Dead Man Walking《完結》 (田島)
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 時刻は朝の九時。警視庁捜査一課へと出勤した氷川誠は、使っている机の椅子の背凭れへ、適当に纏めたコートを掛けた。

 PCモニターの周囲に雑然と書類が積み上げられた机が並んでいるが、人はそう多くない。既に担当事件の捜査のため外に出ている者も多い。ホワイトボードは、既に各自の今日の予定で黒々と埋まっていた。

 氷川もすぐに聞き込みの為外へと出る予定だった。一緒に行動する予定の河野の姿を探すが、見つからない。

 河野は少し早めに出勤してくる。緊急事態でなければ、まず緑茶を一杯飲んでから行動するのが彼の常だ。

 トイレへでも行っているのだろうか。そう思い辺りを見回すと、フロアの入口ドアを開いて、意外な人物が姿を見せた。

「おや、氷川さんじゃありませんか。お久しぶりです」

 相手も氷川の姿にすぐに気付き、にこりと微笑んで歩み寄ってきた。長らく海外で活動していた北條透だった。

「北條さん、お久し振りです。戻ってくるようなお話は耳にしていませんでしたが、どうしたんですか?」

「呼び戻されました。あなたと河野さんが追っている事件に、対策本部が設置されます。私も参加する事になりましてね」

「……対策、本部? 何故、今更……」

 北條は相変わらずの早口で、簡単に帰国の経緯を告げた。その内容に不審を覚え、氷川は訝しげに首を捻った。

 彼と河野は、(他の緊急を要する事件の合間に)この事件をもう二年程、二人で追い続けている。それが今更、何故捜査本部などと仰々しい事態になるのか? しかも事件を追っている氷川と河野には一言の相談もなく、だ。

 北條は氷川に歩み寄り、出来る限り顔を近づけて、声を潜めて告げた。

「事情が変わったんですよ。アンノウンが目撃されたんです。あなたの追っている事件がらみでね」

「……何ですって? なんでそれが僕と河野さんに伝わってないんですか」

「あなたと津上翔一は、アンノウンはもう人を襲わないと言った。その言葉の通りアンノウンは出現しなくなった。だが、アンノウンが再び人を襲った、だからです。これは今の所極秘事項だ」

 寝耳に水。その言葉がぴったりきた。熟睡しているところに冷水を掛けられたように、氷川ははっとして目を見開き、驚いた表情を隠せず北條を見た。

「…………人を? 何故それが……」

「これがすぐに周知されなかったのには、更に事情がある。その辺りは河野さんが来てから別室で」

 北條はあくまで冷静に、ややゆっくりと氷川に告げた。氷川が頷くと、河野がドアを開け入ってきて、北條の顔を見つけて嬉しそうに足早に駆け寄ってきた。

 

***

 

 いつも通りの事だが、客が来ない。昼食を済ませてからカウンターに戻り、既に三時間。客は一人も来ていない。

 乾巧は左肘をカウンターに突いて頬を支え、開いた右手を開いて掌を眺めた。

 本当なら、もっとずっと前に灰と化し、崩れ去っていなければいけなかった手は、皮の一つも剥けておらず、何事もなかった。

 全くいい迷惑だ、と巧は思った。彼が灰と化していないのは決して彼の意志からではない。何を考えているのかは知らないが、名前も知らない男の意図によって、彼は生き永らえさせられていた。

 店内は静かだった。真理は勤め先の美容室に出勤したし、啓太郎は配達に出ている。

 眺めていた右手で口を抑え、あくびを噛み殺して、巧はつまらなさそうに自動ドアの外を眺めた。

 ふと、横に置いていた携帯電話が揺れて震え、着信音を奏で出す。ディスプレイを開くと啓太郎からの着信だった。

「たたたたた、たっくん、オオオ、オ、オルフェノクが……」

 通話ボタンを押し電話に出れば、即座に懐かしい台詞が耳に飛び込んだ。

「落ち着け啓太郎、何処だ、すぐ行く」

「オオオ、オルフェノクが……何だか分かんない奴にやられちゃったんだよ!」

 電話を耳に当てながら巧は立ち上がり、アタッシュケースを探そうと歩き出したが、啓太郎の次の言葉に思わず足を止めた。

「……は? 何言ってんだ、お前?」

「ホントなんだってば!」

「……いい、分かった。お前は大丈夫なのか?」

「あ……、うん、大丈夫」

「とにかくそっちに行く、話はそれから聞く」

 再び歩き出してしまい込んだアタッシュケースを取り出し、バイクへと急ぎながら、啓太郎の現在位置を聞き出して電話を切る。

 啓太郎は、何だか分かんない奴、と言った。オルフェノク同士が殺しあったのではない、という事だ。

 あの時、やがて来るべき時の為に、とあの男は言った。その時の巧は何を訳の分からない事を言っているのかと問題にもしなかったが、もし今の事態が「来るべき時」という奴であるならば、巧が再び、戦わなければならない、という事なのだろう。

 草加の形見、と言えるのかもしれない。サイドバッシャーのエンジンをかけ、巧は啓太郎の元へと走り出した。

 

***

 

 ノートパソコンをテーブルに広げて、白井虎太郎は難しい顔でディスプレイを覗き込んでいた。

 注文したコーヒーはもう冷めているが、気にしている様子もなく、虎太郎はカップを持ち上げてコーヒーを一口啜った。

「……ライダーの、噂だと?」

 テーブルの向かいでは、エプロンをつけた相川始が仏頂面を見せていた。

 午後二時過ぎ、ランチタイムが終わって、ハカランダ店内には今は他に客はなかった。奥まった窓際の席で、始は話があるという虎太郎に対応していた。

「うん。剣崎君の事何か分からないかなって、ネットの噂とかずっと調べてたんだけど……読んでると、そういう噂がぽろぽろあるんだ。しかも、ブレイドとかギャレンとかレンゲルじゃない、別のライダーっぽいんだよね」

 難しい顔をして、やや首を捻り、虎太郎はもう一口、冷め切ったコーヒーを啜った。

「……とはいっても、その噂は僕が剣崎君に会う前から、ギャレンの噂と一緒にあったんだけど。もう仮面ライダーはいない筈なのに、その噂は消えないで根強く残ってるんだ」

 確かに、虎太郎の言う通り、妙な話だった。一年ほど前に、二体のジョーカーを除いた全てのアンデッドは封印され、ライダーシステムもあれからずっと起動されていない。

 誰かが仮面ライダーの都市伝説から話を創作している可能性の方が高いだろうが、本当の目撃情報である可能性も、ゼロではない。

 情報が複数あるのであれば尚更。彼らはもしかすると、ギャレンが開発されるよりも前から未知の敵と戦い、仮面ライダーと呼ばれる都市伝説となっていたのかもしれない。

「で……最近、ここ一週間位かな? どうも妙な話が増えてるんだよね」

「妙な話?」

「うん。鷲とか犬とか、何かの動物みたいな大男が、全身灰色の怪物を殺して、灰色の怪物が青い炎を上げて燃え尽きる……っていう話。アンデッドじゃない……よね」

「それは有り得ない」

 表情を動かさずに始が答え、それに虎太郎も頷いた。何かの動物にも見える大男、とは、アンデッドと思えなくもない形容だったが、二体のジョーカー以外のアンデッドは全て封印されている。『統制者』は何も動きを見せていないし、BOARDが作り出したアンデッドを解放する装置は既に廃棄されている。ラウズカードから解放されて姿を現す事は有り得なかったし、そうなれば始がアンデッドの存在を感知できない筈がない。

 大体にして、アンデッドがもし解放されたとして、彼らの興味はバトルファイトにしかない。灰色の怪物を倒して回っている、というのは不自然だ。邪魔であれば人間(や、もしかすれば灰色の怪物)を殺す事もあるだろうが、彼らの目的はあくまでバトルファイトでの勝利なのだ。

「……橘なら何か掴んでいるかもしれん。BOARDに行くぞ」

「え、ちょ、待ってよ始」

「さっさとしろ」

 手短に告げて始は席を立ち、エプロンを外した。それを見た虎太郎が慌ててノートパソコンを閉じ、ACアダプターをしまい始める。

 その間に始は、カウンターの奥で夕方の仕込みをしていた遥へと声をかけていた。

「すいません、ちょっと白井と出てきます」

「はーい、気をつけてね」

 遥の呑気な声が奥から返ってきた。荷物を纏めた虎太郎と始はそのまま外へと出て、二人は虎太郎の車へ乗り込んだ。

「でも、何か意外だなぁ。君は興味ないとか言うかと思ってた」

「……なら、なぜ俺に相談する」

「他に相談する相手が思いつかなかったんだもん、しょうがないだろ」

 虎太郎が肩を竦めてみせると、その様子を見て始は軽く笑いを漏らした。

 本当は、始には知らせなければいけないと思ったから、虎太郎はまず始に話した。彼が人間として暮らせる平和がもし脅かされようとしているのであれば、なるべく早くにそれを知らせ、対策を練らなければいけないと考えた。それは虎太郎の望みだったし、今はもう会う事のできない、虎太郎と始にとって共通の大切な友人もそれを望むだろうと思われた。

「……あいつの代わりに戦う、と言ったら驚くか」

 虎太郎がキーを挿し込みエンジンをかけると、始がぼそりと呟いた。やや驚いて虎太郎が助手席の始を見ると、始はいつも通りの仏頂面で、まっすぐにフロントガラスの向こうを見つめていた。

「ううん。驚かない、嬉しいよ」

 にこりと笑って虎太郎が返すと、始は実に面白くなさそうに息を吐き出した。



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林檎と見紛う実を口にし(1)

 サイドバッシャーを走らせて巧が現場に到着した時には、その河川敷添いの道には、西洋洗濯舗菊池の配達車以外には何もなかった。

 痕跡といえば、風が緩やかなせいか、風に攫われず、僅かにアスファルトに残った白い灰。それだけ。

 啓太郎は巧に気付くと、ドアを開け運転席から転がるように慌ただしく出て来た。

「たた……た、たっくん!」

「啓太郎……一体、何があった? お前の見た、何だか分からない奴ってのはどんな奴だったんだ?」

「鳥、白い鳥だった、でも二本足で立ってて、空飛んでた!」

 駆け寄ってきた啓太郎の肩を軽く受け止めて巧が訊ねると、啓太郎は興奮冷めやらぬ様子で、早口に捲し立てた。

「そりゃ飛ぶだろうな、鳥なら」

「違うんだよ、何か服か鎧みたいなのも着てて……何ていうか、オルフェノクの仲間みたいな奴だったけど、灰色じゃないし違うんだよ! 頭の上に天使の輪? みたいなの出てさ、そっから剣みたいな武器が出て来たんだよ!」

「……居眠り運転でもしてて、もう少しで天国でしたって夢じゃねぇのかそれは」

「違うよもう、信じてよ! 俺こんな大切な事で出鱈目なんか言わないの、たっくんだって知ってるでしょ!」

 疑わし気な視線が巧から啓太郎へと向けられる。啓太郎は心外と感じている事が手に取るように分かる程の勢いを乗せて、猛烈な抗議を巧へと向けた。

「わーった、わーったよ。怒鳴るな、耳が痛い」

 巧は敵わないとでも言いたげに、両手の人差し指で耳の穴を軽く塞いで目線をそらした。

 啓太郎は嘘は言わないだろう。それは巧にも分かる。しかしそれは同時に、啓太郎の言葉通りにオルフェノクではない怪物が存在する、という事を意味する。

 その存在がオルフェノクを灰に還したのは何故なのか。何の為に。

 オルフェノクは、数こそ少ないものの自然発生する。

 スマートブレインが解体され、オルフェノクを保護して仲間を増やすよう焚きつける構造は無くなったが、オルフェノクが使徒再生によって仲間を増やそうとするのはそもそも本能から行う行動だ。スマートブレインが無くなっても、人を襲うオルフェノクはいなくなりはしない。

 無論、巧にはオルフェノク個々の行動を察知する方法はない。スマートブレインの息のかかったオルフェノクから狙われる事がなくなり、巧がファイズのベルトを使って戦う事は、ゼロではないものの、殆どなくなった。

 ある意味、元に戻っただけだった。巧はただの西洋洗濯舗菊池の住み込みアルバイトとなり、ベルトの力を使って夢を守る者ではなくなった。それだけだった。

 本当ならばもっとずっと前に巧はいなくなっている筈だったが、その事も、命が永らえた訳も、誰にも話していない。

 ただ漫然と、日々を送ってきただけだった。そんな薄ぼんやりとした、何の為にもならず、掴み所のない時間が、何よりも大切なように思われた。

 それはともかく、啓太郎が目撃した鳥の意図が全く分からない。オルフェノクを殺す事に何の意味があるのか? 誰に何の利益があるというのだろう? 怨恨なのかそれとも、鳥には知性はなく、たまたま襲った相手がオルフェノクだっただけという可能性だってある。皆目見当もつかなかった。

「……ま、とにかく。ここにいてももう何も分からなさそうだ。帰るぞ」

「そりゃここではもう何も分からないだろうけど、たっくん気にならないの?」

「あ? 何がだ?」

「オルフェノクじゃない怪物がいるんだよ? 何とかしなくちゃ」

 その言葉に、巧はあからさまに顔を顰め、迷惑だと考えている雰囲気を丸出しにして啓太郎を見た。

 啓太郎の悪い癖が出ている。異常なまでのお節介さは、啓太郎の美点であり、厄介な点でもあった。

 そして今の所、啓太郎のお節介に巻き込まれて最も被害を被るのは、実際に怪物と戦う力を有している巧だった。

「何とかって……何をどうするんだよ。俺にとっちゃ、そんな怪物は本当に存在してるのかどうかも分かんねぇんだ、どうやって探すんだよ」

「だからホントに見たんだってば! 信じてないの!」

 再度啓太郎に心外そうに問い詰められて、巧は返す言葉に詰まった。

 啓太郎を信頼していないという事ではないのだ。ただ、啓太郎の言う怪物を実際に目にするまでは、巧は信じられないという、それだけだった。

「……どっちにしろ、探す方法はないんだ。別にお前を信じてないわけじゃない、ここでこうしてても仕方ねぇだろって言ってるんだよ。店だって空けたまんまだし」

 巧の言葉に、啓太郎は不服そうな顔を見せたものの、不承不承頷いた。ここでこうしていても何も進展しないのだけは確かだった。

 その時、ポケットに入れていた巧の携帯が震え、着信音が鳴り出した。ディスプレイを開くと、二年ぶりに見る名前が表示されていた。

「……三原?」

 巧は呟いて、通話ボタンを押し電話に出る。啓太郎も、巧の呟いた名前を聞いて驚いた顔を見せ、愛想悪く話す巧を見守っていた。

 

***

 

 低い塀に囲まれた、二階建ての平坦なその施設の門扉には、白く丸い字体で「創才児童園」と刻まれている。

 スマートブレインが保有していた児童養護施設だが、同社の解体後も閉鎖せずに運営が続けられていた。

 真理の義理の父親であり、スマートブレインの元社長でもあった花形の遺志により、彼が保有していた私有財産は全て、幾つかあるこうした施設の運営に充てる為の基金へと回されたらしい。

 ここで働く三原修司と阿部里奈は、流星塾と呼ばれる養護施設で育った真理の仲間だった。真理はよくここを訪れるようだったが、王を倒した後、巧は一度も来たことはない。あれから初めての訪問だった。

 三原の姿はすぐに見つかった。彼は生成のエプロンをつけ、前庭で、幾人かの男の子達とキャッチボールをしていた。

「三原さん!」

 門扉を潜り、巧の斜め後ろから啓太郎が呼びかけると、三原はすぐに気付いて動きを止め、男の子たちに、ちょっとごめん、と告げると二人の元へと小走りに駆け寄ってきた。

「ごめん、突然電話して、しかも来てもらっちゃって」

「構わないぜ、どうせ暇な店だ。それより、お前の話本当か」

「暇って何だよ! たっくんはうちの店の事ももうちょっとは考えて……」

「おい啓太郎、ちょっと黙ってろ。話が出来ねぇだろ」

 割って入った啓太郎と巧のやりとりを眺めてくすりと笑って、三原は、変わらないなぁ、と呟いた。

「外だと寒いし、中入って。お茶くらい出すから」

 三原の言葉に巧と啓太郎は頷いた。スリッパを借り、簡素で小さな部屋へと通される。四人用の大きさのテーブルにパイプ椅子が四脚、部屋の隅に段ボールがいくつか積み上げられている他は、何もない白い部屋だった。

 大きめの窓からは、冬の温度の低い陽光が斜めに射しこんでいる。子供達はキャッチボールを続けていて、三原の代わりに阿部里奈が加わっていた。

 程なくして三原が、トレイに茶碗と茶菓子を載せて入ってきた。お茶が各自に行き渡ると、三原は巧の向かいに腰掛け、一心不乱に熱い茶に息を吹き掛ける巧を見た。

「ねぇ三原さん、俺も今日さっき見たんだ、鳥人間」

 啓太郎の言葉に、三原は驚きを見せた。

 三原からの電話。電話口で三原は、『オルフェノクとは違う鳥の怪物に会った』と巧に話した。

 やや首を傾げて、熱い茶を一口啜ってから、三原も口を開いた。

「俺が、狙われたんだと思う多分。白い鳥みたいな、多分烏天狗みたいな感じで。剣を構えて、いきなり空から降りてきたんだ……でも、びっくりしてる俺を見てそいつ、『お前は違う、エノクの子ではない』って言って、飛んで行った」

「喋ったのか?」

 巧の質問に、三原ははっきりと、即座に頷いた。

「エノクの、子……? どういう意味だ」

「分からない。何で俺の前に現われたのかも……」

 巧も三原も、目を伏せ、考え込むようにやや俯いた。

 はっきりしたのは、白い鳥の怪物は知性を持ち、何らかの目的に沿って行動している、という事。三原は、彼の基準には完全に合致しなかったが、勘違いされる何かしらの要素を持っていた。そして、啓太郎の目の前で、オルフェノクが襲われ灰と化した。

「記号か……?」

「えっ……」

「オルフェノクの記号だ、三原。だから奴は勘違いして、改めて目の前にしてやっと、お前は違うと気付いた。何にしろ、その白い鳥野郎がオルフェノクを狙ってるのは、まず間違いがなさそうだ。啓太郎の前で、そいつはオルフェノクを殺してる」

 オルフェノクの記号。その単語を聞いて、三原ははっとして巧を見た。

「……そいつが、オルフェノクの正体を見破る力を持ってて、狙ってるっていうなら、君も狙われるんじゃ……」

 三原の言葉には返事を返さず、巧はただ、ふん、とつまらなさそうに鼻を鳴らした。

 

***

 

 何かあればすぐ連絡してほしいと、別れ際に三原は巧に告げた。

 里奈と共に平穏な暮らしを掴んだ三原を巻き込むのは本意ではなかったが、現状では、彼と協力して白い鳥の怪物を探す以外に、出来る事はなさそうだった。

 いっそ、その白い鳥がさっさと目の前に現れてくれれば話が早い。

 オルフェノクは人に仇為す存在かもしれないが、必死に殺戮の本能と戦い、人として生きようとする者もいる。巧自身もオルフェノク、いつ狙われても不思議ではない。白い鳥の怪物が何故オルフェノクを狙うのか。それを知らないうちは引っ込んでなどいられなかった。

 だが巧の思惑とは裏腹に、それから一週間程は何も起こらないまま、無為に過ぎた。

 啓太郎と巧は交替で都内を走り回り、白い鳥の怪物を探したが、その行方は杳として知れなかった。

 今日も巧はサイドバッシャーで国道を流し、気紛れに横道へと入って、白い鳥の怪物を探していた。

 相変わらず成果は上がらず、そろそろ啓太郎が配達に出る時間も近付いている。巧は裏道を通って、帰りを急いでいた。

 車の通りはない細い二車線の道だった。今は通行人もない。危機察知の本能が咄嗟に働いた、といったところか。何かを感じて巧は、横に大きくハンドルを切った。

 サイドバッシャーが通るはずだった道筋を何かボールのようなものが逆に辿り、飛沫を上げて弾け飛んだ。

 塀にぶつかるすれすれでサイドバッシャーを停止させる事に成功した巧は、向かう筈だった道の先を見た。

 そこには、巧の知らない異形が立っていた。

 話に聞いていた白い鳥ではない。だが、そいつには色があった。

 やや紫掛かった灰色の皮膚は、滑り、てらりと濡れているように見えた。剥き出しの鋭い歯、ぎょろりと大きく険しい瞳は黒目がなく濁っている。そいつの姿は、何かの魚類を連想させたが、魚ではないようにも見えた。

 何か古代のローマ人のような鎧を纏っているようにも見えるが皮膚なのかもしれない、判別がつかない。魚の尾鰭のような形をした、細かい装飾が施された金属らしき板が先端に取り付けられた、杖のようなものを手にしていた。

「何だ、お前」

 バイクから急ぎ降りながら巧が呼び掛けたが、返事はなかった。異形が杖を振るうと、その先端に、先程と同じ球のようなものが生じた。

 サイドカーから素早くアタッシュケースともう一つ、同じサイズの箱型の機械を取り出すと、巧は右へ飛び退り、アスファルトの上を転がった。立ち上がり駆け出すと、やや後ろで、水で出来ていると思しき球が次々に炸裂する。

 このままではベルトを取り出して装着のうえで変身コードを入力し、ファイズになる事はできない。そんな暇を与えてくれる相手ではなさそうだった。かといって、巧はもう二度とオルフェノクの姿はとるまいと心に決めていた。

 走りながら箱型の機械――ファイズブラスターへとコードを入力する。九、八、ニ、六、エンター。

 ほんの僅かな隙さえ出来れば、ベルトを取り出して巻くことさえ出来ればそれでいい。

 巧を眼で追いながら杖を振るう異形が仰け反った。バトルモードへと変形したサイドバッシャーが、その背中へとガトリングガンを放っていた。

「よし!」

 思わず声が漏れた。出来る限り急いで地面においたアタッシュケースを開け、ベルトを取り出して腰に巻く。ファイズフォンへと、変身コードを入力する。

『Standing By――』

「変身!」

『Complete』

 畳んだ携帯電話をベルトにセットすると、システムが起動、フォトンストリームが体表を覆い、転送されたスーツが形成される。

 ファイズは異形へと駆けながら、感触を確かめるように右の手首を二三度振った。

「らあっ!」

 駆け込んだ勢いを生かし、異形の背面、脇腹へと右のストレートを放つが、全く手応えがなかった。

 ゆっくりと、異形が振り返る。つまらないものを見るかのように。

「……何?」

 ファイズが見上げるが、異形の濁った瞳に感情が浮かんでいる筈もない。異形はそのまま、杖を持たない右の腕を振るった。

「うわあああぁぁっ!」

 見えない何かの力が、ファイズを吹き飛ばした。大きく後ろへと飛ばされて、アスファルトへ叩きつけられ暫く転がった後に、身体はようやく静止した。

 身体中が痺れている、痛みがまだない。思うように動かない上半身を起こすと、異形はゆったりとファイズへと歩み寄ってきていた。サイドバッシャーの攻撃は、何かの見えない壁に防がれ、異形へは届いていなかった。

 立ち上がれない、このままでは間違いなく殺される。何とか体を捻り転がるが、そんな事で逃げ切れる筈もない。異形の動きがゆっくりとしているにも関わらず、距離はずんずんと縮まっていた。

「く……そっ」

 悔し紛れの声を漏らして覚悟を決めた時だった。エンジン音が遠くから響いてきた。

 異形もその音に気を取られ、脚を止めた。

「アギト……!」

 異形は口をやや開き、言葉を発していた。目の前のこいつが白い鳥の仲間であれば、三原から白い鳥が言葉を発した事は聞いている。別段驚くにはあたらないのかもしれない。だが、今まで無言だったものがいきなり声を発すれば、やはり多少の驚きは湧き上がる。

 やがて、エンジン音はすぐ側まで近づいて止まった。バイクから降りてきた青年は、ヘルメットを外し、異形をまっすぐに睨みつけた。

「何で……何でお前が生きてるんだ!」

 異形へと向けられた青年の叫びは、必死でもあったし悲痛でもあった。もう二度と見たくなかったものを見るような忌まわしそうな顔をして、青年は異形をまっすぐに見据えていた。

「アギト……何をしに来た。お前には用はない、邪魔をするのであれば殺す」

「何でこの人を狙う! お前達はもう、アギトを殺さないんじゃなかったのか!」

「その者はアギトではない」

「……え?」

 じゃあ何で、と、消え入りそうな声で青年は呟いた。状況を眺めている巧には二人の会話は意味が分からなかったが、当の青年も状況がうまく飲み込めないらしい。

 異形が再び杖を持った左腕を動かそうとした。青年は身構えるが、動作ははっきりとしない。躊躇いがあるように思われた。

「待て、その者を殺してはならない」

 突如、頭の上から声が響いた。ようやく身体が動くようになってきた。見上げれば、白い鳥のような――三原が話した通り、白い烏天狗のようにも見える異形が、宙に浮かんでいた。

「どういう事だ」

「まだ気付かぬか、よく見よ」

 白い鳥に言われ、魚類は改めてファイズを見据えた。しばらくじっとそうしていたかと思うと、ぷいと上に向き直る。

「……成程、分かった。なればアギトも勘違いを起こしたという訳か。アギトよ、その者は殺さぬ。だが次我々を阻めば、今度こそお前を殺す」

 言葉の末尾は風に溶けるように消えていった。魚類も白い鳥も掻き消え、いつの間にか横転してもがくサイドバッシャーの駆動音だけが、空気を震わせていた。

「……ちっ」

 舌打ちをして巧はファイズフォンをベルトから外し、変身を解除した。体を起こし立ち上がって、自分を見つめる青年に視線を返す。

「大丈夫ですか? 怪我とかないですか?」

 鮮やかなオレンジ色のダウンジャケットを羽織った、よく日焼けした丸い顔をした青年は、心底心配そうな顔をして聞いてきた。

「何て事ぁない。何だか知らないが助かった、礼を言っとく」

「いやあ、それほどでも。何もしてないですけど」

 照れくさそうに青年が笑った。やや調子を狂わされ、巧は少しだけ眉を寄せた。

「お前、あいつらの事知ってるのか」

「ええ……倒した筈なのに何で、何でまた、しかも関係の無い人を襲って……」

 巧の質問に、青年は顔を曇らせて、やや俯いた。ころころと表情が変わる。

 だが巧は、今度は青年の態度ではなく答えた内容に、調子を狂わされた。

「……倒した? お前が?」

「ええ。俺一人でじゃないですけど」

「……お前、何者だ? アギト、とか呼ばれてたが」

 胡散臭そうな巧の視線を意に介した様子もなく、問われて青年はにっこりと笑い、口を開いた。

「俺は、えっと……津上翔一、って名乗ってます。そして、アギトです」

 アギトです、と名乗られたところで、巧にそれが何なのか分かる筈がない。訝しげに津上翔一を見るが、翔一は動じた様子もなく、愛想のいい笑いを崩さなかった。



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光が見えても振り返ってはならない(1)

 未確認生命体捜査本部の看板が、何年かぶりに会議室ドアの横に掲げられている。

 氷川は以前の対策本部を見た事はない。隣の河野が、何だか懐かしいなぁ、と素直な感想を述べた。

 氷川と河野は、アンノウン事件での捜査の実績から、現在は警視庁刑事部捜査一課・特殊犯捜査第四係に配属されている。

 まさにアンノウン事件のような、どのカテゴリーにも当てはまらない異常事件の捜査を担当する部署だった。

 そこで氷川と河野は、ある連続失踪事件を追いかけていた。

 行方不明事件など珍しくはない。統計上の数字だけでも、日本の行方不明者は年間十万人を超える。実際はその倍、数倍の人数が行方不明になっていると推測される。

 氷川と河野がこの事件を追いかけ始めた切っ掛けは、ある失踪事件だった。とある資産家の息子とその恋人が失踪した。

 犯人と目された青年は資産家の息子とは従兄弟、その恋人とも以前付き合っていたが、交通事故により数年間植物状態にあって、目覚めたばかりだった。痴情の縺れから青年と資産家の息子、その恋人がそれぞれに言い争っている場面を目撃されていたため、事件性があると思われたが、三人とも完全に失踪し、痕跡を探し出す事が出来なかった。

 死の淵から蘇った青年が二人とどんな関係にあったのか、彼もまた何かの事件に巻き込まれて失踪しただけなのか。下世話な想像は簡単に出来たが、三人の足取りは完全に途絶え、追えなくなってしまった。

 そして奇妙な事に、二人が最後に目撃された付近の現場に、白い灰が僅かに残されていた。

 それだけなら、それで終わっていただろう。だが氷川はある日、都内の失踪事件のファイルを調べて、ある事に気付いた。

 『死の淵から生還した者』が行方不明になり、その際に周囲の確執のあった者も同時に行方不明になっている。そんな事件が、いくつかある事を。

 まるで存在そのものが消えてしまったように、彼らの足取りは一切辿れない。

 加えて、奇妙な目撃情報があった。失踪者が最後に目撃された付近で、灰色の怪物が触手を伸ばし人間の胸を貫くと、その人間が灰になり崩れ落ちた、という荒唐無稽な証言だった。それが、時折、申し合わせたように、『死の淵から生還した者』が失踪する事件の目撃情報として報告される。

 元を辿れば、氷川と河野が失踪事件を担当したのも、その現場付近で『灰色の怪物』が目撃されたからだ。

 アンノウンの不可能犯罪も信じ難い現象だったが、こちらも負けていない。灰色の怪物の実在はどうあれ、氷川と河野には、これはただの失踪ではないという確信が生まれた。誰も見向きもしない事件を、二人は二年間地道に追い続けていた。

 アンノウンが事件に関係している、と北條に言われた時、氷川が思い浮かべたのは、アンノウンがこれら被害者達を拉致、あるいは死体を残さない何らかの方法で殺害している、という可能性だった。だが、北條が話した事実は、それとは全く異なっていた。

 会議室に入ると、既に席は八割方埋まっていた。未確認生命体やアンノウンの脅威を、警視庁はよく知っている。アンノウンが関係しているとあれば、対応は素早かった。

 程なく、正面、大きなホワイトボードの前に北條透が現れた。順調にキャリアを重ねていた彼の現在の階級は警視、今回の捜査本部でも実質的な現場指揮を任される事となっていた。

 暫くは出席状況の確認など行っていたが、やがて北條は教壇のように据えられた机の前に立つと、室内を見回して徐ろに口を開いた。

「それでは、まず今回の事件の概要から簡単に確認を行いたいと思います。今回の被害者は、上塚隆、二十六歳無職、住所不定と推測されます。遺体が残っていないため特定不能ですが、目撃情報からほぼ間違いないと思われます。上塚は、半年前に職場の工場で作業中にフォークリフトに押し潰され、一時は死亡が確認されましたが、奇跡的に回復。直後に入院先の病院から失踪し、家族から捜索願が出されていました。彼と同時に、仲の悪かった元同僚も失踪し、氷川・河野両刑事がその足取りを追っていました」

 淡々とした声で、北條が事件の概要について説明を進めていく。

 上塚は、一週間ほど前、北区赤羽で知人に目撃された。彼が行方不明になっていた事を知っていた知人は、声をかけようと、車道を挟んで歩いていく彼を追おうとした。

 追っている途中で、上塚は脇道へと入っていった。知人が小走りに追いかけ、追いついた時には、白い鳥のような姿をした大男が宙に浮かび、ゲームか漫画にでも出てきそうな弓矢を持ち、番えた矢を放って上塚の胸を貫いていた。

 ここまでであれば、数年前のアンノウン事件との類似性だけで話は済んでいたのかもしれない。だがさらにそこから、驚くべき事が起こった。

 上塚の身体が蒼い炎に包まれて炎上し、さらさらと、白い灰になって崩れてしまった、というのだ。

 その現象に関しては、氷川と河野は、先日北條からある新しい事実を説明されていた。

 オルフェノク、という存在がある。

 死者が蘇り、人を超えた力を得る。ごく僅かな確率で、オルフェノクの力に目覚める死者があるのだという。

 警視庁上層部はこの事実を知りながら秘匿し、南という幹部が極秘裏に捕獲したオルフェノクを使い(それがまだ、人体、と呼べるのであれば)人体実験をも行っていた。

 そこには、将来増えるであろうアギトの脅威に備えるという意味合いもあったようだった。腹立たしい、と氷川は感じた。

 死に際して蒼い炎をあげ、燃え尽きて灰と化す。その死に様は、オルフェノク特有のものだった。上塚は死に際して、オルフェノクへと覚醒を遂げていたのだった。それが、傍から見れば、死の淵からの生還に見える。

 何にせよ、アンノウンが再び人を襲った事に変わりはない。ここ数日相次いで目撃情報が寄せられる。そして、襲われた者は蒼い炎を上げ灰と化す。

 特徴を聞けば、氷川が津上翔一並びに葦原涼と協同して倒した、特に強い力を持った三体のアンノウンのようだった。

 あの黒い服を着た青年――アギトによって倒された、アンノウンの首魁と目される男――が、どこかで生きていて、復活させたのかもしれない。

 そして、復活したアンノウンは嘗て覚醒前のアギトを狩ったように、今度はオルフェノクを狩っている。

 その数は、分かっているだけでも両手の指では足りない。オルフェノクが死後に灰となって痕跡を残さない事を考えれば、被害はもっとずっと多いのかもしれなかった。

「アンノウン、そして、新たに明るみとなったオルフェノクという脅威。それに立ち向かう為に我々は、有事に備え鍛錬を重ねてきた未確認生命体対策班を中心として、原因の究明にあたるべきであると考えています」

 氷川の座る前方右側、窓際の席には、口髭を蓄えた尾室の姿もあった。G5を擁した未確認生命体対策班は、穀潰しと揶揄されながらも鍛錬を怠らず、一年前の怪生物大量発生に際しても、都民の防衛において一定の成果を上げていた。

 捜査本部の大まかな方針は、人海戦術によりアンノウン出現を素早く察知、可能であれば彼らの本拠を突き止め、G5を中心とした未確認生命体対策班がそれを殲滅する、というものだった。

「そうだ。一つ、大事な事を言い忘れていました」

 説明を終え正面から退こうとしてふと足を止め、彼らしいもって回った口調で、付け足すように北條が口を開いた。

「今回最も優先すべきはアンノウンの撃退です。アンノウンに狙われた者を無理に保護する必要はありません、アンノウンへの対処を最優先として下さい」

「待ってください」

 ほぼ反射的に立ち上がり、氷川は口を挟んでいた。北條は面白くなさそうに眉を顰めたが、どうぞ、とでも言いたげに氷川に目線を向けた。

「被害者を保護しなくてもいいとはどのような意味ですか。我々の使命は……」

「氷川さん、あなたには説明した筈ですがね。今回アンノウンに狙われている者はオルフェノクです。オルフェノクは仲間を増やそうとする本能を持っている。仲間を増やす方法は、自分の触手を人間の心臓に突き刺す事。オルフェノクになる者もいるが、多くは灰になり死んでしまう。どちらにしろ人間としての命は終わる。オルフェノクだとて、人間にとって脅威であるという点ではアンノウンと同じ、いや、それ以上かもしれない。今回こうして捜査本部が設置されたのは、アンノウンが襲っているのがオルフェノクだけである、という確たる証拠がない、一般市民が犠牲になっている可能性、巻き込まれて命を落とす可能性がゼロではないからです」

「それなら、何の罪もない人が襲われている可能性がゼロではないなら、尚更守るべきではありませんか!」

「逆に質問したいのですが、氷川さん。アンノウンと常に第一線で戦い続けたあなたは、彼らが狙った獲物以外の者を間違えて殺すと思いますか?」

 北條の質問に、氷川は返す言葉に詰まり黙りこくった。

 よく分かっている。アンノウンは、どのような力を用いてか、傍目には区別のつかない「アギトになる可能性のある者」だけを次々と殺害した。それ以外の人間には、邪魔をしない限り危害を加えない。

 氷川は、邪魔をしたにも関わらず、アギトではないというそれだけの理由で見逃された事もある。よく知っていた。

 だがそれでも、氷川にとって、北條の言い様は簡単には受け入れかねるものだった。

「勿論、オルフェノクも本性を現さなければ人間にしか見えない。警察が市民を見殺しにしている、と思われるのも困りますから、保護はしていただきたい。だが、それはアンノウン撃退には決して優先しない、そういう事です。氷川警部補、これは命令だ。従えないというなら、あなたには捜査から外れてもらう」

 早口で一気に、北條は氷川を真っ直ぐに睨み付けて、強く言い切った。

 氷川は険しく眉を上げ、北條を睨み返してはいたものの、それ以上は口を開かず、無言のまま椅子に腰を下ろした。

 

***

 

 会議は散会し、捜査員達はそれぞれの持ち場へと向かう為、思い思いに席を立ち会議室を後にしていた。

 氷川はやや落ち込んだ様子を隠し切れず、考え込むような沈んだ視線を斜め下に向けて、河野の後に従って会議室を出た。

「あんまり気にしすぎるなよ。北條だって、絶対助けるなとか殺せとか言っちゃいない、あいつにしちゃ随分穏便な物言いだったじゃないか。なら俺もお前も、その場で最善の方策をとるだけさ」

 河野が歩きながら振り返り、軽い調子で氷川に告げた。氷川は笑顔を作り、軽く頷いてみせた。

 確かに、以前の北條ならば、オルフェノクも倒すべしと言い出しても不思議はない。彼にしては穏便だった。

 氷川自身も、オルフェノクがどのような存在なのかを、アンノウンを知る様には実感していない。北條の言う通りに、アンノウンと同様に、もしくはそれ以上に危険な存在を、救おうとするのは間違っているのかもしれない。

 だがそれでも。目の前で誰かが襲われていて、その人を無理に助けなくてもいいのだと、氷川にはそんな考え方を持つ事は出来そうになかった。

「とりあえず俺達はアンノウンを探索しつつ、現状の捜査続行だ。あいつ、何て言ったかな?」

「海堂直也。二年前から、度々灰色の怪物と共に目撃されている人物です」

「そうそう。そいつも、二年前から失踪してたんだろ? まさかひょっこり目撃情報があるとは……狙ったようなタイミングだな」

 河野の言葉に、氷川は再度頷いた。確かに、何かしら仕組まれているかのようなタイミングだった。

 昨日の事になる。ぷっつりと途切れていた海堂直也の目撃情報が、彼の知り合いから氷川へと寄せられた。以前氷川が聞き込みに向かい、何かあれば教えてくれるようにと頼んでいた。海堂と接触する事は出来なかったそうだが、付近にまだ滞在している可能性はあった。

 オルフェノクと共に目撃されてまだ生きているという事は、海堂直也自身もオルフェノクである可能性が考えられる。彼を追う事は、アンノウンを追う事に繋がる。

 何故突然アンノウンがオルフェノクを狙うようになったのか。結局は、アンノウンに聞いてみない事には分からないが、彼らには確実に何らかの意図がある。

 意図さえ分かれば止める方策を考える事も出来る。それこそが採るべき捜査方針だと、氷川は考えていた。

 

***

 

「何だっつうんだよ! 俺様が何をした!」

 話題の人、海堂直也は、息が切れても脚を止める事も叶わず、全速力で走り逃げていた。

 彼の後ろを恐ろしいスピードで追いかけてきているのは、金属のようにも見える、岩のように硬そうな黄金色の皮膚を持った、怪物だった。

 オルフェノクでない事だけは確かだった。

 東京を離れていた海堂が戻ってきたのは、偶然以外の何物でもなかった。ただ何となく、久しぶりに戻るかと、そんな気分になっただけだった。

 あちこちぶらついてみたものの、知っている人間の前に顔を出す気にもなれず、そろそろまたどこか別の場所へ行こうかと考えていた矢先にこれだ。

 王が倒されてから後、海堂はそれなりに善良に生きてきた。着の身着のまま、本能に負けて仲間を増やす事もなく、時にはバス停へ向かうお婆ちゃんがいれば断られたにも関わらず荷物ごと抱えて運び、泥道で嵌る車があれば後ろから押し、その日暮らしの旅を続けてきただけなのだ。

