やはり俺のボーダーでの短編集は間違っていない。 (ハーマィア)
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国近柚宇。いち。(前編)

「過ぎ去ったハロウィン」というネタ。

付き合い始めた日から一年くらい経過してる設定で。


 昼間。あまり暇そうに見えない様子の太刀川さん(普段はいつでも暇そうだ)が、俺の姿を見つけるなり駆け寄ってきて、こんな事を言った。

 

「ようハチ。……あー、その、どうだ? 最近……国近とは」

 

 国近——国近柚宇。太刀川さんが隊長を務める部隊のオペレーターのことだ。俺の知り合いでもある。

 

 太刀川さんの心配そうな視線に、少しだけバツの悪い思いを感じながら口を開く。

 

「最近はあんま話してない……すかね。疎遠とは違いますけど、会う理由もないですし……最近忙しいですし」

 

 嘘だ。会う理由ならめちゃくちゃ有る。何なら会わない必要がないくらい、理由としてはあった。

 

 けれど、その一歩を踏み出す勇気が、俺にはなかった。

 

 俺にはそんな資格はないのだから。

 

 だって——

 

「国近先輩のあの視線に逆らえる気がしないんですよ……可愛すぎて」

 

 付き合い始めてからものすごく可愛いんですよもうっ。

 

 彼女の笑顔も、彼女の仕草も、彼女の優しさも、彼女の思いやりも。「国近柚宇」という概念に至るまで、存在全てが可愛い。もうどうしろと。

 

「爆発した後舌噛んで死ね」

 

 隣を通り過ぎていく仁礼の冷たい暴言が八幡の五臓六腑に突き刺さって超痛い。

 

「……チッ」

 

 あとで絶対にヤツの隊室のコタツを解体分解破壊廃棄(粗大ゴミに)してやると誓って、舌打ちをしてみたら——

 

「今なんか言ったか、ハチ?」

 

「ふぁっ◯……いや違う、サーイエッサー! 御身の美しさは常に至上の輝きを放っていると常日頃から思っていますが、御身が素晴らしすぎて今日はその一端が口から漏れ出てしまいました! 是非お許しを……っ!」

 

「そうかそうか、アタシは嬉しいぞ、褒めてやろう。じゃあ、あとでヒカリさんの部屋に集合な」

 

笑っているのに彼女の笑顔が見えなかったです。

 

「いえ、自分には任務が——」

 

「返事は」

 

「イエス・マム!」

 

 それは、怯え。だけど隠す事は出来なかった。だって隠すと殺されるんだもん。押しつけられる仕事量に。

 

 スコーピオン使いにオペレーター仕事任せるとか何考えてんだろうあのコタツムリ。

 

 押しつけられすぎて、今ではB級隊員なのに普通にA級オペレーターの仕事ができるまである。終いには綾辻とかのオペレーターが病気で寝込んでる時などにその隊の代役としてよく駆り出されるようになってしまった。許すまじ、仁礼光。

 

「んじゃ、アタシらの防衛任務が終わったらすぐに来い」

 

 しかして俺による仁礼への怨嗟の視線は本人に届く事はなく(本当に良かった。気付いたらやられていた可能性がある)、不機嫌なままその場を立ち去っていった。

 

 へたり込もうとする足に喝を入れ、どうにかこうにか倒れそうになるのを耐える。どれだけ恐れてるんだよって話だけども。

 

 だが、この場で別れてしまえさえすれば問題ない。なんか「アタシらの防衛任務が終わったらすぐに来い」と言ってた気がするけどよく聞こえなかったので僕は何も知りませんでした。

 

 その前に言っていたが、あとで、という事はいつでも良いはずだ。いつでも良いという事は百年後だって良いはずだろう。百年後だって良いという事はその頃には仁礼も俺も死んでいるだろうから、つまりは達成されることがなくても良いはずなのだ。

 

 念の為ヤツのメアドをブロックしてから、太刀川さんに向き直る。——何処かで仁礼の怒声が聞こえた気がした。

 

「……それで、えっと……国近先輩がどうかしましたか」

 

「……最近、国近がハチに構ってもらえないって拗ねてオペレーターの仕事に支障が出てる。俺らが四位に落ちるくらいヤバイんだ」

 

「……オペレーターが機能していないのに四位は流石だと思いますが。……そういえばそんな話を聞いたような気もしますね。俺B級なんであんま知りませんでしたけど、……ってまさか、……っ、逃げるんだよォォォォウッ!?」

 

 ぐいがしめり、と流れるような動作で生身の俺の腕関節を決めにかかる太刀川さん。あんたいつの間にそんな頭使いそうな技習ったんだよ。あと骨折れそうです。

 

「どことなくハチが俺を馬鹿にしてるのは置いておくとして、ハチ、他のA級部隊のオペレーターと内緒で交代したりしてるらしいじゃないか。本来なら認められる筈はないんだがなあ。……忍田さんに言いつけられたくなければ、このあと今すぐ俺らの隊室で国近を蘇生させてくれ」

 

「ぐっ、ぎっ、……太刀川さん……!」

 

 その提案を聞いて気が変わった。正直めちゃくちゃ行きたいしありがたい。だが今日もこのあとは色々仕事があるのだ。三上の兄妹の面倒を見たり綾辻と広報の書類整理をしたり橘高さんとアニメについて語り合ったりなどなど。

 

 人見さんと映画(ホラー限定)観賞とかもする約束だし、ここまで来ると仕事なのかと首を捻りたくなってくるのだが……まぁ、約束は約束だし。

 

 国近先輩の所に行きたいのは山々なのだけど、どうしたものか。

 

 そうやって悩んでいると、俺たちの目の前をカピバライダーが通りがかった。

 

「む、はちまんか。いったいどうしたんだ、こんなところで」

 

「いや……なんでもねぇよ、見なかったことにしなさい陽太郎」

 

林藤陽太郎。ボーダー玉狛支部支部長の親戚のお子様。一応ボーダー関係者ではあるもののトリガーを持っておらず、普段は玉狛に入り浸り、俺たちがいる本部には滅多に来ない、珍しい……や、つ…………。

 

 未だ太刀川さんに組みつかれたまま、俺は首を陽太郎に向ける。

 

 ……こいつがここにいるということは、誰かがこいつを連れてきたということで。

 

「陽太郎、小南は来ているのか? ていうか、誰に連れてきてもらった?」

 

「ここになら、レイジ、こなみ、しおりちゃんときたぞ。しおりちゃんはかざま隊の所で、レイジはまたむかえにくるといって帰った。こなみはたぶん、雪のした隊の所だと思う。話があるとか言ってたからな」

 

「オーケー把握した。何か役に立つかもと思ったが特に役立たなそうだ。陽太郎、小南と会っても俺が今本部にいることは絶対に言うなよ」

 

 雪ノ下+小南=情報漏洩による俺の死。

 

 ランク戦すらロクに参加しないで依頼を片付けていたら、ついこないだにA級になったばかりなのにもうB級に落ちてました。キャハッ!

 

 特に小南にはB級に落ちたことは言っていないので「おめでとう。これでようやくあたしと同格ね!」と言ってもらって色々奢ってもらったりしたあの日が懐かしい。側からみれば贔屓にしてるレベルで結構目をかけてもらったし、そもそも雪ノ下隊は奉仕部としての側面もあるけどそれ以前に部隊の降格が知れたら何されるかわかったものじゃない。……こう話してても足元なんかガクブルなんですよ?

 

「わかった」

 

 ほっ。一安心だ。陽太郎は小生意気だけど話のわかるやつで——

 

「おれは言わない」

 

 ……? なぜ、こんな所で宣誓のようなものをする必要がある。どうでも良いけど、中学生の頃まで宣誓を先生達への報告の儀式だと思ってました。

 

「おれはな」

 

 二度目の念押し。……まてよ、何か引っかか——

 

「……ご機嫌よう、八幡?」

 

 うえっ。

 

「待て、落ち着け落ち着こう落ち着いてください僕たちは俺たちは話し合えば意思疎通できる共存できる理解できる——」

 

 敵は、すぐそこに迫っていた——ぎゃあああ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「宅配便っす!」

 

「ご苦労、帯島……はいお駄賃」

 

「ありがとうっす! ……えへへ」

 

「んじゃな」

 

「はい! お疲れ様でした!」

 

 訓練室でド根性バットよろしくあっちにびたーんこっちにどごーんそっちにグシャバキグルェバッドォォォンと小南に足首掴まれて振り回され続け、満身創痍で訓練室付近のベンチに倒れていたところ、たまたま近くを通りかかった帯島に「比企谷先輩! 訓練のための重荷になってくださいっす!」と言われ、仕方ないので太刀川隊室まで米俵のように担いで行ってもらったのだった。

 

 運賃代わりの飴玉を帯島に手渡し、そこで別れる。なんだか帯島に特に懐かれているような気がするけど、どこぞのガンマンが拳銃を抜きそうな気配がしているのでさっと接してさっと別れる。

 

 ていうか俺身内に命狙われすぎ。皇帝かよ。

 

 そんな事を考えながら、ついにたどり着いた太刀川隊室のインターホンを押す。……すると出たのは案の定国近先輩だった。

 

『……誰もいませ〜ん。太刀川さんもいずみんも、誰もいませんよ〜』

 

 何処となく気落ちした声で応答してくる国近先輩だが、こちらも負けじとインターホンに顔を近付ける。

 

「くにち」

 

 までしか言うことができなかった。なぜなら、半目でインターホンを覗いていた国近先輩が1秒と経たずにドアを開け、俺を太刀川隊室に引き込んだからだ。

 

 で。

 

「……ひき、がや……くぅぅん……!」

 

 仔犬の如く胸元に擦り寄られてくんかーされてます。正直すっごくくすぐったい。

 

「……ご無沙汰、してま……? せ、先輩?」

 

 にまたぁ(にまぁ+にたぁ)。俺が声をかけてこちらを見上げた先輩の目は、なんていうかとろんとしていて、……————。

 

「……もっ、もう我慢できない……っ! ハロウィンも過ぎちゃったし、何でもないけどここで比企谷くんの処女を戴く……っ!」

 

「落ち着いてください、とりあえず部屋の外に出て——って、開かねぇ!?」

 

 ロックされてるし、キーが無いと内側から開かない仕様だし先輩の胸ポケットにそれが見えるけど触る訳にはいかないしでああもうどうしよう……!

 

「はぁ、ふぅ、……ひ、ひひひひひひひひ……!」

 

 じり、にじり、と一歩ずつを踏みしめて俺に迫る国近先輩。(事後が)恐ろしいんだけどちょっと可愛いとか思ってしまいました。

 

「お、俺、処女じゃないんで……」

 

 情欲に滾る彼女を前にして俺は、そんな事しか言うことができなかった。

 




前編後編の予定。


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国近柚宇。いち。(後編)

後編です。


出血描写があるので苦手な方はブラウザバックお願いします。


「比企谷くんっ!」

 

「はい」

 

 よしよし。

 

「比企谷くん、比企谷くんっ!」

 

「はいはい」

 

 よしよしよしよし。

 

「えへ……」

 

 よォーしよしよしよしよしよし!

 

 地点Tから作戦司令部へ。こちら八幡。目標の鎮圧に成功した。これから二次段階へと移行——は? いや、成功はしましたけど性交はしてないですから。雪ノ下陽乃をして「理性の化物」と言わせしめたこの俺があんな前振りでコトに及ぶわけないでしょ。……ちょっ、平塚先生耳元で意味もなく叫ばないで! 婚期の納品が遅れますよ!

 

 …………。

 

 脳内で独身王国の侵入ミッション編ごっこをして気を紛らわしながら、俺は国近先輩の頭を撫でていた。

 

 無論、この作業は先の「俺の処女強奪」宣言を受けての対策行為であり、滾りに激った先輩の衝動を鎮めるための応急措置でもあった。正しい処置はする訳にはいかないので割愛。

 

 国近先輩の頭を撫でながら、ふと思う。

 

 高校三年生、それも十八歳になったというのに、この人にはどこか幼げな印象を持ってしまうのは、こんな風に頭を撫でているからか。

 

 俺に頭を撫でられて嬉しそうに顔を綻ばせる姿は可愛いの女神「国近柚宇」そのもの。

 

 この溢れんばかりの可愛さを例えるとしたら、……小動物的? いや、肉食動物すら軽く屠りそうな程凶暴(インサニティ)な先輩の胸がそうは言っていない。じゃあなんだろう。

 

 包容力? ……包み込むモノはモノでも、抱きしめる感触からしてクッションのような感覚だ。違うな。……ぬ?

 

「……」

 

「起きてください」

 

「にいっ!?」

 

 立ったまま寝ようとする国近先輩の餅みたいに柔らかくて白い頬を引っ張る。すると、国近先輩は小さく悲鳴を上げて目を瞬かせた。

 

「……もっ、もうっ! 比企谷くん、何するのさ〜」

 

 よほど痛かったのか、目尻に涙を浮かべてぷくっ、と頬を膨らませて抗議してくる国近先輩。やばい、可愛(殴)……ぐふっ、危なかった……もう少しでやられるところだった。

 

「な、なんで自分の顔を殴ってるの?」

 

「頭のネジが緩んでたんで気を締め直しただけです」

 

 目をぱちくりとさせる国近先輩にそう話す。……すると彼女は、視線を落として両腕を胸の前に持ち上げて、自分の拳を見つめ始めた。

 

「……」

 

 嘘は言ってない。気つけ程度にしかならないかもしれないが、先輩と逢いたい……相対する時はこうでもしないと正気を保っている自信が……あ、いや、今のは気の迷いが過ぎてましたねホントごめんなさい。落ち着かないのは俺が処女ではなくて童貞だからかしら。誰が童貞だコラ。

 

 ——と、そろそろ時間だ。

 

「先輩、仕事の時間なんで今日はこれで……っ?」

 

 むにむに。にむにむ。

 

 国近先輩が両手を猫の手にして、自分の頬をマッサージするかのように押し上げていた。

 

 垂れ目やおっとりとした表情と相まって猫が毛繕いをしているようなリラックス効果のある微笑ましい光景となっていて、正直破茶滅茶かわいい。

 

「……ふえ?」

 

 あまりの可愛さに俺が言葉を失っていると、国近先輩がこちらを見上げてきた。

 

「どうしたの、八幡くん?」

 

「いや……何してんすか」

 

 しまった。あまりに気になり過ぎて、実直に聞いてしまった。

 

 女の子の事情に抵触する可能性のある行動だったかもしれないし、こういうのは気安く聞くべきではないと前に小町も——

 

「えっ……? ううん。ちょっと、比企谷くんと一緒にいて幸せ過ぎたから緩んだ頬を引き締め直してただ——ひゃっ!? だ、どうしたの比企谷くん!?」

 

 気付いたら鼻血が出ていたようで、慌ててティッシュを差し出す国近先輩からそれを受け取って鼻に当てる。

 

 ていうか、今の何か引き締め効果あったんすか。どう見てもやわ餅をこねてるようにしか見えなかったんですけど。

 

 可愛さを膨れさせているかのような。

 

 ああ、いかん。考えれば考えるほど頭から血が抜けていく。落ち着いて、深呼吸。はい、落ち着いた。

 

「大丈夫?」

 

 むにゅ。

 

「に゛っ!?」

 

 心配してくれているのか、不安げな表情でこちらを見上げる国近先輩はおれと正めんから向きあってだきあうようにみっちゃくしていてそのほうまんなにくまんがむっちりと柔らかくおしつぶれていてぶらのかんしょくとかそれいぜんにせんぱいのむねのあつがすごくてあついというかあつくてもうなにもかんがえられなければそれでもいいかなとおもうじぶんがいてそれじゃだめだここからだっしゅつしないとしこうのぬまにどんどんしずんでいってにげだせなくなるああでもぬまっていちどはまるとぬけだせないんだっけそうかんがえるとやすっぽいしつれんをなんかいかくりかえすよりはこのしんじつのぬまにしずんでいったほうがいいなああああああああああああああああああああああああああああああ。

 

 オイ俺を殺す気か。本望ですよ。

 

「……? だ、大丈夫?」

 

「……あ、いや、大丈夫、です。……ん?」

 

 ピロン、ピロン、とケータイにメールの着信が。開くと——

 

『比企谷くん、どこに居るの? 気付いたら返事をください』

 

 メールは複数来ているようで、一件目は三上から。俺のことを探しているみたいだし、何か用事だろうか。

 

『もしかして寝てるのかな? 雪ノ下さんも探してたよ。起きたら返事ください』

 

 綾辻。俺が寝てる……? 何回かメールを送っているのにそれに気付いてもらえない、といった文面だ。

 

『比企谷くんはアイドリッシュセブンでいえば六弥ナギくんよね?』

 

 橘高さんから。何の話をしているんだこの人。

 

『最近スマホゲームにハマってしまったの。下手なホラー映画よりも怖いんだから。今度一緒にプレイしましょう』

 

 人見さん。今度ということは(略)なので、その機会はないのだろう。

 

 というか、これらのメールよりも前に、かなりの数の着信……が……。

 

 ふと気になって見た、スマホ上部に表示されている現在時刻。

 

「えっ」

 

それを見て、俺は思わず声を漏らしてしまった。

 

 現在時刻、午後五時二十分。

 

 俺が太刀川隊室にお邪魔してから、どう控えめに見積もったとしても、一時間半が過ぎていたのだ。

 

 一体、何が……? 新手の黒トリガー使いか?

 

 不審に思って、状況を確かめようと身動ぎする——

 

「……っ?」

 

 体に電気が流れたかのような感覚が身体中を突き抜ける。

 

 その感覚はまるで全身から力だけを引き抜かれたような錯覚に似ていて、思わずたたらを踏んで、オペレーターデスクに手をつき、踏ん張って、転倒を回避する。

 

 首を傾げていると、国近先輩に服の裾を引っ張られた。

 

「……えっ、えっとね、比企谷くんに……だっ、だきちゅっ、だだだだ、抱きついた、のは、わたしから、なんだけど」

 

 はいかわいい。……もうかわいい。

 

「抱き着く」の単語をつっかえさせながらしどろもどろに口を開く国近先輩を見て、胸が締め付けられるような錯覚を感じました。

 

 いやそんなことはどうでも(良くない国近先輩可愛すぎる)とりあえず置いといて、国近先輩が話す続きを待つ。少し呼吸を整えて、彼女は再び口を開いた。

 

「……そのあと、比企谷くんが話してくれなくて、あったかくて、あの、いや、違くて、……違わないけど、比企谷くんが、ずっと、わたしを、抱きしめてました」

 

「…………」

 

 マジか。……なんてことを……。

 

「すいません! 任務もあるのに、時間を使わせてしまって……」

 

 急いで国近先輩に頭を下げる。一時間以上抱きしめてたってことだろ? そりゃ迷惑だよな、任務も全然出来な——あれ?

 

 任務があるなら、出水か太刀川さんが強制的にでも俺と国近先輩を引き剥がしてる筈なんだが……。

 

「任務なら今日は休みだから安心して良いよ〜。けど、さっきからケータイがなってたから、大丈夫かなって」

 

「あぁ……」

 

 納得。通りでそんな事がある訳だよ。ただ……。

 

 最初の約束の時間が四時からだから……まぁ、うん。

 

「すみません、ちょっと釈明だけ失礼します」

 

「あ、うん。わかった、……っ!?」

 

 断りを入れた直後に手元のオペレーターデスクを見て何か驚く国近先輩だったが、恐らくは忘れていた宿題か何かなのだろう。

 

 だったら後で手伝えば良いと思って、先ずは綾辻に電話をかける。確か手伝っていた書類の締め切りは来週までだから、明日今日の分を頑張ればまだ間に合うはず。

 

 三上との約束は妹が意外としっかりしてるので、この前は一緒に三上の家で妹主導で餃子なんかも作ったし、まぁ大丈夫だろう。あとの二人はメールで謝罪を。

 

連絡帳からいつの間にかお気に入りに入っていた綾辻の連絡先を呼び出して、電話をかける。すると、ワンコールで綾辻は出た。

 

『……もしもし』

 

 心なしか言葉にトゲがあるような。……綾辻だし、気のせいか。

 

「『もしもし綾辻か? すまん、仮眠室で寝てたらこんな時間になってた。手伝いは明日でも良いか?』」

 

 ……ん? なんか今、〝俺の〟声がケータイのスピーカーから聞こえたような……?

 

『うん、大丈夫だよ。ここ最近は比企谷くん、働き詰めだったし、仕方ないよね』

 

 心から俺を気遣ってくれている、いつもの綾辻の声。良かった、気のせいだ。

 

「『すまん、助かる。それじゃ、明日朝にでも——』」

 

 やっぱりエコーがかかっているような気もするけど気のせいだな。

 

『でも』

 

 安心して次の予定を決めようとする俺の声を遮って、綾辻の声が聞こえてくる。……ん? 国近先輩が、何かを手に持って、こちらに差し、出……して…………。

 

『……でも、比企谷くん。そのかわり、これから私たちの隊室に来てくれないかな? 今の放送の意味(・・・・・・・)、詳しく聞きたいからさ』

 

 震えるチワワのように怯えた表情(かわいい)で国近先輩がこちらに向けてくるのは、滅多に使わない共通放送用のスイッチコントローラー。その電源が、オンになっていた。

 

 共通放送とは、登録した部隊の間でのみ一斉通信ができる仕組みのこと。確か冬島さんか誰かが試作で作って、試しに使ってみてって事で配って……あ、これ作ったの、俺でした。データ取ろうと思って配布したのも俺でした。

 

 ともかく、その機器があれば登録した部隊に一方的な通信が可能だ。通知だけしたい場合とかに超便利……なのだが。

 

 簡単に説明すれば、いつの間にか機器のスイッチが入っていて、いつからか俺と国近先輩のやり取りが太刀川隊が登録した連絡先にどういう訳か垂れ流しという訳でして。

 

 嵐山隊室にもしっかりと放送されてるようだった。

 

『お土産とか欲しいなー?』

 

「『…………いいとこのどら焼きで如何でしょうか』」

 

『良いよー。なら三十分後に嵐山隊室で待ってるから。ちゃんと、人数分(・・・)買ってきてね?』

 

「『了解……』」

 

『あ、国近先輩にも話を聞きたいから、伝えておいてね?』

 

 三上のその言葉を受けて、こく、こく……と必死に頷く国近先輩。いつの間にか風間隊も共通放送を使用しているらしかった。

 

『ハチ。アタシは和栗どら焼きな』

 

「『……かしこまりました』」

 

 なんか他にも漏れてるし、十個で足りるかな……。

 

 通信を切って、財布の中身を確かめる。ギリギリ足りそうだ。

 

 肩を落とし、和菓子屋に行こうと国近先輩に声をかける——と。

 

「……だっ、大丈夫だよ、比企谷くん! 二人なら、もう何も怖くない!」

 

「それ死ぬやつです……」

 

 こんなところで勇気を振り絞る国近先輩は、やっぱり可愛い。

 

 そんな先輩の可愛い姿に少しだけ癒されながら、扉を開けて——双月。

 

「はぁぁぁぁちまぁぁぁぁん!?」

 

 ぴしゃっ。……訂正。どら焼きが一個増えるな。

 

「じゃ、テレポーターで行きますか」

 

「う、うん……」

 

 その後国近先輩の支度が整うのを待ってから、太刀川隊室から離れた場所に二人でテレポートして、そのままどら焼きを買って〝帰宅〟しました。

 

『おいしいね、比企谷くんっ!』

 

 どら焼きを頬張る国近先輩が可愛くて、買った後に何か予定があった気もしたけど、そんな些末な事は国近先輩の可愛さインパクトに吹き飛ばされて、忘れてしまった。

 

 まぁ良いよね、嬉しそうにはむってどら焼きを食べる国近先輩の笑顔が見れたことだし。

 

 

 

 

 

 

 そうして迎えた翌日は、ボーダー史に残る惨劇として、又は俺を語る際の代名詞になったのは語るまでもない。

 

 




次は木虎か小南の予定です。


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木虎藍の許婚。

お待たせしました木虎編です。

 暑いのは嫌だけどこう寒いと雪見だいふくが食べたいですね。

 では、どうぞ。

-追記-
タイトルつけました。


「今日もありがとうございました。また明日、よろしくお願いします」

 

「はい、お疲れさま。また明日ね、藍ちゃん」

 

 そう言って、私は先生と別れの挨拶を交わし、生け花教室を後にする。

 

 土曜日の夜。私、木虎藍は一人夜空を見上げていた。

 

「……」

 

 肌をちくちくと撫でる冷風。マフラーで耳元まで覆われててもその寒さからは逃れられないけど、その〝涼しさ〟によって今の今まで溜まり続けた鬱憤は少しずつ溶けていく気がした。

 

 時刻は午後六時。日の短い冬とはいえまだまだ人も多く、居酒屋の提灯には暖かなあかりがともっている。時折聞こえてくる爆音でさえ、喧騒の一部として取り込まれていた。

 

 その喧騒が、冷えかけていた私の苛立ちを加速させた。

 

 一体何なのだ、あの教師は。

 

 まるで魔女。講義もただの世間話や愚痴、自慢話ばかりで、自分が持っている技術をひけらかしたいだけの性悪にしか見えない。

 

「また明日」なんて言ったけれど、体験期間中だし、お母さんに言ってもう辞めさせてもらおう。本を見て、練習して、失敗した方が遥かに私の腕も上達するに違いない。

 

 そうだ、本を買おう。それを持って直談判すれば、何もないよりは安心してお母さんも承諾してくれるはずだ。

 

 そう考えていると、私の足は自然と近場の書店に向いて歩き出していた。

 

 ……「彼」がいるかもしれないという不確かな憶測で足を向けたのでは、決してないはずだ。

 

「いらっしゃいませー」

 

 半ば機械化された店員の声。多分、扉が開く音で判断しているのではないだろうか? まぁ、どうでも良い事だけど。

 

 カケラも気持ちが込められていない歓迎を受けて、店に入る。彼はいるだろうか?

 

 いつもの場所、書店の中でも奥にあるライトノベルのコーナー。しかし、そこに彼の姿はなかった。

 

 あっちを見てもこっちを見ても、いやそんな髪型とかその歳でその髪の色はどうなの、と言いたくなるような格好をした少年少女が表紙を飾っている書籍が所狭しと並べられ、かなり目が痛い。

 

 ……けれど、仕事仲間の双葉ちゃんも、赤目に金髪という中学生にしてはかなり挑戦的なファッションをしている。

 

 ……「彼」も、もしも私がそんな格好をしたらどんな反応をするのか。……似合わないからやめとけ、なんて面と向かって言われるに違いない。

 

『何でわざわざ効率の悪い方で納得してんだよ。相手を欺いて、避けて、突き放さなきゃ自分の身は守れないぞ』

 

 私がこんなワガママを思うようになったのも、彼のせいだ。

 

『けど、お前が大事だと思ったもんは捨てずに取っておくべきだと思う。……俺はなんていうか、そういうの、ないからな』

 

 媚び諂うように「似合う」の連呼しかしない人達とは違って、あの人は私に何か大切なものをくれた気がする。

 

 私が何かあげているのかもしれないし、互いに共有しているのかもしれない。

 

 ……とにかく、こんな所で振り返っていても時間の無駄だ。先輩がここにいないのならいても無意味なのだし。

 

 急がば回れというが、善は急げとも言う。正常な状況判断の下で次の可能性に向かうのは、正しい行いの筈だ。

 

 そうと決まればここに用はない。彼がここにいないのなら私がここに滞在する理由も、価値もない。故に私は、足早に書店を後にすることにした。

 

 どうせすぐに見つかる事だろう。今日は土曜日。彼とはほぼ毎週この街のどこかで出会っているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぷる。ぷるるる……ぷる。

 

 壊れたオルゴールような着信音が鳴る。この前、別役が入れたものだが、中々他のメロディにはない〝味〟があって、また他に理由もないので気に入っている。

 

 ただ、前に東隊の部屋に置き忘れた事があって東さんが死ぬ程ビビってたと言うのを、同じくそれを聞いて怯えてた小荒井から話を聞いた冷や汗を垂らす水上から話を伝えられた大して響いていない生駒さんから話が伝染したマジ顔宇井の愚痴を聞いていた戦慄する柿崎さんの側にいた熊谷に涙目でケータイと共に手渡されて、俺のケータイはどんな旅をしてきたのだろう……と思ったのは良い思い出だ。

 

 何はともあれ、電話には出ねば。

 

 そういえば知らない番号だ。

 

「はい、もしもし」

 

 出てから気付いた。しつこく粘ってくる勧誘とかだったらどうしよう。話ぶった切ってガチャン、て切れないんだよね、俺。雪ノ下に代わってもらおうかしら。

 

 と、この場にいない我が隊の隊長殿に、例え妄想であっても断られてしまう未来を幻視しながら、相手の声を待つ。

 

『……ひっ、比企谷先輩! いま、何処ですか!』

 

 ……ん?

 

「あの……えっと、ああ、木虎か」

 

 震えた声に時折聞こえる鼻をすする音。どこか寒い所にでもいるのかと思ったが、それは木虎の涙声だった。

 

「……どうした? 何かあったのか?」

 

 ただ事じゃない。そう思いながら返すと、何度もひっく、ひっくとしゃくりあげながら木虎は続きを話してくれた。

 

『先輩を探してて……先輩の居そうなところを探し回ってもどこにもいなくて……何処ですか、先輩……』

 

 憔悴しているのか、若干幼児退行しているように聞こえる。

 

 ……何この子。こんな街中でそんな事言われても八幡困るんだけど。

 

「えーと、だな。まずは状況を教えてくれ。どこにいる?」

 

『……、……す』

 

 うん? よく聞こえない。電波がわるいのだろうか。

 

「すまん、もう一回大きな声で言ってくれ」

 

『……、の、前……です』

 

先程よりは聞こえる。けど肝心の場所がわからない……。何処だろうか。

 

「悪い、もっとだ。もっと大きな声で——」

 

 この時の選択について俺は、移動の指示を出すなり帰ることを提案したりなど、他のものを選ぶべきだったと後悔している。

 

 

 

 

 

 

『先輩と初めて出会ったラブホテルの前です!』

 

 

 

 なんて所にいるんだこの子は。

 

 

 

 

 

 

 いや、そんな事より……は? こんな時間に繁華街……!?

 

「よし、わかった。もう泣くな。すぐにいくから。な?」

 

 言って、通話を切る。

 

 普段から自分にも厳しく他人にも厳しい頑固者の木虎だが、そんな風に見えてあいつも女の子だ。一人で夜道を歩く事がどれだけ危険なのか、わかってねぇぞあのバカ……!

 

 苛立ちと、焦りと、心配と——さまざまな感情が混ざり合って、膨れ上がる。

 

 それと同時に踵を返し、たった今過ぎたばかりの繁華街、しかもあの場所に向けて俺は走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 木虎を見つけるのにそう時間はかからなかった。というか、すぐだった。

 

 ホテル前に設置されている自販機にもたれかかり、遠くを見つめる木虎を発見。幸い誰に話しかけられる事もなく無事なようだが、その瞳には涙が浮かんでいた。

 

「木虎!」

 

 声をかける。木虎と一緒に周りにいたカップルが振り向くが、木虎なんて名字はそう耳にするものではないのですぐに大多数の人間の視線が俺から逸れた。

 

「……あ、先輩……」

 

 木虎の下へ駆けつけて、木虎を見る。

 

 ……良かった、何処も乱暴されてない。触れられた形跡すらない。さっき話してたケータイをそのまま握りしめている事からも、どうやらすぐに駆けつける事が出来たようだ。

 

「一体どうしたんだ、俺が見つからないって……とりあえずはまぁ、変なやつに絡まれなくて良かったよ」

 

 ただ、何で悲しんでいるのかはまだ正直理解していない。俺を探していたとのことだが、何故だろうか。木虎が落ち着いてから、それも聞いてみないと。

 

「……先輩」

 

 木虎が俺を見上げる。その目元は赤く腫れていて、擦った痕も見られる。……泣きかけ、ではなく泣いていたのだろうか。

 

「私は怖い女、なのでしょうか」

 

 ん?

 

「……すまん、質問の意味がわからないんだが……」

 

「さっき、すれ違ったカップルが言ってました。『お前みたいな、人に怖い思いをさせる人間が夢なんか見てんじゃねぇ』……って」

 

「怖い、思い……だと?」

 

 そう聞き返すと、溜まりに溜まった木虎の涙腺は崩壊し、涙を流しながら叫ぶように話し始めた。

 

「 ……わたしがっ! ……ボーダー、隊員なのは、周知の事実です! ……それで、あんな、大きい、化物をいとも簡単に倒してしまう『私たち』は、結局、化物と同じ存在、なのでしょうか……? わたしは、誰も傷つけるつもりなんてないのに、誰かを護りたいだけなのに、なんでこんな事を、誰かに言われなきゃいけないんですか!」

 

「…………」

 

 彼女の激昂に、俺はしばらく声を出すことができなかった。

 

 呆れたんじゃない。そんな当たり前の悩みに気づくことができなかった自分に、腹が立ったのだ。

 

 木虎藍は彼女によく似ている。強くて、自分の意見をしっかりと述べることができて、一人でも立ち上がっていける——そんな風に思っていたのは、俺の間違いだった。

 

 彼女に似ているということは、彼女の抱える弱さにもまた似てしまっているということ。

 

 孤独が一番嫌い。劣等感が嫌い。承認欲求が嫌い。自己顕示欲の塊であると共に、自己嫌悪の化身であるのだ、彼女らは。

 

 そして、そんな彼女らの最大の弱点は自己肯定の弱さにある。

 

「……すまない」

 

 気づいてやれなくて、すまない。

 

 だが、苦しい胸中から絞り出すように吐いた言葉は、それだけだった。

 

「……何が、すまない、ですか……っ! 先輩は悪くないじゃないですか、なんで謝るんですか!? ……これじゃあ私が、先輩に何かされたみたいじゃないですか……?」

 

「ちがう、違うんだ、木虎。……俺が何もしてやれなくて、悪いと思ってて……それで、謝った……すまん」

 

苦々しく呟いたその言葉に木虎はきょとんとした目で俺を見て、

 

「悪いと思ってる……? 先輩が、悪いんですか?」

 

 と呟いた。

 

「ああ……責任は、とるよ」

 

 木虎をボーダーに勧誘したのは俺だ。彼女には普通に学生として生きる道もあっただろうに、それらを捨てさせてまでこの道を選ばせたのは、俺なのだ。

 

 ボーダー隊員となった以上、死という命の危険は常に寄り添う。だが緊急脱出システムの完成によって、より安全に戦えるようになったのは事実だし、また、彼女が今抱えている不安はそういうのとは別のところにある。

 

 彼女が肩から下げているポーチバック。その中のトリガーを今すぐにでも取り上げてしまうべきなのか、悩んでいると。

 

「……げんちとった……っ!」

 

 何やら嬉しさを迸らせる甘い声が聞こえて。

 

 スポイトで垂らした雫が、濁りきった湖面を一瞬で透水に変えてしまったかのように。

 

「……先輩、迎えに来てくださってありがとうございます。ですがもう遅い時間です。遊ぶのは明日にして、家まで送って行ってもらえませんか?」

 

 まるで人格が入れ替わりましたと言わんばかりのこの表情で、スラスラと並べ立てる。

 

「あ、ああ。わかった。でも、そんなに言う必要ないだろ。まだ八時前だぞ? それに——」

 

「うるさい! 行きましょう!」

 

 いやあなた何処の麦わら?

