花と魂 (鈴近)
しおりを挟む

花と魂

花司波密(はなしば ひそか)、中学一年生。LDS総合コース所属。リチュア使い。彼は入学式のあの日から、恋をしていた。花のようなあの子に、ずっと恋をしている。

※アニメ本編時間軸の一年前設定
※オリ主×柚子
※デュエルシーンがありますが、作者はペーペーのワナビーデュエリストなので指摘の類は優しくしてください。強くなりてえ…
※遊矢の初期エンタメスタイルにネガティブな感情を抱いている描写があります


「俺、柊のことが好きだよ」

 まるで「今日は暑いですね」とか、「天気がいいですね」みたいな口振りで、その台詞は降ってきた。彼が名字で呼ぶのは、ここが学校だからだろうか。ぼんやりと考えるうちに、彼の言葉が頭に染み込んでいく。

 柚子は素っ頓狂な声をあげた。

「えっ? ……えっ!?」

 絶句。瞬間、カッと全身が熱くなる。彼はまだ黒板を見つめているはずだ。今日は連絡事項が多くて、消すのが大変そうだったから。柚子では背伸びしても届かないところまで、たっぷり文字が踊っていた。「掃除の前にやってほしいよね」って、さっきまで普通に話していたのに。

 まずい、まずい。混乱している。まだこっちを見ないでほしい。

 カーテンがそよ風でさらさら揺れている。耳に入るのは蝉の叫び。半身振り向いた彼の、ショッキングピンクの瞳に柚子が写り込んでいる。

「アハ、珍しい顔。いいもの見ちゃった」

 ガタンと椅子を蹴倒した。くすくす笑う彼は、やはり飄々としていて、聞き間違いだったのでは? と錯覚するほどだ。

 そうだ、こんな、日直の仕事中に告白なんてあるわけがない。ムードもへったくれもないだろう。

 柚子はぶんぶん頭を振った。顔に集まった熱がなかなか消えてくれない。でも、彼は追い打ちをかけてきた。柚子が逃げを打つのを見透かしたかのように、迫って、追ってくる。

「冗談とか、罰ゲームじゃない」

 キュッキュッと上履きが床を滑る。追い討ちがやってくる。そろりと顔を上げると、自分の髪の隙間から、とろけそうな眼差し。どくんと心臓が跳ねる。視線が縫い止められてしまったようだった。もう目が離せない。

「俺は君が好きなんだ」

(ひそか)くん……」

 ジワジワ蝉が鳴いている。胸の鼓動と連動するみたいに騒がしい。ごくりとあふれてくる唾を飲み込んだ。彼の目は切なげに揺らめいている。普段にこにこ笑っている人が、少し眉を寄せて伏し目がちに覗き込んでくるだけで、ああ男の人なんだと──事実を再度突き付けてくるのだ。

 すき、スキ、好き。つまり愛の告白。こんなのは初めてだった。どう答えていいのかさっぱりわからない。えーと、えーと。柚子の頭の中を、支離滅裂な言葉ばかりが駆け抜けていく。

 そうだ、とにかくイエスかノーのどちらかを答えなくては! 

 しかし、彼は、花司波密(はなしば ひそか)は一歩離れて、おどけるように肩をすくめた。

「ま、だから、正直榊に嫉妬するし、気が気じゃないの。幼馴染みって言ったって、ねえ? 思春期になってまで二人とも仲がいい。家も近いし塾だって一緒、物理的なアドバンテージで俺は劣ってるんだ。そのまま付き合い始めて果ては結婚……とか、よくある話でしょ。そうなったら目も当てられない」

「遊矢とは、そういう関係じゃないわ。ただの幼馴染みよ」

「うん、知ってる。でも、まったく意識してないってわけでもない。ね?」

「う……」

「それにこれからどうなるかはわからないだろう。じゃあ、俺が君の横に立ってる未来がいっときでもほしいなって、思って。……柊柚子さん」

「は、はい!」

 改まって呼ばれたものだから、背筋がピンと伸びる。柚子よりちょっと高いところにある目線が、あっちへうろうろ、こっちへうろうろ。二秒くらいだっただろうか。きゅっと結んでいた唇を、ちろりと舐めて湿らせる。赤い舌が印象的だった。

「俺にさらわれてくれませんか」

 白い肌がぽぽっと染まって、狸みたいに垂れた目尻がいっそう垂れていた。精一杯笑顔を作ろうとしている唇は、力みすぎて歪んでいる。その姿にきゅんとしてしまった瞬間、未来は一つのルートに定まっていたのだろう。

 

 初めて君を見つけたのは入学式のとき。桜の海で振り返った君は、めまいがするほど風景として完成されていて、呼吸を忘れたのを覚えている。交差した視線の静寂がとても長く感じた。瞬きひとつしただけで、君はあいつの名前を呼んで走り去ってしまったのだけれど。だからきっと、覚えてはいまい。俺がいったい、いつ君に恋をしたのかも、俺が伝えなければ知ることすらない。

 まあそんなことはわりとどうでもいいのだ。自身の「すき」があの子に伝われば、あわよくば自分を見てくれれば。きっかけはきっかけに過ぎないのだから。

(ひいらぎ、柊。柊柚子。ゆず。ふふ、ゆず。かわいい名前。本当に花みたいな……)

 あの子の名前は魔法のようだ。心の中でそっと囁くだけで、幸福が全身を満たす。思いがどんどん強くなる。

 

 

 花司波密は恋をしている。花のようなあの子に恋をしている。いつも通りピンクの髪をツインテールにした思い人は、いつも通り、幼馴染たちと和気あいあいと楽しそうに会話をしていた。いいな、と、密はそれをぼんやり眺めるばかりだ。

 幼馴染の一人、榊遊矢は彼女、柊柚子と同じ塾に通っているし、もう一人の権現坂も、塾は違っていようがご近所さんだ。よくてそれなりに話すクラスメートでしかない密が割って入ることも、なかなかできない。

 そもそも密は、榊遊矢がいくらか苦手だった。当たり前みたいに柚子の隣が指定席。いつも行動を共にして、たくさんの時間を過ごして、でも彼女への態度はどこかぞんざいだ。口うるさいと愚痴をこぼしていたことも知っている。密は羨ましくて仕方がないのに。逆恨みである。認めよう。

 加えてデュエルでも、彼の言うエンタメデュエルにはこちらを舐めているような態度やプレイングがたびたびあるため、戦いたいとも思えない。おちょくられているようで不快になるのだ。自分の勝ちを確信してから観客や対戦相手を煽るというのは、お世辞にも趣味がいいとは言えない。密が思うデュエルとは、とにかく自分が全力で楽しみ、対戦相手と全力でぶつかり合うものである。考えが違うのだからこの辺りはどうしようもない。諦めがつく。

 一番嫌なのは、榊の持つ柚子に向けた感情が兄弟などの枠組みを超えないのに、柚子が少なからず榊を異性として意識していることだった。他の女子が榊にちょっかいをかけるたび、ハリセン片手に飛んでくるのをよく知っている。

 ずっと見ていた。たとえ費やした時が数か月に過ぎなくても、あいつよりもずっと、君のことが好きだ。

 胸だけはいつも騒いでいるのに、実際は話しかけるのにも緊張してうまく振る舞えないのだから、重症である。そっと彼らから目を逸らして、組んだ腕に突っ伏す。衣替えを経て剥き出しになった腕はまだ見慣れない。彼女の細腕が振り回されるたびにどきどきするのが、我ながら変態くさくて嫌になってしまう。

「どうしたヒソカー?」

 ちょんちょんと、クラスメートの加賀が肩をつつく。密はそれをうざったそうに振り払った。

「ほっといて」

「まあまあ、いじけるなって。でも柊いいよな~榊さえなければな~」

 次に声をかけてきたのは赤城だ。「ひいらぎ」の名前を認識した瞬間、密は伏せていた顔を弾かれるように持ち上げ、じろりと眼鏡の向こうの細い目を睨みつける。

「俺の気持ちを知っておいてそういうこと言う? ソリティアやる?」

「やめてください死んでしまいます」

「オレはあいつ姉ちゃんみたいだからいいや。確かにかわいいけど」

 アホ、と視線に感情を込めつつ、加賀が肩をすくめる。密はうっと顔を覆った。

「柊はかわいいんだよ……。どうしてくれるんだーってくらいかわいいんだよ……」

「お前、それは惚れた欲目ってやつだろ」

 思わず加賀の口が本音を言ってしまった。こいつ、今「かわいい」だけ抽出して自分が語りたいことに直結させた。そして、懲りずに赤城が茶々を入れる。

「見つめ合うと素直におしゃべりできないもんなー、ヒソカちゃんは」

 彼の目は狐のように細くしなり、にやにやと唇を三日月にしながら密を見ている。こいつ、人をからかうときはものすごく不気味で、いかにもいたぶるのが楽しい~って顔するよな、と加賀は遠い目をする。デュエルスタイルにもそれは現れがちだ。主に効果バーンなどで。

 しかし、攻撃を仕掛けられて黙って耐える密ではない。顔を覆っていた指の隙間から、爛々と光る不機嫌な眼差しがある。

「殺すぞ」

 ショッキングピンクの瞳がぎろりと光って、にわかに殺気立った。彼らは二人して首をすくめた。赤城がちょっかいをかけていながらも、被害者のように振る舞うのを、加賀はじっとりした目でじろ~っと見つめていたが。

 視線に気づいて、ぺろりと舌を出した赤城が、きゃっと両手で身体を抱きしめる。

「やーめーてー。こわい。僕のライフはとっくにゼロよ!」

 全然反省していない、どころかまだまだからかい倒す気満々だ。それがわかっているから、加賀も密も揃ってため息を吐く。

 くすくすと赤城は笑った。

 本当にぞっこんである。まったく、女の子みたいな顔をしているくせに、こういうときはよっぽど男らしく(……いや、雄らしく?)なるのだから。恋とは人を変える。劇薬のようだ。

 第三者の自分が思春期に差し掛かったばかりなのに悟ったようなことを考えてしまうくらい、密は柊柚子に夢中で、狂わされているだろう。Crazy for you.とは今の彼のためにある。英語圏の人もうまいこと言うものだ。

 はあ、と薄い唇からため息が溢れ出た。恨めしそうに机に爪を立てている姿は、本当に「狂っている」。「元気出せ」って、加賀は密の背中をばしばし叩いた。こいつがこの二か月、めちゃくちゃ頑張って柊に存在のアピールをしていたのを、よく知っているからだ。

