キミのくれた手で (とりなんこつ)
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1話

S.O.N.G.の調査部といえば花形だ。

格闘術、射撃術、尾行術、潜入術はもちろん、調査のための各科学的知識に加え、対聖遺物のための歴史とオカルトの知識も幅広く求められる。

それら様々な技術を体得し、強靭な体力と鋼の精神を宿したエージェントで構成される最精鋭部隊なのである。

 

―――と、言えば聞こえはいいが、全員が全員、高いスペックを所持しているわけではない。

かくいうオレも、他人より特に抜きんでた能力の持ち主ではないと自負している。

そんなオレが調査部に籍を置いているのは、この仕事、やはり殉職率が半端ないのだ。

欠員が出たら補充するのはまあ理解できるが、本来のオレの専門領域はS.O.N.G.の前身組織である特殊災害対策機動部一課の仕事が相当である。

要は、装者たちやノイズとの戦闘の後片付けや情報操作など。

二課をバリバリの体育会系とするならば、一課は文系と分類できるかも知れない。

 

そんなオレが調査部に配置されたとして、目立つはずもなく。

かの緒川主任調査官が調査部の筆頭だとすれば、その背後にずらーっと控えた黒服エージェントたちの三列目の右から三番目にいるくらいのモブAである。

見た目的にもまさにそんな格好で、本名が『(えい)』なのも笑えない。

 

それでも、どうにかこうにか殉職せずにここまで働いてこれたのは、オレにもそこそこ運があるからだろう。

正直、鎌倉の風鳴赴堂の捕縛へ行ったときは死ぬかと思った。同僚の何人かは屋敷にいたアルカ・ノイズに消し炭にされているし。

そのあとは風鳴本家から出てきたユグドラシルの監視もしていたけれど、あれも生きた心地がしなかった。

まあ、シェム・ハとかいう本物の神様と戦っていたシンフォギア装者たちに比べれば、大したことはないかも知れない。

後で聞いた話では、マジで地球が滅びる一歩手前だったらしいしな。

 

それらもなんだかんだで一段落し、今、オレも含めた調査部は、旧首都庁を訪れていた。

そこにある巨大な残骸。かの青髭ジル・ド・レの居城を意味するチフォージュ・シャトー。

ワールドデストラクチャーとかいわれてもピンとこないが、かつては聖遺物の複合体であったとのことで危険極まりない。

以前にも調査をしたことがあったが、解体中と見せかけて風鳴機関によって色々と改装されていたらしい。

それらを含めて再調査して、再び解体の道筋をつけるための、いわば先触れのような仕事だった。

 

この仕事をしていて一度も気楽な心持ちでいたことはないが、今日は同僚も含め、誰もが緊張していた。

赤シャツを着た我らが総司令、風鳴弦十郎がいる。『最終人類兵器』『歩く憲法違反』などという渾名が跋扈しているが、オレは真実だと思う。

そんな化け物上司の傍らに立つ少女は、あいにく彼の娘ではない。

オーバーオールに白衣をまとい、金髪のエビフライのようなおさげ髪。

右頬の泣きぼくろも色っぽい彼女の名前はエルフナイン。

もちろん色っぽいというのは多分に冗談的な表現であり、あの体型に情欲を催すやつがいたなら、ソイツは真正のロリコンだ。

二、三度ほどしか会話をしたことはないし、向こうもオレのようなモブのことなんぞ覚えてないだろうが、言葉づかいは丁寧で非常に礼儀正しい良い子だ。

かつて敵対していたキャロル・マールス・ディーンハイムに瓜二つということで警戒するものも居たが、今となってはS.O.N.G.のマスコット的な存在になりつつある。

正式な役職名はエルフナイン特別顧問分析官となっているが、誰もが影ではエルフナインちゃんと呼んでいたり。

 

そんなエルフナインちゃんが、頭に安全ヘルメットをかぶってよっちらこっちらと歩いてくる。

見た目はとてもプリティだが、錬金術師でもある彼女の知識は、おそらくここにいる大人たちの誰よりも卓越しているだろう。

シャトー内を見回す瞳の色は、オレが見てもゾッとするほど思慮深げだ。

 

「司令! こちらに来てみてください!」

 

緒川主任の呼ぶ声に、司令が応じる。

 

「エルフナインくん、あまり一人で動き回らないように」

 

そういって呼ばれた方に歩いて行く司令と視線を合わせ、軽く頷く。

彼女の周辺には、オレも含め数人のエージェントがいる。

余程のことがなければ、司令の手を煩わせるようなことはないだろう。

 

オレたちが見守る中、エルフナインちゃんはずんずんと奥へと歩いていく。

先回りをして危険がないことを確認しつつ付いて行けば、巨大なジェネレーターのようなものが設置されていた。

その周囲に散乱する残骸。

人工物で出来た手や足なのだが、その球体関節にオレは眉をしかめる。

かつてオレたちの仲間を幾人も屠ったオートスコアラー。

ここにあるのは連中の廃棄躯体だ。

 

膝を床につけ、それらを見つめるエルフナインちゃんに罪がないのは分かっている。

それでもオレは決していい気分ではなく、許されるならここのボロ屑を蹴飛ばしてやりたかった。

現実には出来ないので、脳内で散々蹴飛ばしてウサを晴らしていると、ミシリ、と音がした。

…気のせいか?

周囲の仲間を見回す。誰も特に注意を払っていないよう。

けれど、オレはなぜか嫌な予感がしてたまらない。

 

「申し訳ありませんが、そろそろ戻りませんか?」

 

エルフナインちゃんに声をかけると、目尻に涙を浮かべてこちらを見上げてくる。

なぜか罪悪感に駆られながらもう一度声をかけると、彼女は立ち上がってくれた。

小さな手で涙を拭い、それから彼女はふらついた。

思わず小さな身体を受け止めると、

 

「す、すみません! ちょっと寝不足でふらついてしまいました…」

 

心底申し訳なさそうな声で謝られる。

 

「いいえ、大丈夫ですよ」

 

オレがそう笑い返した時だった。

ガラガラッ! と雪崩のような崩落音が天井から響く。

オレはほとんどエルフナインちゃんを抱きかかえるようにしてその場を離れた。

彼女を抱えたまま走る。背後で断続的に巨大な質量が落ち、地鳴りを響かせた。

崩落の衝撃の空気に押されるように走り続け―――くそ、間に合うか?

オレは力いっぱいエルフナインちゃんの背中を目前の通路へと突き飛ばす。

 

「きゃッ!?」

 

半瞬遅れて、オレも通路に足からスライディングするように飛び込んだ。

南無三!

もうもうとした砂埃も一緒に飛び込んできて、おもわず目をつむる。

息を吸う。吐く。大丈夫、生きている。

どうやら天井の崩落ギリギリでオレも通路へ飛び込めたらしい。

 

「お怪我はないですかッ!?」

 

目前でペタリと女の子座りをしているエルフナインちゃんを見る。

見た目はどこも怪我してなさそうだ。

ところが、ホッとするオレの前で、彼女の顔は見る見ると青ざめた。

 

「だ、大丈夫ですかッ!?」

 

「いや、そういう君こそ」

 

「う、後ろです!手! 手が…ッ!」

 

「手?」

 

エルフナインちゃんの狼狽ぶりと対照的なまでに、オレはゆっくりと自分の背後を見る。

 

「…え?」

 

オレの右手は、すぐ背後まで積み重なった瓦礫の間に挟まれて潰れていた。

赤い液体がジュクジュクと溢れているのを見たとたん、灼熱のような痛みが押し寄せてきて―――オレは意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回はご苦労だった、南雲調査官」

 

風鳴弦十郎司令がそう労ってくれる。

 

「いえ…」

 

曖昧に応じるオレはベッドアップされたベッドの上。

病院へ緊急搬送されて、早一週間が経っていた。

瓦礫にガッチリ挟まれた右手は、やむを得ず切断の憂き目にあっている。

どうにか止血し、病院で患部組織の再建手術を受けたが、なくなった右手だけはどうしようもなかった。

麻酔から目が覚めて、右手がなくなっていることに驚愕し、痛みに悶絶して鎮静剤を投入された。

どうにか我慢できる範囲内に痛みが落ち着くと、凄まじい喪失感に襲われている。

なので、オレの見た目はきっとやつれきっていたことだろう。

 

「おまえのおかげでエルフナインくんは無傷で済んだ。…よくやってくれたな」

 

今はしっかり休め、と力強く肩を叩き、司令は帰っていった。

入れ違いで総務部と担当医がやってきた。

総務の人間からは、とりあえず手続きの諸々は代行しているので、今はゆっくりと休んでもらって構わない。担当医はとにかく落ち着いて過ごしてください。痛みがあるようでしたらすぐにナースへ連絡を。

 

二人とも、こちらを心底気の毒に思っているような、腫物を扱うような言動だった。

誰もいなくなった病室で、オレは右手を見る。

あるべきものがないことに対し、泣きたくなった。

込み上げてくる嗚咽を、もう20の半ばも過ぎたのに泣けるかよ、と噛み殺す。

そして死んだ同僚たちのことを思い浮かべ、命があるだけオレはまだマシだ、と自分を慰める。

それからまた存在しない右手を眺め―――これからどうすりゃいいんだ? と途方にくれて不安になる。

 

そこで全く記憶にないのだが、オレは叫んで喚き散らしたらしい。

かけつけてきたナースの連絡で医師も来て、鎮静剤を投与され、眠ったそうだ。

 

目を覚まし、顔を撫でようとして、何もない手首がアゴに触れた。

傷口の痛みに泣きたくなったが、昨日ほど錯乱はしなかったようだ。

ただぼーっと無事な左手でアゴを撫でる。

不精髭でざらついていた。

 

「南雲栄さん、ご飯ですよ」

 

ナースが朝食を運んできた。

最近の病院では、誤配を防ぐためにいちいちフルネームを呼ぶんだったな、と他人事のように思い出す。

右手がなくなっても腹は減る。

左手でスプーンを使って食べる食事はやはり慣れなくて、泣きそうになる。

それでもどうにか数口を食べ、あとはナースに薬を飲むのを手伝ってもらう。

 

食事も済めばすることもないので、ただぼーっとして室内を見回す。

完全個室の結構いい部屋で、大きなテレビもあるのだがさっぱり見る気がおきない。

薬が効いているせいか痛みもない。

なので、おもわず右手を使う動作をしてしまい、その喪失感に心が曇る

そして薬が切れると、もはや悲劇だ。

痛くて痛くて眠れない。痛くて仕方がないのは、手術された手首付近ではない。

なくなったはずの右手が痛くてどうにもならない。

これは四肢を欠損した人間によくある幻肢痛なことは知っているけれど、実際に体験すれば気が狂いそうだ。

そこでまた鎮痛剤を投与され、オレはますますやつれ果て。

そうやって精神と体力を摩耗しまくっているオレの前に彼女はやってきた。

 

 

 

 

 

 

 

「こ、このたびは、ありがとうございましたッ!」

 

病室へ来たエルフナインちゃんがオレに向かって頭を下げた。

 

「いえ。これも任務ですから」

 

自分でも呆れるくらい平坦な声が出た。

彼女が助かって嬉しいとは思っている。自分がもっと上手くやっていれば右手を失わなくて済んだとも思っている。

けれど、どうしても他に原因や恨みを求める心の動きを止められなかった。

 

―――おまえのせいで、オレは右手を失ったんだぞ!?

 

そう怒りのままにぶつけてしまえれば。

だが、実行に移さない程度に理性は働いている。

仮にそれをしてしまえば、オレは人間として最下層の存在になってしまうだろう。

 

「…本来ならば、絶対に認められないことなのだが」

 

エルフナインちゃんの背後に立っていた司令が口を開く。

 

「どうしてもと、彼女が望んでいてな」

 

司令の言にエルフナインちゃんは頷く。それからオレを見て、言った。

 

「ボクを助けるために、南雲さんは、その手を…」

 

さすがにオレの名前を憶えてくれたかと笑ったが、きっと捨て鉢な笑顔だったろう。

君が責任を感じることはない、とでも言えれば格好よかったが、生憎そんな余裕はない。

陰気になっているオレの前に、エルフナインちゃんは身の丈に合わないスーツケースを置く。

 

「なので、償わせて下さい」

 

蓋が開けられた。

そこに存在するものにオレは目を剥く。

 

「南雲さんのために、作ってきました」

 

スーツケース内には計四つもの義手が横たわっていた。

 

 

 

 

 

 

 



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2話

スーツケースの中の義手。

昨今の筋電操作できる義手は既にオレも幾つか目にしていたが、横たわる四つのどれもメカメカしい印象はない。

見た目は非常に人間そのものというか。

ただ質感の違いから、強いて言うとすればマネキンのそれに近いかも知れない。

 

「南雲さん、腕を貸して頂けますか?」

 

エルフナインちゃんに促され、おずおずと欠損した右手首を差し出す。

 

「どれをつけてみましょう?」

 

いや、どれっていわれても。

そう思ったが口には出さない。

困惑気味のオレは、適当に左から二番目を選ぶ。適当とはいったが、まあ、勘が働いたのかもな。

 

「では、これを…」

 

エルフナインちゃんが、その義手をオレの手首の切断面へと当てた。

思わず顔を顰めてしまうが、不思議と痛みはない。

それどころか。

 

「!?」

 

義手と手首の接触部分が発光し、その周辺にメビウスの輪みたいな光るリボンが浮かび上がる。

リボンの表面の文字はキリル文字か?

超常は幾度となく目撃しているオレだが、淡い光に顔を照らされているエルフナインちゃんを見て、彼女が錬金術師であることを改めて思い出す。

 

「…どうですか?」

 

いわれて、オレは自分の右手に視線を落とす。

どういう理由かわからないが、義手はオレの手首にしっかりと接着しているようだ。

でも、だからといって、まさか…。

 

「マジかよッ…!?」

 

動く! 動くぞ! まるで元の自分の手みたいに、指が自在に動く!

それに、あの喪失感も嘘みたいになくなっている!?

わきわきと指を動かし、見舞いのリンゴを掴んでみる。

不思議なことに、リンゴの質感まで伝わってきた。義手のはずなのに。

 

「錬金術で作ってみたのですが…」

 

「すげえ! すごいよ、エルフナインちゃん!」

 

ゴホン、という咳払いでオレは我に返った。

気づけば、オレの両腕に持ち上げられ宙に浮いたエルフナインちゃんが、真っ赤な顔でこちらを見下ろしている。

 

「ゴホンッ! とまあ、エルフナインくんが錬金術を駆使して、おまえ専用の義手を誂えてくれたわけだが…」

 

司令の再度の咳払いに、オレは慌ててエルフナインちゃんを床へと降ろした。

途端に、クラりと眩暈がする。ほぼ一週間ベッド暮らしだったから当たり前か。

 

「これは特例中の特例だ。よって、このことを口外することを一切禁じ、万が一異常等があれば報告は絶対厳守だ。いいな?」

 

「は、はいッ」

 

答えつつ額の汗を拭う。

半ば無意識で義手で拭っていたことに、自分でも驚く。

それから、改めてオレは礼を言った。

 

「ありがとうございます、エルフナイン…特別顧問分析官」

 

「い、いえッ! 元々はボクのせいですからッ!」

 

慌てて手を振るエルフナインちゃん。

 

「それで、しばらくは毎日メンテナンスで寄らせてもらいたいのですが、構いませんかッ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

シャワーを浴びて髭を剃り、身形を整える。

浴槽で湯につかるのはまだ無理だが、予約すればシャワーは毎日浴びるくらいは出来る。

真新しい病院着に着替えるのは、仮にも女性で上司であるエルフナインちゃんに対する最低限の礼儀だ。

しかし、シャワーを使っているときも、まるで違和感はない義手だ。

完全防水な上に、接合部もぴったりと断面にくっついている。

…本当にすごいなあ、錬金術ってやつは。

 

「南雲さん、こんにちはッ」

 

今日も今日とてエルフナインちゃんがやってきた。

午前中はリハビリに励むオレのことを見越して、夕方の4時前くらいにやってくる。

病室へ入ってくる寸前、廊下に黒服の同僚の姿が見えた。彼女の護衛だろう。

 

「義手の調子はどうですか?」

 

「全然。問題ありません」

 

オレは指をぱらぱらと動かして見せた。不思議なことに使えば使うほど馴染む。

加えて喪失感も完全になくなっていた。幻肢痛も収まり、鎮痛剤も使わずぐっすり眠れる。

ぐっすり過ぎて、なにか夢を見ても内容をまるで覚えてないくらい。

 

「明日には退院ですね。おめでとうございます」

 

「ありがとうございます」

 

本来なら義手の扱いにこそリハビリが必要なのだが、エルフナインちゃん謹製の義手ではその必要はない。

よって、オレが試みているリハビリは、もっぱら低下した体力の回復に努める全身運動だった。

というか、普通に走ってもバランスが崩れず痛みもない義手ってマジで凄いと思う。

あまりの回復っぷりに医師も首を捻ったり―――はしなかった。そこらへんは司令が手を回してくれたのだろう。

なので、オレは明日に退院し、久しぶりに官舎へと帰れることになる。

退院したらまず、何をするかなんて決まっていた。

ああ、カツ丼喰いたい。もしくは焼き肉。とにかく肉だッ!

 

「それでですが、南雲さん。退院したら、メンテナンスのため、しばらくボクのラボへ通って頂けるとありがたいのですが…」

 

義手をよく分からない道具で弄りながらエルフナインちゃんが申し訳なさそうな声で言う。

 

「問題ありません」

 

我ながら面白みのない返事だが、仮にも相手は上司だから仕方がない。

 

「…毎日、ありがとうございます」

 

なので、軽く礼を付け足してみた。

彼女の住まいは移動本部だと聞く。

そこからこの病院へ定期的に足繁く通ってきてもらっているのは、いかにエルフナインちゃんが責任を感じているとはいえ苦労だと思う。

 

「そんなの全然です。そもそもはボクのせいですからッ」

 

慌てたようにエルフナインちゃんは手を左右にパタパタさせている。

 

―――あなたのせいではありませんよ。

そう断言して笑えるほど、生憎オレは人間が出来ちゃいなかった。

 

それでも彼女の真摯な気持ちは、ほとほと心に染み入ってくいる。

礼を言われれば礼を尽くし、自分に非があると思えば率直に傷つく。

きっと銀の鏡のような綺麗な心の持ち主に違いない。

見た目と同じでピュアなのだ、などと言ってしまえば、オレもロリコンの誹りは免れないか。

 

 

 

 

 

 

 

退院したオレに新たな辞令が発令されていた。

調査部から保安部への異動。

保安部は、文字通り、組織内、装者たち、一般市民、ひいては社会全体の安全を保つ部署であると言える。

調査部はアクティブで、保安部はパッシブな部署と表現できるかも知れない。

調査部に所属すれば海外出張も当たり前だったし、これは司令がオレのことを慮っての配属だと思う。

 

実際のところ、右手を失うという大怪我をしたわけだから、後方支援の部署へ回されるかと覚悟していたのだが。人材不足も極まっているのか、それとも何かしらの温情なのか。

まあ、そこは後者だと思っていた方が精神的にも良さそうだ。

 

実際の辞令の発効は再来週だから、それも含めてオレは本部の訓練施設で黙々とリハビリに励む。

リハビリを終えてシャワーも浴びてさっぱりし、それからエルフナインちゃんのラボを訪れるのがささやかな日課となっていた。

彼女のラボは、施設の下層に位置し、一般職員ではおいそれとは入れないエリアにある。

IDカードをかざして人気のない廊下を進むことに、少しばかり特権意識をくすぐられた。

 

「こんにちは、入りますよ」

 

『あ、いらっしゃい』

 

スピーカーから声が響き、ドアが開く。

うん。毎度毎度思うのだが、実に研究室らしい研究室だ。

各種実験設備に、壁の棚は様々な薬剤や書籍でいっぱいだ。

 

「お待ちしていました」

 

出迎えてくれるエルフナインちゃんとの室内の対比は、実に女の子らしくないと思う一方、これほど彼女に相応しい場所はないのではないかと思う。

矛盾する感想を抱えながら、オレは診察台のようなものの上に右腕を載せた。

 

手を握って、開く。

ますます義手はオレに馴染んでいるような気がする。

 

どういう仕掛けかは分からないが思い通りに動いてくれて、日常生活を送るには不便を感じない。

何よりオレの趣味である本や漫画が読めるのは本当に助かる。

実際に右手を無くしていたときは、左手でどうやって読めばいいんだと途方にくれたからな。

まあ、作り物だけに痛覚的なものがないのは違和感があるけれど、以前の喪失感に比べればかなりマシだ。

しかし、義手を弄るエルフナインちゃんのちっこい指の感触が分かるのだから、不思議と言えば不思議ではある。

 

「ここ、違和感はないですか?」

 

「大丈夫です」

 

「そうですか。ちょっとこちらの関節が摩耗しているみたいなので、後日調整させて下さい」

 

用件が済めば、オレはさっさとラボを辞することにしている。

実際にエルフナインちゃんは多忙なのだ。

以前に、時間通りにオレが来たとたん、ひっきりなしに発令所から連絡が入り、結局メンテナンスをしてもらったのは一時間後だった。

別の日にはテーブルにつっぷして眠っていた。起こすのも偲びなく黙って帰ったらえらく恐縮されてしまった。

そんでもって今日である。

 

「あ、良かったら後で食べて下さい」

 

「え?」

 

驚くエルフナインちゃんの前に、隠し持っていた小さな箱を置く。

中身は一個500円もする高級プリンの詰め合わせ。

 

「そ、そんな! 受け取れませんよ!」

 

「いえいえ、いつも忙しいのにお世話になっていますから」

 

本心から言う。こんなちみっこい身体をして、大人顔負けの激務だ。

今のところ傷病休扱いのオレとしては、内心で忸怩たるものがある。

もうほとんど無理やり押し付ける格好になると、おずおずとエルフナインちゃんは箱を開ける。

中を見て、ぱああっと凄い笑顔になった。

うん、良かった。買ってきた甲斐があったな。

 

「じゃ、オレはこれで」

 

「ま、待ってください南雲さん!」

 

「まだ何か?」

 

「せっかくだからお茶でも飲んでいきませんか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

そういうわけで、いかにも研究室らしい研究室で、エルフナインちゃんとお茶をすることになった。

 

「どうぞ」

 

出された大きなマグカップにはエビフライのプリントがしてある。

中身は匂いからして紅茶のよう。

茶請けはオレの買ってきたプリンがさっそく開けられている。

 

エルフナインちゃんがじーっとオレを見ている。

どうしたのかな? と思ったけれど、どうもオレが先にプリンに手を付けるのを待っているようだ。

ここいらへんの気遣いは素晴らしいと思うけど、オレ、実は甘いものは苦手なんだよな。

でも、仕方ないか。

我慢して一口。後味がべったりしてないのはさすが高級品か。

 

「いただきます」

 

行儀よく両手を合わせ、それから嬉しそうに頬張るエルフナインちゃん。

 

「うん! とっても美味しいですッ!」

 

喜色満面の笑みから、心底そう思っていることが分かる。

 

「良かったですよ」

 

オレも心の底からそう思い、言った。

プリンを食べ、紅茶をふーふーと冷ますエルフナインちゃんは本当に可愛らしい。

思わずオレは微笑を浮かべていたらしく、マグカップを持ったままのエルフナインちゃんに尋ねられた。

 

「…ボクの顔に何かついてますか?」

 

「いえいえ。とても美味しそうに食べてくれてるので、買ってきた甲斐があったなあ、と」

 

そう答えると、マグカップを見つめるように顔を伏せてしまった。可愛い。

 

「…南雲さんもプリンを食べて下さい」

 

それから上目使いでそう言ってくる。可愛い。

オレが全部食べてしまわないのに、自分だけさっさと食べて切ってしまうのは恥ずかしいらしい。可愛い。

 

甘いのは苦手だったが、無糖の紅茶の力を借りてどうにか全部平らげる。

エルフナインちゃんもプリンを食べおえて、オレのカップが空なことに気づいたようだ。

 

「今、お代わり淹れますね」

 

本当に気遣いが出来る子だ。可愛い…はもういいか。

エルフナインちゃんが流しのような場所に立っている。

電動ポットから、茶葉を淹れた細長のティーポットへとお湯を注ぎ、しばらく蒸らし始めた。

 

「あ、そういえば、以前に響さんからもらったクッキーがあったような…」

 

しゃがみ込み、流しの下の棚に頭を突っ込んで何かを探し始めるエルフナインちゃん。

 

「ありましたッ!」

 

そういった次の瞬間、棚の上にゴンッ! と結構な勢いで頭をぶつけている。

ドジだなあ、と微笑ましく思ったオレの感情は一瞬で凍りつく。

 

「いたた…」

 

と後頭部をさする彼女の頭上で、ゆっくりと倒れてくるティーポット。

中にあるのは入れられたばかりの熱湯で、全てがスローモーションに映る。

 

間に合わない! そう絶望しつつ、それでもオレは腰を浮かしていた。

わずか数歩なのに、どうやっても手の届かない距離。

そう思ったのに―――。

 

バシャッ! と熱湯が周囲にぶちまけられた音。

 

もうもうと湯気が立ち上る中、エルフナインちゃんの小さな姿はオレの身体の下にある。

右手の義手はティーポットを弾き飛ばした代償に熱湯を被り、シューシューと音を立てていた。

 

「な、南雲さん…!」

 

唇を震わせ見上げてくるエルフナインちゃんは無事だったようだが、オレは現状が認識できないでいた。

今この場面だけを切り取れば、オレはバレーのレシーブのように横っ飛びして落下するポットを弾き、彼女を護ったのだろう。

しかし、その行動を取ったという自覚がない。

気づいたら、右手がポットを弾いていたとしか言いようがない。

 

「大丈夫ですか!?」

 

身体を起こして血相を変えるエルフナインちゃん。

 

「いえ、熱湯を浴びたのは義手だけだから大丈夫ですよ」

 

痛覚はないから良かったが、もし健在であれば痛みに悶絶していたのは間違いない。

 

「すみません、ごめんなさいッ、ごめんなさいッ!」

 

オレの身体を気遣いながら、怒涛のように謝ってくるエルフナインちゃん。

それからホッと胸を撫で下ろしたのは、義手以外に被害はなかったからだろう。

 

「…南雲さんに助けられるのはこれで二度目ですね」

 

申し訳なさそうでいて、こちらの背中がくすぐったくなりそうな温かい声音で謝意を伝えられた。

 

「いや、まあ…」

 

偶然です、と否定するのも何か違うので、オレとしては曖昧に答えるしかない。

しかし、熱湯を浴びたのが義手で良かったというべきか。

でも、いまやこの義手なしでは生活もままならないという自覚がある。

 

指は普通に動く。

どこも壊れてないといいけれど、とマジマジと義手へ視線を注ぐ。

熱湯で表面部分がべろべろになって剥がれかけている。

そこから覗くものに、オレの背筋が凍りついた。

 

―――超常の力で稼働する指と指を繋ぐ球体関節。

 

すぐそばにいる錬金術師の少女へ視線を転じ、オレの疑問は喉へとへばりつく。

 

この義手は、まさか。

オートスコアラーと同じ…?