 

 俺の手を取り、星が見えない夜空に掲げる木虎。何、甲子園でも目指すのん?

 

 急激にテンションの上がった(少なくとも俺にはそう見える)木虎は俺の腕を引き、るんるん気分で歩き出した。

 

「先輩が言い出したんですからね?『責任取る』って! これを一色先輩も言われた、なんて聞いた時は卒倒しそうになったんですから」

 

「……いや……おまえ……」

 

 それを指摘しようとして、言葉が出ない。

 

 さすが何処かの魔王に理性の化け物と呼ばせた俺。こんな時ですらこれかよ。

 

「なんですか?」

 

 立ち止まり、不意にこちらを見上げる木虎の眼。うるんでいるようにみえた。

 

 言葉が詰まりそうになりながらも、なんとか心を噛み砕いてカタチにする。

 

「…………あ、あのな」

 

「はい?」

 

「……う、その」

 

「はい」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……や、やっぱ」

 

「はやく」

 

 間髪入れずにずずいと詰め寄ってくる木虎。怖い、怖いよ木虎。

 

 それからもたっぷりの間を開けて、気を練り直し、ようやく言葉は音となって空気を震わせた。

 

 

 

 

 

 

「…………いや、俺とお前って許嫁同士だろ。住んでる家も一緒だし、今更そんなことを確認する必要があるのか」

 

「そういえば、そうでしたね。幸せすぎて忘れてました」

 

 

 

 

 

 

 満面の笑みで、即答でそう返してくる彼女。

 

 その笑みに思わずにやけそうになり、耐えて踏ん張って踏み止まって、

 

「ちゅっ、……ふふ」

 

「……勘弁してくれ」

 

 離れた二人の、お互いの頬は真っ赤だった。




次は……未定です。

多分おサノかひゃみさん。


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ひゃみさんの八幡。

タイトルつけることにしました。多分これは気付いたらついてたやつ。


テーマはチキンひゃみさん。


『ん、ん、ん〜〜♪』

 

 ……くぐもった声が、窓ガラス越しに聞こえる。

 

 上機嫌に鼻歌を歌うその少女は今、シャワーを浴びている最中であり、たった今洗面所に入ってきたばかりの八幡にもそれが易々と見て取れる。

 

 彼女の所属するチームの隊長の影響か、普段は落ち着いた雰囲気や冷静な思考で男女を問わず密かな人気がある彼女は、今、この瞬間だけは好きな歌を軽やかに口ずさむ、可愛らしい乙女であった。

 

「……あー、氷見?」

 

『にっ!?』

 

 そんな彼女の湯浴みに水を差すようで居心地の悪い思いをしていた八幡だったが、これでは事態が前に進まない、と声をかける。

 

『…………』

 

 しかし、何かを楽しげに歌っていた少女——氷見亜季は、八幡が声をかけた途端、仔猫のような悲鳴をあげて黙り込んでしまう。

 

「……あー、おばさんに頼まれたボディソープを……ここに置いとくから、な」

 

 そう。八幡は、亜季の母親に頼みごとをされて、もうすぐ中身が尽きるという亜季と亜季の母親が使っているボディソープの詰め替えを亜季に渡すよう、頼まれていた。

 

 亜季の母親の目論見通りであれば裸の亜季と詰め替えを持ってきた八幡がここで鉢合わせる予定だったが……しかし。

 

 ……亜季、やるわね。

 

 危険を察知したのかたまたまか、半裸である筈の亜季は既に服を脱ぎ終わり、浴室に入ってしまっていた。

 

 それを、リビングにて聞き耳を立てていた氷見母は察知する。

 

 ……仕方ない、か。

 

 今日はもう、氷見父は帰宅しないことが確定している。そして、好き合っているくせにお互いにこれ以上を歩み寄ろうとしないカタブツ娘(予定)&息子(予定)に両親ズが痺れを切らしていたのも、事実だった。

 

 許せ、娘よ。

 

 そう思ってからの、氷見母の判断は素早かった。

 

 予め指をかけていたブレーカー(素早いも何も無い)を落とし、擬似的な停電状態を作る。

 

 そして、急いで洗面所に向かい……洗面所の扉に鍵をかける。くれぐれも、外から鍵をかけられたのが悟られないように、だ。

 

 ——尚、洗面所の鍵がなぜ外側についているのかについてはプライバシーの問題が絡む為省略させていただきます。

 

『なっ、なんだ……っ!?』

 

 そして、予想通り突然の暗闇でパニック状態になった八幡の悲鳴を確認しつつ、もう一つ、八幡以外にパニックになっているであろう娘へと注意を向ける。

 

『ふぇっ、はちまっ、……ひっ、ひきっ、ひきがやくん!?』

 

 計画通り(にやり)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幼き頃から密かに八幡へ想いを寄せている我が娘は、去年ようやく、その想いを伝える事ができたという。

 

 そして、これはもう、こうなったらもう、孫の顔を見るのも時間の問題だ——と、去年までは思っていた。

 

『あぁ!? 八にぃとまだ手ェしか繋いだ事がないの、ねぇちゃん!?』

 

 ……それから三ヶ月後のある日、こんな声が、リビングから聞こえてくるまでは。

 

 気になって聞き耳を立ててみれば、亜季の彼氏である八幡からデートに誘われ、中学生で彼女持ちの氷見弟に、亜季にとって初めての経験であるデートについて聞いているのだった。

 

 まぁ、それ自体は初々しい付き合いたての彼女が彼氏を想っての会話にしか聞こえないし、問題はないのかもしれない。

 

 しかし。

 

 明らかに近所迷惑な声を上げる息子の声を聞いて、氷見母はたまらずリビングに突入した。

 

『こら亜季っっっ!! どうしてあんたは、八幡くんと付き合ってからもそんなにチキンなの!? 好きな子を焦らせてキープ出来るほどあんたメンタルも魅力も強くないでしょうが!!』

 

『いきなり何なのお母さん!?』

 

『ねぇちゃんがその程度ならオレが八にぃ貰っちまうぞ!』

 

『だめ、それは絶対にだめ!』

 

 ……結局、その日は色々な観光スポットや喫茶店を巡っただけで、それ以上の進展はなかったのだという。

 

 無論、学生という身分で危険を犯す訳にはいかず、それ故にゆっくりとしたペースで付き合っていくというのも十分承知している。

 

 だが、それでは彼の周囲に蠢いている無数の牙持つ獣達に彼を奪われてしまうのも自明の理。

 

 だから、母親として少し背中を押すことにしたのだった。

 

『今日中に彼のタネを奪ってきなさい!』

 

『話が飛躍しすぎじゃないかなお母さん!?』

 

『そうだよ! オレだって、もうあいつ——彼女に何回かキスされてて、……「まだできないかな」って、言われてて……』

 

『『待ちなさい』』

 

 何だその「キスをすれば子供ができる」という、アルティメットに可愛らしい発想の女の子は。

 

 もしかして、我が息子もそんなお茶目な事を本気で思ってたりするのか——なんて、氷見母の思考がズレかけたが。

 

『とにかく、もう少しアプローチすること!』

 

『……で、でも……』

 

『あんたには男を惹きつけるかぐや姫みたいな魅力なんてないんだし!』

 

『うぐっ!?』

 

『かと言って男を遊び歩く勇気と度胸も無い!』

 

『ひぐっ!?』

 

『マンネリ化以前に塩対応になってあんた飽きられるわよ!』

 

『ふぎゅあっ!?』

 

 しっかりと釘を刺し、送り出した筈だった。

 

 ……隣で「うわトドメだ、トドメが刺されている……」なんてうわ言をぬかす息子のことは、しっかりと無視をして。

 

 それから一週間。やはり亜季は八幡に手を出す事はなく、慎ましい関係を続けていた。

 

 故に。

 

『ごめんなさいね八幡くん! 今お茶請けとして出せそうなものが家に無いの! 今から買ってくるわね!』

 

「いや明らかにそれより重要な事があるでしょう!? ……鍵っ、ちょっ、ほんとに開かないんですけど!?」

 

 八幡は叫ぶ。このままだと本当に何かあってしまいそうだからだ。

 

 ……だが。

 

『母さん、ねぇちゃん、義理兄ちゃん(八にぃ)、行ってきまーす』

 

『ごめんなさい! 今日息子が〝図画工作〟で〝家の洗面所の鍵〟のスケッチをやるらしいの! だから、息子が帰るまで待ってて頂戴!』

 

 まず今日は土曜日であるし、中学の授業に図工なんてものはないし、スケッチ対象がピンポイント過ぎる。

 

 氷見母は最早、手段を選ぶつもりはないらしい。今はそれが、何よりまずい。

 

 何より——

 

「明らかに優先順位がありますよね!? ていうか俺の呼び方違くなかった!?」

 

「翔太(弟の名前)を今すぐ呼び止めてお母さん!」

 

『お母さん方向音痴だから翔太がどっちに行ったかわからないわ!』

 

「あんたカーナビが付いてない車で毎日通勤してますよ!?」

 

『それじゃあ海呑(みのみ)(和菓子屋さん)に行ってくるわね! お父さんもお母さんも翔太も、八幡くんのお父さんお母さんも明日には帰ってくると思うから、それまでごゆっくり!』

 

「海呑ってこの前泊まった旅館の名前だよねお母さん!? なんで丸括弧まで嘘つくの!?」

 

『お父さんもほら、車出してるからもう行くわね! ごゆっくり!』

 

『母さーん! 父さんがケータイ忘れたってー!』

 

「ゆっくりできるか!! あと待て翔太! 戻って来い!」

 

『ご〜ゆっくり〜』

 

「言い方が気に入らなかったんじゃないですがちょっと! せめてブレーカーを戻して行って!」

 

 ……しかし。車のエンジン音は遠ざかり、必死の叫びも虚しく、二人は暗闇の脱衣所(一人は浴室)に取り残されてしまう。

 

「……どうするんだよマジで」

 

 ちらりと目を向けてすぐに窓ガラス越しに見える亜季のシルエットから顔を逸らし、立ち尽くす八幡。すると、浴室のドアが少しだけ開いた。

 

「は、はちまん、くん……?」

 

 顔を覗かせるのは、頬を熟れたリンゴのように赤く上気させた亜季。

 

 そのあまりにも視線を釘付けにしてしまうほどの色気に満ちた姿に、持ち前の精神力で八幡は自分の首をねじ曲げた。

 

「……なっ、なんだ……?」

 

「……えと、ね。……棚に置いてあるバスタオルを、取って欲しい、な」

 

 因みに、当初の目的であるボディソープ云々は彼らの脳裏の彼方へと消え去っている。

 

「わ、わかった。……上から何段目だ?」

 

「二段目、だよ」

 

 亜季の指示通り、手探りでバスタオルを探していく八幡。

 

「にだんっ、……いや、三段目だなこれ」

 

 棚の大体の位置は覚えている。が、やはり完全な暗闇の中では位置が把握しにくいもの。

 

 だから、二段目に手を伸ばして触れた、ハンドタオルにしてもやけに小さく手触りの良い布地のものについて、八幡は触れる事はしなかった。どうせあの母親の仕込みなのだから。

 

 ……、赤くなるのが止まらない自分の顔を八幡は羞恥心と共に堪えるしかなかったのだ。

 

「……ほら、ひや、…………」

 

 そして、自分の言葉通りに三段目にきちんと置かれていたバスタオル(の上に何か手触り的にブラジャーのようなものが載せられていたが)を手を伸ばしていた亜季に渡す。

 

 が、その途中で言葉と共に八幡の行動が止まる。彼の手にしたスマホが震えていた。

 

「は、八幡、くん……?」

 

 数秒後、唐突に八幡の口が開く。

 

「……なんでもねえよ、亜季(・・)。なんかウチも旅行行くみたいな話になってるような感じだし、お前をこの広い家で一人にする訳にもいかんし、……後で着替えは持ってくるわ」

 

 普段よりもずっと小さく呟かれたその言葉は、確かに亜季の鼓膜を震わせていた。

 

「……はち、ま……」

 

「キス云々はまだにしても、名前くらいは……まぁ、な。……嫌だったら言ってくれ。すぐにやめる」

 

「……ううん、……うれしいよ。すごく、うれしい」

 

 タオルを受け取って、しかし赤くなった顔を隠すようにタオルに埋め、微笑む亜季。

 

 暗がりの中で確かにその笑みを見た八幡は、照れくさそうに頬を掻いた。

 

「そうか。……なら、まぁ、良いんだが」

 

 彼の妹から届いたメッセージは『勇気出せ』の四文字だけ。

 

 しかし、八幡がそれを目にしてから行動してたのかは、定かではない。

 

 それどころではなかったからだ。

 

『お兄ちゃーん! 亜季さーん! 今電気つけるねー!』

 

「さんきっ……待て、小町!」

 

 しかし静止は間に合わず、ばつん。その音と共に、氷見家の電給が復活していく。

 

 ……当然、今まで暗闇状態になっていた浴室内も、隅々まで明るく照らし出した。

 

 バスタオルを手にしている、全身が紅葉のように赤く染め上げられた全裸の亜季と、彼女と対峙する八幡の赤面する顔も、鮮明に。

 

「……すっ、すまんっ」

 

 最紅潮、とはこのことか。

 

「……い、いよ。わるいのは、こまちちゃん、だし、ねぇ……!?」

 

 赤も赤、真紅に染まった全身を震わせながら、声まで震わせて、氷見亜季は浴室の中へと引っ込んだ。

 

 がちゃり、と脱衣所のカギが開けられ、小町が入ってきた。

 

「どうお兄ちゃん、やっぱりお兄ちゃんのラブコメは間違ってないでしょ!」

 

「小町ちゃん? 何をしてくれてるの?」

 

「……ふふ、その様子を見るに上手く行ったようだね!」

 

「……少しは反省しなさい」

 

「なんで? お父さんもお母さんも協力してくれたのに? あ、この後小町たちも旅行ってくるから!」

 

「りょこってくるって何だよ……」

 

「は、はちまん、くん……!」

 

 再び開く浴室の扉。なぜか、亜季の手は先ほど以上に震えていた。

 

「ん? なんだ、亜季、——っ!?」

 

「こ、これ、私の、じゃなくて、八幡くんの、バスタオル、だよね……?」

 

 亜季の手にしたそれは、確かに八幡が使っているもの。

 

 ……元々八幡達の両親は家を空けがちで、それ故に小さい頃から頻繁に隣の氷見家にお泊まりというものを繰り返しており、その仲の良さは氷見家に八幡と小町の着替えが常備されているほどだったが、今回初めて、それが仇となった。

 

 この時ほど、八幡は本気で氷見母を恨めしく思ったことはない。

 

「……いや、違うんだ、亜季……っ!」

 

「……べ、べつに八幡くんのでも、わたしは、い、い、いいい、よ……?」

 

 ……二人の距離が縮まるのは、もう少し先のお話。




次はA級オペレーターの誰かにしようかと。


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正妻系幼馴染綾辻さん


クリスマスにやろうとしたけど書き始めたの昼過ぎでどうにも間に合いませんでした。

 メリークリスマス。


 

 クリスマス。ヴァレンタインやハロウィンと同じく、世に溢れるリア充御用達(笑)の一大イベントである。

 

 都会はクリスマス一色で溢れかえり、サンタの格好をした売り子さん達が忙しなくそのままでは確実に負債となるであろうケーキ達を必死に売り捌いていく。

 

 きっとその中にクリスマスと普通の日の区別なんてないに違いない。彼らは神聖なキリスト生誕の日を、金を儲けられるブーストデーか何かと勘違いしているのだから。そしてそれは毎年のように繰り返され、最早日常、当たり前の景色と変化していく。

 

 そして当たり前となった特別な日に感謝すら抱かなくなり、それが無くなると誰もが心の中で舌打ちをもらす。

 

 何が言いたいのかといえば、人の欲には際限がないということだ。

 

 収入があればボーナスを求め、生きるに事欠かなければ次は富を求め始める。

 

 しかし俺は違う。常に一定の水準を求め続け、それより上を望むことは決して無い。人殺しをしない吉良吉影なのだ、俺は。

 

 振り返ってみれば、今年も去年も、習ったような行動しか繰り返していない気がする。その中身は何であれ、俺自身を取り巻く環境の変化は無いに等しい。それはつまり、俺の思うがままに事が廻っているということ。

 

 だから、変化を望まない俺にとって最大級の楽しみである、クリスマスのブックタイム(本を買ったり読んだり本屋を梯子したり)が何人であっても邪魔されて良い筈がない。

 

故に俺は今日も、年に一度の一歩を踏み出すのだ。

 

 あの、特にこだわりなんてものはないんだけど、甘口のコーヒーケーキはほんと美味しいと思います、はい。

 

「……あの」

 

 こぉうぉぉぉ、とこたつに内蔵された電熱ヒーターの吐き出す温風が足下を暖かくする。が、そんなものでは俺の冷え切った心情が晴れることはない。こたつは温いけども。

 

 握っていたシャーペンを離し傍に置いてあった財布を握りしめ、顔をあげる。

 

 俺が声をかけた先には、委細省略したとしても美少女だけは発言せねばならない程のクラスメイトがいた。

 

「なにかな?」

 

「今日……12月の25日です」

 

「うん。クリスマスだよね。イルミネーションも綺麗だったね」

 

「見たのは電飾が付く前の真昼間、しかも学校帰りですけど」

 

「それでも綺麗だったよね?」

 

「綺麗だったかどうかは問題ではなくて、俺が言いたいのはだな……」

 

「じゃ、それが終わったらこっちの課題の間違えたところをもう一度解き直してね」

 

 そう言って、無情にも傍らに積み上げられた問題集を指し示しつつ会話を打ち切り、俺と対面するコタツの反対側で数学の教科書を広げるのは綾辻遥。生まれた頃からの馴染みである。

 

 生まれ持ってしまったサイドエフェクトのせいか、他人に認識される事が難しく、文字通りの日陰者である俺なんかとは違い、彼女も彼女で生徒会やら仕事やらで付き合いがあるだろうに、わざわざボーダー基地を挟んで真反対側にある俺の家に来て勉強会を開いていた。

 

 興味がないのかどうかはわからないが、こいつがクリスマスではしゃいでいる姿を見た事がない。去年も、一昨年も、その前も、十年前ですら本を読む俺の側でじっと俺を見つめているのだ。何が面白いのかと聞いてみれば、本人にも「わかんない」との事。もう理解しようとするのを諦めました。

 

 そう。俺と綾辻は一緒に居る事が多いのだ。高校に入ってからは流石に仕事量が増えた為か、こうして平日に会うことも珍しくなったが、少なくとも普通の友人よりは会う頻度は多い。週に二度は絶対顔を見るし。

 

 そして一体何故、こいつと俺がクリスマスに俺の家で勉強会なぞやっているのかといえば。

 

『小町ー、お兄ちゃん嫌な予感がするから買い物に行ってくっ——』

 

『八幡くん。今日は家から出なくていいよー』

 

 出かけようとして手をかけたドアが一人でに開き、外からその言葉と共に姿を現した綾辻が紙袋に入れた大量の問題集を両手に携えて、そう朗らかに笑っていた。

 

 訊けば、綾辻は俺にこの問題集を渡すように頼まれたらしく、綾辻を遣わした平塚先生の言伝が数分後にメールとして俺のケータイに届いた。

 

 文面曰く『比企谷ぁ。お前、このままだと数学の単位が落ちる。課題をこなせば何とかしてやるから、綾辻に渡した問題集を休み明けまでに解いてもってこい』とのこと。

 

『おう、そうか。わざわざ悪い、届けてくれてありがとな』

 

 それを一度で理解し素早く納得したかしこい俺は、綾辻から問題集を受け取り、彼女にも仕事があるだろうし、早く帰らせてやりたいと思いつつドアに手をかけ、この前開発した工業作業用トリオン兵を改造した「俺の筆跡で宿題をこなすトリオン兵」の試験運用ができるな……としみじみ思っていると。

 

『うん、それじゃあお邪魔します』

 

 訳がわからなかったよ。

 

『……は?』

 

 思わず本気の疑問符を投げかける。

 

 それに対して綾辻は小首を傾げ、

 

『だって八幡くん、このままだと数学の単位が貰えないんでしょ? 平塚先生にも、面倒を見てやってくれって頼まれたんだよ』

 

……その笑顔を見た瞬間、俺は背筋が凍りつくような寒気を感じた。

 

 そして気づく。あっさりと話すその少女の瞳は、決して笑ってはいないということを。

 

 ……やってしまった、ということを。

 

『八幡くん終業式の日に言ってたよね? 数学も最近頑張ってるから、問題ないって。それを聞いて「ああ、もう大丈夫なのかな」って思ってたんだけど。……こんなに八幡くんが頑張ってたなんて(・・・・・・・・)、私知らなかったなぁ。……あれ? どうして正座をしているの?』

 

 やばい。綾辻がいるとズルができない。ズルって言っちゃったよ。

 

『課題は必ずやります! 単位を落とすような真似は結果的にはいたしません! 今宵は「くりしゅます」!どうか、どうかお見逃しを……!』

 

 噛んじゃったけどそれどころではない。数学なんて数字を見るだけで熱が出そうなのに、割と激おこ状態の綾辻と同じ空間にいたら生命活動が停止してしまう。なんとしてでも事態を回避せねば。

 

『うーん……ちゃんとやる?』

 

 すると、必死の祈りが綾辻神に届いたのか、悩む素振りを見せた。俺はここを逃さない!

 

『絶対にやります! 天地神明、綾辻御大明神に誓って!』

 

 真剣な眼差しで見つめ合う二人。こうなったら根比べだ。絶対に勝つ!

 

 しばらく見つめ合い、綾辻が顔を赤くして目を逸らす。やったッ! 勝ったッ! 終わったァァァァ!!

 

『そういえば、この前開発室から経費の相談が来てたんだけど』

 

 しかし、勝ってはいても終わってはいないようだった。

 

『? それがどうかしたのか?』

 

『八幡くん、作業用のトリオン兵を開発したんだって?』

 

『ああ、した。まぁ人手不足を解消したいというのはあったけど、トリオン兵使うと他人に見られたら困るもんも一人で管理できるからな』

 

『ちょっとスペックと起動データを見せてもらったけど、すごかったね。五指を取り付けてバナナの皮を剥いたり、箸でラッキョウを摘んだりしててさ』

 

『まぁあからさまに戦闘用じゃない分、技術をそっちに詰めたからな。習字の止め、ハネ、はらいだってきちんとできるぞ』

 

 ……今思えば、ただ純粋に嬉しかったんだと思う。自分の業績を褒められて、のせられたというか。

 

『へぇ。例えば、この問題の読み取りとか解いたりするのもできるの?』

 

 冊子を開いて問題を指し示す綾辻に、頷きをもって返す。

 

『カメラをもう少し整えなきゃいけないけどな』

 

『すごいね。これがあればこの宿題なんてすぐに片づいちゃうんだね』

 

『ああ。お前が帰ったら試運転も兼ねて稼働させてみる予定だ』

 

『…………へぇ』

 

『————あ』

 

 しまった。そう思うも、時すでに遅く。逃げる事叶はず。

 

 それから数時間。俺特製のトリオン兵は日の目を見ることなく卵形態のまま全てが一緒に来てた嵐山隊に没収され、開発室長である鬼怒田さんとこ行きとなった。課題の方は、十何冊ある問題集のうちの5冊目に手をつけようとしていた。

 

 問題と睨み合い唸る俺を見て、綾辻はいつものように楽しげな笑みを浮かべる。

 

 もうにっこにこ。すっげぇにっこにこである。

 

 何が楽しいのだろうか。

 

 俺なんかと一緒に居るだけなのに。

 

 ……ただ一緒に居るだけでも緊張してしまうのなんて、知りもしないくせに。

 

 そんなことを考え、俺は次の問題へと取りかかった。




次は(胸が)A級の誰かの予定。

-追記-

訂正——B級に降格しました。(胸が)


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絶対無敵幼馴染小夜子ちゃん




お久しぶりです。

衝動と眠気のせめぎ合いの中で書き上げました。やっぱ夜は眠いです。


 バレンタイン。年に何度あるかわからない、乙女の祭典。

 

 コイスルオトメたちはこの日に、募らせた想いをチョコと共に相手に渡すのだ。友チョコや義理チョコは個人的にマナー違反、想い人に対する裏切りだと思っているので、彼女は彼以外の異性に渡したりはしない。

 

 ……んゆ? いや、そもそも彼女は彼以外に渡す事どころか、彼以外から(・・・・・)チョコを貰った事がない。

 

 チョコは女の子から渡す物だということを知ったのも、つい最近だ。小さい頃からこの時期は彼が彼女の為にチョコレート菓子を作ってくれているので、バレンタインといえば彼女にとっては彼から甘いチョコレートをもらえる日として認識されている。

 

 しかし、少し気になって調べたバレンタインの本来の意味や現代の日本におけるバレンタインの楽しみ方を知ったからには、自分も何か行動を起こさなければならないだろう。

 

 まがりなりにも彼女は、彼を少なからず想っている人間なのだから。

 

 ……。しかし、基本的に外出というものをしない彼女だから、ネットや同じチームの先輩達などから情報を仕入れるしかない。

 

 ただ、バレンタインの贈り物に関してチームメイトに頼るのだけはやめておこうと思う。何故なら彼女らは心強い仲間であると同時に彼を巡るライバルでもあるのだから。

 

 そういえば、彼女——志岐小夜子にとって真面に話せる異性も彼だけだ。今更だが。

 

「……だからこそ、わたしが比企谷先輩を逃がす訳にはいかない……けど、ネットにでてる情報じゃありきたり過ぎるものばっかだし」

 

 という訳で、頼れる同性に頼ってみたところ。

 

『小夜子の母親の場合』

 

「インパクトが欲しいなら直球勝負が一番じゃないかしら。下手な手作りよりもその気が伝わりやすいというか」

 

「……それって具体的には?」

 

「あの子のお風呂上がりもしくは入浴中を狙ってチョコを頭から被って突撃するとか」

 

「それどこの民族の風習? お母さん頭茹ってるの?」

 

 バレンタインとはいえ未成年であるし、人には言えないが彼と同棲している身としては未だにキス以外に何もさせてくれないのはある意味安心ではあるが、このまま手が出されないまま結婚年齢を迎えるのもどうかと思う。

 

 だからといって破廉恥な真似をしても逆効果だと小夜子は考えたのだが、

 

 食器の水分を拭き取る手を止め、母親は小夜子にジト目を向けた。

 

「……あのね。めんどくさがりなあなたの為にって八幡くんにあなたの身体を洗わせたり、夜は八幡くんを抱きしめながら一緒に寝て腕枕までしてもらっておきながら、今更何が破廉恥ですって? 今日も八幡くんに起こしてもらえなかったら、あなた仕事に遅刻していたでしょう。その分の感謝を込めて身体で払うべきだと思うわ」

 

「それはそれ。別に如何わしいことをしてる訳じゃないでしょ」

 

「……( ^ω^# )」

 

 何か言いたそうにしている母親にジト目を返し、

 

「……それなのに感謝を如何わしいことで払うなんて言われたら、さすがの先輩も三十分は口を聞いてくれなくなっちゃうからだめ。先輩が酔っ払ってたらそういうのもアリかもしれないけど」

 

 直後、小夜子は堪忍袋の緒が切れる音をきいた。

 

「……日頃からでろ甘のイチャつきしておきながら何言ってんだ私らの時ですらあんなことしなかったぞこのバカップル!! 何が参考までにだ! 参考書破り捨てるレベルで愛し合ってんじゃねーよこらー!」

 

「……もう少し恋愛に上手な人の意見を参考にしてみるね。それじゃあね、お母さん」

 

「断言する! アンタら以上に特殊な事情を抱えてるカップルなんていない! てっきりあたしらは1日に2、3回はしてるもんだと思ってたのに初めてはまだってなんだよその変に奥ゆかしい爛れた関係! 早よ突き合え!」

 

「ちょっと何言ってるかわかんない」

 

『彼の妹の場合』

 

「あ、小町ちゃん」

 

「どうも、小夜子お姉ちゃん」

 

「……あれ? この前までは確か『小夜子先輩』って呼んでくれてなかった?」

 

「…………あー」

 

「何かあったっけ」

 

「……いえ、お兄ちゃんと小夜子お姉ちゃんの仲が良過ぎてこれはもう確定かなぁって小町思い始めたんで、そのケジメといいますか。大した意味はないです」

 

「それで、ちょっと相談なんだけど」

 

「小町受験で忙しいんですが……」

 

「ちょっとだけだから。……あのね、今年は比企谷先輩にチョコを渡したいんだけど」

 

「体にチョコを塗ってくれる人を探していると? 悪いですけど小町さっきも言ったように受験勉強で忙しいんで、お兄ちゃんの風呂上がりか入浴中にバケツに入れたチョコを頭から被ってお兄ちゃんに綺麗にして貰えば良いんじゃないですかね」

 

「…………」

 

 アンケート終了。

 

 結果——

 

『何の成果も得られませんでした!』

 

 自室に戻った小夜子は、テーブルに伏して頭を抱える。

 

「……なん、で、わたしの周囲にはまともな人間がいないの……?」

 

 なんというか、バカなのか。

 

 ……だが、まぁ。

 

 最初は、人に頼るべきではないのかもしれない。

 

 ちゃんと相手が喜んでくれるようなものを、わたしが考えよう。

 

 失敗したら、その時はその時だ。

 

 ネット通販で購入してみた手作りチョコレートキットがあるから、今年はそれを作ってみよう。何も工夫ができなくて申し訳ない気もするけど、それでも小夜子の気持ちが少しは伝わる気がする。

 

「すみません三浦先輩。急にキッチンをお借りしたりして」

 

 善は急げというが、この場合周囲のライバルに勘付かれるわけにはいかないので、疑われない為のアリバイ作りも兼ねて知り合いの先輩がいる葉山隊室を、なんと小夜子一人で訪れていた。

 

 普段の小夜子ならありえないと断言されるほどの大胆な行動だが、これには訳がある。今日は那須隊が非番であり、任務もデスクワークもない。しかし、小夜子と八幡が暮らしているアパートでは邪魔が入る可能性が高く、こうして小夜子以外あまり接点の無いA級部隊の隊室にお邪魔しているのだった。

 

「別に良いけど……え? あんたヒキオにチョコあげたことないの?」

 

 三浦が「意外だ」と言わんばかりの表情で小夜子を振り返る。しかし、その手元は止まってはいない。軽快に、かつしっかりとチョコを溶かしていく。

 

「毎年比企谷先輩にチョコを貰っていたので、恥ずかしながらバレンタインの名前を知ったのもつい最近です」

 

 小夜子は、クッキングシートを天板の上に敷き、その上に型を並べていく。その後、三浦がやったように湯煎でチョコを溶かしていく。

 

「……あー、確かにヒキオとあんたの関係じゃそうなりそうね」

 

「それで今年はわたしが先輩に渡したいと思ったんですが、それを那須先輩とか熊谷先輩とかに知られたくなかったんです」

 

「……那須隊が未だに解散してない理由があーしにはわかんないわ」

 

「解散しませんよ。解散なんてしたらあの人たちの動向が一気にわからなくなるんで」

 

「……あー、そういう……那須隊の闇が見えた気がしたし」

 

「はい? 何か言いました?」

 

「なにも。ほら、湯煎する手が止まってる。固まるときに油分が分離して白くなったりするから、中身は均一に行き渡るようにするし」

 

「あ、はい」

 

 ……ここに来た小夜子の目的は場所を借りることの他に、三浦と菓子作りをすることでもあった。

 

 最近は彼氏の為に料理の腕を上げているという三浦に頼むことで、小夜子自身の料理スキル不足も補えると考えた。

 

「そういえば、三浦先輩に聞きたい事が」

 

「何?」

 

「三浦先輩は彼氏さんともうキスは済ませたんですか?」

 

 小夜子にとっては恐る恐る、三浦にとっては随分と唐突に。しかし、その質問で三浦は眉をひそめた。

 

「……はぁ? あーしに彼氏なんていないし」

 

「え?」

 

「どこ情報? 相模? 折本?」

 

 不機嫌な表情で小夜子に詰め寄る三浦。どうやら本当らしい。

 

「……え、私は熊谷先輩から聞いたんです……でも、三浦先輩がお料理上手になったのって彼氏ができたからじゃ……?」

 

「あーし? あーしは——あ、そっか」

 

「?」

 

 何かを弁明しようとして、一人気付く三浦。はてなマークを頭上に浮かべる小夜子だが、そんな彼女に三浦が、

 

「大丈夫、あーしもヒキオも、そんなつもりはないから。料理教わったのだって一人暮らしするためだから」

 

「…………え?」

 

 その言葉に、小夜子の世界が凍りついたきがした。

 

 あーしもヒキオも。つまり、三浦も八幡も。

 

 ——彼氏がいるというのはデマで、三浦は何の因果か、八幡から料理を習っていた?

