シンデレラにならなかったしぶりん (RGB)
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スカウト

 都心のとある一角を、二人の少女が歩いている。

 片方はふわりとした紅い髪の毛。爽やかな笑顔が似合いそうな少女。

 もう片方は、長いストレートの黒髪に、整った顔立ち。凛とした佇まいで道行くその姿は、しかし人の多い都心ではそこそこ目立つものの、それほど目を惹くようなものでもない。

 

 ロングストレートヘアの少女の名は渋谷凛。都内の某所に花屋を構えている家の一人娘であり、昨日入学式を終えたばかりの新入生である。

 彼女は、紅い髪の少女の話をうっとうしそうに聞きながら歩いている。どうやら、紅い髪の少女がニコニコ笑いながら話しているその内容は、凛にとってよほどつまらないようだ。

 

(……はぁ。なんで私、まったく知らない子と並んで歩いてるんだろう)

 

 凛は内心、そんなことを考えながら道を歩いていた。

 周囲から見ても、それは多少奇異なものを見る視線で見られることだろう。二人の女子高生、それだけならまだ問題ないだろう。私服姿ではあるものの、見た目年も近そうだし、友人同士で話をしながら歩いているという感じにしか見えないかもしれない。

 しかし、その後ろには少女二人とはあまり縁がなさそうな大人二人が付いているのだから違和感ありまくりだろう。

 

 ――渋谷凛。彼女は、この春、というかつい数日前高校生デビューを果たしたばかり。

 

 高校入試で志望校にうまく入ることができた凛は、入学式当日、一緒に入った友達とも、近くの席になった女子との対話も割と反応は良好で、このままいけば少なくともボッチになることだけは避けられる、はずであると感じていた。

 

 周囲の人間関係は良好、勉強のレベルこそまだ未知数だが、決して頭は悪い方ではない彼女としてはこのままいけば高校生活も順調に送れるだろう、と思ってはいる。

 しかし、凛は一つだけ悩みを抱えている。

 

 それは、一言で言ってしまえば『つまらない』に尽きるだろう。

 

 高校になったからといって、自分の中の何かが変わるわけではない。

 学校では友達と他愛もない話をして、放課後は時間があれば友達と一緒に寄り道をしながら帰るか、まっすぐ家に帰って家業の手伝い。

 それは高校になろうとも変わらないものであり、凛にとってそれは期待はあっても、それほど大きなものではなかった。

 彼女には夢中になれるものがなかった。

 

 それに、友達との話も適当に話は合わせても、あまり深くは踏み込まないし踏み込めない状況が、ここ最近は続いていた。

 春休みが明けて、高校生活が始まった今、友達との会話について行けるかどうか。無自覚だったが、凛は心のどこかに焦燥感があった。

 

 せめて、高校に入った後に新しい何か、夢中になれる何かを見つけられればな、とは思っているものの、いざそれを探すとなると、一体何に手を付けたらいいのかわからない。

 結局のところ、惰性で迎えた高校生活。それが、凛の現状だ。

 

 

 

 しかし、と言うべきなのか、

 さすがにそんな状況であっても、先日の状況には物申したいという気持ちでいっぱいだった。

 変わりたい、必死になれる何かを見つけたい。そう思ってはいたが、だからといってこれはない。そう思わずにはいられなかった。

 

 確かに、それになればいやでも必死になれるだろう。どれだけ『人気』になれるかが肝になるのだから、必死になって自分を磨いて、人々に認められる努力をこれでもか、というほどして。それでもまだ足りないほどだろう。

 しかし、さすがにそこまでは求めていない。というか、自分のやりたいことを探しているのは確かだが、さすがにそれはない、と凛はその誘いを一刀両断した。

 

 男女二人組の、女性の方に声をかけられたところから始まったその時の会話。しかし、凛はそれだけはなんか、違う気がして、考えるまでもなく却下していた。

 土日を挟んだ本日は新たにメンバーを増やしてきたが、やはり深く考えることなく、自分には向かないだろうと判断して断っていた。

 それでも、その女性は諦めずに聞いてきたのだ。

 

 『アイドルにならないか』と。 

 

 最初に声をかけられたのは、飼い犬と一緒に散歩をしている最中のことだった。入学式を終えて、午後にやること、やるべきことなど考えていなかった凛は、結果としていつものルーチンワークをいつも通りに行っていただけだった。。

