涼宮ハルヒのドキュメンタル (はせがわ)
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プロローグ。

 

 

 唐突だが、いま俺達SOS団の雰囲気は、すごく良い。

 団員それぞれがハルヒの事、そしてこのよく分からない集まりであるSOS団の事を大切に想い、心から好きでいる事がアリアリと見て取れるのだ。

 

 いま俺の対面に座り、すでに負けが決まった局面を何とか打開しようとウンウン将棋盤を睨んでいる古泉を。

 編み物に勤しみながらも、時折こちらを見て優しい微笑みをくれる朝比奈さんを。

 本当は読書がしたいだろうにハルヒの調べものに付き合わされ、しかしそれに嫌な顔ひとつ見せる事なく、どことなく楽しそうな表情さえ浮かべている長門の姿を見て、俺は思う。

 

 あぁ、ここは本当に、暖かな場所だと。

 俺達のような者にとって本当に居心地の良い、なくてはならない場所なのだと。

 

 

 俺達がこの部室に入り浸るようになってもう一年近く経つが、もしかしたら今が一番良い状態なのかもしれないな。

 最初の方こそはそれぞれの所属の事もあり、古泉も朝比奈さんも笑顔は浮かべつつも、どこか線を引くというか警戒している部分があったりした物だが。

 しかし今、この部屋の雰囲気にそういった物は感じられない。もちろん思う所はあるのだろうが、少なくとも表面上は微塵も感じない。

 おそらく各々の立場はあれど、それとは別の部分でこのSOS団を、そしてハルヒの事を大切に想ってくれている為なんだろう。

 

 古泉の笑い顔は相変わらず胡散臭いが、明らかに以前とは俺達への接し方が違う。なんというか、凄く柔らかい雰囲気になったように思う。

 もちろんコイツには義務だったり使命であったりもあるんだろうが……、今の古泉の顔は取り繕った物なんかじゃなく、心から楽しんでるからこその顔に見えるんだ。

 部では貴重な野郎同士って事で、俺とはよく休日も二人でつるんだりしている。

 組織だの能力だのの事を忘れて俺とバカ話をする時の古泉は良いヤツだし……まぁ友達だと思ってやらん事も無い。相変わらず話しかけてくる時の顔は近いが。

 

 朝比奈さんはいつもハルヒの破天荒さの被害者となってはいるが……、それでもこうして毎日部室へ通い、皆の為に美味しいお茶を淹れてくれる。

 恐らくハルヒを可愛い妹か、下手したらもう自分の子供みたいに思っているんじゃないか?

 朝比奈さんがハルヒを見つめる時の瞳には、そう思えて仕方ない位のとびっきりの慈愛が込められているように思う。

 その姿は正に聖母マリア。神はここ北高の文芸部部室に居ました、といったような感じだ。

 

 長門はいつも本を読んで過ごしているが、それでも時折ボードゲームに興味を示してはトコトコこちらに来てみたり、まるで仲の良い姉妹のように朝比奈さんと並んで座ってみたり、ハルヒのPCゲームの対戦相手になってみたり。

 最近では不思議探索の時、ただ付き合うばかりではなく自分から「ここに行ってみたい」と意思表示をするようになってきたんだそうだ。

 それを聞いたハルヒのテンションがMAXになった事は、言うまでもない。

 可愛い有希のお願いだと、もうニッコニコしながら二人で手を繋いで不思議探索をして来たらしいぞ。

 

 いま俺達の間にあるのは、親愛の情。それぞれの立場を尊重するという、思いやり。

 そして同じ部で過ごし、同じ物に立ち向かって行くという絆。

 なにやら言っててこっ恥ずかしくなってくるが……しかしそうとしか言い表せない暖かな物が、俺達の間にはある。

 

 まあこの中で俺だけが一般人だという事に思う所が無い事もないが……それで傍観者を気取っていたのはすでに過去の話だ。

 俺はこいつらの為に出来る事があれば躊躇なく手を貸すし、このSOS団という場所を守る為だったら何だってするつもりでいる。

 “鍵“だのなんだのという言われ方は未だによく分からんが、それでハルヒやこいつらの為に何かをしてやれるというのなら、文句は無い。

 

「いや、本当にお強い。参りました」

 

 いま散々悩みに悩んだ挙句、なにやらスッキリした顔で投了する古泉に苦笑を返しながら、俺は思う。

 ハルヒの事だ、この先も何だかんだと色々ありはするんだろうが、今はただこうしてのんびりとしていたい。

 この部屋の暖かな雰囲気の中で、こうしてまどろんでいたい。

 なんだかんだ言っても、俺はこの平和な時間を愛しちまってるのかもしれないな、と。

 

 そして案の定……そんな俺のささやかな願いをブチ壊す声が響いたのは、例によってSOS団団長の席、涼宮ハルヒの方からであった。

 

 

「――――そうよ、これよ!!

 我がSOS団に足りないのはこれだったんだわ!! ありがとう有希!」

 

 

 ふと目をやってみれば、そこにはパソコンの前でキラキラ目を輝かせている我らが団長さまの姿。そしてフンスと声が聞こえてきそうなほど満足気な様子の長門の姿があった。

 

「みんな! ちょっと集合してちょうだい!

 さぁ有希もみくるちゃんも席に着いて! 傾注ーっ!!」

 

 団長席に居た長門はどことなく意気揚々といった様子で、そして編み物をしていた朝比奈さんが「ふぇ?」と非常に愛らしい声を出してから、俺達のいる長机の席に着く。

 なんだなんだ? 何が始まるんだ? そんな空気が部室を包む。

 

「えー、おっほんっ!! 皆さん、我々SOS団はあたし涼宮ハルヒを団長とし、

 この北高でも最高の人材のみを集めて構成された至高の団である事は、

 ご存知の通りです!!」

 

 いや、俺は知らんかったが。そうだったのかハルヒ?

 そんな茶々を入れる暇もなく、団長席の上に立ち上がり腕を広げて演説するハルヒの言葉は続いていく。

 

「愛らしい文学少女! ロリ可愛い巨乳メイド! ハンサムで有能な副団長!

 キョンの事は今いいとして……ここには最高のメンバーが集っています!!」

 

「おい、俺は何かないのか」

 

 思わず声を上げてみるも、どうやらここでは雑用係に発言権は無いらしい。是非とも待遇の改善を要求したい所だが、ハルヒの演説は止まる事なく続いていく。

 

「しかし、しかしです! たとえ団員それぞれが万人を殺す力を持とうとも!

 国盗りが出来る程の能力があろうともっ!」

 

「すいません、持って無いです」

 

「こ、殺したらダメですっ。あぶないですっ」

 

「ない」

 

「あるひとつの重要な要素が、私たちには欠けているっ!!

 溢れんばかりの知性、圧倒的なフィジカル、暴力的なまでのチャーム……、

 それとは違う“ある重要な能力“が、今の我々には無いっ!!

 その事にあたしは気が付いたのです!」

 

 思わず三人がつっこむも、めげずに続けていくハルヒ。

 

「ハイみくるちゃん! それはいったい何だと思う!?」

 

「えっ。……あ、あの!」

 

 ビシッと指を突き付けられ、オロオロと戸惑う朝比奈さん。俺達はもう、心の中で応援する事しか出来ない。

 

「えっと……も、もしかして絵の才能とか、音楽の才能とか」

 

「――――そうです、“笑い“ですッ!!!!」

 

 朝比奈さんから視線を切り、目を〈カッ!〉と見開いてハルヒがこちらを向く。

 

「笑いを獲っていく能力! 一声で場を爆笑の渦に持っていく力!!

 そういったスキルを持っている人材がこの場には居ないのです!

 これは由々しき問題だわっ!!」

 

 ガーンとばかりに打ちひしがれている朝比奈さんには大変申し訳ないのだが、正直いまちょっと吹きそうになったぞ俺。お前は結構いい線いってるんじゃないのかハルヒ?

 

「何いってんのよキョン! こんなんじゃ全然たりないわ!!

 かの食い倒れの国では、もう毎日が笑わせるか笑わせられるかの戦いなの!

 やるかやられるか……常に死と隣り合わせの修羅の国なのよ!!

 こんな事じゃ一日だって生きてられない!!」

 

 お前はあの関西のいち地域を何だと思ってるんだ。そうは発言してみるものの、相変わらず雑用係である俺の言葉はコイツに届かない。いい加減訴えるぞお前。

 

「人間関係においてユーモアというのは、とても大切な要素だわ。

 これがある人が上司に気に入られ、国の中枢を担う重要な役職に着いていくのよ。

 ゆえに“笑い“は国を動かす程の能力と言っても過言じゃないわ!」

 

「別にこの国は吉本興業が動かしているワケでも、

 笑福亭一門が大地を支えているワケでも無いのですが……」

 

「そんな重要な能力を、我が校の精鋭たるSOS団が持っていないのは問題よ!!

 今後あたし達が活動していく上で、必ず必要になってくるスキルのハズだわ!!」

 

 もうハルヒは絶好調だ。いつもイエスマンでいるハズの古泉でさえ思わずつっこんでしまう程の状況だが、もうハルヒの瞳には自らが思い描く輝かしい未来しか映っていないのだろう。

 

「そんな事言ってもな、俺やお前はジョークを言う方でもないし、

 それは朝比奈さんや長門だってそうだろう?

 古泉に関しては会話のスキルが高い方なんだろうが、

 それでも笑いを獲っていくようなスタイルじゃない。

 SOS団に谷口でも入れるつもりか?」

 

「何いってんのよキョン! 谷口なんて入れてもしょうがないでしょ!!

 いま! 現状の! このメンバーでSOS団はやっていくの!!

 安易なメンバーの増員なんて微塵も考えてないわっ!」

 

 まぁ新入生なんかの問題はあれど、それに関しては俺も同意見だ。

 しかしいかにコイツらしいとはいえ、この面子に対して笑いのスキルを求めるっていうのもなぁ……。

 

 ハッキリ言って、長門や朝比奈さんが誰かを爆笑させている姿なんぞ想像出来んぞ?

 そうなると俺か古泉になってくるんだろうが、今まで平々凡々と生きてきた俺にそんなスキルがあるハズも無し。

 古泉ならツッコミ役としてでも舞台に立てば、もうそれだけで女子高生達がキャーキャー言いそうなモンなのだが、ハルヒが言っているのはそういう話でも無いんだろう。

 中学までは仏頂面して過ごしていたというハルヒにもそんな対人スキルは無いだろうし、俺にはハルヒの主張はとても無理がある物のように思えるな。

 

「う~ん、でも谷口かぁ~。まぁ団に入れられないのは当然だけど……、

 あたし“こと笑い“に関しては、ちょっとだけ谷口を認めてる所あるけどね」

 

「えっ!?」

 

 あまりの意外な発言に、思わず上擦った声が出る。そんな俺を不思議そうな顔で見つめるハルヒ。

 

「なに? どうしたのキョン?」

 

「い、いや……あまりにも意外だったもんでな? お前は谷口の事なんか、

 たまに視界に映るアメーバみたいなの位にしか思っていないのかと……」

 

「それ飛蚊症じゃない? ちゃんと眼は清潔にしときなさいよ?

 ……まぁ確かに谷口って視界に入るだけで鬱陶しいヤツだけど、

 それはそれとして見るべき所は見てるわよ、あたし」

 

 腕を組み「心外だ」と言わんばかりに俺を睨むハルヒ。お前も谷口を鬱陶しいと言っていたので睨まれる謂れは無いハズなのだが、とりあえず今は話の先を聞く事とする。

 

「笑いのセンスがある、だなんて思ってないわ。

 谷口ってヘタレだし、情けないし、ぶっちゃけみんなに舐められてるわよね?

 集団におけるアイツのポジションって、みんなに馬鹿にされたり、

 駄目な所をイジられたり、池に落とされたりする、

 いわゆる“汚れ役“のポジションだわ」

 

「池に落ちたのはお前のせいなんだが……まぁ正直そうだとは思う。

 アイツはまごう事無くバカだからな。

 だがアイツはアイツで、どこか憎めない所が……」

 

「――――だけどね? そのポジションって、“凄く貴重“なのよ。

 この役目を引き受けてくれる人間が居るかどうかで、

 集団における場の雰囲気って、もう全然違ってくるの。

 本当はアンタたちは、物凄く谷口に感謝しないといけない(・・・・・・・・・・)

 

「!?!?」

 

 突如、貫くような視線で俺を見るハルヒ。その目は真剣さに満ちており、俺は黙って動かずにいる事しか出来なくなる。

 

「誰だって、フォワードやミッドフィルダーをやりたいの。

 地味な球拾いなんかじゃなく、カッコいいポジションをやりたいのよ。

 そこを谷口は“イジられ役“という役目に自分を置く事で、

 実は誰よりもアンタ達の集団に貢献しているの。

 アイツがいるから、周りは点を獲れる。

 アンタ達が仲良くおしゃべり出来てるのも、毎日楽しい気分でいられるのも、

 谷口がその役目を担ってくれてる(・・・・・・・)お陰だわ」

 

「…………」

 

「アンタも国木田あたりと二人で喋る事はあるでしょう?

 その時って確かに心地よい時間ではあるでしょうけど……、

 でも谷口がいる三人の時ほど、楽しいとは思わないハズよ?」

 

 思い当たる節はある。アイツは俺達にイジられる時も、小馬鹿にされる時でも、いつも「うっせー!」なんて言いながら笑って許してくれていた。

 どんな時も、俺達の好きなアイツ、ひょうきんなアイツのままで居てくれた。

 今まではなんとも思わなかった。だがきっとそれは、俺達の楽しい時間の為にアイツが黙って引き受けてくれていた事だったのだろう。

 例えちょっとくらいカッコ悪くとも、損な役回りだったとしても。俺達仲間の為に。

 

「別にたかだか高校生の友人関係に、ゴチャゴチャ言うつもりはないわ。

 “イジメ“と“イジり“の区別もロクに付いてないような、

 そんなしょーもない連中の話がしたいワケじゃないのよ」

 

「TVなんかを観てるとよく分かるけど、

 例えば出川さんや上島さんの事をみんなでイジって、笑いにしたりするわよね?

 ……でも出演者の中で、本当に彼らを馬鹿にしてる人は居ない。

 彼らの事が嫌いな人間なんて、あの場には一人も居ないのよ」

 

「あの人たちは、イジられるという役割の、プロフェッショナル。

 サッカーで言えば、誰も敵わない位の技術を持つ世界一のディフェンダーなの。

 だから芸人さん達はみんな、出川さんや上島さんに“感謝してる“。

 心から尊敬して、凄く頼りにしてる。そして愛を持ってイジっているの。

 一緒に頑張って、面白い番組を作る為にね?

 それが芸人さん達の間にある、信頼――――」

 

 俺が普段観ているTVでも、出川さんや上島さんといった芸人さんは、いつも凄く情けない姿をさらけ出している。それを見て皆が笑っている。

 けどそれをイジってる芸人さん達と出川さん達が、本当に強い信頼関係で結ばれているというのは、彼らの笑顔を見ていればすぐに分かる。

 だからこそ面白い番組が作れる、みんなに幸せを届ける事が出来るんだって事が、いま改めて理解出来た気がする。

 

「4番だけじゃ野球は出来ないし、点獲り屋だけじゃサッカーにならないでしょ?

 それはアンタ達の集団、そして番組や舞台だって一緒なのよ。

 イジる方もイジられる方もお互いを信頼し合って、

 それぞれがしっかり自分の役目をこなすから、大きな舞台を完成させられる。

 みんなに笑いを届ける事が出来る。

 ……プロと一般人の違いはあっても、谷口がアンタ達にしてくれてるのは、

 つまりそういう事よ。

 これは決して、誰にでも出来る事なんかじゃないわ」

 

 一見情けない所ばかりが目立つ、谷口という男。そんなアイツをハルヒが少し認めていると言ったワケが、今なら分かる。

 そしてハルヒが芸人さん達のイジりを愛や信頼だと言ったように、もしかしたら俺達も、谷口からそういう物を受けていたのかもしれない。

 言葉にすれば少し変な感じではあるが、でも谷口も俺達と友達であるからこそ、好意を持ってくれているからこそ、あんなにもバカみたいにいつも笑ってくれていたんだと思う。

 

 それを今、「有難い」と――――

 あのひょうきんで憎めない男の友情に感謝をしたいと、初めてそう思えた。

 

「まぁアイツ自身がどう思ってるのかなんて知らないし、

 あたしは谷口の事、死ねば良いのに(・・・・・・・)と思ってるけどね」

 

「 うおぉぉいッッ!!!! 」

 

「そんな事はどうでも良いとして! ちょっとみんなに見てもらいたい物があるのよ!!

 これよこれ!! ハイみんなぁー! ちゅうもーくっ!!」

 

 俺の魂の叫びを無視し、ハルヒは皆の前にノートパソコンを差し出す。

 あまりの展開にポカンと口を開けたままの古泉が、今モニターに映っている画面を見て、そこに表示されている文字を読んだ。

 

「“ドキュメンタル“……ですか?」

 

「そうっ、ドキュメンタル!!

 これは地上波ではやってない番組だからみんな知らないかもしれないけど、

 某カリスマ芸人の松ちゃんが企画した、バラエティー番組なのよ!!」

 

 画面に映っているのは、近年なぜか金髪ゴリラと化した、みんな大好き松ちゃん。

 彼がカッコいいスーツを着て、こちらに向かって不敵な笑みを浮かべている画像だ。

 俺も朝比奈さんも古泉も、ただただアホのように呆然としながら画面を見つめる。

 ただひとり長門だけは、なにやらフンスと興奮気味……のように見えるが……。

 

「これはね? 選ばれし10人の芸人がなんの変哲もない一室に集められ、

 そこで最後の一人になるまで笑わせ合うという、バトルロワイヤルなの!!

 脚色のないシンプルな舞台、そしてパンツを脱ごうが下ネタを言おうが、

 もうなんでもアリというノールール!!

 まさに芸人の誇りと名誉を賭けた戦いなのよっ!!」

 

 地上波ではない番組ゆえに、TVのように放送倫理による規制が無い戦い。

 笑ってしまった者から失格になっていき、最後まで生き残った者が勝者。

 シンプルな状況下で、純粋に“誰が一番おもしろいのか“を決めるという、お笑い好きならば誰もが心躍るような、浪漫溢れる競技ルールだった。

 

「いやハルヒ……それは良いんだが、これから皆で観るのか?

 そろそろ下校時間だし、今からじゃあちょっと無理なんじゃないか?」

 

「このアホキョン! いったい何を聞いてたのよ!!

 ついさっき、あたし達には笑いのスキルが足りないって話をしてたでしょ!!」

 

 腰に手をあて、もうプンスコとばかりにお怒りになる我らが団長さま。

 その姿を見て、いま古泉が「……まさか」と呟き、タラリと冷や汗を流した。

 

「明後日は土曜日、いつもなら街に出て不思議探索をする所だけど……それ中止ね。

 みんなには、朝からここに集まってもらうわ」

 

 ビシッと部室の床を指さし、ハルヒが太陽のような満面の笑みを浮かべる。

 それを前にした俺達は、ただただとてつもない“嫌な予感“を胸に、この場で硬直する他は無かったのだ。

 

 

「――――ドキュメンタル、やるわよ。

 誰がSOS団で一番おもしろいのか……決めようじゃないの!!」

 

 

 

 

 

 

 スキルが無ければ、磨けば良い。手に入れれば良い――――

 そんな団長さまの安易な発想の元、俺達SOS団は何も分からないまま、“笑わせ合い“という地獄に放り込まれる事となる。

 

 

 第一回、涼宮ハルヒプレゼンツ、“ドキュメンタル“

 

 今思えば、俺はここで縋りついてでも、ハルヒを止めるべきだったのかもしれない。

 

 



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開始。

 

 

「いやぁ……困った事になりましたね」

 

 俺の隣で古泉が呟く。いつもニヤケ笑いのコイツではあるが、今回ばかりは流石に参っているのか、苦い表情を浮かべている。

 

「僕の役目は、涼宮さんのやりたい事を最大限サポートする事。

 出来る限り彼女の願いを叶えるべく、お手伝いをする事です。

 しかしながら……正直今回ばかりは」

 

 部活を終え、帰路の途中だった俺を「少しお話よろしいですか?」といつもの如く呼び止めた古泉。

 いつもであれば、それは俺への助言であったりサポートをする為の会話であったハズだ。しかし、今のコイツは心底参ってしまっているのが見て取れる。

 いつもとは真逆で、コイツが俺に対して「どうすれば良いのでしょうか」と助けを求めているような様子なのだ。

 

「一応軽いルール説明はハルヒから受けたが……、

 そんなに拙いのか古泉? お前がそんな風になっちまう程」

 

「ええ……かなり問題がある企画かと思います。

 貴方はあの番組、ドキュメンタルをご覧になった事は?」

 

「いや、無いな。

 アイツも言ってたが、地上波でやってた番組じゃないんだろう?

 普段TVだってそこまで観る方じゃないんだ、名前も知らんかったよ」

 

「もしよろしければ、DVDをご用意しますよ?

 まだ土曜日までは若干の猶予がありますし、予習をなさるのも手かと。

 僕としては、あまりお勧めはしませんが……」

 

「ん?」

 

 まるで苦虫を噛み潰したような顔で、古泉が俯く。

 

「僕がドキュメンタルを知っていたのは、本当にたまたまと言うヤツです。

 以前、受験勉強の気晴らしにでもなればと思い、

 レンタルしてきたDVDの内のひとつだったのですが……。

 あのような内容だと知っていたなら、僕は決して観はしなかったでしょう」

 

「……そんなに酷いのかそれは?

 面白くなかった、って意味じゃないんだろう?」

 

「ええ、面白かったですよ。

 普段こういった物に触れる機会が少ない僕でも、沢山笑わせて頂きました。

 ……しかし、お察しの通り問題は、その内容にあります。

 具体的に言うと、もしあの番組と同じ事をやったのなら、

 恐らく僕らSOS団は、全員停学処分となる事でしょう――――」

 

「ッ!?」

 

「お勧めしない、と言った理由がコレです。

 もし貴方がDVDをご覧になり、この番組を参考に行動をしたのなら、

 間違いなく当日は、目も当てられない程の大惨事となるでしょう。

 僕としては……そのような貴方の姿は見たくない……」

 

 倫理規制のない状況下で行われる、芸人の矜持を賭けた、全力の笑わせ合い。

 ゆえに、アルティメット(なんでもあり)。小道具、下ネタ、何をしても良い。

 古泉が言っているのは、つまりそういう事なんだろう。

 

「例えば、僕ひとりがそれをするのは構いません。

 恥をかこうが、情けない想いをしようが、全て僕ひとりの問題で済みます。

 たとえどんな目にあおうとも、貴方は後でフォローして下さるのでしょう?」

 

「ま、同じSOS団の仲間だ。出来る限りのフォローはするだろうさ」

 

「ありがとうございます。感謝しています、心から。

 しかし問題は、涼宮さんがSOS団全員でやろうとしている事(・・・・・・・・・・・・・・・・)だ。

 僕だけでなく、朝比奈さんに、長門さんに、貴方に、……そしてご自身も。

 それをSOS団全員に求めている、という事なんです」

 

「…………」

 

「涼宮さんの事だ、きっと生半可はマネは決して許しはしないでしょう。

 仲間だからこそ、仲間との勝負だからこそ、全力で取り組もうとするハズです。

 自らが思い描く形……すなわちあの番組の通りの状況を、彼女は望んでいる。

 そして、それを望んでいるのが他ならぬ“涼宮さん“だというのも問題なのです。

 ……もし我々が生半可なマネをし、彼女を満足させる事が出来なければ……、

 もうお分かりですね?」

 

「世界崩壊の危機……か。

 なんというか、本当にアイツは毎度毎度……」

 

 もう「やれやれ」の言葉すら出てこない。この口から洩れるのはため息ばかりだ。

 

「正直今回は、どう転んでもロクな事にはならないかと。

 だれも損をせず、まるく治めるという事は非常に難しいです」

 

「だな。ちょっと今回ばかりは、どうして良いもんか見当が付かん。

 あるとしたら、俺がマジ説教して止めさせる、って事くらいか」

 

「それはもう、最後の手段ですね。

 僕としても、貴方たちが不仲となるような事態は絶対に避けたい。

 それに涼宮さんの“仲間たちと真剣勝負がしたい“という気持ちも、

 分からないでもないんです。……自分で言うのもなんですが、

 今の涼宮さんは本当に我々に心を開いてくれていますから」

 

「くっそッ……! あのワガママ娘め」

 

 空を見上げて悪態をつく。そんな俺の姿をなにやら微笑ましく見つめている古泉。ブン殴ってやろうかなコイツ。

 

「とりあえず、様子見をしようと思っています。

 当日の涼宮さんの出方を見て、僕もどのように動くのかを決めようかと。

 ……まぁ何事もなく終えたいというのは、儚い願いかもしれませんが」

 

「俺もそんな感じだな。

 だが一度、朝比奈さんにも話を訊いてみようと思う。

 恐らくだが、今回最大の被害者はこの人だろ?

