそ笑んでいたシュレッダーが慌てて口を挟む。だが彼の言葉になど狂骨たちは耳を傾けない。

 まるでそうするのが当然とばかりに、狂骨たちは激しく争い合う。

 

「——しくじったな、シュレッダー!!」

 

 ここで、レオナルドがシュレッダーのミスを指摘した。

 これは狂骨たちをミュータンジェンで『別々の動物』へと変えてしまった、シュレッダーの過失によって生まれた結果だと。

 

「狂骨たちを全て別の動物に変えたのが失敗だったのさ! 違う動物同士……こいつら、連携がまるで取れていないんだよ!!」

「——っ!!」

 

 それこそ、ドナテロが気付いた狂骨たちの欠点だ。

 

 ミュータンジェンにより、肉体を得た彼らは確かに強力な怪物となった。

 しかしそこに理性はなく、その様はまさに本能のままに暴れる獣でしかない。このように、きっかけ一つあれば簡単に反目し合う。

 しかも、それがライオンとゾウ——肉食動物と草食動物であれば尚のこと。反発し合うのが自然界の掟というものだ。

 もしも同じ動物同士。例えば全ての狂骨たちをゾウなどで統一していれば、逆に仲間意識を持って一致団結していたかもしれず、タートルズはさらに苦戦を強いられていたことだろう。

 

「——指鉄砲!!」

 

 だが、今の狂骨たちにチームワークなど存在せず。彼らが仲間割れしている間にも、鬼太郎は妖気をチャージ、必殺の指鉄砲が炸裂する。

 

『——グアアアアアアアア!?』

『——ゴアアアアアアアア!?』

 

 放たれた青白い妖気弾が、争い合うのに夢中になっていた獅子と巨象を同時に貫く。

 二体の狂骨は仮初の肉体を消滅させ、魂は何処ぞへと飛び去っていく。

 

 

 

 鬼太郎がまずは二体、敵を打ち倒している間にもさらに戦況は進んでいく。

 

「ほれこっち! こっち飛んで!!」

『キュア!? キュアアアアアアアアア!!』

 

 怪鳥の背中に乗ってその自由を奪っていたドナテロ。そのままその身体を操縦し、その行き先を誘導する。

 

「ラファエロ! ミケランジェロ! そこどいてちょうだい!!」

「!!」

 

 ドナテロが向かったのは、作戦通りゴリラの足止めをしていたラファエロとミケランジェロの元であった。ドナテロの叫びに呼応し、彼らもすぐにそこから飛び退いていく。

 

「亀さんからのプレゼントだ! ありがたく受け取りな!!」

 

 仲間が退避したことを確認したドナテロは、そのまま怪鳥をゴリラに向かって墜落させる。当然、落ちる寸前に自分は離脱する抜け目のなさ。

 

『キュアアア!?』

『ホッ!? ウッホッホ!!』

 

 自由を奪われて落下する怪鳥がゴリラへとぶち当たる。これにゴリラは顔を真っ赤に怒り狂い、ぶつかってきた怪鳥に対して本能的に反撃する。

 ここでもやはり同士討ちを始めてしまう狂骨たち。

 

「こらこら……地獄に落ちるときくらい、仲良く逝きな!!」

「ゲッツファンキー!!」

 

 タートルズにその内輪揉めが終わるのを待ってやる義理などない。

 ラファエロが釵を怪鳥の脳天目掛けて投擲。ミケランジェロが最大威力でヌンチャクをぶん回し、ゴリラの頭蓋骨を粉砕する。

 

『——オオオオオオォォォォォォ!!』

 

 最後の断末魔だけは、息が合うようにどちらも怨嗟の叫び声だった。彼らもまた仮初の肉体を失い、その魂が何処ぞへと飛び去っていく。

 

 

 

「へへッ! ざっとこんなもんよ!!」

「見たか、俺たちのチームワーク!!」

 

 見事な連携で狂骨どもを倒したタートルズが、ハイタッチで戦果を喜び合う。

 個々の力では狂骨が勝っていただろうが、連中には団結力が皆無であった。兄弟のように共に育ち、数々の戦いを一蓮托生で乗り越えてきたタートルズたちの敵ではなかったのだ。

 

「ナイスショットだったよ、鬼太郎くん!!」

「あ、ありがとうございます……」

 

 さらに鬼太郎との連携も即興の割には悪くなかったと、レオナルドが鬼太郎にもハイタッチを求める。

 少し照れくさそうにしながら、鬼太郎も満更でもない様子でタートルズたちと勝利を分かち合っていった。

 

 

 

×

 

 

 

「おのれぇえええええ、亀ども!! どこまでも我輩の邪魔をしおってからに!!」

 

 シュレッダーは屈辱に震える拳を固く握りしめていた。

 せっかく新たに加えた戦力、妖怪ミュータントをあっさりと倒されてしまった。正直タートルズに負けなどいつものことだが、今回こそはと自信を持って挑んだだけあって、してやられた怒りを抑えきることができない。

 

「あ、あいつら……一匹残らずやられちまったよ!!」

「に、逃げようぜ、ボス!!」

 

 戦況が不利になるや、ロックステディとビーバップは慌ててメインコンピュータールームから別室へと退避していく。このまま、おめおめと尻尾を巻いて逃げ出す算段なのだろう。

 しかしプライドがあるのか、シュレッダーはただでは引き下がらない。

 

「貴様ら……許さん!!」

 

 怒り心頭といった様子で懐から小銃を取り出し、その銃口をタートルズへと向けていく。

 

「なんだよ、今更そんな銃一丁でどうにかなるとでも……」

 

 これにタートルズは余裕の表情を浮かべる。

 彼らにとって銃など見慣れたもの。ましてや、そんな小さな拳銃如きで何ができるのかと、完全にシュレッダーを甘くみている。

 

 ところが——。

 

「その銃は……!?」

「な、なぜ……どうして、お前さんがその銃を!?」

 

 その銃のフォルムを目撃した刹那、鬼太郎の目の色が変わる。目玉おやじですらも、冷静さを失って叫び声を上げていく。

 

「おいおい、何をそんなに慌ててるんだよ?」

「シュレッダーのあの銃が……どうかしたのか?」

 

 どうして鬼太郎親子がそこまで狼狽しているのか、いまいち状況を呑み込めていないタートルズ。

 しかし鬼太郎にとって、日本妖怪たちにとって。シュレッダーの所持している『銃』は重要な意味合いを秘めていた。

 

 

 

「——どうして、お前が……対妖怪銃を!?」

 

 

 

 そう、シュレッダーが取り出したそれは——『対妖怪銃』。

 

 日本政府が妖対法の下に開発した特殊拳銃。妖怪の魂にさえダメージを与えてしまう代物で、かくいう鬼太郎自身も、その銃で一度はその肉体を滅ぼされてしまっているのだ。

 銃は現在、日本政府の管理下で使用用途について厳格な基準が設けられていると聞いた。

 政府が管理している筈のその武器を、どうして犯罪組織の親玉が所持しているのか。それが信じられないと鬼太郎は目を見張っていた。

 

 

「……フンッ! 何故も何も……この銃は元々我輩が日本政府の依頼で制作し、提供した武器だぞ?」

「なっ……!?」

 

 

 シュレッダーの口から紡がれたその言葉は、鬼太郎たちを絶句させるほどの衝撃を含んでいた。

 もっとも、シュレッダー本人は何でもないことのように続きを淡々と話していく。

 

「この銃には、我輩がクランゲから得たディメンションXの技術が使われておる。この国の総理……いや、前総理だったか? あの女は妖怪がよっぽど憎かったらしくてな……我がフット団にまで技術提供を求めてきたのだ!!」

 

 前総理大臣。彼女は妖対法を施行し、妖怪をこの国から消し去るためにその政治生命を費やした。

 その妖怪を滅さんとする執念が、犯してはならない一線を越えさせてしまっていたのだ。

 

「多額の謝礼金と……我々の活動を黙認するという条件と引き換えにな……フッフッ。おかげで、この国での仕事もだいぶやりやすくなったぞ、ハッハッハ!!」

 

 技術を提供することで得た見返りのことを思い出しながら、シュレッダーは高笑いを上げていく。

 

「……おいおい、マジかよ……」

「……フット団と日本政府の癒着……大スクープだよ、こりゃ……」

 

 流石のタートルズたちも、これには開いた口が塞がらない。

 一国の総理大臣が犯罪組織と手を結ぶなど、国家の根幹を揺るがす大事件だ。ここにエイプリル・オニールがいれば、このスクープに嬉々として飛び付いたことだろう。

 

「総理……そこまでして、ワシらを……くっ!」

 

 今は亡き前総理の妄執に、目玉おやじですらも憂いの表情を浮かべている。

 

「まあ……それも奴が総理でいられたまでの間よ。あの女が死んで今の総理に代替わりしてからというもの、我らの活動も縮小せざるを得ないまでに追い込まれてしまったわ!」

 

 もっとも、それも前総理が秘密裏の結んだ協定に過ぎない。

 今の総理代理にまでその繋がりは続いておらず、寧ろ現政権は前政権の膿を出そうと躍起になってフット団のことを嗅ぎ回っているとのことだ。

 

「我輩が日本に赴いたのも、元はと言えばその後始末のためだ。この国での活動規模を大幅に縮小……証拠は全て抹消するつもりでおったのよ」

 

 そもそもな話、シュレッダーが日本に出張に訪れたのもこの国から手を引くためだったという。

 撤退の準備を進め、組織の身辺整理を終わらせたら、すぐにでもアメリカに帰るつもりでいたのだが——。

 

「だが、片手間に始めた妖怪どものミュータント実験が思いの外上手く進んでな! 気がつけば本来の目的も忘れ、すっかり研究に没頭していたというわけよ!!」

「いや、忘れちゃダメだろ……」

 

 しかし日本を訪れ、兼ねてより気になっていた妖怪への生体実験に手を出してからというもの、シュレッダーはすっかり研究にのめり込むこんでしまった。

 当初の目的は何処へやら、人目もはばからずにこの国での活動を活発化させてしまっていたのだ。

 

 だがその活動も——タートルズと鬼太郎たちの手により、破綻寸前へと追い込まれた。

 

「こうなってしまった以上、当初の目的通りこの国より撤収するしかあるまい……最後にこの銃の威力を貴様らで試してなっ!!」

「くっ!?」

 

 だが追い込まれながらも、シュレッダーは対妖怪銃の銃口をタートルズ——そして鬼太郎へと向ける。

 タートルズはともかく、鬼太郎にとってその銃はまさに『拒絶の証』。人間が妖怪を否定する象徴のようなものだ。

 

『——この国に妖怪はいらない』

「くっ!?」

 

 それを突きつけられたことで一瞬、前総理の言葉が彼の脳裏を過ぎる。そのせいか反応がタートルズよりも僅かばかり遅れてしまう。

 

 

「——くたばれ!!」

 

 

 一人隙を見せる鬼太郎へと、シュレッダーはその凶弾をお見舞いしようと引き金に指を掛ける。

 

 

 

 

 

「——な……なにぃいいい!?」

 

 だが、その銃口から弾丸が発射されることはなかった。弾が発射される寸前、どこからともなく飛来してきた『杖』が、シュレッダーの手から拳銃を叩き落としたのだ。

 ダメージを受けて手を抑えるシュレッダーが、憎しみのこもった声音で叫ぶ。

 

「おのれぇえええ!! 誰だ! 我輩の邪魔をするのは!?」

「こ、この杖は……!?」

 

 シュレッダーの凶行を阻止したのは、タートルズではなかった。彼らが鬼太郎を守ろうと動くよりも迅速に、その杖は彼らの後方から飛んできたのだ。

 

 そして、その杖の形状に——タートルズはこれでもかと見覚えがあった。

 

 

「——その歪んだ性根……何も変わっておらんようだな、沢木小禄よ」

「——!!」

 

 

 杖が投げ込まれた後方から、そのものが姿を現す。シュレッダーを本名・沢木と呼ぶ人物——その正体は一匹のねずみであった。

 勿論ただのねずみではない。人間の大きさ、人の言葉を介する道着を纏ったねずみのミュータント。

 

「き、貴様はっ!? よ、吉浜武!!」

「す、スプリンター先生!?」

 

 そう、タートルズの——そしてシュレッダーのかつての師匠でもある男・吉浜武こと、スプリンターその人の登場である。

 

 予想外の援軍を前にシュレッダーの顔が激情に歪み、タートルズが喝采の声を上げていた。

 

 

 

×

 

 

 

「薄汚いドブネズミが!! どの面下げてこの国に戻ってきやがった! 貴様は追放された身の上だろうが!!」

 

 開口一番、シュレッダーはスプリンターに何故この国にいると文句を口にする。彼は人間時代、シュレッダーの策略によって忍びの里を追放され、日本からも追い出されている。

 既にこの国に居場所などないものが今更戻って来るなと、元師匠を責め立てるシュレッダー。

 

「おかしなことを言う……私を追放したフット流は、お前の手によって悪の巣窟と化した。そんな組織との約定など律儀に守る必要はあるまい……まっ、これは弟子たちの受け売りだがな」

「スプリンター先生……!」

 

 もっとも、元弟子の言い分をスプリンターは切って捨てた。

 スプリンターがその教えを守るべき組織は既にこの地上に存在しないと。ならばそんな決め事、わざわざ聞いてやる義理もないのだと。

 弟子であるタートルズの意見を認めるよう言い返したのだ。これに言い出しっぺのラファエロの表情が明るくなる。

 

「ほ、ほざきおって~!! ノコノコ戻ってきたこと、後悔させてやるぞ!!」

 

 これにシュレッダーは大激怒。

 もはや冷静な判断力もなく、スプリンターに掴みかかろうと拳を振り上げる。

 

 

『——シュレッダー……応答せよ!! シュレッダー!!』

 

 

 そのときだ。暴走するシュレッダーに水を差すよう、奇妙な声が響き渡った。その声は通信機器を通し、基地内にいた全てのものの鼓膜を震わせた。

 そして、鬼太郎たちがいるメインコンピュータールームの巨大モニターに——その声の主の姿が映し出されていく。

 

「なんじゃあれは!? の、脳みそ!?」

 

 画面にアップで映し出されたそれは、『脳みそ』としか表現しようのない物体であった。

 脳みそに、目や口が付いて喋っている。さらに腕のようなものがタコの触手のように伸びており、目玉おやじですらも初見では驚かざるを得ない見た目をしている。

 

「出たな、あいつがクランゲだよ!!」

「あれが……宇宙人の……」

 

 馴染みの顔だったのか、モニター内の脳みそタコに向かってタートルズが叫ぶ。

 あれこそ、先ほども説明があったクランゲ。シュレッダーの同盟者である宇宙人の登場に鬼太郎も息を呑む。

 

「何の用だ、クランゲ!! 今いいところなのだ……邪魔をするでないわ!!」

 

 一応は上司であるクランゲ相手に、シュレッダーは乱暴に叫ぶ。イライラが最高潮に達している中でのお小言が、彼をさらに不機嫌にさせていく。

 

『シュレッダー……いつまで遊んでいるつもりだ? その国でお前がすべきことはくだらないバイオ実験ではない筈だ』

 

 しかしクランゲは冷静に、ネチネチと嫌味ったらしくシュレッダーの行動に口を出していく。

 

『もうその国に用はない……とっととニューヨークに戻って来い!!』

「!!」

 

 と、クランゲがそう怒鳴るや——地響きが鳴る。

 何事かと身構える一同。次の瞬間、巨大なドリルを先端に付けたマシーンがメインコンピュータールームへと突っ込んできた。

 その先端のドリルは基地の中枢であるメインコンピューターを粉砕し、シュレッダーの目の前で停車した。

 

「ボス!! クランゲの奴がこの基地を放棄しろって……!」

「急いで脱出しましょうぜ、ボス!!」

 

 そのマシーンに乗っていたロックステディとビーバップがハッチを開けてシュレッダーを招き入れる。

 既にクランゲから命じられていたのか、メインコンピューターを粉々に破壊することで情報という名の証拠を隠滅、撤退の準備を完了させた。

 

「ぐぬぬぬ……あのタコめが!!」

 

 シュレッダーはクランゲへの不満を抱きつつも、流石にこれでは撤退するしかないと悟ったのか。早急に脱出すべくマシーンへと乗り込んでいく。

 

「実家に逃げる気かシュレッダー!?」

 

 これにレオナルドが声を張り上げる。実家というのは、シュレッダーたちの本拠地・テクノドロームと呼ばれる要塞のことだ。

 彼らはいつも、そのマシーンに乗ってモグラのように地中深くへと逃げてしまう。

 

「逃げる? とんでもない!! 寧ろ今回のことで身に染みたわ!!」

 

 だが立ち去る間際、シュレッダーは捨て台詞を吐いていく。

 

「やはり貴様らは我輩にとって目の上のたんこぶ!! 貴様らを始末しない限り我輩は……枕を高くして眠ることもできないのだ!!」

 

 わざわざ日本にまで現れ、自分の邪魔をしにきた宿敵・タートルズ。

 彼らが存在している以上、シュレッダーはたとえ地球の裏側だろうと安心して悪巧みもできない。

 

「貴様らとの決着はいずれ付けてやる!! 首を洗って待っているがいい……フッフッフ、フハッハッハッハ!!」

 

 やはりまずは彼らタートルズを始末するべきと、シュレッダーは声高らかに宣言。

 

 高笑いを上げながらその場から——日本という国から立ち去ることとなる。

 

 

 

「なんだよ、偉そうに!!」

「全く! 最後まで嫌な笑い方だぜ!!」

 

 シュレッダーが威張りながら逃げ出すその姿に、ムカッ腹を立てるミケランジェロとラファエロ。毎度のことではあるが、逃げ足が早くて追いかける暇もなかった。

 またしてもシュレッダーとの決着は先送り、次の機会へと持ち越しである。

 

 それに——今は逃げたシュレッダーのことなど気に掛けている場合ではなかったりする。

 

「まずいよ、基地全体が崩れかけてる! このままじゃ生き埋めだ!?」

 

 メインコンピューターを破壊された影響か、基地全体が崩れかけているとドナテロが指摘。このままでは遠からずこの基地は崩落、内部に取り残されれば全滅は必死だ。

 

「エイプリル、こちらレオナルド!! そっちの状況はどうなってる!?」

 

 レオナルドはタートルフォンを通じ、エイプリルたちと連絡を取った。人質救出を終えた彼女たちが今どうしているか、あちらの状況を把握しておかなくてはと思ったのだろう。

 

『こちらエイプリル! 今は基地の出入り口のタートルワゴン!! いつでも脱出できるわ、急いで戻って来て!!』

 

 するとエイプリルたちは既に人質の救出を終え、いつでも脱出できる体勢に移行しているとのこと。

 とりあえず、彼女たちの方は心配いらないと安堵するのも束の間。すぐに自分たちの危機的状況に頭を抱えるタートルズ。

 

「戻れって言われても……今から駆け込んでも間に合わないよ!!」

 

 ミケランジェロが言うように、彼らの今いるところからでは戻るまでに時間が掛かり過ぎる。既に崩落まで秒読み段階、生き埋めになるのももはや時間の問題である。

 

「皆の衆、私について来なさい!!」

「スプリンター先生!!」

 

 だがここで、救援に駆け付けてくれていたスプリンターがタートルズたちを導いていく。

 

「私が侵入に使った通路がある……そこから脱出するぞ!!」

 

 どうやら、スプリンターは別ルートからこの基地へと侵入してきたらしい。ここから近いのか、慌てる様子もなくタートルズたちを案内していく。

 

「鬼太郎、ワシらも行くぞ!!」

「……分かりました、父さん」

 

 当然、鬼太郎も目玉おやじもすぐにその後へと続く。

 敵の親玉も逃げたし、仲間の救出も完了した。これ以上、崩壊する基地に留まっている理由などありはしなかった。

 

 

 

 

 

 そうして、一行はスプリンターが先導するまま、メインコンピュータールームよりさらに下層——地下へと降りていく。

 そこは基地が建設された山中の地下に存在する、地下洞窟だった。作りからして自然に出来たものだろう、フット団ですらもこの場所を把握していなかったようだ。

 

「ここまで来ればいいだろう……安心してよいぞ、タートルズ」

 

 そしてそこは基地の外であり、崩落の影響もないと。スプリンターが皆を安心させるように安全を告げる。

 

「ふぅ~……助かりましたよ、スプリンター先生。けど、どうして日本に? ニューヨークに残っていた筈じゃ?」

 

 間一髪のところで危機を乗り越えたタートルズ。レオナルドが代表して師匠であるスプリンターに礼を述べるが、そもそも彼はニューヨークでタートルズたちの帰還を待っていた筈だ。

 いつの間に日本に来ていたのだろうと、タートルズたちが揃って首を傾げる。

 

「お前たちの危機を感じ取ったのだ。私が行かねばお前たちが危ないと……どうやら間に合ったようだな」

 

 虫の知らせというやつか、スプリンターはタートルズの危機を感じ取ったという。師弟の結びつき、タートルズとの絆が成せる業とのことだ(尚、理屈は不明)。

 

「なんにせよ、来てくれて助かったぜ!! 先生が来てくれなきゃ、俺たちみんな化石になっちまってたところだよ!!」

 

 まあ理屈はどうであれ、師匠のおかげで助かったことには変わらぬと。ミケランジェロはスプリンターを褒め称える。

 

「なに……私一人では日本に渡ることも出来なかったさ。少し友人の手を貸してもらった……ちょうど良い、お前たちにも紹介しよう」

 

 だが、スプリンターは謙虚にこれが自分だけの手柄ではないと。

 ミュータントである自分に手を貸し、日本に渡るために力を貸してくれた御仁がいると教えてくれた。

 

「——スプリンター先生!! ご無事でしたか!?」

 

 ちょうどその人物と合流する手筈だったのか、向こう側から何者かが駆け寄ってくる。

 スプリンターはその人物を手招きし——彼こそが自分たちの恩人であるとタートルズへと紹介した。

 

 

 

「——紹介しよう……ニューヨークで知り合ったねずみ男くんだ」

「——ど~も!! ねずみ男でございます!!」

 

 

 

「……ね、ねずみ男? お前、どうしてこんなところに……」

 

 これに鬼太郎は驚きを隠せず、少し脱力気味に肩を落としていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——スプリンター先生は、ニューヨークの下水道に流れ着いた俺に手を差し伸べてくれたんだ。異国での人情……身に染みたぜ!!」

 

 地下洞窟から抜ける道すがら、ねずみ男はスプリンターとの出会いの経緯を語っていく。

 

 アメリカンドリームを掴むと豪語し、ニューヨークへと渡ったねずむ男。だが大方の予想通り、夢を掴むどころか素寒貧となり、あっという間に無一文で路上へと投げ出されることになる。

 まあ、いつも通りと言ってしまえばいつも通りだが、そこは日本から遠く離れた異国の地——アメリカだ。

 文化の違い、人種の違い、種族の違いによる偏見と悪意が容赦なくねずみ男へと降り掛かり、彼は日本で借金取りに追われる以上に酷い目にあったという。

 

 そんな、ほうほうのていとなったねずみ男だが、彼はニューヨークの下水道へと逃げ込み——そこでスプリンターに助けられた。

 

「スプリンター先生がいなきゃ、俺は今頃生きてちゃいねぇ!! 本当に……本当に感謝してるぜ!! ううっ……!」

 

 相当やばい目にあってきたのだろう。その苦境から救い出してくれたスプリンターに、強い恩義を感じているようだ。ねずみ男にしては珍しく、何の下心もなくスプリンターを先生と呼び慕っている。

 

「気にするな、ねずみ男くん。同じねずみ同士だ……私も君と出会えて嬉しかったよ」

 

 一方のスプリンターもねずみ男に笑顔を向ける。

 元は人間だが、今やねずみのミュータントとして生きている身の上。ねずみの妖怪であるねずみ男に対し、並々ならぬ同族意識を抱いてる様子。

 

「それに……君のおかげで私は日本に渡ることができた。タートルズの危機に間に合うことが出来たのだ……こちらこそ礼を言わせてくれ!」

 

 ついでに言えば、パスポートすら持てないスプリンターが日本に来れたのも、ねずみ男の手引きによるものだったりする。

 スプリンターに世話になった数日後、ねずみ男は裏ルートを通じて日本へと帰ることになった。金もなかったため、訳ありのものたちが利用する日本への不法入国ルートを通じての帰国。

 

 実はそのときから、スプリンターにはタートルズに危機が迫っているという予感があった。いけないことだと分かってはいたものの、弟子たちの危機を救うためだと。

 その裏ルートに便乗する形で、スプリンターはねずみ男に日本に連れて行ってくれと頼んだのだ。

 

 

 そう、二人のねずみ人間の出会いが——タートルズや鬼太郎たちを危機から救ったのである。

 

 

「ふむ、なるほど……色々と言いたいこともあるが……まあ、今回は良しとするか」

 

 この話に、目玉おやじは腕を組みながらも考え込む。

 

 一人でニューヨークに行ったり、そこでタートルズの師匠に出会ったり、密入国ルートで帰国したりと。色々と突っ込みどころ満載の話ではあるが、結果としてそのおかげで自分たちは救われたと。

 

 終わりよければ全て良しの精神で、ねずみ男の珍道中に納得を示していく。

 

 

 

「よっと……ようやく外だ!!」

「太陽が眩しいぜ!! イヤッホー!!」

 

 そうして、互いの事情を話し込んでいる間にも地下から地上へと出ることができた一行。

 基地突入時は夜中だったが、既に外では朝日が昇っている。太陽の光を浴び、はしゃぎながら外へと駆け出していくラファエロとミケランジェロ。

 

「もしもし、こちらレオナルド。応答お願いします、どうぞ!」

『ええ、聞こえてるわ! こっちはみんな無事脱出できたわ!!』

 

 レオナルドはタートルフォンを通じ、エイプリルたちと連絡を取っていた。彼女たちからも誰一人犠牲もなく脱出できたと、吉報がもたらされる。

 

「みんな、見てくれ! 奴らの基地が……!」

 

 ここでドナテロ、皆の視線をとある場所へと向けさせる。

 

 彼らの出たところは、基地があった場所から少し離れた小高い丘だった。その場所からフット団日本支部のあったアジト、山中から煙が上がっている光景が見えた。

 あの様子では基地は完全に壊滅した。この地でのフット団の再起はもはや不可能だろう。とりあえずの脅威は去ったことに、タートルズはホッと胸を撫で下ろす。

 

「シュレッダー。奴があの銃を……この国にもたらした元凶……」

 

 しかし、鬼太郎の表情には未だに憂いが残っていた。

 

 妖怪にとって忌むべき兵器である、対妖怪銃。よりにもよってあの銃の技術が、シュレッダーによってもたらされたことが判明してしまったのだ。

 鬼太郎にしては珍しく、シュレッダーという人間個人に対し怒りを募らせていくが。

 

「……鬼太郎くん、あとのことは俺たちに任せといてくれないか?」

「えっ……?」

 

 そんな鬼太郎の心情を察したのか、レオナルドがやんわりと彼に声を掛ける。

 

「シュレッダーはニューヨークに戻った筈だ……奴とはいずれ俺たちが決着を付ける! そのときに今回の件、一緒にのし付けて返してやるからさ!!」

 

 鬼太郎の怒りに理解を示しつつも、あの宿敵との決着は自分たちが付けるべきものだと語る。

 その上で、この国で迷惑を被った妖怪たちの分まで、その怒りを叩きつけてやると誓ってもくれた。

 

「鬼太郎……奴のことは彼らに任せよう」

「……そうですね、父さん」

 

 レオナルドの言葉に目玉おやじは理解を示し、鬼太郎も納得する。

 確かにシュレッダー、奴一人のために鬼太郎がニューヨークにまで追いかけていくわけにもいかない。

 

 餅は餅屋。

 シュレッダーとの戦いは彼らタートルズの使命であり、そこに鬼太郎がこれ以上割って入るのも無粋というもの。

 

「任せましたよ、タートルズ! 貴方たちに……」

「オッケー、ブラザー!! 任された!!」

 

 鬼太郎は自分たちの思いをタートルズに託し、彼らもそれに気持ちよく応じてくれる。

 

 

 

「うむ、ではタートルズ。我らもニューヨークへ帰還するとしよう!」

「ええ!? 帰っちまうんですか、スプリンター先生!?」

 

 最後、スプリンターがそのように号令を掛け、彼らは日本を後にしていくこととなった。

 これにねずみ男が非常に残念がっていたが、それでも彼らには帰る理由がある。

 

「うむ……日本の空気も悪くなかったが……私たちにとっては、ニューヨークこそが故郷だ」

 

 吉浜武という日本人だったスプリンターだが、今の彼にそこまで日本に留まっていたいという気持ちはなかった。

 今の彼にとって、ニューヨークの下水道こそが故郷だ。

 懐かしの我が家に、息子たち——タートルズと共に帰還するのに何の迷いも躊躇いもない。

 

 

「さあ帰ろう、私たちの家に……」

「「「「ハイ、先生!!」」」」

 

 

 四匹のタートルズも、元気よく返事をしていく。

 

 既にその目には『明日』を見据えている。

 どこまでも前向きに、次なる戦えに備えるためにも——彼らはニューヨークへと帰っていった。

 

 

 

 




人物紹介

 狂骨
  前回も紹介させてもらいましたが改めて。
  今作ではミュータンジェンの力で『動物の姿へと変化した』という設定。
  姿形を白骨化した骸骨姿をベースに、それぞれの動物。
  大鷲、ゴリラ、ライオン、ゾウとそれとなく個性を付けさせていただきました。
  
 クランゲ
  今回は出番が少なかったですが、旧亀においてはレギュラーな悪役。
  シュレッダーの同盟者、ディメンションxからやって来たユートロム星人。
  一応はシュレッダーにとって上司の筈ですが、いまいち敬われておらず。
  地上波版での呼び名は『タコ』と散々な言われよう。
  今回はビデオ版を元にしていますので、オカマ口調ではありません。


次回予告

「父さん! 夜遅くまで遊んでいる子供たちを何者かが誘拐していると聞きます。
 まなは……彼女はお守りがあるから大丈夫だと思いますが……。

 次回——ゲゲゲの鬼太郎『夜廻』 見えない世界の扉が開く」

 次回のクロスは、ちょっぴり原点に返って真っ当な妖怪ものをシンプルに書きたいと思います。何とか今年中には書き切りたいですが……どうなることやら。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

夜廻 其の①

fgoユーザーの皆さん、『カルデア妖精騎士杯』のボックスガチャイベントお疲れさまでした!
皆さんはどれだけ回せましたか? 自分は……300箱まであとちょっとのところでフィニッシュでした。
ちなみに、今回のイベントでQPにだいぶ余裕が出来ましたので、今まで手を出していなかったレベル120への道に手を伸ばしてみました。
対象は『太歳星君』。コンたちとの思い出が忘れられず、彼をレベルMaxまで育てていこうかと思います。


今回のクロスオーバー作品は『夜廻』。本小説で初めてクロスした作品『深夜廻』の前作です。
この作品がヒットした影響か、日本一ソフトウェアが幼女に厳しいと言われ始めたのは……。
ちなみに、深夜廻のクロスでは原作のすぐ後を舞台にしていますが、今作の夜廻では原作の数年後を舞台にしております。

基本的に初回に書いた深夜廻の続きというわけではありませんが、ある程度の繋がりは匂わせています。
単体でも楽しめるようにはなっていますが、この機会に深夜廻の方も改めて読んでみてください。




 

 

 

 夜の怖さを 覚えていますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——『夜』——

 

 陽の光の下に生きる人間は寝静まり、人ならざる魑魅魍魎が跋扈する魔の時間帯。

 

 人という生き物は古来より本能的に暗がりを、闇を恐れた。

 

 闇に蠢くものたちから逃げるよう、夜の間は自分たちの領域である『家』へと立て篭もる。

 

 家の中で朝日が昇るのを、息を潜めて待つしかなかった。

 

 一方で魑魅魍魎も己の領分を弁え、自分たちの縄張り内を闇夜の間だけ狂騒に跋扈する。

 

 昔から『人』と『妖』はそのようにして、自分たちの生息圏を棲み分けしてきた。

 

 そこには互いを尊重し、共存しようとする意思が確かに存在していた筈だった。

 

 

 もっとも——それも遥か昔の話。

 

 

「——でさ!! そいつがマジうるさくって……」

「——もう一軒付き合えよ~! 飲みニケーションも仕事の一環だぞ!?」

「——可愛い子いますよ! 遊んでいきませんか!?」

 

 人類が闇を照らす術を手に入れて、数世紀。

 照らされるネオンの光に守られ、今日も人々が夜を動き回る。暗がりを克服したとばかりに我が物顔で街中を闊歩し、酔い潰れた泥酔者は無防備に路上へと寝っ転がる。

 闇への畏怖はどこへ行ったのやら。もはや人間は、夜というだけでは大して恐れも抱かない。

 夜に遊ぶことも、働くことも当たり前となって幾星霜。そこに人ならざるものたちの居場所などありはしなかった。

 

 

 

「キミたち可愛いね……俺たちと遊んでいかない? 奢っちゃうよ!」

「今日は朝まで騒いじゃおうぜ!!」

 

 時刻が深夜零時を回ろうとしていた頃だ。

 繁華街の一角で、数人の男子がその女子グループたちを呼び止めていた。彼らにも当然、闇への恐れなどあるわけもなく、夜遊びをしていた彼女たちに誘い文句を掛ける。

 

「えぇ~……どうしよっかな?」

「もう遅いし……そろそろ帰らなきゃだし!」

 

 その女子たちは、まだ十代後半の少女たちだった。

 夜の世界にちょっぴり危ない方向で憧れを抱いた女の子。精一杯のおめかしで背伸びをし、大人の振りをしてでも街に居場所を求める。

 もしかしたら今日で大人の階段を登るかもしれないなどと、期待と不安を胸に抱く一方、流石にそれはまだ早いと理性が働く子もいる。

 

「それに……夜遅くまで遊んでて、妖怪とかに襲われたら怖いし~!!」

「…………!」

 

 男性たちの誘いを断る理由付けか、妖怪などというものの名前を借りる。

 無論、半分は冗談だ。しかし——もう半分は決して冗談で済まないのが、今の日本の有り様である。

 

 既に妖怪の存在が認知され、数ヶ月前にも彼らとの間で戦争を引き起こした事実がある。男たちも妖怪と言われ、ほんの僅かに身を固くする。

 

「大丈夫だって!! こうやってみんなで一緒にいれば……あいつらだって下手なことは出来ねぇよ!!」

「キャッ!!」

 

 もっとも、すぐに気を取り直した男の一人が少女の肩に手を回す。

 妖怪という存在への警戒心は確かにあるが、それよりも今は若い狼の欲求を満たそうと。何としてでも女の子たちを『その気』にさせたかった。

 

「も~……しょうがないわね~!」

「じゃあ、ちょっとだけなら……」

 

 その男性たちがよっぽど好みの美形だったのか、少女たちも多少は乗る気になっていく。

 とりあえず、まずは軽く一杯。その後のことは成り行きに任せようと、男たちと共に夜の街へと消えていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——ひぃっ!? ひゃあああああ!!」

「——やや……やばいって!? 逃げろ、逃げろぉぉぉおおお!!」

 

 だが、男たちが少女たちをその気にさせる暇などなく、彼らの情けない絶叫が路地裏に響き渡る。

 

 男たちは見せかけの外面の良さなどあっさりと捨て去り、我が身可愛さに少女たちを見捨てて逃げ出していた。

 彼女たちを囮にしたおかげか、それとも初めから狙われてもいなかったのか。いずれにせよ、彼らはそれで助かった。

 

「待って、待ってよ!? なんで逃げるの!?」

「いや……いやぁああああ!!」

「ママ!! ママ!!」

 

 だが少女たちは、その足が『闇』へとどっぷり浸かってしまっていた。

 まるで底なし沼に嵌ったかのように、地面に広がる暗黒へと少しずつ、少しずつ身体が引き摺り込まれていく。

 

「やだ……助けっ——」

 

 何とか助かろうと手を伸ばすも、最後にはその全身が闇の中へと沈んでいく。

 

 

 

 

 

 そうして少女たちを飲み込むや、すぐに『闇』もその場から消え去る。

 

 あとに残ったのは静寂のみ。静かになったその裏路地に——。

 

 

『————————』

 

 

『夜を廻る者』が、ただ閑静と佇んでいた。

 

 

 

×

 

 

 

「——みんな、おはよう!!」

 

 調布市のとある中学校。今日も今日とて、生徒たちが笑顔で挨拶を交わす、活気に満ちたクラス内。この学校の生徒である犬山まなも、教室に入るやすぐに仲の良い友人たちの元へと駆け寄っていく。

 

「おはよう、雅!! 彩も……姫香も!!」

「おはよう、まな。朝から元気だね……」

 

 まなの挨拶に真っ先に返事をしたのが、彼女の親友・桃山雅だ。

 朝に弱いのか少し気怠げな様子ながらも、元気一杯なまなを前に笑みを零す。

 

「おはよう、まな!」

「おはようございます、まなさん!」

 

 眼鏡の少女・石橋綾が笑顔で手を振り、上品な振る舞いで辰神姫香が微笑みを浮かべる。

 

「それで……どうだった、まな? 今年のGWは?」

 

 そうして、仲睦まじい四人の少女たちが一箇所に集まるや、まずは雅がまなに話題を振る。話の内容は今年の大型連休・GWについて。

 

 既に季節も五月の上旬。この時期になると連休疲れからか、通常の生活リズムに戻るのが苦となり、不登校や会社を辞める社会人の数が急増したりするもの。

 しかし、学校で友達と再会するのを楽しみにしていた少女たちがそのような憂鬱に襲われることはない。彼女たちは互いに連休の間、何をしていたかそれとなく話をしていく。

 

「う~ん……今年は、特にどこにもいかなかったかな……」

 

 もっとも、今年のGWは何もなかったと。犬山まなが残念なことを口にした。

 

「ほら……なんていうか、今年は物騒だったみたいだし……妖怪とかに壊されたとかで、結構やってない施設とか多かったみたいでさ」

「…………」

「…………」

「…………」

 

 まなとしては比較的明るく言ったつもりだったのだが、その発言に三人の少女たちが沈痛な面持ちで押し黙る。

 

 

 妖怪。

 まな自身は最近になって知ったことだが、今の日本ではそういった得体の知れないものが度々出没するようになってしまったらしい。

 その影響は、まなが『知らない間』に起きて終わっていた戦争とやらが終結した後も、未だ人間社会に暗い影を落としている。

 大規模な争いこそ収まってはいるものの、突発的な妖怪との衝突が各地で発生したりする。それが、今の日本の現状なのだ。

 

 

「あっ、朝からごめんね! なんか……怖がらせるようなこと言っちゃって……」

 

 友達が皆黙ってしまったことに、まなは気まずげに謝罪を口にした。

 まな自身、少なからず妖怪に襲われたりして怖い思いをしたのだ。もしかしたら雅たちも、何かしらの被害に遭ったのかもしれないと。まなは自身の迂闊な言動を反省する。

 

「犬山さん! ちょっといいかな!?」

「えっ、あ……うん! どうかした?」

 

 すると、若干友達同士で微妙な空気になっていたところに他所からお声が掛かった。

 

「隣のクラスの子が、何か用事あるみたいなんだけど……」

 

 どうやら、別のクラスの友人がまなに面会を希望していたようで。

 

「分かった! 今行くね!!」

 

 その呼び掛けにまなは快く応じ、暫しの間席を離れていく。

 

 

 

「まな……やっぱりないんだね、妖怪との記憶が……」

 

 他のクラスの子と廊下で話すまなに視線を送りながら、雅は溜息を吐くように呟く。

 

「うん……そうみたい……」

「妖怪に関しては……まなさんが一番の当事者でしたのに……」

 

 綾も姫香も、複雑そうな表情で顔を曇らせている。

 あんな風に、妖怪について他人事のように話す彼女を見て、どのように反応していいか内心かなり困惑していた。

 少なくとも二年前から今年の三月までの間なら、まなはこの中の誰よりも妖怪について詳しい筈だった。

 ゲゲゲの鬼太郎の友達であり、彼らの住処であるゲゲゲの森へも頻繁に出入りしていたとも聞く。

 

 

 だが、今のまなには——妖怪との記憶がない。

 彼らとの思い出だけが、すっぽりと抜け落ちているとのことだった。

 

 

「皆さんは……鬼太郎さんから何か聞いたりしていますか?」

 

 そんなまなの現状に対し、姫香がそれとなく皆に訪ねる。

 

 幸いなことに人間の友人である彼女たちは何事もなく、今まで通りまなと接することができていた。

 しかし、鬼太郎や猫娘といった妖怪たち。彼女たちも一応の面識はある、そういった面々が今のまなとどのような距離感でいるのか、それが気になってしまう。

 

「私は、まなのお母さんから聞かされたこと以上のことは何も……」

 

 友達の疑問に、雅は首を横に振りながら答える。

 まなの記憶が失われた事実に関して、この場にいる全員が彼女の母親である純子から話を聞かされていた。彼女は詳しい経緯は語らなかったし、決して誰かを責めようともしなかった。

 

「そういえば……この前、猫姉さんって人が直接うちの店に来たんだけど……」

 

 しかし当の妖怪たち、取り分けその原因となったゲゲゲの鬼太郎はだいぶその事実を気にしているらしく。

 この間、綾の両親が経営している喫茶店『モモ』に、鬼太郎の代わりに猫娘——まなが猫姉さんと慕っていた女性が来店し、少しだけ綾と話をしたとのことだ。

 

 鬼太郎の代わりに詳しい経緯を語った彼女は、決して鬼太郎を責めないでくれと終始頭を下げていた。

 まなに危険な橋を渡らせてしまったことへの謝罪など、色々なことを話したが——。

 

『——まなのこと……よろしくお願いね』

 

 一番最後、寂しそうに紡がれたその言葉が綾の印象に強く残ったとのことだ。

 

「そっか……」

「…………あの人たちも、寂しいんですね……」

 

 そのような話を聞かされ、雅たちはますます複雑な表情になる。

 猫娘の切実な言葉からは、自分たちが関わることの出来なくなってしまった、犬山まなという少女の今後を託す。そういった強い思いが感じられた。

 その思いに果たして自分たちは答えられるのかと、少し重めな空気が彼女たちの間に漂う。

 

 

「——お待たせ!! ……って、みんなどうしたの!?」

 

 

 だが、そんなどんよりとした空気を払拭するよう、元気溌剌なまなが笑顔で戻ってきた。

 他の友達との会話がよっぽど盛り上がったのだろう、爽やかな空気感が雅たちの間にも広がっていく。

 

「まな……アンタって子は! 人の気も知らないで、もう~!!」

 

 これに雅がやれやれとため息を吐きながらも——やはり自然と笑みを零してしまう。

 

 まな自身、記憶の欠落があってきっと不安を抱いているだろうに。そんな気持ちをおくびにも出さず、いつも通りに振る舞っている。

 そんな彼女のにこやかな笑顔を前にしては、何だか色々と考えて悶々とする自分たちが馬鹿らしくなってしまうというもの。

 

「ほんと、まなっていつも元気だよね……」

「ふふふ……でも、まなさんらしいです!」

 

 綾と姫香も似たような気持ちを抱いたのだろう。自分たちの心配も懸念も取り越し苦労だと、微笑みを浮かべる。

 

 

 そうだ、難しく考える必要などない。

 幸いなことに、自分たちとまなとの関係には何の変化もないのだから。

 

 今まで通りに、今まで以上に彼女と一緒にいてあげればいいだけの話だと。

 

 

 それが——犬山まなと『人間』の友達である自分たちにできることなのだと、皆が気持ちを同じくしていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——それじゃあ……今日はここまでだな!」

 

 そうして、その日は何事もなく平和に過ぎていった。

 既に時刻は放課後となり、HRでの連絡事項などを伝え終えたまなたちの担任・小谷が生徒たちに別れの挨拶を告げようとする。

 

「ああ、そうそう……」

 

 だが、そこで何かを思い出したのか。彼は僅かに緊張感を漂わせながら、真面目な顔付きで皆に大事なことを伝えていく。

 

「最近……みんなと同じくらいの子たちが次々に失踪しているって話だ。ひょっとしたら、妖怪の仕業かもしれないって言われてる……」

「……!!」

 

 教師の口から、妖怪に気を付けるようにという学校側から正式に注意喚起が促されたのだ。その言葉に大半の生徒たちが身を固くし、教師の話に聞く耳を傾ける。

 

「寄り道しないで気を付けて帰れよ! お前たちも今年で受験生なんだから、大人しく家で勉強でもするように!!」

「げぇ~!? 先生、それは言わないお約束でしょ!?」

 

 だが怯えさせるだけではない。生徒たちの不安を極力減らそうと、小谷はそこに冗談を交えていく。もっとも、今年から受験生となった少年少女たちにとっては、寧ろそちらの方が大問題だ。

 

 ある意味、妖怪よりも恐ろしい現実を前に皆が揃って苦い顔をしていた。

 

 

 

「まな、私たちも帰ろう!」

「うん、そうだね。大人しく……家で勉強でもしてよっか?」

「そうですね、それがいいと思います!」

「気は進まないけどね、はぁ~……」

 

 先生から注意を受けたこともあってか、まなや雅たちも真っ直ぐ帰宅する道を選ぶ。

 いつもであれば友達と遊びに行ったり、買い物に行ったりと多少の寄り道はするのだが、流石にあのような話を聞いた後だとそんな気もなくなる。

 大人しく家に帰り、気は進まないが受験生らしく勉学に励もうと互いに声を掛け合った。

 

 

「——ねぇねぇ、これからカラオケにでも行かない? そろそろ新曲入った頃だしさ!」

 

 

 その一方で、教師の話などまともに聞き入れない生徒も一定数いる。まなたちとは別の女子グループの一人が、他の女子を放課後のカラオケへと誘おうとしていた。

 

「えぇ~、どうしよっかな? 妖怪とか……やっぱちょっと怖いし……」

 

 誘われた女子は乗る気でない様子を見せる。しかし無下に断ることもできないのか、曖昧な返事しか返せない。

 

「……ちょっと香凛、先生の話聞いてなかったの? 夜は危ないんだから、さっさと家に帰りなよ……」

 

 これにまなはその女子生徒・香凛という少女に横合いから声を掛ける。

 

 カラオケに行こうと言い出していた山根(やまね)香凛(かりん)というロングヘアの少女は、一応まなのクラスメイトだ。だがどうにも、まなとは反りが合わないのか普段はあまり言葉を交わさない。

 犬猿の仲というほどでもないのだが、何となくお互いを避けているような感じである。

 

「……別にまなには関係ないじゃん。アンタを誘ってるわけじゃないんだから……でしゃばらないでくれる?」

「むっ!!」

 

 だからなのか。注意された香凛は顔を顰め、あからさまにまなを煙たがる。まなの方も、露骨に自分を卑下する相手の言葉に口を尖らせた。

 

 まなは香凛に特別何かをしたことは『覚えていない』。だが、香凛はまなという少女の『良い子ぶった』ところが癪に障るらしい。

 噂話だが、学校の裏サイトなどでまなの悪口を度々呟いているとも聞く。

 

「あのね……!! 実際に人がいなくなってるんだよ!! それなのに遊びに行こうだなんて……非常識だと思わないわけ!?」

「ちょっ……ちょっと、まな……」

 

 そういった噂もあってか、まなも決して香凛に対して良い印象を抱いていない。

 売り言葉には買い言葉と、負けず嫌いな面もあり思わず言い返してしまう。ヒートアップするまなを、流石に雅たちが止めに入ろうとするが。

 

 

「——犬山さんの言う通りだと思うよ、香凛ちゃん?」

 

 

 だがそんな二人の間を取り持つように、一人の女子生徒が割って入る。

 

「!! あなたは……ええっと……」

 

 その女子もまなたちのクラスメイトだったが、すぐには名前が出てこない。

 それもその筈、彼女は今年に入ってからこの学校に編入してきた転入生だ。新学期とはいえ三年生になってから転校してきたという女子生徒、名前は確か——。

 

「夜野田……コトモだっけ? アンタも……妖怪がどうのって説教するつもり?」

 

 彼女の名前を思い出しながら、香凛はその子にも横柄な態度で接する。

 

 夜野田(よのだ)コトモ。それがその少女の名だ。

 赤いカチューシャに、赤いリボンを付けた彼女は、一見すると大人しめな小動物のようだ。実際、まなと香凛の間に割って入っている今も、困惑するようにオドオドとしている。

 

 だが、何より目を惹いたのが——その片目だ。

 

 彼女の左目は、眼帯によって塞がれていた。転校初日の挨拶で、彼女はその瞳が二度と開かないものであると淡々と語った。

 片目でしかものを見れない関係上、皆に迷惑を掛けるかもしれないと心底申し訳なさそうに頭を下げていた。

 

「夜野田さん……?」

 

 そういった彼女の境遇に皆が同情してか。それとも単純に転校してまだ日が浅いせいか。彼女は未だにクラス内で浮いた存在だった。

 そんな彼女が自分から声を上げたことに、まなは少し驚いている。

 

「……もうすぐ日が暮れる……」

 

 コトモは、静かに窓の外へと目を向けた。

 彼女の言葉通り、夕日が傾いて外が暗くなり始めている。あと一時間も経てば、世界に完全な『夜』が訪れるだろう。

 

「外が暗くなる前に帰らないと……」

 

 彼女は確実に訪れるであろう闇夜を前に淡々と、ただ淡々と。あるがまま事実のみを述べていく。

 

 

 

「——よまわりさんに、連れていかれちゃうからね……」

 

 

 

「——っ!!」

「——っ!?」

 

 瞬間、まなと香凛の背筋にゾクリと冷たいものが走る。

 

 コトモは驚かそうとしたわけでも、脅そうとしたわけでもない。本当に当たり前のように。まるでそれが世界の常識であるかのように、はっきりその言葉を口にしたのだ。

 妖怪などという、大まかな定義ではない。はっきりと『よまわりさん』なる固有名詞を当然のように用いてきた。

 彼女の実感のこもった言葉は妙なリアリティを生み、まなたちに得体の知れない恐怖心を抱かせる。

 

「ば、馬鹿馬鹿しい!! 何が……よまわりさんよ!!」

 

 だが、その恐怖感を必死に否定するよう、香凛は怒ったように声を荒げる。そして、そそくさと乱暴な足取りで教室から立ち去ってしまう。

 

「…………」

 

 香凛が立ち去ったクラス内は暫し静寂に包まれた。気まずげな空気を前に誰も何も言えず、時間が止まったような錯覚さえ覚える。

 

「それじゃあ……わたしも家に帰らないと行けないから。犬山さん、また明日ね……」

「あっ……う、うん。また明日……」

 

 そんな中、コトモは少し寂しそうに香凛の立ち去る背中を見つめつつ、さりとてすぐにその後を追うわけでもなく。自身も暗くなる前に帰らねばと、真っ直ぐ帰宅の途についていく。

 

 コトモの別れの挨拶にまなは反射的に言葉を返すも、その表情は困惑に彩られていた。

 

 

「…………よまわりさん……って、何?」

 

 

 疑問を口にするまなであったが、その問いに応えてくれるものは誰もいなかったのだ。

 

 

 

×

 

 

 

「——よまわりさん……ですか?」

 

 まなが学校でその名を耳にしていた頃、奇しくも彼——ゲゲゲの鬼太郎もその名を口にしていた。

 

「は……はい、そうなんです。よまわりさんが……ここ最近、この辺りで頻発している子供たちの失踪に関わっているかもしれないんです……」

 

 鬼太郎にその名前を教えたのは、高校生の少女だった。

 夜野田トモコ。そう名乗った依頼者は、落ち着きのない様子で喫茶店の紅茶に口を付ける。芳しい香りでどうにか緊張を和らげ、妖怪ポストに手紙を出してまで鬼太郎に助けを求めた経緯を語っていく。

 

「私たちは……今年の春、父の仕事の都合で東京に引っ越して来ました」

 

 トモコは父親と、あとは妹が一人いるらしい。三人家族で東京に越してきたという。

 

「それまで私たちはずっと……とある町に暮らしていました。その町では夜になると……奇怪なお化けたちが夜道を歩く人間を追いかけてくるんです」

「…………ん? 夜になると……どこかで聞いたことのある話じゃぞ!?」

 

 彼女の話に鬼太郎の頭からひょっこり目玉おやじが顔を出す。

 

「お嬢ちゃん、もしかしてその町というのは——」

 

 彼はトモコが住んでいたという町がどの辺りにあるものか、具体的な地名を尋ねる。

 

「そ、そうです! そこは隣町ですけど……その周辺に私たちも住んでました!! め、目玉おやじさんは知っているんですか!? あの町のことを?」

 

 昨今の社会情勢もあり、トモコも目玉おやじ自体に驚きはしない。しかし、彼が自分たちの故郷について知っていたことに食い気味に反応する。

 

「昔の話さ。あの街の夜を……ボクたちもあの子と一緒に乗り越えた……」

 

 鬼太郎が珍しく感慨深げに答える。

 いつだったか、鬼太郎たちもその町の『夜』を体験した。正体不明のお化けたちが徘徊する夜道、神格が堕ちて穢れてしまった荒神、人々を言葉巧みに死へと誘おうとする『何か』。

 そういった怪異たちと向き合い、立ち向かい、そして生き残った。

 流石の鬼太郎たちも、自分たちだけではあの夜を乗り越えられなかっただろう。鬼太郎たちが無事に生還できたのも、一人の少女の奮闘があってこそだった。

 

「ハルちゃんと言ったか……あの子は今、どこで何をしておるか……」

 

 その少女の名を、目玉おやじが懐かしむように口にした。たった一夜の出来事ではあるが、それだけ印象深い記憶だ。

 既にあれから何年も過ぎた。小学生だったあの子も、今では犬山まなと同じ中学生くらいにはなっているだろうと予想する。

 

「そ、そうだったんですか! ……けど、よまわりさんのことはご存じないんですね……」

 

 鬼太郎たちの体験談にトモコが目を丸くする。

 しかし、そんな彼らでも『よまわりさん』については知らないらしく、改めてそれがどのような存在なのかを一から説明していく。

 

 

 

「よまわりさんは、私たちの町で昔から語られている……都市伝説のような存在です」

 

 人面犬や、血だらけの長い髪の女。笑い声を上げながら迫ってくる子供の霊に、大百足。

 夜になると大小様々な怪異が徘徊する町だが、そんな中においても——よまわりさんは他のお化けとは一線を画す存在らしい。

 

「よまわりさんが狙うのは子供です。夜道を歩いている子供と目が合うと追いかけてきて……捕まると持っている袋に詰め込まれて、そのまま連れて行かれてしまうんです……」

 

 よまわりさんについて説明しながら、トモコは適当な紙にそれの絵を描いていく。

 

 それは——白いのぺっりとした仮面に、ミミズのような黒い胴体。いくつもの触手が手のように生えており、その手には灰色の袋が握られている。

 ちょうど人間がすっぽりと入る大きさだ。その袋の中に子供を閉じ込めるということだろう。

 

「ただ……子供を連れ去りはしますが、それ以外の危害を加えてはきません。それによまわりさんがいると、他のお化けたちが寄って来なくなるんです」

 

 一方で、よまわりさんは『子供を連れ去る』以外のことは基本しないという。さらによまわりさんが近くにいると、他のお化けたちが襲って来なくなるというのだ。

 

「もしかしたら……よまわりさんは、子供を守っているのかもしれません。夜の怖いものたちから……私たちを遠ざけようとしているだけなのかも……」

 

 そういった情報を元に、トモコは憶測だが自身の考えを述べた。

 よまわりさんは子供たちを他の怪異から守ろうとしている。その手段として子供を連れ去っていく存在ではないかと。

 

「じゃが……キミはよまわりさんが、子供たちの失踪事件に関わっていると疑っておる。キミ自身……奴を信じ切ることができておらんのではないかな?」

「…………」

 

 だがそれが彼女の意見だとすると、何故鬼太郎たちに手紙を送ってきたのかという疑問が生まれる。

 それに実際に未成年の少年少女が失踪し、未だに見つかっていないという事件が多発している以上、それを放置することもできない。

 

「……トモコさんは、ボクに何をして欲しいんでしょうか?」

 

 まず、トモコの真意がどこにあるのか。鬼太郎は改めて彼女に依頼内容を確認する。

 

「…………私こっちに来れてから、ずっと安心してたんです……」

「ん?」

 

 すると依頼と関係があるのか。トモコはポツリポツリと自身の心情を吐露していく。

 

「あの町と違って……ここは夜になっても、お化けたちが徘徊なんてしませんから。この街なら……あの子も、妹も羽を伸ばすことが出来るんじゃないかと、そう思ってたんです……」

 

 彼女たちの住んでいた田舎町のように、夜とはいえあんなにも多くの化け物どもが歩き回る場所などはっきり言って異常地帯だ。

 だが町の住人はそれを当然のように受け止め、事態の究明や解決に乗り出そうなどとは思わない。

 意味も分からないまま、怪異と向き合い続けなければならない田舎町。そのような町から離れられて、正直ホッとしている部分もあったと言う。

 

「けど!! こっちに引っ越してきてから暫くして……妹が私に言うんです」

 

 ところが、トモコの妹さん。彼女は当然のように言ったという。

 

 

『——お姉ちゃん……今日もよまわりさんが、わたしを見てるよ?』

 

 

 彼女の妹はよまわりさんと縁が深い人物らしく。とある事件をきっかけに、彼女はずっとよまわりさんから見張られているとのことだ。

 

「よまわりさんは……あの町から妹を追ってきたんです!! こっちに来たよまわりさんが、何を仕出かすか……正直、私にも分からないんです!」

 

 トモコも、まさかよまわりさんがあの町を離れてまで妹を追ってくるとは思ってもいなかった。この東京でよまわりさんがどのような影響をもたらすか、予想がつかないという。

 

「お願いです、鬼太郎さん! もしも、よまわりさんがこの街で子供を連れ去っているのなら……何とかしてやめさせないと!! このままだと、取り返しの付かないことに……妹にも、あの子にも何が起きるか!!」

 

 東京のような都会で子供が夜道を歩くなど、はっきり言って日常茶飯事だ。ここは怪異が蔓延るような田舎町でもないのだから、わざわざよまわりさんが子供を連れ去る意味もない。

 よまわりさんがそんなことも分からず、あの町の夜のように子供たちを攫っているのならば、すぐにでもそれを止めなければならない。

 他の子どもたちは勿論、妹への被害も心配し、トモコは藁にもすがる思いでゲゲゲの鬼太郎に助けを求めたのだった。

 

「……分かりました。ボクに出来ることであれば……」

 

 トモコの切実な叫びに、鬼太郎も力強く頷く。

 鬼太郎としても、よまわりさんの行動を放置することはできないと、この依頼を引き受けることにした。

 

 

 

×

 

 

 

「まさか……またあの町の関係者に関わることになるとはね……」

「あれから何年も経ってるのに……あの町は未だに変わっていないらしい……」

 

 トモコの頼みを引き受けた鬼太郎は一度ゲゲゲの森へと戻った。そして頼りがいのある仲間として猫娘に声を掛ける。

 彼女も、共にあの町の夜を乗り越えたものの一人だ。猫娘の中でもあの事件はかなり印象に残っており、その町から都会へ引っ越してきたという夜野田一家には感慨深いものを抱かずにはいられない。

 

「う~む……しかしよまわりさんか。そんな名前の妖怪、見たことも聞いたこともないが……」

 

 既に日が暮れた住宅地の夜道を歩く中、目玉おやじは鬼太郎の頭の上で考え込む。

 

 あの事件の後のことだが、目玉おやじは『あの町』について色々と調べたことがあった。ゲゲゲの森の図書館にあの町に関わる伝承でも残っていないかと、文献を片っ端からひっくり返したものだ。

 その甲斐もあってか、『縁切りの神・理様』や『悪縁を結ぶ祟り神・山の神』など。あの事件に関わっていた怪異がどういったものだったのか、ある程度のことまでは調べが付いた。

 

 しかし、あの町一帯がどうして『ああなってしまったのか?』など、肝心な部分はやはり何も分からず。

 さらに『よまわりさん』なるものの記述も、目玉おやじが調べた限りでは見つけることも出来なかった。

 

「おそらく……地元の口伝だけで伝わっているような存在なのじゃろう。話が通じる奴であれば良いんじゃが……」

 

 目玉おやじは今回の事件・子供たちの失踪に関与しているかもしれない、よまわりさんという存在に考えを巡らせる。

 

 奴がどういった理由で子供を攫っているのか、そこにどんな目的があるのか。連れ去られたものたちが未だに無事でいるのか、聞き出さなければならないことが山ほどある。

 鬼太郎たちの問いに答えてくれるような存在なのかという疑問は残るが、それでもよまわりさんに近づかなければ話も進まないだろうと腹を括っていく。

 

 

 

「——トモコさん、ボクです。ゲゲゲの鬼太郎です」

 

 そのためにも、まずは情報収集と。鬼太郎たちは依頼者である夜野田トモコ、彼女の住むアパートを訪れていた。

 

「鬼太郎さん! よく来てくれました!!」

 

 改めて顔を合わせたトモコは、鬼太郎たちの来訪を歓迎してくれた。

 ここ最近は特によまわりさんに対する恐怖が募っていたのだろう。猫娘のような凛々しい女性まで加わり、心底嬉しそうにその表情を明るくする。

 

「どうぞ上がってください。父は今日も仕事で留守にしています……妹なら、今お風呂に入って……」

 

 彼女の父親は仕事で家を空けることが多いらしく、母親も彼女が幼い頃にいなくなったらしい。

 昔からトモコは妹と二人で過ごす時間が多く、その妹さんが——よまわりさんに『見張られている』とのことだった。

 

 鬼太郎はその妹さんから、よまわりさんについて詳しい話を聞こうとしていた。トモコの話によると、妹の方も常によまわりさんの存在を意識しているらしい。

 彼女が今のよまわりさんにどのような印象を抱いているか。それだけでも情報の乏しい、よまわりさんという存在への手掛かりになるかもと期待する。

 

「——あれ? お姉ちゃん……その人たち、誰?」

 

 すると鬼太郎たちが訪問した、そのタイミングで例の妹さんが顔を出す。風呂上がりらしいパシャマ姿の少女。乾かした髪を下ろし、頬がやや上気している。

 だが、何より目を引くのが——左目の眼帯。事故か何かで負傷しているのか、その左目部分に手を触れながら、彼女は怪訝な表情で鬼太郎たちが何者なのかと質問する。

 

「ゲゲゲの鬼太郎さんよ、さっき話したでしょ? 鬼太郎さん……この子が妹のコトモです」

 

 妹の問い掛けに姉が答える。トモコは鬼太郎に妹を——夜野田コトモを紹介する。

 今年で中学三年生らしい彼女は、奇しくも鬼太郎たちの友人・犬山まなと同い年であった。まなよりどこか幼い印象を受けるが、それでいて落ち着いた雰囲気を纏ってもいる。

 

「初めまして、コトモちゃん。わしは目玉のおやじ……鬼太郎の父親じゃ」

 

 初対面ということもあり、目玉おやじが優しくコトモに声を掛ける。

 

「済まないが、キミが知る限りで良い。よまわりさんについて、色々と教えて欲しいんじゃよ」

 

 目玉おやじは端的に、よまわりさんについて知りたいと。自分たちが来訪した目的を告げ、コトモから直接話を聞きたいと願い出る。

 すると、コトモは本当に——心底から不思議そうに首を傾けながら、鬼太郎たちに視線を向ける。

 

「えっ? よまわりさんについて? けど、よまわりさんなら……」

 

 そして、鬼太郎たちの方を指差し——。

 

 

 

「——そこにいるよ?」

 

 

 

 と、事もなげに呟く。

 

 

 

「——っ!?」

 

 

 刹那、鬼太郎の妖怪アンテナが悪寒と共に総毛立つ。まさかと、鬼太郎が後ろを振り返ると——。

 

 

「————————」

 

 

 そこには——当たり前のように『よまわりさん』の姿があった。

 トモコの絵に描かれた通りの奴が——夜野田家の玄関に静かに佇んでいたのだ。

 

 

「ひぃっ!? よ、よまわりさん!?」

「ば、バカな……!?」

 

 これにトモコも、目玉おやじですら驚愕する。

 夜道を歩かない限り遭遇することもないと思っていた怪異が、安全な筈の家の中にいつの間にか上がり込んでいたのだ。驚くなと言うほうが無理な話だろう。

 

「猫娘!!」

「——!!」

 

 しかし、鬼太郎たちも戸惑っているだけでは終わらない。鬼太郎が猫娘に向かって叫び、彼女もその呼び掛けにすぐさま反応する。

 

「アンタたち、下がってなさい!!」

「髪の毛針!!」

 

 猫娘は夜野田姉妹を下がらせ、鬼太郎がよまわりさんに牽制の意味を含めて攻撃を加えていく。高速で打ち出される鬼太郎の髪の毛が、よまわりさんへと迫る。

 

「————————」

 

 だが、よまわりさんも鬼太郎の髪の毛針を悠々と躱す。踵を返し、玄関の扉をすり抜けてあっさりとその場から撤退していく。

 

「追うんじゃ、鬼太郎!!」

「はい、父さん!! 猫娘、彼女たちを頼む!!」

 

 いきなりの遭遇で驚いたものの、この機を逃さない手はなかった。

 鬼太郎は父親の助言通り、すぐによまわりさんの後を追い、万が一のために猫娘は姉妹の側に残していく。

 

 

 

 

 

「待て、よまわりさん!!」

 

 そうして、よまわりさんを捕まえようと外に飛び出した鬼太郎。

 だが彼の妖怪としての身体能力を持ってしても、その背中に追い縋るのがやっとだった。よまわりさんは、海中を泳ぎ回る軟体動物のように空中をかなりの速度で浮遊している。

 人気のない住宅地、鬼太郎はよまわりさんを見失わないようひたすら走り続けた。

 

「————————」

 

 両者の鬼ごっこは暫くの間続いた。だが唐突によまわりさんは空き地へと逃げ込み、そこで立ち止まる。

 

「油断するでないぞ、鬼太郎……まだ奴に関しては分かっていないことが多すぎる……」

「ええ……」

 

 よまわりさんを追い詰めた鬼太郎だが、決して油断はしない。相手がどのような行動に出ようと対処できるよう、相手との距離を冷静に測っていく。

 無人の空き地で、鬼太郎とよまわりさんは静かに対峙していた。

 

「よまわりさん。どうして夜野田家に姿を現した? お前が、子供たちを連れ去っている犯人なのか……答えろ!」

 

 鬼太郎は、よまわりさんに向かって強めの口調で詰問する。

 何故、よまわりさんは夜野田家のコトモちゃんを見張っているのか。この東京でも子供たちを攫っているのか。子供を連れ去るその真意はどこにあるのか。

 問い質さなければならないことが多過ぎる。

 

「————————」

 

 しかし、よまわりさんは何も答えない。

 鬼太郎の言葉が聞こえているのかも分からない様子で、のっぺりとした仮面、その線のような目らしき部分でボーッと虚空を見つめている。

 

 すると、次の瞬間にも——何の前触れもなく、その姿が徐々に透明になっていく。

 

「……っ! リモコン下駄!!」

 

 慌ててリモコン下駄を放つ鬼太郎だったが、僅かに遅かった。

 下駄は体が透けていくよまわりさんをすり抜ける。そして、よまわりさんはそのまま空気に溶け込むかのように消えてしまった。

 

「……逃げられてしまったようじゃな……」

「…………」

 

 どうやら逃走を許してしまったらしいと、目玉おやじが悔しがる。

 

 せっかくの手掛かりを失い、鬼太郎は誰もいない空き地で呆然と立ち尽くすしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……全く! 何が妖怪よ!! 何がよまわりさんよ!! そんなの……全然、怖がる必要なんかないんだから!!」

 

 暗い夜道を、山根香凛はぷんぷんと怒りながら歩いていた。

 

 放課後のHRで先生から早めに帰宅するように言われ、いけ好かないクラスメイトからも苦言を呈された彼女だったが、それらの助言を全て無視し、先ほどまで一人でカラオケを楽しんでいた。

 もっとも、一人ぼっちではいまいち乗り切れず、二時間もしないうちにカラオケを後にし、自宅への帰路についている。

 せっかく少しでも受験生としてのストレスを発散しようとしたのに、かえって不満を溜める結果となった。

 

「ああ~……もう!! ほんとムカつく!! それもこれも……全部まなのせいだし!!」

 

 彼女の怒りの矛先は、もっぱら犬山まなへと向けられる。

 前々から、まなのことを『良い子ちゃん』と気に入らなかった香凛。教室での口論のこともあり、今回の憤り、湧き上がる怒りを全てまなのせいにし、更に彼女への悪感情を募らせていく。

 

「あいつの悪口……また裏サイトに書き込んでやるんだから!! 見てなさいよ……!」

 

 香凛は激情のままスマホを取り出し、いつも利用している学校の裏サイトにまなの悪口を書き込もうとした。

 少しでも憂さが晴れればいいという短絡的な思考、そこにまなへの配慮などない。そのコメントを見て誰が傷つこうが、そんなのは彼女の知ったことではなかったのだ。

 

「……ん?」

 

 ところが、いざコメントを書き込もうとした直後——奇妙な音が聞こえてきたことで香凛は手を止める。

 

「……何これ? 鈴の……音?」

 

 それはいくつもの鈴が一斉に鳴り響くような、シャランシャランと響く金属音。さらにはカツンカツンと、杖を突く音まで一緒に聞こえてくる。

 しかし辺り一帯に人影らしきものは全くない。音だけが、不気味に鳴り響いてくるのだ。

 

「……だ、誰!? 誰か……いるの!?」

 

 叫びながら、周囲を警戒する香凛。

 妖怪なんか怖くないと強がっていた彼女だが、それも虚勢に過ぎない。人間である以上、闇への根源的な恐怖は決して拭いきれるものではない。

 真っ暗な夜道。何かがその闇の向こうから顔を出してくるかもしれないという危機感から、足が竦みそこから動けなくなってしまう。

 

 

 次の瞬間——震えていた彼女の足がガクンと沈んだ。

 

 

「えっ? な、なに……なんなの!?」

 

 いきなり足元がおぼつかなくなったことに混乱しながらも、香凛は視線を地面へと向ける。

 

 視線の先には『闇』があった。

 真っ暗な暗黒、絵の具で黒く塗り潰されたかのような地面が——彼女を飲み込まんと広がっていたのだ。

 

「ひぃぃっ!?」

 

 咄嗟にその闇から足を引き抜こうとするが、ビクともしない。そのまま抵抗などする暇もなく、香凛の全身が闇の中へと引き摺り込まれていく。

 

「い、いや!! なになになになに!! なんなの……なんなのよ、これ!!?」

 

 恐慌状態に陥りながらも必死に助けを求める少女。だが助けなど来ない。人気のない夜道を選んで歩いていたのは彼女自身の意志だ。

 

「い、嫌!! だ、誰か……助け——」

 

 だから、これは当然の結末。

 他の不用心な子供たちがそうであったように、彼女も己の不注意のツケを払うこととなるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、香凛の悲鳴も途絶えたことで辺りに静寂が戻ってくる。香凛が耳にした奇妙な音も、今は鳴り止んでいる。

 

 

 最後まで助かろうと手を伸ばしていたためか、香凛の手から滑り落ちた彼女のスマホが現場に残されていた。

 

 

 すると、そのスマホを——。

 

 

 

『————————』

 

 

 

 その触手で、よまわりさんが拾い上げた。

 

 

 

 




人物紹介

 夜野田コトモ
  伝説の幼兵。『夜廻』さんの主人公。
  ゲームでは明かされませんが、公式で名前が『ことも』となっております。
  今回は読みやすいようカタカナ表記。
  苗字はオリジナル、とりあえず『夜』という漢字を入れたかった。
  原作から数年経過し、現在中学三年生。
  心身ともに成長した彼女が、改めてよまわりさんと向き合っていく物語です。

 夜野田トモコ
  幼兵の姉。こちらも公式の設定で名前が『ともこ』になっています。
  原作だとゲーム終盤まで出番がない。
  小説版において、彼女の心境やその過去などが深堀されています。
  妹との年の差などはっきりと明言はされていませんので、今回は高校生で。
 
 よまわりさん
  シリーズ皆勤賞、夜廻シリーズの顔のような存在。
  その奇妙な出で立ち、正体から目的まで全てが不明の謎の存在。
  一応、それらしい考察などは出来ますが……あくまで予想に過ぎない。
  今作でも、はっきりと正体に関しては明言していきません。
  世の中……知らないことがいいこともありますので。

 山根香凛
  ゲゲゲの鬼太郎・25話『くびれ鬼の呪詛』で登場したまなの同級生。
  まなをはぶろうとした、ちょっと陰湿な感じの子。
  今作でもまなのクラスメイト、まなとの関係も相変わらず。
  単純に嫌な子ではありますが、まなが誰にでも好かれているわけでないことを証明した、割と貴重なキャラ。
  今作においても、単純な被害者枠では収まらない。ちょっとばかし出番を与えていきたいと思っています。
  
  
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

夜廻 其の②

現在、数年ぶりにポケモンを遊んでいますが……『ポケモンバイオレット』なかなかに面白いですよ!
自分、ナンジャモのドンナモンジャTVに釣られて予約購入した身ですが、買って良かったと楽しんでプレイしています。
今回のポケモンは他にも戦闘狂のネモや、一見だとまず女性だと分からないチリ。
さらにはサラリーマンの哀愁が漂うアオキなど。魅力的なキャラが勢ぞろいしています。
ポケモンから一時距離を置くことになった人にもオススメの一本ですので、是非手に取ってみてください。


今回は『夜廻』の中盤。
一応、全三話で確実に完結するような物語構成になっています。
今年中には最後の話を投稿したいと思いますが……間に合うかは分からない。

年末は本当に忙しくて……ただfgoのボックスガチャが終わっていることがせめてもの救いです。


「…………香凛、学校来なかったね……」

「なんか家にも帰ってないって……職員室で先生たちが話してて……」

 

 調布市の中学校、午前の授業が終わった昼休み。

 皆が思い思いの昼休憩を過ごす中、一組の女子グループの子たちが不安そうな表情を浮かべていた。

 

 彼女たちは、山根香凛と特に仲が良い子たちだ。

 妖怪を恐れて昨日の遊びの誘いこそ断ったものの、決して香凛のことを嫌っているわけではない。寧ろ友達として素直に好感を抱いており、その友人が学校はおろか、家にも帰っていないという話を小耳に挟み、とても心配している。

 

 携帯に連絡しても、一向に出る気配がない。

 まさかとは思うが例の事件——妖怪が関わっているかもしれない、未成年の失踪事件に巻き込まれたのではと、嫌な予感が脳裏を過ぎった。

 

「香凛……」

 

 香凛の不在に不安を抱いていたのは、犬山まなも同じだ。

 昨日彼女と口論になってしまったとはいえ、クラスメイトがいきなりいなくなって心穏やかでいられるわけもない。

 

「…………」

「…………」

 

 大多数の生徒たちも同じ思いなのだろう。クラス全体がどんよりと暗い空気に包まれていた。

 

「…………香凛ちゃん」

 

 勿論、その中の一人に彼女——夜野田コトモも含まれている。

 彼女も特に香凛と親交が深いわけではないが、それでもいなくなってしまったクラスメイトの名前を心配そうに呟いている。

 

「……ちょっといいかな、夜野田さん」

「え……な、何かな……犬山さん?」

 

 すると、そんなコトモにまなは声を掛けていた。

 いきなり話しかけられて戸惑うコトモだが、まな自身も少し緊張気味だ。まだ打ち解けていない転校生。例の左目のこともあるが、それ以上に夜野田コトモという少女には浮世離れした部分があった。

 

 ただの大人しめの少女などではない。

 自分たちと同じ中学生でありながらどこか成熟している、達観したような雰囲気。

 

 あるいはそういったところに壁を感じ、未だにクラスメイトたちとも馴染めていないのかもしれない。

 だが今回はその壁を越えてでも、コトモに聞いておきたいことがあった。

 

「ええっとね……よまわりさんって……何なのかなって……」

「えっ……?」

「ほら……昨日言ってたじゃない? よまわりさんがどうとかって……」

 

 まなが気になっていたのは、コトモの昨日の発言だ。夜遅くまで遊び歩こうとした香凛に向かって、彼女が当たり前のように口にした言葉。

 

 

『——よまわりさんに、連れていかれちゃうからね……』

 

 

 誰もが『妖怪が……』などと曖昧な定義でしか不安を表せなかった中、彼女だけは『よまわりさん』なるものの名を明確に口にした。

 記憶が不鮮明なまなは、それが有名な妖怪の名前なのかとも思ったが、雅たちにも心当たりはないらしい。

 家に帰ってからネットで検索してみたりもしたが、該当するものは一件もヒットしなかった。

 

 完全にコトモしか知らないような存在——よまわりさん。

 いったいそれがなんなのか。この際はっきりさせなければと、まなは思い切ってコトモに直接尋ねたのだ。

 

「よまわりさんは……よまわりさんだよ? ええっとね……」

 

 まなの問い掛けに対し、コトモは色々と悩みながら何とか言葉を絞り出していく。

 よまわりさんについて自分が知っていること、感じたこと。

 

 

 昨日も『猫娘』なる女性相手に語った、そのときの会話を思い出しながら——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——よまわりさんって、何者なのかしらね?」

「えっ……?」

 

 昨夜のことだ。鬼太郎がよまわりさんを追いかけている間、夜野田家のアパートに残っていた猫娘が姉妹にそのような問いを投げ掛けていた。

 猫娘の問いに、姉妹の姉であるトモコなどは一瞬戸惑いを見せる。だが、彼女なりにどうにかして自分の意見を言葉にしようと口を開いていく。

 

「そ、そうですね。よまわりさんは……他のお化けたちとは明確に違う。何か別の基準、別の行動原理で動いていると思うんです……」

 

 夜になると人ならざる化け物たちが徘徊するようになる——『あの町』。

 あそこに棲まう怪異どもは、夜道を歩く人間を見つけるや見境なく襲い掛かってくる。基本的に意志の疎通は困難であり、鬼太郎たちのような知性を持った妖怪でも会話は不可能であった。

 その在りようはまさに亡霊、悪霊。恨みや憎しみに駆られるまま他者を襲う、それがあの町に蔓延る異形たちの大きな特徴だ。

 

 しかしよまわりさんは、それらとは明確に違う雰囲気を纏っている。

 今しがたあれと遭遇したばかりの猫娘も、確かにそれを感じ取っていた。

 

「私も……色々と手を尽くして調べはしたんですけど……噂話以上のことは何も……」

 

 トモコが言うに、よまわりさんの存在はあの地域でも噂話でしか伝わっていないらしい。ただの噂話として、子供たちの間で広くその存在が知れ渡っているとのことだ。

 

 

『それは夜の町を見回っている それが狙うのは子供だけ。

 それに近づいた子供は 大きな袋に入れられてどこかへと連れていかれてしまう。

 だから子供は 一人で夜の町を歩いてはいけない。

 もしそれに狙われたら 目を合わせないようにしてすぐに家に帰らなければならない』

 

 

 まるで親が子供に躾で言い聞かせる怖い話の見本のように、その存在を恐れることで子供たちも夜の怖さを学んでいく。

 だがそれ以上のことは、噂以上のことは誰も知らない。というか、知ろうとすらしない。

 

 あの町に住む人々は夜の町から目を逸らし、それ以上『アレ』について深く調べようとも、関わろうとも思わない。

 故に何も分からず、何も理解出来ていない——それが『よまわりさん』という存在の全てだ。

 

「お姉ちゃん……そういうことは、あんまり深く考えない方がいいと思うよ?」

「……コトモ?」

 

 と、そこまでトモコが話したところで、それまで黙っていたコトモが口を開く。彼女は姉と猫娘を交互に見つめながら、よまわりさんについて自身の見解を述べる。

 

「よまわりさんは、ああいうものなんだから……。そういうふうに認めてあげないと……しんどいよ?」

「そ、それは……」

 

 あれこれ考えようとするトモコや猫娘を尻目に、コトモはあくまでよまわりさんを『ああいうもの』だと割り切って考えていた。

 

 よまわりさんはああいうものだと、アレがよまわりさんなのだと。

 

 それは恐怖から目を背け、夜の町に怯えて何もしない大人たちの対応とも少し違う。よまわりさんの存在をああいうものだと認め、その上で納得している。

 

「…………」

 

 コトモの堂々としたその態度に、猫娘ですら呆気に取られた。

 先ほどもそうだったが、彼女はよまわりさんが家の中に上がり込んでいても毅然としており、こうしている今も全く動揺した素振りを見せない。

 少なからず怯えた態度を見せる姉よりも、妹の方がよまわりさんとの向き合い方が上手いようだ。

 

「……もう一つ、聞いてもいいかしら?」

 

 そういったコトモの言葉もあってか、猫娘もよまわりさんが何者であるかという思考を一旦置く。

 代わりに別の切り口から、よまわりさんと関わることになった姉妹へと、とある疑問をぶつけた。

 

「コトモもちゃんが……よまわりさんに『見張られてる』って言ってたわよね? それって、どういう意味なのかしら?」

「そ、それは……」

 

 その問い掛けにトモコは言い淀んでしまったが、元はと言えば彼女が言い出したことである。鬼太郎が依頼を受ける際、実際にトモコの口から——『妹はよまわりさんから見張られている』と。

 鬼太郎からその話を又聞きした猫娘には、それがどういうことなのかという疑問が浮かんだ。

 

 まさかあの町に住む子供が、コトモだけというわけでもあるまい。

 何故、コトモだけが『よまわりさんから見張られる』ような事態になってしまったのか。そのきっかけになるような出来事があった筈だろう。

 

「…………」

 

 質問に、トモコは何も答えてはくれない。

 心当たりはあるようだが、それを言葉にするのを躊躇っているように見える。

 

 

「——それは……わたしが悪い子だから……」

 

 

 すると、沈黙を貫く姉に代わってコトモが口を開く。

 先ほどまでの平静な様子とは打って変わり、彼女の声は震えていた。年相応に怯えた態度、コトモが決して人生を達観した大人などではない、ただの少女であることを思い出させる。

 

「わたしがあの日、夜に向かって飛び出したから……お姉ちゃんの言いつけを破って、お姉ちゃんを……ポロを探し回ったりしたから……」

「……ポロ?」

 

 初めて聞く名前に首を傾げながらも、猫娘はコトモの話に黙って耳を傾けていく。

 

 

 ポロというのは、昔あの町で彼女たちが飼っていた愛犬の名前だ。母親がおらず、父親も仕事で家を留守にすることが多い夜野田家。長女のトモコも家事などで忙しく、当時小学生だったコトモは常に寂しい思いをしていたという。

 

 そんなコトモの良き遊び相手となっていたのが、白い犬のポロだ。

 

 どんなに寂しいときも、ポロはいつも側にいてくれた。コトモにとっても、トモコにとってもポロは誰よりも頼りになる『家族』だった。

 

 そのポロが——ある日、唐突にいなくなった。

 幼いコトモはそれを『いなくなった』と表現したが——真相は事故によるもの。

 

「わたしがあのとき……小石なんて投げたから……それを取りに行ったポロが……トラックに……」

 

 コトモの不注意のせいでポロはトラックに撥ねられ、その小さな命を一瞬にして散らしたのだ。

 

「でもわたしは……そのことをお姉ちゃんに話すのが怖くて……ポロが死んだことが、認められなくて……」

「コトモ……」

 

 けれど、幼かったコトモはその事実を受け入れることが出来ず、一人家に帰ってからも姉にはポロがいなくなったとだけ話した。

 自らの罪を悔いる罪人のように、そのときの心境を告白するコトモをトモコは優しく抱きしめた。

 

 優しい姉に慰められて心が安らいだのか、コトモはあの日の続きを語っていく。

 

 

『——私、探してくる』

 

 

 あの日、トモコは妹の言葉に何かを察しながらも、ポロを探しに夜の町へと繰り出した。当時から彼女は夜の町が危険だと理解していたが、それでも妹のために、ポロを見つけ出さなければならないと考えたのだろう。

 さらには、姉を追いかける形でコトモも夜の町へと足を踏み出した。

 

「そこで、わたしは初めて出会ったんです……夜のお化けたちに……」

 

 そうして、コトモも初めて思い知ることになる。夜の町があんなにも恐ろしいもので溢れているということを。

 

 ポロだと思って近づいた犬は、人間の顔をした人面犬だった。

 髪の長い女が、呻き声を上げながら追いかけてきた。

 巨大な百足も怖かったけど、あれは商店街を守ってくれる神様だ。

 廃工場に集まる子供たちの霊が、楽しそうに苦しそうに笑い声を上げていた。

 

 全てあの町の夜に巣くうものどもだ。無知なコトモには何もかもが恐怖の対象でしかなく、何度心が挫けそうになったことだろう。

 けれど、それでも彼女はポロを探して、姉を探して。恐怖に怯えながらも夜の町を彷徨い歩いていく。

 

「だって……わたしの自業自得だから……わたしが全部悪かったから……」

 

 もっとも、コトモがそんな怖い思いをすることになったのも、元を正せば彼女自身の不注意と心の弱さが原因であった。

 コトモがポロが死んだという事実を素直に受け入れていれば、そもそもポロを死なせていなければ姉が夜の町に飛び出す理由もなかった筈だと。

 

「だから……これは罰なんです。よまわりさんに見張られるようになったのも……この左目も……」

「——!!」

 

 そのため、コトモは自分自身を責め——その罪の証であると『左目』の眼帯を捲り上げた。

 左目は眼球から潰されていた。痛々しい少女の容貌に猫娘も思わず息を呑む。

 

「その目は……よまわりさんが?」

 

 猫娘はそれがよまわりさんの仕業によるものかと、僅かに怒りを滲ませながら問い掛ける。しかしその問いに、コトモははっきりと首を横に振った。

 

「ううん……これは違う。これは忘れられた神社の、ひとりぼっちな神様の仕業……」

「神様……?」

 

 どうやらよまわりさん以外にも、姉妹に対して何かしら危害を加えようとした『神様』とやらがいたらしい。

 その神様は山の奥の、トンネルの向こうに社を構える山の神様。昔から人間を生贄として求め、その証として片目を抉るんだとか。

 

 その神様の生贄として選ばれたのか、あるいは神様に逆らって祟られたのか。コトモは左目を失い、その目は二度と光を見なくなった。

 

「その神様とよまわりさんって……実はとっても仲が悪いんです」

 

 その山の神と、例のよまわりさんが敵対関係にあるらしく。

 生贄の証をコトモに刻んだ山の神、そのコトモを渡すまいと彼女を見張るよまわりさん。

 

 そういった両者の図式も、今のような状況を作り出した要因の一つであったかもしれない。

 

 

 

×

 

 

 

「……そうか。あの姉妹も……あの町の夜を駆け巡ったんじゃな。ハルちゃんのように……大切なものを探して……」

「そうですね、父さん……」

 

 よまわりさんと遭遇した、翌日の正午。

 太陽の光が真上から照りつける陽の光の中。ゲゲゲハウスでは目玉おやじや鬼太郎が猫娘の話を聞き、しみじみと考え込んでいた。

 

 以前もあの町の夜と関わったことのある鬼太郎たちは、夜野田姉妹が経験した過酷な夜の話にハルという少女のことを思い返す。

 幼い身でありながらいなくなった友達を探し、夜の町を駆け抜けた少女。そのハルと同じように、コトモも愛犬や姉を求めてあの町の夜を巡ったのだ。

 大人ですら下手に歩けぬあの町の夜を、年端も行かない無力な少女がたった一人で。相当な恐怖、並々ならぬ勇気を振り絞る必要があったであろうことは想像に難くない。

 

 残念ながら愛犬のポロは既に亡くなっていたが、トモコは無事だった。姉妹は夜を乗り越え、二人で日常への帰還を果たしたのだ。

 

「トモコさんの話によると……その事件から、コトモちゃんは私たちみたいな妖怪が日常的に見えるようになってしまったって……」

 

 だが『夜』に深入りし過ぎた代償なのか。コトモは左目を奪われ、よまわりさんからも目を付けられるようになった。おまけに、コトモの左目は光を映さないだけではない。妖怪や幽霊が蠢く『真夜中の世界』を映すようになった。

 今のように妖怪の存在が当然のように人々から認知される以前から、見える人間にしか『見えないもの』が、コトモには常に視認できるようになったというのだ。

 

『見えない』というのは不便に思えるかもしれないが、見えないおかげで保てる正気というものもある。あの町に蔓延るお化けたちなど、それこそ外見からしてもかなりキツいものが多い。

 そんなお化けたちの姿を、コトモの左目は昼夜問わず映し続けているとのことだ。ただの人間が日常を怪異によって浸食される恐怖。それは鬼太郎たちのような妖怪では、共感することができない恐ろしさだろう。

 コトモは、もう何年もそんな日々を過ごしているという。あの歳にしてあの落ち着きようも、それなら頷ける。

 

「あの子たち姉妹は、未だに……あの町の夜に生き方を縛られているのかもしれんな……」

「…………」

 

 目玉おやじが心配そうに呟き、鬼太郎も表情を曇らせる。

 あの町の夜に、たった一夜にして生活を一変させられてしまった夜野田姉妹。よまわりさんに見張られていることを含め、苦悩の日々は続いている。

 それはあの町を離れ、東京に越して来た現在になっても変わらないのだろう。彼女たちが本当の意味で陽の光に照らされる日々が果たして来るのだろうかと、目玉おやじはその行く末を案じていた。

 

「……それで? どうするつもりよ?」

 

 しかし、心配ばかりしていてもしょうがないと。ここで猫娘が話を当初の問題へと戻す。

 

「結局、よまわりさんのことは何も分からなかったけど……奴を止めないといけないことに変わりはないわよ?」

 

 猫娘とて姉妹の境遇に思うところがないわけではないが、今は目の前の問題——よまわりさんへの対応が最優先であると意見を出す。

 東京までコトモを追って来たあの正体不明の『何か』に、これ以上の被害を出させないためにも対処していかなければならない。

 

「うむ、そうじゃな……とはいえ、今のわしらにできることといえば……夜の見廻りを強化することくらいじゃが……」

 

 目玉おやじも猫娘の意見には賛成だ。だが肝心のよまわりさんについて、彼らは碌に知ることができなかった。

 一応、アレが出没する時間帯が夜だということは確実。夜に街中を見廻り、奴が姿を現すのを辛抱強く待つしかないだろう。

 

「みんなにも声を掛けておきましょう、父さん」

 

 一応の対策として、鬼太郎は他の仲間たちにも応援を頼むことにする。見廻りの人数を増やせば、それだけよまわりさんに遭遇する確率も上がるだろう。

 

 

 今のところ、できることはそのくらいだ。

 今はただ——再びよまわりさんが出没するであろう『夜』が来るのを待つしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、夜は訪れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんね、まな! 遅くまで付き合わせちゃって……」

「ううん、わたしは平気!! 雅を一人で残すわけにもいかないしね!!」

 

 一日の終わり、暗い夜道を二人の少女が歩いていた。

 犬山まなと桃山雅だ。彼女たちとて、本当ならばこんなに辺りが暗くなるまで学校に残ってなどいたくなかったのだが。

 

「全く……学校側も、こんなときくらい委員会の仕事なんてやらせなくてもいいのに!!」

 

 まながぷんぷんと怒った様子で、学校側の不手際への文句を口にする。

 

 彼女たちに夜遅くまで残ることになった原因を作ったのは委員会だ。

 雅が所属する、選挙管理委員会の会議が予想以上に長引いてしまったことにあった。まなはその委員会の所属ではなかったが、雅を一人で帰らせるわけにもいかないと彼女を待つことにしたのだ。

 そうした理由もあり、今は二人だけで人気のない住宅地を並んで歩いていく。

 

「急いで帰らないと……じゃないと……」

「よまわりさんに連れてかれちゃう……かもしれない?」

「う、う~ん……どうだろう……」

 

 二人は真っ暗な中、不気味な沈黙が続くのを嫌い常に言葉を交わすよう意識していた。

 その会話の中で、自然と今日のお昼休みに同級生・夜野田コトモに聞かされた『よまわりさん』なるものの話題が出る。

 

 よまわりさん。コトモが住んでいた地域で子供を攫う怪異として、人々から恐れられきた存在らしい。

 コトモはまなには噂話程度の話しかしなかったが、それでも不思議と妙なリアリティを感じた。実際、今起きている失踪事件もそいつの仕業である可能性が0ではないのだ。そう考えると自然と身震いもしてくる。

 

「と、とにかく……早く帰ろう!!」

 

 まなは込み上げてくる恐怖を何とか抑え込みながら、雅と一緒に帰宅への道を急いでいく。

 本当によまわりさんとやらがいるというのならば、それと遭遇することがないよう心の中で祈りながら。

 

 

 

 

 

「……まな、本当にいいの? なんなら、うちのお父さんに送ってもらえるか頼んでみるけど……」

 

 急いだ甲斐もあってか、何事もなく雅の家までは辿り着くことができた。だが帰宅ルートの関係上、ここからまなは自分の家まで一人で帰らなければならない。

 雅は流石に心配だと、自分の父親にまなを送らせることを提案したのだが。

 

「大丈夫だよ!! 家までもうすぐそこだし!!」

 

 まなは、その申し出を強がりの笑顔で断る。

 ここからまなの家まで十分とかからない。この程度の距離であれば、仮によまわりさんとやらが現れたところで走って家まで逃げ込めばいいと。

 

 

 このときのまなは、そのように甘い考えでいた。

 

 

 

「……なにも出てきませんように!」

 

 一人になった途端、周囲の静けさが気になり始めたのか、まなは独り言を呟きながら歩いていく。

 

「家に帰ったら……TV見ないと!! 今日の晩御飯、何かな~!?」

 

 少しでも気を紛らわせようと、色々と楽しいことを考えて恐怖を和らげようと試みる。

 

「…………なんだろう。この道って……こんなに長かったけ?」

 

 だが意識すればするほど、かえって不安が募っていく。

 普段から通う通学路が、いつもは全く気にならない夜道が、平然と一人で通り抜けられていた馴染みの住宅地が。まるで別世界のように感じられてしまうから不思議だ。

 

「…………怖い」

 

 たった一言で表現できる、シンプルな感情がまなの心を支配していく。

 幼い頃にも感じた闇夜という未知に対する畏怖。暗闇の向こう側から『何か』が飛び出してくるのではという不安が、まなの心を縛ろうとする。

 

「……!! は、早く……帰らないとね!!」

 

 だがそれでも、彼女はここで立ち尽くしていても意味はないと。込み上げてくる恐怖心を必死に振り払い、気合いを入れ直すように力強い一歩を踏み出していく。

 

 

 ところが、その一歩を踏み出した次の瞬間。

 まなの耳に——シャラン、シャランと鈴の音のような金属音が響いてくる。

 

 

「……えっ? ……なに、この音?」

 

 唐突に聞こえてきたその音に、まなは思わず立ち止まってしまった。歩みを止めた彼女の足元から——ゆっくりと真っ暗な『闇』が迫る。

 まなはまだ気付いていない。続けて聞こえてきた、カツンカツンと杖を突く音に気を取られ、自分の足元にまで注意が行き届かなかったのだ。

 地面からまなを呑み込まんと、足元の暗黒はさらなる広がりを見せる。

 

 ところが、その闇が犬山まなの足に触れようとした——その刹那。

 

「——きゃあ!?」

『——!!』

 

 まなと闇との間に青白い火花が散り、両者が反発するように弾かれた。まなは衝撃に尻もちをついてしまうが、広がっていた闇も大きくのけ反った。

 

 すると、その闇の奥から——。

 

『——な、なにっ!?』

「えっ……?」

 

 くぐもった声が聞こえてきた。年老いた男性の確かな意志で呟かれたその声は、忌々しげに舌打ちらしき音を鳴らす。

 

『ちっ……結界とは……なかなか味な真似をしてくれやすね……!?』

 

 その声の主は、一度の失敗にもめげずに暗闇を操作。その闇でまなを呑み込もうと試みる。しかし何度接触しようとも、闇はまなに触れることができずに退けられていく。

 

「なになに!? 何が起きて……!?」

 

 状況についていけず、混乱気味のまなは地面にへたり込んだままだ。すると、彼女は懐から何かが光を放っていることに気付き、それを取り出した。

 

「これって……お父さんがくれた、お守り……?」

 

 光を放つものの正体。それはまなが父親の裕一から、肌身離さず持っているように言われていた『お守り』だった。

 まなは知らぬことだが、そのお守りは鬼太郎が高名な陰陽師に頼み、彼女の手に渡るように用意してもらったものだ。お守りが結界としての役割を果たし、まなを害そうとする妖怪を、それが使役している闇を跳ね除けているのだ。

 

『くっ……なんの、これしき!!』

 

 しかし、声の主はなんとしてでも結界を突破しようと、懲りずに闇をまなに向かって伸ばす。高名な陰陽師渾身のお守り、そう簡単に壊れる結界ではないのだが。

 

「い、いやっ!! なんで……なんだっていうのよ!?」

 

 だが、その行動は開かない扉を外側からガンガンと打ちつけられているようで、まなにプレッシャーを与える。突然のことで頭も回らず、彼女はその場から動けないでいた。

 

 

 そんなときだ。

 

 

「——大丈夫、落ち着いて」

「——え……?」

 

 あと少しで恐慌状態に陥りそうになったまなに、優しく声を掛けるものがいた。どこか聞き覚えのある女の子の声だ。彼女はまなの側に駆け寄るや、対面する暗闇に向かって懐中電灯の光を照射する。

 

『——ぐむっ!?』

 

 いきなり、しかも最大光量で浴びせられたライトの光に、一瞬とはいえ闇とそれを操る声の主が怯んだ様子を見せる。

 

「こっち……走って!!」

「う、うん!!」

 

 その隙を巧みに突き、少女はまなの手を引いて彼女を立ち上がらせた。そして、一気に全速力でその場から走り出していく。

 

 

 

 

 

「はぁはぁ……!!」

「まだだよ、振り返らないで……」

 

 無我夢中で走るまな。一緒に走っている少女は平静な声音だが、息そのものは上がっている。苦しそうにしているのは少女も同じ。

 それでも今は立ち止まるわけにはいかないと、少女はまなを叱咤しながら自らも足を動かしていく。

 

「こっち」

「ああ!?」

 

 ややあって、急な進路変更。見通しのいい道路から、目に付いたアパートの敷地内へと移動。

 

「静かに……じっとしてて」

「……!」

 

 そこの外階段を遮蔽物にして身を隠すや、静かにという少女からのジェスチャーがあった。

 まなは慌てて両手で口元を押さえ込み。呼吸すら、心臓の鼓動すら止める思いで息を潜める。

 

「………………大丈夫、もう行ったみたいだから」

「ぷはぁ! はぁはぁ……」

 

 数十秒ほど経過したところで、少女からもういいという許しが出た。どうやら脅威は去ったようだと、まなは口から手を離して新鮮な空気を肺に取り込んでいく。

 未だに心臓がバクバクと高鳴っているが、なんとか危機を乗り越えたことようやく一息入れることができた。

 

「怪我とかない、犬山さん?」

「はぁ……はあ…………えっ!?」

 

 すると、呼吸を整えているまなに向かって、少女はその名前を当たり前のように呼んでいた。

 反射的に顔を上げるまな。その少女は見覚えのある赤いリボンとカチューシャで髪を纏めていた。さらに特徴的だったのは——左目の眼帯だ。

 

「……って、夜野田さん!?」

 

 そう、まなを助けたのは夜野田コトモだった。

 

 まなや香凛に夜は危険だと。遅くまで出歩いていると『よまわりさんに連れて行かれてしまう』と言っていた本人が、夜の街に繰り出し、まなの危機を救ったのである。

 

「犬山さん……どうして、こんな夜遅くに出歩いてるの?」

 

 自分のことをそっちのけで、コトモはまなにどうしてと心底不思議そうに尋ねていた。

 

 

 

×

 

 

 

「やはりなんの手掛かりもなしでは、ちと厳しいかのう……」

「そうですね、父さん。せめてどこに現れるか、ある程度範囲を絞り込めればいいんですが……」

 

 暗い夜道、鬼太郎と目玉おやじは周囲を警戒しながら探索を行なっていた。今宵も現れるかもしれないよまわりさんの魔の手から子供たちを守るため、これ以上犠牲者を増やさないためにもしっかりと目を光らせていく。

 だがいかんせん、見て廻らなければならない範囲が広すぎる。この東京の街、未成年が通りそうな人気のない夜道など探せばいくらでもある。その全てを見張るなど、仲間たちの手を借りたとしてもカバーしきれるものではない。

 

 このままでは徒労に終わるだけかもしれない。そう思いながらも、万が一を考えて見廻は続けていかなければならない鬼太郎たち。

 

 すると、ほどなくして動きがあった。

 

「鬼太郎!!」

「猫娘? 何か見つかっ……て、トモコさん?」

 

 別行動をとっていた猫娘が血相を変え、鬼太郎の元へと駆け込んできたのだ。彼女の隣には——夜野田トモコの姿もあった。

 

「何故外に? 妹さんと一緒に、アパートで待っていてくれと言っておいたじゃろうに……」

 

 これに目玉おやじが目を丸くする。

 今回、夜の見廻は鬼太郎たちだけで行うことになっている。夜野田姉妹が夜道を歩いていたら、それこそよまわりさんに連れていかれてしまうと。彼女たちには家で待っているよう、お願いしていた筈だ。

 それがどうして猫娘と一緒にいるのかと。疑問を抱く鬼太郎たちだったが、そんな彼らの戸惑いもお構いなしにトモコは叫んでいた。

 

「き、鬼太郎さん!! コトモが……コトモが家からいなくなってるんです!!」

「!!」

 

 一緒にいる筈の妹のコトモが家のどこにもいないと、そう訴える彼女の顔面は蒼白だった。

 

「まさか……よまわりさんに!?」

 

 これに鬼太郎は真っ先によまわりさんの仕業かと疑いを持つ。

 昨日も夜野田家の玄関に、何の前触れもなく姿を現した奴のことだ。またも家の中に侵入し、コトモを連れ去っていった可能性がある。

 

「アパートの見張りは!? 確か……子泣き爺が護衛で付いていた筈じゃぞ!?」

 

 しかしそうならないため、用心で仲間の一人・子泣き爺を護衛として残していた筈だと。彼が何をしていたのか目玉おやじが問う。

 すると、その疑問に対しては猫娘が微妙な表情で答える。

 

 

「…………酔っ払って寝てんのよ……子泣き爺……」

 

 

 赤ん坊のように泣くことで石となり、どんな敵とでも果敢に立ち向かってくれる子泣き爺。その実力を頼りにしている鬼太郎たちだったが、一方で彼の酒癖の悪さに頭を抱えることもある。

 どうやら今日は特に酔いのまわりが早かったらしく、早々に酔い潰れて眠ってしまったらしい。

 

「……………………」

 

 これには、流石の鬼太郎も呆れた表情をするしかなかった。

 

「それが……あの子の外出用の持ち物が一式なくなっていました。あの子……自分の意思で家を出ていったみたいなんです……」

 

 しかし、子泣き爺だけが問題ではなかった。

 トモコの話によると妹のカバンや懐中電灯、お出かけ用の衣服などが見当たらないとのこと。どうやらコトモは連れ去られたのではなく、自らの意思でアパートの外に飛び出しまったらしい。

 

「実はあの子……あの事件があった後も、時々家を抜け出して……夜の町を探索することがあったんです……」

「何じゃと!?」

 

 これにトモコは申し訳なさそうに、妹には夜の町に出歩く『癖』があったことを正直に告白する。これには目玉おやじも驚くしかない。

 

 例の事件から左目を失い、よまわりさんから見張られるようになったあの後からも、コトモは夜の町に一人で繰り出すことが度々あったというのだ。

 トモコが何度も注意し、中学生になってからはパッタリと止めるようになったらしいのだが、その悪癖がここに来て再発してしまったのか。

 

「とにかく探しましょう。よまわりさんに見つかるよりも……先に!」

 

 何故そんな危険な真似を、しかもこのタイミングでするのか。鬼太郎としても疑問しかなかったが、だからといって放置するわけにもいかない。

 

 

 家を飛び出してしまったコトモを探し、さらに一向は夜の街へと足を踏み入れていく。

 

 

 

 

 

「そっか……桃山さんを家まで送ってたんだね。その後で……今のやつに襲われたの?」

「う、うん……夜野田さんは、どうして外に? よまわりさんが危ないって言ってたのに?」

 

 未だ物陰に隠れ続けながら、コトモとまなが互いに事情を話し合う。

 まなは雅を一人で帰らせないため、仕方なく遅くまで学校に残り、その帰り道で先ほどの『謎の闇』に襲われてしまった。

 だがコトモは、よまわりさんに連れて行かれてしまうから早く帰ったほうがいいと、香凛にもそう注意していた筈の彼女がどうして出歩いているのか。

 彼女の方こそよまわりさんが怖くないのかと、まなはコトモの表情を窺う。

 

「探さないとと思って。もしもよまわりさんの仕業だとしたら……わたしからお願いして、返してもらわなきゃと思ったから……」

「……?」

 

 だがパッと見、コトモが恐ろしさに震えている様子はない。それどころか、彼女は毅然とした態度でよまわりさんに会わなければならないようなことを口にする。

 

「けど、違ったみたい。香凛ちゃんを……皆を連れ去ってたのは……よまわりさんじゃなかったんだ!」

 

 さらにコトモはその表情を険しいものへと変え、先ほどの闇に対して怒りを滲ませながら呟く。

 

「えっ……? 今のが……よまわりさんじゃないの!?」

 

 コトモの言葉に、まながキョトンとなった。

 よまわりさんの姿形を知らなかったまなは、さっきも闇の奥から聞こえてきた声が例のよまわりさんだと思い込んでいた。

 あの闇が自分を連れ去ろうとし、きっと他の少年少女を連れ去った張本人だと。

 

「ううん、あれはよまわりさんじゃない。わたしも知らない……別の何かだよ」

 

 しかし、コトモは今のはよまわりさんではないと首を振る。

 あの闇は子供たちの失踪事件の犯人かもしれないだろうが、少なくともアレはよまわりさんではない。いったい何者なのか、その正体はコトモにも分からない。

 

「……犬山さん、静かに!!」

「——!!」

 

 と、そこまで話したところだ。コトモは咄嗟に、まなに静かになるよう小さな声で警告を促した。

 まなは再び息を呑む。注意深く辺りを観察すると——遠目にだが、先ほどの闇が蠢いているのが見えた。

 

『やれやれ、どこへ隠れたのか。さっさと諦めて出てきてくれませんかね……』

 

 くぐもった老人の声も聞こえてくる。まだまなたちのことを諦めていないのか、彼女たちを見つけ出そうと周囲を探り回っているようだ。

 

「どうしよう! このままじゃ……」

 

 今はまだ大丈夫だが、このままではいずれ見つかってしまう。すぐそこまで確実に迫っている魔の手に、まなが戦々恐々と肩を震わせる。

 

「……わたしに任せて、犬山さん」

「え……?」

 

 すると、そんなまなの姿を見かねたのか。コトモはまなを安心させるよう、その肩に手を置いた。

 

「わたしがあいつを引きつけるから……その隙に、犬山さんは真っ直ぐ家まで帰るの……いい?」

「そ、そんな!? そんなの……」

 

 コトモは自分が囮になると。その間にまなに安全な場所まで逃げ込めと言い出したのだ。流石にそれはダメだと、まなはコトモの提案を拒否しようとする。

 

「わたしは大丈夫だから、心配しないで……行って!」

 

 だが、まなの返事を聞く前にコトモは飛び出していた。その際、彼女は地面に転がっていた小石を一つ拾い上げ、それを明後日の方角へと投げていく。

 

『むっ!?』

 

 一瞬、闇を操る声の主が石の転がった方向へと意識を向ける。しかしそれはブラフに過ぎず、そこには勿論誰もいない。

 

「残念……こっちだよ!」

 

 相手が小石に気を取られているうちに、コトモは走った。そこからさらに注意を引きつけるため、軽く挑発の言葉も投げ掛けていく。

 

『おのれ……逃がしはしませんよ!!』

 

 小石などに注意を逸らされた憤りもあってか、闇はムキになって迷わずコトモを追いかけた。コトモも相手の意識が自分に集中したことを感じ取ったのか、すぐにでもその場から駆け出していく。

 

 

 作戦通り自身が囮となることで——コトモはまなを助けたのだ。

 

 

 

 

 

「ど、どうしよう!? な、なんとかしないと……」

 

 コトモに救われる形でその場に取り残された犬山まな。既にその場からはコトモも、蠢く闇の気配もなくなっていた。

 まな以外誰もいない夜道で、彼女は暫しの間立ち尽くす。

 

「け、携帯……連絡しないと!!」

 

 だがすぐに我に帰ったまなは、早く携帯で連絡を入れなければと。ほとんど反射的に懐からスマホを取り出していた。

 そのスマホから、頼りになる『誰か』に助けを求めなければと思ったのだろう。

 

「…………連絡? ……誰に? 誰に……連絡すればいいの……?」

 

 ところが、そこでまなの思考はフリーズする。

 スマホを手に取ったはいいが、こんなとき誰に助けを求めればいいかそれが分からなかったのだ。

 

「お父さん? お母さん? それとも……やっぱり警察?」

 

 まだ中学生であるためか、親の存在が真っ先に頭に浮かび上がるが、それは両親をいたずらに危険に晒すだけだ。

 ならば公的機関に頼るべきかとも思ったが、それも違うような気がする。

 

「……誰か? 誰かって……誰だったけ……? あれ、わたし……こんなとき、どうしてたっけ……」

 

 こんなとき、頼りになる誰かがいる筈だと彼女の心が訴えていたような気がした。

 だが携帯の履歴をいくら調べたところで、そんな相手は見つかる筈ない。

 

 

 余談だが、まなが現在所持しているスマホは最近になって買い替えたものだ。

 まなの記憶が失われる以前——あの戦争の騒動の折、彼女は前に使っていたスマホを紛失しまっていた。

 

 故にそのスマホは中身のデータを引き継いでいない。正真正銘、まっさらな状態を一から作り直したものだ。

 だから、家族や友人の名前を新しく登録し直した電話帳にも——『頼りになる筈の誰か』の名前が残されていないのが道理。

 

 

「……なんで……こんな気持ちに……」

 

 

 何かが足りない、でも何が足りないのかが分からない。

 こんな状況ながらも、まなは欠けてしまった『何か』に人知れず涙を流していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——やれやれ、今日は碌な食い物が残ってねぇな。これも不景気のせいかね……はぁ~」

 

 その日、薄暗い裏路地できったない布切れを纏った男が残飯目当てでゴミを漁っていた。

 他の誰でもない、ねずみ男である。

 

 いつもの如く金儲けに走ろうとし、そして失敗した。

 無一文の素寒貧。ゲゲゲの森に帰るのもばつが悪いタイミングだったため、人間社会の端っこで飢えをしのごうとゴソゴソと食えそうなもの、使えそうなものがないかとゴミを物色していく。

 

「……ん?」

「はぁ、はぁ……!」

 

 そんな彼の視界に、ふと必死に夜道を駆け抜けていく少女の姿が飛び込んできた。

 数メートル先の暗がりであったため、詳しい容姿などは見えなかった。だが一瞬見えた、左目の眼帯が妙に印象に残る少女だった。

 

「うおっ!? なんだありゃ!?」

 

 するとその少女のすぐ後を、地面を這うように蠢く『闇』があった。その闇もまた、一心不乱な様子で少女を追いかけていく。

 距離があったこともあり、両方ともねずみ男のことには一切気づかず、一瞬で走り去ってしまう。

 

「おうおう……おっかないね~。くわばらくわばら……」

 

 なんだか緊迫したような状況。もっとも、それを目撃したところで助けに行こうなどとは思わないのがねずみ男である。

 触らぬ神に祟りなしと、何も見なかったことにしてゴミ漁りを再開していく。

 

 

 ところが——。

 

 

「——待ちやがれ、小娘!!」

「——!?」

 

 

 続け様、聞こえてきた怒鳴り声に思わず顔を上げた。

 

 少女とそれを追いかける蠢く闇。そのさらに後を——大きな人型の『何か』が駆け抜けていたのだ。

 その怒声の内容から察するに、あの人型も闇と一緒になって少女を追いかけているようだ。

 

 乱暴そうな、思慮が浅そうな若者の声。

 その声もそうだったが、一瞬見えたそのシルエットに——ねずみ男は目を剥く。

 

 

「今のは……まさか!?」

 

 

 それは、ねずみ男が残飯漁りの手を止めてしまうのに十分なほど。

 彼にとっても、見覚えのある顔であった。

 

 

 




人物紹介

 山の神
  今回は登場しませんが一応紹介。原作におけるラスボス。
 『深夜廻』にも山の神が登場しますが、あれとは違う別の神様。
  コトモの左目を奪った張本人。ほんと……あの町の神様は碌なことをしない。
  さらに小説版だと、コトモたちの母親を殺害した犯人だと判明しています。
  よまわりさんとは明確に敵対しており、顔を合わせるやコトモそっちのけで喧嘩を始める。


 今回の黒幕
  話を読んでもらえば分かると思いますが、今回はよまわりさんが子供たちを連れ去った犯人ではありません。
  今回の犯人の声には……二種類あります。
  年老いた老人の声に、頭が悪そうな若者の声。
  片方はゲスト枠ですが、もう片方は既存のキャラクターです。
  次回でその正体が判明しますので、色々と予想してみてください。

 
 前書きでも述べましたが、『夜廻』のクロスに関しては何とか今年中に。
 そして来年、新年一発目にやるクロスも既に決めていますので次回予告もお楽しみに!
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

夜廻 其の③

……ま、間に合った!!

宣言通り、今年中に『夜廻』のクロスが完結しました!!

本当に……本当に今年の年末もキツかった。

ここ一週間はマジで、小説を描いている暇もなかった。

昨日、急ピッチで今作を書き上げ、何とか予告投稿しております。

細かいところで描写不足もあるかなと思いましたが……一応、想定していた通りの話にはなりましたので、これでなんとか。

とりあえず、今年もお疲れ様でした!!

来年も、本小説をよろしくお願いします!!



「コトモ!! どこにいるの!?」

「コトモちゃん!! 聞こえたら、返事をして!!」

 

 真っ暗な夜道。周囲を家々に囲まれた住宅地で近所迷惑かもしれないが、夜野田トモコや猫娘は家からいなくなった少女の名前を叫び続ける。

 彼女が——夜野田コトモが自らの意志で夜の街へと飛び出してから、それほど時間は経過していない。まだ遠くまでは行っていないだろうと、夜野田家周辺を中心に捜索していく一行。

 

「見当たりませんね……どこへ行ってしまったんでしょう、父さん?」

「う〜む、早く見つけなければ。ぐずぐずしていては……よまわりさんに連れ去られてしまうやもしれん」

 

 鬼太郎と目玉おやじも焦りを見せ始める。彼女を見張っている存在、よまわりさんがまだこの街に潜んでいるかもしれないのだ。コトモも他の少年少女たちのように連れて行かれてしまうと、時間が経てば経つほど危機感が募っていく。

 

 と、皆が真剣な思いで捜索を続けていたところ——。

 

「——おっ!? お〜い、鬼太郎!!」

 

 どこか聞き覚えのある男の声が、場違いにも明るく響き渡る。ボロい布切れを纏ったその男性は、真っ先に鬼太郎の元へと駆け込んできた。

 

「ねずみ男? お前……こんなところで何をやってるんだ?」

「どうせ、残飯でも漁ってたんでしょ?」

 

 男の正体はねずみ男であった。

 鬼太郎は何故彼がここにいるのかと疑問を抱くが、猫娘はねずみ男の行動を予想して冷たい視線を向ける。それは適当な予想であったがズバリ的中していた。

 

「う、うるせぇ! そ、そんなんじゃねぇよ!!」

 

 しかし、ねずみ男は自身の行動が見透かされることを嫌ってか、嘘を付いてでも猫娘の言葉を否定する。変なところで見栄っ張りな男。

 

「あ、あの!! 妹を……私の妹を見ませんでしたか!? 中学生くらいの女の子です!!」

 

 だがどんな見栄っ張りだろうが、小汚くとも構わないと。トモコはねずみ男のような不審者にさえ、コトモを見ていないかを尋ねていた。

 正直、藁にもすがる思いであったが——。

 

「あん? あんたの妹って……ひょっとして左目に眼帯を付けてる?」

「!! 見たのか、ねずみ男!?」

 

 意外なことに、ねずみ男はコトモを目撃していた。本人のことを知らなければ分からないような身体的特徴をすぐに述べる。少なくとも眼帯を付けている女子中学生など、この近辺ではコトモくらいのものだろう。

 

「ど、どこで……!? どこで見たんですか!? 教えてください!!」

「ちょっ……落ち着きなさいよ!!」

 

 思いがけず得られた目撃証言にトモコはねずみ男へと詰め寄る。その勢いは、猫娘が思わず止めに入るほどに鬼気迫るものであった。

 

「そ、その子なら向こうの方で……妙な影みたいなのに追われてて……」

 

 トモコのあまりに必死な勢いに気圧されてか、ねずみ男にしては珍しく見返りを求めず答える。コトモを目撃した場所と、彼女を追いかけている『闇』があったと、その事実を鬼太郎たちに伝えたのだ。

 

「ま、まさか……よまわりさん!? ……っ!!」

「トモコさん!? 一人じゃダメよ!!」

 

 その話を聞くや、居ても立っても居られないとばかりにトモコが真っ先に駆け出す。しかし彼女一人で出来ることなどそう多くない。彼女に無茶はさせられないと、すぐにでも猫娘が後を追っていく。

 

「わしらも行くぞ、鬼太郎!!」

「はい、父さん!!」

 

 コトモの元へと走り出した二人の後に、当然ながら目玉おやじや鬼太郎も続こうとした。急いで向かわなければ、よまわりさんの犠牲者をさらに増やしてしまうかもしれないという焦りもあった。

 

「おい! 待てよ、鬼太郎!!」

 

 だが、ここでねずみ男が鬼太郎の肩を掴んでまで彼を呼び止めた。

 

「ねずみ男……今は急いでるんだ。話なら後にしてくれないか?」

 

 ねずみ男の意外な強引さに目を丸くしつつ、鬼太郎は時間がないことを手短に伝えて相手の手を振りほどこうとした。

 

「だから待てって!! いいから俺の話を聞きやがれってんだ!!」

「!!」

 

 しかしねずみ男も簡単には引かない。よっぽど伝えたいことがあるのだろう、その真剣な表情には鬼太郎も足を止めて彼の言葉に耳を傾けていく。

 

「確かにその女の子は黒い影みたいなもんに追われてた……けどな、それだけじゃねぇんだよ!!」

 

 ねずみ男は少女が黒い影に追われている現場を目撃した。その闇の正体はねずみ男にも分からない。

 

 だが——。

 

「あいつだよ! あいつも一緒だったんだ!! あの野郎……まだ諦めてなかったんだ!!」

「……!?」

 

 彼は『真っ暗な闇』と一緒になって、その少女を追いかけていた『人物』を目撃していた。

 

 目撃したそのシルエット——その妖怪の名前が、ねずみ男の口からゲゲゲの鬼太郎へと告げられた。

 

 

 

×

 

 

 

「はぁはぁ……!!」

『しぶといお嬢さんだ……そろそろ諦めたらどうですかい!?』

 

 夜野田コトモは、未だにその『闇』から逃げ回り続けていた。

 地面を這うように追いかけてくる闇の奥からは、しわがれた声の主が苦々しい口ぶりで吐き捨てている。コトモの逃げ足の巧みさに追いかけている側も舌を巻いているようだが、それもその筈。

 

 コトモは幼い頃からあの町——夜になる度、怪異が蔓延るような町で生まれ育った身だ。姉や愛犬を探し求めて歩き続けたあの夜を体験して以降も、彼女は何かに魅入られるように頻繁に夜の探索を続けてきた。

 

 その経験が、さらには失明した筈の左目が見せる『真夜中の世界』が。闇夜の中でどのように逃げればいいかを彼女に教えてくれるのだ。

 

 姉に止められていることもあってか、ここ最近はあまり夜道を歩かなくなったが、それでも身体は覚えているもの。あの頃に比べれば体力だってだいぶ付いた。もう暫くの間なら、あの闇から逃げ続けることもできるだろう。

 

「犬山さん……ちゃんとお家まで帰れたかな?」

 

 今のコトモには犬山まなの身を案じる心の余裕もあった。途中で別れた彼女が無事に自宅まで駆け込むことができたか、今もそれが気がかりだ。

 

「それにしても、しつこいな……ここからどうしよう?」

 

 とはいえ、そろそろ現状の問題に意識を集中しなくてはなるまい。先ほどからずっと続いている闇との追いかけっこに、なにかしら打開策を打たなくては。

 コトモとて、ずっと走り続けることはできない。いつかは体力の限界が来る以上、どこかであれを撒かなければならないのだが。

 

「! あの公園……あそこで一気に!!」

 

 そう考えたときだ。前方に広々とした公園を見つけた。

 敷地内には遊具なども数多く設置されている筈だ。それらを上手く活用すれば、ここで怪異を撒くこともできるかもしれないと。コトモは一気に勝負を仕掛けるべく、公園へと足を踏み入れていく。

 

『むっ……小癪な!?』

 

 コトモの意図に気付いたのか、闇の奥から焦ったような声が滲み出る。このままでは逃げられてしまうと、向こうも本気で焦燥感を抱いたのかもしれない。

 一方で、コトモはこれで切り抜けられるかもしれないと、確かな安堵感を抱き始めていた。

 

 ところが——。

 

「——逃がさねぇぞ、小娘!!」

「——!?」

 

 全く予想だにしていなかったところから、声が降ってきた。

 闇が這っていた地面からではない。コトモの真上——上空から大きな影が舞い降りてきたのだ。突然姿を現したそいつは、コトモの行き先を封じるようにその進路上に立ち塞がる。

 

「えっ!? 別の……お化け!?」

 

 これにはコトモも驚愕を隠せなかった。

 自分を追いかけていたお化けは、あの真っ暗な闇だけではない。もう一匹——彼女が気付かないところで蠢いていたのだ。

 

 完全な油断。予想だにしなかった場所からの襲撃に、コトモも足を止めるしかなかった。

 

「そら……捕まえたぞ!!」

 

 そうして動きの止まったコトモの腕が、そのお化けの腕によって掴まれる。

 そのお化けは——怒ったような赤い顔をしていた。鬼のように大きな体に一本の角。そのぶっとい腕に掴まれたら最後、華奢な少女では逃げる術もないだろう。

 

「い、痛っ……!!」

 

 コトモの乱暴に掴まれた腕に激痛が走る。下手に抵抗しようものならへし折れてしまいそうな、尋常ではない負荷がその腕に掛かっていた。コトモはお化けに捕まってしまって『怖い』と感じるより、率直に『痛い』という苦痛を強く感じてしまう。

 

「さあ、観念しな!! お前も……こんな小娘一人に何を手こずってやがる!!」

『いやはや……お手を煩わせてしまったようで……』

 

 コトモを捕まえた大きなお化けが、後から追いついてきた闇に向かって叫んだ。闇の方は、大きなお化けの助勢に申し訳なさそうな謝罪を口にしている。

 そのやり取りから、両者が協力関係であることが察せられる。互いに力を合わせることで、コトモを追い詰めた怪異ども。

 

「やっぱり……あなたたちが、香凛ちゃんやみんなを!?」

 

 絶体絶命の窮地にありながらも、コトモは毅然とした態度で大きなお化けと闇——その両方を睨み付ける。

 今回の事件は、よまわりさんの仕業ではなかった。このお化けたちが自分のような子供を連れ去り、街中に不安の種をばら撒いていた元凶なのだと。

 

「はっはっは!! その通りだ!! お前も他のガキどもと同じよう……あの暗闇の中に放り込んでやるぜ!!」

 

 コトモの責めるような視線に、大きなお化けは悪びれもせずに高笑いを上げる。とても得意げな顔で自らの悪行を誇り、彼女も連れ去ってやろうと掴んだ腕を引っ張る。

 後ろを振り返れば『闇』が、コトモを呑み込まんと大きく広がっていた。その闇に呑まれれば最後、誰であろうと自力では戻ってこられないだろう。

 

「!!」

 

 流石のコトモも思わず目を瞑った。これから闇に呑み込まれることを前に、平静でいられる人間などいはしない。彼女とて闇は怖い。人間である以上、その根源的な恐怖心から目を背けることはできないのだ。

 

 だが——コトモが闇に呑み込まれようとした寸前。

 

「——リモコン下駄!!」

 

 どこからともなく、下駄が高速で飛来してきた。

 

「あいたっ!?」

 

 下駄は砲弾のような勢いで大きなお化けの額に直撃。その衝撃でお化けはコトモから手を離し、堪らず両腕で被弾した箇所を抑える。

 

「——ニャアアアア!!」

 

 さらに、そこへ唸り声を上げながら女性・猫娘が飛び掛かった。化け猫の表情を剥き出しに、大きな鉤爪を武器にさらなる追撃を仕掛けていく。

 

「くそっ……!?」

「なっ……避けた!?」

 

 しかし、その攻撃を大きなお化けは巨体に似合わぬ華麗なバックステップで回避した。避けられるとは思っていなかったのか、爪が空振りしたことで攻撃を仕掛けた側の猫娘が大きく体勢を崩してしまう。

 

『むん!!』

 

 するとその隙を突くよう、今度は地面の『闇』が大きな広がりを見せた。闇が猫娘やコトモを呑み込まんと、彼女たちへと襲い掛かる。

 

「髪の毛針!!」

 

 だがその企みも、牽制として放たれた髪の毛針——ゲゲゲの鬼太郎によって阻まれる。闇は髪の毛針を避けるように縮小。獲物を害することができず、一時的な後退を余儀なくされる。

 

 

 

「コトモ!? よかった……無事で……!!」

「あ……お姉ちゃん……」

 

 そうした攻防の最中に、夜野田トモコが妹であるコトモの元へと駆け付ける。トモコは勝手に出歩いたコトモを叱るでもなく、真っ先に彼女の無事を喜び、涙を流しながらその体を抱きしめた。

 姉に抱きしめられ、少しだけ恥ずかしそうに頬を赤く染めるコトモ。だがその温もりに、彼女は年相応の笑みを浮かべる。

 

「ごめんね、迷惑かけて。ありがとう、お姉ちゃん……」

 

 コトモは迷惑をかけてしまったことへの謝罪を、そして心配してくれたことへの感謝を口にしていた。自分を心配してくれる人、自分の無事をここまで喜んでくれる人がいて嬉しくない人間などいはしない。

 

 こんなときでありながらも、コトモの胸は姉が側にいてくれることへの安心感でいっぱいになっていった。

 

 

 

「まさか……お前が今回の事件の首謀者だったとは……」

 

 姉妹の感動の再会。しかしそんな心温まる光景に意識を向ける余裕が、今の鬼太郎にはなかった。

 

「あやつがいなくなったことで、大人しくなったと思っておったが……今になって出てくるとはな……」

 

 目玉おやじもだ。彼は鬼太郎と共に、対峙することになったその妖怪へと厳しい視線を向ける。

 その妖怪に——『赤い顔』をしたその男に向かって、何故こんな真似をしているのかを問い詰めていた。

 

 

 

「——のう、朱の盆?」

「……ちぃっ!!」

 

 

 

×

 

 

 

 妖怪・(しゅ)(ぼん)

 彼は妖怪の復権を掲げていた日本妖怪・ぬらりひょんの部下として知られる妖怪だ。

 

 ぬらりひょんは、この地上での支配権を人間の手から取り戻そうと『妖怪の復権』という理想を語り、多くの妖怪たちを同志として集めてきた。

 だが、用心深く策謀家でもあったぬらりひょんにとって、そうした目的のために集まった同志ですらもただの手駒に過ぎない。手段を選ばないその手法も相まって、多くの妖怪たちが大義名分の元に使い潰されてきた。

 仲間といっても所詮は赤の他人。力を合わせることはあっても、その関係は一時的なもの。用済みとなれば呆気なく見捨てられて終わる。

 

 そんなぬらりひょんが。誰一人信用などしていないであろう彼が、唯一傍にいることを許し続けたものがいた。

 

 それが——この朱の盆なのである。

 

 

 

「……けっ! 久しぶりだな……ゲゲゲの鬼太郎!!」

「朱の盆……」

 

 月と街灯の明かりによって照らされる公園内にて、朱の盆は対峙するゲゲゲの鬼太郎に悪態混じりの挨拶を投げた。鬼太郎はその挨拶に返答こそしなかったが、相手の名前を呟きながら油断なく身構える。

 朱の盆はぬらりひょんの忠実な配下として数多くの悪行に加担し、人間たちを苦しめてきた。だが今現在、その大きな赤い顔の隣にぬらりひょんの姿は見受けられない。

 

 ぬらりひょんは数ヶ月前の戦争の直後、自らの意思で『死』を選んだからだ。

 同志たちの命を無駄に散らせた責めは負うと、懐に抱えていた爆弾を使って自滅した。

 

『——私が去っても、志を継ぐ者はきっと現れますよ』

 

 それは責任を取るという形ではあったものの、彼が最後まで自らの考えを改めることはなかった。あくまで妖怪という種のために戦ったのだと、逆に人間に味方をする鬼太郎を責め、最後まで勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。

 

 そのぬらりひょん亡き後、戦後のどさくさで朱の盆は忽然とその姿を眩ました。鬼太郎たちも、あえて彼を探そうなどとは思わなかった。

 朱の盆は高い戦闘能力を持った妖怪だが、彼自身は特に策略に長けているわけでもない。それどころか、ちょっと抜けているところすらある。これまでの悪行もぬらりひょんの使い走りとして、彼の指示通りに動いていただけ。

 命令してくれる相手さえいなくなれば大人しくなるだろうと、鬼太郎たちも朱の盆の処遇に関してそこまで深刻に考えていなかったのだ。

 

「朱の盆よ、何故今更になって出てきた? ぬらりひょんはもうおらん……こんなことをしたところで奴は……」

 

 ところが、朱の盆は再び姿を現した。コトモを連れ去ろうとしていたところを見るに、彼こそが今回の事件の首謀者だろう。ならばよまわりさんは?という疑問は残るが、とりあえずそこは後回しだ。

 まずは朱の盆が何を目的とし、子供の誘拐などという悪事に手を染めているのか。その真意を探ろうと、目玉おやじは問いを投げ掛ける。

 

「そ、それがどうしたってんだ!!」

 

 朱の盆は『ぬらりひょんはいない』という言葉に分かりやすく動揺しつつ、それでもと声を荒げる。

 

「俺様が……この朱の盆様が! ぬらりひょん様の意志を継ぐ!! 今一度人間どもに……俺たち妖怪の意地を見せつけてやるんだ!!」

「…………」

 

 隠し立てすることなく叫ばれた、朱の盆の目的と覚悟に鬼太郎は目を見張る。

 ぬらりひょんが散り際に言っていた——『志を継ぐ者』が現れるという言葉。その言葉は、まさにぬらりひょんにもっとも近かった男を突き動かした。

 たとえぬらりひょんがいなくとも、妖怪の復権という理想を叶えて見せる。人間たちを恐怖に陥れるにはどうすればいいかなど。朱の盆なりに考えて行動し、今回のような事件を引き起こしたようだ。

 

「それに俺は一人じゃねぇ! 心強い同志だっているんだ……なあ!!」

「!!」

 

 そして、そんな自分の意志に呼応するものもいるんだと。朱の盆は、未だ鬼太郎たちの後方で蠢いている『闇』に呼び掛けた。鬼太郎たちは慌てて振り返り、闇の——その奥から姿を現す『本体』へと目を向ける。

 

 

「——お初にお目にかかります……ゲゲゲの鬼太郎さん」

 

 

 地面を蠢く闇の底から、せりあがるように姿を見せたのは一人の僧侶であった。

 

 編笠を被り、袈裟を纏った法師。その手に握られた錫杖の輪から、シャランシャランと鈴のような音を鳴り響かせる。一見するとただの旅の僧の出立ち、だが編笠の隙間から見える素顔は——人間ではあり得ない、薄紅色をしている。

 若干腰が曲がっていたり、顔面も皺だらけと、人間でいえば老人といったような風体。浮かべられた笑み自体もどこか穏やか、好々爺のように見えなくもない。

 老人は表面上、人の良さそうな笑みを浮かべながら自らの名を名乗っていく。

 

「あっし……名を夜道怪と申しやす。以後、お見知り置きを……」

「夜道怪!? なるほど……そういうことじゃったか」

 

 相手の名前を聞いたことで目玉おやじは驚きつつも、得心を得たとばかりに頷いてみせる。

 

 夜道怪——大きな荷物を抱えて各地を放浪するとされる、旅の僧形の姿をした妖怪だ。旅の僧が訪れた村々の住人に「宿を貸して欲しい」と頼んだ声が「ヤドカウ」と聞こえたことから「夜道怪(やどうかい)」なる名で呼ばれるようになった。

 一説によると、その正体はただの人間であるともされているが、一方で『子供を攫う妖怪』としても広く認知されている。夜道怪の伝承が伝わる埼玉県の秩父地方などでは、子供が行方不明になると「夜道怪に連れて行かれた」と騒がれたりした。

 

 今回のような、子供を誘拐する悪事にはまさにうってつけの人材と言えるだろう。

 

「子を攫うのは……あっしの業のようなものですから……」

 

 自身の悪名がそのような伝承で伝わっていることを、夜道怪は言い訳するでもなく認める。そしてその視線をチラリと、夜野田姉妹へと向けてほくそ笑む。

 

「……っ!!」

「…………」

 

 夜道怪の怪しげな笑みに、トモコはコトモを守るように抱き寄せた。子供を攫う、まさによまわりさんのような妖怪を相手にコトモも身を固くする。

 

「それに……あっし自身、ぬらりひょん先生には一宿一飯の恩義がある身ですから……」

 

 朱の盆同様、夜道怪の口からもぬらりひょんの名前が出る。

 夜道怪という妖怪は子供を攫うものとして忌み嫌われる一方、宿を貸してくれたものへの恩義を決して忘れない。彼は過去、ぬらりひょんに宿を貸してもらったことがあるという。

 

「鬼太郎さん。あなた個人への恨みはありやせんが……これも先生の志を継ぎたいと仰った、朱の盆くんのため……」

「!!」

 

 その義理堅い性格から、ぬらりひょんにもっとも近しいところにいた朱の盆に協力しているようだ。妖怪の復権のために集った同志というよりは、単純に恩を返そうとしているだけなのかもしれない。

 

「邪魔立てするようであれば……手加減はしませんぜ!!」

 

 しかしだからこそ、その恩返しを邪魔するものを許さない。夜道怪は手にした錫杖を構え——邪魔者たる鬼太郎を排除しようと襲い掛かっていく。

 

 

 

「……っ! 霊毛ちゃんちゃんこ!!」

 

 錫杖で殴り掛かってきた夜道怪に、鬼太郎も霊毛ちゃんちゃんを腕に巻いて応戦する。鬼太郎と夜道怪の一撃が真っ向からぶつかり合う。両者の力は互角、ほぼ拮抗していた。

 

「くっ……夜道怪!! 攫った子供たちはどこだ!? 今すぐにでも彼らを解放するんだ!!」

 

 鬼太郎は夜道怪と交戦しつつ、その悪行を止めるように静止の言葉を掛ける。ぬらりひょんの意志を継ぎ、人間たちに目にも見せてやろうとする彼らの妖怪としての意地は分かった。

 しかし、そのための手段が子供たちの誘拐など、到底見過ごせるものではない。いなくなった子供たちの安否がどうなっているかも含め、相手に問いを投げ掛ける。

 

「子供たちなら、この闇の中です。まあ……素直に返すつもりはありませんがね!!」

 

 夜道怪は鬼太郎の説得には耳を傾けなかったが、連れ去った子供たちの行方に関しては答えた。

 彼らは皆、夜道怪の操る『闇』の中に閉じ込められた。先ほどもその闇がコトモを呑み込もうとしていたように、それは夜道怪の意思で自由自在な広がりを見せている。

 鬼太郎とぶつかり合っているこの瞬間でさえも、夜道怪は隙あらばその闇で相手を呑み込もうと足元から奇襲を掛けてくる。

 

「鬼太郎、距離を取るんじゃ!! 迂闊に踏み込めば、お前もあの闇の中に引き摺り込まれてしまうぞ!!」

「はい、父さん!!」

 

 目玉おやじが足元の闇の動きを警戒するよう息子へと注意を促す。如何に鬼太郎といえども、あんな底なし沼のようなものに呑み込まれれば無事では済まない。

 夜道怪本体と戦いながらも、足元も常に意識しなければならないという、なかなかにシビアな戦況だ。

 

「猫娘!! 今のうちに……夜野田さんたちを安全なところまで!!」

「ええ……分かったわ。二人ともこっちに……!!」

 

 だからこそ、他のことに目を向けている余裕がないと。鬼太郎は非戦闘員である夜野田姉妹をこの場から避難させる役割を猫娘に任せる。猫娘も鬼太郎の邪魔にならないよう、まずは二人の少女の避難を優先すべく彼女たちの手を取って走り出していた。

 

「そうはさせるか!! お前の相手は……この朱の盆様がしてやるぜ!!」

 

 だがそうはさせまいと、ここで朱の盆が参戦してくる。逃げようとする彼女たちをいかせまいと、真正面から突撃してきたのだ。

 

「この……!!」

 

 襲い掛かってくる朱の盆に猫娘も応戦せざるを得なかった。力自慢である朱の盆の拳をなんとか回避しつつ、研ぎ澄ました爪で反撃していく。

 

「なんのっ! 痛いけど……効かねぇぞ!!」

 

 猫娘の爪に引っ掻かれながらも、朱の盆は一向に怯まない。ダメージがないわけではないが、それを根性で耐える脅威的なタフネス。

 

「逃げなさい!! アンタたちだけでも!!」

 

 朱の盆の相手をするべく、猫娘はその場に留まることを余儀なくされる。やむを得ないが、夜野田姉妹は二人だけでこの危険地帯から退避しなければならなくなった。

 

「は、はい! コトモ、急いで!!」

「けど……」

 

 トモコは必死にコトモの手を引き、彼女を安全な場所まで誘導しようとする。姉としての責任感が彼女を突き動かしているのだろう、その動きに迷いはない。

 しかしコトモは、鬼太郎たちを置いて逃げることに抵抗感を抱いてしまったのか。躊躇うようにその足を止めてしまう。

 

「逃しは……しやせんよ!!」

 

 そうして彼女たちがもたついていると、夜道怪が姉妹に向かって眼光を光らせた。夜道怪と姉妹との間にはだいぶ距離があったのだが——そんな物理的な距離など関係ないとばかりに、夜道怪は手にしていた錫杖を投擲したのだ。

 

 投げられた錫杖は、槍投げのような勢いで——真っ直ぐコトモに向かって飛んでくる。

 

「——えっ?」

 

 これにコトモは反応できない。お化けたちが蔓延る夜の町を果敢に歩き回るとはいえ、彼女の身体能力は一般人の域を出てはいない。

 呆気に取られたままのコトモの額に、杖の先端があわや突き刺さろうと——。

 

「っ……指鉄砲!!」

「……き、鬼太郎さん!!」

 

 間一髪、指先から発射された鬼太郎の指鉄砲が飛来する錫杖を撃ち落とす。鬼太郎のおかげで、コトモはなんとか事なきを得る。

 

「ふっ……隙ありですよ!!」

 

 しかし、それが鬼太郎にとって致命傷となった。咄嗟にコトモを守ることに意識を割いてしまったため、自身の防御が疎かになってしまったのだ。

 武器である錫杖を手放したとはいえ、夜道怪には自在に操る闇があった。その闇が鬼太郎を足から絡め取り、彼を暗黒の中へと引き摺り込んでいく。

 

「しまっ……うわっ!?」

「き、鬼太郎!? のわっ!?」

 

 一度呑み込まれれば、自力で抜け出すことなど不可能だ。鬼太郎も必死に抗うのだが、その足掻きも虚しく。あっという間に闇の中へと呑み込まれてしまう。

 全身が呑まれる寸前、目玉おやじを巻き込みまいと彼を放り投げたのはせめてもの抵抗だった。目玉おやじは地面へと体を打ち付けられるが、なんとかそれで彼だけは闇から逃れられた。

 

 

 

「そ、そんな……鬼太郎!?」

「や、ヤッタァああ!! 鬼太郎を倒したぞ!!」

 

 闇へと呑み込まれていく鬼太郎の姿に猫娘がその表情を絶望に、朱の盆が歓喜へと染める。特に朱の盆のはしゃぎようはまさに子供のようである。

 

「ふっふっふ……さてと、あとは……あんた方だけですぜ?」

 

 夜道怪も、一番の難敵を始末できたことに喜びを噛み締めるような笑みを零す。だがすぐにでも仕事人のような冷静さで、彼は次なる標的へと狙いを定めていく。

 鬼太郎の仲間である猫娘や、本来の狙いである子供たち——夜野田姉妹へと。

 

「猫娘……ここは一旦引くんじゃ」

「おやじさん!? けど……鬼太郎が!?」

 

 敵の次なる目標を悟ったのか、目玉おやじが猫娘の元まで駆け寄って彼女に撤退を促す。その言葉に鬼太郎が倒されたのにと、猫娘は真っ向から反発するのだが。

 

「冷静になれ! このまま闇雲に戦っても、わしらに勝ち目はない。それに……これ以上、あの子たちを巻き込むわけにもいかんじゃろう?」

「……っ!!」

 

 息子が闇に呑み込まれて尚、目玉おやじは冷静に戦況を見極めていた。

 夜道怪と朱の盆、その両方を猫娘単騎で相手にするのは無理がある。ここは一旦退き、応援を呼んで改めて彼らとの戦いに挑むべきだと。

 何より、トモコとコトモ。彼女たちを安全な場所まで避難させなければならないという、もっともな意見には猫娘も同意せざるを得ない。

 

「おっと! 逃がすわけねぇだろ!!」

「あんた方もここで……あっしが仕留めさせて頂きやす!!」

 

 しかしやはりそうはさせないと、朱の盆と夜道怪が猫娘の眼前に立ち塞がる。

 鬼太郎を倒しても油断はない。寧ろここで鬼太郎の仲間も倒し、より自分たちの勝利を盤石なものにしておきたいというのが彼らの心情であった。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 三名の妖怪たちが、互いの出方を伺って睨み合う。

 まさに決闘で誰が先に銃を抜くのかというせめぎ合い。息苦しい静けさが、夜の公園内を包み込んでいき——。

 

 

「あっ……!?」

 

 

 そんな緊張感溢れる現場で、戦列に加わることが出来ない夜野田コトモが唐突に口を開く。

 

「コ、コトモ……!?」

 

 トモコはこのような状況下で妹が何を見つけたのか——その理由をすぐに察し、彼女自身も息を呑む。

 妖怪たちは互いに牽制し合うばかりで、周りに目を向ける余裕がなかった。

 

 

 だからこそ——そこにいる『ソレ』に気付きもしない。

 

 

 故にコトモが教えるしかなかった。

 彼らのすぐ側、朱の盆と夜道怪のすぐ後方——『ソレ』が人知れず佇んでいたことを。

 

 

「よまわりさん……」

『————』

 

 

 すぐ側で——『夜』が彼らを見つめていたことを。

 

 

 

×

 

 

 

「あん? 何を……って、うおっ!?」

 

 コトモの発言に訝しがる朱の盆だったが、振り返ったすぐ後ろに謎の存在・よまわりさんは見つけたことで驚きのあまり飛び跳ねた。

 いつの間にか背後霊のように佇んていたそれを前に、流石の朱の盆も思わず後退る。

 

「!! これはこれは……またしてもあんたですかい……」

 

 一方で、よまわりさんの存在に夜道怪は驚きつつも、油断なく身構えた。その口ぶりから、既によまわりさんのことを把握していることが伺える。

 

「よ、よまわりさんを……知ってるの?」

 

 その事実にコトモは堪らず質問を口にした。自分ですらも未だ正体を知らないよまわりさんについて、その老人が何かしらの答えを持っているのだろうか、それが気になってしまう。

 

「……よまわりさん、って言うんですかい?」

 

 だがコトモの期待とも不安とも取れる問い掛けに、生憎と夜道怪は明確な答えを持ち合わせてはいなかった。

 

「こちらの方には、今回の仕事を何度も邪魔されましてね。そのせいで……取り逃がしてしまった子らもそれなりにおりまして……」

「!!」

 

 夜道怪が言うに、よまわりさんは子供を連れ去ろうと暗躍する自分の元へ、頻繁にその姿を現しては邪魔をしに来るというのだ。邪魔といっても、何かしらの攻撃を受けたわけではない。後を付けてきたり、その異様な異形で子供たちを怖がらせ、無理矢理危険な場所から立ち退かせたりと。

 夜道怪の仕事を間接的に妨害してくるという。正直実害はそこまでではないが、目障りなことに変わりはない。

 

「ふ、ふんっ!! なにもんだかしらねぇが……俺たちの邪魔しよってんなら容赦しねぇぞ、あん!?」

 

 そんな妨害ばかりしてくるよまわりさんを相手に、朱の盆が顔を至近距離まで近づけて睨みを効かせる。せっかく鬼太郎を倒して上機嫌だったところに水を差され、不機嫌さが混ざっていただろう。

 たとえ同胞・妖怪であろうとも、邪魔をするなら遠慮なくはっ倒すとばかりに脅しつける。

 

 だが——。

 

『————』

「こ、この野郎……聞いてんのか!?」

 

 朱の盆の眼飛ばしにまるで無反応なよまわりさん。何を考えているのか分からない無表情な仮面の沈黙に、朱の盆が逆に気圧されてしまう。

 

「てめぇ……!!」

 

 その異様な雰囲気や沈黙に耐え切れず、短気にも朱の盆の手が出てしまった。力尽くでよまわりさんを排除しようと、思いっきり拳骨をお見舞いする。

 その強烈な一撃に、無抵抗に殴り飛ばされるよまわりさん。その身体がゴムボールのように地面を跳ねていく。

 

『————』

 

 ところがまるで何事もなかったよう、殴り飛ばされてもよまわりさんは朱の盆の眼前へと戻ってくる。

 

「な、なにぃ!? こ、この!?」

 

 もう一度、殴り付けてみるが結果は同じだ。払っても払っても纏わりついてくる虫のように、ふわふわとクラゲのように無言で朱の盆の周囲をよまわりさんは浮遊し続けている。

 

「朱の盆くん、お下がりなさい!!」

 

 その異様な雰囲気を感じ取ってか、夜道怪は朱の盆に一旦下がるように言い、自身の足元から『闇』を伸ばしていく。

 その闇でよまわりさんを呑み込み、問答無用で排除しようという魂胆だったのだろう。

 

「な……にぃ!?」

『————』

 

 だが無駄だ。

 多くの子供たち、鬼太郎すらも呑み込んだ闇でもよまわりさんを捉えることは出来ない。まるで闇と同化でもしているかのよう、よまわりさんはその闇の中を平然と佇んでいた。

 

「この野郎……! なんなんだ、おめぇは!?」

「ちぃ……!!」

 

 自分たちの攻撃が悉く効いていないという事実が、朱の盆や夜道怪に焦りを生ませる。それでも、どうにかしてこの得体の知れない『何か』を排除しなければならないと。

 

 一人ずつで駄目なら二人掛かりでと、よまわりさんへの攻勢を強めていく妖怪たち。

 

 

 

 

 

「よ、よく分からないけど……今なら、あいつらに気付かれないんじゃない?」

「う、うむ……トモコくん、今のうちに……」

 

 よまわりさんを排除しようと四苦八苦する、朱の盆や夜道怪。よまわりさんを相手取るのに躍起になり過ぎているためか、既に猫娘たちのことなど視界にも入っていない。

 今ならば、朱の盆たちに気付かれることなく、この場から退散できるのではないかと。目玉おやじはトモコに声を掛け、妹と一緒に安全圏への離脱を促そうとする。

 

 ところが——。

 

「……だ、ダメ。それ以上は……ダメだよ!」

「こ、コトモ!?」

 

 よまわりさんを排除しようとする朱の盆たちの動きに、夜野田コトモはその顔を恐怖にひきつらせていた。さらには震えながら自らの身体を抱き締める、そんな妹の姿にトモコが駆け寄っていく。

 

「それ以上……よまわりさんを怒らせないで!!」

 

 コトモは、攻撃されているよまわりさんの身を案じていたわけではない。朱の盆たちの行動が、よまわりさんの逆鱗に触れることを恐怖していたのだ。

 

 それ以上、よまわりさんを刺激すればどうなるか——。

 それを、この場で誰よりも知っているのがコトモだっただろう——。

 

 だが、時既に遅し。

 自分を排除しようとする動きに対し、ついによまわりさんは明確な変化を持って応えていく。

 

『————————』

 

 それは、何の前触れもなく起きた。

 朱の盆たちの目の前で唐突に——よまわりさんが『裏返った』のだ。

 

 

「…………はっ?」

 

 

 夢中で拳を繰り出していた朱の盆の動きが止まる。彼の眼前に聳え立つもの——それは『肉の塊』だった。

 先ほどまで、確かにそこに存在していた『黒いミミズのような胴体を持った物体』が、一瞬にして肉の塊——全く別の存在へと変貌を遂げたのだ。

 

 ぶよぶよの肉に、青い血管のようなものが浮き出ている。ずんぐりむっくりな図体には大小様々な瘤や、触手のような尻尾。赤ん坊の腕のようなものがあちこちに生えている。

 さらにはその肉の中心。体を真っ二つに割くように、異常なまでに歯並びの良い口がパックリと開いていた。

 

 その口の中から——よまわりさんの顔、あの仮面のようなものがこちらを覗き込んでいる。

 

 これこそ、コトモが危惧していたことだ。よまわりさんが裏返り——『本気』で怒らせ、この姿になられることを彼女はひどく恐れていたのだ。

 

「な……なんだ……いったい、なんなんですかい、お前さんは!?」

 

 その変わり様には夜道怪も狼狽するしかない。

 

 さっきまでのよまわりさんには、良くも悪くも『感情』というものが一切感じられなかった。何度も何度も邪魔をするように姿を現しながらも、そこに意志のようなものは感じられず、ただ静かに佇んでいるだけ。

 その沈黙が、よりよまわりさんという存在の不気味さを際立たせていたわけだが。

 

『————!!』

 

 だが、今のよまわりさんは、誰の目から見ても『怒っている』ことが分かる。大気そのものを震わすほど、その全身が怒りに満ちていた。

 その怒りを昇華せんとばかりに、巨大な歯をガチガチと噛み合わせながら——その大きな口をあんぐりと広げて襲い掛かる。

 

 

「へっ……?」

 

 

 真っ先に狙われたのは——朱の盆だった。

 呆然と突っ立っている彼に対し、よまわりさんは容赦なくその牙を剥いた。

 

「——朱の盆くん!!」

 

 これに慌てて夜道怪が助け舟を出した。

 恩人であるぬらりひょん、その側近でもあった朱の盆を庇おうと咄嗟に彼を突き飛ばし、自身が身代わりになるよう、よまわりさんの攻撃に割って入る。

 先ほど回収しておいた錫杖で、なんとかよまわりさんの口を閉じる形で食い止めてみせる。

 

『————!!』

「くっ……!! こ……この力は!?」

 

 もっとも、止められたのは一瞬だけ。

 数秒も経たず、よまわりさんの噛みつき、凄まじい圧力に押し負け——錫杖は、真ん中から『ボキン』とへし折られてしまった。

 

「……なっ!?」

『————!!』

 

 身を守る術を失った夜道怪だが、よまわりさんは躊躇などしない。そのまま折れた錫杖ごと——夜道怪へと頭から食らい付いていき。

 

 

 ぐちゃりと、嫌な咀嚼音がした。

 

 

「ひぃっ!?」

「……っ!!」

 

 あまりにも生々しいその響きに夜野田姉妹は当然、猫娘や目玉おやじですらも言葉を失う。

 血の気が引く周囲の反応などお構いなしに、よまわりさんは齧り付いた夜道怪の頭部を、一気にその胴体から引きちぎっていく。

 

 

「——ぎゃあああああああああああああああああ!?」

 

 

 断末魔の絶叫が夜道怪の口から迸った。頭を噛み潰され、首を引っこ抜かれ——夜道怪は絶命した。

 

 

 その最後はあまりにも呆気なく、無慈悲なまでに残酷なものであった。

 

 

 

×

 

 

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 夜道怪の最後には、誰も何も言えなかった。

 彼の味方である朱の盆はおろか、敵である目玉おやじたち、夜道怪の手によって被害者になっていたかも知れない夜野田姉妹でさえも。その最後には掛ける言葉もない。

 恐ろしいまでの沈黙が、闇夜の公園に吹き抜ける寒気と共に通り過ぎて行く。

 

「……むっ?」

 

 だが、年の功とも言うべきか。真っ先に意識を現実へと引き戻した目玉おやじが、暗闇でぼんやりと光る青白い『魂』の存在に気付いた。それは肉体が消滅したことで浮き彫りになった夜道怪の魂だ。

 どうやら彼の魂は無事だったようで、その魂が逃げるように何処へと飛び去っていく。

 

 すると、立ち去っていく魂と入れ替わる形で、夜道怪が使役していた『闇』が地面いっぱいに広がる。

 思わず身構える一同だったが、闇はその場にいるものたちに危害は加えない。寧ろ、その奥から多くの人間——子供たちを吐き出すように放り投げた。

 

「うぅ……あ、あれ?」

「私たち……なんでこんなところに……?」

 

 何が何だか分からないとばかりに、地面に横たわる少年少女たち。

 

「あれ……僕は……?」

 

 その中に、つい先ほど闇に呑み込まれたゲゲゲの鬼太郎の姿もあった。

 

「おお、鬼太郎!!」

「鬼太郎!?」

 

 五体満足で帰還した鬼太郎に、目玉おやじと猫娘が駆け寄っていく。

 きっと夜道怪が倒されたことで、闇から解放されたのだろう。ならば周囲の子供たちは、夜道怪と朱の盆の企みによって連れ去られた子供たちということになる。

 見たところ多少は衰弱しているようだが、深刻な重傷を負っているようなものはいない。

 

「あれ……? ここ……どこよ……?」

「あっ……! 香凛ちゃん!?」

 

 解放された子供の中には、コトモやまなと同じ学校の制服を着ているものもいた。その少女と顔見知りなのだろう、コトモがその名前を呼びながら安堵の表情を浮かべる。

 

「く、くそっ!! 覚えてろよ、お前ら!!」

 

 このような結果を前に、なんとか一命を取り留めた朱の盆が悔しそうに地団駄を踏む。

 自分たちの企みを阻止され、同志を一人失ったことにショックを受けつつ、脱兎の勢いでその場から逃げ出していった。

 

 

 これで朱の盆たちの今回の企みは頓挫され、子供たちも無事戻ってきた。

 とりあえず、これで一件落着だと——安心してばかりはいられない。

 

 

『————!!』

 

 夜道怪が倒れようと、朱の盆が逃げ出そうとも。その場には——未だ『裏返ったままのよまわりさん』がいた。

 夜道怪一人を喰い殺したところで、その怒りが収まる様子はなく。それどころかさらに荒ぶるように唸り声を上げ、新しい獲物を求めていく。

 蠢く肉の塊のよまわりさん。その口の奥から覗き込む仮面の視線が——不運にも一番近くにいた少女・山根香凛を捉えたのだ。

 

「……えっ? え、え……うぇええ!?」

 

 未だ何が起きたかも理解していない香凛が、その襲撃から逃げられるわけもなく。自身の命の危機を感じたときには、既によまわりさんが彼女の目前まで迫っていた。

 

「い、いかん!? 鬼太郎!!」

「——!?」

 

 少女の危機に目玉おやじが咄嗟に鬼太郎へと呼び掛けるが、彼も闇から解放されたばかりで即座に動くことが出来ないでいた。

 このままでは香凛までもが、夜道怪のように喰い殺されてしまうだろう。

 

「う、うわあああ!?」

「な、な、な……なによあれ!?」

 

 その光景を、闇から助けられた筈の多くの未成年が目撃していた。彼らは訳も分からぬ状況のまま、とても子供には見せられないような大惨事を目の当たりにすることとなる。

 

 まさに、あわやというところ——。

 

 

「——よまわりさん!!」

 

 

 寸前、よまわりさんの名前を呼び止めながら、その凶行から香凛を守ろうと躍り出るものがいた。

 その少女は香凛を庇うように堂々と両手を広げ、恐ろしい怪物となったよまわりさんの眼前に立ち塞がる。

 

 

「えっ…………よ、夜野田……?」

 

 

 それが誰なのかなど、つい先ほどまで闇の中にいた子供たちでは分からなかっただろう。

 ただ彼女だけ、庇われた本人である香凛だけは、それが自分の知っている少女・夜野田コトモだと少し遅れて気が付いた。

 

 よまわりさんを、その存在を誰よりも恐れていた彼女が、クラスメイトを守るため必死にその勇気を振り絞っていく。

 

 

 

「こ……コトモ!!」

「待って、トモコさん! 動きが……止まった?」

 

 自分の元から離れて無謀な行為へと走る妹のコトモに、姉であるトモコは血相を変えて駆け寄ろうとする。

 しかし、彼女の動きを猫娘が静止した。それは彼女まで危険に晒すことはできないという判断でもあったが、それ以上に——。

 

『————』

 

 コトモの行動に、よまわりさんが反応を示したからでもある。彼女の誰の目から見ても無謀な行動に、あの肉塊の怪物がその動きを止めたのだ。

 肌に突き刺さるような荒ぶる怒気こそそのままだが、よまわりさんは確かに、コトモの言葉に耳を傾けるような『意志』を垣間見せた。

 

 それが何故だったのか、それは誰にも理解できないだろう。しかしこれをチャンスと、決意を固めたコトモがゆっくりと口を開いていく。

 

「その姿で会うのも久しぶりだね……よまわりさん」

「…………」

「…………」

「…………」

 

 まずは軽い挨拶。一呼吸入れることで込み上げてくる自身の恐怖心、周囲の緊張感を和らげていく。

 その間で、周りのものたちもなんとなく空気を察したのだろう。目の前の怪物を刺激してはならない、二人の対面を邪魔してはならないという思いから、皆が固唾を呑んで黙り込んでいく。

 

「もう何年になるだろうね。あなたに追いかけ回された、あの日の夜から……」

『————』

 

 コトモが思い出を語るように話しかける一方で、よまわりさんは何も答えない。

 その挙動から、全くの無反応でないことは伺えるが、肉塊のお化けがただ佇んでいるだけというのは、それだけで押し潰されるような圧迫感があった。

 

 普通なら口など開くのも恐ろしいところだろうが、コトモはめげずによまわりさんへの語り掛けを続けていく。

 

「あの頃に比べて、わたしずっと大人になったよ? 背だって伸びたし、足だって速くなった。今ならあの頃よりもずっと……ずっと上手にお化けたちから逃げられると思う……」

『————!!』

 

 コトモは自身の成長を示す。

 

 何一つ変わっていないよまわりさんとは違い、人間である彼女は一回りも二回りも大きくなった。訳も分からず泣きじゃくりながら、ただ逃げ回っていただけのあの頃とは違うと。

 それは、聞くものが聞けば驕りに聞こえたかもしれない。現によまわりさんはコトモの言動を軽々しいと感じ取ったのか。その空気が一瞬、重く冷たく張り詰めかけていく。

 

 

「——でもね……それでもやっぱり、夜は怖いよ?」

 

 

 だが、コトモは決して増長などしていない。彼女は『夜』が恐ろしいものだと正しく理解していた。

 夜は怖いものだ。人間が安易に触れてはならないものだと。今でもしっかりと夜を恐れ、そこに潜むものたちに畏れを抱いている。

 

「夜は怖い……死ぬのは怖い。それも全部……あの町の夜が教えてくれたんだよ? あの町のお化けたちが……よまわりさんが怖いから……わたしは今でも、夜を怖いと思うことができるんだ……」

「コトモ……」

 

 コトモの吐露される胸の内に、トモコは感じ入るように妹の名を呟く。彼女も一緒にあの町で生まれ育ったからこそ、妹の想いに深く共感できる。

 

 あの町に住むもので、夜を軽んじるものなどいはしない。それは頻繁に夜を探索し続けてきたコトモも同じだ。寧ろ深く知れば知るほど、恐怖の色は濃く増していくというもの。

 あの夜が、あの町で過ごした日々が姉妹たちを『正しく恐怖』させ、軽々しく一線を越えるような真似がないようにと踏み留まらせてくれている。

 

「この怖いって気持ちは……きっと大人になっても変わらないと思う。わたしは……私はこの気持ちを抱いたまま、それでも一生懸命生きていける!!」

 

 子供の頃の記憶など薄れていくのが大人というものだが、あれだけ恐ろしい目に遭ってきたコトモがこの恐怖心から解き放たれることはない。

 失われた筈の左目も、変わらず『真夜中の世界』を映し続けている。

 

 彼女が『夜』から逃れることは生涯無理だろう。いや、生きている限り、人は常に夜と向き合って生きていかなければならない。

 けれど自分は大丈夫だと。コトモはしっかりと地に足を付け、その夜と共に生きていくことを宣言するように叫んでいく。

 

「だから……もう大丈夫だよ? よまわりさんは……私を心配して見守ってくれてたみたいだけど……もう、そんなことをする必要もないんだから……」

「えっ……? み、見守る?」

 

 だからもういいと。わざわざこの東京まで自分を追ってきたよまわりさんに、もう自分の見張りなどする必要がないことを告げた。

 トモコはよまわりさんが妹を『見張っている』と感じ取っていたが、コトモ自身はよまわりさんに『見守られている』と思っていたようだ。

 けど、そんな心遣いも今の自分には必要ない。コトモはよまわりさんという存在に、別れの挨拶を切り出した。

 

「今度は私じゃない……他の誰かを気に掛けてあげて。この街で……あなたが守ろうとしてくれた子供たちみたいに……」

 

 よまわりさんは、夜道怪の仕事を妨害していたという。都合の良い解釈かも知れないが、コトモにはその事実が『子供らを守ろうとしていた』とも感じられた。

 

 勿論、よまわりさんは子供を誘拐するもの。

 よまわりさんに連れ去られたことで、行方不明のまま消えた子供が実際にいるのもまた事実だろう。

 

 だけど、それだけじゃない。子供を連れ去るだけがよまわりさんの全てではないと。コトモは『彼』を信じて送り出していく。

 

『————』

 

 コトモの思いに、よまわりさんがどんな気持ちを抱いたか。余人にそれを推し量ることは不可能だっただろう。

 

「あっ……戻った」

 

 だが、コトモの言葉によまわりさんは矛を治めたようだ。その証拠に裏返っていたその存在がぐるりと反転し、元の状態へと戻っていく。

 元の不気味に佇む、黒いミミズのような胴体。何を考えているか分からない白いのっぺりとした仮面。無数に生えた触手には、子供たちを捕まえる袋が握られている。

 

 

『————————』

 

 

 しかしよまわりさんはそれ以上、何もしなかった。

 周囲に多くの子供たちがいたが、その誰を連れ去ることもなく——闇に溶け込むように消えていく。

 

 

 以後。

 よまわりさんが夜野田コトモの前に姿を見せることは、終ぞなかったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ふぅ~……ああ、怖かった!!」

「コトモ!! もう、あんな無茶をして……何かあったらどうするつもりだったの!?」

 

 よまわりさんが立ち去ってくれたことで、空気が弛緩していく中。極度の緊張状態から一転、コトモは公園の地べたに尻餅を付いた。

 張り詰めていたものをそこで一気に解いたのだろう。反動のように一歩も動けなくなる彼女に、怒った顔でトモコが駆け寄っていく。

 コトモの無茶を叱りつける彼女だが、やはりそこには妹が無事だったという安心感があった。今度こそ、今日も夜を乗り越えられたと喜びの抱擁でコトモを迎え入れる。

 

「ごめんね、お姉ちゃん。けど大丈夫。きっと……よまわりさんも……分かってくれたと思うから……」

 

 姉に素直な謝罪を口にしつつも、コトモはよまわりさんが消えていった場所を見つめていた。

 結局、よまわりさんが何者なのかなどはコトモにも分からない。分からないが——今のできっと自分の伝えたいことは伝わっただろう。

 

 きっと分かってくれると、その存在が自分以外の誰かにとっても『教訓』になるようにと、心の底から祈るしかない。

 

「やれやれ、一時はどうなることかと思ったが……」

「ええ、僕も……連れ去られた子供たちも……みんな無事のようですね……」

 

 これで今度こそ一件落着と、目玉おやじや鬼太郎も周囲に気を配る余裕が生まれた。

 事件の本来の黒幕・朱の盆にこそ逃げられたものの、夜道怪が倒されたことで子供たちも皆戻ってきた。あとは彼らにそれとなく声を掛け、なんとかそれぞれの自宅へと返せばこの件も片が付くだろう。

 

 

「——なんでよ?」

「……ん? どうしたの、香凛ちゃん?」

 

 

 そんな中、助けられた子供の一人——山根香凛が戸惑い気味に問いを投げ掛ける。

 その問い掛けは、コトモへと向けられていた。だが香凛が何を不思議がっているのか分からず、コトモは彼女に聞き返していく。

 

「……なんで……あたしなんか庇ったのよ。……あたしたち、そんな仲よくないでしょ? ただのクラスメイトってだけなのに……なんで……」

 

 未だ完全に状況を把握しきれていない香凛だが、自分がコトモに助けられたということは察したらしい。

 だからこそ——何故コトモが自分を助けようとしたのか、それ自体が理解できていない。

 

 クラスメイトとはいえ、所詮は見ず知らずの他人である自分を、どうしてコトモがあんな命懸けで庇ってくれたのだろうと。きっと自分が逆の立場ならとっとと逃げていたと、心底から疑問が尽きない様子だった。

 

「だって……怖かったから。香凛ちゃんが……いなくなっちゃうのが……」

「……え?」

 

 だが、そういった香凛の疑問とは裏腹に、コトモは至極単純な思いから彼女を助けなければとその身体を突き動かしていた。

 

「もう……誰かがいなくなっちゃうのが嫌だった。身近な人がいなくなっちゃうのは……もうたくさんだったから……」

「!!」

 

 苦しそうに呟かれたコトモの言葉には、痛みを堪えるような響きが感じ取れた。

 きっと近しい誰か、大切なものを失った経験がコトモにはあるのだろう。そういった喪失感を未だ経験したことのない香凛にも、それが耐え難い苦痛であることを想像させる。

 

「そっか……コトモは、この子を心配していたのね? この子を探すために……家を飛び出しちゃったのか……」

 

 その痛みを共有する姉妹としてか。トモコはそこで『今宵、コトモが一人で出歩いていた』その理由を察した。

 本来なら大人しくしていなければならない立場であったコトモが、危険を冒してまでどうして家の外へと飛び出したのか。

 

 それは偏に——香凛のためだった。

 身近なクラスメイトであった彼女が目の前から消えた。このまま彼女がどこかに行ってしまうのではないかと、それが不安だった。

 

 だからそれを取り戻そうと、コトモは夜の街へと繰り出したのだ。自分の身の安全すらも顧みず、ただ山根香凛という少女を求めて——。

 

「わ……わたしのため? わたしなんかのために……アンタはそんな……必死になって?」

 

 庇うだけではなかった。あれほど暗くなる前に帰らなければと、口うるさく注意していたコトモが自分を探して夜の街を出歩いていたという。

 ただのクラスメイトのためにそこまでする行動力。それは香凛が嫌いな『良い子ちゃん』に通ずるものがあったが、不思議と嫌な気分にはなれなかった。

 

「なんにせよ、無事で良かったよ……」

「あっ……」

 

 寧ろ自分の無事を涙ぐみながら喜び、優しくその身体を抱きしめてくるコトモの暖かさに嬉しさが込み上げてくる。

 どうして、なんで。そんな疑問が吹き飛ぶほどに、香凛の心が穏やかな気持ちで満たされていく。

 

「…………あ、ありがとう…………本当に…………!」

 

 香凛は込み上げてくるものを堪えながら、照れくさそうにお礼を口にした。

 自分の無事をここまで喜んでくれる人が、求めてくれる人がいる。それがこんなにも嬉しいものだと、彼女は生まれて初めて実感していた。

 

 よまわりさんとの別れという、一大決心を決意させた夜野田コトモもそうだが。

 

 山根香凛という少女にとっても、その夜は決して忘れることのできない記憶として刻まれていくこととなるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、長い夜が終わった。

 

 どれだけ深い闇であろうとも必ず晴れるよう、少女たちはそれぞれの日常へと帰還していく。

 

 日常に戻れば何事もなかったように、今夜の出来事を心の奥底にしまい込んで笑顔で笑い合うのだろう。

 

 

 だが——忘れてはならない。

 

 たとえ、夜道怪が倒されようとも。

 

 たとえ、よまわりさんが立ち去ろうとも。

 

 この世界から『夜』が消え去ることはない。

 

 明けない夜がないように、沈まぬ太陽も存在しない。

 

 どれだけ拒絶しようとも、夜は必ず訪れる。

 

 その度に思い出してほしい、夜の怖さを。

 

 決して忘れずにその胸に刻みつけてほしい、夜の恐怖を。

 

 たとえどれだけ大人になろうとも、夜はいつもそこにあるから。

 

 

 

 いつだって、夜はあなたたちを見ていますから——。

 

 

 




人物紹介

 朱の盆
  ご存じぬらりひょんの配下。
  6期での戦闘力はシリーズ屈指。けどやっぱりどこか抜けていて憎めない一面も。
  本小説内では、『ぬらりひょんという頭を失いながらも、自分なりに考えて悪事を働く』という朱の盆を描いていました。
  今後も、話の流れによっては色々と動きを見せるかもしれません。その活躍に乞うご期待。
  ちなみに……朱の盆は本気でぬらりひょんが死んだと『思い込んで』おります……。

 夜道怪
  今回のゲスト妖怪。旅の僧侶の格好をした老人妖怪。
 『子供を攫う』というワードから、よまわりさんとの共演を実現させてみました。
  ビジュアルのモデルは5期に登場した、夜道怪そのもの。
  闇を操るといった能力や、口調なども意識して5期に寄せています。
  ちなみに、5期におけるcvは中田譲治さんです。……外道神父、正月のピックアップに来るかな?


次回予告

「……過ぎ去った過去……助けられなかった人々。
 犠牲は傷跡となり、既に覆せないものとして大地に刻まれる。
 それでも……それでも少年は、少女の名前を求め続ける。
 父さん……彼の覚悟に、ボクたちは応えるべきなのでしょうか? それとも……。

 次回ーーゲゲゲの鬼太郎 『君の名は。』 見えない世界の扉が開く」

 すずめの戸締まり公開記念!!
 新年一発目は新海誠の災害三部作、その第一作目をクロスオーバー!!

 ちなみに……作者は既にすずめを二回観に行きました。もう一回行ってもいいかなとか思ってます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

君の名は。 其の①

あけましておめでとうございます。
今年最初の更新ということもあり、まずは新年のご挨拶を。今年も本小説をよろしくお願い致します!

fgoユーザーの皆様は、もう福袋ガチャを引きましたか?
自分は弓単体・補助を引き、見事に超人オリオンを引き当てました。ようやく自前のオリオンで高難易度を攻略できる……早く来い、新規イベントよ!!

さて、新年最初のクロスオーバーは『君の名は。』もはや説明不要、新海誠の代表作です。
この映画の公開前から、新海誠の名前を自分も一応は知っていました。ただ最初に見たのが『ほしのこえ』という作品だったか。なんか切ないなと、ものすごく凹んだ記憶が……。

だからこそ、君の名。の公開当時、最初は戦々恐々としていたのですが、今作は切なくともちゃんとハッピーエンドで終わるところに素直に好感を持てました。
多分人生で初めて、同じ映画を二回劇場まで観に行った作品ですね。

基本的に、今回のクロスオーバーは原作をなぞるような形で進んで行きます。その中で、鬼太郎的な要素を盛り込んでいく予定です。

それから、今作と『天気の子』や『すずめの戸締り』といった新海誠の災害三部作。それらもいずれはクロスオーバーする用意がありますので……そのときまでどうかお楽しみに。




2016年 10月

 

 

 

「………………」

 

 東京都内在住の高校生・立花(たちばな)(たき)はここ一ヶ月の間に奇妙な体験を経験していた。それは朝起きると、自分が見知らぬ誰かと『入れ替わっている』というものだ。

 その見知らぬ誰かは自分と同年代の女の子。性別は勿論、住んでいる地域も生い立ちもまるで違う。生まれも育ちも都会である瀧とは異なり、その女子はずっと田舎の方に暮らしていた。

 

 入れ替わりは週に二、三回、ランダムに起きている。最初はその環境の変化に、女子として生活しなければならないことに相当苦労したものだ。

 もっとも、人間というのは慣れる生き物で。入れ替わりが何度も繰り返されるうちに瀧はその状況を受け入れ、次第には楽しむようになった。

 

 女子となった自身の胸を揉みくだしたり、同級生の男子や後輩の女子から告白されたり。

 その身体の持ち主の幼馴染——『テッシー』や『サヤちん』との何気ない会話や、田舎の澄んだ空気の中でのDIY満喫したりと。

 

 それは相手側の『女子』も同じらしい。

 自分が入れ替わっている間、彼女は自分の——『男子』の身体を使って好き勝手に過ごしていた。

 

 慣れない憧れの都会生活に目を回しながらも、バイトに勤しみ、オシャレなカフェでスイーツ巡りを満喫。

 瀧にとって憧れである先輩——『奥寺先輩』と勝手に仲良くなってお茶をしたり。さらには瀧本人の許可もなく、先輩とデートの約束まで取り付けたりと。

 

 そういった互いの近況。二人はノートの落書きや、スマホのテキストメモでやり取りしていた。

 何せお互い、入れ替わっている間は自分本来の身体がどんな経験をしていたか、それを記憶することができないのだ。

 周囲との折り合いをつけるためにも、その日その日に自分たちが何をしていたかなど。事細かな情報交換は必須だ。

 

『——私の身体で好き勝手なことしないでよ、変態!!』

 

 その際、例の女子が自分を罵倒するような言葉を残すのがもはやお約束になっていた。女子の身体で好き勝手しているのだから、論理的に考えて瀧は変態らしい。

 

『——お前だって、俺の人間関係めちゃくちゃにするなよな!!』

 

 しかし、それを言うならお前もだろと。瀧は瀧でその女子に向かって言い返すようなメモを残す。

 

 残されるメッセージには、大抵罵詈雑言しか書かれていない。お互い、見も知らない相手に自分の身体を預けなければならない不安や不満があるのだろう。

 そこに遠慮などは微塵もない。相手の行動、奇行への苦情。自身の要求や欲求を包み隠すことなく突き付ける。

 恥や外聞をかなぐり捨てた殴り合い——もとい、本音でのぶつかり合い。

 

 そういった本音での言い合いや、入れ替わり生活を通じて——瀧にはその女子に対する強い興味が生まれていた。

 

 ——お前って、いったいどういうやつなんだよ……。

 

 彼女が普段どのような生活をし、何を考えているのか。彼女という『女の子』のことが気になってしょうがない。

 それは憧れだった奥寺先輩とのデートにすらも身が入らないほど、瀧にとってその思考は悶々とした悩みとなり、頭の片隅に残り続けるようになる。

 

 ——いつか……あいつの口から聞いてみたいな……。

 

 メモでのやり取りだとどうしても喧嘩になってしまうため、今はそんなことを聞くこともできない。

 けどいつか、いつかは彼女とちゃんと話がしたいと。彼女という人間について、もっと詳しく知りたいと。

 

 瀧はそのタイミングがいずれは来るだろうと、知らず知らずのうちに期待を胸に抱くようになっていた。

 

 

 

 

 

 ところが、そんな入れ替わり生活も唐突に終わりを迎える。

 

 

 

 

 

 本当に、本当に唐突に——何の前触れもなく、彼女との入れ替わりが起こらなくなってしまったのだ。

 最後の入れ替わりから数週間経過したが、あれ以降、何度深い眠りに落ちても彼女と身体が入れ替わるような予兆もない。

 

 あまりにも呆気なく終わってしまった目まぐるしい日々。ひょっとしたら、あれは現実ではなく夢だったのではないかと、そのような考えが脳裏を過ぎってしまう。

 

「……いや、違う……夢なんかじゃない……確かに俺とあいつは……入れ替わってた……」

 

 だが、瀧はその思考を言葉に出してでも否定する。あれは夢でも幻でもない。彼女は間違いなくこの世界のどこかにいた一人の女の子だ。

 

 残されたメモや、瀧の記憶がその存在を証明している。

 決して忘れない、忘れられるわけがない彼女の『名前』を思い出そうとする瀧。

 

「——えっ? なに? なにが夢じゃなかったって?」

「…………」

 

 しかし、瀧が彼女の名前を思い返そうとした直前。空気を読まない男子の気楽そうな呼びかけが飛んできた。その男子は瀧の隣の席に着席しながら、呑気に駅弁の味噌カツなど口に放り込んでいる。

 

「——瀧くん、もっとしっかり道案内しなさいよ! これは夢じゃない、現実なんだからね!!」

 

 さらには瀧の対面の席に腰掛ける女性も、しっかり行き先を示すようにと釘を刺してくる。その言動から彼女も旅行気分といった感じであることが窺える。

 

 

 今現在、立花瀧は二名の同伴者と共に特急列車『ひだ』へと乗り込んでいた。

 同伴者の片方、男子の方は瀧の友人・藤井(ふじい)(つかさ)。眼鏡を掛けた知的な男子で、何事もそつなくこなす委員長のような男だ。

 そしてもう片方は、何を隠そう憧れだったバイト先の先輩・奥寺(おくでら)ミキである。美人でオシャレな女子大生である彼女とお出かけなど、少し前までの自分なら舞い上がりたいような幸運だっただろうが、今はとてもそんな気分にも浸れない。

 

 そう、その両名を含めた立花瀧たち三人は現在、東京都にはいなかった。

 彼らは瀧の入れ替わり先、『彼女』が住んでいると思われる田舎——具体的には、岐阜県の飛騨(ひだ)辺りを目的地に移動していたのだ。

 

 それは入れ替わりが起きなくなったことで妙な胸騒ぎを覚えた瀧が、どうしても彼女と会いたいと思い立ったが故の行動であった。本来ならば一人で向かう筈だったところに、何故か司と奥寺の二人が付いてきている。

 瀧を心配してとのことだが、二人ともこれを遠足か何かと勘違いしているのか妙に浮かれていた。

 

「はぁ~……先が思いやられる……」

 

 瀧自身は至って真剣なだけあって、正直二人の存在は鬱陶しい。

 旅行気分の二人など交えて『彼女』の元に辿り着けるのかと、雲行きが怪しくなってきた自身の旅立ちに内心で頭を抱えていく。

 

 

 

 

 

「…………駄目だ、見つからない……!!」

 

 予想通り、『彼女』の故郷探しは早くも暗礁に乗り上げていた。彼女が住んでいると思われる地域、その辺り周辺で聞き込みをするのだが、まるで手応えがない。

 

 しかしこればかりはしょうがない。何せ瀧には彼女の住んでいる町——そこの具体的な地名が分からなかったからだ。入れ替わっている間は当然のように認識しているその場所を、今の瀧は何故か覚えていなかった。

 一応、飛騨周辺までは来た。少なくともこの辺りであることは間違いない。あと手掛かりとなるのは——瀧が朧げな記憶を頼りにスケッチした、その町の風景。

 

 

『周囲を山々に囲まれた、湖のほとりにある町』——という特徴的な風景のみだ。

 

 

 このような情景の町、そこまでありふれたものではない。聞き込みを続けていれば誰か一人くらい、この場所に心当たりがあるだろうと、正直楽観視していたところもある。

 

 けれど見つからない。誰に何を聞いたところで、返ってくる答えは「知らない」「分からない」だ。

 気合を入れて聞き込みを続けていただけに、それらが悉く空振りであったことに瀧は露骨に落ち込んでいく。

 

「元気出せって……ほら、ラーメンでも食ってさ!!」

「すいません! 高山ラーメン、三つお願いします!!」

 

 落ち込む瀧を慰めるよう、司と奥寺の二人が両側から肩を叩いてくる。もっとも、二人とも必死に聞き込みをする瀧の横でキャッキャウフフと、飛騨旅行を満喫していただけなのであまり説得力はない。

 

 とはいえ、彼らの言う通り腹が減っては戦もできぬ。ここはエネルギーでも補給して英気を養おうと、たまたま辿り着いた田舎のラーメン屋で一息入れることにした。

 飛騨名物でもある高山ラーメンに舌鼓を打ちながら、これからどうするかを暫しの間考え込んでいく。

 

 

「——それ、昔のイトモリやろ? よう描けとるな……にいちゃんが描いたんか?」

「——えっ?」

 

 

 と、ちょうど瀧たちがラーメンを食べ終わったときだ。ラーメン屋の奥さん、エプロン姿のおばちゃんが、瀧のスケッチした絵をしげしげと眺めながら感心したような呟きを零した。

 まさかの反応に、瀧を含めた三人が唖然と口を開いている。

 

「ちょっとあんた、これ見てみい!! よう描けとるやろ!?」

「ああ、ほんとに昔のイトモリやな……懐かしい……」

 

 おばちゃんは旦那でもあるラーメン屋の主人にそのスケッチを見せた。頑固そうなラーメン屋の店主が、瀧の描いた『イトモリ』の街並みを懐かしそうに見つめている。

 

「イトモリ……そうだ!! 糸守町だ!!」

 

 刹那、ラーメン屋夫婦の言葉に瀧の記憶が呼び起こされる。

 

「なんで今まで思い出せなかったんだ、糸守町!! この近くですよね!?」

 

 そうだ、糸守町(いともりまち)

 それが入れ替わりの間、瀧の過ごした町であり——彼女の住んでいる故郷だ。名前を聞くまでどうしても思い出せなかったその町の場所を、瀧はラーメン屋の夫婦に訪ねていく。

 

「……あんた……知っとるやろ、糸守町ってのは……」

 

 すると、夫婦は怪訝そうに顔を見合わせ、瀧の言動に首を傾げた。

 瀧としては何もおかしいことを口にしてはいないつもりだ。いったい、自分の言葉のどこに首を傾げるようなところがあっただろうか——。

 

「糸守って……瀧、お前まさか!!」

「それって……あの彗星の!?」

 

 だが、ラーメン屋だけではない。司や奥寺までもが、瀧の言葉に目を見開く。

 

「え……? 彗星って……?」

 

 瀧には、彼らの反応の意味が分からなかった。

 何故皆、そんな不審げな目で自分を見てくるのか。どうして糸守と聞いてそんな青褪めた顔をするのか。

 

 

 間もなく彼は周囲のリアクション、その『意味』を知ることとなるだろう。

 

 

 

2013年 10月4日

 

 

 

「…………私、どうすればよかったんだろう……」

 

 その日、宮水(みやみず)三葉(みつは)は浴衣に袖を通して地元の秋祭りに参加していた。参加といっても屋台巡りをするでも、友達と一緒に歩くでもなく。彼女は一人、原っぱの上に佇み漠然と空を眺めている。

 少し肌寒い風に靡く彼女の髪、組紐によって複雑に編まれた長髪は——今はもう、バッサリと短く切られていた。

 

 昨日、祖母に切ってもらったそれは——ひょっとしたらドラマなどでたまに見る『失恋』というやつから、吹っ切れるためのお呪いだったのかもしれない。

 

 

 

 先日、彼女はここ一ヶ月の間に『入れ替わっていた』少年・立花瀧が住んでいる東京に日帰りで出掛けていた。

 学校をサボってまで彼に会おうと思い立ったのは——今頃、奥寺ミキとデートしているであろう彼の動向が気になってしまったからだ。

 

 入れ替わりの日々を通じて瀧が三葉の存在を意識するようになったのと同じよう、三葉にとっても瀧の存在は心の大部分を占めるものと成りつつあった。

 気になる男子が今この瞬間にも自分ではない、別の女性とデートをしている。その事実が三葉の心を激しく揺さぶった。

 

 居ても立っても居られなくなった三葉は勢いのまま、東京へと辿り着き、そこから瀧の姿を探して街中を駆けずり回る。

 もっとも、待ち合わせを約束したわけでもない相手とそう簡単に会える筈もない。

 都内の人口密度は糸守町などと比べようもないほど。そんな人でごった返す都会で一人の男の子を見つけ出そうなどと。

 もはや、それは『奇跡』にも等しい確率だ。

 

「……見つかりっこない……見つかりっこない……でも!!」

 

 それは三葉だって理解していた。そんな奇跡など起こりっこないと、理性の部分が自分自身の無謀を諭そうとしていた。

 だがそれでも、それでも求めずにはいられない。藁にも縋る思いで、入れ替わっていた間の記憶を頼りに彼の姿を探し回る。

 

 

 

 何時間、あてもなく彷徨い歩いただろう。流石に無理かと、心が折れそうになって駅のベンチで身体を休めていたところ——。

 

「…………!!」

 

 思わず息を呑んだ。弾かれたように立ち上がり、目の前で停車した電車の中へと滑り込んでいく。

 電車内はひどく混雑しており、人で密集していた。人混みを何とか掻き分けていき、一瞬確かに窓の向こう側に垣間見えた『彼』の元へと。

 

 

「…………」

 

 

 いた。目の前に、立花瀧が——。

 

 すし詰め状態の電車内で、単語帳などをペラペラと捲りながら俯いている。

 すぐ近くまで辿り着いた三葉の存在に、彼はまだ気付いていない。

 

「た……瀧くん……」

 

 極度に緊張しながらも、意を決した三葉が彼の名前を呼ぶ。

 

「え?」

「覚えて……ない?」

 

 驚いて顔を上げる瀧。その瞳が三葉の存在を見据え——。

 

 

「——誰? お前……?」

 

 

 まるで「変な女に声をかけられた」とでも言いたげな、不審そうな視線が三葉を射抜いた。

 

「!!……あっ……す、すみません……」

 

 瀧の反応に——三葉は途端に恥ずかしくなる。

 彼に会えるかもと、会いたいと願っていた。会えばお互いすぐに分かると、少なくとも三葉はそのように信じていたし、きっと向こうもそうだと思っていた。

 

 けど、そう思い込んでいたのは自分だけだった。

 瀧は三葉のことなど知らないと、なんとも思っていなかったのだという事実を突きつけられてしまう。

 

 奇跡的に巡り合えたと浮かれていた分、三葉はその顔を羞恥から真っ赤に染めていく。

 

 ——でもどうして? だって瀧くん……間違いなく、瀧くんなのに……。

 

 しかし、納得のいかない部分もある。目の前にいる少年は間違いなく立花瀧だ。名前を呼ばれてこちらを見たことから、人違いという可能性もない。

 いったい何故、彼は自分の存在を『知らない』ような素振りでいられるのだろう?

 

 

 

 三葉は気付かなかったことだが、このとき彼女が会いにいった立花瀧は——まだ中学生だった。

 彼女が入れ替わっていた瀧は高校生。今ここにいる彼は、まだ三葉と入れ替わる前——三年前の立花瀧なのだ。

 そう、いかなる理屈かは不明だが、三葉は『2016年の立花瀧』と入れ替わっていた。今はまだ『2013年の立花瀧』が、三年後に入れ替わることになる三葉の存在を認識できていないのは当然のこと。

 

 三葉にとって既知のことも、瀧にとっては全くの未知。

 彼にとって宮水三葉という少女は、正真正銘初対面の相手だったのだ。

 

 

 

「…………」

 

 その事実に、三葉は気付かない。

 ただ、自分のことを知らんぷりする彼の反応が悲しくて、苦しくて、恥ずかしくて。ただただ、いたたまれない気持ちでいっぱいだった。

 

 ——もう、これ以上……ここにはいられない。

 

 すぐにでもその場から立ち去ろうとする三葉。だが電車は既に発進しており、予想以上の満員電車の混み具合から、ぎゅうぎゅうに彼の方へと押し込められる。

 

「す……すみません……」

「……?」

 

 手が触れ合えるほど、お互いの体温が分かるほどの距離で密着する少年少女。三葉は意味もなく謝り続け、そんな彼女の反応に瀧は不思議そうに首を傾げるばかりだ。

 

 そんな気まずい状態は暫く続いたが——やがて駅はホームへと到着し、大勢の乗客が乗り降りしていく。

 三葉も、その流れに乗って電車から降りようとした。彼の前から姿を消そうと、背を向けて歩き出す。

 

「なあ! あんた、名前は……」

「!!」

 

 だが直前で、瀧が三葉を呼び止めようとしてくれた。瀧にとっては初対面の相手だが、このまま三葉を行かせてはならないという直感でも働いたのか。彼の声に三葉も振り返る。

 しかし人波に押し流されてしまい、もう戻ることもできない。

 

「……みつは! 名前は……三葉!!」

 

 人の流れに懸命に抗いながら、三葉は自身の名前を叫び、辛うじて届く手だけを伸ばし——後ろ髪を結っていた組紐、それを瀧に向かって差し出した。

 瀧も手を伸ばし、彼女からその組紐を受け取る。

 

 

 この瞬間——二人の縁は組紐を通じて『結ばれる』こととなったのだ。

 

 

 

 

 

「……瀧くん」 

 

 あれから、時間も時間だったので三葉はすぐに糸守町へと戻った。そして祖母に頼んで、長かった髪を切って貰ったのだ。

 結局、何一つ大事なことを伝えられずに別れることになった男の子に、三葉は今でも後悔の念を引きずっている。

 

 ——今度入れ替わったら……昨日のこと……聞いてみようかな……。

 

 しかし、冷静に考えればまた『入れ替わり』が起きるかもしれないのだ。

 そのときにでも、昨日のことをメモに残して聞いてみようと。三葉は少しばかり前向きな気持ちとなり——また空を眺めていく。

 

「あっ……彗星……」

 

 空に目を向ければ——青く輝く『彗星』が、空を裂くような勢いで夜空を駆け抜けていた。

 

 それは、千二百年周期で太陽を公転するという『ティアマト彗星』の輝きだ。

 今日はその彗星が最も地球に接近する日とされ、数週間前からかなり騒がれていた。今この瞬間にも世界中がその超貴重な瞬間に立ち合おうと、天体観測に勤しんでいる頃合いだろう。

 

 もしかしたら——瀧と奥寺ミキも、今宵は二人っきりでこの彗星を眺めているかもしれない。

 

「……っ」

 

 そう考えるとまた胸が苦しくなる。ロマンチックなその輝くから一時、目を晒すように俯いていく。

 

「…………瀧くん」

 

 もう一度、三葉は繰り返すように彼の名前を呟く。しかし名前を呼んだところで彼が来てくれるわけでもない。

 やはりこれ以上は考えても無駄だろうと、思考を切り替えるように三葉は夜空に輝く彗星の動きへと視線を戻していく。

 

「綺麗……」

 

 三葉は、眩しいほどの光に見惚れていた。

 今だけはただ呆然と、その美しい輝きに目を奪われることで嫌なことを全て忘れていたかった。

 

 巨大な彗星のエメラルドの輝きが、長い尾のようなものとなって流れていく。

 目を凝らせば細かい塵のような粒が彗星の周囲に舞っており、その影響なのか空一面にオーロラのような光が広がる。

 

 まさにこの世のものとは思えない、幻想的な天体ショー。

 今この瞬間にも、きっと世界中の人々がその輝きに心を奪われ、息を呑んで魅入っていることだろう。

 

 

 

 

 

 だが、その美しい輝きは——瞬く間に世界を焼き尽くす『災い』として、地上へと降り注いでいく。

 

 

 

 

 

2016年 10月

 

 

 

「…………うそ……だろ?」

 

 眼前に広がるその景色を、立花瀧は現実のものとして認識することができないでいた。

 

「ねぇ……本当に……この場所なの?」

「まさか! 瀧の勘違いですよ!!」

 

 瀧に付いてきた奥寺ミキの声も震えていた。どんなときでも冷静な藤井司ですらもこれが何かの間違い、瀧の思い違いであることを祈る。

 

「……間違いじゃない……あの湖も、周りの山も!! この高校だって……俺ははっきりと覚えてる!!」

 

 しかしどれだけ、どんなに目の前の現実を否定しようとも、瀧が目指していた目的地はここで間違いない。

 この糸守町こそが、彼の探し求めていた場所であり——『彼女』の住んでいた町だ。

 

 彼女と入れ替わっていた瀧自身、見覚えのあるものが多過ぎる。周囲を山に囲まれた地形、湖のほとりに広がる町並み。彼らが今いるこの高校、立っている校庭だって瀧自身が通っていた場所だ。

 現地に辿り着いた今だからこそ、ここがそうなのだとはっきりと断言することが出来る。

 

 だが、だからこそ。ここが目指していた場所だったからこそ、その光景は瀧の心を抉り取っていく。

 瀧たちがいる糸守高校から一望できる、糸守町。

 

 

 

 そこは——完膚なきまで、再起不能なまでに破壊し尽くされていた。

 

 

 

 それは、三年前の10月4日に起きた。世界中がティアマト彗星の来訪に浮かれていたその日——彗星は突如として二つに割れたのだ。

 

 割れた彗星は大気圏で燃え尽きることなく、そのままいくつもの欠片、隕石となって地上へと降り注いだ。流星のように輝く彗星の落下した先——それこそが、糸守町だったのだ。

 

 そのような大惨事を、いったい誰が予想出来ただろう。降り注いだ星々は家屋を破壊し、森を破壊し、地表を破壊し。そして、そこに住む多くの人々の命を——無慈悲に吹き飛ばした。

 最終的な犠牲者は五百人以上。その数は町の人口、およそ三分の一にあたる。被害を免れた残りの住民も、無残に破壊された町を諦めて他所へ移り住んでいったという。

 

 糸守町は、その時点における人類史上最悪の隕石災害の舞台となり——名実共に消滅したのである。

 

「…………そんな、だって……この間まで、確かに俺は……」

 

 これは既に教科書的事実として歴史に刻まれた事件だ。瀧も概要くらいは把握している筈だった。

 

 だがおかしい、辻褄が合わない。自分は間違いなく、つい最近までこの町で『彼女』として過ごしていた。入れ替わりが起こらなくなったのだって、数週間程度前のことだ。

 つい最近までは確かにこの町も、彼女も生きていた。

 

 それが、三年前? 瀧が中学生の頃には既にこの町が消滅していた?

 隕石の落下で、大勢の人々が死に——その中に、あの子も含まれていた?

 

 あの子が——既に死んでいる?