 声は、そのルーチンワークをこなしている最中に掛けられたのだ。

 今日も今日とて、同じ場所、同じ公園で遭遇しているのだが、初日と今日で面子に変化があるあたり、凛の中では警戒心が強くなり出していた。

 

 ――これ、このまま話し続けてたら絶対に面倒なことになるやつだ! と。

 

 相手の面子は三人。くだんの紅い髪の少女のほか、『支配人』を名乗る若い男性と、染めているのか、やたらと『ピンク』の髪が目を惹く赤いスーツを着たマネージャーも一緒にいた。

 先日との違いは赤い髪の少女がいるかいないかであり、昨日は『支配人』とマネージャーのみでのスカウトだった。

 そして、今まさに、その紅い髪の少女がスカウトを試みている最中だったりする。

 

「――だからね、アイドル、一緒にやらない?」

「いや……ていうか、普通に言ってること、アイドルとあまり関係なくない? 交代でご飯作るのとか、お泊り会とか、普通にアイドルじゃなくってもできると思うけど……」

「え? あはは……すいません、また失敗しちゃいました……」

「えぇ!? またこんなに早く!?」

 

 『支配人』は、少々大げさ気味に驚いていたが、紅い髪の少女は割とマジで落ち込んでいるようだ。

 

「あ、でも、凛ちゃんとアイドルやりたいのは本当だよ?」

「はぁ……。でも、本当になんで私なの? 自分でいうのもあれだけど……無愛想で、あまり向かないと思うんだけど……」

「えっと……?」

「それは君の声がアイドルにふさわしいからだよ。君ほどほどアイドルにふさわしい声の持ち主なんていないんだぜ!」

「え? 私が? いや、そんなことないって…………」

 

 そう言われながら、凛は中学から一緒に上がってきた友達から、吹奏楽部への入部を誘われたことを思い返していた。とはいえ、メッセージによる雑談も同然のやり取りでだが。

 むろん、歌は好きだったし、調子がいいときにはよくお気に入りの歌を歌ったりしていたのだが、それを他人に聞かれたとき、それなりの好評をもらっていたので自信もある。

 しかし、だからといってじゃあアイドルになってみようか、とは思わない。

 

「そっかなぁ……じゃあ、ちょっと試してみようず!」

 

 そう言って、マネージャーはどこからか小型のプレイヤーを用意して、徐に音楽を再生した。

 かかった曲は『Sparkle☆Time!!』、2年前に突如解散したとある有名なアイドルグループのものだった。

 いきなりの展開に目を白黒させる凛だったが、逃避だけは許さないと言わんばかりにマネージャーは歌うように急かす。

 釈然といかないながらも、そのミュージックに合わせて歌い出す。

 そして、歌い終わると――拍手と歓声が送られる。

 

 とはいえ、三人ばかりのささやかなものではあったが。

 

「はぁ、すごいなぁ……。私も、まだアイドルになったばかりでまだまだだけど……凛ちゃんにはとてもかないそうにないなぁ」

「それはどうも。……まったく、いきなり歌えなんて言われるなんて思わなかったよ」

「ごめんごめん。でも、私の見立て通り、見事な歌声だったよ。アイドルにせずにおくなんて、ますますもったいないず。これはもう、なるしかないんじゃないかな?」

「ならない。昨日も言ったけど、アイドル、興味ないから」

「そんなこと言わずに――」

 

 そう言い残して、凛はその場から立ち去った。 

 

 

 

 翌日も、三人は凛の元へやってきた。

 アイドルや、アイドルの事務所なのに、忙しくないのか、と思いながら、凛は散歩の帰り道を歩く。

 話題は、他愛もないものだ。

 どうやら今日は搦め手でいくらしい。

 

「それでね、その子がもう本当にレッスンとかお仕事とか、さぼりたがって、そのたびにムスビちゃんが叱ってね……」

「ふぅん、なんだか大変そうだね、そのムスビって子」

「あはは……まぁ、ムスビちゃんもムスビちゃんで、楽しそうなんだけどね」

 

 少女と話をしながら、凛は自らが紅い髪の少女に、羨望の念を抱いていることに気づく。

 と同時に、なぜ、と自問をする。

 関係ないはずの少女に、なぜ羨ましさなど感じるのか。

 考えて、考えて。その末に導き出した答えは――。

 

(そっか。この子――夢中なんだ。アイドルっていうのが、楽しくて、楽しくてたまらない。学校との掛け持ちで忙しくて、大変なはずなのに。それでも、アイドルが、楽しい……)