 意中の相手と幼馴染が同じクラスにいるというのは、難易度爆上がりもいいところ。応援だってしたくなる。しかも塾まで一緒、つまり放課後一緒に過ごす時間も長い。同情の極み。LDS総合コース所属のエリートであるということも、弱小塾の娘からしたらプラスに働かないのだから、本当に大変だ。

 あーあーと加賀は後ろ手で指を組み、呆れながら言葉を紡ぐ。

「お前のことを遠くから見てる女子だったらあっという間だっただろうに」

「興味ないやつと付き合っても意味ないでしょ。すぐ別れる方が失礼だ」

「まっじめー」

 またにやにやと赤城が笑う。ぷちん。堪忍袋の緒が切れたらしい。ばんと机を両手で叩き、密は彼らをずびしっと指差した。

「君らみたいにモテたいモテたいって言って好きな相手もいない方がおかしいんだよ! 世間話なら知らないけど!? 俺は!? 真剣に悩んでいるので!?」

「ウェグッ!!」

「ヌギャア!!」

「ぐうう俺だって柊ともっと話したいし一緒に帰りたいいいい」

 恋は人をおかしくする。密がこんなに欲望をあらわにしているのなんて、ほしかったカードが別のやつのパックから出てきたときくらいしか見たことがない。痛いところを突かれてずきずきする胸を抱え、彼らはそう思った。

 一日一回は他愛のない会話をして、髪型や服装の変化にはいち早く気づく。絶対誉めるようにした。そうすると彼女がますますかわいく見えるようになった。空気が輝いている気さえする。小学生の頃のように私服制だったら、服のことだって言及していただろう。

 目が合えば「おはよう」だったり、手を振ってみたり、またははにかんだり。全身全霊で彼女のことが好きだ! と主張しているのに、異性の幼馴染との付き合いがあるからか、はたまた彼女が鈍いのか。ちっとも密の気持ちは伝わっていないらしい。年頃の男子にあるまじき積極性を発揮しているのに、だ! 

 こういった、中学一年生ではまずありえないまっとうなアプローチをしているのに、いまいち密がそれを実感できないのは上記が理由である。失敗はしていないが成功もしていないプラマイゼロ。いつまでもそんな状態ではこれ以上どうしろとっ!? と泣きたくなってしまっても致し方ないのではないだろうか。

 もちろん、柊柚子以外の女の子が相手だったならば、あっという間に告白やお付き合いに発展していただろう。それくらい密の行動は紳士的で一途で誠実だ。女子の間で「花司波くんって結構いいよねー」なんて言われつつも、「でも彼、柚子のこと好きでしょ?」となるので、告白されたことなどはないのだけれど。密からだだ漏れているハートの乱舞に気づいていないのは、当の柚子本人くらいである。

 密の本気具合を知って、友達がみんな、からかったり茶化したりせずに応援してくれることは、数少ない救いだった。たまに苦笑されるのは仕方がない。自分でも彼女のことが好きすぎて引く。

 こんなに好きだーって気持ちを表に出して行動しているのに、どうして伝わらないのだろう。やっぱり彼女はにぶちんなのだろうか。

 本音を言うと地団太踏んで、叫んで、転がりたい。振り向いてくれないって騒ぎたい。喚かないのも泣かないのも、諦めの悪さとプライドの高さゆえ。大好きなあの子の前ではかっこつけたいのである。仮に彼女から意識されてなくても。

(悲しくなってきた……。これ以上やると噂されかねないし、っていうかだいたい女子には気づかれてるし、もう告白するしかない……?)

 ぽんと思い浮かんだアイデアを保留の引き出しにぶち込んだ。せめて仲のいいクラスメートまでレベルアップしてから。今告白しても「いきなり告白された……。どうしよう……」という結果にしかならない気がする。非常に悲しいことだが。それで友達以下になるのは勘弁である。まだ六月になったばかりなのだから。告白したとして、それからどうやって過ごせばいいのだ。

 はあーと深い深いため息を吐いた。頭を抱えて唸る密を、ちらりと柚子が見たことに、彼女の隣にいた遊矢だけが気付いていた。

 

 じわじわ夏休みが近づいてくる。学校しか彼女との会う機会がない密にとって、待ち遠しいはずの長期休みは悩みの種だった。登校日までの間、どうやったら柚子の記憶に残り続けられるだろうか? 一緒に遊びに行く? せっかくの夏だ。プール、海、ショッピング。出かける先はたくさんある。それとも、宿題を口実にしようか。なんだっていい、とにかく彼女と過ごす時間を確保したい。

 頭を悩ませているせいで、今の彼の足取りは危なっかしい。傘と一緒にあっちへふらふら、こっちへふらふら。けれど運がいいのか、通り過ぎていく自動車に水をぶっかけられたりすることはなかった。

 今日も空は灰色である。雲の厚さで、カラフルな舞網の街がくすんで見えるほど。ビタミンカラーの傘はぽつんと咲いていた。しとしと降る雨は傘の表面を叩き、時折密のスラックスを濡らしていく。

 梅雨は嫌いだ。じめじめして、ただでさえすぐ跳ねる髪がまとまらない。蒸し暑さで身体がふやけそうになる。もう一枚皮を脱ぎたいくらいだった。カードにも変な癖がついてしまうし、憂鬱の種は尽きない。自然、口からはため息ばっかり落ちてくる。

 気持ちも、空と同じように、ずっともやもやしていた。ちらりと腕につけたデュエルデバイスを見て、はあーとため息を吐く。

 遊ぶ約束を取り付けるにしたって、連絡先を手に入れていなければメールすらできない。彼女が通う遊勝塾の電話番号なら調べればわかるし、連絡網だってあるが、塾を通して個人に連絡なんて、そんなの常識的に考えて迷惑だ。相変わらず密のデバイスに柚子のアドレスはないままである。

「連絡先ー、連絡先ー……。進展っていったってどうすれば? うあー……」

 大きく首を反らした瞬間、ひときわ強い風が吹いた。びしゃびしゃっと密の顔に雨粒が叩きつけられる。冷たい。濡れて気持ち悪い。機嫌は急降下、テンションだだ下がりである。くそうと悪態すらつきたくなった。

 しかし、ひらりと色づくピンク色の傘を目にした途端、濡れるのも気にせずに密は水溜りを飛び越える。飛び散った水滴がきらきら光った。スイッチを入れたように、世界が切り替わる。

「柊! おはよう!」

 ぶんぶん腕を振って呼びかければ、彼女は振り返ってにっこり微笑んでくれる。たったそれだけのことで密の憂鬱はひとつ残らず消し飛んだ。

「あ、おはよう、花司波くん。今日も元気いっぱいね」

「へへへ、俺はいつでも元気だよー。朝一番に会えたのが柊だから、もっと元気になっちゃうかも」

「やーだ、またそんなこと言って。誰にでも言ってるんじゃないの?」

「まさか! 本心だって」

 さりげなく隣に移動して、密は歩幅を柚子に合わせる。並んで歩くことに成功。心の中でガッツポーズである。

 うってかわってにこにこ笑顔のまま、一日一回の褒め言葉を繰り出そうとして、ん? と首をかしげた。レディーの胸元をあまり見るものではないが、制服姿にはひとつ足りないものがある。密は少しかがんで、傘の隙間から柚子の顔を覗き込んだ。

「あれ。今日ネクタイ忘れたの?」

「うっ。そうなの……。実は今日、寝坊しちゃって……」

「服装検査あるのに災難だなー。俺、予備の持ってるけど使う? ネクタイは男女共用だしばれないでしょ」

「えっ、いいの!? あれ? でも、なんで予備のなんて……」

「いつも友達が忘れるから持ってきてるんだ。昨日言い含めた分だけあって、今日はしっかりつけてるはずだし大丈夫だよ」

 スクールバッグを肩にかけて、密はにこにこ笑っている。柚子はちょっとだけ迷って、視線をうろうろさせてから、じっと密を見つめた。自然と身長差の分だけ密を見上げることになる。彼は遊矢より頭ひとつ分大きいのだ。

 結果、密の胸はドキッと高鳴った。上目遣いである。自分の身長が中学一年生男子の平均を上回っていることに、密は強く感謝した。そのまま、「ありがとう」ってはにかまれたりするものだから、もう心臓は全力疾走。ばっくんばっくんである。顔が赤くなってないか不安だ。

 ポーカーフェイス、ポーカーフェイス。内心唱え続けるけれど、口元がむずむずしてどうにもならない。結局、情けない顔つきで「どういたしまして」を言うことになってしまった。柚子がぱちくり瞬く。

 やっぱり変な顔、みっともない表情だっただろうか。途端に不安が襲ってくる。本当に、彼女の前だと一喜一憂忙しい。それが楽しくもあるのだけれど。

(ええい、聞くは一時の恥!)

 勇気を出さなければ、あとでずっと悩み続けるのがわかっている。ごくりと唾を飲み込んで、口を開いた。

「……そんなに変な顔、してたかな」

「あっ、違うの! いつもと印象が違ったから、ちょっとびっくりして……。うん、でも、今の方が自然な感じだった。そっちの方がいいと思う! 花司波くん、そんな顔もするのね。意外な一面見ちゃった」

 ぼんっと顔が真っ赤になった。とっさに傘で顔を隠す。だって、かっこわるい。彼女は友達を見つけたみたいで、「またね」って言うと気持ち駆け足で去っていく。その手にはしっかりと、密のネクタイが握られているのだ。

 もう、顔を覆ってずるずるしゃがみこみたかった。誰かに見られたら恥ずかしさで爆発するからしないが。気分の問題である。

「ううううう。すきだあ……。下心なきゃこんなことしないよ……」

 いつになったら気づいてくれるだろう。唸るように、また気持ちを吐き出す。ハートがぼろぼろあふれてくるみたいだった。

 少し先で鐘が鳴っている。ばしゃばしゃ水溜りをかき分けて、密も校舎へ駆け寄った。顔や足はびしょ濡れだけれど、もう気分は落ち込んでいなかった。たとえ、彼女が駆け寄っていったのが、気に食わないあいつだったとしても。

「遊矢!」

「柚子! よかった、間に合ったんだな」

「まあね。そっちこそ、ちゃんと制服着てきたみたいじゃない。いつもみたいにブレザーを肩にひっかけてるだけじゃ、絶対指導室に呼ばれるわよ」

「あー、はいはい。……ん? そのネクタイ、誰の?」

「なんで私のじゃないってわかるのよ……。花司波くんの。忘れたって言ったら貸してくれたの」

 柚子はツインテールの毛先をいじりながら笑った。親切なクラスメートに感謝しているようだった。確かに、服装指導は面倒くさい。いつもならラフな着こなしをしている遊矢だって重々承知である。先生たちはスカートの丈、前髪の長さ、開けるボタンの数まできっちり管理しないと気が済まないのだ。