 

「そんなこと……!! あいつが書いた日記だって、ちゃんと……!?」

 

 その事実を認めたくない、認めるわけにはいかないと。瀧はスマホのメモアプリを起動していた。

 彼のスマホには、彼女とやり取りしたメッセージが残されている。あれだけ言い合った彼女との交流の日々が、そこには確かに刻まれていた。

 それこそ彼女がつい最近まで生きていた証だとばかりに、瀧はそれを奥寺や司にも見せようとした。

 

「……なっ!?」

 

 だが直後、そこにあった筈の記録が——スマホの文字が消えていく。

 一文字、また一文字と。日記は意味のない文字列へと書き換わっていき、そして消滅していく。

 

 まるで彼女との交流など、初めから存在していなかったかのよう——最後には全てがメモアプリごと削除されてしまった。

 

「そ、そんな……どうして……!?」

 

 不可解な現象を前に瀧は凍りつく。つい先ほどまで、確かにそこに存在していた筈の記録が消えてしまったことに動揺を隠しきれない。

 だが、不可解なのはそれだけに留まらなかった。

 

「だってあいつは……!! あいつ? あいつって…………あれ?」

 

 記録だけではない。瀧自身の記憶までもが、朧げなものになりつつある。

 彼女との交流の日々が、糸守町で過ごしていた筈の想い出が。つい先ほどまで鮮明に思い出せていたものが、まるで霧でもかかっていくかのように不鮮明となっていく。

 

 何より、名前が——ついさっき、糸守町の名前を聞いたときには思い出せていた『彼女』の名前が出てこない。

 名前どころか、彼女の顔も、声も。その全てが夢のように、曖昧なものとして瀧の中から零れ落ちていく。

 

「だ、駄目だ!! 消えるな!?」

「瀧くん!?」

「瀧っ!?」

 

 自分の中で何かが書き換わる。そんな恐ろしい感覚に、瀧は慌てて頭を押さえて蹲った。頭を抱えたまま前のめりに倒れ込む彼に、奥寺と司の二人が駆け寄っていく。

 だがどれだけ瀧が抵抗しようとも、彼の中の想い出は徐々にだが確実に削り取られていく。きっと大切な記憶『だった』のだろうという、漠然とした情報だけが瀧の中に残されていく。

 

 

「……誰だ? 誰なんだ……お前は……?」

 

 

 彼女の名前が、自身の感情ごと削ぎ落とされていく。最終的には悲しいという気持ちすら湧いてこず、涙も出てこない。

 瀧はただ呆然と、その場に蹲ることでしか自身の喪失感を表現する術を失っていく。

 

 

 

 

 

「……瀧くん、そろそろ帰りましょう? このままじゃ、風邪を引くわ……」

 

 どれほどの時間が経過しただろう。

 夕陽も沈んですっかり暗くなった廃墟の町を見渡しながら、奥寺ミキは倒れ伏す瀧に優し気な声を掛けていく。

 このままここで突っ伏していてもどうしようもないことだと。何とか彼をこの場から立ち退かせようと、その肩に手を掛ける。

 

「………………」

 

 だが、瀧は立てなかった。

 まるで何かに縋るように、彼自身の身体がこの地から離れるのを拒んでいた。薄れていく記憶が残そうとする、せめてもの抵抗だったのか。

 

「瀧……!」

 

 しかし、硬直する彼の身体を藤井司が揺り動かす。もしもそのまま動かないようなら、無理矢理にでもその身体を引きずってこの場を去っていたことだろう。

 

 瀧の抵抗も、結局は時間の経過とともに無意味なものとなっていく。

 この喪失感も、いつかはただの思い出として心の奥底へと追いやられていく——筈であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カラン、コロンと——下駄の音が鳴り響く。

 

 

「…………え?」

 

 

 場違いなほど鮮明に響き渡ったその音に、瀧以外の全員が振り返る。彼らの視線の先には——下駄にちゃんちゃんこという、いかにも時代錯誤といった少年が佇んでいた。

 場所の雰囲気も相まってか、どこか幽霊のような空気感を纏ったその少年の存在に自然と血の気が引いていく一行。

 

「こんばんは」

「こ、こんばんは……」

 

 しかし少年は幽霊でも幻でもなく、ごく当たり前のように頭を下げてきた。あまりにも丁寧なそのお辞儀に、奥寺が反射的に挨拶を返す。

 

「…………」

 

 前髪で顔半分を隠しているためその表情を窺い知ることはできなかったが、その少年の手には『献花』の花が握られていた。彼はその花を街全体が一望できる糸守高校の校庭に、墓前に供えるように捧げていく。

 そして瞼を閉じ、そっと手を合わせて死者たちの冥福を祈る。

 

「…………貴方がたは……糸守出身の方ですか?」

「えっ……いや、俺たちは……」

 

 静かに祈る中、少年は振り返りもせずに瀧たちに『この町の生き残りなのか』を尋ねていた。突然の問い掛けに言い淀みながらも、司は首を横に振る。

 

「そうですか……けど、きっと大切な人が……この町にいたんですね……」

「…………」

 

 司の返答に少し声のトーンを緩めつつ、少年は隣で蹲る瀧へと視線を向ける。その取り乱しようを見れば、赤の他人であろうと瀧が苦しんでいることが理解できるだろう。

 その様子から、瀧にとって大事な『誰か』がこの地で命を落としたことを少年は察する。

 

「ボクたち……ボクには、この町の人々を助けることできなかった。本当に……申し訳ない……」

 

 すると不思議なことに、少年は瀧に向かって謝罪のような言葉を口にした。

 まるでこの町の人々の死が自分のせいであるかのよう、その声音に悲壮感を交えながら後悔のようなものを口にしていく。

 

「……?」

「キミ……何を言って……」

 

 これに司も、奥寺も首を傾げるしかない。

 見たところまだ小学生といった少年が、どうしてそのような罪悪感を抱く必要があるのだろう。隕石の衝突という、人間ではどうしようもなかった大災害を前に、人一人に出来ることなど高が知れているというのに。

 

「救えなかった……彼女に、託されていたのに……こうなることは分かっていたことなのに……」

 

 ところが、少年は尚も懺悔するような呟きを零していく。

 それは傍から聞いているだけでは、当人しか分からないことだ。実際、少年も瀧たちに聞かせるつもりはなかったのだろう。自分自身の罪と向き合うように、今は亡きその人の名前を囁いていく。

 

 

「——宮水さん。ボクは……いったいどうすればよかったんでしょうか……?」

 

 

 

 

 

「宮……水……?」

 

 すると、少年が何気なく呟いたその名前に、それまで無反応だった瀧が顔を上げる。

 

「宮水……そうだ! 宮水三葉! あいつの名前は……三葉!!」

 

 宮水という苗字が呼び水となり、瀧の脳裏にその名前が浮かび上がってきた。

 そう、宮水三葉——それが瀧と入れ替わっていた少女の名前だ。今しがた忘却の彼方に置き去りにしようとしたその名を、今この瞬間に瀧はしっかりと思い出すことが出来た。

 

「大丈夫、まだちゃんと覚えてる……三葉、名前は……三葉!!」

 

 自分の中から三葉との想い出が完全に失われてはいないことに、瀧はその表情を明るくする。一方で、どれだけ三葉のことを思い出そうとも、彼女が既に故人である事実まで覆すことはできない。

 その現実に心を痛めながらも、瀧は彼女の名前を思い出すきっかけとなった少年に向かい、声を荒げて問い掛ける。

 

「お前……三葉のことを知ってるのか? あいつに……何を託されたって!?」

「お、おい……瀧!?」

 

 瀧の興奮した様子に司が慌てて割って入ろうとする。だが、その程度の制止で瀧が止まることはなく、彼は三葉と思しき人物の名を口にした少年へと詰め寄っていく。

 

「みつは……いえ、その人とは……面識はないですね」

「えっ!?」

 

 もっとも、瀧の期待に反して少年は三葉のことなど何も知らないという。

 その事実に瀧が呆気に取られるのも束の間——少年は、決して三葉と無関係ではない、その人物のことを口にしていた。

 

「ボクが知っているのは……二葉という方です。宮水二葉、彼女から……ボクはこの町のことを託されていました……」

「二葉? それって、確か……」

 

 三葉のことを思い出したことで、瀧は彼女の実家・宮水家の家族構成をそれとなく思い出す。

 

 

 三葉は糸守町の由緒正しき神社・宮水神社の跡取りとして、二人の家族と共に暮らしていた。

 一人は妹である四葉(よつは)。小学生でありながらしっかりもので、ときより姉である三葉よりも冷静に物事を見ている節があったりする子だ。

 もう一人は一葉(ひとは)。三葉や四葉の祖母にあたる彼女が、親代わりとして姉妹の面倒を直接見てくれていた。宮水の当主として、宮水神社の歴史や伝統を三葉たちに叩き込むのも彼女の役目だった。

 もう一人、父親も一応は健在であるらしいが、訳あって別居中とのこと。そのため入れ替わりを体験していた瀧も、三葉の家族といえば一葉と四葉の二人としか面識がなかったりするのだが。

 

 

「亡くなった……三葉の母親?」

 

 だが、心当たりがないわけではない。二葉(ふたば)というのは——三葉が幼い頃に病気で他界した、彼女の母親だと聞いた覚えがある。

 四葉が生まれて何年後かにこの世を去ったという彼女の若すぎる死は、それまで円満だった宮水家に決して埋めることのできない亀裂を入れた。二葉が死んでからというもの、父親は家庭を顧みない性格へと豹変し、政治の世界へと足を踏み入れるようになった。

 そして町長——所謂『権力者』となって、糸守町に君臨するようになったわけだが。

 

「……いや、ちょっと待ってくれ。キミは……まだ子供じゃないか? 二葉って人が亡くなったのは……もうずっと昔の話で……」

 

 と、そこまで思案を続けたところで、瀧は少年の言葉に違和感を覚える。

 二葉に何かを託されたと口にする少年だが、彼はまだ小学生ほどの子供だ。二葉が亡くなったのは、もう何年も昔のことであり、下手したらこの少年はまだ生まれていないかもしれない年代なのだ。

 

 そんな年端も行かない少年が、二葉から何かを託された。それ自体が大きな矛盾だろうに。

 だが、そういった瀧の懐疑的な眼差しもお構いなしに、少年はただの事実として二葉から託された内容とやらについて語っていく。

 

「ボクは……生前の二葉さんから、この町のことを託されていました。彗星の落下から糸守町で暮らす人々を……娘さんたちを、守って欲しいと……頼まれていたんです」

「……っ!?」

 

 それは、まるでこの町に彗星が落下してくることが『最初から分かっていた』かのような言動だった。

 まさかの話に、瀧は驚きで声も出せないでいる。奥寺や司も、少年の得体の知れない威圧感に口を挟めないでいた。

 

「けれど……ボクは、彼女の願いに応えることが出来なかった。人々を避難させることも出来ず……隕石の落下を、阻止することも……」

「…………」

 

 少年は過去を悔いるように、己の非力さを嘆くかのように。この町の惨状が自分の不甲斐なさによるものだと語っていく。

 瀧たちは、その少年の心からの悲痛な叫びに——。

 

 

 

「——あれは……そう、九年前のことでしょうか。二葉さんが、妖怪ポストを通じて……ボクに助けを求めてきたのは……」

 

 

 

 幽霊族の少年・ゲゲゲの鬼太郎の話に黙って耳を傾けていくこととなる。

 

 




人物紹介

 立花瀧
 『君の名は。』の主人公の一人。女子の身体になるやその胸を揉むという、健全な男子高校生。
  一応は一般的な高校生だが、ちょっと喧嘩っ早い。
  絵を描くのが上手く、彼の描いた糸守町のスケッチが真実に近づく第一歩となる。
  三葉の入れ替わり先に選ばれたのは偶然かも知れないが、彼の行動力こそが皆を救う鍵となる。
 
 宮水三葉
  もう一人の主人公。宮水神社の巫女として、口噛み酒などの恥ずかしめを受ける羽目になる。
  料理や裁縫が得意で女子力は結構高め。実は瀧より三つ年上の姉さん女房。
  こんなに可愛い年上のお姉さんに、中学生の頃から言い寄られていたとは……。
  瀧、爆発しろ……。

 奥寺ミキ
  瀧のバイト先の先輩。物語前編では瀧にとっても憧れの存在だったが……。
  ときより煙草を吸ったりする大人の女性、しかしゆるキャラに興奮するという可愛いらしい一面も。

 藤井司
  瀧の友人の一人。ちなみに、尺の都合上もう一人の友人・高木くんの出番はありませんのであしからず。
  瀧の中に三葉が入っていたこともあり、瀧との関係に危険な妄想を膨らませる愛好家がいるとかいないとか。
  裏設定だが、糸守町への旅を通じて奥寺ミキと仲良くなって、いずれは彼女と婚約するとか。


今回の話は特に西暦が大事な要素となっています。
次回の冒頭は2007年。鬼太郎と二葉の対面から始まる予定です。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

君の名は。 其の②

まずは、前回紹介していなかったキャラの紹介を。

宮水四葉
 三葉の妹。小学四年生でありながらも、三葉よりもしっかりしている部分があったりする。
 口噛み酒で一儲けしようと、なかなかに発想がぶっ飛んでる。

宮水一葉
 三葉たちの祖母。声が今は亡き、日本昔ばなしの中の人。
 入れ替わりは信じるけど、彗星の落下は信じないと妙なところで現実的。

勅使河原克彦
 テッシー。三葉の幼馴染の男子。
 糸守町のことは好きだが、時より何もかもぶっ壊したい衝動に駆られることがあるとか。
 それが劇中における、変電所爆破に繋がっていく……。

名取早耶香
 サヤちん。三葉の幼馴染の女子。三人組の中でも一番の常識人。
 実はテッシーは三葉が好きで、サヤちんはテッシーが好きだという。
 結構ドロッとした三角関係を構築しながらも、爽やかな友達関係を続けられていた。


ここで紹介したのはちょいキャラで、今回の話の重要人物に関しては、後書きの方で改めて紹介します。
また今回のクロスオーバー、基本的には原作通りに話が進んでいきますが、ところどころで本作の独自設定っぽい話がいくつか出てきます。
ですが完全な捏造というわけでもなく、今回の話は『君の名は。』の外伝小説『Another Side:Earthbound』をもとに話を構築しています。

どうか色々と予想しながら、お話をお楽しみください。



2007年

 

 

 

「貴方が……二葉さんですか? 妖怪ポストに手紙をくれた……」

 

 その日、幽霊族の少年——ゲゲゲの鬼太郎はとある田舎の病院を訪れていた。

 

 都心から離れたところに建てられたその病院は、それなりに大きな病院だった。だが所詮は地方の施設、大都市の専門病院などに比べれば出来ることにも限りがある。

 重症の患者であれば迷うことなく転院を薦められるだろう。

 しかし、その女性は深刻な病状を患っているであろうことが素人目にも分かるほどに衰弱していながら、その病院から離れることがなかった。

 

「はい……お待ちしておりました、ゲゲゲの鬼太郎さん……」

 

 彼女——宮水二葉は病室のベッドに力なく横たわりながらも、ゲゲゲの鬼太郎を出迎えてくれる。

 綺麗な女性だった。ただ綺麗なだけではない。その肉体は病気で弱りきっている筈なのに、その瞳からは力強い『意志』が感じられた。

 悲壮感など欠片も思わせない、透明感のある瞳が真っ直ぐに鬼太郎を見つめている。

 

「手紙には……直接会って話がしたいとありました。ボクに出来ることであれば……何でも仰ってください」

 

 鬼太郎は依頼の内容を聞く前から、彼女の頼み事に前向きな姿勢を取っていた。

 彼が人間の助けに応えるのは、偏に約束のため。赤ん坊だった自分を助けてくれた水木という人間への義理、恩返し的な側面が強い。それ故、人間一人一人にそこまで強いこだわりは正直なかったりする。

 だが、そんな鬼太郎といえども、死に逝くものの望みくらい叶えてやりたいという気持ちはある。

 

 そう、宮水二葉は死に瀕していた。おそらく余命幾許もないだろう。

 

 今日、明日の命。今にも消え入りそうな生命の灯火。

 まだ三十代という若い身空で、きっとまだまだやり残したことがあるだろうに。

 

「ありがとうございます。では、早速本題に入りたいと思います……」

 

 それでも、そんな自身の悲惨な境遇など気にも留めずに彼女は口を開いた。

 わざわざ鬼太郎を呼び付けた理由。彼への依頼——彼に託したいと思っている、その願いを口に出していく。

 

 

「鬼太郎さんに糸守町を……私の故郷を……そこに住む人たちを守って欲しいんです」

 

 

 

「——数年後、この地に降り注ぐことになる『厄災』から……娘たちを救って欲しいんです」

 

 

 

2016年

 

 

 

「瀧くん、喉乾いてない? ほら、水でも飲んで……」

「あっ……すみません、先輩。その……色々と、ご迷惑を掛けて……」

 

 机にうつ伏せていた立花瀧に、風呂上がりで浴衣姿の奥寺ミキがペットボトルの水を差し出す。瀧は自身の事情に彼女を巻き込んだことを謝罪しながら、礼を言ってペットボトルを受け取る。

 水を一口、口の中に含んで心を落ち着かせていく。

 

「別に構わないわよ、私が勝手に付いてきただけなんだから……あっ、司くんお風呂に行ってくるって」

 

 その礼を謙虚に受け止めつつ、奥寺はもう一人の同行者である藤井司が今は不在であることを告げる。

 過去にはデートもしたことがある男女が部屋の中で二人っきり。そういったシュチュエーションにも関わらず、両者の間に色っぽい雰囲気が漂う空気はない。

 

 

 

 瀧たちはとある旅館の一室を確保し、そこで身体を休めていた。

 本当なら女性である奥寺の部屋くらいは別にすべきなのだろうが、生憎と急なことで一部屋しか空いていないと言われてしまった。

 瀧はそのことについても申し訳なさそうに謝るのだが、奥寺は「司くんにも同じこと言われた」と、おかしそうに笑みを浮かべるばかりで特に気にしていない。

 二人は窓際の小さなテーブルに向かい合い、静かな時を過ごしていく。

 

「へぇ~、糸守町って、組紐の産地でもあったんだ……綺麗」

 

 奥寺は糸守の郷土資料本に目を通しながら何気なく呟く。ここに来る途中、市立図書館で借りてきた一冊だ。

 

「私のお母さんも時々着物を着るから、うちにも何本かあるのよ……あっ、ねぇ!」

 

 ページを捲りながらもふと、彼女は視線を瀧の手首に向けながら質問する。

 

「瀧くんのそれも、もしかして組紐?」

「ああ、これは……」

 

 瀧の手首にも、組紐らしきものが巻かれていたのだ。それは彼が日常的に付けているお守りであり、瀧自身も特別意識している装飾品ではなかったりするのだが。

 

「確か……ずっと前に人から貰って……お守り代わりに…………あれ?」

 

 だが考えてみるとその組紐をどこから、誰から譲り受けたものなのか瀧にはまるで覚えがなかった。少なくとも、瀧本人にこれほど鮮やかな組紐を作る技術はない。

 

「誰が……」

 

 何かを忘れているような気がするが、それが何なのかを思い出せない。再び深刻そうに考え込む瀧に、奥寺が心配そうに声を掛ける。

 

「……瀧くん! 瀧くんも……お風呂入って来たら?」

「お風呂……はい……」

 

 日本人たるもの、毎日の入浴は欠かしてはいけないものだ。身体を綺麗にすれば良い気分転換にもなるだろう。

 しかし奥寺の言葉にも上の空で、瀧は静かに記憶の糸を手繰り寄せていく。立花瀧の元にこの『組紐』がある理由。その意味を必死に考えていく。

 

「……俺、組紐を作る人に聞いたことがあるんです」

「…………」

 

 無意識のうちに言葉を紡いでいく瀧。彼の言葉に奥寺も黙って耳を傾ける。

 

「紐は、時間の流れそのものだって。捻れたり絡まったり、戻ったり繋がったり。それが時間なんだって……」

 

 それは瀧が彼女——宮水三葉と入れ替わっていた間、彼女の祖母である一葉から聞いた話だ。一葉は三葉と四葉、二人の孫に宮水家の人間として、伝えるべきことを伝えていた。

 

 

 一葉、曰く。

 

『この土地の氏神(うじがみ)様のことを古い言葉で産霊(むすび)と呼ぶ。ムスビという言葉には複数の意味がある』

 

『糸を繋げることも、人を繋げることも、時間が流れることもムスビ、全部同じ言葉を使う』

 

『紡がれる組紐も、神様の技。時間の流れそのものを顕している』

 

『水でも、米でも、酒でも。何かを体に入れる行いもまたムスビと言う』

 

『体に入ったものは、魂とムスビつく』

 

 

「ムスビ……魂と……あいつの魂とムスビつくもの……それって!?」

 

 一葉の教えを一つ一つ思い出しながら、ふと瀧はある『答え』に辿り着いた。

 

「あの場所なら……あの場所まで行って、『あれ』があれば!!」

 

 自分の荷物の中から地図を取り出す。

 ラーメン屋の夫婦から好意でいただいたその地図には、三年前の糸守町が載っていた。まだ彗星が落下してくる前の糸守、自分が三葉として過ごした時に訪れた『あの場所』もその地図に載っている筈だ。

 あの場所に行けば、『あれ』がある。それがあれば——瀧はもう一度、三葉の魂とムスビつくことが出来るかもしれない。

 

『組紐』を通じて、彼女と入れ替わっていたように——もう一度、彼女と入れ替わることが出来るかもしれないと。

 

 

 

 

 

「…………ねぇ、瀧くん」

 

 そんな、何かに取り憑かれるように地図と睨めっこし始めた瀧に、奥寺は不安そうに言葉を投げ掛ける。

 生半可の言葉では、今の彼を振り向かせることはできないだろう。故に奥寺はそれまで触れないでいた、しかし決して避けては通れない話題で瀧の意識を引こうと試みる。

 

「瀧くんは、どう思った? あの……鬼太郎って子の話を……」

「!! そ、そうですね……」

 

 瀧の手がピタリと止まる。

 あの場所を探ろうと必死になっていた瀧ですらも、その話には耳を傾けるしかない。

 

 

 

 そう、ゲゲゲの鬼太郎。糸守高校の校庭で偶然出くわした——自称『妖怪』の少年だ。

 この二十一世紀に正直妖怪はないだろうと思ったが、彼の口から語られた話はさらに瀧たちを驚愕させた。

 

 

 それは今から九年前、鬼太郎が三葉の母親——宮水二葉から聞かされたという話。

 彼女がゲゲゲの鬼太郎に糸守町や、そこに住む人々を守ってほしいと依頼したこと。

 

 

 

 彼女が——『彗星の到来』を予言していたという事実であった。

 

 

 

2007年

 

 

 

「——彗星の落下じゃと!? それも今から数年後!?」

 

 その本題を耳にしたとき、目玉おやじですらも鬼太郎の頭からひょっこり顔を出し、驚きに声を上げたという。突然姿を現した人ならざる小さな目玉を前に、二葉は「あらっ」とほんの僅かに口を抑える程度のリアクションで応じる。

 鬼太郎や目玉おやじが本物の妖怪であることなど、今更気にする素振りもなく話を続ける。

 

「はい。あと数年後、正確な年数は私にも分かりませんが……地球に接近してくる彗星が、この糸守町目掛けて落ちて来ます。千二百年前にも……そうだったように……」

「せ、千二百年前!? それは……いったいどういことなんでしょうか?」

 

 鬼太郎が目を剥いた。彗星が落下してくると予言するだけでも信じ難いのに、それが千二百年前にもあったというのはどういうことなのか。

 詳しい説明を求める鬼太郎たちに、二葉は自分の中で慎重に言葉を組み立てていく。

 

「この彗星は……千二百年周期で地球に急接近して来ます。その度に、彗星の欠片がこの地に落ちてくるんです。糸守湖をご覧になられましたか? あの湖も、千二百年前の彗星落下で生まれた隕石湖なんですよ?」

 

 糸守の特徴的な風景に糸守湖がある。直径およそ1kmにも及ぶ湖、あの湖を中心に糸守町という集落が形成されているわけだが。あの湖だって千二百年前、彗星が落下した衝撃で誕生した湖だと二葉は言うのだ。

 あれほどの規模の湖が出来るような衝撃、それが再びこの地を襲うことになるという。

 

「……何故そんなことが? そもそも、そのようなことが偶然で起こりうるとは考えにくいのですが?」

 

 その話が本当だということを前提に、鬼太郎は疑問を呈する。

 千二百年周期で落下するという彗星は、よりにもよってどうしてこの地に落ちてくるというのだろう。鬼太郎たちとて、そこに明確な理屈がなければ納得することは出来なかっただろう。

 するとその疑問に対し、二葉は僅かに緊張感を滲ませながらこの話の核心へと迫っていく。

 

「それはこの地に彗星を……星を呼び寄せているものがいるからです」

「星を……呼び寄せる? そいつはいったい……何者じゃ?」

 

 二葉の言葉に、目玉おやじは間髪入れずに聞き返す。

 それに二葉は、当たり前のように目玉おやじの疑問——全ての元凶たるそのものの『名』を告げていく。

 

 

 

 

 

「——その名は天香香背男(あめのかがせお)。かつてこの地に封じられた星の悪神……まつろわぬ神々の一柱です」

 

 

 

 

 

『日本書紀』の記述に存在するその神は、別名・天津甕星(あまつみかぼし)とも呼ばれている。

 

 昔々の話だ。それは頂の世・高天原(たかまがはら)を治めていた天照大御神(あめてらすおおみかみ)が地上世界・葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定するように命を下したことから始まった。

 当時の地上世界は数多の荒ぶる神々が支配権を握っていたとされ、それらを屈服・懐柔するために二柱の神が天より遣わされたという。

 武神・経津主神(ふつぬしのかみ)武甕槌命(たけみかづちのみこと)である。かの神たちの活躍もあり、どうにか地上を平定するところまであと一歩というところまで迫った。

 

 ところが、天上の支配に星の神・天香香背男だけは最後まで抵抗を続けたという。

 

 

 

「…………」

「…………」

 

 宮水二葉の口から語られる話のスケールに、鬼太郎と目玉おやじは唖然となる。

 彼女が語るそれは、古き神々の時代。鬼太郎はおろか目玉おやじですら、まだ生まれてもいなかった遥か神代の話だ。『本当か嘘か?』などと考える以前の問題。あまりに途方もない話にまともに思考が追いついてこない。

 しかし、鬼太郎たちの戸惑いをさして気にした様子もなく、二葉は淡々と話を続ける。

 

「どうしても服従できなかったアメノカガセオに対し、天は倭文神建葉槌命(しとりのかみたけはづちのみこと)を遣わせました。倭文神(しとりのかみ)はご存知ですか?」

「あ、ああ……倭文神。確か、人間たちに機織りの技術を教えた神だったか……?」

 

 呆然としながらも、目玉おやじは何とか自らの知識を引っ張り出してくる。

 

 倭文神は謎の多い神格で、日本書紀の中くらいにしかまともな記述が存在しない。人間たちに機織りの技術を教えた神であり、かの神は武神たちですらも退治できなかった星の神を、唯一打ち倒すことに成功するという偉業を果たした。

 かくして、全てのまつろわぬ神々が屈服。天上の意思により地上は平定され、派遣された神々も高天原へと帰還したという。

 これが、日本神話の『国譲り』における大まかな話の流れである。

 

「私の生家……宮水神社でも倭文神を御祭神として祀っています。倭文神は、この地では竜を鎮めたとされています」

「……竜?」

 

 倭文神を祭神とする神社は日本全国に点在している。だがその中でも、竜を退治したという逸話があるのはおそらく宮水神社独自のものだろう。

 それが意味するところ、それを二葉は鬼太郎たちに語ることとなる。

 

 

「その竜こそが……アメノカガセオなんです。倭文神によって、この地に封じられたその竜が……私たち、宮水の血筋を絶やさんとこの地に彗星を呼び寄せているんです」

「な、なんじゃと!?」

 

 

 二葉によると、倭文神によってこの地に封じられたアメノカガセオは、数千年経った今尚、自らの復活を企んでいるとのこと。

 その復活の邪魔となる者たちこそが、宮水の血筋。つまりは二葉たち——宮水家の巫女だというのだ。

 

「私たち宮水家の人間は……倭文神の末裔なんです。私たちはこの身をこの地に紐づけることによって、かの悪神を封じ込めています。だからこそアメノカガセオは私たちの命を狙い、この地に彗星を落とすのです」

「…………アメノカガセオは、どうしてそんな回りくどいことを? 貴方たちを殺すためだけに……彗星なんて大袈裟なものを……」

 

 鬼太郎は率直な疑問をぶつける。もはや二葉の話に疑いを持つ前に、そういった質問が自然と浮かび上がってしまう。

 

「逆です。それしか出来ないんです。身動きを封じられているアメノカガセオにとって、それが精一杯の抵抗。そうすることでしか、私たちに危害を及ぼすことが出来ないでいるんですよ」

 

 鬼太郎の疑問に二葉もすらすらと答えていく。

 倭文神の封印により、アメノカガセオは外に出ることが出来ない。身動きができない状態でありながらも、唯一できることこそが『星を呼び込む』ということなのだ。

 

 

 そして、星の神が呼ぶ彗星なのだから、それは必ず落ちてくる。

 この糸守町に——いや、宮水の人間たち目掛けて降り注ぐだろう。

 

 

 

「——ふむ……彗星のこと、アメノカガセオのこと……今の話、他の人間たちは知っておるのかな?」

 

 二葉の話を聞き終えた目玉おやじは、たっぷりと時間を掛けてからそのような問いを投げ掛ける。

 今の話を彼女以外の人間は知っているのだろうか。また仮に知っていたとして、それをどこまで信じることができるだろう。

 

「残念ですが……そういった彗星、アメノカガセオに関する記述は全て失われています。数百年前にあった山火事で……元々あった宮水の本殿ごと、記録は全て焼失してしまったんです」

 

 ところが、『アメノカガセオが彗星を呼び寄せている』といった伝承の類を今の宮水神社は持ち合わせていなかった。数百年前にあった山火事が糸守の集落や、宮水神社の本殿などと共に、そういった記録を全て燃やしてしまったというのだ。

 その火事は、起こしたものの名前から『繭五郎(まゆごろう)の大火』と呼ばれている。

 

「? 記録がないものを、どうして貴方はそこまで力強く断言できるんです?」

 

 ここで、鬼太郎はちょっとした矛盾に気付く。

 記録の断絶があるというのであれば、何故宮水二葉はアメノカガセオのことを知っているのだろう。火事で全ての記録が紛失しているのであれば、彼女がそれらの伝承を知る術などない筈だ。

 当然と言えば当然の疑問に対し、二葉もちょっと困ったように言葉を詰まらせていた。

 

「それが、私にもどう説明すればいいか……ただ『分かる』としか答えようがないんですよ……」

「???」

 

 理屈も何もなく、彼女は彗星やアメノカガセオのことを『知っている』という。本人もその知識をいつ、どのような経緯で知ることになったか思い出せないというのだ。

 あまりに不可解な話に鬼太郎は眉を顰めてしまう。

 

「成程、神託というやつか……」

「父さん?」

 

 しかし息子が首を傾げる一方で、目玉おやじはどこかすんなりとその事実を受け入れる。

 

「極めて素質の高い人間は時より神々の声を聞き届け、それを人々に伝えたという……二葉さんのような方であれば、それも納得じゃよ」

 

 神託、託宣。神から人間へと下されるお告げ。神々の声を聞き、それを他の人たちへと伝える役目を負った人間は古来から存在する。

 きっと二葉は無自覚のうちにそれを行い、糸守の危機を皆に伝えようとしているのだ。

 

「そ、そう……なんでしょうか? 私には……よく分かりませんが……」

 

 目玉おやじの考えに二葉自身は自信なさげだ。だが、宮水二葉という人間に『神秘的な雰囲気』が備わっているのは事実。

 実際、二葉と初対面である鬼太郎たちが荒唐無稽とも言える彼女の話に耳を傾けられていたのも、そういった空気を肌で感じていたからに他ならない。

 分かりやすく言葉にすると——『後光が差している』とでも表現すべきか。

 

 特に糸守町の住人たちにとって、宮水二葉という女性は特別な存在として認知されている。

 何か困ったことがあれば、いの一番に彼女の元へと相談に赴き、そこで提供された彼女の言葉が何よりも尊重されるのだ。

 特に信仰が深い老人たちなどは、まるで彼女のことを『神様そのもの』のように扱っている。

 

 きっと二葉は宮水家の人間の中でも、極めて高い素養を秘めているのだろう。

 もっとも、そんな二葉であっても——ここまで語った話の内容を、他の人々に信じさせることは難しい。

 

「夫にこんな話をしても……きっと信じてはくれないでしょう。母も、あれで意外と現実的なところがありますから……」

 

 それは彼女の家族も例外ではない。

 彼女の夫は糸守の外から来た婿養子だ。婿に入るのと同時に宮水で神主を務めるようになったが、元々は大学で民俗学の研究をしていた。学者らしく何にでも理屈を付けたがる性分であり、妖怪や神々の存在を頭から信じることはないだろう。

 また二葉の母親である一葉も。宮水の人間として歴史や伝統を重んじてはいるが、それも一般的な神職の感性から来るものに過ぎない。二葉のように神秘的な空気を纏うこともない、割と普通の老婆であるとのこと。

 

 糸守町の危機を告げる二葉の言葉を、現代を生きる人間ではまともに取り合わない。

 だからこそ、彼女は信じてくれるかもしれない相手として鬼太郎を頼った。

 

 妖怪である彼であれば、自分の言葉に耳を傾けてくれるかもしれないと。

 

「——分かりました、宮水二葉さん」

「鬼太郎さん……」

 

 彼女の淡い期待に、鬼太郎は彼女の目を見つめながら力強く頷く。

 

「数年後に落ちてくるかも……いえ、落ちてくる彗星から糸守町への被害を食い止める。その依頼、確かにお受けします」

「本当ですか!?」

 

 鬼太郎の返事に、二葉は安堵した表情を浮かべた。それはどこか神秘的で浮世絵離れしていた彼女が、初めて垣間見せる人間らしい表情だったかもしれない。

 ほっと胸を撫で下ろし、穏やかな笑みを称えながら彼女は鬼太郎に礼を述べていった。

 

 

 

「ありがとうございます! これでようやく……少し体を休めることができます……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その数日後だ。

 宮水二葉は、眠るように息を引き取ったという。

 

 

 

 

 

 宮水二葉から依頼を引き受けた鬼太郎は、彼女の言葉を裏付けるためにも『アメノカガセオ』について調査をすることにした。

 倭文神を祀る他の神社や、ゲゲゲの森の図書館などの文献を漁り、『星の神が彗星を呼び寄せる』といった記述が残っていないか、片っ端から調べ回ったのだ。

 残念ながら、アメノカガセオと彗星の関係。宮水家が倭文神の末裔だという確かな証拠を見つけ出すことは叶わなかった。

 

 だが、『千二百周期で地球に接近する彗星』についてはある程度調べがついた。

 それは人間の学者たちに『ティアマト彗星』と呼ばれているもので、今から数年後——正確には六年後には地球に近づいてくるとされていた。

 

 

 彗星の落下が糸守を襲うのであれば、そのときしかないだろう。

 鬼太郎は日々を普段通りに過ごしながらも、その日に備えてずっと準備を進めていく。

 

 

 そうして六年後——運命の日はやって来る。

 

 

 

2013年 10月4日

 

 

 

 その日、ティアマト彗星がもっとも地球に接近する日が訪れた。

 鬼太郎は二葉との約束を守るため、糸守町まで出向いてこの未曾有の危機に立ち向かおうと奮闘する。彗星の被害から人々を守ろうと、ゲゲゲの森の仲間たちにも協力を仰いでいた。

 

 だが、いざ彗星の落下を回避しようとしたところで、鬼太郎はいくつもの『誤算』に直面する。

 

 まずは人々の避難。住人たちを避難させるためには、そこに住む人間たちの協力が必要不可欠である。避難誘導、その陣頭指揮を取ってくれる。それが可能な人物に鬼太郎はコンタクトを取った。

 

 しかし、鬼太郎の警告は——町長となっていた二葉の夫・宮水俊樹(としき)によって突っぱねられる。

 彼には以前から何度も彗星の件を話してはいたのだが、「そんな与太話!!」と一向に聞く耳を持ってはくれなかった。

 

 ならば鬼太郎たちだけでも、住人の避難のために動こうと気持ちを切り替えたのも束の間。その日、糸守町では秋祭りが開催されており、町は観光客も含めた大勢の人々で賑わっていたのだ。

 想定以上の人間たちが、想定外の範囲で町中に散らばっている。鬼太郎たち妖怪の存在を信じていないものが多かったこともあり、彼らの避難誘導はほとんど機能せずに終わる。

 

 最後の手段として——鬼太郎は彗星そのものを『破壊』しようと試みる。

 墜落してくる彗星が地上に到達する前に撃ち砕き、少しでも被害を町から逸らそうとしたのだ。

 

 だが大気圏で割れた彗星は、さらに複数の欠片となって広範囲に散らばった。いかに鬼太郎が指鉄砲を全力で放とうとも、その全てをたった一人で撃ち落とすなど到底不可能である。

 

 もはや万策尽きた。人々が彗星の存在を目の当たりにしたときには、全てが手遅れだ。

 天より降り注いだ星は地上を焼き尽くし、その地に住まう人々の命を容赦なく奪い去っていく。

 

 その中には、当然のように二葉の家族も含まれていた。

 数千年前から続く倭文神の末裔。宮水の血筋は刹那の間に絶え——この地上から消え去ったのだ。

 

 

 

 約束は、果たされなかった。

 その事実は鬼太郎の中でも決して消えない傷跡として残り、彼の心に暗い影を落とすこととなる。

 

 あれから数年経った今でも、鬼太郎はこの時期になると毎年のように糸守町の跡地へと花を捧げに訪れる。

 自分が助けられなかった人々から目を背けまいと、破壊し尽くされた廃墟を苦しそうに見つめながら彼らの冥福を祈るのだ。

 

 

 そんな墓参りの最中だった。鬼太郎は彼——立花瀧と出会うこととなる。

 

 

 

2016年

 

 

 

「はぁはぁ……」

 

 立花瀧は一人、獣道のような山道を歩いていた。本来はそこまで険しい道ではないのだが、雨が降り続けているせいで地面がぬかるんでしまっている。

 足元がおぼつかないため転ばないように慎重に、ひたすら山頂を目指して歩を進めて行く。

 

 

 

 旅館に一晩泊まった、その翌日の早朝から瀧は行動を起こしていた。

 朝早くに目覚めた彼はすぐに出掛ける準備をし、まだ眠っている奥寺や司への書き置きを残し、一人旅館を飛び出していた。

 

『——どうしても行ってみたい場所があるから、先に東京に帰っていてください』

『——勝手ですみません、後で必ず帰ります。ここまで付き合ってくれて、ありがとう』

 

 それから瀧はとある人に連絡を入れ、車を出してもらえないかと頼んでいた。その相手は昨日出会ったばかりの、ラーメン屋の頑固そうな店主である。

 昨日から彼には色々と世話になってばかりだ。廃墟となった糸守町まで車を出してくれたのも、この店主だった。そもそも彼のラーメン屋に立ち寄っていなければ、瀧は今の糸守まで辿り着くことは出来なかっただろう。

 

 その幸運と好意に感謝しながらも、やはりこれ以上は誰も巻き込めないと。瀧は目的地である山の麓まで送り届けてもらい、そこで店主とも別れた。

 

 

 

 ——あの場所……あの場所に行けば……!!

 

 そうして現在、瀧は一人で山道を歩いていた。瀧が目指しているあの場所までは、あと一時間以上は掛かるだろう。しかし進めば進むほど山の天気は荒れ、雨も激しさを増していく。

 まるで瀧が目的地に辿り着くのを、山そのものが拒んでいるようだ。これ以上先には進ませまいと、何者かの意志が働いているようだ。

 けどそれでも、瀧は目的のために進むしかなかった。

 

 ——もう一度、お前に会いにいきたい……三葉!!

 

 瀧は『あの場所』に行けばもう一度。もう一度、三葉と『入れ替われる』と、そのような結論を出していた。

 彗星が落ちてくる前の、生きている三葉の元へ駆けつけて——彼女を助けたい。

 その想いだけが、立花瀧という少年を突き動かしていたのだ。

 

 だが、気持ちばかりが先走りし過ぎていたせいか、ここで瀧は致命的なミスを犯す。

 

「……あっ!?」

 

 強風に身体を煽られ、雨にぬかるんだ地面に足を取れる。仰向けに倒れ込んでいく彼の後方は——不運なことに崖だった。

 

 ——お、落ちる!?

 

 瀧はその瞬間を、スローモーションに感じていた。何とか反射的に手を伸ばすも、一人で山道を歩いていた瀧に助け舟を出せるものなどいるわけもなく。

 彼の身体はそのまま、真っ逆さまに崖下へと落ちていく——筈であった。

 

 だがここで——。

 

「——おっと……大丈夫ですか?」

 

 伸ばされた瀧の手を掴み取り、彼を助け起こすものがいた。

 いったい、いつからそこにいたのか分からないほど唐突に現れたその少年に、瀧は助けられたのにお礼の言葉が出てこない。

 

 ただただ困惑しながら、彼の名前を呼ぶしかなかった。

 

 

 

「き、君は……ゲゲゲの鬼太郎……?」

「…………」

 

 

 

「——入れ替わりとは……それもそれで、俄には信じ難い話じゃな……」

「いや……俺からすると、目玉おやじさんの方がよっぽど……って、今更ですよね、そんなこと……」

 

 山の天気は荒れる一方だったため、瀧は近場の洞窟に避難し、そこで身体を休めることにした。

 休憩中、瀧はラーメン屋の店主からご好意で貰っていた弁当を開け、それを一緒に食べないかと——ゲゲゲの鬼太郎にも勧めた。しかし鬼太郎は「ボクは大丈夫です……」と力なく答える。

 仕方がないので弁当の一部。おにぎりの一つを、瀧は鬼太郎の父親であるという目玉おやじへと差し出す。

 

 鬼太郎から二葉の話を聞かされた際、目玉おやじの存在についてはそれとなく触れられていた。だが本人に直接会うのが何気に初めてだった瀧にとって、彼の存在はなかなかに衝撃的だったりする。

 もっとも、『入れ替わり』や『彗星落下』。『アメノカガセオ』などの話を聞いた後だと、どうにも驚きも薄れてしまう。

 瀧は目玉おやじの存在を前に取り乱すことはなく——自分が体験した、三葉との入れ替わりについて語って聞かせていた。

 

「しかも、三年もの時間のズレがあるとは……いったい、何故そんな捩れが発生してしまったのか、う~む……」

 

 目玉おやじは考え込みながらも、瀧の入れ替わり自体については概ね肯定的だった。だが入れ替わっていた瀧と三葉との間に、『三年』もの時間差があったことには終始首を傾げるばかり。

 何故、そのようなズレが発生してしまったのだろう。まあそのズレがなければ、今この瞬間を生きている瀧が既に亡くなっていた三葉と入れ替わることなど不可能だったのだろうが。

 

「俺にもわかりません。いえ、分からなかったです……この糸守に来るまでは……」

 

 瀧も、時間差のこともそうだが、それ以前にどうして自分が三葉と入れ替わっていたのか。それに対する明確な答えを持ち合わせていなかった。

 だが、彼は自分の手首——そこに巻かれていた『組紐』を見つめ、忘れていた大事なことを思い出す。

 

「この組紐……」

「ん……?」

「この組紐は……俺が三葉から貰ったものなんです。あいつ……三年前のあの日、俺に会いに来てくれてたんだ……」

 

 

 それは三年前の、彗星が落ちてくる前日のことだ。

 宮水三葉は入れ替わり先である瀧のことが気になり、単身東京まで彼に会いに来てくれていたのだ。けれど、まだ三葉のことを知る前の瀧では彼女に気付くことが出来なかった。

 瀧の他人行儀な態度は、きっと彼女を深く傷付けてしまっただろう。意気消沈と背を向ける三葉を、瀧は何とか呼び止めて——その際に彼女の『名前』と、彼女が髪留めに使っていた『組紐』を受け取っていたのだ。

 

 言ってみればそのときの組紐こそが、二人を結んだきっかけだ。

 二人が入れ替わることになったのも、きっとこの組紐を通じて魂が結びついたからなのだろうと、今ならそう信じられる。

 

 

「…………けど、もう入れ替わりが起きることはないのでしょう?」

 

 しかし、鬼太郎は瀧の話を聞き終えた上で、既にそれが『終わった』ことであることを理解する。

 瀧と三葉の入れ替わりはもう起きない。それは三年のズレがあった時間軸の向こう側でも、彗星が落下して三葉が死んだことを意味している。

 もう何もかもが手遅れだと、鬼太郎はやや投げやりな感じで顔を伏せてしまっていた。

 

「いや、まだだ。まだ……終わってない!」

「……?」

 

 だが瀧は諦めていない、諦めきれていなかった。瀧の力強い言葉に、鬼太郎が俯かせていた顔を上げる。

 

「あの場所まで行けば……あれがあの場所にあれば……俺はもう一度、三葉と……」

「…………!」

 

 決意を秘めた瀧の瞳に、曇っていた鬼太郎の表情に光が差す。

 瀧が何を言っているかまでは理解できなかったが、それでもまだ終わっていないと。そう確信させるだけの『何か』を、彼の表情から感じ取ることが出来た。

 

 

 

 

 

「はぁはぁ……もう少しだ。あともうちょっとで着くぞ……」

「…………」

 

 その後、雨が止んで天候が安定し始めたところで再び瀧は山を登っていく。

 そのすぐ後ろを、鬼太郎も黙ってついて来ていた。瀧が何を成そうとしているのか、それを最後まで見届けるつもりのようだ。

 

「着いた! 着いたぞ、鬼太郎! ここが……この山の頂上だ!!」

「これは……」

 

 そうして、苦労の末に瀧たちは目指していた山の頂上へと辿り着くことができた。既に見覚えのある景色なのか、瀧は辿り着けたこと自体に歓声を上げるが、鬼太郎は眼前に広がっていたその光景に思わず息を呑む。

 

 山の頂上の地形は、何かに抉られたようになっていた。それはまさに、隕石の衝突で生まれたクレーターのような窪地だ。窪地の内部には緑豊かな湿原が広がっており、小さな小川まで流れている。

 外からは決して見ることの出来ない、天然の空中庭園のような景観が見るものの心を震わせる。

 

「むっ……止まるんじゃ、鬼太郎!!」

「どうかしましたか、父さん?」

 

 思わず見入ってしまう光景。惹きつけられるように鬼太郎の足も自然と前に進みかけるが、それに目玉おやじが待ったを掛けた。

 

「何やら妙な空気じゃ。ここは……普通の場所ではないぞ」

「……えっ?」

 

 目玉おやじはその場所に、何かしらの違和感を抱いていた。

 普通ではあり得ない空気だが、それが何なのかを言葉で言い表すことが出来ない。ただ壮大なわけでも、自然が豊かなわけでもない。これはいったい何だというのか。

 すると目玉おやじが抱いた感覚に、瀧は明確な言葉で答えを示していく。

 

「婆ちゃん……一葉さんは、ここから先は隠り世だって言ってましたけど……」

 

 瀧は三葉と入れ替わっていたときに、一葉や四葉と共にこの場所を訪れていた。その際に、一葉からはここが『隠り世』と呼ばれる場所だと教えてもらったという。

 

「隠り世じゃと!? 何と……ここがそうだというのか!?」

「父さん……隠り世とは、いったい?」

 

 瞬間、目玉おやじが驚愕に目を見開く。

 鬼太郎は父親が何故そこまで驚いているのか分からない様子だが、その反応から只事でないことは察せられる。少し強張った表情で、目玉おやじの口から語られる『隠り世』についての話に耳を傾けていく。

 

 

 

「隠り世、あるいは常世とも呼ばれるその場所は……永遠に変わらない神域とも、あの世とも言われておる……」

 

 宮水一葉は『隠り世(かくりよ)』と呼んだようだが、それ以外にも『常世(とこよ)』という呼び方がある。そこは瀧や鬼太郎たちのように今を生きるものたちが住む世界——『現世』とは正反対に位置する。

 絶え間なく移り変わる現世とは異なり、隠り世は永遠に変わらない領域とも、死んだものたちが流れ着く黄泉の世界とも言われている。

 死後の世界といえば、鬼太郎なら『地獄』を思い浮かべるが、それとも少し違うとのこと。

 

「一説によると、全ての時間が同時にある場所とも言われておるが……本質的なことはわしにも理解はできん。生者が長居していい場所でないことだけは確かじゃ……」

「全ての時間が……同時に?」

 

 どうやら、目玉おやじにも具体的なことは何も分からず、曖昧な表現でしか説明することが出来ない場所らしい。

 瀧はここがそこまで大袈裟な場所だったという認識はなかったのか、目玉おやじの言葉を呆然と繰り返していた。

 

 

 

「……そろそろ聞かせてくれるか、瀧くん? 隠り世と呼ばれるこんな場所まで来て、いったい何をするつもりなのか」

 

 ついに、ここで目玉おやじは瀧にこの場所までやってきた意味を問い掛ける。

 ここが隠り世と分かった以上、あまり長居は出来ない。直ぐにでもここから離れるべく——瀧がここで何をやろうとしているのかを知らねばならないだろうと。

 

「あれを見てください……」

 

 瀧は目玉おやじの疑問に答えるべく、とあるところを指差していく。

 彼が指し示したのは湿原となっているこの場所の中心付近。そこには一本の大きな樹が、これまた大きな一枚岩に根を張るように立っていた。

 

「あれは宮水神社の御神体です。あの樹がそうなのか、それとも岩のことなのか。どっちがそうなのかは俺にも詳しくは分からないですけど……」

「ご神体……」

 

 瀧が言うに、あれなるは宮水神社の御神体。神様が宿るとされているもの、信仰が形となったもので、神社でも最も尊ばれるものだという。

 

「あの御神体の下にちょっとした洞窟があって、そこに小さな社があります。俺はそこにあいつの……三葉の口噛み酒を奉納したんです」

「……く、口噛み酒?」

 

 そしてあの御神体の場所にこそ、瀧が目的とするものがあった。聞き慣れぬ単語に首を傾げる鬼太郎だが、言葉のニュアンスからそれがどういうものなのかを予想し、素っ頓狂な声を上げる。

 

『口噛み酒』。

 その名のとおり、口で噛んだ米を吐き出し、唾液の作用で発酵させて作るお酒のことである。製造工程を考えるとちょっとあれな代物かも知れないが、大昔では日本はおろか、世界中で作られていた歴史あるお酒である。

 宮水神社でも神聖な儀式として巫女たちが口噛み酒を作り、それが御神体へと奉納されることとなっている。その奉納の儀式を、瀧は三葉と入れ替わっていたときに行っていたという。

 

「あの口噛み酒には……三葉の魂が宿ってるんです。あいつの魂の半分が……あの酒の中に……」

 

 一葉の教えから、『体に入ったものは魂とムスビつく』ことを知った瀧は、その口噛み酒にこそ三葉の魂が強く宿っていると考えた。

 三葉によって作られたその口噛み酒を飲めば、彼女と深く結びつくことができると思ったのだ。

 

「あれを口にして……俺はもう一度、三葉と入れ替わる!! 彗星が落ちる前の糸守に行ってあいつを、みんなを助ける!! やってみる価値は……あると思います」

「うむむ、理屈は分かるが、しかし……」

 

 瀧の決意、思いもよらない考えに目玉おやじがやや難色を示す。口噛み酒を飲むという行為にもそうだが、それ以上に本当にそれで入れ替わりが起きるのかという疑問があった。

 

 実際に入れ替わりが起きたとして、それで彗星の被害から皆を守れるかという疑念もあった。

 

 鬼太郎たちでも救えなかった人々が、瀧一人の介入で果たして何かが変わるのか。あるいは変えていいものかと、そういった葛藤がこのときの目玉おやじには確かにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『——無駄な足掻きを……』

 

 

「——っ!?」

「——っ!!」

「——な、何じゃ!? 今の声は……!?」

 

 

 だがじっくりと考え込む暇もなく、『それ』は滝たちの会話に割って入ってくる。

 

 その声は恐ろしいほどに底冷えした、まさにこの世のものとは思えぬ悍ましさを孕んでいた。

 

 声が響いてきたの同時に、周囲の景観もその姿を変えていく。

 

 それまでどことなく神聖で澄んだ空気を漂っていた隠り世に、暗く澱んだ夜が訪れたのだ。

 

 まるで神域に穢れた何がが流れ込んでくるかのように、大地も黒く染まっていき。

 

 その地表から——染み出すようにして『そいつ』は姿を現した。

 

 

「な……なんだよ、これ……」

 

 それを眼前にした瀧が呆然と立ち尽くす。彼にとってそれは埒外の存在。目玉おやじという妖怪にようやく慣れ始めた彼の脳に、まるでハンマーでガツンと叩くような衝撃をもたらす。

 

 恐ろしい全貌を露わにしたそれは——巨大な『真っ黒い影のような怪物』だった。

 全長数十メートルは軽く伸びているであろう、細長い胴体。そのシルエットはさながら大蛇——いや、龍を想起させるものがあった。

 

 そのフォルムを前に、目玉おやじがそれが何者なのか答えを導き出す。

 

 

「こ、こやつ……まさか……アメノカガセオか!?」

「……っ!? アメノ……こいつが!?」

 

 

 思考が止まっていた瀧の頭の中にも、その名前ははっきりと浮かんでくる。

 

 天香香背男——二葉の話に出てきたという、この地に封じられているとされる『竜』の名前だ。倭文神の末裔である宮水家の人間を抹殺するため、この地に彗星を呼び寄せし星の神。

 

 糸守町の人たちを死なせた。三葉の命を奪った仇とも呼ぶべき存在。

 

「こいつが……こいつのせいで三葉が!! 糸守町の人たちが!!」

 

 瀧にとっては、まさに諸悪の根源のようなもの。たとえ神様だろうと知ったことかと、挑むような視線をぶつけていく。

 だが、そんな瀧の怒り以上に——アメノカガセオも、その身を憤怒に染めていた。

 

『いかにも……我は天香香背男。この地の正統なる支配者にして、貴様ら人間が真に敬うべき、星の神である!!』

「——っ!?」

 

 竜が吠える。

 その絶叫に込められた凄まじい怒気を直に浴びせられ、怒りに我を忘れかけていた瀧ですらもその身を強張らせた。

 

 数千年にも渡って封じられてきた、まつろわぬ神。

 その身に宿る憎悪は人間などでは到底理解も出来ず、どこまでも尽きぬことを知らない底なしの闇であった。

 

『忌まわしい倭文神建葉槌命の手でこの地に封じられ、その末裔の血で縛られ続けること幾星霜……』

 

 まるで昨日のことのように、アメノカガセオは恨み言を吐き捨てる。自分を倒した倭文神は勿論、その末裔である宮水家のものたちも同罪だとばかりに。

 

『あと少しだ。あと幾許かの時さえあれば……我はこの忌々しい土地より解放される!!』

 

 この土地ですらも、アメノカガセオにとっては自分を縛る忌まわしい鎖に過ぎない。宮水家の人間が死に絶えたことで封印は解かれつつあるようだが、まだ完全ではないとのこと。

 しかしあと少しの時間さえあれば、自分はここから解き放たれるとその叫びが歓喜に満ちていく。

 

『我をこのような目に遭わせた神々に復讐を!! 天上で踏ん反り返る奴らに……目にものを見せてくれる!!』

 

 アメノカガセオは天上、自分をこのような憂き目に遭わせた天界に住まう神々に復讐を果たそうとしているようだ。本来であれば、地に平伏す人間や妖怪など眼中にもない筈だが。

 

『——今更余計な邪魔などさせんぞ……人の子風情がっ!!』

 

 だが瀧が三葉を助けられるような、彗星の落下の被害を食い止められるような発言をしてしまったことで表に出てきたようだ。

 万が一にでも、宮水の人間が助かるようなことになってしまっては、再びこの地に縛り付けられてしまうかもしれないと。自身の復讐の邪魔となる可能性。

 

 それがほんの僅かでもあるならば排除するしかないと、アメノカガセオは立花瀧へと襲い掛かる。

 

「うっ……!?」

 

 アメノカガセオの強襲に、瀧は成す術もなく立ち尽くす。瀧にとって人ならざる怪物に襲われるなど、全くの未知だ。

 しかも相手はまつろわぬ神、並の妖怪などとは比べようもないほどの威圧感を纏っている。

 

 彼一人では決して抗いきれない。神という巨大な存在を前に人間など、ちっぽけな塵芥に過ぎないのかもしれない。

 

 

「——霊毛ちゃんちゃんこ!!」

『むっ!? 貴様……邪魔をするか、小僧!?』

 

 

 しかしそんな瀧の危機を回避すべく、ゲゲゲの鬼太郎がアメノカガセオの前に立ちはだかる。瀧にその牙を突き立てようとする黒き竜を、霊毛ちゃんちゃんこを腕に巻いた一撃で退ける。

 勿論、その程度の一撃では倒すことなど出来ない。だがアメノカガセオが怯んだその隙に、鬼太郎は伝えるべきことを瀧へ伝えていく。

 

「——立花瀧!! こいつの相手はボクがする……キミは口噛み酒を!! 三葉さんと入れ替わって……彼女を助けるんだ!!」

「——っ!! き、鬼太郎……」

 

 鬼太郎の熱のこもった言葉に瀧は瞠目する。さらに鬼太郎は、個人的な意見を含めて瀧にアドバイスを送った。

 

「正直……本当に入れ替わりとやらが起きるかは分からない。けど、もしも本当に入れ替われたのなら……過去に戻ることが出来たのなら、向こうのボクにも頼ってくれ。きっと……キミの力になってくれる筈だ」

 

 彗星落下の日、鬼太郎も確かに糸守町で戦っていた。全てが無駄な努力で終わってしまったが、そこに瀧が一人でも加わればあるいはと。

 その瞳に確かな希望を宿して、叫ぶ——。

 

 

 

「——ボクに出来なかったことを……キミがやり遂げるんだ!!」

 

 

 

「……鬼太郎……ありがとう……!!」

 

 瀧は鬼太郎に短く礼を言い、走り出す。

 

『おのれぇえええ!! 逃さんぞ!!』

 

 その後をアメノカガセオが慌てて追いかけようとする。話の流れから、瀧がキーパーソンであることを理解したのだろう。

 

「やらせない……髪の毛針!!」

 

 だが、瀧に追いすがろうとするアメノカガセオの進撃を鬼太郎は全力で食い止めていく。ここまで来た以上、最後まで立花瀧のやるべきことを後押しようと。

 

 今度こそ守ってみせると、自分が守れなかった糸守町の人々のためにも死力を尽くしていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁはぁ!! はぁっ!!」

 

 鬼太郎とアメノカガセオがぶつかり合っている間にも、瀧は一気に御神体へと駆け込んでいく。御神体の地下には洞窟があり、そこに小さな社があった。

 そこに奉納されている二つの瓶子。それこそ宮水神社が大切な御役目として伝え続けた伝統——口噛み酒である。

 

「……あった!! 口噛み酒……俺たちが運んできた……」

 

 瀧は自分の記憶通り、そこに目当てのものがあったことにまずは安堵する。

 

「こっちが妹ので……こっちが、三葉の……」

 

 瓶子は二つあり、片方は妹である四葉のものだ。急ぎながらも慎重に、瀧はもう片方の口噛み酒——三葉のものを手に取った。

 

「あいつの半分……あいつの魂が……この口噛み酒に……!!」

 

 瀧は瓶子の蓋を杯に、口噛み酒を並々と注いでいく。

 酒は透き通るように澄んだ、キラキラと輝く液体となっていた。見ているだけでも吸い込まれそうな神秘的なそれを、ゆっくりと口元へと近づけていき。

 

「頼む……本当に入れ替われるのなら、時間を戻れるのなら……もう一度だけでも!!」

 

 彼女の元へ。そう祈りを込めながら——瀧は口噛み酒を一口で飲み干す。

 

 

 

 暫くの間は、何も起きなかった。

 

 まだ未成年である瀧は当然、酒など飲んだことはなく。体が妙に熱くなってくる感覚がただ酔いが回っているせいか、それとも別の何かなのか判別が付かないでいた。

 

 しかし、不意に体がふらつき、足がもつれて——瀧は仰向けに転がってしまう。

 すると不思議なことに、瀧の体はどこまで、どこまでも落ちていく浮遊感に襲われていく。

 

 水の中に沈んでいくような感覚に、抵抗も出来ずに身を委ねるしかないでいる。

 

 ——なんだ……これ?

 

 自分の意識さえも曖昧になりそうな最中、瀧はその視界にありとあらゆる記憶を見た。

 

 

『夜空に輝く彗星が二つに割れ、落ちてくる』

 

『星は容赦なく地上を焼き払い、沢山の人々が死ぬ』

 

『星の危険から逃れるため、その危機を後世に伝えようと人々が知恵を絞っていた』

 

 

 きっとこれらは、過去にもあった彗星衝突の記憶だ。アメノカガセオが宮水の血筋を絶やそうと、何度かこの地に彗星を落とした。

 だが宮水の人たちは何とか生き延び、その災害から身を守る手段として、記憶を形として残していく。宮水神社に伝わる伝統や作法、それらはきっと彗星の危機を子孫に伝えるためのものだったのだろう。

 

 

 その後も、瀧の中に記憶が流れ込んでくる。

 

 

『優しい母親が、生まれたばかりの赤子を愛おしげに抱きしめる』

 

『父親と母親と、妹に囲まれた幸せな家族』

 

『母親が病死した後、家族の間に決して埋めようのない亀裂が入る』

 

『父親に捨てられたと、悲しむ少女』

 

 

 ——これは……三葉の記憶?

 

 漠然としたものばかりだが、それが宮水三葉という少女の記憶だということは理解出来た。

 彼女という人間が生まれ、そして死んでしまうまでの記憶だ。

 

 そう、彼女の死の間際の記憶——それが瀧の視界を覆い尽くしていく。

 

 ——彗星!? 駄目だ、三葉!! そこにいちゃ駄目だ!!

 

 ティアマト彗星だ。何も知らない彼女目掛けて、それは美しくも残酷に、無慈悲に落ちてくる。

 瀧の声も届きはしない。所詮は記憶の中の終わった出来事。

 

 それを分かっていながらも、瀧は叫ばずにはいられなかった。

 

 

 ——逃げろ!! 逃げてくれ、三葉!!

 

 

 ——三葉、三葉、三葉!!

 

 

 ——三葉!!

 

 

 

 

 

 そして——時は巻き戻る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2013年 10月4日

 

 

 

 瀧は目を覚ます。それと同時に妙な確信が胸の奥から湧き上がってくる。

 

 急いで体を起こすと——そこには自分のものではない、小さな手に細い指が見える。

 他にも女性用のパジャマに、胸のふくらみ。

 

「三葉だ……」

 

 自然と漏れる声も、自分のものではない。

 すぐ横にあった鏡を覗き込めば——そこには会いたいと願い続けていた少女の顔が見えた。

 

「……生きてる……まだ、ちゃんと生きてる!!」

 

 感極まった瀧は自分の、彼女の身体を抱きしめた。理屈なんてどうでもいい。理由なんてどうでもいい。

 自分はもう一度、三葉と『入れ替わる』ことが出来たのだ。

 

 そして、彼女が生きているということはまだチャンスはある。

 

 彗星の落下までどれだけの猶予があるか分からないが、きっとまだ間に合う。

 

 

 彼女を、三葉を死なせはしない。

 糸守町の人たちを一人残らず守って見せる。

 

 

 そのために——立花瀧は宮水三葉の身体で運命に立ち向かっていく。

 

 

 




人物紹介

 宮水二葉
  三葉と四葉の母親。作中では既に故人のため、原作の方では出番は少なめ。
 『Another Side:Earthbound』のワンエピソードで、彼女の性格や巫女としての才覚が描かれています。
  その際、彗星の落下を何となく予見していたであろう行動や言動が確認出来ます。
  きっと彼女は全てを分かっていた上で……自分の命を賭けたのだと思います。
  
 天香香背男
  アメノカガセオ。星の神にして、竜。今作における元凶として設定を練り込ませていただきました。
  こちらも『Another Side:Earthbound』に名前だけは登場しています。
  こいつに限らず、日本神話の神様の名前ってすっごい漢字が難し過ぎる。
  いちいち読みにくいと思いますので、基本はカタカナ表記で書いていきます。

 宮水俊樹
  二葉の旦那にして、三葉と四葉の父親。
  二葉の死がきっかけで、糸守町を変えようと町長になる道を進んだ。
  原作だけ見るとちょっと嫌な感じで、何故彼がクライマックスに三葉の言葉を信じたのか違和感がありますが。
  やはりこちらも『Another Side:Earthbound』に詳細な心情が描かれています。
  今回は名前だけの登場ですが、次回には割と重要な場面に出てもらうかもしれない。
  
次回で完結予定です。
 彗星の落下に加えて、アメノカガセオという脅威まで。
 ここからどのように物語を収束していくか……お楽しみに!!




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

君の名は。 其の③

fgo・2部7章『黄金樹海紀行ナウイミクトラン』。
丸一日(徹夜)してクリアしました。

いや〜、ORTは強敵でしたね……マジでヤバすぎる。
まさにインフレの極致、ゲージを削っても削っても平然と向かってくる化け物相手に、ぐだのあの表情。
プレイヤーとシンクロするかの如き絶望感と疲労感。これで心臓がない状態ってのが、本気でヤバい。

こんな化け物を、たった一人で打ち倒したカマソッソが偉大なる勇者王過ぎる!
7章で一番印象に残ったキャラかもしれん、いつでも実装待ってるよ!!


さて、ようやく『君の名は。』のクロスが完結します。
例によって例の如く、終盤はだいぶ長文です。一回区切ることも考えましたが、今回は一気に読んで欲しかったので、このような仕上がりになりました。
クライマックスということもあり、頻繁に時間軸が変わったりします。混乱しないよう、ゆっくり読み進めて頂ければと思います。
また話の流れ上、尺の都合上。細部の流れが原作と異なる点がいくつかあります。原作の『あのシーン』が好きだったのにとか、人によってはちょっとがっかりしてしまうかもしれません。

申し訳ありませんが、どうかご了承ください。



 

 

()(かれ)と われをな問ひそ 九月(ながつき)の 露に濡れつつ 君待つわれそ』

 

 

『万葉集』にある和歌の一節だ。

 古典の授業でその言葉を聞いていたのは三葉だったか、それとも瀧だったか。どこか曖昧でぼんやりとした記憶。

 

 そんな中でも印象に残っていたのは——『誰そ彼』という言葉が『カタワレ時』のことを指しているということである。

 

 カタワレ時。

 隣に佇んでいる彼が、誰かも分からなくなるほどに薄暗くなった夕暮れ時。『黄昏時』『逢魔が時』とも呼ばれるその時間帯には、妖怪などの怪異や死者といった、この世ならざるものたちとも遭遇することが多くなるという。 

 

 人の輪郭はおろか、世界の輪郭さえも曖昧になっていく境界線。

 カタワレ時というのは糸守町独特の言い回しでもあるらしく、何故そのような呼び方になったのかは町の年寄りたちも由来は分からないという。

 

 そして、カタワレという言葉には——対となったものの一方、分身という意味合いもある。

 片割れ、欠けてしまったもう一方。

 

 もしかしたら、それは二つに割れて落ちてくるティアマト彗星のことを指していたのかもしれない。

 アメノカガセオが呼び寄せる厄災が落ちてくる時刻、それをいつしか『カタワレ時』なんて呼び方をするようになったのかもしれない。

 

 

 だけどもしも……。

 

 

 もしも、欠けてしまったものが元に戻るというのなら……。

 

 

 本来なら越えることの出来ない世界の境界線を、曖昧なものにしてしまうというのならば……。

 

 

 そんな刹那の間だけでも、出逢えるのかもしれない。

 

 

 君に——。

 

 

 

2013年 10月4日

 

 

 

「お前……自分が何を言っているのか、分かっているのか?」

「だから、彗星が落ちてくるんだって!! 今からでも、町のみんなを避難させないと!!」

 

 ここは糸守町の町役場の町長室。

 町長である宮水俊樹に、彼の娘である宮水三葉が必死の形相で『彗星落下の危機』を訴えていた。

 

 

 無論、そこにいたのは宮水三葉と入れ替わった立花瀧だ。

 2016年の未来から、三葉の口噛み酒を口にすることで彼女の魂と結び付いた瀧が、もう二度と起こることのなかった入れ替わりを成功させてみせたのだ。

 

 生きている三葉の心臓の鼓動に、瀧が感動で身を震わせていたのも束の間。彼は起こりうる厄災に立ち向かおうと、すぐにでも行動を起こしていた。

 彗星が落下する午後八時まで時間もない。色々とやることは山積みだが——最も重要なのは、住民の避難だろう。

 

 幸いなことに割れた彗星がどこに落ちるか、予想落下地点を瀧は知っていた。その外側へと町民たちを誘導することが出来れば、誰一人犠牲者を出さずにこの危機を乗り越えられる。

 しかし小さな自治体とはいえ、糸守町の人口は五百人以上。その全員に避難指示を行き届かせるなど、どのような小細工を用いても個人の力では限界がある。

 やはり最終的には、きちんとした公人が皆を導く必要があった。

 

 だからこそ、瀧は町長でもあり、三葉の父親でもある俊樹の説得を試みた。

 彼が町長として役場や消防に声を掛けてくれれば、それで何もかも上手くいく筈なのだが——。

 

 

「……どこでその与太話を聞いたかは知らんが……」

 

 実の娘が自分を頼ってきたというのに、俊樹は心底からうんざりするようため息を吐く。

 

「馬鹿も休み休み言え!! 全く……お前まであの小僧と同じようなことを……」

 

 娘の言葉を戯言と切り捨て、ぼそっと小言を漏らしていく。

 

「あの小僧……?」

 

 だが、瀧は俊樹のその呟きを聞き逃さない。「あの小僧……」と忌々しげに吐き捨てた発言、それが誰のことを指しているのか予想が付いたからだ。

 

 

「——ゲゲゲの鬼太郎が……来たんだな?」

「むっ……」

 

 

 図星だったのだろう、瀧の指摘に俊樹は一瞬だが気まずそうに視線を逸らす。僅かに生まれたその隙を付くよう、瀧は一気に捲し立てていく。

 

「だったら分かるだろ!? 彗星は本当に落ちてくるんだよ!! 鬼太郎はお……私たちのために、必死に頑張ってくれてるんだ!! だから私たちも……」

 

 ゲゲゲの鬼太郎自身の口から、既に俊樹に対して何度も説得を試みていたという話は聞いていた。

 残念ながら鬼太郎の言葉だけでは俊樹を動かすことは出来ず、最後まで避難勧告が出されることはなかったという。

 だが娘である三葉の説得も加われば、あるいは俊樹の心を動かすことも出来るのではと、瀧はちょっとした期待を抱き始める。

 

 しかし——。

 

 

「黙れ!! よくもそんな戯れ言を俺の前で!!」

「っ……!!」

 

 

 瀧の淡い期待はあっさりと砕かれる。娘の説得すらも真っ向から突っぱね、俊樹はより深く眉間にシワを寄せていく。

 

「何がゲゲゲの鬼太郎だ……妖怪など、今の時代にそんなものがっ!!」

 

 とことんまで現実主義者な俊樹は、鬼太郎が妖怪だという事実すら認めていない。最初から聞く耳を持たないような人間が相手では、誰が何を言おうと説得など不可能だったのだ。

 

「…………」

 

 それでも、どうにかして彼に動いてもらわなければ始まらないと。瀧は何とか俊樹を納得させる言葉がないか深く考え込む。

 すると黙っている瀧——実の娘である三葉に向かい、俊樹は億劫そうに口を開いた。

 

 

「だいたいあの小僧も……所詮は二葉から戯言を吹き込まれたからに過ぎん。やはり妄言は宮水の血筋だな……」

「——っ!!」

 

 

 それは、娘である三葉への侮辱であり——自身の亡き妻、二葉への侮辱でもあった。

 

 宮水二葉が、どんな思いで鬼太郎に後を託したのか。話を聞いただけの瀧でも、鬼太郎の真剣さから彼女の強い思いが確かに伝わってきたほどだ。

 

 それをこの男は『妄言』などという一言で切って捨てたのだ。瀧の握る拳にも自然と力が宿る。

 

「お前も病気だ、すぐに医者にでも診てもらえ……」

 

 さらには娘を病人扱い。どこか投げやりな扱いに、努めて冷静でいようとした瀧の感情に火が付いてしまった。

 怒りで目の前が真っ赤に染まり——気が付けば、瀧は勢いよく俊樹との距離を詰める。

 

 

「——馬鹿にしやがって!!」

 

 

 激情に身を任せるまま、俊樹の胸ぐらを力任せに掴み上げていた。

 

 

 

 

 

「……み、三葉……」

「はっ……」

 

 あれだけ横柄な態度をとっていた俊樹の目が戸惑いに揺れる。相手の驚いた表情に、瀧も冷静さを取り戻して手をゆっくりと離していく。

 

 凍えるような沈黙の中——俊樹は震えながらも口を開く。

 

「……いや……お前は、誰だ?」

「——っ!!」

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、宮水三葉の姿をした立花瀧は逃げるようにその場を後にしていた。

 

 

 

 

 

 ——……どうする? これから……どうすれば!?

 

 瀧は町役場から飛び出した後、他に行くあてもなく坂道をとぼとぼと歩いていた。

 

 結局、宮水俊樹の説得には失敗した。それどころか、彼は自分の娘の『中身が違う』ことに気付いてしまったようだ。

 戸惑いながらも、確信めいたあの呟き。もう一度会いに行ったところで、きっとまともな話し合いにもならないだろう。

 

 ——もう時間がない……早く、何とかしないといけないのに!!

 

 既に夕日が傾き始めている。あと数時間後にはティアマト彗星が二つに割れ、糸守町へと落ちてくる。このまま何もしなければ瀧が知る歴史通り、沢山の人が死んでしまう。

 それだけは、絶対に避けなければならないのだが——。

 

「お姉ちゃん!!」

「四葉……」

 

 悶々と悩みながら歩いている瀧に、三葉の妹である四葉が駆け寄ってきた。学校帰りなのか、ランドセルを背負った彼女は姉への気遣いから心配そうに声を掛けてくれた。

 

「お姉ちゃん大丈夫? 今日はまた一段とヤバいよ……病院行く?」

「………はぁ~、四葉……お前もか……」

 

 しかし、四葉も四葉で姉である三葉をおかしい人扱い。父親の俊樹と似たような発言をしたことで瀧を落ち込ませる。

 もっとも、こればっかりは彼らの反応の方が真っ当なのかもしれない。いきなり『彗星が落下してくる』などと言われて、果たしてそれを信じられるかどうか。

 逆の立場であれば、瀧とてまともに聞き入れはしなかったかもしれない。

 

「——おーい、三葉!!」

「——三葉!!」

 

 だからこそ——今の瀧にとって、その言葉を信じて味方してくれる人の存在は貴重であった。

 落ち込む瀧の元へ、自転車に乗った坊主頭の男子と、その後ろからおさげ髪を揺らした女子が手を振って駆け付けてくれる。

 

「テッシー……サヤちん……」

 

 三葉の幼馴染、勅使河原(てしがわら)克彦(かつひこ)名取(なとり)早耶香(さやか)である。

 二人は三葉の言葉を半信半疑ながらも信じて動いてくれていた。避難方法の具体案や、災害後に必要になるであろう食料の買い出しなど。瀧一人では手が回らないようなところにまで、気を回してくれていたのだ。

 

「親父さんとの話、どやった!?」

「…………」

 

 だが、それでもやはり最後には町長の助力が必須なことを彼らも理解しているのだろう。勅使河原の差し迫った問い掛けに対し、今しがたその説得に失敗した瀧は気まずさから返事が出来ないでいる。

 

 ——どうする!? もう本当に時間がないぞ!?

 

 これ以上はここで悩んでいる時間すらも惜しい。

 だがここからどうすればいいか瀧にも分からない。焦れば焦るほど頭の中が真っ白になり、呆然とその場に立ち尽くすしかないでいる。

 

「……? ねぇ、お姉ちゃん……あれ、何だろう?」

「……えっ?」

 

 そんな姉の切羽詰まった表情を不安そうに見つめていた四葉だったが、ふと空中を見上げながら何かを指差す。

 

 上空、彼女の指し示した先を目で追うと、何かがひらひらと空中を浮遊していた。

 一見するとただの白い布のようだったが、よくよく見ればその布の上に——人が乗っていることが確認できる。

 

「あれは……!?」

 

 その布に乗った人物。それが誰なのかを理解した瞬間——瀧は走り出していた。

 

 

 

「どうするとね、鬼太郎しゃん? このままやと、ほんとうにみんな死んでまうとね~」

「…………」

 

 一反木綿の呼び掛けに、鬼太郎は深刻な表情で黙り込む。

 その日、ゲゲゲの鬼太郎は仲間たちと共に糸守町を訪れていた。二葉との約束を守るため、糸守の人々を彗星の脅威から守るために奔走していたのだ。

 だが予想以上に人の流動が激しく、この流れを止めるのに妖怪である鬼太郎たちでは出来ることに限りがあった。

 長年にも及ぶ町長の説得にも失敗した。もう時間がないと、鬼太郎にも余裕がなくなってきている。

 

「——鬼太郎!! ゲゲゲの鬼太郎!!」

「……ん? あれは……」

 

 そのときだった。一反木綿に乗って上空から町の様子を観察していた鬼太郎に、地上から何者かが彼の名を呼ぶ。

 眼下を見下ろすと——制服姿の女子が、自分に向かって走りながら手を振っているではないか。

 

「……一反木綿」

「コットン承知!」

 

 鬼太郎は少し迷ったが、その少女の呼び掛けに答えるべく地上へと降りていく。

 

 

 

「はぁはぁ……鬼太郎、ゲゲゲの鬼太郎だよな?」

 

 呼び掛けに応じて眼前へと舞い降りてきた鬼太郎を前に、瀧は呼吸を荒げていた。

 鬼太郎の姿を見つけた瞬間に全力でダッシュしてきたため、息継ぎが上手くいかずに息切れを起こす。とりあえず、荒れた呼吸を少しずつ整えていく。

 

「あらま~、可愛い子!! 鬼太郎しゃんの知り合いばい?」

「いや……」

 

 その間、外見が三葉である瀧に女の子大好きな一反木綿がデレデレになりながらも、鬼太郎に彼女と顔見知りかどうかを尋ねていた。しかし当然ながら、今の鬼太郎と三葉との間に面識はない。

 見知らぬ少女に呼び止められ、鬼太郎も不思議そうに首を傾げている。

 

「三葉!! いきなりどうし……って、何だ!?」

「ぬ、布切れが宙に浮いて……喋っとる!?」」

 

 すると、後から追いついてきた勅使河原と早耶香が一反木綿の存在に悲鳴を上げる。彗星落下を信じてくれた二人にとっても、妖怪の存在は全く予想だにしなかったものらしい。

 

「ええ、何やのこれ……新手のドッキリ?」

 

 一反木綿の存在を最初に目に止めた四葉も、それが現実のものであると直視出来ないでいる。

 

「——鬼太郎!!」

 

 しかし誰もが戸惑っている中で、瀧は意を決して叫んでいた。

 

 

「彗星は……割れた彗星は、いくつもの欠片になって宮水神社を中心に落ちてくるんだ!! いくら鬼太郎でも……それ全部は撃ち落とせない!!」

「——!?」

 

 

 瀧の言葉に鬼太郎が目を見開く。

 彗星落下の件を口にしたこともそうだが、鬼太郎がいざとなったら『彗星を撃ち落とそう』と考えていたことをズバリ言い当てたことに驚かされた。しかもその最終手段すらも失敗すると、まるで未来を見透かすかのような発言まで。

 いったいこの少女は何者だろうと、鬼太郎の中で疑問が芽生えていく。

 

「こ、高校!! 糸守高校の校庭なら……彗星も落ちてこない!! あそこに町のみんなを避難させてくれ!!」

 

 だが鬼太郎が何かを問い掛ける間もなく、瀧は捲し立てるように必要な情報を手短に伝えていく。

 自分が三葉と入れ替わっている立花瀧だとか。時間軸を越えてやってきたとか。そういったことを詳しく説明している時間はない。

 彗星落下までに出来ることは全部やっておきたい。そんな気持ちで瀧は鬼太郎に協力を申し出る。 

 

「キミは……もしかして、二葉さんの?」

 

 ここで、鬼太郎は相手の素性をそれとなく察する。

 

「分かった。キミを信じよう……」

 

 三葉の容姿から、彼女の母親である二葉の面影でも見たのか。彼女の娘であれば、予知的な何かを発揮してもおかしくないと思ったのだろう。

 

「一反木綿、一度みんなと合流しよう」

「えっ? こ、コットン承知!!」

 

 鬼太郎は瀧の言葉に力強く頷き、彼の言葉を他の仲間たちにも伝えようと。一反木綿と共にどこぞへと飛び去っていった。

 

 

 

「……お、おい……三葉? 今のは……?」

「み、三葉……?」

「…………」

 

 一反木綿という存在の不可解さと、瀧と鬼太郎とのやり取りがいまいち理解出来ずに勅使河原を始めとした皆が困惑している。

 しかし彼らの言葉が今の瀧には聞こえていない。瀧は鬼太郎たちが飛び去っていく方角の先——たまたま視界に入った、糸守の山々に目を向けていた。

 

 ——俺が登った山……あそこに御神体が……。

 

 あの山の頂上には御神体があり、瀧が奉納した口噛み酒があり、瀧と身体が入れ替わった宮水三葉がいる。

 今頃は、鬼太郎があそこでアメノカガセオと熾烈な戦いを繰り広げているだろう。無論、あくまで別の時間軸での話だ。今あの場所に行ったところで何も、誰もいない筈なのだが。

 

 いや——。

 

「全ての時間が……集まる場所……」

 

 そこまで考え、ふと瀧は目玉おやじの言葉を思い返す。

 彼が言っていた——『隠り世』あるいは『常世』と呼ばれる場所の特異性。自分たちが生きている『現世』とは違う、永遠に変わらない神域。死んだものが行き着くとも言われる黄泉の世界。

 

「俺じゃ駄目だった……けど、あいつなら……三葉なら……!」

 

 根拠はない。理屈も。

 だが、それでも——もしかしたらという思いが立花瀧を突き動かす。

 

「テッシー!! ちょっと自転車貸して!!」

「え……お、おい!! 作戦はどうするんや!?」

 

 言いながら、瀧は勅使河原から奪うように自転車を借りる。

 いきなりのことで勅使河原はちょっとばかり泣きそうな声で叫んだが、こればかりは説明しようもない。

 

「計画通りに準備しておいてくれ!! 頼む!!」

 

 とりあえず、避難に関しては出来る限り進めておいてくれと。勅使河原たちを信じ、瀧は一時糸守町から離れる。

 

 

 目指すは、御神体が祀られている山の頂上。

 そこにいるかもしれない——『彼女』の元へ、全速力で自転車を走らせていく。

 

 

 

2016年 

 

 

 

「…………ん……うん……?」

 

 宮水三葉は真っ暗な闇の中で瞼を開く。

 そこは明らかに自分の家ではなく、かといっていつもの入れ替わりで目覚める瀧の部屋でもない。肌寒く、身体もひんやりとした地面に横たわっている。

 先ほどから定期的に彼女の頬を叩いてくる水滴の雫の冷たさが、朧げだった彼女の意識を覚醒させた。

 

「……えっ? 私、瀧くんになっとる!?」

 

 意識がはっきりした瞬間、三葉は自分が立花瀧と入れ替わっている事実にまずは驚く。

 

「な……何で……瀧くんがこんなところに……?」

 

 だがそれ以上に驚かされたのは、入れ替わり先の瀧がこのような洞窟で眠っていたことだ。

 

「ここって……御神体がある……山の上?」

 

 三葉は遅れながらも、そこが御神体の下にある洞窟だということを察する。

 しかし、どうして瀧自身の体がこんなところにあるのだろう。状況がいまいち把握しきれずに首を傾げる三葉だったが——次の瞬間、その洞窟内を地響きが襲う。

 

「な、なに!? 何の音!?」

 

 いきなりの衝撃に反射的に立ち上がり、三葉は洞窟の出口——光が差し込んでくる方角へと駆け出す。地上へと続く道を進み、外の光景が彼女の視界に飛び込んでくる。

 

 

 

 三葉が目覚めたその場所は、間違いなく御神体の洞窟であった。

 外に出れば、眼前には窪地の中の湿原の風景が広がっている。三葉も祖母である一葉から、そこが『隠り世』と呼ばれる神域であると。何度も聞かされた覚えがあったため、その場所自体に大きな戸惑いはない。

 

「なっ……何なの? 何なのよ……あれ!?」

 

 問題があるとすれば、その隠り世で——巨大な怪物が暴れ回っていることである。

 

『——ウォオオオオオオオオオ!!』

 

 それは黒い蛇、あるいは龍と思しき化け物。その怪物の雄叫びが、その巨体を揺り動かす衝撃が三葉のいる洞窟まで響いてきたのだ。

 宮水神社の跡取りとしてそれなりに神事をこなしてきた三葉ですらも、そのような怪物の存在は見たことも聞いたこともない。目を疑いたくなるほどに衝撃的な光景だ。

 

「だ、誰か……戦ってる?」

 

 だがさらに衝撃的だったのは、その巨大な怪物相手に何者かが戦っているという事実である。遠目から見る限りではあるが、それが小学生くらいの男の子だということが確認出来る。

 

「——髪の毛針!! 体内電気!!」

 

 その少年は髪の毛を飛ばしたり、電気を身体から発するなど。普通の人間ではあり得ないような方法で戦っていた。

 その少年がいったい何者なのか。少なくとも、三葉の脳裏に彼が『妖怪』であるという答えは浮かび上がってこない。

 

『いい加減……しつこいぞ、小僧!!』

「——がっ!?」

 

 しかし、そんな超常的な能力を発揮できる少年でも、その怪物を相手取るのは困難であるのか。

 ちょこまかと動き回る少年の動きを捉えた龍の尻尾が、彼を後方——三葉のいる御神体の方まで吹っ飛ばした。ゴロゴロと地面を転がりながら、三葉のすぐ側で少年の身体が倒れ伏す。

 

「きゃっ!? ちょっ……キミ、大丈夫!?」

 

 こちらまで吹っ飛ばされてきた少年に、三葉は混乱しながらも声を掛ける。

 状況を理解できずとも、外見は自分よりも幼い男の子だ。その無事を確かめようと、反射的に身体が動いていた。

 

「何をしてるんだ! 早く、口噛み酒を!!」

「へっ……!?」

 

 だが少年は素早く起き上がりながら、三葉に向かって叱りつけるように叫ぶ。何故か口噛み酒のことを口にし——。

 

「ここはボクに任せて、早く三葉さんと入れ替わりを……!!」

 

 瀧との入れ替わりについて言及する。

 

「あ、あなた……誰なの? どうして、私と瀧くんのことを……!?」

 

 これに三葉は目を丸くする。

 入れ替わりの事実は、自分と立花瀧しか知らない筈だ。お互い誰にも話していないし、話したところで信じてもらえないという考えが根本にあった。

 実際、信じられないという思いは少年にもあったのか。彼は見た目が瀧である筈の男子から、女性的な仕草や発言を認識した瞬間——驚いたように目を見開く。

 

「き、キミは……まさか……宮水三葉?」

「ほ……本当に入れ替わったというのか!?」

 

 少年の頭からひょっこりと顔を出した——目玉の小人までもが、目をくりくりさせている。

 

「え……ええ!? め、目玉が……喋ってる!?」

 

 突然姿を現した目玉のお化けに三葉は悲鳴を上げる。すぐ間近で目撃するそれは、ある意味で巨大な怪物や、超常的な能力を駆使する少年よりも新鮮な驚きに満ちていた。

 もっとも、三葉が呑気に素っ頓狂な声を上げている暇もなく。

 

『——ガァアアアアアアアアッ!!』

 

 巨大な怪物が、少年を追撃するような形でこちらへと迫ってきている。

 

「危ない!?」

「きゃっ!?」

 

 少年は瀧の身体を抱えながら横っ飛びに飛ぶ。男の子に抱き抱えられて女の子らしい悲鳴を上げてしまう三葉だが、そんな彼女のすぐ横を巨大な怪物が通過し、その背筋をヒヤリとさせる。

 

 標的に回避され、目測を失った怪物は三葉たちがいた場所に真っ直ぐ突っ込んでいく。三葉たちは何とか無事で済んだものの、怪物が突撃したその先には——御神体があった。

 怪物の体当たりが、宮水神社の御神体を粉々に砕く。社へと通じる洞窟の出入り口も、瓦礫によって塞がれてしまった。

 

「ご、御神体が……」

 

 宮水神社にとって何より神聖な聖域が破壊され、お家の神事にそこまで信心深いわけでもない三葉ですらも唖然となってしまう。

 

『おのれぇえええ……!!』

 

 だが肝心の怪物は、御神体を粉々にした程度ではその勢いも収まりはしない。怒りに震える雄叫びを上げながら、再び襲い掛かろうとその巨体を起き上がらせていく。

 

「済まない、今は説明している時間がないんだ!! 急いでここから離れていてくれ、出来るだけ遠くまで!!」

「は……はいぃ!!」

 

 再度、怪物の相手を引き受けるべく少年が身構える。その際、彼は三葉にここから早急に避難するように告げた。少年の説明もない指示に混乱しつつも、今の三葉にはその言葉に従うしかなく。

 

 急いで、窪地の外に向かって瀧の身体を走らせていく。

 

 

 

「はぁはぁ……はぁ……はぁ……」

 

 怪物から少しでも距離を取ろうと必死に走りながらも、三葉は考えを巡らせていた。

 

 ——何で、瀧くんがここに……? 

 

 ——ていうか、私……昨日は何してたっけ?

 

 ——あれ? 何か……大事なことを忘れているような……?

 

 すると考えれば考えるほどに、瀧のことはおろか自分自身の記憶までもが曖昧なことを自覚する。

 瀧の身体に入れ替われるまでの間、自分がどこで何をしていたか。不思議と思い出すことが出来ないでいるのだ。

 

「はぁはぁ……と、とりあえず……ここまで来れば……」

 

 そんなふうに思考を巡らせながらも足だけは動かし続け、三葉は湿原の端っこまで辿り着く。あとは目の前の斜面を登りきれば、この窪地から抜け出すことができるだろう。

 

「そうだ! 私、瀧くんに会いに行って……それから髪を切って……」

 

 その斜面を一歩ずつ登りながら、三葉は記憶の糸を辿っていく。

 感覚的に言えば、一昨日のことだったか。三葉は瀧に会うために日帰りで東京へ行ったのだ。そこで奇跡的に瀧と出会えたのは良かったものの、彼は自分のことなど覚えていなかった。

 そのことがショックで家に帰るや一葉に髪を切ってもらい、それから——。

 

「そうだ……秋祭り!! 秋祭りに出掛けて……」

 

 髪を切った翌日だ。浴衣で地元の秋祭りに参加し、特に何をするでもなく——そう、彼女は『彗星』を眺めていたことを思い出す。

 千二百年に一度、地球に急接近すると言われるティアマト彗星。目が眩むほどの輝きに見惚れていると、彗星は途中で二つに割れた。

 割れた片方はやがて大きな、大きな流星となって——。

 

「…………あっ」

 

 そこで三葉は思考と足を止めた。

 窪地を登りきった彼女は——そこで待っていた光景に言葉を失う。

 

 本来、その山の頂上からは糸守町の全貌が見える筈だった。三葉にとっては狭苦しくとも自身の故郷だ。そこから眺める景色は、彼女の心にいつだって感慨深いものを抱かせてくれる。

 

 だがその町が、自身の故郷である糸守町が——なかった。

 あるのは町だったものの名残。木っ端微塵に破壊し尽くされた廃墟の町並みであり、その廃墟を飲み込むように歪な形で糸守湖が広がっている。

 

 どうしてそんなことになってしまっているのかも、三葉は思い出した。

 あの日、あの時、あの瞬間。三葉の頭上から——巨大な岩の塊が、隕石が落ちてきたのだ。

 

 それが町を潰し、地形を潰し、人々を潰し。そして——三葉自身を押し潰した。

 

「あ……あ、ああ……」

 

 三葉の口から壊れたような声が零れる。両足から力が抜けていき、膝が地面を突いた。辛うじて喉から漏れ出る空気が、彼女の抱いた恐怖を言葉として搾り出していく。

 

 

「——私……あの時、死んだの?」

 

 

 そう、そこにいたのは既に自分自身の『死』を体験した宮水三葉だった。

 星が降ったあの夜に自分は『死んだ』のだという事実を理解し——少女は絶望に打ちひしがれていく。

 

 

 

2013年 

 

 

 

 ——三葉……三葉……。

 

 ——三葉!!

 

 瀧は三葉の肉体で走り続けていた。

 荒れた山道を無理に進んできたため、既に自転車はスクラップと化してしまった。あとで勅使河原に謝らなければと頭の片隅に入れつつ、瀧はずっと三葉の名前を心の内側で叫び続ける。

 

 こうしている今も、彗星は刻一刻と糸守町へと近づいている。

 本当なら彗星落下の被害を食い止めるために町長の説得なり、町民の避難誘導なり、他にやるべきことがあるのだろう。

 だが瀧はあの場所に三葉がいるかもしれないという予感に突き動かされ、山の頂上を目指していた。

 

 隠り世と呼ばれるあの場所。現世からも隔絶されたあそこなら、時間軸の壁すらも越えて彼女に——三葉に会えるのではないかと。

 

 ——俺じゃ駄目なんだ……。

 

 ——ここには、お前がいないと……。

 

 それは宮水三葉と入れ替わっている立花瀧では、この危機を乗り越えることが出来ないと悟っての行動だった。

 外側だけ三葉でも駄目だ。彼女の身体に彼女自身の心が伴ってこそ、初めて父親である俊樹にその言葉を届かせることが出来る。

 

 だから、三葉と瀧の二人はもう一度入れ替わる必要がある。遠くから間接的な結び付きに頼るような方法ではなく、直接対面するような形で。

 きっとそうすることで自分たちは本来あるべき在り方へと、欠けていたものを埋めるように元の状態に戻れると信じて——。

 

「いや……」

 

 だがそういった理由以上に、今の瀧を突き動かしているものがある。

 

「今はただ……お前に会いたい!!」

 

 純粋に、ただ宮水三葉に逢いたいという想いだ。

 三葉に会いたい、彼女と直接会って話がしたい。直接触れて、その温もりを感じてみたいと。それだけを想ってここまで来た。

 

「——三葉!!」

 

 山の頂上に辿り着いた瞬間にも、瀧はありったけの想いを込めて彼女の名を呼ぶ。

 

 

 

2016年

 

 

 

「たき……くん?」

 

 声が聞こえた気がした。誰かが自分を呼ぶ声が宮水三葉の身体を立ち上がらせる。

 もしかしたら、ただの幻聴だったかもしれない。それとも窪地の中で今もあの巨大な怪物相手に戦いを続けている少年が、三葉の名前を呼んだだけなのかもしれない。

 でも確かに、三葉にはその声が彼の——立花瀧が自分を呼ぶ声に聞こえた。

 

「瀧くん……瀧くーん!!」

 

 呼び掛けに応えようと、三葉も力の限りに彼の名を叫ぶ。

 

 

 

2013年

 

 

 

「!! 聞こえた……三葉の声が!! 今……確かに聞こえた!!」

 

 山の頂上。窪地には湿原が広がっており、その中央には御神体が悠然と佇んでいる。

 当たり前のことだが、そこに自分の体に入れ替わっている三葉はおろか、ゲゲゲの鬼太郎やアメノカガセオの姿もない。

 それが当然の筈なのだが、それでも三葉の声だけはしっかりと聞こえてきた。

 

「三葉!! いるんだろ、ここに……すぐ側に!!」

 

 三葉が近くにいることを理屈抜きで感じ取り、瀧は窪地の周囲を走りながら叫び続ける。

 

 

 

2016年

 

 

 

「瀧くん……? 瀧くん!!」

 

 三葉も、やはり錯覚ではないと確信する。

 彼が近くにいると。すぐ側で自分の名を呼び続けてくれていると、窪地の周囲を駆け抜けていく。

 

 

 それは『入れ替わり』という結び付きが起こしている現象なのか。確かに両者は名前を呼び合い、お互いにその声に耳を傾けることが出来ていた。

 しかし、やはり三年もの時間のズレを覆すことは出来ない。たとえここが『隠り世』だろうと、そう簡単に時代という名の世界の境界線を越えることなど出来はしないのだ。

 

 

 

2013年

 

 

 

「三葉……ここにいるのか?」

 

 

 

2016年

 

 

 

「瀧くん……そこにいるの?」

 

 それは互いの位置が、相手が今どこにいるのかわかった瞬間も変わらなかった。

 もしも時間軸が同じであれば、きっと『瀧』は『三葉』は目の前にいる。それが確信できるほどの距離で手を伸ばすも、やはり互いの身体に触れ合うことなど叶わない。

 

 

 やはり無理なのかと、二人が揃って顔を伏せった——そんなときである。

 

 

 太陽が雲の後ろに沈む。

 

 暗闇がやってくるが、空は未だ夕焼けに輝いている。

 

 光と影が溶け合い、世界の輪郭がぼんやりと揺れた。

 

 昼とも夜とも呼べない、曖昧な時間が訪れてくる。

 

 

 こういった時間のことを何と呼べばいいのか、瀧も三葉も知っていた。

 黄昏。誰そ彼。彼は誰。

 

 二人は、ほとんど同時にその時間帯の古い呼び名を呟いていく。

 

 

「——カタワレ時だ……っ!?」

「——カタワレ時……っ!!」

 

 

 その呟きが聞こえた瞬間、気付いたときには互いの視界が『入れ替わっていた』。

 

 

 

「…………あっ」

 

 正面を見据えた瀧の視界に——三葉がいた。

 まんまるに目を見開いた少女が、ぽかんと口を開けていたのだ。その間の抜けた表情が何だかおかしくて、愛おしくて。瀧は自然と笑みを浮かべながら彼女の名を呼ぶ。

 

「三葉」

 

 瀧の呼び掛けられるや、三葉の両目からみるみると大粒の涙が流れていく。

 

「……瀧くん? 瀧くん……瀧くん!?」

 

 何度も何度も彼の名前を繰り返しながら、それが夢でないことを確認するかのよう——三葉の両手が、瀧の両手に触れる。

 

「瀧くんが……おる!」

 

 涙を流しながらも、掌から伝わる温もりが錯覚でないことを感じて三葉の顔に笑みが浮かぶ。

 瀧も三葉の微笑みと、彼女の体温の温かさから実感していた。目の前にいるのは、間違いなく等身大の宮水三葉だ。ずっと逢いたいと願っていた彼女に、瀧も瀧自身の身体で向き合うことが出来た。

 

 

「——お前に、会いに来たんだよ!」

 

 

 そう。生も死も、時間や世界の垣根すら越えた先で二人は巡り逢えた。

 

 このカタワレ時という、刹那の中で——。

 

 

 

カタワレ時

 

 

 

「ホント、大変だったよ!! お前すげぇ遠くにいるからさ……」

 

 ひとしきり感動を噛み締めた後に瀧はここまでの道中、その苦労を語る。

 物理的な距離だけではない。本当に遠い、遠い場所にいた二人。もはや奇跡と言っても過言ではない出会いに瀧は笑みを深める。

 

「う、うん!! で、でも……どうやって? だって私、あのときに……」

 

 だが嬉し涙を拭いながらも、三葉は疑問を呈していた。

 彼女は思い出し、そして理解していた。自分が既に死を体験した側『死者』であると。死んだ筈の自分が『生者』である瀧と、本来なら顔を合わせることも出来ない筈だと。

 

「三葉の……口噛み酒を飲んだんだよ」

 

 彼女の疑問に対し、瀧は率直な答えを口にする。

 三葉の口噛み酒。彼女の魂の半分が入ったあの酒を飲んだからこそ、瀧は三葉と再び結び付くことが出来たのだと。

 本当に出会えた今だからこそ、尚更それを強く確信するように力強く頷く。

 

「え…………」

 

 すると瀧の発言の意味を理解していくにつれ——三葉の顔色が羞恥に染まる。次の瞬間にも彼女は怒り心頭、顔を真っ赤に瀧へと詰め寄っていく。

 

「ば、ばか!! へんたい!!」

「え?」

「あ、あれを飲んだって~……何考えとんの!!」

「え、ええ!?」

 

 まさかの叱責。どうやら三葉にとって、あの口噛み酒を飲まれるという行為はとても恥ずかしいことのようだ。

 そんな彼女の乙女心を理解し切れない瀧は何故怒られなければならないのかと、ひどくあたふたしている。

 

「そうだ!! それにアンタ、私の胸触ったやろ!? 四葉が見とったんやからね!!」

「うっ!! そ、それは……その……出来心で……」

「何が出来心や、このあほっ!!」

 

 ここぞとばかりに追求される余罪に、さらに瀧はたじたじになる。そう、瀧は入れ替わりの度、必ずと言っていいほど三葉の胸を揉んでいた。

 これに関して、瀧は自分に非があることを認めなければならない。問答無用で有罪。セクハラで訴えられ、社会的な制裁は受けることも視野に入れなければならないだろう。

 

「まったく!! アンタって男はっ!! 

「す、すみませんでした……は、ははは……」

 

 ぷりぷりと怒る三葉に、親に叱られた子供のように反省する瀧。もっとも、そこに嫌な空気はない。寧ろ、何一つ飾らない言葉を交わし合う二人の間に、じんわりと暖かいものが溢れてくる。

 

 これだ。これが瀧や三葉の望んでいたもの。

 何一つ特別ではない。ただ会って話をして、怒ったり、泣いたり、笑ったり——。

 

 こうやって直接に『彼』と『彼女』と触れ合いたかったのだ。こんな何でもない時間がいつまでも続いてほしいと、心の底から願ってしまう。

 

 

 だが——『彼らの敵』は、二人にそのような穏やかな時間すら許さない。

 

 

『き、貴様……貴様はぁあああああああああああ!?』

「なっ……うわあっ!?」

 

 遠くの方で激しい激突音が聞こえる。これには感動の再会に夢中になっていた瀧や三葉ですら、振り替えざるを得なかった。

 

「あれは……アメノカガセオ!? それに鬼太郎も!?」

「え……え……?」

 

 振り返った先の湿原では、先ほども三葉を襲ってきた巨大な怪物と、その怪物と戦う少年の姿があった。三葉にはあれらが何者なのか分からないが、瀧は彼らのことを把握している。

 

 巨大な龍のような怪物は——アメノカガセオ。

 その怪物を食い止めようと戦っている少年こそ——ゲゲゲの鬼太郎である。

 

 そう、時間を越えて出会えたのは二人だけではなかった。

 何の因果か、彼らもまたこの『カタワレ時』に集っていた。ここが隠り世であること、瀧との縁・結び付きが彼らを引き寄せてしまったのか。

 アメノカガセオは三葉の存在に気付くや、邪魔者である鬼太郎を蹴散らし——血相を変えた様子で急接近してくる。

 

「三葉っ!!」

「きゃっ!?」

 

 押し寄せてくるアメノカガセオから遠ざけようと、瀧が三葉を背に庇う。もっとも少年一人が盾になったところで、巨大な怪物の前ではさしたる意味もない。

 アメノカガセオにその吐息がかかる距離まで近づかれ、その大きな目玉がギョロリと三葉を捉えた。

 

『この気配……貴様、倭文神建葉槌命の眷属!?』

「え……倭文神?」

『何故だ!! 何故生きている!? 貴様らの血は確かに途絶えた筈!? でなくば……我の封印が解かれることも……!?』

 

 アメノカガセオは三葉の存在——宮水家の人間が目の前で生きていることに狼狽していた。

 自身が呼び寄せた星によって宮水の血筋・倭文神の末裔の血は全てこの地上から消え去った。封印が解かれている以上、その事実に間違いはない筈なのにと。

 

『そうか……隠り世!! この場所であれば、そのようなことも起こり得るだろう……』

 

 しかしそこは曲がりなりにも『神』だ。アメノカガセオはすぐに三葉がここに存在出来ているカラクリを理解し、忌々しげに唸り声を上げる。

 

『おのれぇえええ、相も変わらず小細工を労する!! いつの時代もそうだ、貴様ら宮水の女どもは!! 妙な力を使い……幾度となく我の手から逃れてきおった!!』

 

 アメノカガセオは、千二百年周期で彗星をこの地へと呼び寄せている。千二百年前も、二千四百年前も。その度に大勢の人が死に、地形が変わるほどに大地を崩壊させてきた。

 だが宮水家の人々は、その彗星の落下から幾度となく生き延びた。それはあらゆる手段を用い、彗星落下の危機を後世へと教え伝えてきたからに他ならない。

 

 それは口伝であったり、あるいは神事の一部としてであったり、今では失われてしまった古文書としてであったり。

 または——『入れ替わり』という不可思議な力であったり。そういった能力が世代を越えて引き継がれてきたからこそ、宮水家の人々は何度も存亡の危機から逃れてきたのだ。

 

『だが!! 既に運命は定まった、未来は確定した!! 今更どのような小細工を仕掛けようと、貴様の命運が尽きることに変わりはないと知れ!!』

 

 しかし、そういった入れ替わりの力を用いたところで、三葉は彗星から逃れることが出来なかった。アメノカガセオは三葉の『死』が既に確定された事実だと、勝ち誇ったように豪語する。

 

「あ……あ、ああ……」

 

 怪物から自分が『死んだ』という事実を突きつけられ、三葉は恐怖と不安から震えてしまう。

 その顔は死人のように蒼白、全身から力が抜け落ち、少女の華奢の身体がその場に崩れ落ちようと——。

 

 

「——変わるさ……いや、変えてみせる!!」

 

 

 そんな彼女を、立花瀧が抱き寄せるように支えた。

 アメノカガセオの言葉を真っ向から否定するよう、少年は神にさえ挑むように声を荒げる。

 

「そのために俺はここまで来たんだ!! 三葉を助ける、他のみんなも!! 誰一人……死なせはしない!!」

「た、瀧くん……」

 

 瀧の内なる決意、彼の言葉に勇気付けられた三葉の顔が熱と共に生気を帯びていく。

 

『ほざくな、小僧めが!!』

 

 しかし瀧の覚悟すらも嘲笑するように、アメノカガセオは彼に向かって牙を剥く。

 

『貴様のような只人風情に何が出来る!? 身の程知らずの人間が……神に意見することすら不遜である!!』

 

 所詮、立花瀧という少年に何ら特別な力はない。たまたま三葉と縁を結び、入れ替わり先に選ばれただけの人間に過ぎないのだ。

 そんな人間が立ち塞がったところで、アメノカガセオにとっては障害にすらなり得ないと。

 瀧と三葉の二人を揃って噛み殺そうと、まつろわぬ神の口があんぐりと開かれていく。

 

 

「——させるか!!」

 

 

 しかし間一髪のところで、彼が——ゲゲゲの鬼太郎が駆け付けてこれた。

 

「霊毛……ちゃんちゃんこ!!」

『——ガギィッ!?』

 

 先ほど突き飛ばされたお返しとばかりに、霊毛ちゃんちゃんこを腕に巻いた拳骨がアメノカガセオの脳天に向かって振り下ろされる。

 完全な不意打ち。アメノカガセオもこの一撃は相当堪えたのか、目を回しながら地へと倒れ伏す。

 無論、これでも奴を倒すことは出来ない。すぐにでもまた起き上がってくるだろう。しかしこの僅かな隙に鬼太郎は語るべきことを伝えるべく、宮水三葉に向き合っていく。

 

「宮水三葉さんですね……ボクは、ゲゲゲの鬼太郎。貴方のお母さんから……貴方たちを守るように頼まれていたものです」

「えっ? お、お母さんから……!?」

 

 見も知らない少年の口から、まさか母親の名前が出てくるとは思わず、三葉は唖然と立ち尽くす。

 鬼太郎は二葉から依頼を受けた経緯など、娘である三葉に伝えたかったのだが——生憎と、ゆっくり話し込んでいる余裕はなかった。

 鬼太郎は空を見上げながら、瀧に向かって声を掛ける。

 

「立花瀧……三葉さんを頼む。そして彗星を……もう、時間がないみたいだ」

「——っ!!」

 

 鬼太郎の言葉に瀧も空に目を向ける。

 この隠り世からでもはっきりと視認できた。夕日が沈み、暗くなりかけている西の空から星が——ティアマト彗星の姿がうっすらと浮かび始めていたのだ。

 もう時間がない。彗星の落下が間近まで迫り、このカタワレ時も——もうすぐ終わろうとしている。

 

「分かった!! 三葉……聞いてくれ!!」

「!! う、うん……」

 

 鬼太郎にアメノカガセオの対処を任せつつ、瀧は三葉に向き直る。カタワレ時が終われば、きっと二人はそれぞれの時間軸へと戻るだろう。別れは名残惜しいが、惜しんでばかりもいられない。

 肝心なのは戻った後だ。三葉が元の場所に戻った先でどう動くべきか。勅使河原や早耶香と共に立てた作戦や、あちらの時代でも協力してくれているゲゲゲの鬼太郎のこと。

 

 そして——町長である父親の説得など、大事なことを手短に伝えていく。

 

「——やれるか、三葉?」

 

 一気に捲し立てての説明であったため、十分に概要が伝わったかどうか。三葉のことを気遣いながらも真剣に問い掛ける瀧。

 

「——うん……大丈夫! やってみせる!!」

 

 瀧の問い掛けに、三葉もまた覚悟を決めた表情で頷いた。きっと大丈夫、瀧が繋いでくれたこの機会を決して無駄にはしないと。

 微かに震えた声でありながらも、その胸に確かな決意が宿っていく。

 

 

 

「そうだ! 三葉、これ……」

 

 空から夕日の名残がほとんど消えつつある。

 カタワレ時がもうすぐ終わろうとしていたタイミングで、瀧は何かを思い出したように右手首に巻いていたものを外し、それを三葉へと差し出していた。

 

「あ、それって……」

 

 差し出されたものに、三葉が目を見開く。

 瀧が手首に巻いていたもの、それは『組紐』だ。三年前、瀧が初めて電車の中で直接顔を合わせた三葉から受け取っていた品。

 

「三年、俺が持ってた……今度は、三葉が持ってて」

「うん!!」

 

 瀧はその組紐を、元の持ち主である三葉へと返すことにした。

 それをたとえどれだけ遠く離れていても、二人の間の結び付きが決して消えないことを信じた、瀧なりの意思表示であったのか。

 

 彼の気持ちに応えるべく三葉も組紐を受け取り、それを自身の髪にリボンのように括り付け——。

 

 

「——え?」

 

 

 刹那、彼女の姿をその目に焼き付けようとしていた瀧の眼前から——三葉が消えた。

 

「三葉……?」

 

 瀧が周囲を見渡すも、そこに彼女の姿はない。

 見れば太陽が完全に姿を眩ましていた。カタワレ時が終わり、その場に夜が訪れていたのだ。

 

 奇跡のような時間は終わった。

 世界が正常に戻るや、まるで最初からそこに存在していなかったかのように。

 

 

 彼女は時間軸の向こう側へ、忽然と姿を眩ましてしまった。

 

 

 

2016年 

 

 

 

「…………大丈夫、俺は信じてる……覚えてる! 君の名前をっ!!」

 

 唐突な別れに暫し何も考えられなくなっていた瀧。だがすぐにでもその顔に強がりの笑みを浮かべ、彼は独り呟いていく。

 

「言おうと思ったんだ……お前が世界のどこにいても、俺が必ず……もう一度逢いに行くって……」

 

 

 彼女に会いたいと、そのためにここまで来た。

 

 それが叶った以上、あとは彼女が事を成し遂げると信じるしかない。

 

 今の自分にできることは、彼女の名前をしかとこの胸に刻みつけることだけ。

 

 その名を忘れぬよう、繰り返し、繰り返し彼女の名前を瀧は叫び続ける。

 

 

「三葉、三葉……みつは。名前は……みつは!!」

 

 

「君の名前は……」

 

 

『——ガァアアアアアアアアアッ!!』

「——っ!?」

 

 

 だが彼の叫びは、アメノカガセオの絶叫によって掻き消された。振り返ればすぐ近くで、アメノカガセオとゲゲゲの鬼太郎の死闘が繰り広げられている。

 

「何をしてる!? 早くここから離れるんだ!!」

 

 鬼太郎はアメノカガセオと交戦しながらも瀧に向かって警告を飛ばす。もっと離れていなければ戦いに巻きこんでしまうと、瀧の身を気遣っての叫びだったが。

 

 

「——え? だ、誰だよ? ていうか……何なんだ、あの化け物は!?」

 

 

 今の一瞬、アメノカガセオの唸り声に気を取られたほんの一瞬の間に、瀧は『大事なこと』を思い出せなくなっていた。

 ここがどこで、あの化け物が何で、戦っているあの少年は何者で——。

 

 胸を締め付ける、この気持ちは何なのか。

 その想いすらも『彼女』の名前と共に、自身の中からこぼれ落ちていく。

 

「誰だ? 誰……お前は……誰だ?」

 

 今の彼には、自分がどうしてこんなにも悲しい気持ちになっているのか、それすらも分からない。何故自分が泣いているのか、自身の感情すらもぐちゃぐちゃに溶け落ちていく。

 

 

「君の……名前は?」

 

 

 絞り出すように呟かれたその疑問すら、怪物と少年の激闘によって掻き消されていく。

 

 虚しさを抱いたまま、瀧は何もない空をただ見上げ続けるしかなかった。

 

 

 

2013年 

 

 

 

「はぁはぁ!! はぁ……っ!!」

 

 宮水三葉は走った。全力で走った。

 

 こうしている今も空の彼方、視界の端にはティアマト彗星がちらついている。時間がない、早くしなければ糸守町に彗星が落ちてくる。

 たとえ——たとえ『彼』の名前が思い出せなくとも、彼が自分に伝えてくれた危機だ。決して無駄にはしないという思いで、彼女は走り続ける。

 

 そう、既に三葉の中からも『彼』の存在が消えかけていた。彗星のことを念頭に置きながらも、それでも彼のことを覚えておかなくちゃと必死に想う彼女を嘲笑うように。

 

 世界は——三葉からも『彼』の名前を奪っていく。

 

「それでも……それでも、私は!!」

 

 それでも、三葉は走るのを止めなかった。生きることを諦めなかった。悲しみに暮れている暇などない。自分が成すべきことを成さねば、きっと多くの人が死ぬのだ。

 大丈夫、自分だけではない。勅使河原も早耶香も、△◇ゲの〇□郎とかいう少年も。皆が出来ることをしてくれている筈だから。

 

「私だって……!!」

 

 だから彼女は走る。

 

 自分にも成すべきことがあると信じて——。

 

 彗星から大切な糸守の人々を守るため——。

 

 今日という日を生き抜くため——。

 

 

 もう名前も思い出せないあの人と。いつの日かもう一度巡り会うためにも——。

 

 

 宮水三葉は、今この瞬間を走り続けていく。

 

 

 

 

 

 そうして、星は落ちた。

 ティアマト彗星は容赦なく大地を焼き、糸守の美しい町並みを悉く破壊し尽くしていった。

 

 糸守という町の崩壊、終焉。

 その未来、結末自体は誰にも変えることは叶わず。

 

 破壊の後の無情な静けさが、人々の暮らしていた大地を沈黙で支配していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——信じられん……まさか……本当に、こんなことが……」

 

 彗星の落下から数分間。誰一人言葉を発することが出来なかった中、口火を切るように男は呟く。

 未だに信じられない。まさか本当に彗星が落下してくることなど——実際に『避難命令を発した』町長・宮水俊樹にも、それを事実だと実感することが出来ずにいた。

 ティアマト彗星によってもたらされた町の崩壊、その光景を——糸守高校の校庭から、ただ呆然と眺めている。

 

「…………み、皆さん、無事ですか!? 誰か……逃げ遅れた人はいませんか!?」

 

 同じような感想を抱きながらも、役場の職員らしき女性が周囲の人々に声を掛け始める。

 町民たちの無事を確かめる彼女の呼び掛けに——そこに集まっていた人々がそれぞれ口を開いていく。

 

「あ……ああ、大丈夫だ……」「おじいちゃん……?」「ああ……ここにいるぞい」「親父!? 無事だったんか!?」「おお……お前も無事だったか?」「みんな……生きとるの?」「お母さん……お家なくなっちゃったよ!」「そ、そうね……けど……」「点呼……点呼とるぞ!!」「う、嘘だろ……」「まさか、こんなことが……」「…………生きてる」

 

 糸守高校の校庭では、数百人単位の人々が隣人の無事を確かめ合っていた。誰もが町の崩壊に悲観的な顔をしつつ、隣に家族や友人がいることを確認し合い、ほっと胸を撫で下ろす。

 

 

 そう、町の破壊そのものを覆すことは出来なかったが——糸守町の人々は生きていた。

 

 

 町長権限で発令された『緊急避難訓練』により、町中の人々全員が糸守高校の校庭に集まっていたのだ。祭りの最中での避難訓練など、不満を漏らす住人もいるにはいたが、大災害に直面した今ではそんなことも言ってはいられない。

 結果論ではあったものの、町長のおかげで九死に一生を得たのも事実。その奇跡のような功績に、感謝こそすれど恨みなどあろう筈もない。

 

「うおおおおお!! やったぜ、三葉!! みんな生きとる!! 生きとるぜ!!」

「……信じられん……ほんとやったんや……」

 

 避難してきた人の中には、当然ながら勅使河原克彦や名取早耶香の姿もあった。

 勅使河原は歓喜の声を上げながら、早耶香は信じられないという思いを抱きながらも、皆が生還出来た喜びに浸っている。

 

「う、うん…………四葉、おばあちゃん……怪我はない?」

 

 だが肝心の三葉はこれといってオーバーにリアクションを取ることもなく、冷静に家族の無事を確かめていた。

 

「お、お姉ちゃん……」

「ああ、無事だよ。怪我もない……」

 

 三葉の呼び掛けに、四葉と一葉は戸惑いながらも答える。

 彼女たちは最後まで、三葉が口走る『彗星落下』など眉唾物だと信じていなかった。だが実際に星は落ち、町は消し飛んだ。三葉の忠告を聞き入れなければ、何もかも終わっていただろう。

 疑いを持っていただけに、合わせる顔がないとばかりに気まずげな表情で俯く。

 

「お父さん……信じてくれて、本当にありがとう……」

 

 しかし三葉は二人を責めることもなく。もう一人の家族である父親に、自分の説得を最後には受け入れてくれた俊樹に感謝を伝える。

 

 三葉にとって父親は、一種のトラウマでもあった。

 母である二葉が死んでから、人が変わったように政治の世界へとのめり込み、自分たち家族を顧みなくなった父親。自分のことなどどうでもよくなったのだと、ずっと捨てられたのだと三葉は心の奥底で傷付いていた。

 そんな三葉にとって、父親と向き合って彼を説得するのには相当な覚悟が必要であっただろう。

 

「三葉……私は……」

 

 一方で、娘の覚悟に応える形で住民を避難させていた俊樹も気まずげであった。ずっと家庭を蔑ろにしていたという負い目、娘の——妻の残した言葉を妄言と切り捨ててしまっていたこと。

 最後の最後になって聞き入れることこそ出来たものの、今更どんな顔をして三葉と向き合えばいいのか。

 なんとも言えない空気が宮水親子の間に漂っていたが——。

 

 

『——オオォオオオ!! ウォオオオオオオオオオオオオオ!!』

「——!!?」

 

 

 刹那、凄まじいまでの怒号が群衆の中を駆け抜ける。

 その雄叫びは混乱の渦中にあった全ての人々を恐怖で震え上がらせ、強制的に黙らせてしまう。誰もが何事かと目を剥く中——『それ』は大地から染み出すようにしてその姿を現す。

 

「な、なんじゃあああ!?」

「ば、化け物……!?」

 

 巨大な黒い——龍の化け物。

 ほとんどの人々が、理解不能な存在を前に恐れ慄く中——三葉の口からは自然と、どこかで聞いた覚えのある名前が呟かれる

 

「…………アメノ……カガセオ……」

「なにっ!? アメノカガセオ……天香香背男だと!?」

 

 これに俊樹が反応を示せたのは、彼が元々は民俗学の研究者だったからだろう。

 まだ独り身だった頃、俊樹は学者としての調査でこの糸守町を訪れた。そこで二葉と運命的な出会いをし、彼女と結婚したわけだが——結婚前、研究者として宮水神社に足を運んだ際、彼は二葉からその悪神の名を聞かされたことがあったのだ。

 

 宮水神社が祀っている御祭神が——倭文神建葉槌命であり。

 その倭文神によって退治されたとされる悪神、『竜』こそが——天香香背男であることを。

 

 無論、あくまで学者としてそれらの伝説になにかしらの意味を持たせようとしていた。

 神やら竜など、所詮は何かの比喩表現に過ぎない。そういった伝承が伝わる理由、それを解読して歴史を紐解いていくことこそが彼の研究テーマであったからだ。

 

「まさか……本当に……」

 

 だがそうではなかった。比喩でもなんでもない、アメノカガセオは——『竜』は実在していたのだ。

 学者としての価値観、人生観をひっくり返された気分だが、目の前にそれが存在する以上は認めざるを得ない。

 

『——何故だ……何故だ!?』

 

 一方で、人間たちを驚愕させる登場を果たしたアメノカガセオ自身も、理解できないと困惑気味である。

 

『逃れる術などなかった筈だ!? 今度こそ、貴様ら倭文神の末裔どもをこの地上から根絶やしに出来た筈なのに……何故このような結末になるのだぁああああ!?』

 

 そう、本来の歴史であれば——宮水三葉を始め、多くの人々が死んでいた筈だ。アメノカガセオも今度こそ己の企みが成功したと、ほとんど確信に近い実感を抱いていた。

 事実、何故かアメノカガセオの封印が解けてしまっている。そもそも、宮水の血筋が途絶えなければこの怪物が表に出てくることなどなかった筈だが。

 

 

 この矛盾、一体どういうことか?

 

 

 これは——『時間の流れ』を書き換えてしまったことにより発生したイレギュラーだった。

 一度紡がれた時間というものは、書き換えられることを極端に嫌う。本来の歴史通りであれば三葉を含めた宮水の直系が途絶え、アメノカガセオの封印が解かれて然るべきであった。

 しかし未来は変わった。宮水家は存続し、アメノカガセオの封印も維持される筈だ。

 

 だがその事実を、『宮水家の存続』という事実を、時間を書き換えられた世界そのものが未だに認識出来ないでいたのだ。

 あるいは、書き換えられんとする時間そのものが、アメノカガセオの封印が解かれていると世界に錯覚させてしまっていたのか。

 

 いずれにせよ——ほんの一瞬の間ではあるものの、アメノカガセオの封印は停止し、奴は自由な行動が取れていた。

 

『かくなる上は……直接貴様らをっ!! この手で縊り殺してくれるわっ!!』

 

 この好機を逃すまいと、アメノカガセオは本来ならばあり得ない手段——直接的な方法で宮水の人間たちを手にかけようとする。

 アメノカガセオが直接動けるのであれば、人間の一人や二人殺すなど造作もない。

 

「あ……ああ……」

「お、お姉ちゃん!?」

「三葉!? 四葉!?」

 

 流石に三葉もこのような事態は想定していなかった。

 強大な怪物を相手に抵抗する手段などある筈もなく、妹の四葉や祖母である一葉共々。アメノカガセオの手によって座して死を待つしかないのかと、その表情が絶望に染まっていく。

 

 

「——やめろ!!」

 

 

 しかし、ここで彼が——宮水俊樹は声を上げる。

 誰もがアメノカガセオの恐ろしさから足がすくんで動けない中、彼だけは家族を守ろうと奮起する。

 

「この子たちに手を出すな!!」

 

 娘たちを庇うために大きく両手を広げ、化け物相手に躊躇うことなく立ち向かったのである。

 

『どけ、凡夫め!! 貴様なんぞに用はないわ!!』

 

 その足掻きを、アメノカガセオは歯牙にもかけない。

 婿養子である俊樹は倭文神の末裔でもなんでもない。そんな輩など相手にするだけ時間の無駄であると、咆哮一つで蹴散らそうとする。

 

「…………」

 

 しかし俊樹はビクともしなかった。怯えた表情を一切見せることなく、毅然とした態度で怪物を睨み返す。

 

「お、お父さん……!」

 

 俊樹のその姿勢に三葉の瞳が揺れる。

 

 ずっと父親に捨てられたと思っていた。彼が愛したのは妻である二葉だけだったと、その子供である自分たちなどどうでもよかったのではと、心のどこかでずっと思っていた。

 でも違うのだ。俊樹は決して三葉たちを捨てたわけではない。そうでなければ、どうしても自分の命を賭してまで子供たちを守ろうと、あんな化け物相手に立ち向かって行けるだろうか。

 言葉にはしない不器用な父親の愛情、三葉それを彼の背中から確かに感じ取っていた。

 

 しかしそんな宮水親子の絆など、神たるアメノカガセオには預かり知らぬこと。

 

『貴様……よかろう!! そんなに死にたいのなら、諸共に滅びるが………!?』

 

 一歩も引かない俊樹の態度を小癪と思いつつ、その程度では自分の障害にはならないと開き直る。俊樹ごと宮水家の女性たちを葬ろうと、アメノカガセオは力尽くで自身の目的を達成しようとしていた。

 

 だが、その暴虐を実行に移そうとした瞬間——青白い光がアメノカガセオの正面、至近距離で輝き始める。

 その輝きにハッと顔を上げると——そこには『浮遊する白い布に乗った少年』が指先を構えていた。

 

「————」

 

 ゲゲゲの鬼太郎だ。

 今ここにいる彼は、竜の正体がアメノカガセオだということを知りはしない。しかし殺意を剥き出しにする怪物の魔の手から、宮水親子を救うべく。

 

 宮水二葉との約束を——彼女の家族を守るという約束を果たすためにも、必殺の一撃を放とうとしていた。

 

 

 

2016年

 

 

 

 一方で、三年後の未来でも異変は起きていた。

 

『——な、なにぃい!? な、なんだ、これはっ!?』

 

 山の頂上でゲゲゲの鬼太郎と交戦を続けていたアメノカガセオの動きが止まっていく。まるで鎖にでも縛られていくかのように、その動きが徐々に鈍り始めていたのだ。

 

「父さん、これは!?」

「うむ……どうやら、やり遂げたようじゃな!!」

 

 鬼太郎と目玉おやじは、その事象が彼女——宮水三葉が無事に彗星から人々を守った結果であると、正しくその事実を認識できていた。人と妖怪の違いが出たのか、現時点で鬼太郎たちに瀧や三葉のような記憶の喪失は確認されない。

 そして、宮水家の人々が生き延びたのなら、アメノカガセオの封印は解かれはしないと。その因果が、悪神を再びこの地に封じ込めようとする。

 

『おのれぇえええ!! 認めぬ!! このような結末など……認められる筈がない!!』

 

 だが、やはり書き換えられることを嫌う時間が最後まで抵抗をやめない。アメノカガセオもそのまま屈服することをよしとせず、最後の最後まで悪あがきを続ける。

 

『——貴様さえ……貴様さえ、余計なことをしなければあああああああ!!』

 

 今にも封じられんとする間際、アメノカガセオが狙いを定めた標的は——立花瀧であった。

 

 詳しい経緯はどうであれ、彼の存在こそが未来が書き換わった最大の元凶だ。数千年越しの悲願を、たった一人の人間が台無しにしたのだから、アメノカガセオの怒りは途方もない。

 たとえ最後に封じられようと彼だけは許さんとばかりに、その巨体が瀧の息の根を止めんと迫る。

 

「…………」

 

 三葉の名前すら思い出せない今の瀧では、怪物相手に碌な抵抗も出来ず呆然と立ち尽くすしかないでいる。

 

「——アメノカガゼオ!!」

 

 だがその暴挙を食い止めようと、鬼太郎はアメノカガセオの真正面に回り込みながら——指先に妖気を一点集中。

 ここまで来て犠牲者を出す訳にはいかない。必殺の一撃で全ての幕を下ろそうと決意する

 

 

 そして——。

 

 

「——指鉄砲!!」

『——指鉄砲!!』

 

 

 二つの時間軸において、同時に鬼太郎の指鉄砲が炸裂する。

 彗星のように輝く指鉄砲の軌跡が、他者の命を奪ってまで目的を達しようとした悪神の脳天を撃ち抜く。

 

 

『『——おのれ!! おのれぇええええええええええええええ!!』』

 

 

 その最後のときまでアメノカガセオは人間への、天上の神々への憎しみに満ちていた。だが、かの者が『復讐』という神代から続く目的を果たすことはなく。

 

 

 再度封印されることすらもなく、まつろわぬ神は——『竜』はその肉体を消滅させた。

 

 

 

2013年

 

 

 

「お、お前……ゲゲゲの鬼太郎……」

 

 鬼太郎が指鉄砲でアメノカガセオを討ち倒すその光景を、宮水俊樹は呆気に取られたまま見ていた。

 他の人間たちは鬼太郎が何者なのかも分からず、声すら出てこない。校庭に避難してきた数百人という町民の中で、今も鬼太郎という妖怪の名前を知っている、覚えているのは彼だけである。

 

「俊樹さん……二葉さんとの約束は果たしました」

「!!」

 

 そんな俊樹に、鬼太郎は視線も向けないまま声を掛ける。

 怪物から彼らを守ったのも、鬼太郎がこの日糸守町を訪れていたのも、全ては宮水二葉から依頼を受けていたからに他ならない。

 彼女との約束を守るためにも、鬼太郎も今回は助け舟を出した。

 

「ここから先は……あなた方の問題です」

 

 しかし依頼を終えた今、鬼太郎としてはこれ以上、糸守町の人々に関与するつもりはなかった。

 

 ここから先、彼らは自分たちの力だけでここからの危機を乗り越えていかなければならない。命が助かったとはいえ、彗星によって故郷を破壊され、帰る家を失った糸守の人々。

 ここから以前のような生活に戻るのは難しい。復興への道筋、その苦労は簡単に言葉に出来るようなものではなく、決して一筋縄ではいかないだろう。

 

 

 

 実際、その後が大変だった。住民のほとんどが奇跡的に助かったとはいえ、糸守町自体は完膚なきまでに破壊されてしまっている。

 町長として、俊樹も色々と手を尽くしたものの力及ばず。

 災害から一年と数ヶ月後に、行政区としての糸守町は本来の歴史通りに消滅してしまう。

 

 

 けど、人々は生きている。

 

 

 たとえ故郷を失おうとも、それでも彼らは前に進むことを諦めはしない。

 

 

 生き残った人々は各地へと移住し、それぞれの人生を歩んでいくこととなるのだ。

 

 

 

 そうして、月日は流れていく。

 

 

 

2020年 

 

 

 

「はぁ~……しんど……」

 

 東京都。

 大学三年生となっていた立花瀧は忙しい日々を送り、疲れたようにため息を吐く。

 

 現在、瀧は就活に向けて色々と前準備に入っていた。まだ三年生の彼がこんな時期に就職活動のことを考えるなど早いように思えるかもしれないが、昨今は企業の選考も早期化している。

 

「妖怪なんて連中が暴れなければ、もう少しゆっくり出来たのかな……」

 

 加えて、今年は例の戦争——妖怪たちとのいざこざもあってか、社会全体が混乱していた。新卒の採用を取りやめたり、会社そのものが潰れる企業なども出始めている中、三年生だからといって悠長に構えている余裕はない。

 何事も早めに出来るならそれに越したことはないと、瀧の友人たちも着々と準備を進めている。

 

「何なんだろうな……ほんとに……」

 

 しかし瀧は心ここにあらずと、いまいち就活に身が入っていなかった。

 それは今に始まったことではない。この数年間、彼はずっと『何か』を『誰か』探している。けどその誰かが、どこの何者なのか思い出せないという自分でもよく分からない感覚にずっと悩まされてきた。

 まるで心の一部が欠けてしまっているかのように、彼は今日もとりあえずで生きていた。

 

「…………ヤベ! そろそろ時間だ!!」

 

 そういった感覚のせいかときよりボーッとすることがあり、気が付けば時間に追われていることが多かったりする。このときも、参加を予定していたセミナーに遅れてしまうと慌てて近道を行こうと。瀧は人気のない道を小走りで駆けていく。

 

 すると、その道の向かい側から——カランコロンと、下駄の音を鳴らしながら歩いている少年とすれ違う。

 

「……!! キミ、ちょっと待って……!!」

 

 一瞬遅れで、瀧はその少年を呼び止めた。

 

「キミ……ゲゲゲの鬼太郎だろ!? 前にも会ったことがある……よな?」

 

 その相手は——ゲゲゲの鬼太郎。戦争時の活躍などもあってか、一般的にも知名度の高い妖怪の少年だ。

 だが瀧は、彼が世間に広く認知される以前から面識があった。

 

 あれは——そう、四年ほど前のことだったか。

 あの頃、瀧は何故だか『糸守町』という、今はもう存在しない町に心惹かれていた。彗星衝突という自然災害によって壊滅し、しかしながら死者はほとんど出なかったという、奇跡のような一夜を乗り越えた町だ。

 

 自分でも自覚がないほどに夢中になり過ぎていたのか、わざわざ現地まで足を運んだものだ。だがその際、瀧は糸守町近くの山の頂上で『得体の知れない怪物』に襲われたことがあった。

 いったいその怪物が何だったのか、今ではその輪郭すら曖昧である。しかしその怪物から自分を守ってくれた少年が、確かゲゲゲの鬼太郎だったということは覚えている。

 

「……ああ、どうも。お久しぶりです」

 

 鬼太郎の方も瀧のことを覚えていたのか、呼び掛けに対して軽い会釈で応えてくれる。

 

「キミが俺の探していた相手、いや……」

 

 対面する鬼太郎に向かって、多分違うだろうなと思いながらも、瀧は問い掛けていた。鬼太郎は瀧が探し求めている相手ではない。何故だかそれは確信を持って言えることである。

 

「いえ……違いますよ」

 

 案の定、鬼太郎からはキッパリとした否定の言葉が返ってきた。予想していた解答なだけあって、そこに落胆はない。だが——。

 

「その様子だと……まだ彼女には会えていないようですね」

「——彼女!?」

 

 付け加えるように口に出されたその言葉に、瀧の意識が覚醒するように浮上する。

『彼女』——そうだ、彼女こそが瀧の探し求めている相手だ。今も名前が出てこないが、目の前の少年はその相手のことを知っている様子。

 

「な、何か知ってるのか!? 彼女って……いったい、誰のことなんだ!?」

 

 ずっと探し求めていたものへの手掛かりを前に、瀧は鬼太郎に詰めかける勢いで『彼女』について尋ねていく。

 

「……そんなに焦る必要は、ないと思いますよ?」

「え……?」

 

 だが興奮気味な瀧とは対象的に、鬼太郎は何かを悟ったように穏やかな口調で告げる。

 

「キミと彼女の行く先は同じです……そう遠くないうちに、きっと巡り会えますよ」

「…………」

「それじゃあ……」

 

 それだけを言うや、鬼太郎はその場からクールに去ってしまう。

 立ち去る鬼太郎の背中に向かって思わず手を伸ばしかける瀧だったが、呼び止めるようなことはしなかった。

 

「行く先は……同じ……遠くないうちに……」

 

 別になんでもない言葉だった筈だ。

 だがその言葉だけで、何故か少し霧が晴れたような気分になった。

 

「……就活、頑張るかな……」

 

 いずれ巡り会える。

 そのときに、彼女に逢っても恥ずかしくないような自分になっておかなければと。

 

 そう思うだけでも、瀧は今日という日を懸命に生きていけるような気がし、再び歩き出していく。

 




ちょっと話の補足
 今回は原作、二人が再会するシーンをあえて描写しませんでした。
 彼らが再会するのは、公式では2022年の4月とのこと。
 一方で鬼太郎6期の時間軸は2020年であるため、まだ再会出来ていない途中の段階としています。
 ですが大丈夫。こちらの世界観でも二人は、雨上がりの晴れ渡る青空の下で再会することになるのだから……。
 

次回予告

「父さん……人は何故、いつの時代も不老不死などという夢を追い求めるのでしょう?
 ボクたち妖怪でさえも、いずれは終わりが来るというのに。
 永遠に生き続ける果てに……いったい何が待つというのでしょうか?

 次回——ゲゲゲの鬼太郎 『人魚の森』 見えない世界の扉が開く」

次回はだいぶダークな話になる予定。
タイトル通り人魚が関わりますが、夢オチなんて結末にはならないのでご安心を……。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

人魚の森 其の①

前回の感想欄に『クロスさせる作品の基準を教えて欲しい』との意見がありましたので、そのことに関してちょっと呟きます。
返信欄でも答えましたが、基本的に基準などは設けておらず、ある程度のスケジュールは考えていますが、作者の行き当たりばったりで新しい話を突如として書くこともあります。

今までやった中だと、読み切りで読んだ『炎眼のサイクロプス』とか。『ハベトロットの花嫁衣装』なんかも、fgoの二部六章をやった後、ハベにゃんが主役の話を書きたいなとクロスを考えました。
それから毎年、何本かはクロスしたいなという作品との出会いがあります。去年で言えば『ぼっち・ざ・ろっく!』がその筆頭かな?
今年もまだ始まったばかり、またいろいろな作品との出会いを求めていますので、活動報告の作品募集欄をご活用下さい!


そして、今回のクロス話は『人魚の森』。
これは『うる星やつら』や『犬夜叉』で有名な高橋留美子先生原作の、読み切り作品のシリーズものです。
アニメ化もされている作品で、今回の話はそちらのイメージを参考にしながら書いています。

ぶっちゃけ、暗いです。
犬夜叉でも偶に垣間見える、おどろおどろしい作風が前面に出ている作品です。
さらに今回のクロス話では『不老不死』に加え『宗教』の問題を前面に押し出していきます。
ちょっとやばめな話で作者自身も書いてて『引く』場面がありました。

とりあえず読む上での注意として、本作はあくまでフィクションであることをしっかりと明記しておきます。
実在の人物や団体などは関係ありませんので、そのことを十分にご留意した上でどうか読み進めていって下さい。




 

「…………く……っ! あ、頭が……」

 

 暗闇の中で男は目を覚ます。

 頭からは割れるような激痛。どうやら背後から後頭部を、何か鉄の棒のようなもので殴打されたらしい。完全な不意打だった。いきなりのことで碌な抵抗も出来ずに気を失わされてしまった。

 

 しかし男にとって『誰に?』『何故?』殴られたかは差したる問題ではない。

 自分が目を覚ました『ここがどこで?』『どうやったら脱出できるか?』。今の彼にとってはそれこそが重要だった。

 

「は、早く……報告しなければ……ここで行われていることを!!」

 

 男には役目があった。自分が目にしてしまった『あの光景』を、伝えるべきところへ伝えなければならないのだ。

 ここで行われていることを——あの『悍ましい行い』をやめさせなければならないという使命感が男を突き動かす。

 

 そのためにも、ここから生きて脱出しなければと。男はそこから外に通じる道がないか周囲を見渡す。

 しかし、彼が目を覚ましたのは太陽の光すらまともに届かない暗い、暗い洞窟らしき場所。耳に届く波の音や、鼻につくような潮の匂いから、どこかで海と繋がっていることは察せられたが。

 

「…………」

 

 海が近いのであれば、最悪でも海中から外へ出られるだろうと男は考える。潜水などすれば傷口が海水で染みるだろうが、そんなことを言っていられる状況ではない。

 一刻でも、一秒でも早くここから抜け出さなくてはならないと、男はすぐにでも行動を起こそうとした。だが——。

 

『————』

 

 ヒタヒタと、水底から這い上がってきた『何か』が、陸地へと上がってくる。

 

「ひぃっ!? あ、あれは!?」

 

 水面から『それ』が姿を現した瞬間、男は震え上がる。

 

 男はそれが『何であるか』を知っていた。正確には『それが何であったか』と言うべきだろう。

 どうして『そうなってしまったのか?』までは男にも預かりしらぬことだが、『それ』がまともな知能を有していないことくらいは直感で理解できる。

 

『——オォオオ、オォオオオオオオオ』

 

 それの口から、この世のものとは思えぬ絶叫が迸る。

 その叫び声はまるでこの世の全てを憎むような——それでいて、どこか助けを請うような悲鳴にも聞こえてくる。

 

「や、やめろ……く、くるな!! くるなぁああああ!?」

 

 男は戦慄し、恐怖した。

 

 ただ単純に死ぬのが怖いのではない。

 

 あんなものが存在していること自体が耐えられない。

 

 あれが——元々は自分と『同じもの』だったという事実に身の毛がよだってしまうのだ。

 

『オォオオ、グォオオオォオオオ!!』

「ひっ、あ……」

 

 しかし、男がそれ以上恐怖する必要はなかった。それの鋭利な牙が男の頸動脈を噛み切り、彼は呆気なく絶命したからだ。

 ほとんど即死だった。恐怖を感じる暇がなかったというのが唯一の救いだったかもしれない。

 

 

『——グォオオオ』

『——オォオオオ』

『——アォォアア』

 

 

 物言わぬ骸となった男に『それら』が一斉に群がっていく。

 空腹を満たすために食い散らかされた男の遺体は、数分後には骨も残らずに跡形もなく消えていく。

 

 

 誰にも気付かれることなく、一人の男の人生がそこで終わりを告げたのだった。

 

 

 

×

 

 

 

「キミが手紙をくれた……優斗くん?」

「は、はい。そうですけど……あなたが、ゲゲゲの鬼太郎さんですか?」

 

 その日、ゲゲゲの鬼太郎はとある施設を訪れていた。

 そこは未成年の少年少女が一時的に保護されている一種の避難所であった。小さな部屋の一室で、依頼主である少年・優斗(ゆうと)が鬼太郎を待っていた。

 今年で十三になるという彼だが、家庭の事情で中学には通わせてもらっていないという。

 年相応の幼さが目立つ顔立ち。同年代の男子と比べると今一つ覇気を感じられないが、その分物腰は柔らかで、言葉遣いなども丁寧であった。

 

「ふむ……それで優斗くん? わしらにいったいどのような要件かのう?」

「!! そ、それは……ええっと……!」

 

 しかし、目玉おやじが鬼太郎の頭からひょっこり顔を出すや、柔らかだったその表情に動揺が浮かび上がる。妖怪の出没がそこまで珍しくない昨今だが、彼自身はそういったものに不慣れなのか。

 明らかに人間ではない目玉おやじを相手に、怯えた様子で萎縮してしまう。

 

「……大丈夫よ。何も怖いことなんかないんだから……ゆっくり、落ち着いて話してちょうだい」

 

 怯える優斗に対し、鬼太郎と共に来ていた猫娘が優しい言葉遣いで声を掛けていく。

 彼女がそこまで優しげなのは、優斗の境遇をそれとなく察したからだろう。このような施設で子供一人、親元から離れなければならない理由。

 まだはっきりと言葉にされたわけではないが、明らかに訳ありというのが誰の目からも明らかである。

 

「は……はい、ありがとうございます……すぅ~、はぁ~……」

 

 少年も、自身の境遇が人に気を遣わせるものだという自覚があるのか。猫娘に落ち着くように言われ、そこで一旦深呼吸。

 そうすることで徐々に落ち着きを取り戻していき——やがて、ぽつりとぽつりと自分の身の上を語っていく。

 

 

 

「——ボクは、つい最近まで島でお母さんと一緒に暮らしてました。そこは選ばれた人だけが住むことを許された『教団』の聖地だって言われてて……」

「教団」

「…………」

 

 開口一番、少年の口から発せられた『教団』なる言葉に鬼太郎や猫娘が眉を顰める。

 

 教団——『宗教団体』というやつだろう。

 宗教を信仰すること、それ自体は特段問題のある行為ではない。人間は普段の生活においても、意識することなくそういったものに触れている。

 仏壇や神棚に何気なく手を合わせる行為。冠婚葬祭などの行事も、大抵は何らかの信仰指針に沿って行われているものだ。クリスマスやお正月といった大々的なイベントも、宗教との密接な関わり合いを否定することは出来ない。

 

 

 生きていく以上、人は何かしらの『教え』を基準としていかなければならないのかもしれない。

 

 

 しかし『教団』という響きに、どことなく不穏なイメージを抱いてしまうのも確かだ。それはそういったものを利用し、自らの私利私欲を満たそうとする輩が、いつの時代も一定数存在しているからに他ならない。

 一般的に、そういったものたちは『カルト教団』と呼ばれている。

 自らの教えを守るためであれば、手段を選ばないものたち。彼らは過去にも、この日本で破滅的な事件をいくつも引き起こしている。

 

 地下鉄という、閉鎖空間に化学物質を散布した無差別テロ。

 毒ガスを住宅地に撒き散らし、無関係な人々を恐怖のどん底へと叩き落とした。

 自分たちを非難したとし、敵対する弁護士一家を身勝手にも殺害するなどの残虐な犯行。

 

 近年の日本では取り締まりや監視の目が厳しくなったこともあり、そこまで直接的な手段を取るようなことも少なくはなった。

 しかし、霊感商法といった方法で多額の寄付金を巻き上げるなど。時代ごとに名前や手段を変えることでカルト教団は巧妙に社会へと溶け込み、今尚人々から多くのものを奪っている。

 

「ボクのお母さんが熱心な信者でして……ボクも、ずっとその教えを守ることを言いつけられてきました……」

 

 優斗も、そういったカルト教団によって自由を奪われた——所謂『二世信者』だった。

 小学生の頃から、教団の教えに沿った生活を強いられてきた。そのせいで学校の友達から奇異な視線に晒されるなど、辛い目にも遭ってきたという。

 さらには教団の方針で中学校には入れてもらえず。数年前には母と一緒に例の島へと移り住み、そこで下働きのようなことをやらされていたという。

 

「ボクは……そこでの生活に不満を感じたことはありませんでした。島にはボクみたいな子たちが他にもいて……色々と仲良くしてくれてましたから……」

 

 ただ嫌なことばかりではなかった。

 世間から隔絶された島での生活は思いの外穏やかで。自分と似たような境遇の子たちもそれなりにおり、その子たちと一緒に過ごす時間こそが優斗にとっての青春だった。

 

「…………」

 

 果たしてその平穏が真実のものなのか、あるいは俗に言われている『洗脳教育』『マインドコントロール』などの影響なのか。

 少なくともこの時点では鬼太郎たちにも判断は付かないため、そこに関しては何も触れないでおく。

 

「けど……」

 

 問題なのは、そんな生活に疑問を抱いていなかった優斗ですらも。

 

「まさか……!! まさか教団が、あんなことをしていたなんて!!」

 

 教団の『その行い』に、明確な嫌悪感——恐怖を抱いたということだ。

 そのときのことを思い出しているのか、彼の顔色は真っ青に染め上がっている。全身から汗が吹き出し、ガチガチと歯を鳴らしながら全身を震わせ、瞳からはとめどなく涙が溢れ出してくる。

 よっぽど恐ろしいものを目撃したのだろう、かなりトラウマになっている様子だった。

 

「落ち着いて! 大丈夫……大丈夫だから……」

 

 とても見ていられるものではなかった。あまりにも痛ましい少年の姿に猫娘は彼へと寄り添い、その肩をそっと抱きしめてやる。

 

「あっ……」

 

 猫娘の温もりに触れたことで少年の震えは止まった。しかし、心に負ってしまった傷までは消し去ることはできない。

 少年はより一層、悲しみに包まれながら——。

 

 

「——どうして、どうしてあんなことに………唯ちゃん」

 

 

 既に『いなくなってしまった』少女の名を、縋るように呟くしかなかった。

 

 

 

×

 

 

 

「ここが……例の島ですね、父さん」

「うむ、優斗くんの話によると、この島のどこかに教団の本部があるということじゃが……」

 

 優斗から話の詳細を聞き届けた鬼太郎たちは、定期船でその島へと降り立っていた。そこは一見すると何の変哲もない、どこにでもあるような——漁師たちの島であった。

 漁業によって生活を成り立たせているものが大半なのだろう。港には漁船がずらりと並び、魚市場からは活気のある声が響いてくる。

 町の規模こそ小さいものであるが、そこに人の営みというものを確かに感じられた。

 

「とても……カルト教団なんかが拠点にしてる町には見えないわね……」

 

 優斗の怯えようを目の当たりにした猫娘だが、この島が彼が目にしたという『恐ろしい行い』の舞台になった場所だというイメージが浮かばない。

 この辺りの海域にはいくつもの小さな島が点在している。もしかしたら上陸する島を間違えたのかもと、改めて位置情報を確認しようと猫娘は携帯から地図アプリを開こうとする。

 

 

「——てめぇら、そんなとこで何してんだ?」

 

 

 そのときだ。鬼太郎たちに向かって、一人の男性が声を掛けてきた。

 

「見ない顔だな……あんたら、もしかしてあのうさんくせぇ宗教団体の関係者じゃねぇだろうな?」

 

 なかなか精悍な顔立ちをした、漁師らしき青年。鬼太郎たちが例の教団の関係者ではないかと、露骨に警戒心を滲ませながら問い掛けてくる。

 返答次第ではただじゃおかないと言わんばかり、かなり物騒な雰囲気だ。

 

「……違いますが、その教団に用があって来ました。彼らの拠点がこの島にあると聞きましたが……何かご存知ですか?」

 

 鬼太郎は青年の剣呑な空気を気に掛けつつ、自分たちの目的を正直に告げた。関係者ではないがその教団に用があると、その本部がどこにあるか彼に尋ねていく。

 

「ああん!? あんなとこに何の用事があるってんだ!? まさかと思うが……入信したいとか言うんじゃねぇだろうな!?」

 

 すると青年はさらに機嫌を悪くする。鬼太郎たちを教団への入信希望者と勘違いしたのか、語気を強めて叫んでいた。

 

「やめとけ、やめとけ! 連中が何をやってるかはしらねぇが、碌なもんじゃねぇよ!!」

 

 宗教に対する偏見からか、青年は露骨に教団を悪く言う。しかし彼の場合、ただの先入観だけでそのような言葉を口にしているわけではない。

 

「ついこの間も、あそこから逃げ出してきたガキがいたんだ……ひどい怯えようだったぜ」

「……!」

「可哀想にな……いったい何をされたんだか。今は本土の施設で保護されてる筈だが……」

 

 青年は実際に、その教団から逃げて来た子を助けたことがあると言うのだ。心底から、その少年を不憫に思うような優しい口調だった。

 どこか覚えのある彼の話に、もしやと思って鬼太郎が問い掛けていた。

 

「もしかして……それは優斗という少年のことではないでしょうか?」

 

 

 

 

 

「ただいま……今帰ったぞ、真魚」

「お帰り、湧太! ……って、その人たちは?」

 

 漁師である青年・湧太(ゆうた)は借家と思しき町外れの小さな一軒家に帰宅。家には一人の女性が彼の帰りを待っていた。

 見目麗しい、真魚(まな)という女性だった。かなり若いその容姿は、少女と言っても差し支えのない年頃。青年との仲は良いように見えるが、夫婦と呼ぶには少しばかり違和感がある。

 どちらかというと、青年が『保護者』で少女は『保護されている未成年』と言った感じか。

 

「……?」

 

 いったい二人がどういう関係なのか。少し引っ掛かりを覚える鬼太郎だが、そこは踏み込むべきではないと、あえて何も聞かないでおく。

 

「ああ、こいつらは……鬼太郎と猫娘だったか? この間保護したあの子……優斗の知り合いだって話だ……」

 

 今はとりあえず彼らに優斗——湧太と真魚の二人が保護したという少年の、その後についての説明に終始する。

 

 

 

 そう、優斗は教団で行われていた『ある行為』を目撃。そのあまりの恐ろしさから逃げ出し——その先で、湧太と真魚の二人によって一時匿われたことがあるというのだ。

 その後、湧太の同僚でもある漁師たちの手を借り、優斗は島から脱出。本土の施設で養生生活を送り——ようやく、人並みの受け答えが出来る程度には回復したという。

 

「そっか……あの子、ちゃんと立ち直れたんだな。私たちが見つけたときはすっごく怯えてて、まともに話も出来なかったから。本当に良かったよ……」

「ああ、そうだな……」

 

 鬼太郎たちから優斗の現状を伝えられ、真魚はホッと胸を撫で下ろし、湧太も同じ気持ちからため息を零す。それだけ、二人が一番最初に少年を保護したときは酷いものだったという。

 

 教団の教えが正しいと、幼い頃から母親からも教え込まれてきた少年。彼はそれを疑うことも知らず、許されずに実直に信じてきた。

 だが、その価値観は——少年が目撃した『それ』によって根本から揺らいでしまった。

 信じてきたものに裏切られる絶望。まだ幼い少年が経験するには、あまりにも過酷な出来事だっただろう。

 

 周囲の人たちの助けを借りたとはいえ、そこから立ち直れた優斗は立派だ。

 今の彼であれば、教団の教えなどなくとも真っ当な人生を歩んでいくことができるだろう。

 

 

 

「……すみません。先ほどもお尋ねした、教団についてなんですが……」

 

 だからこそ、ここから先は優斗少年が目撃したという、教団で行われている『悍ましい行為』。それを実際に確認するためにもと、鬼太郎は教団の所在について再度尋ねていく。

 

「ああ……連中の本拠地なら、この島の反対側だ。あいつら……そこを教団の『聖地』だとかぬかしてやがってな」

 

 鬼太郎の問いに顔を顰めつつも、湧太は教団について口を開いてくれた。

 

 湧太の話によれば、島の玄関口とも呼ぶべきこの港は漁師たちの町であり、教団と直接の関わりはないという。教団の本部は、彼らが今いる場所のちょうど反対側——この島の裏側にあるというのだ。

 教団はそこを自分たちの聖地とし、集落を形成しているとのこと。しかしこの島を訪れる人々からは、この島全体が教団の『総本山』とみなされているらしい。

 

「今じゃ、こっちの方にも教団の信者が住み着いててな……全く、迷惑な話だぜ!」

 

 それに感化されてか、元々は無関係だったこちら側の町にも信者が増えたりと影響を受けているそうだ。

 そのせいで肩身の狭い思いをしているという、町の漁師たち。湧太が教団を良く思わないのにはそういった事情もあった。

 

 

 

「なるほど……話してくれて、どうもありがとうございました」

 

 そうして教団の所在地や、島の住人としての意見を聞き届けた鬼太郎は礼を言いながら立ち上がる。

 

「正直、どこまで出来るか分かりませんが、ボクたちの方で彼らに話を付けてきます……行こう、猫娘」

「ええ……」

 

 元より、鬼太郎と猫娘は教団に直接乗り込むつもりでこの島へとやって来た。

 ただ、いかに相手がカルト教団といえども、あくまでそれは人間社会の中でどうにかしていかなければならない問題の筈だ。そこに妖怪である自分たちが首を突っ込むなど、本来であれば鬼太郎の心情にも反したことだっただろう。

 

 しかし、もしも——優斗少年が目撃したという『あの行い』を教団が平然と行なっているのであれば、それは人間だけの問題には留まらない。

 優斗の話が真実であるかを確かめるためにも、鬼太郎たちは教団に足を運ばなければならなかったのだ。

 

「……なぁ、湧太」

「ん? どうした、真魚?」

 

 ふいに、これから教団に赴こうとする鬼太郎たちを見つめながら、真魚という少女が不思議そうに首を傾げていた。

 

「教団って……具体的には何をやってるところなんだ?」

 

 真魚は、そもそも『教団』が何をするところで、どういった人たちが集まるところなのか、純粋に疑問を投げ掛けてきた。

 そこにカルト教団と呼ばれる組織への偏見や不信感はない。何も知らないからこそ単純に知りたがろうとする、まさに子供の好奇心そのものだ。

 

「そりゃ……教団って言うくらいだからな。変な教えを信じるよう強要したり。集めた信者から金を搾り取ろうって魂胆だろうよ」

 

 一方で、湧太の見方には僅かに偏見が混じっている。

 現代では、宗教というだけで変な顔をする日本人も多い。教団の名前だけはニュースで聞いたことがあっても、具体的に組織としてどんな活動をしているのか、詳しい内情を知らないものも多いだろう。

 ただ不気味、怖そうという理由から情報を遮断し、自分には無関係だとそれに関連するものを全て遠ざけようとする。

 

 それは——果たして対処法としては正しいものなのだろうか?

 

「——それについては、わしから説明しようか」

「父さん?」

 

 すると真魚の疑問に答えようと、ここまで鬼太郎の髪の毛の中に隠れていた目玉おやじが姿を現した。

 

「うおっ!? こいつは驚いたな……」

「へぇ……小さい人だな?」

 

 当然ながら、人間ではない存在に驚きを見せる湧太と真魚だが、そのリアクションは一般的なものとは少し差異があった。

 もしかしたら、それが離島暮らしの人間の感性なのかと。そのときの鬼太郎たちは、そこまで二人の反応がおかしいものだとは思わなかったが。

 

「せっかくじゃ、お前さんたちにも話しておいた方がいいじゃろう……」

 

 目玉おやじは湧太と真魚に教団について、優斗から話を聞いた範囲で語ることにした。この島で、あの教団の側でこれからも暮らし続けるのであれば知っておいた方がいいだろう。

 

 彼らがどのような組織で、どのような教えを広めているのか。

 

 

 その『教義』の裏側で、いったいどのような行いに手を染めているのかということを——。

 

 

 

×

 

 

 

 教団と一口に言っても、当然ながらその全てが同じ組織というわけではない。人間の社会には多くの宗教が存在し、それぞれが独自の思想体系を持ち、様々な教えを広めている。

 その中でも、優斗が所属させられていた教団は——『人間の不老不死』を教義として謳っているというのだ。

 

『人は神へ祈り、神の教えを守り、神に仕えることで認められ、やがては不老の命が与えられる』

 

『そうして永遠の命を得られた人間こそが、きたるべき終末の日に生き残り、そこから新しい世界を創り直すことができる』

 

 それが教団の思想、主だった教義の内容だ。

 これまた一段と——うさんくさい教えである。

 

「————」

「————」

 

 教団のその教えとやらを初めて知ったのか、湧太と真魚が呆気に取られたように押し黙ってしまった。そんな二人の心情を察しつつも、目玉おやじは話を続けていく。

 

 

 教団ではその不老不死を得るためと称し、年に一度、とある儀式がこの島——彼らが聖地とする場所で行われているというのだ。

 その儀式は、たとえ教団の御膝元で暮らすことを許された者たちですらも見ることが出来ない、秘匿されたままで行われる。

 

 本当に選ばれた、選出された少人数だけに施されるという謎多き儀式。

 その儀式こそが、優斗が人知れず目撃してしまったという。

 

 

 悪夢のような光景だった。

 

 

 

 

 

「——唯ちゃん、大丈夫かな? 本当に……不老不死なんかになれるのかな……?」

 

 その日、優斗は儀式が行われることになっていた『教祖様』の屋敷に忍び込んでいた。

 そこは古い武家屋敷のような場所。少し広すぎる畳部屋の一室で、少年はどこか落ち着かない様子でソワソワしていた。

 

 本当はいけないことだと、少年にも分かっていた。

 選ばれたものにしか開示を許されないとされる、不老不死の秘技。認められたものしか足を踏み入れることが許されない、教祖様のお屋敷に潜り込むという愚行。

 母親に知られれば、きっと烈火の如きお叱りを受けるだろう。母だけではない、もっと大勢の大人たちからきつい『ペナルティ』を受けることになるかもしれない。

 

 しかし少年がそのような行為に走ったのには、実に少年らしい理由があった。

 

 それは、今年の儀式に選出された三人の人間。三十代、二十代、十代と。それぞれ年代の違う女性たちが儀式を受けることになったわけなのだが。

 その内の一人。少年と同年代の女の子である十代のその子に、優斗は——言うなれば『初恋』なる想いを抱いていたのだ。

 

 名前を『(ゆい)』というその少女は、優斗と同じような境遇、親の都合によってこの島へと移り住むことになった子だった。

 優斗と同じよう、下働きとしてこき使われていた彼女も、決して恵まれた環境にいたとは言えなかっただろう。

 

 けれど、彼女はいつだって明るかった。

 同年代の子たちにいつも笑顔を振りまき、その愛嬌から皆にも好かれていた。

 

 優斗が自分を不幸と思わなかったのも、もしかしたら彼女のおかげかもしれない。控えめな性格だった優斗とも、唯は分け隔てなく仲良くしてくれていた。

 

 

『——いつか大人になったら、もっと多くの人々のために尽くしましょう!!』

 

 

 眩いばかりの笑顔でそう言うのが、彼女の口癖だった。そんな彼女に、少年は——気が付けば『恋』をしていた。

 大人になったら多くの人々のために生きよう。唯と一緒なら、それが出来ると優斗は心の底から信じていたのだ。

 ところが、その恋した相手が今年の儀式の『対象者』に選ばれてしまったのだ。それは信者としては喜ばしいことなのだが、優斗としては残念でならない。

 

 というのも、この儀式によって不老不死となったものたちとは、もう会うことが叶わなくなるという。

 教団の教えによると『儀式を受けたものは、そこから新たな使命を帯びて新天地へと旅立つ』とされており、そこで俗世との関わりが完全に絶たれてしまうとのことだった。

 

 つまり、この儀式に選ばれた人間である唯と——優斗は二度と会えなくなってしまう。

 

 優斗はそれが寂しくて、辛くて、悲しくて。せめて、せめて彼女が新天地とやらに旅立つであろう、その最後の瞬間まで立ち会いたかったのである。

 

 

 それだけの理由で、少年は単身屋敷へと忍び込んでいたのだ。

 

 

「あっ!? まずい、隠れないと……」

 

 そうして、屋敷の中に潜り込んですぐのことだ。人の気配がすると同時に、少年はその部屋の押入れの奥へと身を隠した。

 奇しくも、優斗がいたその部屋こそが儀式が行われる舞台だった。その部屋に唯を含め、選ばれた三人の女性たちがやって来る。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 身を清めた彼女たちは、皆一様に巫女装束の格好でその部屋に入ってくる。儀式に選定されるものたちだけあって、誰もが信心深いものばかりであったが、流石に緊張気味なのか。

 身を固くし、一切の無駄話をせず、彼女たちは指定された場所にて正座で待機していく。

 

 ——唯ちゃん、緊張してるな……大丈夫なのかな?

 

 押入れの隙間から見える好きな子の緊張した様子に、優斗は心配になってくる。いっそ、怒られるのを覚悟で彼女に激励の言葉でも送ろうかと、少年はそこから飛び出すことも考えた。

 

 ——あっ……! 唯ちゃん……ボクのあげたお守りを……。

 

 しかし、そこで優斗は目にする。

 唯が首に掛けていたネックレス——『御守り』をギュッと握りしめる姿を。

 

 それは、儀式が上手くいくようにと優斗が唯に上げたものだった。こんな大事な場面で彼女が心の拠り所としたのが、そんなちっぽけな御守りだった。

 

「…………大丈夫、きっと大丈夫さ」

 

 優斗はその事実が嬉しくて、きっと大丈夫だと自身に言い聞かせるように小さく呟きながら。

 とりあえず、今は静かに見守ることにした。

 

 

 

「——やあ。よく集まってくれたね、選ばれた巫女たちよ」

 

 やがて、女性たちが待機していたその部屋に一人の人物が入ってくる。柔和な笑顔を浮かべた、眼鏡を掛けた男性。

 

 何を隠そう、彼こそが教団の教祖だ。

 教団のものたちが信奉する、生きた伝説——『不老不死を体現した神の代行者』である。

 

「お、お待ちしておりました、教祖様!!」

「ど、どうか!! 私どもに福音をもたらしください!!」

「よ、よろしくお願いします……」

 

 教祖が姿を現すや、平伏するように頭を下げていく女性たち。

 信者にとって教祖から直接儀式の手解きを受けるなど、最大限の名誉だ。冷静でいられるわけもなく、皆が興奮した様子で声を大きくしていく。

 

「そう焦らないで、気を楽にしてください」

 

 そんな昂揚する彼女たちを、教祖は優しい口調で宥めていく。

 

「貴女たちの日々の献身を神は見ておられます。大丈夫……きっと神は貴女たちを祝福してくれるでしょう」

「は、はい!!」

 

 教祖の言葉にますます恍惚な表情になりつつ、女性たちは大人しく姿勢を正していった。

 

 ——すごいな……さすが教祖様だ!!

 

 そんな光景を、優斗は純粋に目を輝かせて見つめていた。そのときの少年にとって教祖は憧れの存在、ヒーローのようなものに近かったかもしれない。

 優斗も女性たちも、誰一人疑うことを知らず。儀式のときはまだかと、皆がそのときがくるのを待ち侘びていた。

 

 

 

「では、そろそろ始めましょう……」

 

 そうして、ついにその時が訪れる。儀式の開始を告げるや、教祖は手を叩いて合図をした。

 

「…………」「…………」「…………」

 

 その合図と同時に——数人の男たちが部屋の中に入ってくる。

 黒いスーツで全身を彩った、強面な男たちだ。室内であるにもかかわらずサングラスで顔を隠したり、ちらほらと外国人の姿も見受けられる。

 

「あの……こちらの方々は?」

「っ……!?」

 

 いきなり現れた見覚えのない男たちに一抹の不安を覚えたのか、女性たちは揃って困惑した表情になっていく。

 

「安心しなさい、彼らも神に仕える身だ。少し儀式の手伝いをして貰うだけだよ」

 

 しかし、教祖は動じない。

 実際、男たちが彼女たちに何かをしてくると言うことはなかった。彼らのうちの何人かはその手にトレイ・お盆を手にしており、彼女たちの眼前に料理を運んできた。

 

 配膳されてきたその料理は——小さな皿に盛られた『刺身』のようであったが。

 

「あの……このお刺身は?」

 

 一見すると何の魚かも分からず、唯が疑問を挟んだ。

 

「なに、儀式前のちょっとした腹ごしらえですよ。どうぞ? まずは一口、召し上がってください」

 

 教祖は唯の質問には答えなかった。穏やかでありながらも有無を言わさぬ口調で、その刺身を口にするように促してくる。

 

「ええっと……」

「それじゃあ……頂きます」

「…………」

 

 教祖の態度に若干の違和感を覚えながらも、彼女たちは大人しく指示に従っていく。

 自らの意思で、その刺身を自分の口の中へと運んでいった。

 

 

 変化は——彼女たちがその魚を口にした、僅か数秒後に起きる。

 

 

「……ぐ!? ぐ……がああああ!?」

 

 一人目、三十代の女性。

 彼女は突如として苦しみに喘ぎ、口から大量の血を吐き出しながら——死んだ。

 

 

「ひぃっ……な、なにが、が? があああああ!?」

 

 二人目、二十代の女性。

 隣の女性が苦しみ悶えながら死ぬ姿に悲鳴を上げたのも束の間。彼女自身も血を吐き、目ん玉が飛び出し、歯茎からは人ならざる牙が露出する。

 人間ではない『何か』に体が組み変わりながら、その変化に身体自体が耐えきれずに——絶命した。

 

 

「あ……あ、ああ……!?」

 

 そして三人目、十代の少女——唯。

 彼女の身体にも異変が起きていた。しかし他の二人と違い、彼女は死ななかった。死なないながらも、その身体が人間ではない別のものへと組み変わっていく。

 皮膚が緑色に変色し、目が真っ赤に充血。手や足もどんどん肥大化、やがては身体全体が膨れ上がっていく。

 

 

「え……? ゆ、ゆい……ちゃん?」

 

 その様を、優斗は押入れの中からずっと見ていた。すると、苦痛に悶えながらも——唯の視線が、優斗の隠れていた押入れの方へと向けられる。

 

 

「——ゆ、優斗くん」

 

 

 唯は、そこに優斗が隠れていると勘付いていたようだ。縋るように少年の名を呟きながら——。

 

 

『——ヴ、ヴォォオオオオオオオオオオ!!』

 

 

 最後には、その肉体が完全な化け物へと変わってしまう

 好きだった子が怪物に変わるその瞬間を——優斗は目撃してしまったのだ。

 

 

 

 

 

「——はぁ~。どうやら、また失敗だったみたいですね」

 

 女性たちの『死』と『変貌』に、教祖は冷めた吐息を零す。

 死んだものたちになどは一瞥も暮れず、その視線が唯一生き残った『少女だったもの』へと注がれていく。

 

『オオオ……オオオオオオオオオオオ!!』

 

 知性を失い、半魚人のような怪物と化した唯。彼女はすぐ側にいた教祖へ、獲物を狙う肉食獣のように襲い掛かろうとする。

 しかしその暴走を予想していたのか。教祖を護衛するように黒服の男たちが立ち塞がり、懐から取り出した得物——『拳銃』を躊躇なく発砲していく。

 

『ギャァアアアアアアアアア!?』

 

 何丁もの拳銃から吐き出される数十発の銃弾を浴びせられ、怪物は全身から血を吹き出しながらその場に倒れ込む。

 

 しかし、まだ生きている。

 

 人間であれば問答無用で即死だったろうが、その程度で怪物は死なない——死ぬことを許されない。残酷なほど、その肉体は生命力に満ち溢れていた。

 

「ご無事ですか、先生?」

「ええ、いつもすみませんね」

「いえいえ、たいしたことではありません」

 

 仮にも人だったものを撃っておいて『たいしたことではない』と宣う、黒服たちの男たち。 

 人間が化け物に変わる光景を『いつものこと』と、教祖は笑顔を崩さない。

 

「う……? あ、あ…………?」

 

 何もかもが異常だった。あまりに理解不能な光景に、傍観者である優斗の口からは悲鳴すら上がらない。眼前で繰り広げられる現実離れした景色を前に、少年はただただ呆気に取られていく。

 すると、そんな少年を置き去りにしながら、男たちの間に慌ただしい空気が漂ってきた。

 

「先生!!」

「おや? どうかされましたか……そちらは、どこのどなた様でしょう?」

 

 黒服の一人が焦った様子で、何かを引きずって部屋の中に上がり込んできた。

 黒服が雑に扱っていたものは——人間であった。

 

「う……」

 

 スーツ姿の成人男性。まだ息はあるが頭からは血を流し、その口から小さな呻き声が漏れ出ている。

 本来であればこの場にいていい筈のない部外者を囲みながら、教祖と黒ずくめの男たちが何事かを話し合っていく。

 

「申し訳ありません。どうやら、ねずみに入り込まれていたようで……」

「それはそれは……いったい、どこから忍び込んできたのやら」

「公安の犬でしょうか? 教団の秘密を探りに?」

「組織と教団が繋がっていることを嗅ぎつけたのかもしれません……如何いたしましょう?」

 

 

「……? ……?」

 

 

 淡々と、淡々と話し続ける男たちの言葉の数々を、優斗はほとんど理解することが出来ずにいる。唯一、分かっていることがあるとすれは——決して、男たちに勘付かれてはいけないということ。

 絶対に見つかってはならないと。僅かの呼吸音すら漏れ出ないよう、優斗は両手で自身の口を押さえ込んでいく。

 

「なりそこない共々『巣穴』にでも放り込んでおいて下さい。そろそろ、あれらに食糧を恵んで上げませんと、空腹に耐えかねて外に飛び出しかねませんからね」

 

 軽い議論の末、教祖は部外者である男の処遇を決定。

 その判断に従う形で黒服たちはスーツ姿の男と——化け物となってしまった唯を乱暴に引きずり、どこぞへと連れていってしまう。

 

「あ……」

 

 唯だったものが連れて行かれる光景を、やはり優斗は見ているしかなく。

 少年は最後まで何も出来ない子どものまま、全ての悪夢が嵐のように過ぎ去っていった。

 

 

 

×

 

 

 

「はぁはぁ!! はぁっ!!」

 

 長い間、押入れの中に隠れ続けた優斗は、屋敷から人の気配がなくなったところで思い切って外へと飛び出す。外では既に日が暮れ、夜が訪れていた。

 

 ——逃げないと……逃げなきゃ!!

 

 優斗は母親が待っている家に帰ることもなく、森の中を裸足で走っていた。

 

 あの儀式が何であったのか? 

 どうしてあのようなことが行われていたのか?

 

 その詳細は、あれらを目撃した優斗にも分からない。しかし、自分が見てはならないものを見てしまったということは理解できた。

 

 きっと自分があれを『見た』という事実を人に知られれば、自分もあの黒服たちに命を狙われるだろう。

 かといって、今日見たものを誰にも言わずにずっと抱え込んで生きていくなど、彼には到底耐えることができない。

 

 ならば、もう逃げるしかないと。

 今はただ逃げるしかないと、少年はひたすら走り続けていく。

 

 

 

「はぁはぁ……あ、明かり……?」

 

 どれくらい走り続けたか。呼吸すらままならないほどの疲労感を感じた頃になって、優斗は人工物の光を目の当たりにする。それこそ、島の反対側の港町。教団の管理が絶対ではない、漁師たちの町がすぐそこに見えたのだ。

 まさに暗闇の中に見えた一筋の光。しかし、優斗はその地に足を踏み入れることを躊躇ってしまう。

 

 ついさきほどまで、教団の教えこそが正しいと思い込んでいた優斗にとって、そこは異教徒の町だ。

 自分たちが信じる神様を否定する——『悪魔たちが蔓延る邪悪な社会』。身近な大人たちからはそのように教え込まれていた。

 

「うっ……うぅう……」

 

 おまけに教祖や黒服たちの残酷な行いを目撃した直後だ。大人への疑念が、そのときの優斗には大きな不安として膨れ上がっていた。

 もしも、もしも助けを求めて声を掛けた相手が『悪い大人』だったらどうしようと。そう考えた途端に足が動かなくなってしまう。

 

 もう誰に助けを、何を信じればいいか分からない。

 思考も心もぐちゃぐちゃで、何が何だか分からずにその場に立っていることすら困難で。

 

 もういっそのこと、ここで死んでしまえば楽になれるのではと、優斗が何もかもを諦めかけ——。

 

「——おい、お前」

「——っ!?」

 

 と、まさに少年が力尽きようとしていたそのときだ。暗闇の中、懐中電灯を片手に一人の女性が声を掛けてきた。

 いきなり呼び止められたことでビクリと震え上がる優斗であったが、振り返った視界の先に立っていた綺麗な女性を前に思わず息を呑んだ。

 

 若く、黒い髪が長くて美しい女性だった。

 自身が苦境のときに現れたからか、それこそ救いの女神のように思えてしまう。

 

「お前……怪我してるじゃないか!? ちょっと待ってろ、今手当してやるからな!」

 

 実際、彼女は少年にとって救いとなった。

 夢中で夜道を走っていたため、身体のあちこちが傷だらけになっていた優斗。そんな彼の身体を真っ先に心配し、彼女はハンカチを傷口に巻いたりなど傷の手当てをしてくれた。

 

「…………」

 

 その女性の温もりが、傷だらけだった少年の身体のみならず、心をも癒していく。

 

「真魚? おいおい……どうしたよ、坊主? 大丈夫か?」

「……っ!!」

 

 さらに、そこに女性の連れと思しき青年までも駆け寄ってくる。

 大人の男性。教祖や黒服のこともあって思わず身構えてしまう優斗だったが、彼の方もすぐに少年の身を気遣い、女性と一緒になって応急手当を施してくれた。

 

 

 

「……あ、ありがとう……」

 

 ここで優斗は素直なお礼を口にする。この二人は信用できると、優斗の直感が彼らを味方と認識し始めたのだ。

 すると、これまで保っていた緊張の糸が切れたのか。安堵しかけた少年の脳裏に『恐怖』とは別の感情が湧き上がってくるようになった。

 

 

『——ゆ、優斗くん』

 

 

 唯という少女の最後の表情。

 そう、化け物となってしまった彼女への『悲しみ』の感情だ。

 

 あの瞬間、あの一瞬で——自分の好きだった子は、人としての『死』を迎えた。

 化け物となった唯は、きっともう二度と戻ってこない。

 

 以前のように、笑いかけてくれることもないのだと——。

 

 

「——う、うわあああああああん!!」

 

 

 それを理解した途端、優斗の双眸から涙が止めどなく溢れ出してくる。

 それまでずっと恐怖で麻痺していた感情が、我慢できていた悲しみが心の底から溢れ出してしまったのだ。

 

「坊主、お前……」

「ああ……大丈夫、もう大丈夫だぞ……」

 

 堰を切ったように泣きじゃくる優斗に、当然ながら二人の男女は困惑する。

 しかし彼らは何も聞かず、ただ少年が悲しみに暮れる姿を黙って受け入れてくれた。

 

 

 ただただ、泣き続ける彼を保護し——やがては、知り合いと共に少年を本土へと逃していく。

 

 

 

 

 

 

 

 その善行が、青年と少女——湧太と真魚。

 二人にとって、新たな『旅立ち』のきっかけになるとも知らずに——。

 

 

 

 




人物紹介

 湧太と真魚
  前編の話ではチョイ役な二人ですが、原作では主人公とヒロインです。
  二人が何者か説明しますとネタバレになりますので、ここでは名前だけ。
  次回から本格的に物語に絡んで来ますので、お楽しみに。

 優斗少年
  今回の話の都合上、生まれたオリキャラです。
  特に名前なども捻っていない、一般人の男の子。
 『二世信者』問題に焦点を当てたく、心情などを考えながら描写しております。
  
 唯ちゃん
  こちらもオリキャラ。
  とある魚の肉を食したことで『化け物』となってしまった悲しき少女。
  人魚シリーズにおいて、必ず登場する被害者の一人です。

 ぶっちゃけ、今回はストーリーを現在進行形で練り上げながら書いています。
 時間が少し掛かるかもしれませんが、どうか最後までお付き合いください。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

人魚の森 其の②

『星のカービィWii デラックス』が楽しい!!
暗めの話を書いていると、尚更カービィの存在が癒しになる……。

fgoのバレンタインも、久しぶりのイベントということもあって結構楽しかった。
このイベントの祝福チョコ。自分は男性は『源為朝』。女性は『水着信長』にプレゼントしました。
為朝は純粋に好きな鯖だったから。水着信長は周回の関係上、NPをMAXにしたくて。
3月はホワイトデーイベント。新鯖は果たして登場するかどうか?

さて、今回は『人魚の森』中盤ストーリーです。
この話を書いている間も、ニュースなどではさまざまな宗教団体の話題が取り上げられたりと。
それらのニュースで感じたこと、自分なりに作品に盛り込んでいるつもりです。

その分、ヘビーな話になるかもしれませんが……もう暫くはお付き合いください。
次のクロスは……絶対に明るい話を書いてみせますから!!



「……湧太、平気か?」

「ああ……大丈夫だ、真魚」

 

 漁師の島に住む青年・湧太は一緒に住んでいる少女・真魚の呼びかけに意気消沈しながらも答えていた。

 

 湧太たちは鬼太郎や猫娘、そして目玉おやじから『教団』の話を聞かされた。既にその話をした鬼太郎たちは、教団の本部があるという島の裏側へと向かっている。

 教団の教祖が信者相手に行っていた『人間を化け物に変えてしまう儀式』。それが何なのか確かめ、やめさせるためにも鬼太郎たちは教団の秘密を暴こうとするだろう。

 

「まさか……教団とやらが『あれ』に関わっていたとはな……」

 

 その一方で、湧太は教団が何をやったのか——ある程度察しが付いてしまっていた。

 おそらく妖怪である鬼太郎以上に、湧太たちは『あれ』に深い関わりを持っているだろう。だからこそ『不老不死』を目指す教団の教え、教祖が実際に不死と崇められる真相にも納得がいってしまう。

 

「湧太……どうするつもりだ?」

 

 その上で、真魚は湧太に『これから』どうするかを問いかけていた。

 

 湧太と真魚にとって、この島での暮らしは仮住まいのようなものだ。

 二人がこの島に移住してきたのは数年ほど前のこと。素性も正体も定かではない二人を、この島の住人たちは快く迎え入れてくれた。湧太に漁師としての仕事を与えてくれたし、住み場所もほとんど無償で提供してくれた。

 とても感謝している。湧太たちがこの島で暮らしていけているのは、人々の確かな善意によるものだろう。

 

 だが、どれだけ親切にされたところで、湧太たちはこの島で『一生』を終えることはできない。いずれはこの土地からも離れ、違う場所でまた一から新しい生活を始めていくしかない。

 

 今までもそうしてきた。決して一箇所に留まることが出来ないのが——人間社会にとって『異物』である彼らの運命だ。

 

 だから、湧太も真魚も他者との関わりを最小限に留めていた。

 教団から逃げてきた少年・優斗を一時的に保護したものの、彼が何から逃げてきたかなどを詳しく聞こうとはしなかった。すぐ側で教団とやらが何をしていようと自分たちが関わるべきではないと、そのように考えていた。

 

「どうするかだって? そんなの……決まってんだろ!」

 

 しかし、教団が『あれ』に関わっているというのなら話は別だ。

 たとえ自分たちが社会にとっての異物であろうとも、『あれ』を野放しにしておくことは出来ない。

 

「真魚、すぐに出発しよう。準備してくれ……」

「うん、湧太がそれでいいなら」

 

 湧太は重い腰を上げ、真魚も彼について行くつもりで立ち上がる。

 

 

 世話になった人々や町への別れを告げる時間も惜しいとばかりに、急ぎ旅支度を整えていく。

 

 

 

×

 

 

 

「あの町が……?」

「ここが、教団の総本山……なのよね?」

「ふむ、あれが入り口のようじゃが……」

 

 時刻は夕暮れ時。周囲が暗くなり始めた頃になって、鬼太郎たちは島の裏側に存在する教団の『聖地』とされる場所へと辿り着く。

 目的地までは目と鼻の先であったが、まずは近くの森。茂みに隠れて町の様子を伺っていく。

 

 町の周囲は、高い塀によって囲まれていた。

 粗雑な造りではあるものの、立ちはだかる木の壁が内部の様子を部外者の視線から隠している。町の中で信者たちがどのような暮らしをしているか、外側からは分からないような構造になっていた。

 

「見張りもいますね。随分と物々しいというか……」

 

 さらに町の正面、入り口と思しき門の前に仰々しくも見張りがいることを鬼太郎が確認する。

 

「…………」

「…………」

 

 いったい何を警戒しているのか。二人の男性が物騒にも竹槍などで武装し、黙々と門番として従事している。

 

「他に入口はなさそうだけど、越えられない高さじゃないわね……」

「門番も、どうやら普通の人間みたいだ……」

 

 もっとも、猫娘からすればその程度は障害にもならない。

 妖怪の身体能力を持ってすれば塀など軽々と飛び越えられるだろうし、壁そのものの強度もそこまで頑強ではなさそうだ。実際、その囲いを抜けて優斗は教団から逃げ出すことに成功している。

 鬼太郎たちであれば、力づくで門番を退けることもできるだろう。決して難攻不落というほどの警備状況ではない。

 

「問題は中に入った後じゃな……」

 

 だが、その門を越えた先。町の中に侵入できたところからが問題だと、目玉おやじが頭を悩ませる。

 この町で暮らしているものは、その全員が教団の信者だ。しかも、ここは選ばれたものだけが住むことを許された『聖地』と呼ばれる場所。

 選ばれたわけでもない、信者でもない鬼太郎たちがウロウロすればすぐに人の目に触れて騒ぎになってしまう。

 

「教祖だけに会うというのは……やはり難しいでしょうか?」

 

 鬼太郎としては、あまり大きな騒動にはしたくない。何とか騒ぎにならないよう、教祖にだけ接触する手段はないかと暫し考え込む。

 

「さて、どうしたものか……ん?」

「どうかしましたか、父さん? あれは……」

 

 すると、思案に耽る鬼太郎たちをよそに門の方で何かしらの動きがあった。

 

「…………」「…………」「…………」

 

 町の外側から、何らかの集団が町の入り口に向かって整然と歩み進んでくる。

 老若男女が混じり合ったその集団は、おそらく教団の信者たちなのだろう。彼らと相対する門番たちの雰囲気が遠目からでも柔らかくなっていくのが見て取れる。

 

 鬼太郎たちは気付かれないように距離を詰め、彼らの会話を盗み聞くことにした。

 

 

 

「——お疲れ様です。此度の旅はいかがだったでしょうか?」

 

 門番の一人が和かな笑みで集団へと語りかけていく。同じ神を信仰するもの同士なのだから、そこに警戒心や緊張感などはない。あくまで世間話のような体で両者は言葉を交わしていく。

 

「ええ……此度の旅も、とても実りあるものでしたよ」

 

 集団を代表するように、男性の一人が門番の質問に答えていた。

 

「今回の旅でも、多くの人々が神の教えに目覚めてくれました。これで少しは、世界もより良い方向に変わっていくことでしょう……」

 

 彼らは、ここに住まうことを認められた教団の信者。特に信心深い彼らに与えられた主な仕事は——まず第一に『新しい信者の勧誘』である。

 

 自分たちの信じる教えをより広く、より大勢の人々に伝えること。一人でも多くの人を救うためと、積極的に教団の教えを世に広めている。

 これはこの地に引きこもっているだけでは出来ない大切なお役目だ。だからこそ、彼らは定期的に外の世界へと赴き、布教の旅——『宣教活動』に務めていた。

 

 教団の教えを信ずるものたちにとって、外の世界は『悪魔たちの支配する社会』『邪教が蔓延る地獄そのもの』だが、その地獄の中にも自分たちの救いを必要としているものが必ずいると。

 自分たちが神の愛を説くことで、目を覚ます人がいる筈だと——彼らはそれが『正しいこと』だと信じている。

 

「それに見て下さい! 今回の旅では、これだけの『穢れ』を集めることに成功しました!」

「おお、素晴らしい!! これだけの穢れを浄化できれば……いったいどれだけの人々が救われることか!!」

 

 さらに彼らのもう一つの使命。それは人々を邪な考えへと走らせる原因となるもの——『金』を回収することにあった。

 

 今の社会を牛耳っている資本主義。その欲望の権化として、教団では貨幣を『穢れ』の象徴としていた。こんなものがあるから人々は争い、互いに競い、妬み合うのだと。

 故に、信者たちは手持ちの金のほとんどをお布施として教団に寄付している。欲を捨て去ることで心穏やかになれると、これも教団の大事な教えの一つなのだ。

 

 寄付によって集められた金は厳重な管理の元、信者たちの手で教団の本部まで運ばれる。

 教団のトップに君臨する教祖の御殿へと収められ、彼の手によって『清められる』とのことだ。当然、清められたその『穢れ』が果たしてどのような形で利用されることになるか。

 

 教祖を盲信している信者たちでは、きっと考えもつかないだろう。

 

 

 

「何を……言ってるのよ、この人たち……?」

「…………」

 

 彼らの話に聞き耳を立てていた猫娘や鬼太郎たち。妖怪の立場からしても、その会話の内容には違和感しかないのだが、信者たちはいたって大真面目だ。

 全ては世のため、人のため。そして徳を積んで——教団の教えである『不老不死』を得るため。

 少なくとも、その場にいる信者たちは誰一人として、自分たちの行動や言動に迷いなど抱いてはいなかった。

 

 ただ一人を除いて——。

 

 

 

「それにしても、今回は随分と多い……いったい、どうやってこれほどの穢れを?」

 

 ふと、門番は純粋な疑問を口にした。

 寄付という形で集められた穢れ——もとい、現金はジュラルミンケースに収納されている。中身を開けなくても、ケースの数でいくらほどの金が集まったか、一目で分かるようになっていた。

 そのケースの数がいつもより明らかに多かったのか。門番は少し困惑気味な表情である。

 

 するとその問いに、信者の男性が胸を張るように堂々と答えていく。

 

「ええ、今回の旅には……『彼』が同伴してくれましたから。彼の熱のこもった言葉が人々の心を動かし、その胸の内を支配していた欲望を洗い流してくれたのですよ!!」

 

 信者の言葉には、仲間の偉業を誇るような響きがあった。

 今回の旅で苦楽を共にした同志の一人。『彼』の説法が多くの人々の心を開き、貨幣という悪に依存する考えを改めさせ、それが穢れの浄化——多くの寄付金の獲得につながったというのだ。

 

「まったく素晴らしい!!」

「貴方のような人材を、我々はずっと欲していたのです!!」

 

 他の信者たちからも賛美の嵐だ。自然と、皆の視線がその人物——ボロい布切れを纏った男へと注がれていく。

 

 

「——ねぇ、ねずみ男さん!!」

 

 

 

 

 

「いえいえ、私など……全ては神の御心によるもの。私は教団の素晴らしい教えを、分かりやすく人々に伝えたまででございます」

 

 だが、周囲の賞賛にその男——ねずみ男は控えめな態度で応じる。

 なむなむと祈るように手を合わせる謙虚の彼の姿に、信者たちはますます「おおっ!!」などと感心するような声を漏らしていく。

 

 

 

「————————」

「何やってんのよ、あのバカは……」

 

 当然のことながら、これに鬼太郎や猫娘が呆れ返ったのは言うまでもないだろう。

 

 

 

×

 

 

 

「さあ、ここでこれ以上立ち話もなんです。長旅でお疲れでしょう。ゆっくりと旅の疲れを癒して下さい」

 

 そうして、立ち話もそこそこに門番は帰還した同志たちを町の中へと招き入れる。仰々しい門が開かれるや、信者たちは列をなして町の中へと入っていった。

 聖地に住むことを許されている信者からすれば、既にこの地は我が家も同然だ。家族が持っているものもいるだろう、自然とその表情も綻んでいく。

 

「では、私めも……」

 

 そんな信者たちに混じり、ねずみ男も町の中へと進んでいく。いったいどのような手法を用いたのか、彼もこの聖地に住むことを許された選ばれしものということだろう。

 仮にねずみ男が心から教団の教えを信じているのであれば、金などという穢れには見向きもしない。全ての欲望を洗い流し、心穏やかな人物へと生まれ変わっている筈だ。

 

 

 チリン——。

 

 

「——っ!!」

 

 しかし、突然鳴り響いたその音にねずみ男は反応を示した。

 常人であれば聞き取ることすら困難なそれは、『小銭』が地面に投げられる音だった。資本主義の要たる貨幣の鳴り響く音階に、ねずみ男は目の色を変えていく。

 

「どうかされましたか、ねずみ男さん?」

「い、いえ……何も……」

 

 それでも信者たちが見ている手前、ねずみ男はすぐに取り繕うとする。なんとか平常心を保ち、何事もなかったように門を潜ろうとするが。

 

 

 チリン、チリン——。

 

 

「——っ!?」

 

 続け様に響いてきた硬貨音に再び足を止める。もはや我慢の限界とばかりに、ねずみ男は欲望のままに行動を起こしていく。

 

「すみません、少し所用を思い出してしまいました!!」

「え……ちょっ!?」

「すぐに戻りますので!!」

 

 門番相手に適当に言い訳を述べながら、大慌てで音が聞こえていた森の奥へと駆け込んでいく。

 

 

 

「確かこの辺から……おっ!? あったあった!!」

 

 そうして、ねずみ男は人気のない森の中までノコノコやってきた。

 

 彼が聞いた音は決して幻聴などではなく、そこには確かに金が落ちていた。しかも十円や百円などのケチくさい額ではない。五百円玉だ。

 これにねずみ男の両目が『¥』『¥』になり、本能のままにその手が伸びていく。

 

「へへっ!! 五百円もらーい……っと!?」

 

 ところが、いざその金を拾おうとした途端。五百円玉は、ねずみ男の掌から逃げるようにするりと宙を舞う。

 

「おっ? おい、待っ……いで!!」

 

 慌てて追い縋ろうとする、ねずみ男。しかし金に目が眩むあまり、勢いよく体が前のめりになってしまい、そのままバランスを崩して転倒する。

 そんな、金を追いかけて無様に転げ回るねずみ男を——。

 

 

「……自分で仕掛けといてなんだけど、こんな手に引っ掛かってんじゃないわよ」

 

 

 猫娘が絶対零度の視線で見下ろす。

 彼女は糸で吊り上げていた五百円玉を回収し、まんまと罠に掛かったねずみ男を確保していく。

 

 

 

 

 

「——ああ、ねずみ男さん! 先ほどはどうかして……はて? そちらの方々は、いったい?」

 

 つい先ほど、不自然なタイミングで何処ぞへと走り去っていったねずみ男に門番は心配げに声を掛ける。だが戻ってきた彼は一人ではなく、見知らぬ人物を二名ほど連れてきていた。

 

「…………」

「…………」

 

 どちらもフードを深々と被り、その素顔を隠していた。控えめにいっても怪しさ満点である。

 

「私の知り合いでございます。まだ未熟な身ですが……どうしても聖地の空気を直に感じてみたいと。今日一日だけでも、この地に留まる許可を頂けませんでしょうか?」

 

 しかしねずみ男は懇願するよう、彼らを自分の知り合いとして町への同伴を申し出る。本来であれば未熟者——選ばれていないものを聖地に入れるなど、受け入れ難いことなのだが。

 

「う~む……まあ、いいでしょう。他でもない貴方の申し出ですから!」

 

 いったい、どれほどの信頼を勝ち得ているというのか。僅かな逡巡こそあったものの、門番はその申し出を快諾。

 あっさりと門を開き、ねずみ男と一緒に部外者である二人を——フードを羽織った鬼太郎と猫娘を通していく。

 

「なんで上手くいくのよ……」

「さあ……」

 

 これに釈然としないと猫娘が愚痴を溢し、鬼太郎も首を傾げる。

 

「うむ、わしも驚きじゃが……このまま行くしかなかろう」

 

『ねずみ男が教団に取り入っていたことを利用し、彼の案内で内部へと潜入する』——目玉おやじが即興で立てた作戦だが、思いの外上手く行ったことに彼自身も驚いている。

 これも教団で信用を築き上げてきたねずみ男の成果なのだが、この男の性根を知り尽くしている鬼太郎たちからすると、いまいち納得がいかない。

 

「いいから黙ってついてきやがれ……騒ぎを起こすなよ」

 

 だが文句を言うなとばかりに、ねずみ男は静かに付いてくるよう鬼太郎たちに小声で注意する。

 せっかく上手くいったのだから、ここで怪しまれるのも面倒だと。とりあえず、大人しくねずみ男の後に続いていく一同。

 

 そうして、鬼太郎たちは町の中——教団の支配する『聖地』へと足を踏み入れていく。

 

 

 

「——ここが、教団の聖地……」

 

 門の向こう側、教団の本拠地。

 そこに広がっていた風景を、鬼太郎はフードの奥から覗き込んでいく。そこを一言で表現するならば『田舎の農村』と言ったところか。

 

 古い日本家屋がところどころに建ち並び、その敷地内に実り豊かな畑が広がっている。畑では農作業に明け暮れる人々が、汗を流しながらクワを振り下ろしていた。

 一日中、そうやった農作業に没頭しているのだろうか。その顔は非常に疲れたものであったが、それと同じくらい充実感にも満たされていた。

 

「よっと……よいしょっと!!」

「おう、お疲れさん! そろそろ上がろうや!!」

 

 もう日が暮れることもあってか、農作業の手を止めるよう互いに声を掛け合う住人たち。信仰のまま四六時中働かされているのかと思いきや、少なくとも労働環境という言葉は守られている様子だ。

 

「お疲れ様です、お茶でもどうですか?」

「おう、悪いな。いただくよ!!」

 

 すると仕事終わりの旦那に、奥方が熱々のお茶を淹れる。縁側に腰を下ろし、暮れる夕日を眺めながら茶を啜っていくその姿は、昔はどこにでもあった在りし日の日本の情緒風景そのもの。

 皮肉にも仕事に追われる現代人に足りていない、心のゆとりのようなものが垣間見える。

 

「お父さん! お母さん! 庭のお掃除終わったよ!!」

「おお、偉いぞ!!」

「ふふふ……お疲れ様!」

 

 さらには庭の手入れを終えた幼子が、元気いっぱいに親の元へと駆け込んでくる。子供たちの働きを褒める父親と母親。ごくごく当たり前の平和な家庭。理想的な夫婦円満、一家団欒がそこにはあった。

 

 

「なんと平和な……」

 

 その光景をこっそりと視界に収めた目玉おやじが、呆気に取られたように呟く。時代に取り残された感こそあるものの、そこには確かな『人の営み』というものがあった。

 民家以外の施設。スーパーやらコンビニといった現代では欠かすことのできない商業施設や、娯楽施設の類こそ一切ないが、それで何かが足りていないということもなかった。

 

 

 満ち足りた笑顔で日々を懸命に生きている、そんな人々の姿が眩しく見えてしまう。

 

 

 その光景を見ていると、優斗少年が教団での暮らしそのものに不信感を抱かなかった理由が分かってしまう。鬼太郎たちも、何も知らずにこの町を訪れていたら、ここがカルト教団の本拠地などと気づきもしなかったろう。

 それほどまでに人間として当たり前。在るべき生き方というものが、この地で示されているような気さえした。

 

「けっ! 相変わらず何にもねぇところだぜ……ほら、こっちだ!!」

 

 もっとも、ねずみ男はそこでの生活が合っていないのか。住民たちの信頼を得るために彼らの教えを受け入れた振りをしつつ、本心ではやや苛立ち気味に舌打ちを打つ。

 

 こういった生活が合わないものもいる。

 全ての人間が、欲望を捨てて心穏やかに生きられるわけではないということだ。

 

 

 

 

 

「ここまでくれば……まっ、とりあえず座れや」

 

 ようやく、人気のない古民家まで辿り着いたねずみ男が腰を据える。

 その一軒家が彼にあてがわれた住まいとのこと。プライベートに守られたこの家の中でなら、素性を隠す必要もない。鬼太郎や猫娘も被っていたフードを脱ぎ去り、とりあえず一息ついていく。

 

「ふぅ~……なんとか中に入ることはできたけど……」

「ええ、なんていうか……色々と拍子抜けね……」

 

 覚悟を決めてこの地に足を踏み入れた鬼太郎と猫娘だが、想像よりもずっと穏やかな人々の暮らしにだいぶ毒気を抜かれていた。

 

 正直なところ、鬼太郎たちも『カルト教団』と聞き、心のどこかで偏見を抱いていたかもしれない。ここに住む人々は教団の教えの下、ひどく窮屈な思いをしているだろうと。

 きっとマインドコントロール下で、自分たちがどんな立場かも正常に判断出来ていないだろうと。

 

 だが、古臭いながらもそこには人間らしい暮らしがあった。この古民家も、TVという情報媒体こそないものの、電気や水道といった最低限のライフラインがきちんと機能していた。

 ここで生活するのも悪いことばかりではないのではと、そんな考えが思わず脳裏を過ってしまうほど。

 

 

「——お前たち、油断するでないぞ!」

 

 

 しかし、鬼太郎たちの緩みそうになる空気を引き締めるよう、目玉おやじが厳しめな口調で注意を促していく。

 

「優斗くんの話を思い出すんじゃ! 表面上は穏やかに見えても、その裏側でいったいどんな恐ろしい悪事に手を染めていることか!!」

 

 そう、ここでの穏やかな生活に何も疑問を持たなかった少年ですら、『それ』を目撃してしまったことで逃げ出さずにはいられなくなった——恐怖の儀式。

 

 人間を化け物に造り変えてしまう『なにか』が、この町の深層に潜んでいることを忘れてはならない。

 さらには、その化け物を始末するほどの武力を所持した黒服の男たち。拳銃などで武装していることから、反社会的な組織の関与も疑われる。

 決して『善良な人々の集い』で片付けられるほど、甘いところでないのは確実だ。

 

「ええ、分かっています。ねずみ男……教祖に探りを入れたいんだが、何か方法はないか?」

「アンタに聞くのは癪だけどね……」

 

 鬼太郎は父親の言葉のおかげで緊張感を引き戻す。そして、ねずみ男に教祖について尋ねた。

 猫娘はいい顔をしなかったが、ここは鬼太郎たちよりこの町に詳しい、ねずみ男の意見を参考にするのが一番だ。

 

「ああ……それなら、屋敷に忍び込むしかねぇだろうな。基本的に教祖はあの屋敷の外には出てこねぇ。偶に顔を見せることはあるが、常に信者の護衛付きだ。探りを入れる隙なんかありはしねぇよ」

 

 鬼太郎の問いにねずみ男はスラスラと答えた。彼は家の窓から見える屋敷——教祖が住まうとされる建物を指し示す。

 

「屋敷って……あの大きな建物? 随分と……他の家と差があるみたいだけど?」

 

 猫娘も、皮肉げな言葉を口にしながらその屋敷へと目を向ける。

 この町に入ったときから、常に視界の隅にその建物はチラついていた。他の住人の住まいとは一線を画す、巨大な武家屋敷だ。例の儀式が行われたのも、あの建物の中だろう。

 その広い敷地面積がどのような構造になっているか、信者たちでも知らされているものは少ないという。

 

「実は……ここにその屋敷の図面があるんだ!! すげぇだろ? わざわざ外の業者から入手したもんだ!!」

 

 だが用意周到にも、ねずみ男はその屋敷の見取り図を用意していた。先の教団での活動——外での宣教活動の合間を縫い、屋敷の建設を施工した業者に金を掴ませ、秘密裏に入手したものだという。

 ねずみ男がそんなものを都合よく用意していたのには——彼なりに、別の目的があったからでもある。

 

「図面によると……ここが倉庫になってる! 俺の読みが正しければ……今まで集められた金もこの中に……へっへっへ!」

 

 そう——『金』だ。

 欲望に塗れたねずみ男の狙いは、教団が穢れと称して集めた——寄付金。

 

 元より、ねずみ男が教団に入り込んだのも全てはその企みのため。鬼太郎たちが来なくても一人で教祖の屋敷へと忍び込み、教団が懐に貯めこんだ金を根こそぎ掻っ攫う算段だった。

 そのために、ねずみ男は教団に入信。長い時間を掛けて信頼を勝ち取り、この聖地に住まう許しさえも得てしまっていたのだ。

 正直、その努力を何故もっとまともな方向性で発揮できないのかと突っ込みたいところではあるが、今はその努力の成果に感謝すべきか。

 

「ねずみ男……とりあえず、教祖の屋敷に忍び込むのを手伝ってもらうぞ」

「勿論、お金に手をつけるんじゃないわよ!!」

 

 鬼太郎はねずみ男にも協力を要請し、猫娘は彼が個人的な欲望に走らないようにと釘を刺していく。

 

「くっ……くそっ……分かったよ!」

 

 これにはねずみ男も素直に頷くしかない。

 鬼太郎たちと共に、教団の闇を祓うために協力することを誓う。

 

 

 一応、表向きは——。

 

 

 

×

 

 

 

「そろそろ、頃合いかのう……」

「そうですね……父さん」

 

 それから、鬼太郎たちは家の中で時間が過ぎていくのを待った。

 

 教祖の屋敷に忍び込むのならば夜に。妖怪である鬼太郎たちもその方が動きやすいと、周囲一帯が闇夜に包まれていくのを待ち続けていたのだ。

 そして周囲の民家から灯りが消え、人々が寝静まる時間帯が訪れる。これで関係のない信者たちを巻き込まずに済むと、鬼太郎たちは動き出す準備を始めた。

 

「よし、そろそろ行こう。案内を頼むぞ、ねずみ男……ねずみ男?」

 

 ところが、いざ忍び込もうという段階でねずみ男の姿がいつの間にか消えていた。

 

「? なんじゃ、どこに行きおった……?」

 

 つい先ほどまでは確かにそこにいた筈。もしやトイレにでも行っているのかと、目玉おやじは呑気に首を傾げる。

 

「……!? 鬼太郎、外をっ!!」

「……!!」

 

 だが不意に、猫娘が何かに気付いて声を上げる。

 彼女の叫び声に反応した鬼太郎が身構えるのとほとんど同時に、暗かった世界に突然光が灯り始める。静かだった夜の静寂を打ち破るように、俄かに人々が騒ぎ出したのだ。

 

「——ここか? ここで間違いないんだな?」

「——せーの!!」

 

 次の瞬間にも、扉を強引にブチ破った何者かが、鬼太郎たちの隠れている家の中へと突入してきた。

 

 彼らは教団の信者たちだ。昼間あれだけ穏やかに見えた町の住人たちが、殺気立った様子でなだれ込んでくる。

 彼らの手には竹槍やらクワやら松明やらと、武器と呼んでいい凶器が握られていた。

 

「こ、これはいったい!?」

 

 状況について来れずに戸惑っている目玉おやじだが、信者たちは鬼太郎らに向かって親の仇でも睨むような、鋭い眼光を飛ばしてくる。

 

「お前らか!! 教祖様を連れ去ろうと企んどる、異教徒の手先ってのは!?」

「なんて恐ろしい!! こんな子供が……そのような悪事に手を染めようとは!!」

 

 彼らは鬼太郎たちが教団に仇をなすもの、教祖に危害を加えようと企む異教徒の人間だと激しく敵意を抱いていたのだ。

 

「なっ!? 何を……!?」

 

 鬼太郎は、その敵意に戸惑うしかない。

 自分たちが教団の関係者でないことは確かだが、それはあまりに飛躍した考えだ。いったい、どうしてそのような話になっているのか。

 そもそも、何故自分たちがこの家に隠れていることが分かったのか、それが疑問でならない。

 

「アイツ……私たちを売ったわね!!」

 

 だがこの状況が誰の手によって作られたものなのか、猫娘はすぐに悟る。

 

 そう——ねずみ男だ。

 

 彼が自分たちがここに潜んでいることを、信者たちに告げ口したのだ。しかも『教祖を攫いに来た』などという間違った情報まで吹き込み、信者たちの敵意を余計に煽った。

 彼が姿を消したタイミング的にも間違いない。いったいどういうつもりなのかまでは分からないが、これには鬼太郎たちも歯噛みするしかない。

 

「これは、話を聞いてもらえる空気ではないな。鬼太郎よ! ここは一旦退くぞ!!」

 

 信者たちの物々しい空気、血走った目に目玉おやじは彼らの説得が不可能だと判断する。ここで無理に怪我人を出すのは避けたいと、鬼太郎に一時撤退の指示を出していく。

 

「わ、わかりました……リモコン下駄!!」

「うわっ!?」

 

 鬼太郎は最低限の自衛で信者たちを退ける。力を抑えたリモコン下駄で自分たちを取り囲む彼らの包囲網の一角を崩していく。

 

「どきなさい、ニャアアア!!」

 

 さらに猫娘も化け猫の表情を露わに、爪を剥き出しにして威嚇した。勿論、あくまでそれは脅しであり、鬼太郎たちに信者を傷付けるような意図はなかった。

 

「な、なんだ! こ、こいつら……人間じゃねぇぞ!!」

「あ、悪魔だ……! 異教徒の使役する悪魔だ!!」

 

 しかし鬼太郎たちの人間離れした実力に、信者たちは怯えながらもますます殺気立つ。

 

「くそっ!! 逃げたぞ、追うんだ!!」

「もっと人数を集めろ!! 絶対に逃すな!!」

 

 包囲網を突破されながらも、それで諦めることはなく。さらに人員を増やし、どこまでも鬼太郎たちを追いかけていく。

 

 

 

 

 

「——へへへ……悪いな、鬼太郎」

 

 信者たちに町中を追いかけ回される鬼太郎たち。その光景を、ねずみ男は安全な場所から高みの見物と決め込んでいた。

 

 猫娘の予想どおり、この状況は全てねずみ男の裏切りによるものだ。

 彼は教団の秘密を探るよりも、自身の欲望を優先した。当初の目論見どおり、教団内部に貯め込まれた『金』を狙い、今夜にでも教祖の屋敷に忍び込むつもりだ。

 

 その邪魔になるであろう、鬼太郎と猫娘を排除するため、彼は信者たちを利用した。

 ねずみ男を信用していた信者たちは、彼の『教祖様の身柄を狙っている連中に脅されていたんです、助けて!!』という言葉にまんまと乗せられ、鬼太郎たちの排除に動いた。

 教団の信者にとって、教祖は何よりも大事な精神的支柱。それを狙う『邪教徒』に情けなど必要なし。彼らは血眼になって鬼太郎たちを追いかけ回し、その動きを封じるだろう。

 

「よしよし! これで屋敷の警備も手薄になるだろうぜ……」

 

 騒ぎが大きくなればなるほど、他の警備が手薄になることも計算に入っている。今ならば、教祖の屋敷に潜り込むことも容易だろうとほくそ笑んだ。

 

「ありがとよ、鬼太郎! お前さんの犠牲は無駄にしねぇ!!」

 

 自分から友人を裏切っておきながら、そんなことをいけしゃしゃと言ってのける。

 

 

「——待ちな」

「いっ!! だ、誰だ……!?」

 

 

 だが、そんなねずみ男の悪行を見咎めるものがいた。

 

「全部見てたぜ。お前さん、あの坊主の……鬼太郎のダチなんだろ? それなのにそいつを売り飛ばすとは……随分といい性格してやがんな?」

 

 その『青年』は、ねずみ男が住人たちに鬼太郎のことを密告する現場を目撃していた。さらにねずみ男の呟きもしっかりと聞き、彼の性根がどのようなものかも理解した。

 

「まっ……そのおかげで俺も動きやすくなったんだ。あんましお前さんを責めることも出来ねぇが……」

 

 しかし、それでねずみ男を痛烈に批判するようなことはせず、青年は自分の要求を口にしていく。

 

「ここで騒がれたくなかったら、教祖とやらの屋敷に俺を連れて行きな……」

「だ、誰だよ、あんた? 教団の信者じゃないみたいだが……」

 

 教祖を呼び捨てにする言葉遣いから、明らかに教団の人間ではない。

 突然現れたその青年が何者なのか、ねずみ男は戸惑いながら問いを投げ掛ける。

 

 

「——俺は湧太。俺も教祖に用があるんだ。確かめなきゃならねぇことがあるからな……」

 

 

 

 

 

「鬼太郎、追手は振り切れたか!?」

「駄目です! まだ追いかけてきます!!」

「ああ、もう!! しつこいわね!!」

 

 一方その頃。鬼太郎たちは未だに教団の追手から逃れられずにいた。

 既に町からも離れ、彼らは近くの森の中へと逃げ込んでいる。しかし信者たちは諦めることを知らず、どこまでも鬼太郎たちを追いかけてくるのだ。

 

「くそっ! どこに行った!? 神に仇なす不届き者め!!」

「こっちだ!! こっちに足跡があるぞ!!」

 

 彼らにとって、それほどまでに『教祖を害する』という存在は許し難いものだ。捕まったらどんな目に遭わされるか、妖怪である鬼太郎たちの背筋すらゾクリと震えてくる。

 

「どうしましょう、父さん。ここは、一度この島から出ていくしか……」

「うむ、そうじゃな。そこまでせんと、これは収まりそうにないやもしれん……」

 

 正直、多少の間さえあれば信者たちも少しは落ち着くかと期待していた。だが彼らの教祖への敬意、教えを守る信仰心は鬼太郎たちの予想を遥かに越えていた。

 昼間のあの穏やかさとは打って変わり、今の彼らはまさに暴徒そのものだ。鬼太郎たちがこの島にいる限り、彼らはどこまでも追いかけてくるだろう。

 これはもう島からも撤退し、日を改めることも考えなければならないかもしれないと。

 

 

「——おい、こっちだ」

 

 

 そのような考えが、鬼太郎の脳裏を過った時だ。暗闇の奥から何者かの声が響いてくる。

 

「こっちだ、ここに隠れられるぞ」

「誰!?」

 

 その声の主——『女性』の呼び掛けに猫娘が訝しがる。

 暗闇のせいではっきりと姿が見えないが、彼女の声音に敵意らしきものはない。一応、警戒しながら声のした方へと近づいてみる。すると、そこに『洞窟』らしきものが見えた。

 パッと見分かりづらい角度にある横穴だ。鬼太郎たちも、女性の呼び掛けがなければ気付かなかっただろう。

 

「——この辺りか?」

「——ああ、確かにこっちの方に人影が……」

 

 そうこうしているうちに、信者たちもすぐそこまで迫ってきている。

 このまま策もなく逃げ続けていても、追いかけ追われるを繰り返すイタチごっこにしかならないだろう。

 

「どうするの、鬼太郎!?」

「……行ってみよう、駄目で元々だ」

 

 僅かに迷いこそあったものの、鬼太郎は女性の声に導かれるまま、その横穴へと身を隠すことにした。これが何者かの罠でないことを祈りながら、洞窟の中へと身体を滑り込ませる。

 

「いたか?」

「いや……この辺りには誰も……」

「向こうかもしれん、行くぞ!!」

 

 鬼太郎たちが洞窟へと入る、まさにタッチの差で信者たちがその場にやってきた。

 彼らは、すぐ側にある横穴の存在に気付かない。鬼太郎たちがさらに遠くへ逃げたのかと、慌ててその場から走り去っていく。

 

 

 

「……うむ! どうやら撒けたようじゃ。しかし……」

 

 教団の追手を上手く撒けたことに、目玉おやじもとりあえず一息吐く。だが安心してばかりもいられない。

 自分たちをこの洞窟へと導いた声の主——女性が何者なのか、まだ分かっていない。

 いったい誰が、何故自分たちをこの洞窟に案内したのか。相手の思惑次第では、さらなる危機を呼び込むことになるかもしれないのだが。

 

「大丈夫か? なんだか追われてたみたいだけど……今のが教団の信者ってやつなのか?」

 

 しかし、身構える鬼太郎たちとは裏腹に、彼女は緊張感のない様子で首を傾げていた。どこか浮世離れした反応。その『少女』と鬼太郎たちは初対面ではなかった。

 

「アンタ……あの湧太って人と一緒にいた……」

 

 そう、鬼太郎たちに助け舟を出した彼女は——真魚だった。島の表側、湧太という漁師の青年と一緒に住んでいる少女である。

 

「ま、真魚……さん。どうしてこんなところに?」

 

 鬼太郎は——『大切な友人の少女と同じ名を持つ』真魚の名前を少し呼びにくそうに、どうして彼女がここにいるのか疑問を投げ掛ける。

 

「ここは危険です。すぐに家に帰って……湧太さんは? 彼は一緒ではないんですか?」

 

 そして、真魚が一人でいること——すぐ側に湧太がいないことに首を傾げる。

 なんとなくだが、『湧太が真魚の保護者』という印象だっただけに、彼女がこんなところに一人でいることに違和感を抱いてしまう。

 真魚を置いて、湧太はいったいどこに行ったというのか。

 

「湧太なら教祖って奴の屋敷だ。私も付いて行くって言ったんだけど、一人の方が忍び込みやすいって……」

「なっ!?」

 

 すると真魚は何でもないことのように、湧太の向かった先——彼が教団の本拠地・教祖の屋敷に忍び込みに行ったことを告げる。

 これには、先ほどまで信者に追いかけ回されていた鬼太郎も驚くしかない。

 

「ちょ、ちょっと! 大丈夫なの!? 見つかったらただじゃ済まないわよ!!」

「いったい何故? キミたちには関わりのないことでは……?」

 

 猫娘は湧太の身を案じ、目玉おやじも何故湧太がと疑問を口にする。

 

 教団をいたずらに刺激するようなことをすれば、たとえ一般人であろうともただでは済まされない。そもそもな話、どうして湧太がそのような危険を冒す必要があるのだろう。

 カルト教団などという得体の知れないもの相手にただの人間一人、出来ることなど高が知れているというのに。

 

「湧太なら大丈夫さ……」

 

 しかし、鬼太郎たちの不安を煽るような言葉にも真魚は動じない。

 

「それに……関係ないなんてこともないさ……」

 

 さらには、この一件が自分たちに関係ないという言葉を否定しつつ。

 真魚はどこか確信めいた、それでいて悟ったような表情でその呟きを口にしていく。

 

 

「——それに……何があっても、湧太は必ず帰って来てくれるから……」

 

 

 

×

 

 

 

「ほら……とっとと案内しな。逃げようとすんなよ?」

「はいはい、分かりましたよ……ちくしょう、結局こうなんのかよ!」

 

 真魚が鬼太郎たちと顔を合わせていた頃。湧太はねずみ男と共に、教祖の武家屋敷へと忍び込む手筈を着々と進めていた。

 ねずみ男の狙いどおり、信者たちが鬼太郎を追いかけ回してくれたおかげで町中に人の気配がなくなっている。そのため誰にも見つかることなく、彼らは屋敷の正面まで辿り着けた。

 

「…………」

 

 だが、流石に屋敷の正門には手薄ながらも見張りが立っており、猫の子一匹通さんとばかりに門番が目を光らせている。

 

「正面から行くのは……まあ、無理だな……」

「慌てんなって、ほら……こっちだ」

 

 もっともその程度は想定内。

 湧太は特に取り乱す様子もなく、ねずみ男もすぐに別の侵入経路へと案内する。

 

 

 

「確かこの辺に……よしよし、これだ!」

「梯子か。随分と用意周到だな……」

 

 正門から少し歩いたところ、茂みの中にねずみ男は梯子を用意していた。その梯子を屋敷を取り囲む塀へとかけ、物音を立てないように注意して上っていく。

 

「よっと……さて、教祖はどこに……」

「!! 待て、隠れろ」

 

 そのまま、誰にも気付かれることなく屋敷の敷地内へ。それなりの広さを持った日本庭園に着地して、ホッと安堵するのも束の間。

 すぐに人の気配を察知したねずみ男が湧太を木の影に誘導、二人は身を隠していく。

 

「——おい、町の方が騒がしいが……何かあったのか?」

「——侵入者だとよ。教祖の身柄を狙う異教徒だとか……信者どもが騒いでやがる」

 

 すると、庭先から見える屋敷内の廊下。そこで強面の男たちが何事かを話し合っていた。

 

「……あの黒服たちはいったい何者だ?」

 

 湧太はそこにいた男たち——着ている黒の服装から、鬼太郎が聞いた優斗の話にも出てきたという『拳銃を所持している男たち』だと判断し、彼らが何者なのかねずみ男に尋ねていた。

 

「あれは……警護の人間か? 明らかに……カタギじゃねぇのは確かだが……」

 

 しかし教団に信者として潜り込んでいるねずみ男にも、黒服が何者なのか分からないという。彼らの会話内容や、纏っている雰囲気から教団の信者でないことは何となく伝わってくるが。

 

「——また公安の犬か? 地下の方が気掛かりだな……」

「——すぐに警備の人間を回すように伝えろ!」 

 

 黒服たちは町の騒動を聞きつけたことで、どこか慌ただしく屋敷内を動き回っていた。

 

「……地下?」

 

 それは鬼太郎を囮に混乱を生み出すという、ある意味で狙い通りの展開。だが『地下』という言葉にねずみ男が眉を顰める。少なくとも、教団が支配するこの土地にそのようなものがあるなど、ねずみ男も聞いたことがない。

 果たして彼らは何者なのか。教祖の屋敷を差し置いて、いったいどこの警備を厳重にしようというのか。

 

「まだ結構人がいるな。教祖の姿は見えないが……もっと奥の方か?」

 

 屋敷には、未だに黒服の男たちが何人か留まっていた。その一方で、教祖の姿は確認できない。

 今屋敷内に侵入し、誰にも気付かれることなく何処にいるか分からない教祖の元まで辿り着く。大人二人ではやや難しいミッションかもしれない。

 

「…………」

「おい、どうすんだ? 出直すなら、今だぞ?」

 

 迂闊に動けない状況に暫し考え込む湧太。そんな彼に対し、ねずみ男がそれとなく意見を出す。

 ここで大人しく諦めるなら、まだ誰にも悟られずにここから立ち去ることができる。ねずみ男の目的は教祖に会うことではない、彼としても余計なリスクを背負いたくはないのだ。

 

「お前……確か、倉庫の方に用事があるんだったよな?」

「あん? まあ……俺の狙いは初めからそっちさ!」

 

 だが湧太は何かを思いついたように、ねずみ男へと話を振る。いきなり話を振られたことで少し驚くねずみ男だったが、今更隠し立てすることでもないと素直に肯定。

 元より、ねずみ男の狙いは教団の倉庫に納められていると思われる現金だ。そちらの方の下調べならバッチリ済ましていると、どこか自慢げである。

 

「よし……」

 

 すると、ねずみ男の返答に湧太は考え方を変えていた。

 

 

「——なら、まずは倉庫の方だ。もしかしたら、そこに『あれ』があるかもしれねぇ……」

 

 

 

 

 

 そうして、二人は屋敷の庭に建っている——古い『土蔵』の前へとやって来た。その土蔵は周囲の建物と違い、やけに年季を感じさせるものである。

 

 実際、その土蔵はこの地に数百年前に建てられたものだという。というのも、この場所は元々漁村として栄えていた場所であり、向かい側の港町同様、昔はこちら側も漁師たちの村であったという。

 それが後継者不足や人口の減少などで廃れ、自然と住人も片方の町へと移り住み、そして誰もいなくなったとのこと。

 そうして、廃村となった土地を教団が安く買取り、自分たちの聖地を築き上げた——そういった経緯があったりする。

 

「……こんな古びた倉庫の中に、金なんか置いてあるのか?」

 

 湧太の目的は金などではないのだが、思わずそう言いたくなるほど、それは古びた土蔵だった。

 正直、こんなところに現金を運び込むとは到底思えない。それがその土蔵を見た湧太の率直な感想である。

 

「絶対ここにある筈だ!! この島で金なんざ使い道がねぇし……ここ以外に、あれだけの大金を管理できる場所なんかないんだからな!!」

 

 すると、湧太の意見にねずみ男がムキになって反論する。

 ねずみ男は目先の金に目が眩むあまり、冷静な判断が出来ずにいる。一応、彼の言い分にはそれらしい理由付けがされているが、その言葉にも『ここに金があって欲しい!!』という個人的な願望が含まれている。

 

「ふ~ん……で、どうすんだ? 鍵が掛かってるようだが?」

 

 そんなねずみ男とは対照的に、湧太はあくまで冷静に土蔵の門へと目を向けた。

 見張りこそいなかったが、入り口には当然のように鍵が掛かっている。古いタイプの南京錠だ。これを解錠しない限り、中に入ることは出来ない。

 

「へっ、任せな!」

 

 しかし、その程度で立ち止まるねずみ男ではない。

 彼は素早く懐から『細長い針金』を取り出すや、躊躇することなくそれを南京錠の穴へと差し込んだ。ピッキングで錠を無理にでもこじ開けようという腹だ。

 そうそう上手くいくわけがないだろうと、湧太は特に期待したつもりもなかったのだが。

 

 

「ここをこうして、ここがこうなって…………よし、開いたぜ!!」

「…………鮮やか」

 

 

 なんと数十秒ほどで、ねずみ男はガチャリと南京錠の鍵を開けてしまった。金への執着が成せる技なのか、これには湧太も呆れるのを通り越して感心するしかない。

 

「へへん……さてと、御開帳ってな!!」

 

 そして、ようやく目的の物が手に入ると。

 ねずみ男はご機嫌気分で、土蔵の中へと足を踏む入れていく。

 

 

 

 

 

「暗くてよく見えねぇな……」

「…………」

 

 土蔵の中、侵入者である彼らを真っ先に歓迎したのは『真っ暗な闇』であった。外であれば月明かりのおかげで辛うじて見えていた視界が、灯りのない建物の中だと全く機能しないのだ。

 光源になりそうなものもない。これでは、どこに何があるかまるで分かりはしない。

 

「仕方ねぇな……」

 

 やむを得ないとばかりに、ねずみ男は持参していた懐中電灯を取り出し——ライトの電源を付けた。

 

「バカ!? 明かりなんか付けんな!!」

 

 瞬間、慌てたように湧太が声を荒げる。

 

「外からバレるぞ!! すぐに消せ!!」

「おっと、いけねぇ!!」

 

 土蔵から明かりなど漏れれば、外から誰か中にいることが丸わかりだ。ねずみ男も己の迂闊さを認め、直ぐにライトの明かりを消した。

 

「バレてないな、ふぅ~……」

 

 今ので気取られた様子はないと。周囲に人気がないことを確認し、ホッと胸を撫で下ろす。

 二人は仕方なく、暗闇の中で土蔵を手探りで探っていく。

 

 

 

「……なんだよ、金なんかどこにもないじゃねぇか……」

 

 暫くすると、徐々に目が暗闇に慣れるようになっていく。ようやく周囲の様子が分かるようになったところで、ねずみ男の口からは愚痴が零れる。

 

 湧太が最初に言ったとおりだ。土蔵の中には現金は勿論、ジュラルミンケースの一つも積まれていなかった。あったのは大きな『箪笥』が一つ。そこに収納されているものも、『薬』や『調合道具』、『古い書物』など。

 どこをどう探しても、金目なものなどある筈もなかった。

 

「くそっ!! 当てが外れたな……なあ、もう帰ろうぜ。これ以上ここにいても……何も得るもんはねぇよ!」

 

 自分の期待するものがなかったと、ねずみ男は投げやり気味に吐き捨てる。

 金、あるいは金目なものが土蔵に保管されていない以上、もうここに用はないとすぐにでも帰りたそうだ。

 

「いや待て……奥の方に何か……?」

 

 しかし、湧太は気付いてしまった。

 

 蔵の奥——そこに何かしらの物体が、まるで『祀られる』かのように鎮座していたことを。暗闇ではっきりと視認することが出来ないため、恐る恐る近づいていく。

 

「な、なんだ、こりゃ……!?」

 

 ねずみ男も、湧太と一緒に『それ』に近づいていき——刹那、その顔が驚愕に歪んでいく。

 

 

「——に、人間!? 人間の……死体!?」

 

 

 視界に捉えたそれは、人間の身体が干からびたもの——乾燥した生き物の死体・ミイラであったのだ。

 暗闇から飛び出してきたように見えた悍ましい形相に、流石のねずみ男も腰を抜かす。

 

「いや……人間じゃねぇ!! よく見ろ……!」

 

 ところが湧太は冷静に、それが人間のミイラではないことを指摘した。暗闇の中で分かりにくかったが、よくよく目を凝らせば確かに『人間』でないことがよく分かる。

 

 

「えっ……さ、魚の尾びれ?」

 

 

 ねずみ男も気付いた。それの上半身は確かに人間の『女性』のものであったが、下半身は『魚類』のそれであった。

 半人半魚のミイラ。ねずみ男の知識の中からでも『それ』がどういう存在なのか、言葉で表現することが出来る。

 

「こいつは……まさか、人魚のミイラか?」

 

 

 そう——『人魚』。

 人間の胴体と、魚の尾びれを合わせ持った妖怪。日本においても、一般的に広く知れ渡っている水妖の一種である。特に有名な話であれば『不老不死』の伝説。その肉を煎じて飲めば、永遠の命と若さを得ることができると伝えられていた。

 その知名度故か、日本の各地で『人魚のミイラ』なるものがいくつも発見されている。

 

 だが、そういったものの大半は人間たちの手によって『偽物』だろうという調査結果が出ていた。

 

 人間の研究者が真剣に調査した結果として、胴体は『猿』。尾の部分は『何種類もの魚類』を繋ぎ合わせたものが使用されていたのだ。

 さらに、内部には綿が詰め込まれており、表情は紙や布のハリボテ。表面にも砂や炭を混ぜた塗料が塗られていたことが判明している。

 

 その調査結果が人魚など作り話だと。多くの人々の夢を覚ましたことになったかもしれない。

 

 

「こいつは……マジもんの人魚だぜ……!」

 

 だが眼前にある人魚のミイラは、ねずみ男が『本物』だと断言できるほどの原型を留めていた。

 その際立った実体感はまるで生きているような——いや、実際ミイラと呼ぶにはあまりに生々しい。干からびた人間の胴体部分はともかく、魚の身の部分は未だに生気さえ保ち、脈を打っているようだ。

 

 不老不死の妙薬と言われるだけのことはある。

 ミイラになってさえも、この人魚はまだ『生きて』いたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱりか……なら教祖の、奴の正体は!!」

 

 そんな本物の人魚を前に、湧太は納得がいったとばかりに強く頷いていた。人魚を見つけたことで、教祖に抱いていた『とある疑惑』が確信へと変わる。

 

 あの教祖の正体、それは——。

 

 

「————!?」

 

 

 だが、湧太がその『答え』を口にしようとした刹那、眩しい光が土蔵の中へと差し込んでくる。

 暗闇に慣れていたせいで余計に目が眩む。光を遮ろうと咄嗟に手を掲げるが——。

 

 続け様、轟音が鳴り響く。

 闇の中で弾ける火花。それは一発の『銃弾』が湧太とねずみ男に向かって放たれる銃声だった。

 

 

「——っ!? か、かはっ……!?」

 

 

 不運にも、その凶弾は湧太の胸を——心臓を撃ち貫く。

 

 傷口から滲み出た血が、湧太の胸元を鮮血に染めていく。誰の目から見ても重症、致命傷であることが窺い知れる。

 

 

「…………くそっ…………ぐ…………」

 

 

 短い呻き声を上げ、苦悶の表情を浮かべながら——湧太はその場に崩れ落ちた。

 

 そのまま、彼の身体はピクリとも動かなくなってしまう。

 

「お、おい……う、嘘だろ……?」

 

 つい数秒前まで、何気なく話していた相手が『動かなくなる』という現実。いかにねずみ男といえども、そう簡単に慣れるような感覚ではない。

 

 倒れた湧太の身体に駆け寄るまでもなく、その正気のない顔を見れば分かってしまう。

 既に湧太という青年は、事切れていた。

 

 

 彼はこの一瞬、瞬きの間に——息を引き取ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——明かりがついていたので、もしやと思いましたが……こんなところにまでねずみが迷い込んでいたとは……」

 

 そして、一人の人間を物言わぬ骸にした凶弾を放った張本人が、土蔵の入り口から姿を見せる。

 男は片手に懐中電灯、もう片方の手に拳銃を握りしめていた。

 

「おや? 当たってしまいましたか……まさか今ので死んでしまうとは……」

 

 彼にとっても今の銃弾が命中したことは意外だったのか、キョトンとした表情をしている。

 

「仕方ありませんが、これも神のご意思です。全ての生命が……神の前では等しく平等なのですから」

 

 だが心底気の毒そうな言葉を吐きながらも、その言葉にも表情にも罪悪感は欠片もなかった。

 

「せめて祈りましょう。彼の魂が……これ以上苦しまぬことを……」

 

 さらには自分で殺しておきながらも、その魂が安寧を得られるようにと祈りの言葉すら紡いでいく。きっとその男にとって、人間の死など慣れたものなのだろう。

 

 

 そう、彼にとって——『教祖』にとってはいつものことだ。

 信者が化け物に変わろうと、人をこの手で殺めようと。その笑顔が崩れることはない。

 

 どんなときでも何も変わらない。にこやかな笑みを——その顔に浮かべ続けるだけなのだ。

 

 




人物紹介

 人魚
  今回のゲスト妖怪。といっても、人魚そのものが何かをするということはないです。
  人魚の森という作品自体、常にどこかで人魚の影がチラついています。
  人魚がもたらす『不老不死』に振り回される人間の業。その結末にご注意を……。

 黒服の男たち
  教祖に協力する、黒服の男たち。
  服装が黒ーー『黒ずくめ』であるところがチャームポイント。
  尺の都合上、詳しく紹介することはないですが、結構大きな犯罪組織だと思って下さい。
  少なくとも、公安が探りを入れるくらいは悪いことをしています。
  

 次回で完結予定。
 その次のクロスは……リクエストにあったものからチョイスしますのでお楽しみに!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

人魚の森 其の③

WBC準決勝、逆転勝ちおめでとう日本〜!!
…………などと、流行りに乗った挨拶をしつつ、申し訳ございません!!

