きっとそらでつながってた。 (ローバック)
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本栖湖での出会い(1/2)

 

 

 市街地を抜けると、秋の装いがいっそうはっきりと目に映るようになる。

 燃え盛るようなイロハモミジ、柔らかな橙色のコナラ、艶やかなまでに色づいたヤマウルシ。フロントガラスに流れる風景は錦を着飾ったように華やかな色合いで溢れ、そんな山間の国道をのんびりと愛車を走らせている。

 秋晴れの日差しは車のガラス越しには暖かそうだが、外に出るならば上着はしっかりと着込んだ方がいいだろう。なにせ外気温は5度しかないのだ。

 

 晩秋の身延町――あともうしばらくすれば初霜が下り、山々の紅葉は真っ白な冠雪に取って代わられる。おおよその人にとっては外に出るのもつらい季節がやってくる。

 

 けれど、キャンパーにとっては絶好の季節がやってくる。

 

 

 

 やがてトンネルを抜けた辺りで富士山が姿を現した。写真の一つでも撮りたかったが、あいにくと運転中だ。ハンドルから手を離すわけにはいかない。山頂には雲がかかっているが、美しい富士の稜線が拝めないことは何一つ問題にならなかった。

 

「今日は雲でよく見えない……か」

 

 一人そう呟くと何とも言えない笑みが浮かんでくる。誰か同乗者が居れば気色が悪いと眉を顰めたろうか。たとえそうだったとしても構わない。

 

 何せ僕は念願だったあの”浩庵キャンプ場”へと向かっているのだから。

 

 

 

 浩庵キャンプ場――

 

 本栖湖のほとりに位置するその場所は、富士山を目の前に臨む眺望並びにウォーターアクティビティの拠点として非常に高い人気を誇るキャンプ場だ。風光明媚な自然を楽しむには申し分のないロケーションだが、それに加えてしばらく前に放送されたとあるアニメ作品がその人気をまた一段と押し上げた。

 

 女子高生たちがときに仲間と、ときに一人で、様々なアプローチからキャンプを楽しむ様をゆるく描いた、『ゆるキャン△』という作品。

 

 その中で主人公の「しまりん」こと志摩リンと「なでしこ」こと各務原(かがみはら)なでしこが最初に出会う物語の始まりの舞台がまさしくこのキャンプ場をモチーフとしているのだ。

 

 ずっと訪れてみたいと思っていたが、残念ながら僕の住居はそこから600km以上離れていたため易々と足を運ぶわけにはいかなかった。いつもキャンプの候補地を探すたびに浩庵の名前が頭を掠めるのだが、移動だけで一日がかりなその距離にどうしても尻込みしてしまい、その機会を逃し続けていたのだ。

 

 だからこの度の急な転勤で赴任地が山梨となったのはきっと天運だったのだろう。入居先での荷解きもそこそこにキャンプ道具を一式積み込んでやってきた最初の連休は、奇しくも作中でのしまりんと同じ11月の初頭だったというわけだ。

 

 

 

 道中にあった公衆トイレを通りすがる。特に催しているわけでもなかったが、無性に立ち寄ってみたくなるのは巡礼者の性だろう。ちらりと横目で見たベンチには誰も寝てはいなかった。ここまでくればキャンプ場はもう目と鼻の先だ。

 

 セントラルロッヂと書かれた建物でチェックインを行い、湖畔への道を下りて車を停める。ドアを開けた途端に本栖湖を渡る冷え冷えとした空気が出迎えてくれる。鼻の奥にきんと響くような冬の香を含んだそれを胸いっぱいに吸い込むと、そのまま小石の混じった砂利の岸辺を歩いて水際まで足を運ぶ。

 微かに揺れる本栖湖の湖面はぼんやりとした富士の影を映し出していた。湖岸に打ち寄せる小さなさざ波が静かにリズムを刻む。周囲の落葉樹は色めき立って居並ぶ山々を紅に黄色にと染め上げ、その景色の中にあって白を湛えた富士山の姿はよりいっそう際立っている。

 しばらくそうして辺りをじっと眺めていると、スマホとPCのモニターに馴染んだ両の眼がみるみると息を吹き返していくようだった。

 この瞬間がたまらなく好きだ。

 

 自然を愛してる。火を木を水を土を。それと同等に孤独である自分の生き方を愛してる――おっと、これは違う方か。

 

「貸し切り状態……シーズンオフ最高……!」

 

 そうそう、こっちだ。

 

 しかしまさかこの台詞を正しく使えるとは思いもしなかった。

 辺りを見回しても周囲に他のキャンパーの姿は見当たらない。夏場のレジャーやBBQの客が居なくなるとはいえ、紅葉シーズンともあれば一年で最も快適なキャンプを行うのに申し分ない時期なのだからこれには驚きだ。辺境の地にある野趣に溢れすぎた野営場ならともかく、この有名キャンプ場でただ一人の時間を贅沢に過ごすことができるなんて滅多にあることではない。あまりにも出来過ぎている。

 なんて素敵な週末だろうか。

 

 早速好みのポイントにあたりを付けて車から荷物を下ろす。風も穏やかで絶好の設営日和だった。

 しまりんに倣って簡単に体をほぐしていくと、徐々に身体が温まってくる。普段は周囲の目が気になるところだが、今日はそんなことを考える必要もない。

 持ってきたTC素材のワンポールテントは一人でもあっという間に張ることができるスグレモノだ。カンカンとペグ打ちの音を響かせながら、しまりんはよくぞこの地面に石で立ち向かったものだと彼女の逞しさに思いを馳せる。幕体にポールを差し込んでガイロープを引けば三角形のとんがり屋根が立ち上がる。少したわんだけれど満足のいく張り姿だ。

 それから袋から取り出したカーミットチェアをてきぱきと組み上げて火床の傍に置く。焚火テーブルは少しがたつくけれど、石を噛ませればなんとでもなる。シングルバーナーをセットして小さなケトルを置けば、こぢんまりとしたキャンプサイトは早々に出来上がった。

 

 バーナーを点火してケトルを火にかける。白い湯気が立ち上るまでチェアに身を預けてしばし待つ。音楽を聴こうかと思ったけどやめることにした。かわりに目をつぶって辺りの音に耳を傾ける。

 風の音。

 枝葉が擦れ合うカサカサとした音。

 湖面で魚が跳ねる。

 国道を車が通り過ぎていく。

 遠くからキジバトの鳴き声が微かに聞こえてくる。

 バーナーの火が揺れる。

 ふつふつとケトルの底が振動する。お湯が沸いたようだ。

 

 ケトルの蓋を取ってそのままティーバッグを放り込むと、テーブルに置いたシェラカップになみなみと注ぐ。飲もうとして唇に触れた途端あまりの熱さに火傷しそうになったので仕方なくテーブルに戻す。今度、ダブルウォールの真空チタンマグカップを買おうかどうか真面目に検討に入る。

 

 

 

 そんなことをしながら一人の時間をのんびりと過ごしていると、ようやく他のキャンパーがやってきた。時計を見ると14時を回っている。この時間帯であれば場内は既にテントで埋まっていてもおかしくはないのに、相も変わらずこの日はガラガラだ。先程の僕と同じように広く開放された湖畔を何やら見渡している辺り、思うことは一緒なのだろう。さぞやご満悦に違いない。

 

 どうやらそのお客さんは若い女性のキャンパーであるらしい。そして珍しいことに、彼女は一人でやってきたようだった。

 とはいえ今では女性のソロキャンプも決してありえないという程ではない。昨今のキャンプブームはファミリーキャンプ、ソロキャンプといったくくりだけでなく、大人数でのグループキャンプ、グランピング、ブッシュクラフトキャンプといったキャンプスタイルの多様化を生み出した。そして女子キャンプや女子ソロキャンプといった特集が組まれるようになってモデルケースが提示されると、キャンプ場では女性だけの姿も見受けられるようになる(そこにはゆるキャン△の存在も無関係ではないはずだといったら言い過ぎだろうか)。

 彼女たちはウッドファニチャーにお洒落なネイティブ柄のクロスを被せ、ベジタブルスティックだとかカプレーゼだとか僕が決して作ることのない見た目にも華やかな料理をカッティングボードの上に盛り付けて、知り合いの誰それの友人の旦那さんについての噂話に花を咲かせる。あるいは一人でゆっくりと豆から挽いたコーヒーを淹れ、持ち込んだ文庫本の活字に目を通しながら仕事も家のことも忘れて優雅な午後をのんびりと過ごす。

 そのいずれにも男一人のキャンプで陥りがちな野宿という言葉が示す野卑な感じとは縁遠いイメージが浮かんでくるのは、僕の勝手なステレオタイプの産物なのかもしれない。

 

 それはともかくとして、新しいお客さんは僕のサイトからだいぶ離れたところを選択して設営を始めた。遠くから見えるあの張り姿はおそらくモンベルのムーンライトテント3型だろう。それもアイボリーカラー――しまりんと同じテントだ。コンパクトなローチェアを組み立てて座った彼女の様子は、まさに”しまリング”を満喫しているように見えた。

 つまり、一人でゆったりと自然に浸りながら手にした本に目を落とし、文字を読むのに疲れれば温かな飲み物をちょっと飲んでまったりと景色を楽しみ、そしてまた読書に戻る。誰に邪魔されることもなく思い通りの時間を過ごす、理想的なソロキャンプの楽しみ方だ。

 僕はその様子を遠目からうかがう。ゆるキャン△のファンの人だろうか。ちょっと気になりだす。

 

 彼女が席を離れた隙に近くを通りかかるフリをしてキャンプサイトを眺めてみた。蝶々がアクセントのメイフライチェアに、質実剛健なアルミロールテーブルに乗せられたクリーンカンティーンのボトル。ウインドマスターにはしっかり四本の五徳が取り付けられている。地べたにほど近いロースタイルで構築されたサイトには、紛れもなくしまりんの装備一式が設えてあった。その完成度に思わず口笛を鳴らしそうになる。

 きっと彼女はゆるキャン△を見てこれらの道具を揃えたに違いない。その気持ちは僕にも良く分かる。放送からしばらくは相当に悩んだものだ。結局は愛用の道具があったために諦めたのだが、なるほど、実際にやっているのを見るとまるでそこにしまりんがいてキャンプをしているような雰囲気が漂ってきて、なんだか不思議な心地よさが感じられた。

 見も知らぬソロキャンパーにちょっとだけ親近感が湧いた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

 本栖湖から吹く風は穏やかだが冷たい。日が落ちればよりきつい寒さが襲ってくるだろう。その前に焚火の準備を始めなければならない。

 ありがたいことにこのキャンプ場では落ちている薪を拾い集めて利用することができる。もちろん自前の薪を用意してはいるが、現地調達もそれはそれで楽しみ方の一つだ。今日の閑散とした場内なら薪拾いをしても迷惑にはならないだろうと、乾いた枯れ枝を探すためにサイトを後にして木立の中へ足を踏み入れる。

 松林を散策していると視界の中をちょろちょろと駆けまわるものがいた。ふわふわとした冬毛をまとったニホンリスだ。野生のリスに出会うのは初めてのことだった。丸々としたドングリを抱えて松の木を軽々と登っていく姿を目で追いかける。彼らも冬に備えて脂肪を蓄えるのに余念がないのだろう。僕も夜に備えて薪を集めなければならない。「お互いに頑張ろう」と僕はリスに向かって小さく手を振った。

 人がいないからか、そこかしこに手ごろな枯れ枝が落っこちていた。太いのから細いのまでまんべんなく拾い集めていく。それから忘れてはいけないのは焚き付けだ。松ぼっくりは自然の優秀な着火剤。傘の開いた大ぶりの物をいくつか拾う。それと茶色くなった葉のついた松の枝先も。少し煙は出るがこれもよく燃える。

 

 枝を踏む音がして僕はふと前を向いた。すぐ近くに女性がいた。足元ばかり見ていたから接近に気付くのに遅れたのだろう。それは向こうも同じようで、意外そうに顔を上げると小さく会釈をしてきた。たぶん、お隣キャンパーさん――しまりん装備の持ち主なのだろう。

 

 けれどその姿を見て僕は息をのんだ。若い女性だとは思っていたが、僕の想像以上に若かった。おそらく高校生くらいだろうか。下手をすればその身長を見て小学生かと勘違いしそうになるが、流石に小学生がソロキャンプをしているということはいくらなんでもありえないだろう。髪の毛を頭上でお団子状に纏め上げ、灰色の長いストールを羽織っている。その姿に僕は見覚えがある気がした。

 

 そんなことってあるんだろうか? 念願の本栖湖に来て浮かれているせいで、あるもの全てがゆるキャン△に関連して見えているのだろうか? このときの僕はあまり冷静ではなかったのかもしれない。けれど、僕にはどうしても彼女がそうだとしか思えなかった。

 

 しまりんだ。彼女はあまりにも志摩リンにそっくりだったのだ。

 

 驚きで硬直しかかった僕に彼女は訝し気な視線を向けてくる。僕は慌てて「こんにちわ」と会釈を返す。なるべく落ち着いて、声が震えないように出来ていたか、はっきりいって自信はなかった。

 そのまま挨拶だけを交わして何事もないようにすれ違う。何度か僕は後ろを振り向いた。十分に薪を集めた彼女はサイトへと戻っていくようだった。見間違いではないのだろうか。あるいはコスプレイヤーさんか。狐につままれたような気分で僕もまた自分のサイトへと戻った。

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

 夕焼けが一瞬だけ富士山を赤く染め上げると、次第に闇が本栖湖を覆っていった。人のいない湖畔に明かりは少なく、夜空の星が良く見える。

 ランタンに火を入れる。ガスカートリッジを接続してツマミを回せば、マントルが輝いてオレンジの光が明るく辺りを照らし出した。ぱちぱちとはぜる焚火に当たりながら三本目になる缶ビールを開ける頃には十分に腹も満ち足りた。後は焚火と宵の景色だけが肴だ。

 ちらりと遠くの光源に目をやれば、同じく焚火とランタンの光。けれどその明るさは僕のサイトに比べると幾分かは暗い。

 結局、今晩宿泊するキャンパーは僕と彼女の二組だけだった。おかげで場内はしんと静まり返っている。僕のサイトも彼女のサイトもひどく静かだからだ。焚火の音とガスの燃焼音、テーブルの物を取ったり食事したりする音以外に発するものは何もない。けれどその静けさが他の何にも代えがたく心地よい。ソロキャンパーとはそういうものだ。

 

 

 

 そうして暫く夜の雰囲気を愉しんでいるうちにふと尿意を催したので、トイレに行こうと立ち上がる。

 しかし場内のトイレまでたどり着くと、なんとそこには張り紙がしてあって故障中の三文字が表示されていた。なるほど、これではいったん外に出て道路沿いの公衆トイレまで向かうしかないのだろう。

 スマホの明かりを頼りにして僕は暗い坂道を上り、出入口を封鎖している鎖に引っ掛からないよう乗り越える。そう、なでしこが足を引っ掛かけた例の鎖だ。あんな転び方をしてよくもまあ無事だったと思うが、現実にあんなことが起きれば骨折さえしかねない。無論酔っ払いは注意を払うべきだろう。そのまま公衆トイレまで歩いて、恙なく用を足す。

 

 手を洗ってトイレから外に出たところで、僕は周囲を軽く見回してみた。

 街灯に照らされた路上にはどこにも人の姿はない。「あんなことがあったのだから、今度はもしかするとなでしこに遭遇するかもしれない」、そんな考えがなかったと言えばウソになるが、どうやらただの妄想で終わったということらしい。

 どこかがっかりしている自分に気付いて苦笑する。考えてもみれば昼間来た時にベンチでいびきをかいている女の子なんていなかったのだ。あれは漫画だから許されるのであって、そもそも実際にそんなことがあれば誰かしら声をかけるだろうことは想像に難くない。それでも少し期待してしまうのは……ちょっとばかり酔いが回り過ぎたのだろう。

 早くサイトに戻ってキャンプの続きをしようと、そう思って踵を返したときだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いた。

 

 何の気配も感じさせず、いつの間にか彼女はそこに立っていた。街灯とスマホの僅かな光で照らし出された人影が、さめざめと涙を流しながら必死の形相でこちらを見つめている。その姿は一瞬、まるで幽霊か何かのように見えて僕の心臓を怯ませる。

 たまらず叫び声を上げそうになったが、すんでのところで抑え込めたのは幸いだった。なにせ相手は女の子で、こちらはいい年をした男なのだ。脱兎のごとく逃げ出したりするのもされるのも外聞が悪いにも程がある。

 それに、曲がりなりにもこういうことがあるんじゃないかと予想はしていたのだ。それがたとえ酔っ払いの戯言じみた下らない妄想だったとしても、心構えがあるのとないのでは随分と違ってくる。

 

 きっとそうなんだろう。

 ここにきて僕は確信した。本来の姿とかけ離れてはいるが紛れもなくこの夜は”彼女”と”彼女”の出会いの一夜――それを模している。

 どうしてなのかは分からない。現実なのか、空想なのか。その境界は定かではないが、けれどもきっと僕は居合わせてしまったのだ。

 

 ふじさんとカレーめん――

 

 その世界に、今僕は触れている。

 

 

 



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本栖湖での出会い(2/2)

「ごめんください」

 

 僕はなるべく和やかに彼女に声をかけた。人のいないキャンプ場、夜、ただ一人の女子。そんな場面で見知らぬ男から声を掛けられれば、その心境は推して知るべしだ。案の定彼女はびくりと体を震わせると、恐る恐る僕の方を見た。彼女の手が素早くポケットに伸びる。どうか怪しい者ではないから、110番通報は待ってほしい。

 

「キャンプをお楽しみのところ申し訳ないんですが、この方がちょっと困ったことになってしまって……」

 

 そう言って僕は肩越しに後ろを振り返りつつ、彼女に()()()()()が分かるよう自分の体を脇にどかす。

 そこには先ほど公衆トイレの前で出会った少女がべそをかきながらぐしぐしと鼻をすすっていた。ピンク色のダウンジャケットに身を包み、所々がぴょこぴょこと飛び跳ねた癖っ毛を後ろで二つに結わえている。目の前のソロキャン少女もだいぶ小さいが、彼女も負けず劣らずと背が低い。途方に暮れて泣いている姿を見れば、それこそ小学生かと勘違いしてしまいそうになる。

 そのあまりにもな状況を見て頬を引きつらせるソロキャン少女を横目に、僕はトイレからの道すがらで把握した事情を説明し始めた。

 

 

 

 

 

 

「つまり……今日山梨に引っ越してきたばかりで――」

 

「うん」

 

「自転車で富士山見に来たけど疲れて横になったら寝過ごして――」

 

「うんうん」

 

「気が付いたら真っ暗だったと」

 

「へう゛」

 

「そういうわけですか」

 

「どうもそうらしいね」

 

 ずびしゅと鼻をすする音に合わせて僕と彼女は顔を見合わせる。彼女――いや、名前は聞いてはいないがもう構わないだろう。

 “リンちゃん”はその話を聞いて何とも言えない顔をしていた。僕だって同じような顔をしているはずだ。けれどそれは彼女――これもやはり聞いてはいないが――“なでしこちゃん”の無鉄砲さへの呆れではなく、彼女たちが本当に「志摩リン」と「各務原なでしこ」らしいというファンタジーな出来事に対する驚きと興奮を抑えるのに精いっぱいだったからだ。

 

「あっちは下り坂だし、下まですぐだと思うけど」

 

「むりむりむりちょうこわい!!」

 

 リンちゃんが示したのは中之倉トンネルの方面だ。確かに下り坂だが、曲がりくねった山道の途中で明かりのないトンネルをいくつかくぐらねばならないのは僕だって遠慮したい。なによりそんなところを夜に自転車で走ろうというのは危なっかしくてしょうがない。

 

「家に連絡して迎えに来て貰うのは?」

 

「あっ、そっか!!」

 

 言うが早いかなでしこちゃんは自分の上着のポケットをパタパタとあちこちまさぐり始めた。

 

「スマホスマホスマホ最近買ったスマホスマホスマホスマホス――」

 

 その奇妙な踊りのような姿を僕はぼんやりと見つめていた。残念ながら彼女の行動が実を結ぶことはない。なでしこちゃんのポケットから出てくるのはなぜかケース入りのトランプセットだ。知っている。何回も見た光景だ。放送で、配信で、漫画で、ブルーレイで、何度となく目にしている。僕は感極まって打ち震えそうになっている。だってゆるキャン△の第一話なのだ。それと同じ光景が目の前で繰り広げられているのだから。

 けれどそのどれとも同じで、何よりも違う。リンちゃんとなでしこちゃんと、焚火を囲んで僕がいる。まるで演劇を最前列の一等席で眺めているかのようだったけれど、間違ってはいけないのは僕が観客などではないことだ。ステージと客席の境目などなく、今、それは目の前の現実として起きていることなのだ。僕に何ができるのだろう。僕は何をするべきなのだろう。僕はどうしてここにいるのだろう?