 

「……でも、最近手とか肩とか触れる事故(・・)が多くなってるし、もしかしたら、振り向き様のキスもあるかもね?」

 

 言って、にっ、と笑う三浦。その時ほど彼女の笑みを可愛らしく感じた事は無いと小夜子はのちに思うことになるらしいが、その時ほどその笑顔が憎たらしいと感じたこともなかったらしい。

 

 

 

 

 

 

「というわけで先輩。謝罪としていつもよりおいしいチョコケーキをお願いします」

 

 家に帰った小夜子は、既に配膳がされていた食卓につくなり開口一番にそう言った。

 

「……なんでそうなるの? 三浦は別に何かやましい事があった訳じゃないぞ。ただ単に将来の為とか知識としてあって損はないからとか頼まれたからであってな、そんな気持ちは微塵もない」

 

「一色さんと全く同じ犯行手口ですねありがとうございます」

 

 箸を置き、ぺこりと頭を下げる小夜子。

 

「あぁ……確かに一色も、お前の提案で生徒会長になるまでは同じように料理は教えてたが。やましい事は誓ってない。というかお前の面倒見なきゃいけないし、そんな事してる暇がないだろ」

 

「……えへへ」

 

 しかし、小夜子を急襲したその言葉の嬉しさに耐えきれず、小夜子は自分の頬をこねくり回す。

 

「……何急に笑い出してんの、キモい」

 

「……可愛い女の子が可愛らしい笑みを浮かべているというのにそれをキモいと言いますか普通」

 

「いや、だって俺が同じようなことしたらキモいだろ」

 

「キモいですね」

 

 頬をこねるのをやめ、小夜子は八幡を見る。

 

「そうだろ。いやそうじゃなくて、このままだとマジでお前、自立して生きてけなくなるぞ」

 

「……人という字は支え合って出来てるんですよ。ちなみにわたしが上の棒で比企谷先輩が下の棒です。……あっ、なんか下の棒ってやらし——むーっ」

 

「口を噤め。それと俺をお前の人生計算に組み込むな。俺は美人で高収入な人と結婚して主夫になるんだよ」

 

 言葉と行動を一致させ、掌で小夜子の口元を覆い隠す。数秒後、八幡は小夜子が大人しくなってから手を離した。すると小夜子は、

 

「先輩。ここに先輩の条件に適合するぴったりな人材がいます。しかも年下。主夫も今の仕事とほとんど変わりませんし、オペレーターの仕事って結構儲かってるんで」

 

 と、自身を指しながら言ってのけた。

 

 しかし八幡は相手にせずに自分の食事に箸を伸ばしつつ、

 

「結婚できる年齢になって、それでも今の関係が続いてたらな」

 

「続きますよ。なんならわたしが命を賭して続かせます」

 

「続かせんな。独り立ちをしろ」

 

 と、小夜子がさり気なく遠ざけていたピーマンの炒め物の器を小夜子の前に置いた。

 

「ふぎゃ。……じゃあ、今の時点で未来を確定させましょうか。結婚年齢が十八でも二十になってもいいように」

 

「ん?」

 

「比企谷先輩」

 

 箸を置き、姿勢を正す小夜子。その眼差しはいつもとはまるで違った真剣な眼差しで、八幡に初めて戸惑いを与えた。

 

「……なんだよ、かしこまって」

 

「一緒のお墓に入りましょう——あいや違います。……結婚、してくれませんか」

 

 盛大に言い間違え、ある種かなり重い告白をしてしまった小夜子だが、それに対する八幡の答えは——

 

「……その時になったらな」

 

 と、どこかハッキリとしない応答。

 

 だが。

 

 その返事の意味は——

 

「え……それは……つまり……?」

 

「ん……まぁ、これからも末長くよろしく頼む。よく考えても、俺もお前以外に思いつかんし」

 

「〜〜〜〜っ!!」

 

「のあっ!?」

 

 嬉しさのあまり、小夜子は八幡に抱きついた。

 

「……すき。すき、すき、すきです……!」

 

 八幡も、彼女を無言で抱き返す。

 

 これから、恋人としての彼らの新しい生活が始まる。

 

 しかし、明日から始まる彼らの新しい生活は、昨日までとなんら変わる事は無い。

 

 何故なら、彼と彼女はとっくの昔に相思相愛になっていたのだから。

 






次回。


礼、襲来


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仁礼、襲来。



大変お待たせしましたヒカリさんです。


愛情が爆発して仕方ないヒカリさん、みたいな。



 

 

 ……その少年は、何かに怯えているようにアタシには見えた。

 

 敵も味方も寄せ付けない野犬というよりは、ワイシャツとスラックスを合わせた戦闘用にしては膨らみの少ない隊服——元々彼が所属していた部隊のものらしい——の上に白衣を羽織ったマッドサイエンティストの格好に加えて研究職という仕事柄、人前には滅多に姿を現さないのは最早モグラと言って然るべきだろう。

 

 そして、情報の少なさは時にありもしない伝説や虚実を産む。

 

 だからか、時々あいつに対する幾つかの憶測を耳にする。

 

 やれ纏ったダークな雰囲気がかっこいいだの。

 

 ああ見えて押しには弱いから攻めるなら今だとか。

 

 雪ノ下隊の隊長とは元恋人同士の関係で、雪ノ下隊長は今でもあいつのことを想っているが決して復縁はしない仲だとか。

 

 …………。

 

 そんなわけねーだろバーカ! 夢見てんじゃねぇぞメス猫共!

 

 アイツに元カノがいたこと自体ないし、押しどころか引きにだって弱い! 専業主婦を目指しているくせに料理下手だし同僚の研究員(女子)にデレデレしてやがる! ツラがいいのは認めるけどそれだけだ!

 

 ああもうムシャクシャする。それも、手当たり次第に物を壊したくなるくらい、かなり非常識なことを考えている自覚がある。

 

 この鬱憤はどうやって晴らすべきか。——そうだ、元凶たる本人に清算してもらおう。

 

 思い立ったが吉日。アタシがこれから向かう先は決まった。……技術開発室だ。

 

「…………ん」

 

 既にアタシの意思とは無関係に開発室に向けて歩き出していた足の動きが、不意に止まる。

 

 ……実を言えば、アイツに会うのはかなり久しぶりだ。1ヶ月2ヶ月は会えて——会っていない。

 

 巷で聞いた噂では国近先輩と一晩過ごしたとか綾辻とお泊まり勉強会をしただとかひゃみとかキトラとかその他云々としっぽりヤってるなんて聞いてはいるが、まぁそんなわけない。

 

 アイツにそんな度量があるとは思えない。

 

 ……ひ、ひさしぶりに話すし、なんか持っていくか。バレンタイン過ぎてるけどチョコでいいかな。さっき買ったやつだから賞味期限は大丈夫。

 

 少しだけ、ほんの少しだけ緊張していたのは事実だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アタシと比企谷八幡が知り合ったキッカケは、なんて事のない廊下のすれ違いだ。

 

 ……なんて事のない、は違うか。あれは明らかにおかしかった。変だったのだ。

 

「……? うわっ!?」

 

 アタシが廊下を歩いていると、丁度その曲がり角で足を伸ばした状態でぺたりと床に座り込み、天井をぼうっと見上げているアイツ——ハチを発見。

 

 アタシの驚いた様子に何の反応も示さず、眉すら微動だにさせずに、ハチは蛍光灯の光をただ無表情に見つめ続けていた。

 

「こんなとこで何してるんだ?」

 

「…………」

 

 しかし無反応。でも、アタシはこれで終わらせはしなかった。この時アタシの所属する影浦隊は二宮隊にこっ酷く負けてしまって、オペレーターのアタシを含めた全員が不貞腐れていたというか……やさぐれていたからだ。つまり八つ当たり。

 

 反応がなかったのが、無性に頭にきた。

 

「オイ!」

 

 腰に手を当て屈み、目と目を合わせて睨む。そこまでしてようやく、ハチの焦点はアタシに合ったようだった。

 

「……あ?」

 

 アタシの姿を脳で認識し、初めて反応を示す。

 

「ようやく見てくれたな。監視カメラもある場所で何やってんだ?」

 

 天井の監視カメラを指差しハチに問いかける。するとハチはこう答えた。

 

「……別に。あんたには関係ねぇよ。俺がただこうしたいからここにいるだけだ。いじめでも自殺願望者でもないからほっといてくれ」

 

 ぷらぷらと、手を振ってアタシを追い払おうとする。そんな態度が気に食えなくて、アタシはさらに顔を寄せた。

 

「んなことわかってる。アタシはお前に、アタシ達の隊室の目の前で何をしているかって聞いてんだよ」

 

 影浦隊室を指差し詰め寄る。するとハチは小さく「なんだ」と呟いて、裾を払いながら立ち上がった。

 

 ……? なんだ、って何だ……?

 

 事情も実状も分からずにいるアタシを見下ろしながら、ハチは立ち上がる。

 

「ベル鳴らしても誰もいなくてな。部屋の主が帰ってきたんなら丁度いい」

 

 言って、ハチは懐からビニールに包まれた何か黒い……ヘッドホンを取り出し、アタシに差し出す。

 

「あんたんとこの隊長からの頼まれもんだ」

 

「届けに来ただけなら、ポストにでも入れといてくれれば……」

 

 そうだ。何故わざわざこんなベンチもない所で待っていたのだろうか。手渡しに拘る理由が

 

「んな事して嵐山隊にでも見つけられたら鬼怒田さんにバレるだろ」

 

 なんか言ったぞこいつ。

 

「おい待てカゲと何を取引してんだお前」

 

 伸ばしかけた手を引っ込めるも、ハチは押し付けるようにして渡してきた。

 

 加えて説明書か手紙のような紙切れも載せてきた。

 

「捻りも何も無くて悪いが、これにはトリオン能力を一時的に封印する効果がある。あんたのとこの隊長から頼まれて作ってたもんがようやくできた。だから届けにきたんだよ」

 

 確かに、それなら納得はできる。上層部にバレたらアウトという事を知らなければ。

 

「アヤシイもんじゃないなら余計に手渡しする必要無いだろ」

 

「怪しくはないが使い方を間違えると壊れるからな。押したら爆発するボタンがあるとして、触らなければ問題はないが別役の前に置いたら爆発するのと同じだ」

 

「わかりやすい例えなんだな。……成る程、そういうこと」

 

 ちらり、と視線を横に振る。その先には鈴鳴第一の隊室があって、中に人がいる様子はないものの、いずれはここを通りかかるかもしれないと考えたのだろう。

 

「そういう訳で、それじゃあよろしくな。あとそのヘッドホンの両サイドについてるボタンは同時に押さないと遮断効果がないから気をつけてほしいのと——」

 

 しかしハチの言葉は途中で断絶する。

 

「ん?」

 

 それが気になり、手にしたヘッドホンのスイッチをカショカショと押し込みながら振り返った時には、既に遅かった。

 

「——すぐに離れろ!! 投げ捨てるんだよ!」

 

 ハチが叫び声を上げるも、ほんとうに遅い。

 

「え? ……わえっ!?」

 

 ヘッドホンの模様——白色のラインが発光し、気付けばアタシの着ていた服は粉微塵(小南神×)になって消し飛んでいた。

 

 上着も、スカートも、下着も、全て。

 

「……………………」

 

 コトン、とヘッドホンが床に落ちた。しかしこの程度では壊れないどころか傷一つ付いていないのは、評価できるポイントだろう。

 

 そんなんで許す気にはならないが。

 

「…………」

 

 嫌な沈黙が場を包み込む。

 

 どうした、笑えよ。笑いどころじゃないのか?

 

「……というわけで、トリオン体での使用は厳禁ということで。んじゃ」

 

 額に手を当て、ハチが明後日の方を向いた。

 

「ふ、ふざ……っ!」

 

 一瞬の忘我の後、すぐさましゃがんで股を隠しつつ腕で胸元を覆い、そのまま歩み去ろうとするハチを睨め付ける。だが、こちらに背を向けるハチにはその威圧は届いていない。

 

 トリガーを解除しようにも服着るのが怠いからと裸のままトリガーオンしたので、どうにもならない。

 

 でも、影浦隊室にさえ入ればジャージくらいは——って、先週丸ごと持って帰ってたんだったぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

 

 もう、どうにもならない。カゲかユズルかゾエにアタシの痴態を見られて終わりだ……けど!

 

 足早に立ち去ろうとするあの野郎をどうにかしたいと、手に取ったのはスマホ。

 

『目の腐ったアホ毛男に発明品みたいなので服を剥かれた! 影浦隊室にいるから誰か着替え持ってきてくれ!』

 

 とロインのグループに通報ものの事案を解き放ち、

 

「待てこら!」

 

「ぐぅえっ!?」

 

 とハチの首根っこを掴んで部室に引きずり込んだ。

 

「うぉ!?」

 

 足払いをして床に転がし、腕を手で押さえつけ、仰向けになったハチの腹に跨る。

 

「……何のつもりだよ? 別の事件になりそうだからさっさと逃げたいんだが」

 

「簡潔に言おうか。服を寄越せ」

 

 アタシから発せられる言葉と共に織り成される動きは単純、されどトリオン体だからか驚くほどに速かった。

 

「ヤだよ……っ!?」

 

ロインを見てから誰かが服を用意してくれるまで5分以上かかるだろう。とはいえ全員が見てるわけではないだろうし、見てもいけない奴らがほとんどだろうし。

 

「お前のせいでアタシの(服)は散ったんだから責任とってお前の(服)を寄越せー!」

 

 ライオンだったらがおお、と叫んでいるかもしれない。兎にも角にも凄まじい勢いでハチの服を脱がそうとするアタシと必死に抵抗するハチだったのだが、その攻防は突如として終わりを告げる。

 

 ガチャ、と部屋の鍵が開いたからだ。

 

 ナイス! 協力してこいつの服を脱がせれば——なんて思えたことが、夢だったと信じたい。

 

「……ヒカリ、どうしたの? 鍵をかけてるなんて——あ」

 

 ヘヤ ノ カギ アケタ ユズル ガ ハイッテ キテ ネコロガル コイツ ト マタガル ハダカ ノ アタシ ミテ

 

「……ヒッ」

 

 息を詰まらせたのは、アタシか、ハチか。恐らくはユズルだったのだろうけど。

 

「え? 誰か来たのか? やばくね? ああいやそうじゃ無くて助けて誰かさん。全裸の女に襲われてるんだけ「カゲさんとゾエさんにも部屋に入らないよう言っておくからっっ!!」勘違いだよてめえちょっと待ってお願い!」

 

 思春期全開の勘違いオーラを放ちつつ、ビシャっっ! と音がしそうなくらい急いで扉を閉めたユズルは、この日二度と帰ってくることはなかった。

 

 そして、その後2分と経たずにA級オペレーターのほぼ全員が影浦隊室に押し寄せたのは悪い夢。ちなみにアタシの着替えを持ってきてくれたのは歌歩だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……と、明らかに最悪な出会い方をしたアタシ達ではあるが、何の因果か今は恋人関係にある。

 

 ……まぁ、同じようなトラブルが二、三十回も続いたからか、身内よりも気が許せるようになってしまった、というのが致命的だが。

 

 告白はどっちからなんてつまらない動機に囚われないようにするため、言葉を二人同時に口にしたのは……まぁ、良い思い出に入ると思う。

 

 お互いに何を言っているのかわからなかったけど、兎に角恥ずかしかったのだけは覚えている。思い出した今も恥ずかしいくらいだ。

 

 それと同じくらい、嬉しかったのも覚えている。

 

 ……一番恥ずかしいのはやっぱりあの時だけど。

 

「……あ」

 

 考え事をしてる間に着いてしまった。

 

 ここが目的地であり八幡の居場所である技術開発室。今も昔も、開発室(ここ)がハチの仕事場だ。

 

 トクベツに発行してもらったIDを通して、中にいるイケメンで捻くれていてひとりぼっちなさみしがり屋のハチに、声をかける。

 

「ハチ! チョコ持ってきたぞ!」

 

「うるせ……おう」

 

 こちらに背を向けながらも言葉で反応した愛しい彼は、気恥ずかしそうにしながら振り返った。その頬には、微かな朱が差している。

 

 その顔が、その仕草が、何よりもたまらなくて、言い訳である筈のチョコを投げ捨てて、飛び込む。

 

 受け止めてくれたハチの腕は、細いけども力強くて、何より温かい。

 

 思いきり抱きしめる。

 

 抱きしめ返された。……やばい。

 

 心が加熱されていく。

 

 火がつきそうだ。

 

 アタシは、ハチの胸に——久しぶりの彼氏の愛情を感じていた。







獄激辛やばい。



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嘘吐きは恋のはじまり


というわけで今回は小南です。

小南を描きたい気分だったのぢゃ。


切りどころが出来なくて長くなっちゃいましたごめんなさい。


買い溜めも終わったし外に出る事も無くなったので投稿ペースを早められたらいいなと思ってます。


 人は、根本的に嘘と隣り合って生きている。

 

 夢を語るにも窮地を凌ぐにも、多少の無理がなければ人を引き込めない。

 

 無論、大袈裟が過ぎれば法螺吹きとして信用を失うことはままある。

 

 これは、とある少女が犯してしまった、取り返しのつかない過ち——無料通話アプリでのとあるやりとり。

 

 

 

 ——こーなみ。八幡くんと喧嘩したんだって?

 

 ——……うるさい。

 

 ——またそんなふうに突っぱねて。今度は何が原因なのさ?

 

 ——あたしは悪くない。八幡が悪い。デートに行ったのにあたしの好きなところばかり行ってた。八幡の行きたいところに行きたかったのに。

 

 ——……それ悪いの?

 

 ——悪い。ここ最近任務で忙しかったから家でゆっくりしようって言ったのに、あたしが行きたかったお店に連れてきたりして。

 

 ——はあ。

 

 ——それに、デート中に文句言ってきたのよ。

 

 ——なんか言われたの?

 

 ——あたしが今付けてる髪飾りが、似合ってないって言おうとしたのに似合い過ぎてるって。

 

 ——……嫌だったの?

 

 ——ホントにいや。似合うなら似合うって言ってくれれば良いのに。捻くれてる。嬉しかったけど。

 

 ——なるほど。

 

 ——何がなるほど?

 

 ——喧嘩といっても痴話喧嘩、夫婦喧嘩みたいなものだとわかって安心したよ。相変わらずだねこなみ達は。

 

 ——は? そんなんじゃないから。

 

 ——いやいやどう見てもどう聞いても痴話喧嘩だよ。相手のことが好きすぎて喧嘩するって何なの?

 

 ——痴話喧嘩というのはヤラシイ関係の男女がする喧嘩の事だから。うさみの言う事は間違ってる。

 

 ——は?

 

 ——何よ、は? って。

 

 ——確認、しようか。

 

 ——何を?

 

 ——今日のお昼、二人はデートしたんだよね。

 

 ——ええ。

 

 ——朝は何かやり取りした?

 

 ——特に何もないわ。二人とも普通に起きて、予定を確認したりシャワーを浴びたり後片付けをしたりしただけよ。

 

 ——待って。普通に待って。

 

 ——何よ

 

 ——予定ってデートの予定だよね?

 

 ——うん

 

 ——片付けって、寝て起きてからの片付け?

 

 ——ええ

 

 ——昨日の夜、二人は一緒の部屋で寝泊まりした?

 

 ——そうね。

 

 ——……。

 

 ——うさみ?

 

 ——あんたら昨日の夜から今朝まで何ヤってた?

 

 ——……。

 

 ——おい

 

 ——勘のいいうさみは嫌いだよ。

 

 ——タダのノロケじゃねーか!

 

 

 

 

 

 

 五分後。ロイン、ボーダー女子グループにて。

 

 

 

うさみ『事件発生! 八幡くんとこなみが!』

 

ヒカリ『うん?』

 

みかみか『どうしたの?』

 

綾辻『別れたの?』

 

うさみ『お互いが好き過ぎて喧嘩しちゃってた! 心配したわたしがバカだったよ!?』

 

おさの『なぁんだってぇ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぐぐぐ……」

 

 夜。ベッドの上で唸る少女が一人いた。

 

 少女——小南桐絵は今、激しい自責と後悔の念に襲われていた。

 

 その主な理由は桐絵がついた嘘だ。

 

 つい、で見栄を張り、まさか自分とただのクラスメイトが何かあるような思わせぶりで、大口を叩いてしまった。

 

 キッカケは些細なものだ。同性の友人と話していれば、恋話のひとつやふたつ、出てこないはずはない。

 

 問題は、桐絵がそこで大きな見栄を張ってしまったこと。

 

『恋人同士は同棲している』『同じ部屋の同じベッドで寝ている』『デートの時は時間をずらして家を出て』『待ち合わせ場所で合流する』——などなどなど、空想と妄想が入り混じった現実味が何一つ足りていない大嘘を連発した挙句、ただの同じ支部所属なだけであるはずの同級生との間にもう直ぐ子供が産まれそうなくらいの関係であるという嘘を吐いてしまった。最近は任務が忙しくてまともに話してすらいないのに。

 

「……ひゅあああ」

 

 奇怪な声を上げる。無意味なことだと知りつつも、我慢できなかったのだ。

 

 顔を枕の下に隠し、バタバタと足で掛け布団を交互に叩く。

 

 やってしまったやってしまったやってしまったやってしまった。

 

 取り返しがつかない取り戻しも出来ない取り違えてしまった。

 

「あああああ。もう、明日からどうすればいいの……!?」

 

 デマは既に確実なウワサとなって広がっていることだろう。それに、この発端は数ヶ月も前の事。宇佐美一人を対処したところで、どうにもならないのはわかりきったことなのだし。

 

「……そうだ、嘘を真実で上書きすればいいんだ」

 

 オーバーヒート気味の頭でしばらく考えた後に出た答えが、それだった。

 

〝比企谷八幡と小南桐絵はお互いの仕事が忙しいことを理由に別れた〟というのが、妥当な訳として成り立つだろうか。

 

「ううん。別れた、じゃ言い訳として厳し過ぎる。別れる、という予定も変だし……あ、そうだ。任務だ」

 

 口で呟きながら、ケータイを開く。簡易的スケジュールが書き込めるカレンダーアプリの中には、任務とタグ付けされた日がいくつもあった。

 

「この中からもう少し増やせば……忙しい理由になる。それに、アイツにも会わないようにしなくちゃ……」

 

 元々は単なる見栄が始まりの、女子高生二人による惚気話(嘘)だ。根拠など何もないし、もし噂話などが立ったとしても、すぐに消えてなくなるに違いない。

 

 だから桐絵は、明日の支度をした後に、シャワーを浴びてもう寝ようか——とすら考えていた。

 

 玄関のチャイムが鳴るまでは。

 

「……? はーい」

 

 桐絵は今玉狛支部にいる。今日も午前中は任務をしていたし、明日も朝から任務である為、わざわざ家に帰る手間を嫌った結果だ。

 

 ただ、誰かしらが何か荷物を頼んでいた可能性もあるしこの支部には桐絵しかいないので(支部長は会議のため不在だ)、桐絵は部屋を出た。

 

「……?」

 

 部屋を出る時に何故か開閉音が重なって聞こえた気がしたが、桐絵は気にせずに階段を降りてそのまま一階の玄関へと向かう。

 

 それよりも、訪ねてきたのが配達員以外だったら、桐絵はどうするべきか。

 

 時刻は夜6時。訪問を非難される程の深夜ではないが、家によっては夕食中であったりと団欒の時間なので、まぁ訪問などは控えるべき時間帯だろう。

 

 そして、非常事態以外に気紛れでわざわざ訪ねてくるような人間は知り合いにはいないので、桐絵の「もしも」は脳裏を掠めるだけに留まった。

 

 ……実は、このチャイム自体が何よりのエマージェンシーコールだった事に、本人は気づいていなかった。

 

 キィ、と扉が開く音が支部内に響き渡る。その音を聞いて桐絵はジーンズのバックポケットから彼女の武器であるトリガーを引き抜いた。

 

「…………」

 

 まさか、強盗? そんな考えが、桐絵の心中を巡る。

 

 もしもの場合に備えて、トリガーを手にしたまま玄関に顔を出す——と。

 

「……居たのか、小南」

 

「あろうぇっ!?」

 

 その侵入者の姿を確認して、桐絵は素っ頓狂な悲鳴を響かせた。

 

 あり得ない人物がここに居たからだ。

 

「な、なんで!? どうしてあんたがここにいるのよ!?」

 

 狼狽する桐絵の声は、今までにないほど震えていた。

 

 なぜなら。

 

「何がどうなって俺とお前が少子化対策に取り組んでいる事になってるのか説明しろよハニー(この野郎)?」

 

 後退る桐絵に視線をロックオンし、腕を組み、見下げ果てた瞳で睨むのは、桐絵の嘘吐きに勝手に巻き込んでおきながらその事が絶対にバレてはいけない筈の因縁の(?)同級生、比企谷八幡だったからだ。

 

「……べっ、べつに、あんたには関係ないわ」

 

「俺は既に関係者なんだよ。……というわけで、当事者からの説明を求めたいんですが」

 

「……大体そんな話どこから聞いたのよ。悪戯にしてもタチが悪いわね」

 

「数ヶ月前に宇佐美から聞きました」

 

「……しょっ、証拠は一体どこにあるのかしら。実在するものの証明は簡単だけれど、存在しない証拠の証明は悪魔の証明と言われるほどに難しく厄介で……」

 

 腕を組み顔を逸らしつつ自身ありげに話す桐絵だが、懐からおもむろに取り出したレコーダー……のようなもののスイッチを押すのを見た途端、彼女の顔は色を落とした。

 

「『ええそうよ。比企谷とあたし、付き合ってるの。それはもうラブラブよ。イチャイチャなのよ』……これも数ヶ月前に入手したものだ。まさか使う時が来るとは思わなかったが、何か弁明は?」

 

 桐絵の声が機械によって流れた後、桐絵を観る八幡の視線は鋭いもの。

 

 既に確信を得ているらしき八幡の言葉に、往生際の悪い桐絵の反応は——

 

「何故その会話が録音されてるのよ……!」

 

 ——至極、理解し易いものであった。

 

 罪を認めているような桐絵の態度に、八幡はため息をつく。

 

「偶然にも証拠を押さえた同士の協力で手に入れたものでな」

 

「う・さ・み〜〜!」

 

 今程、あのメガネを砕きたいと思ったことはない。そう思う桐絵だが、すべては彼女の自業自得だ。仕方がなかった。

 

 観念、するしかないだろう。

 

「……嘘をついてごめんなさい。迷惑をかけるつもりなんて無かったのに、結局迷惑かけちゃってごめんなさい……」

 

 己が罪を認め、罰を受け入れる以外に八幡が許してくれるとは思えない。それに、彼の性格からして本当に付き合うだなんて事になる筈はない。嫌われることはあったとしてもだ。

 

 先程まであれ程とぼけていたのに、随分と潔い態度だ。だが、八幡はそれを思いつつも問題にはしなかった。

 

「……まぁ、見栄も嘘もほどほどにな。後で(・・)、別れたって事にしておく」

 

 むしろ、これ以上関わりたくない、ここに居たくない——と言わんばかりに、身を翻しながら桐絵の謝罪を受け流した。『許す』とも『許さない』とも口にしていない。

 

「……ごめんなさい。ありがとう」

 

 ただ、言葉の裏にある『怒ってはいない』という八幡の意思を読み取り、桐絵は頭を下げた。

 

 おそらくこの関係が終わった後、八幡は玉狛支部から居なくなる。単に帰るという意味ではなく、所属を変えるという意味でだ。

 

 無論本部勤務になってもランク戦に行けば顔を合わせるだろうし、八幡は変わらずにぶっきらぼうな態度で接してくるに違いない。

 

 そしてそれは、桐絵が引きずる罪悪感を膨らませる原因になる。

 

 ……結局、悔いを残したくないだとか後味が悪いとかの、桐絵の心のしこりでしかないのだから、それについて文句を言える理由はない。

 

 だからこれは桐絵が背負うべき業。犯してしまった罪の代償だ。

 

 ————ある意味、想像する人殺しよりも気分が重かった。

 

「それじゃあこれで、あたしと比企谷の関係は終わり、ね」

 

 良くも悪くもここで止まれてよかったと桐絵は思った。ここで止まることが出来たから大きな噂話にもならずに済んだし、ここまで進んでしまったからこそ、ヒトの人生を壊すという悪い経験が出来た。しかも、自分と八幡の二人。

 

『前に付き合っている人がいた』というステータスが八幡の今後にどう影響するのかわからない。恋人はたくさんいた方がコミュニケーションが得意になって気軽に付き合えるという意識もあるし、それ自体を下衆と捉える風潮もある。

 

 だが、付き合う前に恋人がいてもいなくても桐絵の干渉によって八幡の人生が変わってしまったのは紛れもない事実だ。

 

 今後は出来るだけ八幡に干渉しないようにしよう——と桐絵が思い込むと。

 

「それ……なんだがな」

 

「?」

 

 途中で言い淀む八幡に桐絵が首を傾げていると、八幡が出ようとしていた玉狛の扉が開いた。

 

「あーっ! ヒッキーとこなみん発見! こっちだよゆきのん!」

 

 現れたのは桃色の髪を纏めて団子状に結った髪型が特徴的な少女、由比ヶ浜結衣。

 

 あと、桐絵と比較して少しばかり(・・・・・)胸が厚いところか。

 

 神が人にもたらした生まれながらの格差により、桐絵にとって友か敵かと問われればギリギリで敵と答えてしまいそうな立ち位置にいるこの美少女は、玉狛に1人で来ているわけではなかった。

 

「由比ヶ浜さん、建物は見えているのだからそんなに急かさないで頂戴……って、本当に居たのね」

 

 由比ヶ浜の背後から顔を出す、彼女とはまた違ったタイプの美少女。由比ヶ浜が〝動〟であればこちらは〝静〟か。濡れ烏の黒髪を腰元まで伸ばした、大和撫子——というよりは静御前の三文字が似合いそうな、人に冷たい風貌の美少女だった。

 

「??」

 

 2人とも、桐絵と八幡の知り合いだ。

 

 ただ、少なくとも桐絵には2人が今日玉狛を訪ねてくる理由がわからなかった。

 

 しかし由比ヶ浜はヒッキー……八幡を探していたようだし、何か知っているかもしれない。そう考えた桐絵は、ほぼ真正面にいる八幡の顔を見上げる。

 

「ねぇ比企谷、あんた——」

 

「……悪いが雪ノ下と由比ヶ浜。俺はこの後小南と過ごすから、参加できないと一色に伝えてくれ」

 

「……?」

 

 桐絵には意味のわからないことを、八幡は口にした。

 

 別れると口にしていたのに、どういうことか。

 

「あら、それは聞けないお願いだわ。元々予定されていた事だし、あなたも承諾していたじゃない。大丈夫、刺される相手が違うだけで誰を選んでも同じ事よ?」

 

「だが俺には小南がいる。他と付き合うつもりは無い」

 

 ……まさか。

 

 ちらり、と八幡の横顔に視線を向ける。

 

 ふい、と八幡はさり気無く桐絵の視線から目を逸らした。

 

 それを受けて、桐絵は思った。

 

 ——コイツ。

 

 まさか、あたしが見栄を張るためだけに比企谷を利用していたように、比企谷も自分を守る為にあたしを利用していた、ということなのか。

 

「…………」

 

 だが仕方ない。先に利用したのは桐絵で、八幡にその事を利用されるのも道理だ。

 

 この件について(後で話を聞くとして)桐絵は黙っておく事にした。

 

 ただ、桐絵には次に雪ノ下が口にした言葉の意味こそが理解出来なかった。

 

「知ってるわ。それを知ってるからこその〝比企谷バトルロワイヤル〟なのでしょう?」

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ2人とも。なに? どういうことなの?」

 

 理解ができず、説明を求めて桐絵はこの状況に割って入った。

 

「どういう事も何も、比企谷くんに恋をする女子が多過ぎるから1人に絞ろうというお見合い型婚活企画よ。発案者で皆を出し抜こうとしていた一色さんは先週辺りから『諸事情で』千葉には居ないのだけれど」

 

「……何を言ってるの? 私そんなの聞いてないけど」

 

「対象外の人は省くに決まってるじゃない。あなたは比企谷くんに恋をしていないのだし」

 

「いや……それは……」

 

 再び八幡の目を見る。……どうやら、関係は続けておいた方が良いらしい。

 

「そういえば、貴女と比企谷くんが付き合っているだなんて噂を耳にしたのだけど、勿論ウソよね?」

 

「だから……」

 

 苦い顔を見せる八幡。向けられた好意を無下にする事は出来ないが、どうやら彼にも譲れないものはあるらしい。そんな彼の表情を見て、桐絵は口を開いた。

 

「本当よ。だってあたし、八幡のこと好きだもの」

 

 はっきりとした覚悟の上に、とびきりの爆弾を載せて。

 

「えっ……!?」

 

「…………」

 

 驚きの表情を見せる由比ヶ浜に、口を閉ざして目を細める雪ノ下。口ぶりから察するに彼女達は参加者ではなく運営として立ち回っているようだが、そんな彼女達ですら「隙あらば」なのだろう。

 

 だが、今は曲がりなりにも桐絵が八幡の『彼女』だ。彼女を差し置いてそんなことができるほど、桐絵の知り合いは腐ってはいない。

 

 視線を交わしたのは一瞬。「そう」と短く息を吐くと、雪ノ下は由比ヶ浜を連れて玉狛を後にした。……『誤解を与えない為にも2人が付き合っている事を広めておく』と言い残して。

 

 これで、良くも悪くもウワサの信憑性が高まったことだろう。

 

「……すまん、今度はこっちの事情に巻き込んで」

 

「別にいいわよ、最初はあたしがやったんだし」

 

 しかし、八幡が桐絵に向ける顔は無感情ながらもどこか安心したような、穏やかな表情だった。

 

 こういう普段はあまり出さない顔が、彼女らを落としているのだろうか。

 

 たまになら、見つめるのも悪くないかもしれない。

 

 ただ、じっと見つめ合うのも性分では無い気がして、桐絵は八幡に話題を振った。

 

「……そういえば、どうして最初黙ってたの? 宇佐美から聞いたってことは、随分前からあたしの嘘は知ってたみたいだけど」

 

「ああ、それは……いや、何でもない」

 

 言いかけて、八幡は口を閉ざした。何だろうか。

 

「ふーん。そう」

 

 気にはなったものの、詮索するべきでは無いだろう。それより、時間が時間だ。今日は八幡と桐絵の2人きりだし、何か手料理でも作ってあげようか。

 

 そう考えてキッチンへと引き返す桐絵の耳に、それは聞こえてきた。

 

 

 

「…………何でもないヤツの彼氏役をするくらいなら、すぐに辞めてる」

 

 

 

「…………!!??!??!!?」

 

 小さく呟かれた八幡の独り言。だが桐絵の耳にはしっかりと届いていて、その言葉は桐絵の顔を赤く染め上げた。

 

「……ぁう、うあうあぁ……!」

 

 動揺がバレないように足早にキッチンに向かい、しゃがみ込んで両手で頬をつねる。熱くて火傷しそうなのに、火照りはむしろ増した気がした。

 

 どうやら、この関係性は暫く続く事になりそうだ。

 

 恋する乙女のように赤くなりながら、桐絵はそう思った。

 





次はまさかのミラの予定。


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ミラと八幡、ひみつの夜。前編!