 参加の意思確認だけでもしておきたい」

 

「よろしくお願いします。

 僕としても、朝比奈さんの泣き顔というのは非常に心が痛いので。

 それでは、今日はこの辺で失礼します。また学校で」

 

 やがて日も落ちていき、俺達はそれぞれの帰路に向かい踵を返す。

 だが最後、俺は思い出したように振り向き、古泉の背中に声をかける。

 

「よぉ古泉、お前自信はあるのか(・・・・・・・)?」

 

 足を止め、ゆっくりとこちらに振り返る古泉。その顔に不敵な笑みを浮かべて。

 

 

「――――最善を尽くしますよ。貴方もお覚悟を」

 

 

 

 


 

 

 先日、自転車を漕いでいた時、見知らぬおじさんを撥ねてしまいました。

 

 おじさんはゴロゴロと地面を転がり、やがてゴチンと壁にぶつかった後、ピクリとも動かなくなりました。

 

 あたしはおじさんに「大丈夫ですか?」と言いました。

 おじさんは地面に倒れ伏したまま「大丈夫や」と言いました。

 

 やがておじさんはゆっくりと起き上がり、ヨロヨロとふらつきながら、どこかに歩き去っていきました。

 

 あのおじさんは今、どうしているのでしょうか?

 その日はとても良い天気だったのを、憶えています――――

 

 

 

 さて、貴方ならと思い、ご案内を申し上げます。

 

 明日の土曜朝9時、各種小道具などをご準備の上、SOS団部室にお集まりいただけますでしょうか?

 

 “ドキュメンタル“を開催致します。

 

 豪華な優勝賞品をご用意させて頂いております。

 もちろん、参加は自由です。

 細かいルールなどは、当日改めてお伝え致します。

 

 それでは、お返事をお待ちしております。

 

 

 キョンは来なかったら死刑。

 

 

 

涼宮ハルヒ

 

 


 

 

 

 

「……何なんだこの招待状」

 

 前日、ハルヒが教室で直接手渡ししてきた赤い便せん。

 恐らくこの文章も、本家の番組をオマージュして書かれた物なんだろうが、それにしても酷い。

 しかも最後の一文は、名指しで俺だけ死刑とか書かれてやがるし。これ絶対本家には無いヤツだろ。

 このスマホ全盛の時代にわざわざ手紙なんぞしたためんでもとは思うのだが、とりあえず死刑は嫌だもんな。

 

 そして今日、土曜朝9時の少し前。

 俺はため息なんぞをつきながら、便せん片手にSOS団部室の扉を開けた――――

 

「あ、おはようキョンくん」

 

「おや? 貴方が最後じゃないというのも珍しい。おはようございます」

 

「…………」

 

 見渡せば、既に席に着いているいつものメンバー達の姿。

 朝比奈さん、古泉、長門。皆がこちらに目を向け、朗らかに手を振ってくれている。長門はジッとこちらを見てるだけだが。

 

「ん? ハルヒはまだ来ていないのか?」

 

「ええ、まだお見えになっていません。

 しかし恐らくは、ただ遅れていると言うよりも……」

 

「どこかで何かしらの準備をしてる、って事か。

 まぁ良い、座って待たせてもらうさ」

 

 前日の金曜日、SOS団の活動は中止だった。

 どうやらハルヒが鶴屋さんの協力の下、この日の為に必要な機材を部室、そしてお隣のコンピ研に設置していたのだそうだ。

 今目の前にある長机には、すでに何台かの小型カメラが設置されており、それと同じ物が天井や本棚にも取り付けられているのが見える。

 あの野郎、かなり本格的にやるつもりだな。

 

「朝比奈さん、昨日も訊きましたけど、大丈夫そうですか?」

 

「うん、ありがとうキョンくん。

 すごく悩んだけど、わたしもSOS団の一員だから。

 涼宮さんに喜んでもらえるように、がんばってみるね」

 

 後光が差して見える程の神々しい笑顔。まるで女神。いやエンジェルその物だ。

 

「昨日はなんだか眠れなくって……。でもう~んう~んって考えてる内に、

 なんか全てがよく分からなくなっちゃって。

 だからもう、このままいこうかなって」

 

「朝比奈さん……」

 

 美しい、大変美しくはあらせられるのだが……よく見れば目の下に隈を作っていらっしゃる事が見受けられる。

 俺はもう、涙が零れ落ちそうだ。

 

「ねぇキョンくん……? もしわたしがお嫁にいけなくなったら、

 キョンくん貰ってくれる……?

 わたしが今日どんな事を言っても、どんな事をしても……、

 嫌いにならないって約束してくれますか……?」

 

「――――ッ!?」

 

 その時、俺は朝比奈さんの目を見てしまう。

 か弱い声、儚げな雰囲気、しかしその瞳だけは“不退転の覚悟“に燃え、まるで射抜くかのように真っすぐ俺を見つめているのだ。

 背筋が凍る程の、真剣な目で――――

 

「朝比奈さんは……あの番組の事を?」

 

「………………うん、知ってるよ。予習してきたから」

 

 やがて朝比奈さんは俺から視線を切り、静かに俯く。

 足元には、彼女が用意してきたであろう小道具の詰まったボストンバッグ。

 戦う覚悟を……彼女は決めてきたのだろう。

 

「長門、お前は大丈夫なのか?

 なにやら、お前がハルヒにこの企画の事を教えたっぽいが……」

 

「平気」

 

 いつものように本を読み、だがいつもとは違い中央の長机の席に着く長門が、こちらに視線を向ける。

 

「平気って言ったって……知ってるんだろう?

 これがなんでもアリの、どキツイ企画だって事を。お前出来るのか?」

 

「できる」

 

 確かにコイツが爆笑する所なんか想像出来ないが、この企画は笑いを我慢するだけでなく、誰かを笑わせなくてはいけない。

 長門が大阪名物パチパチパンチをやるとも思えないし、「どうも、滝〇クリステルです!」とか言って突然踊り出すとも思えない。それで俺達が笑うかどうかは別問題だが。

 

「私はだいじょうぶ。アイム パーフェクト ヒューマン」

 

「長門?」

 

 長門が本に視線を戻し、そのまま読書の態勢に入る。

 

「心配いらない。貴方は私がまもる」

 

 俺が「お前宇宙人だろ」みたくつっこむかどうかを迷っている内に、会話は終わってしまったのだった。

 

 

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

 扉が壊れるんじゃないかという程の〈バコーン!!〉みたいな音を立て、我らがSOS団団長、涼宮ハルヒが姿を現した。

 

「おはようみんな! どうしたのよしけた顔してっ!

 まぁ今日は笑っちゃ駄目なんだし、その位がちょうどいいわ!」

 

 音を入れるとしたら〈どよ~ん〉みたいな雰囲気の俺達に向かい、大きなボストンバッグを持ったハルヒが太陽のような笑みを浮かべて右手を上げる。

 

「さてさて! 早速だけど、今日の企画の事を説明していくわ!

 別にやりながら覚えていったらいいけど、

 つまんない失敗してもつまんないから、みんなよく聞いてね!」

 

 いつものように、ハルヒが「よっこいしょ」と団長机の上に立つ。武士の情けで目を逸らしてはやるが、パンツ見えるぞお前。

 

「改めて言うわ! 今日みんなにしてもらうのは“ドキュメンタル“!!

 某金髪ゴリラこと松ちゃんが企画した、笑いの実験場よ!!

 各自、SOS団団員の誇りを賭けて、戦って貰うわ!!」

 

「わ、わぁ~!」

 

「ぱちぱち、ぱちぱち」

 

「心得ました。精一杯やらせて頂きます」

 

「よろしいっ! 特にそこでぱちぱち言ってる有希! 可愛いっ!!

 何にもしなかったキョンは後でひっぱたくとして……ルール説明ッ!!

 今から制限時間6時間のあいだ、みんなにはここで笑わせ合いをしてもらうわ!

 笑った者は失格となり、隣のコンピ研の部室に退場ッ!

 最後まで残った者が勝者よっ!!」

 

 なにやらぼけっとしている内にひっぱたかれる事が確定してしまったが、とりあえず話を聴いていく事とする。

 

「一応、一回笑ったら即アウト! ってワケじゃなくて、

 本家と同じようにカードを出していく方式になるわ。

 クスッと笑っちゃったらオレンジ、思わず吹き出しちゃったらイエロー、

 そしてお腹を抱えて転げ回ったらレッドカードが出されるの!

 サッカーで言う所の、注意、警告、退場ね!

 でも実質的には“3回笑ったらアウト“と憶えておいてちょうだい!!」

 

「その判定は、誰がなさるのですか?

 団長である涼宮さん自らがなさるのでしょうか?」

 

「うむ! 良い質問ね古泉くん!!

 この判定は、お隣のコンピ研の部室にいる鶴屋さんがやってくれるの!

 この部屋の状況は、カメラを通して向こうの部屋でチェックされてるからね!

 もし誰かが笑っちゃったら、スピーカーから〈デデーン!〉みたいな音が流れて、

 笑った人の名前、そしてカードが鶴屋さんからアナウンスされる仕組みよ!!」

 

『はーい! アタシだよ~ん! みんな頑張ってね~!!』

 

 鶴屋さんのアナウンスによると、今回の企画には各種機材の協力の他、多くの人員も鶴屋家から動員されているらしい。

 見張りや警備の態勢も万全なので、鶴屋さんいわく『たとえその部屋で何しても、どんな事があっても、ぜったい大丈夫にょろ!!』だそうな。

 

「おい、鶴屋家全面協力じゃねぇか。ちゃんとお礼言ったかハルヒ?」

 

「言ったわようるさいわね!! ちゃんと鶴ちゃん大好きってハグしたわよ!!」

 

「我々、鶴屋さんに足を向けて寝ねませんね……」

 

「後でわたしからもお礼を言っておきます……」

 

「……」

 

 特に宣伝効果があるワケでも無いのに、なぜ鶴屋家はここまで協力してくれたのだろう?

 一介の高校生である俺には分からない事だった。

 

「基本的に、この部屋にいる間は何をしてても自由!

 備え付けの冷蔵庫を開けるもよし! そこのカセットコンロで料理をするもよし!

 6時間っていう長丁場になるんだし、各自好きなように過ごしてちょうだい!

 あと着替えをする時の為、部屋を出てすぐの所に簡易脱衣所を用意したからね!

 ちゃんと人数分あるから、小道具を置いておくロッカーとして使っても良いわよ!」

 

「メシや飲み物があるのは助かるな。

 6時間あるとは知らんかったから、何も用意して来なかったんだ」

 

「脱衣所があるのも助かります。本当に至れり尽くせりだ」

 

「一応だけど、何してても良いとはいえ、寝ちゃうのとかは駄目だからねっ!!

 みんなの約束として、誰かが何かをしようとしてる時、言おうとしている時は、

 ちゃんとその人の方を向く事!! 全身全霊を持って受け止めるのよっ!!

 あと細かい注意があれば、そのつど言っていく事にするわ!

 とりあえず、習うより慣れろよ! やってみましょう!!」

 

 そしてハルヒは天井のカメラに向かい、隣の部屋で観ているであろう鶴屋さんに指示を出す。

 説明もそこそこに、どうやらおっぱじめるつもりのようだ。

 

「――――あ、最後に言っておくけど。この戦いの優勝者には賞品として、

 敗者全員を好きに出来る権利(・・・・・・・・・・・・・)が与えられるわ。

 全裸にしようが、抱き枕にしようが、婚姻届に判を押させようが自由よ?

 好きにしてちょうだい」

 

「「「 !?!? 」」」

 

 まるでついでのようにサラリと告げられた、今回の優勝賞品。

 それを聞き、思わず目を見開く俺達。

 

「おいハルヒ! それはいったいどういう事だ!! 何考えてんだお前!!」

 

「あら? じゃあ本家と同じく、大会参加料として100万円払う?

 優勝賞金が確か1000万円だったから、ひとり頭200万円になるのかしら?

 アンタ払えるの?」

 

「んぐっ!?」

 

「無理に決まってるじゃない、あたし達に100万円なんて。

 でもその掛け金で覚悟を示すからこそ、1000万円という賞金があるからこそ、

 あの人達はあんなにも真剣に戦っていたの。絶対負けられないってね」

 

 ハルヒが腕を組み、冷たい声で言い捨てる。

 お前はいったい、ここに何をしにきたのかと。

 

「じゃああたし達も、その100万円に負けない位の物を賭けないと駄目じゃない。

 そうしないと本気になんてなれないわ。絶対適当な所で笑って終わらせてしまう。

 ――――アンタは絶対、あたしに勝ちを譲る。そうでしょうキョン?」

 

「……ッ」

 

「まぁ心配する事も無いわ。好きにして良いなんて言っても、

 どうせアンタならみくるちゃんとデートしたいとか、

 古泉くんにジュース一本奢らせるとかでしょ? 

 ……でも言っとくけど、あたしが勝ったら容赦なくいくわよ?

 比喩でもなんでもなく、あたしアンタの人生貰うからね(・・・・・・・・・・・)?」

 

 ハルヒが目を見開き、真っすぐに俺を睨みつける――――

 

「さって! なんかシリアスな空気になっちゃったけど、

 いつも通り楽しくやりましょ♪ 気を張ってちゃ最後まで持たないわ!

 ……あ~、でもみんな? お願いだから……」

 

 スッと目線を切り、ハルヒが団員達の方を見る。

 俺からは、その表情は見えない。だがハルヒの顔を見た団員達の表情が、一瞬にして強張るのを感じた。

 

 

「――――本気で来てね。あたしもそうするから」

 

 

 この時が、きっと最後のチャンスだったんだろう。

 ハルヒを止める、この馬鹿馬鹿しい戦いを止める最後のチャンスだったんだろう、今にして思えば。

 

 だが俺の身体は凍り付き、身動きひとつ出来ないまま。

 ただただ目だけがハルヒの方を見つめ、その光景を映し続けていた。

 

 

「分かりました。お受けします――――」

 

「恨みっこ無し。やくそくですよ、涼宮さん――――」

 

「了解した――――」

 

 

 

 

 

 ブザーが鳴る。戦いの開始を告げる音が。

 

 いま壁に備え付けられた電光掲示板が動き出し、1秒2秒と時間の経過を知らせた。

 

 



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口火(くちび)


 えっと、ここに座ればよろしいんですか? なにやら緊張してしまいます。

 ――――はい、そこにお掛け下さい。本日はよろしくお願いします古泉さん。

 こちらこそ、よろしくお願いします。
 僕などの為にこのような場を設けて頂き、恐縮なのですが……、果たして上手く話せるかどうか。

 ――――いえいえ、どうぞ楽にして下さいね。それではお話を聞かせて頂こうと思います。いくつか質問をさせて頂きますね。

 はい、承りました。僕でよろしければ。

 ――――それではまず……、大会開幕時の涼宮さんについて。あの時の彼女の様子をご覧になり、どのように思われましたか?

 あの時の涼宮さん……ですか。
 そうですね、正直度肝を抜かれてしまったというか……。
 僕の団での役割は、涼宮さんのサポートやメンタルケアであると自認してはいるのですが……、その僕をしても、まさか涼宮さんがあそこまでの覚悟を持って臨んでいたとは思いもよらず。
 凄くおどろいた……というのが正直な所です。まったく予想が付きませんでしたから。

 ――――いつもの彼女らしくなかった、と?

 いえいえ、今にして思えばですが、純粋で真っ直ぐな涼宮さんらしい行動だったと思います。
 彼女でなければ、とてもあのような企画を実際にやろうとは思いもしないでしょう。
 そしてその覚悟の程も、大変涼宮さんらしい。流石と言わざるを得ません。

 ――――我々にとって古泉さんというのは、団長の補佐はもちろん、団の活動を円滑に進める事に尽力していらっしゃる方だという印象があるのですが……。当日の涼宮さんの様子には、さぞ困惑したのでは?

 そうですね、困惑しなかったと言えば嘘になります。
 しかしながら、それは一瞬の事でしたよ。

 ――――と、言いますと?

 あの涼宮さんの言葉を聞いた途端……なにやら全て吹っ切れてしまいまして。
 僕の団内での役割や、立場の事。そういった物は確かあるのですが……、今はただ、彼女の想いに対して誠実であろうと。
 この企画に全力で挑もう、それこそが涼宮さんの想いに答える唯一の方法なのだ。と思いましたね。
 余計な事はもう、考えない事に決めたんです。

 ――――なるほど、よく分かりました。そういう覚悟で臨んでいたんですね。

 まぁ、後で色々な方に怒られる羽目にはなりましたけどね……。
 それでも、後悔はしていないつもりです。

 ――――ありがとうございます。では次の質問になりますが……この戦いに挑むにあたって、古泉さんは誰を一番警戒していましたか? もちろんご自身が優勝する覚悟で臨んでいたとは思うのですが、自分以外の方でこの人は強い、この人が怖いと思っていたのは?

 ……そうですね、例えば長門さんなどは、凄く警戒していましたね。
 この戦いにおいて、彼女は“鉄壁“と言える防御力を持つ方なのではないかという印象がありました。
 加えて当日は、なにやらある種の不気味さのような物も感じていましたから。あの場においては、一番の脅威になるだろうと。

 ――――古泉さんの優勝予想は、長門さんだった?

 いえいえ、正直に言いますと、誰が優勝するのかなどまったく予想がついていなかったんです。
 このような場に参加する事など、今までの僕にあろうハズもなかった事ですし。先の展開が予想出来る程の知識も無かったと言いますか。
 ……ただ、漠然とした印象で良ければ……、この人が優勝するのではないかという方は、一人いらっしゃいましたね。

 ――――それは、ズバリどなたでしたか?

 これは僕の希望というか、淡い期待というヤツですが。ふふっ。
 ……しかし、彼はいつも、それに応えてくれた。
 彼は決めるべき時、しっかりと決めてくれる人ですから。





 

 

「さっ、ついに始まったわね! とりあえずみんな、冷蔵庫でも開けてみる?」

 

 ブザーが鳴り、まるで永遠と見紛うような沈黙が部屋を支配した後……、まるで何事も無かったかのようにして、ハルヒが口を開いた。

 

「そうですね、中を見てみましょうか」

 

「わたし、喉が渇いちゃって。何があるかなぁ?」

 

「……」

 

 ハルヒが部屋に設置された冷蔵庫へと歩いて行き、三人がゾロゾロとそれに追従する。

 

「ふむ、ミネラルウォーター、オレンジジュース、コーラに牛乳ですか。

 そちらの棚には、紅茶やコーヒーも用意してありますね」

 

「あ、ロールケーキが入ってますっ。ホールケーキもっ。

 後は即席ラーメンに、お弁当なんかも沢山。これはお刺身の盛り合わせかなぁ?」

 

「かなり充実してるわね! これなら万が一にも食いっぱぐれる事はないわ!

 とりあえず飲み物が欲しいけど、みんな何が良い?」

 

「アップルティーを所望する」

 

 冷蔵庫を囲み、和気あいあいとしている4人。まるでついさっきまでの出来事が嘘だったかのように、いつも通りの朗らかさを見せている。

 そのあまりの切り替えの速さに、ただただ俺は、その後姿を見ている事しか出来ない。

 

「はい、貴方はコーラでしょう?」

 

「あ……あぁ。すまんな古泉」

 

 その場で立ち尽くすばかりの俺に、古泉がコーラを手渡してくれる。それによってようやく動くようになる、俺の身体。

 古泉は「いえいえ」となんでもないように言ったが、今はただ、コイツの気遣いに感謝する他ない。

 

「さて! それじゃあいったん座りましょっか!

 今回は6時間の長丁場だけど、まずはみんなでトークでもしようじゃないの!」

 

「大変よろしいかと。

 普段の団活時、僕らはそれぞれ好きなように過ごしていますからね。

 せっかくの機会ですし、皆でトークに花を咲かせるというのも楽しそうだ」

 

「わぁ、いいですね♪ すごく面白そうです♪」

 

「かまわない」

 

 和やかなムードのハルヒ達。一見すると、それはいつも通りの姿にしか見えないが、全員まったくと言って良いほど目が笑っていなかった(・・・・・・・・・・)

 これだけ明るい雰囲気で談笑していれば、鶴屋さんから注意が来てもおかしくなさそうな物なのだが……、だが今の所その様子も無い。

 お互いがお互いの首元に、刃物を突きつけ合っている――――そんな剣呑さを鶴屋さんも、モニターを通して感じ取っているのかもしれない。

 

「ほらアンタ! ボケっと突っ立ってないで座りなさいよ! はやく座る座る!」

 

「お、おう……」

 

 そうハルヒに促されるまま、俺はコーラ片手に適当な席に着く。

 俺が座ったのは長机の一番端っこだ。無意識に両隣を“囲まれる“という事を嫌ったせいなのかもしれない。

 

「よし、それじゃああたしも座ろっかな~って……ん?」

 

 さも自然な動作で、俺の右隣の席に着こうとするハルヒ。だがその行動は、ハルヒと同じように右隣りの席に座ろうとした他の三人によって阻止されてしまう。

 

「ん? どうしたのみんな? 椅子から手を放して欲しいんだけど……」

 

「あ、ごめんなさい。ここには僕が座ります。

 同じ男性同士、女性同士という風に座るのがよろしいかと」

 

「ん~ん? せっかくだし、今日は自由に座ったら良いと思うんです。

 ここが一番ポットやコンロから近いし、わたしが座りたいなぁ」

 

「団長なら、上座に着くべき。

 部屋の日当たりを考え、この席が一番読書に適していると判断した」

 

 俺の右隣りの椅子に手をやり、ギリギリと引っ張り合っている様子の4人。

 その表情こそは普段通りの物だが、なにやら手に血管が浮き出ている気がする。

 

「お、お前らこっち側の席が良いのか? なら俺は向こう側に」

 

「――――アンタはそこで良いのよ!! じっとしてなさいよッ!!」

 

 ハルヒの一喝に、思わず〈ビクゥ!〉と身体が跳ねた。

 いま目の前にあるパイプ椅子は4人の手によって掴まれ、ガタガタと震えながらちょっとずつ宙に浮いてきている。

 

「……みくるちゃん? 有希? 分かるわよね?

 あんまり無暗やたらと権限を振りかざすのは、気が進まないんだけどっ……!」

 

「わたしはっ、皆さんに美味しいお茶を淹れたいんですぅ……!

 命賭けてるんですぅ……!」

 

「私は宗教上、この時間帯はこっちの方角を向いて座っていなければならない。

 理解して欲しい……!」

 

「皆さんはっ、大岡裁きという話をご存知でしょうかっ……?

 母親を自称する二人の女性が……ひとりの子供を引っ張り合うという……!」

 

 ギリギリ、ギリギリ。貴重な団の備品であるパイプ椅子が、抗議の声を上げるが如く軋みをあげている。

 もうこのパイプ椅子が空中浮遊を始めて一分近く経つが、一向に誰も手を放す気配は見られない。このままでは勝負は付かないだろう。

 

「えっと……じゃあハルヒがそこに座るって事で構わないか?

 コイツが無茶したらすぐ止められるよう、出来るだけ近くに置いときたいんだ」

 

「「「!?!?」」」

 

 おっかなビックリの発言ではあったが、俺の言葉を聞いてゆっくりとパイプ椅子を床に降ろしていく一同。

 三人は心なしか、苦虫を噛み潰したような顔。そしてハルヒはあふれ出る喜びをかみ殺しているような表情をしている。

 

「キョンのくせに生意気言ってんじゃないわよ!

 ……でもまぁ、その心意気は買わない事もないわ! 座ってあげる!!

 団長であるあたしを止められるモンなら、止めてみなさいな!」

 

 ムフフ……ムフフ……と言わんばかりの顔をしているハルヒ。

 その表情は近くで見ている俺からしたら明らかなアウトなんじゃないかと思えるのだが、鶴屋さんがアナウンスを告げる事は無かった。

 

 人間のやる事なんだし、見逃しだってあるのだろう。それとも序盤という事での慈悲だったのか、俺には知る由もなかった。

 

 

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

「へぇ~! そうだったの古泉くん! 今とはぜんぜん印象が違うわね!」

 

「えぇ、母親が言うには、当時はとてもやんちゃな子供だったそうで。

 大事に育てては頂きましたが、イタズラにはかなり手を焼いていたそうですよ」

 

 席に着き、談笑に花を咲かせている俺達。

 いま話しているのは「子供の頃はどんな感じだった?」という話題。現在は古泉が皆に向かい、子供の頃の自分について語っている。

 

「クレヨンで壁にらくがきをしたり、父の大切な絵画に穴を空けたり、

 恥ずかしい思い出ばかりです。近所でも相当有名な悪ガキだったようで」

 

「いいじゃない! 子供ってのはその位じゃないといけないわ!