 

 

 

「マホス――!」

 

 つらつらとそんなことを考えていたらなでしこちゃんの声で意識を引き戻される。トランプを握りしめて呆然と膝から崩れるなでしこちゃんを見て、苦笑いを浮かべるリンちゃん。なでしこちゃんのお腹が盛大な音をたてる。

 そうだ。ここでお腹を空かせたなでしこちゃんを見かねて、リンちゃんがカレー麺を差し出すのだ。頭の中に劇中での一幕が思い起こされる。なでしこちゃんの食べっぷりは第一話のハイライトといってもいい。軽快なBGMに合わせて美味しそうに麺を啜るなでしこちゃんを見て、いったい何人がコンビニに走っただろうか。僕はドキドキしながら今か今かとその瞬間を待ち構えた。

 

 けれど、いつまでたってもリンちゃんがカレー麺を取り出そうとする様子はなかった。お腹を空かせたなでしこちゃんを気の毒そうに眺めるだけだ。いったいどうしたんだろう。もしかするとリンちゃんはカレー麺を持ってきていないのだろうか? 僕は急に不安になり始めた。

 そもそもリンちゃんとなでしこちゃんの出会い方からして原作とは違う。僕が先になでしこちゃんに出会ってしまって、それからここへ連れてきた。同じようで同じではない。僕という存在がいることでどんなバタフライエフェクトがあるか分からないのだ。ひょっとしたらリンちゃんは今日カレー麺を買い忘れてきたかもしれない。自分がなでしこちゃんを見つけたわけでもないから、わざわざ食料を提供する必要性を感じていない可能性だってある。そうだというのならば――

 

「ちょっと待ってて!」

 

 僕はやおら立ち上がると自分のサイトへと向かった。荷物の中を探してお目当てのものを見つけると、急いで二人の下へ戻る。

 

「お待たせ。申し訳ないけれど、お湯沸かして貰ってもいいかな?」

 

 僕はリンちゃんに尋ねる。手にしたのはカレー麺と割り箸と、水の入ったペットボトル。僕が買ってきていたものだ。

 簡単なことだ。リンちゃんがカレー麺を出さないなら僕が出せばいいのだ。浩庵キャンプ場に来てカレー麺を持って来ないゆるキャン△ファンだなんて、そんなことがあるだろうか。少なくとも僕には考えられなかった。

 

 「はいどうぞ、これ食べていいよ」

 

 そう言って僕はなでしこちゃんにカレー麺を差し出した。

 

 「え? そんな、そこまでして貰っちゃ悪いですよぅ!!」

 

 慌てて手を振るなでしこちゃん。なんだかリンちゃんのときに比べると随分と遠慮がちだ。でも、受け取って貰わないと僕だって困る。

 別に原作の通りにしようだとかそういう理由だけじゃない。確かにここでカレー麺を食べるのが漫画でもアニメでも正しい流れだし、もちろん目の前でお腹を空かせた女の子を放っておくことに対する後ろめたさだって多分に含まれている。

 でもそんなことよりも、僕は単純になでしこちゃんに()()()()()()()()()()()()()()()()を知って欲しかったのだ。寒空の下で、焚火に当たりながら温かなカレー麺を食べる。はふはふと白い息をこぼしながらあつあつのスープを飲めばじんわりと体の中からあったまって来る。静謐な夜の空気と、見上げれば満天の星月夜。なんてことはないカレー麺の味は、家の中で食べるそれと本当に同じものかと思ってしまうほどの贅沢感に満ち溢れてくる。

 そんなキャンプの醍醐味を、少しでもいいからなでしこちゃんに味わって欲しかったのだ。

 

「いいのいいの、気にしないで。何かあった時の予備の食糧だし、こういうときのためにあるようなものなんだからさ」

 

 本当はあとで夜の富士山を眺めながら食べるつもりだった。好きなキャラクターと同じ行動をすることで同じ心情を味わうという追体験のための小道具としてカレー麺を買ってきた。けれどもお腹を空かせたなでしこちゃん本人に食べてもらえるというのならば、間違いなくその何倍も価値のある使い方だ。

 

「あっ、ありがとうございますっ!!」

 

 顔をほころばせてなでしこちゃんはカレー麺を受け取ってくれた。なんだかそれがとても嬉しくて、なぜだか僕の方がお礼を言いたいくらいだった。

 

 

 

 リンちゃんがバーナーを点火してクッカーを火にかけてくれる。青白い火が立ち上るバーナーと焚火を見比べて、なでしこちゃんが不思議そうに問う。

 

「あっちで沸かさないの?」

 

 そう言って焚火を指さした。

 

「焚火で沸かすと鍋が煤で真っ黒になるから」

 

「へえ~、そうなんだ。プロみたいだねぇ!!」

 

 二人の微笑ましいやり取りを眺めながら、僕は焚火の火をいじる。なでしこちゃんが風邪をひいてしまわないよう、火の勢いが落ちてこないように新たな薪を積み上げていく。

 

「私のスマホ貸すから、家の番号言って」

 

 リンちゃんがスマホを手にしてなでしこちゃんに告げる。その手があったかと一瞬呆けたような表情をしたなでしこちゃんだったが、すぐに「引っ越したばかりで分かりません!!」と白旗を上げた。

 

「だったら自分のスマホの番号は?」

 

「記憶にございません!!」

 

 買ったばかりのスマホと引っ越したばかりの新居――なでしこちゃんにとっては本当にタイミングが悪かった。お姉さんを呼ぶという解決方法は知っているが僕が切り出すわけにもいかず、どうにも居たたまれない。

 

「うーん、手持ちがあればタクシー呼んであげられるけどなぁ」

 

 宿泊費と買い込んだ食材のためにあいにくと財布の中身は心もとない。翌日下ろせばいいと、そこまで現金を用意していなかったのだ。それになでしこちゃんが新居の場所を正しく説明できるのかという問題もある。

 三人して頭を悩ませるも妙案は浮かんできそうにはなかった。

 

「あっ、わいた!! わいたよ!!」

 

 鍋の沸騰に真っ先に気付いたなでしこちゃんが声を弾ませた。

 とりあえず問題は脇に置いて、なでしこちゃんにはカレー麺を味わってもらうのがいいだろう。まあ、いざとなればお姉さんを思い出すようになでしこちゃんをそれとなく誘導するしかないが……それまではこの短いキャンプもどきの時間を楽しんで貰えばいい。空腹は何よりのスパイスだ。カレー麺の味はきっと忘れられない思い出になるに違いない。

 まるで自分のことのように浮かれている僕が、そんなことを思っていたとき―― 

 

 「あの……よかったらこれ、どうぞ」

 

 リンちゃんが僕に向かって何かを差し出してきた。見覚えのある黄色字のプリントと白の発泡容器。

 カレー麺だった。よく見れば彼女の前に一つと、僕に差し出した手の中に一つ。二つのカレー麺がそこにある。僕は思わず驚いてリンちゃんを見た。

 

「私もちょうど同じの持ってきてましたから。これでみんなの分ありますし……」

 

 そう言って少しきまり悪そうに頬を掻くリンちゃんに、そのとき僕は思い至った。

 

 きっと、彼女は人数分に満たないカレー麺を出そうにも出せなかったのではないだろうか? 原作どおりに二つのカレー麺を持ってきていたリンちゃんは、なでしこちゃんと二人ならば問題なく分け合えた。けれど僕が居たばっかりにカレー麺の数が足りない。一人だけがあぶれてしまう。それが誰になるのか、誰が決めるか、そういったことを気にしてカレー麺を差し出すのを躊躇ってしまったのではないか、と。

 

「あぁ、うん……ありがとう!」

 

 そんな思いが頭を過ぎった僕は、咄嗟にお礼を言ってリンちゃんからカレー麺を受け取った。ついでに「ごめんね」と口をついて出そうになったがそれを堪える。

 何が「食料を提供する必要性を感じていない可能性もある」なのだろう。自分が何をしているのかまるで理解していないというのに。きまりが悪いのは僕の方だ。もしかすると顔が赤くなっているかもしれない。

 焚火の照り返しが誤魔化してくれると信じ、僕は薪を一本追加で火にくべた。

 

 なんとかこうして揃った三人分のカレー麺に、お湯が注がれていく。最後に注いだ一つにはいささかお湯が足りなかったが、僕は迷わずそれを手に取って気にせず蓋をして三分間待つ。

 なでしこちゃんが焚火の傍に近寄るのを見越して薪を追加する。勢いよく燃える焚火からは力強い熱が伝わってきて、周りの冷気を退けてくれる。本当にリンちゃんの言葉の通りだと思う。“たとえ顔が乾燥すると分かっていても、煙臭くなると分かっていても、この暖かさには勝てない”のだ。 

 そうして焚火で暖を取っていれば、いよいよカレー麺の蓋を開封するときがやってきた。

 

「かれーめん♪ かれーめんー♪」

 

 湯気を上げるカップ容器から漂う食欲をそそる香りになでしこちゃんが目を輝かせる。待ちに待った瞬間だ。

 

「いただきますっ!!」

 

 満面の笑みでそう宣言すると、そこからはなでしこちゃんの独壇場だった。

 ぱちん、と綺麗に割り箸を割ってカップを持ち上げると息を吹きかけて麺を冷まし、勢いよく音を立てて最後まで啜る。すかさずそこにスープを含んで噛みこんだ麺と同時に嚥下すれば、喉からはアツアツの呼気が漏れ出してなでしこちゃんの顔の周りを真っ白く彩った。

 一口一口ごとに幸せを噛みしめているかのような表情でカレー麺を頬張るその様子に、僕もリンちゃんも自分の箸を止めてしばし見入ってしまっていた。

 ああ、これだ、この食べっぷりだ。僕の頭の中に「キャンプ行こうよ!」が掛かりだした。これを目の前でやられるとその破壊力は抜群だった。なでしこちゃんにかかれば、たとえカップ麺でもなんだかとんでもないご馳走を前にしているかのような気分にさせられてしまうのだ。

 

「美味しそうに食べるなぁ……」

 

 思わずぽろっとこぼれた言葉にリンちゃんも小さく頷いていた。そんな僕らにお構いなしに一心不乱にカレー麺をかき込んでいたなでしこちゃんは、やにわに箸を止めてたっぷりと溜めを作ると「ぷはっ……!」と嬉しそうな吐息を漏らす。

 

「くちの中ヤケドした!!」

 

 キラキラと輝くような表情でそんなことを言うなでしこちゃんに怪訝な表情を浮かべたリンちゃん。そんな二人を見て僕は笑いながら自分のカレー麺を啜った。

 

 

 

 

 

 

 「ねえ、あなたどこから来たの?」

 

 カレー麺をあらかた食べ終えた頃、リンちゃんがなでしこちゃんに向かってそう尋ねた。

 

「あたし? ずーっと下の方。南部町ってとこ」

 

 その問いにこともなげに返答したなでしこちゃんだが、南部町はここから40kmはある。自転車には少々過酷な道のりだが、彼女の富士山に対する熱意はその程度の距離はものともしなかったようだ。

 

「南部町……よくチャリでここまで来たね」

 

 そんな感心するような口ぶりのリンちゃんもまた、上り坂の本栖みちを荷物を積んだ自転車で走ってここまで来たのだから、その健脚っぷりは大したものだ。二人の小柄な身体のどこにそんなパワーが秘められているのだろう。僕は不思議でならなかった。

 

「本栖湖の富士山は千円札の絵にもなってるーって、お姉ちゃんに聞いて長ーい坂上ってきたのに……曇ってて全然見えないんだもん」

 

 口をとがらせるなでしこちゃんは、「聞いてよ奥さん!」とリンちゃんに冗談をけしかける。けれどもリンちゃんの視線は何かに気が付いたようにその背後へと向けられ、それから思わずといった様子で目を見開いていた。僕も同じように顔を上げ、飛び込んできた景色に目を細める。

 僕はこの景色を何度も画面越しに見ていたけれど、やっぱり自分の目で直に見るのとは全然違っていた。確かにこれが見られるというのなら、なでしこちゃんが自転車で40kmを踏破して来ようとした気持ちも分かるかもしれない。

 

「見えないって、あれが?」

 

「え?」

 

 リンちゃんの言葉にきょとんとするなでしこちゃん。リンちゃんと僕の視線が交差する。同じものを見ていた僕たちはニヤッと笑いあって、まだ気付いていないなでしこちゃんに教えてあげることにする。

 

「あれ」

 

「うん、あれだよ。ほら」

 

 そう言って二人でなでしこちゃんの背後を指で示す。

 

「あれ?」

 

 なでしこちゃんが不思議そうに後ろを振り向いた。

 

 

 

 指の先で月が富士山を照らしていた――

 

 金色の月明かりが富士山と本栖湖を柔らかくライトアップし、湖面のさざ波にキラキラと反射している。夜闇から浮かび上がった山の姿が、澄み切った空気の中で厳かに佇んでいた。

 

 僕も、なでしこちゃんも、リンちゃんも、皆が只々その景色に見入っていた。

 

 夜空を背景にした山影を見て湧いてくる感情は一体何だろう。明るい太陽の下で見る富士山から受ける雄大な迫力とはまた少し違っている。月光を浴びて泰然と座するその姿は沈思的でありながらも、神秘的な切り口から語りかけてくるかのようだった。ならばこの瞬間、きっと僕らはそれぞれにその言葉を受け止めていたのだろう。

 

「見えた……ふじさん……」

 

 呆然となでしこちゃんの口から呟きが漏れた。たったそれだけの言葉で、今日彼女が負った数々の苦労が報われたであろうことが十分に伝わってきた。

 

 美しい本栖湖の風景――

 心奪われたように立ち尽くすなでしこちゃんの後ろ姿――

 それを見てどこか満足そうな微笑みを浮かべたリンちゃんの姿――

 

 僕はきっとこの光景を生涯忘れることはないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ」

 

 そして、そんな余韻を打ち破って声を上げた人物がえへへと笑って僕らの方へと振り向いた。

 

 「お姉ちゃんの電話番号、知ってたよあたし」

 

 なでしこちゃんは恥ずかしそうに頭を掻きながらそう言った。

 僕だって知っていた。このまま思い出さなかったらどうしたものかとハラハラしていたが、無事思い出してくれて何よりだ。僕はそっと安堵の溜息をついたのだった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 「ウチのバカ妹が、ほんっとーにお世話になりました。これ、お詫びです。お二人で分けてください」

 

 僕とリンちゃんの前で深々と頭が下げられる。なでしこちゃんの連絡で迎えに来てくれたのは、彼女のお姉さんだ。つまり、この女性はおそらく”桜さん”ということになるのだろう。

 

「あ、いや、別に大したことは……」

 

「僕はあまりお力になれませんでしたから……」

 

 保護した、というと聞こえはいいが、実際にやったことといえばなでしこちゃんを(リンちゃんの)焚火に招いてお湯を沸かし(て貰い)、カレー麺を食べただけだ。そもそもがリンちゃんの功績で、僕はそこに相乗りしただけなのだからお礼を言われるとなんともむず痒い。キウイフルーツの入った袋を恐縮しながら受け取る。

 当の本人であるなでしこちゃんは横でお姉さんの鉄拳制裁を食らって涙目で頭を抱え込んでいた。

 

「アンタ持ち歩かなきゃ携帯電話とは言わないのよ!! おらっ、さっさと乗れ、ブタ野郎!!」

 

 桜さんは大層お冠な様子で、なでしこちゃんを叱ると乱暴に車に放り込む。文字通り車中に蹴り込まれたなでしこちゃんはといえば、「いで、いででで、やめっ、カレー麺でるぅ!! うぶぅ!!」と可哀そうな悲鳴を上げている。中々に過激なやり取りではあるがそれもお姉さんの心配の裏返しだ。とはいえその様子に僕とリンちゃんはただ苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

「おやすみなさーい。カゼひかないでくださいねー」

 

「おやすみなさい……」

 

 立ち去っていくテールランプを手を振って見送ると、リンちゃんは早々と自分のサイトへと帰ろうとする。色々とあってきっとくたびれていることだろう。

 けれど、もうちょっとだけ続きがあることを僕は知っている。僕はわざと少しだけリンちゃんから離れて、なでしこちゃんを待つ。

 

 「ちょっとまってー」

 

 そして思ったとおりになでしこちゃんはやってきた。

 呼び止められて怪訝そうな様子で振り向いたリンちゃんに、息を切らせたなでしこちゃんが一枚の紙片を握らせる。

 

「はいこれあたしの番号!! お姉ちゃんにきいたんだー」

 

 にっこり笑ったなでしこちゃんと対照的に、リンちゃんは少し面食らった表情をしている。

 

 僕はちょっとだけリンちゃんを羨ましいと思いながら、二人が楽しそうに(というよりはほぼ一方的にだが)キャンプの約束を取り付けるのを一歩引いて眺めていた。

 当然だが僕に連絡先が渡されることはないだろう。それでいいと思う。本来ならば僕はこの場にいないはずの人間だし、初対面の男に軽々しくスマホの番号を教えない程度の常識をなでしこちゃんが持ち合わせていることは喜ばしいことだとも思う。

 だから一人だけ蚊帳の外なのが少し寂しいなんて感傷的な気持ちが湧いてくるのが自分でも可笑しかった。彼女たちにとって僕は偶然居合わせた第三者でしかないのだから、そんな感情を抱かれるのも心外というものだろう。けれども僕は二人を一方的に知っている。しまりんもなでしこも、他のメンバーだって、画面を通してキャンプの楽しさを分かち合った友人のような気さえしている。でもそれは創作物に向けられたただの錯覚なのだ。そこをわきまえなければ、僕はやけに馴れ馴れしい不審な男として見られてしまうことになる。二人にとってのこの夜を、そんな記憶で塗り潰してしまうのは絶対に嫌だった。だからこそ僕は努めて静かに二人を見守るだけにしていたのだ。

 

 それゆえになでしこちゃんが続いて僕の目の前にやってきたとき、咄嗟に反応することができなかった。

 

「今日は助けてくれてありがとうございます!! カレー麺もすっごく美味しかったです!! またいつかキャンプ場で会ったときはお返ししますねっ!!」 

 

 花の咲くような笑顔でそう言ったなでしこちゃんがぺこりと頭を下げた。思わず目を瞠った僕が言葉に詰まっていると、「じゃーまたねーっ!!」と手を振って車へとかけ戻っていってしまう。

 後に残された僕とリンちゃんは互いに呆気にとられた顔で立ち尽くすばかりだった。

 

 それにしても、もうすっかりなでしこちゃんはキャンプを始める気満々のようだった。なにせ連絡先を渡したリンちゃんだけでなく、僕とも再会するつもりでいるらしいのだから。偶然居合わせただけのどこの誰とも知らないキャンパーと、またいつかキャンプ場で出会う気でいるというのだ。

 それは彼女なりの社交辞令なのかもしれない。でもそんな夢物語のような展開も彼女が口にすれば不思議と叶うんじゃないかと、ふとそんな気がしてしまう。

 

 だって、なんといってもなでしこちゃんはゆるキャン△の主人公なのだから――

 

「戻ろっか……」

 

「そうですね……」

 

 隣のリンちゃんに声を掛けると静かな返事が返って来る。手にしたメモをどう扱ってよいか分からず、釈然としない様子だった。「あまり悩む必要は無いよ、だって君たちはすぐに学校で再会するんだから」と教えてやりたい気持ちになるけれど、グッと我慢する。

 代わりに手にした袋からキウイを二つ三つばかり取って残りをリンちゃんに渡してあげる。

 

「ほら、美味しそうなキウイだから持っていきなよ」

 

「え? あ、いやでも……」

 

「僕は独り身だからこれだけあれば十分だからさ。家族の人と分けなって」

 

「は、はあ……すみません」

 

 そう言って僕の差し出した袋をリンちゃんはおずおずと受け取った。

 

 それから本栖湖までの短い道を途中まで一緒に歩いた。僕は言おうと思っていた言葉をリンちゃんへと告げる。

 

「ありがとうね、今日は助かったよ」

 

「はい?」

 

「あの子も同い年くらいの女の子がいて安心しただろうからさ。僕一人だけじゃ、もしかしたら警察呼んで事情聴取とか受けることになってたかもしれないよ。いやホント真面目な話」

 

 冗談っぽく言うとリンちゃんは少しだけ笑った。

 

「いや、それだったら私もちょっとだけ悪かったというか……。実は昼間のうちに寝てたアイツを見かけたんです。でもそのときはほっといちゃって。もしもそのときに声かけてれば、こんなことにならなかったのかなと思うとなんか申し訳なくて」

 

 やはりリンちゃんはなでしこちゃんを見かけていたらしい。僕が来た後になでしこちゃんは本栖湖へ来たのだろうか。それとも……そのときはまだ、僕らの時空は重なっていなかったのだろうか。いずれにせよ考えても仕方のないことだ。ただ、無事になでしこちゃんとリンちゃんの出会いは果たされた。それだけで十分だろう。

 

 そうしているうちにキャンプ場へ着く。リンちゃんとはここでお別れだ。

 

「それじゃあおやすみ。風邪ひかないようにね」

 

「おやすみなさい」

 

 小さく手を振り合うと、リンちゃんは自分のサイトへと帰っていった。

 

 僕がサイトへ戻るとランタンの明かりはまだついていた。焚火は鎮火している。火床の底を崩すと僅かな燠が残っていた。そこに松葉を翳して息を吹きかけると、ほんの小さな火が点る。椅子に深く腰掛けて、再び焚火が燃え上がるのを待つ。缶の中にはまだ少しだけ酒が残っていたが手を付ける気にはなれなかった。

 

 ああ、本当に、なんという夜だろう――

 リンちゃんとなでしこちゃん。二人の少女とこの本栖湖で出会うだなんて、今でもまだ信じきれない自分がいる。彼女たちは漫画のキャラクターで、画面の中の登場人物だったはずだ。けれど、今宵僕はその二人と実際に言葉を交わした。一緒に焚火を囲んでカレー麺を食べた。けして僕の妄想などではないリアルな反応が返ってきた。彼女たちはただの登場人物ではなく、間違いなく一人の人間としてそこにいたのだ。これをファンタジーと言わずして何と言うのだろうか?

 

 焚火が十分に大きくなったところで僕はランタンのツマミをそっと回した。ガスの燃焼音が消え、静けさが耳に滑り込んでくる。夜空を見上げれば雲一つなくなっている。明日の朝はきっと冷え込むことだろう。

 

 抱えた感情を咀嚼するのにはまだ随分と時間がかかりそうだった。

 ずっとこの余韻に浸っていたいと思いながら、僕は椅子に座って、夜の富士山をいつまでも眺め続けていた。

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

 がやがやとした音が耳に飛び込んできて僕は目を覚ました。

 人の話し声が聞こえる。車のドアが何度も開閉し、盛んにペグハンマーが振るわれている。時計を見れば既に9時を回っている。

 僕は慌てて跳ね起きて、テントの外へと飛び出した。

 

 

 

 キャンプ場内は昨日の閑散具合が嘘のように人で溢れかえっていた。車両が何台も乗り入れ、そこかしこで次々とテントが立てられている。僕は急いでアイボリーカラーのムーンライトテント3型を探したのだけれど――どこにも見当たらなかった。

 

 昨晩の記憶を頼りにリンちゃんのサイトの近くまで歩いていってみる。確かにここだと思う場所にやって来るが、そこにはもう既に他のキャンパーが入り込んでいてサイトを設営している最中だった。

 僕は呆然と辺りを見回して何か残っていないかと視線をさまよわせる。すると近くの地面に残された焦げ跡が見つかった。傍によってしゃがみ込んでみる。

 ここで僕たちは焚火をしたのではなかっただろうか。でも、かまどを組んだ痕も、石の形も、何一つ正しく覚えていない。暗かったのだから当然だ。

 しばらく佇んでいると、隣で設営しているキャンパーがじろりとねめつけてくる。「まさかここに入ろうとしているんじゃないだろうな」という視線に晒されて仕方なく僕はその場を後にする。

 

 チェックアウトの時間が迫っていたので急いで荷物を片付けなければならなかった。自分のサイトに戻って撤収作業を始めながら僕は考え込んでいた。

 リンちゃんはもう出て行ってしまった後なのだろうか。彼女のことだから、人が増えてきた段階でさっさと荷物をまとめてしまったのかもしれない。今の状況はきっと彼女には快適ではないだろうから、十分に考えられる話だ。でも、あるいはそれとも――

 それ以上僕は考えるのをやめて片付けに集中することにした。そうは思いたくなかったけれど、否定材料はあまりにも頼りない。酒に酔っていたときの僕の記憶。それから今となっては誰の物とも分からない焚火の跡だけが、彼女が居たであろう唯一の痕跡だった。

 

 

 

 車に荷物を積み込んでキャンプ場の出入り口へと向かう。今もやって来る車はひっきりなしで、こうしてみればなるほど間違いなくここは押しも押されぬ人気のキャンプ場だ。とても昨日と同じ場所とは思えないが……いや、本来ならこれがあるべき姿なのだろう。

 帰りがけにセントラルロッヂに立ち寄ってみると、売店でゆるキャン△のポップを見つけた。リンちゃんがこんなものを見たらどんな顔をするのかと思うと笑いそうになる。チェックインをしに来ればきっと目に入るはずだ。なら、間違いなくここは浩庵キャンプ場だ。

 本栖湖キャンプ場ではなく、僕が生きる現実の世界だ。

 

 ハンドルを握って本栖みちを下っていく。

 何となくカーオーディオで曲をかけて静かに口ずさむ。フロントガラスに流れる山々の紅葉がいっそう鮮やかさを増して、冬日和が近づいてきているような感じがする。

 

 

 

 「本栖湖でしまりんとなでしこに出会った」。

 SNSでそう呟けばなんと言われるだろうか。たぶん誰も気に留めないだろうし、鼻で笑われるのかもしれない。

 たとえそうだったとしても構わない。他の誰が信じなくとも僕だけは信じることに決めた。何せその方がずっと楽しくて、ワクワクして、とても素敵で、人生を前向きになれる。

 だから僕は胸を張ってこう言うだろう。

 

 

 

 あの夜は、きっとそらでつながっていたのだと。

 

 

 



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ふもとでの再会(1/2)

 

 テーブル上に置かれたフォールディングナイフに右手を伸ばす。手馴染みのよい木目の柄から銀色のブレードを引っ張り出し、金具を回して固定する。シンプルなデザインのその道具を左手に持った茶色の薄皮に添わせれば、さりさりと音を立てて刃先が滑り込んでいく。 

 その作業を続けながら、僕はついこの前あった浩庵キャンプ場での出来事に思いを馳せていた。

 

 

 

 本栖湖での夜――僕がリンちゃんとなでしこちゃんに出会った夜のことは、遥か昔のことのようにも、つい先ほどのことのようにも思われる。

 始めは隣にいるのがリンちゃんとは知らずにそれぞれにソロキャンプをしていた。けれど夜になって困り果てていたなでしこちゃんと公衆トイレで出会ったことで、僕はいつしかファンタジーの境界を踏み越えていたことに気付く。それからリンちゃんのサイトを訪れて三人で焚き火を囲んでカレー麺を食べ、一緒に夜の富士山を眺めた。やがて連絡を受けた桜さんが本栖湖へやってきた所でその場はお開きとなり、僕らはなでしこちゃんと別れの挨拶を交わした。去り際、彼女から「またいつか」と言われたことを覚えている。