 

 

 

 

 

 



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3話

オレが復職した当日。

本部に在籍していたほぼ全ての職員はテレビの国会中継に注目していた。

画面の中で俎上に上がっているのは、かの『護国災害派遣法』。

大多数の賛成により、廃止されることが決定した。

 

元々が無茶な勢いで成立した法案で、鎌倉の首魁、風鳴赴堂の思惑の体現そのものであること知らないS.O.N.G.関係者はいない。

かの怪物の罪状が公になった以上、速やかに廃棄されて然るべきだろう。

それでも手放しで喜べる事態でないことは、緒川主任の呟き声に集約されていた。

 

「…これでますます忙しくなりますね」

 

S.O.N.G.は元々国連直属組織だ。

それが如何に建前といえど、護国法の発布は、他国にとって日本国とS.O.N.G.の特別な紐帯に見えたことは想像に難くない。

そんな評価をリセットする意味も込めて、日本国内のS.O.N.G.の活動に、改めて制限が設けられた。

これら制限項目が米国を始めとした他国に批准しているなら何も問題はなかった。

しかし国内の野党には、あからさまに日本の国力を削ごうとする勢力が存在し、無責任なマスコミの報道と連動した結果、他国より厳しい活動制限が設けられたのは、はっきりいって噴飯ものだ。

対外的には、これだけ活動を制限させても大丈夫なくらい日本は安全だとアピールしたいのだろう。

その根拠になっているのが、シェム・ハが消失したのでこれ以上大きな異端技術がらみの事件は起きないであろう―――という希望的観測にすぎないというのだから笑えない。

他に、今までやたらと日本を舞台に様々な事件が勃発したものだから、海外資本の引き上げも洒落にならないレベルで、それを憂いた経済界の意向も働いた結果のようだ。

 

ともあれ、日本国内における活動制限の最たるものは、シンフォギアの装備展開にすら承認が課せられたことだろう。

今までは装者の任意によるものが、緊急性に応じて承認を経て、初めてシンフォギアを着装できるようになる。

つまり、目の前にノイズが現れたとして、装者は勝手にシンフォギアを纏うことができない。

では承認が降りるまでどうすればいいのか?

そんなの決まっている。オレたちが身体を張ってその時間を稼ぐしかない。

 

うんざりしつつも緊張な面持ちをする同僚たちの中で、オレは右手を開いて握る。

過日、熱湯を被った表面は改めてエルフナインちゃんに修理してもらっていたが、この人工皮膚(?)の一枚下は、最新の義体ではなく、古式ゆかしい球体関節が稼働している。

エルフナインちゃんが作った義手。

かのオートスコアラーの義体を作った際の技術を流用したものらしい。

本来、彼女は錬金術師であるから、それは予想して然るべきだ。

それでも何か釈然とせず、先日司令に相談しに行っている。

 

 

 

 

 

 

 

「おまえがオートスコアラーを敵視する感情は理解できるが、しょせん連中も道具にすぎなかったということだ。おまえが持つ銃と敵の持つ銃に、なんの違いがある?」

 

一発でオレの拘りを看破された。

 

「気に入らないなら無理に使わなくても構わん。ただし、エルフナインくんの好意に対しては、きちんと礼儀を尽くしてけじめをつけろ」

 

現状の科学技術で今の義手以上のものが作れるだろうか? 答えはNOだ。

それに、この義手は今やオレにとっても馴染み過ぎているし、仮に義手を別のものに変えたら、またぞろ違う部署へと異動ということになるやも。

そこまで思い至り、赤面する。

端から答えなんか決まっていた。

だったら単にダダをこねてるだけじゃねえか、オレ。

 

「まあ、エルフナインくんとは良好な関係を結べている点は何よりだが」

 

そんなオレを見て、なぜか司令はニヤリと笑った。

 

「…は?」

 

「彼女から、おまえのようなまったく新しい固有名詞を何度も聞かされるのは初めてのことだぞ?」

 

「はあ」

 

思わず気の抜けた返事をしてしまった。二度も助けられたと彼女が言ってたけど、それが原因かね?

 

「世間知に疎い娘だからな。せいぜい気を使ってやってくれ。ただし、余計なことや破廉恥なことを吹き込もうものなら…」

 

司令の太い指がバキバキと音を立てた。それだけで卓上のコップまでがびりびりと震えているってどういうことよ?

 

「はッ。くれぐれも注意して接するようにしますッ」

 

そう返事をし、オレは司令の前から辞した。

 

 

 

 

 

 

そして現在。

今度はオレの前に司令がいる。

単に部屋の入り口付近にオレがいて、そこに司令が入ってきただけなんだけど。

 

「司令。先ほどの中継をご覧になりましたか」

 

緒川主任が小走りでやってきた。

 

「うむ」

 

重々しく頷く司令。

それから、室内の職員を見回した。

 

「本日、17:00の終業時刻をもって、本部多目的ホールに、当直以外で可能な限りの職員を召集しろ。非番の連中もだ」

 

なにやら重要な訓示だろうか?

室内の空気がピンと張りつめる中、渋い良く通る声が職員全員の耳を疑わせた。

 

「祝勝会を行うぞッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思えば、風鳴総司令は無類の宴会好きである。

二課の頃から新たな装者が編入するたびに歓迎会を催していたし、本人も手品などの余興の準備に余念がなかった。

それにしても、祝勝会とは誰もが完全に虚を突かれた感じだ。

シェム・ハとの決戦直後は本土そのものがガタガタで、組織の整備と再構築に、なんか葬式ばかりやっていたような気がする。

それらも落ち着いた現在、祝勝会を催す時期としては適切と言えるかも知れない。

問題は、なぜ今日の日に行うのかということだ。

護国法が廃止され新たな制限が課せられたというこの日に。

 

現状本部の多目的ホールは、潜水艦内部とは思えないほど広い。

冗談抜きでコンサートすら催せそうな規模のスペースには、既に幾つものテーブルと軽食、酒がふんだんに揃えられている。

司令の短い挨拶と労いの言葉もそこそこに、乾杯がなされた。

酒が酌み交わされ、そこかしこで談笑が起きる。

基本的に、オレたちの仕事も命懸けだ。

楽しむときには蟠りを忘れて楽しんだ方が得だと、生き残った連中はしみじみと噛みしめている。

せっせと福利厚生の酒を楽しんでいると、不意にホール全体が暗くなる。

続いて、中央にスポットライトが注がれた。

そこに立っている六人の少女たちに、オレも含め誰もが目を剥いたに違いない。

 

『みなさーん! 今日は本当にお疲れさまでーす!』

 

マイクに向かって挨拶したのは、アイドルみたいな格好をした響ちゃんだ。

 

『こんばんはデース!』

 

『こんばんはー』

 

これは切歌ちゃんと調ちゃん。

 

『ほら、クリスちゃんも挨拶挨拶ッ!』

 

『う、うぇッ!? え、えーと、その…こんばんは』

 

『えー? もっとオリジナリティのある挨拶しようよッ!』

 

『うっせぇバカッ!』

 

直後、皆の視線を集めていることに気づいて赤面するクリスちゃんの姿は、なかなかレアな眺めだ。

 

『防人の皆さん! 準備はいいですかッ!』

 

『最高の歌を聞かせて上げるわッ』

 

遅れてライトを浴びた翼さんとマリアさんはさすがの貫録。

イントロが流れると、呆気にとられていた聴衆たちも一気にヒートアップ。

六人の喉から紡がれる歌は、文字通り世界を救った歌だ。

そんな生歌を聞きながら飲む酒は、たちまち程よく回ってくる。

 

たとえ今みたいな煌びやかな服を着て居なくとも、彼女たちはS.O.N.G.職員たちにとってのヒロインにしてアイドルだ。

熱狂的な声援を送る職員がいる一方で、オレは知り合いの同僚たちとバカ話に興じる。

 

「やっぱりオレは響ちゃん推しだね。あの未完の大器のまま一点突破する爆発力がたまらん」

 

「何いってんだ? 翼さんの抜群の安定性と切れ味こそ至高だろうが」

 

「待て待て、そういう意味ではマリアさんが攻守ともに完成しているとは思えないか?」

 

「まだ将来の可能性を秘めていると言えば調ちゃん一択だろう常識的に考えて」

 

「僕は暁切歌ちゃん!」

 

「ちくわ大明神」

 

「誰だ今の」

 

何度繰り返したか分からないやりとりは、いつも終わり方が決まっている。

 

「じゃあ、クリスちゃんはどうなんだよ?」

 

「あの子はなあ…バックに司令がいるからなあ」

 

おそらく、先に上げた装者たちの中で、響ちゃんを除く他の五人とは、それぞれ恋人同士になれるかも知れないという可能性がある。それがたとえ微粒子レベル程度だろうと、存在する。

もちろんクリスちゃんに関してもそうだろうが、彼女の場合、保護者兼後見人の風鳴弦十郎氏がいるわけで。

あの人の御眼鏡に叶う自信は誰も持ち合わせちゃいない。

そのことを共通認識にして笑いあい、この話題を終わらせるのがオレたちの常だった。

ところが、今日は同僚の北島がオレに向かって追加するように言ってきた。

 

「ときに、エルフナインちゃんはどう思っている?」

 

「…なぜそれをオレに聞く?」

 

「とぼけなさんなよ。最近、毎日のように彼女のところへいっているのを知らないヤツはいねえよ」

 

「………」

 

オレは黙り込む。

そんな風に観察されているのは想定内だ。しかし、義手のことは口外しないよう司令に固く言い含められている。

オレとしては正真正銘義手のメンテナンスで日参しているだけなのだが、はて、他者にはどのように映って…?

 

「そりゃあ、身を呈して命を助けてもらったんだからな。彼女が惚れる切っ掛けとしては十分だろうて」

 

悟ったように言う北島に、オレは口に含んだ酒を一瞬吹きかけたが、努めてクールに応じる。

 

「別にそういう関係ではないよ」

 

「じゃ、何をしに行ってんだ、おまえは」

 

混ぜっ返してくる葛西の顔はもう赤い。

不覚にもオレが言葉に詰まっていると、駄目押しとばかりに東堂がニヤけている。

 

「ついに我らがおさげ姫も南雲の手に落ちたか。いや、手を落としてモノにしたといったほうがいいか?」

 

オレが重傷からの回復も早く、義手も快調であったからこその物言いだろう。

だとしても、少しばかり勘に触る。

殴りたいその笑顔。いっそ右手がロケットパンチだったらいいのに。

そんな衝動を酒と一緒に飲み下し、オレは冷ややかに言う。

 

「日参しているのは仕事の関係さ。仕事の内容自体は司令に固く口止めされているけどね」

 

真実ではないが嘘でもない。

 

「だいたいオレの好みはもっとメリハリのある体型の子だ。あんなちみっこが恋愛対象になるわけがないだろう? オレにロリコン趣味は…」

 

言い差して、オレは北島が口をあんぐりと開けていることに気づく。

不審に思って見回せば葛西は明後日の方を向いてグラスを傾け、東堂は熱心にステージへ声援を送るフリをしていた。

原因はすぐに判明した。

オレのスーツの袖がくいくいと引かれている。

 

「南雲さん、南雲さん」

 

声の方を向いて、オレも驚愕するしかない。

オーバーオールに白衣を着て、トレードマークのおさげ髪。

 

「エルフナインちゃ…特別顧問分析官。どうしてここにッ!?」

 

「祝勝会にボクが来てはいけないのでしょうか…?」

 

珍しく唇を尖らせるエルフナインちゃん。

 

「い、いえ、決してそんなことは、はい」

 

しどろもどろのオレに、エルフナインちゃんは笑顔を浮かべて言葉のナイフをぶッ刺してきた。

 

「ところで南雲さん。『ろりこん』ってどういう意味なんですか?」

 

「ッ!? そ、それは…」

 

口ごもり、そっと彼女の表情を伺う。

本当に一点の曇りもない純真な笑顔だ。

無邪気に訊いてきているだけかな? と楽観に傾いた天秤は、次の彼女の台詞に盛大に揺れまくる。

 

「もしかして調さんにも関係がある言葉だったりするのでしょうか?」

 

…この子、もしかして全部わかってて訊いてるんじゃないの?

背筋を冷たい汗が流れる。

汚れなき笑顔が、一転してすごく怖く見えてきた。

 

完全に言葉に窮するオレの背後で、ステージ周辺が俄かにざわめいたのは天佑だったかも知れない。

何事かと振り返れば、マイク片手の響ちゃんが神妙な表情を浮かべて、言った。

 

『みなさんに聞いてもらいたいことがありますッ!』

 

室内が静まり返る。

 

『わたしたちは、今日、シンフォギア装者を卒業しますッ!』

 

シーンとした静寂が一転、凄まじいどよめきで満たされた。

どよめきは、まんま皆の動揺だろう。

かくいうオレも激しく動揺していた。

彼女たちの力なくして、この先、ノイズらにどう対処しろと。

 

『諸君、落ち着け』

 

今度の声は風鳴司令のもの。

ピタッとどよめきが止まったのは、曲がりなりにもここに集うのは現代の防人たちだからだ。

 

『いま、響くんは卒業とはいったが、何も引退するわけではないぞ。引き続き、民間協力という形で力を貸してもらうことになっている』

 

皆が息を飲んで司令の続きの言葉に耳をそばだてている。

 

『あの神との決戦も済んだ今、この日本は以前ほどの脅威にさらされることもあるまい…』

 

しみじみと司令は、政府の無責任な希望的観測と同じことを口にした。

しかしその言葉を、きっとオレたち職員全員が全く別の意味で受け取っていたと思う。

 

奇跡を起こし、幾多の聖遺物、果ては神すら屠ってきたシンフォギア装者たち。

彼女らが血と涙を流し、文字通り命をかけて戦ってきたことを、オレたちは誰よりも間近で見てきた。

だから、もう十分じゃないのか?

本来なら、翼さん、マリアさんの二人を除き、他の四人は未成年なのだ。

普通なら女子高生として―――あ、クリスちゃんは女子大生になったわけだけど―――彼女たちには青春を謳歌する権利があるはずだ。

他に言い換えるなら、彼女たちはまだ子供であるともいえる。

そんな子供に頼りっぱなしだったことを、オレたちはいま改めて思い知らされ、司令の胸中を正確に推察していた。

 

護国法も廃止され、新たな活動制限も設けられたいまを機会に、彼女たちが負ってきた責任の幾ばくかを軽減してやろう。彼女たちが本来得るはずである自由な未来を与えてやろう…。

 

パチパチと自然と拍手が巻き起こる。

それはたちまち巨大な拍手の渦となった。

彼女たちの激闘に対する圧倒的感謝。

むしろこうやって謝意を示すことしか出来ないのがもどかしい。

 

『…ありがとうございます。みんな、ありがとうッ!』

 

響ちゃんら未成年チームがぺこぺこと頭を下げる横で、

 

『私と翼は正規職員として在籍し続けるから、これからもよろしくねッ!』

 

マリアさんの宣言に声援も上がった。

追随するように盛大なBGMが流れ始める。

この曲は…『不死鳥のフランメ』か。

オレたちの間でも絶大な人気を誇る曲だ。

そして同時に気づく。

シンフォギア装者たちがわざわざオレたち向けにこうやって唄ってくれているのは、彼女らなりの感謝の証なのではないか。

一緒に命をかけてくれた戦友たちへの御礼であり、散って行った僚友たちへと捧げる鎮魂の歌。

そのことを、他の職員たちも一斉に理解したに違いない。

場のボルテージがうなぎ上りで上昇していく。

 

両手が痛くなるほどの拍手を送りながら、ふとオレは傍らにいまだエルフナインちゃんがいることに気づく。

彼女は憂いを帯びた眼差しをステージへと向けていた。

 

「…男…ヒトた…は、み…あ…う女性の…あこが…しょうか…」

 

BGMに周囲の盛り上がりもあって聞き取れない。

なので顔を近づけて尋ねる。

 

「どうしました!?」

 

大声でそういうと、びっくりしたような顔になるエルフナインちゃん。

それから例によってワタワタと左右にちっこい手を振って、オレがステージに視線を戻そうとすると、縋るような眼差しを向けてくる。

どうやら、まだ何かいいたいことがあるようだ。

そう察し、腰を折って彼女へ向けて文字通り耳を傾ける。

エルフナインちゃんが何かをいっている。

けれど、周囲がうるさすぎてやっぱり聞こえない。

なんなら外へ連れていって聞けば簡単な話なのだが、さっき東堂に揶揄されたばかりなのに二人きりで会場から消えたりすれば、今度は何をいわれるものやら。

一生懸命声を張り上げて何事かを訴えてくるエルフナインちゃん。

オレも必死で耳をそばだてるが、やはりほとんど聞き取れない。

見れば、エルフナインちゃんはぜーぜーと肩で息をしている。

それから深呼吸して呼吸を整え、大きく息を吸い込んだ。

溜めに溜めた呼気で彼女が大声を張り上げたのと、周囲に満ちていたBGMと喧騒がぴたっと停まったのは全く同時。

 

「ですからッ! 今度の日曜日に一緒にお出かけしてもらえませんかッ!」

 

シーンと静まり返った会場に響く、やや舌ったらずの声。

 

直後、

 

『―――イグニッション』

 

マリアさんと翼さんのハモった決め台詞に、盛大なBGMが再開する。

さすがにエルフナインちゃんの声は会場じゅうに響き渡りはしなかっただろう。

しかし、少なくともオレの周辺には確実に響いた。

顔をこれ以上にないくらい真っ赤に染め、はわわわとばかりに口を開いて涙目になっているエルフナインちゃん。

周囲の同僚たちの視線に、オレはいったいどんな顔をすれば良かったのだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 



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4話

普通、女性の上司に休日の外出に誘われたらどう思う?

ひょっとして遠回しなモーションをかけられてるのかと勘繰るだろう。もっと進めて一夜のロマンスだって期待しちゃうかも知れない。

 

しかし、生憎、オレの女性上司は普通じゃなかった。まあ、あんなちみっこな時点で、甘く危険な大人の駆け引きの匂いなんざ感じるわけもない。

それでも一応、いつものスーツ姿の制服ではなくカジュアルなデート向けの服装をしていたオレの前に、エルフナインちゃんは現れた。

 

「お、おまたせしました」

 

歩きやすそうなスニーカーは、まあいいだろう。

しかし、いつも通りのオーバーオールにジャンパーを着て背中にはナップザック。

とどめとばかりに肩から赤い水筒を吊るしている時点でオレは悟った。

 

あ、これは遠足だわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ど、動物園に行ってみたいんですッ!」

 

エルフナインちゃんのリクエストに応じ、電車で上野駅まで移動する。

なんでも今日は、動物園のあとは神田の古書店にも行きたいとのこと。

ますます遠足じみてきて、多少格好をつけてきた自分が恥ずかしい。

それでも彼女は間違いなく護衛対象だ。

休日で結構混みあう電車内に座れる席はない。仕方なくエルフナインちゃんを壁側に立たせ、その前に立ち塞がるようにガードする。

本音を言えば、電車なんぞ使わず本部の車でも使って欲しいところだ。

まあ、今は彼女のプライベートだから、そこいらの意志は尊重せねばなるまいて。

オレはつり革に捕まりながら、さりげなく周囲へと視線を飛ばす。

スーツ姿の見知った顔がちらほらと。オレ以外の護衛人員も、もちろん配置されている。

 

上野駅で降り、上野公園前から外へ出た。

美術館と文化会館を横目に、正門から入るルートを選択。

料金所で、エルフナインちゃんが一般料金で入ろうとしたところを、無料ですよと返金される一幕があったが割愛。

本人は『日本の施設は素晴らしいですね!』と感激していたが、中学生はおろか小学生に見られたであろうことは伝えないでおこう。

遊園地内も、やはり結構混んでいた。

さっそく名物のジャイアントパンダを見に行けば、すごい人だかり。

客寄せパンダとは良くいったもんだな、と感心するオレの横で、ぴょんぴょんとエルフナインちゃんはジャンプを繰り返している。

どうやら人を掻き分けて前へ行くという発想がないらしい。

 

「南雲さん、どうしましょうッ! ぜんぜんパンダが見えませんッ!」

 

なんかもう涙目だ。

 

「既に映像や図鑑でご覧になっているのでは?」

 

そうオレが返したのは、錬金術師に限らず研究者とかは、とかく資料や机上での知識を重視するのではないかという偏見からだ。

 

「キャロルのパパからの遺言なんです。世界を識れって」

 

「え?」

 

「なので、ボクも色々と実際に見てみようかと思って…」

 

思いの他、真摯な答えが返ってきて面食らう。

元はキャロル・マールス・ディーンハイムの予備体でホムンクルスであるエルフナインちゃんの出自は、トップシークレット中のトップシークレットだ。

しかし、錬金術の使用の対価に記憶を燃焼しつくしたキャロルの肉体に、ホムンクルスとしての寿命を迎えていたエルフナインちゃんの精神が融合したのが今の彼女ということは、もはや全職員が承知している。

なにせかのシェム・ハとの戦いで、多くの職員がダウルダブラの聖遺物を纏って戦うエルフナインちゃんを目撃していたからな。

あれは一時的にキャロルの精神が復活した結果だ、などと説明されるまでもない。

日本を―――この地球を護るために装者と一緒に戦ってる彼女は、関係者の誰もがエルフナインちゃん本人だと確信して疑っていなかった。

 

ともかく、今の彼女はキャロルの記憶も持ち合わせている。それだけわかっていれば十分だ。

 

「わかりました」

 

オレは苦笑して、彼女の両脇に両手を差し込む。

 

「きゃッ!?」

 

「失礼します」

 

そのまま一気に高くエルフナインちゃんを持ち上げた。

 

「な、南雲さん、恥ずかしいですよッ!」

 

じたばたと足を動かす彼女を、ひょいと肩車した。

ふわんと焼き立てのクッキーのような甘い匂いがする。

 

「これで良く見えるでしょう?」

 

恥ずかしがってもっと暴れるかな、と思ったけれど案外オレの肩の上で安定している。

もっともその表情を伺い知ることは出来ないが。

 

「…見えました! 本当に大きい…」

 

結構家族連れもいて、同じように肩車をしているお父さんたちも多い。

おかげでオレたちも目立つことはなかったが、そろそろ流石に後ろの観客には迷惑だろう。

 

「もうよろしいですか?」

 

「は、はい、大丈夫ですッ」

 

ゆっくりと後ずさり、人の輪を離れたところでエルフナインちゃんを肩から降ろす。

 

「ありがとうございましたッ」

 

ペコリと頭を下げられた。

 

「南雲さんのおかげで、キャロルの記憶が少しだけ見えました。…キャロルもパパに同じことをしてもらって喜んでいました」

 

そのままてへへと笑うエルフナインちゃんは可愛い。

 

「それは何よりでした」

 

オレは鷹揚に応じる。

 

「えーと、次は象さんを見たいんですけど…」

 

「象はあっちですね」

 

オレも上野動物園に来るのは久しぶりだが、配置はそう変わっていないはず。

護衛兼にわかガイドとして、オレはエルフナインちゃんをエスコートする。

 

 

 

 

 

 

 

猿山、ライオン、ゴリラを見たあたりでエルフナインちゃんはギブアップした。

どうにもあまりの観客の多さに人酔いしてしまったようだ。

普段はほとんど研究所に引きこもりのようだからな。さもありなん。

 

「また出直しましょう」

 

「…わかりました」

 

本人はまだ未練があるようだったが、素直に頷いてくれる。

 

「弁天門の方から入れば、まだ半分以上見る場所があるんですよ」

 

いっそそっちから出ようかとも思ったが、想像以上に人波が濃い。

来たときと同様、表門から帰ることにする。

上野駅から神田なら電車で一息の距離だが、駅も人でごった返している。

人酔いしたばかりのエルフナインちゃんには辛いだろう。

 

「…少し距離はありますけど、歩いて行きましょうか?」

 

「はいッ」

 

エルフナインちゃんが同意してくれたので、そのままぶらぶらと秋葉原方面へと足を向けた。

天気も良く、風もそこそこあって気持ち良い。絶好の散歩日和というやつか。

混みあうアメ横付近をさけ、エルフナインちゃんの歩幅に合わせて進む。

すると間もなく、

 

「あ、エルフナインちゃ~ん!!」

 

「響さんッ! 未来さんも!」

 

おしゃれな格好をした響ちゃんが手を振りながら駆け寄ってくる。

振ってない方の手は、当然のように小日向さんと繋がっていた。

こちらに来た響ちゃんは、マジマジとオレとエルフナインちゃんが並んでいるのを見比べて、

 

「もー、エルフナインちゃんも隅に置けないなー。こんなとこでデートしてるなんて!」

 

ま、そう見られるだろうな。あまりにも予想通りの反応に、オレは余裕を持って応じる。

 

「いえ、立花さん。自分はエルフナイン特別顧問分析官の護衛でして」

 

しかし響ちゃんはニタリとした眼差しで言ってくる。

 

「もう! 嘘ばっかり! そんなに仲良く手を繋いじゃってるくせに~!」

 

「へ?」

 

指摘されて初めてエルフナインちゃんと手を繋いでいることに気づいた。

…そんないつの間に? 全然つないだ覚えがないぞ?