本当に待たせてすみませんでしたっ!

以下、この物語前に起きた謎の会話です。

「……ねーねーゆきのん」

「……何かしら、由比ヶ浜さん」

「……ヒッキーは、この店にいるかな」

「……さぁ、入ってみなければわからないわね」

「……あたしたち今日、どれくらいお店に寄ったかな」

「……ここで4件目よ。……ねぇ由比ヶ浜さん」

「……ふっふふふ。ふーはーははーははは! ……はるさんから教えて貰ったヒッキーとミラさんのデートは絶対に阻止させなきゃだよね。トリオン体だから食べ残すこともない! 見てろヒッキー待ってろミラさん! うふふふははは!」

「……ダメだわこの娘、食べたものは後で体に吸収されるという事実から目を背けて……」

「お邪魔しまーす!」


 人の見る夢は儚きもの。

 

 ひとりでに溶け消えてしまう儚きものだからこそ、人が見るべきものだというか。

 

 泡のような霞のような、あったことの証明さえ難しいそれの正体は、それを見た者にしかわからない。だというのに、夢を見たことすら忘れてしまうことはままある。

 

 いずれにせよ、印象に残るほどの夢とは何かしらの魅力が付随して然るべきだ。

 

 はたしてその夢とは、強烈に人を惑わす蠱惑的なものだろうか。それとも誘惑的?

 

 勇敢な。優雅な。恐怖……或いは、卑劣なものかもしれない。

 

 しかし、目の前にあるこれはそのどれでもない。

 

 だからこそ、目の前のこれは夢ではないと断言できてしまうのだった。

 

 それを例えるなら「金色の泉」。

 

 クリスタルのように透き通る輝きではなく、星々をちりばめた夜空のような、あらゆるモノをその中に閉じ込めた奇跡がそこにあった。

 

 メンマ。チャーシュー。白髪ネギ。卵。そして……スープに、麺。

 

「食べるぞ。麺が伸びるし……いただきます」

 

 子供のようにきらきらとした瞳でそれを見つめていたミラは、テーブルを挟んで向かいに座る少年に倣って感謝の言葉を口にする。

 

「……いただ、キマス」

 

 彼女が目の前にしたそれは、ラーメン。

 

 凡ゆる人々に対し内緒にしてでも八幡がミラに食べさせたいという、グルメだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 比企谷隊室ベイルアウト用ベッドにて。

 

 睡魔に抱かれながら夢の国へと旅立とうとしていたミラは、頭上からかけられた思いがけない声に目を開き振り向いた。

 

「外出許可が降りた……?」

 

 ミラが〝ボーダー〟に捕らえられておよそ1ヶ月。軟禁場所に指定されている比企谷隊の隊室はミラにとって何ひとつ不自由なく過ごせている場所であるが、脱走や自殺を防止する意味で部屋から出ることは禁止されていたのだ。

 

「ほんとうに……?」

 

 八幡の私物であるパンさんの絵柄がプリントされた枕に顔を埋めていたミラは、めんどくさそうに知らせてくる八幡のその言葉が疑わしくて、とても信じられない。

 

 しかしそれは確かに、ミラが手を伸ばしていた光景でもあった。

 

「……ああ。お前もそろそろ退屈してるだろうし、三門市から出ない事、誰か付き添うこと、あと1時間以内ならオーケーだとさ」

 

 自分自身がこういう立場だからこそ、望んではいない——いけない——が、久しく見ない風景の幻影は、ミラの心から欠落した大きな孔として小さくない〝痛み〟を残す。

 

 一応、仮想空間技術で外の風景も映し出せるし運動もできる。〝タッキュウ〟なるスポーツは中々に楽しかったものの、運動ができるというだけで自然とはやはりどこか違う。空間に関係する力を使っていたからだろうか、それはどこか限界があって、酷く嘘くさい風景に感じてしまう。それはミラがかんじている痛みの原因でもあった。

 

「……何の冗談かしら。あなた達は、私を閉じ込めておくメリットはあっても私を解放するメリットはないはずよ」

 

 そして、感じてしまう嘘は何も〝モノ〟だけに限らない。

 

「まぁ、そうみたいだな」

 

 頬を掻いて顔を逸らす八幡の顔は、嘘を話している顔だった。

 

「? 何よその『自分は関係ない』みたいな言い方。あなたが私の監視役なの、忘れてない?」

 

「いや……お前が言うか」

 

 それを知りつつもあえて踏み込むミラに八幡は呆れた表情で見返す。

 

「私が言うわ。だって、貴方達がそこまで私を大切にする理由が無いんだもの」

 

 皮肉った笑みを浮かべるミラだが、その瞳には力がない。

 

「…………いや」

 

 ミラの言葉を否定しようとする八幡を遮って、ミラは続ける。

 

「……だって、私にはあなた達にとって有益となる情報が何一つない。話せない、ではなく存在がしないのよ。能力もツノが欠けた事で元には戻らない。頭部に残った破片は綺麗に取り除いてくれたみたいだけど……お陰で、私には何の価値もなくなったんだもの。……もしかして『それだから処分しろ』って命令でも降りたのかしら?」

 

 精一杯の皮肉に嫌味。だが、事実だった。

 

 戦いに負けたミラは、せめてもの抵抗として自らのツノを折った。

 

 それは自身の肉体——脳に残された情報のバックアップの破棄であり、彼女はその後確実に自殺するつもりでいたのだ。

 

 事実として、自殺し損ねたミラは、ツノを折ったことにより記憶の一部が欠けていた。

 

 自らの名を憶えていても、己が故郷の名は忘れてしまっていたのだ。

 

 その中には侵攻時の行動も含まれていて、致命傷を受けた時の自分が仲間を船の中に連れ戻した記憶はあっても、どういう攻撃で致命傷を負ってしまったのかという原因も、分からずにいる。

 

「…………」

 

 しかしその自殺を止めたのはなぜか八幡。

 

 そのことに、ミラ自身が思うものがないわけではない。

 

「……どうやら図星のようね」

 

 何も返してこない八幡をミラは見下すように見上げながら、せせら嗤う。

 

 だが、

 

「……そうか」

 

 八幡は何も言わず、何も現さず、相変わらず感情の読めない瞳を向けてくるだけ。

 

「……っ」

 

 その瞳は、何よりもミラが負けた日の事を鮮烈に、ではなく苛烈に思い出させた。

 

 ………………。

 

 

 

 八幡のその姿を見てミラの脳裏に思い起こされるのは1ヶ月前。敵だったミラ達がこちらの世界を強襲したあの日のこと。

 

 間違いなく自分達が最強であると自負していたミラを、油断のなかった筈の彼女を、八幡は黒でもないただのノーマルトリガーで撃破してみせたのだ。

 

『……なっ、……ふっ、く……!?』

 

 戦いに敗れた仲間の回収(・・)に来たミラの隙を突くでもなく、八幡は堂々と正面に立っていた。

 

 白衣を羽織り、つまらなそうに片手をポケットに差し入れたまま。

 

 冷や汗が止まらない。竦む我が身を抱き止めようとしてその為の腕が無い(・・)ことに今更気づき、ミラはさらに青ざめる。

 

 片腕は千切れ、肩と太腿と脇腹や右眼、胸から首にかけて大きな風穴をいくつも空けて風通しの良い身体になったミラを、それをやった本人は今と同じようにつまらなそうな眼で見ていた。

 

 もう、攻撃の為の小窓を開くトリオンすら残ってはいない。

 

 攻撃を受けた瞬間、仲間を強制的に舟の中に引き戻し、それでトリオンが尽きてしまったのだ。

 

 もう、あと一歩動くだけで全身が砕けて換装が解ける。

 

 そんな状態の彼女は放っておいても問題ないと判断したのか、銃を携えた男と八幡はミラに対し何の警戒もなく話し合っていた。

 

『【棘央廷(きょくおーてい)柏華失亡式(ひゃっかななしき)——喜災転迎(きさいてんげい)】とでも名付けましょうか』

 

『なげーよ。連射式メテオラで十分だろうが』

 

『ただのメテオラじゃないですからそれなりに名前は必要かと。破壊を一点集中し、弾が当たった箇所に限定して削り取るんです。但しトリオン体だけですが』

 

『いつの間にんなもん作ったんだよ』

 

『さっきのほら、なんかヤバイ数の魚とか鳥とか生み出してるやつのトリガー対策で作ってみたんすけど……シールドもぶち抜くし大体消費トリオンがデカ過ぎてランク戦じゃ使えないなこれ』

 

『……っ!?』

 

 ……黒トリガーの一撃に相当する威力の攻撃をマシンガンのようにバラバラと撃っておいて、平然しているその男の顔を、ミラはもう忘れない。

 

『観察ついでに、ですよ。見ればわかるし、試してみれば作れる。それが俺のプロセッサトリガー————

 

 

 

「……おい」

 

「……っ!? な、なにかしら。急に顔を近づけないでくれる?」

 

 ミラの意識内に突然現れた八幡に素っ頓狂な声を上げかけるミラだったが、なんとか堪えて平静を装う。

 

「なにを考えてんのか知らんが……それで、どうするんだ」

 

「……行かないわ」

 

 どちらにしろ、ならば。己の心を掻き乱される必要のない室内にいた方が良い。

 

「……そうか。行きたくねえならいい。代わりにヒュースかエネドラを連れてくだけだ」

 

 しかし、その言葉で心をかき乱され、表情や態度が激変したのはミラの方だった。

 

「……ちょっ、ちょっと待ちなさい! あなた、そういう趣味なの!?」

 

 言っていて、ミラは一瞬自分の言葉の意味が掴めなくなる。八幡がそういう趣味だから何だ、とか。

 

 一方で、八幡を引き留めた本当の理由にも心当たりが無いわけではなかった。

 

「違うから。……行きたくないなら行きたくないで別にいーんだよ。俺の陳情が徒労に終わるだけだ」

 

 無性に気恥ずかしくなった気分を振り払うように八幡をキッ、と睨みつけ、

 

「……いくわよ。有り難く外出させていただくわよ! ええ!」

 

 何故か己を騙すように、改め鼓舞するように勢いよく立ち上がったミラは案の定、

 

「っだ!?」

 

「痛っ!!」

 

 でことでこをごっつんこ。トリオンの体により痛みが無かった八幡は別として、ミラはそれ相応のダメージを負った。

 

 くらくらと頭を揺らすミラは、差し出された手を取る。

 

「……あ、ありが——」

 

「……おい、大丈夫か?」

 

「————」

 

 筆舌に尽くしがたい心境とはまさにこの事。急接近したミラと八幡の距離、凡そ3センチ。まさに恋をする距離だ。

 

 劣化ウラン弾を野球ボールのような気軽さで投げ渡されたとしても、ここまで取り乱す事はあるまい。というか、あってたまるか。

 

 間違いがあればくっついてしまうような距離であった。

 

「……あっ??」

 

 そんな時、八幡が足を滑らせたのは事故か故意か、神の悪戯か。

 

 八幡倒れりゃ、ミラも道連れ。

 

 身体の柔らかさ、躰の逞しさを感じる間もない。

 

「えっ……?」

 

 

 

 ちう。

 

 

 





前編です。後編へと続きます。

ボウトウノフタリハイッタイダレナンダー


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ミラと八幡、ひみつの夜。後編!



もっと甘い話が書きたいのに全然書けないよう。゚(゚´Д`゚)゚。


 

 八幡はウソをついた。

 

 本当は、ミラを監視しているボーダー上層部の許可など得ていない。

 

 考えてみれば当然のことだ。

 

 未だ殆ど情報が得られていない現時点では、黒トリガーを体内に隠し持っているという可能性すら捨てられてはいない。

 

 加えて重要なのは、その外出許可について申請すら行われていないという点にある。

 

 では何故、事によっては重大な処罰が下される可能性のある違反行為をしてしまったのか。

 

 一つは、もしも願いが聞き届けられなかった場合に監視の目が強まる可能性があったからだ。

 

 そしてもう一つ——というより、これが本命。これは、八幡個人の事情に依るものだった。

 

 比企谷少年は『ラーメンが食いたい』。ただそれだけだ。

 

 抑圧こそが人を大きく成長させるというが、それも過ぎれば毒となる。

 

 監視役という任務からして必然的に、長期的な拘束を受けることになるのは監視対象ともう一人、監視役だ。

 

 ミラを仕留めたという理由から監視役を押し付けられた八幡だが、いくら授業免除や成績評価の裏工作があるとはいえ、普通の高校生が一ヶ月もの軟禁状態を過ごしておいて、変わりのない生活や刺激のない毎日などから溜まっていくストレスに耐えられる訳がないのだ。

 

 ただ。

 

 ストレスが溜まっているのだというなら、監視の交代を頼めば良い。

 

 自分が八幡と変わってでも八幡とミラを引き剥がしたいと願う一部のボーダー隊員達の数は決して少なくない。もしもの時のためにローテーションが組まれているくらいなのだから、あとは八幡が一言「代わって欲しい」と洩らすだけ。

 

 その一歩を踏み出すだけなのに、それを頭では理解していた筈なのに、八幡はそれをしなかった。

 

 訴えをせず、こうして命令を破ってしまう八幡だが、めんどくさがりな性格の彼がこんな行いをする筈がない。

 

 真実に隠れた本音にとある感情が込められていることを、彼自身、未だ知らないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミラが思っていたよりもすぐにラーメン屋には着いた。

 

 すぐ戻るつもりなのだろう、基地からそう遠く無い場所にてそのラーメン屋は営業していた。

 

 店内に貼り付けられたブリキのおもちゃやレトロな雰囲気を漂わせる看板が物珍しいのか、ミラはあちらこちらに視線を向けている。

 

 あれは何かしら、とミラが問いかける度に八幡が指先を目で追い、知っているものはミラが理解できるように説明したりする。

 

 その途中で、運ばれてきた水がタダのサービスだという事に驚きを隠せないミラが水をひと口。

 

「八幡。このお水、少し香りがあるのね」

 

「レモン水だ。トマトとは違って香りも良いし、ここのレモン水は特に美味い」

 

「八幡がこの前、2人っきりの時に飲ませてくれた、……あの、白くて濃くてドロっとしたクセになる液体くらいではないけど、これも普通の水と違って美味しいわ」

 

「ヨーグルトな。確かにアレは美味いがその前にその表現は誤解を生みかねないからやめるように」

 

 2人の注文を取った若いアルバイト店員の歯軋りの音が聞こえたり、キャベツを刻む料理人のまな板を叩く音が憎しみを叩きつけるかの如く、より強くなったり。

 

 2人がその会話をしている最中や前後は、店内は物々しい雰囲気に包まれていた。

 

 それから5分ほどして。

 

 店内にはミラと八幡の他に数名客がいたが、全員が既にラーメンを食べている最中か食べ終わった後だからだろうか。2人分頼んだ餃子も合わせてかなり早く出てきた。

 

 ミラは目の前に置かれたしょうゆラーメンを興味深そうにまじまじと見つめていた。

 

「…………これは」

 

 ミラは、目の前に出されたこれを、どういった方法で食すれば良いのかわからないのだ。

 

 穀物がラーメンのように麺状に加工された料理はミラの故郷にもあるが、この料理はそれなどとは全く違うし、形が不揃いでありながらもその見た目で食欲を掻き立てるチャーシューや煮卵、メンマ、海苔などの具材が料理の見た目をずっと引き立てていて、澄んだ黄金色のスープは水が透明な泉よりも美しい。

 

 もしかしたら決まった食べ方があるのかもしれないと、ミラは八幡を見た。

 

「あの、はち…………」

 

 しかしミラは、そこで(彼女の人生において)最も珍しいものと出会う。……出会って、しまった。

 

「……、…………」

 

 黙々とラーメンを啜る八幡。その口端が、微かに緩んで笑みを作っていたのだ。

 

 それは、気を緩めることのできない戦いの最中で一度だけ目にした、今のミラにとって何よりも価値があるもの。

 

 普段彼が決して人前では浮かべることのないとわかってしまう笑みに、それを見てしまった嬉しさからか、ミラの頬も思わず緩む。

 

「いただきます」

 

 手に取る——ことは難しいから、最近彼に扱い方を習ったばかりの箸で、ミラはそれを掬い上げた。

 

 微かに湯気が立ち昇った。春も終わり、冬でもないというのに、持ち上げたそれは写真で見たよりもさらに温かそうに見える。

 

 ——そして。

 

「……ん、良い匂いね」

 

 つい、ひくひくと鼻を動かしてしまう程に力強く鼻腔を刺激する、ショウユベースの濃い香り。

 

「おいしそう……」

 

 思わず口許が緩んでしまう。

 

「当然だ。ここは全国展開するチェーン店でありながらも、魔境とまで揶揄される日本各地のラーメン激戦区が産んだ逸品達に匹敵する程の味を出す。それと、ここのは豚骨醤油なんだが、似たようなものというか表裏の裏? 的な存在に醤油とんこつがあって「冷めるわよ」まぁ、流石に一番とまではいかないが、ラーメンといえばここだ」

 

 何故か箸を置いてミラの様子を伺っていた八幡は、自分がミラを連れてきたこの場所について得意げに語り、ミラが興味を失いかけたところで語りを終えて、やっと箸を手にした。

 

「…………」

 

 途端、八幡は再び人格を入れ替えたかのように黙々と、次々と麺を啜っていく。

 

 しかしそれはミラにとって驚くことではあれど、興味を惹かれる対象ではない。

 

 今の状態でも話しかければ返事をすることを、ミラは知っている。

 

 好物は一番最初に取り分けておいて、一番最後に食べることも知っている。

 

 しかし、昨日は気分が違って好物を最初に食べたことすら知っていた。

 

 スープの濃さを想像してもう少しで喉を潤すために水を飲む事も知っているし、あの色の濃い黄身のとろけそうなエッグの次に好物なのだろうと予測したものもあとで聞いてみなければわからないが、恐れるまでもなく好物だ。

 

 何故そこまでミラがこの少年のことを見極められているのかといえば。

 

「はぁ……」

 

 大体、この少年の事はこの一ヶ月、飽くほど見てきたからだ。

 

 監視生活の中で寝食を共にし、生活圏を同調させたせいで、癖や雰囲気の違いから機嫌や体調の良し悪しを見極める事ができるようになってしまったのだ。

 

 敵なのに。親しいと思っている。

 

 そんな思いが、ミラの中で増幅していく。

 

 この想いは一体何なのか。それを見極める為に、ミラはこの場にいる。

 

『デートですか、そうですか。……楽しそうですね』

 

「……! ……ずっ、……ごふっ!? げほ、げほっ!」

 

 不意に思い出してしまったその言葉。忘れる為に麺をすすることに集中したら麺自体が思いの外アツアツで、むせてしまった。

 

「大丈夫か?」

 

 自分を心配してくれる八幡のその声に頷きを以て返すも、その顔を見ることができなかった。

 

『だからデートじゃねえって。いつまで言うんだそれ……』

 

『でもこの前八幡お兄ちゃ……比企谷先輩が寝言で何回もその人の名前呼んでるの聞きました。煩くて眠れなかったんですよ』

 

『ああいやそれは……って、何でお前、俺の寝言知ってんの? もしかして盗聴器仕掛けてた?』

 

『「隣にいた?」とかじゃなくて「盗聴器?」が出てくるあたり何か前例があるような気になる言い回しですけど……』

 

加古隊(オマエ)んとこのトラッパーにでも訊け。初犯はそいつだからな』

 

『比企谷先輩相変わらず煩いです。どうだって良いじゃないですか、……せ、先輩は良い匂いでしたよ』

 

『そうか。……まぁ、ボディシャンプーはいいものを選んでるからな……』

 

『ええ……って、するー!? そういうとこに反応して欲しいんですが!?』

 

『そういえばミラ、新しいシャンプーはどうだ? 匂いが嫌だったりするか?』

 

『いいえ、とても良い香りよ。このモモの匂い、好きだもの』

 

『無視な、……! な、な……』

 

『……俺のを嗅いだって意味ないだろが。自分のを嗅げ自分のを』

 

『……? 同じものを使っているのに、比較する理由があるのかしら? だったら慣れた方を嗅ぐわよ』

 

『いやお前が身を寄せると色々——あ、じゃあな黒江。また今度』

 

『あ、はい、失礼します。……?』

 

『ねぇ。前から言おうと思ってたけど、寝る前に動画を見るのをやめて欲しいの。煩いし光っていてとても眠れないわ』

 

『……いちおう布団被って光も遮断してた筈なんだけど』

 

『漏れてるから。とにかく、消灯したら明るいものは付けないで。眠りが浅くて疲れが取れない原因にもなるから、ね?』

 

『なんか年寄り臭——』

 

『ね?』

 

『……わあったよ』

 

 

 

『……!? …………!??!?』

 

 ここまでの道すがら、すれ違った誰かに力なき瞳で言われたその科白を、ミラが決して意識しているわけではないのだ。

 

『アレで付き合っていない……だと!?』

 

 

 

 

 

 

 楽しい時間はあっという間に。苦しい時間はより退屈に感じられるというが、ミラの場合、前者でも後者でも無かった。

 

 ラーメンという食べ物はミラにとって新鮮でそれまでの退屈を吹き飛ばすような代物だったが、ミラの八幡に向けるその『気持ち』が、時間の経過を停滞させた。

 

 

 

 …………その時間の感覚があと五分早ければ、このような危機的状況には陥らなかっただろう。

 

 

 

 ちりんちりん、と来客を知らせるベルが鳴る。

 

「いやあー今日も仕事疲れたなあ!」

 

「確かにそうだ。今日は特に、仕事が増えたせいで遅くまで残らなければならなかったしな」

 

「……だからって、ハメを外しすぎないでくださいね」

 

 入ってきたのは男と女二人の三人組。

 

 疲れた、などと口にしていることから近所の会社に勤める社員だろうか。この店は〇時を超えて遅くまでやっているし、仕事終わりに寄るにはうってつけなのだろう。

 

 まあ、自分たちには関係のない。バレる前にさっさと帰ろう——

 

「ミラ、帰るぞ」

 

「ふぁふぉぉふえふもむふふぉぉ」

 

「……待つから落ち着け」

 

 そう思って席を立とうとする八幡だが、まだミラが水を飲んでいる最中で、それまでは待つか、と浮かせた腰を再び落ち着けた。

 

 しかしそこで、不可解な事が起きた。

 

「よいしょっ……と。大将、私は豚骨醤油を頼む」

 

「あ、私は塩で」

 

「私も塩で頼みます」

 

「……は?」

 

 なぜかその三人組が、自分達の使っている席に平然と腰を落ち着けたのだ。

 

 カウンターは空いている。テーブル席もまだ他にある。……だというのに、この三人組は八幡達の許可も求めず強引だった。

 

「ちょっと、あんた達一体……」

 

 この席が良いのならもう少し待てば良いのに。そんなことを考えつつ八幡が横の女性を睨もうとすると、それよりも先に応えが返ってきた。

 

「いやあ、それにしても奇遇だなあ比企谷! お前とまさかこんな所で会えるなんてな!」

 

「——っ!?」

 

 怒。

 

 肩に手を回し、機嫌良く高らかな声を上げるその女性は、笑顔なのに明らかに怒っていた。

 

 そして、その女性の機嫌を感じ取ると共に、三人組の正体についても、八幡は気付いてしまった。

 

「おいおいどうしたんだ比企谷? こっちは教え子に久々に会えて嬉しいんだぞう?」

 

 震えが止まらない。ミラとは違う意味で、視線が合わせられない。

 

「比企谷くん、比企谷くんの頼んだラーメンはどんな味だったの?」

 

 正面の女性が和かに青筋を浮かべて話しかけてくるが、これにも答えられない。

 

「……あ、……え、と、で、すね」

 

 肩に回された腕が首に登り、ガッチリとロックして外れそうにない。どうでも良いけど柔らかい。

 

 ミラが、重いため息を吐いた。

 

「まぁ、ラーメンでも待ちながら——」

 

 八幡の斜め前に座った忍田真史——ボーダー本部長が、光のない笑みを八幡に向ける。

 

 委細は省いたとして簡潔に言えば、

 

「——どういうことか説明してもらおうか? 比企谷」

 

「…………イエス、マム」

 

 脱走がバレたのだった。

 

 

 

 元々黒江とすれ違った時点で秘密も何もないし、本部の廊下には当たり前だが監視カメラが設置されている。

 

 こっそりと動くか堂々と動くかは関係なく、二人が無断で本部を出た事を上層部はその瞬間から知っていた。

 

 まさかと思いミラが国に帰還するために使われるであろう「ゲート」の反応を調べていたがその反応は得られなかった。そしてその後黒江からもたらされた「二人はラーメン屋にデートに行った」という情報から一部の任務に意欲的なA級部隊を投入して、辺りのラーメン屋をしらみつぶしに捜索していたという訳だ。

 

 ミラは現時点でボーダーに害なすものではないので、より自由に生活できる玉狛への移住も検討されていたというが、それも今回の脱走により白紙化(おじゃん)

 

 八幡を含めたミラの謹慎期間は二週間ほど増えてしまったというが、本人達は満更でもなかったのだという。その理由は、本人達の知るところのみ。

 

 ラーメンを待つ間に行われた説教も、いかに総司令に気取られずに気を揉んだのかという愚痴が半分を占めていたし、ラーメンが届く頃には説教はただの愚痴と化していた。

 

 ただ怒鳴り散らさない辺り、大人達も八幡やミラに対して思うことがあるのかもしれなかった。

 

 ラーメン屋からの帰還(連行)道中。

 

 三人に囲まれて八幡と歩きながら、ミラは考えていた。

 

 八幡は言った。『近界民なら誰でも良い』と。それはそのまま、誰でも良かったはずだ。

 

 誰でも良かった。エネドラでも、ヒュースでも。

 

 なのに。

 

 ……わざわざ自分に声をかけてきたのは、なぜだろう? 言葉から察するに、しかも一番にだ。

 

 まさか、誰でも良い訳ではなかったとか?

 

「……っ?」

 

「……どした?」

 

「い、……いえ。何でもないわ。きちんと前を見て歩いて頂戴」

 

「はいはい」

 

「……」

 

 前を向き、またゆっくりと歩き始める八幡。その背中を見つめながらミラはぼうっと熱っぽい頭で、八幡のことを考える。

 

 

 ……ほんとうに、どうしてだろう。

 

 

 彼女の口から発せられることのなかったその疑問は、ミラの胸中に渦巻く嵐となってしばらく停滞し、彼女の体温を上げ続けていた。

 

 






すっきりした甘さの後味が良いと思う。


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一部屋共同生活 前編

お待たせしました那須さんです。

と言っても今回のお話は序章のようなものでして、本格的な本編は次回となります。

書いてたら収拾がつかなくなっただけですけどね。


どうぞ!


 少女は時々、自分でも気付かないうちに窓の外を眺めていることがあった。

 

 そのような時は決まって、鳥が空を飛んでいた。

 

 だが、鳥に向ける眼差しに憧れなどはない。家にしか居場所がない自分と同じようにその鳥にも空にしか居場所がないのだから、空を自由に羽ばたく鳥に哀れみを抱いたとしても、憧れの感情を持つことはなかったのだ。

 

 少女は、生まれついての病弱体質だった。

 

 年中無休で集中治療室か扉の厚さが定規凡そ一本分もある隔離部屋にいなければ生きていけない程ではなかったけれど、彼女は病弱であるが故に小学校(六年間)の殆どを自宅で過ごした。

 

 別に寂しくはなかったけれど、無限とも思える永い時間を独りで過ごす中で、少しも病原菌に対して抵抗力を増す素振りを見せることのない己の体を彼女は憎んでいた。

 

 病弱な体はあらゆる病を呼び寄せる。

 

 彼女にとって病気とは防ぐものではなく付き合うものであり、自分が元気に外を走り回る姿を想像した数は一度や二度ではない。

 

 前に、たった一度だけ、旅行をしてみたいと両親にねだった事がある。

 

 普段から口数も少なくわがままを言った事のない少女のおねだりは、少女の体質に悩んでいた両親に明るさを取り戻させた。

 

「空気が美味いところが良いだろう」「富士山はどうかしら」「体調に余裕があれば、二箇所くらい回ってみたいな」

 

 父親がその時期にあった大事な取引を中断させてまで考えてくれた少女の旅行計画だったが、結局その旅行は中止となった。

 

 体調の良い日が続き、医師からの診断書にも激しい運動をしなければ問題なしと太鼓判を押されていた少女は、出発日の直前になって血を吐いた。

 

 病名は消化性胃潰瘍。少女が来る旅行を楽しみにし過ぎて(・・・・・・・・)発症してしまった病気だった。

 

『……っ、ごめ、なさい……! おとうさんも、お母さんも、わだしが、こんな弱いからだに生まれたせいで……!』

 

 その日の夜、少女は病院のベッドで泣き喚いた。

 

 少女の泣く姿は、少女の両親に、旅行に行けなかった悲しみよりも、娘が生きていく上でなによりも重いものを背負わせてしまった事に対する悔しさを与えていた。

 

 しかし、幸か不幸か、この日に少女が血を吐いたことで、少女の運命は変わっていたのだ。

 

『ばあか。おまえがおまえのとーちゃんとかーちゃんに謝るより、おまえがおれにまず謝れ』

 

『ぅ、ぅえ……?』

 

 少女が額に痛みを感じて頭を上げると、不貞腐れた顔で少女を睨む少女と年齢が同じくらいの少年がそこにいた。

 

 ぽかんと口を開けて呆然と少年を見る少女と、眉間にシワを寄せて睨みつける少年。

 

 どちらもその後に暫く言葉は無かったが、乱入者である少年に見舞いに来ていた少女の父親が話しかけた。

 

八幡くん(・・・・)、すまない。せっかくの旅行を台無しにしてしまって、本当に、申し訳ない……』

 

 すまなさそうに頭を下げる少女の父親。

 

 今回の旅行は、少女の家族だけではなく少女の家族と付き合いがあった隣家の家族と一緒に行く予定だった。少年はその家族の息子。だが、少年が口にしたのは旅行中止に対する文句ではなかった。

 

『ちがうよ、なすのおじさん。おれはおじさんに謝ってほしいんじゃない。おれにゲボしたこいつに謝れって言ってんの』

 

少年は、少女に血を吐きかけられていた。

 

 今まで互いに見かけたこともなかった相手なだけに、乱暴な少年の言い分も、少女に対する遠慮がないだけなのかもしれない。

 

 だけど少年の言い分はもっともで、少女は自分の体質のせいで絶えず誰かに謝ってばかりだったから、謝罪の言葉はすんなり出てきた。

 

『りょこうにいけないのは残念だけど、そのぶん、ざいもくざとかとあそべばいいし』

 

 その言葉が少女の耳を打つまでは。

 

『……ざいもくざ?』

 

『知り合いだよ。近所のやつで——って、そんなのはどうでもいいんだよ。はやく謝れ』

 

 少女は、少年の言葉に痛みを覚えた。

 

『遊ぶ——って、外で、体を動かして遊ぶの?』

 

『そーだよ。でも最近は暑いから、部屋の中でゲームをしたりするけどな』

 

『……………』

 

おまえには(・・・・・)関係ないだろ。はやく謝れよ』

 

 何より、その言葉が少女には重く突き刺さった。

 

『………………い!』

 

 それは、少女にとって久しぶりの感情。

 

 今は。

 

『あん? 今なんて——』

 

 自分の体と同じくらいに、少女は少年が憎かった。

 

『あやまらないっ!』

 

 自分に振り出せる精一杯の声で、少女は自分を睨む少年を睨み返す。

 

『れ、玲?』

 

 激昂する少女の側で、父親は困惑の声を上げる。当然だ、自分の娘がここまで感情的になったことなど、一度もないのだから。

 

『あなたはお外で走ったり、遊んだりできる! だからあなたはわたしがわからない! わたしはあなたがきらい! きらいなあなたにわたしはあやまらないっ!』

 

『……なんだよおまえ。悪いのはおまえなんだぞ』

 

『きらい!!』

 

 感情の奔流。決壊したダムのように、今までに溜め込んでいたあらゆる言葉が、不満が、少年にぶつけられた。

 

 側にリモコンでもあれば投げつけてしまいそうな剣幕で怒鳴る少女に、気圧されたかのように少年は後退り、背を向けた。

 

 ただ、少年も黙って出て行く訳ではなかった。

 

 部屋の扉を少女の父親に開けてもらって、少年は振り返る。

 

『……俺のいもうとも、楽しみにしてたんだ』

 

『————え』

 

 おそらくは彼の本音であろう〝文句〟を言い残して、少年は少女の病室を後にした。

 

 少年の一言で我に帰った少女は、世界に突き離されたかのような、周りの景色が急激に遠ざかるような、そんな幻覚を見た。

 

 そうして、少女はまた自宅での生活に戻る——ものと思われた。

 

 少女にとっての運命の岐路は、あの少年に出会うことだったのかもしれない。

 

 少女が退院してから数日が経過した、ある日のこと。

 

『おかわりちょうだい、お母さん』

 

 いつものように、少女は自室で食事を摂っていた。が、いつも食べる量では足りなくなってしまったのだ。

 

『……ど、どうしたんだ玲? そんなに食べて……』

 

自分でトレーを持ち、しっかりとした足取りで自分の部屋から降りてきた少女を見て、母親は皿を落として割り、父親は慌てて母親をフォローしながら、信じられないといった視線を少女に向ける。

 

『なんか、お腹がへるの。ここで食べていい?』

 

 少女の瞳はハッキリと見開かれていて、頬は血色の良さを表すように赤みを帯びている。普段、良い意味でも悪い意味でも覇気のない少女からすれば、病が治ったかのような快調ぶりだ。

 

『皿の片付けは私がしておくから、母さんは玲に何か食べさせてあげてくれ』

 

『……』

 

 父親の言葉。だが母親は、口に手を当てるばかりで何も言葉を返さない。

 

『お母さん?』

 

 少女が母親のエプロンを掴んで漸く、母親は反応を示した。

 

『……あなたの口からおかわりなんて言葉が聞けるなんて……!』

 

 頬を伝うのは一筋の涙。それは、間違いなく胸にこみ上げる嬉しさが溢れたもの。

 

 ぽたぽたと垂れる母親の涙を顔に受けながら、少女は首を傾げた。

 

『お母さん、もう大丈夫だから。なんかね、ちからがみなぎってくるの』

 