 彼女たちと過ごした時間は鮮明に僕の中に焼き付きながらも遠い日の記憶のように朧気で、明くる朝には全てが夢だったかのように呆気なく終わりを迎えてしまった。

 けれども確かに僕はゆるキャン△の世界に邂逅したのだ。キャンプからの帰路は常に現実に向かう道の途中で、どことなく憂鬱な気分にさせられるのだけれど、そのときはそれがいっそう僕の身に堪えた。

 そして僕は日常へと帰還した。

 

 忙しない日々の中で僕はずっと彼女たちにまた会いたいと思い続けていた。会ってもう一度、今度はカレー麺じゃない野外料理を楽しんだり、綺麗な景色を一緒に眺めたり、キャンプ談義に花を咲かせたりなんてしたかった。きっとゆるキャン△ファンならごく当然の発想だろうが、それを本気で実現したいというのだからとんだ妄想家もいたものだ。僕は白昼夢を追いかけるただの愚か者なのかもしれない。でも――

 

 

 

 手の中でナイフが一周し、全ての皮が剥き終わる。緑色の果肉を適当なサイズに切り分け、刃先で突き刺して口へと運ぶ。もうすっかり酸味は薄れ、熟した果実の甘みと柔らかさが舌の上に残った。

 

 顔を上げて宙を見やれば、鰯雲を追って赤トンボが編隊を組んで飛んでいく。最後の遊覧飛行だろうか。目の前の富士山の雪化粧は、もう裾野まで迫りつつあった。

 

 11月の第二週――リンちゃんとなでしこちゃんが初めて一緒にキャンプをする日だ。

 荷物の中に紛れていた()()()()()()()()()()()()()()()が、この週末僕を”ふもとっぱら”へと誘った。

 夢の続きを追い求めて僕はこのキャンプ場へとやって来たのだ。

 

 

 

 椅子から立ち上がって腕を広げ、背中をくくっと伸ばしながら周りを見渡してみる。そんな単純なことでもふもとっぱらの良さを感じることができる。

 ぐるりと360度を眺めれば、山々に囲まれてだだっぴろい平らな草原が広がっている。どこまでも遠く駆けだしていきたくなるような高原のパノラマ――それを巡って正面に視線を向ければ、聳え立つという形容がこれほどにも相応しい富士山の雄姿がどかりと居座っている。子供が見上げたら背中側にひっくり返ってしまうんじゃないかとさえ思うほどだ(それは流石に大げさだけれども)。遠くの方に張られたテントやタープに横付けした車が富士山の方角へ近づくほどに、それが大型幕や立派なキャンピングトレーラーであってもまるでミニチュアのように見えてしまっている。

 溜め息の出るような解放感――それこそがこのキャンプ場の精髄だろう。その敷地面積はおおよそ東京ドームの5倍。各種イベントや野外フェスの開催地にもなっている日本でも指折りといっていいキャンプ場で、それゆえにたとえ冬になっても客足が途絶えることはない。

 前回の本栖湖のときとは異なり、周囲には多くのキャンパーたちがひしめき合っている。その様子はさながらテントの博覧会だ。

 

 僕は辺りに立てられた色とりどりの天幕を観察する。

 スタンダードなドーム型のテントや大きな前室を備えたツールームテントにはファミリーでの利用者が多い。いずれも利便性が高く、特に後者はリビングを幕内に作れることから冬キャンプでは頼りになる。一段と目を惹くのは釣り鐘型の白いベルテント。ラグジュアリー感のあるコットンやポリコットン製のものはいかにもSNS映えしそうなお洒落具合で、ガーランド(カラフルな布を紐で繋いだ装飾品の一種)や電飾を施された姿は実に賑やかだ。あるいはそれらと対照的なのがパップテントなどの軍幕の類い。もともと軍事行動中の野営を目的とした小さなテントで、二枚の布を合わせて立ち上げたような構造は実用品らしくいたってシンプル。カーキグリーン一色の外観はいかにも不愛想でそっけないが、武骨でタフな佇まいには男心をくすぐるものがある。

 また、僕と同じティピーテントもちらほらと見受けられた。ティピーとはアメリカ先住民の移動式住居のことで、それを基にした三角形のテントをそう呼ぶのだ。つまりゆるキャン△の“(これ)”だ。そのうちのいくつかからは薪ストーブの煙突がにょきりと顔を出し、脇で持ち主が薪割りに精を出していた。

 

「薪ストーブか……いいなあ」

 

 冬にキャンプを行う上では最高クラスの暖房器具といっていいだろう。手入れの手間はかかるし火事や一酸化炭素中毒の危険性もあれど、その強力な火力による暖房効果と調理にも使える熱源、最近では炎が覗ける窓付きの物も増えて、テントの中に居ながら焚火をしているような気分に浸れるなど大きな魅力を兼ね備えている(当然のようにそこには自己責任という言葉が付いて回るが)。

 

 想像してみよう。テントのてっぺんから煙突を出してゆらゆら煙をくゆらせる。外気温は氷点下――けれども幕一枚隔てれば、そこは暖かくて快適なリビングスペースだ。薪ストーブに燃える火はまるで暖炉のよう。温度的にも視覚的にも中にいる人の身体を温めてくれる。天板にフライパンを置いてベーコンでも乗せておけば、じきに美味しそうな匂いが漂ってくる。汗ばむほどの幕内なら冷えたビールだってよく進む。これほどの贅沢もそうはあるまい。アイスと炬燵、雪景色と露天風呂、それから、冬キャンと薪ストーブといった具合だ。間違いなくリンちゃんの言うところのマッチポンプの一種だろう。

 

『リンちゃん、見て見て!! 煙突、煙突だよ!!』

 

『いらっしゃいなでしこちゃん。薪ストーブを入れてみたんだ。ベーコンが焼けてるから一切れどうかな?』

 

『わあーっ、いいんですかっ!?』

 

『勿論! リンちゃんも外は寒かったでしょ? あったまっていきなよ!』

 

『いえ遠慮しときます。ほら、行くぞなでしこ』

 

『リンちゃーん待ってよー!』

 

 やっぱフラれた。ガンコなソロキャンガールだぜ。まあ、僕は薪ストーブなんて持ってないのだし妄想もほどほどにしておこう。

 

 

 

 それにしても、未だにアイボリーカラーのムーンライト3型は見当たらなかった。リンちゃんたちはいつやってくるのだろう。どうにも気になってそわそわとしてくる。椅子から立ったり座ったりしてみたり、貧乏揺すりをしてみたりとまるで落ち着きのない犬のようだ。

 実は既にふもとっぱらの場内散策を二回ほど敢行している。リンちゃんの巡ったフォトスポットも、変な二体のライオンのような石像も、一通り見て回っているのだ。もしかしたらどこかでリンちゃんにかち合うんじゃないか、なんて思っていたけれど今のところ空振りに終わっている。原作でリンちゃんは十一時頃にはキャンプ場に着いたはずだから、十三時を過ぎた今現在は場内のどこかにいてもおかしくはないはずなのに――

 

 そんな推論が頭をよぎり出したところで僕はふーっと長く息を吐き出した。知らず知らずのうちに体に入っていた力を抜く。キャンプへ来たにもかかわらずどうにも気を張りつめていたらしい。そんなことをしたって一文の得にもなりはしないというのに、なんとも滑稽な話だ。足掻いたところで僕が再びゆるキャン△の世界に触れることができるかなんて誰にも分からないのだ。本当にそんなものが有るのかも、そんなことが起きるのかも、真面目に考えようとするのはナンセンスだろう。

 なでしこちゃんがやって来る夕方までには時間はまだ随分とある。せっかくこのキャンプ場に来て気もそぞろに過ごすだなんて、あまりに勿体無いではないか。

 僕は今日キャンプをしにここへ来た。リンちゃんたちだって、キャンプを楽しみにここへやって来る。僕らはめいめいにこの一日を楽しめばいい。その一瞬が交差するかどうかは、ただキウイのみぞ知る、だ。

 

 

 

 椅子を折り畳み、車を開けて中に仕舞い込む。同じようにテーブルも。細々した物をカゴに放り込んでしまえば、僕のサイトは綺麗さっぱりと片付いた。なにせテントはまだラゲッジから取り出してすらいないのだ。

 

 思うに今日は良い場所に陣取りすぎてしまったらしい。炊事場とトイレから近く真正面に富士山を迎えたこの場所は、しかし他のキャンパーと少々近すぎる。皆、利便性を考えて僕と同じような場所で次々にサイトを構えていったためだ。テントと車に取り囲まれるような立地は、広大なこのふもとっぱらではなおさら息苦しく感じてしまわれた。もしリンちゃんがやって来るとしたらきっとここの近くには張らないだろう。

 

 包囲されて抜け出すのが困難になる前にと、僕はキャンパーの群れを抜けて外縁へと移動する。ほんの少し車を動かしただけで僕の目の前に広がる光景は随分と様変わりしたように思う。例えるなら郊外の峠道にある展望台から遠く街の灯を一望するような、そんな感じだろうか。離れてみればこそそのスケールが良く分かるように、群がるような天幕の列を遠くから眺めると、なんだか少しキャンプ場が広くなったかのようだった。遥かな富士山の懐に抱かれたこのふもとっぱらは、やっぱり途轍もなく大きかったのだ。

 

 

 

 テントを張ってサイトに腰を据えたことで、ようやく焚き火の準備に取り掛かる。ここは浩庵キャンプ場と違って直火が禁止だから、愛着のあるこの道具にもしっかり出番があるのが嬉しい。フレームを組み上げ、火床を広げて取り付ける。耐火布で作られたこのコンパクトな焚火台は、実はゆるキャン△のコミックス第一巻の表紙を飾っている道具でもあったりする。

 

 薪の破片を剥がし取り、樹皮を細かく裂いて焚き付けに用いる。普段使う着火材を忘れてきてしまったので、少しばかり慎重に火を熾さねばならない。そういうとき、松ぼっくりに頼れなければナイフを使って”羽根”を作るのがいいだろう。細めの薪を手に取って表面をささくれ状に薄く削っていく。出来上がった木製の歯ブラシのようなフェザースティックを何本か焚き付けの上に重ね、ガストーチで火を付ける。これがブッシュクラフトの達人なんかになるとファイヤースターターやメタルマッチなんていう火花を散らす道具で火を熾してしまうのだけれど、なかなかそこまでは難しい。

 着火剤やバーナーを使わない焚火は、燃え上がった火がちゃんと薪に移っていくまで辛抱強く見守ってやる必要がある。風で吹き散らされぬよう、熱を逃がさぬように薪で囲ってやり、酸素を供給するためにそっと空気を送り込んでやる。時折くすぶって黒煙を上げる焚火はまるでぐずる赤ん坊みたいで、僕はなだめすかすようにその都度手をかけてやらなければいけなくなる。けれどその火が(なら)薪のひび割れた木繊維を焦がし、シュウシュウと断面からあぶくが噴き出るくらいになれば、もうその役目からは解放される。

 手を翳すと冷たい風に容赦なくかじかませられた指先がじんわりとぬくもりを帯びていく。そうやって手ずから熾した火にあたるとき、僕は何か大事なことをやり遂げたかのような得も言われぬ満足感に包まれている。

 焚火が本来の機能を取り戻すこの時期のキャンプが、やっぱり僕は好きなのだ。

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

 かくんと頭が落ちた拍子に僕は意識を取り戻した。

 ちょうど夕日が山の端に消えていくところで、景色の中にある全てが(あかがね)のように輝いている。いつのまにかうとうととしていたらしい。大して背もたれのない椅子だというのに、我ながらなんとも器用に舟をこいでいたものだ。軽く伸びをして凝り固まった身体を解していく。

 焚火の方は弱く静かに燃えていて、ちょうど最後にくべた太薪が真っ白な灰に還ろうとしているところだった。あまり長い時間ではなかったことにホッとする。いくら火にあたっているとはいえ、この寒空で無防備にうたた寝していては風邪をひいてしまいかねない。なでしこ強い子元気な子を誰しもが見習えるとは限らないのだ。

 

 火床にはちょうどいいくらいに燠が溜まって赤々と熱を放っていた。焚火で料理を上手くやりたいならこの燠が肝心だ。威勢のいい炎なんかで物を焼けば、煤とコゲで表面は真っ黒なのに内部は生のままと、ちっともいいことはない。その点、熾火は炎を上げることもなくじわりと遠赤外線を発する炭火に近い状態だ。だから、今なんかは料理をするにぴったりの火加減になっている。夕飯の支度の始めどきだろう。

 

 荷物の中をがさごそやって食材を引っ張り出す。そこまで凝ったことをやろうとは思ってはいなかったので、持ってきたのは適当に焼いて食べられるものばかりだ。出がけにスーパーに立ち寄って買ってきたのは、ソーセージに味付けの牛タン、それから丸々とした活ハマグリ。いずれもただ火を通すだけで済むし、調味料なしで十分に美味い。調理がシンプルであればシンプルであるほどに、いわゆる外ごはん効果というやつが活きてくる。ただ、ハマグリは砂抜きが済んでいないとのことなので一度洗い流しておく必要があるだろう。

 炊事場に赴いてハマグリを洗う。流石に固くて隙間からナイフを差し込むのに苦労したが、なんとか四つ分の貝殻を半面外して中の砂を洗い流した。

 

 

 

 用事が済んで炊事場からサイトへ帰る途中は、まだ少しばかり眠気から解放してもらえずに頭の芯が鈍かった。

 歩きながらぼんやりと空を仰ぐ。夕焼け空に羽ばたきを残して飛び去るカラスの間延びした鳴き声が、空気に溶け込むように消えていく。郷愁を誘うその音に耳を澄ませていると、そこに混じって次第に遠くから誰かを呼ぶ人の声が微かに聞こえたような気がした。一瞬気のせいかと思ったが、その惑いを打ち消すように声は徐々に明瞭になってくる。

 それは僕の知っている声で、僕の知っている名前を呼んでいる。

 

 僕はハッとして歩みを止めた。段々と近づいてきているそれを聞いて、僕の表情にどうしようもなく嬉しさが発露していくのが分かる。もう眠気なんかいっぺんにどこかへといってしまった。ゆっくり振り返って声のする方へ顔を向けると、大きな籠を抱えたなでしこちゃんが座っているリンちゃんへと駆け寄るところだった。

 

 一人でキャンプに来ていたリンちゃんの下に、斉藤さんから連絡を貰ったなでしこちゃんが鍋を振る舞いにやってくる。なでしこちゃんにとっては初めての。リンちゃんにとってもソロ以外で初めての。(ふもと)キャンプ場で行われる、それぞれにとって新しいキャンプシーンの一幕だ。そしてそれは僕にとっても――

 

 絵空事かと思っていた光景が、今僕の目の前で像を結んでいた。

 どうにもいつの間にやら誰かが「ふもとっぱら」から、「っぱら」を取っ払ってしまったらしい。僕はその誰かに感謝しないといけないだろう。おかげでこうしてまた二人と相見えることができたのだから。

 

 

 

 レジャーシートを広げて楽しそうに話をしていた二人がふと僕の方を見る。一瞬ぽかんと口を開けたなでしこちゃんの顔が、少しして大きく笑みの形をとった。リンちゃんはリンちゃんで、そんな馬鹿なとでも言いたそうに目を丸くしている。

 

 立ち尽くす僕の目には確かにそんな二人の姿がしっかりと捉えられていて、それはつまりこういうことを意味している。

 

 あのときと同じとびっきりの素敵な夜が、今再び僕の下へと訪れたのだ。

 

 

 

 

 

 



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ふもとでの再会(2/2)

 バッと勢いよく立ち上がったなでしこちゃんがシートの上で脱いでいた靴をいそいそと履き直そうとするが、それには及ばないと僕はなでしこちゃんたちの方へと歩み寄る。

 近くまで行くと、やっぱりそうだったと言わんばかりになでしこちゃんは笑みを浮かべた。隣のリンちゃんに目を向ければ彼女も覚えていてくれたらしく、こちらを見てぺこりとお辞儀をしてくれる。

 

「あの、こないだのキャンパーさんですよね!!」

 

「うん、当たってるよ。先週ぶりだね」

 

 元気よくなでしこちゃんの口から飛び出した言葉に、僕は少しはにかみながら頷き返す。同時に僅かばかりの緊張を引っ込めて、こっそりと胸をなでおろした。口ぶりと態度から察するに、彼女たちは間違いなくこの前本栖湖で出会った二人と同一人物だ。

 

 フィクションの中の登場人物と現実に出会う、それもましてや二度もだなんて普通に考えればありえないことだ。しかしそれが実際に起きたとしたら――よくよく考えればその二度目に遭遇した人物が()()()()()()()()()()()()保証はどこにもないということに、つい先ほど気が付いたのだ。恐ろしい話だがこれがもし本栖湖で会った二人とは別のリンちゃんとなでしこちゃんだった場合、僕はとても悲しい思いをすることになるし、突如馴れ馴れしく近寄ってきた怪しい男という不名誉な称号を得ることになってしまう。

 けれどそうはならなかった。ありがたいことに二人は先週出会ったリンちゃんとなでしこちゃんのままであり、同じ時間を過ごした記憶を持つ彼女たちだったようだ。

 

「ほらっ、やっぱりだよリンちゃん! すごい偶然だねぇ」

 

「本当にこんなことってあるのか……」

 

 無邪気ななでしこちゃんと違っていまいち信じきれないといった様子のリンちゃんにちょっとだけどきりとする。実際、正真正銘の奇跡としか言いようはないのでやましいところは何もないが、二人に会いたいと思って来たのだから下心がないとも言い切れないのだ。

 

 でも言葉尻だけを捉えれば僕も同じ気持ちだ。本当にリンちゃんとなでしこちゃんと再び出会えるなんてまさに夢を見ているかのようだった。どれほど期待を膨らませたとしても裏切られることも十分覚悟していただけに、僕は自分の頬をつねってみたい衝動に駆られる。もちろん、二人の前でそんな奇行に走るつもりはないけれど。

 

「ははは、確かに驚いたよ。しかしそうかぁ、さっそく二人でキャンプしてたんだ?」

 

「ちょうど今一緒になったところです。私は一人で来てたんで、いきなり声かけられてちょっとびっくりしましたけど」

 

 そう言ってリンちゃんはじとっとした目でなでしこちゃんの方を見た。確か、なでしこちゃんのことを考えていたところに声が聞こえてきて無意識に受け答えするシーンがあったはずだ。幻聴だと思っていた相手が目の前に現れたのだからかなりびっくりしただろう。

 

「えへへ。おんなじ高校の友達に今日はこの場所でキャンプしてるって教えてもらったら、つい私も来たくなっちゃって、お姉ちゃんに送ってもらったんです。それにこの前のお返しも……」

 

 リンちゃんの視線を受けてなでしこちゃんは恥ずかしそうに頭の後ろを掻いていた。けれども喋っている途中で急にハッとした顔つきになると、僕の方へと向き直る。

 

「そういえば! えっと、改めて言わなくっちゃ……この前は本当にありがとうございました!!」

 

 なでしこちゃんが僕に頭頂を見せた。

 

「あっ、いやいや! いいんだってそんな、頭なんて下げなくても!」

 

 僕は思わず慌ててしまった。確かにちょっといい格好をしようと勢い込んだかもしれないが恩着せがましくするつもりはこれっぽっちもなかったから、大げさに感謝されるとどうにもばつが悪かった。ただ原作のようにリンちゃんとなでしこちゃんが思い出深い一夜を過ごしてくれれば満足で、自分の存在がそれを阻害しないかどうかと逆に肩身が狭かったくらいなのだ。

 むしろリンちゃんのやったことの一部を肩代わりしただけなのに、やはり同年代ではないためか、なでしこちゃんの対応が少し固いのが気になってしまう。言い方は変だがもっと図太く構えてもらって結構なのだ。あんまり気に病ませたり、気を使わせてしまうのは不本意だし、原作の流れを考えるとなでしこちゃんにもリンちゃんにも申し訳ない。それだけが僕は少し気がかりだった。

 

「本当に大したことじゃないからさ、全然気にしなくていいからね」

 

 気が軽くなればとそんな台詞が口をついて出る。

 

「でも! あのとき起きたら真っ暗で寒くて、私どうしたらいいか分からなかったんです。そんなときリンちゃんのところに連れて行ってくれて、焚火に当たらせてもらってカレー麺ご馳走になって……そしたらなんかすっごくほっとしたんです。二人がいるからたぶんもう大丈夫なんだなーって……だから大したことないなんてそんなことないですよぅ」

 

 しかしながらなでしこちゃんは僕の言葉を否定してにへらと笑った。真正面からそう言われてしまうと僕には返す言葉もなかった。

 本当なら全てリンちゃんに向けられるべき賛辞だけれども、僕はそんな台詞を原作で見たことがなくて――ひょっとしたら、これは僕の一言によって偶然吐露したなでしこちゃんの内心なのだろうか。

 

「そっか……なら、よかったかな……」

 

 そうだとすれば、僕の心配事なんか無用の長物だろう。

 

「大げさだと思う……」

 

 ちらっとリンちゃんと見るとちょっと困ったような感じに目をつぶって息を吐いていた。でもその表情はなんとなく作ったような雰囲気がして……もしかしたら彼女もまた、僕と同じように少し気恥ずかしかったのかもしれない。

 

 

 

「あの、それで!」

 

 なでしこちゃんが声を張り上げ、誇らしげに土鍋を掲げて見せる。

 

「実は今日お礼のつもりでお鍋を作りに来たんです。もしよかったらなんですけど、ばんごはんのときに食べてもらうことってできませんか?」

 

 それにしても現金なものだと思う。先ほど肩身が狭いだの申し訳ないだのと言っていたくせに、なでしこちゃんの提案に抗うことは非常に難しかった。

 だってそれは、仮に恥も外聞もかなぐり捨てれば土下座したってお願いしたいほどのシチュエーションなのだ。

 

「あっ……ほ、本当にいいの? なら、不躾で申し訳ないけど頂くことにしようかな。ありがとうね!」

 

 なでしこ鍋のご相伴に預かる機会をみすみす逃せるゆるキャン△ファンが果たしてどこにいるというのだろう? 僕は自信をもって言うことができる――”そんなのファンタジーだファンタジー”。

 

 でも、僕だけが楽しい思いをすればいいというわけにはいかない。それは飛び上がるほど嬉しいことだけど、リンちゃんのことも考えてあげるべきだ。せっかくソロキャンプを楽しみに来ていたというのに、なでしこちゃんならともかくどこぞのキャンパーがズケズケと上がりこんできたら、きっと内心ではあまり愉快ではないだろう。コミュニケーション能力の化身みたいななでしこちゃんとはまた違ったリンちゃんだから、僕が居てはなでしこちゃんとも話が弾むとは思えない。三人で仲良く食卓を囲めたら最高だが、それは少々高望みというものだろう。実際になでしこちゃんも「一緒に」とは一言も言っていないのは、きっとリンちゃんを慮ってのことだ。

 だからここは自分のサイトに一度引っ込むのが僕にできる最良の選択というやつだ。

 

「じゃあ、あのテントが見える? 僕は向こうのサイトにいるから、出来上がったら声を掛けてくれれば取りにくるよ」

 

「分かりました! 腕によりをかけて作るので、ちょっと待っててくださいね」

 

 僕がそう言うとなでしこちゃんは笑顔で頷いた。やっぱり、これが正解だろう。

 

「それじゃあまた後で」

 

 一時の別れを告げて僕は自分のサイトへと帰る。自然とその足取りが軽くなり、スキップの一つでも踏み出しそうになるのは仕方がない。なにせなでしこちゃんがリンちゃんと僕のために腕を振るってくれるのだ。これはもう望外の喜びと言っていいだろう。