慌てて義手である右手をほどく姿は、きっと恥ずかしがっている風に見えていただろう。

肝心のエルフナインちゃんも、顔を真っ赤にしてないで弁明してくれればいいのに。

 

「ごほん。自分たちのことはさておいて、立花さんたちはどうしてここに?」

 

「もちろん、わたしたちもデートだよ!」

 

うん、そりゃそうだろうね。分かりきったことに突っ込む気も起きないが、話題逸らしを継続する。

 

「ひょっとして上野動物園とか美術館とかに?」

 

ちょうど自分たちも動物園に行って来たのですよ、という感じに話題を膨らませようかと思ったが、響ちゃんの返答は予想の斜め上を行った。

 

「ううん、焼き肉食べ放題だよ!」

 

なんでも近所に新鮮な精肉を格安で提供する食べ放題の名店があるそうな。

次も近所のビルにあるスイーツバイキングに行くんだ~♪ という響ちゃんたちと別れ、オレたちは再度歩き出す。

 

「…なんでしたら、立花さんたちと一緒に行かれた方が良かったのでは?」

 

響ちゃんに誘われて、あっさりと断ったエルフナインちゃんだった。

 

「いいえ。さすがに響さんと一緒に食べ歩けるほどボクの胃袋は大きくないので…」

 

苦笑する彼女に、当然の反応だなと思う。オレだって聞いているだけで胸ヤケがしてきたくらいだもん。

黙々と歩いていると、間もなく秋葉原の派手な色彩の街並みが見えてくる。

学生のころは良く漫画やラノベを買いに来たもんだが、最近はとんとお見限りだ。

 

「ななな南雲さん! あれはなんですかッ!?」

 

エルフナインちゃんの指さすところには、チラシを配るメイド喫茶のメイドさん。

まだああいう子がいるのか。懐かしい。

適当に説明すると、エルフナインちゃんは深刻そうな顔で考え込んでいる。

 

「そもそもメイドとはイギリスの労働者階級の一種では…?」

 

「日本は往々にして海外の文化を自己流に解釈、改造してしまうのですよ」

 

「…なるほど! 文化の解体と再構築ということですねッ!」

 

よく分からんが納得してくれたようだ。

そんなエルフナインちゃんが次に興味を示したのは、ゲーセンの店先に設置されたクレーンゲーム。

 

「…気になりますか?」

 

「い、いえッ! 以前、響さんたちと一緒に遊んだことはありますけど、それほど…」

 

嘘だな。オレの方を向きながらも、ちらちらと視線が筐体に動いている。

筐体の中には、巨大なウサギのような生き物のぬいぐるみ。

ふむ、あれが欲しいのか?

 

「ちょっと待っていて下さい」

 

オレは素早く両替機で万札を両替。

 

「これがいいんですか?」

 

「えっ!? あッ、はい!」

 

返事をしてくるエルフナインちゃんに頷き、百円玉を投入。

ボタンを押せば、ピンポンピンポンと電子音を立ててクレーンが動く。

いまや誰もが知っていると思うけれど、クレーンゲームとかは確率機だ。

つまり、コイン投入時に当たりを引かなければ、クレーンのアームの力が弱いままで絶対に掴み上げることは出来ない。

当たりを引いたタイミングで、しっかりと掴まないと、目当ての商品を取ることは難しい。

なので長期戦を覚悟しての両替だったのだが。

 

「すごいです、南雲さん! 一発で取っちゃうなんて!」

 

…オレって運が良いんだよな? 微妙にショボイ運だけどさ。

しっかし、この余りまくった百円玉はどうすりゃいいんだよ。

でもまあ、エルフナインちゃんは大喜びで、おまけに軽く尊敬の眼差しで見られているのは悪くない。

 

「一生の宝物にしますッ!」

 

あんまりに大袈裟な物言いに苦笑していれば、もはや神田に達していた。

時刻もそろそろ昼時なので、古書店に行く前に昼食を摂ることを提案する。

承知してくれたエルフナインちゃんと以前に来たことのあるカレー店へ。

神田はとにかくカレー店が多くて美味い。エルフナインちゃんの口にも合うだろう。

穴場的な店なので、昼時なのに空いていた。

四人掛けのテーブル席に案内され、そこでエルフナインちゃんがナップザックを横に降ろす。

 

「あ、もしかしてお弁当でも持って来ています?」

 

迂闊にも、その可能性に店の中に入ってから気づく。

お弁当でも入ってなきゃ、なんでわざわざナップザックなんか持ってくるってんだ。

 

「いいえ?」

 

首を振るエルフナインちゃん。

 

「じゃあ、おやつとか?」

 

そう訊ねてもなおキョトンとしているエルフナインちゃんだったが、ようやくオレが言わんとすることを察してくれたようだ。

 

「あ、このナップザックの中身は、南雲さんの義手のメンテナンス道具ですよ」

 

「え?」

 

素直に驚く。

 

「今日は普段の南雲さんがどんな感じで義手を使っているのかも見たかったんです。研究所にいるだけでは見られませんから」

 

「なんと」

 

「普段使いしている分には全く問題ないみたいで安心しました」

 

そういって微笑むエルフナインちゃんにオレは大いに反省する。

まさかオレの義手のメンテナンスの一環だったとは。

遠足とか馬鹿にしてごめんよ、エルフナインちゃん。

 

「ちなみに、その水筒の中身はなんなんですか?」

 

「これはお砂糖入りの冷たい麦茶ですけど」

 

訂正。やっぱ遠足じゃねえか。

 

昼食は、エルフナインちゃんはチキンカレーでオレはビーフカレー。

仮初にも護衛任務と心得ているいので、量はエルフナインちゃんに合わせて腹六分程度にとどめている。

支払いはさっき両替した百円玉で済ませた。けどまだまだある。どうしよう、これ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カレー店を出て歩く。

 

「神田は日本でも有数の古書街と聞いてますから、楽しみですッ」

 

研究者ってのは本当に古書とか好きだなあ。

カレーを食べて元気いっぱいのエルフナインちゃんの後ろ姿を眺め―――オレは違和感に眉を顰めた。

瞬時に意識を警戒モードへ切り替え、大股でエルフナインちゃんを追い越し、彼女を背後に庇うようにして周囲を見回す。

神田もそれなりに人通りが多い。最近は、外国籍の方も多く、人種の色彩も豊かだ。

そんな行き交う人の中に感じた違和感の正体は―――あれか。

道路の真ん中に、一人の背の高い女が立っていた。

真っ黒いレザーのような上下。濃いアイシャドウと真紅の口紅が印象的だが、それ以外の真っ白い顔はまるで能面のようだ。これだけでも大概なのだが、なによりインパクトを与えてくるのは太腿付近まで伸びた真っ青なストレートヘア。

1000万都市の東京にはエキセントリックな風体をした人間も多い。

でも、こいつは違う。人間じゃあない。

あの女が立っている場所そのものが、まるで切り取られた別世界のように異質な空気を放つ。

その証拠に、他の通行人は、あんな風体の女が道路の真ん中に突っ立っているにも関わらず、まったく気にしている様子がないじゃないか。

数々の超常に触れた経験が募ると、やがて超常に関連するものが見えるようになるらしい。

―――あの女も、おそらくその類の可能性が高いな。

周囲に視線を飛ばす。

同僚の護衛たちが目線で頷いてくるのに頷き返す。

 

「…エルフナイン特別顧問分析官」

 

「はい、わかってます…」

 

どうやらエルフナインちゃんも気づいていたようだ。小声で返してくる彼女の肩を抱くようにして青髪の女とすれ違う。

でかい。178cmのオレより更に頭半分は大きいみたいだ。

これだけでも妖しく思えてくるが、超常の存在が必ずしもこちらへ害をなしてくるとは限らない。

地縛霊の如く、ただそこに留まるだけの例も知らないわけではなかった。

とりあえず何事もなくやり過ごそう。取りうる手段としてはそれが最良だ。

目を合わせないようにして、努めて平静に歩を進める。

よし、無事通り抜けられそうだ…。

そう思った瞬間、エルフナインちゃんの足が止まる。

オレたちの行く手を遮るように、大女が腰を曲げてこちらを覗き込んできた。

ざざざと長い髪が流れる。

大女は首をコキコキと傾げるようにしてエルフナインちゃんを見つめ、呟く。

 

「見ィツケタ」

 

オレはとっさにエルフナインちゃんの腕を引っ張って引き寄せた。

そのまま背中へ庇うようにしながら後退。距離を取る。

呼応するように横路地から飛び出してくる保安部の護衛たち。

それぞれが既に銃を構えていたので、行き交う人もびっくりして足を止めている。

しかし、たちまち剣呑な空気が周辺へと満ち、危険な気配を感じ取ったものから悲鳴を上げて遠ざかって行く。

オレも青髪の女に向けて銃を突きつけた。

 

「貴様、何者だ?」

 

答えはない。

それどころか、この女は、オレたちすら見ていなかった。

視線はじっとエルフナインちゃんには固定したまま。

毒々しいまでに赤い唇が半円を描く。笑っているのか?

開いた唇の隙間に見えるのは漆黒で、そこから出た声は鳥肌が立つほどおぞましい。

 

「見ィツケタァアアアアアアアアアア!」

 

まるで泥濘地を蛇が這うような生理的不快感を催す声。

コイツはヤバい!

オレがそう直感すると同時に、同僚の一人が既に躍りかかっている。

顔見知りの彼は大東流合気の達人だ。腕を取ってからの肩固めは、同レベルの達人でもなければ抵抗することも叶わない。

同僚は腕を取り、青髪の女は組み伏せようとして―――五メートルは先の土塀へと叩きつけられていた。

 

「動くなッ!」

 

叫びつつ、銃の狙点を定めようとしたもう一人の同僚も、すぐその場に昏倒する。

凄まじい速さとリーチで拳を顎先に見舞われたのが辛うじて見えた。

見えたと意識するのとほぼ同時にオレは発砲している。

わざと派手な発砲音が出るようにした銃は、周囲の一般人への注意喚起の意味がある。

左手で撃つように矯正していたはずが、つい右手で撃ってしまう。しかし義手は上手く動いてくれたようで、容赦なく五発とも顔面へと叩きこんでくれた。

衝撃に女の首は後方へガクリと仰け反る。

これが効いてくれれば―――。

 

大女が発条仕掛けのような動きで顔を起こした。首と肩をボキボキっと一つ巡らして、赤い唇を開く。

そこから弾頭がボロボロと落ちた。五発分。

 

甘すぎる期待は瞬時に打ち砕かれた。

こいつは間違いなく超常の存在だ。

そしてその目的は。

 

「見ィツケタァ! ()()()()()()()()()()!」

 

エルフナインちゃんに向けて突進してくる大女。

その目前に立ち塞がるオレ。

腰を落とし、震脚の威力を転化した肘を突き込む渾身のカウンターが決まった。

モロに胸骨へぶち込んだ一撃は、大の男でも悶絶するか吹き飛ぶ程度の威力がある。

しかし、女は小うるさそうに身じろぎをして、ちらりとオレを見た。

次の瞬間。

 

「がっ!?」

 

世界が二転、三転した。

全身に衝撃。

脳も派手に振り回されたらしい。一瞬意識が飛ぶ。

 

「南雲さんッ!?」

 

エルフナインちゃんの声を遠くに聞き、どうにか意識を繋ぎとめた。同時にあれだけ吹き飛ばされたのかと認識。

しかし内臓がもんどり打つ痛みに声も出せない。

動悸に合わせて波打つ視線を上げ、彼女の姿を見ようとする。

他にもいた同僚の護衛たちが青髪の女に跳びかかり、オレのように吹き飛ばされて行く姿が見えた。

護衛部隊はそれで全滅。

女は悠々とエルフナインちゃんを小脇に抱え込もうとする。

 

「や、止めてください! 離して…ッ!」

 

…やめろ!

そう声に出す代わりに、口から血が零れた。

 

「南雲さん! 南雲さん! 助けてッ…!!」

 

くそッ! くそくそくそッ!

目の前でエルフナインちゃんがさらわれようとしているのに、オレには何も出来ないのか?

やはり、オレは単なるモブAで、彼女を助けるような真似は端から出来ないというのか…!?

血と一緒に歯を喰いしばる。しかし、オレの視界は白く染まっていく。

ちくしょうッ。駄目だ。もう意識が―――。

 

 

 

 

 

―――それは、平穏な日常と唐突な超常の落差が見せた幻影か。

 

 

 

 

だだっぴろい無人の野を一人行く影がある。

果てすら見えない荒野に、他の生き物の影はない。びょうびょうと風が吹きすさむばかりだ。

 

それでもその人影は歩みを止めない。

荒野の果ては見えず、その先に希望があるのかすら定かではない。

 

それでも進める足に、力強さが加わった。

いつの間にか、風の中に口笛が混じる。

 

それはただの口笛ではない。

それは歌だった。

 

絶望を奏でる風に抗う歌。

見果てぬ征途の先へ希望を見出す歌。

 

 

すなわち。

 

荒野を切り拓く勇気の歌(ワイルドアームズ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――オレの視界は急速に輪郭を取り戻す。

同時に、萎えたと思った勇気が奮いたった。

よし、右手は動く。

むしろ右手である義手は勝手に動いていた。

スラックスのポケットに手を突っ込んで、残った百円玉をごっそりとつかみ出す。

 

「おい待て、そこの化け物野郎ッ!」

 

オレの声に、エルフナインちゃんを小脇に抱えて去ろうとしていた大女が振り向いた。

その振り向き頭に、顔面目がけて右手から百円玉の連射が炸裂。

義手が神速の親指で弾く百円玉の威力は凄まじく、大女はたたらを踏んで仰け反った。

その隙を逃さない。百円玉を撃ち尽くした右手に引っ張られるように、オレは猛然と前方へとダッシュ。

ヘッドスライディングするように大女の足もとへと達し、右手の義手でガッチリとその長靴を掴むことに成功。

大女は無表情で足もとのオレを見下ろしてくる。くそ、分かっちゃいたけど、それほどダメージを与えてはいないか。

なら打つ手なし、か? いや、まだある。

 

「この〝検閲削除表現〟野郎! さっさとエルフナインちゃんを返しやがれッ!」

 

オレの必殺の罵詈雑言口撃に、大女の能面のような眉がピクリと動く。

続いて唇が動いて何事かを喋ろうとする寸前、

 

「おまえは〝検閲削除表現〟だ! そんな小さい子をさらっていこうとする〝検閲削除表現〟で〝検閲削除表現〟の〝検閲削除表現〟だ! 〝超検閲削除表現〟の変態野郎がッ!」

 

大女は無表情のまま、掴まれていない方の片足を上げた。

無造作に顔面を踏みつけられ、痛みに目の奥から火花と涙が散る。しかしオレは内心でしてやったりと喝采を上げた。

相手を激昂させ粗野な暴力行為を選択させた時点で、オレの目論見は半分達成している。

オレにこんな化け物をどうこう出来ない以上、出来ることは時間稼ぎしかない。

既に他の保安部からシンフォギア装者たちに連絡が行っているはず。

それとさっきの発砲音を聞きつけた響ちゃんが駆けつけてくれれば…!

 

更に顔面を踏まれる。何かが砕ける音がしたが、構わず左手でも長靴を掴む。

もっと罵詈雑言を投げかけようとすれば、開いた口に踵がぶち込まれた。

痛い。死ぬほど痛いけれど、掴んだこの手は絶対に離してやるもんかッ!

血反吐を吐いて、それでも顔を上げれば、視界の半分は真っ赤に染まっている。

残った半分も涙で滲んで、そこには大女に小脇に抱えられながら何かを叫ぶエルフナインちゃんがいた。なんかボロボロと涙を零している。

―――泣かせちまうなんて、カッコ悪いな、オレ。

そう思って、安心させるように笑って見せたつもりだ。

直後、長靴の裏が視界いっぱいに広がる。

無理やり意識ごと何もかもが真っ黒に染められる寸前、澄んだ聖詠を聞いたような気がした。

 

 

 

 

「―――さん! 南雲さんッ!」

 

…あれ? どうしたんだ、エルフナインちゃん?

 

無事か? 無事みたいだな。

 

あ、響ちゃんがいる。間に合ってくれたのか。

 

なら、良かった。良かったよ。

 

でも、どうしたの、そんなに泣きじゃくって。

 

オレは、大丈夫だから―――。

 

 

しゃべろうとした途端ごぼっと血が込み上げて来て、咽る。

前後左右、あらゆる方向から凄まじい痛みが押し寄せてきて視界が渦を巻く。

 

ああ、これはマジでヤバいかもな…。

 

だけど、オレは今度こそ安心して意識を手放した。

 

 

 

 

 

 



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5話

 

気がついたら、本部の集中治療室だった。

顔面どころか全身が熱を持っていて、ひたすらぼんやりとしている。

点滴の管やらがたくさん繋がれるみたいだが、頭も上手く回らない。

まるで浪間の小舟のように意識が浮かんでは沈み、途切れ途切れに微睡み続ける。

 

結局、オレは丸三日ほど昏睡状態だったらしい。

意識がはっきりしてきてからは、全身が痛くて身じろぎも出来なかった。

特に顔面の痛みがひどく、包帯もぐるぐる巻きで、喋ろうとしただけで激痛が走る。

それでも、一週間ほどで普通の病室へ戻れて、かつ喋られるようになったのは、オレの回復力ではなくS.O.N.G.専属のスーパードクターたちの手柄だろう。

なにせ、絶唱を使って七孔噴血した装者を、翌日には歩き回れる程度まで回復させられるゴッドハンドたちだ。

もっともオレたちエージェントは本部で治療を受ける機会はあまりない。

命に貴賤はないんだろうけど、作戦行動の最中では、一般職員より装者たちの命が優先されるのは当然のことで、そこはオレたちも納得している。

 

…そもそも、ノイズや錬金術師たちを相手にしたエージェントは、即死するのが殆どだからなー。

まったくモブには厳しい世界だぜ。自分でいっておいて意味はよく分からないけど。

 

十分に発達した科学技術は魔法と見分けがつかなくなる。

アーサー・C・クラークの言葉だが、そういう意味においては現代医療はもはや魔法の領域にあるのかも知れない。

とまあ、そんな錬金術師も真っ青な治療を本部でオレが受けられた理由は、いま、目の前にいるわけでして。

 

「はい、南雲さん、どうぞ」

 

エルフナインちゃんがスプーンを差し出してくる。まだ固形物が摂れないオレ用のスープだ。

 

「ひへ、しょんな」

 

まだ上手くは喋れないので、なんか気の抜けた声が出た。

歯は大半がボキボキ折れて、顎も砕けて顔面のあちこちも骨折しまくっていたそうだ。

歯はインプラントとセラミックとかで補修。顎も顔面もばっちり整骨されて、動かすと痛みはあるけれど、こうやって食事が摂れる。普通なら挿管しての流動食だろうに。

凄すぎるぜ現代医療。

 

「南雲さんはまだご自分で食べれないでしょう? ほら、あーんして下さい」

 

「………」

 

「ボクでは、食べてもらえませんか…?」

 

たちまち涙目になるエルフナインちゃん。

別にエルフナインちゃんだから食べられないんじゃなくて、単に恥ずかしいだけなんですよ。

そう伝えるのも億劫で、オレは口を開けた。

程よく冷めたコンソメスープの旨味を感じる。

 

「痛ッ」

 

思わずそう声を漏らしてしまったのは、まだ口の中や舌の傷が治りきってないのだから仕方ない。

 

「す、すみません! 大丈夫ですか!?」

 

慌てるエルフナインちゃんに右手を振って見せる。

そこにあるのは、以前のものではない新しい義手だ。今のところ、これが唯一オレの身体で無事な部分かもな。

 

「大丈夫ですよ、エルフナイン特別顧問分析官」

 

ふぉごふぉごといった声でそういうと、なぜかエルフナインちゃんは表情を曇らせる。

 

「…『エルフナインちゃん』って」

 

「ふぁい?」

 

「ボクがさらわれそうになったとき、南雲さんはボクをそう呼んでくれましたよね?」

 

顔に血が昇る。

やっぱり聞かれていたか。

もっともオレが赤面した理由は、彼女をちゃん付けで呼んだことより、一緒にあの大女へ放ったFワードも聞かれたことに対するものだ。

少なくともレディに聞かせる言葉じゃないからな。

そんな赤面するオレがエルフナインちゃんの目にどう映ったのかは分からない。

しかし彼女も頬を赤らめて、意を決したように言ってくる。

 

「だから、ボクのことはエルフナインって呼んで下さいッ」

 

「ふぇ?」

 

どういう流れか理解できないままエルフナインちゃんと見つめ合っていると、急に病室のドアが開いた。

そちらを向けば、赤シャツの大男が立っている。

 

「…お邪魔だったかな?」

 

「ひへぇい(司令)!」

 

思わず背筋を伸ばそうとして痛みに悶絶するオレに、いいからそのまま、という風に風鳴弦十郎司令は分厚い手を振る。

続いて司令の背後から、ドヤドヤと人が入ってきた。

オレの直属の上司である緒川さん。

発令所付きのオペレーターの友里さんと藤尭さん。更に装者の皆さんまで入ってきたものだから、オレ包帯に覆われてない方の目を見開いてしまう。

ひょっとして見舞いだろうか?

だとしても、一介の調査員であるオレに対するものだとしたら、豪華を通り越して意味不明だ。

S.O.N.G.オールスターズを前に恐縮するより戦慄してしまうオレに、司令は言った。

 

「では、先日のエルフナインくん誘拐未遂事件に対してのミーティングを行うぞ」

 

はい? オレは耳を疑う。

 

「ひゃ、ひゃんでここで…?」

 

続いてモガモガというと、司令からジロリとみられた。

 

「南雲調査官も当事者の一人であるからな。それに…」

 

司令の視線はオレからエルフナインちゃんに移っている。

 

「エルフナインくんがどうしてもここでなければ嫌だと言っていてな」

 

「げ、弦十郎さんッ!」

 

顔を真っ赤にするエルフナインちゃんに、周囲の生暖かい視線が注がれている。

続いてその視線がオレの方へも向けられてきたのには困惑するしかない。

なに? なにがどうなっているの?

 

そんなオレに委細構わず、天井から大きなディスプレイが降りてきた。

同時に、床からはコンソールがせり出してくる。

まったく本部の病室の装備は至れり尽くせりだな。

 

感心するオレの目線の先のディスプレイには、過日の大女とオレの大立ち回りが映されていた。

容赦なく顔面を長靴の踵で踏みつけられ、血反吐に塗れぐったりしているオレ。

おそらくこの時点でオレは気絶していたのだろうが、それでも義手はがっちりと靴を掴んで離さない。

すると大女は掴まれている方の足を振り回して義手を外そうとする。

結果、気を失ったオレは襤褸切れのように振り回され、地面やブロック塀に盛大に打ち付けられていた。

我が事ながら相当エグイ映像である。自分で見ていてドン引きだ。

つーか、これで本当に良く生きてたね、オレ?

 

それでも離さない右手に業を煮やしたらしい大女は、レザーコートの中から剣を抜き放つ。

刃を突き立てオレの右手首を正確に切断したのは、何度見てもゾワっとする映像だ。腕の付け根とかから切られなくて本当に良かった。

その義手を忌々しげに踏みつけて破壊した女に、シンフォギアを纏った響ちゃんの一撃が炸裂。

大女は吹っ飛び、宙に放り出されたエルフナインちゃんは翼さんががっちりとキャッチ。

さすがに分が悪いと感じたのか、大女はアルカ・ノイズをばら撒いて、その隙に撤退した模様。

 

「…ボクをさらおうとして南雲さんを酷い目に合わせたあの人は錬金術師でしょう。そしてその正体は、ジル・ド・レで間違いないと思います」

 

コンソールを操りながらエルフナインちゃんが断言する。

なぜか響ちゃんがオレのベッドの横へ来て耳打ちするように言ってきた。

 

「なんかエルフナインちゃん怒っている? 怒ってない?」

 

いや、そんなこと言われても知りませんがな。

 

しかし、ジル・ド・レか。

元帥にして百年戦争の英雄。

もっとも、輝かしい戦果より、その後の凄惨な少年大量虐殺の方が今日(こんにち)では有名だろう。

ペローの童話に登場する青髭のモデルになった人物でもある。

 

「ジル・ド・レとは大物が出てきたな」

 

司令が唸る。

 

「ここにきてチフォージュ・シャトーとの符号は偶然か…?」

 

青髭公の居城の名前を冠するワールドデストラクターを、過日オレは調査している。

そこにきてその城主であるジル・ド・レの出現。

何やら因縁めいたものを感じずにはいられない。

 

「でも、本当にあの女はジル・ド・レなのかしら?」

 

エルフナインちゃんは断言していたが、マリアさんの疑問ももっともだ。

生物学的に完全な身体構造である「女性」に転じた錬金術師たちとオレらは戦ってきたわけだが、あの真っ青な髪を根拠に青髭=ジル・ド・レと断じるのは安直ではないか?

 

「ジル・ド・レと断定した根拠の一つは、彼を、彼女の傍にいた人物をボクたちは知っているからです」

 

「……!」

 

かつて敵対していたパヴァリア光明結社の三幹部。

サンジェルマン、カリオストロ、プレラーティ。

後者二人は元は男性で、かのプレラーティのフルネームは、フランソワ・プレラーティ。

ジル・ド・レに錬金術師として取り入り、虐殺や享楽を師事したとも伝えられている。

同時にジル・ド・レも錬金術師として知られていることに、プレラーティの影響は無視できるものではない。

 

「それに、あの人は、ボクのことを『ジャンヌ』と呼んでいました」

 

ジャンヌ・ダルク。救国の聖女(ラ・ピュセル)として知られる彼女はあまりにも有名だ。

ジル・ド・レは彼女の元で戦っている。

そして一説によれば、ジャンヌを喪失したことが、彼が凶行へ走る切っ掛けとも言われていた。

 

「まあ、どんな理由でジャンヌ・ダルクとエルフナインを同一視しているか知らねーけどよ」

 

クリスちゃんがそういって映像を指し示す。

街頭カメラの映像が、オレとあの女が対峙するところまで戻っていた。

一度は吹っ飛ばされて気絶寸前のオレが、持ち直して反撃に移る場面が映る。

 

「南雲サンが右手でコインを連射しているのって、あれはオートスコアラーの技じゃねえのか?」

 

うわ、とうとうオレ、クリスちゃんにまで名前を憶えてもらっちゃったよ。

その感激も去ることながら、彼女の疑問に関してはオレも全く同意見だった。

あの時の義手は、オレの意志によらず動いていた。

オレも指弾くらい体得しているが、あの時の連射は人間に可能な動きじゃない。

ならば、誰の力と誰の意志で動いていたのか?