「ふうん」

 でも、今日はそれだけじゃなかった。なんだか面白くない。遊矢はどうでもよさそうな顔をして、吐息と共に声を漏らした。くだんのクラスメートはちょっと離れたところで、カラフルな傘を差している。鮮やかなシアンブルーの髪色と相まって、そういう植物のようなたたずまいだった。

 彼のネクタイが柚子の胸で揺れている。そう思うと、なんだか気持ちがもやもやして、少しいらついてくる。知らないうちにじっと見つめていたらしい。不意に傘から現れたピンク色の目と、ばっちり視線が合った。けれど、どちらからともなくふいっと逸らされる。男と見つめ合う趣味なんて、互いに持ち合わせていないのだ。

 二人は決して仲がいいわけではない。小学校の地区が違うし、通っている塾もまた、違う。まだ同じクラスになってから二か月すぎたくらいだ。話したことのないクラスメートだっている。特別珍しいことでもないだろう。けれど、遊矢は花司波密を少なからず意識していた。

 だってあいつ、絶対に柚子のことが好きだ。

 見ていればわかる。視線の質、声のトーン、とろりとした眼差し。挙げればきりがない。柚子と一番時間を過ごしてきたのは自分である、という自負が遊矢にはあった。今も昔も、柚子の隣には自分がいるのだと、他人からすれば傲慢とも取れる思いがあった。

 小学生の頃に柚子にちょっかいを出してくる男子たちはみんな、からかったりいじめたりしてくるやつらばっかりで、いつも柚子自ら応戦していたのである。「男子って幼稚で嫌い! 遊矢と権現坂は別よ」っていうのが、一時期の口癖だったくらいで、彼女の安全圏にいるのは自分たちだけだった。

 そのはずだった。だから安心して一緒にいたのに、まさか、ランドセルから卒業してちょっと経っただけなのにあんなやつが現れるなんて。ぎゅっと手を握りしめる。

 花司波は紳士的だった。一度も柚子に意地悪なことをして気を引こうとしたこともなければ、本当に遊矢と同い年の男子かってくらいにスマートに、彼女のちょっとした変化を褒める。好意を全身に表すことができる。普通ならそんなこと恥ずかしくてできないはずだ。実際、遊矢には逆立ちしたってできない。もしやったとしたら、柚子に「なにか裏があるのでは?」と疑われるだろう。

 彼が頑張って頑張って、彼女に意識してもらえるように振る舞っているとは、遊矢は少しも考えたことがなかった。あくまで、「突然現れて柚子を取っていこうとする、キザなやつだ」と思い込んでいる。密も密で、遊矢のことを「幼馴染という立場にあぐらをかいている」と思っていた。

 一度かかった色眼鏡はなかなか外せない。全然互いのことを知らないまま、気に食わないと嫌悪して、嫉妬して、あいつはずるいと羨んで。二人はどんどんすれ違っているのだ。

(間に挟まれる柊がかわいそうだわ)

 むしろ、二人を繋いでいるのが柊柚子なのだから、この「一皮剥いたら泥沼」という環境は必然のものだったのかもしれない。蚊帳の外で見ている赤城は、こっそり肩を竦めた。しかしながら、同時に面白そうだと唇を舐めている。いつだって部外者が一番、場を把握しているものである。

 

 

 数日後の帰りにも雨が降っていた。今日は塾でどんなことをやろう。もうルールの把握も基礎講座も履修済み。自主学習みたいなものだけれど、だからといってLDSに行くのをすっぱりやめようと思ったことはなかった。

 ぼんやりと、人とすれ違うたびに傘を傾けては考える。この前の朝のようにスイッチは切り替わらない。雨に濡れる街は灰色のままだ。やっぱり彼女がいないと変わらないのだな、と痛感する。どれだけ多くを、恋心に任せているのだろう。ちょっと自分で自分に呆れるほどだ。

 無彩色の街から目を逸らし、傘で視界のほとんどを覆う。足を止め、ため息を吐いた。

(なんとなく、気分じゃない)

 早めに終わらせたい課題がある。雨で頭が重い。気分が下がっている。デッキを回したいという、あのわくわくする感じとは程遠い。いっそ休もうか。これでは集中できそうになかった。

 ぱたぱた。ざあざあ。雨がベールのように密を覆う。

(どうしてこんなに憂鬱なんだろう?)

 今朝よりもずっと気が落ち込んでいた。雨足は弱ってきているのに、しとしとと傘を打っては密の心を波立たせる。軽く唇を噛みながら、足を進めた。ばちゃんと水たまりに映っていた顔が消えた。

 どうして? そんなのわかりきったことだ。彼女の駆けていく先にいたのが、榊遊矢だったから。

 彼我の差を見せつけられたようだった。まだ、幼馴染の壁は越えられないのだと、言外に告げられたような。密はただのクラスメートでしかないのだと突き付けられた。そんな被害妄想まで至ってしまいそうだった。

 しかし、榊遊矢を恨むのは逆恨みでしかなく、お門違いであると、自身を客観視する、もう一人の密は言う。わかっている、わかりすぎているから、ろくに八つ当たりもできない。密はぎりりと唇を噛んだ。

 もはやタイミングを計っている状況ではないのだろう。早くこの思いを告げなくては。そうしなければ、スタート地点にも立てないような気さえしてくるのだ。彼のポジションを追い越すには、もっと柚子の心に居場所を作らないといけない。

 気持ちがどんどん降り積もる。決壊してしまいそうだ。なみなみと注がれた気持ちがあふれて、なにもかも壊してしまいそうで、怖い。途方に暮れて、立ち止まってしまいそうになる。足に重りがついたみたいだ。歩くスピードが落ちていく。それでも密は立ち止まらなかった。立ち止まった方が楽だとしても。

 かたつむりのような速度で、ようやく家に着いた。ただいまの挨拶もそこそこに部屋に引っ込み、ベッドに座り込む。かっちり締まったネクタイをほどき、スラックスを部屋着に替えた。

 好きだからしんどいって言うのも、変な話だ。嫌になってしまう。

 腕で目を隠して薄暗く笑った。今日はもう休む。とても気分を変えられそうにない。そのまま、密は目を閉じた。

 それからどれくらい経っただろう。不意に、一階にいる母から声がかかった。

「密、電話ー。柊さんっていう女の子から」

「えっ!? うそ!?」

 下の階から呼びかけられて、密はがばっとベッドから飛び起きた。しんどいなんて言ってられない! 

「こんなことで嘘つかないわよ。なーに、好きな子?」

「そう!! 今行く!!」

 ずだだだっと階段を駆け下りる。

 密の母は、ものすごく素直な答えが返ってきてびっくりした。年頃の男の子ってこういうのじゃないと思う。子供は密一人しか育てていないが、自分の学生時代や、よその子を見る限り、男の子というものは女の子よりも好意を示すのが苦手だったはずだ。

 子機をひったくって部屋にとんぼ返りしていく息子を見て、少しあっけにとられる。きっと、素直にならざるを得ないくらい好きなのだろう。ふっと彼女は微笑んだ。

(不在メロディー流しておいてよかったな……)

 うっかり通話状態のままにしていたら、からかいも、密の大声も聞こえていただろう。それだと申し訳ない。たぶんまだ告白していないのだろうし、息子の恋路が面白おかしいことになってしまうのは気が引ける。できるのはこっそり応援することくらいだ。「がんばれっ」と、母は小さくエールを送った。

『もしもし、花司波くん? 急にごめんね、今大丈夫?』

「大丈夫!! なに、なに、どうしたの、電話なんて珍しい」

 どくどく脈打つ心臓を片手で押さえながら、密はカナリアのささやきに耳を傾けた。彼女はほっとしたように吐息を漏らす。

『そう? よかった……。それがね、お父さんが花司波くんに会いたいって聞かなくて……』

「え? 柊のお父さんが? ……なんで?」

 密は首をかしげた。

 確か、彼女の父は元プロデュエリストの柊修造だったはずである。柊家は早くにお母さんが亡くなってしまい、当時は赤ん坊の柚子を背中におんぶして、試合に出ていたこともあるらしい。そして今は知人の塾を継いで塾長をしている。いつか聞いた覚えがあった。おそらく、心の底から娘を大切に思っているのだろう。

 しかしなんだって密に会いたがっているのだ? 通学路や行動範囲の都合上、遊勝塾には近寄ったこともないし、女子のお父さんが男子の名前を知る機会なんて、あんまりないだろう。おうち同士の付き合いがある榊遊矢の方がよほど身近だと思う。彼は遊勝塾の生徒でもあるわけだし。

 柚子は口ごもった。言いづらいことのようで、何度か唸る。やっと言葉を絞り出した彼女の声は、少しだけ上ずっていた。

『あー、えっとね、んん……。この前借りたネクタイ、花司波くんのだって言ったら、うん』

「……なるほど。もしかして、不埒な悪い虫だと思われたかな」

 くすりと笑えば、柚子は平謝りした。

『ごめんね! お父さん勘違いしちゃったみたいで! うちのお父さん、昔から心配性なの。花司波くんはその辺の男の子と全然違って、ちっとも意地悪なんかじゃないのに、見極めるー! ってずっと言ってるのよ。なにを見極めるってんだか、友達くらい自分で選べるわ』

 ともだち。ちくりと、小さく、密の胸にとげが刺さる。でも、彼女を好きになったあの日より、ずっと、今は近くにいるはずだ。まだまだめげてはいられない。意識して、密は笑い声を作った。

「アハハ、愛されてるね」

『そうなのかな~』

「そうだよ」

 密の目が優しくとろける。この子が愛されて育ったのだと、深く思い知る。だからなおさら知ってほしい。密がどれだけ、彼女のことを好きなのか。

 気を取り直して、密はできるだけ落ち着いた声を出した。そうでもしないと、声からなにから、全部どろどろに溶けてしまいそうだった。

「えーと、それでいつお伺いすればいい?」

『本当にちょっと顔を見て話をしたいだけみたいだから、日を改めなくていいわ。うちの塾、いつも暇だし。そうね、花司波くんさえよければ今日でも』

「今日!?」

『あ、無理だったらいいのよ、急だったから』

「いやいやいや、頑張ります! 先延ばしにしたらいいことなさそう! じゃあ一回切るね、すぐそっち行くから」

『うっ、うん! 待ってる!』

 ピッ。通話を終了させ、クローゼットの姿見の前で髪や服を整えた。デッキホルダーには愛用のデッキがばっちり入っている。ケースの上からそれをぽんと叩くと、ふっと肩に入っていた余分な力が抜けた。