 

「ねぇ、凛ちゃんは、なにか、したいことってある?」

「え、私?」

「うん」

「私、は……特に、ないかな……」

 

 言いながら、そうとしか言えない自分に嫌気がさして、うつむき気味になる凛。

 と、そこへマネージャーが凛に優しく声をかけた。

 

「そっか。でも、凛ちゃんはなにか、夢中になりたいことがほしいんだね。他のなにを差し置いても夢中になりたい、なにかを探している」

「それは…………そう、だけど……」

「なら、これはチャンスだよ。確かに、新しい一歩を踏み出すのは不安だし、難しいよ。でも、踏み出した先には、絶対に新しい発見があると思う」

「…………」

「だから、ね。凛ちゃん。まずは一歩。踏み出してみない? 不安なら、私も手伝うから」

「私も、手伝うよ! 凛ちゃんとは、一緒にアイドルできてもできなくても、仲良くしたいから」

「僕もできるかぎりのことはするよ。まぁ、僕なんかで力になれるかどうかはわからないけど」

 

 三人で手を差し出し、凛が手を取るのを待つ。

 それを見た凛は――。

 憧憬の色が強い目で、期待と不安で手をさまよわせながら。

 

 ――それでも。

 

 桜咲く木の下で、伸ばされた手を、掴まずにはいられなかった。

 だって――必死になって一緒にアイドルをしようと誘ってくる紅い髪の少女の中に見えた、『キラキラした何か』がまぶしくて。

 でも、それを語る姿はどこにでもいる普通の女子高生然とした姿で。

 

 ――それをみたら自分にもできるかも、なんて思えてきてしまったから。

 

 どこまでも一途に、楽しい『日常』の風景を語る紅い髪の少女を、羨ましげに見る凛に対し、あくまでも『一般人』として語り掛ける支配人とマネージャー。

 どこまでも屈託なく、笑いながらそう言う三人を見て、凛は初めて、三人に心を許す気になる。

 

 それは、渋谷凛が、シンデレラにはならず、代わりにシスターズという別の可能性を選択した、イレギュラーな物語の始まりでもあった。

 

 



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スカウトのおかわり

 

 凛がアイドルになる、という話はたちまちのうちに学校内で広まった。

 特に、劇場型スタジオ『777(スリーセブン)』、通称『ナナスタ』は、2年前に突如解散した、セブンスシスターズというアイドルユニットがもともと所属していた事務所でもあり、なかなか名の知れたところであったからなおさらである。

 

 ただし、凛の友達は凛と部活動ができないことを少々残念がっていたが。

 

 ある日のこと。レッスンのためにナナスタへと向かう凛は、途中、ドーナツ好きのマネージャーにドーナツでも差し入れを用意しておこうか、と駅のテナントに店を構えている店で買い物をすることにした。

 

 その日のそれがなければ、ナナスタに直行していただろうから、おそらくこの出会いはなかっただろう。

 

 

 

 なんでこうなったんだろうか。

 凛は目付きの悪い男から差し出されている名刺を見ながら、そう思わざるを得なかった。

 

 ドーナツ屋から出て、ナナスタに向かおうとしたところで、少年に呼び止められた凛。

 なにやら少年はおもちゃを片手に泣き腫らしており、とても放っては置けない様子であった。

 どうかしたのか。そう思いながら見ていると、少年は凛が次の一歩を踏み出そうとした先の地面に手を伸ばして、なにかを拾い上げた。

 

 と、そこへ偶然が重なったのか、近くの交番から出張ってきた警察官が凛と少年に話しかけてきたのだ。

 

 自他ともに認める、無愛想な見た目の凛と、年端もいかない、しかも泣き腫らした少年。見る人が見ればとても分かりやすい構図だ。

 すなわち、『凛が何かをしでかして、結果少年を泣かしてしまった』と。

 

 警察官もおそらくはそう思ったのだろう。

 結果として、事態は予想外に(凛にとって)面倒くさい方向へ。ありもしない容疑をかけられた凛は、問い詰める警察官に反論するも、聞き入れてもらえず。

 どうしようかと迷っているところへ現れたのが、今凛の目の前にいる男だ。

 

 男は突然凛たちのやり取りに介入するや否や、少年がただ単純におもちゃのネジを落としてしまっただけであることを聞き出し、警察官の勘違いであることをたちまち証明してみせたのだ。