 原作の通りなら、なでしこちゃんが作ってくれるのは担々餃子鍋だ。寒い冬にぴったりの辛そうで辛くない少し辛いお鍋、とはなでしこちゃんの談。本当に楽しみだ。

 

 おもむろに頬の肉をひっつかんでぎゅっと引っ張ってみる。少し強すぎたそれが残した痛みに、僕は嬉しくなった。

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

 焼き網に乗った食材から一筋煙が上がるのを合図に缶ビールのタブを引く。ぷしゅりと音を立てて開いたビールはテーブルの上に放置していたもので、温度はそのまま外気温と同じ。つまり、いい感じに飲み頃だ。でもすぐに喉奥へ流し込む前に――まずは網の上のソーセージを一つ取る。

 熱を加えて弾けた表面の皮はまさにちょうどよく焼けていて、はみ出した肉汁が滴り落ちそうになっている。かなり熱めのそれに注意をしながら半身程を口の中へと迎え入れ、勢いよくかぶりつく。カリカリとした香ばしい皮目を断ち切るプツリとした音に続いて、舌の上へと広がっていく脂と塩と旨味が溶け出したあつあつの肉汁に堪らず僕はハヒハヒと喘ぐ。一口、二口、肉を噛みしめてたっぷりと堪能したのち、すかさずビールの缶口を唇にあてがい、そのまま斜め45度を保つ。目が覚めるような炭酸が口の中を洗い流し、喉を鳴らして黄金色の液体の半分近くが一気に胃の中に収まった。声にならない溜め息が僕の口から零れ落ちる。

 この一連の流れこそがキャンプにおける至福の喜びだと多くの大人が同意してくれることだろう。煙の匂いを纏いながらの焚火前での調理は、焦げの苦みすらも味わいに変えてくれる。外ごはん効果の極致がここにあると、僕は確信している。

 

 ビール片手に辺りを見渡せばどこのサイトもちょうど夕飯時だ。あちらこちらから焚火の煙に紛れて食事を作るいい匂いが風に吹かれて漂っている。僕なんかは火の上に食材を並べただけだが、それなりに手の込んだ料理を楽しむキャンパーもいるわけで、なんだか妙にエスニックな風味だとか、やけに辛そうでスパイシーな香りだとか、もちろんキャンプの定番であるカレーの匂いだとかが、時々僕のサイトを訪れにやってくる。この中になでしこちゃんたちが作っている鍋のものも混じっているのだろうか。そう思えば僕は大きく息を吸い込んで想像した鍋の匂いを嗅ぎ取り、そして一人で勝手に浮足立つ。

 期待に胸を高鳴らせながらビールを飲んでもう一つソーセージを摘まみ、火の調子を確認する。網に乗せた他の食材ももうすぐ焼きあがりそうだ。

 

「こんばんわー」 「こんばんわ」

 

 まだほとんど飲んでもいないのにすっかり酩酊した心持ちでいた僕に待ち望んだ声がかけられる。顔を上げるとなでしこちゃんとリンちゃんの二人が目の前に立っていた。どうやら約束の物を僕のサイトまで運んできてくれたようで、なでしこちゃんの手には湯気の立つ器の姿があった。きっとその中にはなでしこ鍋の中身が盛られているのだろう。おまけにリンちゃんまで一緒に来てくれたことに僕は少し驚いていた。

 

「お鍋が出来ました! 担々餃子鍋です」

 

「あ、わざわざどうもありがとう。持ってきてくれたんだね」

 

 そう言って鍋の入った器を受け取る。覗いてみると確かに真っ赤で辛そうだが、そこまで刺激的な匂いはしない。

 

「辛そうで辛くない少し辛いお鍋ですよぉー。おかわりも一杯ありますからねぇ」

 

「まだやるのか田舎のおばあちゃん」

 

 ふざけるなでしこちゃんとツッコミを入れるリンちゃんの掛け合いから原作での彼女たちのやり取りが目に浮かぶようで、つい顔がにやけてしまう。それを気取られないように僕は器を口へ運び、担々餃子鍋を味わうことにした。

 

 顔を近づけると湯気と一緒に唐辛子のぴりりとした匂いが鼻の奥へ入り込んでくる。汁には旨味がよく溶け、ネギやニラといった香味野菜の風味が辛みと一緒に白菜とブナシメジや豆腐によく染みている。一口すすればその熱さは舌を躍らせて、後を追う辛みは喉奥から徐々にじんわりと身体を温め始める。そのままでも美味いであろう浜松餃子の皮が汁を吸ってもちっとした触感に変わり、それを破って中身をスープと絡めればこれまたさらに食欲を掻き立てる。

 ゆるキャン△アニメのロケハンで作った作中料理の中で一番良かったらしいという話題をどこかで耳にしたが、名前だけで期待十分なこの鍋は確かにその通りに美味かった。ひとたび手を付ければ、次々と器の中身が口の中へ放り込まれていった。外ごはん効果×なでしこ手作り効果のシナジーは、僕の期待以上の成果を上げている。実におそるべしだ。

 

「ああ、これは美味い。いいね、体が凄くあったまる」

 

 シンプルに感想を述べればなでしこちゃんが小さくガッツポーズをとる。冬はお鍋が一番、その言葉に偽りはないと素直に思える出来だった。流石は”鍋しこちゃん”の名を欲しいままにするだけのことはある、そう感心してしまった。

 

 参った。こんなお裾分けを貰ってこのまま引き下がってはお隣キャンパーとして面目が立たないではないか。

 

「そうだ、ねえ二人とも。ソーセージとハマグリがちょうど頃合いだからよかったら食べていきなよ。あと牛タンも焼くからさ、ほらどうぞどうぞ」

 

 そう言って紙皿と割り箸を一組ずつ取り出して、僕は二人に押し付けるように手渡す。

 

「いいんですか!? あっ、でもこれはカレー麺のお返しだから、お返し貰ったらお返しじゃなくなっちゃう……のかな?」

 

「カレー麺の? まさか、こんなお鍋ご馳走になったらカレー麺じゃあ釣り合わないよ。まあ僕が値段を付けるとしたら、このお鍋には……そうだね、1500円くらいの価値があるってところじゃないかな?」

 

 そう言って僕はにやりと笑った。

 

「せ、1500円!? リンちゃん、どうしよう、凄い褒められちゃったよ!!」

 

「興奮するなって。リップサービスだから」

 

 はしゃぐなでしこちゃんを呆れたように窘めるリンちゃん。でも僕は本気でそのくらいの価値は感じているのだから仕方ない。それだって、少ないくらいだと思っているほどだ。

 

「うん。だから遠慮なくどうぞ。それにカレー麺のお礼って言ったら、僕だってそっちの……ええと、リンちゃん――でいいのかな。彼女からカレー麺をご馳走になってるからね。だから僕もそのお返しってことになるのかな。あ、もうお腹いっぱいだったら無理にとは言わないけどさ」

 

 そう言いながらも既にトングで焼きあがったソーセージを掴み、彼女たちへと差し出す。けれどそれよりも僕は一つのことを意識していた。

 

 ずっと、うっかり口に出してしまわないように気を付けていた。

 “リンちゃん”、“なでしこちゃん”――何度も彼女たちに声を掛けようとするたびに呼びたかった名前。そのうちの一つをついに僕は音に乗せて発したのだ。

 

 僕の言葉を受けて二人は互いに顔を見合わせた。なでしこちゃんは目を輝かせて、リンちゃんはそう言われちゃしょうがないかといった様子で笑って。

 

「なら、カレー麺のお礼ということで」

 

「えへへ……じゃあいただきます。あ、あとそれから私――」

 

 嬉しそうに割り箸を割ったなでしこちゃんが僕を見て言葉の先を続けた。

 

「なでしこっていいます!! 各務原なでしこです!!」

 

 ようやく僕は彼女の口からその名前を教えてもらうことができた。

 アニメを見たときからずっと、出会ったときからずっと知っていた既知の事実だというのに――僕はそれを今初めて聞いたような気がしたのだった。

 

「そっか、なでしこちゃんか……よろしくね」

 

「はい!」

 

 名前を呼ぶと嬉しそうに返事をするなでしこちゃんがなんだか眩しくて、思わず目を眇めそうになってしまう。

 次いでなでしこちゃんにつられる形でリンちゃんも自己紹介をしてくれた。

 

「えっと、さっきからちょくちょく聞いてると思いますけど……志摩リンっていいます。まあその、どうも」

 

「どうもリンちゃん――なるほど、確かになでしこちゃんのおかげですっかり馴染んじゃってるよ」

 

 本当は違うけれど、そういうことにしておこう。

 これで僕は二人の名前を堂々と呼ぶことができるようになった。すると当然今度は僕も名乗らなければならない流れになるのだが……これがなんだか恥ずかしい。まるで妄想の中でキャラクターに自分の名を喋らせるような気分になってちょっと抵抗があるのだ。まあ、もちろん呼んで貰えれば嬉しいし名乗らないのも不自然だから、黙っているという選択肢はないのだけれども。

 

「そうだね、僕は――」

 

 だが意を決して名を告げようとしたそのときだ。

 

「あわわ、ハマグリがっ!?」

 

 パチンと音を立てて跳ねたハマグリが、その拍子にバランスを崩して網の上から転げ落ちそうになったのだ。

 

「おっと!」

 

 慌ててトングでレスキューする。もういい感じに火が通って汁気も少なくなり、これ以上焼くと焦げ付き始めそうだった。

 

「はい、焼けたみたいだよ」

 

 そのままなでしこちゃんのお皿に取って渡す。「ありがとうございます!」と受け取ったなでしこちゃんは、フーフーと熱を冷まして貝の肉を割り箸でつつき始める。

 

「はい、リンちゃんもどうぞ」

 

「いえ、その、私は……」

 

 躊躇ったリンちゃんに、そういえばリンちゃんは貝類が苦手だっけなと思い出す。

 

「あ、もしかしてこういうの苦手かな? じゃあとりあえずこっちを先に。今から牛タン焼くからちょっとだけ待っててね」

 

「すみません……ありがとうございます」

 

 代わりにソーセージを渡し、気まずそうなリンちゃんにいいのいいのと手を振って網の上に牛タンを並べ始める。

 

 「あっつい! けどハマグリおいひぃー!」

 

 なでしこちゃんがはふはふ言いながらハマグリを平らげ、リンちゃんはまるでさっきの僕の焼き直しのような流れを経てソーセージを齧っている。僕も自分の分のハマグリを取って貝殻から引きはがしその味を見る。程よい焚火の火加減で焙られた食材はこれだけシンプルながら絶品だ。自分で言うのもなんだが、キャンプの食事としてなら決してなでしこちゃんの鍋にも劣らないと思う。

 追加で火にかけた牛タンにも熱が通り始めて肉らしい匂いが自己主張を始めると、なでしこちゃんの口からはもうよだれが垂れそうだ。

 

「お肉も美味しそー!!」

 

「これだけご馳走になると確かにカレー麺じゃ全然釣り合わないかも」

 

「やっぱり貰いすぎかなぁ? どうしよう、お鍋にごはん追加して雑炊にすれば……って、あ゛っ!?」

 

 突然なでしこちゃんが大声を上げ、リンちゃんの身体が一瞬ビクッと跳ねる。

 

「な、なんだよ……」

 

「シメのごはん忘れたぁ……」

 

 心底残念そうな声を出して眉尻を下げるなでしこちゃん。その様子があまりに哀れっぽくて思わず笑ってしまいそうになるが、同時に本当に食べるのが好きなのだと感心してしまう。だからついつい世話を焼いてあげたくなって、リンちゃんも桜さんもこれにやられてるんだろうなぁと妙に納得をしてしまった。それがなでしこちゃんの人徳(?)というものなのだろう。

 

「流石にそれは腹一杯だろ」

 

「お米あるけど要る?」

 

「「えっ?」」

 

 僕はレトルトパックのごはんを颯爽と取り出した。原作を知っている身からすればここは是非やってみたいと思って抜かりなく用意していたのだ。

 

「このまま食べるよりシメの雑炊の方が美味しそうだからね」

 

 僕はサムズアップしてなでしこちゃんにごはんを差し出した。

 

 

 

 

 

 

 それから牛タンを食べた後にリンちゃんとなでしこちゃんのサイトに場所を移し、鍋にごはんを投入して雑炊にした。

 思った通り担々餃子鍋の雑炊は美味しくて、「炭水化物と炭水化物……」というリンちゃんの呟きも気にならないほど箸が進んで仕方なかった。原作では二人(ほぼ一人)でもすぐに食べつくしてしまったのだから三人で鍋をつつけばその消費速度は言わずもがな、気が付けばあっという間に鍋は空っぽになっていた。どうやらなでしこちゃんの食事ペースがリンちゃんはともかく僕よりも早かったようで、もう見てるだけでお腹一杯といったリンちゃんの顔が印象的だった。

 

「お鍋美味しかったー」

 

「うぷ……」

 

 まだ余裕ありそうななでしこちゃんといっぱいいっぱいなリンちゃん。僕ももう十分に満腹だ。食後の状態は三者三様だが、いずれも満足感に溢れていたのは間違いない。

 

「二人とも、ありがとうね。お鍋ご馳走さまでした」

 

「お粗末さまでした!!」

 

「いや、なんか私たちの方がだいぶご馳走になっちゃったというか。シメのごはんも貰っちゃったし」

 

「あっ! そ、そうだった……えーと、ポテチあるけど食べますか?」

 

「さ、流石に食べ物はちょっといいかな……」

 

 僕が遠慮するとどうしたものかとなでしこちゃんは狼狽えている。別にお返しの釣り合いなんて考える必要もないのに、なんとも律儀なことだ。そんなことを言ったら僕なんて貰いすぎじゃないのだろうか。二人と一緒にキャンプができるというだけで、僕はお釣りで破産してしまいそうだ。

 

「じゃあさ、思いついたんだけどね」

 

 あんまりになでしこちゃんがうんうん唸るものだから、うっかり助け船を出してしまう。

 

 僕はスマートフォンを取り出すとアプリを立ち上げ、画面を開いて彼女たちの前に示す。二人は身を乗り出してそれを覗き込む。

 

 それにしてもというべきか――酔っていたにしろ後から思えばとんでもないことを提案したものだ。

 

「これ……もしかしてキャンプ動画ですか?」

 

「あはは、そんなところだね。キャンプの様子を撮影して簡単に加工しただけなんだけど……」

 

 なんだか急に恥ずかしくなってきて僕は頭を掻いた。

 

「とむ、キャンピング?」

 

「友達からそう呼ばれてて、捻りもなくチャンネル名にしちゃったよ。細々とやってるけど意外と見てくれてる人がいてさ。今登録者数が400人くらいかなあ」

 

 そこで一旦、僕は唾を飲み込んで、それから本題を切り出した。

 

「よかったら二人に覗いてみて欲しいんだ。それで、面白かったらチャンネル登録してくれたらいいよ。あー、……どうかな?」

 

 おずおずと顔色を窺うようにして僕はなでしこちゃんとリンちゃんの目を交互に見る。そんな僕の提案を受けた二人の顔に浮かんでいたのは優しそうな笑顔だった。

 

「そのくらいでよければ喜んで」

 

「はいっ!! トムさんの動画全部見ます!!」

 

 そう言って二人は快諾してくれた。

 

「っておい、その呼び方は失礼なんじゃ……」

 

「あはははは! いいよいいよトムさんで。いや、是非そう呼んで欲しいな」

 

 慌ててなでしこちゃんを窘めようとするリンちゃんだったが、僕には何故だかそれが凄くしっくりきた。

 

 僕らはお互いに異なる世界の住人でありながらも、どういうわけだかここでこうして一緒に過ごすことができている。けれども僕にとってのリンちゃんとなでしこちゃんの実在が検証不可能であるように、彼女らにとっては僕の実在が不確かなものに違いない。

 しかし、ならばここにいる二人が空虚な幻かと言えば決してそんなことはないと僕は思っている。彼女たちの話す声も仕草も、それに乗せられる感情だって、触れ合って分かるのはそれが確固としたパーソナリティに基づくものだということだ。

 彼女たちが紛れもなくゆるキャン△時空と呼べるものの中に存在していて、それが何かのつながりを介して僕の前に現れているというのなら――インターネット上で自己を指し示すニックネームというものは、まさにぴったりのアイコンではないだろうか。

 

 

 

「じゃあ、僕はそろそろお暇するよ。まだまだ夜は長いけど、身体冷やして風邪ひかないようにね」

 

「あ、おやすみなさい」

 

「おやすみなさーい」

 

 靴を履きながら、手を振ってくれる二人に僕も手を振り返す。

 

「ありがとう二人とも。今日は楽しかったよ」

 

 別れ際に僕は心を込めて二人へとそう告げた。

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

 多くの人が集まったキャンプ場も、星空の下で少しずつ寝静まり始めている。

 けれどまだ賑わいの名残がちらほらとあって、時間と共に少しずつトーンダウンしつつも揺らめく焚火の炎やケロシンランタンの暖色、最新式LEDランタンの昼白色、はたまたそれらが透かすテントの幕色に染まった影が、夜景に鮮やかな彩りを添えている。

 他に誰もいないソロで迎える夜と対照的な華々しさは、それはそれで楽しいものだ。夜半の静まり返ったキャンプ場で感じる寂しさ、心細さ、不安、そして恐怖――そういったものに時々立ち向かわなければならないソロキャンプに比べると随分と……そう、温かだ。

 孤独の中に身を置くことも人には(少なくとも僕と、たぶんリンちゃんにも)必要で、そういったときに一人ぼっちでいることは心に安寧とゆとりと、意外にも豊かさをもたらしてくれる。

 だけど人は本来一人で生きていけるように出来ていない。誰かの存在を感じることが大きな喜びとなる機会はやっぱりたくさんあって、そしてそれはキャンプにも当てはめることができる。誰かが隣にいてくれて、手分けして設営の苦労を分かち合ったり、調理を分担してその味に感想を言い合ったり、流れ星を見てはしゃぎまわったり羨ましがったり――同じように感情を共有してくれるというのは、それだけで満たされることなのだ。

 だから今日は僕もそんな気分だ。僕と同じ場所にいて、同じ空気に触れていて、美味しい料理を分かち合った少女二人が同じ空の下にいることに喜びを感じないはずがなかった。ちょっとくらいサイトが離れていたってなんの問題にもならない。

 

 今頃、リンちゃんとなでしこちゃんはブランケットにくるまって夜の富士山を眺めているに違いない。夜中に流れるラジオをBGMに、明日の朝どんな富士山が見られるのか想像して語り合っているのだろう。僕は山梨の放送局が分からないからラジオではなくオーディオプレイヤーの方から音楽を掛けているけれど……きっと聞いているものは同じはずだ。

 

 リンちゃんがソロ以外でキャンプをしたことがないというのなら、彼女はキャンプの楽しさの半分しか知らないことになる。果たして今日、彼女はその残り半分を味わったのだろうか。鍋を作って、皆で焚火を囲み、そして今なでしこちゃんの隣に座って過ごしていることを、楽しいと思っているのだろうか。

 これから徐々にその機会を増やしていくリンちゃんは、やがて野クルの皆や斉藤さんとも一緒にグループでキャンプをするようになる。そのきっかけは間違いなくなでしこちゃんで、そして()()()()()においては僕もそこに含まれているということになる。これはもう責任重大で、そして一ゆるキャン△ファンとしては名誉なことだろう。

 

 どうか僕との出会いがリンちゃんとなでしこちゃんに悪い影響を与えていないことを願う。

 そしておこがましくも、二人の中で僕との出会いが良い思い出となることを望む。

 

 僕の心が宙に溶け出して、独りでにふわふわ彷徨いそうになる。まるで祭りの夜のような浮世を離れた非現実感――今宵のキャンプ場はそんな空気を孕んでいるかのようだ。

 

 

 

 相変わらず僕は眠れなかった。この身に満たされた感情を一人抱え込んで、誰とも分かち合うことなくここに座っている。他人と共有しようとしてもこればかりは難しいだろう。同じ経験をしたもの同士でしか実感できないものが多過ぎるが、さりとて同じ経験をしたものを探すにはきっと少しばかり稀有過ぎる。

 しかしこの感情を解きほぐしていくのは手強くも楽しくて、そしてソロキャンプの夜というのはこんな作業にまさにぴったりなのだ。

 これでは明日の朝なでしこちゃんとともに日の出を見るのはちょっと無理かもしれない。あるいは起きてみれば以前のように彼女たちは煙のように消え去ってしまっていることもあるかもしれないが、そうだとしてもがっかりすることはないだろう。二人と分かち合った今日この一日は、夢か現かと振り返って不安になるにはあまりにも濃密すぎたのだから。

 

 過去を思い返すより未来に思いを馳せるべきだ。なにせ僕がなでしこちゃんとリンちゃんに出会うのはこれで二度目になる。二度あることは三度あるという言葉があるのだから、これから先にまた別の出会いがあることを期待するのはそんなにおかしなことではないはずだ。

 野クルの面々とは出会えるだろうか? 鳥羽先生は? 変化球でリンちゃんのおじいちゃんだったらどうだろう? そんな愉快な妄想を、夜が更けていくまで僕は飽きることなく繰り返していった。それが時間を忘れるほど楽しいひとときだったことは言うまでもないだろう。

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

 そして案の定、翌朝の僕は盛大に寝過ごして大急ぎで撤収する羽目になり、慌ただしくキャンプ場を後にすることになった。

 やはりリンちゃんとなでしこちゃんは起きたときにはもういなくなっていてそれが少し残念だったけれど、まあ……チェックアウト時間ぎりぎりまで眠りこけている方が悪いのだからこればかりは仕方ないだろう。

 

 

 

 今回のキャンプはあまりに楽しいことばかりでしばらくの間ずっと僕のテンションが高かったものだから、職場では彼女でもできたのかと疑われたくらいだった。

 

 でもとりわけ僕が一番嬉しかったのはというと。

 

 

 

『面白かったです!! 私もこれからこんなキャンプやってみたいです!!o(*^▽^*)o』

 

『この前はお世話になりました。次の投稿も楽しみにしてます』

 

 僕の動画に付いた二件のコメントが誰のものなのかはっきりとしたことは言えないものの――

 

「ふふっ」

 

 スマホでアプリを開き、何度も画面を眺めてはその度にだらしないにやけ面を晒してしまう。

 

 ――キャンプの翌日、久しぶりに二件ほど増えたチャンネル登録者数がたまらなく愛おしかったことだけは確かだった。

 

 

 

 

 

 



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幕間:ゆるキャン△二次創作『麓のなでリン』

 夜――

 

 棚に置かれた時計の針がそろそろ22時を示そうとしていた。軽い気持ちで始めたPC作業が長丁場になりかかっていることに気付き、僕はキーボードを叩いていた手を止めて大きく伸びをする。机の上の液晶ディスプレイ上では形式を変換された短い動画ファイルが次々とスライドショーのように再生されている。

 小川張りのタープに舞い落ちる桜吹雪――緑のゲレンデを飛び交うトンボの群れ――渓流を流れゆく鮮やかな落ち葉――雪の湖畔から見上げた夜空のタイムラプス――

 それらは過去のキャンプで僕が撮影した断片的な映像だ。中身を確認し、いくつかの決まりに則って種類ごとに割り振ってフォルダへと収めていく、そんな作業に没頭しかかっていたのだ。改めて動画を見返しているとその頃の思いが蘇ってくるようで、これがどうしてなかなか時間を忘れてしまう。

 

 キャンプのハイシーズンといえばおおよそ初夏から秋口にかけてなのだが、その時期に撮影したものは実は意外と多くない。僕はリンちゃんのように冬専門ではないので普通にキャンプへは出かけるものの、いかんせん人が多ければ騒音や映り込みに他者への迷惑と、カメラを回すには少々塩梅が良くない。僕が基本はソロであることを加味すれば、それなりに落ち着いた画を撮りたいと思うのも理由の一つだった。それが投稿用の動画ともなれば尚更のことだ。

 転勤のゴタゴタもあり動画撮影からはしばらく離れている。僕の開設した動画チャンネルである『トムcamping』も最後の投稿から半年近くが経過していた。何か新しい動画に使えそうな素材が無いかと漁っていたハードディスクの中身が空振りだったことを考えると、そろそろ撮影を再開するべきタイミングなのかもしれない。

 

 動画を仕分け終えてフォルダを閉じると、僕はブラウザを立ち上げて自分の投稿した最新の動画にアクセスする。そしてそこに書き込まれた二つのコメントを眺めてはしきりに頬を緩ませる。

 コメントの存在に気が付いて以来まるで日課のようになってしまっているその行動を、僕は飽きもせずに繰り返していた。何度確認しようと中身が変わるわけでも新しいコメントが付くわけでもないのだが、ただそれがそこにあるというだけで僕は嬉しかった。言ってしまえばそれらがリンちゃんとなでしこちゃんのものだと100%確証があるわけではないが、それでも状況的にこのコメントが二人によるものだと推測するのは不自然ではない。これは僕にとって、あの夜が幻ではなかったことを示す証のようなものなのだ。

 

 なでしこちゃんとリンちゃんと麓でキャンプをしてから一週間が経過している。僕と彼女たちの時間の流れが同じならば今週は二人ともキャンプはお休みのはずだ。まあ、原作と違って僕という異質な存在が混ざってしまったからには必ずしもそうだとは言い切れないのだが……もしかするとバタフライエフェクトによって原作にないキャンプが生じていないとも限らない。一人キャンプの時間を脅かされたリンちゃんがソロキャンリベンジに向かったかもしれないし、触発されたなでしこちゃんが乏しい道具を抱えて無謀なキャンプにチャレンジしようとしたかもしれないのだ。いや流石にそれはないか……少なくともなでしこちゃんに関しては桜さんが許すまい。実際のところなど知りようもないが、物語に干渉するというのはそういった可能性を孕んでいるものだ。

 

 

 

 “そういえば、僕という存在は彼女たちにとってどのように映ったのだろう?”