『ええ……そうね。でも、無理はダメよ。食べ過ぎて吐いたり、脂っこいもので気持ち悪くなったりしてもいけないから、まずは同じもので我慢してくれる?』

 

『うん!』

 

 その時少女が両親に見せた笑顔は、きっと少女の両親にとって何よりも価値があるものだったに違いない。

 

 その日から、少女が病気にかかることは殆ど無くなってしまった。

 

 逆に、走って転んだ、などというヤンチャな話が増えたくらいだ。

 

 在籍だけしていた小学校についても、少女の両親が学校に連絡し、自宅学習から登校学習へと切り替えて行くことに話がまとまった。

 

 久し振りの学校に、感激したのは少女よりもやはり両親の方。付き添いをしていた父親は娘のランドセルを背負って歩くという行為にすら感動を覚えていて、それはもう存分に破顔して、入学式でもないのに校門で写真を撮っていたくらいだ。

 

 校門をくぐり、玄関口に着いたとき、少女は見覚えのある女性がいるのを発見した。

 

『お父さん、あの人……』

 

『ああ、比企谷さんだね。こんな昼間にどうしたんだろう』

 

 少女が見つけたのは、あの日少女が啖呵を切った少年の母親。職員から書類——にしては分厚いものを受け取っていた。

 

 少年にはあの日以来会えていない。嫌いだから謝るつもりもないのだが、同じ学校だったのか、と少女は無機質な感想をこぼしていた。

 

 少年の母親がこちらを向いた時、少女の父親が話しかけた。

 

『やあ比企谷さん、お久しぶりです』

 

『あ……那須さん。お久しぶりですね』

 

 久し振りに見る少年の母親の顔。あまり会ったことはないが、少女にはどこか顔色が悪いように見えた。

 

『お陰様で娘もこの通り元気になりまして。何が原因かハッキリとはしていないんですが、急に病気に掛からなくなったんですよ』

 

『そう……ですか。それは良かったです。玲ちゃん、学校はきっと楽しいわよ』

 

『はい! ありがとうございます!』

 

 和かな笑みでおめでとうと言ってくれる少年の母親のことが、少女は嫌いではなかった。

 

『偉いわね……はぁ、うちの息子とは大違い』

 

 少女の返事に、少年の母親はうなずいた後にため息をついた。

 

『そういえば、玲も八幡くんと同じクラスなんですよ。八幡くんとはあの日に喧嘩して以来会っていないものですから、是非とも仲直りさせてください』

 

『あんなの、うちのバカ息子が玲ちゃんの事を考えずに自分の気持ちだけで行動したのが悪いんですよ。本当にあの子ったら、空気を読む事が出来なくて……』

 

『……そういえば、比企谷さんは今日はどうされたんです?』

 

 少年の母親の背後に教職員がいる。少女達のことを待っていると思った父親は、早く済ませるため、話題を切り替えた。

 

 少年の母親は少女の父親の言葉にああと相槌を打つ。

 

『ウチの息子、今日から暫く自宅学習をすることになったんです。今日は教材の受け取りですね』

 

 さらりと口にされた来校の理由。だが、少女と父親は引っ掛かりを覚えた。

 

『……え?』

 

『先月くらいからかしら。急に体調を崩すようになって、高熱を出すようになったのよ。しかもそれがインフルエンザとかじゃなくて、原因不明なんですって。カレーとかが大好きで、おかわりなんかも良くしていたのに、今はもう一人前ですら吐き戻すようになってしまって……お医者さんが言うには解熱剤しか出せる薬はないから、数ヶ月は自宅で安静にしているように、ですって』

 

『………………』

 

 少女は、その話に憶えがあった。聞き覚えが、ではなく身に覚えが。

 

『……おとう、さん……』

 

『……まさか、玲の病気がうつったのか……?』

 

 学園生活への期待に胸を膨らませていた少女にとってはじめての登校日は、その胸に傷を残す形となった。



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一部屋共同生活 後編


——女、何を以って彼の者に近づく。

——自らの知(恥)欲のために。

——女の求める者は至高か。

——彼以外にあり得ません。

——何の権利がある。

——恋人ですから。

——其は、何者なるか。

——童喰い(ショタコン)です。




 添い寝、或いは同衾。

 

 後者は性的な意味を持つことの方が多く、彼らが只今楽しんでいる(?)行為については添い寝の方が正しい表現ではあるのだが、この二人の間に男女的——主に恋愛という意味で——な関係が全く無いのだとすれば、それもまた間違った表現である。

 

「八幡」

 

 指を伸ばせば簡単に触れる、僅か数センチの距離。彼らの間に有る空気は、障害たり得ない。

 

 指の関節二つ分にも満たないその距離において、那須玲は自分に背を向けて寝ている少年に声をかけた。

 

「……」

 

「寝てるの?」

 

「……なんだよ」

 

 再度の問いかけに、間を置いて応えが返ってきた。

 

 少年の話す拗ねたようなトゲのある声に、何故か玲は嬉しさを感じながら、自分と少年の間に空いていた隙間を無かったことにした。

 

「……っ!? おま、ブラ……!?」

 

 玲の行動に、少年の顔色や反応はわかりやすい。

 

「ぶら? 一体何のことかしら。たとえば、八幡が今朝着替えさせてくれなかったせいで、私が何か(・・・・)身に付け(・・・・)忘れている(・・・・・)物がある(・・・・)としたら、それは着替えさせてくれなかった八幡のせいよね」

 

「てめぇ……っ!?」

 

 ふにゅん、とパジャマの下は肌シャツ一枚の少年に対し、玲は何故か、柔らかく触れる。

 

 何か大切なものをつけていない。

 

 少年の抱いた疑惑は確信に変わった。

 

 少年の背と大きくはないがしっかりと膨らんでいる玲の胸でくにゅくにゅと擦れるその感触は、布越しでも十二分に伝わってしまう。

 

「おまえ、また、なにして、……ふえ……っ!?」

 

 ただ密着するだけでは少年が押し出されてしまう。

 

 特にこの少年は恥ずかしがり屋なので、玲が少年の脇の下から腕を回し、抱きしめてやる必要があった。

 

「——もんだい」

 

 少年の耳元で、玲は蜂蜜のように甘く蕩ける声を出した。

 

 少年の耳が、わかりやすく朱に染まる。

 

「わたしは、何を忘れたのでしょう……?」

 

 より密着して、玲は少年のうなじを舐めた。

 

「ん……ろっ」

 

「!???!?!!? ちょっ、おまえ……!」

 

 わかりやすく取り乱した少年は、玲を押し除けようとして——更なる罠に突き落とされる。

 

「いいかげんに……にッ!?」

 

「ぅひぅ!? ……ふ、ふふふ……」

 

 玲の体がびくん、と跳ねて少年の胴に回している腕が一瞬強張る。その原因は少年が玲に向けた腕だ。強く目を瞑り、狙いなど定めずに突き出したものだから、少年の指先は玲の体のある箇所を掠めていた。

 

「……ヒント。忘れものは、ひとつではありません——」

 

「……あっ、…………あ、あぅあ、あ゛、うあ、あ゛あ〜〜っ!??!??!?」

 

 玲の口から言葉として吐き出される艶かしさは、少年を絡めとる罪悪感と相まって、少年の声を、体を、心を、震わせていた。

 

 そして、痙攣のような少年の喘ぎ声は突如止む。

 

「……八幡?」

 

 玲はそう呟くと、動かなくなった少年の口に指を差し入れ、舌を指で挟み脈を確認する。

 

「…………やり過ぎた、かしらね。……んっ」

 

 指を少年の口から抜き取り、ちろりと舌を指に這わせる前に、玲は呟く。

 

 少年は。

 

 失神、していた。

 

 こうなってはやりたい放題だ。

 

 少年の服を剥こうが少子化対策を実践しようが、全ては玲の思いのまま。

 

「……ふふ。ありがとう、わたしの王子様」

 

 しかし、パジャマをめくって少年の腹部に這わせていた反対の手を玲は引き抜いた。

 

 未遂とか言ってはいけない。

 

 玲に抱かれてすやすやと眠る少年(・・)の体の向きを変え、わざわざ自分の方に向かせて、玲は改めて彼を抱きしめる。

 

 玲と少年の間には二倍近い身長差があり、絵面的にぬいぐるみを抱きしめているかのような格好なのだが、少年と玲は同い年だ。

 

 無意識ながらも無意識(・・・)に自分の胸に顔をうずめてくる少年に微笑ましさと仄かな眠気を感じながら、玲はつぶやいた。

 

「不便なものね。……生命力強化と……譲渡だったかしら。自分での調節が難しく、慌てたり、取り乱すだけで殆どの力がわたしに吸い取られてしまう——」

 

 

 ——サイドエフェクト。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サイドエフェクト。副作用。

 

 体内で生成される物質トリオンが人体に影響を及ぼした結果、ヒトの身体能力の延長線上に現れるモノがそれだ。

 

 五感が強化されることの他に嘘を見抜けたり、未来を予知したり、敵意を察知したりなど様々な能力を得ることがあるが、少年——比企谷八幡の場合は、それが彼の儚い命を繋ぐほど強力なものであった。

 

 彼にサイドエフェクトが備わっていなければ、今の彼の見た目であるおよそ九歳〜一〇歳程度の寿命で彼の人生は終わっていたらしい。

 

 彼の側にいる玲は、元々病弱体質というものを抱えており、小学生生活の殆どを自宅で過ごすなど、幼い頃から果てしなく病弱な体であった。

 

 だが八幡の場合、玲とは文字通り虚弱体質のケタが違う。

 

 空気中を漂う排気ガスや何かしらの雑菌を吸い込むだけで、気道や肺が炎症を起こす。

 

 走るだけで、骨にヒビが入る。

 

 笑うだけで内臓が痙攣を起こし、痛みのショックで気絶してしまう……など。

 

 生きる為には無菌室から一歩も出てはいけないほどに、彼は虚弱だった。

 

 しかし、それが発覚するのは彼が小学四年生の時のこと。

 

 つまり、少なくとも小学四年生までは、彼はただの健康優良児として生きていたのだ。

 

 彼の能力が発覚した時。それは、彼の容態が急激に悪化した時期であり、幼少期から既に病弱だった玲の体調が著しく快復した時期と重なっていた。

 

 ただ、八幡が自分の能力を知ることができたのは玲が居たからに間違いはなく、玲との出会いがなければ今頃も彼は自分の能力に気づくことはなかったかもしれない。

 

 元々家が隣同士だったこともあってか、那須家と比企谷家は子供達を除いて家族ぐるみの付き合いがあった。子供達は面識もなくあまり遊んだことは無かったが、ある時病弱でロクに外出することすら叶わなかった玲のおねだりで、旅行に行ってみようという話が持ち上がった。

 

 結局玲が出発直前に体調を崩してしまったことで計画は白紙化されたが、それが気に食わなかった、旅行を楽しみにしていた妹が悲しむ姿に我慢が出来なかった八幡が玲に食ってかかったのだ。

 

 胸ぐらを掴むような真似はしなかったものの、額を指で弾く程度の身体接触によって八幡の生命維持に使われていた生命エネルギーの大部分が玲へと譲渡され、玲の体調はすこぶるよくなった。

 

 それまでずっとベッドの上で過ごしてきていたのが、外で走り回ることすら可能になる程に、だ。

 

 学校にも通えるようになって玲は大喜びしたものだが、玲が学校に自分の足で通い始めたちょうどその日から、ほぼ全ての生命エネルギーを譲渡してしまった八幡は学校へは来なくなった。

 

 自分と入れ替わるようにして八幡が学校に来なくなった事を、偶然にも玲は知ることができた。

 

 だが、当時はトリオンについては研究どころか存在すら認知されていなかったし、せいぜい玲の病弱体質が感染るものだったのか、と思いかけたくらいだ。

 

 玲の体質は病気でないのだから感染する筈がない、と割りを入れるよりも、子供だった玲は彼女にとって初めてとなる学園生活を楽しむことの方に夢中になってしまっていて、八幡のことなど最早気にも止めることはなかった。

 

 それに、玲にとって期待した学園生活が予想以上に楽しいものだったことも、脳の片隅から八幡のことを追い出すのを手伝っていた。

 

 玲の容姿は控えめに言っても可愛かったし、本当は人に好かれやすい性格である玲を誰も拒むことはしなかった。

 

 誰もが好意的。誰もが協力的。

 

 ……だから、だろう。

 

 そのクラスの、元々八幡が座っていた机の中、引き出しに相当する部分に、落書きされたり千切られたりした彼の私物、ゴミなどが入っている事に気づきはしなかった。

 

 そのクラス一丸の穏やかな雰囲気が、たった一人、とある少年がそのクラスに在籍していることで成り立っていることを、幼き日の玲が知る由もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ん……? あ………?」

 

 何が。というわけではないが、寝ていた八幡の目は自然と開いた。

 

 窓の隙間、カーテンの隙間から顔を照らす光は、いつのまにか暖色が混じっている。

 

 昼寝がいつのまに長引いたのか、と八幡が思いかけたところで、ふと彼は身体に奇妙な違和感を覚えた。

 

 目覚ましに起こされる時とも、朝に気持ちよく起きる時とも違う。

 

 睡眠時間は足りていて、体の疲れは取れているのにどこか虚しい。

 

 何か変わっているのだろうか。

 

 そう思って、彼は身の回りのものを確認してみる。

 

 枕もベッドも、意識がなくなる前に見たものと同じだ。

 

 部屋だって、照明や机など、消耗品を除くものは五年は変えていない。

 

 それなのに、何かが違う気がする。

 

 具体的には腕にかかる圧迫感——

 

「…………くぅ」

 

 美少女が彼の左腕を自分の枕にして寝ていた。とても気持ち良さげに。

 

 とても静かな寝息だ。呼吸による体の動きも腕に伝わるものではなく、加えて起きてすぐには気付かなかったくらい、玲の体は重さを感じさせるなかった。

 

 同じベッドで寝ているのだから、そういうこともあるだろう。

 

 自分なんて、何度玲の胸をごにょごにょ——と八幡が過去の己の蛮行を羞恥していると、思考の途中で彼は答えに行き着く。

 

 ……そうか。そういえば自分は、玲にチカラを吸われたんだったか。

 

 思えば、今日は月に一度と決められた「玲にチカラを渡す日」。

 

 幼い頃は自らの生命維持にチカラを使い切っていた八幡だが、時が経ち、体が成長するにつれて使い切っていたチカラが有り余るようになった。そのため、月に一度のペースで同じ家に住む玲に有り余ったチカラを生命力として渡しているのだ。

 

 ただ、能力の発動条件や他に何ができるのか、など、八幡は未だに自らの能力を制御し切れていない。但し、最近は適度な身体接触か適当な間隔で同じ場所にいることでそのエネルギーを安全に譲渡できることはわかっている。

 

 故にこうして、エネルギーが溜まりすぎた時に起こる八幡の身体の若返りが元に戻るまで、玲が八幡の側にいることでエネルギーの発散を効率化するために添い寝をしているのだ。

 

 彼女が健康でいるため、玲と八幡との間で交わされた約束を守るために、月に一度玲の部屋で行われる神聖な筈の儀式。

 

 目的は玲が健康であるためでその他にはなく、恋人同士である彼と彼女の関係からすればその後がとんでもないことになりそうではあるが、一応二〇歳まではそういうことはしない、と約束の中で決めてある。

 

 なるほど、妙に気だるげなのはそのせいか、と自分で納得し、軽いのに強固な玲の腕力のせいで抜け出せないことだし、と自分を説得して彼も再び目を閉じる。

 

 次に起きるのは、一時間後か、二時間後か。

 

 ……この習慣を始めたばかりの頃はこの妙な気だるさを寝起きに感じる事なんて無かったけどなぁ、と既に蕩けかけている脳で八幡はそんなことを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 こんな日常を繰り返すことで慣れた彼は、いくつかのことを見落としている。

 

 

 

 自らの腕枕で幸せそうに眠る玲の肌が妙につやつやとしていたこと。

 

 感じた気怠さはチカラの譲渡とは無関係なところで起きていたこと。

 

 月に一度のこの日は決まって玲が下着を付け忘れること。

 

 

 

 ——気づくことはなかった。

 

 




主人公がショタでひどい目にあって泣き叫ぶも誰にも助けてもらえず絶望の淵に沈んでるところをヒロインに救ってもらって泣きながら×××されるオリジナルストーリーが描きたい。ギリギリR17くらいのやつを。


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みかみかのシアワセな生活

大変長らくお待たせいたしました。

みかみかでございます。


書いてたら思ったのと違う感じになってしまったので、また後日別のみかみかを出すかもしれません。とりあえず次は日浦茜隊員ですが。


フレンチキス=ディープキスだと思ってなくてマジで勘違いしてました。エロ知識ちょっと蓄え直してきます。


 好き。

 

 大好き。

 

 愛してる。

 

 彼と一緒に居るのが好き。

 

 彼と話せたりするともっと幸せだ。

 

 触ってみたい。

 

 彼の胸に顔をうずめてぎゅっとして貰いたい。

 

 抱きしめて、抱きしめ返されたい。

 

「ただいま」って、言われたい。

 

「おかえり」って、言ってあげたい。

 

 他の人じゃだめ。彼とがいい。

 

 彼との結婚も、彼との子供を授かるのだって、わたしだけが独り占めにしたい。

 

 毎朝早起きして、朝が苦手な彼の頬にキスをして起こしてあげたい。

 

 彼がその日一番に目にするものが、わたしでありたい……というのは、少し欲張り過ぎだ。

 

 でも、それくらいにどうしようもない。

 

 わたしは。

 

 あのヒトに、恋をしている。

 

 わたしの恋は〝病〟ではない。

 

 病気はいずれ治るもの。わたしの恋は、永久不治だ。

 

 だからこの感情は、〝恋〟と名付けられて然るべきものだろう。

 

 わたし、三上歌歩は、比企谷八幡くんに恋をしている————。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初めてその感情を自覚したのは、もう半年も前のこと。

 

 彼と出会ったのは、それよりもさらに一年前の、雪の日。高校一年生の冬休み。仕事から帰っている途中のことだった。

 

 ……わたしが、不良に絡まれていたのだ。

 

『ねーねー、そこの君っ! 俺と一緒に遊ばないかい?』

 

 その『不良』は金髪、イヤリングにブレザーの制服を着崩した、似非ホストのような格好をしていた。

 

『え……』

 

 いきなり肩に手をかけられて、その人の表情は何かわからないけど多分笑みを浮かべていた気がする。

 

『そう、君。今暇してない? 奢るからさ、ゲーセンとかカラオケとか、もしよかったら……』

 

『あ……えっと……』

 

 正直、いきなり肩を触ってきたその不良のはとても怖かった。

 

 ただ。その怖さは未知のものから来る恐怖ではなくて、無理やり違う大きさの額縁を壁にはめ込んだかのような、歪みとか亀裂とかが生じている違和感から来る恐怖。

 

 表情が、自然じゃない。

 

『ん? なんだ——何かな?』

 

 でも、だからかな。その「怖さ」以外に何もなかったから逆に、その時に浮かんできた言葉がそのまま口から出ちゃったんだ。

 

『……どうして、そんなに嘘をついてるの?』

 

『……嘘?』

 

 被っていたお面にヒビが入る。そんなイメージが見えた。

 

『だってあなた、言葉も、表情も、嘘をついてる。顔に出てるよ』

 

『……は? ……そう、か』

 

 わたしの言葉に、わざわざ自分の顔に触れて確認するような仕草をする不良。

 

 あまりお喋りなわたしではなかったけど、その不良が作った間に耐えきれずについ、わたしから話しかけてしまった。

 

『……あの、その制服、ウチの……高校です、よね』

 

『……え、は——ああ、そうそう。そうだよ。総武高校一年生。今年二年生。もしかしたら同じ学年かもしれないねっ』

 

 助け舟だったのだろうか。水を得た魚のように、表情とお喋りに潤いが戻る。

 

 先に言っておくと、その不良とのやり取りに耐えかねたわけではない。

 

 不良から視線を逸らした先で目に止まったものがあったからだ。

 

『同じ……わたしも今年で二年生です……『わあ、やった!』あ、でもわたしが言いたいのはそういうことではなくてですね……』

 

『?』

 

 恐る恐る、不良の背後を指差す。

 

『……後ろについて来てる、あの人たち……は……?』

 

 不良の背後には、不良よりも数倍怪しい格好をした人達が遠巻きにこちらの様子を伺っていたのだ。

 

 全員がマスクにサングラス。とても怪しくて、わたしの注意はその不良よりも背後の集団にいきかけていた、その時。

 

『……あいつら……』

 

『え……』

 

 わたしにかけてきた時とは随分違う機嫌の悪そうな音程の低い声色で、不良は背後の人たちを睨み付けていた。

 

 わたしが声の違いに驚いていると、不良はハッとして、

 

『……あー、うん、いーやー。ゴメンねー。俺ちょっと用事思い出しちゃってサ。怖がらせちゃったらゴメンね——って事で、これで美味しいものでも食べてよ。それじゃ!』

 

 捲し立てるように喋った後、財布から取り出した千円札をわたしの手に載せて、そのまま背後の人達とは逆方向に走っていった。

 

 彼が走り出すと、不審者の人達も彼を追いかけて走り始めた。

 

 お尋ね者なのかな。

 

 昔の映画でこういうシーンがあったような気もするけど、よく思い出せない。

 

 そんなぶっきらぼうな感想で、わたしと、わたしの愛しい彼——比企谷八幡の出会いは締め括られる。

 

 あのとき八幡くんがあの時不良に扮していたのは、罰ゲームの『クラスの女子にナンパする』を実行していたから、らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——つまり、あの時のセリフは八幡くんが自分で考えたオリジナルらしいんだけど、ものすごく恥ずかしかったんだって」

 

 興奮しながら身振り手振りを交えて力説する歌歩に、それを聞きながらニマニマと笑みを浮かべているのは彼女の同級生、宇佐美栞。

 

 彼らが所属する組織『ボーダー』の、任務と任務の合間に不意にできた、安らかなひと時。カフェテリアにて彼女らは英気を養っていた。

 

「…………ふむふむほーほー。それで?」

 

「思い出してみれば、もうあの時八幡くんの顔が真っ赤で、表情作ってる中で耳赤くして照れてるのがほんとうに可愛いなあって」

 

「なるほどなるほど」

 

 主に、歌歩の彼氏についての惚気話を二人は楽しんでいた。

 

 話を聞くだけでも楽しいのか、宇佐美は笑顔を浮かべている。

 

「……本当に大好きなんだねえ。比企谷くんのことが」

 

「……迷惑になっちゃうから、普段はあまり言えないんだけどね。栞に言えて少しスッキリしたかな」

 

 それまで適当な相槌を打ちながら話を聞いていた宇佐美は、不意に視線を横に逸らす。

 

 歌歩から、歌歩の右隣へ。

 

 歌歩もつられて自分の隣、4人席の誰もいない空席に目を向けるものの、誰もいないので歌歩は首を傾げるばかり。

 

 しかし。

 

「彼女さんの愛が溢れてますけど、そのへん、おとなりの彼氏さんはいかがなのかなー?」

 

「…………え?」

 

 宇佐美の言葉と同時、歌歩の右隣にノイズが走った。……そして。

 

 宇佐美の手によって光学迷彩が解除され、とある少年が姿を露わにする。

 

「…………え」

 

 歌歩とは反対側に顔を向け、机に突っ伏す歌歩の想いびと——比企谷八幡が、耳まで真っ赤にした状態で歌歩の隣にいた。

 

「——はい! という訳で!」

 

 いきなり、宇佐美が立ち上がった。

 

 そして、カフェテリア内のあちこちからパチパチ、と拍手の音が響き始める。

 

「罰ゲーム『恋人の思いの丈を全て聴く』! ミッションコンプリーっ!」

 

 直後、どこにそこまで出す要素があるんだと聞きたくなるような歓声が、カフェテリアを埋め尽くした。

 

「……八幡くん?」

 

 一方の歌歩は、そんな歓声には耳を貸さずに席を立って八幡の正面に回り込む。

 

 歌歩にとって大切な人の1人である八幡の方が心配だったからだ。

 

「だいじょ、……あっ」

 

 しかし、八幡は歌歩から逃げるように、顔を反対側に向けた。

 

「…………」

 

 ところで。

 

 わかりやすさ全開な上に固まってしまった八幡に比べて歌歩が表情の変化も少なく動けたのは、あくまで「八幡を心配していた」からであり、全く恥ずかしくないという訳ではない。

 

 加えて歌歩は(八幡と付き合い始めてからであるが)その身に羞恥心を自覚した時、それを誤魔化そうとするのか、八幡に対するしぎゃ——イタズラ心を目覚める、という人に言うにはあまりにも憚られてしまうような悪癖を身につけてしまっていた。

 

「……ねぇ、八幡くん」

 

 八幡が顔を向けている方に回り込むようなことはせず、肩に手を置いて顔を近づける。

 

「……!?」

 

 ぴく、と八幡が肩を揺らせてこちらに振り向く。

 

「……ひょっとして、こんなにたくさんの人の中で」

 

 しかし、歌歩は振り向こうとする八幡の動きを止めた。

 

「こんなに恥ずかしいことを私に言わせて」

 

 息を呑む音が聞こえる。八幡か、歌歩か。

 

「……あ、……い、いや、みか——」

 

「……ひどいなぁ、八幡くん。……反省しなさい?」

 

 さあっ、と八幡の顔から血の気がひいた。

 

「ば、ばつげーむだったんだ。宇佐美に脅されて、しかたなく……ほんとはこんな事やりたくなかったん、だ……」

 

 言い訳を口にしている途中で、八幡は気付く。

 

 周囲には、宇佐美や他の客どころか、店員すら誰一人として居ない事に。

 

 この罰ゲームは、既にお茶目で済まされるような限度を超えているという事に。

 

 否。ここからが、本当の罰ゲームなのだ。

 

「わかってるよ。八幡くんはやらなきゃいけないことをしただけ。悪くないもんね。……だから、わたしの〝おしおき〟も仕方ないよね?」

 

 自分のネクタイを解き、八幡の首に腕を回して抱き寄せる歌歩。普段の彼女からすれば到底考えられない大胆さだが、それも彼女の精神がハイになっているからなのか。

 

「お……おい、まさか、ここで……っ!?」

 

 妖しく笑む彼女を、八幡は一瞬でも可愛いと思ってしまった。

 

 そのせいで——彼女がしようとしている事を察していたものの、八幡の行動に一瞬の隙が生まれた。

 

 その瞬間にも歌歩は迫っていて。

 

「んっ————!」

 

 隙が生むのは、唇と唇が重なるだけの優しいキス。

 

 性に関してそこまで関心のない歌歩は、これ以上の事をしない。抱きしめたり、頬にキスをしたりする程度だ。

 

「……っ、……っは! ……はぁ、はぁっ……!」

 

「次はもっ……あ、う……!」

 

「……!? よ、よし……!」

 

 歌歩が羞恥心を取り戻し、顔を赤くして八幡から離れる。それと同時に、姿を消していた店員や客達が名残惜しそうな表情のまま、姿を現し始めた。

 

 あとで全員復讐しちゃる……! と勝手に思い込みつつ、八幡は歌歩に振り向く。

 

 今日は両親が妹を連れて何故か一泊二日の旅行に行っていたり、歌歩も誰か友達の家にお泊まりでもするかのような荷物を仕事場に持ってきていたりしている。

 

 一方通行でしかも右に左に自由に行けないレールの上を走らされているような気がしなくもないが、歌歩が羞恥心を取り戻した今となっては、多分気のせいだ。

 

 しかし。

 

「……続きは、帰ってからね?」

 

 歌歩に宿った妖しげな瞳の光は、消えていない。

 

「————」

 

 もう大丈夫——そう思っているのは、八幡だけかもしれない。

 

 八幡の顔を覗き込む歌歩の目を見て、八幡はその考えに対する自信を失った。

 

 ぞわぞわぞわ——!





恥ずかしいです……。 ◯ァギナとか◯ァージンとか知ってんのにフレンチキスの意味を知らなかったのが。


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一度きりのバレンタイン①

バレンタイン大幅に過ぎてるけどバレンタインネタです。

テーマはバレンタインにチョコを渡せなかった日浦ちゃんと罪悪感に包まれた八幡。

ダイパリメイクきたぁぉぁぁぁ!!

2、3話くらいを予定してます。4話になるかも。


 バレンタイン。

 

 金と陰謀に塗れた綺麗で素敵なイベントだが、生憎と俺には縁がないものだった。

 

 昨日までは。

 

『比企谷先輩。とても美味しいチョコレートを用意したので、ぜひ那須隊の隊室に遊びに来てください! 待ってます!』

 

 名前だけは知っていた、自分とはかけ離れた別の世界のイベント。最悪の体験で始まっていなければ、もう少し楽しめたのかもしれない。

 

 ……こんな手紙を受け取ったのは、2月13日——一昨日の事だ。

 

 いや、この手紙を読んだのはつい先程なのだから、正確には手紙を受け取った時は今さっきだ。この手紙に気づいたのは、とも言うべきか。言い訳してる訳じゃないけど。

 

 とにかく、俺はその手紙を読むことなく、バレンタインを過ごしてしまった、ということ。

 

 …………日浦が何を目的としていたのかはともかく、朝早くから一日中那須隊室で待ってたのに、俺はそれに気づかず防衛任務に勤しんでいたという訳だ。

 

 ……手紙を送り合う習慣なんてなく、郵便ポストは普段からあまり見ない——なんて言い訳はいくらでもあるが、拒否をする訳でもなく、まず手紙を読まなかった俺が悪い。

 

 ガチギレ状態の妹からこの健気な手紙を突きつけられるまで、家を追い出されるまで……俺は日浦が昨日の那須隊室で日が暮れても待ち続けていたことに、一切気付いてはいなかった。

 

 ——だから、じゃあ、ごめん、で済むものではないのは誰にだってわかる。そんな軽い言葉で済ませてたまるか。日浦の行動を踏みにじったんだぞ。

 

 

 

『……あ、比企谷先輩、その……昨日……』

 

 

 

 ……けれど俺は。

 

 

 

『……あー、その……なんだ、俺も悪気があった訳じゃ……』

 

 

 

 ちらり、と向けた彼女の後ろ手に隠されている、綺麗にラッピングされた手のひらサイズの箱が見えたのだ。

 

 

 

『あっ……えっと、その』

 

 

 

 その日の為に色々と練習して、積み重ねていたであろう日浦の大切なもの。

 

 日浦の想いを潰してしまった——それを謝るために日浦を訪ねた筈なのに、出てくるのは自分を庇う言葉ばかり。

 

 俺は彼女の気持ちを、好意を、行為を——2度も踏みにじってしまっていた。

 

『そう……ですよね、いきなり手紙だけ送りつけられて、ご迷惑……でしたよね。すみません、次からは気をつけます!』

 

『…………ああ』

 

 次、と彼女は言った。そんな機会は俺にも日浦にもないとわかりきっているのに、俺は否定も肯定もできなかった。3度目を、俺は裏切ったのだ。

 

 あと一ヶ月もせず、日浦はボーダーをやめる。

 

 両親の決定で、三門市から離れた場所で暮らすことになるらしい。原因は言わずもがな、ボーダーという仕事の危険さだ。

 

 緊急脱出装置がついているとはいえ、化け物と命のやりとりをするボーダーは命の危険度の高さでいえば、高所作業員とはまるで比べ物にならない。

 

 それに加えて、先の大規模侵攻。

 

 結果として民間人に被害が及ぶことはなかったが、ボーダーの隊員が攫われてしまったという事実が、追い討ちとなった。

 

 これがボーダーという職の危険な環境を強調する形になり、事実として大規模侵攻直後はかなりの数の隊員がボーダーを辞めた。

 

 ボーダーの人間ですらこうも簡単に……逃げ出すのだから、一般市民である日浦の両親が何を思うかなんて、容易に想像がつく。

 

 あり得る選択肢を挙げてみる。

 

 1・ボーダーだって人間が運営してる組織だ。完璧じゃないかもしれないが、彼らを信じて三門市に住み続けよう。

 

 2・娘が攫われるかもしれない。逃げる。

 

 1……は、まぁそう思う人は俺達を信じてくれている人なんだろう。

 

 けど、補償があることを知ったうえでそれでも2を取る親の気持ちがわからない(・・・・・)奴は、たとえ1を選んでいても、三門市にいるべきじゃない。俺達はそこまで強くはないし、絶対的でもないからな。

 

 リスクに命をかけるべきじゃない。正しいのかはわからないが、逃げる事は間違ってはいない。

 

 

 

 『良いか、クソガキ。生きることと勝つことは違う。死ぬことは負けることだ。勝っても死ぬことはあるし、負けたからといって死なないこともある。…………ええと、だから、…………勝っても負けてもどっちでも良いから、とりあえず死ぬな。お前は(・・・)死ぬなよ』

 

 

 

 そんな事を抜かしておきながら、自分はあっさりとくたばった俺の元保護者。

 

 小さい頃に攫われた近界で出会った不審者は、人生の終着駅を見つけたとかなんだと俺を守る為に黒トリガーになったくせに、肝心の俺には適合しなかった。

 

 ……敵さんに適合して、見事に起動してたところは血生臭い戦場だったにもかかわらず、思わず笑ったんだっけか。

 

 ——その後に黒トリガーの能力で自滅してそいつが死んだのは、笑えなかったが。

 

 そんなろくでなしの言葉を思い出してみれば案外まともな事を言ってるものだ。

 

 

 

 

 

 

 ————?

 

 

 

 

 

 

 ——あれ? いやいや違う。こういう事を思い出したかったんじゃない。

 

 日浦の両親がいかに間違っていないのかを説きたいんじゃなくて、俺が今どうするべきなのかを考えているんだ。

 

 そう、だから——

 

 

 

『良いか、クソガキ。言いてえ事は言っておくべき時に言っておくことだ。もちろん言わない方が良かった場合もある。……この国がアフトクラトルに喧嘩ふっかけて死にかけてんの、俺の言葉のせいだけどな!』

 

『それじゃ、おっさんを差し出せば被害は収まるね。トリオン器官抜き取って死体は向こうに渡すから、そこのベッドに横になって』

 

『まてまてまて冗談だ! 嘘嘘嘘!』

 

 

 

 ——いやダメだ。解体新書みたいな内容の記憶ばかり思い出しても何も意味がない。

 

 というか、今必要なのって誰かの意見じゃない。

 

 それっぽく考えてみたところで、出てくるのは誰かの受け売りに過ぎない。

 

 必要なのは、日浦が俺にしてくれたことに対するお返しだ。

 

 …………謝る? 