次回で完結などと言いながらも、やはり今回も三話構成で終わらせることが出来ませんでした!
今回は文字数の都合というよりは、作者のメンタル的な問題でして……。
やはり暗い話を書いていると、気分が沈み気味になって……。

とりあえず、しっかりと書けたところまでは投稿。
ちゃんと読み応えはあると思いますので……次話まで完結は持ち越しに……。

お詫びというわけではありませんが、本来であれば『人魚の森』の話を完結させてから書くべき——次回予告。
それを今回の後書きに載せようと思います。

その予告を見てもらえば、次回のクロスオーバーが明るいものになると分かって頂けるかと……。


「今の銃声は……!」

「どうされましたか、先生!?」

 

 教団の聖地・教祖の武家屋敷。敷地内に響き渡った銃声を聞きつけ、二人の黒服たちが土蔵へと駆け付けてきた。

 土蔵の入り口には銃を握りしめた教祖が立っており、彼が銃口を向ける先。土蔵の中にはボロい布切れを纏った男・ねずみ男がへたり込んでいた。

 

「————」

 

 そして、ねずみ男の横では一人の青年・湧太の身体が横たわっている。ピクリとも動かないことから、既に息絶えていることが見て取れる。

 

「侵入者ですよ。威嚇射撃のつもりだったのですが、不運な方です……」

 

 教祖は黒服の呼び掛けに平静な声音で応じる。

 人をその手にかけておきながら、それを『不運』の一言で片付け、その顔には平然と笑みすら浮かべられている。

 

「も、申し訳ありません! こちらの不手際です!!」

 

 教祖の底知れぬ笑みに、荒事に慣れているであろう黒服ですらも若干引き気味だ。侵入者の存在を許してしまった自分たちの失敗もあってか、萎縮したように頭を下げていく。

 

「もう片方のねずみは? もしよろしければ、私どもの方で処理を……」

 

 名誉挽回とばかりに、黒服の一人がもう片方の侵入者——まだ生きているねずみ男へと冷酷な視線を向ける。

 その処遇をどうするか一応のお伺いを立ててはいるが、その懐からは黒光りする拳銃を取り出そうとしていた。

 それで何をどうするか、説明するのも野暮というもの。

 

「——お、お待ちください!! 教祖様!!」

 

 瞬間、その凶器の矛先が向けられるよりも早くに、命の危険を察知したねずみ男が声を上げた。

 

「私めは教団の信者でございます!! この男! この男に脅されて仕方なくこのような真似をしでかしてしまいました!! どうか、どうか私の罪をお許し下さい! 教祖様!!」

 

 彼は低頭平身、涙や鼻水を流しながら必死に命乞いをする。

 自身の欲望から教団の金を狙っておきながら、その責任を全て死んだ湧太へと押し付けたのだ。

 

「…………」

「…………」

 

 プライドもクソもない、その平伏ぶりには黒服たちもポカンと口が開いてしまうほどだった。

 

「なるほど、そういうことでしたら仕方がないでしょう」

 

 すると、教祖はねずみ男の言い分に理解を示し、手にしていた拳銃を下げる。

 

「さぞ怖かったでしょう。もう大丈夫、誰も貴方を責めたりなどしませんよ」

「へっ……よ、よろしいのですか?」

「せ、先生!?」

 

 まさか許されるとは思っていなかったのか。ねずみ男の方が目を丸くし、黒服たちも教祖の判断に驚いてしまっている。

 だが彼らの困惑などお構いなしに、教祖はねずみ男に向かって優しく微笑みかけていく。

 

「貴方は確かに間違いを犯してしまった。けれど人は過ちを正すことができる生き物です。神もきっと、貴方を許してくれることでしょう」

「あ……ありがとうございます!! ありがとうございます!!」

 

 教祖の寛大な措置にねずみ男は感涙に咽び泣く。勿論それは嘘泣きではあるのだが、とりあえずその場を乗り切れたことにホッと胸を撫で下ろす。

 

「さて……」

 

 そうして、何でもないことのようにねずみ男に許しを与えた後、教祖はその視線を死体となった湧太へと向ける。

 

「こちらの方のご遺体は『巣穴』へ。彼らの食糧として、十分に有効活用させてもらいましょう」

 

 ねずみ男を『許す』と言ったその口で、教祖は『死体を利用』などと残酷なことを平然と言ってのける。しかも、そこには何の感情の揺らぎもない。

 全ての台詞が同じトーン。顔の笑みも崩すことなく紡がれていた。

 

「は……はい! しょ、承知致しました!!」

 

 その笑顔を前に、黒服たちも口を挟めなかった。教祖の言葉に逆らうことを本能的に恐れ、ただ彼の言葉に従うしかなく。

 

 

 湧太の遺体を——『なりそこないの巣穴』へと運び込んでいく。

 

 

 

 

 

「あの……どこまで運べばよろしいんでしょうか?」

「黙って付いてこい。お前も……そうはなりたくないだろう?」

 

 月明かりの下、男たちが湧太の死体は何処かへと運び込む。

 とはいえ、実際に遺体を背負っているのはねずみ男一人だ。黒服の男たち二人は、ねずみ男が逃げられないように彼を監視。一方で、教祖は身体を休めると屋敷の奥へと引っ込んでいた。

 教祖の犯した殺人を隠蔽すべく、ねずみ男と黒服たちが死体を投棄する場所を目指して黙々と歩いていく。

 

「ほら、着いたぞ」

「はぁはぁ! ふぃ~……つ、疲れた……」

 

 数十分ほど歩いたところで、黒服はぶっきらぼうな口調で目的地に辿り着いたことを告げる。ずっと湧太の遺体を担いで歩いてきたため、ねずみ男は疲労困憊。心なしか、汗をかいた背中から妙な暖かさを感じる。

 地面に遺体を横たわらせ、ねずみ男は周囲を見渡す。

 

「夜の海ってのは……どうしてこう不気味なのかねぇ……」

 

 そこは教祖が住まう屋敷の裏手、海岸線にそり立つ断崖絶壁にあった。そこから眺めることができる夜の海は不気味なほど静まり返り、引き込まれそうなほどに暗い世界が広がっている。

 暗がりの中、足元を注視しながら崖を降りていった先で、一行はその場所——『巣穴』へと辿り着いていたのだ。

 

「あの、先輩……ここはいったい?」

 

 ふと、黒服の一人が困惑気味にもう片方の黒服に『巣穴』とは何なのかを尋ねる。

 その黒服は新人らしく『そこ』がどういった場所なのか、詳しくは聞かされていないようであった。

 

「なんだ、お前……ここに来るのは始めてか?」

 

 先輩の黒服は、後輩の黒服の質問に——その『穴』を指し示しながら答える。

 

「ほれそこだよ。その穴の中が……連中の住処になってやがるのさ」

 

 それは切り立った崖の斜面、岩場に自然発生した洞窟の穴だった。落ちたら自力では這い上がってこれない深さのその穴の中を、ねずみ男と後輩が覗き込んでいく。

 夜ということもあり、穴の中はひたすら真っ暗だった。黒服は何も見えない穴の内部を懐中電灯の光で照らし、そこに何があるかを確認しようとする。

 

 

『——オォオオオオオ』

 

 

 そのときだ。照らされた光に反応するかのよう、内部に潜んでいた『なにか』が唸り声を上げる。

 ヒタヒタと洞窟内で足音を鳴らすそれが、光を求めるようにその姿をねずみ男たちの視界へと晒していく。

 

「な、な、な……なんだありゃ!?」

『オ、ウォオオオオ』

 

 それはねずみ男ですら、思わずたじろぐほどに悍ましい姿をした『化け物』だった。

 

 全身が緑色の皮膚。疲れ切った老婆のような長い白髪、魚のような唇から剥き出しの牙が露出している。ギョロッと飛び出た目玉からは涙が溢れ出し、その口からは悲鳴のような絶叫が漏れ出していた。

 その佇まいからも、とても理性があるようには見えない。そんな悍ましい化け物が穴の奥で蠢いているのだ。

 しかも、一匹ではない——。

 

『——ガァアアア』

『——アォォアア』

 

 目視で確認できるだけでも二、三匹。鳴き声などから、さらに多くの化け物が穴の中に潜んでいることが窺い知れる。

 

「あ、あれが……なりそこない。け、結局のところ……なりそこないってなんなんですか!?」

 

 後輩の黒服も、それが『なりそこない』と呼ばれる存在であることは既知らしい。だが具体的に何がどうなってあれが生まれたのか、その詳細までは知らないでいた。

 

「何って……人間だよ。人間がなりそこなって、ああなったんだよ。人魚の肉を食ってな……」

 

 先輩の黒服は、なんでもないことのように事実のみを口にしていく。

 

 

 人魚の肉。

 伝承にもあるよう、それは食べたものに『不老不死』を与えてくれる。眉唾物の伝説だが、それ自体は偽りのない真実であるという。

 だが全ての人間が、人魚を口にして無事に不老不死を得られるわけではない。人魚の肉を食べた途端、大抵の人間は体調に不調をきたし——そのまま息絶えるという。

 不老不死になろうとする肉体の変化に、身体が耐え切れずに起こる拒絶反応。ほとんどの人間はこの段階で死んでしまうのが普通らしい。

 

 しかし幸運にも、いや不幸なことに。それでも生き残ってしまうものが一定数いる。

 その場合、彼らは人間ではない——別の生物へと自身の肉体を変化させてしまう。

 

 それこそが、あの半魚人のような姿——『不老不死になりそこねた』人間だったものの成れの果て。

 

 ああなってしまっては最後、もう元の姿に戻ることはない。化け物のまま永遠に、この現世を彷徨い生きるしかないというのだ。

 

 

「先生……教祖は儀式と称して、定期的に信者たちに人魚を食わせてる。不老不死の人間を生み出そうとしてるんだよ」

『オ、オオオオオオ!!』

 

 穴の奥からこちらを仰ぎ見る犠牲者たちに対し、先輩黒服は冷ややかな視線を向けつつ教祖の目的を語った。

 

「その目論見が上手くいったことなんざ、一度としてないがな……その度に、なりそこなった連中は俺らがここに投げ込んでるんだ」

 

 だがその目的の全てが失敗に終わっており、その都度、この巣穴になりそこないを投げ込むのが黒服たちの通常業務になっているとのこと。

 

「まっ……俺らも死体の処理なんかに困ったときは、この穴を使ってる。ここに入れときゃ、連中が勝手に骨も残さずに食ってくれるからな」

「————!」

 

 付け加えるよう、先輩黒服は身の毛もよだつようなことを平然と言ってのける。教祖は化け物となった人間を捨てる場所に、黒服たちもここを死体処理場として利用しているという。

 どちらも人間としての倫理観を捨てた行為だ。ねずみ男も、後輩の黒服ですらも絶句するしかないでいた。

 

 

 

「さあ……お喋りはここまでだ」

 

 そうして一通り語り終えるや、先輩黒服は懐から拳銃を取り出し、それをねずみ男へと突き付ける。

 

「さっさと死体を担いだまま……その穴ん中に飛び込めや!」

「へっ……? ご、ご冗談を……」

 

 ねずみ男も、話の流れからここに湧太の死体を遺棄することくらいは察せられたが、まさかの言葉に思わず苦笑いを浮かべる。

 自分もその巣穴に飛び込むなど、まるで——ここで始末されるような響きではないかと。

 

「冗談じゃねぇよ……お前も、死体と一緒にここで朽ちるんだ」

「……ひ、ひぃっ!?」

 

 しかし先輩黒服はニヤリともせず、真顔でねずみ男に死刑宣告を下す。ねずみ男も相手が本気だと分かり、その顔面が真っ青になっていく。

 

「先輩? こいつは生かしておくと、先生が仰って……」

 

 これに後輩が口を挟んだ。

 教祖はねずみ男を許すと言った。それを自分たちの判断で勝手に覆していいのか、慎重になっているようだ。

 

「けっ! なに甘いこと抜かしてやがる!! ここまで知られて、生きて返すわけにはいかねぇだろが!!」

 

 しかし後輩の懸念を先輩である黒服は一蹴した。最初からそのつもりだったのか、全く迷いのない判断で吐き捨てる。

 

「安心しろって、教祖にはこいつが『うっかり足を滑らせて巣穴に落っこちた』とでも報告しとくからよ。それなら『不運』の一言で片付けられるだろう?」

「…………」

 

 確かにあの教祖であればそれで納得しそうだと。後輩もそれ以上は何も言えない。

 

「か、勘弁して下さい!! 命ばかりはお助けをっ!!」

 

 ここでねずみ男はすかさず土下座。先ほども土蔵でしたような、見事なまでの平謝りでその場を切り抜けようとする。

 もっとも、その手はもう通じない。

 

「おいおい、あんまり手間かけさせんな。お前も男なら覚悟決めろや、なっ?」

 

 既に彼の中でねずみ男を始末するのは決定事項となっていた。拳銃をねずみ男の眼前でちらつかせ、あくまで彼自身の意思で穴の中に飛び込むように迫っていく。

 

「…………」

 

 先輩の悪趣味な行いに後輩の黒服が顔を顰めるが、彼にはそれを止める権限がない。

 また一人、誰かが命を散らせていく光景を黙って見届けるしかないでいる。

 

 

 

 

 

「——せ、先輩っ!?」

 

 

 だが、その刹那——後輩が声を上げる。

 彼は『信じられない』という気持ちで、その口から悲鳴のような叫び声を上げていた。

 

「ああん……? なんだよ、まだ何か……」

 

 後輩の悲鳴に先輩は気怠げに振り返る。まだ何か文句があるのかと、眼光を鋭く睨みを効かせようとするのだが——。

 

 振り返った直後、彼の思考はそこで停止した。

 そこに——『絶対に存在してはいけない人間』が立っていたのだ。

 

「——おらっ!!」

 

 その人物は戸惑う先輩黒服の腹へと拳を突き出し、続け様顎下に掌底をお見舞いする。

 

「がっ!? う……嘘だろ……な、なんで……?」

 

 完全に不意を突いた一撃をまともに喰らい、黒服は悶絶し倒れていく。だが気を失う直前まで、彼も『信じられない』という気持ちで呻き声を上げていた。

 

 

「な、なんで……お前……生きて……?」

「…………」

 

 

 そう、自分を殴り付けてきたその人物、その男は——死んだ筈の『湧太』だったのだ。

 

 確かに彼は死んでいた。それはこの場にいる全員で確認した事実だ。万が一、生きているなんてことがあってはならないよう、心音も呼吸も全てが止まっていることを念入りに確認した。

 

 その上で彼は生きていた。その事実を受け入れることができず、全員が唖然と立ち尽くす。

 

「痛てて……ぺっ!!」

 

 だが、湧太は自身の生死など気にした様子もなく、身体の痛みに顔を顰めながらその場で唾を吐く。吐き出された唾の中には——彼の体内で留まっていた筈の『弾丸』が混じっていた。

 彼の命を奪った凶弾。血に染まっていることから、それが本物であることは確かだ。

 

「……なんなんだ……なんなんだよ、お前さんは!?」

「…………」

 

 湧太が黒服を殴り倒してくれたおかげで助かったねずみ男だが、彼も混乱していた。黒服後輩も、倒された先輩に駆け寄る余裕もなく、その場に立ち尽くしている。

 そんな彼らの『何故?』という視線にも慣れたものだと。湧太はため息を吐きながら愚痴を溢していく。

 

 

 

「——生憎、この程度で死ねれば……こっちも苦労はしねぇんだよ」

 

 

 

×

 

 

 

「結構歩いたと思うけど、まだ奥があるな……」

「どこまで続いてるのかしら、この洞窟……」

 

 その頃、鬼太郎たちは教団の信者たちに追われる形で逃げ込んだ洞窟を奥へ奥へと進んでいた。

 ほとぼりが冷めるまで動かずに待機することも考えたが、今も鬼太郎たちを探し回っている信者たちが、いつ洞窟の存在に気付くとも限らない。

 彼らが自分たちの後を追って来てもすぐに逃げられるよう、別の出入り口がないか洞窟内を探索していたのだ。

 だがその洞窟が思いの外深く、どこまでも奥へと続いていた。幸い一本道であったため迷うことはなかったが、一向に地上へと出れる気配がない。

 

 いったい、この洞窟はどこまで続いているのだろう。

 

「……ん? なあ……何か、聞こえてこないか?」

 

 ふいに、鬼太郎たちにこの洞窟の存在を教えてくれた真魚が、何かしらの『音』を聞き取る。

 彼女の言葉に鬼太郎たちも耳を澄ませると、確かに洞窟の奥から『波の音』らしきものが聞こえてくる。さらには嗅覚をツンと刺激する潮の香りも。おそらく海辺が近いのだろう。

 

「……なんだ? 誰か……いるのか?」

 

 だが、それと同じタイミングで——『人の声』のようなものも聞こえてくる。それも複数人。

 まさかこんな洞窟に人が集まっているわけがないと。そう思いながらも奥へ進めば進むほど、聞こえてくる声は大きくなってくる一方だ。

 

「鬼太郎……」

「ああ、行ってみよう……」

 

 いったい、この洞窟の最深部に何があるというのか。

 猫娘や鬼太郎は覚悟を決め——そこに広がっていた光景を目の当たりにする。

 

 

 

 

 

「——な、なんじゃ、これは!?」

 

 その光景を視界に収めた瞬間、目玉おやじですらも思わず目を見開く。長い洞窟の一本道を道を抜けた先——そこには広々とした空洞が広がっていた。

 

 それは、俗に『海蝕洞』と呼ばれる海に面した洞窟だ。

 イタリアのカプリ島に『青の洞窟』と呼ばれるものがある。洞窟内部に太陽光が差し込み、反射することで水面を美しく幻想的に輝かせる現象。日本国内にも数カ所、そういったスポットは存在する。鬼太郎たちが今いるこの場所も、地形的にはそれと似通ったものだろう。

 無論、今は夜なのでそのような神秘的な光景を拝むことはできない。それに、たとえ日中であったとしても、そこが幻想的な雰囲気に包まれることはないだろう。

 

 

 何故なら、その洞窟内は——人間の手によって、本来あるべき姿から乖離されていたからだ。

 自然の恩恵によって生まれた天然の洞窟。そのあちこちに、無粋な『人工物』が散らばっていた。

 

 

「——おっと……危ねぇ!?」

「——気を付けろ! もっと慎重に運び込め!!」

 

 陸地部分の建物——倉庫と思しき場所から、黒服の男たちが『積荷』を運び込んでいる。先ほどから聞こえてくる人の声は彼らのものだ。

 積荷は『現金』や『金塊』、『拳銃』といった違法な武器から、『白い粉』といった違法なクスリまで。まさに密輸品の見本市。

 そういった危険な代物の数々が——船舶へと運び込まれていた。

 

 そう、海面には数隻の船が停泊している。そこは『港』として機能していたのだ。

 

 それこそが、この地における最大の秘密。

 教祖の屋敷の地下。教団の聖地を隠れ蓑に秘密裏に建造された、黒服たち——犯罪組織の地下交易港だった。

 

 信者たちの布教活動によって集められた現金や金塊を保存しておく倉庫もここにあり、銃などの非合法な武器もここで扱っている。さらには信者たちが何も知らずに丹精込めて育てた畑の植物から作られる・白い粉の生産地もここだ。

 完全なるアンダーグラウンドの裏世界は当然、教団の信者たちにも秘匿されていた。その存在を知ったものを、黒服たちは決して許しはしないだろう。

 

 

 

「——!! いたぞ、侵入者だ!!」

「——っ!?」

 

 洞窟内を見廻っていた黒服の一人が、非正規のルートから侵入した鬼太郎たちを見つけ、仲間たちに大声で知らせる。

 地上での信者たちの騒ぎを聞き、念の為にと地下の警備を増やしていたため、迅速に対処出来たのだろう。

 

「——生かして返すな!!」

「——撃て、撃て!!」

 

 そして、侵入者への対応も前もって決められていたことなのか。集まってきた黒服たちは躊躇うことなく懐から拳銃を抜き、警告もなしに発砲する。

 迷いのない動作、銃の扱いもそれを人に向ける術も心掛けているようだ。

 

「い、いかん!! 避けろ、鬼太郎!!」

「っ!?」

 

 これに目玉おやじが素早く叫ぶも、鬼太郎の反応はワンテンポ遅れた。

 いかに妖怪の彼らでも、この状況で冷静に行動するなど無理があった。思いがけず見てしまった教団の秘密、それを理解して飲み込むだけでもそれなりに時間が必要だ。

 

 もっとも、ただの銃弾で妖怪に致命傷を負わせることは難しい。鬼太郎への銃撃は先祖の霊毛で編まれたちゃんちゃんこが全て弾き、猫娘もその類稀なる反射神経でなんとか銃弾を躱していく。

 黒服たちも、侵入者が妖怪などとは思いもよらない。あくまで人間を相手にする布陣で対応するしかなく、それでは十全に鬼太郎たちを迎え撃つことなど出来ないだろう。

 

 だが、鬼太郎たちに混じって——そこに『一般人』がいたことを失念してはいけない。黒服たちの放つ銃弾の雨は、たった一発でも人間に致命傷を与える。

 

 

「——あ……はっ……あ……?」

 

 

 そう、鬼太郎たちと一緒だった彼女が——真魚が撃たれたのだ。

 銃弾を受けた腹部が鮮血に染まり、彼女の華奢な身体がその場に崩れ落ちていく。

 

「ま、真魚……さん!?」

「ま……真魚!!」

 

『大切な友人の少女』と同じ響きの名前を持った、真魚の名を叫ぶ鬼太郎たち。すぐ側にいながらも守れなかった。ただの一般人を巻き込んでしまったと、鬼太郎たちの顔が罪悪感に歪んでいく。

 

「こ、こいつら……妖怪だぞ!?」

「もっと手勢を集めろ!! 絶対に逃すなよ!!」

 

 一方で、黒服たちは一向に手を緩めない。

 それどころか鬼太郎たちが妖怪だと察するや、さらに攻勢を強めてくる。たとえ罪なき少女が血に染まろうとも、彼らが罪の意識を抱くことなどない。

 

「お前たち……!!」

 

 これに鬼太郎が怒りを見せ、反撃に転ずる。

 リモコン下駄で黒服たちの拳銃を弾き飛ばし、銃弾代わりに髪の毛針を撃ち込んでいく。命まで奪うつもりはないが、それ相応の痛みは受けてもらわねばと。

 

 黒服たち一人一人の意識を、妖怪らしく無慈悲に容赦なく刈り取っていった。

 

 

 

「ちょっと!? しっかりしなさい!?」

「猫娘!! すぐに止血じゃ!!」

 

 鬼太郎が黒服たちの相手をしている間に、猫娘と目玉おやじが倒れた真魚へと駆け寄る。

 

「はぁ、はぁ…………かっ……!」

 

 かなりの深傷ではあったが、そのときの真魚にはまだ息があった。猫娘はそれを希望とし、傷口を塞いで応急処置を試みる。

 だが流れ出る血の量が、息絶え絶えといった真魚の容体が彼女の命がもう長くないことを告げていた。

 

 真魚は死ぬ。

 それは避けようのない現実である。

 

「だ……だい、じょうぶさ……こんなんで私は、死なない……死ねないんだ……」

 

 しかし意識が朦朧としながらも、真魚は自分が死ぬなどと微塵も思っていない。自分を心配してくれる猫娘を安心させるよう、微笑みすら浮かべていた。

 それでも、どれだけ強気に振る舞おうと真魚の運命が覆るわけではない。

 

「————」

 

 程なくして、真魚は息を引き取った。

 死ぬときはあっさり死ぬ。それが人間という命の脆く儚いところである。

 

 

 

 

 

「ま、真魚? ねぇっ!! しっかりしなさいよ!?」

「駄目じゃ。彼女は……もう……」

 

 真魚に向かって必死に呼び掛ける猫娘だが、死んだものがその叫びに答えることはない。

 救えなかった、助けられなかったと。猫娘も目玉おやじも、己の非力さに力なく項垂れるしかない。

 

 ところが——。

 

「…………ん? ま、待て!!」

 

 目玉おやじが気付いたように、変化はすぐに起きた。

 事切れていた筈の真魚の傷口から、流れ出る血と共に弾丸が抜け落ちた。直後、出血はピタリと止まり、その傷口が巻き戻しのように塞がっていくではないか。

 

 

「——かはっ!? ゲホッ、ゲホッ!! はぁはぁ……はぁ……」

 

 

 刹那、真魚が息を吹き返した。

 苦しそうに咳き込み、血を吐きながらも彼女はゆっくりと身体を起こしていく。

 

「う、嘘でしょ?」

「こ……これはいったい!?」

 

 猫娘や目玉おやじも、喜びよりも困惑が勝る。

 真魚は確かに『死んでいた』。彼女が死ぬその瞬間を、妖怪たちは確かに見届けた筈だ。

 

 なのに、彼女は息を吹き返した。一度完全に死んでおきながらも、すぐに『生き返って』しまったのだ。

 いったい何が起きているのか、妖怪たちにも全く状況が飲み込めないでいる。

 

「……なっ? 死ななかっただろ?」

 

 当の本人、真魚は無事に自分が生き返ったことをさも当然のように、少し寂しそうに呟いていた。

 

 

「——このくらいじゃ死ねないんだよ。私も……湧太も……」

 

 

 

 

 

「——せ、先生……先生!!」

「何事です、騒々しいですね……!?」

 

 武家屋敷。一人自室で読書に耽っていた教祖の元に、黒服たちが切羽詰まったように駆け込んできた。いきなり部屋に入ってくるという無作法に笑顔のまま眉を顰める教祖だったが——。

 

「——よお……さっきはよくもやってくれたな、教祖さんよ!!」

「——!!」

 

 そこにいた人物を前に流石に言葉を失う。そこには死んでいた筈の青年——湧太が立っていたのだ。

 彼は黒服の一人を羽交締めにし、それを盾に殴り込みに来ていた。仲間が人質になっていたため、他の黒服たちも手が出せずにいる。

 もっとも、黒服たちがその気になれば湧太など人質ごと亡き者にしていたことだろう。だが——。

 

「せ、先生……こいつ、生き返ったんです!! 死んでいたのに、息を吹き返して……」

 

 人質の黒服が叫ぶ。

 彼は湧太の死体を処分するように言われていた後輩の黒服だ。彼の口から『湧太は死んでも生き返る』という事実が叫ばれていた。

 

 そう、殺したところで湧太は何度でも蘇る。その事実が黒服たちに動揺を与える。

 教祖が信者たちを使って生み出そうとしている——『不老不死』の人間。なりそこないではない、その本物が目の前にいるという事実。

 

「まさか……そんなことが……」

 

 教祖の顔にも初めて動揺らしきものが浮かぶ。彼は湧太を見つめ、その腹部に血の跡があることを確認。目の前にいる青年が、自分が撃ち殺した湧太本人であることを見定める。

 そう、湧太が間違いなく不老不死の人間だと、それを理解した瞬間——。

 

 

「——お、おおっ!! やっと……やっと見つけましたよ!!」

 

 

 その顔に満面の笑み、涙すら浮かべ——歓喜の声を上げていた。

 

 




人物紹介
 湧太
  改めて、原作の主人公。その正体は人魚の肉を食べた元漁師の青年。
  見た目は普通の青年ですが、実年齢は五百歳とかなりの年長者。 
  その割には性格も普通の兄ちゃんといった感じ。精神年齢が肉体に引っ張られるということでしょうか。
  
 真魚
  原作のヒロイン。湧太と同じく、人魚の肉を食べて不老不死になった少女。
  肉体年齢は十五歳、原作の時代設定が昭和なのでまだ百歳にも満たない(昭和なんて最近だし)。
  初登場時は結構苛烈な感じですが、普段は割とすっとぼけた感じの普通の女の子。
  
 なりそこない
  人魚の肉を食べながらも不老不死になれなかった怪物。
  凄まじい膂力と生命力を持つ反面、知能はほぼ皆無。
  並大抵のことでは殺すことができない筈ですが、割と原作では普通に倒されています。
  こうなってしまったら最後……死ぬ以外の救いがないという、悲運な存在。
  
 黒服・先輩後輩
  ねずみ男を始末しようとしたのが、先輩黒服。
  ちょっと穏便な感じに見えるのが、後輩黒服。
  先輩の方は湧太にぶん殴られてフェードアウトしてますが……後輩の方にはこの後にも役割があります。





次回予告

「父さん、自分の『容姿』に悩みを持った人間がいましたが、
 それと同じくらい、自分の『性格』に悩みを持った人間がいると聞きます。
 けど、何かの力を借りてその性格を直したとして、それはその人自身と言えるのでしょうか?

 次回——ゲゲゲの鬼太郎 『ぼっち・ざ・ろっく!』 見えない世界の扉が開く」

 今尚ムーブメントを巻き起こしている作品。鉄は熱いうちに打てとばかりに話題に乗っかる形になりますが。
 しっかりと妖怪も登場。鬼太郎らしい話を展開していくつもりですので、そこはご安心ください。

 勿論、まずは『人魚の森』をしっかりと完結させた後に話を書いていきます。
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

人魚の森 其の④

この間、更新したぬらりひょんの孫の小説の方でも述べましたが、『グリッドマンユニバース』公開初日に観に行って来ました! というか、既に二回目も観に行きました!
ネットや公式の雑誌でもネタバレが解禁されていますが、まだ行ってない人はネタバレなしで行くと衝撃、楽しさも倍増する作品です!

そして、これもぬら孫のほうで述べましたがずっと視聴を続けていた『デジモンゴーストゲーム』が終わってしまいました。
後番組で始まった『逃走中グレートミッション』も一話を見てみましたが……今のところは何とも。

なんだか、主人公の弟が可愛すぎなところが印象に残ってる。
この間アニメ化が発表された『逃げ上手の若君』も可愛いショタだし。
久しぶりに見た最新作の『プリキュア』でも、男の子がプリキュアになってたし。

……大丈夫なのか、これ? キッズの性癖が歪むぞ……。


というわけで、ようやく『人魚の森』のクロスオーバーが今回で完結です。
色々と苦労しましたが、なんとかいい感じに話をまとめることが出来ました。
最後は結構詰め込んでいますので、どうかじっくり読み進めて楽しんでください。




「——他のものには席を外してもらったよ。キミとは……どうしても、二人だけで話がしたかったからね」

「…………」

 

 月明かりの下、武家屋敷の庭先で教祖と湧太の両者が二人っきりで向かい合っていた。

 

 教祖は湧太が人魚の肉を食べて無事に生き残った人間——『不老不死』だと分かるや、すぐに『話し合い』の場を設けるように提案してきた。教祖の申し出に湧太は面食らったが、彼としてもそれを受け入れるしかない。

 確かに湧太は不老不死ではあるものの、それ以外は多少喧嘩慣れした青年でしかなく。教祖の取り巻き、黒服たちに本気で武力介入されれば成す術もなく無力化されてしまうだろう。

 

 教祖の油断を誘うためにもその提案に乗り、そこからどうするか話の流れで考えていくしかないと。

 とりあえず、湧太は相手の出方を伺うのに注視していく。

 

「……っと、その前に……」

 

 すると湧太の懐疑的な視線に何かを察したのか、教祖が動く。

 彼が徐ろに懐から取り出したものは『ナイフ』だった。鋭利な凶器を前に身構える湧太だったが、教祖はそのナイフを——躊躇うことなく自身の胸元へと突き立てた。

 

「なっ!?」

「ぐっ……ぐふっ……」

 

 突然の凶行に目を剥く湧太。当然、教祖は血を吐き苦悶の表情を浮かべる。

 なんとか力を振り絞って突き立てたナイフを引っこ抜くも、すぐにその瞳からは光が失われ、身体が膝から崩れ落ちていく。

 

 

 内臓への深傷に出血多量。教祖はその瞬間——確かに死んでいた。

 

 

「——かはっ!!」

 

 だが、数秒後にはビクンと、教祖の肉体が動き出す。

 傷口も塞がり、止めどなく流れていた血もすぐに止まった。湧太と同じだ。死んでもすぐに——教祖は生き返っていく。

 

「ご覧の通りさ。私も人魚の肉を口にし、不老不死になった身だ……キミと同じようにね」

 

 教祖は自分が湧太と同じ、人魚の肉を食べた不老不死の存在であることを死んで見せることで証明したのだ。

 そのためだけに自分で自分の命を躊躇なく絶って見せる教祖の行動力に、湧太は空恐ろしいものを感じる。

 

「別に……わざわざ証明して貰わなくても疑いはしねぇよ……」

 

 もっとも証明などされなくとも、今更教祖が不老不死であることを湧太は疑っていない。

 土蔵で人魚のミイラを見つけたときから、相手が自分と同じ存在であろうという確信があった。問題は、彼がどのようにして今のような身体になったということだが——。

 

「私がこの身体になったのは……今から二百年ほど前のことだったかな?」

 

 湧太の聞きたいことを見透かすかのよう、教祖は自身の身の上を語っていく。

 

 

 

 二百年前。

 教祖は『仲間たち』と共にこの島に漂着したという。そのときの教祖はただの船乗りだった。彼の乗る船が不幸な事故により、当時はまだ無人島だったこの島に流れ着いてしまったのだ。

 

 最初に結果だけを語るのであれば——彼はたまたま近くを通りかかった漁師の船により、島から脱出することが出来た。

 だが救助される際、彼は一人だった。他の乗組員、教祖の仲間たちは皆——人魚の肉を食べた副作用によって死んでしまったのだ。

 

「……俺も、俺以外のやつはみんな死んじまったよ。誰も……人魚の肉に身体が適応出来なくてな……」

 

 教祖の話に、昔を懐かしむように湧太も自らの過去を語った。

 湧太が人魚の肉を食べたのは、教祖よりもさらに昔——五百年も前のことだ。当時の湧太は漁師をしており、同じ漁師仲間が見つけてきたという人魚の肉を面白半分で口にしてしまったのだ。

 

 結果、湧太以外のものは皆死んだ。

 

 あるものは、人魚の肉を食べた直後に——。

 あるものは、その翌日に血を吐いて息絶えた——。

 

「私の仲間たちも似たような末路でしたよ……誰一人として、二日と生きることが出来なかった……」

 

 教祖も神妙な顔つきで仲間たちの最後を語る。

 教祖やその仲間たちが人魚の肉を食べたのは、必要に迫られたからだ。島に流れ着いて数日が経ったある日、彼らは島の奥で『人魚』を発見したとのこと。他に空腹を満たすものもなく、このまま誰も助けに来ずに死んでしまうのかという恐怖もあってか。

 それが人魚の肉だと認識した上で、教祖たちは自らの命を繋ぐためにそれを喰らったのだ。

 

 当然、人魚の副作用は彼らにも『死』をもたらした。

 

 あるものは、人魚を食べてすぐに倒れ——。

 あるものは、その翌日に前触れもなくショック死し——。

 あるものは、なりそこないの化け物となりながら醜く死んでいった——。

 

 

 そうやって、湧太も教祖も——仲間たちの死をすぐ側で見届けたのである。

 

 

「……キミはどう感じた? 仲間たちが次々と死んでいくのを見て……何を思った?」

 

 自分と似たような境遇を持った湧太に、教祖はより一層シンパシーを感じたのか。隣人が次々と死んでいくことに対し、どのような感情を抱いたのか感想を求める。

 

「怖かったさ。自分もいつか死んじまうんじゃねぇかと、一ヶ月はまともに眠れなかった……」

 

 当時の感情を思い出しながら、湧太は正直に吐露する。

 食べた直後に生き残ったからといって油断は出来ない。人魚の肉は遅効性の猛毒のように、遅れながらも人間の肉体に悪影響を及ぼすこともあるのだ。

 自分も仲間たちのようにいずれは死んでしまうのではないかと、怯えるような日々を過ごしたものだ。

 

「そうだね……それは私も同じだ。彼らのように死んでしまうのではないかと……震える夜を何度繰り返したことか……」

 

 その点は教祖も同じだった。

 どんな人間であれ、いつ死ぬかも分からない恐怖に打ち勝つことはできない。今日を乗り越えられたからといって、明日が無事だとも限らない。

 常に死を意識した日々、きっと生きた心地がしなかっただろう。

 

 

 だからこそ——いつまで経っても訪れない『死』に、最初はかなり戸惑ったという。

 

 

 十年、二十年と。それだけの時間をかけることで、ようやく彼らは悟ることが出来たのだ。

 何十年と何も変わることなく生き続けられる自分たちが、もはや只の人間ではなくなったということに。

 

 自分が——『不老不死』と呼ばれる存在になったのだと。

 

 

 

「——私は……何故自分一人だけ生き残ったのか。その理由をずっと考えたよ……」

「なんだと?」

 

 しかし、似たような境遇でありながらも自らの不死性を『自覚』したところから、湧太と教祖の二人に明確な差異が発生する。

 湧太は自分が『どうして生き残った』かなど考えたこともなかったが、教祖は自分の不老不死に『意味』を見出そうとした。

 

 死んでしまった仲間たちの死を無駄にしないためか。永遠に等しい時間の中を生きる理由が欲しかったのか。

 いずれにせよ教祖は考えた。考えて考えて、考え抜いた末に——彼は一つの『結論』に達した。

 

 

「私は……生き残るべくして生き残った。こうして不老不死を得られたのも……きっと神が私をお選びになったからだ! なればこそ、私には神のご意志を人々に伝えなければならない義務があるのだとね!」

 

 

 そう、それこそが教祖——ただの船乗りだった男が『神』の教えに目覚めた瞬間だった。彼は自分が生き残ったことを『神に選ばれた』からだという天啓を得たのだ。

 

「だから私は教団を設立した! より大勢の人々に神のご意志を伝えるため! 使命に賛同してくれる同志たちも私のサポートをしてくれている! きっとこれも神の導きによるものだ!!」

「…………」

 

 段々と熱を帯びてくる教祖の言葉に、湧太の背筋に寒気が走る。

 

 

 

 ——こいつ……本気だ! 本気で……神様なんてものを信じてやがる!?

 

 妖怪が蔓延るこの世界、実際に神様がいるかどうかはさておいて。少なくとも、教祖は神の存在を強く意識していた。

 

 それまで、湧太はずっと教団なんてものは全て『インチキ』だと思っていた。神の教えなんてものは建前だと。自分たちの利益を追求するためだけに信者を勧誘し、騙し、金を巻き上げていると。

 現に教祖の活動を支援している同志——黒服たちは神など信じてはいないだろう。彼らは教団を隠れ蓑に自分たちの悪事を隠蔽し、甘い汁を吸っているだけの犯罪組織に過ぎないのだ。

 

 ——自分のやってることが……本気で人のためだなんて思い込んでやがる!

 

 だが教祖に、彼自身に人々を騙しているという意識はない。

 彼は教団の活動が人類のためになると、自分が神の教えを広めることでこそ、世界は救われると——心の底から信じているのだ。

 

 教えを守るためであれば、きっと人殺しも辞さない。事実、教祖は湧太の命を一度は奪っておきながら何の呵責も抱いていない。

 教団の教えを信じて集まってきた信者たちにも『人魚の肉』を食わせ、適合できなかった『なりそこない』をゴミのように捨てている。

 

 そこに悪意がない分、ただの悪人なんかよりよっぽどタチが悪い。

 まさに『狂信者』というべき、歪な男。

 

 

 

「キミもだよ! キミが私と同じ不老不死だと言うのであれば、それこそが神に選ばれた証だ!!」

「!!」

 

 さらに教祖は自分が信じる教えを、神の意思を伝えるという役目を湧太にも押し付けようとする。

 

「いくら同志たちの助けがあるとはいえ、私一人では色々と限界があってね。せめてあと一人、私と同じもの……『同胞』の手を借りたかったんだ」

 

 どうやら信者たちに人魚の肉を食わせていたのも、自分と同じ存在を——不老不死の同胞を欲していたからのようだ。

 いかに黒服たちと利益で結びつこうと、信者たちから敬意を抱かれていようと。彼らでは永遠の命を持った自分と同じ目線に立つことはできないと。

 本当の意味で同じ時間を共有出来る同胞——『真の仲間』がいてくれればと思ったのだろう。

 

「…………」

 

 不覚にも、湧太は教祖の気持ちを理解出来てしまった。

 

 湧太もずっと一人だった。ずっと一人で流浪の旅を続け、気が付けば五百年。長い時間の中で他者との交流はあったが、普通の人間には当然のように寿命がある。

 たとえどんなに親しくなろうと、互いに想い合うことがあろうと——最後は必ず悲しい別れで終わる。

 その離別の苦しみを何十回、何百回、何千回繰り返すのが湧太の人生だった。

 

「……ふざけんな」

 

 しかし、今の湧太は『一人』ではない。

 それに気持ちを理解出来るからといって、その考えに同意できるわけでもない。教祖の歪んだ考えを否定するため、湧太は腹の底から拒絶の意思を込めて叫んだ。

 

「なにが……なにが神に選ばれた証だ!! こんなもんが……こんなもんが神様の都合であってたまるかよ!!」

「…………なんですと?」

 

 まさか断られると思っていなかったのか、教祖の顔が目に見えて分かるほど動揺に揺れている。

 

「俺たちが今も生きてるのに理由なんかあるかよ! 神なんざ関係ねぇ! 選ばれたなんざ……とんだ思い上がりだ!!」

 

 湧太は人魚の肉を食べて生き残れたことを『幸運』などと思ったことはない。寧ろ、下手に不老不死なんてものになってしまったことで、まともな人間としての生を奪われたのだ。

 もしも神様なんてものが本当にいるのならば、恨み言の一つや二つ吐き捨てたい気分だが——湧太自身、元より神など信じていない。

 

 人の生き死になど、所詮は運の良し悪しに過ぎない。

 そこに神様なんてものが介在する余地などない、少なくともそれが湧太の答えである。

 

「……では、キミは否定するというのか? 神に選ばれたことを、神から託された私たちの使命を……」

 

 湧太の返答に、教祖は動揺しながらも聞き返す。それが本当に湧太の心からの答えなのかと、認め難いことであるかのように。

 

「…………」

 

 教祖の問い掛けに湧太はもはや返事すらしなかったが、何も言わずともその表情が雄弁に語っている。

 決して教祖の考えになど賛同しない。同じ不老不死でも、互いの道は決して交わらないのだと。

 

「そうですか……それは残念です」

 

 教祖も、ようやく湧太の考えが分かったのか。僅かに寂しさを感じさせる呟きを溢しながら——。

 

 

「——本当に、残念ですよ」

 

 

 その手に再び拳銃を握りしめ——湧太に向かい躊躇なく発砲する。

 

 

 

×

 

 

 

「……がはっ!? て、てめぇ……!!」

 

 いきなりの発砲。もっとも、警戒はしていたことから何とか急所への直撃は避けることが出来た。銃弾は湧太の肩を貫通、その程度の怪我であればすぐに傷口など塞がるだろう。

 

「…………」

 

 だが教祖は無言のまま、さらに数発と銃弾を撃ち込んでくる。

 銃の腕そのものは素人のため、それらの銃撃も致命傷にはならない。どうやら一番最初、彼が土蔵で湧太を撃ち殺せてしまったのはただの偶然であったようだ。

 

「ぐっ……っ!?」

 

 しかし数発の銃弾で身体を撃ち抜かれ、湧太は堪らず倒れ伏す。湧太が倒れても尚、教祖は手持ちの弾が尽きるまでがむしゃらに発砲を続けた。

 

 そして弾を撃ち尽くすや——彼は吐き捨てるように言い放つ。

 

「——貴方には失望しました」

「……っ!!」

 

 撃たれた痛みに身悶えしながらも、湧太は顔を上げた。

 そこには冷酷な瞳で湧太を見下ろす、教祖の冷め切った表情があった。同胞を見つけたと喜んでいた先ほどまでの歓喜とは一変、まるで虫ケラでも見下すような冷たい眼差しをしている。

 

「神に選ばれておきながら……神から与えられた役目を放棄するとは!!」

 

 教祖は湧太に怒りを抱いていた。

 自分の誘いを断ったこと——神から託された義務を放棄するなどという愚行に、心底から激怒しているようだ。

 

 無論、神様がどうだの——そんなものは教祖の思い込みに過ぎない。

 

 誰も彼に人々を導くよう使命など与えていない。しかし、教祖にとっては『神に託された使命』こそが絶対の正義。

 不老不死でありながらもその正義を拒む湧太の存在は、この世の何よりも許し難い存在なのだ。

 

 勝手に期待しておきながら、勝手に失望する。

 自身の信仰の中でしか生きられない、実に視野の狭い男である。

 

 

 

「——せ、先生!!」

「——いかがされましたか!?」

 

 ここで庭先に黒服たちが駆けつけてくる。続け様の銃声で何事かと様子を見にきたのだろう。

 

「ちょうど良かった。もう一度、これを巣穴に捨ててきてください」

「……!!」

 

 そんな黒服たちに、教祖はもう一度湧太を『なりそこないが蔓延る巣穴』へと捨ててくるように命じた。度重なる銃撃で負傷している今の湧太では、それに抗うことは出来ない。

 もはや教祖にとって湧太は存在すら許されない相手なのだろう、視線すら向けずにその場から立ち去ろうとする。

 

「せ、先生……その、ご報告が遅れてしまいましたが……」

「……?」

 

 ところが、黒服たちは即座に教祖の命令を実行するでもなく。その報告を——現在進行形で起きている問題を教祖の耳に入れていく。

 

 

「——ち、地下に侵入者です! その……妖怪らしき連中が暴れていると……」

 

 

 

 

 

 湧太と教祖が対面していた頃から、屋敷の地下洞窟に建造された秘密の地下交易港では黒服たちが侵入者の対応に追われていた。

 

「——おい、もっと人数集めろ!!」

「——商品に手を付けても構わん! 絶対に連中を生かして帰すな!!」

 

 最初は拳銃で侵入者と交戦していた彼らだが、それでは埒が明かないと悟ったのか。大事な密輸品——『機関銃』で応戦するようになっていた。

 洞窟内で反響する銃声、乱射されるマシンガンの弾雨を前にまともな人間なら碌な抵抗も出来なかっただろう。

 

「また、危ないものを持ち出して来たな……」

「ちょっと厄介ね、どうしたもんかしら?」

 

 だが、黒服たちが相手をしているのは妖怪——それも、ゲゲゲの鬼太郎と猫娘である。

 流石に機関銃の登場には驚いたものの、それで何も出来なくなるほど柔な存在ではない。相手がそのような銃火器を持ち出してくるのであれば、それに対応した戦術を取るだけだ。

 

「指鉄砲!!」

「ニャアアア!!」

 

 鬼太郎が指鉄砲などの飛び道具で黒服たちの手から機関銃を弾き飛ばしていき、猫娘が俊敏な動きで銃弾の雨を搔い潜り、鋭い爪で敵を引っ掻いていく。

 黒服たちが荒事に慣れているとはいえ、あくまで対人間を想定している布陣だ。人間を超えた妖怪たちの動きに翻弄され、一人、また一人と無力化されていく。

 

「おお!? なんだかよく分かんないけど、すごいな……」

「これ真魚ちゃん!! 危ないから下がっていなさい!!」

 

 そんな妖怪たちの獅子奮迅の活躍に、岩の後ろに隠れながら人間の少女である真魚が感嘆の声を上げていた。彼女が無茶をしないようにと、その肩には目玉おやじが付き添っている。

 

 

 一度は死んだ身の真魚だが——彼女も湧太同様、人魚の肉を食べて『不老不死』となった人間だった。

 湧太が旅の途中で出会った真魚は『人魚の里』において、人魚たち自身の手で不老不死の人間となるべく育てられた。

 人魚という妖怪は、不老不死の人間を『喰う』ことで、その人間の容姿と若さを得ることが出来るというのだ。真魚はその若さと美しさを目的に『食糧』として、丁重に飼育されていたのである。

 

 その人魚の里から、真魚を解放したのが湧太だった。以来、真魚と湧太はずっと二人で当てのない旅を続けて来た。その道中で立ち寄った場所こそが、この島の漁師町なのだが——。

 まさか、その島の裏側でこのような事態に遭遇するとは、真魚本人も思ってもいなかったことだろう。

 

 

「……湧太、大丈夫かな?」

 

 とはいえ、彼女も不老不死であること以外はただの人間に過ぎない。

 鬼太郎と黒服との戦いに巻き込まれないよう、後方で待機しながらも——ここにはいない、誰よりも大切な『男性』の身を案じていた。

 

 

 

 

 

「なるほど、それはまた……」

 

 一方で、黒服から侵入者である鬼太郎たちのことを聞かされていた教祖だが、特に取り乱している様子はない。やはり並大抵のことでは動じない精神性の持ち主なのだろう。

 

「お手数をおかけしますが、脱出の準備を。まだ船の方は使えますので……」

 

 しかし黒服たちにとっては一大事。万が一にでも侵入者を討ち漏らし、教祖に何かあっては——『教団を利用した資金集め』に支障をきたしてしまうと。

 あくまで自分たちの利益のため、教祖に避難を促していく。

 

「……仕方ありませんね、分かりました」

 

 黒服の言葉に教祖も素直に頷く。

 協力者、共犯者である黒服たちの顔を立てるように、大人しく彼らの指示に従ってこの島から逃げ出すつもりのようだ。

 

「ま、待ちやがれ……!!」

 

 だが教祖を行かすまいと、湧太は地べたに這いつくばりながらも教祖の足首を掴んでいた。しかし銃で撃たれた傷がまだ癒えていないのか、握る手の力もどこか弱々しい。

 

「……ふんっ」

「ぐあっ!?」

 

 そんな湧太の掴んできた手を教祖は力付くで振り払い、さらにその顎先に蹴りをお見舞いする。湧太に対するぞんざいな対応、珍しく苛立ちを露わにする教祖の態度に黒服たちが冷や汗をかく。

 

「早く片付けておきなさい……『それ』は、もう私には必要ありません」

 

 やはり湧太に掛ける時間など惜しいとばかりに。

 教祖は黒服たちを護衛として伴い、その場から足早に立ち去っていく。

 

 

 

「ちくしょう……ま、待て……」

 

 教祖が立ち去る後ろ姿に、湧太は手を伸ばしていた。

 教祖が口にした『神から託された使命』を否定した湧太ではあったが、彼もある種の『使命感』に駆られていた。自分と同じ人魚を喰ったあの男を、教祖を放置することは出来ないという使命感。 

 自分たちのような不老不死の存在が、他の人間を不幸にしてはならないという思いから、死に物狂いで教祖を止めようとしていた。

 

「おい、大人しくしてろ!」

「どうせ死なねぇんなら……頭でも吹っ飛ばしておくか?」

 

 だがそんな湧太を嘲笑うかのように、教祖から彼の『処理』を任された黒服たちが近づいてくる。もう一度、湧太を巣穴へと運ぼうというのだ。

 それに抗おうとする湧太だったが、まだ身体が回復しきっておらず、碌な抵抗も出来ない。

 

 それでも足掻こうとする湧太に、黒服たちは拳銃を構える。

 頭など撃ち抜かれれば当然死んでしまう。生き返ることは出来るだろうが、それまでの間に巣穴へと放り込まれれば終わりだ。

 

 

 ここまで来て何も出来ずに終わるのかと、絶望感を味わいながら目を閉じる湧太——。

 

 

「——なっ!?」

「——お、お前……何をっ!?」

 

 ところが、ここで予期せぬ援軍が湧太を助けた。

 

「……!? あ、あんたは……」

 

 男たちの呻き声に閉じていた目を開くと、湧太を処理しようとしていた黒服二人に向かい——別の黒服が毅然と殴り掛かっていたのだ。

 

「——シッ!!」

 

 その黒服は二人の同僚の顎目掛けて、ボクサーと見まごうほどの神速のジャブを放つ。

 

「がはっ!?」

「ぎゃっ!!」

 

 的確に急所へと打ち込まれたキレのある拳に、黒服の二人が短く悲鳴を上げて倒れ伏していく。

 無力化された男たちを見下ろしながら、周囲に人気がないことを確認し——『裏切り者の黒服』がホッと安堵の息を溢していく。

 

「ふぅ~、大丈夫か? 傷は……もう治りかけているな……」

「あんた……確か、あんときのっ!!」

 

 その黒服は倒れる湧太に駆け寄って来た。相手方のまさかの行動に驚きを露わにする湧太だが、その黒服の顔に見覚えがあったことでさらに驚愕する。

 

 その黒服は、最初に湧太の死体をねずみ男と共に巣穴へと運び込もうとした——二人組の片割れ・『後輩』の黒服だったのだ。

 湧太が人質としていた黒服でもあり、教祖との話し合いの際に解放した筈の彼が、何故か湧太の窮地を救ってくれた。

 

「な、なんで……俺を助ける? お前、連中の仲間じゃ……?」

 

 当たり前の疑問として、湧太はその黒服にどうして自分に手を貸すのかと疑問を呈する。

 彼が湧太を助ける理由などどこにもない。こんなことをすれば、組織内で立場がなくなり——最悪、彼も処分されるだろうに。

 

「こちらにも、色々と事情があってな……」

 

 だが黒服に動揺するような素振りは全くなく。

 後輩として先輩相手に一歩引いた態度を取っていたときとは、まるで別人のように堂々と。湧太に肩を貸しながら、彼に言葉を掛けた。

 

「キミの登場で予定は狂ったが……この際だ、手を貸してもらうぞ」

 

 自身の目的を明確に言葉とすることで、湧太にも協力を仰いでいくのだった。

 

 

 

「——奴を追い込む算段は整った。あの男を……教祖なんて高みの席から引きずり降ろすぞ」

 

 

 

×

 

 

 

「くそっ! この化け物どもが!!」

 

 地下交易港での鬼太郎たちと黒服との戦いは、それなりの長丁場となった。黒服たちは大規模な犯罪組織だったのか、かなりの人員を動員した人海戦術で襲撃を仕掛けていた。

 いかに鬼太郎と猫娘といえども、一息で倒し尽くすには至らない物量の差がそこにあった。

 

「ちくしょう!! もう後がねぇぞ!?」

「おい!! 誰かあいつらを止められる奴はいねぇのか!?」

 

 だがそろそろ人員にも、武器弾薬の貯蔵にも限界が見え始めた。戦える者もあと僅か、機関銃の弾も底を突き掛け、黒服たちの勢いが目に見えて衰えていく。

 

「もう降伏しろ。これ以上は……」

 

 このタイミングで鬼太郎は黒服たちに降伏を促していく。

 

 真魚を殺された、死なせてしまった自身の不甲斐なさからつい熱くなってしまった鬼太郎だが、その真魚も何事もなく生き返った。

 それに、たとえ相手が犯罪組織であろうと、彼らが妖怪に関わりを持たないようであれば、鬼太郎から戦いを仕掛ける理由もない。

 鬼太郎に彼らを一方的に断罪する資格などないのだから、この辺りで互いに矛を収めるのが懸命な判断だろう。

 

「舐めるなよ、小僧!!」

 

 しかし、鬼太郎たちが良くとも黒服たちはそうもいかない。目撃者の存在を生かして置けないというのもあるが、妖怪に成す術もなく敗北したとあっては『組織内』での彼らの立場がなくなってしまう。

 使えないと判断されれば、自分たちが『粛清』の対象になるかもしれない。己の立場と命を守るためにも、それだけは絶対に避けなくてはならなかった。

 

「——どけっ!! こいつで吹き飛ばしてやる!!」

 

 そういった焦りからか、黒服の一人が密輸品の中から——機関銃よりも、さらに凶悪な武装を持ち出してくる。

 巨大な鉄の砲身。先端に炸薬が詰まった弾頭が鬼太郎たちへと向けられる。

 

「あれは……?」

「なっ!?」

 

 その武器が何なのか、瞬時に判断が付かず鬼太郎などは首を傾げる。しかし、彼より多少は世俗に通じた猫娘が唖然と口を開く。

 

 黒服が持ち出してきたそれは『携帯型対戦車ロケット発射機』——戦争映画などでそれが発射される際、よく『RPG!?』と叫ばれる兵器である。

 名称のとおり、歩兵でも戦車に対抗できるように開発された武器だ。その威力に反した単純な構造、安価な値段設定から悲しいことに多くの戦場で普及している兵器の一つである。

 たとえ鬼太郎たちでも、直撃を喰らえばただでは済まないだろう。

 

 

「ば、バカ!! そんなもの、こんなところで撃ったら——」

 

 だが同じ仲間内で、そのような兵器を『こんな場所』で持ち出す危険性を訴えるものがいた。

 しかし、制止の言葉が聞き入れられるよりも先に——使用者によって、そのトリガーが引かれてしまう。

 

「——っ!」

「ちょっと!?」

 

 高速で飛来するロケット弾頭。

 鬼太郎と猫娘は驚異的な反射神経でそれを躱し、目標を失ったロケット弾は強力な推進力のまま真っ直ぐに突き進んでいき——。

 

「うわっ!?」

「い、いかん!?」

 

 真魚や目玉おやじのいるところまで飛んでいくが、間一髪彼らのすぐ横を通り過ぎ——。

 

「船がっ!?」

 

 地下交易港に停泊していた船にぶつかるかと思いきや、なんとか直撃を免れて黒服たちがホッと胸を撫で下ろすのも束の間——。

 

 放たれたロケット弾は『壁』に、海に面した洞窟の壁面へと命中し——炸裂した。

 そう、うっかりRPGを使用してしまった男は、ここが洞窟内であることを失念してしまっていたのだ。

 

「うおおおっ!?」

「危ねっ!!」

 

 地下空間で爆発物など扱おうものなら、下手をすれば生き埋めになってしまう。実際、爆発の衝撃で天井からは岩なだれが降り注ぎ、激しい振動が洞窟全体を震わせていく。

 黒服たちも慌てふためいており、もはや戦闘どころではない。

 

「みんなこっちへ!!」

 

 鬼太郎も頭上から降り注いでくる岩の破片から仲間たちを守ろうと、咄嗟に霊毛ちゃんちゃんこを広げていく。

 

「あ、危なかった……!」

「た、助かった? ありがとな、鬼太郎……」

 

 鬼太郎の機転もあり、猫娘や真魚もなんとか無傷でこの危機をやり過ごした。洞窟に響き渡る鳴動もすぐに収まり、どうにか崩落の危機は逃れられたようだ。

 

 しかし次の瞬間にも、ロケット弾の直撃を受けた洞窟の壁面が音を立てて崩れ落ちていく。そこはちょうど空洞になっていたのだろう。

 

 刹那、その『巣穴』から——閉じ込められていたものたちが、溢れ出すように飛び出しくる。

 

 

 

『——オオオォオオオオオオオ!!』

 

 

 

「あ、あれは……もしや、優斗くんの言っていた!?」

 

 崩れた穴の奥から姿を現したそれは、まさに半魚人のような化け物だった。

 目玉おやじはそれがすぐに優斗——教団から逃げ出してきた少年が目撃した『かつて人間だったものの成れの果て』であることを察する。

 実際にその目で見るのは初めてだが、確かに悍ましい姿。怖気が震うような唸り声を上げている。

 

「——なりそこない!!」

 

 だが真魚は臆することなく、彼らの呼称を叫ぶ。

 人魚の肉で不老不死となった彼女にとって、『なりそこない』は見知った存在だ。自分と同じように人魚を口にしていながらも適合できず、醜い化け物となってしまった犠牲者たち。

 真魚や湧太の運命が呼び寄せているのか、これまでの旅の道中でも幾度となく彼らに出会した。今回の遭遇も、必然という名の運命に過ぎないのかもしれない。

 

『オオオォオオオオオオ!』

『アアアアアアアアアア!』

 

 巣穴から飛び出して来たなりそこないたちは、空腹を満たす獣のように動く獲物に群がっていく。連中の最初の標的となったのは——黒服たちだ。

 これまで利用された報復とばかりに、容赦なく牙を剥いていく。

 

「ひっ、ひぇえええ!?」

「こ、こっちくんじゃねぇよ、化け物が!!」

 

 なりそこないを相手に、黒服たちも銃で応戦した。だが鬼太郎たちとの戦いで疲弊している今の武装では、不死身に近い生命力を持つ彼らを撃退することは不可能だ。

 

『——グガアアアアアアアア!!』

「——ギャアアアアア!?」

 

 

 何人かの黒服がその牙の餌食となり——生きたまま、貪り食われていく。

 

 

「っ……鬼太郎!!」

「わかりました、父さん……体内電気!!」

 

 それは自業自得とはいえ、あまりにも残酷な末路だ。故に目玉おやじは鬼太郎に、まだ生き残っている黒服たちに助け舟を出すように指示を飛ばす。

 鬼太郎も父親の言葉に頷き、なりそこないが密集している地点へ体内電気を放出する。

 

『グゴアアアアアアアアア!?』

『オオアアアアアアアアア!!』

「うわあああっ!?」

「しびれぇええ!!」

 

 鬼太郎の放った電撃になりそこないが、ついでに黒服たちも感電していく。どちらにとっても致命傷になるような一撃ではないが、とりあえずその動きを封じることは出来た。

 なりそこないによる殺戮を、なんとか防ぐことに成功したのだ。

 

『アアアアアア』

『オオオォオオ』

 

 もっとも、腹を空かしたなりそこないはまだまだいる。ぽっかりと空いた巣穴の奥から——さらに数匹ほど飛び出して来た。

 

 いったいどれだけの信者が、その巣穴に捨てられていたのか。

 それだけ、多くの人々が教祖の歪んだ信仰の犠牲となったということだ。

 

 

 

 

 

「これはこれは、随分と面倒なことになっていますね」

 

 なりそこないの出現により混沌と化す地下交易港だが、そもそもの元凶である教祖は涼しい顔でその光景を眺めていた。

 

「先生、こちらへ……」

「急いでください。今なら連中に気付かれる前に……」

 

 護衛で付き添っている黒服が二名、脱出用のクルージングボートへと教祖を誘導している。彼らは喧騒とは少し離れたところから、秘密裏にこの島から抜け出そうとしていた。

 

「そうですか。苦労をおかけします」

 

 黒服に誘導されるまま、襲われている同志たちなどには目も暮れず、教祖はボートへと乗り込んでいく。逃げ出そうとする彼の腕の中には、干からびた半身半魚の骸——『人魚のミイラ』が後生大事に抱えられている。

 湧太を神の意にそぐわないものとして排除した教祖だったが、未だ同胞を求める気持ちはあるのだろう。着の身着のままで逃亡しなければならない中、これだけはと持ち出して来たのだ。

 

 

 その人魚と教祖自身の身さえ安泰なら、また教団を一から立ち上げることが出来る。

 何度でも、何度でも。何も知らない信者たちを糧に、教祖も黒服たちも私腹を肥やしていくことだろう。

 

 

「——待てよ!! 信者を見捨てて自分だけ逃げよってか? それもあんたの言う、神の教えってやつなのかよ!」

「むっ……!」

 

 だが、そんなコソコソと逃げ出そうとする教祖に皮肉げな言葉を投げるものがいた。

 教祖の跡を追ってきたのは——今頃は始末されている筈の湧太であった。

 

「何故、ここに……いや、そんなことはどうでもよろしい」

 

 教祖は湧太が無事であったことに戸惑いを露わにするが、すぐに彼の存在など無視するに努める。

 

「先生、出ます!!」

 

 既に教祖はボートに乗り込んでおり、護衛の黒服が操縦席に着いて船艇を走らせていた。今更湧太が来たところで教祖の逃亡劇を阻止できるわけもなく、ボートは水上を猛スピードで駆け抜けていく。

 

『——グォオオオ!!』

「なっ! こ、こいつっ!? う、うわああああっ!?」

 

 だが彼らも気付かないうちに、そのボートにも数匹のなりそこないが取り付いていた。なりそこないは運転手である黒服に喰らい付き、その命を容赦なく奪い取る。

 操縦桿を握るものがいなくなったことで制御不能となったボートは、スピードを維持したままふらふらと蛇行運転で水上を走っていく。

 

「わわわっ! あああああっ!?」

 

 暴走するボートに振り回される搭乗者たち。まだ護衛に残っていた黒服が一名、激しい揺れに堪えきれずに身体が海面へと投げ出されてしまう。

 

「くっ……! この程度のことで……私の使命はっ!!」

 

 これにより取り巻きを全て失った形だが、教祖は一人でも最後まで船体にしがみついていた。

 自分の使命がこんなところで終わるわけがないという信仰心が、彼に力を与えていたのか。大切な人魚のミイラも大事に抱え込んだまま必死に耐え忍ぶ。

 だが、暴走したボート自体が——道筋を誤り、陸地へと突っ込んでいく。

 

「な、なんだ!?」

「ふ、船が……ぶつかる!?」

『グゴ、ゴアアアアアアアアア』

 

 そこは——鬼太郎や黒服たち、なりそこないの群れが争い合っている現場であった。

 

 

 まさにその混乱の真っ只中へと、教祖を乗せたボートが突撃していく。

 

 

 

×

 

 

 

 ここで状況を一旦整理しよう。

 教団の闇、島の地下洞穴に秘密裏に建造された交易港。そこにはさまざまな立場から、多くのものたちが集っていた。

 

「い、いったい……なにが!?」

「もう何なのよ! 次から次へと!?」

 

 まずは鬼太郎や猫娘、妖怪たち。

 鬼太郎の本来の目的は、教祖本人から『信者を化け物へと変貌させる』儀式の詳細を聞き、それが妖怪に関わるようなことであれば、辞めるように話を付けることにあった。

 仮に教団や黒服たちが人間社会でどのような悪事を働いていようと、それ自体を咎める気など鬼太郎にはない。

 

「くそっ……化け物どもが……」

 

 一方の黒服たち。

 彼らは教団を隠れ蓑にし、この地で表沙汰に出来ないような悪事を重ねてきた。彼らの立場からすれば、鬼太郎たちの存在は許容できないイレギュラーだ。

 鬼太郎にその気がなくとも、自分たちの悪事が密告されるかもしれないと。必然的に彼らを排除しようとし——返り討ちとなり、今はほぼ全員が倒れて地に伏している。

 

『オオオオ、オアアアアア……』

 

 そして、なりそこない。

 人魚の肉を喰いながらも不老不死になれず、哀れ化け物となってしまった元信者たち。彼らにものを思考するような知性はない。ただ本能のままに暴れ、空腹を満たすために獲物を喰らうだけだ。

 出現と同時に黒服を何人もその手に掛けた怪物たちであったが、今は鬼太郎の手によってそのほとんどが戦闘不能へと追いやられている。

 脅威的な生命力で時期に復活するだろうが、とりあえず今は放置しても問題はないだろう。

 

「あっ……湧太!!」

「真魚!? お前、何でこんなところに……!」

 

 さらには、そこへ遅ればせながらも湧太が駆け付けてきた。

 ボートで逃げた教祖を陸地から追ってきた彼だが、まさかこんなところで真魚と遭遇するとは思っていなかった。

 呆気に取られながらも——その鋭い視線を、この騒動の中心人物へと向けていく。

 

「っ……!」

 

 陸に乗り上げたボートから、傷を負った教祖が姿を見せる。

 ボートの事故で負った怪我が相当に重傷のように見えるが、不老不死の彼であればその傷も時期に治ることだろう。

 

 

「——おおい! こちらですよ、皆さん!!」

 

 

 そして、ここでさらなる別の一団が皆が集まる地下へと突入してくる。どこからともなく姿を現したのは——数十人の教団の信者たちであった。

 

「おいおい……なんなんだ、ここは?」

「教祖様!? 大丈夫ですか……しっかりして下さい!!」

 

 地下施設について何も知らなかった彼らは困惑していたが、傷だらけの教祖を見つけるや血相を変えて彼に駆け寄る。

 教団の教えを信仰する彼らにとって、教祖は何があっても守らなければならない存在だ。

 

「面倒なことになったわね!」

「ああ……って、あれは……?」

 

 信者たちの登場に猫娘や鬼太郎が眉を顰める。

 鬼太郎たちは、彼らに『異教徒』として追われていた。見つかれば再び鬼の形相で追いかけ回してくることが予想されるが。

 

「ほらほら! こっち、こっちですよ!!」

「ねずみ男? あいつ、何をやって……?」

 

 その信者たちをここまで案内してきたのは——あのねずみ男であった。

 

「へっへっへ……」

 

 何かしらの企みあってのことなのか、その顔にはいやらしいニヤケ面が浮かべられている。

 正直言って嫌な予感しかしなかったが、ここで鬼太郎たちがでしゃばっても余計に場を混乱させるだけだ。

 

 

 とりあえず信者たちを刺激しないようにと、身を隠しながら事の成り行きを見守っていく。

 

 

 

 

 

「教祖様っ! お怪我は大丈夫なのですか!?」

「何があったのです!? この施設はいったい……?」 

 

 教団の信者たちは、負傷した教祖を取り囲むように集まってきた。純粋に教祖を心配してのことなのだが、その身を気遣われている教祖の方が少し困惑気味だ。

 

「こ、この程度……何ともありません。それより……あなたたち、どうしてここに?」

 

 彼の顔には『何故信者たちがこの地下施設にやってきたのか?』という疑問があった。

 ここは教祖と黒服しか知らない秘密の交易港。ここの存在が信者たちに露呈するのは不味いと、流石の教祖も分かっていた。

 

「それは、ねずみ男さんが……!!」

「教祖様がここで、異教徒の手先に襲われていると知らせてくれたのですよ!!」

 

 信者たちにこの場所を教えたのは——彼らから絶大な信頼を得ているねずみ男だった。

 彼の言葉だからこそ、信者たちも慌てて教祖の屋敷へと乗り込み、地下までの隠し通路を駆け降りてきたのだという。

 

「いえいえ、全ては神のお導きによるものですとも……へっへっ!」

 

 しかし、白々しい態度で謙虚に首を振っているねずみ男も、屋敷の地下にこのような空間が広がっていることを知らなかった筈である。

『何者』かがねずみ男にこの場所のことを教え、ここへ信者たちを誘導するように吹き込んだのだ。

 

「…………」

 

 いったい誰の謀かと、疑心暗鬼に教祖は黙り込んでしまう。

 

「それにしても……この惨状は?」

「このものたちは……それに、この化け物どもは何なのですか!?」

 

 だが、信者たちは次から次へと疑問を投げ掛けてくる。この場所は何なのか。ここにいる人間、黒服の男たちは何者なのか。

 そして、半魚人のような怪物——なりそこないのこと。

 

 特になりそこないなど、信者の立場からすれば見たことも聞いたこともない化け物だ。戸惑うのは当然であり、醜い怪物たちへと恐怖と嫌悪の視線を向けていく。

 

「やめろ……化け物だなんて言うな! あんたらが……こいつらを化け物なんて呼んじゃならねぇ!!」

「湧太……?」

 

 すると信者たちに向かい、湧太が込み上げてくるものを抑えきれずに声を荒げた。怒気を露わにする湧太の元へ真魚が寄り添っていくが、それでも彼の怒りは収まらない。

 

 湧太はなりそこないの正体、彼らがいかにして生まれたのか——声高々に叫んだ。

 

「こいつらはあんたらの仲間だったんだぞ!! 信者の連中が人魚の肉を喰わされたことで生まれた……その成れの果てなんだよ!!」

「な、なにを……言っているんだ?」

 

 いきなりの話に困惑する信者たちだったが、それでも湧太は構わずに叫び続けた。

 

 彼らなりそこないが、人魚の肉を食べたことで変質してしまった、元人間であること。

 儀式と称して、その肉を食べさせられた教団の信者たちであること。

 彼らをそうなるように仕向けた張本人こそが、教祖その人なのだと。

 

「な、何をバカな……」

「き、教祖様がそのようなことをなさる筈が……!」

 

 しかし、信者たちにとっては寝耳に水。

 それに初対面である湧太の言葉だけで、その事実を飲み込めという方が難しいだろう。教祖への信頼感もあってか、湧太が口にする言葉を最初は誰も信じようとしなかった。

 

「……!? 見ろ……こいつを見ろ!!」

 

 だがふいに、湧太は倒れているなりそこないの一匹に近づき、その個体が首に掛けていたものを拾い上げた。

 さらに怒りを募らせるように、拾い上げた『それ』を信者たちへと見せつける。

 

 

「誰か、この御守りに見覚えのあるやつはいねぇか!? こいつは……優斗って小僧が、唯って嬢ちゃんに贈った御守りだ!!」

「——!?」

 

 

 優斗、唯。

 その名前に何人かの信者たちが反応を示す。どちらとも、教団の聖地で暮らしていた子どもたちである。優斗は本土に逃れて保護されているが——唯は、教団の儀式の代表者として選ばれた少女だ。

 

 その少女が所持していた筈の御守りが、そのなりそこないの首に掛けられていた。

 

 

『オオオ、ウォオオオ……』

 

 

 つまり、そこにいるなりそこないこそが——唯という少女の、変わり果てた姿ということになる。

 

 

「まさか……唯ちゃんが!?」

「そ、そんな……馬鹿なことが……」

 

 近しい人の名前が出たことで信者たちの間に動揺が走る。特に唯という少女と親交が深かったものたちにとっては聞き逃せない話だ

 

「けど! 彼女は不老不死になって新天地に旅立ったんじゃ?」

「そ、そうだよ! あの子は選ばれたんだ!! こんな化け物になるわけが……」

 

 それでも、信者たちの中には頑なにその事実を認めようとしないものもいる。人魚の肉など教団の教えにも記されていないのだから、湧太の言葉など間に受ける必要もないと。

 

 

「おやおや? 教祖様が抱えていらっしゃるそれは……もしかして人魚ではございませんか!?」

「!!」

 

 

 ところが、ここでねずみ男がわざとらしく大きな声を上げる。これ見よがしに、教祖が大事に抱え込んでいるもの——人魚のミイラに言及したのだ。

 

「なんと!? それがもし本物の人魚だというのなら……その青年の言っていることは事実ということになるのでは!?」

「ま、まさか……それじゃあ……さっきの話は!?」

 

 何とも白々しい大根役者丸出しの演技。だがねずみ男の言葉だからこそ、信者たちは耳を傾け始める。

 湧太とねずみ男の二人が、まるで示し合わせていたかのように教祖の立場を切り崩しに掛かったのだ。

 

「ほ……本当に、そんなことが……?」

「教祖様!! いったい、どういうことなのでしょう!?」

 

 ついには教祖に疑問を持つものが、その真意を直接彼に問い質す。

 

 湧太やねずみ男の言っていることは事実なのか?

 本当に、このなりそこないという化け物が元人間だというのか?

 

 続々と投げ掛けられる疑問。だが彼らの問い掛けには『出来ることなら否定して欲しい』という願望が込められていた。

 教祖がその口で断固として否定してくれるのであれば、自分たちはまだ教団の教えを強く信じられる——信じたいと切実に望んでいた。

 

 

 

「——ええ、そうですね。ですが……それがどうかしましたか?」

 

 

 

 しかし、教祖はそんな信者たちの切なる願いを切り捨てるかのよう。 

 湧太が語る残酷な真実を、事実として全面的に肯定していた。

 

「なっ!?」

「えっ……」

「そ、そんな……」

 

 誰も彼もが言葉を失った。儀式と称して人魚の肉を食べさせていたこと。信者をなりそこないへと作り替えていた事実を、教祖はあっさりと認めたのだ。

 開き直り——いや、最初から後ろめたさなど何一つ覚えていなかったのだろう。その表情からは微塵も罪の意識など感じられない。

 

「確かに、私は彼女たちに人魚の肉を食べさせました。それこそ、人が不老不死に到達する唯一の手段なのですから」

 

 それもその筈。人魚の肉を食べさせることが『不老不死を得るための儀式』であることに違いはないのだから、彼に信者たちを騙しているなどという意識はない。

 

「ですが誰一人として、不老不死を得ることは叶わなかった……皆、なりそこないとなってしまいました」

 

 教祖としても、なりそこないになってしまうのは意図しないトラブルだ。不老不死を得られずになりそこないになってしまうのは、ただの結果論に過ぎない。

 

「誠に残念なことではありますが……仕方がないことです」

 

 そう、だからそれはとても残念なことだと。他人事のように——。

 

 

 

「——彼女たちは神に選ばれなかった、ただそれだけのことなのですから」

 

 

 

 まるで神に選ばれなかった信者たちにこそ、責任があるかのように平然と言い放ったのだ。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 教祖の告げられた言葉に、何人もの信者が言葉が出ずに絶句していた。

 

 

 

 

 

「そんなことより、その愚か者を私の前から排除するのです!」

「……!!」

 

 しかし、信者たちの心境などさして気にした様子もなく。教祖はそれを既に『終わった話』とし、信者たちに湧太の排除を命じる。

 彼は湧太の存在を絶対に認めたくないのか、その言葉には明確な嫌悪が込められている。

 

「…………」

「…………」

 

 だが、既に信者たちの心は教祖から離れ掛けていた。まだ反旗を翻すまでには至らないが、だからと言って彼の命令を考えなしに実行することなどもう出来ない。

 

「どうしたのですか? さあ!! 皆で神に逆らうものに罰を!!」

 

 そうやって信者たちの心が離れていっていることを、まだ理解できていないのは教祖だけ。尚も湧太を排除するようムキになって叫ぶ彼の姿に、ますます信者たちの心は遠のいていくのだが

 

 そんな裸の王様になりかけている教祖に向かって、一人の信者が駆け出していた。

 

 

「——はっ……?」

 

 

 その信者は『ドスっ』と、教祖の脇腹に——鋭い刃物を突き立てた。

 自分が刺されたと自覚することも出来ず、教祖の口から呆けたような声が漏れ出る。

 

 

「き、教祖様!?」

「お、お前……いったい何を!?」

 

 突然の凶行。未だに教祖への敬意を捨て切れない信者が慌てて止めに掛かる。人々に取り押さえられる中、その信者の男性は怒りを押し殺した声で呟きを溢す。

 

「……唯は、娘は……選ばれたと喜んでいたんだぞ! なのに……それなのに……!!」

「……っ!!」

 

 教祖を刺したその男は——唯の父親だった。

 父として、娘の存在が無下にされるような発言が我慢ならなかったのだ。手持ちの刃物で衝動的に刺してしまったというところか。

 

「うぐっ……!」

 

 一瞬遅れで、刺された痛みに教祖が膝を突いた。

 遅れてやってきた激痛に顔を顰め、その手に大事に抱えていた人魚のミイラも地面へ取りこぼしてしまう。

 

「これを……!! これを食べれば……わ、私も……不老不死に!!」

 

 すると今度は女性の信者が、縋るように人魚のミイラへと手を伸ばす。

 

「私は死にたくない! ずっと若いままで……永遠に!!」

 

 彼女は血走った目で不老不死を、永遠の若さを求めていた。その望みが手を伸ばせば届くところにあると。負傷した教祖などには目も暮れず、人魚の肉をその手に掴み取る。

 

「よせっ!? やめろ!!」

 

 彼女が何をしようとしているのかを察して湧太は叫ぶが——手遅れだ。制止の声に聞く耳を持たず、女性は人魚の肉へと直に喰らい付いていく。

 

「はぁっ! はぁっ……! くはっ!?」

 

 一口で、大量の人魚の肉を摂取してしまった女性を即座に異変が襲う。苦しみに悶えながら、彼女の身体が人ではない別のものへと作り替えられていく。

 

 

 どうやら、その女性も人魚の肉に適応できる身体ではなかったようだ。

 瞬く間にその肉体が——なりそこないへと変貌を遂げていく。

 

 

『——ウォオオオオオオオオオオオオオ!!』

「ま、マジかよ……」

「本当に……人間が、化け物に……」

 

 人間がなりそこないに変わる瞬間を目の当たりにしてしまっては、信者たちも受け入れるしかあるまい。

 なりそこないは元人間だと。自分たち信者が教祖に使い潰されていたという事実を。

 

 

『グアアアアアアアアアア!!』

 

 

 だが人々の戸惑いなどお構いなしに、なりそこないは本能の赴くままに行動を起こしていく。

 

「な、何をするつもりですか!?」

 

 そのなりそこないは、すぐ側にいた教祖の頭をその強靭な腕で掴み上げた。

 

「待てっ……!?」

 

 これに静観を決め込んでいた鬼太郎が慌てて動き出す。なりそこないの暴挙を何とか阻止しようと試みるが。

 

「や、やめなさい!! 私は神の意思を体現……こんな、こんなところで——」

 

 なりそこないに頭を鷲掴みにされながら、教祖は命乞いのように叫んでいた。

 しかし、そこから先の言葉を喚き散らすよりも先に。

 

 

 なりそこないが、教祖の頭部を——ぐちゃりと、粉々に握り潰す。

 

 

「ひぃっ!?」

「い、いやあああああああ!?」

 

 腐った果実のよう、ぐちゃぐちゃに潰される人間の頭部。正視に耐え難い光景に目を背け、人々が逃げ出していく。

 

「っ……!! 髪の毛針!!」

『グォオオオ!?』

 

 鬼太郎は大慌てで髪の毛針を高速連打。なりそこないは仰向けに倒れていくが、その腕にあった教祖の身が海面へと投げ出されてしまった。

 海に沈んでいく教祖の死体。しかし、彼は不老不死の筈だと人々の顔に最後の希望が宿る。

 

「教祖様……!」

「だ、大丈夫さ!! あのお方は死なないんだ!! 直ぐに、生き返って……」

 

 教祖は死なない、死んだところで何度でも蘇る筈だと。

 最後まで彼を信じる信者たちが、教祖の復活を待ち望む。

 

 

 ところが——。

 

 

「…………上がって、来ない?」

「う、嘘だろ? だって教祖は……」

 

 いつまで経っても遺体すら上がってこない教祖に、彼らは壊れたように首を振り続ける。

 

「……無理なんだよ」

 

 そんな憐れ迷える子羊たちに、湧太は現実を突きつけていく。

 

「この世に完璧な不老不死なんかあるもんか。あれで生き返るようなら、それこそ奴は本物の化け物さ……」

 

 湧太の言う通り、人魚の肉を食べることで得られる不死性には限界があった。

 

 不老不死になれば確かに歳は取らない。飢えや病気で死ぬこともないし、死ぬような怪我を負っても脅威的な回復力が瞬く間に傷口を塞いでしまう。

 だが、その回復力でも補えないような致命傷。身体の欠損などの根本的な損失までは補填できない。腕を失った場合、他者の腕を奪って繋げるなどの処置を施さなければ元に戻らないのだ。

 

 もしも首など切り落とされようものなら、もう二度と動くことはできないだろう。

 

 あるいは、『人魚以外』の力と掛け合わせれば、より強い再生力を得られるかもしれないが。少なくとも、人魚だけの力で完全な不老不死など得ることは不可能。

 

 永遠に生きるなど、夢物語に過ぎない。

 どんな命であれ、生きている以上いつかは終わりが訪れる。

 

 

 二百年もの時を過ごした教祖の命も、こうして呆気なく終わりを迎えたのである。

 

 

 

×

 

 

 

「湧太。人がいっぱいだな……?」

「ああ、そうだな……真魚」

 

 教団での騒動から——二週間ほどの月日が経過していた。

 

 その日、湧太と真魚の二人は人でごった返す空港のロビーを訪れていた。手にはスーツケース、服装も新調、身だしなみを整え、しっかりと旅支度を進めていた。

 

 必要な手続きもは終わらせているので、あとは搭乗ゲートを潜れば国際線に——『海外行き』の飛行機で旅立つことができるだろう。

 

 まだ出発予定時刻まで余裕があったため、二人は搭乗口の前で待ち合わせの相手が来るのを大人しく待つ。暫くするとその待ち人が、二人の元まで静かに歩み寄って来た。

 

「湧太さん、真魚さん……お久しぶりです」

「よお、ゲゲゲの鬼太郎……元気だったか?」

 

 湧太たちが待ち合わせていたのはゲゲゲの鬼太郎と、その仲間たちだった。あの教団での騒動で知り合った彼らと顔を合わせ、とりあえず報告すべきことを話し合っていく。

 

 

 

「ここに来る前に優斗くんに会ってきたわよ。親御さんも教団を抜けられたっていうし、なんとかなりそうな感じだったわ!」

 

 まずは鬼太郎の隣に立つ猫娘、彼女が優斗少年について話していく。教団から逃げ出したところを保護された彼だが、今はちゃんと家族の元へ戻っているという。

 

 教団に熱を上げていた彼の母親も、今は目が覚めたように教団の教えから離れていったとのことだ。

 優斗の母親だけではない。教団の秘密、教祖の人間性を目の当たりにしたことで多くの信者たちが教団の教えに疑問を持ったのだ。

 

 不老不死だった筈の教祖の『死』も、それに拍車を掛けたのだろう。

 象徴を失ったことで、教団の活動も下火となった。このまま教団そのものが自然消滅するのも、時間の問題とのことだ。

 

 

 

「そいつは結構なこった……けっ! 結局、一文の特にもならなかったけどな!!」

 

 喜ぶべき話だろうが、これにねずみ男が不貞腐れたように愚痴を溢していく。

 

 元々、教団に集まる寄付金を狙って入信したねずみ男だ。思い掛けず教団の暗部に首を突っ込んでしまい、危うく命の危機に直面したりと。

 苦労だけを重ね、結局何も得るものがなく無駄骨となってしまった。

 

 もしかしたら、教祖の死亡時やなりそこないの出現などの混乱時、どさくさに紛れて密輸品の金塊など持ち出そうと思えば持ち出せたかもしれない。

 

 しかし、それをやれば——突入してきた『警官隊』に、ねずみ男も捕まっていただろう。

 そう、教祖の死によりあの場がパニックとなったその直後——警察の人間が、一気になだれ混んできたのである。

 

 彼らは教祖と手を組んでいた黒服たちを一人残らず検挙し、交易港で扱われていた密輸品を全て押収していった。

 

 何故、そんなにも都合の良いタイミングで警察の手が伸びたのか。それは、彼らを手引きしたものが『黒服』の中にいたからである。

 

「まさか……あの黒服の兄ちゃんが潜入捜査官だったなんてな……」

 

 そう、あの『後輩の黒服』——彼こそが、黒服たちの組織に潜り込んだ警察の人間だったのである。

 彼は窮地に陥っていた湧太を助け、さらにはねずみ男にも秘密裏に協力を要請し、教祖を追い詰めるように手を回した。

 

 本来ならば、教祖を逮捕したかったとのことだが、そこまでは思惑通りにいかず。

 しかし、黒服たちの組織の支部だった教団を崩壊させたりと、最低限の目標は達したと。

 

 あの黒服は最後まで名前も名乗らず、湧太や鬼太郎たちの前から姿を消していった。

 

 

 

「あの怪物……いや、なりそこないと言ったか。彼らに関しては……とりあえず、今は放っておくしかあるまいよ」

 

 そして、目玉おやじが『なりそこない』の処遇について語っていく。

 

 教祖の業によって産み出されてしまった信者たちの成れの果て、なりそこない。あの場にいたなりそこないは、その全てが鬼太郎の手によって戦闘不能にされた。

 しかしその強靭な生命力で、数日後には何事もなく平然と動き回るようになったという。そして、大人しく自分たちの巣穴へと戻っていき、今もあの場所で静かに息を潜めているのだ。

 

 あるいは、鬼太郎であれば彼らに『トドメ』を刺すことも出来たかもしれないが、彼にそのような真似は出来なかった。

 かつて人間だったものの息の根を止めるなど——もう、鬼太郎には出来ない。

 

「……まあ、希望論かもしれんが……彼らを元に戻す術がないとも限らんしのう」

 

 それにと、目玉おやじが僅かな可能性について言及する。

 なりそこないとなったものが元の人間に戻れる可能性は、今のところ存在しない。しかし存在しないからと言って、何もかも諦めて彼らの息の根を止めるのは違うだろう。

 

「もしかしたら、この世界のどこかに彼らを元に戻せるような方法があるかもしれん。キミたちも……自分たちが元の人間に戻れる可能性を模索し続けるのじゃろう?」

「……ああ、そうかもしれねぇな……」

 

 実際、湧太や真魚の二人も、自分たちの不死性を消し去る方法——『不老不死から元の人間に戻れる方法』を探していくという。

 

 

 そう、湧太と真魚は——ずっと二人で、元の人間に戻れる方法を探して旅を続けていたのだ。

 今回、彼らが漁師町で働いていたのも、その旅の資金集めのため。

 

 そして、まとまった金が入ったということで——この機会に海外へ旅立つという。

 

 日本国内に拘るのではなく、海外——世界へと。

 これは真魚の発想とのことだ。五百年前の人間である湧太には、そもそも『世界に目を向ける』という考えがなかったのか。

 これに最初はかなり戸惑い、色々と迷ったとのことだが——。

 

 

「……本当に行くんですね?」

 

 それでも、行くと決めたのだろう。彼らの覚悟を再度確かめるよう、鬼太郎は湧太に問う。

 

「ああ、死ぬなんていつでも出来るが……やっぱり普通の人間に戻る夢は捨てきれねぇ……」

 

 正直、その気になれば湧太たちも自身の人生を終わらせることが出来た。完璧な不老不死などないと彼自身が口にしたよう、自分の首を落とせばすぐにでも楽になれる。

 

「俺も真魚も……人として真っ当に生きて死にたいんだ……そのために、今後もやれることをやっていくつもりさ」

「うん、私も……湧太となら、どこへでも行けるよ」

 

 だが、彼らはそんな安易な方法で自分の人生を終わらせるような真似は否定する。

 死ぬのならば最後まで天寿を全うして死にたいと、そのためにこれからも旅を続けていくという。

 

 それは、きっと気が遠くなるような人生になるだろう。

 世界の何処かにあるかもしれない、ない可能性の方が高いものを模索し続ける人生。

 

 それでも、彼らは『人として死ぬ』という夢を諦めない。

 どんな命もいずれは終わるのだから、その時が来るまで懸命に生きていくことをやめはしない。

 

 

 

「そうですか。では、お気をつけて……」

「ああ、お前さんたちも……達者でね」

 

 飛行機の出発時刻が迫っていたこともあり、そこで鬼太郎と湧太は最後に握手をして別れた。

 

 

 鬼太郎はこれからも続いていく湧太と真魚の人生にエールを送るよう、寄り添いながら立ち去っていく二人の背中に小さく手を振っていくのであった。

 

 

 




人物紹介

 教祖
  教祖という役割を全うしてもらうため、あえて名前は考えませんでした。
  性格のモチーフは『狂信者のサイコパス』といった感じです。
  最後まで自分が神に選ばれたと疑わず、その命を終えました。
 
 後輩黒服——潜入捜査官
  後輩黒服の正体は、潜入捜査官。多分、公安警察かな?
  尺の都合上、全ては書き切れませんでしたが最後の方、『ねずみ男が信者たちを地下に連れてこれた』のも、彼の手引きがあったからです。
  今後について書くつもりはありませんが、きっとこれからも黒服の組織とバチバチにやりあっていくことでしょう。



 前回の其の③で、次回は『ぼっち・ち・ろっく!』をやると予告をしておきました。
 その予定に変わりはありませんが、ここで何もないのは寂しいかと。

 なので最後は、いずれやる予定の短編。
 それの次回予告で締めとさせていただきます。

 あくまで予定ですので、首を長くしてお待ちいただければと。

次回予告

「罪を犯しながらも、法の目を掻い潜る外道な人間。
 そんな外道を狩る職業が、人間たちの間でまことしやかに囁かれているとか。
 彼らはいったい、何者なのか。
 その行いを……人間たちは正義と呼ぶのでしょうか、父さん。

 次回——ゲゲゲの鬼太郎 『拷問ソムリエ』 見えない世界の扉が開く」

 あくまで予定です、今年中には書きたいと思いますが。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ぼっち・ざ・ろっく! 其の①

2023年の春アニメが始まりました。今期は個人的に『デッドマウント・デスプレイ』を推していきたい。

原作が作者の小説の師匠(勝手にそう思っているだけ)成田良悟先生。
作画はガンガンで『Red Raven』という作品を連載していた藤本新太先生。

転生は転生でも、逆転生モノ。
舞台が現代日本ということもあり、本小説とのクロス候補という意味でもアニメを楽しんで視聴していきたいと思います。


そして、今回のクロスはーーはまじあき先生原作、一大ムーブメントを引き起こし、今尚人気継続中の『ぼっち・ざ・ろっく!』です。
原作の4コマ漫画も面白いですが、この作品はアニメの出来具合が凄い。アニメ監督のコメントにもありましたが『アニメだからこそできるような演出や表現』まさにそれが最大限発揮されていた作品だと感じました。
果たしてそのような神アニメ、それを小説としてどこまで落とし込めるか。鬼太郎とのクロスという形で挑戦していきたいと思います。

ただ一つだけ読む前に注意点。
今回は話の都合上、ぼっちが二年生に進級していたりと。一部原作での内容を含んでおります。
アニメのみ視聴勢の方にはネタバレになってしまう部分がありますので、予めご了承ください。
 


「…………はぁ~…………」

 

 すっかり日も暮れた時刻、人混みから外れた裏路地を一人の少女がため息を吐きながら歩いていた。

 高校生といった年頃の女の子。伸びっぱなしの髪はほとんど手入れがされておらず、服装も上はピンクのジャージに下は制服のスカートと。年頃の女子なら気にかけるようなオシャレを、全く気にしない身だしなみ。

 よくよく見ると顔の造形がそれなりに整っているのに、そういったずぼらな面が色々と台無しにしている。

 

「今日も人とたくさん話して、疲れたな…………」

 

 さらに本人から漂う暗く澱んだオーラ、仕事に疲れたOLのような空気が少女の残念ぶりに拍車を掛けてる。暗い夜道ということもあり、どことなく幽霊感すら漂う彼女から、偶々すれ違った通行人がささっと距離を置いていく。

 

「うう……私ってば……本当に駄目なバンドマン……」

 

 どうやら、彼女はバンドマン——ギターをやっているようだ。

 ギターケースを背負った姿が随分と様になっているが、その佇まいは『自信』とは程遠い。ケースの重みで今にも押し潰されてしまいそうなほど、儚げな姿であった。

 

 

 少女の名は——後藤ひとり。

 現在、高校二年生である彼女は学外——『STARRY(スターリー)』というライブハウスを拠点に『結束バンド』というバンド名で活動を続けていた。

 まだまだ知名度も低いアマチュアバンドだが、ライブでのチケットノルマは全て完売。

 物販の売り上げもそこそこ、固定のファンも付いていたりと。同年代のバンドグループからしてみても、結構順調に評判を伸ばし続けている。

 

 このままの勢いで一気にメジャーデビュー!! 

 みんなからチヤホヤされる大人気バンドに!!

 高校中退、バンド活動一本で生活できるようになりたい!!

 

 というのが、ひとりの密かな願望でもある。

 

 

 しかし、バンド活動そのものは順調でありながらも、後藤ひとりの心労は日々積もっていくばかりだ。それは、彼女が——極度のコミュ症、超が付くほどの『人見知り』だからである。

 

 それも他人と話をするどころか、目を合わせることすらも困難なほどの対人恐怖症。それなのに、チヤホヤされたいという理由からギターを始めるほどには自己顕示欲が強い。

 

 そんな彼女が目標のためとはいえ、頻繁に外でバンド活動に従事している。必然多くの人と関わることにもなり、それが小さくないストレスとして蓄積し続けている。

 それでも、ひとりはバンド活動を根気よく続けていけている。それは彼女の周囲の人々、特に『バンドメンバー』たちがフォローしてくれる部分が大きい。

 

「今日も、みんなには助けられたな……」

 

 バンドメンバーの皆がいるからこそ、ひとりは頑張ることが出来ていた。そもそも、仲間たちが強引にでも引っ張ってくれるからこそ、彼女は今もここにいられるのだ。

 

 もしも、今の仲間たちと出会っていなければ——最悪、引きこもりにでもなっていたかもしれない。

 ひとりにとって今のメンバーとの邂逅は、まさに運命を変えた出会いと言っても過言ではない。

 

「みんなには……いつも迷惑を掛けてばかり……」

 

 だからこそ。

 その仲間たちに感謝しているからこそ、自分の性格のせいで皆に迷惑を掛けている現状に、ひとりはいたたまれない気持ちに陥ってしまう。

 今日のライブハウスでのバイトでも、ひとりがコミュ症であるが故に起こしてしまったミスをカバーしてもらった。ありがたいことなのだが、自分がもう少ししっかりしていればする必要のなかったミスだと、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 

「……どうやったら……私も、みんなみたいになれるんだろう?」

 

 その失敗を未だに引きずっているのか、ひとりはネガティブな気持ちに落ち込み——『みんなみたいになれたら』という、もしもに想像を膨らませてしまう。

 それは意味のない仮定なのだが、考えずにはいられなかった。もしもみんなみたいに——。

 

 いつも元気で明るく、優しくて面倒見が良く——。

 どんなときでもマイペース、自分に正直に生きられ——。

 みんなから、愛されるようになれたらと——。

 

 バンドメンバー、それぞれの顔を思い浮かべていく。

 

 

 

「——そこの、お嬢ちゃん……ちょっと寄っていかないかい?」

「ひぃっ!? え……わ、わたし……!?」

 

 だが、ひとりがそんな風に妄想に耽っていると——唐突に、横合いから声を掛けられた。

 いきなりのことでビクッと震え上がるひとり。反射的に振り返ってしまうと——道の脇には見るからに怪しい『占い師の格好をしたお婆さん』が座り込んでいた。

 

「どうだい、ちょっと占っていかないかい? 安くしとくよ」

「あっ……い、いえ……わた、わた……あわわわ……」

 

 老婆はひとりを客として呼び込もうとするが、知らない人の勧誘にひとりはおろおろと狼狽えることしか出来ない。気のせいか、汗をかいている顔が溶け出しているようにも見える。

 

「落ち着け、お嬢ちゃん。なにも取って食おうってんじゃないんだから……」

 

 これに怪しい老婆の方が若干引き気味に、ひとりに冷静になるよう言い聞かせる。

 

「お嬢ちゃんは、自分に自信が持てないんじゃろう? その性格のせいで友達に……バンド仲間に迷惑を掛けていると、申し訳ない気持ちでいっぱいなんじゃろう?」

 

 そして占い師らしく、ひとりの悩みをズバリ言い当てていく。

 

「ど、ど、ど……どうして、それを? まさか……わ、私の心を読んで!? え、え、エスパー!?」

 

 これにびっくり仰天、驚きのあまり心臓が爆発しそうな衝撃を受ける後藤ひとり。心を見透かすかのようなお婆さんの言動に、彼女はいったい何者なのかと恐れ慄く。

 

「……どうしても何も、さっきから全部口に出しておったぞ?」

 

 もっとも、老婆がひとりの悩みを言い当てたのは——単にひとりがぶつぶつ呟きながら歩いていたからだ。頭の中で考えていたと思っていた悩み事を、ひとりは全部声に出していたのである。

 その呟きに耳を傾ければ、ひとりがどういった悩みを抱いているかなど、初対面の人間にも丸わかりである。

 

「え……? あっ……そ、そうですか……は、ははは…………」

 

 ひとりは恥ずかしさから顔を真っ赤に染める。

 穴があったら入りたいとは、まさにこういう場面で使われる言葉なのだろう。乾いた笑みで恥ずかしさを誤魔化すしかないでいる。

 

「まあ、座わりなさい。サービスじゃ、軽く見てやろう、お前さんの運勢をのう……」

 

 だがそんなひとりの心境にも構わず、老婆は尚も彼女に自身の占いを受けるように勧めてくる。

 

 ——え……? な、なにこれ……?

 

 ——ま、まさか……新手の詐欺!?

 

 ——私から、お金を搾り取ろうとしてる!?

 

 このやりとりの間にも、ひとりの頭の中ではネガティブな妄想が膨れ上がっていく。

 何故、自分の運勢なんかを占おうとするのか。もしやこの老婆、言葉巧みに自分に占いを受けさせ——それを口実に高額な鑑定料をせしめようとしている、恐ろしい詐欺師ではないかと疑いを持ち始めたのだ。

 

『——おやおや、たちの悪い悪霊が憑いてるね……このままだと、地獄に堕ちるわよ!!』

 

『——この壺を買いなさい、買わないと……地獄に堕ちるわよ!!』

 

『——あん? あたしのいうことが信じられないってのかい? あーた、地獄に堕ちるわよ!!』

 

 脳内で老婆が畳み掛けるよう、ひとりを脅し付けてくる。

 もしも実際にそんな風に迫られでもしたら、ひとりには抗う術がない。

 

 ——こ、断らないと……!!

 

 ——う、占いなんて……やりませんって……はっきり否定しないと!!

 

 そうなる前に、相手がこちらに迫ってくる前に、ひとりは老婆の誘いを断ろうと決心する。

 決意を胸に明確に『NO!!』と返事をしようと、口を開いていく——。

 

「——あっは、はい……」

 

 だが、己の意思に反して口から出たのは『YES!!』の返事だった。

 断ることも、逃げることも出来ない。それこそが真のコミュ症というもの。

 

 結局押し切られる形で、ひとりは老婆の占いを受けるべく相手の対面に腰掛けていく。

 

 

 

「あたしゃ手相占いが得意でねぇ……とりあえず、左手から見せてもらおうかな」

「あっは、はい……お、お願いします……」

 

 ひとりは占い師のお婆さんに言われるまま、左手の手のひらを差し出す。

 老婆は『手相占い』を得意としているらしく、そこから後藤ひとりという人間の在り方を読み取っていく。

 

「……なるほど。人と接するのは苦手だけど……チヤホヤはされたいと。随分と承認欲求が強いんだねぇ、あんた……」

「うっ……て、手相を見るだけで……そんなことも、わ……分かるん、ですか?」

 

 老婆は軽く手相を眺めるだけで、ひとりの内面をズバズバと言い当ててしまう。自身の恥ずかしい願望まで見透かされ、ひとりは驚きと共に恥ずかしさが込み上げてくる。

 正直、占いなどあまり当てにしていなかったが、そこまで的を得たことを言われてしまうと『信じてみようかな』という思いが強くなっていく。

 瞬く間に老婆の話術にひとりは引き込まれていき、老婆も占いを続けながらさらに話を広げていく。

 

「勿論さ、手相を見ればその人間がどんな人生を過ごしているかが分かるんだ……そして、これから先の『未来』なんかも見えてくるんだよ」

 

 老婆の話によると、手相にはその人間の『現状』と『未来』が垣間見えるとのことだ。

 

 その人が日々の生活で何を感じ、何を学んでいるかという『現状』。

『未来』に向かってどのような努力をしているか、その時々の行動で移ろいゆくものだと。

 

 手相とは——まさにその人が、今この瞬間をどのように生きているかが反映される証だと言えよう。

 

「ふむふむ……なるほど、なるほど……はは~! これはこれは……」

「え……? あっ、あの……な、何か?」

 

 ふと、流れるように占いを続けていた老婆だったが、ひとりの右手を見始めたところから動きが止まる。手相占いにおいて右手は——『行動や努力によって得た後天的な運勢』が表れるとされ、特に重要視されるポイントだ。

 その大事な右手を見ながら、老婆は驚いたように声を上げたかと思いきや、一人納得したようにうんうんとも頷いていく。

 占い師の独り言にひとりは気が気でない。いったい何をそんなに唸る必要があるのかと、老婆の次なる言葉をおどおどと待つ。

 

「お嬢ちゃんの夢だけどね……」

「あっは、はい……」

 

 たっぷりと時間を掛けた上で老婆は口を開く。

 老婆が話そうとしたのはひとりの『未来』、彼女の個人的な願望である『人気者になってみんなからチヤホヤされたい』という夢が叶うかどうかについてだった。

 

「今一緒にいる子たち……今のバンドメンバーとなら、その夢を叶えることも出来るだろうさ」

「ほ、本当ですか!?」

 

 占い師はあっさりと、ひとりの願望が叶うとその夢を肯定してくれた。その発言にひとりにしては珍しく、前のめりになって喜びを露わにする。

 自分の夢が叶う——それも今のバンド仲間と一緒であればこそ、それが実現するというのだ。

 

「へへ……うへへ……」

 

 今のメンバーが好きだからこそ、尚更歓喜しかない。老婆の言葉が本当か嘘かと疑問を持つよりも先に、あまりの嬉しさから頬をだらしなく綻ばせていく。

 

「ただ……そこに行き着くまでは苦労するだろうね……少なくとも、今以上にたくさんの人と関わることになるだろうさ」

「えっ……そ、そんな……!」

 

 しかし、世の中そんなに甘くない。夢は叶うかもしれないが——当然、そこに至るまでには相当な努力が必要になる。

 バンドマンとしての音楽活動は勿論、ひとりの場合、他者とのコミュニケーションという点で今以上の苦労を強いられるというのだ。

 

 今でさえ結構いっぱいいっぱいだというのに、さらに多くの人と関わっていかなければならないと。ひとりはそれによって生まれる精神的苦痛。また皆に迷惑を掛けてしまうという罪悪感に気落ちする。

 しかし、こればかりは『占い』ではどうにもならない。ひとりがひとりである限り、根本的な解決策などありはしないのだから。

 

「お嬢ちゃん、もしもお嬢ちゃんが心から望むのなら……お嬢ちゃんの引っ込み思案なその性格、何とかして上げられるかもしれないよ?」

「え、えっ……?」

 

 ところが、ここで老婆が不可思議な提案をする。

 ひとりの夢を叶える上での障害となっている、後藤ひとりという人間の性格面の問題を——解決してみせようと言ってきたのだ。

 

「ほ、本当ですか!? 本当に……こんな私を……?」

 

 老婆の提案に、ひとりは『そんなことが可能なのかと?』と疑いを抱く前に身を乗り出していた。

 ひとりにとって自身の性格は、どうにかしたくてもどうにもできない、物心ついたときから抱えている『コンプレックス』だ。

 もしも、万が一にでもこの『劣等感』を払拭できるというのであれば——その提案を受けない理由はないだろう。

 

 

 

「……さっきも話したけど、手相を見ればその人間がどんな人生を過ごしているかが分かるんだ。手相はその人の生き方が直接反映されるものだからね……」

 

 ひとりがその気になったと判断するや、老婆は再び彼女の手相を見ていく。手相を見ればその人間の生き方が分かると、先ほども語った蘊蓄を解説。

 

「逆に言えば……手相の方を直接弄れば、望み通りの自分に変わることが出来る……そうは思わないかい?」

「えっ……!?」

 

 するとそこから、手相を『弄る』などという現実離れした方向へと話を持っていく。

 手相がその人の生き方を反映するものなのであれば——逆に手相の方を弄れば、望むような生き方・性格に変わることが出来るという。

 

 理屈では確かにその通りかもしれないが、現実的に手相を弄るなど何をどうすればいいというのか。

 戸惑いを隠しきれないひとりであったが、そんな彼女の手のひらに向かい——老婆は「ふぅ~!」と息を吹きかける。

 

 

「——っ!?」

 

 

 刹那。

 後藤ひとりという少女の中で——『何か』が組み変わっていくこととなる。

 

 

 

×

 

 

 

「——友達の様子がおかしい?」

「…………?」

 

 その日、ゲゲゲの鬼太郎は猫娘と共に暗い地下室へと足を踏み入れていた。

 

 それだけ聞くといかがわしく聞こえてくるが、その店はどこにでもあるようなライブハウスである。

 ライブハウスは防音上の理由から地下に作られることが多く、その店『STARRY』も下北沢に店を構える、小規模なライブハウス——『小箱』と呼ばれるタイプの店舗であった。

 

 下北沢は東京都世田谷区の北東部に位置する、下北沢駅周辺のことを指す通称である。

 ライブハウスのみならず、多くの小劇場が立ち並ぶ——『演劇の街』としても有名だ。そして音楽や演劇以外にも、アートや古着などのサブカルチャーも充実。

 商店街や飲食店も個性的なものが多く、新宿や渋谷といったさらに大きな繁華街とも地理的に近いため、住まいとしても密かに人気を集めている。

 

「は、はい……そうなんです……」

 

 そんな下北沢の街から、鬼太郎に助けを求めるものからの手紙が届いた。

 今回の依頼主である少女——伊地知(いじち)虹夏(にじか)。長めの髪をサイドテールで結んだ彼女は、今年で高校三年生。本来は明るい性格なのだろう、話し方の節々に彼女生来の暖かさや優しさのようなものが伝わってくる。

 しかし今は悩みを抱えているためか、その表情に不安の色が滲み出ていた。

 

「私たちのバンド仲間のぼっちちゃん……後藤ひとり、て言うんですけど、その子が……その、色々とおかしいんです」

「うん。元から変だけど、今は輪を掛けて変になってる」

 

 その説明に同意するように頷いてきたのは、虹夏の同級生・山田リョウである。

 ミステリアスな雰囲気漂う彼女は、男性よりも女性にモテそうな中性的な佇まいを感じさせ、その顔は無表情で何を考えているか読み取るのが難しい。

 

「ふむ……そのぼっちちゃんと言うのは?」

 

 開口一番で二人の相談内容に耳を傾けながらも、ここで目玉おやじが顔を出し『ぼっちちゃん』という言葉の意味を問う。

 特に追求するところではないかもしれないが、気になってしまったのでとりあえず聞いておく。

 

「ひとりのあだ名。私が名付けた……ひとり、ひとりぼっち……ぼっちちゃん」

「ひ、酷いあだ名……その子、友達なのよね?」

 

 どうやら、ぼっちちゃんというのが普段仲間内で使われている、後藤ひとりへの呼び名であるらしい。リョウが名付け親だという、その呼び方に彼女たちの友情を疑う猫娘。

 

 確かに、あんまりといえばあんまりなあだ名だろう。

 だがそのような呼び名を付けたくなるほどに、後藤ひとりという少女は——『ひとりぼっち』だったのだ。

 

 

 虹夏やリョウがひとりと出会ったのは、一年前。

 彼女たちのバンドグループ『結束バンド』の初ライブ当日、出演予定だったメンバーがいきなりいなくなってしまったことで、急遽虹夏が引っ張ってきたピンチヒッターだった。

 その頃から、ひとりはコミュ症であるが故の『奇行』に走ることがあり、虹夏たちを困惑させてきたという。

 人と目を合わせようとしない。言葉がしどろもどろ。ことあるごとに妄想の中へのめり込んだり。

 さらには身体が溶けたり、異音を発したり、表情が福笑いのように崩れたりもするという。

 

 

「……ん? そのぼっちって子は……人間なのよね?」

 

 何だか人としておかしいところに気付き、猫娘は再度問い掛ける。

 

「え……何を言ってるんです? 当たり前じゃないですか!!」

「…………」

 

 しかし、その疑問にさも当然のように虹夏は笑いながら答えた。なんだか納得しないが、とりあえず今は後藤ひとりの体質より性格の話に戻る。

 

 

 後藤ひとりは虹夏が声を掛けてくれるまで、今までの人生で友達が一人もいなかったという。

 中学時代の三年間をずっとギターの練習に費やし、気が付けば卒業していたともいう。

 

 そんな悲哀を感じさせるエピソードに、こと欠かない人物の持ち主——それが後藤ひとりなのだ。

 まさに『ぼっちちゃん』というあだ名が相応しい。本人も、初めてのあだ名に大層喜んでいたという。

 

 そんな後藤ひとりが、ある日突然おかしくなってしまった。

 具体的に言うと——ものすごく明るく、自分の意見をはっきり口にする様になり、他者と問題なくコミュニケーションが取れるようになったというのだ。

 

 

「それは……いいことではないんですか?」

 

 ここで鬼太郎が疑問を投げた。何にせよ本人の性格が改善されたとなれば、それは喜ばしいことではないだろうか。

 

「いやいや、ありえないですよ!! あのぼっちちゃんが……いきなりあんな風に変わってしまうなんて!! 絶対、変な悪霊が取り憑いていると思うんです!!」

 

 だがその変わり様が信じられないと、虹夏が全力で首を振る。

 ひとりとまだ会ったこともない鬼太郎たちではいまいち実感を持てないだろうが、あのひとりが『明るい性格』になるというのが、よっぽど信じられないことなのだ。

 だからこそ、変な悪霊にでも取り憑かれているのではないかと——藁にもすがる思いで鬼太郎に手紙を出したという。

 

「ふむ……なるほど、事情は分かった。……して、そのひとりちゃんという子は、今どこにおるんじゃ?」

 

 虹夏の話を聞き終えた目玉おやじ。色々と疑問を感じながらも、とりあえずそのひとりという子に会ってみようと。彼女が今どこにいるかを尋ねていく。

 

「ぼっちちゃんなら、今喜多ちゃんが連れてきて——」

「——先輩!!」

 

 と、まさにそのタイミングだった。店の入り口から元気いっぱいの少女が駆け込んできた。

 

「おお! 喜多ちゃんいいところに……って、あれ? ぼっちちゃんは?」

 

 その少女に声を掛ける虹夏だが、その子は後藤ひとりではなかった。

 

 

 彼女の名は——喜多(きた)郁代(いくよ)。彼女も結束バンドのメンバーであり、ひとりと同じ学校に通う高校二年生だ。

 本来の後藤ひとりが『陰キャ』と言われる人物像であるならば、この喜多郁代という少女はその正反対『陽キャ』と呼ばれる位置にいる。明るく社交的で学校の友達も多く、さらには運動部の部活で助っ人を頼まれるなど、運動神経も抜群。

 人と接することが大好きで接客業も完璧にこなし、SNSでの個人アカウントでの登録者数も一万人を越えているという。

 

 容姿も愛らしくて性格も良い。まさに天が二物を与えたような逸材。

 しかしそんな完全無欠な陽キャガールの郁代も、ひとりという少女の変貌ぶりに戸惑いを隠しきれていない様子。

 

 

「それが……道に迷ってる外国人の方を交番まで連れて行って上げると。私も付き添うって言ったんですけど……一人で大丈夫だって……」

「え、ぼっちちゃんが……知らない人を道案内?」

「…………」

 

 郁代が話したその事情に、虹夏とリョウの二人は信じられない面持ちであった。

 あのひとりが、あのぼっちちゃんが言葉が通じるかも分からない外人の道案内を買って出るなど。それこそ、天地がひっくり返ってもあり得ないことである。

 

「やっぱりおかしいよ、ぼっちちゃん……」

「うん、ぼっちおかしい」

「ひとりちゃん……何があったんだろう……」

 

 ますます不安と心配を積み重ねていく、虹夏を始めとしたバンドメンバーたち。しかし、そんな友人たちの心配をよそに——。

 

 

「——お待たせ!!」

 

 

 元気いっぱい、ライブハウスのドアを勢いよく開きながら——件の人物がやって来た。

 

 後藤ひとり——超が付くほどの人見知り、病的なまでのコミュ症。

 人と目を合わせることすら困難な対人恐怖症で、隙あらば自身の世界に閉じこもってしまう、引きこもり一歩手前の残念美少女。

 

 

「——私が来た! ……だぜ!!」

 

 

「うっ!?」

「うわっ……」

「……っ!!」

 

 だが実際に姿を現したその少女は、陰キャとも程遠い——自身に満ち溢れた、笑顔の輝く女の子だった。

 普段との変わりように、改めてバンドメンバーたちが驚愕していく。

 

「な……なんだって!?」

「な、なんなの……これは!?」

「よもや……これほどとは!?」

 

 ついでに鬼太郎たちも、その少女の登場には度肝を抜かれた。

 それほどまでに、それほどまでに——。

 

 

 

 

 

『——く、クソダセェ……!!』

 

 彼女は壊滅的なまでに——ファッションセンスがダサかった。

 

 

 

 

 

「——へいへい!! どうしたんだぜ、みんな!! そんなに驚いちゃって!? あっ、今日の私のファッション……ちょっとおしゃれすぎちまったかだぜ!?」

 

 後藤ひとりと思われる少女が、押し黙る一同にテンション高めに声を掛けてくる。

 もう言動からして色々とおかしいのだが、その格好が尚更後藤ひとりという少女の現在の奇抜ぶりをアピールしていた。

 

 本来、ひとりはおしゃれに無頓着でいつもジャージで過ごしていることが多い。だがそんな彼女が、今は『超ダサい私服』に袖を通している。

 

 下は、ボロボロのダメージジーンズ、それはまだいい。

 だが上のTシャツの正面には意味不明なアルファベットの羅列、それと全身のところどころにチャックの意匠が施されている。さらに彼女の胴体や腕には鎖やシルバーが巻かれており、全身から厨二病感が止めどなく溢れ出している。

 極め付けは、星型のサングラス。パーティの余興で掛けても滑りそうなデザインのそれを、当たり前のように装着している。

 

「うわ~……」

 

 このあまりのファッションセンスのなさに、年頃の女の子たちである結束バンドの面々が当然引き気味に。

 ファッションになど全く気を遣わない、いつも同じ服を着ているようなゲゲゲの鬼太郎でさえ「うっ!」と言葉を詰まらせていた。

 

 

 

 しかし問題なのは、そのダサいダサい服を——ひとりが、恥ずかしげもなく着ていることだ。

 まるで自分こそが次代のファッションリーダーだと言わんばかりに、その姿でいることになんの疑問も抱いていない。

 

 それほどまでに、今の彼女は自身に満ち満ちているのだ。

 

 前もって聞いていた、彼女本来の人物像とはかけ離れた姿だ。

 そのクソダサいファッションセンスを除いても——確かに、今の彼女は『おかしい』というのがよくよく伝わってくる。

 

「——もうやめて、ぼっちちゃん!!」

 

 そんなダサい彼女を見かねてか、伊地智虹夏が堪らず叫び出していた。

 

「無理して粋がる必要なんてないから!! そんな痛々しいぼっちちゃん、これ以上見ていられないよ!! 正気に戻って!!」

 

 彼女はひとりが無理してそのような振る舞い、そしてクソダサい服を着ていると思い込みたいのだ。

 無理なんかしなくていい。いつもの内気で人見知りなひとりに戻ってほしいと、懇願するようにその身体を揺さぶっていく。

 

「無理なんてしてないぜ!! 今の私は最高に輝いている、スーパーでウルトラな後藤ひとりなんだぜ!!」

 

 しかし虹夏の悲痛な叫びは届かず。ひとりは今の自分の姿こそが一番輝いていると、凄まじいほどの自己肯定感で己を貫き通す。

 ……どうでもいいことだが、いちいち語尾に『だぜ!!』と付けてくるのが妙に腹立つ。

 

「お婆さんから手相占いをしてもらった日から、絶好調なんだぜ!! みんな、次のライブも私と一緒に盛り上げていこうぜ!!」

「……うん? 手相占いじゃと……?」

 

 どうやら、後藤ひとりがこうなってしまった背景には——手相占いとやらが関係しているらしい。彼女自身の口から出たその発言に、目玉おやじが反応を示す。

 

「どうかしましたか、父さん? 何か思い当たる節でも……」

 

 父親の反応に、鬼太郎は心当たりがあるかを尋ねていく。

 

「お婆さん……手相占い……それに、性格が変わると……」

 

 目玉おやじはひとりが口にした、いくつかのワードを頼りに自身の記憶を手繰り寄せる。

 そして、心当たりを思い出したのか——今回の事件に関わっているであろう、その妖怪の名を口にしていく。

 

 

「これはもしかしたら……吹消婆の仕業かもしれんぞ!」

 

 

 

×

 

 

 

 吹消婆(ふっけしばばあ)。別名——火消婆(ひけしばばあ)とも呼ばれている、老婆の姿をした妖怪である。

 

 古くは江戸時代から、蝋燭や提灯の火を消してしまう妖怪と伝えられてきた。妖怪は闇を好むものが多いため、光を放つ火を苦手にしているとされ、それを吹き消す存在として吹消婆のような妖怪が成り立ったのだろう。

 実際、吹消婆は火を消すのが大好きな妖怪である。しかし現代では昔ほどボヤ騒ぎが多くなく、たとえ火事が起きても人間の消防団が颯爽と現れ消してしまうため、なかなか活躍の機会に恵まれなくなってしまった。

 

 大好きな火を消せなくなって幾星霜、吹消婆は火以外のものを吹き消すことで自身の鬱憤を晴らすようになったという。

 それこそが——手相を吹き消す『手相返しの術』という妖術の獲得に繋がったというのだ。

 

 

 

「いやいや! なんで火を消すお婆さん妖怪が、手相なんて吹き消すようになっちゃったんです?」

「それはボクに訊かれても……」

 

 その吹消婆の謎の能力開花に対し、虹夏が不思議そうに首を傾げる。火を消す妖怪とされる老婆が、何をどのようにして『手相を吹き消す』などという能力を得てしまったのだろう。

 この質問に鬼太郎は明確な答えを出せないでいる。確かによくよく考えるとおかしい話かもしれないが、妖怪なんてだいたいそんなもんである。

 人に理解されない、訳の分からない能力で人を驚かす。それこそ——妖怪の本懐なのかもしれない。

 

「わしも詳しいことは知らんが、奴は手相返しの術で手相を吹き消し……その人間の性格を変えてしまうというんじゃ」

 

 後藤ひとりの性格の豹変を吹消婆の仕業であると見抜いた目玉おやじも、彼女が何故そのようなことが出来るようになったか、その経緯までは知らないとのこと。

 

「とりあえず、これが本当に奴の仕業か確認は取らねばなるまい……猫娘、吹消婆の店まではまだ遠いのかのう?」

「ちょっと待って……多分、この辺りの筈だけど……」

 

 とにかく、今はこの件に吹消婆が本当に関与しているのかを確かめるのが先決と。目玉おやじや鬼太郎は結束バンドの主だった面々を連れ、吹消婆の『店』を探していた。

 

 その際、猫娘が地図アプリを起動しながら道案内を続け、一行はとある商店街へと辿り着く。

 吹消婆の知り合いだという、砂かけババアや子泣き爺の話によると——その商店街の一角で、吹消婆は本業のたい焼き屋を営んでいるとのことだ。

 

「……なんでたい焼き?」

「妖怪のお婆さんが経営するたい焼き屋……なんだか、映える感じがします!!」

 

 これに山田リョウや喜多郁代。妖怪が経営するたい焼き屋という謎スポットに対し、それぞれ違った反応を見せていく。

 

「へいへい!! なんだか美味しそうな匂いが漂ってくるんだぜ!!」

 

 そして後藤ひとりも。相変わらずおかしなテンションだが、皆の後を大人しく付いてきてくれている。

 こんな状態になっても、ちゃんとこちらの言うことは聞いてくれるらしい。絡みづらくはあるが、コミュニケーションという観点であれば、本来の状態よりはまともになっている。

 

 

 

「着いた! この店みたいね……」

 

 そうして、シャッター通りとなっている商店街を数分ほど歩いていき、一行は目的のお店——吹消婆が営んでいる、たい焼き屋の前へと辿り着いていた。

 こじんまりとした店だ。小さな看板に、申し訳ない程度に『たい焼き』とだけ書かれている。店の外からでは中の様子が確認できないため、さっそく一行は店内に足を踏み入れようとする。

 

「——なんじゃ、客か? 悪いが今日は店じまいじゃ……また出直して来てくれんかのう」

 

 だが一行が足を踏み入れる先に、店内から一人の老婆がひょっこりと顔を出す。

 現時刻は夕方だが、もう店を閉めるようだ。周囲に人気がないことを考えれば納得の閉店時間だが、それにしても少し早いような気もする。

 

「久しぶりじゃな……吹消婆よ」

「ん? なんだ、誰かと思えば目玉おやじではないか、久しぶりじゃのう!」

 

 店じまいを始める吹消婆へ、まずは目玉おやじが声を掛けた。吹消婆も目玉おやじに気が付いたのか、割と気さくに挨拶を返す。

 

「へい!! 久しぶりなんだぜ、お婆さん!!」

 

 すると、ここで後藤ひとりが吹消婆に元気溌剌に手を振った。

 

「おっ! なんだい、お嬢ちゃんも一緒かい! わざわざ友達を連れて、遊びに来てくれたのかい?」

 

 後藤ひとりの存在を吹消婆も正しく認識し、その口元に微笑みを浮かべる。まるで孫が遊びに来たのを歓迎する祖母のように。それだけ見ればたいへん微笑ましい光景である。

 

「あ、あなただったんですか!? ぼっちちゃんを、おかしくしてしまったのは!!」

 

 しかし、吹消婆とひとりが顔見知りであったことで、例の占い師とやらが誰なのかこれで判明した。結束バンドの中から、伊地知虹夏が責めるように吹消婆へと迫っていく。

 

「今すぐ、ぼっちちゃんを元に戻してください!! こんなの……こんな、バリバリのパリピキャラでいることを強いるなんて……いくらなんでもあんまりです!!」

「そこまで言うか……」

 

 虹夏の言いようにリョウから冷静なツッコミが入るが、確かに普段のひとりを鑑みれば、この変わりようは異常と言えよう。根暗で引っ込み思案なひとりを、このようなパリピキャラに変貌させるなど。

 いったいどのような無茶、無理を通せばこんなことになるのかと。とてつもない暴挙を想像し、虹夏は「キッ!!」と吹消婆を睨みつける。

 

「はて……元に戻せと? じゃが、そうなることを望んだのは他の誰でもない……お嬢ちゃん自身なのじゃぞ?」

 

 しかし外野からの苦情を軽く受け流し、吹消婆は——この変化こそが、後藤ひとりが望んだものだと口にする。

 

「どういうことだ、吹消婆?」

 

 これに眉を顰めるゲゲゲの鬼太郎。事情を知らない自分たちにも分かるよう説明を求めた。

 

 

 

 鬼太郎に問われたことで、吹消婆は語っていく。

 先日、副業の占いで後藤ひとりの手相を見たこと。彼女が自分の性格で思い悩んでいたことを。

 ならばと、吹消婆は自分の妖術で実際に手相を弄り、ひとりの性格を改変し——その上で、一度は元に戻したというのだ。

 

『どうじゃった? 新しく生まれ変わった自分は?』

『…………』

 

 お試しで性格を変えてみせた吹消婆がひとりに感想を求める。最初は彼女も訳が分からず黙っていた。

 しかし、どうやらそれが夢や錯覚でないことを、たっぷりと時間を掛けることで実感していく。

 

『もしも、お嬢ちゃんが心の底から望むのなら……』

 

 それを踏まえ、吹消婆は改めて『どうするか?』を問い掛けていた。

 もしもひとりが望まなければ、それ以上は吹消婆も何もしなかっただろう。普通に占いの料金を貰い、それでサヨナラをして終わるところであった。

 

 だが——。

 

『お、お願いします……どうか私を——!』

 

 ひとりは自らの意思で、今の自分ではない——新しい自分に生まれ変わることを選んだのだ。

 ひとりの覚悟を汲み取り、吹消婆も自らの妖術を行使。

 

 後藤ひとりという少女を、どこに出しても恥ずかしくない? 彼女が望むような『陽キャ』へと生まれ変わらせたのであった。

 

 

 

「そ、そんな……ぼっちちゃんが……自分から?」

 

 その話に虹夏がガックリと項垂れる。

 ひとりが人と接することを苦手としていたのは知っていたが、まさか妖怪の力を借りてまでコミュ症な自分から逃れたいなどと思っていたとは。

 ひとりをそこまで追い込むようなことを自分たちはしていたのかと、割と真剣に思い悩んでいく。

 

「それに……わしの『手相返しの術』は、何も一から人格を作り変えるわけではないぞ?」

 

 加えて、吹消婆は自身の妖術がそこまで万能でないと語っていく。

 

「あくまで手相を吹き消し、その位置をずらし組み替えることで、その性格を変えることが出来る。本人が持っていないもの、抱いてもいない感情を表面化することは出来んということじゃな」

 

 手相返しの術の本質は、あくまで本人が生来持っているものを組み替え、その当人が深層で抱いているような感情や願望などを表面化させることにある。

 そのため、本人が一切持ち合わせていないような要素を含んだ性格にすることは出来ないというのだ。

 逆に言えば——。

 

「それって……ひとりちゃんの中に『ああなりたい』っていう願望があったってことですか? あれが……ひとりちゃんが思い浮かべる、明るい人間の理想像だとでも!?」

「イェイ!! イェイ!!」

 

 郁代が信じられないと叫ぶ横で、何かしらのリズムを刻み付ける後藤ひとり。郁代としては、ひとりの中にあのような要素があったなど、とてもではないが受け入れ難いことであった。

 

「うん、そう!!」

 

 しかし吹消婆はあっさりと頷く。

 ひとりの手相を組み替えるため、その内面にまで触れた彼女だからこそ、あれも後藤ひとりという人間の一面であると断言する。あの姿こそ、ひとりの中に存在する陽キャのイメージ。

 

 

 その印象を形とし、表面化した『もう一つの人格』なのだと。

 

 

「いずれにせよ、本人が自らの意思で決めたことじゃ。他人がとやかく言う筋合いはないと思うがのう……」

 

 なんにせよ、これは後藤ひとりと吹消婆が互いにきちんと話し合った末に決めた——客側と店側との間で結ばれた正式な『契約』でもある。

 

 

 あくまで、部外者である他の人間が口を出していい問題ではないと。

 穏やかな口調ながらも、明確にバンドメンバーたちを拒絶する吹消婆であった。

 

 

 

×

 

 

 

「まさか、こういう展開になるとはね……」

「これからどうしたもんかのう……」

 

 猫娘と目玉おやじが難しい顔で腕を組んでいる。

 

「皆さんとしては……どうしたいとお考えですか?」

 

 ゲゲゲの鬼太郎も、依頼主である結束バンドの面々に今後の対応を尋ねていく。

 

「どうしたいって、言われても……」

「…………」

「…………」

 

 だがその問い掛けに虹夏は言い淀んでしまう。他の面々もすぐには言葉が出てこないのか。薄暗いライブハウスが、さらに暗い雰囲気に覆われてしまう。

 

 

 あれから一行はライブハウスへと戻り、そこで今後の方針を決めかねていた。

 今回の騒動の大元は理解した。吹消婆の手相返しの術により、性格が百八十度変わってしまった、後藤ひとり。

 彼女の性格を元に戻して貰えれば解決——それで終わっても良かった筈である。

 

 しかし、性格の改変を望んだのは他の誰でもない、後藤ひとり自身だ。吹消婆の話を信じるのなら、ひとりは全てを承知の上で、今の状況を受け入れたことになる。

 吹消婆もひとりの意思を尊重したいと、彼女を元に戻すことを拒んだ。その意思は頑なで、ちょっとやそっとの説得では動いてくれなさそうだった。

 

「どうしたんだぜ、みんな!? もっとバイブス上げていこうや!! へい、PAさん!! みんなにテキーラ追加!! 私の奢りだぜ!!」

「…………うちの店にそんなものありませんよ?」

 

 すっかり陽キャが板についたひとりの方もずっとこの調子のため、本人の口から『戻りたい』と言わせるのも難しいだろう。

 というか、未成年がテキーラなんて頼むなと。店の奥で皆を見守っている、イケイケファッションのPA(音響エンジニア)のお姉さんにツッコミを入れられている。

 

 正直なところ八方塞がり。原因も解決策も分かっているのに手を出せないという、なんとももどかしい状況である。

 

「け、けどけど! ここにいるひとりちゃんは、紛れもなくひとりちゃんなんですよね!?」

 

 しかし暗い顔ばかりしていられないと、本家本元の陽キャである喜多郁代が皆を元気付けるように声を上げた。

 

「ひとりちゃんが変わったとしても、私たちがいつも通りに接してあげればいいんじゃないでしょうか?」

 

 郁代の言うとおり、ここにいる彼女は紛れもなく『後藤ひとり』本人である。別の何かと入れ替わっていたりとか、悪霊のようなものに外側から無理矢理操られているとかではないのだ。

 たとえ性格が変わろうとも、周囲の人間がその変化を受け入れてやればいいだけではないかと、郁代は皆を前向きに導いていく。

 

「まっ……それもそうだけど……」

「確かにそうだね。何があろうと、ぼっちちゃんは……ぼっちちゃんなんだから!!」

 

 この考え方が意外にも良い空気を生んだ。リョウも虹夏も、ひとりを本当に友達だと思っているからこそ、彼女がどんな性格でも受け入れるべきだと自分自身を納得させていく。

 結束バンドの面々から、徐々に明るい表情が戻ってきた。とりあえず、現状を受け入れるという方向性で話が纏まったようだ。

 

「それじゃあ……せっかく集まったんだし、次のライブに向けて練習でもしよっか?」

 

 ここで虹夏がバンド練習をしようと提案する。

 それは気を紛らわすという意味の『逃げ』でもあるのだが、ライブが近いことに変わりはないため、練習しないわけにもいかなかったりする。

 

「ぼっちちゃん……一応聞くけど、ギターの弾き方忘れたなんてことないよね?」

 

 だがここで、虹夏はまたも心配そうにひとりへと声を掛けた。

 ひとりの性格が豹変したことで、もしかしたらギターの演奏方法を忘れてしまったりなど、何かしらの弊害が生まれているのではと心配したためだ。

 

無問題(もーまんたい)~!! いつでもオッケーなんだぜ!!」

 

 しかしそれは杞憂であると、ひとりは自身の相棒——ギブソンのレスポール・カスタムの音色を響かせる。

 淀みない華麗な演奏、滑らかな指捌き。性格が変わってもその演奏技術は健在のようだ。

 

「よ、よ~し!! それじゃあ、景気良くやっちゃおっか!! あっ、せっかくなんで鬼太郎くんたちも見てってください! 感想とか聞きたいんで!!」

「え……ええ、分かりました……」

 

 ひとりの変化が未だ慣れないものの、そこは虹夏自身が無理にでもテンションを上げて乗り切っていく。ついでに、その場に留まっていた鬼太郎たちにも、観客としていてくれるようにお願いしていた。

 

 特に断る理由もなく、鬼太郎たちはゲストとして結束バンドの演奏を観ていくこととなる。

 

 

 

 

 

「——それじゃあ、改めまして……結束バンド! ドラム担当の虹夏です!!」

 

 そうして、四人のバンドメンバーが本番さながら、壇上のステージに集結する。

 バンド前のMCの練習も兼ねているのか、バンドリーダーである虹夏が自身を含めたメンバーの紹介を挟んでいく。

 

「次!! ベース、山田リョウ!!」

「フッ……」

 

 名前を振られるごとに、メンバーがそれぞれソロ演奏を聴かせていく。

 山田リョウはベースでスラップ奏法をドヤ顔で披露、とてもご満悦なご様子だ。

 

「さらには……ボーカルの喜多ちゃん!!」

「はーい!! よろしくお願いしますね、皆さん!!」

 

 ステージ中央ではボーカル担当の喜多郁代が手を振る。

 歌だけでなく軽くギターも弾けるようだが、単独での演奏はまだまだ未熟。それでも、努力の成果が垣間見える良い演奏だ。

 

「そして……リードギター、後藤ひとり!!」

「ウェイ!! ウェイ!! みんな、今日も超絶盛り上がっていこうぜ!!」

 

 最後には大トリを飾る、後藤ひとり。

 いつもの彼女であれば、恥ずかしさのあまり観客に背を向けるのだが——今は堂々と鬼太郎たちに向かってソロ演奏を奏でていく。

 

「ぼっちちゃん……はっ! そ、それでは聴いてください!!」

 

 性格を変えてもらった効果は確実に出ているようだ。虹夏はそこに複雑な気持ちを抱きつつも、今はそれどころではないと。

 

 

 

 四人揃った——『結束バンド』としての演奏に集中していく。

 

 

 

「へぇ~……結構上手いじゃない?」

「うむ、素晴らしい演奏じゃ! 最近の子は凄いんじゃのう……」

 

 思いがけず始まった結束バンドのライブ。練習に付き合わされる形だったが、思いの他上手な演奏に妖怪たちも聴き入っている。

 人並みに動画サイトなどで気に入った音楽を聴いている猫娘は勿論、普段は音楽などあまり聴かない目玉おやじにさえも『上手い』と感じさせるものが、結束バンドの演奏にはあった。

 

「ええ、とても上手ですね……」

 

 ゲゲゲの鬼太郎も、彼女たちの奏でる音楽に静かに目を閉じていく。

 どうやら、音楽を楽しむという感情に人間や妖怪といった違いは関係ないようである。

 

 

 

「————?」

 

 一方で、軽快な音楽を奏でる結束バンドだが、メンバーの何人かがどうにも腑に落ちないような表情になっていく。

 

 演奏の手を止めたりこそしないが、虹夏やリョウなどは何度もアイコンタクトを取り、自分たちが感じた違和感を互いに確かめ合ったり。

 ボーカルの郁代も、歌いながらさりげなく自身の後方へと視線を向けたり。

 

 

 いつもとは違う『何か』に、集中力を妨げられているようだった。

 

 

「————♪」

 

 

 ただ一人、後藤ひとりだけはその違和感に気付いた様子もなく、変わらぬ調子で演奏を続けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや~……凄い!! 本当に良い演奏じゃったぞ!!」

 

 そうして、結束バンドの演奏は終わった。本番のような臨場感たっぷりのライブ練習に、感動したように目玉おやじが両手を広げてくれる。

 

「あ、ありがとうございます……ははは……」

 

 新規のお客さんに喜んでもらえたと、虹夏も笑みを浮かべる。

 だが当人たちは、自分たちの演奏にどこか納得しきれていない様子で——その視線をチラチラと、後藤ひとりへと向けていた。

 

「お疲れ、リョウちゃん!! 今日も最高のライブだったんだぜ!!」

「…………」

 

 しかし、ひとりは他のメンバーが抱いた違和感に気付いた様子もなく、ベーシストの山田リョウに労いの言葉を掛けていた。

 

 馴れ馴れしくもリョウの肩をバンバンと叩くひとり。そんなひとりに対し、リョウは黙り込んでしまっている。彼女は結束バンドのメンバーではあるが、孤高を愛する人間でもある。

 休日には一人で廃墟探索をしたり、古着屋や飲食店を巡ったり。気が乗らないときなどは、たとえメンバーから遊びの誘いがあっても断ることがある。

 そんなリョウにとって、今のように遠慮なく距離を詰められるのは、なかなか精神的に厳しいものがあっただろう。

 

「そうそう!! そういえば……」

 

 だがパリピと化したひとりに、孤高を愛する人間の気持ちは分からない。彼女は尚もだる絡みを続けながら、徐に一冊のノートをリョウへと差し出していた。

 

「この間頼まれてた新しい歌詞、バッチリ書いてきたぜ!! 我ながら、傑作なんだぜ!!」

「……!! 拝読いたす……」

 

 これにはリョウも素早くバンドマンとしての顔つきになり、ひとりが書いてきたという歌詞に目を通していく。

 

 結束バンドでは後藤ひとりが作詞を、山田リョウが作曲を担当していた。

 ひとりが歌詞を書くのは、彼女が『青春ソング』を苦手としており、歌詞に入れるNGワードが多いという理由からだった。しかし彼女の感性から紡がれる歌詞は、暗いながらも刺さる人には刺さるとすこぶる好評だったりする。

 

「あっ、私にも見せてください!! ひとりちゃん、今度はどんな歌詞を書いてきたの!?」

 

 郁代もひとりが書いてきたという歌詞が楽しみなのか、リョウと一緒になってノートを覗き込んでいく。

 

「…………」

「え……こ、これって!?」

 

 だがノートに書かれている内容——歌詞に目を通した瞬間、リョウと郁代の表情が固まる。

 

 

「——どうだぜ!? 今回は爽快な青春ソングにしてみたんだぜ!!」

 

 

 そう、ノートに書かれていた歌詞は、本来ならひとりが苦手としているNGワードがふんだんに盛り込まれた——まさに青春ソングそのものだったのだ。

 

 歌詞には『友情』『努力』『勝利』。少年漫画にありがちな三要素のエッセンスがところどころに散りばめられている。

 さらには『頑張れ』だの、『信じれ』だの、『夢は叶う』だの、現状を無責任に肯定する言葉。

 極め付けは『愛してる』『大好き』と好意を伝える甘々な台詞がダイレクトにぶち込まれた。

 

「……うぐっ!!」

「リョウ先輩!?」

 

 あまりにも前向き過ぎる言葉の数々に、山田リョウの精神がダメージを受ける。

 陽キャの郁代ならまだしも、どちらかというと陰キャ側のリョウが直視するにはあまりにもキツ過ぎる歌詞だった。

 

「どうだぜ!? 最近のトレンドなんかもさりげなく入れてみた……かつてないほどの最高傑作なんだぜ!!」

 

 しかし、ひとりはそれこそが自分が書ける最高の歌詞だと信じて疑わない。

 

「…………ぼっち」

 

 そんなひとりを前に、リョウは手で頭を押さえながら目を伏せる。

 つい今しがた受けた精神的ダメージを引きずりながら、ひとりに向かって——厳しく問いを投げ掛ける。

 

 

「——ぼっち……さっきの演奏はなに?」

「——!!」

「——!!」

 

 

 リョウが真っ先に口にしたのは、歌詞に対する文句ではなく——今日のひとりの演奏についてだった。

 ズバリと放たれたリョウの言葉に、同じようにもやもやを抱いていた虹夏や郁代がハッと視線をひとりへと向ける。

 

「…………へっ?」

「……?」

 

 質問の意味を全く理解しきれていないのか。ひとりは間の抜けた声を出し、鬼太郎たちも首を傾げていく。

 

「さっきの演奏……ぼっち、だいぶ私たちに寄せてきてたよね? いったい何の真似?」

「な、なんの真似……って、そんなの当たり前なんだぜ! バンドなんだから……みんなで一丸となって一つの音楽を奏でるのは当然のことなんだぜ!!」

 

 リョウの厳しい追求に、陽キャとなって堂々としていたひとりが僅かに怯んでいる。それでも自分の意見をはっきりと口にするあたり、やはり手相返しの効果は発揮されているようだが。

 

「それにしたって……寄せすぎじゃない? おかげでバンドとしては纏まってたけど……ぼっち自身の個性が完全に死んでた……」

 

 だがリョウの不満は止まらない。

 

「あんなふうにレベルを抑えた演奏をされるくらいなら……いつもみたいに突っ走ってくれた方が全然良い。その方がライブとしての臨場感も出るし……私たちも、ぼっちの演奏に合わせようって……頑張れる感じがするし……」

 

 

 

「……どういうこと?」

 

 バンド間に緊迫した空気が流れているが、彼女たちが何故揉めているのか、部外者である妖怪たちには分からない。

 猫娘からしても、今の演奏に何の問題があったのか気付くことが出来ないでいる。

 

「ぼっちちゃん……本当は、ここにいる誰よりもギターが上手なんですよ……」 

 

 すると、猫娘の疑問に伊地知虹夏が声を潜めるように答えていく。

 

 

 実はこの結束バンド。バンド内で最も高い実力を秘めているのが——何を隠そう、後藤ひとりなのである。

 彼女のギターテクニックは既にプロでも通じるレベル。SNS上でも『ギターヒーロー』という名義で演奏動画を上げており、それが凄まじい再生回数を叩き出していた。

 

 これも中学生活の三年間、青春の全てをギターに捧げてきた成果である。

 

 ところが、ずっと一人での演奏を続けてきたため、アイコンタクトもまともに取れないほどに人見知りなため、バンドとして『他者と演奏を合わせる』という基本を苦手としていた。

 一人弾きでは無双を誇る後藤ひとりも、バンドではミジンコ以下になってしまうのだ。

 

 もっとも、最近はメンバー同士でしっかりと息が合うようになり、そこまで酷い演奏にはならない。

 まだまだ『ギターヒーロー』としての演奏には及ばないものの、着実にバンドマンとしての実力を身に着けてきている。

 

 しかし先ほどの演奏は、それとは別の意味で問題があった。

 

 

「さっきの演奏……ぼっちちゃんにしては息が合ってたけど……なんか、無理をして私たちに合わしてる感じだったんです……」

 

 虹夏も感じていたのか。先ほどのライブ——ひとりはわざわざ自分自身のレベルを下げてまで、演奏の歩調をメンバーに合わせているようだった。意識してやったのか、あるいは無意識下だったのか。きっと性格の変化により、そのような演奏になってしまったのだろう。

 

 仲間に合わせることは当然、悪いことではない。だが、そのせいで自分の演奏——後藤ひとりとしての個性が完全に埋没してしまっていた。

 結果として綺麗に纏まっていたものの、それでは人並み——結束バンドとしての個性など何もない、ありきたりなバンドで終わってしまうのだ。

 

 生粋のバンドマンである山田リョウには、それが我慢ならなかったのだろう。

 

 

「この歌詞もそうだよ。最近のトレンドって……ようは売れ線を意識してるってことでしょ?」

 

 演奏だけに限らず、ひとりが新しく書いてきた歌詞にも。今まで感じられた『ひとりらしさ』がないと、ありきたりなフレーズばかりだと酷評していく。

 

「私、前にも言ったよね? 個性を捨てたバンドなんて……死んだのと一緒だって」

「——っ!!」

 

 リョウの意味深な言葉に、星型サングラスの奥でひとりが目を見開く。

 

 山田リョウは結束バンドを結成する以前にも、別の人たちとバンドを組んでいた時期があった。彼女はそのバンドの青くさくてもまっすぐな歌詞が好きだったという。

 しかし売れるために必死になって、売れ線を意識するあまりに変わってしまったバンド仲間たち。そんなメンバーに嫌気が差し、リョウはそのバンドを抜けてしまった。

 それから暫くして、そのバンド自体も解散してしまったという。

 

 今となっては過去の出来事だが、その繰り返しが——この結束バンドでも起ころうとしていた。

 

 

「今のぼっちの演奏からは……個性がまるで感じられない。個性を捨てたバンドマンなんて、死んだのと一緒……」

 

 リョウは同じような言葉を繰り返し用いて、自身の不満をぶちまける。

 静かではあるものの怒りすら感じられるほど真剣に、今のぼっちを否定するような言葉を吐き捨てていく。

 

 

「——今のぼっちは……死んでるも同然だよ」

「————」

 

 

 そんなリョウの言葉に場が凍り付いた。

 

 

「リョウ!!」

 

 あんまりな言いように咄嗟に虹夏が咎めるような叫び声を上げるが、それすらも聞きたくないとリョウは帰り支度を始めてしまう。

 

「……私、今日はもう帰るから」

 

 そしてこれ以上はこの場にもいたくないと、一人でさっさと帰ってしまった。

 

「ちょっ!! 待ってよ、リョウってば!!」

 

 そんなリョウを慌てて追いかけていく虹夏。結束バンドの内、二名がその場から退席。ライブハウスにかつてないほどに重い空気が漂っていく。

 

「ひ、ひとりちゃん……」

 

 その場に残った喜多郁代が、ひとりに気遣いの視線を向ける。

 山田リョウの言葉に、陽キャとなっていた後藤ひとりも、流石に堪えるものがあっただろう。

 

 

「私が……死んでるも同然だって? …………あっ、だぜ!!」

 

 

 語尾に『だぜ!!』をつけ忘れるほどに動揺し、暫くの間はそこから動くことが出来ないでいた。

 

 




人物紹介

 後藤ひとり
 『ぼっち・ざ・ろっく!』の主人公。原作者曰く、後藤の体は人間の体ではないらしい。じゃあ何者だよ。
  陰キャの人見知りで、人と碌に目を合わせられないほどのコミュ症。
  公式でも美少女という設定で、アニメだと描写がカットされているが、スタイルも抜群。
  原作だとそのスタイルのせいで、時折虹夏や郁代にドス黒いオーラを向けられてます。
 
 伊地智虹夏
  結束バンドのリーダー、ドラム担当。
  優しくて包容力があって、家事全般もこなせる。おそらくメンバーの中で一番女子力が高い。
  原作では『下北沢の大天使』と名付けられ、視聴者からも天使と呼ばれている。

 山田リョウ
  ベース担当。変人と呼ぶと喜ぶ変人。
  ぼっちと同じく陰キャだが、それを苦ともしないマイペースな子。
  金遣いが荒かったり、金を借りて返さなかったりと……割とクズい。
  
 喜多郁代
  ギターボーカル。作中を代表する陽キャパリピガール。
  ただ彼女の陽キャは、ある程度努力して維持しているような部分もある。
  基本的に何でもそつなくこなせるが、特別秀でたものがないという部分に本人はコンプレックスがある模様。
  
 吹消婆
  今回のゲスト妖怪。手相返しの術という謎の妖術で手相を吹き飛ばし、その人の運命・性格を変えるとか。
  活動報告のリクエスト欄でアイディアを提案されたことで今回の話が生まれました。
  作者一人では思い浮かばなかったので、この場を借りて感謝の意を表明いたします。
  一応、ゲゲゲの鬼太郎3期『妖怪吹消婆プロレス地獄』の軽いオマージュになっております。
  ただこの話を作者は視聴しておらず、ネットで調べても軽い概要くらいしか分からず。
  ある程度、分かりやすい描写で簡略化した話になっておりますので、その点はご了承ください。

 パリピ後藤ひとり
  手相返しの術でパリピキャラと化した後藤ひとり。
  今作における主人公として彼女を中心に物語が展開していく予定。
  性格のモチーフは『ひとりの想像の中にいるひとり自身』。
  アニメでもあった『ナイトプールでサーフィン、クイーンオブウェイ』のところにいるアレです。
  何故か星型のサングラスを掛け、常に語尾に『だぜ!!』を付けています。

 今回は結束バンドの四人が中心でしたが、次回からは大人組も出てくる予定です。お楽しみに!

  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ぼっち・ざ・ろっく! 其の②

『ぼっち・ざ・ろっく!』ライブイベント開催決定!!
新曲も二曲、新たにリリースされるとのこと。

さらに公式スピンオフも鋭意製作中とのこと。まだまだ、ぼっちの人気はとどまるところを知らない!!
これは……二期も期待していいってことですよね!?

今回の話、正直二話構成にしようかと迷ったのですが……区切りがよかったの一旦ここで切ります。
余裕はあるのでしっかり三話で終わるので、次回で完結です。

今回は戦闘描写がほとんどなく、若干鬼太郎たちが空気気味。なので、鬼太郎たちの『縦軸のお話』をさりげなく盛り込んでいます。
他の話を読んでいないと少しわかりにくいところがあるかもしれませんが……あくまでおまけ要素ですので、よろしくお願いします。


「なんだか、雲行きが怪しくなってきたわね……どうする、鬼太郎?」

「どうすると言われてもな……」

 

 下北沢のライブハウス『STARRY』にて。猫娘とゲゲゲの鬼太郎は予想外の事態に頭を悩ませていた。

 

 吹消婆の『手相返しの術』により、性格が『陰キャ』から『陽キャ』へと変貌を遂げたバンドマン・後藤ひとり。

 彼女の性格を戻してもらおうと、吹消婆の元を訪れたのだが——これは『後藤ひとり自身が望んだこと』だと、拒否されてしまった。

 やむを得ず、そのままの状態で少し様子を見ようと。とりあえず現状を受け入れようとしたひとりの友達——結束バンドの面々。

 

 しかし性格が変わった影響なのか、ライブに向けてバンド練習をしたところ——ひとりのギターに変化が生じていた。

 演奏にギタリストとしての個性がなくなったと、ベーシストの山田リョウが静かに怒りを滲ませ、その場から退席。それを追いかける形で、ドラマーの伊地知虹夏もライブハウスを後にする。

 気まずい沈黙の中、残っていたギターボーカルの喜多郁代。そして問題の後藤ひとりも、家に帰ると店を出ていってしまった。

 

「この件に関してこれ以上、わしらに出来ることはなさそうじゃのう……」

 

 その光景を目の当たりにしながら、目玉おやじは何も出来ないと悩ましげに腕を組む。

 吹消婆も言っていたが、性格をどうするかは後藤ひとり自身の問題。性格が変わったことで発生した問題も、あくまで人間関係のいざこざに過ぎない。

 ましてや鬼太郎たちは音楽に関して全くの素人なのだから、その演奏方針に口出しなど出来る筈もない。

 薄暗いライブハウスで、妖怪たちが揃って項垂れていく。

 

「——なあ、そろそろ店閉めたいんだけど?」

 

 と、ここでひとりの女性がぶっきらぼうな口調で鬼太郎たちに話しかける。

 ライブハウスの店員なのだろう、いつまでも居残っている鬼太郎たちにそろそろ出ていってくれないかと文句を口にしてきた。

 

「おっと! これは失礼した。ええっと……?」

 

 つっけんどんな物言いだったが言っていることはもっともだったため、目玉おやじは素直に謝りながらその女性に目を向ける。

 スラっとした美人。どこか不機嫌そうに顔を歪め、口調も粗暴で不良のようだが、どうにも見覚えのある顔立ちだ。

 

「伊地知……伊地知星歌だ。一応……この店の店長やってる」

 

 目玉おやじの何か言いたげな視線に気づいたのか、その店員——店長だというその女性が自ら名乗った。

 

「伊地知? それじゃあ貴方は虹夏さんの……お姉さんでしょうか?」

 

 聞き覚えのある苗字、似ている顔立ちから鬼太郎は彼女が『依頼の手紙を送ってきた少女』虹夏の姉だと察する。高校生である虹夏よりだいぶ年上のようだが、流石に母親という歳には見えない。

 

 そう、彼女の名は伊地知(いじち)星歌(せいか)。このライブハウス『STARRY』の店長。

 虹夏より干支一周分ほど歳が離れており、今年で二十……いや三十歳。ちなみに彼氏はいない。

 

「ここでお前らがつべこべ言ってたって仕方ねぇよ」

 

 どこかで話を聞いていたのか、星歌は結束バンドの問題に対し妖怪たちに出来ることがないとはっきりと物申す。

 

「バンド続けてくんなら、音楽性の違いがどうのでメンバーと喧嘩になることもあるんだ。このくらい、自力で乗り越えていけるようにならないとな……」

 

 結束バンドの直面している問題は、普通にバンドをやっていればどんなグループでもぶちあたる問題だという。

 以前と演奏が違う、音楽の嗜好が変わった。お金の貸し借り、男の取り合い、薬物にハマったなどなど。

 そういったバンド間の問題に、外野が口を出してもしょうがないとのことだ。

 

「随分と冷たい言い方ね……お姉さんとして、妹さんのことが心配じゃないのかしら?」

 

 星歌の言いように猫娘が眉を吊り上げた。

 確かに彼女の言う通りだろうが、結束バンドは星歌の妹が所属するバンド。身内として、もう少し親身になってやってもいいのではないかと、思わず責めるような口調になってしまう。

 

「いえいえ、分かりずらいと思いますけど……これでも結構心配しているんですよ?」

 

 しかし星歌の乱暴な言葉遣いに、店員である音響エンジニアのお姉さん——PAさんがフォローを入れる。

 

「さっきから虹夏ちゃんたちのことが気になって、全然仕事に身が入ってませんでしたから……本当、身内に甘いんですから」

「う、うるせぇ! それ以上余計なこと喋ったらクビにすっからな!!」

 

 PAさんの揶揄うような言葉に、星歌は照れくささを隠すように声を荒げる。どうやら表に出さないようにしているだけで、内心ではかなり心配しているらしい。

 それでも迂闊に口を出すべきではないと、保護者として見守るに徹しているのだろう。

 

「……ごめんなさい、少し言い過ぎたわ」

 

 星歌の本音をその態度から察し、猫娘は言葉が過ぎたことを素直に謝罪する。きっと星歌のように当事者たちに近しいところにいる人間でも首を突っ込めない、繊細な問題なのだろう。

 尚更、素人の自分たちが口を出すべきではないと妖怪たちは痛感する。

 

「とりあえず、今日のところはお暇しよう……」

「そうですね、父さん」

 

 これといった解決策が浮かばなかったこともあり、今日のところは店を出ようと目玉おやじが声を掛ける。父親の言葉に頷き、ライブハウスを後にしようとするゲゲゲの鬼太郎。

 

「——あの……すみません」

 

 だがその際、一人の女性がSTARRYに入店してきた。

 カランコロンと今時には珍しく、その女性も鬼太郎のように下駄を履いている。肩に流した三つ編みの髪にリボンを付けた、少女チックな髪型。その一方で、ワンピースの上にスカジャンを羽織っているなど、なかなか個性的なファッションを着こなしている女性。

 

「あん……? なんだ、廣井じゃねぇか……またシャワーでも借りにきたのかよ、金取るぞ」

 

 その女性に対し、店長の星歌が眉を顰めた。

 その表情や、言葉からしてその人物を全く歓迎していないことが容易に想像できる。

 

「……どなたです?」

「店長さんの大学の後輩で……一応、彼女もバンドマンです」

 

 鬼太郎はその女性が何者かとPAのお姉さんに尋ねる。親切にもPAのお姉さんは簡潔に彼女が何者かを鬼太郎たちに説明してくれた。

 

 その女性の名は——廣井(ひろい)きくりという

『新宿FOLT(ふぉると)』というライブハウスを拠点にしている『SICKHACK(しくはっく)』というバンドグループ。廣井はそこでベースボーカルを務める、カリスマ的なバンドリーダーとのこと。

 二十代後半ということもあり、ライブ活動を始めて一年足らずでしかない『結束バンド』よりも数多くの修羅場を潜ってきた。インディーズバンドではあるものの、定期ライブでの客入りは余裕で五百人を突破するほど。

 後藤ひとりからも、先輩バンドマンとして『きくりお姉さん』と呼ばれ慕われている。結束バンドとの交流も深く、STARRYを出入りすることも珍しくはない。

 

「ていうか……お前、素面か? 珍しいな……いつもどうしようもないほど、グデングデンに酔っ払ってんのに……」

 

 しかし、星歌は廣井がまともな状態——『酒に酔っていない』ことが珍しいと、心底不思議そうな顔をしている。普通の人間の感性からすれば、何を当たり前のこと言っているのだと思われるだろう。

 

 だが、廣井きくりという女性が酒に酔っていないこと自体が割と珍事でもある。

 

 というのも彼女。かなりの酒豪であり、昼夜問わず常に酔っ払っていることが常態化しているのだ。大事なライブ前も当然のように酒をあおり、演奏も泥酔した状態で行うという。

 その影響なのか、ライブでのパフォーマンスも過激。客に酒を吹きかけたり、機材をぶっ壊したり、観客の顔を足で踏み付けたりと。

 音楽のジャンルが『サイケデリックロック』と客層を選ぶジャンルでもあるため、SICKHACKのファンはそのほとんどが廣井の『教育』を受けた、熱狂的で洗練されたファンばかりだという。

 いつまで経ってもメジャーデビュー出来ないのも、あまりにコアなファン向けで評価が両極端に分かれるからだという。

 

「先輩……私、ようやく気付いたんです……」

 

 そんな廣井きくりが、先輩——星歌に向かってしおらしくも、何かを伝えようと言葉を絞り出していく。

 酔っているときは気が強くなる彼女だが、素面だと意外に内気なのか。

 

 それでも、はっきりと——普段の彼女からは想像も出来ない『爆弾発言』を口にした。

 

 

「自分がどれだけお酒に依存した駄目人間だったのか……そのせいで、どれだけ多くの人に迷惑を掛けてきたか……だから、私っ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——金輪際、お酒なんて一滴も飲みませんから!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『——お酒なんて、一滴も飲みませんから』

 

 

『——飲みませんから』

 

 

『——飲みませんから』

 

 

 

「——なっ!!!?」

「——え、ええええええええ!!!?」

 

 その発言に、星歌とPAさんの二人が雷に打たれたような衝撃を受ける。

 信じられない、信じたくないと。まるで廣井の正気を疑うよう、星歌など必死になって彼女の身体を揺さぶっていく。

 

「どうしたんだ、廣井!? なんか悪いもんでも拾い食いしたか!?」

「……なんでそこで拾い食いなんて発想になるんです? 別に、そこまでひもじい思いはしてませんよ?」

 

 気が動転して割と失礼なことを口にする星歌だったが、廣井の方は酔っていないため冷静な突っ込みを入れる余裕さえあった。

 いったい何が起きているのか。彼女のことを知っているものであればあるほど、そのような疑問を抱かずにはいられないだろう。

 

「先ほども言ったとおりです。私、ようやく気付いたんです。私の人生にもうお酒なんて必要ないって……お酒がなくても生きていける自分に、生まれ変わることが出来たんです!!」

「むっ? 生まれ変わるじゃと……?」

 

 廣井が口にしたフレーズに、目玉おやじがもしやと口を挟む。

 

「すまんがお嬢さん……ちょっといいかな?」

「はい? ……って、目玉? 目玉が喋ってる!?」

 

 いきなり目玉おやじのような存在に声を掛けられて驚く廣井だが、そこを華麗にスルーして質問を続ける。

 

「もしやと思うが……最近、どこかで占ってもらったりしなかったかのう? そう、たとえば……手相占いなど……」

「!!」

 

 目玉おやじが何を聞きたいのかを察し、鬼太郎もハッとなった。

 

「えっ? ええ……確かに占ってもらいました。占い師のお婆さんに……」

 

 予想通り、廣井きくりは手相占いを受けていたようだ。

 

 

 無論、その相手は吹消婆——手相返しの術が使える彼女をおいて他にあるまい。

 

 

 

×

 

 

 

「あの後藤って子だけじゃなかったみたいね、手相占いで性格を変えられてたのは……」

「うむ……吹消婆のやつ、いったい何を考えておるのか?」

 

 STARRYを後にした鬼太郎たちだったが、そのままゲゲゲの森には戻らず。その足で商店街——吹消婆の店を訪ねようとしていた。

 

 廣井きくりの話を詳しく聞いたところ、彼女も後藤ひとりのように手相占いを受けて性格を変えてもらったようだ。彼女の場合『お酒に頼らずとも自信を保てる自分に』とのこと。

 廣井が酒を飲むのは、ライブの緊張や内気な自分をカモフラージュするため。素面では自信を保てない、陰キャで弱気な自分を酔っ払うことで誤魔化していたというのだ。

 

 もっとも、そのせいでだいぶ酒癖が悪くなり、ライブの度にバンドメンバーを怒らせたり、路上で酔い潰れて警察の厄介になったり。酒がないと不安で不安でしょうがないと、もはや日常生活に支障をきたすレベルへと陥っていた。

 

 そんな自分をどうにかしたいという思いが、廣井の内側にもあったのだろう。

 偶々路上で出会った吹消婆にその悩みを見透かされ——ならば、お酒の力など借りなくても生きていけようにと、手相を組み替えてもらったのだ。

 

「とりあえず、もう一度吹消婆に会ってみましょう……彼女の真意を確かめなくては」

 

 勿論、ひとりのとき同様あくまで本人の同意あってのことだ。しかし同意があったからと言って数十、数百人規模で人間の性格を変えているというのであれば、色々と問題も起きよう。

 どれだけの人間の手相を弄ってきたのか、その真意がどこにあるのか。諸々の事情を確かめるため、ゲゲゲの鬼太郎は吹消婆の元へと急ぐ。

 

 

 

「……明かりが付いてる?」

 

 そうして、一行は再び吹消婆のたい焼き屋の前までやってきた。

 先ほど訪れたときは店じまいと言っていたので、留守である可能性も考えた。だが店には明かりが付いており、店内にも何者かの気配がある。

 

「……もっと……さんの……共を……」

「……るいが……よそを…………」

 

 耳を澄ませば話し声が聞こえてくる。どうやら誰かと何かを言い争っているようだ。話の内容までは聞こえてこないが、少し険悪なムードが外にいる鬼太郎たちにも伝わってくる。

 

「いったい、誰と……?」

 

 取り込み中ということもあって割って入ることは避けたが、一応は誰と話をしているかを確認すべく。鬼太郎はこっそりと窓から店内の様子を窺う。

 

 

「——聞いてんのかよ、吹消婆!!」

 

 

 刹那、店内から男のものらしき怒鳴り声が響いてくる。

 その叫び声と同時に——鬼太郎はその人物が何者なのか、そのビジュアルを視界に捉えた。

 

「あれは……!!」

「鬼太郎!? どうしたってのよ!?」

 

 その見覚えのある人物に、鬼太郎は慌てて駆け出す。

 まだ店内を見ていない猫娘が戸惑いを露わにするが、彼女への説明を後回しに鬼太郎は入り口のドアを蹴破る勢いで店内へと飛び込んでいく。

 

「なっ!! なんだぁ!?」

 

 鬼太郎の乱入に、その『妖怪』は分かりやすいほどに狼狽する。大きな体、大きな両腕いっぱいにたい焼きを抱え込みながら、こちらを振り返った。

 

 その『真っ赤な顔』を前に、やはり見間違えではなかったと。鬼太郎が厳しい表情で身構えていく。

 

 

 

「——どうしてお前がここにいるんだ……朱の盆」

 

 

 

「朱の盆じゃと!?」

「あ、アンタ……こんなところで何してんのよ!!」

 

 因縁深きぬらりひょん——その配下である朱の盆との遭遇に、目玉おやじや猫娘も険しい顔付きになる。

 

 彼がぬらりひょんの意思を継ぎ、人間たち相手に悪さを働こうとしているのは以前の騒動で知っていたが、まさかこんなところで出くわすとは思ってもいなかった。

 朱の盆がこの店にいる。それも吹消婆と密会しているという事実に嫌な予感を覚える。

 まさか吹消婆も、朱の盆の意思に賛同するもの——人間を害そうとしている妖怪なのかと、鬼太郎たちの間に緊張感が漂う。

 

「なんじゃ、誰かと思えば鬼太郎か……わざわざ戻ってくるとは、忘れ物でもしたのか?」

「……?」

 

 しかし、疑いを掛けられる立場の吹消婆は全く狼狽えていない。まるで後めたさなどないとばかりに冷静な対応、これには鬼太郎の方が少々面食らってしまう。

 

「どういうことだ……なんでこんなところに鬼太郎が!? まさか吹消婆……この俺様を騙しやがったのか!?」

 

 寧ろ朱の盆の方が動揺し、吹消婆へと怒ったように詰め寄っていく。

 

「騙したとは人聞きが悪いのう……そもそも、わしはお前さんの仲間になったつもりはないぞ?」

 

 だがやはりというか、吹消婆は朱の盆の怒号にも一切動じない。

 彼女は朱の盆と鬼太郎。その双方の誤解を解くよう、自身の立場を明確にするために口を開いていく。

 

 

 

「確かに、わしはお前さん……朱の盆の誘いを受けて副業の手相占いを始めた。その過程で手相返しの術を用いて、何人か人間たちの性格も変えてきた」

「!!」

 

 吹消婆曰く、彼女がここ最近になって手相占いを頻繁に行なっていたのは、朱の盆の誘いがあったからだという。人間社会の混乱を望んだ彼が、吹消婆の『手相返しの術』に目を付け、その力で多くの人間たちを苦しめようと思って声を掛けたというのだ。

 力自慢な朱の盆にしては珍しく搦手な作戦。きっとぬらりひょんのやり方を、見様見真似でやってみたのだろう。

 

「じゃが……わしにとってそれはあくまで商売じゃ。お前さんが何を期待しているかは知らんが……過度な期待を持たれても困る」

「むぐっ!?」

 

 もっとも、ぬらりひょんのように上手くはいかない。頼み方を間違えたのか、頼む相手からして間違えたのか。朱の盆の目論見はあっさりと外れ、吹消婆はそれほど多くの人間の性格は変えなかった。

 本当に心の底から変化を望んだ人間だけ、それも片手で数える程度の人数だという。

 

「分かったら、とっとと帰っとくれ。その売れ残り……たい焼きは手切れ金代わりにくれてやるわい」

 

 おまけに、これ以上は占いをする気も起きなくなったと。外にいた鬼太郎が聞いていた二人の言い争いは、既に互いの協力関係が決裂していることを意味していた。

 吹消婆は本業であるたい焼きの売れ残りを朱の盆へと押し付け、とっとと出ていくようにと冷たく突き放す。

 

「ち、ちくしょう~! 覚えてろよ!!」

 

 これに朱の盆は捨て台詞を吐き捨てるしかなかった。もしかしたら力尽くで吹消婆を従えることも考えていたかもしれないが、鬼太郎が出張ってきた以上それも難しい。

 

 結局大した悪事を為さぬまま、たい焼きを大量に抱えて店の裏口から走り去っていく朱の盆。

 

 

 

「……吹消婆」

 

 鬼太郎は、そんな朱の盆の後を追わなかった。

 ここで彼を逃せば、きっとまたどこかで人間に仇をなそうと悪事を企むだろう。しかし、だからといって追いかけてまでトドメを刺そうなどとも思えない。

 

 かつて、ぬらりひょんが言っていた——『私が去っても志を継ぐ者は現れる』と。

 

 実際、朱の盆がそうであるように、彼を倒したところで別のものが取って代わるだけだろう。

 敵対するものを、ただ排除するなどしていても根本的な解決には至らない。きっとこれは一朝一夕でどうにかできるような問題ではない。

 

 故に今は吹消婆の件が先決だと。ゲゲゲの鬼太郎は彼女を真正面に見据え、改めて問いを投げ掛けた。

 

「本当に……後藤ひとりさんを元に戻すことは出来ないのか?」

「む……」

 

 既に鬼太郎が気に掛けていたことは、先ほど吹消婆が語ってくれた。

 その言葉を信用するのであれば、彼女は自分の能力——手相返しの術を悪用し、人間社会に混乱をもたらすつもりなどないのだろう。

 だが、廣井きくりという女性の酒癖を改善した件はともかく、後藤ひとりの件に関しては良くない流れが起こっている。

 出来ることなら元に戻した方が結束バンドのためになると感じ、もう一度鬼太郎の方から吹消婆の説得を試みる。

 

「何かあったようじゃが……わしの答えは変わらんぞ」

 

 しかし、たとえどのような事情があろうとも吹消婆が首を縦に振ることはない。

 

「あの子が自分の意思で戻りたいと望まぬ限り……わしから出来ることはない」

 

 たとえ今のひとりに、周囲がどのような感情を抱こうとも関係ない。あくまでも後藤ひとりの意思を尊重すると、その点に関しては頑なに譲ろうとしない。

 

「あの子は自分で気付く必要があるんじゃよ……どんな自分であれ、そこが自分の居場所じゃとな……」

 

 それは手相返しの術を行使する過程でひとりの内面に触れたからこそ、彼女の気持ちを鑑みようという吹消婆の老婆心が働いたが故の心境だった。

 

 まるで孫を見守る祖母のように、吹消婆はひとりの行く末を信じて見守っていく。

 

 

 

×

 

 

 

「——おかわり! なんだぜ!!」

 

 その頃、既に自身の家へと帰宅していた後藤ひとり。彼女は自分を暖かく迎え入れてくれる家族と一家団欒、食卓を囲んでいた。風呂上がりでもあったため、服装はパジャマに星型のサングラスも外している。

 しかし性格がパリピに陽気であることに変わりはなく、茶碗一杯のご飯を綺麗に平らげ、元気いっぱいにおかわりまで要求する。

 本来のひとりも、流石に家族相手に人見知りは発動しない。だがひとりの家族にとって、今の彼女は明らかにおかしい状態だ。

 

「ひ、ひとりちゃん? そんな……無理して明るく振る舞う必要なんてないのよ?」

 

 ひとりの母・後藤美智代(みちよ)

 お茶碗にご飯をよそいながら、娘に無理をする必要はないと諭そうとする。母親として常にひとりのことを優しくも厳しく見守ってくれる彼女だが、やはり娘の変貌には戸惑いを隠しきれない。

 いつも明るいその表情から、珍しく不安の色が見え隠れしている。

 

「そ、そうだぞ、ひとり!! お父さんたちの前で、変にはっちゃける必要はないんだからな!!」

 

 ひとりの父・後藤直樹(なおき)

 家庭内ヒエラルキーが最下位の彼だが、そこは一家の大黒柱らしくはっきりと物申していく。もっとも会社では窓際族。家庭でも家事全般を割とやらされている感の彼では、父親としての威厳もあまり出し切れていなかった。

 

「無理なんかしてないぜ!!」

 

 そういった両親の心配をよそに、ひとりは陽キャな自分を貫いていく。

 手相返しの術で性格を変えてもらった彼女にとって、今の状態こそが自然体なのだから、本当に無理などはしていない。

 

「そ、そうか……」

「…………霊媒師さん、呼ばないとね……」

 

 だが、やはり家族からすれば異常事態に変わりはない。

 詳しい事情を知らないままの彼らは、知り合いの霊媒師にでも頼もうかと。ひとりに憑いているかもしれない悪霊退治にまで思考を巡らしていく。

 

「ごちそうさま……」

 

 そんな中、食事を終えたひとりの妹・後藤ふたりが食卓から離れていく。

 ひとりと歳の離れた妹も今年で六歳。本来のひとりのように人見知りでもなければ、不安に駆られて奇行に走ることもない。日々を元気いっぱいに生きる、誰よりも明るい女の子だった。

 

「へい、ふたり!! この後一緒に遊ばないか? 元気のないふたりに、お姉ちゃんがとびっきりのソロライブに招待しちゃうんだぜ!!」

 

 しかし今のふたりからは、いつもの明るさを全く感じられない。

 妹の様子を心配したひとりが、ふたりを元気付けようと声を掛ける。姉妹仲は良い方なので、ひとりが遊ぼうと声を掛ければ喜んで駆け寄ってくる筈だが。

 

 

「——嫌だ!」

「……へっ?」

 

 

 ところが——ふたりの口から出たのは、明確に姉を拒絶する言葉だった。

 

「お姉ちゃん……いつものお姉ちゃんじゃない!! ふたりのお姉ちゃんは……そんな変な話し方しないもん!!」

「ふたり!?」

 

 ふたりの過ぎた言葉に、美智代が母として咎めるように注意する。

 しかし大人である両親とは違い、まだ子供のふたりには姉の変貌ぶりを受け入れることが出来なかったのだ。

 

「お姉ちゃんは……お姉ちゃんはいつもイジイジしてて、お化けみたいに暗くて……」 

「うん……うん?」

「学校にお友だちもいなくて、いつも一人で押入れの中でギターを弾いてて……」

 

 物凄く辛辣な評価だが、後藤ふたりにとって姉であるひとりとはそういう人間だ。そういうヘンテコな姉が——ふたりは大好きなのだ。

 だからそうじゃない姉など、姉ではない。少なくとも、幼いふたりにひとりの変わりようをすぐに受け入れろという方が酷な話だろう。

 

「そんな……そんな明るくて堂々としてるお姉ちゃんなんか……お姉ちゃんじゃないもん!! 行こう、ジミヘン!」

「アン! クゥーン……」

 

 だから、ふたりは目に涙すら浮かべて今のひとりを否定、そのまま自分の部屋へと引きこもってしまう。後藤家の飼い犬であるジミヘンも、ふたりに寄り添っていく。

 犬であるジミヘンですらも、今の後藤ひとりを『家族の一員』と認識出来ないでいるのか、少し怯えたように彼女から距離をとっていた。

 

 

 

「こらっ! 待ちなさい、ふたり!!」

「ひ、ひとり……あんまり気にしなくていいからな? ふたりも……ちょっと混乱しているだけだから……」

 

 ふたりの言いようがあんまりだったためか、母親が珍しく少し怒ったような顔でふたりの後を追いかけていく。

 父親もひとりが傷つかないようにと、慌ててフォローを入れてくれる。

 

 ひとりの性格が変わって二、三日ほど経過していたが、それに慣れるようなことはなく。未だ陽気なひとりに振り回されていく後藤家の人々。

 

「——大丈夫!! 全然気にしてないんだぜ!!」

 

 もっとも、パリピなひとりは妹の言葉にもめげず、父親のフォローにも笑顔で応える。

 

 本来のひとりならもっと深く落ち込んでいるだろうが、陽気になったことで神経も図太くなっているため、並大抵のことで塞ぎ込むことはないだろう。

 

 

 

 

 

「…………」

 

 だが口では気にしないと言いつつ、周囲の反応が徐々にだが確実に——陽キャな後藤ひとりの心境に変化をもたらしていく。

 

 

 




人物紹介

 伊地知星歌
  STARRYの店長、虹夏の姉。
  不良感が全面に出ていますが、ぬいぐるみを抱いていないと眠れないという中身は乙女。
  元々はバンドマンでしたが、ライブハウスを始めるために引退。
  それも全ては妹のためだという、コミックス5巻に掲載されている番外編はまさに必見の価値あり。

 PAさん
  STARRYで働く音響エンジニアのお姉さん。
  後藤ひとりがたじろぐほどのイケイケファッション……でも歳には勝てない、多分まだ二十代?
  名前はまだない。原作者も彼女に名前を設定するつもりはないとのこと。

 廣井きくり
  新宿を中心に活動するロックバンド『SICKHACK』のベースボーカル。
  主人公であるひとりをバンドマンとして導く、師匠ポジションのような人。
  いつも酔っ払っているアル中。今回は吹消婆の力により、アル中じゃなくなっている。
  果たして彼女は元に戻れるのか!? ……元に戻らない方が幸せかもしれん。

 後藤美智代
  後藤ひとりの母親。美人で性格も穏やかで優しいのだが……。
  結束バンドの宣伝のために制服を着て高校生に擬態したりと、割とヤバいことを平然としている。
  知り合いに霊媒師がいるとか謎に人脈が広い、ひとりと違って友達も多そう。

 後藤直樹
  後藤ひとりの父親。若い頃は売れないバンドマンだったとか。
  ひとりがギターを始めるにあたり、持っていた五十万ものギターをぽんと貸し与えた割と太っ腹な人。
  前髪に隠れて素顔が見えない仕様になっており、影が薄いポジション。

 後藤ふたり
  ひとりの妹。作中だと五歳と明言されていますが、時間軸も進んでるし、多分六歳くらいにはなってる。
  純粋であるが故に、ナチュラルに姉をディスる恐ろしい子。
  ひとり以上のコミュ力を発揮し、そんなふたりにひとりが嫉妬する場面も……姉の方が器が小さ過ぎる!

 ジミヘン
  後藤家の飼い犬。ふたりの相棒みたいな感じで家だといつも一緒に遊んでる。
  子供と動物の組み合わせって、ネットでもバズりやすいそうですね……。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ぼっち・ざ・ろっく! 其の③

お疲れ様です。皆さんはどのようなGWをお過ごしでしょうか?
ちなみに自分は……普通に仕事してました。二連休はともかく、三連休……五連休など夢のまた夢さ……フッ!

今年のFGOコラボイベント、『螺旋証明世界リリムハーロット 喝采なき薔薇』。
本編に絡んだような、久しぶりのビックイベントでしたね。

まさかドラコーが、新クラス・ビーストを引っさげてやって来るとは……。
残念ながら自分はドラコーを当てることができませんでしたが、いずれは他のビーストも実装されることでしょう。
自分はカマソッソのビースト実装に期待して、石を貯めていこうかと思います!

今回で『ぼっち・ざ・ろっく!』のクロスオーバーは堂々完結です!
想定より少し長くなりましたが、きっちり3話構成で纏めることが出来て一安心。

今回は戦闘描写がほとんどなく、鬼太郎たちの要素も少なめ。
ですが妖怪の出番が必要だったりと、確かにクロスオーバーだったと思えるような話になればと書かせていただきました。
結果的に割とシリアスな話にもなっていますが、最後はちゃんと笑って終われるようになっておりますので、どうか気楽にお楽しみ下さい。




「みんな、おはようなんだぜ!!」

「あ、おはよう、後藤さん! 今日も元気なんだね……」

 

 その日、いつもと変わらず後藤ひとりは高校生として学校に登校していた。

 

 神奈川県にある後藤ひとりの家から、彼女が現在通っている下北沢の秀華高校まで電車で片道二時間ほど掛かる。何故それほどの時間を掛けてまで、わざわざ県外の高校を選んだかというと——なんてこともない。

 ただ地元が嫌だったから。中学時代の黒歴史を知っている人と同じ高校に通いたくないという、なんともぼっちらしい理由からであった。

 学校選びにまで陰キャな性格が反映された、後藤ひとり。だが、そうまでして通い始めた高校生活でも友達といえる人はほとんどいなかった。

 

 相も変わらず寂しい高校生活を送っていたのだ、つい最近までは——。

 

「ねぇねぇ、後藤さんのバンドって……やっぱ下北沢でも有名なの?」

「去年の文化祭の演奏ほんと凄かったよね! 今年もやるの!?」

 

 朝のHR前、クラスメイトとの女子たちがひとりに積極的に話し掛けてくれている。

 これまでのひとりからすればあり得なかったことであり、たとえ声を掛けられたとしても気の利いた返しが出来ず、場を白けさせるだけで会話など途切れていただろう。

 

「勿論だぜ!! 路上ライブなんかも定期的にやってるし、よかったら観に来て欲しいんだぜ!!」

 

 しかし、今のひとりは他者との会話を当然のものとし、笑顔で受け答えしている。言動に多少おかしなところはあるものの、それまでの陰キャなひとりに比べればよっぽどまともで話しやすいと。

 

 後藤ひとりのイメチェン、性格の変化は大抵のクラスメイトたちからは概ね好評だったりする。

 

 

 

「はぁ~……ひとりちゃん、楽しそうだな……」

 

 そんなクラスメイトたちと笑顔で言葉を交わすひとりに、喜多郁代が複雑そうな視線を向けてため息を吐く。

 

 一年生の頃は別々のクラスだった郁代とひとりだが、二年生へと進級するにあたり同じクラスになることが出来た。バンドメンバーとして、純粋に友達として郁代はそれを嬉しく思っていた。

 

 もっとも郁代が他のクラスメイトとの仲立ちをしたところで、ひとりのコミュ症が改善されるようなことはなく。それどころか、郁代が知らず知らずに放っていたリア充オーラにダメージが加速。

 休み時間など授業が始まるギリギリの時間まで教室の外に避難している等、ひとりは日々心労を募らせていた。

 

 そんなひとりが、今はクラスメイトと普通に馴染めている。

 それは歓迎すべきことなのだろうが、何故か素直に喜べていない自分自身に郁代は落ち込み気味であった。

 

「よっ! なに辛気臭そうな顔してんだよ、喜多~」

「あっ、さっつー! ううん、ちょっとね……」

 

 と、そんな郁代に一人の女子が歩み寄ってくる。

 気さくに話しかけてくれる彼女はクラスメイトのさっつー・佐々木(ささき)次子(つぐこ)であった。

 

 佐々木は郁代とは中学校からの付き合いで、だいぶ気心の知れた間柄である。

 竹を割ったようなさっぱりとした性格で、ひとりの奇行を前にしても取り乱すことなく、自然に接してくれていた数少ないクラスメイトだ。

 

「今日の後藤もやっぱ変な感じのままだな~、なんかあったのか?」

 

 ひとりがパリピと化した現在も、それを面白いと感じている余裕を見せながら、それとなく郁代に何かあったのかを尋ねてくる。

 

「う~ん……なんていうか……」

 

 郁代はその問い掛けに、なんと答えるべきか頭を悩ませる。

 妖怪のお婆さんの手相占いで性格を変えられてしまったと、正直に話したところで信じられるかどうか。今のご時世なら、その説明でも納得はしそうだが。

 

「そっか~。色々大変なんだな、バンドマンって~」

 

 もっとも、郁代が言い淀んでいるとそれ以上は特に追求してくることなく。佐々木は事情を察したように己の質問を引っ込めてくれる。

 

「そ、そうなのよ! バンドマンは大変なのよ! ははは……」

 

 こういうとき、しつこく迫ってこない彼女の性格はありがたい。バンドマンだからという言葉で何とか誤魔化し、郁代は苦笑いでその場を乗り切る。

 

「ひとりのやつもクラスに馴染んでるようだし、良い傾向っちゃ、良い傾向だよな~」

「そ、そうよね……これで良かったのよね……」

 

 佐々木はクラスメイトと自然な調子で話すひとりへと視線を向け、郁代もその視線につられて改めてひとりへと目を向ける。

 

「うちのバンドは週末にはBBQ!! ライブの打ち上げはリムジンで乾杯なんだぜ!!」

「はははっ、なにそれ!? 後藤さんも冗談言うんだね!!」

 

 今のひとりは普通に人と話せて、ああやって冗談まで言い合い、自然に笑顔を浮かべることが出来ている。

 それは、この年代の女の子であれば当たり前のことなのだ。だからひとりにとっても、これは喜ばしいことだと。郁代は自分自身をそう納得させていく。

 

 

「——けど、私は前の後藤の方が好きだったかもな……」

「えっ……?」

 

 

 だが、何気なく放たれた佐々木の言葉に郁代はハッと顔を上げる。佐々木は視線をひとりに向けたまま、軽い調子で自身の正直な気持ちを吐露していた。

 

「前の後藤の方が、なんかロックでバンドマンらしかったし~。見ていて飽きないし、面白かったんだよね~」

「…………」

 

 大抵のクラスメイトが現状をいい流れとして受け入れている中、佐々木は極めて個人的な意見から『前のひとりの方が良かった』と堂々と口にしてみせる。

 

「喜多はどうよ~?」

「!!」

 

 さらにはさりげなく、佐々木は郁代個人の意見を聞いてくる。

 

「喜多は今の後藤と、前の後藤……どっちの方が好きだった?」

「…………」

 

 まるで食べ物の好き嫌いを聞いてくるような気軽さではあったが、その質問に郁代は口を噤んでしまう。

 

 

 

 ——どっちのひとりちゃんが良かったって……。

 

 郁代は一人、胸のうちに問い掛ける。

 結束バンドのみんなには『ひとりちゃんが変わったとしても——』などと、いかにも理解があるように振る舞っていた郁代。

 だがその実、彼女自身が誰よりも今のひとりより、前のひとりの方が良かったなどと心の奥底では思っていたりする。

 

 ——そりゃ、ひとりちゃんに……ちょっとめんどくさいところがあるのは確かよ?