 

「あの技はレイアです。きっと今でもボクのことを護って…」

 

「義手になりても主に対する忠義は変わらず、か。敵として不倶戴天だが、その心意気は天晴だな」

 

腕組みをして翼さんが頷く。

 

…あの、なんかしんみりとした流れになってますけど、オレの大怪我を助長したのは、あの義手が勝手に掴んだまま離さなかったからなんですけどね?

それ以前に、オートスコアラーの技術を用いた義手ってのは聞いてますが、オートスコアラーの魂が宿っているとか全然聞いてないんですけど!?

 

しかし、悲しきかな。

今のオレがしゃべってもフゴフゴの割合が高くて、いかに怒っているのか伝えられない。

 

仕方がないので新しい義手を眺める。あの時、エルフナインちゃんが用意してくれた四つの一つだ。

まさかと思うが、これにもその魂が宿っていて、勝手に動いちゃうの?

 

「ともあれ、新たな敵の目的がエルフナインくんにあるのは明白だな。その上で南雲が彼女の身柄の強奪を防いでくれたのは大戦果といって差し支えあるまい」

 

司令の称賛。

シンフォギア装者でないオレが、あの時あの場で一瞬でも錬金術師に対抗できたのは僥倖としか言えない。

おかげで身体はボロボロだったが、エルフナインちゃんが無事だ。

なら言われたとおり大金星だろう。

そりゃ全身がバキバキに痛いし、包帯の下の顔がどうなっているか分からないけど、こうやって普通に色々と考えられるくらい現代医療の粋で治療もしてもらったことだし。

 

「南雲さんの見事な防人ぶりには感服致しました。私も重々に見習わなければ」

 

おそらく、翼さんなりの最高の賛辞なんだろうな。

 

「うむ。よって今後も引き続き、南雲調査官にはエルフナインくんの専属で護衛に努めてもらおう」

 

…はい?

ってゆーか! 引き続きも何も、いつの間にオレはエルフナインちゃんの専属になったんですか!?

オレはそうモゴモゴと抗議したのだが、司令はすごい笑顔でオレの肩に優しく手を置いて、

 

「まあ今はその傷を癒せ。なあに、いくら敵が難物だとて、この本部へ直接カチコミをかけては来るまいよ」

 

カチコミ、とやたら俗っぽい台詞を口にした。

その後、かのジル・ド・レと思わしき錬金術師の発見に調査部が総出で当たっていることを確認し、ミーティングは解散となる。

ドヤドヤと皆が退出する中、当然のごとくエルフナインちゃんは病室へと残っている。

むしろ、オレが目を覚ましたときから、ずっと傍に居てくれる。

やはりオレの怪我に対して責任を感じているのだろうか。

さすがに全く責任を感じていないようだったらアレだけど、少しばかり甲斐甲斐しすぎるような。

オレがちょっとでも苦鳴を漏らせば「だ、大丈夫ですか?!」と顔を覗き込んでくる。

食事の世話や水分も希望通りに飲ませてくれるのは今更だが、それ以外ではベッドの横で本を開きながらじっとオレの様子を伺っている。

目が合えばにっこりと微笑んでくれる彼女に、こんな場所にいないで研究室へ戻られては? と提案したら、例によって涙目で言われた。

 

「ボクがここにいては迷惑ですか…?」

 

上司でもある彼女に、オレはそれ以上何も言えるわけもなく。

そんな彼女が席を外すのは、オレの生理現象の時くらいだ。

この最先端のベッドは変形して排泄ユニットが出現、ほぼオートメーションで片付けてくれるのでベッドから動けなくても清潔だ。

けれど、さすがのその場面には立ち合ってもらいたくないし、この時間を機に、彼女も花摘みや入浴に行っているらしい。

同僚たちが見舞いに来たのは、ちょうどエルフナインちゃんが離席したそんな時間だった。

 

「失礼します」

 

整然とやってきたのは北島、葛西、東堂の三人。

三人とも結構長い付き合いで、オレの無事を確認し、我が事のように喜んでくれるのは嬉しい。

 

「まるっきりミイラ男みたいだな、おまえ」

 

北島が言う。

 

「しかし、凄い病室だな…」

 

室内を見回して葛西が目を見張っている。

 

「ところで、おさげ髪の君は?」

 

東堂の言に、いま席を外している、とモガモガと返答すると、いきなり東堂は目から滝のように涙を流し始めた。

 

「南雲ぉ! おまえは良くやった! 良くやったぞ!」

 

いきなり褒められて、オレは面食らうしかない。

そのまま抱きつこうとしてくる勢いの東堂を葛西が背後から羽交い絞めにし、北島がその理由を説明してくれた。

 

「あんなボロボロになってまでエルフナインちゃんを護るなんて、オレたちじゃあとても真似できねえよ」

 

「…! まさか、あの映像を見たのか?」

 

「本部の連中で見てないやつはいないんじゃないか?」

 

マジかよ。

 

「俺も見ていて鳥肌が立ったからな。すげえよ、南雲は」

 

東堂をふんじばったまま、葛西も称賛してきた。

その東堂が興奮しまくっている理由もそれか?

オレがそう訊ねると、北島はうんざりしたような顔つきになる。

 

「東堂はエルフナインちゃんファンクラブの一桁ナンバーの所持者だからな」

 

「いや、そんなファンクラブうんぬんを差し置いてもだ! エルフナインちゃんを身を投げ出して救った南雲に、俺はいま猛烈に感動しているッ!」

 

ふー、ふー、となお激しく興奮に身を震わせながら、東堂が熱弁を展開。

 

「俺だってなあ、エルフナインちゃんのためだったら、命を張ったっていいと思ってたんだ! でもよ、南雲! どうやったって、おまえの真似はできねえ! あんな実際に死ぬような、それこそ命を投げ出すようなことは、どうやったって出来るもんか!」

 

「お、おう」

 

「あれはな、ただの献身じゃねえ! 彼女を本当に大切に思う、男の中の男にしか出来ない功績だ! もはや彼女に対する愛のなせる業だ!」

 

「なぜそこで愛!?」

 

思わずオレがモガモガとそう突っ込めば、葛西の戒めを脱した東堂の顔がすぐ目前にある。

 

「俺は、俺たちは、おまえのことをもう邪魔とは思わない。おまえが、いや、おまえこそが彼女に相応しいんだ!」

 

「お、おおう?」

 

「だから、おまえは彼女を護れ! 俺は、そんなおまえら二人を護ってやる! おまえらのことは誰にも文句はいわせねえッ!」

 

「………」

 

なにいってんの、こいつ? と目線で隣の北島へと訊いてみた。

すると北島と葛西は揃って肩を竦めて、

 

「まあ、エルフナインちゃんは南雲の嫁、ってことだな」

 

…はい?

 

そしてそのタイミングで戻ってくるエルフナインちゃん。

 

「みみみみみみみなさんお揃いでどうしたんですか!?」

 

…なんで顔は真っ赤でキョドリまくってんだろ?

 

すると、東堂は滂沱の涙を拭いもせず、エルフナインちゃんの両手を掴んでいる。

こら、ドサクサまぎれで触ってんじゃねえ! とオレは顔を顰めたが、東堂はあくまで真剣。

 

「エルフナインちゃん! 南雲のことをよろしくお願いしますッ!」

 

「は、はいッ! こちらこそッ!」

 

元気よく返事するエルフナインちゃんに、オレは思う。

 

なんだこれ?

 

 

 

 



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6話

 

「いいですか、包帯を外しますよ…」

 

ソロソロと医師が顔に巻かれた包帯を剥がしてくれた。

久々に左目に光をさして、おもわず目をつむる。

 

「南雲さん、少しずつ目を開けてみてください」

 

これはエルフナインちゃんの声。

指示に従い、おそるおそる左目を開けた。ぼんやりとしてはっきりとしない。

代わりに右目は、超至近距離のエルフナインちゃんを映す。

繰り返すがオレはロリコン趣味はない。

それでも、曲りなりにも美少女である彼女からこれほど間近で目を覗き込まれると、ドギマギせざるを得ない。

 

「…うん。とりあえず組織がもっと結合すれば、以前と同じように見えるようになりますよ!」

 

そう太鼓判を押してくれるエルフナインちゃん。

ジル・ド・レに小突きまわされたオレの顔面で、左眼球は組織の損傷が激しく、失明も免れない状態だったらいしい。

そこでエルフナインちゃんが錬金術で作成した生体パーツを提供してくれて、S.O.N.G.の誇るゴッドハンド医師団と奇跡のコラボレーション。

結果としてオレの左目は、時間を置けば元に戻るようだ。

 

「南雲さん、これを」

 

エルフナインちゃんが渡してくれたのは、普通の眼帯ではなく黒のアイパッチだった。

さっそく鏡へ向かってつけようと思えば―――鏡の中のオレの顔は、以前と同じままだ。

若干、左目の色が翳っている風に見えたが、ほとほと今の再生医療の凄さに感心するしかない。

アイパッチを装着してみる。

なんか厨二病も極まれりといった印象になったが、別にファッションでしているわけではないので、そこらの違和感は徐々に矯正して行くしかないか。

 

「うわあ、南雲さん、似合ってますよ!」

 

エルフナインちゃんの称賛は、お世辞でも嬉しいものだ。

礼を言いながら、これで見た目だけはモブキャラから卒業できたのかな、なんて思った。

 

 

 

約一か月で、オレはまたもや復職することが出来た。

同僚から、この回復力は尋常じゃないと評されたが、それはオレの責任ではなく医師の手柄だと思う。

それに関連して、S.O.N.G.内でまことしやかに囁かれている噂話も思い出したりした。

厳しい心身の審査の上で選別された職員たちだが、採用基準にとある特殊因子を持っていることが絶対条件だという。

その因子を持ち合わせるのは100人に1人程度の割合で、かつその因子が発動する確率は1/100。

あわせて1/10000の確率を突破して能力を開花させた人間は、腹に風穴を開けられても平気で動き回れる規格外の力を発揮することが出来るそうな。

まあ、そんなの既に人間じゃないし、はっきりいって眉唾もんだと思っている。

 

正式にエルフナインちゃんの専属護衛官の辞令を拝領したオレは、本部内に個室を与えられた。

これは防人にとってとても名誉であると同時に、ブラック業務への片道チケットと言われている。

そりゃあ基本24時間即時対応の職場だから、本部へ常駐させておけば何時でも使われるのは自明ってもんだ。

そこはさておいて、本部である次世代型潜水艦内の暮らしは悪くない。

あらゆる場所での活動基地拠点になることを想定し開発・設計された超巨大潜水艦は、小規模な街程度の装備と自己完結能力を有している。

売店も充実しているし、娯楽施設としてゲームセンターもあるくらいだ。

シャワーの水も使い放題どころか大浴場まである。

食堂の食事も美味いし、福利厚生で格安だ。

 

「南雲さん、美味しいですか?」

 

オレがモリモリと本日の唐揚げ定食を平らげていると、対面のエルフナインちゃんが尋ねてきた。

ちなみに彼女が食べているのはちっこいオムライスとミニハンバーグとエビフライのセットだ。決してお子様ランチもどきと言ってはいけない。

 

「おかげさまで。歯の違和感もありません」

 

「良かったです」

 

にっこりするエルフナインちゃんは嬉しそう。

実際のところ、自歯は半分以上壊滅して人工物で修復されたはずなのだが、本当に違和感がなくて助かる。

ちなみに新しい右手の義手も快調だ。いつ勝手に動き出すかと不安だけどさ。

そういえば、義手に関して訊いてみたかったことを思い出す。

 

「あの、エルフナイン特別顧問分析官?」

 

そう声をかけると、なぜかエルフナインちゃんはムスっとする。

 

「…どうしました?」

 

「エルフナインと呼んで下さい。そうお願いしたじゃないですか」

 

「でしたっけ?」

 

とぼけると、スプーン片手にぷいっとそっぽを向くエルフナインちゃんは可愛い。

 

「わかりました。では、エルフナインさん」

 

そう呼ぶと、若干釈然としない顔で、それでもエルフナインちゃんはこちらを向いてくれる。

 

「業務中はそれで勘弁してください。職務上の序列もありますし、なにより他の職員へ示しがつきませんので」

 

オレとしてはこれがギリギリの妥協点。

 

「…わかりました」

 

エルフナインちゃんも了承してくれたようでホッとする。

 

「では改めてお尋ねしたいのですが、この義手はオートスコアラーのものと同一なのですか?」

 

「そうであるとも言えますし、そうでないとも言えます」

 

エルフナインちゃんの返答は禅問答のよう。

 

「元々がチフォージュ・シャトーの廃棄躯体の中から程度の良いものを部位ごとに集めてきていました。いずれはボクなりに修復し、何かしらに役立てようと考えていたのですけれど…」

 

そこに、オレが右手を失うアクシデントが勃発。自分が庇われたのが原因と責任を感じたエルフナインちゃんが、急遽成人男性用にブラッシュアップしたのがこの義手だという。

あの廃棄躯体の中のものが材料になっているなら、なるほど、オートスコアラー連中の怨念みたいなものが宿っていてもおかしくはないか。

仮に、初めて義手を渡された直後にこの説明を聞かされていたら、オレは一顧だにせず投げ捨てたかも知れない。

しかし、今となっては内心は複雑である。

以前の一号義手が勝手に動いたせいで重傷に拍車がかかったのは間違いないが、その働きがなければエルフナインちゃんがさらわれていたのは事実だ。

また、この義手であるからこそ、オレも以前と変わらず仕事に邁進できているとも言えた。

なにより、日常生活レベルでこの義手がないと色々と困るレベル。外せば、また幻肢痛に襲われるかもという恐怖もある。

相棒と認めるのは抵抗はあるが、そこは上手く付き合っていくしかないか。

溜息混じりにそう思う。

以前に司令に喝破されたが、オレの中の蟠りは解消されたわけではなかった。

 

「さて、お昼休みも終わりです。そろそろ戻りましょうか」

 

エルフナインちゃんと連れだって食堂を出る。

基本的に彼女の一日は、発令所と研究室の往復だ。

そしてオレはいくら護衛官とはいえ、ずっとべったりとくっついているわけでもない。

彼女を発令所や研究室へ送り届け、安全が確認されている間に、デスクワークや身体の検診をこなす。

そしてプライベートの時間があれば、自己鍛錬の日々だ。

あの大女ジル・ド・レはまだ捕捉すらされていなかった。

司令の言った通り本部へカチコミをかけてくるとは思えなかったが、万が一接敵した場合、オレはエルフナインちゃんの盾にならなければならない。

そのための努力を仇おろそかにするわけにはいかなかった。

 

ところで、オレのアイパッチの評判は、自己評価に反して上々のようだ。

一つに、あのジル・ド・レとの大立ち回りの映像が出回っていたことが原因だろう。

右手が義手だけではパッと見のインパクトに欠けるが、そこにアイパッチという一発の見た目に秀でたものが加わったため、なにか凄みが増したとの評判。

司令からは、なかなかに歴戦の貫録が出てきているぞ、と褒められたほどだ。

何やら女性職員からも影でキャーキャー言われているらしい。

…これは今年のバレンタインは期待できるかも知れん。

ささやかな希望に胸を膨らませるオレだったが、良い評価に悪い評価は伴うのはいわば当然である。

オレに対する女性職員の評価が高まることへの妬み。

更に潜在的エルフナインちゃんファンの不満の表面化。

両者が掛け合わさった結果、まこと不本意な渾名が、本部内を深海魚のごとく回遊している。

曰く。

隻眼のロリコン。

略して隻ロリって語呂が悪すぎるだろーがよ。

他にもアマルガムギア・ソリッドとか意味不明なものまで言いたい放題である。

そんな揶揄にも負けず、オレが自販機コーナーで温かいものを買っていると、北島らがやってきた。

 

「よう! ザ・ボス!」

 

「…なんだ、その渾名は?」

 

「気にすんなよ。まあ、おまえもキャラが立ってきたってことさ」

 

北島に背中を叩かれる。

 

「まあ、そんなキャラ立ちは俺なら御免こうむるね。何が死亡フラグに繋がるか分かりゃしない」

 

葛西こそわけのわからないことを言わないで欲しいのだが。

 

「ところで我らがエルフナインちゃんと、おまえはどこまで進んだ?」

 

そう訊いてくる東堂には、たっぷりと軽蔑の眼差しを投げてやる。

 

「アホか。なんでオレが護衛対象ときゃっきゃウフフとせにゃならんのだ」

 

「なら良しッ! いかにおまえといえど、ちゃんと娶るまではふしだらな真似は厳に慎むように!」

 

「ますますアホか。何いってんのかさっぱりわかんねーよ」

 

「いや、もうなんていうかさ、最近はエルフナインちゃんのことを保護者の立場で見てしまうんだよなあ。クリスちゃんを見る司令もこんな感じなのかな?」

 

「知らねーよ」

 

オレが冷たくあしらう横で、北島と葛西が、拗らせやがって…と二人してそっと溜息をついている。

 

「オレが、どうしたって?」

 

野太い声に思わず顔を上げれば、赤シャツの怪物、風鳴弦十郎がいた。

 

「い、いえ、別に」

 

おいコラおまえら、オレを盾にするな。

そんなオレたちを司令はジロリと見回して、

 

「別に休憩するなとは言わん。しかし無駄口を叩く暇があるなら、いっちょオレが揉んでやろうか?」

 

「失礼します」

 

「辞退します」

 

「さよなら」

 

三人は蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

その後ろ姿を眺め、ふん! と司令は鼻を鳴らす。

 

「それじゃあ、オレもそろそろ…」

 

「いや、おまえに用があって来たのだ、南雲護衛官」

 

デスヨネー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

司令に連れて行かれたのは、発令所ではなかった。

作戦室の分室というか、そんな感じの部屋に、オレと司令の他の人影はない。

 

「まず、これに目を通してくれ」

 

テーブルの上に置かれた資料の束を手に取る。

欧州におけるパヴァリア光明結社の極秘内情のレポートだった。

ざっと目を通した内容を要約すれば、かのジル・ドレ・レは錬金術師としての素養は持ち合わせているものの、その狂気とも呼べる属性はコントロールが効かず、幹部たちによって霊的に封印されていたらしい。

パヴァリア光明結社の瓦解後、その封印は無効化されたわけだが、どういう理由かわからねどつい最近まで封印されたままだったようだ。

かのシェム・ハの現出やノーブルレッドたちと出現時期が被らなかったのは、オレたちにとってきっと幸運だったのだろう。

 

「そして、次はこれだ」

 

モニターに表示されたのは、日本の全体地図。

そこに幾つか光点が表示される。それはほぼ全国土と分布していた。

 

「司令、これは?」

 

「ここ一か月の、十代の少年の失踪記録だ」

 

「……まさかッ!?」

 

ジル・ド・レがいわゆる少年趣味の保持者であることはいうまでもない。

まさかこのグラフはやつの所業だと?

無言でオレが問いかけると、司令は深く頷く。

 

「やつの目的は分からん。しかし、目的が定かではないやつの対処がこんなに困難なものになるとはな…」

 

かつてS.O.N.G.と敵対していた錬金術師らの目的は明確だった。

少なくとも、その行動目的は推測出来た。

しかし、やつは、ジル・ド・レは違う。

こちらに対して明確な敵対行動を取らず、日本全国、神出鬼没に年端もいかぬ少年たちを攫う。

さしものS.O.N.G.もそこまで広域のカバーは出来ない。

 

「加えて、例の活動制限もあって、装者を調査員として派遣するのも難しいところだ」

 

珍しく司令が困惑気味に眉間に皺を寄せている。

かつては装者は自己判断でシンフォギアを纏うことが出来た。

それが承認制になったいま、調査している最中に不意打ちにでもあったら?

咄嗟にシンフォギアを纏うことは可能にしても、規則を破ったとペナルティを喰らうとしたらやってられない話だ。

 

「ここに来て手が足りん。かといって、装者たちに卒業を宣言させた手前、朝令暮改も甚だしくてなあ…」

 

「そんなこと言っている場合ですか! 緊急事態でしょう!?」

 

思わずオレはそう怒鳴っていた。直後、顔から血の気が引く。

 

「す、すみません。出過ぎた真似を…」

 

「いや」

 

司令はにっかりと笑って、

 

「響くんにも同じことを言われたよ」

 

「はあ…」

 

茫然とするオレは肩を叩かれる。

 

「オレに啖呵を切るなぞ、おまえも一人前になってきたな」

 

「司令…」

 

少なからずオレは感動していた。

雲の上と思っていた大人から褒められたのだ。

もっとも、感激に打ち震えていられるほど、オレもガキじゃあない。

 

「それで、オレにだけ声をかけた理由は那辺に?」

 

「うむ」

 

司令の表情は、まったく別人と思えるほど引き締まった。

 

「日本政府から、至急自体を収拾しろとの下知があった。かとって、現状の対処では埒があかん」

 

―――嫌な予感がした。右手が疼く。

 

「通達された以上、全力を尽くさねばならない。となればとれる手段は…」

 

「まさか、エルフナインちゃ…特別顧問分析官を囮に!?」

 

「本人にはまだ頼んでいないがな」

 

確かにジル・ド・レはエルフナインちゃんに執着していた。

囮としては十二分だろう。

だからといって、万が一本当にさらわれでもしたら…!!

 

「作戦に当たって、無論装者は待機させておく。しかし、すぐに承認が降りてシンフォギアを展開できるとは限らん」

 

司令がこちらを真っ直ぐに見つめてきた。

 

「となれば、それまでエルフナインくんを護る必要がある」

 

心臓が跳ねる。見える右目で司令を凝視する。

 

「オレは基本的に現場へと出られない身だ。緒川は緒川で実働隊を統括する立場にある」

 

次に司令が発した言葉は、オレの予想を寸分も裏切らないものだった。

 

「そこで、エルフナインくんの護衛部隊の統率を、南雲、おまえに任せたい」

 

 

 

 

 



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7話

司令からの提案に、エルフナインちゃんはさして考え込むでもなく答えた。

 

「わかりました。ボクでお役に立てるなら」

 

「い、いいんですか!? 囮なんですよ!?」

 

思わずオレは声を荒げている。

相手はあのジル・ド・レだ。

以前に相対したときは、その正体も知らず罵倒したが、実際に世界史に残るレベルの変態野郎だ。

先のレポートには、その凶行に及んだ経緯も推測されていたが、もしあれが正しければ。

そして万が一、エルフナインちゃんがアイツの手に落ちたら…!

 

「怖くないと言えばウソになります。けど」

 

エルフナインちゃんはオレを見てにっこりと笑う。

 

「南雲さんたちが護ってくれるんでしょう? 絶対大丈夫だとボクは信じてますからッ!」

 

「………」

 

司令が、決まりだな、と言うかのようにオレの肩をポンと叩いて退出していく。

エルフナインちゃんと彼女の研究室で二人きり。

何か言おうとして―――結局オレは何も言えないまま佇んでいた。

 

 

 

 

 

囮作戦の決行は三日後。

作戦の原案は司令らの手によるものだが、オレも具申を繰り返し、より具体性を帯びた内容にしていく。

護衛部隊を率いるオレとしては、作戦のキモは、いかに装者の参戦までにエルフナインちゃんを守り通すかに懸っている。もちろん犠牲は少ない方が良い。

それを踏まえ、さらに最悪の事態を想定して装備を申請すると、さすがの司令にも眉を顰められた。

万が一装者の参戦が阻まれる事態が勃発したとすれば?

オレとしても譲るわけにはいかず、最終的には司令も了解してくれた。

作戦の立案が出来たところで、今度は選抜した隊員たちにそれぞれの役割を割り振らねばならない。

それから可能な限りのシミュレーションを行いつつ、寝る間も惜しんで緒川さんに師事した。

いくら護衛部隊を率いるとはいえ、エルフナインちゃんを護るための矢面には、まずはオレが立たねばならない。

これは単なる責任感だけではなく、現状、装者を除いて超常に対抗できるのは、オレの義手くらいだからだ。

もっともオレもこのオートスコアラーの魂が宿っているらしい義手を使いこなす自信はないのだが。

 

「…やはりあなたは調査部の最前線で活躍できる人材ですね」

 

短くも濃密な訓練を終えたあと、緒川さんにそう評された。

御冗談を、と肩で息をしながらお世辞へ返答し、オレは本来のエルフナインちゃんの護衛業務もこなさねばならない。

まあ、こちらはこちらで相変わらず発令所と研究室の往復だけなんだけど。

 

「南雲さん、お疲れですか?」

 

「いえ」

 

無理に笑って見せながら、むしろオレはエルフナインちゃんの普段と変わりない様子に驚いている。

 

「…凄く落ち着いているのですね」

 

うっかりそんなことを口走ってしまった。

疲労で(たが)が外れていたと悔やんでも、遅い。

 

「落ち着いている風に見えますか? そうですか…」

 

ニッコリ笑うエルフナインちゃんの小さな手が伸びてくる。

重ねられてドキリとしていると、その手は震えていた。

握り返した方がいいのだろうか?