 

 ————、言葉が行動に追いつけるものか。それに、日浦が積み上げてきたものを軽く超えてしまうようなお返しでなければ返す意味がない。

 

 だから、チョコを作ってお返し——とかいう訳でもない。それは仕返しだ。

 

 日浦が、チョコを通して俺に渡したかったもの。

 

 ボーダーでの残り少ない日々を丸々一つ潰してでも、やり遂げたかったこと。

 

 バレンタインのあの日、熊谷も那須も志岐も、日浦を除いて那須隊の部屋には誰もいなかった。それどころか、小町が俺に結果を聞いてきて初めて俺が知ったように、周囲の人間に対するある程度の根回しはしていたらしい。

 

 人避け……人に直接見られたら困る事。

 

 自分の目的を周知できる……他人に迷惑がかからないこと。

 

 反発した者がおらず、人避けに協力者さえいた……賛同されるもの。あるいは賞賛されるものか。

 

 以上の点から推察するに……。

 

 

 

「…………俺の殺害、か?」

 

「お前バカだろ」

 

 即答。身も蓋もない罵倒を添えて返事をくれやがったのは、ボーダーの中でも特に強者がひしめくA級の一位部隊、太刀川隊の出水。ナンバーツーしゅーたー。

 

「……弾バカにバカと言われた……」

 

 結局、一人で考え続けたところで出る答えはなかった。

 

 そこで、一番遊んでそうな見た目で恋愛事情に詳しそう(笑)な唯一の知り合いを訪ねたわけだ。

 

「誰が弾バカだ。バレンタインに自分の殺害計画に行きつく奴の方がよっぽどバカだろ」

 

 呆れた様子の出水だが、いやお前俺をバカにすんなよ。

 

「いや……でも、割とありそうなんだよな……」

 

 他人(この場合は日浦)を使ってでも、俺に手を下したい人とか。

 

 だけど、そうするとあの人が俺が犯人だと特定したことに……。

 

「……心当たりがあんのかよ」

 

「……そばかす顔につけて髪をちょっと伸ばして顔も変えて声も寄せたトリオン体作って換装して、『にのみやさんっ! 私に逃げられてどんな気持ち?』て話すだけのショートムービーを二宮隊宛に匿名で送り付けた…………」

 

 あらふしぎ。いずみんの顔色がどんどん青くなっていくわ。

 

「…………アレお前かよ」

 

 大正解で。

 

「……なんでそんな事したんだ?」

 

「いや……二宮さん元気なかったから、元気付けようって事で……笑いを取った」

 

 結果命を取られかけたけど。

 

 今日まで俺が二宮さんと顔を合わせていない理由がそれである。

 

 二宮隊オペレーター氷見亜季曰く、二宮さんは俺の送ったバレンタインプレゼント()を見てからというもの、出会ったボーダー隊員を滅する殺戮機械と化していたらしい。

 

 氷見の話だと、最初に話を聞いた影浦さんに笑われたのでランク戦でボコボコにして、その勢いのまま対戦ルームにいた太刀川さんに「勝負に勝ったら教える」とか言われたらしく、勝ってボコボコにしたら何も知らなくて、近くにいた生駒さんとかA級番外部隊(強過ぎて部隊としてS級と同じ扱い)の雪ノ下さんとかをも巻き込んでボコボコにしたらしい。

 

 今は落ち着いたらしいけど、一時期、二宮さんと目があったら即ランク戦みたいな殺伐とした雰囲気が個人ランク戦ブースに漂っていて、ランク戦の人気が閉店間際のスーパーくらいに落ちていたのだとか。

 

 お陰で二宮さんが総合一位に返り咲いたとかなんとか聞いてるけど、それどころじゃねえ。

 

「ズレてるズレてる」

 

 ごもっともで。

 

 その後の二宮さんの犯人探しもマジやばかった。メールアドレスをアカウントごと消してなければ今頃見つかってたかもしんねえ……。

 

 候補を絞るとか目星をつけるとかそのレベルじゃなく、もう手当たり次第って感じで訊きまくっていたらしく、玉狛や鈴鳴などの支部まで行って果てには迅さんの予知まで利用しようとしたらしい。

 

「自分をイジられてそこまで執着する事かとも思ったけど、二宮隊のスーツコスを天然でやるくらいだから、意外と鳩原先輩がおちょくられたのでキレてたりするのかもな」

 

「…………………………………………あ、……っす」

 

 ところで、出水からの返事がない。屍か?

 

 首を横に向けようとしたところで、ガチャコン、と音がした。

 

 横にある自販機で飲み物を選んでいたようで、取り出し口から飲み物を取り、出水は俺の隣に腰を下ろした。

 

 封を開けて、一服。

 

「つまり、お前が主犯というわけか」

 

 主犯て。

 

「単独なので主犯格という表現は間違ってますね。企画から実行まで俺が全部やったんですよ。いや、編集が思ったより難しくて————」

 

 …………。

 

 あれ。

 




設定

日浦茜
B級那須隊のスナイパー。ボーダーに入りたての頃、ゲームとは違い人を撃つということに悩み始めていた時に八幡と出会った。
 悩みを何となく打ち明けていくうちに、日浦ちゃんの心は自分の悩みに真剣に付き合ってくれる八幡に傾いていったという。
一日中健気に待っていたと書けば聞こえはいいが、その間八幡の事しか考えていなくて時間もいつの間にか経っていたという感じ。チョコは渡せなかったけど待っている間はずっと幸せだったらしく、「チョコを受け取れなかった事を八幡先輩が気まずそうにしてた」とその時のことを笑顔で話された那須隊の三人は正直ちょっと引いた。

比企谷八幡
S級ボーダー隊員。幼い頃にそのトリオン能力の高さから近界民に攫われる。攫われた先の国が別の国の侵攻によって滅亡する際、指導役兼監視役として八幡に付けられていたとある男性が八幡を助ける為に黒トリガー化し、八幡はその手にした黒トリガーでこちらの世界にまで逃れてきた。初起動時は何故か黒トリガーと適合せず、起動しなかった。その後は問題なく使えている模様。

二宮隊
八幡の悪戯によって影浦パイセンにゲラ笑いされた。隊長の二宮が血眼になって犯人探しをしているが、用意周到に計画された犯行だったらしく犯人の手掛かりすら掴めていない。そんな中、A級部隊の間でその悪行が騒がれている八幡の噂を聞きつけ、彼らは八幡を訪ねることに。


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一度きりのバレンタイン②


【悲報】メインヒロイン、存在感が消失。


誤字報告ありがとうございました。


 

 何か変だ。

 

 なんで俺、出水に敬語使ってんの?

 

 それに。

 

 今この瞬間、隣にいるはずの出水は、なんであんなに遠くから手を振ってるの? 彼岸に立つ死人に向かって手を振るかのような、苦い笑みを浮かべて。

 

 ちょっとこっち来なさいよ、そっちは地獄——

 

 ぴろりん。

 

「ん……?」

 

 メールの着信音。誰から……出水? ……!

 

 

 

-------------------------------------------

from : 出水公平

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title : お前の面倒を見る部隊について

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今週から俺達の予定だったが、二宮隊がお前の面倒を今日から見てくれるらしい。

ということで、お前の部屋は二宮隊に移す事になった。

 

冥福を祈る。今までありがとう。

 

 

 

-------------------------------------------

 

 

 

 ……なにこれ?

 

 どうして二宮隊が俺の面倒を見ることに、というか何故二宮さんが俺と接触を図ろうとするんだ……? バレてるはずないのに。

 

 それに、健闘を祈るじゃなくて冥福をお祈りされてる辺り、俺の死亡確定なんだが……あ、いやちょっと待て。

 

 出水は向こうにいて、俺の隣に座ってるのは出水じゃない。

 

 でも、この話に乗ってきそうなのって出水か太刀川さんくらいだし、あとは当事者の二宮隊くらいか。

 

 ん? 二宮隊——

 

 

 

 ————あぁ。

 

 

 

「……………………あの」

 

「……なんだ」

 

「……色々ありましたけど、これから暫くは一緒に行動をする訳ですし、今までのことは水に流して——」

 

「御託はいい。さっさとランク戦ブースに入れ。話はそれからだ」

 

 絶対ボコボコにされるやつですやん……。

 

「い……いや、俺ほらS級ですし? B級でしかも中学生の部隊に本気になっちゃうような人達を相手になんてしてられない……というか」

 

 肩に手を置かれた。目の前の二宮さんじゃない…………氷見?

 

「言ってくれるわね比企谷くん。それじゃあ、対戦ルームに行こっか!」

 

 もうすんげぇ笑顔でサムズアップしながら白い歯を見せてくる氷見。めちゃ怖い。

 

「……この後飯食いに行きたいんで、一戦だけですよ」

 

「うん、いいよ。私達が勝ったら寿寿苑奢ってもらおうかな」

 

 綾辻みたいな明るい笑みを浮かべてて、すごく優しそうですごく怖い。帰りたい。

 

「俺が勝ったらそっちが奢れよ……?」

 

 そう言った途端、俺が見た限りで最高の笑みを氷見は見せた。雪ノ下とかがしたら顎外れそう……。

 

「もちろん。ただし——」

 

「?」

 

 含み笑いが気になりますね。なんだか寒気がいたしまする。

 

()るのは私たち全員と、だけどね?」

 

「……は?」

 

 ——おい、おい。

 

 氷見の言葉と同時、そいつらは一斉に顔を見せた。

 

「いよう、比企谷。国近のゲーム機ぶっ壊したの、お前だってな」

 

「そういえばそんなことも言ってた……うげえ、すんませっ……ゆ、うさっ……!」

 

「隠蔽協力の恨み〜!」

 

 A級1位、太刀川隊の太刀川さんとさっきいなくなった出水と泣きながら出水の首を絞めてるオペレーターの国近先輩。

 

「真木に俺たちの遊びの予定バラしたのお前だってな、比企谷ァ……」

 

「お陰で東さんの焼き肉行けなくなっただろァ……」

 

 チンピラみたいになってるおっさんとリーゼントヤンキーが、A級2位部隊の冬島隊隊長の冬島さんと当真先輩。オペレーターの真木はいないようだ。

 

「比企谷くんっ!? どうして奏太達がトリガーを持っていたの!?」

 

 A級3位、風間隊オペレーターの三上。

 

 あれー。お姉ちゃんには内緒にしとけって言ってあったのに、……何故にバレたのか。

 

「危うく三上が隊務規定違反でボーダーをクビになるところだった。覚悟はできているんだろうな?」

 

 自称社会人、他称小学生。風間隊の隊長である風間さん。B級の東さんとか冬島さんに次ぐ年長組ってマジですかその童顔で。

 

 その他に風間隊で俺を睨んでいるのは、歌川と菊地原。菊池原だっけ?

 

 その他にも、草壁隊、加古隊、片桐隊などのさまざまな面々が俺を取り囲むようにして睨んでいた。色々バレてるやんけ。

 

 嵐山隊はいないようだと安堵しつつ(自覚があるやらかしの中では嵐山隊が一番やばい)、どうやって逃げようかと逃走に使用できそうな経路の確認をしていると。

 

「……? ……でていいっすか」

 

 誰かからの着信。林藤さんにもらった通信機器だけど、使い方はまだよくわからん。通話をする・切るのボタンは覚えた。嘘だけど。

 

 氷見の獰猛な笑みの許可の下に通話ボタンを押す。——すると、電話の主は最近まで面倒を見てもらっていた嵐山隊の綾辻だった。

 

『もしもし、比企谷くん?』

 

「なんだ? 用事があるなら言ってくれ、すぐにでも向かう」

 

 この場から逃げるには、もう綾辻の用件に賭けるしかない。A級が複数いるだけでもしんどいのにそれ以上なんて、やってられるか!

 

 そんな意気込みで電話口に語りかけると、綾辻は何故か「……よし」と、暗殺者が獲物を仕留めた時に溢す確認のように暗い声を出した。え、なに?

 

『えっと、訓練室1を予約できたから、そこに来てね?』

 

 意味がわからない。どういうことだろう。

 

「訓練室? 何か頼んでたか?」

 

『うん』

 

 しかし俺は、この時問いかけたりせずに横の窓を割って外に逃げれば良かった、と思うことになる。

 

『A級部隊と模擬戦やるんでしょ? 私たちが時間と場所を抑えといたから、ゆっくりとできるけどなるべく早く来てね。比企谷くんがウチの隊にいる間に仕上げたここ1週間分の広報資料の行方も一緒に訊きたいからさ』

 

 いかん、バレてらっしゃる。

 

 どうするべきか。模擬戦になったら多分勝てない。

 

 ふーむ……。よし。

 

「……か」

 

『か? どうしたの?』

 

「カメレオン……!」

 

 ケータイ切って隠密トリガーを起動。オペレーターもいるし、流石に今この状態でトリオン体のやつなんて——

 

「スタアメーカーは付けてるぞ」

 

 ……え?

 

 冬島さんが、何か言った。そして、俺の体には撃ち込んだ場所から信号を発信するスタアメーカーの印が、……ああ!?

 

「……真木がこの場所にいないのって、まさか……!」

 

 くそ! カメレオンを使う意味が無くなってしまった……!

 

「万が一にでも比企谷先輩を逃がさない為ですよ、勿論」

 

 黒江……!

 

 加古隊の攻撃手、黒江双葉がトリガーを起動した状態で俺の前に立ち塞がった。

 

「××××されたくなければ素直に言うことを聞いてください」

 

 いかん、コイツだけ明らかに犯罪目的だ。目の色が違う……っ!

 

「イィィィヤァぁぁ!! 誰かたすけてっ、俺に何のメリットが——」

 

「……先輩、わたしのTシャツで顔拭いてたじゃないですか。あれってわたしに興奮してた、ってことですよね」

 

「…………」

 

 そういえばありましたねそんなことも。今忘れたからもうわかりませんしもうというか最初からですし最初というかそもそも記憶していないのでわかりかねますが。

 

「……誰がそんな嘘を信じると思う?」

 

「じゃー信じる」「信じる」「信じる」「信じるに一票」「信じるわ」「信じよう」「信じてる」「信じてるよ」「信じないわけがない」「信じるだろ」「信じないと思っているのか?」「信じますよ」「信じます」「信じてるよ」「信じるー」「信じる」

 

 なんか周囲からの視線がちべたい。

 

「……か、仮に信じる奴がいたとしてもだ。その証拠をどうやってでっち上げる?「これが証拠です。思いっきり拭ってるでしょ」悪いが『おぉ……』世間ではそれをハメ撮りと言うんだ未成年!!」

 

 運動終わりにタオルくれたかと思ったら感触違うし、最近の中学生ってえげつねぇなって思ったら『八幡先輩だけだよ双葉がおかしくなるの』って緑川に言われるし……。

 

 …………。

 

「……黒江」

 

 深呼吸して、黒江の名を呼ぶ。もう仕方ないか。

 

「はい?」

 

 仕方ない仕方ない。——けど、諦めるわけじゃない。

 

 ——黒トリガー、オン。

 

「『あっち向いて——』」

 

「……! 比企谷を取り押さえ——!」

 

 素早っ。風間さんがいち早く予兆を察知して、俺に襲いかかってくる。

 

 けども。

 

 こちらの方が一手早い。

 

「『ほいっ』」

 

 黒江は右を向いた。しかし、それを確認した時には風間さんのスコーピオンはもう眼前で。

 

 ……し・か・し!

 

 すかっ。……風間さんの攻撃は俺の体をすり抜け、氷見に当たる前に二宮さんのシールドに受け止められた。って、何気に全員トリオン体じゃないですかやだー。

 

「……すり抜けた? ホログラムのようなトリガー、か……?」

 

 ——転移完了。

 

『メイン戦力が殆どこっちに回ってくれたおかげで、逆に好きに動き回れました。ホント作戦の隙のなさに感謝してますよ、風間さん』

 

「……貴様」

 

『どうせ日浦関連で近々何か起こしそうボーダー基地の外に出そうって迅さんに言われたんでしょうけど、悪いが俺とこの黒トリガーの相性は最悪なんでね。バレないうちに逃げさせてもらいました』

 

「……てめぇ、今何処にいやがる」

 

 あらいやだ。いずみん勘づいてる?

 

『そんなの教える訳ないだろ出水。ま、ボーダー基地の外か中のどっちかだ。……ざ、ザザ……と、そろそろ範囲外で通信切れそうなんで……それじゃあ、ごきげんよう?』

 

 ッヅ。通信が切れた。風間さんがホログラムの核を切ったりしたのかな。どうでもいいか。

 

 伸びをして、トリガーを解除し、正面の街を見据えた。

 

 商店街とやらは、あちらの世界とは違って夜でもキラキラと輝いている。王族でもなければこんなに明るいとこに住めないだろうな、あっちの世界なら。

 

「……さて、と。久々のシャバって奴を堪能させてもらうとしますかねー」

 

 そんな暇ないけど。急いで日浦を探さなければ。

 

 建前をこぼしつつ、俺は久しぶりに警戒区域の外に出た。

 

 あ、スタアメーカーは外しました。




設定

A級番外部隊
部隊として黒トリガーに匹敵する、あるいは黒トリガーを超える戦力として新たに新設された部隊。ランク付けされておらず、現在二部隊存在する。

葉山隊
葉山隼人……隊長。銃手。
三浦優美子……完璧万能手。レイジさんの弟子
戸部翔……攻撃手。
一色いろは……狙撃手。旧ボーダー時代からボーダーに在籍。小南のちょっと後くらい。
海老名姫奈……オペレーター。

雪ノ下隊
雪ノ下陽乃……隊長。攻撃手。『人の警戒してない所が強調して視える』サイドエフェクト持ち。
雪ノ下雪乃……攻撃手。『人に注目されている場所がわかる』サイドエフェクト持ち。
由比ヶ浜結衣……銃手。ゾエさんの弟子。『嗅覚が警察犬以上に効く』サイドエフェクト持ち。
城廻めぐり……オペレーター。『他人に好かれやすい言葉がわかる』サイドエフェクト持ち。

八幡使用黒トリガー『オルタナティブ』
ワープ、ダミー、光学迷彩等の支援系能力を得意とする黒トリガー。カメレオン・バッグワーム・ダミービーコン・テレポーターは八幡の黒トリガーを元に開発された。能力を合成して使用することが可能だが、消費トリオンの量が跳ね上がる上に一定時間後に能力は分離する。

ここに書いた設定は他の話でも使うかも。


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一度きりのバレンタイン③



日浦さんは多分次で出てくる……。ていうか長い……。

 今回設定を重く見過ぎてる気がするから、次回からもっとバランスよくしなくちゃ……。


 ボーダー本部基地作戦司令室。

 

 常日頃から近界民対策の為の緊張感に満ちているこの場所は、この時、大規模侵攻時よりも大きな緊張感に満ちていた。

 

 それは主に、この男のせいだ。

 

「出動可能な隊員全てに招集をかけろ! いいか、一刻も早く比企谷を基地内に連れ戻せ!」

 

 ボーダー技術開発室室長、鬼怒田本吉の怒号が作戦室内に響き渡る。彼の額には汗がたれ、拳は小刻みに震えていた。余程の恐怖が彼を襲っているらしく、その後に沢村響子が上げた報告に真っ先に振り向いたのも彼だった。

 

「現在、命令を受けてB級の二宮隊・A級の風間隊・嵐山隊・冬島隊・太刀川隊・草壁隊、番外部隊の雪ノ下隊・葉山隊の8隊が捜索に向かっています。加古隊・片桐隊を追加で向かわせますか?」

 

「うむ……いや、念のため片桐隊は比企谷の家で警戒にあたるよう伝えてくれ。加古隊も同様にだ」

 

「了解しました」

 

 指示を終えて、本吉は背もたれに背中を預ける。リラックスできる訳はないが、少しでも気休めになればそれでいい。

 

「き、鬼怒田開発室長……」

 

 水をあおった本吉に、ボーダーメディア対策室の根付栄蔵が額の汗をハンカチで拭いながら話しかけた。

 

「何ですかな、根付メディア対策室長」

 

「その……いくら黒トリガー使いとはいえ、ここまで大部隊を動かす必要があったのでしょうか? 特に、風間隊や太刀川隊、黒トリガーをゆうに超える戦力として位置付けされた番外部隊の葉山隊と雪ノ下隊を投入するなんて……」

 

 根付の疑問も尤もだ。それだけの大部隊が動いていると市民に知られれば、余計な緊張を呼び込んでしまうかもしれない。それは将来における遠征計画の妨げにもなり得る。メディア対策室長の根付が心配するのは、当然のこと。

 

 しかし、それを押してでも八幡を連れ戻さなければならない理由が本吉にはあった。

 

「彼奴が、唯の黒トリガー使いならそこまで必要はなかったでしょうな」

 

「……?」

 

 意味がわからない、といった体で根付は首を傾げた。彼の他にも、響子やオペレーターとして隊員達をサポートしているA級2位冬島隊の隊長、冬島慎次が説明を視線で求めていた。

 

 本吉は事情を知るボーダー本部総司令の城戸正宗と本部長の忍田真史と視線を交わし、短くため息をついた。なりふり構っている暇は無いらしい。

 

「……八幡の体には、普段使っているものとは別に近界民のトリガーがもう一本、埋め込まれているのですよ」

 

「!? ……そのもう一本が理由だと……? ……まさか、黒トリガー……?」

 

「……いや」

 

 余程口にしたくないことなのか、機密事項なのか。本吉は一旦口を閉じ、たっぷりと間を空けて、再び口を開いた。

 

 

 

「……未起動の、母トリガーだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、八幡を捜索中のA級部隊。住宅地や商店街に入り、まだ人が出歩く時間帯であるため、また隊服で探し回ることで市民に警戒させない為に、隊員達は私服姿のままトリオン体に換装し捜索にあたっていた。

 

「はあ!?」

 

 そんな中、ボーダー本部基地南東を捜索していた冬島隊の狙撃手当真勇が、素っ頓狂な声をあげた。

 

「「「?」」」

 

 それに振り返る、A級部隊の面々。捜索の網を広げるためにある程度の距離はあるが、常時通信を繋げてある。彼と共に行動しているのは嵐山隊と太刀川隊、葉山隊で、彼らは東側、他の部隊は西側を捜索していた。

 

『どうかしました? 当真先輩』

 

 嵐山隊の狙撃手、佐鳥賢が一番に当真に声をかけ、当真もそれに答える。

 

『……ハチは、所持している黒トリガーとは別に、体内に母トリガーを宿しているらしい。何かの弾みに母トリガーが起動したりでもしたら、良くて三門市が壊滅状態、悪くて地球滅亡だとさ』

 

『ちょ……え……は?』

 

 言葉に詰まる佐鳥。他の隊員達も同じように言葉が出ないらしい。

 

『……それは、比企谷も知っているのか?』

 

 西側を捜索している風間からの通信。

 

『知らない、らしいすよ。精神のショック……偏りがトリガー起動の原因となってもいけないそうなので、この事を本人に知らせるのはタブーだと』

 

『了解』

 

 それだけを言って、風間はマイクを切った。多分、死ぬ気で探し始めている。

 

『——こちらも了解した。各自全力で比企谷を探せ。ボーダー本部基地内にさえ入れば基地のトリガーが比企谷の母トリガーの覚醒を完全に抑えこむらしく、そこまで連れ戻せば任務完了だ。この件で特別ボーナスも出る』

 

『——いいか、各自ハチに返さなきゃいけないもんはてんこ盛りだ。つまらん死に方をするつもりもない。だから、俺たちは死ぬ気でハチを連れ戻す。いいか、全員気を抜くなよ!』

 

 元A級部隊の隊長である二宮に続いてA級1位、太刀川隊隊長の太刀川が、そう言って締めくくった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あれ、困ったぞ」

 

 比企谷八幡——俺は、A級部隊から見事逃げ切って颯爽とボーダー基地を後にしたものの、早速壁にぶち当たっていた。

 

「……日浦の家に行こうにも、そもそもアイツの家知らないしな……。クルマとかで行こうにも俺じゃ運転できないし。地図を大体知らん」

 

 しかも、よくよく考えてみれば現在は夜の21時。中学生が出歩く時間では明らかに無い。下手したら寝てる。

 

 どうしたもんかね。

 

 黒トリガー所有者であるという理由からこの世界に来てからずっと本部基地に住んでいる俺は、外泊というものをしたことがない。

 

 偶に比企谷家に林藤支部長運転のクルマで行くくらいだが、泊まるわけではなく、妹の小町に顔を見せるだけだ。

 

 本部内にある売店には欲しいものがほとんどあるし、通貨だって鬼怒田さんにもらったカードで支払うから使ったことがない。ネットで見たゲーム機とか本なんかは、専用の端末で購入すれば遅くても3日以内に俺の部屋に届く。不自由のない生活だ。

 

 これらの事からわかってもらえると思うが、俺は基本的に外では何もできない。

 

 鬼怒田さんからもらったカードもボーダー本部内でのみ使えるものらしいし、マジで何もできん。

 

 けど、出直そうにも今回無断で出てきちゃったから、基地に帰ったら帰ったで二度と外出れなくなるだろうし、どこかで一夜を明かす必要がある。

 

「どうしたもんかな……」

 

 カネ、は最悪誰かから貰えばいい。チンピラでも宿に一泊できるくらいの金は持ってんだろ。武器は位置がバレちゃうから使えないけど、トリオン体だからステゴロは生身相手だと余裕なはずだし。

 

 問題は、その使い方を俺が知らない事だな……。

 

 そういえば、どれが宿なのかもわからん。

 

 この外装だけは城みたいなのとか、派手な色の電飾で覆われたやつとかはその入り口に値段っぽいの書いてるけど、多分寝泊まりする場所じゃない。

 

 誰かの家に上がらせてもらう? ——いや無理、知ってるやつの家でも泊まるのは無理だ。

 

「……それに」

 

 よく考えなくても、目立つような行動は避けるべきだ。特に、今は仮にも追われてる身なのだし。

 

 トリガーを起動すればトリオン体だから、眠る必要は殆ど無い。そう考えれば、夜の間にできる事はまだあるだろう。

 

「警戒区域に戻るか……」

 

 あそこなら、捨てられた家々がごまんとある。所有権も放棄されていることだし、勝手に寝泊まりしても文句を言われる事はない。

 

 …………。

 

 その前に、日浦の家がどこにあるのか調べなきゃいけない。

 

 …………、……………………。

 

 あ、むりだ。

 

 地図も日浦の連絡先も何も知らない。

 

 唯一知っている場所といえば、警戒区域内から行く比企谷家くらいだが……。

 

「……小町に事情を説明すれば行けるか……?」

 

 俺の両親は既にこの世にいない。俺が拐われた時に殺されたらしいが、詳しい事は何もわかっていない。親戚の鬼怒田さんがやりくりして名義上は俺に引き継がれている比企谷の実家は、今は妹の小町が一人で住んでいる。

 

 偶に女性隊員が家に泊まりに来てくれるらしいので寂しい思いはしてないようだが、俺の居場所がないのは少し寂しい。

 

 ……って、そんな事はどうでもいい。

 

 小町は以前、日浦の家に泊まりに行った事があると言っていたし、日浦の家の場所を教えてくれるかもしれない。

 

 そうと決まれば、俺ん家にゴー、だ。

 

 基地の形から大体方角を予想して行くのが正解だろうな。家から見える基地の形は覚えているし、ポイントのマーキングは済ませてるから近くまで来れば黒トリガーの能力で簡単に中に入れる。

 

 ここで気をつけなくちゃいけないのは、おそらく俺を探し回っているであろうボーダー隊員達。

 

 特に、菊地原とか迅さんはサイドエフェクトが厄介で……あ。

 

 ……そういえば、今日迅さんに会ってない。……あの人のサイドエフェクト超厄介だから、先回りされたりしたら面倒くさいな……。

 

「……姿を見られなければ、大丈夫」

 

 カメレオントリガーにバッグワームの能力を合成(・・)して、起動。今はレーダーのみを無効化している状態だけど、姿を見られたりしたら終わりだから先に手を打っておく。

 

 ガンガントリオン減るけど……。

 

 黒トリガーだし、多少の出費なんてどうとでもなる。二の次だ。

 

 こうして、俺は万全の準備を施した上で、迅さん来ないでくれと祈りつつ比企谷家へと向かうことにした。

 

 ……小町に『茜ちゃんに謝って来るまで2度とくんじゃない!』と言われたことは、胸にしまって。




設定

母トリガー『ウェコン』
7、8年前にアフトクラトルによって滅亡させられた惑星国家の母トリガー。ウェコンの王族は滅亡の時に全て皆殺しにされ、所有していた黒トリガーも全て強奪されたが、当時その名が他の国にまでその名が知れ渡る程強く、黒トリガー顔負けの猛者と言われたウェコンの王属軍隊長とウェコンの母トリガーの行方がわかっておらず、今も近界のどこかでアフトクラトルへの復讐を胸に生き延びているとの噂がある。


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一度きりのバレンタイン④

驚きのお知らせです。まだ書いてないけど次の次で茜編終わります。

クソ長くて申し訳ございません!


「……この辺り……」

 

 ボーダー基地の形を頼りにして俺の家を探す事30分。

 

 それらしき場所にまでやってきた……のだが、肝心の比企谷家が見当たらない。

 

「……なら」

 

 見当たらないという事は、場所を間違えたということか……。

 

「……基地の反対側か」

 

 そもそも俺の記憶が間違っているという可能性はある。

 

 ボーダー基地西部は、俺と同じ黒トリガー使いの天羽が大規模侵攻(二回目)の時に更地にしたお陰でわかりやすくなってるし、そこじゃない事は確認してきた。

 

 どうせあと二箇所。夜明けまで8時間。ゆっくりといかせてもらおうか——

 

「よう、比企谷」

 

 ——振り向いた先に、その男はいた。

 

 トリオン体につける意味があるのかわからないサングラス、染めてるようには見えない茶髪、腰に刺したのは紛れもない黒トリガー……。

 

「っ!!?!?!?!!!?」

 

 びっくりして家二軒分くらい飛びのいた。

 

 なっ、……はぁ!? 何で迅さんがここにいるんだよ!!

 

「……迅……!」

 

 あ、やべ。敬語敬語。

 

「……お前まで呼び捨てかよ。まぁ、いいけどさ」

 

「……さん……!」

 

「遅いよ」

 

 そう言って、ニヒルな笑みを浮かべるのは実力派不審者迅悠一。ボーダーにおける最高戦力の一人で、未来を視る俺の天敵だ。

 

「……なんの用ですか」

 

 この人と対峙したらもう、一切の油断ができない。確か一度は黒トリガーを手放してA級に戻った筈のこの人が、今再び黒トリガーを手にして俺の前にいるという事は、俺に対する牽制以外の何物でもない。

 

 ……ただ。

 

 この人が出てきた事で『日浦に会う』という目的について、基地内で会うという選択肢が増えた。

 

 この人には俺は絶対勝てない。じゃんけんに例えるなら、俺がパーで迅さんがチョキみたいなものだ。反則でもしない限り、勝てるわけがないからだ。

 

「言わなくたってわかるだろ?」

 

 風刃を抜いた。……やる気か。

 

「ええ、まあ」

 

 俺の方は、迅さんと遭遇した時から臨戦態勢だ。

 

 この勝負、俺が迅さんから『逃げ切れるかどうか』で結果が変わる。

 

 けど、有利不利は確定的。この人の前でまだ使った事ないけど、奥の手『分身』を使っても恐らくは本体を斬られる。

 

 俺の本能も理性も降伏したほうがいいと説いている。

 

 そうすれば、今無駄に敵対して一度たりとも会えなくなるよりは、格好はつかなくなるが日浦にちゃんとした言葉が——

 

『ず、ずび、ずびばぜん……わだしのっ、勘違い、でし、たっ……!』

 

 …………! …………。

 

 ——。

 

 ————。

 

「…………」

 

 格好はつかなくなる? 誰の?

 

 会えなくなるよりは? 謝れてもいないのに何様だ。

 

 ちゃんとした言葉? 自分の本心を何も話さないで、相手ばかりを気遣った音を言葉と呼べるのか。

 

 それは、全て俺の保身に過ぎない。妥協して送られた言葉なんて、納得も満足も日浦にはきっとさせてやれない。

 

 ……ならば。

 

 ……それをまた繰り返して日浦に恥かかせてまで自分のとこに呼びつけるくらいなら。

 

「俺としては、このまま大人しく捕まってくれた方がいいんだけど……」

 

 ——プライドも建前も何もかも全部捨てて、自分から頭下げに行った方がマシなんだよなあ!!