 いつ死んでも仕方がないとは思っていた。海堂は使徒再生によってオルフェノクとなった。木場や乾巧のようなオリジナルと比較すればオルフェノクとしての力は強くなく、従って寿命もそう長くはないに違いない。

 いつ死んでも仕方ないとは思ってはいた、確かにそうだ。だが、殺されるのを納得すると思った覚えはなかった。

「くっそー、何だか分からんうちに死んでたまるか! 誰か俺を助けろ、いや、助けてくれーっ!」

 ありったけの声を振り絞って叫んでみるが、それで助けが現れる筈もない。

 すれ違う人や車はあるが、海堂は本気で走っているので普通の人間に捕捉できるスピードではない。目では追えるだろうが走っても追いつけないだろう。

 もし助けようとしても、そもそも誰も海堂を助けられないのだ。

「俺様って不幸、可哀想っ! おいお前っ、お前俺に何か恨みでもあんのか! 時代はラブアンドピースなんだよ、その力を愛と世界平和のために生かせっ!」

 もう何度目だろうか、後ろの謎の生命体に雑言を浴びせるが、反応は全くない。

 如何に人間を超えているとはいえ、海堂の体力もそろそろ限界に近付いてきている。膝が笑い始めてきたし、息継ぎがうまくできず頭もぼうっとしてきた。

 ぼうっとした頭で尚も力を振り絞り走り続けると、前方からバイクが走ってくるのが見えた。海堂の後ろのものを見れば普通は大きく避ける筈だったが、そのバイクは前が見えていないのか、いや寧ろ見えていて気でも狂ったのか、あろうことか海堂が走る歩道へと乗り上げてきて、スピードを緩めずに、真っ直ぐに突っ込んできた。

「おまっ! 避けっ! 避けろ馬鹿っ!」

「お前が避けろ! 邪魔だっ!」

 バイクは止まる気配がない。もはや猶予はない、このまま走れば間違いなく衝突する。やむなく海堂は軽く踏み切ると、向かって右手、ビルの壁目がけて飛んだ。

 勿論衝突して、肩と頭を強かに打つ。痛みを堪えて振り返ると、バイクは前輪を上げて、怪人を跳ね飛ばそうとしていた。

 が、それは叶わない。急停止した怪人と、何かに隔てられたように、まるで何かにぶつかりでもしたかのように、バイクは勢い良く後ろへ弾き飛ばされた。

 横転したバイクが歩道を転がり、乗っていた男が背中からアスファルトに叩きつけられる。

 首から落ちなかっただけ幸運か、バイクの男が指先をぴくりと動かす。そして、彼の無謀さのお陰で海堂はとうとう進退極まった。

 こうなれば仕方がない、出来る限りの悪あがきをするしかない。そう決意を固めて怪人へと向き直る。

「何で、貴様が……生きている!」

 今しがた海堂が目線を外した方向から、呻くような掠れた声が届いた。振り向けば、バイクから振り落とされた青年が立ち上がり、ヘルメットを外して、脇へと放り投げていた。立てた金髪に、ワイン色のレザーのライダースジャケット。海堂とは別の方向でハードなセンスの持ち主のようだった。

「ギルス、お前に用はない」

 そして、今度は怪人が言葉を発した。更に驚いて海堂は怪人へと向き直った。

「なっ、何だおめえ、喋れる癖に俺様はシカトかよ! っかー、気に食わないやっちゃな! 何様のつもりだ!」

 憤慨して怪人を指さし、憤然と言い放つが、相変わらず怪人は海堂には無反応だった。

「お前ちょっと黙ってろ、話が進まない。というか、折角助けてやったんだから逃げろ」

「あ? 何だとコラ。おめえもおめえだ、いきなり無茶苦茶に突っ込んできやがって、轢き殺す気か! こいつは何だ、お前のダチか! 知り合いか!」

「ふざけるな。こいつは敵だ」

 海堂はへたり込んでいたので、青年からまさに上から目線でものを言われる。海堂の文句に大した反応も見せずに、青年は怪人へと鋭い視線を向けた。

「今は、私はお前の敵ではない。其奴等こそ人間の敵」

「こいつが? どこがだ。ただの間抜けな顔をした人間だろう」

「おい! 何だその間抜けな面ってのは! 俺様に向かって失礼だろうが!」

 海堂は必死に抗議するが、青年と怪人は対峙したまま全く海堂を顧みなかった。海堂は何故か、当の本人、一番の中心人物である筈なのに妙な疎外感に苛まれた。

 続く睨み合いに割り込むように、遠くから胸を騒がせる耳障りな高い音が断続的に響き、近づいてくる。

 特に嫌な思い出はないが、生理的な嫌悪感を催させられる音だった。パトカーのサイレンが、幾重かに重なって響き距離を詰めてくる。

 当然といえば当然だった。海堂は怪人に追い続けられて相当な距離を走って、その間に幾人もの人や車と擦れ違った。通報されない方がおかしい。

 やがて車が数台止まり、その中の一台、黒いセダンの助手席から降りてきた背の高い男は、目の前の光景に驚愕したのか、海堂と青年と怪人の間で、何度か視線を泳がせた。

「葦原さん……、これは、一体」

「氷川!」

 呼びかけられた青年が応えると、怪人は、音も立てずに後退り、追いかけてきたのと同様のスピードで走り去っていった。

「あっ、コノヤロ、逃げるのかっ! 卑怯モンっ!」

 へたり込んでいた海堂が勢いを取り戻して立ち上がると、葦原と呼ばれたバイクの男が、海堂の前へと立った。

「やめておけ。殺されるぞ」

「うるへー、俺様はあんなバケモンに狙われる覚えはない! どういう訳なのか、はっきりさせちゃる!」

「理由なら、もうある程度はっきりしていますよ」

 葦原の後ろには、先程氷川と呼ばれた背の高い男が立っていた。警察というやつは、それが警察というだけで既に気に食わない。胡散臭そうな目線を向けるが、氷川という男はどこか切なそうな眼をして、海堂を見ていた。まるで、目を背けたいものを、欲求に逆らって必死に見つめているような必死さがあった。それも海堂は気に食わない。

「あなたが、海堂直也さん?」

「だったら何だっちゅうんじゃ」

「先程の怪人は、オルフェノクを狙っているんです。あなたもオルフェノク、そうですね」

「……は?」

 海堂の喉からは、間抜けな上ずった声が漏れていた。正体も見せていないのにそんな事を他人から指摘されるとは、考えてもいなかった。

 迷惑、厄介、気に食わない、理不尽。様々なネガティブな感情が海堂の胸を巡ったが、残念な事に、彼は既に十人近くの警官に包囲された状況に陥っていた。



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林檎と見紛う実を口にし(2)

 助手席に陣取った始は、携帯電話を取り出してボタンを操作し、電話帳を開いた。

 始自身は特に必要性を感じなかったが、虎太郎に、来訪前には必ず事前に約束をしておく、俗にいうアポをとる必要がある事を熱弁された。虎太郎の話は論理的というよりは情緒的で、始にとって、あまり興味の沸き起こらない内容だった。

 聞き続けるのも面倒に感じたので素直に従う事にし、始は開いた電話帳から橘を選び発信した。

 しばらく呼び出し音が鳴った後に、唐突に繋がる。

「はい、橘だ」

「相川始だ。今日これから会えるか。話したい事がある」

 名前と用件を告げると、電話の向こうの橘は驚いたのか、息を呑んだようなはっきりしない音が漏れてきた。

「……丁度、俺もお前に連絡しようと思っていたところだ」

「……お前が俺に? 何故?」

「まず、お前の用件から聞こう」

 橘に促され、始は先程虎太郎とハカランダで話した内容を告げた。

 始としても橘が何か知っているかどうかについては懐疑的だったが、彼が恐らく、そのような情報を一番得やすい立場にいる。

 橘は相槌もろくに打たず始の話を黙って聞いていたが、話が終わると、やや長めに息を吐いてから口を開いた。

「……心当たりがないこともない。こちらに来てくれないか? お前に渡したい物もある」

「既にそちらに向っている。あと二十分程で到着する」

「分かった、待っている」

 電話を切ると、信号は赤だった。携帯電話は畳み、ポケットへとしまい込む。

 なぜ橘が始に連絡をつけようとしていたのか。渡したい物とは何か。

 まるで見当がつかなかったが、橘はこちらの話にも心当たりがある風だった。何か知っていて、その絡みで始に用があるのかもしれない。

「橘さん、何だって?」

 電話が終わったのを見計らい、虎太郎が始にちらと目線を向けて、首尾を訊ねてきた。始もちらりと虎太郎に目線を向けたが、すぐ前に向き直った。

「心当たりがあるそうだ。何か渡したいものもあるらしい」

「渡したい物……? 何だろ」

「さあな」

 虎太郎の質問に短く答えると、信号が青に変わった。始にも虎太郎にも橘の思惑を知る材料はない。程なくBOARDに到着すれば、焦らなくてもそこで橘の意図は分かる。

 剣崎が姿を消した後、橘は烏丸と共にBOARDを再建した。

 烏丸は不死の秘密を解明する夢を捨てていなかったし、橘には剣崎を人間に戻す方法を探し出すという新たな目標が出来ていた。

 今向かっている施設は、一ヶ月ほど前に完成したばかりの、新しい研究所だった。始は以前のBOARDを知らないが、前ほどは大きくないと橘が苦笑していた。

 橘は時折ハカランダへとやって来る。元々口数の多くない彼は、何をする訳でもなく、黙ってコーヒーを飲んで帰っていく。

 ここのコーヒーが気に入っただけだ、と言っていた。それも理由としては確かにあるのだろう。

 広瀬栞ももう白井家の居候をやめ、BOARDへと復職して、部屋を借り引越していた。

 睦月と山中望美は、デートでたまにハカランダへとやって来る。

 日々は、始が想像した事もない穏やかさで流れていた。ただ、いるべき人が一人だけ足りない。そんなひっかかりを中に埋めたままで。

 

***

 

 BOARDに到着した始と虎太郎は、ロビーの奥にある小さな部屋へと通された。ソファに並んで座り待つと、じきにスーツ姿の橘が現れた。

 眼鏡をかけ、戦士だった過去が連想できない程、研究者然とした雰囲気を纏っている。

「待たせて済まない」

 短く言い、橘は始と虎太郎の向かいへと腰掛けた。

「早速だが、仮面ライダーの都市伝説の出所がBOARDのライダー以外にあるのでは、という件だが。結論から言うと、俺達の他にもいる。仮面ライダー、という呼称は使っていないがな」

 橘のいやにはっきりした答えに、虎太郎は、やっぱり、と呟きを漏らして食い入るように橘を見つめ、次の言葉を待った。

「俺もつい最近知ったことだが、俺達のライダーシステムも、そのライダーが使うシステムを参考にして作られた部分がある。そしてそのシステムの所持者は、アンデッドとは違う敵と戦っていた」

「……お前はそれを、どうやって知った?」

「つい先日、政府筋から遺伝子解析の依頼が舞い込んだ。極秘という事で俺が担当しているが、それが、俺達以外のライダーが戦っていた、オルフェノクと呼ばれる存在の物だった。人間に似ているが決定的に違う。所長を問い詰めて聞き出した」

 それは、BOARDにとって断りきれない依頼だった。

 天王寺。BOARDの元理事長にして、莫大な資金力を誇り、日本の闇の帝王とまで呼ばれ、政財界に多大な影響力を持っていたその男は、野望が潰えギラファアンデッドに殺害された。しかし、生前の彼の行動が明るみに出れば、今は関係がないとはいえ、BOARDも無傷ではいられない。

 依頼者達は、BOARDがアンデッドという超常生命体の研究を行い、スマートブレインとも技術提携があった事実を知っている。それを買っての依頼だった。

 研究者上がりで政治力に長けているとは言い難い烏丸に、断る術はなかった。

「死んだ筈の人間が蘇り、人を超えた力を得る。だが人間の肉体はその大きな力に耐えきれない。やがて肉体は灰になり崩れ、命燃え尽きる時には蒼い炎が身体を燃やし尽くし、完全に灰となって消え去る。それがオルフェノクだ」

 橘の説明に、虎太郎と始は目線を合わせた。蒼い炎を上げて燃え尽きる。ネット上の書き込みと一致する表現だった。

「そして、仮面ライダーの都市伝説の元となっているのは恐らく、オルフェノクと戦っていた、スマートブレイン製のベルトの持ち主だ。これについては悪いが俺も詳しくは知らん」

「烏丸はそんなものの存在までお前に教えたのか?」

「いや。だが、天王寺の研究所から持ち出したファイルの中に、技術提携の記録が残っていたんだ」

 始の疑問への答えは明快だった。基本的な仕組みや設計思想は違うものの、両者はいずれも人外の存在と戦うためのツール。色々と黒い噂の絶えなかったスマートブレインと、負けじと後ろ暗いであろう天王寺ならば、利害さえ一致するのならば、手を組んでいたというのも有り得るかもしれない。

 恐らくスマートブレインにとってアンデッドは手に余る存在だったし、天王寺にとっては、スマートブレインの非常に高い技術力の恩恵に与れるのは悪い話ではない。

「じゃあ、今襲われてるのがそのオルフェノクって奴らだとして、奴らを襲ってる怪物は何なのさ」

「知るか。以前、不可能犯罪とかいう連続殺人で世間を騒がせたアンノウンとかいう奴らに似ていて、警視庁でも対策本部が作られるらしいが、それ以上はまだ何も分からない」

 アンノウン、という存在は、始は聞き覚えが無いものだった。やや怪訝そうに眉を寄せると、橘は懐に手を入れ、スーツの内ポケットから何かを取り出した。

 テーブルの上に置かれたのは、トランプほどの大きさの、薄いカードケースだった。

「始、お前のラウズカードだ。返しておく」

 渡したい物、とは、これのようだった。

 始は不機嫌さを隠そうとせず、眼差しを険しくして橘を睨み付けた。

「……どういうつもりだ?」

「念の為だ。何があっても、お前に二度とジョーカーの姿になって欲しくないからな。それならまだ、カリスの方が良いだろう」

「俺に何をさせたい?」

「使わないならそれでいい、それはお前がそのまま持っていろ。だが、何があるか分からん。お前は、人間の為でなくても、ハカランダを守る為でいい、何かあれば戦え」

 橘は、低い声で訥々と、始に告げた。

 あいつの代わりに戦おう。そうは考えていたものの、まさかラウズカードを返されるとは考えていなかった。始は戸惑って、無言で橘を見た。

「ギャレンバックルはもう使う事もないだろうと思って一年前のままだ。完全に壊れていて、直すにも少し時間がかかる。睦月はもう巻き込みたくない。だから、お前が天音ちゃんと遥さんを守ってやれ。あいつもそう望む筈だから、所長とも相談して、お前に返す事にした」

「……分かった」

 低く呟くと、始はのろりと腕を伸ばして、テーブルに置かれたカードケースを手に取った。

「俺が知っている事はこれで全部だ。また新しい事が分かれば知らせる、お前たちも何か分かったら教えてくれ」

「うん、分かったよ。橘さん気を付けて」

「……白井、もう遅いかもしれんが、お前こそあまり首を突っ込みすぎるな」

「もう遅いよ。まああんまり危ない事はしないようにするから安心して」

 心配ないと言いたげに、にこりと笑った虎太郎の顔を眺めて、橘は苦笑を頬に浮かべた。

「お前が直接何か関係している訳でもない、もしかしたら何も無いかもしれないし、今すぐどうこうという事はないだろうが……警戒してくれ」

「分かっている。お前こそ何かあったら遠慮なく知らせろ。俺が戦う」

「……何? 何を言っている、始」

「お前たちに死なれたら寝覚めが悪いからな。それに、あいつにもう一度会った時に、怒られるネタを増やしたくもない」

 始がにやりと笑ってみせると、橘は困惑した顔のまま、軽く頷いた。言葉は何もなかった。

 

***

 

 それから暫くは、特に何事もなく日々が過ぎた。

 不穏な気配も、『アンデッドでも人間でもない』存在も、感じられなかった。

 決して警戒を怠っていたわけではないが、そもそもオルフェノクという存在は始とは何の繋がりもない。何も起きないのも道理かもしれなかった。

 オルフェノクの遺伝子を解析したというBOARDの方が、まだ何か起きる可能性は高いように思われた。

 何も起こらないのならば、ない方がいい。このままただ穏やかなまま、時が過ぎてゆけばいい。

 小春日和だった。冬でも咲く花を天音と始は二人で探して、クリスマスローズの鉢植えを三個、新たに増やしていた。若緑の花弁の縁が愛らしい紅色に染まった蕾が、ふっくらと膨らみを増してきた。

 花がこうして育ち、開くのを見守る。花が咲けば、天音は嬉しそうに顔を綻ばせる。綺麗だねと、花開くように明るく笑う。

 そんな風に穏やかに流れる時間をこそ、始は無くしたくないと思った。

 虎太郎は毎日、情報収集のためにあちこちを走り回っている。

 橘が話していた通り、警視庁では未確認生命体捜査本部が設置された。そして、アンノウンの目撃情報は引きも切らない。ネットでの報告も増える一方。

 何度かG5部隊も出動していたが、成果は未だあがっていないようだった。

 その日も、始はいつも通りにバイクで買い物に出て、帰り道を急いでいた。

 細い一本道の両脇は空地になっている。手入れをされる事もなく、白茶けた枯れ草が一面に野原を覆っていた。その向こうに見えるのは、黒い山とビル。

 通り慣れた道を、始は別段愛しても憎んでもいない。アンデッドにとって他者とは戦うべき存在でしかなく、同族の存在しないジョーカーは、この世で最も孤独な存在であるべきだった。あらゆるものを簡単に愛したり憎んだりできる人間というものが、正直始にはまだよく分かっていない。

 だがそれでも、見慣れた道だ。いつもと違えば、違和感にはすぐ気付く。

 道の先に、三人の男女が立っていた。三人とも黒いスーツにサングラス。バイクが距離を詰めても、避ける気配もない。

 始にはすぐに分かった。人間ではないし、アンデッドとも違う。どちらかというと、アンデッドよりは人間に近い。

 しかし、なぜここで、自分を待ち受けるように現れたのか。それは分からなかった。

 逃げても追ってくるだろう、着いてこられても面倒。ならば。スピードを落とし、三人の前にバイクを停車させた。

「顔を見せてもらえる?」

 真ん中に立った、長い髪を結い上げた女が口を開いた。バイクから降りて素直にヘルメットをとって見せると、女は満足そうに口を歪めて笑った。

「情報が当たってたわね。相川始、一緒に来て頂戴」

「断る、と言ったら」

「どうせあなた死なないんだから、多少手荒な方法を使っても黙らせて、一緒に来て貰うわ」

 云うなり、女と、両脇の男たちの顔には、何か文様のような刺青のような模様が浮かび上がる。それは、段々とはっきり形をとって、異形の姿を形作る。

 背丈は二メートルを優に超えているだろう。全身が石膏像のような灰色をしている。彫像を思わせる姿は、長い角を持った魚類、蜂、ごつごつとした蜥蜴のような爬虫類をそれぞれ連想させた。

「貴様らがオルフェノクか。俺に何の用かは知らんが、死にたくないなら失せる事だ」

「我々は人間を超えた者、人類の進化型。アンデッドだか何だか知らないけど、あまり舐めない事ね!」

 魚類の女がやや苛ついて叫んだ。三体が飛びかかろうとする頃には、既に始の手の中に用意されていたハートスートのカテゴリーエースが、ジョーカーラウザーのリーダー部分を滑っていた。

「変身」

 低い声で告げると、始の姿は瞬時にカリスへと切り替わった。右手に握られたカリスアローを逆手に構えて、カリスも駆け出す。

 負けるなどという発想は微塵も浮かばない。だが、三対一では分が悪いのは確かだった。

 一人目の拳をいなして二人目の腹を殴りつけるが、三人目に後ろから蹴りを浴びせられる。

 出来れば、一人一人を分断して対処したい。飛び退いてやや距離を取り、エネルギー弾を数発放って威嚇する。やや睨み合う体勢が生まれたが、その均衡はすぐに破れた。

「オルフェノク!」

 カリスから見てハカランダ側、空き地の丈の高い草むらからひょっこりと、一人の青年が顔を見せた。

 彼はオルフェノク達を見るや、手にしたケースを開いて、銀色のベルトのような物を取り出して腰に巻いた。

「……貴様、それは王のベルトか!」

「貴様がファイズか!?」

 灰色の異形が口々に青年に言葉を浴びせるが、青年はきりりとオルフェノクを睨みつけつつ、掌に収まるほどの大きさの黒い機械を取り出して、右のこめかみの脇に当てた。

「変身!」

『Standing By――Complete』

 こめかみに当てた端末が、声に反応したのか電子音声を発し、それがベルトにセットされると、白い光の流れが彼の体を覆った。

 一瞬の後には、青年の姿は変わっていた。体は黒いスーツに覆われ、白い線が三角を基調とした文様を全身に描き出している。

「貴様、デルタか!」

 蜂の異形が驚きを隠しきれず、震えた声で叫んだが、デルタと呼ばれた青年は答えを返さずに、一度セットした掌サイズの機械をベルトから取り外し、口元に当てた。

「ファイア」

『Burst Mode』

 何事かを告げる声が響いて、デルタはオルフェノクには返答をせず、丁度小型の銃のような形をした機械をオルフェノクへと向け、幾筋かのエネルギー弾を放った。

「ぐああぁっ!」

 デルタ側に立っていた蜥蜴の異形が銃弾を喰らい、吹き飛ばされ呻き声を上げた。

 良くは分からないが、このデルタはオルフェノクにとって敵のようだった。今が好機。カードを二枚ホルダーから取り出すと、続け様にラウズする。

『Chop Bio』

 音声がカード名を告げる。カリスアローを振るうと、プラントアンデッドの力――伸縮自在の蔦が瞬時に伸び、蜂と魚類を纏めて絡めとった。

「チェック」

『Exceed Charge』

 銃弾を浴びて満身創痍といった格好の蜥蜴を前にして、デルタは銃にコードを告げた。蜥蜴は避けようと身を捩ったが、銃から放たれた白い光に正確に捉えられていた。

 身動きの取れなくなった蜥蜴に向かってデルタが飛び、魚類と蜂を捕らえた蔦はカリスへと向かって一気に戻っていった。

 デルタの蹴りは蜥蜴に当たったと思うや、その体を摺り抜けたように見えた。蜥蜴の背中の更に向こうにデルタは降り立ち、紅の炎を上げて、蜥蜴は灰に変わって崩れ落ちた。

 蔦に捕まった二体の異形も、チョップヘッドの効果により強化されたカリスの手刀を避ける事も出来ずに喰らい、こちらは蒼い炎を上げた後に、さらさらと灰に代わり崩れ去っていった。

 カリスは変身は解かないまま、デルタと呼ばれた青年に向かい、身構えた。

「君は……いや、オルフェノクに狙われてるなら、敵じゃない」

 一人で合点して呟くと、青年は変身を解除しベルトを腰から取り外した。

『Spirit』

 それに倣い、スピリットのカードをラウズして、カリスも始の姿へと戻る。

「……お前が、都市伝説の仮面ライダーの正体か?」

「仮面……ラ……、何だいそれ……? 君はオルフェノク、ではない?」

「あんなものと一緒にするな」

 不愉快さを隠しきれず始が吐き捨てると、青年は、ごめん、と呟いて、困ったように頬を掻いた。

 何故かは分からないが、オルフェノクは何らかの情報を元に、ここで始を待っていた。名前も顔も、アンデッドである事も知っていた。

 全く身に覚えはないが、狙われている、と見るのが妥当だろう。

 ならば、オルフェノクを敵と認識し、これまで戦い続けてきたと推測されるこの三原という青年から詳しい話を聞き出すのが上策と思われた。

「助けてもらった事は礼を言う。狙われる覚えはないが、詳しい話を聞きたい」

「……こっちも、君には聞きたい事が色々ある」

 青年が頷いたのを確認して、始は携帯電話を取り出し、橘へと発信した。

「俺だ。ああ、ああ……そうだ。オルフェノクと、仮面ライダーに、会った。……問題ない。今から連れて行くから、場所を用意しろ。ああ、そうだ。……分かった、頼んだ」

 手短に話を終わらせて電話を切ると、青年はきょとんとした顔で始を眺めていた。

「邪魔の入らない場所を用意させるから、そこで話を聞きたい」

「うん、それはいいんだけど、その前に名前、聞いてもいいかな。俺は三原修二」

「……相川始だ。脚はあるのか」

「え、ああ、向こうにバイクが止めてあるよ。取ってくる」

 青年が走りだす背中を見送りつつ、始は虎太郎へと電話をかけた。店の買い物を、代わりに届けてもらわなくてはならなかった。



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林檎と見紛う実を口にし(3)

 すっかり帰りが遅くなった。啓太郎が配達に出なければならない時間はとうに過ぎている。

 やや早足気味に歩き、西洋洗濯舗菊池のドアを開けると、園田真理がカウンターに座っていた。

「あ、巧、おかえり。遅かったね。何かあった?」

「……ちょっとな」

 巧が言葉少なに真理の質問に答えると、巧の後ろからもう一人、青年が入ってきた。

「あ、いらっしゃいませ。ちょっと巧、お客さんの邪魔だからどいて」

 接客を優先させようと、真理がカウンターの前からどくよう巧に手振りで促すが、入ってきた青年はやや困った顔を見せて、肩まで上げた両手を軽く横に振ってみせた。

「あの……俺、クリーニングじゃなくて」

「えっ、ここ、クリーニング屋ですけど……まさか押し売りとかですか? それならお断りします!」

「違ぇよ、早とちりすんな。俺は奥でこいつと話がある、店番頼む」

 巧の答を聞いて、真理はきょとんとした顔を見せた。

「……何それ? 何隠してるの? その人何なの?」

「お前には関係ない」

「関係あるわよ、せっかくの休みにこうやって代わりに店番してる! 啓太郎と二人してコソコソ何してるのよ!」

「うっせえなぁ、お前には関係ないったらないんだよ」

 カウンター越しに詰め寄る真理からぷいと視線を逸らして、巧はそれ以上何も答えずに、早足で奥へと入っていった。

「ちょっと待ちなさいよ巧!」

 即座に真理も後を追い、カウンターは無人となる。

 呆気にとられてその様を眺めていた青年――津上翔一は、困惑して頬を掻いた後、遠慮気味な歩調で二人の後を追った。

 

 リビングに入ってソファに腰掛けた巧は、追い掛けてきた真理を一瞥すると、あからさまに面倒臭そうに眉を顰めて、顔を背けた。

「巧、ちゃんと話して。あたしの事、そんなに信用できない?」

「……そんなんじゃねえよ。それより、客が来たらどうすんだ」

「そんなの、待ってて貰えばいいのよ。今はこっちの方が大事」

「啓太郎に聞かせたら怒るぞ……」

「今怒ってるのはあたしよ。どうせ啓太郎もグルなんでしょ。本当に頭に来てるんだから」

 真理は全く引く気配を見せなかった。

 ここ数日、巧と啓太郎が交替で店を空けていた事、見知らぬ青年の来訪。勘の鋭い真理が、何かあると確信を抱いてもおかしくはなかった。巧と啓太郎の隠し方が徹底していなかった為だろうが、そもそも二人とも、上手く隠し事をする器用さは不足している。

「あたしを巻き込みたくないような事って……オルフェノク?」

 真理の疑問を、巧は肯定も否定もしなかった。横を向いたままで、軽く目を細める。

 真理を巻き込みたくないというのは図星だった。彼女は、関わってしまったために、二度も命を落としているのだから。

 幸い、美容院で修行中の真理は忙しい。美容師は激務だし、真理は自分の技術向上の為、夜遅くまで店に残り練習している事も少なくない。

 隠しおおせると、いや、絶対に隠そうと思った。

 巧は(余計なお世話とはいえ)借りを返すために戦おうと思っていたが、それに真理を巻き込む理由など、何一つ無かった。

 真理は休みでもあれこれと出かける事が多いから、今日も、巧が出る時には居なかった。まさか、店番をしているとは思わなかったのだ。

「あの……オルフェノクって、何ですか?」

 声を掛けるタイミングを失していたのだろう。開けっ放しのドアからリビングを覗き込んで、津上翔一が恐縮している様子で、弱い声で質問を投げてきた。

「……ああもう、面倒臭ぇな。分かった、話すよ、それで満足なんだろ」

 根負けした巧が苦々しい声で吐き捨てると、当然でしょ、と真理の、まだやや硬い声が返ってきた。

 

***

 

「じゃあさっきのは、ファイズっていうんですね。ベルトの力で変身かー。ちょっと変わったアギトかと思ってました」

 すっかり感心したように、神妙な顔つきをして、翔一は一人で納得して何度か頷いてみせた。

 翔一はリビングのソファに腰掛けて、巧はダイニングテーブルの椅子に座っている。

 真理は、後で必ず事情を説明する事を約束し、カウンターに戻ってもらった。レジも置かれているし、さすがに無人の状態は不用心すぎる。

「それが乾さんで、オルフェノクって怪物と戦ってる、と。成程、大体分かりました」

「……まだ全然説明してねぇんだが」

「乾さんが悪い人じゃないって分かれば十分です」

 呆れた顔で、巧は翔一の自信満々な顔を眺めて、長く溜息を吐いた。

 それでいいのであれば、それでいいだろう。もし巧が逆の立場なら、もう少し細かい話を聞こうとするが、折角納得しているのに、話し辛い事をくどくどと話し続ける必要も感じられなかった。

「じゃあ次はお前の事だ。津上、って言ったよな。お前何で、あの時あそこに来たんだ?」

 聞きたい事は色々あったが、巧は一番不審に思っていた点をまず口に出した。

 あまりにもタイミングが良すぎるし、聞けば翔一の住まいは全く別の場所。仕事場を突然抜け出した事と帰りが遅くなる事を詫びる電話を入れていた。

 彼が嘘をついていないと仮定すれば、彼があの場所を偶然通りかかる可能性はゼロに近かった。そして、断定はできないが、津上翔一はあまり嘘をつくのが上手そうにも見えない。

「自分でもよく分かんないんですけど……俺、他のアギトが危ない目に合ってると、何か分かっちゃうんですよね。百パーセントではないんですけど。さっきも、危ないって思って急いで行ってみたら、乾さんがアンノウンに襲われてたんです。だから俺、乾さんがアギトだって思ってたんですけど……」

「俺はそのアギトだか何だかじゃない」

「本当ですか? 最近何か、触らないで物を動かしたり、壁の向こうを透視できたりとか、ないですか?」

「ないね。何で俺がそんな超能力みたいなもんが使えるんだよ」

 翔一の質問は突拍子もなかった。巧が訝しげな目線を向けると、翔一はうーんと唸って難しい顔をし、首を軽く捻った。

「それと、そのアギトだ。アギトってのは一体何なんだ?」

「……何、って聞かれると困っちゃうんですけど。今までと違う形に人間が進化し始めた姿……ってとこですかね。アギトになるかもしれない人は沢山いて、力が目覚め始めると、超能力が使えるようになる、らしいです。それで、なりかけの人も含めて、アギトは以前、アンノウンに狙われたり殺されたりしてたんです」

 自分がアギトだと言っていたにも関わらず、翔一の答えは明瞭でなく、どこか他人の事を説明している様な雰囲気があった。

 巧は答を聞きながら、表情を曇らせ目線を伏せた。

「……進化? アギトってのは、そうなのか?」

「いやぁ、俺にはよく分かんないんですけど……何かそういう事みたいです」

「……人類の進化なんてのは、信用できねえな。お前、アギトだっつったな」

「はい」

 今度は翔一が、訝しげな眼差しを巧に向けた。

 ()()()()()()。巧にとって、耳に馴染みの深い響きだった。

 「進化した者たち」の多くは、スマートブレインの介入と教唆もあって、唐突に手にした力に溺れ、自分を進化した優良種と錯覚した。自分達はただの死者、滅びゆく運命にある事も忘れ果て、心のままに暴力を振るうようになる。そうでない者も勿論いたが、概ねそれが、巧が目にしてきた自称「進化」だった。

 アギトというのが何なのか巧には確とは分からないが、人類が進化した姿、という存在の事を信用しようとする気持ちは、沸き上がらなかった。

「お前も、自分が、進化したって、思ってんのか……?」

 暫くの沈黙の後に巧が口にした言葉を聞いて、翔一は、腹の底から分からないと感じているのが嫌でも伝わってくる、困惑しきった表情を見せた。

「すいません、それは俺、分かんないです。確かに俺アギトだけど、だから何だって言われたら、何でもない事のような気がしちゃって。だって、アギトでもそうでなくても、俺は俺だったし。何か進化したとかそんなの、全然ないです。アンノウンと戦えるようにはなったけど、それが進化っていうのも何かピンとこないし……」

 ゆっくりとした口調で、言葉を探しながら、翔一は答えを口にした。

「分からない、か」

 そう口に出して、巧はその言葉が、自らの実感でもある事を思い出した。

 能力は人を超えたのかもしれない。だけれどもそれを進化と呼べるのか。人でなくなってしまうなら、心の有り様まで根本から変わってしまうなら、それを。

 分からなかった。

「……アンノウン、とか言ったな。あいつらは今は、オルフェノクを襲ってる」

 巧の言葉に、翔一は伏せていた目線をはっと上げた。

「進化した人類、って奴があいつらに狙われるんなら合点がいく。オルフェノクってのは、生きてる筈のない人間が、持っちゃいけない力を持った存在、自称人類の進化形だからな」

「……乾さんは、その、オルフェノクってやつは、人間じゃないから、アンノウンがどんどんオルフェノクを殺した方がいいって思ってるんですか?」

「誰がそんな事言った」

 巧が面白くなさそうに答えると、翔一はきょとんと巧を見た。巧の目線は今ははっきりまっすぐに、前に向けられていた。

「誰も好きでオルフェノクになるわけじゃない。人を襲いたいって本能と必死で戦ってる奴もいる。人間と共存したいって、そんな夢を持ってた奴も、いた」

「そうですか、ちょっと安心しました。……それ、素敵な夢ですね」

「……まぁな。そいつはもう、いないけどな」

「でも乾さんが、覚えてるじゃないですか。そしたらその夢はまだきっと、生きてるんです」

 翔一が、そう言って、にこりと笑った。

 夢はまだ生きてる。巧は、そんな風に考えた事はなかった。ただ、巧が分かり合いたいと願った、友になれるかもしれないと感じた青年の夢は、まるで呪縛か何かのように胸を離れなかった。

 幾人もの人が、オルフェノクが死んでいった。果たされなかった彼らの夢は、澱のように巧の心に降り積もり、奥底にこびり付いた。

 溶けも消えもしない砂のように、凪いだ心の中で、流される事もなく。

 微笑んだ翔一の顔を見て、巧は、この男の心の中にももしかしたら、似た様なものが降り積もっているのかもしれない、と、根拠もなく感じた。

「お前には……そういう夢って、あるのか?」

 巧の唐突な質問に、翔一はまた、きょとんとしてみせた後、楽しそうな笑顔を見せた。

「ありますよ、夢。そうだ、見せますから来てくださいよ。お友達も一緒に」

「……来て? どういう……」

 巧が質問を口にしかけると、携帯電話が着信音を鳴らし始めた。開くと、三原の名前がディスプレイに表示されていた。

 

***

 

 そのレストランは小ぢんまりとして、中もそれほど広くはない。木目がそのまま出たテーブルが、どこか家庭的な雰囲気を漂わせている。

 店内には今、他に客はいない。オーナーの厚意により、貸切となった。

 六人がけのテーブルの片方に巧と啓太郎、真理。向かいには三原と、初対面の男が二人。

 一体どうしてこうなった。巧は考えてみたが、翔一に何となく押し切られてしまったとしか言い様がなかった。

 三原からの電話は、オルフェノクに狙われている男と出会った、というものだった。互いの状況報告の為顔を合わせようとしたところ、何故かこのレストランで、という事になった。

「やあ、皆さんお待たせしました」

 陽気な声で料理を手に現れたのは、この店のオーナーシェフ、津上翔一だった。後ろには、従業員と思しき女性がやはり料理を運んで従っている。

 二人は料理を、手際よくテーブルへとセットしていった。完了すると、端に置かれた椅子に、翔一が腰掛けた。

「さっ、皆さん、冷めないうちにどうぞ。今日は俺の奢りですから」

「……おい津上、今日はどういう集まりか、分かってるよな? 俺は別に料理を食べに来たわけじゃないんだ」

「えっ……だって、冷めないうちがおいしいですよ?」

 巧の文句に、翔一は心底心外そうな顔を見せた。すでにフォークを手にしていた啓太郎が、口を挟む。

「いいじゃないたっくん、まずはいただこうよ。腹が減っては戦は出来ぬって言うしさ」

「そうそう。折角ご馳走してくれるっていうんだから。さっ、いただきまーす」

 真理も啓太郎に同調し、さっさと料理に手をつけ始める。折角の料理を無駄にしては、という事だろうか、向いの三原と他二人も思い思いに料理を口にし始めた。

「あっ、おかわりありますからね」

「いらねえよ」

 苦々しく返して、巧も鶏肉のソテーらしきものにナイフを入れた。他に、ライスとサラダ、コンソメらしきスープが置かれている。

 鶏肉は柔らかくジューシーで、ご飯の進む味付けが丁度良かった。料理は美味しい。

「あっ、そうだ、俺まだ皆さんのお名前をちゃんと伺ってないんですよね。俺は津上翔一って名乗ってて、見ての通りの料理人です。えっと、そちらの方は……」

「橘。橘朔也だ。BOARDという研究機関で遺伝子の研究をやっている」

 黒いスーツの男が簡単に名乗った。食べる速度が早く、既に彼の皿から料理は無くなりかけていた。

「……相川始だ」

「三原修二っていいます」

 続けてその隣の眼光鋭い青年と、三原がそれぞれ名乗る。

「ありがとうございます。で、こちら側が、園田真理さんと、菊池啓太郎さんと、乾巧さんですね」

 啓太郎と真理がそれぞれ頷き返す。

「んで、橘さんと相川さん? 三原さんとどういう関係なの?」

 口の中の物を飲み込み終わらない内に啓太郎が口を開いて、横から真理が行儀が悪いと嗜める。

 橘朔也と相川始はそれを見ても、特に表情は動かさずに、料理を食べ続けている。

「相川さんが、オルフェノクに狙われてたんだ。まだ理由は分からないけど……。俺は白い鳥の奴を探してる時にたまたまその現場に居合わせて、一緒に戦った。それで、橘さんもオルフェノクについて調べてるって事で紹介されて、何か目的があるなら奴らまた相川さんを狙ってくるだろうし、協力しようって事になったんだ」

「……協力? 三原、そりゃどういうこった」

「スマートブレインの作ったベルトじゃないけど、相川さんは俺達みたいに変身して戦えるんだよ。オルフェノクが絡んでるなら放っとけないだろ?」

「信用できんのか」

 遠慮や配慮のない巧の疑問に、相川と橘はややむっとした顔を見せたが、相川はやはり口を開かず、橘が巧を見た。

「それはこちらも同じ事を思っている。俺はまだ君たちの事は何も知らないし、君たちもそうだろう、当然の事だ。今すぐ信用しろとは言わない。俺の目的は、始に降り掛かりつつある火の粉を払う事だけだ。君らに害をなしたり、邪魔をしたりする意志はない。オルフェノクについて情報が欲しいだけだ」