オレが迷っている間に、エルフナインちゃんは手を引いて、それを胸に掻き抱くようにしている。

 

「この身体は、キャロルのものなんです。大切な預かりもので、本来ボクがどうこうしていいものではないんです。けれど…」

 

「組織の一員として役に立ちたい、と?」

 

「それもあります。でも、錬金術師の悪行は、同じ錬金術師として止めなければならないとも思うんです」

 

「…立派な考えです」

 

短く、しかし心から称賛し、オレはトイレに行ってきますと離席する。

食堂のすぐ横にあるトイレの個室へ入り、思いきり嘔吐した。

えづき、涙目になりながら、必死で脈打つ心臓を宥める。

 

…オレに、護衛部隊を率いてまで、彼女を護ることが出来るのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

決行日の深夜。

場所は、郊外にある公園。

いくらでも周囲への被害を減らすために選ばれたロケーションだ。

 

夜の公園を、エルフナインちゃんとオレは二人きりで歩く。

植え込みが手入れされ、中央に噴水が上がっている。

その周辺に丸くベンチも設置されていて、日中であればさぞかし賑わってそうなお洒落具合だが、いまは人っ子一人いやしない。

それでも周囲には護衛部隊が隠密で展開済みだし、少し離れた拠点となるトレーラーでは、響ちゃんと翼さんが待機してくれている。

 

こんな見え見えの罠に、果たして敵はやってくるのか。

結論としてはYESだ。やつの並々ならぬエルフナインちゃんへの執着は、オレが一番良く知っている。

同時に、出来れば来て欲しくはなかった。彼女を危険に晒すのは、全くオレの本意ではない。

しかし、日本全国で行方不明になる少年たちの人数はあからさまに増加していた。これ以上の被害者が出ることは防がねばならない。日本政府の意向もあるが、特殊部隊S.O.N.G.としてもそれは看過できない事態であり、急務だ。

もちろんジル・ド・レの居場所の調査は続いていたが、以前として判然としない。真っ先に妖しいと思われたチフォージュ・シャトーが空振りに終わっている。

錬金術師たちが本気で身を隠した場合、そのアジトを突きとめることは困難極まりない。

先のパヴァリア光明結社の幹部連中を相手にして、オレたちS.O.N.G.調査部はそのことを痛感していた。

 

「うわあ、噴水のお水に外灯が反射してすごくキラキラしてますッ!」

 

緊張するオレに反し、エルフナインちゃんは上機嫌だった。

今日の格好はオーバーオールにジャンパーで、ジル・ド・レに襲われた時と同じもの。

そんな彼女をなぜにジャンヌ・ダルクと同一視したのかは今でこそ推測できる。囮としては申し分ないはずだ。

 

「こんな風に夜の公園を歩いているだけでもドキドキしますねッ」

 

その台詞に、オレは思わず苦笑してしまう。

まだ少年の頃、深夜に散歩した記憶を思い出して懐かしい。

確か母と一緒だと思うが、普段と違う街並みと、夜に出歩くというイケナイことをしている背徳感みたいなものに胸とときめかせていた。

きっとエルフナインちゃんもその時のオレと同じ気持ちなのではと思う。

同時に、やはり見た目通りの年齢の少女だとも思った。

錬金術や蓄えてきた知識は隔絶していても、少年少女の感性を刺激する経験は初めてなのだろう。

 

「夜の風は冷たいのにどこか甘くて、夜空がこんなに高く透き通って見えるなんて…」

 

「世界を識れ、でしたっけ?」

 

「え?」

 

「キャロルのパパの遺言って、多分、こういうことじゃないんでしょうか?」

 

本来なら、当たり前に誰もが感じられること。

しかし日々の生活や本人の目標、信念または怨恨などが、一種の視野狭窄を齎すのは人の常だ。

キャロルが父親とどういう別れをしたのか、せいぜい推測の域を出ない。

だが、きっと彼が最後に娘に贈った言葉の真意は、恩讐の我執に囚われず、当たり前に広い世界を見て感じて、そこで生きろ、ということではなかったのだろうか?

 

「………」

 

沈黙するエルフナインちゃん。

 

「す、すみません、差し出がましい意見を…」

 

「いえ。南雲さんはやっぱりすごいですね」

 

「え?」

 

エルフナインちゃんはベンチに腰かけて、笑って空を見上げた。

 

「お空の月と星がこんなに綺麗だなんて、初めて気づけたかも知れません」

 

その笑顔に、オレの中の希望と恐怖の均衡が揺れる。

彼女の笑顔を守りたいと思う。

同時に、本当に守ることが出来るのかという不安。

どうにか相対する感情を拮抗させ、平常心を取り戻そうとオレもベンチに腰を降ろす。

もはや辛うじて円形を保っている月を見上げ、ぼんやりと尋ねていた。

 

「想い出を燃やすって、どんな感じなんでしょう?」

 

かつてキャロルは己の中の想い出を燃焼、エネルギーに転化することにより、装者たちのフォニックゲインに対抗していたと聞いている。対価とした焼き尽くされた想い出は二度と戻ることはない。

もし自分の中の想い出が部分的にでもなくなったら?

そんな疑問に端を発した質問だった。

 

「想い出は過去の記憶と言い換えても差し支えないと思います。そういう意味での想い出の燃焼は、任意で可能な記憶喪失といえるかも知れません…」

 

エルフナインちゃんの返答に、過去の辛い記憶だけを選んで燃やせるなら、それはそれで悪くないと思った。

もっともそんな都合の良いことは出来ないだろうとも考えている。

燃やせる過去を選べるとして、虫食いでなくせば、本人の人格が破綻する可能性が高い。

どんな辛い過去であろうと、連綿とした記憶の積み重ねが今の自分を形作っているのだから。

 

「ボクの持つ過去の記憶は、キャロルの記憶を転写されたものです。なので、本来、ボクだけのもつ想い出なんてないんです」

 

そういって寂しそうにエルフナインちゃんは笑う。

 

「それは違います」

 

オレは首を振る。

 

「いま、キミが感じたことは全てキミだけの想い出だ。そうでしょう?」

 

時は過ぎる。それはあっという間にオレたちの傍らを通りすぎ、過去となってしまう。

今こうやって会話を交わしたことも、記憶となって積み重なって行く。

そして記憶は想い出となる。

そういう意味では、想い出を持たない人間など存在しやしないんだ。

エルフナインちゃんは少し驚いた顔をしたけれど、たちまち満面の笑みを浮かべて頷いてくれた。

 

「こうやって南雲さんとお話しているのは、ボクだけの想い出なんですよねッ」

 

「はい」

 

「…なんかデートしているみたいでドキドキします」

 

「はい!?」

 

不覚にも少し狼狽えてしまうオレの横で、エルフナインちゃんは急に身体を強張らせた。

 

「…南雲さんッ…!」

 

来たか。

噴水の向こう側から、コツコツと長靴の音。

膝までの青い髪をたなびかせ、まるで人形のような表情を浮かべる長身の女が現れた。

 

「待て! 止まれッ!」

 

ベンチから立ち上り、エルフナインちゃんを庇うようにオレは前に出る。

同時に、カナル型の通信機で周囲に指示を飛ばす。

案の定、ヤツはオレを見ていない。

また、ギギギと機械人形じみた動きで首を傾げ、エルフナインちゃんをじっと見る。

真っ白い顔に、赤い唇が不気味な半円を描く。

 

「見ィツケタアアア」

 

「この子はジャンヌ・ダルクじゃない!」

 

間髪入れずにオレは叫ぶ。

響ちゃんみたいに全ての敵と分かり合えるとは思っちゃいないが、いきなりぶっ放すにしてもそれ相応の手順を踏む必要がある。まったくお役所仕事ってヤツだ。

さすがにまだこの時点では、シンフォギア展開の承認も降りないか。

油断なく、それでいて背中には大量の冷や汗をかきながら、オレはジル・ド・レへ向けて気を放つ。

 

「おまえは、完全に包囲されている。大人しく投降しろッ」

 

敢えて右手の義手を前に突きだしながら告げた。

以前の遭遇で、ある程度の脅威になっていたら儲けものという気持ちと、いざとなればオートスコアラーの何かしらの能力が発動することを祈って。

ジル・ド・レの三白眼が、ちらりとオレを見た。

煩わしげな感情が一瞬動いたのを認めたのと、閃光が走ったのは同時だった。

いつの間にかジル・ド・レの右手に抜き放たれた長剣。

対して、オレの右手は切り飛ばされ、近くの噴水へとジャックポット。ぽちゃんと小さな水しぶきをあげた。

義手の無くなった右手首を見て、オレは目を見張る。

…駄目じゃん!

 

「フィエルボワの剣!?」

 

エルフナインちゃんの叫び声を背に、オレは伏せていた護衛部隊に一斉展開を指示。

次々に姿を現し、ほぼ全員が腰だめに構えているのは標準装備の拳銃ではない。

今日、この日のために、自衛隊経由で配備してもらった重火器の数々。

この時になってようやくジル・ド・レは罠に嵌められたと気づいたかどうかは分からない。

それでも剣を捨てない以上、敵対行動と判断したオレは、攻撃を指示する。

 

「てッ!」

 

ノイズとはまた違った方法で、錬金術師も物理防御を高めている。

ただそれは、位相差障壁というノイズの基本特性とはちがい、なんらかの術理を行使した結果だ。

生憎、その術を破るノウハウや使い手はS.O.N.G.のエージェントにはいない。

けれど、その術を飽和させるほどの物理攻撃であってもダメージは通るはず。

つまるところオレの選択した戦術は次の一言に尽きる。

『神秘が足りないなら火力で殴ればいい』

間断なく放たれる重機関銃の雨あられに、さしものジル・ド・レも剣を構えて防御に徹している。

着ている服らしき残骸が飛び散ってくる様を見ながら、オレはエルフナインちゃんを背中に庇いつつ後退。

いいぞ。このまま足止めをしつつダメージを与え続ければ…!

ジャキッ! というリロード音が、オレの鼓膜を震わせる。

その方向を見て、オレは叫ぶ。

一人の黒服が構えているのは、司令に眉を顰められてまで配備したとっておきのグレネードランチャー。

 

「バカ野郎! まだ早い!」

 

完全に足止めをしてからのトドメとなる最終手段だ。もとからその手筈を徹底しただろう!?

次の瞬間、オレは信じられないものを見たかのように隻眼を見開く。

しかし、それは間違いなく現実だ。

銃口はオレとエルフナインちゃんへと向けられていて、そこから飛び出した榴弾がこちらへ弧を描く。

 

「くッ!」

 

エルフナインちゃんを抱いてオレは全力で横っ飛び。

背中に爆風と衝撃を受け、彼女を抱いたままゴロゴロと転がる。

横たわった全身に、水が浸る。どうやらグレネードは噴水を破壊してしまったらしい。

 

「大丈夫ですか!?」

 

腕の中のエルフナインちゃんは身じろぎをしてくれた。

返事を待たず顔を上げれば、護衛部隊同士が揉めていた。

オレに向かってグレネードランチャーを放った隊員を組み伏せ、別の隊員が取り上げている。

怒声と混乱の中、間断なき銃撃戦術も途切れていた。

コツ、と長靴の音。

振り向けば、ズタボロになりながらも、ジル・ド・レがこちらを見下ろしている。真っ白い顔に赤い唇を歪めて。

剣が振りかぶられる。

この間合いでは逃げ切れないッ!

しかし、ジル・ド・レは動かない。

 

「!?」

 

見れば、やつの足もとに氷が絡みついていた。

さきほど溢れた噴水の水が凍っている? …まさか、これがオートスコアラーの力か!?

驚いて感心している暇はなかった。

完全にヤツを足止めした今こそが千載一隅のチャンス!

 

「やれッ!」

 

エルフナインちゃんを小脇に抱えて走りながら命令を下す。

グレネードランチャーを奪った職員が、命令に応じて必殺の弾頭を投擲。

ひゅるるという音が夜風を切り裂く。

直撃。凄まじい爆発音。

爆風が噴きつけ、立ち昇る煙が散ったあとにあるものは。

凍った長靴の部分を除いて、ジル・ド・レの身体は綺麗さっぱり吹き飛んでいた。

深夜の公園には、壊れた噴水から水が溢れ続ける音だけが静かに響いている。

エルフナインちゃんをその場に置き、ゆっくりと足だけになったジル・ド・レへと近づく。

…やりすぎたかな? と思わなくもない。

しかし、誰も犠牲が出てないなら万々歳ではないか。

そんな風に思いながら、オレはマジマジとジル・ド・レの足の部分を覗き込み―――。

 

「全員、警戒態勢を解くなッ!」

 

全身全霊で怒鳴る。

吹き飛んだジル・ド・レの膝部分。

そこに見えるは人間の体組織じゃあない。

これは球体関節―――!

 

「南雲さんッ!」

 

エルフナインちゃんの悲鳴。

同時に、腹部に熱さが弾ける。

 

…あれ? どうしてオレの腹から剣が生えているんだ?

 

 

 

 

 

 



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8話

やつはオレの背後の影から、まるで魔物のように現れた。

直後、背中からオレの脾腹を剣で貫く。

もっともこれは後になって見た録画映像をモニターで確認して理解したことであって、その時のオレは脇腹への不意打ちに悶絶していた。

剣を抜きとったジル・ド・レは、倒れ伏すオレに一瞥もくれずエルフナインちゃんの方を向く。

 

「南雲さんッ!」

 

来るなッ! と怒鳴った口から血が溢れる。

敢え無くエルフナインちゃんはジル・ド・レの小脇に抱えられていた。

油断した。全身から血の気が引いていくのがわかる。

まさか自分のダミーの人形を使役していたとは。

人形であればあんな機械じみた動きも当然か。クソッ、そこから気づいて然るべきだろうに…!

 

「ま、まて…!」

 

地面に這いつくばりながら手を伸ばす。

駄目だ、力が入らない。身体がいうことを聞いてくれない。

エルフナインちゃんを抱えられては、重火器を持った職員たちも迂闊に動けず遠巻きにするだけだ。

悠々とジル・ド・レが身を翻そうとした刹那。

聖詠が宙を舞う。

 

「…エルフナインちゃんをかえせぇえええええッッ!」

 

シンフォギアを纏った響ちゃんが一撃を打ち下ろす。

かわしたジル・ド・レの立っていた場所は大きく陥没。

跳び退ったジル・ド・レはそのまま大きく跳躍を繰り返し、公園の外へ。

 

「くッ! 追います!」

 

遅れてやって翼さんは、そう言い残して即座に跳躍。

オレにチラリと心配そうな視線を送ってきた響ちゃんに頷き返すと、翼さんの後を追うように跳んでいく。

 

 

 

 

 

同僚たちに傷口への応急処置をしてもらっている間に、本部からのヘリが到着。

担ぎ込まれると、そこには司令と緒川さんも乗っていた。

大丈夫か? と傷の心配もそこそこに、司令に頭を下げられる。

 

「すまない。思いのほか根深く連中はS.O.N.G.内にも食い込んでいたようだ。これは完全にオレの不手際だ」

 

司令の謝罪は、作戦最中にオレとエルフナインちゃんを狙撃してきた職員を指していることは分かる。

 

「シンフォギアの承認申請にあたって、政府通達に関する妨害をしていたやつも拘束した。おまえの作戦に落ち度はなかったのに、重ねて申し訳なく思う」

 

響ちゃんと翼さんの参戦が遅かった理由はそれか。

 

「…連中とは?」

 

苦痛に呻きつつ、オレは尋ねる。

司令は緒川さんとチラリと目線を交わし合ってから答える。

 

「風鳴機関の残党だ」

 

戦前より日本に存在する特殊護国組織・風鳴機関。

それが特異災害対策機動部の前身であり、引いてはS.O.N.G.の母体になったことは説明するまでもない。

しかしいま司令が口にしている風鳴機関は、それとは異なる。

今現在の風鳴機関とは、鎌倉の怪物風鳴赴堂の小飼の精兵たち、もしくはそのシンパを意味している。

神州日本の護国という大義を掲げ、その堅守のためにはあらゆる犠牲を惜しまない。

その狂気の沙汰は、過日のシェム・ハを降臨させた遠因となったことからも明らかだろう。

チフォージュ・シャトーをノーブルレッドの隠れ家に改装、提供していたのもその風鳴機関だ。

もはや個人部隊、いやさカルト集団と化した機関の秘匿性は高く、S.O.N.G.としてもその全容を把握しきれていない。

同時に、そこまで捜査が阻害される原因を辿れば、S.O.N.G.内部にも風鳴機関の手が及んでいると誰もが考えつくところだ。

 

「オレと緒川で炙り出しを図ってはいたのだが…」

 

司令が無念そうに歯噛みする。同じ風鳴の姓を冠し、その血統を引いているのにリベラルな思想を持つこの人をトップに戴けたのは、S.O.N.G.にとって最大の幸運だと思う。

首魁である風鳴赴堂は捕縛され、その風鳴機関の関係者たちも、その大半が生前の風鳴八紘氏の手配通りに拘束された。

しかし、全ての構成員、とくに末端の人員全ての身柄を押さえるのは不可能だった。

関係各省庁、またはS.O.N.G.内に潜入している構成員たちは、今も素知らぬ顔で精勤している者も多いと思われる。

問題は、そんな構成員の中にも派閥が存在することだ。

風鳴赴堂を始め主だった幹部も捕縛された今、風鳴機関という組織そのものが命脈を断たれたといって良い。

もはや新たな命令が下されることはない。そう解釈し機関の人間としての活動に終止符を打ち、努めて無害に今いる環境へ同化しようとする者を穏健派としよう。

対して過激派とでも称される一派は、風鳴赴堂の思想に激しく共感、感化されたいわば原理主義者たち。

連中は、たった一人でも風鳴赴堂の教義を体現するべく、虎視眈々とその機会を伺うテロリストのようなものだ。

 

よく夷狄という言葉を口にしていた風鳴赴堂は、国粋主義の極みとでもいうべき主張を掲げていた。

古来より日本に在ある技術と伝統で外敵を退けるべし。その者こそが真の愛国者なり。

毛唐の力を用いるを良しとせぬと放言していたことも有名で、そこには錬金術も含まれている。

外来の異能を振う輩はすべからく誅殺せよ。

よって、錬金術師でもあるエルフナインちゃんも、排除対象としてリストに挙げられていた。

事実、先の戦いでキャロルの記憶が覚醒してくれなかったら、エルフナインちゃんはノーブルレッドたちに殺されていただろう。

 

…なんでオレがこんなことまで知っているかって?

それは―――。

 

「そして南雲。おまえも風鳴機関の息がかかった人間なんだろう?」

 

オレは眉を顰める。痛みのせいと誤魔化したつもりだが、司令の透徹の眼差しからは逃れられないと観念した。

 

「…いつからお気づきでしたか?」

 

司令は静かに首を振る。

 

「正直に言えば、今おまえが認めるまでは半信半疑だった」

 

ここでカマをかけられていたとは。つくづくオレはこの人には敵わない。

 

「おまえが調査部に異動されるにあたり、上から少々不自然とも思える働きかけがあったからな」

 

「そこで既に目を付けられていましたか」

 

「そのくせ、特段、身体能力にも特徴が認められない。射撃や体術といった評価項目も、こういってはなんだが平凡なやつだと思っていた。ところが、だ」

 

そこで司令は緒川さんを見た。緒川さんは微笑している。

 

「おまえは、どんな絶望的な任務下においても生還する男だった。ただ運が良かっただけでは済まされる話ではあるまい?」

 

「いえ、買い被り過ぎです。本当に運が良かっただけですよ」

 

実際には同僚に守られた。

もちろんオレも仲間たちを守る努力はしたが、及ばず死なせてしまったことが多々ある。

同じく風鳴機関の工作員で調査部に所属していた相棒も、オートスコアラーの襲撃で死んでしまった。

 

「あなたの風鳴機関の工作員としての役割はなんですか?」

 

緒川さんが尋ねてきた。まったく威圧を感じさせないこの人の話術は素晴らしいと思う。

 

「オレは下っ端の下っ端でしたからね。出来る範囲での諜報活動。それくらいです」

 

正体が露見した際の破壊工作も命じられていたが、今となってはこれを言う必要はないだろう。

 

「いつから風鳴機関と関係を?」

 

「高校に上がる前くらいにスカウトが来ましたよ」

 

司令の質問にそう答えると、驚かれた。

 

「まさか連中は、そんな子供のうちから機関員の養成を…?」

 

「いえいえ、オレは特殊な例だったと思いますよ?」

 

オレの父親は、オレが物心つかないうちに死んだそうだ。

それからは母が女手一つでオレを育ててくれたが、特に貧乏とか不自由を感じたことはない。

そんな母は、オレが中学三年生の時に大病を患った。ガンだった。

頼るべき親戚もおらず、困り果てているオレたちを訪ねてきたのは父の友人を名乗る男。

彼はオレに言った。

とある私立学園に入ることで、母の病気にかかる費用の一切の面倒を見よう、と。

否応もなくオレが入ることを決意した学園は、風鳴機関の息がかかった施設でもあった。

そこで様々なカリキュラムを施され、大学へも進学。そこも卒業し、オレは特異災害対策機動部へと配属された。

 

まあ、そこの私立学園たって、別に教室に風鳴赴堂の写真が額縁付きで飾られていたわけじゃあない。

ヘンな思想教育も受けなかったし、今思えば、あの父の友人を名乗った男は、多少の善意も込めてオレに進学先を示してくれたのでないか。

そしておそらくオレの父は風鳴機関の関係者で―――実はあの友人を名乗った男が本当のオレの父親、ってのはさすがに穿ちすぎか。

 

「今は御母堂は?」

 

「オレが特異災害対策機動部へ配属されて間もなく。おかげ様で苦しまずに逝けたそうです」

 

今さらだがお悔みを申し上げておく、と瞑目する司令。

 

「まあ、そんなこんなでおまえも疑わしく思っていたのだが、エルフナインくんを助けたことで分からなくなったのが本音でな…」

 

チフォージュ・シャトーの崩落に関しては、極秘扱いになっているがあからさまな工作跡が見られたと聞いている。

やはりあれはただの事故ではなく、エルフナインちゃんの殺害を目論んだ過激派の仕業か。

そして司令は、エルフナインちゃんを害する側にいると思われたオレが身を呈して二度も助けたものだから、さぞかし混乱したことだろう。

 

「オレは穏健派ですからね。いまのご時世で国粋主義なんて矛盾している。その挙句に何も知らない女の子を見殺しになんてしたくないです」

 

しかし、結果としてオレは右手を失ってしまった。

過激派の行動を妨害したことで粛清されるかも知れない。

右手をなくした状態で、どうやって抗えるものか?

あの時、オレが悶絶してやつれ果てていたのは、右手の喪失感に由来するだけのものではなかった。

 

「なるほどな。よく分かった。…エルフナインくんのことはオレたちに任せて、おまえは本部で休め」

 

「いいえ」

 

オレは静かに首を振る。

 

「オレもこれからヤツを追います」

 

ヘリの隅のモニターを見る。

そこには、ジル・ド・レに背後から剣で突き刺されるオレが映っている。

続いてエルフナインちゃんを抱えて逃げるヤツを、響ちゃんと翼さんが追いかける映像に切り替わった。

そこに他の装者たちも合流している。

追いかけ、目指す先は、やはりチフォージュ・シャトーか。

 

「馬鹿をいうな! おまえは紛れもなく重傷なんだぞ!?」

 

「そんなの分かっていますよ。でも、行かなければならないんです」

 

司令と緒川さんを通り越し、壁際を見た。

オレの視線に気づき、その先にあるものを見た司令と緒川さんは、揃ってハッとした表情になる。

壁付の棚の上。そこには静かに二つの義手が鎮座していた。

 

「持ち込んだ覚えはないぞ…!?」

 

司令に目線を向けられて、緒川さんは首を振る。

焼け火箸でこねくり回されているような痛みと熱を持つ脇腹を庇いながら、オレは壁際まで歩いた。

脂汗がじっとりと髪に重い。

でも動ける。戦える。

震える左手で、片方の義手を右手首に据えた。吸い付くように接着し、手の感覚が戻ってくる。

 

「生憎、あのジル・ド・レの野郎と因縁が生じてしまったみたいでしてね…」

 

もう片方の義手をポケットに押し込みながらオレは唇を釣り上げる。

オートスコアラーの魂が宿っているらしいこの義手。

残された二つの義手は荒ぶっていた。

護るべきマスターを攫われたのだから当然だろう。

 

「響くんたちが向かっているのだ。おまえの出る幕はあるまい」

 

「いいえ」

 

オレは首を振る。

 

「きっと、エルフナインちゃんを助けることはオレにしか出来ない。オレじゃなきゃ無理なんです」

 

そうは言ったものの根拠はない。あるのは義手に導かれた直感だけだ。

 

「…なぜにおまえはエルフナインくんを助けようとする? 償いのつもりか?」

 

司令の問いにオレは苦笑してしまう。

エルフナインちゃんを助けるために、既に二回、いや現在も含めれば三回も死にかけている。

護衛官として当然ですと言えれば格好いいが、それが例え組織に対する背反行為の償いだったとしても御釣りをもらいたいくらいだ。

オレの苦笑を否定と解釈したのか。司令は質問の角度を変えてくる。

 

「ならば、彼女に対する情がなさせることか?」

 

オレの苦笑はより大きくなった。

どうして誰も彼も男女が二人並べば恋愛感情が生じると考えるのか。

よしんば、エルフナインちゃんがオレに好意を寄せてくれていたとしても、オレにロリコン趣味はない。

オレの好みはもっとぼんきゅっぼんッ! なグラマラスボディの子だ。あんな体型の子に情動を催したら、それこそジル・ド・レも真っ青の鬼畜だろう。

まあ、オレの趣味嗜好はともかくとして。

 

「…司令。あの子はね、夜空に浮かぶ月と星があんなに綺麗だなんて知らなかったそうですよ」

 

オレがエルフナインちゃんを助けに行く理由なんて単純なものだ。それは―――。

 

「そんな何も知らなかった純真な子が、理不尽に殺されようとしているんです。護ってやらにゃあ、大人として格好悪すぎですよ」

 

司令は目を見張った。

それから何か納得したように一つ大きく頷くと、ヘリのコックピットへ声を放つ。

 

「至急回頭し、装者たちの後を追え!」

 

「司令…」

 

「男が一度決意したことだ。どうせ止めても止められまい?」

 

司令はニヤリと笑うと、やおら真剣な表情になる。

 

「南雲護衛官ッ」

 

「はッ」

 

「装者たちと合流後、ただちにエルフナインくんの救助に尽力せよ! ただし…」

 

「はッ」

 

「絶対に死ぬな。必ず生きて帰ってこい。これは命令だ」

 

オレは震える左手で敬礼を返す。

 

「了解しました。死んでも生きて帰ってきます」

 

 

 

 

 

 