 元気でナンボなのよ!」

 

「意外だけど、想像してみると微笑ましいかも。

 きっと可愛いお子さんだったんだろうなぁ~」

 

「ユニーク」

 

 俺とハルヒが隣り合って座り、その対面に長門、朝比奈さん、古泉が座る。

 その構図がまるで一般人VS宇宙人未来人超能力者連合といった風な感じで、自分で提案しておいてなんだが、俺としては内心ソワソワと落ち着かない。

 さりげなく気遣ってくれる古泉や、先日「貴方は私が守る」と言ってくれた長門などは俺の味方であるのだろうが……。

 ちなみに朝比奈さんに関しては、“俺が“朝比奈さんの味方、と言った感じだ。彼女は俺が守らなければ。

 

「よろしければ、写真をご覧になりますか?

 ちょうど話のネタにでもなればと、当時の写真を用意してきたんです」

 

「え、あるんですか写真! 見たいです見たいです!」

 

「グッジョブよ古泉くん! さすがは副団長っ、気が利いてるわ!」

 

「みたい」

 

 リクエストを受け、胸ポケットから写真を取り出す古泉。それを皆に見えるよう、机の中央に置く。

 

「これは、僕が小学2年生の時の写真になりますね。

 友達と一緒に公園にいる時の物です」

 

 そこには、全身素っ裸の状態でジャングルジムに縛り付けられ、キリストのようにグッタリしている古泉少年の姿があった。

 

「――――ん゛ふっ!!」

 

「――――ごふ゛っ!!」

 

 真顔のまま、口から色々なものを噴出するハルヒ。共に覗き込んでいた俺も同様だ。

 

「お………お……お前っ。……いったい何があったんだよ」

 

「いやぁ、当時あった子供グループ同士の抗争に、敗北してしまいまして。

 リーダーとしての責任を取り、こうして裸で縛り付けられているのです」

 

「ボコボコじゃないの!! なに朗らかに当時を語ってんのよ!!

 大丈夫だったの古泉くん!?」

 

「えぇ、通りすがりの人々に沢山見られてしまい、

 もう街を歩けないという程に恥をかきましたが、なんとか無事でした。

 ちなみにこの写真を撮ったのは、僕のお母さんです」

 

「 助けろよッ!! なに撮ってんだよお母さん! 息子がエライ事になってるよ!! 」

 

 今も俺の眼前には、アルファベットの「Y」の形でグッタリしている古泉少年の写真がある。それを出来るだけ視界に入れないようにしながら、古泉にツッコんでいく。

 

「あ、そう言えばわたしもあるんですよぉ♪ 小学校の頃の写真♪」

 

 手のひらを合わせ、思い出したという風な感じで嬉しそうに朝比奈さんが告げる。

 

「これね? 私が小学校1年生の時の写真なんです♪

 当時やってた習い事で、大会に出た時の写真なんですよぉ♪」

 

 朝比奈さんが、俺達の前に写真を差し出す。言われるがままに覗き込む俺達。

 そこには、空手胴着に身を包み、瓦20枚を一撃のもとに粉砕するみくるちゃんの姿が映っていた。

 

「 ――――――お゛ほ゛ッッ!!!! 」

 

 口から鼻から色んな液体を噴出する俺。ハルヒは目を見開いてただただ写真を見つめている。

 

 その時―――設置されていたスピーカーから〈ウ~ウ~ウ~!!〉とけたたましくサイレンが鳴り、赤いライトの照明が部屋中を照らす。

 

『デデーーン!! キョンくんアウトぉー! オレンジカードにょろ~!!』

 

 壁に掛けられた大型のモニターに鶴屋さんの姿が映る。そしてこちら側に向かってサッカーの審判が使うようなオレンジ色のカードを突き出している。

 

『まだ序盤だから甘めにしてるけど、

 今のは“技あり“のイエローカードでもおかしくなかったよぉ~!!

 気をつけてねぇキョンく~ん!』

 

「……ッ!!」

 

 ガッハッハと笑う鶴屋さんの映像がモニターから消え、再び部室は静寂を取り戻す。

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

 静まり返る一同。今大会で初めて出たアウトの勧告に、さっきまでの楽し気な雰囲気は一気に吹き飛んでしまう。

 皆一様に表情を凍り付かせ、ハルヒなどは脂汗を浮かべている。

 

「……なるほど、こんな感じで進んでいくんですね」

 

「オレンジ……と言う事は“注意“ね。

 実質的に、キョンはあと二回笑ったら退場って事よ」

 

「……くっ!!」

 

 油断してた。まさか朝比奈さんからポイントを獲られるなんて思いもしなかった。

 今俺の眼前には、なにやら申し訳なさそうに俯いている朝比奈さんの姿がある。

 もしかしたら朝比奈さんはハルヒを落とす事を狙っていて、それに俺が誤爆してしまったという形なのかもしれない。

 

 ……だが、アレは無理だ。

 普段朝比奈さんに可憐な印象しか持っていなかった俺が、一番そのギャップに耐えられなかったという事なんだろう。

 もしもう一度見せられても、俺は瞬時に吹き出してしまう自信すらある。

 

「あの、みくるちゃん……? 一回『チエストォー!!』って言ってみてくれない?」

 

「やめんかハルヒッ! 俺を殺す気かッ!!」

 

 朝比奈さんが困り顔で自重してくれたから良かったものの、もし容赦なくやられていたら、俺の冒険はここで終っていたのかもしれない。

 もしかしたら……俺のツボというか弱点は、朝比奈さんなのかもしれない。俺は内心タラリと冷や汗をかく。

 

「写真から検証した結果、

 朝比奈みくるの手刀には1トンの破壊力があると推定」

 

「あぁ、綺麗に飛び散ってるもんねぇ……瓦……」

 

「やっ、やめてくださいよぉ! ないですよぉ~!」

 

 いや、あると思う。もう写真から〈バコーン!!〉みたいな音が聞こえて来そうな程の臨場感だから。もう修羅みたいな顔してるから、みくるちゃん。

 この手刀を喰らったのが人間ではなく瓦であったのは、とても幸いな事であったのかもしれない。

 

「と……とりあえず有希は? 有希は子供の頃、どんな子だったの?

 あたしまだ会った事ないけど、お父さんとお母さんってどんな感じ?」

 

「いない」

 

 笑ってしまいそうなのを堪える為か、ハルヒが話の矛先を長門に移す。

 しかし、そこには冷たい現実が待ち受けていた。

 

「両親はいない。顔も憶えていない」

 

「……えッ!?」

 

 驚愕するハルヒ。淡々と言葉を突き付ける長門。

 あまりにも何気なく質問を投げ、そして無遠慮に長門の心の傷に触れてしまったのかと、ハルヒは戸惑いを見せる。

 

「そ……そうだったの有希。あの、あたし……」

 

「かまわない。憶えていないほど、昔の事」

 

 申し訳なさそうな表情を見せるハルヒに対し、長門はただ淡々と事実を告げていく。

 

「ただ私は、獄中出産だった(・・・・・・・)と聞いている」

 

「 ――――――ん゛んッッ!!!! 」

 

 大量の鼻水が、ハルヒの顔面からブーッと噴出する。

 

「そして1歳の時、私は鷹にさらわれ、そのまま育てられた」

 

「 ――――――お゛っふぇッッ!!!! 」

 

 その時、部屋中にサイレンの音が響き渡り、モニターに鶴屋さんの姿が映る。

 

『はぁ~い! ハルにゃんオレンジカードぉー!!

 ホントは2枚カード出したい所だけどぉ、一枚におまけしとくよぉ~!』

 

 愉快な笑い声をあげる鶴屋さん。その姿がモニターから消え、辺りが静寂を取り戻す。

 

「え、絵に描いたような“緊張と緩和“でしたね……。

 流石と言わざるを得ない……」

 

「長門さん……? なんでそんなウソついたんですかぁ……?」

 

「べつに」

 

 俺達3人は、長門の出生を知っている。だからさっきの会話を聞いててもそこまでシリアスになる事は無かったが、ハルヒはそうもいかなかったようだ。

 思いっきりゼロ距離で、直撃していた。見ていて面白い程に。

 ちなみに“緊張と緩和“というのは、基本的な笑いのテクニックのひとつだ。吉本の養成所なんかに入学すると、しっかり教えてもらえるぞ。

 

「……えっ? あたし有希に獲られたの……? もうオレンジカード?」

 

「受け入れろ。これが現実(リアル)だハルヒ」

 

「ウソ……なのよね? ホントは大丈夫なのよね有希? それだけちゃんと教えて?」

 

「心配ない。親はアイダホでじゃがいもを作っている。

 テンガロンハットを被っている」

 

 それも真っ赤な嘘なのだが、とりあえずハルヒはそれで納得してくれたようだ。

 鷹に育てられるよりは、よっぽどマシだったのだろう。

 

「う、うん……それなら良いの。変な事きいちゃってごめんね?

 いいのいいの。オレンジカードくらい……」

 

 なんかそれ以上踏み込む事が怖くなったのか、とてもしおらしくなったハルヒがグビグビとミネラルウォーターで一息。

 今日の長門にうかつに踏み込んではいけない。そんな危険を感じ取ったようだ。安全第一。

 

「まぁキョンの家族構成は知ってるし、子供の頃の写真も持ってるし、

 この話はもういいわ」

 

「ちょっと待て、何で持ってるんだお前」

 

 俺の抗議をサラリと無視し、再びグビグビと水を飲むハルヒ。どうあっても俺の質問に答える気は無いようだ。

 

「いやぁ~、いきなり獲られちゃったわね! やるじゃない有希!

 でもまだまだ先は長いんだし、ここから挽回していくわよ!

 覚悟しなさいみんな!!」

 

 腕を組み、なにやら満足そうにウムウムと頷くハルヒ。

 恐らくコイツの中では自分が圧勝するつもりだったんだろうが、思わぬ健闘を見せる団員達にご満悦のようだ。俺はまだ一回も獲っていないが。

 

「せっかくの機会だし、普段聞けないような事なんかも聞いてみたいわね……。

 SOS団はみんな仲良しだけど、でも気をつかうばかりの関係が仲間じゃないわ!

 時には自分をさらけ出す事も必要なのよ!!」

 

 ハルヒの提案に、その通りだとウンウン頷く団員達。

 リーダーであるハルヒが会話の舵を取り、俺達がそれに追従していく。予想はしていたが、この形はいつもの俺達そのものである。

 なんだかんだ言っても、この形が俺達には一番しっくりくるんだろうな。

 皆の顔もキラキラと輝いているようだし、団長さまさまである。

 

「よっし! それじゃあ訊くけど、みんな最近、いつオナニーした(・・・・・・・・)?」

 

「「「 !?!? 」」」

 

 ハルヒの言葉に、思わず凍り付く俺達。

 

「お、おいハルヒ! お前なに言ってやがんだッ!!」

 

「えっ、何よ? 普段聞けないような事を聞くって言ったじゃない」

 

 アウトを取られない絶妙な加減で、満足そうにニヤニヤするハルヒ。

 片眉を上げ、俺をあざ笑うかのように笑っている。「当然でしょ?」とばかりに。

 

「さ! 順番に聞いて行こうかしらねっ! とりあえずキョンはどう?」

 

「答えるか馬鹿!! そんな義務はねぇッ!!」

 

 俺は軽く激昂するも、それを分っていたかのように「フフン♪」と受け流すハルヒ。

 この展開は、非常に拙い。俺は冷や汗をかく。

 

(下ネタ……。ハルヒの野郎、ナイフを抜きやがった(・・・・・・・・・・)

 

 分かってはいた事だが、ついにやりやがった。このまだ序盤である内から、躊躇なく!!

 口火を切るとしたら、ハルヒだろう――――

 そんな漠然とした予想はあったものの、まさかここまで躊躇なく切ってくるとは思わなかった。

 

(SOS団だぞ、ここは……。長門や朝比奈さん、古泉……、

 こいつらに向かって下ネタやろうってのか、お前は)

 

 こいつらの献身を知っている。そしてこいつらが本当に心の綺麗な奴らだって言うのを知っている。

 だからこそ、どこかで俺は「やるワケが無い」という想いがあったのかもしれない。

 こんなにも良い奴らに対して、下ネタなんかやれるワケが無いんだって。

 

「古泉くん、最近いつオナニーした?」

 

今朝(けさ)です」

 

「――――ほぉ゛ッッ!!!!」

 

 何とか堪えはしたが、思わずコーラを吹き出しそうになる俺。

 あまりに普通のテンションで言葉を返され、ハルヒもなにやら戸惑っている様子だ。

 

「えっ……。あの、古泉くん? ……今朝って」

 

「あ、そうです。今朝です。

 ここに来る前に、済ませて来ました」

 

「来る前に済ませて来たのっ!? ……そ、そんなにしたかったの!?!?」

 

「いやぁ、まさか僕も、このような大切な日の前にしたくなるとは思いもよらず。

 自分でもビックリしましたよ」

 

 いつものように、爽やかな表情を見せる古泉。きっと漫画やアニメだったらキラキラした背景が付けられる事だろう。

 

「そ……そうなの……。まぁしたかったんなら、しょうがないわよね……。

 健全な男子高校生だもの」

 

「恐縮です。痛み入ります団長」

 

 まさかのカウンターを喰らい、物凄いオロオロしているようだが、それでも折れないコイツは結構立派なもんだと思う。流石SOS団の団長である。

 

「じゃ、じゃあみくるちゃん!! みくるちゃんはいつオナニーしたの?」

 

今朝(けさ)ですぅ」

 

 ハルヒが何故か「え゛ぃん!!」みたいな声を出して机に額を打ち付けたが、朝比奈さんはいつも通りの美しい顔だ。まったく変化は見られない。

 

「み……みくるちゃんもしてきたの? そんなにしたかったの?」

 

「はいっ。どうしようかなって迷ったんですけど、して来ちゃう事にしましたぁ。

 わたしもビックリしたんですよぉ」

 

「そ……そうなんだ……」

 

 う、うん……みたいに狼狽え、ハルヒは汗をダラダラかきながら、なんとか平静を取り戻す。

 

「……ち、ちなみに有希は」

 

今朝(けさ)

 

「――――――なんで食い気味なんだよ!! 躊躇しろよオイ!!」

 

「うふふふんwwww」

 

 そして部屋にサイレンが鳴り響き、ガッハッハとお腹を抱えて笑う鶴屋さんから、ハルヒに対してイエロー(警告)のカードが出された。

 

「 どうなってんだよSOS団の性事情ッ!!

  俺月曜から、どんな顔してお前らと会えば良いんだよッ!! 」

 

「ちなみに涼宮さんは、いつ頃なさいましたか?」

 

「…………け、今朝」

 

「 ――――お前もかよっ!! 俺以外全員が今朝かよッ!!

  抗えよお前ら性欲にぃッ!! 青少年のなんやかんやにぃッッ!! 」

 

 もう頭を抱えて振り回さんばかりに暴れるが、古泉も朝比奈さんも「まぁまぁ」と言わんばかりに、冷静に諫めてくれやがる。

 俺はもう、何を信じてこれからやっていけば良いのか分からなかった。

 

 ハルヒにイエローカードが出され、こんな序盤にも関わらず、コイツには後が無くなった。

 さすがにこの事実は堪えたようで、コイツもただ放心したように暫し黙り込んでしまう。

 

「今のは……貴方と長門さんの合わせ技じゃないかと……。

 貴方が切れ味良くつっこむので、むしろ破壊力が倍加してしまった感が……」

 

「お……俺か!? 俺のせいなのか!?」

 

「キョンくん……プロの芸人さんみたいだった……。

 鶴屋さんは見逃してくれたけど、わたしも笑っちゃったもん……」

 

 天井を見上げてポカーンとしているハルヒを余所に、ウンウンと頷く三人から攻められる俺。

 そんな中、ふと目をやった先に長門の姿が見え……、コイツが俺に向かって何かを伝えようとしているのが分かった。

 

 

「――――心配いらない。貴方は私が守る」

 

 

 

 

 

 俺にだけ聞こえる程の、小さな声。

 

 長門はそっと俺から目線を切り、未だに呆然としているハルヒの方に向き直った。

 

 

 







キョン   オレンジカード(注意)
涼宮ハルヒ イエローカード(警告)


残り時間  05:17:21



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遊戯


 えっと、ここに座って良いんですかぁ? わたしこういうのって、初めてで……。

 ――――はい、そこにお掛け下さい。本日はよろしくお願いします朝比奈さん。

 こちらこそ、よろしくお願いしますぅ。
 ちゃんとお話し出来ると良いんだけど、緊張しちゃって……。

 ――――どうぞ楽にして下さい。それでは早速お話を聞かせて頂こうと思いますが、構いませんか?

 はい、わたしなんかで良ければ。なんでも訊いちゃって下さいね♪

 ――――ありがとございます。ではまず、開幕直後の事についてなのですが……朝比奈さんを含めた皆さん全員が、あの彼の右隣りの席に座ろうとなさっていたようですが、あれには何か理由が?

 あぁ、あれはですね? わたしなりの作戦でもあったんですっ。
 隣同士に座って、わたしが前さえ向いていれば、それだけでわたしがする事の影響がキョンくんの方にいきにくいっ、と思ったんですぅ。
 わたしが何か変な事をしても、どんな格好をしてても……前じゃなく横に座ってるキョンくんには見えにくいですよね?
 完全に無しにするのは無理ですけど……でも少しでも、と思ったんです。

 ――――彼を脱落させてしまわないように、工夫がしたかった?

 はい。正直に話しますけど、わたしはキョンくんにがんばって欲しいって思ってたから……。
 それなのにキョンくん、わたしの写真で笑っちゃって……あれには凄く焦りましたぁ……。

 ――――もしかして、皆さん同じ事を考えて、彼の隣に座ろうと?

 わかりません。わたしはそうだったけど……少なくとも涼宮さんは違うと思うから。
 でももしかしたら、あの二人はわたしと同じように考えていたのかも。
 他にも理由があったのかもしれないけれど……。

 ――――よく分かりました、ありがとうございます。……それでは次の質問ですが、涼宮さんがいわゆる“口火“を切った瞬間、朝比奈さんはどう思われましたか?

 あぁ……あれはもう、覚悟してましたぁ……。
 わたしもDVDを観て予習して来ましたから、こういうのがあって当然なんだって。
 だから心構えだけは、ずっとしてたんですぅ。

 ――――涼宮さんの厳しい質問に、すごくサラッと答えていらして……。正直あれには我々も驚きました。

 うっ……も、もう顔から火が出そうですっ。いま思い出しても恥ずかしいっ……!
 でもあの時のわたしは、しっかり覚悟を決めてたから。
 涼宮さんとしっかり向かい合うんだって……だからこそ平気だったんだと思います。

 ――――本当に……朝して来られてたんですか?

 きっ……! ききき禁足事項ですぅっ!!

 ――――失礼、同じ女性として気になったものですから。それでは質問を変えますが……朝比奈さんはあの中で、誰を一番警戒していましたか? 自分以外のメンバーで、誰が一番強いだろうと?

 そうですね……わたしは古泉くんの事を、すごく警戒してました。
 味方でいてくれる時はすごく頼もしいけど……敵にまわしてしまうと、あんなに怖い人はいないって。
 あの時、わたしは古泉くんの隣の席に座る事になりましたから……さっきの“隣の席作戦“で言えば、もしかしたら幸運だったかもしれません。
 それに古泉くんは男性だから……ある意味わたし達の中で、いちばん“彼“に近い場所にいるの。
 上手くは言えないんですけど……その怖さもあったんだと思います。何をしてくるか分からないって。

 ――――朝比奈さんの優勝予想は、古泉さんだった?

 いえっ、そうでもないんですぅっ!
 長門さんもすごく強いって思ってたし、涼宮さんもすごくやる気になってたし、みんなとっても怖かった……。
 でも、あの中で一人だけが勝つんなら、きっとこの人だっていう人はいましたよぉ?

 ――――ズバリ聞きますが、それはどなたですか?

 普段は「やれやれ」って言ってばかりだけど……いざという時、ほんとうに頼りになるんです。
 わたし達の事をいちばん想ってくれてるのは、この人だって……。
 たとえどんな事があっても、この人ならなんとかしてくれるって、そう確信してるんです。
 えへへ。だから出来るだけ良い形で、彼にバトンを渡せたらって……そればっかり考えちゃってましたっ。






 

 

「なんかもう、とんでもない目にあった気がするわ」

 

「自業自得だけどな。悪い事はするモンじゃないぞハルヒ?」

 

 あれから暫くし、ようやくハルヒが放心状態から立ち直った。

 いまは目をぱちくりさせ、「あービックリした~」と言わんばかりの顔だ。

 

「ねぇキョン? さっきって何があったんだっけ?

 あたしちょっと、記憶が曖昧なんだけど……」

 

「思い出さんで良い。

 とりあえず、お前がイエローカードになったって事だけおぼえとけ」

 

「えー、まっじっでぇー」みたく、物凄くピュアな表情をするハルヒ。

 どうやら信じていた団員達の知らなかった一面を見て、軽く現実逃避的なアレになっているようだ。

 

「という事は……もしかしてあたし、ピンチだったりする?

 もしかしてあと一回だったりする?」

 

「ザッツライトだハルヒ。お前ヤバイ事になってるぞ」

 

「駄目じゃないッ!! こんなんじゃみんなに示しがつかないわっ!!!!

 あたしもう、ぜったいに笑わないからッッ!!!!」

 

 ガーッと目を見開き、天に向けて雄々しく宣言するハルヒ。それを生暖かい目で見守る一同。

 

「そうよ、まだ序盤だしね!! おてんばするのは、まだちょっと早かったかしらね!?

 ここはもうちょっと……まったりいく感じにしましょう!!」

 

 脂汗を浮かべながら、ハルヒが団員達に指示を出していく。「へいへい、ハルヒびびってる~!」とか茶化してやりたい所なのだが、あまりの必死さにもう言葉をかける事も出来ない。

 

「はい、それがよろしいかと。

 ではいったん落ち着きまして、各自が、自由に過ごしてみるという事で」

 

「わたし、ちょっとお腹が空いてきちゃいましたぁ。何か作ろうかなぁ?」

 

「了解した。待機している」

 

 そして各々が席を立ち、思い思いの場所に散っていく。

 古泉は部屋を見て回るように、朝比奈さんは冷蔵庫の所に、長門は改めて席に座り本を手に取った。

 

 なんなんだ……この余裕は。ハルヒとえらい違いじゃないか。

 

 いま俺の目の前で、持って来たカバンから大量の菓子パンを取り出して机に並べているハルヒを見て思う。

 このパンは腹が減った時と言うよりも、恐らくは笑いそうになった時に、それを誤魔化す感じで口にする為に用意してきたんじゃないかと思う。

 あまり良い手段とは言えんだろうし、たぶんハルヒにもそれは分かっているだろう。だが今のコイツは必死なのだ。早くも追い詰められているんだから。

 

 それに比べて、この三人の余裕だ。まるで自分の家のようにしてこの部屋で寛いでいる。

 それが俺には、この上なく恐ろしく映る。汗だくのハルヒとこいつらの対比が凄い。

 

「あ、皆さんも何か作りましょうかぁ? あたし材料を準備してきましたからぁ」

 

「お願いするわみくるちゃん! ガンガン持ってきてちょうだい!!」

 

 そう返事をしつつ、馬鹿でかいフランスパンをまるで自分の命だと言わんばかりに抱えているハルヒ。

 そんなモン食ったら、メシ入らなくなっちまうぞお前。

 

 

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

「お待たせしましたぁ。どうぞぉ」

 

 ハルヒがフランスパンにブツブツ話しかけている間に時は過ぎ、やがて席に着いた俺達の前に、朝比奈さんが作ってくれた料理の皿が置かれる。

 

「ありがとうみくるちゃん! さすがSOS団の専属メイドだわ!」

 

「実は朝食を摂らずに来たもので、いやはや助かります」

 

 お前、抜いてくる余裕はあったのに、飯は食わなかったのかよ。

 そんな事をふと思ったが、今は表情筋を硬直させる事に集中し、口には出さない事とする。

 

「さてさて! みくるちゃん、今日のゴハンはなぁに?」

 

「お()ですぅ」

 

 今俺達の前に、ドーナツくらいの大きさをした“麩“が、デローンと置かれた。

 

「とりあえず、お湯で茹でてみましたぁ。さぁ皆さん召し上がれ♪」

 

「……」

 

「……」

 

 味噌汁とかお吸い物とかじゃなく、ただのお湯で茹でられた、麩。

 それがいま俺達の前に、デローンと立ちはだかっていた。

 

「……お……お箸お箸。……とりあえずお……お箸よね」

 

「おう……。は……箸をまわして……くれるか……?」

 

 反応したら負ける――――ツッコミを入れたら負ける――――――

 そんな確かな予感を胸に、俺達は平静を保つ事に尽力する。

 

「い……いただきます……」

 

「いただきます……朝比奈さん……」

 

「はいどうぞぉ♪」

 

 天使のような朝比奈さんの声を聞きつつ、とりあえず箸で掴んで、お麩を口に入れてみる。

 

「……」

 

「……」

 

「どうですかぁ? お口に合いますかぁ?」

 

 ――――まったく味がしねぇ。

 口の中でモグモグしてみるも、まったくと言って良いほど味がして来ねぇ。それがもう、なんかじわじわくる。

 

「……ッ! ……ッ!!」

 