「胡散臭すぎる。スマートブレインのベルトもないのに変身できるだとか、オルフェノクの事を知ってもあまり驚いてないようだしな。お前ら何者だ。そもそも人間なのか」

「ちょっと、たっくん、さすがに失礼すぎるよ」

「啓太郎は黙ってろ。隠し事の多そうな奴らは信用できねえって言ってんだよ」

 橘に反論され、啓太郎に嗜められても、巧は悪怯れずに、橘を睨み付けた。

 何か大事な事を隠しているから、この橘と相川という二人の話は、実態のない掴み所のない話に聞こえているのではないか。そう思えた。

「俺たちが人間か、だと? 乾とか言ったな、そういうお前はどうなんだ?」

 今まで無言だった相川始が、巧を鋭く睨みつつ、口を開いた。

 その言葉の内容に、巧は勿論の事、真理も啓太郎も三原も、どきりとして始を見た。

 暫くその場を、重苦しい無言、沈黙が支配する。

「……そんなの、どっちだって良くないです?」

 沈黙を破ったのは、やや抑え目の翔一の声だった。

「アンノウンが無差別にオルフェノクを殺すのを止めたい、相川さんが狙われるのも原因を突き止めてどうにかしたい。それが目的でしょ? 俺アギトで、普通の人間だとは言えませんけど、乾さんは俺の事も信用できませんか?」

「……全面的には信用はしてねぇよ」

 巧の答えに、翔一は不服そうに口を尖らせてみせた。

「ええ、それって淋しいなぁ。俺は乾さんの事、会ったばっかりだけど、かなり信用してるんですよ?」

「はぁ? 何でだよ」

「だって乾さんいい人だし、友達も皆さんいい人だし」

 横で啓太郎と真理が、我が意を得たりといった様子で、満足気に頷いている。翔一のペースに乗せられて、どうにも旗色が悪い。

「アギト、というのは、何年か前に騒がれた、超常能力を持った新しい人類、というやつか。駆除の法案が提出されていた……」

「ああ、そんな事もありましたね。まあでも、そんな大したもんじゃないですよ」

 橘の言葉に、翔一は、本当に何でもないかのように、軽く答えた。

「とにかく、細かい事はどっちでもいいじゃないですか。折角こうして知り合って一緒に食事してるんですから。橘さん、ですっけ? 俺の料理をそんなに美味しそうに食べてくれる人が悪い人な筈がないです。乾さんももっと信用していいと思いますよ?」

「どういう基準だよ……」

「たっくん、津上さんの言う通りだよ。疑ってばっかりいないでもっと人の事信じなきゃ、自分も信用してもらえないんだよ?」

「ああもう、右から左からギャアギャアうるせぇな!」

 翔一ばかりか啓太郎からも説教を食らい、巧は実に面白くなさそうに上を見上げた。右を向いても左を向いても面白くない顔なのだから、上か下でも見るしかなかった。

 そんな様子を見て、橘がくすりと笑いを漏らした。

「俺も、君たちをもう少し信用する事にしよう。始、話しても構わないか」

「……構わん。どうせいつまでも隠せる事じゃないし、話が進まないからな。自分から堂々と打ち明けてくれる奴に隠しておくのも居心地が悪い。俺は人間じゃない、アンデッドと呼ばれる、人間とは別の生物だ」

 淡々とした相川始の言葉に、橘を除いた一同は一様にぎょっとして、始を見た。

「何だ、その、アンデッドってのは」

「全ての生物の始祖となった、不死の生命体だ。全部で五十四体存在している」

「不死……?」

 声を漏らして、巧はもう一度相川始を見た。どこから見ても人間そのもの、人間でないなどと告白されても俄かには信じ難かった。

「オルフェノクは寿命の短い種と聞いている。もしかしたら、アンデッドの不死のメカニズムを解明して寿命を伸ばすために狙われているのではないか、というのが、俺と始の推測だ」

「それもあるかもしれないが……想像もしたくねぇが、もっと別の企みかもしれないな。あの海老女辺りならやりかねない」

「乾……それって、まさか」

 巧の言葉に答えた三原の顔は、やや青ざめていた。三原も巧も、もう思い出したくない恐ろしい記憶、忌まわしい存在。

「奴ら、王を起こそうとしてんじゃねえか? 王を起こすために不死の存在の力を、どうにかして使おうとしてるんじゃないのか」

「王……?」

「そうだ、オルフェノクの王。オルフェノクに不死を与える存在だ。二年前に倒したが、あいつは灰にはならないで、配下のオルフェノクが身体を持ち去った。そいつを、復活させようとしてんなら……」

 怪訝そうに漏らした橘に、巧が簡単に答えると、眉を寄せて考え込んでいた翔一も口を開いた。

「それなら、アンノウンも、オルフェノクを危険な存在と見なして、攻撃するかもしれないですね。そんな奴らが不死身になっちゃったら、人間が滅んじゃいますもの」

「津上。お前の言いたい事が今一つ掴めねえんだが……アンノウンってのはアギトを殺してたんだろ? それとオルフェノクと、どう関係があるんだ」

「アンノウンは人間を作り出した存在の使いで、その存在が望まない力を持って、人間に取って代わる可能性のあったアギトを滅ぼそうとしてたんです。今までは、オルフェノクは寿命が短いし、危険が少ないとか何か理由があって介入してこなかったけど、目に余る事態になったからオルフェノクを排除しようとしてるなら、話は分かります」

 翔一の言葉を、一同はぽかんとして聞いていた。急に話が壮大になってしまい、少々着いていけない。

「……つまり、オルフェノクが何故始を狙うのか、何をしようとしているのかを突き止めるのが肝要、それさえはっきりして阻止できれば、アンノウンの活動が止まる可能性もある、という事だな」

 橘が話を纏めると、一同頷き、皆無言でやや考え込んだ。

 活動を停止した王の身体を持ち去ったロブスターオルフェノクの行方は分からない。探すにしてもどこをどう。皆目見当がつかなかった。

「……俺は戻って、オルフェノクの潜伏先を探れないか情報をあたってみる。始、白井にも情報を集めるよう伝えてくれるか」

「分かった」

 始の返事を聞いて軽く頷くと、橘は席を立った。

「オーナー、今日の料理、本当に美味かった。今度は客として来ていいか」

「はい、ありがとうございます、勿論お待ちしてます! お気をつけて!」

 元気よく応じた翔一に笑いかけて、橘は店を出ていった。

「つまり、アンノウンよりは、オルフェノクを探した方がいいって事、なのかな?」

「そうなるだろうな。今んとこ只の推測だが、そう外れてる気はしない」

 三原の言葉に、巧は同意してみせる。その様子を見て、相川始も席を立った。

「俺も帰る。何かあったら橘に連絡してくれ」

「ありがとうございました、お気をつけて」

 始は翔一の挨拶には特に何も返さずに、早足に店を出ていった。

 

***

 

 その後デザート、食後のお茶まで振舞われた後で、四人はレストランAGITOを後にした。

 翔一も、警視庁の知り合いにオルフェノクの潜伏場所について相談をするという。

 最後尾の巧は振り返って、入り口のドアまで見送りに来た翔一をまっすぐに見た。

「この店が、お前の夢か?」

「そうですよ。ここで、細々とでもいいから美味しい料理を作って、食べた人に幸せになってもらうのが、俺の夢です。素敵な夢でしょ?」

 翔一の声には、迷いなど微塵もなかった。まっすぐだけれども強すぎない、軽やかさがあった。

 答えを聞くと、巧の頬に自然と、笑みが浮かんだ。

「ああ、そうだな、いい夢だ」

 巧の笑顔を見て、翔一もにこりと笑みをこぼした。

 何故アンノウンに狙われたのか、どうして見逃されたのか。翔一は追及もせず、話にも出さなかった。

 ほんとうの事を自分から言い出せなかった事が、少しだけ、針先のように巧の胸を刺した。

 じゃあな、と呟いて軽く手を振ると、翔一は大きな身振りで手を振り返した。



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光が見えても振り返ってはならない(2)

 蓋を開いたカツ丼は、ほかほかと湯気を上げている。そこから湧き立つ、出汁と醤油、とろりと光る半熟卵の匂いが鼻孔を甘くくすぐる。

 海堂は可能な限り上げた眉の下で眼球を忙しなく右左に動かして、何度か丼を見た後、ふん、と鼻から息を噴き出して横を向いた。

「どうぞ、遠慮しないで召し上がって下さい。お腹空いてるでしょう?」

 取調室の広さは四畳ほどだろうか。狭く薄暗い。向かいに腰掛けた刑事――氷川誠の表情は穏やかで、取り調べの厳しさや海堂に対する何らかの猜疑を今は発していない。

「うっせえよ。俺ぁ今、腹が減ってねえんだよ。大体にして、取り調べでこういう食事を出したりするのは、供述の内容を誘導とか何とかで駄目なんじゃねえのか」

「あなたは被疑者ではありません、被害者です。それにさっき、お腹鳴ってたじゃないですか。公費ではなく僕の自腹です。あくまで僕個人の、ささやかなお詫びとお礼の気持ちですから、どうぞ遠慮なく」

 言われて海堂は、横を向いたままでちらちらと何度か、微笑んだ氷川の顔を盗み見て、今度は口から長くゆっくりと、息を吐き出した。

「……ちっ、しゃーねえな。そこまで言うなら食ってやる。いいか、あくまでも、お前の好意とカツ丼を無駄にするのが勿体ないから、仕方なく食ってやるんだからな!」

「ええ、ありがとうございます。冷めないうちにどうぞ」

「けっ」

 舌打ちをしながら丼に向き直って、取り上げた割り箸を勢い良く割るや否や、海堂は丼を持ち上げて、猛烈な勢いでカツ丼を掻き込み始めた。

 相当空腹を覚えていた様子で、あれよという間に、丼の中は半分程が一気に消えていた。

「うひゃあひゃへえは、はかはか」

「そうでしょう、人気あるんですよ、このカツ丼」

 一気に掻き込んだ口の中のものを飲み込まないうちに海堂が感想を口にする。何を言っているのか定かでないが、氷川はある程度内容を推察出来たのだろう。嬉しそうに口元を緩ませて答えた。

 横に置かれた茶碗の焙じ茶を啜って落ち着くと、海堂は再度丼に向かう。ややあって、丼の中は飯粒一つ残らず、綺麗に空になった。

 軽くなった丼を机に置いて、再度茶を啜ると、海堂は今度は、満足気にゆったりと息を吐いた。

「ふぃー、ごちそうさん」

「ご満足頂ければ何よりです」

 先程よりは丸みを帯びた声で海堂が告げると、氷川はやはり嬉しそうに返した。

「……んで、お前さっき、俺様が容疑者じゃないっつったよな」

「はい」

「じゃあ、お前に俺様を引き止められる理由はないし、俺様が質問に答える義務もないな。そろそろ帰らせてくんねぇか?」

 その申し出を耳にすると、氷川の表情は途端に硬くなった。氷川の首が横にはっきりと振られるのを見て、海堂は不満そうに頬を膨らませた。

「駄目です、あなたはアンノウンに狙われている、危険です」

「うっせえなあ。いいか? 俺ぁな、警察って奴が、鳥肌立つ程大っ嫌いなんだ。一秒たりともここの空気吸ってたくねえんだよ。反吐が出そうで気分悪くなる」

「……それは、あなたと一緒に何度か目撃されていた、長田結花の事が、あったからですか?」

 図星を指されて、海堂はばっと首を振って氷川を見た。

 警視庁が南を使いオルフェノクを捕えて研究していた顛末の記録は、極秘の研究所が何者かに襲撃され、南が行方不明になった際に失われ、或いは破棄された。

 だが、やはりつい先日、その資料の写しが匿名で、北條へと送られてきた。

 もしオルフェノクを人間だと言えるのであれば、非人道的としか、言い様のない陰惨な実験の経過と結果が、淡々と綴られた資料が。

 資料の最後の方に、長田結花の記録はあった。

 彼女も海堂と同じ時期に行方不明となっていた。彼女の家族を含む高校女子バスケ部員が、やはり同じ頃に、十人近く行方不明または灰と化し死亡している。所轄の添野という刑事が一年近く追っていたようだったが、解決しないまま添野は定年を迎え、警察を去っていた。

 彼女の実験記録は途中で途切れていた。逃げ出したのか、研究所が襲われた際に巻き込まれたのか、それは分からない。

 氷川に分かっているのは、彼女が警察に捕らえられ実験材料とされた事と、彼女は海堂と一緒にいる所を何度も目撃されていた、という事だけだった。

「……んな事ぁどうだっていいんだよ。気分悪ぃわ、さっさと帰らせろ」

「何故です。アンノウンは絶対にまたあなたを狙ってきます、ここの方が幾分かですが安全です。我々はあなたを守りたい」

「はっ、ご立派ですこと。けどなぁ、そういうの何て言うか知ってるか? 『小さな親切大きなお世話』っつうんだ、バーカ」

 口調こそ悪態をついているだけに聞こえるが、海堂が氷川を睨み付ける瞳の光は真剣そのものだった。真剣な嫌悪だ。

 一度息を飲み込んで、氷川は躊躇って、その後にようやく口を開いた。

「……あなたは、どうしてここを出たいんです? 行きたい所でもあるんですか?」

ここ(警察)にいたくないんだっつっとろうが、分からん(やっ)ちゃな」

 苛ついた様子で海堂は吐き捨てるが、氷川は目を逸らさないで、真っ直ぐに海堂の目を見つめ返した。

 信頼されていない氷川が海堂を守るためには、まずは信頼されなくてはならない。真っ直ぐ相手を見て正直に話す。氷川は、信頼を得る方法を他に知らない。

「会いたい人が、いるんですか? 僕がここに連れてきます。何かしなければならないなら代わりにやります。だから……」

「そんな奴ぁいねえし、用事もねぇよ」

 横を見て苦々しく海堂が呟いた。尚も氷川が言葉を継ごうとすると、ノックが二三度響いた。

「氷川刑事、面会の方が」

「僕に? 誰ですか?」

「津上さん、と名乗っておられました」

 ドアを半分ほど開けて中を覗き込んだ制服姿の若い警官が告げると、氷川の表情がやや険しいものへと切り替わった。

「いいですか、すぐ戻りますから待っていて下さい。勝手に帰らないで下さいよ」

 念を押して氷川が足早にドアを出て行った。

 勝手に帰ろうにも、書記の警察官が部屋の隅で今の言葉を書き留めている。警察は嫌いだが、危害も加えられていないのに罪の無い彼を殴り倒してまで無理矢理出て行く気にもなれなかった。

 残された海堂は、傍らに置かれたままの丼に蓋をしてから、面白くなさそうに頬杖をついて横を向いた。

 

***

 

 以前、風谷伸幸の事件などで風谷真魚が何度か警視庁に氷川や河野を訪ねた際に使っていた、小さな会議室。そこで津上翔一は、ジャケットも脱がず立ったままで、氷川を待っていた。

「津上さん、お待たせしましたお久し振りです」

 ドアを開け早足で中に入った氷川が、一息に忙しない挨拶を告げると、翔一はにこりと、懐かしく変わらない、陽気な笑いを浮かべてみせた。

「氷川さん、お久し振りです。お忙しいのに済みません」

「構いません。こんな時に君が来たんだ、まさか僕の顔を懐かしんで世間話をしに来た、というわけではないでしょう」

「あれっ、何で分かるんですか? 氷川さん凄いなぁ、推理力に磨きがかかってますね。突然氷川さんの事思い出したら、顔を見たくなっちゃって」

「……は?」

 アンノウンが動きだしたとあれば、翔一の突然の来訪もその事と何か関わりがあるのかもしれない。そう考え、氷川は幾分緊張した面持ちで翔一に向かったが、答を聞いて思わず、素っ頓狂な声を上げた。

「なななな、何を言ってるんですか君は! 僕は今忙しい、非常に忙しいんです! 君と世間話をしてる時間などありません!」

「やだなぁ、冗談ですよ。俺だって忙しいんですから、わざわざ氷川さんと遊ぶ為だけに来る時間はないです。実は、調べてほしい事があって」

「君の冗談と本気は区別がつけにくいんです、真面目な話で冗談はよしてくれませんか!」

「はいはい、もう、相変わらずだなぁ氷川さんは」

 自分の何が相変わらずなのか、については、氷川は敢えて触れなかった。そんな事よりも、早く本題に入らなければならない。海堂からあまり目を離していたくなかった。

 先程まで海堂と向かい合っていた取調室とこの部屋は、そう離れていない。何かあればすぐに知らせは来るだろうが、落ち着かなかった。

「それより、何ですか、君が調べてほしい事とは」

「はい……あの、オルフェノクって、知ってますか?」

 珍しく、翔一はやや物怖じした様子で恐々と口を開いた。

 質問の内容に驚いて、氷川が小さく、えっと声を上げた。

 その時。部屋が強い震動に襲われた。地震ではない、揺れは一瞬で収まった。

 その後聞こえてきたのは、誰かの絶叫。氷川も翔一も、辛うじて転倒はせず、ややバランスを崩した体をすぐに立て直した。

「氷川さん! まさかと思いますけど、今、オルフェノクがいるんですか、ここに!」

「……君は、何を知って」

「それは後です、案内して下さい!」

 翔一に強く告げられて、氷川はやや躊躇ったが、結局頷いた。

 今すぐとは言わずともなるべく早くに、起こっていると推測される事態を収拾するには、翔一に頼るのが最も安心且つ確実な方法だった。

 二人は頷き合うと、やや焦ったように、もどかしそうな忙しない足取りで、ドアを出ていった。

 

***

 

 薄暗かった筈の取調室は、今は眩い陽光で満たされていた。

 海堂は壁を背にして、部屋の隅で怯えきった警官の進路を塞ぎ、覆い隠すように立っていた。

 テーブルは横倒しになり、行儀良く蓋まで戻したというのに、丼は床の上で粉々に割れていた。

 そして海堂の向かい、部屋の反対側には、白い鳥のような姿を持った人型の何かが、立っていた。またオルフェノクではない何か。氷川という刑事は確か、アンノウンと呼んでいた。

 この狭さでは、ドアまで走る間に確実に捕まる。ましてや、後ろの警官に走れなどと、今の様子では無理な注文だろう。

 ドアの向かい、採光窓のあった壁には、白い鳥に開けられた大穴がある。だがこの部屋は、残念ながら地上五階にあった。飛び降りるのは海堂でも無理があるし、後ろの警官など、下手をすれば潰れたトマトになってしまうだろう。

 この状況で残された手はたった一つ。スネークオルフェノクの本性をあらわし、白い鳥と戦う、それしか思いつかない。

「何なんだ、何なんだよお前ら! いいか、俺様はな、人間滅ぼそうなんて、今は思ってねえんだ、今度こそ寿命まで生きられりゃ、それでいいんだよ!」

 海堂が喚いても、白い鳥は、やはり返事を返さなかった。無言のまま右手を頭の上に翳すと、頭上に円盤状の白い光が――まるで天使の輪のように――輝き現れ、その中からずるずると、弓が引き摺り出された。

 海堂の胸に、躊躇いがあった。今ここで正体を晒せば、後ろの警官は海堂を化け物と認識するだろう。

 嫌だとか、腹立たしいとか、そんな気持ちもあるのかもしれない。だがそれよりはただ、単純に、辛かった。

 白い鳥がどこから出したのか矢を番えて構え、海堂はきつく目を閉じた。

 すると何故か、ドア側の壁が砕ける轟音が短く響いた。

「アギト……!」

 恐らく白い鳥の、低くくぐもった声。恐々目を開くと、ドア側の壁は派手につき崩されていて、もうもうと粉塵が上がっていた。

 その向こうで白い鳥は、金色と黒の、人に似た形をした生き物に、左手の弓を押さえられ押し合っていた。

「逃げて下さい、早く!」

 突然闖入した金色の生き物が振り向いた。その大きな瞳は深紅、立派な角が、額の上へと突き出て割れている。それなのに声は若い男のものだった。

 あまり驚きに気をとられてばかりいられる状況でもない。どうやらこの金色は自分たちを助けようとしてくれているらしい。それなら。

「わーった、頼む!」

 海堂は縦に一回大きく首を振ると、後ろの警官の手首を鷲掴んで、二体の異形の脇を擦り抜け、金色の方が開けた穴から廊下へとまろび出た。

「海堂さん、二宮さん、無事ですか!」

 廊下には、氷川が待ち構えていた。この混乱こそ逃げ出す絶好の機会だというのに、この期に及んでとんずらするチャンスを悉く潰されるとは、今日の海堂はよくよく運がない。

「何とか生きてらぁ。お前の言った通り、ここぁ、幾分は安全みたいだからな」

「面目次第もない。それよりこっちです、来て下さい」

 二宮と呼ばれた警官の手を引き摺りながら、海堂は氷川の背中を追いかけた。勝手の全く分からない警視庁の中の事、彼の後を追いかけるしかない。

 しばらく走り続けると、何人かの男達が廊下を走ってくる。男達はヘルメットや防弾チョッキで簡単に武装して、大振りの銃を肩に提げている。

「氷川さん、何事ですか!」

 先頭の男が叫んだ。彼は武装せず、スーツ姿のままの出で立ちだった。

「北條さん、アンノウンです。今津上さんが戦っていますから、恐らく心配はいりません。ここから外に引き離してくれると思いますから、G5部隊がアンノウンを包囲できるように、部隊の出動と付近への避難勧告、現状の監視を。僕は被害者を護衛して退避します」

 氷川の答えを聞くと、北條と呼ばれた男は顔色を変えて氷川を睨みつけた。

「何て事を……氷川さん、そんな事が許されると思っているんですか! ここは警視庁、何故上司である私に何の報告もないままアギトがアンノウンと交戦しているんです!」

「お言葉ですが、急を要する事態でした! 一歩遅ければ、被害者と二宮刑事は死んでいたんですよ!」

 負けじと言い返した氷川の剣幕に、北條はやや鼻白んだ様子で口元を歪めたが、すぐに何事もなかったように、表情を整えた。

「まあいい、その話は後です。だが……津上翔一、何で彼がここに?」

「僕に何か頼みたい事があったようでしたが、それはまだ聞いていません」

 北條は頷くと、携帯電話を取り出して操作し、何事か話しながら歩きだした。武装警官達も後に続き、アンノウンが金色と戦っている取調室へと、小走りに去っていく。

 氷川も駆け出し、非常階段の重い鉄扉を開いた。

「二宮さん、捜査一課の河野刑事に、僕が被害者と格納庫に向かったと伝えてくれますか。被害者といれば、別のアンノウンが襲ってくる可能性もあります、あなたは離れた方がいい」

 氷川の言葉に、やや生気を取り戻し始めた表情の書記が頷いて、海堂の手を離し、一礼を残すと走り去って行った。

 それを見送る間もなく、氷川は非常口を潜り階段を降り始めた。海堂もそれに続く。

「Gトレーラーの格納庫なら、未確認生命体の襲撃を想定して防御できる造りになっています、そこの方が安全な筈です!」

「何だか分からんが任せた!」

 階段を駈け降りながら氷川が説明をするが、海堂には未確認がどうのといった話は分からない。

「おい、さっきの金色、ありゃ何だ!」

「あれはアギトです!」

「だから何なんだよその、アギトっちゅうのは!」

「人が進化していく、無限の可能性、ですよ!」

「おいコラ、意味分かんねぇぞ!」

「人が目覚めた姿、僕には分かりませんが、オルフェノクもそうではないんですか!」

「そんな上等なもんかあれが、言ってみりゃゾンビだろゾンビ!」

 駈け降りながら話す為、氷川も海堂も自然に声を張り上げてしまう。吹き抜けの階段に二人の声が響いて、吸い込まれ消えていった。

 進化なんて馬鹿を言うなと、海堂は胸の内だけで思い、舌打ちをした。

 人の心に、進化に耐え得る強さなどないのだ。

 脆弱な心のまま体だけが人を超えて、バランスを崩す。

 滅びだけが待っている。いや、滅びなくてはならない。そんな存在の、一体何が進化だというのか。馬鹿馬鹿しくてもう、溜息も出ない。

 木場も結花も、巻き込まれ結局は押し潰され、あたら命を落としていった。何の為にどうして、そんな問い掛けに答えなどない事ももう分かり切っている。

 あんなに善良で優しかった二人が、(正当と思える理由さえあれば)人を殺すのにも、オルフェノクを殺すのにも、躊躇など無かった。

 人で言えば狂気の沙汰だ。夢を見失い自棄になった海堂は気狂いを装う事もあったけれども、そんな本物の狂気は、ついぞ持ち合わせる事が出来なかった。さりとて乾巧の様に、人だった者を殺める、同族を殺める罪を全て我が身に背負うなんて覚悟も、持てなかった。

 俺はただ、生きていたかっただけか。そう考えると、自分の生に意味も価値もないような心持ちを覚えてしまい、駆ける海堂の顔は暗くなった。

 彼の天命は音楽にこそあり、人を超えたからといって、失われたその夢は彼の手の中には帰っては来なかった。そういう意味では、海堂の二度目の生に、価値など生まれようもなかった。

 ただそれでも、海堂はそれなりに、日々を過ごしていたのだから。命尽きる迄は生きていたいというのも、偽らざる望みだった。

 アギトが何かは結局よく分からないが、進化なんてどうせ碌なものではないのだろうとしか思えなかった。

 かなりの階数を駈け降りた気がする。氷川が階段の脇にある鉄扉を引き開けた。

 地下と思われるその空間は、デパートの地下駐車場のように薄暗く、剥き出しのコンクリートの太い柱が等間隔で並んでいる。

 今は青いトレーラーが二台停められているだけで、他には車も何もなく、がらんとしていた。

「安全が確認できる迄、隔壁を降ろしてもらいましょう。こっちです」

 氷川がトレーラーへ向かい駆け出し、海堂もそれに続こうとする。だが二人は、やや走った後に唐突に足を止めた。

 道の先、コンクリートの薄白い柱の影から姿を見せたのは、昨日海堂を追い掛け回した異形に相違なかった。

「トレーラーまで、走って! 中に誰か居るはずです!」

 叫んで氷川は、拳銃を取り出し、素早く構えをとると、異形に向け銃弾を続けざまに二発放った。

 そんな攻撃が通用する筈もない。銃弾はアンノウンに届く直前で速度を失い静止してから、からんと音を立てて、打ちっぱなしのコンクリートの床に転がり落ちた。

「おめぇはどうすんだよ!」

「市民を守るのが警察の仕事です、いいから逃げて!」

「馬鹿かお前は! 殺されっちまうだろうが!」

「それでも僕は、あなたを、罪なんてないあなたを守りたいんです! 今ので気付いてくれたかもしれませんから、早くあそこから助けを呼んで!」

 言い合う内にも、アンノウンは歩を進め、距離を縮めてきていた。氷川は再度銃弾を二発放つが、先程と全く同じ光景が繰り返されて、銃弾が転がってからんからんと乾いた音を立てただけだった。

「バッカかお前は! いいか、俺様はなぁ、自分より弱い奴に守って貰おうなんざ、ちぃっとも考えてねぇんだ、すっこんでろ!」

 言う通りに従うのは面白くないと思った。海堂はトレーラーには走りださないで、氷川の前に進み出た。

「実力的になぁ、どう考えてもお前が、助けを呼んでくる方なんだよ」

「そういう問題ではありません!」

「お前が行った方が二人とも生き残れる確率が高かろーが!」

 二人が押し合いへし合って問答を続ける間も、アンノウンは速度を変えず、淡々と距離を詰めてくる。

 だが氷川は退かなかった。

「絶対に嫌です、僕はあなたを見捨てるみたいな事をしたくありません!」

「だーかーらー! お前が逃げた方が理に適ってんだっつうの!」

「そんな事関係ありません、あなたがしたくない事を、させる訳にいかない!」

 言って氷川が海堂の脇から踊り出て、また二発銃弾を放つ。二発の銃弾はやはり先ほどと同じように、ただ転がり落ちた。

「バッカ野郎、お前一遍死ね、死んでその愚かさを俺様に詫びろ!」

「僕はまだ死にませんし、あなたを殺させたりもしません!」

「寝言言ってんじゃねえ! バーカバーカ、このバカチンが!」

 海堂が氷川を口汚く罵っても、アンノウンは顔を覆った羽毛一つ動かすでなく、一定の速度で近付いてきた。

 終わった、もう終わった。そう思った。海堂はオルフェノクの姿をとったからといって、アンノウンとやらに勝てる自信は全くなかった。

 銃弾が効かないのではなく、体に届かないのだ。海堂の攻撃だとて、届く保証は一つもない。ぴりぴりと肌を刺す無言の殺意に気圧されるのを誤魔化すために、海堂は何かを言うには声高に叫ばねばならなかった。

 例えるなら北崎に感じていた威圧感に似ている。こいつら桁が違いすぎて勝負にならないんじゃないか。海堂の直感は我彼の実力差をそう告げていた。

 汗が浮き出てこめかみを流れ、首筋へと垂れた。やけに冷たい。氷川も動かない、いや、弾が切れて動くに動けないのだろう。

 狙われているのは氷川ではない。海堂が奴に向かっていったその隙に逃げ出してくれれば、恐らく助けを呼ぶ事は可能なのだ。

 海堂も腐ってもオルフェノク、そう簡単にやられたりはしない、と思う。どう考えてもそれが一番効率がいい方法だというのに、何故この男はそれをこうも嫌がるのか。

 気付けば目前まで迫っていたアンノウンが右手に提げた剣を構え直し、振り上げた。

「まだ俺ぁ、生ききって……ねえんだ、死んでたまるかバッキャローっ!」

 呻くような声が徐々に大きくなって、海堂は叫んでいた。その顔に浮かび上がった影は彼を瞬時に灰色の異形へと変化させた。強化された脚力で横へ飛んだ海堂は、ついでに氷川を横へ大きく突き飛ばした。

 倒れこみゴロゴロと二転三転してから、海堂は体を起こして、こちらへと向き直ったアンノウンを見据えた。

 こうなってはやるしかない。勝てるかどうかなど問題ではない。意を決して開いた右の掌に左の拳を叩きつけた。

 唐突に横合いから、ガチャガチャガチャと忙しなく、重そうな金属がこすれぶつかり合う音が響いた。そして、アンノウン目がけて横合いから轟音が響き、何十発もの銃弾が飛んだ。

 それらは全て届くことはないが、アンノウンの注意は海堂から横合いへと移った。

 ガトリングガンを構えているのは、青い金属のプロテクターに全身を包んだ二人組だった。

 直線的なプロテクターはややくすんだ青、眼の部分は大きく赤い複眼、何かのアンテナの用途なのか触覚のような銀色の突起が額から上に二本伸びている。左肩には金色で「G5」の刻印があった。

「嘗て我らを倒した『ただの人間』よ。汝に問いたい」

「……何だ!」

 雨のような銃撃を受けてもアンノウンは身じろぎもせず、氷川へと顔を向けた。突き飛ばされ起き上がった氷川が、それに答える。

「エノクが甦れば、人は我らが手を下さずとも死に絶えるだろう。それは我らが主の望む所にあらず。汝は人の滅びを願うか?」

「どういう事だ……、エノクとは何だ! 何故人が滅びる? そんな事を願う訳がない!」

 氷川が答える間に、銃弾は止んでいた。青いプロテクターの片方が渡した部品を、片方が組み立てる。何かのニュースで見たバズーカ砲ほどの大きさの銃器を、片方が肩の上に抱え上げてもう片方が後ろから押さえた。

「氷川刑事、退避して下さい!」

 まさかこんな地下の閉鎖空間であの物騒な銃器を使用しようというのだろうか。そういえば未確認生命体の襲撃にも耐えられるとか何とか言っていた、もしかしたらこの格納庫は、あんな武器を使用してもびくともしないのかもしれない。

 ごちゃごちゃと考えていては巻き込まれてしまう。海堂もあわてて踵を返し、その場から少しでも遠ざかろうと全速力で走り出した。

 着弾した弾頭が派手な音と爆炎を上げ爆発を起こした。後ろから追いかけてきた爆風に軽く吹き上げられて、海堂は地面に叩きつけられ、打ち所の関係か意識を失った。

 

***

 

 目を覚ますと、くすんだオフホワイトの、黒胡麻が入ったような模様をした、無愛想な天井が見えた。

 ぼんやりと回りを見回すと、知らない男が顔を覗き込んでいた。海堂は不審に思って、首を捻った。

「……誰だ、おめぇ」

「あ、大丈夫ですか、どこか痛い所とかないです?」

 男の声は聞き覚えがあった。あの、取調室で海堂を助けてくれた金色の声に、良く似ている。

「ここぁ、どこだ、誰だよおめえは」

 胡散臭そうに眉を寄せた海堂の表情など気に掛けた様子もなく、男はにこりと、実に陽気に海堂へ笑いかけた。

「良かった、大丈夫そうですね。ここは警視庁の医務室で、俺は津上翔一って名乗ってます」

「何で俺がこんなとこに寝てんだ、あの氷川って野郎と怪物はどうしたんだ」

「氷川さんは今、大目玉食らってますけど、もう少ししたら様子を見に来ると思います。海堂さんは、爆発に巻き込まれて、頭打っちゃったんでしょうね。気を失ってたんですよ。アンノウンはどっちも追い払いましたから、安心して下さい」

「追い払ったって……まるで自分がやったみたいな言い方してんな……」

「はい、そうですよ。俺は鳥の方だけですけど」

 津上翔一と名乗った男は、実にあっけらかんとした口調で、海堂の問いに当たり前のように答えた。

「は……? じゃあおめえ、さっきの金ピカの……」

「アギト、ですよ。あれ俺です。あの時は遅くなってすいませんでした」

 やはり当然の事のように翔一は、滑らかな口調で淀みなく答えた。

 まさかとは思っていたがまさか。

 流石の海堂も、ぽかんと開いたままの口を閉じるのも忘れて、呆けたように翔一を見た。

 人類が進化していく、無限の可能性としてとった、異形の姿。

 それが己の姿なのだと、何でこうも何の拘りもなさそうに、当然自然とでもいうかのように、口にできるのだろう?

 呆気にとられたまま暫く、海堂が翔一を無言で見つめていると、ドアがノックされた。

「津上さんすいません、遅くなりました、海堂さんは」

 ドアを引き開けて氷川と、北條と呼ばれていた男が医務室へと入ってきた。

「あ、海堂さんもう、意識戻ってます。大丈夫そうですよ」

「そうですか、良かった」

 翔一の答えを聞いて、呆気にとられたままの海堂に視線を移して、氷川は腹の底から安心したように、嬉しそうに笑った。

「あの爆発に巻き込まれて大した外傷もない、流石人間を超えた化け物なだけはありますね」

「……北條さん、そういう言い方はやめて下さい」

 氷川の抗議を、北條は鼻でふんと笑い、軽く流してみせた。

「そんな事より津上さん、あなたは氷川さんに何か頼もうとしていたそうですが」

「はい、お願いしたい事があって」

「聞けば、オルフェノクが関係している様子だ。それであれば、私は今氷川さんの上司として、アンノウンとオルフェノクの一連の事件を追っている。私にもあなたの話を聞かせてもらえますか」

 やや躊躇いがちに翔一が頷くと、北條はそれを見て満足そうに微笑んだ。

「……俺この前、ある人に会いました。その人の事は、すいません、今はお話できないんですけど、やっぱりアンノウンに狙われていたんです。その人が教えてくれたんです。オルフェノクには、王がいる、って」

「王……?」

 不審気に眉を寄せて翔一を見た氷川と北條に、翔一は軽く頷いてみせた。上半身を起こした海堂の顔が驚愕の色を帯び血の気が失われた事には、他の三人は気付かなかった。

「オルフェノクが、今は動けない王を復活させようとしてるから、アンノウンはそれを阻止するために動き出したんじゃないかって」

 続く話の内容に、氷川はふっと、目を細めた。

 アンノウンは氷川に言った。エノクが蘇れば人は死に絶えると。

 エノクが王を指しているのだとすれば筋は通る。だが、エノクとは、一体何だ。

「それで、王の居場所を探して、もし何か企んでるとしてそれを止められたら、アンノウンもまた静かになるんじゃないかって思うんです。王の体は、部下のオルフェノクが持ち去ったらしいんですけど、企みがあるなら人の出入りもあるはずです。それを、探してもらえないかと思って」

「……成程。津上さん、あなたの話は分かりました」

 翔一の言葉に、氷川ではなく北條が頷いてみせた。

「確かに、あなたの話ならアンノウンの動きも納得できなくはない。だが、何か企みがあるとするのは、些か強引ではありませんか? オルフェノクが何かそういう動きを見せたならともかく」

「……すいません、それもあんまり詳しく話せないんですが、ある人が三人組のオルフェノクに誘拐されそうになりました」

「誘拐、ですか」

「そうです。ただ人を襲うのが目的なら、誘拐なんてしない。オルフェノクには何か別の目的があるんです」

 答えを聞いて、北條はふむ、と鼻を鳴らし、やや考え込んで目を伏せた。

「北條さん、僕は、津上さんの言う通りオルフェノクの動きを探る事が、解決の近道になると思います。アンノウンの目的はオルフェノクを絶滅させる事、オルフェノク自体は以前から存在していたのに何故今なのか。不可解な点が多すぎます」

 横合いから氷川が口添えをして、北條は氷川をちらりと見てから、翔一へ視線を戻した。

「……分かりました。一応、上に諮ってみましょう。アンノウンは人の敵ではない事は分かっている。一方オルフェノクが人に害を為そうとする可能性は、考慮しなければなりません」

「ありがとうございます、宜しくお願いします」

 翔一が安心したように笑い礼を述べると、北條は気味悪そうな顔をして、やめて下さい、と弱く漏らした。

「とにかく話は分かりました。必ずしもいい報告が出来るとは約束出来ませんがね。じゃあ、行きましょう氷川さん」

「あ、はい。僕は仕事が残っているのでこれで。すいません津上さん、お願いします」

「はい、任せといて下さい」

 翔一が大きく頷くと、氷川と北條は一礼し、早足で医務室を出ていった。

「…………おい、おめえ、まさかあいつに会ったのか」

 今まで黙っていた海堂が突然口を開いて、翔一は、不思議そうに首をやや傾げて海堂を見た。

「あいつ……って、誰ですか?」

「まさか、あいつが生きてる訳ゃあねえ……乾がまだ生きてるなんて、ありえねえ」

「えっ……乾、巧さん? 海堂さん、お知り合いですか?」

 翔一の言葉に、やや俯いていた海堂はばっと顔を上げ、目を一杯に見開いて、血の気の失せた顔で、怪訝そうに首を傾げた翔一を、穴が開く程に強く見つめた。



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光が見えても振り返ってはならない(3)

 徒党を組んだオルフェノクの潜伏場所を割り出し、王の居場所を探る。それが新たに氷川と河野に割り当てられた捜査となった。

 海堂直也には、津上翔一に護衛についてもらう事になった。

 北條はいい顔をしなかったが、翔一以上の適任者は他にいないし、翔一に人類への害意はなく、寧ろ彼が人を守ろうとする存在である事は、今までの経緯から明らかだった。無理矢理押し切る形で、氷川は北條と上層部の了解を取り付けた。

 勿論翔一だけではなく、警官も常時二名が護衛にあたる。

 海堂は、それまでの黙秘ぶりから考えると、比較的あっさりと王についての情報を明らかにしてくれた。

 驚くべき事に、海堂は王が復活し倒されるその場で、一部始終を目撃していたという。

 彼の語る話は、驚きを禁じ得ない内容ばかりだった。

 スマートブレインという会社が、オルフェノクの為に存在していた事、特に幹部以上の社員の多くがオルフェノクであった事、目覚めたオルフェノクを保護し、仲間を増やすよう教唆していた事。

 氷川と河野は、海堂の情報をもとに、元スマートブレインの幹部をあたることにした。

 海堂の話が本当ならば、スマートブレインの幹部達は王の復活を信じ、その為に動く筈だった。

 その他に聞き出せたのは、王の体を持ち去ったのが、ロブスターを模したオルフェノク、影山冴子と名乗る女、彼女は人間の姿に戻れなくなっている筈、という事だけだった。

 海堂にとっては、忌まわしい語りたくない記憶なのだろう。黙秘はしなかったが、彼の口は重く、眼差しは痛々しく沈んでいた。

 別れ際に海堂に、驚かなかったのか、と聞かれた。

 正直驚いたが、アギトやギルスを見慣れている、と答えると、海堂は呆れた顔をした。

 アンノウンの攻撃から庇ってくれた事に礼を言うと、海堂の顔はますます面白くなさそうに歪んだ。

 氷川は彼や翔一のような力を持つ事はできない、ただの人間だから、海堂が何故そんな顔をしたのかは、きっとずっと、分からないだろう。

 だけれども氷川は、海堂を信じていると、伝えたかった。氷川の目には海堂は、口が悪くてお調子者だが、根はいい人間、と映った。アギトやギルスを見てきた氷川には、彼がオルフェノク、人ならざる者というただそれだけで、拒絶する感情は起こらなかった。

 情報があまりに少ないが、とにかく一歩一歩あたるしかない。

 そんなには時間はないのだろうが、今は他に手段がなかった。

「しかしまぁ……オルフェノクがどうとか王がどうとか、正直あまり現実味が沸かんなぁ」

 右隣で氷川と並んで歩いていた河野が、やや情けない声でぼやいた。その言葉に、氷川も首を軽く縦に振ってみせた。

「僕も実は、全く同感です。情けない話ですが、オルフェノクを実際にこの目で見ても、まだ信じられないです……」

「あれだけアンノウンとやり合ってきたお前でもか?」

「ええ……また別物ですよ。オルフェノクはそもそもが人間という話ですし。並べるなら、アンノウンよりはアギトでしょうかね」

「アギトは人間が進化する可能性とか何とか言ってたが、お前は、オルフェノクってやつもそうだと思うか?」

 軽い調子の河野の質問を耳にすると、氷川はやや目を細めて、視線を斜め下に落とした。

「それは……まだ、分からない……です」

 低い声で答えると、河野はそうかと軽く応じて、それ以上口を開かなかった。

 ――言ってみりゃゾンビだ、ゾンビ!