 

 無論、人目につかないように、交番へ移動してからの話ではあるが。

 

 そうして事態が収束し、やれやれと思いながら時計を見てみればおおよそいい時間。

 ゆっくり歩いていては間に合わないものの、普通に歩いて行けばレッスンの予定時刻には間に合う時間になっていて、凛は男に辞して今度こそナナスタへ向かおうとした。

 

 しかし、話を切り出すのは男の方が早かった。

 

「あの……私、こういうものですが。アイドルに、興味はありませんか」

 

 しかも、凛にとってはうんざりすることこの上ない勧誘。

 ついこの間、その手の勧誘に負けてアイドルになったばかりなのに、数日たってまたこの有り様だ。凛としては、たまったものではなかった。

 所属契約も交わしてしまっている手前、なんにしても男の勧誘は乗れないのだが……。

 

(これ、支配人とかコニーさんの勧誘と同じくらい面倒くさい奴だ……)

 

「ごめん。そういうの、間に合ってるから」

 

 ナナスタの支配人兼プロデューサーと、自称敏腕マネージャーの顔を思い浮かべながら、凛は冷たくあしらってその場を辞した。

 

 その翌日も男は遭遇したものの、凛がすでにナナスタに所属していることを伝えると、男はすんなりと納得して、凛の勧誘をやめたので、それ以降は気にすることもなくなったが。

 

 ――ちなみに、一応、名刺だけでもと言われ、それくらいならばと受け取った名刺には、『346プロダクション シンデレラプロジェクトプロデューサー 武内』と記されていた。

 

 

 

 しかし。

 しかしである。

 凛の第一印象からして、武内の風貌は『警察から勘違いされやすそうな人』であることに違いはない。

 ゆえに、それらしい人材が見つかるまで武内もスカウトを続けるのだろうと思うと、どことなく無事に済ませられるかどうかが少しだけ心配になってしまう凛だった。

 そして、その心配は現実のものとなってしまう。

 

 それはある日の放課後のこと。

 凛が道を歩いていると、途中で外回りの仕事からナナスタに帰社する途中の支配人とコニーの二人に遭遇。

 この後のレッスンの予定もあり、合流して一緒にナナスタへ向かう運びとなった。

 

 そこまではよかったのだが。

 

「あれ。あの子、アイドルの素質ありそうじゃないですか、コニーさん?」

「ん、あ~、あの子ね。私もこの前遭遇して声かけようと思ったんだけど、遠目だったし別の会社のスカウトマンさんにつかまってたぽいから様子見ってとこかな。もちろん、コニーさん的にはいつでも声をかけられるように、隙を窺っているところなんだけどね」

「なるほどね……」

 

 視線の先に、いかにも今どきの女子高生、といった感じのギャル風の少女が、凛にとって見覚えのある長身・強面の武内にスカウトを受けているという光景が見えた。

 少女のほうは偶然にも、凛と同じ学校の制服を着ていた。もうだいぶ付きまとわれているのだろう。それなりに疲れたような、辟易しているような表情をしている。

 

「でも、なんかあのスカウトマン、カタブツそうだなー。コニーさんなら、狙ったら片手で数えられる日数でGETできる自信があるんだけどね」

「まぁ、そのあたりは人それぞれだと思いますけど……ん、あれは…………」

 

 自身をスカウトしに来た時の二人の手腕を思い返し、苦笑しながらあの人はあの人なりのやり方でやっているのだろう、と今にも手伝いといいながら介入しそうなコニーを凛がたしなめていると、少女とスカウトマンへ向かう二人の男性――警察の制服を着ていることからもちろん、警察官だろう――が視線に入った。

 

 繰り返しになってしまうが、武内の風貌からして、街頭スカウトをすれば警察官のお世話になるに違いないだろう。

 加えて、凛の学校ではここ最近、不審者が出没するとここ近日のもっぱらのウワサになっており、彼がその噂の男と勘違いされているのも間違いない。

 

 ほとんど面識がないとはいえ、恩のある人物が冤罪で任意同行とはいえ(悪い意味で)警察署に連れていかれるのは、凛としても目覚めが悪い。

 凛があの少女の立ち位置だったなら、あるいは話は変わるかもしれないが――

 

「ごめん、ちょっと行ってくる」

「行ってくるって、ちょ、凛ちゃん?!」

 