 今俺の隣では、まるで修羅のように目をひん剥きながら、それでいて真顔でお麩を頬張るハルヒの姿。

 とりあえずコイツが、お麩とか自分とか色々な物と戦っているのが見て取れる。

 時折、お麩ではなく、ギリギリと歯を食いしばっている音が聞こえる。

 

 とりあえず目の前のお麩を3分の1ほど頑張って完食した頃……俺の真正面の席に座る長門が、ゴソゴソと鞄から何かを取り出すのが見えた。

 なんとなしに俺は、それをじーっと見つめてみる。

 

「――――ほう、タルタルソースですか」

 

 ボソリと古泉が解説した途端、それを聞いたハルヒが「ん゛ーッ!!」と声を出して歯を食いしばり、そして自分の頬をバチーンとひっぱたき始める。

 

 プリプリ、プリプリ。

 長門がお麩にタルタルソースをかける音。そしてハルヒが自分の頬をビンタする音が部屋に響く。

 

「……な、長門? お前、それ美味いか……?」

 

 聞いてはいけない。決して聞いてはいけないのだが……つい好奇心に負けて味を訊ねてしまう。

 長門はモッチャモッチャと口を動かし、やがてそれをゴクンと飲み込んでから、じーっと俺の顔を見つめる。

 

「吐きそうだと感じている」

 

「 だよなぁ!! かけるモンじゃねぇよなぁ!! タルタルはッ!! 」

 

 ハルヒの手の形がグーとなり、もうガツンガツンと自分の顔を殴り始める。

 

「そういえば皆さんは、

 タルタルソースがどのようにして開発されたかは、ご存知ですか?」

 

「ん、材料か? 確かあれは……ピクルスとかだったんじゃないか?」

 

「いえいえ、材料ではなく、どのような経緯で開発されたのか、です」

 

 お麩を普通にモッチャモッチャいきながら、いつもの感じで古泉がうんちく話を始める。

 

「あれはその昔、タルタル寺のタルタル和尚が『うちの寺の飯はあまりにもマズイ!!』

 と憤慨し、開発なさったのだそうです」

 

「お前ウソついたろ? いま考えたろお前?」

 

 もうハルヒがいるであろう方向から〈ドゴゴゴ!!〉みたいな打撃音がしてきた。

 なにやら過呼吸のような「ハァーッ! ハァァーーッ!!」という呼吸音と共に。

 

 

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

「キョン、ごはんって結構危険だわ。

 あたしもう、みくるちゃんのゴハンはいいや」

 

「おう、がんばったなハルヒ。

 とりあえずこっち来て、頬っぺた冷やそうな?」

 

 食事の時間が終わり、俺はハルヒを冷蔵庫の所に引っ張っていく。

 氷を駆使して二つほど氷嚢を作ってやり、それをハルヒの頬っぺたに当ててやる。

 

「さっきから頭がガンガンするの。

 これってさっき、お麩を食べたせいなのかな?」

 

「そりゃあお前、自分の頬っぺたガンガン殴ってたからな。

 頭もガンガンするだろうさ」

 

 氷嚢を当てたまま、ハルヒを元の席に座らせる。

 なにやらハルヒの口調が、病気で心身共に弱ってる人みたいに弱弱しくなってきてるのが気がかりだ。

 

「頑張れそうかハルヒ? あとまだ4時間半以上もあるんだぞ」

 

「うん、がんばるわあたし。まだがんばれる」

 

 しおらしい……。ハルヒがすげぇしおらしくなってる……。

 それを見て、俺はもう涙が零れ落ちそうだった。

 

「口ん中は切れてないか? 一回うがいしとくか?」

 

「ううん、だいじょうぶ……。ちゃんと考えて叩いてたから」

 

 とりあえずお前ら、ハルヒを見ろ。この姿を見ろ。

 そんなトコで意味も無くウロチョロしてんじゃない。こっち来て見ろよ。

 

「ねぇキョン、あたし良いこと考えたんだけどね?

 こうボールペンか何かを、膝に刺しておくの。

 それでまた笑いそうになったら、ギューって」

 

「やめようなハルヒ? 危ないからな?

 とりあえずそこに座っとけ? 一休みしような」

 

 ハルヒをそっとしておいてやる為、いったんその場を離れる。

 氷嚢で頬っぺたを押さえながら、とても綺麗な瞳で「ぽぉ~」っと天井を見つめるハルヒを残していくのは忍びないが、今は俺もやる事があるのだ。

 

「……おい古泉、どういう事だこれは。流石にハルヒが可哀想だ」

 

 部屋の端っこに沢山並べられたダンボール箱、それをフムフムと物色していた古泉の耳元に口を寄せる。

 

「軽く怪我人が出てるじゃないか。

 いくらアイツの自業自得とはいえ、この状況はねぇよ」

 

「……はい。正直僕も、どうしたものかと思っている次第で……」

 

 こちらに背を向けていたので分からなかったが、どうやら古泉もダーダー脂汗を流し、この状況を憂いていたようだ。

 

「これは涼宮さんが望んだ企画です。

 本当はもう保健室に行って頂きたい位なのですが……、それは彼女自身が……」

 

「だろうな……なんとか無理させないよう、騙し騙しやるしか」

 

「それも中々に困難でしょう。もし我々が手を抜けば、すぐ彼女に気付かれます。

 先ほどは、いっその事ここで脱落して頂こうかと思い、

 がんばってみたのですが……見事に裏目に出てしまいました。

 この企画に賭ける涼宮さんの本気さを、侮っていた」

 

「よく耐えたよハルヒは。俺もおどろいた」

 

 その後も二人して頭を捻ってみるも、良案は浮かばず。

 とにかく隣に座る俺が、なんとかこれ以上怪我をさせないようにだけ気をつけよう、という事しか決まらなかった。

 

「とりあえず、現在涼宮さんは小休止をなさってくれています。

 決して望んでいた展開とは違いますが……今はある意味で好機だ。

 彼女がお休み下さっているこの間に、我々でゲームを進めませんか?」

 

 古泉が目の前のダンボール箱を指さし、そこに入っている数々の小道具を見せる。

 

「我々が準備してきた物以外にも、あらかじめ用意されている小道具があるようです。

 おもちゃのバット、クマのぬいぐるみ、……これは洗濯バサミですか?

 とにかく、これらを使ってゲームを動かしてみるというのは?」

 

「ん、乗った。ハルヒを休ませている間、ある程度は俺達でやっとこう」

 

 そう決めた後、俺達は部屋にあるダンボールを物色していく。朝比奈さん長門にも声を掛け、4人で何をするのかを考えていく。

 

「あ、これかわいいっ! アヒルのおもちゃですぅ!」

 

「何に使うのか分からないような物も多いですが……数は用意して頂いていますね」

 

「これはなに? 私の知識には無い」

 

「長門、そいつから手を放せ。ゆっくりと元に戻すんだ。いいな?」

 

 長門が「?」と首を傾げながら手に取ったTENGAを、俺は二度と触らないように指示する。

 

「ふむ……ではせっかくですし、僕は今の内に着替えてこようかと思います。

 すぐ終わりますので、このまま続けていてもらっても?」

 

「分かった。ハルヒがダウンしてる今の間に無茶しちまおう。

 俺達で何か探しとくから、お前は衣装の準備してこい」

 

「恐縮です。では」

 

 古泉と敬礼を交わし、三人でその背中を見送る。

 

「あれ? おっきな掃除機があるよキョンくん?」

 

「ダイソンのヤツ……ですか? こんなモンでいったい、どうしろって言うんだか」

 

「そんな事は無い。バラエティーにおいて、

 掃除機はとても優秀な小道具。これで数々のドラマが生まれた」

 

 長門が掃除機について熱く語る。出川さんだの上島さんだのの名前が出てくるが、コイツの部屋にTVなんかあっただろうか? ちょっと思い出せないんだが。

 

「お待たせしました皆さん。準備OKです」

 

「お、早いな古泉。だがまだ何をするかは……」

 

 声のした方に振り向く俺達。

 そこには全裸となり(・・・・・)、首に蝶ネクタイをした古泉の姿があった。

 

「――――ッ!!」

 

「「――――ッッ!!」」

 

「いやぁ、手間取ってしまいすいません。

 ちょうど良いサイズのお盆が、見つからなかったもので」

 

 よく見れば、金属製のお盆で股間だけを隠している古泉。

 その立ち姿は堂々たる物だ。まるで「やぁ、待たせたかい?」とデートの待ち合わせ場所にでもやって来たかのように。

 

「……お、おう……。構わんぞ、古泉……」

 

「……ぜ、ぜんぜん大丈夫……ですよぉ……」

 

「……ア〇ラ100%」

 

 歯を食いしばり、出来るだけ平時の呼吸を保つようにして、ゆっくりと心を落ち着かせていく。

 出来るだけ物を考えないように。ただただ眼前の光景を意識しないようにして、俺は古泉と言葉を交わしていく。

 そうしなければ、一気に決壊する――――

 

「さ……寒そうだな古泉……。なんならストーブの傍に……」

 

「いえいえ、お気になさらず。動いていれば、身体は温まりますから」

 

 その恰好で動くつもりかお前……(驚愕)

 これが例のアキラなんたらさんと同じだとするなら、そのお盆の中は非常に“潔い“事になっているんだろう。

 保険をかけずの、真剣勝負なのだろう。

 

「とりあえず、どんな事をしましょうか? 僕の準備は既にOKですが」

 

「そ……そうだな。いまダイソンの掃除機を見つけた所なんだが……」

 

 古泉を直視する事が出来ない。古泉の姿を見ているであろう二人の表情を見るのが怖い。

 この女性陣二人は、いったい今何を想っているんだろうか? 気になって仕方ない。

 

 

「あ、それじゃあ古泉くんのちんちんを、掃除機で吸い込むのはどうですかぁ?」

 

 

 ――――その瞬間、部屋にサイレンの音がけたたましく響き渡り、やがてモニターに鶴屋さんの姿が映し出された。

 

『はぁーい! 古泉くんオレンジカードぉぉーーっ!!

 見事に切り返したねぇみくるぅ~! その調子でがんばるにょろ~!!』

 

 愉快愉快と笑い転げる鶴屋さんの姿が画面から消え、辺りは再び静寂を取り戻す。

 

「おま……お前さ……? 自分で笑ってりゃ、世話ないだろ……」

 

「不覚……です」

 

 ぶっちゃけた話、俺が笑わずに済んだのは奇跡の賜物だ。

 あの天使のようなお声で「ちんちんを~」と聞いた途端、物を思うより先に視界が真っ白になったのだ。

 今は必死になって歯を食いしばっている最中だが、少しでも気を抜けば吹き出してしまいかねない。

 

「それじゃあ、どうしますかぁ? どんな風にやったら良いですかぁ?」

 

 まるで花のような笑顔を浮かべ、朝比奈さんが掃除機を手にジリジリと古泉に寄って行く。

 思わずお盆を両手で押さえ、ジリジリ後退していく古泉。

 

「あの……朝比奈さん?

 俺が頭を下げますんで、どうか勘弁してやってはくれませんか……?」

 

「いえ……貴方のお気持ちは有難いのですが、僕も男です。

 ここはひとつ、受けて立とうかと――――」

 

 キリリとした表情で、古泉が一歩を踏み出す。掃除機を手に待ち構える朝比奈さんに向かって。

 ぶっちゃけた話、そんなお前の男らしさなんて見たくなかった。

 

「ではこれは、一応ア〇ラ100%氏の芸のマネなので、

 今から僕がクルッとお盆を回転させます。

 その瞬間、朝比奈さんが掃除機で僕のちんちんを吸い込めたら、

 朝比奈さんの勝ちという事で」

 

「わかりましたぁ。それじゃあいきますねぇ」

 

「なんだそのルール……」

 

 仁王立ちの古泉がお盆を構え、真剣な表情を浮かべている。

 そのすぐ近くで掃除機を構え、「じぃ~!」っと股間のお盆を見つめる朝比奈さん。まるで股間に顔をひっ付けんばかりの距離で。

 グォォ~~ンみたいな掃除機の音が部屋に木霊する。

 

「では…………いざっ!!」

 

「はぁ~い」

 

 古泉が〈カッ!!〉と目を見開く。次の瞬間、見えない程のスピードでお盆を回転させた。

 

「えーーい!」

 

 パカッとお盆が回転し終わった後、だいぶ遅れて掃除機のノズルを突き出す朝比奈さん。

 それは真下から(・・・・)の角度で古泉を突き上げ、次の瞬間〈ジュゴゴゴゴゴ!!!!〉という音が部屋中に響き渡った。

 

「 ――――痛い痛い痛い!!!! いたたたたたたいッッ!!!! 」

 

 ジュゴゴゴゴ!!!! という音が暫くの間しつこく鳴り続け、そして古泉が色々と丸出しにして床にひっくり返った後……部屋のスピーカーからサイレンの音が鳴り響いた。

 

『みくるっ、オレンジカードぉぉーー!!!!

 駄目だよみくるっ、自分で笑っちゃあ~!

 そこは我慢してこそクールな女だよぉ!』

 

 怒っているワリには爆笑。そんなワケのわからない様子の鶴屋さんが画面から消え、部屋が静寂を取り戻す。

 

「朝比奈さん……? なんか、だいぶと長いこと吸ってましたけど……?」

 

「いくら古泉一樹が逃げようと、追いかけてまで吸い続けた。謎の執念」

 

「……」

 

 顔を背け、必死に笑いをかみ殺す朝比奈さん。どうやら面白いというよりも、その行為をする事自体が楽しくて仕方なかったのではないだろうか。

 

「古泉、大丈夫か? ダイソンだぞあれは」

 

「えっと……あの。ちょっとどうなってるか、確認してもらっても良いですか?」

 

 くの字で床に蹲り、股間だけはお盆で隠している古泉。その股間をちょいちょいと指さし、俺に様子を見ろと彼はのたまう。

 

「いや……まぁ男同士だし、それは構わんのだが……。

 なんかおかしいのか古泉?」

 

「それがですね……? なにやら今、玉が奇妙な感覚なんです。

 ……もしかしてこれ、互い違いになってるんじゃないかと(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「 ――――――ん゛き゛ょ!!!! 」

 

 

 …………そしてサイレンが響き渡り、床を転げ回っている様子の鶴屋さんの姿が映る。

 

 

『イエロー!! イエローカードだよみくるぅーーっ!!!!

 あるまじきっ、淑女としてあるまじき醜態ッ!! でもよくやったみくるっ!!』

 

 

 

 

 

 鶴屋さんが画面から消えた後も、ずっと顔を背けてプルプルと肩を震わせている朝比奈さん。

 

 

 彼女のツボはこういうのだったのか。

 

 俺のマイエンジェルは、もう戻れない所まで堕天したらしかった。

 

 

 

 







 キョン    オレンジカード(注意)
 涼宮ハルヒ  イエローカード(警告)
 朝比奈みくる イエローカード(警告)
 古泉一樹   オレンジカード(注意)


 残り時間   04:09:14


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失策。



 到着した。着席の許可を。

 ――――こんにちは長門有希さん、今日はお疲れ様でした。お越し下さりありがとうございます。

 構わない。今日の予定はこれだけ。後は家に帰り、録り貯めしていたゴッドタンを観るだけ。

 ――――ではお座り頂いた所で、色々お話を聞かせて頂こうと思います。よろしいですか。

 だいじょうぶ。貴方に協力するよう指示を受けている。なんでも訊いてほしい。

 ――――ありがとうございます。では早速質問ですが……我々から見ても今回の企画、長門さんはMVPと言っても過言ではないほど大活躍されていましたが、いったいどのような意気込みで臨んでいらしたんですか?

 とくに。

 ――――――特に……ですか? えっと……。

 意気込みのような物はない。わたしの使命はいつもと変わらない。ただ遂行するだけ。

 ――――使命、ですか? それはどのような物かお訊きしても?

 涼宮ハルヒ、および彼を守る事。その為にわたしは存在している。

 ――――長門さん、あの彼はともかく……涼宮さんに対しては結構えげつなく攻めていませんでしたか?

 ……。

 ――――長門さん、長門さーん? 大丈夫ですかー?

 ……問題ない。あの状況下においては、下手に生存させるよりも脱落させた方が涼宮ハルヒの為。そう判断したまで。

 ――――涼宮さんは「彼の人生を貰う」などと過激な宣言をしてましたし……、もしやそれに腹を立てていたとか?

 ………………何を言ってるのか理解できない。次の質問への移行を提案する。

 ――――失礼しました。では次の質問ですが……当日の古泉さんは全裸めいた服装になるなど、我々から見てもかなり過激な事をされていたように思います。あれは長門的にはどうだったのでしょう? 眉ひとつ動かしていなかったように見えたのですが……。

 あの古泉一樹の行為は、この企画における常道。来るべくして来た攻撃。わたしが感情を乱される事はない。

 ――――えっと……有り体に言って、おちんちんでしたが……ぜんぜん平気だったと?

 へいき。高校生男子の全国平均から見ても、古泉一樹のそれは何の変哲もない物と言える。
 氷を駆使して縮こまらせる、またはマジックで変な顔を描くなどの工夫をしない限り、私が獲られる事は無い。

 ――――そういう事を言っているのではないのですが……よく分かりました。ありがとうございます。

 毛を剃る、またあえて剥かずに来る(・・・・・・・・・)という行為も大変有効。
 その点で言えば、古泉一樹は過ちを犯したと言える。

 ――――――続いての質問になりますがッ!! ……長門さんが一番の強敵だと思っていたのは誰でしたか? もちろんご自分が勝つ気でいらしたとはと思うのですが、この人が怖いと思っていた方は?

 ……わたしは今大会中、朝比奈みくるを警戒していた。

 ――――ほう、それは何故かお訊ねしても?

 朝比奈みくるは、“彼“に対して特効になりえると予想していた。
 もし彼が笑うとすれば、それは朝比奈みくるによる物と。

 ――――するどい。実際彼は、序盤に彼女からポイントを獲られていますね。

 本来彼を狙った攻撃でなくとも、それに誤爆する可能性が充分にありえた。
 ゆえにわたしが一番警戒していたのは、朝比奈みくる。
 私という個体も、彼女を非常に手ごわいと感じている。

 ――――長門さんの優勝予想は、朝比奈さんだった?

 否定。先ほど“自分以外の“という言葉はあったが、わたしがいる限り朝比奈みくるの優勝はありえないと推測。
 もし私が敗北するとしても、それは全く別の人物になると予想していた。

 ――――ズバリ、それは誰でしたか?

 かんたん。
 わたしは彼に勝つ事は出来ない。
 もし私が敗れるなら、それは彼の手によってでしか有り得ない。
 ……私は鉄壁を自負しているが、それは他の人間に対してだけ。
 彼の前では、私はいつも無力になる。








 

 

「あ~面白かったですっ。それじゃあ次は、キョンくんのちんちんを……」

 

 いま背後にある長机の方から、〈ガタッ!!〉という誰かが立ち上がる音が聞こえた気がするが、それを無視して朝比奈さんに向き直る。

 

「いや……もう古泉の惨状を見た後なんで。とりあえず他の事をしませんか?」

 

「そうですか? 残念ですぅ」

 

「掃除機の有用性は理解してもらえた事と思う。

 これにはまた後でご登場願う」

 

 至極残念そうな声の朝比奈さん、そして静かに座り直す誰かを見なかった事にして、再び小道具を物色していく。

 俺も若い身空で互い違い(・・・・)にはなりたくないからな。両親に申し訳ねぇよ。

 そして「あーでもない、こーでもない」と言いつつ、部屋のダンボール箱を見て回る俺達。ハルヒは未だにダウンしているし、今の内にゲームを進めておかなければ。

 そんな風に部屋をうろついている時、誰かが裾をクイクイと引っ張る感覚がした。

 

「ん、長門か? どうした?」

 

「これ」

 

 よいしょとばかりに長門が差し出したのは、いわゆる低周波治療器。あの電気でビリビリする、マッサージに使うヤツだ。

 

「おっ、よく見つけてきたな長門。

 確かこのパットを肩とかに張るんだよな? こういうの親が使ってたよ」

 

「そう」

 

 バラエティー番組の罰ゲームでお馴染み、低周波治療器。これを使って遊ぼうというのが長門の提案のようだ。

 

「おい古泉、お前これチンコに張ってみるか? 別に止めはしないぞ?」

 

「僕の未来をどうしようって言うんですか。ぜひ遠慮しておきましょう」

 

 そうか、さっき結構なダメージを受けていたし、もしかしてこれ張ったら治るんじゃないかと思ったんだが……残念な事だ。

 未だお盆で股間を隠している古泉から目線を切る。

 

「それじゃあ俺に張ってくれるか長門?

 一応言っとくが、肩とかでいいぞ」

 

「了解した」

 

 服を少しだけはだけ、長門がパットを張りやすいように屈んでやる。このパットはくっつくように表面がジェル状になっているので、かなりひんやりしていて思わず声が出そうになったが我慢だ。

 

「痛て……痛てててででででッ!!

 おい長門ッ! ちょっとお前痛てててででで!!!!」

 

「いま10段階中の5。これから段々と強くしていく」

 

 今だ半ばの強さとはいえ、結構な痛みが来る。

 本来は凝り固まった肩こりをほぐす為に使う道具なんだ。まったくの健康体である俺が使っても痛いだけなんだろう。

 

「痛ててて!! もういい! もういいから長門ッ!! 痛ててででででッ!!!!」

 

「凄いですね、なんか柔道家みたいなポーズになってますよ? 試合開始の時の」

 

「引きつってます! すんごく引きつってますキョンくぅん!」

 

「ゆかい」

 

 俺が悶えてる姿を、なにやら興味深そうに観察する3人。やるんだったらせめて笑って欲しかったが、凄く朗らかな雰囲気で観察されてしまう。実験動物か俺は。

 

「このままコーラを飲んでみる、というのはいかがです?

 ゴボゴボして面白いかもしれませんよ?」

 

「熱々のおでんを用意しますかぁ? 今なら上島さんに勝てるかも……」

 

「勝ちたくない! 勝ちたくないですよ俺! 痛たたたたたいッ!!!!」

 

 肩をビーンと引きつらせながら、部屋中をウロウロしてしまう俺。相変わらずコイツラはのほほんとした雰囲気だ。ドSの気があるのかもしれない。

 

「おい、これヤバイぞお前ら。6とか7とかでも相当なもんだ。

 正直耐えられる気がせん」

 

「流石はバラエティー番組で引っ張りダコなだけありますね。

 いわゆる“特殊な訓練“を積んでいない我々には、少し厳しいのでしょう」

 

 とりあえずスイッチを切ってもらい、一息入れる事とする。

 実感してみて分かる、芸人さん達の凄さ。

 あの人達、これしたまま走ったり、物を食ったりするからな。偉大な仕事だと思う。

 

「私には効かない。一度も効いた事ない」

 

「ん、マジかよ長門? これすんごい電気くるぞ?」

 

「へいき。私にかかれば大した事ない。

 作った人達に悪いから、いつも効いているフリをしてあげてる程」

 

「すげぇなお前。じゃあちょっとやってみるか」

 

 朝比奈さんにお願いし、長門の肩にパットを張ってもらう。

 俺はリモコン係を担当し、とりあえず電気の強さを5の所に入れてみる。

 

「へいき。何の問題もない」

 

「おいお前、なんかピクピク動いてるけども」

 

 まるでリズムを刻むように、定期的に上がったり下がったりする長門の肩。

 

「そんな事ない。へいき。

 もっと強くしてもかまわない」

 

「そうか? それじゃあ段々強くしていくぞ。

 駄目だと思ったら言えよ?」

 

 強さのダイヤルを5から6、そして7へ。その度に激しさを増してバイブレーションしていく長門。

 

「長門、大丈夫か? お前いま、たけしさんみたいになってるけど」

 

「だいじょうぶ。もっと強くしてもいい」

 

 声こそ出ていないが、なんか長門が高速で首をコキコキし「馬鹿野郎! この野郎!」とやっている人みたくなっている。

 

「いいんだな長門? じゃあ10にしてみるぞ?」

 

「かまわない。私に電気は効かない」

 

「分かった。それじゃあいくからな長門? ……10っと」

 

「 ハァァァーーースッ!! ……ハスッ! ハァァァァァーーースッ!!!! 」(裏声)

 

 その瞬間、部屋にサイレンが鳴り響き、鶴屋さんのアナウンスが入る。

 

 

『はぁーーい! 古泉くんイエローカードぉぉ!!

 後が無いよぉ古泉くぅん! ファイトだかんねぇ~!!』

 

 

 鶴屋さんの姿がモニターから消え、再び部屋に沈黙が戻る。

 

「……長門? なんかさっき、すごい声が出てたが……」

 

「そんな事ない。私に電気は効かない。貴方の聞き間違い」

 

「……あ、あの……。裏声やめてもらってもいいですか……?」

 

 痙攣する腹筋を押さえ、なんとか平常の呼吸を保とうとしている古泉。

 

「私に電気は効かない。もっと強くてもいいくらい」

 

「それじゃあもう一組あったから、これも使ってみるか。

 駄目なら正直に言え?」

 

「かまわない。私は全然へいき」

 

 肩の物に加え、もう一組の低周波パットを長門の頬っぺたに装着する。そしてふたつ同時に電圧を上げていく。

 

「長門? いま5だぞ? 大丈夫そうか?」

 

「だだ、だいじょうぶ。私に電気は効かなない」

 

「なんか効かなないとか言っちまってるけど、とりあえずまた10にするからな?