 海堂の何気ない言葉を氷川は思い出した。

 死者が黄泉還った姿。命が生まれ潰える流れの中に理があるのならば、明らかに理に反した存在。

 海堂を含め、彼等は一度死んでいる。本来生きている筈はないのだ。

 どう対処すべきか、というのは、現時点では全く見えなかった。

 まずは王の居場所だ。アギトがこれから人と共に生きていく道を探さなくてはならないように、オルフェノクもまた、道を模索する事が出来るかもしれない。だがアンノウンの言葉を信じるのならば、王が復活すれば人は滅びる。

 スマートブレインが保有していた施設についても、破棄されたものも含め、別の者が調べを進めている。不審な点があれば、そう時間がかからずに明らかになる筈だった。

「そいつらが元は人間で、心は人間だっていうんなら、なるべく喧嘩はしたくないもんだがなぁ、そうもいかんのかね」

「僕も、そう思います」

 河野が呟いて、氷川はまた軽く頷いてみせた。

 

***

 

 スマートブレインの元幹部の足取りを追う作業は、殊の外難航した。

 そもそも、スマートブレインは、日本有数の巨大な企業だったから、幹部級の元社員だけでもその人数はかなりのものとなる。

 更に、多くの者が例によって行方不明となり、足取りの追いようがなくなっていた。

 他の企業に再就職したり、自身で事業を立ち上げた者も当然存在している。だが彼等は、オルフェノクについて質問をすると一様に、それは何なのかと、心底不思議そうな顔を見せた。

 何軒目になるかはもう数えていないが、このビルで小さな貿易商を始めた元社員からも、有益な情報は得られなかった。移動の為に、氷川と河野は、ビル地下の駐車場を歩いていた。

 停めた車の前に、四五人が立っていた。氷川と河野は不審を覚え、やや距離を開けて足を止めた。

 四五人の中から進み出た一人の女性は、非常に目立つ恰好をしていた。黒とシアンのエナメルで、体の線にぴったり沿ったスーツ。黒いボブカットに、服と同じ色合いのシアンのメッシュが入っている。

 彼女の姿には見覚えがあった。スマートブレインのテレビコマーシャルに出演していた女性だった。

「はぁい、こんにちは、氷川刑事さんに、河野刑事さん」

 女は艶然と笑みを浮かべ、語尾が甘ったるい喋り方で二人の名前を呼んだ。氷川も河野も警戒し、返事を返さなかった。

「お仕事中恐縮なんですけど、こそこそと嗅ぎ回られても邪魔なんで、死んでいただけます?」

 艶やかな笑顔のままで女が言うので、氷川も河野も、言葉の意味を把握するのに暫くの時間を使った。その間に、女の脇や後ろに立っていた男女の面に影が浮かび、影が彼等の姿を変容させていく。

「……河野さん、走って! オルフェノクです!」

 氷川が叫んで、踵を返し駆け出した。一拍遅れて河野も続いて駆け出す。

 その後を、今や完全に変容(メタモルフォーゼ)を完了させた、嘗て人であった灰色の異形が追い掛ける。

 氷川は勿論、河野も脚には自信がある。二人とも健脚自慢、聞き込みに歩き回り犯人を追い掛け続けて鍛えられた脚力は、生半な事では負けない自負がある。

 だがそれも、相手が人間であれば、の話だ。

 瞬く間に距離が詰められ、先頭を走るオルフェノクの爪の先が、氷川の後ろ髪に届かんばかりとなる。

「氷川、横に飛べ!」

 突然、鋭い声が飛んだ。聞き覚えのある声。言われた通りに氷川が横に転がると、後ろから飛び出した者が、先頭を走るオルフェノクの胸板目がけて、勢いの乗ったハイキックを浴びせた。

 食らったオルフェノクはたまらず吹っ飛び、後ろのオルフェノクも巻き込まれて、将棋倒しに倒れこんだ。

「葦原さん!」

 氷川が名を呼ぶと、カミキリムシを思わせる鋭い歯を剥いた緑の異形――ギルスは、全てを了解しているとでも言いたげに頷いた。

 葦原凉とは少し前に海堂の一件で顔を合わせていたが、葦原があの日あの場に居合わせたのは全くの偶然。ギルスである彼は今回の事件とは関わりがなく、葦原自身が何が何だか分からないという様子だった。事情聴取も短時間で終わり、(葦原凉の人当たりの悪さも手伝って)氷川は彼と旧交を温める間もなく別れていた。

 それが、何故、今ここに。

「俺の悪い予感はよく当たるんだ、お前をつけてて正解だった。お前はさっさと逃げて助けを呼べ!」

 ギルスの言葉に、氷川は深く頷いて、動きを止め固まった河野を目で促して、また走り始めた。

 氷川と河野は必死の形相で、薄暗い地下駐車場を駆け抜け、地上に通じる狭い非常階段を駆け上がった。

 踊り場で順路に従い方向転換をし、階段の上を見やると、先程置き去りにしてきた筈の、黒とシアンの女が、氷川を見下ろしていた。

 それは、汚いものでも見るような冷たさがあるのに、嫌悪の感情すら一切感じられないような、不思議な眼差しだった。

「あなたも……オルフェノク、なんです、か」

 走り続けて息が上がっていた。弾む息の間から、氷川は言葉を吐き出した。

「私が? オルフェノク? あっはは、そんな訳ないじゃないですかぁ」

 女は甲高い声で笑いを上げた。目は依然笑わず、冷たく氷川を見下ろしていた。

「ほーんと、噂通り。氷川さんって、ほんっとに、お馬鹿さんなんですねっ」

「……なっ!」

 唐突に貶められて、氷川が抗議の声を上げるが、女の表情は変わらず、貼りついた笑みが氷川を見下ろし続けた。

「あなたみたいな、正義感ばっかり強くて空気が読めない無骨な人って、ほーんと迷惑なんですよね。捜査を辞めろって命令されても言う事聞かないでしょ? そういう聞き分けのない子、お姉さん嫌いです」

 微笑ましく諭されて、氷川も後ろの河野も、唖然として女を見上げた。女は変わらず、感情の感じられない微笑を頬に浮かべていた。

「……あなたは、何者なんですか」

「お姉さんですかぁ? 通りすがりの美少女ですっ、なんちゃって!」

「ふざけないで下さい!」

 氷川が鋭く叫ぶと、女の顔から笑みが消えた。ぞっとするような太さ強さを持った視線が、氷川を見据えていた。

「……お姉さんはいつだって真剣ですよ。あなたこそ、中途半端な気持ちでオルフェノクの皆さんの邪魔をしないでくれます?」

「中途半端……?」

「だってあなた、オルフェノクが元々人間だったから、怪物なのか人間なのか分からないって、思ってるんでしょ? あなたにオルフェノクを撃つ覚悟も殺される覚悟もありはしない。それって中途半端じゃないです?」

 言われて、明らかに言葉に詰まった様子で息を飲んで、氷川は女を睨みつけた。

 女の言う事を、氷川は否定は出来なかった。オルフェノクの既に人とは思えない姿を見ても、氷川はきっと銃を握るのを躊躇するだろう。

 海堂は普段は人の姿をしていて、必要に応じて姿を変えるのだから。

 「人ではない」と思えない事が中途半端と言われるのであれば、それを否定は出来なかった。

「おい氷川! お前、真面目なのはいいが、そんな与太話にまで真面目に付き合うな!」

 後ろの河野から、鋭い声で叱責が飛んだ。はっとして氷川は、河野を振り返った。

「何で何の躊躇いもなく人間に銃を向けにゃならん! 俺達の仕事は人を撃つ事じゃない、人を守る事だろうが!」

 河野は珍しく激昂した様子で、女に対する構えは解かないながら、厳しく氷川を怒鳴りつけた。

 氷川ははっきりと二度縦に首を振って、改めて女へと向き直った。

「つまらない人達。せめて私の邪魔をしなければ、それでいいのに」

 ふん、と鼻から息を吐き出して、女は詰まらなさそうに氷川を見下ろして、踵を返した。

「待ちなさい!」

 氷川が呼び掛けると女は立ち止まり、振り向いた。そこには今は感情があった。とるに足りない物を見下し馬鹿にする、そういう視線だ。

「私が教えなきゃオルフェノクについてだって何も調べられない位無能なのに、威勢ばっかりいいなんて。ほんっと、うざったい男」

「教え……? 僕はあなたに何か教えてもらった覚えなんて……」

「警察の実験の資料、読みましたよね? あれ、スマートブレインに保管してあった分の写しなんですよ?」

 差出人不明の資料。北條宛てに届いた、オルフェノクに関する実験の記録。

 氷川は、やや信じがたい心持ちで、女を見た。

 邪魔されたくないのであれば、そんな物を送らなければいいのに、何故そんな事を。全く分からなかった。

「送った理由、分からないでしょう? だからお馬鹿さんだって言うの。ただの人間に用はないから、引っ込んでいなさい。でないと、本当に死ぬわよ」

 さも面白そうに笑ってみせて、女は踵を返して、歩いていった。

 理由など分かる筈がない。氷川が女の背中を見送って、河野が携帯電話をスーツの内ポケットから取り出した。

「河野だ、現在、オルフェノクを名乗る生命体五体とギルスが交戦中。そうだ、そのビルの地下だ。俺と氷川がオルフェノクに狙われて、ギルスが助けてくれたんだ」

 河野の声が踊り場に響き木霊する。

 氷川に銃を撃つ覚悟が、ないわけではない。

 今までだって、必要があって、人間に向けて撃った事はある。

 氷川に足りないのは恐らく、「人間を守る為に、オルフェノクを怪物と割り切って、撃ち殺す覚悟」だった。

 そんなものを、持てるだろうか。持てる筈がないように思われた。

「おい、もう少ししたら尾室が来るそうだ。奴さんのトレーラーが丁度近くにいたみたいだ。」

 氷川は頷いて、尾室率いるGトレーラーと合流する為、再度階段を登り始めた。

 

***

 

 多勢に無勢の状況だったが、ギルスは怯みはしなかった。

「ウワァアウ!」

 ギルスは既に、アギトの力を得てより進化した姿――エクシードギルスへとその姿を変えていた。

 雄叫びをあげて腕のギルススティンガーを振るうと、鞭の如く撓ったスティンガーに二体のオルフェノクが巻き込まれてもんどり打った。

 時間はだいぶ経過しているように思われる。氷川が逃げる時間は十分に稼いだだろうし、そろそろ潮時と思われた。

 そこに、車のエンジン音が近づいてくる。面倒な事になったが、五体もの異形を相手どっては即時撤退もままならず、ギルスは一体のオルフェノクが振るった棍棒のような武器の一撃を、後ろに軽く飛んで躱した。

 やがて車は姿を現し、駐車スペースではなく通路の真ん中に停止した。

 その青い車体は、ギルスも見覚えがある――警視庁未確認生命体対策班に所属するG3システムの要、Gトレーラーだった。

 五人ほど、G3に似たプロテクター姿が後部ハッチから飛び出してきて、それぞれにオルフェノクと組み合い始める。

 利なしとみたのか、オルフェノク達は適当に青いプロテクターをいなすと、三々五々退却を始めた。

「くそ、待て!」

「待ってください、葦原さん!」

 オルフェノクを追おうとしたギルスを、後部ハッチから出てきた氷川が呼び止めた。ギルスは足を止めて、その姿を葦原涼へと戻す。

「あいつら元を断たないと同じ事だろう、何で止める」

「必要ないんです」

 葦原が氷川を訝しげに見つめる。トレーラー後部から、男がもう一人降りてきて、氷川の隣に立った。

「ベタだけどね、発信機だよ。気付かれなければ奴らのアジトが分かるかもしれない」

 氷川の隣の男の言葉に、青いプロテクターの一人が握った拳を突き出して、親指を葦原に向けて立ててみせる。

 最後にトレーラーから降り立った男は、丸い顔に角刈り、背は高くなくやや丸い体型。それなりに歳は若く見えるのに、鼻の下で整えられたちょび髭は、多少背伸びをして無理をしているようにも見えた。

 見覚えがある気がするが、どうしても名前が思い出せない。葦原は不審げに顔を顰めた。

「お前、誰だ……会った事はあったか?」

 葦原の言葉に、氷川の隣に立ったためか必要以上に小さく見える男は、心外そうに顔を歪めた。



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カインの子、約束の地にて天に召され(1)

推薦でのご紹介ありがとうございます☺ 王については555放映版の死亡が確認されてない(完全に滅びたと確認できてない)設定を採用してます。


 日差しはまだそんなに高くはない。普段ならば、まだベッドの中で微睡んでいる事もあるような時間だった。

 朝の九時。今日も定刻通りに、巧が待機する車の窓を、白井虎太郎が叩いた。

「お疲れ様」

 ドアを開けると、虎太郎は人懐こそうな笑みを浮かべて、いつも通りに、パンと牛乳の入ったポリ袋を差し出しながら、助手席へと乗り込んだ。

「今日も何もなかったぞ。本当にあの仏頂面を攫いたいなんて物好きが存在してんのか?」

「あれでも結構、感情が顔に出るようになってきたんだよ、始。何事も起きないのが一番だしさ」

「そりゃそうだがな……こっちは眠くてたまんねぇよ」

 ぼやいて巧は、受け取ったポリ袋から牛乳の瓶を取り出し、紙蓋を外して、一息に半分程を飲み干した。

 ハカランダの側の道で、虎太郎の車を使って張り込みを始めて、二日になる。

 手がかりもないままに闇雲に王を捜し回るよりは、恐らく再度始を狙って姿を見せるに違いない敵を待つ方が、幾分かは確実性が高いように思われたし、それに、ハカランダを離れて栗原親子から目を離すのを、始が断固拒否した。

 昼は啓太郎と虎太郎が、夜は三原と巧が交替で待機し、有事に備えていた。

 今のところ、オルフェノクの気配はない。不気味な程静かに、時間だけが過ぎていく。

 袋を開け、巧がアンパンに齧りつくと、ハカランダのドアが開いて、出て来たエプロン姿の始が、手にした箒と塵取りで、周囲を掃き清め始めた。

 何か起こるなど思いもよらないほど、冬の朝は穏やかに流れている。もそもそとアンパンを噛みながら、巧は面白くなさそうな顔で、掃き掃除が進む様を眺めた。

「あのさ……」

「ん、何だ」

 自分から呼び掛けておいて、虎太郎は何か躊躇ったのか、言葉を継がずに黙ってしまった。

 巧が正面から助手席へと視線を移すと、ちらと巧を見て、照れ臭そうに笑う。

「あの、始の事、手伝ってくれて、ありがと」

「……別に、あいつを助けるとかじゃない。こっちもオルフェノクに用事があるだけだ」

 巧は嘘偽りない心境を口にしたが、それをどう解釈したのか、虎太郎は嬉しそうに目を細めた。

「それでもさ、ありがと。あいつあんな奴だから誤解されやすいんだけど、今はほんとに、あそこで静かに、暮らしたいだけなんだ。それだっていつまで居られるか分かんないけど……だから僕達、あいつの居場所だけは、どうしても守りたい」

 虎太郎は、まるで独り言みたいに、訥々と言葉を継いだ。ゆっくり噛み締めるような、誰に向いているのか分からない独白を聞きながら、巧はアンパンの最後の一口を飲み込んだ。

「……お前もあの橘って奴も、随分仲間思いだな」

 素直な感想を口にすると、虎太郎は今度は、僅かに困ったように眉を下げて、目を細めた。

「ホントはね、僕も橘さんも、始とは凄く仲悪かったんだけど……何か、約束っていうか、そういうのが出来ちゃって……。剣崎君っていってさ。あいつと親友で、僕の友達だったんだけど、どうしても側に居られなくなって、離れてったんだ」

 虎太郎の話は、今一つ掴み所がない。残りの牛乳を噛みながら、巧は相槌を返さず、ただ虎太郎の言葉を聞いていた。

「剣崎君はね、あいつがあそこにずっといられるように、その為に、いなくなっちゃった。だから僕も橘さんも、その剣崎君の気持ちを、きっと守りたいんだ。それにさ、始もあれで、慣れればいいとこあるし、あいつがいないと僕の姉さんと可愛い姪が悲しむから、それもあるけどね」

 虎太郎は、淡々と長い台詞を口にして、最後に、淋しそうに笑ってみせた。

 その笑顔はよく知っている。失ったものが埋められない、戻らない事を知った者の笑顔だ。

 木場も、見せていた笑顔だ。

「……まあ、何だか知らねぇけど、俺はオルフェノクの馬鹿野郎共をとっ捕まえられりゃそれでいい。お前等はお前等の事情でやれよ。それだけだろ」

「そうだね。でもやっぱり、ありがと」

 今度はにこりと優しげに微笑まれて、巧はやや目を眇めると、帰る、と短く言い捨てて、ドアを開けた。

「何かあったらすぐ電話しろ」

「うん、分かってるよ。気を付けてね」

 虎太郎の返事にはもう振り向かないで、巧はドアを潜って、やや離れた場所に停めたバイクへと歩いていった。

 その背中を眺めた虎太郎が、始と何だか似てる、などと感想を抱いている事は、勿論巧は知りようがなかった。

 

***

 

 眠りを破ったのは携帯電話の着信音。布団を撥ね上げて、巧は枕元に置いたファイズフォンを開いた。

 辺りはやや薄暗くなりかけている。冬の日は早い、夕刻になるかならないかだろう。

 液晶画面に表示されていた名前は、白井虎太郎でも啓太郎でもない。津上翔一からの着信だった。

「何だ」

 通話ボタンを押し、寝起きの、擦れた低い声で、巧が声を出すと、相変わらずからりとした翔一の声が返ってきた。

「あっ乾さん、今大丈夫ですか?」

「……安眠は妨害されたけど、話を聞く時間ならある」

「ああ、すいません。でも、そんな爛れた生活を送っちゃいけませんよ」

「こっちだって好きでこんな時間に寝てねぇよ……言ったろうが、寝ずの番してるって。いいからさっさと用件を話せ」

「あ、すみません。あの、実は、警視庁の知り合いにオルフェノクのアジトを探してもらうって言ったじゃないですか。あれが上手くいきそうで」

「本当か?」

「はい、多分。だから報告会したいんですけど……ちょーっと問題が……」

 声を潜めて言うと、翔一はよく動く筈の口を止めて、言い淀んでしまう。やや苛立ちを覚えて、巧は顔を歪めた。

「何だ、勿体付けてねぇでさっさと話せ」

「あの……刑事さんが一緒だったら、やっぱり嫌ですよね?」

「……何をしたんだ? やっぱりお前……」

「あ、何かちょっと失礼な想像しましたね今。残念だけど俺は逮捕されてません。寧ろ逆に、警察にお願いされてる事があるんです。それから、まだ内緒ですけど、今凄い人と一緒にいるんですよ?」

「……勿体付けるな」

「ふっふっふ、本人の希望で秘密です。とにかくちょっと、会えないかなって。乾さん、うちのレストランに来てもらうのって、出来ます? 都合のいい日でいいんですけど、なるべく早くに」

 明かせないなら始めから存在を匂わせなければいいものを。巧はやや苛つくと、長く溜息を吐き出した。

「……明日なら多分、多少は時間が取れる。そっちは店は大丈夫なのか」

「あ、今ちょっと休んでるんですよ。店の事は大丈夫です」

「分かった。じゃあ、明日の昼でいいか、二時頃」

「はい、お待ちしてますね。また明日」

「ああ、明日な」

 電話を切ると、念の為三原と啓太郎に、翔一に会いに行く旨を連絡する。

 オルフェノクの潜伏場所さえ探し出せれば、乗り込んで叩き潰せばいい。その方が話が早いし、睡眠時間がおかしくなる事もなくなる。朗報だった。

 だが今の巧は、今日の晩に何が起こるのかなど、勿論知る由もなかった。

 

***

 

「どういう事ですか、これは! 警察はこの事件の捜査情報をマスコミに公開していない!」

 北條が受話器を片手に声を荒げるが、暫くすると、苦いものを噛んだように顔を顰めて受話器を置いた。電話は相手に切られたようだった。

「駄目です、毎朝も話にならない。こんなものがもう配られているなんて……」

 やや目元に疲れを滲ませて、北條が呟いた。未確認生命体対策本部の電話はフル稼働しているが、皆北條のように門前払いを食らっているらしかった。

 北條の横でやはり電話をしていた河野も、溜息をついて首を横に振った。

 二人の前の机には、主要新聞各紙の夕刊と号外が置かれていた。

 一面の見出しはどれも似たり寄ったりのものだった。

『未確認生命体以上の脅威、オルフェノク』

『警視庁は捜査情報を隠匿、市民に危険を知らせず』

『G5部隊未だ成果なし、問われる有用性』

 北條はぼんやりと新聞の束を眺めると、突然腕を振り上げて、ばんと新聞を掌で叩いた。

「どうして捜査情報が漏れてるんだ! 何でこんな記事が!」

 苛ついた声で叫ぶが、北條の問いに答えられる者はいない。警察の非公開情報を、何の断りもなく各紙が一斉にスッパ抜くなど、最悪の事態としても想定しがたい、アンノウンやオルフェノクという存在の成り立ちと同じ位に不可解な事象だった。

 気まずい空気の中、また電話を切られて、誰かの声が途中で途切れる。

「ほっ、ほ、北條さん!」

 駆け込んできた氷川の叫び声が重い空気を打ち破った。

 氷川は今、G5ユニットと、オルフェノクに取り付けた発信装置の行方を追っている筈だった。

「何ですか氷川さん、騒々しい」

「てて、テレビ、テレビを! どのチャンネルでもいいですから!」

 息を切らしながら喚く氷川の勢いに押されて、捜査員の一人が側に置いてあったリモコンを操作してテレビを点ける。画面には、少し前によくテレビ画面に写っていた女性が、久しぶりにその姿を見せていた。

「だからね、オルフェノクちゃん達。今こそ立ち上がる時なんです。黙ってたら、警察の皆さんやアンノウンが、あなたたちを次々狩っていくんです。やられる前にやる、それがあなた達には出来るんです。だってあなた達は人間を超えた、進化した存在なんですから。人間なんてつまらない存在に、むざむざ滅ぼされちゃう事はないんですよ。やっつけちゃえばいいんです。その為のお手伝いを、お姉さん達は惜しみませんから、なーんでも言ってください! 一緒に理不尽な抑圧と戦って、自分自身の生きる権利を獲得するんです!」

「…………何です、これは」

 画面を呆然と見つめる北條の顔からは、一気に血の気が引いていた。どんな出だしで始まったのかは分からないが、人間と戦うようにオルフェノクを扇動している。何故こんな内容がテレビ画面に流れているのか。

 この女は確か、スマートレディと呼ばれ、スマートブレインのコマーシャルに出演していた。その活動ははっきりとしていない部分が多いが、歴代社長の側近として、何やら怪しげな動きをしていた痕跡もある。

「こいつ、この前、俺と氷川を襲った女じゃないか」

 ぽかんとして、ぼんやりした口調で河野が口を開いた。ようやく息が整ってきた氷川が、無言で頷く。

「オルフェノクちゃん達、あなた達を邪魔するものは何もありません。お好きになさい。あなた達は選ばれた人間なんだから、何をしてもいいの。人間がいなくなれば、もうオルフェノクである事を隠してコソコソしなくてもいい、そう思わない? どっちがお得か、よーく考えてね」

 画面は唐突にふつりと暗くなり、音声もなくなる。数瞬の後に無音のまま、『しばらくお待ちください』とテロップの入った、アルプスの農村の長閑な風景へと切り替わった。

 暫し、沈黙が流れる。テレビの音が消えた以上、その場に居合わせた者達には口を開く材料がなかった。

 一体何が起こっているのか、オルフェノクは何がしたいのか。

 今の映像が新聞報道のタイミングと関係があるであろう事は明らかだったが、狙いは見えない。

 沈黙を破ったのは、無線通信の入線を知らせるアラームだった。

「警視庁より各局、現在、複数地域でオルフェノクと思われる生命体出現との通報あり、現在も入電中。板橋区下板橋、北区王子、葛飾区青砥――」

 十ヶ所近く、地名の読み上げが続く。あまりに、タイミングが良すぎる。

「……これは、計画されていた、今暴れているオルフェノクも彼女の放送が終わるのを、待機していた……?」

「何故、そんな」

「奴らは、演出したいんじゃないんですか。人間とオルフェノクの対立を」

 北條の答えに、氷川ははっとなって北條を見つめた。

「報道で人間側にオルフェノクが危険な存在である事を印象づけるのと同時に、オルフェノク側に独立を促す。口火は既に手懐けているオルフェノクが切るように仕向ける。騒ぎが起これば、人間の側も黙っていられないし、オルフェノク側でも同調する者が多く出るかもしれない。何故今なのかが分からないが、今はそんな事を言っている時ではありません。現状の捜査は後回しです、我々はG5部隊のバックアップに回ります。各自、予め決めておいた各々の班に分かれてG5部隊に合流、周辺住民の保護と安全確保を最優先で行動してください」

 北條の言葉に各員が頷き、会議室を出て行く。氷川と河野も続こうとするが、後ろから北條が呼び止めた。

「氷川さん、待って下さい」

「はい」

「あなたのあたっていた件はどうなりました?」

「現在、捜査員二名が追跡しています。発信機も靴の外側に付いたせいか、まだ気付かれていません。中々本拠地には寄り付かないのですが、事態が動きましたから、コンタクトをとるかもしれません」

 その言葉に北條は頷くと、無線のスイッチを入れ操作した。

「こちら北條。尾室さん、まだ警視庁内におられますか」

「こちらG5ユニット第一隊、まだ格納庫内で出動準備中です」

「第一隊は、引き続き発信機の追跡にあたっていただけますか、私としてはそちらを中断したくない。河野さんと氷川さんをバックアップに回しますので。G5の指揮は私がここで執ります」

「えっ、でも……」

「どちらにせよオルフェノクと戦う事にはなります。本拠地が判明すれば、そこらで暴れている奴より強力な個体と相対しなければならないかもしれない。アンノウンが出現する可能性もあります。G5なしで本拠地の捜索は出来ないんです」

「……了解しました」

 無線が切れる。振り返った北條に、河野と氷川はやや戸惑いながらも頷いてみせた。

「頼みましたよ。こうも何も出来ずに好きなようにされたままではいられません。オルフェノクであれ何も知らないのならばアンノウンから守るべきかもしれないが、騒乱を起こそうとするなら話は別です。何としても阻止しなければ」

 長い夜になりそうだった。もしかしたら、いつ果てるともしれない戦いの幕開けになる可能性もあった。

 もう一度二人は頷いて、早足に会議室を出て行った。閉じていたノートパソコンを開いて、北條は軽く一つ息をついて、パソコンを右手で操作しつつ携帯電話を取り出した。

 夕刊もテレビも全国に流れるメディアだ。全国規模で、騒乱が起こる可能性があった。上の指示を仰ぎつつG5部隊を指揮せねばならない。

 携帯電話のボタンを左手で押して、北條はもう一度、軽く息を吐き出した。

 

***

 

「あなたがいれば心配ないとは思いますが、十分警戒して下さい、分かってますか?」

 河野の背中を追いながら、氷川が携帯電話に向かって早口で捲し立てる。

「分かってますよ。俺もお手伝いしたいところですけど……」

「気にしないで下さい。気持ちは有り難いですが、海堂さんを見てくれているだけで十分です」

「そうですか……? 分かりました、こっちは任せて下さい。氷川さん、あんまり無理しないで下さいね」

「分かってます。それじゃ」

 手短に別れの言葉を告げて、津上翔一へかけた電話を終話させた。

 地下に降り、Gトレーラー格納庫へと足を踏み入れる。先日のアンノウン襲撃で崩れた瓦礫などは片付けられていたが、修繕はされていない。あちこちの壁や柱が崩れ、穴が開いている。

 一台だけ残っているトレーラーへと近づくと、氷川と河野の接近を察知したのかドアが開く。中に入ると、尾室とオペレーターが二人を迎えた。

 G5装着員は一隊に五名、後部格納庫で寿司詰めになり待機している筈だった。

「尾室さん、どうですか状況は」

「さっき報告がありました。発信機を取り付けたオルフェノクは移動を始めてます。僕たちも向かいましょう」

 二人が頷くと、直にトレーラーが発進を始め、地下を出て通りへと走り出した。



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カインの子、約束の地にて天に召され(2)

 街のあちらこちらで、逃げ惑う人々の悲鳴や、出動したパトカーやら救急車、消防車のサイレンが、響いている。

 その騒乱は、住宅街に構えられた翔一のレストランにも伝わってきた。既に常駐の刑事達に、この騒乱がオルフェノクによるものである旨も、伝わってきていた。

 情報が錯綜しており、アンノウンの動向については今のところ分からない。

 これがオルフェノクによる騒ぎなら、海堂を拘束する命令が来ても不思議ではなかったが、通達は、待機せよというものだった。

 海堂はテーブルに腰掛けて、落ち着かない様子で目線を泳がせては、靴の裏で小刻みに床を踏んでいた。

 刑事達の表情も、硬く緊張していた。外で騒ぎを起こしている者と同じ存在が目の前にいるのだから、当然かもしれない。

 海堂は彼らの前で、無口で大人しかったが、犯罪者も大抵は、普段は普通の人だろう。

 テレビは、一つだけ旅番組を流している他はどのチャンネルも、臨時ニュースでオルフェノクが全国の主要都市を中心に出現している様を伝えている。

 夕方のワイド番組のロケで市街地にいたカメラが、オルフェノクが人を殺す様を捉えていた。触手のようなものが伸びて男の胸を貫いて、男はしばらくすると、白っぽい灰になり、風にまかれて崩れ去ってしまった。

 惨い、死に方だった。

 この映像を映したカメラマンはもう生きていない事が伝えられる。会ったこともない人に降りかかった、突然の死を思った。

 この様はすぐに海を越えて海外で報じられるだろう。インターネット経由でも伝わる筈だ。もしかすると既に飛び火しているのかもしれないが、分からない。

 先程から翔一には、ひっきりなしに悲鳴が聞こえていた。他の三人に変わりがないところを見ると、聞こえているのは恐らく翔一だけだった。

 きっと、未覚醒のアギトの、悲鳴なのだろう。

 今すぐにでも飛び出して駆け付けたい衝動は強かったが、今は海堂の側を離れられないし、駆け付けるにしても数が多すぎた。どこへ向かえばいいのか、優先順位など付けられる筈がない。

 翔一は海堂の事を氷川から託されたのだ。他の事は、氷川や警察に、託したのだ。

 普段賑やかな翔一までもが沈痛な面持ちで黙りこくって、言葉を発する者はいない。重い沈黙だけが、場を支配していた。

 敵はずっと前から周到に、この決起に向けて根回しをしていたのだろう。何も知らず知らされず、死ななくていい人達が、死んでいく。それがひどく、重苦しくて辛かった。

 やがて、店のすぐ側を、甲高い悲鳴が通り過ぎた。翔一は険しい顔を上げたが、それ以上動けずに唇を噛み締めた。

「……おい、ショーイチ君」

「何ですか……?」

「俺ぁ行くぞ。もう、こんな所でじっとしてんのはうんざりだ。考えてみりゃ、何で俺様がお前らの言う事聞いて大人しくしてなきゃなんねえんだ」

 レストランの手伝いに来ていた真魚が翔一を呼ぶ呼び方が気に入ったらしく、海堂は翔一を、軽い口調に君付けで呼んでいた。

「待ってください、それは駄目ですよ、アンノウンだってまたいつ現れるか分かんないし……それに」

「それに、何だ? 外で暴れてる奴らぁ、確かに俺と同じオルフェノクだよ。けどなぁ、俺様は、弱い者いじめってやつが、大っ嫌いなんだよ」

 返答に困り翔一は二人の刑事に目線を送ったが、予想に違わず二人は、首を横に振っていた。

「……お前等なぁ、よーく考えてみろ。オルフェノクが見つからなかった時なら俺にも価値はあったろうさ。だがな、今は外にウジャウジャしてやがんだぞ。珍しくも何ともねぇ。俺は別にオルフェノクのえらーい人ってわけでもねぇ。そんな俺にかまけてる暇があんのかっつってんだ」

 焦れたような海堂の口調は強くきつかった。返す言葉がやはりなくて、翔一は目線を落として俯いた。

「だからって、海堂さんを危険な目に合わせていいって事には、なりません。俺は、頼まれてるんですから」

「バッカお前、俺様の隠密スキルを舐めんなよ。伊達にスマートブレインに狙われて生き残ってる訳じゃねぇぞ」

 言って海堂は、今度は軽く笑ってみせた。

 確かに、海堂を守り続ける事に、さしたるメリットはないだろう。海堂は話せる範囲の事は話したのだと翔一は信じているし、ずっと放浪を続けていた彼が、現在の元スマートブレイン周辺の状況に詳しいとも思えない。メリットがあるから守る訳ではないが、海堂の言うことにも理はあった。

 刑事たちにしても、外の状況から目を背けながらここを守り続けるのは、翔一と同様に、あるいはもっと、辛いだろう。二人して困った顔を見合わせた。

「……あー、もう、まどろっこしいな! わーった、じゃあこうしよう。俺が今からオルフェノクになって襲い掛かるから、お前等逃げろ!」

 海堂にぴしりと指差されると、流石の刑事達もぎょっとして海堂を見返した。

「そんな無茶な……」

「無茶も糸瓜もあるか! こうしてる間にも、事態は知らないとこで進んで、取り返しがつかなくなるんだよ!」

 翔一に嗜められても、海堂はまったく悪怯れはしなかった。だが、眉の間には確かに、焦りの色が浮かんでいた。

 海堂は止めても聞かないだろう。それは伝わってきた。翔一は困った顔のままで、刑事たちに向き直った。

「……どうやら、止めても無駄っぽいんで、海堂さんの言う通りに、お二人は襲われた事にして逃げてもらえます?」

「いや……しかしそれは」

「そのうち本当にやりかねないですし……俺が付いてますから大丈夫です。お二人は他の人と合流して、一人でも沢山、襲われてる人を助けてください。俺も、その方がいいと思います」

 翔一にも言われて、二人は大分心動いた様子で、再び顔を見合わせた。

 説き伏せられた形で刑事二人が店の駐車場に停めた車で警視庁へと戻り、見送った翔一は店の中へと戻ろうとしたが、海堂は動かなかった。

「海堂さん……?」

 立ち止まったままの海堂は翔一から目をそらして横に体を向けて、やや顔を伏せていた。

「俺を、乾に会わせろ。今すぐにだ!」

 海堂が俯いたまま、低い声で告げるが、翔一は、戸惑って眉根を寄せた。

「でも、海堂さん、いいんですか……? 外は危ないですし、明日乾さんと会うのだって、乗り気じゃなかったのに」

「いいも悪いもあるか、俺が助けてやんねぇと、あいつまた何も言わないで一人で抱え込みやがるんだ、行かなきゃなんねぇだろ! あんな七面倒臭ぇ奴放っときたいけどよ、そうもいかねぇんだよ!」

 海堂の叫びは、恐らく目の前の翔一には向いていなかった。どこにもぶつける場所がないものを、自分自身に叩きつけている。そんな感じを受けた。だから海堂はきっと、今にも泣き出しそうに、顔を歪めている。

 翔一はふっと目を細めると、淋しそうな眼差しで、海堂を見つめた。

「それが、あなたのしなきゃならない事、ですか?」

「そうだよ、俺ぁ、繰り返せねぇんだ。木場も結花も照夫も、本当は俺なんかよりもっとずっと、生きてなきゃなんなかったんだよ! 乾だって、そうなんだよ!」

 言うと海堂は、口をつぐんで黙りこくった。痛みに耐えかねるように、歯を食いしばり、ぎゅっと眉を寄せて。

 海堂はたまたま東京に戻ってきただけだと言っていたが、彼が帰ろうと何の前触れもなく頭に浮かべて実行したのは、きっと偶然ではないのだろう。

 翔一には、そう思われた。

 彼にとって、その悔恨、痛みが、乗り越えなくてはならないものであるが故に。

 乗り越えないと、一歩も足を踏みだせなくなる痛みというものは、ある。翔一にはよく分かる。乗り越えたとは言えないかもしれないが、翔一にもそんな痛みはあった。

 あの時翔一は、真魚が、自身の痛みを、アギトなんてものの為に父を理不尽に失った痛みを堪えて声を送ってくれたから、許されたのでなくても戦えた。

 姉を死に追いやったアギトの力。そんなものはいらないと、もう戦えないと思った。力なんてなければ、争いも起こらない。アギトの力なんて、必要のない、忌まわしい力に思えてならなかった。

 だけれどもそれ以上に守りたいのだと、真魚の声で思い出した。真魚を、居場所を、全ての人とアギトの居場所を、守りたかった。

 氷川と葦原涼と、木野がいてくれた。一緒に戦ってくれた。

 だから海堂にもきっと、一緒に戦ってくれる誰かが、戦ってくれと支える声が、必要だ。例え必要なんてなくても、きっとあったほうがいい。そう思った。

 翔一は彼と乾巧が如何なる関係にあるのかを、詳しくは聞いていない。巧同様、海堂は過去の事を話したくはなさそうだったし、自分が彼らの気持ちにまで、深く首を突っ込むべきではないと思われた。

 聞かなくても知らなくても、きっと力にはなれるし励ませる。そう思った。

 ただのお節介なのかもしれないが、翔一はお節介が悪い事だとは思わない。苦しそうな人を助けるのは、きっと良い事だ。

「分かりました……乾さんに会いに行きましょう。海堂さんの言う通り、一人で戦ってるかもしれません、それなら助けなきゃ」

 言うと、海堂が頭を上げて頷いた。

 

***

 

「どういう事なんです、どうして自衛隊への出動要請ができないんですか!」

「くどいぞ北條くん。これは決定事項だ、従い給え」

「黙りません! こうしてる間にも、命が失われてるんですよ、全国で! こんなもので終わるわけがない、奴らは何か切り札を持っているからこそ、こんな大々的な行動に出たに違いありません、座していれば死人が増えるだけだ! 私達に、警察官にとって、人の命を守る事こそが、何にも優先されるべき職務ではないのですか!」