「よっし」

 自分にはカードたちがいる。長く戦ってきた相棒は揺らぐことのない支えだ。それが一見デュエルと関係ない局面であっても変わらない。一緒にいるだけでどんな逆境だって乗り越えられてきた。絶対の味方たちがついているのだから、過度の緊張は邪魔なだけ。いつも通りにしていれば、きっとうまくいく。自然と笑顔が浮かんだ。

 ばたばた階段を下りていく音で、ひょっこり顔を出した母親に、速足で出かけてくると告げた。そのままスニーカーをひっかけて外に飛び出す。雨はもう止んでいた。

 

「君は柚子のことが好きだな!?」

「はい!!」

 遊勝塾に到着したとたんにこれだった。一片の迷いもなく密は即答したが、「あれっなんだこれ」と思わなくもない。修造に挨拶をした瞬間、柚子が声を発する間もなく個室に引っ張り込まれたのだ。ジャージ姿の修造と二人っきりで向かい合うという現状。疑問を感じ始めるときりがない。密は早々に考えることを放棄した。

「いい返事だ!! 熱血だ!! こ、こここ、告白は、もうしたのか……?」

「まだです……。もう少し仲良くなったら、って思ってたんですけど、なかなか」

「なるほど。じゃあオレとデュエルして勝ったら告白しなさい」

「はい?」

「デュエリストたるもの、言葉にならないなら答えは一つ。デュエルで語り合おうじゃないか」

「アッハイ」

「ただし勝つまで告白は無期限延期だ。オレに勝てない男に、娘は任せられんからな」

「……負けませんよ?」

「ははは、望むところだ、花司波くん」

 二人してにやっと不敵な笑みを浮かべた。片思い相手の父と少年ではなく、一介のデュエリストへと認識がシフトする。

 しかし、いきなりデュエルすることになったからー! と言われてもわけがわからないのが普通である。柚子は盛大に混乱した。紳士的な男の子の前で、クラスメートに迷惑かけないでよ! ってハリセンで父をひっぱたいていいものか。

「なんで!? なんでデュエルすることになったの!?」

「柚子! 男には、戦わねばならんときがあるんだ!!」

「意味わかんないわよお!!」

 わあっと柚子は顔を覆って叫んだ。お父さんが友達の前で恥ずかしいことをしている! と思ってしまったせいで顔は真っ赤である。一方で修造は生徒の子供たちにいきいき話しかけている。対比が激しい。

「つまり彼との実演デュエルだ! しっかり学んでくれ!」

「もうそういうことでいいです……」

 シュウウと湯気が上がりそうな顔で密はうつむいた。

 柚子への思いの強さを測るためにデュエルをすることになっただなんて、もし言われでもしたら密は顔から火を噴いて死ぬ。他人に恋心をばらされるほど恥ずかしいものはない。柊塾長の心遣いに感謝した。

 位置に着き、フィールドを展開。今回はスタンダードなスタンディングデュエルだ。アクションデュエルはいかんせん運の要素が強い。それに、シンプルな強さを知りたいのならばシンプルに戦うのが一番だ。

 ギュイン! 両者の腕のデュエルディスクが展開される。塾生の子供たちはきらきらと目を輝かせた。ついていけないのは柚子だけである。遊矢は遊矢で、「花司波がデュエルするところは初めて見るなあ。どんな召喚するんだろ」なんて言って、わくわくした気持ちを隠そうともしない。渦中の二人はとても真剣な表情をしているし、もう止められないことを彼女は悟った。すとんと席に腰を下ろす。

「デュエル!」

「デュエル!」

 

 

「先攻は俺ですね、失礼します!!」

 ざっと密は手札を確認する。明らかな事故は避けて、スタートダッシュには最適なカードたち。どんな手を打つべきかは息を吸うようにわかる。気になるのは修造のデッキだが……今はまだ臆するときではない。そも、デュエルでの勝利とは、常に自分が打てる最善の手を打ち続けた果てにあるものだ。密にできることは頭とデッキをフル回転させ、己の魂とも言えるデッキを信じることだけである。

 すう、と酸素で肺を満たし──メインフェイズに移行するべく、彼は口火を切った。

「俺は手札から魔法カード、《リチュアの儀水鏡》を発動! 自分の手札、フィールド上から、儀式召喚するモンスターと同じレベルになるようにモンスターをリリースする!」

「リチュアに儀式……君のデッキは……!」

「ええ、お察しの通り。俺は手札のレベル8モンスターをリリース」

 手札から宣言通りにモンスターを墓地へ送り、発動した魔法カードがエフェクトを展開していく。密の背後に現れたのは大きな鏡であった。金色に輝く多くの棘と珠で覆われたそれは、普通の鏡面のように姿を映すでもなく、水面のようにゆらめいて波紋を広げている。映っているのは、影だ。一つの、恐らくモンスターであろう影がその中にいる。

 鏡の中は波ゆらゆらと波打ち、まるで彼を後光で照らすように青く淡い光をたたえていた。いっそ神聖な気配すら、それからはするというのに、けれどそれはどうしようもなく邪悪でもあった。そして、リリースされたモンスターがひとつの人魂となり、吸い込まれ、ぐるりと渦を巻き始める。次第にそれは大きく渦巻き、光と水をまとって鏡からあふれていく。

 びりびりと威圧感を感じて、遊矢は知らないうちにぎゅっと手を握った。儀式召喚。この街に昔からあるけれど、昨今の新しい召喚法によって押しやられているとも言えるもの。「リチュア」というカテゴリの、この召喚を見るのは初めてだった。わあ、と子供たちの歓声が上がる。

水鏡(みかがみ)に映るは無慈悲なる海竜! 波よ逆巻き変生するがいい、儀式召喚! 降臨せよ、レベル8、イビリチュア・リヴァイアニマ!」

 ぴん、と密が虚空を指差し、口上を謳い上げる。その瞬間、ガシャンと薄いガラスを割るような音を立てて、それは鏡を砕き現れた。

 咆哮が響き渡る。柚子は、傍らのアユがひいと息を飲むのを聞いた。現れた竜は、青く、禍々しかった。腹から身体の内側、顔を覆う鱗はぎらぎらと輝き、瞳は敵意に満ちている。頭から伸びる角は大きな珊瑚のようで、手足の水かきや皮膜のついた翼が目立つ。密の口上の通り、海竜と呼ぶのがふさわしいだろう。

「あれが、花司波くんのモンスター……」

 怖いとか、ぞわぞわ寒気がするとか、第一印象はきっと間違っていない。彼はああいった怪物を身の内に飼っていたのかもしれない。今まで見てきた密と、彼の魂は大きく異なるように見えた。けれど、イビリチュア・リヴァイアニマと彼の姿はパズルのピースのようにかっちりと噛みあっている。だからきっと、あれも、彼自身だ。柚子はすっかり彼らに目を奪われてしまっていた。

 密は楽しそうに笑っている。

「これで終わりじゃありませんよ! 墓地の儀水鏡の効果発動。墓地のこのカードをデッキに戻すことで、自分の『リチュア』と名のついた儀式モンスター一体を選択して手札に戻す。俺は儀水鏡をデッキに戻し、墓地にある二枚目のリヴァイアニマを手札に戻します」

「ぐう……いつ見ても凶悪な効果だ! 儀式モンスターをコストにするほど回転速度が上がるからな!」

「お誉めに預かり光栄です! さらに俺は魔法、《トレード・イン》を発動! 手札のリヴァイアニマを墓地に送りデッキから二枚ドロー」

「手札の補充まで……!」

 遊矢の顔が驚愕に歪んだ。その隣で、塾生のフトシが不思議そうに人差し指を顎に当てている。

「ねえ遊矢兄ちゃん、花司波さんはどうしてせっかく手札に戻した儀式モンスターをすぐ墓地に捨てちゃったの?」

「あのな、儀式召喚っていうのは、儀式モンスター、専用の魔法カード、それからさっき花司波が宣言した通り、召喚したい儀式モンスターと同じレベルになるようにモンスターをリリースしなきゃいけないんだ。最低でも手札を三枚消費する。ドローカードで積極的にドローしていかないと、すぐ手札がゼロになっちゃうんだ」

「それに、花司波くんがさっき使った《リチュアの儀水鏡》の効果がある。墓地に儀水鏡のカードと、リチュアと名の付く儀式モンスターがいる限りいくらでも儀式モンスターを手札に戻せるのよ。だから、花司波くんが儀式モンスターを墓地に送るのはディスアドバンテージにならないわ……」

「はえ~~……シビれるぅ!」

 フトシが両手を組んでふりふり腰を振る。遊矢と柚子は彼の様子を見て、顔を合わせてふふっと笑った。そして密が声を発するのと共に、意識をデュエルへと戻す。

「アハハ、ジュニアの子たちに見守られるとちょっと気恥ずかしいね。昔を思い出すっていうか……さらに俺はモンスターをセットし、カードを一枚伏せて、ターンエンドです!」

「よし、俺のターン! 熱血ドローッ!」

 修造は勢いよく、キレのあるドローで新しいカードを手札に加えた。実にほれぼれするフォームである。さすがは元プロと言うべきか? しかし彼からは現役時代と同じか、もしくはそれ以上の闘気をその全身にたぎらせている。対面している密にはひしひしとそのオーラが伝わってきていた。

「花司波くん! 君は正面から、本気で俺にぶつかってきてくれている! いい、実にいい! 熱血だ! 青春だ!! だから俺も、君の本気に応えよう! このカードは相手フィールド上にモンスターが存在し、自分フィールド上にモンスターが存在しないときに発動できる。俺は手札から魔法カード、《炎王の急襲》を発動!」

 はっとしたように密が身構えたときだ。観戦席から一斉に、様々な声が発せられた。

「えっ!?」

「なんだって!?」

「うっそおおぉぉ!?」

 三者三様の驚愕する声が遊勝塾メンバーから上がって、びくりと肩を揺らす。密は困惑した。彼らは修造から日々講義を受けているはずである。当然、彼のデッキも見慣れているのでは? それにしては反応が不自然である。まるで初めてそのカードを使う修造を見たような……。

 顔に出ていたのだろう。修造が眉を下げてポリポリと頬を掻いた。

「指導では別のデッキを使っていてな、こっちをみんなの前で使ったことはなかったかもしれない。つまりガチンコデッキだ、本気100%!」

「えっ、えっ、本当ですか!? いいんですか!?」

 修造は笑って頷いた。「なにせ真剣勝負だからな」とウインクつきで! ぎょっと見開かれた密の瞳が、すぐにきらきらと輝き始める。

 その星のようなまぶしさに、修造は思いがけず目を細めていた。いい目だ。未来ある若者の、これからどんどん進化していく、それでいて今この瞬間を全身全霊で楽しんでいる、そういう眼差し。自分で育ててみたいような光である。しかし今の彼は愛娘のボーイフレンド候補! 今は心を鬼にするときである! めらりと修造の両眼に炎がともる。