 我慢出来なかったら言えよ?」

 

「へいき。私は対有機生命体用ヒューマノイドインターフェイス。

 電気など効かない」

 

 顔を「うい~ん!」みたく引きつらせた長門が、自信まんまんで俺に電気を促す。

 

「それじゃあいくぞ長門? …………10っと」

 

「 ――――ハァァァァーーースッッ!!!!

  ハスッ!! ハスッ!! ハァァァァーーーースッッッッ!!!! 」(裏声)

 

 ……その瞬間、再び部屋にサイレンが響き渡り、鶴屋さんの姿がモニターに映った。

 

 

『……あのね? ぶっちゃけた話これ、“全員笑ってる“んだけどね?

 でもよく見たらこれ有希っこも笑ってる(・・・・・・・・・)から、

 今回は特別にノーサイドって事にしとくよ。みんな気をつけるにょろ?」

 

 

 鶴屋さんがモニターから消え、後には肩をプルプルと震わせる俺達だけが残る。

 

「……長門? お前なんかハスハス言ってたけど」

 

「そんな事ない。私に電気は効かない」

 

「何でそんなしょーもない嘘つくんですか。なんの意地なんですかソレ……」

 

「もしかして、と思ったんです……。今度は大丈夫かもと思ったんですぅ……。

 ハスって何なんですかぁ……?」

 

 長門は真顔でプルプルと首を振り、俺達は出来るだけそれを見ないようにしつつ、暫く肩を震わせる。

 頬のパットのせいだったんだろうが、長門にも笑顔判定が出た事により、なんとか全員がお咎め無しという裁きとなった。

 

 

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

「ん、どうした長門?」

 

「これ」

 

 再び服の裾をクイクイ引っ張られ、俺は長門と向かい合う。

 いま長門が「どうぞ」とばかりに両手で差し出しているのはスプレー缶。それも結構な大きさをした、非常にファニーなデザインの物だ。

 

「あぁ、これはヘリウムガスですね。

 吸い込めば声が変わるという、パーティグッズの一種です」

 

「おぉ、よく見つけて来たな長門。えらいぞ」

 

「……」

 

 俺はなんとなしに長門の頭をよしよしと撫でてしまい、そのすぐ後で「あ、拙かったかな?」と反省。

 女の子の髪なんだし、勝手に触れるのは流石にNGだった事だろう。

 しかし長門の方が気をつかってくれたのか、嫌がる素振を全く見せないでいてくれたので助かったという感じだ。

 嫌な想いをさせてしまわぬよう、今後は気をつけていこうと思う。

 

「キョンくんキョンくんっ! こ、こんなのもあるよっ!! こんなの見つけたのっ!!」

 

「ん? あぁそれピコピコハンマーですか? とりあえず今は長門のを消化して、

 後で叩いて被ってゲームでもしましょうか朝比奈さん」

 

「…………………はぁい」

 

 何故か項垂れた様子で、すごすごとピコピコハンマーを戻しに行く朝比奈さん。いったい何だったんだろうか?

 

「どうやらスプレーは数本あるようですし、何人かでやってみますか?

 恐らくですが、声の低い貴方などは結構なギャップが出るかと」

 

「そうか? じゃあまず俺がやってみるか」

 

 スプレー缶に書かれた説明を読み、やり方を確認。そして思いっきり肺の中の空気を吐き出した後、勢いよくヘリウムガスを吸い込んでみる。

 

……あー、あー! おっ、意外と良い感じだな

 

「これは素晴らしいアイテムですね。いやはや驚きました」

 

「すごいっ、いつもと全然声が違うよキョンくんっ! これ面白いかもっ」

 

「ユニーク」

 

 たかがパーティグッズ、されどパーティグッズ。

 気の知れた仲間とやるなら、こういうのも意外と楽しいもんだなと思う。

 

こんにちは、古泉です。……どうですか皆さん?」

 

「おぉすげぇ! マジで声が違うぞ!」

 

「古泉くんもすごいですぅ! わたしこれ大好きですっ」

 

「たのしい」

 

「もっとやって、もっとやって」と囃し立てる朝比奈さん。

 どうやらそのリクエストに応えて長門が出陣するらしく、いまパクッと愛らしくスプレー缶の口を咥え、ス~ッとヘリウムを吸い込んでいった。

 

 

どうも、宇宙人です

 

「 ――――こ゛ふ゛ぅ゛ッ!! 」

 

「 ――――ん゛ぼ゛ぁッ!! 」

 

 

 真顔で色んな物を口から噴射する俺達。その後はなんとかアウトを獲られないようにと、ひたすら口を押えて耐える。

 

「……な、長門……長門よ? …………駄目だろ?」

 

「ちょ……ちょっとそれは洒落になりません……。

 誰もが思いつく事ではありますが、まさかご本人がやるとは……」

 

わかった

 

 何食わぬ顔で、悪びれもせずに俺を見る長門。

 朝比奈さんなどはもう声も出せない程「――ッ!! ――ッ!!」と必死で耐えている様子だ。

 

 今こいつ、躊躇なく全員落としにかかったな……。

 長門の中にあるヘリウムガスが出ていってくれるまで、俺達はひたすら無言になり、ただただ耐えるのであった。

 

 

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

 気が付けば、朝比奈さんと古泉がイエローカード。後いっかいのアウトで退場という状況だ。

 ハルヒもすでにそうだったし、これで5人中3人がイエローという事になる。

 

 俺はまだ……と言っていいものか分からないがオレンジ。長門に至っては貫禄のノーカード。

 この企画もそろそろ中盤といった頃合いだが、なにやらハッキリと明暗が分かれてきてる感がある。

 

 長門のスマッシュが猛威を振るい、この場の全員があわやといった事態に陥った、地獄のような時間。

 それをなんとか歯を食いしばって乗り越えた頃……俺達の背後にある長机の方から、今まで沈黙していたアイツの声が響いて来た。

 

「よっし、もう大丈夫よ! 頭痛も収まってきたし、頬っぺの腫れも退いたわ!!」

 

 勢いよくピョーンと飛び上がり、シュタッと床に着地するハルヒ。なにやら太陽のような笑みを浮かべているが、アウト取られたらどうすんだお前。

 

「あ、キョンあたしね? 痛みがあったらきっと笑わないと思うし、

 頭にオオカマキリでも乗せとこっかなって」

 

 どこかにおっきなカマキリいないかしらと、窓の外をジロジロ探し出すハルヒ。一見大丈夫そうに見えても、まだ内面にはダメージの蓄積が見られる。

 

「とりあえず復活からの一発目ってことで、ひとつぶちかましてやる事にするわ!

 みんな、首を洗って待ってなさい!!」

 

 満面の笑みでそう言い捨て、ハルヒがズカズカと扉を出ていく。

 

「恐らくは小道具だか衣装だかの準備に行ったんだろうが……、

 何するつもりだアイツ」

 

「分かりませんが、とりあえず待機するしかありませんね。

 涼宮さんが戻って来た時、ちゃんと見て差し上げないといけませんから」

 

 古泉と頷き合い、とりあえず着席する俺達一同。

 水を飲んだり談笑したりと、ハルヒが戻るまで時間を潰していく。

 

「なぁ、ハルヒが何をするか賭けないか?

 アイツの事だ、俺は爆破物があやしいと思うんだが」

 

「流石に校舎内で爆破はどうかと……。

 いくら鶴屋家にご協力頂いているとはいえ、器物破損は避けたいところです」

 

「あっ、わたしは可愛い着ぐるみなんかだと嬉しいですっ。

 ネコとかウサギとかっ。涼宮さんが着たら、きっと似合うだろうなぁ~」

 

「落ち武者的なカツラだと予想」

 

 和気あいあいと語り合う俺達。もし万がいち当たっちまって、それでネタ潰しになってしまったらスマンが、そん時はそん時だ。

 各々が自分の予想、そしてハルヒに来て欲しい服の希望なんかを言い合う。

 

 そんなこんなをしている内……やがて出入り口の扉が静かに開き、ハルヒが中に入ってくる気配を感じた。

 

「んふふ……んふふふ……」

 

 小さく聞こえる、ハルヒの含み笑い。これをアウトと取られないのは不思議だが、きっと現在ハルヒが“攻撃側の人間“だからという事で、鶴屋さんなりの判断の仕方からくる物なのかもしれない。

 

「んふふ……んふふ……」

 

 ゆっくりとこちらまで近づいてくる、ハルヒの気配。

 何やら足音とは違い、まるでピョンピョンと跳ねているような音に聞こえるが……唐笠お化けにでも扮しているのだろうかコイツは。

 

 俺はジロジロ見ないようにとずっと明後日の方を見ていたのだが、あまりにも嬉しそうな様子にしびれを切らし、意を決してハルヒをチラミしてみる事とする。

 

「――――ッ!!」

 

「んふ! んふふ!」

 

 ついに俺が見た事で、さらに嬉しそうな声を出すハルヒ。

 しかし俺は瞬時にしてハルヒから目を逸らし、また明後日の方を見るようにして顔を背ける。

 そしてそれは、他の面子も同様のようだった。

 

「キョン? キョーンー? こっち見て良いわよ~」

 

 今のハルヒは、下着姿だ(・・・・)

 世間一般で言う所のブラジャーと呼ばれる物と、一般常識で言われる所のパンツという衣類だけの姿となり、そこに荒縄的な紐を巻き付けている。

 有り体に言えば、おそらくアレは“亀甲縛り“というヤツなんだろう。

 下着姿で縛られている人……一言でいうなら、ハルヒの姿はそういう物だった。

 

 俺はただただ、必死でハルヒから目を逸らすだけだ(・・・・・・・・)

 

「みくるちゃーん? 有希~? 古泉く~ん?」

 

 ハルヒが嬉しそうにメンバー達に声を掛ける。だがその声には応えず、皆ただただ目を逸らすばかり。

 

「ほらっ。あたし帰ってきたわよ~。ただいまみんな~!」

 

 ハルヒは今、満面の笑みでいる事だろう。

 だが、それからすぐ……察しの良いコイツは気が付くハズだ。

 場の空気が、なにやらおかしい事に(・・・・・・・・・・)

 

「……ん? あれっ?」

 

 クスリともせず、ただただ顔を逸らすメンバー達。

 その様子を見て、ハルヒが異変に気付く。

 

「あれっ? えっと……どうしたのみんな?

 ちゃんと見なきゃ駄目じゃない……」

 

 恐らくは、キョロキョロと周りを見渡し、狼狽えているであろうハルヒの声。

 

 ――――もう静観している必要は無い。俺は即座に自分のジャケットを脱ぎ、勢いよくハルヒの方に振り向く。

 

「えっ? ……きゃっ!!

 ちょっとキョン! 何するのよアンタ!!」

 

「――――良いから来い。この馬鹿野郎が」

 

 勢い良く、ジャケットをハルヒに被せる。

 完全とは程遠いがハルヒの身体を見えなくしてやってから、俺は無理やり手を引いて、コイツを部屋の外へと連れ出す。

 

「えっ? ちょっと……。キョン?」

 

「――――着替えろ。終わるまで戻って来るな」

 

 真っすぐハルヒの目を見つめ、そう言い捨てて強く扉を閉ざす。ガンという大きな音が、静まり返った部室に響いた。

 それを気にする事無く、俺は乱暴に椅子に座り、黙り込む。

 しばらくの間、ただそうしていた。

 

「お疲れ様です。……正直、貴方には感謝している」

 

「……」

 

 小さな声で、古泉が俺を労う。こっちにはそれに返事をする余裕も無いが。

 

「危惧していた事態ではあるのですが……。

 なんと言うか、涼宮さんの純粋さが“悪い方“に出たように思います」

 

「……」

 

 同感だ。俺も同じ事を考えていたよ、古泉。

 ちなみにこいつはハルヒが復活する前には、すでに元の制服に着替えている。真面目な話が出来る、いつものコイツの状態だ。

 

「もしこれで閉鎖空間が発生しようとも、何が起ころうとも……。

 僕は決して貴方を責めようなどとは思いません。

 正否の問題では無い。もし立場が逆であれば、きっと僕も同じ事をしましたから」

 

 それだけを言い、古泉が静かに目を閉じる。きっとまたハルヒが部屋に戻って来る時まで、こうして心を静めているつもりなのだろう。

 他の面子も同じように、ただ静かにハルヒが戻ってくるのを待っている。

 

「……」

 

 もう「やれやれ」の言葉も出ない。

 ある意味、俺が今日一番見たくなかった物が、実際にやられてしまったのだから。

 

 もう仲間たちがどう思っているか、そしてハルヒが俺の行為をどう思うのか。そんな事はもう知った事じゃない。

 

 これは、俺の純粋な我が儘。俺の身勝手だ――――

 

 企画を潰したと言われれば、受け入れよう。どんな罵詈雑言を受けても良い。

 だが、次また同じ事があっても、俺はまったく同じ事をするだろう。

 だから俺は、皆に謝罪するつもりは、無い。

 

「……あの……キョン?」

 

 やがていつもの制服に着替え終わり、すごすごとこの部屋に戻って来たハルヒが、俺に声を掛ける。

 

「えっと……あたし、面白くなかった? だから……キョン怒ったのかな……?」

 

 目も当てられない位に、シュンとしているハルヒ。

 こんなコイツらしくない顔、見たいなんて思わないのに。

 

「あの……キョン? あたし……」

 

「……」

 

 俺の前に立ち、下を向いて項垂れているハルヒの気配。

 コイツを直視する事が出来ず……俺は思わず席から立ち上がった。

 

「悪いハルヒ、頭を冷やしてくる。

 だから5分だけくれるか? ……ちゃんと戻ってくるから、俺」

 

 出来るだけ心配させないよう、優しい声が出せるよう。

 凄く努力して話しかけた。こんなに気合入れて声出したのなんか、生まれて初めてだ。

 ……俺は今、きっと酷い顔をしてる事だろう。だがなんとか、コイツを怖がらせないようにしたかった。

 

「…………うん、わかった。

 いってらっしゃい、キョン」

 

 泣きそうな、でも精一杯の笑顔で、ハルヒが見送ってくれる。

 

 それになんとか頷きを返してから、俺はひとり、部屋の外に出ていった。

 

 

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

 男に比べて、女芸人にはハンデがある――――

 そんな事を昔、どこかで松本さんが言ってた。……それをふと思い出していた。

 

「確かアレは、どうしても“不純物が混ざるから“……だったか?」

 

 独り言を言ったとて、気が晴れるハズも無い。だがそうせずにはいられない。

 心を落ち着かせる為に。アイツを怖がらせてしまわない為に。俺はただなんとなしに呟き、窓の外を見つめ続ける。

 

「男なら、裸になれば良い。

 笑えるか笑えないかはともかくとして、それで成立しはするだろう。

 だが女芸人はそうはいかない。たとえ“芸人だから“と裸になった所で、

 どうしても笑いに不純物が混ざる。笑えなくなる……だったか」

 

 例えば、退かれてしまったり、哀れみの感情を向けられてしまったり。

 失礼な言い方かもしれんが……例えどんなに“芸人向きな“面白い見た目の女性だったとしても、それを観るのが男の場合、どうしてもその裸芸という笑いに不純物が混ざる。

 

 笑う前にどうしてもその感情が真っ先に頭をよぎるから、“笑い“になってはくれないのだと、松本さんは言っていたように思う。

 裸だけじゃなく、面白い事という物をする時、それがものすごく大きなハンデになってくるんだと語っていたのを憶えている。

 

「気合は分かる。ハルヒの意気込みも、根性も分かる。

 だが、そうであればある程……」

 

 だがそれを感じれば感じる程……俺はさっき、居たたまれない気持ちになってしまった。

 面白いとかつまらないの前に……、俺はただ強く「やめてくれ」と願ってしまったんだ。

 

 分かんねえ。分かんねえよ俺には。

 大の大人の、プロの芸人が、もう雁首揃えて長年もの間考え続けているような、なんとか打破しようとチャレンジしてるくらいのでかいテーマなのだろう。

 俺みたいなテレビもろくに観ないようなガキが、いくら考えた所で分かるはずもない。

 

 ただ分かるのは、繊細なんだな(・・・・・・)って事。

 

 人を笑わせるって、ただそれだけの事が……、こんなにも複雑な要素が絡まり合って出来、そして繊細に成り立っている。

 レールの上に置かれた小石のように、なにかひとつ些細な事があっただけで成立しなくなるような、そんな繊細で壊れやすい物なんだろう。きっと。

 

「とりあえず、これ以上ハルヒの顔に泥は濡れない。

 何があろうとも、この企画を壊しちまうのだけは駄目だ」

 

 またハルヒは似たような事をするかもしれない。その時に俺がどうするのかは……今はちょっと分からない。

 そして、もしハルヒがそれをしないのなら……、それは理不尽に怒りをぶつけちまった俺のせいに他ならない。

 

 正直もう帰ってしまいたいという、弱い感情が顔を出す。

 だがそれをしてしまわないようにと、俺はあの時ハルヒに「すぐ戻ってくる」と約束して出てきたんだ。

 

「アイツを放って帰んのだけは、ぜったい駄目だ。

 ……とりあえず、皆に頭下げに戻るか」

 

 戻ろう、そして許されるのならば、アイツに最後まで付き合おう。

 そう決めて、俺は背後の扉に向けて歩き出す。

 

 ……アイツの下着姿を目にした時……、何を考えるよりも先に「これを誰かに見られる」と思い、その瞬間気が狂いそうになった。

 

 そんな事をふと思い出しそうになるも、目を背けて、蓋をして――――

 俺は再びSOS団の部室、ハルヒの待つあの部屋へと戻った。

 

 

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

「あ、あの……キョン? ……あのね?」

 

 扉をくぐり、一度だけ皆の顔を見渡した後……俺は元の席、ハルヒの隣に座る。

 ホッとした顔の朝比奈さん、俺にだけ分かるような優しい顔で迎えてくれた長門。心底二人に感謝したいって、そう思えた。

 

「その……あのね?」

 

 下を向き、手をこすり合わせてモジモジ。

 俺の方もハルヒを直視出来ずモジモジ。

 

「お、おう……おう……」

 

「あのね……? あの……あたし……」

 

 なんかもう歯がゆいばかりのキッツイ時間だったが……、俺が思い切ってハルヒに向き直り、そして一発土下座でもかまそうとした、その時……。

 

「失礼、お二人とも。

 実は僕に、ひとつご提案したい事があるのです」

 

 鶴屋さんにギリギリ怒られない程度の絶妙さ、そんな爽やかな笑顔を浮かべつつ、古泉が発言の許可を求める。

 

「実は僕、今日はこのような物を持ってきていまして。

 これは以前TVで観た、ちょっとした遊びの為の道具なのですが」

 

 目をぱちくりさせる俺達を余所に、古泉がトランプのようなカードを懐から取り出す。

 

「これは少しだけ下世話な類のゲームかもしれないのですが、

 今日はせっかくの機会ですし、ひとつやってみてはどうかと思いまして。

 ……実はこれ、その男性の“女性の好みを調べる“という内容のゲームなのです」

 

 長机の三か所くらいから〈ガタッ!!〉という音が同時に聞こえたが、古泉はそれを気にする事も無く話を続けていく。

 

「仮にもSOS団の副団長として言わせて頂けるならですが……。

 先ほどの彼の行為……これは“相手のやろうとしている事は全力で受け止める“

 という我々の取り決めに抵触していた恐れがあると具申します。

 いくら涼宮さんのネタに、吹き出しそうだったからと言って……、

 さっきの彼の回避の仕方は、少しばかり強引だったと言わざるを得ません」

 

 俺が無理やりハルヒを止めたのは、自分が笑いそうだったから(・・・・・・・・・・・・)

 そうハッキリと古泉に言い切られ、ハルヒの雰囲気がどことなくホッとした物に変わるのが分かった。

 そんなハルヒには気づかれない角度で、古泉が上手い事、俺にだけ見えるようウインクをする。

 

「よって、彼への軽い罰ゲームという事で、このゲームをしてもらう事を提案します。

 男同士とはいえ、今まで女性の好みなど話す機会はありませんでしたし、

 きっと彼は、そういう事を誰かに話す方でも無いのでしょう。

 ですがここは罰ゲームとして、このゲームを受けては頂けませんか?

 普段寡黙な貴方の秘密を知る事が出来るのです。

 皆さんも、大変喜ばれるのではないかと」

 

「……分かった、俺の負けだ。もうカードでも何でもさせてもらう。

 改めて、変な空気にしてすまなかった。……ハルヒも許してくれるか?」

 

「――――う、うん! うんっ!!」

 

 まるで花が咲いたように、ハルヒがとびっきりの笑顔を見せてくれる。

 これをアウトにしなかった鶴屋さんの優しさに心から感謝したい。見事に空気を読んでくれた審判様には、後でめちゃめちゃお礼を言おうと心に決める。

 

「了解も得られた所で、早速始めさせていただきましょう。

 ではルールを説明しますね。まずはこちらのカードをご覧下さい」

 

「わぁー! なんだろう?」

 

「……」

 

 古泉が一枚のカードを机に置き、それを朝比奈さんと長門が覗き込む。

 そこにあったのは、カードに印刷された一枚の女性の写真だった。

 

「これは、某アイドルの方のお写真ですね。

 世間一般的に、この方は大変お綺麗だと言われている。

 よってこのゲームにおいて、このカードは“いける“のカードだと定義します」

 

「いける? なんだそりゃ?」

 

「まぁまぁ、最後まで聞いてみて下さい。

 では続きまして、このカードになります」

 

 再び小泉が、机の上に一枚カードを置く。

 それは俺でも知っているが、味のある演技をする名女優として有名な、凄く太ったおばあさんの写真だった。

 

「この方は女優として大変実力のあるお人ですが……、

 残念ながらかなりお年を召しており、しかも既婚者です。

 ゆえに対象となる女性のハズもなく……。

 このカードはこのゲームにおいて“いけない“のカードである、そう定義されます」

 

 分かって来た。古泉が言っている“いける“とは、すなわち自分が魅力的だと思う女性。

 逆に“いけない“というのは、自分にとってその逆の女性の事だ。

 ……言葉のニュアンスというのは難しいし、まぁ正直若干の違いはあるやもしれんが……、恐らくはそんな所だろう。

 

「これから順番に、全部で20枚ほどのカードを彼に提示していきます。

 涼宮さん達には今からそれをあらかじめ確認してもらい、

 その上で、彼が何枚のカードを“いける“と言うか?

 それを予想をして頂きましょう。その数字に一番近かった人が優勝、という事で」

 

「ふむ! 分かったわ!

 ようは何人キョンが抱け……ゲフンゲフン!

 ……好みの女の子がいるか、その数を当てればいいのね!」

 

「ほぇ~! キョンくんの……女の子。分かるかなぁ?」

 

「了解した。カード確認の許可を」

 

 元気よく返事をするハルヒ達女性陣。古泉からカードの束を受け取り、それをこちらから少し離れた場所で「あーだこーだ」言いながら眺めている。

 

「無し! 無し! 無し! 無し! 無しッ! はい無しッ!!

 ……何これ? キョンは全員“いけない“ヤツばっかりじゃない?」

 

「いえ……あの、そのカードの3分の2ほどは、

 現役アイドルの方やタレントの方なのですが……」

 

「いけない……かな? ……ごめんなさい、この人もいけないで。

 あ、この人は…………でもやっぱりキョンくんならいけない……よね?」

 

「いけない、いけない、いけない。

 いけないいけないいけないいけない……」

 

 怒涛のように“いけない“の声が向こうから聞こえて来てる気がする。

 どれだけ意識を集中しようが、一度も“いける“の声が聞こえてこないのは何故なんだろう?

 どんだけ理想高いと思われてるんだ、俺は。

 

「終了よ! かんぺき! これは楽勝ねっ!」

 

「かくにん終わりましたぁ……。えっと、これで合ってるハズ……。きっと」

 

「回答を決定した。この紙に書いておく事とする」

 

 そしてそれぞれが、渡された紙に自分の答えの数字を書いていく。

 終わったらそれを大事そうに胸に抱き、ニコニコと期待を込めた目で俺の方を見やがる。いったい何だっていうんだ。

 

「では早速、答え合わせタイムと参りましょう。

 彼の“いける“女性は、この中に何人いらっしゃるのでしょうか?

 それでは一枚目です」

 

 古泉が、机の上にカードを提示する。

 それは以前TVで観た事のある、トレンディードラマに出てるような若い女優さんだった。

 

「ふん! 年が違うのよ年が!!