 

 ————『起動』————

 

「……やっぱ、そう来るか」

 

 もう、なりふり構ってはいられない。

 

 覚悟を決めて、迅さんを睨む。

 

 ————『     』————

 

 無謀でも無駄でも、とにかく風刃の残弾を超える数に分身すれば————あれ。

 

「……仕方な、…………オイ、比企谷?」

 

 ———— 『   』 ————

 

 体が——フラつく。

 

 ————   『』  ————

 

「ぁ————く、…………」

 

 ————   』『  ————

 

 ……意識が、なんか、どろっと、眠——

 

 

 

 

 

 

        閃刃(パンゲア)

 

 

 

 

 

 

 ……最後に聞いた声は、迅さんでも、俺の声でもなかった。

 

 

 

 ……………………。

 

 ……………………。

 

 ……………………。

 

 ……………………。

 

 ……………………。

 

 ……………………。

 

 ……………………。

 

 

 

 ————————————————!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然だが敢えて言おう、比企谷小町は寂しくなんかない。

 

 広い一軒家に一人で暮らしている事もそうだし、両親がこの世にいない事も、だ。

 

 両親は10年も前に他界し、当時5歳だった小町は親戚に引き取られて暮らす筈だった——が、彼女は5歳にして、既に自分が今置かれている状況を認めていた。

 

『小町! ——ぜったい戻ってくるからな、それまで父さんと母さんと家で待っててくれ!』

 

 化け物に呑まれて消えた兄が残した言葉。その言葉を信じて、小町は自分達が暮らしていた家から動こうとはしなかった。

 

 小町の強情さだけが彼女の行動を後押ししていた訳ではない。生まれた時から小町に宿っていた〝学習能力の異常な高さ〟——つまり、トリオン能力の高さから来るサイドエフェクトも、彼女の独り立ちを後押しした。

 

 一度見たら完璧に覚えたり忘れたりできる完全記憶能力に加え、絶対に見間違えない空間認識力、4つ以上の並列思考力など、人間としての性能が大幅に強化された状態——僅か5歳にして成人と同じ精神力で生きていたから、一人でも生きて来れたのだ。

 

 しかし、孤独が平気な彼女でも、友人と過ごす時間は堪らなく楽しいものだ。

 

22時30分。特殊な事情を抱えている為に、再会した兄とまた5年以上も離れて暮らしている彼女は、今日、突然家を訪ねてきてくれた友人達とホームパーティーを楽しみ、今はその後片付けをしていた。

 

「小町ちゃん、このお皿はこっちで良いのかしら?」

 

「はい、大丈夫ですよ。……いやー、後片付けまで手伝って貰っちゃって、ありがとうございます!」

 

「気にしないで。パーティはみんなで楽しむものだから、後片付けもみんなで分担してやるものだし」

 

「必殺、韋駄天拭き……!」

 

 加古望。よく遊びに来てくれる友人の中では最年長の美人で、今はテーブルを拭いてくれている最年少の美少女、黒江双葉とは同じチームなのだとか。

 

 ソファでくつろいでいる喜多川真衣も同じチームだ。でも、そのチームのあと一人、小早川杏は予定があって来れないらしい。

 

 双葉や望が時折耳に手を当てて話をしているのが杏で、仕事が終わらない彼女に通信で声をかけてあげている、とのこと。

 

 食後のゆったりとしたひとときを一同が過ごしていると、リビングのドアが開いた。

 

 瞬時に三人はドアの方を振り向く。……ボーダー隊員ともなると、僅かな物音にも警戒心を抱かずにはいられない——との望の言葉だが、少し警戒し過ぎなんじゃないか、とも小町は思っていた。

 

「!」

 

「……」

 

「……あら、日浦ちゃん」

 

 しかし、今回も杞憂に終わったようだ。

 

 部屋に入ってきたのは望達とは別の部隊の日浦茜という少女。同い年で同じ学校に通っている事もあってか、お泊まりに来た回数は茜が一番多く、小町にとって一番仲良しな友人だ。

 

「小町ちゃん、お風呂掃除終わったよ! もう沸かして良いかな?」

 

「ありがと、茜ちゃん。お願いできる?」

 

「任せてよー!」

 

 言って、部屋を出ていく茜。元気の良い二人に、望が笑んだ。

 

「……二人とも、本当に仲が良いのね」

 

「1番の親友と言っても過言じゃありませんから」

 

 眩しい笑みだ。サイドエフェクトのせいで常人とは異なる世界の見え方で生きてきた筈なのに、まるで普通の少女のような顔をしている。

 

(……いえ、この子の笑みはそんな幼稚なものじゃない……何かを成し遂げた、勝者の笑み……つまり)

 

 彼女にとって兄の存在は、心の孤独を跳ね除ける程に強いもの。

 

 兄の言う事なら、たとえそれがどんな言葉であっても、それに従ってしまうかもしれない。

 

(ひょっとしたら、本部基地から長く離れさせられない比企谷くんを小町ちゃんが匿う可能性もある。それをさせないための見張り……はぁ、やりづらい仕事だわ)

 

 ただ、八幡が脱走した目的は判明している。それを諦めさせれば望達が比企谷家に任務を理由にして滞在することも無いのだが、何の因果か、その目的そのものである茜が今は比企谷家にいる。

 

 もしかして。ひょっとしたら。……八幡の願いを叶えて、これ以上本部が気を揉まれる事がなく、事を穏便に済ませられるかもしれない。

 

 緊急事態を知らせるオペレーターの緊迫した声が望の鼓膜を打つまで、彼女はそんな風にお気楽に考えていた。

 

『——望さん! 比企谷先輩が現れました!』

 

「——!!」

 

 ……期待は所詮、現実から外れた先の未来を照らしているものだ。それを望は、たった今、痛感した。

 




設定

冠トリガー「閃刃(パンゲア)

ウェコンを護る為に存在する射撃系憑依型のクラウントリガー。使える弾は何種類かあるが、主に威嚇射撃に使われる(使われたことがない)レベルの1番威力が低い弾一発の威力はガトリン隊長の大砲一発分くらい。トリガー発動には起動者が必要だが黒トリガーとは違って対象者との相性問題は存在しない。本来は母トリガーに危険が迫った時、もしくはパンゲアの所持者が生命の危険に晒された時にのみ所持者の意識を乗っ取って顕現する。

ワートリ最新話見て草壁隊長勝手にお姉さんキャラだと思ってた幻想が打ち砕かれました。


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一度きりのバレンタイン⑤

貴方がやらねばならぬと云うのなら。

そのための力が貴方にないのなら。

私は、喜んで世界の楔と成り果てましょう————


『現在太刀川隊が警戒中のエリアに比企谷先輩が出現。そのまま真っ直ぐに小町ちゃんの家を目指しているものと思われます!』

 

 今の今まで行方不明だったくせに、突如姿を現した八幡。その狙いがわからず望は混乱しかける——が。

 

『……、ちょっと待って』

 

『……?』

 

 杏の報告の中に感じた強い違和感に、望は彼女の報告を止めた。言葉にはできないけれど、何かがある。

 

 双葉が、望に視線を投げた。

 

『どうしたんですか、望さん』

 

『……どうして比企谷くんは、真正面に現れたのかしら? 彼の黒トリガーは、戦闘向きではなかった筈だけど』

 

 少し考えて言葉にできた違和感だが、モヤが晴れたとまではいかない。八幡のトリガーの特性からして陽動、囮という線が濃厚……。

 

 でなければ、馬鹿正直に真正面に立つ理由がない。

 

 話し合いで済む相手じゃないのは、互いにわかっているはずだ。

 

 これ以上の無駄骨は無い——望もそう考えていると、風間隊の三上オペレーターから緊急通信が入る。

 

『——作戦行動中の全隊員に緊急通達! 比企谷くんは「オルタナティブ」とは別のトリガーを使用! 彼によって黒トリガーの迅さんが撃破されています!』

 

 八幡自身によって示された強行手段の理由、そして黒トリガーを使った迅が敗れたという驚愕の事実が、次々と望の耳に舞い込んできた。

 

『迅がやられた……? ヤツは生きているのか』

 

『あ、はい。トリオン体でなくなった途端、何故か自分には興味を失ったように小町ちゃんの家に向かった、と……』

 

「……!」

 

 太刀川の問いかけに追加の報告が上がる。だが、それでも望の中の違和感は拭えない。

 

 そのもどかしさ、気持ち悪さに望は思わず、

 

「……厄介なことになったわね」

 

「……? 何か言いました?」

 

 思わず漏れたひとりごとに、小町が反応した。

 

(……何か、気を逸らさないと……)

 

「ううん、大した事は言ってないの。……それより小町ちゃん、明日は早いんでしょう? 準備は出来てるのかしら」

 

「はい! 明日はずっと楽しみにしてた日ですから、準備はバッチリです! ……兄の事なので、お世話になってる部隊の隊員さん達と揉めてないといいんですけど」

 

「揉めるどころじゃ——むぐっ」

 

「そろそろお風呂が沸きそうね。小町ちゃんと茜ちゃんは一緒に入るとして、双葉はその次かしら? 私は最後でいいわ」

 

 余計な事を喋りそうな部下の口をガッチリと封じて、望はにこやかな笑みを返した。

 

「えーっ、小町達が一番風呂頂いちゃって良いんですか!?」

 

「ここは小町ちゃんの家だもの。家主さんが一番風呂の権利を持っているのは当然だわ」

 

「そうですけど、加古さん達が入った後のお湯を堪能できないなんて残ね——お客様を差し置いて先にお風呂を頂くわけには……」

 

「こら」

 

 ぴし、と望のやわめチョップが小町の頭を撫でた。

 

「私達が入ったお湯なんて、別に堪能するものじゃないでしょう。何をするつもりなの?」

 

「飲み干します!」

 

「…………」

 

 ……ひょっとしたら、長い間一人きりだったせいで色々と拗らせているのかもしれない。

 

 じょーだんですよー、と笑う小町の瞳の奥が笑っていない事に、望は気づいていた。

 

「本当は、ちょっと髪を染めたいので小町は最後の方に入りたいなーってだけです」

 

 しかし、小町が語った本当の理由も、思いの外きちんとしたものだった。

 

 比企谷小町——彼女は、髪の半分程が色が抜け落ちた白髪になっている。

 

 両親の死去や兄の失踪、長期間の孤独など様々な原因が精神科医によって挙げられているが、黒髪だった小町の髪色が変化したハッキリとした理由は突き止められていない。

 

 医者にも教師にも染める必要はないと言われているが、小町は二色になって目立ってしまう髪の色を誤魔化す為、目立たない為に週に一回髪染めをしているのだ。

 

「それなら、最後の方が良いわね。髪染めって、後片付けとか、染め終わった後のことを考える、と…………」

 

 望の言葉が鈍る。というより、彼女の思考が止まった。——答えに行き着いたのだ。

 

『……そうよ、そうだったんだわ』

 

『……?』

 

 疑問を返す杏に、望は自分が弾き出した答えを提示する。

 

『……いい? 私たちは「ここに茜ちゃんがいるから、比企谷くんはここを狙うのが当然」……みたいに思っていたけれど、そもそも比企谷くんは茜ちゃんがここにいる事を知らないのよ』

 

『それは……確かにその通りです。ですけど比企谷先輩は小町ちゃんの家しか場所を知りませんし、小町ちゃんなら茜ちゃんの家の場所を知っていますから、それで今そちらを目指しているんじゃ……』

 

『この家に辿り着いたとして、その後は?』

 

『え? ……!』

 

『……そうか、比企谷先輩は小町先輩と接触したのがバレたら終わりなんだ』

 

 望の付け足しで杏が気付き、黒江も望の言いたい事を悟った。

 

『そう。現状比企谷くんが取れる選択肢は二つ。そのうちの一つが茜ちゃんへの接触を諦めることで、もう一つが茜ちゃんに会うこと。それは、比企谷くんだけでなく私たちもわかっている』

 

『……だから、比企谷先輩は自分が小町ちゃんに接触する事、いえそのタイミングを私たちに知られたくない。それがわからないというだけで私たちの注意を小町ちゃんの家に集中させることが出来るし、私たちに悟られずに情報を受け取ってしまえば、後は注意を釘付けにしたまま夜明けまで他の所に隠れていればいい……』

 

 そうなれば、「比企谷家に中々侵入出来ずに手をこまねいている状況」を演出できるし、その間に茜に会う事だってできる。加古隊が小町と接触していなければ、十分あり得たシナリオだ。

 

『けど、それならもう比企谷先輩をさっさと茜先輩に会わせてしまえばいいんじゃないですか? そうすれば、私たちの監視下で二人は安全に会話ができます。杏先輩、比企谷先輩を『待って』……? 望さん?』

 

『それは多分、もうできない。比企谷くんが私たちの合同部隊と正面からぶつかっているこの状況を、彼がやるつもりだったとは思えないから』

 

『…………』

 

『そんな天羽くんみたいな力技を持ち出せるなら、最初からこそこそ隠れたりせずにやってた筈でしょ。……なのに、本部を脱走して1時間以上も経ってから突然姿を見せびらかすように現れるなんて、絶対におかしいじゃない。一旦姿を見せてから逃げるよりも、最初から最後まで隠れ切った方が絶対に勝率はあるもの』

 

『……それってつまり、比企谷先輩は今、正常な状態じゃないって事に……』

 

『……もしかしたら、比企谷くんは「小町ちゃんに会う」という目的だけを達成する為に行動してるのかもしれない。そうすれば、この不自然な特攻攻撃に納得がいくわ』

 

『——なら、ここで比企谷先輩を小町ちゃんと茜ちゃんに引き合わせるのは逆効果ですね』

 

『そう。だから、意思の疎通ができる事を確認しない限りは、比企谷くんを絶対に通しちゃダメなのよ』

 

 というか、八幡が理性を制御出来ていないなんて、トリガーの暴走以外に原因が考えられない。

 

『——望さん、風間隊から通信が入ってます』

 

『繋いで』

 

 イヤホンにノイズが走ってすぐに、風間は望に話しかけていた。

 

『加古。日浦と比企谷の妹をそこから逃がせ。ヤツは既にまともに会話をできる状態じゃなく、理性を完全に失っている。自分の前に立つなど行動を阻む者には容赦しないが、それ以外は割と無頓着だな。当真や俺、太刀川もやられたが、背後からの一条や片桐達の攻撃は無視している』

 

『…………了解』

 

 風間から語られた内容は、望の推測とほぼ同じ。出来れば外れていて欲しかったものだが、ボーダーのトップ隊員達がこうも簡単にやられたとなると、悠長に構えてはいられない。

 

『——真衣』

 

 望達がこの家の警備をすると決まった時点で「万が一の時の為の外での仕事」を頼んでいた、加古隊のトラッパー喜多川真衣を望は呼んだ。

 

『ギリギリ、繋げた。本部屋上と、比企谷先輩の家』

 

 彼女は望が頼んだ仕事をキッチリとこなしていた様子で、望の呼びかけにもすぐに応えた。

 

『ありがとう。今から小町ちゃんと茜ちゃんに事情伝えるから、真衣と双葉は二人を護って。私は』

 

『緊急! 比企谷くんのトリオン反応が消失しました!』

 

「……!?」

 

 安心して、次善の策を打とうとした瞬間、また事態が変化した。

 

 そして——

 

『……うそ、この距離で……っ!? 比企谷先輩のトリオン反応が、望さんの直上に……!』

 

「……えっ、どうやって……」

 

 テレポートか、ワープか。その思考が現実に追いつく前に、思わず望の口から言葉がこぼれる。——そして。

 

「……むぅ。やっぱり、何か小町達に内緒でやってますよねー?」

 

 先程からずっと望に怪しむような視線を向けていた小町と茜にも、バレた。

 

『……こういう時、誤魔化しが1番良くない』

 

 だが今は説明なんかよりも、早く二人を避難させなければ——

 

「ええと、それはね。……いえ、それよりも早く逃げないと——」

 

 ————キィ。

 

「「!?」」

 

 突然の音に驚いて、硬直する二人。

 

 茜や小町も驚いた様子で、望達の背後を見つめている。

 

 まさか、扉が開くとは思わなかった。

 

 だって、そいつは今目的のために手段を選ばない状態で、会う為だけなら誰かの殺害も躊躇わないであろう奴だ。

 

 まさかそんな奴が扉を開けてリビングに入ってくるなんて、誰も思わないだろう。

 

「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」

 

 現れた八幡の背中と脇腹には、レイガストが二本刺さっていた。右膝から先と右手首が無く、左手でドアを開けたらしい。右脚の切断面から生えた枝のようなトリオンで体を支えている為か、姿勢は安定している。

 

 しかし、表情は虚ろだ。虚脱しているのではなく、ずっと遠くの彼方を見つめているかのように、興味が失った目をしていた。

 

 リビングを見回して、その場にいる人間の顔を確認する。——と、八幡は小町に向かって歩き出した。

 

 小町の前に、スコーピオンを手にした望と孤月を構えた双葉が立ち塞がる。

 

「止まりなさい!」

 

「……止まってください、比企谷先輩」

 

 しかし、八幡が二人に反応する事はなく、彼の歩みも止まらない。

 

「くっ……!」

 

 風間や太刀川を退けた八幡だ。望達のことなんて、戦力にすら数えていないのかもしれない——

 

「……?」

 

 ————ドアノブを捻る音が、静かなリビングに響いた。

 

 八幡が、そちらの方に視線を向ける。——もう一つのドアが開く。

 

「お風呂沸きましたよー? 誰が先、に……」

 

 そこに現れたのは、日浦茜。恐らくは今、最も八幡に会わせてはならない人物だ。

 

 だが、八幡の行進は止まった。

 

「……ひき、がや……せん、ぱい……?」

 

 リビングの空気が、時間が——凍りつくように止まっていく錯覚を望は感じていた。

 

 驚愕に目を見開く茜の口から漏れた問いかけは、質問に答えることがない八幡のせいで、リビングに染み入るように、あるいは空気に溶けていくように静かに消えていった。

 




茜に想いを告げる為、過去の罪を精算するため。歩み始める八幡の前に現れた凶悪なセクハラエリート。

絶対絶命のピンチ! 八幡ではあのエリートに勝ち目なんてない! 逃げるしかないのか!

——諦めかけた八幡は、絶望の先に微かな希望を見いだす!

 次回、バレンタイン編最終話「都条例」!

 …………少年は、罪を精算して罪を生産する。


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一度きりのバレンタイン⑥【最終話】

長らくお待たせしましたっ! バレンタイン編最終話です!

……あれ? ホワイトデー?


 

 ——わわっ、わっ、わっ……!?

 

 

 

 ——風に流されるように茜ちゃんに飛び込んだわね。意識は失っているのに、どうしてかしら。

 

 

 

 ——そそそそれよりっ! こんなところで寝てたら風邪ひいちゃいますよ! 先輩、風邪ひきやすいんだから……!

 

 

 

 ——あら、こんなところで親密アピール? そういうのは小町ちゃんにするべきじゃないのかしら。ほら、将来的な義理のいもう——

 

 

 

 ——わーわーわーっ!

 

 

 

 

 

 

 ——……すみません、先輩を運んでもらって……。

 

 

 

 ——良いのよ。トリオン体だから全然重くないし……顔が近くて緊張しちゃうから運べないっていう茜ちゃんのかわいいところも見れたから。

 

 

 

 ——あぅ。

 

 

 

 ——それより、今のうちに伝えるべき言葉はきちんと伝えなさい。来年なんて待ってられないわよ。朝まで時間は作っててあげるから。

 

 

 

 ——ありがとう、ございます……!

 

 

 

 

 

 

 ——今日は、月が大きい……明るい夜だな……。

 

 

 

 ——……ごめん、日浦。俺、多分お前と会う事を避けてた。偶然とかじゃなくて、……ちゃんと、自分の意思で……。

 

 

 

 ——先輩? ……ううん、寝たまま……。

 

 

 

 ——俺が、ちゃんとしてなかったから。……日浦に、本当は向き合ってなかったんだ……。

 

 

 

 ——…………。

 

 

 

 ——ちゃんと、別れなきゃいけない。「さよなら」を、俺は言えなかった。

 

 

 

 ——……先輩、なんでそんな事言うんですか。そんな、自分を傷つけるような事……!

 

 

 

 ——怖いんだ。

 

 

 

 ——?

 

 

 

 ——お前がいなくなった後……本物をなくした俺、が、どうなって、しまうのか…………。

 

 

 

 ——……もう、十分ですよ先輩。先輩は人付き合いが苦手で、誰かを信頼することがあまりなかったから知らないかもですけど、わたしと同じくらい、みんな先輩のことを知ってるんですよ。

 

 

 

 ——だから、安心してください。

 

 

 

 ——もし先輩がいじめられてても、ボーダーのみんながきっと助けてくれます。でも、先輩が悪かった時はちゃんとごめんなさいしましょう。

 

 

 

 ——もちろん、わたしを頼ってくれても良いんですよ?

 

 

 

 ——メール一本ですぐ駆けつけますし、慰めて欲しい時はいくらでも良い子いい子してあげます。

 

 

 

 ——先輩、ありがとうございました。先輩のお陰で今までのボーダー生活、楽しかったです。

 

 

 

 ——……あ、あの、泣いちゃいそうなので後一つだけ。

 

 

 

 

 

 

 ——わたしがボーダー辞めるって聞いてすぐに、那須先輩や熊谷先輩とか志岐先輩に那須隊に勧誘されたって本当ですか? 先輩が起きたら、詳しく聞きたいです。

 

 

 

 ——ごめ、んなさい……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『——き、——ぱい……——』

 

 ……ん。

 

『——きです』

 

 …………なん、だ……?

 

『……っと、——いで——』

 

 ……気持ちよく昼寝をしていたというのに、どこか遠くで俺を呼ぶ声がする。

 

 癒される声だ。もっと聞きた——

 

『コイツ寝てる時はとことん無防備だから落書きしてもバレませんよ。柚宇さんがコーヒーこぼした時も起きなかったくらいですし』

 

 誰だか知らんがお前じゃねえ吹っ飛べ。

 

『……!? ——う、——なこと言……』

 

 ……うん、心地のいい声に戻った。

 

 その声は俺の眠りを妨げるもの。……でも、どこか心地が良くて耳を傾けたくなる声だ。

 

 声の主を探すために立ち上がったその場所は、光の草が生い茂る野原。

 

 あれだ、ナウシカの王蟲が作った金色の草原だ。え? 死んだの、俺? いや生きてるよね? ナウシカ死んでないよね?

 

『——から、——なん——』

 

 ……俺の生死については置いておくとして、声の主はどこにいるのか。

 

 辺りを見回してみても、それらしい人影は見当たらない。

 

 仕方ない。どこまであるのかわからないけど、声の方向目指して行くしかないか。眩しいけど。

 

 ——と。

 

『——っ!?』

 

「……?」

 

 ふにふに。眩しさを軽減させるために前に翳した手が、見えない何かに触れた。

 

「…………」

 

 すべすべした肌触りの良い感触に、仄かな暖かさ。お湯に触れているのかと思いきや、押してみれば押し返される、確かな弾力がある。

 

『んっ、ためっ、ほこっ……!』

 

 手を上下に滑らせてみれば、小指と薬指に引っかかるものがある。人差し指と親指で摘んで、くにゅくにゅとした感触が段々とかたくなっていくのはどういう理屈なのか。

 

 もっと調べる必要が——

 

 

 

 

 

 

「…………ん?」

 

 視界が暗い。……どうやら目覚めたらしい。

 

 何か心地の良い夢を見ていたような気もするが、思い出せない。どんな夢を見ていたんだろうか……。

 

 ……ていうか。

 

 どこだ、ここ。

 

 いつものボーダー基地に作られた俺の部屋の天井じゃないし、星空というわけでもない。

 

 隣を見れば、頬を上気させた日浦が潤んだ目でこちらを見ているくらいだ。別におかしなところは何もない。

 

「……ていうか、今何時だ……?」

 

「……ごぜん、1時を、まわった……くらい、です……っ」

 

 俺の独り言に日浦が返事をしてくれた。……そうか、1時か……。

 

「……あ、あの、ききがや、せんぱい……」

 

 呂律が錆び付いてしまったかのように回ってない日浦が、たどたどしい日本語で俺を呼ぶ。

 

「……なんだ?」

 

「……赤ちゃんは、2人欲しいです。女の子と、男の子……」

 

 窓から差し込む月光に照らされて、潤んだ瞳や朱に染まった頬が色っぽくて、息遣いまでもが扇情的で、とても中学生には見えない。

 

 日浦は、泣きそうなくらいうるうるした目を閉じて、俺の頭を抱き寄せて——ん。

 

「……!?」

 

 キス——した。俺と日浦が。

 

「——っ、ひうら……?」

 

 現実ではないという違和感が、……日浦?

 

 ——そう、だ。

 

 ずっと日浦に伝えなきゃいけないことがあったんだ。

 

「……日浦」

 

 同じベッドで同じ布団で二つの枕に文句は多々あるけれど。

 

「ふえ……?」

 

 とろん、と焦点が定まっていない目と半開きの口。普段の元気いっぱい天真爛漫な雰囲気は微塵も感じられず、明らかに正気じゃない。

 

 かわいい。……じゃなくて。

 

 自分にまさかの危険な感性があったこともとりあえず置いといて。

 

「…………すみませんでした」

 

 ベッドから降りて、床に正座をして、そのまま頭を床に付け、土下座をする。

 

「……なにが、ですか?」

 

 戸惑いながらも日浦は、俺の声に耳を傾けてくれた。

 

「……その、バレンタインの日に、日浦さんの手紙を無視して防衛任務についてた事を……です。恥ずかしい話、小町から聞かされるまで手紙の事にすら気づいてませんでした。それは俺の予定が合う合わない以前に、日浦さんに失礼な事をしてしまった。……本当に、すみませんでした」

 

 日浦に会うまで、ずっとその事を考えていた。……でも、他に謝り方が思い付かず、誠心誠意を込めた結果、こんな言葉になってしまった。

 

 でも、謝るときに偉そうな態度が必要だとは思わない。

 

 謙った表現とか、感心を惹く言葉ではまともに思いは伝えられない。

 

 究極伝えたいのは、言葉じゃなくて心なんだから。

 

「先輩。……頭を上げてください」

 

「…………」

 

 上げない。日浦から赦しが得られるまでは。

 

「……上げてください」

 

 上げない。

 

「……お、面を上げい!」

 

 上げない。

 

「…………うぅ」

 

 ——と。

 

 日浦の反応が無くなった。……かと思ったら、すぐに再び日浦の声が聞こえた。

 

 えっと、うぅん、……と、色々考えているらしい。

 

 俺は日浦に向かって頭を下げたまま、日浦は何かに悩む様子がしばらく続く。

 

 日浦が再び口を開いたのは、それから割とすぐの事だった。

 

「……先輩は、そうやって形だけやってれば満足するんですか?」

 

 ……え?

 

「……ち、ちがう……」

 

 そんなつもりじゃない。……けど、日浦にはそう見えて……?

 

「……人を動かすのは、単なる言葉や行動じゃないんです。心がこもってるから、言葉や行動に命が宿って人に伝わるんです。……でも、先輩のそれは、『謝ってる』っていう形を見せようとしてるだけにしか見えません」

 

「そんな『つもり』じゃ、……!」

 

 反射的に顔が上がる。……!?

 

「——ん——っ」

 

 顔を上げた先に待ち構えていたのは、鼻先数ミリくらいしかない、超接近してきた日浦の可愛らしい顔。

 

 何も考えられない俺は、そのまま日浦の口撃を躱す事ができなかった。

 

「——んはっ。……先輩は、わたしが、冗談でこういう事をすると思いますか?」

 

 触れ合うだけですぐに離れた日浦は、そう言って顔を赤くする。

 

「……い、いや。思わ、ない……」

 

 ……顔が赤くなってんのは俺も、か。

 

「……それじゃあ、先輩がわたしのお願いに応えてくれなかったくらいで『もうどうでもいいや』って嫌いになるような軽い女に見えますか?」

 

 そんなわけあるか。

 

「……見えない。……あんな、手紙まで書いてくれたんだ。軽いだなんて、そう思える筈が……」

 

「……そうですよ。わたしはかーなーり、重い女なんです。……先輩にぞっこんなんです」

 

「…………っ」

 

「……そんなわたしが、デートに来てくれなかっただけで先輩を嫌いになると思いますか? 逆に心配してたんですよ。何かあったのかな、って。……それで、先輩がわたしの手紙に気づいてなかっただけって知った時はもう安心したんですから」

 

「…………日浦」

 

 ……そうか。……俺は、最初から間違えていたんだ。

 

 贖罪に走ることばかり考えて、日浦自身が俺に何をして欲しいのかを考えてなかった。

 

 それこそ、謝ることが全てだ、みたいに……。

 

 呆然とする俺の前で日浦は、はにかんだ。

 

「……大好きですよ、先輩。これから末永く(・・・・・・・)よろしくお願いしますね」

 

「……あ、ああ……。……………………ん?」

 

 何か、変だ。…………あ、そうか。

 

「……そういえば日浦。どうして、……ここに? ていうか、ここは何処?」

 

 当たり前過ぎて忘れてた。俺、こんな事してる場合じゃない。早く小町に日浦の家の場所を聞かないと、でも日浦はここにいて……あれ?

 

「先輩のお家です。先輩は、ボーダー基地を抜け出した後に先輩のお家に行って、小町ちゃんにわたしの家の場所を聞こうとしたんですよね?」

 

「……ああ、そうだ」

 

 あれ。

 

 ……確か迅さんと会って、絶対勝てないだろうけど覚悟決めてやるか、ってなって……。……あれ、そこから先が思い出せない。

 

 ひょっとして、オルタナティブの隠された機能が働いたのか? とか考えていると、日浦が話してくれた。

 

「……今日は、いえ。もう昨日は、ですね。……昨日は、わたしが小町ちゃんの家に泊まりに来てたんです。色々荷物を運んだりしましたし」

 

 なるほど。だから日浦が小町の家にいた、と。……ん?

 

「……荷物?」

 

「はい、荷物です。わたしの衣類とか、私物ですけど」

 

「……何日か泊まる、ってことか?」

 

 けど、連泊するだけだと私物を小町の家に持ち込む理由がない。どういうことだ?

 

「……んしょ」

 

 こんがらがる俺に、日浦はベッドから降りて正座し、俺と向き合う。

 

「えっと、本当は明日、いえ、今日。今日です。……ボーダー本部にお邪魔した時に、小町ちゃんと先輩に伝えようと思ってたんですけど」

 

 ……?

 

 思考が追いつかない俺を置いて、日浦は上目遣いに俺を見た。

 

「……今日から、先輩のお部屋でお世話になる事になりました!」

 

 え?

 

「ボーダー退職撤回です!」

 

 え、

 

「ちょ、ちょっと待て。そもそも両親の決定でボーダー辞める事になってたんだよな。何でそれが突然……」

 

「先輩の事を話したら、お母さんが「そんな人がいるなら安心だけど、……早く紹介しなさい!」って。お父さんは「刀に錆がついてないか心配だから、彼氏さんが来る前に手入れしておく」って言ってくれて」

 

 いかん。彼氏さんが刀の錆にされる。

 

 風前の灯火になる——その感覚を自分の命で楽しんでいると、日浦はまた笑った。

 

「先輩がセキニンを取ってくれるなら心配ないって、わたしがボーダーを続ける事を許してくれました。家はもう売却が決まってるから、小町ちゃんと相談して先輩と一緒に暮らさせてもらうのが良い、って言われたんですけど、……ダメですか?」

 

 ……あざとい。けど断れない。

 

「良いに決まってる。大歓迎だ」

 

「不束者ですが、これからずっとよろしくお願いしますね、比企谷先輩!」

 

 ……そう言って、日浦は俺に頭を下げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【後日談】

 

 

 

「——先輩っ! 勝ちましたよ、わたし達!」

 

「……ああ、観てた。最後決めたのすごいじゃん。置き玉と色々使った三角攻撃は最初からその予定だったのか?」

 

「チャンスがあれば、って感じで最初はあちこちにメテオラを置いてました。……でも、最後に狙う場所を選べる余裕ができたのは那須先輩のお陰です。……あ、先輩ケータイ鳴ってますよ」

 

「ん? ……すまん、ちょっと失礼……もしもし。……那須か」

 

「…………那須先輩?」

 

「……ああ。……ああ。よく頑張ってたよな。……今日? いや、今日は一日日浦に付き合うって約束してるからダメ。……明日なら、まぁいいけど。言っておくが俺は基地から出れないから、那須隊の部屋でいい……特別許可? いつの間にそんなもんを……いや、それなら別に大丈夫だと思う。日浦にも都合を、……? わかった。それじゃ、忍田さんに車出してもらうから——っと、すまん。なんか日浦が用事あるらしいから、変わるわ。……ほら、日浦」

 

「人の彼氏寝取ろうなんて100年早いんですよ明日は先輩の為に開けた時間を使って一人でワイヤートリガーの対策でも考えてくださいね病弱メンヘラ先輩来週まで寝てろ」

 

「…………自然な流れで切りやがった」

 

「どうしました? 先輩?」

 

「……いや、俺のケータイめっちゃ鳴ってんだけど。『那須』って出てんだけど」

 

「無視しましょう。どうせ悪質な宗教勧誘か集金に見せかけた詐欺話です。それより、食堂で新メニューが出らしいので食べに行きませんか? スイーツらしいですよ?」

 

「無視っていうかブロックしてる……いや、そうじゃなくて那須が俺の為になんかやってるらしいんだけど」

 

「りぴーとあふたみー。『おう、楽しみだな』」

 

「……おう、楽しみだな」

 

「それじゃいきましょう! 楽しみですね、先輩!」

 

「……明日が怖い……那須隊との防衛任務なんだけど……」

 

「トリオン兵が怖いんですか? でも先輩の黒トリガーが最近攻撃性能を獲得したって聞きましたけど。その練習のためでもありますし、大体トリオン兵くらい楽勝ですって」

 

「怖いのは味方の方なんだよ…………」

 

 

 




設定


冠トリガー「閃刃(パンゲア)」改メ「パンドラ」

閃刃とオルタナティブが融合した新たなトリガー。主に閃刃の射撃性能を引き継ぎ、さらには発射する弾を透明化したりとオルタナティブの機能も一部引き継がれている。また、融合後トリオン弾が着弾した箇所に「トリオンを物質化した」エスクードのような盾を生成する機能が確認されていることから、使用者本人に自覚はないもののトリガーが学習する機能を備えている事が推察される。


備考:母トリガー「ウェコン」について

融合によって閃刃が消失したために自らを護る手段が無くなった八幡の体内の母トリガーは八幡のトリオン器官と完全同化し、結果母トリガーとしての機能も無くなった。

次は黒江か真木か草壁隊長か……。月見さんという手もあり。


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わたしのサンタさん!(国近柚宇限定)

ものっっっっっっっっすごい期間が空いてしまい申し訳ありません。

今回は国近先輩です。


クリスマス間に合ってないけどクリスマスネタです。


 クリスマス。聖なる夜。

 

 恋人達は秘密の時間を過ごし、子供達はサンタクロースからのプレゼントに心を躍らせる特別な日だ。

 

 外を歩けば街のあちこちでサンタの姿を目にすることができるし、電飾などで飾り付けられたクリスマスツリーはこの数日間だけしか飾られない特別なもの。家に帰れば、ターキーやクリスマスチキン、クリスマスケーキなどが食卓を飾り、今日が特別であることを際立たせる。

 

 異世界からの侵略者達の脅威に晒され、日夜戦闘の絶えることのないこの三門市でも、非戦闘区域である市街地はクリスマスに染まっていた。

 

 日が沈んで間もないこの時間。街中はクリスマスを求める人でごった返しており、忙しなくあちこちを行き来している。

 

 昼過ぎから続くこの人混みに揉まれながらこの場所にたどり着いていた八幡少年は、世の中への反抗を込めて、誰へともなく睨みつけた。

 

「お待たせ〜! 比企谷くん……待たせちゃった?」

 

 しかし、そんな彼の鋭い視線もその一言で霧散する。

 

 おっとりとした口調に、幼さの抜け切らない声色。すまなさそうに八幡を見上げる視線には、謝罪と可愛さがたっぷり詰め込まれている。

 

「や。どうも。特に待ってないすよ」

 