 

 ふとそんな考えが頭を過る。

 僕は自分を大層な人間だとは思っていないが、一度ならともかく二度ともなればリンちゃんとなでしこちゃんの中に印象に残っていてもおかしくはない。第一話から第三話にかけて主要人物に関わりをもったMOBキャラクターその一――原作アニメに当てはめるとすればそんなところだろう。

 変なヤツだと思われただろうか。再会したときのリンちゃんの視線からは訝しみを感じた。けれどもなでしこちゃんからは大分好意的に遇されたと思う。以前恩返しを約束されたとはいえ、出会ったその場で鍋のお誘いを受けたのは僕からしても驚きだった。その後の二人の対応を見るにけっして煙たがられてはいないと思うのだが……どうなのだろう。

 

 考え出すとどうにも気になって仕方がない。しかしながらそんなものを確かめる方法はない。得られる情報はこの間の二回のキャンプの反応だけ。彼女たちとメッセージのやり取りができるわけでもない。動画のコメントに返信をしてみるか。いや、結局あれが二人だと思っているのも僕の主観的な思い込みでしかないわけで、そもそも本人たちに聞く事柄でもないだろう。なんだかまるで意中の相手の気持ちを知りたい思春期の少年じみてきたなと溜め息をつく。しかもその相手が架空のキャラクターとくれば、客観的に見れば何とも()()()()()()。僕も当事者でなければ正気を疑いたくなるところだ。

 とりあえずパラパラとゆるキャン△の漫画をめくってみるも何の役にも立たなかった。当たり前だ。そんなキャラクターが原作に存在するわけがないのだから。いうなればそれはただの二次創作でしかなくて――

 

「そうだ」

 

 唐突な閃きが僕に舞い降りた。確かめようがないのなら、自分で考えてみるというのもアリなのではないだろうか?

 

 原作にない人物に対するキャラクターたちの反応など本来存在し得ないものだが、そのときの状況を基にして類推してみればリンちゃんとなでしこちゃんの気持ちに近付けることができるかもしれない。相手の気持ちを知る、ではなく、相手の気持ちを想像する。要は二次創作なのだ。

 幸いにしてリンちゃんとなでしこちゃんの人となりに関しては原作漫画とアニメという資料がある。それに加えて実際に二人と対面したときの様子も参考にすれば、より真に迫った二人の人物像を描くことができるのではないだろうか。

 そう思うと俄然やる気が溢れてきた。

 僕だって曲がりなりにもゆるキャン△ファン……ゆるキャンパーの本能が、本物のリンちゃんとなでしこちゃんの気持ちを知っている筈……!! 僕にだって本格的なゆるキャン△二次小説が作れる筈だ――――ッ!!

 

 そうと決まれば話は早い。小説なんてまともに書いたこともない僕だったけれど、まるで何かに取り憑かれるようにしてキーをタイピングし始めた。

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

「白菜、ネギ、ニラ、とうふ~♪ もやしっ、餃子~♪」

 

 ご機嫌なメロディを奏でながらなでしこが次々と材料を鍋に放り込んでいく。

 その様子をリンは横合いからぼんやりと眺めていた。先ほど何か手伝おうかと申し出たものの、本栖湖で助けて貰ったお礼なのだからと断られてしまったのだ。鍋を作るなでしこの手つきは淀みなく、リズミカルにキッチンバサミを使いこなす様は料理馴れしていることを覗わせた。自分が手を貸すまでもなく着々と下ごしらえは進んでいく。読書に戻ろうかとも思ったが隣で料理を作ってくれている同級生を尻目に活字に目を落とすのもなんだか気が引けてしまい、結果手持無沙汰に椅子に収まっているというわけだった。

 

「これでよしっ!」

 

 全ての食材を放り込み、作業を終えたなでしこが鍋の蓋を閉じる。

 

「できるまで中を覗いてはダメですよ?」

 

「なでしこの恩返し……」

 

 禁を破ればどうなるのだろう。食材に足でも生えて逃げていくのだろうか。他愛もないことを考えながらリンは気になっていたことをなでしこに尋ねた。

 

「そういえば、お姉さんは?」

 

「富士宮の方に行ってるよ。友達と遊ぶんだってー」

 

 南部町から麓キャンプ場まで約40km。荷物を抱えたなでしこを車で連れてきたお姉さんの姿は今ここには見当たらなかった。聞けば後で戻ってきて、今日はなでしこ共々車の中で一夜を明かすのだという。妹のためにわざわざ送迎するのみならず車中泊にまで付き合うとは、何とも妹思いなお姉さんだとリンは思った。

 

 「ふえっくしゅ! うー急に寒くなってきたねぃ……」

 

 寒さに身を震わせたなでしこが着衣の襟を寄せ身を縮込める。いくら着込んだとて冬のキャンプは寒いものは寒い。とりわけ今日は諸々の事情から焚火はお預けとなっているから、暖を取る手段が貧弱なキャンプ模様となっていた。ガスコンロの火では気休めにもならないだろう。ならばリンはどうやって寒さをしのいでいるのかと言えば――

 

「貼るカイロあるけど使う?」

 

 冬キャンプの心強いお供、貼るカイロだった。

 

「いいの!? ありがとー!!」

 

 喜び勇んでカイロを受け取ったなでしこに、リンは効果的な使い方をレクチャーする。

 

「両目に貼るとあったかいよ」

 

「ホント?」

 

「……ウソだよ」

 

 リンの冗談を真に受けたなでしこがホットアイマスク状態に移行する前に止めてやると、本当の使い方、首の付け根、みぞおち、肩甲骨の間に貼るといいことを教える。

 

 

 

「それにしても、冬なのにお客さん一杯だねぇ。こんなに人がいるなんて思わなかったよ」

 

 リンがなでしこの背中にカイロを貼ってやっていると、辺りを見回したなでしこが意外そうに呟いた。

 

 リンにとってもそれは意外だった。人がいないことが冬にキャンプをする理由の一つであったのだが、今日のキャンプ場はいつになく来場者が多い。周囲に視線を巡らせれば、どこを向いてもテント、テント、テント――リンがチェックインして以降も、まるで雨後の筍のようにキャンパーがひっきりなしに来場して次々とサイトを設営していった。貸し切り状態も珍しくない本栖湖キャンプ場に比べればその人口密度は雲泥の差だ。流石に近くのテントと隣り合うようなことにはなってはいないが、ソロを好むリンにとっては少しばかり居心地が良くないのも事実だった。

 そういった意味では思いがけない乱入者となったなでしこの存在は歓迎するべきなのかもしれない。賑やかな場所で一人ぼっちで過ごすより誰か話し相手が居る方がまだ気が紛れるというものだ。本来リンが望んでいた過ごし方とは異なるが、それでもこの状況ではマシな選択肢なのは確かだった。

 

「確かに有名なキャンプ場だし、貸し切りってことはないと思ってたけど……イベントか何かやってたのかな?」

 

「この前のキャンパーさんも来てたしきっと何かあったんだよ。びっくりだよねぇ、二週続けて会うなんて。でもおかげでこの前のお礼もできるし、丁度よかったかも!」

 

「うん……」

 

 なでしこの言葉にしばし悩んだような素振りを見せると、それからリンはおずおずと口を開いた。

 

「あのさ……」

 

「ん?」

 

「あのさ……この間はごめん」

 

 リンの謝罪になでしこはきょとんと首を傾げた。言いづらそうに眉根を寄せたリンに謝られる覚えが、なでしこには思い当たらなかったからだった。

 

「ほら、サークル誘ってくれたのに、なんていうか……すごい嫌そうな顔しちゃったから……」

 

「あー……」

 

 苦笑いを浮かべたなでしこに、リンは目を伏せながら後頭部を掻いた。

 

「ううん、私もなんだかテンション上がっちゃってて……無理に誘っちゃってごめんなさい」

 

 しおらしいことになでしこも自分の過失を主張する。

 

「あの後あおいちゃんに言われたんだよ。リンちゃんはグループでわいわいキャンプするより静かにキャンプする方が好きなんじゃないかって」

 

「それはまあ……そうなんだけどさ……けど」

 

 しかしながらリンは顔を顰めたままに続けた。

 

「でもそれは失礼な態度とっていい理由にならないっていうか……露骨に顔に出しちゃったのは私の落ち度っていうか……」

 

 リンは大きな溜息を一つ吐き出してこう切り出した。

 

「私ってそんなに顔に出るのかな?」

 

「へ? 何のこと?」

 

「さっきあの人……先週本栖湖で会ったキャンパーの人。鍋に誘われたときにちらっと私の方見てさ。なんだか申し訳なさそうな顔して帰っていったから、なんだか私に気を使ったみたいで、ひょっとしたらまた顔に出ちゃってたのかなって」

 

「うーん、そう……かなぁ? そんなことなかったと思うけど。リンちゃんの気にし過ぎかもしれないよ?」

 

「ならいいんだけど……」

 

 けれどもリンには一つ気がかりなことがあった。

 

 一週間前、本栖湖でキャンプをしていたときに他にいた唯一のソロキャンパーは、その夜リンの前になでしこを引き連れて現れた。初めは何事かと警戒したリンだったが、背後で半べそをかくなでしこに気付いて事情を聴いてからはそれも無くなった。連絡先も分からないという帰宅困難者のなでしこが何とか家に帰れるようになるまで面倒を見る……リンにとってそれは全く構わなかった。構わなかったのだが――

 

 なでしこのお腹が鳴ったとき、リンは自分の持っていたカレー麺を分けてあげようかと思ってはたと戸惑った。リンのカレー麺は二つしかないが、その場には三人の人間がいたのだ。理屈としてはお腹を空かせた少女にカレー麺を与え、残りを持ち主のリンが食べる。それで何の問題もない。しかしもう一人の人間を差し置いて自分たちだけでカレー麺を食べるのもなんだか気が引ける。かといって自分も夕飯はまだだから譲り渡すのもなんか違う。道義的にそうあるべきという感情と、自分のための食糧を放出する事への抵抗感に板挟みになって、リンは咄嗟に行動に出ることが出来なかった。そうしているうちに彼がカレー麺を持ってきてなでしこに与えたことによってリンは出る幕を失ってしまった。結局のところ物が同じであったことからこれ幸いと自分もカレー麺を提供して三人仲良く夜食を啜るという運びになりはしたが、きっと彼がカレー麺を出さなければリンがカレー麺を出すことは無かっただろう。彼にカレー麺を渡したときの一瞬の苦笑が、まるでその心を見透かされたように思えて恥ずかしかった。それでももう会うことはないと思っていたから旅の恥はかき捨てとばかりに我慢できていたのだけれども――

 

 

 

 そんな感情が果たして表に出てはいなかっただろうか? 先ほどの再会したときのやり取りを振り返るとなんだかそんなような気がして、リンは胸中複雑な気持ちになっていたのだった。

 

「リンちゃんは他の人と一緒にキャンプするのは嫌いなの?」

 

 なでしこがリンへと尋ねる。

 

「どうだろう……私ソロ以外でキャンプしたことないから。あんまり騒がしいのは嫌だけど」

 

「私ね、この前もすっごく楽しかったよ。暗いのはちょっと苦手なんだけど、誰かと一緒にいれば全然怖くないし、外で食べるカレー麺ってこんなに美味しいんだーって感動しちゃったよ」

 

 にっこり笑ったなでしこは湯気を上げる土鍋を見てさらに続けた。

 

「だったら皆で食べればもっと美味しいお鍋だったらどうなるかなって思ったらワクワクしちゃって、それで今回持ってきてみました!!」

 

 ばんっ!と胸を張って言うなでしこに、リンは目を丸くした。

 

「だからリンちゃんも試してみようよ、まったりお鍋キャンプ。いいかもって思ったらまた行ってみて、そんで気が向いたらみんなでキャンプしようよ」

 

 そんななでしこの誘いは、リンにはけっして不快ではなかった。

 

 “本当にコイツは、他人の間合いに入って来るのが上手い”

 

 絶対に無理強いはしないのに、気が付けば自身のペースに巻き込んでいる。なでしこの誰よりも楽しそうに振る舞うその姿は自然と周りの気を惹いてしまうのだ。

 それはリンには無いある種の才能なのだろう。

 

「あ、お鍋できたみたいだよ!」

 

 がぱりと開けた土鍋の蓋の下からもうもうと湯気が立ち上った。その中をリンが覗き込めば真っ赤な汁が顔を出す。

 

「担々餃子鍋!! そんなに辛くないから心配しなくていいよ。辛そうで辛くない少し辛いお鍋だよー奥さん」

 

「ラー油かよ」

 

 なでしこの言い回しにリンはクスリと吹き出した。

 

「はいはいたーんとおあがり」

 

「いなかのおばあちゃんか」

 

 年寄りじみた言い草で鍋をよそってくるなでしこからあつあつの器を受け取る。

 

「浜松餃子、たくさん入れたんだよー。お代わりもいっぱいあるからね!! あ、でもあっちのキャンパーさんに持ってく分は残してあげなきゃだよね」

 

 にこにこと嬉しそうな顔で自分の器に具を取り分けたなでしこは、辛抱たまらんとばかりに箸を手に取った。リンも手元の器に目をやる。

 たくさんの具材が詰め込まれた鍋からは美味しそうな匂いが漂ってくる。

 

「……分かったよ」

 

 鍋の出来栄えに観念したようにリンは呟いた。その様子に、リンが箸を付ける瞬間を窺っていたなでしこが疑問符を浮かべる。

 

 いっそ清々しい程にソロキャンを引っかき回されたリンだったが、今は何故だか悪い気はしなかった。

 リンにとってキャンプとは一人で静かに過ごす時間であったし、今もそのイメージは変わらない。今日だって前回だってソロで来たのに思わぬ来客に見舞われて、正直疲れると思わないこともない。けれどその二回――誰かが隣にいるキャンプは、間違いなく新鮮な体験ではあったのだ。自分からは踏み込もうとは思わないが、それが向こうからやって来たのなら……門前払いを食らわす程のことでもないかと少しだけ、ほんの少しだけ思い始めていた。

 

 

「食わず嫌いも変だからさ。せっかくだし楽しもうか、“まったりお鍋キャンプ”」

 

 口の端に微笑を浮かべたリンの言葉に、なでしこは大きな笑顔を作ったのだった。

 

 

 

 

 

 

―――――――――― 

 

 

 

 

 

 

 気が付けば夜が白み始めていた。

 こんなに熱心に文章を書いたのは就活のときにもあっただろうかと言う程に熱中していた僕は、ようやくキーを叩く指を止めて自分の綴った小説もどきを見返してみた。

 

 どうしてこんなものが出来上がったのかが不思議だったが、素人なりに形になっただけ奇跡というものだ。

 改めて考えてみると、なでしこちゃんは凄いということが浮き彫りになった。やっぱりなでしこちゃんが居たからこそリンちゃんは野クルの皆と打ち解けてグループキャンプに踏み出すようになったのだ。僕が居たからどうのこうのなんて自惚れもいいところだろう。

 

 勢い込んで書いてみたはいいが、よくよく考えれば小説としての体を成していないことに気が付く。登場人物の背景が分からず一シーンを切り取っただけのこれでは、チラシの裏への妄想の殴り書きでしかない。もともとそんなつもりなどは無かったが、これでは小説投稿サイトに乗せたりなんてとてもできはしないだろう。

 

 それに、リンちゃんとなでしこちゃんがどう思っていたか知りたいからといって二次小説を書こうという斜め上もいい発想に至った時点で意味が分からないではないか。げに恐ろしきは深夜のテンションである。

 

 途端に恥ずかしくなったので僕はPCの電源を落とした。やれやれ、いったい何をしているのやらと呆れ半分、羞恥半分だ。貴重な睡眠時間を削った収穫があったとはあまり言えないだろう。

 

 いそいそ布団に潜り込んで朝まで残り少なくなった時間で眠りにつく。次回に彼女たちに会える機会がいつになるのか、それを夢見ながら僕はまどろみに落ちていく。

 

 

 

 

 

 

 ああ、いや確かリンちゃんとなでしこちゃんはこの日曜日にそれぞれデイキャンプをしていたのだったか。台詞を確認するために捲っていた一巻の巻末に載っていたおまけ漫画がその模様を描いていた。それを思い出したのが収穫といえば収穫か。

 

 リンちゃんは本栖湖に自転車で椅子だけ持って読書を楽しみ、なでしこちゃんは近所の河原で大好きなお菓子をひたすら頬張る。二人に共通点があるとすれば、ひとりデイキャンプで揺られて、寝過ごす。

 

 まるでアニメ第四話と第九話の暗示のようだが、それにしてもなでしこちゃんは第一話といいよく寝るものだ――

 

 

 



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四尾連湖のすれ違い(1/2)

 

 エンジンがうなりを上げて山の静けさを切り開き、車体はぐいぐいと坂道を突き進んで行く。落ち葉が積もった細い道路は蛇のように曲がりくねっていて、僕は握ったハンドルを右へ左へと忙しなく切り返していた。

 もうずいぶんと登ってきただろうか。路肩に引きずってどかされた倒木の枝、待避所にはみ出した笹薮、落石注意(テントにじゃがいも干してます)の看板――僕の行く手に秘境感を醸し出す数々の兆候が分け入る山の深さを物語っている。けれど民家が減り木々がせり出してくるのと比例して、僕の気分は徐々に上向いてくるようだった。

 

 都市部から離れてすれ違う車の数も減ってくると、僕は決まってカーオーディオをオフにして自らを運んでくれるこの鉄の箱の音にしばらく耳を傾けることにしている。前後を走る車も信号待ちもなくしばらくエンジンの回転やロードノイズに身を委ねるうちに、ハンドルを握る手が何だかそわそわとしてくる。憂鬱だとか、緊張だとか、気分がささくれ立つようなこととは無関係だ。僕の中でスイッチが切り替わるみたいに、待ち望んでいたものに向き合うべく順応が始まる。何であろうと楽しもうという余裕が生まれてくる。

 木立の切れ目からガードレール越しの展望へと目を向ければ、秋の色に染まった山々の向こうにある()()はもう遥か遠く――すなわちそれは日常を離れるための、いわゆるルーティーンのようなものなのだ。

 

 

 

 斜面を覆う葛のカーテンがアスファルトの半ばへと這いだし、茶色に色変わりしたそれを踏みつけながらつづら折りを通り抜ける。

 “蛾ヶ岳(ひるがだけ)”――という名を聞いてもピンとくる人はあまりいないだろうけれど、甲府盆地の南に位置するその山は富士山や南アルプス、秩父の山々を見渡せる格好の展望地であるらしい。中腹には県立自然公園を擁し、なんでも山梨百名山の一つとしても数えられているのだとか。

 ただ僕のような人種にとっては山そのものより、その県立自然公園の名前の方がずっと通りがいいことだろう。何を隠そう僕のお目当てだってまさにその場所にあった。 

 ひた走る県道409号はいよいよもって狭くなり、やがて行き着いた先で未舗装の細い一本道へと切り替わる。すれ違うのも困難なひどく狭い道だ。対向車が来ないことを確認してから僕は慎重に車を進める。

 

 そうしてたどり着いたナビの目的地には、このように記されているのだった。

 

 “四尾連湖 水明荘キャンプ場”――

 

 

 

 

 

 

 この日、僕がようやく四尾連湖の姿を拝めたのは日没を間近に控えた16時過ぎの頃合いだった。辺りには宵闇が忍び寄り始め、赤々とした木々の姿も深緑を湛えた湖水の色も、共に夜の帳に覆われつつあるさなかのことだ。紅葉の名所として知られた景観もこれでは堪能することは叶わないだろう。それを少し残念に思いつつ管理棟の受付で遅めのチェックインを済ませる。

 

 残念なのは有名な紅葉を楽しめないことだけではなかった。夕方近くとなったチェックインは、弾丸のように慌ただしいキャンプに臨むこの夜が土曜日ではなく()()()の夜であることを意味していたからだ。

 ここしばらくの僕は少しばかり運に恵まれていない。いや、見放されていると言ってもいいのかもしれない。先週と、それから今週の日曜日ともに休日出勤が重なってしまい、目論んでいた週末のキャンプの予定が見事に崩れてしまっていた。その埋め合わせとしてもぎ取ったこの日の午後半休もあいにくのトラブルで会社を出るのが遅くなったために、キャンプ場に着くのが日暮れ間近となってしまったのだ。

 本当だったら先週は“ほったらかし温泉”と“パインウッドキャンプ場”を訪れてみようと思っていた。原作のカレンダー上ではちょうどなでしこちゃんたちが野クル初のキャンプへと赴くタイミングで、そうであればすなわち――これまで同様の巡り合わせを期待するのならば――僕はそこでなでしこちゃんに加えて「犬山あおい」、「大垣千明」の野クルメンバー両名と出会うことができるはずだった。どんな顔をして彼女たちにお目見えして一緒に過ごすのか、綿密なシミュレーションとキャンプのプランニングを考えていたのだが(他人が聞けばただの痛々しい妄想でしかないが僕は大真面目だった)、それはまさしく絵にかいた餅で終わってしまった。

 そして今週――リンちゃんとなでしこちゃんの二人が焼肉キャンプと称してここ四尾連湖にある“四尾連湖キャンプ場”を訪れる。しかし当然ながら現役の高校生である彼女たちがキャンプをするとなればその日取りは高校の休みに限られるだろう。つまり、どう考えても平日の金曜日にそれが重なることはありえない。

 数少ない彼女たちと出会えるかもしれないチャンスを棒に振ってしまったことに、正直に言えば少し気落ちしている。でも、それはそれだ。やっとの思いで待ち続けた三週間ぶりとなるキャンプが楽しみでないはずがない。

 

 

 