「効果の説明に戻るぞ。デッキから炎属性の獣族・獣戦士族・鳥獣族モンスター一体を特殊召喚する! 俺は炎王神獣ガルドニクスを特殊召喚! 飛翔せよ、ガルドニクスッ!」

 神の鳥が舞い降りた。その羽は極彩色、足や胸を覆う金の鎧は太陽を溶かし込んだように燦然ときらめき、鶏冠は高温で燃えて光り輝く。鳥でありながらくちばしにはずらりと牙を持ち、尾羽と共に竜のような尻尾を生やしている。まさに神の獣だ。鳳凰らしく翼を広げ、炎王神獣ガルドニクスはピュ──―イと甲高く鳴く。

 威圧感だけで肌がビリビリと震えた。心臓は収縮と拡張を繰り返し、身体は歓喜に震える。密は知っていた。そのモンスターが、プロ時代、柊修造の代名詞であり、エースであったことを。父にねだって何度も見た古いDVDを思い出す。テレビの向こう側にいた人だ。密が物心つく頃には彼は引退していて、火の鳥と並び立つ熱い男の姿はスタジアムのどこにもなかった。

(あ、やばい、泣きそう)

 質量を持っているとしても、あくまでソリッドビジョン──質量を持っているとはいえ、虚構に過ぎないそれが、じりりと密の頬を焼き、汗を蒸発させた。まばたきのうちに落ちた雫は汗であり、それもまとめて水蒸気になっていった。

「この効果で特殊召喚されたモンスターの効果は無効化され、エンドフェイズに破壊される」

「ええーっ破壊されちゃうの!?」

「それに攻撃力はイビリチュア・リヴァイアニマと同じ2700! バトルしても有利にはならないのに、このターンですぐ破壊って、塾長がピンチだよ!? ワンキルの危機だ!」

「はっはっは、それはどうかな、タツヤ!」

「よく言いますよ……炎王の凶悪さはそこに他ならないのに。特にガルドニクスは」

 おや、と修造は目を丸めた。

「花司波くんはこのカテゴリについて詳しいのか? よく勉強しているな!」

「いえ、現役時代の柊さんのファンだったので。父によく録画映像をせがんでいました」

 ふふ、と緩む口元を手札一枚で隠す。少年は、明らかに照れていた。もともと垂れている目がいっそう垂れ、まなじりから頬にかけてがぽっと色づいている。

 修造は絶句した。もちろん感極まってである。自分の娘と同い年の男の子が、引退して久しい自分のファンだって!? 不覚にもうるっときた。今すぐ男泣きしてしまいそうである。しかし目の前の少年は、同時にチャレンジャーでもあった。期待に光る不敵な目は、どんなタクティクスを見せつけてくれるだろうと修造を熱心に見つめると同時に、己の勝利を一ミリも疑っていない。知らず、口角が上がる。

「そうか……。なら、ファンにはいいところを見せないといけないね。知っての通りガルドニクスは効果破壊によって墓地に送られたとき、次のスタンバイフェイズに墓地から特殊召喚される」

「さらにその効果で蘇生されたガルドニクスは、ガルドニクス以外のモンスターをすべて破壊する……でしょう? 回り出すと本当に怖いデッキです」

「それはお互い様だ。俺はさらに手札から《炎王獣バロン》を攻撃表示で召喚!」

 赤い肌の獣人が躍り出る。獅子頭かつ武装していて、脚絆からは青い炎が燃えているのだが、三つ編みにされている長い髭が少しチャーミングだった。

「バトル! バロンで伏せモンスターを攻撃! 獅子炎武!」

 ガオッと獣人が吠え、その口から炎の螺旋が飛んでくる。攻撃を受けた密の伏せモンスターは、あえなく破壊されるかと思われたが──くるりとリバースし、現れたのは水色の髪、瞳をした可憐な魔法使いであった。

「セットしていたのは《リチュア・エリアル》。守備力は1800、炎王獣バロンの攻撃力と同値なので破壊されません。エリアルのリバース効果! デッキから『リチュア』と名のついたモンスター一体を手札に加えます。俺は《シャドウ・リチュア》を手札に」

 デッキから一枚カードが出て、密はそれを抜き取る。オートシャッフルが行われた。

「俺はカードを二枚伏せ、ターンエンドだ」

 修造は余裕を崩さない。今のターンで布石は打った。防御、攻撃共に準備万端である。儀式は手札消費が激しく、立て直しも難しいジャンルだ。あとは、この少年の腕と、デッキとの絆にかかっている。けれど彼もまた、泰然と背筋を伸ばし、修造の前に立ちふさがっていた。その姿にはいっさいの恐れがない。

 気づけば、修造は密と同じくらい楽しそうに笑っていた。心躍るデュエルの前ではつい、子供のようにワクワクしてしまうものだ。そうでもなければプロを目指さなかったし、デュエル教育者にもならなかっただろう。

 さあ、君の力を見せてくれ! 

「俺のターン、ドロー!」

 密の手札が三枚に増える。それと同時に彼は宣言をした。ガルドニクスが蘇るスタンバイフェイズの前に、だ。

「俺は手札から《増殖するG》を墓地に送ることで効果発動! 相手がモンスターの特殊召喚に成功するたび、自分はデッキから一枚ドローしなければならない。スタンバイフェイズに移行します」

「む、そう簡単にはいかないか。スタンバイフェイズ時、墓地から俺のフィールドに炎王神獣ガルドニクスが特殊召喚される。蘇れ、ガルドニクス! そして効果発動! この効果で特殊召喚されたガルドニクスは、フィールド上のガルドニクス以外のモンスターをすべて破壊する! フェニクス・ハウリング!」

 灰が燃える。そして、その炎の中から火の鳥は再来した。燃え広がる炎がフィールドすべてを舐めつくし、滅ぼしていく。あっという間にフィールドは焼け野原となってしまった。残っているのはガルドニクスのみである。

 これが本当に厄介なんだよなあ! 密は内心うめかずにいられない。しかし、ただで転ぶ自分でもなかった。

「《増殖するG》の効果で一枚ドロー」

「俺は手札の《炎王獣ヤクシャ》の効果を発動! 自分フィールド上に表側表示で存在する『炎王』と名のついたモンスターがカードの効果によって破壊された場合、このカードを手札から特殊召喚できる。現れろ、二体のヤクシャ!」

 如意棒を手にした虎の獣人が二体現れる。空となった密の場とは対照的に、修造の場には三体のモンスターが悠然とたたずんでいた。

「さらに二枚ドロー。そして(トラップ)発動! 《激流蘇生》!」

 伏せられていた密の場のカードが表示されると同時に、ソリッドビジョンで凄まじい勢いの奔流が展開された。その水流の中に二つの影はある。水がなくなる頃、密のモンスターゾーンには先ほど破壊され、墓地に送られたはずのモンスターたちがいた。

「わあ!」

「このカードは自分フィールド上の水属性モンスターが戦闘、または効果で破壊され墓地に送られたとき発動できる。そのときに破壊され、フィールド上から自分の墓地に送られたモンスターをすべて特殊召喚し、特殊召喚したモンスターの数×500ポイントのダメージを相手ライフに与える! 蘇生したのはエリアルとリヴァイアニマの二体、よって1000ポイントのダメージを受けてもらいます!」

「ぐうっ!」

 修造のライフが3000ポイントまで減る。子供たちは興奮を隠しきることができない。フィールドが空っぽになったと思ったら二人はすぐに体勢を立て直し、密に至ってはバーンダメージまで与えてきた! こんなの興奮するに決まっている。柚子と遊矢も例外に漏れず、大声で二人を応援していた。

「塾長がんばれー!」

「花司波くんもー!」

「くぅっ……」

 密は思わず胸を押さえて一瞬うつむいた。目もぎゅっとつむってしまっている。プレイヤーのハートにダメージを与えるとは……たまらない……。しかしすぐに熱を帯びた頬をぶんぶん振ってクールダウンする。勝負に集中! 

「柚子ゥ! お父さんの応援は!?」

「はいはいがんばって!」

「思春期か! 思春期なのか!?」

「もー、やめてよ恥ずかしい……」

「ふふふ、本当にいいお父さんなんだ。俺は手札の《シャドウ・リチュア》の効果を発動します! このカードを手札から捨てることで、デッキから『リチュア』と名のついた儀式魔法カードを一枚、手札に加えます。俺は《リチュアの儀水鏡》を手札に。さらに《リチュア・ビースト》を攻撃表示で召喚!」

 緑色の肌をした水蜥蜴が召喚される。密の場には三体のモンスターが並んだ。

「《リチュア・ビースト》のモンスター効果発動。このカードが召喚に成功したとき、自分の墓地のレベル4以下の『リチュア』と名のついたモンスター一体を選択して、表側守備表示で特殊召喚する! 俺はシャドウを選択、蘇れ!」

 ビースト、エリアル、シャドウ。この三体はすべて共通してレベル4。とくれば、次にどうするかなんてLDS総合コースに通う密にはわかりきったことだった。ばっと右手を前に突き出す。

「俺はレベル4のエリアルとレベル4のビーストでオーバーレイネットワークを構築!!」

「え!?」

「オーバーレイネットワークってことは……!」

 遊勝塾側の人間、その全員に動揺が走る。「オーバーレイネットワーク」。それは、同じレベルのモンスターを複数体並べることで、レベルを持たないモンスターを特殊召喚する召喚法──エクシーズ召喚で使われる言葉だ。

 二年ほど前、レオ・コーポレーションによって提案され、全世界で受け入れられた新しい召喚方法のうちのひとつ。教えられる講師はLDS系列の塾にしかおらず、そのLDSでも専門コースが設けられているほど。その道を究めたものは未だ片手で数えるほどであり、指導者も圧倒的に不足しているのだ。そんな、まだ使い手が限られているものを、この少年は使っている。

 効果や仕様が複雑故に使いこなせる人間が少なく、入手経路はかなり絞られているような代物だ。プロの世界ではLDS出身のユースが使用し、破竹の勢いで勝ち星をあげている。大人たちはまだそれらに対応するのに精いっぱいのようなのに。なんていったってルールの不理解によって負けたデュエリストがいるほどなのだから。