 国近柚宇。八幡の可愛すぎる先輩にして、可愛すぎる彼女。可愛すぎる性格で、可愛すぎる天使だ。

 

 性格や容姿は勿論、呼吸の間隔や瞳の瞬き、歩幅やちょっとした癖でさえ、八幡を魅了してやまない。

 

〝地上に産まれた唯一の天使〟と八幡は柚宇をたとえて、それを聞かされた時の彼の妹の心中は、恥ずかし過ぎて熱を出すくらい、荒れに荒れたという。

 

 そこまで行くと流石に変態の領域だが、八幡は柚宇にイヤラシイ真似を一度もした事がない。

 

 伝えるべき気持ちかそうでないかの区別はつくし、何より八幡は柚宇に嫌われたくない。

 

 そうして慎重になり過ぎた結果、二人は付き合い始めて10ヶ月、あと2ヶ月もすれば一年が経とうとしているのに、八幡が頑張った事といえば、手を握った——それくらい。

 

 八幡の記憶に確かな事は、それ以上の関係を望んでいても、あと一歩踏み出せずにいる情けない自分の姿のみ。

 

『え? ……ああ、別にもし赤ちゃんができてもお父さんと柚宇さんのお父さんが全力で支援してくれるから大丈——え? は?』

 

 それを初めて身内に相談した時の、妹の愕然とした顔は忘れようにも忘れられない。

 

 ——そんなこんな、諸々の後押しをされて。

 

 今日二人が待ち合わせをしたのは、二人の関係を進める為の、妹の話を参考に八幡が計画したクリスマスデートのためだ。

 

 気温が0度を下回り、雪も降る中、単純にデートを楽しみにし過ぎたせいで4時間も外に立っていた八幡は、トリガーを起動しとけば良かったと後悔しながら、柚宇に心配させまいと誤魔化そうとする。

 

「えっ? ……でも、鼻が赤いし、頭に雪積もってるよ?」

 

 身震いして、頭や肩の雪を振り払う。

 

「そこらへんの雪を肩に乗せてただけなんで、大丈夫です」

 

「……比企谷くん、辺りに雪を掬った跡無いよ」

 

 じと、と自分を見上げる柚宇の視線はほぼ確信しているらしく、手袋越しにぎゅう、と八幡の手を握ってきた。

 

「空から落ちてくるやつなんでまぁ無いですよね」

 

「やっぱり待ってたじゃん! もう……!」

 

 素直に負けを認めた八幡の胸をポカポカと叩く、可憐と可愛さとcuteの塊。

 

「いや、すいません。楽しみにしすぎたんで」

 

「……う、嬉しいから困るんだけど……どれくらい待ってたの?」

 

「15分くらいです」

 

「……それでもだよ、む〜」

 

 ぴろりん。柚宇のケータイが鳴った。

 

「ちょっとごめんね」

 

 スマホのロック画面に表示される通知を見れば、急ぎの用事かそうでないかはわかる。

 

 ただ、文章が長文で表示される枠に収まり切らず、メッセージの意図が分からなかった場合はロックを解除してアプリを立ち上げなければならない。

 

 もしかしたら、何か緊急の連絡かも。

 

 八幡との時間を邪魔されて若干不機嫌になりながら、柚宇はメッセージ画面を開いた。

 

『そういえば2時過ぎに三門市商店街のデカいクリスマスツリーの近くで比企谷が立ってたって米屋が言ってたんすけど、なんか約束してたんですか?』

 

 メッセージは、柚宇と同じ部隊の後輩出水から。

 

 現在時刻午後6時である。

 

「……比企谷くん」

 

 メッセージ画面を八幡に見せて、上目遣いで見上げる柚宇。八幡はそんな彼女に取り乱す事なく、こう返した。

 

「はい、な——違うんですよ。これは別件で外出てただけで一回家に帰りましたし」

 

「ほんとに?」

 

「本当です。風邪引いて先輩に心配かけたくないですし」

 

 ニット帽に、もこもこのイヤーマフをつけた防寒スタイルで詰め寄ってくる柚宇を見ただけでにやけそうになりながら、八幡は彼女を宥めようとする。

 

「それよりほら、せっかくのクリスマスなんですし。店を予約したんで行きましょうよ」

 

 彼の知り合いに聞かれたら驚かれるに違いないが、意外にも八幡は柚宇と過ごすこの日を本気で楽しみにしていた。

 

 数日前からクリスマスディナーの予約ができる店舗に実際に足を運んでサーチし、その中から雰囲気の良さげなところを選び、予約しておいたのだ。

 

 勿論、一緒に過ごすクリスマスの夕食は外食にするつもりな事は柚宇に知らせてある。

 

 柚宇のオペレーターの仕事が午前中と午後に少しあったので、一日を共に過ごすことはできなかった。

 

 その分、残ったクリスマスを幸せな時間にしようと八幡は頑張ったのだが——

 

「うん、ありが——ええっ!?」

 

 ただ、彼氏と彼女の間で『夕食』という言葉の認識に大きな齟齬があった。

 

 柚宇が想像していたのは、サイゼやジョナサンなど、学生でも楽しめるリーズナブルなレストランチェーン。

 

 恋人同士でクリスマスを過ごす場所としては安っぽいのかもしれないが、変に気取った店よりは落ち着きやすく、ぶっちゃけ八幡と一緒ならラーメンでも出店でも食べ歩きでも構わなかったりするからなのだ。

 

 ……なのだけど。

 

「……え、……えぇ……!?」

 

 八幡が今から行くという店は、客単価にして1人につき最低(・・)イチマンエンは軽くする、大人ですら入るのを躊躇う事もある高級店。

 

「……? どうかしました?」

 

 学生の分際でこの店を選ぶというのは、あまりにも常識からかけ離れすぎている上に店舗へ向かう八幡の態度には余裕すら見られる。一方でざ・しょみん代表柚宇の脚は、子鹿のように震えていた。

 

「……おっ、おしはらいっ、……は、大丈夫、かな……?」

 

 最近、一緒にいる時間が増えたことでようやく慣れ始めた八幡の手をゆっくりと優しく握り、か細い声で柚宇は八幡を見上げた。

 

 八幡よりも柚宇の方が年上だというのに、柚宇の威厳の無さと八幡との身長差から結果的にもたらされる上目遣いは、二人をカップルどころか歳の近い兄妹のように見せている。

 

 

 

 ——おい兄貴、妹さんを泣かすんじゃねーぞー。

 

 ——と思うじゃん? 実は男の方が年下なんだよ。

 

 ——えーっ。どう見てもハチ先輩の方が大人に見えるなぁ——

 

 ——しっ。気付かれるぞ。ハチの成長記録を撮影してんのに途中でバレたら売り物にもならなくなる。

 

 ——あー、そっか。

 

 ——そーだなー。

 

 

 

 …………。

 

「……廻天弾倉(ゲフガ・バレル)廻転(セット)解して轟く夢幻の景画(アサカ・アンドゥーブカ)起動(オン)

 

 

 

 ——んぎゃあああああっ!?

 

 

 

「……? なんか、いずみん達の悲鳴が聞こえたような……?」

 

「市街地ですよ? 気のせいでしょ。……それより、もうすぐ予約した時間なんで少し急ぎましょうか。一部前払いの完全個室なんで、多少遅れても大丈夫だとは思いますけど……」

 

「……そ、そうだよ。そんなに高そうなお店、わたしにはとて……ま、前払いっ!? お金出してくれたの!?」

 

「最近予約キャンセルがどうのこうのって厳しいらしいですからねー」

 

「そういう事じゃなくてっ。……い、いくらくらいなのかな!?」

 

 柚宇の手が八幡の手を離れ、懐から財布を取り出す。しかし彼女の手がたがたと震えているせいで小銭がちゃりんちゃりん、と音を立てて転がってしまい、それを八幡が屈んで拾う。

 

 手渡す際、柚宇の手を自分の手で包み込むように握り、柚宇の震えは止まった。

 

「あ……わ、わ……」

 

 代わりに、柚宇の顔はリンゴのように真っ赤になっていたが。

 

 カチカチに固まってしまった柚宇を、八幡は見つめる。

 

「……別に、黒トリガー所有者ってだけでA級隊員なんかよりも懐が暖かいんですよ。実は知られてない事ですけど。……それに」

 

「……それに?」

 

「……彼氏なんで、それくらいの見栄張ったっていいじゃないですか。良いとこ見せたいし」

 

 不機嫌そうでいてその実、照れた表情。

 

 まだ、触れ合ったことは少ないけれど。それでも、彼女が彼氏をわかる時がある。

 

 八幡がこうやって柚宇から顔を逸らす時は、心の底から思ってる事を言ってくれた時なのだ。

 

「…………ありがとう」

 

 寒空の下。柚宇の胸の奥は、雪の舞っているにもかかわらず、暑いくらいにポカポカしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——お会計、52000円になります。

 

「カードで」

 

「ぽえっ!?」

 

 ——ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております——

 

「やっぱ良いところなだけあって、美味しかったですね。……どうしたんですか、先輩」

 

「……きっ、きんし!」

 

「?」

 

「わたしだってお金あるもん! ……けど、今後はもうちょっと二人で相談してデートの場所決めよ!? 高過ぎるよぉ……!」

 

「……先輩を養えるだけの額は毎月振り込まれてますんで、気にしないでください」

 

「ボーダーやめたらどうすんのっ!?」

 

「今銀行に預けてるだけでも年に500万の利子が付くんで、働かないでも食っていけます」

 

「……ふっ、不労所得……っ!」





黒トリガー

いくつかのモードを適宜切り替える事で黒トリガーとしての性質が変化する異質なトリガー。

遠距離とか対集団戦闘とか白兵戦とか液体〜とか色々なモードがある。トリガーそのものが独立したりすることも。
八幡の1番のお気に入りはアイビスを素手で弾けるくらい防御力に特化したモード。超高密度超硬質のトリオン体なのでアレクトールには瞬溶けしたりして相性が悪い。「自信満々の相手の意表を突くのが楽しいから」という理由で選ばれてるあたり本人の性格も悪い。


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やはり俺の幼馴染が真木理佐なのはまちがっている。①

タイトル通り真木理佐回です。前後編の予定です。

今回ちょっと挿絵を描いてみました。下手くそで申し訳ないんですが……。




 ——〇〇くん! すきです、つきあってください!

 

 ——ばつげーむですか。それともいじめですか

 

 ——……? いじめってなあに?

 

 ——あなたがあたまにかぶってるぼうしのことをいいます。

 

 ——これはぼうしじゃないよ、かびん、だよー。

 

 ——……。どうしておれがこくはくされるんですか。

 

 ——だってそうしないと、ふでばことかきょうかしょとか、ぐしゃぐしゃにするってあのひとたちがいうんだもん。

 

 ——…………。

 

 ——おへんじ、きかせてくれる?

 

 ——おれでよければ、よろこんで。

 

 ——やったー! ……あれ? それで、こいびとってなにをしたらいいの? ていうかどこにいくの?

 

 ——ちょっとおかたづけ(・・・・・)してくる。こういうのに、かんきゃくはいてほしくないから。

 

 ——すぐもどる?

 

 ——うん。でもちょっと、しばらくはあえないかな。

 

 ——どうして?

 

 ——やつあたりだし、それでもけじめはひつようだから————————

 

 

 

 

 

 

 ……その日から、私と彼の奇妙な恋人関係は成った。

 

 でも、あいつとは恋人らしい事をした覚えはあまりない。

 

 ボーダーや近界民なんかが出てきて、それどころじゃなくなった、という理由が主にあるか。

 

 だから、とある小学校で1人の少年がクラスメイトを殴った事はもう、誰の記憶にも残っていない。

 

 いや。私をいじめていた連中は私の彼氏(・・・・)に殴られてできた傷がトラウマになったのかもしれないけど。

 

 

 

 

 

 

 …………。

 

 世の中には、にわかに信じ難い、いや「信じてはいけない」と拒否感まで抱いてしまうような光景が存在する。

 

 例えばホラー映画のグロシーン。主人公が、ヒロインで幼馴染の婚約者の手によってプレス機の中に落とされるシーンを見るだけで、三日は胃が食べ物を受け付けなくなる人だっている。

 

 これは思考による損得勘定が働いた結果ではなく、ほぼ反射的、人間に唯一残った本能的な嫌悪感によるものだ。

 

 だが、所詮は作り物。よくできたCGでしかない。本物ではないのに感動できるのか、なんて思う人もいるだろう。

 

 だが、世界で最も人を泣かせてきた話は誇張と妄想が入り混じったフィクション映画だ。

 

 そもそもフィクションの魅力とは「現実には存在しない」という一点に尽きる。何処にも存在し得ないからこそ、誰もが見飽きた現実などと比べるまでもなく自由で、壮大で、魅力的なのだ。

 

 それでいて現実には一切干渉してこない。

 

 架空の世界で大爆発が起きたからといって現実世界に影響が出る事は無く、物語が終わっても現実は終わる事もなく続いていく。

 

 そんな、言ってしまえば何処までも他人行儀な世界。隣り合っていて、薄皮一枚隔てた場所にあるというのに、その一枚の距離がどうしても遠く、突き抜ける事は不可能。それなのに、人はホラー映画を見ただけでトイレに1人で行けなくなる。

 

 自分が襲われるかも? という1ミリの恐ろしさに駆られてしまうのだ。

 

 つまるところ、人が恐怖するのはその空想にではなく、恐怖の「映像」を目撃した際にどうしても行ってしまう個人の思い込み、感情移入の強さが、各々が感じる恐怖をより増幅させてしまうから——なのだが。

 

 ……これがもしも。

 

 もしも「空想」ではなく、現実に起こってしまったものを目にした場合。

 

 思い込みが気のせいで済まなくなった世界線。

 

 そんな世界に、放り出された人。

 

 果たしてその精神は無事でいられるのかどうか。

 

 世界は。

 

 ……いや、「比企谷八幡」は。

 

 

 

〝幼馴染〟に恐怖する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボーダー本部基地。とある階にある、わざと照明を落とした薄暗い部屋の中。

 

 その場の空気にふさわしい、おどろおどろしい雰囲気とか弱い声が上がった。

 

「……い、いいのかな? これあとでめちゃくちゃ怒られそうな気がする……」

 

 戸惑うような、怯えたような……普段とは違い、珍しく元気のない緑川少年の震える声が、緑川の目の前で機材をモニターと繋げる作業をしている2人の少年に向けられる。

 

 彼らは、緑川とは対照的に笑みを浮かべていた。

 

 そのうちの1人、出水が振り返らずに言った。

 

「いいも何も、アイツが持ってきたんだからいいに決まってんだろ。誰が見たって優勝はアイツだったし」

 

 もう1人の米屋も、早く見て早く解散だー、なんて呟いていた。

 

「……ほ、ほんとに……?」

 

 振り返る緑川。この部屋を使うことになったのは、彼の提案でもあったからだ。

 

 緑川に視線を向けられた兄貴分、当真がニヒルな笑みを浮かべる。

 

 当真は冬島隊の隊員なので当然だが、隊室を自由に使う権利は本来所属する隊員にのみ限られる。その彼がこう言っているのだ。

 

「いーんだよ。真木ちゃんはオペレーターの合同研修で居ないし、何見たって黙っときゃ問題ねー。でしょ、隊長」

 

 そして、当真の他に隊室を自由に使える隊員、いや隊長である冬島は冷や汗を垂らしていた。

 

「……いやー、おじさんはやめた方がいいと思うナー」

 

 賛成の数は3、否定の数2。

 

 明らかな否定派もいるこの場で、彼らは何をしようとしているのか。

 

 その答えは、モニターに繋がれたレコーダーにDVDが吸い込まれたことで、ようやくわかるようになった。

 

「……お、くるぞくるぞ……」

 

 読み込みが終わり、それまで青かった画面に模様が付いた。……再生の準備が整った合図だ。

 

「よし、これで……」

 

 再生ボタン——プッシュ。

 

 うぃぃ、と音がしてレコーダーは取り込んだディスクの再生を始める。

 

 青い画面が切り替わり、白い背景に文字の羅列が生まれた。

 

「……っ」

 

 覚悟を決めたのか腹を括ったのか、しっかりと前を見つめる緑川の目に迷いは消えていた。

 

 ……しかし。

 

「……? あれ……?」

 

 再生ボタンは押した。それなのに、一度暗転したその後から映像が流れないのだ。

 

「ちょっと待て」

 

 モニターとケーブルの接触不良を疑って接続をし直し、もう一度再生ボタンを押す。……しかし、流れない。

 

 何度か試して、数分間流しっぱなしにしてみたりしたものの、映像がまともに流れる事はなかった。

 

「……なぁんだ、やっぱり再生できないんじゃ——」

 

 映像を再生したまま、画面と睨めっこすること数分。

 

 緑川が胸を撫で下ろした——とここで、画面に変化があった。

 

「……?」

 

 変化、というか事態の深刻さが判明というか。

 

 兎にも角にも、ここで分かったことがふたつ。

 

 まず、彼らの見たかったであろう映像とはまるで違うものであること、二つ目はなぜか流れないDVD映像の行方が何処に行ったのか、である。

 

「……これは」

 

 彼ら5人が見つめる画面に表示されているのは、真っ白な背景に横文字の羅列。グラフもあることから何かの資料にも見える——

 

「——っ!」

 

 最初に動いたのは、冬島。なぜか荷物をまとめ始めた彼に続いて行動を起こしたのは当真。そして——

 

「おい、すぐ止めろ! 停止! 停止ボタン!」

 

 続いてその異常に気づいた出水が、リモコンを手にしていた米屋に必死に停止ボタンを押すように言い、その数秒後、彼自身はレコーダーの取り出しボタンを押していた。

 

 しかし、再生が停止してDVDが取り出されたのは、再生が始まってから数分後のこと。

 

「……これ……混線してたんじゃ」

 

 彼らが見つめるのは「ボーダー本部内におけるトリガーによる通信混線について」という資料。どう見ても彼らが見たかったものではない。

 

「…………そーいや、通信機器の調子が悪いとか真木ちゃん言ってたっけな……」

 

 順当に考えれば、これが表示される(・・・・・)はずだった(・・・・・)場所(・・)に、彼らが見たかった映像が流れていたのだろう。

 

 そして、その場所で表示されるはずだったものがここにきている。

 

 こんなの、推論とも呼べない4ピースのパズルゲームだ。

 

 …………。

 

 出水が無表情で機材の電源を落とし、荷物をまとめながら、米屋が一言こぼした。

 

 

 

「……あれ、これ俺ら大丈夫か?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ぷいきゅあっ! めたもるふぉーぜ!』

 

『すごいすごい! りさちゃんかっこいー!』

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

「……………………」

 

 ……地獄のような空気とはまさにこのことか。

 

 その映像が流れた数分間、ボーダーオペレーター合同研修会場の空気は、場所が室内であるとは思えないほど冷え込んでいた。

 

『はちまん? カメラをむけてどうしたの?』

 

『りさちゃんがかわいいからとっておくの!』

 

『……えへへ。ありがとっ!』

 

 その原因は明白。それまで資料を映し出していたはずの大画面が急に切り替わり、小さな女の子が満面の笑みで女児向けアニメのキャラクター変身ポーズを決めている姿を映し出したせいだ。

 

 画面に女児が映る——それだけならまだいくらでも誤魔化しようはあったかもしれないが、女児の名前を隣にいた男の子が呼んで、あまつさえその女児の成長した姿が誰かわかれば、否が応にも凍りついてしまうだろう。

 

 ボーダー内、魔王こと雪ノ下陽乃や雪の女王と影で噂されている雪ノ下雪乃と並んで恐れられている、『鋼鉄の女王』真木理佐。

 

 彼女はずっと周りからも滅多に笑顔を見せないクール系キャラとして威厳と尊厳を保ちつつ過ごしてきたのだが、先程の放送(?)によって彼女が周囲に与える圧力は陽乃すら凌駕しかねない程に膨張していた。

 

「…………、最近はこのようにボーダー内で通信が混線することが増えています。人為的なミスでなければ、配線の中にネズミが入り込んだとかそういう訳でもないでしょう。おそらく、一斉通報システムの導入による通信配線の混雑が……私が話している途中で何処に行こうとしてるの比企谷」

 

 顔を赤らめることも青筋を浮かべることもなく、あくまで冷淡に自らの意見を述べる途中だった理佐が、こっそりと彼女の視界の外で部屋を出て行こうとするネズミを捉えた。

 

「……すいません、ちょっと、花を摘んできます」

 

 がくぶる……と顔を青くして、自分を見る事もなく部屋のドアに手をかけるのは、先の動画に映っていた少年の方が成長した姿である八幡。かつては周囲の人間を幸せにするであろう笑顔を振りまいていた幼女は、今や冷酷な鬼の面を被っていた。

 

「そう。それじゃあ今から3分で戻ってくるように」

 

「……い、いやあ、今日はこのまま直帰しよっかなって、……はは」

 

「あと2分50秒」

 

「…………アイ」

 

 その言葉に憎悪はなく、恐怖もなかった。ただ、深い水底に連れて行かれるような闇が見え隠れしていただけ。

 

 それは彼らが幼馴染同士だから、だろうか。

 

 度を越した実力の高さからランク付けに参加することが適当ではないとして、番外A級部隊と称し事実上の殿堂入りをしたA級部隊、雪ノ下隊のオペレーターを務めている比企谷八幡は、理佐の事をよほど恐れているのか、彼女の一言に深く頷いて、何度も会釈して部屋を出ていった。

 

 ……そして。

 

 彼が会議場を後にしてすぐ、正面に映るモニターが着信画面に切り替わった。

 

 表示されているのは『比企谷八幡』という名前。

 

「……へぇ」

 

『……オイどうなってんだ、なんでこっちであいつの映像が流れてんだよ……!』

 

 通信相手が電話に出たらしく、その口調から八幡の焦りや憤りが感じ取れる。

 

 ただ、八幡が電話をかけた相手が何を返したのか、彼も「はぁっ!?」とキレていた。

 

『ふざけんな、人ん家を勝手に避難場所にしてんじゃねぇ! それにあの隠れ家は真木にだってバレてないんだぞ!? ……ああもう、わかった、とりあえずこれから隠れ家前にこい!』

 

「…………なるほど」

 

 混線だらけで会議室内は既に会議どころではなくなっているが、そんな中でも理佐は冷静な態度を崩さず、「失礼します」と進行役の沢村に断って部屋を出ていく。

 

 数秒後——

 

『はいもしもし。どちら様——え』

 

 電話帳に登録していないらしく、電話の相手が誰かわかった途端に八幡の声が凍りついた。

 

『……え、やだなぁ今戻ってる途中ですよ。心配しないでも大丈夫だからとりあえず戻っててくんない? ……あ、迎えに来た? 監視の為……って、どんだけ信用ないんすか俺。……? 隠れ家? 何のことっすか。……なるほど、さっきの会話が丸聞こえ……まぁいいや、好きなだけそこで監視しといてくれ。俺はそこにはいないがなっ!』

 

 ……プッ、つー、つー。

 

「……………………」

 

 1分後。皆の予想通り八幡が帰ってくる事はなく、不機嫌さが増した理佐が戻ってきた後に、空気のギスギスさを増して研修は再開された。

 

 

 

 

 

 

 ボーダー本部基地内、八幡謹製の秘密の隠れ家。

 

 基地の何処にある訳でもなく、逆に何処からでも入れてしまう——というボーダーに内緒で八幡が作り上げたこの空間は、仮想空間の一部を切り取ってトリガーに繋げる事で実現している。

 

 使用者のトリオンによって入口が開閉する仕組みで、トリガーの中に仮想空間を閉じ込めている為、空間の維持に手間がかからないのが利点の一つ。もう2つほど大きな利点があって、ひとつは部屋の全体としての形状がトリガーであるために持ち運びが非常に楽なこと、もう一つは他人に部屋の存在がバレにくいこと。

 

 また、認証していなければ相手は部屋に入ってくることもできないので、偶然がピンチを呼ぶ事もない。

 

「……よし、なんとか……」

 

 恐る恐る、八幡は部屋の入口付近に張り付いていた手を離した。

 

 部屋の中に持ち込んだアウトドアチェアに腰掛けて、マッ缶のプルトップを開ける。

 

 勝利の一杯。それと同時に、次の戦いに備えるための聖杯でもある。

 

「……ち」

 

 だが八幡は一口だけ口をつけて、すぐに飲むのをやめた。

 

不味かったのではない。次に備えるための時間が、思ったよりも少ないという事に気づいたのだ。

 

 時計を確認。——現在時刻、午後7時22分。八幡が思った通りの時間だ。

 

 今日この日、八幡の所属する部隊は夜の警戒任務にあたる事となっている。その開始時刻は、

 

「任務自体は8時から。……けど、その前に回収班とかとの合同ミーティング……くそ、どう考えても45分じゃ間に合わない……!」

 

 マッ缶を握る力に手が入る。べこ、と音を立てた時点で八幡は握るのをやめて中身を飲んだが、先程とは違ってちっとも心の休めにはなりそうもない。

 

 場所が問題なのではない。部屋であるトリガーが置かれているのは雪ノ下隊室の八幡が使うオペレーターデスクの上で、10秒あれば部屋を出て仕事を始められるから、実質的な問題とはなり得ない。

 

 では、何がいけないと言うのか。

 

 ただひとつ、任務開始の直前まで理佐と鉢合わせてしまう可能性がある事。

 

「……みつかったらコロサレルみつかったらコロサレルみつかったらコロサレル……」

 

 手の震えの大きさは心の動揺の大きさ。

 

 足までガクガクと揺らし、幼馴染として勝てるところが身長くらいしかない事を曝け出しつつ、八幡は恐怖を飲み込むようにマッ缶を傾けた。

 

 そうこうしているうちに、24分を過ぎている。

 

「……しかたない、ギリッギリのタイミングを見計らって出ていくしか——ん?」

 

 ぴろりん。メールを受信しました。

 

 何か重要な連絡か、とケータイを開いた八幡は、この時の自分を褒めてやりたいと後に語る。

 

「何なに……?」

 

 メールの送り主は緑川。どうやら緊急の内容ではないらしいが、今の八幡にとって重要な連絡だったのは間違いない。

 

『八幡先輩この後防衛任務なんでしょ? 冬島隊の防衛任務、今日は8時までらしいからうまくいけば顔合わせなくて済むんじゃないかなぁ』

 

「……っ! キタ、これだ……!」

 

 思わず立ち上がり、急いで部屋の出口へ向かう。

 

 緑川の言う通り、冬島隊が任務中であれば理佐が八幡に干渉できる理由がない。で、あれば。

 

 あの部隊は実質的な戦闘員が1人、しかも狙撃手のみという超特殊構成。

 

 オペレーターのサポート無しではとても成り立たないチームなので、抜け出してくる事も不可能な筈。

 

 ということは、今出ていっても安全で、鍵さえかけて仕舞えば任務が終わろうと理佐は入ってこれないということ。まさに絶好のチャンスと言える。

 

 今から外に出ても大体35分前後には部隊のメンバーが揃うから、もう少し遅らせても多分間に合う。

 

 しかし、システムのセットアップは早めにやっておいて損はない。任務に支障が出る——給料が減る——事を考えれば、準備というのは優先されるべき事柄だ。

 

 そうやって自分を半ば強制的に納得させて、八幡は部屋の外に出た。

 

「——ふうっ。……さて、さっさと準備してお茶でも淹れるか」

 

 これほど晴れやかな気分はない。なんだ、一度覚悟してしまえば案外どうということはないのかもしれない。

 

 まだ時間はあるな、と八幡がキッチンに向かおうとすると、背後から声がかけられた。

 

「ああ、インスタントコーヒーを持ってきたから2人分淹れてくれる? いつも通りのでお願い」

 

 八幡のオペレーターデスクの席に座っている理佐から注文が飛ぶ。先程まで八幡が隠れていた秘密の部屋の仕組みが気になるのか、彼女はトリガーをひっくり返したりじいっと見つめたりして眺めていた。

 

「りょーかい。スプーンはつけるか?」

 

 理佐の飲み方はコーヒーにミルクだけ。彼女はコーヒーには砂糖を入れないという事を、幼馴染である八幡は知っている。

 

「いらない」

 

「重ねて了解。……………………え?」

 

 ……ところで。

 

 あの万能な部屋を使う上で、ひとつ明確な弱点、デメリットというものが現れる。

 

 八幡が時計を見て時間を確認したように、部屋の中にいては外の様子を一切確認できない事。

 

 中にいる限り、外からやってくる情報の真偽を自分で確かめる術はなく、鵜呑みにするしかない。

 

 特に、追い詰められているこの状況で、彼は1番やってはいけない事をやってしまっていた。

 

 ……八幡は緑川が本当のことを言っているのか確認せずに、部屋を開けた。

 

 八幡は、この部屋に入る前、具体的には他の人間を追い出した時に部屋の隠し場所をもっと慎重に選ぶべきだったのだ。

 

 もっとも、こうなってしまっては意味がないのかもしれないが。

 

 事態の発覚を恐れた裏切り者(緑川)の通報によって『†秘密の隠れ家†』の正体が暴露されてしまい、部屋の前で待ち構えられていた事、そもそも今日午後の冬島隊の任務は無かった事、八幡の判断力や理性が平常より大きく劣る状態だった事など、さまざまな要因が重なり合ってこの災禍を生んでしまった事に、後の八幡はこう語る。

 

『緑川、絶対許さん』——と。

 

「……え? あれ、任務中じゃ……」

 

 震えながら頑張って現状を認識しようと頭を悩ませる八幡に、理佐は視線を合わせた。

 

「緑川に偽の情報を伝えてもらったんだよ。嘘だなんて思わなかったから出てきたんだろうけど」

 

「……ああなるほど、あいつ絶対許さ……っ!? 開かねえ!?」

 

 テレポートでもしたのかというくらいびっくりな速さで部屋から逃げ出そうとする八幡だが、内側からだというのに部屋のロックを何故か解除できない。

 

「……何事も〝とりあえず〟逃げようとする気質は相変わらずか。でも無駄だよ。……任務が終わるまで、その扉が開くことはない」

 

「なんで!?」

 

「わたしが鍵をかけたからねー、比企谷くん」

 

 それまでキッチンにいたのか、キッチンの中からひょい、と雪ノ下隊の隊長、雪ノ下陽乃が顔を覗かせた。

 

「……っ、……大魔王……!」

 

「……キミが影でわたしをどんなふうに呼んでいたか今分かったけど、罰は先に与えられてるようだし、勘弁してあげる」

 

「……?」

 

 陽乃が口にした罰、という単語の意味がわからずに八幡が疑問符を浮かべる——

 

「……つまりはトリガー技術の悪用というわけ。……数学の成績は悪い癖に、どうしてこんなのは作るかな……」

 

 ……八幡にとって致命的な弱点であるものを理佐が手にしているという事を、彼自身、忘れてしまっていた。

 

「……を」

 

 忘れていた。

 

「僕のだぞッ!」

 

 理佐に飛びかかる八幡。男が女に飛びかかる(必死に)という絵面の酷さは見るに堪えないが、しかし、トリガーだけを狙った彼の行動は彼の指が彼女に触れるよりも先に止まった。

 

「……思ったより冷静だね。そんなにコレが大事なのかな」

 

 真木理佐が八幡の努力の結晶を握り込んでいる。……少しでも対応を間違えれば、たちまちに木っ端微塵になるに違いない。

 

「要求は……なんだ。金か?」

 

「いらない。今の私にそんなものが要ると思う?」

 

「お前実家暮らしだし、毎月麻雀で擦ってそう」

 

 みしり。……トリガーが悲鳴を上げた。

 

「……それは私が麻雀が弱いこととギャンブルに全てをつぎ込むようなバカである事、人でなしであることを前提にした答えだけど」

 

「……」

 

「……何か言ったらどうなの」

 

「……間違ったこと言ったか俺——ああ嘘嘘、嘘です! ほんのちょっとのジョークですって!」

 

 バキ、という破壊音を掌から響かせたところで、理佐は再び八幡に聞いた。

 

「——で、昼間に流れたあの映像は一体どんな理由で再生されたのかしら?」

 

「…………いや……」

 

「わざわざこの基地の中で再生したという事は、何か理由があった筈だけど」

 

「…………その……」

 

「今の馬鹿みたいな言い訳より言えない理由? 当てて見せようか」

 

「……………………」

 

「罰ゲームじゃないの? 身近な人間の1番恥ずかしい写真を持ってこい、とか」

 

「…………」

 

「……当たりなのか外れなのか、どっちなのかくらい言い返したら?」

 

 黙り込む八幡。呆れた様子の陽乃が項垂れる彼にそう諭すと、ゆっくりと口を開いた。

 

 

 

「…………出水達と自分が生まれてから1番大切にしててた写真と、1番誰にも見せた事のない動画は何かっていう勝負をしてて…………だな」

 

 

 

「……………………え?」

 

 一瞬、呆けた顔をする陽乃だが、八幡の言葉が意味する事を察して思わず理佐を見た。

 

 これって? これってー!? である。

 

 しかし、それに対する真木の反応は——

 

「……………………そう」

 

 あまりにも、無反応であった。むしろ冷たさすら雰囲気として漂わせている。

 

 表情は変わらない。赤くなんてならないし、顔の角度も、照れる仕草もない。

 

 当然と言えば当然。醜態とも言える有様を大勢の前で公開放映されたのだ。殴りかからないだけマシというものか。

 

 ……ただ。

 

 恋人として(・・・・・)付き合い(・・・・)始めて(・・・)10年来になる幼馴染の反応は、ただの知人とは違った。

 

 こういうのも照れ、などと言ってしまえるのだろうか。

 

「……そういう事は外で言うな。家にしろ」

 

 一見無表情に見える彼女の言葉は、彼の発言を聞いた後、ほんの少し——強かった。

 

 

 

 

 …………。

 

 

 

「一緒に住んでるの?」

 

「っ!??!?!?!!?」

 

「……やっぱお前どこかなぁ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……この頃の真木、めちゃくちゃ可愛いんすよ」

 

「おほー♪ 真木ちゃんにこんな可愛い時期があったとは……!」

 

「……何平気な顔で流してんのやめろこら! 砕くぞ!」

 

「ちょうどいいからお前も座れ。可愛いという概念が何かを再認識させてやる」

 

「離せ! やっぱもういい! 出てく——開かない!?」

 

「さっき自分で言ってただろ。慌てるとそうなるとこも直んねえな」

 

「うっはー! 真木ちゃんかっわいいいー!」

 

「……あの……姉さんも比企谷くんも、もう任務開始時間なのだけど……」



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