チフォージュ・シャトーへとヘリを飛ばす僅かな時間で、司令は傷口の上の包帯を巻き直しくれた。

その間に、オレは緒川さんに頼みごとをする。

ジル・ド・レの振っていた剣。エルフナインちゃんが『フィエルボワの剣』と叫んでいたあの剣の詳細を調べて貰う。

そうしておいてから少しでも体力を回復させようと身体を休め、同時に敵であるジル・ド・レが少年を大量に虐殺するに至ったであろう報告書の記載に思いを馳せる。

 

元々、ジル・ド・レは、神が下されたオルレアンの戦乙女を信奉していた。

その信奉が尊敬と崇拝のまま全うされることもあるが、こと男女間では恋愛に昇華することが多いのではないか。

ジル・ド・レも例にもれず、ジャンヌに懸想した。

しかし相手は神の娘。

男の手によって汚されれば、その神性を失う。

そして神性を失ったジャンヌは、もはやラ・ピュセルではない。ジャンヌ・ダルクではなくなる。

この矛盾を超克するために、ジル・ド・レが取った手段は、超常のもの。

錬金術の力を用い、自身を完全上位体の女性へと変性させると同時に、ジャンヌを男性へと変性させたのだ。

これは、もともと叛逆の乙女として捕縛されていたジャンヌを助けるための手段でもあったらしい。実際に火あぶりにされたのは、ジャンヌを模したホムンクルスだとか。

これで男性として助け出したジャンヌと、女性に転じたジル・ド・レが結ばれてめでたしめでたし、とはいかなかった。

己の性別を変えられたジャンヌは、それを受け入れられず自ら命を絶つ。

良かれと思って施した処置が、結果として最愛の人を殺したと悟ったジル・ド・レは、そこで本当に狂った。

それでも愛しい人と結ばれることを夢見て更に錬金術へとのめり込み―――輪廻転生という考えを何処で知ったかは定かではない。

狂気の発症から数年の時を置き、彼は領内からジャンヌの没年と同じ年に出生した男子を掻き集めた。

その中に、ジャンヌの魂を見出だそうとして叶わず、落胆しながら悉く虐殺した。

更に進行した狂気の牙は、ジャンヌの没年という基準すら超越し、領内の少年たちへと襲いかかった。

気づけば領内に少年たちの姿はなく、愛しい人を捜し求めただけの彼の想いは、前代未聞の少年大量虐殺として裁かれることになる。

 

そんなやつが、エルフナインちゃんにジャンヌ・ダルクを見出したのは、彼女の中性的な外見ももちろんだが、身に纏う錬金術の匂いがそう錯覚させたのだろう。

エルフナインちゃんを攫ったジル・ド・レが取るであろう行動はおそらく二つ。

一つは彼女が女性であることを悟り、そのまま殺す。

もう一つは、本当にジャンヌ・ダルクの再誕と信じ、彼女の性を転換させ交合ったのちに、殺す。

どちらにしろ、エルフナインちゃんの命は風前の灯か。

 

ヘリはチフォージュ・シャトーの上空へと達する。

眼下では、アルカ・ノイズと戦う装者たちの姿が見て取れた。

少し離れた城外へとヘリは着地。

降り立つオレや司令の前に、切歌ちゃんと調ちゃんがやってきた。

 

「チフォージュ・シャトーの隅から隅まで探したんデスけど、エルフナインが見つけられないんデスッ!」

 

「間違いなくここに逃げ込んだのに…!」

 

アルカ・ノイズを殲滅し終えたらしい他の装者たちもやってきた。

 

「月読の言うとおりです。確かにこの場へ彼奴を追い詰めたはずなのですが…」

 

と翼さん。

 

「まさか、別の場所へテレポートされたの…?」

 

マリアさんは周囲を見回し、クリスちゃんは道端の支柱を無言で殴りつけている。

 

「師匠…」

 

一番遅れてやってきた響ちゃんが司令を見上げる中、オレは地面へ視線を落として呟く。

 

「いや、ヤツはここにいます」

 

「え…?」

 

足もとに広がるのは、月光を浴びたチフォージュ・シャトーの巨大な威影。

影に潜る力を持つヤツだけのもう一つの居城。

影の城(オンブル・シャトー)―――。

 

 

 

 

 



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9話

「それじゃ、さっそく城に乗り込みましょうよ!」

 

意気込む響ちゃんに、オレは首を振る。

 

「残念だけど、ここに君たち装者は入れない」

 

「なんでですかッ!?」

 

血相を変える響ちゃんを、翼さんが立花落ち着けと肩を押さえている。

翼さんに目線で促され、オレは話を続けた。

 

「この城は、チフォージュ・シャトーの双影だ。中に入れるのは、光の下の城の玉座の主であったキャロルことエルフナインちゃんと、影城の玉座の主であるジル・ド・レ。それに―――」

 

「それに?」

 

「城主に仕える終末の四騎士だけだ」

 

義手を影の上にかざす。

義手が淡い光に包まれ、呼応するようにチフォージュ・シャトーの巨影の表面がさざめき、波紋のように広がっていく。

 

「門が開く…!?」

 

切歌ちゃんと調ちゃんが揃って口をあんぐりと開けた。

地面には、人が一人潜れそうな穴が生じていた。

やはり義手に宿るオートスコアラーの魂は、騎士として認められているのか。

 

「だからって南雲サン一人でどうにかできんのかッ!?」

 

「何とかエルフナインちゃんを連れて逃げ出してくるさ」

 

「で、でもよッ…!」

 

なお言い縋ってくるクリスちゃんを笑顔で無視し、オレは最後に司令を見た。

司令は一言。

 

「行って来いッ!」

 

頷いて、オレは影の門へと身を躍らせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

入った途端、上下感覚が逆転する。

思わずふら付いた足は、硬質の床を踏む。

衝撃に、傷の激痛が脳天まで駆け抜けたが、額の脂汗と一緒に拭い捨てた。

そこは、影の城の名の通り、薄闇に染まったホールだった。

調度や柱も存在しているが、陰影で辛うじて立体と認識できる程度に薄暗い。

そんな黒一色の視界に、金髪が鮮やかに映える。

 

「…南雲さん!」

 

ホールの奥で横座りしているエルフナインちゃんが、オレに気づいて声を上げた。

そちらへ向けて踏み出そうとした途端、オレとエルフナインちゃんの中央にあった黒い影が一つの輪郭を取り戻す。

既に剣を抜き放ったジル・ド・レだ。

 

「…頼むぜ」

 

オレは自らの右手に声をかける。

オートスコアラーの想いが宿っているらしい義手。なぜか以前ほど嫌悪は感じない。

…そういえば、連中は想い出が燃料みたいなことを聞いたような。

だったら、オレの想い出も既にいくつか喰われているのか?

くそ、全然想い出せないぞ―――ってのは当たり前か。

まあ嫌な想い出だったら構わないかな。

エルフナインちゃんを救うって点でなら共闘してやるさ。

 

なんせよ、オレの頼みの綱は義手(コレ)だけ。

しかし、司令にああはいったが、痛みに気絶しそうだ。

全力で動けるのはせいぜいあと一回が限界だろう。

 

「…来な」

 

オレはサウスポーじゃないが、あえて義手を前に出す右構え。

無言でジル・ド・レは剣を振る。

せまる刃はまたもやオレの義手を切り飛ばす一閃。

その神速の剣撃はオレの隻眼では捉えるのは不可能なほど。

けれど、狙ってくる場所さえ分かっていれば、迎え撃つだけだ。

 

「ふッ!」

 

オレは義手をピンと伸ばしてわずかに下げる。

手首の継ぎ目を狙った一撃は、オレの手刀に迎撃される形になった。

剣と手刀がぶつかった瞬間、キィイイイン! と澄んだ音が鳴り響く。

オレの手刀は、見事にジル・ド・レの振るった剣を受け止めていた。

だけでない。

 

「!?」

 

五つの十字架が刻印された刀身に無数のヒビが入り―――フィエルボワの剣は粉々に砕け散った。

代償に、オレの義手も砂塵のように崩れ去る。

 

ソードブレイカー。

誰かが囁く。遠ざかるフラメンコの靴音(サパティアード)

 

オレはすかさず最後の義手をポケットから取り出して装着。

その場にがっくりと跪くジル・ド・レを蹴飛ばした。

まるで糸の切れた操り人形のようにジル・ド・レは床に転がる。

いや。

オレが蹴り倒したのは、文字通り、正真正銘の操り人形だ。

 

「いるんだろ!? 姿を現せ!」

 

その声に、床から黒い塊がせり上がる。

現れたのは、またもやジル・ド・レ。

しかし、今度こそ本物で間違いないだろう。

 

 

フィエルボワの剣はジャンヌ・ダルクの愛剣として知られているが、その行く末は謎のままだ。

それをこっそりとジル・ド・レが所持していたのは分からんでもないが、半ば聖遺物とも思われているその剣の能力や特性は?

緒川さんに調べてもらった情報を整理すれば、ほとんど実戦では使われなかったらしい。

神の御使いであることを権威付けるためだけの聖剣だったという説もある。

そして、コンピエーニュで捕えられた時には紛失していたらしい。

 

そんな明瞭でない伝説からフィエルボワの剣の能力を類推する。

ジャンヌに対して何かしらの加護を剣が与えたのは間違いない。捕虜として処刑されたのも、その剣の加護を失ったからだ、と強弁することが出来るからだ。

まさに神の恩寵によって彼女の率いる軍は破竹の勢いで勝ち上がり―――言い換えれば、剣がジャンヌの行動をコントロールしていたという意味にも取れないだろうか? 

いささか強引だが、フィエルボワの剣は、神の意志がその持ち主を操る能力と仮定する。

この仮説をジル・ド・レが縮小解釈した。

神ではない他者の意志で、剣を手に持った何者かを操る能力へと。

この能力で、自分の身替わりの人形に、剣を持たせて操っていたのだ。

つまりはジル・ド・レとキャロルの錬金術師としての格差だろう。ヤツにはオートスコアラーのような意志を持った人形を作る技術はない。

 

…仮説はあくまで仮説だ。この際、正答なんてどうでもいい。

少なくともフィエルボワの剣を破壊し、本当のヤツを引きずりだした。

もっともオレの手札も残り少ない。

 

ジル・ド・レが自らの剣を抜き放つ。

さあて、ここがいよいよ正念場だ。

 

「よう、陰険引き篭もり野郎。ようやくご尊顔を拝めたぜ」

 

敢えて挑発的な口調を叩きつける。

 

「…キサマ」

 

何か言いかけるジル・ド・レに、更に畳みかけた。

 

「お? さすがに人形より表情が豊かだな。もっとも男の時は、人形より役に立たねえクズだったんだろ?」

 

大女の長身の肩がビクリといきり立つ。

オレの口合気もなかなかだな、と自賛する余裕はなかった。

唇を舐め湿らせ、いよいよここが分水嶺。

 

「どうした? 怒ったか? ジャンヌに手を出そうとしても出せなかった性的不能(イ×ポ)野郎がッ!!」

 

あの報告書を読んでいて、オレには引っかかった点がある。

ジル・ド・レが輪廻転生的な考え方を知ったのはともかく、男性に性転換されたジャンヌが死んだとして、果たしてその魂は男性に転生するのだろうか?

ジャンヌを助けるために男性に転じて逃がした理由は納得できなくもない。

しかし、女性から男性に転じたからといって神性が失われるのか?

さらに言ってしまえば、フィエルボワの剣を失った時点で、ジャンヌに対する神の加護はなくなっていたはずだ。

そもそもの大前提として、ジル・ド・レが、ジャンヌに対して純粋な恋慕を抱いていたのか―――?

 

全ての疑問を反転させて考えてみると、別の説が浮かび上がってくる。

まったく真逆のおぞましい仮説が。

 

つまるところ、ジル・ド・レは、ジャンヌを一方的に犯したかった。

だが、さきほど疑問に呈した通り、フィエルボワの剣を失った時点で神の加護はなくなっている。彼女のアイデンティテイとか細かい話は無視するにしても、実行するのに障害はなかったはずだ。

なのに実行できなかったのはなぜ?

考えられるのは、オレが指摘したとおり、ヤツが性的不能に陥っていた可能性。

物理的に、肉体的にジャンヌを蹂躙することが出来なかったヤツは、己の肉体とジャンヌの肉体を性転換した。

結果、男になったジャンヌは、女になったジル・ド・レに凌辱され尽くして死んだ。

その味が忘れられないヤツは、ジャンヌに良く似た男たちを攫っては凌辱し、殺害を繰り返した。

 

そういえば、司令も言っていたよな。日本中で行方不明になっているのは十代の男子たちだ。そしてジャンヌ・ダルクの享年は19歳。

 

だからといってこの仮説も正しいかどうかなんて保証はない。

しかし、ジル・ド・レの反応を見る限り、どうやら当たりかな?

 

ヤツの胸元で、小さな光が弾ける。賢者の石(ラピス・フィロソフィカス)

やはりもっていたかファウストローブ。

その格好は全身レザーコートより露出度が高くなるも、防御力はシンフォギアに劣らない。

 

スタイルは悪くないが、そんな歯茎を剥き出しの顔をされると萎えるな。

頭の中の軽口と裏腹に、背筋を冷たい汗が流れる。

 

これでどうにか第一関門を突破だ。

相手を本気で怒らせる。ここで仮にアルカ・ノイズをバラまかれでもしたら、オレに打つ手はなかった。

さあ、ここからは一手の間違いも許されない。

 

「ははあ、やっぱり図星か? さすが世界史に残る陰険変態野郎だぜ―――!」

 

言いざまに、右手の義手からコインを弾く。

構えた剣をすり抜けて、二つのコインはヤツの顔面へと命中。文字通り面食らうヤツに生じた隙。

いまだッ!

 

オレはエルフナインちゃんへ向けて全力疾走。

 

「エルフナインッッ!」

 

声の限りに叫んで右手を伸ばす。

その義手は、禍々しく変形していく。鋭くとがった爪が影を切り裂いて伸びる。

 

「心象変化に伴う義手の疑似錬成…ッ!?」

 

驚いた声を上げたのも一瞬のことで、エルフナインちゃんはこちらへ向けて手を伸ばしてくれた。

 

―――ああ、キミは。

この手は、人を傷つけることしか出来ない手なのに、躊躇いもなく。

 

彼女の小さな手と、オレの変形した義手が触れ合う寸前。

オレの首が切断されるのを、()()()()()

 

「南雲さああああああんッ!」

 

エルフナインちゃんの悲鳴。

横なぎの刃でオレの首を切断したジル・ド・レは目を見張ったことだろう。

 

「!?」

 

切断されたのはオレの首じゃあない。

オレの上着を被った、小さな丸太だ。

 

「空蝉だよ、バアカ」

 

思いきり小馬鹿にした口調で言ったオレは、変形した義手をヤツの背後から横っ腹目がけて全力で叩き込む!

 

「お返しだ、変態野郎!」

 

突き込んだ義手から、焼き尽くせと言わんばかりの膨大な熱エネルギーが放出される。

 

「グアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」

 

ジル・ド・レが苦鳴を上げる。

効いている。

だが、足りない。

ヤツにトドメを刺すには圧倒的に熱量が足りていない!

 

エルフナインちゃんを連れて逃げる、という選択は既に出来なかった。

緒川さん直伝の空蝉で体力は使い切り、もう一歩も動けそうにない。

血も流し過ぎていて、今にも意識が途切れそうだ。

でも。

 

「南雲さんッ!」

 

エルフナインちゃんの声。

泣いている。叫んでいる。

…まだ生きている彼女を、死なせるわけにはいくもんか!

 

「…気張れよ、オレ!」

 

気合を入れて手に力を込めた。

エルフナインちゃんを横目に、きっとオレは笑顔を浮かべていたことだろう。

 

キミは、オレにこの手をくれた。

ならばオレは、キミのくれた手で、キミを守ろう。

 

突き刺さった義手の指先が、躊躇うようにピクリと動く。

オレは心の中で頷いた。

 

いいよ。持って行け。くれてやる。

オレの心を、オレの想い出を、ありったけ全部燃やし尽くせッ!

 

「南雲さん! 止めてください! それは…ッ!」

 

じゃあな、エルフナインちゃん。

願わくばキミの想い出の片隅にでも、オレの姿があらんことを。

 

最後の力を振り絞り、笑顔のままエルフナインちゃんの方を向く。

 

次の瞬間。

 

轟音が響き渡り、右手も何もかもが燃え尽きた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…燃える。

 

燃えて行く。

 

全てが燃えて、白くなっていく。

 

 

「…さんッ! …さんッ!」

 

呼んでいる。

呼ばれている。

 

涙をボロボロこぼす女の子いる。

 

ただ、横たわったままその顔をみあげて。

 

オレがオレでなくなる前の最後のことばが浮かんで、燃え尽きた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――キみわダれだ…?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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エピローグ

あるのは、ただの白い世界だった。

そこに一本の線が引かれた。

それは世界を天と地に分けた。

 

 

その狭間を、あてどなく彷徨う。

 

どれくらい彷徨っただろう?

 

 

ふと、風を感じた。

風を感じることで、道しるべが出来た。

 

 

風が歌となった。

歌に耳を傾けることで、暖かな炎が灯った。

 

 

やがて無限に広がるそこで、それを拾った。

大きな掌。荒野の腕(ワイルドアームズ)

 

 

それを得ることにより、オレはオレという存在であることを知った。

既にそのことは知っていたような気がするし、そうでもないような気もする。

 

 

オレがオレであるゆえに、果ての見えない旅路に、心が挫けそうになった。

すると、遠く誰かの声が聞こえた。

 

〝ほら、ガンバルんだゾ〟

 

〝地味にがんばれ〟

 

〝フフ…がんばりなさい〟

 

〝マスターが待ってますわよ〟

 

言葉の意味は分からないが、励まされていることは分かった。

…ひょっとしたら、もっとずっと前から励まされていたのかも知れないな。

 

 

びょうびょうと鳴る風に口笛が響く。

気づいたとき、オレ自身が勇気の歌を奏でていた。

折れそうになる心を奮い立たせ、無限とも思える荒野に一歩一歩を刻んで行く。

 

やがて。

気の遠くなるような旅路の果てに、いつの間にか大地は終わっていた。

目前に広がる光景に、オレは目を見張る。

 

ここはどこだ? 最果ての海(オケアノス)…?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――潮騒の音が聞こえた。

髪の毛の先端が風になぶられ、額のあたりをくすぐっている。

ぼんやりとした視界で動くのは、寄せては返す白波だけ。

 

「…風が強くなってきましたね。そろそろ戻りましょうか」

 

背後から、声。

懐かしい声。聞いた覚えのある声。

 

視界がぐるりと回る。

どうやらオレは車椅子に乗せられているようだ。

水平線の代わりに、芝生の間に舗装された道と、その先に白い建物が見えた。

 

足を動かそうとして、上手く動かせない。

フットレストから爪先が力なく地面に落ちた。

引っかかり、車椅子が止まる。後ろで押してくれているらしい人が短く悲鳴を上げた。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

前に回り込んでくるその顔にも見覚えがある。

金髪のおさげ髪に、右の頬の泣きぼくろ。

急速にぼんやりとしていた頭の中が澄み渡っている。

 

…エルフナインちゃん?

 

そう声に出したつもりだが、掠れたモゴモゴといった呟きにしかならない。

しかし、気づいた彼女は顔を上げた。

ハッとしたように目を見開き―――視線と視線が確かに絡みあう。

 

「…南雲さん?」

 

それでも、おそるおそる確かめるような声。

頷こうとして出来なかったので、オレは目に確かな意志を込めて見つめ返す。

すると、大きな瞳がたちまち潤み始めて、

 

「南雲さん南雲さん南雲さんッ!」

 

首っ玉に抱きつかれたらしい。

焼きたてのクッキーのような甘い匂いを、久しぶりに胸いっぱいに吸い込む。

大声で泣きじゃくるエルフナインちゃんの声を聞きながら、抱きしめ返そうにもオレの腕はなかなか持ち上がってくれない。

しょうがなく彼女の肩越しに視線を巡らせていると、黒服の同僚たちの顔を見つけた。

きっとエルフナインちゃんの護衛を務めている三人は、揃ってサングラスを外し、驚愕の表情を浮かべている。

北島、葛西、それに東堂。

懐かしい顔ぶれに、オレは声を出したつもりだ。

 

よう。おまえらも久しぶり。

なんだよ、なんでおまえたちまで泣いているんだよ…?

 

 

 

 

 

 

 

それからの大騒ぎは、正直良く覚えていない。

色々と誰か彼かと話しかけられたとも思うけど、ほとんど身体検査とバイタルチェックに明け暮れていたような気がする。

オレがどうにかまともに喋れるようになったのは三日後。

見舞いラッシュはそこからが本番だった。

病室を訪れる顔なじみも含めた同僚の数は、本当にS.O.N.G.の全在職員が来たかと思ったほど。

そして最後に現れたのは、総司令と発令所の面々に装者たち。

まさにS.O.N.G.オールスターズといった具合で―――あれ? オレは前に同じこと考えたっけ?

 

「無茶して心配かけやがってッ!」

 

司令の第一声で思い切り怒られた。

直後、

 

「良く戻ってきたな…」

 

信じられないことに、司令は少し涙ぐんでいたような気がする。

続けて装者のみんなからも労いと称賛の数々を受けて、そのまま宴会でも催しそうな雰囲気は、全て司令が両腕に抱えて部屋の外へ連れ出してくれた。

おまえたちもつもる話があるだろう?

はしゃぐ響ちゃんの襟首を猫みたいに掴まえた司令がそう言って辞したあと。

個室にはオレとエルフナインちゃんの二人だけが残された。

 

「…本当にオレはずっと眠っていたんですか?」

 

「はい。もう二年近く」

 

頷くエルフナインちゃん。

左目は完治していたのは嬉しい。けれど全身が動かしづらいのは、二年も眠っていて鈍ったわけで当然か。

そんな中で、右手の義手だけが思い通りに動く。

そういえばジル・ド・レとの戦いで全て義手は失ったはずだから、これは新作だろうか?

 

「南雲さんは、ご自分の想い出を全て燃やしてしまいました。もはやそれは完全な人格の喪失と同じだったんです」

 

そういってエルフナインちゃんは涙に濡れた恨めし気な眼差しを向けてくる。

その視線に居心地の悪さを覚えながら、オレは自分の考えを巡らせた。

 

想い出や経験が個人の人格を培い、形成する。

それを分かっていて、オレは全ての想い出を焼却することを選んだ。

いくらエルフナインちゃんに睨まれようと、あの時はあの手段しかなかったんだから仕方がない。

想い出の全焼却は、言い換えれば完全で完璧な記憶喪失だ。

オレが生きる屍のようになってしまったのは、まあ、ある意味予想通りともいえる。

 

「…そんなオレが、どうやって人格の再構成を?」

 

「答えは、その義手にあります」

 

エルフナインちゃんに指摘され、思わずオレは右手に視線を落とす。

義手は、オレの意志に反してぱらりと指を動かした。まるで返事をするかのように。

 

「夜の公園で、南雲さんは義手を切り飛ばされて噴水に落としましたよね?」

 

「ああ、そういえば」

 

あれもてっきり壊れたとばっかり思っていたんだけどな。

 

「あの義手は実は無事で、噴水の水を氷に変えてボクたちを援護してくれました。その力の源に、南雲さんの想い出を使って」

 

そういや、アイツら勝手にオレの想い出を使ってオートスコアラー本来の力を引き出していたんだよなあ。

 

「噴水から回収された義手には、まだ南雲さんの想い出がわずかですが残っていました。なので義手を南雲さんの腕に接続し、想い出を逆出力して記憶野に定着。コピー&ペーストを繰り返しつつ、ボクの中の南雲さんに関する想い出も注入して補強を…」

 

そこまで言い差して、なぜかエルフナインちゃんは顔を真っ赤に染めた。

 

「な、南雲さん! 記憶の中にボクのものがあっても、絶対に想い出さないでくださいねッ!」

 

「は、はい」

 

一応頷きつつ、そんなの理不尽なお願いだと思う。だいたいそう言われると、返って想い出しちゃうもんで…。

うすぼんやりと、脳裏に映像が浮かぶ。

見えたのは、なんとオレの顔のアップだ。まあ見ているのがエルフナインちゃんの想い出なら、主観が彼女なのは当然だろう。

それにしても、なんでこんなにオレの顔がドアップなんだ?

こんな間近でオレを見ているエルフナインちゃんって、一体なにをしているんだろう…?

 

「ッッ! 想い出さないでくださいっていったじゃないですかッ!」

 

「い、いや、だから想い出してませんってッ!」

 

言い訳するも、ポカポカと拳で胸あたりを叩かれる。

そんな彼女を宥めながら、ようやく、二年も経っちまったんだなあ、と自覚が出てきた。

先ほど見舞いに来てくれた装者のみんなも、全員がぐっと大人っぽくて綺麗になっていたし。

そして何より。

 

「…どうかしましたか?」

 

オレの視線に気づき、小首を傾げるエルフナインちゃん。

いや、オレも最初に目にしたとき、まだ目が治ってなくて縮尺が狂って見えているのかと思ったよ?

けれど実際にオレの目の前にいる彼女は、すらりと背が伸びていた。

伴い、身体のあちこちはくっきりと凹凸を主張している。

その顔つきだけは、まだあどけなさがたっぷりと残っていたけれど―――もう子供扱いするのは失礼だろう。

エルフナインちゃんは立派なレディになっていた。

 

「綺麗になったなあ、って思って」

 

気づけば素直な感想を口にしていた。

 

「あ、ありがとうございます…」

 

ごにょごにょいって頬を赤く染め、俯いてしまうエルフナインちゃん。

それから上目使いでオレを見ると、意を決したように言ってくる。

 

「そ、そのッ! 南雲さんの好みに合わせようと思って、一生懸命育てましたッ!」

 

その物言いに、思わずオレは軽く噴きだしてしまう。

いや、育てたって。それって育てるものなの?

 

「…ボクはなにかおかしなことを言ってしまったでしょうか…?」

 

あからさまに凹んでしまうエルフナインちゃんに向かって義手を差し出していたのは、誓ってオレの意志じゃあない。

エルフナインちゃんはちょっとだけ驚いて、それから嬉しそうに義手に頬を当ててくる。

義手を伝ってくる彼女の柔らかい頬の感触。

その感触がなぜかとても嬉しくて―――オレはなんと声をかければ良かったのだろう?