 コニーたちの制止もいとわず、凛は職質を受けている男の許へ全力疾走した。

 

 

 

「その……申し訳、ありませんでした」

「ん、いいよ、別に。私としても、あんたには恩があるから、あのまま連行されるのは目覚めが悪かったし」

 

 場所は変わって、どこぞにあるカフェ。

 そこに、凛と、武内。そして、あとから追いかけてきた支配人とコニーはいた。

 

「しかし、熱心なスカウトマンさんがまさか346のプロデューサーだとは気づかなかったず。コニーさん一生の不覚」

「いやそんな大げさな……」

「まぁ、私も、見ただけならどこの所属とか、わからないと思う」

 

 実際、凛も名刺を出されなければどこの人かはわからなかっただろう。

 

「でも、武内Pもあの子相手にだいぶ粘ってるんじゃない? ずいぶんと迷惑そうな顔してたけど、見込みありそうなの?」

「…………実は、あまり思わしくはありません。せめて、名刺だけでも受け取ってもらいたいと思っているのですが……」

 

 そして、ここでもやはり名詞である。

 もういっそのこと、『妖怪名詞だけでも』と名付けてしまおうか、と思ったのは凛だけの秘密である。

 

 その後は、他愛もない話を少しだけしてから、レッスンの時間が迫っているということもあり、その場はお開きとなった。

 

 

 

 ――なお、その後のナナスタではこんなやりとりがあったとか。

 

「へぇ、そんなことがあったんだ……」

「うん。まぁ、コニーさんらしいのかな」

「全く、あの人ってば……ナナスタ関連ならともかく、よその会社の領分にまで手を出すなんて……。でも、そういうことがあったなら、遅れちゃうのも無理ないわね。さぁ、レッスンレッスン! 凛も遅れた分、しっかり取り戻さなきゃね」

「そうだね。少しでも配信ライブに備えないと……!」

 

 そうして、今日もアイドルとしてデビューするためのレッスンが、始まった。

 

「うん。それじゃ、レッスン頑張りましょう――こら、杏! いつまで寝てるの! レッスンに行くわよ!」

「えー、めんどくさいからいいよー。杏はここで寝てるから、杏の分まで頑張って」

「いや、意味わかんないんだけど……」

「寝るのはあとでもできるでしょう! 今はレッスンが先!」

 

 ――レッスンが、始まった。

 

 




※物語の補足
武内Pのウワサ
最近の悩みはスポ根系アニメのDVD代がかさんでいることらしい


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相談

 凛がナナスタに所属して、一週間が過ぎた。

 週明けの今日、彼女はライブ配信に初めての本格参加をする予定である。

 本人としては、一週間ほどでデビューライブというのは早いのではないかと思ったものの、支配人やコニー、そしてハル達の『レッスンも頑張っていたし、失敗してもサポートするから大丈夫』との言葉に後押しされ、不安に思いながらもそのスケジュールを受け入れた次第である。

 

 土曜日も、一応はフリーだったものの、体力づくりのために走り込みや適度なトレーニングをするなど、自主レッスンは欠かしていなかった。

 しかし周囲からのアドバイスもあり、適度な休息もとっているため、疲れを翌日に持ち越すようなことがなかったのは幸いといえよう。

 

 早く追いつきたいと思う一方、それほど差がないのだから、急がなくても大丈夫だという楽観もあり、結論として若干ハードワーク気味になっているものの、支配人やコニーからもさして問題に取り上げられてはいない当たり、適度にレッスンできているのだろうと凛は思っている。

 

 さて。そんなわけで、今日は月曜日。

 凛が自身の教室に入ろうとすると、一人の女子生徒から声をかけられた。

 その女子生徒には見覚えがあった。というより、その生徒は武内がスカウトしようとして必死になっている、件の少女である。

 

「ねぇ。渋谷凛って、あんた?」

「……? そうだけど、なに? ていうか、誰?」

 

 とりあえず誰何を問えば、凛のことをうわさで知ったらしい彼女は、臼田スミレという名前らしかった。

 

 なんとなく、話しかけてきた理由を察する凛。

 一応、双方の気持ちがわかる凛としては、板挟みにならないように、あまり深く踏み込まないようにしようとしていたのだが――相手から話しかけてこられたのなら、話くらいは聞くつもりでいた。

 