 そんなものを、十三歳の子供が──自分と同い年の少年が──? 遊矢の心臓がきゅっとしめつけられる。焦燥だとか、羨望だとか、敵愾心のようなものがぶわりと膨れ上がり、一瞬で自分の中を吹き荒らしていって、自分が千々にちぎれてしまいそうだ。

 なんて彼は。なんてまぶしくて、ずっとずっと遠いところに──遊矢が知ろうとしなかっただけで──

 修造は太陽を見てしまったときのように目を細め、彼の足元に渦巻く黄金の光を見ていた。とんでもない。なんてとんでもない若者なのか。自分たちのあとにこんなデュエリストが現れる、そんな時代になったとは。

「二つの御霊(みたま)重ねし人魚よ、嵐を呼び起こせ! エクシーズ召喚、ランク4! 《イビリチュア・メロウガイスト》!!」

 黄金の光の奔流から、赤い髪の女性モンスターが降り立った。他のリチュアモンスターとは一線を画すように緑の衣服と仮面をまとい、儀水鏡が埋め込まれた杖を持っている。下半身は、密が口上で謳い上げたように赤い尾びれ。まさにマーメイドであった。

 今まで密が召喚したモンスターはほとんどが文字通りの「モンスター」で、怪物然としたものだ。しかし、イビリチュア・メロウガイストはなにかが違うのではないか? 人型に似ているから、とかではなくて、もっと根本的なところで……。現に彼女は密の周りをふわりと旋回し、彼に寄り添っている。その姿はいかにも特別だ。彼自身も、大切なものを見る目でメロウガイストを見つめている。

(あんな顔もするんだ……)

 とくりと胸が高鳴る。それがなんなのか、まだよくわからないけれど、でもあったかくて、くすぐったいようで……。あの目で見られたらどんな気持ちになってしまうだろう? そんなことが一瞬頭によぎる。しかし柚子はすぐに頭をぶんぶん振ってその考えを霧散させた。

(やめやめ! 今花司波くんは真剣にお父さんとデュエルしてるだから、そんなこと考えちゃ失礼よ!)

 意識を切り替えて、柚子はいっそう食い入るように彼のプレイングに集中する。

「さらに俺は手札の儀水鏡を発動! リリースするのはフィールドの《シャドウ・リチュア》! 水属性の儀式モンスターを特殊召喚する場合、このカード一枚で儀式召喚のためのリリースとして使用できる! 水鏡に映るは深淵なる化生、生まれ変われ! 降臨せよ、レベル8、《イビリチュア・ソウルオーガ》!」

 リリースされた《シャドウ・リチュア》を強化したような、魚の魔神が降臨した。鏡の破片と燐光が降り注ぎ、その鱗の鎧で光が弾ける。空になっていたはずの場に、三体のモンスターが並んでいる。それも儀式モンスターが二体に、エクシーズモンスターが一体。未だにアドバンス召喚が主体の遊勝塾では本来見られないような布陣だ。ごくり、と誰かの喉が動く。

「バトル! メロウガイストで一体目の《炎王獣ヤクシャ》を攻撃! アクエリアス・シュート!」

「罠発動、《ダメージ・ダイエット》! このターン、自分が受けるダメージはすべて半分になる!」

「続行! 行け、メロウガイスト!」

 メロウガイストの杖に光が集中し、水の球体が複数現れる。それが雨あられのようにヤクシャへと降り注いだ。ヤクシャが破壊され、修造に150ポイントのダメージが入る。しかし、ヤクシャは墓地に行けばまた効果を発揮できる。そうすれば……と修造が宣言をしようとしたときだ。

「メロウガイストの効果発動! オーバーレイユニットを一つ消費することで、このカードが戦闘によって破壊したモンスターを墓地へ送らず持ち主のデッキに戻す! アクエリアス・バウンス!」

「なんだってー!?」

 炎王獣たちが効果を発揮するためには、「破壊されて墓地に送られ」なければならない。デッキバウンスされた結果、ヤクシャの効果は不発に終わってしまった。

 さらに密の猛攻は続く。

「続いて二体目のヤクシャをリヴァイアニマで攻撃! 効果発動、このカードの攻撃宣言時、自分のデッキから一枚ドローし、お互いに確認する! ドロー!! ……《トレード・イン》ですね」

「ああ、確認したよ」

「ダメージステップいきます。リヴァイアサン・タイダル・スラッシュ!」

「《ダメージ・ダイエット》の効果でダメージは半減する。450ポイントだな、ぐうっ!」

「そしてソウルオーガでガルドニクスを攻撃! ソウル・クラッシュ・ハンド!」

「ぬん!」

 50ポイントのダメージなど微々たるもの、そよ風のような感触しか与えられない。修造はその攻撃を受け流した。そして、《炎王神獣ガルドニクス》の効果はもう一つある。

「ガルドニクスの効果発動! このカードが戦闘によって破壊され墓地に送られたとき、デッキから《炎王神獣ガルドニクス》以外の『炎王』モンスター一体を特殊召喚できる! 俺は《炎王獣ガネーシャ》を特殊召喚!」

「俺はこれでターンエンドです!」

「俺のターン、ドロー! 俺は墓地のバロンの効果を発動。このカードがカードの効果によって破壊され墓地へ送られたとき、次のスタンバイフェイズ時に発動できる。デッキから《炎王獣バロン》以外の『炎王』と名のついたカード一枚を手札に加える。俺は《炎王炎環》をデッキから手札に加える!」

「うわっ! 場には炎王モンスターがいるし、墓地にはガルドニクスが……!」

「ご名答! 俺は《炎王炎環》を発動。このカードは自分フィールド上及び墓地の炎属性モンスターを選択することで発動できる! 選択したフィールド上のモンスターを破壊し、選択した墓地のモンスターを特殊召喚する! このカードは一ターンに一枚しか発動できない。俺はフィールド上の《炎王獣ガネーシャ》と、墓地の《炎王神獣ガルドニクス》を選択! ガネーシャを破壊し、ガルドニクスを特殊召喚する!!」

「さらにガネーシャの効果発動! このカードが破壊され、墓地に送られた場合、《炎王獣ガネーシャ》以外の自分の墓地の炎属性の獣族、獣戦士族、鳥獣族モンスター一体を対象として発動できる。そのモンスターを特殊召喚する! 俺は《炎王獣バロン》を選択、攻撃表示で特殊召喚! この効果で特殊召喚したモンスターの効果は無効化され、エンドフェイズ時に破壊される」

「永続罠、《DNA改造手術》発動! このカードがフィールド上に存在する限り、フィールド上に表側表示で存在するすべてのモンスターは宣言した種族になる。俺は獣戦士族を宣言! さらに手札から永続魔法、《一族の結束》を発動! 自分の墓地のすべてのモンスターのもともとの種族が同じ場合、自分フィールドのその種族のモンスターの攻撃力は800アップする! 墓地にいるのはガネーシャとヤクシャ、共に獣戦士族! 《DNA改造手術》によってガルドニクスの種族も鳥獣族から獣戦士族になったため、ガルドニクスとバロンの攻撃力は800アップ!」

 ガルドニクスの攻撃力が3500、バロンの攻撃力が2600まで上がる。下級モンスターが最上級モンスターレベルまで追い上げてきた。二体とも実に血気盛んに、こちらを威嚇している。今の密の手ではこれらの攻撃を防ぐ手段がない。あちゃーと困り眉で笑うくらいだ。

「バトルだ! 俺はバロンでメロウガイストを攻撃! 獅子咆哮!」

「ごめん、メロウガイスト」

 気にしないでと言うように、密を振り返った彼女の口許が笑みを形作る。密は切なげに、彼女が破壊される様を見ていた。500ポイントのダメージが入り、密のライフが3500になる。

「続いてガルドニクスでリヴァイアニマを攻撃! 迦楼羅(かるら)爆炎!」

 ガルドニクスの口から発せられた炎の渦がリヴァイアニマを包み、爆発した。渦中にいるリヴァイアニマは苦悶の叫びをあげて破壊される。ダメージは800ポイント。火の粉が密の腕をちり、とかすめていった。

「俺はこれでターンエンド。ガネーシャの効果で特殊召喚されたバロンは、この瞬間に破壊される」

 修造の場からバロンが離脱し、ガルドニクスだけが残る。しかしその攻撃力は依然として3500。密の最高打点でも超えることはできない。それでも彼の表情は少しも揺るがなかった。少年のショッキングピンクの虹彩には確かに勝ちの目が見えていたのだ。

「俺のターン、ドロー!」

「この瞬間、バロンの効果発動! このカードが破壊され墓地に送られた場合、次のスタンバイフェイズ時に発動する。デッキから《炎王獣バロン》以外の『炎王』と名のついたカードを一枚、手札に加える。俺は《炎王の孤島》をデッキから手札に加える」

「おっと、それじゃあこのターンで決めないといけませんね!」

「ハハ、やれるものならどんとこい!」

「ふふ。できますよ。見ていてください、柊さん! 手札の《シャドウ・リチュア》を手札から捨てることで効果発動、《リチュアの儀水鏡》を手札に加えます。さらに俺は墓地の《リチュアの儀水鏡》の効果を発動! このカードをデッキに戻すことで墓地のリヴァイアニマを手札に加える。そしてリヴァイアニマをコストに《トレード・イン》を発動! デッキから二枚ドロー!」

 ドローしたカードを見た瞬間、密の口角はクッと上がった。来た、切り札が! 