 この人きっと25かそこらでしょう!? キョンとは離れ過ぎてるわ!!」

 

「同意。わたし達の年齢を鑑みれば、10近く年齢に差のある相手など、

 もうモンスターと言っても過言ではない」

 

「……いや、綺麗な人じゃないか。すごい良い人そうに思えるし、

 俺なんぞがどうこう言うのは失礼に思える程だぞ?」

 

「「「!?!?」」」

 

 なにやら興奮している女性陣。そんな中で俺は、提示されたカードを“いける“と書かれた箱の中へ投入する。

 

「……はっ? はぁぁーーーーーっ!?!?

 ちょっとキョン!! アンタこんな年増が好みだったのっ!?」

 

「ちょ……! おい馬鹿はなせ!! ネクタイを掴むんじゃない!!」

 

「どっ……どういう事ですかキョンくん!!

 お姉さんが好きなのは良いけどっ……でも10才近く年上なんてっ……!!」

 

「訂正を要求する。それは貴方の本心では無い。私には分かる」

 

 三人娘に一斉に掴みかかられるも、なんとか自分を曲げず、カードの女性に失礼の無いように意見を曲げずに済む。

 なにやらプンスコしているハルヒ、黙って下を向いている朝比奈さん、そしてじぃ~っとこちらを見ている長門の方を出来るだけ見ないようにしつつ、ゲームの続きを古泉に促す。

 

「了解しました。では二枚目のカードになります」

 

 次に提示されたのは、とてもショートカットが似合う、11才くらいの女の子だ。

 恐らく子役の女優さんか、アイドル候補生か何かなんだろう。背丈は長門とどっこいどっこいなんじゃないか?

 

「お、すごく良い子そうじゃないか、この子。

 うむ、大変好感が持てるぞ。……“いける“っと」

 

「 はぁっ?! はぁぁぁーーーーーーーっっ!?!?!? 」

 

 天地に木霊するハルヒの怒声。それがビリビリと窓ガラスを揺らし、パラパラと天井から埃が落ちてくる。

 

「 あんたペドフィリアだったのッ?!?!

  こん……こんなちっちゃい子にアンタッ! アンタはぁーーッッ!!!! 」

 

「ち゛ょ……!! おまっ……おい放せ!!

 絞まってる絞まってるハルヒ!! ギブギブギブ!!!!」

 

「キョンくん! キョンくんちょっとここに座って!!

 地べたですっ! 椅子じゃなくて地べたですっ!!」

 

「ダメ、彼を許して欲しい。

 父性の強い彼にとって、これは仕方の無い事」

 

 ハルヒと朝比奈さんにボッコボコにされそうになるが……何故が妙に肩を持ってくれる長門のお陰で、俺は一命を取り留める。

 

「とりあえず、続けていってみたいと思います。

 次3枚目のカードは、こちらです」

 

 次に机に置かれたのは、ヤンジャンとかヤンマガのグラビアで見た事のあるグラビアアイドルの子だ。

 もう見るからに「特盛ッ!」みたいな胸は、確かトランジスタグラマーというんだったか?

 その愛らしい童顔に似合わず、大変眼福なお姿である。ツインテにした栗色の髪も、とても可愛らしいと思う。

 

「む、これは誰もが同意する所だろう。……“いける“っと」

 

「 アンタいい加減にしなさいよっ?!?!

  なんなのよさっきから!! アバラ全砕きされたいのっ!?!? 」

 

 ハルヒにボディを抉られた後、今まで見た事も無いような目を見開いた顔(・・・・・・・)の長門にじっと見つめられる。

 半面、なぜか朝比奈さんだけは「ダメですぅ~!」とか言って一生懸命俺を庇ってくれる。なんなんだ一体。

 

「リボン! リボンしてる子は居なかった?!

 好奇心旺盛で行動力に溢れてそうな、カチューシャの子は?!」

 

「残念ながら、今回は該当者無しかと……。

 続いてのお写真です」

 

 その後、アイドル、子役、女優、タレントという様々な女性のカードが提示されていった。

 その全てを見て、それぞれの魅力を感じた俺は、ためらう事なくそれらを“いける“の箱に投入していく。

 

「ちょ……ちょいキョン!! ちょい!! ……ちょちょいキョン!!!!」

 

 なにやらもう叫びすぎて、若干過呼吸みたいな状態になっているハルヒ。

 朝比奈さんは滝のように汗を流し、長門の瞳からはハイライトさんが消えている。

 

「正直、もうゲームの結果としては確定済みなのですが……。

 一応は最後まで行きましょう。続いてはこちらです」

 

 そして10枚目に提示されたのは、恐らく八百屋さんの店員さんなのであろう、ご年配の女性。

 手を叩いてお客さんを呼び、愛嬌のある笑顔を見せているとても元気なおばあちゃんだ。

 お年寄りというのは、やはりこうでなくてはいけない。若い人達に元気をくれる感じの人だった。

 

「おばあちゃん! これ商店街のおばあちゃんじゃないの!

 ……あぁ、ようやく一息つけるわ。もう喉が渇いて仕方ないのよ、あたし」

 

「元気そうなおばあちゃんです……。

 わたし、将来こんなおばあちゃんになりたいなぁ……」

 

「ハツラツとした笑顔に好感が持てる。

 この店の売り上げはきっと上々のハズ。町内でも愛される店に違いない」

 

「だな、長門のいう通りだ。

 よってこのカードも……“いける“っと」

 

「 ――――なんでよッッ!!!! 」

 

 飲んでいたミネラルウォーターを噴出し、椅子ごと俺をドロップキックで吹き飛ばすハルヒ。俺の身体がゴロゴロと床を転がり、ダンボールにツッコんで停止する。

 

「 ――――アンタどんだけ見境ないのよッッ!!!!

  なによっ! 分かったわよ! 抱いてみなさいよっ!!

  あたし見ててやるわよここで!! 早くあのおばあちゃん連れて来なさいよッ!!

  アンタのマイリトルラバーなんでしょうが!!!!

  メン&ウーマン♪ ……とか言ったら良いじゃない!!!! 」

 

「 お゛ま゛……ハルヒお゛いっ! おげっ!! 」

 

 ハルヒに馬乗りになられ、ガンガン頭を打ち付けられる。

 たまたまそこにあったオモチャの人形が、ぶつかる度に〈プピィ♪ プピィ♪〉と可愛らしい音をたてる。

 

 それを見て三人が、ほぼ同時にプッと噴き出した(・・・・・・・・)

 

 

『はぁぁーーーい!! 有希っこ! 古泉くん! みくるッ!!

 みんなペナルティカードォォーーーッ!!!

 これにより、みくると古泉くんは退場っさ!!!!

 そんじゃあ待ってるから、荷物をまとめてこっちの部屋においで~!!」

 

 

 

 

 

 

 

 ………………………………………………

 

 

 鶴屋さんのナレーションが止み、辺りにはハルヒが俺をガンガン揺らす音だけが響く。

 

 段々と遠のいていく、意識の中……。

 俺は最後に、三人が小さく呟く声を、聞いたような気がした――――

 

 

 

 

「本当に、見境いという物が無い……。

 流石は彼だと、言わざるを得ない……」

 

「えっと……わたしよく知らないんですけど……、

 ラノベの主人公って、こんな感じの人なんですかぁ……?」

 

「恐らく2歳から96才までという記録は、彼が史上初と思われる。

 ハーレム系主人公の鏡」

 

 

 

 言っている意味はよく分からんかったが、とりあえず褒められていない事だけは分かった。

 

 

 

 






 キョン     オレンジカード(注意)
 涼宮ハルヒ   イエローカード(警告)
 長門有希    オレンジカード(注意)
 朝比奈みくる  レッドカード(失格)
 古泉一樹    レッドカード(失格)


 残り時間    01:54:32


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衝突。



 おう、来たぞ。ここに座ればいいのか?

 ――――はい。ようこそお越し下さいました。……えっと、私もキョンさんと呼ばせてもらっても?

 おい……アンタまでそっちで呼ぶ気かよ。まぁ今更か。好きにしてくれたら良いさ。

 ――――ありがとうございます。改めて、大会お疲れ様でしたキョンさん。いくつかお話を聞かせてもらいたいのですが、構いませんか?

 おう、そう聞いて来たしな。まぁ俺なんぞに大した話が出来るとは思えんが……それで良けりゃ何でも訊いてくれ。

 ――――ご協力感謝です。では早速お話を聞かせて頂きますが……今回の企画、キョンさんはどのような意気込みで臨んでいらっしゃいましたか?

 意気込み? ねぇよそんなのは。
 俺は企画の内容なんてロクに知らないままだったし、特に小道具なんかも用意せずに来たしな。
 勝負だのなんだのは、他のヤツら同士でやればいい。
 ……俺はただ、ハルヒが無茶しないように見張ってただけだ。

 ――――勝負の事は考えていなかった? 優勝するつもりは無かったと?

 ないない。そもそも勝てるとは思えんよ。
 俺は冗談なんぞ言う方じゃないし、誰かを笑わせるなんて柄でもない。
 TVなんかを観てりゃ分かるが……、芸人さんがやってる“馬鹿な事“ってのは、
 しっかりとした理屈と技術に裏打ちされたモンだろう?
 だからこそ“芸“で、客席一杯のお客を笑わせる事が出来るんだ。
 それは簡単な事だとは思わんし、俺なんぞに出来るとも思えん。

 ――――そうですか、キョンさんは純粋に涼宮さんの事が心配で、参加していたという事ですね。

 あと俺、来なかったら“死刑“だったんだよ。
 アイツからの招待状にそう書いてあった。死刑になんのは嫌だろ……。

 ――――ありがとうございます。では次の質問になりますが……少しお訊きしづらい事になるかもしれません。キョンさんは中盤で一度、涼宮さんを無理やり着替え直させた事がありましたよね?

 ……………。

 ――――あの行為については、我々もある程度理解出来るつもりではあるのですが……あの時キョンさんは、いったい何を思っていましたか?

 ……そうだな、あれに関してはもう、平謝りするしかない。
 変な空気にしちまったし、あとちょっとで全部ブチ壊しになってた。
 後で古泉がフォローしてくれなきゃ、ハルヒも俺もどうなってたか分からんからな。
 ……ただ、あの時の俺の事については、あんまり語りたい事でもねぇんだ。
 すまん、アンタの方で好きに書いてくれて構わんよ。

 ――――いえ、こちらこそ申し訳ありません。私個人としても、キョンさんの行動を支持したいと思っています。どうか気を悪くしないで下さい。

 分かってる。ありがとな。
 とりあえず言えるのは、皆にすいませんでしたって事だけだ。
 今はこれで勘弁してもらえるか。

 ――――はい、もちろんです。それでは次の質問ですが……今回の企画に参加してみてどうでしたか? 漠然とした質問になるのですが、全体としてのご感想は?

 ……そうだな、まぁ言えるのは、ただただ「きつかった」って事だよな。
 6時間の長丁場だったし、ずっと気を張ってるのは正直しんどかったよ。
 笑わないように我慢するって事が、こんなにも疲れるモンだとは思わんかった。
 年末の松ちゃん浜ちゃんの気持ちが少し分かった気がするよ……。
 ちょっとした拷問だぞアレは?

 ――――特に印象に残った事、そして一番笑いそうになったのはどこでしたか?

 印象に残ったのは……掃除機で互い違い(・・・・)にされちまった古泉かな?
 一番笑いそうになったのは……実はこれ、誰かのネタってワケじゃないんだが……。
 終盤な? ハルヒがあまりにも笑うの我慢しすぎて、もうダーダー汗を流してやがったんだよ。
 ……人間、極限まで笑いを堪えると、こうなっちまうのかって……。それ見た時は、正直吹きそうになったな。
 お前はなんて顔をしてやがんだ……。何がお前をそうまでさせるんだって……。

 ――――あの中で、一番強いと思っていたのは誰でしたか? どなたが一番怖いと思っていましたか?

 そらハルヒだろ? 何をしてくるのか分からんし、すげぇ覚悟で臨んでたからな。
 そもそも、この企画をやろうと言い出したのはアイツだ。
 ハルヒのやつ、絶対自分が勝つつもりでいただろうからな。

 ――――キョンさんの優勝予想は、涼宮さんだった?

 あぁ、なんだかんだあっても、俺はハルヒが勝つと思ってたよ。
 他のヤツラも相当なもんだが、本気になったアイツには誰も敵わん。
 ……というか、そういう風に出来てるんじゃないのか?
 俺達SOS団ってのは、ハルヒを中心とした、ハルヒの為の集まりなんだから。
 ……出来るだけ長く留まろう。ちょっとでも長い間、コイツの傍にいてやろう。
 最後の最後まで、それだけを考えてたよ。







 

 

「古泉と朝比奈さんが脱落か……さてどうしたもんか」

 

 手を洗い、ハンカチで拭く。

 俺は今は、ひとり用を足しに来ている所だ。何気なく鏡なんかを確認してみる。

 

「気が付いたら居なくなってんだもんな、あの二人……。

 長門もペナルティを取られたって言うし、いったい何があったんだか」

 

 ハルヒにやられて気を失い、気が付けば部屋の頭数が減っていた。

 古泉には随分と助けられていたし、アイツが居なくなってしまった事に少し不安を覚えるが、これからは何があっても自分で何とかしていかなければならない。

 

 ……それにしても、いったい長門は何を見て笑ったんだろう? 長門に訊いても顔を逸らすばかりで教えてはもらえんかったし、全くの謎だ。

 

「とりあえず、残り時間は2時間を切ったくらいか……。

 気は進まんが、さっさと戻る事としよう」

 

 トイレを後にし、スタスタと部室へ戻る。

 扉を開けると、そこには俺が部屋を出た時と変わらない姿でいる二人。ハルヒは俺の隣の席、長門は俺の正面の席に座っている。

 

「おう、戻ったぞ」

 

「……」

 

「……」

 

 軽く声を掛けるも、なにやら二人はこちらを見つめるばかりで返事をしなかった。ハルヒも長門も俺を見ているし気が付いてはいるんだろうが、すぐに目を逸らしてしまう。

 

「ん? なんだ?」

 

 それを不思議に思うも、とりあえずは座ろうと、椅子を手元に引く。

 するとその椅子の上に、“キリストみたいになった古泉少年“の写真が置かれていた。

 

「――――ッ!」

 

「……」

 

「……」

 

 その場で硬直する俺。目を逸らしている二人。

 

「……………おい、何だこれ。……誰がやったんだ」

 

「……」

 

「……」

 

 ただただ、目を逸らす二人。決してこちらの方を見ようとはしない。

 

「ハルヒ? こっちを見ろ」

 

「……」

 

 もうプイッとばかりに、全力で顔を逸らすハルヒ。

 

「……ハルヒ?」

 

 その顔の真ん前に、古泉少年の写真を突き付けてみる。

 

「――――ッ!! ……ッ!!」

 

「おいハルヒ、正直に言え? なんだこれオイ」

 

 全力で顔を背け、ひたすらフランスパンを齧ってしらばっくれるハルヒ。

 俺はしばしの間、ズイズイと古泉少年の写真を突き付けていくのだった。

 

 

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

 プイッとそっぽを向くハルヒの頬っぺをツンツンしたり、写真を眼前にちらつかせたりしながら暫く過ごしていると、やがて長門が静かに立ち上がる音が聞こえてきた。

 

「お、外出か長門?」

 

「着替えたい。出撃の許可を」

 

 おうと頷き、ハルヒと共に敬礼する。それを確認した長門が、フンスとばかりに意気揚々と出掛けていった。

 

「ついに有希もお着換えタイムね。いったい何を着てくるのかしら?」

 

「流石に長門のはちょっと予想が付かんな……。

 まぁ楽しみにしとこうぜ」

 

 俺から見ても、今日の長門は積極的に仕掛けていると思う。いつものように無口なのは変わらないが、撃墜数で言えば一番みんなを笑わせているんじゃないか?

 確か対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースというのは、そんな意味じゃなかったハズなのだが……。今日の長門が優勝候補の筆頭である事は疑いようも無い。

 本当に小さな変化だから分からないかもしれんが、今日の長門はウキウキと、すごく楽しそうな雰囲気なのが俺には見て取れる。

 

 長門はいつも頑張っているし、俺も数多くの場面で助けて貰っている。

 だから長門が今日楽しそうにしている事は、俺にとって凄く喜ばしい事である。

 

「あ、有希きたんじゃない?」

 

「おっ、そんじゃあ前向いとくぞハルヒ。出来るだけ反応しないように頑張れ」

 

 扉の方から音が聞こえ、長門がこちらに戻ってくる気配がする。

 俺達は頬っぺたをウニウニしたり、パンパン叩いたりして心を落ち着かせ、アイツがやってくる瞬間に備えていった。

 

「…………」

 

 ガラガラと扉が開き、そこから長門が姿を現す。

 俺は前を向いているので横目でしか見えないが、どうやら全身黒い恰好でいるようだ。

 

「……口をパクパクと動かして欲しい」

 

 長門はトテトテとこちらに歩いてきて、俺の背中に張り付くようにして、後ろに隠れた。

 どうやらこの小声は、俺に対して指示を出しているようだ。

 

「ん、こうか長門?」

 

 長門に言われるがままに、パクパクと口を動かす。

 声こそ出していないが、俺はまるで喋っているような感じで口を動かし、ハルヒの方に顔を向けた。

 

「ハルヒ、先にシャワー浴びてこいよ」(キョン声で)

 

「「 !?!? 」」

 

 驚愕の表情のハルヒ。対して俺は、いそいで背中に張り付いている長門に目をやった。

 今の長門の格好は、舞台なんかでよく見る“黒子“の格好だ。

 どうやら長門は俺に口パクをさせ、その後ろから声帯模写で喋っていたようだ。

 

「ちょ……キョン! あんたどういうつもりよッ!!!!

 シャ、シャワーなんか浴びさせてっ! いったい何するつもりよアンタッ!!」

 

「落ち着けハルヒ! 長門だ!! 俺が言ったんじゃない!!」

 

「えっ……でも今の、確かにキョンの声だったわよ?

 有希、アンタそんな特技があったの?!」

 

 肩からひょこっと顔を出し、黒子頭巾を被った長門が姿を見せる。

 顔は隠れているので分からないが、どことなく得意げな雰囲気が感じられる。

 

「有希! もう一回!! もう一回やって!!」

 

「脱げよハルヒ。一枚づつ脱ぎながらこっちへ来い」(キョン声)

 

「セリフを選べ長門!! 俺はそんな事言わん!!」

 

 目をぐるぐると回し、思わず制服に手をかけそうになっていたハルヒが「はっ!」と我に返る。

 

「すごいじゃない有希!! まるで本物みたいだったわ!!

 あたしもやりたい! あたしも声真似する!」

 

「そう言う事を見越して、今日はこんな物を用意して来た」

 

 黒子の頭巾を脱ぎ、長門がごそごそと自分のカバンを漁る。そこから俺達SOS団の顔を模しているであろう、5枚のお面を取り出した。

 

「これを被ってする事を推奨。全員のを用意してある」

 

「おぉ、古泉に長門に朝比奈さん……。よく出来てるなこのお面」

 

「あたしとキョンのもあるわね! ……ねぇ有希?

 物は相談なんだけど、後でコレあたしにくれない……?」

 

 なにやらハルヒが俺のお面を持ち、ごにょごにょと長門に耳打ちしているが、その声は聞こえなかった。

 とりあえず俺は古泉のお面を被り、試しにヤツの声を真似て喋ってみる。

 

「どうも、古泉です。…………いや駄目だな。長門のように上手くいかん」

 

「手本を見せる。見てて」

 

 長門が朝比奈さんのお面を被り、俺達に向き直った。

 

「女の子同士だし……涼宮さんのパンツ盗っても、

 怒られるだけで済むよね……?」(みくる声)

 

「何してんだよ朝比奈さん!! 盗っちゃ駄目だって!!」

 

「えっ、みくるちゃん? ……えっ」

 

 あまりの声真似のクォリティーに、これが長門だというのも忘れてつっこんでしまう。

 対してハルヒは絶句しており、なんか非常に動揺してしまっている。

 

「えっと……有希? ウソよね?

 ホントにみくるちゃんが言ってたんじゃないよね?」

 

「……」

 

 長門は顔を隠すように、ただ朝比奈さんのお面を被るばかり。その表情は伺えない。

 

「……もういいわ! 貸してっ! あたしも声真似やる!!」

 

 真っ青な顔をし、その絶望を振り切るかのようにして、ハルヒが俺の顔を模したお面を被る。

 

「あ~。長門のおしっこ、飲んでみてぇなぁ~」(キョン声)

 

「――――そんな尖ってねぇよ!! なんだその性癖っ!!」

 

 大声で抗議をするが、どうやらハルヒの声真似もなかなか堂に入っているようだ。

 長門がコテンと首をかしげて、スカートをたくし上げるような仕草をしたが、俺は全力でそれから顔を背ける。

 

「この変態っ! どうせガブガブいきたいとか思ってるんでしょうが!!

 このペドフィリア!!」

 

「ペドじゃねぇし!! ごく健全な男子高校生だ俺は!!

 親に顔向け出来ねぇ事はしねぇ!!」

 

 俺とハルヒがギャーギャー言い合っている内、さりげなく長門がハルヒ顔のお面を被り、こちらに向き直った。

 

「鼻に火の着いたタバコつっこめば、鼻毛ぜんぶ剃れるんじゃないかしら?」(ハルヒ声)

 

「――――そこまでフロンティアスピリッツないわよ!! 地道にがんばってるわよ!!」

 

 まぁこれに関しては長門の戯れと、ハルヒを信じてやろうと思う。俺達まだタバコ買えないからな。

 

「こら有希ッ! アンタよくもキョンの前であんな……!

 

「……」

 

 ハルヒが腰に手を当てて、プリプリと長門を叱っている。

 その声はこちらには聞こえないが、なにやら長門が悪びれずにハルヒを見つめているのが分かる。

 俺にはお互い様のように思えるんだが……。

 

「もう怒ったわっ! ……勝負よ有希!!

 ここで決着を着けましょう! 可愛さ余って憎さ100倍ってヤツよ!!」

 

「望むところ。了解した」

 

 肩を怒らせ、小道具の入ったダンボール箱の方へ歩いて行く二人。なにやら剣呑な雰囲気になってきたのを感じ、慌てて俺も追いかける。

 

「やめろってお前ら! 喧嘩すんなって!」

 

「喧嘩じゃないわ! 勝負よ! これは乙女の矜持を賭けた聖戦(ジャスティス)なの!

 あんたは黙ってそこで見てなさい!!」

 

「私は負けない。勝負」

 

 決意を瞳に宿した長門が、小道具箱の中から洗濯バサミの束を持って来る。

 どうやらこれは4つの洗濯バサミを紐で繋げた物であるらしく、その内の二つをハルヒ、残り二つを長門が手に取った。

 

「これで乳首を挟み、互いに引っ張り合う事により勝敗を競う。

 いわゆる乳首相撲で勝負」

 

「上等よ有希!! 負けた方が鼻タバコの刑だからね!

 あんたの鼻毛をマイルドセブンにしてやるわ!!」

 

「やめんか馬鹿たれ! ふたりとも冷静になれ!!」

 

 額を突き合わせ「ぐむむ……!」と睨み合う二人。その手にある洗濯バサミが大変にシュールだ。

 ハルヒも長門も、今にも洗濯バサミを装着しそうで気が気じゃない。

 

「やめろハルヒ! 乳首がおやつカルパスみたいになっちまうぞ!!」

 

「いいじゃない! 赤ちゃん出来た時に便利かもしれないじゃない!

 やってやるわよ!!」

 

「やる」

 

 ムキーとヒートアップする二人から、なんとか洗濯バサミを取り上げる事には成功する。だがハルヒも長門も火が着いて止まらない様子だ。

 

「なんで止めるのよキョン! なんで止めるの!?

 あたし悪くないもん! 有希が悪いんだもん!」

 

「痛ててでで!!」

 

 ハルヒが猫のように「フーーッ!!」と声をあげ、おもいっきり俺の腕に噛みつく。

 

「やめて。貴方の行為は目に余る。暴力行為」

 

「なによ有希! こんな時に自分だけ良い子なの?! そんなのズルいじゃない!!」 

 

「そうやって、嫌われてしまえば良い。

 我が儘を言い、困らせて、彼に嫌われてしまえば良い――――」

 

 その瞬間、あれだけ激昂していたハルヒがハッとした顔になり、言葉を失ったように硬直する。

 対して長門は真剣な目でハルヒを見つめる。いつもの儚げな雰囲気はどこにも無い。

 

「勝負して。

 もし私が勝てば、彼に謝ってもらう」

 

「な……、なっ……」

 

「ごめんなさいと言い、彼に日頃の感謝を。それだけで良い」

 

 一見、いつもの無表情。だが俺には、長門が今ものすごく怒っているように見えた。

 本当は止めに入るべきなのだが、あまりの事に放心してしまい、身体が動かない。

 ハルヒは今も言葉を失っており、さっきまでとは裏腹に意気消沈してしまっている。

 

「洗濯バサミで、おやつカルパスになってしまえば良い。

 ボインは赤ちゃんの為だけにあるのではない。彼に嫌われてしまえばいい」

 

「「!?!?」」

 

 シリアスな雰囲気の中で突然出てきた“おやつカルパス“の響きに吹きそうになるが、どうにか持ちこたえる。

 

「でも私はへいき。決しておやつカルパスになる事はない。

 貴方に嫌われる事もなければ、赤ちゃんが困る事もない。

 どうか安心して欲しい」

 

「長門?」

 

 今度は真っ直ぐに俺を見つめて語り出す長門。あまりの展開に頭がついていかない。

 そんな風に俺が放心していると……、どうやら硬直から立ち直ったらしいハルヒが、おずおずと長門に声を掛ける。

 

「えっと……有希? ちょっと良いかな……?」

 

「なに」

 

 真面目な表情で返事をする長門。

 対してハルヒは何故か冷や汗を流し、恐る恐るといった様子で語りかける。

 

「有希のが丈夫なのは分かったけどね? でもちょっと、無理なんじゃないかな……?