ただ、ただいま、と言えば良いのだろうか? それとも、心配をかけて悪かった? もしくは、無茶をしてごめん?

 

台詞を選びあぐねるオレの前で、エルフナインちゃんの頬を涙が伝う。

それは決して悲しみの涙ではない。なぜなら彼女は笑っていたのだから。

 

「―――お帰りなさい、南雲さん」

 

その頬ごと彼女を抱き寄せたのは、誓ってオレの意志だ。 

柔らかい彼女を抱きすくめ、少しだけ迷って、それからちょっとだけ照れて。

オレは選んだ台詞を口にする。 

 

「ただいま…エルフナイン」

 

 

 

 

 

 

オレと彼女の共通の想い出は、今日、この日から刻まれていくのかも知れない―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キミのくれた手で  完

 

 

 

 

 



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after days 1

 

二年もの眠りから目覚めたオレ。

まずは何を置いても体力の回復が急務だった。

電気刺激療法と関節稼働マッサージである程度の筋力と柔軟性は維持されていたけれど、歩行感覚を取り戻すのには難儀しそうだ。

少しずつリハビリも始めているけれど、最初なんか立ち上がっただけで頭がクラクラしたもんなあ。

移動には、まだまだ車椅子のお世話にならなきゃならない。

そして当然のように車椅子を押してくれるのはエルフナインちゃん。

一度、電動車椅子を使うことを提案したら、「ボクでは駄目なんですか…?」と涙目で言われて廃案にした。

とても健気で可愛いと思う反面、ずしりと両肩が重くなったような感じがしたが、きっと気のせいだろ、うん。

 

もっとも彼女も仕事があるわけで、そんなときはノロノロと自分でも動かすようにしている。

現在、S.O.N.G.本部の潜水艦の個室へとオレは居を移していた。

今まで入院していた外の病院では、エルフナインちゃんの移動とそれに伴う護衛も大変だ、ということでそう相成った。

本部内にもリハビリ施設はあり、毎日のメニューをこなしたあと、オレは車椅子で自走するよう心掛けている。

車椅子を動かすこと自体腕の筋力の刺激にもなるし、座位を取ったままの方が心肺の強化にもつながるからな。

なにより、好きに移動できる自由は何ものにも代えがたい。

今日も今日とて食堂で食事を摂れた。ラーメンを頼んだらおまけのギョーザがついていた。

周囲の職員の視線にもいい加減慣れてきたので、なるべく気恥ずかしく思わず好意は受け取るようにしている。

食事を済ませて売店へ行き、漫画誌や雑誌を物色。

当たり前だが、二年という歳月のギャップは大きい。

 

「うわ、ベル○ルク、マジで完結したのか…?」

 

情報系の雑誌では、今年の流行はタピオカとナタデココのMIXとかあった。何度目のリバイバルだよ。

そんなまるで浦島太郎みたいな感傷に浸るオレの背後から声がかけられる。

 

「よう、南雲。働かないで食べる飯は美味いかー?」

 

ジョークにしても際どい。これが北島でなかったら即屋上の案件だが、まあ事実の一端ではある。

 

「ああ、おかげ様で毎日美味くて困ってるよ。太りそうだ」

 

ったく、オレが目を覚ましたとき、号泣してべろんべろんの顔になっていたコイツの顔、写真にでも撮っておけばよかったぜ。

 

「そいつは良かったな」

 

肩をパンパンと叩かれる。

 

「ところでエルフナインちゃんは?」

 

「いや、さすがにいつも一緒にいるわけじゃないよ。彼女はオレと違って仕事はあるし、寝起きは研究室だし」

 

仕事はある、の部分をわざと強調して意趣返し。

すると北島はなんだか不思議そうな顔になる。

 

「なんだよ、てっきり一緒の部屋で暮らしているとばっか思ったのに」

 

「…は?」

 

「あ、そうか! 分かった分かったから皆まで言うな! うんうん」

 

一人納得して頷く北島に、お約束として突っ込まねばなるまい。

 

「一応訊くけど、何が分かったんだ?」

 

「いわゆる通い妻プレイ中なんだろ、おまえら?」

 

「何いってんだ、おめー」

 

思わず素でそう突っ込んでしまう。

 

「違うのか? おまえが眠っている間は、それこそエルフナインちゃんは週末は通い妻だったんぜ?」

 

北島の語るところによれば、オレが昏睡している期間、エルフナインちゃんは足繁くオレの病室へ通い、泊まり込むことが殆どだったという。

そのたびに右往左往させられる保安部の護衛職員に、いちいち律儀に「すみません、ありがとうございます」と礼を言っていたのは彼女らしいが、少しばかりヘビィすぎね?

そこまで責任に感じている、もしくは慕われていると思うのは悪い気はしないけど…。

 

「あ、南雲さん!」

 

くだんのエルフナインちゃんに見つかった。

S.O.N.G.の女性職員の制服を身に纏い、羽織った白衣をたなびかせて凄い笑顔で駆け寄ってくる。

 

「今日も一人で動いていたんですか?」

 

「え、ええ。リハビリも兼ねて」

 

そう答えると、なぜか頬を膨らませるエルフナインちゃん。

 

「…どうしました?」

 

「どうして南雲さんはそんな他人行儀な口調なんですか?」

 

逆に質問され返されて戸惑うオレ。

 

「いや、他人行儀もなにも」

 

実際に他人でしょう? そう口にする寸前、エルフナインちゃんの瞳が潤んでいることに気づく。

 

「…エルフナインって呼んでくれたのに」

 

「い、いや、それは…」

 

確かにそう呼んでしまったことは間違いない。

だからといって、その、一気に大人の関係な意味まで発展させたつもりもなくて…。

 

「まだ業務時間ですから、勘弁してください」

 

結局、息も絶え絶えな感じでそういうと、エルフナインちゃんは頬を赤らめた。

 

「わかりました。…弦十郎さんから公私は別けるようにとも言われてますし」

 

司令からそんなことを?

あの人が直言するなんてよっぽどのことじゃないか?

気づけば、北島は姿を消していた。

当たり前のようにエルフナインちゃんに車椅子を押されて自室へ戻る。

それから当たり前のように車椅子からベッドへの移動を手伝ってもらう。

 

「ありがとう」

 

ございます、という続きの台詞を辛うじて飲み込んだオレの前で、エルフナインちゃんはこれまた当たり前のようにベッド横の椅子に座ると、本を紐解いている。

 

「あの…」

 

「どうしました?」

 

軽く小首をかしげる様は、可愛い。

要はこれが彼女の自然体なのだろうか?

仕方なく、オレも売店で買ってきた本を開く。

本を読み飽きたら、タブレットを使ってネットをブラウジング。

二年ものブランクは、触れる情報が全て真新しくて、追っていくのがやっとだ。まあ、面白いことも否定はしないが。

そして時間はあっという間に過ぎて夕方。

 

「夕食は、何にしますか?」

 

これまた当たり前のようにエプロンを身に着けるエルフナインちゃん。

それから部屋の冷蔵庫を開けて―――オレも知らない食材が詰め込まれていることに関しては、もはや何も言うまい。

 

「…とりあえず、肉が良いかな」

 

「わかりました」

 

笑顔でエルフナインちゃんがジュージューと肉を焼いている。

焼肉のタレみたいな濃い匂いが焼ける感じが香ばしい。

 

「未来さん直伝の生姜焼きですけど…」

 

湯気を立てる皿の前に手を合わせて合掌。頂きますと箸で掴んで口に運ぶ。

 

「…美味い!」

 

生姜の利いたタレは甘すぎず、辛すぎず。焼かれた豚肉も、どうやったか知らないけどとても柔らかい。

 

「良かったです」

 

笑ってエルフナインちゃんも箸を動かしている。

オレはベッドのサイドテーブルで、彼女は普通にテーブルの前。差し向かいではないが、夕食は無事に終わる。

 

「お皿、下げますね」

 

そういって後片付けをするエルフナインちゃんの手際は見事だ。

以前のようなドジっ子属性は影を潜めていて、それはそれで少しさびしい気がした。

後片付けを終えた彼女が、またもや当然のように簡易ベッドと引っ張り出してきたので、オレは慌ててしまう。

 

「え? 泊まっていくの?」

 

「大丈夫です! 明日はお仕事はお休みですからッ」

 

「い、いやいやいや! キミは自分の部屋で休んで…」

 

北島からだけでなく、他の同僚たちからもエルフナインちゃんの献身ぶりは耳にしている。

でも、オレがこうやって昏睡から覚めた以上、彼女が以前みたいに泊まり込むのは意味が違ってくるのでは?

 

「けれど、南雲さんの想い出はまだ安定したとは…」

 

心配そうなエルフナインちゃんの気持ちはありがたい。

想い出を燃焼し尽くして人格を再確立できたのはレアケース中のレアケースだって承知している。

それでもオレはどうにか説得を試みる。

 

「ごめんね、一人でじっくりと考えてみたいことがあるんだよ」

 

決してキミのことを鬱陶しく思っているわけじゃないんだ、男には一人の時間が必要なんだ!

声に含みを持たせると、不承不承ながらもエルフナインちゃんは頷いてくれた。

 

「でも、さっきも言いましたけど、南雲さんの想い出は色々な情報で補強されているんです。ですから、万が一、身に覚えないのない想い出が見えたとしても、決して深追いしないでくださいね」

 

言っていることの意味が良く分からなかったけど、とりあえず頷く。

おやすみなさい、と寂しそうにエルフナインちゃんが部屋を出ていった。

先日、司令に旧風鳴機関のスパイは一掃したから少なくとも本部内で彼女の身に危険が及ぶことはないと保証してもらっている。なので彼女が一人で研究室へ戻ることに心配ないだろう。

むしろ別の心配がオレの中の大変を占めている。

 

…オレだってエルフナインちゃんの寄せてくる好意に気づけないほど鈍感じゃあない。

だけどオレの主観では、ついこの間までほんのちみっこだったんぜ?

それをいきなり一人前の女性として扱えといわれても、その、困る。

抱っこするのはいいけれど、しっかりと抱きしめてとなるとさすがに躊躇してしまう感じ。

それ以上のこと? いわずもがなだろう。

つまりは距離の取り方が分からない。

 

「まったく、どうすりゃいいんだ」

 

ベッドに仰向けに寝転がる。

それから義手を見たが、ピクリとも動いてくれない。

左手でペチペチと叩いてみるが反応なし。

こっちはこっちで都合が悪くなるとだんまりしやがって。

まあ、勝手に動き回られてもそれはそれで困るけどな。

 

 

 

 

 

 

 

そんな風に割と真面目に考えて考えて。

考え疲れてオレは眠ってしまったらしい。

翌朝、目を覚ますと、眠りが浅かったようで少し頭痛がする。

なんかぼーっとした頭に活をいれながら、オレは身支度を整える。

えっちらこっちらと車椅子を漕いで食堂へ向かう途中、女性職員に声を掛けられた。

何やら初々しい感じで見知らぬ子だ。新人職員だろうか?

 

「あ、あの…ッ!」

 

「はい?」

 

「サ、サインして頂けないでしょうかッ!」

 

オレは思わず苦笑してしまう。

 

「オレみたいなヤツのサインなんてなんの価値もないと思うけど…」

 

女性職員はぶんぶんと首を振る。

 

「そんなことないですよッ! あなたは私たちにとって英雄なんですからッ!」

 

「英雄?」

 

「そうです! 世界を救ったヒーローなんです!」

 

手放しで称賛され、オレの苦笑はますます深くなった。

確かに装者でもないオレが錬金術師を倒したけれど、世界を救ったのは大袈裟すぎる。

それだったら装者のみんなの方がよっぽどすごくない?

サインだってあの子たちの方が価値はあるはずだ。

そんなことを思っていると、急に廊下の曲がり角から赤シャツの大男が出てきた。

 

「何を言う! おまえは紛れもない英雄だぞ!」

 

「司令!?」

 

だけじゃない。後に続くは黒服のエージェントたち。

 

「さあ、英雄を讃えるぞ!」

 

司令をはじめとした数人に、車椅子ごとまるで神輿みたいに担がれる。

ソイヤソイヤと担がれて廊下を進めば、いつの間にか廊下全体が人だかり。

皆が皆こちらをうっとり、もしくは熱狂的な眼差しを注いでくる。

 

「そこのけそこのけッ! 英雄さまのお通りだぞッ!?」

 

あまりの急展開に呆気にとられるオレが運ばれたのは多目的ホール。

そこにはなぜか聖帝陵みたいな高台が設置されていて、オレはその頂上へと据えられる。

途端に鳴り響くファンファーレ。紙吹雪が舞いミラーボールが斑の光を投げかけ、カオスを通り越してもう無茶苦茶だ。

見下ろした先の舞台では、翼さんとマリアさんが何やら扇情的な服を着て英雄を讃える歌を唄う。

すぐ横では調ちゃん、切歌ちゃんがそろってアラビアンナイトに登場しそうな服を着て、デカい扇子でオレを仰いでくる。

薄絹を着た格好で階段を上ってくる響ちゃんの手には、すごいご馳走の乗った大皿。その後に、果物やら何やらを抱えた同じ格好をした女の子がゾロゾロと。

 

「こ、これは一体…?」

 

狼狽して見回せば、いつの間にやら褌一丁になった司令が物凄い笑みを浮かべて声を張り上げる。

 

「英雄殿の凱旋だぞッ!」

 

キャーッという黄色い歓声と、おおおおおッ! という鯨波のような声が同時に上がる。

なお戸惑うオレの前に、すっと酒杯が差し出された。

 

「ほら、まずは飲みなよ、英雄サマ」

 

色っぽい流し目のクリスちゃんが、直々に酌をしてくれる。

…これって酒池肉林ってやつ?

わけのわからないままに飲み干せば、なんだか気分が昂揚してきた。

 

「ほら唄え! 飲んで騒いで、英雄殿を褒め讃えよッ!」

 

司令の大声に呼応するように、眼下で煌びやかな服を着た人たちがぐるぐると踊り出す。

翼さんとマリアさんの唄う歌も熱を帯び、オレは差し出されるご馳走を食べ、酒を呑むのに忙しい。

聖遺物の手で酒杯を掲げ、満面の笑みを浮かべて天井を見上げる。

―――ああ、そうか。

これこそが()()()()()()()()―――。

 

 

バーン! と勢いよく扉の開く音。

見れば周囲の喧騒はピタリと止まり、開け放たれた入口の扉の前にはエルフナインちゃんが立っていた。

そのままツカツカと一直線に歩けば、モーゼの十戒のごとく人波が割れた。

高台まで登ってきたエルフナインちゃんに、オレは上機嫌で笑いかける。

 

「ああ、キミも来たのか。どうだい? 一緒に酒でも飲まないか?」

 

返答は、目から火花の出るような平手打ち。

 

「いってぇ!?」

 

思わずオレが叫ぶも、ビンタの往復は止まらない。

なおもビビビビっとビンタを喰らわせながらエルフナインちゃんは叫ぶ。

 

「いい加減出ていけ最低野郎ッ!」

 

そんな言い方あんまりだッ! と思った瞬間。

ふっとオレの身体が軽くなる。憑きものが落ちた感じ?

胸元を掴んでいたエルフナインちゃんの手から力が抜けた。そして彼女の視線はオレを見ていない。

オレの肩越しに背後の誰かを見ている。

 

「ッ!?」

 

オレも振り向いた先には、白衣を着た眼鏡の男が腰を抜かしていた。

その顔に見え覚えがある。

確か…ウェル博士ッ!?

 

「なにをするんだキミは!? ここは僕の世界なんだぞぉッ!?」

 

「いいからもう消えろッ」

 

冷たく言ってのけたエルフナインちゃんは、いつの間にかダウルダブラを着装していた。

問答無用の五色ビームを浴びて、ウェル博士は跡形もなく消し飛ぶ。

 

「エルフナインちゃん、これは一体…!?」

 

尋ねれば、冷ややかな視線が返って来る。

 

「エルフナインちゃん…?」

 

…違う。彼女はエルフナインであってエルフナインではない。まさか。

 

「…キャロル?」

 

「やれやれ。さっそくこんな無象の想い出に捕まるとはな」

 

冷たい口調に、オレは推測が正しいことを知る。

いつの間にか周囲には人っ子一人いなくなっていた。。

さきほどまでの喧騒は煙のように消え去り、スポットライトを当てられた舞台のような場所で彼女と二人きり。

 

「エルフナインに忠告されただろう? 想い出にない記憶を追うな、と」

 

「いや、そう言われても…」

 

オレとしては追ったつもりもないし、これって不可抗力なのでは?

そんな感じで目で訴えると、キャロルは溜息をつく。

 

「まあ、キサマの想い出の緊急補修のためとはいえ、あんな変態博士に関する因子の混入を見逃してしまったのは、こちらの不手際とは言えなくもないが」

 

「じゃあ、今までのどんちゃん騒ぎは…」

 

「そうだ。あの変態の望む世界の夢にキサマは取りこまれたのだ」

 

「…なんだ、やっぱり夢だったのか」

 

良かったとばかりに胸を撫で下ろすと、腕組みしたキャロルは不機嫌そのものの声を出す。

 

「なにを安心している? この場の夢に囚われているということは、現実のキサマは昏睡状態なんだぞ?」

 

「…へ?」

 

驚くオレ。それってヤバくね?

 

「まったく、おかげでオレはまた公衆の面前で恥を掻くような真似を…」

 

なにやらキャロルはブツブツいうも、語尾はゴニョってよく聞き取れない。

 

「と、とにかく、オレはどうすりゃいいんだ? どうすれば目を覚ますことが出来る!?」

 

「…こうするんだッ!」

 

返答とともに、またもや強烈な平手打ち。

 

「いってぇ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目を開けると、エルフナインちゃんの顔がすぐ前にある。

 

「…エルフナイン?」

 

思わずそう声をかければ、

 

「南雲さんッ!」

 

首っ玉に抱きつかれた。

そのままオイオイと声を開けて泣く彼女の頭を撫でながら、オレどうやら廊下にひっくり返っているらしいことを確認。

周囲を、たくさんの職員に囲まれている。

その職員の壁が割れて、担架を持った医務班が駆けつけてきた。

担架に乗せられて医務室へ運ばれ、一通り検査を終えたオレは、落ち着いたエルフナインちゃんから説明を受けることが出来た。

なんでもオレは、今朝、女性職員と会話をした直後、車椅子から転げ落ちて意識を失ったらしい。

そしてすかさず駆けつけてくれたエルフナインちゃんが応急処置を施してくれたとのこと。

 

「南雲さんの人格の定着が不安定なことは説明した通りです。なので極めて低い確率ですが、他人の想い出に主導権を取られて人格が交代してしまう可能性があったんです」

 

つまり、オレの中にあったウェル博士の想い出が何らかの要因で活性化。不安定だったオレの人格を乗っ取った結果、ウェル博士の主観で彼の妄想を疑似体験する羽目になったらしい。

 

「なので、急遽ボクの想い出を注入することにより、南雲さんの人格を補強して危険因子を排除したんです」

 

なるほど、あのキャロルは、エルフナインちゃんが注入してくれたワクチンみたいなもんだったのか。

 

「ありがとう。助かったよ。でも、応急処置で想い出の注入ってどうやって…?」

 

オレがそう疑問を呈すると、エルフナインちゃんの顔は真っ赤に染まる。

 

「…知りませんッ」

 

小声でいって、そのままツンとそっぽを向いてしまうエルフナインちゃん。

オレ、また何か怒らせるようなことしたのかな? なんだろう、気にはなるけど追及しない方がよさそうな雰囲気。

 

「それより南雲さんッ! これで分かったでしょう!?」

 

「え?」

 

「南雲さんの想い出の定着はまだ完全じゃないんです! 今日みたいにまた倒れても、すぐ近くにボクがいなかったら…ッ」

 

「う…」

 

「もし間に合わなかくて、またずっと目を覚ましてくれなかったら、ボクは…ボクは…ッ!」

 

「…ごめん」

 

取りあえず謝罪の言葉を口にしたけれど、オレが気をつけてどうにか出来る問題なのか? オレだってまた昏睡状態に戻りたくないし、エルフナインちゃんを泣かせるのはまっぴらごめんだ。

だけど、具体的にどうすれば…。

 

「なので、今夜から、ボクはずっと南雲さんと一緒に寝ますからねッ!!」

 

「………はい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新しいシーツを引き直したベッドに、枕が二つ。

エルフナインちゃんがシャワーを浴びる音を聞きながら、オレは緊張で喉が渇くのを自覚する。

オレ自身はシャワーを浴び終え、歯磨きも済ませている。

あとは彼女が出てくるのを待って寝るだけなのだが。

 

…まあ、オレの人格の定着が不安定で、いつそうなるか分からないのは理解できる。

察知するために、すぐ傍にエルフナインちゃんに居て貰った方がいいのも、まあその通りだろう。

けれど、一緒に寝るって! 一緒のベッドに寝るって!

い、いかん、取り乱すな。落ち着けオレ。

 

「南雲さん、シャワーありがとうございました」

 

エルフナインちゃんが脱衣所を出てきた。

ピンクのだぼっとしたパジャマ姿も愛らしく、湯上りのほっこりとした匂いが漂ってきてオレの心臓を跳ね上げる。

 

「? どうかしましたか?」

 

「い、いや、別に」

 

「変な南雲さん」

 

エルフナインちゃんはそう笑って、ドライヤーで髪を乾かしてる。

いつものおさげが結われてない髪型も新鮮で、オレの心臓は益々早く鼓動を刻むばかり。

そのまま何も言えず、何を言っていいかも分からないままにベッドの上で硬直しているオレに、髪を乾かし終えたエルフナインちゃんが笑顔を向けてきた。

 

「それじゃあ、そろそろ寝ましょうか」

 

「あ、あの! 別に何も一緒に寝る必要は…?」

 

「南雲さんに変化があるかすぐ気づくためにも、一緒のお布団で寄り添って寝た方が安全ですから」

 

力説するエルフナインちゃんに、オレは反論が見つからない。

…覚悟を決めるしかないのか?

なおオレが逡巡する横で、エルフナインちゃんはパジャマと同じ柄のナイトキャップを被っている。

それから、よいしょ、よいしょと自分の荷物から取り出したのは、ウサギのぬいぐるみだ。確か以前ゲーセンてとってあげたヤツ。

それを大事そうに胸に抱え、エルフナインちゃんはオレの真横へと潜り込んできた。

 

「それじゃ、南雲さん、おやすみなさい」

 

「ア、ハイ」

 

我ながら、間抜けな声が出たと思う。

…えーと。一緒に寝るって、オレが思ってたのと違う?

たちまち可愛らしい寝息を立てるエルフナインちゃんの寝顔は、無防備を通り越して無邪気な子供そのものだ。

 

「…えーと、エルフナインさん?」

 

少し肩を揺すってみるも、甘い匂いをさせて彼女はぐっすり夢の中。

 

…なんだよ、緊張して損したぜッ!

 

オレは全身で脱力するしかない。

幸せそうな寝顔を眺め、思う。

 

―――見た目は大人になったけど、まだ心は釣り合ってないんだな。

きっと、男と一緒に寝ることの意味も知らないのだろう。

 

大いに胸を撫で下ろしつつ、少しだけ残念な気持ちがあることは否定しない。

…まあいいさ。

苦笑しながら、左手で眠る彼女の頭を撫でてやる。

 

「いいよ。ゆっくりと大人におなり」

 

それから義手の方を見れば、ぱらりと指が動いて親指と人差し指がOの字を作っていた。

…OK? どういう意味でのOKだよ、そりゃ?

 

 

 



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after days 2

 

エルフナインちゃんが額から汗を流して苦悶の声を上げていた。

その手を握り、オレは必死で励まし続ける。

横たわる彼女の腹部は大きく膨らんでいた。もう出産も近い。

 

「ボク、頑張って南雲さんの丈夫な子供を産んでみせますッ…!」

 

汗に塗れながら気丈にもそう微笑むエルフナインちゃん。

彼女の乗ったベッドが分娩室へと消えた。

それから間もなく、ドア越しに赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。それも複数。

ドアが開き、オレが急いで転がり込むと、腕に四人もの赤子を抱えたエルフナインちゃんがいた。

 

「見て下さい。可愛い赤ん坊でしょう?」

 

四つ子ということもあってみな顔付きはそっくりだ。

それでも、オレと彼女の子だ。なんか胸がいっぱいになってしまう。

一人ずつ受け取り、その顔を覗き込む。

すると、赤ん坊たちはピタリと泣きやみ、何か言いたげに次々と口を開く。

…あれ? こんな生まれてすぐ歯なんて生えるもんだっけ?

 

 

「こんにちは。赤ちゃんだゾ」

 

「地味に生誕」

 

「あなたがわたしを赤子だと思うなら」

 

「こんなモブみたいなキャラデザは製作サイドに抗議しますわよ!」

 

 

 

 

「ひぃいいッ!?」

 

オレは腰を抜かした。

そんなオレを、すぐ間近でエルフナインちゃんが覗き込んできた。

―――いや、こんな鋭い目つきは彼女であって彼女ではない。

まさか、キャロル…?