「手札から魔法、《二重召喚》を発動。このターン、自分は通常召喚を二回行うことができる。まずは一回目! 俺は手札から《深海のディーヴァ》を攻撃表示で召喚!」

「《深海のディーヴァ》の効果! このカードが召喚に成功したとき、デッキからレベル3以下の海竜族モンスター一体を特殊召喚できる。俺は《ヴィジョン・リチュア》を特殊召喚! 二回目! 手札から《リチュア・アバンス》を攻撃表示で召喚!」

 銀髪碧眼の少年が現れた。彼もまた、リチュアの術士である。その証拠に、腰に佩いた剣の柄には儀水鏡と同じものが埋め込まれていた。髪をかき上げながら、やれやれとため息を吐く。そんな素振りを見せてから、彼はデッキの持ち主をひっそり盗み見て小さく笑っていた。「いつも悪いねー」と密は口の前で手を立てる。

 そして、勝気なものへと表情を変え、密はアバンスに手を向けた。

「アバンスの効果発動! 一ターンに一度、デッキから『リチュア』と名のついたモンスター一体を選んでデッキの一番上に置きます。俺は《リチュア・アビス》を選択! そして、フィールドのレベル2のチューナーモンスター、《深海のディーヴァ》と、レベル4の《リチュア・アバンス》をチューニング!」

「!? 君はいったいどこまで……!」

「あはっ、総合コース(うちの魔窟)じゃあ、こんなの日常茶飯事ですよ! 星よ集え! 槍の名を持つ氷雪龍よ、稲妻となりて敵を貫け! シンクロ召喚! レベル6、《氷結界の龍ブリューナク》ッ!!」

 一対の翼を生やした氷の龍が舞い降りた。長い胴体、翼の皮膜、かぎ爪の細部までがすべて氷だ。照明の光を浴びることでその身体の美しさはいっそう際立った。六芒星にも似た、雪の結晶を模した頭部、その口元からあふれるブレスも氷の吐息なのだろう。轟音の咆哮と共に漏れ出た呼気から、ちらちらとダイヤモンドダストが現れては消えた。

 龍を従えてもなお少年は止まらない。

 いったいどこまで。修造が発したそれと、一言一句同じ言葉が遊矢の胸に去来する。心臓が痛い。呼吸がつらい。手足の先が氷のように冷たい。視界がぶれる。なんでお前が、と泣き叫んでしまいたい。でも、それをしてしまったら本当に認めてしまうことになる。それは嫌だった。ぐうっと奥歯を噛みしめる。目の奥が熱くて熱くて、溶けそうだ。

「まだ終わりません! これが俺の全力全開! 手札の儀水鏡を発動、《ヴィジョン・リチュア》をリリースして儀式モンスターを降臨させる!! 水鏡に映るは霊魂の巨人! 仇なすもの、皆等しく侵食するべし! 儀式召喚! 降臨せよ、レベル10! 《イビリチュア・ジールギガス》!!」

 鏡を割って、光と水の激流の中現れたのは、たくましい腕を四本持つ真っ青な巨人だった。ズズン、とフィールドそのものが揺れるほど、その姿は巨大。手首や二の腕、太ももに金の環をつけ、同じように黄金の胴鎧をまとうデザインは、さながらランプのジンのようでもある。しかしその顔はリチュアの下級モンスターたちと同じように鋭い歯、ぎらぎらした目つきをしており、確かに同じテーマのモンスターだと言わざるを得ない。二対の手から伸びた真っ青な爪は鋭く、今にも修造を八つ裂きにせんと、手のひらが閉じては開かれる。

 その攻撃力は3200。これだけ強力なモンスターが、モンスター一体と魔法カード一枚だけのコストで出てくるのだから恐ろしい。しかし、ガルドニクスの攻撃力は3500。密はそれを上回ることができなかった。どうする気だろう? もう諦めたのか? そんな感情が観戦席にじわりと広がる。

 ──しかし、密は、息を殺す修造の前でにこりと笑った。それは、強力な異形のモンスターを従えるものが浮かべるには美しすぎるもので。中性的な花のかんばせからは、匂い立つような魔性の気が放たれている。ごくりと、修造の喉が鳴る。その音は思いのほか大きく響いた。

 不気味ささえ伴うアンバランスなデュエリストと、デッキの組み合わせ。これこそが彼の真骨頂なのかもしれないと気づいたのは、彼と対峙している修造ただひとりだけ。

「ライフを1000払うことでジールギガスの効果発動! くっ……! デッキからカードを一枚ドローし、お互いに確認する! 確認したカードが『リチュア』と名のついたモンスターだった場合、フィールド上のカード一枚を選んで持ち主のデッキに戻します」

 修造ははっとした。先ほどの《リチュア・アバンス》の効果でデッキトップは操作されている。このためにか! 彼のタクティクスには驚かされるばかりである。

「その表情だとお気づきですね? ええ、その通り。俺がドローするのは《リチュア・アビス》です。そういうわけでバウンス受けてもらいますよ! 俺はフィールドの《DNA改造手術》を選択、デッキに戻します! これでガルドニクスの攻撃力は元に戻る。バトルです! ジールギガスでガルドニクスを攻撃! ソウル・ハンド・ヴァニッシュメント!」

「これでフィニッシュです! ブリューナクでダイレクトアタック! アイスフォール・ブレス!!」

 

 

 柚子は大きく息を吸った。いつの間にか、呼吸を止めてしまっていたのだ。それほどに二人の闘いに見入っていた。緊張しすぎて、今や完全に脱力してしまっている。なんで私がこんなに疲れているんだか、とじとーっとした目になってしまいそうだ。

 元気な小学生たちや遊矢はすっかり盛り上がって、あっという間にフィールドまで走っていった。

 デュエルを終え、歩み寄った二人は、固い握手を交わしている。

「いいデュエルだった。ありがとう、花司波くん!」

「こちらこそ! まさか、元プロと戦えるなんて思ってみませんでした。とても楽しかったです」

「うんうん、双方ともに笑顔になれるデュエル。それがオレの目指すエンターテイメントだ。学ぶ塾は違っても、君みたいな若いデュエリストが未来へはばたいていくのなら、とても嬉しいよ」

「柊塾長……!」

 そんなに評価してもらえるなんて、夢にも思わなかった。思わず密も感極まる。ギャラリーの子供たちは「またやってるー」とやや白けた顔をしていたが、二人には見えていなかった。

「君になら柚子を任せられるかもしれない。いい返事が来るといいな」

「……はい……」

 こっそりと、密にだけ聞こえるボリュームの耳打ち。言葉の意味を理解した瞬間、ボンッと密の顔が真っ赤に染まる。口許をむずむずさせ、蚊の鳴くような声で答える彼は、デュエル中の覇気を纏う姿とはうってかわって、うぶな十三歳の少年だった。こんなに真剣な思いを抱いてくれるのならば、余計な邪魔立てはしまい。修造の目はとても優しい色をしていた。

 親の贔屓目を含めて、柚子はたいそう可愛らしい少女に育った。両脇に幼馴染の少年たちがいるとはいえ、異性の目を引くのは当然である。だから、ネクタイを忘れていった娘が、いつもと色味の違うそれを胸に下げて帰ってきた日。そのことを尋ねて、はにかむように笑い、男らしき名前を出したときには、とうとう来たかという思いと共に、どこのどいつだ! と心が荒れ狂ったものである。

 しかしいざ会ってみれば、想像よりずっと礼儀正しく、素直で、清潔な少年がいた。父親の自分に向かって「娘のことが好きだ!」とはっきり言えるくらいなのだから、その思いの強さは簡単に推し量れる。だったらもう、修造の出る幕はない。

「花司波くーん!」

「あ」

「行ってきなさい」

 肩を軽く叩けば、彼はぺこっと頭を下げて柚子たちの方へ向かう。熱気にあてられたか、子供たちはいつもよりずっとはしゃいでいる。あっという間に密は囲まれてしまった。

 さっきのデュエルすごかった! 兄ちゃん強いんだね! から始まり、カードの効果の話だったり、儀式召喚の話だったり。漏れ聞こえてくる会話を捌くのは大変そうだ。そのうち、遊矢が「オレともデュエルしてくれよ!」と言い出して、「今日は無理言ってきてもらったんだからダメ!!」と、柚子が密を引っ張っていってしまった。

 自分の先輩の息子である遊矢と連れ添ってくれたなら、と考えたこともたくさんあるが、最終的に選択するのは柚子である。たとえ家族であっても、男女の仲というものには介入できない。過去の自分がそうされたくなかったように。

「ああ、でも、うちを継いでくれるなら助かるなあ……。遊矢にこの塾を譲る準備はできているが、万が一のために……。花司波くん強くて素質あるし……。うーん」

 ぽりぽりと刈り上げた襟足を掻いた。

 

「今日はいきなりごめんね」

 水たまりがきらきら光っている。空の際は赤く燃えていた。靴が汚れないように、それらを避けながら柚子は歩く。

「全然平気。楽しかったから」

 密は目を細めて彼女を見た。

 とてもまぶしいのだ。まっすぐなところ。意志を曲げないところ。間違っていることには正面から立ち向かうところ。恋に落ちたのは一瞬だったけれど、何か月も彼女を見ていた。

 そういうところがすごくかっこよくて、だけどいつもはすごくかわいくて。だからますます好きになった。彼女の父親も、人間として、密の好みのタイプなのだ。魅力的に感じる。まさか、愛娘に惚れた男の背を押してくれるほど人がいいだなんて予想もしなかった。

「すぐに家を飛び出してよかったって、すごく、思うんだ。元プロの方とデュエルできる機会なんてめったにないし、それに、柊のお父さんは……修造さんは、とてもいい人だった。あんな人に何年もデュエルを習ってたんだって思うと、榊でも、柊でも嫉妬してしまいそう」

「言いすぎじゃない? ……でも、ありがとう、お父さんのこと、褒めてくれて。今日、お父さんもすごく楽しそうだったわ」

「それにしても」と、柚子はくすくす笑った。不思議そうに密はまばたきをする。

「私より先にお父さんの名前を呼ぶようになるって、ちょっと面白いわね。クラスメートなのに」

 言葉が喉に張り付いた。ショッキングピンクの瞳がこれでもかというくらい丸くなる。きっと、彼女に他意はないのだろう。しかし、天然な小悪魔の誘惑は密の心臓をどんどん早めていく。

 声がつっかえて、なかなか出てこない。でも、今言わないと、勇気を出さないと。このタイミングを逃すのは、絶対に嫌だ。

 夕日のせいだけではない。真っ赤な頬をして、密は少しうつむく。黄昏が雨粒すべてを反射して、空も、空気も、アスファルトの道さえも燃えているようだ。

 なんとか絞り出した声は、蚊のように弱々しいものだった。

「……呼んでいいんだったら、柚子って、呼ぶ……けど……・……」

「もちろんいいわよ! じゃあ、私も密くんって呼ぼうか? あ、でもこれ、学校でやったらからかわれるわね……。うちに来たときか、二人だけのときなら大丈……ん……?」

 話しているうちに、ボンと柚子の顔が真っ赤になった。火が着いたみたいだ。熟れたトマトのように真っ赤なほっぺたをした柚子は、あわあわと顔の前で両手を動かす。

「ち、ちがうの! なにがちがうのかうまく言えないけどちがうのー!」

 ふっと彼の唇が弧を描いた。クールで、蠱惑的な、ともすれば色気すら伴ったほほえみ。さらりと風が彼の髪を撫でて、なびかせる。

「いいのに。名前で呼んでよ、柚子」

 まっすぐ見つめられて、息が止まる。彼の瞳は揺らめいていた。ごくん。柚子の喉が静かに鳴った。薔薇色の頬と同じように、熱をにじませた目が、優しくとろけている。魔法にかかったみたいに、ぼんやりと柚子は頷いた。ふにゃりと密は、垂れた目尻をいっそう垂れさせる。

 どくり、どくり。じわじわ蝉が鳴いている。それよりよっぽど、心臓がうるさい。どうしちゃったんだろう。

 柚子はシャツの胸元をぎゅっと握りしめる。さっきまで普通だったのに、隣にいる彼がまったく別の人のように見える。まともに顔を見ることができない。これじゃあまるで……。

 その先を考えようとして、柚子はぶんぶん頭を振った。

 花司波くんは、いや、密くんは、友達! クラスメート! 