 赤ちゃんはともかく……多分キョンは喜ばないと思う……」

 

「なぜ? 言ってる意味が分からない。説明を要求する」

 

「だってあんた、おっぱい小っちゃいじゃない(・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 ……純真な、とても綺麗な瞳で言い放つハルヒ。まるで小学校の先生が子供を諭しているような感じで。

 対して長門の身体は、頭上に〈ピシャーン!〉と雷が落ちたように硬直している。

 

「えっとね……? さっきはペドとか何とか言ったけど……。

 やっぱりキョンも男の子だし、おっきいのが好きみたいなのね……?」

 

「……」

 

「キョンがみくるちゃんとかを見る時って……ね? 分かるでしょ?

 やっぱりね? どうしてもこう…………あるみたいなのね? 男の子だし。

 ……あっ! 牛乳もそうだけど、鶏肉とかがすごく良いらしいのよっ!

 ナイショだけど、あたしも最近毎日ね? だからその……有希もさ?」

 

「……」

 

 

 悪気が無い(・・・・・)というのは、こんなにも残酷な事なのか――――

 

 いっそこれが悪意から来た言葉であれば、もう殴るなり何なりして、思いっきり発散させる事も出来るものを。

 

 いま心から長門の事を想い、そして100%の思いやりを持って語りかけるハルヒを見て、俺は涙がちょちょ切れそうだった。

 

 

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

「なぁ長門、機嫌なおしてくれよ」

 

「……」

 

 俯き気味に、足元を見るばかりの長門。あれから少しばかり時間は立ったが、今も長門はこんな調子だ。

 

「な? もうゲームも終盤じゃないか。みんなで何かして遊ぼう」

 

「……」

 

 ハルヒは少し離れた場所でひとり座っている。

 流石にさっきの事を申し訳ないと思っているのか、気まずそうに俯いている。

 

 そして俺は長門と向かい合い、椅子ではなく長門と視線を合わせるように屈んでいる。

 俯いているコイツの顔が見えるよう、若干下から覗き込むような感じで。

 

「じゃあ俺と遊ぶか長門?

 お互いオレンジ同士だし、俺と何かして遊ぼう」

 

「……」

 

 やはり先ほどの事が気まずいのか、長門はなかなかこっちを見てくれない。

 だがそんな事も関係なく、俺は長門に声を掛け続ける。

 

「ほら長門、お前は何がいい?

 長門のしたい事しよう。何して遊ぶんだ?」

 

「……」

 

「オレンジ同士の勝負だぞ? 相手を笑わせた方が勝ちだ。

 お前今日すごく強いじゃないか。俺とも勝負してくれよ」

 

 ハルヒには悪いが、少しだけ待っていて貰おう。アイツも今は少し気まずいだろうし、ここは俺が頑張るべきだ。

 俺が顔を覗き込む度に、目が合う度に長門はプイッと顔を背けてしまう。その仕草もなにやら愛らしく映る。

 

「じゃあ俺が決めていいか? にらめっこしようか長門。

 お前こういうの強いだろうし、俺だってきっとなかなか笑わないぞ?

 良い勝負になると思わないか?」

 

「……」

 

「ほら、こっち向いてくれよ。にらめっこだぞ長門? 俺と勝負しよう」

 

 傍から見れば、まるで年の離れた兄妹のような感じなんだろう。

 ちいさな子にするように、へそを曲げた子をあやすようにして、俺は長門に話しかけていく。

 

 やがて長門が俯いていた顔を上げ、少しだけ上目遣いで俺の方を見てくれた。

 

「よっし、じゃあやるか長門。

 笑った方の負けだぞ? 準備は良いか?」

 

「……」

 

「ほらいくぞ? だーるまさん、だーるまさん、にーらめっこしーましょ。

 笑うーと負ーけよ。あっぷっぷ」

 

 俺は長門と顔を近づけ、正面から覗き込むようにして真っすぐ見つめる。

 別に変な顔をする事も無い。ただ長門の顔をじっと見ているだけだ。

 それだけでもきっと楽しいんじゃないかって、そんな風に思う。

 

「あ、顔を逸らしたら駄目だぞ?

 ちゃんと俺の顔を見ないと。にらめっこだぞ長門?」

 

「……いや」

 

 じ~っと長門の目をみつめる俺。それに耐えかねたように、長門がぷいっと顔を背けてしまう。

 

「ほら、もう一回やろう。

 だーるまさん、だーるまさん。にーらめっこしーましょ」

 

「……いや」

 

 間近で向かい合い、再びにらめっこ開始。だが長門はまたぷいっと顔を背けてしまう。

 なんだか楽しくなってきたぞ俺。

 

「どうした? にらめっこだぞ長門? 俺と遊ぶのは嫌か?」

 

「……そんな事ない。でもいや」

 

「ほら、やろう長門。だーるまさん、だーるまさん」

 

「いや……」

 

 何度やっても、ぷいっと顔を背けてしまう長門。その仕草が子供のように可愛く見えて、俺も優しい気持ちになっていくのを感じる。

 こんな風に、童心に帰るのも良いもんだな。昔を思い出すよ。

 

「ほら、こっち向きな長門? だーるまさん、だーるまさん」

 

「……っ」

 

 膝の上でギュッと手を握り、長門が恥ずかしそうにぷいっと顔を背ける。少し顔が赤くなっているような気がした。

 

 

『――――はぁぁーーーい! いま有希っこ笑ったよぉ~~っ!!

 イエローカードだかんね有希っこっ! がんばるにょろ~!!』

 

 

 突然サイレンが鳴り響き、鶴屋さんが長門にイエローを告げる。

 いきなりの事に俺は驚いてしまったが、どうやら長門は笑ってしまっていたようだ。

 

「長門、笑ってたのか?

 お前下むいちまうもんだから、俺見えなかったよ」

 

「……」

 

「ほら、もっかいやろう長門。

 今度はちゃんと俺に顔見せてくれよ? ほら、だーるまさん、だーるまさん」

 

「……っ」

 

 また長門の顔を間近で覗き込み、にらめっこの歌を始める。

 すると長門はすぐに顔を背けてしまい、今度はなかなかこっちを向いてくれなくなった。

 

「どうした? こっち見てくれよ長門。

 ほら、だーるまさん、だーるまさん」

 

「~~ッッ!!」

 

 長門の耳元に顔を近づけ、やさしく声を掛ける。

 制服の襟元から覗く長門の首が、もう燃えるように真っ赤になっているのが見えた。

 

 きっと長門の顔も今、同じように真っ赤なんだろう。そう思った瞬間――――

 

 

『アウトォォォーーーーッッ!! 有希っこレッドカードォォオォーーーッッ!!!!

 ……いやぁアタシ、ドキドキしたよ!! 観てるだけで胸がキュンキュンしたよ!!

 もうキョンくんじゃなく、キュンくんだね君はっ!!

 そんじゃあ有希っこもこっちの部屋においで~! 待ってるよ~ん!!』

 

 

 

 

 

 

………………………………………………

 

 

 テテテと走り、俺から逃げるように出口の方へ消えていく長門。

 俺は何が起こったのか分からず、ただただその姿を見守るばかり。

 

「……長門のヤツ、また笑ったのか。

 あいつ、あんなにもにらめっこ弱かったんだな……」

 

 難攻不落に思えた長門の脱落。

 俺はアイツがトップ2まで残ると予想していたから、ただこの事態に驚く他ない。

 ……いやはや、意外な弱点もあったもんだ。

 

「これからもたまに、長門とにらめっこするのも良いかもしれん。

 あいつは本読んでばっかだし、こうやって遊ぶのも悪くないだろ」

 

 

 そんな風に腕を組み、ウンウンと頷く俺。

 

 ふと視線を感じて振り向けば、そこには驚愕の表情を浮かべ、ワナワナと身体を震わせるハルヒの姿があった。

 

 

 

 






 キョン     オレンジカード(注意)
 涼宮ハルヒ   イエローカード(警告)
 長門有希    レッドカード(失格)
 朝比奈みくる  レッドカード(失格)
 古泉一樹    レッドカード(失格)


 残り時間    00:47:56


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決着。


 来たわよ。どうすればいいの?

 ――――どうも、涼宮さん。今日はお越し頂き……。

 挨拶はいいわ。ここに座ればいいのね? ……悪いけどあたし疲れてるの。手短にしてもらえる?

 ――――あ……はい、了解です。それではお疲れの所申し訳ないですが、始めさせてもらいます。いくつか質問をさせて頂きますね?

 ええ、構わないわ。と言っても、最後の方って記憶が曖昧だったりするけど……。

 ――――分かる範囲で答えて頂ければ大丈夫です。どうぞ楽になさって下さいね。……では最初の質問ですが、今回涼宮さんはこの“ドキュメンタル“という大会を開催なさいましたが、これにはどういったきっかけがあったんですか?

 きっかけ? ……あぁ、これ有希が言ってくれたのよ。何か面白い事ないかなって探してる時に、有希がこれなんかどうだって。
 番組自体は前からあたしも知ってたけど、実際やる気になったのは有希の一言があったからよ。
 普段無口なあの子の提案だもの。その場で即決だったわ。

 ――――この大会の内容は涼宮さんもご存知だったと思うのですが、どういった意図でやろうと思われたんですか?

 意図……ようは目的ね? まぁこれは前に言った通りよ。笑いのスキルを磨く為。
 ただTV観て研究するより、実際にみんなでやった方が手っ取り早いでしょ? そっちの方がぜったい面白そうだし。

 ――――分かります。……ただ今回の企画に関しては、単純にジョークやお笑いの勉強をすると言うには、何と言うかあまりにも過激すぎるのではないかと思うんです。言ってしまえば、この“ドキュメンタル“という企画でなくとも、他にいくらでもやりようはあったのではないかと。……何故あえてこの企画をやろう(・・・・・・・・)と思われたのか、それを疑問に思いまして。

 ……ふぅん。言うじゃない。
 まぁ確かに、他にバラエティー番組なんて腐るほどあるものね。大喜利とか、漫才とか。
 単純に笑いのスキルを磨こうって言うんなら、確かにそっちの方が適してるかもしれないわ。王道よね。
 ……でもあたしがこの“ドキュメンタル“を選んだのは……少し思う所があってね。

 ――――それが何か、訊かせて頂いても?

 う~ん、上手くは言えないんだけど……。
 ねぇ? 貴方の目から見て、今のSOS団ってどう思う?
 あたし達の関係って、貴方にはどんな風に映ってる?

 ――――それは……どうでしょう? まず私が感じるのは“とても仲が良いんだな“という事。団長の涼宮さんを中心とし、とても強く結束しているんだなという印象ですが……。

 そうね、あたしもそう思うわ。
 みんな本当によくやってくれてるし、いつも助けてもらってるわ。
 ……ぶっちゃけた話、あたしみんなの事だいすきよ? もうみんなが居ない世界なんて、考えたくもないくらい……。すごく感謝してる。
 ……でもね? たまに感じる事があるの。
 あたしは今すごく楽しいけれど、みんなにとってはどうなんだろう(・・・・・・・・・・・・・・・)って?
 すごくあたしに良くしてくれるわ。抱えきれないくらいの愛を感じるの。
 でもそれはみんなが“良い子“だからであって……あたし自身がどうこうとは、ぜんぜん関係のない事なの。
 みんなにも本当は、言わないだけで心に思う事っていうのは、きっと沢山あるんじゃないかって。

 ――――団員の皆さんの本音を知りたかった、と?

 本音と言うか……“本気“が見たかったのよ。
 このドキュメンタルっていう本当の真剣勝負の中で、みんなの本気と向き合いたかった。
 いつものみんなじゃなく……競争相手として本気のみんなと戦いたかったのよ。
 有希もみくるちゃんも古泉くんも、とっても優しい子達だから……。
 ついでに、いつもぶつくさ言ってばっかだけど……キョンも。

 ――――だから漫才や大喜利の大会では無く、あえて過酷なこの大会を開催したんですね。

 ぶっちゃけ、これはあたしの我が儘以外の何物でも無いわ。
 いつも以上に強引に決めたし、開催の意図も褒められた物じゃないかもしれない。
 ……ただみんなにも言ったけど、気をつかうばかりの関係が仲間じゃないわ。時には本気でぶつかる事も、必要だと思ってる……。
 色々理屈をこねはしたけど……結局の所あたしは、“みんなともっと仲良くなりたかった“。
 ……ようはそれだけなのかもね。

 ――――そうでしたか……よく分かりました。では次の質問になりますが……涼宮さんは見事最後まで残り、キョンさんと2人の戦いになりましたね? 実際に彼と戦ってみて如何でしたか?

 ああ、最後はキョンとの一対一だったわね。
 ……ただ悪いんだけど、その辺に関しては記憶が曖昧なのよ。
 自分が何をしてたのか、あんまり思い出せないの。

 ――――我々の目には、とても白熱した戦いに映りましたよ。ではキョンさんの印象としては如何ですか? あの彼と戦ってみての感想などがあれば。

 感想? ……そうね、二度とやりたくないわ(・・・・・・・・・・)

 ――――えっ!? えっと……?

 当然でしょ? もう二度とゴメンだわ。
 いつも「やれやれ」なんてため息ついてるけど、アイツを笑わせるのは至難よ。
 ……何を言おうが、何をしようが即座に跳ね返してくる。
 きっと笑う前に身体が「なんでだよ!」と反応する、生粋のツッコミ人間なんだわ。

 ――――そ、それは……。

 ホントよ? あたし、アイツが“壁“に見えたもの。
 ……今回思ったけど、アイツ心のどっかが壊れてる(・・・・)んじゃないかしら? もうそうとしか思えないわ!
 みくるちゃん、あんなヤツをどうやって笑わせたんだか。








 

 

「見て見てキョン! ――――もごごごごごっ!!」

 

「おぉすげぇなハルヒ。一秒とかかっとらんじゃないか」

 

 手にしたスイカを、ハルヒが一瞬にして平らげていく。

 先ほど冷蔵庫で見つけたのを、二人で頑張って切ったのだ。

 某コントの神様、変なおじさんの人も真っ青な速度で、 モゴゴゴっとスイカを早食いしていくハルヒだ。

 

「当然じゃない!

 あたしがこの日の為、どれだけのスイカを腹に収めてきたと思ってんのよ!!

 もごごごごッ……!!」

 

「どんだけ食うんだよハルヒ。

 お前今日、お麩だのフランスパンだの食ってばっかりじゃないか。

 腹痛くしちまうぞ?」

 

 正面に座って向かい合い、スイカを頬張る俺達。

 少し前に長門が脱落し、ついにこの大会も俺達ふたりを残すのみとなった。残り時間はあと30分少々だ。

 ゆえに本当は、俺のほうもハルヒを笑わせにいかないといけないのだが……。

 

「見て見てキョン! ――――プププププッ!!」

 

 ゴミ箱に向かい、ハルヒがマシンガンのようにして種を発射していく。

 一寸違わぬ精度で次々とゴミ箱に入っていくスイカの種。それをのんびり眺めている俺である。

 

「どうでも良いが、どんだけ器用なんだお前の口内」

 

「鍛えてるからねっ! こんなのは淑女の嗜みよ!

 いつ必要になるか分かったもんじゃないんだからプププププッ!!」

 

 スイカの早食いやタネマシンガンの技術がいつ必要になるのかは分からんが、とりあえずハルヒの口がとても器用なのは分かった。

 

「次っ! 次はコーラの一気飲みしましょう!!

 コーラ飲みながら笑わせ合って、吹き出しちゃった方の負けだからね!」

 

 いそいそとハルヒが冷蔵庫に向かい、俺が「やれやれ」なんて言いながら追従していく。

 部屋に二人だけになった途端、ハルヒは俺を笑わせるべく、ありとあらゆる思い付く限りの手段を持って、俺を猛攻しにきた。

 俺は言われるがまま、提案されるがまま、それに付き合っているワケなのだが……。

 

「さぁいくわよキョン! れでぃ~~っ、ごーーッッ!!

 ……うげぇーーっぷ!!!!」

 

 微笑ましい。……ただただ、微笑ましい。

 さっきから俺の表情筋がヒクつくような気配は微塵もない。ただただこうして無表情に徹し、ドタバタとするハルヒを見つめながらゲームに付き合うばかり。

 

「……なにこれ! 全然おいしくないじゃない!! ……喉いったいッ!!

 あたし炭酸なんて二度と飲まないわ!!」

 

「じゃあなんでやろうなんて言った?

 炭酸飲めんなら、無理せず牛乳ファイトにしとけ」

 

 残り時間は30分を切る。だがもうこのままハルヒと遊んでいるのも良いかもしれないな。

 そんな事を、いま考えている。

 

 タイムアップでドローなんぞ、コイツにとっては不本意なのだろうが……、しかし最後まで残ったのだから団長としての面子は保たれる事だろう。

 さっきまで色々とありすぎて考え付かなかったが、これは実に良い“落としどころ“になるのかもしれない。

 もしコイツが優勝したらとんでもない事になりそうだし、かと言って俺が優勝しても特にしたい事など無いんだ。

 

 この大会、俺は特に誰かに仕掛けもしなかったし、笑いを我慢する以外の事はしていない。

 だからもし仮に優勝なんて事になっても、微妙な空気になるだけだろう。だったらもう、このままハルヒと遊んでタイムアップを迎えようかと思う。

 

 まがりなりにもこの6時間の間、必死に笑いをこらえて頑張ったのだ。

 俺は俺なりに精一杯やったと言い切れるし、誰に文句をつけられる謂れも無い。

 

「ねぇキョン! これっ! 次はこれをやるわよ!」

 

 この大会も、いよいよ最終盤。

 まるでワンコかうちの妹のように「遊んで遊んで!」とせがんでくるハルヒを、俺は無表情ながらも微笑ましい気持ちで見つめていたのだった。

 

 

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

『――――ゾンビタァァァ~~~~イム!! にょろ!』

 

 じゃれついてくるハルヒを素っ気なくいなす。そんな鬱陶しいながらも心地よい時間をぶち壊す音が響いたのは、例によって部屋に設置されたスピーカーから。

 もちろんこれは、鶴屋さんのアナウンスである。

 

『これからそっちの部屋に、すでに脱落して“ゾンビ“となった古泉くん、みくる、

 有希っこが行くよぉ~!

 なんやかんやすると思うけど……もちろんそれに笑っちゃったらアウト!

 そんじゃあ二人とも、必死こいて耐えてよ~ん!!』

 

「……えっ」

 

「……お、おう?」

 

 残り時間20分。突然宣告されたゾンビタイムとやらに、俺達はただただ呆然とする他無い。

 やがて俺達がぼけっとしている内に、なにやら賑やかな音を立てながら部屋に入ってくるヤツラの姿が見えた。

 

「どけどけぇー! どけどけぇー! 邪魔だ邪魔だぁ! どけどけぇ~!!」

 

「ぶ、ぶんぶ~~ん! ぶんぶ~~んっ!」

 

 現れたのは、ひと昔前のヤンキーが着るような特攻服に身を包んだ、古泉、朝比奈さん、長門。

 なにやらその手にはバイクのハンドルのような物“だけ“を持っており、まるでバイクに乗っているかの如くガニ股のような態勢でこちらに練り歩いてくる。

 

「轢き殺されてぇのか馬鹿野郎こんにゃろうオメェー!」

 

「ばっ、ばっかやろ~うっ! 葬式してぇのかぁバカやろうコンニャロウおめぇ~!」

 

 すでに戦いを終えた解放感からか、とても良い笑顔でノリノリでセリフを喋る古泉。それに対して相方役である朝比奈さんは、微妙にはっちゃけられていないのかテレテレと恥ずかしそうだ。

 長門はただ黙って、朝比奈さんの背中に背負われている。二人乗りの設定なのだろうか?

 

「普通の人間には興味ありません!

 とか言ってんじゃねぇぞ馬鹿野郎こんにゃろうオメェー!!」

 

「こんにゃろうオメェ~! 入学早々そんな事言われた新任教師の気持ち、

 いっぺんでも考えた事あんのか馬鹿野郎こんにゃろうオメェー!!」

 

「普通の人間には興味ありません!

 とか言ってんじゃねぇぞ馬鹿野郎こんにゃろうオメェー!!」

 

「こんにゃろうオメェ~! そんな事言いつつ団員の一人目、

 ただモミアゲが凄ぇだけの一般人じゃねぇか馬鹿野郎こんにゃろうオメェー!!」

 

「 ――――誰がモミアゲだッ!!

  床屋のおっさんがいつもこうすんだよ! ほっとけよっ!! 」

 

 これは……某いつもこ〇からのネタのオマージュなんだろうか?

 古泉&朝比奈さん(+長門)は、俺達の椅子の周りをバイクに乗っているかの如くの仕草でグルグルと周っている。

 ハルヒはただただ、汗をダーダー流して耐えるばかりだ。

 

「喧嘩した日の翌日にポニーテールにしてくんじゃねぇぞ!

 馬鹿野郎こんにゃろうオメェー!!」

 

「こんにゃろうオメェ~!

 ポニーテールにしてるの見ただけで『あ、涼宮さんキョンくんと何かあったかな?』

 って丸わかりなんだよ馬鹿野郎こんにゃろうオメェー!!」

 

「喧嘩した日の翌日にポニーテールにしてくんじゃねぇぞ!

 馬鹿野郎こんにゃろうオメェー!!」

 

「こんにゃろうオメェー! 最近2週間に一回はポニーテールじゃねぇか!

 仲良くしろよ馬鹿野郎こんにゃろうオメェー!!」

 

「~~っっ!!!!」

 

 顔を真っ赤にし、おもいっきり頭を抱えているハルヒ。

 たまにこいつがポニーテールにしているのを見かけ「お、ラッキー」くらいにしか思っていなかったのだが、アレにはそんな意味があったと言うのか。

 

「隠れて手品の練習してんじゃねぇぞ馬鹿野郎こんにゃろうオメェー!!」

 

「こんにゃろうオメェー!! キョンくんと一緒の組になりてぇなら、

 くじ引きじゃなく団長権限で言えよ馬鹿野郎こんにゃろうオメェー!!」

 

「隠れて手品の練習してんじゃねぇぞ馬鹿野郎こんにゃろうオメェー!!」

 

「こんにゃろうオメェー!! ずっと『あっれぇ……、おっかしいなぁ……』

 とか言ってハズレくじ見てんじゃねぇぞ! 前みて歩け馬鹿野郎こんにゃろうオメェー!!」

 

「 ふがぁぁぁあああーーーーーーっっ!!!! 」

 

 ついにハルヒが立ち上がり、天に向かって咆哮する。

 こいつ不思議探索の組み分けの時にいつもゴチャゴチャやってたけど、何かイカサマでも仕掛けようとしてたのか?

 

「バレンタインが近づいて来てソワソワしてんじゃねーぞ!

 馬鹿野郎こんにゃろうオメェー!!」

 

「こんにゃろうオメェー!! まだ2週間も先なのに、

 練習に付き合ってるわたしが虫歯になりそうだぞ馬鹿野郎こんにゃろうオメェー!!」

 

「バレンタインが近づいて来てソワソワしてんじゃねーぞ!

 馬鹿野郎こんにゃろうオメェー!!」

 

「こんにゃろうオメェー!!

 こずかい全部つぎ込んどいて、『……勘違いしないでよ? 義理だからね?』

 とか通るか馬鹿野郎こんにゃろうオメェー!!」

 

「 うわああああああ!! わああああああ!!!! 」

 

 腕を振り上げたハルヒに追いかけられるも、ブンブン言いながら逃げ回る古泉たち。バターになりそうな勢いでグルグルと俺の周りをまわる。

 

「どけどけぇー! どけどけぇー! 邪魔だ邪魔だぁ! どけどけぇ~!!」

 

「 ばかっ! もうばかっ!! 二度と来るなぁーーっ!! 」

 

 やがて散々やりたい放題やった古泉たちが、なにやら非常にスッキリした顔をして帰って行く。

 ゼーハーと肩で息をしているハルヒとはえらい違いだ。

 

「……あいつら、楽しそうだったな。まるで日頃のうっ憤を晴らすが如く」

 

「…………くぅ~っ!」

 

 団長への、プチ下剋上。

 この大会が終わった後の事は、今は考えないでいようと思った。

 

 

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

『――――はぁ~~い! それじゃあゾンビタイムも終わった所でっ、

 鶴屋さんからお知らせだよ~!!』

 

 古泉たちが去り、そして何故か俺がハルヒにポカポカ殴られていた時、またしても鶴屋さんからのアナウンスが入る。

 

『とりあえず二人とも、ここまで良く戦ったにょろ!