 

 確かに本来の後藤ひとりは、人見知りでコミュ症で。放っておけば、いつまでもネガティブな妄想で自分の世界に閉じこもってしまう引きこもりだ。

 妄想の中で何を考えているのやら、コロコロと変わるその表情の変化を最初は面白いと思っていたが、慣れてしまうとちょっと面倒くさいという気持ちの方が大きかったりする。

 それに比べて、今のひとりは他者とのコミュニケーションが問題なく取れている。今のままの方が、本人やクラスメイトたちのためになっているのかもしれない。

 

 ——けど、今の私が結束バンドでいられるのは……あのときのひとりちゃんが勇気を振り絞ってくれたから……。

 

 だが、そんな陰キャなひとりこそが、喜多郁代を結束バンドに繋ぎ止めてくれた恩人なのだ。

 

 一度は『ギターなんて弾けない』と、逃げ出した自分を引き留めてくれたのは、紛れもなくコミュ症の後藤ひとり。

 彼女が人見知りながらも郁代のことを必死に呼び止めてくれたからこそ、今も自分は拙いながらもギタリストとして頑張っていけている。

 

 ——それに私が憧れたのは……私が凄いって思ったのは……あのときのひとりちゃんの演奏なのよ。

 

 それに郁代がギタリストとして心惹かれたのは、後藤ひとりの——薄暗い学校の階段下、一人で寂しくギターを奏でていた彼女の演奏なのだ。

 あのときの感動は今でも忘れられない。ライブでみんなと演奏を合わせるのとは違う。ソロでの輝き、魅力がひとりのギターから確かに伝わってきた。

 

 ——けど、今のひとりちゃんは……。

 

 だが、その輝きが今のひとりのギターからは感じられない。

 憧れの先輩でもある、山田リョウが言っていたとおり。ライブとしての一体感は良くなったかもしれないが、ひとりの『個性』というものが際立たなくなってしまったのを郁代も感じていた。

 バンド全体のことを思うのなら、やはりひとりは元に戻った方がいいと考えられる。

 

 ——けど、だからって……私たちのわがままを、ひとりちゃんに押し付けたらダメなのよね……。

 

 しかしそういった自分の考えや思いを、郁代は口に出せないでいる。たとえ結束バンドのメンバー全員が、郁代と同じ意見であろうともだ。

 性格を変えたいと思ったのは、今の自分を変えたいと強く願ったのは——後藤ひとり本人なのだ。

 

「へい、郁代!! あとで軽くセッションしようぜ!! みんなが私たちの演奏を聴きたいってさ!!」

「聴きたい! 聴きたい!! 喜多ちゃん、お願い!!」

「う、うん……」

 

 願いを叶えてもらったことで、今のひとりはとっても活き活きとしている。

 

 きっと、こんな何でもない日常を送れて後藤ひとりも幸せなのだろう。

 そんなささやかな彼女の幸福を壊すことは出来ないと、郁代は己の本心を笑顔の裏にひた隠していく。

 

 

 

×

 

 

 

 そうして幸せ一杯、青春全開の学校生活を過ごしその放課後——バンド活動の時間がやって来た。

 

「ええっと……それじゃあ、軽く合わせてみよっか?」

「オッケーなんだぜ」

「…………」

「…………」

 

 ライブハウス『STARRY』にて。防音対策がしっかりと取られたリハーサルスタジオで、結束バンドのメンバー四人が揃っていた。

 

 しかし昨日の件を引きずっているのか、ベースの山田リョウは一行に口を開こうとせず、視線をひとりに向けようともしない。

 ひとりも、陽気に振る舞ってこそいるが先日に比べるとだいぶ大人しくなっている。重苦しい空気を敏感に感じ取ってか、郁代もすっかり黙り込んでしまっていた。

 

「ほらほら、みんな!! もっと元気出して!! せっかくなんだから……楽しくやっていこうよ!!」

 

 そんなギスギスしたメンバーたちに対し、ドラムの伊地知虹夏が率先して明るい空気を作っていこうと声を掛ける。

 

「うん、わかってる……」

「虹夏先輩……はい!!」

 

 虹夏に促されることでリョウは顔を上げ、郁代もぎこちないながらも笑みを浮かべていく。バンドリーダーを務めているだけあって、虹夏には場の空気を和ませる人の良さのようなものがあった。

 伊達に『ドラムはバンド内の潤滑油としての役割がある』と自称してはいない。確かに虹夏は結束バンドに欠かすことの出来ない、ムードメーカーである。

 

 そうした虹夏のおかげもあり、結束バンドはその日の練習を何とか演奏という形まで持っていく。

 

 

 

 

 

「……もう一回、最初から……」

 

 だがやはりと言うべきか、以前にも指摘された演奏の問題点——ひとりのギターの『個性が死んでいる』という点については、改善される兆しが見受けられない。

 それどころか、練習を重ねれば重ねるほどバンドとしての一体感が高まっていき、ギターの個性など埋没してしまっているような気さえする。

 寧ろ、普通に演奏を聴くだけなら『これでいいのではないか?』と思わせるほどの完成度に到達している。

 しかし、ひとりの実力を知っているものであればあるほど、今の彼女の演奏には違和感しか感じ取れない。

 

「…………?」

 

 手相返しの術によって性格を変えられた影響が如実に表れてしまっていると、ひとり本人も何がどうなっているのかと首を傾げていた。

 

 

 

 

 

「ふぅ~……それじゃあ、今日はここまでにしよっか?」

 

 そうして何度か音を合わせてみたものの、最後まで納得のいく演奏になることはなく。時間も時間だったため、今日のところは練習を終えた。

 

「……先帰るわ」

「あっ、待ってください、リョウ先輩! 私も一緒に……」

 

 その日も、リョウは真っ先に帰り支度を済ませてさっさと引き上げてしまう。やはり今のひとりとは話す気もないのか、そんなリョウに今日は郁代が付き添っていく。

 

「…………ごめんね、ぼっちちゃん」

 

 リョウたちの背中を見送りながら、ひとりと二人っきりになった虹夏が謝罪の言葉を口にしていた。

 

「リョウが酷いこと言っちゃって……リョウには昨日怒っといたから! だからぼっちちゃんも……あんまり気にしないでね?」

 

 先日の過ぎた言葉に対し、おそらく昨日のうちに虹夏とリョウとの間で話し合いが行われたのだろう。その甲斐もあってか、少なくともリョウが昨日のような暴言を吐くことはなかった。

 ただその態度からも分かるよう、リョウはまだ今のひとりを受け入れることが出来ないでいるようだ。こればかりはリョウの気持ちの問題であり、もう暫く時間が必要だろうと虹夏も余計なことは言わないでいた。

 

 そう、時間さえあれば何とかなる。少なくとも虹夏本人は現状をそのように考えていた。

 

「……虹夏ちゃん」

「ん? どうかしたの、ぼっちちゃん?」

 

 しかし、ここでひとりが虹夏に向かって真摯な問いを投げ掛けてくる。といっても、例の星型のサングラスを掛けているせいで、その瞳の奥の真意を窺うことは出来ないのだが。

 しかしその声音の響きからは、ひとりの真剣な様子が確かに伝わってきた。

 

 

「——虹夏ちゃんは前の私と、今の私……どっちが良かったんだぜ?」

「……えっ?」

 

 

 ひとり自身の口から飛び出たまさかの問い掛けに虹夏は思わず呆気に取られる。しかし、すぐに慌てたように声を荒げた。

 

「そ、そんなの……ぼっちちゃんはぼっちちゃんだよ!! どっちがどっちなんて……関係ないって!!」

 

 手相返しの術で陽気にキャラチェンジしたとはいえ、彼女は紛れもなく後藤ひとりだ。以前と性格が変わろうとも、本質の部分では何も変わっていないと、吹消婆はそのように保証してくれたのだ。

 ならば『前』と『今』を比べるなんてことはすべきではない。

 どちらも後藤ひとりなのだから、そこに明確な違いを付けるべきではない——と、本来ならそれが理解のある解答というものかもしれない。

 

 けど——。

 

「でも、みんなやりにくそうだぜ? 私が変わっちまったせいで……」

 

 他でもない、ひとり本人が以前の自分と『対比』されていると感じていたのか。

 

 前の方が良かった、前より接しやすくなった。

 今の方がおかしい、今ならきっと仲良くなれる。

 

 意見そのものは人によって違うが、比べられていることに変わりはない。

 そうやって常に前の自分と比較される今のひとりの心境は、いったいどのようなものなのだろうか。

 

「ぼっちちゃん……」

 

 ひとりの心情を思ってか、虹夏は息が詰まりそうな思いで彼女を見つめる。

 

 陽気になろうが、パリピになろうが、どんなにお気楽そうで何も考えていないように見えていても——やはり彼女は後藤ひとりなのだ。

 いくら前向きに明るく振る舞っていても、彼女にだって悩みはある。今この瞬間にも以前の自分との違い、周囲の反応に一番戸惑いを抱いているのは本人なのかもしれない。

 

「ぼっちちゃん!!」

「に、虹夏ちゃん……?」

 

 その胸の内を聞かされ、虹夏は一切の色眼鏡なしで今の後藤ひとりと向き合っていく。

 ここで取り繕っても仕方ないと、虹夏からも自身の心中を明かしていった。

 

「正直言うとね……確かにやりにくいって気持ちはあったよ? ぼっちちゃん……いきなり変な感じに変わっちゃったから、悪霊に取り憑かれたと思って、鬼太郎くんに助けを求めたくらいだし……」

 

 普段とのギャップから、最初は今のひとりの有り様を認められなかったのは事実。変な悪霊にでも取り憑かれたのではと、鬼太郎に依頼の手紙を送ったくらいなのだから。

 実際、妖怪が関わっていることは間違いなかったので全くの無駄足ではなかった。

 

「けどね……たとえぼっちちゃんが変わってしまったとしても……私にとって、ぼっちちゃんがぼっちちゃんであることに変わりはないよ?」

 

 だが性格の変わった理由。その改変を望んだのがあくまで後藤ひとり自身であると理解すれば、色々と飲み込める部分もあった。

 ならばあとは周囲の人間が納得出来るかどうか。自分自身にも言い聞かせるよう、虹夏はひとりへと強く訴えかける。

 

「ぼっちちゃんは私の友達……キミが私にとっての、ギターヒーローであることに変わりはないんだから!」

「!!」

 

 投げ掛けられたその言葉に、ひとりの目が見開かれる。

 

 ギターヒーロー。

 後藤ひとりがSNS上などで名乗っているハンドルネーム。ひとり本人は格好いいと思って名乗っているニックネームだが、動画の視聴者などからは『ネーミングセンスが痛い』などと思われていたりする。

 だが、その名前に恥じぬ通りの『ヒーロー』だと。幻想ではない、虹夏は等身大のひとりのことをそのように思っていた。

 

「いつだって、ぼっちちゃんはそのギターで挫けそうになる私たちに喝を入れてくれる。ぼっちちゃんと一緒なら……私も、私たち結束バンドも、もっともっと上のステージにいけるような気がする。私の本当の夢も……叶えられると思うんだよ!!」

「夢……虹夏ちゃんの……本当の夢……」

 

 その話なら以前も聞いたことがあった。虹夏がこの結束バンドで叶えたい本来の目的——夢。

 

 

 後藤ひとりがバンドを始めた理由は——『有名になり、みんなからチヤホヤされたい』という、割と俗っぽい願望のためだ。極めて個人的なその夢を叶えるためにも、彼女は今日もギターを手にする。

 しかし個人ではなく『結束バンド』の一員としても、ひとりは虹夏の夢を叶えてあげたいと思っている。

 

 虹夏の夢——それは結束バンドを有名にし、拠点としているライブハウス『STARRY』をもっともっと有名にすることにある。

 そもそも、STARRYは虹夏の姉である星歌が、妹のために始めたライブハウスだった。伊地知家は何年も前に母親を交通事故で失っており、幼い虹夏はずっと寂しい思いをしてきた。

 

 母親を失ったばかりの辛い幼少期、その悲しみを少しでも慰めてあげようと星歌が虹夏を連れていったのがライブハウスだった。

 決して大きなライブハウスではなった。しかし幼かった虹夏にとって、そこに広がっていた景色は何もかもが大きく見えていた。

 

 ギタリストとしてステージの上に立っていた星歌の姿が、星のように眩しく輝いていた。

 ライブマンとして夢を追っている星歌の姿が、暗い道を照らしてくれる光に見えた。

 

 その光景を見てからというもの、伊地知虹夏はバンドマンとして夢を追うことを決意した。

 そんな虹夏の夢を応援するため、星歌はギタリストを引退。バンドマンに必要不可欠な拠点、ライブハウスを経営することを目指した。

 

 そうして生まれた、伊地知姉妹の夢の出発点——それこそが『STARRY』なのだ。

 そのSTARRYで、虹夏が初めて結成したバンドこそが——結束バンド。リョウや郁代、そしてひとりと共に夢に向かって歩き出した。

 

 

「けど……今の私の演奏は……以前とは違うって、リョウちゃんからも言われちゃったんだぜ」

 

 しかしその夢にも翳りが出始めている。自分の演奏の変化が皆に迷惑を掛けていると、ひとりが申し訳なさそうに呟く。

 

「大丈夫だって!! 確かに以前と演奏のスタンスが違うかもしれないけど……そんなの練習次第でもっと良くなるよ!!」

 

 だがそんなひとりの演奏の変化ですらも、虹夏は前向きに捉えてくれた。

 

「それに、ぼっちちゃんが演奏を寄せてきてるのって……つまるところ、私たちの演奏がまだまだ未熟だってことでしょ? 寧ろ、謝るのは私たちの方なんだから……」

 

 それに、ひとりに比べると未熟さが目立っていたのは虹夏たちの演奏技術の方だ。

 自分たちがもっともっと上手であれば、ひとりが自身の演奏を崩してまで無理に寄ってくる必要もないと解釈する。

 

「だから、私たちがもっともっと頑張って! ぼっちちゃんと肩を並べられるようになれたら、きっと演奏だって元に……ううん!! もっと凄いものになると思うからさ!!」

 

 ピンチはチャンスとも言う。この変化を上手いこと乗り越えることが出来れば、結束バンドは今よりもっと飛躍できると。

 虹夏はそれ以上、ひとりが性格の変わった責めを負わないように笑顔でその手を取っていく。

 

「だからぼっちちゃんが思い詰めることはないんだよ! どんなぼっちちゃんであれ……私は、それを受け入れるから……」

「虹夏ちゃん……うん、ありがとうなんだぜ!!」

 

 虹夏の言葉に、ひとりは元の『明るい調子』を取り戻し、笑顔で頷いていく。

 前と今の違いを理解した上で、それをしっかりと受け入れてくれる虹夏の存在。それだけでも『現在の後藤ひとり』にとって、十分な救いとなったことだろう。

 

 

 

 

 

「本当に帰るの? もう夜も遅いし……なんならうちに泊まってもいいのに……」

 

 その後、すっかり夜も遅くなってしまったライブハウスの前で、虹夏は帰ろうとするひとりに心配そうな視線を向ける。ここから片道二時間も掛かるひとりの家まで、彼女を一人で帰すことに不安を抱いているようだ。

 なんなら家に泊まっていけばいいと、STARRYと同じ建物内の三階。伊地知家の住まいがあるからと、そこにひとりを招待しようとする。

 

「大丈夫だぜ!!」

 

 しかし、すっかり調子を取り戻したひとりは自信満々にグッと親指を立てる。この時間からでも無事に家まで辿り着けると、にこやかな対応だ。

 

「そっか……じゃあまた明日ね、ぼっちちゃん!」

 

 ひとりがそこまで言い切るのであれば、これ以上は引き止めるのも野暮だろう。虹夏は何一つ翳りのない笑顔で、帰ろうとするひとりに手を振っていく。

 

「——虹夏ちゃん」

 

 だが別れ際、ひとりは虹夏に声を掛ける。

 それは耳を済ましていなければ聞き逃してしまいそうなほど、小さな呟き。

 

 

「——ばいばい」

 

 

 哀愁を含んだ、僅か四文字の台詞であった。

 

「う、うん? またね……?」

 

 その囁きに不思議な違和感を覚えつつも、もう一度再会の約束を交わして虹夏はひとりを見送っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 そのまま、後藤ひとりは一人ぼっちで夜道を歩いていく。

 

 元の彼女であれば、薄暗い裏路地をこっそりと一目に付かないよう、自信なさげな足取りで進んでいたことだろう。

 だが、今の彼女はもう昔の彼女ではない。人の視線にも、人混みにも屈することなく、自分自身を前面にさらけ出せる。

 きっと今ならなんでも出来るという、強い肯定感が彼女の背中を後押しする。

 

 そんな彼女の向かった先は——家族の待つ家ではなかった。

 後藤ひとりは、すっかり人気のなくなった『商店街』を歩いていき、目的地であるその店の前まで迷いのない足取りで向かっていく。

 

「…………」

 

 そうして、辿り着いた場所『たい焼き屋』の前で流石に一度は足を止めた。しかしそこからは躊躇うことなく、明かりの灯った店内へと足を踏む入れていく。

 

 

 

「いらっしゃい……って、お嬢ちゃんか……」

 

 そこで待っていて店主——妖怪・吹消婆と対面する後藤ひとり。

 

「その表情、決心が付いたようだね……」

 

 ひとりが何かを口にする前から、吹消婆はどうして彼女がここまでやってきたのかを察する。

 言葉にしなくても伝わる決意、その表情が雄弁に語っていたのだ。だが、あえてひとりは言葉にしていくことで、自分が『何を望んでいるのか』を吹消婆へと伝えていく。

 

 

「——お婆さん……私を、後藤ひとりを元に戻して欲しいんだぜ」

 

 

 それこそ、陽キャな後藤ひとりが望んだ結末。

 彼女の選んだ答えであった。

 

 

 

×

 

 

 

 ——…………。

 

 ——はぁ~……落ち着くな~……。

 

 ——ここなら……ずっと静かに過ごせそうな気がする……。

 

 水底のように深くて暗い場所で、ジャージ姿のひとりが一人ぼっちで蹲っていた。

 そこは『後藤ひとり』という人間の内面、心の中とでも表現すべき空間だ。そこで本来の性格——陰キャなひとりが、何をするでもなく眠るように膝を抱えてしゃがみ込んでいた。

 ここはまさに何者にも侵されない、ひとりだけの世界。寂しくはあるものの、外からの脅威が何もない静かな場所でひとりはかつてない安堵感に包まれていた。

 

 ——あとのことは……もう全部、パリピな私に任せよう。

 

 ——みんなも……私みたいな人間を相手するより、陽気な私を相手にする方が楽な筈だもん……。

 

 ひとりは自分の心の平穏のためにも、そして自分と関わりを持った他者のためにも。自分という存在がここで大人しくしていることこそ、最善だと本気で考えていた。

 外のことを全てもう一人の自分——陽キャな自分に任せてしまおうと。自らの意識を、より深い眠りの中へと誘おうとする。

 

 だが、そんな心の中での引きこもり生活にも終わりの時が訪れる。

 

「……!!」

 

 陰キャなひとりしかいない筈の空間に、何者かの気配。

 ひとりが思わず顔を上げると、すぐ眼前に自分自身の姿があった。もっとも、後藤ひとりと呼ぶにはあまりにも堂々とした顔つき。着ている衣服も、普段のひとりであれば自信がなくて着用できないような、厨二病な衣装。

 星型のサングラスが格好よく決まっている。少なくともひとりの価値観からすればそのように見える。

 

「なんで? ここに……いるん……ですか?」

 

 それが誰かと今更問うまでもなく。ひとりは何故、彼女がそこにいるのか疑問を投げ掛けていた。

 

「——お前さんを連れ戻しに来たんだぜ。いつまで、こんなところに閉じこもってるつもりなんだぜ?」

 

 陰キャなひとりの問い掛けに、ため息を吐くよう後藤ひとり——陽キャな彼女が答える。

 

 そう、彼女たちはどちらとも『後藤ひとり』だ。

 性格の異なる両者が、他に何者も立ち入れない場所にて、二人っきりで向かい合っていく。

 

 

 

「なんで……あなたがいれば何も問題ないんだから……それでいいじゃない……ですか」

 

 陰キャなひとりは陽キャな自分からの呼び掛けに、取り付くしまもなく首を横に振った。

 陽キャな彼女がいれば、以前までの自分は必要ない。地味で陰キャで、人見知りでろくに他人と目も合わせられない、まともにコミュニケーションも取れないような自分など、いない方が色々なことが円滑に進むだろうとその意思は頑なだった。

 

「それがそうもいかないんだぜ。こっちもこっちで……色々と困ったことになってるんぜ。お前さんだって、本当は分かってるんだろ?」

「…………」

 

 しかし、陽キャになったからといって万事が万事上手くいくわけではない。今の後藤ひとりを取り巻く現状は、心の中に引きこもっていた陰キャなひとりにも伝わっていた。

 

 性格が変わったことで戸惑う周囲の人々の反応も。

 音楽性が噛み合わなくなったことで生じたバンドメンバーとの軋轢も。

 

「……べ、別にそれくらい……そんなの、いずれは時間が解決してくれますよ……」

 

 もっとも、それが伝わっているからといって、陰キャなひとりは動こうとはしない。

 確かに色々と問題はあるようだが、そんなものいつか時間が解決してくれる。実際、クラスメイトなどはすっかり今のひとりに順応しているし、家族やバンドメンバーだっていずれは陽キャなひとりの扱いに慣れてくるだろう。

 虹夏だって言ってくれていた『どんなひとりであれ、受け入れてくれる』と。

 

「どんな私でもいいなら……あなたでもいいじゃないですか! 私が無理をしてまで……外に出る必要なんかないですよ!!」

 

 だったら、自分でなくてもいい。

 陰キャなひとりはより一層、自身の殻の中へと閉じこもっていく。

 

「辛いんですよ……何もかもが……!!」

「…………」

 

 陽キャな自分と向かい合っているうちに気が昂ってきたのか、陰キャなひとりにしては珍しく声を荒げる。本来の彼女であれば、他人に怒鳴るなんて真似絶対に出来ない。

 

 だが、目の前にいる相手は自分自身だ。

 

 他人には絶対に見せることの出来ない、不満や怒り、醜い自分。その全てを、彼女はもう一人の自分へと曝け出していく。

 

「怖いんですよ……私なんかが、みんなの中に入っていいのかって考えると……足が震えて動けなくなるんです……」

 

「自分がどう思われてるかなって思うと……人の視線が気になってしょうがないんです。みんなが何を考えてるのか分からなくて、辛い……」

 

「将来のこととかも……こんな自分がまともな大人になれるわけがないって……社会の中で生きていける気がしなくて……」

 

 

 息をつく暇もなく吐き出される、後藤ひとりの本音。

 人見知りやらコミュ症といった言葉では片付けることの出来ない、彼女が根本的に抱えているコンプレックス。きっとこの性分は、この先一生治すことなど出来はしないだろう。

 

「私だって……頑張ったんですよ? 特にこの一年間は……人生の中で一番……頑張った時間だと思うんです……」

 

 後藤ひとりという人間は、物心ついたときからこうだったのだ。それでも自分を変えたいと色々なことに挑戦してみた。ギターを始めたのもそれが理由だし、実際その努力の甲斐もあり、一介のバンドマンとして結束バンドの一員になれた。

 結束バンドとして活動を続けてきたこの一年間は、特に激動の日々。ひとりのこれまでの人生で、これほど多くの人と接した一年間は今までなかった。

 

「でもダメだった……私は相変わらずのコミュ症で……みんなに迷惑ばっかり掛けてる……」

 

 それでも、後藤ひとりという人間の根本は何も変わらなかった。それどころか、この性格のせいでバンドメンバーたちの足を引っ張っている。

 人と関わるようになればなるほど、自身の情けなさが浮き彫りになるなど、なんと皮肉なことか。

 

「辛いことばっかりで……なんで、こんな苦しい思いをしながら生きていかなきゃいけないんですか!?」

 

 もう色々と限界だったのだ。そこに来て、たまたま占い師のお婆さん——吹消婆という妖怪に出会った。彼女から『性格を変えることが出来る』という甘い提案をされた。

 この十六年間、ずっと自身の性格に悩んでいたひとりにとって、その誘いは救いにすら思えた。

 

「もう無理だよ……ここから先は……あなたに全部任せるから……」

 

 この機を逃せばもう二度とないかもしれないチャンスに、陰キャなひとりは吹消婆の『手相返しの術』に縋った。

 これで後藤ひとりはまともな人間になれる。この先の人生を何の支障もなく送ることが出来るだろう。

 周囲の人々もきっと分かってくれると、陰キャなひとりは自分を心の中へずっと閉じ込めておくことを決めたのだ。

 

「もう……出ていってください……」

 

 もうこれ以上話すことはないと、陰キャなひとりは陽キャなひとりとの話を一方的に打ち切っていく。

 

 

 

 

 

「…………」

「…………」

 

 陰キャなひとりから吐き出された激情に、陽キャなひとりは静かに耳を傾けていた。暫くは何も言葉を発しようとしない陽キャなひとりに、陰キャなひとりは気が気でない。

 次の瞬間にも——『甘えるな!』『諦めるな!』などと前向きな言葉を叫ばれたらどうしようと。こんなときでも、ネガティブな妄想が止まらないのだ。

 

 すると陽キャなひとりが、ゆっくりと頷きながらその口から優しい言葉を紡いでいく。

 

 

「——うん。分かるよ、全部分かる……」

 

 

 彼女は陰キャなひとりの気持ちを理解出来ると。その感情に寄り添った言葉を投げ掛けてきた。

 

「わ、分かるって……何が分かるっていうんですか。パリピなあなたに……私の何が……」

 

 だが、そんな言葉一つで陰キャなひとりの心を開くなど出来ない。陽キャなひとりに自分の気持ちなど分かるわけないと、その言葉を突っぱねる。

 

「分かるよ!!」

「——っ!?」

 

 けれど、そんな拒絶にも負けないくらいの感情を込めて、陽キャなひとりは叫んだ。

 

「だって……私は……あなたなんだから……」

 

 そして、家族の前以外では決して外そうとしなかった——『星型サングラス』を取る。

 

 

 露わになった彼女の瞳は——涙で潤んでいた。

 怯えた瞳だ。常に陽気に振る舞っている態度からは想像も出来ない、今にも崩れてしまいそうなほどに非力な少女がそこに立っていた。

 

 

「苦しいよね……辛いよね。人と関わることが、こんなにも怖いことだって……私も、改めて思い知ったよ……」

「……あ、あなたも、そうだったんですか? 陽キャな私……」

 

 その目と、苦しそうな彼女の呟きに陰キャなひとりは自分の思い違いを察する。

 

 結局のところ——陽キャなひとりだって怖いのだ。

 彼女は手相返しの術により、ひとりが深層で抱いていた陽キャへの憧れや願望を表面化させた存在。しかし、生来持っていた陽気な要素を前面に押し出したところで、彼女が『後藤ひとり』であることに変わりはない。

 きっと無理矢理に、何とかバリピであることを高いテンションで誤魔化しながら演じていただけに過ぎないのだ。

 

 語尾に『だぜ!!』と取って付けていたのも。

 一見するとふざけているように見えた、あの星型サングラスも——全て虚勢。

 

 とどのつまり——何をどうしようと、ひとりが根っこから陽キャになるなんてことは出来なかったのである。

 

「けど苦しいだけじゃない……それと同じくらい、楽しいこともあった筈だよ?」

 

 しかしその事実を悲観するでもなく、『陽キャになろうとしていたひとり』が、陰キャな彼女へと言葉を重ねていく。

 

「思い出して……結束バンドのみんなと過ごした、この一年間を思い出してご覧よ?」

 

 ひとりが一番頑張ってきた一年間。

 辛いことも当然あったが、それと同じくらいに楽しいこともあった。

 

 

 結束バンドが四人で行った初めてのライブ。

 せっかくのライブなのに、台風のせいで客入りは最悪。その上、観客は結束バンドなど興味なしとばかりにまともに聴いてもらえず。

 実際、演奏も途中までバラバラだったが、ひとりのソロギターが皆を鼓舞し、最後には大盛況で初ライブを終えることが出来た。

 

 夏休みには、バンドメンバーで江の島へ遊びに行った。

 海で本物のパリピに遭遇したり、長い階段をひたすら登らされたり、鳥に襲われたりと散々な一日だった。

 慣れないアウトドアに翌日には全身が筋肉痛を襲ったりもしたが、みんなと遊んだ時間は良い思い出として、ひとりの胸に刻まれている。

 

 文化祭でも、体育館の壇上で結束バンドとしてライブをやった。

 学校での自分を知る生徒たちの前で演奏するのはとても緊張して、機材トラブルで頭が真っ白になったり。

 ライブそのものはなんとか成功したものの、最後には勢いのままステージからダイブしたが誰も受け止めてくれなくて、文字通りとっても痛い目に遭った。

 

 

「…………本当……散々だったな……」

 

 思い返してみれば、なんだか痛い目に遭っている割合の方が多い気がして少し気落ちする。

 けど——。

 

「でも楽しかった……すっごく楽しかった……!」

 

 けれど、楽しかったのも事実だ。それまで友達と呼べる人がいなかったひとりにとって、結束バンドのみんなと過ごした全てが、輝いた時間だった。

 

 それだけは、絶対に確かだと言えるものだ。

 

「そうだよね、楽しかったよね! これから先も……きっと楽しいことが待ってる! お婆さんも保証してくれたじゃない! 結束バンドのみんなとなら、夢を叶えられるって!!」

 

 陽キャなひとりもその思い出を共有しているのか、眩いばかりの笑顔で手を広げる。

 吹消婆も手相占いの際に言ってくれた。もしかしたら占いなんて気休めかもしれないが、それでも今のメンバーとならひとりの夢が叶うと。

 その夢を叶える道程で、もっとたくさん楽しいことが待っている筈だと、今からワクワクを抑えきれない。

 

「けどさ……私のままだと、結束バンド自体が保たなそうなんだ……私のせいで、結束バンドが解散しちゃうかもしれないんだよ」

「……っ!!」

 

 しかし、その夢にも危うい翳りが見え始めていると、その表情を曇らせる陽キャなひとり。陰キャなひとりにとっても、それは聞き捨てならない発言だった。

 

「虹夏ちゃんは練習次第でどうにでもなるって言ってくれたけど……分かるんだよね。私のこれこそ、本当にどうしようもないことだってことが……」

 

 陽キャなひとりのせいで発生してしまったバンド内の不協和音。これこそ、練習や周囲の努力ではきっとどうにも出来ないことなのだと、誰よりも陽キャなひとりが自覚していた。

 

 ひとり自身の夢のためにも、虹夏の本当の夢を叶えるためにも。

 必要なのは自分ではないと、陽キャなひとりは陰キャなひとりを連れ戻すと決心したのだ。

 

 それで自分という存在が埋没しようと構わない。

 結束バンドのみんなは——『陰キャなひとりが良い』と、彼女の帰還こそを心待ちにしているのだから。

 

 

「——!!」

 

 自分が求められている。

 その事実にこそ、陰キャなひとりは顔を上げる。未だに身体が、その足が生まれたての子鹿のように震えている。

 それでも時間を掛けて、陰キャなひとりは自らの意思で立ち上がることが出来た。

 

「……良かった。もう、大丈夫だね……」

 

 自力で立ち上がる陰キャなひとりの勇姿を見届け、陽キャなひとりは安心したと微笑を浮かべる。

 

 そうして、次の瞬間にも——『陽キャなひとり』と『陰キャなひとり』の立ち位置が入れ替わる。

 戻ると決心した陰キャなひとりの意思が徐々に浮上していき、逆にここに留まると決めた陽キャなひとりの意思が沈んでいく。

 

 このまま身を任されば、きっと何もかも元通りになるだろうという流れだ。

 

 

「……あなたは……どうなるんですか?」

 

 そんな最中、陰キャなひとりは元に戻る不安よりも、真っ先に沈んでいくもう一人の自分を気に掛けていく。

 

「大丈夫だよ! 言ったでしょ……私も、あなた。紛れもなく後藤ひとりという人間の一部なんだから……」

 

 その不安に心配無用と、陽キャなひとりは微笑みを浮かべてくれる。

 

「ずっとここで……あなたのこと見守ってるから……一人じゃないよ、何があっても……」

 

 結局のところ、最初から違いなどなかったのかもしれない。

 陰キャであろうとも、陽キャであろうと。そのどちらも、後藤ひとりという少女に過ぎなかったのだ。

 

 だから、この別れに涙など必要ない。

 

 

「——行ってらっしゃい! 陰キャで人見知りな私!!」

 

 

「——い、行ってきます……陽キャでパリピで……強がりな私……」

 

 

 いつも傍にいるのだから、笑顔で見送ればいいと。

 

 

 二つの意思が、本来あるべき場所へと戻っていく。

 

 

 

×

 

 

 

「随分と盛況じゃのう。前に来た時とは大違いじゃ!」

「そうですね、父さん」

「まあ、アマチュアバンドにしては結構な客入りね……」

 

 その日、目玉おやじや鬼太郎、猫娘といった面々がライブハウス・STARRYを訪れていた。以前来た時とは違い、その日は狭い店内に多くの人間がごった返していた。彼らは皆、STARRYで行われるライブイベントを目当てに訪れたお客さんたちである。

 鬼太郎たちも、正式な招待を受けてここにいる身だ。ライブチケットを片手に、慣れぬライブハウスの空気感に若干戸惑い気味であった。

 

「あっ……鬼太郎くん! 目玉おやじさん、猫娘さんも! 今日は来てくれてありがとうございます!!」

 

 そんな鬼太郎たちに、結束バンドのリーダーである伊地知虹夏が声を掛ける。

 

「いえ、こちらこそ。それより彼女が……後藤ひとりさんが元に戻ったというのは本当なんですか?」

 

 鬼太郎の妖怪ポストに、手紙と共にライブチケットを送ってきたのが虹夏だ。しかし手紙は助けを求める依頼ではなく、その必要がなくなったというお礼の手紙。

 

 後藤ひとりが、すっかり元に戻ったという報告であった。

 鬼太郎たちがSTARRYに来たのもその確認のためでもあり、ライブ鑑賞はそのついでに過ぎなかった。

 

「はい、そうなんです! 色々とご迷惑をお掛けしましたが……ほら、ぼっちちゃん! 鬼太郎くんたちに挨拶しよっ!!」

 

 鬼太郎の疑問に笑顔で答える虹夏。彼女は当の本人、後藤ひとりの名を呼んでいた。

 

「あっは、はい……こ、この度は……ほ、本当に……ご迷惑をお掛けしまして……」

「……本当に、キミが後藤ひとり……さん?」

 

 虹夏の呼び掛けに、一人の女の子が自信なさげに返答する。

 おどおどとした様子で物陰から顔を出す少女。鬼太郎は見た目の容姿から、彼女が後藤ひとりだと判断するが、性格が豹変していた頃とはまるで別人だと己の目を疑う。

 

「なるほど……キミらがどうしてわしらに助けを求めたのか、なんとなく分かったような気がするぞ」

 

 その雰囲気からはパリピだった頃の面影もなく、本来のひとりと対面したことで目玉おやじは虹夏が『悪霊が取り憑いているかも』と、自分たちに助けを求めてきた理由がなんとなく分かってしまった。

 

 確かに今のひとりは別人、言われなければ本人だと気づかないほどに人格の違いが垣間見える。少なくとも、他人の目からすれば——。

 

「ぼっちちゃん、鬼太郎くんたちに失礼でしょ! すみません、ライブ前ってこともあって……すごく緊張してるみたいで……」

 

 虹夏は鬼太郎たちへのひとりの態度に少し怒っているようだったが、やはり嬉しそうでもあった。

 なんだかんだ言って、ひとりが元に戻って安心しているのだ。その様子なら、問題視されていた演奏面での不安も解消されていることだろう。

 

「あっ! そろそろ時間なんで……今日は楽しんでってくださいね!」

「あっ……楽しんでって……ください……」

 

 挨拶もそこそこに、虹夏とひとりはそのまま楽屋裏へと移動。ライブ本番に向けて準備を進めていく。

 

 

 

「それにしても……どうしていきなり元に戻ろうと思ったのかのう……」

「ええ、吹消婆も……理由までは教えてくれませんでしたね」

 

 そうして、結束バンドのライブが始まるまでの時間。

 鬼太郎たちはワンドリンクのジュースで喉を潤しながら、結束バンドの出番を一番後方の壁際で待つことになる。

 

 待っている間、鬼太郎たちは後藤ひとりが突然『元に戻る』と言い出した理由を話し合う。

 ここに来る前にも吹消婆の元を訪れたのだが、彼女もひとりが戻りたいと申し出たからこそ、手相返しの術で手相を元に戻した。

 

 果たして、どういった心境の変化があったというのだろうか。

 

「けど……あんなんでライブなんて出来るのかしら? あの様子じゃ、ステージの上に立つのも難儀しそうだけど……」

 

 しかし、元に戻ったのはいいがあれで本当にライブなど出来るのかと、猫娘が心配そうに呟く。

 後藤ひとりという人間は話に聞いていたとおり、人見知りでコミュ症で。とてもではないが人前に立って演奏が出来るような、度胸のある人間には見えなかった。

 こうしている今も、お客さんが客席を埋め尽くす勢いで増えてきている。

 

 これだけの人々に囲まれ、果たしてひとりがどのような演奏を奏でるのだろうか。

 

 

 

『——どーも!! 結束バンドです!!』

 

 そんな猫娘の心配をよそに、とうとう彼女たちの——結束バンドの出番が回ってきた。

 ライブ前のMCはフロントマンである喜多郁代が務める。陽キャで話し上手な彼女が軽快なトークで場の空気を程よく温めていく。

 

『——それから、今日はリードギターの後藤から一言あるそうです!』

 

 だがその際、郁代はひとりへと話を振った。どうやら、ひとりの方から話したいことがあるという。人見知りな彼女が舞台上から何を語ろうというのか。

 

『あっ! は、はい……』

 

 案の定、ひとりはとても緊張気味だ。

 今にも卒倒しそうほど顔色の悪い彼女に、本当に演奏など出来るのかと、鬼太郎たちは不安になってくる。

 しかし、それでも精一杯の勇気を総動員し、ひとりは言葉を振り絞っていく。

 

『わ、私が結束バンドの一員として活動するようになって……一年が経ちました。し、知っているお客さんもいると思いますが……私、後藤ひとりは人見知りで……コミュ症で……自分でも面倒くさい人間だと……思ってます』

 

 彼女は恥ずかしそうに、辿々しくも自身の欠点を述べていった。

 

「なんだなんだ?」

「ひとりちゃん……?」

 

 初めてのお客さんや、彼女の性格を知る常連のファンですらも、いきなりの告白に面食らう。いったい、彼女は何を伝えるつもりでいるのか。

 

『けど……結束バンドのみんなは……そんな私を必要としてくれました。他でもない……こんな残念な私が良いと言ってくれたんです』

 

「……ひとりちゃん」

「…………」

「…………」

 

 結束バンドの面々も、彼女が何を話すつもりだったのか知らされていなかったようだ。若干困惑気味ながらも、彼女の話を遮ることなく耳を傾けていく。

 

『これからも……この性格のせいでバンドメンバーや、ファンの皆さんに……迷惑を掛けると、思います』

 

 自分の弱さを語る彼女は本当に申し訳なさそうに、壇上からお客さんに向かって頭を下げる。

 

『けど……私は、この結束バンドの一員で良かった思っていますし……皆さんにも私で良かったと……そう思ってもらえるような演奏を……今後もしていきたいと思ってます……』

 

 それでも、今後も迷惑を掛けると自覚しながらも、ひとりは結束バンドの一員であることを辞めはしないと、堂々と宣言していく。

 

『そ、それじゃあ……聴いてください。今日のために書き下ろした新曲……』

 

 少し暗めの挨拶のせいか。場の空気が微妙なものになりつつも、ひとりはめげずにギターを構えた。

 気まずい沈黙を吹き飛ばす勢いで、臆しながらもギターの旋律を奏でていく。

 

 

 

 新曲から始まるライブは、後藤ひとりのソロギターから開始された。

 彼女のソロ演奏で流れを作り、その流れに乗っかる形で他のメンバーの演奏がスタート。バラバラな四人の音楽が瞬間、一つの音楽となってライブハウスを震撼させていく。

 

「…………凄いですね」

「うむ……」

 

 その演奏に、鬼太郎たちは呆気に取られた。

 彼らは結束バンドの演奏を一度間近で聴いている。彼女たちの演奏は確かに上手だったが、正直なところ『上手い』という以上の表現が出てこない、割と平凡な音楽でしかないと思っていた。

 ありきたりなバンドの一つ、山田リョウの言うところの——『個性のないバンド』というやつだ。

 

 だが、今日の演奏は違った。

 前回よりも明らかに突っ走ったひとりのギター。それに一歩遅れながらも、徐々に噛み合っていく虹夏のドラムにリョウのベース。ボーカルの郁代も、段々とテンポアップしていく音楽に合わせて、自らの感情を歌い上げていく。

 

「これがライブ……これが結束バンド。彼女たちの音楽……」

 

 音楽に疎い鬼太郎だが、彼女たちのライブを目の前に胸の内から熱い感情が込み上げてくる。

 ただ漠然と音楽を聞いているのとは違う。生で披露される演奏に、それを同じ会場で味わう観客との一体感、臨場感。

 

 これがバンドだ。これがロックだ。

 夢中になって音楽を奏でる少女たちの姿に、その視線を釘付けにされていく。

 

 

 

 

 

「——ひとりちゃん! 今日も良かったよ~!」

「——ほんと、過去一で最高のライブだった!!」

 

 無事にライブが終わったことでお客さんたちが店を出ていく中、熱心な結束バンドのファンだという二人の女の子がひとりに声を掛ける。

 彼女たちは特に後藤ひとりを推しているとのことで、毎回必ずと言っていいほど彼女に差し入れなどを持ってきてくれる。

 

「あっは、はい……ありがとうございます……」

 

 もっとも、そんな常連のファンが相手でもひとりは人見知りを発揮してしまい、会話もあまり弾まない。

 

「その、今日はすみませんでした……ライブ前に変なこと言っちゃって……」

 

 おまけに今日のMC。変に自分語りなどしてしまったせいで彼女たちを不快にさせてしまったのではと、心苦しそうに謝罪を口にしていく。

 

「ううん、そんなことないよ! 寧ろ、ひとりちゃんの想いが聞けて……なんだか嬉しかった!!」

「これからも頑張ってね!! 結束バンドのこと……ずっと応援してますから!!」

 

 しかし、その程度で彼女たちが気を悪くするようなことはなく。

 今後も結束バンドとしての後藤ひとりを応援していくと、笑顔で手を振り、満足しきった様子で帰って行った。

 

 

 

「ぼっち……」

「あっ、リョウさん……?」

 

 ふと、常連のファンも帰ったところで、バンドメンバーの山田リョウがひとりを呼び止める。

 二人は例の一件——『ひとりが陽キャになった際に起きたトラブル』のとき以降、あまり会話らしい会話をしていなかった。

 それはひとりが元に戻った後も続いており、バンド練習の間もやっぱり気まずい空気が二人の間に漂っていた。

 

「リョウ……」

「リョウ先輩……」

 

 そんな二人の間を、ずっと取り持ってきたのが虹夏と郁代だった。彼女たちがいるからこそ、なんとか今日という日を迎え、ライブも大盛況のままで終えることができた。

 音楽に対して人一倍こだわりの強いリョウからしても、今日のライブは満足のいく出来だったのだろう。ならばこの機会にと、マイペースなリョウがひとりに向かって自ら頭を下げていく。

 

「この間は、酷いこと言ってごめん」

 

 そう、リョウもずっと悔いていたのだ。

 自身の失言——『今のぼっちは……死んでるも同然だよ』という言葉がひとりを傷付けてしまったと、ずっと謝りたいと思っていたのだ。

 

「…………」

 

 その謝罪にひとりがどのように答えるのか。未だにSTARRYに留まっていた鬼太郎たちも固唾を呑んで見守っていく。

 

 

 ややあって、後藤ひとりが口を開く。

 

 

 

「——大丈夫!! 全然……気にしてないんだぜ!!」

 

 

 

「えっ……?」

「ひ、ひとりちゃん……?」

 

 一瞬、陽キャなひとりのような笑顔と言葉遣いになったことで、リョウや郁代が驚いてひとりの顔を凝視する。

 

「あっ……ええっと……今のは、陽キャな私の真似をして見ただけで……けど、あの子なら、多分……そう言うと思いますから……」

 

 しかし、そこにいたのはいつもの陰キャなひとりだ。彼女なりに陽キャな自分の振りをして見たということだが、果たして本当に今のがただの『真似』だったのだろうか。

 

「ぼっちちゃん……あのぼっちちゃんは……消えちゃったの?」

 

 ふと、虹夏は陽キャなひとり。彼女がどうなったのかと不安げに問い掛ける。

 虹夏は陽キャな彼女と向かい合って、『受け入れる』という言葉を掛けていた。けれど、最後には彼女自身の意思で陰キャなひとりに戻るという選択をさせてしまった。

 

 もしかしたら、自分の言葉が彼女にそう決心させてしまったのではないかと、虹夏の顔色が罪悪感に揺れている。

 

「あっ……だ、大丈夫です……消えたりなんかしてませんから……」

 

 しかしそんな心配は無用と、ひとりはぎこちないながらも笑みを浮かべる。

 

「彼女も、私の一部であることに変わりはありませんから……きっと今も……ここから、私を……私たちを見守ってくれています」

 

 ひとりは自身の胸に手を当てる。

 きっと今もそこから、心の中から自分たちを見てくれていると。

 

 彼女に恥じない自分になれるようにと、怖くてもこの先の人生を生きていこうと誓うのであった。

 

 

 

 

 

「……まっ!! なんにせよ、ライブは大成功!! ライブハウスの売り上げも好調だったし! 今日の打ち上げは私の奢りだ!!」

 

 と、場の空気がしんみりとなりかけたところで、STARRYの店長である星歌が声を上げる。

 紆余曲折あったが、全て元の鞘に収まったと。ライブハウスとしての売り上げが好調だったこともあり、上機嫌に結束バンドの面々を打ち上げへと誘っていく。

 

「ありがとう、お姉ちゃん!!」

「タダ飯……今月も金欠だったからありがたい……」

「やった! やりましょう!!」

 

 これに結束バンドの面々も大喜び、一気に場の空気が明るくなりわいわいと賑わいを見せる一同。

 

「へへへ……みんなと打ち上げ。これも、楽しい思い出作りの一環……ですよね……」

 

 勿論、後藤ひとりも素直に喜んでいた。

 ライブ後の打ち上げはこれまでも何度か経験した楽しい思い出であり。また一つ、みんなとの輝かしい時間が増えていくのだ。

 

 ——こんな感じに……楽しみながら夢を叶えられたら……。

 

 ——大丈夫! 占い師のお婆さんも保証してくれたし……みんなとなら、どこまで一緒にいける気がするから!!

 

 大きな問題が解決した直後ということもあり、ひとりもいつになく強気だった。

 今なら何だってできる気がすると、占い師のお婆さんの言っていた『今のバンドメンバーとなら、その夢を叶えることも出来るだろう』という言葉にも勇気付けられていく。

 

「…………あっ、で、でも…………」

 

 しかし、そこでさらに思い返す。

 確かに占い師のお婆さんは夢が叶うと言ってくれたが、その一方で——。

 

『——そこに行き着くまでは苦労するだろうね……少なくとも、今以上にたくさんの人と関わることになるだろうさ』

 

 とも言っていた。

 

 ——ああ……やっぱり、これから色んな人と関わっていかなきゃいけないんだ……。

 

 ——いったいどんな人たちなんだろう。変な人とか……やっぱり怖いな……。

 

 自分が変な人間の筆頭であることを棚に上げ、後藤ひとりは再びネガティブな妄想へと陥っていく。

 

『——ああん? なんだそのレコーディングは、潰すぞ!?』

 

『——その程度のギターテクで、俺を痺れせられると思ってんのか!?』

 

『——メジャーデビューなんざ十年早いんだよ!! 殺すぞ!!』

 

 自分の夢の道中に待ち構えるまだ見ぬ強敵たち。そんな彼らから睨まれ、因縁を付けられ、何故かチンピラに絡まれるような図を想像し、ひとりは不安に押し潰されていく。

 どれだけ強気になろうと、やっぱり怖いものは怖い。

 

「——ぴぎゃあああああ!!」

 

 そんな将来への不安から、謎の奇声を発していく後藤ひとり。

 

「なっ!? ど、どうしたんですか、いきなり!!」

「なんなの!! 何事!?」 

 

 いきなりの絶叫に鬼太郎と猫娘が狼狽する。

 側から見ると突然叫び出しただけにしか見えないため、慣れないものは驚くだろう。

 

 しかも悲鳴だけでは飽き足らず、ひとりの顔面が崩壊、しまいには肉体がゲル状に溶け出していくのだ。

 

「なっ!? まさか……手相返しの術の副作用が!?」

「こ、この反応……!?」

 

 目玉おやじが大慌てで目の前の事態に理屈を付けようとする。鬼太郎の妖怪アンテナも、なんだかよく分からない反応を示しパニックに陥っている様子だった。

 

 もっとも、結束バンドの面々からすればいつものことである。

 

「ああ、ぼっちちゃん……またいつもの発作が……」

「なんだか久しぶりですね! これでこそ、ひとりちゃん!! って感じがします!!」

 

 慣れたように、寧ろどこか嬉しそうに紙やすりなどを取り出し、崩れたひとりの顔を削って造形を整えていく。

 

「……いやいや!! やっぱりおかしいでしょ、その子の身体!? いったい、何がどうなってるのよ!!」

 

 落ち着いた結束バンドの対応に一旦は納得しかけるも、やはりそれはおかしいと猫娘が疑問の声を上げる。

 

 いったい、後藤ひとりが何者なのかと?

 その後も、ちょっとした問題に向き合うことになる——のかもしれない。

 

 いずれにせよ、それはまた別の話。

 いつかどこかで語られるかもしれないし、語られないかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃。

 後藤ひとりが一つの山場を越えていた頃、全く別のライブハウスで一つの山場を越えようとしている女性がいた。

 

「大丈夫……もう私は昔の私じゃない! お酒の力を借りなくったって……最後までやり切れるんだから!!」

 

 新宿——『新宿FOLT』というライブハウスを拠点とするロックバンド『SICKHACK』リーダー・廣井きくりである。

 

 彼女もまた、吹消婆の手相返しの術で性格を変えてもらった人間の一人である。

 もっとも、性格をまるっと正反対に入れ替えてもらったようなひとりとは異なり、彼女の場合は『お酒に頼らずとも自信を保てるように』と、酒癖の悪さを改善してもらっただけに過ぎない。

 特に大規模な変革でもないため、周囲の混乱もそこまで酷くない。いや、あの廣井が『酒を飲まなくなった』という戸惑いが友人たちの間ではあったが、それも概ね好意的に受け止められていた。

 

 バンドメンバーからも、ライブハウスの店長からも、後輩バンドマンたちからも。

 ほとんどの人間、本人も含めて、酒を飲まなくなった廣井の変化に諸手を挙げて大喜びした。

 

 これで、やっとまともなライブが出来る。

 酔った勢いでライブハウスの機材を壊される心配も、金をせびられることも、ご飯をたかられることもないと。涙を流して喜んだものもいたほどだ。

 

「ああ、でもやっぱり緊張するな……」

 

 それでも、一応緊張はしているのか。廣井は自身の出番が来るまで、楽屋の方でソワソワしながら待機していた。

 

「あっ、お菓子……一個だけ貰っとこう!」 

 

 また酒を飲まなくなったことで口元が寂しくなったのか。楽屋に置かれていたお菓子にも自然と手が伸びる。

 そのお菓子——チョコレートを手に取り『注意書き』を読むことなく、無造作に口の中へと放り込んでしまった。

 

 

 

 

 

 ※洋酒使用 

  この製品にはアルコールが使用されています。お子様や運転時などはご遠慮ください。

 

 

 

 

 

「————!!」

 

 そのお菓子——ウイスキーボンボンを口にした瞬間。飲酒を辞めていた廣井きくりの中で何かが弾けた。

 

 

 結局のところ、廣井きくりの性格の変化は『お酒を飲まなくても大丈夫』という心情面の変化でしかなく。

 性格的にお酒を求めなくなったとはいえ——実際にアルコールを摂取してしまった場合、後は本人の体質。アルコールへの耐性がどれだけあるかにかかっていた。

 

 結果として——。

 

 

『——いくゼェえええ、野郎ども!! 今日も盛り上がっていくぜぇえ!!』

「——それでこそ、廣井だぁあああああ!!」

 

 

 残念ながら、今の彼女にとってはわずか0.2gほどでも、自分を失うのに十分なアルコール摂取量であった。

 

 べろんべろんに酔っ払い、いつもとおりの状態でライブを盛り上げていき。

 その発狂ぶりを良しとする、熱狂的な信者たちの大歓声で埋め尽くされていくライブハウス。

 

 

 

「——どうしてこうなる……」

 

 その虚しい呟きが誰のものだったのか。

 いずれにせよ、廣井きくりは何も変わらず——今日もライブを自分色に染め上げていく。

 

 

 

 

 




人物紹介
 
 佐々木次子
  アニメ未登場。二年生に進級したぼっちたちの同級生。
  喜多郁代とは中学一年生から、ずっと同じクラスだったとのこと。
  ロックバンドは聴かないといいつつ、わざわざ結束バンドのために応援団を結成したりと。
  普通にいい感じの人。しかし陽キャなため、その言動が自然とぼっちにダメージを与えている。

 ファン1号、2号
  結束バンドのファンである女の子二人組。
  アニメでも登場しましたが、原作の漫画でもそれなりに活躍の場面があったりする。
  どんどん有名になっていく結束バンドに、着実に拗らせファンと化していく。

次回予告

「ある日突然ツノが生えてしまったという、人間の女の子。
 いきなりそんなことになって、さぞ苦労されていることでしょう……。
 ……え? 意外となんとかなってる? 周りの人もそこまで騒いでない?
 ………父さん。人間とは結構図太い生き物なのかもしれません。

 次回ーーゲゲゲの鬼太郎 『ルリドラゴン』 見えない世界の扉が開く」

次回も女子高生が主役の作品!
ほのぼのとした世界観で……ゆる〜い、日常が幕を開ける!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ルリドラゴン 其の①

この間、割と軽い気持ちで『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』を観に行って来ました。
自分、そこまでマリオのファンといえるような立場ではないのですが……なるほど、これはファン向けだと納得の出来る楽しい作品でしたね!
映画というより、一つのアトラクションを楽しんでいるみたいで面白かった!!
難しくない王道なストーリー。これでいいんだよねと、今の映画業界に訴えかけているようであった……。

今回のクロスオーバー『ルリドラゴン』です。
唐突に連載されるや、一気にネット内を席巻した作品。しかし作者様の都合により、現在は休載中。
連載が開始されて……もうすぐ一年が経ちます。そろそろ続きを読みたいな……と思いながら、とりあえず鬼太郎とのクロスを考えて書いてみました。

基本、連載版の設定などを主軸にしていますが、今作は読み切り版の内容なども含めて話を進めていくつもりです。
また原作の雰囲気を損なわないため、今回もバトルシーンなどはないです。

どうか、ルリドラゴンの優しい世界観を楽しんでってください。


「う~ん、結構買い込んじゃったかな? けど……足りなくなるよりは良いよね!!」

「買い過ぎだってば! もうこれ以上持てないよ~!!」

 

 その日、調布市の中学校に通う女子中学生たちが、巨大なショッピングモールでの買い物を楽しんでいた。

 彼女たちが買い込んでいたのは主に『デザート作りに必要な材料』である。女子の一人、石橋綾の実家が経営している喫茶店『モモ』で出すことになる新作スイーツ。その試作に必要な材料の買い出しだ。

 綾の友人である桃山雅などは、次から次へと追加される買い出しの量にちょっぴり情けない悲鳴を上げつつあった。

 

「そうですね。どれだけ作るつもりなのかは分かりませんが……いくらなんでも太ってしまいます」

「う、うん……流石に私たちだけじゃ、食べきれないよ……」

 

 他の女子、辰神姫香と犬山まなも両手いっぱいの荷物を抱えたまま、若干引き気味に顔を引き攣らせる。

 今日はこの後、それらの材料でさっそくスイーツを試作し、それを試食するという流れになっていた。

 甘いお菓子をたくさん食べれるのは嬉しいのだが、食べ過ぎればその分、女の子として大事なものを失ってしまうというのが悩ましい。

 

「もう~、しょうがないな……ははは!!」

 

 もっとも、そんな慌ただしい買い物も、太っちゃうかもしれない試食会も。こうして友達と遊んでいられる全ての時間が、犬山まなにとってかけがえのないものだ。

『今年』に入ってから妖怪がなんだのと色々な事件に遭遇したり、受験生として遊んでばかりもいられない中、友達と一緒にいられる数少ない機会を大切にしていきたいと思っている。

 

「それじゃ……そろそろ、モモの方に戻ろっか?」

 

 そうして、時間は有限だとばかりに。そろそろ買い出しを終えなければと、まなは皆に声を掛けてショッピングモールを出て行こうとする。

 ところが、買い物を終えようと出口へと向かっていく最中——。

 

「——おっと!?」

「——わっ!?」

 

 ちょうど曲がり角付近に差し掛かったときだ。前の方から歩いてくる女子高生グループ——その内の一人と、犬山まなが正面からぶつかってしまったのだ。

 荷物を抱えていたこともあり、まなはバランスを崩してその場に尻餅をつくこととなってしまう。

 

「ちょっ!? まな大丈夫!?」

「痛てて……あっ! ご、ごめんなさい! お怪我はありませんでしたか!?」

 

 よろけるまなに雅が慌てて駆け寄ってくる。

 しかし、まなは自分よりも相手の——自分と同じように尻餅をついてしまった相手方の女子高生の心配をしていた。

 

「あいたた……いえいえ、こっちこそ! 怪我はなかった!?」

 

 相手の方も、ぶつかってしまったことに対して妙な因縁を付けてくることもなく、純粋にまなの心配をしてくれている。

 

「手を……」

「ああ、ありがとう……」

 

 まなはほっと息を吐きながら、相手よりも先に立ち上がって手を差し出す。相手もその行為に特に疑問を持つようなことはなく、お礼を言いながらその手を取ろうとした。

 

 

 だが、犬山まなとその女子高生の手と手が触れ合おうとした刹那——二人の間に青白い閃光が迸り、互いの手が弾かれてしまう。

 

 

「——!?」

「——っ!?」

 

 これに両方が目を丸くして驚き、互いに手を引っ込める。

 

「な、なに……? なんか、バチっときた!!」

「今のは……まさか!?」

 

 女子高生の方は何が起きたか理解しておらず、静電気にでも遭遇したリアクションで自身の手を見つめる。

 しかし、犬山まなには何かしらの心当たりがあるのか。自身の懐、首からぶら下げていたお守りを手に取り——それが微かに光を帯びていることを確認する。

 

 そのお守りは、まなが父親から肌身離さず持ち歩くように言われているものだ。

 最初はそれに何の意味があるのかと不思議に思っていたが、ここ数ヶ月の間で、まなはそれが何なのか察するようになった。

 どうやら、このお守りには——『妖怪を跳ね除ける力』があるようなのだ。これまで何度か人ならざる怪異に襲われた際も、お守りはまなを守るように光を放って妖怪を退けてくれた。

 そのお守りがこの瞬間にも反応を示していると事実、つまり——。

 

 ——じゃあ……この人も!?

 

 それはその女子高生が『妖怪』であることを意味していたのだ。まなは怯えた感情をその相手へと向けながら、距離を取ろうと一歩後退る。

 

「…………ん?」

 

 その際、まなは初めて相手方の顔を注視する。

 

 その女子高生は、普通に可愛らしい容姿をしていたが、特別人目を惹く魅力があるというわけでもなかった。

 割とどこにでもいる普通の女の子、一般的な女子高生といった印象だ。

 

 ただ一点、額に『ツノ』が生えていることを除けば——。

 

「え……ツノ?」

「ツノ……ツノだよね……」

「ツノだ……」

 

 まなの友人たちにも普通に見えているのか、ツノを生やした女子高生という一見すると意味不明な存在に暫しその場にて固まる。

 

「……あ、あの……あんまりジロジロ見ないでくれるかな? 流石にちょっと恥ずかしいから……」

「え……? あ、ごめんなさい!」

 

 その視線に気付いたのか、女子高生はツノを手で隠しながら少し恥ずかしそうに呟く。

 その態度があまりにも普通の女の子、普通に恥ずかしがっているだけということもあり、まなは恐怖よりも何だか申し訳なさが込み上げてしまう。

 

「なになに、どうしたの?」

「驚かせちゃってごめんね、キミたち!」

 

 一方で、ツノを生やした彼女の友人たち。

 彼女たちにもそのツノが見えているのだろうが、別段驚くような素振りもない。その態度から「もしかしたら、ただのファッションなのでは?」と思ってしまうほどだ。

 

「ルリちゃん、大丈夫? 怪我はなかった?」

 

 実際、女子高生グループの一人にはツインテールの髪を二色で派手に染めている子もいた。

 そんな髪型の子もいるくらいなのだから、アクセサリー代わりに額にツノを付けていてもおかしくないのではと。そんな考えがまなの脳裏に過ぎる。

 

「うん、大丈夫だけど……あっ、やばっ!」

「……?」

 

 だがふいに、そのツノの生えた子・ルリの動きがピクリと止まる。

 彼女に怪我がないかを気遣っていたツインテールの子が、その反応に首を傾げていると——。

 

 

「——出そう、これ出るわ」

「えっ……?」

 

 

 唐突にそんなことを言い出す。

 出る? 出るとはいったい何のことだろうと、まなはその発言の意味が理解出来ずにいる。

 

「出るの!? ルリちゃん出ちゃうの!?」

「大丈夫!! 外まで我慢できる!?」

 

 だが、ルリの友人たちはそれが何を意味するのかを察し、俄かに騒ぎ出した。

 彼女たちの慌てた様子に、まなたち以外の通行人からも「なんだなんだ?」といった感じの視線が集まってくる。

 

「ちょっと! もう少し声抑えてよ……」

 

 ルリは周囲の反応に、やはり恥ずかしそうに顔を隠し始める。

 

「すいません!! ちょっと、道を開けてもらっていいですか!?」

「ごめんなさい! すぐに済むと思いますんで!!」

 

 ところが彼女たちはさらに大きな声を上げ、その場を仕切り始めた。通行人に声を掛け、人々がルリの周りに集まってこないようにと誘導を始めたのだ。

 

「ほらキミたちも……ちょっと待っててね」

「え、え……えっ?」

 

 ツインテールの少女もまなたちに声を掛け、その場から動かないようにお願いしてくる。いきなりのことで訳が分からず、困惑しながらもその指示に従っていく人々。

 

「人なし! 遮蔽物なし!!」

「オッケー、ルリちゃん!! 景気良くやっちゃって!!」

 

 そうして周りに人がいない、物がないことを確認しながら、女子高生たちはルリを広々としたスペースへと誘導していく。

 

「ありがとう……そ、それじゃ……」

 

 ルリは友人たちの行動に羞恥に顔を赤くしながらも、感謝を述べた。

 そして鼻をムズムズとさせながら、誰もいなくなったスペースへと慎重に移動していく。

 

 その仕草を見れば、彼女が今から『クシャミ』をしようとしていることが予想される。たかがクシャミのために、どうしてそこまで騒ぐ必要があるのかと周囲の人々が訝しがる。

 

「……?」

 

 まなもその行為に何の意味があるのかと不思議がる。いったい、これから何が起きようというのだろう。

 

「は……ふぁ……っ」

 

 そうした周囲の反応を気に掛けつつ、ルリは耐えきれなくなったのか「はっくしょん!!」と盛大にクシャミを放った。

 

 

 次の瞬間、彼女の口から真っ赤に燃え上がるようなものが「ボォオオ!!」と吹き出される。

 そう、ルリと呼ばれたその少女は口から——『火』を吐き出したのである。

 

 

「きゃっ!? え、え……火? 火吹いた!?」

「熱っ!? 火の粉かかった!!」

「え……火? …………火っ!?」

 

 間近でその光景を見ていた人々から軽く悲鳴が上がる。女子高生がいきなり火を吹いたのだから、当然と言えば当然のリアクションだろう。

 

「すみません、お騒がせしました!!」

「ご協力ありがとうございます~!!」

 

 だが、ルリを取り巻く女子高生たちは全く驚いていない。

 道を開けてくれたことや、時間を取らせたことへの感謝や謝罪に頭を下げつつ、何事もなかったようにその場を立ち去っていく。

 

「お、おお……?」

「ま、まあ……妖怪もいるんだし……火を吹く女子高生くらい、いてもおかしくない……のか?」

 

 彼女たちの態度があまりにも平然としていたためか、『そういうものか』と人々も徐々に落ち着きを取り戻していく。

 

「お疲れ、ルリちゃん! 今日もいっぱい出たね!!」

「大丈夫だった? 溢れちゃったりしてない?」

「へ、変な言い方すんな!! 誤解されちゃうでしょうが!!」

 

 立ち去る間際も、女子高生たちは和気藹々とお喋りに興じていた。

 先ほどルリが吹いた火についての感想などを、当たり前のように言い合っていたのであった。

 

 

 

 

 

「…………なんだったんだろう?」

「…………さあ?」

 

 そんな彼女たちの何でもない在り様に毒気を抜かれ、まなはすっかり脱力してしまった。

 あのルリと呼ばれていた少女が何者なのか。その疑問を解消することも忘れ、友人たちと共に呆然とその背中を見送っていく。

 

 

 

×

 

 

 

「ええっと……このお店でしょうか? 今回の依頼人がいるのは……」

「うむ、そのようじゃが……」

 

 ある日、ゲゲゲの鬼太郎は目玉おやじと共にとある喫茶店を訪れていた。

 妖怪ポストから届いた依頼の手紙。依頼主の呼びかけに応える形で、鬼太郎が喫茶店を訪れるというのは割とよくあるパターンだ。

 

「ええっと、手紙の送り主は……」

 

 その喫茶店は大勢の人で賑わっていた。学校帰りの中高生や大学生。仕事中なのだろうノートパソコンやタブレットに向かって静かに作業をしているビジネスマンやOLなど。

 全体的に若年層が多い傾向が見られるちょっとオシャレな喫茶店だ。そんな店内を見渡し、鬼太郎は今回の依頼主の姿を探していく。

 

「あっ! おーい!! こっちこっち!!」

「きみ、鬼太郎くんだよね?」

「本当に来てくれた……鬼太郎だ! 生鬼太郎だ!!」

 

 すると鬼太郎の存在に依頼主の方が先に気付く。テーブルに座っていた三人の女の子が、明るく手を振りながら彼の元へと駆け寄ってきたのだ。

 

「あなたたちが手紙をくれた……」

 

 鬼太郎は彼女たち——今回の依頼主である女子高生と向かい合っていく。

 

「私、神代って言うの! よろしくね鬼太郎くん!!」

「宮下です! ねぇねぇ、写真撮ってもいい?」

「あたしは三倉! わざわざ来てくれてありがとね!!」

 

 彼女たちは、ツインテールを二色に染めている派手な子が神代(かしろ)で、ポニーテールの子が宮下(みやした)、シンプルなショートヘアの子が三倉(みくら)と名乗った。

 明るい雰囲気を纏った陽気な子たちだ。多少髪型が派手な子もいるが、特にこれといっておかしいところもない。

 どこにでもいる、普通の女の子たちである。

 

「初めまして、ゲゲゲの鬼太郎です」

「鬼太郎の父親の目玉おやじじゃ。それで……今回はどういった要件かのう?」

 

 互いに自己紹介を終えて鬼太郎がテーブルに着席するや、さっそく目玉おやじが話を切り出していく。

 手紙には『友達が困っている』とあったが、彼女たちの内の誰かが妖怪に困らされているということだろうか。

 

「ああ! 目玉おやじさんだ!!」

「ほんとだ……ほんとに目玉が喋ってる!!」

「やだうそ~! 可愛い~!!」

 

 しかし、彼女たちからは特に緊迫感などが伝わってこない。

 さらには目玉おやじの存在に驚きつつ、何故だかしきりに彼を撫でたり、可愛いと連呼したり。キャピキャピと騒いでいるせいで一向に話が進まない。

 

「これ、よさんか! それよりも依頼の話を……!」

 

 これに目玉おやじ彼女たちの手を払いのけながら、早く話を進めるように叱りつける。

 

「あっ! ちょっと待っててくださいね……もう少しで来ると思いますから!」

 

 すると女の子の一人・ツインテールの神代が笑顔のままで携帯電話のメールをチェックしていた。どうやら、手紙にあった『困っている友達』とやらがまだ到着していないらしい。

 その子が来るまで話を進められないということなのか、それまでの間に目玉おやじや鬼太郎を巻き込んでしっかり記念撮影をしていく。

 

「はい! チーズ!!」

「鬼太郎くん、ちょっと笑顔が固いね……ほら! もっと笑って笑って!!」

「え……? は、はい……」

 

 勢いに流されるまま、鬼太郎は成す術もなく女子高生たちによって弄られていく。今日は猫娘が不在なため、彼女たちのような子らを強く制止してくれる人がいない。

 

「こ、これが女子高生の、JKの力……ごくり!」

 

 遠慮なしにグイグイと詰め寄ってくる彼女たちのコミュ力に、目玉おやじは人知れず戦慄していく。

 

 

 

 そうこうしている間に、ようやく待ち人がやって来る。

 

「あっ! きたきた……って、なんか揉めてない?」

「あたしちょっと呼んでくるよ!」

 

 喫茶店の入り口付近に姿を現したのは——二人の女子高生。

 友達の到着に神代が表情を明るくするのだが、その子たちがなかなか店の中に入って来ない。どうやら店に『入る』『入らない』で揉めているらしい。彼女らを呼びに三倉が席を立った。

 

「——ユカちゃん……ルリちゃんどうしたの?」

「——いや、それが……鬼太郎くんに会いたくないって……駄々こねちゃって……」

 

 三倉が声を掛けると女の子の片方・ユカと呼ばれた子が困ったように、もう片方・ルリと呼ばれている子の手を引っ張ろうとしていた。

 だがそれに抵抗しようと、ルリという子がその場に座り込んだまま動かないのだ。

 

 鬼太郎が聞き耳を立てると——。

 

「——ひぃい、いやだ~! 鬼太郎に退治される~!!」

 

 ルリという少女は鬼太郎に危害を加えられることを恐れ、涙目になりながらジタバタしているようだ。

 

「……?」

 

 別に人間に怖がられること自体はよくあることだ。そのくらいでショックを受ける鬼太郎ではないのだが、『退治される』というのはどういうことだろう。

 鬼太郎が直接的に人間を害することなど殆どないし、そもそも人間相手に退治という表現は適切でない気がする。

 

「心配ないって! ルリちゃん、何も悪いことしてないんだから!!」

「そうだよ! せっかく来てもらったんだから、せめて挨拶しなきゃ!!」

 

 そうやってルリが怯えていると、三倉やユカが落ち着くようにと声を掛けた。鬼太郎に害意はないのだから怖がる必要はないと、ルリを説得しながら彼の元までやって来る。

 

「待たせちゃってごめんね! 私、ユカって言います!!」

 

 まずはユカという少女が鬼太郎に頭を下げた。

 ふわっとしたショートヘアの女子。彼女にも他の人間たちと違った奇抜さのようなものはない。ごくごく一般的な女の子である。

 

「ほらっ! ルリも挨拶しなってば!! 失礼でしょ!」

「うぅ……あ、青木ルリです……こ、こんにちは……」

 

 そのユカという子の身体に隠れ、未だ鬼太郎に顔を見せようとしない女の子——青木(あおき)ルリ。

 友達に促されることでようやく覚悟を決めたのか、ゆっくりとその素顔を鬼太郎の前へと晒していく。

 

 

「…………ツノ?」

 

 

 その際、鬼太郎は彼女の額に生えていた『ツノ』へと真っ先に目がいった。

 刃物のように鋭い二本のツノだ。よくよく見れば、それ以外にも瞳孔が大きく縦長に開いていたり、少しだけ牙が尖っていたりと。人間らしからぬ特徴が所々に垣間見れる。

 

「うむ……鬼太郎よ」

「はい、父さん……微弱ですが、妖気も感じられます」

 

 さらに外見的な特徴だけではない。目玉おやじの問いに答えるよう、鬼太郎の妖怪アンテナにも反応があった。ほんの僅かではあるが、そのルリという少女から妖気が感じ取れると。

 

 それはつまり——彼女が妖怪に類するものであることの証明に他ならない。

 

「キミ……青木さんはもしかして、妖怪なんですか?」

 

 ルリが鬼太郎相手に怯えていた理由。彼女の身体的な特徴などを吟味し、鬼太郎は単刀直入に青木ルリが妖怪なのかと問いを投げ掛けていた。

 

「いや……私は父親がドラゴンなだけで……母親が人間だから……異種族のハーフ。この場合、半妖ってやつになるのかな?」

 

 だが、ルリは彼の問いに曖昧な答えを返す。

 鬼太郎の「妖怪か?」という予想は間違いではないが、正解でもない。ルリは自分が半妖——人間とドラゴンのハーフであることを緊張しながら明かしたのだ。

 

「ドラゴン? ドラゴン……竜……龍のことか!? キミは……龍の血を引いておるのか!?」

 

 これに目玉おやじが少し遅れて反応を示した。

 ドラゴン——即ち、『龍』の血族であるという少女を前に衝撃を隠し切れない様子だった。

 

 

 ドラゴン。

 世界的にも相当な知名度を誇る、巨大な爬虫類の怪物だ。西洋でいうところのドラゴンは蜥蜴の身体に蝙蝠の翼、鋭い鉤爪や牙を持った生物として描かれることが多い。彼らは基本的に邪悪な怪物、神の敵、退治されるべき悪魔として記されている。

 絶対的な悪の象徴、財宝を守る欲深な番人。いずれにせよ、それが強大なモンスターであることは間違いないだろう。

 

 一方で、これが東洋でいうところの『龍』になると話が変わってくる。

 東洋の龍もドラゴンと同じく巨大な力を持った幻獣だが、その有り様は『倒すべき敵』というより『信仰すべき霊獣・神獣』という側面が強くある。蛇のように長いその姿を、古代中国では皇帝のシンボルとして丁重に扱ってきた。

 さらにその姿が大陸から日本へと伝来するや、元からあった自然崇拝と結びつくことで龍は『神様』としても崇められるようになったのだ。

 

 ドラゴン、竜、龍。

 似たような意味合いでありながらも呼び方や使われる文字などで、神にも悪魔にもなり得る。何とも不思議な生物である。

 

 

「へぇ~……そうだったんだ。じゃあ、ルリちゃんは神様の子なんだね!!」

「神様~、どうかあたしたちの願いを叶えてください~!」

 

 といった目玉おやじのためになる豆知識を拝聴するや、ルリの友人たちは彼女を崇め始める。もっとも、本気で崇拝しているというよりはちょっとおふざけが入っている感じだ。

 

「ちょっ! やめてよ、神様とか……そんなん柄じゃないし……」

 

 そんな友達からのからかい混じりの賛美に、困ったようにルリは頬を掻く。彼女には自分が神様であるという自覚も、妖怪であるという自覚もないのだろう。

 実際、青木ルリが自分を龍の子供であると自覚するようになったのは——割と最近の話であった。

 

 

 ルリはある日の朝、目覚めると自分の額にツノが生えていたことに気付く。

 夜寝ている間に生えてきたのか、どうしてそんなものがいきなり生えてきたのだろうと、何気なく母親に尋ねる。

 

『——まあ、あんた半分人間じゃないしな』

 

 すると、あまりにもさらっと衝撃の事実を告げられたとのこと。最初は何の冗談かと思ったが、割とマジな話らしい。

 ルリは母親である人間と、龍である父親との間に生まれた半妖。それはずっと父親のことを何も知らなかった、母親と二人だけで暮らしてきたルリにとって、かなりぶっ飛んだ内容だった。

 

「それは……なんというか……」

 

 ルリからその話を聞かされ、鬼太郎がなんとも言えない表情で固まる。

 何の前触れもなくツノが生えてきて、自分が人間でないことを母親から告げられる。そのときの彼女の気持ちを察すれば、流石に同情せざるを得ない急展開だ。

 

「まあ……それはいいんだよ、それは……」

「あっ、いいんですか?」

 

 しかし、ルリは自分が半分龍であるという事実をあっさりと飲み込んでいた。

 自分が人間でなかったというのは確かにショックだったが、あまりに現実離れしていたせいか一周回って『そんなもんか』と開き直ることにしたという。

 幸い、学校のクラスメイトたちも突然ツノを生やしたルリ相手に割と好意的——というより、どこか面白がっていた。学校側も、母親が事前に事情を説明していたらしく、担任の先生なども割と緩い空気で受け入れてくれた。

 勿論、中にはルリのことを怖がって敬遠する生徒もいるが、今のところは表立って差別されるようなことは起きていない。

 

 問題は——龍の子供としてその性質を受け継いだことで発生する、ルリ自身の『体質』についてである。

 

「このツノもそうなんだけどさ……私、龍の体質もしっかりと受け継いじゃってるみたいなんだよね……」

「体質ですか……具体的にはどのような?」

 

 ルリが困った困ったといった感じで愚痴を溢す。

 どうやら今回鬼太郎が呼ばれたのも、その体質とやらが関係しているらしい。重要な話になるだろうと、そこからの話に真剣に耳を傾けていく。

 

 

 龍の体質その① ツノ

 これは見た目から分かるよう、『ツノ』が生えてしまうということだ。このツノは彼女自身の意思で出したり引っ込めたりすることが出来ず、常に出しっぱなしの状態で日々を過ごしていかなければならない。 

 当然、他の人間たちから奇異な視線を向けられることがあり、こうしている今も喫茶店内の客からチラチラと視線を感じる。

 あと普通に物騒。人が刺し殺せそうなほどに鋭く尖っているため、単純に危ないということもある。

 

 龍の体質その② 火を吐く

 ドラゴンでいうところの『ブレス』とでもいうのか、ルリは口から火を吐くことが出来る。一番最初、クシャミと共に吐き出されたその炎はルリの手にしていた教科書を消し炭にし、前の席に座っていた男子の後頭部をちょっぴり焼いた。

 突然のことでルリ自身の身体もびっくりしてしまったのか、炎の熱で喉を火傷してしまい、大量に出血するなど結構な重傷を負ってしまう。

 その後、火の吐き方については練習したおかげで何とかコントロール出来るようになった。喉の方も、人間から龍のものへと適合したのか。怪我もすぐに治癒し、火傷するようなこともなくなった。

 

 ツノと火を吐く。

 とりあえず、この二つの体質に関してはある程度は自力で解決出来たし、何とかなっているとのことだ。

 

 龍の体質その③ 放電

 それこそ目下のところルリを悩ませている、新たに目覚めた龍の特性とのことだ。

 

 

「放電……? そんなことまで出来るんですか?」

 

 鬼太郎はルリが火を吐き、電撃まで身に纏えることに率直に驚いていた。多彩な能力を持った鬼太郎の言えたことではないが、そこまで多岐に渡る能力を持つもの、純粋な妖怪でも珍しいだろう。

 流石は『龍』の血を引くものだと感心するところなのか。この調子だと他にも様々な体質を引き継いでいそうだ。

 

 だが、今のところ発現したのは以上の三つであり、その放電体質をコントロールするのが当面の目標とのことだ。

 

「この間なんか、いきなり教室で発現しちゃってさ……あのときは大変だったよ!」

 

 ルリの放電体質が初めて発言したのは——梅雨の日、学校で授業を受けていた真っ只中だという。

 いきなり身体から電撃を発し、周囲のクラスメイトたちをビリビリっと痺れさせてしまったのだ。

 

「ほんとにね~、びっくりしたよ!!」

「吉岡なんて、頭アフロになっちゃってたし! ほんとにああなるんだね……コントみたいだった!!」

 

 宮下や神代といった面々も笑いながら語る。

 幸い電圧そのものがそこまで高くなく、深刻な被害にはならなかったようだ。放電による一番の被害者は、きっと前の座席にいた男子の吉岡(よしおか)くんだろう。電撃を浴びた彼の髪がチリチリのアフロヘアーになってしまったとか何とか。 

 

「火を吐くときみたいな感じでコントロール出来るようになりたいんだけど……これがなかなか上手くいかなくてさ~」

 

 そうして発現してしまった放電体質に対し、ルリはさっそく練習してその能力を制御しようとした。

 

「あれっきり、出そうと思っても出なくてどうすればいいか分かんないんだよ……」

 

 しかし自分の意思で電撃を出そうとしても全く出ず、どうしていいか分からず八方塞がりだというのだ。

 

「? 出ないなら出ないで……それに越したことはないのでは?」

 

 その話に鬼太郎が疑問を浮かべた。

 放電が出来なくなったというのであれば、それで良かったのではと。無理をしてまで電撃を出せるようにならなくても、いいのではないとかと首を傾げる。

 

「いや……一度発現した以上、いつまた暴発するかも分からん。ある程度は、自分で制御できるようになった方が賢明じゃろう」

 

 だが、目玉おやじはそうは思わなかったようだ。一度放電体質に目覚めた以上、またいつ電撃を発するようになるか分かったものではないと懸念を口にする。

 事実、ルリの母親も『一度出た以上、確実に遺伝している』と、その能力を制御できるようになった方がいいと言っているらしい。

 火を吐くときも何とか練習して、コントロール出来るようになったのだから、放電も自分の意思で出せるようになった方がいいというのが、ルリたちの方針ということだろう。

 

 

 

「なるほど……あの、それでどうしてボクが?」

 

 そこまでの話を聞き、鬼太郎はルリが『自分の能力の制御に苦戦している』ということは理解できた。しかし肝心の自分が呼ばれた理由、ここにゲゲゲの鬼太郎がいる意味を察せないでいる。

 

「あっ! 鬼太郎くんに手紙を出そうってのは私の考えだよ!」

 

 すると、ここで二色ツインテールの神代が手を挙げた。鬼太郎の力を借りようというのは彼女の発案らしい。

 神代はスマホを操作しながら、何でもない口調で自身の考えを口にしていく。

 

「だって鬼太郎くん、電撃出せるんでしょ?」

「……?」

「ええっと……ほら、この動画!!」

 

 そう言いながら彼女が差し出したスマホには、とある映像が映し出されていた。

 

『——体内電気!!』

『——お、おのれぇええ、鬼太郎!! ぐわあああああ!?』

 

 その動画では、ゲゲゲの鬼太郎がとっても悪そうな妖怪相手に『体内電気』を食らわせていた瞬間がばっちり映っていたのだ。

 一般の通行人が鬼太郎の戦いをたまたま目撃し、その映像をネットに流したということだろう。

 

「これは、いつの間に……」

「うむ……なかなかよく撮れておるのう」

 

 自分の知らないところで、自身の映像が衆目に晒されることに鬼太郎は「やはり……ネットは恐ろしい」と現代社会のハイテクぶりに改めて戦慄。

 対照的に、目玉おやじは息子の活躍を鮮明な映像で見られてほっこりしている。

 

「この動画見て、閃いたんだよね……そうだ! 鬼太郎くんに……指導して貰えばいいんじゃないかって!!」

 

 その動画を見つけてきた神代曰く。

 ゲゲゲの鬼太郎に、ルリの放電体質を『指導』してもらおうという考えに思い立ったとのことだ。

 

 つまり——。

 

 

「鬼太郎くんの体内電気を……ルリちゃんに伝授して欲しいんだよ!!」

「…………え?」

 

 

 それこそが今回鬼太郎が呼ばれた理由、彼への依頼内容ということになるのだろう。

 

 




人物紹介

 青木ルリ
  ルリドラゴンの主人公。
  ある日ツノが生えて、自分が「なんか人間じゃないらしい」ことを雑に伝えられた悲しきヒロイン?
  半龍であること以外は普通の女子高生。少し内気なところはあるが、慣れれば割とフランク。
  本名は漢字で『瑠璃』らしいですが、作中では必ず『ルリ』と明記されるとのこと。

 ユカ
  ルリの親友ポジ。本名は萩原裕香。
  ルリ自体が話し上手ではないらしく、彼女がいないと作中での会話がほとんど生まれなかったとのこと。

 神代
  陽キャな二色ツインテール女子。
  その派手な髪色からルリに頭が悪いと思われていたらしいが、勉強はかなり出来る方。
  面倒見が良く、気遣いが出来、笑顔が眩しい。控えめにいって天使か?
  
 吉岡
  クラスメイトの男子。
  ルリに後頭部を焼かれたがそれを気にしないと、割と器が大きい。
 
 宮下
  ルリと写メを撮る子、ポニーテール。

 三倉
  一人称があたし。ルリの放電で髪がすっごいことになってた。





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ルリドラゴン 其の②

唐突に始まってしまったfgoのboxイベント『風雲からくりイリヤ城〜果心居士のささやかな野望』。
奏章『オーディールコール』まで虚無期間と思っていただけに、この時期でのイベントは素直に嬉しい。やはりイベント期間は二週間でもいいので、復刻なども含めて頻繁にやって欲しい気がする。

とりあえず、200箱開けたところでQPがカンストしそうなので少しペースを落とし始めて……小説の方に注力し、短いながらも書き上げました。
『ルリドラゴン』の其の②、これといった劇的な物語になるわけではありませんが、ゲゲゲの鬼太郎の気になった部分に対してもそれとなくメスを入れていく感じで話が進んでいきます。

まったりとしたお話をどうかお楽しみください。


「それじゃあ、まずは手本を見せますね……」

 

 喫茶店で今回の依頼主である女子高生たちから事情を聞かされた、その数十分後。鬼太郎は彼女たちを伴い、人気の少ない河川敷へと場所を移していた。

 周囲に人がいないことを確認し、女子高生たちとも距離を置いて一呼吸。鬼太郎は自らの能力——その技の名を叫んでいく。

 

 

「——体内電気っ!!」

 

 

 体内電気。

 その名のとおり、体内から電気を発する能力。基本的には電撃を帯びたまま、相手に接触することでダメージを与える技だが、纏った電気は放射することで飛び道具としても使用できる。

 鬼太郎の数ある技の中でも、特に威力が高い大技の一つである。

 零距離で放てば、巨大な妖怪の肉体すら消滅させるほどの一撃となる。仮に人間がその電撃を浴びようものなら、瞬く間に感電して黒焦げになってしまうことだろう。

 

「おおっ!?」

「すっごい~! ほんとに放電してる!」

「あっ、やばっ……写真撮り損ねた」

「ゴロゴロピッカー!! 雷みたい、眩しい!!」

 

 だが、そんな物騒な大技を目の当たりにしながらも、女子高生たち・ユカ、神代、宮下、三倉の四人は浮かれた様子で拍手喝采を送る。ピカピカと光る鬼太郎の体内電気を大道芸とでも思っているのか、呑気に記念撮影など。

 河川敷にブルーシートまで敷き、さながらピクニック気分で鬼太郎と、彼から指導を受ける立場である——ツノを生やした女子高生・青木ルリのことを温かい目で見守っていく。

 

「……とりあえず、やってみましょうか」

「う、うっす! よ、よろしくお願いします……鬼太郎先生!」

 

 その空気にやりにくいものを感じながらも、とりあえず鬼太郎はルリに声を掛けていく。自分が手本を見せた体内電気、それと同じことを彼女にもやって見せてくれと指示したのだ。

 

「う……うぅうううう……!?」

 

 まずは自分なりのやり方で、ルリは全身に力を込めて身体から電気を発しようと頑張ってみる。

 

「ん……んんんんんんん!!」

 

 顔を真っ赤になるまで力み、なんとか体内から電気を絞り出そうと踏ん張ってみた。

 

「はぁはぁっ!! だ、だめだ……やっぱり出ない!!」

 

 しかし、それで出るようなら元から苦労などしていない。やはりというか、ただ力を込めるだけでは電気を発することなど出来ないようだ。

 

「さて、どうしたもんかのう……」

 

 これに付き添いの目玉おやじも一緒に頭を悩ませる。

 ここからどのような指導方法でルリに体内電気——いや、彼女自身の『放電体質』をコントロールさせる術を身に着けさせるべきか。

 

 

 

 実際のところ、鬼太郎の体内電気とルリの龍の体質その③『放電』が同じような仕組みなのか現時点では不明だ。

 鬼太郎の体内電気は、体内の『発電袋』で妖気を電力に変換し、それを発電する仕組みとなっている。そのメカニズムは電気ナマズなどと似たような原理でもあるというが、ルリがそれと同じとは限らない。

 そもそも、彼女はどこから電気を発しているのか。龍の体質の仕組みがどのようになっているかが分かれば、まだやりようもあっただろう。

 

「いや……仕組みとか、そんなこと私に聞かれても……」

 

 当然のことながら、その辺のメカニズムはルリ自身にも不明瞭。少し前まで、彼女には自分が龍の血族だという自覚もなかったのだから無理もないことだ。

 

「そうですね……あとは感覚的にやっていくしかないでしょうけど……」

 

 その辺の仕組みが分からないなら、あとはふわっとしたイメージでやるしかないと鬼太郎が何とも曖昧なアドバイスを送る。

 

 そもそも鬼太郎自身も、普段から自分の体内の仕組みなど意識しているわけではない。体内電気もそうだが、他の技も鬼太郎は『身に染みた技術』として、いつの間にか行使できるようになっていた。

 理屈ではない。こういうのは『慣れ』だ。一度感覚やコツを掴んでしまえばあとはどうとでもなるというのが、鬼太郎の考えである。

 

「身も蓋もないな……けど、その通りかもね~……」

 

 安直な結論に気の抜けた息を吐きながらも、ルリもその通りだと頷く。

 実際、ルリの龍の体質その②『火を吐ける』理屈も、分かってやっているわけではない。色々と練習したことで、火を吐けるタイミングがある程度コントロールできるようになったというだけだ。

 

 ちなみにルリの場合、火が吐く直前は顔が熱くなったり、クシャミと一緒に出たりすることが多い。

 逆にそういった前兆がない限り、どうやっても火を吐くことなど出来ないと、結構アバウトなものだった。

 

「とりあえず、やってみよっかな……」

 

 やはり理屈が分かっているわけではないのだが、それでも練習の甲斐もあり、火を吐くことに関してはどうにかなった。

 いずれは放電も同じように、きっかけ次第でなんとかなるだろうと。

 

 鬼太郎という監督役がいることもあってか、ルリは割と気楽に構えながらとりあえず色々と試していく。

 

 

 

 

 

「——全然出ないわ~! もう無理、普通にめげそう……」

 

 しかし、そんな安直なルリの考えを戒めるかのよう、放電に関しては全く進捗が見られなかった。結構な時間頑張ってみたものの、彼女の身体からは静電気の一つも起こる気配がないのだ。

 確かに一度は発現した能力なのだから、放電もルリの体質としてしっかり受け継がれていい筈なのだが。

 

「む、難しいですね……人に教えるのは……」

「う~む……もっとこう、全身から力を絞り出すようにじゃな……」

 

 鬼太郎だけではなく、目玉おやじも。自分たちの能力の使い方などを参考にアドバイスを送ろうとするのだが、中々上手く言葉が出てこない。

 目玉おやじなど、本来の肉体——幽霊族の青年としての身体を持っていた頃は、鬼太郎と同じように体内電気などの技を自由自在に使えていた。

 その頃の感覚を記憶から引っ張り出してくるのだが、やはり人に教えるとなると勝手が違うようだ。

 

 鬼太郎にとっても、人に能力の指導をするなど初めての経験だ。上手くいかなくて当然、ここからどうしたものかと思案を巡らす。

 

「……あっ、ねぇねぇ! ちょっと思ったんだけどさ!!」

「神代さん? どうかしたの?」

 

 すると、ここでルリたちを見守っていた友人の一人、二色ツインテールの神代が助け船を出すように声を掛けてきた。

 彼女は良いアイディアが閃いたとばかりに、素敵な笑顔を浮かべている。その嬉しそうな表情に、他の友人たちも何事かと耳を傾けていく。

 

 皆の視線が集まる中、神代は何気なく浮かんだその考えを口にしていた。

 

 

「ルリちゃんも、鬼太郎くんみたいに……技名を叫んでみたらいいんじゃないのかな?」

「…………えっ? ……どゆこと?」

 

 

 しかしその提案を、最初は意味が分からんとルリが聞き返す。

 

「いや、だってほら……鬼太郎くんって、技を繰り出すときに叫んでるじゃない?」

 

 神代は自身のスマホを取り出し、とある動画を見せてくる。

 

 それは彼女たちが鬼太郎に手紙を送るきっかけにもなった動画だ。鬼太郎がとっても悪そうな妖怪相手に『体内電気を浴びせている映像』である。

 動画内では確かに鬼太郎が『体内電気っ!!』と声に出して叫んでいた。

 

「言われてみれば、確かに……」

「ほんとだ……鬼太郎くん、だいたい技名叫んでるね……」

 

 するとユカや宮下、三倉といった面々も自分のスマホからサイトを開き、鬼太郎が映っている動画を検索し始める。

 妖怪絡みの事件が増える度、鬼太郎が人間の助けに応える形で戦いの場に赴く機会が多くなるのだ。彼が妖怪相手に戦っている映像など、検索を掛ければすぐにでも出てくる。

 

「……えっ? こんなに……ボクの動画が……」

「……これは流石に……大丈夫か、鬼太郎?」

 

 自分の動画がネット内に溢れていることに、鬼太郎は恐ろしさを通り越して呆気に取られている。

 息子の活躍を映像で見られて最初は喜んでいた目玉おやじだが、流石の動画数に鬼太郎の心中を心配する。

 

 これは普通に肖像権の侵害なのではと、人間であればプライバシー保護を考えて削除申請をするところだろう。

 実際、その手の動画は後日——ネットに詳しい砂かけババアの手により、全て削除されることになるわけだが。

 

 

『——髪の毛針!!』

 

『——リモコン下駄!!』

 

『——指鉄砲!!』

 

 

 今はそれらの動画内容に触れるべきだろう。その動画内、全てで鬼太郎がそれぞれの技名を力一杯に叫んでいる。

 

「これって、なんでわざわざ叫んでるの? 別に叫ばなくても……技は出せるんだよね?」

「いやいや! やっぱり技名叫んだほうがかっこいいんじゃない!? ほら、男の子って……そういうところあるって言うし……」

「そっか、そっか。鬼太郎くんも、年頃の男の子なんだね~!」

 

 ユカたちはその動画を視聴した上で、鬼太郎が技名を叫んでいることへの疑問を口にしていた。

 

 普通に考えれば、その行為にはあまり意味がないように思える。

 敵にこれから繰り出す技を教えているようなものだ。下手をすれば相手側にこちらの動きを察知され、手痛い反撃を食らうかもしれないというのに。

 

「いや、なんでと言われても…………その場の勢いとしか言いようが……」

 

 改めて問われてことで、鬼太郎も冷静に考え直す。

 指摘されるまでほとんど意識していなかったが、確かに戦闘中、鬼太郎は技名を叫んでいることが多い。勿論、必ず叫ぶと言うわけではない。状況によっては技名を言う暇すらないときだってある。

 

「う~ん……けど、叫んでいるときの方が、心なしか技の威力が上がっているようにも感じますね……」

 

 それでも、わざわざ叫ぶ利点を上げるのなら——その方が『身体に力が入る』からかもしれない。

 技名を口にしているときの方が、気合が入って技の威力も上がるような気がすると。決して『カッコいいから』などという理由ではないのだ。

 

「うんうん、だからさ!! ルリちゃんも鬼太郎くんみたいに叫べば、その勢いで電気とかが出るようになるんじゃないかと思うんだよ!!」

 

 そんな鬼太郎の考え方に、神代が理解を示す。

 つまるところ、彼女が言いたかったのはそういうことだ。鬼太郎のやり方を見習い、ルリも技名を叫べば気合が入るのではないかと。

 

 ルリが必殺技を——『体内電気』を繰り出せるようになるのではと考えたのだ。

 

「え……? 叫ぶの……私が?」

 

 この提案にルリは目を白黒させ、次の瞬間にも顔を真っ赤に染めてしまう。

 自分が『体内電気!!』と叫ぶ光景を頭の中に思い浮かべ——それが思いの外、恥ずかしいことだと感じたのだろう。

 

「なるほど……そう言うことなら、試してみる価値はあるんじゃないの!?」

「ルリちゃん、頑張って!!」

 

 しかし、神代の考えにユカたちも乗っかっていく。

 本当にそれで放電が発せられる可能性を考慮し、とりあえず安全圏にて待機。ルリが必殺技を叫ぶ決定的瞬間を撮影しようと、それぞれがスマホを構える。

 ワクワクと期待に胸を膨らませ、まるで幼子のようなキラキラとした眼差しをルリへと向けていく。

 

「うっ……」

 

 そんな好奇心に満ちた友達の視線に、ルリの動きがなんともぎこちないものになっていく。しかし、ここでもたついていてもしょうがないと観念したのか。

 やがては意を決し、身体に力を込めながら鬼太郎のように技名を叫んでいった——。

 

 

「——た……体内電気~…………」

 

 

 けれど、やっぱり羞恥心を捨てきれなかったのか。声高々に叫ぶことが出来ず、恥ずかしそうに声を震わせるに留まってしまう。

 

「ちょっと、ルリちゃん! 恥ずかしがったらダメだって!!」

「そんな弱々しい響きじゃ、成功するものも成功しないよ!?」

 

 その弱々しい震え声に、三倉や宮下が容赦なくダメ出ししていく。

 現に今の瞬間、ルリの身体からは一切の電気が発生しなかった。やるならやるで、しっかりと腹の底から声を出さなければ意味がないのだろう。

 

「いやいや、無理だって!! これ想像以上に恥ずかしいからねっ!?」

「う~ん……体内電気って響きが、しっくりこないんじゃない?」

 

 だが、ルリは技名を叫ぶことが存外に恥ずかしいことだと主張する。

 一方で、ユカなどはそもそも『体内電気』という名前の響きに問題があるのではと、さりげなく幽霊族のネーミングセンスに文句を付けていく。

 

「えっ? じゃあ、英語でカッコよく……サンダー? スパーク?」

「ちょっとシンプル過ぎない? もっとこう……なんか捻った方が……」

「ええっと……じゃあ、なんとかサンダー……みたいな?」

 

 そして何故か体内電気に変わる必殺技の名を、あーでもないこーでもないと皆で話し合っていく。

 

「う~ん……あっ!!」

 

 そうしていると、ここでまたも名案が閃いたとばかりに神代が手を叩く。

 

「十万ボルトは!?」

「ちょっ!? それはヤバいって……!!」

「ルリちゃん!! 十万ボルトよ!!」

「あたしは◯◯モンかっ!? ◯◯チュウか!?」

 

 何気にやばい技名を思い付いた神代が、それを繰り出すようにルリに指示まで出していく。

 もっとも恥ずかしさ以上に、その技を使用してはいけないという、謎のプレッシャーからルリはここでも十万ボルト……もとい、放電を発することが出来なかった。

 

「もう、ルリちゃんってば……鬼太郎くん!」

「は、はい!?」

 

 すると、業を煮やした神代が鬼太郎へと声を掛ける。

 それまですっかり蚊帳の外であったために油断していた鬼太郎が、いきなり話を振られてことでビクッと肩を震わせる。

 

「もう一回、手本を見せてあげて! 恥ずかしがり屋なルリちゃんに、技名をカッコよく叫ぶことの意味を教えてあげるの!!」

「え……ええ、分かりました……」

 

 もう一度、技名を叫ぶ姿を堂々と見せて欲しいというのが神代の頼みだった。

 そのくらいのことは鬼太郎にとっていつものことであり、今更その提案を拒む理由などない。ない筈なのだが——。

 

「ワクワク……」

「ドキドキ……」

「ゴクリ……」

 

 冒頭とは違い、皆の視線が好奇心と期待感で漲っている。鬼太郎が必殺技を繰り出す瞬間を、ルリを含めた女子高生一同が今か今かと待ち侘びているのだ。

 そんな彼女たちの視線に晒されながらも、鬼太郎は技名を力一杯に叫ぼうとした。

 

 

「——た、体内……電気……」

 

 

 しかし何故か鬼太郎までもが、緊張と恥ずかしさから弱々しく声を震わせてしまう。そのせいで電気の方も、僅かに身体から漏電するだけ。最低限の出力でしか放出されなかった。

 

「鬼太郎!? お前まで恥ずかしがってどうする!?」

「いや……ですけど、父さん……」

 

 息子の体内電気失敗に目玉おやじのツッコミが入るが、鬼太郎にも言い分があった。

 

「……わざわざ技名を叫ぶのって……なんか恥ずかしいですね……」

 

 鬼太郎は、ここにきて気付いた。

 いつもは全く気にしない、気にかけている余裕がないのに、いざ「やって!」と言われたことで変に意識してしまい、悟ってしまったのだ。

 

 技名を声高々に叫ぶことが、結構恥ずかしいことだということに。

 

 

 

×

 

 

 

「はい、ルリちゃん! これで喉でも潤しなよ!」

「あ、ありがとう……神代さん」

「ほら、鬼太郎くんも……目玉おやじさんも、どうぞ!」

「あっ、どうも……」

「うむ、いただこうかのう……」

 

 それから特に進展もなく時間だけが流れ、流石に一旦休憩しようとルリや鬼太郎たちも河川敷のブルーシートに腰を下ろしていた。

 自分たちの隣に座る彼らに、神代がおしゃれな魔法瓶からお茶を紙コップへと注いで渡していく。

 

「相変わらず、何も起きなかったね……」

「不思議だね……何か条件でもあるのかな?」

 

 その間、ルリが放電出来ないでいることに関し、宮下や三倉が話し合っていく。

 友人である彼女たちにとっても、ルリの龍の体質は他人事ではない。今後ともルリとの付き合いを続けていくためにも最低限、彼女が放電するのに必要な条件、仕組みなどをきちんと把握しておく必要があるのだが。

 

「……そういえば、疑問に思ったんですけど……」

 

 すると、ここでユカが鬼太郎たちへ何気なく質問を投げ掛けていた。

 

「目玉おやじさんって……いつも鬼太郎くんの頭のところにいるんですよね?」

「うん? ああ、だいたいはそうじゃが……」

「それって……戦ってるときとかも、そうなんですか?」

 

 ユカが気になったのは、目玉おやじのポジション——立ち位置である。

 こうしている今も、目玉おやじは鬼太郎の頭の上からユカたちと会話をしている。戦闘中など、激しく身体が揺さぶられるときもそうなのかと、何故かそのように質問をしてくる。

 

「勿論そうじゃ! わしはいつだって鬼太郎と一緒じゃ! 親子だからのう!!」

「父さん……ええ、そうですね」

 

 その問いに目玉おやじは自信満々に答え、父親の言葉に鬼太郎も嬉しそうに口元に笑みを浮かべる。

 鬼太郎たち親子にとってはそれが当たり前。特に別行動をする必要がない場合はいつも一緒だと、彼らはその事実を誇らしげに語る。

 

「けど、それだと目玉おやじさんも、体内電気で一緒に痺れちゃいますけど……それは大丈夫なんですか?」

「えっ……?」

 

 しかし、ユカが気になったのは——目玉おやじが鬼太郎と一緒にいることで『体内電気のダメージを受けてしまわないか』ということであった。 

 身体から電気を発し、それで妖怪を攻撃するのだから、当然鬼太郎と一緒にいる目玉おやじにも電撃が伝わっている筈だが。

 

「それは……そうなんですか、父さん?」

 

 これに驚いたのは意外にも鬼太郎だった。

 彼は自分の技が父親を傷付けているかもしれないという可能性に、今更ながらに負い目を感じたように表情を伏せる。

 

「いやいや! そんなことはないぞ、鬼太郎よ!!」

 

 だが息子の不安を払拭するよう、目玉おやじは慌てて首を振った。

 

「お前が体内電気を使用している間は、わしもその電圧と同調するよう、僅かに身体から電気を発するようにしとるからな!!」

 

 目玉おやじ曰く、鬼太郎が体内電気を使用している間は彼自身も僅かに発電し、鬼太郎の放電と共振するようにしているとかなんとか。

 

「それで反動を最小限に済ましておるから……何も心配はせんでいいぞ!」

「あっ、やっぱり……ちょっとは痺れてるんですね……」

 

 しかし、父親がそうやって工夫していることに驚きつつ、あくまで反動を抑えているだけであって全くのノーダメージではないと、鬼太郎の顔色はまだ暗い。

 

「何を言う……! お前だって、体内電気を使う反動がないわけではないじゃろう!?」

 

 だが息子に余計な心配をさせまいと、さらに目玉おやじは続ける。

 そもそも、体内電気という技自体が自爆技に近いものがある。電気を発している間は、鬼太郎にも少なからずダメージが返ってくることを目玉おやじは知っていた。

 

「息子が戦って傷ついておるのに、父親のわしが何も背負わないわけにもいかんじゃろう? お前が気にすることではないぞ……」

「父さん……」

 

 だからこれでいいのだと。息子が傷つくなら父親の自分もその痛みを一緒に受けるべきだと、当然のように胸を張る。

 そんな父親の思いに触れ、鬼太郎も救われる気持ちでその表情を明るくしていく。

 

「仲が良いんだね……鬼太郎くんと目玉おやじさん……」

 

 そんな親子のやりとりを、神代は微笑ましいものを見るように眺める。

 すると二人の親子関係から『あること』を思い出し——皆の意見を聞こうと彼女は徐に口を開いた。

 

 

 

「——そういえば……みんなは『父の日』とかどうしてる?」

 

 

 

「えっ……父の日?」

 

 そのワードに対し、青木ルリは目を丸くする。

 ずっと龍である父親の存在を知らなかった、母親と二人暮らしであったルリにとって、それはあまり馴染みがない行事だろう。

 

「そっ! もうすぐ父の日じゃない? みんなは……どんなものを贈ってるんだろうと思ってね?」

 

 しかし、父親がいる家庭というものが少なくないわけがなく。毎年のように訪れる六月の第三日曜日。その日にどのような贈り物をするか、頭を悩ませている子供たちが世界には一定数存在している。

 神代を含めて皆が女子高生という複雑な年頃の少女だが、年に一回くらいはしっかりと父親に感謝を伝えるべきなのかもしれない。

 

「うちは無難にネクタイかな? 毎年、違うデザインのものを選ぶのが大変だけど……あげないとお父さん、落ち込んじゃうから……」

 

 ユカは普通にネクタイ。まさに父の日と聞き、真っ先に思い付くアイテムだ。

 しかし、昨今はクールビズの影響でネクタイ自体の売り上げも落ちているという。これからドンドン暑くなる時期ということもあり、あまり適切な贈り物とは言えなくなってしまっているかもしれない。

 それでも、ユカの父親は娘からの贈り物を毎年のように楽しみにしているとのことだ。

 

「私はお酒! 今度、お母さんと一緒に銘柄を選ぶんだ!」

 

 三倉はお酒とのこと。

 未成年であるが故、一人では買えないものを母親と一緒に買いに出かける。父親への贈り物を身近な人と一緒に悩んで選ぶ、その行為自体を楽しんでいるといった感じだ。

 

「わたしの家、お父さんは単身赴任だから。一応、毎年お母さんが何か贈ってるみたいだけど……よく分からん」

 

 宮下は父親が単身赴任で、家を留守にしていることがほとんど。

 そのため宮下自身は何もしていないというが、母親である妻は離れて暮らす夫に毎年のようにギフト品を贈っているとのこと。その話を聞くに夫婦仲は至って良好のようだ。

 

「ち、父の日ですか…………父さんは、何か欲しいものがあったりします?」

 

 女子高生たちの会話に聞き耳を立て、鬼太郎が慌てたように目玉おやじの様子を伺う。

 人間たちの行事に振り回されるような彼ではないが、流石に『父親に感謝を伝える日』と聞いては黙ってもいられない。

 自分に出来る恩返しとして何か良い贈り物はないかと、彼なりに必死に思案を巡らせているようだ。

 

「ふっふ……そう畏まることはないぞ、鬼太郎。子供が元気に育ってくれるなら、それに勝る贈り物はないんじゃからな!」

 

 しかし、改めて何かを贈る必要はないと。目玉おやじは鬼太郎の気持ちだけをありがたく受け取っていく。父の日に特別何かしてもらわなくとも、いつも鬼太郎には良くしてもらっているのだ。

 

 確かな絆を育んでいる鬼太郎親子にとって。わざわざ特別なことをする必要はないということだろう。

 

 

 

「…………」

 

 そうやって、皆が和気藹々と話す中、ルリ一人だけがその輪に入ることが出来ないでいた。

 

「ルリちゃんは? 今年はどうするの?」

 

 勿論、そんなルリ一人を仲間外れにするなんてことはない。神代は寧ろそれが聞きたかったとばかりに、ルリに『今年』の父の日をどうするのかと尋ねる。

 

「ルリちゃんの父親が龍……ドラゴンだってことは分かってるよ? けど、ドラゴンでもお父さんはお父さんなんだから……何か、プレゼントを贈ってもいいんじゃないかな?」

「そういえば……ルリって、まだお父さんには会ってないんだっけ?」

「この機会に会いに行ってあげたら!? きっとそれが一番の贈り物になるよ!!」

 

 青木ルリは、自分の父親である『龍』とは未だに顔を合わせていないという。

 どうして会いに行かないのか。疑問に思ったクラスメイトもいたが、本人としても複雑な心境があるのだろうと、ルリの気持ちを考えて深くは突っ込まないでいた。

 

 しかしこの機会、父の日だからこそ。お父さんであるドラゴンに会いに行ってあげたらどうかと、神代やユカたちが一歩踏み込んだところまで話をしていく。

 そんな友人たちの言葉に、ルリは真摯に耳を傾けつつも——。

 

 

「まだいいよ……どんな人……いや、どんな龍かも分からないし……」

 

 

 キッパリと断る。

 現時点では、父親と顔を合わせる気がないことをはっきりと明言していく。

 

「…………」

「…………」

「…………」

「そっか……」

 

 ルリの断言するような言葉に、神代たちもそれ以上は何も言わなかった。

 彼女がそのように決めたのなら、部外者である自分たちがそれ以上首を突っ込むべきではないと、引き際は弁えているようだ。

 

「けど、プレゼントくらいは贈ったほうがいいかもね!!」

 

 しかし、せっかくの機会であることに変わりはない。贈り物くらいはするべきではと、今度は『龍のお父さんへのプレゼント』という方向性で話が盛り上がっていく女子高生たち。

 

「龍のお父さんに贈り物か……どんなもので喜ぶんだろう?」

「ネクタイ……は付けないか。お酒? ドラゴンって、お酒飲めるの?」

「う~ん、お酒よりは食べ物の方がいいかも……豚の丸焼きとか?」

 

 もっとも素朴な疑問として、龍という怪物相手に何を上げればいいのかと首を傾げる一同。

 人間の間で流行っている定番アイテムなどはダメだろう。もっと即物的な食べ物、飲み物とかの方が喜ばれるのではと、割と真面目に考えていく。

 

 そんな中、驚きのアイディアが飛び出す。

 

「……生贄とか?」

「物騒!!」

 

 無論、冗談混じりではあるが、そのような提案にルリが汗だくに叫ぶ。しかし、相手が『龍』ともなればそのくらいは普通にありそうだ。

 

 龍という存在は昔から、神様の一種して崇められてきた。

 そして古来では、神であるものに供物として人間を捧げる——『人身御供』などといった風習が確かに存在していた。

 今では悪習とされるそれらを、昔は当たり前のように行い、それが神へ感謝を示す『最上級の奉仕』だと理解されていたのだ。

 

「生贄か……やっぱり、若い女の子とかが喜ばれるのかな?」

「そりゃ、おじさんとか捧げるよりは……若くて綺麗な子とかの方がいいんじゃない?」

 

 そして誠に勝手ながら、その生贄となる人物像が神代たちの間では『若くて麗しい娘』というイメージで固定される。

 まるで脳裏に浮かぶようだ、巨大なドラゴンが若い娘を捧げられて喜ぶ様が——。

 

『——ぐへへっ! 美味そうな若い娘だぁあ……』

『——きゃああ!!』

 

 などと、嫌がる娘に涎を垂らしながら言い寄る、恐ろしいドラゴンの姿が——。

 

「とんでもない邪竜だな!! 私の父親!?」

 

 それは女子高生たちの勝手な妄想なのだが、実の父親のあったかもしれない姿にルリがドン引きする。

 

「ダメ!! 生贄はNG!! あげるにしても……もっとちゃんとしたものじゃないと……」

 

 そういうわけで、当然のことながら生贄を捧げるという案は却下された。

 父の日に『何か』をあげるという考えこそ否定する理由はないが、流石に生贄はダメだろうと人としての倫理観が激しく訴えかける。

 

「あとは……ルリちゃんのお母さんにでも、聞いてみるしかないかもね」

 

 龍へのプレゼント。女子高生たちの想像力ではそれを考えるのにも限界があると、ここで神代が大人の知恵——ルリの母親の意見を聞くべきじゃないかと溢す。

 

 一応は奥さんなのだから、彼女に聞くのが一番手っ取り早い。

 離れて暮らす、それも龍である夫の好みを果たしてどこまで把握しているかは別問題だが。

 

 

 

 

 

「母親……そうか! ルリちゃんは今……人間のお母さんと暮らしておるんじゃったな……」

 

 ふと、その会話で目玉おやじが今更ながらに——ルリにも母親がいるという事実を思い出す。

 母親——龍の父と出会い、ルリを授かった人間の女性だ。果たしてそれがいかなる人物なのか。

 

「ルリちゃん……もしよかったら、わしらをキミのお母さんに合わせてくれんか? 色々と聞きたいこと……話しておかなければならないこともあるからのう……」

 

 興味本位でもあるが、ルリの今後を話し合う意味でも会っておいて損はないと。

 

 

 目玉おやじが青木ルリに、母親との面会を希望していた。

 

 

 




お話を読んでいただけたのであれば分かると思いますが、今回のテーマは『父親』です。
人間ではない父相手にどのように接していこうかという、ルリの思いを原作の雰囲気を考えながら書いてみようと思います。

次回で完結予定。
次のクロスオーバーは……西洋系を主軸にしようと思っています。ドイツの古城で鬼太郎たちを待ち受けるものが……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ルリドラゴン 其の③

fgoの奏章、開幕直前キャンペーンの配布が……なんかエゲつないことになっとる。
クラススコア実装に伴って追加されたミッションの影響で、プレゼントボックスがすごい勢いで埋まってしまった……。
何とか整理しましたけど、流石にフォウくんカード★3とか、行き場がなくなって、もう売却するしかなかったわ……。

だが今回大量配布されたリソースのおかげで、我がカルデアのレベル120の『太歳星君』がほぼ完璧で究極のサーヴァントになった!
残りのリソースは……いずれ実装されるかもしれない勇者王『カマソッソ』のために取っておきます!!


さて、今回で『ルリドラゴン』のクロスは完結となります。
改めて記しておきますが、今作のクロスオーバーはあくまで本作だけのオリジナル展開です。
原作の続きを意識した書き方ですが、原作には原作の正式な続きがある筈です。

ルリドラゴンの本編再開……心からお待ちしております。



「ただいま~、ちょっと遅くなったわ……」

「おかえり、ルリ~」

 

 夜遅く、青木ルリが自宅マンションへと帰宅する。

 家ではルリの『母親』が彼女の帰りを一人で待ってくれていた。娘が帰ってくるまではノートパソコンで仕事をしていたようだが、ルリの帰宅の声を聞くや、すぐにでもパソコンを閉じて娘と向き合っていく。

 

 その女性の名は——青木(あおき)(うみ)

 パッとした見た目は、どこにでもいる母親といった感じだ。美人ではあるが、特別目を惹くような容姿でもなく、その表情も柔らかいものだった。

 話に聞いていた通り、ルリの母親はごくごく普通の『人間』であるようだ。

 

「先にシャワー浴びといで、その間にご飯の準備しとくから~」

 

 既に部屋着に着替えていた海は、ルリにシャワーを浴びてくるように勧める。

 シャワーでさっぱりした後は、親子二人で夕飯だ。ルリが生まれること十五年間。毎日のように母と娘、二人だけで食卓を囲ってきた。

 

「うん……あっ、メールで伝えてたと思うけど……」

 

 しかし、その日はいつもと少々勝手が違っていた。前もって連絡はしていたようだが、ルリは改めて今日の『客人』を母親へと紹介していく。

 

「この子が……ゲゲゲの鬼太郎くん。それと……その父親の目玉おやじさん」

 

「——お邪魔します」

「——失礼……貴女がルリちゃんのお母さんですかのう?」

 

 そう、ゲゲゲの鬼太郎と目玉おやじである。

 ルリに体内電気——龍の体質その③である『放電』の指導をしたその帰り道。他の女子高生たちとは別れたものの、鬼太郎たちだけはルリと共に彼女の家へとお邪魔することになった。

 半妖であるルリの今後を、保護者である母親と相談するためである。

 

「あー、はいはい、待ってましたよ! さっ、上がって上がって!!」

 

 あらかじめ知らされていたこともあり、海はほとんど動揺を表に出さなかった。妖怪、それも初対面である鬼太郎と目玉おやじ相手にも気さくに話し掛けていく。

 

「とりあえず……キミたちもご飯食べてく?」

 

 

 

 

 

「……よっと! ほら焼けたよ、ルリ」

「ありがとっ……って、熱っ!?」

「あははっ! 相変わらず猫舌だね~! ほら、鬼太郎くんも! 遠慮せずにドンドン食べなっ!」

「あっ、どうも……い、いただきます……」

「うんうん! 沢山食べて大きくなりなよ……目玉おやじさんも、どうですか?」

「うむ、いただこう!!」

 

 ということで。

 

 青木家のリビングテーブルにルリと海。さらにゲゲゲの鬼太郎と目玉おやじが加わり、青木家の食卓はかつてないほどの賑わいを見せていた。

 最初は鬼太郎も『食事までは……』と断ろうとしたのだが、そこをやや強引に推し勧めたのが海だった。彼女は遠慮する鬼太郎の腕を引っ張る勢いで、彼を食事の席へと座らせたのだ。

 

 ちなみに、今日の夕飯は——『お好み焼き』である。

 大きめなホットプレートの上に具材を混ぜた生地を次々と並べ、海が手際良く焼いていく。

 

「よっと! ほっと!!」

「おお~、上手い上手い! 流石は大阪の血!!」

 

 手慣れた様子でヘラを握る母親に、風呂上がりでやや顔を上気させたルリが感心したように呟く。

 どうやら海の実家、母方の親族は大阪出身らしい。ルリの祖母もバリバリの関西弁だが、現在は東京都内に住んでいるとのことだ。

 祖母も、ルリが半妖で龍の血を引き継いでいることは知っているらしい。何かあれば手を貸してくれるとも、何かあったら龍の体質その①ツノで『刺し殺しぃ』などと物騒なことも口にしていたらしい。

 

「もぐもぐ……もぐもぐ……ときに海さん」

「ん?」

 

 と、皆で和気藹々と食事を楽しみながらも、目玉おやじが海に対して本題へと踏み込んでいく。

 

「ルリちゃんの父親……龍のお父さんについて、色々と話を聞きたいんじゃが……」

 

 元より今日はそのために青木家へと訪れたのだ。うっかり忘れてしまいそうだったが、鬼太郎も目玉おやじも夕食をタダでご馳走してもらいにきたわけでは断じてない。

 ルリの今後のためにも、彼女の父親の龍がどんな人物なのか。それを海から聞かなければならなかった。

 

「え……あいつのこと? う~ん……何から話せばいいのやら……」

 

 目玉おやじの申し出に、海は頭を悩ませる。

 話すのを躊躇しているわけではない、どこからどのように話せばいいのかと思案を巡らせているようだ。自分の中で考えをまとめながら、海は自分の『夫』でもある龍について少しづつ語っていく。

 

 

 

 青木海曰く、ルリの父親が住んでいるのは山の奥。それも人気がない、寂れた小さな神社を拠点にひっそりと暮らしているとのことだ。

 

「あいつは、ものぐさの引きこもり体質でね。自分から山を降りてくることがないから……会いにいくためにはこっちから山を登らなきゃいかんのよ……たくっ、たまにはお前から来いっての!」

「お、おおっ……そ、そうだね……」

 

 それまで、どこか終始のんびりとしていた海であったが、龍である夫の愚痴を溢す際には少し苛立ちを露わにした。それはまさに『仕事や遊びで家庭を蔑ろにする夫の素行を怒る奥さん』そのものだ。

 海の怒りに触れないようにと、娘であるルリがおっかなびっくりで母親の感情に同意を示す。

 

「山の中……引きこもり……ふむ……」

「どうかしましたか、父さん?」

 

 海の話に対し、目玉おやじが腕を組みながら何やら考え込んでいる。鬼太郎はあまりピンとこなかったが、目玉おやじは今の話に何かしら心当たりがある様子だった。

 

「ほんと……あの化け物、人間の事情なんて全く考慮しないから。こんなご時世でも、変わらず自分の生活スタイルを貫いちゃってるし……」

 

 海の愚痴はまだまだ続く。

 昨今の情勢、妖怪が当たり前のように出没するようになった現代でも、彼が山から下りてくることはないという。勿論、『龍』などという強大な存在がいきなり人里に下りて来れば、流石に妖怪慣れした人間たちでもパニックにはなるだろう。

 そういう意味で、龍である彼が人目に触れないよう山奥に隠れ住んでいるのは懸命な判断とも言えた。

 

「そんな山奥に引きこもってるようなドラゴンと……お母さんはどうやって出会ったわけ?」

 

 ふと、ここでルリが率直な疑問を口にする。

 そんな終始山奥に引きこもっているような父親と、ただの人間である母親。この二人がどのようにして出会うことになったのか、二人の子供としては気になるだろう。

 

「ん? 別に……そんなたいそうな出会いじゃないわよ?」

 

 ルリの抱いた疑問に海はあっさりと答えていく。

 

「私が若い頃、ふらっと山登りして……ちょっと道に迷っちゃってね」

 

 青木海は若い頃、気紛れで山を登り、そのまま遭難しかけたことがあったという。

 それだけを聞くとヒヤッとするような危ない話に思えるが、本人は全く危機感を抱いていなかったのか、そのときのことを気楽に思い出しながら呑気に語る。

 

「それで、適当に歩いてればなんとかなるだろうかなって……とりあえず、山の中をドンドン進んでいったのよ」

「おいおい……」

 

 母親の不用心な行動力にルリが呆れている。

 

 山の中で遭難した場合、まずは周囲の状況を確認するためにも一旦足を止めるべきである。

 その上で来た道に見覚えがあるのなら引き返すなり、体力の消耗を避けるためにもその場に留まるなど。その都度、最適な行動を取る必要があった。

 間違っても、迷った上で『とりあえず先に進もう』など『その内どこかに出るだろう』などと。安易な考えから動き回ってはいけないのだが、若りし日の海はその間違いを平然と冒してしまったのだ。

 

「それで歩いてたら、なんか古びた神社があってね……」

 

 しかし幸運だったのか。そうやって迷い込んだ先で——海は『龍が神様として祀られている神社』へと辿り着いたのだ。

 既に人が訪れなくなって久しかったのだろう、ボロボロの廃墟となっていた社に休憩がてら腰を下ろした。

 

「そしたら、そこにいたのよ、あいつが……」

 

 それで、ふと横を見れば——そこに『龍』がいたのだ。

 人間の娘っ子に自身の領域へと踏み込まれて唖然と呆けている、何とも間の抜けた龍の顔があったとのことだ。

 

「へぇ……私の両親の出会い、随分とあっさりしてるな……」

 

 遭難した果てでの邂逅とはいえ、意外にもあっさりとした遭遇の仕方にルリは拍子抜けする。彼女としてはもうちょっと劇的な何かを、運命的な出会い方を期待していたのかもしれないが。

 

「そんなもんよ、男と女の出会いなんて。別に特別なことなんてありはしないって」

「いやいや! 男と女である前に人と龍じゃん!?」

 

 もっとも、海は極めて現実的な意見を述べる。

 男女の出会いに、必ずしも運命的なものなど必要ないと。だが、男と女である前に人と龍だろと。ファンタジーな展開を期待するルリが納得のいかない顔で叫んでいた。

 

「ふむふむ、なるほど……それで、その後はどうなったんじゃ?」

 

 しかし、それが一度きりの邂逅というわけでもあるまい。最初の出会いの後にも、二人の仲を深める交流があった筈だと、目玉おやじが海に話の続きを促していく。

 

「その後? う~ん……とりあえず、その神社に一晩泊めてもらって……なんとか自力で下山して……」

 

 神社で身体を休めることができたこともあり、遭難した翌日の早朝、彼女は無事に山を下りることが出来たという。

 山で遭難などの憂き目に遭った彼女を周囲の大人たちが叱りつつ、海の無事に皆がほっと胸を撫で下ろしたとのことだ。

 

 

 だが、海は懲りもせずにその日以降もちょくちょく山を登るようになった。

 龍に会うため、頻繁に古びた神社へと通うようになったのだ。

 

 

 当然ながら、その時点では互いに恋愛感情などあるわけもない。海は『龍』などという物珍しい存在に、単純な好奇心から目を輝かせていただけ。

 一方で龍の方も、久方ぶりに『人間』の話し相手が出来て嬉しかったのだろう。人が来ない、忘れ去られた神社に祀られた独りぼっちの神様として、海の来訪を心から歓迎する。

 

 

「——まあ、そうしてるうちに色々あって……ルリが生まれた感じ?」

「——ええっ!? 急展開!?」

 

 

 そして、そういった交流の果てに半人半龍。二人の血を引いた子供——ルリが生まれることになったと、海は衝撃の事実をサラリと語る。

 

「ちょっと!? いくらなんでも端折りすぎでしょ!? いきなり生まれたって、もっとこう……あるでしょ! 語るべきことが!!」

 

 ここでルリから母親の適当な話にクレームが入る。

 二人の馴れ初め。仲の良いだけだった男女が互いに意識し合う瞬間。一冊の本にでもなりそうな種族を越えたラブロマンス的な物語。

 本来ならあるべきその過程が、母親の話からは完全に省略されていたのだ。

 

 母親と父親が、とりあえず仲良くなって——なんかルリが生まれていた。

 自身の誕生秘話をそんな杜撰に語られれば、本人としてはツッコミたくもなるだろう。

 

「な~に~? 聞きたいの? 私とあいつの恋バナとか……ルリは本当に聞きたいのかしら~?」

「そ、それは……!? ま、まあ……聞かされても、ちょっと困るけどさ……」

 

 しかし、ルリの指摘に海はニヤニヤと意地悪そうな笑みを浮かべた。

 実際、母親と父親の『そういった話』聞きたいかと言われると微妙なところだ。ルリ自身が思春期ということもあり、両親のあったかもしれない甘酸っぱい恋物語?を想像し、ちょっぴり恥ずかしそうに顔を赤くする。

 

「まっ……ルリが生まれてからは、私があんたを女手一つで育ててきたってわけ。あいつ、養育費もまともに出さないからね~、色々と大変だったわ……」

「うわぁ~、父甲斐性なしだわ……」

 

 いずれにせよ、青木ルリという自分たちの娘を、海は大事に育てようと決心した。

 きっと色々な苦難があっただろうが、母親が真っ先に口にした苦労話は——父親が碌に働きもせず、お金も家に入れないことである。

 これには娘のルリも引き気味だ。実の父親が龍であることは重々承知だが、流石に経済的な支援が何もないのは、男親として情けないというか、何というか。

 

 人間であれば育児放棄と文句を言われても仕方ない、訴えれば勝訴できるような案件ではなかろうか。

 

 

 

 

 

「ふむふむ、なるほどの……」

 

 そこまでの話を、目玉おやじは静かに聞き入っていた。

 青木海の夫——ルリの父親である龍がどういう妖怪なのか、今の話だけでその性分を推し量るなどは難しいだろう。

 

「やれやれ、暫く話を聞かんと思ったら……全く何をやっとるのか……」

「父さん?」

 

 しかし目玉おやじはどこか納得し、ひどく呆れたように首を振っていた。

 父親の反応に鬼太郎が不思議そうに首を傾げる。少なくとも、彼には目玉おやじがそのようなリアクションを取る、その理由を察することが出来ないでいる。

 

 

「海さん……その龍の住んでいる神社とは……もしかして——」

 

 

 ふいに、目玉おやじは海に龍の住処であるその神社の詳細について尋ねていった。

 

 

 

×

 

 

 

「父さん、この山で……間違いないんでしょうか?」

「うむ、確かにこの辺りの筈じゃ……海さんも、この道で間違いないと言っておった……」

 

 ゲゲゲの鬼太郎や目玉おやじが青木家を訪れたその翌日。二人は人気がない山道を登っていた。

 

 青木海の話によれば、この山の奥にルリの父親である『龍』の祀られている神社があるらしい。ここまでの険しい道のり、本当にここであっているのかという不安からも、鬼太郎の足取りが段々と重くなってくる。

 しかし目玉おやじは妙に確信がありそうな態度で、この辺りで間違いないと仕切りに頷いている。

 

 実際、暫く歩いていると、立ち入り禁止の看板と侵入禁止用のロープが張られている場所へと辿り着く。

 ロープの先には明らかに人工的な造りの石段——神社へと続く参道が見える。

 

「どうやら、この先のようですね……」

 

 ようやく、鬼太郎にもここが目的地だと確信が持てた。あともう一息だと一度立ち止まった上で、その先へさらに一歩を踏み出そうとする。

 

「——っ! 父さん!!」

「——むっ!?」

 

 だがそのときだ、鬼太郎の妖怪アンテナが反応を指し示した。彼の妖気を探知するレーダーが、強大な妖気の接近を察知したのである。

 

 

『——ヌゥンンン!!』

 

 

 次の瞬間、『そいつ』は唸り声を上げながら鬼太郎の前に姿を現す。

 大蛇のように長い胴体、四足歩行で地響きを立てながら行進してくる巨大な怪物。ごつごつとした鱗に鋭い牙。青木ルリよりも、さらに大きく立派なツノを生やし、その厳つい顔面には四つの眼が付いており、その視線の全てが鬼太郎へと注がれていく。

 

『——何者だ?』

「——っ!!」

 

 侵入者である鬼太郎へと放たれた重厚感たっぷりの響き。その威厳ある佇まいを前にすれば、対峙する鬼太郎の身体にも自然と力が入るというもの。

 間違いなく、そこにいたのは『龍』と呼ばれるのに相応しい風貌、威厳を纏った怪物であった。

 

『小僧……貴様、妖怪だな? 誰の赦しを得て、儂の縄張りに土足で上がり込んできた!?』

 

 龍は自身の領域に許可なく踏み込んできた鬼太郎に対し、露骨な怒気を漂わせながら睨みを効かせてくる。

 

『返答次第では容赦はせんぞ!!』

「……っ!!」

 

 その敵意を前に思わず身構える鬼太郎。彼の方に戦う意思はないが、こちらの話をまともに聞いてもらえるような空気でもなかった。

 これは一度は矛を交える必要があるかもしれないと、鬼太郎も覚悟を決めるのだが——。

 

 

「——やれやれ……何を偉そうに……」

 

 

 だが、緊張感漂うその場に目玉おやじのため息混じりの声が溢れる。彼は呆れた様子で、自身より巨大な体躯を持った龍という怪物に向かって声を張り上げていく。

 

「久しぶりに会いに来てやったというのに……随分と手洗い歓迎じゃのう!!」

『……ん? なんだ、誰かと思えば目玉おやじではないか……』

 

 龍の方も目玉おやじの存在を認識するや、眼光から放たれていた怒気を引っ込める。霧散していく敵意に鬼太郎はほっと胸を撫で下ろしつつ、やはりという確信を込めて呟く。

 

「やっぱり……知り合いだったんですね、父さん……」

 

 ここまでの言動で何となく察しがついていたが、眼前の龍と目玉おやじは既に面識があるようだ。

 父親である目玉おやじの顔の広さを今更驚きはしない鬼太郎だが、流石に龍の知り合いがいることには少々戸惑っていた。

 

「まあ、龍の知り合いなど……こやつくらいしか思い浮かばんかったがな……」

 

 息子の疑問に肯定を示す目玉おやじだが、人脈の広い彼でも龍の知り合いなどそうはいない。

 そう、目玉おやじは青木海から、彼女の夫の話を聞かされていた時点で察しが付いていたのだ。古い神社にひっそりと住み、そこから滅多に出てこない引きこもり体質なドラゴン。

 

 自分の知り合いでもある、この龍こそが——青木ルリの父親その人であると。

 

 

 

『——ということは……その小僧が、お前の息子のゲゲゲの鬼太郎か?』

 

 目玉おやじとの顔合わせを済ませるや、龍はその視線を改めて鬼太郎へと向ける。

 

『若い頃のお前に似ているな……生意気そうなところが親父譲りだ、フッ……』

「そ、そうなんですか……父さんと、似ている……」

 

 龍は現在の鬼太郎と過去の目玉おやじの姿を比べ、面影が似ているなどと知ったかぶりな態度で笑みを浮かべる。

 それは悪口にも聞こえるような言葉遣いであったが、鬼太郎は自分も知らない父親の昔の姿に似ていると言われ、少し嬉しそうである。

 

「おい、龍よ!!」

 

 しかし、そんな風に言葉でマウントを取ってくる龍に対し、目玉おやじが真っ向から言い返す。

 

「お前さん、人間との間に子供を授かったというではないか!!」

『おまっ!? ど、どうしてそれを……!?』

 

 目玉おやじの指摘に——それまで纏っていた龍の威厳が木っ端微塵に粉砕される。

 

「海さんから聞いたぞ!? ルリちゃんにも会ってきた……お前さんに似ない、可愛い子じゃったな!」

『うぐっ!! 海に……ルリにも会ったのか……そ、そうか……』

 

 奥さんや娘さんの名前を出され、龍は厳つい顔面から気まずそうにダラダラと汗を流し始める。一瞬にして情けない姿を曝け出していく龍に、目玉おやじは容赦のない批判を口にしていく。

 

「全く! あんなに可愛い娘さんがいながら……未だにこんな山奥に引きこもりおって……」

『いや、だが儂のようなものが……下界に降りれば騒ぎになるだろう?』

「それでも! 会おうと思えば、やりようはあったじゃろう!? それにルリちゃんの世話を……子育ての一切合切を海さん一人に丸投げしておるらしいではないか!? 龍などと偉そうに祀られておる存在が、情けないと思わんのか!?」

『そ、それは……その……』

 

 同じ父親という立場からの意見。

 図星を刺されてか、自分よりも遥かに小さい目玉おやじ相手に龍は何も言い返せないでいる。

 

『ま、待ってくれ! 儂だって……最初は色々と援助しようと……贈り物なんかもしてたんだぞ!?』

 

 だが、ここらで反論とばかりに龍が口を挟む。少しでも父としての威厳を取り戻そうと、なんか必死である。

 

『生活の足しになると思って、賽銭箱に蓄えられてた金を出したりもしたんだ。だが、この神社もすっかり参拝客が訪れなくなって……貯めてきた貯金も、すぐに空になってしまってな……』

 

 一応は経済的支援はしていたらしい。だがそれも、すぐに底を尽きるような微々たるものに過ぎない。

 

『あとはルリの誕生日とか……お祝いの日に、その辺で狩った鹿やら猪やら……ときには熊なんかを贈ったんだ……』

 

 ならばと、今度は記念日などに龍自身で狩ってきた獲物の肉を差し入れするようになったという。

 自分で獲った獲物を贈れること、雄として実に誇らしげであったが——。

 

『——いや……丸々一頭とか、食い切れないから……』

『——下処理されてないジビエとか……獣臭いわ!』

 

 龍が一方的に贈り付けてくるそれらを、青木海は冷静な観点からダメ出ししたのだ。

 これに『ガーン!』とショックを受けた龍。それ以降、目立った贈り物をしなくなってしまったという。

 

「そんなの当たり前じゃろう! 相手は人間なんじゃ! お前さんのスケールで物事を考えるな!!」

 

 これに目玉おやじも痛烈にダメ出ししていく。頑張ろうという意志は伝わってくるが、頑張る方向性が間違っている気がする。

 

「わしも、鬼太郎に苦労を掛けている身じゃが……それでもあえて言わせてもらうぞ? お前……親としてダメダメじゃな!!」

『うぐわっ……!!』

 

 自分自身、息子である鬼太郎に迷惑を掛けているという負い目を感じつつ、それでも同じ父親として、目玉おやじは龍のダメ親っぷりに説教をせずにはいられなかった。

 

 そうして、目玉おやじの言葉に多大なる精神的ダメージを食らい、遂には龍が悶絶。

 その巨体を大地へと沈め、暫くはその場から動くことが出来ないでいた。

 

 

 

 

 

「……あの、そろそろいいでしょうか?」

『なんだ……まだ貶し足りないのか? 親として情けな~い儂を、これ以上どう辱めようというのだ?』

 

 それから、数十分後。ゲゲゲの鬼太郎は、拗ねたように突っ伏している龍へと声を掛ける。

 龍は未だに精神的ショックから立ち直れておらず、鬼太郎の呼びかけに投げやり気味に答える。若干だが、目に涙を浮かべている姿がなんとも哀愁を感じさせる。

 

「いえ……今日は貴方にお渡ししたいものが……娘さんの、ルリさんからの贈り物です」

『な、なにっ!? ルリからだと……?』

 

 だが、鬼太郎が今日ここまで来たのは、彼に物申すためではない。青木ルリが『父の日』に贈りたいと選んだ『プレゼント』を、彼女の代わりに届ける役目を負って来たのだ。

 鬼太郎がその旨を伝えるや、龍はすぐにでもその身体を起こして瞳を輝かせる。

 

『ルリが儂に……!? いったい……いったい何をくれると!?』

 

 たとえ龍であろうと、実の娘からのプレゼントが嬉しくないわけがない。

 つい先ほどまで、親としての情けなさに項垂れていただけあって、娘からの贈り物をそわそわとした気持ちで受け取ろうとする。

 

「どうぞ……ルリさんと、海さん。二人が貴方のために選んだ……父の日のプレゼントですよ」

 

 鬼太郎は持参していた紙袋の中身を取り出し、その品物を龍の眼前へと差し出す。

 

『——ほう! これは握り飯に……酒か!?』

 

 ルリからの贈り物は——『握り飯』と『日本酒』であった。

 握り飯はルリが握った手作り。日本酒は『龍』の文字こそ入っているが、割とどこにでもある普通の銘柄だ。

 龍という生き物だからといって、特別変わったものではなく。人間の父親に贈ってもおかしくなさそうな無難なプレゼントである。

 

『おお!! わ、悪いがそいつを……社の方に供えてはくれないか!?』

 

 しかし、そんな普通の品でも嬉しさを隠しきれず、龍は興奮を抑えきれずに声を弾ませる。

 その品々を自分の神社に供えるように頼み、鬼太郎が言われた通り、もはや廃墟といっても差し支えない神社に握り飯と日本酒を奉納する。

 

『ふっふっ、久しぶりだな……こうして貢物を頂くのは……』

 

 神としての性質からか、龍は娘からの贈り物を捧げ物と認識し、満足げに笑みを溢す。

 忘れ去られた神社の神——きっと奉納品など、久しく貰ってもいなかったのだろう。

 

「良かったのう、龍よ……」

 

 これには何だかんだ言っていた目玉おやじも、彼の気持ちに共感するよう深々と頷いていく。

 

 

 

『ルリは……その……元気そうだったか?』

 

 そうして、暫くの間プレゼントの喜びに浸っていた龍だったが、ふいにルリの現状を鬼太郎たちに尋ねてきた。

 海の方から一応の話は聞かされているだろうが、それ以外の人からも娘の様子を聞かせて欲しいのだろう。

 

「うむ、龍の体質のことで色々と相談を受けたが……そこまで深刻ではなかったな……」

 

 相手の質問に目玉おやじが率直に答える。

 現在進行形で龍の体質に悩まされているルリだが、だからといって悲観的な様子はない。

 

「幸いなことに、あの子は友達に恵まれておる。あの様子であれば……きっと乗り越えていけるじゃろう……」

「ええ……ボクもそう思います、父さん……」

 

 

 人間と龍の血を引いた『半妖』という彼女の立場。今の人間と妖怪との距離感を考えると——ルリは、過酷な目に遭ってもおかしくない境遇かもしれない。

 だが少なくとも、ルリの友人たちは彼女が半妖だからといって差別するようなことも、敵視するようなこともなかった。

 一人の友人として、当たり前のように彼女と仲良くしてくれている。

 

 ああいった友人たちが出来るような子であれば、きっとこの先の人生も乗り越えていけるだろうと。

 何の保証もないが、青木ルリという娘の今後を鬼太郎たちはそこまで不安視していなかった。

 

 

『そうか……立派にやれているのか……』

 

 目玉おやじの話に耳を傾けながら、龍は感じ入るように瞼を閉じる。たとえ顔を合わせてなくとも、離れて暮らす娘を想う父としての心情が、その表情から伝わってくるようだ。

 

 

『…………一つだけ、あの子に伝えておいてくれないか?』

 

 

 やがて閉じていた瞼を開くや、龍は鬼太郎たちに娘への言伝を頼んでいく。

 

 

 

×

 

 

 

「——ああ、もう!! また不発だぁあ!! 全然出来る気がしないよ!!」

「…………」

 

 龍へ無事、父の日のプレゼントを届けた鬼太郎たちは、その足で昨日も来ていた河川敷を訪れていた。

 そこでは昨日のように放電体質をコントロールしようと、必死に訓練しているルリの姿があった。だがやはりというべきか、あまり上手くはいっていないようだ。

 

「あっ、鬼太郎くん! ルリちゃん、鬼太郎くんが来てくれたよ!!」

「鬼太郎くん……ルリのこと、ちょっと見てやってくれない?」

 

 するとルリの訓練を見守っていた神代とユカが鬼太郎に声を掛けてくる。

 昨日はいた筈の、三倉や宮下といった面々の姿が見えない。彼女たちにもそれぞれ用事があり、毎日付き合えるというわけではないようだ。

 

「ルリさん」

「はぁはぁ……は、はい?」

 

 鬼太郎は力が入り過ぎて空回りしているルリに、落ち着いた声音で語り掛ける。

 彼女には色々と報告しなければならないことがあるのだが、まずは——その放電体質を『解決する』方法を実行に移すことにする。

 

「今からやる方法で放電をコントロールしてみてください……とりあえず、こちらへ」

「お、おっす……!!」

 

 まずはルリを自分の側へと呼び、そのまま両者は向かい合う姿勢で立った。

 

「ボクの手を握ってください」

「えっ? あっ、は、はい!」

 

 そして鬼太郎は自分の手を差し出し、それを掴むようにルリへと指示する。男の子の手を握るという行為にルリは恥ずかしさを感じたようだが、ここは大人しく鬼太郎の言う通りにしていく。

 そうして、向かい合いながら手を繋ぐという構図に思わずドギマギしてしまうルリだったが——。

 

 

「このままの状態で……ボクが体内電気を発動します」

「!!」

 

 

 そんな浮ついた気持ちが、鬼太郎の思いがけない一言で吹き飛んでいく。

 

「ボクの体内電気に合わして……ルリさん自身、体内から電気を放出するイメージをしてみてください」

「うむ、わしがいつもやっているのと同じような要領じゃな!!」

 

 目玉おやじもひょっこりと顔を出し、鬼太郎の話を補足説明してくれる

 この間、言っていたこと——『鬼太郎が体内電気を発動している間、彼と一緒にいる目玉おやじがどうやって感電せずに済んでいるのか』。

 それは目玉おやじ自身も、体内から僅かに電気を発して鬼太郎の電圧と同調しているからなのだ。

 

 それと同じことを、ルリにもやって欲しいという。

 鬼太郎の体内電気と『共振』することが出来れば、ルリが放電体質を発動するきっかけになるかもしれないと。

 

「ちょっ! 鬼太郎くん……それは流石に!?」

「ルリが黒焦げになっちゃうよ!?」

 

 しかし、そのような無茶振りに神代やユカが声を上げた。

 それで上手くいく保証などない。下手をすれば感電してしまうと、友達としてルリの身を心配しているからこそ、必死に止めようとする。

 

「大丈夫です、出力は最少まで下げますから……少し痺れるかもしれませんが、怪我をすることはありません」

 

 そういった反応は予想していたのか。鬼太郎は彼女たちを安堵させるよう、穏やかな口調で危険がないことは告げる。

 

「勿論、ルリさんが嫌というのであればやめますが……どうしますか?」

 

 だが、痛みがないわけではない。苦痛を感じるのが嫌ならばやめるのも手だと。あくまでルリの意思を尊重し、彼女にどうするか選択肢を与える。

 

 

「…………分かった」

 

 

 だが、ルリは考えた末に鬼太郎の提案を受け入れることにした。

 自分のためにも、友達に迷惑を掛けないためにも。この放電体質を早いうちに克服した方がいいと判断したのだ。

 

「お願い、鬼太郎くん!」

 

 覚悟を決めたルリが、鬼太郎の手をさらに力強く握っていく。

 

「分かりました。すぅ~……はぁ~……」

 

 ルリの覚悟に応える形で鬼太郎も頷く。

 深呼吸でコンディションを整え、静かだが明確な意思を込めて——その技名を呟いた。

 

 

「——体内電気」

「——っ!!」

 

 

 刹那、鬼太郎の身体から迸る電流が、繋いだ手のひらからルリの身体へと流れ込んでくる。身体中がビリビリと痺れる感覚に、思わず鬼太郎の手を離そうとしてしまうが——。

 

「大丈夫じゃ!! そのまま……受け入れるように!」

 

 目玉おやじがルリにアドバイスを送る。

 抵抗するのではなく、流れてくる電撃を受け入れるように。そうすることで、ルリ自身の身体に『放電』の感覚を身に付けさせるのだと。

 

 

 

 ——し、痺れる……!?

 

 ——けど、この感覚……一番最初に放電したときのアレに近いかも!!

 

 ルリは電撃に苦痛を感じながらも、身体が痺れるその感覚が一番初め、放電が発現したときのものに近いと全身で理解する。

 ならばこのまま、その感覚に身を任せようと——深いところまで意識を集中させる。

 

 

 そして——。

 

 

「……っ! 手を離します……」

 

 鬼太郎が繋いでいた手を離した。互いの身体が離れたことで、鬼太郎の体内電気がルリの身体に影響を及ぼすことはなくなった筈である。

 

 

「…………あれ、私……なんか光ってない?」

 

 

 ところが、ルリはその身体に——眩しいほどの電撃を纏っていた。

 鬼太郎の体内電気ではない。正真正銘——ルリ自身の放電体質から繰り出される、彼女自身の『体内電気』である。

 

「出てる……! ちゃんと放電出来てるよ、ルリちゃん!!」

「凄いじゃん、ルリ!!」

 

 その結果を前に、心配そうに見つめていた神代やユカが飛び跳ねて喜びを露わにする。あれだけ出来ないと嘆いていた放電を、今のルリは確かに使用出来るようになっていたのだ。

 

「ん……んんん……はっ!!」

 

 さらに、ルリはその放電を自らの意思で押さえ込んでいくことまでやってのける。

 徐々に勢いが弱まっていき、やがては完全にピタリと止まる電撃。発動から停止までのプロセスを、ルリは怪我一つ負うことなく、見事に最後までやり遂げたのだ。

 

「どうやら、成功したようですね……」

 

 無事、放電をコントロール出来たことに鬼太郎も肩の荷が降りた気持ちでひとまずホッとする。

 

「次からは、今の感覚を自力で手繰り寄せるように意識してみて下さい。きっと……上手く出来るようになりますから」

「は、はい!! ありがとう、鬼太郎くん!!」

 

 今のでとりあえず感覚を掴むことが出来た。一度でもきっかけさえあれば、きっと龍の体質その2『火を吐ける』ときのよう、いずれは自分の意思で調整が出来るようになるだろう。

 そう遠くないうちに、放電に関しても上手い具合に折り合いを付けれるようになる筈だと。ルリも安堵し、手伝ってくれた鬼太郎に笑顔で礼を述べていく。

 

 

 

「やったね、ルリちゃん!!」

「良かったね、ルリ!!」

 

 そうして、放電の訓練に一応の区切りを付けたルリに、神代とユカの二人がすぐ側まで駆け寄ってくる。

 未だに身体に電撃の影響があるかもしれないというのに、神代などルリの身体に勢いよく抱きついてきた。

 

「ちょ、ちょっと! 危ないって……ひっつくな!!」

 

 神代の過剰なスキンシップにウザがる様子を見せながらも、ルリも口元は満更でもなさそうに緩んでいる。

 

「……ルリさん」

「な、何かな! 鬼太郎くん?」

 

 そんな彼女たちの微笑ましいやり取りを眺めつつ、鬼太郎は例の件についても報告を入れるべく口を開いていた。

 

 

「貴方のお父さんに……龍に会って、父の日のプレゼントを渡して来ましたよ」

「!!」

 

 

 そう、ルリの父親のこと。

 他でもないルリが、鬼太郎にプレゼントを渡してくれと頼んでいたのだ。実の父親に今はまだ直接会う気がないとはいえ、鬼太郎の話にはルリもハッと目を見開く。

 

「貴方からの贈り物を、彼はとても喜んでいました」

「……」

「……」

 

 父親の話題ということもあり、はしゃいでいた神代やユカも静かになった。

 ここから先は自分たちが口を挟むべきではないと、無粋な横槍を入れることなく口を閉じる。

 

「それから……貴方のお父さんから言伝を預かって来ました」

「お、お父さんから……?」

 

 鬼太郎はルリからのプレゼントを貰って喜ぶ龍のことを、さらには龍が娘に『伝えてくれ』と頼んだ伝言。

 その言葉を、一字一句違えることなく伝えていく。

 

 

『——もしも機会があれば……いつか、顔を見せに来てくれ……』

 

『——儂はここで……いつまでもお前を待ち続けている』

 

 

 やはりというか、龍は自分から山を降りてくるつもりはないらしい。

 

「ルリちゃん。キミが怖がるのも分かるが……いずれはキミの方から、奴に会いに行ってやってはくれんか?」

 

 引きこもり気質の龍の友人の言葉に、目玉おやじが呆れながらもルリに願い出る。

 今すぐでなくてもいい。けど、いつかはルリの方から父親の元まで顔を出しに行ってやって欲しいと。

 

「きっと彼も……喜んでくれる筈ですから」

 

 鬼太郎からも、頭を下げてお願いしていく。

 

 

 

「わ、分かった……一応は、考えておく……」

 

 

 

 二人の説得に、とりあえずルリは前向きに返事をする。

 

 龍の父親なんて、今はまだちょっと怖いという感情の方が強いかもしれない。

 それでも、いつかは複雑な自身の感情にも折り合いを付け、会いに行ける勇気が湧いてくるかもしれない。

 

 

 

 そのときになって、親子二人でどんな話をするのか。

 それはきっと、彼ら家族だけが知っていればいいことなのだろう。

 

 

 

 




人物紹介

 ルリの母親・青木海
  青木ルリの母親、正真正銘ただの人間。
  龍との間に子供をもうけ、その子をシングルマザーで育てる何気に凄い人。
  連載版だと名前が出てませんが、読切版では『海』という名前が出ました。
  読切だと割とドライな感じですが、連載版になって母親としての愛情が確かに伝わってくる描写が多くなってます。
  
 ルリの祖母
  青木ルリの祖母、チラッとだけ登場。
  大阪の血筋、普通に関西弁で喋っていますが一応は都内に住んでるっぽい。
 
 ルリの父親・龍
  青木ルリの父親、見た目からして完全な龍そのもの。
  連載版はまだ未登場ですが、読切版ではガッツリ登場してます。
  強面な見た目とは裏腹に結構動揺しやすく、割と人間臭い部分が垣間見える。
  今作では話の流れ上、目玉おやじの知り合いとさせてもらいました。
  ルリの子育てに関与することなく、ずっと山奥で単身赴任……父親として、それでいいのだろうか?


次回予告

「古びた古城に、夜な夜な集まる怪しげな集団。
 失われた技術によって産み出される怪物たち。
 父さん、本来ならあり得る筈のないその技術を前に、あの老人はいったい何を思うのでしょうか?
 
 次回――ゲゲゲの鬼太郎『鋼の錬金術師 シャンバラへの帰還』見えない世界の扉が開く」

 
 次回は作者の青春時代ド真ん中の名作!
 サブタイトルから察してもらえるよう、2003年版の一期が話のメインになるかと思いますので、よろしくお願いします!


  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

鋼の錬金術師 シャンバラへの帰還 其の①

というわけで、今回のクロスオーバーは『鋼の錬金術師』です。
原作者は『銀の匙』『アルスラーン戦記』『百姓貴族』でも知られる荒川弘先生。
ガンガンで連載されていた看板タイトルで、2023年の今になってもアプリゲームになったりと、幅広い人気がある作品でしょう。

ただ、本作を読む前に注意していただきたいのが。
今作はあくまで『2003年に放送された一期』を元にしたクロスであるということ。
ハガレンはアニメが一期と二期の二つに分けられており、そのどちらでも爆発的なヒットを記録しました。
二期は原作準拠の『王道ファンタジー』といったところ。
その一方で、一期はかなり暗めの『ダークファンタジー』を地で行く作風として知られています。

賛否両論ありますが、自分は一期の方を好きです。
この作品を毎週のように楽しみにしていた頃が本当に懐かしい……。
あまりにも好き過ぎてアニメのDVDも、劇場版や特別版のDVDも全て揃えました。

そのため、本作のクロスはアニメ一期完結編でもある劇場版『シャンバラを征く者』の明確な続きを意識して書いています。

ただ、原作やゲームに由来する敵キャラなども一部登場します。
色々とあとがきで説明を入れますので、どうか最後までお楽しみに。



「——ふっふっ! いよいよだぁ……これでやっと!」

 

 暗闇の中、ローブを纏った怪しげな男が愉悦に満ちた表情を浮かべていた。

 

「…………」「…………」「…………」

 

 周囲には似たようなローブを纏ったものたちが、男に付き従うように立っている。人間のようだが、その表情からは全く生気というものが感じられない。

 

「さあっ!! 始めるぞ……!!」

 

 だが、そんな人形のような従者たちの佇まいなどお構いなしに、その場の支配者たる男が『儀式』の開始を宣言する。

 男が何かしらの行動を起こすや——暗闇の中、真っ赤に血のような閃光が迸る。

 

「——や、やめてくれ!! 死にたくない、死にたくねぇよ!!」

「——いやぁあああ!! た、助けてぇえ!?」

「——ひっ……ひぃやああああ!?」

 

 刹那——真っ暗な中、人間の悲鳴がいたるところから響いてくる。

 いったい、どれだけの人々がその暗闇の奥に詰め込まれていたのか。しかしそれこそ、彼らの断末魔などさして気にした様子もなく、男は自らの欲望を叶えるために儀式を最後まで完遂する。

 

「————」

 

 そうして、一際眩しい光が暗闇の中で輝きを放つや、くぐもった悲鳴を最後に人々の叫び声がピタリと止んだ。

 もうそこには誰もいない。文字通り——皆が消えていなくなったのである。

 

「おお……おおおっ!?」

 

 もっとも、『犠牲』になった命など端から眼中にない。ローブの男は眼前に舞い降りた『奇跡』を前に、その瞳を夢見る少年のように輝かせていく。

 

「はっ……はっはっは!! 素晴らしい!! 美しいぞっ!!」

 

 闇の中、男の手のひらへと静かに舞い降りてきたのは——血のように紅い輝きを放つ『石』であった。

 それをただの『石ころ』として見るか、莫大な富を生み出す『宝石』として見るか。それはそれを手にする人間によって違ってくるだろう。

 

 少なくとも、男はその石を宝石として——あるいは、それ以上に価値あるものとして輝かせる方法を知っていた。

 

「これだ……これこそ我が一族の悲願!! 私の理論は……何一つ間違ってはいなかった!!」

 

 この石さえあれば他に何もいらないと言わんばかりに、男は歓喜にその身を震わせていた。

 

「見ているがいい……我らを詐欺師と貶めた有象無象の凡愚どもめ!! この力を持って……私が世界を手中に収める!!」

 

 そして手にした石を天高々と掲げ、世界に向かって宣戦布告するように叫んでいく。

 

 

「——この……賢者の石の力でなっ!! ふっふっふ……ふはっはっはっは!!」

 

 

 手にした紅い石がもたらす、万能感に酔いしれるように——。

 

 

 

 

 

『——くっくっく……本当に愚かだねぇ、人間ってやつは……』

 

 

 そうやって、陶酔感に浸る男を——『黒いなにか』が見下す。

 暗闇よりも、さらに濃い闇を纏ったそれは歯を剥き出しに、目に嘲りを宿し——『フラスコの中』から人という生き物そのものを嘲笑っていく。

 

 

 

×

 

 

 

「住所は……ここで間違いないと思うけど……」

「でもここ……病院よね?」

 

 その日、鬼太郎は猫娘と共にとある大病院を訪れていた。

 手紙に書かれていた住所がここであったためにこの場所を訪れたのだが、かなり大きな病院であったため、もしかしたら来るところを間違えたのかと少し戸惑う。

 だが念のため、この病院に手紙の差出人がいることを確認するべく、『面会受付』と書かれた表札を頼りに職員に声を掛けた。

 

「済みません……ええっと……こちらにエドワード・エルリックさんと言う方はいらっしゃいますか?」

「ああ、はいはい! エドワードさんですね!」

 

 鬼太郎の口から出た、明らかに日本人ではない名前に病院関係者は特に驚いた様子もなく、慣れた態度で面会証を手渡してくれる。

 

「エドワードさんでしたら最上階の特別個室に入院していらっしゃいます。面会時間は三十分以内でお願いしますね!」

「え……は、はい……」

 

 どうやら、エドワードという人物はこの病院の入院患者であるらしい。

 何か重い病気なのだろうか。手紙にはその辺りのプライバシーが記載されていなかったため、鬼太郎も思わず目をぱちくりさせる。

 色々と疑問はあったが、まずは本人に会おうと。案内板に従い、彼がいるという最上階の病室へと足を進めていく。

 

 

 

「——初めまして、ゲゲゲの鬼太郎さん。私がエドワード・エルリックです。わざわざお呼び立てして申し訳ありませんでした」

「…………」

「…………」

 

 そうして、面会することになったエドワード・エルリックという人物を前に鬼太郎や猫娘ですら珍しく戸惑っていた。

 

 柔和な微笑むで鬼太郎を出迎えてくれたその老人は、確かに日本人ではなかった。金髪金眼の外国人。鬼太郎たちではどこの国の出身かなど詳しくは分からないが、確かに西洋圏の人種だということは窺える。

 全体的に穏やかな雰囲気こそ纏ってはいるが、その顔には年齢相応の『シワ』が刻まれていた。

 

 エドワード・エルリックという人間が過ごしてきた年月の重さが、そのシワからヒシヒシと伝わってくるようである。

 

「本当は私の方から出向くのが礼儀なのでしょうが……この歳になって身体のあちこちにガタが来てしまいまして。一年ほど前から、こちらの病院でお世話になっているんですよ……いやぁ~、お恥ずかしい!」

 

 エドワードは流暢な日本語、しっかりとした発音で自身の事情を笑いながら話してくれる。

 長袖の病院服に袖を通し、ベッドに腰掛けてこそいるが、重病患者という風にも見えない。しかし本人が言う通り、かなりの高齢には達しているようだ。

 

「あの……失礼ながら……今おいくつなんでしょうか?」

 

 鬼太郎が遠慮がちながらも、相手の年齢が気になってしまい思わず尋ねる。その問いに、エドワードは笑みを絶やさずに答えてくれる。

 

 

「今年で百十五歳になります」

「ひゃっ!? ひゃくじゅうご……」

 

 

 その返答には猫娘も驚きに声を詰まらせた。

 

 

 百十五歳。

 妖怪であれば百歳を越えるものなどザラだろうが、人間でその域にまで達するものはかなり限られる。平均寿命が更新され続ける高齢化社会の今の日本でも、百十五歳などそれこそ指折りで数えるほどしかいない。

 一世紀もの時を過ごしてきたともなれば、その貫禄にも納得がいく。しかもエドワードという男性に頭がボケたような様子もなく、会話の受け答えなどもしっかりしている。

 

 妖怪として若い鬼太郎や猫娘にとって、目の前の人物は心身共に歳上の相手だ。

 いったい彼のような人間が自分たち妖怪に何の用だろうと。襟を正す気持ちで改めて彼の話に向き合っていく。

 

 

「私は新聞の切り抜き記事を集めるのが趣味でしてね……」

 

 挨拶が済んだところで、エドワードが言葉を紡ぎ始めた。

 彼が指し示した部屋の壁には彼が『趣味』とやらで集めた、新聞記事の切り抜きがびっしりと貼られていた。今の病室に来て一年と言っていたし、もはや私室同様、ここでプライベートな時間を過ごしているようだ。

 

『核実験』『冷戦』『神隠し』『妖怪戦争』『宗教戦争』『宇宙開発』『妖対法』

『彗星落下』『集団失踪』『武力侵攻』『反政府軍との内戦』『戦後復興』

 

 記事のジャンルは様々だが、戦争や紛争といったニュースが多く。また昨今の情勢を鑑みてか、妖怪などの怪異を扱った時事ニュースなどの割合も多く含まれている。

 

「それで……最近になって気になるニュースが……」

 

 エドワードは切り抜き記事の一つを剥がし、それを鬼太郎へと手渡す。

 

「これは……」

「なになに? 謎の怪物の死体……じゃと?」

 

 渡された新聞記事に目を通していく鬼太郎。このタイミングで目玉おやじもひょっこりと顔を出し、そこに書かれていた内容を声に出して読んでいく。

 

『——ドイツの片田舎で発見!? 謎の怪物の死体!?』

 

 それはヨーロッパ——ドイツで『怪物の死体が地元住民によって発見された』といった内容の記事であった。海外のニュースということで小さな扱われ方であったが、そこには怪物とやらの死体の写真まで掲載されている。

 

「新聞では分かりにくいと思いますが……これが、その怪物の全体像を拡大したものです」

 

 補足説明するよう、エドワードはその記事の中にある『謎の怪物』とやらの写真。ネットに流れていた画像をコピーしたものを差し出す。

 

「これって、ライオン? にしちゃ……大きいわね。それにこの胴体……別の動物のもの? 尻尾も……まるで蛇みたいな……」

 

 猫娘もその写真を覗き込み、そこに写っているものの『歪さ』に気付いたようだ。

 その写真に写っていた怪物は、一見するとライオンのようにも見える。しかしライオンにしては大きく、胴体の色合いが明らかに普通のものとは異なり、よくよく見れば『鱗』らしきものが生えていることが分かる。

 尻尾もネコ科のそれではなく、トカゲや蛇といった爬虫類のものに近い。

 

 多くの動物の特徴を併せ持ったその姿は、日本妖怪で言うところの『鵺』に近いものがある。しかし、海外に鵺などいる筈もない。

 いったい、これはどういうことかと首を傾げる鬼太郎たち。

 

「これは合成獣……キメラと呼ばれる怪物である可能性が高いです」

 

 すると、戸惑う鬼太郎たちにエドワードは明確な答えを提示した。彼はその生物の名称を、やけに自信ありげに断言する。

 

「キメラですか……? それはどういう怪物……いえ、それより……どうしてエドワードさんがそれを知って……」

 

 当然ながら、聞き慣れない怪物の名前に鬼太郎は聞き返す。

 キメラとはいったいなんなのか。何故そのようなものの名前が、エドワードの口から躊躇うことなく出されたのかと。

 

 

 

 エドワード・エルリック曰く。キメラとは様々な動物の長所を掛け合わせた——人為的な『合成』によって生み出される『獣』とのことだ。

 

 ギリシャ神話に登場するキマイラと呼ばれる怪物の名が由来となるそれは、イメージとしては『獅子』の頭部に『山羊』の背中、『蛇』の尻尾。この三つの動物の身体的特徴を持つとされている。

 もっとも、キメラに関しては掛け合わせる動物によって全く違った怪物が誕生するとのこと。

 決まった形が設定されているわけでもない。動物同士を合成させることにこそ——『合成獣』と呼ばれる所以がある。

 

「そう、キメラとは……複数の動物を『錬金術』によって掛け合わせることで生み出される怪物なんです。自然的に発生することはまずありえません」

「れ、れんきんじゅつ……そ、それはいったい?」

「…………?」

 

 澱みない言葉遣いで合成獣について説明するエドワードだったが、その過程でさらに聴き慣れないであろう単語を自然と口にしていく。

 やはりというか、それに関する知識も鬼太郎たちは持ち合わせていない。

 

 

 錬金術——狭義では『卑金属を貴金属へと変換』。つまり、鉄や銅といった金属から、金や銀といった貴重な金属を生み出そうとする技術だとか。

 広義的にはもっと広い意味合いがあるのだが——簡単に言えば『不完全な物質からより完全な物質』を生み出すことを目的とした学問だ。

 

 西欧では十八世紀頃まで、正式な学問として研究されてきた。その研究の過程で様々な科学薬品や実験器具を開発。現代でも通じるような、基礎的な元素や自然科学の法則を発見など。

 錬金術が近代科学の礎を築いたといっても過言ではないだろう。

 

「まあ……錬金術は近代になると徐々に衰退して……消えてしまいましたが……」

 

 しかし科学技術がより高度なものになるにつれ、錬金術はオカルトな分野として敬遠されるようになっていったと、エドワードは自虐的な笑みを浮かべる。

 皮肉にも、近代科学が確立されていくにつれ、錬金術の理論など机上の空論でしかないことが証明されてしまったのだ。

 今や錬金術など、怪しげな黒魔術などと同様。ファンタジーにおける空想でしかないというのが、現代学者たちの一般的な見解である。

 

 

 だが——。

 

 

「この際なので言ってしまいますが……実は私も若い頃、その錬金術に傾倒していた時期がありましてね」

「……えっ?」

 

 そんな錬金術を、エドワードは若い頃から研究していたというのだ。

 それがオカルトだと口にした上で、彼は自らを——『錬金術師』だと名乗った。

 

「この写真……キメラのこの部分を見てください。これは錬成痕です」

「れ、れんせい……こん?」

「錬金術を使用した痕跡です。大なり小なり錬金術を使用すれば、必ずこういった痕が残るものなんです」

 

 そして、錬金術師としての視点から、エドワードは写真に写っているキメラの死体。そこに錬金術を使用した痕跡が残っているというのだ。

 もっとも、その部分を指摘されても素人目線でその痕とやらを判別することは出来ない。

 

 エドワード・エルリックという人間の言葉が正しいかどうか、鬼太郎たちではそれを推し量ることが出来ないでいる。

 

「……おかしなことを言っていると思われても仕方がないでしょう。ですが……私には貴方たちを頼る以外になかったんです」

 

 エドワードには、自分がおかしなことを言っていると思われてしまう自覚があるようだ。錬金術の存在を当たり前のように話す自分に、鬼太郎たちが懐疑的な眼差しを向けても仕方がないと。

 しかしその上で、彼はこのキメラの正体を鬼太郎に確かめて欲しいと手紙を送った。

 

「古い友人は……皆先に逝ってしまいました。孫たちを、『こちら側』の事情に巻き込むわけにもいきません……」

 

 エドワード自身が百十五歳と高齢なこともあり、直接現地に行くような体力は正直もうない。また、こういったことを頼めそうな家族や友人たちも、ほとんどが既に亡くなっているとのこと。

 孫といった親類縁者はいるが、彼らにこのようなことは頼めないという。

 

「せめて、このキメラの存在が本物かどうか。それを確かめるだけでも、引き受けては貰えないでしょうか?」

 

 そこで鬼太郎の存在を知り、彼に依頼することを思い立ったらしい。

 無理にとは言わない。しかし出来ることならと、エドワード・エルリックはその頭を深々と下げていた。

 

 

 

 

 

「どうしましょう、父さん?」

「そうじゃな。嘘を付いている感じではなかったが……しかし……」

 

 エドワードとの面会時間も終わり、鬼太郎たちは病院の廊下で今後のことを話し合う。

 

 キメラと呼ばれる怪物の死体が見つかったのはドイツ——海外だ。

 海外に出向くこと自体は、特に問題ではない。これまでも、日本以外から手紙で依頼を受けたことはある。少し遠いかもしれないが、それくらいであれば鬼太郎たちも躊躇いはしなかっただろう。

 

 問題は——エドワード・エルリックという人間の言葉を真に受けていいかどうかという点だ。

 彼が話してくれたことを、どこまで信用していいのか。人為的に生み出される合成獣やら、金を作り出す錬金術やら。

 大雑把な観点からすれば、妖怪などといった怪異と同じような扱われ方なのだろうが、鬼太郎たちからすればまるで畑違いな話である。

 

「まあ、あの歳だし。普通にボケちゃってる可能性も……あるわけよね」

 

 猫娘も、失礼ながらエドワードという人間の年齢を鑑みて、彼が妄言や狂言を口にしている場合を視野に入れる。本人に嘘を付いている自覚がなくとも、それらの話が全て彼自身の『空想』という可能性もあるのだ。

 果たして、エドワードの言葉がどこまで正しいのか。彼一人の話だけではどうにも動きにくかった。

 

 

「——あの……すみません」

 

 

 と、鬼太郎たちが悩んでいると、徐に一人の女性が彼らに声を掛けてきた。

 

「はい? 貴女は……?」

 

 鬼太郎が振り返ると——そこに外国人の女性が立っていた。

 スラリとした長身の美人だが、その顔にはまだ幼さを残している。おそらくは二十歳くらいだろう。金色の長髪を後ろに纏め、耳にはピアスを付けていた。

 

「さっきまで、お爺ちゃんと面会されていた方ですよね……?」

 

 彼女もエドワードのような流暢な日本語で、恐る恐ると鬼太郎たちに『祖父』との面会について尋ねてきた。

 

「お爺ちゃん……ということは、キミは……」

 

 彼女の言葉に目玉おやじが察する。眼前の女性がエドワード・エルリックとどのような関係なのか。

 

「は、はい……ええっと……」

 

 彼女は目玉おやじの存在に戸惑いを見せつつも、自らの名を名乗っていく。

 

 

 

「——ウィンリィ……ウィンリィ・エルリックです。エドお爺ちゃんの……孫です」

 

 

 

×

 

 

 

「ウィンリィさん……でしたか? エドワードさんのお孫さんということですが……」

 

 場所を外、病院の中庭へと移動した一行。鬼太郎はベンチに腰掛ける眼前の女性——ウィンリィ・エルリックに改めてエドワードとの関係性を尋ねる。

 

「ええっと……正確には曾曾お爺ちゃんです。日本語だと……玄孫って言うんでしたっけ?」

「や……やしゃご……」

 

 ウィンリィの口からより詳しく自身の立ち位置を語られ、それを聞いた猫娘が言葉を失う。

 エドワードからすれば玄孫。ウィンリィからすれば曾曾祖父、あるいは高祖父と呼ぶべき間柄とのことだ。

 一般的に実の高祖父がそこまで存命することがないため、あまり聞き慣れないし呼び慣れない言葉だろう。流石は百十五歳。

 紛らわしいため、ウィンリィも普段はエドワードのことを普通にお爺ちゃんと呼んでいるらしい。

 

「うむ、ウィンリィちゃん……他の親族は? ここにいるのは、キミ一人なのかな?」

 

 ふと目玉おやじはウィンリィ以外の親族、他の家族の所在を尋ねた。彼女以外にも孫や曽孫が他に何人かいてもおかしくはない筈だが。

 

「はい、他のみんなは海外に……私は留学中の身でして、それでお爺ちゃんのお世話をしているんです」

 

 今のところ、日本に住んでいる親族はウィンリィだけのようだ。彼女は留学中で、たまたま近くに住んでいたこともあり、頻繁にエドワードの元へ見舞いに訪れているとのこと。

 

「あの……鬼太郎さんは、お爺ちゃんにいったいどんな用事で?」

 

 日本に住んでいるだけあって、ウィンリィもゲゲゲの鬼太郎のことは認知しているらしい。妖怪である彼が祖父に何の用だろうと、少しおっかなびっくりと問いを投げ掛けてくる。

 

「手紙を頂いたんです。彼からこの写真の怪物……錬金術によって生み出されたキメラの正体を確かめて欲しいと……」

 

 少し迷いながらも、鬼太郎はエドワードから依頼された内容をそのままウィンリィに話した。

 その際、合成獣や錬金術という言葉をあえて口にする。それを聞いたウィンリィの反応を窺いたかったからだ。

 

「そうでしたか! そっか、錬金術……お爺ちゃんの方から、鬼太郎さんに話があったんですね……」

 

 するとウィンリィはその表情を明るくし、とりあえずはホッと胸を撫で下ろす。もしかしたら、鬼太郎の方からエドワードに何かあるのかと不安を抱いていたのかもしれない。

 錬金術といった言葉自体には、特に言及してこなかった。

 

「……貴女は知ってたのかしら? お爺さんが、錬金術師とかいうやつだってことは……」

 

 そんなウィンリィの様子から猫娘が質問する。

 彼女は祖父の事情をどこまで知り、またどこまで信じているのだろうか。

 

「あっ、はい……子供の頃、よくお爺ちゃんから聞かされていました。といっても……お爺ちゃんが自分で創作した、お伽話だとずっと思っていましたけど……」

 

 ウィンリィ曰く、エドワードの孫たちの大半は彼が話す『錬金術師の物語』を聞いて育つと言う。

 エドワード・エルリックという人間の『壮大な冒険譚』——彼が若き錬金術師として世界を旅したこと、その活躍っぷりを昔話として語り聞かされるのだという。

 

 幼い頃は単純にその物語に胸躍らせていたというが、大人になるにつれ、その話があくまで『創作上の物語』だと理解していくらしい。

 しかし、その話のおかげで錬金術がどういったものなのか、基本的な知識が自然と身につく様だ。錬金術と聞いても驚かないのはそのためだろう。

 

「きっと妖怪もいる世の中ですし、お爺ちゃんのいう錬金術のお話も……本当にあったことなのかもしれませんね……」

「…………」

 

 祖父との仲が良好なのこともあってか、ウィンリィはエドワードの話を真っ向から否定しなかった。

 近年になって、妖怪たちが引き起こす面妖な事件が表沙汰になることもあってか、エドワードが過去に話してくれた錬金術師の物語も、ひょっとしたら事実だったのかもと。

 少なくとも、ウィンリィという孫娘に高祖父であるエドワードを疑う空気はない。

 

「ふむ……とりあえず、現地の方に一度行ってみるか、鬼太郎よ」

「そうですね、父さん」

 

 そんなウィンリィの態度が後押しとなり、鬼太郎たちはエドワードの話を一旦は信じることにする。

 彼が調べて欲しいといった怪物、キメラの正体だけでも確かめようと現地に赴くことを決めたのだった。

 

 

 

「あの……少しいいでしょうか? 鬼太郎さんにお尋ねしたいことがあるんですが……」

「えっ……?」

 

 だが、ここでウィンリィが立ち去ろうとする鬼太郎を呼び止める。

 彼女は妖怪である鬼太郎に——『とある事実』を確認するため、緊張した面持ちでその質問を投げ掛けていた。

 

 

 

「——人が死んだら地獄へ行くというのは……本当なんでしょうか?」

 

 

 

 

 

「…………それは……生憎ですが、ボクの口から話すわけには……」

 

 ウィンリィの口から放たれた思いもよらない問い掛けに、鬼太郎は驚きつつもその口を固く閉ざした。

 

 地獄——死んだものの魂が行き着く先。

 確かに日本で死んだものは、人間だろうと妖怪だろうと、まずは『日本地獄』へと落とされる。その後、閻魔大王率いる十王によって生前の行いを裁判にかけられ、罪の有無が問われる。

 その裁判の結果次第で、天国行きか地獄行きかなどが決まるわけだが。しかしその事実を、まだ生きている人間に告げるのは色々と不味いだろう。

 

 死後に裁判が待っていると分かってしまえば、人によっては今後の人生そのものを大きく変えてしまいかねない。

 地獄のことを既に知っているような人間であればいざしらず、何も知らない一般人に余計な情報を吹き込まない方がいいというのが鬼太郎の考えだ。

 

「そう……ですか……」

 

 だが、鬼太郎の答えに何となく地獄が実在することを理解してしまったのか。ウィンリィは意気消沈と気持ちを落ち込ませてしまっていた。

 

「……どうして、そんなことを聞きたいのかしら?」

 

 そこで一度は地獄に落ちたことのある猫娘が、ウィンリィに何故そのような質問をするのかと声を掛けた。彼女はまだ若い。死後のことを考えて絶望するより、生きている今に目を向けるべきではないだろうか。

 だが、ウィンリィが危惧していたのは——自分自身の死後や人生などではなかった。

 

 

「…………お医者さんの話によると、お爺ちゃん……もう長くはないそうなんです」

「——!!」

 

 

 重く息を吐くよう、ウィンリィは高祖父の——エドワード・エルリックの命がそれほど長くないことを話した。これには鬼太郎も目を見開いて驚く。

 先ほど面会した際には、そんな空気を微塵も感じさせなかった。あの老人がもう時期寿命を迎えるなど、正直想像も付かない。

 

「勿論、お爺ちゃんも……私たちだって覚悟は出来てるんです。なんたって百十五歳ですから……大往生ですよ、ええ……」

 

 もっとも、彼の年齢を考えればそれも仕方がない。寧ろ、百年以上の時を過ごしてきたのだから、人並み以上に人生を全うしたと言ってもいいだろう。

 ウィンリィも、エドワードの『死』そのものは受け入れているようだ。完全に納得しきれているわけではないが、ある程度心の整理は付けていた。

 

 しかし、その死後に地獄での裁きが待っているかもという事実に、ウィンリィは顔を俯かせながら語っていく。

 

「お爺ちゃん、最近になってよく言うんです……」

 

 

 

 

 

『——私は死んだら……きっと地獄に落ちるのだろうな……』

 

 ある日のことだ。

 見舞いに来ていたウィンリィの前で、エドワードはポツリとそのような言葉を溢した。

 

『そ、そんなことないよ!! お爺ちゃんは地獄に落ちるような人じゃない!!』

 

 これにウィンリィが声を荒げた。

 エドワードの死自体を否定するような、そんな気休めな発言は出来ない。だが、エドワード・エルリックという人間が死後地獄に落とされるなど、そんな事実はあり得ないとムキになって叫ぶ。

 ウィンリィをここまで必死にさせるほど、エドワードは孫たちにとって良き祖父だった。

 

『お爺ちゃんは、ずっとずっと……色んな人のために頑張ってきたんでしょ!?』

 

 それにエドワード・エルリックという人間には、若い頃から人々のために活動をしてきた実績がある。

 

 本人の口から詳しく聞いたわけではないが、両親や親戚たちはそれとなく知っているようで、それこそ歴史に名を刻んでいてもいいような功績だとか。

 流石にウィンリィが生まれるくらいの頃には、そういった活動が出来るような年齢でもなく。彼女も物静かに余生を送るエドワードの姿しか見たことがなかったが。 

 

『ありがとう、ウィンリィ……』

 

 自分を気遣って叫ぶ玄孫の姿に、愛おしいものを見るような眼差しでエドワードは目を細める。

 

 時折、エドワードはウィンリィの顔を見て——どこか遠くを見つめているようだった。

 その瞬間、ウィンリィはエドワードが自分ではない『別の誰か』を見ていると感じる。もしかしたら、自分に他の誰かの面影を重ねているのかもしれない。

 

『けど、天国に行くにも……私は罪を重ねすぎた……』

『——!!』

 

 しかし、続くエドワードの言葉にウィンリィは息を呑む。

 

『罪』——時々エドワードが自虐的に呟く言葉だ。

 多くの人のために活動してきたというエドワードだが、それとは別に彼は『何かしらの罪』を犯してきたという。

 

 その罪とやらの詳細もウィンリィは知らない。もしかしたら彼が語る『錬金術師』としての物語に、何かしら関係しているのではと考えたこともある。

 だがエドワードが孫たちに聞かせる話しは、基本的に楽しくて痛快な冒険譚だ。あまり暗い、怖いような話しはしない。

 

 あるいはその物語の根底にこそ、孫たちには話すことが出来ないような『罪』が渦巻いているのかもしれない。

 

『咎人である私は、この報いを受けなければならない。なのに今、私は幸せの中にいる……ウィンリィ、お前のおかげでね』

『お、お爺ちゃん……』

 

 毎日のように見舞いに来てくれているウィンリィに礼を言うよう、エドワードは穏やかな微笑みを浮かべる。

 自分の命が長くないことは、彼自身も理解している。それでも孤独死などではなく、自分の死を看取ってくれる孫がいることに、彼はこの上ない幸福を感じているようだった。

 

 しかし、それでは道理が合わないと。罪を犯した自分がこんな幸せな終わりでいい筈がないと、心のどこかで罰を受けることを望んでいるのか。

 エドワードは自身の死後、地獄で責苦を味わうことを受け入れているようであった。

 

『出来ることなら、アルと同じ場所に逝きたいが……きっとそれも叶わないだろうな……』

 

 だが、そんな彼にも心残りというものがある。

 今はもういない、大切な人の名を呟きながら——もはや叶う筈のない願いを口にしていく。

 

 

『——きっとあいつは天国……『俺』は地獄。もう二度と、会うことは叶わないのだろう』

 

 

 

 

 

「…………アル?」

 

 ウィンリィの話に黙って耳を傾けていた鬼太郎たちだったが、初めて聞く名前に思わず聞き返していた。

 

「アルフォンス・エルリック。ずっと昔に亡くなった……お爺ちゃんの実の弟さんです」

 

 ウィンリィは、その人物こそがエドワード・エルリックの心残り。

 本当にあの世があったとしても、きっと二度と会うことが出来ないだろうと残念がっている実の弟とのことだ。

 

「病気で亡くなったとかで。私も直接会ったことはないんですけど……写真だけならここに……」

 

 そう言いながら、ウィンリィが懐から取り出したのは一枚のモノクロ写真であり、そこに二人の男性が写っていた。

 どちらも外国人の青年。背丈の違いや多少の歳の差こそあれど、互いによく似た顔立ちをしている。

 

「そこに写っている背の高い人がアルフォンスさんで……もう片方がお爺ちゃんの若い頃です」

「へぇ~、すごい若いわね! 二十代くらいかしら? お兄さんの方が、ちっちゃいのね……」

 

 ウィンリィの補足説明を聞きながら、猫娘は若りし日のエドワードに思わず息を漏らす。

 どことなく面影はあるが、先ほど面会した老人と写真の青年が同一人物だと言われると、やはり年月の重みを強く感じさせる。

 それはそれで——『背の低い兄が弟を見上げる』という構図に思わずツッコミが入る。

 

「はははっ……それ、お爺ちゃんの前では言わない方がいいですよ。お爺ちゃん、小さいって言われると怒っちゃいますから」

 

 すると猫娘の迂闊な発言に対し、ウィンリィは笑いながら注意喚起を促す。

 年相応に大人なエドワードだが、彼は身長の低さを弄られると誰であろうと条件反射で怒りを露わにするという。彼の前で『小さい』という言葉はNGワードなのだ。

 

「この写真……この間、お爺ちゃんが私にくれたんです」

 

 本来、その写真はエドワードが大切に保管していた筈のものであった。

 

「けど、これ以上は自分が持っていてもしょうがないって……私に持っていて欲しいって……」

 

 しかし自身の死期を悟ってか、最近になってエドワードは終活と称し、身の回りのものを整理するようになった。

 その際、エドワードがウィンリィにこの写真を譲ったという。彼女も、何故自分なのかと戸惑ったものだが、どうにも『ウィンリィ』という人間に持っていて欲しいということだった。

 

 ずっと見舞いに来てくれた感謝か、あるいは別に思うところがあるのか。

 いずれにせよ、その写真をウィンリィは後生大事にしていくつもりだった。

 

 

 

 

 

「エドワード・エルリック……随分と波乱に満ちた人生を送ってきたようじゃな……」

「そう見たいですね……」

 

 そうして、話が終わりウィンリィ・エルリックと別れる鬼太郎たち。目玉おやじは彼女から聞かされたエドワード・エルリックという人間の物語を、噛み締めるように目を閉じる。

 

 玄孫であるウィンリィから話を聞いただけでも、エドワードが波瀾万丈な人生を送ってきたことが窺い知れた。

 きっとウィンリィが知っている以上にも、語り尽くせぬ人生を背負って彼はここまで行き着いたのだろう。

 

「それで……どうするのよ、鬼太郎? エドワードさんの話……引き受ける?」

 

 だが感慨に耽ってばかりもいられないと、猫娘は改めて今回の依頼をどうするか聞いてきた。

 その口ぶりから、猫娘の心情としてはエドワードの話を信じてもいいと思い直したことが伝わってくるが。

 

「そうじゃな。しかし、ドイツ……西洋ともなれば、わしらだけではちと荷が勝ち過ぎるかもしれん……」

 

 猫娘に同意するよう、目玉おやじも頷いていく。

 だが依頼を引き受けると決めたからこそ今回の話、自分たちだけで進めるのが難しいと冷静な判断を下す。

 

 怪物の死体があったとされる場所はドイツ。自分たちでは単純に土地勘もなく、さらに現地の人とのコミュニケーションにも不安が残る。

 それに実際に怪物が本物だとしても、その死体だけ見たところでそれが合成獣だと、鬼太郎たちでも判別は付かないだろう。

 

 この依頼と真剣に向き合っていくためにも、目玉おやじは『協力者』の手を借りることにする。

 

 

「彼女らと連絡を取りたい。そのためにも……」

 

 

 そのために必要な手順、その第一歩として——目玉おやじはとある日本妖怪の名を口にしていく。

 

 

 

「——鏡爺と連絡を取ってくれ。あやつ経由で話を通すのが一番手っ取り早いじゃろう」

 

 

 

×

 

 

 

 鏡爺とは、古い三面鏡を住処とする老人の妖怪である。

 彼は鏡の中に『世界』を作り、鏡から鏡へと自由自在に移動する能力を秘めていた。

 

 人間から言わせれば、鏡に何かが映って見えるのは光の反射でしかなく、鏡の中に世界など存在しないと言いたいだろう。

 しかし、昔の人間は鏡に自分の姿が映って見える原理など理解することが出来ず。そこに神、あるいは悪魔などといった霊的な何かが宿っていると信じていた。

 さらには鏡の向こうにここではない別の場所、異界へと通じる道があると信じ恐れたりもした。

 

 あるいは鏡爺の能力も、そうした人々の迷信が具現化したものなのかもしれない。

 いずれにせよ、その鏡世界を介在すれば理屈の上では鏡が存在する、全ての場所へと行き来することができる。

 

 たとえ——それが遠い異国の地であろうともだ。

 

 

 

「——それじゃあ……他の皆にも声を掛けておいてくれ、鏡爺よ!」

「——分かった、任せておけ!!」

 

 鏡の世界を通じ、移動を終えた鬼太郎たち一行。

 目玉おやじはここまで道案内をしてくれた鏡爺に、他の仲間たちも連れてくるように要請し、それに快く応じた鏡爺の気配がその鏡から遠のいていく。

 

「話は通していると言っていましたが……」

「誰もいないわね、どこに行ったのかしら?」

 

 目的地へと辿り着いた鬼太郎と猫娘が周囲へと目を向けるが、そこに待っているであろう人物の姿がなかった。

 

 見事な装飾が施された巨大な鏡が置かれていたその部屋は、大きな西洋風の広間である。

 建築様式から日本のものではなく、机やテーブルといった調度品からも、鬼太郎たちが普段暮らしている和風の空間から逸脱していることが察せられる。

 しかし、鏡の世界から直接ここまで来た鬼太郎たちは、この建物がどんな外観かを知らない。

 

 果たしてここが本当に『彼女たち』が住んでいる場所なのかと、少しだけ不安になってくる。

 

 

「——鬼太郎! 猫娘! 来てくれてたのね!!」

 

 

 だが不安が脳裏を過ったそのタイミングで、建物の住人が鬼太郎たちの元へやって来た。

 

「鏡爺さんから話は聞いてるわ! お茶を用意したから……とりあえず、こっちで話しましょう」

 

 既に鏡爺から要件は伺っていると、鬼太郎たちの来客を歓迎する——『魔女の少女』。

 こちらを出迎える準備をしてくれていたようで、そんな彼女に鬼太郎が代表して礼を述べていく。

 

「ああ、ありがとう……アニエス」

 

 

 

 そう、ここはアニエスと、彼女の姉である魔女・アデルが拠点としている建物だ。

 今回の依頼は事件が西洋で起きたということもあり、西洋妖怪である彼女たちに協力を頼むことにしたのだ。鏡爺を通して連絡する手段は以前にも使用していたため、今回はすんなりとアニエスたちとコンタクトを取ることが出来た。

 多少の概要は鏡爺を通して伝わっているだろうが、詳細を話し合うべく、鬼太郎たちはアニエスと向かい合わせでテーブルに腰掛けていく。

 

「鬼太郎。最近、あの子は……まなはどうしてるかしら……」

 

 だが本題に入る前に、お茶の席でアニエスは鬼太郎たちに日本に住む友人——犬山まなの様子を尋ねていた。

 記憶を失い、妖怪である鬼太郎とも距離を置いているあの少女が今どんな生活をしているのか。異国の地で離れて暮らすアニエスにとっても、常に気掛かりとしている案件である。

 

「記憶の方は相変わらずだけど、大丈夫よ。毎日楽しそうに、懸命に過ごしてるから……」

「…………」

 

 アニエスの問いに、一応は猫娘が前向きな答えを口にする。

 まなと距離を置くと苦渋の決断を下した彼女だったが、時々は遠目から様子を見たり、まなの両親といった近しい人と連絡を取り合ったりと、常にまなのことは気に掛けている。

 そのため自分たちが関わらずとも、まなが元気に明るく日々を過ごしているということはキチンと把握していた。

 もっともそれを口にする猫娘も、隣で聞く鬼太郎の表情も暗い。

 

「そう、あの子が楽しそうなら……それに越したことはないわね……」

 

 アニエスも、まなが元気でやっているという報告そのものには頷きつつ、その表情には陰りしかない。

 皆が皆、犬山まなという人間との離別に未だ踏ん切りが付いていないことが、その空気から察せられる。

 

 

 しかしこれ以上は気に掛けても仕方ないと、とりあえず話を本題へと戻すことにする。

 

 

「それはそうと、話にあった怪物の死体だけど……確かにこっちの方でも結構な騒ぎになってるみたいね」

 

 アニエスは例の怪物の死体が、現地のニュースでもそれなりに大きく取り上げられていることを話した。

 実際にそれを目撃したであろう現地の人間が、その怪物を本物だと騒いでいるとのことだ。ますます真実味を帯びてくる話に、鬼太郎たちも改めて気持ちを引き締めていく。

 

「うむ……それと、エドワード・エルリックさんという方についてじゃが……」

 

 さらにここで、目玉おやじが今回の依頼主である男性、エドワード・エルリックという人物についてアニエスに詳細を語っていく。

 彼が自らを錬金術師と名乗っていることに関して、魔女である彼女の意見を伺う。

 

「錬金術か……ワタシは専門じゃないから詳しくは分からないけど、多分アデルお姉様なら——」

 

 しかし目玉おやじの話にアニエスにはピンときた様子がなく、話題を自身の姉のことへと移していく。

 

 

「——今、錬金術と言ったか?」

 

 

 するとそこへもう一人、この建物の住人が姿を現す。

 アニエスの姉である魔女アデルが、険しい表情で鬼太郎たちの腰掛けるテーブルへと歩み寄ってきたのだ。

 

「アデル、錬金術について詳しいのか?」

 

 錬金術と聞いて顔を顰めるアデルに、何か心当たりがあるのかと鬼太郎が問いを投げ掛ける。

 

「詳しいも何も……錬金術はお姉様の分野よ。というか……錬金術って、一応は魔法の一種なのよね」

「そ、そうなの!?」

 

 アニエスの口から何気なく語られた事実に猫娘が驚く。

 

「ああ、私の魔法道具の生成には錬金術が使われている」

 

 しかし、魔女であるアデルから言わせるとそれが常識とばかりに、彼女は自身の使用する魔法石といった魔法道具にも錬金術が用いられていることを説明する。

 

 

 そもそも、錬金術とは魔法の一種であり『魔法を使用して物を造り出す』ことを、魔女たちは錬金術と呼んでいた。

 一般的に言われている『卑金属を貴金属に変換する術』も、その一例でしかなく。

 本来の錬金術はより深く、万物の在り方を研究し、様々な魔法道具を生成することにその真髄があった。

 

 

「どういうわけか……我々魔女の技術が一部流出してしまってな。それを人間たちが我が物顔で研究し始めたのが、今も連中の間で語られている錬金術だ……」

 

 その魔女たちの技術が、いつの頃からか人間たちの間にまで教え広まってしまったという。

 それが中世を発祥とする錬金術の始まりであるらしく、魔女であるアデルは自分たちの技術が盗まれたと、不愉快そうに顔を歪めている。

 

「だが本来、錬金術の使用には高純度のエネルギーが必要になってくる。我々魔女は魔力を消費することで錬金術を行使できるが……普通の人間にはその魔力がない」

 

 しかし錬金術の知識を得たところで、人間には致命的に足りないものがあった。

 それこそ、錬金術を起動させる『エネルギー』であり、それを使用できなければ錬金術など、所詮は机上の空論でしかないというのだ。

 

「結果として、人間は真の意味で錬金術を理解することが出来ず……ただのオカルトとしてその存在を忘れ去っていった」

 

 一応は科学技術の発展にこそ貢献したものの、錬金術はただのオカルトとして、人間の学者から白い目で見られるようになった。

 中には錬金術を語って大金をせしめるような詐欺師までいたとされ、それがさらに人々の錬金術に対する評価を下げたのである。

 

「全く! 勝手に人の技術を奪っておきながら、勝手に紛い物扱いするなど……厚顔無恥な連中だ!」

「あ、アデルお姉さま……落ち着いて下さい」

 

 自分たちの技術をいいように扱われ、一人の魔女としてアデルは憤りを隠せないでいる。そんな姉を冷や汗を流しながら宥めていくアニエス。

 

 

 

「それにしても……合成獣のことを知り、錬金術師を名乗る男か……ふむ……」

 

 妹に冷静になるよう言われ、とりあえず落ち着きを取り戻したアデルが考え込む。

 彼女は鬼太郎たちに錬金術の存在を語った老人、エドワード・エルリックに興味を抱いた様子だった。

 

「……アニエス」

「は、はい!」

 

 そうして考えが纏まったのか、アデルはアニエスに具体的な方針を出していく。

 

「お前は鬼太郎たちと現地に赴き……キメラの死体とやらを見てきてくれ。専門ではないだろうが、魔女であるお前なら、それが本物かどうか見分けが付くだろう」

「分かりましたけど……お姉さまはどうされるのですか?」

 

 アデルの指示に素直に従いつつ、姉はどうするのかとアニエスは聞き返す。

 キメラを本物であるかどうかなら、専門家であるアデルの方がすぐに見分けが付くだろうに。彼女はその間、何をするつもりなのかと疑問を抱く。

 

「私は……そのエドワード・エルリックという男に会って来る」

「えっ……?」

 

 すると、アデルは思いもよらないことを口にし、鬼太郎たちを驚かせる。

 

 

「その男が本物か、あるいは錬金術師を語る詐欺師なのか……この目で見極めてくれる!!」

 

 

 魔女としての誇りからか、錬金術師と聞いて黙ってはいられないようだ。

 エドワード・エルリックという人間が『本物』かどうか、化けの皮を剥いでやるとばかりに息巻いている。

 

 

「…………お手柔らかに頼むぞい、相手は百十五歳の人間じゃからな……」

 

 

 もしも『偽物』であれば、タダでは済まさんといったアデルの険しい顔つきに対し。

 とりあえず穏便に済ませるよう、目玉おやじがやんわりと言葉を添えていった。

 

 




人物紹介

 エドワード・エルリック
  鋼の錬金術師その人。原作の主人公。
  本作におけるエドは普通に年を重ね、現代までお爺ちゃんとして生きているという設定。彼、普通に日本に住んでるんですよ。
  特別編のDVD『子供編』では2005年の時点で100歳と示唆されていました。
  この鬼太郎の時間軸が2020年なので、普通に115歳になっています。
  ありえない年齢かもと思いましたが、現実でもこの歳まで生きている人がいるので何の問題もなし!
  エドワード・エルリック……最後の錬成が今始まる!!

 ウィンリィ・エルリック
  サプライズゲスト其の①。ウィンリィ・ロックベルに瓜二つの女性。
  元ネタは子供編に出てきた、エドワードの玄孫らしき女の子。その子の成長した姿です。
  一期アニメのウィンリィは本当に報われなくて……。
  せめて彼女に救いが欲しく、今回はこのような形で出演してもらいました。
  エドワードが玄孫である彼女に、初恋の人の面影を見るほど二人はそっくりさんです。

 アルフォンス・エルリック
  エドワードの弟。劇場版のラストではエドと共に『こちら側』に来ています。
  子供編では彼も生きているようなことを示唆されていましたが、今作では話の流れ上、『エドより先に若い頃、病気で亡くなった』という設定。
  この設定にも意味がありますので……どうか続きをお楽しみに。
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

鋼の錬金術師 シャンバラへの帰還 其の②

今年も7月……時が経つのは早いものです。

2023年の夏アニメもちらほらと始まりました。今季はとりあえず『ダークギャザリング』というホラー作品に注目していきたいと思っていますが、他にも面白い作品があれば目を通していきたい。
オススメなどあれば、リクエスト欄などで紹介して頂けるとありがたいです。

とりあえず、『鋼の錬金術師』其の②です。
今回は最初から四話構成として話を区切っていきたいと思いますので、どうかお付き合いください。


 その日、午前中から東京では雨が降っていた。

 暗雲が立ち込める空を病室の窓から見上げながら、御歳百十五歳のエドワード・エルリックはここではないどこかへと思いを馳せる。

 

 ——随分と遠い所まで来てしまったな……。

 

 ——だがそれも……ここまでだ……。

 

 エドワードは自身の人生を思い返す。

 

 今はもう帰ることの出来ない、故郷で過ごしてきた幸せな日々。

 失ったものを取り戻そうと、弟と共に各地を旅した冒険の数々。

 自分のために犠牲となった弟を取り戻そうと、その代償を払う過程でエドワードは『こちら側』へとやって来た。

 

『こちら側』へ来た後も、エドワードはなんとか『向こう側』への帰り道を模索し続けた。

 しかし『向こう側』との『門』を開き、錬金術などの技術を戦争に利用しようとするものが現れる。

 そんな連中から世界を守るためにも、そして二度と誰も『門』なんてものを求めないよう、それを破壊する決意を固める。

 

 たとえ、それで二度と『向こう側』に帰ることが出来なくとも。

 それが大切な人たちとの今生の別れになろうとも、それでもやらなくてはならないと若りし日のエドワードは決断したのだ。

 

 ——アルには……悪いことをしたな……。

 

 その決断自体に、今でも後悔はない。

 しかし、自身の『業』に弟を巻き込んでしまったのは、今でも少し悔いが残る選択だったかもしれない。兄としての本音を言えば、弟には『向こう側』で愛しい人々と共に生きていて欲しかった。

 

 けれど——。

 

『一緒にいたかったんだ、兄さんと。兄さんと同じものを見て、同じように成長したい』

 

『二人でいれば、そこがどこでも……ボクたちはまた旅が出来る』

 

 たとえ元いた場所に帰れずとも、二人で一緒にいたいと。

 アルフォンス・エルリックは『向こう側』の世界よりも、エドワードと共に『こちら側』の世界で生きることを望んでくれたのだ。

 

 ——あいつのおかげで……俺はやっていけたところもあったんだろうな……。

 

 実際、エドワードもアルフォンスがいてくれたおかげで、この世界で生き抜く覚悟が決まったと言えよう。もしも弟がいなければ、ひょっとしたらどこかの時点で生きることを諦めていたかもしれない。

 

 自分たちの青春時代は、まさに世界を巻き込んだ戦争がいたるところで激化した時代でもあった。

 世界を取り巻く情勢に翻弄されながらも、二人だからこそ兄弟は逞しく生き抜くことが出来たのだ。

 

 そうして生きていく中で、エドもアルも大人になり、愛する人と出会い結婚する。

 お互いに家庭を持つようになり、徐々に離れて暮らすようになった。

 

 さらには孫まで産まれた頃になって、エドワードは——『アルフォンスが病気で他界した』という知らせを受ける。

 最愛の弟の死には、大人になっていたエドワードもショックを隠し切れず——ほんの一瞬とはいえ、『後を追おうか』などという考えまで浮かんだほどだ。

 

 しかしそれでも、弟の死後もエドワードはこの世界を必死に生き続け——。

 今この日本にて、最後の余生を過ごすことになる。

 

 

 

 ——彼は……鬼太郎くんは……私の話を真に受けてくれただろうか……。

 

 過去の思い返しもそこそこに、エドワードは今の状況に思案を巡らせる。

 

 この地で最後を過ごす覚悟を決めたエドワードの目に止まったのが——例のニュース。謎の怪物・キメラらしきものの死体が、ドイツの片田舎で発見されたという新聞記事だった。

 エドワードはその存在が本物かどうか。もしもそれが本物ならば、誰がどのようにして合成獣など造り出す技術を持ち込んだのか。それを見定めた上で止めなければならないと感じた。

 

 それが現代まで生き続けた、一人の錬金術師としての責務だと思ったからだ。

 

 ——本当なら……自分で確かめに行きたかったが……。

 

 エドワードはそのキメラが本物かどうかの確認に、ゲゲゲの鬼太郎という少年の手を借りることにした。

 しかし本来なら、錬金術と何も関係がない彼に頼むべきではなかったと、申し訳ない気持ちがあった。

 

 ——流石に……もう体力が持たないだろうな……。

 

 しかしエドワードもいい加減、もう歳だ。

 他の同年代よりは動けるという自負はあったが、百十五歳の老体に長旅は堪えるものがある。日本からドイツまで行き、そこからさらに現地調査をするなど、おそらく身体が保たないだろう。

 

 やはり鬼太郎からの報告を待つしかないという現状に、エドワードが歯痒い思いを抱いていた。

 

「……ん?」

 

 すると、そんな彼の元に来客を告げるノック音が響く。

 

 

 

「——失礼する」

 

 エドワードの返事を待たずして、病室に入って来たのは銀髪の美女——魔女・アデルであった。

 

「……キミは?」

 

 見知らぬ女性の突然の来訪に、エドワードも困惑した表情を浮かべている。

 

「私は魔女・アデル……鬼太郎の知り合いだ」

「鬼太郎くんの? ふむ……」

 

 とりあえず、アデルは最低限の礼儀として自身の名前と、ゲゲゲの鬼太郎の関係者であることを告げる。それによりエドワードもある程度の警戒心を解き、アデル相手に正面から向かい合っていく。

 

「お前がエドワード・エルリックか……なるほど、確かに只者ではなさそうだ……」

 

 第一印象。魔女であるアデルの目から見ても、エドワードという老人は確かに年月の重さ、深みを感じさせる相手だった。

 

「だが、それでお前の言葉を鵜吞みにするかどうかは別の問題だ。貴様が本物の錬金術師だというのであれば……私の質問に答えてもらおうか」

 

 しかしその時点において、アデルはエドワードという人間を本物の錬金術師だと信用してはいなかった。いかに貫禄がある老人であろうとも、人間如きに錬金術のなんたるかを理解出来るとは思えないと。

 自分が誇り高き魔女であるという自負もあってか、不躾であることを承知の上でアデルはエドワードへと問いを投げ掛けていく。

 

 

「——まず聞こう。錬金術とはなんだ?」

 

 

 最初は軽く小手調べだとばかりに、『錬金術とは何か?』と率直に問うた。

 この程度の問いに答えられないようではたかが知れているだろうと、アデルの態度にも高圧的なものが宿っている。

 

「なるほど……」

 

 エドワードは相手の口ぶりから、自分が『試されている』と理解したのか。無礼と言ってもいいアデルの態度に激昂することなく、口元に微笑みすら浮かべながら彼女の問いに答える。

 

「一般的に錬金術は『金を作る』あるいは『物体を生成する』技術だと思われがちだが、それは一側面に過ぎない。卑金属を貴金属へと昇華させる過程を人間に適用すれば、病気の治療や不老長寿の研究にも繋がる。しかし、錬金術の本質は人間や世界の成り立ちを突き止めることで、そのものを更に上の段階へと導く。つまりは、魂の霊的完成を達することであり——」

 

 その後も、さらに自らの自論を含めて錬金術のなんたるかを説いていく、エドワード・エルリック。

 

「ほう……」

 

 エドワードの説明に思わず感心したように息を吐く、魔女・アデル。

 しかしこの程度は序の口だ。ここからが本番とばかりに、アデルはさらに深い内容へと突っ込んでいく。

 

 

「——錬金術における最も根本的な原理を述べよ」

「錬金術は基本的に『等価交換』で成り立っている。例えば壊れたラジオを直す場合、欠けた破片が全て揃っていなければ元には戻らない。ネジ一本でも足りなければ、その錬成は不完全に終わるだろう。『十』を作るのに『十』の材料が必要になってくる。『無』から『有』を作り出すことは出来ない。錬金術を使用するには必ず、同等になる代価を支払わなければならない」

 

 

「——錬金術を行使するにあたり重要になってくる三つの段階について答えよ」

「理解・分解・再構築の三つ。その物体がどのような構成で作られているかを正しく『理解』し、物体を作り変えるために一度『分解』。そうして、バラバラになった物質を『再構築』して繋ぎ合わせる。基本的に、この三つの段階を経ることで錬金術として完了する」

 

 

「——錬金術を構築するもの……構築式に必要なものは何か答えよ」

「錬成陣。錬金術を発動するために必要になってくる図形式だ。描かれる図形や文字列の構築式は術者によって個性は出るが、その形の基本は円形である。円の形をしているのは力と時間の循環を示しているためである」

 

 

「…………」

 

 一才の迷いもなくスラスラと答えを口にするエドワードに、アデルの方が思わず口ごもってしまう。

 

 エドワードの解答は、その全てが正しいという訳ではない。

 例えば『錬成陣』という単語。確かに錬金術を発動するのに図形式や文字列は必要不可欠な要素ではあるが、魔女たちの間でそれは『魔法陣』と呼称されている。

 人間として錬金術を扱うものとしての認識か、魔女であるアデルとの相違点がところどころに見られた。

 

 もっとも、そういった些細な違いこそあれど、エドワードの言葉に論理的な矛盾は感じられない。アデルは一人の知恵者として、相手の言葉に耳を傾けている自分を自覚せざるを得なかった。

 

「——これが何を意味するか、理解出来るか?」

 

 だがまだ認める訳にはいかないという意地からか、アデルはエドワードに一枚の図形が書かれた紙を差し出す。

 

「錬成陣ですね……いえ、貴女たち魔女からすれば、魔法陣と呼ぶべきものでしょうか?」

 

 エドワードはそれが錬成陣であることを一目で理解した上で、魔女であるアデルの顔を立てて魔法陣と呼ぶ。

 

「ふっ……それだけか?」

 

 ここでアデルが口元に薄く笑みを浮かべた。

 相手の気付いたことがそれだけならば、話はここで終わりだとばかりに大人げなくも勝ち誇る。

 

「おや……? この部分、いくつか間違っていますね。ここと……この部分……」

「——!」

 

 しかしエドワードは冷静に、アデルの描いた錬成陣に誤りがあることを指摘する。

 それはアデルが『わざと』間違えた箇所だ。あえて間違った陣を描き、それにエドワードが気付くかどうかを試したのだ。もしもその間違いに気付かないようであれば、彼の知識などやはり見せ掛けに過ぎないのだろうと。

 だがエドワードはその間違いを正しく修正した上で、さらに効率的な構築式を別の紙に描いて見せる。

 

「——っ!? そ、それは……そのパターンは考えたこともなかったが……」

 

 これにはアデルも思わず唸った。それは彼女が唯一の正解式だと思っていたものよりも、さらに効率的な錬成陣だったのだ。

 自身を上回る知識量から導き出されたエドワードの構築式に、試している筈のアデルが敗北感を味わうことになってしまう。

 

「……な、ならばこれはどうだ!! この構築式をお前ならどう描く!?」

「ほうほう……これは懐かしい。この陣であればここをこうして……」

 

 それでも負けじと、アデルはエドワードへの問い掛けを続けていく。

 

 そこにはエドワードを試すという当初の目的も確かにあったが、それ以上に『この男の意見をもっと聞いてみたい』という一人の魔女、あるいは研究者としての好奇心が多分に含まれていた。

 エドワードも、久方ぶりに他者と突っ込んだところまで錬金術の話が出来て楽しいのか。

 

 

 二人は暫しの間、時間が過ぎるのも忘れて錬金術への見解をぶつけ合い、互いに知識を高め合っていった。

 

 

 

×

 

 

 

「ここが西洋……ヨーロッパか……」

「なんとも壮観な光景じゃな……」

 

 エドワードとアデルが日本で問答を繰り広げていた頃。遠く離れた欧州の大地にゲゲゲの鬼太郎たちが降り立つ。

 普段はなかなか来ることのない異国の、それもヨーロッパの地平線まで見える牧草地の風景を前に、鬼太郎や目玉おやじですら感慨深げな声を溢している。

 

「それにしても……」

 

 一緒にいる猫娘もだ。

 彼女は鬼太郎の隣で——自分たちが立っている場所から見えるその景色に息を吐く。

 

 

「——アニエスたちの住んでるこの城が……もうドイツ内だったなんてね……」

 

 

 そう、彼らが立っている場所は——ドイツ領内に存在する『古城』の屋上であった。

 

 鏡爺の鏡世界から直接アニエスの元を訪れたために気付かなかっただろうが、鬼太郎たちは知らず知らずのうちに今回の目的地である、ドイツ国内への入国を果たしていたのだ。勿論、妖怪なのでパスポートは必要ない。

 

「ドイツは使われなくなって放置されている古城が多くてね。その内の一つを、私たちが拠点として利用させてもらってるのよ」

 

 アニエス曰く、ドイツには古城が多く建造された歴史があるとのこと。主に他国からの侵略、外敵から身を守るため。中世の時代に建てられた城塞が現代でも数多く残っているという。

 

 ドイツ国内に存在する古城の数は、およそ三千ほど。もっとも、これは人間たちが『管理』できる範囲での話だ。管理できずに放棄・廃墟と認定されたものを含めれば、およそ二万にも及ぶ古城がドイツ全土に点在していた。

 この古城の推定総数は現在進行形で増え続けている。最新の調査や研究が進めば進むほど、新しく古城と認定される廃墟が次々と発見されていくからである。

 

 鬼太郎たちが今いるこの古城も、人間たちが管理を諦めたものの一つだ。

 アニエスとアデルは、そこを自分たちの拠点として利用させてもらっているとのこと。当然、定住申請を行なっていないが妖怪なので問題はない。

 

 

「——ほほう、ここが西洋か。まさか、こんな形で足を踏み入れることになるとは……」

「——美味い酒はあるのか?」

 

 と、鬼太郎たちがヨーロッパの風景に目を奪われていた間にも、鏡爺が呼びに行った日本からの援軍が到着したようである。

 

「おお、砂かけババア!! 子泣き爺!! よく来てくれた!!」

 

 まず姿を見せた砂かけババアと子泣き爺に、目玉おやじが歓迎の意を表す。

 長いこと老人をやっている二人にとっても、西洋に来る機会など滅多にないのだろう。心なしか浮き足立っているようにも見える。

 

「——ハァ~! 西洋にも可愛い子がいっぱいおるといいとね!!」

「——ぬりかべ~」

 

 次に、一反木綿とぬりかべ。

 ゲゲゲの森一番の飛翔速度を誇る起動力の要に、鉄壁の防御力を誇る守りの要だ。どちらとも普段と変わらぬ調子で西洋の地へと降り立った。

 

「——いや! 絶景絶景!! 空気も澄んでて晴れ渡ってるし、絶好の観光日和だね!!」

「…………なんでアンタまで来てんのよ、ねずみ男……」

 

 さらにはここでねずみ男の登場だが、彼の顔を見るや猫娘が眉間に皺を寄せる。

 戦力としてほとんど期待されていない彼が、どうして西洋までやって来たのか心底からうざったそうである。

 

「へっ、別にいいじゃねぇかよ!! それを言うなら、なんでわざわざ他の連中に声を掛けたって話だよ!!」

 

 猫娘の喧嘩腰の対応に、ねずみ男もすぐさま憎まれ口を叩きながら反論を口にしていく。

 

「聞いたぜ? キメラだかなんだか知らねぇが、怪物の死体が本物か偽物かを確かめるだけの仕事なんだろ? なんだってわざわざ、俺たちを呼びつけるかね……」

「いや、だからアンタは呼んでないって……」

 

 実際のところねずみ男はお呼びでないのだが、彼の言っていることはもっともだったりする。

 

 今回、エドワード・エルリックから頼まれたのは——『ドイツで発見された怪物の死体が本物のキメラかどうか』それを確認するだけと、それ自体単純な話だ。

 発見された場所もアニエスが案内してくれると言うし、何なら真偽を確かめるのもアニエスの助けを借りれれば十分だろう。

 わざわざ、日本妖怪からいつもの面子を呼び寄せる意味があったかは疑問が残る判断だ。

 

「なに、何事も用心じゃよ。一応、ここは西洋妖怪の縄張りじゃろうしな……」

 

 この疑問に、仲間たちの手を借りようと判断した目玉おやじが意見を口にする。

 そう、ここは日本ではなく西洋。鬼太郎たちにとって未知の土地だ。どのようなトラブルがあっても対処できるようにと、念の為に仲間たちに声を掛けたのである。

 

「そうね……確かにバックベアードが倒されてから西洋の情勢は不安定だけど……」

 

 すると、目玉おやじの考えにアニエスが難しい顔をする。

 実際に西洋を活動拠点とする彼女が言うに、今の西洋妖怪たちの勢力図はかなり複雑な状況とのことだ。

 

 

 バックベアードという強大な支配者に加え、その軍団の幹部たちまでもが先の『第二次妖怪大戦争』にて倒されてしまった。

 これにより、バックベアード軍団は完全にその機能を停止。軍団の傘下に収まっていたものたちもほとんどが野に降るしかなく、その分抑えの効かなくなった連中が各地で小さな騒動を起こしているという。

 さらには空白となった『帝王』の座を虎視眈々と狙い、裏で息を潜めていたものたちまで怪しい動きを見せる始末。

 

 西洋のいたるところで燻る戦火。

 下手をすれば、再び妖怪が——人間を巻き込むほどの『大戦』を引き起こしかねない。

 

 

「けど、正直勢力争いどころじゃないってのもあるわね。バックベアードが……あいつが世界中に撒き散らした、置き土産のせいでね……」

「!!」

 

 もっとも、先の大戦による被害が西洋にも直接的な影響を与えたのか。西洋妖怪たちの動きもどことなく鈍いとのことだ。

 そう、ぬらりひょんの策略によって消滅しかけたバックベアードが、最後の足掻きとして自らを『バックベアード爆弾』と化し、体液を世界中に隕石のように降らせた一件だ。

 日本も当然ながら、西洋を含めて全世界がだいぶ被害を被ったらしく。今はその被害から立ち直るのにどこも手一杯とのこと。

 

「だから……このタイミングで鬼太郎たちにちょっかいを掛けよう、なんて輩はいないと思うけど……」

 

 故に偶々日本からやってきた鬼太郎相手に、好き好んで戦いを申し込もうという輩は少なくとも今の西洋にはいないだろう、というのがアニエスの見解だ。

 もう少し時間が経てば分からないだろうが、とりあえずこちらから喧嘩をふっかけない限りは問題ないとのこと。

 

「なら、早く用件を済ませよう……」

 

 余計な争いを望まない鬼太郎としても、それは好都合だと。

 この地の妖怪たちを悪戯に刺激しないようにと、速やかに依頼を終わらせてこの地を立ち去るつもりだった。

 

 

 

 ところが、ここでちょっとしたアクシデントに見舞われる。

 

 

 

「——怪物の死体が……とっくに処分された!?」

 

 猫娘が素っ頓狂な声を上げる。

 

 アニエスたちが拠点としていた古城から数時間ほど掛け、鬼太郎たち一行はとある農村へとやって来た。エドワードが見つけた新聞記事によると、その地区に怪物の死体があったとされ、数日前までは多くの人間たちが取材や観光気分でその死体を見物しに集まっていたらしい。

 

 しかし——。

 

「ええ。数日前には政府関係者が来たとかで……もうここには何も残っていないらしいわ」

 

 地元住人の聞き込みを担当したアニエスによると、キメラの死体は既にドイツ政府のものたちが回収。噂によると、どこぞの研究機関への引き渡しがとっくに終わってしまったというのだ。

 

「迂闊じゃった。考えてみれば当然のことだろうに、そこまで頭が回らんかったわ……」

 

 これには目玉おやじも、己の迂闊さを認めるしかなかった。

 例のニュースは、報道されて既にそれなりの時間が経過していたのだ。いかに物珍しい怪物の死体とはいえ、いつまでもそれが放置されている訳もない。

 寧ろ、何も知らない人間たちからすれば貴重の検体だ。それがどのようなものなのか、調べたくもなるだろう。

 

「肝心のものがないのでは、調べようがないぞ……」

「どうする? 諦めて観光でもして帰るか?」

 

 肩透かしを食らい、日本妖怪たちはすっかり困り果てていた。

 わざわざ西洋まで来たのに無駄足だったと、砂かけババアが鎮痛な面持ちになる。その一方で子泣き爺などはすっかり観光へと気分を切り替えている。

 

「どうすっとね、鬼太郎しゃん?」

「ぬ、ぬりかべ~……」

 

 一反木綿もぬりかべも、ここからどうするかなど全く考えていない。これからどうするべきかと、鬼太郎の判断を仰ぐ。

 

「父さん、エドワードさんに何と報告すべきか……」

「う~む……こればかりはわしらでも、どうしようもない……」

 

 だが鬼太郎も、目玉おやじもこれには頭を悩ませるしかない。

 せっかくここまで来たのにエドワードの依頼を果たすことが出来ず、このままおめおめと日本に帰るしかないのかと気持ちが沈んでいく。

 

「…………ちょっといいかしら。少し気になる話が……」

「アニエス?」

 

 ふと、ここでアニエスが鬼太郎たちへと声を潜ませる。

 彼女は不安げに表情を曇らせつつ、先ほどの聞き込みで偶々耳にしたという——『気になる話題』について皆に語っていく。

 

 

 

×

 

 

 

「——行方不明?」

 

 

 アニエスの話に鬼太郎が首を傾げる。

 現在、一行は人気のない森の中に移動しており、そこでアニエスが聞き込みにて知った情報を皆で共有することになった。

 

「ええ……なんでもここ最近になって、行方が知れなくなる人が増えてるんですって。多いところだと……それこそ、村単位で失踪してるとか……」

「なんと、いったい何故そんなことに!?」

 

 アニエスが語っていく話に、目玉おやじも驚きで目を丸くする。

 ドイツの村々で人々が次々と『行方不明』になっている事件が多発しているという事実。一件すると自分たちには関係ない、所詮は他人事だと突っぱねることも出来たが——。

 

「それも……例のキメラが発見される、数週間ほど前から……」

 

 失踪者が増えるタイミングは、キメラの死体が発見される少し前から。特にここ数週間で目立った被害が出ているというのだ。

 

「無関係……と断ずるには、あまりにもタイミングが良すぎるというか……どうにも引っかかるのよ」

 

 ただの偶然と言ってしまえばそれだけだが、あまりにも時期が重なり過ぎていると。キメラの存在と人々の失踪が、何かしらの形で繋がっている可能性が高いとアニエスは考えた。

 

「まさか……食べられたとか!?」

 

 僅かな思案の後、猫娘はとある可能性に行き当たりその顔を驚愕に染める。

 

 例の合成獣に襲われた人々が、ヤツの食糧となってしまったかもしれないと。

 確かに写真のような怪物に出くわせば最後、ただの人間など成す術もなく喰われてしまってもおかしくないだろう。

 

「それはないと思うわ。聞いた話だと、誰もキメラに襲われたところは見てないって言うし……」

 

 しかし、その可能性は低いとアニエスが首を振る。

 もしもキメラが人間を喰い殺している事実があるのであれば、どこかでそれが目撃され、もっと騒ぎになってもおかしくはない。それにいなくなった人間たちの集落などに、誰かが食い荒らされた痕跡などは見つかっていない。

 失踪したものたちは皆、何の前触れもなく忽然と姿が見えなくなったと言う。ある意味、食べられたと考えるより不気味な消え方ではあった。

 

「誰かに連れて行かれた? けど、いったいなんのために?」

 

 そのことからも、鬼太郎はこの失踪が何者かの意思による『誘拐』だと判断する。

 いったい何故そのようなことをしたのか、現時点では検討も付かない。人間側も地元警察を動かして調査をしているだろうが、これといって進展はない様子だ。

 

「どうする、鬼太郎? 一度日本に戻って依頼主に報告するか?」

「西洋の問題じゃしのう……わしらが首を突っ込んでいいものか……」

 

 ここで砂かけババアと子泣き爺が、鬼太郎に意見を求める。

 依頼と無関係とは言い難い案件ではあるが、これはあくまで西洋で起きている事件だ。日本妖怪の鬼太郎たちがこれ以上、この件に首を突っ込んだところで何の得もないだろう。

 実際、数年前の鬼太郎であればきっと『関係ない』とでも言い、放置していたかもしれない。

 

 だが——。

 

「少し調べてみよう……キメラの正体に繋がる、何か手掛かりになるかもしれない」

 

 ここで関係がないと見過ごすことを、鬼太郎は良しとしなかった。

 表向きはキメラの真偽と口にしつつ、たとえここが外国であろうといなくなった人間たちの心配をする鬼太郎の心境が伝わってくるようだ。

 

「鬼太郎……ええ、そうね……」

「うむ! それが良いじゃろう!」

 

 そんな鬼太郎の心情に笑みを浮かべる猫娘と目玉おやじ。

 最後まで彼に付き合うつもりで、他の仲間たちもしっかりと頷いていく。

 

 

 

 

 

「——どうにも……失踪者はこの辺りの地域に集中してるみたいね、イワチガ・セハーケ!!」

 

 そうして、失踪した人々の手がかりを得るためにと、さらに詳しく聞き込みをしたアニエス。

 彼女は魔法で空中に周辺の地図を立体映像のように浮かび上がらせ、鬼太郎たちと共に状況を整理していく。

 

「私たちが今いるのがここで……失踪した人間たちの住んでいる地域が大体この辺り。やっぱり田舎の農村の方で被害が出てるわね」

「そ、そうなのか……?」

「ふむふむ……?」

 

 ドイツの地理に詳しくない鬼太郎たちでは、アニエスの話に付いていくのがやっとであまりピンと来ていなかったが、確かに都市部の方にはほとんど被害が出ていないのだ。

 

「いなくなってる人間たちの年代は? 偏りとかあるわけ?」

「それが、そういうのは全く関係ないみたいで……老若男女問わずに、いろんな人たちがいなくなってるみたい」

「人間であれば誰でもよかったと? 随分と見境のない犯行じゃな……」

「はぁ~……可愛い女の子たちが無事だとよかとね!!」

「喉が渇いたのう……酒でも買ってくるか!?」

「子泣き爺……少しは我慢する……」

 

 さらに仲間たちで様々な意見を出し合い、人間たちの失踪にどのような意図や意味があるのか理解を深めていく。

 色々と関係ない話に脱線したりもしたが、分かったことを纏めると——。

 

 ①ある一定の地域・範囲を中心に失踪者が増えている。

 ②失踪している人間たちに、住んでいる地域以外の共通点はない。

 ③行方不明者が増加し始めたのは、キメラの死体が発見される数週間前からである。

 

「なるほどね……」

 

 概ねこのような感じになる。そして、それらの事実からアニエスは一つの結論に達した。

 

 もしも人間たちが何者かに連れ去られているのなら、彼らをどこに監禁する場所が必要になってくる。

 しかし様々な建物が密集する都市部ならともかく、田舎の地域でそのような場所などある程度限られてくる。

 人目につかないよう、それなりの人数を閉じ込めておける建物。それは——。

 

「——古城か!?」

「——ええ……ワタシも、それしかないと思う」

 

 鬼太郎も同じような考えに至ったようで、アニエスと意見が一致するのを確認し合う。

 

 そう、ドイツ各地に点在する——古城。

 アニエスやアデルのような魔女がその一つを拠点にしていたように、『何者か』がどこぞの古城に住み着き、そこに人間たちを連れ去っている可能性が浮かび上がってきた。

 

「ちょうど、この辺りは放置された古城が集中している地域でもあるしね……」

 

 自身の推論を裏付ける証拠として、アニエスは魔法の地図に古城の分布図をマッピングしていく。

 簡易的な表示ではあるが、かなりの数の古城が周辺地域に密集していることが一目で分かるようになっていた。

 

「この古城のどれかに、連れ去られた人間たちが?」

「まだ確証があるわけじゃないけど……そう考えてもいいと思うわ」

 

 既にアニエスの中にある種の確信があるのか。彼女の判断を信用した鬼太郎も、覚悟を決めたように表情を引き締める。

 

「分かった……手分けして調べてみよう! みんな……済まないが、もう少しだけ付き合ってくれないか?」

 

 鬼太郎は仲間たちに重ねて願い出る。

 

「ええ、勿論よ!!」

「ここまで来たからには、最後まで付き合うぞ!!」

 

 当然、仲間たちが今更鬼太郎の頼みを断るわけがなく。ここまで来た以上、最後までこの件を見届けようと、皆も気を引き締めていく。

 

「それじゃあ……」

 

 そうして、全員で事にあたるため、自然とそれぞれの役割分担を決める流れとなった。

 鬼太郎はアニエスに猫娘。砂かけババアや子泣き爺、一反木綿やぬりかべといった面々に順々に声を掛けていくわけだが——。

 

「ねずみ男、お前も……ねずみ男?」

 

 その過程で、鬼太郎はようやくあることに気付く。

 

 途中まで確かに一緒だったねずみ男の姿が、いつの間にか消えていたのだ。

 そういえば、途中から会話にも参加していなかった気がする。

 

 どうやら、かなり早い段階で——ねずみ男は一人、別行動を取っていたようである。

 

 

 

 

 

「——へっへっへ! この城なんか怪しいんじゃねぇか? このねずみ男様の直感がビビッと来てるぜ!!」

 

 鬼太郎たちの目を盗んで行動を起こしていたねずみ男が、とある建物の一つへと足を運ぶ。

 

 彼がわざわざ西洋まで引っ付いてきたのは、鬼太郎の力になるためではなかった。

 彼は単純に自身の欲求——有り体に言ってしまえば『金目な物』を求めて、わざわざ西洋くんだりまで出向いてきたのだ。

 

「こういうところに……意外なお宝が眠ってるもんなのさ!!」

 

 そのためにねずみ男が目を付けたのは、今まさに彼の眼前に聳え立っている『古城』だ。その城の中に隠されているかもしれないお宝を狙い、これから忍び込もうという算段だった。

 

 実際のところ、ドイツの古城という『遺跡』にそんな分かりやすく、金銀財宝といったお宝が都合よく眠っている可能性は限りなく低い。もしもそういったものがあれば、とっくの昔に盗掘屋といった連中に持ち去られているだろうからだ。

 しかし、歴史的に価値のある遺産や、年代物の骨董品など。一見してお宝と分からないものでも、金にはなるだろう。

 何か物珍しいものがあれば、とりあえず片っ端から回収する腹積もりで、ねずみ男は大風呂敷など背負っている。

 

 日本であれば『これから泥棒をします!』と分かりやすいスタイルで、古城内へと侵入を果たす。

 

 

 だが——。

 

 

「早速仕事に……って、なんだなんだ!?」

 

 いざ、ねずみ男が古城へと忍び込もうとした、その瞬間。

 無断で城の敷地内に侵入した彼の元に——ローブ姿の何者かが気配もなく姿を現す。

 

「…………」「…………」「…………」「…………」

 

 あからさまに怪しい格好をした彼らは、まるで生気など感じさせない佇まいでねずみ男を取り囲み、その胡乱な視線を彼へと集中させる。

 

「な、なんだよ……なんなんだ、お前ら!?」

「………………」

 

 いきなりのことで狼狽するねずみ男だが、それとは対照的にローブ姿のものたちは黙ったままだ。

 まるで昆虫のように無機質な視線を向けてくる彼らを相手に、ねずみ男が緊張感に全身を強張らせていく。

 

 

「——ええい、なんの騒ぎだ!!」

 

 

 すると、そんな気まずい空気が漂う場に、声を荒げた人物が乱暴な足取りでやってくる。

 先に現れたものらと同じローブを纏った男だが、その表情には分かりやすく『不機嫌』といった感情が浮かべられていた。

 状況が好転したわけではないが、感情を読み取れるだけ他の連中よりマシと。ねずみ男がほっと安堵の息を溢す。

 

「……侵入者です」

「……如何しましょうか、師よ」

 

 どうやら、感情剥き出しのその男の方が彼らの上役らしい。無機質ながらも言葉を紡ぐ弟子たちが、師匠である男に侵入者の処遇を問う。

 

「なんだ……その浮浪者は? そんな小汚いやつ、石の『材料』にもならんわ! キメラの餌にでもしてしまえ!!」

 

 男はねずみ男を一瞥するや、軽蔑の表情を浮かべる。

 ねずみ男の小汚い格好を見て、取るに足らない存在と判断したのだろう。心底面倒そうな、投げやりな態度で彼の『始末』を決めてしまう。

 

 

 

 ——石の材料? キメラ……?