 顔が熱いのは夏だから、どきどきするのも夏だから。全部夏が近いせいなのだ。知らず知らずのうちに、柚子は一歩だけ、密に対する距離を増やす。心臓の音が聞こえてしまいそうで、もし聞かれてしまったらと思うと、とても恥ずかしかった。それがどうしてかは、まだはっきりとわからないけれど。

 分かれ道に差し掛かった。ここまででいいと彼は言う。柚子は黙って頷いた。

「また明日」

 はにかむ彼の頬が赤いのも、夕日と蒸し暑さのせいなのだ。

 

 その、数日後のことである。七月の初めだった。密が柚子に思いの丈を伝えたのは。

 明確な返事はなかったが、答えを急かすつもりはない。彼女の認識を変えることが最優先事項だった。真っ赤になった顔を見れば、脈があるのは一目瞭然。異性として意識されるという目標も叶ったはず。

(どうせなら俺を好きになってほしい。それくらい欲深くったって、いいよね……)

「君のことをもっと知りたいから、手始めに連絡先教えてほしいなー」なんてナンパみたいなことを頑張って言って、とうとう密は柚子の携帯番号やメールアドレスをゲットしたのである。ぎゅうっと、彼女の情報が追加された端末を抱きしめる。

「夏休み、一緒に遊ぼうね」

 うふふと笑えば、彼女はたっぷり時間をかけて頷いてくれた。密はますます頬を赤くして笑った。

 

 夏休みは互いの友達を連れて、たくさん遊んだ。プールに行って、花火大会に行って、宿題をするために図書館へも。一緒に過ごせる時間が、すごい勢いで増えた。幸せで死んでしまいそうだ。

 あっという間に二学期になってしまったけれど、柚子は柚子で、どうして密のアピールに気づかなかったのかとどきどきしっぱなしである。しかも周りの目が生暖かい。友達にはやっと気づいたかと呆れられた。なんでわかったんだと言えば、むしろなんでわからなかった? と真顔で問い詰められた。

「あんたって男子との距離感が思春期じゃないのよね。やっぱり幼馴染が二人とも男だから?」

「ううっ!」

 ぐうの音も出ない。柚子は机に突っ伏した。友達は片肘をついてにやにや笑っている。これは完全に面白がっている顔だ。

「あーんなにわかりやすかったのに、にぶちん。ま、花司波くんは相当紳士なんだから、さっさと捕まえときなさいよー。あとから後悔したって遅いんだから。逃した魚はでかいわよー」

「ま、ままま、まだそんなんじゃっ」

「へー、『まだ』。ふーん」

 彼女の口許がチェシャ猫のようになる。柚子は自分の言った言葉を思い返してぼっと頬を染めた。

「あっ、花司波くん」

「ええっ!?」

「じょーだんよ、じょーだん」

「……もお~~~~!!」

「でも、柚子、春先より可愛くなったわ。恋をすると変わるってよく言うけど、されても変わるんじゃない。面白ーい」

 訂正。本当に面白がっていた。なんて友達甲斐のない。柚子は本気で、いつか密にどきどきさせられるあまり、死んでしまうのではと悩んでいるのに。言ったところで「それ、かなり好きってことじゃん」とばっさり切られてしまったが。

「ひーいらぎっ」

 ひょっこり。すらっと長い身体を廊下から覗かせて、密は歯がこぼれるような笑みで立っている。タイミングがいいんだか、悪いんだか。

「噂をすれば」

「? 俺の話でもしてたの?」

「えー、まあ」

「聞かないでいいから!! どうしたの、花司波くん」

 友人を制して、ぴょんと軽やかな足取りでやってきた彼に尋ねれば、密は人懐っこい笑みを浮かべた。その手にはピンク色の小さな紙袋がある。

「プロディジー・モーツァルトのチャーム、見つけたから、あげる。幻奏モンスターを見ると、つい柊のこと思い出しちゃって……」

「えっ!? いいの!?」

「うん。俺が持ってるにはかわいすぎるし、柊の方がこの子も嬉しいでしょ。エースなんだからさ」

 可愛らしくラッピングされた小袋を手渡される。柚子は両手でそれを受け取った。開けていいかと聞けば、彼は笑顔で頷く。おずおず袋を開ければ、出てきたのは馴染み深い、デフォルメされた赤いドレスのモンスター。かわいい。胸がきゅんと鳴る。自然、彼女の顔には満面の笑みが浮かんだ。

「ありがとう! お返し、どうしたらいい?」

「え、お返し……?」

 目を細めていた密が、きょとりとピンクの瞳を丸くする。

(下心ありの行動じゃなかったのかよ……。告白前はもっといろいろ計算してたくせに)

(ピュアか……?)

 様子を見ていた加賀と赤城、そして柚子の友人たちは呆れた眼差しである。密と柚子の距離が近づいてから、彼の狡猾さや計算高さが鳴りを潜めている気がする。春先の彼はもっとギラギラしていた。榊遊矢に負けてはならぬと闘志をたぎらせていたからだろう。今の彼には、無邪気に好意を示せるだけの余裕ができたということなのかもしれない。

 ここはオレたちが一肌脱いでやるか。加賀はよっこいせと腕まくりをして、一歩踏み出し、なんてことのないように口を開いた。

「二人でどっか行けばいいじゃん」

「え」

 最初に戸惑いの声を発したのは柚子だった。

「柚子、駅前に新しくできたケーキ屋さんに行きたいって言ってたよね。花司波くんと一緒に行けば?」

「……え?」

 かーっと彼と彼女の頬が赤く染まっていく。おろおろしている密と柚子がじれったいのは、確かで。はい決まりー、と彼らは手を打って、そのタイミングでチャイムが鳴る。それが日常だった。

 

 

 秋は終わって、冬が過ぎて、一緒に新しい年を迎えて。みんなは二年生になった。今年は色々と激動の年である。なんていったって、二人にとっても縁の深い榊遊矢がペンデュラム召喚というまったくの新しい召喚方法を生み出してしまった。それからは様々な人間がペンデュラム召喚と榊遊矢を狙い、それに赤馬社長も参戦したのだから、業界が荒れるのもうなずける。

 柚子も柚子で、塾の買収騒動の際に真澄に負けたことがよほど悔しかったらしく、ひょんなことから榊家に居候している紫雲院素良少年を融合召喚の師匠にするほどだ。「素良とは絶対、ぜーったいそんなことないからね! 密くんはあたしが強くなるところだけ見てて!」と真っ赤な顔で告げられたのは脳に刻み込んでいる。たぶん一生忘れない。密も密で、マイアミチャンピオンシップでの腕試しを目標にばりばり公式戦の勝ち星を刻んでいた。みんな(一部を除いて)、当たり前の日々を過ごしていた。

 知らない世界でどこかの街が壊滅して二年経つなんて、誰も考えない。氷の上に成り立つような平和な日々。それが日常ではなくなる日は、ある日突然やってきた。

 

 

 ──どうにも──なにかが────おかしい。

 仮面をつけた青い服の男たちから身を隠し、密は必死に呼吸をこらえる。物音ひとつ立てれば襲われると感じた。目を逸らしたいのに見てしまう。想い人に融合召喚を教えていたあいつと──紫雲院素良のジャケットとよく似た、真っ青な上着。

 さっきまで対戦相手が歩いていたところにあるのは、たった一枚のカード。

 人間が紙切れになる瞬間を、密は目撃していた。反射的に物陰に隠れて、息を押し殺したのはいいものの、異常な事態に精神が焼ききれそうだ。震える両手で口と鼻を覆い、彼らがいなくなるのを待ち続ける。

 彼女のことが心配だった。足音が聞こえなくなった瞬間、密は駆けだした。

 

 

「ゆず」

 

 

 思い出せる声が、今遠く感じてしまうのは、目の前にいる「その顔」が恐ろしくて仕方がないからだ。

『へえ、やるじゃん。こういうところも本当によく似てるよ、瑠璃やリンに……』

 毒を吹き込むような、甘い声だった。

 幼馴染そっくりの少年に追い詰められ、ブレスレットが光った。次の瞬間にはその少年は消えていて。直後にはまたそっくりな、けれど見知らぬ少年に、抱きしめられている。てっきり遊矢が来てくれたのだと思ったが、それにしては態度が違う。リンと呼ばれるし、人違いのはずだ。頭が混乱する。──刹那。ブレスレットが光り輝いた。

「──────柚子!!」

 すっかり聞きなれた彼の声が、凍り付いたカーブの上から降ってくる。

「密くん!!」

 反射的に柚子は手を伸ばした。飛び降りてきた彼の手のひらが柚子の身体に触れた瞬間、光が三人を覆い尽くす。目を焼くようなピンク色の光が収まったとき、二人にとって見慣れぬ街が広がっていた。

「ここはシティ。オレの地元だ」

「シティ? 舞網市じゃなくて?」

「ちーがーう! お前たちのいたスタンダードとは別の次元だよ」

 ユーゴと名乗った榊遊矢そっくりの少年と、柚子の二人には、今の状況がどういうことなのかわかっているらしい。密は必死に二人の会話を頭に叩き込む。

 とんでもないことの渦中に飛び込んでしまったようだ。それだけは、すぐにわかった。

 

 ああ愛しい人、どうかそのままでいて。俺の側にいて。

 過去なんてどうでもいい。君が誰かも関係ない。ただ俺は君のことが好きで、他の誰かと混ざり合った君が消えてしまうこと、変容してしまうこと、まったく別のなにかになってしまうことが、怖くて仕方がないんだ。

「だから絶対に離さない。君以外も、セレナもユーゴも榊も友達だ。世界が四つに分かれているのが正しいなら、君たちだって四人のままでいい。一人しか残らないなんて嫌だよ……」

「うん。私も、嫌。あなたと一緒にいたい」

「柚子……」

 初めてのキスは、とても、苦しかった。苦しくて、寂しくてどうにかなってしまいそうなのに──小さな幸福を噛みしめている自分が、どうにも醜い。

 世界の危機? 知ったことじゃない。君が犠牲になって成り立つ世界なんて滅びたらいい。




ここまで読んでくださりありがとうございました。

印刷版の通販をしています。よろしければぜひ。
https://kihara815.booth.pm/items/975019


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。