「それは君の言う通りだ。だがこの決定はもう、覆らん」

「納得出来ません!」

「無理なものは無理なんだ! 話は終わりだ!」

 電話は一方的に切断された。新たな百十番通報があった事を告げるアラーム音が、甲高くノートパソコンから響いた。

 敵がもし、警察の上層部を抑えつける力を持っているのならば、新聞各紙の足並みを揃えた一斉スクープも不思議な事態ではない。

 何を考えているのか。近い未来の保身より、今この事態を放置すれば人間が滅びかねない事が、分からないのか。

 北條は人間の本質を善と考えている。自分が善人だからだ。

 だが、人には、目先の損得に惑わされ圧力に屈する、弱さもあるのだ。多くの人の中に、それは否定しようもなく存在している。

 それに負けてはいけない。人を危うくするのは、多くの場合、その弱さからくる蒙昧だ。だから聡く判断できる北條は、弱さに負けず、正しい選択を示さなくてはいけない。

「……無線を繋いでくれませんか」

「しかし、北條さん……上の決定は……」

「そんな事を気にしていれば、あのオルフェノク共が好き勝手に振る舞って、犠牲者が増えるだけです。私は警察を辞めたって仕事がないわけじゃない、でも命は取り返しがつかないんだ! あなたが責任を問われるような事にはしませんから、そんなに心配しないで下さい」

 彼も決して、自分が責任を被る事を恐れるだけで躊躇しているのではないのだろう。その恐れが一欠片もないとは言わないが、決してそれだけではない。それは北條とて理解している。上の命令は絶対、その秩序がなくては、組織は成り行かない。組織の構成員としては、至極まっとうなのだ。

 自らも警察という組織の一員である以上、北條も本来はそのように行動している筈だった。正しい行動を組織の行動として決定させる、結果として組織を正しいものへとしていく。それが北條の抱く理想だった。警察という組織の内部から改革を成す者として、自ら自負もしていた。

 だが今そんな事を言っていれば、警察という組織すら存続が怪しくなる、そんな事態も起こりうる。

 あまりに素早く為されたスマートブレインの解体。それがもし、日本に冠たるコングロマリットの財力を温存して隠匿するためだったとすれば。その財力、組織力、影響力が未だ死んでいないのだとすれば。少数のオルフェノクが街で暴れまわる程度で終わる筈がない、今まで沈黙を守ってきた者達が、行動を起こすだけの理由がある筈なのだ。

 そして彼らは、人間への敵意を表明した。ならば人間は、戦わなくてはならない。

「警視庁各局へ、未確認生命体対策班より。上層部は自衛隊への出動要請を拒否しました。増援はない、そう思って背水の陣の心構えで臨んでいただきたい。渋谷区富ケ谷で新たな百十番通報、付近を警邏中のPCは急行してください。付近住民の安全確保を最優先に行動のこと」

 簡単に告げて、無線の送信をオフにする。百十番情報をモニタした画面を見れば、都内二十三区では既に二十ヶ所近くで、百十番通報があった事を示す赤い点が打たれていた。そして、解決し消えたものはまだない。

 人を遥かに超えた力を持ち、人を灰に変える怪物。そんなものに、警察官の装備で立ち向かえと言わざるを得ない。

 せめて効率的な人員配置を。避難場所として使われるであろう学校や公園は、狙い撃ちにされる可能性がある、人員を配置しなくてはならない。

 本拠地さえ叩ければ、逆転の目はある。それまで持ちこたえなければ。きゅっと口を引き結ぶと、北條は再びノートパソコンのモニターへと視線を落とした。

 

***

 

 巧がハカランダを見張る受け持ちは、深夜から朝まで。

 冷蔵庫の中にあった食材で簡単な夕食を用意し終えて、巧はリビングでコーヒーを飲んでいた。そろそろ、三原と交代した啓太郎が帰ってくる頃だった。

 時計を見ると七時半。テレビでも付けようかと体を動かすと、携帯電話が鳴った。

「たたたた、た、たっくん! オオオ、オルフェノクが!」

「落ち着け啓太郎、ゆっくり話せ。まだハカランダか、三原は」

 受話器を耳に当てた途端に、啓太郎の悲鳴が届いた。

 とうとう来るべきものが来た、という事だった。

 この時間なら三原がそろそろハカランダに到着する。片手でコートを肩に引っ掛けるとアタッシュケースを手にとって電気を消し、巧は早足で外へと歩いた。

「まだ動いてないんだけど、四五人固まって相談してるんだ……すぐ来れる?」

「ああ、すぐ行く。お前は危ないから隠れてろ、出るんじゃねえぞ。あと見付からないように三原にも連絡しとけ、いいな」

「うん、分かった、早く来てね」

 答えた啓太郎が通話を切断する。サイドバッシャーのエンジンをかけると巧は跨って、スターターを押してエンジンを回した。

 どんなに急いでも十五分、道の混み具合によってはもっとかかる可能性もある。

 だが、大通りに出ると、予想に反して、驚く程車の数が少なかった。対向車線を救急車が、三台連なって通り過ぎていく。

 よく見れば、イルミネーションに照らされてほの明るい夜空には、幾筋か遠くの方で、黒い煙が立ち上っていた。パトカーとも何度かすれ違う。

 何か、あったのかもしれない。ニュースを一切見ていない巧にも、状況の異様さは伝わってきた。

 気ばかりが焦る。スピードを上げてハカランダを目指した。

 近づくにつれて人通りが少なくなっていくのはいつもの事だったが、人気の無さは今は不安を掻き立てる材料でしかなかった。

 やがてハカランダが道の向こうに見えてきた。あまりバイクで近付くと、警戒される危険も高い。巧はサイドバッシャーを降りると、アタッシュケースともう一つの箱型の荷物を手に取り、辺りを警戒しつつ、車が停車している筈の地点を目指した。

 目立った物音はない。三原はまだ来ていないのか、来ているが身を潜めているのか。今の時点ではどちらとも判断しかねた。

 白井虎太郎の黒い車に後ろから近付く。啓太郎はすぐにバックミラーに映った巧に気付いて、手を振ってみせた。

 軽く手を振って応えると、物音を立てないよう慎重に、運転席側からリアシートに乗り込む。

「たっくん……俺、怖かったよぉ」

「おう、よく頑張った。奴らはどうしてる? あと三原はまだか」

「あいつら、草むらの中に入っちゃって、よく分かんないんだ……三原さんも、携帯にかけても出ないんだよ」

 オルフェノクは日常的に見慣れているとはいえ、啓太郎は何の力も持っていない人間だ。余程緊張したのだろう。息浅く、弱々しくよれた声を出した。

 それにしても気になるのは三原の動向だった。基本的に几帳面で連絡なく遅刻をするような性格ではないし、まさか以前のように戦いが怖くなって逃げ出したとも考えられない。道中の様子と合わせると、何事かに巻き込まれているのかもしれない。

「……仕方ねぇ、追っ払ってくるから、お前は取り敢えず騒ぎが起きたら逃げろ。白井と橘って奴にも知らせとけ」

 言って巧は、アタッシュケースを開けると中身を取り出し、ベルトは腰に巻くと、空のアタッシュケースを啓太郎に手渡した。

 啓太郎が頷いたのを確認して、巧は口の端を薄く上げて笑いを浮かべてみせると、もう何も言わずにドアを開けた。

「気を付けてね」

 背中にかかる啓太郎の言葉に、左手を軽く上げて応じると、巧は再び外に出て、車のドアを閉じた。

 まずはオルフェノクがどこに潜んでいるかを探さなくてはならない。草むらに分け入ると、足音が立たないよう慎重に歩を進める。

 暫く進むと、密集したスズメノテッポウやヒメムカシヨモギ、薄の隙間から、灰色の異形が漏れ見えた。

 話が違う、まず巧の頭に浮かんだのはその言葉だった。

 啓太郎は四五人と言っていたが、そんな数では済まない。ぱっと見ただけでも十体以上のオルフェノクが、やや開けた空き地に集合していた。

 多分啓太郎は嘘を言ったわけではないだろう。分散していた一部分を目撃したのか後から増えたのか。どちらにせよこの数は、いくら巧でも手に余る。

 ファイズに変身をすれば、確実に気取られる。一気に勝負を決するしかない。

 そっとファイズフォンを開き、ボタンに指を置く。押し込もうとした時に、突如風が巻き起こった。

 前髪が風にまかれる。空気が一気に動き出す。顔を上げると、二体のオルフェノクが蒼い炎を上げた。

 薄くかかった雲が地上の光を照り返して、オルフェノクが横たわるみたいに広がっている暗い空。そこに、あの白い鳥――翔一がアンノウンと呼ぶ、神の使徒がいた。アンノウンが左手に構える弓に矢が番えられ、続け様に放たれた矢は動揺したオルフェノク達の頭上から容赦なく彼等を襲った。

 思わぬ横槍ではあったが、これは巧にとってはチャンスだった。変身コードを押し込み、ベルトへファイズフォンをセットする。

『Standing by――Complete』

「変身!」

 瞬時にフォトンストリームが体を包んで流れ、転送を完了したスーツが巧の姿をファイズへと変える。

「邪魔はさせませんよ、乾巧!」

 駆け出すと、聞き覚えのあるような声がファイズを呼んだ。

「お前、琢磨……」

 眼前に立ち塞がったのは、ラッキークローバーの一員として君臨し、ファイズとも幾度となく戦いを繰り広げた、センチピードオルフェノク――琢磨だった。

 あの日、王の前から逃げ出して以来、行方も知れなかった男だった。

「いい加減、うざいんだよお前は! 何企んでやがる!」

 振るわれた鞭の軌道を掻い潜り、ファイズは一気にセンチピードオルフェノクの懐へと駆け込もうとするが、横合いから現れた、どこか駱駝に見えなくもないオルフェノクの太い足から繰り出された蹴りに阻まれ、軽く吹っ飛ばされる。

「っち、うざってぇ!」

『Burst Mode』

 苛ついて軽く舌打ちをすると、ファイズはベルトから取り外したファイズフォンにコードを素早く打ち込んだ。銃形態へと変形したファイズフォンから放たれた光弾が、駱駝の追撃を遮り牽制する。

 上のアンノウンに追い立てられているオルフェノクも多いが、それよりもオルフェノクの頭数の方が勝っている。ファイズを囲んでいるのも、センチピードと駱駝を含めて五体ほどだろう。

 後ろからの斬撃を避けて横に軽く飛ぶと、着地点に狙いすましたように鞭の一撃が襲い来る。避けきれない、そう思った刹那、鞭は何かに弾かれたように進路を変えた。

 着地に成功したファイズを庇うように、白い鳥が高度を下げ、舞い降りる。

「……手前、何考えてる?」

 不審を丸出しにした声色でファイズが質問を投げ掛けると、白い鳥はちらとファイズを顧みた。

「エノクの子らは滅ばなくてはならない。お前はそれを成す者だ」

「……は?」

 白い鳥の言葉は、ファイズには理解が難しいものだった。エノクの子、という言葉がオルフェノクを指し示しているのであろう事は推察がつくが、巧自身がエノクの子であるのに、それを滅ぼすというのはどういう事なのか。

「エノクの子らは呪われている。人を滅ぼすか、自らが滅びねば、止まる事はあるまい」

 続いた白い鳥の言葉は、相変わらず意味が分からない。苛立ってファイズは叫んだ。

「どういう意味だ……お前等何がしたいんだ!」

「我らはただ、あの方の思し召しに従い、人を滅びから救わんとしている」

 あの方。それが誰なのかは分からない。だが巧には心当たりがあった。

 もし巧の心当たりが正解なら。感じていた予感通りに、この騒動を何とかする事が、巧がいらない借りを返す事になる。

 白い鳥はぷいと顔を背けると、また矢を番え、続け様に放つ。既に五体ほど白い鳥に頭数を減らされているオルフェノク達は、怯んでたたらを踏んだ。

 今なら。そう思ってファイズは、再度センチピードオルフェノクの懐へ入り込もうと狙いを定めて、駆け出した。

 集団と戦うときはまず頭を潰すのが鉄則。琢磨は不様な姿も散々晒してはいるが、並外れた力を持ったオルフェノクである事は事実だった。ならば奴が頭だ。そう考えファイズは、腰のファイズショットを取り外し、左手に握る。

 高速で迫る鞭を掻い潜り駆けつつ、ミッションメモリをファイズショットへとセット。白い鳥の牽制に、新たに二体のオルフェノクが炎を上げた頃、ファイズはセンチピードオルフェノクの鞭の内側へと入り込む事に成功した。

「手前の面は、見飽きたんだよ!」

『Exceed Charge』

 吠えてファイズは、センチピードオルフェノクが破れかぶれに繰り出した右ストレートをスウェーで躱し、ファイズフォンのエンターキーを右の人差し指で押し込んだ。

 驚きの声を高く軽く上げて、センチピードオルフェノクが後ろへと仰け反り、横からファイズに、白い鳥の矢を避け切ったオルフェノクの体当たりが炸裂する。

 ファイズショットはセンチピードオルフェノクの胸を抉り掠め、後ろにどうと倒れたセンチピードオルフェノクの胸は小さく蒼く、炎を上げる。

 吹き飛ばされたファイズが顔を上げると、真上に位置する棍棒が、今まさに振り下ろされようとしていた。体を無理矢理捻り転がして逃れる。棍棒が空振った地面は、土が抉られて土埃を上げた。

 体を起こすと、後ろから足音が近付いてくる。慌てて立ち上がり振り向くと、そこにいたのはオルフェノクではなかった。

「邪魔だ、どいてろ乾」

 この寒空に薄手のトレンチコート一枚。瞬きもせずぎょろりと大きな瞳で、目の前のオルフェノクたちを睨み付ける相川始の姿は、確かにどこか、人間から遠く離れた雰囲気があった。

 邪魔者扱いされたのが気に食わないのか、ファイズは抗議の声を上げた。

「待てよ、お前……」

「こいつ等如きが本当に俺をどうにかできると思ってるなら、随分と舐められたものだ。自分の火の粉は自分で払う。お前は適当に余ったのを始末してろ」

 不愉快そうな顔で嘯いて、始は一枚のカードを取り出した。その動作に呼応するように、始の腰にはハートを象ったと思しき緑色の宝玉のようなものがバックル部に取り付けられたベルトが出現した。

「変身」

 低い声が響いた。カードがベルト中心部のスリット――ジョーカーラウザーを滑ると、始の体の周囲に舞った水飛沫が瞬時に、黒い蟷螂を思わせる鎧へと変化した。

「おおおおぉぉぉっ!」

 獣のような雄叫びを上げると黒い蟷螂は、弓らしき武器を逆手に構えて駆け出した。

「乾さん!」

 黒い蟷螂に続こうとしたファイズは、知った声に呼び止められて振り向いた。そこには息を切らせた津上翔一ともう一人、もう二度と会う事もないだろうと思っていた男が、立っていた。

「海堂……お前、生きてたのか」

「人を勝手に殺してんな。大体、生きてたのかってのは俺の台詞だ、お前が言うんじゃねぇ。乾、お前、何でまだファイズになれる、何があった」

 海堂の質問に答えず、ファイズはぷいと後ろを向いて駆け出した。無視された海堂は肩をいからせて、抗議の声を上げた。

「あっ、こんにゃろ待ちやがれ、スルーしてんじゃねぇぞ!」

「海堂さん、その話は後です!」

 海堂を鋭い声で嗜めると、翔一は腕を突き出し構えをとった。厳しい顔つきで前を見つめる翔一に気圧されて、海堂は軽く舌を打った。

「しゃーねぇな、あれが先か!」

「変身!」

 二人もそれぞれに金と灰の異形へと変じると、オルフェノクの群れ目がけて、駆け出していった。

 

***

 

 追跡に当たっていた捜査員から最後の報告があったのは三十分程前。

 追跡対象が入っていったのは塀に囲まれた空き地、周囲に見張りらしき人影を複数確認。

 その通信は途中で、絶叫と共に不自然に途絶し、以後応答はない。

 Gトレーラー一号車は、最後の通信が発せられた地点のほど近くに停車していた。

「……この先にある空き地は、昔スマートブレインの養護施設があった場所のようだな」

 ノートパソコンを操作しながら、河野がそう告げた。

 尾室は緊張した面持ちでその言葉に頷くと、無線のスイッチを入れた。以前は小沢澄子が座っていた席に、現在は尾室がインカムを装備して陣取っている。

「G5OPより警視庁、現在、オルフェノクの潜伏場所の疑いのある廃墟付近にて待機中。次の指示を待つ」

「未確認生命体対策本部よりG5OPへ。付近を偵察調査、可能ならば潜伏したオルフェノクを殲滅されたし」

 無線を通じて北條の指示が飛んだ。あまりと言えばあまり。壁に背をもたれさせていた氷川は、思わず身を乗り出して、無線機と尾室の間に割って入った。

「ちょっと待ってください、敵はどれだけの規模か分からないんですよ? 五体のG5だけで殲滅せよとはあまりに無茶ではありませんか!」

「だからまずは偵察を指示しているんです。そちらに回せる余力はありません」

 北條の声はあくまで静かだった。余力が無いのは分かるが、この状況で敵のただ中に突っ込めば、結果は単なる無駄死にになる危険もある。

 氷川が尚も反論しようとすると、運転席から通信が入った。

「どうした」

「た、隊長、か、かこ、囲まれて、ます……」

 外をモニターしたカメラの映像を見ると、確かに暗闇の中に、人では有り得ない肩や脚が時折浮かび上がった。一種類ではなく、姿の異なる複数の個体が確認できる。

「斉藤、こっちに移動しろ、各G5は出撃、敵を殲滅!」

 尾室の檄が飛んで、あまり広くないトレーラー内部は急に慌しく動き始めた。

 後部ハッチから、既に準備を終えていた五体のG5が出撃。ドライバーの斉藤が司令室へと移動すると、運転席と司令室を結ぶドアはロックされた。

 周囲は夜の闇に包まれている為、モニターの映像は暗く不鮮明だった。G5達は勇敢に攻撃を仕掛けるものの、敵の数の多さに翻弄されているのか、攻撃は空振り、背後からの打撃を躱しきれていない。

「こんなに数がいては、うちの隊員だけでは力不足だ。氷川さん、お願いがあります」

 モニターを見つめたまま尾室が口を開いた。この段階で自分に出来る事が思い当たらず、氷川は怪訝そうに尾室の横顔を見つめた。

「……僕に? 何ですか?」

「もう一度……もう一度、G3‐Xを、使ってくれませんか」

 

 Gトレーラー後部へと移動した尾室が何かスイッチを操作すると、運転席側の壁がスライドし、懐かしい赤い複眼、青い甲冑がその姿を覗かせた。

 氷川と河野が壁の中を覗き込む。

 量産を前提としたG5は直線中心のデザインだが、これは違う。衝撃を和らげ殺し防ぐ、それだけを追求した曲線で構成されていた。

 プロトタイプなればこそ可能な性能、機能。現時点では紛うかたなき、天才・小沢澄子の最高傑作が、そこにあった。

「氷川さん、あなたの為に整備しておいたものです。こいつはやっぱり、氷川さんでなきゃ似合わないですよ」

 尾室は、昔のように、屈託なく笑った。差し出されたアンダースーツを受け取ろうとしてその手を思わず引っ込めて、氷川は俯いた。

「でも、上の許可もなしに装着したら尾室さんが……」

「全責任は僕がとります。でもさすがに免職とか嫌ですから、しっかり戦って、文句の付けられない成果を上げてください」

「でも……」

 尚も顔を上げない氷川をきっと睨むと、尾室は腹から、強く声を上げた。

「氷川さん、迷ってる暇なんかない筈だ! 今、あなたの力が必要なんです! 頼みますから、僕の部下を見殺しにしないで下さい!」

 びっくりして、氷川は顔を上げて尾室を見た。やや悲しそうに、硬い表情で尾室は氷川を見据えていた。

「氷川誠は……どんな厳しい戦いからも、逃げた事がない男です、違うんですか! 僕は隊員たちに、あなたを目指せと日々教えてきました、あなたはそれなのに、今ここで見ないふりをするんですか、出来る事があるのに!」

 尾室にそんな事を言われるとは、正直想像だにしていなかった。

 迷いの正体は、氷川自身にも分からなかった。一つ確かなのは、もう自分はG3‐Xの装着員ではないと、そう思っていた事だけだった。

 氷川は今では捜査一課所属の刑事で、もう二度とG3‐Xを身につける事は、ないと思っていたのだ。

「つべこべ言ってないで着りゃあいいだろう。俺も同意見だ、それが一番似合うのはお前だよ」

 今まで黙っていた河野が口を開いた。やや照れくさそうな笑いが、薄く頬に浮かんでいた。

 何だか悲しくなって氷川は、やや俯いた。

「すいません……」

「氷川さん、だから……」

「やります。今の僕にどれほどの事が出来るのかは分かりませんが」

 俯いたまま、それでもしっかりとした口調で告げて氷川は、尾室が差し出したままになっていたアンダースーツを受け取った。

 

***

 

 既に立っているオルフェノクは、スネークオルフェノク――海堂だけだった。風に飛ばされなかった灰が薄く積もっている。

 センチビードオルフェノクは、ファイズショットを避け切れなかったダメージを負ったままでは戦えなかったのだろう。二三体のオルフェノクと共に退却していった。

 アンノウンは、その様を空から一通り眺めると、背を向け何処かへ飛び立とうとした。それを翔一が呼び止めた。

「待ってください、あなた達の主人に、会わせてくれませんか」

 動きを止めて、アンノウンは翔一を顧みた。

「何を言うアギト。あの方の体は、お前自身が滅ぼしたのではないか。神でも使徒でもないお前が、あの方にどうやって(まみ)える」

「会う必要があれば、姿でも何でも出すでしょう、俺をアギトにした白い方だってそうでした。居場所を教えてくれないなら、自分で探しますからいいです」

 アンノウンの声色に変化はないが、翔一の表情はいつになく厳しいもので、普段の明るく悩みのなさそうな彼からは想像もできなかった。

 暫しアンノウンと翔一は無言で睨み合うが、やがてアンノウンが口を開いた。

「いいだろう……あの方もそれを望んでいる」

 そう言うと、アンノウンはふいと後ろを向いて歩きだした。翔一が後を追い歩き始める。

 巧と始、それに海堂は、その様を訳が分からず眺めていたが、ようやく我に返った巧が翔一の背中に声をかけた。

「どういうつもりだお前、こいつらの主人って……」

「人間をこの世に生み出した存在です。オルフェノクの事だって、何も知らない筈ないでしょ。神様なら」

 神様。あまりに現実味に欠ける言葉だったが、翔一はそれ以上答えないで、再びアンノウンの後を追い始めた。三人も翔一に続き、その後を追った。



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カインの子、約束の地にて天に召され(3)

 辿り着いた先には、立派な門扉が構えていた。門からは小路が続いており、建物は夜の暗さもあって姿が見えない。

 かけられた表札には「津上」と苗字が記してある。

 門まで辿り着くと、アンノウンはふわりと浮き上がり、何処かへと飛び去っていった。

「ここ……だったんだ」

 先頭を歩いていた翔一は門の前で立ち止まって、門の中を見上げて口を開いた。

「……お前、この家知ってるのか? 知り合いの家か何かか? それともお前の……」

「ええ、ちょっと。俺の家ではないです」

 巧の質問に応じた答えの言葉尻を濁して、翔一はまた歩き始めた。門扉は開かれている。門を潜ると、そのまま歩いていく。

「おい乾、さっきの話だけどな」

「……」

 呼び掛けられて巧は、視線をちらりと海堂に向けたが、すぐに翔一の背中へと戻した。

「ちゅーか、相変わらず愛想悪ぃなおめえは。どうにかなんねぇのか」

「何でお前に愛想良くしなきゃなんないんだよ、気持ち悪ぃ」

 にべもなく巧に返されて、海堂は左の頬を歪めて、むず痒いような顔をした。

「お前の知りたい事も、多分もうすぐ分かる」

 もう一度横に並んだ海堂に向けた視線を前に戻して、巧は静かに言った。根拠は明らかではないが確信に満ちたその言葉を聞いて、海堂は答えを返さないで、自身も前に視線を戻した。

 前庭の小路を進むと、やがて立派な玄関ドアへと突き当たった。鍵はかけられていないようで、翔一は当然のようにドアを開けると、案内も請わないでどんどん邸内を歩いていった。

 大きな屋敷に人気はなかったが、廊下には淡い灯りが燈されていた。空調が働いているのか、外に比べると大分暖かい。

 翔一は迷いなく足を進めて、二階の奥まった部屋のドアを開けた。

 そこは応接室のようだった。十二畳ほどの広々とした室内には、テーブルとソファ、暗い色合いの調度が据え置かれている。

 広い窓の前には椅子が置かれていて、一人の青年が座っていた。

 上下とも黒い衣服を身に付け、ゆったりと椅子に凭れさせている。薄明かりで確とは容貌は見えないが、いるのかいないのか分からなくなりそうな、存在感の薄さがあった。

「アギト、私に何を問いたいのです」

「どうして……どうしてオルフェノクは、滅ばなきゃいけないんですか? オルフェノクって、何なんです」

「オルフェノクとは、黄泉路から舞い戻ったエノクの子ら」

 翔一の疑問に対する青年の答えは、聞く側にとっては答えと呼べないものだった。続ける質問を考えているのか、翔一は黙りこんでやや俯いた。

「お前が人間を造り出した神とやらなら、オルフェノクを造ったのもお前か」

 ハカランダ前からここまで、無言を通してきた相川始が、青年をきつく睨み、低い声で言葉を吐き出した。

 青年は翔一から始に視線を移すと、優しげでほのかな微笑を浮かべた。

「オルフェノクはもともと人であった者。私がオルフェノクという存在を造り出したわけではありません。ジョーカー、あなたが狙われる理由も、彼らの成り立ちにある」

「……その名前で、俺を呼ぶのはやめろ」

 ぞわりと、今まで落ち着いていた部屋の空気が動いた。始は青年の呼び方が余程気に入らなかったらしく、敵意に眼をぎらつかせて青年を睨み付けていた。

「失礼しました。では相川始、話を続けましょう。オルフェノクはエノクを復活させようとしている。二年前に復活したエノクは、活動を維持するだけの力を取り込む前に、乾巧、あなたに倒された。その体を持ち去った影山冴子は、エノクを完全に復活させる方法を知ったのです」

「完全に……復活?」

「そう。エノクは不完全なのです。『生命の実』を与えれば、エノクは目覚め、今度こそ滅ばない者へと変じる」

「……待て、生命の実…………って、じゃあなんで相川が」

「アンデッドこそ、生命の実だからです」

 巧の質問に、青年は短く答えた。実、というのは、木に生る果実の事ではないのか。巧は青年の言葉の真意を測りかねて、言葉なく青年を見た。

「……楽園の中央には、生命の樹と知恵の樹があり、蛇に唆されたエヴァとアダムが知恵の実を口にして楽園を逐われた。ただの伝説だろう」

 始の言葉に、青年は首を横に振ってみせた。

「あるのですよ、今も。楽園を逐われたアダムとエヴァは子を成した。その子ら、兄のカインは弟のアベルを殺して、放浪の身となった。カインは辿り着いた先で町を作り子を成した。カインの子孫の中に、エノクはいました」

 それは、どの位遠い昔の話なのだろう。青年の力を知る翔一はともかく、他の三人は怪訝そうに眉を顰めて、青年の言葉を聞いていた。

「エノクは清く優しく、美しい心の持ち主でした。地に罪は満ちつつあったが、エノクは義人を集め町を作りました。私はエノクを愛し、彼に生命の樹の実を半分与えたのです。彼が生き続け、人を治める事が、最善の道であると思われた。だが、人の体は、生命の樹の実の齎す力に、耐える事が出来なかったのです」

「……死んだ、って事じゃ、ねえな」

「彼は、あなたがたがオルフェノクの王と呼ぶ姿へと少しずつ変わっていった。美しい心も失っていき、本能のままに殺戮を始めたのです。私は彼の体を滅ぼした。だが、生命の実の力を得たエノクは完全には滅びなかった。人の中にその魂を潜ませ、次々に宿主を渡り歩き、眠りについたのです」

 真偽など確かめようもない。雲を掴むような話だった。

 だが巧は、これは嘘ではないのだろうと思った。彼の身に起きた事の数々も、彼の常識では計りきれなかった故に。

「その後、別の戦いで深い傷を負った私もまた長い眠りについた。私の手を離れ世に満ちた生物達は、地上の覇権を賭け争うようになりました。生み出されたシステムが、太古に生命の実から生み出されたそれぞれの生物の祖の眠りを覚まし、バトルファイトと呼称する戦いで地上の支配者を決めるようになっていった。エノクの子孫は長い長い時の中で人の中に散らばり、命脈を保ち続けました。黄泉返り生命の実の力に支配される者とは即ち、エノクの子ら。遠い遠い血の繋がりを持つ者達が、死に際してエノクの力を呼び覚まして変じた姿。そしてアンデッドとは生命の実より生み出された、生命の実と同等の存在。人が楽園に行く事が出来ない今、エノクの完全なる復活には今起きているアンデッド……相川始、あなたかもう一人のジョーカー、どちらかが必要となる」

 もう一人のジョーカー。その言葉が青年の口から発せられた途端に、再び場の空気がぴりりと張り詰めた。始は怒りなのか敵意なのか、とにかく強い感情を込めて、青年を睨み付けていた。

「……あいつだけは、絶対に巻き込ませない。教えろ、どうすればいい」

「オルフェノクが今動き出した理由は、アンデッドさえ確保できればエノクが完全に復活するのだと知ったことによります。彼等は、人類を一気にオルフェノクへと変じさせる作戦も準備しています。エノクの子らは哀れなる者、また数も少ない。自然に生じているうちは捨て置くつもりでしたが、このままでは人は滅びます。だから私は使徒たちにオルフェノクを滅ぼす事を命じ、乾巧、あなたにもお願いをした」

 青年の言葉があまりに意外過ぎて、三人は一斉に巧を見たが、当の巧は、面白くなさそうな顔で顎をやや持ち上げ、青年を見下ろしていた。

「一個気になってたんだが、何で俺だ?」

「あなたは、エノクを倒すのに最も相応しいからです。以前はエノクを砕くには到りませんでしたが、ブラスターと呼ばれるあの姿には、エノクを焼き尽くすだけの力がある。身体砕かれたとしてもエノクの魂は人を渡る。しかし、エノクが宿れるのは、純然たる人間だけです。身体を砕いたその場に宿るべき人間さえいないなら、後は私の使徒に任せてくれればいい」

 エノクが宿れるのは人間だけ。それを聞いても、薄々感付いていた翔一も、感じ取っていた始も、巧に問い掛ける言葉を口にしようとはしなかった。

 してみればこの場に、純然たる人間、とやらは存在していない。拘りも恐れも、いつまで経っても捨てきれない事が滑稽で、巧は眉根を寄せた。

 翔一は勿論、相川始だって、必要以上に隠そうとはしなかった。信用してもらうにはまず人を信じる事だと、いつもの口煩いお節介な調子で、誰からだってすぐに信頼を得る啓太郎が言っていたのを、ふと思い出した。

「オルフェノクの不死とは、アンデッドとは異なる物。アンデッドは私すら滅ぼす術はないが、完全でない今のエノクは、滅ぼせるのです。それはエノクの力を受けた影山冴子も同様の事」

「王を潰したいなら、王だけを狙えばいいだろ。何で無差別にオルフェノクを襲わせた」

「エノクの子らは、本来存在していてはいけない。人は生命の実を口にしてはならない。だから、私の愛する人間を滅ぼそうとするのならば、滅ぼさねばならないと思いました」

「それは、今も変わらないのか」

「変わりません。あなたに与えた命にも、限りがある。エノクの子らは、もうこの地上に存在すべきではない」

 はっきりとした口調で、青年は言い切った。不服そうに眉を寄せ唇を尖らせた翔一が、身を乗り出して何か言い掛けたが、巧に右手で制されて、一歩後ろへと下がった。

「あんたの言いたい事は分かる。俺も、あんなもんはもう生まれるべきじゃないと思う。けどな……今必死で生きてる奴を、手前の気持ち一つでどうにでも出来るって思ってんなら、気に食わねえな。大体、自然になる奴がいるんだ、オルフェノクは滅びようがないだろうが」

「死者を黄泉路から呼び戻すものがあるから、エノクの子らは呼び戻されるのです。あなたがたは憶えていないでしょうが、地に満ちたエノクの意志が、エノクが眠る間も死者を呼び返し続けている。それを絶てば、エノクの子らは呼び戻される事はなくなる」

「……王の眠りは深いんじゃなかったのかよ」

「知恵の実を口にした人の子が、生命の実をも口にすれば、その力は神にも(ひと)しくなる。人間にそんな力は要らない。私は怖れ、楽園を閉ざしたのです。だが、彼になら、と思った。それは私の、過ちでした」

「…………神様でも、間違えんのか?」

「私は、あなた方が思うような、悠久無辺の存在ではありません。私を造り出した者は誰か、私は答えを知らない。宇宙には果てがあるがその外に何があるのかを、私は知らない。生命の樹と知恵の樹は、私の造り出したものではない。だから私は、それを人の子が口にする事を恐れたのです。未来も見えはしない、アギトがどうなってゆくのか、人がどうなってゆくのかなど、見えはしない」

 気付けば、青年の黒いタートルネックの向こうに、焦げ茶の椅子の背凭れが透け見えた。存在が薄い。青年は、困ったように薄く、自嘲気味に笑ってみせた。

「オルフェノクがどうなるかを、あなたが決めるべきじゃない。アギトの未来を決めるべきじゃなかったように。オルフェノクも人です、自分達で選んでいける筈です」

「アギト、あなたはそう言うだろうと思いました。だが、オルフェノクはアギトとは違う。誰もがあなたのように在る事ができるなどと、思わない事です」

 翔一に答えると、青年の姿は掻き消えた。まるで最初から誰も座っていなかったかのように、焦げ茶色の椅子が、そこに置かれていた。

『災いは空より来るでしょう……鉄の船から絶望は撒き散らされる』

 抽象的すぎる呟きが最後に響いてすぐに闇に溶け、青年の気配は完全に消え去った。

 ふっと、室内の気温も、心なしか下がっているように感じられた。

 翔一はやや俯いて、何事かを考えている様子だった。

 ここで得られた物は何もなかった、ともいえた。王は倒さなければいけない、オルフェノクは滅びなければならない。結論は何も変わっていない。

「……俺も付き合わせてもらうぞ」

 始が低い声で告げた。彼にとっては少なくとも今の話は、何かを決心させるだけの内容があったのだろう。

「……海堂、お前はどうする」

「俺は俺で適当にやらあな。ちゅーか、あの王って奴ぁ、一遍殴らんと気が済まん」

「やめとけ、お前じゃ返り討ちだ」

 軽く笑いを浮かべて巧が軽口を叩いて、海堂が渋い顔をすると、携帯電話の着信音が鳴り響いた。翔一がポケットから携帯電話を取り出して、電話に出る。

「はい津上ですが……えっ、河野さん、氷川さんじゃなく?」

 暫く話し続けて、翔一の顔ははっきりと硬く厳しいものになっていった。

「はい……、はい、分かりました。すぐ行きます。何とか持ち堪えて下さい。じゃあ」

 携帯電話を畳むと翔一は顔を上げ、三人に向き直った。

「今……G5部隊がオルフェノクに囲まれてるって……オルフェノクの本拠地かもしれない所です。俺は行きますが皆さんは」

「ああ、行くさ」

「付き合わせてもらうと言った筈だ」

「ショーイチ君は、俺の側にいないとまずいだろ。なら俺も付いてってやるよ。仕方ねえからな」

 三者三様の返答が返される。

 翔一は実に嬉しそうに満面の笑みを浮かべると強く頷いて、来た時と同様に先頭に立って部屋を後にする。三人もそれに続き、人気の絶えた屋敷だけ、寒々と残された。



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カインの子、約束の地にて天に召され(4)

 東京の人口が概ね千二百万人として、その千分の一なら一万二千人、万分の一だとしても、千二百人。

 人がオルフェノクに変じる割合など統計は出ていないだろうし、分かりもしない。故に、オルフェノクの総数など推測の付けようがない。

 それだけの数のオルフェノクが息を潜め誰かの隣人となっているという想像もぞっとしないものだったが、デルタへと変じた三原にとっての目下の問題は、十体強のオルフェノクに取り囲まれているこの現実だった。

 次から次に迫り来る攻撃の対応に追われ、巧か啓太郎に連絡をとり助けを呼ぶ余裕も与えられない。里奈の、創才学園の事がひたすら気掛かりだったが、この囲みを突破する事は、相当に困難なように思われた。

 デルタムーバーを構えて幾筋か光弾を放ち、ハリネズミらしき奴を威嚇する。このままではどうにもならない。

 ジェットスライガーは先程呼び出しコードの入力に成功したが、到着する迄には未だ少し時が必要だろう。

 デルタは高出力だが、複数を一気に相手取れるような装備はない。ファイズのような拡張性がなく、追加武装もなかった。

 三原自身も、援護に徹するのが自身の本領という自覚がある。一人だけでこんな数の敵を相手に、上手く立ち回り倒す技量はなかった。だが、例えばファイズの援護に回れたなら、デルタはきっとファイズを守りつつ協力して、多くの敵を倒せるだろう。

 じりじりと、デルタを囲む輪は狭まりつつあった。輪を穿ち脱出すれば背中を狙われる危険があり、ジェットスライガーの到着にはまだ間がある。デルタは動けず、威嚇の為の発砲を続けた。

 このままでは。

 デルタの焦りを見透かしたように、輪が一気に狭まった時、一方のオルフェノクの背中で火花が散った。

「ゴガッ!」

 跳ね飛ばされたオルフェノクがひしゃげた叫びを上げた。オルフェノクの向こう、暗がりには二台のバイクが停車していた。

 赤いバイクには、橙色のスーツに緑の複眼、銀の鎧と仮面を身に付けた戦士が跨り、銃らしき武器を構えている。その隣には、緑のバイクとスーツ、金の鎧に紫の複眼。

「その姿はデルタ……三原くんか?」

 銃を構えた橙色の声に、デルタは聞き覚えがあった。

「その声、橘さんですか!」

 三原の問い掛けに、橙色は力強く頷いて、隣の緑を顧みた。あれが橘ならば、あの姿は壊れていたというギャレン、そしてその隣は、レンゲルという戦士なのだろう。

「よし、行くぞ睦月」

「はい!」

 睦月と呼ばれて歯切れよく返事を返した、恐らくレンゲルは、バイクからひらりと軽やかに降りるや、隙のない動作で錫杖を構え、駆け出した。

 ギャレンもバイクを降り、レンゲルを援護すべく、オルフェノクの群れへと銃撃を放つ。

『Fire』

『Rush』

 二人はそれぞれの武器にカードを滑らせ、効果を告げているのだろう、電子音声が響いた。

 リーチを生かしたレンゲルの打撃と、正確なギャレンの射撃。突然現れ意表を突かれた事もあり、オルフェノクは二人に翻弄され、次第に輪は崩れ散らされていった。

 そこへ、輪を崩したオルフェノクを跳ね飛ばして、ジェットスライガーの巨体が到着した。駆け込んでコクピットに収まると、映し出されたモニターのタッチパネルを操作、オルフェノクを次々ロックオンしていく。

「橘さん達、避けて!」

『Fire』

 叫ぶと、デルタはモニタに表示されたスイッチを押した。ギャレンと、やや遅れてレンゲルが離脱し、後を追い掛けたオルフェノクは、追尾弾の直撃を背中に食らって、青い炎を上げた。

 動揺し被弾したオルフェノク達を、向き直ったギャレンとレンゲルが、戦い慣れた様子で灰にしていく。デルタも車上から援護の射撃を放つ。

 気付けば、先程の絶望的な状況が嘘のように、辺りは静かになっていた。やや黄色掛かった灰が、音も立てずさらさらと、風に流される。

「すいません、助かりました」

「何て事はない、間に合って良かった。だが、今はどこもかしこもこんな状況のようだ。三原くん、良ければ俺たちと一緒に、奴らを倒すのを手伝ってくれないか」

「……勿論です、是非!」

 暫しの後に、デルタはギャレンの問い掛けに力強く答えた。

 里奈はきっと大丈夫。皆と、逃げている。そう信じている。里奈は強いし、三原自身より何倍も頼りになる女性なのだ。

 一人では足りないけれども、橘とその連れも頼もしそうだし、ならば三原は自分の出来る事をすべきだと思われた。

「あ、ちょっと待ってもらっていいですか」

 ギャレンが頷くと、デルタはデルタムーバーに電話番号を告げ、耳に当てた。啓太郎には連絡をとっておかなくては、まだ三原を待っている可能性もあった。今の状況では危険過ぎる。