 

 ——キメラって……例の死体で見つかったっていう、化け物だよな?

 

 ——となると……こいつが、鬼太郎たちの探してる!?

 

 瞬間、相手の言葉の端々から、ねずみ男は素早く状況を整理する。

 只者ではない雰囲気。そして『キメラ』という言葉からも分かるよう、このローブを纏った怪しい集団が——今回の事件に絡んでいる『何者か』であることが察せられた。

 きっと鬼太郎たちが彼らと出くわせば戦いは必至。すぐにこのことを、鬼太郎に伝えなければなるまい。

 

 ——……って、そんなこと言ってる場合じゃねぇ!!

 

 ——餌って……このままじゃ、俺の命が危ねぇぞ!?

 

 しかし、ねずみ男として大事なのは鬼太郎たちがどうこうよりも、自分自身の身の安全である。このまま何もしなければ、自分はキメラとやらの餌にされてしまう流れだ。

 自分の命が危うい。そう判断するや、ねずみ男の行動は迅速だった。

 

 

「——お待ち下さい!! どうか、どうか私めの話をお聞き下さい!!」

 

 

 プライドもクソもない、見事なまでの懇願、土下座——命乞いである。

 相手に何かされるよりも先に、脱兎の勢いで地べたに頭を擦り付けるねずみ男。さらには男のご機嫌を取ろうと、猫撫で声でおぺんちゃらを使っていく。

 

「いや~……皆さん、素敵なお召し物を着ていらっしゃる! 古城の雰囲気と相まって、実にノスタルジックでございますな~!! そんな素敵な貴方様に耳寄りの情報がございましてね……聞くだけ聞いていただけないでしょうか、旦那!!」

「な、なんだお前、いきなり……」

 

 清々しいまでのねずみ男の下手っぷりに、リーダー格の男が若干困惑気味に後退していく。きっとここまで分かりやすく、ゴマを擦るような相手と対峙したことがなかったのだろう。

 そんな心の動揺を見逃さず、ねずみ男は男に対しそっと耳打ちする。

 

「実は……貴方様の邪魔をしようとしている輩がこの辺りをうろついていましてね。よければこの私が、その排除に力をお貸ししようかと……」

 

 己の自己保身のために。

 聞いてもいないだろうに、鬼太郎たちのことをペラペラと喋っていく。

 

 

 

×

 

 

 

「——なるほど、俄には信じ難いが……確かにその理屈であれば、人間の貴方にも錬金術が行使できるようになるだろう」

「——私も、まさかそのような裏技を思いつく事になるとは、自分でも驚いていますよ……」

 

 日本。

 魔女であるアデルと、錬金術たるエドワード・エルリックの会話が未だに続いていた。

 

 既に病院側が取り決めているであろう面会時間などとっくに過ぎていたが、元よりアデルは正式な手順でエドワードに面会を申し込んだわけではないので、どれだけ話が長くなろうと問題はない。

 エドワードは、アデルと話をしているのがよっぽど楽しいのか、特に疲れた様子もなく饒舌に話を続けている。

 アデルの方も、常に厳しい表情をしている彼女にしては珍しく、その口元に笑みすら浮かべていた。

 

 錬金術という分野について知識を深め合うことに、二人ともこの上ない喜びの中にあった。

 あと少し、あと少しと。出来ることならこの時間がもっと続いて欲しいとさえ思っていただろう。

 

 

「それならば……むっ、失礼……」

 

 だが、そんな楽しい時間にも終わりのときはやって来る。アデルの懐から眩しい輝きが発せられるや、彼女はエドワードに一言断りを入れ、それを手に取る。

 

『——アデルお姉様……今、お時間よろしいでしょうか?』

「——どうした、アニエス。何か分かったか?」

 

 アデルが手にしていたのは、青い輝きを放つ魔法石。その石から聞こえてくるのは——妹であるアニエスの声だった。

 それは遠く離れたヨーロッパの地、鬼太郎たちと共にキメラの調査をすることになったアニエスからの通信連絡だった。

 

「ほう……なるほど、これが魔法か……」

 

 魔法石を介した連絡手段を目の当たりにしたエドワードが感心したように呟く。魔女の魔法を間近で見るのは初めてという彼だが、特に動揺した様子はない。

 エドワードは姉妹の話を邪魔しては悪かろうと口を閉じつつ、しっかりと聞き耳だけは立てていく。

 

『実は——』

 

 アニエスからアデルへと連絡があったのは——彼女と鬼太郎たちの次なる行動に新たな指針があったからだった。

 

 例のキメラの死体こそ満足に調べることが出来ずに終わってしまったが、それと関連して発生している人々の失踪事件。

 それについて何か手掛かりがないかと。これからドイツ内の古城をいくつか調べるといった内容の話だった。

 

「分かった。私もすぐに合流する。あまり無茶はしてくれるな……」

『はい、お待ちしてます……お姉様』

 

 

 

「——というわけです。私はこれから妹と鬼太郎たちの元へ行かなければならない。名残惜しいが……貴方との話もここまでだ」

「…………」

 

 アニエスとの通話を終えるや、アデルはエドワードと向き合い、姿勢を正して彼に対し最大限の礼を尽くす。

 

「エドワード殿……正直、私は貴方のことを疑っていた。人間如きに錬金術の何が分かると……貴方のことを見下していました」

 

 きっとこれで最後だろうという予感もあってか、アデルはエドワードと本音の部分で話していく。

 この部屋に来た当初、アデルはエドワードにかなり失礼な態度を取っていた。それは彼が錬金術師を語る詐欺師、あるいは見知った程度の知識をひけらかす、浅はかな人間だと決めつけていたからに他ならない。

 魔女である自分に比べれば人間の知識など大したことはないと、そういった自惚れもあっただろう。

 

「ですが……貴方は本物です。錬金術に関する知識は、この私を大きく上回っている」

 

 しかし、アデルはエドワードと対話を続けることで思い知った。

 目の前の老人は本物の錬金術師であり、こと錬金術の分野に関してならアデルよりも遥かに博識であると。

 

 魔女として人間に知識で負けたという悔しさはあったが、それ以上に彼女は感服した。

 これが、一つの道を極めようと研鑽に努めてきた人間の実力かと。

 

 それはアデルという魔女個人が——初めて人間相手に、心の底から尊敬や敬意を抱いた瞬間だったかもしれない。

 

「どうか後のことはお任せください。例のキメラを作り出したものたちの正体、必ず私たちが暴いて……」

 

 だからこそ、老い先短いであろう彼の願いを聞き届けて上げたいと。

 この一件は自分の手で解決してみせると、アデルはエドワードに誓いを立てようと——。

 

 

「——アデルさん。もしも可能であるのなら……私も、連れて行ってはくれないでしょうか?」

「なに……?」

 

 

 だが、そんなアデルの宣言を遮るよう、エドワードは『自分も同行したい』という申し出を口にしていた。

 思いがけない提案に呆気に取られるアデルだが、すぐに表情を戻し、少し考えながら言葉を紡いでいく。

 

「エドワード殿……確かに私の転移魔法を用いれば、一瞬で西洋まで飛ぶことが出来るでしょう。貴方一人くらいであれば、ほとんど誤差もなく共に目的地へと移動することが出来ます」

 

 アデルの得意とする——『転移魔法』。

 それを用いれば、エドワードと一緒にここからヨーロッパまでひとっ飛び。彼が不安視していた体力の消耗も、極力減らすことが出来るのは確かだ。

 

「ですが……失礼を承知で言わせていただく。今の貴方を連れて行ったところで——足手纏いにしかならない」

 

 しかし、アデルはエドワード・エルリックが現場に来たところで出来ることはないと、はっきりと物申していく。

 そこにエドワードを馬鹿にする意図は全く含まれていない。彼の身を案じているからこそ、連れていくことは出来ないと苦言を呈したのだ。

 

「貴方のお歳で戦地になるかもしれない場所へ赴くなど……自殺行為です。どうか、もっとご自愛ください……」

 

 エドワードの百十五歳という年齢。妖怪でもないのだから、当然そこに人間としての限界がある。

 そもそも、そんな高齢でこうして普通に話しているだけでも大したものなのだ。これ以上彼が無理をする必要はないと、アデルは真剣にエドワードという老人の身を心配する。

 

「……今更、惜しむような命ではないよ……」

 

 だが、エドワードはアデルの心配を無用なものだと躊躇なく言い切る。

 

「これは俺たち錬金術師が蒔いた種だ。だから本当は……俺たちの手で決着をつけなきゃならないんだ……」

「エドワード殿……いや、しかし……」

 

 一人称が『私』から『俺』へと。感情の昂りから口調が若々しいものになっている。しかしどれだけ気持ちが先行しようと、やはり年齢の限界がある筈だ。

 アデルはエドワードを説得しようと、なんとか言葉を絞り出そうとする。

 

 

「——それに、足手纏いにはならない」

「——っ!?」

 

 

 ところが難色を示すアデルに対し、エドワードは自身の右手を突き出した。

 そして、自分が足手纏いにはならないという——『確固たる証明』をアデルの眼前に晒してみせる。

 

「——そ、それは!? ……エドワード殿、貴方はいったい……何者なのです?」

 

『それ』を目にするや、アデルはさらにエドワードという人間に驚愕させられた。

 錬金術師としての知識量も大したものだったが、『そんなもの』まで隠し持っているとは思ってもいなかった。

 

 彼がいったい何者なのかと、今更ながらに問いを投げ掛けていく。

 

「これでも……昔はそれなりの修羅場を潜ってきたつもりです」

 

 アデルの疑問にエドワードは答える。

 

「アルと……弟と一緒に各地を巡ってね。エルリック兄弟といえば、それなりに知れ渡った名前でしたよ? 私も、随分と厳つい異名で呼ばれていたものでね……」

 

 昔を懐かしみながら、自分たち兄弟が何と呼ばれていたのか。

 自分が何と呼ばれていたのか——その『二つ名』を久しぶりに、自ら名乗っていく。

 

 

 

 

「——鋼の錬金術師と」

 

 

 

 




人物紹介

 キメラ
  錬金術関係の怪物、其の①です。
  作中でも説明しましたが、2週類以上の動物を錬金術によって掛け合わせた怪物のこと。
  物語のとっかかりとして、その死体が出てきましたが、当然生きている個体も出てくる予定です。

 まだまだ物語は序盤。
 次回から一気に様々な怪物が登場しますので、お楽しみに!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

鋼の錬金術師 シャンバラへの帰還 其の③

この間『ばらかもん』のドラマを拝見しましたが、登場人物が『鋼の錬金術師』の漫画を読んでいたことに思わず笑ってしまった!
同じガンガン系列で連載していたからこそ可能なクロスオーバー?
ドラマ自体も結構面白かったので、今後も視聴を続けていくつもりです。
他にも、今期のドラマは『VIVANT』を観ています。まだまだ謎の多いストーリーですが、こちらも毎週の楽しみになってます。

もうすぐfgoも八周年。果たして今年はどんなお祭りになるか……今から楽しみで夜しか眠れない!!
周年記念ピックアップサーヴァントは……カマソッソを期待する!!

肝心の本編ですが……今回はかなり長めな文章量になってます。
今回のお話をきっちり四話構成で完結させたく、三話目である今回にかなりの尺をとった結果です。
その甲斐もあって、今話でかなり話が進みましたが……説明が多い回でもあるので、ちょっと話が分かりにくいかもしれません。

なので後書きの方にキャラ紹介を含め、アニメ一期の世界観設定を含めた今作の独自解釈など。可能な限り補足説明を書いておきたいと思います。

もしも疑問点などがありましたら、感想欄になどコメントを頂ければと思います。



 これは、今から五十年ほど昔の話だ。

 ヨーロッパのとある街に、一人の錬金術師がいた。

 

「ゴホッ……ゴホッ!! ふぅ……」

 

 既に六十代の老体。その身体が病に侵されていることもあってか、咳も止まらずに苦しそうな表情を浮かべていた。

 本来なら、ベッドで横になっていなければならないような体調だった。実際、子供たちや孫。彼の家族は老人の身を気遣い、すぐにでも病院に入院してくれと頼み込んでいた。

 少しでも長生きして欲しいというのが、家族である彼らの心からの願いだった。

 

「あと少し……もう少しだけでいい……もってくれよ、私の命……」

 

 しかし老人は自身の不調など顧みず、私室にこもり錬金術の研究に没頭する。

 既に自分の命が長くないことを察していたし、その『死』の運命が逃れられないものであることも理解していた。

 

 だが、たった一つの心残りのため、老骨に鞭を打ちながら彼は自分自身に言い聞かせていく。

 

「私が……『ボク』が死んだら、兄さんは一人になってしまう……!」

 

 そう、彼は自分が死んでしまった後。最愛の『兄』がこの世界で独りぼっちになってしまうことを恐れていたのだ。

 勿論、兄にだって家族はいる。若い頃はずっと一緒だった自分たちも、今ではそれぞれ家庭を築き、離れて暮らすようになった。

 

 きっと自分が死んでも、兄の側には多くの人たちがいるだろう。

 そういう意味であれば、ここで自分が死んだところで兄の生活そのものに、それほど大きな変化はなかったかもしれない。

 

 しかしそれでも、自分がこのまま死んでしまうと——兄は『こちら側』の世界で一人になってしまう。

 もう誰とも『向こう側』の想い出を語り合うことが、出来なくなってしまうのだ。

 

「そんなことは……させない! せめて……兄さんが生きている間は……側にいてあげたい!!」

 

 そんな孤独を、弟として兄に味わって欲しくない。

 たったそれだけのためだが、彼は自身の命を燃やし尽くす勢いで——とある研究の完成を急ぐ。

 

 

 

「——よし。これで……理論上は問題ない筈だ……ゴホッ! ゴホッ!!」

 

 そうして、まさに命の灯火が消えかけようとしていたその間際に、彼の研究は完成する。

 

 その研究とは——『魂の定着』。

 朽ちかけの肉体を捨て、その魂を別の頑丈な物質に移し替えようというものだった。

 

 随分と途方もない話に思われるかもしれないが、彼にとっては既に『経験済みのこと』である。

 奇しくも——『かつて自分が魂を宿していたものと同じデザインの鎧』まで用意し、いざ実践に挑もうと試みる。

 

「あとは……錬金術を発動するために必要なエネルギーだけど……」

 

 最後の難関として、立ちはだかったのは——『錬金術を行使するために必要なエネルギー』である。

『こちら側』では、錬金術師である自分たちにも錬金術を使用することが出来ない。それは錬成に必要なエネルギーを『門』から供給することが叶わないからである。

 

 どれだけ卓越した錬金術師といえども、エネルギーがなければ錬金術など机上の空論だ。

 自身の研究を真に完成させるためにも、どこからかエネルギーを自力調達しなければならないのだ。

 

「やはり……こうするしかないのか……」

 

 様々な考えを思案した彼だが、結局のところ——行使できる手段は一つしかなかった。

 そのために必要な手順として、彼は懐からナイフを取り出し——僅かに躊躇しながらも、それで自らの頸動脈を掻っ切った。

 

「ぐっ!! ぐっ……」

 

 全身から力が抜け落ち、膝から床へと崩れ落ちる老人。

 自らの命を断つという、一見すると常軌を逸した行動かもしれないが——彼の顔には笑みが浮かべられていた。

 

「これで……これできっと……兄さんと、一緒に……」

 

 最後の最後、力尽きる瞬間まで彼は兄のことを想いながら——『パンッ!!』と、神に祈るように両手を合わせた。

 刹那、床一面に描かれた図形——錬成陣が僅かに光を放つ。

 

 

 

 その瞬間、確かに『代価』は支払われた。彼が望む形で、正しく錬金術が発動したのである。

 

 

 

 結論だけを述べるのならば——彼の錬金術は失敗に終わった。

 魂を移し替える筈の鎧には何の変化もなく、ただ老人の物言わぬ骸だけがその場に残された。

 

 傍から見れば『自殺』としか思えない老人の最後に、その遺体を発見した家族は戦慄する。

 そのあまりの最後に、表向きはあくまで『病死』とし、周囲にもその詳しい死因については固く口を閉ざした。

 

 それは遠く離れて暮らす、彼の実の兄に対しても例外ではなく。兄は今日に至るまで、弟は病死したと信じて疑っていない。

 

 

 果たして、彼の最後の錬成が本当に失敗したのか?

 

 

 それはきっと——後の世になって証明されることだろう。

 

 

 

×

 

 

 

「——ここにも、何もなしか……」

「——また空振り? これでいくつ目かしら、はぁ~……」

 

 西洋にて。

 ドイツ国内の古城を調査する鬼太郎たちであったが、現時点では特に怪しいものは見当たらない。それなりに時間を掛け、結構な数を見て回ったのだが、合成獣・キメラが存在した痕跡や、行方不明になった人間たちの手掛かりらしきものも見つけられずにいる。

 

「ふむ……アニエスよ、向こうの方はどうじゃ? 砂かけババアたちから、何か連絡はあったかのう?」

「ちょっと待って…………駄目ね。あっちも、特に何もなかったみたい……」

 

 ふと、目玉おやじがアニエスに問いを投げ掛ける。

 彼女は手にした魔法石の通信魔法でどこかと連絡を取ったが、通話相手から受け取った返答も芳しいものではなかったのか、その表情を曇らせていく。

 

 

 現在、鬼太郎たちは二手に分かれて古城の調査を進めていた。調べなければならない古城の数が思いの外膨大だったため、手分けした方が効率がいいと判断したのだ。

 

 一方は鬼太郎、目玉おやじ、猫娘、アニエス。

 もう一方は砂かけババア、子泣き爺、一反木綿、ぬりかべ。

 

 お互い連絡用の魔法石を持ち、何かあればどちらか一方に連絡を取る手筈となっている。

 ちなみに、この魔法石はアデルが用意してくれたものであり、たとえ魔女でなくても簡単に通信魔法が使えるようになっていた。

 だが今のところ鬼太郎たちにも、砂かけババアたちの方にもこれといって目立った発見はなく、ただ時間だけが過ぎ去っていく。

 

 

「アデルお姉様には、こっちの事情を伝えておいたけど……」

 

 一応、もう少しすれば日本からアデルが戻ってくるとのことだが、彼女が加わっても何も見つからないようであれば、古城探索の方針も見直さなくてはならなかっただろう。

 

 

「——お~い、お前ら!!」

 

 

 しかし、鬼太郎たちが手詰まるを感じていたそのタイミングで、あの男が駆けつけてくる。

 

「ねずみ男……」

「ちょっと! 今までどこほっつき歩いてたのよ!!」

 

 いつの間にかいなくなっていた彼の——ねずみ男の登場に鬼太郎が眉を顰め、猫娘が怒りを露わにする。今までどこへ行っていたのかと、彼の身勝手な行動を咎めていく。

 

「そ、それどころじゃねぇんだよ! いた!! いたんだよ!!」

「いた? いたって……何が?」

 

 ところがねずみ男は反省の弁を述べるまでもなく、血相を変えた様子で鬼太郎たちに『いた!!』という事実を告げる。

 もっとも、それだけでは何のことだかさっぱりと鬼太郎は聞き返していたが。

 

「化け物だよ! 化け物!! ほら……あの写真にあった、なんつったっけ……合成獣?」

「キメラがいたの!? どこに!?」

 

 ねずみ男の証言に、アニエスが前のめりになる。

 当初、鬼太郎たちが探していたのはキメラの死体だが、それはドイツ政府が既に回収してしまったとのことだった。

 しかし、ねずみ男は別の個体——それも『生きている』キメラを目撃したというのだ。

 

「こっちだよ! 向こうの方にデッケェ城の跡があってな……そこをうろついてたのを見たんだよ!!」

「……本当に見たわけ? 適当なこと言ってるんじゃないでしょうね……」

 

 ねずみ男は、自分が目撃したというキメラのいる場所まで鬼太郎たちを慌てて案内しようとする。当然だがそんなねずみ男に対し、猫娘が真っ先に疑いの目を向けた。

 彼の日頃の行いを考えれば、その反応も仕方がないが。

 

「まあ、とりあえず行ってみよう。何か手掛かりでもあればそれで……」

「そうですね、父さん」

 

 しかし、ここで足踏みしていてもしょうがないと。目玉おやじはねずみ男の案内に従うことにし、鬼太郎も同意する。

 とりあえず、今は現状に何かしらの変化が起こることを期待するしかなかった。

 

 

 

 そうして、鬼太郎たちは一際大きな『古城』へとやってくる。

 そこはまだ一行が調べていなかったポイント。他の古城は建物としての原型を留めていないものも多かったのだが、そこは曲がりなりにも城としての体裁が保たれていた。

 しかし人の気配は勿論、キメラのような何かしらの生物が蠢いている気配も感じられない。誰もいない廃墟の静けさが鬼太郎たちを歓迎する。

 

「なによ……やっぱり何もないじゃない!」

 

 パッと見た感じ、何もない古城を前に猫娘はご立腹だ。やはりねずみ男の言葉は信用できないと、彼に非難の目を向けるが。

 

「ん……! 鬼太郎、これを見てみろ!!」

「どうかしましたか、父さん? これは……何かの足跡?」

 

 しかし、ここで目玉おやじがあることに気付く。父親の言葉に鬼太郎が地面へと目を向けると——そこには明らかに『足跡』のようなものが残されていた。

 人間のものではない。獣の、それもかなり巨大な『何か』が身体を引き摺りながら、そこを通過したという痕跡だった。

 

「これは……まさかキメラの!?」

 

 アニエスの目から見ても、それはキメラのような怪物が通った痕跡である可能性が高いと目を見張る。

 

「なっ!? だから言っただろ!?」

「ぐっ……!」

 

 キメラの存在を証明するかもしれない証拠にねずみ男が得意げになり、猫娘が若干屈辱的に押し黙る。流石の猫娘もそれらしい証拠がある以上、ねずみ男の証言を全否定するわけにはいかない。

 少なくとも、ここにキメラのような怪物が潜んでいるのは間違いなさそうだ。

 

「ほらほら! 早くしないと逃げられちまう!! こっちだ、こっち!!」

 

 怪物の存在を証明できたことで、ねずみ男は我が意を得たとばかりにその場を仕切り始める。足跡が続く先、古城の入り口へと率先して鬼太郎たちを導いていく。

 

「やけに積極的だな……」

「どうせ、あとで報酬とか要求する魂胆でしょ……ふんっ!」

 

 ねずみ男の張り切り様に、鬼太郎は怪訝そうに眉を顰める。猫娘はねずみ男の謎の行動力が下心あってのことだろうと、気にいらなさそうに鼻を鳴らす。

 キメラを見つけた手柄と引き換えに、後でどんな報酬を要求してくるか分かったものではない。

 

「他のみんなにも連絡は入れておくけど……とりあえず、先に進んでみましょう」

 

 だがそれはそれとして、ここまで来て何もしないわけにはいかない。

 

 アニエスは魔法石で別動隊である砂かけババアたちに自分たちの現状を報告しつつ、ねずみ男の後に続いて古城へと入っていく。

 

 

 

×

 

 

 

 古城の内部へと侵入を果たした一行は真っ暗な狭い通路を、ねずみ男が手にする松明の明かりを頼りに慎重に進んでいく。

 

「猫娘、足元に気を付けた方がいい」

「だ、大丈夫よ、これくらい! 夜目は効くほうだし……」

 

 先頭を歩くねずみ男に続く鬼太郎は、自然な調子で後ろを歩く猫娘に足元を気を付けるようにと気遣いを見せる。

 それは猫娘としては嬉しいことだが、猫の妖怪である彼女にとってこの程度の暗闇は特に問題ではなかった。

 

「マコヤ・ユ・ミマーカ!!」

 

 さらにはアニエスが魔法で空中に光球を作り出す。これで最低限の光源は確保したと、一行は少しづつ歩調の速度を早めていく。

 

「…………これって」

「? どうかしたのか、アニエス」

 

 そんな中、一番後方を歩いていたアニエスが何かに気付き、周囲に注意深く視線を向ける。鬼太郎も彼女と同じように周りを見渡してみるが、これといっておかしいところは見当たらない。

 鬼太郎の目から特に何の変哲もない古城、ただの廃墟にしか見えないが。

 

「人が管理してないにしては、少し綺麗すぎるわ。埃の積もり具合とか……明らかに人の手が入ってる」

「……なんじゃと?」

 

 だがアニエスの気付いたことに、目玉おやじが僅かに驚きを見せる。

 

 それは古城の内部が——ある程度、整理されているという点だった。

 似たような古城で暮らしている、アニエスだからこそ分かる些細な違和感だが、確かによく見れば床などにあまり埃が溜まっていない。

 それに他の古城を調査した際に見られた蜘蛛の巣や、建物を侵食する苔など。そういう、荒れている形跡が極端に少ないのだ。

 

 これは明らかに人の手によって手入れがされている。そしてそんな建物の内部を、平然とキメラが出入りしているという事実。

 

「鬼太郎、注意して進みましょう。この城に『何か』がいるのは……ほぼ間違いなさそうよ」

「ああ、分かった……」

 

 それはアニエスが警戒心を抱くのに十分な不自然さだった。鬼太郎も内心で警戒レベルを上げ、何が起きても対処できるようにと意識を研ぎ澄ませていく。

 

 

 

 

 

「——ここは……?」

 

 そして、何事もなく通路を抜けた先で、一行は一際大きな空間へと辿り着いた。辺りが暗くてよく見えないが、足元の感触から察するに地面は砂場になっているようだ。

 

「とりあえず、明かりを……!?」

 

 ひとまずは視界が安定しない暗闇をどうにかしようと、アニエスは魔法で出現させた光球の光を強めようとする。

 だが、彼女が明かりを強くするよりも先に——周囲一帯に光が灯った。

 

 それは壁中に設置されていた蝋燭に、一斉に火が付いたことで室内が明るく照らされたのだ。

 そうして、露わになった空間内にて——。

 

 

「——これはこれは……まさかと思っていたが……本当に侵入者とはな……」

「——っ!?」

 

 

 何者かの声が響く。

 嘲るように投げ掛けられたその言葉に、鬼太郎たちが視線を正面へと向ける。

 

「しかも……ハッ! まさか……本物の魔女がわざわざ来てくれるとは……!」

 

 その人物——ローブを纏った男は、階段が設置されている台座の上から鬼太郎たちを見下ろしていた。さらにはアニエスの魔法を目撃していたのか、少し興奮した様子で声を大きくしていく。

 

「くっくっく! まさか、逃げ出したキメラの存在を頼りに私の元に辿り着くとは! どうやら、私の錬金術の理論は間違ってはいなかったようだな!!」

「あなた……いったい何者なの?」

 

 興奮する相手側とは裏腹に、アニエスは戸惑ったように眉を顰める。

 

 眼前の男に、当然ながらアニエスは見覚えがない。

 しかも、その男は魔女や妖怪ですらない。鬼太郎の妖怪アンテナがまるで反応を示さないことからも、ただの人間であることが一目瞭然だったのだ。

 

 しかし、男は自らが錬金術でキメラを創造したことを自慢するかのように暴露し、そして宣言するかのように声高々に叫んでいった。

 

 

 

「——私は真の錬金術師さ!! トゥーレ協会の悲願を叶えるため……シャンバラへの門を開かんと立ち上がった、選ばれし民の末裔である!!」

 

 

 

「トゥーレ協会……って、なに?」

「???」

「???」

 

 聞き覚えのない組織名に猫娘がキョトンと目を丸くする。

 随分と大仰に自らの立場を語る自称・錬金術師を名乗る男だが、その素性について全く知識がない日本妖怪たちには、彼が何を言っているかさっぱりだ。

 

「どこかで聞いたことがあるわね。確か、昔ドイツにあったっていう……人間たちの秘密結社、じゃなかったかしら?」

 

 だが西洋の魔女であるアニエスにとっては、一応聞き覚えがある名前のようだ。

 うろ覚えの知識をなんとか引っ張り出し、何も知らない鬼太郎たちにその協会とやらについて語っていく。

 

 

『トゥーレ協会』。

 それは今から百年ほど前、ドイツの都市・ミュンヘンにて結成された秘密結社の名前である。人間たちの集まりでありながらも、魔術や神秘について研究をしていた集団。

 

 所謂——オカルト団体というやつだ。

 

 既に当時の人間たちにとっても、魔女や魔術など眉唾な話。科学技術が大きく発展した人々の社会で、トゥーレ協会はさぞ奇異な視線を集めていたことだろう。

 だが、彼らは大真面目に神秘を研究し——その力で『ドイツという国家を戦争に勝利させよう』としていた。

 

 トゥーレ協会は政治的な側面、特に国民社会主義ドイツ労働者党——即ち『ナチス』と深い関わりを持っていたとされる。

 ナチスから資金提供を受け、魔法や魔術の研究をしていたという噂もあった。そのため、一応は魔女であるアニエスたちもその歴史をある程度習わされるというが。

 

 

「けど、彼らの魔術は結局何の役にも立たなかったって……最後には政府のお偉いさん? に解散を命じられたとか……」

 

 少なくとも、アニエスたち魔女が知る限りでトゥーレ協会は魔術にも、魔法にもたどり着けなかった。

 所詮はただのオカルト集団として、戦争の影響で拡大していくナチスという政党に取り込まれ、組織としてのトゥーレ協会は瓦解したとのことだ。

 

「……そう、そのとおりだ!! トゥーレ協会は……我々アーリア人の目指す理想郷は!! 愚鈍な政治屋共のせいで本来の在り方を失った!!」

「えっ……アーリア? はっ……え……?」

 

 すると、アニエスの説明に男は癇癪を起こすようにいきなり声を荒げた。その感情の起伏の激しさに、鬼太郎がどうリアクションしていいか困ってしまう。

 

「あまつさえ!! 長年協会のために研究を続けてきた我が一族を……奴らは詐欺師として追放したのだ!! こんな屈辱が他にあるか!?」

「そ、そうなの……色々と苦労してるのね……」

 

 さらにムキになって叫ぶ男の言葉に、猫娘が適当な相槌を打つ。

 別に男の苦労話に興味があるわけではなかったが、相手の口から何か情報を得られるならばと。ここは素直に聞き役に徹していく。

 

「本当に、惨めな日々だった……ありもしない魔術に傾倒するオカルト一族! 国家を騙して戦争へと焚き付けた詐欺師の家系! それが……我が一族に押された烙印だ!!」

 

 案の定、男は聞いてもいないのに自らの境遇をつらつらと語っていく。

 

 自分がトゥーレ協会に所属していた構成員の子孫であること。先祖が協会を追放されたことで、彼の一族は相当酷い目に遭ってきたと。

 詐欺師、オカルト一家と蔑まされ続けること幾星霜。周囲の蔑みは彼の代まで続き、劣等感に苛まれる日々が男の性根を捻じ曲げてしまったのだろうか。

 

 

「——だが、それも過去の話よ!! 我が一族に着せられた汚名を!! 虐げられてきた屈辱の歴史を私が正す!! 長年に渡る研究の末に辿り着いた、この魔術……いや、錬金術の力でな!!」

 

 

 男は意気揚々と叫びながら、その腕を鬼太郎たちの目の前で掲げてみせる。

 

 瞬間——男の指にはめられていた、血のように『赤い石』が眩い光を放った。赤い閃光が稲妻のように迸り、鬼太郎たちの立っていた砂場から何かが迫り上がってくる。

 

「なっ!? これは……!!」

「て、鉄の檻……!? 閉じ込められた!?」

 

 砂場から姿を現したのは——鋼鉄製の檻であった。

 足元の砂から『錬成された』鉄の檻が、鬼太郎たちを瞬く間に閉じ込めたのである。

 

「これって……錬金術!? いや、けど……」

 

 その事象を前にアニエスが目を見開く。

 相手が錬金術師を名乗った以上、錬金術を行使してくることくらい予想できただろう。しかし彼女は男が発動させた『錬金術そのもの』に対し、腑に落ちない表情をしている。

 

「はっはっは!! 見たか!? これが本物の錬金術だ!! もう誰にも……私を詐欺師などと言わせはせんぞ!!」

 

 一方で、男は自らが発動した錬金術にご満悦な表情を見せる。まるで新しい玩具ではしゃぐ子供のように、大人げなくも喜びを露わにしていた。

 

 

 

「鬼太郎……」

「はい、父さん……」

 

 鬼太郎たちは、初めて目の当たりにする錬金術に驚いていた。エドワードから話を聞いていたとはいえ、実際にそれを目撃するのとでは印象もだいぶ変わってくる。

 

 だが、それ以上に驚いたのが——。

 

「ねずみ男……何しれっと避難してんのよ……」

「へっ! さてね……どうしてだろうね?」

 

 一人、檻が錬成される直前にその効果範囲外へと、ねずみ男が退避していたことである。

 猫娘が苛立ち混じりに吐き捨てていることから分かるように、たまたま運が良かったから逃げられたわけではない。

 

 あらかじめ、檻が出現することを知っていたからこそ、その前に動くことが出来たのだ。

 つまりだ、例によって例の如く——。

 

 

「——アンタ!! 私たちのこと、あいつに喋ったわね!?」

 

 

 そう、なんとねずみ男は鬼太郎たちを裏切っていたのだ。

 きっとキメラを目撃したと証言したのも、彼らをここへ誘き寄せるための方便。如何なる経緯かは不明だが、いつの間にか錬金術師の男と手を組み、鬼太郎たちを罠に嵌めるため行動を起こしていた。

 

 まあ……正直いつものことではあるが。

 

「悪く思うなよ、鬼太郎!! こっちも脅されて、仕方なくやったことなんだからよ~!!」

 

 本人も反省した様子がなく、いけしゃしゃと言ってのける。完全に開き直った態度で、そのまま錬金術師の男に全力でゴマを擦っていく。

 

「いや~……それにしても素晴らしいお力です!! その力があれば、世界征服なんてのも夢ではないのでは!?」

「ふはははっ!! そうだろ、そうだろ! 貴様、なかなか見どころがある……なんなら弟子にしてやってもいいぞ!?」

 

 ねずみ男の分かりやすい世辞に男はすっかり上機嫌だ。ずっと蔑まれてきた経歴からか、おだてられることに慣れていないのだろう。

 

「身に余る光栄でございます!! ところで……金の錬成なんかも出来るんでしょうかね?」

 

 ねずみ男は脅されて仕方がないと言いつつ、その顔に欲深い笑みを浮かべている。『金の錬成』——それだけで、どうしてねずみ男が寝返ったのか察しがついてしまう。

 

「あとで覚えておきなさいよ!!」

「はぁ~……ねずみ男、お前ってやつは……」

 

 これに猫娘が化け猫の表情で激怒し、鬼太郎も盛大にため息を吐く。

 今回の騒動が解決した後、ねずみ男がどのようなお叱りを受けることになるか——どうか彼らの反応からお察し下さい。

 

 

 

 

 

「——おかしい……」

 

 しかし、そんなねずみ男の裏切りなどお構いなしに、アニエスは深刻そうな表情で錬金術によって錬成された『鉄檻』へと目を向ける。

 

「アニエス、どうしたんじゃ?」

 

 アニエスが何に対して戸惑っているのか、目玉おやじにも分からない。錬金術に関して素人の日本妖怪では、それも無理からぬことだろう。

 

「どうして、ただの砂からこんなにも頑丈な鉄檻が錬成出来るの? 質量保存の法則にも、自然摂理の法則にも反してる? 等価交換の原則は? 錬成陣……構築式もなしにどうやって? ううん……そもそも、魔力のない人間に錬金術は使えない筈なのに……」

 

 だが姉のアデルほどではないものの、アニエスとて魔女の端くれ。錬金術に関して基本的なことは理解しているつもりだ。

 

 だからこそ、気付いてしまった。男が使用した錬金術が明らかに『おかしい』と。本来あるべき錬金術の法則を無視した錬成を、男が成立させてしまっているという奇妙な事実に。

 もっと言えば、そもそも人間に錬金術は『使えない』。錬金術を成立させるには高純度のエネルギーが必要不可欠。

 魔女なら魔力をエネルギーに変換して錬金術を行使できるが、人間にはその魔力自体がない筈だ。

 

 いったい、男は何を『対価』に錬金術を成立させたのか。アニエスにはそれが理解出来なかった。

 

「ほう? 流石は魔女だ。目の付けどころが他の有象無象とは違うな……くっくっくっ!」

 

 アニエスの戸惑った反応に、男はさらに気分を良くする。

 魔女相手に知識面においても優位に立てたという優越感からか、彼はふんぞり返るように悠々と語っていく。

 

「いいだろう!! 冥土の土産に教えてやるぞ! 私の錬金術……その研究成果である『こいつ』のことを!!」

 

 そう叫びながら男が見せ付けたのは——先ほどもチラッと見えた、指にはめられた赤い宝石である。

 その宝石こそが、男がほとんど対価も支払わずに錬成を行使したカラクリなのだろう。

 

 

 その石の名を、男はもったいぶりながらも口にしていく。

 

 

「この石こそが、錬金術の秘宝!! 数多の錬金術師が追い求めて止まなかった、幻の錬成増幅器……!!」

 

 

 

「——そう、賢者の石である!!」

 

 

 

×

 

 

 

「賢者の石……?」

「随分と大仰な名前ね。ただの宝石ってわけじゃなさそうだけど……」

 

 もったいぶって語られたその石の名称に、鬼太郎も猫娘も首を傾げる。

 名前からして凄いものだと何となく分かるが、それが具体的にどれほど価値のあるものなのか。鬼太郎たちでは理解が追いつかない。

 

「そんな……賢者の石って……嘘でしょ!?」

 

 その石の価値を知るものがいるとすれば、やはりアニエスだろう。

 魔女である彼女だからこそ、それが目の前に存在しているという事実を受け入れられないでいた。

 

 

 それは、錬金術の世界で最高峰とされる至高のアイテム。

 金を無限に作り出す。薬として飲めば不老不死を得られる。持ち主に万物の知識を与えるなど。様々な逸話に事欠かない、朽ちることを知らない究極の物質。

 しかし、その本来の用途は錬金術の力を高める——『錬成増幅器』だとされている。

 あらゆる錬成に必要となる対価を一切支払うことなく、錬金術が行使できるようになるという。

 

 無限の錬成。

 その奇跡を叶えてしまう代物を——錬金術師は『賢者の石』と呼び、いつの時代も追い求めてきた。

 

 

「た、確かに……それが賢者の石なら、さっきの錬成にも説明が付く……」

 

 石の存在に動揺を見せつつ、アニエスは冷静に思考を巡らせる。

 それが本物の石だというのであれば、先ほどの男の等価交換を無視した錬成にも説明が付いてしまう。賢者の石を用いればきっと魔力も、才能も必要とすらしない。

 誰であれ、何の対価もなく錬金術を行使できるようになるのだろう。しかし——。

 

「けど!! 賢者の石なんて、魔女たちの間でも誰も作ることが出来なかったのよ!? それを人間が……魔力を持たないものが作り出すなんて……そんなのっ!」

 

 アニエスは人間という種を見下しているわけではないが、それでも魔女として認め難いものがあるのだろう。

 自分たちに作れない伝説の代物を、本来なら錬金術を発動すらさせられない人間が作り出すなどと。

 

「ふん、負け惜しみか? まあ、そう言いたくなる気持ちも分かるさ……」

 

 そんなアニエスに、人間の錬金術師である男は物理的にも高いところから見下した笑みを浮かべる。

 魔女でも不可能とされた賢者の石の錬成。その偉業を成した根幹——核心部分について男は語っていく。

 

「だが皮肉かな……その魔力という、非効率なエネルギーこそが! お前たち魔女がいつまで経っても賢者の石に届かない敗因だったのだよ!!」

「!? 魔力が……非効率?」

 

 男の言葉に、アニエスは信じられないと目を見張る。

 魔女にとって『魔力』は錬金術のみならず、魔法の使用にも必須となる力の源だ。その魔力が、自分たちが当たり前のように消費していたエネルギーが『非効率』なものなどと、考えたこともなかった。

 

「そう!! 魔力などという不確かなもの、錬金術には不要だったのだよ! 錬金術に最も適したエネルギーは……いつだって私たちの手の届くところにあったのだ!!」

 

 だが男はさらに語る。錬金術に最も適したエネルギーは魔力などではないと。

 それは電気でも、熱でも、核エネルギーでもない。

 

 人間——人類という種が当たり前のように日々消費し続けている、最も身近にあるエネルギー。

 

 

 それは——。

 

 

「——人間だよ!! 人間の命そのものが……錬金術にもっとも適したエネルギーだったのだ!!」

「——な、なに? お前……何を言って……」

 

 

 男の発言に、それまでほとんど動揺を見せてこなかった鬼太郎の思考が止まる。正直、錬金術についてあれこれ語られても、あまり実感が湧かなかっただろう。

 

 だが、その言葉の意味は正しく理解出来る。出来るからこそ——それを決して許してはいけないという、憤りのようなものが込み上げてくる。

 

「ま、まさか……失踪した人々を、お前は……!?」

 

 目玉おやじも、男の言葉の意味を理解することで『いなくなった人間たち』がどのような最後を迎えたのか、その結末に行き着いた。

 

「ああ、そうさ!! 連中には全員、もれなく石の材料になってもらったよ! はははっ!!」

 

 一方で男は悪びれた様子もなく、高笑いを上げる始末だ。失われた人命に対し、何一つ後ろめたさを覚えていないことがその態度からも分かるだろう。

 

「アンタ!! そんなことが……許されるとでも思ってんの!?」

「うげぇっ!? マジかよ……」

 

 男の歪んだ考えに猫娘も激昂。金目当てに錬金術師に擦り寄ったねずみ男ですら、その所業にドン引きしている。

 

「あん? 何をそんなに怒っている?」

 

 もっとも、鬼太郎たちがどうして怒りや戸惑いを露わにしているのかも理解出来ず、男は妖怪である彼らにとある事実を突きつける。

 

「そもそも、人間の命に高純度のエネルギーが宿っているのは、お前たち妖怪も本能的に理解している筈だ。だからこそ……お前らは人間の血を啜り、その肉を喰らうのだろう?」

「……!?」

 

 

 

 錬金術師曰く、妖怪は人間というエネルギーを消費して生きている怪物だという。

 勿論、鬼太郎たちは人間を食い物になどしていないが——凶悪な妖怪などは、人間からごく当たり前のようにエネルギーを摂取しているという。

 

「あの穢らわしい、吸血鬼共! 連中が何故人間の血を吸うか知っているか? それは人間の血液から、純度の高いエネルギーを摂取するためなのだよ!!」

 

 男が例として挙げたのが——西洋を代表する怪物・吸血鬼。

 人間の生き血を啜って生きる彼らは、その血液に純度の高いエネルギーが宿っていることを知っているとのことだ。

 

「……っ! そ、そうだったね。だからカミーラは……あのときに……」

 

 それに関しては、アニエスにも思い当たる節があった。

 

 バックベアード軍団の幹部であった女吸血鬼のカミーラ。彼女はゲゲゲの鬼太郎に倒されたバックベアード復活のため、世界中の人間から生き血を集めていた時期があった。

 よくよく考えれば、何故人間の血など集める必要があったのか疑問が浮かぶが、生粋の吸血鬼であるカミーラには分かっていたのだ。

 

 人間の血——身体中に命を巡らしているそれに、多量のエネルギーが含まれているということを。

 

「もっとも、血だけでは限界がある。血肉を含めた人間の生命そのものを糧とすることで……この賢者の石は完成する!!」

 

 ただ血液だけが必要なら、わざわざ人間の命を奪う必要はない。

 人間の肉や生き肝などを喰らうことで力を高める妖怪がいる以上、やはり血肉や生命そのものを糧とする方が、エネルギー効率が良いという結論に錬金術師は達した。

 

 故に、彼は『人間そのもの』を材料にして錬金術を発動。そこから高純度のエネルギー体である『賢者の石』を完成させてしまったのだ。

 

「見てみろ……この美しい色合いを……生命の輝きを感じられるだろう?」

 

 男は自身の研究成果、指輪としてはめられた賢者の石をうっとり恍惚な表情で眺める。

 赤は錬金術において、完全を表す色と言われている。至高の物質である賢者の石が『真っ赤』であることは必然。

 

 その血は——犠牲者の命によって彩られているのだから。

 

 

 

「……よく分かった。これ以上……お前を放置してはいけないということが!!」

 

 ここで、ゲゲゲの鬼太郎の堪忍袋の緒が切れる。

 

 今回の件、決して妖怪が関わっているわけではなかったが、だからといってこれを人間同士の問題と片付けることは出来ない。

 男の所業は明らかに人道からも、この世の理からも逸脱している。男が錬金術でより多くの人命をエネルギーとして消費し、キメラのような怪物を大量に作り出せば。

 ただでさえ混沌としかけている今の世界に、さらなる混乱を呼び込むことになってしまいかねない。

 

 それは鬼太郎たちの望むところではない。

 この錬金術師の所業を止めなければと、自分たちを囲っている鉄檻を破壊しようと妖力を高めていく。

 

 

「——随分と、興味深い話をしているじゃないか……ん?」

「——っ!?」

 

 

 だがそのとき、その空間内に何者かの声が響き渡った。

 その場にいた全員が、声の聞こえてきた方角を振り返る。すると鬼太郎たちが通って来た通路の奥から——年老いた一人の男性と、その付き添いのように後ろを歩く若い女性が姿を現した。

 

「……なんだお前たちは? こいつらの仲間か?」

 

 その侵入者を相手に錬金術師が不快そうに顔を歪める。

 一方で魔女であるアニエスはその女性の顔を見るなり、その表情を明るくしていく。

 

「アデルお姉様!!」

「アニエス、遅くなって済まんな……」

 

 そう、古城へ姿を現したのはアニエスの姉であるアデル。彼女とはいずれ合流するとの報告を聞いていたため、一行にそれほど驚きはない。

 驚くべきは——彼女と共に来ていた男性の方だ。

 

 

「エドワードさん!? どうして貴方がここに……?」

「…………」

 

 

 そう、エドワード・エルリック。

 鬼太郎たちにキメラの真偽を確かめるように依頼してきた老人が、遠く日本の地よりこのドイツの古城へと降り立った。

 

 

 

×

 

 

 

「済まないね、鬼太郎くん。どうしても……私自身の目で色々と確かめたくなってしまって……アデルさんに無理を言って連れて来てもらったんだ」

 

 姿を現したエドワードは、鬼太郎たちと顔を合わせるや真っ先に頭を下げた。

 わざわざ彼らに調査を依頼しておきながら、結局は自分で出向いて来てしまった。これもアデルの転移魔法があればこそだが、余計な手間を掛けてしまったことに変わりはないと謝罪を口にしていく。

 

「き、気持ちは分かりますが……貴方は……」

 

 だが鬼太郎は、エドワードの謝罪よりも彼の身体を心配する。

 今の彼は病院服ではなく、外出用の私服を着こなし、実に堂々とした恰好をしていた。地にしっかりと足をつけているその姿にも、年齢による衰えなどは感じられない。

 しかし、いくらしっかりしているように見えても、エドワードが百歳越えの老人であることに変わりはない。

 何が起こるか分からないのだから、すぐにでもこの場から避難するべきではと、彼の身を気遣っていく。

 

「話はある程度聞かせてもらった。その男が……キメラを作った錬金術師とのことだが、ふむ……」

 

 だが鬼太郎の心配をよそに、エドワードはその場に留まる。どうやら、通路の方で鬼太郎たちと眼前の男との話に聞き耳を立てていたらしい。

 値踏みするような視線を、眼前の男——自称・錬金術師へと向けていく。

 

「なんだ貴様は……?」

 

 そんなエドワードの視線に、相手は不快感を隠そうともせず表情を歪める。

 いきなり出てきた老人に不躾な視線を向けられ、かなり気分を害したようだ。もっとも男の機嫌などお構いなしに、エドワードが質問を投げ掛けていく。

 

「賢者の石と言ったな……その指輪の石を……」

「あん……?」

 

 エドワードも錬金術師であるからには、当然賢者の石に関する知識を有しているだろう。男が人間の命を材料にしていたというくだりも、しっかりと聞いていたようだ。

 

「お前は……その石を生み出すのに……いったいどれだけ人間の命を使った?」

 

 それは、聞きようによっては男の罪を糾弾するような問い掛けだったが、エドワードの声に憤りのようなものはない。

 あくまで冷静に、具体的な人数を事実確認するようなニュアンスであった。

 

「うん? そうだなぁ……石を作る過程で色々と実験もしたからなぁ~……まあ、三桁には届いていない。せいぜい五十人くらいだろう……はっはっは!」

「!! アンタねっ……フシャアアアアア!!」

 

 すると男はエドワードの質問に、愉悦感を滲ませるように答える。

 石一つを作るのにおよそ五十人というが、実験の失敗などの分を含めれば——おそらく、その倍以上の人々がこの男の歪んだ欲望の犠牲者となっている筈だ。

 そんな残酷なことをニヤニヤと笑みを浮かべて答える男に、猫娘が化け猫の唸り声を上げる。

 

「……もういい! それ以上はっ!!」

 

 鬼太郎としても、それ以上は男の話を黙って聞いていることが出来なかった。これ以上、その口から語られる悪魔の所業に怒りを抑えきれない。

 

 

 ところが——。

 

 

「——それだけか?」

「……えっ?」

 

 

 得意げになって語る男の話に水を差すよう、エドワードは平坦な声音で尋ねる。

 

「お前が石の材料にした人間の数は……たったそれだけかと聞いている」

「なっ!? 何を言ってるんじゃ、エドワードさん!?」 

 

 エドワードの口から放たれたまさかの発言に、目玉おやじが驚きに声を荒げる。彼の口から、まさか数十人単位の犠牲が『たったそれだけ』などと聞かされるとは思ってもいなかった。

 しかし、エドワードは歴然たる事実として——賢者の石の生成にしては『少なすぎる』対価だと、相手の理論の穴を指摘していく。

 

 

「賢者の石を作るのに、その程度の犠牲では足りないな。街一つ……いや、都市一つ分は対価にしなければ……賢者の石には届かない」

「——!!」

 

 

 エドワードは決して人の命を蔑ろにしているわけではないが、一人の錬金術師として、自らが知りうる事実を淡々と語っていく。

 そう、賢者の石が人間の命を代価にすることなら、既にエドワードも知っていた。だからこそ——相手の錬金術師が材料とした人間の少なさに、率直な疑問を提示したのだ。

 

「もしも、その石がたった数十人の命で作られたのなら……それは賢者の石には程遠い。ただの不完全品……紅い石に過ぎない」

「あ、紅い石……?」

 

『賢者の石』ではなく『紅い石』と。

 随分と安直な呼び方だが、それでも一応それなりの効果はあるらしい。錬成陣を描くことなく、対価を度外視した錬成が出来るだけ、十分に革新的なアイテムであろう。

 だが、完全な物質とされる賢者の石とは程遠い。内蔵されているエネルギーが切れれば、いずれは砕け散ってしまうという。

 

 

 それが紅い石の限界。

 その程度のものしか作れない——未熟な錬金術師の限界だという。

 

 

「な、何を馬鹿な……き、貴様のような爺に、錬金術の何が分かると言うのだ!?」

 

 エドワードの親切な説明を、それでも錬金術師は戯言と突っぱねる。だが明らかに動揺を隠しきれておらず、自信満々だった態度にも翳りが見え始めていた。

 

「ふ、ふざけたことを言う老いぼれめ!! その妄言の対価……その命で払ってもらうぞ、おい!!」

 

 そんな抱き始めた不安を払拭するためにもと、耳障りなことを口にするエドワードを排除しようと、どこかへと何かしらの合図を送る。

 

「…………」

「…………」

 

 男の呼び掛けに姿を現したのは——彼と同じようなローブを纏ったものたち。特に何かを喋るでもなく、幽鬼の様に佇む姿がどこか不気味な集団。

 

「私の弟子たちさ!! 我が叡智のおこぼれにあずかろうと、こうした輩が自然と集まってくるものでね!!」

 

 男はそのものたちを自身の『弟子』だと紹介する。己の錬金術師としての知識が本物だからこそ、これだけの人が集まるのだと自分の人望を自慢するかのようだ。 

 尚、実際は金で雇ったただのチンピラだ。そこに真っ当な師弟関係など存在しない。

 

「そして……これが私の研究成果だ!!」

 

 男は金で雇ったその部下たちに目配せをする。そのアイコンタクトに頷きもしなかったが、一応は師匠である男が望む『モノ』をすぐに用意してきた。

 

 

『——グルゥウウウ……グラアアアアアアア!!』

「キメラッ!?」

 

 

 それは鎖の首輪で繋がれた——合成獣・キメラであった。

 写真で見たものと同じく、ライオンの頭部を基本に様々な動物を掛け合わせた怪物がそこにいた。

 

「どうだ!? この石の力を使えば……こんな化け物をいくらでも作れるのさ!!」

「なるほど、確かに本物のキメラだな……ふむ……」

 

 キメラの存在で相手がビビると思ったのか、男は得意げになって威張り散らす。

 もっとも、今更キメラ程度では驚かないエドワード。彼は冷静に眼前の怪物を観察し、それが確かに合成獣であることを自身の目で確かめる。

 これで『キメラが本物かを確かめる』という当初の目的は達しただろうが、当然これで終わりではない。

 

「ちっ!! 余裕ぶっていられるのも今のうちだ……やれ!!」

 

 余裕なエドワードの態度に苛立ちながら、男はキメラをけしかけるようにと指示を出す。合図と同時に、鎖によって繋がれたキメラが戒めから解き放たれる。

 

 

『——グラアアアアアアア!!』

 

 

 既に調教済みなのか、キメラは創造主の意思に従う形で、猛然とエドワードに向かって襲い掛かっていく。 

 

「いかん!!」

「エドワードさん、逃げてください!!」

 

 鬼太郎たちはエドワードに逃げるように叫んだ。

 すぐにでも彼を庇いに行きたかったが、頑丈な鉄檻が邪魔で即座に行動を起こすことが出来ない。このままでは、エドワードがキメラの餌になってしまうと焦りを見せる。

 

「…………」

 

 もっとも、彼のすぐ側にはアデルがいた。

 彼女はキメラを迎え撃とうと、懐から黙って魔法銃を取り出す。アデルほどの実力者であれば、キメラからエドワードを無傷で守ることが出来ただろう。

 

「大丈夫だ、任せてくれ……」

 

 ところが、アデルの援護をエドワードが手で制した。余計な手出しは無用ということなのか。

 

「…………」

「お、お姉様!?」

 

 普通なら、それでもエドワードを庇うべきだっただろう。だがアデルは銃を持ったまま、その場から一歩下がってしまう。

 姉のまさかの行動に、アニエスも呆気に取られてしまっている。

 

 

 

「…………」

 

 そうして、たった一人で巨大な猛獣を迎え撃つエドワード。彼は自らの右腕を上げ、まるでそれに食いつけとばかりに正面へと突きつける。

 

「馬鹿め! 血迷ったか!? なら望み通り……その腕から食いちぎってやれ!!」

 

 エドワードの行動を理解不可能なものと嘲りながら、男はキメラに命令を下す。

 

 

 次の瞬間——キメラは創造主の命令通り、エドワードの右腕へと喰らいついてしまった。

 

 

「な、なんたることじゃ……!!」

「エドワードさん!?」

 

 最悪な展開に目玉おやじと猫娘が目を覆う。錬金術師といえども、エドワードはただの人間だ。しかも彼のような老人が、あんな凶暴な獣に抵抗など出来る筈もない。

 きっと彼の細腕など、すぐにでも噛みちぎられてしまう。数秒後に訪れるであろう惨劇に対し、顔面蒼白で身構える一行。

 

 

 ところが——。

 

 

『ぐぐぐ……グルゥウウウ……ぐ、グガアア……』

「な、なんだぁ?」

 

 勢いよくエドワードの腕に噛み付いたキメラだったが、いつまで経ってもその右腕を噛みちぎる気配がない。それどころか、時間が経つにつれて猛獣の表情に疲れが見え始めている。

 キメラ自身、何が起きているのか理解出来ていないのか。全身から噴き出すような汗を流しながら、それでも本能のまま何とか右腕に喰らいついていく。

 

「な、何を遊んでいる!? そんな爺の腕……とっとと食いちぎってしまえ!!」

 

 いつまで経ってもエドワードの右腕一つ噛みちぎることの出来ないキメラに、愉悦に満ちていた錬金術師の表情が段々と苛立ちへと変わっていく。

 業を煮やしてさらに強く命令を下すも、その指示が実行に移されることはなかった。

 

『ぐぅうう……ぐぅうう……』

 

 とうとう顎に限界が来たのか。弱々しい呻き声を上げながら、キメラの口がエドワードの右腕から離れていく。

 

「どうした、猫野郎。もうギブアップか……ふっ!!」

 

 キメラに噛みつかれていた間、エドワードの方は顔色一つ変えなかった。

 相手の気が済むまで好きなように噛みつかせ、力尽きたタイミングを見計らい、その腹目掛けて蹴りを叩き込む。

 荒々しい口調と共に繰り出される『左足』のミドルキック。もっとも、老体から繰り出される蹴りなどたかが知れていただろう。

 その程度の一撃では、キメラの強靭な肉体に傷一つ付けられない——筈であった。

 

『——ゴガアアア!?』

 

 だがそんな老人の蹴りに、キメラは弱々しい鳴き声を上げながら、その巨体を地面へと沈ませてしまう。

 

「なっ……!?」

「い、いったい何が……?」

 

 敵である錬金術師は当然ながら、鬼太郎たちからも困惑の声が上がる。

 キメラの巨体にダメージを与えたエドワードの蹴り。確かに彼は高齢とは思えないほどしっかりとした足腰をしているが、年齢的にも限界がある筈だ。

 そもそも、生身の人間がキメラを相手取ること自体が不自然。あの左足、そして右腕。明らかに何かしらの秘密があることは間違いなかった。

 

「服が破れてしまったな……」

 

 ふいに、エドワードはキメラに噛みつかれたことでボロボロになった上着を剥ぎ取っていく。

 常に長袖で、しかも手袋によって隠されていた右腕——その全貌が明らかになったのだ。

 

「え、エドワードさん!? その右腕はっ……!?」

「…………」

 

『それ』を目の当たりにした瞬間、その場にいたほとんどのものが息を呑む。アデルは既に知っていたのか驚きこそなかったが、その眉が僅かに揺れ動く。

 

 

 エドワードの上着の下——その右腕は銀色に輝いていた。生身ではない鋼の光沢。そう、彼の右腕は『義手』だったのである。

 勿論、ただの義手であればそこまで驚きはしないだろう。しかしエドワードの義手は素人の目から見ても、明らかに普通のもの——医療用などに用いられるもの以上に、より高度な技術で作られたものだと分かる精巧さであった。

 さらによくよく見れば、僅かに破れた左足のズボンの下からも、同様に銀色の光沢が垣間見えた。左足の方も『義足』だ。

 

 鋼の義手義足がまるで違和感を感じさせないほどに、完全にエドワードの身体の一部と化している。

 

 

「機械鎧と言ってね……こいつとも、もう百年以上の付き合いになるのかな……」

「ひゃ、百年って……」

 

 エドワードは、それらの義肢を『機械鎧(オートメイル)』と呼んだ。確かにその呼び名に相応しい、鎧のように頑丈そうな作りだ。キメラが噛みちぎれなかったのも頷ける。

 だがそれ以上に驚きなのは、その義肢と共に百年もの時間を過ごしているというエドワードの発言だ。

 

 百年——少なくとも十代の頃から、彼はその機械鎧を装着している。

 百年も前に、それだけ精巧な義肢が作られた事実にも驚きだが、それ以上に十代の少年がどうしてそのようなものを必要としたのだろう。

 

「これが……私の罪の証だ」

「罪……」

 

 それについて、エドワードはその場で深く語ろうとはしなかった。だが人知れず呟かれたその言葉に、鬼太郎は彼の玄孫であるウィンリィ・エルリックが語ってくれた話を思い出す。

 

『——天国に行くにも……私は罪を重ねすぎた……』

 

『——咎人である私は、この報いを受けなければならない』

 

 それらはエドワードが、ときより自虐的に呟く言葉だという。

 自分を咎人と称する彼は、いったいどんな人生を送り、どんな罪を背負っているというのだろうか。

 

 

 

「そ、それがどうしたというのだ!? そんな、こけおどしでどうにか出来る状況だと思うなよ!!」

 

 一方の錬金術師。

 彼は機械鎧を見せつけてくるエドワードの迫力に気圧されながらも、それがどうしたと強がりにも声を上げる。

 

『グルゥウウウ……!!』

 

 実際、エドワードから蹴りを入れられ倒れていたキメラが、その巨体をゆっくりとだが起こそうとしている。

 いかに鋼の義足による一撃だろうと、やはり高齢なエドワードではキメラを倒すには至らない。

 

「やれやれ……若い頃のようにはいかないか……」

 

 エドワードは自身の衰えた脚力にため息を吐く。

 若い頃ならば、一撃でキメラを黙らせる自信があったのだろう。今の自分の身体能力ではキメラを倒しきることが出来ないと、その事実を素直に認める。

 

「アデルくん、例のものを……」

「ええ……」

 

 故に——エドワードは機械鎧に頼った体術以外の『力』に頼るべく、アデルに声を掛けた。

 あらかじめ打ち合わせをしておいたのか。その指示にアデルは懐から青い魔法石を一つ取り出し、それをエドワードへと手渡した。

 

 

 魔法石——魔女であるアデルが魔法の構築式を込めることで、誰でも魔法が使えることになる道具だ。魔法によって作られるそれは、言うなればアデルの錬金術によって生み出されたものだと言える。

 魔女である彼女たちであれば、錬金術でそういった道具を作り出すことも可能なのだろう。

 

 だが、人間のエドワードでは錬金術は使えない。仮に使おうというのであれば、この地で外道に手を染めた錬金術師のように——人間の命を消費するしかない。

 勿論、真っ当な倫理観を持つものであればそのような真似は出来ない。それはエドワードも同じ気持ちだ。

 

 

「さて……果たして上手くいくかどうか……?」

 

 だからこそなのか。エドワードはその魔法石を手に持ちながら——両手を『パンッ!!』と合わせ、地面に向かってその手を突いた。

 

 

 刹那——『魔法石』から青い光が迸る。

 エドワードの足場が隆起し、地面からいくつもの『巨大な拳』が出現したのだ。

 

 

『——ゴガアアアアアアア!?』

 

 

 その拳の全てが、キメラに向かって叩き込まれる。

 流石にその大質量から繰り出される一撃には、キメラも悲鳴を上げながら悶絶するしかなかった。

 

 

 

「い、今のは……錬成反応!?」

 

 その光景にアニエスが目を見開く。

 今のは魔法石に込められたアデルの魔法ではない。今の青い光は錬成反応——錬金術が発動する際に起きる発光現象だ。

 人間であるエドワードが今の瞬間、確かに自らの意思で錬金術を行使していたのである。

 

「な、なんだと……馬鹿な!?」

 

 これには錬金術師の男も驚愕しかない。自分のように賢者の石——紅い石を用いたわけでもないのに、錬金術を行使してみせた老人の存在に、今度こそ強がりの笑みさえ浮かべられないでいる。

 

 いったいエドワードが何をしたのか。彼の知識では皆目見当も付かない。

 

「おお! なるほど……なら、これは……」

 

 エドワードはエドワードで、自分が錬金術を使えることに少なからず驚いている様子だ。

 続け様、再び両手を合わせ、そのまま鬼太郎たちを閉じ込めている鉄檻へと手で触れる。

 

「おっ? おおっ!!」

「お、檻が……消えた?」

 

 すると、次の瞬間にも鉄檻が砂のように分解される。これも錬金術によるものなのだろうが、その現象に目玉おやじや鬼太郎も目を丸くするしかない。

 

「——ねずみ男っ!! そこ動くんじゃないわよ!!」

「——ひ、ひぇええええええ!! こ、こっち来んなや!?」

 

 檻から解放されるや、猫娘は真っ先にねずみ男のところへと走っていく。

 当然のように逃げるねずみ男だが、すぐに捕まり彼は裏切りの報いにその顔をたくさんの引っかき傷で血に染めることとなる。

 

 

 

 

 

「アデルくん。キミの魔力が込められた魔法石を媒介に、錬金術を発動する試み……どうやら、成功のようだね」

 

 人間であるエドワードが、どうして錬金術を使用できたのか。

 そのカラクリは、アデルがエドワードに渡した魔法石。その内部に込められた魔力をエネルギーに変換する仕組みを思いついたからである。

 

 この手法は病室でのアデルとの問答時に、エドワードが思い付きで閃いたものだ。

 魔女たちが自身の体内の魔力を消費して錬金術を発動する工程を、魔法石を代用することで人間であるエドワードにも適用するというアイディア。

 

 今のエドワードは、魔法石があれば自在に錬金術を行使できる正真正銘の『錬金術師』だ。

 即興な思い付きではあったが、それが見事に成功。エドワードはこの結果にいい笑顔を浮かべていた。

 

「……確かに、錬成を発動させるのに必要なエネルギーは魔法石の魔力で賄うことは出来るだろうが、あの魔法石に具体的な構築式はこめていない筈……。外付けで錬成陣が必要になると想定していたが……何故エドワード殿は? 手を合わせることが、力の循環を意味している? だがその場合、構築式はどこに? いや……だがしかし…………」

「お、お姉様?」

 

 しかしアデルは、エドワードが『魔法石を用いただけ』で錬金術を行使できたことに、どこか納得がいっていない様子だった。

 彼女としては魔法石以外にも錬成陣など、もっと手間を掛ける必要があったと想定していたのだろう。研究者としてぶつぶつと一人思考の沼にはまっていき、そんな姉の様子をアニエスが心配そうに見つめていた。

 

 

 

「き、キメラが……私の傑作が……そ、そんな……」

 

 いずれにせよ、エドワードの錬金術で合成獣は完全に沈黙した。しかも相手が自分と同じ、あるいはそれ以上に見事な錬金術を見せつけてみせたと、未熟な錬金術師ががっくりと項垂れた。

 同じ錬金術師として技量の差を思い知ったのか、呆然とその場から動けないでいる。

 

「おい!」

「……っ!!」

 

 すっかり自信を喪失している相手に対し、エドワードは容赦なく畳み掛けるように質問をぶつける。

 

「お前がどこで錬金術を習ったのか……洗いざらい吐いてもらうぞ」

「そ、それは……」

 

 エドワードは、相手の錬金術の起源がどこから来たものなのかを問い掛けていた。エドワードの質問に、男は気まずそうに視線を逸らしてしまう。

 

「確か……トゥーレ協会がどうとか言っておったが……?」

 

 すると、目玉おやじが先の話を思い出しながらその答えを口にする。

 神秘を研究する秘密結社の関係者。彼がトゥーレ協会の子孫だからこそ、錬金術という不可思議な力を使用できていても不思議ではないと判断するが。

 

「トゥーレ? トゥーレ協会か! 確かに彼らの関係者なら……錬金術の存在を信じていてもおかしくはないだろうが……」

 

 トゥーレの名を、エドワードが懐かしそうに呟く。

 どこかでその組織との接点があったのか、感慨深げに考え込みながらも——すぐにでも首を横に振る。

 

「だが、トゥーレ協会の知識には間違ったものが多い。錬成陣の描き方……構築式の組み立てにあそこまで苦労していた彼らがキメラの製法……ましてや、賢者の石の創造にまで辿り着くなどとは……到底考えられない」

「うっ……く、ぐっ……!」

 

 エドワードはトゥーレ協会の『眉唾』な知識では、錬金術の最奥に辿り着くなど困難だろうという。それは彼自身の経験から裏づけられた、確信が秘められた解答だった。

 エドワードの考えを肯定するかのよう、相手方も何も言えずに黙り込んでしまう。

 

「誰か他に……お前に錬金術の知識を与えたものがいる筈だ。いったいそれが誰なのか……答えろ!」

「そ、それは……」

 

 故に、エドワードは目の前の男がトゥーレ協会の残した資料以外——『誰かから錬金術の知識を得た』という合理的な結論へと辿り着いた。

 図星だったのか。しかしそれだけは口にすまいと、男は固く口を閉ざしていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『——なんだ。随分と騒がしいと思って来てみれば……中々面白い展開になっているじゃないか……』

「——っ!?」

 

 そのときだ。どこか面白そうな、嘲るような声がその場に響き渡る。

 

「き、貴様っ……!?」

 

 その声に錬金術師の男が振り返る。すると彼のすぐ側にローブを纏った男が、いつの間にか一人ポツンと佇んでいた。

 

「…………」

 

 男の弟子の一人だろう。他の弟子たち同様、彼自身は何も言葉を発していない。

 聞こえてきたのは彼の手元。そのものが大事そうに抱えている——『フラスコの中』から声が響いてくる。

 

『これはこれは……見事な錬金術じゃないか。恐れ入ったよ……』

 

 フラスコの中の『何か』は、エドワードの錬金術を見事なものと褒め称える。もっともその賞賛にも上から目線、見下すような響きが込められている。

 

「お前は……なんだ?」

 

 不気味に響いてくる声音に、珍しく困惑した表情を浮かべるエドワード。彼の知識を持ってしても『それ』がなんなのか、瞬時には判断が付かないようである。

 

 

『初めまして錬金術師……それに、妖怪に魔女のお歴々よ……』

「——っ!!」

 

 

 しかしその得体の知れない何かは、エドワードや鬼太郎たち。アニエスやアデルといった魔女の面々を正しく理解した上でその存在を歓待する。

 その口や目元に嘲りを浮かべながら、『生まれた瞬間から知っていた』——自らを定義する呼び名を名乗っていく。

 

 

『——私の名はホムンクルス。フラスコの中の小人とでも呼んでくれたまえ、くっくっく……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 錬金術師によって支配されている古城。その城の最奥の倉庫には——『錬金術に関する様々な品々』が揃えられていた。

 もっとも、そのほとんどが眉唾物。真偽も定かではない、不良品によって埋め尽くされている。

 

 間違った知識が記述された古文書や、魔術書。

 四大元素の属性が付与されていると噂された、何の変哲もないアミュレット。

 錬金術の練成に使われていたとされる、ただの古びた大釜。

 

 この城の主人が少しでも錬金術の知識を高めようと、必死になって努力した痕跡が部屋中の至るところに転がっている。

 だが、その大半がただのガラクタだと『フラスコの中の小人』から教えられたことで、錬金術師はこの部屋そのものへの関心を失ってしまった。

 今では掃除で訪れるものもいなくなり、中はすっかり荒れ放題、埃が積もったまま完全に放置されていた。

 

 

「————————!」

 

 

 だが、その倉庫の奥底に仕舞われていた——『全身鎧』の兜に、突如として光が宿る。

 

 その鎧は——『悪魔が宿った』という逸話を持つ代物だ。

 中身がないのにいきなり動き出したという話に、一時は多くのオカルトマニアから人知れず脚光を浴びた経歴もある。

 一説には、持ち主に死をもたらす『呪いの鎧』とも呼ばれ、当時の所有者だった老人が謎の自殺を遂げたこともあり、不気味に思った老人の家族がその鎧を手放したという。

 

 その後、様々な経緯を経て——鎧はこの古城の倉庫まで流れ着いた。

 錬金術師の男は、その鎧が噂通りに動き出すことを期待していたようだが、結局は何も起こらずただのガラクタとして廃棄されていた。

 

 

「………………はっ! はぁはぁ……」

 

 

 その鎧が、何の因果かこのタイミングで動き出す。

 数日前から頻繁に城で行われている、錬金術の練成反応に連鎖反応を起こした結果か。

 

 

 あるいは——血を分けた兄弟が行使した錬金術の錬成反応が届き、奥底に眠っていた意識を浮上させたのか。

 

 

 いずれにせよ、その鎧に『定着していた魂』が——意識を覚醒させると同時に、会いたい人の名を囁いていく。

 

 

 

「——兄さん」

 

 

 

 兄を一人にしたくないという弟の想いが——時代を越えて叶った瞬間である。

 

 




人物紹介

 名もなき錬金術師
  今回の事件の……表向きは一応黒幕。
  作中でも紹介しましたが、トゥーレ協会の子孫という設定。
  独自に錬金術の知識を求め……ある日、偶然『フラスコの怪物』を産み出したことで運命が一変してしまう。
  ポジション的には原作のコーネロ教主みたいな……つまりは嚙ませ犬。

 弟子たち
  名もなき錬金術師の弟子(金で雇ったチンピラ)。
  彼ら全員、人間味が感じられないのにはちゃんとした理由があります……。

 フラスコの中の小人・ホムンクルス
  錬金術関係の怪物、其の②。真の黒幕。
  伝承にある通り、その始まりはフラスコの中から生まれた小さな存在。
  ビジュアルのデザインは原作のお父様と同じですが……完全に別個体です。
  まだ生まれて間もないので、そこまで厄介な存在にはならない予定です。

 動き始めた鎧
  サプライズゲスト其の②。とある錬金術師がその魂を定着させた鎧。
  いったい、中に入っている魂は誰のものなのか!!?
  バレバレでしょうが……何も知らない体でよろしくお願いします。


 補足説明

  今作における錬金術の設定
   アニメ一期において、『こちら側』に来たエドワードたちは錬金術を使えないという風に説明がなされています。ですが、エドたちは『こちら側』で門を錬成し、一度は『向こう側』への帰還を果たしています。今作における『錬金術のエネルギー問題』は、その矛盾点を作者なりに独自解釈したものとなっています。
  ちなみに、魔女であるアデルやアニエスは魔力で問題なく錬金術が使えるという設定。だからエドはアデルの魔法石……『魔力』を借りるという形で錬金術を使えるようにしてみました。

  
 次回で今回の話も完結予定。最後までどうかお楽しみに!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

鋼の錬金術師 シャンバラへの帰還 其の④

お疲れ様です!!
fgo八周年……色々と楽しませてもらいました。

毎年恒例の福袋に……まさかのデスティニーオーダー召喚実装!!
実質、二回分福袋を引けることになった……運営、本当にありがとう!!

今年の福袋は、持っていなかったスーパーバニヤンを引いた。けど正直……そんなに好きじゃなくて複雑な気分。
だが!! それを差し引いても……デスティニー召喚でまさかのドラコーを引き当ててしまった!!

運命でビーストを引き寄せてしまう……これは凶兆か? それとも……。

周年記念はまさかのトネリコ……というか水着モルガン。
去年のアルクェイドに勝るとも劣らぬ逸材。今年の水着イベントも波乱の予感だし……運営は我々からどれだけの諭吉を吸い上げる気なのだろう?

個人的にカマソッソが実装されなかったことは残念だったが……それはまたの機会に取っておくとしましょう。

さて、ようやく本編の話。
『鋼の錬金術師』のクロスオーバー、今話で堂々完結です。
今回もかなりの長文になってしまい、思わずまた一話増やそうかなどと魔が差しましたが……何とか四話構成で完結出来ました。

鋼の錬金術師、エドワード・エルリック最後の物語。
どうか結末まで、お楽しみください……。



 錬金術。

 物質に存在する法則と流れを理解し、分解、再構築する技術。物質を自在に創り変えるその光景を何も知らないものが見れば、まさに『魔法』のように見えるだろう。

 だが、錬金術にはいくつもの原則が存在する。中でも特に重要になってくるのが——『等価交換』の概念だ。

 

 何かを得ようとするのならば、それと同等の代価が必要になる。逆に言えば対価さえ支払えば、大抵のものが手に入るとも解釈できるが。

 

 しかし、どんな対価を支払おうとも、決して取り戻せないものもある。

 どれだけ偉大な錬金術師であろうと『死んだ人間』を蘇らせることは出来ない。錬金術の世界でそれは『人体錬成』とされ、倫理的にも法律的にも厳しく戒められていた。

 

 だがとある国、あるいは世界で。

 その人体錬成を——僅か十一歳と十歳の兄弟が試みた。

 

 病気で死んでしまった母を蘇らせる。

 もう一度母に会いたいという無垢な願いが、決して触れてはならない『禁忌』へと兄弟を駆り立てたのだ。

 そうして、人体錬成を行なった報いとして。

 

 兄は左足を。

 弟は肉体の全てを失った。

 

 禁忌を犯した代償を、兄弟は痛みと共に思い知ったのである。

 その後、兄は肉体を失った弟を救うべく、咄嗟に『魂の錬成』を試みた。自身の右腕をさらなる代価とし、すぐ側にあった鎧へと弟の魂を定着させたのだ。

 

 

 

 それからというもの、兄弟は失ったものを取り戻すべく長い旅に出た。

 苦難の連続だった。とても言葉だけでは語り尽くせぬほどの苦心、苦痛、苦悩が兄弟の前に幾度として立ち塞がる。

 

 結果だけを語るのであれば、兄は右腕と左足を失ったままの身体で生きていくこととなる。鋼の義手義足を見れば常にあの日のこと——『罪』を犯した愚かな自分を思い返している。

 一方で、弟は何とか肉体を取り戻すことができた。身体を取り戻した代償に、兄と離れ離れになってしまったが——数年後には再開し、兄と共に『こちら側』の世界で生きていくこととなる。

 

 その後も二人は様々な苦労を乗り越えていき、やがては大人になって、それぞれ家庭を築くようにもなった。

 やがては孫が生まれるほどの歳となり、その天命を全うしようとしたところで、弟はもう一度——その魂を鎧へと定着させる。

 

 兄を『こちら側』の世界で一人っきりにしないため。

 ただそのためだけに、彼は再び——世の中の流れに逆らっていく。

 

 

 

 そして——。

 

 

 

「——やった……成功だ!!」

 

 薄暗い部屋の中、無事に意識を覚醒させた鎧姿の錬金術師が子供のようにはしゃいでいる。

 少年時代に鎧姿であった時期が長かったためか、その精神年齢も没する直前の老人ではなく、少年期のものに近かった。

 馴染みの鎧に精神が引っ張られてた結果だろう。少年らしい口調と佇まいで身体の調子を確かめていく。

 

「うわ、懐かしいな~! この感覚~! 感覚ないけど……」

 

 基本的に、鎧の身体は何も感じない。

 痛みも熱さも寒さも。空腹も眠気も、死に対する恐怖もかなり希薄だ。朽ちることを知らない鋼の肉体。それを便利だと、羨ましがるものもいるだろう。

 だがそれでも、人間として本来あるべき肉体を取り戻したいと、当時の兄弟は必死になって元の身体を求めた。

 しかしそうして取り戻した肉体を再び捨て、今度は鎧の身体となることを自らで選んだのだ。

 

「兄さん……今のボクを見てなんて言うかな?」

 

 鎧姿となった錬金術師はこの身体で兄に再会することに、少しばかり不安を抱く。

 せっかく取り戻した肉体から、またしても鎧の姿へとなってしまった自分に、兄はきっといい顔をしないだろう。

 

「怒るかな……もしかしたら、兄弟の縁を切るだなんて言われるかもしれない……」

 

 それだけ、弟のやったことは必死に肉体を取り戻そうとしていた兄弟の心情に反するものだ。

 いったい何のためにあれだけの苦難を乗り越え、悲しみに耐えてきたというのか。

 

「けどそれでも……ボクは兄さんの側にいたい! せめて最後の……そのときまで!!」

 

 だが兄に何と言われようとも、彼はこの選択に後悔はない。たとえ兄から拒絶されようとも、側にいてあげたい。

 兄がその命を終えるその瞬間まで、一緒にこの世界を生き抜いていたい。

 

 

 それが——弟である彼の心からの望みであった。

 

 

「よーし!! そうと決まれば、さっそく会いに行かないと!! みんなにも協力してもらって……」

 

 そうと決まればと、彼は即座に行動を起こそうとする。

 今のご時世、こんな鎧姿で出歩けばすぐに騒ぎになってしまうだろうと、彼はみんな——自分の家族の助けを借りようと思っていた。

 

 子供たちや孫が、死んだ筈の自分がこんな鎧姿で戻ってきたら腰を抜かしてしまうと思ったが、そこは話せば分かってくれるだろう。

 割と気楽に考えながら、家族の姿を探そうとする。

 

「あれ……?」

 

 だが、ここで周囲をキョロキョロと見渡しながら、鎧姿の彼は首を傾げる。

 

「……ここ……どこだろう?」

 

 そう、魂の定着が無事成功したことに夢中ですっかり気付くのが遅れてしまった。

 

 彼が目覚めた場所。そこには家族どころか人の気配もない。

 鎧の自分がどこかも分からない。薄暗い倉庫の中で放置されていたことに、今更ながらに気づいたのであった。

 

 

 

×

 

 

 

「ホムンクルス……だと!?」

 

 古城の大広間にて。老いても尚、錬金術師としての実力が健在なエドワード・エルリックが目を見開く。

 自らをホムンクルス——『フラスコの中の小人』と名乗る、不気味な黒い靄のような存在を前に、信じ難いと言葉を詰まらせている。

 

「ホムンクルス……人造人間というやつか?」

「初めて見た。本当にフラスコの中にいるのね……」

 

 魔女であるアデルやアニエスも、ホムンクルスがどういう存在なのかを理解した上で驚いている。

 何も理解出来ないで『?』と、クエスチョンマークを浮かべている鬼太郎たち日本妖怪をよそに、魔女たちはホムンクルスに関する知識を必死に思い出していた。

 

 

 ホムンクルス。

 それは錬金術によって作り出される『人工生命体』のことを指す。キメラのように既に生きている動物を掛け合わせるのではない。一から新しい命を作り出そうとした結果誕生する——『人造人間』だ。

 その存在自体『人体錬成』という錬金術の禁忌に触れる恐れがあるが、ホムンクルスは人間とはまるで違う生命体だ。

 彼らはフラスコの中でしか生きられない矮小な存在だというが、生まれながらにあらゆる知識を身に付けているという。

 錬金術によって生み出されたためか、特に錬金術に関する知識を多く内包しているとのこと。

 

 その知識量は——自分を生み出した創造主を遥かに凌ぐ。

 

 

「なるほど……俺の知っているものとはだいぶ違うが……確かにホムンクルスと呼ばれるのに相応しい姿だな」

 

 ホムンクルスというワード自体に動揺していたエドワードだが、すぐに冷静さを取り戻す。どうやら、彼は過去にも『ホムンクルス』と呼ばれる存在と邂逅したことがあるようだ。

 自分の知っているものとは全くの別物であることに驚いたようだが、それが伝承どおりの姿——『フラスコの中の小人』であることに納得を示す。

 

「だがこれで謎が解けたよ。キメラの作り方も、賢者の石の製法も。全部お前がこいつに吹き込んだんだな!」

「うっ……!!」

 

 それと同時に理解する。

 眼前の錬金術師——トゥーレ協会という、間違ったところから錬金術の知識を得ていた筈の男が、どうしてキメラや賢者の石の正しい錬成方法を知っていたのか。

 

 

 そう、ホムンクルスだ。フラスコの小人から、それらの製造方法を学んだのだろう。

 ホムンクルスが生まれながらに持っている知識は、人間のそれを遥かに凌駕するというからそれも納得である。

 

 

「お、おい! ホムンクルス!! 貴様……これはいったいどういうことだ!?」

 

 自身の知識が借り物でしかないことに後ろめたさを感じてか、錬金術師の男は動揺しながらもホムンクルスへと詰め寄っていく。

 

「こ、この石が……不完品というのは本当なのか!? この賢者の石が……に、偽物だと貴様は知っていたのか!?」

 

 彼が憤慨するように問い詰めていたのは、自身の指にはめられている賢者の石の真偽である。

 彼自身はそれが『本物』だと信じて疑っていなかったが、それをエドワードから『偽物』だと指摘され、内心かなり困惑していたようだ。

 

『なんだ、お前……? まさかあの程度のものを……本当に賢者の石だと思っていたのか?』

 

 するとホムンクルスは男を馬鹿にするよう、さらっとそれが偽物であることを告げる。

 

『たかが数十人程度の人間を材料にしたくらいで……本物の石が出来上がるとでも?』

「お前っ……!」

 

 その発言に、彼らとの会話に蚊帳の外だった鬼太郎がその表情に怒りを見せる。その言動からも分かるように、このホムンクルスという存在は人間の命を何とも思っていない。

 

 ただの材料扱い。こいつにとって人間の命なんて——ただの『数字』でしかないのだろう。

 

「き、貴様!! 誰が……誰がお前を作ってやったと思ってるんだ!! 生みの親であるこの私に対して……よくもそんな出鱈目を!!」

 

 人間の命をなんとも思っていないのは錬金術師の男も同じだったが、彼は自分が騙されたという事実に激怒する。

 彼は自分がホムンクルスを作った——『創造主』という立場を笠に着て、その無礼を咎めていく。

 

『……ふん、何が生みの親だ。ただの偶然で私を生み出しただけだろうに……調子にのるなよ』

 

 これにホムンクルスはつまらなそうに吐き捨てる。

 

 

 確かにホムンクルスは人工生命体であり、それを生み出したのは紛れもなく錬金術師の男だ。

 彼は過去にホムンクルスを作ったとされる伝説的な錬金術師・パラケルススという男の著書に書かれていた通りの方法で、ホムンクルスの製造に成功した。

 もっとも、それは幾つもの偶然が重なり合ったことで出来た事故のようなもの。もう一度、同じように作れと言われれば不可能だろう、全く再現性のない奇跡だった。

 

 

『お前程度の錬金術師が、私の誕生に関われたのだ。それだけでも有り難いことだと思え』

「き、き、き……貴様ぁあああああ!!」

 

 故に、ホムンクルスには生みの親に対しての感謝や敬意など微塵もない。所詮ただの人間に過ぎないと、馬鹿にした発言で男を見下していく。

 そんなホムンクルスの態度に、錬金術師は顔を真っ赤に怒り狂う。もはや許しておけんとばかりに、フラスコを叩き割ろうとその手を伸ばした。

 

 ホムンクルスがどれだけの知恵者であろうと、フラスコさえ割れてしまえばそれで終わり。

 フラスコの中でしか生きられないその命は、呆気なく終わりを迎える筈であった。

 

 

 ところが——。

 

 

「………………」

「お、おい……貴様、何を……?」

 

 その行動を妨害したのは、ホムンクルスのフラスコを大事そうに抱え込んでいた——弟子の一人だ。彼は師匠の意向に逆らい、フラスコを男から遠ざけて守護していく。

 いや、そもそな話。何故彼は『ホムンクルスのフラスコを師の許しもなく持ち出した』のだろう。この場にホムンクルスが現れたときから、それを疑問に思うべきだった。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 さらには他の弟子たち、ローブを纏った連中が次々と錬金術師の男の前に立ち塞がる。

 

「こ、これは……どういうことだ……?」

 

 相変わらず何も喋らない彼らを前に、ここに来て男は明確に何かがおかしいと感じ取ったようだ。

 

『ようやく気付いたか? だが……もう手遅れだよ!』

 

 だが今更異変に気付いたところで手遅れだと、ホムンクルスは歯を剥き出しに嗜虐的な笑みを浮かべる。

 

 

「——うぅぅううううううううううう!!』

『——があああああああああああああ!!』

 

 

 次の瞬間、その場に集っていたローブ姿の弟子たちが一斉に呻き声を上げる。その口から人間のものではない絶叫を叫びながら、彼らの顔や身体が——ドロドロと溶け出したのだ。

 

「なっ!? なにが起きて……!!」

「ひぃええええええ!?」

 

 これに猫娘と、彼女にボコボコにされていたねずみ男が何事かと声を上げる。

 先ほどまで人間としか思えなかった面々が、全く別の『何か』へと変わっていくのだ。妖怪であろうとその光景には驚きしかない。

 

 そうして、溶けた人間の中から——全身が真っ黒い人型の怪物が姿を現す。

 その顔には目だけしかなく、表情が全く読めない。腕や胴体に簡易的だが、錬成陣のような紋様が描かれている。

 

「これは……ゴーレム!!」

「ゴーレムだと? 命を吹き込まれた、泥人形か……!?」

 

 その異形の正体がなんなのかを察したエドワードがその名を叫び、アデルもそれが何者なのか瞬時に自身の知識と照らし合わせる。

 

 

 ゴーレム。

 ホムンクルスやキメラ同様、錬金術によって生み出される怪物。人間の命令通りに動く人形であり、その全身は泥によって構築されていた。

 一口にゴーレムと言っても様々なバリエーションが存在するが、基本的には人型だ。中には一定の知能を持ち、ある程度の会話が可能なものもいるというが、そこに『魂』はない。

 人間になろうとしてなりきれなかった、哀れな人形。数日、長くても数年で自然消滅してしまう未完成な命。

 

 そんなゴーレムという存在が人間に化けていた。これはいったいどういうことか。

 

 

『——お前の弟子たちは全て、とっくにゴーレムに置き換わっていたんだよ!!』

「ば、バカな!? い、いつの間に……こんな!?」

 

 嘲笑するようにホムンクルスがその答え合わせをする。

 錬金術師の男は何も知らなかったのか、自分の弟子たちが全て『ゴーレムになっていた』という事実にただただ混乱する。

 

 

 元々、弟子と言っても彼らは錬金術師に金で雇われていたチンピラだ。錬金術がどうの、その力で世界がどうなどと。正直大して興味を持ってもいなかった。

 だが、錬金術師が偶然生み出してしまったホムンクルス。ヤツによってもたらされる様々の知識を目の当たりにすることで、彼らにも『野心』のようなものが芽生えてしまう。

 

 あるものは、金の錬成という即物的な欲望に突き動かされ。

 あるものは、賢者の石の魅せる奇跡に惹かれ。

 あるものは、不老不死などという甘い誘惑に釣られて。

 

 そんな浅はかな望みを何とか叶えようと、師である雇い主の目を盗んで誰もがホムンクルスに接触していたのだ。

 

 そうした人間たちの欲望を、ホムンクルスは瞬時に見抜く。

 そして、言葉巧みに彼らを誘導——『その望みを叶えてやろう』などと甘言を駆使し、彼らに『とある構築式』を描かせた。

 

 それこそが、ゴーレムの製造だった。

 しかもそれは人間の命をエネルギー、媒介としてゴーレムを作るという錬成陣。

 

 彼らはその錬成陣が自分の望みを叶えるものだと騙され、何も知らず——『自らの命』を糧にゴーレムを生み出してしまっていた。

 そうやって一人、また一人と。ホムンクルスは誰にも気付かれることなく、自らの手駒となるゴーレムを増やしていった。

 

 

『全く……本当に人間とは愚かなものだな。自分たちに都合の良い言葉を鵜呑みにして、取り返しのつかない失敗に手を染めていく』

 

 そうした人間たちを、総じて愚かと吐き捨てるホムンクルス。自分に騙されて自ら破滅していく彼らの様を、実に滑稽だと嘲りの笑みをさらに深めていき。

 

『本当にどうしようもない生き物だが、せめてその命は有効活用してやろうではないか……なぁ?』

「な、なにをっ!?」

 

 さらにはその目をギョロリと——生みの親である錬金術師へと向ける。

 

『うぉおおおおおおおおお!!』

『あああああああああああ!!』

 

 瞬間、ホムンクルスによって作られたゴーレムたちが一斉に錬金術師へと群がっていく。不意を突かれた突然の出来事に、手にした紅い石で身を守ることも叶わず、あっという間に拘束されてしまう。

 

「いったい、なにをするつもりじゃ!?」

 

 目の前の出来事に、鬼太郎の頭の上から目玉おやじが何事かと目を剥く。彼の視点からすれば、その光景は仲間割れをしているようにしか見えないだろう。

 もっとも、ホムンクルスに人間を仲間など思う感性はない。

 

『お前のバカさ加減にも、いい加減うんざりしていたところだ。私から知識を得ていた対価をそろそろ払ってもらうとしよう。等価交換というやつさ』

「やめ……た、助け……っ!」

 

 ホムンクルスは皮肉げなことを口にしながら、錬金術師の男に『対価』を支払わせることにした。

 実際、錬金術師はこれまでホムンクルスの知識をいいように使い、散々好き放題してきたのだ。

 

 

 その報いを、今受けるときが来た。

 

 

「ひっ……ひぎゃっ——」

「よせっ!!」

 

 

 あっという間だった。

 エドワードがその凶行に制止の声を叫ぶよりも早く。群がっていたゴーレムたちが錬金術師を圧迫し、押し潰し——その息の根を止めていく。

 

 結局、彼は自身の理想を成し遂げることも、その名を歴史に刻むこともなく。自らが生み出した『罪』によってその身を滅ぼしていく。

 

 

 

 

 

『くっくっく……さあて、ここからが本番だ!』

 

 錬金術師の男をあっさりと始末したホムンクルスは、そのままゴーレムたちに次の命令を下していく。

 

 ホムンクルスの指示に従い、何体かのゴーレムが円陣を組む。円の中心にはただの肉塊と化した錬金術師の成れの果てと——彼が所有していた賢者の石の不完全品『紅い石』がある。

 次の瞬間、その紅い石が怪しい光を輝き始める。さらにはゴーレムの身体に刻み込まれていた錬成陣も連鎖反応を起こし、何かしらの錬金術が発動しようとしたのだ。

 

「あの錬成陣はっ!? 不味い……止めろ!!」

 

 刻まれた錬成陣から、エドワードはそれがどのような術式なのかをある程度察したのか。今すぐにでもその錬金術を止めるようにと周囲に呼び掛ける。

 

「指鉄砲!」

「はっ!!」

「ダイナガ・ミ・トーチ!!」

 

 エドワードの叫びに呼応し、他の面々がその錬成を止めるべく動いた。鬼太郎が指鉄砲を放ち、アデルが魔法銃の引き金を引き、アニエスが魔法を詠唱する。

 

『——うおおおおおおお~』

 

 だがそれらの攻撃を、どこからか湧いて出てきた他のゴーレムたちが自らを盾に食い止める。わらわらと集まってくる泥人形たちにその行く手を遮られ、迂闊に近づくことも出来ない。

 

『この窮屈な身体を脱ぎ捨てて……いざ、新たな肉体を得ん!!』

 

 エドワードたちが手をこまねいている間にも、ホムンクルスはその錬成を最終段階へと移行する。

 刹那、何を思ってか自分を守護していたゴーレムに自身のフラスコを投げ入れさせ——その身を錬成の中心点へ。

 

『ぐっ……くっくっく……!!』

 

 次の瞬間にも、割れたフラスコから剥き出しになって消滅しかけるホムンクルスだが、すぐに黒い泥が彼を包み込んでいく。

 円陣を組んでいたゴーレムたちが折れ重なるように倒れ込み、ホムンクルスを外気から守ったのだ。

 

 ホムンクルス、数体のゴーレム。

 錬金術師の死体、紅い石と。あらゆる要素が混ざり合い——全てが一つに収束する。

 

「いったい、なにが……!?」

「みんな! 伏せろ!!」

 

 その際、錬成反応の余波が周囲を襲い、誰もが咄嗟に身を固くして衝撃に備える。

 

 

 

「——わわわ……のわあああああ!?」

 

 尚、その際の衝撃でねずみ男が思いっきり吹き飛ばされる。

 特に誰からも助けられることはなかったが、この辺は自業自得なので捨て置いておく。

 

 

 

 そうして、錬成が収まる頃——その中心点に『それ』は立っていた。

 

 

『——くっくっく……はっはっはっは!!』

 

 

 黒い人型。その身体はゴーレムのものなのだろうが、それまでの個体とは明らかに違う。

 その全身にはギョロリと開いた『眼』が無数に浮かび上がっており、歯を剥き出しにした口元が大きく歪み、愉悦に高笑いを上げる。

 

「その声……!」

「まさか……ホムンクルスか!?」

 

 その笑い声から、それが何者なのかを察する一同。

 

 ホムンクルス。フラスコの中でしか生きられない小人が、ゴーレムの身体を依代にこの世に再誕した。

 自由な身体を得たことでより驚異度を増した怪物が、解き放たれたのだ。

 

 

 

×

 

 

 

『——ふはははっ、成功だ! もうあんなフラスコの中で生きる必要はない!! 私は自由だ、はっはっは!!』

 

 新しいゴーレムの身体にご満悦なホムンクルスが嬉々として叫ぶ。

 ずっとフラスコの中に閉じ込められていた身としては、自由に動かせる手足があるだけでも歓喜すべきことなのだろう。何度も何度も手を動かし、それが確かに自分のものであると動作確認をしていく。

 

「…………」

「…………」

「人間の命を糧に、ゴーレムの身体を錬成。紅い石を核に……その内部に自身の魂を移した、といったところか……」

 

 そんなホムンクルスを前に一同は何が起きたか分からずに唖然としていたが、エドワードだけは冷静に先ほどの錬成で何が行われたかを考察する。

 

『ほう……? 見事だ、錬金術師よ。貴様の推察通りさ』

 

 すると自身の錬成を見抜いたエドワードに、ホムンクルスは素直に感嘆の息を漏らす。

 それは人という種を見下しているホムンクルスが、生まれて初めて垣間見せる人間への称賛だったかも知れない。

 

『お前のような男が私の生みの親であれば……別の手段で肉体を得ることも考えてやったんだがな……』

 

 もしも、エドワードのような人間が自分の創造主であったのならば、愚かな錬金術師を使い捨てることもなかったという。

 もっとも、別の手段での肉体の獲得。それがどのようなものかは分からないが、碌な手段でないことは確かだろう。

 

「それで……? 自由になれたお前さんは、その身体で何をしようと?」

 

 エドワードはそのまま、ホムンクルスの目的を尋ねる。

 自由な身体を得たいという、フラスコの中の小人の心情は一応理解できる。だが、その先——自由を得たその身体で何をするかまでは流石に読み切れない。

 

 果たして、このホムンクルスを名乗る生命体の——『最終的な目的』は何か。

 

 

『——知れたことよ。私はこの世の全てを知りたい!!』

 

 

 エドワードの問い掛けにホムンクルスはシンプルに答える。

 

『この世の全てを知り、身に付けた知識を実践で試してみたい。それは知恵を持つものとして、当然の欲求ではないかね?』

「…………」

 

 エドワードは何も答えられない。

 一人の錬金術師、科学者としてホムンクルスの主張に同意できる部分があるからか。問題があるとすれば——そうして得た知識で何を為すかということだろう。

 

『私は生まれながらに多くの知識を有していたが……それでもまるで足りない! この世の真理に到達するには……より多くの知識が必要なのだ!!』

 

 ホムンクルスは、生まれながらにあらゆる知識を内包している。だがそれでもまだ不完全だと。彼はより多くの知識を。

 この世の『真理』へと到達する、そのための手段を口にしていく。

 

 

『——そのためにも、私は『門』を開く! 『向こう側』の世界にこそ、私の求めるものがある筈なのだ!!』

 

 

「……門? 向こう側?」

「…………?」

 

 ホムンクルスの発言に鬼太郎やアデルたちが首を傾げる。彼らの知識では相手が何を言っているのか、その真意を理解することは出来ない。

 

「——!!」

 

 だが『門』と聞いた瞬間、エドワードの目がカッと見開かれる。彼は鬼気迫る表情で、ホムンクルスを睨み付け——。

 

「そうか……なら!!」

 

 間髪入れずに、手を合わせて錬金術を発動。地面から武器として『槍』を錬成し、躊躇うことなくホムンクルスに向かって投擲した。

 

『……ふん!!』

 

 自分を貫かんと迫ってくるその槍に対抗し、ホムンクルスは即座に地面から壁を出現させた。体内にある紅い石を利用したためだろう、全くのノーモーションで錬金術を発動させる。

 

 エドワードはアデルの魔法石を借り、手を合わせることで初めて錬金術を成立させられている。

 だが、ホムンクルスは錬金術を発動するための予備動作すら必要としていない。

 

 真っ向から錬金術で対抗するには少し分が悪いかもしれないが、それでも——エドワード・エルリックには引けない理由があった。

 

 

「——お前を……門の『向こう側』に行かせるわけにはいかない!! ここで……食い止める!!」

 

 

 エドワードはホムンクルスの目的を阻止しようと、老いた身体に鞭を打つ。

 老人ながらもその表情からは並々ならぬ気迫、凄みが感じられる。どうあっても、ホムンクルスに『門』とやらを潜らせたくはないらしい。

 

「援護する、エドワード殿!」

「お姉様!!」

 

 魔女であるアデルとアニエスもエドワードの後に続く。

 錬金術に関して知識を深め合ったアデルにも、エドワードが何をそこまで必死になっているかは分からないが、彼女たちにとってもホムンクルスは放置出来ない相手だ。

 

「鬼太郎!!」

「はい、父さん!!」

 

 当然ながら鬼太郎たちも。人間の命を平然と使い潰すような怪物を見過ごすなど出来なかった。

 

 

 

『——ふむ……錬成陣無しでの錬成といい。門という言葉に反応したことといい……』

 

 そんな臨戦態勢に入ったエドワードたちに取り囲まれながらも、ホムンクルスは冷静に思案を巡らせる。

 

『なるほど! 貴様、さては……向こう側の住人だな? 門を……『真理』を見たな!?』

「…………」

 

 エドワードの錬金術や、その言葉の端々。ホムンクルスは生まれながらに保有している知識で彼が『何者』なのか当たりを付けたようだ。

 それにエドワードは何も答えない。しかし、その沈黙が何よりホムンクルスの推論を裏付けてしまっている。

 

『くっくっく……なるほど、なるほど! やはり私の考えに間違いはないようだ!!』

 

 笑みを浮かべながら、自身の考えに間違いがないことを再確認。ホムンクルスは改めて自らの目的のために動き出そうとする。

 

『だが……今はお前たちと遊んでいる暇はない』

 

 だが瞬間、口元から笑みを消したホムンクルスが真剣な声音で呟きを漏らす。戦う姿勢を見せた一行から平然と背を向け、投げやり気味な口調で命令を飛ばす。

 

『ゴーレムども、そいつらの相手をしてやれ』

『——おおおおおおお!!』

 

 その命令に忠実に動き出したのは泥人形のゴーレムたちだ。いったい今までどこに潜んでいたのかと言いたくなるほど、次から次へとウヨウヨと湧いてくる。

 

『——グルルルルウウウ……』

 

 さらには古城の奥から数体の合成獣・キメラまで姿を現した。キメラとゴーレムの混合勢力が、一行の前に立ち塞がる。

 

『ふっ……』

 

 そうやって集まってきたゴーレムやキメラたちを盾に、ホムンクルスは大広間を悠然と後にする。

 外に通じているであろう通路から、古城の外部へと立ち去ってしまったのだ。

 

 

 

「——奴を行かせるな!! 奴は……外にエネルギーを補充しに行くつもりだ!!」

 

 ホムンクルスが何故その場から立ち去ったのか、その狙いを見抜いたエドワードが必死に叫ぶ。

 

 今のホムンクルスは——『紅い石を核にゴーレムの肉体を維持している状態』だと、エドワードはその在り方を正しく理解していた。

 だがゴーレムとは、長くても数年でその身体が崩れ去る不完全な存在。身体の崩壊を防ぐためにも、紅い石からエネルギーを供給し続けなければならない。

 ならば、その紅い石が『何』をエネルギーにしているかを考えれば——ホムンクルスの次なる行動が自ずと見えてくる。

 

「まさか……! 生きている人間から、直接っ!?」

「!!」

 

 アデルもその意味に気付いたらしく、彼女の言葉に鬼太郎が目を見開く。

 

 賢者の石——いや、紛い物の紅い石を作るためですらも、既に何十人という犠牲が出ているというのに、そこからさらに『人間の命』を直接エネルギーに変換しようというのだ。

 やはりあれは放置していい相手ではないと、すぐにでもホムンクルスの後を追うべきと駆け出そうとする。

 

 だが——。

 

「こいつら……!!」

「邪魔しないで! ヒロヨ・ユキノツ!!」

 

 慌てて追いかけようとする一行の眼前にゴーレム、キメラが群れを成して集っている。

 猫娘が鉤爪でゴーレムを一刀両断に、アニエスが魔法の光線でキメラを撃ち抜いたりと。一体ずつであれば対処も簡単だっただろう。

 

『——おおおおおおおお!!』

『——ガァアアアアア!!』

 

 だがいかんせん、数が多過ぎる。圧倒的な物量を前に、誰もが思うように先に進めないでいる。

 

「くっ……! このままでは……」

 

 これにエドワードも焦りを見せた。

 こうしている間にもホムンクルスが人里にでも降りれば、さらなる犠牲者が出てしまう。何とかしてここを突破し、急ぎ追いつかなければならないと。

 

 

「——お~い!!」

 

 

 そのときだ。ここで頼れる援軍が彼らの元へとやって来る。

 

「——それっ!! 火炎砂じゃ!!」

「——おぎゃおぎゃ!!」

 

 颯爽と、その場に駆け付けると同時に攻撃を仕掛けたのは——砂かけババアと小泣き爺である。

 砂かけババアが無生物のゴーレムに火炎砂を振りかけ、子泣き爺が石となってキメラを押し潰す。

 

「遅れて済まんばってん! 鬼太郎しゃん!!」

「一反木綿! いいところに!!」

 

 そして、二人をここまで連れて来た一反木綿が鬼太郎の元へ。古城探索に別行動を取っていた面々と合流したことで、鬼太郎の表情も自然と明るくなる。

 

「話は後だ……すぐに奴を追いかける!!」

 

 だが合流した彼らに詳しい事情を話す間もなく、鬼太郎は緊張した面持ちで一反木綿の背に飛び乗る。一刻も早くホムンクルスに追いつくために、今は一反木綿の機動力に頼るしかない。

 

「乗って下さい、エドワードさん!!」

「——!!」

 

 その際、鬼太郎はエドワードにも一緒に来るように手を伸ばした。少し前までなら、老体である彼に無理をさせまいと。この場で大人しくするように言い含めていたかもしれない。

 だが彼の錬金術師としての知識と腕前は本物だ。決して足手纏いにはならない。それどころか、彼がいてくれれば心強いと素直に力を貸して欲しいとさえ思う。

 

「ああ!!」

 

 エドワードも望むところだとばかりに、鬼太郎の手を取り一反木綿の背に乗っていく。

 

「我々も行くぞ、アニエス!!」

「はい!!」

 

 さらにはアデルが魔法の羽を展開し、アニエスが箒に跨る。地面を滑空するように飛翔し、ゴーレムやキメラの群れの中へと突っ込んでいく。

 

「道を開けるわ! みんな、鬼太郎たちを援護して!!」

「ぬりかべ~!!」

 

 鬼太郎たちの邪魔をさせないようにと、猫娘がその場に残って敵の注意を引き付けていく。さらには地中からぬりかべも姿を現し、通路を塞いでいる敵を強引に押し退けた。

 

 

「みんな、ここは任せる!!」

 

 

 そうして仲間たちの手を借り、鬼太郎たちも古城の出口へと通じる通路を突き進んでいく。

 

 

 

×

 

 

 

『早くエネルギーを補充しなければ……このままでは……』

 

 古城の外。

 既に夕日が暮れかけている中を、ホムンクルスが人里に向かって歩を進めていた。エドワードたちの前では常に余裕そうな表情を浮かべていたが、内心ではそれなりに焦りも抱いている。

 

 エドワードの予想通り。現状、ホムンクルスのゴーレムの肉体を支えているのは身体の核となっている紅い石のエネルギー。人間の命を糧にその身体を維持している状態なのだ。

 

 当然ながら、エネルギーが切れればその身体を維持出来なくなり——ホムンクルスは消滅する。

 故に今は一刻も早くエネルギーの補充に努めなくてはと、人が密集しているポイントを目指し進んでいた。

 

 

「——ホムンクルス!!」

『——!』

 

 

 だがその進軍を阻止しようと、後方からエドワード・エルリックがホムンクルスに追いついてくる。

 

「なんね~、あの真っ黒い人は!?」

「ホムンクルス、この騒動の元凶だよ」

 

 エドワードをここまで乗せて飛んできた一反木綿がその存在を初めて目の当たりにし、鬼太郎が奴こそが今回の黒幕であると油断なく身構える。

 

「ここまでよ! ホムンクルス!!

「大人しく元いた場所……フラスコの中へ還るがいい!!」

 

 さらにはアニエスやアデルも追いつき、皆で相手を取り囲んでいく。逃げ場をなくしたホムンクルスに対し、降伏勧告のつもりでアデルがフラスコの中に戻れと告げていた。

 

『——還れだと……!? この私に……またあんな窮屈な場所に戻れというのか!?』

 

 だが、それがホムンクルスの怒りに火を付けてしまったのか。こちらをギロリと睨みつけ、強烈な敵意を向けてくる。

 

『私の望みを……自由を妨げるものは誰であろうと許さん! 貴様らこそ、ここで朽ち果てるがいい!!』

 

 逃げ腰だったさっきまでとは一転、途端に牙を剥いてくる。ノーモーションでの錬金術の発動。地面から棘やら拳やらが飛び出し、エドワードたちに襲い掛かる。

 

「これは……くっ!?」

「小癪なっ!!」

 

 その攻撃の苛烈さに、鬼太郎やアデルも守勢に回るしかないでいる。

 いかにエネルギー不足といえども、本気を出せばこの通り。現状のホムンクルスでも、十分に鬼太郎たちを圧倒出来るだけの力を秘めているようだ。

 

「怯むな! 奴にも限界がある筈だ!! それまで耐え切れば……」

 

 しかしこの攻撃さえ耐え忍んでしまえば、いずれはエネルギーが切れてホムンクルスが自滅するだろうとエドワードが皆を鼓舞する。

 

『ぐっ……』

 

 実際、時間の経過と共にホムンクルスは苦渋の顔を浮かべ、錬金術の勢いも弱まっていく。

 まさか本当にこのまま耐え切るだけで勝てるのかと、意外にも呆気ない幕切れにその場の空気が安堵に包まれかけようとした——。

 

 

『——ふっ、その通りだ。だからこそ……こうして貴様らの足を止めているんだよ!!』

 

 

 その油断を、ホムンクルスは見落とさない。

 口元にしてやったりの笑みを浮かべ、さらに錬金術を発動。

 

 

『私の本命は……こちらだ!!』

「えっ……?」

 

 

 刹那、彼女の——魔女・アニエスの足元が迫り上がってくる。アニエスの立っていた地面が拳へと変化し、そのまま彼女の身体を掴み取り、その動きを封じてしまう。

 

「アニエス!?」

「お前……いったい何を!?」

 

 アデルが妹の危機に焦りを見せる。まさかの事態に危機感を抱くのは鬼太郎も同様だったが、何故ここでアニエスがという疑問も浮かぶ。

 

 しかしこのタイミングでこそ、アニエスを狙う明確な理由がホムンクルスにはあったのだ。

 

 

『——錬金術に……紅い石を維持するのに必要なエネルギーは人間の命だけではない。魔女の魔力でも……代用は出来るのさ!!』

「!! しまっ……」

 

 

 ホムンクルスの言う通りだと。そこまで考えが至らなかったことに、エドワードがその顔に動揺を浮かべる。

 

 

 そう、エドワードが錬金術の使用にアデルの魔法石の『魔力』を利用しているように。同じ錬金術由来の紅い石のエネルギーも、魔力によって代用が可能なのだ。

 錬金術において魔力は非効率なエネルギーかもしれないが、代用品としてであれば何の問題もない。

 

 ましてや、アニエスはバックベアードに目を付けられるほど、その身に膨大な魔力を秘めた魔女だ。

 今のホムンクルスにとって、彼女は人間の命以上に——格好の『エネルギー源』だと言えよう。

 

 

『わざわざ追ってきてくれるとはな。いちいち人間どもからエネルギーを回収する手間が省けたよ……くっくっく!!』

「は、離しなさい……このっ!!」

 

 ホムンクルスも、当初は人間からエネルギーを回収することを目論んでいただろうが、魔女であるアデルやアニエスが追ってきたことで狙いを切り替えたのだ。

 冷静さを失ったように怒って見せたのも、力が弱まっているように見せたのも——全てが演技。ホムンクルスの知恵はやはり侮れないものがある。

 

「アニエス!!」

「待っていろ! 今助けを……」

 

 拘束されたアニエスを救出しようと、鬼太郎やアデルがすぐにでも助け舟を出そうとする。

 

『ゴーレム! そいつらを近づけさせるな!!』

『——うおおおおお!!』

 

 だがそうはさせまいと、ここでホムンクルスがゴーレムを呼び出した。

 たった三、四体。土壇場まで温存していた戦力なのだろう、思わぬ伏兵に鬼太郎たちの足が止まってしまう。

 

『さあ、魔女よ! お前の魔力を……その命ごと貰い受けるぞ!!』

 

 その隙にと、ホムンクルスは捕まえたアニエスへと近づき、その命を——魔力を奪い取ろうと手を伸ばしていた。

 

「いかん! 逃げるんじゃ、アニエス!!」

「やらせるかっ!!」

 

 迫るアニエスの危機に目玉おやじが逃げろと叫ぶが、彼女だけではどうにもならず。またエドワードの錬金術も、ホムンクルスの錬金術によって相殺されてしまう。

 

 これでは誰も——アニエスを助け出すことが出来ない。

 

「かっ……!! ぐっ……かはっ!?」

 

 ホムンクルスの伸ばされた手から赤い錬成反応が輝く。直接触れずとも、ある程度近づくことでエネルギーを吸収できるのか。

 魔力や命を奪われる苦しみに、アニエスが呼吸困難に陥るように自身の首元を抑える。

 

『くっくっく……はっはっは!!』

 

 これでかなりのエネルギーが確保できると。ホムンクルスはアニエスが苦しみ悶えるのも構わず高笑いを上げていく。

 

 

 今まさに、アニエスの命の灯火が掻き消されようとされ——。

 

 

 

 

 

「——危ないっ!!」

『——な、なにぃいい!?』

 

 その直後だ。ガシャンガシャンと、金属音を鳴らしながら何かが勢いよく接近してきた。『それ』は猛然と突っ込んでくるや、ホムンクルスに向かって思いっきり体当たりをぶちかます。

 予期せぬ方角からの衝撃にホムンクルスも咄嗟に対応が出来ず、その身体が景気良く吹っ飛ばされてしまう。

 

「かはっ!! はぁはぁ……あ、アナタは!?」

 

 思わぬ救援のおかげで九死に一生を得たアニエスが呼吸を整え直し——突然現れたその人物に何者なのかと疑問の目を向けた。

 

 それは——誰もが初めて目の当たりにする、『鎧姿』の人物だった。

 間近で見る全身鎧はかなりの巨体で、助けられた筈のアニエスにも警戒心を抱かせてしまうほどだった。

 

 

「あ、怪しいものじゃありません!! ボクは……ええっと……その……」

 

 

 だが鎧の彼は厳つい見た目に似合わぬ少年のような口ぶりで、アニエスの問い掛けに答えようとする。しかし、自分がここにいる経緯をどのように説明するか。

 

 

 鎧に『魂』を定着させた錬金術師は大いに悩んでしまう。

 

 

 

×

 

 

 

「——参ったな……本当にここ何処だろう? 全然分かんないや」

 

 数分ほど前、鎧姿の錬金術師は古城の廊下を一人で歩いていた。

 

 薄暗い倉庫のような場所で目覚めるや、ひとしきり兄のことを考えて暫く。自分がどこかも分からない場所にいることに気付き、さてどうしたものかと建物の内部を探索することにした。

 いったいここがどこなのか。ここの住人にでも聞ければとも考えていたが、今のところ誰とも遭遇することがない。

 

「なんだろう。なんか……下の階が騒がしいみたいだけど……」

 

 彼が歩いていたのは古城の二階だ。そのとき、一階の方では猫娘たち日本妖怪がゴーレムやキメラを相手に戦っており、その騒ぎが上の階にいる彼のところにまで伝わっていた。

 

「様子を見に行ったほうがいいのかな……けどな……」

 

 騒動の場所まで行こうかとも思ったが、訳も分からず争いにでも巻き込まれたらどうしようかと、ちょっとした不安が彼の足を鈍らせる。

 それでも少しづつ、一階まで下りれる階段まで近づいてはいたのだが——。

 

「!! 今のは……錬成反応!? いったい、誰が……」

 

 その階段に辿り着くよりも先に、彼は二階の窓から外の景色を目にしてしまった。

 一瞬だが閃光のように眩しい輝き。錬金術師である彼は、それが錬成反応であることを瞬時に理解する。

 いったい誰が錬金術を行使しているのかと。ほとんど反射的に二階の窓から飛び降りる。

 

 肉体のない鎧の身体は何事もなく地面へと着地し、錬成反応のした方を目指して走り出す。

 疲労を感じない鎧の全力疾走で、あっという間に目的地へと辿り着く。

 

 

 そこで彼は——『女の子が得体の知れない何かに苦しめられている』場面に遭遇してしまう。

 

 

「——危ない!!」

 

 

 考えるよりも先に身体が動いていた。その女の子を助けるべく、躊躇うことなく黒い何かに向かって全身鎧の突進をかます。

 

『な、なにぃいい!?』

 

 黒い人型の何かが驚愕しながら吹き飛んでいったが、正直そっちよりも今は女の子の容体だ。

 

「かはっ!! はぁはぁ……あ、アナタは!?」

 

 どうやら命に別状がなく一安心だが、その子から自分が『なんなのか』を問われたところで彼は固まってしまう。

 

「ボクは……ええっと……その……」

 

 自分が何者なのか。

 ここにいる経緯や事情、目的などなど。説明しなければならないことが色々とあり、それをどこからどのように話せば信用してもらえるのだろうかと。

 悶々と、一人思考の渦に呑まれかけてしまうところであった。

 

 

 

 だが——説明などせずとも、『彼』を一目で理解出来るものがその場にはいた。

 

 

 

「——アルフォンス?」

「——え……?」

 

 錬金術師エドワード・エルリックは、ホムンクルスのことなどすっかり忘れ、眼前の鎧の人物に見入っていた。彼にとってはその鎧のデザイン、立ち振る舞い、口調や仕草など。

 その全て懐かしく、鮮明にあの頃の——懸命に身体を取り戻そうとしていた日々の『弟』を思い起こさせるのに十分すぎるものであった。

 

「ええっと、どちら様で…………」

 

 一方の鎧の彼は、目の前の人物が誰だか分からず戸惑いを見せる。

 だがそれも一瞬で、すぐに目の前の老人が——会いたいと願っていた自分の『兄』であることに気付く。

 

「まさか……兄さん。兄さんなの!?」

 

 歓喜するように声を震わせ——次の瞬間にも、その身体を強く抱きしめていた。

 

 

「——兄さん、兄さん!! 会いたかった!! 会いたかったよ、兄さん!!」

 

 

 そう、何を隠そう鋼の錬金術師——エドワード・エルリックこそが。鎧の錬金術師——アルフォンス・エルリックの実の兄。

 アルフォンスが肉体が朽ち果てようとも、最後まで側にいて上げたいと願っていた相手なのだ。

 

 弟の想いが時を越えて成就し、二人は感動の再会を果たすこととなった。

 

 

 筈なのだが——。

 

 

「ちょっ! ちょっと待て! 痛い……いたたた!! そんな強く抱きしめんなって!!」

 

 全身鎧のアルフォンスに全力で抱きしめられ、老体であるエドワードの身体が悲鳴を上げる。何だか身体からバキバキと音が鳴ったり、腰がちょっぴり変な方向に曲がってしまったりと。

 

「ああ、ごめん……嬉しくなっちゃって、つい……」

 

 兄が痛がっていることに気付き、咄嗟に抱擁からエドワードを解放するアルフォンス。

 感極まってしまったせいで、自分が鎧の身体であることを失念していたと。素直に反省しながら、兄と弟は久しぶりの再会に互いに言葉を交わしていく。

 

「全く……こちとら百歳越えの老人だぞ!! もう少し加減しろっての……」

「百歳!? ええっと……ボクが死んじゃったのは六十代だから…………あれからもう四十年以上も経ってるの!?」

「死んだって……まさか、お前……魂を鎧に移し替えたのかよ!?」

 

 その短いやり取りの間にも、エドワードはアルフォンスに起こったことを理解する。

 

「……?」

「……いったい、何が?」

 

 だが兄弟同士の会話に、鬼太郎やアデルといった部外者は口を挟めずにキョトンとしている。

 彼らには何が起きているかも分からないだろう。もっとも、そんな周囲の困惑などお構いなしのエルリック兄弟。

 

 

 今この瞬間だけは——兄弟で通じ合うものさえあれば、それで十分だった。

 

 

「そっか……どおりでちょっと老けてると思ったよ。身長もだいぶ縮んじゃってるみたいだし……」

「そ、そりゃ……この歳になれば色々と変わって……って! 誰が豆粒ドちびか!!」

 

 そうした会話の中、弟はさり気なく兄の身長を弄り——それにエドワードがプンスカと激怒。

 鋼の右腕で容赦なく弟の頭部にツッコミを入れ——アルフォンスの兜が宙を舞う。

 

「うわっとと!? もう……兄さんはいくつになっても変わらないな……ははは!!」

「——!? 中身が……ない!?」

 

 アルフォンスは何事もなく吹っ飛んだ兜を笑いながらキャッチするが、それを間近で目撃していたアニエスが目を見張る。

 

 アルフォンスの兜の下に——彼の顔はない。

 中身のない空っぽの鎧。西洋妖怪にも首無しの騎士などは存在するが、それとはまるで違うアルフォンスの存在に息を呑んでいる。

 

 

 

『つぅ……まさか、魂の定着だと? 人間如きにそんなことが……!?』

 

 これには吹き飛ばされていたホムンクルスも驚いていた。

 その身体をゆっくりと起こしながら、自分の邪魔をしたアルフォンスに向かって驚愕と憎悪のこもった目を向けてくる。

 

「兄さん……この黒っぽい人は? 事情も分からず全力でタックルしちゃったけど、不味かったかな?」

 

 アルフォンスはそんなホムンクルスの殺気をさらりと流しながら、自分が何か失礼なことをしてしまったのではと不安そうに兄に尋ねる。

 

「こいつは……ホムンクルスだよ」

 

 しかし心配無用と、エドワードは状況を手短に伝えた。

 

「俺たちの知ってるそれとは別物だが……こいつも、俺たち錬金術師が生み出した罪の形だ」

 

 それは——過去にも同じような『罪』を犯したことのある、エドワードの実感が込められた言葉であり。

 

「こいつは門を開いて、『向こう側』の世界に行こうとしてる。そのために、大勢の人たちの命を犠牲にするつもりだ……」

「!! そっか、それなら……」

 

 同じ『罪』を背負ったアルフォンスを納得させるのに、十分すぎる言葉であった。

 

 

「——放っておくことは出来ないね!」

「——ああ、当然だ!!」

 

 

 

 

 

「アデル!!」

「……っ!」

 

 ホムンクルスと対峙する兄弟は拳を構えつつ、エドワードがアデルの名を叫ぶ。

 

「アルフォンスも錬金術師だ! こいつにも魔法石を!!」

「しょ、承知した……!!」

 

 一連の出来事にポカンとしていたアデルだったが、彼の叫び声で我に返る。エドワードの意図を理解するや懐から魔法石を取り出し、アルフォンスに向かってそれを投げ渡していく。

 

「兄さん……これって?」

 

 投げ渡された魔法石を反射的にキャッチしながらも、アルフォンスはそれが何なのかと問う。

 

「錬金術を使うのに必要なエネルギー源さ。安心しろ……人の命なんて入ってないからな!!」

「!! 凄いや……流石は兄さんだ!!」

 

 錬金術に必要なエネルギー。本来であれば、それは人間の命でしかないことをアルフォンスも分かっていた。

 だがその石に溜め込まれた魔力を用いれば、誰かの命を糧にすることなく錬金術を行使できるのだという。

 兄の理論を信じたアルフォンスは、兄同様に魔法石を手のひらに乗せながら——『パンッ!!』と手を合わせる。

 

 瞬間、アルフォンスの意思に呼応して錬金術が発動。

 青い輝きと共に、未だアニエスを拘束していた巨大な拳が分解され、彼女が束縛から解放される。

 

「大丈夫? 怪我はない?」

「え、ええ……錬金陣無しで……」

 

 アルフォンスはアニエスへ気遣いの言葉を掛ける。それに素直に頷くアニエスだったが、彼女もアルフォンスが錬成陣無しで錬金術を行使できたことに驚きだ。

 兄弟揃って、錬金術師として卓越した技量を秘めている。魔女として錬金術の心得があるアデルもアニエスも、錬金術においては彼らに遠く及ばないことを認めるしかなかった。

 

「行くぞ、アル!!」

「分かったよ、兄さん!!」

 

 そうして、戦う力を手に入れた兄弟が二人でホムンクルスへと立ち向かっていく。

 

 それ以上は言葉もいらない。

 阿吽の呼吸で放たれる錬金術の輝きが、二人の戦うという決意を形へと昇華していく。

 

『くっ……舐めるなよ!!』

 

 兄弟の錬金術に対し、ホムンクルスも錬金術で対抗する。赤い光と共に発動するノーモーションの錬成。その錬成速度は、確かにこの中では一番早く繰り出されていたことだろう。

 だが、二人になったエルリック兄弟に死角なし。兄は何も躊躇うことなく全力で錬金術を相手にぶつけ、弟が兄の邪魔をさせないようにとそのカバーに入る。

 

 もはや錬金術において、兄弟がホムンクルスに遅れを取る理由などなかったのである。

 

「——髪の毛針!!」

「——はっ!!」

 

 さらには、鬼太郎やアデルまでもがホムンクルスに向かって攻撃を繰り出していく。

 既にホムンクルスの取り巻きであったゴーレムたちは全て退けた。残るはホムンクルス一人。奴を倒せば全ての戦いに決着が付く。

 

『おのれぇえええ……おのれええええええええ!!』

 

 もはや、ホムンクルスに冷静さを装っている余裕などなかった。演技でもない、本気の焦りを曝け出しながら、無我夢中で錬金術を行使し続けるしかないのだ。

 

 そうして、ホムンクルスは文字通り——己の全てを絞り尽くしてしまい。

 

 刹那、『パキン!』と、なにかが割れるような音が木霊する。

 

 

『——な、なんだと……!?』

 

 

 異変はすぐにでもホムンクルスを襲う。錬金術の発動が全て途中で停止し、絶え間なく煌めいていた赤い光もその輝きを失う。

 ホムンクルスの核となっていた『紅い石』が、内部に溜め込んでいたエネルギーを全て使い果たして砕け散ったのだ。

 

 

『——うおお!? うぉおおおおおおお!?』

 

 

 もはや自身の身体の維持もままならず、ゴーレムの仮初の泥の肉体も崩れ落ちていく。

 

 

「——これで終わりだ……ホムンクルス!!」

「——はぁあああああああ!!」

 

 

 瞬間、エドワードとアルフォンスが駆け出す。

 

 錬金術によって生まれた怪物・ホムンクルス。錬金術師の罪が形となった存在に錬金術師としてケジメを付けるべく。

 

 

 兄と弟。鋼と鎧の拳が——全く同じタイミングでホムンクルスへと叩き込まれる。

 

 

『——がああああああああ!!』

 

 

 その一撃で、ホムンクルスの身体が完全に砕け散る。

 

 結局、最後は愚かと断じていた人間の手によって。

 ホムンクルスは本来あるべき場所へと回帰——この世界から消滅したのであった。

 

 

 

×

 

 

 

「——お爺ちゃん、入るね……」

 

 日本。

 エドワード・エルリックが入院している病室に、今日も見舞い客として彼の玄孫であるウィンリィ・エルリックが訪れていた。余命が短いとされる高祖父との面会に、若干だが緊張した面持ち。

 それでも、最後まで彼の側にいて上げたいという想いから、彼女はこの病室まで足を運んでいく。

 

「誰か……来てる?」

 

 だが普段であれば自分以外、あまり人が訪れる機会のない部屋の中から話し声が聞こえてくる。先客がいることに誰だろうと疑問を浮かべつつ、とりあえず病室の中へと足を踏み入れる。

 

 すると——。

 

 

「——まさか、自分から魂を鎧に定着させるだなんて……無茶するよ、全く!!」

「——兄さんこそ!! そんな歳になってまで戦いの場に出てくるなんて……元気にも程があるよ!!」

 

 

 ベッドに腰かけるエドワードと、椅子にちょこんと行儀よく腰掛ける全身鎧の何者か。二人の人物が楽しそうに話し込んでいる光景が視界に飛び込んできた。

 

「よ、鎧!? だ、誰!?」

 

 見たこともない全身鎧の出で立ちに、ウィンリィは驚きで声を上げてしまう。しかし、驚いたのはウィンリィだけではなかった。

 

「え……ええ!? ウィンリィ!? なんでウィンリィがこんなところに!?」

「……???」

 

 鎧の人物はこちらを振り返るや、ウィンリィの顔を見てビックリ仰天。まるで少年のように幼いリアクションにウィンリィもますます混乱する。

 

「落ち着けって……アル。その子は確かにウィンリィだけど……『向こう側』のウィンリィじゃないんだよ」

 

 鎧の人物のリアクションを予想していたのか、エドワードは楽しそうな顔で不思議なことを口にしながら、ウィンリィのことを紹介していく。

 

「この子は俺の玄孫! ほら、ウィンリィ!!」

「う、ウィンリィ・エルリックです。は、初めまして……」

 

 高祖父に促されるまま挨拶をするウィンリィ。すると、その自己紹介に鎧の人物がますます驚きに包まれていく。

 

「玄孫!? 凄いや、兄さん!! まさか玄孫までいるなんて……あれ? でもウィンリィって……名付け親はもしかして……」

「に、兄さん……!?」

 

 鎧の彼は玄孫の存在に驚きつつ、ウィンリィという名前から名付け親が誰なのかを察する。

 ウィンリィの方も、鎧の彼がさっきから口にしている『兄さん』という台詞に驚きながらも、自身の名前の由来を思い出していた。

 

「ああ……この子はウィンリィだ。生まれた時から、何故かそう思ったんだよ……」

 

 そう、ウィンリィ・エルリックの名付け親は、確かにエドワードだと彼女も聞いた覚えがあった。

 彼女が生まれた際、その顔を見た瞬間に彼がその名を閃いたのだという。ウィンリィ自身、どうしてそのような名前を付けられたのかまでは知らなかったが、その名の由来を鎧の彼がカミングアウトする。

 

「そっか……やっぱり兄さんも、ウィンリィのことが忘れられなかったんだね! なんたって……ボクたちの初恋の相手だし!!」

「いや……まあ、それは否定しないけど……」

 

 エドワードもその話を否定はせず、照れくさそうに頬を赤く染める。

 初恋の相手。そうであれば、エドワードが時折ウィンリィを見てどこか懐かしむような顔をするのも納得ができる。

 だがそれが真実だとして、それを知っている鎧の彼はいったい何者だろうかと改めて疑問が浮かぶ。

 

「ああ、ごめんね! 挨拶が遅れちゃって……」

 

 すると、彼も自分が自己紹介をしていないことに気付いたのか。

 

「初めまして! 兄さん……エドワード・エルリックの弟、アルフォンス・エルリックです!! いつも兄がお世話になってます!!」

 

 と、元気よく丁寧に挨拶をしてくれる。

 

「え……ええ!? え、エドお爺ちゃんの……弟さん!? け、けど……アルフォンスさんは、ずっと昔に亡くなったって……」

 

 その衝撃的な挨拶に、ワンテンポ遅れてリアクションを取るウィンリィ。

 ずっと昔に亡くなったという、エドワードの実の弟であるアルフォンス・エルリック。それがどうしてここに、それもそのような鎧姿でいるのだろうと、ますます疑問が深まっていく。

 

「ははは……まあ、当然の反応だよね……」

「そうだな……それが当たり前の反応だよ……」

 

 そんなウィンリィの当然のリアクションに、エドワードもアルフォンスも楽しそうにうんうんと頷く。

 すると何を思ってか。エドワードは真剣な面持ちになって、ウィンリィにとある提案をしてくる。

 

「そうだな……せっかくだし、ウィンリィも俺たちの話を聞いていってくれないか?」

「え……?」

 

 突然の提案に目を丸くするウィンリィだったが、エドワードも伊達や酔狂でこんなことを言っているわけではない。

 至って真剣な様子で、玄孫である彼女に己の願いを口にしていく。

 

 

「ウィンリィに知っておいて欲しいんだ……俺たちがどんな道を歩んで……ここまで辿り着いたのかを……」

「!! う、うん……分かったよ、お爺ちゃん……」

 

 

 高祖父の、まるで『遺言』を思わせるような発言に何かを感じ取ったのか。ウィンリィは病室に留まり、兄弟の話に耳を傾けていく。

 

 

 

 

 

 そこから、エドワードとアルフォンスは自分たちのことを話し始めた。

 エドワードが子供たちや孫らに聞かせるような、いつもの『錬金術師の愉快な冒険譚』ではない。エドワードとアルフォンスという人間の等身大の物語。

 脚色も、誇張もない。あるがままの事実、その全てを語っていく。

 

 兄弟の話にウィンリィはときには笑顔を、ときには驚きを、ときには感動を。そして——ときには涙を流しながらも、それを全て真実として聞き入れていく。

 たとえどれだけ信じ難い話であろうとも、ウィンリィには彼らを疑うという考えすら浮かばなかった。

 

 彼らは時間を忘れて語り合った。

 病院の面会時間などとっくに過ぎていたが、余命少ないエドワードに気を遣ったのか、病院関係者は何も言ってこない。

 

 誰にも邪魔されることなく、時間が許す限り三人で一晩中語り明かしたのだ。

 

 

 

「あっ……」

 

 だが唐突に、終わりのときは訪れる。

 

「ごめん、兄さん……ボクは……ここまでみたいだ……」

「あ、アルフォンスさん!?」

 

 アルフォンスを襲った異変。魂の定着とやらが不完全だったのか、鎧の身体がガタガタと震える。その意識が消えかけていることを本能的に感じ取り、アルフォンスは申し訳なさそうに兄に謝る。

 

「……大丈夫だよ、アル」

 

 しかし、エドワードに弟が消えてしまうという悲壮感はなかった。

 

「ありがとな、俺のために……もう一度会えて……本当に嬉しかったよ」

 

 本来であれば、ずっと昔に別れを済ませた間柄だ。こうして、もう一度会えて話が出来ただけでも奇跡のようなものなのだと。

 そんな奇跡をくれたアルフォンスの覚悟に、エドワードは最大限の感謝を伝える。

 

「ボクも……兄さんと話せて……嬉しかった……よ————」

 

 アルフォンスも、最後まで寄り添うことは出来なかったが兄と話せて良かったと。

 どこか満ち足りたような声音で——その魂があるべき場所へと還っていく。

 

 

 

 アルフォンス・エルリックの魂が消え去り、鎧は物言わぬ鉄塊と化した。

 病室に静かに佇むその鎧を寂しそうに見つめながらも、エドワードは口元に穏やかな笑みを浮かべている。

 

「ウィンリィ……」

「なに……エドお爺ちゃん……?」

 

 二人っきりになった病室で、エドワードがウィンリィの名を静かに呼んだ。

 

「俺も……ちょっと話し過ぎて疲れたよ……少し、休んでもいいかな?」

 

 このまま眠りたいということだろう。既に夜も明け、朝日が昇り始めている。当然といえば当然のお願いだが、何故かその頼みを聞くウィンリィの表情は寂しそうだった。

 

「……うん、ゆっくり休んで……お爺ちゃん……」

 

 それでも、高祖父がゆっくり眠れるようにと口を閉じる。しかし病室から退出することはなく、エドワードが眠りに落ちるのをしっかりと見届けていく。

 

 

「——ありがとな……ウィンリィ。最後まで……側にいてくれて…………」

 

 

 玄孫であるウィンリィの名を呟きながら、エドワードはそのまま眠りについた。

 ウィンリィも、眠るエドワードを静かに見つめていく。

 

 

「——お休み……お爺ちゃん。ゆっくり……休んでね……」

 

 

 こうして——エドワード・エルリックは深い穏やかな眠りの中へと。

 

 

 その眠りから、二度と目覚めることもなかった。

 

 

 

 

 

 エドワード・エルリック——死去。

 御歳百十五歳。

 

 ギネス記録にも乗るような高齢である彼の死はニュースでも報道され、それなりに世間を騒がせた。だが本当の意味で彼の死に心を痛めているのは、彼の親類縁者くらいか。

 彼の葬儀は身内だけでおごそかに行われ、その葬式の場で多くの親族が涙を流したという。

 

 

 

「…………」

 

 エドワードの葬式に、勿論ウィンリィも出席していた。

 涙が枯れ果てるまで泣き疲れた彼女は、その目を真っ赤に泣き腫らしながらも、気持ちの上ではエドワードの死を受け入れていた。

 

 今はちょうど火葬場でエドワードの遺体が火葬されているところだ。煙突から煙が空へと昇っていく光景を、一人静かに見送っていく。

 

「ウィンリィさん」

「あっ……鬼太郎さん……」

 

 そんな中、彼女に声を掛けるものがいた。

 今回の依頼でエドワードと多少なりとも縁を結んだ、ゲゲゲの鬼太郎である。彼もエドワードの死を悼んでくれていることが、その表情からも察せられる。

 

「お爺ちゃんから話は聞きました。鬼太郎さんのおかげで、弟のアルフォンスさんとも再会出来たって……」

 

 ウィンリィは今回の依頼の概要も、エドワードから聞かされていた。

 今回の依頼を通じて、エドワードは弟と奇跡の再会を果たすことが出来たと。それが彼にとってどれだけ救いになったことか。

 穏やかに眠るあの表情を見ればこそ、それが分かるというものだ。

 

「本当に……色々とありがとうございました……」

 

 だから彼にもお礼をと、ウィンリィは深々と頭を下げていく。

 

「これは……ボクの独り言なんですが……」

「……?」

 

 だかウィンリィからの礼もそこそこに、鬼太郎は妙な前置きを挟みつつ、彼女へと語り掛けていく。ウィンリィは彼の言葉に返事をせず、その独り言とやらに耳を傾けた。

 

「人は死ねば……地獄に落ちます。そこで生前の罪を閻魔大王を率いる、十王によって裁判にかけられるんです」

「——っ!!」

 

 鬼太郎が語ったのは死後——『人間の魂』がどうなるかという話だった。

 

 ウィンリィは、エドワードが亡くなった後のことをずっと憂いていた。『咎人である自分は死ねば地獄に落ちる』と、エドワード自身が生前から呟いていたことだ。

 

 今まさに死んだばかりのエドワードの魂がどうなったか、それを鬼太郎は伝えようとしている。

 

「ただ……変な話なんですが……」

「……?」

 

 ところが、そこで鬼太郎が言いにくそうに言葉を詰まらせ、ウィンリィも何だろうと首を傾げる。

 

「閻魔大王本人に確認してもらったんですが……エドワード・エルリックという人間の魂は……日本地獄の何処にも、流れ着いていないそうなんです」

「え……?」

 

 閻魔大王本人というところにも驚いたが、それ以上にエドワードの魂がどこにも『ない』という話に耳を疑う。

 

「念のため、西洋地獄にも確認を取ってもらいましたが……エドワードさんどころか、アルフォンス・エルリックという人の魂も、地獄に送られた記録がないそうなんです」

 

 一応、西洋地獄にも伝手のある鬼太郎はわざわざ頼み込んで調べてもらった。

 ところがエドワードも、アルフォンスという人間の魂も。何処の地獄にも、彼らが流されて罰せられたという記録がないのだという。

 

「彼ら兄弟の魂は……いったい、何処に流れてしまったんでしょうか?」

 

 鬼太郎も本気で分からないと首を傾げている。彼に分からないものを、ウィンリィが知る由もないだろうが。

 

「もしかしたら……還るべき場所に、還ったのかもしれません……」

 

 だが、彼女はその話に一つの結論へと辿り着く。

 

 エドワードから最後の夜に聞かされた話。彼らが本来いるべきだった——『向こう側』の世界。

 もう二度と、戻ることはないだろうと兄弟は諦めていたらしいが。

 

 

 もしかしたらと——ウィンリィはその魂の行き着く先を想像し、願うように手を合わせる。

 

 

 たとえ行き着く先がどこであれ、彼らの魂に安らぎがありますようにと——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『…………ここは、何処だ?』

 

 

 夢か幻か。

 エドワード・エルリックの意識は真っ白い世界の中にあった。

 

 見渡す限りの白一色。そこに若い頃の——激動の時代を駆け抜けた少年時代の姿で、エドワード・エルリックは一人ポツンと立っていたのだ。

 

『俺は死んだ筈じゃ……それに、右腕と左足が……』

 

 今のエドワードには、自分が確かに死んだという自覚があった。それなのに意識があるという矛盾。

 さらに自身の身体に目を向ければ——そこには鋼の義手義足ではない、自分自身の生身の肉体がちゃんとついていたのである。

 五体満足、完全に肉体を取り戻している自分という存在にはっきりと違和感を覚える。

 

『こいつは、いったい……!?』

 

 そういった不可思議な現象に混乱しつつも、ふと何かの気配を感じて後ろを振り返る。

 すると、そこには見覚えのあるもの。エドワードにとっては因縁深い——『門』が立ちはだかっていたのである。

 

 

 これこそ、『向こう側』と『こちら側』を繋ぐ『門』。

 理屈は不明だが、この『門』を通り抜けることで、人は理の違う二つの世界を行き来することが出来るのだ。

 

 

『は……ははは……なるほどね……』

 

 

 しかし、そんな門を前にエドワードは冷静に乾いた笑みを浮かべる。

 

『これが、俺に与えられた地獄か……』

 

 エドワードは知っている、その門の内部に巣くうものを。

 きっと自分は、この門の中に引きずり込まれ——あの『黒い赤子』たちに弄ばれるのだろうと、己の末路を理解する。

 この門の向こう側にこそ、自分の帰るべき故郷があることは分かっているが、何の前準備もなしにそこを通り抜けられるわけもないのだ。

 

『当然の結末さ……別に……後悔なんてない』

 

 自分を咎人と称するエドワードは、その結末を素直に受け入れようとする。それこそが自分には似合いの地獄だと。何の抵抗もせず、門の前で立ち尽くす。

 

 

 やがて、覚悟を決めたエドワードの眼前で門が開かれた。

 エドワードの予想が正しければ、子供の笑い声と共に無数の黒い手が伸び、彼の身は無残にも門の中に引きずり込まれる——筈であった。

 

 

『——兄さん』

『——エド』

 

 

『——!!』

 

 

 だが彼の予想とは裏腹に、そこは光に溢れていた。

 優しく、穏やかに彼の名を呼ぶものたちの声が聞こえてくる。

 

『まさか……そんな……』

 

 その声の主、自分に向かって手を伸ばしてくる『愛すべきものたち』の姿にエドは信じられないと首を振る。

 

 しかし、エドワードがどれだけ否定しようとも。

 二人の少年少女。アルフォンス・エルリックとウィンリィ・ロックベルの二人が、優しく微笑みながらエドワードに手を伸ばしていたのだ。

 

 しかも二人とも生身の姿。

 もっとも輝いていたであろう幼少期の姿で、エドワードに微笑みかけていた。

 

『兄さん、お帰り……』

『エド、お疲れ様……』

 

 二人はここまでの旅路を終えたエドワードに労いの言葉を掛ける。誰よりもエドワードの苦労を知るからこそ、その言葉は温もりに満ちていた。

 

『……アル!! ……ウィンリィ!!』

 

 気が付けばエドワードも幼少期の姿へと変わり、涙ぐんでいた。

 

 

 夢でも幻でも構わない。

 エドワードは二人の手を取り、彼らと共に光の中へ。

 

 

『——ああ、ただいま……!!』

 

 

 こうして、エドワード・エルリックは長い旅路を終え、愛しい人たちの元へ。

 

 

 その魂が還るべき場所への帰還を果たしたのである。

 

 

 




人物紹介

 ゴーレム
  錬金術関係の怪物、其の③。泥人形。
  鋼の錬金術師のゲーム作品『赤きエリクシルの悪魔』に登場した敵キャラ。
  人間に擬態することもでき、今作における錬金術師の弟子たちは全員、このゴーレムに置き換わっていました。
  ゲーム版だと色んなタイプのゴーレムが出てきましたが、本作では基本の人型をモブ敵として採用しています。

 真・ホムンクルス
  本作におけるホムンクルスの最終形態。
  見た目は原作版に登場するお父様。その第三形態?辺りの姿(メタボ)。
  原作だとその身体は『賢者の石の集合体』でしたが、今作では『紅い石を核としたゴーレムの肉体』と見た目こそ同じですが、その成り立ちがまるで別物になっています。

 鎧の錬金術師 アルフォンス・エルリック
  まさか……鎧に魂を定着させていた錬金術師がアルフォンスだったなんて!
  ……まあ、読者の皆様にはバレバレでしたでしょうが。
  やっぱり、アルフォンスといったら鎧だよね!! などと、ファンサービス的な観点から登場させていただきました。

 ウィンリィ・ロックベル
  一応、最後の最後に出てきたので紹介。
  ちなみに一期のアニメ版だと、アルフォンスはウィンリィのことを恋愛対象として好きだったという設定があった気がします。


次回予告

「雷の日に生まれた獣。
 誰にも必要とされず、誰も必要としない独りぼっちな怪物。
 父さん……本当に、彼は倒すしかない存在なのでしょうか? それとも……。
 
 次回――ゲゲゲの鬼太郎『雷獣の孤独』見えない世界の扉が開く」

 次回のクロスオーバー先は……現時点では秘密です。
 ですが仮タイトルの方で、登場するゲスト妖怪を紹介させてもらいました。
 
 一応、次回のクロス先は『とあるアニメ映画作品』が原作。
 どのようなお話になるか、どうかお楽しみに!!
 
  
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

おおかみこどもの雨と雪 其の①

fgo水着イベント『サバフェス2023』最高に面白かった!!
新規水着サーヴァントも魅力的なキャラばかり!!
もう、どこから何を言っていいの分からないほど……感動した!!

とりあえず100連ほどして鈴鹿御前、バーゲスト、ミコケルは確保!
星5水着も欲しかったけど……流石にすり抜けでモードレッド、アナスタシア、ネモが来て心が挫けました……。

まあ、一番欲しかったミコケルが来てくれたので御の字。
これにはモエルンノス、ウミヌンノス、ヤメルンノスもニッコリ!!


そして、今回のクロスオーバーは細田守監督の作品『おおかみこどもの雨と雪』です。
細田守監督といえば『時をかける少女』『サマーウォーズ』『バケモノの子』『劇場版デジモンアドベンチャー』など数々の代表作が挙げられますが……。

その中でも、自分が一番好きな作品として、今回のクロスを書かせてもらいました。
一応は原作の続きの時間軸となっておりますが、原作未読の方でも楽しんでもらえるようにお話を進めていきたいと思います。





 (かみなり)

 

 昔の人はそれがどのように発生するか、その理屈を知らなかった。故に天から降り注ぐ恐ろしい轟音を、神々の怒りとして畏れ敬ったとされる。

 

 ギリシャ神話に名高き最高神ゼウス。北欧神話最強の戦神トール。インド神話に勇名を轟かせるインドラなど。神話体系が別でありながらも、それらの神々が司る権能こそ『雷』であるとされていた。

 また日本においても、雷という言葉は『神鳴り』と、神様が怒りによって鳴らしているものだとも解釈された。

 古代の人にとって雷とは、決して抗いようのない『天災』そのものだったのだろう。

 

 そんな雷も、そのメカニズムが解明されたことでただの自然現象であることが証明された。

 電気というものが何なのかを解析し、それを生活に役立てるようになった人類。もはや彼らにとって雷は未知なものではない。日常に欠かすことの出来ない、文明を豊かにするエネルギーの一つとなったのだ。

 

 だがそれでも、雷というものへの恐怖そのものが完全に払拭されたわけではない。

 電気という文明に慣れ親しんだ現代人でも空に雷雲が轟けば恐れ慄き、すぐにでも避難しようとする。

 

 

 どれだけ雷への理解を深めようと、本能でそれが危険なものだと理解しているのだ。

 

 

 実際、雷による被害——『落雷』によって命を落とす人も、世界には一定数存在する。

 雷の直撃を受けるなどそれこそ天文学的な確率だろうが、確かに雷は人間の命を奪う『厄災』として、今尚人類の脅威であり続けている。

 

 ちなみに、落雷の直撃を受けた人間の死亡率70%~80%だとか。雷などまともに受ければ大半の人間が死に至るわけだが、それでも残り20%近くは生き残る可能性があるということだ。

 もっとも、奇跡的に生き残ったとしても大火傷を負ったり、その際の衝撃がトラウマとなって後遺症に悩まされたりと。落雷被害者には、自殺者が多いなどというデータもあったりする。

 

 一方で、落雷の影響で『元からあった下半身の麻痺が治った』などという事例も存在する。

 雷の神秘が人体に何かしらの影響を与えた結果なのだろう。時として理屈では説明できない奇跡を起こすのも、雷の力だ。

 

 

 そして、雷の被害に遭うのはなにも人間だけではない。

 落雷が森の木々を焼き、それが大規模な山火事に発展するケースなんてのもザラだ。きっと人間が観測出来ていないだけで、雷によって数多くの動植物が命を落としているだろう。

 

 野生の獣が落雷の直撃など受ければ、きっと手当てもされないままそこで息を引き取るのだろうが——。

 

 そんな、雷の直撃を受けるなどという天文学的な確率に当たり。

 その上で、生き延びるなどという奇跡のような偶然を乗り越えて。

 

 

 妖怪・雷獣(らいじゅう)は誕生した。

 

 

 

 

 

「——はぁはぁ……こんな山奥に封印なんかされやがって……ぜぇぜぇ……」

 

 とある山中、雲海が見渡せるほどに壮大な山の頂上に何者かが姿を現す。

 かなり過酷な山道を進んで来たのだろう。疲労困憊といった様子で、元から『赤い』その顔をさらに上気させている。

 

 誰であろう——妖怪・朱の盆である。

 

 ぬらりひょんの側近として、常に彼の傍に居続けた妖怪。だが先の戦争でぬらりひょんが自らの責任を取ると自爆して以来、朱の盆はずっと一人でその意思を継ごうと活動を続けていた。

 

 ぬらりひょんの意思、即ち妖怪という種の復権。我が物顔で地上を支配する人間たちから、闇夜を取り戻して妖怪たちの権威を取り戻す。

 それこそがぬらりひょんの望む理想であり、朱の盆自身もその理想のために今尚暗躍を続けていた。

 

「この間も……そしてこの間も!! 鬼太郎の奴に邪魔されちまったからな!!」 

 

 しかし、その理想の成就とやらも。いつもいつも良いところで、ゲゲゲの鬼太郎に邪魔されてきた。

 

 策謀家のぬらりひょんであれば、鬼太郎の行動すら計算に入れることである程度は結果を残すのだろうが、朱の盆ではそうもいかない。

 彼は基本的に頭の良い妖怪でもなく、ぬらりひょんのようにカリスマ性に優れているわけでもない。その志に賛同してくれる同志も少なく、彼一人では出来ることにも限りがあるのだ。

 なかなか思うようにいかない現状に、朱の盆は日々苛立ちを募らせていた。

 

 そんな彼が今日、こんな山奥まで登ってきたのには理由がある。

 

「この岩の中に……雷獣とやらが封じられてるって話だが……」

 

 朱の盆が苦労して辿り着いた先には——悠然と巨大な岩が鎮座していた。

 一見すると何の変哲もない大岩だが、見るものが見ればその岩から妖気が漂ってくるのを感じ取れたことだろう。

 

 

 そう、その岩——『雷岩(かみなりいわ)』と呼ばれているその場所にこそ、妖怪・雷獣が封印されているのだ。

 

 

 雷獣。

 雷と共に現れては、人々に危害を加えたとされた獣の妖怪。雷というものへの恐怖そのものが、そのまま具現化したかのような存在だ。

 

 東日本を中心に様々な伝説を残す妖怪であり、その姿は犬とも、狸とも、イタチとも言われているがその実態は定かではない。

 その昔、その身に宿る雷の力で暴虐の限りを尽くしたとされる、かなり凶悪な妖怪。

 その力は雷岩に封じられて尚、周囲の環境を変えてしまうほど。岩から漏れ出す雷獣の妖力の影響でこの辺り一帯は常に雷雲が絶えず、人間はおろか獣すらも全く近寄らないような危険地帯となっている。

 

 雷獣とは、それほどまでに危険な妖怪ということだろう。

 

「へっへっ! こいつの力を使って……今度こそ鬼太郎をギャフンと言わせてやるぞ!!」

 

 そんな雷獣を復活させ、鬼太郎への対抗馬にしてやろうというのが朱の盆の今回の企みだ。

 

「よーし……それじゃあ、いくぞ~!! ふん!!」

 

 いざ、その封印を解くため——朱の盆の拳が雷岩へと叩き込まれる。

 

 強烈なその一撃に、ビシビシとひび割れていく雷岩。割れ目から眩いばかりの雷光が漏れ出し、その輝きを前に「うっ!?」と、朱の盆が思わず額に手をかざす。

 

 

 刹那——雷鳴轟くような轟音を内部から響かせながら、雷岩が粉々に砕け散っていく。

 

 

『…………』

「おお!? 出てきたな……こいつが、雷獣か!!」

 

 そうして、雷岩の中から姿を現した巨大な獣——雷獣を目の前に朱の盆が喜びの声を上げる。

 

 その獣は犬とも、狸とも、イタチとも呼べない、不思議な姿形をしていた。

 体長は5、6メートルほど。紫色の巨大な六足歩行の獣。前足が二本に、後ろ足が四本。その背中には黄色い棘のような突起物がいくつも生えており、額にも大きな角が一本。顔には白い髭をたくわえ、尻尾は二股に分かれている。

 

 さらにその名にある通り、その身体からは絶えず電撃を放っていた。

 まさに雷の獣と恐れられるのに相応しい風貌、威厳を体現したような怪物である。

 

「ぐっふっふっ!! さてと……おい、雷獣!! お前を復活させたのはこの俺……朱の盆様だ!!」

『…………』

「これからは俺様がボスだ!! わかったら返事を……」

 

 まずは雷獣を無事復活させられたことに朱の盆は笑みを浮かべつつ、さっそく上から目線で命令を下そうとする。

 誰が雷獣を復活させたのかを理解させ、恩を着せようというつもりだ。後々になって裏切らないようにと、最初の段階で上下関係をはっきりさせようとする。

 

『——どうして……』

「あん? なんだって……?」

 

 もっとも、雷獣を復活させてしまった時点で——既に朱の盆の目論見はズレ始めていた。

 

『どうして……ボクを目覚めさせた?』

 

 その恐ろしい見た目とは裏腹に、子供のような声音で雷獣は朱の盆に『何故?』と問う。

 

『どうして……どうして……!!』

 

 戸惑いと悲しみを同居させたような声が、徐々に怒りへと変わっていき——。

 

 

『——どうして……ボクを、放っておいてくれなかったんだ!!』

 

 

 次の瞬間、凄まじい雷撃が迸る。

 憤怒に満ちた絶叫を上げながら、雷獣が全身から電撃を全力で解き放ったのだ。

 

「うおおおお!? て、テメェ……なにしやがる!!」

 

 いきなりの雷撃をなんとか避ける朱の盆。雷獣の反抗的な態度に、武闘派の彼はすぐさま反撃しようと握り拳に力を込める。

 

 しかし、雷獣の怒りに呼応するかのように。上空の雷雲が激しく轟音を上げ——落雷が真っ逆さまに朱の盆へと落ちてきた。

 

 

「——あばばばばばば!?」

 

 

 朱の盆もこれには反応が出来ず、稲妻に貫かれた全身がビリビリと感電。

 

「ががが……きゅ~……」

 

 プスプスと煙を上げながら、真っ黒に焦げた身体でバタンキューと倒れる。

 それだけのダメージを負って尚、肉体が消滅しないのは呆れるほどの頑強さだが、これで当分は起き上がってこれないだろう。

 

 

 

 

 

『どうして……ボクを目覚めさせた……』

 

 そんな倒れる朱の盆を尻目に、雷獣は独りごちる。

 自身の自由を束縛していた筈の封印から解かれたことを、何故か雷獣自身が戸惑っている。

 

 怒りに満ちた眼差しに——ほんの少しの寂しさを滲ませながら、どこか遠くを見つめていく。

 

 

『ボクに……どこへ行けと言うんだ……』

 

 

 それから、暫くの間その場に立ち尽くしていたが——。

 

『…………お腹が……空いた……』

 

 込み上げてくる空腹感に耐えることが出来ず、砕け散った雷岩を後にその場から移動を開始

 

 

 生きるために必要な食糧を調達しに、やむを得ず山を下っていくのであった。

 

 

 

×

 

 

 

「すっからかんの素寒貧よ~♪ どっかに美味い儲け話でも転がってないもんかね~……」

 

 自身の懐のひもじさを妙な鼻歌で皮肉りながら、ねずみ男は呑気にゲゲゲの森を歩いていた。

 

 特にやることもなく、これといって景気の良い話もない現在。金になるような話はないものかと、懲りもせずに思案を巡らせる。

 もっとも、いつもいつもそう簡単に儲けに繋がるような話が浮かぶわけもなく、今日も今日とてゲゲゲの森は平穏であった。

 

「————!!」

「————!!」

 

「……あん? なんだ……やけに騒がしいな?」

 

 ところが、その平穏に水を差すような騒がしい声がどこからともなく響いてくる。

 ねずみ男は暇だったこともあり、喧騒の聞こえてきた方角へとふらり足を伸ばす。

 

 

 

「……おいおい、なんだってんだこの有り様は……まるで野戦病院だな?」

「うっさいわね! 手伝う気がないなら、あっち行ってなさいよ!」

 

 そうして、ねずみ男が顔を出したの——ゲゲゲの森・鬼太郎の家の前の広場であった。

 そこに広がっていた『惨状』を前にねずみ男は他人事のように呟き、猫娘が彼を邪険に扱っていく。手伝う気がないなら邪魔をするなと、彼女自身はとても忙しそうにあっちこっちを行ったり来たりと。

 

「うぅうう……痛いよ……」

「だ、誰か……み、水をくれ……」

 

 その広場に転がっている——『ズタボロになった妖怪たち』に手当てを施していた。

 その妖怪たちは皆、身体の至るところに怪我を負っていた。火傷に擦り傷、体力や妖気の消耗で指一本と動かせないものまで、その症状は妖怪によって様々だ。

 

「ほら、染みるぞ……少し我慢するんじゃ」

「いででで!!」

 

 そういった妖怪たちに、砂かけババアも自作の塗り薬などで傷の治療を施す。

 手当てを終えたものからその場に寝かされ、その様子がねずみ男の言った通り、まさに野戦病院のようであった。

 

「どいつもこいつも見ない顔だな……どこから来た連中だ?」

 

 寝かされている面々に目を向けるねずみ男は、そこにいるものたちがゲゲゲの森の住人でないことに気付く。他所から来たのだろう、普段は見る機会のない連中が大半を占めている。

 

「狸に……猫に……イタチ。それにありゃ……山童か?」

 

 ねずみ男の知識ではなんとも詳しいことは言えないが、パッと見た感じは獣の妖怪。特に山に住まうようなものたちが多い気がする。

 狸や猫といった動物が変化したような妖怪に加え、山に移り住むことになった河童——山童(やまわろ)など。

 

 いったい彼らがどこから、どのような経緯でこのゲゲゲの森へとやって来たのか。

 

「……へっ! 俺には関係ねぇか……」

 

 特に儲け話に発展しそうにもなかったので、興味を失ったねずみ男はそそくさとその場から立ち去っていく。

 

 

 

 

 

「それで……いったいどうしたと言うんじゃ?」

「…………」

 

 怪我人の治療があらかた片付いたところで、目玉おやじが代表者の話を聞くことになった。

 とりあえず、落ち着いて話ができる場所として鬼太郎の家の中で。鬼太郎も静かに相手方の話に耳を傾けていく。

 

「どうしたもこうしたもねぇよ! 目玉おやじさん!!」

「それもこれも、全部あの化け物のせぇなんですわ!!」

 

 すると目玉おやじの問い掛けに、比較的傷の浅かった代表者たちが堰を切ったように語り始めた。話の場には豆狸(まめだぬき)猫又(ねこまた)、山童など。やはり山を生息地にしている妖怪が多かった。

 

 彼らは中部地方、富山県辺りの山中を棲み処にする妖怪たちだ。

 ここ最近の情勢に左右されることなく、人間たちと適切な距離を取りながら自然の中、動物たちと共存しながら平穏に暮らし続けて来た。

 ところがその平穏が——とある妖怪のせいで崩れ始めているという。

 

「あいつだよ! 雷獣の奴が復活しちまったせいで、もうとんでもねぇことになってんのさ!!」

 

 山童が身振り手振りを交え、その脅威を伝えようと声を荒げる。少し大袈裟な誇張表現かもしれないが、豆狸や猫又たちも「うんうん!!」と山童の言葉に同意するように全力で頷いていく。

 

「雷獣……雷の獣……」

「聞いたことはあるのう……落雷と共に落ちてくる妖怪とかなんとか……」

 

 話の場に同席していた、猫娘や砂かけババアが要領を得ないように首を傾げる。名前を聞いたことくらいはあり、その名前からどのような妖怪かなんとなくイメージも湧いてくる。

 だが、詳しい脅威度は実際にあれと遭遇したものにしか分からず、山童たちは雷獣がもたらす具体的な被害について話をしていく。

 

 

 雷獣。その妖怪はある日突然、山童たちの住まう山に雷と共の下りて来たという。

 本来は雷岩というところに封印されていたらしいが、何者かがその封印を解いてしまい、この現代で活動を始めてしまったらしい。

 

「あいつは、そこにいるだけで周りに被害をもたらすんだ!! 奴が通った後はぺんぺん草も生えやしねぇ!!」

 

 山童曰く、雷獣から襲ってくることはないらしい。

 その恐ろしい見た目とは裏腹に、こちらから危害を加えようとしない限り、雷獣の方から攻撃してくるということはないのだ。

 

 ならば、何も問題ないのではと——そう考えるのは大間違い。

 

 雷獣はその特性上——その身に『常に電撃を纏っている』。

 全身から電気を垂れ流している状態であり、そのせいで雷獣が道を通るだけでも木々が薙ぎ倒され、そこに棲まう妖怪や動物たちが次々と被害に遭っているというのだ。

 

 その有り様は、まさに歩く災害そのもの。

 山を棲み処にする妖怪たちにとって、これ以上傍迷惑な存在はないという。

 

「あいつ、昼間は人里に下りて……人間たちの、何だか良く分からない建物を襲ってるみたいだけど……」

「人里に? その建物っていうのは……?」

 

 雷獣は夜は山の中に潜んでいるが、昼になると人里に向かって移動を始めるという。

 どうやら人間の作った何らかの『施設』に用があるらしいが、山に棲まう妖怪たちではその建物がどのようなものなのか、上手く言語化出来ないでいる。

 

「ちょっと待って! ……それって、もしかしてこれのことじゃない?」

 

 すると、ここで猫娘がスマホを開く。

 何か思い当たる節があるのか、ネットの中から該当しそうなニュースを検索。その記事を鬼太郎に見せていく。

 

「これは……発電所か!?」

 

 そこに書かれていたネット記事の内容に鬼太郎が目を見開く。それはここ数日間、何者かによって発電所関連の施設が襲撃されているというニュースだった。

 

『——謎の怪物!! 立て続けに発電所を襲う!?』

『——県内各地で続く停電被害!! 対応に追われる電力会社!!』

『——今こそ妖対法を!! 怪物の駆除に動くか自衛隊!?』

 

 その記事には不安を煽るような文言と共に、雷獣らしき生物の写真まで添付されている。

 既に人間たちの間でも、それなりの騒ぎになっているらしい。今のところ死者などは出ていないようだが、このまま放置すればより大きな被害になることは間違いない。

 

「なるほど……雷獣というだけあって、電気を主食にしているというわけか……」

 

 その記事の内容から目玉おやじは冷静に、雷獣の目的を理解する。発電所で電気を喰らい、腹を満たすや直ぐに山の中へと戻っていく。つまりはその繰り返しというわけだ。

 

「山や人里を行ったり来たり……その度に被害が拡大していくんだ!!」

「頼むよ、鬼太郎!! このままじゃ、俺たちの棲み処がなくなっちまう!!」

「あいつを退治して、山の平和を取り戻してくれ!!」

 

 どこか一ヶ所に留まってくれるならまだしも、そうやってあちこちを行ったり来たりしているせいで被害は増えていく一方だと。

 妖怪たちは山からの避難を余儀なくされ、逃げて来た彼らの一部がゲゲゲの森へやって来たのだ。

 

 そして、彼らは噂に名高いゲゲゲの鬼太郎が雷獣を『退治』してくれることを期待し、彼に頭を下げていた。

 

「…………」

「ふむ……とりあえず、雷獣のところへ行こう。奴をどうするかは……本人から話を聞いてからでも遅くはあるまい」

 

 真っ先に雷獣を『排除する』という山童たちの発想に、人知れず苦悩する鬼太郎。息子の心情を察してか、目玉おやじは現時点で雷獣を倒すかどうかは考えないでいいと言う。

 まずは雷獣に大人しく出来ないかを交渉してみようと、話し合いで解決できる道も模索するべきと言ってくれる。

 

「ありがとうございます、父さん……」

 

 父の気遣いに鬼太郎は礼を述べる。

 鬼太郎とて、妖怪を倒したくて倒しているわけではないのだ。話し合いで済むと言うのであれば、本当はそれが一番なのだろう。

 

 

 

「ありがてぇ!! それでこそ鬼太郎だ!!」

「おまえさんが来てくれれば、怖いもんなしだぜ!!」

 

 もっとも、そんな鬼太郎の気持ちなど山の妖怪たちはお構いなしだ。彼らはすっかり鬼太郎が雷獣を倒してくれると、気を大きく持ち始める。

 

「鬼太郎が雷獣をやっつけてくれるなら、きっと野狐の旦那も浮かばれるだろうぜ!!」

「……野狐?」

 

 これで安心出来ると——ふと、とある妖怪の名前を出してくる。初めて話題に出て来たその名前に、鬼太郎は疑問符を浮かべた。

 

「ああ……俺たちの暮らす山を取り仕切ってた野狐の旦那だ!」

「旦那は最後まで山を守ろうとして……雷獣のヤツにやられちまったんだ!!」

 

 それは、彼ら山の住人たちをまとめていた妖怪とのことだ。

 雷獣との戦いに敗れてその肉体は消滅してしまったと、妖怪たちは心底から悔しそうにしている。

 

「野狐とな? 狐の妖怪じゃが……特別何かがある妖怪ではなかったと思うが……?」

 

 妖怪に詳しい目玉おやじなどは、意外なものが縄張りのトップを務めていたことにちょっぴり驚いていた。

 

 

 野狐(やこ)とは、その名前の通り『野生の狐』のことである。

 一応は妖怪と区分されているが、その実態はほとんどただの狐に近い。長い年月を生きながらも変化の術といった妖術も未熟、神格などをほとんど持たずに年を経てしまった狐。

 他の力ある妖狐などと比べても、その格はもっとも低いとされ、『人間に悪さをする狡賢い狐』として描かれることが多い、色々と不憫な妖怪である。

 

 

「確かに……野狐の旦那はそこまで力が強いわけじゃねぇ……」

「でも、その豊富な知識と経験で俺らみたいな妖怪や、山の動物たちの間を取り持ってくれてたんだよ!」

 

 しかし、そんな不憫なイメージとは裏腹に、山に住まう妖怪たちは野狐のことを慕っていた。

 熊や猪といった明らかに狐などより凶暴そうな動物たちですら、野狐には逆らわずにその意向に従っていたという。

 

「そういえば……野狐の旦那が後継者を指名してたっけ? あの小僧はどうなったんだ?」

「ああ、あのオオカミの……さて、かなり若い奴だったからな……雷獣に恐れをなして逃げたんじゃないか?」

 

 ふいに、彼らはその野狐の後継者——弟子についての話題を口にし始める。

 

「オオカミ……? 日本に……?」

 

 猫娘などは、オオカミという言葉に不思議そうに首を傾げた。

 

 本来、この国に野生のオオカミなど存在しない。日本に元々生息していた『ニホンオオカミ』は随分と昔、人間の手によって絶滅させられてしまったのだ。

 日本妖怪としてのオオカミもいるにはいるが、そこまで個体数は多くない筈だ。そんな、存在が確認出来るだけでも稀なオオカミという種が、狐妖怪である野狐の弟子だというのだ。

 

「いったい、どんな子か……無事だといいが……」

 

 そのオオカミが若者であるという話しも含めて、目玉おやじがその安否を気に掛ける。

 

 妖怪であれ、動物であれ。若い者が無為に命を散らせる必要はないと。

 そのオオカミの無事を今は祈るしかなかった。

 

 

 

×

 

 

 

「はぁはぁ……!!」

『……いい加減しつこい奴だな。もうこれ以上、ボクの行動に干渉してくるなよ……』

 

 山の中、一匹の『二ホンオオカミ』が巨大な妖怪・雷獣と睨み合っている。

 

 もっとも、敵意を含んで睨んでいるのはオオカミの方だけであり、雷獣はさして興味もないのか、向かってくるオオカミを適当にあしらっていた。

 身体中から自然と流れ出る電撃、それが自動的にオオカミを迎撃していたのだ。雷獣は特に意識などせずとも、近づく外敵を排除することが出来るようだ。

 

 そんな雷獣の電撃を何度も浴びているせいか、オオカミは全身が傷だらけ。それはもはや戦いとも呼べない。

 一方的な状況に、雷獣の方がオオカミに『しつこい……』とうんざり吐き捨てる。

 

 

「——そうはいくか!!」

 

 

 だがそれでも負けじと、オオカミは力強く叫ぶ。

 

「ボクは先生に託されたんだ! この山を……山で暮らすみんなを守れと!!」

 

 そう、この若いオオカミこそ——今は亡き、野狐からこの山のことを託された後継者だ。

 

「お前は……この山の秩序を乱す!! その狼藉を……断じて許すわけにはいかないんだ!!」

 

 野狐に後を託された身として、オオカミは雷獣を許すわけにはいかなかった。勝手気まま、自由気ままに行動しては、その度に山の環境を荒らしまわる脅威の存在。

 このまま、その暴虐を許してしまっては山の秩序などあっという間に崩壊してしまう。今すぐにでも、雷獣の行動を改めさせなければならないのだが——。

 

『……そんなこと、ボクの知ったことじゃない。傷つくのが嫌なら、痛い目に遭いたくなければボクに近づかなければいいだけのことじゃないか……』

 

 雷獣は、そんなオオカミの言葉を無関心に突っぱねる。

 そんなに自分の電撃が怖いのなら、そっちが避ければいいだけだと。まるで自分こそが世界の中心と言わんばかりの傲慢な態度である。

 

「お前こそ……どうして山の秩序を乱そうとするんだ!! お前のその雷で、みんながどれだけ迷惑してるか分からないのか!?」

 

 雷獣の身勝手な言い分に、オオカミが興奮したように言い返す。

 

 

 自然界において『弱肉強食』は当然のルールだが、それにも限度というものがある。

 どんな肉食動物も、決して得物を狩り尽くしたりしてはいけない。どれだけ飢えていても、山の実りを独り占めになどしてはならない。

 

 その日生きるための糧さえあればそれで十分。

 山で暮らすものであれば、それこそが自然の摂理だと当然のように理解して生きている筈だ。

 

 だが雷獣の存在は、それら全てをご破算にしてしまう。

 その身に宿る雷が近づくもの全てを破壊するのであれば、跡に残るのは何もない荒野だけ。

 

 それで本当にいいのかと。今一度、雷獣自身にその在り方をオオカミは問う。

 

 

『しょうがないだろ……止めようと思って、止められるものじゃないんだ……』

 

 すると、オオカミの問い掛けに雷獣は拗ねたようにそっぽを向く。

 

『このビリビリは……ボク自身の意思でどうにか出来るものじゃないんだから……』

「お前……」

 

 その言葉にオオカミが呆気に取られてしまう。

 

 雷獣にとって、身体から電気を垂れ流す行為は『呼吸』にも等しい。

 能力ではなく生態。自分の意思で、その電流を止めることは出来ないというのだ。

 

「そんなんで、今までどうやって生きてきたんだ? お前にも親兄弟……家族がいる筈だろ?」

 

 そんな雷獣の生態に、オオカミは率直に疑問を抱く。

 身体から勝手に電気を流す。それが雷獣だというのなら、彼らは仲間同士でどのようにコミュニケーションを取るというのだろう。

 

 妖怪といえども、雷獣が獣として成立している以上、産みの親だっている筈だ。

 雷獣同士なら感電しないとでもいうのか。それとも通常の生物では想像も出来ない、彼らだけのコミュニケーション手段があるとでもいうのか。

 

 だが——オオカミの疑問に、雷獣から思いがけない答えが返って来る。

 

 

『……みんな死んだよ。ボクがこうなった瞬間に。親も兄弟も……みんな、黒焦げになって動かなくなった……』

「————!!」

 

 

 雷獣は、なにも生まれたときから雷獣だったわけではない。

 天より降り注いだ落雷の直撃を受けた獣が——その神秘の力で変貌を遂げた妖怪。

 

 天文学的な確立に、奇跡のような偶然を乗り越えることで誕生した、一代限りの突然変異種。

 それこそが——『雷獣』と呼ばれる獣の正体。

 

 

『ああ!! お腹が……お腹が空いたよ!!』

 

 そして、元々がただの獣であったこともあり、どうあっても空腹という飢えを我慢することは出来ない。

 雷獣は子供のように駄々をこねながら、唯一の食糧である電気を求め——それが豊富に満ちている人里へと向かっていく。

 

「——!! い、行かせるか!!」

 

 雷獣の話に思うところがありつつも、その行動を止めようとオオカミが飛び掛かっていく。

 だが無策な突撃は、雷獣が纏う電撃によってあっけなく弾かれてしまう。

 

「ぎゃん!?」

『…………ふん』

 

 雷撃によって吹き飛ばされるオオカミ。雷獣はその安否など特に興味を抱くこともなく。

 

 自らの飢えを満たすため——再び人間の社会秩序を乱していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……止めないと……奴を止めないと……」

 

 雷獣の電撃に吹き飛ばされて尚、オオカミは未だにその意識を保っていた。

 だが幾度となく電気を浴びせられ、すでにその身体は限界寸前だ。もはやいつ意識を失ってもおかしくない微睡の中——。

 

「逃げてくれ……逃げて……」

 

 オオカミは雷獣が向かって行った先。人里に住まうものたちに逃げてくれと、うわ言のように口にしていた。

 

 彼がただのオオカミであれば、人間のことなど気にも留めなかっただろう。

 自然界で暮らす動物たちにとって、人間社会などそれこそ他人事だ。

 

 雷獣のせいで人間たちがどのような被害を受けようと、本来であれば気に掛ける必要などなかった。

 

「……逃げて……」

 

 だがオオカミには、そのような願いを口にする理由があった。

 それこそ、山の秩序を守らなければならないという使命感と同じくらいに、人里で暮らす人間を——大切な『肉親』を想う心が。

 

 

 

「…………母さん」

 

 

 

 オオカミである彼は——『人間の母親』の無事を祈りながら。

 

 

 その意識を、暗い闇の中へと落としていく。

 

 

 




人物紹介

 雷獣
  今回のゲスト妖怪。外見は鬼太郎5期の雷獣を参考にしています。
  コンセプトは『人間社会からも、自然界からも疎まれる存在』。
  本来、妖怪とは自然よりの存在となりがちですが。
  この雷獣は人間からも妖怪からも受け入れ難い存在として描いていきます。
  果たして、この雷獣に安息の地はあるのだろうか?

 豆狸、猫又、山童
  雷獣の被害者たち。
  一般モブ妖怪として、とりあえず山関係の妖怪で名前を出したかった。  
 
 野狐
  一応は狐妖怪。
  原作の方に登場した『先生』を本作なりにアレンジした設定で登場。
  既に故人。原作だと普通に足を悪くして亡くなったとされましたが。
  今作では雷獣に向かっていき……そのまま帰らぬ人となりました。

 二ホンオオカミ
  ニホンオオカミの若者。先生から後を託された後継者。
  まだ名前の方が本編に登場していないので、現時点では伏せておきます。
  彼が何者なのか……原作知っている人は分かると思います。

 
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

おおかみこどもの雨と雪 其の②

fgoの水着イベント、お疲れさまでした。
終わってみればあっという間……最後まで楽しい水着イベントでしたね。

例年通りのfgoであればここから『ぐだぐだ』『ハロウィン』『クリスマス』と続々トンチキイベントが繰り広げられるわけですが……今年はどうなることやら。

今年も早いものでもう九月です。
今月は据え置きゲームで『サムライレムナント』が発売。
アプリでは『FFⅦ』の新作がリリースされるとか、結構楽しみにしてます。

久しぶりにfgo以外のゲームに熱中出来そうな予感が……するかもしれない。


『おおかみこどもの雨と雪』のクロスの中盤。
とりあえず、今回の話から原作の主要キャラが登場します。
一応、三話構成を目指して話を書いていきますので……次回で完結予定です。



 雷獣。

 

 そう呼ばれる以前。自分がなんと呼称されるような生物だったのかを、獣はほとんど覚えていない。

 ただ確かなのは、自分にも間違いなく親や兄弟、仲間たちがいたであろうという事実だ。

 

 何の変哲もない、ただ一匹の獣として。野を駆け回り、狩った獲物を仲間たちと分け合って生きていたという実感が確かにあった。

 だが、そんな何でもない日々は唐突に終わりを迎える。

 

 

 雷——天から降り注いでくる稲妻が、何の因果かただの獣に過ぎないその身を貫いたのである。

 

 

 落雷の直撃を受けた瞬間、獣は『死』を実感した。

 全身が焼けるように熱い。きっと自分はこのまま死ぬのだろうことを理解し——そこから、何としてでも生き延びようと力を振り絞る。

 

 生物としての本能が『生きる』という方向性で、肉体を維持しようとしたのだ。

 その生存本能が、獣の身体にどのような作用を施したかは定かではない。

 

 だが結果として、獣は生き残った。

 その身を貫いた雷と同化を果たすかのよう——雷獣へと、その身を生まれ変わらせたのである。

 

 

 自分以外のものを、全て灰にして。

 

 

『…………なんで……どうして……』

 

 

 雷獣になったと同時にある程度の知能を獲得した獣が周囲を見渡す。

 そこには『仲間たちだったもの』が、黒焦げの残骸となって転がっていた。雷獣誕生の余波で発生した電撃が、周囲のものたちを全て感電死させてしまったのだ。

 

 

『——アアアアアアアアアアアアアアア!!』

 

 

 雷獣の絶叫が、雷鳴のように響き渡る。

 彼は自らの命が助かる代償として——親兄弟、共に苦楽を共にしてきた同胞たち。その全てを失ったのである。

 

 

 

 その後、悲しみに暮れながらも雷獣は生き続けた。

 いかに絶望にその身を焦がそうと、獣である雷獣に『自ら命を絶つ』などという選択肢はない。命ある限り生き続ける。

 それは獣の遺伝子に、生まれながらに刻まれた本能である。

 

 そして生きるためにと、雷獣が唯一求めたものが『電気』だ。

 肉や水といった通常の食事を必要としなくなった代わりに、雷獣はその身に電気を蓄えなければならない体質となっていた。

 だが、文明が発展した現代ならいざ知らず、雷獣が誕生した三百年前——江戸時代に発電所などの施設が存在しているわけもなく。

 雷獣は自然発生する雷雲などから電気を得るため、各地を転々と駆け回るようになる。

 

 その頃の雷獣は常に飢えていた。

 食料である電気にありつける機会など、ほとんど運次第だ。腹を満たした状態でいられることの方が珍しく、空腹状態で理性を失ったまま暴れていることが大半だった。

 そんな飢餓状態で暴れ回る雷獣の姿が、当時の人間たちの目にはさぞ恐ろしいものに映ったのだろう。

 

 雷獣は凶暴な妖怪として、徳の高い僧に目を付けられ——その身を『雷岩』へと封じ込まれることとなる。

 

『よかった……』

 

 人間の坊主にしてやられた、という屈辱は勿論あった。

 だが同時に安堵もした。封印されている間は食事を必要とはしないらしく、飢えに苦しまれることなく、静かに眠り続けることが出来たのだから。

 

 ところがその封印が解かれ、雷獣は再び自由の身となった——なってしまった。

 

 安らぎは失われた。

 雷獣はその日生きるための糧を得るため、食料である電気を求め——それが豊富な人間社会へと飛び込んでいく。

 

 

 

×

 

 

 

「う~ん……私的にこの色はないかな……あんまり似合ってないし……」

「ええ? 私はいいと思うけど……ほら! こっちのスカートと合わせるといい感じじゃない!?」

 

 富山県富山市。

 市内でも特に大きなショッピングモールで、中学生の女子グループが仲良さげに買い物を楽しんでいた。年頃の女の子らしく、可愛い洋服で自分たちを着飾っていく少女たち。ああでもない、こうでもないと、キャッキャッと賑やかな声を響かせていく。

 

「ねぇねぇ!? 雪ちゃんはどう思う?」

「私? ん……私としては、信乃ちゃんにはこっちの方が合ってると思うけど……」

 

 そんな四、五人で集まっている女子グループの中、信乃(しの)という女子が雪という女の子に声を掛けた。

 雪と呼ばれた彼女は、長い黒髪に紺色のワンピースがよく似合う女子だ。彼女は友達の問い掛けに、少し自信なさげだが正直に自身の好みを答えていく。

 

「雪……アンタはもうちょっとセンス磨いた方がいいわ」

「うん、これだけはないわ……ない!」

「え、ええ!?」

 

 すると雪が選んだ服がお気に召さなかったのか、他の女子たちが彼女の服装選びに物申していく。

 まさかのダメ出しに雪の顔に動揺が浮かぶ。自分の美的感覚が『普通の人間』とは違うのかと、ちょっとドキッと身構えてしまう。

 

「まあ……これはこれでありっちゃありか?」

「ええ~、そうかな!? まあ……言うほどおかしくはないか?」

 

 しかしその心配は杞憂だったようで、数人の女子は雪のセンスを一部肯定してくれる。とりあえず、何かを致命的に間違えたわけではなかったことに雪は「ほっ……」と胸を撫で下ろす。

 

 だが、そのように安堵するのも束の間——。

 

「あっ! ねぇ、雪ちゃん。あそこにいるのって……」

「え……あっ!?」

 

 ふと、信乃という少女が目線をよそに向け、雪にこそっと声を掛ける。雪も振り向いたその視線の先には、一人の男の子がいた。

 

「…………」

 

 女子グループの子たちと同年代の男子中学生だ。

 身だしなみに気を配るつもりはないのか、ぼさぼさ髪に仏頂面を浮かべながら、男物のシャツなどを適当に手に取って見ている。

 

「草ちゃん……」

 

 そんな男子の姿に雪が「草ちゃん」と、彼の呼び名を口にする。雪の呟きが聞こえたのか、他の女子たちも揃って彼の方へと目を向けていく。

 

「あれ……草平くん?」

「珍しい、今日は一人なんだ……」

 

 藤井(ふじい)草平(そうへい)。少女たちと同じ中学校に通う男子生徒である。

 普段から女子とも普通にお喋りをするし、男子たちの輪の中でも説教的にリーダーシップを取っているような子だ。

 年頃になって妙に斜に構えるような男子が増える多感な時期においても、彼は元気ながらも比較的落ち着いて大人な対応も取れると、女子たちからも密かに人気を集めている。

 

 そんな彼が、今はたった一人でショッピングモールを回っている。その姿が少し奇異なものに映ったのか、女子たちも声を掛けることが出来ないでいた。

 

「あ……いっちゃった……」

 

 草平は特に何かを買うでも、女子たちの視線に気づくこともなく、その場から立ち去ってしまう。

 

「草ちゃん……」

 

 一人で歩いていく彼の後ろ姿を見つめながら、雪は苦しさを堪えるように呟く。

 

「そういえば、雪って……草平くんと……」

「ああ! いわゆる……ラブってやつね!!」

 

 その呟きに他の女子たちがにわかに騒ぎ出す。

 雪と草平、普段からも感じていた二人の関係。この男女の間にただならぬ何かがあるのではないかと、揶揄い交じりに黄色い声を上げている。

 

「ち、違うから!! そういうんじゃないから!?」

 

 これに雪は動揺で顔を赤く染めながらも、否定の声を上げる。

 確かに雪は草平と仲が良いが、決して付き合っているというわけではない。勿論、好感は抱いているだろうが、それが『友達』に対する好きなのか、『異性』に対しての好きなのか。

 その違いを、雪という女の子は未だに理解出来ていない。

 

 ただ、雪には草平のことを放っておけない——明確な理由があるのも事実だ。

 

「いいよ、行ってあげなよ……雪」

「信乃ちゃん……」

 

 その事情を知る信乃が優しく雪の肩を叩いた。信乃も草平とはそれなりの付き合いであり、彼の『家庭事情』についてもそれとなく噂話など耳にしていた。

 今の草平には誰かが声を掛けてやる必要があるかもと、その役目を雪に任せる。

 

「う、うん!! ありがとう、信乃ちゃん!!」

 

 親友に後押しされたこともあり、雪は友人たちと一旦別れて草平の後を追いかけることにした。

 

 

 

 

 

「はぁはぁ……待ってよ、草ちゃん!!」

「雪……?」

 

 雪はショッピングモールの外で草平に追いついた。息を切らせながらも必死にこちらへと駆け寄ってくる雪に、草平は怪訝そうな顔つきになってしまう。

 

「お前な……その草ちゃんっての、そろそろやめろよ。俺ら、もう中二だぞ?」

 

 ふと、草平は自身の呼び名について言及する。

 小学生の頃から雪は草平のことを『草ちゃん』と呼んでいるが、それが今の彼にはくすぐったく感じられるのだろう。

 そろそろ呼び名を改めて欲しいという、何とも微笑ましい要求だ。

 

「え……? でも草ちゃんは草ちゃんだし……今更やめろって言われても……なんて呼べばいいか?」

 

 もっとも、そんな思春期の男の子らしい注文に雪が困った顔になってしまう。

 雪にとって草平は草ちゃんだ。他の呼び方など考えたこともなかったし、特に改める必要性も感じていないのだろう。

 

「はぁ……じゃあ勝手にしろ……」

「うん! 勝手にする……ふふふ!」

 

 雪の返答に草平は呆れたように溜息を吐くが、そこに嫌悪感などはなく。

 雪も草平がいつも通りの呼び名を受け入れてくれたことに笑みを浮かべ、二人はそのまま並んで帰り道を歩いていく。

 

 

 

「草ちゃんは……今年の夏休みはどうするの?」

 

 同じ目的地へと向かいながら、雪は草平に何気なく問いを投げ掛ける。

 二人は同じ中学校の、同じ学生寮で暮らしている。当然、女子寮と男子寮という違いはあるが、同じ敷地内にある建物なので必然的に帰り道は同じだ。

 今日は休日ということで雪は友達と買い物に出掛けていたが、草平は一人で特に当てもなく街をぶらついていたらしい。

 そんな彼が——今年の夏休みをどうするか、それが雪には気になっていた。

 

「別に……寮で適当に過ごすさ……」

 

 草平は特に何でもないことのように、長い休み時間の過ごし方を口にしていく。

 

「……実家には帰らないの?」

 

 そんな寂しい答えに、雪がさらに踏み込んだ問いをする。

 夏休みになれば当然、寮暮らしの生徒たちが実家に帰省する。雪も休み期間には母親が待っている家に帰るつもりでいた。

 草平にだって帰る家がある筈なのだが——。

 

「家に帰ったところで居場所なんかねぇし……おふくろも、弟の世話で忙しいだろうしな……」

 

 彼は自分の家には居場所がないと、ほとんど感情らしいものを表に出さずに呟く。親という、子供からすれば当たり前のように頼りにするだろう保護者という存在。

 その親というものに、草平は何の期待も抱いていないのか。達観した物言いで淡々と事実のみを語っていく。

 

「…………」

 

 雪は草平の家庭事情を知るが故に、彼の言葉に口を噤むしかなかった。

 

 

 藤井草平は少し前で母子家庭、母親と二人っきりで暮らしていた。唯一の身内ということで母親も一人息子である草平をとても大事にしていた。それは間違いない。

 

 ところが、母親は草平が中学校に上がる頃に再婚した。結婚前から既にその男との子供まで身籠っていたらしく、今は生まれたばかりのその子の世話に没頭している。

 そして、その子や再婚相手のことを気にかけるあまり、草平に対する興味や関心を失ってしまったらしい。所謂、育児放棄というやつだ。

 

 

「…………」

 

 雪や信乃といった友人たちにとっても、それは周知の事実である。

 噂話などで知ってしまったその話が本当だと、草平本人から初めて聞かされたとき、雪はこの世にそんなことがあるのかと耳を疑ったほどだ。

 

 雪も草平と同じく母子家庭で育った。父親の記憶がない彼女にとって、母親は自分や『弟』をたった一人で育ててくれた誰よりも大好きで大切な人だ。

 そんな母親という存在に『関心を向けられない』。そんな草平の立場を雪は自分のことのように苦しみ、苦悶の表情を浮かべている。

 

「そんな顔するなって! 俺は別に気にしちゃいないよ……」

 

 だが、そんな辛そうな表情の雪を逆に草平が慰めていく。

 

「あの家にいるよか、寮で暮らしてる方が気楽だし……何より楽しいんだ!!」

 

 実家から追い出されるように中学校で寮暮らしをすることになった草平だが、その方が楽だと強がりではない笑みを浮かべる。

 実際、学校での彼は家庭の事情など感じさせないほどに陽気で活き活きとしていた。

 

「高校に上がったら、すぐにでも家を出て……学費も自分で稼いでく……」

 

 さらには、今の段階で実家を出ていくことを前向きに考えている。

 母親が草平のことを気にも留めていないように、草平も母親に対して過度な期待を持ってはいない。親子としては寂しい関係かもしれないが、それでも草平は堂々と顔を上げる。

 

 

「——早く大人になる。自分一人でも生きていけるようになるんだ」

 

 

 未だ少年らしいあどけなさの残る顔ではあるが、その眼差しは既に未来へと向けられていた。

 

「やっぱり、草ちゃんは強いね……」

 

 そんな逞しい男の子の横顔に、雪の胸の奥からも込み上げてくるものがあった。

 雪も母親の勧めで寮生活をするようになったが、それでも母が恋しくなるときがある。それは子供としては当たり前のこと、まだまだ未成年なのだからそれが普通の感情だ。

 

 けれど、そんな子供の甘えなど置き去りに、草平はすっかり大人の顔付きになっている。小学校の頃からずっと一緒だった男の子の成長ぶりに嬉しいやら、寂しいやら。

 

「あのね、草ちゃん……私……!」

 

 そんな彼に、置いて行かれたくないという思いが湧き立ってしまったのか。

 ひょっとしたら、彼と共に歩む未来なんてものを想像したのか。雪は顔をほんのり朱色に染めながら、草平へと声を掛ける。

 

 

『——アアアアアアアアアアアア!!』

「——!?」「——!?」

 

 

 だが、そんな少年少女の未来を閉ざそうとする厄災が——雷鳴のような絶叫と共に街中へと降り立った。

 

 

 

×

 

 

 

『——腹が減った……』

 

 山から降りてきた雷獣は人目を忍ぶことも、周囲への被害などまるで鑑みることなく街中を闊歩していく。

 

『腹が……減ったよ!!』

 

 目的地である発電所——そこに溜め込まれた電気の匂いを辿りながら進んでいく雷獣だったが、彼の空腹は限界ギリギリにまで達していた。

 だからこそ少しでも腹を満たそうと、雷獣は手近な建物へと近づいていき、そこから電気を吸い上げていく。

 雷獣からすれば摘み食いのようなものであったが、『その建物』にいた人間たちにとってはたまったものではない。

 

「——て、停電!?」

「——ちょっとちょっと!? いったい全体、何がどうなってるのよ!?」

 

 その建物——『ショッピングセンター』に入っていた店員や客たちが急な停電に悲鳴を上げる。建物内部にいる彼らでは外で何が起きているか理解が出来ず、パニックに陥っていることだろう。

 

 

 そこで買い物を楽しんでいた、雪の友人たちもその中に含まれている。

 

 

「おいおい……あれって、今騒ぎになってる!!」

「信乃ちゃんたちが……!!」

 

 雷獣の出現に草平が目を丸くする。この地域の人間たちにとって、雷獣の脅威はニュースでも報じられていた事実だが、まさか自分が巻き込まれる当事者になるとは夢にも思っていなかっただろう。

 雪も、友人たちが買い物を楽しんでいるショッピングモールへと襲い掛かる怪物の存在に、その顔を朱色から真っ青へと変化させていく。

 

 このままでは信乃たちが危ない。

 しかし、咄嗟には行動を起こすことが出来ず、足を止めてしまう少年少女。

 

「——いたぞ、こっちだ!!」

「——キミたち、下がりなさい!!」

 

 するとそんな子供たちへの避難を呼び掛けながら、数十人の大人たちが現場へと駆けつけて来る。バタバタと慌ただしくも理路整然と行動する人間たち——その正体は富山県警である。

 

 既に雷獣が県内各地に相当な被害を出していることから、いつでも迅速に出動できるよう準備を進めていたのだろう。あっという間に集まって来た、パトカーなどの警察車両が雷獣の周囲に展開。

 防護盾を構えた機動隊がズラリと並び、雷獣に対して一斉にライフル銃の銃口を向けていく。

 

「——撃ち方構え!! 目標……前方の巨大生物!!」

 

 皮肉にも『妖怪による不等な行為の防止等に関する法律』——妖対法のおかげか。澱みなく雷獣への攻撃態勢へと移行する機動隊員たち。

 

「——撃て!!」

 

 指揮官の号令と共に何丁もの銃口から鉛玉が、雷獣に向かって躊躇なく放たれる。

 

 

『——クカアアア!!』

 

 

 だがその銃撃に対抗するよう、雷獣が吠えた。

 獣の叫びに呼応し、その身体に纏われていた電撃が銃弾を迎撃していく。機動隊が放った弾丸は一発も雷獣の身体に着弾することなく、その全てが消し炭へと変わり果ててしまう。

 

「なっ……! ひ、怯むな! 撃て撃て!!」

 

 その僅か一瞬の攻防で、人間たちは目の前の怪物が自分たちの手に余る存在であることを直感的に悟っただろう。

 それでも負けじと、機動隊は雷獣への攻撃を立て続けに敢行していくが——。

 

『邪魔を……スルナァアアアアアアア!!』

 

 食事の邪魔をされたことに激怒した雷獣が、さらに強烈な怒りと共に稲妻を迸らせた。全方位に放たれる電撃が、機動隊やショッピングモールといった建物へと襲い掛かる。

 

「ぐああああああ!?」

「きゃあああああ!?」

 

 警察官たちの呻き声や、一般人たちの悲鳴が木霊する。もはや外敵かどうかなど関係なく、雷獣の雷撃は周囲一帯のものを無差別に破壊していく。

 

 その雷撃の被害者の中には——当然のように雪や草平も含まれている。

 

「きゃあ!?」

「雪っ!!」

 

 電撃は避難途中だった二人にも容赦なく襲い掛かる。迫り来る雷の直撃から雪を庇おうと草平が身体を前に出すが、その程度では盾にもならない。

 無情にも、迸る電撃は落雷の如く少年少女の身を貫こうとし——。

 

 

「——霊毛ちゃんちゃんこ!!」

 

 

 刹那、上空から何者かが舞い降りて来る。

 

 その『少年』は自身のちゃんちゃんこを広げ、雷獣の電撃から二人を守った。ちゃんちゃんこによって弾かれた電撃は空中で霧散、何とかことなきを得る。

 

「えっ……だ、誰? き、キミは……!?」

 

 そうして助けられたことに礼を述べる余裕もなく、混乱する雪がその少年に何者かと問いを投げ掛けていた。

 

 

「——ゲゲゲの鬼太郎だ」

 

 

 

 

 

「——雷獣!!」

「——もう止めるんじゃ……それ以上は!」

 

 ゲゲゲの鬼太郎と目玉おやじは、その現場に到着するや雷獣に制止を呼び掛ける。

 

 山の妖怪たちに頼まれて雷獣を止めにやって来た彼らだが、まさかこのような形で暴れ回る当人と接敵するとは思ってもいなかった。

 妖怪たちどころか、人間たちとも真っ向から対立する雷獣という怪物に、まずは矛を収めるように叫ぶ。

 

『なんだ……誰だ、お前は……』

 

 鬼太郎の呼び掛けに対し、雷獣は彼が誰かも分からずに疑問を投げ掛ける。

 しかし、鬼太郎が只者でないことは悟ったのだろう。警戒心を剥き出しに、全身の電気をより一層激しく帯電させた。

 

「雷獣よ……山の奥地で大人しく過ごすことは出来ぬのか? お前が身体から絶えず垂れ流しておるその電気のせいで、妖怪も動物たちも困っておるのじゃぞ?」

 

 雷獣の敵意が増大する中においても、目玉おやじは冷静に相手の説得を試みていた。

 

 雷獣に山の奥地にでも引っ込んでもらえるのならば、下手に争う理由もない。もしも他に行く宛がないというのであれば、ゲゲゲの森で面倒を見ることも視野に入れる。

 とりあえず今は雷獣を大人しくさせ、これ以上の被害が出ない方向で話を持っていこうとする。

 

 ところが——。

 

『大人しくしろ……? 大人しくしろだって!? それが出来るなら、最初から苦労はしてないんだよ!!』

 

 穏便にことを進めようとする目玉おやじのその気遣いが、逆に雷獣の怒りに触れてしまう。

 

『この空腹が……この飢えが……!! ボクの苦しみが……お前たちなんかに分かるもんか!!』

 

 電気を食わなければいけない特異体質となった雷獣。体内に溜め込む電気が途切れたときに襲ってくるこの『飢餓感』などは、きっと鬼太郎たちのような妖怪でも共感は出来ないだろう。

 人間だって飲まず食わずでは生きていけないように、雷獣も電気がなくては生きていけない。それどころか、まともに正気を保っていることすら難しくなるのだ。

 

 それを大人しくしていろと、我慢しろなどと。そんな戯言——到底許せるわけがない。

 

『——ああ……! アアアアアアア!!』

 

 怒りと共に空腹が限界値に達したのか。辛うじて保っていた理性さえ遠のいていき、雷獣は暴れ狂う一匹のケダモノと化していく。

 

「くっ……やるしか……ないのか!!」

 

 その瞳から理性が失われるのを感じ取り、鬼太郎が臨戦態勢で身構える。

 結局は戦うしかないのかと。息が詰まるような思いを抱きながらも、雷獣の暴走を食い止めるべく鬼太郎は技を繰り出していく。

 

「髪の毛針!! リモコン下駄!!」

 

 高速で撃ち出される毛針や、砲弾の如き勢いで放たれるリモコン下駄。そのどちらも、まともに食らえば相当なダメージを与えられる強力な攻撃だ。

 

『クアアアアアア!!』

 

 だが、雷獣の纏う強烈な電撃が髪の毛針を打ち消し、リモコン下駄を容易く弾き返してしまう。機動隊の銃撃と同じだ。どんな攻撃でも、雷獣の肉体に命中しなければ何の意味もない。

 生半可な攻撃は全て、雷獣の電撃によって無力化されてしまうということだ。

 

「……っ! これならどうだ……指鉄砲!!」

 

 自身の先制攻撃が尽く迎撃されながらも、鬼太郎はさらに強力な指鉄砲を雷獣に向かって撃ち放った。

 鬼太郎が全霊を込めて放つ妖気弾だ。いかに雷獣の雷が強力でも、それらを押し除けてその身体にダメージを与えることができただろう。

 

『——!!』

「なっ!? き、消え……いや、移動したのか!?」

 

 だが次の瞬間、雷獣は鬼太郎の指鉄砲を俊敏な動きで回避した。その図体からは想像も出来ないほどの速さ、まるで稲妻のような速度で鬼太郎の後方へと移動したのである。

 これには鬼太郎も思わず消えたと、そう錯覚するほどの高速移動であった。

 

『アア、アアアアアアア!!』

 

 雷獣はそのままの速度を維持し、鬼太郎から逃げるように駆け抜けていく。

 その移動先に——警察車両がバリケードを形成していようと、お構いなしに突っ込んでくる。

 

「ひぃっ!? 退避!! 退避!!」

 

 迅雷の如き勢いで突撃してくる雷獣に対して素早く退避命令が出され、警察官たちは命からがら退避していく。

 しかし、雷獣の体当たりをまともに食らったパトカーが数台ほど空中を舞い、破片や車体そのものが雨のように降り注いでくる。

 

 

 

「——!!」

 

 そのとき、草平や雪の頭上からも一台のパトカーが落下しようとしていた。子どもたちの危機に、警察官たちなどは自身の身を守ることが精一杯で誰も気付くことが出来ないでいる。

 

「あっ……」

 

 それにもしも気付いたところで、これは『手遅れ』だと誰もが思うだろう。

 見上げれば、すぐそこまで自分たちを押し潰さんと迫ってきている車体。草平の口からも呆けるような声が漏れる。

 もはや恐怖を感じる間もなく、その命は呆気なく終わりを迎えようとしていた。

 

 

 ——……死ぬ?

 

 

 そんな絶体絶命の最中、スローモーションで進む思考の内側で、雪という少女が死という現実に向き合っていく。

 

 

 ——死んじゃう……このままだと、私が……草ちゃんが死んじゃう?

 

 

 日々を普通に生きていて、死というものを身近に感じる瞬間などあまりないだろう。だがそれでも、終わりの時は唐突に、そして誰にでも平等にやって来るもの。

 

 

 ——……ダメ!! そんなのは……絶対ダメ!!

 

 

 だが、雪の中の本能——『獣の生存本能』が、その死を良しとせずに昂り始める。

 

 

 ——死なせない!! 何があっても……守って見せる!!