 

「どうしたパパ? キサマの可愛い子供たちだぞ? 笑えよ」

 

今度こそオレは全身で悲鳴を上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…南雲さん! 南雲さん!」

 

肩を揺すられて我に返る。

ふと傍らを見れば、パジャマ姿のエルフナインちゃんがいた。

 

「大丈夫ですか?」

 

心配そうな声に、

 

「あ、ああ」

 

曖昧に返事したオレの背中は汗でびっしょりだ。

 

「また怖い夢を見たんですね…」

 

エルフナインちゃんが深刻そうな顔でそういってくれるが、オレは微妙な表情を作るしかない。

絶叫して跳ね起きるのは、確かに恐ろしい夢でも見たのだろう。

しかし、起きた途端、どんな夢を見たのか思い出せなくなるのだ。

 

「…ちょっとシャワーを浴びてきます」

 

言い置いて、オレは浴室でシャワーを浴びる。

真新しいシャツに着替えて戻れば、エルフナインちゃんはベッドの上にちょこんと女の子座りでオレを待っていてくれた。

先に寝ていてくれててもいいのに。

そういうのも億劫なオレは、軽く微笑んでベッドへと入り、横になる。

なお心配そうなそぶりを見せていた彼女も、ならんで横になっていた。

間もなく眠りに落ち、またしてもオレが悪夢を見て跳ね起きる。

そんなことが一晩に二度、三度と繰り返されているここ一週間。

オレたちはお互いに寝不足が続いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ、行ってきます…」

 

エルフナインちゃんはなんだかまだむにゃむにゃといった口調でそういって、ふらふらと発令所へ向けて歩いていく。

そんな彼女の様子も心配だったが、オレはオレでいよいよ車椅子におさらばして歩行訓練の真っ最中。

走るのはまだ無理だったが、壁伝いにゆっくりと歩ける程度まで順調に回復していた。

今日も今日とてリハビリ室へと向かい、まずは入念に歩行訓練。OTに付き添われながら、多少負荷をかけたものを繰り返す。

それが済んだら、隣接された訓練室で上半身をメインにした筋トレに励む。

気づけば時間は昼時で、シャワーを浴びて昼食へ。

食堂での食事は、最近はおまけもなくなっていた。

むしろ、周囲の視線を棘々しく感じる。

まあ、前に北島に揶揄されたように、働かないで飯を喰っている現状だ。

車椅子に乗っているときならまだしも、さすがにここまで回復すれば穀潰しみたいに思われても仕方ないか。

 

「南雲さん」

 

エルフナインちゃんも昼食らしい。

パスタをお盆に載せてやってくるが、どうにも眠そうだ。

 

「…大丈夫?」

 

対面に座った彼女にそっという。

かくいうオレも、腹に物を入れたせいか眠気が凄い。

 

「はい、大丈夫ですッ」

 

そういってパスタをモゴモゴと食べているエルフナインちゃんを眺める。

時折うつらうつらしながら食べる見た目は幼く、可愛いっちゃ可愛いんだけど…。

 

「…ねえ。ちょっといいかしら」

 

「はい?」

 

声に顔をあげれば―――マリアさん!?

 

「どうしました?」

 

彼女の背後には、他の装者のみなさんもテーブルについているのが見えた。

全員が口ぐちにマリアさんの背中に何かいっている。

マリアさんが振り向き、オレもそっちの方向に顔を向けると、そろって昼食を食べるフリをしているのがワザとらしい。

 

「あの、南雲さん。アナタ、エルフナインとよろしくやってるみたいだけど…」

 

「はあ、まあ」

 

「えーと…。そ、その、ちゃんと、ひ、ひ、ひに…」

 

「ひ?」

 

「ッ! なんでもないわッ!」

 

なぜか顔を赤くして身を翻してしまう。

そのままツカツカと席へ戻って、なにやら装者たちで揉めている様子。

 

「なんでヘタれてんだよッ!?」

 

「だったらアナタが行きなさいなッ!」

 

なんかクリスちゃんとマリアさんが言いあいして、調ちゃんと切歌ちゃんが一生懸命止めていた。

 

…なんなんだろう?

エルフナインちゃんと二人顔を見あわせていれば、スッとオレの背後に人の気配。

振り返れば緒川さんが立っていた。

いつもの笑顔のままの発声は、オレの耳にだけしか届かない忍びの話術。

 

「南雲護衛官。司令がお呼びですよ」

 

 

 

 

 

 

 

司令はいつも発令所に常駐しているが、今日呼び出されたのは司令の個室だった。

普段と異なる雰囲気と流れを感じ、オレは緊張せざるを得ない。

ましてや、椅子に座ったままの司令が浮かべている表情が微妙なのも、オレの身体を強張らせる。

 

「…リハビリのほうは順調のようだな?」

 

「はッ。おかげさまをもちまして」

 

「うむ」

 

そういって司令は、オレに椅子を勧めてきた。

正直、まだ立ちっぱなしも辛いので甘えることにする。

オレが腰を降ろすと、司令は僅かに相好を崩してこう話しかけきた。

 

「…いま、エルフナインくんと一緒の部屋で寝起きしているらしいな?」

 

「はい。オレの記憶と想い出の管理の一環として」

 

そこいらへんは既に報告してあるはずなのだが、司令の反応はなんだが蒟蒻みたいにふにゃふにゃとしたもの。

 

「まあ知っているとは思うが、彼女は戸籍が存在しなくてな」

 

「…はあ」

 

「もしおまえが良ければ、彼女の後見人として、戸籍やその他もろもろを、俺が差配してもいいと思っている」

 

そういえば、エルフナインちゃんは元々ホムンクルスで、いまの身体のキャロルだってもとは数百年前の人間がベースだ。そりゃどこの国籍もないよなあ。

でも、いまこうやって日本国で生きているなら、あった方がいいだろう。

そこでなんでオレの意志が必要とされるのかは理解できなかったが、とりあえず礼を言う。

 

「ありがとうございます」

 

「! そうか。おまえの中で覚悟は決まっているのか」

 

「…はい?」

 

「ならば、なるべく早く用意することにしよう。そういえば、おまえも身内がいなかったな。ならいっそ俺がまとめて面倒をみてやろうか?」

 

「え、えーと」

 

「だからというわけではないが、ほどほどにしておけよ? 二人とも若いのは理解しているが、寝不足で歩き回られるのは他の職員にとって少々刺激が…」

 

「あの、司令、さっきから何をおっしゃりたいんですか?」

 

「そんなこと俺の口から言わせるつもりか? 自分の胸に手を当てて考えてみろ」

 

言われて、文字通り義手である右手を胸に当てて考え込むオレ。

エルフナインちゃんと一緒の部屋で寝起き。

オレの夢見が悪いせいで、二人とも寝不足。

それは、傍目には他の職員にはどういう風に見えて…?

 

「ッッッ!? お、お、オレと彼女はそんなことは…ッ!!」

 

「なんだ、違うのか? 俺はてっきり…」

 

朴念仁として有名な司令をしてこの反応である。

それが一般職員ともあれば言わずもがな。

おかげで先ほどの食堂でのマリアさんの質問も態度も納得がいく。

 

「まあ、違うなら違うで構わないが」

 

どこか残念そうな、どこかホッとしたような表情で司令は椅子の背もたれに身体を預けている。

 

「だが、誤解というならば、早急にその誤解を是正するように努力しろ。さっきもいったが他の職員にとって目の毒だ。その不満がどこかで漏れ出す前にな」

 

「…はッ」

 

そう返事はしたものの、オレの顔は真っ赤だっただろう。

そんなオレに、司令はダメ押しをしてくる。

 

「これは命令だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思い返せば現状に至るまでいろいろと心当りがある。

以前は、尊敬の眼差しすら向けてくれていた女性職員の視線の変化。

時折、睨むような目でオレを見てきた男性職員は、オレが穀潰しなのを咎めるものではなく、きっとエルフナインちゃんのファンに違いない。

親しかった同僚すら最近疎遠で話しかけてこなかったのは、きっとオレたち二人を慮ってのこと。

そりゃあ一緒の部屋で寝起きする男女が、二人して寝不足の顔で歩いていれば、夜は何をしているのかって勘繰られるよなあ…。

 

「だからって、どうすりゃいいんだ?」

 

確かに一緒のベッドで寝ている。けれどそれはあくまでオレの想い出と人格の確立が中途半端であるゆえの緊急措置のようなもので、不埒なことは一切していない。

けれど、それを他の人間にも分かるように証明しろっていわれても…。

 

気づけば就業時間は過ぎていた。

自分用の個室へ戻れば、既にエルフナインちゃんも戻ってきている。

 

「あ、南雲さん、お帰りなさい」

 

そう言ってくれるも、椅子に座ったままその顔は赤い。

 

「今日、友里さんから別室へ呼び出されまして…」

 

オレが座るなりそう口火を切る彼女に一瞬で理解する。

なるほど、オレに対する司令の役目は、女性である友里さんが担ったのか。

 

「…どうしたらいいんだろ?」

 

さんざんっぱら考えこんだが、周囲にアピールするには、やはり寝不足をなんとかしなけりゃいけないんじゃないかな?

だとすれば、オレが見る連日の悪夢を止めることが手っ取り早い。

そう提案すると、エルフナインちゃんは「そうですね」とこくんと頷いてくれる。彼女も同じ結論に達していたのだろう。

オレが悪夢を見るのは、想い出の中に混じった他の因子に影響されるのが原因だという。

ならば、急務となるのはオレのメインの想い出の強化だ。

それをきっかりと太く根付かせ、人格を固定。他の雑念となる因子に左右されない強靭さを作る。

けれど、どうやって?

定期的に、または適宜にエルフナインちゃんは補強してくれているらしい―――生憎、オレは彼女がどうやっているのか分からない―――が、いまのところ改善する様子が見られない。

 

「方法は、あります」

 

「! どうやって!?」

 

「南雲さんとボクとの間で、互いの想い出を循環させることによって、大幅な強化が可能でしょう」

 

つまり、エルフナインちゃんが注入してくれた想い出を、今度はオレがエルフナインちゃんに注入。それを繰り返すってことか?

でも、考えてみれば想い出とは曖昧模糊なもの。

例えば、一緒にいった旅行の想い出でも、お互いに覚えていることはマチマチだ。

そこを互いに補完しあえば、よりくっきりと旅行の想い出を甦らせることが可能になる。

なるほど、道理だ。

 

「さすがだね。じゃあ、さっそくその方法を―――」

 

試そう、とオレが口を開く寸前、エルフナインちゃんが顔を赤くして俯いてしまった。

 

「…どうしたの?」

 

オレは尋ねる。

すると、頬をますます赤らめて、彼女は消え入りそうな声で言った。

 

「その手法ですけど…一種の房中術に近いものがあるんです………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

房中術とは、古代中国に端を発する房事、ようは男女が寝床で行う行為の秘術である。

陰陽思想を根源に、錬金術との関連も深い。

なのでエルフナインちゃんの知識にあってもおかしくはないのだが、彼女が口にすると大分破壊力が違う。

 

夕食を済ませ、シャワー、歯磨きもしっかり終えて、ベッドの上で向かいあう男女二人。

これから行われることに房中術と含みを持たせられては、どうしてもR18な展開を予想してしまうだろう。

事前に手法を説明されたオレとしては、予想が外れてしまっていることにホッとしている。

それでもこれからすることを考えれば、動悸が早まり顔に血が昇ってくるのを止められない。決して恥ずかしくないわけじゃなかった。

 

「それじゃあ…いまから南雲さんにボクの想い出を注入しますね」

 

そういって顔を上げるエルフナインちゃんは耳まで真っ赤に染まっている。

想い出の注入は、唇と唇、粘膜と粘膜の接触で行うそうだ。

今までも繰り返してくれた行為は、オレがほとんど前後不覚だった状態だったけれど、こうやって意識を保ったまま、面向かってするのは初めてだそう。

そりゃ恥ずかしいに決まっているだろうな。

オレの推察したとおり、恥ずかしさのあまりエルフナインちゃんは顔を上げたまま固まっている。

半ば彫像みたいになってしまっていて、このままじゃ夜が明けそう。

 

…見つめ合っていても埒が開かないな。

やはり、ここは年上であるオレがリードすべきだろう。

 

「ごめんね」

 

そっと彼女の頬に手を添えた。ビクッと華奢な肩が震える。

気取っては見せたけど、オレだって心臓がバクバクだ。でも、男しての意地を見せねば。

そろそろと顔を近づける。

ここで少しでも嫌がる素振りを見せれば潔く中止するつもりだったけれど、エルフナインちゃんはそっと瞼を閉じてくれた。

更に顔を近づけ、ほんの少しためらったあと、彼女の愛らしい唇へ、オレは自分の唇を重ねる。

すっと冷たい空気が口の中へ忍び込んできた。

舌先に感じる甘い感触に、脳裏に映像が浮かび上がってくる。

 

 

 

 

―――夜の公園。噴水。冷たい風。キラキラと輝く星。

はしゃぐエルフナインちゃんを眺めるオレの姿。

 

 

 

 

受け止めて、オレはオレの想い出を上乗せして送り返す。

 

 

 

 

―――ベンチに座ったキミ。空の星と月の煌めきと綺麗さを知らなかったキミ。

そんなキミだからこそ、オレは全力で守らなければならないと思った。

 

 

 

 

―――傷つけることしか出来ない手でも、取り合うために手を伸ばして。

命を燃やす業炎の義手の姿に、心が張り裂けそうなほどの悲鳴を上げて。

 

 

 

 

―――オレを信じてくれたキミのために。そのキミの気持ちを裏切らないために。

この身を賭けるのに、一切の躊躇いもなかった。

 

 

 

 

―――何度も何度も護ってもらって。この身体はキャロルからの大切な預かりもの。

ありがとうございます。命を賭けて護って下さって。ありがとうございます。

 

 

 

―――キャロルの身体とか関係ない。オレは、キミがキミだからこそ護ったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

どれくらいやりとりとしたのか覚えていない。

それはとても心が温かく満ち足りていく経験だった。

如何わしさなど微塵もない、ただただ幸福な時間。

 

甘い感触が唇から遠のく。

気づけばオレの腕の中で、くたっとエルフナインちゃんは失神していた。

その身体を優しくベッドへと横たえる。

ありがとう、と優しく見やれば、パジャマが少しまくれ上がり可愛らしいお臍が覗いている。

おまけにボタンの隙間から覗く下着に、一瞬で理性を押さえる鎖が張りつめた。

たちまち頭の奥が加熱して、腰が獣性を帯びてくる。

エルフナインちゃんが房中術の一種と言っていたことを、今更ながら強く意識した。

年頃の娘が、完全に無防備でその肢体を晒しているのだ。

オレの欲望の蓋がこじ開けられる寸前。

最後の理性を振り絞り、オレは顔の前に義手を持ってきて哀願する。

 

「頼む」

 

次の瞬間、顎先に綺麗なアッパーカットを喰らい、オレの意識は欲望ごと刈り取られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで、もう大丈夫ですかね?」

 

「はい、おそらく…」

 

肩を並べて二人して出勤。

昨夜の手法はばっちりと効果を発揮したらしく、オレもエルフナインちゃんも久しぶりに朝までぐっすり眠ることが出来た。

 

「でも、もし、南雲さんがお望みでしたら、また…」

 

そうごにょごにょっと言ってくるエルフナインちゃん。

 

「いえ、出来ればもう遠慮したいかな、と」

 

オレは顎を摩りながら苦笑。

あんな風に襲って下さいとばかりに失神されるのはともかく、そのたびのこっちも失神するようにしてたら顎先が潰れちまうよ。

 

「………」

 

「どうしました?」

 

「そ、そうですよねッ、ははは」

 

笑うエルフナインちゃん。

想いだしてさすがに恥ずかしいんだろうな。

そんな風に会話を交わしていると、行き交う職員の視線が厳しい。もしくは生暖かい。

きっとこれもイチャついているように見えているに違いない。

先日の司令の訓戒が胸にずしりと重くのしかかってくる。

なので、提案してみた。

 

「あの、エルフナイン、さん」

 

「はい?」

 

「オレの人格も想い出も安定してきたので、もう一緒の部屋で寝起きをしなくても…」

 

すると、ぷいっとエルフナインちゃんはそっぽを向いた。

 

「…南雲さんのバカッ」

 

小さな声でそう言って、小走りで行ってしまう。

 

え? バカって、え? なんで?

 

普段の彼女と違う反応に面食らっていると、誰かから頭を叩かれる。

見れば、右手の義手が勝手に動き、更に追撃するように指を動かしていた。

その義手を左手で必死に押さえながらオレは思う。

 

なんなんだよ、一体?

 

 

 

 

 

 

 



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???

 

 

ガタゴト ガタゴト

 

車が揺れる。

 

真っ暗闇の中でも、オレは怖くない。

去年まで一人でトイレに行けなかったオレだけど、もう怖くない。怖くないったら怖くない!

なぜなら今、オレのそばにコイツらがいるからだ。

レイアとファラはすぐ足元へうずくまり、ミカはオレの腕の中でくすぐったそうに身じろぎをする。

ガリィもいたはずだが―――気紛れなあいつのことだ。どうせ隅っこの方で丸くなっているに違いない。

 

レイアが足に身体を押し付けてくる。

大丈夫だと頭を撫でながら礼を言う。

 

「ありがとうな」

 

オレは学校が嫌いだ。

みんなバカだ。バカのくせに、オレにいろいろと注文をつけてきやがる。

パパは学校へ行かなきゃ駄目だって言うけれど、習うことなんかもう全部()()()()()()()()()

パパから色々とお話を聞いた方が70億倍はマシだ。

そういうと、決まってパパは苦笑しながらオレの頭を撫でてくる。

 

『キャロル。世界を知らなきゃ駄目だよ』

 

パパから頭を撫でられるのは嫌いじゃないけれど、もう何回も聞いてるから耳タコだ。

あ、タコ焼きはオレの大好物の一つ。

 

(そういや、お昼から何も食べてないな。さすがにお腹空いたな…)

 

少しだけならお金はある。どこか店で買えるといいんだけど。

そんな風に考えていたら車が止まったようだ。

後ろの扉がゆっくりと開く。

 

「ほら、嬢ちゃん。降りな」

 

無言で頷いて、ミカを抱えたまま降りる。レイアとファラも着いてくる。

 

「…ここ、終点なのか?」

 

あたりは真っ暗なようだ。

急に顔に強いライトを当てられて目がくらむ。

 

「な、なんだ!?」

 

唸るレイラとファラ。腕の中で毛を逆立てるミカ。

 

「…このガキがそうなのか?」

 

フードを目深にかぶった大人が三人。

その隣でぺこぺこ頭を下げているのは、オレをトラックのコンテナに載せてくれたおじさんだ。

大人三人は、すごくあやしいふいんきだ。あれ? ふんいき?

 

「なんなんだ、お前たちはッ」

 

オレが怒鳴りつけると、三人はおかしそうに肩をすくめている。

 

「お嬢ちゃん、言葉づかいは気をつけようぜ。な?」

 

イヤな気分になったのは、いっつもパパたちにも同じことを言われているからだ。

決してビビったわけじゃないぞ!

 

「さて、どうする?」

 

「とりあえず、眠らせちまって」

 

「あとは錬金術の…」

 

そこまで三人の会話を聞いて、オレは命令を下す。

 

「いけッ! レイア、ファラ!」

 

いっつもパパが言っていた。錬金術を使う大人には気をつけろ。いま、この世界にいる錬金術師の大半は〝敵〟だ。

弾丸のような勢いでレイアとファラが二人の大人に跳びかかる。

 

「なあッ!?」

 

「こいつッ!」

 

最後の一人がオレに掴みかかってこようとしたが、腕から飛び出したミカが顔面に飛びついて必殺の引っ掻き攻撃。

よし、このまま三人とも掴まえてやる。そうすれば、きっとパパにも褒めてもらえてッ…!

 

「おい、嬢ちゃん、オイタを止めるように三匹にいいな」

 

いつの間にか首のところに冷たい感触。

ペタペタと頬っぺたを叩くナイフは、運転手のもの。

ちくしょうッ、オレとしたことが。コイツの存在を忘れていた…!

 

「…やめろ、レイア、ファラ、ミカ」

 

オレの命令に、全員が素直に従う。みんな悲しげな眼で見てくるのが辛い。

 

「…なんなんだ、この犬ッころたちは!?」

 

大人の一人がレイアを蹴飛ばす。

 

「やめろッ! その子たちに乱暴するなッ!」

 

オレが悲鳴を上げても、大人たちは面白がって無抵抗のファラも殴りつける。

ミカは、ふーっ!! と毛を逆立てているが、オレが捕まったままでは身動きが取れない。

 

「くそッ! やめろ! やめてくれ…ッ!」

 

バキッ! と鈍い音がする。

 

「レイアッ!」

 

レイアの足がへし折れていた。

それを見て、大人たちは驚いている。

 

「こいつ、犬のオートマタか?」

 

それからニヤニヤと笑うのには頭に来た。

 

「おまえたち、許さないぞ! 絶対に許さないからなッ!」

 

激怒するオレを見て、大人たちはまた笑った。

背筋がゾワゾワするニタリとした笑顔。

 

「かの奇跡の殺戮者の馴れの果てというのは本当らしいな」 

 

「ちっこいオツムでもとんでもない情報が埋もれてそうだぜ」

 

「脳みそを取っちまって抜け殻にしても、利用価値はあるだろう?」

 

最後にそういった一人が、オレに手を向けてくる。

掌が光り、浮かぶルーン文字。

くそ、オレには何も出来ない。

目に涙がにじんでくる。

でも、泣いている姿はこの連中に見せたくなかった。

だからギュッとまぶたを閉じて、心の中で叫ぶ。

 

(―――パパッ!!)

 

 

 

バッ!バッ!バッ! 

 

と機械音が連続した。

目を開けると、四方八方から強烈なライトが注がれている。

 

『おまえたちは完全に包囲されているッ!』

 

スピーカー越しの声。

動揺する錬金術師たちだったけど、オレにナイフを突きつけていた男は、「こ、このガキはどうなってもいいのかッ!?」とオレの首を締め上げようとして―――。

 

「か、身体が動かないッ!?」

 

そして、目前に黄色い格好をしたヤツが空から降ってきた。

まさか。

 

「立花響ッ! 貴様かッ!?」

 

「そうだよッ! キャロルちゃんを助けに颯爽登場ッ!」

 

言うが早いが錬金術師三人をまとめてワンパンチで吹っ飛ばす。

本当に冗談抜きで大人三人を場外ホームランだ。

驚くより呆れていると、オレにナイフを突きつけていた男は動けない身体のまま捕まっていた。

捕まえたのは―――。

 

「パパッ!」

 

「こら、キャロルッ!」

 

ごちんとゲンコツを落とされる。

痛くて涙が出たので、無理なく溜まっていた涙を全開に出来た。

そのままパパに抱きついていると、

 

「大丈夫ですか、キャロルッ」

 

ママも走って来た。

オレがどこも怪我をしてないことを確認したあと、オレを背中からパパごと抱きしめるようにして、盛大に溜息。

 

「なんで家出なんかするんですかッ!」

 

「………」

 

オレが無言でいると、パパがグシグシっと頭を撫でてくれる。

 

「俺だってこの年頃の時には、家出くらいしたことあるさ」

 

「もうッ! 栄さんはキャロルに甘すぎですッ」

 

ママがほっぺたを膨らませた気配。

少しだけたじろいだパパだったけど、

 

「むしろ家出の原因の方が問題だろ? どうした、ママに叱られたのか?」

 

「………」

 

オレがまたもや無言でいると、ママは「それは叱りましたけど」と前置きしてから言った。

 

「キャロルが公園で上級生に苛められたみたいで…」

 

「なんだとッ!? 暴力でも振るわれたのかッ!?」

 

血相を変えるパパに、ママは首を振る。

 

「見ていた人の話では、荷物を取られてその荷物をキャッチボールされたくらいのようです。でも、そのあと…」

 

「そのあとに、どうしたんだ?」

 

「仕返しに、いじめっ子の荷物を咥えたファラとレイアが、いじめっ子が『返してッ!』って泣くまで公園内を全力疾走したらしくて」

 

「…それでママに叱られたのか?」

 

見下ろしてくるパパに、オレは一生懸命言い訳。

 

「だ、だって! アイツら意地悪してきたからッ! それに、ファラとレイアも、基本的にオレに危害を加えようとすると反撃するようにプログラムされているわけだし…ッ」

 

「それを叱られたから、へそを曲げて家出ってことか?」

 

「そ、それだけじゃないッ! いっつもパパが言っているだろッ! 『世界を知れ』って!」

 

ゴチン! とまたも目から火の出るようなゲンコツ。

泣きべそをかくオレを抱え上げ、パパは言う。

 

「あのなあ、キャロル。俺は世界とか以前に『世間を知れ』って言っているんだよ」

 

「でも…ッ!」

 

「言い訳は駄目だ。キミは頭がいい子だ。だから、自分でも言い訳の正当性を欠いていることは理解しているのだろう?」

 

「…うん」

 

「その上で、俺が世間を知れって言っているのは、一般常識や言葉遣いをきちんと獲得して欲しいと思っているからだ。これも分かるだろう?」

 

「う、…はい」

 

「よし、良い子だ」

 

オレが大人しく返事をしていると、ママは「パパの言うことは素直に聞くんですねッ」と呆れ顔。

 

「それとキャロル。女の子なんだから自分のことを『オレ』なんて呼ばないほうがいいですよ」

 

おまけにそんなことまで言ってくる。

だからオレは唇を尖らせて反論。

 

「そういうママだって、時々自分のこと『ボク』って呼んでるじゃないか」

 

驚いた顔をするママ。それからパパに向かって「え? え? そうなんですか?」と尋ねれば、パパは「うん、結構な頻度で」と即答。

ズーンと凹むママに、パパはゴホンと咳払い。

 

「そ、それじゃあ今からみんなに迷惑をかけたことを謝らなくちゃな。まずは、響ちゃ…立花さんだ」

 

パパにいわれ、不承不承黄色いシンフォギアに向き合う。

 

「その…助けてくれてありがとう、立花響…さん」

 

くそ、さん付するのがなんでこんなに違和感が酷いんだ?

 

「ううん、全然だよッ! おかげで、野良錬金術師も捕まえることが出来たしねッ!」

 

「立花さん! それを言っちゃあ…ッ!」

 

慌てるパパにオレは疑問を抱き、そして一気に色々と腑に落ちる。

実に絶妙のタイミングで立花響が現れたと思ったが、その前段階で準備がなされていなければ無理な相談。

オレが家出先で偶然錬金術師に遭遇したと考えるより、パパたちが別系統で追っていた錬金術師の懐にオレが飛び込んでしまったと解釈したほうが自然だろう。

そしてオレは家出するに際し、パパとママの職場に知られることは極力遅れるよう細工してきた。

なのに、この展開はあまりにも早すぎる。まるで、オレの動きが事前に漏れていたかのようで…。

 

そこでハッと気づいたオレは、周囲を見回す。

ママが乗ってきたヘリコプターのドアが開いていて、そこでは予想通り黝い毛並みの猫が優雅に前足を舐めていた。

 

「…ガ・リ・イィ~~ッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




レイア ファラ → ジャーマンシェパード
ミカ      → 三毛猫
ガリィ     → ロシアンブルー


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