「あ、もしもし菊池さん、行けなくてごめん……うん、ちょっと……うん、そう。それで、乾は? ……そうか、うん、……うん、分かった。俺は橘さんと合流したから、こっちで戦ってるって、もし連絡あったら伝えてくれるかな。うん、じゃあ」

 通話を終えて顔を上げると、ギャレンが軽く頷いてみせた。

「こっちにも、始と乾達が戦ってるって連絡は入ってる」

「そうですか。じゃあ、行きましょう」

 ギャレンはもう一度頷くと、バイクに跨りエンジンをかけ、レンゲルもそれに倣う。

 図体の大きいジェットスライガーは普段乗りには不向きだが、このような非常事態には頼もしい。二人の発進に合わせて、デルタもアクセルを踏んだ。

 

***

 

 暗がりから突き出た槍の鋭い突きを、やや姿勢を崩しながら避ける。

 避ける動作に巻き込んで突き飛ばした形となったG5隊の高宮隊員は、既に姿勢を立て直し、GM‐01スコーピオンを構え直して、G3‐Xを追撃しようと迫ったオルフェノクへと発砲した。

 鉄球を軽々と砕き、生身で使えば肩を壊す強い反動と威力を持ったこの銃器も、アンノウン相手には後退らせる程の効果しかなかったが、それはオルフェノクに対しても、程度の差はあれ同様だった。

 続け様に胸や腹に銃弾を浴びたオルフェノクはよろめいて怯んだが、致命傷となるようなダメージを与えるには至らない。低く呻いた後、やや足取りを乱れさせつつも、オルフェノクは首を二三度振ると再度前に向き直った。

 その様を見て氷川は、人間じゃない、と感想を頭に浮かべた。

 その異形へと変じた姿を見れば、オルフェノクが人間ではない事など一目で分かるというのに、今更、氷川はそんな思いを抱いた。

「氷川さん、もっと動いて! 囲まれます!」

 無線ごしに尾室の指示が飛んできた。至極もっともな言い分だが、G3‐Xの動きは精彩を取り戻せない。久しぶりのG3‐Xが動かし辛いというわけでもないのに、氷川の身体は重かった。

 殲滅する気でかからなければ、オルフェノクの力を押さえられなどしない。見た目だけではない、アンノウン達に優るとも劣らない程、オルフェノクの身体能力は高く、生半可な攻撃など通用しない。

 蹴りを躱して、左の拳でパンチを叩き込んだ。正装着員を務めていた時ほどではないにせよ、氷川は日々の鍛練を怠っていない。身体が動かなくなっているというわけではない。

 どこかで迷っているからだ。その自覚はあった。

 氷川の心は、スマートレディに甘さを指摘された時点から、何も変化していない。割り切る事は困難だし、そんなに容易に踏ん切りが付くはずもない。

 ただ、なにかしなければという焦りが、彼を動かしているに過ぎなかった。

 ただ、目の前で戦うG5部隊を見ているだけではいられなかったから。

 どっちつかずの中途半端だと、自身でも感じた。アギトの時は、アギトは人間でアンノウンは人間ではなかったから、はっきりとアギトの味方でいる事ができた。だが今は氷川には、誰を守るべきなのかなど、まるで分からなかった。

 オルフェノクは人かもしれない、きっと人だろう。だが彼らの力は暴力は、最早人のそれとは比すべくもない程、強く恐ろしい。

 オルフェノクと戦い殲滅するか、人は殺せないからオルフェノクとは戦わないか。

 どちらかを選ばなくてはならないが、どちらを選んだとしても、どちらも間違いだ。そう思った。

 向かってきたオルフェノクの胸部に、綺麗に蹴りが決まり、(恐らく彼女ではなく)彼は緩く放物線を描いて吹き飛ばされた。息吐く間もなく灰色二人が獲物を振り上げて襲い掛かってくる。

 攻防は一進一退、しかし、このままではどうにもならない事は明らかだった。数があまりにも違いすぎる。

 どうにかしようと思うならば、オルフェノクを「殺さなければならない」のだろう。例えばアンノウンが人を襲うのを食い止めるため、爆散させたように。

「氷川さん、GX‐05を使用して下さい! アクティブにしてあります、解除コードを!」

 またも、尾室から無線で指示が飛ぶ。ちらと、Gトレーラー付近に置かれたアタッシュモードのケルベロスを顧みるが、それを使用しよう、という意識は持てなかった。

 また、ケルベロスを取りに走る時間も今は惜しかった。

 永田隊員が蹴りを喰らって大きく吹き飛ばされる。胸の装甲からぱちぱちと、軽く火花が爆ぜる。当然の成り行きとして永田隊員を蹴り飛ばしたオルフェノクが追撃をかけ、周囲を囲んだ奴等も永田隊員を狙って動き出す。G3‐Xがスコーピオンを構えたところで、対処しきれる筈がなかった。だが、ケルベロスを取りに戻って電子ロックを解除し、ガトリングモードに変形させる時間などありはしない。

 その時。

『Start Up』

 バイクのエンジン音が幾つか近付いてきたと思うと、聞き覚えのない電子音声が、乱戦のざわめきを切り裂いた。

 まるで、時が凍り付いたようだった。

 突如、空中に幾つも幾つも、半透明で巨大な紅の円錐形が浮かんだ。円錐の先は一様に、オルフェノクを向いている。

「やーっ!」

 若い男の気迫の籠もった叫び声が、折り重なり積み重なり響いて、幾体ものオルフェノクが、一斉に青い炎を上げて燃え、すぐに燃え尽きて崩れた。

 その間、十秒ほどだろうか。

『Three,Two,One...Time Out』

 また電子音声が響いて、灰が舞い散るアスファルトの上、灰が積み重なってぽかんと空いた隙間に、突然見覚えのない、人型の何かが現れた。

『Reformation』

 肩の装甲が動いて、胸を覆って静止する。顔全体を覆うような黄色の複眼、銀の装甲。夜の闇に溶け込んだ黒いスーツの上を、赤いラインが走っていた。

「氷川さん!」

 聞き覚えのある声のした方向を見ると、アギトが駆け寄ってきた。海堂の変じたオルフェノクと、もう一人見覚えのない、鎧を纏った人型がその後ろにいる。

「津上さん……来てくれたんですね」

「しっかりして下さい氷川さん!」

 叱咤するように、厳しい声でアギトは叫んだ。

「俺だってこんなの嫌です、殴りたいわけない。でも、こんな事絶対、許すのはおかしいから、だから!」

 最後まで言わないで、アギトは駆け出して、未だ戦意を失わないオルフェノクの一体と組み合い始めた。それをだるそうに首を傾げて見つめ、黄色い複眼が、若い男の声で独りごちる。

「っとに……お節介な奴だな。おい津上、これは借りにしといてやる!」

 叫ぶと右の手首を二三度振って、黄色い複眼も駆け出して、数を大分減らしたオルフェノクへと向かっていく。海堂も、もう一人も、G5達も。懸命に殴り、蹴り、組み合い転げて、投げ飛ばし飛び起きる。

 躊躇する自分を氷川は恥じた。

 皆が何かを守るため、懸命に戦っているのに、満足に動けないでいる事を恥じた。

 アギトと海堂と共に現れた二人が何者なのかはよく分からなかった。だが二人は躊躇などする事なく、相対するオルフェノクを殴り蹴り、突き薙ぎ払い、時に青い炎と共に灰へと還していった。

 彼等だって守らなければならないのに、自分は何をしているんだろう。そう思い直して、右手に提げたままだったGM‐01を構えて、G5の一人の背後を狙っていたオルフェノクの横っ面へと銃弾を放つ。狙いは誤たず、目に顎にダメージを受けてオルフェノクは倒れもんどり打った。

「氷川さん、下がって!」

 横から呼ばれた声に反応して、G3‐Xが飛び退さると、入れ替わるように青いアギトのハルバードが、後ろから飛び掛かろうとしていた二体を一度に薙いだ。二体は蒼く炎を噴き上げると、ややあって崩れ落ち、一握りの灰が後に残された。

「津上さん、あなたは……迷わないんですか」

 声をかけると、振り返った青いアギトは小さく何度か、首を横に振った。

「それは、俺が悩む事じゃない、俺は力を貸すって決めたから、全力で助けるだけです」

「……誰を」

「海堂さんと乾さんと、それから、氷川さんを。ねぇ氷川さん、氷川さんはアギトを恐れなかった。誰だって怖くなって、アギトになっちゃうって思ったら生きていられなくなる位怖がるのが普通なのに、氷川さんは怖がったりしなかった。小沢さんも、それに真魚ちゃんも。それが俺、凄く嬉しかったんですよ。氷川さんがそうだったみたいにアギトも人間もきっと仲良くやっていけるって、生きていけるって。あの頃はただ戦ってるだけだったけど、段々それが、俺の夢になってったんです」

 アギトの面に感情は見えないが、きっと翔一は穏やかな笑顔を浮かべているだろう。彼の笑顔は氷川の胸にあり、声の様子から、まるで眼前にあるように浮かんだ。

「俺は、俺の夢を無くしたりしたくないです。でなきゃ、何の為に木野さんも亜紀さんもあかつき号の他の人も、真魚ちゃんのお父さんも、姉さんも……死ななきゃいけなかったかなんて、本当に意味が無くなっちゃうじゃないですか。俺が氷川さんがそういう風に変えていけなかったら、本当に意味が無かったって事になっちゃうじゃないですか」

 穏やかなままの声でアギトは言って、G3‐Xから目を離すと、右脇に抱えたハルバードを構え直した。

 津上翔一は明るく動じない男だった。だけれども彼が、彼と彼の姉と、そして関係のない人々を巻き込んで荒れ狂ったアギトへの覚醒という運命に、深く傷付き悩んだ事を氷川は知っている。

 その痛みを、無かったことにはしたくないのだろう。あの痛みにも、誰かの死にも、意味を与えたい。本当ならきっともっと長かったはずの、彼等の生に、せめて意味を。その気持ちは、分かりすぎるほどよく分かった。

 本来、人の生に意味などないのかもしれない、だが、彼等の生が無意味だったとしたら、何も残せなかったのだとしたら、そんなに悲しく虚しい事が、あるだろうか。

 彼らは確かに翔一や氷川の胸に痛みを残し、忘れがたい人々となった。それを嘘になどできない。

「だから俺、どっちか選ぶなら、守らなきゃいけないんだって思いました。だから迷いません。でも、自分が何したのかも忘れない、つもりです」

 言葉は決然としていた。オルフェノクが人である事、海堂が憎めない男である事、翔一は氷川と同様に知っていて、それでも選んだ。

 そもそも率先して役割を果たすべき氷川がぐずぐずしているから、翔一にこんな決意を強いてしまったのではないか、と思えた。全て自分の身に引き寄せて己の責任を問おうとするのは氷川の悪い癖だった。

 身綺麗なままで守り続けられるなら、それが一番いいだろう。だけれどもそんな事は、そもそも望むべくもなかった。

 力が足りないから、オルフェノクをどうしても止めたいなら、彼等を灰へ還すしかないのだ。

 アギトが駆け出して、やや遅れてG3‐Xは反対方向へと走り出した。Gトレーラー付近へと置いてあったGX‐05へと駆け寄り手に取り、解除番号を入力する。

『カイジョシマス』

 音声と共にロックが解除される。手早くガトリングガンモードへと組み替えると、ケルベロスを構え、G3‐Xは踵を返して駆け出した。

「津上さん!」

 呼び掛けるとアギトはこれから行われる行為を悟ったのか、組み合ったオルフェノクの腹を蹴り付けて後ろへ飛んだ。体勢を崩しよろめいたオルフェノクに照準を合わせて、腰を落とし引鉄を引いた。

「うおおおおおっ!」

 雄叫びを掻き消すような轟音を轟かせて、猛烈な勢いで吐き出された鉛の弾が、オルフェノクの胸を跳ねさせ、じきに弾を受けた胸と腹が、大きく蒼い炎を上げて燃えた。

 そんなには時間をおかず、炎はオルフェノクの全身を覆って、やがて灰だけがさらさらと崩れ落ちた。

 変わらない。

 アンノウンを撃つのと、何も変わらない。

 その感じ方が氷川にはひどく厭わしく感じられた。銃で撃てば、林檎を撃つのも人を撃つのも感触は変わらない。それが腹立たしかった。

「……行きましょう、氷川さん!」

「はい!」

 アギトの呼び掛けに力強く応えて、G3‐Xはケルベロスを構え直すと、乱戦の只中へと駆け出した。

 

***

 

 北條の元に、ようやく明るい知らせが届いた。

 通報のあった地点の一つにギルスが出現、オルフェノク三体を倒すと何処かへと去っていったという。

 何らかのプロテクターを身に付けた所属不明の三人組がオルフェノクを倒している、という報告も、事実関係は未確認ながら入っている。

 これも未確認だが、アンノウンらしき怪人が複数出現しオルフェノクと戦っている、という情報もあった。

 まだ最悪の状況が続いている事は確かだが、絶望すべき局面でもなかった。

「……それにしても」

 机の上に置かれた走り書きに目を落として、北條は目を細めて、首をやや傾げた。

『災いは空より来る、鉄の船から絶望は撒き散らされる』

 河野から報告があった言葉だった。例によって出所不明だが、オルフェノクが画策している計画のヒントとして津上翔一が語ったという。

 鉄の船、空、とくれば、連想するのはまず飛行機。飛行機から何かをばら撒く算段、という推測は出来る。

 だが一体いつ、何を撒くというのか。それによって何が起きるというのか。

 何かを撒く、というのなら、旅客機はあまり向いていない。やって出来ない事はないだろうが効率が悪すぎる。

 例えば。各地に点在する航空自衛隊の駐屯地にばら撒くものを予め搬入し、輸送機から――。

 その馬鹿げた空想を有り得ないと打ち消そうとして、出来ずに口の端を引き結んで歪めて、北條は無線のスイッチを入れた。

 何故自衛隊へ協力要請を出す事が出来なかったのか? 北條は今までその理由を、警察上層部がスマートブレイン勢力に押さえつけられているからだと考えていた。

 だがいくら何でもそれは無理がありすぎる。

 保身を考えれば尚更、騒動が終息すれば、自衛隊に出動を要請しなかった警察幹部の責任が追究されるだろう事は目に見えている。本来であれば迅速に政府に対応を打診し、自衛隊が出動して国民の安全を守るべきだし、それを期待されてもいるのだから。

 いくら何でも、警察幹部全員がオルフェノクの勝利を毛ほどの疑いもなく信じている、と仮定するのには無理がありすぎる。どこでもそうであるように警察内部にも派閥や対立構造はあり、一枚岩とは言い難い。ことオルフェノクに限ってだけ、一致団結するというのも考えづらい。もしそうならこの未確認生命体対策班が存在している事自体が理屈に合わなくなる。

 もし、既に打診したが対話の余地なく断られた、のだと仮定すれば……? それもまた考えづらい可能性ではあったが、警察上層部が一枚岩よりは可能性が高い。

「未確認生命体対策班より各検問へ。検問を始めてから通過した自衛隊所属の車両を全て報告して下さい。これ以後自衛隊の車両、特に貨物車両は通行を禁止してください。それから空港方面の検問を厳しくするように、貨物車両は積荷を必ず確認・記録してください」

 何が撒かれるのかは分からないし、これから運び込まれるのかもう運び込まれた後なのか、飛行機が首都圏の滑走路から飛ぶのか、そもそも飛行機が使われるのかどうかすらはっきりしない。

 だが、オルフェノクの画策にもし段階があるとすれば。今街中をオルフェノクが荒らし回っているのが第一段階、「鉄の船が空から災いを撒く」のが第二段階、という事も考えられる。

 もしオルフェノクが暴動を起こす目的が陽動であるならば、裏で何か動きがある筈だった。そしてこの規模での蜂起で、陽動以外の効果を狙えると考えているとは想像しづらい。例えば自衛隊がもし出動したとして、対戦車兵器や爆撃機に対抗しうると、いくらオルフェノクが人間を超越していても考えはしまい。

 必ず尻尾を掴んで、目論見を阻んでみせる。決意を新たに固めて北條は、虚空を睨みつけた。




誤字報告ありがとうございます☺


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カインの子、約束の地にて天に召され(5)

 新手は際限もなく現れる。戦場は完全に膠着状態にあった。

 よりにもよって、こんな所で、何を企んでいるというのだろう。

 小さく舌打ちをして、ファイズは振り下ろされた灰褐色の棍を躱し、左足を軸に身体を捻って右の蹴りを眼前のオルフェノクに叩き込んだ。その直後、背中を強く殴り付けられて前のめりに地を嘗める。

「くっそ、この……」

 大したダメージはない。直ぐに起き上がるとファイズは、続く拳に向き直ってそれをいなした。

 いい思い出は一つもない。真理や三原にとっては思い出の場所だろうが、巧にとっては、悪夢のような血と断末魔の断片、混濁した記憶しか残っていない場所だった。

 この場所は、紛う事なく、流星塾跡地。間違える筈などない。

「乾、お前は津上と行け!」

 いつの間にか近くにいた相川始の化身した黒い蟷螂が、低い声で叫んだ。

「これがお前の戦いだというなら、お前が行け。雑魚は俺とあの青い奴等がいれば足りる」

「……分かった」

 ファイズが頷くと、黒い蟷螂はカードを一枚取り出し、化身の際と同様に、バックルの縦に刻まれた溝へとカードを滑らせた。

『Evolution』

 次の刹那、腰のカードホルダーと思しき場所から光が溢れ、黒い蟷螂の頭上に集うと、その身体へと吸い込まれていった。

 それはファイズドライバーの再起動にも若干似ていたかもしれない。化身の際のように水煙が蟷螂を包んで弾け消え、その姿を更に変じさせた。

 体色は緋色に、複眼は鮮やかな緑に。発する気配は、危う気なく凛としていた。

「道を開けてやる、真実とやらを見てくるんだな」

 言うと赤い蟷螂は、腰のバックル部を外して手にした弓にセットした。軽く左腕を掲げると、再びカードホルダーを飛び出したカードが手元に集い、一枚のカードに姿を変えて、赤い蟷螂の左手へと収まった。

『Wild』

 カード名と思しき音声が響いて、赤い蟷螂の構える弓には、夜目には小さい太陽とも思えるような眩ゆい光が灯り、膨張していった。

 放たれた太い光は、射線上にいたオルフェノクを次々に巻き込んでいった。光に触れるとオルフェノクは蒼い炎を短く上げて、次々灰となり、直進する光が持つ熱量の生む空気の流れに吹き飛ばされて、まるで最初からいなかったように跡形もなくなった。

 光がやんで辺りが夜の闇を取り戻した頃には、宣言通りに、流星塾まで続く道が、眼前に穿たれていた。

「ここは俺一人でも十分な位だ。さっさと行け」

 低く静かに始の声がファイズに告げる。頷くとファイズは道を駆け出した。

 後ろにスネークオルフェノクとアギトが続く。

 アギトをG3‐Xが追おうとするが、アギトは立ち止まって振り返り、それを制した。

「待って、氷川さんはここを」

「何故です? あなた方だけを行かせる訳にはいきません、それに僕はここを調査して、報告しなきゃいけないんです」

 心外そうにG3‐Xが語気強く反論し、その言い分を上手く躱す言い訳が思い付かないのか、アギトは軽く首を傾げて唸った。

「お前は邪魔だ、ここに残れ」

「……なっ、君、失礼じゃないですか、大体にして君は何者なんですか!」

 赤い蟷螂の言葉は単刀直入に過ぎ、侮られたと感じたのかG3‐Xはいきり立って、食ってかからんばかりの勢いで赤い蟷螂に怒鳴りつけた。

 G3‐Xの力は、共に長く戦った翔一がよく知っている。決して役に立たないと思っている訳でも、邪魔だと思っている訳でもない。

 だが、王のもとに立たれては困るのだ。氷川は純然たる人間、あの黒い青年の愛する存在そのものだった。

 まさか、人間だから駄目です、などと言える筈もない。翔一がそれを口にするのは、アギトを人と信じて戦い抜き、オルフェノクを人ではないかと迷った氷川を、ひどく侮辱し傷つける行為のように思われた。

「津上、いいから早くしろ!」

 先を行くファイズが叫んだ。アギトはちらとそちらを見ると、G3‐Xへと視線を戻した。

「氷川さんは、G5の皆さんと一緒に戦って下さい。皆さんを守るの、氷川さんにしか頼めません」

 アギトが言うと、今度はG3‐Xが言葉に詰まって黙った。その様子を見届けると、アギトは踵を返して再び駆け出した。

 駆けていく三人の背中を覆い隠すように、オルフェノクが再び散開し数を増す。やや茫然としていたG3‐Xも、向かってくるオルフェノクを目にして構え直した。

 いがみ合う余裕などそこには残されていない。赤い蟷螂も手にした鎌を構え直すと、群れへと斬り掛かっていった。

 

***

 

 Gトレーラー付近を抜け門の中に入ると、敵の影はなかった。

 今は更地となり、雑草が生い茂って枯れ、足元でかさかさと音を立てる空き地。そこには嘗て、流星塾と呼ばれた児童養護施設があった。

 同窓会の夜、真理を含む塾生はここでドラゴンオルフェノクに惨殺された。たまたま通り掛かり、助けようとしてオルフェノクの姿を晒した巧は、暴力を希求する本能に呑まれ、その夜の記憶を失った。

 その後何故か校舎は地下深く埋められ、ベルトの研究が何者かによって続けられていた。

 逃げ出した巧と草加を追って、影山冴子もそこに足を踏み入れた事がある。王の隠し場所として使われる可能性は大いにあった。

 土は乾いて白く、足を踏み出すと軽く埃立つ。茫漠とした荒地が広がっているだけだった。

「なーんもねぇじゃねぇか。ほんとにここに何かあるってのか?」

 海堂の声が、いつもよりは抑えた音量で感想を告げた。

「多分、間違いない、気がする」

「あぁん、間違いないのか多分なのか、どっちだよ。日本語は正しく使えってんだ全く」

 海堂の声の軽口に、ファイズは反応を返さないで、ずんずん歩を進めていった。彼にとって、ここに何かあるのは既に確信。ならば、地下に降りる道が必ず付近にある筈だった。

「くっそ、あっちの奴ら一人ひっ捕まえて、入口聞いとくべきだったな……」

「だから、こんな所に何があるんだっちゅうの」

「何もない、ようには見えますけど、それならあんな沢山のオルフェノクがこの付近にいる理由がなくなります。俺も、何かあると思いますよ」

 海堂の声の悪態に、横からアギトが答えを返して、ファイズに倣って付近を探り始めた。

「でも、乾さん、何で入口があると思うんです? 地下に何かあるんですか、そして乾さんはそれを、知ってる?」

「……そうだよ」

 如何にも気乗りしていない、気怠そうな声で、ファイズが応じた。

「何せ俺は潜った事があるからな。もっと違う所から迷い込んだだけだけどな」

「……何?」

「ここは流星塾。昔、真理と三原と、草加がいたとこだ。そして多分、海堂、お前の使ってた量産型のベルトが、ここの地下で開発されてた」

 スネークオルフェノクはその答を聞くと黙り込み、ややあって、二人と一緒に枯草を掻き分け始めた。

「前の入り口ってもう使えないんですか」

「ああ、多分、もう潰されてるな」

「何でそう思うんだよ」

「出入口はスマートブレインに通じてたんだよ」

 淡々としたファイズの答えの内容に、スネークオルフェノクはぎょっとしたのか、頭を上げてファイズを見た。

「スマートブレイン……って、大分離れてんだろこっから」

「どうなってんのかなんて俺が知るわけないだろ」

「そりゃそうだけ……っ!」

 言葉を途中で飲み込んでスネークオルフェノクは横に跳んだ。彼が一瞬前までいた場所を鞭が掠めた。

「……しつこいっつってんだろう、あぁ?」

 ファイズの苦々し気な声。視界の先には、つい先程ダメージを負わせた筈のセンチピードオルフェノクと、見た事のないどこか虎を思わせる姿のオルフェノク、二体が佇んでいた。

「それはこちらの台詞です。()()()()()()()()()のだから、もう負ける筈がない、死に損ないの貴様などに!」

 センチピードオルフェノクは、先程ハカランダ前での戦闘のダメージなど無かったかのような動きで、ファイズ目がけ鞭を振るった。もう一体も鞭を避けたファイズを追撃しようと動くが、アギトがそれを遮った。

 センチピードオルフェノクが自在に操る鞭は、捌きが速く、うねりしなり、軌道を読むのが難しい。間合いを詰めるのはそんなに簡単な事ではなかった。

 ファイズを捉えられないセンチピードオルフェノクは徐々に焦りを濃くし、動きが大振りになっていく。

 センチピードオルフェノクの伸びきった左の体側を、横合いから一度、二度、刃が薙いだ。ファイズに意識を集中させすぎていたセンチピードオルフェノクはその斬撃を避けきれずに、脇腹を切り裂かれ吹っ飛ぶ。

「お前等ほんっとに、俺様の事忘れ過ぎだろ! 無礼にも程があるっちゅうの!」

「……黙れ、お前の様な取るに足りない下級が、この私に刃向かって……!」

 両手に円形の、チャクラムに持ち手を付けたような武器を構え、伏兵・スネークオルフェノクが立っていた。

 スネークオルフェノクは使徒再生によってオルフェノクとなった。オリジナルのオルフェノクの中でもトップクラスの力を持ったラッキークローバーのメンバーだったセンチピードオルフェノクに比べれば格下だ。だが、不意を突ければ埋まらない実力差ではない。

 素早く体勢を立て直したセンチピードオルフェノクは、今度はスネークオルフェノクへ向け鞭を振るおうとするが、動きを拘束され藻掻く格好となる。

 これはまずい。センチピードオルフェノクもこの状況には心当たりがあった。人一人よりやや大きいほどの、赤い円錐形のポインティングマーカー、その先端がセンチピードオルフェノクを捉え、動きを制限していた。

「言ったろうが、手前の面は見飽きたってな。そろそろ最後にしようぜ!」

『Exceed Charge』

「百瀬えェッ!」

 ベルトにセットされたファイズフォンのエンターキーを押して、軽くスタートアップポジションを取ってからファイズが駈け出して地を踏み切り、センチピードオルフェノクへと向けて飛び蹴りの体勢となる。ポインティングマーカーを抜けて一度フォトンブラッドへ変換されたその肉体は、超高熱をもってセンチピードオルフェノクの体内を駆け巡った後、彼の後ろへと再構成された。

 アギトと対峙し、隙のない動きに攻めあぐねていたもう一体のオルフェノクは、センチピードオルフェノクの叫び声に反応して大きく後ろに飛び、距離をとった。すわ逃げ出すかと横へ走り出すのをアギトが追おうとするが、予想に反してオルフェノクは立ち止まり、蒼い炎を所々から上げ始めたセンチピードオルフェノクへと向けて左手を翳した。その左手から伸びた幾本もの触手は、通常であれば人間をオルフェノクへと変化させるために伸ばされるものだった。それを何故既にオルフェノクである琢磨へ。

 だが、ファイズとスネークオルフェノクの不審はすぐに驚愕へと変わった。使徒再生の際のようにセンチピードオルフェノクの胸に触手が突き刺さり吸い込まれると、センチピードオルフェノクの全身から吹き出していた蒼い炎は瞬く間に鎮火し、数秒して触手が戻っていくと、何事もなかったかのようにそこに、センチピードオルフェノクが再び立っていた。

「…………何? 何だ、今のは」

 ファイズとスネークオルフェノクは、思いもよらなかった事態に呆然とセンチピードオルフェノクを見た。相手の出方を伺おうとしていたのか動かなかったアギトが、これ以上の手出しを阻止すべく再び百瀬と呼ばれたオルフェノクへと向かっていく。

「見ましたか、彼の力を。百瀬がいる以上私に負けはない。その雑魚の奇襲も最早通用しませんよ」

「どうかな、要はあいつにお前を復活させなきゃいいって話だろ。同じ手が二度と使えないのはそっちも一緒だ」

 言ってファイズは腰を軽く落として構え、また手首を二度振った。

 一方のアギトは、ハルバードを腰のベルトへとしまい込み、構えを取った。ベルトは竜の爪が宝玉を掴む様を思わせる姿へと変化する。

 津上翔一がアギトへ姿を変える時のように、ベルトの両脇を両掌が押し込むと、アギトは更に姿を変えた。皮膚は赤く盛り上がってひび割れ、圧倒的な力強さと、どこか禍々しさすら感じさせる。

 ただでさえ攻めあぐねていた百瀬は、滾る力を炎として噴き出し、尚も燃え盛るその姿、最早人を離れ魔物としか思われない生々しさ禍々しさにやや気圧されたのか、右足を半歩下げた。

 その様子を横目で盗み見たセンチピードオルフェノクは舌打ちをすると、ファイズへと向き直る。

「雑魚だの下級だの人の事好き勝手言いやがってこんにゃろう、いつまでラッキークローバー様のつもりなんだよ!」

「オルフェノクが世界を支配する、そうなればこの私は再び選ばれたオルフェノク達の頂点に立つ事になる。あなた達のような裏切り者を排除して、今度こそ永遠の命を手に入れるんですよ!」

 ファイズが駈け出し、間合いに入れまいと鞭がしなり飛んで乾いた砂や枯れかけた草を幾度も打った。スネークオルフェノクも接近しようと機を伺うが、長い鞭の射程に近付くことを許されない。

「手前はまだそんな寝惚けた事言ってやがんのか! 村上も北崎も喰われたんだぞ、奴が眠りから醒めりゃ生贄が必要になる、お前だってそうなるんだぞ!」

「そうなるとは限らない、現に冴子さんは永遠の命を手に入れた! 死ぬくらいならその可能性に賭けるだけです!」

「……永遠だ? 胸糞悪ぃ。手前はもう死んでるくせに、死ぬのが怖いって事から逃げてるだけじゃねぇか。死ななけりゃ生きてるのか? 俺はそんな生き方は真っ平御免だ。手前の事しか考えられない死人だらけの世界なんか作って、そんな世界で死ねなくなって、何が楽しいんだよ!」

 鞭がファイズの胸のプロテクターを捉え撃ちつけた。火花が飛びやや後退るが、倒れずにファイズは戻ろうとする鞭の棘と棘の間を上手く掴んで、鞭を強く引いた。

「海堂!」

「おうっ!」

 ファイズが鞭を掴んだのを見るや、スネークオルフェノクは返事よりも先に駆け出していた。鞭を手放せず前のめりに姿勢を崩したセンチピードオルフェノクの背中を一薙ぎ、肩を蹴りつけて後ろに吹き飛んだセンチピードオルフェノクが体を起こした所を、斬りつけていった。

「があっ……!」

『Exceed Charge』

 既にセンチピードオルフェノクの眼前にファイズはいた。いつもよりもはっきりと電子音声が耳に響き、ファイズショットを装備したファイズの右拳を避ける暇などありはしなかった。

「往生際が、悪すぎんだよ!」

 その体を覆う鋭い棘ごと、センチピードオルフェノクの鳩尾を振り抜かれた拳が撃ちぬく。

 センチピードオルフェノクは大きく吹き飛ばされ、腹から炎を上げ始めた。

 ここで先程のように復活させられては元も子もない。スネークオルフェノクはもう一方の戦いを見やった。

 戦いは一方的な展開と映った。百瀬と呼ばれたオルフェノクも決して弱くはない、持っている能力から見てもかなりの力を持ったオリジナルと思われた。

 だが、それ以上にアギトの戦い方には、隙がなさすぎた。まるで、次にどこにどんな攻撃が来るかを事前に知っているかのような動きだった。

 そして無駄なく、燃え盛る拳を蹴りを叩き込む。一発ごとによろけふらつき、既に百瀬の動きは足元が覚束ない、グロッキー状態に陥っていた。

「僕は…………僕は、死にたく、死にたく……嫌だ、怖い……、嫌だいやだ」

「言っただろ、お前はもう、本当は死んでるんだよ。そんな事はとうの昔に分かってた事だろ」

 ファイズの言葉に答える事なく、センチピードオルフェノクの体は急に勢いを増して燃え盛った蒼い炎に包まれ、あっという間に崩れ去った。

 灰は風に捲かれて、白く乾いた土とすぐに区別がつかなくなる。

 土から生まれたものは土に還る。ならばオルフェノクは、既に土から生まれた者ではないのか。

 逃げようとする百瀬の後をアギトが追い、ファイズとスネークオルフェノクも後に続いて駈け出した。



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カインの子、約束の地にて天に召され(6)

 流星塾敷地をやや外れた場所に、地下への入り口はあった。

 三人とも取り敢えず、変身状態は解除して先へと進む。翔一はともかく、ファイズは身体への負荷があり、海堂にしてもオルフェノクの姿のままでいれば、湧き上がる破壊衝動を抑え込まなくてはならない。

 百瀬がこうも簡単に本拠地と思しき場所を明かすのに違和感はあったが、誘い込む罠にしろ中に踏み入らないという選択肢はないし、そんな策略がもしあったなら、琢磨も逃げていればいい。何もないだろう、というのが、差し当たりの判断だった。

 何より、ロブスターオルフェノク――影山冴子は、自分の不死に恐らくは絶対の自信を持っている。下手な策を弄するとは考えにくかった。

 正直な話、巧には自信などなかった。二年前に、影山がどう不死であるのかは目撃したし、もしブラスターの火力を用いたとして、彼女の再生を上回る速度で身体を崩せるのかは全く分からなかった。

「おい乾」

「何だ」

 海堂に呼び掛けられ振り向く。暗く湿った階段で、靴音だけはいやに乾いて響いた。

「さっきから気になってたんだけどよ……」

「何だよ」

「……お前、ファイズブラスターはどしたんだ?」

 言われてはたと気付く。そういえば、巧は両手に何も持っていない、完全に手ぶらの状態だ。そもそもサイドバッシャーを降りる際に、持って降りた記憶がなかった。

「まさか、まさかとは思うけどよ……」

「……忘れてきた、みたいだな」

「何他人事みたいに呑気に言っとるんだ己は! あれがなかったらどうすんだよ!」

「っせえな、何とかなるだろ多分」

「なるかーっ!」

 海堂の必死の叫びは地下へと降りるじめついた階段に谺したが、巧の心には別段響かなかったようだった。

 

***

 

 囲みを構成するオルフェノクの数は目に見えて減っていた。

 赤い蟷螂はオルフェノクの攻撃など蚊に刺されたとも思っていないような平然とした様子で、次々に彼等を灰に還していく。無慈悲とも映る、圧倒的な強さだった。

 G5の五人も大分状況に慣れて余裕が生まれてきたようだった。ケルベロスの銃弾に撃ち抜かれたオルフェノクが灰に還り、空いた隙間に杉田と岡村が駆け込む。彼らは前と後ろから、GXランチャーを抱え構えていた。

 G5は汎用機で、装備条件もG3‐Xよりは格段に緩やかな反面、能力的には劣る。ケルベロスの反動も、独りきりでは支えられない。

 なればこそ、彼らの武器は部隊行動、チームワークにこそあった。そしてそれを統制するのが、Gトレーラー。

「よし、杉田と岡村、四時の方向に発射!」

 無線を通じて尾室の指令が飛び、ロケット弾が放たれ炸裂する。

 オルフェノクは人を越えた存在とはいわれるが、銃器の類が全く効かない程に頑健ではない。ましてや火力の高い武器は、彼等を灰に還すのに十分な威力を持っていた。

 戦える、対抗できる、という十分な手応えがある。昂揚した気分は何かを夢中で楽しむ心理に似て、それに没頭しきれない事が氷川の胸を微かに棘刺した。

 ややすると、囲みの後方が騒つき、潮引くように割れていった。預言者気取りで杖を携え闊歩してくる存在は、よく見覚えがある。

「後方からアンノウン出現、各自警戒せよ!」

 無線を通じ尾室の声が響く。

 よく見ればアンノウンは、左手に見覚えのない物を持っていた。銀色の、小振りのアタッシュケースのような箱だった。

「人の子よ、アギトとエノクの子らはあそこか」

 魚類を思わせるぬめった皮膚を持った、あかつき号を襲撃したというアンノウンが声を発した。倒した筈、という不可解さは蟠ったが、そんな事を言っている時ではない。

 恐らくは自分に聞いているのだろうと思い、G3‐Xは軽く頷く。

 肯定を確認すると、アンノウンは廃墟に向き直り、真直ぐに歩を踏み出した。尾びれに似た装飾の付いた杖を軽く振るって生み出された、水の固まりとも見えるエネルギー弾が、前方を塞ぐオルフェノクを一気に薙ぎ倒し吹き飛ばした。

 彼を阻める者などそうそう多くはないだろう。実際に相対し戦った氷川はその力の恐ろしさをよく知っていた。

 悠々と歩を進め、アンノウンは進んでいって、後には、追撃するか否か迷い惑ったオルフェノク達が残された。

「尾室さん、こちら氷川」

「どうしました」

 G3‐Xのカメラやマイク、計器類もGトレーラーでモニタリングされている。尾室からの返事はすぐに返ってきた。

「こちらの状況は大分落ち着いてきたように思えます。拠点と思われる廃墟の調査を……」

 話している途中で、また群れがざわつき割れた。

 今度現れたのは、金の鬣を持った、剣持つアンノウン。そして空に、白い鳥の姿をしたアンノウンが進んでいた。

 他に比較して特に強い力を持った三体のアンノウンが、一同に会する事となる。この廃墟に、何かあるのは動かし難い事実と思われた。

「人の子よ、汝は近付くなかれ」

「……何故です、何故僕が近寄ってはいけないんですか」

 地を行く金の鬣が告げた言葉に、G3‐Xは納得いかない声色で返した。

 翔一が、氷川はここに残るように言ったのには、何か理由があるのではないか。アンノウンすら同じ事を言う。不審は確信へと変わった。だが、氷川としても、この廃墟の実情を調査しないまま引き下がる訳にもいかなかった。

「汝のみに非ず。人の子が立ち入れば、エノクを倒す事能わなくなろう。彼の者を倒すのは、人でもアギトでもない」

「では、誰が……」

「エノクはその子に倒される。あの方が子の変じたアギトにより身体を喪ったように」

 エノクの子。オルフェノクを指し示すと推察される名を口にすると、金の鬣はG3‐Xから廃墟へと向き直って、再び滑るように歩を踏み出した。

 彼を阻める者はここにはいないだろうし、氷川には彼を留める理由がない。

 人の子は近付いてはならぬと言う。だがこれは、人間の戦いではないのか。

 納得がいかない。

 眼前の状況は考える余裕を容赦なく奪った。左右から飛び掛かられて片方の拳をいなすも、もう一方の蹴りを食らって後退る。

 まずはこの状況の打開が先決だった。もやもやとした気持ちは一時胸の奥に押し込めて、G3‐Xは体勢を立て直すと、飛び掛かってきた拳を躱してカウンターの一撃を、蛾のような羽根を背中になびかせたオルフェノクの腹へと食らわせた。

 

***

 