 

 

 そう決意した瞬間、彼女の身体に異変が起こる。

 

 それは、まさに一瞬の出来事であった。

 雪という少女がその場に四つん這いになったと思えば——その身体がふわっとした体毛によって覆われていく。

 

 ピンと尖った耳、長く伸びていく鼻先。

 口の端が裂けたように広がっていき、そこから牙が垣間見えた。

 

 雪という人間だった少女が、瞬きの間に一匹の獣と化す。

 

 その姿は——まさに『おおかみ』だ。

 既に絶滅したとされる、一匹の二ホンオオカミがその姿を晒していった。

 

「雪、おまっ……!!」

「草ちゃん! 口閉じて!!」 

 

 雪がおおかみへと変貌を遂げたことに草平は何かを叫ぼうとしたが、それよりも先に雪が彼の襟元をくわえ込む。

 その小さな体からは想像も出来ないほどの力で草平の身体を引っ張り、俊敏な速さで駆け出していく。

 

「うわっと!?」

「っ!!」

 

 刹那、二人がさっきまでいた場所に落下して来るパトカー。

 ほんの一瞬でも遅れていたら、二人揃って下敷きになっていただろう。雪と草平は間一髪のところでその命を長らえた。

 

「雪……ありがとう、助かったよ」

「うん……」

 

 危機を回避するや、草平は雪に助けられたと彼女に礼を言う。彼は雪がおおかみになったことに関してはあまり驚いておらず、雪もすぐにその姿を人間のものへと戻していく。

 彼女がおおかみになっていた時間は本当に僅かであり、他の人間たちにも見られていなかった。皆、雷獣の方に注意が向いていたため、誰も雪の変化になど目を向けていなかった。

 

 

 たった一人を除いて——。

 

 

「——今のは……キミはいったい!?」

「——!!」

 

 そう、なんとも間が悪いことに、彼に——ゲゲゲの鬼太郎に、おおかみになる瞬間を目撃されてしまっていた。

 雪がただの人間でないこと、彼女が『おおかみこども』であることが彼にバレてしまったのであった。

 

 

 

×

 

 

 

 富山市内でも、大きな総合病院。

 日も暮れ、既に通常の診察時間が終わっている筈の病院内だが、その受付や外来フロアは大勢の人たちでごった返していた。

 

「——急いで!! すぐに手術を!!」

「——軽傷の方をこちらへ!! 落ち着いて……順番を守ってください!!」

「——うぅう……痛い! 痛いよ!!」

 

 忙しそうに動き回る病院スタッフに、大小様々な怪我を負って押し寄せてくる負傷者たち。これら全て——雷獣の暴挙に巻き込まれた人々である。

 

 あの後、雷獣は発電所まで一直線に駆け抜けていき、ありったけの電気を吸い上げていった。腹を満たしたことで一旦は落ち着いたのか、今は山の方へと立ち去っている。

 

 だがその道中、街中を駆け抜けていった雷獣が自然放出している電撃により、大勢の人間たちが傷を負うことになってしまったのだ。さらには発電所が襲われたことで多くの世帯で停電が起き、至る所で二次被害が起きている。

 この病院とて、自家発電装置が機能していなければ患者を受け入れることすらままならなかっただろう。

 

 まさに雷獣は歩く災害そのものだ。

 雷獣自身にその気があろうとなかろうと、奴はそこに存在するだけで周囲のものを傷付けていくのだ。

 

 

 

 

 

「いてて……」

「草ちゃん、大丈夫?」

 

 そうした中、雪と草平も怪我人としてこの病院まで運ばれていた。

 

「かすり傷だってこの程度……お前の方こそ……足、大丈夫なのか?」

「うん……軽く捻ったくらいだから……」

 

 と言っても、二人は比較的軽傷で済んでいたため、簡単な手当を受けた上で今は待合室で待機している。

 このまま自力で帰ってもいいのだが、未成年なので一応は保護者が迎えに来なければならないとのことだ。学校側に連絡を取ったこともあり、先生の誰かが迎えに来ると思い、二人は大人しく待っていた。

 

 

「——雪!!」

 

 

 だが二人の予想とは裏腹に、子供たちを迎えに来たのは教師ではなかった。

 雪の名を叫びながら駆け寄ってきた彼女は、その顔にどこか幼さを残しながらもその瞳にしっかりとした『芯』を宿した大人の女性。

 彼女はその顔に心からの安堵を浮かべつつ、小さな雪の身体を力一杯に抱きしめた。

 

「お、お母さん!? ど、どうしてここに……」

 

 その女性——実の母親に一目も憚らずに抱きしめられ、雪が恥ずかしさと戸惑いから目を見開く。

 

「花さん……どうしてここに?」

 

 草平も、雪の母親——花と面識があるのか。彼女がこんなところにいることに驚いていた。

 花は県内でも田舎の、それもかなり山の方の一軒家で暮らしている筈だ。実の子供のためとはいえ、こんな市内の病院まで、わざわざ迎えに来てくれるとは思ってもいなかった。

 

「学校側から連絡があってね。偶々近くにいたし……いても立ってもいられなかったから……怪我は大丈夫?」

「うん……大丈夫、ちゃんと診てもらったし……」

「そう……草平くんも、平気?」

「あっ、はい……俺も大丈夫です……わざわざありがとうございます」

 

 だが花は雪のことは勿論、草平にも気遣いの言葉を掛けた。

 大人として子供の心配をするのは当たり前のことかもしれないが、母親と疎遠となっている草平にはその気遣いが嬉しく、思わず口元に笑みなんて浮かべてしまう。

 

「ただ……」

「ただ……どうかしたの?」

 

 ところが、草平はすぐに顔色を曇らせてしまう。その視線がチラリと——先ほどから、ずっと雪や草平たちの様子を監視するように伺っている『少年』へと向けられていく。

 

「——貴方がこの少女の母親ですか?」

「キミは……?」

 

 少年は花に疑問を投げ掛け、花も彼が何者かを問い掛ける。

 

 

「初めまして、ゲゲゲの鬼太郎です……」

「…………」「…………」

 

 

 少年——妖怪であるゲゲゲの鬼太郎は、花を真正面に見据えながら挨拶をする。そんな何でもない会話にも、雪や草平といった子供たちが緊張で身を固めてしまっている。

 

「そう身構えんでも……何も取って食おうというわけではないんじゃ」

「あら!?」

 

 するとそんな子供たちの緊張を気に掛けつつ、鬼太郎の頭からひょっこりと目玉おやじが顔を出す。

 人ならざる小さな目玉おやじの存在に、花は口元に手を当てて驚きを露わにするが、そこまで大仰なリアクションではなかった。

 大人としての余裕か、あるいは『そうしたもの』に慣れているのか。

 

「そっちの女の子、雪ちゃんと言ったか……その子、普通の人間ではあるまい?」

 

 例の女の子——おおかみに変化した少女の正体について触れながら、目玉おやじは相手の反応を伺う。

 

「雪……?」

「ごめんなさい……お母さん」

 

 目玉おやじの言葉に花が雪の方を振り返った。

 正体がバレてしまったことを責めているわけではない優しい口調だったが、雪は怒られた子供のように萎縮してしまっている。

 

「雪は悪くないんです、花さん!! こいつ、俺を助けようとして……それで!!」

 

 それに対し、草平が雪を庇って弁明の言葉を絞り出していく。雪の正体がバレてしまったのは自分のせいだと、彼女が花に怒られないようにと必死だ。

 

「ううん、責めているわけじゃないの。雪がそうしなければならないと思ったのなら……きっとそれが正しいことだから。心配しないで……ねっ?」

「お母さん……」

 

 だが花は草平に心配はいらないと笑顔を向け、雪にも落ち着くように言い聞かせる。自身の子供のことをよほど信頼しているのだろう。

 

「……分かりました。この子のこと、全てお話しします……」

 

 その上で、花は鬼太郎や目玉おやじと向き合っていく。雪の正体を知られてしまったようだが、どうやら相手の方もただの人間ではないようだ。

 

 ならば話しても大丈夫かもしれないと、鬼太郎たちのことを信用して口を開き掛ける。

 

 

「ただ少し込み入った話になると思いますので……ここではちょっと……」

 

 

 ただ病院で話すのは不味いと、とりあえず場所を移すことを提案していく。

 

 

 

 

 

「——既にお察しの通りだと思いますが……雪は普通の人間ではありません」

「——っ!!」

 

 車の運転中、雪の事情について花が徐に口を開く。

 

 現在、一行は自動車で花や雪の家へと向かっていた。運転席には花が。隣の助手席には雪が。後部座席にはゲゲゲの鬼太郎と目玉おやじが座っている。

 

 ちなみに、車内に草平の姿がないのは彼だけ先に学校の寮に送り届けてきたからだ。彼も雪がおおかみであることを知る数少ない人間だが、詳細を全て把握しているわけではない。

 雪も、まだ草平に全てを知られる心の準備が出来ていないということで、今回は遠慮してもらった。その雪自身も、草平と一緒に学生寮に戻ってもよかったのだが、これは自分のことだと母親と鬼太郎の話に同席すると言って聞かないでいる。

 

 こうして、ゆっくり腰を据えて話が出来る場所として自宅へと向かっているわけだが、簡単な経緯だけでもと花は言葉を紡ぎ始めていく。

 

「私はただの人間ですけど……この子の父親……彼がおおかみだったんです」

 

 花の話によれば、花自身は普通の人間だが、彼女の夫である男性がおおかみ——即ち妖怪に類するものだったらしい。

 らしいと言うのは、詳しいことは花にもよく分からないからだという。しかし、花は彼がおおかみであることを知って尚、彼と一緒になると決心したのだ。

 

 誰かを好きになるということに理屈も理由も、種族の垣根すらも意味はないと言うことだろう。

 

「……そのお相手の男性は……今はどこに……?」

 

 そういった男女の恋愛に関し、未だにはっきりと分からないでいる鬼太郎。とりあえず、その相手の男性が今どこにいるかを尋ねた。

 話の流れからして当然と言えば当然の質問だろうが、その問いに花は僅かに表情を曇らせていく。

 

「ずっと昔に事故で……彼が亡くなってからは……私が一人でこの子たちを育ててきました」

「それは……すみません……」

「いえ、大丈夫ですよ」

 

 既に亡くなっているという事実に、デリカシーのない質問をしてしまった鬼太郎が頭を下げた。だが花は気にしないでいいと、笑みを浮かべてくれる。

 

「…………この子たち、ということは他にも兄弟がおるのかな?」

 

 ふと、目玉おやじは花の言葉から、雪以外にもおおかみこどもがいることを推察する。雪一人であれば、『この子たち』などという表現は使わないだろう。

 

「ええ……雨という男の子が一人。色々あって……家を出ていってしまいましたが……」

「…………」

 

 雨——というのがその男の子の名前らしい。

 家を出ていってしまったというその子のことを語る花の表情は、死んだ夫のことを語るとき以上に少し暗めだ。助手席に座る雪の表情も明らかに強張っている。

 

「…………」

 

 先ほどの失言もあってか、鬼太郎はその息子さんについてあまり込み入った事情を聞けないでいる。

 花の方から、その息子さんに付いて話してくれるのを待つしかなかった。

 

 

 

 

 

「さっ、着きましたよ。ここが私たちの家です」

 

 そうして話している間にも、一行は花たちの実家へと辿り着く。そこは市内からかなり離れた田舎の方の、さらに山の近くにポツンと建てられた一軒家であった。

 

「大きいですね……」

 

 第一印象、鬼太郎はその家の大きさに思わずそのまんまの感想を溢していた。

 それは家というより、屋敷と呼んでいいほどに大きな古民家であった。一家族どころか、三世帯くらいの大家族が住めそうな広さだ。

 建物自体もかなり古く所々に痛みこそあるが、きちんとリフォームがされているため住む分には何ら支障はなさそうだ。

 庭や離れにある畑も綺麗に整えられており、十分に自給自足の生活を成り立たせることが出来ている様子である。

 

 そんな立派で大きな家に、今は花が一人で暮らしているというから鬼太郎も驚きである。

 

「とりあえず中に上がってください。話の続きはそれから……?」

 

 そんな、自慢の我が家に花は鬼太郎を招き入れようとする。だがふと、その足が庭先で止まった。

 

「お母さん……!?」

「どうかしましたか……っ!?」

 

 花のリアクションに雪が首を傾げ、鬼太郎が訝しがるも——すぐにその理由を理解する。

 

 

「————」

 

 

 何かいる。

 既に完全に日が沈んでいて周囲は真っ暗。灯りも付いていなかったためによく見えないが、家の庭先に何者かの気配があったのだ。

 

「……野生動物? いや、でも……」

 

 この辺りは山が近いこともあり、猿やら猪やら、熊などがいつ出没してもおかしくはない。

 しかし、この家はおおかみこどもたちの匂いが今も染み付いているため、野生動物たちは全く近寄ろうとしない筈と。それを分かっているからこそ花は困惑していた。

 

 いったい何者が、その暗闇の向こうで息を潜めているのだろうと。恐る恐る、警戒しながらその気配の元まで近づいていく一同。

 すると暗闇の中から——瀕死の体で一匹の獣が顔を出した。

 

「——はぁはぁ……」

 

 瀕死の状態で息を切らしているそれは、一匹の手負いの『ニホンオオカミ』であった。火傷や擦り傷など、その全身に見るからに痛々しい怪我を負っている。

 そんなおおかみの傷だらけの姿を目にした瞬間、『その子』の名前を叫びながら花が弾かれたように飛び出していた。

 

「——雨!?」

「——あ、あめ……!?」

 

 母親より一歩遅れながらも、雪もそのおおかみへと駆け寄っていく。

 二人が駆け寄りその身体に寄り添うや、おおかみは張り詰めていた気が抜けるように、ぐったりと気を失ってしまう。

 

「い、急いで手当を……雪、手伝って!!」

「う、うん!!」

 

 かなりの重傷、その子の容体に慌てながらも、すぐに手当を施そうと花は雪に声を掛ける。雪は動揺しながらも、おおかみの手当てに全力を尽くすべく、家の中を慌ただしく駆け回っていく。

 

 

 

「もしかして……」

「花さん……その子が雨くんですかな?」

 

 そんな二人の必死な姿に、鬼太郎や目玉おやじが手伝おうとする意志を見せながらも問いを投げ掛けていた。

 

「ええ……この子が雨です」

 

 鬼太郎たちの疑問におおかみの身体を抱き抱えながら、花はあるがままの事実を伝えていく。

 

 

「——人間として生きる道を選んだ雪とは逆に……おおかみとして山で生きることを選んだ……私の息子です」

 

 

 




人物紹介

 花
  原作の主人公。おおかみこどもたちの母親。
  ものすごくバイタリティーに溢れた女性。
  夫である彼を亡くした後も、たった一人で子供たちを育て続けた。
  
 彼
  花の夫である『狼男』の男性。名前は公式でも明かされていません。
  鬼太郎世界ではとりあえず妖怪、あるいは半妖として描写していきます。
  彼の突然過ぎる死……それでも、めげずに子供たちを育てる花が本当に強い。

 雪
  花と彼との間に生まれた、おおかみこどもの長女。
  元々は野生児のような性格でしたが、途中から大人しめの性格へとクラスチェンジ。
 『人間』として生きていくことを決め、この作中では現在は中学二年生とさせていただきました。
  
 雨
  前半にも登場したニホンオオカミ。おおかみこどもの長男で雪の弟。
  元々は大人しめの性格でしたが、山で狐の先生から様々なことを学び野生に目覚めていく。
 『おおかみ』として生きていくことを決め、山で先生の後を継ぐべく奮闘中。

 藤井草平
  雪と同学年の男の子。
  いきなり初対面の女の子に獣臭いとか言っちゃう割と失礼な子だが、雪の正体を知ってしまいながらも、それを黙っていられる気遣いを見せられる。
  彼の母親は……昔はヒステリックになるほど心配しておきながら、今では新しい男と……その男との間に生まれた子供に夢中と……もうなんか色々とダメだ。

 信乃
  雪の小学校に入学してからの親友。
  中学校も同じらしく、今も仲良しであることが手紙の内容からも伺える。


 前書きにも記したように、次回で完結予定。
 次回からは……鬼太郎の世界観を『夏』に移行させていきたいと思っています。
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

おおかみこどもの雨と雪 其の③

『FFVIIエバークライシス』が無事に配信されましたね。
まだ始まったばかりで具体的なことは何とも言えませんが、スタートダッシュはいい感じだったのではないでしょうか? 毎日のログインを欠かさずに、それとなく楽しんでいきたいと思います。

『FFⅦリバース』も発売日が決まったみたいですし。
そろそろPS5を手に入れるために動くべきでしょうか……。

だいぶ時間が掛かってしまいましたが、『おおかみこどもの雨と雪』今話で完結であります。
前回の其の②を投稿してからの感想が少なく、なんかちょっと不安になってしまいますが……とりあえず、書きたいことはちゃんと書けたかと。

ゲスト妖怪である雷獣も、今作における主役の一人ですので。彼の結末なども、しっかりと見届けてもらえればと……。


「——う……ここは…………はっ!?」

 

 ニホンオオカミの血を受け継いだ少年・おおかみこどもの雨は、目覚めると同時に身体を起こそうとする。

 自分がいつどこで気を失っていたのか記憶が曖昧だが、気絶している間に外敵にでも囲まれたら命が危ういと。野生で生きる獣としての防衛本能から、すぐに周囲の状況を把握しようとした。

 

「——大丈夫よ、雨。そんなに警戒しなくても……」

「——!!」

 

 だが、そんな雨に心配しないでと優しく声を掛けるものがいる。雨が目覚めるまで、ずっと傍に寄り添って看病をしていた彼の母親——花である。

 

「母さん……」

「久しぶりね、雨……」

 

 母親との久方ぶりの再会に、雨はおおかみの姿のまま彼女と対峙する。

 

 おおかみと人間の血を引く雨は、その気になれば姉である雪のように人間の姿になることも出来る筈だ。しかし、野生の世界でおおかみとして生きる決意を固めているためか、その姿をずっとおおかみのまま維持している。

 

「どうして、母さんがボクを? ここは……?」

 

 一応、おおかみのままでも人間の言葉を話すことが出来るようだ。雨はどうして花が自分の側にいてくれているのか疑問を口にし、ふと周囲に目を向けた。

 

「ここは……」

「ええ……家の中よ。あなたがずっと暮らしてきた……あの家の中……」

 

 雨が目を覚ましたのは、雨が家族と一緒に何年と過ごしてきた実家——山の近くにポツンと立つあの一軒家であった。

 そこの大広間に敷かれた布団の上に寝かされ、雨は手当てを受けていたのだ。

 

「覚えてない? 家の庭先であなたは倒れたのよ」

「そうか。ボクは……戻って来てしまっていたのか……」

 

 花は雨が自らの意思でこの家までやって来て、そのまま庭で倒れてしまったことを話す。その話に雨は少し驚きながらも、どこか納得したように頷く。

 

 雨がおおかみとして生きると決意した日からおよそ二年ほど。偶にこの家を視界に入れることはあっても、母親に会おうとはしなかった。

 だが、どうしようもない怪我——雷獣との戦いで負った傷だらけの身体を休めようと、知らず知らずのうちにこの家まで来てしまったらしい。

 

 帰巣本能というやつだ。この家を『安心して休める場所』と認識しているからこその行動だろう。

 未だに母親との、家族との繋がりが自分の中にあるということだ。それが嬉しく思うべきか、野生で生きるものとしてその甘えを恥じるべきか。

 雨の心境としては、かなり複雑なものである。

 

「雨……目、覚ましたんだ……」

「雪……」

 

 さらに、自分が起きたところに雪までもが顔を出す。

 母親と違って碌に別れの挨拶すら交わさなかった実の姉を前に、雨も雪も何を言えばいいのかと互いに気まずそうだ。

 

「——花さん、息子さんの様子は……」

「——おおっ! 無事に目を覚ましたようじゃな!!」

 

 だが瞬間、家族以外の人物が姿を現したところで雨の中の警戒心が一気に跳ね上がる。

 

「グルゥウウウ……!」

 

 無知らぬ人物を相手に、雨は敵意をむき出しに唸り声を上げる。

 

「大丈夫よ、雨!! この人たちは敵じゃない……あなたの敵じゃないの!」

 

 そうやって殺気立つ雨に寄り添いながら、彼を必死に宥める花。彼らは敵ではないと——ゲゲゲの鬼太郎たちに害意はないことを伝えていく。

 

「グウゥ……」

 

 それでも、雨は中々警戒心を解かない。おおかみとは元来、臆病な生き物ともいう。初対面の相手を無警戒に信じろという方が無茶な注文だろう。

 すると警戒心が剝き出しな雨に、目玉おやじがそれとなく話を振る。

 

「雨くん。キミはこの辺り一帯の山を取り仕切っていた狐の妖怪……野狐の弟子と聞いたが、それは確かかな?」

「!! 先生のことを……知っているのか!?」

 

 目玉おやじの口から出たその名前に、雨が驚きのあまり僅かに敵意を引っ込めた。

 

 野狐——おおかみである雨に、野生動物としての心得を教えてくれた先生である。

 一見すると普通の狐のようにも見えるが、一応は妖怪だという。しかしその野狐も、雷獣との戦いでその肉体が滅び、今は魂だけの存在となってこの現世を漂っている筈だ。

 

「山に住む妖怪たちが、わしらに助けを求めて来たんじゃよ。あの雷獣をなんとかして欲しいとのう……」

「そうか……彼らが……」

 

 どうやら、鬼太郎と目玉おやじは野狐を慕っていた山の妖怪たちから救援を受け、わざわざこの地へ駆け付けてきてくれたようだ。

 その経緯を聞いたことで、雨の鬼太郎たちに対する警戒心が徐々にだが解けていく。

 

「そうだ……雷獣! 奴を……止めないと!」

 

 しかし、そこで雷獣の存在を思い出し、雨は傷だけの身体を無理にでも動かそうとする。

 

「雨!? 駄目よ、まだ動いちゃ!!」

「雨!? アンタ、何をやって……!」

 

 無謀にも立ち上がろうとする雨を、花や雪が制止しようとした。

 一通りの手当ては終わっているが、傷が治癒したわけではないのだ。まだ安静にしていなければならない容体、家族として雨の身を気遣うのは当然のことだろう。

 

「雷獣は……ボクが止める!! 母さんは雪を連れて避難しててくれ!!」

 

 だが家族の心配をよそに、雨は雷獣の元へ向かおうとよろよろと瀕死の身体を引きずり歩き出す。万が一に備え、家族である花たちにはここから避難してくれとまで告げてくる。

 

「よすんじゃ、雨くん!! 今のキミに……雷獣を止めることなど出来んぞ!」

「ああ……ここはボクたちに任せてくれないか?」

 

 そんな雨を見るに見かね、目玉おやじや鬼太郎が彼を止めようと声を掛ける。

 それは雨の怪我を気遣ってのことだが、それ以前に実力的な意味でも『雨では雷獣には敵わない』だろうという判断があった。

 

 鬼太郎も一度戦ってみたからこそ分かるが、雷獣は妖怪の中でも相当に凶暴で強力だ。

 特にその身体を常に帯電している、あの電気が厄介だ。並の妖怪ではまともに近づくことも出来ず、あの電撃にやられてしまうだろう。

 見たところ、雨の怪我も雷獣の電撃によるもの。このまま再び挑んでも、先の戦いの二の舞にしかならない。

 

「それでも……行かなくちゃ!! ここでボクが逃げたら……誰もボクを認めなくなる!!」

「!!」

 

 しかし、雨には引けない——引くわけにはいかない明確な理由があった。

 

 雨はこの辺り一帯の山々の秩序を保っていた妖怪・野狐の直弟子であり、彼から後継者と名指しされた存在だ。しかし、野狐が後継に選んだからといって、他の妖怪や動物たちが無条件で雨を認めるわけではない。

 それは山の妖怪たちが雨ではなく、わざわざ遠方にいるゲゲゲの鬼太郎に助けを求めたところからも分かるだろう。

 

 野狐が倒されてまだ時間が経っていないというのもあるが、未だに雨は山の住人たちから『野狐の後継者』だと認識されていないのだ。

 

「先生に託されたものを守るためにも……ボクがやらないといけないんだ……!」

 

 だからこそ、尚更逃げるわけにはいかない。

 山に住まうものたち全てに、自分の存在を認めさせるためにも——雷獣との戦いで、次代の山の主としての威を示さなければならないのだと。

 

「っ……!」

 

 次の瞬間にも、覚悟を決めた顔つきで雨は駆け出していく。

 

 

 

「雨!? 待って! 行かないで!!」

 

 花の制止も虚しく、雨は傷だらけの身体に鞭を打って走り出した。家を飛び出し、負傷しているとは思えないほどの速度で、あっという間にその姿が夜の山中へと消えてしまう。

 その後をすぐにでも追いかけたい花だったが、人間の花に夜の山は危険すぎる。

 

「お母さん、私が行く!! 私が雨を……連れ戻してくる!!」

 

 するとそんな雨の後を追うべく、雪がその姿をおおかみへと変える。

 人間として生きると誓った雪ではあったが、今は緊急時だ。無茶をする弟を止めようと、彼女までもが山の中へと走り出してしまう。

 

「雪!? 待って……二人とも待ちなさいっ!!」

「いかん! 落ち着くんじゃ、花さん!!」

 

 我が子が山中へと消えていく光景を前に、いても立ってもいられなくなったのか。花は自身の危険も顧みずに二人を追いかけようとする。

 しかし、それは危ないと目玉おやじが止めに入る。少なくとも、人間である花を一人で夜の山に入れるわけには行かない。

 

 

「——お~い! 鬼太郎しゃん!!」

 

 

 と、ここで夜の闇を切り裂くよう、白い布切れが山の上からヒラヒラと飛来してきた。

 

「一反木綿! 雷獣の住処が分かったのか?」

 

 その布切れ——もとい、一反木綿に鬼太郎が声を掛ける。

 

 今回の件、一反木綿は鬼太郎と共にこの地へとやって来ていた。そして先の遭遇戦のすぐ後、鬼太郎は一反木綿に雷獣の後を追うように頼んでいたのだ。

 雷獣と戦うにせよ、話し合うにせよ。まずは相手の居所を突き止めなければならなかった。

 

「ばっちしばい!! 雷獣のやつ、山の頂上に陣取ってそこを寝床にしとるね! あそこなら周囲の被害は考えなくてもよかとよ~!」

 

 そうして、一反木綿が突き止めた雷獣の寝床は——山の頂上。

 周囲には生き物どころか、木々すらもほとんど生えていない荒れ果てた場所とのことだ。

 

 

 そこは、本来であれば『雷岩』が鎮座している場所であった。朱の盆によって破壊された雷岩は粉々に砕け散ってしまってもうないが、それでも雷獣はそこを寝床として選んだ。

 封印から解かれた今でも、そこを安息の地と認識しているのか。腹を満たす度にその地へと戻り、空腹が訪れるまではそこで眠り続けている。

 

 

「分かった……父さん!」

「うむ……」

 

 雷獣の居場所が判明したところで、鬼太郎と目玉おやじが互いに頷き合う。

 果たして、ここからどう動くべきかと。

 

「…………」

 

 雨や雪——そして二人の母親である花のことを考え、慎重に思案を巡らせていく。

 

 

 

×

 

 

 

「雨!! 待ちなさいって……!!」

「ついて来るな、雪!! 母さんのところに戻ってるんだ!!」

 

 月明かりくらいしか頼るもののない森の中においても、二人のおおかみこどもは互いの位置を把握していた。

 山中を疾走する雨の後をピッタリと追いかける雪。本来であれば常に野生の中で生き続けた雨に、人間社会で暮らしてきた雪が追い縋るなど、経験的にも体力的にも困難なことだったろう。

 

 だが、今の雨は雷獣に負わされた怪我で満身創痍だ。寧ろ、そんな状態で動ける雨の精神力を称えるべきか。それでも限界はあり、雨はいつまでも雪を引き離せないでいる。

 

「これはボクがやらないといけないことなんだ!! 雪には……関係ないことだから……」

 

 その状況に業を煮やしたのか。雨は足を止め、面と向かって雪に帰るようにと伝える。

 これはこの山の新たな主となる、雨が一人でやらなければならない『通過儀礼』のようなものだ。人間社会で生きていける雪には関わり合いのないことだと、雨は実の姉を追い返そうとする。

 

「アンタね……!! そうやって……何でもかんでもすぐに一人で抱え込んで!!」

 

 しかし、そんな雨の言い分に雪は感情を爆発させた。

 

「あのときもそう!! 私に挨拶もなしに勝手にいなくなって……私がどんな気持ちだったか、アンタに分かるの!?」

「ゆ、雪……? こんなときに何を……!?」

 

 雪の怒りように雨は目を丸くしていたが、それは彼女がずっと弟に対して溜め込んできた不満である。

 

 雨はとある嵐の日、山の様子を見に行き——そのまま二度と『人間』に戻ることなく、『おおかみ』として生きることを選んだ。

 母親とは別れの挨拶を済ませたようで、花は息子の独り立ちにどこか清々しい顔をしていた。だが雪はその日は学校にいたため、雨と碌に言葉を交わすことなく、生き方を分つこととなってしまったのだ。

 

 雪は人間として、雨はおおかみとして。

 

「おおかみとして生きる……それはアンタが決めたことよ! 私だって文句はないわ!」

 

 雪は、雨がおおかみとしての生を選んだことに怒っているわけではない。雨が自分の意思でその道を決めたのなら、雪にその生き方を咎める資格はない。

 

「アンタがどうしても行かなきゃならないっていうなら……私ももう止めない」

 

 きっとおおかみでいるためにも、雨にとって雷獣と戦うことは、譲ることの出来ないことなのだ。

 妖怪や動物たちに自身の威を示さなければ立つ背がない。ここで逃げたら後を託してくれた先生とやらに顔向けできない。

 そういった様々な責任感やしがらみを、今の雨は背負っているのだろう。

 

「けど、そんな状態のアンタを……一人っきりに出来るわけないじゃない!!」

 

 だが今の雨は万全な状態ではない。それでいて相手は自分たちよりも大きく、強い生き物だ。あんな怪物を相手に雨が一人で立ち向かうなど無謀もいいところである。

 

「私も行くわ! あの雷獣とかいう怪物に困ってんのは……アンタたちだけじゃないんだから!」

 

 それに、あの雷獣には妖怪や動物たちだけではなく、人間社会も被害を受けているのだ。

 あれを放置して置けないと考えるのは雪も一緒である。ならば一人ではなく二人で。元より、おおかみとは群れで狩りをする生き物なのだから。

 

「……分かってるのか? 本当に危険なんだぞ……?」

 

 雨は雪の真剣な表情を見て、彼女に引く気がないことを悟る。

 伊達に十年もの間、共に暮らして来ただけのことはある。互いの気持ちや思いを察せられるのは、やはり姉弟と言ったところか。

 

「馬鹿にしないでよね! これでも、子供の頃はアンタよりずっとおおかみらしく生きてきたんだから!!」

 

 雨の覚悟を問う言葉に対し、雪は不敵な笑みを浮かべる。

 今ではすっかり人間の女の子をやっている雪だが、幼少期の頃はずっとおおかみとして野を駆け回っていた彼女だ。

 たとえ成長しようと、おおかみとしての在り方、感覚まで忘れたわけではない。

 

「…………分かったよ。行こう、一緒に……」

 

 雪の力強い言葉に説得は無理だと判断したのだろう。雨は雪の同行を認め、共に夜の山中を駆け抜ける。

 山の頂上に潜んでいるであろう、雷獣の元まで二人揃って走り出していく。

 

 

 

 

 

『…………』

 

 雷岩のあった跡地で、妖怪・雷獣は静かに眠りに付いていた。

 

 電気をたらふく食い溜めたことで平静を得ることが出来た彼は、今だけは空腹に悩まされることなく穏やかな眠りの中にいられる。

 眠っている間もその身体は帯電し続けており、そんな雷獣の存在に怯え、山に住まう他の妖怪や動物たちは誰も近寄って来ない。

 

 誰にも安眠を邪魔されることなく——雷獣は夢を見ていた。

 

 

 

『——雷獣、お前は孤独だ』

 

 それは昔、この地であった実際の出来事——彼自身の記憶であった。

 夢の中、雷獣に語り掛けていたのは一人のお坊さん。雷獣を雷岩に封じ込めた徳の高い僧であった。

 

 どうしてかは分からないが、雷獣は夢の中で僧の言葉を思い返している。

 

『——お前はそこにいるだけで周囲に危害を及ぼす怪物だ。人間も妖怪も、お前を化け物として排除するしかないだろう』

『——グウゥウウ……』

 

 突き放すような僧の言葉に、夢の中の雷獣は反感を抱くように唸り声を上げるが、既に抵抗するだけの気力はない。

 封印される直前の雷獣に対し、尚も僧侶は言葉を投げ掛けていく。

 

『——眠れ、雷獣よ。この雷岩で眠り続けることだけが、お前にとって唯一の救いだ』

 

 僧の冷酷な響きを多分に含んだ言葉だが、そこには孤独に生きるしかない怪物に対する憐れみのような感情も含まれていた。

 

 

 

『…………』

 

 実際、その僧の言う通りだったと。夢から覚めた雷獣は周囲を見渡す。

 

 雷獣の電撃は元から荒地だった周囲一帯を、さらに不毛な土地へと変えてしまう。草木が一本もない風景。そんな地にまともに生物など寄り付く筈もなく。

 おかげで誰にも安眠を邪魔されることはないが、それと同時に誰からも雷獣は必要とされない。

  

 今この瞬間——雷獣は確かに誰よりも『孤独』を感じていた。

 

『……ん?』

 

 ところが、そんな雷獣の孤独な世界に無粋な乱入者が姿を現す。

 

「——雷獣!!」

『…………なんだ、またキミか……』

 

 雷獣に向かって吠え猛る一匹のニホンオオカミ——雨だ。

 人も妖も。誰も彼もが雷獣を前に逃げ出す中、雨だけは何度も何度も逃げずに雷獣へと立ち向かっている。

 

 そんな雨の敵意を、雷獣はうざったく感じてはいたが——少なくとも、何度も懲りずに立ち向かってくる相手に雷獣の中の『孤独感』が拭い去られていく。

 たとえ敵意だろうと、他者と関われることが今の雷獣には新鮮なものに感じられた。

 

「雨!! 一人で突っ走るなって言ったばかりでしょう!?」

『…………誰だ、キミは?』

 

 だが今回は雨だけではない。彼の隣には同じニホンオオカミである——雪の存在があった。

 雷獣は初めて認識するもう一匹のおおかみと、雨が二人で並んでいる光景を前に——苛立ったようにため息を溢す。

 

『ふぅ……そうか、キミにも仲間がいたんだね……ボクと違って……!』

 

 雷獣は雨というおおかみに、同種族の仲間がいることに少なからずショックを受けているようだった。

 

 ずっと一匹だけで立ち向かってくる雨に対し、もしかしたら自分と同じような孤独を抱えているのではと、どこか期待のようなものを抱いていたのかもしれない。

 しかし雨にも仲間が、家族がいた。やはり孤独なのは自分だけかと、改めて自身が『独りぼっちの生物』であることを思い知らされる。

 

 

『全く羨ましい……妬ましいよ!!』

 

 

 その気持ちが嫉妬、憤怒となり雷獣の身体から放たれる電撃がより激しさを増していく。

 

 

 理不尽だが、雷獣は二匹のニホンオオカミへと自らの孤独を怒りへと変えてぶつけていく。

 

 

 

×

 

 

 

「!! 避けろ、雪っ!!」

「……っ!?」

 

 雷獣との戦いにおいて、雨や雪に出来ることは——『ただひたすら攻撃を回避する』ことしかない。

 

 ニホンオオカミの血を引く二人は、幼少期の頃から他の動物に負けないほどの潜在能力を秘めていた。彼らがその気になれば猿や猪、あるいは熊といった猛獣すらも簡単に追い払うことが出来ただろう。

 ただ母親の花から——『動物たち相手に偉そうにしないで』とお願いされていたため、二人がむやみやたらと山の動物たち相手に喧嘩をふっかけるようなことはなかったが。

 

 しかし、今目の前にいる相手は動物ではなく妖怪。それもかなり強力な個体——雷獣だ。

 

 その図体だけでも熊を越え、さらにはその身体を纏う電撃がいかなるものの接近をも拒む。

 雨や雪が爪や牙をどれだけ研ぎ澄ませようと、それらを雷獣の身に突き立てることすらままならないのが現実だ。

 

 もっとも、それは雷獣に挑むと決めたときから分かっていたことである。

 故に今はチャンスを窺うしかないと。電撃を避けることに専念し、二人はなんとか反撃の機会を試みていた。

 

『——クァアアアア!!』

 

 しかし今宵の雷獣は、雨や雪を怒りのまま『外敵』として排除するためか。それまでの受け身な対応とは異なり、その能力をフルに活用して攻勢に出てくる。

 けたたましい唸り声と共に落雷が豪雨のように降り注ぎ、それを避けるために雨と雪が必死の形相で走り続ける。

 

「くっ……これは!? これが……雷獣の本気!?」

 

 これまで何度も雷獣と対峙してきた雨にとっても初めての猛攻。足を止めればその瞬間にも雷の直撃を受けてしまうと、なんとか紙一重で電撃を躱し続ける。

 

『——遅い……遅いよ!!』

 

 だがそんな雨と雪の必死さを嘲笑うように、次の瞬間——雷獣は稲妻の如き速度で体当たりを仕掛けてくる。

 まさに電光石火。おおかみたちの俊敏さを持ってしても、その一撃を完全に回避し切ることは困難だ。

 

「ぐわっ!?」

「きゃっ!? この……っ!」

 

 雨と雪に出来たのは、なんとか身体を捻って直撃を免れることだった。だが直撃を避けても衝撃の余波が、二人のおおかみこどもを容赦なく吹き飛ばしていく。

 弾かれた二人の身体が地面に激しく打ち付けられる。それでも、雪はすぐにでも起き上がり態勢を整えることが出来ていたが。

 

「うぅ……くっ……」

「雨っ!? しっかり……早く立ち上がって!!」

 

 元より負傷していた雨の肉体がそこで悲鳴を上げる。既に彼の身体は限界寸前だったようで、咄嗟に身体を起こすことが出来ないでいる。

 

『グゥウウ……ガァッ!!』

 

 そうして、倒れた雨に向かって雷獣がトドメを刺そうとにじり寄ってくる。このままでは雨がと、雪は肝を冷やす——。

 

 

「——こっちだ雷獣!!」

 

 

 そのときだ。暗闇の中に雷鳴が迸る。

 

 

『——ッ!?』

「……!?」

 

 通常の落雷ではあり得ない——『地面から上空に向かって雷が立ち昇る』という光景に皆の視線がそちらへと集中する。

 視線の先——そこに一人の少年、ゲゲゲの鬼太郎が立っていた。

 

「——体内電気」

 

 鬼太郎は全身から電撃——『体内電気』を放出していた。

 それで電気を糧とする雷獣を『釣ろう』という狙いだろう、鬼太郎はさらに激しく身体中から電撃を絞り出していく。

 

『——……!! ああ、アアアアアア!!』

 

 目論見通り、雷獣は二人のおおかみこどもからその意識を鬼太郎へと切り替えていく。

 電気という貴重な食糧を前に、満ち足りていた満腹感が徐々に空腹感へと転じてしまったのだろうか。飢えた獣の如き勢いで、脇目も降らずに鬼太郎へと襲い掛かる。

 

「よし! いいぞ、鬼太郎! そのまま奴を引きつけるんじゃ!!」

「はい、父さん!! 霊毛ちゃんちゃんこ!!」

 

 その作戦を閃いた目玉おやじが狙い通りだと、鬼太郎に雷獣の動きを誘導するように指示していく。

 鬼太郎も狙い通り雷獣を引き付けられたことで、とりあえず一旦体内電気を解除。霊毛ちゃんちゃんこを腕に巻き、雷獣から放たれる電撃を弾き殴りながら戦闘を続けていく。

 

 

 

「——雨!! 雪!!」

「——お、お母さん!? どうして、こんなところにまで……」

 

 その間、負傷した雨や雪に二人の母親——花が駆け寄っていく。雪はどうして彼女がこんな危険なところまで来たのかと驚いたように目を剥いた。

 

「どうしたもこうしたもあるかいな!! お前さんらを心配して……ここまで来たに決まっとうとね!!」

 

 すると、驚く雪に何故か一反木綿が怒ったように答える。

 

「こんな美人なママさんをこないに心配させて……反省せないかんばいよ!!」

 

 鬼太郎と一緒に花をここまで送り届けて来たのは彼だ。綺麗な女性である花に鼻の下を伸ばしながらも、子どもたちの無謀を母親の代わりに叱っていく。

 

 それは一反木綿が——『花がここに来るため、どれだけ必死に鬼太郎に頼み込んだか』を知ればこその説教である。

 花は雷獣の元に自分たちだけで行こうとしていた鬼太郎たちに、もの凄い形相で迫り願い出てたのだ。

 

『——私も連れて行ってください!! お願いします!!』

 

 勿論、鬼太郎たちも危険だからと花の同行を断ったのだが、それでも彼女は引き下がらなかった。

 母親として、子供たちだけに危険を押し付けるわけにはいかないと。

 

 最終的には、そんな親としての覚悟に目玉おやじが同意したため、花はここまで来ることが出来た。

 すぐそこで雷獣が暴れ狂っている状況は、ただの人間である花にとって恐怖以外のなにものでもないだろう。

 

「大丈夫よ、雨……」

 

 だがそんな雷獣への怯えなどおくびにも出さず、花は倒れている雨に寄り添っていく。持参して来た救急箱を取り出し、彼の傷ついた身体を慎重に手当てしていく。

 

「大丈夫……大丈夫だからね……」

「あっ……」

 

 その際、花は雨の背中を優しく撫でた。

 その手触りに、呟かれるその言葉に雨の脳裏に幼少期の想い出が蘇る。

 

 

『だいじょぶして……』

『だいじょうぶ、だいじょうぶ……』

 

 

 それは雨がまだ幼児だった頃、よく母親に言ってもらっていた『おまじない』の言葉である。

 臆病で甘えん坊だった雨は、不安になるたびに母親から『大丈夫』と言ってもらい、背中を撫でてもらわないとすぐに泣き出してしまう、泣き虫な男の子だった。

 

 独り立ちしたことで、もう母親に甘えることなど二度とないと思っていたが——不覚にもこの瞬間、雨は母の温もりからあの頃のような安らぎを感じてしまっている。

 

「…………」

 

 どれだけ成長しようとも、おおかみとして生きようと。やはり花は母親で、自分は彼女の子供なのだと雨はじんわりと実感する。

 

「……ありがとう、母さん。おかげで……元気が出て来たよ」

 

 しかし、そんな母親の優しさに甘えることなく、雨は立ち上がった。

 もう昔のようにはいかない。雨はこの山の主として、威厳ある姿を妖怪や動物たちに見せつけなければならないのだから。

 

「雨……」

 

 怪我を押して立ち上がる息子を不安げに見つめる花だったが、その立ち姿から彼の決意が伝わって来たのか。

 

 

「お願い。必ず……無事に帰ってきて!!」

 

 

 決して多くは望まず。

 ただただ子供たちの無事を祈るばかりであった。

 

 

 

 

 

「指鉄砲っ!!」

『ガアアアアアアアアアアアア!!』

 

 雨たちが態勢を整えている間にも、鬼太郎と雷獣の戦いは続いていく。

 

 鬼太郎は雷獣の電撃を避けたり、防いだり、適度に攻撃を加えることで注意を引き付けていく。その巧みな手腕に意識を割かれ、雷獣も絶えず鬼太郎を狙い続ける。

 だが流石の鬼太郎も凶暴な雷獣を相手になかなか決定打を与えることが出来ず、雷獣も百戦錬磨の鬼太郎にかなり苦戦を強いられている。

 

 互いに決め手にかける状態のまま戦いが続いていたが——ここで事態が急変する。

 

『ぐっ!! グガ……ガ、ガガッ……!?』

 

 唐突に、雷獣が苦しそうな呻き声を上げ始める。

 

 それは雷獣の力の源である——『電気』が枯渇し始めてきた兆候だ。雷獣の身体はなにもしなくとも電気を垂れ流し続けるが、戦いで力を消費すればするほど、さらに多くの電気を消耗し続ける。

 鬼太郎との激しい戦いの影響だろう。かつてない勢いで電力を消費してしまい、空腹と飢えから苦しみに悶え始める。

 

『グガ……ガアアアア!!』

 

 普段であれば、ここから電気を求めて人里に向かって山を降りていたところだ。

 

「よし……今じゃ、鬼太郎!!」

「はい!! もう一度、体内電気で!!」

 

 だが雷獣を逃がすまいと、ここで再び鬼太郎が体内電気を最大出力で放っていく。鬼太郎の全身から迸る稲妻に、ほとんど理性を失いかけている雷獣の意識が集中する。

 

『ああ……アアアアアア!!』

 

 もはやそれが『誘い』であると考えるだけの余裕もなく、雷獣は本能のままに鬼太郎へと飛び掛かった。

 

「くっ……よし!」

 

 飛び掛かってくる雷獣を——鬼太郎は正面から迎え討つ。

 牙や爪を身体に突き立たせないよう、器用に身体をズラしながらもわざと相手に組み付かせ、雷獣との密着状態を作り出した。

 

『グガアアアア!!』

 

 その状態から雷獣は大口を開ける。このまま一気に鬼太郎の体内から電気を吸い上げようという試みだろう。

 だが——電気を吸い上げて自らの力に出来るのは、何も雷獣だけの専売特許ではない。

 

「——勝負だ、雷獣!!」

『——っ!?』

 

 そう言い放つや、鬼太郎も雷獣の体内から電気を搾り取ろうと力を振り絞り始めた。

 

 そう、『雷獣が鬼太郎から電気を吸い上げる』ことが出来るよう、『鬼太郎の方からも雷獣の電気を吸い上げる』ことが出来るのだ。

 お互いがお互いの身体から電気を吸い上げようとする。

 

 

「ぐぐ……!」

『グガアアアア!!』

 

 

 互いの妖力、精神力のぶつかり合い。

 その拮抗状態は暫くの間、火花を散らしたが——それも長くは続かなかった。

 

 

『!? ガ……ガアアアアアアアアアア!?』

 

 

 雷獣が悲鳴を上げる。

 雨や雪、そして鬼太郎との戦闘で体力や気力といったものまで消費し過ぎてしまったのだろう。肝心なところで力を振り絞ることが出来ず——主導権を一気に鬼太郎に奪われてしまう。

 

 

「はあああああ!!」

『グアアアアアアアアアアアア……あ、ああ………』

 

 

 一度でも拮抗が崩れれば、その勢いを止めることは出来ず。

 

 雷獣は鬼太郎によって、その体内から力の——命の源といっても過言ではない、電気を根こそぎ奪い取られていった。

 

 

 

×

 

 

 

「はぁはぁ……っ!!」

「だ、大丈夫か……鬼太郎!?」

 

 そうして、雷獣との接戦に勝利した鬼太郎だがその顔には苦悶の表情を浮かべており、目玉おやじが息子に気遣いの言葉を掛ける。

 

 雷獣から電気を吸い上げることに成功した鬼太郎だが、彼自身にその電気を栄養源にするような器官はない。

 過剰に体内に留まる電気はすぐにでも放出しなければ、鬼太郎自身の身を傷付けることになりかねないのだが。

 

「ええ……少し、無茶をし過ぎたかもしれません……ですが……」

 

 だが、せっかく吸収した電気をすぐに放出するわけにもいかない理由があった。

 

 

『あ、ああ……お、お腹が……お腹が空いたよ……』

 

 

 雷獣だ。

 その身体から全ての電気を吸い取られて尚、彼は未だにその肉体を保っていた。そんな雷獣に力を戻すまいと、鬼太郎は今暫くの間、吸い上げた電気を己の体内に留めておかなければならなかった。

 

『はぁはぁ……寒い……お腹が空いて……身体が寒いよ……』

「雷獣、お前……」

 

 体内の電気を失った影響か。雷獣の身体は縮み、濃い紫色をしていた皮膚が色素を薄めたように色を失っていた。それは見るものを同情へと誘うような弱々しい姿だ。

 変わり果てた雷獣の姿に、鬼太郎も憐れみの目を向ける。

 

 ここで鬼太郎が体内電気以外の一撃を放てば、それで雷獣を討伐することが出来ただろう。だがそんな弱々しい姿の雷獣にトドメを刺すことを、鬼太郎は躊躇してしまっている。

 

 

 少なくとも、鬼太郎にこれ以上雷獣と戦うという選択肢はなかった。

 

 

「——雷獣!」

 

 

 だが、そこで雷獣を放置するわけにはいかない『義務』を背負ったものが声を張り上げる。

 

「雨くん……」

 

 鬼太郎が振り返ると、そこにはおおかみこどもの雨がいた。雷獣に負わされた怪我が痛々しい彼だが、しっかりと自分の手足で大地を踏みしめている。

 満身創痍とは思えないほどに堂々とした立ち姿だ。雨はそのまま、鬼太郎を押し除けるように雷獣の眼前へと歩み寄っていく。

 

「雷獣……このまま大人しくすると言うなら、これ以上は何もしない……だが、まだ暴れようというのなら!!」

 

 雨は、新たに山の秩序を預かるものとしての立場から雷獣に問いを投げ掛ける。

 雷獣が二度と暴れないと誓うのならそれでいい。だが、もしもそうでないのならば——ケジメを付けさせなければならないと。

 

「…………」

「…………」

 

 雪や一反木綿といった面々も、固唾を呑んで雷獣の言葉を待っている。果たして、その返答は——。

 

 

『——お腹が……空いたよ。寒い……身体が……寒いんだ……』

 

 

 返答は『否』だ。

 いや、もはや雷獣に雨の言葉を理解するだけの正気すら残っていない。ただ幽鬼のように彷徨い、飢えを満たすために電気を求め続けるしかない。

 このまま見逃せば、再び力を取り戻し『厄災』となって山や人里に被害をもたらすことは間違いなかった。

 

「そうか……」

 

 それを正しく理解しているからこそ、雨は決断を下す。

 これまでの行いの報いを、あるいはこれ以上の被害を出さないためにもと——雷獣に向かって距離を詰めていく。

 

『……あ、ああ……』

 

 そんな雨の行動に対し、雷獣も応じるように歩き出した。

 互いに負傷したもの同士だが、それでも決着を付けるべきと本能で理解しているのか。示し合わせたかのように二匹の獣が対峙し合う。

 

 

 

「鬼太郎よ、周りを見てみろ」

「……!」

 

 両者の対峙する光景を見つめながら、ふと目玉おやじが声を忍ばせて鬼太郎に耳打ちする。

 

「…………」「…………」「…………」

「…………」「…………」「…………」

「…………」「…………」「…………」

 

 いつの間にか、辺り一帯に妖怪や動物たちが集まっていた。騒ぎを聞きつけて様子を見に来たのか、山に住まう住人たちが遠巻きに雨や雷獣の一挙一動に注目していたのだ。

 

「…………」

 

 衆人環視の中、もはやこの最後の戦いに自分の出る幕はないと、鬼太郎も静かに事の顛末を見守っていく。

 

 

 

 

 

「…………」

『…………』

 

 雨と雷獣が互いに距離を測る。雷獣に電気の力がなくなった今、あとは純粋な身体能力、獣としての地力がものをいう。

 だがニホンオオカミである雨に対し、電気が枯渇して縮んだとはいえ、雷獣はまだ熊ほどの大きさを有していた。リーチという面で言えば、未だに雷獣の方が有利だ。

 体力の消耗具合も、雨と雷獣に大きな差はないように見られる。互いにほとんど力が残っていないことから長期戦は不可能。

 

 故に——勝負は一瞬で決まる。

 

 

『——がああああああ!!』

 

 

 最初に動いたのは雷獣だった。

 前足を勢いよく振り上げ、その巨体で雨を踏み潰すそうと迫ってくる。電気の有無など関係ない。その一撃を食らえば、おおかみの身体などペシャンコになってしまうだろう。

 

「…………」

 

 だが、雨は死が迫る一撃を前にピクリとも動かない。

 雷獣が自身の間合いに近づいてくるのを、ギリギリまで引き付けるつもりだ。その間、雨は雷獣から一瞬も視線を切らず、その瞳には恐怖すら浮かんでいない。

 

 

「——っ!!」

 

 

 そうして、紙一重まで引きつけたところで——雨は雷獣の懐へと飛び込む。

 

 二匹の体格差を考えたとき、半端に距離を取るよりは至近距離まで近づいた方が寧ろ安全と。おおかみの戦闘センスが、雨を雷獣に向かって前進させる。

 

『くぅわああああ!?』

 

 まさか近づいてくるとは思ってもいなかったのか、雷獣は慌てた様子で接近する雨を払い除けようとする。

 しかし、そんなやぶれかぶれで覚悟の決まったおおかみの進撃を退けることなど叶わず。

 

 

 刹那——雨の牙が、雷獣の喉元へと深く喰らい付いていく。

 

 

 

 

 

「はあはあ……」

「雨!?」

「雨!!」

 

 

 戦いを終えた雨の身体がよろよろとふらつく。

 きっと怪我と疲労で限界が来てしまったのだろう。花と雪が彼の身体を支えようと急いで駆け寄ってくるが、彼女たちの助けを借りずとも雨はその場にて踏み止まった。

 

 一人でも生きていけるという意思表示だろうか、とても立派で雄々しい姿だ。

 

『が……あああ……』

 

 一方で——喉を噛みつかれた次の瞬間にも、雷獣の巨体は地にひれ伏した。雨の最後の一撃がダメ押しとなり、ついに雷獣の身が崩れ落ちたのだ。

 

 妖怪としての身体も限界を迎え、消滅まであと僅かといったところか。

 

『寒い……寒いよ。お腹が減って……身体が寒いんだ……』

 

 肉体が消滅する最後の瞬間まで、雷獣は空腹を訴えていた。虚な目をしながら『お腹が空いた』『寒い』と呟き続けるその姿は、まさに痩せこけた幼い子供そのものだ。

 

「…………」

 

 そんな雷獣の姿に、ここに来て初めて花がその存在に感情を揺り動かされる。

 

 それまで、雷獣は花にとって人間社会や山の自然を脅かす脅威でしかなかった。

 雨や雪が雷獣と敵対していたこともあり、子供たちの安全を第一に考える母親としては、雷獣の立場や心境にまで気に掛ける余裕がなかったのだ。

 

 しかし、その憐れみを誘うような最後には同情を禁じ得なかった。安易な憐れみなどただの傲慢かもしれないが、せめて最後くらいはその孤独に寄り添いたいと。

 

 花は、ゆっくりと雷獣へと歩み寄っていく。

 

 

 

『お腹が……空いたよ……』

 

 雷獣は自身の『死』を明確に意識しながらも、ただひたすらに空腹を訴え続ける。

 今際の際においても、雷獣にあるのは『生きる』という欲求のみ。生きるためにも食わなければならないと、食料である電気を求め続ける。

 

『ああ……寒い……寒いよ……』

 

 だが、どれだけ空腹を訴えようとも、今の雷獣には電気を取り込むだけの力も残っていない。ピクリとも動かない身体からは徐々に体温が失われていき、視界や嗅覚といった感覚すら曖昧になっていく。

 

 

 このまま、独りぼっちの生物として自らの世界が閉じようとしていた。

 

 

「——ごめんね」

 

 

 だが、そんな終わりかけの命に対し、真正面から向き合ってくれるものがいた。

 

 花だ。

 ただの人間である筈の彼女が、雷獣への謝罪を口にしながらその身体を優しく抱きしめる。皮肉にも、雷獣が力尽きたこの瞬間だからこそ、身体中から電気が失われた今だからこそ可能な抱擁。

 

『——っ!?』

 

 その行為に、花の身体から伝わってくる温もりに——雷獣の目が見開かれる。

 

 

『ああ……母さん……みんな……』

 

 

 それは雷獣がただの獣だった頃。

 家族や仲間たちと当たり前のようにコミュニケーションを取っていた頃に感じていた温もりだ。

 

 仲間と身を寄せ合い、寒さを凌いでいたあの頃。

 母親の身体に身を預けながら、穏やかな眠りに包まれていたあの頃。

 

 そういった輝かしい想い出が、走馬灯のように思い出されていく。

 

 

『そうか……ボクは……ボクは一人じゃなかったんだ……』

 

 

 懐かしい過去の記憶と、今も確かに感じ取れる温もりに触れたことで、雷獣の中から拭いきれなかった孤独感が消え去っていく。

 雷獣という生き物はその特性上、確かに孤独であることを強いられる存在かもしれない。

 

 だが今だけは、今この瞬間だけは自分が一人ではないと。

 花の温もりのおかげで穏やかな気持ちに包まれたまま、肉体という檻からその魂が解放されていく。

 

 

 

 

 

「なんか……後味の悪い終わり方ばいね……」

「…………」

 

 雷獣の最後を見届け、一反木綿や雪が複雑そうな表情で顔を曇らせる。

 雷獣は倒した。それはこれ以上の被害を出さないためにも必要なことであり、仕方がないことだったと納得することも出来る。

 しかし、本当に倒すしかなかったのか。全てが終わった今だからこそ、もっとやり様があったのではないかとついつい考えてしまう。

 

「母さん……ボクは……」

 

 それは雷獣にトドメを刺した雨自身も同じだ。花が雷獣に同情を寄せたことも、彼の心に迷いを生んでしまっている。

 この結末に間違いはなかったのかと、己の行動にどこか自信を持てないでいた。

 

「雨くん……周りを見てみなさい」

「……?」

 

 そんな気持ちの晴れない雨に目玉おやじが声を掛けた。周囲を見てみろと言われ——そこで雨は初めて自分が大勢のものたちから視線を向けられていることに気付く。

 

「……や、やったのか?」「おお……おおっ!!」

「クォオオン!!」「ワォオオン!!」

 

 それらは山に住まう妖怪や動物たちだ。雷獣という脅威が過ぎ去ったことに妖怪は純粋に喜びの声を上げ、動物も歓喜の遠吠えを上げている。

  

「この山の平和を守ったのはキミじゃ。キミはこの山の主として立派に務めを果たした……」

 

 鬼太郎の力を借りたとはいえ、最後の最後に雷獣との一騎討ちを制したのは雨だ。それに雨がたった一人、雷獣に立ち向かい続けたことはこの山に残り続けたものたちなら皆が知っていることだと。

 目玉おやじは雨の活躍を讃え、今の彼であればこの山の新たな主として野狐の後継が務まるだろうと言ってくれる。

 

「皆がキミを見ておる。皆がキミを認めている。その期待に……どうか応えて上げてくれ」

 

 だからこそ、今こそ主としての威厳をここにいるものたちに見せるべきだと。

 雨の取るべき行動を、その道筋を示してくれる。

 

「雨、大丈夫……しっかり生きて!!」

 

 花も目玉おやじの言葉を後押しするよう、息子の行くべき道を肯定した。

 きっと大丈夫だ。今の雨ならこの山の主として、皆を立派に導いて生きていくことが出来ると。彼の新たな旅立ちを祝福する。

 

「母さん……!!」

 

 母親の言葉が雨を憂いから解き放つ。

 もう迷いはない。雨は毅然とした態度でその場にいる全てのものたちに、力強い雄叫びで宣言する。

 

 

 

「——オオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 

 

 

 自分こそが、この山の新たな主であると。

 この地を守り抜いていくと、今は亡き野狐——先生に誓わんとばかりに。

 

 

「朝日が……」

 

 

 夜明けの太陽が、そんなおおかみの姿を照らしていく。

 まるで天までもが彼を祝福するかのように、その身を神々しく輝かせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——それで……そのおおかみの子供たちはそれからどうなったのよ?」

 

 数日後、ゲゲゲの森に帰ってきた鬼太郎に猫娘が事の顛末を尋ねていた。

 

 今回の一件、彼女や砂かけババアといった面々はあの山々から避難してきた妖怪たちの手当てが忙しく、鬼太郎の加勢をすることが出来ずにいた。

 大事なときに鬼太郎の力になれなかったことを悔やむように不機嫌な猫娘だったが、とりあえず事件が一件落着となったことにホッと胸を撫で下ろす。

 

「雨くんは山の新たな主として……雪くんも人間として学校に通っておるようじゃぞ?」

 

 猫娘の質問に目玉おやじが答える。

 雷獣が倒された後も、鬼太郎と目玉おやじは花から彼ら家族のことを聞くことになった。おおかみと人間との間に生まれたおおかみこどもたち。一応は『半妖』とされる彼らの今後について、話をしなければならないと思ったのだ。

 

 もっとも、あの一家は既に自らの生き方に折り合いをつけていた。雨も雪もそれぞれの道を歩んでおり、母親もそんな子供たちを誇りとしている。

 今更、鬼太郎たちが心配するような問題など、どこにもなかったのである。

 

「ふ~ん、そりゃ結構なこって……」

「ねずみ男……」

 

 ふと、鬼太郎の家の軒先で無遠慮に寝っ転がっているねずみ男が口を開く。鬼太郎たちの会話に聞き耳を立てていたのか、どこか関心なさそうに装いながらも反応を示した。

 

「ねずみ男……お前はどう思う?」

「あん?」

 

 そんなねずみ男に、鬼太郎は思わず問い掛けていた。

 

「あの子たちの選んだ生き方……どっちが正しかったんだろうな……」

 

 雨はおおかみとして、雪は人間としてそれぞれの道を歩んだ。だがどちらの道を行こうとも、彼らは否が応でも自分がもう片方の血を引き継いでいることを意識せざるを得ないだろう。

 

 どちらの道に進むべきだったのか、自分たちの選択が本当に正しかったのかと。

 きっとそういった苦悩は、彼らの人生を常に付きまとう問題となるだろう。

 

「別にどっちでもいいじゃねぇかよ……」

 

 するとねずみ男はいかにも興味なさそうにしながら、どこか達観したように呟きを溢していく。

 

「そいつがそいつらしく生きられる場所なら、どこだろうとよ……」

「そうか…………」

 

 ねずみ男も半妖だ。普段はこれといった弱音を吐くような男ではないが、それでも周囲との疎外感を感じることがあるのだろう。

 人間でも妖怪でもない自分が、そのどちらからも受け入れられない『鼻つまみ者』だと卑屈を口にすることもある。

 

 だが、どんなに打ちのめされようと最後には太々しいほど逞しく自分の生き方を貫いてきた。

 

 ねずみ男のようになるべきとは言わないが、おおかみこどもの二人にも自分らしく生きていけるようにと。

 

 

 彼らの未来に、鬼太郎は人知れず想いを馳せていく。

 

 





次回予告

「鬼ヶ島にて建設予定のオニランド。その地で開催が宣言されることになった妖怪ラリー。
 日本の支配権と……鈴鹿御前を誰が嫁にするかを決めるレースだとかなんとか……。
 父さん……後者はともかく、前者をなんとしても阻止しなければ!!

 次回——ゲゲゲの鬼太郎『レースクイーン鈴鹿御前・灼熱のサマーレース』見えない世界の扉が開く」

 前回も予告していた通り、次回から本シリーズも季節を夏へと移行していきます。
 そして記念すべき、日本復興編第一回目の夏回は——今年のサバフェス2で参戦したサマバケ鈴鹿の参戦です!
 あまりにも、レースクイーン姿が美しすぎたので……通常霊基をすっ飛ばして登場してもらうことになりました!!

 そして予告にもある通り、話の雛形は『妖怪ラリー』になります。
 世界各国からまだ見ぬ強敵たち(fgoキャラ)が続々参戦しますので、誰が出てくるかも予想しながら次回をお楽しみ下さい!!


 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

レースクイーン鈴鹿御前・灼熱のサマーレース 其の①

『Fate/サムライレムナント』いよいよ本日発売です。
様子を見ようかと予約はしませんでしたが……めちゃくちゃ気になってきましたので仕事帰りに買ってきます!
プレイ感想などは、後日改めて……。

今回は久しぶりのfgo関連、鈴鹿御前が主役の夏回です!
鈴鹿御前サマバケのレースクイーン姿から、妖怪ラリーの話を思い付いたので書いていきます。
とりあえず序盤はレースが始まるまでの流れ。レース本編は次回からですが……それでも結構な文字数になってます。

ちなみに鈴鹿御前は型月の設定を基準にしていますが、彼女の出自に関わる話など、未だ語られていない部分などが多々あります。
今回の話ではその辺りを補完し、作者なりの解釈で書いていきたいと思っています。
後々になって判明するかもしれない設定と矛盾が生じるかもしれませんが、そのときはご勘弁を……。


 夏、真っ盛り!!

 今年も熱い夏がやって来た!!

 

 妖怪との戦争で甚大な被害を受けた日本だが、あれから数ヶ月ともなればそれなりに復興も形となってくる。勿論、まだまだ課題は山積みだが、それはそれとしてリフレッシュする時間も必要になってくるのが人間だ。

 

 特に夏ともなれば——『夏休み』。

 長期休暇で多くの人々が、日頃の疲れを癒そうと羽を伸ばしに観光地などを訪れる。ここ日本で有数な海水浴場でも、さっそくの夏を満喫しようとたくさんの人で賑わっていた。

 

「パパ!! ママ!! 早く泳ごうよ!!」

「きゃっ! ちょっと……水かけないでよ!」

「スイカ割りやろうぜ……って、このスイカでかっ!?」

 

 家族、恋人、友人同士で過ごす束の間の休息。青い空、白い砂浜でのパカンスをこれでもかと満喫している人間たち。

 

 ところが——そんな安らぎのひとときに、不穏な影が忍び寄る。

 

「ん……? な、なんだ……あれは!?」

 

 ビーチを訪れた観光客の一人が何かに気付く。

 水平線の向こう側に——何か大きなものが浮かんでいる。遠近感が麻痺するほどに巨大な何かがいつの間にか視界に入り込んでいたのだ。

 

「し、島……島だ!! それに……あの山は!?」

「お、鬼……鬼の顔をしてるぞ!?」

 

 それの存在に気づき始めた人々が俄かに騒ぎ出す。その正体は——『巨大な島』だった。

 そこに本来ならある筈のない島が突如として出現。しかもその島の中心には巨大な山が聳え立っており、その中腹がまるで『鬼の顔』のように見えていたのだ。

 その鬼の顔の、あまりに禍々しい形相に戦慄する人間たち。

 

「おおっ!! あれぞまさしく……鬼ヶ島じゃ!!」

「し、知ってるのか爺さん!? ……てか、あんた誰?」

 

 すると、それを見た地元住人らしき老人が物知り顔で語っていく。

 いきなり現れた老人相手に観光客が胡散臭そうな視線を向けるも、老人は気にせず話を続けた。

 

「鬼ヶ島。かつてこの地に存在した……幻の島じゃよ……」

 

 日本人なら誰もが聞いたことがあるだろう『桃太郎』という物語。

 その桃太郎に登場する悪役——鬼。その鬼たちが住まう本拠地こそが、まさに『鬼ヶ島(おにがしま)』と呼ばれる島なのだ。

 

 実際に、その島が桃太郎の舞台となった場所であるかどうかは謎だ。だが鬼ヶ島と呼ばれる島は確かに実在し、そこにはたくさんの鬼たちが住み着いている。

 

「わしが子供の頃……一度だけ見たことがある。あのときは島から大勢の鬼どもがやって来て……食料やら財宝やら、根こそぎ奪っていったもんじゃ」

「な、なんだって!?」

 

 どうやら過去にもこの地に鬼ヶ島が出現し、人々の平和を脅かしたという。

 老人が子供の頃だから、およそ五十年以上も昔の話だ。不幸中の幸いか、そのときは食べ物や金銀財宝が奪われるだけで、人的被害などはなかったとのことだが——。

 

 今回も、その程度で済むとは限らない。

 

「——ヒャッハー!!」

「——いたぞ、人間どもだ!!」

 

 人々が鬼ヶ島の存在に騒ぎ始めた、そのタイミングで『彼ら』は姿を現した。それはまさに大多数の日本人が頭の中に思い描くであろう、物語に登場するような『鬼』そのものであった。

 

 人間の子供ほどの大きさの——小鬼。

 成人男性よりも逞しい筋肉を持った——鬼

 見上げるほどに巨大な——大鬼。

 

 大小様々な鬼どもが、ビーチに集まった人間たちへと容赦なく襲い掛かったのだ。

 

「捕まえろ! 男も女も関係ねぇ!!」

「全員ふん縛って、鬼ヶ島に連れてっちまぇ!!」

 

 此度の彼らの目的は——『人間を連れ去る』ことにあるようだ。

 男だろうと、女だろうと関係ない。捕まえた人々を端から順に小舟へと乗せ、そのままどんぶらこと海を渡り鬼ヶ島まで運んでいく。

 

「な、なにをするだぁあ!? うわああああ!!」

「いやあああ!! やめて! 離してぇえ!!」

 

 鬼たちに強制連行される人々の阿鼻叫喚の悲鳴が平和だったビーチに響き渡る。

 

「どけ、爺!! 老いぼれに用はねぇ!!」

「ガキどもが……怪我しねぇうちにとっとと家に帰んな!!」

 

 一方で、鬼は老人や子供といった面々には手を出さないでいる。

 物知り顔で自分たちのことを語っていた老人を突き飛ばし、年端もいかない子供に対してはわざわざ警告までして家に帰るように促す。

 

「あいたっ!?」

「お父さん!! お母さん!!」

 

 もっとも、年寄りを突き飛ばすなど褒められた行為ではないし、子供たちだけに妙な気遣いを見せたところで両親を連れ去ってしまうことに変わりはない。

 

 結局、鬼たちの暴虐は誰にも止めることが叶わず。真夏のビーチには小さな子供たちや、腰の曲がった老人だけが取り残されてしまう。

 

 

 

「わ、私たち……これからどうなるの?」

「ああ……どうしてこんなことに……!」

 

 そうして、浜辺に集まっていた人間の大人たち——およそ百人が鬼ヶ島へと連れてこられる。

 彼らは島の入り口付近の広場へと集められた。特にこれといって拘束などされてはいなかったが、周囲には何十匹もの鬼たちが睨みを利かせており、下手に動くことが出来ない。

 

 これから何が始まるのかと、戦々恐々となる人間たちが互いの顔を不安げに見合わせる。

 ここから生きて帰れるのだろうか、果たして彼らの命運やいかに。

 

 

「——静まれ! 静まれ、静まれぇええ!!」

 

 

 そんな人々の混乱がより混沌となる前に、一匹の鬼が人間たちの眼前にて声を張り上げる。

 二メートルの体躯に赤黒い肌。金棒を背負った虎柄のパンツ、額には二本の角。いかにも鬼といった風貌だが、ヘアスタイルはモヒカンと髪型で個性が出ている。

 そんなモヒカンヘアの鬼が、小鬼たちの鳴らす太鼓の音をバックミュージックに叫んでいく。

 

「——悪路王様のおな~り~!!」

「——っ!?」

 

 仰々しい宣言と共に、鬼たちの親玉——悪路王(あくろおう)という名の鬼が皆の眼前にその姿を晒していく。

 

 

「——グハッハハハハハ!! 我こそがこの鬼ヶ島の主……悪路王である!!」

 

 

 下品な高笑いと共に出て来たのは、モヒカン鬼の三倍はあるであろう身長六メートルを越える大鬼だった。厳つい顔面に鋭い眼光。髪や髭はモジャモジャ。口から飛び出るほどに鋭利な牙と、額にはとても立派な角が二本聳え立っている。

 その恐ろしそうな名に相応しい、鬼の親玉としての風格を見事に備えた怪物であった。

 

「さて、今日貴様らに集まってもらったのは他でもない。お前たち人間に……我が野望を叶えるための礎になってもらおうかと思ってな……ガッハッハ!!」

「……ひぃっ! い、礎……?」

 

 悪路王はその場に用意されていた巨大な椅子にずっしりと腰掛け、そこから人間たちを見下ろしながら告げる。

 その口から言葉が放たれるだけでも凄まじい威圧感に怯える人間たちだが、その言葉の内容そのものにも恐れ慄く。

 

 礎——柱、土台。

 自らの野望を成就するため、人間たちを踏み台にするということだろうか。その言葉の真意を様々な意味で解釈した人々の顔色が一瞬で青ざめていく。

 

「ヒャッハッハ!! 人間如きが悪路王様のお役に立てるのだ!!」

「光栄に思うがいい!! ウシャシャシャシャ!!」

 

 そんな人間たちの絶望などさして気にした様子もなく、手下の鬼たちが品のない笑い声を上げていく。

 こんな鬼どものために礎になるなど、誰もが冗談ではないと思っただろう。だが、ただの人間たちが鬼などという化け物に逆らえるわけもなく。

 

 口ごたえする間もなく、悪路王が語るその『野望』とやらの具体的な内容について聞かされることとなった。

 

 

「そう……この国を魔国とするためにも! 我らが鬼の楽園を築くためにも……!!」

 

 

 

 

 

「まずはこの鬼ヶ島に……夢のテーマパーク『オニランド』を建設する!!」

 

 

 

×

 

 

 

「…………」「…………」「…………」「…………」

 

 広場に集められた人間たちが、ポカンと口を開けたまま呆けている。

 想像の斜め上をいく悪路王の宣言に、どのようなリアクションを取るべきか。恐怖以上に困惑が大きく、未だその発言の意味を理解出来ないでいた。

 

「あの……あ、悪路王さん?」

「くらぁああっ!! 様をつけんかデコ助野郎!!」

 

 誰もが口を閉ざす中、人間の中でも勇気ある青年が恐る恐ると悪路王に向かってその真意を尋ねる。

 ただ、名前の後に『様』と敬称を付けなかったことに二メートル越えの鬼、スキンヘッドで個性を出した個体が無礼だと叱り飛ばす。

 

「あ、悪路王様!! その……オニランドというのは、いったいなんなのでしょうか……?」

 

 その怒声にビビりながらも、青年は肝心の質問を引っ込めなかった。オニランドとは何か、その意味をもう少し詳しく聞きたかったのだ。

 

「なにもクソもあるか!! その名前の通り、鬼を題材にした遊園地だ!!」

 

 しかし特に深い意味などなく。悪路王はそれが言葉通りの意味——鬼をモチーフとした遊園地。即ち娯楽施設の類であることを率直に告げる。

 

「このオニランドは、我ら鬼の逞しさ!! 偉大さ!! 格好良さを伝えるための娯楽施設だ!! 正しき鬼の姿を教え広めるため……この島全体を夢の国へと変えるのだ!!」

 

 どうやら本気らしい。本気で悪路王はこの鬼ヶ島に、アミューズメントパークとしてオニランドとやらを建設するつもりのようだ。

 

「そして、そのオニランドに君臨するこの悪路王こそが、鬼たちの頂点!! ひいてはこの日本を治めるに相応しい妖怪であることを、客として訪れた人間どもに知らしめるのである!!」

 

 それが自分たち鬼の知名度を上げ、オニランドの支配者である悪路王という妖怪の名を全国に広めることに繋がると。

 彼なりに、オニランドがこの国を支配するために必要だと考えあっての企みだというのだ。

 

「貴様らを連れてきたのは、オニランド建設の人手……そして、完成後の従業員として雇うためである!!」

 

 そのオニランドの設立、運営のためにと。悪路王は手下の鬼たちに人間を集めるように命じたようだ。とりあえず、取って食うなどといった血生臭い理由でなかったことに安堵する人間たち。

 

 だが、それならそれで困ると——人々から不満の声が続出する。

 

「こ、困りますよ!! 私たちには私たちの仕事があるんです……」

「そ、そうだ、そうだ!! なんだって俺たちがそんなもんのために……」

「む、息子のところに帰してくれ!! きっとあの子は……今も一人で泣いてるんだ!!」

 

 その場に集められた人の大半が、既に人間社会でちゃんとした仕事に就いている。

 それにガキに用はないとビーチに置いてけぼりにされた子供たちの親などが、家族に会わせてくれと悪路王に集団で抗議していく。

 

 だが、彼らは忘れている。あまりにも相手の提案が予想外であったために、失念してしまっていたのだ。

 彼らが妖怪——人に仇をなす『悪鬼』であるということを。

 

「貴様!! 悪路王様のご提案の何が不満なのだ!?」

「ぐわっ!?」

「あなたっ!?」

 

 逆らう人間たちを黙らせるため、モヒカンヘアの鬼が文句を言ってきた人間の一人を金棒でぶん殴った。

 息子のところに返してくれと言っていた父親だ。彼の妻らしき女性が傷つき倒れる夫に悲痛な叫び声を上げながら駆け寄る。

 

「生意気な人間には教育が必要だなぁ、ゲッヘッヘ!!」

「覚悟しな!! お客様の笑顔がなくちゃ、生きていけない身体にしてやる!!」

「オニランドのキャストとしての心得! その魂にまで刻み込んでやるぜ!!」

 

 地面へとひれ伏したその人間の夫婦へと、小鬼の群れが下卑た笑みを浮かべながら迫る。

 他の人間たちへの見せしめか。単純に、従業員としての研修を受けさせるという意味合いに聞こえないでもない。

 

「そ、そんな……だ、誰か……誰か助けて!?」

 

 いずれにせよ、鬼たちが恐ろしいものであることには変わりはない。倒れ伏す夫を庇いながら、妻が周りの人々に助けを求める。

 しかし、鬼を相手に只人に出来ることなどなく。彼らは鬼たちの暴力が自分たちにまで及ばないようにと、口を閉ざすしかないのであった。

 

「さあ、覚悟し——」

 

 そうして、さらなる理不尽によって人々が蹂躙されようとした。

 

 

「——リモコン下駄!!」

 

 

 その間際——上空より鬼目掛けて『下駄』が飛来してきた。

 

「ぎゃっ!?」

「ひでぶっ!?」

 

 その下駄の一撃をまともに喰らい、小鬼どもが呻き声を上げながら吹っ飛んでいく。

 

「むむっ!? おのれ……何奴!?」

 

 手下の鬼たちを蹴散らされた悪路王が、何事かと下駄が飛んできた上空へと目を向ける。

 

「あ、あれは……まさか!?」

「間違いないよ……あの子は、あの子は!!」

 

 視線を上空へと向けたのは人間たちも同じだ。彼らは空を飛翔する反物——その上に乗った見覚えのある『少年』の姿に表情を明るくする。

 日本人であれば、先の戦争でテレビを見ていたものなら彼が何者か知っているだろう。人々はその少年の名を期待と希望を込めて呼んだ。

 

「——ゲゲゲの鬼太郎だ!! 鬼太郎が来てくれたぞ!!」

 

 

 

「父さん、連れ去られた人間たちが……!! あの鬼の数は!?」

「うむ……これは思っていた以上に大規模な軍勢かもしれんぞ……」

 

 鬼たちが人間を連れ去ってしまったという騒ぎを聞きつけ、鬼太郎はこの鬼ヶ島までやって来た。

 一反木綿の背に乗り、上空から広場に集められている人々や、それを取り囲む鬼の軍勢を目の当たりにする。

 

 鬼ヶ島に住み着いている鬼たちは、鬼太郎たちの想像を遥かに越える規模であった。

 島のあちこちには小さな小鬼が無数に蠢き、人間サイズの鬼が何十匹と島の要所要所を守っている。大鬼は数えるほどだが、一体一体の威圧感が半端ではない。

 

 そして、一際大きな鬼たちの親玉。

 これだけの鬼を同時に相手取るなど、流石の鬼太郎でも困難を極めるであろう。

 

「どうするとね、鬼太郎しゃん!? 一旦退くかいな!?」

 

 これには一反木綿も、退却を提案するほど及び腰になってしまっている。

 鬼太郎の実力を信頼していないわけではないが、この戦力差だ。少なくとも他の仲間たち。猫娘や砂かけババア、子泣き爺やぬりかべといった面子の協力を仰ぐ必要はあるだろう。

 

「いや……あの人たちを放っておくわけにはいかない。高度を下げてくれ、一反木綿」

 

 だが、鬼太郎はここで逃げるという選択肢を取らなかった。鬼たちに誘拐された人間たち。出来ることなら彼らを救出してやりたいと考えている。

 しかし、この場で戦いともなれば人々を巻き込む乱戦となってしまうだろう。まずは相手側の様子を見ようと、鬼太郎は慎重に地上へと近づいていくよう一反木綿に指示を出す。

 

「貴様……ゲゲゲの鬼太郎だと!? 儂がおらん間に名を上げた妖怪か!?」

 

 会話の出来る距離まで近づいたところで、玉座にふんぞり変える巨大な鬼が鬼太郎に向かって吠えるように叫んだ。

 

「!! お前が……この鬼たちの大将か?」

 

 言葉を発するだけで放たれる威圧感から、鬼太郎はそれが鬼たちのリーダーであると見抜いて問いを投げ掛ける。

 

「いかにも! この鬼ヶ島の新たな主となった悪路王である!!」

「悪路王……これまた厄介なやつが出てきたもんじゃ!!」

 

 鬼太郎の問いに堂々と答える悪路王。

 目玉おやじもその名を聞いたことがある妖怪らしい、いかにも面倒そうにない筈の眉を顰める。

 

「何故人間たちを連れ去った? 今すぐこの人たちを解放しろ、悪路王」

 

 まずは鬼太郎から、悪路王に人間たちを解放するようにと要求を突きつける。

 少なくとも今回は人間側が被害者だ。理由はどうあれ、鬼たちの一方的な暴虐を放置するなど鬼太郎には出来ない。

 

「断る!! こやつらには、ここでオニランド建設のために働いてもらわねばならないのだ!!」

「お、オニランド……!?」

 

 だが、鬼太郎の要求を悪路王は『人間を必要とした理由』を添えて突っぱねた。鬼太郎は初めて聞かされる悪路王の野望に思わず困惑の表情を浮かべるが、怯まずに言い返す。

 

「そ、その……オニランドとやらがどういうものかは知らないが……無関係な人間を巻き込むな! 作るなら自分たちだけの手で作れ!!」

 

 至極もっともな意見を口にする鬼太郎。もっとも、そのような正論を聞き入れるような相手であれば最初から苦労などしない。

 

「ふっはっは!! 生憎と鬼だけでは労働力が足らんのだ!! 安心しろ、給料はきちんと払ってやるさ!!」

「そういう問題じゃなかとね……」

 

 悪路王は鬼太郎の正論など豪快に笑い飛ばしていく。一応給料が出るとのことだが、それで許されるようなことではないと一反木綿が呆れる。

 

「小僧!! 頭上から悪路王様に意見するとはなんと畏れ多い!!」

「降りて来いや!! しばき倒してやらぁ!!」

 

 すると、平行線になる両者の言い争いに痺れを切らした鬼たちが殺気立った。モヒカンとスキンヘッドの鬼がそれぞれを声を張り上げ、他の鬼たちに号令を掛けるように金棒を天へと掲げる。

 それを合図に眼下の鬼たちが一斉に動き出し、その動きに人々が怯え惑う。

 

「こ、こりゃいかんな……!!」

 

 鬼たちの動きに目玉おやじが焦りを見せる。

 このまま戦いともなれば必然的に人々を巻き込み、多くの怪我人が出てしまうだろう。最悪、鬼たちが人間を人質に取るなど、卑劣な手段に出る可能性もあるのだ。

 犠牲者を出さないためにも慎重な対応が求められる中、鬼太郎の脳裏にも撤退の二文字が浮かんでくる。

 

 果たしてどう動くべきかと、鬼太郎は緊張感に額から汗を滲ませていく。

 

 

 

「——待ちなさい」

 

 

 

 刹那、その場に凛とした女性の声が響き渡る。

 

「——!?」

 

 突如として聞こえて来た声に鬼太郎たちが上を向くや——彼らよりも、さらに高度の上空から『何か』が飛来してくる。

 

「ちっ! 今度は誰……!?」

 

 鬼太郎に続く新たな邪魔者の登場に苦虫を噛み潰したような顔をする悪路王だが、落下して来たもの——『黄金の刀』が地面に突き刺さっていたことに驚愕の表情を浮かべる。

 

「こ、この刀は……大通連!! ま、まさか……!?」

 

 悪路王は一目見ただけで、その刀の銘が『大通連(だいとうれん)』だということを察したらしい。

 その刀を持つものと面識があるのだろう——天より舞い降りてくる、輝きを纏った女性のシルエットに向かって叫んでいた。

 

 

「——その妖気……その輝き!! 間違いない……貴様は、鈴鹿御前!!」

「——久しいな、悪路王よ。相も変わらず粗暴な男だ……」

 

 

 戸惑いの中にも、どこか歓喜な感情を匂わせる悪路王。

 それとは対照的に、その女性——鈴鹿御前の声には厳かながらも、どこかうんざりとしたようなニュアンスが含まれていた。

 

 

 

×

 

 

 

 鈴鹿御前(すずかごぜん)、平安時代の女性。

 文献によって天女、盗賊、そして鬼と。様々な有り様で描かれる彼女だが、唯一の共通点として——『絶世の美女』であるという点があげられる。

 

 どのような物語であれ、彼女は非常に美しい女性として描かれ、人々の想像力を掻き立ててきた。その本物が眼前に降臨したともなれば、是が非でもその顔を見たくなるというものだ。

 

「ま、眩し!? てか……眩しすぎて何も見えんとね!!」

 

 しかし、女好きな一反木綿が美女と名高い鈴鹿御前に声を掛けられずにいる。

 

 それは鈴鹿御前の放つ輝きが、あまりにも眩し過ぎたからだ。溢れるようにこぼれ落ちる彼女の後光があまりにも神々しく、彼女の容姿を直視することが出来ない。

 かろうじて見えるのは、天女の如き女性のシルエットのみ。これでは彼女が本当に鈴鹿御前その人だと分からないではないか。

 

「おお! 鈴鹿御前よ!! 儂の復活を祝福しに来てくれたのか!?」

 

 だが、悪路王は気配だけでも彼女が鈴鹿御前で間違いないと判断出来たようだ。久方ぶりの再会に親しげに声を掛けていく。

 

「悪路王……今更人の世に何用だ? お前のようなものが表舞台に上がれるほど、当世の人界は脆くはないぞ?」

 

 一方で、鈴鹿御前は悪路王の挨拶を華麗にスルーし、彼にその目的を問う。

 遠い昔に一度は討伐された悪路王という妖怪。長い時間を掛けて肉体を取り戻したようだが、今更になって彼が人の世に何を望むというのか。

 

「ガッハッハ!! おかしなことを聞くな、鈴鹿御前よ! 人の世がどうあろうと、儂の望みは今も昔も変わらぬ!! この国を鬼の支配する魔国へと!! それが我ら鬼の悲願……お主とて一度はそれを望んでいた筈ではないか?」

「…………」

 

 鈴鹿御前の問い掛けに悪路王が平然と言い返す。

 日本を鬼が支配する魔国へと。それこそが、最終的に悪路王が目指すべき到達点といったところか。

 

「だからこそ、そのためにも……オニランドの建設は必要不可欠なのだ!!」

 

 そして、何がだからなのかは不明だが、そのために悪路王はオニランドの建設を強く望んでいた。

 

「…………本気か? 貴様は本気でオニランドとやらが、日本を侵略するのに必要だとか言いたいわけ?」

 

 これには流石の鈴鹿御前も呆れたようにため息を吐き、徐々にだが言葉遣いが崩れていく。

 

「そうだ!! オニランドの建設は、日本を侵略するために欠かすことのできない事業だ! オニランドの完成こそが、この悪路王が進むべき覇道! その偉大なる第一歩となるであろう!!」

 

 しかし、鈴鹿御前に呆れられようと悪路王は全くめげない。どうやら他のものたちが思っているより、オニランドの存在は彼にとって重要なもののようである。

 

「そ、それでだ……鈴鹿御前よ。もしもだ……もしも、このオニランドが無事に完成したあかつきには……」

 

 だがここで、先ほどまで堂々としていた悪路王が途端、妙にオドオドとした態度を取り始める。恥ずかしそうに視線を下へと向け、チラチラと鈴鹿御前を盗み見ていく。

 どうやら、彼女に何か言いたいことがあるらしい。言い出すべきタイミングを見計らいながら、顔をほんのり朱色に染めていき。

 

 意を決したのか——悪路王は鈴鹿御前に向かい、自らの思いの丈をぶつけていく。

 

 

 

「——儂と……儂と、結婚してくれ!!」

「「「——な、なにぃいいいいいい!?」」」

 

 

 

 これには鬼太郎も、人間たちも。そして悪路王の手下である鬼たちですらも、驚愕の声を上げる。

 結婚、つまりは鈴鹿御前を自分の妻に娶りたいということだ。悪路王が鈴鹿御前に愛を告白するというまさかの展開に、周囲が騒然となっていく。

 

「えっ……な、なに? この展開?」「あの図体で、何て恥ずかしそうに告白するんだ!」「あ、悪路王様!? お、お気を確かに!!」「つ、ついに言った!! その胸に秘めたる思いを!!」「……俺たちは何を見せられているんだ?」「ど、どうなるの!? この後どうなっちゃうの!?」

 

 わいわいきゃっきゃっと敵味方関係なしに、皆が固唾を呑んで鈴鹿御前の返答を待つことになる。

 

 

 

 

 

「——ないわ~、まじでないわ~」

「な、なに……?」

 

 しかし、鈴鹿御前からの返答は勿論——『NO!』。

 

 悪路王の告白はあっけなく一蹴され、彼の思いはあえなく撃沈となる。

 だが、その残酷な返答にショックを受ける以上に、悪路王は彼女の『喋り方』に困惑した表情を浮かべる。

 

 そう、先ほどまで確かに厳かだった鈴鹿御前の言動が、どこか軽薄なものへと変わっていったのだ。

 さらには、彼女を輝かしていた後光がやる気をなくすように光を失い——それにより、鈴鹿御前という女性の全体像が露となっていく。

 

「——アンタみたいのがカレシとかマジ無理なんですけど~。つーか、いきなり結婚とかマジ有り得なくない? どんだけ必死なんだって話だし~」

「…………」

 

 気怠げな口調で悪路王のプロポーズを揶揄する彼女は、浮遊していた空中から手近な柱に腰掛け——だらしなく足を組んでスマホなどを弄り始めた。

 

「……す、鈴鹿御前? お、お主……本当に鈴鹿御前だよな?」

「はぁ? あったりまえじゃん! てか……気安く呼び捨てにするなし~」

 

 それまで素顔すら見えない相手を確かに鈴鹿御前と認識していた悪路王が、何故か不安げに彼女が本物かどうかを尋ねる。

 悪路王の疑惑に鈴鹿御前は当然のように答えるが、彼がそう言いたくなる気持ちも分からないでもない。

 

 そう、現代に降臨した鈴鹿御前は——思いっきり今風にかぶれていた。

 平安時代の女性とされる彼女は本来であれば淑やかな、それでいて凛とした姫としての威厳を兼ね備えた女性であった。

 ところが今の彼女は当世風の衣装——白いブラウスに緋色のミニスカート、肩に掛けたブランドモノのバッグから、最新機種のスマホ取り出し弄んでいる。

 その風貌や口調を一言で表すのなら——まさに『ギャル』というやつになっていたのである。

 

「す、鈴鹿御前さん? そ、その変わりようはいったい……?」

 

 その変化が悪路王を戸惑わせていた。思わず敬語で彼女に何があったのかとお伺いを立ててしまう。

 

「何って……知らないの~? 今はこういうのが最新のトレンド……流行りっていうのよ!!」

 

 そんな悪路王の戸惑いなどどこ吹く風と、鈴鹿御前は実にマイペースに己のライフスタイルを貫いていく。

 

「やっぱ女なら恋に生きなきゃ!! そんで恋に生きるなら女子高生……所謂JKであることが必須条件なのよ!!」

「と、とれんど? じぇ、じぇいけい?」

「…………」「…………」「…………」

 

 鈴鹿御前の言っていることを半分も理解出来ずに硬直する悪路王。手下の鬼たちも、何をどうすべきか判断に困ってしまっている。

 

 しかし、これこそ——この姿こそ、現代に復活した鈴鹿御前が辿り着いた『答え』なのだ。

 絶世の美女とされる彼女がより自分の美しさを追求、その美しさを極めんと行き着いたファッションスタイル。

 恋に生きる華の女子高生スタイルこそが、自分には相応しいものであると鈴鹿御前自身が定めたのだ。その姿は、彼女の類まれなる美貌と相まって確かに見惚れるほどに美しいものであった。

 

「……最近の女子高生ってあんな感じなのか?」

「いや……今どきはあんま見ないね、ああいう感じの子……」

「ちょっとイメージが古いっていうか……私らの学生時代にもいなかったと思う……」

 

 もっとも、そのJKスタイルが今の人間たちの視点からも多少古臭いものに見えるらしい。彼女の美貌に見惚れているより、そのファッションスタイルに戸惑っているものの割合の方が多い。

 

 

 

「そ、そうか…………だが!! お主が美しいことに変わりはない!! やはり儂はお前が好きだ!!」

 

 鈴鹿御前の思い掛けない変わりように戸惑っていた悪路王であったが、ここでようやく思考が現実に追いついてきた。

 たとえJKとやらでもお前が好きだと、改めて鈴鹿御前に告白する。

 

「だからないって言ってるじゃんか~、しつこい男は嫌われるわよ~? そんなんだから、アンタモテないのよ~」

 

 しかし、どれだけ悪路王がしつこい言い寄ろうと、鈴鹿御前の答えに変わりはない。

 うんざりしながら相手の駄目なところを容赦なくディスっていく鈴鹿御前の指摘に、悪路王のメンタルが「ぐはっ!?」と傷つけられていく。

 

「な、何故だ!! 儂の何が不満だというのだ!?」

 

 ところが、悪路王は自分が振られるという現実を素直に認めることが出来ず、本当にしつこく食い下がってくる。

 何故自分が振られるのか、どうすれば自分に振り向いてくれるのかと鈴鹿御前に意見を求めてきたのだ。

 

「う~ん……そうねぇ……」

 

 ここで鈴鹿御前が『顔が悪い』と身も蓋もないことを言ってしまえば、それで話は終わっていただろう。しかし彼女はわざとらしく考えるそぶりを見せながら、悪路王の反応を伺っていく。

 

「力だけが自慢の男ってのは浅はかね~、その無駄に鍛えられた筋肉も超暑苦しいし~」

「ぐぐぐっ……」

 

 まずは、悪路王が自身の長所だと思っているところを潰していく。

 鬼である彼の価値観からして、強くて逞しい肉体こそが何よりの自慢だろう。しかしそんなもので靡く女ではないことを、いの一番に分からせる。

 

「あと粗暴で乱暴で……短気な男も駄目! 男なら常に余裕があって、誰からの挑戦も受けるような器の大きさを見せてくれなきゃ!」

「な、なるほど……?」

 

 そして悪路王でも我慢すれば出来そうなことを告げ、彼が短慮な考えへと走らないよう、その動きを抑制していく。

 

「あとは……個人的な好みを言わせてもらうなら~」

 

 その上で——悪路王を『自らの思惑に乗せるべく』、鈴鹿御前は自身の好みと称し、とあるポイントを語っていく。

 

「——速い男とかは、割と好みかもね~」

「…………? それはどういう意味だ?」

「???」「???」「???」

 

 鈴鹿御前の発言の意図を、悪路王は即座に察することが出来ないでいた。手下の鬼たちや人間たちも、彼女の言葉にクエスチョンマークを浮かべている。

 

「それは勿論……スピードがって意味よ!! こんな感じにね!!」

 

 すると、鈴鹿御前は無邪気な笑顔を垣間見せつつ、先ほどから操作していたスマホの画面を悪路王へと見せつけていく。

 

「これは……? 人間どもの走らせる自動車とやらが……ものすごいスピードで走っているが?」

 

 悪路王はそのスマホに映し出されていた動画を見せつけられて尚、鈴鹿御前の言わんとしていることが理解出来ないようだ。

 悪路王が見せられた動画——それは所謂『レース動画』というやつだった。とあるサーキット場で、何台もの自動車が高速でスピードを競い合っている。

 モータースポーツというやつだろう。なかなかの迫力ではあるが、それだけで鈴鹿御前のような女性が興味を持つものだろうか。

 

「知ってる? このコース鈴鹿サーキットって、私と同じ名前でさ~!! なんか親近感湧くよね!!」

 

 だが鈴鹿御前は、自身の名前を冠するこのサーキット場が特にお気に入りだと嬉しそうに語る。

 

 実際、世界的にも有名な『鈴鹿サーキット』のある三重県・鈴鹿市は鈴鹿御前の伝承の舞台とされる鈴鹿山にも近いところに位置している。

 その縁から彼女は鈴鹿サーキットに、ひいてはそのサーキットを高速でかっ飛んでいくレーサーたちに興味を持ったというところか。

 

「…………つまり、このように車を速く走らせる男に、お前は惹かれるというのだな?」

 

 ようやく、悪路王は鈴鹿御前の好みとやらに付いて把握し始めたようだ。念を押すように問いを投げ掛け、それに鈴鹿御前が頷く。

 

「そうよ! けど、ただの速さ自慢じゃ駄目! 私のカレシになるってんなら、世界最速くらいは名乗ってもらわないとね!!」

 

 しかし、ただ速いだけでは駄目だと。自身と付き合うためのハードルをさりげなく上げていくのを忘れない。

 

「クックック……ふっはっはっは!! そういうことであれば……モヒカン!! スキンヘッド!!」

「は、ははっ!!」「いかがなされましたか、悪路王様!?」

 

 すると悪路王、鈴鹿御前の無茶振りに臆することなく高笑いを上げ、二人の側近——モヒカンとスキンヘッドの鬼を呼び付ける。

 

「……そういう名前なのか……」

「……髪型変えたくなったら、どうする気なんだろう……」

 

 何気に髪型で呼ばれている鬼の幹部に驚く人間たちだが、今の悪路王の耳にそんなツッコミは入ってこない。

 何を閃いたというのか、彼は得意げな笑みを浮かべながら自らの発言を、その場にいる全てのものたちへと聞かせていく。

 

 

「——オニランド、第一回目のイベント内容が、たった今決まったぞ!!」

 

 

 オニランド、鬼のテーマパーク。悪路王が日本を魔国にするため、その建設を何より重要視する娯楽の殿堂。

 仮にもアミューズメントパークを名乗るのであれば、楽しいイベントがつきものというもの。もしもオニランドが完成したのなら、お客様を飽きさせないよう、定期的にイベントを催すことになるだろう。

 

 そんな記念すべき第一回目のイベント開催が、オニランドの建設前に決定と相なったのだ。

 

 

「聞けっ!! これより悪路王の名の下に……妖怪ラリーの開催を宣言する!!」

「!!」「!!」「!!」

 

 

 そのイベントこそが——『妖怪ラリー』だ。

 悪路王の宣言に妖怪たちの表情が緊張で強張る。どうやら妖怪だけには意味の通じる言葉らしく、人間たちは訳が分からずキョトンとしている。

 

 

「世界中の猛者たちを集めよ!! このレースに儂が勝利したあかつきにこそ、この悪路王が世界最速であることが証明されるのだ!! ガッハッハっ!!」

 

 

 既に勝った気になっている悪路王が拳を突き上げて吠える。全ては世界最速となり、鈴鹿御前のハートを射止めるため。

 

 

 漢・悪路王の負けられない戦いが今始まる!! 

 

 

 

 

 

「…………つまり……どういうことじゃ?」

「さ、さあ……?」

 

 そんな悪路王の提案に、完全に蚊帳の外であった鬼太郎親子が揃って首を傾げていた。

 

 

 

×

 

 

 

「——というわけで!! 妖怪ラリーで奴らと決着をつけることになった訳だけど~」

「いや……何がというわけよ? そもそもアンタ誰よ? いきなり出てきて……いったいなんなの?」

 

 鬼ヶ島から場所は変わって、ゲゲゲの森。

 夜も遅いが鬼太郎の家にて、これからのことを決める話し合いが行われていたが、そこにさも当然のように入り込んでいる女性・鈴鹿御前の存在に猫娘が眉を顰める。

 

 悪路王との戦いは、とりあえず保留となった。

 それは鈴鹿御前が悪路王を焚きつけた結果——『妖怪ラリー』で勝負を決めよう、などという流れになってしまったからだ。

 話をややこしいことにしたと、鈴鹿御前に猫娘は多少お怒りである。

 

「しょうがないじゃん~、あの場で戦いになったら人間たちの犠牲が半端なかったし~」

 

 だが鈴鹿御前の言う通り、あの場で戦いともなれば鬼ヶ島に連れて来られていた人間たちがタダでは済まなかっただろう。妖怪ラリーで勝敗を決めると決まったからこそ、鬼たちも大人しく矛を納めたのだ。

 人間たちはそのまま鬼ヶ島に囚われの身となってしまったが、大事な労働力だからこそぞんざいに扱われることはないだろう。

 

 とりあえず妖怪ラリーが開催されることになった、一週間後。

 それまでは、なんとか耐え忍んでもらうしかない。

 

「それは……まあ、確かに……」

「うむ……しかし、妖怪ラリーとは……なんとも懐かしい響きじゃのう……」

 

 鈴鹿御前の機転に鬼太郎も同意する。あの場で戦いにならなかったのは、確かに彼女のおかげである。しかし、妖怪ラリーという懐かしい『競技名』に目玉おやじは腕を組んで思案に耽っている。

 

 

 

 何百年も昔のことだ。妖怪たちの間で争いが絶えない時代があった。

 妖怪同士が互いに傷つけ合い、無意味に血を流し、そして魂になるまで相手の肉体を滅ぼそうと躍起になっていた野蛮な時代。

 

 あの時代。不毛な争いをなんとか辞めさせようと、争いを嫌う妖怪たちが幾人も知恵を振り絞った。

 

 例えば——『妖怪大裁判』。

 妖怪裁判所という主張の違う妖怪同士を公平に裁く場所を設立し、抹殺罪なる罪状まで作ることで、妖怪たちが無意味に殺し合うことを抑制しようとしたのである。

 

 だがそれでも、争いは一向になくならない。

 ならばと、今度は『戦い以外』の手段で互いの優劣を決める方法はないかと、様々な『競技』が妖怪たちの間で流行るようになったのだ。

 

 例えば——『狐や狸の化け合戦』。

 どちらがより上手く化けれるか、人間を上手く化かすことが出来るかを夢中で競い合った。

 

 例えば——『人間の罪を暴く推理勝負』。

 どちらがより正しく人間たちの隠された罪を暴き出し、地獄へと突き落とすことが出来るか知恵を振り絞った。

 

 例えば——『妖怪大運動会』。

 立場の違う団体同士が様々な種目でぶつかり合い、健康的に汗を流した。全ての競技が終了する頃には、互いの健闘を称え合って固い握手を結んだものである。

 

 そして——『妖怪ラリー』。

 どちらがより速く、決められたコースを走り抜けることが出来るのか、その速度を競い合うのだ。

 

 

 

「過去には佐渡島や、富士の樹海などで開催されたとも聞くが……その妖怪ラリーをオニランドとやらで決行するつもりのようじゃな。世界中の妖怪を集めて……」

 

 妖怪ラリーに関する話を思い返していた目玉おやじだが、そこでテーブルの上に置かれた『招待状』に目を向ける。それは悪路王から、鬼太郎宛に送られたレースへの参加案内である。

 

 悪路王が鬼太郎をライバルの一人と、認めたからこその挑戦状だ。

 別に妖怪ラリーで決着を付けることに文句はない鬼太郎だが、その参加状の最後に書かれていることに問題があった。

 

 

『——尚、このレースに勝利した者には鈴鹿御前を嫁にする権利。それから、日本の支配権を得るものとします』

 

 

「……あのバカ鬼……人を勝手に賞品にしてくれやがって……」

「それより、なんで日本の支配権がついでみたいに書かれてんのよ……」

 

 なんと、悪路王は『鈴鹿御前との結婚』さらには『日本の支配権』なんてものを優勝賞品にしてしまったのである。

 これに当然ながら鈴鹿御前が激怒、美しいその顔を恐ろしい形相へと歪めている。さらには、日本の支配権なんてものまで勝手に付け加えられていることに猫娘が呆れ返っている。

 

 確かにこれなら世界中の妖怪たちがレースに参加しようと食いついてくるだろうが、負けたら大惨事である。

 

「これは逃げるわけには行きませんね、父さん……」

「そうじゃな……」

 

 とりあえず、悪路王や世界各国から集まってくるだろうレース参加者に日本を好き勝手されないためにも、鬼太郎は妖怪ラリーへの参加を決意する。

 勿論、鈴鹿御前を嫁にしようなどとは毛ほども考えていない。

 

「じゃが……勝ったところで、あの悪路王のやつが素直に負けを認めるじゃろうか……」

 

 しかし、ここで目玉おやじが一つの懸念を口にする。

 

 鈴鹿御前に振られたにも関わらず、あそこまで食い下がったあの悪路王が、果たして妖怪ラリーに負けたからといって素直に引き下がるかどうか。

 負けた後にも色々とごねて、勝敗をうやむやぬにしてしまうかもしれないが。

 

「ああ、それなら大丈夫!! てか……悪路王のやつが文句言ってくることも全部計算済みだし!」

「……どういうことじゃ、鈴鹿御前?」

 

 ところが、鈴鹿御前は陽気な笑顔でそれは問題ないと目玉おやじの不安を払拭した。

 

「この妖怪ラリーには仕掛けがあってね~、実は————」

 

 そして念の為にと声を潜ませながら、鬼太郎たちにこっそりと今回の作戦の『肝』を打ち明けていく。

 

 

 

×

 

 

 

「——それは……本当に可能であればたいしたもんじゃが……」

 

 鈴鹿御前の話に目玉おやじは半信半疑ながらも、彼女のアイディアに感心する。

 

 もしもその『作戦』が有効であるのならば、鈴鹿御前は最初から悪路王を妖怪ラリーという舞台に引きずり込もうと画策していたことになる。

 ギャルっぽい喋り方からは想像も付かなかったが、鈴鹿御前とはとても賢く思慮深い女性なのかもしれない。

 

「けど、そんな回りくどいことしなくても……普通に戦って倒しちゃえばいいんじゃないの?」

 

 もっとも、そんな面倒な手順を踏まなくても普通に悪路王を倒せないかと、猫娘が苦言を呈する。

 人間を巻き込まないよう、一騎討ちにでも持ち込むことさえ出来れば、あとは鬼太郎がヤツを倒してくれるだろうと。彼への信頼があればこその意見である。

 

「そんなに簡単な話じゃないのよ~……あいつ、馬鹿だけど腕っぷしだけはとんでもなく強いし……」

 

 しかし、そんな単純な方法で倒せる相手であれば苦労はしないと、鈴鹿御前は猫娘の意見を却下した。

 オニランドの建設やら、鈴鹿御前へのプロポーズなど。数々の珍行動に思わず油断してしまいがちだが、悪路王は鬼の中でも相当に凶悪な個体だ。

 

「それに……今のあいつは鬼ヶ島の主として君臨しちゃってて……尚更厄介なのよ……」

 

 加えて、どのような経緯かは不明だが、悪路王は鬼たちの聖地とも呼べる——『鬼ヶ島』を支配下に置いてしまった。

 鈴鹿御前曰く、あの島はこの国の人間たちの『鬼』というものに対する恐怖心、畏怖がそのまま形となったものだという。そんな島の支配者ともなれば、より一層人々の『畏れ』がその身に集中し、妖力が増大されるという。

 

 真っ向からぶつかれば勝ち目などほとんどないと。

 だからこそ、妖怪ラリーという手段を用いて悪路王を『無力化』するのが最善だと、鈴鹿御前は自らの案で計画を進めていくつもりだ。

 

「私の方でも必要な人員は集めておくけどさ~、鬼太郎くんたちにも手伝って欲しいんだよね……お願い出来る?」

 

 そして、そのためにも鈴鹿御前は鬼太郎に協力を申し出ていた。

 彼女にも手伝ってくれる知り合いはいるらしいが、協力してくれる仲間は多い方がいいだろう。

 

「分かった……僕の方からも、みんなに声を掛けておく」

 

 鬼太郎も鈴鹿御前の案に同意し、彼女に協力していく方向で話を進めていくこととなった。

 

 

 

 

 

「——それにしても、まさか鈴鹿御前の正体が獣の妖怪であったとはのう……」

「……ん?」

 

 そうして、悪路王を無力化する具体的な流れを話し合う場にて、ふと目玉おやじが鈴鹿御前の『正体』について話題を振っていく。というのも、鈴鹿御前は伝承によってその正体が異なっており、どれが本来の在り方かはっきりと分かっていなかったのだ。

 

 だが、今目の前にいる鈴鹿御前の頭部には『獣の耳』が、お尻にはふさふさな『尻尾』が生えていた。それらの特徴から、目玉おやじは彼女を『獣が変化した妖怪』と判断し、意外な正体にしきりに頷いている。

 

「ああ、これは違うわよ?」

 

 ところが、そのような結論を出す目玉おやじに鈴鹿御前本人が待ったを掛ける。

 

「——だってこの耳も尻尾も、あとから生やしたもんだし~」

「は、生やした!? な、なんでわざわざ……」

 

 なんと、鈴鹿御前の獣耳は後付け——取って付けた偽物だというのだ。猫娘はそんなことが可能なのか、寧ろ何故そんなことをしているのかと疑問を投げ掛ける。

 

「だってカワイイじゃん? あんたも猫耳付ければ~? その方がカワイイし、モテるよ~」

「な、何言ってんのよ……べ、別に私は……そんな、カワイイとか興味ないし……」

 

 特に深い理由もなく、鈴鹿御前が耳や尻尾を生やしているのは可愛いからだと言い、それを猫娘にも勧めていく。

 そのアドバイスに、猫娘はいかにも興味なさげにそっぽを向くが——その視線がチラチラと鬼太郎を見ていたり、頬を赤く染めていたりと、どのような心境かは丸わかりである。

 

「どうした、猫娘? 顔が真っ赤だぞ?」

「な、なんでもないわよ!!」

 

 尚、当の本人には相変わらず全く気付かれていない。

 

「ふふっ! まっ……私ってばこれでも天魔の姫だし~? このくらいはちょちょいのチョイってね!」

 

 そんな鬼太郎と猫娘のことを微笑ましく見守りながら、何気ない呟きを溢す鈴鹿御前。

 

「天魔の……ということは、やはりお前さんの正体は天帝の——第四天魔王の娘ということか!?」

「? どういうことですか、父さん?」

 

 だがその何気ない言葉で、目玉おやじは鈴鹿御前の正体を察した。

 鬼太郎はいまいち理解しきれていない様子だが、彼女の伝承を知るものであればなんとなく察しは付くだろう。

 

 

 

 鈴鹿御前のことを記した伝承の一つ、『田村三代記(たむらさんだいき)』曰く。

 彼女は元々、実の父親から『日の本を混乱へと陥れ、魔国にせよ』という命を受け、天界より下ってきたという。そして、その父親というのが天竺より来訪した天魔——第六天魔王(だいろくてんまおう)、あるいは第四天魔王(だいよんてんまおう)とされているのだ。

 

 天魔とは『仏道の修行を妨げるもの』。人心を惑わし、人々の善心を妨げようとする悪魔や魔王、その眷属のことを指す。

 ちなみに、かの有名な戦国武将——織田信長が『第六天魔王』と呼ばれるようになったのも、敵対する仏教勢力とのいざこざが原因だ。かの『延暦寺(えんりゃくじ)』にて行われた『比叡山(ひえいざん)焼き討ち』。僧侶や女子供を容赦なく虐殺したその所業が、まさに魔王の仕業にでも見えたのだろう。

 

 以後、信長はその所業を恐れる信仰深い人々から神仏の敵——まさに第六天魔王であると呼ばれるようになり、自らもそう名乗るようになったという。

 

 

 

「……まあ、別に隠すようなことでもないし……確かに私の父親は、第四天魔王とか呼ばれてイキってた頃があったていうか……」

 

 目玉おやじの話が的を得ていたのか。鈴鹿御前は少しだけばつが悪そうに自らの素性を語る。

 彼女の父親には、第四天魔王と呼ばれていた時期があると。その父の命により、鈴鹿御前は日本を魔国にしようと地上の鬼たちと手を組もうとしていたという。

 

「…………」

「…………」

 

 その話に、鬼太郎や猫娘の身に自然と警戒心が宿る。そういえば、悪路王も鈴鹿御前に言っていた。

 

『——この国を鬼の支配する魔国へと!! それが我ら鬼の悲願』

 

『——主とて一度はそれを望んでいた筈ではないか?』

 

 もしも、鈴鹿御前が本当に日本を魔国へと変えようとしていたのならば、彼女も悪路王と同じ悪鬼の仲間。

 もしかしたら、罠に誘い込まれようとしているのは自分たちの方ではと、鬼太郎たちが不安に思ってしまうのも仕方がない。

 

「これこれ……二人とも、そう警戒するでない。もしも鈴鹿御前がその気なら、それこそ日本はとうの昔に魔国へと変わり果てておるわい」

 

 しかし、鬼太郎と猫娘の心配は杞憂であると。目玉おやじは彼女の伝承の続きを語ることで、鈴鹿御前への疑いを晴らそうとした。

 

 

 

 第四天魔王の命を受けた鈴鹿御前。彼女は伊勢国と近江国——今でいう三重県と滋賀県の県境にあった鈴鹿山へと降り立ち、さっそく日本を魔国にするべく、地上の鬼たちと同盟を結ぼうとした。

 

 その相手は——大嶽丸(おおたけまる)という鬼だった。

 

 大嶽丸は鬼の中でも最強の一角。あの酒呑童子と同等、あるいはそれ以上の悪鬼とされていた。大嶽丸と鈴鹿御前が手を組んでいれば、日本は本当に鬼たちの支配する魔国へと変えられていたかもしれない。

 

 だが、プライドの高かった鈴鹿御前は大嶽丸をあくまで『配下』にしようと考えていた。天魔の姫である自分が地上の鬼と対等な立場などと、彼女には耐え難いことだったのだ。

 そんな鈴鹿御前相手に大嶽丸も鬼としての、あるいは男としてのプライドからか、素直に同盟を結ぶことが出来ずにいた。

 互いに譲れぬプライドが足を引っ張り合い、日本を魔国にする計画は先送り先送りとなってしまう。

 

 そんな最中——鈴鹿御前を討伐しようと、一人の人間が鈴鹿山を訪れた。

 その人物こそが——坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)。何を隠そう、鈴鹿御前の夫となる男性だ。

 

 

 

「夫って……アンタ、結婚してたの!?」

「…………」

 

 話の途中ながらも、鈴鹿御前が人妻であったことに猫娘が驚愕。一方で、鈴鹿御前は顔を伏せっているためにその表情を窺い知ることが出来ない。

 

 

 

 坂上田村麻呂は帝の命により、妖怪たる鈴鹿御前を討伐しに来た人間の武士であった。鈴鹿御前としても、自分を討伐しに来た人間など邪魔者以外の何者でもなかっただろう。

 ところが、あろうことか二人は互いに一目惚れ——清い交際をすっ飛ばし、そのまま夫婦となってしまったのだ。

 

 夫である坂上田村麻呂のためにと、鈴鹿御前は日本を侵略する立場でありながらも、彼と共に多くの鬼たちと戦う道を選んだ。

 鈴鹿御前と坂上田村麻呂は夫婦二人で、数多くの名だたる鬼たちを討伐していった。

 

 悪路(あくじ)高丸(たかまる)や、大武丸(おおたけまる)。今回の騒動で出てきた悪路王もその内の一体だ。

 そして、かつての同盟相手——大嶽丸。

 

 こうして鈴鹿御前の活躍もあり、日本は鬼たちの魔の手から逃れたのであった。

 

 

 

「へぇ……そんなことがね……」

「なるほど、それなら彼女はボクたちの味方と考えてよさそうですね……」

 

 目玉おやじの話を肯定的に受け取り、猫娘や鬼太郎も鈴鹿御前への警戒を解いていく。

 

 その伝説が真実であれば、鈴鹿御前には既に日本を魔国にするなどという考えはなさそうだ。実際、彼女は過去にも討伐したことのある悪路王を倒すべく力を貸してくれている。

 それなら一安心と、改めて悪路王対策についての話に戻ろうとするのだが——。

 

「——あのさ、目玉おやじさん……」

「……ん?」

 

 ところが、鈴鹿御前はそんな自分の活躍を誇るでも、威張るでもなく。自らの伝承を語った目玉おやじに対し——警告の意味も込めて眼を飛ばす。

 

 

「——悪気がないから許すけど……私の前で迂闊にその名を口に出さないことよ?」

「——っ!!」

 

 

 鋭い眼光と共に投げられた静かな激情のこもった言葉に、目玉おやじが押し黙る。

 その名とは、言葉のニュアンスから『坂上田村麻呂』のことだと察せられる。彼女は自分の夫である彼の名前を軽々しく口にするなと、目玉おやじを睨め付けたのである。

 

 その形相は——悪路王への悪態を付いたとき以上の怒りに満ちていた。

 

「…………私、今日はもう帰るね」

 

 それから、暫くして鈴鹿御前は帰ってしまった。

 

 

 

 

 

「な、なんなのよ、いったい?」

 

 明らかに気分を害した鈴鹿御前の態度に、猫娘は訳が分からないと首を傾げる。どうして彼女の夫——坂上田村麻呂の名前を出しただけで、あそこまで気を悪くしたのだろう。

 少なくとも、目玉おやじにあのような怒りをぶつけられる落ち度などなかったように思われるが。

 

「しまった……! 実は……大嶽丸を退治する際、鈴鹿御前は奴の懐に潜り込むため……三年もの間、偽りの花嫁となって大嶽丸の妻として過ごしていたんじゃ」

「えっ……?」

 

 だが目玉おやじは、鈴鹿御前の怒りに己の落ち度を察した。

 

 

 それは、かつての同盟相手であった大嶽丸を倒す際の逸話だ。

 鈴鹿御前はかの鬼を打ち倒すため、坂上田村麻呂の元を離れ——大嶽丸の元へ、『妻』として下ってしまったのだ。身も蓋もない言い方をすると浮気というやつだ。

 

 しかし、それもこれも全ては愛する夫のため。宿敵である大嶽丸を倒して彼に喜んでもらおうと、その懐から大嶽丸を弱体化させようと一計を案じたのだ。

 そのような搦手を使わなければならないほどに、大嶽丸はどんな鬼よりも強かった。

 三年もの時間、神通力で念じることにより鈴鹿御前は大嶽丸の岩よりも固いとされる皮膚を柔らかくし、その身に坂上田村麻呂の刃が通るようにしたのである。

 

 

「じゃが……坂上田村麻呂はその事実を知らんかった。鈴鹿御前に本気で裏切られたと思い、気を病んでしまった彼は……弱体化した大嶽丸ごと、愛するものをその手に掛けたのじゃ……」

「——!?」

 

 

 ところが、坂上田村麻呂のためにとやったことが——肝心の彼には本当に『裏切り』と思われてしまっていた。

 大嶽丸を欺くためにも、誰にも計画を話さずにいたことが鈴鹿御前と坂上田村麻呂との関係を悲劇へと導いてしまった。

 

 最後、愛憎と失意、絶望の中で——坂上田村麻呂は鈴鹿御前を大嶽丸もろとも葬ってしまう。

 鈴鹿御前自身も、それを運命と受け入れ——愛する人の手で今生の生を終えたのである。

 

 

「その後……真相を知った坂上田村麻呂は、冥府に落ちたとされる鈴鹿御前を救い出しに赴いたという話もあるんじゃが……あの様子を見るにその伝承は創作に過ぎないようじゃな……」

「…………」

 

 その後の物語として、再び愛を取り戻した二人が幸せに暮らしたという話もあるにはあるのだが、鈴鹿御前のあの態度を察するに愛する人との和解は最後まで叶わなかったようだ。

 

 もう名前も聞きたくないということだろうか。坂上田村麻呂という名に激しい感情を隠しきれない様子であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 ゲゲゲハウスから飛び出してきた鈴鹿御前は、ゲゲゲの森の広場にある大岩に一人静かに腰掛けていた。

 

「はぁ〜……思わず飛び出してきちゃったな〜……反省! 反省っと!」

 

 夜風で頭を冷やしたこともあり、鈴鹿御前は自身の軽率な行動を恥じていた。

 久しぶりとはいえ、『あの人』のことを他者の口から語られたくらいで、ああも感情を露わにしてしまうとは。もう少し自制心を利かせなければと、自身の行いを反省する。

 

「あとで目玉おやじさんや、鬼太郎くんにも謝っておかないとね〜……」

 

 とりあえず、目玉おやじたちには後日謝罪しよう。今は悪路王の件もあるのだから、ここで彼らと仲違いをしているわけにもいかない。

 たとえ感情的になることがあっても、それをいつまでも引きずってはいけない。鈴鹿御前がなりたいと願う女子高生スタイル—— JKであれば、きっとすぐに気持ちを切り替えるだろうと、そう思うから。

 

「大丈夫よ……」

 

 そうして心機一転、気持ちを改めた鈴鹿御前はふと、空に浮かぶ月を見上げる。

 

 綺麗な月だった。

 遠い昔、愛しい人と共に見上げた月と寸分違わぬ美しさである。

 

 鈴鹿御前の活躍した時代から人の世の営みなど、随分と様変わりしたがあの月の輝きだけは何も変わらない。

 その月に愛しい人を想い浮かべながら、鈴鹿御前は改めて決意を口にしていく。

 

 

「——アンタが守ろうとした人の世は私が護るから……」

 

 

 たとえそれが、もう二度と届かない想いだとしても。

 鈴鹿御前は胸のうちに彼との想い出を秘めながら、自らの信じる道を突き進んでいく。

 

 




人物紹介

 鈴鹿御前
  まだレース前とのことなので、先に通常霊基での登場です。
  基本的に鈴鹿御前はJk、女子高生スタイルで口調などもギャルっぽくなります。
  ですが素の性格は思慮深く、生真面目でかなり賢いとのこと。
  そんな彼女の仕掛けた妖怪ラリー……次回のサマバケスタイルもお楽しみに!

 悪路王
  今回のゲスト妖怪。
  色々な伝承がある人物でもありますが……めんどいのでその辺りの逸話は省略!
  本作においては、『とっても強くて悪い鬼』くらいの認識でお願い致します。ただし頭は悪い。
  伝承によっては、鈴鹿御前の夫であったという話も……果たしてその真相は!?

 手下の鬼たち
  基本的に鬼ヶ島の鬼たちはfgoに出てくる小鬼や大鬼を思い浮かべていただければ。
  ただしモヒカンとスキンヘッドだけはちょっと特別な個体。
  本当はちゃんとした名前を付けたかったのですが……分かりやすく髪型で個体識別させていただきます。
  ちなみに鬼たちのイメージは『世紀末に出てきそうなモブ敵』です。

 大嶽丸
  鈴鹿御前の宿敵。今回は過去語りでのみの登場です。
  何故彼を本編に出さないかというと……大嶽丸は『Fate/フォックステール』の方で回想ながらある程度キャラが固まっているためです。
  鈴鹿御前によると、彼は理系で頭も良かったとか。
  そんなクールキャラが妖怪ラリーをやるイメージがどうしても湧かなかったため、今回は出番なし。

 坂上田村麻呂
  こちらも過去語りでのみの登場。
  鈴鹿御前と夫婦になりながらも、彼女が裏切ったと思い込んでその手にかけてしまった。
  果たしてどのような人物だったのか、いずれfgoに実装されるかもしれないので詳しくは描きません。

 悪路の高丸、大武丸
  過去に鈴鹿御前と坂上田村麻呂が討伐した鬼たち。
  悪路王や大嶽丸と名前が似通っていますが、鈴鹿御前のマテリアルを見る限りではどちらも別個体。
  
 まだ見ぬ強敵たち
  今回はレース前とのことで、妖怪ラリーに参加する各国の代表が登場しませんでしたが。
  一応予告という意味で、エントリーする国名をここにあげておきたいと思います。

 日本代表——鈴鹿御前&ゲゲゲの鬼太郎。
 日本代表——悪路王とその手下たち。
 イギリス代表——???。
 エジプト代表——???。
 インド代表——???。
 中国代表——???。
 アメリカ&⚪︎⚪︎⚪︎代表——???。

 何故かアメリカと⚪︎⚪︎⚪︎だけ合同チームになっております。
 代表チームの人選を予想しつつ、どうか次回をお楽しみに!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

レースクイーン鈴鹿御前・灼熱のサマーレース 其の②

『Fate/サムライレムナント』。
発売前は期待半分、不安半分だったのですが……見事! 期待以上の作品に仕上がっていてくれました。
ストーリーは勿論、バトルシステム面もほとんど文句はありません。江戸の背景は散策しているだけでも楽しいし、とても勉強になります!
ちょっとロードが長かったり、カクつくところがあったりと、細かいところを見れば不満もありますが……一つのゲーム作品としては確かに満足する出来栄え。
買って損はないかと思いますので、まだプレイしていない人も是非手に取ってみてください。

さて、鈴鹿御前が主役の今回の妖怪ラリー。
確かに鈴鹿御前が物語の中心になりますが、今作はかなりのfgo系列のキャラがレース参加者として登場します。
今回の其の②は、キャラ紹介的な意味合いが大きな話になります。

後書きの方で簡単な人物紹介は行いますが、それらの人物たちがどのようなキャラクターなのか。
それはストーリーの流れの中で解説していきたいと思います。

少なくとも四話構成、もしかしたら五話構成になるかもしれない長丁場になると思いますが、どうか最後までお付き合い下さい。




 その日、鬼ヶ島は喧騒と熱気に包まれていた。

 

「——うおおおおおお!! 悪路王様!!」

「——オニランド最高ぉおおおお!!」

「——我ら鬼の力を全世界に知らしめてくだせぇえええ!!」

 

 数百という規模の鬼どもが、突貫工事で作られた観客席にひしめき合っている。

 彼らは皆、この鬼ヶ島を支配する悪路王の配下であり、主が開催を宣言した記念すべきオニランドの第一回イベント——『妖怪ラリー』が始まるのを今か今かと待ち侘びていた。

 会場には様々な出店が立ち並んだり、盛大な花火が打ち上げられたり、怪しい男が主催する賭け試合に興じていたりと。鬼たちの盛り上がりようが凄まじい。

 

「はぁはぁ……ま、マジで休みなしで働かせやがって……」

「ブラック企業も真っ青だよ……ぜぇぜぇ……」

 

 反面、労働力として鬼ヶ島に捕えられていた人間たち、百人ばかりが満身創痍とへこたれている。レース場の建設に駆り出された彼らは不眠不休、ここ一週間ばかりほとんど休みなしで働かされていた。

 働いていたのは鬼たちも同じではあるが、人間たちにはオニランドの建設を喜ぶ理由がこれっぽっちもない。

 

 やはり肉体的にも、精神的にもオニランドでの労働など冗談ではない。このまま延々とここで働かせ続ければ、過労死待ったなしである。

 早急に鬼ヶ島からの解放、元の生活に戻ることを人々は望んでいた。

 

 

『——ついにやって来ました!! 日本の命運を賭けた運命のレース!!』

 

 

 そんな人間たちの気持ちを知ってか知らずか。実況席からは司会進行を務める女性がレースの開催を声高々に宣言する。

 マイク越しから聞こえてくる興奮した若い女性の声に、鬼や人間と問わずにその視線が彼女へと向けられていく。

 

『——本日、鬼ヶ島にて開催されることになった妖怪ラリー!! 全世界の妖怪たちを巻き込んでの熱きレースに勝利し、栄冠を手にするのは誰か!?』

 

 皆からの視線を一身に浴びながらも、彼女はその類稀なる外面の良さを見せつけ、澱みなく自らの職務を全うしていく。

 

 

『——実況はこの(わたし)! 日本が誇る美しき姫路城でもお馴染み……刑部姫!! 刑部姫でお送りします!!』

 

 

 そう、姫路城の主である刑部姫。

 自身の名前を強調しながら自己紹介をする彼女こそが、この妖怪ラリーの実況という大任を預かることになった妖怪である。

 

 

 

『ゲスト席には、ゲゲゲの森から猫娘さんに来ていただいています! さあ、猫娘さん! いよいよレースが始まるということもあり、会場の方が異様な熱気に包まれて来ましたが……』

「…………」

 

 和装ドレスのような水着を身に纏った刑部姫は、共に実況席でレースの行く末を見届けることになった猫娘に声を掛けた。しかし猫娘の方は終始ブスッとしており、刑部姫の呼び掛けに答えようとしない。

 

『やはり、猫娘さんとしては鬼太郎選手に優勝して欲しいというところでしょうが……レースは時の運ですからね。運命の女神が誰に微笑むことになるのか、予想出来ないレース展開が今から楽しみです!!』

 

 だが猫娘の不機嫌な態度を気にした様子もなく、刑部姫は平然と実況者としてレースを盛り上げようとしていく。

 あくまで司会者に徹していく刑部姫に、とうとう猫娘からのツッコミが入った。

 

「——なんでアンタがここにいんのよ……ていうか、どうして私がこんなところで……」

 

 そう、猫娘は何故自分が刑部姫などと実況席でレース解説などしなければならないのか、それが不可解で不満であった。

 

 猫娘自身は刑部姫とは顔見知りだ。

 彼女とは一昨年に姫路城で、去年は牛鬼が封じられていた南方の島にて。二度に渡って妖怪との騒動で共闘した覚えがある。

 もっとも、猫娘の印象としては『力を貸して貰った』というよりは、刑部姫の『個人的な趣味』に巻き込まれたという印象の方が強く。

 久しぶりの再会を喜ぶなどという気分にもなれず、その顔に顰めっ面を浮かべている。

 

「いや、なんでって……鈴鹿っちから聞いてないの? ほら……あの悪路王とかいう鬼を退治するのに協力して欲しいって言われてさ……」

「!! あ、アンタ……鈴鹿御前とも知り合いだったの……?」

 

 すると猫娘の疑問に答えるべく、刑部姫は実況席のマイクを切ってヒソヒソと声を潜ませて詳細を語っていく。

 この刑部姫こそが、鈴鹿御前の言っていた『必要な人材』とやらの一人らしい。意外な人選に猫娘は目を丸くしている。

 

「鈴鹿っちとはメル友仲間でね……あんまり趣味は合わないけど、同じ妖怪女子としては捨ておけないじゃない?」

 

 どうやら、刑部姫は鈴鹿御前からメル友仲間として協力を依頼されたらしい。そこまで懇意な仲というわけではないようだが、妖怪女子という間柄から放っては置けなかったようだ。

 

「とりあえず、表向きは実況者としてレースを盛り上げていくけど……そんときが来たら頑張るから、よろしくね、猫ちゃん!」

 

 鬼たちに気取られぬようにと、彼女は何気ない顔でレース実況を進めていく。その瞬間——レースが終わるそのときが来るまで、機が熟するのを待つということだろう。

 

「まあ……そういうことならいいんだけど……」

 

 猫娘も、それならそれでと刑部姫のことを受け入れていく。彼女と共に実況席からレースの経過を見守っていくことに文句はないのだが——。

 

 

「ところで……このデッカい置物はなんなの? 無駄にスペース取ってて邪魔なんだけど……」

 

 

 だがもう一つ。先ほどから気になっていることがある。

 それは実況席に刑部姫と猫娘以外にも、もう一つ席が設けられており——その席に、何かしらの『石像』が鎮座していたのである。

 後ろ向きになっているため、それがなんの石像かは分からなかったが、気のせいか先ほどからちょくちょく動いているような気がする。

 

「ああ……この子も一応、協力者の一人でね……ほら! ガっちゃん! そろそろレース始まるよ! そのデッカい被り物脱いでよ!!」

 

 刑部姫はその石像が何かを知っているらしく、それに向かって随分と気さくに声を掛ける。すると——。

 

「——愚かな。これは被り物ものなどではないし、中の人などいない」

「喋った!?」

 

 刑部姫の呼び掛けに答える形で石像が言葉を返した。いきなりのことで驚く猫娘だが、石像はこちらを振り返りながら自らの名を偉そうに告げてくる。

 

 

「——頭が高いわ、小娘どもめ!! 我こそはガネーシャ!! 福を招き、富を与え、絶対の安らぎを与える……偉大なる神であるぞ!!」

 

 

 その石像——ガネーシャと名乗ったそれは、頭部が『象』の姿をした石像であった。

 

「……ガネーシャ? ガネーシャってあれよね……インドの神様の……」

 

 猫娘は自称神様を名乗る不審な石像に疑惑の目を向けつつも、その名前には聞き覚えがあると驚きを露わにする。

 

 ガネーシャ。おそらく世界的に見てもかなり特徴的な見た目をした、インド神話——ヒンドゥー教における神の一柱である。

 その姿は人の身体に象の頭。象頭には立派な牙が生えており、右の牙は砕けて欠けている。坐禅を組み、手のひらをこちらに向けているポーズがどこか仏を思わせる。腕は全部で四本あり、それぞれの腕に斧や投げ縄など、ガネーシャ神が所持しているとされるアイテムが握られていた。

 その石像は、確かにガネーシャとしての外見的特徴を余すことなく捉えている。

 

「その通りだ……我を崇めよ! 讃えよ! さすれば家内安全、商売繁盛を約束しよう!!」

 

 ガネーシャは猫娘に対し、自分を崇め奉るように要求してくる。

 ガネーシャ神は智慧、富、幸運、繁栄、商売繁盛、障害の除去などなど。様々な役割を持つ神としてインドでは勿論、世界中でも広く人気を集め、多くの人々から崇拝の念を集めていた。

 その石像は、確かにガネーシャの名に相応しい風格を放ってはいた。だが——。

 

「……コレが……本当にガネーシャ神なの……コレが?」

「そうなのよ……残念なことに、コレがあのガネーシャなのよ……」

 

 猫娘も、そしてガネーシャと知り合いらしき刑部姫ですらも、その石像が持っている——どこか残念な空気に揃ってため息を吐く。

 

 ガネーシャを名乗るその石像は、間違いなく神気らしきものを放っている。だが同時に、神様らしからぬ雰囲気、どこか俗っぽさが隠しきれていないのだ。

 でっぷりと突き出ている太鼓腹のせいだろうか、あるいはその手に握られている山盛りお菓子のせいか。多分両方だろう。初対面である猫娘ですらも、偉い神様だと分かっていながら敬おうという気にすらなれない。

 

「——二人してコレコレ言うな!! 無礼っスよ!! 不敬っスよ!?」

 

 実際、猫娘と刑部姫から向けられる冷たい視線に見せかけの威厳があっさりと剥がれ落ちる。

 

「ボクはインドでも超超有名な神様なんスからね!! ボクにそんな無礼な態度を取るなんて……インド国民、十四億人が黙っていないっスよ!?」

 

 自らの権威を示そうと声高々に叫ぶガネーシャ神だが、そのための手段として自分を信仰する人々の数に頼るところがなんとも情けない。

 神としての格はともかく、性格面はだいぶ小物——器の小ささを自分から露呈してしまっている。

 

「…………一応、コレも協力者ってことでいいのよね?」

「シカトっスか!? いじめっスか!?」

 

 猫娘はそんなガネーシャ神と話していても時間の無駄と判断したのか。事情を知るであろう刑部姫に話を振る。

 

「というか……どういう知り合いな訳? 仮にもインドの神様とか呼んでくるって……結構すごいことしてない?」

 

 その際、刑部姫とガネーシャ神にどのような接点があるか疑問を投げ掛ける。どんなに残念であろうと、相手は他国の神様だ。

 それが一介の妖怪——城に引きこもっている筈の刑部姫などと、いったいどういう接点があるというのだろう。

 そんな猫娘の当然の疑問に、刑部姫はなんでもないことのように答える。

 

「ああ、ガッちゃんとはネトゲ仲間でね! その縁で今回はお手伝いをしてもらうことになったのよ」

「ね、ネトゲって……」

 

 ネトゲ——それが『オンラインゲーム』のことを指しているのは、そちら方面の知識に乏しい猫娘にも理解が出来てしまった。

 神様と妖怪がネットゲームで意気投合——ますます持って残念なエピソードだが、二人の残念度は猫娘の予想をさらに越えていた。

 

「いや~! ネットで偶々意気投合した、引きこもり仲間のガっちゃんがあのガネーシャだと分かったときは……流石の姫もびっくりしたけどね!!」

「ボクの方こそ!! お気に入り同人作家のおっきー殿が、まさか姫路城の刑部姫だったとは夢にも思わなかったスよ!!」

 

 ネトゲ、同人誌、引きこもり。それが二人を繋ぐ接点というか共通点というべきか。

 

「…………」

 

 それらが決して褒められたものでないことに頭を抱える猫娘。果たして本当にこの人選で良かったのかと。

 

「おっと……! そろそろレースが始まる頃合いだから……本題の方はまた後でね!!」

「解説の方は任せるっス! ありとあらゆるレースゲームを網羅してきたボクに死角はないっスよ!!」

 

 とりあえず時間が迫っていることもあり、一旦は私的な話を区切る刑部姫とガネーシャ。

 猫娘も不安を胸に抱えながらも、開催までもう間もなくといった『妖怪ラリー』の方へと意識を集中させていく。

 

 

 

×

 

 

 

『——さあ! レース前ですが……ここで基本的なルール説明を!!』

 

 再び実況マイクを握った刑部姫が、観衆に向けてルール解説を行なっていく。 

 

『スタート地点はここ! 鬼ヶ島オニランドの入り口に建設された特設会場!! そこから島内を一周し、先に戻ってこられたものを優勝とします!!』

 

 基本的に、妖怪ラリーはレース競技だ。

 スタート地点から始まり、ゴール地点まで誰よりも早く到達する。それだけであれば全く問題なく単純明快なルールだろう。

 

『しかし!! コース途中には四箇所のチェックポイントが設置されており、その都度環境の違うエリアがレース参加者を襲う!!』

 

 だが、島内を一周するには『四つのチェックポイント』を通過する必要があるらしく、そこで待ち受ける様々な試練を乗り越えていかなければならないとのこと。

 

 ただ速いだけでは勝つことなど出来ない。それこそ——妖怪ラリーの醍醐味である。

 

『それでは皆さん、お待ちかね!! 今回の妖怪ラリーに参加を表明してくれた、命知らずのレーサーたちを紹介していきたいと思います!!』

『おおっ! いよいよっスね!!」

『どんな連中が集まってのかしら……』

 

 そして、ここでレース参加者の紹介に入る。

 これにはガネーシャも待ってましたと声を上げ、解説の仕事そのものにやる気を見せないでいる猫娘ですらも興味深げに耳を傾けた。

 

 いったい、どのような猛者たちが集まったのか。それによって鈴鹿御前や鬼太郎たちの勝率もだいぶ変わってくるというものだが——。

 

 

 

『エントリーNo.1!! 日本と同じく神秘を閉じ込めた島国から……あの怪物、フランケンシュタインの登場だ!!』

『……!? フランケンシュタインって……まさか、バックベアードの!?』

 

 一番手。フランケンシュタインと聞いて猫娘が身構える。彼女にとって『フランケンシュタインの怪物』といえば、バックベアード軍団の幹部——ヴィクター・フランケンシュタインだ。

 しかし、かの者は先の大戦でバックベアードに取り込まれ、そのまま諸共に消滅したと聞く。あれから一年と経っていないのに復活などあり得ない。

 では、そこに立つフランケンシュタインとは何者か。

 

『フランケンシュタインが醜い怪物なんて、もう時代遅れ!! ヴィクター博士が残した設計図によって新たに誕生したフランケンシュタインは……まさかの女の子!!』

『怪物の美少女化など、もはや常識っス!』

 

 刑部姫とガネーシャ曰く、そのフランケンシュタインは可愛い女の子だとのこと。新たに誕生した生まれたての怪物。そんな彼女の名は——。

 

 

『——フランちゃん!!』

「うー……うー!!」

 

 

 盛大に焚かれるスモークの中から姿を現したのは——全身のデリケートな部分にだけ包帯を巻いた可憐な少女。

 頭部の先端に角、耳がボルトになっているなど。細かいところにフランケンシュタインらしい継ぎ接ぎなどが見えるも、その蒼い瞳に翳りなどなく。

 まさに生まれたての赤子のように、その純粋な瞳に世界を映し出していく。

 

『そして、そんなフランちゃんの愛車こそが……彼女を現代に復活させた天才碩学者!! 蒸気王の名を語る彼は本物か!?』

 

 そんなフランちゃんの愛車。

 しかしその愛車こそが、フランを現代に甦らせた張本人だとか。果たして彼は何者か、その名を意味するものは何か。

 

『チャールズ・バベッジ!! 高速機動形態バベッジ・ロコモーティブフォーム!!』

『見果てぬ夢を……ここに!!』

 

 刑部姫の紹介に合わせて、自らの願望を口にしていく——鋼鉄の巨躯。

 二メートルを越えた全身から蒸気を吹き出すその姿は、まさに『蒸気王』と呼ばれるに相応しい貫録を備えていた。

 次の瞬間にも、彼は人型から灰色の蒸気機関車へと自身をフォームチェンジさせていく。

 

『ちょっと!? いきなりとんでもないのが出て来たわね!! あれどう見てもロボットじゃない!?』

『変形機構は男の子のロマンっスね……個人的にも嫌いじゃないっス!!』

 

 フランケンシュタインの女の子にも驚きだが、まさかの変形ロボットに初っ端からツッコミが止まらない猫娘。

 ガネーシャは変形機構にも理解が深いのか、全く気にしないどころか嬉しそうであった。

 

 

 

『エントリーNo.2!! ピラミッドでもお馴染み!! 神秘と謎に包まれたエジプト神話より、あの神様の参戦だ!!』

『神!? 妖怪じゃなくて、神様って……妖怪ラリー的にそれはありなの!?』

 

 二番手。妖怪ではなく神様を名乗る者の参戦に猫娘が参加資格を満たしているかを問うも、その部分には一切触れずに刑部姫は語る。

 謎多きエジプト神話の中でも、一際が謎に包まれたその神の名を——。

 

『その姿は洒落か!? ジョークか!? そのほとんどが謎のベールに包まれた不可思議な存在、メジェド!!』

「不敬! 不敬であります! 様を付けないとは何事ですか!?」

 

 すると、刑部姫の紹介に本人が不満を露わに声を荒げる。

 

 それは目と眉が描かれた御衣に、そこから足だけが生えているという奇妙な出立ち。申し訳ない程度に耳がついていたりと最低限のオシャレはしているが、まさに壁画に描かれているそのまんまの姿をした——メジェド神だ。

『死者の書』という文献によると、メジェドとは『打ち倒す者、攻撃する者』という意味合いがあるらしい。敵対するものには目からビームを照射し、口から炎を吐くとされている。口はいったい何処にあるのだろう?

 

『日本ではゆるキャラとして人気を集めているみたいっスね……まっ! 人気なら、このガネーシャさんには遠く及ばないでしょうけど!!』

 

 メジェド神に対し、全く別の神話体系ながらも同じ神様としてガネーシャ神が謎の対抗意識を燃やす。

 メジェド様はそのユニークな見た目から、日本のサブカルチャーなどでゆるキャラやら、マスコットなどに採用され、一部界隈で密かに人気を集めていた。

 

『何やら女性の御御足が衣の下から見えますが……気にせずに乗機の紹介を!!』

 

 メジェド様の足——何処となく女性のようなものに見えたが、それを気にせずに刑部姫は乗機の紹介へと移る。

 

『ザ・ファラオレジェンドはスカラベをモチーフにしたマシンとのこと!! 太陽神ケプリの似姿とされるフォルムが実に個性的だ!!』

 

 スカラベとはフンコロガシのこと。古代エジプトではスカラベは聖なる昆虫として崇拝され、護符や装飾品などにもその姿を紋章として刻み込んだ。

 太陽神ケプリはそんなスカラベの頭部に、人間の男性の身体を持った太陽神。見た目のインパクトはガネーシャに負けず劣らず。そんなケプリの姿をマシンに落とし込んだのが——ザ・フォラオレジェンド。

 

 巨大な前輪がフンコロガシの転がすフンの如く。操縦席が——何故かアラビアンチックな装いになっている。

 

「ああ……そう興奮なさらないで下さい。死んでしまいます……」

 

 おそらくはメジェド様のサポーターとして入っている、アラビアンな女性の趣味だろう。興奮気味なメジェド様が憤死しないようにと、その怒りを必死に宥めていく。

 

 

 

『エントリーNo.3!! 解説として実況席まで来ていただいているガネーシャさんと同じく、インドより参戦!!』

『おおっ、ようやくっスか!!』

 

 三番手。プンスカと怒れるメジェド様をよそに、刑部姫がインド代表の紹介へと移る。自国の代表選手ということもあり、これにはガネーシャもテンションが高くなる。

 

『さあて、どんな物好きがエントリーしてるんスかね……まっ! どんなやつだろうとボクの威光の前ではひれ伏すだけ——』

 

 前もって選手のことを聞かされていなかったのだろう、どんなヤツが妖怪ラリーに参戦するのかとガネーシャも興味深々。

 もっとも、どんな強者が出てこようとガネーシャ神の人気の前では無力と。神様という地位を利用して散々に弄ってやろうと、上から目線でその選手を迎えようとするが——。

 

 

「——ウラァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

「——!?」「——!?」「——!?」

 

 

 刹那、突如として響いてきた怒号に会場中が黙り込む。人間も鬼たちも、実況席にいる猫娘ですらも恐ろしいまでの叫び声に口を噤むしかない。

 

『こ、この怒号は……ま、まさか……!?』

 

 余裕綽々だったガネーシャの態度に怯えが見える。次の瞬間、燃え盛る業火と共にその怒号の主が姿を現す。

 

「——戦いか!? いいぜ……どいつもこいつも、ぶっ殺してやらなぁああ!!」

『——ひぃ、ひぃいい!? あ、アシュヴァッターマン! アシュヴァッターマンっスよ!? なんだってあの人がここに!?』

 

 厳ついフルフェイスの全身鎧にその身を包み込んだ男の登場に、ガネーシャがその巨体を刑部姫の後ろに隠して縮こまってしまう。神であるガネーシャがそこまでビビる相手ということだろう。

 

『ええっと……アシュヴァッターマン選手はインド叙事詩・マハーバーラタに登場する武人です……』

 

 恐ろしい怒号にペースを崩されながらも、刑部姫はアシュヴァッターマンとは何者なのか軽く紹介文を読み上げる。

 

 アシュヴァッターマンとはインドを代表する二大叙事詩『マハーバーラタ』で活躍する大英雄。その粗暴な言動とは裏腹にあらゆる学問を納めているという、最強のバラモン——僧侶戦士である。

 彼は妖怪でもなければ、神でもない。その半身にシヴァというヒンドゥー教における最高神を宿す『半化身』だ。

 

『ひぃい……ごめんなさい! ごめんなさい!! 調子乗ってごめんなさいぃいいい!!』

 

 ちなみに、ガネーシャはシヴァ神とその妻・パールヴァティーの息子だ。

 半身とはいえシヴァを宿しているアシュヴァッターマンは、感覚的にガネーシャにとっては親戚の叔父さんのようなものだとかなんとか。

 その苛烈な性格も含めて、ガネーシャは彼をかなり苦手としていた。

 

『ええ……ガネーシャさんがすっかり怯えてしまってますが……あ、アシュヴァッターマン選手の愛機! スダルシャンチャクラ!!』

 

 刑部姫自身もアシュヴァッターマンの威圧感に圧倒されながら、なんとか彼の乗機を紹介していく。

 

 アシュヴァッターマンが乗るマシンは、一見するとただのバイクにしか見えない——スダルシャンチャクラ。それはシヴァと同じくヒンドゥー教の神・ヴィシュヌが持つとされる武器の名前である。

 チャクラという言葉には『車輪』という意味もある。何かのゲン担ぎでそのような名前を名付けたのだろうか。

 

「いいぜ!! 今日も俺の相棒はご機嫌だ!! 誰が相手だろうがぶっちぎってやるぜぇええ!!」

 

 勿論、神の武器と同じ名を冠するバイクがただのバイクであろう筈がなく。アシュヴァッターマンがエンジンを吹かせる度、そのボディから溢れんばかりの炎が漏れ出している。

 そんな燃え盛る巨大な車輪をフルフェイス姿で乗り回すその出立ち——どこかの町で活躍するという、謎の仮面ヒーローを思わせるものがあった。

 

 

 

『エントリーNo.4!! 大陸より襲来……世界最速を決めるこの妖怪ラリーに、ついに中国妖怪が名乗りを上げる!!』

『!! 中国……まあ、当然出てくるわよね……』

 

 四番手。気を取り直して刑部姫は次の選手紹介へ。満を持して登場するのはアジア屈指の大国——中国である。

 他の国々が名乗りを上げる以上、かの大国が出てこないなんてことはないだろう。中国妖怪、いったい如何なる猛者が馳せ参じたというのか。猫娘も緊張感を滲ませていくのだが——。

 

 

「——ヒヒーン!! お待たせしました……」

 

 

 刑部姫が選手名をコールするのを待たずして、それは衆目の前に姿を晒した。

 

「中国と言えば三国志……三国志といえば、呂布!! そうです! 中国が誇る飛将軍・呂布奉先、ここに推参!!」

 

 中国の歴史小説の中でも、特に日本でも人気が高いとされる——『三国志(さんごくし)演義(えんぎ)』。

 作中、数多の武将・軍師が活躍を見せるが、その中でも最強の一角と名高いのが——猛将『呂布(りょふ)奉先(ほうせん)』である。

 

 養父を斬り殺したり、幾度となく裏切りを繰り返すなど。その行為こそ褒められたものではないが——その武功、武勲の数は他の追随を許さない。

 もしも、本物の呂布奉先が死後に妖怪化したというのであれば、きっと恐ろしい脅威として立ちはだかるであろう。

 

 もっとも——。

 

「天下無双と謳われた我が力……存分にお見せしましょう、ヒヒーン!!」

『…………えっ? なに、あれ……馬? 馬よね……いや、馬というより……UMA(ユーマ)?』

 

 緊張で身構えていた猫娘も呆気に取られる。自ら呂布を名乗ったそれは——どこからどう見ても馬だった。

 勿論、ただの馬ではない。下半身は馬、上半身は人間と。その姿はさながら、ギリシャ神話でも有名な半身半馬の種族・ケンタウロスのようである。

 だがケンタウロスとは異なり、そいつは顔も文字通り馬面だった。

 

「おっと、ちょっとそこ通りますね……クワっ!!」

 

 他選手とすれ違う際、歯を剥き出しに威嚇してしまう。本人に悪気がないようなら、それは生物としての習性だろう。

 

『え、ええと……本人は呂布を名乗っておりますが……選手登録名は赤兎馬となっていますね……』

 

 混乱する観客たちに向け、刑部姫は彼が『呂布』ではなく『赤兎馬(せきとば)』であると訂正を入れる。

 赤兎馬は、呂布の愛馬とされた軍馬だ。呂布と共に数多の戦場を駆け抜けるその姿は、まさに人馬一体。そう考えれば呂布とは赤兎馬のことであり、赤兎馬とは呂布のこと。

 赤兎馬である彼が呂布を名乗ったところで、何もおかしなところなどない——ないのである。

 

 

 

『エントリーNo.5!! アメリカ国民に恐れられた魔狼と、ドイツ人傭兵の亡霊がまさかのコラボレーション!!』

『アメリカとドイツの混合チームってこと? それって……ルール的には問題ないの?』

 

 五番手。刑部姫の選手紹介は続いていくが、ここまで来ると猫娘にもツッコミ疲れのようなものが見て取れた。

 国境の枠を越えた合同チームという。これまでの選手たちにも負けず劣らずのキャッチコピーながらも、ほとんどリアクションを見せないでいる。

 

 

『——オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

「——!!!!!!!?」

 

 

 だが、いざその『怪物』が姿を現した途端、再び会場全体が静まり返る。

 アシュヴァッターマンの怒号に匹敵するほどの遠吠えと共に会場に現れたのは——巨大な狼であった。全長三メートルは越えるであろう、明らかに真っ当な生物とは思えない化け物がゆっくりと歩を進めてくる。

 しかし、その巨体以上に群衆を恐怖させたのは——その鋭い眼光だ。

 

『グルゥウウウウウ……』

 

 なんと『憎悪』に満ちた瞳だろうか。その目の奥に宿るのは、煌々と燃え続ける憎しみの業火。

 傍目から見ても分かるほどに滾る憎悪。巨大な狼はその怒りと憎しみの矛先を——人間という生物へと向ける。

 

「——ひぃっ!?」

 

 会場の隅で鬼たちに怯えていた筈の人々が、その狼に対する恐怖一色に染め上げられていく。

 その狼と同じ空間内にいるというだけで、『死』を身近に感じるほどの絶望感。きっと、その狼と人間との間に相互理解など絶対に生まれはしない。

 今この瞬間にも狼が飛び掛かってくるのではないかと、人々は恐怖に震え上がるしかないでいる。

 

『————』

 

 それほどの憎悪を抱えながらも、狼が人間を襲わないでいるのは——その背に乗る『首なし騎士』がある程度の手綱を握っているからだろうか。

 アイルランドの妖精・デュラハンを思わせる首なしの戦士。その手に鎌状の剣を持ち、軍服のような漆黒の衣装にボロボロのマントを纏っている。

 彼らはいったい何者なのか、生憎と狼も首なしの騎士も語る術を持たない。

 

『ええ……彼らは狼王ロボと、ドイツ人傭兵の亡霊ヘシアン。二人ともアメリカに伝わる物語・伝説に登場するものたちです……』

 

 黙して語らぬ彼らに代わり、刑部姫がその存在が如何なるものかを解説する。

 

 巨大な狼の方は——狼王(おおかみおう)ロボ。

『シートン動物記』において。ロボは徹底して人間と争い、一晩で数百頭もの家畜を虐殺。その所業に現地の人間たちから『悪魔』と恐れられた。

 だが人間との駆け引きの末、彼は妻であった白狼ブランカを殺され、自身にも首輪を掛けられた。人々はロボを生かそうとしたが、彼は人間からの施しを全て拒絶。

 最後は餌を口にせず餓死、狼としての誇りを胸に抱いたまま死した王者。生前は通常サイズの狼だったが、人間に対する憎悪がロボをこのような怪物に変えてしまったのだろうか。

 

 首なし騎士の方は——ヘシアン。

『スリーピーホロウ』において。アメリカ独立戦争時、イギリスに雇われたドイツ人傭兵が戦地にて命を落とした。その傭兵は大砲で吹き飛ばされた首を求めて、祖国に帰ることもなく今も森の中を彷徨っているという。

 

 互いに全く異なる伝承の存在だ。共通点と言えば、同じアメリカで語り継がれるものだということくらいか。しかし、どのような経緯か不明ながらも、その数少ない共通点から両者は出会った。

 

 そして共通の目的——自分たちを殺した『人間への復讐』のため。彼らはその牙を、その剣を血で染めていく。

 

 

 

×

 

 

 

『さて!!』

 

 そうして、合計五チームの紹介が終わった。

 これまでは世界各国から集まった代表チームの紹介であったが——ここからは違うと、日本妖怪である刑部姫が気合いを入れていく。

 

『いよいよ日本チームの登場!! 日本からは二チームが参加を表明しております!!』

『ええっ!! 日本だけ複数参加って……なんかずるいっスよ!!』

 

 アシュヴァッターマンの怒号から立ち直ったガネーシャが不満を口にする。他の国は一カ国一チームという制限があるというのに、どうして日本だけ複数のエントリーが許されているのだろう。

 

『開催国特権ってヤツよ!! こうでもしなきゃ、話として進まないでしょうが!!』

 

 しかしそんなクレームなど意にも介さず、刑部姫はとっとと話を進めていく。日本チームの、まずは一組目——。

 

『お待たせしました、鬼ヶ島の皆さん! 今回の妖怪ラリーの主催者にして、このオニランドの支配者!! 全てはこの男の宣言から始まった!!』

 

「——悪路王様ぁああああ!!」

「——ついに我らが王の登場だぁあああ!!」

 

 刑部姫の紹介に、鬼ヶ島の鬼どもから割れんばかりの大歓声が上がる。ここは彼らにとってのホームグラウンド。他の選手たちを出迎えるときとは熱量が全く違う。

 鬼たちの期待や希望を一身に受け、ついに悪路王がその姿を現す。

 

 

「——グハッハッハッッハ!! 待たせたな、皆の衆!!」

 

 

 鬼どもの歓声に負けんばかりの高笑いを上げて登場する悪路王は、既に乗機たるマシンに搭乗していた。

 

「な、なんだぁあ!? あの馬鹿でかい……と、トラック!?」

「ええ!? あ、あんなのアリかよ!?」

 

 すると、その悪路王の愛車を見た人間たちから困惑するような悲鳴が上がっていく。

 

 なにしろ、悪路王自身が身長六メートルを越える大鬼である。そんじょそこらの自動車などでは彼を乗せて走行することは不可能。

 故に——悪路王は配下の鬼どもが作り上げた巨大な特注マシーンに搭乗する。それは二台の改造トラックに、悪路王本人が鎮座する乗機を合体させるというもの。

 

「——ヒャッハー!! 汚物は轢き殺すぜ!!」

「——どけどけ!! ハイウェイは悪路王様のものだ!!」

 

 その両端のトラックに乗るのは、悪路王配下の幹部——モヒカンとスキンヘッドである。

 彼らこそ、悪路王の乗るモンスターマシンを動かすエンジンそのもの。そして、悪路王自身が鎮座する操縦桿を必要とすらしない玉座こそが『極悪号マークII』。ネーミングセンスこそダサいものの、その巨大さは他選手をマシンごと引き潰してしまいそうなほど。

 余裕の現れか、悪路王は極悪号マークIIの搭乗席から、踏ん反り返るように他の選手たちを見下ろしていく。

 

「フンっ!! どいつもこいつも大したことはなさそうだ……勝ったな!! ガッハッハっ!!」

 

 既に勝利を確信してか、悪路王は眼前の敵選手たちを鼻で笑い飛ばす。

 

「うぅうう……うー!!」

「不敬な!? 天罰を下しますよ!!」

「あん!? んだテメェ、ぶっ殺されてぇのか!?」

「ふっ……面白い! 相手にとって不足はありません!!」

『グルゥウウウウウ!!』

 

 とはいえ、此度の妖怪ラリーに名乗りを上げた彼らも歴戦の猛者たちだ。

 悪路王の威圧感にビビるどころか、逆に闘志を燃やして睨み返す。レースが始まる前から、選手同士の間で熱く火花が散らされていく。

 

 

 

『いよいよ最後の選手!! 悪路王を真っ向からねじ伏せるために彼女……鈴鹿御前自らが妖怪ラリーの参戦!!』

 

 そして、ついに最後の選手として彼女——鈴鹿御前の名が刑部姫の口から叫ばれる。

 今回の作戦、妖怪ラリーを通して悪路王を『無力化』するためにも、日本の支配権や鈴鹿御前の身を誰にも委ねないためにも、彼女自身がこのレースに勝たなくてはならない。

 

 きっと気合が入っているであろう鈴鹿御前が——バイクの爆音と共に会場へと突撃してくる。

 

「——ホットでサニーなサマーギャル!! 推して参ったし!!」

「——も、もう少しスピードを落としてくれないか……鈴鹿御前!」

 

 そうして姿を現したのは鈴鹿御前、そして彼女と共に妖怪ラリーを走ることになったゲゲゲの鬼太郎だ。

 鈴鹿御前の愛車は——『KMR3000ーMH』。一見するとピンクにド派手なスーパースポーツタイプのバイクだが、その正体は鈴鹿御前が所有する『光輪(こうりん)庭園(ていえん)』という牛車のような車を魔改造したもの。

 ちなみに、KMRとは鈴鹿御前の所有する三振りの刀の一振り『顕明連(けんみょうれん)』からとったもの。MHは『マジひかる』の略だとのこと。

 バイクにはサイドカーが取り付けられており、そこにヘルメットを被った鬼太郎が乗り込んでいる。

 

 鈴鹿御前とゲゲゲの鬼太郎のタッグチームだ。たとえ悪路王だろうと、世界中から選り抜かれた代表たちが相手であろうと、引けを取らない戦いが出来るだろう。

 

『——おおっ!?』

 

 もっとも観客たちが騒然となり、注目したのは彼女の乗るバイクでもなければ、ゲゲゲの鬼太郎でもない。

 

「——夏を制するのは私!! これぞ、鈴鹿……サマースタイル!!」

 

 レースの参加者として現れた鈴鹿御前は、以前の女子高生風の衣装とは全くの真逆。大人の女性の色気を全面に押し出された艶姿——レースクイーン衣装を纏っていた。

 バッチリ日焼けした小麦色の肌も含めて、まるで水着のようなその衣装は、鈴鹿御前の本来持っている完璧なプロポーションをより一層際立たせる。

 

『ちょっと!? その衣装際どすぎない!? いくらなんでも狙いすぎでしょ!!』

『リンゴのチェックはどうなってるんスか!! もっとも厳正に審査するっス!!』

 

 そのあまりに破壊力抜群の衣装に、刑部姫が実況を放り投げて個人的な抗議を。ガネーシャなど意味の分からないクレームを上げている。

 

「え、叡智だ……」

「き、綺麗……」

 

 人間たちも、男も女も関係なく鈴鹿御前の蠱惑的な姿に魅了されてしまう。しかし、その中でも一番興奮しているのが——。

 

「う、美しい……美しすぎる!! す、鈴鹿御前よ……お前、なんという格好を!!」

「あ、悪路王様! 落ち着いてください!!」

 

 鈴鹿御前に求婚している悪路王だ。

 ただでさえ惚れている女性が、あのようなセクシーな格好で登場したのだ。溢れんばかりの興奮を抑え切れることが出来ずに金棒をブンブンと振り回して、部下たちに落ち着くようにと宥められている。

 

「おのれぇえええ、ゲゲゲの鬼太郎!! あんな艶やかな鈴鹿御前と一緒にレースに参加するなど……羨ましすぎるぞ!!」

 

 そうやって鈴鹿御前への好意が高まれば高まるほど、彼女とタッグを組む相方への嫉妬心が強まり、悪路王は恨めしい怨念染みた視線を鬼太郎へと向ける。

 

『なんであの女と鬼太郎が……ぬぐぐぐ……!!』

 

 そして実況席からも、猫娘の嫉妬の視線が鬼太郎たちへと注がれていく。

 

「な、なんか……寒気が……」

「大丈夫か、鬼太郎?」

 

 そんな誰かさんたちの視線を敏感に感じ取ったのか、鬼太郎がブルリとその身体を震わす。

 鬼太郎と共にレースに付き合うことになった目玉おやじが息子の体調を気に掛けていた。

 

 

 

 

 

 そうして、ここに妖怪ラリーに出場する全ての選手が出揃った。

 

 

 イギリス代表 選手——フランちゃん。

        乗機——バベッジ・ロコモーティブフォーム。

 

 エジプト代表 選手——メシェド様?

        乗機——ザ・ファラオレジェンド。

 

 インド代表  選手——アシュヴァッターマン。

        乗機——スダルシャンチャクラ。

 

 中国代表   選手——自称・呂布奉先。

        乗機——赤兎馬。

 

 アメリカ&

 ドイツ代表  選手——ヘシアン。

        乗機——狼王ロボ。

 

 日本代表①  選手——悪路王。

        乗機——極悪号マークII。

 

 日本代表②  選手——鈴鹿御前&ゲゲゲの鬼太郎。

        乗機——KMR3000ーMH。

 

 

 以上、全七チームによって優勝が争い合われる妖怪ラリー。

 世界最速の称号は、誰の手に委ねられるのか。

 

 

『さあ……各車グリッドに出揃いました。スタートまで10、9、8……』

 

 

 刑部姫が緊張した面持ちで、レース開始のカウントダウンを告げていく。

 いよいよ秒読み段階となった妖怪ラリーを前に、全てのものが興奮を抑えきれず共にカウントダウンを口にしていく。

 

『——7』

 

 オニランド最初のイベントに鬼たちは興奮を抑えきれず——。

 

『——6』

 

 このレースの結果次第で運命が決まってしまう人間たちが不安と期待を胸に——。

 

『——5』

 

 実況席では猫娘が鬼太郎の勝利を祈りながら——。

 

『——4』

 

 同じく実況席から、刑部姫やガネーシャがワクワクと純粋にレースを楽しみに——。

 

『——3』

 

 選手たちそれぞれの思惑、抱いた思いをその胸に——。

 

 

『——2、1、0!!』

 

 

 いざ、妖怪ラリーの開幕である。

 

 




人物紹介
 
 刑部姫
  今作で三度目の登場、姫路城の刑部姫。
  今回は実況者として、レースを盛り上げていく役割です。
  最後、彼女にも真面目な出番がありますのでお楽しみに!

 ガネーシャ
  日本でも知っている人は多いだろう、インドの面白い神様。
  象の頭に人の身体。その誕生の仕方すらも思わず「?」となってしまう。インドのおかしなスケール感。
  何故彼? 彼女?が出てきたのか。賑やかし以上の意味はありますので最後までお楽しみに!
  ちなみに、大いなる石像神の中身から『何か』が出てくることはありません。

 鈴鹿御前・サマバケ
  鈴鹿御前の水着霊基。
  タイトルにある通り、今作はレースクイーン姿がメインです。
  自分も、鈴鹿御前をパーティに入れる際はこちらの第一再臨でやってます。だってこの衣装が一番叡智……。

 悪路王・極悪号マークII
  悪路王が乗り回す巨大なトラックマシーン。ぶっちゃけ名前とか即興です。
  イメージとしては——世紀末世界で何処ぞの聖帝が乗ってそうなやつ。
  より見た目のイメージを知りたい方は——『遊戯王ラッシュデェエル』における『獣機界覇者キングコンボイライガオン』というカードを参照してみてください。大体あんな感じです。

 各国のレース参加者たち
  妖怪ラリーに出場する日本以外の選手たち。
  全員をこの場で紹介すると収拾がつかないため、その都度それそれで紹介を入れていきたいと思います。
  全員が妖怪ではありませんが、参加してもおかしくない素性、設定を考えていますのでお楽しみに!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

レースクイーン鈴鹿御前・灼熱のサマーレース 其の③

fgoの星4交換……皆様は何と交換しましたか?
ちなみに自分は持っていなかったサーヴァントから、ラクシュミー・バーイーを選択。他のスト限や、水着サバとで悩みましたが……やはり自身の好みを優先することこそが無料配布に失敗しないときのコツです!
あんまり悩みすぎて、交換期限までに決められなかった……などということにならないように気を付けましょう。

さて、今回からいよいよ妖怪ラリーの本番が始まります。
鬼太郎とゲスト妖怪である悪路王。そしてfgoキャラたちで織りなす混沌としたレース。話の都合上、レース途中でリタイヤするキャラなどもいますが、そこはご了承下さい。


『——ついに始まりました、妖怪ラリー!! 実況は引き続き、姫路城でお馴染み刑部姫と……』

『——インドの超人気者! ガネーシャでお送りするっス!!』

 

 いよいよ開幕した、鬼ヶ島オニランド妖怪ラリー。

 鈴鹿御前から実況を仰せつかった刑部姫と、その友人枠として来日した解説のガネーシャが和気藹々とレース盛り上げていく。

 

『…………』

 

 同じく実況席にいる猫娘だが、彼女は二人のテンションについていけず、今のところは静かにレースの状況を見守っていくしかないでいた。

 

『まずは各車一斉にスタート!! 最初に先頭に躍り出るのは……』

 

 そんな中、開始早々だがさっそくレースの方に動きがあった。

 今回のレースに参加しているのは七チーム。スタートと同時に誰よりも先にトップを走るあの影は——。

 

「——イェーイ!! 夏呼んでるし! 風切っちゃうし!!」

「——っ! は、はやっ!?」

 

 日本代表——鈴鹿御前&ゲゲゲの鬼太郎チームである。

 鈴鹿御前の乗り回すバイク『KMR3000ーMH』が誰よりも先にコースを走り抜けていく。その速さは、サイドカーに乗り込んでいる鬼太郎ですらも戸惑うほどである。

 

『よし!! いい感じよ、鬼太郎!!』

 

 これには猫娘も思わずガッツポーズ。鬼太郎とペアを組む鈴鹿御前への嫉妬心こそ健在だが、それでもレースに勝つためならば仕方がないと。とりあえず、幸先のいいスタートに喝采を上げる。

 

 だが、このまま二人の独走状態を許すほど——此度の妖怪ラリーの参加者たちは甘くない。

 

 

「——ハッハッッハ!! いいぜ、そうでなくっちゃ面白くねぇ……よな!!」

 

 

 先頭を走る鈴鹿御前と鬼太郎の元に一台のバイクが迫る。インド代表——アシュヴァッターマンである。

 彼の乗り回すバイク『スダルシャンチャクラ』が鈴鹿御前のKMR3000へと追いつき、並走するや幅寄せでの体当たりを仕掛けてくる。

 

「なによ、やろうっての!?」

 

 アシュヴァッターマンのタックルに目を剥きつつも、持ち前の気の強さで鈴鹿御前もすかさず反撃を試みる。

 互いにぶつかり合う両マシンであったが——体格差から、鈴鹿後前の方が押し負けて弾かれてしまう。

 

「つ……!」

「鈴鹿御前!!」

 

 一瞬、バランスを崩しかける鈴鹿御前ではあったものの、何とか転倒は回避。しかし一位の座をアシュヴァッターマンに奪われ、二位へと転落してしまう。

 

『ちょっと!? あれってアンタのとこの選手でしょ!? 何てことしてくれんのよ!!』

 

 アシュヴァッターマンの過激なラフプレーに、猫娘は同じ国の出身者であるガネーシャにクレームを入れる。

 

 この妖怪ラリー、相手選手への妨害行為自体はルール違反ではない。レース中のクラッシュなどは全て自己責任。身も蓋もない言い方をすれば——相手選手を走行不能に追い込んでも全然構わない。

 しかし、ガネーシャは今回の『悪路王を無力化する作戦』の協力者だ。インドの代表であるアシュヴァッターマンにも、『鈴鹿御前を勝たせなければならない』という話が行き届いてもいい筈なのだが——。

 

『ひぃいい!! 無理っスよ!! 引きこもりのボクが、あんなヤンキーな人に意見なんて出来るわけないじゃないっスか!?』

 

 アシュヴァッターマンに怯えて、みっともなく涙目になるガネーシャ。

 

 シヴァの半化身であるアシュヴァッターマンは、ガネーシャにとって親戚の叔父さんのような感覚らしい。だがそれ以前に、アシュヴァッターマンのチンピラのような性格をガネーシャは苦手としているようだ。

 きっと自分から何を言ったところで聞き入れられるわけがないと、ガネーシャは完全にアシュヴァッターマンの説得を諦めている。

 

「聞こえてっぞ、ガネーシャ様!! 誰がヤンキーだ、コラァア!!」

『ひぃいい!?』

 

 実況席でのやり取りが聞こえていたのか。ガネーシャの失礼な発言に対し、アシュヴァッターマンがキレ気味に噛み付く。一応、ガネーシャという神様相手に様と敬称こそ付けてはいるが、その態度はまさに『内気な学生に因縁を付ける不良』そのものである。

 

『ええ……何やら複雑な家庭事情のようですが……そうこうしている間に、後方からも他の選手たちが迫ってくるぞ!!』

 

 そんな二人のやり取りを家庭事情と称しつつ、刑部姫は淡々とレース実況を続けていく。

 

 二位を走る鈴鹿御前の後ろに、三位以下の後続組が続く。

 中国、イギリス、アメリカ&ドイツ、エジプト代表と。彼らの間にそれほどの大差はなく、先ほどから抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り返しているが——。

 

『おっと……!? これは……』

 

 だが、その中にもう一組の日本代表——悪路王の姿がないことに刑部姫が気付く。

 

『一反木綿さん! ちょっと後方にカメラ回してくれませんか!?』

「ほいほい~、コットン承知!」

 

 彼女は即座に一反木綿——今回のレースでカメラマンを担当することになった彼に指示を出す。一反木綿がその指示に素直に従うのは、仮にも刑部姫が美人だからであろう。

 言われるがまま、一反木綿が後方の方にカメラを向けると——。

 

 

「——もっと速度は出んのか!?」

「——こ、これが精一杯です!!」

 

 

 悪路王の乗る巨大なモンスタートラック『極悪丸マークII』がビリ——ぶっちぎりの最下位を走っていた。何かしらの策略かもと思ったが、悪路王と部下のやり取りを見るに彼らにとっても予想外のことだったのか相当に慌てている。

 いったい、これはどういうことだろうか。

 

 

『——驚くことではない。当然の帰結であろう』

「バベッジ……なにか、わかるの?」

 

 

 すると、ここでイギリス代表・フランちゃんの乗機——チャールズ・バベッジを名乗る蒸気機関車が口を開く。バベッジの冷静な発言に、フランは幼なげな仕草で首を傾げている。

 

『あれだけの巨体、重量のものを乗せて走るのだ。いかにマシンを大型化しようと、出せる速度に制限が出るというもの。計算上、直線コースでヤツが我々に追いついてくる可能性は限りなく0に近い』

 

 バベッジは悪路王という巨大な妖怪が乗り込んでいるせいで、極悪丸マークIIに大幅な速度制限が出てしまっていると。それを一目見ただけで看破したのだろう、完全に余裕を持って解説してくれている。

 

『なるほど! 流石はイギリスを代表する数学者!! チャールズ・バベッジを名乗るだけのことはありますね!!』

 

 これに感心したとばかりに刑部姫が、彼をその名前と共に褒め称える。

 

 

 チャールズ・バベッジは十九世紀、実際にイギリスで活動した数学者の名だ。

 彼は世界で初めて機械に数を計算させるという発想から『プログラム可能な計算機』を考案、『コンピュータの父』と呼ばれるほどの偉人である。

 彼が実際に考案した『階差機関(かいさきかん)』『解析機関(かいせききかん)』などの実現こそ、彼が存命の間には叶わなかったが、それが確かに正しく計算を行うことの出来るものだと。彼の死後である百年以上後、それが本物であることが証明された。

 

 その天才的な頭脳を讃えてか。彼の母国であるイギリスでは——彼の『脳』が保管されており、それが一般にも公開されている。

 何故、巨大な変形ロボットである蒸気機関車がバベッジを名乗るのかは定かではないが、仮に『バベッジの脳を移植したロボット』が存在しているのであれば——もはやそれは、チャールズ・バベッジ本人だと言えるのではないだろうか。

 

『今のうちに引き離す……しっかり掴まっているがいい、フランよ!』

「うー!」

 

 いずれにせよ、彼が何者かを今は語るときではない。

 バベッジを名乗る彼自身もレースに注力すべく、乗り手たるフランへと声を掛け速度を上げていく。

 

 

 

『なによ、案外呆気なかったわね……』

『猫娘さん……それ、フラグっスから……』

 

 まさかの悪路王の出遅れに、猫娘もその表情を緩める。

 もっとも、まだまだレースは始まったばかり。迂闊な発言が命取りになりかねないとガネーシャが釘を刺していく。

 

 

 

×

 

 

 

『——まもなく、先頭走者が第一のチェックポイントに辿り着きます!!』

 

 序盤のコースをとりあえず走る選手たちだが、そこに待ち受けるは『第一チェックポイント』。妖怪ラリーもここからが本番だとばかりに、刑部姫も実況のテンションを上げていく。

 

『最初のチェックポイントは——砂漠だ!!』

 

 選手たちを待ち受ける最初の関門は——それはどこまでも広がる不毛な大地『砂漠』であった。

 曲がりなりにも舗装されている道路とは違い、人の手が加えられていない平地を前に選手たちの足が一旦は停止する。

 

「ハッ!! この程度の障害で俺が止まると思ってんのかよ、ああん!?」

 

 だがそれも一瞬、最初にその関門に辿り着いていたアシュヴァッターマンは何の躊躇もなく砂漠エリアへと飛び込んだ。

 ただ道が安定しない程度、自分にとっては何の障害にもならないと余裕綽々といった態度である。

 

 

 しかし、次の瞬間にも——そのエリアに『設置』されていた試練が容赦なく選手たちに牙を剥いていく。

 

 

「!! なん……だぁあああ!?」

 

 何事もなく砂漠を進んでいたアシュヴァッターマンの足元が——文字通り、爆発した。

 これには流石のアシュヴァッターマンも車体をふらつかせる。即座に体勢を持ち直すも、爆発は続け様に彼を襲い続けた。

 

『これは……地雷です!! アシュヴァッターマン選手を襲ったのは、砂の中に設置されていた数多の地雷!!』

 

 刑部姫がその爆発の正体を暴露。

 それはこの砂漠エリアにランダムに設置されていた——『地雷』であった。第一エリアの砂漠では、この地雷原の上を進んで行かなければならないということだ。

 

『ちょっ……!! いくらなんでもやりすぎじゃ……鬼太郎!!』

 

 いくら妖怪といえども、あれだけの爆発力を持った地雷を直に踏めばただでは済まない。猫娘は真っ先に彼の——鬼太郎の安否を心配していく。

 

「——鈴鹿御前! スピードを上げてくれ!!」

「——!! OK、かしこまり!!」

 

 だが鬼太郎は怯むどころか、鈴鹿御前に速度を上げるように要求していた。鬼太郎の強気な発言に驚きながらも、鈴鹿御前は彼の指示通りにバイクのスピードを上げる。

 

「指鉄砲!!」

 

 するとサイドカーから立ち上がった鬼太郎が、指先に妖力を集めて指鉄砲を——自分たちの進路上に向かって全力で放った。

 次の瞬間、地面をスレスレで飛来する指鉄砲の衝撃の余波が、瞬く間に地雷を自壊させていく。

 

『なんと、鬼太郎選手!! 必殺の指鉄砲で進路上の地雷を誘爆させた! なんとも鮮やかな手際だ!!』

『ほへ~、なかなかやるっスね……あの子』

 

 鬼太郎の見事な手際に刑部姫から称賛の声が上がり、初めて彼の活躍を目の当たりにしたガネーシャが感心したような呟きを溢す。

 

『よしっ!!』

 

 当然、猫娘もグッと拳を握る。

 

「ナイス、鬼太郎くん!!」

 

 機転を効かせた鬼太郎の活躍もあり、鈴鹿御前は先を走っていたアシュヴァッターマンから再び一位の座を奪い返す。

 

「やろう……舐めるんじゃねぇ!!」

 

 だが追い抜かれたことで、アシュヴァッターマンの闘志に火が付いた。

 彼は乗機ごと全身に炎を纏い、そのまま全速力で砂漠を走り抜けていく。当然、進路上の地雷は一つ残らず爆発するが、そんなもの意にも介さずに突っ走る。

 かなりの荒技、力技で砂漠エリアを踏破していった。

 

 

 さらに後から追いついてくる他選手たちも、それぞれの手段で砂漠の地雷原を突破していく。

 

『問題ない。先に走った彼らの足跡を辿れば……地雷など恐るるに足らず』

「うー!!」

 

 イギリス代表のバベッジは地雷を破壊しながら進んでいく選手たちの、そのすぐ後ろを走るようにとフランに指示を出す。そうすれば地雷に遭遇することなく進むことが出来ると、頭を使った頭脳プレーで地雷原を無傷でクリア。

 

 

「効かぬ!! こんなもので、この呂布の走りを止めることなど叶いません……ヒヒーン!!」

 

 中国代表の自称呂布・赤兎馬など地雷を気にしてすらいない。

 地雷を全力で踏み抜こうが、何度爆風に晒されようがお構いなしに走り続ける。ダメージがないわけではないようだが、受ける被害を全て痩せ我慢で突破していく無駄な耐久力……なんなんだコイツ?

 

 

『グゥウウ……!』

『————!』

 

 その一方で、アメリカ&ドイツ代表のロボ&ヘシアンなどは、器用にも地雷を躱しながら進んでいた。

『シートン動物記』によれば、狼王ロボはありとあらゆる罠を全て見破り、決してトラップには引っ掛からなかったという。

 ロボの脅威的な嗅覚を持ってすれば、地雷の設置場所など丸わかりということなのだろう。

 

 

 

 そうして、次々と選手たちが地雷原を突破していく中——意外にも苦戦する選手がいた。

 

「——もっとスピードを上げないと……引き離されてしまいますよ!!」

「——いけません。これ以上速度を上げたら死んでしまいます……」

 

 エジプト代表のメジェド様である。

 彼?彼女?は地雷など恐れずに進もうとするも、サポーターとして付き添ってくれているアラビアンな女性にその無謀を止められてしまい、なかなか思うように進めないでいた。

 土地柄砂漠は得意な地形だろうが、これではその優位性を活かすこともできない。

 

『エジプト代表のメジェド様たち、だいぶ出遅れている感がありますが、大丈夫でしょうか?』

『う~ん……慎重になるのは構わないっスけど、レース的には若干盛り上がりに欠けるっスね……』

 

 実況席の刑部姫たちが、そんなエジプト代表をクローズアップしていく。

 鈴鹿御前に一位を取らせたい立場ではあるが、表向き実況者としてはどの選手にも公平に目を配っていかなければならないのだ。

 

『そのエジプト代表ですが……日本を支配したあかつきにはエジプトの歴史、特にファラオたちの偉大さを説く世界史を義務教育に盛り込んでいきたいと語っていましたね……』

 

 ここで刑部姫がメジェド様の、エジプトが妖怪ラリーに参加を表明した理由を語っていく。

 

 優勝者に譲渡されるという日本の支配権。それを用いて、メジェド様は日本の学校教育でエジプトの歴史をより詳しく学ばせるつもりのようだ。ぶっちゃけ、そのくらいであれば普通に叶えてあげてもいいような些細な願望である。

 仮にエジプト代表が優勝し、日本の支配権を手に入れたところで特に問題にはならないような気がして来たが——。

 

『……うん? おっと!? ここで出遅れていた日本代表……悪路王が追いついて来たぞ!?』

 

 だがここでエジプト代表のすぐ後方、その重量故に他選手に先を越されていた極悪丸マークII——悪路王が追いついて来た。

 

「グッハッハッッハ!! 進め!! どんな悪路だろうと、この儂の前では無意味であることを見せてやるぞ!! 悪路王だけに……悪路王だけに!!」

 

 砂漠エリアへと辿り着いて早々、悪路王は自身の名前を引っ掛けた冗談のようなことをドヤ顔で口にしていく。

 そのダジャレには誰一人反応を示さなかったが、彼を乗せた巨大マシンが第一関門でもたついていたエジプト代表——メジェド様へと追いつく。

 

 

「——邪魔だ!!」

 

 

 すると悪路王は搭乗席から重い腰を上げるや、担いでいた金棒を構える。エジプト代表に追いつくと同時に、その金棒を思いっきり横凪にぶん回した。

 

「——えっ?」

 

 地雷への対処に手一杯であったメジェド様たちはその一撃に反応することが出来ず、悪路王の気合いのこもった一閃をまともに喰らってしまう。

 

 刹那、メジェド様たちの乗機——ザ・ファラオレジェンドが宙を舞った。

 

『な、なんということだ!? 悪路王の放った金棒の一閃が……メジェド様を乗機ごと吹っ飛ばした!?』

 

 これには刑部姫も驚天動地だとばかりに実況席から叫ぶ。

 

「ふぎゃっ!?」

「ああ……これは……」

 

 メジェド様が短い悲鳴を上げ、サポーターの女性などは死すら覚悟したかもしれない。

 

「う~ん……な、なんと不敬な……」

「なんとか死なずに済みましたが……これではもう走れませんね……」

 

 しかしなんとか五体満足のままで、その身が砂漠へと投げ出される。

 仮にも神様を名乗るだけあって、メジェド様自身は目を回すくらいの被害で収まっている。サポーターの女性も、命があったことにまずはホッと胸を撫で下ろした。

 

 だが肝心の乗り物——ザ・ファラオレジェンドが粉々に砕け散ってしまった。

 たとえクラッシュしようと、自力でコースまで復帰出来れば再度レースに参加することはルール上可能だが——マシンがなければどうにもならない。

 

 

 事実上——エジプト代表・メジェド様はここでリタイアとなる。

 

 

『なんということだ!? 悪路王選手の強烈な一撃により……まさかの脱落者が出てしまったぞ!?』

「な、なんなんだよ……あの化け物は!?」

 

 これに実況席の刑部姫は勿論、観客席でレースを見守るしかない人間たちも騒然となっている。

 

「流石は悪路王様だ!!」

「見たか!! これが鬼ヶ島の主たる……我らが王の実力よ!!」

 

 反対に、悪路王の活躍に島中の鬼たちから会場を揺るがすほどの大歓声が上がった。

 

 

 

『まさか……こんなことって……』

 

 猫娘は、実況席で声を上げることを忘れるほどに戦慄していた。

 正直なところ、彼女は悪路王を侮っていた節があった。ちょっぴり間抜けな言動が目立つあの大鬼を相手に、わざわざ妖怪ラリーなどという搦手を使う意味はあったのだろうかと。

 もしものときは正面から鬼太郎が奴を倒してくれると、そう思っていた。

 

 だが、その考えが甘かったことを今の一瞬で思い知らされる。

 

 メジェド神、神様が乗り回すマシンを一撃で粉砕した破壊力。鈴鹿御前の言っていた通り、この鬼ヶ島の支配者である悪路王は妖怪として凄まじい強さを得てしまったようだ。

 真正面から戦えばどうなっていたか——正直想像もしたくない。

 

『……これ、悪路王だけ別のゲームしてないッスか?』

 

 ふと、その強さを目の当たりにしたことでガネーシャが何かを察したように呟く。

 

『? どういうことでしょう、ガネーシャさん。別ゲーム……とはいったい?』

『いや、鈴鹿御前たちにとっては純粋なレースゲームっスけど……これ、悪路王に追いつかれたら即ゲームオーバーじゃないっスか?』

 

 刑部姫はガネーシャの言わんとしていることを詳しく尋ねた。

 ガネーシャが言うに、これは速さを競うレースであると同時に——迫り来る悪路王から逃げる『逃げゲー』でもあるというのだ。

 速度こそ誰より遅い悪路王だが、彼に追いつかれたら最後——その圧倒的な力で何者であろうと粉砕されてしまう。

 

 さながら『鬼ごっこ』のよう、悪路王に追いつかれたらそこでゲームオーバーとなってしまうのだ。

 

 これにより、鈴鹿御前を始めとした走者たちは絶対に速度を落とすことが出来なくなった。

 逆に悪路王は相手に追いつけばいいだけなのだから、心情としては随分と楽なものだ。ガネーシャが別ゲームと称した理由がそこにあった。

 悪路王の遅さに安堵したのも束の間。後ろから迫り来る恐怖という、新たなプレッシャーを背負わされることになった選手たち。

 

『鬼太郎……』

 

 そんな選手たちに、鬼太郎に対する心配と不安で胸を苦しそうに抑える猫娘。

 だが彼女がどれだけ心配しようと、実況席からでは手が出せない。

 

 

 見守る群衆がどのような思いであれ、妖怪ラリーは滞りなく続けられていく。

 

 

 

×

 

 

 

『——第一関門を突破した各選手たちが……次なる試練の門を叩く!!』

 

 そうして、最初のチェックポイントである砂漠を抜け、一行が新たなステージに辿り着いたことを刑部姫が伝えていく。

 

『第二チェックポイントは——溶岩です!!』

『よ、溶岩って……まさか、あのマグマの上を走れっての!?』

 

 その溶岩エリアの情景を一反木綿が撮影するカメラ越しで目にするや、猫娘が抗議の声を上げた。

 

 地理的に、そこは鬼ヶ島の中心地に聳え立っていた山であり——それは今も活動を続ける『活火山』であった。その火口近くすれすれを通る道筋。まさに灼熱地獄を彷彿とさせるマグマが、すぐ側でぐつぐつと煮えたぎっている。

 あのマグマの川を渡って行けとでもいうのなら、無茶振りもいいところであるが。

 

『そこはご心配なく!! ちゃんと固まった溶岩の上を走れるようなコース設計になっていますので!』

 

 しかしいくらなんでもそれはないと、刑部姫が説明する。

 選手たちの進むべきコースは溶岩——マグマが冷えて固まった大地であるとのこと。彼女の指し示す先を見れば、確かにそこに道があった。その道を進んで行けば次のエリアに辿り着けるということだ。

 

 ところが——ここでアクシデント発生。

 

「……妖気!? 鈴鹿御前、避けるんだ!!」

「ちょっ……何事!?」

 

 先頭を走る鬼太郎の妖怪アンテナに反応があった。次の瞬間、鬼太郎たち目掛けて炎を纏った岩——いくつもの火炎岩が降り注いでくる。

 鬼太郎の警告もあり、それらを華麗に回避する鈴鹿御前であったが——飛来してきた火炎岩は、選手たちが通るべき筈のコースすらも吹き飛ばしてしまう。

 

『ああ!? 道がなくなった!?』

 

 狼狽える刑部姫のリアクションからも察せられるよう、それは彼女の意図したことではない。何者かの横槍によって絶たれてしまった正規ルートを前に、選手たちの動きが停止してしまう。

 

 もっとも、そんな彼らの困惑をよそに——。

 

 

「——ふふふ……お待ちしておりましたわ、安珍様!」

「——っ!!」

 

 

 道を破壊した元凶は——たった一人の男性に熱烈なラブコールを送っていた。彼女の声を聞いた瞬間、鬼太郎の背筋から嫌な汗がブワッと噴き出てくる。

 

「き、清姫……」

 

 消え入りそうな声で、鬼太郎が彼女の名を呼ぶ。

 溶岩エリアに着いて早々、鬼太郎たちの前に立ち塞がったのは角が生えた一人の女の子——鬼太郎を安珍と呼ぶ少女・清姫であった。夏という季節柄、その服装は大胆にも水着である。

 

「——ええ、貴方の清姫です! ところで鬼太郎様……その女は、いったい誰ですか?」

 

 ゲゲゲの鬼太郎のことを前世で『死に別れた愛する人』にして『自分が殺した相手』だと認識している彼女は——彼の隣にいる女性・鈴鹿御前へと冷ややかな視線を送っていた。

 

 

 

『ちょっと……! きよひーってば何してくれちゃってんのよ!?』

 

 清姫の行動に対し、実況席から刑部姫のクレームが飛んでくる。

 

『ここはさりげなく相手選手だけを妨害して、鬼太ちゃんたちを援護する予定だったでしょう!?』

『ああ……そういう仕込みだったんスね……』

 

 そう、清姫もガネーシャ同様、刑部姫が呼び寄せた協力者の一人である。

 本来の予定であれば、清姫がこのエリアの妨害キャラとして鬼太郎たち以外の選手たち足止め。彼を楽々と進ませる手筈であった。

 だがそんな刑部姫の策略を無視し、清姫はその敵意を一人の女性——鈴鹿御前へと向けている。

 

「はぁ……全く油断も隙もありません。私が少し目を離した隙に……次から次へと新しい女がすり寄ってくるんですから」

「ま、待ってくれ……清姫! 君は誤解してる! 彼女とはそういう関係じゃないんだ!!」

 

 清姫が呆れてため息を吐く姿に、後ろめたさなどない筈の鬼太郎が必死に弁明する。

 その様はまるで、浮気がバレたことを必死に言い訳するかのよう。勿論、鬼太郎は浮気などしていなければ、そもそも清姫と付き合ってすらいない。彼に落ち度など全くない。

 

「いや……私、鬼太郎くんに恋愛的な興味はないんだけどな……」

 

 鈴鹿御前も、鬼太郎とは共にレースを走ることになったが、そこに恋愛感情が芽生える予定はないとはっきりと口にする。

 

「ええ……分かっておりますとも!」

 

 それは清姫も承知の上。他人の嘘が分かる彼女は、鬼太郎や鈴鹿御前が決して嘘を付いていないことを理解していた。

 

「ですが……世の中、友情が愛情に変わることなどままあること……」

 

 だからといって、ここで二人を見逃すほど甘くはない。妖怪ラリーという困難を共に潜り抜けることで生まれる、ラブロマンスがあるかもしれないのだ。

 

「芽は……早いうちに摘み取っておくべきかと……」

 

 そうなる前にと、未然に二人の仲が深まることを阻止すべく。

 

 

『——転身火生三味』

「——!!」

 

 

 その瞳に虚無を宿しながら、呪詛を吐くかのようにその言葉を唱える。瞬間、灼熱に包まれた清姫の姿が——炎の大蛇へと転身する。

 そうなってしまっては最後、もはや言葉による説得は不可能。

 

『————!!』

 

 清姫は嫉妬に燃える炎蛇となり、鈴鹿御前&鬼太郎チームへと襲い掛かった。

 

 

 

「お、落ち着いてくれ、清姫!!」

「ちょいマジ!?」

 

 思いがけず始まってしまった清姫との戦闘に対し、鬼太郎と鈴鹿御前は困惑しながらもなんとか応戦する。

 鈴鹿御前は愛車たるKMR3000を自由自在に駆り、清姫の攻撃を掻い潜る。鬼太郎はなんとか清姫の怒りを鎮めようと説得を続けるが、あまり効果は見られない。

 まさかの事態に冷静に考えを巡らせる余裕もなく、イタズラに時間を取られることとなってしまう。

 

 

 その間、コースが破壊されたことで一旦は動きを止めていた他の選手たちが——それぞれ動きを見せ始めた。

 

「おいおい……とんでもねぇ、修羅場だな。まあ、あれだ……人の痴話喧嘩に首を突っ込むほど野暮じゃねぇ。悪いが先に行かせてもらうぜ!!」

 

 インド代表・アシュヴァッターマン。

 彼は鬼太郎たちのいざこざに余計な首を突っ込まず、その全身に再び炎を纏い始めた。彼の炎はマグマすらも寄せ付けず、乗機たるスダルシャンチャクラが溶岩流の上を悠々と突き進んでいく。

 

 

『流石にこのまま突入するのは自殺行為か……』

「うぅ……どうする……?」

 

 一方でイギリス代表・フランちゃんとバベッジ。

 バベッジ自身に、マグマの上を走るような機能は搭載されていないらしい。フランがどうしようと彼に向かって不安げに首を傾げる。

 

『案ずるな……蒸気噴射で飛行する。速度は低下するが……安全第一である』

 

 だが、その程度の問題なら即座に解決可能だと。バベッジはロコモーティブモード——蒸気機関車の姿を解除し、二足歩行のロボット形態へと移行。足元から蒸気を噴射し、その巨体を宙に浮かせていく。

 

「うぅー!? とんでる!!」

 

 バベッジの頭にしがみつくフランが、初めての飛行に瞳を輝かせた。イギリス代表はホバー飛行によってマグマの上を通過していく。

 

 

『グルル……グアッ!!』

『——!!』

 

 すると、バベッジたちのすぐ横を——アメリカ&ドイツ代表・ロボ&ヘシアンが駆け抜けていく。

 狼王ロボはマグマの、僅かに剥き出しになっていた岩の部分を足場にしていた。岩から岩へと飛び乗るという器用さと敏捷さを駆使し、バベッジたちを追い抜き——見事二位へと躍り出た。

 

 一位——アシュヴァッターマン。

 二位——ロボ&ヘシアン。

 三位——フランちゃん&バベッジ。

 

 激しい順位の変動により、さらにレースは混沌と化していく。

 

 

 

「これ以上はやばいって!! 早くコースに戻んないと……」

 

 そして——順位を四位まで下げることになってしまった鈴鹿御前&鬼太郎。

 未だに清姫の追撃を振り切れず、その場に釘付けにされている。これ以上、ここで足止めをくらうわけにはいかないと鈴鹿御前も焦りを見せ始めているが、いかんせん清姫の攻撃が激し過ぎる。

 

『——逃しませんよ!!』

 

 大蛇となった彼女は、まさに蛇のように執念深い。

 

『——人の恋路を邪魔する不届きものが……馬に蹴られるのを待たずして、焼き殺して差し上げます!!』

 

 完全に鈴鹿御前を恋敵と認識していて容赦もなく。わざわざ慣用句など用いながらも、そのたとえを無視して全力で殺意をぶつけてくる。

 

 

「——今、馬と仰いましたか……お嬢さん?」

 

 

 しかし——ここで予想外の乱入者が割り込んでくる。

 

『なんですか、貴方は!! ……いや、本当になんなんですか……馬?』

 

 その無粋な闖入者に清姫が苛立ちを露わにするが——それを視界に入れた瞬間、怒りに支配されているであろう彼女が暫し困惑に包まれた。

 大蛇の妖怪である彼女にとっても、それはかなり異質な姿をしているということだ。半人半馬のケンタウロスのような謎生物——そう、中国代表・赤兎馬である。

 

「ええ、馬といえば赤兎馬ですが、私は呂布です!! 真の人馬一体を体現するこの身に……なんの不満がありましょうぞ!?」

『……誰も貴方のことなど言っていませんよ……』

 

 意味不明なことを口にしながら絡んでくる赤兎馬に、流石の清姫も対応に困っていた。いったい相手が何を言いたいのか、その言葉の意味を半分も理解することが出来ない。

 

「ですが……!! お望みとあらばこの力……今この場でお見せしましょう!!」

『……はい?』

 

 もっとも、清姫の当惑など気にも留めず——赤兎馬は手にした槍の矛先を、何故か鬼太郎と鈴鹿御前へと向けてくる。

 

「我が武勇、今こそ天下に知らしめるとき!! 日本代表、お覚悟!!」

「え、ええ……!?」

 

 レースそっちのけ、日本代表である鬼太郎たちに戦いを挑んできたのである。

 

 

 

『ええ……赤兎馬選手、きよひー乱入にかこつけて日本チームを襲い始めました……いったい、これはどういうことでしょうか……猫娘さん?』

『わ、私に聞かれたって分かんないわよ!!』

 

 実況席にも困惑が伝播していた。

 清姫の暴走だけでも対応しきれないというのに、ここに来て赤兎馬の介入。いったい、何故に彼は日本チームに喧嘩を売ってくるのか、刑部姫や猫娘などは既に理解を放り投げて諦めの境地に達している。

 

『う~ん……あれじゃないっスか? やっぱり中国の妖怪だし……日本に対して思うところがあるんじゃないんスかね?」

 

 すると解説のガネーシャが、赤兎馬の謎行動をなんとか解読しようと試みる。

 

 中国と日本は海で隔たれているとはいえ、隣国といってもいい距離感にある。そのため、昔から一言では説明しきれないほど色々なことがあり、なにかと小競り合いが起きては、それが外交的な問題へと発展してしまう。

 そのことが、インド出身であるガネーシャに『日本と中国、なんかよく分からんがいつも歪みあっている』といった印象を抱かせてしまっているようだ。

 

『おっと……ここで赤兎馬選手に関して気になる情報が……』

 

 だがここで、刑部姫の元に中国代表である赤兎馬に関する書類が届けられた。

 一応は大会運営側である刑部姫。彼女の手元には、各国の選手がこの妖怪ラリーに参加を表明した動機や経緯などが資料として纏められている。

 

『赤兎馬選手……彼はもとより、強者との戦いを望んで妖怪ラリーに参加を決めたとのこと! 呂布……ええと、つまりは自身の武勇をあまねく天下に知らしめたい、とのことですが……』

『なーる、元から日本の支配権とか興味ないんスね……』

 

 どうやら赤兎馬にとって、レースでの優勝など二の次。純粋に強者と競い合う場が欲しかったということだ。それならば、いきなり戦いを挑んできた理由にも一定の理解を示せるが——。

 

『しかし、まさかこんな形で絡んでくるとは……これ以上時間を掛けるのは得策じゃありませんよ!!』

『そうっスね、そろそろ最後尾から……悪路王が追いついてくる筈っス!」

 

 だがこのタイミングは不味いと、刑部姫やガネーシャは客観的な視点から現状を分析する。

 

 これ以上の時間ロスは先行を走る選手たちと差が開きすぎ、最悪追いつけなくなってしまう。おまけに後方からは——追い抜かれると同時に、致命の一撃を放ってくる悪路王が迫ってきていた。

 

 果たしてこの窮地、鬼太郎と鈴鹿御前はどのように乗り越えるのだろうか。

 

 

 

 

 

「——鬼太郎、鈴鹿御前よ……わしに考えがある」

「父さん?」

 

 清姫と赤兎馬の攻撃をなんとか凌いでいる間、鬼太郎の頭からひょっこりと目玉おやじが顔を出してきた。

 

「一瞬でも彼らの隙をつくことは出来ぬか? そうすれば……」

 

 どうやら、目玉おやじにはこの窮地を脱する『策』があるらしい。そのためにも一瞬、ほんの僅かな時間でもいいから清姫と赤兎馬——この両者の動きを止めてほしいと願い出る。

 

「め、目眩しくらいなら、なんとか用意できそうだけど……おっと!!」

 

 目玉おやじの提案に、相手の攻撃を必死に躱しながら鈴鹿御前が了承の返事をする。数秒でいいのなら彼女にも足止めの手段があるというが、果たしてそれで上手くいくかどうか。

 

「それで構わん! そのあとは鬼太郎、お前の出番じゃぞ!!」

「ボクがですか? いったいどうすれば……?」

 

 目玉おやじが鬼太郎の耳元で何事かを囁く。自身の考えた策とやらを、息子へと授けているのだろう。

 

「——わかりました。危険は伴うかもしれませんが……やってみます!!」

 

 父親の作戦に一定の勝算を見出したのか、鬼太郎は確かな決意のもとに頷いていた。

 

 

 

「OK! それじゃ、仕掛けるわよ……大通連!!」

 

 そうして、準備が出来たところで鈴鹿御前が仕掛けを施す。

 彼女はバイクの運転をしながらも、器用にも空中に『浮かせている』二本の刀——その内の一本を、清姫に向かって突っ込ませる。

 それらの刀は、彼女が神通力で動かしているものだ。銀の刀が『小通連(しょうつうれん)』、黄金の刀が『大通連』という。

 そして、この大通連という刀には——『別の物質に変化する』という特性があった。

 

「変われ——水錬(すいれん)!!」

 

 その特性を利用し、鈴鹿御前は清姫の眼前で大通連を『水』へと変化させた。しかし周囲の環境、何より清姫の炎の身体に触れたことで、その水は一瞬にして水蒸気へと変化してしまう。

 

『——っ!! 小癪な!!』

「——むっ! 視界が……」

 

 しかし、それこそが鈴鹿御前の狙いである。一瞬で蒸発した水が水蒸気の煙幕を作り出し、清姫や赤兎馬の目から鈴鹿御前たちの姿を隠していく。

 

「よし……鈴鹿御前、速度を最大まで上げるんじゃ!!」

「かしこまり!!」

 

 そこから、目玉おやじが鈴鹿御前にもバイクの速度を上げるように指示を出す。既にアクセル全開でエンジンを吹かせていたKMR3000が、乗り手の意思に合わせて一直線に走り抜けていく。

 

 だが、その進路の先に——道はない。

 

 清姫によって破壊されたコースに無策に突っ込んだところで、その先は火口——マグマの海へと真っ逆さまへと落ちてしまうだけだが。

 

「——いっけええええええ!!」

『と、飛んだ!? 鈴鹿御前選手のバイクが宙を舞ったぞ!?』

『な、何してんのよ!?』

 

 あろうことか、鈴鹿御前は躊躇うことなく直進を続け——崖から飛び降りるようにコースアウト。向こう岸に渡ろうとでもいうのだろうが、明らかに跳躍力が足りていない。

 

 そのままでは、マグマの中にドボンだ。

 チームとしての敗北が確定してしまうどころか、肉体すらタダでは済まない。まさかの危機にも刑部姫は実況者としての職務を全うしているが、猫娘はその光景を直視出来ずに堪らず顔を手で覆う。

 

 

「——指鉄砲!!」

 

 

 だがここで、ゲゲゲの鬼太郎の指鉄砲が炸裂した。

 彼はバイクの後方に向かい、全力で指鉄砲を放ち続ける。その勢いはまさにジェット噴射のよう、空中を舞うバイクを前へ前へと押し進めていく。

 

 そして、凄まじい勢いで飛翔するKMR3000が——見事にマグマの上を飛び越えていった。

 

「ふう~……なんとかギリギリ届いた感じ?」

「ああ、少し肝は冷えたけど……」

 

 対岸へと着地した鈴鹿御前が安堵の息を吐く。彼女としてもかなり無茶な賭けだったのだろう、額に結構な汗をかいている。

 鬼太郎も——彼の場合、清姫から逃れられたという安心感の方が大きかったが、とりあえずこれで再びレースに戻れると一安心。

 

「やるじゃん、鬼太郎くん!! 私たち……結構いいコンビじゃない!?」

「ああ、そうかもしれないな……」

 

 共に力を合わせて危機を乗り越えたという結束感、極度の緊張状態から抜けられた興奮もあってか、テンションの上がったハイタッチで喜びを分かち合っていた。

 

 

 

『——に、逃しません!!』

 

 これに焦りを見せたのが清姫だ。鬼太郎と鈴鹿御前の仲が深まるような逃避行をこれ以上許してなるものかと、急いでその後を追いかけようとする。

 

「私も、そろそろレースに戻らなければ……ヒヒーン!!」

 

 赤兎馬も、鬼太郎たちの後を追う形でレースに復帰しようと、自らの戦意を鼓舞するように鳴き声を上げていく。

 

 

「——そこをどけ!!」

 

 

 しかし、このタイミングで——とうとう悪路王がやって来てしまった。

 眼前に誰が立ち塞がろうとも関係ないとばかりに、選手である赤兎馬は勿論、清姫にすらもその金棒を躊躇なくぶん回していく。

 

『——なっ……そ、そんなっ!?』

「——なんとっ!?」 

 

 これには大蛇と化している清姫も、謎生物である赤兎馬ですら、為す術もなく吹き飛ばされてしまう。盛大に吹っ飛ばされた両者がポチャンと、マグマの中へと落下してしまった。

 

『きよひー!!』

『ちょっ……生きてんの!?』

 

 清姫に場を引っ掻き回されたとはいえ、友人の危機に刑部姫も声を上げる。猫娘も、恋敵だからといって清姫に死んでほしいわけではない。

 果たして、溶岩流に飲み込まれた彼女の運命やいかに——。

 

「ああ……また安珍様が遠ざかってしまう……けど、次こそは必ず!!」

 

 普通に無事だった。ダメージを負った影響で大蛇の変身こそ解けてはいるが、身体そのものは至って健康体。水着を着用しているからなのか、マグマの海をスイスイと泳ぎながら、そのまま溶岩エリアを立ち去っていく。

 

「ここまでのようですな……不覚!! 暫しの間、湯に浸かり……この傷を癒すことにしましょう」

 

 ついでに赤兎馬も、負傷したことで潔くレースを諦めつつ——湯治と称してマグマの中に気持ちよさそうに浸かっている。

 

 

 

『…………なんで無事なのよ……』

『さ、さあ……?』

 

 これには清姫の心配をしていた猫娘や刑部姫も呆然とするしかない。

 

 ちなみに——。

 

「——道がなければ……作るまでよ!! ぬん!!」

 

 最後尾の悪路王はマグマを避けるため、周辺の地形から金棒で瓦礫を掘り出していた。集めた岩をマグマの上に敷き詰め、それを足場に溶岩流を渡っていく。

 新たに道を作り出してしまう怪力は流石といったところだが、悪路王でさえマグマに直で触れることを避けたのだ。

 

 マグマに浸かっても平然としていられる清姫と赤兎馬……ほんと、なんで無事だったのか?

 

 

 

×

 

 

 

『——さて、早くも二チームが脱落してしまいましたが……敗者たちの犠牲を糧に、妖怪ラリーはどこまでも続いていきます』

 

 第二チェックポイントを通過するまでにエジプト代表、中国代表が立て続けに走行不能へと追いやられたが、それでも淡々と実況の仕事をこなしていく刑部姫。

 

『おっと、見えてきたぞ!! 第三のチェックポイント——水辺だ!』

 

 彼女は選手たちが次なるエリアへと辿り着いたことを告げる。

 そこはそれまでの激しいエリア、砂漠や溶岩といったあからさまな危険地帯とは違い、一見すると穏やかな水辺——緩やかに川が流れるエリアであった。

 一本道で障害物らしいものもない、水嵩も浅く比較的穏やかに車体を走らせることが出来そうだ。

 

『ええ……こちらのチェックポイントにも、何かしらの障害を設置する予定だったのですが、予算と工期の関係上……やめました!』

『やめたのか! 世知辛い話っスね~……』

 

 刑部姫、運営側はこのエリアにも何かしらの『仕込み』を用意するつもりだったようだが、時間やお金の関係上、どうしても都合が付かずお蔵入になったとのこと。

 なんともシビアな現実的問題に、ガネーシャも頭を抑えている。

 

『ですので、このエリアでは特にこれといった見せ場はございません。観客の皆様……お昼休憩だと思って、どうかお寛ぎ下さい』

『適当!? ちょっとはペース配分とか考えなさいよね!!』

 

 そうした理由もあってか、観客に一休みするように告げる刑部姫。彼女自身もちょっと疲れてきたのか一旦マイクを置き、休憩に入る様子だ。猫娘からその適当な仕事振りにツッコミを入れられている。

 

 もっとも、運営側からの実況や仕掛けなどなくとも——選手たちはこのエリアでもぶつかり合っていく。

 

 

 

「——うぅ……バベッジ! わたしも、そろそろ……」

『——仕掛けるのか? よかろう、お前の思うようにするといい……ヴィクターの娘よ』

 

 現在、三位を走るフランちゃん&バベッジ。

 フランは何かを思いついたかのよう、バベッジへと呼び掛けた。バベッジは保護者のように、フランのやりたいことを見守ると彼女の意思を尊重する。

 

 フランは人造人間——フランケンシュタインの怪物。よく誤解されがちだが、フランケンシュタインとはあくまで怪物を造った人の名前であり、本来怪物に名などない。

 だが便宜上、バベッジは怪物をフラン——ときより、彼女のことを『ヴィクターの娘』とも呼ぶ。

 

「フラン、つくったのバベッジ……フランはバベッジのむすめ……ちがうの?」

 

 これにフランは素朴な疑問を抱く。

 フランの設計図を紐解き、彼女を現代に甦らせたのはバベッジその人である。その経緯を考えるのであれば、フランの親はバベッジということになるのではないだろうか。

 

『いや、我は設計図通りにお前をデザインしただけである。お前はヴィクターの……我が友の娘だ』

 

 しかし、バベッジはあくまで彼女をヴィクター・フランケンシュタイン——今は亡き、友人の娘として扱う。

 本来のヴィクター博士は、自身が創造した怪物第一号によって殺され、そのまま名前すらも奪われてしまった。彼が何のために怪物を創り、怪物に何を求めたのか。それは彼の人生を小説としてまとめたメアリー・シェリーにも預かり知らぬことである。

 

『お前がこの現代で何を為すのか……友がお前たちに何をさせたかったのか……我はそれが知りたい』

 

 故に、バベッジが新たな怪物を創造したのも、全てはヴィクター博士の意思を知るため。

 あるいは、友が見ることの叶わなかった怪物たちの、その行く末を記録したいがためか。バベッジにとって妖怪ラリーの参加も、その記録の一端に過ぎないのかもしれない。

 

「うぅ……! でかいの……いきまーす!!」

 

 そうした、バベッジの期待に応えるようにフランは立ち上がった。走行中ながらも、どこから取り出したのか巨大な大剣を構える。

 それはバベッジが彼女のためにあつらえた装備、名称はプライダル・ブレイドと呼ぶ。勢いよく回転させることでエネルギーを急速に充填。膨大な『雷』を纏ったプラズマブレイドが展開される。

 怪物が動き出すためにも、大量の電気を必要としたという。電気こそが、彼女の力の源なのだろう。プラズマの刀身を思いっきり振り上げるや——それを地面へと突き立てていく。

 

 ただの地面に剣を突き立てたところで、効果は薄かっただろうが——そこは水辺だ。プラズマの刀身から電撃が迸り、水を通じて電流が先を行く走者へと襲い掛かる。

 

『——ッ!!』

 

 フランの先を走る第二位——狼王ロボは事前にその危険を察知。ジャンプすることで電流から逃れ、なんとか感電の危機から脱する。

 

「——うごああああああ!?」

 

 だがトップを走るアシュヴァッターマン。彼は直前まで伝わってくる電流に気づくことが出来ず、電撃をまともに浴びてしまう。身体が痺れたのか、マシンに不調をきたしてしまったのか、その動きが急停止していく。

 

『見事だ、フランよ!』

「やってやったぜ。ごほうびにこおりください!!」

 

 フランの電撃で一位の走者を止めたことをバベッジが褒め称え、彼女自身も自慢げに胸を張る。電撃を発したことで自身の体内温度が上昇してしまったためか、ご褒美として氷の提供を希望していく。

 

『グルルル……グォオオオオオオオ!!』

『————!』

 

 だが、ここで電撃から逃れた狼王ロボが牙を剥く。

 動物としての本能からか、攻撃してきたフランに逆襲とばかりに飛び掛かってきたのだ。ロボに乗る首無騎士のヘシアンも、その両手に握る鎌状の剣を振り下ろしてくる。

 

「やるか!」

 

 これにフランも、再び大剣を掲げて応戦。ブラスマの刀身と鎌状の剣がぶつかり合い、閃光の如き火花が激しく迸っていく。

 

「ぐぐぐ……!」

『————!』

 

 互いに一歩も譲らぬ剣戟。何度も何度も刀身をぶつけ合うため、自然とその足も止まっていく。

 

「——テメェら……俺を差し置いて、何を楽しんでやがる!!」

 

 すると、そこへアシュヴァッターマンまでもが乱入してきた。

 フランの電撃を浴びて怯んでいた彼だが、それも一瞬。自分を無視して戦いを楽しんでいる両者に激怒しながら、バイクを足場に跳躍——拳に炎を纏わせながら思いっきりぶん殴ってくる。

 

「あぶない!!」

『————』

 

 その一撃をまともに食らうのは不味いと判断し、フランとヘシアンが互いに刃を退いていく。

 

『緊急回避!!』

『グゥウ!?』

 

 両者の乗機たるバベッジやロボも、アシュヴァッターマンの拳から逃れるために慌てて距離を取った。

 実際、その判断は適切だ。避けられたアシュヴァッターマンの拳は地面へとめり込み、凄まじい轟音を上げながら大地を砕く。衝撃の余波が水辺エリアに水飛沫を巻き上げていく。

 

 

 

「ハッ!! ここで決着を付けようってんなら、相手してやんぞ、コラァア!!」

 

 水飛沫が雨のように降り注ぐ中、バイクの上に仁王立ちになるアシュヴァッターマン。フランの攻撃が彼の闘志に火を付けてしまったのだろうか、その身体から目に見えるほどの闘気が立ち上ってくる。

 

「うー、のぞむところ!」

『遅かれ早かれ、こうなることは必然である』

 

 その気迫に応じる形で、フランも大剣を構える。バベッジもいずれはこのような形で雌雄を決することになったであろうと、その流れを受け入れた。

 

『グルルルルル……』

『————』

 

 狼王ロボとヘシアンも、いつでも飛び掛かれるよう臨戦態勢で身構えていく。

 

 三者三様が互いに距離を取りながら睨み合う状況。妖怪ラリーそっちのけ、そのまま力尽きるまでぶつかり合おうとでも言うのだろうか。

 

 

「——お先に失礼!!」

 

 

 だがそんな緊張状態の中を、一陣の風が駆け抜けた。

 怒涛の勢いでここまで追い上げてきた——鈴鹿御前である。三者が互いに睨み合う中を、漁夫の利を得たとばかりに疾走していく。

 

「気を付けてくれ! 悪路王がすぐそこまで迫ってきてる!!」

 

 すれ違いざま、鬼太郎は他選手に警告を飛ばしていた。彼の言葉通りに後方を振り返れば——遠目に悪路王の姿が見えていた。

 

「——ガッハッハ!! すぐにでも追いついてやるぞ!!」

 

 既に第三チェックポイントである水辺エリアに侵入を果たしており、ここまで追いついてくるのも時間の問題だろう。

 

「チィっ!! しゃあねぇな……!!」

『やむを得まい……行くぞ、フラン!』

『グルゥ……』

 

 これには争い合っていた選手たちも矛を納め、再びレースへと戻っていく。流石に悪路王と正面からやり合うという愚を犯したくないらしい。

 悪路王から逃げるよう、まずは水辺エリアを突破するべく直線コースを走り抜けていく。

 

 

 

 

 

「——そっちはどう、砂かけババア?」

 

 実況席。

 マイクもカメラも切っていたため、観客席などからその様子を探ることが出来ない密室内で、猫娘はとある相手に連絡を取っていた。

 

『うむ、大丈夫じゃ! 避難の方はあらかた終わっておる……鬼どもに気づかれた様子もないわい』

 

 通話越しから聞こえてきたのは、砂かけババアの声だ。

 

 彼女を含めた子泣き爺やぬりかべなどは、とあるミッションのため秘密裏に動いていた。

 それは——『捕まっていた人間たちの救助』。鬼ヶ島に連れ去られていた、およそ百人ほどの人々をこの島から退避させることである。

 

 鬼ヶ島の守りに付いている筈の鬼たちも、白熱するレース展開に夢中で『人間たちがいつの間にかいなくなっている』事実に全く気付けていなかった。既に大半の人間たちがレース会場からの避難を終えており、今は海岸付近に停泊させておいた舟にて待機している。

 

「分かったわ、ひとまずはそこで待機しててちょうだい……またあとで連絡するから」

 

 そこからすぐにでも島から脱出することも出来たが、流石に船を出せば気付かれてしまう恐れがあるため、一時待機に留めておく。砂かけババアたちに人々のことを任せ、とりあえずは通話を切っていく猫娘。

 

「刑部姫……そっちの進行状況は?」

 

 砂かけババアとの通話を終え、猫娘は協力者である刑部姫の方へと向き直る。

 

「うんうん……いい感じかな? これなら予定通り、上手くいくと思うけど……」

 

 刑部姫も実況者としてレースを盛り上げながらも、裏ではきちんと本来の役目をこなしていたようだ。『何か』の進捗状況によしよしと頷いている。

 

「そりゃよかったっスね〜……ここまでやって肝心なところで機能しないなんて、笑い話にもならないっスから〜……モグモグ……」

 

 一方で、ガネーシャなどは特に何かをするでもなくお菓子をモグモグと頬張っていた。

 

「ちょっと、ガっちゃん! アンタにも大事な役目があるんだから……今のうちにしっかり準備しといてよ!」

 

 そんな怠惰な態度のガネーシャに刑部姫が釘を刺していく。

 どうやら、ガネーシャにもちゃんとした役割があるらしい。そのときのため、今のうちに心構えをしておくべきだということだろう。

 

 

 

「あとは、鈴鹿御前と鬼太郎が……勝ってくれることを祈るだけね……」

 

 そうして、着々と進められていく準備だが、結局のところ——鈴鹿御前とゲゲゲの鬼太郎が、この妖怪ラリーに勝たなければ全ては元の木阿弥だと。

 猫娘は二人の勝利を信じ、そのときがくるのを静かに実況席から待ち続けていく。

 

 




人物紹介

 メジェド様
  エジプトの神様……ただし、その中身に関しては最後まで触れませんでした。
  レース開始早々の退場となってしまいましたが、決してメジェド様の実力が劣っているわけではありません。
  尚、サポーターであるアラビアンな女性に関しても特に深掘りはありませんのでご容赦の程を。

 清姫
  刑部姫に続き、本シリーズ三度目の登場。
  今回は溶岩エリアの妨害キャラとして登場ーー味方である筈の鬼太郎を苦しめました。
  マグマの中を平然と泳ぐのは……公式設定ですので。

 赤兎馬
  自ら呂布を名乗る、謎の怪馬。東洋のケンタウロス。
  一応、妖怪というカテゴリーに属することになりましたが……果たして彼が何者だったのかは最後まで謎。
  清姫同様、きっとマグマに落ちても無事だろうという謎の安心感がある……。

 フランちゃん
  フランケンシュタインの怪物。
  6期に登場するヴィクターフランシュタインとは、一応兄妹機という設定です。
  生意気な兄の方とは違い、まだ生まれたてなので純真無垢。
  
 チャールズ・バベッジ
  イギリスの数学者ーーチャールズ・バベッジと同じ名前を持つ、謎の変形型ロボット。
  一応、設定的には『バベッジの脳を移植されたマシン』。
  リアルな話、バベッジ博士の脳は半分にされ、それぞれ別の場所に保管されてるとかなんとか。
  きっとその脳を秘密裏に移植したのでしょう……という感じでイメージを膨らませてみました。
  
 とりあえず、今回の人物紹介はここまで。
 他選手の紹介は次回に回します……果たして次話で完結するかどうかは、お話の進捗具合によります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

レースクイーン鈴鹿御前・灼熱のサマーレース 其の④

ふぃ~……ようやく、書き終わりました。
長かった妖怪ラリー、今回で無事完結します。
中々カオスなお話になりましたが、これが作者なりの鬼太郎6期妖怪ラリーでございます。

ちなみに、今回のお話の主役である鈴鹿御前の『父親』の正体に関して。
型月公式でも語られていない部分を作者なりに解釈し、話の最後らへんに説明を組み込んでいます。公式で正式な発表があった際など、色々と相違点が生まれるかもしれませんが、その辺りはどうかご容赦を。

それから……ついに映画『ゲゲゲの謎』の公開が迫ってきました。
公開初日で観に行くつもり。この映画の内容次第で、書くことになるかもしれないクロスオーバー作品のストックなどもあるかと思うので……今から楽しみです!