 水明荘のウッドデッキにあがると、そんな僕をビーノに腰かけたリンちゃんが出迎えてくれた。原作で桜さんがホットチャイを頼んでいた座席のそばに設置されたリンちゃんの大型パネルだ。別にリンちゃんは四尾連湖を原付で訪れたというわけではないが、良く晴れた日にワインディングロードを走り抜けるのはなるほど気持ちがいいものだろう。道の脇にビーノを停めて舞い散る紅葉を眺めるリンちゃんの姿が瞼に浮かんで、思わずスマホをパネルに向けてシャッターを切る。それから回り込んで隣に立ち、ツーショットにしてもう一枚。画面を確認してみれば、腕を伸ばした僕と明後日の方向に顔を向けたリンちゃんの姿が映っていた。まるでそっぽを向かれているみたいな構図に首を捻る。反対側に立てばよかったのかもしれない。

 

 木製の手摺に腕を預けて湖の対岸へと目を向ける。水明荘キャンプ場のテントサイトは四尾連湖を挟んで水明荘の反対側に位置している。そこまで車で入ることはできず、キャンパーは荷物を台車かあるいは貸しボートで運ばなくてはならない。平日の夜ということもあってか、はたまた昼過ぎまで降っていた雨の影響か、サイトに明かりは見受けられなかった。久方ぶりの完ソロとなる予感に少しだけ心が躍る。賑やかなキャンプフィールドも悪くはないが、一人静かで満ち足りたあの空気がときどきなんとも恋しくなるものだ。

 

 もう少し時間があればとボートに後ろ髪を引かれながら、僕は年季の入った猫車を借りて荷物を積み込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

 四尾連湖の日没――

 

 山の向こうに沈みつつある夕日は稜線を緋色の輝きで縁取り、長く伸びた樹木の影との印象的なコントラストを描いている。凪いだ湖面のキャンバス地には、空を茜に染めている夕焼けの名残が鏡のように反射して美しい風景を織りなしていた。僅かばかりの残照はもうしばらくもすれば消えてしまうだろう。普段の生活で意識する機会はそんなに多くないかもしれない。でも少しでいいから頭を空っぽにしてじっくり眺めていると、日の入りとはちょっとばかり注目に値するスペクタクルだと言うことに改めて気付かされる。

 日没を動画に収めながら、僕は目の前の光景とカメラのモニターを交互に眺めてみる。高画素数のCMOSセンサーはレンズ越しにもその様子を克明に捉えているが、肉眼で見るより見劣りするのは撮影者に技術が伴わないゆえだろうか。だがそれでいいのかもしれない。画面越しでは味わえないからこそ、こうしてキャンプ場へ足を運ぶ理由にだってなる。

 

 

 

 ぬかるみのない場所を選びテントの幕体を広げてペグを打つ(酷使の結果か、まだ買ってそれほど経っていないにもかかわらず所々に隠しきれない傷みや汚れが目立ち始めていた)。カーミットチェアに焚火テーブル、僕にとってお馴染みの道具たちの準備は手慣れたものだ。地面にしっかりと打ち込まれたランタンポールの先端では、ぶら下がった照明がほどなく訪れる出番を待っている。

 相変わらずと言えば相変わらずなサイト作りだが、不思議と何処へ行っても景色にはよく馴染んでいるし、何より僕の落ち着く空間で気に入っている。

 そのシンプルさゆえに動画にすると少々地味なのは、痛し痒しというところか――隅に立てている三脚を一瞥して肩をすくめる。

 

 そう、今回は久々にキャンプ動画の撮影を試みることにしたのだ。しばらくは転勤や引っ越しで落ち着けず、山梨へ来てからもリンちゃんとなでしこちゃんに出会って動画の撮影どころではなかったが、ここに来て降って湧いたソロキャンプはちょうどいい機会だった。

 カメラの背後に回り込んで録画されている映像を確認する。僕は特にカメラを意識して小粋なトークを挟んだり殊更エフェクトを多用して編集に凝ったりするわけではないけれど、それでもカットを考えたり環境音を取り入れたり、楽しんでいるキャンプの模様が伝わるような心がけはしているつもりなのだ。

 それでも今ひとつ再生数が伸び悩むのは……似たような他の動画との差別化や分かりやすい魅力に欠けているのかもしれない。

 

 キャンプ動画と一口に言っても、その内容は千差万別だ。それぞれにこだわりがあり、音楽や編集上の問題は勿論、使っているキャンプ道具によっても大きく変わってくる。例えばコットンテント、ウッドテーブル、アイアンギア、重くて場所も取るけれどお洒落な道具を数多く用意してグランピング施設のような立派で快適なサイトを披露するものもあれば、はたまた一切の無駄をそぎ落とし最低限の物を除いて後は現地調達というブッシュクラフトなスタイルも存在する。前者には豊富な資金と高積載の車が不可欠だし、後者は一歩間違えればキャンパーではなくサバイバーのカテゴリに入ってしまいそうだが、両極端ながらもそれぞれにしかない魅力がある。他方で大多数のキャンパーは両者の中間のちょうどいい所に落ち着いているはずで、僕もそんな一人だからこそ目を惹く動画というものは一筋縄ではいかないのだろう。

 

 そして、だからというわけではないが今回は以前と少し違う趣向を凝らした道具を持ち込んでいた。箱から引っ張り出されてゴトリと重々しい音を立ててテーブルに鎮座したそれは、長方形をした角形の“七輪”だった。

 ゴツい、重い、嵩張る、そして衝撃に弱いとなると素直に考えればキャンプでの利用に長けたアイテムとは言い難いかもしれない(実際、オートサイトではないキャンプ場でこれを持ち運ぶのは骨の折れる作業だ)。しかしながら少ない炭で効率よく調理できる、遮熱性が高く万が一触れても安全など、簡易的なアウトドアグリルや焚火台に比べて優れた部分もあり、とりわけ寒さの中で強い火力を維持しようと思えば冬の調理で頼りになる。そしてなにより無骨な焼き台が醸す雰囲気の味わい深さを加味したのなら――すなわち似たような機能をもつ他の道具を差し置いて苦労を背負うだけの理由に値すると僕は信じ込んでいる。

 

 炭を七輪へと放り込む。珪藻土の壁面にぶつかるキンキンと澄んだ音は炭が上質な証だろう。期待の高まりが自然と笑みとなって零れるのを自覚する。拾ってきた幾ばくかの薪に着火剤を挟んで炭の合間に突っ込み火を付ければ、あとはしばらく待つだけだ。

 

 

 

 ペットボトルからケトルに水を注いで七輪の上に乗せてせておく。椅子に腰を落ち着けて、メラメラと立ち上がる炎を焚火代わりにぼーっと宙を見上げる。

 暮れなずむ空が紺色の濃さを増し、一番星が輝き始めていた。涼し気というには少しばかり冷たい風が吹き、火の粉が舞い上がって虚空へと消えていく。草むらから控えめに鳴く虫の声だけが伴奏となって僕を包んでいる。

 

 完ソロというのはソロキャンプの中でもまた独特だ。辺りには誰もおらず、ただぽつんと自然の中に取り残されている。間違いなく人の手で整備された区画であり、携帯の電波だって飛んでいるというのに、その気分だけはまるで彼方の原野を行く旅人のようだ。火を見つめていれば時の流れが緩やかになり、燃える薪のちらつく緋色にどんどん没入していく。深く考え込んでいるようでもあり、ひたすらに呆けているようでもあるその時間は、家族や仲間と過ごすのとはまた違う孤独を輩とした炎との語らいだった。 

 ただ静かで、ただ穏やかで。必要だとか不要だとかの分け隔てなく、自分という器の中身がほんの少しだけ抜け出ていく。そしてその分だけ外からまっさらな空気が沁み込んで来る。自分がしたいと思っただけそれを続ければいい。静寂の湖畔はこの瞬間僕ただ一人だけのものなのだから。

 ほんのりとした寂寥感がどうしてか心地良く、あらゆるしがらみから一時身を離して何者でもない自由を謳歌する。生きるために必要な何かを、ちょっとだけ取り戻す。

 ソロキャンパーとは、きっとそういう生き物なのだ。

 

 

 

 燃え盛っていた炎が次第に落ち着きを取り戻していくと、それに伴い炭にも徐々に火が回ってくる。ちりちりと音を立てる備長炭が七輪の開口部から真っ赤な光を覗かせる。直上に手を翳せば数秒と耐えきれない程の熱が陽炎のような揺らめきを立ち上らせ――同時にそれの向こう側に小さな白い光が浮かぶ。

 

 僕はおやと思って湖の奥に視線を向けた。

 

 ふわふわと浮かんだ白い光が、木々の間を抜けるようにちらちら明滅していた。その振る舞いがなんだかまるで人魂のようで、ふと僕の中で四尾連湖に伝わる牛鬼の伝説が想起される。日本では昔から日の入り前後を“逢魔が時”なんて呼んだりするが、もしかするとあの湖を漂う光が牛鬼出現の先触れなのではないか、と。

 湯気を吐くケトルにティーバッグを放り込みながらその様子をつぶさに眺める。それは湖を回り込んで徐々に近付いて来るようでもあった。そういえば、設営を急いだばかりに作中でなでしこちゃんが拝んでいた石碑に手を合わせるのをすっかり忘れていたことを思い出す。確か湖を回る道の途中で通りかかっているはずだが、そのときは猫車から逃げ出しそうになる寝袋に気をとられていてそれどころではなかったのだ。僕も小銭の何枚かお供えしておくべきだったかもしれないと後悔しながら、ケトルからマグへと紅茶を注ぐ(チタン製のダブルウォールのヤツだ。もう唇の火傷に悩まされる必要は無い)。

 誰もいないキャンプ場で今晩牛鬼に遭遇したらどうなってしまうのだろう。件の伝説がどんなものだったかはっきりとは知らないが、あれは人を襲うのだろうか。持ってきた国産牛(980円)を差し出して何とかならないものか……いや駄目か、それでは共食いだ。

 

 そんな他愛もないことを考えているうちに光はどんどん近付いてきて――それと同時にがらがらと車輪の回る音が小さく聞こえ始める。

 ああ、もう現実逃避は止めにしよう。湖岸の道を通ってきてテントサイトの端に顔を出したのは、どうやらチェックイン時間ギリギリで滑り込んできたキャンパーのようだった。目いっぱいに荷物の積まれた猫車を少々難儀しながら押しているが、後に続く人物は見受けられない。おそらくはソロなのだろう。

 なんのことはない、白い光の正体はその人物のLEDライトだったというわけだ。そのキャンパーはテントサイトを少し歩いて暫く様子を窺うと、僕のサイトのすぐ背後へとその野営地を決めたようだった。

 

 思わず額を手で覆ってむむむと唸る。別に何が駄目ということはないはずだ。誰にだってこのキャンプ場を利用する権利はあるし、それで僕のキャンプが台無しにされるということもない。

 それでも作り上げた世界に何かが割って入ったような不安定さを感じずにいられなかったのは、きっと僕の我儘なのだろう。完成された絵画に他人が新たな一筆を加える瞬間を目にしたかのような、円熟のレジェンドバンドが新進気鋭のアーティストとコラボレーションすることを聞かされた往年のファンの心持ちのような、得も言われぬ収まりの悪さだ。たぶん今の僕は野クルに勧誘されたときのリンちゃんみたいな顔をしているに違いない。溜め息が出る。

 しばし目をつぶって、それから今しがたやってきた人物が荷物を下ろしている途中で致命的な忘れ物に気付いて立ち去っていくという展開が起きやしないかと期待する。もちろんそんなことがあるはずもなく、荷物を広げてテントを立て始めた隣人を見て僕は現実を受け容れることを決める。

 

 

 

 こうして完ソロの時間はあえなく終了となったが、まあ仕方があるまい。それにこの日の四尾連湖の夕べは独り占めするには少々勿体ないと思うのもまた事実だった。分かち合うことの美徳を僕は知っているつもりだ。広い湖畔に二人分のスペースもないだなんてけち臭いことを言うのは狭量に過ぎるというものだろう。

 

 寧ろ牛鬼ではなかったことを喜んだ方がいいのだろうか?

 難しいところだ。もし仮に()()が出るとすれば今日ではなく明日の夜であるはずなのだから。

 

 そう、けっして今夜ではない。

 

「明日か……そうだよなぁ、明日だもんなぁ」

 

 どうしようもないことだけれど、つい未練が顔を覗かせる。あともう1日ずれていたならば、もしかするとここには僕とリンちゃんとなでしこちゃんと、鳥羽先生にその妹さんが揃っていたかもしれないのだ。

 

 なでしこちゃんと四尾連湖の風景の写真を撮って回ったり――

 火が着かなくて頭を悩ませるリンちゃんに呼ばれてみたり――

 結局なでしこちゃんが連れてきた“ベテランさん”の手際に一緒に感心して――

 出来上がった料理をお隣同士で交換し合って――

 夜中に()()に出くわしたリンちゃんを目撃――なんてしたら、きっと笑ってしまいそうだ。

 

 そんな一夜に立ち会ってみたかった。手の届かなかった湖畔の夜とキャンプの人々に思いを馳せれば、一抹の寂しさが風に吹かれて胸の内に去来する。

 僕はそれをそっと静かに押し留める。

 

 

 

 さて、何も完ソロでなくたって構うことはない。寂しさを楽しむのもソロキャンプの醍醐味だという言葉に、僕は改めて同意しよう。さみしいもたのしいも全部ひっくるめて、あとは満喫するだけでいい。そう思えば今の状況はまさにうってつけだ。

 チタンマグの中身を飲み干して椅子から立ち上がる。ランタンポールの先端で待ちくたびれていた照明に火を入れてやれば暖かな光がサイトに満ちる。七輪の方も準備は整ったと言わんばかりにやる気十分に燃え盛っている。

 革手袋を嵌めて七輪の網を外し、炭火を崩して熱量の調整を行う。端から順に強火、弱火、保温のゾーン分けだ。小さなテクニック、されどこうすれば黒焦げの肉を食べずに済む。大事なことをゆるキャン△からも学べるのだ。

 

 追加の備長炭を火床へ放り込もうとしたところで――サイトの隅にじっと佇む三脚が目に入った。ひょっとしたらと思ってお隣のサイトに目を向ければ、どうやらカメラの画角内に入り込んでしまっているようだった。

 これは少し懸念すべき事柄かもしれない。はっきりと映り込むことはないだろうが、動画を撮影していてそれを投稿しようというのなら一言声をかけておく方が無難だろう。面倒ではあるがそうしたトラブルの事例を知っているならば、それを避ける努力を払うのは投稿者のマナーであるべきだ。

 

 そうとくれば仕方がない。隣でサイトの設営にいそしむ人物がちょうどテントを張り終えたところで、僕はタイミングを見計らって声を掛けることにした。

 



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四尾連湖のすれ違い(2/2)

 僕らキャンパーは自然の中に屋根を張って居場所を作る。だから、どこからどこまできっかり何メートルだなんて決まりはないけれど内と外を隔てる境目というものがあり、それは区画サイトの枠であったり、張り綱の末端であったり、ランタンの灯りの届く範囲であったりする。ときには目につくところに他人が居るのも気に食わないということもあるかもしれない(そしておそらくその傾向は往々にしてソロキャンパーに多く見られることだろう。僕には分かる)。そこに対して個人的な都合に対する許容を求めに立ち入るというのは、いささか気の重くなる行為だ。今回は僕が先客なのだから「撮影中の動画に後から来たあなたが映り込んでも勘弁してね」というのは度を越した要求とは言わないはずだが、僕がしたいのは縄張り争いでも優先権の主張でもなく、ただ楽しいソロキャンプなのだ。だから最終的には相手の人となりに賭ける他ないだろう。

 

「こんばんわ。設営中にすみません。ちょっとだけ大丈夫でしょうか?」

 

 不躾にならないように注意を払いながら、僕は境界線を踏み超える。

 こうしたテリトリーへの侵入者に対するキャンパーの態度は概ね二つ。すなわち訪問販売や宗教勧誘の類に対するそれか、あるいはそうでないか。僕は相手が前者でないことを祈る。

 

「ああ、どうもこんばんわ。どうかしたんですか?」

 

 設営中だったそのキャンパーは、突然サイトにお邪魔した僕に不思議そうにしながらもこちらへと向き直る。背の低い山岳用のテントを手早く張り終え、今はケロシンランタンのポンピングに取り掛かっていたところだ。遅い時間にやって来たから設営を急いでいるのだろう。忙しない様子に申し訳なくなりながらも「作業しながらで結構ですので……」と断りを入れつつ僕は自分がカメラで動画の撮影を行っていることと、動画投稿サイトへのアップロードを予定していることを伝える。

 

「へえ、キャンプ動画ですか」

 

 僕が打ち明けるとお隣さんは興味深そうに頷いた。その声色にネガティブな響きが無かったことで僕は少しほっとする。露骨に嫌な顔をされようものなら流石に撮影を続けるのは難しい。

 ランタンのジェネレーターを温める火柱がごうごうと鳴り響く。灯油の気化を促す予熱の音に負けないよう、少しだけ声を張り上げて僕は核心を切り出した。

 

「それで、ネットに上げる予定なので映り込む可能性がある以上は一言お断りしておこうかと……特定できる映像にはならないと思いますけど、何せサイトどうしがちょっと近いものですから」

 

 僕が狙いすまして精一杯申し訳なさそうな態度を作ると、お隣さんは少しだけばつが悪そうだった。

 

「あはは、全然構わないですよ。私もこの距離は少し近いかと気にはなってたんですけど、他は地面のコンディションがあんまり良くなくて。あ……もしかして何かご迷惑になってたりしますか?」

 

 それから途端思い至ったように声を曇らせた。今度は僕がばつの悪い思いをする。確かに他のキャンパーの来訪を歓迎できるかと言われれば微妙な気持ちになるが、一方でせっかくやって来た他人のキャンプを妨げるつもりもない。お互いに気持ちよくキャンプができるならそれでよくて、片方の存在を咎めようだなんて気は毛頭ないのだ。

 

「いやいやそんな! こっちが勝手にやってることですから、どうか気にせずキャンプなさってください」

 

 だからこれはけっして建前やポーズではなく僕の本心でもある。僕のせいでキャンプが楽しめなかったなんて思われるのは、それはそれで嫌なのだ。

 

「そうですか、ならよかったです」

 

 そう伝えるとお隣さんは安堵の気配を滲ませる。僕も同様に一安心だ。一晩を同じ場所で過ごさなければならない隣人が話の通じる相手なのは実にありがたい。

 これで憂いはなくなった。僕は動画が撮れるし向こうは気兼ねなくキャンプができる。お互いそれが確認できただけでこれは十分な外交的成果といえるだろう。

 ならば親善訪問を切り上げて、僕は自分の領土へと戻るとしよう。日はとっぷり暮れて夕食の準備をするのにちょうどよい時間だ。

 

 “では僕はこれでお暇します”

 

 長居する理由もなく、退散を切りだそうかと口を開きかけたそのとき――

 

 

 

 突如目の前のランタンが火達磨と化す。

 

 

 

「うわっ!?」

 

「きゃっ!」

 

 ホヤガラスの内側が炎で埋め尽くされたかと思うと、パーツの隙間から外へと勢いよく噴き出してきたのだ。

 一瞬驚いて声を上げたけれど、ぶわりと吹き上がった炎は燃え広がることなく収まった。

 向かいを見れば急いでランタンを鎮火させたのだろう、お隣さんが腕を伸ばした姿勢のままで固まっている。

 

「おお、びっくりした……」

 

「す、すみません、大丈夫でしたか!?」

 

 思わず素に戻って目を丸くしていると硬直から立ち直った相手から慌てた様子で謝罪される。でも驚いただけで特に被害は無さそうだ。なんともないと僕が答えると、お隣さんはもう一度バーナーを点け直して再度ジェネレーターを温め始めた。

 

「少し……予熱が足りなかったみたいですね。意外と寒いですから」

 

 ちょっとだけ恥ずかしそうだ。

 それからもう一度点火し直すと今度は間違いなくマントルが輝き始める。ケロシンの炎特有の朱色の強い光が活き活きとサイトを照らし出せば、テーブルの周りはまるで室内のように明るくなる。

 

「なるほど……手はかかるけど、愛用者が多いのも分かりますね。明るい良いランタンだなぁ」

 

 真鍮色の照り返しを見てそう述べる。100年の昔から脈々と継がれてきたプロダクトデザインは、この道具が長い間支持を受けてきたことの裏付けなのだろう。心惹かれるものはあるけれど……そのじゃじゃ馬っぷりは、僕にはちょっと持て余すかもしれない。

 

「明るいし見た目も好きなんです。取扱いにはちょっと困りますけど」

 

 僕が褒めると、()()は少し気をよくしたみたいだった。

 

 

 

 ショート丈の藍色のダウンをパンツルックに合わせた姿からはこざっぱりした髪型と相まって中性的な印象を受けたけれど、声には少し女性っぽい柔らかさがあった。

 ランタンが灯った今ならなおのこと分かりやすい。穏やかな目尻と涼しげな口元に苦笑を寄せながらも、自慢の道具を褒められて満更でもないといった表情を浮かべている。線の細い顔立ちは整っていると称しても差し支えなく、ありていに言って美人さんだ。

 

「もっと安ければ僕も買ってみたいところですが」

 

「確かに予備部品やメンテナンスキットも含めると結構な値段になりますからね。でも使えば使うだけ愛着も出てくるんですよ」

 

 使っているテントといいランタンといい、彼女は中々に筋金入りのキャンパーでもあるらしい。

 

 驚いたことに――というのもおかしな話だけれど、なにせ自分の持つキャンプ道具のくせを面白そうに語る女性なんてものはそうそう見られるものでもない上に、それがまた画になるのだ。動画の被写体とすれば僕なんかよりずっと人気が出ることだろう、なんてつい余計なことまで考えてしまう。

 キャンプ場でめったに出会うことの叶わない、そんな珍しい存在。

 

「はは、あー……」

 

 そんな彼女を前についつい気後れしそうになるのも……まあ仕方がないことだろう。思いがけずとはいえ、僕の接触が不用意ではなかったか、なんてことが気になり始める。ひとりキャンプの女性に寄ってくる男がどう見えるかは人によって意見が分かれそうだが、ともあれ少し襟を正しておいた方がいいかもしれない。

 

 僕はそこでようやく自分が革手袋を嵌めたままであることに気付く。

 慌てて手袋を外し、ついでにだらしなく開けっぴろげな上着の前を閉じようとする――が、途中で噛んだファスナーに苦戦し、結果としてその場しのぎに愛想笑いを繰り出す羽目になる。

 まるっきり挙動不審な有様だ。“やれやれ、なんだかなあ”と半ば自分に呆れながら、仕方がないのでそそくさという擬音が似合いそうな別れの挨拶を切り出すことにする。

 

「それじゃあそろそろ僕はお暇しますかね。いやあ、長々とお邪魔してしまって申し訳ない……んー、あれ?」

 

 そう言っておとなしく引っ込むつもりだったのだが……いや、これは何かがおかしい。さっきから何度やっても同じ所でファスナーが上がっていかない。緊張とかテンパるとかそういう問題ではなく、明らかに構造的な異常が起きているときの手応えだ。

 

「何だこれ、変だな……」

 

「どうかしたんですか……あっ」

 

 その声に視線を上げると、口元を手で覆って「まずい、どうしよう……」みたいな表情を浮かべたお隣さんと目が合う。

 

「ええと、それだと思うんですけど……」

 

 指さされた箇所をランタンの明りで照らしてよく見てみると、ビスロンファスナーに小さな歪みが出来ていた。その横にはポリエステルが溶けて縮んだ痕があり、周辺の生地が不自然に強張っている。

 

「ああーなるほど」

 

 おそらく焚火か何かでやられたのだろう。化学繊維は熱に弱く、火が当たると簡単に駄目になってしまうのだ。

 

「さっきの火が当たったのかも……すみません、私のせいで……」

 

 彼女は先程のランタントラブルが原因と見たらしく、申し訳なさそうに僕に頭を下げる。

 だがそうとも限らないだろう。炎が上着に届いたかどうかは微妙だし、火を扱う機会はその前にだってあった。そもそも焚火の最中も遠慮なく着ているものだから、元から火の粉で所々に穴が空いている。そんな状態だからこそ気兼ねなく使えていたわけで、買い換えるタイミングが来ただけの話なのだ。