 どこまでも続くように思われた下りの階段にも、終わりはあった。

 地下三十五メートル、地の底に校舎の廊下が伸びている。

 所々崩落して瓦礫で埋まってはいるが、埃の溜まった教室は、この校舎に子供達が居た頃のままの姿を留めていた。

 絶え間なく水の音が続く。水に照らされているのか、ある筈のない光がぼんやりと薄く辺りを包んでいた。

 よく見れば非常灯は灯っている。どうやってか電力が供給されているようだった。

 廊下には、以前巧が迷い込んだ際にはなかったものが散らばっていた。

「……これ、薔薇の花びら……? ですかね」

 青黒い何かの花びらと思しきもの。薔薇か何かのように思われた。翔一が屈んで、それを手にとろうとした。

 触れようとした刹那、指先と花びらの間に火花が散って青く炎が燃え上がり、花びらは一瞬で灰に変わった。

「何だ、今の……」

「分かりません、でも、良くない感じがします」

 立ち上がって眉を寄せた翔一の代わりに、巧が軽く屈んで花びらを手に取る。何事も起こらずに、花びらは巧の指先に摘み上げられた。

 花びらは海堂へと手渡される。やはり何事も起きずに、海堂の掌に青い花びらが乗せられた。

 オルフェノクならば平気だが、アギトが触ろうとすると花びらは何かに拒否されたように燃え尽きた。

「……もしかして、これか? 空からばら撒かれるのは」

「そうかもしれませんね……薔薇だけに」

 巧の呟きに打たれた翔一の相槌で、その場は凍りついた。翔一だけが意に介した様子もなく、一人納得した様子で頷いている。

「ここが本当に本拠地で、オルフェノクが潜伏してた。人間をオルフェノクにする為にその薔薇が作られた……っていう所ですかね」

「思っても恥ずかしいから口にしない事をいけしゃあしゃあと……」

「えっ、何がですか?」

 きょとんとした顔で聞き返され、巧は継ぐ言葉を失った。話が噛み合う気がしない。津上翔一は、巧にとって依然として謎の多い男だった。

「……いや、いい。そんな事は今はどうだっていい。しかし、今まで見た感じだと、ここに空から撒けるほど大量の薔薇があるようには見えなかったな。もう運び出した、って事か」

「全人類、っていうからにはもっと凄い秘密工場とかありそうですけど」

「それは、分かんねえな。取り敢えずここを調べるのが先だな」

 巧の言葉に残り二人は頷いて、再び歩き始める。

 進むにつれて、闇は濃くなっていく。一つ一つ教室を覗きつつ進むが、どの部屋も最近使われた形跡はなく、埃や粉塵が白く机やリノリウムの床を覆っていた。

 とうとう最下層、本来の地上一階へと到達する。靴底が床を擦る音が耳に障った。自然、一行の息は詰まり口は閉ざされた。

 澱み沈んだ、濁った空気の中に、その存在は確かに感じられた。それは、幽冥の底から正体も分からずに響いてくる、深く低い唸りのように感じられた。

 ここは、その存在に包まれている。成程あの黒い青年の言う通りに、眠りについていようとも、王の意志は地を覆っているのかもしれなかった。

 廊下の埃は、両脇に固まり積もっている。夜目の利く者なら、足跡も見て取れただろう。辺りはほぼ闇に沈んで、手探り爪先探りで歩かざるを得なかったが、向かうべき方向については苦もなく判別できた。

 眼前に、大振りの引き戸が現れる。硝子は嵌め込まれておらず、中の様子は窺い知れない。先頭を歩いていた巧は、足を止めて一度息を飲むと、一息にその扉を開けた。

 その部屋には、薄く明かりが灯っていた。

 何かの実習室だったのかもしれない。六人掛けの机と椅子が六つ、広めに間隔をとって並び、奥の黒板の前に教壇が据えられている。

 教壇の横にロブスターオルフェノクの懐かしくすらある変わらない姿があり、少し奥に百瀬。教壇の上に王は安置されていた。

「アンデッドを上まで連れてきてくれて有り難う。礼を言うわ、坊や」

 艶めかしいアルトの声が響いた。二度と聞きたくないと思っていたその音は不愉快に過ぎ、巧に苦々しく舌打ちをさせた。

「あれがお前らなんかにどうこう出来ると思ってんのかよ。手が付けらんねぇぞ」

「確かに、アンデッドは戦う為に存在する不死者、その力は恐ろしいもの。だけど、王と戦って、アンデッドといえど無事でいられるかしら?」

「……何?」

 ロブスターオルフェノクの含み笑いの混じった言い様は、よく分からないものだった。王を目覚めさせるのにアンデッドが必要なのに、未だ目覚めない王がどうやってアンデッドと戦うというのか。

「……おい乾、あの百瀬って野郎!」

「今更気付いても遅すぎる、百瀬!」

 気付いた海堂は直ぐにオルフェノクへと化身しつつ駆け出すが、間に合う筈もない。百瀬の両手の十の指は伸びしなって触手へと変わり、王の胸に纏わりついて、先端が王の身体へと刺さり吸い込まれた。

「あっはは、王の復活よ! 乾巧、あなたを今度こそ王の贄にしてあげるわ、その為に待ってたんですもの!」

 触手が抜き取られ戻り、耳に響く正体のない低い呻きは、幾重にも重なって密度を増して感覚を圧迫した。

 まるで天使か何かのように、重さなどないかのように、ふわりと。

 蘇ってはならない者、エノクは、身に宿す膨大なエネルギーの故か、白く闇を照らし切り裂いて顕現した。

『Standing By』

「くっそ……アンデッドが居なきゃ復活出来ねえんじゃねえのかよ!」

「……まだ、不完全なんじゃないですか。今のうちに倒すしかありません!」

 ファイズフォンにコードを打ち込みつつぼやいた巧に、構えながら翔一が答える。

 とにかく今は、抗しうるかなど考えている余裕はない。目の前の存在を倒さなくては全て終わるのは自明の理だった。

「変身!」

『Complete』

 乾巧はファイズフォンをベルトにセットしファイズへ。津上翔一はいつもよりは複雑な構えから、灼熱の力宿すアギトバーニングフォームへと。それぞれ変身を完了させて、王に向かい構えた。

 

***

 

「北條さん、かかりました。入間の空自基地です。予定にないトラックが今日夕方、五台入庫してます」

「時間から見ても間違いなさそうですね。輸送機の稼働状況は」

「今日は輸送任務がない為、全台格納庫にあるはずですが、滑走路に何台か出ていると」

 報告を受けると、北條は深く頷いて立ち上がった。

 敵の狙いが分からない。人類を一気にオルフェノクへと変じさせる為ならば、予告なしに撒くのが一番効果的に思われる。北條が(有り得ないが)作戦を立案・実行するならばそうするだろう。

 危惧していた通り、海外にも同様の騒乱は飛び火していた。スマートレディのメッセージはインターネット回線を通じて複数の動画共有サイトに掲載され、瞬く間に広がった。ご丁寧に英語や中国語の翻訳字幕付きだった。それを見て暴れだすオルフェノクが現れ、日本と違い軍隊が出動するかしないかという騒ぎとなっている。

 報告によれば、オルフェノクは強靱な肉体を持つとはいえ、重火器をものともしない、というまでではない。

 軍隊が出ればオルフェノクの勝利はないにも関わらず何故。

 考えるにも手掛かりが少なすぎる。どちらにしろ、オルフェノク達が暴れているのが陽動なら、敵の真の狙いは、この謎の輸送機には違いなかった。動かせる人員が圧倒的に少ないのは不安要素だったが、とにかくやるしかない。

「しかし自衛隊……やり辛い相手をぶつけてくれますね」

 先程の報告を行った刑事が、眉を寄せて独りごちた。言う通り、自衛隊の駐屯地となれば、そう簡単には立ち入れない。まして武装した警官が大挙して入れる場所ではなかった。

「……とにかく向かいます。私が出向いて直接指揮を執ります。無線の全チャンネルに、向かえる者は合流するよう流してください。あなた方は逐次状況を私に報告してください。もしG5部隊から通信があれば、すぐ私に回すように」

 北條は歩きながら、本部に詰める四五人の刑事達に指示を出した。

 もしこれが外れなら、とは思わないでもない。その可能性はゼロではない。

 そもそも、津上翔一の不確かな情報から出された結論だ。

 こんな賭けは自分らしくない。北條はふと思ったが、彼の持つ刑事としての鋭い勘は、この選択に非を唱えなかった。



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I saw the dead, the great and the small, standing before the throne(1)

 肌を裂くような鋭さが、目の前のものから発せられる気配から感じられた。

 食らい尽くすという貪欲さ、同化さもなくば灰に帰すという意志。目の前のものに目的はない、何者も飲み込み押し潰そうとする、圧倒的な質量を持った意志の奔流が渦巻いているだけだ。

 まるで、性質(たち)の悪い赤ん坊だ。巧の胸に感想が浮かんだ。

 例えば人は生まれ出でて、まずはそこには生存に必要な欲求だけがある。赤子の父母への信頼と愛は生まれ出た後の関わりで築かれ、育まれる。人との関わりの中で、世界には自分と異なる存在がある事を認識し、分かち、区別し始める。

 分かつ事で世界は、くっきりとしていく。他者は己の思いもよらぬ事を為し、己の持たぬ物を持っている。世界は望めば何でも叶う場所ではないのだと、知らされる。

 目の前のものには、区別はないだろう。恐らく全ては、食らうか壊す対象だろう。ただ影山冴子のように気紛れに選ばれたオルフェノクだけが不死を手に入れる。目醒めたばかりで、オルフェノクを取り込み己の力となす必要がある今なら、尚更。

 食い眠り、母に抱かれる事が欲求の全てだった子供は、言葉を知り認識を知り、他者を知り己と他者を区別する事によって、己が持たざる者だと知らされる。持たぬものを得たいと望み、叶わないかもしれない願いに胸焦がすようになる。

 世界が広がれば広がるほど、手の届かない美しく遠いものは増えていく。

 巧は、美しいものを欲しいと思うのが、怖かった。死者がそんなものを得て、何になるだろう。一秒後には、己は灰色の異形に姿を変えて、美しいものを叩き壊してしまうかもしれないのに。

 それでも、美しいものの美しさは胸を焦がした。手が届かなくてもいい、美しいものは美しいまま在ってほしかった。

 自分はまだ生きている、生きたいと思った。

 例えこの命が、間違っているとしても。

 ――強くなければ生きていけないって言いますけど、人間ってどれくらい強くなればいいんでしょうね。

 あまりに優しくひたむきだったから、誰も抱える醜さを許せなかった青年を思い出した。彼の願いは世界が美しく優しくある事だったのに、彼に叩きつけられるものといえば、理不尽と痛みと悲しみばかりだった。それに耐えきれなくて、我慢ができなくなってしまった、現実は彼から多くを奪い過ぎた。だから彼は。

「畜生が!」

 最初に動いたのはスネークオルフェノクだった。王に向かい、机を飛び越して猛然と駆け出す。

「愚かね、そんなに王に取り込まれたいの!」

 嘲笑ってロブスターオルフェノクは横に飛び、道を開ける。言う通りだ、海堂が一人で飛び込んでも、捕まって食われるしかない相手だ。

 アギトが軽く駆けて低く跳んだ。スネークオルフェノクの横を飛び越し、焔纏う拳が王を捉えようとするが、何かに阻まれたように王の胸の前で拳が止まり、弾かれる。

「ぐうぅ……っ!」

 教壇が派手な音を立てて転がり、翔一の声で呻きが低く響いた。

 スネークオルフェノクはその光景に目を奪われる間に、百瀬の拳を横合いから受けて椅子を壊しながら床に転がった。

 まずい。ファイズフォンをベルトから引き抜くと、開いて急ぎコードを打ち込んだ。

『Burst mode』

 ファイズフォンの液晶部分を回し、短銃のような形に切り替えて、機に乗じてレイピアを振るおうとしたロブスターオルフェノクを狙い撃つ。不死とはいえ、その身に攻撃を受ければ痛みもあるのか、ロブスターオルフェノクはエネルギー弾を二三発浴びると、短く叫んでやや後退った。

 その機を逃さずファイズも机を飛び越すように飛んで、着地ざまに、ややよろめいたロブスターオルフェノクにミドルキックを放つ。

「愚かな坊や、まだ自分が人間のつもり? 私達は折角人を超えて、つまらない人間の限界になんて縛られる事はなくなったのよ、望めば何だって出来るのよ、どうしてそれを理解できないの」

「分かりたくもねぇよ、下らねぇ!」

 足場が悪い。避けようとすれば大きな机にぶち当たる。だが、狭い教室内で、ロブスターオルフェノクもレイピアを振り回すのは難しいだろう。

 ロブスターオルフェノクは眼前、ファイズの間合いの中にいる。この間合いなら有利なのはこちらだ。レイピアの突きを当たるすれすれで、柄を右拳でいなして軌道を逸らすと、一歩踏み込んで左の拳を叩き込む。一発の拳でどうこうできる相手では勿論ない、態勢を立て直す暇を与えてはいけない。

 望めば何でも手に入る、子供の願う事だ。そこには、決して意のままにはならない他者は存在しない。どこまで行っても何を持っていても一人だ。そんな世界は御免だ、意のままにならなくてもどれだけ傷つけ傷つけられても、独りきりは、嫌だ。

「これが進化だと、ふざけんなよ! こんな力、こんな王なんてもんがいるから、死ななくていい照夫が死んだんじゃねぇか、まだ子供だったんだぞ、これからいくらだって、楽しい事があって、一生懸命生きていけたんだ! 何でオルフェノクなんて死人の為に! おかしいだろうがよ!」

 スネークオルフェノクは、百瀬の攻撃に防戦一方となり、頻繁に攻撃を受けてよろめいていたが、後退ってもすぐ体勢を立て直して向かっていった。

「認めねぇ、俺は絶対、王もお前らも、あの時何も出来なかった俺も、認めねぇ!」

 気合いを発する雄叫びのように、どこか涙も混じったような張り詰めた声が響いた。

 ロブスターオルフェノクは不死を得た。ファイズの力では、倒しきれない事は二年前にもう分かっている。だが。劣勢のスネークオルフェノクの援護をする時間が出来れば上等。

 ロブスターオルフェノクが反撃に放った右拳が胸の装甲を掠める。ややバランスを崩しかけながらファイズは、ベルトのファイズフォンからミッションメモリーを抜き取りつつ、踏み留まって右脚を軸にし身体を無理やり捻って、左脚を振り上げた。

 不意を食らってロブスターオルフェノクは蹴りを避け切れず、後ろに吹き飛ぶ。ファイズショットを取り出してメモリーをセットし、装備するには十分な時間が生まれた。

『Exceed Charge』

「この……!」

 ロブスターオルフェノクが起き上がる動作に重ねるように、踏み込んで左の拳を振り抜く。手応えは浅くてもいい、どうせこの攻撃で倒せる相手ではない。入りさえすればそれでいい。

 ファイズショットを鎖骨あたりにまともに食らい、ロブスターオルフェノクの身体は大きく吹き飛ばされて壁を突き破った。

 その様を見届ける間も惜しい、ファイズは振り向いて駆け出し、腕を振りかぶった百瀬の背中に、駆け込んだ勢いのままに右の足の裏を食らわせた。

「うらぁっ!」

「!?」

 百瀬が前のめりに倒れこむ間に、スネークオルフェノクは体勢を立て直して、起き上がった百瀬に刃を浴びせた。よろめいた百瀬を、ファイズの拳が迎え撃つ。

「やれ海堂!」

「おうよ!」

 ふらつき踏み留まった百瀬の胴に、一閃、二閃。スネークオルフェノクが振るう刃の斬撃が、灰で出来た胸を裂いた。

 激しい音を立てて机に激突し、倒れた百瀬の胸や腹はぼうと蒼く燃え始めていた。

「い、嫌だ、冴子様……助け……」

「悪いけど無理ね。あなたに死なれるのは痛いけど、王を甦らせる役目も果たした事だし。後は、死ぬならせめて王の力になりなさい!」

 瓦礫を抜け出したロブスターオルフェノクは、悠然と歩くと、百瀬の頭を両手で掴み上げ、無造作に放り投げた。

 急に舞い込んだ珍客を、軌道上に立ち王と対峙していたアギトが、咄嗟の事ながら横跳びに躱す。既に胸板は蒼い炎に覆われた百瀬は、王の十の指先から放たれた青い光の筋を浴びた。

「うわ、嫌だ、たす……あああ、ひっ、ひあああ、ああああーっ!」

 蒼い炎は百瀬の全身に燃え広がり、不思議な事にまるで凍りついたかのように、炎と百瀬は固まった。塊を王は受け止める。ばさり、と塊が崩れてさらさらと灰が零れ落ちるが、王は意にも介さず、百瀬だったものを歯をむいて貪り始めた。ばり、ぼり、と固いものを噛み砕く音が響いた。

 そんなには時間をかけずに、百瀬と呼ばれていたオルフェノクはすっかり食い尽くされて、もうどこにもいなくなった。食事を摂った事で食欲が刺激されたのか、王が発する光は揺れ、空気が強くざわめいた。

「何ですか乾さん……今の一体、何なんですか!」

「……見ての通り、食われたんだよ」

 アギトの声には怒りがあった。

 王と対峙していたアギトが一方的にやられている様子なく立っているのは、驚愕すべき事実だった。だが王は無傷、アギトはダメージを負ったのか、左手で右の肩を押さえてややふらついている。

「王も漸く目が覚めてはっきりしてきたようだし、あなた達もう終わりね。王どころか私だって倒す術がないんですもの」

 冴子の声で嘲笑が響く。舌打ちが漏れるが、何も手はない。後退ったアギトとやや前に出たファイズは、並ぶ形となる。

「どうしますか……俺の攻撃なんて当たっても効いてませんよ。まともに打ち合っても、通用する相手じゃなさそうですけど」

「お前は、あいつとタイマン張って立ってるってだけで充分化け物じみてる。俺達はまともに立ってる事も出来なかった」

「でも、二年前は乾さんが倒したんでしょ?」

「……俺一人じゃ無理だったさ」

 瀕死の木場勇治が王を押さえたからこそ、ファイズブラスターフォームの攻撃は王を捉える事に成功し、沈黙させ眠りに就かせる事が出来た。

 木場にとどめを刺したのは自分、その思いは、どうしようもなかったとか木場は放っておいても燃え尽きていたとか、どんな事情も言い訳も飛び越えて、巧の心の底に重しのように沈んだ。

 海堂と同じだ。巧は木場を助けられなかった自分を決して許容できないだろう。誰かを犠牲にしなければ王を沈黙させられなかった事に、腹を立て続けるだろう。

 手詰まり、何も浮かばない。ロブスターオルフェノクはスネークオルフェノクに向かい踏み込んでレイピアを振るい、まともに食らってスネークオルフェノクは大きく弾き飛ばされる。

「海堂! ……っ!?」

 スネークオルフェノクを目で追って、ファイズの複眼は予想しないものを捉えた。すうと、音も立てず現れたのは、巧を襲った魚類らしきアンノウンだった。

「アギトよ。エノクの力は天にある太陽よりも眩き、光輝の力。お前は違う戦い方が出来るのではないか」

 低い声が語り掛けた内容に驚いたのか、アギトは未だふわりと浮かんで空気を細かく震わす王を見た。

「そしてエノクの子よ、忘れ物だ」

 アンノウンが左手で放った箱は、ファイズの胸元で受け止められる。忘れてきたファイズブラスターだった。

「忌々しい神の走狗、こいつらに肩入れするというの!」

「我等は己が役目を果たすのみ、その者共に加勢するのは、役目ではない」

 ロブスターオルフェノクのヒステリックな詰問にもアンノウンは動じた様子もなく、淡々と返答を返した。

「エノクの子よ、父なるものを見事倒してみせるか」

 呼び掛けに答えず、ファイズはベルトからファイズフォンを抜き取るとファイズブラスターにセットした。

『Awakening』

 電子音声がシステムの起動を告げる。ファイズブラスター側に備え付けられたテンキーを操作した。

 5、5、5、エンター。

 システムが再起動し、ファイズのスーツは一度フォトンにまで還元されると、即座に組み替えられていく。

 ストリーム上を巡っていたフォトンブラッドは、全体に染み出してスーツを赤く暗い光の色に染め上げ、ストリームは流れを失って暗く虚ろとなる。背中に飛行ユニットが生成される。

『Complete』

 あの戦い以来だった。こんな強過ぎる力を、もう使うことなどないだろうと思っていた。だけれども、王を焼き尽くし全て終わらせる為に、ファイズブラスターフォームは、再び起動した。

 アギトも何か目算があるのか、構えて再び、ベルト脇を押し込む。

 直に見る太陽の光のように、白い輝きがアギトを包んで、次の刹那には、アギトの暗い赤したその表皮はひび割れ剥がれ落ち、眩い白銀の姿が現れ出た。ベルト中央の宝玉から、二本の曲刀が引き摺り出される。

「……お前まだ変わんのかよ」

「人は変わってくもんじゃないですか。戦う為じゃなくて、生きていく為に」

「成程、それが進化って事か」

 軽い声で茶化すようにアギトの答えを流して、ファイズはブラスターのテンキーを再度操作する。

『Blade Mode』

 音声と共にブラスターは変形して、一見鋸とも見える、温度の高い黄色の刃が引き出された。

「見た目が変わった程度で、何だというの!」

 ロブスターオルフェノクが吠え、レイピアを手に猛然と斬り掛かる。その斬撃は、いとも容易く、アギトの左の曲刀に弾かれ流された。

 右腕が弾かれたレイピアに引き摺られて、ロブスターオルフェノクの胴はがら空きとなる。そこへ、流れるように、途切れなく連続して。アギトが両の曲刀で斬り付ける。

「あああぁぁっ!」

 たまらずロブスターオルフェノクは大きく後ろへと倒れこんだ。

 胸に幾筋も付いた傷は、塞がろうとするもののぶすぶすと黒い煙を上げて、再生はなかなか進まない様子だった。

「何……何なの、この力は……私は不死を得たのよ、こんな傷なんて、すぐに塞がらないと」

「さっき面白い事聞いてきたぜ。王は生命の実を半分しか食べてないから、不死ってのも不完全なんだとよ」

『Exceed Charge』

 呟きつつファイズが、ブラスターのエンターキーを押し込んだ。ブレードにフォトンブラッドが生む高熱のエネルギーが集まり宿っていく。

「つまりお前も不完全、焼き尽くしちまえば、消滅するってな!」

「嘘よ、嘘!」

 立ち上がりふらついたロブスターオルフェノクには、ブラスターの一撃を避ける余裕はない。レイピアの柄で受けようとする。

 だがファイズの一撃は、柄と中の手を叩き割って、縦一直線の兜割りにロブスターオルフェノクを頭から叩き割る。

「燃えて、なくなれ!」

 ブレードが、更に鳩尾へと突き立てられる。

「おおおぉぉっ!」

 ブレードから発せられる超高熱に再生が追い付かないのだろう、ロブスターオルフェノクの鳩尾の傷口の周囲が色を失って白い灰へと変わり、白い部分は腹と胸に徐々に広がっていった。

「おのれ、乾、乾巧……!」

 ロブスターオルフェノクの左腕が力なく上がり、ファイズの首にかけられる。だがもうブラスターフォームのスーツから放出されるフォトンブラッドの熱と毒性に耐える力もないのか、左手も陰影を失って、さらさらと白い灰へと変わっていく。

「嫌よ、どうしてこんな、おかしいわ」

「おかしかねぇよ。人間ってのは、いつか死ぬもんだろ」

 ファイズが答えると、ロブスターオルフェノクを蒼い炎が包み、急激に勢いを増して、彼女の体を焼き尽くした。炎は広がったと思うとすぐに鎮火して、どさりと白い灰の山が、板張りの床に崩れ落ちた。

 ロブスターオルフェノクが滅びた今、残るは王のみ。

 二年前、なぜファイズの最後の攻撃は、王を捉えながら焼き尽くすに至らなかったのか。その疑問の答えは、巧の胸に二年前から既にあった。

「今度こそ……今度こそ、俺は迷わない。後はあいつを丸焼きにすりゃあ、こんな面倒事もお終いだ」

 誰に聞かせるつもりもない言葉が低く漏れ出た。ファイズはブラスターのテンキーを再度操作した。

『Blaster Mode』

 音声と共にブラスターのブレードはしまい込まれて、今度は銃のような形に変形する。

 王と再度対峙していたアギトは、ファイズの側が収拾したのを見、大振りに刀を振るって間合いを開けて、一時後退る。

「津上、あいつは近寄ってもまともな戦いができる相手じゃない。何か、一気に決められるような技とかあるか」

「ありますよ、とっておきの、一番かっこいい奴が!」

「かっこよさはどうでもいい。決めたらすぐ離脱しろ、俺が一発ぶっ放す」

「いや、重要でしょかっこよさ。とにかく話は分かりました、行きますよ!」

 重要度に対する見解の違いにやや不服そうな口調だったが、アギトは両手の曲刀を出した時とは反対にベルトの宝玉部分にしまい込むと、腰を低く落とし、低く声を上げて構えた。

「おいお前等、こんな狭い所で何する気なんだよ!」

 近寄らず後ろから成り行きを眺めていたスネークオルフェノクの咎め立てする声に、二人は反応しなかった。

 崩れやすい老朽化した建物、二人が王に対抗し得ると考える攻撃の威力は恐らく凄まじいもの。ここは地下深く、埋められれば生還は難しい。懸念は分からないでもない。

 だがもう、そんな事を考えている余裕はない。

 王の動作は未だ緩慢だった。目覚めてから食べたオルフェノクが足りないのか、目覚めたばかりだからなのか。どちらにしても、まともに動くようになれば勝機はない。

 ぼう、と、一つ二つ、光が灯る。アギトと王を結ぶ直線上に、紺碧の光を放ち、龍の紋章が二つ浮かび上がる。

 アギトは一二歩助走を付けたかと思うと床を蹴り、紋章を潜る。飛び蹴りの体勢のままにアギトの体は二つめの紋章まで地面と平行に飛んだ。

「とりゃああぁぁぁっ!」

 二つめの紋章を潜れば王は眼前、右の足裏は王の胸板を捉えた。弾かれたのはアギトの方だが、王は胸を押さえよろけ、アギトは後方でひっくり返った机にぶつかりつつ着地する。

「今です乾さん!」

「分かってる!」

『Exceed Charge』

 エンターキーを押し込み、銃口を王へと向ける。引鉄を引けば、フォトンブラッドの弾丸が放たれ、避ける気配もない王を捉えた。そのまま、二発、三発。

 高熱が爆風を生み出し、煽られてファイズもアギトも、大きく吹き飛ばされる。海堂の危惧通りに、激しく揺さぶられた建物はぐらついて崩落を始めた。

「お前等、俺様の事もちょっと配慮しろ! バッキャロー!」

 砂塵に隠れ王の姿は見えない。降り注ぐ瓦礫に埋もれていきながら、スネークオルフェノクの叫びは掻き消えていった。



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I saw the dead, the great and the small, standing before the throne(2)

 赤い蟷螂の鎌が左、右と振るわれてオルフェノクの胴を払い、二三歩よろめいて倒れたオルフェノクは、蒼い炎を上げるとじきに燃え尽きて、灰と化した。

 それが最後の一体。G3‐Xは軽く息を吐くと、周囲を見渡した。

 死者はなかったものの、こちらのG5も概ね装甲にダメージを負った。カメラにダメージを受けて使用不能となった者と、胸装甲を砕かれ意識は保っているが負傷した者がそれぞれ一づつ、行動不能に陥っている。

「氷川さん、一度戻って下さい、体勢を立て直さないと」

「僕は大した損傷も受けてませんし、G3‐Xのバッテリー残量も十分です。このまま、拠点に先行した津上さんを追いたいのですが」

「しかし単独行動では」

「以前はずっと単独でしたよ。心配ありません、無茶はしませんから」

 尾室の指示が通信越しに飛んできたが、素直には従えなかった。G3‐Xはまだまだ戦える、休んでいる暇などない。

 G5達は一旦Gトレーラーへと引き揚げていくが、引き揚げようとしないG3‐Xを見て、赤い蟷螂は下ろしていた両手の鎌を振り上げ再び構えた。

「お前も戻れ、そしてここから離れろ」

「……僕には、ここを調査する任務があります。子供のお使いではないんです、理由も知らずに退却はできません」

 まさかケルベロスを構えるような事はしないが、G3‐Xは退かず、正面に赤い蟷螂を見据えて動かなかった。暫し睨み合いの形となる。

「お前がいては、津上と乾が満足に戦えない。進むなら叩き潰してでも戻ってもらう」

「それが分からないというんです。なぜ人間がいてはいけないのか、津上さんと海堂さんと一緒にいた人は、それでは人間ではないんですか」

「王は体を砕かれても、魂を人に宿らせ、人を渡り歩いて命を永らえる。宿るべき人間が傍にいては、あいつらは王の体を滅ぼすわけにはいかなくなる」

 G3‐Xが軽く、え、と声を上げた刹那、地面が縦に大きく揺さぶられ始めた。

 最初は軽微だった震動は、徐々に激しさを増して、唸りのような地響きも轟き始めた。

 じきに、廃墟の門の中の地面が盛り上がり始め、轟音と砂塵を撒き散らして地下から掘り返されたように、大きな穴が開いた。

 G3‐Xの立っている地点から塀の中迄の見通しは、夜という事もあり良くはない。まして掘り起こされた土が土煙となり、やや離れた地点ですら視界は最悪の状態となった。それなのに、なぜ穴が巨大と分かったか。その穴から、太い閃光が天に立ち上っていたからだった。

 天使の梯子というのだろうか、厚い雲間から覗く陽光のように神々しい白い光の帯が天を貫き立ち昇る中に、人型の何かが見えた。

「奴ら、仕留め損ねたな」

 低い声で淡々と、赤い蟷螂が口にした。

 カメラの望遠を最大にすると、光の帯の中の人型の様子を、朧気ながら漸く捉えられた。何かバッタのような、昆虫じみた顔をした、全身灰色をした人型の胸には、二つ大きく穴が穿たれて、光が漏れだしている。

「あれは……」

「あれが王、だろうな」

 赤い蟷螂の答える声には、強い警戒の色が浮かんでいた。

 目の前の光景は、氷川の記憶の中から捜し出すのならば、快晴の海のただ中で暴風雨に見舞われていたあかつき号の有様によく似ていた。人知の及ばない、人ならざる大きな力の作用を、嫌でも感じ取らずにはいられない。

「そうだ……津上さん、津上さんは」

 あれが地下からダメージを負った状態で現れたという事は、翔一と海堂ともう一人は、地下にいたのではないか。そう思い当たり、G3‐Xは駆け出そうとするが、赤い蟷螂に後ろから押さえ込まれ阻まれた。G3‐Xよりはかなり細身にも関わらず、その力は思いの外強く、振り解けない。

「待て、お前は近付くなと言っている!」

「離してください、津上さん、津上さんを助けないと!」

「落ち着け、お前には聞こえないのか」

 赤い蟷螂の言葉にやや冷静さを取り戻して、耳を澄ます。土煙が巻き上がる低い轟音に混じって、何かが砕ける音、エンジン音のようなものが、微かに聞こえる。

 ややあって、高速で飛び上がった一つの影が、王の周りを旋回する。間違いがない、アギトのバイクが扁平な乗り物へと変化した形――マシントルネイダー・スライダーモード――が人影を二つ乗せ、宙を駆けている。少し遅れて、赤い人影が、背中のエンジンらしきものから噴射煙を白く上げて浮上してくる。

 更に、三体のアンノウンが、羽ばたくわけでもなく音なく浮上し、三角形を描いて上方から王を取り囲んだ。

 やがて、王の背中から、何かが生え出た。触手のようなそれは幾本も王の背後に広がり、大きく広げた翼のようにすら見えた。

「いいか、あれはお前ら人間の手に負える相手じゃない。あの車で早く、出来るだけ遠くに離れろ」

 目の前の光景にただただ茫然とするG3‐Xに追い討ちをかけるように、赤い蟷螂の鋭い声が飛んだ。

 マシントルネイダーは旋回しながら降下してきて、G3‐Xと赤い蟷螂の目の前で停止した。

「氷川さん……海堂さんの事を、お願いしていいですか、出来るだけここから離れて」

 スネークオルフェノクはトルネイダーから下り、二三歩下がる。G3‐Xは、アギトの言葉に首を横に振って応えた。

「納得できません、僕は人間だから戦うなっていうんですか、君だって人間だ、僕は納得できません」

「ああもう……そういう事が言いたいんじゃないんです。俺だって氷川さんの力を借りられる状況なら喜んで借りたいんです。でも今は無理だから」

 とにかく頼みましたよ、とアギトは一方的に言い残して、トルネイダーは浮上してあっという間に王付近の上空へと浮上する。

「おい、さっさとずらかるぞ。俺もお前も、もう役割は果たしたんだ。いたら邪魔になるだけなんだよ」

「嫌です、納得できません!」

「お前が納得するとかしないとかなぁ……って何かデジャヴュだぞこの状況! いい加減にしろおめぇはこの石頭! 程度を知れ!」

「……津上さんに戦わせて僕が何もしないなんて有り得ません、津上さんは本当は戦う事なんかないんだ、戦うのは、僕の仕事なのにあの人は、だから僕は津上さんを置いて退却なんて、絶対に出来ません!」

 スネークオルフェノクの説得にも、G3‐Xは一歩も退く様子を見せない。この男がこの状態になってしまえば、人の話など聞かないだろう事は、付き合いの短い海堂にも容易に推察出来た。

 その間に、上空の状況は変わっていた。

 王の二本の腕と背中の触手のようなものからは、暗い紫に光る球状のエネルギーが次々に放出され、ゆるりと見えるのに実際には驚くべきスピードを帯びて、四方に放り散らかされている。ファイズもアギトも、眼前に迫るそれを捌き躱すので精一杯の様子だった。

 やがて、曲刀で斬り捌いたエネルギー弾のすぐ後方に控えていたもう一発を避けきれずに食らい、更に、いつの間にか上方から迫っていた触手の一本に脳天から叩き付けられて、アギトがトルネイダーから振り落とされた。

「津上!」

 巧の声が響いたが、ファイズにも助けに行くような余裕はない。

 吊っていた糸が切れたように落下を始めたアギトを、自律飛行を続けていたトルネイダーが受け止め、そのままG3‐Xと海堂、赤い蟷螂が揉める地点まで下降する。

 アギトの変身が解けその姿が翔一へと戻ると同時に、トルネイダーもただのバイクに戻り、横転した。

 緩く地面に叩き付けられた翔一に駆け寄り、赤い蟷螂が、取り出した一枚のカードを、二本の鎌を組み上げた弓の持ち手の部分に取り付けた、ベルトのバックルのスリットに滑らせた。

『Recover』

 音声が響くと、雪が降りしきるようにふわりと緑の淡い光が弓から零れ落ちて、赤い蟷螂の眼下の翔一に吸い込まれた。

「おいショーイチ君、大丈夫か! しっかりしろ!」

「大丈夫……です……」

 ようやく目を開けた翔一を見下ろして、G3‐Xは握りしめた拳を、微かに震わせていた。呻くように、マスク越しにくぐもった声が漏れる。

「津上さん……僕は、戦います。理由なんかどうだっていいんだ、君がそんなになって、僕が戦わないのは、どう考えてもおかしい」

「駄目、ですって……」

「君は本当は、戦う人じゃないんだ。君の手は、命を育てて、美味しい料理を作って、誰かを笑顔にする手です。それなのに僕はアギトだからって関係のない君に頼って、それで自分は、ただの人間だから、何もしないで尻尾を巻いて逃げろっていうんですか! 君は僕に、そんな卑怯者になれって言うんですか!」

「……氷川、さん」

 ようやく顔を上げられるようになったのか、翔一は痛みに顔を歪めながらも、G3‐Xを見て、緩く何度か首を振った。

「……分かりました、氷川さんの、気の済むように、してください。どうせ何言っても、聞かない、だろうし……氷川誠は、一度も逃げた事がない男、でしたっけ? ここで逃げたら、折角の、記録が……途切れちゃいますからね……」

「おいショーイチ君、相手はあれだぞ! 逃げた事ないにも限度ってもんがあんだろ!」

「大丈夫ですよ、氷川さんは、強い人……ですもの。凄いんですから……すいません海堂さん、手、貸してくれますか」

 姿を人の姿に戻した海堂が、翔一に肩を貸して助け起こしながら、思わず悪態をつく。

「おい黙ってないで何とか言え、えーと、相川? この馬鹿共話にならん!」

「……放っておけ、なるようになるだろう……それに」

 言葉を切って、相川と呼ばれた赤い蟷螂はG3‐Xを見つめると、王へと視線を移した。

「人間が思いの力で起こす奇跡というやつを、一番信じたいのは、多分俺だからな」

「……あー、もう、馬鹿野郎共が! 俺様はもう知らん、どうなったって知ったこっちゃねえぞ!」

 言い捨てて海堂は憤然と、翔一を肩に担いでGトレーラーに向かい歩きだした。

「お前に、あの高さに居る王を攻撃できるのか」

「心配は無用です。何せこれは、天才が作ったんだ、抜かりはありません」

 赤い蟷螂の疑問に答えると、G3‐Xは左手に携行していたスコーピオンのスコープを外し、スコープと銃身をそれぞれケルベロスにセット。後部から弾頭を取り出すと、銃頭に取り付けた。

「まずはあの攻撃をやめさせる事だ、後は乾に任せればいい。俺が奴の動きを止めたらそれを撃て。しくじるなよ」

「あなたは、どうやってあそこまで?」

 質問には答えず、赤い蟷螂は取り出したカードを先程と同様に弓の持ち手のスリットに滑らせた。

『Float』

 音声が響いて、カードは淡い緑の光となり蟷螂の胸部に吸い込まれる。すると赤い蟷螂の体は、重力をなくしたように、ふわりと浮かび上がり始めた。

「……な」

 今まで様々に理解しがたい事象とは関わってきたが、目の前の光景はまるで魔法だ。

 思わず唖然として見守るが、我に返ってG3‐Xは、GXランチャーを肩に担ぎ上げ、スコープを覗き構えた。

 

***

 

 上空でカリスは、更にカードを一枚ラウズする。

『Refrect』

 モスアンデッドの発揮していた、全身に纏った鱗粉で攻撃を弾き返す能力が発動する。王の攻撃の前では気休めにもならない可能性もあるが、使わないよりは念の為にでも使っておいた方がいいだろうと思われた。

 行く手を遮るエネルギー弾をラウザーで捌き、まずはファイズを目指す。弾かれた弾の飛沫はカリスを襲うが、リフレクトの鱗粉に阻まれ、装甲にダメージを与える事はない。

「津上は!」

「恐らく無事だ、だが戦うのは無理だ」

 エネルギー弾を避けつつ脇に抱えたファイズブラスターから弾丸を放ち続けているファイズは、振り向かずにカリスに呼び掛ける。

「今から奴の動きを止める。弾が止んだらお前がとどめを刺せるように、準備をしろ」

「言い方が気に食わねぇが……贅沢言ってらんねぇな、いいぜ、乗ってやる! だが、あいつは何だ!」

 忙しく動き回りながらファイズが問い掛けたのは、地上に待機するG3‐Xの事に相違ないだろう。

「あいつらがサボらずに仕事をこなせば問題ない。距離はある、お前が片を付けたら即座に封印が為されれば、な」

 カリスはちらと上を見上げ、淡々と答えた。三体のアンノウンは、ひたすらに出番を待ち、沈黙を守っている。

「おいこら、下で何してんのかと思えば、そんな不安要素残してんじゃねえよ!」

「津上のお墨付きだ、何かあるんだろう。それに万一失敗したなら、俺があいつを始末すれば済む」

「怖い事言ってんなよ!」

「失敗しなければいい」

 そりゃそうだけどよ、と独りごちて、ファイズは攻撃の途切れた合間に右の(くるぶし)にポインターをセットする。

「腹を括れ、行くぞ、見誤るな」

 言うとカリスは、いつの間にか取り出したカードをラウズする。

『Bio』

 カードの力がエレメントに変換されカリスに吸収されるや、構えたラウザーから幾筋もの蔦が生え、王に向かい走るように伸びた。

 蔦は王の、未だ穴の塞がらない胴に巻き付き、その体を絡め取った。これが王をそう長くは押さえられない事は良く分かっている。タイミングを見誤る者がいないか、それが成否を分ける総てだった。

 なまじな刃物は跳ね返す硬度を持った蔦に、蒼く炎がぽつぽつと灯る。じき切れる、その刹那に、地上から飛来した弾頭が王めがけ着弾し、赤く焔を上げて激しく空気を震わせた。