『はぁはぁ……』

 

 平安時代。一人の美しい女性が暗い洞窟の中で息を切らしていた。相当な力を消費したのだろう、今にも息絶え絶えといった様子だ。

 

 彼女の名は鈴鹿御前。

 父である天竺第四天魔王より、日の本の国を魔国にすべきとの命を受けて地上へと舞い降りた天魔の姫である。

 

 とはいえ、それも過去の話。坂上田村麻呂という人間との運命的な出会いが彼女を変えた。

 愛する人のため、この国に住まう人々を悪鬼たちの魔の手から護らんと。鈴鹿御前は多くの鬼たちを坂上田村麻呂と共に討伐してきた。

 

 悪路の高丸や、大武丸。悪路王や——大嶽丸。

 

 ところが、最後の大嶽丸だけは他の鬼どもと別格だった。たとえ二人がかりでも、まともにやって勝ち目はない。

 かの鬼を倒すため、鈴鹿御前は大嶽丸の花嫁となる道を選んだ。妻として大嶽丸の懐へと入り込み、彼に呪詛を掛け続けることでその身を弱体化させようと目論んだのだ。

 

『やった……』

 

 その期間——およそ三年。

 それだけの年月を費やし、ようやく鈴鹿御前は本懐を遂げた。大嶽丸の岩よりも硬かった皮膚を柔らかくし、見事暗殺に成功したのだ。

 

『これでやっと帰れる……』

 

 だが、鈴鹿御前自身も相当に体力や妖力を消費した。途方もない疲労感をその身に残しつつ、ゆっくりと身体を起こす。目的を果たした今、もうこんなところに用はない。

 今は一刻も早く彼の——愛しい人の元に帰りたかった。鈴鹿御前は希望を胸に、暗い洞窟の中を外に向かって進んでいく。

 

『——!?』

 

 ところが、鈴鹿御前が歩き出したところで、外から何者かの足音が響いてくる。日の当たる外の世界から、洞窟の闇の中へと一人の男がやってきた。

 誰あろう、坂上田村麻呂その人である。鈴鹿御前と確かな絆を結んだ筈の男が——憔悴しきった表情で彼女の前へと姿を現したのだ。

 

 彼は虚な目で鈴鹿御前に問う。

『何故?』『どうして裏切った?』『信じていたのに、どうして?』と。

 

 鈴鹿御前は坂上田村麻呂にも何も語ることなく大嶽丸の元へと下った。そして大嶽丸の元で、鬼の仲間として人々を害し、国を荒らし回ったのだ。

 全ては大嶽丸の目を欺くためであったが、そんな彼女の姿に坂上田村麻呂は悲嘆し、気を病んでしまった。

 愛するものに裏切られたという絶望が、彼を引き返すことの出来ない奈落の底へと突き落としてしまったのだ。

 

『————』

 

 そんな坂上田村麻呂の姿に、鈴鹿御前は己の過ちを悟った。

 全ては彼のためにと思ってやったこと。だが結果的に、それが彼をここまで追い込んでしまったのだ。

 

 こうなってしまっては救いはないと。鈴鹿御前は『鬼の仲間』として、坂上田村麻呂の手によって裁かれることを選んだ。

 自分が『悪』として滅ぼされれば、少しは彼の気休めになるだろうと考えたのだ。

 

 かくして、鈴鹿御前は坂上田村麻呂の手によって討ち取られた。

 全ては愛する人のため、最後まで彼女は誰も恨みはしなかった。

 

 

 

 その後、数百年という長い時間を掛けて鈴鹿御前は現代に蘇った。

 既に坂上田村麻呂は人間として天寿を全うした。愛した人のいないこの国で彼女が何を感じ、何を思ったのか——。

 

 恋に生きる花の女子高生——JKへと華麗に転身!!

 刑部姫といった女性妖怪同士でコミュニティを形成したり、ヘルズキッチンなるお料理教室に通っては花嫁修行に没頭したりと。何気に現世を満喫していたりする。

 

 そんな中——過去に倒した悪鬼・悪路王の復活に鈴鹿御前は動いた。かの鬼を封じるためにと、策略を駆使して妖怪ラリーの開催にまで漕ぎ着ける。

 彼女がそこまでして悪路王を倒さんとするわけ。それはかつて愛した坂上田村麻呂への想いがそうさせているのか。あるいは他に何か理由でもあるのか。

 

 

 いずれにせよ、それは鈴鹿御前の胸の内だけに留められることである。

 

 

 

×

 

 

 

『——いよいよレースも終盤!! 勝利の女神は……いったい、誰に微笑むのでしょうか!?』

 

 妖怪ラリーの裏側で悪路王を無力化する策謀を張り巡らせつつ、何食わぬ顔で実況席へと戻ってきた刑部姫。鬼たちの意識を引くという目的もあってか、実況者として大いにレースを盛り上げていく。

 

「——うぉおおおお!! 悪路王様!!」

「——我らが鬼に勝利と栄光をっ!!」

 

『ふぅ……』

 

 目論見通り、鬼ヶ島の鬼どもはそのほとんどがレースに熱中しており、いつの間にかいなくなっている人間たちに全く気付いていない。

 これで人質の心配はなくなったと、実況席の隅っこで猫娘がほっと胸を撫で下ろしていた。

 

 

 

『——さあ、見えてきました!! 第四のチェックポイントにして、最後の難関!!』

 

 そうして、とうとう妖怪ラリー最後の関門が挑戦者たちを迎え入れる。

 

『最後の難所は——峡谷エリアです!!』

 

 刑部姫が最後の関門として叫んだのは峡谷——切り立った崖に囲まれた深い谷のエリアである。

 

 先の水辺エリアのどこか夏っぽさを感じさせる地形とは異なり、そこはどこまで行っても切り立った崖しか見えない不毛な土地だ。

 その崖からは常に小石がパラパラと落ちてくるのが見えていたりと、いつどこから土砂などが崩れてきてもおかしくない不穏な空気を放っている。

 

『このエリアではルートが複数に分かれております。どのルートをどのように進むかは……選手たち自身が判断しなければなりません!』

 

 刑部姫曰く、このエリアは道が複数——右側、左側、中央の三つに分かれているとのこと。どのルートを進むかは選手たちの判断に委ねられる。

 ルート選択次第では、大きく順位変動する可能性もあるだろう。まさに最後の関門に相応しい難所である。

 

 一位から四位まで、ほとんど並走状態であった各選手がその分かれ道の前で一旦は動きを止める。

 

 日本代表——鈴鹿御前&ゲゲゲの鬼太郎。

 インド代表——アシュヴァッターマン。

 イギリス代表——フランちゃん&バベッジ。

 アメリカ&ドイツ代表——ロボ&ヘシアン。

 

 どのルートを進むか、皆が一様に悩んでいる様子であったが——。

 

「——ハッ!! おもしれぇ!! どんな障害でもかかってきやがれってんだ!!」

 

 真っ先にルートを選択したのは——アシュヴァッターマン。

 ほとんど迷うような素振りを見せず、右側に寄ったルートを選択。愛車のバイク『スダルシャンチャクラ』を爆走させていく。

 

『グルゥウ!!』

『————』

 

 アシュヴァッターマンの動きに釣られるように狼王ロボも動く。ヘシアンと共に前を走るアシュヴァッターマンを追いかける形で、彼らも右側のルートを駆け抜けていく。

 

「ええっと……よし、こっち!!」

「本当に……こっちの道であってるのか?」

 

 次に鈴鹿御前が手にしていた紙切れを見ながら左側のルートを選択。いったい何を根拠にそちらのルートを選んだのか、鬼太郎などは不審がっていたが鈴鹿御前に迷いはない。

 

『よし、いくぞ、フランよ』

「うー……りょうかいです!!」

 

 すると、そんな鈴鹿御前の様子を観察していたバベッジがすぐに彼女の後を追いかける。フランもバベッジの判断を信用し、左側のルートを選択した。

 

 

 奇しくも、2:2で左右に分かれることになった選手たち。果たしてこの選択がどのようなドラマを生むのだろうか。

 

 

 

「——しめしめ……予定通り、鈴鹿っちは最短ルートを選んだわ! これで勝ったも同然ね!!」

 

 実況席。マイクの電源を切って外に自身の言葉が漏れないよう、注意を払いながら刑部姫がほくそ笑む。彼女は鈴鹿御前が左側のルートを選んだことにホッと一安心、その顔は既に勝利を確信していた。

 それもその筈、その道は大会運営側である刑部姫があらかじめ用意していた『正解』のルートだ。鈴鹿御前が何のトラブルもなく渓谷エリアを抜けられるようにと、安全に進める道筋を紙に書いて渡しておいたのだ。

 

「——卑怯っス! セコイっス! 八百長っスよ!!」

 

 これにクレームを入れるのがインドの神様・ガネーシャ。

 一応は協力者枠としてここにいるが、刑部姫の行為は運営という立場を利用したあからさまな反則であると、今更ながらに彼女を責め立てる。

 

「ガっちゃん……残念だけど、これが現実なのよ。所詮この世は弱肉強食!! 勝ったものが正義!! どんな手を使っても、勝てばよかろうなのよぉおお!!」

 

 もっとも、ガネーシャの批判など刑部姫はどこ吹く風、完全に開き直った悪い顔で口元を吊り上げる。心なしかどこか楽しそうである。

 

「けど……正解の道を選んだのは、鬼太郎たちだけじゃないみたいね……」

「へっ……?」

 

 だが、企みが上手くいったと調子に乗る刑部姫の鼻っ面をへし折るよう、猫娘が鈴鹿御前や鬼太郎の後を追いかける影があることに気付く。

 

 

 

『——やはり、こちらの道を選んで正解であったようだな』

 

 チャールズ・バベッジ。イギリスを代表する数学者の名を冠した蒸気機関車が、鈴鹿御前が乗り回す『KMR3000ーMH』の後ろをびったりと追走する。

 

『この妖怪ラリーを取り仕切っているのは日本。彼らが運営からのバックアップを受けている可能性は常に考慮に入れるべきであった』

「うー……おしょくあんけん? できレース、ずるはだめ!!」

 

 バベッジの明晰な頭脳は、既に鈴鹿御前が運営側の手助けを受けていることを予測していた。先の溶岩エリアで清姫が日本チームへと襲い掛かっていたときにも、実況席から『予定が違う』といった感じの焦り声も聞こえてきた。

 ならば、彼らの後を付いて行けばこのエリアを無事に突破できると。バベッジは鈴鹿御前のすぐ後ろのポジションを常に維持していく。

 

『だが……これ以上、彼らの勝手を許すのも拙い。邪魔者もいない今こそ、直に決着を付けるのも一つの手だろう』

 

 だが、運営側が他にどんな手札を持っているか分からない中、このままレースを進めるのはどうにも収まりが悪いと。バベッジは、鈴鹿御前たちをここで脱落させる案を視野に入れる。

 どうやらこの渓谷エリアで左側のルートを選んだのは、鈴鹿御前やフランたちだけのようだ。別ルートを進んだのだろう、後ろから悪路王が迫ってくる様子もない。

 

「けっちゃく……ひとあしさきに、きめちゃう?」

 

 バベッジの意見にフランもすっかりやる気になったのか、大剣・プライダルブレイドを取り出して構える。すぐにでも仕掛けられるようにと、彼女の全身からは電撃が迸っていた。

 

「上等じゃない! やろうってんなら相手になるしっ!!」

 

 そんな相手方のやる気を敏感に感じ取り、鈴鹿御前も妖気を漲らせる。大通連と小通連、二振りの刀を神通力で宙に浮かせ、いつどこから攻撃されても対応できるよう迎撃態勢を整えていく。

 

「…………」

『…………』

 

 鈴鹿御前やフランのサポートに回っている、鬼太郎やバベッジにも緊張感が漂ってくる。コースを走りながらも互いに間合いを測りつつ、ぶつかり合うその瞬間、切り込むタイミングを見計らっていく。

 

 

 次の瞬間——。

 

 

「——ヒャハッハッハ!!」

 

 予期せぬ方向——上空から、何者かが敵意を剥き出しに飛び掛かってくる。

 

「覚悟しぃいやあああ!!」

「ヒャッハー!!」

 

 しかも単体ではなく複数。鈴鹿御前とフラン、その双方に向かって彼らは牙を剥いてきたのだ。

 

「うざいっつうの!!」

「くせもの……とりゃあああ!!」

 

 それは完全な不意打ちではあったものの、彼女たちは臨戦態勢で身構えていたため即座に対応ができた。鈴鹿御前は小通連で、フランは雷のエネルギーを放出することで敵を退けていく。

 

「ぐぎゃあああああ!!」

「ぶべぇえええ!?」

 

 撃退された襲撃者が悲鳴を上げながら吹っ飛ぶ。彼らは一様に——額に角を生やしている。

 

「こやつら……鬼ヶ島の鬼どもじゃ!!」

 

 ここで鬼太郎の頭から顔を出した、目玉おやじが襲撃者の正体を看破して叫んだ。

 襲ってきたのは鬼ヶ島に蔓延る『鬼』たち。今の今まで観戦に留まっていた彼らが、レースを妨害するような形で襲撃してきたのだ。

 

「おっと……どこに行こうってんだ、テメェら!!」

「ここを通りたきゃ、通行量を払いなっ!!」

 

 ゾロゾロと小鬼や人型の鬼どもが数十、あるいは数百という規模で渓谷の崖上にずらりと立ち並んでいた。まるで不良が因縁を付けてくるような絡み方だが、彼らの意図は明白。

 

 悪路王の優勝、そのために鈴鹿御前やフランをここで食い止めようというのだろう。

 

『ちょっ……ちょっとアンタたち、何やってんの!? こんなのルール違反よ!!』

『……どの口が言ってるんスか?』

 

 鬼たちの仕掛けてきた場外戦術に実況席から刑部姫がクレームの声を上げるが、彼女がそれを言うのはいまいち説得力に欠けるとガネーシャからツッコミが入る。

 

「ルール違反をしちゃいけない、なんてルールはないぜ!! ヒャハハハ!!」

 

 鬼たちも、刑部姫の言葉になど聞く耳を持たない。どんな手段を用いようが勝てばいい。皮肉にも、そのように考えていたのは鬼たちも一緒だったということだ。

 

 無論、今この瞬間に襲われているのは左側のルートを選んだ面々だけではない。

 

 

 

「あん!? なんだテメェら!?」

『グゥウウ!!』

 

 右側のルートを選択していたアシュヴァッターマンや、狼王ロボたちの元にも鬼たちは刺客を送り込んでいた。

 

「いたぞ、こっちだ!!」

「袋にしちまえっ! ウッシャシャシャ!!」

 

 鈴鹿御前たちを襲撃している鬼たちと、ほとんど同規模の戦力。

 流石にここが鬼ヶ島、鬼たちの本拠地なだけのことはある。これほどの戦力を惜しみなく投入できるのも鬼を——彼らを統べるこの島の支配者・悪路王の特権だと言えよう。

 

 とはいえだ。流石に雑兵如きに討ち取られるほど、妖怪ラリーの参加者たちも容易くはない。

 

「上等だ……!! ぶっ潰れて死に晒せゴラァあああ!!」

 

 向かってくる鬼たちを、アシュヴァッターマンが堂々と正面から殴り飛ばしていく。

 全身が鎧で覆われている彼の身体に、小鬼程度では傷一つ付けられない。向かってくる鬼どもをちぎっては投げ、ちぎっては投げ。圧倒的な物量差をものともせず、怒号を上げながら次々と鬼どもを蹂躙していく。

 その半身にシヴァを宿すアシュヴァッターマンは、一度暴れ出すともう手がつけられない。自らの内側から湧き上がる憤怒を、さらに燃え上がらせるように暴れ狂っている。

 

「な、なんなんだこいつは!?」

「ひぃぇえええええ! お、お助けぇええ!!」

 

 これには襲撃してきた鬼たちの方が逆にビビってしまっている。そのあまりの暴れっぷりに恐れをなし、ほうほうのていで逃げ出していく有り様だ。

 

『——オオオォオオオオオオオオオ!!』

『——!!』

 

 すると、その逃げる鬼たちにロボとヘシアンが襲い掛かっていく。

 獣の本能からか、逃げる獲物を追いかけるロボ。首無しの騎士であるヘシアンもその両手の剣を無造作に、無慈悲に鬼たちの背中へと突き立てていく。

 元より憎悪、憎しみからこの世を彷徨い歩くようになったロボたちに手加減などの概念があるわけもない。彼らの復讐の対象は人間だが、自分たちの前に立ち塞がるものは全て怨敵だとばかりに、鬼たちを一匹残らず殺し尽くさんとばかりに蹂躙していく。

 

「い、岩だ!! 岩を落とせ!!」

「生き埋めにしちまえ!!」

 

 アシュヴァッターマンやロボの凄まじい強さに、正攻法では勝ち目がないと悟ったのか。崖上に展開していた鬼たちの一部隊が、岩や土砂などを落としてくる。

 元々、右側のルートは『外れ』の道として、土砂崩れなどが起きやすい作りになっていた。鬼たちが適当な衝撃を加えれば——それだけで、崖崩れなどの災害が発生するような状態だったのだ。

 

「チィッ!!」

『——!!』

 

 これにはアシュヴァッターマンやロボたちも、すぐに回避行動を取ろうと乗機の速度を上げる。流石に地形そのものが襲ってくるような土砂崩れを、真っ向から受け止めるわけにはいかない。

 

「行かせぬ!」

「死ねば諸共じゃ、ボケぇえええ!!」

 

 だが、ここで根性の据わった数匹の鬼たちが道連れ覚悟でその動きを止めようと飛び掛かってきた。アシュヴァッターマンのバイクの後輪や、狼王ロボの後ろ足へと必死にしがみついてくる。

 

「テメェ……離しやがれ!!」

『ガアアアアアア!!』

 

 アシュヴァッターマンも、ロボもしがみついてくる鬼たちをすぐに振り払う。彼らの力を持ってすれば、鬼たちを退けることなど容易いこと。

 

 

 だが——そうやって鬼たちに気を取られていた、その僅かな時間が彼らの命運を分ける。

 

 

 降り注ぐ土砂は、目前まで迫ってきていた。

 どれだけ速度を上げても、もう回避できるようなタイミングではなかったのだ。

 

「——!!」

『——!!』

 

 刹那、怒号や憎悪の声を上げる間もなく両選手の姿が土砂の中へと消えていく。

 

 

 インド代表——アシュヴァッターマン。

 アメリカ&ドイツ代表——ロボ&ヘシアン。

 

 

 共に安否不明により、妖怪ラリーから一時的にフェードアウト。

 

 

 

×

 

 

 

「ああ!! もう、しつこいっての!!」

「うー、だるいー! あつい……いいかげん、どっかいけ!!」

 

 右側のルートで選手たちが土砂崩れに飲み込まれていた頃、左側のルートでも乱戦は続いていた。鈴鹿御前やフランたちに、襲撃者たる鬼どもが絶え間なく襲い掛かり続けている。

 流石に、これだけの数を馬鹿正直に相手してはいられないと。すぐにでもこの渓谷を抜けようと、両者共に乗機を最速で走らせていく。

 

「逃すな、追え!!」

「轢き殺すぞ! 馬鹿やろう、この野郎め!!」

「パラリラパラリラ~!!」

 

 ところが、鬼たちはどこからかバイクなど持ち出してきては彼女たちを追いかけ始めた。下品な爆音を響かせながらバイクを走らせるその姿は、まさに古い時代の暴走族そのものである。

 

「——髪の毛針!!」

 

「ぐええええ!!」

「ふぎゃ!?」

 

 追いすがってくる鬼たちに対し、バイクのサイドカーから安全対策で被っていたヘルメットを脱ぎ捨てた鬼太郎が髪の毛針を放ち、タイヤなどをパンクさせていく。

 それにより無様に転げ回る鬼たち、鬼太郎の攻撃は確かに効果があった。

 

「ヒャッハー!! その程度か、ゲゲゲの鬼太郎!!」

「大人しくやられちまいなっ!!」

「ぶんぶん、ぶぶぶん!!」

 

「し、しつこい……!!」

 

 だが、やはり数が多すぎる。倒しても倒しても次から次へと湧いてくる鬼どもに、鬼太郎もウンザリとした表情になっていく。

 

「こりゃ……キリがない!! どこかで連中を引き離さんことには、どうしようもないぞ!!」

 

 目玉おやじも、これには参ったとばかりに頭を抱えている。

 どこまでも付いてくる鬼たち。どこかで彼らの追跡をまかないと、いずれはジリ貧になってこちらが先に力尽きてしまう。

 なんとかしなければと、鬼太郎たちの表情に焦りが見え始める。

 

 

 

「……バベッジ、バベッジ!!」

『どうした、フラン? 何か妙案でも?』

 

 ふと、この状況にフランが乗機でもあるバベッジに声を掛けていた。バベッジはこの危機を脱する解決策があるのかと、彼女の言葉に耳を傾けていく。

 

『!! フランよ、お前がそう決めたのなら我に不満はないが……本当にそれでよいのか?』

「うん!! もうじゅうぶん……けっこうおもしろかったし!」

 

 すると、バベッジはフランの発言に驚いたようなリアクションを取る。フランが何を言ったかは知らないが、それは彼にとっても予想外のことだったのだろう。

 

『……よかろう。我も最後まで付き合うぞ!』

 

 少し迷う素振りこそあったものの、バベッジはフランの言葉——彼女の決断を尊重することにした。

 

 

『——ロコモーティブフォーム解除!!』

 

 

 次の瞬間、走るのを止めたバベッジがロコモーティブフォーム——蒸気機関車形態から、通常の二足歩行形態へと変形。フランもバベッジから飛び降り、地に足を付けて剣を構え始めた。

 

「ちょっと、アンタたち……!?」

「いったい、何をする気だ?」

 

 足を止めたイギリスチームに、先を走る鈴鹿御前や鬼太郎が困惑した表情になる。二人は彼らが何かを企んでいるのかと、思わず警戒心を露わにするが——。

 

 

『——我が鉄槌、受けてみよ!!』

 

 

 バベッジは、自らのボディに収蔵していた武器・機械仕掛けのステッキを取り出す。

 それは一見すると、棍棒のような得物。だが、その先端はトンネルボーリングマシン・トンネル掘削作業の際に用いられる機械を連想させるという物騒な代物だ。

 その得物の先端をドリルのように高速回転させ——何を思ったか、バベッジはそれを崖に向かって突き立てる。

 

 

 瞬間、地響きが起きる。

 まさにトンネル掘削を思わせる強烈な一撃に、崖崩れが発生——前に進むしかない一方通行の道を、大量の土砂が埋め尽くしてしまう。

 

 

 分断された通路。

 行き止まりで、これ以上進めなくなったフランたちは足を止めるしかないが——その一方で、既に先を走っていた鈴鹿御前と鬼太郎たちは、向こう側まで渡り切って事なきを得ていた。

 

 はたから見ると鈴鹿御前たちだけが得をした、イギリスチームの盛大な自爆のようにも見える結果だ。

 

『ふむ、計算通りだ。これで奴らはこれ以上、先に進むことが出来なくなった』

「ばっちり!! さすがはバベッジだ……えらい!!」

 

 しかしこれも計算の内だと、バベッジは焦りを見せることなく得物を構え直す。フランもバベッジの行為をよくやったと褒め称えている。

 

「ちょっ……どういうつもりよ、アンタたち!?」

「ど、どうして!?」

 

 これに誰よりも驚いていたのは鈴鹿御前と鬼太郎だ。相手の行動の意図が理解出来ず、思わず崩れた土砂の方へと駆け寄りフランたちに声を掛ける。

 

「ここはまかせて、さきにいけ……いちどはいってみたい、せりふ?」

「えっ? な、なにを……」

 

 すると、辿々しい口調に少しおどけたよう言葉選びで、フランは鬼太郎たちを先に行かせようとする。本来、日本チームと敵対するフランが何故そのようなことを口にするのか。

 それが理解出来ないで戸惑っている鬼太郎に——フランは何気なく、自らの境遇を口にしていた。

 

 

「フラン……ヴィクターって、ひとがつくりたかった、かいぶつ……フランのきょうだい、そこにいる鬼太郎とたたかった」

「——!!」

 

 

 ヴィクター・フランケンシュタイン。

 その名は、本来であれば怪物を創造した人間の科学者のことを指す。しかしその名を語り、悪逆の限りを尽くすものがいた。

 

 創造主たるヴィクター博士を殺し、その名を奪い取った怪物である。

 

 怪物こと——ヴィクター・フランケンシュタインは西洋妖怪の一員、バックベアードの配下として幾度となく鬼太郎たち日本妖怪と争ったことがある。

 もっとも、実際にヴィクターは倒したのは鬼太郎ではない。彼は主であるバックベアードの暴走に巻き込まれる形で、その肉体を消滅させてしまった。

 

 そのヴィクターとフランは、性別こそ違うが同系列の機体。作り手の違いもあるが、兄妹機といっていい関係性を持っている。

 そういった縁もあり、彼女は自身の先行機ともいえる『兄』と戦った鬼太郎たちに興味を持っていたという。

 

「けど……いかりとかうらみとか、そういうのはない。というかフラン……そういうのよくわからない……」

「…………」

 

 けれど、フランに鬼太郎たちを憎むような理由はない。元より、この世に誕生したばかりの彼女に、誰かを強く憎悪するなどの強い感情が生まれることはない。

 

「だから、とりあえずはあってみたかった……あって、たたかってみて、じぶんがどうかんじるか、しりたかった」

 

 だからこそ、そういった感情がどのようなものか学びたくて、知りたくて。フランは鬼太郎が参加するという妖怪ラリーに出てみたかったというのだ。

 

「いろいろとわかった。これはそのおれい……ってやつ? おにたいじ、フランにまかせておけ!!」

『あの悪路王とやらが優勝すれば……それこそ、取り返しのつかない事態になろう。不本意ではあるが、お前たちの企みに手を貸そう』

 

 そのおかげで今日はいい経験をさせてもらったと、フランはそのお礼も兼ねてここで鬼たちを足止めするという。

 バベッジも元よりフランの付き添いなのだから、彼女の意思に従うだけ。ちなみにバベッジは鈴鹿御前たちが企んでいるであろう『何か』を察しているようで、彼女たちの作戦とやらにあえて乗ってくれている。

 

「……サンキュー、フラン!! あとでかき氷、奢ってあげるからね!!」

「ありがとう……!」

 

 そういった、フランの気持ちを汲み取った鈴鹿御前。あとでかき氷でもご馳走すると、フランと共に夏を満喫することを約束。

 鬼太郎としては、彼女の兄とやらのことを考えると少し複雑な気持ちだったが、素直にフランへの感謝を口にする。

 

 その場をフランたちに任せて、日本代表は先を急ぐ。

 

 

 

『——さて、ここからは加減する必要もない。本気で暴れても問題ない……ヴィクターの娘よ』

「——おうさ!! らいとにんぐ!! れでぃ、ごー!!」

 

 イギリス代表——フランちゃん&バベッジ。

 自らの意思で棄権、鬼たちとの仁義なき戦いへと突入していく。

 

 

 

 

 

「——見えた!! これで……このエリアも終わりっ!!」

 

 紆余曲折ありながらも、鈴鹿御前と鬼太郎は渓谷エリアの終わりへと差し掛かった。そこはルートの合流地点、分岐した道が一つに重なる交差点となっている。

 左側のルートからは、誰よりも先に鈴鹿御前が合流地点へと到達し——。

 

「——やれやれ……死ぬかと思ったぜ、こんちくしょうが!!」

 

 右側のルートからは、鈴鹿御前と同じくバイクを走らせる男——インド代表・アシュヴァッターマンが姿を現した。

 

 そう、土砂に飲み込まれてリタイアしたかに思われた彼だが、埋もれた土の中から自力で脱出できたようだ。全身鎧のところどころが欠けてこそいるものの、身体そのものはほとんど無傷である。

 

「……アンタ一人? あのでっかいワンちゃんの方はどうしたのよ?」

 

 姿を見せたのが彼だけということもあり、鈴鹿御前はもう一組の選手——ロボ&ヘシアンがどうなったかを尋ねていた。

 妖怪ラリーで優勝を争い合う相手ではあるが、別に恨みなどがあるわけではない。知らないところでリタイア。肉体が消滅なんてことになっていたら、それはそれで目覚めも悪いというものだが。

 

「ああ、あのオオカミなら……鬼ども相手に派手に暴れてやがるぜ!! 相当頭にきたみたいでな、俺にまで飛び掛かって来やがる勢いだったぜ……」

 

 アシュヴァッターマンの話によれば、ロボたちも無事だったようだ。

 しかし、鬼たちのやらかした蛮行がロボの逆鱗に触れたのか。狼王は鬼どもを完全に敵と認識し、全てを殺戮するかという勢いで暴れ狂っているという。

 

『——ぎゃああああああ!?』

『——おたすけぇええええ!!』

 

 耳を澄ませば、遠くの方から鬼たちの悲鳴が聞こえてくる。その暴虐っぷりにはアシュヴァッターマンですらも巻き添いを避け、その場から離れるほどだった。

 

 

 というのも、アシュヴァッターマンは常に怒った乱暴者のように見えるが、決して粗野な男ではない。彼はあくまで世の中の『理不尽』に対して意を唱える存在であり、『怒り』はするが『憎む』ことだけはしないと自分自身に誓っている。

 反面、ロボはその全てに『憎悪』をぶつける怪物だ。人間への憎しみだけが彼を突き動かす原動力。

 憎まないことを心情とするアシュヴァッターマンとは少し相性が悪い相手であり、自然と距離を置きたくなってしまうのだろう。

 

 

「ここからは俺とお前さんとの一騎打ちってことになる……テメェらの事情は聞いてるが、勝負である以上は手加減しねぇぜ!!」

「!! ふ~ん……いいじゃん!! かかって来いっての!!」

 

 いずれにせよ、この場まで辿り着いた選手はアシュヴァッターマンと鈴鹿御前たちだけ。

 同じインド出身者としてガネーシャ同様、アシュヴァッターマンも鈴鹿御前たちの事情を把握しているようだが、彼は勝負事には手を抜かないと好戦的にバイクのエンジンを吹かせくる。

 そんなアシュヴァッターマンの純粋な闘気に、鈴鹿御前も笑みで応えた。

 

 全ての関門、四つのチェックポイントを通過した今、あとはゴールまでの単純な速さ比べだ。

 これ以上は余計な小細工も必要ないと、両選手共に前だけを見て突っ走っていく。

 

 

 だが——二人ともレースに夢中になり過ぎて、肝心なことを忘れてしまっている。

 渓谷エリアに突入してからというもの、影も形も見せないでいたためか、完全に失念してしまっていた。

 

 

『奴』の存在を——。

 もう一組の日本代表が——今どこを走っているかを知らないでいる。

 

 

「……ん? なんじゃ……地震か?」」

 

 ふと、目玉おやじが車体が激しく揺れていることを感じ取った。鬼太郎の頭の上からでも、大地が鳴動していることがはっきりと分かるほどの揺れだ。

 また崖崩れでも起ころうとしているのかと、今し方通り過ぎた後方——渓谷エリアの方へと目を向ける一同。

 次の瞬間——。

 

 

「——おらぁああああああああああああああああああああ!!」

 

 

 けたたましい雄叫びと共に、崖そのものをぶち破りながら——巨大なマシンと、それに乗る大鬼が飛び出してきた。

 悪路王と、その乗機『極悪号マークII』である。

 

「あ、悪路王!?」

「バカな……いつの間にこんなところにまで……!?」

 

 鬼太郎と目玉おやじが驚愕を露わにする。

 一番遅く、それでいてここまで追い抜いてくる気配すら見せなかった悪路王がいきなり飛び出してきたのだ。

 いったい、何故と彼らが戸惑うのも無理からぬことであった。

 

 

 

 

 

 時間を少しばかり遡る。

 渓谷エリアで鈴鹿御前を始めとした選手たちが、右や左と分かれ道を選択した——そのだいぶ後に悪路王も、その道へと差し掛かった。

 

「悪路王様! 道が三つに別れております!!」

「どの道を進めばよろしいんでしょうか!?」

 

 目の前に広がる選択肢に、極悪号マークIIの運転手を務めるモヒカンとスキンヘッドの鬼が悪路王の意向を伺う。選択肢次第ではレースの勝敗を分けるだろうと、慎重に選ぶ必要があったわけだが。

 

「——真っ直ぐだ!! 何があろうと真っ直ぐ進め!!」

 

 悪路王は迷うことなく真ん中の道。誰も通らなかった『中央』のルートを選択した。

 

 その道——実は『大外れ』。

 幾度も道を曲がりに曲がり、最終的には行き止まりに辿り着いてしまうという意地悪なルートであった。その道を選んだ時点で勝敗は決したと。その様子を見届けていた刑部姫が実況席からほくそ笑み、それ以降は悪路王に目を向けていなかったわけだが。

 

「むむっ! 曲がり道です!! 揺れますのでお気を付けをっ!!」

 

 そのルートをコース通りに進み、曲がり角に差し掛かったところで——。

 

「——真っ直ぐだ」

「——へっ?」

 

 あろうことか、悪路王はそれを無視して真っ直ぐ——ただひたすら、真っ直ぐ進めと部下たちに指示を出したのだ。

 当然、目の前には崖が立ち塞がっているのだが、そんなもの関係ないとばかりに。

 

「ぬん!! 道とは、自らの力で切り開くものだ……フッ!!」

 

 悪路王は眼前の崖を力づくでぶち壊し、強引に自分で道を作り出してしまった。そうやって立ちはだかる崖を、障害を全て取り除きながら渓谷エリアを颯爽と駆け抜けていく。

 悪路王の強大な馬鹿力があればこそ成り立つ、呆れるほど単純な最短ルートだ。

 

 それにより凄まじい追い上げを見せる悪路王が、ついに——鈴鹿御前たちへと追いついてきてしまったのだ。

 

「グハッハッハッハッハ!! ようやく追いついたぞ!! さあ、観念して儂の嫁になるがいい……鈴鹿御前!!」

「っ!! マジうざいっての……!!」

 

 そうして至近距離まで接近してきた悪路王が、鈴鹿御前へと改めてプロボーズしてくる。

 鈴鹿御前は心底からウザそうに悪路王の告白を拒否するが、このレースに敗北すれば彼女の嫁入りが決まってしまう。

 

 

 そんな絶望的な未来が、今まさに実現しようとしているのだ。

 

 

 

×

 

 

 

『な、なんてこったい!! まさか、まさかこんな展開になるとは……この刑部姫の目を持ってしても見破れ——』

『言ってる場合スか!?』

 

 実況席の刑部姫が頭を抱えながらもちょっとしたジョークを口走りかけるが、ガネーシャがそれどころではないと口を挟む。

 最後のチェックポイントを乗り越えて安堵したのも束の間、ついに悪路王に追いつかれてしまった鈴鹿御前たち。ここまで来ればゴールまで目と鼻の先だが、悪路王との距離もほとんどゼロ距離に近い。

 

「くっ……指鉄砲!!」

「ちょっ……マジやばなんですけど!!」

 

 この窮地をなんとか乗り越えようと、鬼太郎が指鉄砲を放って悪路王を攻撃。その間に鈴鹿御前がバイクの速度を上げ、一気に相手を引き離そうとする。一度でも大きく距離を空けられれば、あとはそのまま逃げの一手でゴールまで走り切ることが出来る筈。

 所詮、鈍重な悪路王の極悪号マークIIでは、鈴鹿御前のバイクを相手に純粋な速度勝負では追いつけないのだから。

 

「逃さんぞ……どりゃああああ!!」

 

 だがそれは悪路王も承知済み。この機を逃さんとばかりに、悪路王は金棒で地面を抉り取り、その破片を弾丸のように飛ばしてくる。

 その破片の一撃が、不運なことに鈴鹿御前のバイクに直撃してしまった。

 

「っ……!!」

「鈴鹿御前……これも愛のためだ!! 許せ!!」

 

 衝撃に揺れる鈴鹿御前が、瞬間的にスピードを緩めてしまう。その一瞬を見逃さず、悪路王は金棒を振りかぶった。

 鈴鹿御前を自らの手中に収めるため、あえて心を鬼にして金棒を一閃——。

 

「あっ……!!」

「いっ……!!」

 

 その一撃に、鈴鹿御前の乗機たるKMR3000ーMHが破壊される。乗り手たる鈴鹿御前も、サポートの鬼太郎も宙に投げ出されて吹っ飛ばされてしまった。

 

『——鬼太郎!?』

『——鈴鹿っち!!』

 

 鬼太郎や鈴鹿御前のまさかの事態に、猫娘と刑部姫の悲鳴が実況席から木霊する。二人の身がどうなってしまったのか、それはクラッシュの際に巻き上がった土煙がその姿を覆い隠してしまう。

 

「ハッハッハッハ!! 心配するな、鈴鹿御前! あとで優勝トロフィーを手にお前を迎えにいくぞ!!」

 

 鈴鹿御前を打ち負かしたことで、すっかり有頂天になった悪路王。たとえ走行不能になろうとも、この程度で鈴鹿御前が倒されるわけがないと彼女の実力は信用しているのだろう。

 決して振り返ることなく、勝利へのロードをひたすらに突き進んでいく。

 

「——チィッ!! 仕方ねぇ……俺が勝つしかねぇだろが!!」

 

 しかしまだ、まだアシュヴァッターマンが残っている。

 先ほどの悪路王と鈴鹿御前との攻防の間に、大きく距離を稼ぐことができた彼がトップを独走している。この距離なら悪路王も迂闊には手を出せまいと、油断こそなかったが安堵しながらバイクを走らせていた。

 

「——鈴鹿御前は……誰にも渡さんっ!!」

 

 ところが、悪路王はその距離からも打てる『奥の手』を隠し持っていた。彼は手にしていた得物・金棒を思いっきりぶん投げ——アシュヴァッターマン目掛け、投擲してきたのである。

 

「!! んだとぉおおおおおお……ぐおおお!?」

 

 まさかの一手に咄嗟の反応が遅れてしまう、アシュヴァッターマン。金棒は彼の乗機たるスダルシャンチャクラのボディを貫き、そのまま盛大にクラッシュさせてしまう。

 

 

 インド代表——アシュヴァッターマン。

 あと一歩のところでリタイア、ここで脱落となる。

 

 

 

 

 

「ガッハッハッッハ!! これで儂の前を走るものはいなくなった……この国も! 鈴鹿御前も! 全て儂のものよ!! ハッハッハッ!!」

 

 ついに悪路王が一位を取ってしまった。もはや他に走れる選手もおらず、このまま悪路王がゴールテープを切れば、彼の優勝が確定してしまう。

 

『ああっ!! なんだってこんなことに……』

『どうするんスか? もう後がないっスよ!?』

 

 この事態に実況どころではなく、あたふたと困惑している刑部姫にガネーシャ。だが、いくらジタバタしようともはや手の打ちようがない。

 最後のコーナーを曲がれば、そこはスタート地点でもあったオニランドのレース会場が見えてくる。

 

「悪路王様!!」

「ここから始まるのだ……我々鬼の新たな歴史がっ!!」

 

 会場の観客席では、鬼たちが大歓声で悪路王を出迎えていた。ゴールまで僅か数百メートル。この場にいる誰もが、悪路王の勝利を信じて疑わなかった。

 

 

 

「——まだ……勝ち誇るのは早いっての!! 悪路王っ!!」

「——な、なんだとぉおおお!?」

 

 

 

 だが、勝利を確信する鬼たちの大歓声を打ち消すように、凛とした女性の声が響き渡る。まさかと悪路王を始めとする鬼たちが振り返ると——そこにキラリと輝く一条の光が。

 

 閃光と共に飛来してくるそれは、まさに悪路王の野望を打ち砕く最後の希望——。

 

 

「——きらめくJK、ここに復活!! 燦々スパーク!! 鈴鹿シャイ——ン!!」

「——ま、眩しい……鈴鹿御前、これはいったい!?」

 

 

 鈴鹿御前であった。

 彼女はレースクイーン姿から装いを新たに、巫女装束のような水着姿に変貌を遂げていた。そして乗機もスーパースポーツバイクから、空を飛ぶ牛車へと変わっている。

 その牛車に乗り込んでいる鬼太郎も、いったい何が起きているのか戸惑っている様子だ。

 

 しかしそれこそ、鈴鹿御前の愛車『KMR3000ーMH』の真の姿。彼女が所有する光輪庭園という乗り物、本来の姿なのである。

 先ほどまで、この牛車は鈴鹿御前の愛刀の一振り・顕明連と組み合わせることでバイクの姿へと形を変えていた。それは鈴鹿御前のバイクに乗りたいという個人的な願望がある一方で、単純に妖力を節約するという意味合いも含まれている。

 光輪庭園は凄まじい速度で飛翔する乗り物だが、その分妖力の消耗が激しいのである。最初からこの姿で妖怪ラリーに参加してしまっていては、すぐに力尽きてレースを最後まで走り切ることなど出来なかっただろう。

 

 最後の最後、この瞬間だからこそ鈴鹿御前は光輪庭園という奥の手を繰り出した。それにより、まさに光のような速さで脅威の追い上げを見せる。

 

「グっ……だ、だが今更遅いわ!! お前が追いつくよりも先に、儂がゴールすれば……」

 

 しかしいくら速かろうと、今の鈴鹿御前と悪路王の間には決定的に距離の差があった。誰がどう見ても、悪路王の方が僅かに早くゴール出来るだろうタイミングだ。

 

 鈴鹿御前の追い上げも、全てが無駄に終わるだろうと悪路王が笑みを浮かべる。

 

 

「——なに、調子こいてやがる……レースはまだ終わってねぇんだよ、コラアアアアアアアアア!!」

 

 

 ところが、ここで更なる脅威が悪路王に牙を剥く。それは鈴鹿御前同様、悪路王によってバイクを粉々に粉砕された男——アシュヴァッターマンである。

 大事な愛車をスクラップにされ、まさに怒髪天を衝くといった勢いで吠えたける彼は、砕けた全身鎧からその素顔を曝け出していた。

 

 炎のように真っ赤な髪に、日に焼けたような赤銅色の肌。

 精悍な顔立ちは歴戦の戦士の風格を漂わせ——そのこめかみに、血管がぶち切れんほどに青筋を浮かべている。

 

「許さねぇ……よくも、よくも俺の相棒をぉおおおおおおおお!!」

 

 今この瞬間、アシュヴァッターマンの怒りは悪路王一人へと向けられていた。その怒りを昇華しようと、彼は破壊された愛車の前輪を持ち上げる。

 

 刹那——その前輪から鋭い『棘』が飛び出し、さらには二倍ほどの大きさにまで巨大化してしまう。

 

 ヴィシュヌ神の武器の名を冠する乗機・スダルシャンチャクラはただのバイクではなかった。それこそがあるべき姿だとばかりに、自らの意思で回転を始め、灼熱の炎すらも纏い始めたのである。

 

 

「——くたばりやがれぇええええええええ!!」

 

 

 そして、高速回転する前輪を、アシュヴァッターマンはなんの躊躇もなく蹴飛ばしていく。

 燃え盛る車輪は爆発するような轟音を響かせながら、真っ直ぐ——悪路王の元へと引き寄せられるように突っ込んでいく。

 

「ヒィっ!? あ、悪路王様!!」

「や、やばい……これはやばいっスよ!!」

 

 アシュヴァッターマンの一撃は、光輪庭園よりもさらに速く極悪号マークIIへと到達するだろうと。運転手たるモヒカンやスキンヘッドの鬼がこれは不味いと狼狽え出す。

 

「甘いわ!! そんなもの、この金棒で打ち返してくれ……」

 

 だが、悪路王にはまだ余裕があった。

 何が飛んでこようと自慢の金棒で弾き返してくれると、バッターのように構えて迫る車輪を迎え撃とうとする。

 

 

「あ、あれ……か、金棒……どこいった!?」

 

 

 ところがここであることに気付き、悪路王の目が点になる。肝心の金棒、これまでありとあらゆる障害を取り除いてきた、悪路王自慢の武器が手の中になかったのだ。

 

 それは先ほど、前を走るアシュヴァッターマンを強引に止めようと、金棒を投げ飛ばしてしまったことで発生したアクシデントである。

 金棒はコース上に転がってしまっており、それを回収し損ねた悪路王が完全な無防備となっていたのだ。

 

「こ、こんな……こんなものっ……!!」

 

 なんとか金棒なしで対応しようとするが——流石に力不足だ。

 

 

「——ふぎゃああああああ!?」

 

 

 灼熱の如く燃える車輪の直撃を受け、悪路王の乗る極悪号マークIIが大爆発。ガソリンにでも引火したのか、瞬く間に大炎上するという災難に見舞われてしまう。

 

 

「いっただき!!」

 

 

 その間——悪路王を追い抜いた鈴鹿御前がトップへと踊り出る。

 もはや誰も彼女の走りを止めるものなどおらず、その勝利を揺るがないものとして鈴鹿御前の表情に眩しいばかりの笑顔が浮かぶ。

 

 

「——イェーイ!! 逆転大勝利!! 夏を制するのは私ってことよ!!」

「——ふぅ……とりあえず、これで一安心か……」

 

 

 鬼ヶ島オニランド開幕記念イベント・妖怪ラリー。

 各国の代表や悪路王を退け、見事に鈴鹿御前&ゲゲゲの鬼太郎が勝利したのであった。

 

 

 

×

 

 

 

「はぁーい、どうもどうも!! みんな応援ありがとね、ブイ!!」

 

 妖怪ラリーの優勝を決めた鈴鹿御前は、そのまま凱旋だとばかりに観客に向かって手を振っていく。

 数多の強敵を退け、勝利という栄光を手に入れたのだ。通常であれば、大勢の人々から祝福されて然るべき状況だろう。

 

「気を抜くな、鈴鹿御前……」

 

 だが、彼女と一緒に賞賛を浴びるべき鬼太郎が緊張感を持ってその場で身構える。

 そこにいる観客たちは、その全員が鬼ヶ島の鬼たちである。人間たちを秘密裏に待避させた関係上、その場には敵と呼べる立場のものしかおらず、当たり前のことだが誰一人鈴鹿御前の勝利など祝っていない。

 

「…………」

「…………」

 

 完全なドアウェー、殺気立った鬼たちが今にも襲い掛かって来そうな雰囲気である。

 

 

「——み、認めぬ!! こんな結末……儂は絶対に認めんからな!!」

 

 

 案の定、鈴鹿御前の優勝に誰よりも不満を持っている鬼——悪路王が抗議の声を上げる。

 

 極悪号マークIIが大破し、モヒカンやスキンヘッドという部下も爆発に巻き込まれて倒れたようだが、悪路王自身はほとんど無傷である。

 かの大鬼は投げ捨てていた金棒を回収、万全な状態で鈴鹿御前の前へと立ち塞がり、彼女の優勝をなかったことにしようと抗議の声を上げていく。

 

「こんな……こんな勝負は無効だ!! こんなことで儂に勝った気になるでないわ!!」

「やれやれ、やはりこうなるか……」

 

 そんな悪路王の癇癪を予想の範疇内だと、目玉おやじが首を振りながらため息を吐く。やはり妖怪ラリーでの敗北を素直に認め、鈴鹿御前や日本の支配、オニランドの建設を諦めるような潔い相手ではない。

 結局は野蛮な悪鬼として、物事の全てを力づくで解決しようとする。

 

「まっ!! アンタが素直に大人しく引き下がるとは私も思ってないし~! ていうか、これも計算の内ってやつだし!!」

「な、なにぃぃい?」

 

 勿論、その程度のことは鈴鹿御前も予想通りであった。これは妖怪ラリーが開催される前から想定していた事態であり——既に対策の方もバッチリだ。

 

「アンタをどうにかする包囲網は……とっくに完成してるっての!!」

 

 そもそも、妖怪ラリーで鈴鹿御前が優勝した時点で——とっくに彼女たちの『罠』は完成してしまっている。

 あとは最後の仕上げとばかりに、これまで裏方として動いていた彼女に鈴鹿御前は号令を掛けていく。

 

 

「——それじゃあ、景気良く行くわよ……おっきー!! サポートの方よろしく!!」

 

 

 

「——OK!! 鈴鹿っち!!」

 

 鈴鹿御前の掛け声に、まずは刑部姫が応える。ずっと実況席で高みの見物を決め込んでいた彼女だが、全てはこのときのためと己の力を解放していく。

 

「それでは、久方ぶりに——舞わせていただきます」

 

 力の解放に伴い、彼女の服装が浮ついた水着姿から、正装——姫路城の姫としての姿へと変わり、その場で美しい舞を披露する。

 

「姫路城中、四方を護りし清浄結界。こちら隠り治める高津鳥、八天堂様の仕業なり。即ち——白鷺城の百鬼八天堂様!!」

 

 それは刑部姫が味方を鼓舞するための舞だ。以前もその舞を鬼太郎たちの前で披露し、彼らを手助けしたことがあった。

 だがその舞は、刑部姫のホームグラウンドである『姫城城』でなくては、十分には効力を発揮出来ない。刑部姫の舞と、姫路城の美しさが同調するからこそ、それは最大の効果を発揮する——筈であった。

 

 

 ところが——刑部姫の舞に合わせて大地が震え出す。彼女の舞に呼応し、鬼ヶ島の各地から光の粒子が溢れ出してきたのだ。

 

 

「こ、これは……いったい!?」

「何が起きてるんじゃい!?」

 

 その異変に、鬼ヶ島を住処とする鬼たちは戸惑うしかない。いったい何が起きているか、彼らでは理解出来なかっただろう。

 

 

 だがこれこそ、実況の傍ら妖怪ラリーの裏側で刑部姫がずっと調整を続けていた『仕込み』の成果だ。

 

 妖怪ラリーの選手たちが通った『四つのチェックポイント』。実はその各所には刑部姫の『旗』が立てられていた。それは城化物である彼女が、姫路城以外の場所で十分に活動できるようになるための目印のようなもの。

 今回はその旗を鬼ヶ島の霊脈。重要なポイントに設置することにより、一時的とはいえこの島を自らの領地——『姫路城』であると上書きしていたのである。

 

 そうして姫路城とされたこの地を、妖怪ラリーに参加した選手たちが『走る』ことにより、彼らの妖力・神気といった力がこの地へと刻み込まれていく。

 刑部姫は、そうやって土地そのものに染み込んだ力を光の粒子に変換、汲み取っているのだ。

 

「此度のレース、実に見事なものでした。勝利者には当然、褒美が与えられて然るべきでしょう……てい!!」

「確かに受け取りました……かしこまり!!」

 

 そこから、厳かな口調で刑部姫は集めた力を『城主権限』として、鈴鹿御前へと譲り渡していく。

 

 それは鈴鹿御前が妖怪ラリーの優勝者だからこそだ。この地を沸かしたレース、城主へと捧げられた祭りを盛り上げた功労者として、力を恩賞として渡す。

 もしも、鈴鹿御前が妖怪ラリーを優勝していなければ、褒美を受け取るのに相応しくないと。力の譲渡も不完全なもので終わっただろう。

 

 だが、鈴鹿御前は見事に妖怪ラリーを勝ち抜いた。

 それにより力を授けられたことで——彼女の身体に、かつてないほどの妖力が漲ってくる。

 

 

「——JK力MAX!! 花も乱れる鈴鹿御前!! 華麗に転身ってね!!」

 

 

 すると鈴鹿御前、その力を受け皿とするのに相応しい装いへとその姿を変えていく。

 

「おおっ!? あれなる姿こそ、まさに鈴鹿御前…… 立烏帽子!!」

 

 その鈴鹿御前の姿を目にするや、悪路王から感嘆の声が漏れる。

 それはレースクイーン姿でも、女子高生服でもない。彼女が着飾るのは天女が纏いし、煌びやかな着物のドレス。口調こそ砕けたままだが、その姿はかつての悪路王を討伐した当時のもの。

 

 立烏帽子(たてえぼし)とも呼ばれた、天魔の姫としての艶姿である。

 

「おお……やはり、其方は美しい…………」

 

 まさに在りし日の鈴鹿御前の姿に、恋に落ちた悪路王が惚けるように彼女を一心に見つめている。

 しかし、悪路王の想いを鈴鹿御前が受け取ることはない。彼女は今再び、かの悪鬼を討伐せんがため、自らの妖力を限界まで高めて必殺の一撃をお見舞いする。

 

「草子、枕を紐解けば、音に聞こえし大通連」

 

 その口から紡がれる祝詞と共に彼女が天へと掲げたのは——大通連。

 別の物質に変化するという性質を持った黄金の太刀だが、本来の銘は——文殊智剣大神通(もんじゅちけんだいとうれん)

 

「いらかの如く八雲立ち、群がる悪鬼を雀刺す」

 

 その真名を解放することにより、大通連は無数に『分裂』する。上空で円心円状に展開される剣の数は——およそ五百本。

 本来であれば、大通連は坂上田村麻呂が所有する夫婦剣——『素早丸(そはやまる)』がなければその力を十全に発揮することは出来ない。

 だが、刑部姫の力でブーストされた妖力で、鈴鹿御前はかつてないほどの威力で大通連を振るい、そして解き放てる。

 

 

「——恋愛発破(れんあいはっぱ)天鬼雨(てんきあめ)!!」

 

 

 開放された大通連たちが、五百本もの刀が豪雨の如き勢いで地上へと降り注いでいく。放たれた天鬼雨は悪路王だけに留まらず、地上で殺気立っていた全ての鬼たちにその刃を突き立てる。

 

「うげえええええ!!」

「あびゃびゃ!?」

 

 並の鬼であればたった一本でも刺されば断末魔の悲鳴を上げ、屈強な大鬼でも五本も刺さればもう立ってはいられない。

 

 

「——ぐああああああああああああああああ!!」

 

 

 そして悪路王の肉体を、百近くの大通連が貫いていく。

 鬼ヶ島の支配者としてこの地に君臨していた大鬼が絶叫を上げながら、遂にその屈強な身体を地に沈めたのだ。

 

 

 

「た、倒したのか……!?」

「えげつない技とね~、こんなもんまともに喰らっては駄々では済まんとよ~……」

 

 鈴鹿御前の天鬼雨の被害を受けないよう、既に鬼太郎は一反木綿に乗って上空へと退避していた。場合によっては鬼太郎も加勢するつもりだったが、その必要がないのは火を見るより明らか。

 

「ふぃ、疲れた……けど、これでなんとかなった感じかな?」

 

 鈴鹿御前に力を譲渡した刑部姫も、役割を終えたとばかりに自身の式神・巨大な折り紙の鶴に乗って上空へと退避している。今頃は秘密裏に避難していた人間たちも、船に乗って鬼ヶ島を脱出している頃だろう。

 他の選手たち、各国の代表らも異変を察知して鬼ヶ島から脱出している様子。

 

 現状、鬼ヶ島にいるのは悪路王と、その配下である鬼たちだけ。故に鈴鹿御前が手加減をする必要など全くなく、全力で放たれた彼女の天鬼雨で多くの鬼たちが倒され、もはや地上は死屍累々といった有り様である。

 

「——おのれぇえええええ!! この程度でやられるものかあああああ!!」

 

 だが、悪路王は未だにその肉体を保っていた。深手を負ってはいるようだが、その身体は未だ屈するこことを知らず、何度でも立ち上がってみせる。

 

「しつこっ!? こりゃ……やっぱり正攻法じゃ、無理っぽいね……」

 

 あまりのタフさに、刑部姫が頭を抱える。

 やはり悪路王は鬼ヶ島の主として、凄まじい妖力をその身に秘めているようだ。一度は土地の支配権を奪った刑部姫ではあるが、それも僅かな時間のみ。

 既にこの地の支配権は悪路王へと戻ってしまっており、それにより彼はほぼ無敵の強さを誇っている。

 

 この鬼ヶ島にいる限り悪路王が物理的に倒されることはないだろう、出来てせいぜい——足止めくらいだ。

 

 

「——そっちの準備は出来てるかな……ガっちゃん!!」

 

 

 だがそれで十分だとばかりに、刑部姫はガっちゃん——ガネーシャの名を叫ぶ。

 最後の仕上げを担当する神様に『最後の一押し』を託していく。

 

 

 

「——悪路王とやら、今こそ神罰の時である」

 

 鬼ヶ島の遥か上空、巨大な象の石像が宙に浮遊していた。言うまでもなくガネーシャ神だ。妖怪ラリーが終わり、刑部姫や鈴鹿御前が悪路王を追い詰めていた間にも、かの神はその場に移動していた。

 全ては力を蓄え——悪路王を『封印』するため。どこかだらしなかった雰囲気はすっかり消え失せ、その身に荘厳な空気を纏いながら、神としての権能を発揮しようとしていた。

 

「我こそガネーシャ……我は智慧を、富を、幸運を、繁栄を、商売繁盛を!! あまねく恩恵を人々にもたらす神……」

 

 ガネーシャという神は、あらゆる恩恵を司る万能神である。

 あらゆる成功を、立ち塞がる『障害を除去』することにより、その願いを叶える手助けをしてきたことで、人々から崇拝の念を集めてきた。

 

「此度の我は障害神として貴様の前に立ち塞がろう……その悪しき野望を堰き止めよう」

 

 だが、ガネーシャ神が障害の除去を司る神とされる以前、かの神は障害を与える神——『障害神』としての性質を強く持ち合わせていた。

 

 それは生まれたばかりの頃、母であるパールヴァティーの沐浴を誰にも覗かせないようにと、『門番』として立ち塞がったことに由来する。その強い意志は、父親であるシヴァですらも押し留めたほど。

 もっとも、そのシヴァの逆鱗に触れたせいで首をちょん切られ、代わりに象の首をすげ替えられた訳だが。

 

 いずれにせよ、ガネーシャが本気になれば神ですらもその歩みを止めざるを得ない。鈴鹿御前の猛攻で傷を負った悪路王ではその力に抵抗できるわけもなく。

 

「な、なんだこれは……儂の身体が……いや、鬼ヶ島がっ!?」

 

 さらにガネーシャの力は、悪路王どころか『鬼ヶ島そのもの』に及んでいた。鬼ヶ島の主である悪路王を——島ごと封じ込める。

 

 

 これが、鈴鹿御前の最終的な目的だ。

 たとえ悪路王を倒したところで、その肉体は時間が経てばいずれは復活してしまう。それに鬼ヶ島が残ってしまえば、いずれどこぞの鬼が新しい支配者として君臨し、そこに残る鬼どもを配下にして再び人々を苦しめるだろう。

 

 後顧の憂いを断つためにも、ここで完全に『鬼ヶ島そのものを悪路王と共に封じ込める』。

 そのための妖怪ラリー。鈴鹿御前が悪路王を弱らせ、刑部姫が土地の霊脈を弄って鬼ヶ島自体を疲弊させる。

 ここまで大掛かりな策を敷き、遂にその時を迎えたのであった。

 

 

 

「——おお!! そ、そんな、こんなことが……!!」

 

 自分が封印される。全てはそのための布石だったことを悟った悪路王は、天に浮かぶ鈴鹿御前に向かって叫んだ。

 

「す、鈴鹿御前!! 何故だ……何故儂の想いを受け入れようとしないのだ!?」

 

 彼は最後まで、未練がましく鈴鹿御前に言い寄ろうとする。だがどれだけ情熱的に彼女を求めようと、鈴鹿御前の返事が変わることはない。

 

「何が想いよ!! どんだけ小綺麗なことを言ったところで、アンタのそれは一方通行の独りよがりなのよ!!」

 

 鈴鹿御前の言うように、悪路王の想いはどこまで行っても一方的な『所有欲』に過ぎない。彼女の気持ちを無視してでも自分のものにしようとする時点で、鈴鹿御前の心が悪路王に傾くことなどないのである。

 

「い、一方通行か……く、くっくっく……はっはっは!!」

 

 鈴鹿御前の拒絶の意思が今度こそ届いたのだろうか。悪路王はその表情を絶望に染めながらも——何故か不敵な笑みを浮かべる。

 

「確かに、そうかもしれんな……だがお前の方どうなのだ!?」

「はぁ? アンタ、何を言って……」

 

 そしてその口から、何故か鈴鹿御前に対して疑問を投げかけた。鈴鹿御前は悪路王の発言の意味を理解しかね、その表情を不快そうに歪めるのだが——。

 

「——坂上田村麻呂」

「——!!」

 

 悪路王の口からその名前が出たことで、鈴鹿御前の表情から感情が消えていく。鈴鹿御前のその変化に気付いた様子もなく、悪路王は自身の知りうることを調子こいて口走っていく。

 

「知っているぞ……お前たちの最後!! お前に裏切られたと思い込んだ奴は、絶望のままにお前を手にかけたそうだな!! お前の想いにも気付かずに!!」

 

 坂上田村麻呂。鈴鹿御前と確かな絆を結びながらも、裏切られたと思い込み、彼女を悪鬼の仲間としてその手にかけた。

 鈴鹿御前も、大嶽丸の妻として下った理由を坂上田村麻呂に話さなかった。話さなくても理解してもらえると思っていたのだろうが、結局はそれが彼との悲恋を招いてしまった。

 

 そんな二人のすれ違いを——悪路王は嘲笑う。

 

「お前の、お前たちの想いこそ一方通行ではないのか!? どちらも独りよがりの想いを、一方的にぶつけていただけではなかったのか!!」

 

 既に自身の命運が尽きかけているということもあってか、悪路王は言いたい放題に二人の仲をなじっていく。所詮は振られた男の醜い嫉妬心、聞くに値しない戯言であろう。

 

 だが、そんな愚かな戯言が——。

 

 

「——その薄汚い口を閉じろ、悪路王」

「——っ!!」

 

 

 鈴鹿御前の逆鱗に触れてしまう。

 

「っ……!!」

「ひぇっ~……」

「す、鈴鹿っち……」

 

 これに鈴鹿御前の隣を飛翔する鬼太郎と一反木綿、刑部姫がゾクッと肩を振るわせる。

 彼女の虫ケラでも見るような眼光が悪路王を射抜く。それを向けられているわけでもない、鬼太郎たちでさえも凍りつくような絶対零度の視線だ。

 

「お前如きに、私とあの人との間にあったものを……とやかく言われる筋合いはない」

「——!!」

 

 その視線が注がれることで、悪路王もようやく己の軽率さを悟ったのだろう。しかし、もはや後の祭りだ。

 放っておいても封じられて終わるであろう悪路王へと、再び鈴鹿御前が天に向かって大通連を掲げる。

 

「文殊智剣大神通……」

 

 真名を解放して展開される、五百本の大通連。

 

 

「——斬奸発破(ざんかんはっぱ)・天鬼雨!!」

 

 

 今度はその全てが——悪路王一人に集中して降り注がれていく。

 

 

「——ぎゃあああああああああああああ!!」

 

 

 先ほどとは比べ物にならないほど、苛烈で激しい天鬼雨が炸裂し、悪路王の口から絶叫が迸る。

 軽率な言葉の代償を、痛みを持って思い知ることになった悪路王。全身を滅多刺しにされたまま、その身が『四角』の中に封じ込められていく。

 

 

「むぅ~ん!!」

 

 

 それこそ、ガネーシャの権能による封印であった。悪路王だけには留まらず、最後には鬼ヶ島全体を巨大な四角い物体が包み込んでいく。

 

 そうして、鬼ヶ島を丸ごと飲み込んだ後に、四角型の封印が海の底へと沈んでいく。

 これで向こう数百年。下手をすれば数千年、数万年。鬼ヶ島が浮上してくることはなくなっただろう。

 

 

 

 

 

「…………」

 

 当初の目論見通り、悪路王を鬼ヶ島ごと封じることに成功した。だが目的を達した鈴鹿御前の顔に笑顔はない。

 最後、悪路王に言われたことが心に引っかかっているのか、どこか寂しそうな瞳で遠くを見つめている。

 

「鈴鹿御前……」

 

 そんな彼女へ慰めの言葉でも掛けようと思った鬼太郎だが、すぐに思い止まる。彼女自身が言っていたように、安易な気持ちから鈴鹿御前と坂上田村麻呂に関して口を挟むべきではない。

 今はただ、彼女が自分の気持ちに整理を付けられるのを静かに待つ。

 

「私さ……あの人とは互いに一目惚れでね。すぐに夫婦になっちゃったんだ……」

 

 ふと、鈴鹿御前が独り言のように呟き始めた。

 

「別にそのことを後悔してるわけじゃないんだけど……恋人期間を作らなかったのは、ちょっと勿体なかったと思ってたのよ」

 

 鈴鹿御前と坂上田村麻呂は出会ったその日に互いに一目惚れし、そのまま夫婦となった。そのため、鈴鹿御前は彼と恋人で会った期間がなかったと言う。

 夫婦と恋人、似ているようで全く違う男女の関係。きっと夫婦でなければ出来ないこと、恋人でなければ出来ないことがたくさんあるだろう。

 

「だから……今度、誰かを好きになったら、まずは恋人として色んなことがしたいのよ!! そのためにもJK力磨いて!! いつ理想の彼氏と出会ってもいいように、自分自身をもっともっと綺麗にしていきたいってわけ!!」

 

 きっと、鈴鹿御前は坂上田村麻呂のことを忘れたわけではない。彼との想い出は今も彼女の胸の中に、かけがえのないものとして残っている筈だ。

 

 それでも、それはそれとして鈴鹿御前は新しい恋を探す。

 そうすることでしか得られないものがあると信じて、彼女は今日も恋に生きていく。

 

 

 そんな彼女の恋を——静かに応援してくれるものだっている。

 

 

 

 

 

「——チッ! 結局、最後には良いところ全部持ってかれちまったか……まあ、別にかまやしねぇけどな……」

 

 鬼ヶ島より、少し離れた孤島。

 鬼ヶ島の封印に巻き込まれまいと、アシュヴァッターマンがその島まで退避していた。他の代表選手たちも各々で島から脱出し、それぞれの国に戻ることだろう。

 

 鈴鹿御前の優勝という勝負結果に、アシュヴァッターマンは何だかんだ言いつつ、その表情はどこかやりきったという、清々しい顔つきをしていた。

 勝負事であるために手を抜かなかった彼だが、この戦いが悪路王を封印するためのもの。あの鈴鹿御前が勝利することで、初めて成り立つ作戦であることを『とある方』から聞かされていた。

 

 その方との話し合いを思い出しながら、アシュヴァッターマンの口からその名前が呟かれる。

 

「とりあえず、俺に出来ることはやらせてもらいましたよ——パールヴァティー様」

 

 

 

 数日前。

 

『——というわけです。何やらうちの子もお世話になっているみたいですし……どうか協力してあげてくださいね、アシュヴァッターマン』

『はぁ……パールヴァティー様の頼みとあっては、引き受けないわけにはいきませんが……』

 

 パールヴァティーはシヴァの妻にして、ガネーシャの母親——インド神話を代表する女神である。

 

 シヴァの半化身であるアシュヴァッターマンにとっても、彼女は敬意を払う存在。誰の前でも虎のように猛々しいアシュヴァッターマンが、まるで借りてきた猫のように大人しく膝を突いていた。

 彼女は息子であるガネーシャも協力しているからと、アシュヴァッターマンにも妖怪ラリーに参加し、それとなく鈴鹿御前を勝たせてやってほしいというのだ。

 

『しかし、なんだってパールヴァティー様がわざわざ? あんな島国の妖怪退治に、どうして首を突っ込むんですか?』

 

 だが、アシュヴァッターマンはどうしてパールヴァティーが今回の件に絡んでくるのかと疑問を浮かべる。

 日本と神話体系が異なるとはいえ、パールヴァティーは天上の神々の一柱だ。本来、そういった存在が下界、人間たちの世界に必要以上に干渉するのはあまり推奨されるべき行為ではない。

 パールヴァティーほどの女神が、そのことを分かっていないとは思えない。果たして彼女の真意はどこにあるのか。

 

『それは……ここだけの話、あの子って……日本じゃ、天竺第四天魔王の娘さんってことで通ってるでしょ?』

『天竺第四天魔王? ああ、つまりは天帝の……ということは、彼女は帝釈天の……?』

 

 

 天竺——それは昔の日本や中国が、インドのことを指した旧名である。その天竺からやってきた魔王、それが鈴鹿御前の父親である天帝の正体だ。

 ちなみに、天帝とは古代中国の思想においては最高神のことを指す。もっともそれがどのような姿でいるかなど、具体的なことは形にされおらず、その有り様にはいくつも解釈の仕方がある。

 その解釈の中でも——仏教において、天帝とは『帝釈天』のことを指しているとされる。

 

 帝釈天(たいしゃくてん)——それは仏教を守護する神の名前として知られているが。

 その仏教が伝わってきたインドでは、ヒンドゥー教の『とある最高神』と同一視されている存在でもある。

 

 つまるところ——鈴鹿御前の父親である天竺第四天魔王とは、インド神話に名を連ねる神様のことであると、そのように考えることが出来るのだ。

 

 

『まあ、今や鈴鹿御前という存在は、完全に日本の伝承として定着していますからね……今の彼女にインド神としての性質はほぼ皆無でしょう』

 

 もっとも起源がどうであれ、今や鈴鹿御前という存在は完全に日本の伝承として、日本の民たちに認知されている。

 今の彼女からはガネーシャやアシュヴァッターマンのような、インド神話に属するものとしての気質はほとんど失われているだろうとのことだ。

 

『それでも、彼女があの神の娘さんであることに変わりはありません。彼女が日本に定着してしまったのも……あの国を魔国に変えようなどと、父親のトンチンカンな命令に従おうとした結果ですからね……』

『なるほど……そういうことでしたら、俺も依存はありません』

 

 どうやらパールヴァティーは同じインド神話の神として、どういう理由か天竺第四天魔王などと呼ばれた頃の帝釈天が『日の本を魔国にする』などという指令を出したことを恥じているようであった。

 

 今回、鈴鹿御前に手を貸そうとしたのも、そんな身内の恥をすすぐという気持ちがあったから。それならば自分も納得だと、アシュヴァッターマンもパールヴァティーの指令に力強く頷いたものだ。

 

 

 

『まっ! そうじゃなくても……私は個人的に彼女を応援したいと思ってますよ?』

『……?』

 

 もっとも最後の最後。話のまとめとしてパールヴァティーは笑顔で、個人的な願望を口にしていた。それはパールヴァティーがシヴァという夫を深く、深く愛しているが故に出た発言。

 

『彼女は恋に生きる女の子ですから!! 女神としては、どうしても応援したくなってしまうんですよ……ふふふっ!』

『そ、そうですか……』

 

 あくまでも鈴鹿御前の『恋』を守るためだと。あまりにも単純明快、愛や温和の象徴とされるパールヴァティーらしい言葉に、アシュヴァッターマンも呆気に取られるしかないでいた。

 

 

 




人物紹介

 狼王ロボ
  アメリカ代表として、ヘシアンとコンビを組んでいる人間絶対殺す狼。
  出典は『シートン動物記』、実在したともされるハイイロオオカミ。
  今作では人間を憎むあまり、亡霊として妖怪になったという感じの設定。
  尺の都合上、ストーリーにはあまり絡みませんでしたが、キャラとしてはとても強キャラ感がある。

 ヘシアン
  ロボとコンビを組んでいる、ドイツ代表。
  出典は『スリーピー・ホロウ』。アメリカでも結構有名な伝承なのかな?
  首を斬られたとか、首が大砲で吹き飛ばされたとか。
  その首を求めて彷徨う亡霊……何の因果か、それがロボと出会ってしまう。
  
 アシュヴァッターマン
  インドを代表する叙事詩『マハーバーラタ』に登場する最強の戦士。
  その半身にシヴァを宿す、半化身。常に怒っているのが平常運転。
  一見するとチンピラかヤンキーに見えるが、割と話せばわかる理知的な人。
  アシュヴァッターマンはヒンドゥー教では『不死者』の一人とされており、今も世界を彷徨い生き続けているとされている。
  
 パールヴァティー
  シヴァの妻にして、ガネーシャの母親。
  アシュヴァッターマンの回想にだけ登場、最後のまとめ役とさせていただきました。
  

次回予告

「境港に響く美しい歌声。その歌声のせいで船が沈んでしまうとか……。
 父さん、今年は何とかまなが来る前に、妖怪騒ぎを解決しないと!

 次回——ゲゲゲの鬼太郎『たゆたう歌声』見えない世界の扉が開く」


 次回は『とあるゲーム作品』に登場する、あるサブシナリオがメインの回です。
 ネットでタイトルを調べればすぐに出てきますが……とりあえず、クロス先はまだ秘密。

 次回からは6期アニメの恒例に従い、二話連続で境港が舞台となるお話になります。どうかお楽しみに!! 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

聖剣伝説レジェンドオブマナ たゆたう歌声 其の①

『ゲゲゲの謎』、公開初日に観てきました!
詳しい感想などは改めて活動報告などで個別に書きますが……待ち望んだ甲斐はあったぞ!!
いずれはゲゲゲの謎に絡んだストーリーや設定なども、この小説で書いていきたいと思ってます。

そして、今回のクロスオーバーは『聖剣伝説レジェンドオブマナ』でございます。
1999年に発売された、聖剣伝説シリーズの外伝作品。独特の世界観や、ゲームシステムが現代でも色褪せない名作です。
2021年にはリマスター版まで発売されており、まだ未プレイな方はそちらの方で遊んでもらえるときっとより良いゲーム体験が出来るかと思います。

え? アニメ版? 
ま、まあ……詳しく試聴出来なかったのであんまり言うつもりはないのですが……あまり好評ではなかったとか。

ただ読む前の注意点。
タイトルには分かりやすく聖剣伝説とのクロスであることを表記していますが……聖剣の類は一切出てきません。また、プレイヤーの分身である主人公も出てきません。
あくまで一部のキャラだけが出演する、いわゆるキャラだけ参戦に近い形となっています。
そして今回はその中でも『たゆたう歌声』というサブイベントを中心に、話を組み立てています。

いったいどういう話になるのか、色々と予想しながら楽しんでいってください!



「——よ~し……大漁! 大漁!!」

「——うひゃ!? こいつはとびっきり活きがいいぜ!!」

 

 夜明け前の沖合、一隻の船が波に激しく揺られながらも漁業に精を出していた。漁の成果は絶好調、生簀の中を元気に泳ぎ回る活きのいい魚たちに、漁師たちは皆笑顔を浮かべている。

 

 彼らは、境港市(さかいみなとし)の漁師たちだ。

 境港は鳥取県の西部、日本海に面する江戸時代から港町として栄えてきた場所である。日本国内でも有数な水産拠点として多種多様、良質で新鮮な海の幸が大漁に水揚げされる。

 毎年、夏のこの時期になると、その海の恵みに感謝を捧げるお祭りが町を上げて行われる。その祭りを盛り上げるためにと、今日も一段と張り切って漁に励む海の男たち。

 

「そういえば……そろそろ、あの子! 庄司さんところの姪っ子が遊びにくる頃じゃねぇか?」

「ああ、まなちゃんな!! 確か今年で中三だったか? 受験で忙しいだろうけど、あの子ならきっと来てくれるだろうさ!!」

 

 ふと、仕事の合間の世間話で漁師たちはとある話題を口にする。この時期にいつも境港に来る少女——犬山まなのことだ。

 彼女はこの境港で暮らす犬山庄司(しょうじ)・リエの姪である。普段は東京に住んでいるが、毎年夏休みになるといつも伯父夫婦である庄司たちのところに遊びに来てくれるのだ。

 彼女の明るくて人懐っこい性格もあってか、境港市に住む人々も彼女の来訪を毎年の風物詩のように楽しみにするようになっている。

 

「そういえば、庄司のやつが言ってたんだけどよ……」

 

 だがその表情に僅かな陰りを帯びせつつ、眼鏡を掛けた一人の男性、この船の持ち主・通称キノピーが何かを思い出したように口を開く。

 

「あの子……記憶がなくなったとか、色々と大変らしいんだよ」

「なに……? 記憶がないって……そりゃどういうことだよ!?」

「境港のこと、何にも覚えてないってことか!?」

 

 キノピーの言葉に、どういうことかと前のめりに反応する他の漁師たち。

 

「いや……俺も詳しいことはわかんねぇんだけど。なんでも、ここ二年間の想い出……特に妖怪に関することとか、さっぱり覚えてないらしいんだ」

 

 キノピーも、あくまで人伝の話なので詳細は分からない。しかし聞いた話によると、まなはこの二年間の記憶が一部欠落しており、特に『妖怪』たちと関わった事柄を全く覚えていないというのだ。

 

「よ、妖怪……ってことは、鬼太郎くんたちのことを忘れちまったってのか?」

「そいつはまた……難儀なことだな……」

 

 その話に、漁師たちがなんとも言えぬ表情で互いの顔を見合わせる。

 

 全国的に妖怪の被害を受けることが多くなった昨今、ここ境港の人々も妖怪というものを広く認知していた。だが彼らにとって妖怪とは恐れるだけの存在ではない。人間に危害を加える恐ろしい妖怪もいれば、そんな連中から守ってくれる良い妖怪だっている。

 それこそが、ゲゲゲの鬼太郎とその仲間たちである。犬山まなと仲が良いという彼らに、境港の人々も幾度となく助けられた。

 

 そんな彼らの活躍に感謝を讃える、また『とある妖怪』への鎮魂の意味も込め、境港市では妖怪の銅像を飾るようになった。

 今ではその銅像のある通りがちょっとした観光名所になっており、境港の人々も妖怪というものに親しみを持つようになっていた。

 

「だから……あの子の前であんまり妖怪の話はするなよ。あの銅像とかも……あの子がいる間は隠しておいた方がいいかもしれん」

「そうか……そうかもしれねぇな……」

 

 だからこそ、まなの記憶喪失に自分たちのことが含まれていないとはいえ、それを人ごとだと割り切ることが出来ないでいる。出来ることなら、まなに鬼太郎たちのことを思い出してもらいたいものだが。

 もっとも、境港の人々にまなの記憶を取り戻させる手立てがあるわけでもなし。彼らに出来ることは、まながこの境港で気まずい思いをしないで済むよう、出来るだけ妖怪の話題を避けることくらいか。

 

 いずれにせよ、自分たちに出来ることが大してないことに、境港の人たちはどこか歯痒い思いを抱いていた。

 

 

 

 

 

「よし……そろそろ戻るか!!」

 

 そのように、いずれは境港を訪れるだろうまなのことを気に掛けつつ、とりあえず今は目の前の仕事を片付けようと。そろそろ漁を終え、陸に戻ろうと漁師たちが網などを片付けていく。

 今日の漁模様もいたって良好。漁港へと胸を張って帰還できる成果を手見上げに、陸地に向けて船を発進させようとする。

 

 そのときであった。

 どこからともなく、美しい歌声が聞こえてきたのは——。

 

 

 

「〜〜♪ 〜〜♪♪」

 

 

 

「ん……? なんだ……歌?」

「…………綺麗な歌声だな……」

 

 船の上というあまりにも不自然な場所まで響いてくるその歌声に対し、不気味さよりもうっとりと聞き惚れるキノピーたち。それだけ荘厳で幻想的、これまで聞いたこともないほどに可憐な歌声だったのだろう。

 暫しの間、時間も忘れてその歌に聞き入る漁師たちだったが——。

 

「!! な、なんだぁあああ!?」

「!? ふ、船がっ!?」

 

 突如、なんの前兆もなく彼らの乗る船が大きく揺れた。まるで爆弾でも爆発したような衝撃の後、凄まじいうねりの荒波が襲い掛かってきたのだ。

 

「な、なんでこんなっ……!?」

「嘘だろ、おい!?」

 

 いきなりのことに、この海に慣れ親しんでいる筈の漁師たちですら咄嗟に反応が遅れてしまう。海の天気は気まぐれに変わるものだが、これはあまりにも急激すぎる変貌だった。

 そんな目まぐるしい変化になんとか対応しようと、右往左往する漁師たちであったが——。

 

 

「——うわぁあああああああああ!?」

 

 

 次の瞬間、見上げるほど大きな波にさらわれ、キノピーを始めとする漁師たち全員が海の中へと呑み込まれていく。

 

「…………!」

 

 彼らが海の中へと消えていく頃には、あの美しい歌声もピタリと止んでいた。

 

 

 

×

 

 

 

「今年も暑いわね……」

「そうだな……」

 

 ゲゲゲの森のゲゲゲハウスにて、猫娘や鬼太郎が一足早い夏の訪れを肌で感じ取っていた。

 

 年々、徐々にだが暑さを増していく近年。少なくとも昔はもう少し涼しかったと、人間以上に長生きな妖怪たちは過去をそのように懐かしむ。

 この気温の上昇には地球温暖化やら、人間社会の都市化やら自然変動やら。専門家に語らせればそれこそ分厚い論文が出来上がるほど、複雑な問題が色々と絡んでくるのだろう。

 だが、大多数の人間にとっても、妖怪にとっても暑さの原因などは特に問題ではない。ただただ毎日がうだるようだと、何もする気力が湧かずに脱力するだけだ。

 

「ほら、鬼太郎。かき氷、出来たわよ」

「ああ、ありがとう……猫娘」

 

 そんな酷暑の中、少しでも涼もうと妖怪たちは知恵を振り絞る。

 

 生憎とゲゲゲハウスに扇風機や冷房などという無粋なものはないが、猫娘は持参したレトロなかき氷機でかき氷を作り、それを鬼太郎にも振る舞っていく。

 ヒンヤリと氷が口の中で溶け、シロップの甘さと共にじんわりと冷たいものが身体に染み渡っていく。

 

「う~む……そういえば、そろそろ夏休みとかいう時期に入る頃合いじゃが……まなちゃんは、今年も境港に行くのかのう……」

 

 そのように夏の訪れに浸っていたためか、目玉おやじが人間たちの間でそろそろ『夏休み』が始まる頃だと何気ない呟きを溢す。ちなみに彼は氷風呂で暑さを凌いでいるようだが、流石に身体が冷えすぎるためかぶるぶると震えている。

 

 そして夏休みといえば、鬼太郎たちの友人である少女——犬山まなが里帰りに境港へと赴く時期である。

 

「…………何も、なければいいんだが……」

「心配ね……私、こっそりついて行こうかしら?」

 

 複雑そうな表情をしながらも、まなのことを心配する鬼太郎たち。

 境港といえば、まなと祭りを楽しんだ思い出深い土地だが、それと同じくらい妖怪騒動で何かと苦労させられた苦い記憶が多い土地でもある。

 今年もまた何か起きるのではないだろうかと、そんな心配からこっそりとまなの後をついて行こうかと猫娘などは思案に耽っていたが。

 

「ん……着信? 純子さんから?」

 

 すると、そんなことを考えていた猫娘の携帯に着信があった。スマホのディスプレイには今し方話に出てきた犬山まなの母親——犬山純子の名前が表示されている。

 まなとは関係が断たれてしまったものの、猫娘はその母親である純子としっかりと連絡先を交換していた。いつもはメールなどで定期的にまなの様子を報告してもらっているのだが、電話というのはなかなか珍しい。

 

「もしもし……?」

「…………」

 

 嫌な予感をしながらも電話に出る猫娘。

 鬼太郎も、これは何かあるなと思いながら無意識にかき氷を口に含んでいき、キーンと頭が痛くなる感覚に反射的に妖怪アンテナがピンと立っていく。

 

「!! 分かりました……すぐに鬼太郎と向かってみます!」

 

 それは僅か一分ほどの通話であったが、それだけでことの重大さが伝わったのだろう。猫娘が鬼太郎に視線を向けながら、純子の話に頷いていく。

 

「何かあったようじゃが……もしや?」

 

 猫娘の様子に氷風呂から上がった目玉おやじが何事かと要件を尋ねるが、話の流れからなんとなくそれが何なのか察しがついているようであった。

 

「ええ……さっき庄司さんから連絡があったって……」

「——!!」

 

 案の定、猫娘の口から庄司と——境港に住んでいるまなの伯父の名が出てくる。

 

 二度あることは三度ある。やはり今年も妖怪騒動には事欠かない境港なのであった。

 

 

 

「——もっと南の方を捜索してみろ!!」

「——人手を回せ!! 俺の船もすぐに出る!!」

「——また妖怪の仕業かしら……」

 

 早朝、境港市の港に慌ただしく人々が集まっていた。

 普段から港を出入りする漁師たちが慌てて船を出し、彼らを送り出していくその家族たちも不安そうに表情を曇らせている。

 

「キノピー……どうか無事でいてくれ」

「あなた……」

 

 集まっている人の中に、一組の夫婦の姿があった。夫であろう中年男性がキノピー、いなくなってしまった友人の安否を気遣い、そんな夫に妻である中年女性が寄り添っていく。

 

「庄司さん!!」

 

 すると、ここで空からカラスのブランコに乗って鬼太郎と猫娘がやって来た。純子から境港で騒ぎがあったという連絡を受け、急いで駆けつけて来たのだろう。

 

「おお、鬼太郎さん!! 猫娘さんも!!」

「お久しぶりです……わざわざ来てもらって……」

 

 ゲゲゲの森のある東京都から、境港のある鳥取県まで駆けつけくれた鬼太郎たちに夫婦が頭を下げる。

 

 そう、彼らこそ犬山まなの伯父——犬山庄司と、その妻のリエである。鬼太郎たちともそれなりに面識のある彼らが、深刻な事態を想定して純子を通じて助けを求めて来たのだ。

 

「いったい、何があったって言うのよ?」

 

 その焦りを察してか、挨拶も抜きに猫娘は何があったのかを単刀直入に問う。

 

 

 

「漁船が……戻って来ない?」

「ええ……いつまで経ってもキノピーの船だけ港に戻って来なくて……皆心配してるんですよ」

「キノピー、キノピー……ああ、あのメガネの……」

 

 庄司曰く、港に帰還してくる筈の漁船が一隻。時間になってもまだ帰って来ないと言うのだ。

 その船の持ち主であるキノピーと、庄司は親しい友人だ。本名は分からないが大まかな容姿と、その呼び名だけは鬼太郎たちも認知はしている。

 

「厳密には……まだ妖怪の仕業だと決まったわけじゃないんだが……」

 

 勿論、船がただ戻って来ないと言うだけであれば、通常の海難事故である可能性もある。わざわざ鬼太郎に助けを求めるのは筋違いかもしれない。だが——。

 

「ただ、一昨年の件もあるからな……妖怪の仕業じゃないかって、みんなして浮き足立ってるんですよ」

「うむ、海座頭じゃな。流石に奴が復活するには早すぎると思うが……」

 

 以前にも似たようなことがあったと、庄司が一昨年のことを口に出す。鬼太郎と一緒に来ている目玉おやじも、確かにそんなことがあったとその事件を思い返している。

 

 

 海座頭(うみざとう)とはその昔、この辺り一帯を行き交う北前船——江戸時代から明治時代にかけて運航していた海運船を沈めていた海の妖怪である。

 海座頭の狙いは、その船に積まれている財宝だった。現代に蘇った彼は、過去に沈めたその船から財宝を回収するため、境港の漁師たちを船幽霊(ふなゆうれい)に変えて労働力にしようとしていたのだ。

 琵琶の音色で水を操るという、なかなかの強敵ではあったが、鬼太郎の活躍もあってその肉体は既に滅んでいる。

 それが一昨年の話だ。魂さえ残ればいずれは復活する妖怪という存在だが、何か特別な事情がない限りは短期間ですぐに復活するようなことはない。

 少なくとも、今回の一件に海座頭が絡んでいるとは考えずらい。

 

 

「来週には……まなが遊びに来るんでね。それまでには……心配事を全部片付けて起きたいんだ……」

「!! そうですね……それがいいかもしれません」

 

 だが万が一ということもある。これが妖怪の仕業であることを考え、早いうちに手を打っておこうと鬼太郎に声を掛けたのだ。

 

 なにせ来週になれば彼女——まなが境港を訪れる予定になっているとのこと。

 

 彼女が妖怪に関することを忘れているのは、当然庄司たちの耳にも入っているだろう。出来るだけあの子を荒事から遠ざけようとする庄司の心遣いを察し、それに鬼太郎も同意する。

 

 もしも、これが妖怪による事件であれば早急に解決しなければと。改めて気を引き締める鬼太郎たちであったが——。

 

 

「——おーい!! キノピーたちが見つかったってよ!! あっちの浜辺の方だ!!」

「——っ!?」

 

 

 いざ、消息不明になった面々を探そうと思い立ったその直後、彼らが見つかったという知らせが届けられる。

 その一報に安堵するよりも呆気に取られる感じで、鬼太郎たちが互いの顔を見合わせていく。

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ……し、死ぬかと思った……」

「お、俺の船が……また沈んじまった……」

 

 行方不明になっていた船の乗組員たち、全員がその砂浜に打ち上げられていた。

 

 よほど大変な目に遭ったのだろう、皆がグッタリとしているがこれといって命に別状はなさそうだ。約一名、大事な持ち船が沈んでしまったと、意気消沈しているのはキノピーだ。

 彼は一昨年にも海座頭の手によって船を沈められており、今回の船は最近になって新調したばかりの新造船だった。せっかくの船がまたしても海の底へと沈んでしまったことに、この世の絶望みたいな顔をしている。

 

「キノピー……! この野郎、心配させやがって!!」

「お、おお、庄司……」

 

 だが、キノピー自身の無事を誰よりも喜んでいる庄司が彼に駆け寄っていく。命さえ無事であればまたやり直せると、とりあえずはホッと胸を撫で下ろす一同。

 

「皆さん、ご無事のようで何よりです……ですが、これはいったい?」

 

 その砂浜にゲゲゲの鬼太郎たちも赴く。彼も境港の人々が無事であったことに喜んでいたが、この不可解な状況に疑問を抱かざるを得ないでいる。

 

 何故、彼らは無事だったのか。

 船が沈んだというのであれば、その船の残骸なども共に打ち上げられていておかしくはないのだが、そういったものも一切見られない。

 漁師たちだけが全員無事で、その誰にも目立った外傷がないというのは、あまりにも出来過ぎているように思える。

 

「それが……俺たちにもよく分からないんだ……」

「確かにあのとき……俺たちは船と一緒に沈んで……このまま溺れる! って……思ったんだけど……」

 

 どうやら漁師たちにも、何故自分たちがこのような形で助かったのか思い当たる節がないらしい。

 

「う~む……何とも不可解な……ところで、船が沈んだ原因は分かりますかな?」

 

 彼らの話に目玉おやじも腕を組みながら考え込む。残念ながら、現時点で答えなど出よう筈もなかったが肝心な問題。そもそも、どうして船が沈んでしまったのかその理由を問う。

 なんらかの自然災害、または船の機材トラブルなどであれば、それこそ鬼太郎たちが手を貸す理由もなくなり、このまま帰っても問題なかっただろう。

 

 しかし残念ながら、そうもいかない理由が漁師たちの口から語られる。

 

「歌だよ……歌が聞こえてきたんだ」

「歌……?」

 

 漁師たちの話によると、船の上に突然綺麗な歌声が響いてきたというのだ。

 思わず聞き惚れるほどに美しい歌声に、夢中で聞き入っていたその最中——突然、船が不調をきたしたり、海が荒れたりといった事象が起こり、瞬く間に海に沈んでしまったという。

 

「歌……歌で船を沈める? はて……そのような妖怪がおっただろうかのう?」

 

 その話に、目玉おやじがますます首を傾げる。

 船を沈める妖怪はそれなりにいるが、歌でとなるとトンと心当たりがない。少なくとも日本妖怪に詳しい目玉おやじでも、即座に答えが出せないでいる。

 

「綺麗な歌声? ……あっ!?」

「どうした、リエ? 何か心当たりでもあるのか?」

 

 だが、ここで思いもよらないところから手掛かりとなる話が浮上する。

 

 情報提供者は——庄司の妻であるリエだ。夫に思い当たる節でもあるのかと問われたことで、彼女は遠慮気味ながらも自身が知っていることを口にし始めた。

 

「え、ええ……この間、近所のお母さんたちから聞いた話なんですが……」

 

 それは、町の噂話などに詳しい主婦たちだからこその情報であった。

 他愛ない世間話の中にあった——夜な夜な聞こえてくるという『美しい歌声』の怪談。

 

 

 曰くここ最近、夜になるとどこからか歌声が聞こえてくるというのだ。

 近隣住民に聞こえるような音量で、それも夜中に歌を歌うなど非常識かもしれないが、それに対して苦情を訴えるような気にもならないほど、綺麗で澄んだ歌声だという。

 近頃では、その歌声を子守唄代わりに聞いているものもいるとか。今のところ特に問題視などはされていなかった。

 

 

「ふむ、歌声か……これは調べてみる必要がありそうじゃな……」

「そうですね、父さん」

 

 その歌声が、今回の事件に絡んでいるのであれば無視は出来ない。

 船が沈められた原因究明のためにも、さっそく鬼太郎たちが調査を始めていく。

 

 

 

×

 

 

 

「ここか、猫娘? 例の歌声が……この洞窟から響いてくるって?」

 

 そうして、夕方ごろまで聞き込み調査を続けていた鬼太郎たちは、とうとう歌声が聞こえてくる場所そ——の発信源を突き止めた。

 それは町外れの海岸。観光客どころか、地元住人も近寄らないだろう穴場に海蝕洞、小さな洞窟があったのだ。

 

「ええ……町の猫たちの話によると、ここから歌声が聞こえてくるって……」

 

 そんな場所を突き止められたのも、猫娘の手柄である。彼女が境港市周辺の野良猫たちに聞き込みをしたところ、猫たちが揃ってこの辺りから夜な夜な歌声が聞こえてくると証言したらしい。

 猫は夜行性であり、おまけにその聴覚は犬の二倍、人間の約八倍はあると言われている。そのおかげで人間などよりも、より正確に歌声の発信源を特定できたのだ。

 

「こんなところから……いったい、何があるって言うんでしょうか?」

「ここに俺の船を沈めた犯人がっ!!」

「おっかない妖怪でなきゃいいんだが……」

「…………」

 

 ここに歌声の主がいるということで庄司やキノピー、他の漁師たちもここまで付いてきていた。既にその歌声の相手が妖怪であることを想定し、それに鬼太郎がどのように対処するか見届けに来たのだろう。

 

「ここから先、どんな危険があるか分かりません。あとはボクたちに任せて、皆さんはここで待っていてもらえると……」

 

 ただ鬼太郎は、彼らが洞窟の中まで来ることを良しとしなかった。

 もしも歌声の相手が凶暴な妖怪で、やむを得ず戦闘になってしまった場合。狭い洞窟内では皆を巻き込んでしまうと危惧したからだ。

 

 とりあえず、庄司たちにはここで待機してもらおうと声を掛けた——その直後。

 

「……っ!? 下がって!!」

 

 鬼太郎の妖怪アンテナが、何者かの接近を感じ取る。慌てて皆を下がらせると、次の瞬間にも洞窟近くの海から凄まじい水柱が立ち昇ってくる。

 

 

「——その洞窟に近づかないで!!」

 

 

 その水柱と共に姿を現したのは——少女だった。

 勿論、ただの女の子ではない。上半身は人間そのものであったが——下半身は魚類のそれであった。それがどのような存在であるかを、鬼太郎どころか庄司たちですらも知識として知っている。

 

「——に、人魚!?」

 

 そう、それは俗に『人魚』と呼ばれる妖怪。

 海の中を自由自在に泳ぎ回る、半人半魚の怪異。しかし、眼前のそれは鬼太郎たちが認識している人魚とは、少々異なる存在であるようだ。

 

 

「私はフラメシュ!! マーメイドのフラメシュよ!!」

 

 

 彼女は自らを、マーメイドと名乗った。

 それは西洋における人魚の呼び方である。つまりこの少女は——。

 

「マーメイドって……西洋妖怪!?」

「まさか……バックベアードの!?」

 

 西洋妖怪。

 日本の妖怪ではない西洋の相手に、思わずバックベアード——今は亡き西洋妖怪の帝王の名を口走ってしまう。

 

「……あなた、ゲゲゲの鬼太郎でしょう? そのバックベアードを倒した……日本妖怪!!」

 

 するとマーメイド、フラメシュと名乗った彼女が露骨にその表情を歪めた。容姿そのものは美しい彼女がキッと、敵意満々に鬼太郎を睨み付けてくる。

 

「待ってくれ! まずは話を……キミがあの歌声の主なのか?」

 

 そんな敵意を向けてくる相手にも、鬼太郎は落ち着いて話をしようと呼び掛ける。まずは彼女が例の歌声の持ち主であることを確認しようと、問いを投げかけるのだが——。

 

「だったら何よ!? 知ってるのよ、あなた……人間の味方なんでしょ!? そいつらに頼まれて……私を追い出しに来たんでしょ!?」

 

 取り付くしまもなく、フラメシュは鬼太郎の問い掛けそのものを突っぱねる。

 どうやら、人間という生き物に対して嫌悪感があるようで、その味方をする存在として鬼太郎のことを快く思っていないようだ。

 

「そんなこと……させないんだから!!」

 

 敵意を抱いたまま、フラメシュは鬼太郎たちを追い払おうと妖力を行使し始めた。

 マーメイドである彼女は水を操ることができるらしく、その妖力に当てられた海水が津波のように勢いよく流れていく。

 

「きゃっ!?」

「うおおおおおお!?」

「猫娘!? 庄司さん!!」

 

 海水に押し流され、洞窟から遠ざけられていく猫娘と庄司たち。鬼太郎は咄嗟に回避行動を取ることで波から逃れることが出来たが、思わぬ先制攻撃に体勢を崩してしまった。

 そこへ、一気に畳み掛けるようにフラメシュがさらなる追撃を仕掛けてくる。

 

「これならどうよ!?」

 

 彼女は先ほどの津波の影響で大気中に舞った水分をかき集め、いくつもの『泡』を作り出す。その泡がまるで光線のように勢いよく射出され、鬼太郎へと襲い掛かる。

 

「髪の毛針!!」

 

 鬼太郎はその泡に向かって髪の毛針を放った。鋭い針が泡を破裂させ、なんとか泡攻撃を阻止していく。

 

「ふ、ふん! やるじゃない……けど!! 私だってまだまだ!!」

「くっ……!!」

 

 自身の攻撃を防がれ、明らかに及び腰になるフラメシュ。だがそれでも負けじと、彼女は鬼太郎に対する敵対心を緩めようとはしない。

 これに鬼太郎がどうすべきかと苦悶の表情を浮かべている。彼としては無用な争いは避けたいところなのだが、これ以上一方的に責められるのは不味いと焦りが芽生え始める。

 一旦でも相手を落ち着かせるため、ある程度の反撃は仕方がないのかと鬼太郎が気を引き締め直す。

 

 

「〜〜♪ 〜〜♪♪」

 

 

 だが、いざ反撃に転じようかと迷っている中——歌声が響いてきた。聞くものの心を震わせるほどに美しいその歌は、洞窟の奥から聞こえてくる。

 

「——っ!?」

 

 これにフラメシュというマーメイドも驚いた顔をし、洞窟の方へと振り返っていた。その様子からも、彼女が歌い手でないのは明らかだ。

 ではいったい誰なのかと、鬼太郎の視線も洞窟の方へと注がれていく。

 

 

「——もう止めて、フラメシュ。それ以上は……」

 

 

 その何者かは洞窟の出口まで来たところで歌うのを止め、フラメシュに争いを止めるように声を掛けた。

 そこに立っていたのは清廉な歌声の持ち主に相応しい、儚げながらも美しい女性であった。

 

「花……? いや、あれは……羽根か?」

 

 その女性は、基本的な姿は人型だが背中に花のように鮮やかな羽根を生やしており、足は大鷲のような鉤爪になっていた。

 人魚であるマーメイドのフラメシュとはまるで異なるタイプの半人——おそらくは『鳥人』といったものの類だろうと、鬼太郎は予想する。

 

「エレ、どうして出てきたの!? こいつら……あなたをやっつけに来たのよ!?」

 

 フラメシュはその鳥人の女性——エレという彼女に、何故姿を現したのかと叱るように叫ぶ。言葉遣いこそ乱暴だが、エレのことを心から心配している様子がその表情から伝わってくる。

 

「キミが歌声の主じゃな。キノピーさんの船を沈めたのも……キミなのかな?」

 

 そんな彼女たちのやり取りに目を通しつつ、目玉おやじはエレという女性に声を掛けた。

 彼女が今回の事件の犯人——歌声の持ち主なのかと。それはあくまでただの事実確認であり、決して責めたような口調にならないようにという、目玉おやじなりの気遣いが感じられる。

 

「はい……全て私の責任です。私が……私の歌が、皆さんの船を沈めてしまいました……本当に、申し訳ありませんでした」

 

 だが目玉おやじの問い掛けにエレはその顔に罪悪感を浮かべ、深々と頭を下げた。

 

「あ、ああ……そ、そうなのか……」

「あ、あんた……いったい、何者だい?」

 

 あまりにも潔すぎる謝罪に、被害者である境港の人々の方が恐縮してしまっている。とりあえず、庄司が代表してまずは彼女が何者なのかを尋ねた。

 

 人間たちの問い掛けに、エレは自分がなんと呼ばれる存在なのか——その種族名を口にしていた。

 

 

「私はエレ……セイレーンのエレと申します」

 

 

 

×

 

 

 

 セイレーン——ギリシャ神話に登場する、半人半鳥の怪物。

 基本的に美しい容姿の女性に、鳥の身体を持つとされる鳥人だが、一説では人魚のような姿をしている者もいるという。半人半魚のマーメイドといった個体も、セイレーンと呼ばれることがあるとのこと。

 

 だが、最大の特徴はその『歌声』にある。

 

 セイレーンと呼ばれる怪物は皆一様に美しい歌声をしており、その歌で船乗りたちを魅了し、船を難破させるというのだ。もしも彼女たちの歌に心奪われれば最後、そのまま沈む船と運命を共にするか、文字どおり彼女たちの『餌』になるかしかない。

 

 美しい容姿、美しい歌声に反し、恐ろしい残虐性を秘めている。セイレーンとはそういう怪物なのだ。

 その筈なのだが——。

 

 

 

「……どうぞ、たいしておもてなしも出来ませんが……」

「いえ……お構いなく……」

 

 セイレーンを名乗るエレという女性に誘われるがまま、鬼太郎たちは洞窟の奥——彼女が住み着いている場所を訪れていた。

 住処といっても、特に何かがあるわけではない。椅子やテーブルの代わりに岩が適当に配置されており、寝床代わりなのか葉っぱや藁を敷き詰めたものが簡易的に敷かれている。

 鬼太郎たちをもてなすために振る舞われたものも、生魚や野草が生のままで出されたりと少々粗末なものであった。

 

「…………」

「…………」

 

 エレ自身も、少なくとも表面上は礼儀正しく、鬼太郎たちを欺こうという気配もない。

 その有り様がとても神話通りの恐ろしい怪物とは思えず、どこか拍子抜けしたように、猫娘や境港の人々も対応に困っていた。

 

「ふむ……エレさんと言ったか? キミは西洋のもののようじゃが……どうして、このような日本の洞窟に住むようになったのかな?」

 

 そんな中、年長者らしく目玉おやじが一番に話を切り出した。まずはセイレーン、西洋に属するエレが何故このような場所に住居を構えているのか、その理由を聞いたのだ。

 

「——ふ~ん……それをアンタたちが聞いちゃうんだ? 何も知らないのね!!」

 

 すると目玉おやじのその問いに、気分を害したものがいた。

 

 マーメイドのフラメシュだ。

 彼女は洞窟の海辺に腰掛け、機嫌悪そうに腕を組んでそっぽを向いていた。目玉おやじの発言が気に入らなかったのか、かなり喧嘩腰に突っかかってくる。

 

「ちょっと……それってどういう意味?」

 

 その態度に難癖を付けられていると感じてか、猫娘もまた喧嘩腰になってしまう。彼女からすれば、フラメシュの態度は決して褒められたものでもないし、面白くないだろう。

 

 しかし、フラメシュには鬼太郎たちに対して、明確に『怒り』を抱く——それ相応の理由があったりする。

 

 

「——フン!! そもそもアンタたちがバックベアードを倒しちゃったせいで、エレは自分の住処を追われちゃったんじゃない!!」

「——っ!?」

 

 

 フラメシュの衝撃的な発言に鬼太郎たちが目を丸くする。

 バックベアード——西洋妖怪の帝王。確かに鬼太郎たちと敵対した西洋妖怪軍団のトップではある。しかし、鬼太郎たちがバックベアードを倒したせいとは、いったいどういうことなのか。

 

「フラメシュ!! 別に……鬼太郎さんたちが悪いわけじゃないんだから……そんな言い方しなくても……」

 

 エレはフラメシュの言いようにすかさず訂正を入れる。

 

「……フン!!」

  

 しかし間違ったことを言ってはいないと、フラメシュはますます機嫌を悪くツーンと顔を背けてしまう。

 そんなフラメシュに代わって、エレが彼女の発言——その意味を説明する。

 

 

 西洋——島国である日本とは異なり、地続きである広大な大陸には多くの妖怪たちが、いくつもの勢力に分かれて争い合っていた。

 その中でも、バックベアードを首領とする『バックベアード軍団』は数多の強豪妖怪を抱える巨大勢力だ。その強大な力であらゆる妖怪たちを力ずくで従え、権勢を誇っていた。

 

 そうして支配される妖怪たちの中に、エレたちセイレーンもいたという。

 

 セイレーンたちは歌に妖艶な魔力こそ秘めてはいるものの、力そのものはそこまで強い妖怪ではなかった。そのためバックベアードの武力に逆らうことが出来ず、彼に従属することでなんとか安寧を得る道を選んだのだ。

 それは支配者たるバックベアードの意向に逆らうことが出来ない一方で、そこには確かに仮初ながら『平和』と呼べる環境があった。

 

 

「バックベアード……!」

 

 その話に鬼太郎が厳しい顔つきで、過去にバックベアードと対峙したときの言葉を思い出す。

 

『——このバックベアードを帝王として崇め、ただ命令に従い奴隷となれ』

 

『——そうすれば、貴様ら弱者に命を守ってやると言っているのだ』

 

『——弱者は弱者らしく、強者に従え』

 

 鬼太郎からすると傲慢極まりない主張だ。誰がそんな言い分に従ってやるものかと、彼はバックベアードと真っ向から戦う道を選んだ。

 結果としてバックベアードを倒し、軍団の勢力を退けることが出来た。日本は西洋妖怪たちの魔の手から逃れることが出来たのである。

 

 ところが、バックベアードを倒されたことにより、被害を被ったものたちがいる。

 バックベアードの支配を受け入れた——彼の奴隷となることで平穏を得ていた、セイレーンのような妖怪たちだ。

 

 バックベアードが倒されたことを聞きつけ、さっそく敵対勢力が自分たちの支配地を拡大しようと。バックベアードの支配下にあった領地を奪いに動いたのだ。

 

 そうして襲われた土地の中に——彼女たち、セイレーンの集落も含まれていた。

 

 疲弊したバックベアード軍団も、自分たちの対面を維持するのに精一杯であり、弱者であるセイレーンたちに助け舟を出そうとはしなかった。

 自分たちの手で必死に抵抗するセイレーンたちだったが、最後には侵略者の魔の手から逃げるようにして、故郷を追われたのである。

 

 エレも、仲間と逸れて一人放浪の旅へと。安住の地を求めて彷徨い流離続け——。

 その果てに、ここ日本——境港へと辿り着いたというわけだ。

 

 

「そ、そんなことが……知らなかった……」

 

 エレの話に鬼太郎は密かに衝撃を受けていた。

 自分たちがバックベアードを倒してしまったことで起きた弊害が、まさかそのような形で出ていたとは。フラメシュが鬼太郎たちのせいと吐き捨てたのも、なるほど納得がいく話である。

 

「いえ……鬼太郎さんたちが悪いわけではありません。あなた方はバックベアードの支配から逃れようと勇敢に立ち向かいました。私たちセイレーンは……戦うことすらせずに服従する道を選んだ、臆病者です……」

 

 しかし、鬼太郎たちが引け目を覚える必要はないと。寧ろエレは自分たちセイレーンの不甲斐なさを恥じていた。

 セイレーンたちはバックベアードの支配がもたらす仮初の平和に慣れきってしまっており、自分たちで戦うという牙そのものを失っていたのだ。故郷を追われたのも全ては自分たちの怠惰が招いたことであり、エレに鬼太郎を個人的に恨む気持ちはなかった。

 

「それに元々……セイレーンとは西洋でも忌み嫌われる種族なんです。船を沈める海の魔女……人間たちの間でも、私たちは迫害の対象なんです」

 

 さらに自虐的に、エレはセイレーンに対する西洋での扱いを口にする。

 

 セイレーンは恐怖の対象として、特に船乗りたちの間では忌み嫌われる存在だ。昔から、彼女たちの歌によって沈められた船は数えきれないほど。そのため、セイレーンの歌声が聞こえてくるや、西洋の人々は『その道のプロ』を派遣し、彼女たちを排除しようと動く。

 そのせいで西洋のどこにも居場所がなく、エレは日本にまで逃げてきたということだ。

 

 

「……? だったら……歌わなければいいだけなんじゃないのか?」

 

 するとその話を黙って聞いていた境港の人々、実際に船を沈められたキノピーが口を挟んできた。

 彼の立場からすれば、セイレーンが歌など歌わなければ全て丸く収まる話である。確かに彼女の歌声は美しいが、それが自身の安全すらも脅かすのは本末転倒。

 歌など歌わずに静かに暮らしていけば、少なくとも住処を追われるようなことはないのではないかと。

 

「………………」

 

 ところが、そんなキノピーの意見にエレが鎮痛な面持ちで押し黙ってしまう。

 

「えっ? あれ……俺なんか変なこと言った!?」

「……?」

 

 キノピーは、なにか不味いことを口にしてしまったかと狼狽するが、少なくとも他の人間たちにも彼が失言をしたという認識はない。

 

「父さん?」

「うむ……?」

 

 鬼太郎や目玉おやじも、エレの沈黙の意味を測りかねていた。

 

「残酷なことを言うのね……これだから人間はっ!!」

 

 しかし、これにまたしてもフラメシュが不快感を露わにする。先ほどからエレの代わりに怒ってくれているマーメイドの彼女が、セイレーンとはどういう生き物なのか、その根幹を口にする。

 

「セイレーンはね……歌を歌わないと、生きていけないのよ!」

「……へっ?」

「——!?」

 

 思わぬ言葉にキョトンとなるキノピー。他のものたちも、フラメシュの言葉に驚いたように目を剥いてしまっている。

 

「歌を歌い続けなければ……やがて羽根が枯れて死んでしまう。セイレーンたちにとって、歌を歌うのは呼吸することも同然なのよ!!」

「そ、そんなっ!?」

 

 それが本当なのかと、皆の視線が当の本人へと集中する。

 

「…………」

 

 エレはフラメシュの話を肯定するよう、静かに頷くだけであった。

 

 そう、セイレーンたちは何も好き好んで歌で船を沈めていたわけではない。

 彼女たちは海の岩礁などを住処とする種族であり、生きるために歌を歌っているに過ぎないのだ。そこを通りかかった人間たちの船が、歌声の魔力に当てられて沈んでしまう。

 それが、セイレーンと呼ばれる怪物の真実。神話では恐ろしい化け物のように語られているが、彼女たち自身は決して争いなど望んでいない、平和で温厚な種族なのである。

 

 

「全く……ホント、迷惑な話よ!! 勝手に人の住処に入り込んでおいて、勝手に船が沈んで馬鹿みたいに騒いでるんだから!!」

 

 そんなセイレーンの境遇に対し、フラメシュは怒りが収まらないといったふうに悪態を付いている。

 フラメシュの憤りは、セイレーンたちを恐ろしい怪物として語り継ぐ人間に、彼女たちの住処である海へと無遠慮に上がり込む人々に対して向けられていた。

 

「な、なんだと!? こっちだって死活問題なんだよ!! 船を沈められて……どうやって漁をしろって言うんだよ!!」

 

 しかし、流石に船を沈められた張本人としてその発言は見過ごせないキノピー。彼は漁師としての立場から、今回の件で自分たちが迷惑していることを告げる。

 

「だから何よ!? 船なんて沈めばいいのよ!! 飛べばいいじゃない、鳥みたいに!! 泳げばいいのよ、魚みたいに!!」

 

 だがそんな言い分など知ったことではないと、フラメシュはセイレーンの羽根や、マーメイドである自分の尾ビレを見せつけるように主張する。

 

「陸で偉そうにしている人間が!! この海まで、自分たちのものにしようっていうの!?」

「——!!」

 

 そう、フラメシュたちの立場から言えば、人の住処に土足に上がり込んでいるのは人間の方なのだ。

 彼らには陸地がある。安心して暮らせる地面があるというのに、どうしてわざわざ海上にまで出てくるのか、その方がフラメシュには理解が出来ない。

 

「この海は……あなたたち人間のものじゃない!!」

 

 そんな傲慢な人々への怒りを最後に、彼女は海の中へと飛び込んでいく。それ以上は話もしたくないと言うことなのか、その場から立ち去ってしまった。

 

 

 

「ごめんなさい……ああ見えて、本当はとても優しい子なんです」

 

 フラメシュが立ち去った後、心底申し訳なさそうにエレが頭を下げる。彼女は友人であるフラメシュが人間たちから悪く思われないようにと、フォローを入れるつもりでとある事実を口にした。

 

「海に沈んだ皆さんを助けたのは……フラメシュなんですよ」

「……えっ?」

 

 思わぬ言葉に再び驚きを露わにする人間たち。

 

 エレにとって、自分の歌が一隻の漁船を沈めてしまったことは予想外のアクシデントであり、すぐに彼らを助けようとした。しかし、鳥人であるエレでは海の底へと沈んでいくキノピーたちに手を出すことが出来なかった。

 そこでマーメイド、人魚のフラメシュが手を貸してくれたのだ。彼女は水を操る力で水中に泡を作り出し、その泡でキノピーたちを砂浜まで移動させたという。

 

「そ、そうだったのか……」

「…………」

 

 漁師たちは、自分らがほとんど無傷で砂浜まで流れ着いた理由を理解した。まさかあそこまで露骨に人間を嫌っていそうに見えた、マーメイドの女の子が自分たちを助けてくれていたとは思ってもいなかっただろう。

 

「あの子は……一人で野を彷徨うことになった私の身を案じて、ずっと付いて来てくれてるんです。あの子自身、住む場所には困ってなかったのに……」

 

 エレはさらに言葉を重ねていく。

 マーメイドはセイレーン同様、海を住処とする種族。ただ岩礁などに住み着くエレたちとは異なり、彼女たちは深海の底に都市を築き、そこで同胞たちと共同生活を送っているとのこと。

 流石のバックベアードも、深海にまで支配の手を伸ばすことは困難であり、マーメイドたちは誰にも脅かされることなく、平穏な日々を送っていたという。

 

「本来、マーメイドとは排他的な種族だと聞きます。だけど彼女は好奇心旺盛で……こんな私なんかと、友達になってくれたんです……」

 

 しかしその一方で、マーメイドは余所者などを嫌い、基本的に自分たちの住処から出てくることはないとのこと。だがフラメシュは同族の中でも相当な変わり者らしく、自ら外の世界へと飛び出すことを選び——エレと出逢った。

 

 きっとエレにとっても、フラメシュにとっても二人は互いに大切な友達同士なのだろう。

 鬼太郎たちにも、ここまでのやり取りから二人の友情が確かなものだと感じ取ることができた。

 

 

 

「皆さん……皆さんが私のせいで迷惑しているのは重々承知しています。ですがどうか……もう暫くだけ待っていただけないでしょうか?」

 

 そうして、一通りの身の上話が終わったところで、エレが改めて頭を下げた。

 

「もう二度と、船が出ているときに歌を歌いません。ですからどうか……少しの間だけでも、ここにいさせてもらえませんか?」

 

 セイレーンの歌声は、陸地で聞けば普通に綺麗な歌というだけで済む。故に、今回のように船が出ているときにさえ歌声を響かせなければ、誰も被害を受ける心配はないのだ。

 エレとしても、この地に永住するなどと図々しいことを要求するつもりはないらしい。今は一時的に羽根を休ませているだけであり、十分な休息さえ取れれば、次の目的地を目指してまた飛び立つという。

 だからそれまでの間だけでも、ここにいさせて欲しいと境港の人々に懇願した。

 

「ボクからも……お願いします」

 

 これに鬼太郎もエレの肩を持つように頭を下げる。

 バックベアードを倒したことで住処を追われたという彼女の境遇に、鬼太郎なりに責任を感じているのだろう。

 

「ま、まあ……鬼太郎さんがそこまで言うのなら……」

「あ、ああ……俺たちは、それで構わないけど……」

 

 庄司を含めた境港の人間たちも、鬼太郎の頼みとあれば断れないと。

 先の一件を水に流し、とりあえずエレにこの地での滞在を認めていくこととなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……俺の船……」

 

 その日の夜。再び漁に出ていたキノピーが船上で盛大なため息を吐いていた。

 今現在、彼が乗っているのは他の漁師たちの船であり、当面の間はその船で漁師としての業務に励むつもりだ。エレのことをとりあえずは許した漁師たちであったが、海の藻屑となったキノピーの船が戻ってくることはない。

 彼は失われた愛船に、今も未練がましく思いを馳せていた。それは経済的にもなかなか馬鹿にできない損失であり、そう簡単に踏ん切りも付かないだろう。

 

「元気出せ、キノピー!! 当分の間は、俺がお前の仕事を手伝ってやるからさ!!」

 

 そんな落ち込むキノピーに、彼の背中を叩きながら庄司が微笑みかける。普段は漁に出ない庄司だが、今夜はキノピーを励ますためだと、彼の手伝いを申し出ていたのだ。

 

「あ、ああ……よろしく頼むわ!」

 

 心強い友人の助けもあってか、キノピーの顔にもなんとか笑顔が戻ってくる。

 もう一度、自前の船を手に入れるためにもたくさん働いて稼ごうと。いざ、張り切って漁業に励んでいく——。

 

 

 

「……? お、おい……あれはなんだ!?」

 

 だが、そこで船員の一人が何かに気付いて声を荒げる。

 

「どうした……って、なんだあれは!?」

 

 いったい何事かと庄司も振り返るのだが——そこで彼は、巨大な『何か』がこちらへと接近してくるのを目の当たりにした。そのとき、海には薄らと霧が出ていたため、それの接近にギリギリまで気付けずにいたのである。

 

「あ、あれは……船か!?」

「よ、避けろ!! 今すぐ船を……」

「だ、駄目だ、ぶつかるぞ!! みんな掴まれ!!」

 

 接近してくるものの正体。それは漁船よりも、一回りも二回りも大きな『帆船』であった。庄司たちは、なんとかその船との衝突を避けようと奮闘するのだが——その健闘も虚しく、帆船は漁船に衝突。

 

「うわああああ!?」

「またかよぉおお!?」

 

 衝突の際、サイズ差から漁船の方が吹っ飛ばされてしまい、庄司たちの身が勢いよく海へと投げ出されてしまう。

 キノピーは続け様の災難に対し、涙声で叫んでいた。

 

 

 

「い、いったい何が……はっ!?」

 

 海面に叩きつけられながらも、何が起きているかを把握しようとする庄司。彼は顔を上げ、帆船に掲げられていた『旗』を仰ぎ見る。

 

「が、髑髏……? まさか、あの船は……!!」

 

 その旗に描かれていた紋様に庄司は息を呑んだ。

 彼が目にしたもの——それは帆船にでかでかと描かれていた『ジョリー・ロジャー』と呼称されるマーク。

 

 

 即ち——『海賊旗』だったのである。

 

 

「——か、海賊船……うわっぷ!?」

 

 それが何を意味するのかを理解する庄司であったが、次の瞬間にも全身から力が抜け落ちていく。

 海面へと投げ出されたショックなのか、そのまま庄司の意識が急速に遠のいていったのである。

 

 




人物紹介

 フラメシュ
  マーメイド、いわゆる西洋人魚の少女。
  世話好きで他人思いなのだが……素直になれないため、冷たい態度を取ってしまう(ツンデレ)。
  エレとは無二の親友ではあるものの、その歌声や空を飛ぶ姿に僅かだが嫉妬心もあるとか。
  ゲームだとあまりスポットライトを浴びることのない立場で、今回の話でも一応ちょい役。

 エレ
  歌で船を沈めるギリシャ神話の怪物、セイレーンの女性。
  引っ込み思案で大人しい性格であり、物事をネガティヴに考えてしまうタイプ。
  自身の歌声が船を沈めてしまうと心を痛め、一時期は歌うことを拒絶するようになった。
  今回の話の主役であり、彼女の歌によってさらなる混乱が巻き起こることとなる。

 犬山庄司
  6期の境港のお話で登場する、まなの伯父。
  ときにはスナイパー庄司として、野球ボールで妖怪を怯ませ。
  ときにはスーパー鳥取人となって妖怪をぶっ倒す。
  一応、今回のお話では普通に常識人として活躍してもらう予定ですので……あんまり期待しないでね!

 犬山リエ
  庄司の奥さん、まなの伯母。
  普通の主婦といった感じだが……大鳥取帝国の際は、物凄い圧を感じた……。

 キノピー
  庄司の友達の漁師。
  本名は本編でも明かされないため、本作でもキノピーで統一していきます。
  今回一番の被害者。海座頭のときから、二隻もの船を沈められている。


 今回はシンプルな話の構成になってますので、次回で完結予定です。
 ですが、境港編は二話連続という法則がありますので……境港を舞台にしたお話はまだまだ続きます。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

聖剣伝説レジェンドオブマナ たゆたう歌声 其の②

『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』、無事に大ヒットしているようで何よりです!
このハーメルンでも、鬼太郎の小説を新しく書いている方がいるみたいで……そのおかげか、ここ数日間のアクセス数がだいぶ伸びました!!
これを機に、一人でも多くの人が鬼太郎そのものに興味を向けてくれるとありがたいです!

fgoぐだぐだイベント『激走!川中島24時 ぐだぐだ超五稜郭 殺しのサインはM51』。
相変わらず意味不明なタイトルですが……全てを終えた後にこそ、その意味が分かるいつものぐだぐだ!!
ストーリーも最高でしたが、やはりレイド戦が超最高でした!!
休みであったこともあり、小説の執筆も手につかないほど延々とレイド戦してましたわ!
人類悪(ユーザーたち)の猛攻を耐え切った男、服部武雄は凄かったな……新撰組最強は、紛れもなく貴方です。

今回の話で境港編の前編は完結です。
次回も境港の話をやる予定ですが……12月は忙しいため、本編の更新は今年はこれが最後です。
短編など、もしかしたら書くかもしれませんが……全ては年末の忙しさ次第ですね。



「…………ん? う、うん……こ、ここは? 俺はいったい……はっ!?」

 

 微睡の中、犬山庄司がその意識を覚醒させる。目を覚ましたとき、彼は身動きが取れない状態となっていた。

 

「お、おお!! 起きたか、庄司……」

「き、キノピー!? みんなも……無事だったのか……」

 

 周囲を見渡せばキノピーを始めとした漁船の乗組員たち、全員が揃っていた。

 海に投げ出された筈の自分たちが溺れ死なずに済んだことをまずは安堵しつつ、今の状況に庄司は首を傾げる。

 

「ここは……船の上か? いったい……何がどうなってる?」

 

 庄司たちがいるのは船の上だ。甲板上と思しき場所で一箇所に集められた彼らは、抵抗が出来ないようにその手足を縄で縛られていた。

 

「はっ!? あ、あれは……海賊旗!!」

 

 満足に移動もままならない中、首だけを動かして上を見上げる。

 そこには、気を失う前に目撃したその船の象徴『海賊旗』——頭蓋骨と交差する二本の骨の紋章が堂々と掲げられていた。

 

 海賊旗——通称『ジョリー・ロジャー』。かつて世界の海を暴れ回った『海賊』と呼ばれる輩が好んで使用していたマークである。

 いかにも恐ろしげな象徴だが、そのマークには『相手を畏怖させて降参を呼び掛ける』という意味合いもある。素直に降伏すればよし、積荷は奪い取っていくだろうが、命だけは助ける。

 だがもしも、そのマークを目にしながらも抵抗しようというのであれば、骨だけの姿になっても文句は言えないだろう——そんな脅し文句が含まれている。

 

 現代でもソマリア沖付近など、武装集団が身代金目的とした誘拐などの海賊行為を行うことはあるが、海賊旗を堂々と掲げるような輩はもうほとんどいないだろう。

 もはや過去の遺物といってもいい海賊旗。そんなものを掲げて、しかもこんな日本の近海に現れるなど尋常なことではない。

 いったい何者なのかと、囚われの身である庄司たちは困惑するしかない。

 

「——よぉ~! 目が覚めたようだな!!」

「!! だ、誰だ!?」

 

 そのとき、何者かが庄司たちに声を掛けてきた。その余裕たっぷりの言葉遣いから、この船の船員——海賊たちであることが瞬時に想像できた。

 庄司たちの身に緊張が走る。いったいどんなに恐ろしげな風体をしているのだろうと、覚悟を持って声のした方を振り返る一同。

 

 

「…………はっ?」

「…………ん?」

 

 

 だが振り返ってすぐに、庄司やキノピーたちの目が点になる。彼らの眼前にいたのは見るも恐ろしい野蛮な大男たち——などではなかった。

 

「俺たちゃ、海の男……正真正銘の海賊さ!!」

 

 彼らは、ご丁寧なことに自分たちが海賊であることを告げてくる。確かにその服装、纏う雰囲気は海の荒くれ者といった感じだ。

 海賊だと言われればそうなのだろうと。とりあえず、納得が出来なくもない。

 

 

 問題は——それが人間ではなかったということだ。

 

 

 体の大きさは人間の子供ほど。威勢はいいのだが、その時点で海賊としての威厳が四割ほど削がれていた。

 次にその長く尖ったクチバシ。魚をついばむのには最適だろうが、それでつつかれても致命傷にはならないだろう。

 全身が暖かそうな羽毛で覆われており、脂肪をたっぷりと蓄えているであろうボディが丸みを帯びている。

 ヒレのような羽に、水かきが付いた足で地上をヨタヨタ歩いている。

 しまいにはくりくりっとした可愛い瞳が、海賊としての威厳残り六割を吹き飛ばしていた。

 

「ぺ……ペンギン……ペンギンだ!!」

「ペンギンが……喋ってる……」

 

 そう、その海賊たちは、どこからどう見ても——『ペンギン』としか表現できない生物だったのだ。日本では水族館くらいでしかお目にかかれないだろう、南半球に生息する海鳥。

 そのペンギンが海賊っぽいコスチュームを身に纏い、あまつさえ人間の言葉を喋っていた。

 

 そんな一見すると理解不能な存在を前に、庄司たちも上手く言葉が出て来ない。

 

「へっへっへ……どうした? ぶるって声も出ねぇのか?」 

「大人しく言うことを聞いていれば、痛い目に遭わなくて済むでやんすよ!!」

 

 そうした庄司たちの反応を、海賊ペンギンたちは自分たちに恐怖していると都合よく解釈したようだ。

 だが、何故か語尾に「やんす」と付けているのもそうだが、全体的に話し方にも威厳というものが感じられない。

 ペンギンたちはチンピラのような言葉遣いで、庄司たちを脅しつけていく。

 

「カシラ!! 人間どもが目を覚ましやしたぜ!!」

「!?」

 

 ここでペンギンたちはカシラ——海賊の親玉と思しきものを呼ぶ。

 ペンギンが海賊をしている船の船長なのだから、カシラも同じペンギンなのだろうと、特に理由もなく漠然とそう思う庄司たち。

 ところが——。

 

 

「——おお!! そうか、これでようやく話が出来るぜ!!」

 

 

 ずっしりと重みのある言葉でペンギンたちの呼び掛けに答えたのはペンギンではなく、何故か『セイウチ』だった。

 

 セイウチは、鰭脚類(ききゃくるい)という動物に分類される海獣だ。所謂、アザラシやアシカ、オットセイの仲間などに分類される。何を持ってアザラシとするのか。何を持ってアシカなのか、オットセイなのか、セイウチなのか。そこんところの詳しい差異は、素人目には分からないだろう。

 とにかくペンギンたちの親玉はセイウチだった、その認識で支障はない。

 

「お前ら……境港と言ったか? ここらの漁師なら、この辺の海には詳しい筈だ……違うか?」

「だ、だったらなんだっていうんだ!?」

 

 船長らしく偉そうな服に袖を通しているそのセイウチは、庄司たちが境港市の人間であること、この海で漁を生業とする漁師であることを念を押すように確認してきた。その質問に庄司は怯みながらも強気に返す。

 たとえ相手がペンギンだろうが、セイウチだろうと関係ない。海賊なんて輩に自分たちがこのような扱いを受ける謂れはないのだと、一歩も譲る気はなく睨み返す。

 

「テメェ、人間!! バーンズ船長になんて口の聞き方をしてやがる!!」

「痛い目に遭いたいでやんすか、ああん!?」

 

 そんな庄司の反抗的な返事が気に食わなかったのだろう。ペンギンたちは船長——バーンズという名前らしい、その態度を改めさせようと迫ってくる。

 

「いちいち突っかかるな、ペンギン共!! 話が一向に進まねぇんだよ!!」

 

 しかし、そんな部下たちを船長であるバーンズが叱り宥めていく。どうやらペンギンたちよりは話が出来るようだ。彼は単刀直入に、自分たちの要件を庄司たちへと伝えていく。

 

「見ての通り、俺たちは海賊だ。わざわざ日本まで来たのは他でもねぇ。この辺りの海域には昔、財宝をどっさりと積んだまま沈んだ船があるって聞いてな。そいつを引き揚げに来たのさ!」

「財宝……沈没船……あっ!?」

 

 バーンズの話に庄司がハッと息を呑む。財宝を積んだまま沈んだ船——十中八九、北前船のことだろう。

 一昨年にこの境港を騒がせた妖怪・海座頭が何百年も前に沈めた船だ。海座頭はその財宝を回収しようと、境港の人たちを船幽霊に変えて労働力にしようとしていた。

 

「お前らなら、その船がどの辺りに沈んだか、大まかな場所を知ってるんじゃないかと思ってな。ついでにテメェらにもお宝の引き揚げを手伝ってもらうぜ!」

 

 どこからその話を聞き付けたかは知らないが、この海賊たちの目的もその財宝にあるらしい。

 そして、境港の住人であればその船が沈んだ場所を知っていると考えたのだろう。さらにはその財宝の回収も手伝えと言ってくる。

 

「無事にお宝さえ手に入れば、お前らを解放して俺たちもこの海から出ていこう。少しくらいなら分け前をやってもいい……どうだ? 悪くねぇ話だと思うが?」

 

 財宝さえ得ることが出来れば、海賊たちは大人しく日本から去ると言う。庄司たちも解放され、いかほどかは不明だが報酬も支払ってくれるという。

 

「……お、おい……どうする?」

「ど、どうするって……言われても……」

 

 海賊からの突然の提案に、キノピーを始めとする漁師たちが困惑しながら互いの顔を見合わせていく。

『提案』という形こそ取っては入るものの、実質的にそれは『要求』と言ってもいい。この状況下、漁師たちが海賊たちの要求を拒否するという選択肢を取れるわけもない。

 もしも断れば、いったいどんな目に遭わされるか分かったものではないからだ。

 

 

「——断る!!」

 

 

 だが、海賊たちの脅迫も含んだ提案に毅然として「NO!!」と答えるものがいた——犬山庄司である。

 

「お前ら海賊のためなんかに、俺たちが働いてやる道理はない!! とっととこの海から出てってくれ!!」

「お、おい……庄司……」

 

 キノピーが庄司を宥めようとするも、彼は海賊たちへと強気な言葉を返していた。

 どれだけオブラートに包んだ言い方をしようと、海賊たちのやっていることは力で相手を威圧し、言うことを聞かせようとする卑劣な行為であると。

 そのような理不尽な脅しには決して屈さないぞと、庄司は強い意志を持って拒否を示した。

 

「こ、この野郎……!!」

「カシラからの提案を無碍にするとは……」

 

 これにペンギンたちは怒り心頭、船長の顔に泥を塗ったと庄司に対して鋭い敵意を向けてくる。

 

「ほう、なかなか肝が据わってるじゃねぇか。この俺様に真正面から楯突くとはいい度胸だ……」

 

 その一方で、庄司の威勢のいい啖呵にバーンズは感心したように呟く。流石にカシラと敬われているだけあって、余裕な態度を保っている。

 しかし次の瞬間にも、バーンズの眼光がギロリと鋭さを増す。

 

「だが!! この海賊船バルドの船長はこの俺だ!! この船の上では俺の言葉が絶対!! その掟を破ることは誰であろうと許さねぇ!!」

 

 海賊は自由奔放、好き勝手に生きていたように思われることが多いが、実際のところは厳しい掟の下に共同生活を送っていたとされている。

 それは船の上という、ある種の密室で何十日と過ごさなければならない関係上、トラブルを避けるためにも秩序を保つ必要があるからだ。

 制定されるルールなど船ごとによって違いはあるが、その掟を破ったものには厳しい罰が与えられるというのは変わらない。

 

 もっとも重い処分などで、島への置き去り刑や死刑など。

 まさに命懸けで守らなければならない——鉄の掟だ。

 

「口答えは許さねぇ!! もしもこれ以上、俺に逆らおうってんなら……コ……コ……」

「ご、ゴクリ……」

「うっ……」

 

 庄司の反抗的な言動、船長であるバーンズに逆らうことはこの海賊船の掟に反していたのだろう。船長直々に、捕虜の身である庄司へと処罰が下されることとなる。

 恐ろしい刑罰を想像してか。ペンギンたちが緊張にゴクリと唾を飲み込み、庄司も自分がどのような目に遭わされるかを想像し、その表情に焦りを浮かべた。

 

 そうして船長の口から下される、その『刑罰』の衝撃の内容が——。

 

 

 

「——コロがしてやる!!」

「——ズコッ!?」

 

 

 

 瞬間、まるで雛壇から崩れ落ちる芸人のように、ペンギンたちが一斉にズッコケる。

 

「へっ…………?」

 

 想像もしていなかった言葉に、庄司やキノピーたちの顔からも緊張が抜け落ちていく。

 

 

 

「カシラ!! カシラともあろうお方が、なんと迫力のない!!」

「コロスって、言ってくだせぇ……カシラ!!」

 

 カシラであるバーンズのなんとも締まらない台詞に、抗議の声を上げたのはペンギンたちだ。彼らは船長が海賊らしく堂々と『コロス!!』と発言してくれることを期待していたのだろう。

 

「いや、お前……コロスは不味いよ。子供の教育にも悪いし……俺のママだって……」

「ママっ!?」

 

 もっとも、バーンズに最初からその気はなく。寧ろそんな言葉を使っちゃいけないと、ペンギンたちを宥めていく。

 なんだか海賊の親玉に相応しくない発言が聞こえたような気もするが、それは気にしないでおこう。

 

「見てください……こいつらのキョトンとしたツラ!!」

「あっしらペンギン一同、カシラが舐められるのだけは我慢できやせん!!」

「言ってくだせぇ!! 海賊らしく!!」

 

 しかし、ペンギンたちは尚も納得しないで食い下がる。

 彼らにとって、自分たちの親分が人間たちに舐められることは耐え難い屈辱だ。庄司たちがポカンとしている今の状況に、侮られていると憤りを隠し切れない。

 

「そうか……ペンギン衆!! ならば言うぜ!! 耳穴かっぽじって聞きやがれ!!」

 

 それならばと、ペンギンたちの心意気を組んだバーンズが改めて言い直す。海賊らしく、堂々と自らの台詞に訂正を入れた。

 

 

「——この俺に逆らう奴は誰であろうと許さねぇ……ぶっコロ~~~ス!!」

 

 

 すると海賊らしい過激なその発言に、ペンギンたちがやんややんやと喜びを露わにしていく。

 

「ヒュ~!! それでこそ、カシラ!! ついて行きやすとも、どこまでも!!」

「ささっ!! それじゃあ、さっそく……まずはこの反抗的なオヤジから!!」

 

 そして、まずは自分たちに逆らう庄司を見せしめに『コロス』べきだと、声高らかに叫ぶ。

 

「いや、待て……俺にも心の準備ってものが……」

 

 けれど、やっぱりそれに関しては躊躇してしまうバーンズ。ただ言葉にするのと、それを実行に移すのとでは雲泥の差だ。

 浮かれた調子で騒ぐペンギンたちとは違い。その言葉の意味をしっかりと理解しているからこそ、バーンズは慎重な判断を取らざるを得ない。

 

 

「——リモコン下駄!!」

「——あでっ!?」

 

 

 だが次の瞬間、そんなバーンズの頭部に『下駄』が直撃する。予想だにしなかった不意打ちに、一撃で昏倒してその場にぶっ倒れるセイウチの船長。

 

「か、カシラがやられた!?」

「だ、誰だ!?」

 

 親分が倒されたことにペンギンたちが慌てふためき、飛来する下駄が飛んできた方角へと目を向ける。

 

「お前たち……今すぐその人たちを解放するんだ!」

 

 いつの間に船へ乗り込んでいたのか、そこには一人の少年が立っていた。その少年の姿を前に、囚われの身である庄司たちの表情が明るくなっていく。

 

 

「——鬼太郎さん! 来てくれたのか!?」

 

 

 

×

 

 

 

「鬼太郎、こいつら……妖怪なの?」

「分からない……けど油断するな、猫娘」

 

 その船——海賊船バルドにカラスのブランコから飛び乗った、鬼太郎と猫娘が海賊たち相手に身構える。

 

 鬼太郎たちがこの場に現れたのは偶然ではない。

 セイレーンとの一件をとりあえず解決した鬼太郎たちはそのまま一晩、境港に泊まることになった。あのセイレーン・エレが本当に約束を守るかの確認があったというのもあるが、それ以上に庄司たちが鬼太郎にお礼をしたいと彼らを呼び止めた方が大きかった。

 そして、鬼太郎のためにも活きのいい魚を獲ってこようと、張り切って漁に出た庄司。その庄司を乗せた船が帰って来ないということで、またも騒ぎになり様子を見に来たのだが——案の定、トラブルに見舞われていたようだ。

 

 鬼太郎たちは眼前の海賊——どこからどう見てもペンギンにしか見えない謎生物たちに、庄司たちを解放するよう要求する。

 

「き、鬼太郎だと!? こんなガキンチョが!?」

「バックベアードを倒したって言う……ゲゲゲの鬼太郎か!?」

 

 すると、ペンギンたちは鬼太郎という名前に明らかな動揺を見せた。

 セイレーンのエレやマーメイドのフラメシュの反応からも分かるように、海外の妖怪。特に西洋から来たものたちにとって、ゲゲゲの鬼太郎は『バックベアードを倒した少年』ということで通っているようだ。

 ペンギンたちも、あのバックベアードを倒した実力者ということで鬼太郎に対して及び腰になってしまっている。

 

「ひ、怯むんじゃねぇ!! 相手はたったの二人だ!!」

「囲んで畳んじまえ!!」

 

 しかし、そんな前評判だけで戦意を喪失させるほど、海賊ペンギンたちも柔ではないようだ。

 カシラの敵討ちということもあり、海賊らしくカトラスなどを手に取り、血気盛んに鬼太郎へと戦いを挑んでくる。

 

「やむを得んな……鬼太郎!!」

「はい、父さん! 髪の毛!! リモコン下駄!!」

 

 目玉おやじの呼び掛けもあり、鬼太郎は向かってくるペンギンたち相手に応戦していく。

 

「ニャアアアア!!」

 

 猫娘も鬼太郎を援護するため、爪を伸ばして敵を引っ掻く。

 

「ぐわっ!?」

「いたたたっ!? やめて、やめて!?」

 

 ペンギンたちは、海賊を名乗るだけあって戦闘などの荒事には慣れている様子だった。しかし所詮はペンギン。不良に毛が生えた程度の戦力でしかない彼らに、百戦錬磨の鬼太郎の相手など出来るわけもなく。

 鬼太郎たちも、相手が脅威でないことを察してかなり手加減している。

 

 

 

「ぐぐぐ……な、なかなかやるじゃねぇか……」

「か、海賊相手にここまでやれるなんて……褒めてやるでやんすよ!!」

 

 そうして、あっという間に何十羽のペンギンたちが倒れ伏し、残ったペンギンたちも追い込まれながら負け惜しみを口にするしかないでいる。

 

「さっさと降参しなさい……これ以上はやるだけ時間の無駄よ」

「大人しく境港の人たちを解放すれば、これ以上の危害は加えない」

 

 そんなペンギンたちに呆れた様子でため息を吐く猫娘。鬼太郎もこれ以上の争いは無意味だと、海賊たちに降伏を促していた。

 

 

「——そこまでだぜ、小僧!!」

 

 

 ところが、ここで思わぬ伏兵が現れて鬼太郎たちを危機へと追い込んでいく。

 

「動くんじゃねぇ……動けば、こいつの命はねぇぞ!!」

「くっ……」

 

 そこにいたのはセイウチの船長・バーンズだ。

 一度は鬼太郎の一撃で気を失っていた彼だが、いつの間にか意識を取り戻していたのか。その手にカトラスを握りしめ、その剣先を人質——犬山庄司へと突きつけていた。

 

「!! しょ、庄司さん!?」

 

 これには流石の鬼太郎も焦りを見せる。まさかの深刻な事態にその場を一気に緊迫感が支配する。

 

「か、カシラ!! 人質を取るだなんて……とんでもねぇワルでやんす!?」

「ひゃああああ!! そこに痺れる、憧れるっす!!」

 

 これにはペンギンたちも驚愕だ。彼らには『人質を取る』という発想すらなかったのか、自分たちのカシラが取ったあまりにも卑怯な手口に惚れ惚れするようだと歓声を上げる。

 そんなペンギンたちに、演説をかますようにバーンズは言葉を発していく。

 

「いいか、ペンギン……よ~く聞いとけ。人の道をまっすぐ進むだけじゃ、海賊は務まらねぇ。海賊の胸の中には、悪のラッコと正義のラッコがいるってことよ!」

「ラッコでやんすか!?」

 

 何故セイウチではなくラッコなのか、という無粋なツッコミはなしだ。

 

「おうよ!! 今俺の胸の中で、悪のラッコが貝を笑いながら打ち鳴らしてやがるぜ!!」

「カシラ……!」

「あっしら……涙が出てきたでやんす……」

 

 バーンズの有難いお言葉に、感動に声もないという感じで震えるペンギンたち。中には涙ぐむものまでいる。

 

「くっ……何を言っているのか分からないが……くっ!」

「どうするの、鬼太郎!?」

 

 一方で、バーンズの例えの意味が分からないと困惑しながら、鬼太郎が状況の悪さに足踏みしてしまう。猫娘も、迂闊に動くことが出来ずその場に立ち尽くすしかない。

 

「鬼太郎さん……! 俺に構わず、こいつらをやっつけてくれ!!」

 

 庄司などは人質にされながらも自分に構うなと叫んでいるが、当然鬼太郎たちに彼を見捨てるなんて選択肢を取れるわけもなく。

 

「よーし! ペンギンども、今のうちにそいつらをふん縛れ!!」

「アイアイサー! おらおら、大人しくしやがれ!!」

 

 動けないでいる鬼太郎たちを無力化しようと、ペンギンたちは包囲網を狭めながらにじり寄ってくる。

 

 このままでは、鬼太郎たちも捕まってしまう。

 そうなれば誰にも海賊たちの暴虐を止めることが出来ず、この海での彼らの横暴を許してしまうことになってしまう。

 

 

 

「…………あん? なんだありゃ?」

 

 だがふと、ペンギンたちが上空から差す何者かの影に気付いて空を見上げた。

 そこには——花のように美しい羽根を羽ばたかせて飛翔する、一人の女性のシルエットがあった。

 

「お、おい……あれは、まさか……!?」

「せ、セイレーンじゃねぇか!?」

 

 世界の海を股に掛ける海賊というだけあって、ペンギンたちはそれがセイレーンと呼ばれる怪物であることを瞬時に察する。

 

「…………」

 

 そう、エレだ。

 昨日にも鬼太郎たちと『海に船が出ている間は歌わない』と約束を交わした彼女が、何を思ってかこの青空の下に姿を現した。

 勿論、それだけなら何の問題もない。彼女が優雅に空中散歩を楽しもうと、誰かに迷惑を掛けるわけではないのだから。

 

「すぅ~……」

 

 だが、エレは大きく息を吸う。

 鬼太郎や庄司、そして海賊たちがどのような状況下にあるのか、彼女はそれを上空から正しく認識している。

 認識した上で——この空の下、その魔性の歌声を響かせていく。

 

 

「~~♪ ~~♪♪」

 

 

 瞬間、響き渡る歌声の魔力が海賊船バルドに襲い掛かる。

 

「うぉおおおおお!? な、なんだぁああ!?」

「か、カシラ!! せ、船底に穴がっ……!!」

 

 爆発するような揺れが起こったと思いきや、船の中で待機していたペンギンが甲板へと慌てて駆け付けてきた。

 セイレーンの歌が海を荒らし、その衝撃で船底に穴が空いてしまったようだ。

 

「すぐに塞げ!! モタモタすんな!!」

 

 これに船長らしくバーンズがすぐに指示を出す。船が沈むという危機を前に、もはや人質などどうでもいいとばかりに庄司からあっさりと手を離した。

 

「庄司さん、ご無事ですか!?」

「あ、ああ……俺は大丈夫だが……」

 

 解放された庄司へとすぐに駆け寄り、その縄を解いていく鬼太郎。ようやく訪れた自由だが、それで安堵もしていられない。

 

「~~♪ ~~♪♪」

 

 セイレーンの歌声は未だに続いていた。船上に混乱が広がろうとお構いなし、寧ろ混乱を作り出そうとばかりにエレは声量をより一層強めている。

 

「てぇへんでやんす!! 左舷後方にも穴が……」

「ペンギン第二小隊を向かわせろ!!」

「オキノテズルモズルだ!! ペンギン第四小隊は右舷デッキへ急げ!!」

「モタモタしてんじゃねぇ!! ペンギン第三小隊は船体側面の対処だ!!」

 

 ペンギンたちがさらに慌ただしく駆けずり回る。

 既に彼らの視界には人間たちのことも、鬼太郎たちのことも映っていない。この船を沈めまいと、襲い掛かるトラブルの対処に大忙しだ。

 

「ニャアア!!」

 

 その間に、猫娘はキノピーを始めとした漁師たちの縄を爪で切り裂いていく。皆が束縛から解放されていくが、今の状況下で自由を取り戻してもあまり意味がない。

 

「ど、どうなってるんだよ!! これは!?」

「約束と違うじゃないか!?」

 

 人々はパニック状態に陥りながらも、頭上を飛ぶエレに非難の目を向けていた。

 自分たちが海にいる間は歌わない、その約束を破って見せつけるように歌う彼女に憤りを覚えるものもいただろう。

 

「あの子……まさか……」

 

 だがそんな中、犬山庄司は彼女が『何を思って』このようなことをしでかしたのか。その真意を察しようとしていた。

 

 

 

「~~♪ ~~♪♪」

 

 尚も歌い続けるエレ。セイレーンの歌声に翻弄され、海賊たちはもうてんやわんやだ。このままでは遠からず自分たちの船が沈んでしまうと、船員たちの顔に不安や恐怖が過ぎる。

 だがそのあたりのタイミングで、ようやくエレの声量が段々と小さくなっていき、徐々にだが船の揺れも収まっていく。

 

「…………」

 

 海賊たちは未だに混乱の最中にいるようだが、この様子であれば船が沈むことはないだろうと。内心で、エレもほっと胸を撫で下ろしていた。

 

 

『——ガァアアアアアアアアアアアアア!!』

 

 

 しかし、彼女の魔性の歌声によって引き寄せられた特大の『厄災』が——次の瞬間、その姿を現す。

 

「——っ!? な、なんだぁああああ!?」

 

 それは、今までの比ではない衝撃だった。何か巨大なもの、まるで氷山とでもぶつかったような衝撃が海賊船を襲う。さらにその巨大な『何か』は、船体を締め上げるようにしがみついてきたのだ。

 

 ミシミシと音をあげる海賊船、その周囲の海面から——何本もの巨大な『触手』が顔を出す。

 それを目の当たりにした瞬間、ペンギンたちが絶望の表情で叫んでいた。

 

 

「——く、クラーケンだ!! クラーケンが出やがった!!」

 

 

 

×

 

 

 

 クラーケン——通称・海の怪物。

 

 北欧の伝承に登場する海の魔物。中世や近代にかけて多くの船を沈めたとされる、船乗りたちがこの海でもっとも恐れる怪物である。

 その正体は巨大なタコ、あるいはイカとされていることが多いが、明確に決まった形があるわけではない。伝承によっては巨大なウミヘビやクラゲ、クジラがクラーケンなどと呼称されることもある。

 だがどのような個体であれ、共通しているのは——それがどうしようもなく巨大で、決して抗えない脅威であることだ。

 

 クラーケンとはまさに、海に生きるものたちにとっての絶望そのもの。

 

「あ、ありゃ……シュリーゲルじゃねぇか!?」

 

 このとき、海賊船を襲ったクラーケンはかなり特殊な個体だった。

 それは『シュリーゲル』と呼称されるものであり、その触手はイカのそれであったが、その胴体には——サメの顔が付いていた。

 

 フロリダ半島のバハマ諸島には、ルスカという怪物の伝承がある。まるでタコとサメの身体を掛け合わせた、自然界の法則を冒涜したような姿をしているというが、このシュリーゲルという個体もそれに近いものがある。

 いずれにせよ、海賊船バルドはクラーケンの襲撃を受けている。それは海賊たちにとって完全に想定外の出来事であった。

 

「なんだってこんな、日本の近海にシュリーゲルなんかいやがるんだよ!?」

「知るか!! おおかた、セイレーンの歌声に引き寄せられたんだろ!!」

 

 慌てふためきながらも、ペンギンたちはシュリーゲルの出現に疑問を抱き——その答えを出す。

 そう、本来であればクラーケンが日本の近海に出没するなどあり得ない。西洋でも遭遇するのが稀な海の怪物が、何故こんな場所に出現したのか。

 

 理由など明白——セイレーンだ。

 セイレーンの歌声の魔力が、クラーケンをこの海へと呼び寄せてしまったのだろう。

 

「そ、そんな……わ、私の……歌が……」

 

 これはエレにとっても予想外のことであったのか、ショックを隠しきれない表情で口元を手で覆っている。彼女ではこの事態に対処できる力もなく、成す術もなく空の上で呆然とするしかない。

 

『——ガァアアアアアアアアアアア!!』

 

 だがエレや海賊たちが呆然としている間にも、シュリーゲルは活動を始める。船体を締め上げていた巨大な触手、そのうちの数本を乗組員であるペンギンたちへと伸ばしてきたのだ。

 

「うおおおおおお!?」

「こ、この野郎!! こっち来んなや!!」

 

 その触手に抗うペンギンたち。彼らはその手に武器を持っていることもあり、なんとか抵抗することが出来ている。

 

「う、うぇええええええ!?」

「こ、こっちにも来た!?」

 

 しかし、人間たちはそうもいかない。束縛を解かれた身とはいえ、彼らは無防備な状態だ。

 その触手に掴まれたもの——キノピーが、シュリーゲルのサメの胴体、口の中へと引き摺り込まれようとしていた。

 

「き、キノピー!?」

「ひぇえええええええ!?」

 

 庄司がキノピーに駆け寄ろうとするが、間に合うわけもなく。あわや、シュリーゲルの犠牲者が——。

 

「——霊毛ちゃんちゃんこ!!」

 

 といったところで間一髪、寸前のところで鬼太郎が剣のように細めた霊毛ちゃんちゃんこで触手を切断する。

 

「た、助かった……」

 

 キノピーを命からがら、なんとかシュリーゲルの触手から抜け出すことが出来た。

 

「不味いぞ、鬼太郎!! このままでは……」

「キリがないわよ、こんなの!?」

 

 しかしいくら鬼太郎と猫娘といえども、無数に蠢く触手から全ての人々を守り切るなど不可能だ。

 このままでは遠からず犠牲者が、シュリーゲルの『餌食』になってしまうものも出てくるだろう。

 

「ふ、船が……し、沈んじまう!!」

「も、もうダメだ!!」

 

 さらにシュリーゲルがしがみついている船体、自分たちの海賊船がバラバラになってしまうとペンギンたちが狼狽えている。

 海の怪物の出現により、船上はかつてないほどの混沌へと陥っていた。

 

 

「——ガタガタ抜かしてんじゃねぇぞ、テメェら!!」

 

 

 だがそんな混乱の最中、叱りつけるように檄を飛ばす——海の男が一人。

 海賊船の船長・バーンズである。彼は自分の配下であるペンギンたちは勿論、敵対する鬼太郎や人間たちに向かっても喝を入れていく。

 

「たかがクラーケン一匹に、みっともなく騒ぐんじゃねぇ!! テメェら、それでも海の男か!?」

「「「か、カシラ!!」」」

 

 自分たちの船長の喝に、ペンギンたちがピタリとその動きを止めた。闇雲に動くことをやめ、船長からの命令を気を付けの姿勢で待つ。

 

「——まずはこのデカブツを船から引き剝がすぞ!! 大砲用意!!」

 

 手下たちの期待に応える形で、バーンズは的確な指示を下していく。

 まずは船体にしがみついているシュリーゲルを引き剥がすためにと、海賊船に常備されている『大砲』を準備するようにと命令を出した。

 

「あ、アイアイサー!!」

 

 船長命令に再びペンギンたちが慌ただしく動き出す。だが先ほどまでのように狼狽えた様子はない。船長の命令の下、確かな統率力でペンギンたちは自らの持ち場へと付いていく。

 

「第一小隊!! 準備完了!!」

「第二小隊……すいやせん、もう少し時間がかかりやす!!」

「おい!! うちらの大砲どこいった!?」

 

 それぞれの小隊が自分たちの担当する大砲を持ち出し、それをシュリーゲルへと向ける。しかし全ての小隊の準備がすぐに整うわけではない。焦りのせいか準備に手間取っている小隊もちらほらと。

 

「落ち着け! 合図があるまでは撃つな! 全砲門……一斉に放つんだ!!」

 

 バーンズはペンギンたちに、全ての大砲が準備できるまで待てと言う。

 それはシュリーゲルの巨体を考えたとき、砲弾の一発や二発を浴びせたところで効果は薄いだろうと判断してのことだ。

 どうせ放つのなら、全ての大砲による一斉射撃しかないと決断する。

 

「こっちだ、こっちに来い!!」

「ニャアアアア!!」

 

 ペンギンたちが大砲を準備している間、鬼太郎や猫娘がシュリーゲルの触手を引き付けていく。

 鬼太郎たちとしても、海賊たちと共闘するのは不本意かもしれないが、現状では彼らの作戦に乗るしかない。

 

「お、おい……大砲って、これじゃないか!?」

「せえーの、で動かすぞ……せえーの!!」

 

 庄司やキノピーといった漁師たちも、大砲を用意しているペンギンたちの動きを補助する。誰に言われるまでもなく、自然とそのような行動を取るようになっていた。

 

 そして——。

 

「——カシラ!! 全小隊……準備完了いたしやした!!」

 

 ペンギンたちから、全ての準備が整ったとの報告。

 

「よーし……」

 

 その報告を受けたバーンズは、一呼吸置いた後に——声を張り上げていく。

 

 

「——撃てぇええええええええ!!」

 

 

 瞬間、用意された何梃もの大砲が一斉に火を吹いた。数発、数十の砲弾——その全てがシュリーゲルの本体に着弾する。

 

『——グギャアアアアアアア!?』

 

 砲弾の直撃にシュリーゲルが悲鳴のような唸り声を上げた。船体にしがみついていた本体も仰け反り、その巨体が退いていく。

 しかし、シュリーゲルの肉体そのものはそこまでダメージを負っていない。大砲の一斉射撃といえども、それだけで倒せるほど甘い相手ではないということだろう。

 

「今じゃ、鬼太郎!!」

「はい!! 体内電気!!」

 

 だが、ここで目玉おやじの指示の下、すかさず鬼太郎が追撃を放つ。敵が船体から離れたことで他者を巻き込む必要がなくなったため、一切の遠慮なく全力の一撃——体内電気を海面に向かって解き放った。

 水は電気を通すと言うが、海水——特に塩水は電気の伝導率が高いとされている。鬼太郎の放射した体内電気が、海水からシュリーゲルの全身へと電撃を巡らせていく。

 

『————————!!』

 

 鬼太郎の致命的な一撃に、もはや悲鳴すら上げられなくなったシュリーゲル。肉体は黒焦げに感電し、その巨体が海中へと沈んでいった。

 

 

 

×

 

 

 

 海の怪物ことクラーケンを退治したことで、なんとか船沈没の危機を阻止した一向。これで事件は解決、一件落着でめでたしめでたし——とはならない。

 

「てめぇ、セイレーン!! よくもやってくれやがったな!!」

「この落とし前、どう付けるつもりだ……ああん!?」

 

 海賊ペンギンたちが、この事態を引き起こしたものへと激しく詰め寄っていた。

 

「…………」

 

 歌で船を沈めようとしたセイレーンのエレだ。彼女こそが全ての元凶であると、皆で包囲して責め立てていく。

 

「まったくだぜ!! 俺たちが海にいる間は歌わないって言ってたじゃないか!!」

「あの約束は嘘だったのかよ!?」

 

 海賊たちだけではない。キノピーを始めとした漁師たちも、ペンギンたちと一緒になってエレを責めている。

 約束を破られたと、その憤りは海賊たちよりも大きかったかもしれない。

 

「皆の衆!! 少し落ち着いてくれ……」

「何か事情があったのかもしれません……」

 

 そんな怒り心頭な人間たちを、目玉おやじがなんとか宥めていく。鬼太郎としてもエレを庇いたい気持ちはあるようだが、約束を一方的に破った彼女に対する不信感が拭いきれない様子である。

 

「ええ、全部私が悪いんです……もう、好きなようにしてください」

 

 一方で、エレは自らの非を素直に認めていた。

 逃げることも、抵抗するような素振りもなく。投げやり気味に自身の処遇を皆に委ねていく。

 

「覚悟出来てんじゃねぇか!! よーよーよー!!」

「なら望み通り、八つ裂きにして……!!」

 

 エレの殊勝な態度にも怒りが収まらないペンギンたち。ついには物騒な言葉を口にしながら、その手にカトラスなどの武器を握り始める。

 このままでは血を見ることになると、流石に止めに入ろうと鬼太郎は身構えるが——。

 

 

「——よさねぇか!! テメェらには、海の男の魂がねぇのか!?」

 

 

 ペンギンたちが実力行使へと走ろうとしたところ、凄まじい怒声を響かせて彼らを叱りつけたのは——船長のバーンズだ。

 海賊船のカシラという立場でありながらも、彼は船を沈めようとしたエレではなく、彼女を責め立てている配下のペンギンや漁師たちに怒声を浴びせていた。

 

「こうして素直に自分の行いを悔いているものに……どうして危害を加えられようか!?」

「な、何を言ってるでやんすか!? こいつの歌のせいで、あっしら……えれぇめに遭ったでやんすよ!?」

「…………?」

 

 まさかの船長からの叱責に、流石にペンギンたちも反論する。漁師たちも、彼が何故エレを庇うような言動を取るのか理解出来ないでいる。

 

「…………」

 

 そんな中、庄司一人だけはエレを責めるでもなく。何かを察するように静かに口を閉ざしている。

 

「お嬢さん……あんたは何も悪くねぇ」

 

 バーンズはエレを囲んでいるペンギンたちを押し除け、彼女を真正面に見据える。

 そして、エレが『何故あのような行動を取ったのか』その理由を口にしていく。

 

 

「……人間たちを、俺たちの手から助けようとしたんだろ?」

「——!!」

 

 

 バーンズの言葉に、鬼太郎やキノピーたちがハッと目を見開く。

 

「やっぱり!! あんたは俺たちを助けるために、約束を破ってまで……!!」

 

 これに庄司もやはりと、エレの行動が自分たちのためであったことを確信する。

 

 そう、エレは海賊たちの魔の手から人々を救うため。わざと歌声を響かせたのだ。

 実際、彼女のおかげで庄司たちは無事でいられた。もしもエレが歌で混乱を作ってくれていなかったら、今頃は海賊たちに庄司も鬼太郎たちも酷い目に遭わされていたかもしれない。

 それが結果として約束を破ることになったとしても、自分が憎まれ役になることになっても——エレは人々が傷つくことを止めたかったのである。

 

「……ごめんなさい。ちょっと驚かせればそれでいいと思って……けど、まさかクラーケンまで来るなんて思わなかったわ……」

 

 指摘されたこともあってか、エレは自身の行動理由を認めて深々と頭を下げる。

 だがシュリーゲルの出没までは予想していなかったのだろう。想像以上の混乱を呼び込んでしまったことを悔い、甘んじて罰を受ける覚悟でいたようだ。

 

「また犠牲者を出しちゃうところだったわ……やっぱり私の歌は不幸しか生まないのよ……」

「エレさん……」

 

 エレの本心から後悔している姿に、同じ女性として猫娘が寄り添う。

 

 今回の件だけではない。彼女はセイレーンという在り方に、ずっと苦悩を重ねてきたのだ。

 もしかしたら、ここで人々から罰せられることを心の奥底で望んでいたのかもしれない。だから、下手に言い訳をしなかったのだろう。

 だが——。

 

「お嬢さん、あんたみてぇな優しい人がそんなに自分を責めちゃいけねぇ」

 

 バーンズは力強く、なんでもないように言葉を重ねていく。

 

「たかが歌で船が沈むもんか。あんたの言い分は思い込みさ。セイレーンの歌が船を沈めるなんてのは、単なる迷信なんだよ」

「…………えっ?」

 

 バーンズはそもそもな話——セイレーンが歌で船を沈めるという伝承。それそのものを『与太話』だとキッパリと言い切る。

 これには、セイレーンとしてエレもキョトンとしている。

 

「沈みかけたでやんす!!」

「俺の船も沈んでるんだけど!!」

 

 これにペンギンたちや、自身の船を沈められているキノピーが異議を唱えた。

 事実として、セイレーンの歌声には船を沈める魔力が込められている。それ自体は決して間違った話ではない筈だが。

 

「なあ、お前ら……頭ん中のピーナッツバターこね回して、よーく考えろ」

 

 すると、そんなペンギンやキノピーたちに対し、バーンズは落ち着いた声音で順序立てて説明を重ねていく。

 

「この船の重さは軽く数百トンくれぇはある。そいつが沈まねぇで海に浮いているのはどうしてだ?」

「そりゃ……あっしらにはとんと……」

 

 船長からの突然の問い掛けに、ペンギンたちは言葉を詰まらせる。

 

 船が水の上を浮くのは『浮力』によるものだ。浮力とは、水の上の物体を下から押し上げようとする力。物体が大きければ大きいほど浮力は強く作用し、船を浮かせようとする。

 そして、どれだけ巨大な船だろうと基本的に中身は空洞になっており、この浮力よりも船が重くならないようにと計算されて設計されている。

 もしも、船が中身までぎっしりと詰まっていれば、浮力よりも重くなって沈んでしまう。逆に船の大きさと重さのバランスが取れている限り、理論上どれだけ巨大な船であろうと決して沈むことはない。

 

 だがそういった小難しい理屈を、ペンギンたちは分かっていない。

 

「ええっと……それは……」

 

 境港の漁師たちも。理解はしているのかもしれないが、それをこの場で言葉にすることが難しいのか、上手く答えられないでいた。

 

 そうして、何も答えられないでいる皆に代わって——バーンズは堂々と答えを口にしていく。

 

 

「——気力よ、男の気力で浮いてんだよ」

 

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 

 それは違うと、誰もがツッコミを入れたかっただろう。しかし言い出せるような空気ではない。

 皆が何も言えないでいると、さらにバーンズは自信満々に告げる。

 

「特に俺様の気力が百で、おめぇたちの気力は一くれぇだ。俺様の気力で浮いている船が、歌くれぇで沈むなんて本気で思ってやがんのか?」

 

 どうやら本気らしい。本気でバーンズは『男の気力』こそが、船を浮かしているものだと確信めいた口調で話している。

 そして、それが嘘ではないことを証明してやるとエレに向かって言い放つ。

 

「お嬢さん、嘘じゃねぇぜ。嘘だと思うなら、試してみな」

「ダメよ…………沈んじゃうわ…………」

 

 当然、その提案にエレも首を横に振った。

 試しに歌など歌って、今度こそ沈んでしまってはそれこそ犠牲者が出てしまうかもしれないのだ。

 

「かまやしねぇ!! ここにいるのはペンギンとセイレーンのあんた……俺はセイウチだか、オットセイだか、まぁ……なんか海獣だ」

 

 しかし、バーンズは一歩も引こうとしない。仮に船が沈んだところで問題はない、自分たちが海の中でも平然と活動できる生物であることを告げる。

 

「おい、お前ら!! お前らも船乗りなら……泳ぎの心得くらいあんだろ!?」

「え……? そ、そりゃ……まあ……」

「ゲゲゲの鬼太郎!! てめぇも妖怪なら、この程度のことでビビるんじゃねぇぞ!!」

「は、はい…………えっ?」

 

 ちなみに庄司や鬼太郎たちは海の生物ではないが、それでも泳ぐことくらいできるだろうと無理矢理にでも納得させていく。

 実際に船が沈められて一番困るのは、彼らなのだが——そんなこと知ったことではないと言わんばかりだ。

 

「さあ、歌いな!! 心の底から……」

「…………」

 

 そんなバーンズの根拠のない自信と説得に、とうとうエレは観念したのか。

 

 

「~~♪ ~~♪♪」

 

 

 次の瞬間——その口から、美しい歌声を響かせ始める。

 

 

 

「!! やっぱり来たでやんす!!」

 

 エレの歌声が聞こえてくるのとほぼ同時に、再び船体が揺れ始めた。爆弾でも爆発するようなその衝撃に慌てふためくペンギンたち。

 

「ビクついてんじゃねぇ!!」

 

 しかし、船長であるバーンズはピクリとも動かない。

 

「船長!! 左舷後方の穴が広がって……」

「いつものことだろ!! とっとと直せ!!」

 

 たとえ、船底に穴が開こうとも——。

 

「右舷、高波でやんす!!」

「波が怖くて海に出れるか!!」

 

 たとえ、どれだけ高い波に襲われようとも——。

 

「第三艦橋大破!! マジやばいでやんす!!」

「かまやしねぇ!! お前ら、肝が小せぇぞ!!」

 

 ペンギンたちからどのような損害報告を受けようとも、全く動じる様子もなく淡々と指示を下していく。

 そんな船長の堂々たる態度に応えようと、ペンギンたちも迷いなくトラブルに対処していく。

 

 バーンズからは海賊の親玉としての貫禄が。

 ペンギンたちからは、親分の期待に応えようとする忠義心のようなものを確かに垣間見えた。

 

「!! やばい!! 帆のロープが……!?」

「誰か……手の空いてるヤツはいないのか!?」

 

 だが続け様のアクシデントに、ついに人手が回らなくなってしまう。

 強風に煽られたことで、海賊船の帆を張るロープが切れてしまったようだ。すぐにでも支えなければ、バランスを崩した船が転覆してしまう恐れすらあっただろう。

 しかしペンギンたちはどこも手一杯、とても手を回せる状況ではなかった。

 

「——俺たちも手伝うぞ!!」

「——みんなでロープを引っ張るんだ!!」

 

 しかし、ここで彼らが——犬山庄司やキノピーといった漁師たちが手を貸していく。

 彼らにも海の男としての意地がある。海賊たちが船を沈めまいと必死に頑張っている横で、何もしないわけにはいかないのだ。

 

 自分たちも負けてはいられないと、ペンギンたちと共に船を保たせようと奮闘していく。

 

 

 

「〜〜♪ 〜〜♪♪ …………」

 

 そうして、エレはついに歌を一曲歌い終えた。

 一才の遠慮なく魔性の歌声を響かせた後でありながらも——船は沈んではいなかった。

 

 海賊たちは、漁師たちは見事に——セイレーンの歌を耐え切ったのである。

 

「見たかい? 本物の海の男の船は、歌如きで沈みなんかしねぇのさ」

「…………」

 

 この結果を前にバーンズが、それ見たことかとばかりにエレに向かってドヤ顔で誇る。

 エレはそんなバーンズに何も言えないでいる。

 

 勿論、こんなものは結果論だ。

 エレがさらに歌を歌い続けていれば、一歩でも何かを間違えていたら。この海賊船とて他の船のように沈んでいただろう。

 

 しかし、彼らは耐え抜いた。セイレーンの歌声を真正面から乗り越えたのである。

 その事実がエレに確かな衝撃を与え、彼女の憂いを僅かだが晴らしていく。

 

「へっへっへ……やるなぁ、人間ども! ちっとは骨があるじゃねぇか!!」

「あんたたちもな! 海賊なんて、ただの無法者の集まりかと思ったが……意外と根性あるんだな!!」

 

 さらには共に危機を乗り越えたということもあり、ペンギンたちと人間たちとの間に奇妙な一体感が生まれる。

 もはや海賊たちにこの海を荒らす気などなく、人々も彼らに対する敵対心をほぼほぼ薄れさせていた。

 

 

 

 

「な、何がどうなってるのよ……いったい?」

 

 そんな海の男たちの様子に、何が何だかよく分かっていない猫娘。彼女からすれば、海賊と漁師たちがどうしていきなり仲良くなったのか、いまいちその理由に納得が出来ないだろう。

 

「なんとも、呆れるほどの力技じゃ……しかし、結果オーライというやつかのう……」

「そうですね、父さん……」

 

 だが、目玉おやじは『セイレーンたるエレの悩み』や『海賊と漁師たちとの和解』。その両方に力任せな解決策を示したバーンズのやり方に呆れたため息を吐きつつ、どこか満足したように頷いている。

 鬼太郎も父親の言葉に同意を示しながら、その口元に笑みを浮かべる。

 

 

 ふと、空を見上げれば空が青々と晴れ渡っている。

 快晴の下、穏やかな波に揺られながら船乗りたちが互いに肩を寄せ合い、陽気な微笑みを浮かべ合っていた。

 

 




人物紹介

 海賊ペンギン
  原作ゲームを知らない人は「なんだこれ?」と思うかもしれませんが、ガチで原作に登場するペンギンたち。
  海賊だけどどこか抜けていて、妙な愛嬌のある面々。
  時々、語尾にやんすを付ける個体がいます。

 バーンズ
  海賊船の船長、ペンギンたちのカシラであるセイウチ。
  ゲームの公式設定によると、ペンギンたちは『自分たちより強い者をカシラにする』伝統があるとか。
  海賊として悪の道に走ることもあるが、義侠心も持ち合わせている本物の海の男。

 クラーケン
  海の怪物でお馴染み。
  一般的なイメージだと巨大なタコやイカになっていますが、その定義は意外と曖昧?
  今回はゲームにもボスとして登場する『シュリーゲル』という個体が、クラーケンの一種として登場。
  どのような見た目か分かりづらい方は『シャークトパス』で検索……だいたいあんな感じ。


次回予告

「境港に立ち込める暗雲……この凄まじい妖気は?
 西洋妖怪の皇帝!? かつて、あのバックベアードと覇を競った不死の怪物!?
 父さん! 境港に……かつてないほどの危機が迫っているようです!!

 次回——ゲゲゲの鬼太郎 『不死皇帝と煉獄の妖女』 見えない世界の扉が開く」

 次話も舞台は境港、『聖剣伝説レジェンドオブマナ』を題材にしたクロスオーバーになります。
 予告にもある通り、境港の街全てを巻き込んでの大騒動になる予定です。

 前書きに書きました通り、今年の更新はここまで。
 来年まで暫しのお別れです……少し早いですが、良いお年を!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

聖剣伝説レジェンドオブマナ 不死皇帝と煉獄の妖女 其の①

『グランブルーファンタジーリリンク』めっさ楽しいな!!
なんだか、久しぶりにゲームをプレイしているという感覚を味わっている気がする。この気持ちはあれだ、子供の頃に『キングダムハーツ』を楽しんでいた感覚に似てるわ。
なかなか時間を取れなくてストーリーの方もまだクリアしてないけど、ゆっくり楽しみながら進めていこうと思います。

さて、久しぶりに本編の更新。
次回予告にもあった通り、今回は前回の続きとして『聖剣伝説レジェンドオブマナ』のクロスオーバーを境港で展開していきます。
ただ今回のシナリオ、実のところ原作ゲームでも実装されなかった、いわゆる没イベントが元ネタです。
アルティマニアなどに書かれていた裏設定などを元に話を構築していたのですが……どうやら令和になって配信された(そして一年でサービス終了した)聖剣伝説のアプリ版で、セイレーン編としてこの没ネタがイベント実装されていたようです。
そちらの方も参考に話を展開していきますので、最後までお楽しみください。


『はぁ……退屈…………』

 

 静けさが広がる夜の海。

 闇夜に浮かぶ月を眺めながら憂い気味に溜息を吐く少女が一人、海面を漂っていた。

 

 少女は——西洋妖怪・マーメイドのフラメシュである。

 

 日本でいうところの人魚である彼女たちの一族は、海底に一大都市を築いて暮らしている。そこは深海の底という何者にも侵略し難い土地であり、西洋妖怪の帝王と名高い、あのバックベアードですら迂闊に手を出せないような立地となっていた。

 そのおかげでここ数百年以上は外部からの侵略もほとんどなく、長年都市に暮らす住民たち皆が平和を謳歌してきた。

 

 だがその反面、平和で閉鎖的な都市内では保守的な考えを持つものがほとんどであり、外との関わりそのものを持とうとしない。

 マーメイドの一族そのものが『陸に上がること』『水から離れること』をタブーとしてきたこともあり、誰もが自分たちの平穏だけを考え、海の底に引きこもっているだけの毎日。

 

『ほんと、退屈! なんでみんな……あんな生活に耐えられるのよ!!』

 

 年若いマーメイドであるフラメシュは、そんな変わり映えのない日々に嫌気が差していた。一族の掟やらを盲目的に信じる同胞たちへの不満から、日々を悶々と過ごしていた。

 

 そうやって溜まったストレスを解消するためにと、フラメシュは頻繁に海面へと上がっては外の世界へと遊びに来ていた。

 流石に陸上に上がって人に見つかるような不用心な真似こそしなかったが、海面から空を眺めたり、時たま通り過ぎる人間たちの船をこっそりと覗き見たりと。それだけでも十分に娯楽として楽しめていた。

 

『あーあ……なにか面白いことないかしら……?』

 

 しかし、最近はそれすらもマンネリ気味だ。何か面白い遊びでもないものかと、その日は漠然と星空を見つめていた。

 そんな彼女の耳元に——その『歌声』が聞こえてくる。

 

『……えっ? なに……この声……?』

 

 今までに聞いたこともないような、とても綺麗で澄んだ歌声だった。フラメシュは咄嗟に身構えつつ、反射的に歌声の聴こえてきた方角へと目を向ける。

 

 

『~~♪ ~~♪♪』

 

 

 そこには、美しい歌声を響かせながら夜空を優雅に飛び回る一羽の——いや、一人の女性がいた。

 周囲に誰もいないと思っているのだろう、人目を憚ることなく歌う彼女の顔にはこの上なく幸せそうな笑みが浮かんでいる。

 

 彼女はセイレーンのエレ。

 ギリシャ神話に登場する怪物。人間の船乗りたちからは船を沈める魔性の歌声を持つと、忌み嫌われる存在である。

 静まりかえる夜の海で響くその歌声は、聞きようによっては確かに不気味で恐ろしいものに感じるかもしれない。

 

 

『なんて…………綺麗…………』

 

 

 だが、フラメシュは彼女の歌う姿に一瞬で心を奪われた。

 その歌声の美しさは勿論、その美しい花のような羽根を羽ばたかせ、自由に夜空を飛び回るその姿にこそ心を惹かれた。

 

 一族の掟に従い、海の底に引きこもって暮らす毎日を窮屈に思っていた彼女にとって、何者にも縛られることなく空を飛び回るエレは——まさに自身の理想、憧れを形にした姿そのものだったと言えよう。

 

『ね……ねぇ!! あなた……あなたは誰!?』

『!! えっ……? に、人間!? 違う……あなた、マーメイド?』

 

 気が付けば、フラメシュは歌うエレに声を掛けていた。

 声を掛けられたエレの方も驚いて歌うのを止めてしまったが、相手が溺れた人間などではなくマーメイドであったことにとりあえずホッと胸を撫で下ろす。

 

 

『わ、私は……エレ。セイレーンのエレよ……あなたは?』

『私はフラメシュ……マーメイドのフラメシュよ!!』

 

 

 そうして夜空の下、誰もいない海の上で二人の少女は出会う。

 その出会いがいったいどのような結末をもたらすか——そのときの彼女たちには知る由もなかった。

 

 

 

×

 

 

 

 鳥取県・境港にて。

 毎年、この地にて開催される夏祭りはまだ始まってもいない。今は開催まで着々と準備を進めている時期であり、お祭り目当てに港を訪れるであろう観光客もまばらであった。

 

「——乾杯!!」

 

 だが、それはそれとして境港のとある商店街ではかなりの盛り上がりを見せていた。

 地元住人たちが食べ物を持ち寄り、盛大に酒を酌み交わす宴席。そんな地元の人間たちの飲み会にしれっと混じっていたのが——。

 

「——いいね! いい飲みっぷりだ!! ペンギンのくせに行ける口だねぇ……あんたら!!」

「——くせには余計でやんす!! そっちも人間にしてはなかなかやるじゃねぇか!!」

 

 ペンギンである。

 人語を介し、衣服に袖を通したペンギンたちが、人間たちに混じって宴会の席で酒を飲んでいたのである。

 

 彼らは自称・海賊を名乗るペンギンたちだ。

 江戸時代に財宝を積んだまま、この境港の海域に沈んだとされる北前船。ペンギンたちは海賊として、沈没船の財宝を目当てに日本までやって来たという。そして、この海域で漁をしている境港の漁師たちを捕らえ、財宝を引き揚げる手伝いをするようにと脅しつけて来たのだ。

 そんな海賊たちの脅しに漁師たちは当然のように反発し、あわや血が流れるのではないかという騒ぎにまで発展し掛ける。

 

 

「それにしても……クラーケンには手を焼かされたぜ!!」

「ああ、シュリーゲル……強敵でしたね!!」

 

 だが、そのいざこざの最中に出現した海の怪物・クラーケン。

 船を沈めようと襲い掛かって来たその怪物を前に、海賊と漁師たちは互いの立場や見栄捨てて共闘。心強い『助っ人』がいたこともあり、無事にクラーケン撃退という偉業を達成する。

 そういった共闘を得たことにより、種族という垣根を越えて両者は意気投合。こうして、互いに酒盛りをするほどに仲良くなってしまったのである。

 

「結局……お宝に関しては無駄骨に終わったな……はぁ……」

「悪いな、バーンズさん!! 北前船がどこに沈んでるかなんて、俺たちにも分からねぇんだよ! はっはっは!!」

 

 ちなみに当初の目的——お宝の回収に関してはペンギンたちのお頭を務めている、セイウチのバーンズから諦めるようなため息が溢れる。

 そもそもお宝の在処など、境港の住人たちですらも預かり知らぬこと。というか、知っていればとっくの昔に引き揚げていたことだろう。わざわざ日本までの遠征が無駄足になったと項垂れるバーンズ。

 

「そう落ち込むなって!! 今はこの出会いに乾杯だ!! ほら、もっと飲め飲め!!」

「お前、相当酒癖悪いな……」

 

 そうやって落ち込むバーンズを、すっかり彼らに心を許した鳥取県を愛する男・犬山庄司が励ますように盃を傾けてくる。既にだいぶ酔っ払っている彼の絡み酒に、ちょっと困ったようにバーンズは顔を顰める。

 

 セイウチにアルハラをする人間という構図は、なかなかにシュールなものであった。

 

 

 

「……とりあえず問題はなさそうじゃな」

「……そうですね、父さん」

 

 そんな人間とそうでないものたちの宴会に、目玉おやじとゲゲゲの鬼太郎も同席していた。

 

 彼らも今回の騒動、クラーケンを倒すために力を尽くした助っ人だ。この宴席にも呼ばれ、境港の人たちから感謝の言葉を受け取っていた。

 しかし鬼太郎はそこで気を緩めることなく、海賊・バーンズ一家らが何か悪さを企んでいないかと様子を見ることにしたのだ。

 和解したように見えても、財宝のことを諦めきれずに魔が差してしまう可能性も0ではないと考えたのだろう。

 

 もっとも、鬼太郎たちの心配は杞憂であり、海賊たちが境港で悪さをする素振りなど一向になく。皆和気藹々と、楽しそうに酒を飲みまくってはぐでんぐでんに酔っ払っている。

 

「単純な生き物よね、男ってやつは……」

 

 その光景には、鬼太郎に同伴していた猫娘も呆れるように肩をすくめる。

 

 困難を共に乗り越えて、一緒に酒を飲めば意気投合。勿論、いがみ合うよりは健全な関係なのだが、つい先刻まで敵対していたもの同士とは思えないはしゃぎっぷりである。

 基本、お酒を飲まない鬼太郎や猫娘には、酔っ払いたちが何をそこまで楽しそうにしているのかちょっとよく分からない。

 こちらの気も知らないではしゃぎ回る飲兵衛たちに、自然と猫娘の眉間に皺が寄ってくる。

 

「あら、鬼太郎さん……猫娘さんも!」

 

 すると、そんな鬼太郎たちの元に犬山庄司の妻——リエが歩み寄ってきた。

 

「ごめんなさいね、酔っ払いばかりで。疲れちゃったでしょ?」

「い、いえ……」

 

 飲兵衛ばかりの席で彼女はシラフだ。慣れたように酔っ払いたちの相手をし、鬼太郎たちに気遣いの言葉まで掛けてくれる。

 

「ほら、あなた! もうそこまでにしときなさい! それ以上は明日に響くわよ!!」

「も、もうちょっといいじゃねぇかよ、リエ……」

「いいから!!」

 

 それどころか、飲んだくれる夫に対していい加減にしろとストップまで掛ける。これにまだ飲めると抵抗する庄司だが、そんな夫をリエは強気に黙らせていく。

 屈強な漁師たちを相手に一歩も引かないその姿勢。伊達に境港に嫁いで来ていない、流石の貫禄といったところか。

 

「そういえば、鬼太郎さん。あの歌声の子、エレさんと仰ったかしら? その方はこちらに来てないのかしら?」

 

 そうして庄司の相手をしていたリエだったが、ふと鬼太郎たちにとあることを尋ねる。

 

 それはエレ——先の事件で境港を騒がせた、セイレーンの女性の所在である。

 

 境港に騒動を持ち込んで来たのは海賊たちも同じだが、彼女も今回の事件で色々と問題を起こしてしまっている。

 

「エレさんなら……今も海岸の洞窟に引きこもっておるよ。皆が気にしないと言っても、やはり後ろめたさはあるのじゃろう……」

 

 リエの質問に目玉おやじが答えた。

 

 一応、エレの起こした問題についても既に解決済みだ。彼女がキノピーの船を沈めてしまったことも、クラーケンを呼び寄せてしまったことも、境港の住人たちは全て水に流している。

 だが、本人の心に未だ引っ掛かりのようなものが残っているのだろう。宴席ではしゃぐような真似など出来るわけもなく、仮初の住処である街外れの洞窟で今も静かに羽根を休めているとのことだ。

 

「そう……夫があの子のおかげ助かったって言ってから、一言お礼が言いたかったのだけど……」

「…………」

 

 これにリエが残念そうに呟き、鬼太郎も難しい顔で黙り込んでしまう。

 

 今回の一件、結果論ではあるものの、エレのおかげでなんとかなった部分も大きい。海賊たちが狼藉を働いた際、彼女がその魔性の歌声で彼らの注意を引いてくれなければ、漁師たちも鬼太郎たちも酷い目に遭わされていたかもしれないのだ。

 クラーケンという脅威の出現も、結果としては皆が団結するきっかけになった。

 

 そういう意味でエレは事件解決の功労者でもあるわけで、リエとしては一言くらいお礼を言いたいわけだが。そのお礼を素直に受け取れるほど、エレの人間たちに対する罪悪感は決して小さくはないと。

 

 

 なかなか、ままならないものである。

 

 

「……ん?」

 

 と、エレの話で鬼太郎たちが複雑な表情をしているその横で、ふと猫娘が何かに気付く。

 

「ほれ、もう一杯!!」

「おっと……いや~、どうもすいませんね!!」

 

 それは酒宴の席の中、境港の人々やペンギンたちの中に紛れ込んだ——明らかな異物の存在。そいつは当たり前のように酔っ払いたちの輪の中に入り込み、勧められるがままに酒をかっくらっていた。

 

 その『男』の存在を目にした瞬間、猫娘が呆れ果てたようにこめかみを抑える。

 

「ねずみ男……アンタってやつは……」

「またタダ飯……タダ酒をたかりに来たのか……」

 

 そう、そこにいたのはボロっちい布切れを纏った、見るからに小汚い男——ねずみ男であった。

 

 何故ねずみ男がこんなところに、などと聞かなくても鬼太郎たちには分かっていた。

 去年もそうだったが、この男はこの時期になると境港にやって来る。そして祭りの空気にしれっと乗じて、タダ飯やタダ酒にありつくのである。

 

「おう、鬼太郎!! またまた境港で事件を解決したんだってな!! 惜しかったね~、その場に俺様がいれば、華麗な活躍劇を見せられたんだがよ~!!」

 

 本人は境港の事件を聞いて駆けつけてきたと言っているが、そんなものただの口実であることが見え見えである。

 鬼太郎たちとしても境港の人々の迷惑になるからと、今すぐにでもこの場から彼を摘み出したいところ。

 

「よっ! 流石は日本一の妖怪研究家!!」

「違う、世界一だ!! はっはっは!!」

 

 だが当の境港の人々が、寛大にもねずみ男を飲み仲間として受け入れてしまう。酔っ払い同士の謎の結束力を遺憾なく発揮し、ねずみ男を囲いながらさらにわいわいと盛り上がっていく。

 

「…………まあ、ほどほどにしとくんだぞ……」

 

 鬼太郎もそんな楽しげな空気をぶち壊してまで、ねずみ男を無理やり摘み出すのは流石に気が重かったりするので、軽い注意くらいで済ませておく。

 

「けどな、安心するのはまだ早いぜ! 例年通りなら、ここでもう一悶着あるってもんだ!!」

 

 しかし、酔いが回ってきたせいか。ねずみ男は勢いのまま余計なことを口にしてしまい——。

 

 

「…………」

「…………」

「…………」

「ん……どうした? なんで黙ったんだ?」

 

 

 案の定、彼の発言にピタリと。陽気に笑い声を上げていた飲兵衛たちが一斉に口を閉ざしてしまう。海賊たちなど、何故境港の人々がそのような反応をしたのか分からず首を傾げているが、彼らの不安も当然である。

 

 そう、境港で起こる事件は——基本的に『二度』立て続けに起きるものだ。

 別にそういった決まりがあるわけではないのだが、去年もそして一昨年も。大なり小なりの差はあれど、二年連続で妖怪絡みの事件がこの境港を中心に渦巻いていた。

 境港の住人たちも、その法則性を理解しているのだろう。『今年は何も起きないでくれ!』と密かに祈る一方で『多分何かあるんだろうなと……』ある種、諦めの境地に達している。

 

 鬼太郎たちもそれを察しているからこそ、この地から離れらないでいるのだ。

 きっとまだ何かあると、嫌な予感が皆の背筋を走っていく。

 

 

 

 

 

 実際、鬼太郎たちの予感は的中していた。

 

 確かに今この瞬間にも、境港にとある脅威が迫りつつある。そういう意味で言えば、ねずみ男が境港に駆けつけてきたのは無駄足ではなく、鬼太郎が未だこの町に留まり続けることを選択したのは決して間違いではなかった。

 

 しかし、迫りくるその脅威の規模は——鬼太郎たちの想像の遥か上を行くものであった。

 

 かつてないほどに巨大な災厄。

 それがもう間もなく、境港の地に降り掛かろうとしていたのである。

 

 

 

×

 

 

 

「はぁ……なんであっしだけ船に残って見張りなんて……」

 

 通常の漁船に混じって境港に停泊している巨大な船。堂々と海賊旗が掲げられたその船こそ、バーンズ一家の誇る『海賊船バルド』である。

 今現在、クラーケンやセイレーンの歌声によって受けた被害を修理するため、境港の人たちの厚意もあって海賊船は港に停泊していた。

 大半のクルーが陸地へと上がり、境港の人々と酒盛りを楽しんでいる最中、一羽のペンギンだけが船に残って見張りの任についていた。

 

 マストの見張り台から定期的に海の様子を監視しているそのペンギン、名をデイビットという。

 

 当たり前のことだがペンギンたちにも個別に名前があり、それぞれに海賊になった理由がある。

 このデイビットという若者が海賊になったのは——『広い世界をもっと見てみたい』という冒険心。さらには『世界中の海から魔物をなくしたい』という正義感からである。

 

 世界の海から魔物という脅威を排除すれば——今も故郷で自分のことを待ってくれている恋人・ヴァレリが安心して暮らせるという想いが強くあったのだ。

 そう、彼には陸地にメスペンギンの想い人がいた。彼女は今も、自分という男が帰ってくるのを待ってくれている筈だ。

 

「ヴァレリ……あっしは必ず成り上がってやるでやんす!! いずれは海賊たちの親玉になって、お前を迎えに行くからな!!」

 

 その恋人のことを想って、デイビットは不貞腐れそうになった自身の心に喝を入れていく。今はしがない見張りを押し付けられるような立場だが、いずれは海賊たちを率いる立場に成り上がる。

 そうなれば胸を張って帰郷し、ヴァレリを迎えに行けるのだ決意を固めていく。

 

 

 

「おう、デイビット!! 見張り番、ご苦労さん!!」

「あっ、ラムティーガーさん!! お疲れ様っす!!」

 

 そうして、デイビットが見張りを続けてそれなりの時間が経った頃、一羽のペンギンが彼の様子を見にきてくれた。

 

 そのペンギン、名をラムティーガーという。彼は海賊船バルドの操舵手を務めているペンギンだ。どんなに荒れ狂う海でも怯まずに船を進める彼の操舵さばきに、尊敬と憧れの念を抱くペンギンたちも少なくはない。

 デイビットも、ラムティーガーのことは素直に先輩として敬意を払っていた。実際面倒見がいい性分なのか、境港の人々から振る舞われた料理をデイビットのために持ってきてくれたようだ。

 

「ほれ、残りもんだが……これでも食っとけ! 交代までの見張りは俺の方でやっておくからよ!!」

「あ、ありがとうございやす!! ありがたく頂かせてもらうでやんす!!」

 

 デイビットは素直に先輩の厚意に甘え、腹が空いていたこともありその場で料理にがっついていく。

 

「ははっ! 落ち着いて食えって……ん?」

 

 そんな後輩に笑みを浮かべながら、ラムティーガーがデイビットから周囲の見張りを引き継いでいく。だがそのときだ。朗らかだったラムティーガーの空気が、一瞬で剣呑なものへと変わっていく。

 

「デイビット、望遠鏡を貸せ」

「えっ……?」

「早くしろ!! 今何か……見えなかったか?」

 

 デイビットの名を叫んだラムティーガーは、その手からひったくるように望遠鏡を受け取り、それを海上へと向ける。海の向こう、水平線に何かしらの影が見えた気がしたというのだ。

 海には薄らとだが霧が掛かっていた。もしかしたら気のせいかと思いつつ、ラムティーガーは注意深く望遠鏡を覗き込んでいく。

 

「!! な、なんだあれはっ!?」

 

 だが、気のせいではなかった。

 海霧の中、確かに見えたそれは——船であった。目測で正確な大きさこそ分からなかったが、遠目からでもそれがかなり巨大な木造船であることが見て取れる。

 

「あれは……どこの船ですかね?」

「一隻じゃねぇ……何隻もいやがるぞ!?」

 

 しかも一隻ではない。一体どこに隠れていたのか、一隻、二隻と。霧の中で蠢く船影の数が徐々に増えていっている。

 最終的には二十隻以上の船団となり、境港の海一帯を埋め尽くしていく。

 

「おいおい!! 尋常じゃねぇぞ、これはっ!!」

「は、早くお頭たちに連絡をっ!!」

 

 明らかに異常な事態を前にラムティーガーが声を張り上げ、デイビットが急いでカシラであるバーンズにこのことを伝えようと見張り台から飛び降りていく。

 

「いったいどこの船だ? なんで境港にあんなに……」

 

 その間、ラムティーガーはその場に残り、それらがどこの船なのか、目的は何なのか。少しでも多くの情報を得ようとさらに船団の観察を続けていく。

 

「誰も乗ってない……だと?」

 

 船には、人が乗っている気配が感じられなかった。船体そのものもかなり老朽化しているのか、沈まないのがおかしいほど不安定そうに見える。

 所謂、幽霊船というやつだ。その禍々しい気配が望遠鏡越しからも伝わってくるようであったが——。

 

「!! あ、あの旗は!?」

 

 次の瞬間、ラムティーガーがあるものを目にし、戦慄する。

 

 彼が望遠鏡越しに目撃したのは——その船団が掲げている『旗』であった。

 海賊たちは象徴として骸骨の旗を掲げているが、その幽霊船も自分たちが何者かを主張する『紋章』の入った旗を掲げていたのだ。

 

 

「ま、間違いねぇ……あれは……あの船は!!」

 

 

 その旗の紋章の意味を悟るや、ラムティーガーはその表情が絶望に青ざめていく。

 

 

 

 

 

「な、なんだなんだ!! なんなんだよ、あれは!?」

「またかよ!? やっぱり今年も二回目があった!!」

 

 境港の街中でも混乱が広がっていた。

 

 夜通し行われた宴会も終わりを告げ、既にほとんどのものたちが寝床に着いていた。境港の住人たちはそれぞれの自宅へと戻り、ペンギンたちはだらしなく路上で酒瓶を抱き込みながら眠りこけていた。

 だが朝日が差し込む頃になって、目を覚ました一部の住人たちが沖合に集まってきている船の存在に気付いてしまい、それをきっかけに境港が大混乱へと陥っていく。

 

「鬼太郎!! 沖合に……すごい数の船が!!」

「ああ、かなりの妖気だ! あの船全部が……妖怪に関わる何かだ……!!」

 

 その船らの存在に気付き、猫娘や鬼太郎たちも行動を起こしていた。鬼太郎の妖怪アンテナで感じ取れる妖気からも、あれがただの船でないことも把握済みである。

 

「庄司さん! 念の為……皆さんの避難をお願いします!!」

「わ、分かった! 鬼太郎さんも気を付けてくれ!!」

 

 とりあえず、鬼太郎は庄司に人々の避難を任せる。既に酔いが覚めていた庄司も大人しく鬼太郎の指示に従い、人々を逃すために街中を駆けずり回っていく。

 

「いったい、あの船団はなんなんでしょうか、父さん!?」

「分からん……分からんが、油断するでないぞ、鬼太郎!!」

 

 一方で、鬼太郎たちはあれに対処するためにと港の方へと走っていく。鬼太郎があの船団について父親の目玉おやじに尋ねるが、彼の知識にもあのような船団の正体に関するものはなかった。

 

 

 いったい、この境港で何が起ころうとしているのか。

 

 

「ん? おう、もう来たのか……ゲゲゲの鬼太郎」

 

 鬼太郎たちが港にたどり着くと、そこには先客として海賊ペンギンたちとカシラであるバーンズの姿があった。

 

「頭いってぇ……」

「うぷっ……昨日は飲みすぎたでやんす……」

 

 ペンギンたちの中には、昨日のアルコールがまだ残っているのか頭を抑えたり、吐き気を堪えたりと。緊張感に欠けるものが多数いるようだ。

 

「テメェら……もっとシャキッとしやがれ!! それでも海の男か!!」

 

 そんな彼らをだらしないと叱咤するバーンズ。流石に海賊たちを率いるボスだけあってか、酒に飲まれるような醜態を見せることはなかった。

 

「バーンズさん、あれはいったい……貴方たちは、あれが何なのか知っているんですか?」

 

 鬼太郎は自分たちよりも先んじて動いていたバーンズに、あの船団が何なのかと問いを投げ掛ける。もしかしたら、あれについて何か知っているかもしれないという期待があった。

 

「ああ……最悪だぜ。まさかこんな島国で、あれを目にすることになるとはな……ほれ、見てみろ」

 

 するとバーンズは表情を渋面に歪ませながら、鬼太郎の質問に答えを示す。懐から取り出した望遠鏡を鬼太郎へと手渡し、それを覗き込むように言うのだ。

 

「あれは……旗? 何かの紋章でしょうか?」

 

 言われた通り、鬼太郎は望遠鏡を船団へと向ける。

 望遠鏡越しに見えた船団には、人の気配というものがまるでなく、船体もかなりボロボロだ。その様相はさながら幽霊船といったところか。船団は自分たちが何者かを示すため、マストに旗を掲げていた。

 

 その旗には、鬼太郎が見たこともないような紋章が刻まれていた。

 それは『竜の頭部らしきものの骸骨』そして、その頭部を握りつぶさんとするかのよう、下から突き上げるように『巨大な掌』が描かれている。

 人間の骸骨を掲げる海賊旗などとは明らかに異なったデザインだ。

 

 いったい、その紋章が何を意味するものなのか。

 鬼太郎にはさっぱりだったが、海賊たちには理解出来てしまったのか。ペンギンたちは青い顔をし、バーンズも苦虫を噛み潰した顔をしながら、冷静に言葉を紡いでいく。

 

「あれは……国旗さ」

「国旗?」

「ああ……今はもう存在しない、滅んだ帝国の国章だよ……」

 

 

 

 バーンズ曰く、それはもうこの世に存在しないとされる、古の帝国。千年以上も昔に滅んだとされる、人間たちの国で使われていた国旗だという。

 

「西洋じゃ有名な話なんだが……国が滅んでも、それを治めていた皇帝は生き残った……世にも悍ましい怪物となってな」

「怪物……?」

 

 それは昔々の物語、とある皇帝のお話である。

 

 元々、その皇帝は自身の支配が永遠に続くことを望み、自らが『不老不死』になる術を探していた。

 地位と権力を手に入れたものが最終的に望む『永遠の命』という願望。かの中国の偉大な皇帝、始皇帝然り。支配者というやつは、自らの統治が永遠に続くようにと、ありとあらゆる手段も用いて不老不死を成そうとするものなのだろう。

 もっとも、そういった人の理を外れる願いなど、叶わないで終わるの通説だ。どれだけ望んでも手が届かないからこそ、人は永遠など欲するのかもしれない。

 

 ところが、その皇帝は不老不死という願いを叶えた——叶えてしまった。人間という枠組みから外れ、怪物として永遠を生きることとなったのだ。

 

「怪物となった奴は魑魅魍魎どもを従えるようになり、やがては西洋妖怪たちの間で『皇帝』と呼ばれるようになった。『帝王』と謳われた、あのバックベアードと並び立つ存在として恐れられるようになったのさ」

「——!!」

 

 かのバックベアードと並び立つほどの存在。そのように聞かされれば、鬼太郎も身構えざるを得ない。

 つまりあの船団は、その皇帝とやらが率いる怪物たちの群れというわけだ。

 

 その化け物たちの親玉、人間を捨てた皇帝が何と呼ばれるようになったのかを——バーンズはその口から語る。

 

 

 

「——その名も不死皇帝(ふしこうてい)

 

 

「——死してなお、現世を彷徨い続ける……死なずの化け物だよ」

 

 

 そして、バーンズがその名を口にした、刹那——。

 

 

 

 

 

『——いかにも』

 

 

 鬼太郎たちが佇んでいた港に、何者かの声が響き渡った。

 

 

 

×

 

 

 

「——鬼太郎、あれを見てみよ!!」

「——っ!?」

 

 不気味な声が響き渡ったその直後、目玉おやじが叫んだ。

 彼の指差した先、鬼太郎たちのすぐ目の前、境港の海上に空間の揺らぎが発生したのだ。それは陽炎のようにゆらゆらと揺らめいたかと思えば、次の瞬間にもその空間が——裂けた。

 

「な、なんじゃ!? あの手は……!!」

 

 その裂け目から、まずは巨大な『骸骨の手』が飛び出してくる。その手は力ずくで扉をこじ開けるかのよう、空間そのものを押し退けていく。

 そうして無理やり大きくなった裂け目から——巨大な何かがゆっくりと姿を現す。

 

 全長およそ十メートルほどの巨体。人型だが下半身は存在せず、上半身だけが白骨化した骸骨のような浮遊霊だ。

 真紅のマントを羽織り、頭部には王冠を被っており、背中には栄光の象徴とされる光輪のようなもの背負っている。ところどころに、それが国を治めていた『皇帝』であったものの名残が見られる。

 

 

『——ふっはっはははははは!!』

 

 

 だが、その存在は君主などとは程遠い、禍々しいものであった。

 全身が骨だけしかない肉体はところどころが朽ちており、巨大な左手とは対照的に右手の方は完全に喪失している。その相貌は幽鬼そのもの。嗤い声からも不気味な悍ましさを感じさせる。

 

 もはや、それが元々は国を治めていた皇帝——人間であったなどと、とても信じられない有り様である。

 

『我こそは不死皇帝。不遜にも我が名を呼ばわる……お前たちは何者だ?』

「っ……!!」

 

 不死皇帝はその血のように紅く光る眼光で、海上から自身の名前を呼びつけたバーンズを睨みつける。クラーケン相手にもビビらなかったバーンズだが、不死皇帝が放つ凄まじい威圧感には流石に息を呑んだ。

 

「ひぃ……ひぃえええええええ……」

「か、カシラ…………」

 

 手下のペンギンたちも、海賊の威厳などかけらもなく震え上がってしまっている。なまじ、不死皇帝の伝説を知っていただけに恐怖心を拭いきることが出来ないでいる。

 

「ボクだ……お前を呼んだのは……ゲゲゲの鬼太郎だ!!」

「鬼太郎っ!?」

 

 そんな中、果敢にも鬼太郎は自分こそが不躾にも不死皇帝の名前を口にした不届ものだと名乗り出る。あの怪物の意識を自分に向けさせようとする彼の姿勢に猫娘が思わず叫ぶも、鬼太郎は全く臆さずに不死皇帝を睨め上げる。

 

『貴様か……ふんっ! 畏れを知らぬ哀れな小僧め……』

 

 鬼太郎の勇気ある行動を、不死皇帝は愚かと断じて一笑に付す。鬼太郎という名を聞いても特に動じた様子もない。

 

「不死皇帝……お前は何をしにこの境港へやって来た!? 本当に……お前があのバックベアードと並び称される、皇帝とやらなのか!?」

 

 鬼太郎は油断なく身構えながら、不死皇帝が何の目的でこの地へ舞い降りたのか。また純粋な興味からか、眼前の怪物があのバックベアードと肩を並べる実力者なのかと問い掛けていた。

 

『!! バックベアード……懐かしい響きだな……』

 

 すると後者の質問、バックベアードの名を耳にしたことで不死皇帝の纏う空気に変化が生じる。強烈な威圧感こそそのままだが、懐旧の念を抱くかのよう、目を閉じて感慨深げに呟きを溢していく。

 

『奴とは千年前……西洋妖怪の頂点を決める戦いにて雌雄を決した。結果は奴の勝利で終わったが……あれはどちらが勝ってもおかしくない死闘であった……』

「——!!」

 

 不死皇帝曰く、彼は過去にバックベアードと戦ったことがあると言う。

 勝敗自体は不死皇帝の敗北で終わったとのことだが、どちらに軍配が上がってもおかしくない激戦だったことは、不死皇帝自身の妖気の強大さからも察せられる。

 決して見栄やハッタリではない。確かに眼前の怪物があのバックベアードと同等の力を持つ怪物であることを、鬼太郎はひしひしと感じ取っていた。

 

 

「——へっ、何だそりゃ!! なんだかんだ言ったところで、結局のところ負けてんじゃねぇか!!」

 

 

 だがそうは思わない、ただ『負けた』という事実に気を大きくするものもいる。

 

「そう言うのをなっ!! 日本じゃ、負け犬の遠吠えって言うんだぜ!!」

「アンタ、いつからいたのよ……」

 

 ねずみ男だ。いつの間にか港まで駆けつけて来た彼に猫娘が呆れるようにため息を吐くも、それを無視してねずみ男は不死皇帝に向かって威勢よく啖呵を切っていく。

 

「ここにいる鬼太郎はな!! テメェが無様に敗北を喫したバックベアードの野郎をぶっ倒しってんのさ!! バックベアードなんざに遅れをとったオメェなんか一捻りよ!!」

 

 ねずみ男は、鬼太郎がバックベアードを倒したという事実を笠に着て好き放題言いまくる。まるで鬼太郎がバックベアードを楽勝で捻り潰したかのような言い方である。

 

「ねずみ男、ちょっと黙っててくれ……」

 

 そんなねずみ男の言いように、鬼太郎はちょっと辟易する。

 鬼太郎とて、最初からバックベアードを圧倒できたわけではない。何度も敗北し、仲間たちと協力し合い、幾度の挫折から立ち直ったその先で、辛くも勝利を収めることが出来たのだから。

 

 

『…………なに? 貴様のような小僧が……あのバックベアードを倒したと言うのか……?』

 

 

 だがそんな内情を知らず、不死皇帝は鬼太郎がバックベアードを倒したという事実に着目する。その眼光を鬼太郎へ、訝しむように彼を見下ろしていく。

 

『奴が倒されたことは知っている。そうでなければ……我がこうして復活することもなかったのだからな……』

「……? それは、どういう……」

 

 不死皇帝が冷静な口調で言葉を紡いでいるが、聞き捨てならない発言に鬼太郎は思わず聞き返す。

 そもそも、バックベアードに倒されたという不死皇帝が、何故今になって出て来たのか——そこに意味があった。

 

『我がバックベアードに敗北した後、我が魂は奴によって封じられた。奴の妖力が封印の要となることで……我は永久の眠りにつかされていたのだ』

「——!?」

『奴が滅びぬ限り、封印は決して解けぬ筈だった。その我がこうして復活した……それこそ、バックベアードが倒されたという何よりの証明……』

 

 そう、バックベアードに敗れたことで、不死皇帝はその魂を固く封じられたという。それもバックベアード自身が手ずから封印を施すという厳重さで、千年もの間ずっと身動きが取れない状態だったのだ。

 ところが——バックベアードが倒されたことで封印は力を失い、不死皇帝は自由を得た。

 

「ボクが……バックベアードを倒したから……?」

 

 その事実に鬼太郎が呆気に取られる。

 

 西洋妖怪の帝王バックベアード。

 その思想——『強者が弱者を支配して当然』などと言った考え方は、鬼太郎にとって最後まで相いれなかった。奴とは最終的にもぶつかり合うしかない、和解など不可能だったと今でも思っている。

 だが、そのバックベアードを倒してしまった結果、不死皇帝のような怪物が野に放たれてしまうことになるなど考えもしなかったと、これには鬼太郎も戸惑うしかなかった。

 

 

 

『どれ、奴を倒したというその力……見せてみるがいい!!』

「っ!! みんな、下がれ!!」

 

 だが鬼太郎が戸惑いを見せる中、バックベアードを倒したという彼を相手に、不死皇帝は怯むどころか戦意を高揚させる。その戦意に対抗する形で鬼太郎も臨戦態勢で身構え、咄嗟に周囲の皆を下がらせた。

 

『ばっ!!』

 

 不死皇帝はその巨大な左手を天へと突き出す。

 瞬間、大地が震え出したかと思えば地面から何かが飛び出してくる。それは先端が尖った骨だった。無数の骨の棘ともいうべきが凶器が、鬼太郎を足元から串刺しにしようと迫り上がって来たのだ。

 

「くっ……髪の毛針!!」

 

 相手の先制攻撃に驚きながらも、鬼太郎は足元の骨を跳躍で回避。反撃で空中から髪の毛針を連射する。

 

『ふんっ!! こんなものか……小僧!!』

 

 だが迫りくる髪の毛針を、不死皇帝は真紅のマントを翻すだけで弾いてしまう。その程度ではビクともしないとばかりに、皇帝としての姿を堂々と見せつけんとする。

 

『————————』

 

 次に、不死皇帝は何かしらの力を行使するため、その口から怪しげな言の葉を紡いでいく。

 

「こ、この妖力の高まりはっ!?」

「魔法っ!?」

 

 鬼太郎たちには聞き取れぬ言語であったが、それが所謂『魔法』であることを察する。西洋妖怪でも魔女たちの専売特許とでもいうべき魔法を、この怪物は自在に唱えることが出来るのか。

 

『くらえっ!!』

 

 瞬間、詠唱によって紡がれた魔法が起動。先の骨の攻撃で抉れた地面から、さらに弾けるように巨大な岩々が跳んでくる。岩の雪崩ともいうべき質量の嵐が鬼太郎へと襲い掛かる。

  

「霊毛ちゃんちゃんこ!!」

 

 自身へと迫ってくる岩石に対し、鬼太郎は腕にちゃんちゃんこを巻いて殴りつける。その一撃に鬼太郎を押し潰さんと飛んできた岩が粉々に砕け散っていく。

 

『ほう、少しは出来るようだな……だが!!』

 

 自身の攻撃に的確な対処を見せる鬼太郎に、不死皇帝は感心したように呟く。だが不敵な笑みを浮かべたかと思えば——次の瞬間にも、その姿が一瞬で掻き消える。

 

「消えたっ!? いったい、どこに……」

 

 あれだけの巨体が瞬時に消え去ったことで動揺を見せる鬼太郎。妖怪アンテナが未だに反応を示すことから近くにいることは明白だが、その位置を正確に捉えることが出来ないでいる。

 

 

「——鬼太郎っ!! 後ろっ!!』

「——っ……!?」

 

 

 だが、ここで後方に待機していた猫娘が叫ぶ。

 その言葉に鬼太郎が振り返ると——先ほどまで前方にいた筈の不死皇帝が、自身のすぐ側まで迫ってきているではないか。まさに瞬間移動、一瞬で鬼太郎は背後を取られてしまう。

 

『——塵芥めが……潰れるがいい!!』

 

 驚く鬼太郎をよそに、不死皇帝は彼を押し潰さんとその左手をまっすぐ伸ばしてくる。単純な力押しの攻撃だが、不死皇帝の巨大さならばそれも有効な一手と言えよう。

 

「くっ……ぐぐぐ……!!」

「踏ん張るんじゃ、鬼太郎!!」

 

 咄嗟に不死皇帝の巨腕を受け止める鬼太郎。目玉おやじの声援もあり、鬼太郎も一時は持ち堪えるのだが——いかんせん、押し返そうにも質量の差があり過ぎた。

 子供ほどの身長しかない鬼太郎と、見上げるほどの巨体である不死皇帝では膂力が違う。妖怪としての妖力も不死皇帝が優っているのか。

 

『——ぬん!!』

「——ぐあっ!?」

 

 不死皇帝がより一層力を込めた瞬間、鬼太郎は不死皇帝の巨大な手によって押し潰されてしまったのだ。

 

 

 

「き、鬼太郎っ!!」

「も、もうだめだ……おしまいだぁ!!」

 

 ペシャンコに潰されてしまったであろう鬼太郎に、猫娘とねずみ男から悲鳴が上がる。

 特にねずみ男。あれだけ威勢の良いことを口にしておきながら、鬼太郎が倒されたと見るや顔を真っ青にしてすぐに逃げ支度を整えている。

 

「やばいでやんす!! ピンチでやんす!!」

「ど、ど、ど……どうすりゃいいってんだよぉおおお!?」

 

 ペンギンたちも同様だ。頼みの鬼太郎がやられたとあっては打つ手がないと頭を抱えている。

 

『ぐははっはっは!! この程度か、小僧!! これでバックベアードを倒したなどと……笑わせてくれる!!』

 

 鬼太郎を蹴散らした不死皇帝の高笑いが境港全体に木霊する。どこまでも響き渡るその声にこの場以外のものたち、避難を続けているであろう境港の住人たちも鬼太郎の敗北を知ってしまったことだろう。

 

『バックベアードめ! このような小僧に遅れを取るとは……さては帝王の地位に胡座をかき、日々を安穏と過ごしておったな……愚かな奴め』

 

 不死皇帝は鬼太郎を取るに足らない相手と判断するや、彼に遅れを取ったバックベアードの不甲斐なさを吐き捨てる。かつて自分と互角に戦った相手が小僧一人に遅れを取ったと、その声音には隠しようもない失望の念が宿っていた。

 

 

 

『ふん、まあいい。これで邪魔者はいなくなった……さっさと我の要求を伝えるとしよう』

「要求ですって……!?」

 

 そうして、鬼太郎という邪魔者を排除したことで、不死皇帝が改めて自身の目的——己が要求を通そうとしてくる。

 鬼太郎を倒されたことへの怒りから猫娘が化け猫の表情で爪を伸ばすが、流石に鬼太郎抜きでは勝てる気がしないと、威嚇の態勢を維持しながらも不死皇帝の言葉を待つ。

 

 そういえば、まだこの怪物が境港を訪れた理由を聞いていなかった。

 わざわざ西洋世界から、このようなところまで何の用件かは知らなかったが、どうせ碌でもないことだと猫娘は当たりを付ける。

 

 なにせ、あのバックベアードと西洋妖怪の頂点を決めるために争ったような奴だ。

 おおかた、バックベアードのようにくだらない支配欲、傲慢で身勝手な思想を秘めているのだろうと予想する。

 

 

『——聞くが良い!! この地に住まうものどもよ!!』

 

 

 不死皇帝はその巨体をさらに浮かせ、境港全体を見下ろせるほどの上空から自らの要求を告げてきた。

 

 

『——貴様らが頼みにしていたゲゲゲの鬼太郎とやらは我が葬った!! もはや貴様らに我が力に抗う術はない!!』

 

 

『——だが安心せよ!! 我はこの地の支配にも……この国の統治とやらにも一切興味はない!!』

 

 

「…………えっ?」

 

 

 だが意外なことに、不死皇帝はこの地の支配などを望みはしなかった。

 彼は皇帝としての威圧感を振り撒きながら——自らの要求、心から望むその願望を口にしていく。

 

 

『——マーメイド……マーメイドがこの地に流れ着いていることは既に調べがついている!! マーメイドの娘を我へと献上せよ!!』

 

 

『——さすればこの地より早々に立ち去ることを約束しようではないか!!』

 

 

「…………何を言ってるの?」

 

 要求さえ呑めば大人しく立ち去る。高圧的な物言いではあるものの、そこに嘘がないと猫娘は感じた。

 だからこそ、理解に苦しむ。いったい何故、皇帝と呼ばれるほどの怪物が——たった一人のマーメイド。この境港にセイレーンのエレと共に流れ着いた、マーメイドのフラメシュの身柄などを求めるのかが。

 

 そんな疑問に思う猫娘を尻目に、不死皇帝は声高々に宣言していった。

 

 

『——もしもこの要求を拒むのであれば、我が幽霊船団がこの町を一夜にして火の海へと変えるだろう!! ふふふ……ふはっはははは!!』

 

 

 

 




人物紹介

 デイビット
  名前持ちペンギン。見習い船員の一人であり、陸に残してきた恋人のヴァレリがいる。
  原作ゲームだと『砂浜のメモリー』というサブクエで登場。
  ヴァレリとのやり取り、子供の頃はよく分からなくてずっと首を傾げてました。

 ヴァレリ
  本人は未登場ですが、デイビットの恋人であるメスペンギン。
  ゲーム中、一定の条件を達成すると……卵から孵った子供と主人公のマイホームに住むようになる。

 ラムティーガー
  海賊船バルドで操舵手を務めるベテラン船員。
  彼に何度も話しかけないと発生しないイベントが存在しますので、ゲーム的には結構重要な立ち位置。

 不死皇帝
  かつては人間(ゲームだと獣人)だった、不老不死の怪物となった皇帝。
  本名は『イルゾワール・エナンシャルク』というらしいが、本編で呼ばれることはまずない。
  ゲームの世界観においては、かなり重要な立ち位置のキャラなのだが……シナリオ上はただの中ボス。
  今作において、『バックベアードと互いに覇を競い合った』という独自設定をさせていただきました。
  何故不死皇帝がマーメイドを求めるのか……その答えは彼の『本当の願い』に関係しています。

 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

聖剣伝説レジェンドオブマナ 不死皇帝と煉獄の妖女 其の②

活動報告でお勧めされた作品、全てに目を通すことは出来ないのですが……最近、たまたま見る機会のあった『ハズビンホテル』をAmazon Primeで全話視聴してきました。

アニメにここまで嵌ったのは久しぶりだわ……これかなり面白いぞ!!
大人向けなだけあって、ちょっとアレなネタも多いけど……ストーリー、世界観がしっかりしており、キャラクターも魅力的だわ。カトゥーン独特のタッチも、ミュージカルパートも割とすんなり受け入れられて楽しめる!!