 

「いや、自分の焚火かもしれませんしこれは僕の過失です。忙しいところに突然お邪魔してご迷惑だったでしょうから。余計なトラブルを招いてしまってこちらこそすみませんでした」

 

「えっ、いえ別にそんな……」 

 

 僕にとっては気にする程でもないことに、余計な負い目を感じさせる必要はない。

 

 そうして二人して頭を下げていると、なんとも言えず微妙な空気が流れ出した。どちらともなく肩をすくめ、忍び笑いと溜め息が溢れる。お互いに一旦仕切り直しだ。

 

「まったく人様のサイトで何をやっているんだか……どうも失礼しました」

 

「いえいえ、動画撮影の話でしたね。こちらは問題ないので、頑張ってください」

 

「ありがとうございます。もし何か気になればいつでも声かけてください。それじゃあこれで」

 

「どうも」

 

 今度こそ問題なく別れの挨拶は交わされた。

 

 

 

 目的を達成した僕は自分のサイトへと戻って来る。最初からこうできれば良かったのだが……いやはや、相手にも設営直後から思わぬ面倒をかけたものだ。だが無事に撮影許可は下りたし、ハプニングに見舞われたのも旅の思い出の一ページだと思えば悪くない。

 ひとまずは三脚の前へと向かい、停止中だったムービーの録画ボタンを押す。カメラが回って僕のサイトの様子が再び記録されるのを確認し、それからゆっくりと食事の準備に取り掛かる。

 

 

 

 七輪に焼き網を乗せながら思案する。

 ソロのキャンプを重ねるほど、キャンプが満足いくかどうかが自分ではなく周囲の人間に委ねられる機会も増えてくる。とりわけトレッキングや釣りといったアクティビティに手を出すでもなくただ自分のサイトで何時間でもゆっくりすごすことに喜びを見出すタイプのキャンパーにとって、隣に居を構えたのがどんなグループなのかがどれだけ重要なファクターだろうか。誰もキャンプに来て隣人トラブルなど味わいたくもなく、ゆえにソロキャンパーは人の少ない場所、時期を求めてさまよう流離人(さすらいびと)でもある。

 その点で今日の僕は恵まれたと言ってもいいかもしれない。ゆるキャン△の聖地でもある人気のキャンプ場で周囲に居るのは一組だけ、しかも同じソロキャンパー同士。まるで整えられた舞台のようだった。なでしこちゃんとリンちゃんが訪れた四尾連湖に限りなく近付いた状況でキャンプの模様を撮影することができるのだ。

 もしこの動画を投稿したら二人はまた見てくれるだろうか? そんなことを考えるとキャンプとは別の楽しみだって生まれてくる。

 

「さてと、そろそろ始めますか」

 

 一通りの下準備が終わり、テーブルの上には砂肝、ヤゲン、ぼんじり、さがり、ハラミ――串打ちされた肉がずらりと整列して焼き台に乗せられるのを待っていた。リンちゃんたちと同じ轍は踏むまいと事前に肉屋で調達しておいた串物のラインナップ。そこにビール瓶を取り出して並べれば、実に豪勢な夕餉の卓が出来上がる。

 

 さっそくヤゲンとぼんじりをセレクトして炭火の上に移し、瓶ビールの栓を抜く。かこんと転がり落ちた王冠を拾いながらチタンマグへたっぷりの泡を注ぐ。

 こげ茶色のガラス瓶にランタンの灯りが鈍く反射しているのを見て、不意にこの瞬間がなんて素晴らしいのだろうという思いが湧いてくる。あらゆる挙動の一つ一つに精気が宿り、目の届く全てが鮮やかなのだ。隅々までどっぷりとキャンプの空気に浸っている。手に取った焼き鳥一本にだって、特別な何かが籠もっているとしか思えない。下界ではこうはいかない。この三週間欠乏するばかりだった栄養素が、ようやく僕の身体に満たされていくようだった。

 何とは無しに杯を掲げて目に見えない何かに乾杯を捧げる。四尾連湖の夜がそれに応えた気がして、僕は満足げに喉を揺らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄雲を引いた空に月が輝いている。秋の夜長を照らす常夜灯のように、青白い光を湖畔に落とす。風は僅かに煙を散らすばかりの穏やかな宵――

 

 彼女がサイトを訪ねてきたのは、そんな宴の半ばの頃だった。

 

「すみません。今よろしいですか?」

 

 牛串の焼き加減をいかに美味しそうにカメラで映すかということに意識を集中させていた僕は、思いがけないその声を聞いて振り返る。同時に一体何をやらかしたのかと、何かクレームが飛んでくるんじゃないかと身構える。彼女がやってくる理由なんてそれくらいしか思い浮かばなかったからだ。

 

「これが地面に落ちていたので。たぶん、そちらのじゃないかと思うんですけど……」

 

 確かに僕はやらかしていた。だが、それは思っていたのとは少し違ったらしい。 

 その手に握られた革手袋を見て僕は「あっ」と小さく声を上げる。先程彼女のサイトを訪ねたときにどうやら落としてしまっていたようだ。

 

「ああどうもすみません。これは全く気付きませんでした」

 

 頭を掻いて差し出された革手袋を受け取る。

 彼女は興味深そうに僕のサイトを見回すと、カメラが気になるのかこう尋ねてくる。

 

「撮影は順調ですか?」

 

「え? ああはい。そうですね、それなりに撮れたんじゃないかと……こんな状況ですが映像はなかなかにいい具合で」

 

 宴もたけなわなテーブル回りが少し散らかっているのはご愛嬌といったところだろう。その真ん中で存在感を放つ七輪に彼女が目を留めた。

 

「キャンプに七輪ですか。いいですね、渋くって」

 

 物珍しそうな呟きに、程よく酔も回った僕はつい饒舌になる。

 

「そうなんですよ。これがどうしてもやりたくて。最近買ったばかりなんですが、まあお披露目動画といった所ですね。そうだ、よろしければこれとこれと……どうぞ召し上がってください」

 

 なるほど、自慢の道具を褒められるというのはかくもいい気分だ。焼き網の上で焼けていた牛串のうち、動画用にじっくりと炙っていたとくに見栄えの良い数本を紙皿に取って返礼代わりにと差し出す。

 

 だがやってしまってから、彼女の事情も知らずに――食事も歯磨きも終えて後は寝るばかりであるかもしれないことも考慮せず皿を差し出したことに――はたと気付いて焦りを覚える。キャンプの夜が長いか短いかは人によりけりだが、朝早いキャンパーならそろそろ眠りについてもおかしくはない時間なのだ。

 けれども幸いなことに、彼女は遠慮がちに「ありがとうございます」と受け取って、それから自分のサイトへと戻っていく。僕はホッと胸を撫で下ろす。

 

 僕と彼女のほんの一瞬の交錯は、どちらも不快になることのない淡白なやり取りで実に申し分ない。引き続きいい気分でそれぞれのキャンプに戻れるのだから、文句のつけようなどどこにもないはずだ。

 なのになんとなく名残惜しい気持ちでその背中を見送るのは、僕が酒に酔っているせいなのだろうか。

 

 同じ場所にいるお互いを妨げずにキャンプを楽しむこと――

 僕のソロキャンパーとしての信条に鑑みるに、諸事情で踏み込んだ相手のサイトに落とした物を届けさせるだなんていえばむしろ落ち度はこちらの方にある。

 それにもかかわらず、僕はこれから更に禁忌(タブー)を犯そうとしている。当初は煙たがっていた来場者、それも女性を呼び止めようだなんて、数時間前の自分に知られたら冷ややかな目で見られることだろう。

 でもチャンスがあるとすれば、たぶんそれは今ここにしかない。

 気が付けば僕はその背中に向かって呼びかけていた。

 

「あの、よかったら少しご一緒しませんか! キャンプの話でも聞かせて頂けるとありがたいんですが……」

 

 僕からすればだいぶ思い切った提案が口をついて出る。他所様のキャンプへ積極的に踏み込んでいく――背教者呼ばわりする声が自分の中から聞こえてくるようだが、このときばかりは耳を塞いでしまおう。

 

 僕の声が聞こえたのか彼女は一瞬こちらを肩越しに見たようだ。しかしそれも束の間のこと、そのまま何も言わずに歩き去ってしまう。

 声をかけた側だけが取り残され、僕はどうしようもなくなって後ろ頭を掻く他はなかった。

 

 妥当な選択だろう。彼女を責める気にはならない。キャンプ場を訪れるのが優良な客とは限らず、女性だけのグループに執拗につきまとう連中が問題として取り沙汰されることもあるくらいだ。彼女が過去にそれを経験していても何ら不思議ではない。仮に中性的なあの格好がそれを厭ってのことと聞かされれば僕には何も言えなくなる。

 とはいえがっかりしないかといえばそれはまた別の話。こんなことでいちいち拗ねていてはみっともないが、残念なことに変わりはないのだ。

 

 やるせのない、重たい溜め息が喉から溢れようとしたそのとき――向こうのサイトからこちらへ歩いて来る彼女の姿を視界に捉えて僕は目を丸くする。

 そのまま彼女は近くまで寄ってくると、何かを片手に携えたままもう一方の手にぶら下げたチェアを置き、僕の向かいに腰を下ろして微笑んだ。

 

「アクアパッツァを作ってたんです。なので少しお裾分けしようかと。それともお嫌いですか?」

 

 スキレットの中身を見せられて、その予想外の振る舞いにアホみたいに口を開けていた僕は、咄嗟に出てきた一言もやっぱりアホみたいだった。

 

「え、えっと、カメラを回してもいいでしょうか?」

 

 ああ、これは酔っているせいだ。たぶん。きっとそういうことにしておこう――

 

 

 

 

 

 

 テーブルの上に合わせたフォーカス。黒鉄の器と彩り野菜が引き立てる切身魚の白。ハーブの香るその身を箸の先でほぐせば、ほろりと開いて立ち上る湯気。僕の動画に出る料理にしては実に洒落ていてフォトジェニックな一品――美味しそうに映せているだろうか。

 

 器に取り分けたアクアパッツァに舌鼓を打ちながら、先程までとは打って変わった時間を僕は過ごしている。

 

「こういうの憧れてたんですよ。動画でよくある、“他所のキャンパーさんからお裾分けを頂きました”みたいなのが」

 

 そう言って持ち上げたチタンマグに口をつける。中身はお湯割りの焼酎。寒い冬の屋外では温かいアルコールが身に沁みる。

 

「いつかないかなと思ってたけど……それが今日でした」

 

 ゆっくり息を吐き出せば、唇が弧を描く。僕の動画の記念すべき最初のゲストが彼女のようなキャンパーであることに僕は少しばかり喜びを隠せないでいる。浮かれているのが悟られないか、ちょっとだけ心配だ。

 

「すみません、もう少しちゃんと作ればよかったですね」

 

「いやいや、十分凄いじゃないですか。僕なんてそのまま焼くか煮るばっかりですから」

 

 型通りの賛辞だが嘘ではない。この出来の料理を謙遜できるというのなら、彼女はきっと立派なお洒落キャンパーなのだろう。それにしても美味いものだ。

 

「よくここは利用されているんですか?」

 

 せっせと箸を口に運んでいると彼女から尋ねられる。静かな湖畔を見回しながら僕は質問に答える。

 

「いえ、実は山梨に越してきたばかりで。でもずっと来てみたいキャンプ場でした。もっと混んでるものだと覚悟してたんですが……これだけ空いてるのは運がいいですね」

 

 そう、本当に運がいい。四尾連湖でのキャンプを映した動画には、大抵の場合もっとはるかに人が多いのだから。

 

「へえ、このキャンプ場ってそんなに人がすごいんですか。意外です」

 

「まあ少し前に色々と話題にもなりましたし、それで知名度も上がったみたいです」

 

 そしてそれは四尾連湖に限った話ではない。ゆるキャン△に登場した多くのキャンプ場はアニメの影響とそれ以前から続くキャンプブームの煽りを受け、もはや作中に登場したままの雰囲気を味わうのは難しくなってしまっている。

 だから僕に与えられたこの一日はとても貴重なものなのだ。

 

「そちらもキャンプにはよく来られるんですか?」

 

「私ですか? 毎週というわけにはいきませんけど、それなりにですね。小さい頃から家族での遠出はキャンプだったので」 

 

「なるほど、そうだとは思いました。この時期の四尾連湖に来るってことはまあ、結構好きなんだろうなと」

 

「紅葉がきれいだと聞きましたから」

 

「そうそう紅葉も有名で。でも残念ながら僕も着いたらもう薄暗くて、それで見れずじまいでした。どうせならゆっくり焚火でも熾して紅葉酒といきたかったんですがね」

 

「ええ、なのでもう一泊することにしてるんですよ」

 

「え、そうなんですか!」

 

「明日はもう一人合流する予定なんです」

 

「いや羨ましいなぁ。僕も最初は明日明後日で一泊の予定だったんですけど日曜が仕事で――」

 

 炭火の周りに集った僕と彼女はそれからしばし語り合った。他愛のないキャンプの失敗談を僕が披露し彼女が笑う。野外料理のレパートリーとコツを彼女がレクチャーし僕が書き留める。ゆっくりお湯割りを傾けながら、穏やかな時が過ぎていく。爆ぜる炭の音。風のざわめき。緩やかな酩酊が心地よい。未練がましい程に求めたはずの独りの時間は今は失われ、されど同じように求めたことで僕の向かいにソロキャンパーが一人座っている。どちらが正解かなんてことはない。いずれも変わらないのは、僕にとってキャンプで過ごす時間が幸せであるということだけだ。

 

 

 

「あ、もうこんな時間なんですね」

 

「そろそろお開きにしましょうか」

 

 やがて炭火が衰え肌寒さを感じるようになった頃、それをきっかけに僕らは歓談に幕を引くことにする。気付けば夜もそれなりに更けていた。互いに自分のサイトの片付けもあるだろうし、あまり遅くては明日にも響いてしまうだろう。

 

「いやどうも、差し入れありがとうございました。おかげさまでいい画が取れたと思います」

 

「いえいえ、大したものじゃないですけど、喜んで貰えたなら嬉しいです」

 

 充実した時間を過ごせたことに僕が感謝を述べ、彼女がそれを受ける儀礼的なやり取りを経る。

 それから椅子をたたんでサイトを辞去しようとする彼女に、僕はちょっとだけ逡巡してからこう声を掛けた。 

 

「明日、もう一泊するっておっしゃってましたよね」

 

「ええ、その予定ですけど……どうかしましたか?」

 

「そうですか。いや……」

 

 ふと思い描かれるイメージ。紅葉と写真、火起こしとB6君、鱈鍋とジャンバラヤ、ブランケットと焚火――

 

「なんとなく、もし明日もここで誰かと出会ったのなら、その人たちとも楽しくキャンプを過ごして欲しいんですよ。きっと……いい一日になると思いますから」

 

 ――それらと一緒にリンちゃんとなでしこちゃんの顔が浮かんだのだった。

 

 そう言ってから相手の顔を見ると、彼女は見事に怪訝な顔をしていた。

 そこで僕はハッと我に返る。夜気に中てられたのか、言う必要のない言葉がついうっかり零れてしまっていた。相手からすれば唐突で要領を得ない内容だから、当然そんな顔にもなるだろう。いささか飲み過ぎたのかもしれない。今さらながら後悔しても遅いが、せめてもと僕はもう少しの軌道修正を試みる。

 

「あー、違う違うそうじゃなくて……今夜みたいな素晴らしい出会いがあったから、明日もたぶんいいキャンプになるんだろうって思うと、それが僕は羨ましいんです。もっとこのキャンプ場に居たいけどそれができないから、僕の分も楽しんで欲しいっていうだけの――」

 

 そこまで言って、今度はまるで遠回りして出来損なった口説き文句みたいなことを口走っていると気付いて頭の中が真っ白になる。

 そういうつもりじゃなかった。けっして妙な気を起こしたわけではなく、言い訳をさせて貰えばただ少しアルコールが脳に巡り過ぎてしまっているだけなのだ。

 

 そうしてしどろもどろに何かを口ごもる僕だったが、それを見ていた彼女はクスリと笑った。

 

「そうですよね。今日は楽しかったですから。とても、素敵なキャンプになりました」

 

 「おやすみなさい」と別れを告げて彼女は戻っていく。その背中を僕は見送って、すっかり弱々しくなった炭火の片付けに取り掛かる。

 いつの間にか心の中に蟠っていた惜しいと思う気持ちが消えていた。代わりに、なるべくしてこうなったのだろうという充足感にも似た気持ちがあった。すとんと腑に落ちたそれを抱えて、ただ僕は月を見上げる。

 強がるでもなく、言い聞かせるでもない。

 

 四尾連湖に来るのがこの日でよかったのだと、素直にそう思えたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 太陽を待ちわびる冬の空が群青から青へと変わり始めていた。月の輪郭は溶けだして、薄明かりのグラデーションの中へと徐々に白く均されていく。それは鳥たちが囀り始めるより、ほんの少し前の時間帯。静寂を湛える四尾連湖には朝靄が立ち込め、あらゆるものに夜露が珠を連ならせている。

 

 僕にしては珍しいことに、このときは既にテントから這い出して活動を始めていた。湖畔に向けて椅子を置き、シングルバーナーの点火装置を押し込む。吐く息は真っ白で、ポケットに入れたままの手があっという間に指の先まで冷たくなる。ケトルが沸騰するまで何とか我慢をし、あと少しの間、夜明けを待つまでの時間を耐えられるように、熱々の紅茶を淹れて静かに啜る。

 

「おはようございます」

 

 隣のサイトのテントから彼女が顔を出し、椅子に座る僕を見つけると同じく水際まで歩み寄ってくる。昨晩と同じ藍色のダウンジャケットを着込み、寒そうに両方の二の腕を抱えながらも夜明け前の湖畔に佇む。これから何が起きるか彼女も知っているのだ。そういった姿に、やはりどことなくベテランキャンパーの風格が感じられる。

 

「ああ、おはようございます。寒かったですけどよく眠れましたか?」

 

「あはは、寝付くまでは辛かったですね。でも何とか朝までは。ふぅ……だいぶ冷えましたね」

 

 そう言うと指先に息を吹きかけて、それから僕らは並んで水面に顔を向けた。

 

 

 

 やがて四尾連湖に太陽が顔を出す。

 辺りが明るくなるにつれ湖面の朝靄は晴れ、錦繍の山々を写す鏡が朝日に輝き始める。

 それは実に見事な光景だ。秋の木々の美しさは本栖湖でも目にしたが、朝の日差しに照らされた四尾連湖はそれより更に一段と色味を増している。土の上を敷き詰めた落ち葉の絨毯の厚みは、初雪がもうそれ程遠くないことを示しているのだろう。

 きりりと澄んだ空気の中、枯れ落ちる前の最後の華々しさを僕は目に焼き付ける。

 

「綺麗ですね」

 

 ポツリと彼女が呟いた。

 

「ええ、本当に見事な紅葉で。もうすぐ帰らなきゃいけないのが勿体ないですよ」

 

 道具をコンテナに収めながら僕も同意する。

 

 空は晴れ。

 景色は良好。

 今日は絶好のキャンプ日和だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「それではお先に失礼します。今日のキャンプも楽しんでください」

 

 サイトを引き払い、荷物の積み上がった猫車のハンドルを持ち上げながら僕は別れを告げる。

 

「どうもありがとうございました。お気を付けて」

 

 昨夜より幾ばくかスッキリとしたサイトで荷物を整理していた彼女もまた手を止めて、僕の方に手を振ってくれた。聞くところによれば、今日合流する予定のお姉さんをこの後で一旦迎えに行くのだという。

 

 

 

 湖畔をぐるりと回る道の途中で僕は考える。

 昨日の夜から抱いていた仄かな疑念。どこかに引っかかりを覚えていた既視感の正体。ついぞはっきりとはしなかったのだが、つまるところ僕はこう思っていた――彼女はもしかしたら()()()()()()()()なのではないのか、と。

 そのことを示す明確な証拠はない。名前は聞けなかったし、原作でリンちゃん達が来る前日からキャンプをしていたという描写も無かった。

 ただそれでも、昨晩からの邂逅で拾うことのできたいくつかの要素がこの考えを支持していた。

 

 彼女の容姿、合流予定の姉、ぴったりな日付、それに――

 

 僕は静かなキャンプサイトを振り返る。

 いくら平日だったとはいえ、四尾連湖にこれだけ人が居ないというのは出来過ぎではないだろうか。それこそ、ゆるキャン△の放送前でなければ考えにくい程に。

 そう、まるで僕が度々足を踏み入れた“ゆるキャン△時空”の中でなければ考えにくい程に、だ。

 

 

 

 猫車を押して水明荘の前まで戻ってくる。物思いに耽っていた僕は、荷物を片付けようと思ったその矢先に視界に入ってきたウッドデッキの上にぽつねんと置かれたリンちゃんのパネルに気が付いて、きょとんと目を瞬かせる。

 ハッと顔を上げて湖の対岸に目を凝らせば、そこには微かにだけれどもコンパクトな彼女のテントが一つだけ置かれているのが確認できる。

 

 5分か、あるいは10分くらいだろうか。僕は片付けのことも忘れ、しばらく何とも言えずにぼんやりとその光景を見つめていた。それからようやく再起動を果たし、やれやれと頭を振ってウッドデッキを後にする。

 

 

 

 車に荷物を積み込んで、来るときに通った例の細い道をまた運転してキャンプ場の出口へと向かう。対向車と出会わないよう祈りながら、慎重にハンドルを握る。

 それにしても不思議なものだ。きっとそうだろうという確信があったのだが……どうやら早とちりであったらしい。そう思うと何やら思わせぶりなことを口走った昨日の夜の自分が恥ずかしくなって、やけに落ち着かない気分になる。ハンドルをしきりに叩く指がそれと無関係かどうかなんてことは……わざわざ示さずとも分かるだろう。

 

 誤魔化すように一度アクセルをふかし、坂を下っていく。今回のキャンプのビデオを良いものに仕上げるための方法をいくつか考え始め、また再び訪れるキャンプの日々を思いながら、僕は日常への帰り道を辿るのだった。

 

 

 



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幕間:陣馬形山のリン

 12月も半ばとなれば、日の沈むスピードはちょっと待ってと言いたくなるほどに速い。少し油断をしていれば夕焼けを見逃し、早仕舞の太陽は地平線に顔を隠してしまうだろう。日に日に短くなる太陽の運行は紛れもない冬の足音。シーズンオフのキャンプを楽しむリンにとっては歓迎すべきことで、好ましいものだった。

 しかしそれも普段であればのこと。現状のリンにとっては全くもって有り難くない。

 日没の早さを恨めしく思いつつ、リンは恐る恐る用心しながら暗い山道の前方に注意を払っていた。

 

 

 

 時刻は18時を過ぎたところだ。本来の予定ならばとっくにテントの設営を終えて夕飯に取り掛かっていていいはずなのだが、それがどうしたことかリンは未だに重い足を引きずってキャンプ場を目指していた。

 今日一日でおよそ150kmの距離を共にした旅の相棒たる“YAMAHA·ビーノ”も今は脇に抱えられ、道先を照らすライトの役割に徹している。

 

「ふぅ……ふぅ……本当に、大丈夫なのか……?」

 

 遮られた視界に、リンは不安そうに呟いた。

 道の両側は木立に覆われ、街灯も見当たらない。車通りや人通りなんて見込めるはずもなく、ビーノのアイドリングだけが響く真っ黒な山中にさしものリンも心細い思いがしてくる。

 

 ライトの先にはまだ何も現れてはこない。

 このまま怪しい道を進むことへの心配もあったが、とりあえず今のリンにできることは電話口で伝えられた大垣の助言を信じることだけだった。でなければはるかに遠回りをしてキャンプ場に辿り着くしかないのだ。

 

 リンはこの旅の不運を思い返していた。

 

 

 

 

 

 