 残り時間も後10分ほど! もう終わりも近づいて来たっさ!

 ここでキョンくんハルにゃんの、ペナルティカードと“獲得ポイント“を

 確認しておくよ~!』

 

 ペナルティとは、俺達が笑ってしまった時に受けるヤツだろう。……しかしこれまで聞いた事が無かった獲得ポイントという言葉に、俺の目が点になる。

 思わずハルヒの方を見てみるが、コイツは黙って俯いているばかり。今大会のプレイヤーであると同時に主催でもあるコイツは、きっとその意味を知っているのだろう。

 

『現時点でのペナルティは、キョンくんがオレンジカード、ハルにゃんがイエロー!

 これは前に伝えた通りだねっ。

 そして獲得ポイントっていうのは、君達が誰かを笑わせた数(・・・・・・・・)の事!

 いうなれば撃墜数ってヤツの事だね! それを今から発表してくよぉ~!』

 

「撃墜数……? 鶴屋さん、そんな事までカウントしてたのか?!」

 

「……」

 

 本家の番組も未視聴な俺は、細かいルールなど知らずにこの場に来た。

 あらかじめ知っていたのなら事前に作戦なども練る事が出来たんだろうが……もう今更言っても仕方の無い事だ。

 そもそも皆とは違い、俺にはこの大会に賭ける想いなど何も無かったのだから(・・・・・・・・・・)

 

『キョンくんの撃墜数は6! ハルにゃん、古泉くん、みくるから1回づつ、

 そんでなんと有希っこから3回の笑いを獲ってるよ~! ゆえに6ポイント!!

 そしてハルにゃんは、撃墜数0! 現時点では0ポイントだね!』

 

「 !? 」

 

 攻撃をした憶えも、誰かに仕掛けた憶えも無い俺が、6ポイント。

 何かの間違いなんじゃないかとは思うのだが……それより今はハルヒの“0ポイント“の方が気にかかる。

 こいつは未だに……誰も笑わせてはいなかった(・・・・・・・・・・・・)

 

『この大会は、笑わずに最後まで生き残った者が優勝!!

 でももし時間内に決着が着かず、今いる二人共がそのまま生き残った場合は、

 持ってるポイントの多い方が勝ち!

 すなわち“誰かを笑わせた数“の多い方が勝者となるかんね!

 ――――それじゃあ残り時間はあと10分!

 ふたりとも、最後までめがっさ頑張るにょろ!!』

 

「……」

 

「……」

 

 モニターから、鶴屋さんの姿が消える。

 だがそれから暫くしても、俺の身体が動いてくれる事は、無かった――――

 

 

 


 

 

 ――――今大会を戦ってみての、涼宮さんのご感想は?

 

 感想? ロクなもんじゃないわよまったく……。

 あれだけ大口を叩いたのに、結局あたしは誰も笑わせず終い。文字通り、何も出来ずに終わったんだから。

 キョンが6ポイントで、あたしは0。加えてキョンはまだオレンジで、全く勝ち目なんて無かったもの。あの時点でもう完敗よ。

 ……でもそうね、とりあえず思いつくのは、この大会を通して沢山の“気付き“があった事。

 そして、何度も心が折れそうになったって事、かしら。

 

 ――――沢山の気付き? まずそれをお訊きしても?

 

 うん、今回すごく思ったのは、私が普段みくるちゃんや古泉くん……そして沢山の人達に何気なくしてもらってる事……。

 それは、こんなにも有難い事だったんだ(・・・・・・・・・)って、改めてそう実感出来たの。

 誰かに笑顔を貰える事、何気なく笑いかけてくれる事……、それって本当に、本当に幸せな事なのよ。

 

 ――――何故、そう思われましたか?

 

 ……なんて言ったらいいのかしら? うん、もうね……頭がおかしくなりそうだったの。

 普段私たちが住んでるこの世界と、もう全く別の世界なのよ、あの部屋は――――

 いつも朗らかに笑いかけてくれる人が……私に笑ってくれない。

 大好きな人がくれる笑顔を……私は真顔で跳ね除ける。

 ……そんな事を長い時間繰り返しているとね? もう自分の中の感覚というか……常識かな?

 それが段々おかしくなってくるの。……あたしの世界が、壊れていくのよ。

 

 ――――――……。

 

 誰かに笑いかけて貰ったら、笑い返すわよね?

 誰かが面白い事を言っていたら、それを面白いって言って笑うわよね?

 ……それってね? “好意を返す“って事なのよ。

 貴方と居るのが楽しい、貴方の事が大好きだ――――人は笑顔を返す事によって、そう相手に伝えているのよ。

 あの部屋は……それが禁じられた世界。

 相手への好意とか、愛情とか……そういう物がまったく存在しない世界なの。

 

 ――――――愛情や好意の……存在しない世界……。

 

 古泉くんの冷たい顔。感情のないみくるちゃんの顔……。そんなの見た事も無かったし、今まで想像すらした事が無かったの。

 これは笑うのを我慢してるんだ、ゲームだからワザとそうしてるんだって……頭では分かってるのよ?

 みんなはあたしの事を好きでいてくれてるって。あたしはこの人達に愛されてるって。だってあたしも大好きなんだからって……ちゃんと知ってるもの。

 ……でもね? あたし怖くて堪らなかった。何度も何度も、叫び出しそうになった。

 

 あの部屋にいると、頭がおかしくなる――――

 もしキョンが傍にいてくれなかったら……きっとあたし折れてた。

 

 

 

 

 


 

 

「 ――――立てっ、ハルヒッッ!!!! 」

 

 気が付けば、俺は大声で叫んでいた。

 

「――――ほら、やるぞハルヒ!! あと10分だ!!」

 

 上着を脱ぎ捨て、上半身裸になる。

 意味なんて知らん。ただそうせずにはいられなかっただけだ。

 

「えっ……キョン?」

 

 もう目も当てられないくらいに沈み込んだ、ハルヒの顔。

 そんな物を見る為にここに来たのではない。こんな顔をさせるために、俺がいるワケじゃない。

 このまま、こんな顔をしたままで、終われない!! その想いだけが、俺を突き動かす!

 

「ちょっ! ちょっとアンタ何してんのよっ!! なに上着脱いで……!!」

 

「 うるせぇ!! さぁ何やるんだハルヒ! 俺はなんでも良いぞ!! 」

 

 両手を広げ、まるで……というかもう変態その物の姿で、ハルヒににじりよる。

 それに対し、両手で目元を隠しながらズザザッと後退するハルヒ。なんか指の間からこっち見てる気もするが……。

 

「何してんのよばかっ! えっち! 変態ッ!! 変なモミアゲ!!」

 

「うるせぇ! 変なモミアゲが何だ!! そんなモンこうしてやる!!」

 

 俺はモミアゲをひっ掴み、勢い良くそれを引っこ抜く!! 部屋に響き渡るような〈ブチブチィ!!〉という凄い音がした。

 

「 ――――痛ってぇ!!!! 超痛ってぇッ!!!! 物凄く痛ぇぇええーーー!!!! 」

 

「だから何してんのよアンタ!? いったい何なのよキョン!?!?」

 

「 うるせぇって言ってんだろうが!!!! さっさとしねぇとこうだぞハルヒ!!!! 」

 

 もうハルヒがドン引きしているのをアリアリと感じる。だが俺がそれに止まる事は無い。

 モミアゲを引き千切ったあまりの激痛に床でのたうち回りながらも、俺がベルトにカチャカチャと手をかけ、ズボンを脱ごうと試みる。

 

「 ぎ……ぎゃぁぁあああーーーッ!!!! ぎゃぁぁぁあああああーーーーッッ!!!! 」

 

「……痛てぇ!! ちょ……おま痛てぇって!!!!」

 

 どこから取り出したのか、ハルヒが卵を投げてくる。生卵だ。

 それは矢次に投げられ、全てが俺の股間にヒットしていく。パンツ一枚になっていた俺の下半身はドロドロだ。

 股間を押さえればいいのか、モミアゲを慈しめばいいのか、もうよく分からない。

 

「 何よばか!! 変態!! すけべ!! 変質者!!

  ちんちん玉子でとじて、いったい何丼作るつもりなのよ!! 」

 

「 これお前がやった玉子とじだろうが!! さぁ何やんだこの野郎!!

  やってやんぞこの野郎!! 勝負しろハルヒこの野郎!!! 」 

 

「 ばか! ばかばかばかキョン!! 信じらんないっ!!

  良いわよやってやるわよばかキョン!! ちんちん引き千切ってやるわよ!! 」

 

 リボンとカチューシャを地面に叩きつけ、ハルヒが上着とスカートを脱ぎ捨てる。何の封印解除だそれは。

 

「 ちょ……お前それやめろっつっただろうが!!!! 何脱いでんだお前っ!!!! 」

 

「 あんたが先に脱いだんでしょうが!! 卵でとじたんでしょうが!!

  何よ?! あたしも卵でとじればいいの?!

  ほら投げて来なさいよアンタ!! ほらっ!! 」

 

 そう大声で叫ぶハルヒが、自らの身体にたまごをぶつけ出す。

 胸と言わずお腹と言わず、もう全身たまごでドロドロだ。まっ黄色に染まる。

 

「 なに食い物粗末にしてんだお前!! もったいねぇだろうが!! 」

 

「 うっさいわね! なによ! じゃあ食べればいいでしょうが!!

  食べたら良いんでしょうがコレを!! 」

 

 窓ガラスがビリビリする程の怒声を上げ、ハルヒが地面に落ちた卵をジュゴゴゴ……っと啜りだす。

 下着姿で四つん這いになり、まるで勢い良く土下座するみたいにジュゴゴッと地面に顔を付ける。

 もちろん俺も、即座にそれに続く。

 

「 ジュゴゴゴ……! ほら全部食べたでしょうが!!

  もったいなくないでしょうが!! 」

 

「 ジュゴゴゴ……!! おら俺だって食ったろうが!! 手伝ってやったろうが!!

  てめぇニワトリさんの気持ちマジ考えた事あんのか!?

  まずニワトリさんにありがとうだろうが!! ありがとうございますだろうが!! 」

 

「 あ~ら! ちんちん卵まみれにして何いっちゃってるのかしらこの人は!!

  ホントにニワトリさんに悪いと思うなら、いますぐ油に飛び込みなさいよアンタ!

  あたしアンタに小麦粉とパン粉つけて、カラッと揚げてやるわよ!! 」

 

「 おーやってみろよオイ!! やってみろよハルヒ!!

  じゃあお前、俺のちんこ食うんだな?! カラッと揚げた後ちゃんと食うんだな?!

  ――――どんなサイコパスだよお前!! 俺そんなヤツ聞いた事ねぇよ!! 」

 

「 誰があんたのちんちんなんか!!

  あんたこそ、あたしのおっぱい舐めなさいよ!! お腹も! おしりも! 全部! 

  ……まだたまご残ってんのよ!! ドロドロしてんのよ!!

  ほら卵がもったいないんでしょう?! ニワトリさんありがとうなんでしょう!?

  さっさと舐めなさいよアンタ!! ペロペロしなさいよ!! 」

 

 半裸と下着姿の男女が、たまごでドロドロのまま半狂乱で罵り合う。

 だがそんな事、今の俺達に分かってるハズない。だた感情のまま突っ走るだけだ。

 

「 うるせぇ馬鹿野郎!! ブゥゥーーーーーーーーッッ!! 」

 

「 うわっ! ちょ……汚っ!!!! 」

 

 ペットボトルの水を口に含み、勢いよくハルヒに吹き出す。

 

「おら逃げんな! 洗ってやってんだろうがハルヒ!! ブゥゥーーーーッ!!!!」

 

「うぷっ! なな……何すんのよアンタァーーッ!! ブゥゥゥーーーーーッッ!!!!」

 

「 うおっ! おまっ……冷てぇッッ!! 」

 

 ペットボトルをひったくられ、水を吹き返される。

 その後なんどもひったくり返し、ひったくり合い、「ブゥゥー!!」「ブゥゥー!!」と水を吹きつけ合う。

 その甲斐あって、だいぶ身体が綺麗になってきた。

 

「冷てぇじゃねぇかこの野郎!! いま気温何度だと思ってんだオイ!!」

 

「あんたこそ風邪ひいたらどうしてくれんのよ!!

 うちの高校にエアコンなんか無いのよ!? しがない県立の貧乏校なんだから!!」

 

「お前はもっと良いとこ行けただろうが! 自業自得だバカ!! このかしこがっ!!」

 

「 誰がお勉強ばっかのお嬢ちゃん学校なんか行くもんですか!!

  そんなのつまんないじゃないっ!!

  ――――今あたし、燃えるように充実してるのよっっ!!!!

  北高に来て良かったでしょうが!! ほらっ! あたし間違って無かったッ!!!! 」

 

「知るかバカたれっ! ブゥゥーーーッ!!!!」

 

「何すんのよキョン! ブゥゥーーーッ!!!!」

 

 引き続き水をぶっかけ合う俺達。やがてペットボトルが空になり、足元は水たまりになっている。

 身体もずぶ濡れ、前髪はおでこに張り付いている。お互い半裸と下着姿であるし、もしこの姿を誰かに見られても「ちょっとプールに入ってました」で通るかもしれない。

 通るワケがない。

 

「オイもう水なくなっちまったじゃねぇか!! どうすんだよハルヒ?!

 どうすんだよ!!!!」

 

「やかしいのよ黙っててよ!! ……ああもう何にも思いつかないっ! 頭働かないっ!

 ……つかそもそも、なんであたしが残ってんのよ!! なんであたしなのよっ!!!!」

 

「知らねぇよ!! 面白れぇからだろうが!! 強ぇから残ったんだろうが!!!!」

 

「面白くないわよっ!! 強くないでしょわよッ!!!!

 どう考えたって有希かみくるちゃんわよッ!!」

 

「うっせえってんだよ馬鹿野郎!! ……おらどうすんだよ! 来いよっ!!

 なんでもやってやんぞオイ!! 来いよハルヒおい!!!!」

 

 半狂乱で頭を振り回すハルヒを、無理やり腕をひっぱって振り向かせる。

 

「 立てこの野郎! 脱ぐぞっ?!

  俺ここでパンツ脱ぐぞこの野郎!!!! いいのかッッ!!!!」

 

「脱ぎたきゃ脱ぎなさいよ!!

 あたしそれ見ながら魚肉ソーセージ食べてやるわよ!!

 ちんちん見ながらモグモグいってやるわよ!!」

 

「お前マジサイコパスじゃねぇか!! 想像するだけで痛ぇ! 痛ぇんだよ!!」

 

「ほらっ! はやくおちんちん出しなさいよ! はやくしなさいよ!!

 こっちはもうスタンバってんのよ!! ソーセージ片手にスタンバってんのよ!!」

 

「誰が出すか馬鹿野郎! 食われてたまるかバカ!!

 俺にも夢とか未来とかあんだよ!! 家族設計とかあんだよ!!!!」

 

「生卵まみれのちんちんで何いってんのよ!!

 あんたのせいでせっかくの無精卵が台無しよ!! なんか誕生したらどうすんのよ!!」

 

「うるせぇぇええーーッ! 育てりゃいいだろうがそんなモンはぁぁあああーーーッ!!

 愛情込めて育ててやるよオイ!! 大学まで出してやるよボケェェーーーッ!!!!」

 

「 ――――あんた片親で育った子供の心の闇みくびってんの?!?!

  半裸で! 生卵まみれのちんちんで! 顔面あたしの唾液まみれで!!

  そんな男に嫁なんか来るもんですか!!

  おっぱいも出ないくせにどうやって育てんのよ!!!! 」

 

「 そんじゃあお前育てたらいいじゃねぇか!!!!

  育てろこの野郎ッ!! 俺と一緒に育てろこの野郎ッ!!!! 」

 

「 あぁ育ててやるわよ!! とびっきりのお母さん子に育ててやるわよ!!!!

  戦場で死ぬ間際の兵士はねっ?! その大半が最後「おかあさん……」

  って言って死ぬのよっ!? あんたおっぱいの偉大さなめてんの?!?! 」

 

「 俺の息子を戦争になんかやれっかぁぁぁああああーーーーーッッ!!!!

  平和な世の中作るぞこの野郎ッ!! 愛で世界包めこの野郎ぉぉーーッッ!!!! 」

 

「 ――――いまおっぱいの話してるんでしょうが!!

  あんたも好きなおっぱいの話でしょうが!!!! 」

 

 ハルヒが「ムッキィィー!!」とか言いながらブラのホックを外そうとする。慌てて腕を取り押さえ、それを阻止する俺。

 

「 放しなさいよ!! 見せてやるわよ!!!!

  愛とやらで世界を照らしてやるわよ!!!! 」

 

「照らすな! しまえ!!!!

 俺達ゃ地道に活動してくんだよ!! 募金とかすんだよ!!!!」

 

「今この瞬間にも、世界中で罪もない子供たちがなんやかんやしてんのよ!!

 そんな事よりあたしのおっぱい見なさいよ!!

 あたしはあんたのちんちん見てソーセージ食べるから!!!!」

 

「 どんなプレイだよそれ!!?? 俺そういうの詳しくねぇよ!!!!

  平々凡々が一番だろうが!! 俺の両親は普通でも幸せそうに暮らしてるよ!! 」

 

「 なによ!! いいじゃない!! 何でもやってみたら良いじゃない!!

  ジャス ドゥ イット!! あたしのTシャツにもそう書いてあんのよ!! 」

 

「Tシャツ作った人も、そこまでは想定してねぇよ!!

 なんか『まぁやってみたら?』的な感じで、とりあえず言ってんだよ!!」

 

「今しかないのよ! あたしには今しかないのよ!!

 アンタあたしが明日死んだらどうしてくれんのよ!!

 ちんちん見れずに成仏出来なかったらどうすんのよ!!!!」

 

「 生きろよ!!!! 生きてりゃ死なねぇんだよ!!

  頑張って明日を生きねぇヤツに、夢は振り向いてくれねぇんだよ!! 」

 

「うん! 生きるっ! あたし生きるわキョン!!

 なんかもう人生楽しくなってきたわあたし! 生きるって良いわねキョン!!」

 

「あぁそうだろうがハルヒ!! 命って素晴らしいだろうがッ!!!!

 命! おっぱい! ポニーテール!! 俺が一番好きな言葉だ!!!!」

 

「 三つあるじゃないのっ!! どれか一個にしなさいよ!!!! 」

 

「 ことわぁぁるッッ!!!! 」

 

 ついに言葉じゃなく取っ組み合いに発展する俺達。たまごで手がベタベタしているので、四つ手に組もうとしてもなかなか上手くいかない。ぬるっぬる滑る。

 

「――――もうあったま来た! 乳首相撲するわよキョン!!

 洗濯バサミ持ってきなさいよ!! 早くしなさいよ!!」

 

「やるかバカ! お前マジでおやつカルパスみてぇな乳首になりてぇのか!!」

 

「あっ、ウソつき!!!! キョンさっき何でもやるって言ったじゃない!!

 ウソつきウソつきウソつき!!」

 

「なんとでも言え!! だが将来お前は、必ず俺に感謝する事になるぞ!!

 風呂場で見る度に思い出せッ!!

 あぁこの乳首は、俺が守ってくれたヤツなんだとなぁ!!!!」

 

 ポカポカ殴られながらも、俺は床に胡坐をかき、不動のままでひたすら耐える。

 この痛みも、男の修行なんだ。時に黙って耐える事も必要なんだ。

 

「じゃああたし一人でやる! そこで見てなさいよ!」

 

「じゃあ俺がやるよ! お前そこで見てろよ! カルパスしてやるよ!」

 

「嫌よ! あたしがやるわ! あたしあたし!」

 

「俺がやる! 俺がやるって言ってんだろ! 俺が俺が!!」

 

「あたしよあたし! あたしよ!」

 

「俺だよ俺! 俺が俺が!!」

 

「…………えっと、じゃあ、僕がやりましょうかね……」

 

「「どうぞどうぞ」」

 

「――――っておぅい!! ……と、お約束を済ませた所で。

 ところでお二人さん、もう良いのですよ?

 すでに終了時間は過ぎています」

 

「「へっ?」」

 

 ハルヒと共に「どうぞどうぞ」のポーズをしながら、お互い目をキョトンとさせる。

 気が付けば、辺りには古泉、朝比奈さん、長門の姿。

 いつものSOS団の面子に、囲まれている。

 

「ヒートアップして気が付かなかったようですが……すでに大会は終了しています。

 大きなホイッスルも鳴っていたハズなのですが……。

 僕らはそれを告げに来たのですよ?」

 

「はい、涼宮さんこれを着て下さい。お疲れ様でした♪」

 

「おわった」

 

「「……へっ?」」

 

 

 

 

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

 

 俺は古泉、ハルヒは朝比奈さんにバスローブのようなもので身体をくるまれ、未だ目を丸くしている。

 何があったのか理解出来ない。……というか、さっきまでの記憶が無い。何もかもが分からん。

 

「とりあえず……優勝は彼、という事になるのですが。

 ……でも今言っても理解出来そうにありませんね。

 まずはシャワー室に行きましょう。話はそれからです」

 

「じゃあわたしが涼宮さんを連れて行きますねっ。

 ほら行きましょう涼宮さん? はいはい、歩きましょうね~」

 

「ん? ん?」

 

 何があったのか分からないという表情のまま、朝比奈さんに連れられたハルヒが、出口に消えていく。

 その姿をぼけっと見送る俺。とりあえず、バスローブあったけぇという温もりだけを感じる。

 

「さて、では我々も行きましょうか。

 何はともあれ……、お疲れ様でした」

 

「…………お、おう?」

 

 古泉に肩を支えられ、トテトテと歩いて行く。

 この格好のままでシャワー室まで歩くのはどうかと思うのだが、鶴屋家の警備のお陰で何の問題も無く行く事が出来る。

 そもそもそんな事、今はまだ考える事が出来ない。

 

「……えっと……終わった? 終わったのか古泉?」

 

「ええ、しっかりと。無事に。

 改めて……ありがとうございました。

 最後まで残ったのが貴方で、本当に良かった――――」

 

 廊下を歩き、シャワー室へと歩いて行く。

 途中、何気なく窓の外を眺めていたが、空は眩いばかりの晴天。

 

 あの部屋とは違う、俺が慣れ親しんだ美しい世界だ――――

 

 その心地よさだけを、今は感じている。

 

 

 


 

 

 ……まぁ……負けたわね。

 あんな恥ずかしい想いまでして、あれだけみんなに心配かけて……。

 でもいま清々しい気持ちでいるわ、あたし。……これって変かしら?

 

 ――――いえ……まぁあの、良いんじゃないでしょうか? 感じ方は人それぞれ、という事で。

 

 なによ、言いたい事があるならハッキリ言いなさいよ。……あんまり言ったら、ぶつかもしれないけど。

 

 ――――遠慮しておきます。痛いのは嫌なので。

 

 でもまぁ、スッキリした気分でいるっていうのはホントよ?

 あんなにもバカな事やったのは生まれて初めてだったし、言いたい事も言って、おもいっきりぶつかり合ったんだもの。

 ……なんか思ってたのとはだいぶ違う感じだけど……でも折れずに最後までやれて良かった。

 みんなと……キョンとおもいっきり遊べて……嬉しかった。

 

 ―――――はい。それはもう、画面からヒシヒシと感じました。……ちなみにですが、優勝したキョンさんは、みなさんに何を要求されたのですか?

 

 さぁ? そういえばアイツ何も言って無かったわね?

 鶴屋さんにトロフィー貰ってから、何も言わずに古泉くんと帰っちゃった。

 また後日なんか言われるかもしれないけど、その時はその時よ!

 何を要求されようが、バッチリ胸を張って応えてやるわ!! 団長らしくね!!

 

 ――――よく分かりました。……では本日はお疲れの所、どうもありがとうございました。大変良い物を観せていただき、とても楽しませて頂きました。どうぞ気をつけて。

 

 ありがとっ。

 それじゃあ帰る事にするわ。みくるちゃんと有希も待ってくれてるし。

 

 ――――はい、それではさようなら。私も鍵を掛けて出なければ…………ちなみに涼宮さん、もし勝ったらば、彼に何を要求してました?

 

 

 …………さぁ? 忘れたわ。

 あんまりにも今日は楽しくて、もう忘れちゃった!

 

 まぁ……いくら優勝賞品だからって、それで手に入っちゃったらつまんないかもしれないしね。

 

 こういうのはきっと……、心のぶつかり合いなのよ。

 ぶつかり合って、笑い合って、それでお互いを理解し合っていくの。

 

 だからもう、だいじょうぶ。

 やり方は今日、覚えたわ――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――涼宮ハルヒのドキュメンタル、了――

 

 

 



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