シーズン2の制作も決定してるとか。クロス出来るかどうかは別として、今後も楽しみにしたい作品です。

ちなみに、原作が同じの『ヘルヴァ・ボス』もYouTubeで配信されていますが……。
こっちも面白いけど……まずはハズビンホテルで耐性を身につけてから、視聴することをオススメしておきます……。



 今から千年ほど前。

 

 その時代の人間が決して立ち入れないような、西洋の絶海の孤島にて——強大な妖気が渦巻いていた。

 それは怪物たちの群れがぶつかり、激突し合うことで発生する戦いの余波だ。渦巻く妖気が島全体を鳴動させるほど、怪物たちは激しい死闘を繰り広げていた。

 

 彼らは二つの勢力に分かれていた。

 

『——ウォオオオオオオオオオオ!!』

 

 片や、西洋妖怪の帝王・バックベアードが率いる怪物たち。

 狼男や吸血鬼、悪魔といった古来より人々から恐れられたモンスターたちを中心に構成された西洋妖怪軍団。

 

『——オオオオオオオオオオオオ!!』

 

 片や、人の身でありながら不老不死へと辿り着いた、滅んだ国の帝王・不死皇帝。

 その皇帝に死して尚、仕えることを強制された騎士たち、成仏できずに現世を彷徨い続ける亡者の群れ。

 

 両勢力の実力はほぼ拮抗しており、争いは七日七晩続いた。

 最終的に戦いは大将同士の一騎打ち——バックベアードと不死皇帝の直接対決へともつれ込む。

 

 

 

『——はぁはぁ……勝った、勝ったぞ!! フハハハッハハハハ!!』

 

 激戦の末、勝利したのは——バックベアードだった。

 

 普段は異空間に潜み、巨大な目だけを覗かせているような怪物が、滅多に見せることのない黒い人型——完全な戦闘形態の姿で自らの勝利に酔いしれ、拳を天へと突き上げる。

 

『おお!! バックベアード様が……我らの主人の勝利だ!!』

『これで西洋は我ら、バックベアード軍団のものだ!!』

 

 バックベアードの勝利宣言に、配下の怪物たちが喝采の唸り声を上げる。此度の戦い、軍団の方にもかなりの犠牲者が出てしまったが、そんなもの彼らにとっては粗末なことだ。

 全てはバックベアードのため、バックベアードの野望の礎になれるならと、彼らは喜んで自らの命を捧げるだろう。

 

 一方で——。

 

『——ふっ、見事だ、バックベアード……だが、貴様に我を滅ぼすことはできん……』

 

 バックベアードの手によって、地を這いつくばることになった不死皇帝の巨体。しかし敗北したにも関わらず、皇帝は賛辞の言葉を帝王へと投げ掛け、不敵に笑みを浮かべる。

 

『この身は既に不老不死……いかに貴様といえども、我が肉体を消滅させるには至らなかったようだな……』

 

 元より人の身ではなくなった不死皇帝だが、その肉体は普通の妖怪よりもさらに頑強なものへと変貌を遂げていた。

 通常、妖怪は肉体が消滅すれば魂だけの存在となり、時間が経てばその肉体もいずれは元に戻る。敵に容赦のない、非情なバックベアードであれば、その魂すらも握り潰すことに躊躇いはなかっただろう。

 

 だが、どれだけ致命傷を与えても不死皇帝は肉体を保ったまま。その魂を剥き出しにさせることすら困難だった。

 バックベアードでは不死皇帝を負かすことは出来ても、この世から『消滅』させることが出来なかったのである

 

『そのようだな。だが……それならそれでやりようはあるさ』

『なんだと……?』

 

 もっとも、その不死性に対する対処法を既にバックベアードは用意していた。戸惑いを見せる不死皇帝に、これ見よがしに天を指差して見せる。

 

『あれは……魔女どもか!?』

 

 不死皇帝が上空へと視線を向けると、そこには空中を浮遊する無数の影があった。その正体は箒に跨って空を飛ぶ女たち——魔女だ。

 魔女は西洋でも有名な妖怪の一種族。これまで戦いの場に姿を現さなかった彼女たちが、この瞬間に何十人と集団でやってきたのである。

 

『魔女会の連中さ。奴らもお前の扱いに手を焼いていたというのでな……この機会にお前を封じ込めておきたいと、私に協力を申し出てきたのだよ』

 

 魔女会、魔女同士が身を寄せ合う組合だ。

 バックベアード軍団と魔女会。この両者は互いに不干渉を貫いており、一部を除いた魔女たちがバックベアードの命を聞く義務はない。

 

 だが、魔女たちは不死皇帝の不死性を危険視していた。

 

 どうやっても殺すことのできない化け物の存在など、捨て置くことは出来ぬと。バックベアードとの共闘を望んでまで、不死皇帝を封じることを決めたのだ。

 

『魔女たちの魔法でお前を封じ、私の妖力でその封印に蓋をする』

 

 バックベアードが不死皇帝を弱らせ、追い込んだその隙をつき——魔女たちが不死皇帝に魔法による封印式を施す。

 しかもその封印は魔女たちとバックベアード、双方の力を利用したものだった。

 

『この私が健在である限り、この封印が解けることは決してない。つまり、何よりも強固な封印がここに完成したということだ』

 

 バックベアードの妖力——つまりは、彼の命そのものを『鍵』にした言っても過言ではない。これによりバックベアードが生きている限り、不死皇帝が復活することもなくなるのである。

 自分が誰かに倒されるなど考えてもいないバックベアードは、自信満々に不死皇帝が封じられる様を見届けていく。

 

『さらばだ……我が好敵手。私が世界を手に入れるそのときを、地の底から指を咥えて見届けるがいい』

 

 もう出会うこともない相手に、さしものバックベアードも感慨深げな表情を浮かべていた。

 だがすぐに見下すように、敗者である不死皇帝が自分にどんな恨み言を吐くのかと、嘲るような顔でその最後を見届けようとした。

 

 

『——ふ、ふふふ……それでよい』

『——なに?』

 

 

 だが封じられるその間際、不死皇帝の顔に浮かんでいたのは怒りでも、焦燥でもなく——安堵だった。

 その強面な骸骨の顔を、心底から安心したように緩め——。

 

 

『これでやっと——』

 

 

 そのまま穏やかな表情で、抵抗することなく自身が封じられるという結果を受け入れていった。

 

 

 

『…………ふん、まあいい……』

 

 不死皇帝の予想外の反応。絶望もせず、全てを悟ったかのように封印を受け入れるその態度に、少し釈然としない気持ちを抱えながらも、バックベアードを再び拳を天に向かって突き上げる。

 

『これで邪魔者はいなくなった!! 我こそが西洋妖怪の頂点に君臨する帝王……バックベアードだ!!』

『おおおおお!! バックベアード様、万歳!!』

 

 今一度、帝王としての堂々たる姿をその場に集った全てのものたちへと見せつけていく。バックベアードに付き従う怪物たちから、大地を揺るがすほどの歓声が上がる。

 

 

 こうして、名実共にバックベアードは帝王の名を不動のものとしたのである。

 

 

 

 

 

『これがお前の望んだ結末か……不死皇帝……』

 

 戦いの舞台となった孤島から少し離れた岩礁より、佇む一人の女がボソリと呟く。彼女は不死皇帝が封じられるその光景を、静かに見届けながらもかぶりを振る。

 

『だが……バックベアードといえども、いつかは敗れるときが来る……』

 

 バックベアード自身、自分に敵などいないと驕っているようだが、この世界は広い。強大な力を誇る帝王といえども、いずれは誰かに倒されてしまうこともあるだろう。

 バックベアードの妖気が途切れるとなれば、せっかくの封印も意味はなくなり——不死皇帝が復活してしまう。

 

『そのときまでに……私も色々と模索するとしよう……』

 

 そうなったときのためにと、彼女は今から準備を進めていく。

 もしも万が一、不死皇帝が復活してしまったとしても、それに対処できるようにと——。

 

 

『——それまでは静かに眠るがいい……本当の安らぎを得られる……その日を夢見ながら……』

 

 

 それから、千年後。

 彼女の懸念通りバックベアードは倒され、不死皇帝は現世への復活を果たした。

 

 

 

×

 

 

 

「カシラ、もう逃げちゃいましょうよ!!」

「なにもこの街と運命を共にする必要はありやせんぜ!!」

 

 境港にて、不死皇帝の襲来に恐れ慄く海賊ペンギンたちが我が身可愛さに逃げ出す算段を立てていた。

 

 現在、不死皇帝の姿はそこにはない。自らの要求——『マーメイドを引き渡せ』という要求を一方的に突きつけるや、その姿を霞のように決してしまった。おそらくは、沖合に集まっている幽霊船団へと戻っていったのだろう。

 境港の人たちが要求どおり、マーメイドを連れてくるための猶予時間を設けているといったところか。

 だがもしも、その要求に応えないようであれば——宣言どおり、境港が不死皇帝とその配下たちによって火の海とされてしまうことは想像に難くない。

 

 境港の人たちと仲良くなったペンギンたちだが、この町と心中するのは勘弁とばかりに騒ぎ立てている。

 

「落ち着け、お前ら!! 今船を出したところで、格好の的になるだけだ……」

 

 しかし、ペンギンたちの頭であるセイウチのバーンズは、手下たちに冷静になるよう宥める。

 

 それは決して情に流されての判断ではない。彼らとて海賊だ。最悪の場合、境港を見捨てて脱出することも勘定に入っている。

 だが今船を出したところで、沖合に集まっている幽霊船に囲まれてしまい、下手をすればそのまま沈められかねない。

 そもそも、船の修理そのものがまだ完全ではないのだ。今の時点で慌てて出航するのは、明らかに自殺行為でしかない。

 

「もう少し様子を見よう。なに、望みが完全に潰えたわけじゃねぇんだからな……」

 

 バーンズは手下たちに様子を見るように言い含め、チラリと視線を別のところへと向ける。

 彼の視線の先には、港に駆けつけていた猫娘がおり——。

 

「——鬼太郎、大丈夫なの!?」

「——ああ、なんとか……」

 

 彼女のすぐ側に、傷を負いながらも五体満足で立っている——ゲゲゲの鬼太郎の姿があった。

 

 そう、不死皇帝の巨腕によってペシャンコにされたかに思われた鬼太郎。だが彼は潰される直前、ギリギリのタイミングで地中へと潜り、不死皇帝の魔の手から逃れていたのだ。

 流石に無傷というわけにはいかなかったが、まだまだ十分に戦える余力を残していた。

 

「不死皇帝……バックベアードと並び称されるだけのことはある。またとんでもない奴が出てきたもんじゃ……」

「そうですね、父さん……」

 

 とはいえ、無策で戦える相手ではないと。不死皇帝が立ち去った後、目玉おやじが腕を組んで考え込む。

 鬼太郎も僅かに交戦しただけだが、それだけでも十分に強敵であることを実感したと父親の言葉に頷く。

 

「そうね……けど、なんであんな奴がマーメイド……人魚なんて欲しがるわけ?」

 

 猫娘も不死皇帝の強敵さに頷きつつも、ふと感じていた疑問を口にする。それは不死皇帝が目的とするものがマーメイド——日本でいうところの人魚であったということだ。

 あれだけの力を持った怪物が、たった一人の人魚を求め、わざわざ日本まで来たという事実に純粋に首を傾げる。

 

「マーメイド……あのフラメシュという子のことだと思うけど……」

 

 猫娘の疑問に鬼太郎も同意する。

 境港にいるマーメイド、おそらくはセイレーンのエレと共にこの地に流れ着いたフラメシュという娘のことだということは予想が付く。

 だがやはり西洋で帝王と呼ばれるほどの大物が、あのような娘一人のために何故という疑問が残る。

 

「人魚……やはり、人魚の肉を喰らうことで得られる不老不死が狙いか……」

 

 だが思い当たる節がない訳ではないと、目玉おやじが一つの可能性に行き当たる。

 人魚の特質性といえば、やはりその肉を喰らうことで得られるという『不老不死』だろう。古今東西、その肉を求めて幾人もの人間が翻弄され、その運命を狂わされてきた。

 

「…………」

 

 鬼太郎たちも、実際に人魚の肉を喰らったという人間たちと関わり持ち、彼らがどのような生き方をして来たのかを聞かされたことがある。

 決して恵まれているとはいえない彼らの境遇を思い返し、鬼太郎の顔が曇る。

 

「……不老不死? なんだそりゃ? 日本の人魚にはそんな伝説があるのか?」

 

 ところが、ここで鬼太郎たちの話に聞き耳を立てていたバーンズが口を挟んでくる。彼は鬼太郎たちが口にした『不老不死をもたらす人魚の肉』という話に違和感を覚えているようだ。

 

「少なくとも西洋じゃ聞かない逸話だな……お前ら、聞いたことあるか?」

「いや、ないっすね……」

「初耳っすよ、そんな話……マーメイドの肉なんて、誰も進んで食いたくねぇでやんす!」

「えっ……?」

 

 手下のペンギンたちも揃って首を傾げる。

 海に生きる海賊たちですらも知らないのだから、西洋では人魚——マーメイドの肉に特別な効力があるとは考えられていないのだろう。

 

 

 そもそもな話——『人魚の肉を食べることで不老不死になれる』というのは、日本独自の伝承なのだ。日本で有名な人魚の伝説といえば、一般的には『八百比丘尼(やおびくに)』の逸話が挙げられる。

 人魚の肉を食べたことで不老不死となってしまった女性。彼女は出家して尼となった後、己の死を求めて八百年間、日本各地を彷徨い歩いたという。そのため、彼女にまつわる伝説が日本の各地に残っているのである。

 その八百比丘尼の伝説があるからこそ、日本では人魚の肉が不老不死の源だという話が広く知れ渡っている。逆に言えば、そういったエピソードがなければ人魚が不老不死をもたらすなどという話、日本でも広まりはしなかっただろう。

 

 

「それに……奴はとっくに不老不死なんだ。今更、人魚の肉なんざ必要ねぇ筈だが?」

 

 それにと、バーンズは不死皇帝が既に『不死』であるという事実を口にする。

 仮に人魚の肉が不老不死をもたらしてくれるとしても、きっと不死皇帝は興味など示さない。元より死を超越した怪物なのだから、それ以上何を望むというのだろう。

 

「なら、どうして……奴はいったい……?」

「う~む……」

 

 不死皇帝の狙いが理解出来ず、ますます疑問を深めていく鬼太郎たち。相手の狙いが分からないという曖昧さが、彼らの胸中を不安で埋め尽くしていく。

 

 

 

「確かに気にはなるが……今は彼女たちに、あのマーメイドの子に不死皇帝のことを伝えてやらねば……鬼太郎!!」

「そうですね……」

「ええ、急ぎましょう!」

 

 もっとも、ここで答えの出ない問題にいつまでも頭を悩ませていても仕方がない。目玉おやじは迫り来る危機をマーメイド本人——フラメシュに伝えてやらねばと、鬼太郎を急かしていく。

 

 元より鬼太郎にも、猫娘にも、境港の人々にも。フラメシュを差し出し、見逃してもらおうなどという考えはない。

 まずは狙われている本人の安全を第一にと。急いでエレやフラメシュたちが滞在している、洞窟の方へと駆け出して行った。

 

 

 

×

 

 

 

「——そんな……まさか、不死皇帝がそんなことを……」

 

 鬼太郎たちから不死皇帝の話を聞かされたエレが、ショックを隠しきれない様子で驚いていた。

 

 ここは境港市から少し離れた、海岸沿いの洞窟だ。この洞窟内に、西洋の生活圏を追われてこの地に逃れて来たセイレーンのエレが滞在していた。

 少しの間ここで羽根を休め、時期がくれば次の住処を求めて旅立つと言っていたが、前回の騒動からまだ日も経っていないので、未だこの地に留まっている。

 

「それで、どうしてあのマーメイドの子が狙われてるのかが分からないのよ……何か知らないかしら?」

「ご、ごめんなさい……私にも、よく分からないです……」

 

 不死皇帝の脅威を話した後、猫娘はエレに奴がマーメイドを欲する理由を尋ねた。マーメイドと友人である彼女であれば何か知っていると思ったのだが、それはエレにも分かりかねるとのことだ。

 

「フラメシュ……あなたは心当たりないの? 不死皇帝に目をつけられるような理由に……」

 

 なので今度はエレの方から、マーメイドである友人へと問いが投げ掛けられる。その問いに対し——。

 

「——知らないわよ、そんなの!!」

 

 洞窟にまで繋がっていた水辺から、マーメイドのフラメシュが姿を現す。可愛い顔ながらもつっけんどんな物言いで、彼女は心当たりなどまるでないとキッパリと強気に答える。

 

「マーメイドの私に特別な力なんかないわよ! セイレーンみたいに綺麗な声で歌えるわけじゃないし、空も自由に飛べるわけでもないし!!」

 

 彼女は自分には何も特別な力がないと、僅かに自虐気味に吐き捨てた。

 その態度からも分かるように、何か秘密を隠しているというわけでもない。彼女自身、本気で狙われる意味が分からないと怒っている様子だった。

 

「そうか……じゃが! 不死皇帝が君のことを捜しているのは間違いない。しばらくの間、ここで身を隠しておるんじゃ……危険だからのう」

「それがいいでしょう。不死皇帝の方は……ボクたちがなんとかしますから……」

 

 だが当人に心当たりがなくとも、不死皇帝がマーメイドを欲しているのは確かなのだ。

 目玉おやじはフラメシュの身を案じ、暫くの間姿を隠すように願い出る。フラメシュが隠れている間に、鬼太郎たちの方で不死皇帝に対処するとのことだ。

 

「……大丈夫なの? あんな化け物相手に、アンタたちで勝負になるのかしら……」

 

 すると、その提案にフラメシュがボソリと呟きを溢す。

 それは少し厳しい言い方だったが、彼女の言葉には鬼太郎や境港の人たちを心配するような気遣いが垣間見えた。実際、フラメシュは口は悪いがその心根には確かな優しさを秘めている。

 海で溺れかけていた人々を助けたり、親友であるエレを心配して当てのない放浪の旅に付き合ったりと。

 

「大丈夫……なんとかするさ。だけど……流石にボク一人じゃ心細ない。猫娘、手を貸してくれないか?」

「ええ、当然じゃない!!」 

 

 こちらを心配するフラメシュの不安を払拭しようと、鬼太郎は堂々と答える。しかし一人では荷が勝ちすぎると、素直に猫娘——仲間を頼ることにする。鬼太郎に頼られて猫娘は嬉しそうだ。

 

「うむ、そうじゃな! 皆にも応援を頼もう!! 今すぐゲゲゲの森に連絡を……」

 

 目玉おやじも同じ考えだったようだ。ゲゲゲの森にいるであろう仲間に声を掛けようと、ひとまずは洞窟から出て皆に連絡を取ろうとした。

 

 

 だが、そのとき——足音が聞こえて来た。

 何者かが、ガチャガチャと音を立てながら洞窟の中へと集団で雪崩れ込んできたのである。

 

 

「なっ……! 何よ、アンタたち!?」

「この妖気は……不死皇帝の!?」

 

 いきなり洞窟へと上がり込んできた乱入者相手に、猫娘は素早く爪を伸ばして身構える。

 鬼太郎もすぐに臨戦態勢で構える。そして妖怪アンテナで感じ取れる妖気の質から、それが不死皇帝——それに類する『何か』であることを察した。

 

『————』

『————』

『————』

 

 彼らは皆、一様に西洋甲冑を身につけていた。だがバックベアード軍団に属する首無し騎士たちとは異なり、兜を着用している。無論、中身がどうなっているかまでは分からない。

 何十体と並ぶ騎士たちの集団、そのほとんどが黒い甲冑で身を固めていたが、一人だけ黄金色の鎧を纏っているものがいた。

 その鎧の人物が、騎士たちを代表するように一歩前へと歩み出る。

 

『我ラハ、不死皇帝ニ仕エルモノ……我ハ騎士団長、トーナ……』

「……!?」

 

 彼らは自分たちが不死皇帝に仕えるもの、皇帝の騎士団を名乗った。黄金色の鎧を纏うものは団長のトーナ。

 

 彼らは生前、人間だった頃から皇帝に仕えていた、滅んだ国の騎士団である。不死皇帝が不死身の化け物となり、祖国が滅んだその後も、亡霊になってまで主に仕えている。

 もっとも、忠誠心から皇帝に従っているわけではない。彼らは死後、不死皇帝の魔法によって黄泉から呼び戻され、無理やり戦うことを強制されているに過ぎない。

 

『不死皇帝ノ望ミヲ叶エル……ソノタメニ、マーメイドガ必要ナノダ!』

 

 既に己の意思などない操り人形も同然。命じられるがまま、不死皇帝が欲しているマーメイド——フラメシュの身柄を狙って襲い掛かってくる。

 

「くっ……霊毛ちゃんちゃんこ!!」

「ニャアアアア!!」

 

 問答無用で剣を抜いてきた亡霊騎士を相手に、鬼太郎は腕にちゃんちゃんこを巻いて応戦。猫娘もその鋭い爪で反撃する。

 

『グムッ……』

『オノレ……抵抗スルカ……』

 

 幸いなことに、騎士一体一体の力はそれほど強いものではない。鬼太郎たちの攻撃で何体かの騎士たちが退けられていく。

 

『構ウナ……マーメイドサエ手ニ入レバ良イ……』

『連レテ行ク、不死皇帝ノ元マデ……』

 

 だがいかんせん数が多く、しかも——彼らには『恐怖』という概念がない。

 

 どれだけ殴り飛ばされようと、爪で切り裂かれようと、すぐにでも起き上がっては何度でも襲い掛かってくる。痛みも感じないのだろう、どれだけ手傷を負おうと全く怯むことなく向かってくる。

 目的であるマーメイドへと一心不乱に進軍を続ける、その様はまさに生者へと群がるゾンビそのもの。

 

「ちょ……ちょっと、ちょっと!! なんなのよ、こいつら……!?」

「フラメシュっ!!」

 

 そんな連中にその身を狙われ、冗談じゃないとばかりにフラメシュが悲鳴を上げる。友人の危機にエレもすかさず彼女の元へと駆け寄る。

 

「あとをつけられたか!? しかし、そんな気配はなかった筈じゃが……」

 

 目玉おやじは、不死皇帝の手勢がこの場にやってきたことに驚く。騎士たちの口ぶりから察するに、この洞窟に人魚が潜んでいると、分かった上で襲撃を掛けたのだろう。

 しかし、鬼太郎たちも警戒を怠っていなかった。少なくとも、尾行がないことを注意した上でエレたちの元まで来た筈だ。騎士たちはどのようにして、ここを嗅ぎつけたのか。

 

「いかん!! こんな狭い場所では……鬼太郎!!」

 

 だが今はそれどころではないと。狭い洞窟内で戦う危険性を考慮した上で、目玉おやじが息子へと呼び掛ける。

 

「はい、父さん!! この場はボクが食い止める! 猫娘、彼女たちを頼むっ!!」

「分かったわ!! 二人とも、ついてきなさい!!」

 

 鬼太郎も父親の考えを察し、フラメシュとエレを洞窟から逃がそうと奮闘する。猫娘もすぐさま彼の意図を理解し、彼女たちの護衛につく。

 以心伝心、このあたりのチームワークは流石といったところか。

 

「行きましょう、エレ!!」

「え、ええ!! フラメシュ!!」

 

 鬼太郎たちに呼び掛けられ、フラメシュとエレが互いに頷き合う。

 フラメシュは洞窟の水辺から海へと繋がる水路を泳いで行き、エレは羽根を羽ばたかせて猫娘と共に洞窟内を駆けていく。

 

『逃スナ、追エ!!』

「行かせない!!」

 

 逃げていく彼女たちに、騎士団長のトーナが追いかけるよう部下たちに号令を掛けるが、それは鬼太郎がなんとか阻止していく。

 

 

 

 

 

「こっちよ!! もうすぐ出口に……!?」

 

 そうして、なんとか騎士たちからの追撃を逃れ、洞窟の外まで逃れることができた猫娘たちだが——。

 

 

「——ほう、トーナたちの包囲を突破したか……」

「!!」

 

 

 出口に差し掛かったところで、聞き覚えのない女性の声が聞こえて猫娘の足が止まる。洞窟の出入り口にも数体の騎士たちが待ち構えており、彼らを従えるように一人の女が佇んでいたのだ。

 

「誰っ!? アンタも……あの皇帝とやらの手下!?」

「ね、猫娘さん……」

 

 猫娘はエレを後ろ手に庇いながら、その女に向かって化け猫の表情で威嚇していく。

 

 それは胡乱な女だった。金髪の長髪はまるで手入れがされておらずくすんでおり、全身を包帯でぐるぐる巻きにするという異常な佇まい。包帯の隙間から僅かに見える肌は腐ったように変色しており、瞳も暗く澱んでいる。

 

「私はテセニーぜ……不死皇帝に仕える……魔女だ」

 

 自由意思のない騎士たちと違い、ボソボソと覇気のない声音ながらも彼女——テセニーゼは自らの名と、自身が魔女であることを告げる。

 

「魔女……!!」

 

 魔女と聞き、猫娘がより警戒心を露わにする。魔女たちの魔法は味方にすると心強いが、敵に回ると厄介であることを、彼女は嫌というほど思い知っていた。

 一見すると無防備なテセニーゼに即座に飛び掛かるようなことはせず、油断なく身構える。

 

「マーメイドの姿が見えないようだが……どこだ……?」

 

 だが敵対心を剥き出しにする猫娘など気にも留めず、テセニーゼはマーメイドの姿が見えないことに眉を顰める。

 フラメシュは今のところ水中に隠れている。元より深海の底に住まうような種族なのだから、わざわざ息継ぎで海面に上がってくる必要もないのだ。

 

「まさか……私たちを謀ったわけではあるまい、なあ……」

 

 表立ってマーメイドの姿が見えないことで、テセニーゼはその胡乱な視線を後方——自身の後ろに隠れている男へと向け、その名を呼び捨てる。

 

「——ねずみ男とやら?」

「——っ!!」

 

 

「いや~、そんな筈はないですぜ!! きっとどっかに隠れてるんでさ! 炙り出しちゃいやしょう!!」

 

 

 すると、そこにいた男——ねずみ男が、テセニーゼに対して腰低く擦り寄っている。瞬間、何故不死皇帝の手勢がこの場所を嗅ぎつけたのか、猫娘はその理由を理解する。

 

 

「ねずみ男!! アンタ、こいつらに密告したわね!?」

 

 

 そう、いつの間にか姿が見えなくなっていたと思っていたが、どうやらねずみ男が不死皇帝に告げ口をしたようだ。

『この洞窟にマーメイドがいる』と、それで自分を見逃してもらおうと思ったのだろう。

 

 事実、鬼太郎が不死皇帝に叩きのめされるのを見たねずみ男は、すぐに不死皇帝の元へと下った。

 単身、わざわざ小舟を漕いでまで不死皇帝の幽霊船へと向かい——。

 

『——不死皇帝様!! マーメイドの居場所を教えますんで、どうか見逃がしてくだせぇ!!』

『…………なんだと?』

 

 そのあまりの変わり身の早さに、流石の不死皇帝も驚いていたという。

 

 

「わ、悪く思うなよ!! これも境港のためさ!!」

 

 しかしそのような裏切り行為に一切悪びれた様子もなく、ねずみ男はこれが境港のためだと胸を張っている。

 実際、我が身が可愛いだけであれば、とっととこの町から逃げ出していただろう。危険を冒してまで不死皇帝と交渉しに行っただけ、ねずみ男にしては勇気ある行動だった。

 彼なりに、境港という場所を守ろうとしたのだ。

 

「バカっ!! 西洋妖怪の連中が……約束なんか守ると思ってんの!? 奴らのやり口、もう忘れたの!?」

 

 だが、猫娘は西洋妖怪——特にバックベアード軍団のような連中を引き合いに出し、彼の行いを責める。

 アニエスやアデルといったものたちと信頼関係を築いている猫娘だが、それ以外の西洋妖怪の印象はかなり悪い。それはバックベアード軍団の連中にしてやられた記憶が新しく、彼らのやり口を知っているからだ。

 口約束など彼ら相手には無意味だ。どうせ利用するだけ利用して、潰されてしまうだけだと思っている。

 

「心配するな……魔女は約束は……契約は必ず守る。マーメイドさえ差し出せば……この町に手など出さない……」

「えっ……?」

 

 もっとも猫娘の心配とは裏腹に、テセニーゼは約束を守ると言い切った。ボソボソとした小声ながらも、そこに嘘がないことを感じ取り猫娘は困惑する。

 まさか本当に、マーメイド一人を差し出せば他は見逃すとでも言うのだろうか。

 

「——ハッ!! 上等じゃない!! そんなに私が欲しいのなら……望みどおり出てきてやるわよ!!」

「——フラメシュっ!?」

 

 瞬間、テセニーゼの言葉を聞いていたのか、隠れていたフラメシュが水中から飛び出してきた。狙われている当人が出てきてしまったことにエレが狼狽するも、あくまでフラメシュは挑発的に吐き捨てる。

 

「これでも食らって……お腹でも満たしてなさいよ!!」

 

 彼女は妖力で水を操作。海水で竜巻を起こし、それを魔女に向かって解き放った。凄まじい海流のうねりだ。たとえ魔女であろうと、それに飲み込まれればひとたまりもないだろう。

 

「散れ……」

 

 ところがテセニーゼは慌てることなく、軽く手を翳して呪文を唱える。それだけで——水の竜巻は呆気なく霧散してしまった。

 

「そ、そんな……!?」

 

 マーメイドとしての特性、水を操る術においても魔女の方が上手だと。自分の力が通じないことにフラメシュが驚愕する。

 

「行け……マーメイドを捕らえよ……」

 

『承知致シマシタ、テセニーゼ様……』

『マーメイドヲ捧ゲ、不死皇帝ニ……』

 

 動揺するフラメシュを尻目に、テセニーゼは控えていた騎士たちに号令を掛ける。騎士たちはテセニーゼに恭しく頷きながら、不死皇帝の望みを叶えようとマーメイドへと剣を抜き放っていく。

 

「な、舐めないでよね!!」

「この……ニャアアアア!!」

 

 問答無用で襲い掛かってくる亡者の群れ。だがフラメシュが水流で彼らを洗い流し、そこに猫娘も手を貸すことで次々と騎士たちを退けていく。

 

 

 

「……隙だらけだな……これで終わりだ……」

 

 もっとも、テセニーゼも最初から騎士たちに期待などしていない。彼らは言わば目眩しだ。乱戦で彼女たちが集中力を欠いたところに——テセニーゼが魔法を放つ。

 

 それは黄金に輝く光の矢だった。

 放たれた矢は騎士たちの合間を通り抜け、マーメイドへと一直線に飛んでいく。

 

「——ハッ!?」

 

 騎士たちを迎撃するのに夢中だったのか、フラメシュはその矢が目の前に迫り来るその瞬間まで気づけなかった。気づいたときには、もはや躱せるタイミングになかった。

 

「——危ないっ!! フラメシュ!!」

「——エレ!?」

 

 だが寸前のところで、フラメシュと光の矢の間に、ものすごい速さで飛翔してきたエレが割り込む。フラメシュを庇い、彼女の代わりに魔法の直撃を受けたのだ。

 瞬間、エレに直撃した光の矢が形を変える。エレを囲い込む『籠』へと変化し、エレの動きを封じ込めた。

 光の籠は、そのまま捕まえたエレを術者の元へと運ぶ。しかし狙った相手ではなかったことに、テセニーゼは不満気味に愚痴を溢す。

 

「セイレーンか……研究材料としては興味深い素体だが……今はお前に用はない……」

 

 一瞥、興味深げにエレを見たが、すぐに視線をフラメシュへと移す。彼女を捕まえようと、もう一度魔法を行使しようとする。

 

「——させない!!」

「っ……!?」

 

 だがそこで洞窟の奥から、青白く輝く光弾が飛来してくる。テセニーゼは唱えていた魔法を途中で止め、光弾から逃れようと大きく退いた。

 

「済まない、遅くなった!!」

「鬼太郎!! 遅いのよ、もう!!」

 

 光弾の正体は鬼太郎の指鉄砲だ。騎士たちの包囲を突破してきたのか、彼の救援に猫娘が嬉しそうに頬を赤らめる。

 

「ゲゲゲの鬼太郎……貴様の相手をするのに……私では荷が重いか……」

 

 指鉄砲を回避しながらも、自分ではゲゲゲの鬼太郎を相手取れないと、テセニーゼは戦況を冷静に分析。

 

「やむを得ん……ここは一旦、引くとしよう……」

 

 素直に撤退を選ぶ彼女だが、そこに焦りらしきものは見られない。

 

「フラメシュっ!!」

「エレっ!!」

 

 それは手元にエレ——人質として効果を発揮するであろう、彼女を手中に収めているからだ。ふわりと宙を浮くテセニーゼに追従するよう、エレを捕らえた光の檻も地上から離れていく。

 

 エレとフラメシュが互いに手を伸ばすも、その手が届くことはない。

 

「マーメイドの娘……このセイレーンを無事に返して欲しければ……お前から不死皇帝の元へと降るがいい……さもなくば……分かるな?」

 

 弱みを握ったテセニーゼは、フラメシュに不死皇帝の下まで来るように促す。もしも来なければエレが無事では済まないと、軽く脅しをかけながらその場から飛び去っていく。

 

『撤退、撤退ダ……』

 

 その後を追いかけるよう、団長のトーナを始めとする亡霊騎士たちもその場から消え去っていく。

 

 

 

「エレ……今、助けに行くから!!」

 

 とりあえず、無事敵の襲撃を乗り切ったものの、フラメシュにとって何よりも大事な親友が連れ去られてしまった。

 捕らえられた友を救うため、彼女はすぐにその後を追いかけようと、勢いよく海の中へと飛び込んでいく。

 

「ま、待て! 行ってはいかん!!」

 

 そんなフラメシュに目玉おやじが制止の言葉を投げ掛けるが、彼の声が響く頃には既にその場から彼女はいなくなってしまった。

 海中を自在に泳ぐマーメイドであれば、あっという間に不死皇帝の幽霊船団まで行き着いてしまうだろう。

 

「時間がない……! すぐに後を追おう!!」

「ええ……けど、その前に……!!」

 

 フラメシュたちの身を案じ、鬼太郎もすぐに不死皇帝の幽霊船へと向かうことにする。どのみち、いずれは戦わなければならない相手なのだから、鬼太郎に躊躇いなどない。

 猫娘も、それ自体に不満はないと。鬼太郎と共に戦う心構えをしながらも——ギロリと、非難の目をねずみ男へと向けていく。

 

 マーメイドの居場所を告げ口した裏切り者に、とりあえずの罰を与えなければと爪を研ぎ澄ませる。

 

「な、なんだよ、なんだよ!? 俺を責めるなよ!! 良かったじゃねぇか!? これで結果的に連中はいなくなるんだからよ!!」

 

 しかし、怒る猫娘に負けじとねずみ男は反論を口にする。

 結果的として、これでマーメイドを手に入れることになった不死皇帝。これで境港も、日本も救われる。本人としては、いいことをしたつもりなのだろう。

 

「そういうことじゃないだろ……!!」

 

 だがそうではない、そうではないと鬼太郎も厳しい視線をねずみ男へとぶつける。

 

 仮に、本当に仮に不死皇帝がマーメイド一人で満足し、日本から手を引いたとしても。それが正しかったなどと、鬼太郎は口が裂けても言いたくはなかった。

 きっと少数を犠牲にして大勢を維持しようなどと、そんな価値観は唾棄すべきものだと思うからだろう。

 

 

「——おーい、ゲゲゲの鬼太郎!!」

 

 

 すると、口論している鬼太郎たちの元に、手を振りながらドタドタと駆け付けてくるものたちがいた。

 

「バーンズさん?」

「ペンギンたちも……どうしたのよ、そんなに血相を変えて?」

 

 それは、未だ境港に残っていた海賊たちだ。

 真っ先にねずみ男のように裏切って、逃げ出したところで問題ない立場であろうに。彼らは『とある大切な情報』を持って、鬼太郎たちの元へと来てくれたのだ。

 

「実はな、不死皇帝の狙いが分かったんだよ……おい、新入り!!」

「へ、へい……お頭!!」

 

 駆け付けたバーンズは、一羽のペンギンに説明するようにその背を叩く。

 

「デイビットと言いやす!! あっし、思い出したでやんす!! 昔、ヴァレリ……恋人が教えてくれた、マーメイドの伝説を……!!」

 

 そのペンギン、見分けはつかないだろうが。彼は海賊歴の浅い新入りのデイビットだ。 

 デイビットは子供の頃、陸で今も待っている幼馴染の恋人ペンギン・ヴァレリから、とある昔話を聞かされたという。

 

 

 それは深海の底で暮らす、マーメイドたちの伝説。

 何故、不死皇帝がその身を求めるのか。その理由になるかもしれない伝説での、彼女たちの呼び名を口にしていくのである。

 

 

 

×

 

 

 

『セイレーンか。生前であれば物珍しいと飼っていたかもしれんが……今の我には不要な存在だな……』

「あ、ああ……」

 

 幽霊船団の中でも一際大きな船の上、甲板上に不死皇帝の巨体が静かに漂っていた。

 彼の視線の先には、魔女であるテセニーゼが捕まえてきたエレの入った黄金に輝く魔法の檻、それが船のマストにぶら下がっている。

身動き取れない状態のまま、至近距離から不死皇帝にギロリと睨まれ、エレは言葉が出ないほどに震え上がっていた。

 

『テセニーゼよ……本当にこのセイレーンを餌に、マーメイドを誘き寄せることが出来るのだな?』

 

 不死皇帝はその視線をエレから自身の配下、セイレーンをここまで連れてきたテセニーゼへと移す。並のものなら震え上がってしまうその眼光を前に、魔女はまるで動揺した様子を見せずに一言だけ呟く。

 

「おそらくは……」

『…………』

 

 彼女の後ろには騎士団長のトーナを始めとする、亡霊騎士たちが控えている。不死皇帝の操り人形同然な彼らは二人の会話に口を挟むのも憚れると、死んだように膝をついてその場に待機している。

 

『おそらくだと……? それでマーメイドに逃げられたらどうするつもりだ!! 我が妻といえども、そのような失態は許さんぞ!!』

 

 するとテセニーゼの推測の入った呟きに、不死皇帝が突如として激怒。船を揺るがすほどの妖力を迸らせながら——自身の妻を睨みつける。

 

 そう、このテセニーゼという女。実は不死皇帝とは人間時代からの付き合いであり——彼の妻なのだ。

 彼女、元々は魔法大臣として、滅んだ帝国を影から支えてきた魔女だ。その活躍を認めた皇帝はテセニーゼを気に入り、彼女を妃として迎え入れたという。その付き合いは皇帝が不死の怪物となった今も続いている。

 

「……心配するな……それならそれで手を打ってある……任せておけ……」

『むっ……そ、そうか。お前がそこまで言うのなら……』

 

 その立場からか、不死皇帝の癇癪にも全く動じずに慣れたように彼を宥めるテセニーゼ。彼女の諭すような言葉に、不死皇帝も即座に冷静さを取り戻す。どうやら夫婦としての相性は良好のようだ。

 

 

「——エレっ!!」

 

 

 だがテセニーゼが別の手とやらを打つまでもなく、海の方から叫び声が響いてきた。

 見れば美しい少女——マーメイドのフラメシュが海面から、不死皇帝たちがいる幽霊船を見上げているではないか。

 

「来たか……」

『おおっ!! あれこそマーメイド……私が求めていたものに間違いない!!』

 

 フラメシュの到来を予想していたテセニーゼは動じてもいなかったが、不死皇帝は歓喜の声を上げる。自分が求めてやまなかったマーメイドが、自ら懐へと飛び込んできたのだから、これほど嬉しいことはない。

 

「フラメシュ、来ちゃダメよ!! そのまま逃げてっ!!」

 

 しかし、せっかく来てくれたフラメシュに、エレが逃げるようにと籠の中から叫ぶ。たとえこの身がどうなろうと友を守りたいという彼女の必死さが、その叫びから伝わって来るようだ。

 

『黙れっ!! さあ……こちらまで来るがいい、マーメイドよ。さもなくば……鳥籠ごと、このセイレーンを握り潰してしまうぞ!!』

 

 しかしそうはさせまいと。不死皇帝は片腕しかないその巨大な左手で、エレを閉じ込めている籠に手を掛けた。そのまま力を込めれば、一瞬で握り潰してしまえるだろう。実際、魔法で出来た頑丈な筈の檻がミシミシと悲鳴を上げている。

 このまま放置すれば、間違いなくエレの命はない。

 

「……っ!!」

 

 もっとも、フラメシュは既に覚悟を決めていた。

 この後に及んで足踏みする理由などないと、躊躇うことなく海面から飛び上がり、そのまま幽霊船の甲板上へと着地。器用に尾を足代わりに直立不動している。

 

「これでいいでしょ? さっさとエレを解放しなさいよ!!」

『人魚、モウ逃サナイ……!』

 

 幽霊船の上、すぐに彼女を包囲し始めた幽霊騎士たちを前にしながらも、フラメシュは強気な態度を崩しはしなかった。しかしよくよく見れば、身体が僅かに震えているのが見て取れた。

 必死に恐怖に耐えているのだろう。それを相手に悟られまいと気丈に振る舞っている。

 

『ふっふっふ、よかろう……』

 

 自身の要求に応えたフラメシュに敬意を評し、不死皇帝は素直に檻から手を離した。だがまだエレを解放するわけにはいかないと、不敵な笑み浮かべながらマーメイドと正面から向かい合っていく。

 

 

 

「それで? いったい、私に何の用? 言っとくけど……私たちマーメイドにアンタが望むようなことが出来る力があるとは思えないけど?」

 

 不死皇帝の視線を一身に浴びながら、フラメシュは相手が自分に何をして欲しいのか問いを投げ掛ける。決して惚けているわけでも、謙遜しているわけでもない。皇帝とまで言われた相手が、何故自分を欲しているのか、本気で分からないのだ。

 

『マーメイドの娘よ……貴様も西洋のものであれば、我の伝説を耳にしたことはあるだろう? 人間でありながら不死を求め、その望みを叶えた最初で最後の皇帝……』

「……はぁ? 何よ、自慢話? アンタの過去話に付き合ってる暇はないってのに……」

 

 すると不死皇帝はフラメシュの質問には答えず、自身の身の上話を始めていく。彼の昔語りに呆れたようにフラメシュはため息を吐くも、今は大人しく聞き役に徹するしかない。

 

『そうだ!! 我は望みどおり、確かに不死を得た!! 不老不死の法にて、脆弱な人間の肉体を捨てた我は……強大な怪物として生まれ変わったのだ!!』

 

 そんなフラメシュの心情など知らず、不死皇帝の語り口がヒートアップしていく。彼は自分が望みどおり不死を得たと——何故か、怒りに震えるように叫んでいた。

 

 

『そうして得た不滅の肉体、それがどのようなものか……見ろ!!』

 

 

 次の瞬間、彼は体を覆い隠すように羽織っていた真紅のマントを翻した。マントの下に隠されていた、不死皇帝の全貌が明らかになる。

 

「うっ……ひどい……」

「うげっ……! どうなってんのよ、その身体……」

 

 それを見た瞬間、エレとフラメシュ、乙女二人の顔が歪む。

 

 不死皇帝の不滅の肉体——ほとんど骨しか残っていない朽ちた体は、外側だけを見ても酷いものだったが、マントの下はさらに酷かった。辛うじて残っている骨でさえもボロボロと崩れ、腐り落ちていっているのだ。

 そうして崩壊した肉体はその都度再生し、また端から順に腐り落ちていくという工程を繰り返している。

 

 

 崩壊と再生を何度も繰り返し、無理矢理にその肉体を保つ——それが不死皇帝の不死身の正体である。

 

 

『これが……身の程知らずにも、人の身でありながら、不老不死を得ようとした人間の末路だ!! 我が肉体は今この瞬間も、絶えず我自身を苦しめているのだ!!』

 

 自身の肉体が腐り落ちていくという激痛は、今この瞬間も不死皇帝を苦しめている。

 不滅の肉体、永遠の命。響きだけ聞けば素晴らしいかもしれないが、その内情がこれでは、何のために不死身になったのかと。

 不死皇帝は嘆くように頭を抱えるしかなかった。

 

「フン……何よ、それ……そんなのアンタの自業自得じゃない」

 

 だが、苦痛に苛む不死皇帝の叫びを聞き届けながらも、フラメシュは強気な態度を崩さない。

 

 結局のところ、不死皇帝の身を蝕む苦痛など彼自身の自業自得だ。人間でありながら不死などと、過ぎた欲望に身を焦がした、その報いに過ぎないのだと辛辣に吐き捨てる。

 

『そうだ!! こうなることを何より望んだのは我なのだ!! だがもう十分だ……もうこれ以上、我はこの苦痛に耐えることなど出来ない!!』

 

 それは不死皇帝も理解している。だがだからといって、いつまでもこんな苦痛の日々に甘んじてなどいられないのだ。

 故に、彼はこの苦しみから逃れる術を模索するようになった。

 

『千年前……バックベアードとの戦いに敗れたとき、私は奴の封印を甘んじて受け入れた。封じられている間は、我も穏やかに眠ることが出来たのだ!! 我にとってあの時間は、久しく得ていなかった安息をもたらしてくれた!!』

 

 そのための手段の一つとして、不死皇帝はバックベアードとの頂上決戦に挑んだ。奴との戦いに敗れて、封じられること——それすらも、不死皇帝の望みの内だったのだ。

 事実、封印されている間は彼も苦痛を感じられすに済んでいた。だが、バックベアードが倒されたことで復活してしまった彼は、またもや苦痛の日々に苛まれるようになってしまったのだ。

 

 

『——我は……私は、もう死にたい……これ以上、生きていることそのものが……私にとって、苦痛でしかないのだ……』

 

 

 だからこそ、不死皇帝はもう一度あの安息を目指して行動する。それこそ、今度は封印などという一時凌ぎではなく、本当の安息を求めて。

 もう二度と、絶対に苦しむことがなくなるだろう——『死』を皇帝は求め続けるのだ。

 

 

 

 

 

「……死にたいって、そんな辛気臭い夢が私と何の関係があるってのよ?」

 

 ようやく知り得ることが出来た、不死皇帝の真の目的。彼の持つ自殺願望に呆れながらも、やはり訳が分からないとフラメシュは首を傾げる。

 いったい、その話が自分という存在——マーメイドとどう結びつくのか、本当に理解しかねると首を傾げる。

 

 

『——お前の中にこそ『炎』があるのだ。何もかもを燃やし尽くす、煉獄の炎がな……』

 

 

 フラメシュの疑問に対して、不死皇帝は今度こそ真正面に答えた。

 だが、それの意味するところを——少なくとも、フラメシュは理解することが出来ないでいる。

 

「はぁ? アンタ、何言ってんの? 私はマーメイドよ? 水は操れても炎なんか、私には……」

 

 深海の底で暮らすマーメイドにとって『炎』ほど、縁遠いものはないだろう。一族の中では火など見ることなく、一生を終えるものすらいるのだ。

 そんな自分の中に炎があるなどと、戯言もいいところだと笑い飛ばそうとしたフラメシュ——だが、そう思った矢先、彼女の体に異変が起きる。

 

「はぁはぁ……なに? 体が乾いて……熱い……!?」

 

 マーメイドである彼女はこれまでずっと海、水のある場所と共に生きてきた。そんな彼女にとって、体が『乾く』という現象は初めての体験だったのか。

 しかし、たかが肉体が乾いた程度で『燃えるような熱さ』を感じるなど、それが明らかに異常なことであることは分かる。

 いったい、自分の体に何が起ころうとしているのか、彼女にも理解が追いつかない。

 

「……予想どおりだ……」

『おおっ!! ついに始まるのだな、これでやっと……!!』

 

 だがテセニーゼはそれが予想通りの現象だと冷静に、不死皇帝が興奮するようにフラメシュの体に起こる異変を見届けていく。

 

 

「——う、うううう……も、燃えてる? 私の尾が……体が……心臓が……!?」

 

 

 そう、強烈な乾きと熱さを感じたかと思ったその刹那——マーメイドであるフラメシュの体から、『火』が着き始めたのだ。

 発火元は——彼女の肉体そのもの。体の内側から激しく炎が燃え上がり始めたのである。

 

「フラメシュっ!? 何で!? いったい、何が起こってるの!?」

 

 フラメシュの異変を前に、鳥籠に囚われているエレも目を丸くする。彼女と長い付き合いであるエレですら、それがなんなのか何も分からないのだ。

 

 だがこれこそ、マーメイドたちの隠された秘密。

 彼女たち自身ですら、忘却の彼方に忘れ去ってしまった——伝説にある、彼女たちのもう一つの姿なのだ。

 

 

 

 マーメイドという種族は、深海の底で暮らすことを是としてきたが、それは何も外敵の侵入を防ぐだけが目的ではない。

 彼女たち自身の胸に秘めた『炎』を燃え上がらせないようにするため。水中で生きることでその身を守ってきたのである。

 

 それは、その伝説を知らなかったフラメシュも本能的に理解していた。だからこそ、これまで彼女は決して水辺から離れるようなことはしなかった。

 自由を夢見て外の世界を訪れていた彼女ですらも、水から上がることが自身の身を滅ぼすと本能的に察していたのだろう。

 

 

「ああ……ああ……!?」

 

 

 だが友を救うため、フラメシュは自らの意思で陸へと上がり——その身を完全に水から引き揚げてしまった。すぐに海の中に戻ればどうにかなったかもしれないが、一度でも『炎』が目覚めればもう終わりだ。

 

 一度目覚めてしまった炎は、全てを燃やし尽くすまで消えはしない。

 それこそ——自分自身をその存在ごと抹消するまで。

 

 

『——さあ、目覚めよ! 煉獄の妖女よ!! 醜く歪みきった我が肉体を……その魂ごと燃やし尽くしておくれ!!』

 

 

 だがその炎こそが、不死皇帝の求めたもの。

 全てを焼き尽くしてくれると言われるマーメイドの『煉獄の炎』にこそ、彼は救いを求めたのだ。

 

 

 

「……ああ、あああああああああああああ!!」

 

 

 

 そして、燃え広がった炎がついにフラメシュの全身を燃やし始めた。

 その瞬間、彼女は周囲に厄災をもたらす存在——煉獄(れんごく)妖女(ようじょ)へと変貌を遂げたのである。

 

 




人物紹介

 亡霊騎士トーナ
  不死皇帝の死後も彼に仕える、帝国の元騎士たち。
  トーナはその中の一人、今作では騎士団長という役職を与えてみました。
  ほとんど自我のない操り人形。原作においては、時期によっては仕える相手が違ったりする。

 テセニーゼ
  不死皇帝の帝国に魔法大臣として仕えていた魔女。それと同時に彼の妻でもあった。
  原作においては魔法学園という場所で教師をしている。
  転生の魔女と呼ばれ、何度も何度も転生を続けながら生き延びているとのこと。

 煉獄の妖女
  マーメイドであるフラメシュのもう一つの姿。全てを焼き尽くす煉獄の炎をその身に纏う。
  ゲーム本編にも出てこないが、裏設定で彼女の詳細な設定が明かされている。
  レジェンドオブマナの独自設定であり、実際の伝承にマーメイドが燃える等の伝説はありません。
  
 次回で聖剣伝説のクロスも完結予定。
 次は……『ゲゲゲの謎』の話を踏まえた上でのクロスを書いてみたいと思ってます。
 
  
  
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

聖剣伝説レジェンドオブマナ 不死皇帝と煉獄の妖女 其の③

お、お久しぶりです……ほぼ一か月ぶりの更新、まずは間が空いてしまったことをここにお詫びいたします。

三月は……本当にずっと『ユニコーンオーバーロード』をひたすらプレイしていました。ここまでゲームに沼ったのは本当に久しぶりで、マジで一日中、テレビから離れられない日が続きました。
ヴァニラウェアも罪な作品を作りおった……こんなん、遊ばないわけにはいかんやろ!!

幸い、100時間くらいやってようやく落ち着いて来たので、こうして久しぶりに小説を投稿することが出来ました。
一応、今回がこの話のクライマックスということもあり、結構なボリュームになってしまったかと思いますが……とりあえず納得のいく形にはなったと思います。

どうか最後までお楽しみください。



『——エレってさ……なんだって、いっつも弱腰なわけ?』

『——な、なに? どうしたのよ、フラメシュ、急にそんな……?』

 

 ある日の夜、静かに波がさざめく浜辺にて二人の少女が向かい合っていた。

 

 片方は水面から、地上で羽根を休めているセイレーンに羨望と苛立ちが混じった視線を。

 片方は砂浜から、水面に浮かぶマーメイドに親しみと困惑が混じった視線を向けている。

 

 ふとしたきっかけ、夜空に浮かぶ満天の星空に感傷的にでもなったのか。その日、これまでずっと胸の奥に溜め込んできた不満、想いをそれぞれが口にしていく。

 

『どこにでも飛んで行ける羽根があって、そんなに綺麗な歌声を響かせることが出来るに、いっつもウジウジ!! もっと自分に自信を持ちなさいよ!!』

 

 フラメシュは空を自由に飛べる羽根を、美しい歌声を持ったセイレーンという種族に憧れを抱いていた。だが憧れを向けられている当人、エレはそれを誇ろうともせず、それどころか自身の魔性の歌声が人々に被害をもたらすと忌避している。

 さらには迫害から逃れようと各地を転々とする日々。憧れの相手がそんなでは、フラメシュでなくても苛立ちをぶつけたくなるだろう。

 

『私なんて、そんな大したこと……フラメシュこそ!! 安心して暮らせる故郷があるのに、なんで私なんかと一緒にいてくれるのよ!』

 

 反対にセイレーンであるエレは、フラメシュが深海の底という何者にも侵されない安全な住処を持ちながら、自身の流浪の旅に付き合ってくれていることに感謝と、ちょっとした妬みのような感情を抱いていた。

 フラメシュがその気になれば、いつでも帰るべき場所に帰ることが出来るというのに、彼女はそれを自らの意思で放棄している。温厚なエレでも『何故』と問い詰めたくなってしまう。

 

『そんなの……そんなのエレと一緒にいたいからに決まってるじゃない!!』

『……!!』

 

 そんなエレの問い掛けに、フラメシュは少々恥ずかしげながらも真っ向から答えた。

 

 結局のところ、フラメシュがエレと共にいる理由など『ただ一緒にいたいから』でしかないのだ。誰も好き好んで嫌いな相手のために、ついてこようなどとは思わない。

 好きだからこそ側にいたい、共にいる理由などただそれだけ十分なのだ。

 

『私も……フラメシュのこと好きだよ。フラメシュがいてくれるから……ここまで来れた。本当、感謝してるの……』

 

 エレは、フラメシュという存在に心を救われていた。

 故郷を追われ、セイレーンの同胞とも逸れたエレは一人、当てのない旅に追われていた。先の見えない旅路は、きっと独りぼっちであれば心が耐えきれず、生きる気力そのものを失っていたかもしれない。

 フラメシュという相手が、愛すべき友がいるからこそ、自分はここまでやって来れたのだと正直に告げる。

 

『…………』

『…………』

 

 胸の内に秘めていた相手への感謝や想いをはっきりと口にしてしまったためか、二人の間に若干気まずい空気が流れる。

 

『ふふふ……』

『ははは……』

 

 だがそんな照れくさい空気も、どちらともなく自然とこぼれ落ちた笑みによって、すぐに温かな空気へと変わっていく。正直なところ、お互いがお互いを大切にしている気持ちなど、今更言葉になどせずともお見通しである。

 

 友情、親愛、愛情。

 長い旅路にて育まれた絆は、たとえ何があろうと二人の仲を引き裂くことなど出来はしないのだ。

 

『いつか見つかるといいわね……誰にも邪魔されず、誰にも迷惑を掛けずにエレが歌を歌える居場所……』

『うん……そのときはフラメシュも一緒だよ。じゃないと……私が寂しいから……』

 

 二人は穏やかな声音で、この長い旅路の終わりについて想いを馳せる。

 エレにとっての旅の終わり、それは自らの安住の地を見つけ出すことである。そして出来ることなら、そこにフラメシュがいて欲しいという気持ちを正直に吐露していく。

 

 もっともセイレーンとマーメイドという種族的な違いもある。二人が揃って快適に過ごせるような環境、そう簡単に見つかりはしないだろう。

 だがそれでも、きっとどこかにあるだろうそんな理想郷を夢見て、少女たちはこれからも世界をさすらい続ける。

 

 

 

 

 

 そんな夢見る時間が、終わりに近づいているとも知らずに——。

 

 

 

×

 

 

 

「——エレっ!? どうして……なんでこんなっ!?」

「——ああああ、ああああああああああああああ!!」

 

 フラメシュの変わり果てていく姿を前に、エレの悲痛な叫びが木霊する。

 

 不死皇帝の配下にして、彼の妻である魔女・テセニーゼの魔法の檻は頑丈で、エレがどれだけ暴れようと傷ひとつ付かない。それどころか、暴れれば暴れるほど、逆にエレ自身の体が傷ついていくだけだ。

 それでも、エレは今すぐにでもフラメシュの元へと駆け寄りたく、檻の中で必死にもがき続ける。

 

 全身に炎を——『煉獄の妖女』となったフラメシュに。

 文字通り、近づくもの全てを灰にする地獄の業火を身に纏った彼女を止めようと——。

 

『煉獄ノ妖女……コレコソ皇帝陛下ガ望マレタ……死!!』

『グアアアアアアアアアアアアア!?』

 

 だがフラメシュを取り押さえようと彼女を取り囲んでいた、不死皇帝の騎士団・亡霊騎士たちの絶叫が迸る。フラメシュの纏う炎に触れた瞬間、燃え移った獄炎が亡霊たちを焼き尽くす。

 その炎の勢いは凄まじく、感情などほとんど感じさせない亡霊たちですら、悍ましいほどの悲鳴を上げ、その身を一瞬で燃え滓へと変えてしまったのだ。

 

『ふはははははは、素晴らしい!! これぞ我が待ち望んだ炎!! 腐り果てたこの身を燃やしてくれる、まさに救済の業火よ!!』

 

 もっとも、自身の配下が燃やされる光景を目の当たりにしながらも不死皇帝は上機嫌だ。

 自らの死を望む彼にとって、煉獄の妖女の炎こそ救いそのもの。その救いを前に彼の興奮は過去一番に高まっている。

 

「……この炎の勢いは……いかん! 船が持たんぞ!!」

 

 その一方で、不死皇帝の側ではテセニーゼが焦燥感を露わにする。

 フラメシュの炎は瞬く間に彼女が足場としている幽霊船にまで燃え広がっていき、次の瞬間にも船が崩壊を始めていく。

 海のど真ん中で火だるまとなり、燃え崩れていく幽霊船。船に取り残された亡霊騎士たちの断末魔が響き渡る。

 

「きゃっ……!!」

 

 マストの鳥籠に吊り下げられていたエレも、その船の崩壊に巻き込まれた。檻から抜けられない彼女、このままでは船と共に海の藻屑と化す運命だっただろう。

 

「ふん……」

「えっ?」

 

 だが船が沈むその刹那、テセニーゼはエレを捕らえていた魔法の籠、その束縛を解いた。まさか解放されるとは思っていなかったのか、呆気に取られながらも自由の身となったエレが自力で脱出する。

 

「ど、どうして……?」

 

 羽根で空を羽ばたきながら、魔法で宙に逃れていたテセニーゼに何故と疑問をぶつけた。

 

「……マーメイドがああなった以上……もうお前に用はない……」

 

 テセニーゼとしては、フラメシュが煉獄の妖女と化した時点で目的を果たしているのだ。エレを人質にする必要がなくなったと、彼女を解放することに何の抵抗感もないようだ。

 きっと不死皇帝が望みどおりの『死』を得られれば、この境港の地からも大人しく去っていく。ゲゲゲの鬼太郎や人間たちからすればそれで御の字なのだろう。

 

「はっ……フラメシュ!! フラメシュはっ!?」

 

 だがその望みのために、何よりも大切な友人が犠牲となることにエレは耐えられなかった。沈んでいく船へと目を向け、フラメシュが今どうなっているかを確認しようとする。

 

 フラメシュは、崩壊する幽霊船と共に海の中へと沈んだ。本来であれば溺れることなどを心配するところだが、マーメイドにとっては海中こそが何よりの安全地帯だ。

 彼女の身を焦がす炎も海に飲み込まれて消えてくれるかもと、もしかしたらという期待もあったのだが——。

 

 

「——ああああああああああああああ!!」

 

 

 刹那、驚くべきことに海水が『蒸発』し始めた。

 全ての生命の母ともされる海ですらも、煉獄の炎に触れた瞬間、そこに棲まう命ごと焼き尽くされてしまったのだ。

 

 蒸発した海水は一瞬で、周囲一帯に雲の如く水蒸気を立ち昇らせる。炎に触れられた場所だけが干上がる海は、まるで神話にあったとされる『真っ二つに割れた海』とやらを彷彿とさせる。

 その割れた水底、干上がった大地の上にて、燃え盛るフラメシュが苦痛に身をよじらせていた。

 

「ふはははははっ!! 見ろ、テセニーゼよ!! 海水が蒸発している!! 素晴らしい、素晴らしいぞ!!」

 

 そんなフラメシュの苦しむ姿を上空から見下ろしながら、不死皇帝は高笑いを続ける。

 海の中ですらも平然と燃え、全てを焼き尽くしてしまう、その炎の威力に興奮を隠しきれない様子だ。この炎ならきっと、不滅の肉体を持った自分すらも殺せるだろうと、その声音は期待感に満ちていた。

 

「……笑っている場合ではないぞ……不死皇帝……」

 

 しかし喜んでばかりもいられないと、笑う不死皇帝に妻であるテセニーゼが苦言を呈する。

 

「予想以上に火の回りが早い……このままではそう長くないうちに炎が……奴自身の身を焼き尽くしてしまうだろう……」

「っ!! そ、そんな……!!」

 

 そう、全てを焼き尽くす煉獄の炎だが、それも長くは続かない。

 マーメイドの内側から燃え上がるこの炎は、当然の如く発火元であるフラメシュがいなくなれば消えてしまう。

 

 炎は周囲のもの全て——『マーメイド自身』も含めた、全てを焼き尽くしてしまうのだ。

 

 いずれにせよ、目覚めた煉獄の妖女に待っている運命は燃え尽きることによる『消滅』なのだと。不死皇帝とテセニーゼの会話を聞いていたエレが、その表情を絶望に染めていく。

 

『おっと……そうであったな。ならばその前に、早々にこの身を終わらせるとしよう……』

 

 テセニーゼの言葉を聞き入れた不死皇帝は笑うの止め、ゆっくりとフラメシュへと近づいていく。流石に千年以上も続いた自身の命を終わらせることに、思うところはあるのだろう慎重だ。

 だがそれ以上に、この苦しみから解放されたいという思いが強いのか。一度も制止することなく、煉獄の妖女の前へとその身を晒す。

 

『さあ、煉獄の妖女よ!! その業火を我にも……どうかこの身に、滅びをもたらしておくれ!!』

「ああ、ああああああああああああああああ!!」

 

 無防備な姿を見せた不死皇帝に対し、変わらず苦悶の表情を浮かべ続けるフラメシュだが、瞬間的にその顔を『敵意』一色へと染め上げる。

 僅かに残った彼女の理性が、眼前の相手を敵——自分やエレを苦しめる相手だと認識させたのか。躊躇うことなく自身の抱える炎を、不死皇帝に向かって解き放っていく。

 

 

『おお!! これが……これが煉獄の炎!! 熱い、熱いぞ……ふははははははっ!!』

 

 

 その業火を無抵抗のまま受けいれる不死皇帝。全身を火だるまにされながらも、彼はまさに有頂天、気分は最高潮に達していた。

 

 だが、そんな最高な気分でいられたのも——束の間でしかなかった。

 

 

『ば、バカな!?』

 

 

 不死皇帝の顔に困惑の表情が浮かび上がる。

 炎は、確かに不死皇帝の肉体へと燃え広がった。全身に焼けるような熱さが走り、実際に煉獄の炎は不死皇帝の肉体を一部焼き払っていた。

 

 だが、それだけだ。

 燃やされた体はすぐに再生を始め、また燃やされる——その繰り返しを続けているだけ。いくら待っても、不死皇帝の肉体そのものが消失するようなことはなかったのである。

 

 

『——全てを焼き尽くす煉獄の妖女の炎を以ってしても、我が肉体は滅びぬというのか!?』

 

 

 亡霊騎士を、幽霊船を、海ですら燃やし尽くす煉獄の妖女の炎は、この世に顕現し得る炎の中では間違いなく最高峰のものだろう。

 しかしそんな獄炎を以ってしても、不死皇帝の肉体を焼き尽くすには足りなかったのだ。その事実に愕然とするしかない。

 

「……ダメか……やはり煉獄の炎でも……」

 

 テセニーゼの方は、少し残念そうに呟きながらも比較的落ち着いていた。

 どうやら彼女にとって『煉獄の妖女の炎が不死皇帝を滅ぼす』というのは、希望的観測に過ぎなかったようだ。炎が不死皇帝を焼き尽くせなかったことに対し、そこまでの落胆はなかった。

 

 

『っ!! 何が煉獄だ、ちっぽけな炎め!! もうよい、貴様など用済みだ!! ここで……消え去ってしまえ!!』

 

 

 だが不死皇帝は、自身を殺すことの出来ない炎に向かって怒り狂うように叫んだ。

 

 せっかく得られると思っていた『死』という名の希望が、幻でしかなかった。不死皇帝が激怒するのも当然であり、その怒りがフラメシュへと向けられるのも必然の流れ。

 自身の目的を果たせないマーメイドを役立たず断じ、不死皇帝はフラメシュを捻り潰そうと巨大な左手を振りかぶる。

 

「フラメシュっ……あつっ!?」

 

 友の危機にエレが慌てて駆けつけようとするが、触れずとも伝わってくる炎の熱さに反射的に動きが止まってしまう。それは生物として当然の防衛本能であり、誰もエレを責めることなど出来ない。

 

 だが不死皇帝は炎などお構いなしに、フラメシュを叩き潰そうとその巨腕を振り下ろす。

 

 

「——リモコン下駄!!」

『——むぐっ!?』

 

 

 だが突如、上空より飛来する物体が不死皇帝の巨腕を弾き、その魔の手からフラメシュを守った。それは空中を自在に飛翔する下駄であり、役目を終えるや下駄は高速で持ち主の元へと戻っていく。

 

「それ以上はやらせないぞ、不死皇帝!!」

『小僧っ!! 貴様……生きていたのか!?』

 

 そこにいたのは——ゲゲゲの鬼太郎。先刻潰したと思った相手が目の前に現れ、流石の不死皇帝も目を剥いて驚く。

 

「うひゃ~! これまた、とんでもない奴が出てきたばいね!!」

 

 鬼太郎は、救援に駆けつけてくれた一反木綿の背に乗っていた。初めて目の当たりにする不死皇帝のおどろおどろしい巨体に、一反木綿も及び腰になっている様子。

 

 

 

『愚かな小僧め!! せっかく生き延びた命を無駄にするとは……貴様も、我と同じように死を望むというか!?』

 

 鬼太郎の登場に驚きつつ、不死皇帝は怒りの矛先を彼へと向け直す。むざむざ倒されにきた鬼太郎に——自分と同様に死を望むのかと問う。

 

 そう、不死皇帝と違い、ゲゲゲの鬼太郎は望もうと思えば『死ぬ』ことができる。

 妖怪として、幽霊族として不死身に近い再生力を秘めている彼だが、体にダメージを負い続ければ肉体は消滅するし、魂にだって傷がつくかもしれない。

 というか実際、一度は死んだこともある身だ

 

 そんな鬼太郎の生き物としての真っ当な有り様を、不死皇帝は羨むように——。

 

 

『よかろう!! 我には決してもたらされることのない死を、貴様らに授けてやろうではないか!!』

 

 

 どうあっても自分が得られないものを持つものへの怒り、嫉妬から狂ったように襲い掛かるのであった。

 

 

 

×

 

 

 

「フラメシュ……フラメシュ!! ああ、私……どうすれば……」

 

 不死皇帝とゲゲゲの鬼太郎がぶつかり合うのをよそに、エレは自身の無力感に打ちひしがれていた。彼女の視線の先には、未だ自身の炎で苦しんでいるフラメシュの痛々しい姿があった。

 

「——あああ、あああああああああああああああああああ!!」

 

 彼女の纏う炎は、消えるどころかますます勢いを増しながら激しく燃え続ける。

 しかし、いずれその炎にも終わりは来る。薪で燃える炎を片付ける最も安全な対処方法——それは薪が真っ白な灰になるまで放置すること。

 

 焚べる薪さえなくなれば、炎は消えてなくなる。

 フラメシュという存在も、この世から消えてなくなるのである。

 

「……もう間もなくだろう……煉獄の妖女といえども……これ以上は持たん……」

 

 そして残された時間が決して長くないことを、魔女であるテセニーゼは無表情な顔で分析する。

 彼女は鬼太郎と戦う不死皇帝に手を貸すこともなく、ただ静かに煉獄の妖女と化したフラメシュを見ていた。そんな冷ややかな態度のテセニーゼに、エレが怒りを堪えきれずに噛み付く。

 

「貴方が!! 貴方たちのせいでフラメシュが!! 何か……何か手はないんですか!?」

 

 他者に対して常に温厚なエレが、目に涙を溜めながら、その視線に憎しみすら感じさせるほどの怒りを伴わせて叫んでいる。

 それと同時に、何か手はないのかと縋るようにテセニーゼへと迫った。

 

 マーメイドが煉獄の妖女へと変貌してしまうことを知っていた魔女であれば、逆に元に戻す手段を知っているのではないかと。

 それは、エレの願望が含んだ問い掛けに過ぎなかったのだが——。

 

「………ないことはない……だが、それがお前たちに可能かどうかは……完全に賭けだな……」

「!? ど、どうすれば……私なんでもする!! フラメシュを助けるためなら……なんだってするから!!」

 

 だがテセニーゼは、エレの問い掛けに『ある』と答えた。ああまで変わり果てたフラメシュを元に戻す——救う手段があると言うのだ。

 どこまで本当かは分からない。だがもしそんな方法があると言うのなら、それを教えてくれるのが誰であろうと構わない。

 

 フラメシュを救いたい、その一心からエレは叫んでいた。

 

「——なんでも、と言ったな? ならば……セイレーンよ……お前にあの炎の中に……飛び込む勇気があるか?」

「——えっ……?」

 

 瞬間、テセニーゼはグルリと首ごと視線をエレの方へと向け——彼女の覚悟を問うよう、とんでもないことを口にする。

 あの炎の中に飛び込めるかと、自殺行為でしかないことを聞いてくるのだ。

 無論、何の理由もなければ、それは無謀な特攻に過ぎない。だがテセニーゼは、『エレであれば』そこに意味が生まれるかもしれないと言う。

 

 

「——煉獄の妖女が……最愛の者を焼き尽くす。その悲しみによって……炎は静まると伝説にはある……」

 

 

 海から陸に上がることで全てを焼き尽くす、煉獄の妖女と化してしまうマーメイドの伝説。海に生きるものが燃えると、それ自体が眉唾物とされがちな話だが、実はその伝説には続きがあった。

 

 

 炎そのものと化してしまったマーメイドに、彼女を『愛していた者』が悲嘆に暮れる。

 だがその者は、自らの身を捧げるよう——煉獄の妖女の炎の中へと、その身を投げ出したという。

 

 その者は、煉獄の炎に跡形もなく焼き尽くされた。だが、かの者の命と引き換えに、マーメイドは元の姿へ戻ったという。

 愛しき者を焼き尽くしてしまったという悲しみが、マーメイドの胸の内から炎を失わせたとでもいうのか。

 

 いずれにせよ別離という悲恋で終わるその物語こそ、『煉獄の妖女』の結末として伝承には描かれているのだ。

 

 

「……私も検証したわけではない……それどころか、実際に煉獄の妖女を見たのも……今日この瞬間が初めてだ……」

 

 その物語の顛末には、それを語ったテセニーゼ自身も懐疑的であった。そもそも煉獄の妖女という伝説自体、マーメイド本人たちですら忘れ去ってしまうほど、真偽が曖昧なものだった。

 実際に煉獄の妖女が顕現したのだから、その伝説の最後も真実なのだろうと思うが、何を持って『愛する者』と定義しているのか、どれほどの愛であればそんな奇跡が起こるというのか。

 

「……所詮、愛など儚い幻のようなもの……」

 

 それこそ『愛』の形など人によって様々、酷く曖昧なものだと冷めた感想がテセニーゼにはあった。

 

「それでも……お前は……!?」

 

 故に再度その覚悟を問おうと、念を押すようにテセニーゼはエレに声を掛けようとしたが——。

 

 

 

 そのときには、既にエレは動き出していた。

 

 

 

 ——最愛の者……? 

 

 その美しい羽根を羽ばたかせ、悶々と思考しながらもエレは真っ直ぐにフラメシュを見つめている。

 既にエレの視界には、もがき苦しむ彼女の姿しか映っておらず——自身が、その『最愛の者』とやらに該当するのか、それだけを考えていた。

 

 ——私はフラメシュのこと好きだよ。その気持ちに嘘はないから……。

 

 エレはフラメシュのことが好きではあったし、フラメシュもエレのことを好きでいてくれているという確信があった。

 友情、親愛、愛情。それがどのような形であれ、確かに二人は互いに互いを想い合っていた。少なくとも、エレはフラメシュが元に戻れるのならと、躊躇いなくその身を捧げると即断出来るほどに。

 

 ——大丈夫、エレだけに……辛いことを押し付けたりしないから!!

 

 仮に、テセニーゼの語った物語の結末が嘘であっても、自分の死にフラメシュが炎を鎮めるほどの悲しみを見せてくれなかったとしても——そこに後悔などない。

 どうせこのまま放置したところで、フラメシュは一人で燃え尽きてしまうだけなのだ。ならばせめて自分が一緒に、彼女と共に燃え尽きることを覚悟に炎の中へと飛び込もうとする。

 

「え、えれ……だめ……こないで……はなれて……!!」

 

 そんなエレの想いが通じたのか、意識が朧気ながらもフラメシュはエレを巻き添えにしまいと声を張り上げる。

 全身を焼かれる苦痛から、悲鳴しか上げられなかった彼女が言葉を紡いだのだ。それだけの力を振り絞れたのも、ひとえに友を想えばこそ。

 

「離れない!! 離さないよ!!」

 

 フラメシュの言葉は、確かにエレの元まで届いていた。だからこそ、エレはさらに飛翔速度を上げ、一刻も早くフラメシュの元へと飛んでいく。

 たとえ望まれなくとも、拒絶されようとも絶対にフラメシュを一人になどしない。ただそれだけの想いでエレは煉獄の妖女の元へと突っ込んでいく。

 

 

 そうして、一羽のセイレーンが炎の中へと飛び込んだ。

 

 

「——っ!!」

 

 煉獄の炎に触れた瞬間、エレは声にならない悲鳴を上げる。

 全身を焼かれる苦痛は想像を絶するものであり、一瞬で意識が飛びかける。だがその痛みにフラメシュも耐えていることを考えれば、泣き言など言ってもいられない。

 きっと自分など、数秒もしないうちに燃え尽きてしまうだろうが、せめてその前にフラメシュの元までと——炎の中、彼女へと手を伸ばす。

 

 そして燃え盛る炎の中、ついにエレの手がフラメシュまで届き——その身を強く抱きしめる。

 

 

「フラメシュ……!!」

「エ、エレ……!!」

 

 

 灼熱の業火に晒されながらも、二人は互いの体の温もりを確かに感じ取っていた。

 

 

 刹那、炎が一際大きな輝きを放つ。

 それはまさに星が終わる瞬間、恒星が爆発することで放たれるという最後の輝きを想起させるものだった。

 

 だが次の瞬間にも、煉獄の炎は一気に収束し——爆発することなく、鎮まっていく。

 あれだけ煌々と燃え盛っていた炎が、まるで何事もなかったかのように全て消失したのだ。

 

 そして炎の中心点だった場所に——全身に大火傷を負いながらも、原型を留めて抱き合う、二人の少女の姿があったのだ。

 

 

 

「……バカな……まさか本当に……」

 

 その光景に、その解決策を語ったテセニーゼですらも唖然としていた。

 まさか本当にあんな伝説が、愛などという曖昧なものが、このような奇跡を起こすなど夢にも思っていなかったのか。

 

 

 何かの打ちのめされたように、愛など幻と口にした魔女はその場に立ち尽くすしかなかった。

 

 

 

×

 

 

 

『おのれ!! はぁはぁ……調子に乗りおって、小僧めが……!!』

「なんね、あいつ~、ものすごく疲れとるみたいやね……なんかあったんかいな?」

 

 フラメシュたちから距離を置いた海上にて、不死皇帝と一反木綿の背に乗った鬼太郎が激しい熱戦を繰り広げていた。相変わらず、不死皇帝は強大な妖力を誇る怪物ではあったが、その動きは精細さを欠いていた。

 本人の苛立ちもあるのだろうが、それ以上にどこか疲れたように息を切らしていたのだ。その異変に不死皇帝と初戦闘である一反木綿が首を傾げる。

 

「父さん、もしかしてあれは……」

「うむ、おそらく煉獄の妖女とやらの炎を受けた影響じゃろう……」

 

 不死皇帝と交戦済みの鬼太郎もその異変を察知し、目玉おやじがその理由に当たりをつける。

 

 

 鬼太郎たちはここへ駆けつけるまでの間に、デイビットという海賊ペンギンから『煉獄の妖女』のことを聞かされていた。海から陸に上がることで、煉獄の妖女へと変貌を遂げるマーメイドの伝説。

 

 それにより不死皇帝の狙いがその炎であり、もしかしたら——彼の望みが『死』を得ることかもしれないと予想したのだ。

 不老不死を得たものが、最後には自身の死を望み。それは鬼太郎たちもどこかで聞いたことのある話であり、実際その予想は的中していた。

 

 不死皇帝は、自らの死を願って煉獄の妖女を目覚めさせ——そして、失敗したのだろう。

 だが、煉獄の炎は不死皇帝の不滅の肉体に決して小さくない痛手を与えた。今の不死皇帝は肉体的にも、精神的にも大きく消耗した状態であり、そのおかげで鬼太郎たちは戦いを有利に進められていたのだ。

 

 

『チィッ!! どこまで無駄な抵抗を続けるつもりだ!! 貴様如きが我を倒せるなどと……』

 

 だがそれでも、不死皇帝という怪物をそう簡単に倒すことなど出来ない。

 

『テセニーゼは何をしておる!? 我が騎士団よ! 我に逆らう愚か者どもを八つ裂きにするのだ!!』

 

 不死皇帝自身、消耗した状態でも鬼太郎と互角に戦える力がある上、配下としてテセニーゼや亡霊騎士たちという戦力まで保有している。

 もしもここでその配下たちが参戦し、鬼太郎たちを取り囲むようなことがあれば、きっと彼らに勝ち目などなかっただろう。

 

 ところが、ここで不死皇帝にとって不測の事態が発生する。

 

 

『——!? な、何事だ!? なんだあれは……!?』

 

 

 それは亡霊騎士たちに号令を掛けた、その直後だ。沖合に布陣していた不死皇帝の幽霊船団。何十隻と展開していたその船の方から——突然、爆発音が鳴り響いたのである。

 見れば一隻の船から、黒煙が立ち上っているではないか。

 

『不死皇帝、ゴ報告申シ上ゲマス……』

 

 その異変の理由を報告しにきたのか、黄金色の鎧を纏った亡霊騎士・騎士団長であるトーナが不死皇帝の側へと姿を現す。

 空中で膝をつくという何気に器用なことをしつつ、トーナは船の方で起きている異変を不死皇帝へと伝達する。

 

『現在、我ラノ幽霊艦隊ガ何者カノ襲撃ヲ受ケテオリマス。騎士団デ対応シテイマスガ、戦況ハ芳シクナイカト……』

『何を馬鹿な!! いったいどこの馬の骨か知らんが、お前たちで対処できんのか!?」

 

 その報告に不死皇帝が激怒する。

 自分に逆らうものが鬼太郎以外にもいたこともそうだが、そんな連中に自分たちだけで対応できないと、弱音を吐く騎士たちの不甲斐なさにご立腹な様子。

 不死皇帝は語気を強め、トーナにすぐにでも船で起きている騒ぎを収めるようにと叱りつける。

 

『恐レナガラ……ソレハ難シイカト』

 

 しかしトーナは無感情に、事態が自分たちでは手に余ることを伝える。何故なら——。

 

『——っ!?』

「——な、なんだ……!?」

 

 トーナがさらに言葉を紡ごうとした瞬間、再び船団の方で爆発が起きたのだ。その爆発には不死皇帝どころか、鬼太郎たちですら驚いていた。

 

 何故ならそれは、鬼太郎たちですら予想していなかった事態。『最初』に起きた爆発であれば、鬼太郎にも心当たりがあったが——全く別の船から、黒煙が立ち上っている光景には覚えがなかったのだ。

 

 そう、数十隻と点在している不死皇帝の幽霊船団——その複数箇所でことは起こっていた。

 その事実を、焦りを感じさせない声音でトーナは淡々と報告していく。

 

 

『——現在、我ラハ『複数』ノ敵勢力カラ、同時ニ攻撃ヲ受ケテイルノデス……』

 

 

 

 

 

「——行くよ、皆!! 不死皇帝の相手は鬼太郎がしてくれる!! こいつらは、アタシたちがここで引きつけておくんだから!!」

 

 最初の爆発が起きた船の甲板上では、猫娘率いるゲゲゲの森の妖怪たちが奮闘していた。一反木綿同様、鬼太郎の要請で境港の危機に駆けつけてくれた頼りになる仲間たちだ。

 

「それっ! 火炎砂じゃ!!」

「オギャ!! オギャ!!」

「ぬりかべ~!!」 

 

 砂かけババアが火炎砂を振りまいて船を炎上させ、子泣き爺が自らの腕を石化して敵を殴り飛ばす。ぬりかべはその巨体と頑強さを活かし、敵の攻撃を食い止めていく。

 猫娘も含めてわずか四人と少数だが、数十体と群がってくる亡霊騎士たち相手に善戦を続けることが出来ていた。

 

『敵襲、敵襲……!』

『援軍ヲ要請セヨ……他ノ船カラ援軍ヲ……!』

 

 だが、妖怪たちがどれだけ奮戦しようと、敵を全て倒し尽くすことなど出来ない。この船に待機しているだけで数十体、他の船に潜んでいる騎士たちを含めれば、敵の規模は数百体にも及ぶのだ。

 いかに猫娘たちといえども、それだけの数が一気に傾れ込んでくるようなら、戦線の維持など出来ず、敵の勢いに呑まれていたことだろう。

 

『援軍……援軍ハ、マダ来ナイノカ?』

 

 しかし、どれだけ待っても他の船から援軍が来る様子はない。何故いつまで経っても同胞たちの加勢がないのかと、騎士たちも首を傾げるばかりだ。

 

 すると直後、再び爆発が起こる。

 それは猫娘たちがいる船とは、全く別の方角——別の船から轟く戦いの合図であった。

 

 

 

 

 

「——テメェら、根性見せやがれ!! 海の男が幽霊船如きに遅れをとるんじゃねぇぞ!!」

「——へ、ヘイ!! やってやりやすぜ、カシラ!!」

 

 猫娘たちから少し遅れ、幽霊船の一隻に襲撃を掛けたのは海賊船。セイウチの船長・バーンズが率いるバルド海賊団である。

 お頭の号令の下、海賊ペンギンたちが声を震わせながらも、武器を手にして亡霊騎士たちへと戦いを挑んでいる。

 

 当初は不死皇帝のネームバリューにびびっていた彼らだが、鬼太郎たちが不死皇帝と戦う気勢を見せたことで、彼らも奮い立った。

 流石に不死皇帝と直接戦うのは無謀だと分かっているようだが、その手下たちであれば自分たちでも相手になれると、海賊としての意地を見せることになったのだ。

 

「——俺たちもやるそ!! いつもいつも、鬼太郎さんたちばかりに頼ってもいられない!!」

「——ここは俺たちの境港だ!! 俺たちの手で……この町を守るんだ!!」

 

 さらに、海賊たちの中に境港の漁師たち——庄司やキノピーといった面々が混じっている。

 

 彼らも本来であれば、不死皇帝の異形を前に恐れ慄いていた。突如として訪れた危機に、為す術もなく逃げたところで誰も責めたりはしなかっただろう。

 だが毎度毎度、妖怪の騒ぎが起こるたびに鬼太郎の手を煩わせてしまっていることを、彼らは密かに恥じていた。

 故にこの機会にこそと、庄司を含めて主だった漁師たちが集まり、それぞれが武器を手に立ち上がったのだ。

 

 今こそ、自分たちの手で境港を守るときだと。 

 海賊たちと共に戦うことで、少なくとも数という面において亡霊騎士たちを圧倒する。

 

 それでも、周囲全ての幽霊船から敵勢力が集まってくれば、数という面でも不利となり戦局を覆されていただろう。

 ところが、ここで予想外の勢力が介入してくることで戦いの流れが大きく傾いていく。

 

 

 

 

 

『貴様ラ、何者ダ……何故我ラノ、不死皇帝ノ邪魔ヲスル?』

 

 それと対峙していた亡霊騎士の一人が、眼前に立ち塞がる彼らが何者なのかとその素性を問う。騎士らしい正面からの問い掛けに、そのものたちの代表が律儀に答えていく。

 

「——随分と好き勝手しておるではないか。この辺り一帯が、ワシら烏天狗一族の縄張りだと知っての狼藉かのう……」

 

 そのものは山伏の格好をした老人であり、他の面々も年齢の違いこそあれ、皆が山伏の装いに身を包んでいた。

 しかし彼らはただの人間ではなく、背中に黒い翼を生やしており、口も鳥のくちばしになっている。まさに鳥人間といった風貌だ。

 

 そう、彼らはこの地の霊峰・大山に棲まう『烏天狗(からすてんぐ)』たち。千三百年もの昔から、この地に起こる様々な出来事を見守り続けてきた、由緒正しき妖怪の一族である。

 ただ彼ら、特に烏天狗たちの長老などは保守的な性格であり、決してこのような戦い、妖怪や人間の諍いに進んで介入してくるような性分ではない筈だった。

 

「西洋妖怪、お主たちには色々と借りがあるでな……」

 

 だが、烏天狗と西洋妖怪との間には浅からぬ因縁がある。

 

 それは、かつてこの地に厄災をもたらした悪魔・ベリアル。

 バックベアードの配下でもあったその悪魔に自分たちの里を蹂躙され、一族ほぼ全員が一度は全滅させられる、などといった憂き目に遭わされていたのだ。

 幸い、鬼太郎の友人である魔女・アニエスのおかげでことなきを得たが、そのときの出来事は烏天狗たちの中で苦い記憶として残っている。

 

 そのベリアルと異なる陣営ではあるが、不死皇帝も西洋妖怪の大物の一人だ。その強大な妖力を警戒し、先手を打ちに来たというところか。

 

 だがそれ以上に、一族のものたちを説得し、彼らに不死皇帝と戦う決心をさせた若者がいた。

 

「すみません、長老……ボクの我儘に付き合ってもらって……」

「構わぬさ、小次郎。こやつらを放置しておけぬのも事実じゃて……」

 

 烏天狗たちの中でも、比較的若い成年が申し訳なさそうに長老へと頭を下げる。

 

 名を小次郎というその若者こそ、沖合に展開していた不死皇帝の船団を脅威だと説き、皆で打って出るべきだと主張した当人である。

 一族として二度と西洋妖怪に遅れを取るわけにはいかないというのが、表立っての彼の言い分であったが——。

 

 

「まなさん……たとえ記憶がなくなったとしても、ボクは貴女を……貴女の愛する、この境港を守って見せます!!」

 

 

 小次郎が西洋妖怪を放置しておけぬ、最大の理由。

 何を隠そうこの小次郎、妖怪の身でありながら人間の女の子に恋をしていた。その相手こそが犬山まなであり、彼女の魂の故郷とも呼べる境港を守るため、この戦いへと馳せ参じたのだ。

 

 彼も、犬山まなの記憶から妖怪の——自分との思い出が消え去ってしまったことは人伝に聞いていた。

 だがそれでも構わないと。自身の恋を守るため、不死皇帝という脅威に立ち向かうのであった。

 

 

 

 そうして、様々な理由や思いから不死皇帝に抗うものたちが、ここに集結した。

 一人一人が強大な戦力というわけではなかったが、それが束になることで決して挫けぬ折れぬ矢となり、不死皇帝配下の騎士たちを手こずらせていたのである。

 

 

 

『——おのれぇえええええ!! 羽虫どもめが、どこまでも調子に乗りおって!!』

 

 そういった襲撃者の報告を聞き終え、不死皇帝がさらに怒り狂った咆哮を上げていく。

 

『もうよい!! 貴様らの手に余るというなら、我自らの手で捻り潰してくれるまでよ!!』

 

 彼は配下たちの不甲斐なさを認めると、自身の手で直接歯向かうものたちを片付けようと、その巨体を船の方へと移動させようとする。

 

「させるか!!」

『むぐっ……!?』

 

 だがそうはさせまいと、不死皇帝と対峙していた鬼太郎がその隙を突くように攻撃を加えていく。さしもの不死皇帝といえども、鬼太郎の存在を無視して移動することなど出来ないだろう。

 どこまでも目障りな鬼太郎に、不死皇帝はその瞳に憎悪を滲ませていく。

 

『貴様……本気で、本気で我に敵うと思っているのか? 一度は無様に敗北した分際で……我の前に立ちはだかろうというのか!?』

 

 既に鬼太郎と一戦を交えている不死皇帝は、彼の存在を取るに足らない小僧と判断していた。

 あのバックベアードを倒したという話だが、それもきっと何かの間違いだろうと、彼のことをそこまで危険視してはいなかった。

 だが鬼太郎はその瞳に強い決意を宿し、不死皇帝を前にしながらも堂々と宣言して見せる。

 

 

「これ以上、お前に誰も傷つけさせない!! この地での暴挙を、許すわけにはいかないんだ!!」

 

 

 鬼太郎を突き動かすもの、それはエレやフラメシュといった何の罪もない彼女たちを守るためというのもある。

 

 だがそれ以上にこの町を、この境港の地を汚させてはならないという思いが、鬼太郎を強く突き動かしていた。

 

 鬼太郎にとっても、この境港は大事な友人——犬山まなと過ごした大切な場所なのだ。そんな地での狼藉をこれ以上許すわけにはいかないと、握り拳にも自然と力がこもる。

 

『ほざけ、小僧!! ならば貴様を始末した後に、この町の全て焼き尽くしてくれるわ!!』

 

 そんな鬼太郎に、怒り狂う不死皇帝は残虐なことを口走っていく。

 

 目的さえ果たせていれば、不死皇帝は自身を終わらせることで全てを丸く収めていただろう。だがその願いを果たせないと悟ってか、八つ当たりのように全てを破壊すると喚き散らす。

 

 鬼太郎の敗北はそのまま戦っている仲間たちの、そして境港という町の終焉を意味する。

 

 

「お前は……ここで倒す!!」

 

 

 故に絶対に負けられないと、鬼太郎の瞳に不退転の決意が宿る。

 

 

「——指鉄砲!!」

 

 

 その決意と共に、鬼太郎の指先から青白い光が放たれていく。

 

 

 

『——舐めるな!!』

 

 鬼太郎の放った渾身の指鉄砲を、不死皇帝は正面から受け止める。巨大な左手一本で青白い光の奔流を堪えて見せる威風堂々たる姿は、確かに皇帝としての威厳が伴っていた。

 

『なかなかの威力だが……この程度で我を倒すなど片腹痛いわ!!』

 

 受け止めた当初、不死皇帝にも余裕があった。

 鬼太郎の指鉄砲はかなりの威力ではあるが、このくらいであれば十分に耐え切れると。その攻撃を受け切った後、力尽きた鬼太郎の首を取れば全てに片がつくと、余裕の笑みすら浮かべていた。

 

 

「——はあああああああああああああああああ!!」

 

 

 だが予想外にも、そこからさらに力を振り絞っていく、ゲゲゲの鬼太郎。

 指鉄砲の勢いは衰えるどころか、さらに威力が増していき、不死皇帝の巨体を徐々に後退させていく。

 

『くっ……!? まだまだ……これしきのことでっ!!』

 

 しかしそれでもと、不死皇帝はその一撃を受け止め続ける。不滅の肉体を持つ自分であれば、これくらい堪え切れると考えたのだろう。

 

 

 だが、次の瞬間——指鉄砲を受け止めていた不死皇帝の左手が、ピシリと音を立てて崩れ始めた。

 

 

『ば、バカな!? 我の体が……!? 決して滅びぬ不滅の肉体が……!?』

 

 予想外の事態に狼狽し始める不死皇帝。さらに崩壊は左手だけに留まらず、その全身にまで広がっていくではないか。

 

 しかも、その崩壊には——これまでのように再生する気配がなかった。

 

 朽ちては戻り、また朽ちていくと。ある意味呪いのような再生力を発揮する筈の肉体が、この瞬間だけその効力を発揮しなかったのである。

 何故こんなときに限ってと、不死皇帝の脳裏に疑問が過ぎる。

 

「っ!? 鬼太郎、あれを見てみよ!!」

 

 その異変の答えを、鬼太郎と共に不死皇帝と対峙していた目玉おやじがその瞳に捉える。

 見れば、鬼太郎の指鉄砲を耐え抜いている不死皇帝の肉体、その内部から漏れ出るように——『炎』が上がっていたのだ。

 

 その炎の色合いは——まさに先ほどまで、不死皇帝が浴びていた炎と同質のものであった。

 

『ま、まさか……!? 煉獄の妖女の炎が……!!』

 

 その瞬間、不死皇帝も悟った。

 自身の不死性に対しまるで意味がないかに思われた、煉獄の妖女の炎。だがその炎は未だ消えることなく、不死皇帝の体内で燃え上がっていたのだ。

 

 内側で燃える炎と、外側から襲い掛かる指鉄砲の衝撃。その二つが重なり合うことで——ついに、不死皇帝の肉体が急速に崩壊を始めていく。

 

『おお……おお!? く、崩れる……我が肉体が……まさか……こんなっ!?』

 

 まさかの事態に戸惑い、驚きを隠せないでいる不死皇帝。

 だがすぐに——これこそが、自分が望んだ『死』なのだと思い出す。

 

 

『——おおおお!! そうだ……我は、私は……この瞬間を待ち望んで…………』

 

 

 不死皇帝は自身の体から力を抜いた。

 瞬間、均衡が崩れたことで鬼太郎の指鉄砲の閃光が、一気に不死皇帝を飲み込んでいく。

 

 

 自身に終焉をもたらすその閃光が——不死皇帝には、救いの光に見えていたかもしれない。

 

 

 

×

 

 

 

 鬼太郎の指鉄砲は、不死皇帝を飲み込んだ瞬間に炸裂し、凄まじい爆発音を周囲一帯に響かせる。その衝撃に船上で戦っていたものたちが、敵味方問わずに動きを止め、上空を仰ぎ見たであろう。

 

「はぁはぁ……やった……のか?」

「や、やったばい!! 流石は鬼太郎しゃんよ!!」

 

 渾身の一射を放ち、かなりの妖力を消耗して息を切らせる鬼太郎。疲労困憊の鬼太郎に代わり、彼を背に乗せている一反木綿がガッツポーズで勝利を噛み締める。

 指鉄砲の直撃を受け、確かに肉体は吹き飛んだ。あれで生き残っているなどということはあるまいと、此度の元凶を打ち倒したことにホッと一息付く一同。

 

 

 だが——。

 

 

『——ふはははははははははは!!』

「な、何じゃと!?」

 

 

 そう安堵した刹那、その場に笑い声が木霊する。

 大気を震わせる禍々しいその声は、間違いなく不死皇帝のものだ。まさかと目玉おやじが目を疑うよう、爆発音が響いた宙空へと目を向ける。

 

「まさか……これでも駄目なのか……!?」

 

 あれだけの一撃を食らって倒せないというなら、もはや自分たちには手の打ちようがないと、鬼太郎の顔色にも翳りが生じる。

 

 

『そうか、これが肉体を失うという感覚か!! これが、魂だけになるということか!! はははははは!!』

 

 

 もっとも、爆発が収まって煙が晴れたとき、そこに不死皇帝の肉体は存在しなかった。

 不死皇帝の肉体は確かに滅んだ。だがそれは、あくまで『肉体』が消滅しただけ。たとえ体を失っても、『魂』さえ無事なら妖怪は何度でも蘇ることができる。

 不死皇帝といえども、そのルールに例外はない。

 

『ふははははは!! 体が軽い!! 痛みが消えたぞ!! 我を苦しめる肉体が……ようやく消え去ったのだ!!』

 

 そこには魂だけの存在となった不死皇帝がおり、驚くべきことに彼は強くその意識を保っていた。

 

 勿論、さしもの不死皇帝といえども魂だけとなっては強大な力を発揮することも出来ない。

 だが手も足も出せなくなった無力感よりも、彼は不自由な肉体から解放された喜びに打ち震えるように笑い声を上げていた。

 

 もう自分を縛る肉体はない。常に己を苛んでいた苦しみが消えたと解放感に浸る。

 

 

『これで……静かに眠ることが出来る……』

 

 

 たとえそれが、肉体が復活してしまうまでの、束の間の休息に過ぎないとしても構わないと。不死皇帝は自らの意識を深く眠りの中へ、海中へと己の魂を沈めていく。

 

 

 その眠りが出来るだけ長く続くよう、祈るような思いを口にしながら——。

 

 

 

『不死皇帝ガ眠リニツイタ……我等モ役目ヲ終エ、共ニ眠リニツコウ……』

 

 不死皇帝の魂が海へと沈む光景を、その場にいた騎士団長のトーナが静かに見届けていく。

 

 彼は最後まで、鬼太郎と不死皇帝との戦いに割って入っても来なかった。手を貸せという命令がなかったからか、あるいは不死皇帝の望む『死』を、鬼太郎がもたらしてくれるという期待があったからか。

 いずれにせよ不死皇帝がいない今、トーナを含めた亡霊騎士たちの役目も終わりを迎え、その姿が霞のように消えていく。

 

「おおっ……!? 見てみい、鬼太郎しゃん!!」

「幽霊船が沈んでいく……」

 

 さらに不死皇帝の撃沈に呼応するよう、沖合に展開していた幽霊船も音を立てて崩れ始めた。

 その光景を上空から見届ける鬼太郎たち、船の上で戦っていたであろう猫娘たちのことを気に掛けるが、沈み行く船団から一隻の海賊船が離れていくのが見えた。

 

 遠目からだが、その船の上に海賊たちや庄司たち、そして猫娘たち全員が乗っているのを確認。

 どうやら、皆も無事に脱出したようだ。そのことに安堵しつつ、鬼太郎は他に気にかけるべき少女——エレとフラメシュの二人へと意識を向ける。

 

 不死皇帝との戦いに夢中で気付くのが遅れてしまったが、途中から伝わってくる炎の熱さが薄れていったような気がした。

 もしかしたら、煉獄の妖女の炎が何かしらの理由で消えたのかもしれないと、彼女たちが無事であることを期待する鬼太郎。

 

「——エレ!! しっかりしてよ……ねぇ!!」

「——っ!?」

 

 だが鬼太郎が振り返った先では、一人の少女が涙目になり、もう一人の少女の身を気遣っていた。

 

「エレっ!?」

「う、うう……」

 

 そこにはボロボロになりながらも空を飛び、フラメシュを抱き抱えているエレの姿があった。

 既にフラメシュの身からも炎は引いていたが、彼女たちの身体はあちこちが火傷だらけであり——その身は、今にも崩れてしまいそうなほど満身創痍であった。

 

 

 

×

 

 

 

「エレ!! なんで……どうしてこんなことにっ……」

「フラメシュ……無事だったんだね、よかった……」

 

 フラフラになりながらも、エレはフラメシュを抱えたまま、浜辺まで舞い降りることが出来た。だが地上に足をつけるや、エレは力尽きて倒れてしまう。

 地に伏せるエレにフラメシュが駆け寄ろうとするが、彼女自身も重症であり、地べたを這いずるのが精一杯といった状態だった。

 

「二人とも、大丈夫か!?」 

「いかん!! すぐに手当を……」

 

 そんな瀕死の彼女たちの元へ、すぐに鬼太郎たちも舞い降りてくる。目玉おやじが彼女たちに手当を施すため、怪我の具合を診ようとする。

 

 

「——無駄だ……二人とも……そう長くはなかろう……」

 

 

 だがそんな彼女たちを『手遅れだと』。冷静に冷酷な審判を下すものがその場に舞い降りてくる。

 

「お前は、不死皇帝の……」

 

 その人物を前に鬼太郎が眉を顰める。

 亡霊騎士も、幽霊船も。不死皇帝に与するものがほとんど消え去った中、ただ一人その場に残っていたもの——魔女・テセニーゼである。

 

 主である不死皇帝を倒されながらも、彼女からは鬼太郎に対する敵意など感じられない。

 ただ不気味に佇みながら、魔女はエレやフラメシュが手遅れである理由をボソボソと語っていく。

 

「たとえ炎を消し去ることができても……炎に焼かれた傷までは元には戻らない……」

「っ……!!」

 

 魔女の宣告に鬼太郎たちが息を呑む。

 

 そう、エレの勇気ある想いは確かに奇跡を起こし、フラメシュの身から炎を退けることに成功した。だがそのために炎へと飛び込んでしまったエレの体は、煉獄の炎によって致命的な深傷を負ってしまった。

 そして、炎を纏い続けたフラメシュ自身も、既に限界を迎えようとしている。

 

「遠からず、お前たちの命は尽きる……これはもう、決して覆すことの出来ない……運命だ……」

 

 二人の命がもう間もなく終わると、テセニーゼは審判を下すように告げるのだ。

 

「そんな……何とかならんのかい!! こんな可愛い子たちが、何故死なんといかんばい!!」

 

 これに抗議の声を上げる、一反木綿。純粋にエレたちの身を案じてのことではあるが、彼が口にするとどうにも下心を感じてしまうのは何故だろう。

 

「エレ……ごめん、ごめんね……!!」

「謝らないで、フラメシュ……私、何も後悔してないから……」

 

 自分たちの命が長くないと理解するや、フラメシュはエレに懺悔するよう謝罪を口にし続けた。自分のせいでエレまでも、死せる運命へと巻き込んでしまったことを心底から後悔している。

 一方で、謝るフラメシュにエレは穏やかな笑みを浮かべ続ける。自身の命を捧げる形となってしまったエレだが、その行動自体に後悔はなかったと彼女は全てを受け入れた。

 

 二人は最後の瞬間まで、決して互いから目を離そうとしない。

 

「…………」

 

 そんな彼女たちをただ見ていることしか出来ず、鬼太郎は無力感に打ちひしがれるように項垂れる。

 

 

「——お前たち……定められた運命に……抗うつもりはあるか?」

「えっ?」

 

 

 だがここで、彼女たちの終わりに待ったを掛ける言葉が——テセニーゼの口から発せられる。まさかの人物からの申し出に、その場にいた全員の視線が彼女に集中する。

 皆の視線を一身に浴びながらも、テセニーゼは揺らぐことなく言葉を紡いでいく。

 

 

「——私は転生の魔女テセニーゼ……私と契約を交わす覚悟があるのならば……お前たちの望みを叶えよう……」

 

 

 同胞から一人前と認められた魔女は、魔女たちの寄り合い——『魔女会』から、二つ名を授けられるのが通例だ。

 雨、霧、森、沼など。二つ名はそれぞれ異なっており、その呼び名がその魔女の有り様を示す象徴となる。

 

 テセニーゼに与えられた二つ名は——『転生』。

 永遠を生きる不死皇帝に仕えるべく、自らも転生を重ね続けてきた彼女に、魔女会が敬意と憐れみを込めて贈った二つ名である。

 

「私なら……お前たちを転生させ……死せる運命を覆し……その命を新しく生まれ変わらせることも可能だ……」

 

 そしてテセニーゼは自身のみならず、他者の命すらも転生によって生まれ変わらせることが出来るというのだ。

 

「どういうつもりだ、魔女……」

「お主、不死皇帝の配下ではないのか? 何故、彼女たちに手を貸す?」

 

 当然、突然の申し出に鬼太郎や目玉おやじからは警戒心を抱かれる。

 

 テセニーゼは不死皇帝の配下。その彼女が何故このタイミングで、煉獄の妖女として利用するだけのフラメシュたちに救いの手を差し伸べようとするのか。

 その心情を推し量ることが出来ず、思わず何かの罠かと勘繰ってしまう。

 

「確かに……私は不死皇帝に仕える魔女……あの者の妻として、その最後を見届ける義務があった……」

「え、ええ~!! あのデッカいのの……奥さん……!?」

 

 そんな鬼太郎たちの反応に、テセニーゼは自分が不死皇帝の配下であり、妻として彼に協力していたことを告げる。

 何気に初耳で衝撃的な情報に一反木綿が素っ頓狂な声を上げるが、その点を特に深掘りすることもなく、テセニーゼは語り続ける。

 

「不死皇帝が眠りについた今、お前たちと敵対する理由もない……ここで魔女としての仕事をこなしても……奴も私を咎めはしまい……」

「仕事だって……?」

 

 どうやら、テセニーゼは不死皇帝に対する情よりも、魔女としての有り様を優先したようだ。仕事という言葉を使ったことからも、その申し出が無償の奉仕でないことが窺い知れる。

 

「当然……代償は払ってもらう。お前たち二人から……それぞれ大事なものを対価としていただく……」

「対価って……いったい、何を差し出せって言うのよ……!!」

 

 案の定、テセニーゼはエレとフラメシュの二人に、『対価』を支払えと要求してきた。今にも事切れそうな少女たちから、何を奪おうというのか。無遠慮な提案にフラメシュが憤りを露わにする。

 

 テセニーゼは既に貰うべき対価を決めていたのか。エレとフラメシュ、それぞれを指差しながら淡々と告げていく。

 

 

「——セイレーンのお前からは『羽根』を……マーメイドのお前からは、その『尾』をいただく……」

 

 

 セイレーンの羽根——空を自由に飛ぶためにも必要な翼。

 マーメイドの尾——海の中を自由に泳ぎ回るために必要な尾ビレ。

 

 種族の象徴とも呼べるそれらは、確かに二人にとって大切なものだと言えよう。

 

「それって……つまり……」

 

 それを差し出す、失うということはつまり——。

 

 

「羽根と尾が失ったお前たちなど……ただの人間も同然。お前たちは……人間として生まれ変わる……」

 

 

 そう、テセニーゼは二人の少女に『人間』になって生きていけと言うのだ。それこそが、魔女と契約する上で必要になってくる代償、対価というわけだ。

 妖怪である彼女たちが、人間という種に生まれ変わる。それはこの世の摂理に反した、まさに運命を覆す魔法という名の奇跡と言えよう。

 

 一応、エレとフラメシュには、『妖怪のまま朽ち果てる』という選択肢も残っている。妖怪のままで肉体が消滅しても、魂が無事ならいつかは復活することが出来るだろう。

 その場合、肉体を取り戻すのに何十年と掛かるだろうが、妖怪にとってその程度大した時間ではない。きっとそうする方が当たり前、自然な流れだっと言えるだろう。

 

 

 だが——。

 

 

「——いいわ!! なってやろうじゃない……人間ってやつに!!」

「——私も……フラメシュと一緒なら……構わないよ」

 

 二人はほとんど迷うことなく、テセニーゼの提案を受け入れた。二人揃って、人間へと生まれ変わる道を選んだのである。

 

 きっと一人だけなら、考慮にすら値しない選択肢だっただろう。

 人間に対して特別な感情を抱いているわけでもない彼女たちが、妖怪としての特異性を失ってまで人間になど生まれ変わりたいなどと思わない。

 

 けど二人で一緒なら、人間だろうとなんだろうと構わない。

 元々が異なる種族、セイレーンとマーメイドという違いを抱えていたからこそ。二人は同じ種族として生きることが出来る選択肢に、希望を見出したのかもしれない。

 

 

「フラメシュ。人間に生まれ変わっても……私と友達になってくれる?」

「当たり前じゃない! たとえ離れ離れになっても……エレのこと、必ず見つけ出して見せるから!!」

 

 

 最後、エレとフラメシュの二人が今生において最後の言葉を交わす。

 彼女たちの表情に悲壮感などなく、その声音はどこまでも互いへの想いに満ち溢れていた。

 

 

 

「……よろしい……契約成立だな……」

「待っ……!?」

 

 二人の覚悟を見届けたテセニーゼは、彼女たちの望みを叶えるべく、自らの代名詞である転生の魔法を行使していく。

 鬼太郎が咄嗟に静止しようと手を伸ばし掛けたが——そのときには全てが終わっていた。

 

「————」

「————」

 

 光に包まれていく、エレとフラメシュの肉体。

 彼女たちの体は砂のようにサラサラと崩れ落ちていくが、そこから眩いほどの輝きを持った球体が二つ、飛び出して来た。

 きっとそれが、エレとフラメシュの魂なのだろう。

 

 

「……行くがよい……新しく生まれてくる命に宿るのだ……」

 

 

 それを手繰り寄せ、大事そうに手に取ったテセニーゼ。

 だがすぐにその魂を解き放ち、空高く舞う二つの魂がそれぞれ別の方角へ飛び去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——う~ん!! やっぱ、境港の空気は格別だよね!! ここに来ると……夏っ! って感じがするんだよ!!」

「——そうか、そうか!! まなにそう言ってもらえると、俺たちも頑張った甲斐があったってもんだ!!」

 

 

 後日。全ての騒動が丸く収まった境港に一人の少女が訪れていた。毎年、親戚である犬山庄司の家に遊びに来る姪っ子——犬山まなである。

 

 妖怪との、鬼太郎たちの記憶を失くしている彼女ではあるが、境港での思い出は失われていない。毎年、夏休みに境港へと遊びに行くことが彼女にとって大事なイベントであることに変わりはなく、一年ぶりの境港を思う存分満喫していた。

 

「……ねぇ、庄司叔父さん?」

「ん? どうした、まな?」

 

 だがふと、ウキウキ気分で街中を庄司と共に散策していたまなの足が止まった。

 

「何か……昔と雰囲気が違うような気がするけど、この辺りの通りってこんな感じだったけ?」

 

 彼女が目にした通り——そこは、普段であれば『妖怪の銅像』が何体も飾られている通り道だった。

 

 その通りには、とある妖怪が自らを銅像と化して眠った場所があった。

 境港の人たちは、その妖怪が一人でも寂しくないようにと、自作で妖怪の銅像を作るようになったのだ。銅像の数はどんどん増えていき、今ではちょっとした観光名所になっている。

 その銅像の中には鬼太郎や猫娘、ゲゲゲの森の妖怪たち——まなと友好を深めたものたちのものもある。

 

「ああ……こ、この辺りは今工事中でな……あんまり見せられるものがないんだ……すまんな、まな」

「ふ~ん……そうなんだ……」

 

 そのため、まなが来ることになった日から、修理と称して大半の銅像をブルーシートで覆い隠すことにしたのだ。そのせいで景観がおかしいことになっており、それがまなに違和感を抱かせているのだろう。

 とりあえず、庄司はその場を笑って誤魔化す。叔父のぎこちない笑みにまなは首を傾げるも、そういうものなんだろうと自分を納得させていく。

 

「あれ……? この銅像、随分と真新しいね! それに……なんだかすっごく綺麗な子たちだ……」

 

 そんな、ほとんどの銅像が隠されている通り道において、ブルーシートに覆われていない一組の銅像があった。

 それはここ最近になって作られたものであり、まなが目にしたとしても問題ないと、特に隠されてはいなかった。

 

「ああ、それな。それは……この境港を訪れた……とある少女たちの銅像だよ……」

 

 まなが綺麗だといった銅像に、庄司は少しやるせないような気持ちを抱きながらも、それが何の像なのか話していく。

 

 

 

 

 

 そう、それはこの境港の地を訪れた——セイレーンとマーメイドの少女を模したもの。

 エレとフラメシュ、二人の顛末を鬼太郎から聞かされた境港の人たちが、彼女たちのことを思って建てた銅像だった。

 

 互いに想い合った少女たちの絆が永遠であることを願い。

 きっといつか、人間へと生まれ変わった彼女たちが、巡り会える日を願って。

 

 

 境港の人々は、その銅像と共に彼女たちの物語を語り継いでいくだろう。

 

 

 




人物紹介
 
 烏天狗一族
  境港と言えば……ということで短いながらも出演していただきました。
  アニメ6期でチョイ役ながらも、活躍した由緒正しき妖怪一族。
  長老は基本的に保守的だが、なんだかんだで面倒見てくれる結構いい人。

 小次郎
  烏天狗一族の若者。
  おそらく、まなちゃんの『妖怪を惚れさせるオーラ』の一番の犠牲者。
  あれだけ分かりやすく惚れてるのに……それに気付かない鈍いまなちゃん。


次回予告

「父さん。ねずみ男のやつが、妖怪ポストなんて廃止して。
 ネットの掲示板から依頼を受け付けるようにすればいいなんて言い出しました。
 確かに今の時代……手紙なんてもう古いのかもしれません。
 けど、手紙でなければ伝わらない思いがあると……それをボクはあの人たちに教わりました。
 彼女……名前を何と言ったでしょうか? 確か……。

 次回――ゲゲゲの鬼太郎『ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン、妖怪ポスト誕生秘話』見えない世界の扉が開く」


というわけで、次回は前々から書きたいと思っていたお話。
『ゲゲゲの謎』が公開されたことで、鬼太郎の過去が明るみになり、ようやくクロス出来る土台が生まれました。

がっつり映画のネタもぶっこんでいくので、まだゲゲゲの謎を視聴していない方は4月に配信が開始されるゲゲゲの謎をチェックしてください!!(宣伝)





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン 其の①

fgoグランドオーダー『不可逆廃棄孔 イド』クリアした……クリアしてしまった。
旅の終わりが近いことを感じさせるストーリー……アヴェンジャーたちが、エドモンやオルタたちが離れていってしまうと、喪失感に項垂れて……いたのですが!!

ついに!! 『魔法使いの夜』とのコラボが開催されるとのこと!!
落ち込んでいる暇はない!! 青子や有珠のためにも、石を貯め直さねば!!


さて、ようやく新しいお話として『ヴァイオレット・エヴァガーデン』とのクロスをお届けできることになりました。
本来なら、ここでクロス先の紹介などするところなのですが……それは次回の前書きに取っておきます。

何故なら、今回の其の①ではクロス先であるヴァイオレット・エヴァ―ガーデンたちのキャラが最後の最後まで出て来ないからです!!

今回の話では舞台設定など、そこら辺の話を詳しく書いています。
ヴァイオレット・エヴァ―ガーデンとの本格的なクロスは次話までお預けです。

その代わりと言っては何ですが、今回のお話には『ゲゲゲの謎』の要素がふんだんに盛り込んであります。
というか、実質的にゲゲゲの謎の続きを意識したストーリー展開になっています。

最初こそ、現代パートから話が始まりますが。
今作は主にゲゲゲの謎から八年後……1964年が舞台となっております。

鬼太郎の過去や、あの人の境遇など。
本作の独自設定もありますが……どうか楽しんで行ってください。




 その日、特に事件や用事があるわけでもなかったが、猫娘はゲゲゲハウスを訪れていた。

 

 彼——ゲゲゲの鬼太郎に好意を持っている彼女としては、少しでも彼と一緒の時間を過ごしたいと思うのが乙女心というもの。その場に彼の父親である目玉おやじや、他の仲間たちがいても構わない。

 彼と触れ合える時間が一分でも、一秒でも長ければそれでいい。それだけでいいと思っていたのだが——。

 

「なんで、アンタがいんのよ……」

「なんだよ、俺がいちゃ悪いってのかよ……ああん!?」

 

 その日、何故か知らないがねずみ男の方が先に鬼太郎の家へ上がり込んでいた。ただでさえ狭いゲゲゲハウス内、ねずみ男は無遠慮に寝っ転がりながら、適当にスマホなど弄っている。

 

「父さん、湯加減はどうですか?」

「ああ……少し温いかもしれん、もう少し熱くしてくれても構わんぞ?」

 

 鬼太郎も鬼太郎で、自分の家に居座っているねずみ男のことなど気にも留めず。いつものように目玉おやじの茶碗風呂の面倒を見ていた。

 彼にとってねずみ男や他の仲間たち、それに猫娘が家にいようと特に気に掛けることでもない、自然なことというわけだ。

 

「…………」

 

 猫娘は自分がねずみ男と同列に扱われ、なんとも面白くない気持ちになる。とはいえ、これといって問題を起こしているわけでもない今のねずみ男に無為に突っかかる訳にもいかず。

 とりあえずその存在を無視しつつ、猫娘は自然な調子で鬼太郎の隣に腰掛け、適当にスマホなどで時間を潰していく。

 

 

 

「…………」

「…………」

 

 それから暫く、猫娘もねずみ男も互いに口を開くことなく、静かに時間だけが過ぎていく。

 

「父さん。やはり、妖怪絡みの事件がだいぶ増えて……人間たちに認知されるようになってきましたね……」

「うむ……なんとか人間たちの目の止まらないうちに解決したいところじゃが……難しい問題じゃな……」

 

 その間、鬼太郎と目玉おやじは昨今の社会情勢について話しをしていた。

 

 近年、例の戦争の後も妖怪が表立って暴れるような事件が多発し、それが人間たちにも広く知れ渡るようになってしまったと。そういった情報を鬼太郎は紙面に書かれている記事から得ている。

 彼が手にしているそれは新聞紙だ。鬼太郎も新聞くらいは読む。勿論、妖怪ポストに新聞配達が来るわけではない。号外で配布されているものや、その辺に捨てられている新聞を拾っては、こうして情報収集に勤しんでいるのだ。

 

「……なあ、鬼太郎よ……」

 

 すると、そんな鬼太郎にねずみ男が声を掛けた。

 

「お前、そろそろスマホくらい持ったらどうだ? 今時新聞で情報収集なんざ、時代遅れもいいとこだぜ?」

「どうした、いきなり……?」

 

 突然の物言いに鬼太郎は面を食らったが、彼の戸惑いなど気にせずねずみ男は呆れ気味に言葉を続ける。

 

「だいたいその新聞、二日前のやつじゃねぇかよ!! 情報ってのは、新鮮さがウリなんだ!! 古臭い情報なんざ、いくら漁ったところで手遅れなんだよ!!」

 

 ねずみ男は鬼太郎の呼んでいる新聞の日付が二日前——もはや過去のものであることを指摘した。

 情報とは常にアップデートされるもの。数日前の情報など、最新のものに比べれば鮮度の落ちた魚も同然、わざわざ得る価値もないと言う。

 

「今はネットでニュースを漁る時代なんだよ!! スマホ一つでいつでも、どこでも新しい情報が入って来る……全く、便利な世の中になったもんだぜ!!」

 

 その点、ネットニュースであれば毎日どころか、毎時間、新しいニュースが常に更新され続けており、スマホさえあればそれをいつでも好きなときに閲覧できるのだと。

 ここぞとばかりに、鬼太郎にスマホを持たせようとねずみ男がその利便性を説く。

 

「なあ、おめぇだってそう思うだろ……猫娘!!」

「えっ……そ、それは……ひ、否定できないけど……」

 

 しかも、彼はここで猫娘に同意を求めた。普段であれば、ねずみ男の意見になど頷きたくない猫娘であったが、そのときばかりは首を横に振ることが出来なかった。

 実際、猫娘もスマホの便利さに恩恵を受けている身だ。一昔前であればいざ知らず、今の世の中、スマホがなければ人間社会に紛れるのも一苦労。

 他の仲間たち、砂かけババアや子泣き爺といった年寄り妖怪たちでさえ、スマホで連絡を取り合っているような状況なのだ。

 

 正直、鬼太郎だってスマホくらい持ってもいいだろうと、猫娘も思っていたことである。

 

「うむ……確かに前々から便利そうじゃとは思っておったが……」

 

 そういったねずみ男の話に、目玉おやじが興味を見せる。

 意外にも、こういった話題には目玉おやじの方が関心を示すことが多い。反対に、ねずみ男の力説に鬼太郎はあまりピンと来ていないのか。

 

「う~ん……やめとくよ。みんなみたいに、上手く使いこなせる自信もないし……」

 

 少しばかり考える仕草こそ見せるが、全く心に響いた様子もなく首を横に振る。

 

「かはっ~!! ほんと……お前さんは!! そんなんじゃ、時代に取り残される一方だぜ!!」

 

 その返答に、さらにねずみ男は呆れたように頭を抱えた。

 

「こいつの扱いなら俺がタダで教えてやるからよ! いい加減、お前も時代に順応しようぜ……なっ?」

「そ、そう言われてもな……」

 

 諦めの悪いねずみ男がそれでも、鬼太郎にスマホを持たせようと食い気味に顔を寄せる。使い方をタダで教えると、彼にしては気前の良い言葉に思わず鬼太郎も怯んでしまっている。

 

「ちょっと、ねずみ男!!」

 

 先ほどは同意しかけた猫娘だったが、無理矢理にでもスマホを持たせようとするねずみ男の迫りようには流石に口を挟む。

 確かに鬼太郎にスマホを持って欲しいとは思うが、それだって個人の自由だろうと。猫娘はあくまで鬼太郎の意思を尊重しようとする。

 

「カアッ!!」

「あら……?」

 

 と、そんなときであった。ゲゲゲハウスの窓に一羽のカラスが舞い降り、自分たちを呼ぶ鳴き声に猫娘が振り返る。

 カラスの足元には、一通の手紙が置かれていた。

 

「鬼太郎、手紙よ。また何か事件かしら……」

「あ、ああ……ありがとう、猫娘」

 

 どうやら、妖怪ポストからの手紙をカラスが直接持って来てくれたようだ。猫娘がその手紙を鬼太郎に渡すと、彼はちょっと安堵したようにホッと息を吐く。

 ねずみ男に絡まれて困っていたためか、すぐに開封して手紙に目を通していく。

 

「なあ、鬼太郎よ……そういった依頼も、ネットの掲示板で受けられるようになるんだぜ? 今時、手紙なんざアナログにもほどが……」

「しつこいわよ、アンタ……」

 

 だが話はまだ終わっていないとばかりに、手紙を読む鬼太郎に尚もねずみ男は声を掛けていく。スマホにすればわざわざ手紙などという、古臭い伝達手段に頼る必要もないのだと説得を続ける。

 あまりにもしつこいねずみ男に猫娘がうんざりと吐き捨て、実力行使で黙らせようかと爪を伸ばし掛ける。

 

 

「——いや、手紙でいい。手紙でなきゃ駄目なんだ」

「——!!」

 

 

 ところが、今度は鬼太郎がはっきりとねずみ男の言い分を否定した。先ほどまでの曖昧な返事とは違い、確かな『信念』のようなものが、その言葉には込められている。

 

「手紙だからこそ、手紙でなくては伝わらない思いがある……それを、ボクは『あの人』たちから教わったんだ」

 

 鬼太郎はあくまで『手紙』というものに特別な思いを持っているらしく、それだけは変えるつもりはないという。

 

「!! そうじゃ……そうじゃったな……」

 

 息子の言葉に目玉おやじも何かを思い出し、しみじみと過去を懐かしむ。

 

「……?」

「……?」

 

 そんな二人の様子に猫娘も、ねずみ男も首を傾げる。どうやら二人も知らないところで何かがあったらしい。きっと当事者にしか預かり知らぬことだろう。

 

 

「あの女性、外人じゃったが……名はなんと言ったか。覚えておるか、鬼太郎?」

「名前ですか? ええっと、確か……」

 

 

 鬼太郎と目玉おやじは過去を——『その人』のことを思い出そうとする。

 

 

 

×

 

 

 

 1964年。その年、日本は転期を迎えようとしていた。

 

 世界中を巻き込んだ第二次世界大戦が終結し、もう19年が経つ。戦争の爪痕は色濃いながらも人々の弛む努力の甲斐もあってか、日本は復興の道を歩み、それを成し遂げようとしていた。

 一度は焼け野原となった国土も今や多くの人々で賑わい、活気に満ちている。戦争の苦い記憶も薄れて来た昨今、人々の気持ちはとある祭典に向けられていた。

 

 

 それこそ——『東京オリンピック』である。

 

 

 四年に一度催されるこの祭典に、日本どころかアジアとしても初めての開催地として東京が選ばれたのである。

 一時は敗戦国としてどん底まで落ちぶれた日本が、オリンピックという祭典を通して世界中から注目される立場となった。まさに大躍進というやつであろう。

 

 この記念すべき祭典を無事成功させようと、ときの総理大臣・池田(いけだ)勇人(はやと)は自らの政治生命を賭けて尽力した。

 来たるべきオリンピックに向け、首都の大改造、東海道新幹線の建設など。様々な政策に踏み切り、全力でそれを指揮したのである。

 

 元々、池田勇人は自身が進める経済政策を公約として掲げていた政治家である。このオリンピックこそ、経済復興を遂げた日本を世界中にお披露目する、またとない機会であると確信したのか。

 オリンピックまでに全ての改革を間に合わせようと、自身も方々を死に物狂いで奔走したのである。

 結果として、東京オリンピックは見事に大成功。日本は戦後からの奇跡の大復興を成し遂げたと、世界中に知らしめることになった。

 

 だがそれまでの激務が祟ったのか、オリンピックの閉会式の翌日。池田勇人は自身が病魔に侵されていることを理由に退陣を表明。翌年、癌によってこの世を去る。

 政治生命どころか、まさに身命を賭してオリンピックを成功へと導き——そして力尽きたのである。

 

 オリンピック成功のため、日本復興のため。

 疾風のように駆け抜け、その命を燃やし尽くした池田総理。

 

 だが、オリンピックの影響でその命を縮めた人間は——彼一人ではない。

 

 

 

 

 

「——急げ!! なんとしても期日までに工事を終わらせるんだ!!」

 

 東京オリンピックが迫る中、とある工事現場にて現場監督の荒々しい声が響き渡る。

 

 そこはオリンピック開催に際し増えるであろう、外国人観光客に対応するため建設されることになった大型ホテルの工事現場である。

 この時期、建築基準法の改正で高さ規定が撤廃されたこともあり、これまでにない高さのホテルやビルがいくつも建てられる、建設ラッシュが相次いだ。

 全てはオリンピックに間に合わせるためと、工事は昼夜兼行で続けられた。それらの建物は日本の高度経済成長を象徴するかの如く、見事に聳え立つこととなるわけだが。

 

 それらを建設する現場の労働環境は——はっきり言ってお粗末なものであった。

 

「ほら持ってけ、落とすんじゃないぞ!!」

「は、はい……!!」

 

 一人の作業員が、もう一人の作業員から資材を受け取る。作業員はその資材を作業場まで持っていこうと、足場となっている鉄骨の上を渡って行く。

 だが、作業員が鉄骨を渡ろうとしたそのとき、突風が吹き荒れた。そこは地上から50メートル以上も離れていたのだ。強風に煽られてバランスを崩すなど、当然のように予想できるハプニングだろう。

 

「うわわわわっ!?」

 

 ところが、その作業員は命綱など付けていなかった。体勢を崩してバランスが取れなくなり、そのまま高さ50メートルの高所から真っ逆さまに落ちていく。

 

「さ、佐藤っ!? 大丈夫か、おいっ!?」

 

 地面へと落下したその作業員に、同僚たちが慌てた様子で駆け寄っていく。作業員が工事中に転落するなど、現場の管理責任が問われる、大問題として夕方のニュースに流される一件だろう。

 ところが、作業員を監督する立場である現場監督は——。

 

 

「はぁ……また、落っこちたか……」

 

 

 ほとんど慌てた様子もなく、ただ呆れたようにため息を吐くだけであった。

 

 

 

 そう、今でこそ工事は安全第一、従業員の安全を確保するのが企業の義務とされているが、この頃の工事現場に『安全管理』などという概念、ほぼ皆無だった。とにかく工事を納期までに終わらせることを最優先に、作業員を忙しなく働かせるというのが当たり前だった。

 作業効率を重視し、安全管理が軽視される。当然、事故だって毎日のように起きていた。特にオリンピックが開かれるこの年は、一日に十人ほどの作業員が事故に遭い、その命を落としたという。

 よしんば、命が助かったとしても重傷を負い、中には後遺症が残って寝たきり生活を送ることになるものもいた。そうなった場合、一応の補償金は出るとのことだが、それも雀の涙ほど。

 

 労働者のほとんどが、まるで使い捨ての道具かのように酷使され続けていたのだ。

 

 それでも、人々は働き続けるしかなかった。

 過酷な現場で働くものたちのほとんどが、地方からの出稼ぎ労働者だ。彼らは自分たちの生活が少しでも楽になることを信じ、田舎に残してきた家族のためにと一生懸命働き続けた。

 きっと自分が頑張れば皆が豊かになれる。家族のためならと、どんなに過酷な環境でも我慢し、毎日汗を流し続けたのだ。

 

 

 

「ご苦労さん……ほれ、今週分の給料だ」

「はい! ありがとうございます!!」

 

 そうした日々の苦労が実ってか。その日の夕方、現場の作業員に給料が手渡しで支給された。果たして命懸けで働いた分に見合う給金なのかと、疑問に思うものも少なくはなかったが、彼らの顔には一様に笑顔があった。

 これで自分たちの生活がちょっとは楽になるだろうと、人々はほくほく顔で自宅への帰路についていく。

 

「ほれ、水木くんも……またよろしく頼むよ?」

「ああ、どうも……」

 

 そんな労働者の中に、一人『異質な男』が混じっていた。

 待ちに待った給料を受け取りながらも、その顔には大した喜びもなく。淡々と給料を受け取り、そそくさと帰り支度を始めていく。

 

「よお、水木さん! どうだい、一杯!?」

「たまには一緒に飲みに行きませんか?」

 

 その男性——水木という男に、同じ現場で働いていた男たちが陽気に声を掛ける。せっかくの給料日、懐が暖かくなったのだから、一杯ひっかけたくなるのが人情というものだろう。

 

「すみません……次の現場に行かないといけないもんで……」

 

 しかし、水木はその誘いをやんわりと断る。

 どうやらこの後も別の仕事が控えているらしい。このご時世、別段珍しいことではないが、水木を見送る人々の視線には不安と心配が滲み出ていた。

 

「あの人……あんなに働き詰めで大丈夫なんでしょうか?」

「まだ若いってのに、髪を真っ白に……どんだけ苦労してるんだか……」

 

 

 

 その水木という男、一瞥するだけだとどこか老人のように見えたかもしれないが、実際はまだ三十代から四十代と働き盛りの年齢であった。実年齢より老けて見えた理由は——その真っ白な頭髪のせいだろう。

 

 心労によるものか、彼の髪は色が白く抜け落ちてしまっていた。左目の辺りにも大きな傷痕があり、さらには左耳も僅かに欠けていたりと。ところどころに、その苦労のほどが垣間見える。

 聞いた話によると彼は軍隊経験者とのこと。そのため、厳しい現場環境にも泣き言一つ上げることなく、黙々と仕事に打ち込んでいた。

 

 その仕事ぶりは上司にも、同僚たちにも高く評価されていたが、前職は何をしていたのか。彼がどのような人生を送ってきたのか。その生活習慣は謎に包まれている。

 

 

 

「さて、夕飯……何を買って帰るか……」

 

 と、人々から色々と心配されていることをよそに、水木当人は帰宅途中の買い物で呑気に今晩の夕食の献立など考えていた。

 別の現場に行くまで時間があるのか、一旦は家に帰るようだ。適当に惣菜を買うや、寄り道することなく真っ直ぐ自宅への帰路についていく。

 

 彼の住まいは、都心から外れた一軒のアパートである。以前は違う場所に住んでいたのだが、少しでも家賃を抑えようとした結果、こんな狭いボロアパートに住むこととなった。それだけ生活が苦しいということだろう。

 

「ふぅ……」

 

 水木はそのアパート、自身の部屋の前で一呼吸入れた。自宅に帰るというのに、僅かにだが緊張感を滲ませている。

 

「ただいま……」

 

 やがて、意を決した水木は玄関の扉を開け、部屋で待っているであろうものへ自身の帰宅を告げる。

 

 

「——お帰りなさい、水木さん」

 

 

 水木の帰宅に対し、玄関先では一人の少年が彼を出迎えてくれた。

 

 小学生ほどの少年。前髪に目元は隠れているが、その左目は常に閉じられている。

 水木の年齢を考えれば、それくらいの子供がいたとしても何もおかしくはないだろう。だが実の父親が帰ってきたにしては少年の反応は淡白であり、礼儀正しいながらもどこか他人行儀に水木の名を呼ぶ。

 

「……ああ、今帰ったぞ……鬼太郎」

 

 そんな少年の態度に少しばかり戸惑い、寂しさのようなものを滲ませながらも、水木は彼——鬼太郎と名付けられた少年に向かって笑みを浮かべていく。

 

「腹減っただろ、飯にしよう!!」

 

 買ってきた惣菜片手に、鬼太郎と卓を囲うべく急ぎ夕食の準備を整えていく。

 

 

 

×

 

 

 

「どうだ、鬼太郎……美味いか?」

「…………ちょっとだけ、お米が硬いかもしれません」

 

 二人が夕食を共にする中、水木はおっかなびっくりと自分の料理がどんなものかと鬼太郎に感想を尋ねる。それに対し、鬼太郎は少し迷いながらも正直な意見を口にしていく。

 

「そ、そうか!! いや~、やっぱ難しいもんだな!! 飯炊き一つとっても奥が深いもんだよ!!」

 

 鬼太郎の指摘に水木は嬉しそうに声を上げた。遠慮のない感想を口にしてくれたことが嬉しかったのか。

 まだ自身でも慣れない手料理を口にしつつ、チラリとその視線を部屋の奥——仏壇の方へと向ける。

 

「ほんと……おふくろみたいに上手くはいかないもんだ……」

 

 その仏壇には、一人の女性の写真が飾られていた。もうこの世にはいない、水木の実の母親である。

 

 

 今現在、水木と鬼太郎は二人だけでこのアパートで暮らしている。少し前まではおふくろ——水木の母親が一緒だったのだが、一年ほど前に亡くなってしまった。

 元々、それなりに歳をくっており、色々と心労が募って体が弱っていたのもあった。その上で運悪くタチの悪い病気を患ってしまい、そのままポックリと逝ってしまったのだ。

 

 実の母親が亡くなったことには、それなりの年齢である水木とて初めはかなり堪えた。暫くは仕事が全く手につかず、それを契機に前の仕事を辞めたほどである。

 

「ほら、鬼太郎……味噌汁も飲んでみてくれ! 上手く出汁が取れてると思うんだが……」

 

 だが母親が亡くなった後も水木は立ち直り、それまで母親に頼りきりだった家事も率先して覚えるようになった。再び仕事にも就くようになり、とりあえずの生活基盤は確保出来るようになったのだ。

 

 それも全て、鬼太郎がいたおかげかもしれない。

 この幼い命を自分が守らなければという使命感、親心が水木に生きる気力を与えてくれたのかもしれない。

 

 

「おっと! そろそろ時間だな……ちょっと出てくるよ。明日の朝には帰ってくるから……」

「また……お仕事ですか?」

 

 自分のために、鬼太郎のためにもと。水木は昼夜問わず仕事に打ち込むようになった。その働きぶりは、鬼太郎も思わず心配になるほど。

 

「気を付けてください……」

 

 だが夜になっても働きに出る水木を、鬼太郎は申し訳なさそうにしながらも見送るしかなかった。

 未だ子供に過ぎない自分では彼の力になれないと、子供なら当たり前のことにどこか罪悪感を抱いているよう、その表情を曇らせるのだった。

 

 

 

「ふぅ……鬼太郎のやつ、また一段と大人びてきた気がするぜ……」

 

 家を出て仕事現場に向かう最中、水木は鬼太郎のことを考える。

 

 物心つく前は、鬼太郎も年相応に無邪気な赤ん坊だった。しかしいつの頃からか、年齢に似合わぬ礼儀を身に付け、自分のことを『水木さん』などと他人行儀で呼ぶようになったのだ。

 鬼太郎は、水木のことを決して『お父さん』などと呼ばない。生まれたときから一緒にいる筈なのに、成長するにつれ態度もよそよそしくなっているような気がする。

 

 

 まるで自分たちが、本当の親子でないことを知っているかのように——。

 

 

 そう、水木と鬼太郎に血の繋がりはない。鬼太郎は水木が『墓場』から拾ってきた子供だ。

 しかもただの捨て子というわけでもない。そもそも、鬼太郎には『人間の血』が流れていないのだ。

 

 

「あいつ、気付いてるのか? 自分が……人間じゃないってことを……」

 

 

 八年前。水木は以前住んでいた家の隣の敷地——とある寺で恐ろしい『何か』と出会った。

 それは——全身を包帯でぐるぐる巻きにした大男に、血の気が引いた顔をした病人の妊婦。一組の夫婦であった。

 

 その佇まいや雰囲気は、あからさまに人間のそれではなく。その恐ろしい風貌を前に、水木は碌に話を聞く暇もなく逃げ出してしまった。

 彼らは——何故か自分の名前を知っていた。『水木!』『水木!』と追い回してくる包帯男に、水木は恐怖を抱きながらも、不思議と引っかかるものを感じた。

 

 そのときの感覚が尾を引いたのか、水木は恐れながらも再び夫婦の元を訪れたのだが——そのときには、既に二人とも事切れていた。

 包帯男は全身が腐り果て、女性も静かに息を引き取っていたのだ。

 

 名も知らぬ相手とはいえ、その死に様を不憫に思った水木。まだ遺体が残っている女性を土の中へ埋葬し、墓を作ってやった。

 せめて安らかに眠って欲しいと、手を合わせてそのまま帰ろうとした、そのときだ——。

 

 

『——オギャ!! オギャー!!』

 

 

 女性を埋葬した墓から——赤ん坊が這い上がってきたのである。

 遺体のお腹を突き破り、土の中から出てきた驚くべき生命力に水木は戦慄する。思わず抱き上げてしまったその赤ん坊を、一度は殺そうかと思い悩んだほどだ。

 

『この子は化け物の子だ……生かしておいたら、きっと災いの種になるに違いない……』

 

 人ではない化け物、きっと人間とは相容れない存在であると。

 赤ん坊を掴み上げたその腕が、その子を地面に向かって叩きつけようと振りかぶられる。

 

 

 だが——出来なかった。

 

 

 一瞬、脳裏に見覚えのない——『白髪に着物を纏った男』の後ろ姿が見えたのだ。どこか赤ん坊にも面影を感じるその姿に、その子を投げようとしていた腕が止まる。

 

『…………』

 

 気がつけば、水木はその子を抱きしめていた。

 降りしきる雨の中、その子が風邪をひかないようにと、そっと包み込むように。

 

 その後、赤ん坊を連れ帰った水木はその子を『鬼太郎』と名付け、育てることにした。まだ存命だった母親からは当然反対されたが、どうしても見捨てる気にもなれなかった。

 

 鬼太郎——『鬼の男の子』などと名付けたのは、その子が自分の子供ではない、化け物の子であると戒めるためか。

 それから八年間、水木はずっと鬼太郎の成長を見守ってきた。

 

 

「本当に……なんだったんだろうな……あのときの、あれは……」

 

 水木は鬼太郎を拾った直後のことを思い返し、やはり首を傾げる。

 

 あのとき垣間見えたあの光景——『着物を纏った白髪の男性』。少なくともあのような男、水木の知り合いにはいない筈だ。

 いったいあれが何者なのか、八年経った今でも分かってはいない。

 

 

「俺が失った記憶……あの数日間の出来事と、何か関係があるのか?」

 

 

 ただ思い当たる節がないわけではない。もしかしたら自分が覚えていないだけで、あの男性とどこかで会っていたのかもしれないと——水木は『自身の失われた記憶』について考える。

 

 そう、水木にはどうしても思い出すことの出来ない——空白の記憶があった。

 

 それは『哭倉村(なぐらむら)』という場所に出張に赴いたとされる、その前後の記憶だ。

 どうやら自分はその村で数日間を過ごしたらしいが、そこで何をして、どんな人と話をしたのか。その辺りの記憶が綺麗さっぱり抜け落ちているのである。

 

 水木が気が付いたとき、彼は村から離れた森の中で朦朧としており、駆け付けてきた救助隊に保護されていたという状況だった。

 そのときには、黒かった髪が全部真っ白になっていたとか。いったいどんな目に遭ったというのか、自分でも何も分からないのだ。

 

「社長もしつこく聞いてきたけど……覚えてないんだから答えようもないよな……」

 

 そのときの記憶については、当時勤めていた会社の社長からも色々と根掘り葉掘り聞かれたものだが、本当に何も覚えていないのだから答えようがない。

 寧ろ、こちらが知りたいくらいだ。なにせ八年経った今でも、時より覚えのない記憶に悩まされることがあるのだから。

 

「…………」

 

 ふと、街中を歩いていた水木の視線の先にとある建造物が映った。それは復興を遂げた東京に象徴のように聳え立つ——東京タワーである。

 

 1958年に完成した世界一の電波塔。

 東京で暮らしていれば見る機会も多いそのタワーを目にした瞬間、水木の脳裏にフラッシュバックする光景があった。

 

『——ホント、おじさん!?』

 

『——世界一の電波塔、見られるかな?』

 

 幼い少年が自分に向かって無邪気に話し掛けてくる。表情も見えない筈なのに、その子の言葉に何故か引っ掛かるものを感じる。

 

「…………」

 

 それだけではない。 

 

 信号を待つ間、すぐ近くの喫茶店の様子がたまたま目に止まった。窓から見える店内では、若い女性がクリームソーダを飲んでいた。

 喫茶店の王道メニュー。今の時代、東京であれば特に物珍しい飲み物でもないが。

 

『——ええ、クリームソーダを喫しました』

 

『——今度『  』くんと一緒に東京へいらっしゃい』

 

『——私、貴方と行きたいですわ……』

 

 そのクリームソーダのシュワシュワと輝く泡を目にするたびに、何故か若い女性とのやり取りが思い出されてしまう。やはり彼女の表情も見えないし、見覚えもない。

 だが彼女のことを思い出すたび、胸が締め付けられるようにいつも苦しくなるのだ。

 

「……っ! またかよ……いったい、なんだって……こんな記憶が……」

 

 戦場帰りの水木には、時々戦争での記憶がフラッシュバックするときがあった。だが今ではもっぱら、こちらの記憶を夢に見ることがほとんどだ。

 

 知らない男の子と、知らない女性。

 そして、白髪の男。

 

 この三人の人物が——失われた水木の記憶の大半を占めているのだろうか。

 

 

「誰なんだ……いったい、君たちは誰なんだよ……」

 

 

 思わず疑問が呟きとして水木の口から零れ落ちる。

 だが、その問い掛けに答えてくれるものがいるわけもなく。

 

 

 水木は常に悶々とした気持ちを抱えながら、日々を生きていくしかなかったのである。

 

 

 

×

 

 

 

「…………」

 

 水木が出掛けた後のアパート。鬼太郎は一人大人しく留守番をしていた。

 彼の年頃を考えれば、もう布団に入ってもいい頃合いだろう。だが鬼太郎に眠りにつく気配はなく、それどころかどこかそわそわした様子で、何かを待つよう先ほどから玄関の様子をチラチラと伺っている。

 

「——鬼太郎、鬼太郎よ……」

 

 すると、玄関から鬼太郎の名を呼ぶ声が聞こえて来る。

 その声に反応して顔を上げる鬼太郎。彼はすぐに玄関へと向かい扉を開け、その人物を部屋の中へと招き入れる。

 

「父さん! お待ちしてました……どうぞ、こちらに……」

「うむ……」

 

 それは、頭部が目玉になっている小人。普通の人間が目撃すれば、まず悲鳴を上げるであろう怪異の類だった。

 だが、そんな目玉の存在を鬼太郎は慕い——そして『父』と呼んだ。

 

 そう、何を隠そうと——この目玉の人物こそ、鬼太郎の実の父親なのである。

 

 その人物とて、本来ならちゃんとした肉体を持っていた。彼らは幽霊族と呼ばれる種族であり、その外見も人間とさして変わらないものだった。

 ところが、彼はとある事情により肉体を失った。全身を腐らせ、そのまま一度は妖怪としての生を終わらせたのである。

 

 そう、水木が目撃した全身に包帯を巻いた大男——それこそが彼本来の姿だったのである。

 

 彼も、その連れ合いである妻も。あのとき確かにその生を終え、彼にいたってはその肉体は原型を留めないほどにドロドロとなって朽ち果てた筈だ。

 

 しかし、墓場から這い出てきた鬼太郎の、息子の鳴き声が彼の魂を震わせた。

 息子を想う彼の願いが、その魂を自身の肉体の一部——目玉へと憑依させ、全く新しい形へと生まれ変わらせたのである。

 

 

 それこそが、この目玉の人物——後に目玉おやじと呼ばれるようになる彼であった。

 

 

「今日も色々と話を聞かせてください、父さん!」

 

 そんな本来の姿とはかけ離れた目玉おやじを、鬼太郎は父親と正しく理解していた。

 親子の絆がそうさせたのか、物心ついた頃から鬼太郎は目玉おやじは父さんと呼び、彼から様々なことを学ぶようになった。

 

「そうじゃな……では今日も、わしら幽霊族のこと、妖怪のこと……話していくとするかのう」

 

 目玉おやじが人知れず鬼太郎の元を訪れて教えていたのは、妖怪としての知識や常識などである。

 

 今は水木のもとで人間のように振る舞っている鬼太郎だが、いずれは幽霊族の末裔として、妖怪として生きていかなくてはならないときが来るだろう。

 そのときのためにと、目玉おやじは彼に妖怪とはなんなのか。自分たち幽霊族の境遇など、基本的なことを教えていたのである。

 

 鬼太郎も父親と二人っきりで過ごせる、この時間を何より楽しみにしていた。

 

「ところで鬼太郎……水木は、今日も仕事か?」

 

 だが肝心の話に入る前に、目玉おやじは鬼太郎の今の保護者——水木の近況を尋ねる。目玉おやじの問い掛けに、鬼太郎は表情を曇らせながらも答えていく。

 

「ええ……ここ最近はほとんど毎日です。一日中……ずっと働いています……」

 

 水木に拾われた八年前から、彼と一緒に生活している鬼太郎。だがここ最近、もう一人の同居人であった水木の母親が亡くなってからというもの、彼の生活スタイルはだいぶ様変わりした。

 

 以前に勤めていた会社——血液銀行という場所を辞めた水木は、日雇い労働者として生計を立てるようになっていた。ちょうど建設ラッシュ期ということで働き口には困らないというが、忙しさは以前と比べて段違い。

 毎日毎日、へとへとになって家に帰って来る水木に、世話になっている身としては申し訳ない気持ちになってしまう。

 

「父さんは……水木さんとは知り合い、なんですよね?」

 

 ふと、水木の話になったところで鬼太郎はそれまで気になっていたことを尋ねた。

 それは目玉おやじが、水木と以前からの知り合いだったということ。目玉おやじがまだ肉体を持っていた頃に、彼と交流を持っていたという話だ。

 

 

「ああ……共に苦難を乗り越えた。相棒じゃよ……」

 

 

 息子の問いに目玉おやじは堂々と答えた。

 

『相棒』——きっと、それが水木と目玉おやじの関係を端的に表すのに一番しっくりくる言葉なのだろう。二人の乗り越えた苦難の大きさが感じられる、力強い響きだ。

 

「けど……水木さんは、父さんのことを覚えてないんですよね?」

 

 だがその一方で、水木は目玉おやじのことを何も覚えていないようで。水木の口から、目玉おやじや妖怪のことが語られることは一度としてなかった。

 

「もしかしたら……父さんが名乗り出れば、あの人も思い出してくれるんじゃないでしょうか?」

 

 ならばと、鬼太郎は目玉おやじが名乗り出れば、もしかしたら水木が全てを思い出すのではないかと考える。

 父親が相棒とまで言い切る人間だ。二人の絆が本物なら、姿形の違いなど関係なくきっと思い出してくれると信じていた。

 

「いや……無理に思い出させる必要はない。きっと、忘れていた方があやつのためじゃ……」

 

 しかし鬼太郎の意見に目玉おやじは首を横に振り、頑なに水木の前に姿を現そうとはしなかった。

 

 自分のことを思い出してもらえないのは寂しいかも知れない。だが、水木があの哭倉村で体験した数々の出来事は——正直忘れていた方がいい、辛い記憶ばかりだという。

 全てを思い出すことが幸福なわけではないと。目玉おやじは、彼の記憶にそっと蓋を閉じることにしたのだ。

 

「鬼太郎……わしら幽霊族はあやつに大きな恩がある。それを仇で返すような真似だけは、絶対にしてはいかんぞ……よいな?」

「……はい、分かっています……父さん」

 

 けれど、目玉おやじはその哭倉村で水木にしてもらったことを決して忘れはしない。

 

 あの村での出来事がきっかけで、目玉おやじはこんな姿になってしまったが、水木があの村から彼の妻——鬼太郎の母を連れ出してくれなければ、鬼太郎がこの世に生を受けることもなかったという。

 産まれたばかりの鬼太郎も、水木が保護してくれなければ野垂れ死んでいたかも知れないのだ。

 

 その恩から、目玉おやじは水木に迷惑を掛けることを良しとしなかった。その気持ちは鬼太郎も同じである。

 

「けどボクは妖怪で……あの人は人間。どうしても……こう、ズレを感じてしまうんです……」

 

 しかしそうした恩を感じる一方で、鬼太郎は今の自身の境遇に拭いきれない違和感を抱いていた。

 

 水木の元で人間の子供として生きる日々。そんな日々に、妖怪としての鬼太郎の心が常にズレを感じている。

 赤ん坊の頃はそんなこと何も考えずにいられたと思うが、そのズレは成長と共に徐々に大きくなっていくばかりだ。

 

 いつか、そのズレが致命的な何かを引き起こしてしまうのではないかと。鬼太郎はそのことを恐れ、水木とも段々と距離を置くようになった。

 

 

 人間と妖怪。いずれにせよ、別れの時は必ず来る。

 そのいずれが——すぐ近くまで迫っていたことを、このときの鬼太郎には知る由もなかった。

 

 

 

 

 

「こんばんは……今日もよろしくお願いします」

「おお、来たか。早く作業に入れ、モタモタするなよ!!」

 

 鬼太郎と目玉おやじが話し合っていた頃、水木は深夜の工事現場に到着していた。

 

 そこは都内にあるトンネルの開通現場。首都の高速道路を整備する上で必要となってくる工事であった。それこそ、オリピックまでに絶対に間に合わせなければならないものであり、現場も常にピリピリしていた。

 命懸けで働く作業員としては事故など絶対に起こしたくないが、上層部からは期限までに間に合わせろの一点張り。常に怒鳴り声が飛び交う、精神的にもキツい現場だ。

 

 だがその苦労も、もうすぐ報われる。

 工事そのものが既に佳境であり、作業にも終わりが見え始めていたことで人々の顔にも自然と笑顔が浮かんでいる。工事が辛かった分、給金は弾むだろう。このトンネルだって、きっと自分たちの生活を豊かにするための設備だと。

 誰もがこの国の将来、自分たちの未来が希望に満ちているものだと信じていた。

 

 

 だが、そんな油断している状況にこそ、起きてはならない事故というものが起きる。それも人々が予期せぬ形——外部からの妨害という『悪意』によって、それは起こった。

 

 

「オーライ!! オーライ!! よーし……いいぞ、止まれ!!」

 

 トンネルの外。一台のトラックが作業員の誘導の元、しっかりと定位置に停車した。あとはこの荷台に工事の際に出た瓦礫を積み、他所へと運んでいけばいい。

 ただそれだけの作業なのだが——そこで不可解な事象が起きる。

 

「……あん? なんだ……?」

 

 運転手が降りた直後、誰も乗っていない筈のトラックが——いきなりエンジンをふかし始めた。一人でに動き始めるトラックに周囲の人々が騒然となる。

 

「おいおい!! なんで動いて……はぁっ!? ひ、火っ……!?」

 

 勝手に動くトラックを止めようと、降りていた運転手が慌てて駆け寄ろうとするのだが——次の瞬間、そのトラックから火の手が上がった。

 まるで意志を持つかのよう『炎』が蠢き、運転手の乗車を拒んでいく。

 

「な、何が起きて……はっ!?」

 

 事態を飲み込めないでいる運転手が手をこまねいている間にも、炎上するトラックは勢いよく走り出す。

 

 未だ工事中のトンネル内へ——その壁面に向かって一直線に突っ込んでいったのだ。

 

 衝突の瞬間、凄まじい轟音を響かせてトラックは大破。強烈な破壊音にトンネルの奥で作業をしていた人々が何事かと振り返るが、そのときには既に二次災害が起きようとしていた。

 大破したトラックから、ガソリンが漏れ出していたのだ。地面を流れる引火性の液体に、トラックを包み込んでいた炎が——触れてしまう。

 

 

 結果、先ほどよりもさらに凄まじい爆発音が響き渡り、周囲一帯に恐るべき破壊を巻き起こしていく。

 

 

「うわあああああ!?」

「く、崩れる!? に、にげろぉおおおお!!」

 

 刹那、爆発の衝撃によってトンネルの出入り口が崩れる。外にいた作業員はすぐにその場を離れ、なんとか難を逃れた。

 

「な、何が起きて……?」

「て、天井が……ああああああああああ!?」

 

 だが、トンネル内で工事を続けていた何十人もの作業員は咄嗟に動くことが出来ず、逃げ遅れてしまった。

 瓦礫の中へと埋もれていく人々の、絶望と恐怖の悲鳴が木霊していく。

 

 

 

「……た、大変だ……!! 救急車……誰か救急車をっ!!」

「しょ、消防にも連絡を……急げ!!」

 

 いかに事故が日常茶飯事だった建設ラッシュ期といえど、ここまで大規模な事故そうそうない。人間たちが右往左往、すぐにでも事態を終息させなければと動き回る。

 

 

「——クックック……フハハハハ!! どうだ人間ども!! これが俺様の力よ、思い知ったか!!」

 

 

 そんな人々のパニックする様を、彼らの困惑ぶりを一望できる建物の上から——人ならざるものが嘲笑う。

 

 それは宙に浮く車輪、その中心部に鬼のような顔を携えた異形の怪物であった。

 しかし、ただの人間にその姿を目撃することは出来ない。目に見えないものを見ようとしない。文明の発展を謳歌し始めた現代人、闇に蠢く存在を忘れかけている今の人間たちでは彼ら——妖怪の存在を正しく認識できなかった。

 

 その妖怪——名を『片車輪(かたしゃりん)』と言う。

 

 車輪に人の顔が付いている。見た目の姿は輪入道(わにゅうどう)などと似通っているが、その能力はまるで違うものだ。

 

 片車輪の妖怪としての能力は『回転するものに憑依し、それを自在に操れる』というもの。回転するもの、つまりは車輪——車のタイヤなども、それに含まれている。

 自動車のタイヤに憑依すれば、その自動車そのものを動かすことが出来るのだ。先ほどもトラックのタイヤに乗り移ることで、トラックを暴走をさせて事故を引き起こした。

 しかも片車輪は回転すればするほど、その身に炎を纏い、燃え上がるという厄介な特性を秘めている。

 

 今この瞬間も、使われなくなった古い車輪に乗り移り、燃え上がりながら回り続けている。その地獄のような炎の前で、ただの人間など無力な存在に過ぎないだろう。

 

 

「——相変わらず素晴らしいお力ですよ、片車輪さん」

 

 

 そんな片車輪の横に、小柄な老人がそっと佇む。

 

 一見するとただの人間のようだが、その老人は後頭部が妙に長かった。怯え惑う人々を見下ろす表情は、片車輪以上に愉悦と侮蔑に満ちている。

 その老人に対し、片車輪が上機嫌に声を掛ける。

 

「おお、ぬらりひょん……!! またしても人間どもに目にものを見せてやったぞ!!」

「やはり、片車輪さんにお願いして正解でした……貴方の能力は、今の人間たちにこそ脅威となるでしょう……」

 

 片車輪は老人をぬらりひょんと呼び、本人もその呼び掛けにニヤリと口元を歪めていく。

 

 

 妖怪・ぬらりひょん。

 一部では妖怪の総大将などと呼ばれる、狡賢い策略を得意とする老獪な妖怪である。彼はこの地上は妖怪のものであると主張し、妖怪の復権を掲げ、いつの時代も人間たちに戦いを挑んでいた。

 この時代、戦後からの復興を果たそうとしていた高度経済成長期にも、ぬらりひょんは人間社会に打撃を与えるべく影ながら活動していたのだ。

 寧ろ、この時期だからこそ積極的にテロ行為のような真似を頻繁に繰り返していた。

 

 

「このトンネルを潰せば……オリンピックの開催にも支障が出る。人間どもに痛手を与える、またとない好機なのです……」

 

 そう、オリンピック。日本の復興を全世界に知らしめる祭典など、ぬらりひょんにとっては成功しない方が好都合。

 これまでもオリンピックに関わるであろう重要な施設を、同志として勧誘した片車輪に襲わせて来た。

 

「フハハハハハ! まだまだ!! 俺の力はこんなもんじゃないぞ!!」

 

 一方で、片車輪は特にこれといった思想があるわけでもなく、妖怪としての能力を駆使して暴れられればそれで満足という手合いだった。

 

「ええ、この世界の闇が誰のものなのか……今一度、人間たちに分からせて上げなければなりませんからね、フッフッフ……」

 

 もっとも、そういった手合いの方が手綱を握りやすいとばかりに、ぬらりひょんは怪しげ笑みを浮かべていく。

 

 

 

×

 

 

 

「さてと……今日はこんなところかのう……」

 

 水木のアパート。目玉おやじは鬼太郎へ妖怪に関する講義を終え、とりあえずその日の話を終えようとしていた。

 

「なるほど……勉強になります、父さん!」

 

 父親から妖怪の話を教えてもらったと、鬼太郎は高揚感を隠す様子もなく嬉しそうに笑みを浮かべる。

 そんな息子を微笑ましい気持ちで見守りつつ、目玉おやじはふと、鬼太郎の今後を思って意見を口にしていく。

 

「鬼太郎よ……妖怪の話も悪くないが、お前もたまには人間社会の情勢に目を向けてみたらどうじゃ?」

「……えっ?」

 

 妖怪としての有り様を目玉おやじから学んではいるものの、今は鬼太郎も人間として水木のもとで世話になっている。

 人間の生活に対応するためにも、人としての一般常識くらいは蓄えておくべきだと、目玉おやじは考える。

 

「ほれ、これ……ラジオというのじゃろう? これでニュースでも聴くとよい、これも勉強じゃ」

「は、はぁ……まあ、たまに水木さんと一緒に聴いたりはしてますが……」

 

 そこで目玉おやじが目を付けたのが、ラジオであった。

 

 この頃、既に一般家庭でもテレビが普及しつつあったが、水木にそこまでの経済力はなく。情報収集手段といえば新聞やラジオがほとんどである。

 一応、鬼太郎もラジオの使い方くらいは心得ているつもりだ。電源を入れ、適当にダイヤルを回して様々なチャンネルと周波数を合わせていく。

 

『——打った!! 入るか? 入るか? 入った!! ホームラン!!』

 

『——今日紹介する曲は誰もが一度は耳にした、あの名曲……』

 

『——今日もたくさんのお便りをいただいています。さっそく読み上げて……』

 

 チャンネルごとにスポーツ実況や音楽番組、ラジオらしくリスナーからの手紙を読み上げたりと。テレビが主流になりつつある時代でも、様々な番組がラジオで放送されていた。

 

『——続報です、先ほどお伝えしたトンネルでの爆破事故ですが……』

「……なんじゃ? 爆破事故?」

 

 そんな中、適当にチャンネルを弄っていると、深刻な様子で原稿を読み上げるニュースキャスターの声が目玉おやじの耳に届く。

 内容を聴くに、どうやら工事中のトンネルで爆発事故が起きたようだ。原因はトラックの暴走らしいが、まだ詳しい情報は判明していないとのこと。 

 

「ふむ……やはり人間社会も色々と大変なようじゃな……」

 

 そうして、流れてくるニュースに目玉おやじが神妙な顔付きになる。

 今の時代、人間の社会が急速に成長を遂げようとしていることは、目玉おやじも知っている。こうした事故も、そういった急速な変化の反動なのかもしれないと、うんうんと頷く。

 

「と、父さん……」

「ん……どうした、鬼太郎?」

 

 すると、そのニュースを一緒に聴いていた鬼太郎の表情が青ざめていた。

 彼はもう一度、読み上げられるニュースの内容にしっかりと聴き耳を傾けながら——やはり間違いないと、その事実を目玉おやじにも告げていた。

 

 

「この事故があったというトンネル……水木さんの今日の仕事現場です……」

「なんじゃと……!?」

 

 

 

 

 

「…………痛っ……!! な、何が起きたってんだ……?」

 

 ふと、水木は頭に痛みを感じて目を覚ます。

 先ほどまで何事もなくトンネルでの工事を進めていた筈だったが、いきなり何かの爆発音が響いたかと思えば、意識が飛んで——気が付けば、視界に『惨状』が広がっていた。

 

「おいおい……こりゃひでぇな……天井が、落ちてきたのか?」

 

 水木が真っ先に目にしたのは、無惨にも崩れてしまったトンネルの天井だ。崩壊した瓦礫が資材や作業機械——そして、人々を呑み込んでいた。

 さらには、トンネルの中に突っ込んできたと思われるトラックらしきものの残骸。既に車体は木っ端微塵に吹き飛んでおり、爆発の際に発生したであろう炎が煌々と燃え上がり、トンネル内の惨状を克明に照らし出していた。

 

「…………くそっ!! おい、大丈夫か!? しっかりしろ!!」

 

 目の前の惨状に息を呑みつつ、水木は自分の近くで倒れていた作業員の一人に駆け寄っていた。水木自身も頭から血を流していたが、この程度なら問題ないと判断する。

 伊達に戦場を経験してはいないと、自分よりも重症の作業員の容体を確認していく。

 

「うぅうう……痛い、痛ぃいいいいいっ!?」

 

 その作業員の状態は、素人目に見ても酷いものだった。

 爆風をまともに受けてしまったのか、ところどころに火傷を負っている上、瓦礫に足を挟まれてしまったようだ。

 右足はともかく、左足の方は完全に潰れ——原型を留めてすらいなかった。

 

「……待ってろ!! 今止血を……!!」

 

 それでも、水木はその作業員の命だけでも繋ごうと。戦地で学んだ知識を総動員し、懸命に応急処置を施していく。

 

「どうして……なんでこんな……やっとまともな生活が送れると思ったのに……田舎の母ちゃんに……楽させられると思ったのに……なんで……!!」

 

 水木の手当てを受けている間、その作業員の口からは「どうして?」「なんで?」という悲壮感に満ちた呟きが零れ落ちていた。

 どうやら、彼は地方からの出稼ぎ労働者のようだ。少しでも自分たちの生活が豊かになることを信じ、労働に従事してきたのだろう。

 

 だがそうして頑張ってきた結果がこれでは、あまりにも報われない。そんな彼の絶望する姿に、水木の心から暗い記憶が浮き上がってくる。

 

 

「なんだよ……何も変わってねぇじゃねぇかよ……この国は……」

 

 

 軍隊にいた頃、水木は上官の命令で勝ち目のない戦い——『玉砕特攻』を命じられた。

 

 お国のため、上官の面子のため。部下という弱者の立場である自分たちに、強者である彼らは『死ね』と命じたのだ。

 それでも、なんとか生き残って帰還を果たした水木。しかし故郷で待っていたのは——母親という弱者が、親戚連中という強者に全財産を騙し取られていたという現実だった。

 そのときの体験が母親を心身ともに弱らせ、結果として彼女の寿命を縮めたのかもしれない。

 

 あれから年月が経ち、少しはまともになったかに思えたが——やはり本質的なところでは何も変わっていないと感じる。

 

 お国はオリンピックという他国への面子のため。企業は利益のため。弱者である労働者を命懸けで働かせ、したり顔で搾取を続けている。

 戦争であれ、労働であれ、結局のところ弱者は強者に食い物にされるのだと。そんな食われる立場が嫌で、水木は出世を望んでいた——望んでいた筈だった。

 

「今はもう……そんな気分にもなれねぇけどな!!」

 

 ところが、そんな燃えるような野心が、地位や権力といったものに固執していた筈の自分が——いつの間にか、どこかへ消え去っているのを水木は自覚していた。

 

 権力や金、そういったもので得られる高揚感、優越感。それらが心底くだらないと、何故かそう思うようになっていたのだ。

 前の仕事——血液銀行を辞めたのも、もしかしたらそういった心境の変化があったからかもしれない。

 

 

 いずれにせよ、今はそんなことどうでもいいとばかりに。

 今はただ、目の前の命を救うために必死になる。それが——水木という人間だった。

 

 

 

 

 

「待て、鬼太郎!! どこへ行こうと言うんじゃ!?」

「決まってます……水木さんのところですよ!!」

 

 一方その頃、ラジオ放送でトンネル事故のことを知った鬼太郎は慌てて外に飛び出していた。水木が事故に巻き込まれているのではないかと、彼の元へ急ぎ駆け付けようとする。

 だが、そうして逸る気持ちの鬼太郎を宥め、なんとか落ち着かせようと目玉おやじが息子の頭の上から厳しい言葉を投げ掛ける。

 

「鬼太郎、お前はまだ子供じゃ!! 妖怪としての能力すら碌に扱えないお前が行ったところで、何も出来ることなどない!!」

 

 鬼太郎は幽霊族として様々な能力を引き継いでいるが、まだそれを実践で使用したことがない。妖怪としての能力など、それこそ人間として生きている今は必要ないと、あえて何も教えなかったのだ。

 そんな鬼太郎が、危険な事故現場に行ったところで出来ることはないと、目玉おやじは息子を必死に制止する。

 

「……父さん、先ほど言いましたよね? 水木さんには恩があると……」

 

 しかし父親の冷静な指摘にも、鬼太郎は一向に折れる気配はなく。寧ろ、さらに気持ちを昂らせながら言葉を紡いでいく。

 

「ボクは、まだあの人に何も返せていません……たとえ、何も出来なくとも……ここで行かなければ、きっと後悔することになるんです……」

「鬼太郎……」

 

 若さ故か、鬼太郎はたとえ何も出来なくとも、水木のために何か出来ないかと行動を起こそうとしていた。息子のその思いは、目玉おやじとて理解は出来る。

 しかし、やはり大人として彼の無茶をやめさせなければと。目玉おやじは憎まれるのを覚悟で説得を続けようと試みる。

 

「——っ!?」

 

 だがそのとき、目玉おやじが口を開きかけるよりも先に——高速で『何か』が鬼太郎の元まで飛んできた。

 猛スピードで突っ込んでくるそれに、咄嗟に目を閉じる鬼太郎。だが、それは鬼太郎の目の前まで止まり、その存在を主張するかのように大きく広がってみせる。

 

 飛んできたものの正体——それは黄色と黒の横縞模様で彩られた、一着のちゃんちゃんこであった。

 

 

「おおっ!? これは……ご先祖様の霊毛で編まれたちゃんちゃんこ!!」

 

 

 そのちゃんちゃんこを前に、目玉おやじが目を見開く。

 それは今は亡き幽霊族たちが子孫——鬼太郎のために残したともいうべき遺産。鬼太郎とその家族の危機に、彼らを守らんとする幽霊族たちの想いが、一つに結集して編まれたちゃんちゃんこなのだ。

 その霊毛ちゃんちゃんこが、今この瞬間、鬼太郎のためにと自らの意思で彼の元までやってきた。

 

「!? またっ……何か来ます!!」

 

 さらに、その霊毛ちゃんちゃんこの意思に呼応するかのよう、別の方角から飛んでくるものがあった。それは鬼太郎の足下でピタリと止まり、まるで自分を履けと言わんばかりにその存在感を主張する。

 

「り、リモコン下駄まで……お前も、鬼太郎を主と認めたのか!?」

 

 それは——リモコン下駄。

 目玉おやじが元の肉体であった頃に愛用していた、数多くの危機を乗り越えてきた相棒のような武装である。脳波で自由自在にコントロール出来るその下駄の一撃は、並の妖怪など容易に蹴散らしてしまう。

 

「……ボクに、力を貸してくれるのか? ありがとう……」

 

 飛来してきたそれらのアイテム。鬼太郎は戸惑いつつも、その両方を身に付けた。

 霊毛ちゃんちゃんこを羽織り、リモコン下駄を履く。それにより、鬼太郎の姿は随分と様になったように感じられる。

 

「むむむ……仕方ない。ご先祖様の守護たる霊毛ちゃんちゃんこがあれば……そう怪我などせんだろうしな……」

 

 その二つの装備——特に霊毛ちゃんちゃんこを身に付けた鬼太郎に、目玉おやじもようやく納得したようだ。

 

「だが油断するでないぞ、鬼太郎……何があるか分からんからな!」

「はい、父さん!!」

 

 勿論、目玉おやじも鬼太郎と一緒について行く。二人で水木の危機を救うべく、事故現場へと急行するのだった。

 

 

 

×

 

 

 

「おい、まだか……ぬらりひょん!! まだ暴れてはいかんのか!?」

 

 炎を纏いながらぐるぐると回っている、妖怪・片車輪。

 本人としてはもう一度、人間どもに自身の力を誇示したくてうずうずしているようだが、ぬらりひょんから暴れるのは少し待つように言われていた。

 

「そろそろですよ。先の事故から負傷者を助けようと……より多くの人間どもが集まってくる筈ですから……」

 

 ぬらりひょんが見計らっていたのは、タイミングである。

 片車輪が引き起こした最初の事故から時間が経てば、消防車や救急車がやって来る。負傷した人々を助けようと、使命感と善意を持って駆けつけてくるものたち。

 ぬらりひょんはそんな彼らすらも巻き込み、再び片車輪に力を振るわせるつもりだったのだ。

 

 さすればより多くの人間たちに被害を出し、本丸であるオリピック開催にも亀裂を入れられるかもしれない。

 無論、その程度の犠牲で中止になるような祭典だとは思っていないが、少なくとも事故を引き起こした無能な政府と、民衆を煽動することは出来るだろうと頭の中で計略を巡らせていく。

 

「さて……いいでしょう。片車輪さん、お願いしますよ」

 

 そうして、狙い通りに救急車などが集まり、事故現場ではより多くの人間たちが動き回っている。

 今こそ片車輪を暴れさせる絶好のタイミングと、ぬらりひょんは笑みを深めながら同志に声を掛けていく。

 

「よーし!! ではもう一度……今度はあの白い車にでも乗り移るかな!!」

 

 それに待ってましたとばかりに片車輪が動き出す。再び近くの車——今度は救急車にでも乗り移ろうと画策する。

 

 人の命を救うための車で、人を害そうとするその悪辣さ。

 まさに妖怪、悪鬼の所業というべきだろう。

 

 

「——お前たち……もしかして、妖怪? いったい……そこで何をしているんだ?」

「——!?」

 

 

 だがそのとき、彼らを咎めるように呼び止めるものがいた。

 これには片車輪も、ぬらりひょんでさえ少し驚いたように声のした方を振り返る。

 

「…………」

 

 そこに立つのは一人の少年。

 いずれは多くの妖怪、人間たちにその名を呼ばれることになるだろうが、このときの彼はまだ無名だ。

 

「貴方は……貴方も妖怪のようですが……いったい、何者ですかな?」

 

 ぬらりひょんは初対面のその少年を妖怪と見抜き、いったい何者なのかと問うた。その問いに、少年は少し戸惑いながらも答えていく。

 

「——ボクは鬼太郎……幽霊族の鬼太郎だ」

 

 

 

「なんだ小僧!? 邪魔をするなら……まずは貴様から片付けてやるぞ!!」

 

 無遠慮に自分の邪魔をするように現れた鬼太郎に、片車輪が怒りを隠そうともせずに奮い立つ。くるくると自身の体を回転させることで、その身に纏う炎がさらに激しく燃え上がっていく。

 

「……っ!!」

 

 そんな片車輪の妖怪としての能力、激しい敵意に鬼太郎の体が緊張から強張る。彼にとって、ここまで剥き出しの敵意を向けられるのは初めての体験だ。

 まだ相手が何者かも聞いていないのに、いったい何をどう対処すればいいか分からず、その場で立ち尽くす。

 

 

「——お待ちなさい、片車輪さん」

 

 

 だが、ここでぬらりひょんが待ったを掛けた。彼は片車輪を強引に下がらせ、鬼太郎に向かって一歩前へと歩み出る。

 

「……っ!!」

 

 ぬらりひょんが自然と放つ威圧感に、鬼太郎は怯むように後退していく。

 こういった状況にまだ場慣れしていない鬼太郎に、ぬらりひょんは一瞬、ニヤリと口元を歪めながらも真摯な言葉遣いで鬼太郎へと語りかけていく。

 

「初めまして、鬼太郎くん。私はぬらりひょん……妖怪の復権のため、微力ながらも尽力させていただいているものです……」

「ぬらりひょん……妖怪の、復権?」

 

 それが、鬼太郎とぬらりひょん。

 全く相反する二人が、初めて互いの存在を認識した瞬間だったかもしれない。

 

 

 

「私はただ妖怪のため、薄汚い人間の魔の手からこの地上を取り戻したいだけなのですよ」

「…………」

「鬼太郎くんと言いましたね? 貴方も妖怪であれば、我々に力を貸していただきたい。幽霊族の末裔である貴方の掛け声があれば、きっと多くの妖怪が賛同してくれるでしょう」

 

 ぬらりひょんは、妖怪である鬼太郎に自分は味方であると甘い言葉を囁く。妖怪のために日々力を尽くしている己の活動を正当化し、同じ妖怪である鬼太郎を仲間に引き込もうというのだ。

 鬼太郎は、妖怪の復権とやらにそこまで深い興味があるわけではない。しかし、ぬらりひょんの巧みな話術に足を止め、思わず聞き入ってしまっている。

 

「——鬼太郎!! 奴の言葉を真に受けてはいかん!!」

「——っ!!」

 

 だがここで、ぬらりひょんの言葉を遮るように、目玉おやじが鬼太郎の頭から顔を出して警告する。

 

「ぬらりひょん……ぬらりくらりと捉えどころのない妖怪じゃ!! 奴の戯言に惑わされぬよう、気をしっかり持て!!」

「は、はい……!!」

 

 ぬらりひょんという妖怪の特性は、目玉おやじも知っている。奴とまともに言葉を交わしても惑わされるだけだと。息子に注意を促し、鬼太郎もそれにしっかりと頷く。

 

「!! これはこれは……お会いできて光栄です。幽霊族の生き残り……奥方殿のことは、誠にお悔やみ申し上げます……」

「っ……!? お主、幽霊族の……わしらのことを知っておるのか!?」

 

 だが目玉おやじの登場にも、ぬらりひょんはすぐに対応してみせた。その匂わせるような言動には、聞く耳を持つなと言っていた目玉おやじでさえ、思わず質問を投げ掛けてしまう。

 

 これこそ、妖怪・ぬらりひょん。

 どれだけ注意していようと、生半可なことでは彼の話術、策略から逃れることは出来ないのだ。

 

「ええ、幽霊族を襲った惨劇……あの村での悍ましい所業は、私の耳にも届いておりますとも。本当に、人間とはどこまでも業の深い生き物です……全く、救いようがない!!」

「っ……!!」

 

 このぬらりひょんという男。実際に幽霊族の身に起こった出来事、目玉おやじとその妻が辿った結末をある程度は把握しているようだった。

 

 何故、どうして——などと聞き返すのは無粋だ。ぬらりひょん。その気になればどこへでも、ぬらりくらりと入り込み妖怪。

 彼の前で隠し事など無意味だと。対峙するものにそう思わせるほどに、底知れぬ恐ろしさを感じさせる。

 

「あんな連中……人間のために幽霊族が肩入れする理由など、これっぽっちもないのです!! ご先祖様たちの無念を晴らすためにも……私と共に人間を打ち倒しましょう、鬼太郎くん!!」

 

 ぬらりひょんは、幽霊族たちを絶滅に追いやった人間たちの所業を突きつけ、尚も鬼太郎に協力を取り付けようとする。

 徐々に熱を帯びてくるぬらりひょんの弁論に、鬼太郎も上手く反論を口に出来ないでいたが——。

 

 

「——ぼ、ボクは……人間に復讐なんて……するつもりはない……」

「ほう……?」

 

 

 動揺しながらも、なんとか鬼太郎はぬらりひょんの勧誘を真正面から断った。自身の意見をはっきりと口にしてみせた鬼太郎に、ぬらりひょんは感心するように息を吐く。

 

「——なんだとっ!? 人間に味方するなど……貴様、それでも妖怪か!?」

 

 すると、鬼太郎の言葉にそれまで黙っていた片車輪が声を荒げる。

 鬼太郎の人間の味方をするような言動に——文字通り、その体を炎上させるほどに怒り狂った。

 

「腑抜けた小僧め……貴様にはこの片車輪様が、妖怪の何たるかを教えてやる……覚悟しろ!!」

「むっ……待ちなさい、片車輪さん」

 

 もはや、ぬらりひょんの静止すらも聞く耳を持とうとせず。問答無用とばかりに鬼太郎へと襲い掛かっていく。

 

 

 

「くっ……これが、妖怪との……戦いっ!!」

 

 それは、鬼太郎にとって初めての実戦だった。

 

「フハハハ!! どうした小僧、少しは反撃してみせるがいい!!」

 

 片車輪は古い車輪に憑依したまま、鬼太郎に向かって突っ込んでくるという戦法をただひたすらに繰り返す。それは単調な攻撃であったが、車輪として回れば回るほど加速し、速度が上がれば上がるほどにその身に纏う炎の勢いも強まっていく。

 このまま調子に乗らせれば、際限なく勢いを増して手が付けられなくなるだろう。

 

 さりとて、鬼太郎は片車輪の突進を回避するのが精一杯で、どうすればいいか思案を巡らせる暇もなかった。

 今の鬼太郎に、妖怪相手の実戦はまだ荷が重かったかも知れない。

 

「鬼太郎っ!! ご先祖様の霊毛ちゃんちゃんこじゃ!! そのちゃんちゃんこで……片車輪の動きを封じ込めるのだ!!」

 

 しかしそこは目玉おやじが、数多の戦いを潜り抜けてきた彼が息子にアドバイスを送る。

 

「わ、分かりました!! 霊毛ちゃんちゃんこ!!」

 

 目玉おやじの助言に素直に従う鬼太郎。父親の指示通り、片車輪が突っ込んでくる進路上にちゃんちゃんこを広げ、その突進を妨害する。

 

「むぐっ!? こ、こんなもので……止まると思って……!!」

 

 覆いかぶさるように自分を妨害するちゃんちゃんこに、片車輪は強引にでも直進しようと試みてくる。しかし、片車輪は先祖の霊毛で編まれたちゃんちゃんこの頑丈さを知らない。

 ちゃんちゃんこは決して破れず、燃えることもなく。確実に片車輪の動きを封じ込めた。

 

 片車輪の特性上、動きが止まれば炎の勢いも弱まってくる。その隙を——目玉おやじは見逃さない。

 

「今じゃ、鬼太郎!! リモコン下駄をお見舞いしてやれ!!」

「はい!! リモコン下駄!!」

 

 目玉おやじの号令と共に、鬼太郎はリモコン下駄を思いっきり蹴り放った。次の瞬間、高速で飛来する下駄が動きの止まった片車輪を横合いから貫いていく。

 

「——ぐおおおおおお!? お、おのれぇえええ!!」

 

 仮初の体である車輪が砕かれたことで、片車輪は自身の『回転するものに憑依する』という特性を維持することが出来ず——その気配が、急速にその場から遠退いていった。

 

 

 

×

 

 

 

「お見事です、鬼太郎くん!! 片車輪さんを退けるとは、やはり幽霊族の力はずば抜けて優秀のようですね……」

 

 鬼太郎と片車輪との戦いを、ぬらりひょんはその場からピクリとも動かず静観していた。片車輪が倒されても顔色一つ変えることなく、それどころか鬼太郎の幽霊族としての力をこれでもかと賞賛する。

 

「やはり勿体無い……貴方のその力は、妖怪のために振るわれるべきです。人間のために戦うなど、宝の持ち腐れにしかなりませんよ?」

 

 そして再度、鬼太郎に自分の仲間になるように声を掛けてくる。人間など見捨て、妖怪のために力を尽くせというのがぬらりひょんの主張だが。

 

「別に……ボクは人間のために戦ったわけじゃない……」

 

 ぬらりひょんの勧誘に、鬼太郎は自分がそもそも人間の味方などではないと首を振る。

 

 人間の愚かさ、それは鬼太郎も重々承知だ。実際にこの目で見たわけではないが。あの村——哭倉村という場所でどのようなことが行われていたのか、自分たち幽霊族がどのようにして滅ぼされたのか。

 目玉おやじから、ある程度のことは聞かされている。それを聞いて、人間全て救おうなどと鬼太郎だって思わない。

 

「あそこには水木さんが……ボクを助けてくれた人間がいるかもしれないんだ……」

 

 彼はただ、水木が——自分の恩人が事故現場にいるから、わざわざ駆けつけて来たに過ぎない。そうでなければ、わざわざ危険を冒してまでこんなところに来ようなどと思わなかっただろう。

 

「…………なるほど、人間に助けられたですか……」

 

 鬼太郎の一言に一瞬、ぬらりひょんの目の奥がギラリと光ったように感じられた。彼は僅かに思案するや——すぐにでも、鬼太郎への揺さぶりとして言葉を紡いでいく。

 

「その人間は……貴方のことを妖怪だと、分かった上で助けたんでしょうかね?」

「…………」

 

 ぬらりひょんの発言に対し、鬼太郎はそれ以上、何か言葉を返そうとはしなかった。父親の『相手の言葉を真に受けてはならない』という助言を思い出し、これ以上言葉を交わすのは不味いと感じたのだ。

 しかしわざわざ会話である必要はないと、ぬらりひょんは鬼太郎に向かって一方的に言葉を連ねていく。

 

「貴方方、幽霊族は……私と同じように、ほとんど人間と変わらない外見をしている。人間社会に混じること自体、さほど難しくはないでしょう」

 

 鬼太郎も、ぬらりひょんも。人間と身分を偽っても、バレないほどに人間に近しい姿をしている。それこそ目玉おやじや片車輪といった、見た目から明らかに妖怪だと分かるような異形とは違う。

 実際、鬼太郎の母は人間社会に混じりながら、普通に働いて暮らしていたという。もしかしたら鬼太郎にも、母親と同じように人間たちと肩を並べるような生き方があったのかもしれない。

 

「……ですが、所詮は妖怪と人間。姿形が似通っていても、根本的に我々は全く異なる種族なのです」

 

 もっとも、それも表面上な部分に過ぎないと。ぬらりひょんは人間と妖怪を明確に分けて考える。

 

「貴方の妖怪としての力……それは人間社会の中では決して受け入れられない、彼らが正しいとする秩序を破壊する力です」

 

 事実として、鬼太郎には人間たちが積み上げて来た社会、文明、秩序といったものを乱す力がある。たとえ鬼太郎にその気がなくとも、それが『出来る』という事実に、きっと人々は恐怖するだろう。

 

「その力は目の当たりにしたとき……貴方を助けたというその人間は、果たして貴方のことをどんな目で見るのでしょうねぇ……」

「そ、それは……」

 

 ぬらりひょんのその発言に、鬼太郎は思わず目を逸らしてしまう。彼の言葉は、まさに水木と自分との間に『ズレ』を感じていた、鬼太郎の心の不安を的確に射抜く言葉であった。

 自分と水木、妖怪と人間は違う生き物なのだと。今一度、ぬらりひょんによってはっきりと自覚させられていく。

 

「鬼太郎くん……もしも困ったことがあれば、いつでも私を頼るといい」

 

 その上で、ぬらりひょんは慈愛すら感じられるほど、優しげに鬼太郎へと語り掛けた。

 

 

「私はいつでも貴方を歓迎します。是非、お待ちしておりますよ……」

 

 

 自分は人間などと違う。たとえどのような力を持っていようと、鬼太郎自身を歓迎すると。

 刹那、鬼太郎が動揺する意識の隙間を突くかのように——ぬらりくらりと、その姿をくらませていく。

 

 

 

「父さん……」

「鬼太郎、ぬらりひょんの言葉など気にするな……奴はお前を惑わそうとしているんじゃ……」

 

 ぬらりひょんも立ち去り、その場に鬼太郎と目玉おやじだけが取り残される。目玉おやじはぬらりひょんの言葉など気にするなと、励ますように鬼太郎に声を掛ける。

 

「分かっています……きっと奴は、ボクを利用しようとしているだけなんでしょう……」

 

 鬼太郎自身も、ちゃんと分かっていた。

 調子のいいことを色々と言っていたが、結局のところ、ぬらりひょんは鬼太郎の力を利用したいだけ。奴の元に下ったところで、きっと体よく使われて終わるだろうと。ぬらりひょんの勧誘になどは決して乗らない。

 

「けど……奴の言っていたことは、あながち間違いでもないと思うんです……」

 

 だが、ぬらりひょんの主張そのものに間違いはなかったと思う。人間と妖怪は違う生き物であり、決して最後まで一緒にはいられない。

 きっと水木も鬼太郎が妖怪で、人間を簡単に害せる力があると分かれば、その瞳に恐怖の感情を浮かべるだろう。

 

「だから、ボクは……」

 

 だったら、いっそのことと——鬼太郎は覚悟を決める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……なんとか家には帰れるが、鬼太郎になんて言うか……」

 

 トンネルの事故から半日後。怪我で頭に包帯を巻きながらも、水木は自力で自宅への帰り道を歩いていた。

 水木自身は、比較的軽症であったこともあり、特に入院などの処置を取る必要もないと判断された。だが当然、事故で工事は一時中断だ。

 やることもなくなり帰宅することにした水木。家で自分の帰りを持っているであろう鬼太郎に、頭の怪我をなんと説明したものかと。

 

 未だに痛む頭さすりながら、悶々と考え込んでいた水木だったが——。

 

「……水木さん」

 

 その道中の帰り道に——鬼太郎がいた。彼は一人道端で、水木のことを待っていたかのように静かに佇んでいた。

 

「鬼太郎? どうしたんだ、こんなところで……」

 

 そんな鬼太郎の様子に、水木は違和感を覚えながらも声を掛ける。

 だがすぐに慌てたように、自身の怪我——頭の包帯のことをどう説明するかと、その表情を引きつらせる。

 

「いや、この傷はその……ちょっと色々あってな……は、ははは……」

 

 まだ考えを纏めている最中だったため、上手く言葉が出てこない。とりあえず、心配だけは掛けまいと、笑って誤魔化そうとするのだが——。

 

「知っています、見ていましたから」

「……なんだって?」

 

 鬼太郎は気遣いは無用だと。実際にその現場を見ていたことを口にする。

 あの後、鬼太郎は遠目から水木の無事を確認した上で、ここで彼が帰ってくるのを待つことしたのだから。

 

「水木さん……トンネルで事故を引き起こしたのは妖怪です。人ならざる怪物が、人間たちに危害を加えたんです」

 

 鬼太郎はあの事故の原因が、妖怪と呼ばれる存在にあると警告する。

 ここ最近の建設ラッシュで、大小様々な事故を自業自得で引き起こしている人間たちだが、少なくともあの事故は妖怪の仕業であり、人間側に非はないのだと。

 

「!! よ、妖怪って……そんなバカな……」

 

 だが、鬼太郎の口から語られる妖怪なるものの存在に、水木は苦笑いを浮かべる。

 少なくとも『今』の水木は、妖怪というものを明確に信じているわけではない。鬼太郎が化け物の子供であることは理解しているつもりだったが、それが妖怪と呼ばれるものだということまで考えが及んでいない。

 

 

「水木さん……ボクも、その妖怪なんです」

「!!」

 

 

 しかし今この瞬間、他の誰でもない鬼太郎自身の口から、自分が妖怪であることが告げられた。突然の告白に水木が思わず息を呑むが、鬼太郎は構わずに話しを続ける。

 

「このまま……貴方の元で世話になっていても、ボクは人間として生きることは出来ません。それどころか、いつかボク自身が……妖怪として、貴方を傷つけてしまうかもしれない……」

 

 鬼太郎は人間にはなれない。いずれは人間である水木とも離別しなくてはならないのだ。それが早いか遅いかの違いでしかない。

 それにいつまでも一緒に居続けては、いずれ妖怪としての力を秘めている鬼太郎が、水木を傷つけることになるかもしれないと。

 

 

「——だから、ここでお別れです」

 

 

 その不安から、鬼太郎は決心した。

 妖怪である自分が水木に取り返しの付かないことをしてしまう前に、彼の元を離れようと。

 

 それがここまで育ててくれた水木に、自分が出来るせめてもの恩返しだと。これが最後のつもりで、鬼太郎は最大限の礼を込めて水木へと頭を下げる。

 

 

「今までお世話になりました……どうかお元気で、水木さん……!」

「ま、待てっ!? 鬼太郎!!」

 

 

 そのまま、相手の返事を待つこともなく踵を返す鬼太郎。咄嗟に鬼太郎へと手を伸ばす水木だったが——次の瞬間、彼の視界から鬼太郎の姿が消えた。

 

「……!?」

 

 鬼太郎は、凄まじい跳躍力でその場から跳び上がっていた。

 妖怪としての身体能力を存分に発揮し、あっという間に水木の視界から遠ざかってしまったのだ。

 

「鬼太郎……」

 

 あまりの速さに、水木は追いかけることも出来なかった。

 やはり鬼太郎は妖怪で、水木は人間。その能力の違いを思い知らされてしまったかのよう、水木は呆然と立ち尽くすほかになかったのであった。

 

 

 

 

 

 それから数ヶ月後。事故が起こったトンネルも工事が再開され、なんとか期限までに全ての工程が完了した。その他の工事も、オリンピックまでには間に合い——スポーツの祭典は無事開催された。

 

 その祭典を通して、世界中に日本の復興は成し遂げられたとのだと伝えられる。その事実に日本中が歓喜に包まれたことだろう。

 

 だが、忘れてはならない。

 

 そのオリンピックを開催するにあたって、多くの労働者がその命を失ったことを。

 この記念すべき祭典が、多くの犠牲の上に成り立っていることを。

 

 そして、たった一つの事故をきっかけに、血の繋がらない親子の離別があったことを。

 それを、決して忘れてはならないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて。オリンピックが無事開催し、そして閉幕したわけだが。オリンピックの後に続く祭典があったことを、ここに補足しなければならない。

 

 それこそ——『パラリンピック』と呼ばれるもう一つの祭典である。

 

 オリンピックのすぐ後に開かれるこの祭典は、障害者を対象としたスポーツ競技大会だ。オリンピックが開かれた開催国、つまりは同じ東京で行われる。

 オリンピックほどの規模ではないものの、世界中から多くの選手たちが日本国内へと集結してくる。

 

「う、ウェルカム!! ようこそ日本へ……アメリカ選手団の皆さん!!」

「オオっ!! アリガトウゴザイマス~、ニッポンノミナチン!!」

 

 日本の空の玄関口とも呼ばれる、東京国際空港——通称・羽田空港にて。外国から訪れた選手団を、日本の大会スタッフが丁重に出迎えていた。

 

 飛行機から降りてきたのは——アメリカ合衆国の代表選手たちだ。

 

 戦後、長い間日本を占領し続けた大国を前に、日本人スタッフがやや及び腰になっている。既に日本は占領国ではないのだが、どうしても気を遣ってしまうのが日本人の性質なのか。

 反対に、アメリカ側の選手たちは特に気にした様子もなく。単純に選手としてパラリンピックを楽しみにしており、それと同じくらい日本という国にワクワク感を抱いている様子だった。

 

「ええっと……ではさっそくご案内します。どうぞこちらです……」

 

 そんな外国人選手たちを、恐縮しながらも通訳を通して滞在場所まで案内しようとするスタッフ。

 

「ヨロシクオネガイシマス……oops(おっと!?)!?」

 

 だが、一人のアメリカ人選手がその後に続こうと、車椅子で移動しようとした際——アクシデントは起きた。

 足元が悪かったのか、車椅子の操作を誤ってしまったのか。大きくバランスを崩し、前のめりに倒れそうになってしまったのだ。

 

「あ、危なっ……!?」

 

 転倒に気付く日本側のスタッフだが、反応が間に合わずに駆け寄ることが出来なかった。

 あわや、大会が始まる前に怪我を負ってしまうのかと、誰もが背筋をヒヤリとさせる。

 

「——っ!!」

 

 しかし転倒し掛けたその瞬間、目にも止まらぬ速さで何者かが手を伸ばし、ギリギリのところで選手の体を支えた。

 

「よ、よかった……ありがとうございます……」

 

 これに日本側のスタッフがホッと胸を撫で下ろす。とりあえず大事にはいたらず、国際的な問題にならなくて良かったなどと、選手を助けた人物へと目を向ける。

 

「…………!」

 

 瞬間、スタッフは息を呑む。

 

「——Are you all right(大丈夫ですか?)?」

「——Oh, thank you(ああ、ありがとう!!)!!」

 

 選手の体を後ろから支えた『彼女』は、そのまま丁寧に選手を車椅子へと座らせる。助けられた選手は英語で彼女に礼を言い、彼女もまた英語でそれに答える。

 

 

 彼女——金髪碧眼のその女性は、さながら西洋人形のように美しい麗人だった。

 

 

 大人の女性としての品位を持ちながらも、どことなく幼さを残した顔。

 リボン付きのワンピースドレスに身を包んだ立ち姿は、貴族令嬢のような気品を感じさせる。

 その一方で、黒い手袋をした手にはトロリーバッグが握られており、使い込まれた革のロングブーツが彼女に旅人という印象を与える。 

 胸元には、彼女の美しさに負けず劣らずな輝きを放つ、エメラルドのブローチが煌めいていた。

 

 

「き、キミは……?」

 

 様々な人種が入り乱れるアメリカ選手団の中においても、彼女という存在は際立った雰囲気を醸し出していた。

 そんな彼女に対し、日本側のスタッフが呆気に取られながら日本語で語り掛けてしまう。

 

 

「お初にお目に掛かります……」

 

 

 すると、女性はとても流暢な日本語で返してくれた。

 日本人顔負けの美しい日本語の発音に、その場に集った全ての人間が彼女の言葉に耳を傾けていく。

 

 

「お客様がお望みなら、どこへでも駆けつけます」

 

 

 人々の視線を一心に浴びながらも、彼女は全く臆することなく。

 淑女として教育されたのだろう、優雅な礼をしながら自らの職業と名前を口にしていった。

 

 

 

自動手記人形(じどうしゅきにんぎょう)サービス……ヴァイオレット・エヴァーガーデンです」

 

 

 




人物紹介

 鬼太郎くん
  皆さんご存じ、ゲゲゲの鬼太郎の主人公。
  ですが今回の主な舞台、1964年時点ではただの鬼太郎と名乗っています。
  誕生からまだ八年……正真正銘八歳の子供です。
  今後の展開でも精神的、能力的に未熟な部分を出していきたいと思います。

 目玉おやじ
  こちらもお馴染み、鬼太郎の父親。既に肉体を失ったいつもの姿での登場。
  まだ子供の鬼太郎に、こっそりと妖怪について色々とお勉強させています。

 鬼太郎の母親
  ゲゲゲの謎本編で登場した、鬼太郎の母。今作では既に故人。
  声優が6期鬼太郎と同じ沢城さん。どことなく猫娘に似ている。
  写真では美人さんでしたが、亡くなる前は衰弱し切っていたため、変わり果てた姿に。
  映画では名前が特に呼ばれませんでしたので、本作でも明確に名前呼びはしません。

 水木
  ゲゲゲの謎のもう一人の主人公、本作でもようやく登場!!
  映画での彼と目玉おやじとのバディ関係に脳を焼かれた人も多い筈。
  あのエンディングのあとについて、色々な考察がなされていますが。
  本作において、水木はまだ『あの村での出来事を忘れている』とさせていただきました。
  いつかは記憶が戻るかもしれませんが、今回の話ではそこまで描きません。
  水木といえば『水神に襲われる』話もありますが、それも今回はまだ出てきませんので、ご注意ください。
 
 水木の母親
  水木の実の母親。映画でも一瞬だけ、姿が出てきたくらい。
  息子がいきなり赤ん坊を拾ってきた……そのときの彼女の感情はどうだったのか?
  本作においては、都合上、少し前に病気で亡くなっていることとなっています。
  
 水木の記憶の奥にいる人たち
  幼い少年、年頃の女性。そして着物を羽織った白髪の男性。
  ときおり、幻影として水木を悩ませる方たち。
  彼らが何者なのか知らない方は……今月配信される『ゲゲゲの謎』でチェックしていただきたい!!

 ぬらりひょん
  ここで登場、鬼太郎の宿敵。  
  6期のアニメにおいて、二人は既に顔見知りだったようなので。
  きっと初対面の出会いもあったんだろうなと、こういった感じで書かせていただきました。

 片車輪
  別名、片輪車(かたわぐるま)とも呼ばれる、今回のゲスト妖怪。
  見た目のビジュアルや能力は、鬼太郎5期に登場した片車輪そのもの。
  車輪などの回るものに憑依し、回れば回るほど燃え上がるという特性を秘めています。
  登場早々、早くもやられてような感じですが……まだ魂は出てきてませんので、油断なさらずに……。
  
 池田勇人
  ときの内閣総理大臣。
  もしも作者が『尊敬できる人は?』と聞かれたら、真っ先に名前が出る人物。
  昭和の政治家で、戦後の日本復興に多大な貢献をなされました。
  彼の生涯に関しては『疾風の勇人』という漫画にて描かれています。

 ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン
  最後の最後に登場、クロス作品の主人公。
  今作において、彼女はアメリカ合衆国の人物とさせていただきました。
  彼女がどのような経緯で日本に来ることになったのかは、次話で詳しくやっていくつもりです。
  

次回から、ヴァイオレット以外のクロス先の人物たちも登場しますので、お楽しみに!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。