『Exceed Charge』

 爆風に煽られて、体勢を崩し吹き飛ばされるカリスの耳に、その音声はしっかりと届き響いた。

 王の動きは止まり、飛来するエネルギー弾も絶えた。この一瞬、これ以上ないタイミングだったろう。やや上空、王の頭の上程に移動していたファイズが、動いた。

「アンノウン共、頼んだぜ!」

 助走をつけるための地面はない。背中の飛行ユニットから大量の煙を巻き上げてファイズは、王に向かい飛んだ。

 右足のポインターから放たれたポインティングマーカーが円錐形の光に展開し、王を捕捉する。

 王を押さえる木場はもういない、その体を砕くのに迷う要素は、何一つない。

「やあああぁぁぁーっ!」

 ロケット弾は王の体を砕く程ではないものの、十分な威力をもってダメージを与えていたようだった。不意を突かれた王がマーカーの拘束を振り切る前に、クリムゾンスマッシュの爪先が王を捕えた。

 上空から大地に響きわたり震わせるような、低い低い雄叫びが響いた。爪先は届いたものの、王の抵抗たるや凄まじく、フォトンブラッドへと変換され体内を焼き尽くす、次のシークエンスに移る事が出来ない。それどころか、気を抜けば今にも弾き返される。

「お前なんかに、お前、なんかに、負けてたまるか、ってんだよ!」

 足先に、今にも弾き飛ばされそうな強い反発を食らいながら、ファイズが叫ぶ。円錐のポインティングマーカーは、より強く発光し、輝きを増した。

「うおおおおぉぉ!」

 響いた叫び声が、誰の為に、何の為に上がったのかを知る者は、声を上げた巧本人を含め、誰もいないだろう。過去の悔恨も痛みも、未来への期待も不安も、現在の激情も、全ては混ざり合って、区切り線を引くことなど出来はしない。

 ふっと、ファイズの姿が掻き消えると、数秒の後にはその姿は王の背後で、紅のフォトンブラッドからファイズへと再構成される。

 王の体を突き抜けて、Φの形したフォトンブラッドの残滓が灼いた。刹那、上空のアンノウン達が動いた。

 王に向かい翳された六の手は強い光を放ち、その光は、灰と化して崩折れようとする王の体を包んだ。

 光の壁の中で蒼い炎が燃え盛って、壁を崩そうとするが、光の球は徐々に圧縮され小さくなり、白い鳥の翳した箱へと吸い込まれた。箱の蓋が閉じられると、もう辺りに光はなく、黄味がかった厚い雲に覆われた夜空と、無惨に抉られた流星塾跡地だけが、音もなく広がり残された。

 アンノウン達は何も語る事はなく、東の方角へと飛び去っていく。

「終わった……か……」

 呟きが漏れる。背中の飛行ユニットからの噴射が唐突に止み、ファイズの体は重力に従って徐々にスピードを増し、地上へと引き寄せられ吸い込まれていく。

 ファイズの装甲はその赤い光を失って黒く戻り、その装甲すら分解され姿が乾巧のものへと戻る。

 落下の速度を上げた巧を受け止めたカリスは、ふわりと一度浮かぶと、ゆっくりとした速度で、Gトレーラーが待つ地上へと降りていった。

 

***

 

「尾室さん、他の状況は」

 赤い蟷螂が地に降り立ち、力を使い果たしたのか意識を失った巧はGトレーラーに収容された。一度帰還し装甲を脱がないままで、まず氷川が口にしたのはその言葉だった。

 尾室はやや顔を顰め口の両端を下げると、一つ頷いた。

「都内のオルフェノクは徐々に鎮圧されつつあります。ギルスやアンノウン、見たことのないプロテクターの三人組が、各地のオルフェノクを倒して回ってるようで。本部から、合流できる者は入間の空自駐屯地に向かうよう指令が来ています」

「入間……?」

「北條さんの事ですから、何か掴んだのだとは思いますが。河野さんが伝えたあの伝言じゃないですか? 鉄の船がどうたら」

「……本気で空からばら撒くつもりかよ、狂ってんな」

 翔一を運んで、自身も成り行き上仕方なくGトレーラーに乗り込んでいた海堂が、忌々しそうに言葉を吐き出して苦い顔をした。

「何がばら撒かれるんですか」

「多分な、薔薇、青い薔薇だよ。ああ、ショーイチ君が寝てて良かったな、場が凍らなくてよ」

「薔薇……って、どうしてそんな物を」

 心底不思議そうな氷川の声に、海堂は大きな身振りで肩を竦めてみせた。

「あいつらの発想なんて俺様に分かるかよ。ただ確かな事は一つ。オルフェノクが触っても何も起きねぇけど、アギトが触ったら燃えた。人間が触ったら何が起きるんだかは、分からねぇし想像もしたくねぇ」

「人間が触ったら……まさか」

「奴らの狙いから考えりゃあ、触っただけでオルフェノクにするか灰にする、そんなとこなんじゃねぇのか」

 尾室とG3‐Xは顔を見合わせる。尾室の目は、驚愕に見開かれていた。

「入間だな。氷川とか言ったか、お前はまだ動けるか」

 やはり巧を運んだ成り行きで場に居合わせていた、赤い蟷螂だった男が口を開いた。今はトレンチコートの青年の姿をしている。

「バッテリーは交換しましたから、弾薬を補給して先行するつもりです」

「俺は先に行く。そいつらの事は頼んだ」

 低い声で平坦な口調で言うと青年は踵を返し、出入口へと歩き去っていった。

 彼からは事情をよく聞かなければいけないとは思っていたものの、実際に相対すると、どこから出ているのか分からない正体不明の迫力に気圧される。不思議な青年だった。氷川は、まだ彼の名前すら知らない。

 尾室が本部へと通信を入れる声が響く。青い薔薇の事を報告するようだった。自分も為すべき事を為さなければならない。装備を整える為、氷川もトレーラー後部格納庫へと歩き出した。



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I saw the dead, the great and the small, standing before the throne(3)

 東の空はやや白じみ始め、濃度を失った山の端の空は、既に星の光を映し出していない。

 雲が多い。暫くすれば、東の空を覆う雲は薔薇色に染まるだろうが、今はただ生気なく灰色に横たわるばかりだった。

 兎にも角にも航空自衛隊入間基地の正門へと到着した北條透以下の警察官、道中で合流した者を合わせてざっと百名弱を待ち受けていたのは、ヘッドライトに照らされて浮かび上がった人影一つだった。

「皆さぁん、朝早くからご苦労様ですぅ。まさかここまで辿り着くなんて、皆さん意外と優秀! お姉さん、びっくりしちゃいました」

「貴女の戯言に付き合う気はありません、道を開けなさい」

 門が閉じられている為、車のまま進む事は出来ない。捜査員たちは車から降りると、拳銃こそ構えないものの、警戒は解かずにたった一人の女を包囲していく。

 車から降りた北條が、やや強い声で女の言葉に応じた。相手を小馬鹿にしたような、この女――スマートレディを名乗る正体不明の女性――の語り口に、苛立ちを隠しきれない様子だった。

「あれあれ、戯言? そーんな事、言っちゃっていいんですかねーっ。北條さんってぇ、ご自分の立場を、よく弁えてらっしゃらないんですね」

「……どういう意味です?」

「あなたたち、もうお終い、っていう事ですよ」

 艶やかに女は微笑んだ。

 後ろから、叫び声が一つ上がる。上、その言葉に反射的に空を見上げると、大きな翼を持った、猛禽類を象ったようなオルフェノクが二体、両脇に大きな箱を抱えて、空に在った。

 空からばら撒かれるであろうものの報告は、北條に届いていた。だが、今ここで使われるとは、考えていなかった。

「皆さん勇敢で優秀ですから、きっと立派なオルフェノクになれますよ。何人残れるか、お姉さん楽しみです。ワクワクしちゃいますね! 守ってくれる警察や軍隊から先に潰しちゃえば、人間の絶望ってもっと深くなると思うんですよ。お姉さんって冴えてると思いません?」

「その為に……仲間を捨て駒に、警察や軍隊を、おびき出して……?」

「仲間? あたしはオルフェノクなんかじゃありません。あれは皆、只の王の(しもべ)、王の餌ですよ」

 この女が北條宛てに資料を送り付け、適宜情報を撒いていた理由。それは、今北條達が陥っているように、触ればオルフェノクとなると推測される何か(恐らく青い薔薇)を、誰よりも先に警察や軍隊といった防衛にあたる者に浴びせる為、外に引き摺り出す事だった。

 北條は、女の予想すら越えて、上手い具合に罠に飛び込み引っ掛かった、という事のようだった。

 例えば、軍隊が出動した海外で同じ事をされたら。国は防衛の力を失い、オルフェノクは兵力と兵器を手にする事になる。一般市民は守る者なく、抗う力もなく引き摺り出されて灰かオルフェノクにされるだろう。

「ここの確保に予想以上に手間取っちゃいましたから、時間稼ぎの駒が足りないかなーって心配してたんですけど、まさかそっちから来てくれるとは思ってませんでした。お姉さんラッキー! さあ、下らないお喋りは終わり。さよなら、人間だった皆さん」

 追い詰めていたつもりが追い詰められていたなど想像もしていない。北條が歯噛みしたところでひっくり返しようのない状況だった。

 女の別れの挨拶を合図に、上空のオルフェノク達の抱える箱が逆さまに引っ繰り返される。ぱらぱらと、中身が零れ落ちる。女を囲んで隙間なく配置された捜査員たちが、咄嗟に身を隠したり逃げたりする場所はない。

『Tornado,Fire』

 何かの音声が英語で響き、刹那、上空につむじ風が巻き起こった。

 その風は燃え盛っていた。風は空中に散らばった薔薇を巻き込み飲み込んで、纏う炎で焼き尽くしていく。火勢は強く、上空にいたオルフェノク二体も巻き込まれそうになり高度を上げる。

『Absorb Queen,Fusion Jack』

 更に後方から音声が響いて、人影が空に飛び立った。

 緋色のスーツに金銀の鎧、優雅な曲線で描かれた羽根を広げて、空へと浮き上がる。

 緋色は、手にした銃で上空のオルフェノク達を狙撃し始める。呼応するように、後方にいつの間にか横付けにされた大きな乗り物――モービルのようだが、それよりももっと武骨な排気筒を備えた、大型のランドクルーザーよりもまだ少し大きい図体をした――から、ミサイルが幾筋も上空のオルフェノク目がけ放たれた。

「デルタ、それにBOARDのライダー? ……どうしてここに」

「王は封じられた。お前が全部仕組んだようだが、もう終わりだ」

 呆然と成り行きを見守る捜査員の波を掻き分け現れたのはG3‐Xと、緑に金のプロテクター、そして、赤いスーツに、蟷螂にも見える鎧を纏った(恐らく)男だった。

 予想外だったのか、やはり呆然とした様子の女に向かい、蟷螂が低い声で淡々と言葉を吐いた。

「まさか、氷川さん、氷川さんですか! どういう事ですか、何故許可もなくG3‐Xを!」

「処罰は後でいくらでも受けます、今はそれより、一度下がってください!」

 G3‐Xの叱咤する声に、我に返って北條は頷くと、手振りで捜査員の人垣に下がるように指示を出す。まだオルフェノクがどれだけいるのかは分からない、G3‐Xを後方から援護するのが恐らく正しい選択だった。

「……アンデッド、お前は王の餌になった筈なのに」

「一つ分からない事があったが、女、お前を見て合点がいった」

「……」

「何故王は生命の実を半分しか口にしなかったのか。神が半分しか与えなかったのだと思っていたが、違うな」

 蟷螂の言葉に、スマートレディは返事を返さなかった。尚も蟷螂は言葉を継ぐ。

「お前の中に、人間と、王に近いもの、二つ気配がある。お前が、もう半分の実を食べたんだな」

「だから何」

「王のように、力を振るわないのか」

「残念。私には、あんな力はないの。ただ人を渡って、あのひとの眠りを醒ますために動くだけ。私に出来るのは、それだけ。あなたみたく野蛮じゃないんです」

 女の笑顔は崩れなかった。張り付いたような笑い顔に、しかし氷川を嘲笑った余裕はもう見てとれない。

 一つ息を吐くと女は、ぷいと背中を向けて駆け出した。ひらりと、踏み切ると低い門を飛び越え、尚も駆けて行く。

「待って!」

 氷川の声が呼び止めるが、女は足を止めることなく、基地の敷地内を駆けていく。

 赤い蟷螂と緑色が後を追って駆け出し、鉄柵を二つ合わせたような門を押して、無理矢理に抉じ開けた。G3‐Xもすぐに続く。

「尾室さん、G3‐Xのカメラとマイクをこっちにも流してください、そう、すぐ!」

 一旦下がった北條が携帯電話で尾室と会話しつつ、後方に停車した車の中に積んでいたノートパソコンを操作する。

 ここの確保に手間取った、女はそう言った。もし基地内の人々がオルフェノクに襲われたなら、オルフェノクに変貌させられた者もいるだろう。どれ位の敵がいるのか分からない。人数が多いとはいえ、捜査員や機動隊の装備で突っ込むのは無謀と思われた。G3‐Xがいるのは幸い、先行してもらい中の状況を確認すべきと北條は判断した。

「所轄に連絡、機動隊を出せるようなら出動要請を。入間基地はオルフェノクに占拠されている、愚図愚図言うようなら代わりなさい、私が話します」

 携帯電話をしまいつつ側の捜査員に指示を飛ばす。

 夜は明け始め、山の端から差し込む鋭い角度の白い光は、基地の建物の輪郭を浮かび上がらせた。

 王は封じられた、その報告は北條も尾室から受けている。まず封じる封じないという話が非現実的すぎて、どうにも実感は沸かないが、王を蘇らせるというオルフェノク達の目的は阻止された、とみていいようだった。

 各地に被害は広がっているが、事態は終息に向かうと見て間違いない。オルフェノク達の目論見は失敗したのだ。

 する事は決まっている。今まだ基地に留まる輸送機が飛び立ち、薔薇を撒くのを阻止。あの女が全てを画策しているのならば、他の地域や海外でどうやってそれを撒くつもりだったのかも、捕まえて吐き出させる。だが輸送機が飛び立つのを許せば、自分たちは灰か、良くてもオルフェノクへと変化してしまうだろう。

「頼みましたよ、氷川さん……」

 ノートパソコンの画面に、G3‐Xのカメラ映像のモニタリングが始まる。生唾を一つ飲み、北條は基地内を進むカメラの映像を見守った。

 

***

 

 薄闇の中基地内を走るが、三人を妨害する者はなかった。

 緑色のスーツに金のプロテクターを付けた人物とは面識がなかったが、相川の知り合いらしい。向こうもこちらを不審には思っているのかもしれないが、細かい事情を説明する時間もとれないままで、一緒に走っていた。

 所々、灰の山が点在している。オルフェノクの力に覚醒する人間は少ない。基地の中にどれだけの人数が残っていたのかは分からないが、制圧される過程で、殆どの自衛官は灰にされたのだろう。理不尽さに、訳もなく怒りがこみ上がった。

 時折思い出したように、何某かの動物を象ったようなオルフェノクが脇から飛び出し道を遮ろうとするが、三人の行く手を遮る事は出来ない。

 庁舎の脇を抜けると、すぐに滑走路が見える。滑走路に出た三機の輸送機のエンジンにはもう火が入っており、轟音が張り詰めた朝の空気を震わせ乱していた。

 一台の輸送機の乗降口に接続されたタラップに、女は佇んでいた。

 差し込み始めた白い光が、剥き出しの白い肩を照らしている。エナメル地の装束が、てらりと光を跳ね返した。

「待ちなさい!」

 タラップの真下まで走りこんで、G3‐Xは声を張り上げた。女はつまらなさそうに、足元を見下ろした。

「もう、こんな事は無駄だ、終わったんだ。王がいないのに、人をオルフェノクにしてどうするというんです」

「あなた、しつこいわ」

「僕は警察官です、あなたを逮捕するのが今の僕の仕事だ。あなたが人間だというなら、人の法で裁かれるべきだ! もうこんな……何の為にこんな事を続けるんですか!」

 薄闇の中で女の表情はぼんやりと沈み、確とは見てとれない。

 ただ、不愉快そうに、口の端を吊り上げて笑っている。それだけが分かった。

「何の為……? 私は王を起こしたかっただけですよ。どれだけ待ったと思っているの、あなたみたいなつまらない人間風情に何が分かるというの。人を統べるのは王、エノク、彼しかいないのに」

「神などおらず、人を統べる者もいはしない。人はただ自らの意志で己の道を選びとっていく、それだけだ。お前の言っている事は戯言だな」

 赤い蟷螂の言葉に、女は気分を害したのか背中を向け、輸送機が前進を始めた。G3‐Xがタラップに脚をかけるが、輸送機はスピードを増して、タラップを後方に置き去り滑走路をスピードを上げ走り出した。

 タラップを駆け上がったG3‐Xは柵に足をかけ飛び越えると、開いたままの乗降口に左手をかけぶら下がる。

 輸送機はスピードを上げ、高度を徐々に上げながら滑走路を疾走する。振り落とされそうになりながら、G3‐Xは自分を見下ろす視線を睨み返した。

「死ねばいいのに」

「僕は、まだ、死なない、あなたを、捕まえるまで!」

 乗降口脇の手摺に捕まって、それでも扉を閉めようとはせず、スマートレディは()()()()見下ろしていた。

 輸送機は高度をどんどんと上げていく。G3‐Xは空を飛べるわけではない、地上の人影が米粒ほどになった今落ちれば、確実に死ぬだろう。

 咄嗟に乗降口のドアに指先を引っ掛けているこの体勢をとったのは、我乍ら無謀という他なかった。振り落とされまいと掴む以外の動作を取る事ができない。

「本当に、つまらない人。今落ちたら、いくら強化服を着てたって死ぬっていうのに、ただの人間のくせに」

「あなた……だって、人間だ!」

 やや後方で、爆発音が立て続けに上がる。恐らく、他二機の輸送機が撃墜された音、なのだろう。

 やがて、G3‐Xがぶら下がる輸送機にも、後ろから激突でもされたような強い衝撃が走る。女は脚をよろめかせ、かろうじて引っ掛かっていたG3‐Xの指先は、その拍子にドアから離れた。ゴムや鉄を燃やしたような酷い刺激臭が流れこむ。輸送機は後部エンジンから、もうもうと黒煙を上げていた。

 落下したG3‐Xをややあって受け止めたのは、上空のオルフェノクに向かっていった緋色の鍬形だった。

 手摺に掴まった女は、風に髪を揺らしてG3‐Xを見下ろしている。満足なのか悲しいのか分からない笑みが、ようやく姿を見せた陽光に照らされている。そして女は、ふいと船内へと姿を消した。

「駄目です、あの人を捕まえないと、離して!」

「落ち着け、もう無理だ」

 淡々とした、低い青年の声が動揺する氷川の言葉を窘めた。やがてエンジン部に引火したのか、輸送機後部は大きく爆発を起こして機体は大きく揺さぶられ、急速に高度を落とし始めた。

 

***

 

 入間基地内に残っていた、薔薇の搬入に使用されたトラックには、スマートレディが使用していたと思しきパソコンが数台残されていた。

 プロテクトはかかっているが、外せないものではないようだった。ここから、薔薇の生産ルートなどが割り出せるかもしれない。

 都内の騒乱はほぼ終息。地方都市ではまだ混乱が続いているが、各地の自衛隊が(阻む者がいなくなった為か)ようやく要請に応じて出動を始めた。海外の騒動も散発的なもので、概ね平定されたようだった。対抗できる火器さえあれば、オルフェノクは人間にとって抗えない敵ではなかった。

 恐らく手順としては、都内を輸送機から撒いたものでオルフェノクの巣窟と化し、混乱に乗じてまず日本、そして徐々に世界をオルフェノクの世界へと変えていく、といったものだったのだろう。

 合流したGトレーラーで装甲を脱ぎ着替えて、座った氷川は何度目か分からない溜息を漏らした。

 入間基地はあの後、北條率いる未確認生命体対策班が突入、残存していたオルフェノクもいたが、輸送機の対処には回らなかった緑のプロテクターと赤目の三角形のプロテクターの二人が、数少ないオルフェノクを掃討、追い付いたG5部隊も戦い、殲滅されていた。

 赤い蟷螂を始めとした四人のプロテクター達は、混乱に乗じてどこかへ消えていた。

 事情を詳しく聞かなければいけないとは思う。翔一は見知っていた様子だったから、彼らの身元を割り出すのは不可能ではないだろう。だけれども、彼らはそれを望まないだろう。

 結局何も出来なかったのだろうか。

 徒労感があった。人の命はあまりにも簡単に数多く奪われ、目の前で死にゆく人を救い出す事もできなかった。

「んあ……」

 間の抜けた声に、氷川は顔を上げた。床に寝かされていた翔一が目を覚ましたのか、体を起こしてきょろきょろと辺りを見回していた。

 本来であれば病院にでも搬送すべきだったのだろうが、尾室は現場への到着を優先させた。翔一も、先に目覚めて事情も聞かせないまま海堂と共に姿を消した乾と呼ばれていた青年も、命には別状はなさそうだというのがその理由だった。

「津上さん、目が覚めましたか」

「はい……何かよく寝ちゃったなぁ、頭すっきりしました。……って、どなた、でしたっけ?」

 話しかけた尾室を見つめて、翔一は本当に思い出せないのだろう、難しい顔をして首を捻った。

 心外そうに顔を歪めて、尾室が「また記憶喪失ですか」と尋ねるが、それには横に首を振って答える。

「……体は、大丈夫ですか? 津上さん」

「あっ、はい、多少痛いっちゃ痛いですけど、何ともないですよ。どうなりました?」

「多分、全部、終わりました」

 笑おうとするが、ちゃんと笑顔になっているのかは分からない。氷川が答えると、翔一は口の両端を大きく上げて、満面の笑みを浮かべた。

「良かった。ほら俺寝ちゃったから、どうなったかなって心配で。でも本当に良かった。お疲れ様でした、氷川さん」

 笑顔には曇りがない。だけれども翔一が悲しくないわけではない事を、氷川は知っている。

 やはりちゃんと笑えているのかは分からないけれども、氷川も頬を上げて笑顔を作ると、強く一度、頷いた。




明日は幕と後日談の二話更新となりますのでご注意ください。


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 よく晴れている。春の気配が覗き始めた空は、淡く霞んでいる。雲も、輪郭をぼんやりとさせて、風のままに漂っている。

 枯れた芝生から、ようやく青く瑞々しい草いきれが立ち上り始めている。

 河川敷の芝生に体を横たえて、霞む水面を見下ろす。何も考えてはいない。鋭さはない、穏やかな陽光がただひたすらに優しい。

 巧は、こうして昼寝をするのが好きだった。

 こうしていれば、世界は平和で事もなく、陽光降り注ぐ世界は、まるで染み一つない真っ白な洗濯物のように清々しく美しいのではないかと思えた。

 決してそうではない。美しいものはあまりに脆く遠い。手を伸ばせばどんどんと離れていく。それは知っていた。

 だけれども、思いたかったのだ。世界は優しく美しい、そんな世界にする事は、絵空事のようであっても、決して不可能ではない、のだと。

「乾さん?」

 後ろから声をかけられ、首を動かして背後を見上げた。最近よく見る顔が、紙袋を手に持って巧を見下ろしていた。

 氷川誠。警視庁の刑事というから、巧には縁遠い存在だったが、津上翔一があれやこれやと彼に料理を持たせては、西洋洗濯舗菊池に運ばせてくる。

 翔一も確かに忙しいかもしれないが、刑事ならもっと忙しいだろうと思われた。だが氷川は特に嫌がる風もなく、翔一の料理やら言伝を運んできた。

「あんたか。何か用か?」

「津上さんにケーキを持たされたんですけど、行く前に連絡したら、乾さんがこの辺りで昼寝しているだろうから、連れ帰ってきて欲しいと菊池さんに頼まれたんです。そろそろ店番を交代する時間だそうですよ」

「ったりぃな、もうそんな時間か。って今度はケーキかよ」

「津上さんのケーキは本格派ですよ。僕は甘いものはあまり食べませんけど、なかなかいけます」

 立ち上がらない巧の横に腰掛けて、氷川はぼんやりと目線を川面に向けた。

 変な奴だ、と巧は感想を浮かべた。

 大まかな話は翔一や相川始から聞いたが、聞くだに強情で意地を張る男のようだった。

 面倒臭いのは嫌いだ、この男は明らかに面倒臭そうだ。だが憎めない気もするのが、変な奴と思う要因かもしれない。

「一つ、聞きたい事があるんですが」

「何だ」

「君はどうして、戦い続けられるんですか?」

「あ? 何だそりゃ」

 氷川は視線を水面に落としたままだった。浅い春のぼんやりした川面は、何かを耐えるように、そんな強い眼差しで睨みつけるものではないだろう。

 変な奴に変な質問、面倒臭いのは確かだった。だけれども、憎めない思いもやはりどこかにあった。

「……俺ぁ、面倒臭いのが嫌いなんだよ。オルフェノクってのは面倒臭ぇ、多分だからだろ」

「そうか、そうなんですね」

 質問を投げかけておいて、投げ遣りな返事だった。氷川は視線を動かさない。

「お前は何でだよ」

「僕ですか? 僕は……やらなきゃいけないからだって思ってたんですけど、それは、やりたいからなんだって気付きました」

「……意味分かんねえな」

「そうですよね、僕もよく分かりません。でも、もし僕が戦わなくてもよくなったら、誰も悲しんだり辛いと思わない、争わない世の中になったらいいなぁって、それが僕の夢かもしれないです。変ですかね」

 ぼんやりとした口調で、氷川は言葉を継いだ。巧は首を上げると、ちらと氷川の横顔を見た。

 夢を見る時ですらまっすぐに迷いなく、彼の黒い瞳は前を見据えるのだろう。叶わない事の方が多いのだと知りながらそれでも。

 眩しくて届かないとばかり思っている巧には、その様は、羨ましく何か寂しくも映った。

「いい夢だと思うぜ」

 呟いて巧は、右の掌を陽に翳した。いつ崩れるのかなど分からない、だけれども、陽に透けて通う血が見て取れる手。

 人間なんだから、いつ死ぬかなんて、分かんないよなぁ。

 ぼんやりと浮かんだ言葉は霞んだ空気にすぐに溶けて消える。手を組みなおして頭を支えると、巧は昼寝を再開するため、瞼を閉じた。



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後日談

これの前に「幕」が同時投稿されておりますのでこちらから開いてしまった方は是非幕もお読み下さい。幕が本来の最終回でこの後日談はあくまでおまけです。


「じゃあ、これ、お返しします」

 睦月が差し出したバックルとカードを受け取ると、橘は表情を変えず、無言で頷いた。

「何故お前が来た? 橘も橘だ、巻き込みたくないと言っていた筈だ」

 やや眉根を寄せて、人の姿に擬態した始は、苦々しい声で疑問を口にした。

 睦月は巻き込みたくない、というのは共通の見解の筈だった。乾巧や津上翔一といった他の戦力があったし、平凡な学生に戻り大学に通う睦月を、一時的にとはいえ、今更戦いに引き戻したくはなかった。

「俺が橘さんに無理言ったんです。水臭いですよ、俺にだけ秘密にしてるなんて」

 爪弾きにされたのが面白くない、そんな機嫌の悪い顔をして、睦月は始に言葉を返した。

「俺だって、橘さんと気持ちは同じです。黙って見てるなんて絶対嫌です」

「……という訳だ。一生恨むと脅されてな、仕方なくレンゲルのバックルとカードを渡した」

「そうですよ、俺だけ仲間外れなんて、顔向けできなくなります、そんな事になったら一生恨みます」

 橘が苦笑して、睦月もつられたのか、苦く笑って、冗談めかした口調で零した。

 始もつられ、薄く笑いを浮かべた。

 ここにいる誰もが、ここにはいない男の事を思って戦っていた。彼が何をどう望むかを考えて。それを自分が嬉しいと思えた事が、始には不思議だったし、当然のような気もした。

 これから眠らずに辿る時間の事を思えば、瞬きにも足りぬ一瞬かもしれない。だけれども、ここにもういないあの男の事を同じように思える人間がいる事に、安心していた。

「でも、王もいなくなったし、これでまた、平和に戻るんですよね」

「多分な」

 睦月の呟きに、始は軽く頷いてみせた。

 オルフェノクはもう不死を得る事はなく、短い命は近い将来には灰に散るのみとなった。乾巧を含めて。

 皮肉なものだった。永遠の長さに目眩する者がいると思えば、明日崩れ去るかもしれない命に怯える者もいる。

 概ね、静かに時は過ぎ去っていくだろう。

 過ぎ去った日々の如くに始の心を激しく波立てるものは、会ってはならぬ彼との再会まで、きっとないだろう。そう思われた。

 

***

 

 長い夜は明け始め、東の空は明度を上げて、水を引いた半紙に薄墨を流したように、透けるような瑠璃色を湛えていた。

 海堂は足を止めない。何だか腹が立っていた。

 何も戻らない事など分かり切っていた。だが区切りが付けば、このずっと薄れないまま遣り所のなかった気持ちにも、整理が付くかもしれないとどこかで思ってもいた。その淡い期待は、見事に裏切られた。

 照夫も木場も結花もいないのが悲しい事と、オルフェノクの存在に一応の決着が付くことは、考えてみればまるで相関関係がなかった。

 オルフェノクはもう生まれない、海堂を含め、今存在する者達の短い命が終われば、滅びる。

 使徒再生により増える道は残されているだろうが、増えたからといってどうにもならないし、アンノウンとやらが黙ってはいそうにない気もした。

 オルフェノクは滅びる。

 その結末を望んでいたのは事実だが、それは海堂が眩しさを覚えた木場の理想とは違う結末で、悲しみを慰め得るものでもなかった。淡々と、そうあるべき当たり前の事実が、ようやく当たり前に現実になっただけだった。

「おい海堂、ちょっと待て」

 後ろから声がかかり、海堂は足は止めたが、振り向かず立ち尽くした。

 乾巧は、バイクを呼べる筈なのに呼び出そうとはせず、当てなく歩く海堂の後を追ってきていた。

「お前、これからどうする気だ」

「どうって別にどうもしねえよ。今まで通り、気の向くまんまぶらり旅だ。おめぇとの腐れ縁も、今度こそこれっきりだ、二度とその無愛想な面見なくていいと思うとせいせいすらぁ」

「それはこっちの台詞だ。でも、そうは思わない物好きも世の中にはいる。どうせ急ぎじゃないんだろ、少し付き合え」

「氷川って刑事が、捕まると面倒臭ぇんだよ。とっととドロンしちまいたいんだ」

「そんなに時間は取らせねえよ、そろそろだ」

 巧も足は止めたらしく、背中からかかる声は近付いてこない。海堂は、振り向かないままで話し続けた。

「悪ぃが、付き合う気はねえな。俺様は一刻も早く貴様の事を忘れたくて仕方ねぇんだ」

「お互い様だ……お、来たな」

 悪態をついた巧が何に気付いたのか、言葉を止めた。ちらりと振り向いて盗み見ると、携帯電話を右頬に当てて、何かを話していた。

「そうだ、その道を真っ直ぐだ。おう、見えてきた。じゃあな」

 巧は話しながらやや顎を上げて、前方に立つ海堂の向こうの道の先を見ていた。海堂もそちらに首を向けると、よく見覚えのあるバンが走って近付いて来るのが見えた。

 そうだ、よく見覚えがある。二年前、よく目にしていた。走り回ればオルフェノクに遭遇するのは、車の故なのか、運転する人間の故なのか。

 西洋洗濯舗菊池の配達車は、海堂が立ち止まる地点の十メートルほど手前でハザードを出すと、道の端に車を付けて停車した。

「たっくん、海堂さん!」

 菊池啓太郎は、後ろの確認も疎かなままで、運転席側のドアを開け放つと駆け出し、もどかしそうに低いガードレールを跨ぐと、海堂へと走り寄った。

「海堂さん、ホントに海堂さんだ、今までどこ行ってたの、どうして何も言わないでいなくなるんだよ!」

 泣きだしそうな顔をして大声でまくし立てられる。海堂はやや辟易として眉を寄せると、苦々しげに息を吐いた。

「るっせぇな、俺様は何者にも縛られないんだよ。お前等の顔は見飽きたから、自由を求めて旅に出たんだ、悪いか」

「悪いよ! 心配するじゃない! 俺、海堂さんとはいい友達になれたって思ってたのにひどいよ!」

「わーったから落ち着け、唾が飛んでんだよ、唾が」

 満面に不服の色を浮かべて、啓太郎は海堂を真っ直ぐ睨み付けていた。

 結花はきっと幸せだったろうと思った。海堂でさえこれだ。啓太郎はきっと、疑いなど挟む余地もなく、ただひたむきに、結花を愛してくれただろう。

 例えそれが数日の間でも、愛されず愛せない事に深く傷付いていた、傷付くあまりに醜さを憎むしかなかった、あの臆病で優しく寂しい少女の心を、どれだけ満たしてくれたろう。

 誰もがこうして、人を思い愛し伝える事が出来たなら、問題はもっとシンプルになっていたのかもしれなかった。それは不必要に捻くれた海堂や巧には、人に裏切られ信じたいと願いつつ疑いを捨て切れなくなった木場には、決して為せない事だったけれども。

「悪ぃけど、また行くわ。ま、行く前にお前の顔を見られたのは悪くなかった。二度と会う事もないだろうけど、達者でやれや」

「なんだよそれ、意味分かんないよ……どうしてどっか行かなきゃいけないんだよ、ずっといればいいじゃない」

 穏やかな笑みが、海堂の頬には自然に浮かんだ。悪くない気分だった。

 昂揚はないけれども、深い満足があった。啓太郎は度を過ぎたお人好しでお節介だったが、だからこそ、こんなもう人間ではない海堂をも、隔てる事なく、友達だと言ってくれる。

 壁を軽やかに飛び越えるものは、きっとこんな馬鹿正直さだ。木場にも海堂にも、それが分かっていなかった。

「乾の事、よろしく頼んだぜ。あんな性格曲がった野郎、お前にしか頼めないからよ」

「なんだよそれ、そんな事言うの嫌だよ」

「まあそう言うなや。白い洗濯物見たら、お前の事、思い出してやっから。あと真理ちゃんにもよろしくな」

 啓太郎は顔を歪めて必死に抗議するが、海堂の顔を見ると、歯を食いしばったのか口元を低く引き結んで俯いた。追い付いてきた巧が、啓太郎の肩に手をそっと添えた。

「お前もくたばるまで元気でやれや」

「お前もな。今回は、助かった」

「お互い様だ。じゃあな」

 軽く手を上げると、巧が軽く頷いて応じた。啓太郎は顔を上げないで、右の手の甲で目元を拭った。

 背を向けたら、もう振り返らないで海堂は歩きだした。

「元気でね、海堂さん、気をつけて、元気でね!」

 背中を啓太郎の鼻声が追ってきたが、左手を軽く上げ振って応じて、振り向かなかった。

 二度と彼等とは会う事はないだろう。全て、灰に帰して風に撒き散らされてしまう、そんなものでしかないだろう。

 だけれども海堂は、良かった、と感想を胸に浮かべた。何がなのかは分からなかったが、とにかく。

 失ったものは何も戻りはしない。もうどこを探しても、どこにもありはしない。だけれどもそれは、オルフェノクが皆灰になってしまってもきっと、啓太郎が覚えていてくれる。

 太陽が山の端から顔を覗かせて、郊外の片道三車線の国道に、鋭く白い光が射し込んだ。今日は眩しさに居心地の悪さを覚えないで、海堂は当てもなくただ、漫然と歩き続けていった。

 

***

 

 未確認生命体対策本部の看板を会議室の入り口から取り外すため、脚立が立てられている。

 氷川が中を覗き込むと、忙しく資料を片付ける捜査員の中に北條がいた。

「北條さん」

 声をかけると北條は、書類の束に落としていた目線を上げた。

「何ですか、今忙しい」

「海外に戻ると伺ったので。慌ただしすぎます、もう少しゆっくりしていかれてもいいのでは」

「私の能力が必要とされているんですよ。何だかんだ言って、人間の一番の敵は人間自身だ。人類の進化がどうだのアギトだの言う前に、世界には無数の犯罪があり理不尽に巻き込まれた犠牲者がある」

「仰る通りだと思います。また一緒に働けるかと思っていましたから少し残念ですが、陰ながら北條さんの活躍を願ってます」

 寂しそうに笑った氷川を見て、北條は苦笑を漏らした。困った人だ、とでも言いたげに目線を逸らす。

「氷川さん、あなたに一つ聞いておきたい事がある」

「何ですか?」

「今でも、アギトは人類の進化の形だと、そう思っていますか」

 北條は再び目線を書類の束に落として、纏めては袋に収めていた。氷川は答えを迷い、戸惑って黙りこくった。

「私は、海外にいる間もずっと考えていた。日本に戻って、人を超えた力を得てそれを進化と呼称するオルフェノクを見て、再度考えさせられました。アギトになるという事は人のありようを変える事はできるのか? 小沢澄子の言うように、人の可能性の体現なのか? 津上翔一のように、アギトとしての力を得ながら人であり続ける事は、進化と呼べるのか? そも進化とは何か? 答えは出る筈もない、これから長い時間をかけて作られていくのでしょうからね。だが、今あなたがどう考えているのかを聞きたい」

 相変わらず書類を纏める手は止めず、北條は長い質問を早口に紡いだ。黙りこくったまま聞いていた氷川は、俯いてやや考えた後、意を決したように顔を上げた。

「……僕は、進化と呼べるようにしたいと、そう、思っています。それが出来ると信じてもいる。力に溺れるのが人間なら、それを律する事が出来るのも人間です」

「理想論ですね、だがあなたらしい答えだ」

 答えを聞いて、北條は顔を上げ、にやりと口元を上げ歪めて笑った。

 

***

 

 ぱらりと、瓦礫が内側から動いて、やがてがらがらと突き崩される。

 骨の浮いた左腕が宙を掻いて、瓦礫の山に開いた穴を少しずつ広げていった。着込んだ濃紺のジャケットの袖口は擦り切れて、白くなっている。

 やがて山の中から出てきたのは、子供だった。駆け出すと振り向いて、笑顔で何かを穴の中の男に告げた。

 言葉が分からないのだろう、男は困ったように苦笑を返して、手を振った。

 子供も手を振り返して、踵を返すと駆けていった。

 古ぼけた低いビルが並んだ街並みからは、あちこち黒い煙が上がっているが、今は目立った音はなく静かだった。

 アスファルトは砕け盛り返っている。戦車のキャタピラが作った轍が黒々と焦げたような跡を道に残している。

 ふと、じくりとした軽い痛みを覚えて頬を拭うと、乳緑色の粘り気の強い液体が手の甲にこびりついた。

 それでもあの子は笑って(多分)お礼を言ってくれたのだ。

 石畳の継ぎ目を覆った白い灰が、風に流されて巻き上がり、飛ばされていった。どこへ行くのだろう。

 放置されたショーウインドウに飾られたテレビではニュースが流れている。暫く眺めていると、見覚えのある姿がちらりと映った。

 灰色の怪物と戦っているのは、ギャレンとレンゲルだった。日本でも、灰色の怪物が混乱を巻き起こしているのだろう。

 きっと皆、運命と戦い続けている。そこには重いも軽いもなく、人は生きる限り、望むものを叶えようとすれば、戦い続けるしかない。

 いつまでこうして人間のような風をしていられるのかは分からなかったが、戦い続け抗い続ける限りは、人でいられる気がした。

 会ってはならぬ彼は、少しは素直に笑えているのだろうか。それが気がかりだったが、きっと苦味を交えて苦笑のように喜びを表しているのだろうと思えば、妙な可笑しさも感じた。

 映像の切り替わったテレビから目を離して、男も人気のない道を歩き出した。あいつのいない場所、それ以外はどこへ行くかなどあてもなく。




最後までご覧いただきありがとうございました☺


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