「えっと、渋谷……さんは、アイドルに、なったんだよね……?」

「そう、だけど。まだ、デビュー前で、今日の配信ライブの時にデビューする予定なんだけどね」

「へぇ、そうなんだ……。成功するといいね」

「ありがとう。できるかどうか、まだ自信ないけど、やるからには全力でやるつもり」

「そっか……応援してるよ」

 

 どことなくぎこちない感じのスミレ。

 どう切り出したものかと、考えているのだろう。ややあって、スミレは凛に、こう聞いてきた。

 

「ねぇ、アイドルって、やっててどうなの? 楽しい?」

「う~ん、まだ、わかんない、かな。あ、でも。一度ステージに立たせてもらったときはすごく楽しかった」

 

 実は支配人たちの情熱に負けてスカウトを受けた翌日、お披露目という名目で半ば無理やりステージに立たされたのだ。

 もっとも、勧誘時にも無茶ぶりで歌わされたこともあったし、アイドルになると決めたのだからこれくらいのことなら、といった具合だったが。 

 

 しかし、参加自体は無理やりだったとしても、その中身自体は非常に感動的だった。

 最初は緊張で体がこわばって思うように動けなかったものの、歌いたいように歌って、と言われて自分なりにうたった結果。

 気が付けば、曲が終わり、自分というアイドルの卵に向けて、来場客の歓声が上がっていた。

 

 その時の、何とも言えない高揚感は、決して他では味わえないものだろう。

 

「今日のライブでデビューって、もうしっかりステージに立ってるじゃん。それでデビューじゃないの? イミワカなんだけど」

「まぁ、正式なデビューは今日の配信ライブってことになってるからね。メジャーデビューはまだ未定だけど」

「ふ~ん、そうなんだ。…………ねぇ、私にも、アイドルってできるのかな……?」

「どうなんだろう。そもそも、アイドルになったからって、何かが変わったような感じでもないし」

 

 まだアイドルになって間もない凛としては、そうとしか答えようのない質問内容。

 しかし、それで目の前の少女は満足できなかったようだ。

 

「にしても。いきなり話しかけてきたかと思えば、そんな話してくるなんて、どうかした? 誰かからアイドルにならないか、って誘われてるとか?」

 

 なので、それとなく直球に話を振ってみる凛。

 

「あ、いや、そんなわけじゃなくて、その、ちょっと……」

「わかりやすすぎ。……誘われてるんだ」

「…………うん。346プロの、武内って人に」

 

 スミレは面白いくらいにうろたえた。

 少しだけ逡巡してからポツリ、と答える同級生に、凛はあたりさわりのない答えを探しながら、慎重に言葉を紡いでゆく。

 

「そうなんだ。……それで、どう思ったの?」

「えぇ? いきなりそんなこと聞かれても……正直、アイドルなんて柄じゃないし、アタシになんて無理って思ったよ」

「まぁ、普通そうだよね。実際、私もそうだった。ステージの上でスポットライト浴びながら、歌って、踊って。観客のみんなに、笑顔を振りまいて。そんなの、自分には関係ない世界だって、思ってた」

「そうだったの? じゃあなんでアイドルになんてなったの?」

「声かけられた日の翌日からかな、同じ事務所に所属してるアイドルも、スカウトのメンバーに加わってきたんだけどね」

「それマジ? あはは、すごい偶然。アタシも先週の金曜日、似たような感じになったんだけど」

 

 その話を聞いた瞬間、スミレの表情が、ちょっとだけギョッとしたようなものになった。

 先週末か、休みの間に同じ状況になったのだろうか。だとしたら、支配人やコニーたちの手法は割と使い古された手法だということだろうか。

 そうだとするとちょっと思うところがあるなぁ、などと凛は内心で嘯きながら、表面上では目の前の同級生との話を続ける。

 

「そうだね。……それで、その子の話聞いてるうちに、思ったんだ。羨ましいな、って」

「羨ましい? なんで?」

「とても充実してそうだったから。なんていうかね、何を考えるでもなく、ただ惰性で進学して、うわべだけの日常を送る。はっきり言って退屈だなって思ったんだ。そんな毎日がこれから先続くって思うと。でも、あの子は違った」

 

 聞けば、ハルは過去に一度アイドルになって、挫折した過去があったという。

 しかし、それでも支配人達と出会って、再びその夢に向かってひたむきに歩きだしている。

 アイドルにならないか。そう誘われていた時、凛の背中を押したのは、まさしくその少女の眩しさだった。

 それがなければ、凛はアイドルになどなってはいなかっただろう。

 

「アイドルになって、その先に何があるかはわからない。でも――そこに私が夢中になれるものがあるなら、この道を、全力で走ってみようかなって。そう思ったんだ」

「ふ~ん……なんか、渋谷さんって、すごいな。アタシは……なんか、まだちょっと、よくわかんないや」

「あはは……まぁ、普通そうだと思うよ」

 

 しかし、スミレはそういうものの、凛は彼女との会話を通じて確かに感じていた。明らかに、アイドルに対して強い興味を示している、と。あるいは、似たような経験をしたから、そう思っただけかもしれないが。

 ただ。それが当たっているのならば――武内が猛烈にアタックをかけている少女が選ぶ道は――。

 

 考え込むようにして、それ以降言葉を発しなくなったスミレを見て、もうあとは彼女自身の問題だと凛は判断した。

 

 

 

 そして迎えた放課後。

 凛のデビューライブは、もうすぐそこまで迫っていた。

 凛がナナスタへ向かうべく帰り支度をしていると、周囲から友人が近寄ってきた。

 

「凛、もう行くの?」

「うん。今日はナナスタに行く用事があるから」

「みたいだね。私たちも知ってるよ、ライブなんでしょ?」

「え? どうして……? 言ってなかったよね」

 

 なんとなく、友達には恥ずかしくて説明していなかった凛であった。

 だが、そのあたりは友達もきちんと調べているようで。

 

「凛がアイドルするっていうんだもん、私たちが調べないわけないじゃない!」

「ナナスタって、一時期はやったっぽいけどここ最近はあまりいい話聞いたことないじゃん? 例えばほら、346プロとか、そのあたりなら盤石なんだろうけど、そんなところで大丈夫なんかなーって思ったからさ。でも、配信ライブ、現地参加も可能みたいじゃない」

「そうそう。もう、これは調査――もとい、応援に駆け付けるしかないよね!」

 

 などとのたまう友人たちを見て、呆れ顔しか返せない凛。

 そこはかとなく失礼なことを言われた気もしなくはないが、心配してくれているのだと思えば、逆にありがたくもある話でもある。

 結論、そのあたりにはどう答えればいいのかわからず触れないことにして、素直に見に来てくれると言っていることに対してのみ、感謝をすることにした。

 

「…………、まったく、みんなにはあきれるよ。でも、ありがとう。うれしいよ」

「なに言ってるの、凛」

「水臭いじゃない、友達でしょう?」

「頑張ってね、応援してるから!」

 

 中学校時代からの友人達に励まされながら、凛は一足早く、ナナスタへと向かうのであった。

 道中では、スミレの姿も見えた。

 彼女は教室前で凛を待っていたらしく、凛を発見すると彼女めがけて駆け寄ってきた。

 

「えっと、渋谷さん」

「凛。凛って呼んで。同級生なんだし、いいでしょ。私も、スミレって呼ぶから」

「う、うん……でも、私は、ウスタって呼んでもらいたいな。なんか、自分でいうのもなんだけど、スミレって感じじゃないから」

「え……? 別に、いいけど……」

 

 なんとなく嫌がっていそうな雰囲気で、無理にとは言えない凛は、彼女の要求通り、臼田さんと呼ぶことにした。

 話題は、この後行われる配信ライブのことだ。

 

「ライブっていったいどれくらいのお客さん来るんだろーね」

「うーん……どうなんだろう。一応、支配人が言うには300人程度は入るって言ってたけど……」

「そんなもんなの?」

「そもそもまだそれほど知名度があるわけでもないし、現地参加の人が一人もいない時もあるみたいだけどね。大体こんなもんだと思うよ?」

「そうなんだ。うーん、なんかアイドルも大変そうだなー」

 

 まぁ、確かに人気が出るまでは大変だとは思うが。

 しかし、人気が出たら出たで、また大変になるんだろうな、とひそかに未来に向けて覚悟を決めておく凛。

 

 二人はそのまま、ライブの話から世間話へと話題を変えて、楽しげに話しながらナナスタへ向かって歩いていく。

 そして、ナナスタまであと少し、というところで、意外な人物と遭遇した。

 

「……臼田さん」

「スミレちゃん!?」

「あ…………」

 

 スミレを発見し、驚いたような表情で彼女の名字を呼ぶ、武内Pと一人の少女の姿がそこにあった。

 



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