 信州は伊那、山梨から遠く離れた陣馬形山へと向かう道中でのことだった。

 試験明けに予定していたなでしことの二人キャンプが相方の風邪で中止となり、代わりに病床からスマホ越しのナビゲーションを受けて長野を旅することになったリン。

 斉藤によって“私の屍を越えてゆけキャンプ”と名付けられたそれは途中でなでしこの見舞いに来た大垣も加わって賑やかさを増しつつ、少々の波乱に見舞われながらも一人と一台(+2名)の旅路は概ね順調に進んでいった。

 だが、長旅の疲れをほぐそうと立ち寄った駒ケ根の温泉と、ミニソースカツ丼がいけなかったのかもしれない。湯上りと満腹による心地よい気だるさに誘われてうつらうつら舟をこいだリンは、そのまま夢の世界へ旅立ってしまい――目が覚めたときにはもう辺りはすっかり暗くなっていたのだった。

 

 慌てて温泉を飛び出しビーノを急がせる。市街地を離れ人工の明かりも乏しくなり、目的地まであとわずかというところまで来たのだが……

 

「ま、まじか」

 

 キャンプ場へ続く道の半ばで目にした看板にリンは言葉を失う。対向車線を遮るように置かれた単管バリケードと、真ん中に掲げられた白地に赤丸の斜め一本線。それはこの道が封鎖されていることを意味している。

 

『通行止めなうⅡ』

 

 この日二回目の遭遇となる通行止めに、失意の呟きと写真を思わずなでしこに送るリン。

 

 それから慌てて別のルートを探すも、そうすると追加で三時間は掛かることが判明。キャンプ場への到着は21時以降となってしまう計算だ。

 青ざめるリンだったが、そこへ手にしたスマホに着信の通知が表示される。

 

「大垣?」

 

 思いがけない相手からのコールに訝しみつつ、リンは電話に出る。

 

「もしもし?」

 

『あ、しまりん? 電波繋がってよかったー。そこの通行止めなんだけどさ、多分そのまま通れると思うぞ』

 

「え? 通れる……って、思いっ切り看板あるけど」

 

『それ多分置きっぱなしになってる奴だ』

 

「本当に?」

 

『騙されたと思ってさ。あ、くれぐれもゆっくりな。もし通れなくて引き返してもロスは10分くらいだしさ――』

 

 

 

 

 

 

 その言葉を信じてリンは今ビーノを降り、こうして進んでいるのだ。他に良いアイディアも思い浮かばず、取れる手立ては無いに等しかった。あてが外れてしまった場合どうするのかは……できれば考えたくはない。

 

「はっ、はっ……」

 

 50ccの車体とはいえ、傾斜を押して歩くのは体力を使う。緊張と負荷の二つの要因で心臓を鳴らすリンには、祈るように一歩ずつ足を踏み出すその時間がやけに長いように感じられた。

 

 

 

 やがてしばらく歩いていると、行き先を示す看板がようやくリンの前に姿を現した。

 

 “陣馬形山キャンプ場”

 

 天空のキャンプ場と呼ばれた標高1445mに位置する絶景の野営地。

 

 あと一息とばかりに気合を入れたリンは、最後の坂を越えるべくビーノを押す手に力を込める。

 

 そうしてリンが辿り着いたのは――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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幕間:陣馬形山のリン

 

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「ほ……本当に抜けられた……」

 

 両脇に茂っていた木々が途切れ、リンの眼前に視界が開ける。

 道を抜けた先では山頂にほど近い斜面の一角がぽっかりと切り拓かれ、星空へと露地を晒していた。小さな炊事場と避難小屋に、段々畑のように棚のつけられたテントサイト。その奥にある電波塔を横切って木道の階段を登ると、そこは伊那谷を一望する陣馬形山の頂上だ。

 

 吹き下ろす夜風を浴びながらキャンプ場に足を踏み入れたリンは、息を大きく吸い込むとそのままビーノのハンドルに盛大に突っ伏した。

 

「何も無くてよかったっ」

 

 無事に道中を切り抜けてキャンプ場へと辿り着いたことに安堵の溜め息を漏らす。

 これがもしリン一人だけだったらどうなっていただろうか。おそらく通行止めの先へ進むことなく、絶望的な回り道を余儀なくされていただろう。そうすると遊び半分で受けていたナビゲーションは今日一番の大きな役目を果たしたことになる。助言をくれた大垣にも感謝せねばなるまい。

 

「っと、そうだ」

 

 今も心配しているであろう二人に無事を伝える必要がある。連絡を取ろうとスマホを手にしたリンであったが。

 

「あ、ここ圏外なのか……」

 

 アンテナが一本も立っていないことに気が付いて仕方なくポケットに戻す。

 二人には悪いが、連絡はもう暫く後になりそうだ。

 

 

 

「それにしても……凄いな」

 

 キャンプ場を見渡したリンは目を丸くして呟いた。

 

 音に聞く絶景が――ではなく、その人の多さ故にだった。

 

 陣馬形山のキャンプ場内にはテントを張る一連のスペースが上下に四段設けられている。そのいずれにもキャンパーが押しかけ、寿司詰めのように並んだ天幕が夜景に向いて軒を連ねていた。溢れそうな駐車場もビーノを停めるにすら難儀しそうな有様だ。

 

「え、えっと……」

 

 こんな事態は全くもってリンの想定外だ。

 戸惑いながらもひとまずは駐車場の端にビーノを置き、自分のテントを張る場所を探そうと下段から順に見て回る。

 

 この日は少し風はあったがキャンプに支障が出る程ではなく、外で焚き火に興じる人々も多かった。

 あるソロキャンパーは熱心に薪を小割にして火にくべている。トライポッドから下げた鍋での調理に余念がないようだ。また別のグループはタープに吊るしたランタンの下で乾杯を上げているところだった。年配の男性から若い女性まで、様々な年齢層が寄り集まって何事かを話している。通りすがったツールームテントの中からは家族連れの団欒の声がする。何やらボードゲームで盛り上がっているらしく子供のはしゃぐ声が聞こえてきた。

 思い思いに過ごしている他の人々のキャンプの様子を覗いながら突き当りまで歩いたリンは立ち止まって振り返り――そして頭を抱える。

 

 どうにもしようがない。テントの間隔は既に目一杯狭まっていてとても割り込めたものではなかった。よしんば無理やり入り込んだとしても隣が近くて落ち着けないし、迂闊な場所を取ろうものなら他所の焚き火の火の粉でテントを穴だらけにされてしまうだろう。キャンプを楽しむどころではない。

 

 事前情報でもっと穴場的なキャンプ場をイメージしていたリンは、あまりのギャップに衝撃を受けていた。一体このキャンプ場の何がこれほどの客を引き寄せたのかリンには想像もつかない。今年のキャンプで一番混雑していた麓キャンプ場を上回る密度だった。

 リンの表情が僅かに曇る。せっかく長い距離を苦労してやって来たというのに、これではあんまりだ。そもそもこうした状況を嫌っての冬キャンである。リンからすればたまったものではない。

 

 とはいえ到着が遅れたのは自分のせいなので文句を言っても仕方がない。気を取り直して他の場所も見て回ろうとするものの。

 

 「やばいな……ここもちょっと無理そうかも」

 

 リンの眉間にしわが寄る。次の段に行っても状況は変わらず、焦りが生まれてくる。このままではテントが張れないかもしれない。それではキャンプ場に来た意味がない。自然、リンの歩調も早くなる。

 

 それだけでなく気掛かりなことはもう一つあった。

 

 リンは歩きながら訝しげに周囲を見回した。

 先程から自身が妙に注目を集めているような気がしてならないのだ。設営場所を探してウロウロしているとやけに他のキャンパーと目が合う。何やら物珍しいとでもと言いたげな、興味津々といった視線。あまり居心地のいいものではない。確かに女子高生の趣味としては変わっていることはリンも自覚しているが、ファミリーや女性客も多い今日のキャンプ場でそれほど目を惹くものかと首を傾げていた。自分の格好を見ても特に浮いているとは思えず、疑問符ばかりが増えていく。

 

 既に疲れを覚え始めていたリンだったが、そんな折りにふと()()()()()()()()()()()()が聞こえてきて思わず足を止めることとなった。

 

「ん?」

 

 前にもこんなことがあったような、と一瞬デジャブを感じてキョロキョロと振り返るもそれらしい姿はない。ここは山梨から150km以上も離れている長野県のキャンプ場だ。流石に麓キャンプ場のときのようにはいくまいと考え直す。あるいはキャンプへ行きたくて仕方ないなでしこは、ついに時と空間を超えてリンの元へ届くことに成功したというのだろうか。(リンちゃん。今、あなたの心の中に直接語りかけています)。各地のキャンプ場で耳にする謎の声。その呼びかけに誘われた少女は富士山に隠された謎を解き明かし、やがて緩やかなるキャンプの意思(Laid-Back Camp Mind)へと触れていく。全米を震撼させたキャンプ•ミステリー、今夏劇場公開予定!

 

 ――なんちって。

 

 さて、そんなくだらないことに意識を傾けていたからだろうか。歩き出そうとしていたリンは、次の瞬間急に目の前に飛び出してきた小さな女の子を避けることができなかった。

 

 「うお!?」

 

 着込んだ上着がクッションになって衝撃はそれほど無かったが、相手はリンよりずっと小柄だ。ふらふらとよろけた女の子を支えようとリンはとっさに手を伸ばした。

 

「あっ、すみません! こら、走ったら危ないでしょ!」

 

 同時に近くのサイトから、一部始終を目撃した母親らしき女性がよって来る。

 

「だ、大丈夫?」

 

 心配したリンは女の子の顔を覗き込むが、女の子はきょとんとしてリンの顔をじーっと見つめるばかりだった。その反応にどうかしたのかとリンが首を傾げたとき――

 

 

 

「ねーおかーさん、()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 

 

「――え?」

 

 

 

 思考が空白に塗り潰される。

 

 

 

 突然叫んだ女の子の言葉にリンは着いていくことができなかった。初対面の彼女の口から自分の名前が飛び出してきた、その奇妙な事実を認識するまでに数秒を要する。

 

「こーら! やめなさい、人を指ささないの!」

 

 女性が女の子を叱り、それから愛想笑いを浮かべてリンに会釈する。女の子はご機嫌でテントの中にかけ戻っていく。

 

「ちょっ……待って――」

 

 我に返ったリンが反射的に女の子を呼び止めそうになったとき、またもや複数の覚えのある()がしてリンはそちらに気を取られる。

 

 耳をすませたリンに二人の少女の会話が聞こえてくる。溌剌とした一方の声は、やっぱりなでしことしか思えない。どうしてかは分からないが、この山梨から遠く離れたキャンプ場に彼女が居るようだった。けれどこっちはまだいい。本当の問題はもう一つの方。僅かに違和感があるけれども確かに覚えもあるその声はまるで――自分自身の声のようではないか。

 “なでしこ”と“リン”の会話。聞こえてきたそのやりとりを認識したとき、リンの脳は混乱に陥った。ありえない、聞き間違いだろうか、そんなはずがない。リンの頭の中が疑問符で埋め尽くされていく。いても立ってもいられず、リンは音の発信源を探して向かっていった。

 

 

 

 それは割とすぐ近くのサイトから発せられていた。

 大きなツールームテントの前室で過ごす子供たちが、ラックの上に置いたタブレットで何かを視聴している。子供たちは画面に釘付けになっていて、リンはそれをやや後ろから覗き込む。

 

 液晶に映っているのは何かのアニメで、ちょうどオープニングが流れているところだった。ポップなミュージックに合わせて画面にタイトルが踊っている。

 

 『ゆるキャン△』

 

 リンは呆然とその文字列を眺めた。

 次いで既視感のあるキャラクターたちが動き出す。どうやら登場人物の名前は『リン』と『なでしこ』というらしい。二人は何やらキャンプの話をしているようだった。

 はっきりと聞いたその声はもう疑いようもない。リン自身となでしこのものに本当にそっくりだったのだ。

 

 

 

「なんだこれ……」

 

 目眩を感じて一歩二歩あとずさる。今目にしているものが何を意味するのかリンには全く理解が及ばないでいる。

 どうすればいいのだろう。何も見なかったことにしてキャンプを続けるべきなのだろうか? それとも引き返してキャンプ場を後にするべきなのだろうか? あるいはこの場に乱入して一体全体これは何なのか説明を求めればいいのだろうか?

 いくつかの選択肢がリンの脳裏をよぎるも、どれもあまり正しいとは思えない。パンクした脳みそがサボタージュを決め込んだらしかった。

 ただ途方に暮れながらも、たぶん今日思い描いていたはずのキャンプが遠い所へ行ってしまっただろうことにぼんやりと気付く。それがリンにはひどく残念だった。

 

 

 

 頭が真っ白になり、フリーズしたリンはなすすべもなくその場に立ち尽くしていた。何かきっかけが無ければ、暫くそのまま動き出せなかったかもしれない。

 ところがそこへ横合いから声が掛けられたことで、事態は更に思わぬ方向に動いていく。

 

「まさか……リンちゃん?」

 

 震える声がリンの耳朶を打つ。

 

「あ……えっと、トム……さん……?」

 

 顔を向ければ、そこに立っていた男に果たしてリンは見覚えがあった。

 以前、本栖湖で居合わせたリンと共になでしこを助け、その後も麓キャンプ場でなでしこから共に鍋を振る舞われた、とある一人のキャンパー――

 

 混迷極まるリンに降りかかった思いがけない出会いだった。

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

 そのサイトは陣馬形山キャンプ場の最上段に設けられていた。両隣から張り出されたガイロープに少々脅かされている小さなスペースに、間借りするような形でワンポールテントが収まっている。男の背に着いてそこへやってきたリンは、勧められるまま焚火の前のローチェアに腰を下ろした。

 ぼんやりと薪の炎に目を落として考え込む。周囲の賑わいは依然として盛んだというのに、リンにはまるでどこか遠い異国の出来事のようだった。馴染み深いはずのキャンプシーンがなにかチグハグで、気温とは別の尺度でどこか薄ら寒く、喧騒は膜一枚隔てたかのように曖昧模糊として耳に響いている。

 

 頭の中には先程の映像がこびりついて離れなかった。

 偶然などではない。あれは間違いなく自身とその周辺の人物をモチーフにしているはずだとリンは確信していた。名前と容姿や声が似通っているだけならば百歩譲ってそういうこともあるかと言い聞かせられたかもしれない。だがリンにとって幸か不幸か、短い時間で垣間見えた映像の内容は、麓キャンプ場でキャンプするリンとそこへやってきたなでしこだったのだ。リンの記憶にも新しいそれは、ついこの間()()()()()()()()()()だ。

 その事実がリンの思考を迷宮へと誘う。自身の過去の体験が映像作品として他人に視聴されている――真面目な顔でそれを言う所を想像したら、ヤバいやつだという感想しか浮かんで来なかった。いけないクスリに手を出したのかと自分でも思うだろう。だがそうとしか表現できないからリンも困っている。

 

 あるいは手の込んだ悪戯か。

 ちら、とリンはここまで自分を案内してきた男に視線を向ける。コンテナからガスバーナーを取り出して湯を沸かす男の様子はどこかぎこちないようにも見えた。動画投稿者なら方法はともかく動機としては考えられないこともない。“知り合いのJKにドッキリ仕掛けてみた!”と突然振り返ってプラカードでも掲げ、リンのリアクションをサムネイルに仕立てる。そちらの方がまだ非常識ではあってもかろうじて現実的な、納得のいく説明足り得るはずだ。

 

「はい、どうぞ。あったかいお茶を飲んだら少しリラックスできると思うからー……ああ、うん……参ったなあ」

 

 茶を淹れ、コンテナの上に腰を下ろしながらシェラカップを差し出した男をリンは唇を結んでじっと睨みつけた。その視線の圧を受けた男は一瞬たじろぐと、弱りきった表情で首を振る。リンに確信を抱かせるには十分な反応だ。

 

「さっきのやつ、何だか知ってるんですよね」

 

 ポツリと呟いたリンの声に男はしばし迷い、それから溜め息を零す。

 

「そうだね……たぶん、リンちゃんよりは少しだけ。でも本当のところ僕にもよく分からない。最初に言っておくけど、凄く突拍子もない話になるけどいいかな?」

 

 リンは頷き、男の語る言葉へと耳を傾けた。それがどのような結果を生むか、想像もつかないままに。

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

「ゆるキャン△……私と、なでしこが主人公のアニメ……」

 

 その言葉を転がすようにリンは呟いた。

 男が語った内容はリンの想像を遥かに超えたものだった。男の視点によればリンやなでしこはとある作品の登場人物であるらしかった。アニメにもなっているその作品の名前こそが“ゆるキャン△”――先程リンが目にしたものの正体はそれだというのだ。

 

「あの、本気で言ってるんですか?」

 

「そうなるよね。正しい反応だと思うよ」

 

 言葉に少し険が滲んでしまうのは仕方ないことだろう。やや温度の下がったリンの態度に男は苦笑する。

 

「ただ僕にはそうとしか言えないんだ。他にリンちゃんが見たものを説明できない。無茶苦茶だってのは分かってる。けど……」

 

 男は視線を周りに向けた。今もどこからかリンとなでしこの声が小さく聞こえている。リンは口をへの字に曲げ、それを見た男は心底困ったというように力なく笑った。

 この場に集う多くのキャンパーたち。リンとも同じ趣味をもつ人々――だが今日はその一部に、“ゆるキャン△”を楽しむ人々を内包している。それが普段とは違う決定的な差だ。リンは溜め息をついた。

 

 「分かりました……とはなりませんけど、一応そういうこととしておきます。だとするとトムさんは違うんですよね……ええと、つまりその作品の中には出てこない人というか」

 

「少なくとも僕の認識においてはそうだね。リンちゃんたちは僕と出会わなかったし、カレーめんをなでしこちゃんにあげたのだってリンちゃんだった。本来なら僕は部外者で、こうして話すこともありえないはずなんだ」

 

 リンの問いにそう答えた男はがっくりと項垂れると、懊悩するように頭皮を掻きむしる。

 

「我ながらこんな馬鹿な話はないよ、信じてくれだなんて言えないし思ってもない。リンちゃんがこんなこと知る必要はなかったんだ。気の利いた当たり障りない嘘で誤魔化せればよかったけど……ごめん、ちょっと難しかったなぁ」

 

「あ、いや、そんな責めるつもりは……確かにわけが分かりませんけど、別にトムさんのせいってわけじゃないんですし」

 

 悄然とした男の様子にリンは慌てて否定するが、男はどこか居心地が悪そうに体を揺すった。

 

「確かに、僕が故意に引き起こしたわけじゃないし、そんなことはできないよ。でも……リンちゃんたちに会えるかもしれないって期待がなかったわけじゃないんだ。ああごめん、これじゃなんかストーカーみたいだね。悪気はないんだ。そうじゃない」

 

 額に手のひらを当てて男は頭を振った。それから深呼吸して、まっすぐリンを見る。その様子からはまるで証言台にでも立っているかのような緊張が滲んでいた。

 

「本栖湖、麓、そしてここは作品の舞台になってるんだ。僕のキャンプ地が君たちの足跡と重なったときにこれが起きてる。これで僕は原因じゃないって、胸を張って言っていいのかな?」

 

 懺悔するように述べられた男の話にリンは目を丸くした。

 

「そういうことですか。じゃあトムさんが私達と出会ってたのって……」

 

「一度目は本当にただの偶然なんだ。本栖湖は人気のキャンプ場でゆるキャン△抜きでも純粋にキャンプをしてみたかった。二度目は……そうだね、僕にとっては奇跡みたいなものだったよ。そっちの世界に迷い込むなんて不思議だけど、僕にとっては楽しくて、そしてリンちゃんたちには無害だと信じ込んでた」

 

 何かしら思うところがあったのだろう。憧憬の込められたような言い方で遠くを見ながら男は呟いたが、それから居ずまいを正すと真面目な顔になってリンに向き直った。

 

「だけど……今回は違った。だから僕はもうキャンプをやめることにするよ」

 

「え?」

 

 唐突な宣言に不意を突かれたリンが戸惑いの声を上げるも男は話し続けた。

 

「もう二度とこういうことが起きないようにって考えたら、それが僕ができる最善の方法かなって。これで罪滅ぼしになるかは分からないけどね。変なことに巻き込んでごめんねリンちゃん」

 

 寂しそうに笑ってそこまで言うと男は天を仰いだ。それを聞いたリンもまた複雑そうな表情を浮かべて押し黙る。

 陣馬形山の風が吹き抜けて焚き火を揺らし、リンは身震いする。男は薪を一つ追加して、それから二人の間にしばしの沈黙が降りた。

 

 

 

「あの、一つ言いたいんですけど」

 

 少し腑に落ちない気分で焚き火を見つめながら暫く考え込んでいたリンが、意を決して口を開いた。

 

「ん? ああ、どうぞどうぞ。どうしたのリンちゃん」

 

「キャンプ、別にやめなくていいんじゃないですか」

 

 それが思いがけない一言だったのか、男は目を瞬かせてリンを見る。どうしてそんなことを、とでも言いたげな顔だ。

 

「いや、もう嫌になったとかならいいんですけど……そう聞こえなかったので」

 

「あ、ああ、ごめんね気を使わせちゃって……けどこれ以上同じことを繰り返すのもリンちゃんたちには申し訳ないからさ」

 

 そんなリンの指摘に男は恥入るように眉間を抑えたが、リンはあっけらかんと言い放つ。

 

「でも原因が何なのかは分からないですし、キャンプしなければ解決と決まったわけでもないと思うんです」

 

 男が困ったように眉を寄せる。

 

「そうかもしれない。でも、そうじゃないかもしれないよ。僕だけならまだしも、こうやってリンちゃんを巻き込んだ以上は被害を防ぐ方法を考えておかないと」

 

「そうですか。けど巻き込んだとか被害とか、そういうのがよく分からなくて」

 

 何と言うべきかリンは言い淀んだが、控えめながらもはっきりとこう告げた。

 

「ただ私のせいで望まない選択をさせたって言われると、それはちょっと嫌なんです」

 

 そう言って困ったように頬をかくリンに男ははたと目を見開き、狼狽えて視線を泳がせる。

 

「いや、それは……だけどこんなことになってリンちゃんだって嫌じゃないのかな」

 

「キャンプ場で知り合いに会うことがですか?」

 

「えっ?」

 

 そのリンの言葉に、男は心底意外そうな、意表を突かれたような表情を浮かべた。

 

「そうじゃなくて、もし自分の人生がフィクションだって分かったらその……ショックじゃないの? リンちゃんにとったらアイデンティティに関わる問題だと思って……」

 

 戸惑ったようにリンに向けられる言葉。

 気を使うような、腫れ物にでも触るかのような態度は、今日男に出会ってからのやりとりの節々に滲み出ていた。それこそ混乱していたリンでも違和感を覚えるほどに。

 それが責任感によるものなのか、罪悪感によるものなのか、あるいはそれ以外の何か後ろめたさによるものなのかはリンには伺い知れない。だがそれはリンにしてみればただ一方的に向けられた不釣り合いな感情だ。

 

「いや、そんなこと言われても。正直どこまで事実か分かりませんし。あなたの人生は作り物ですって他人に言われたら素直に受け容れるものなんでしょうか」

 

 なんか変なことにはなってるみたいですけどと言って茶をすすったリンを、男はあっけにとられて見つめていた。

 

 リンからすれば何がなんだかさっぱり分からない。ただ、自分がアニメの世界の住人だなんて突拍子もない言いがかりのようなもので、それで存在意義を心配されたり、あまつさえ同情されたりだなんていうのは噴飯物の出来事だ。

 

「だって、それを言うなら逆に私がトムさんを架空の人物じゃないかって言ったならどうなんですか」

 

 だからそんな男の態度が気に入らず、少しムスッとしてリンは言い放つ。

 

「トムさんは()()()()()()()()()()()()()()()()() じゃあ今ここで私と話してる貴方は何なんですか?」

 

 そんなリンの問いかけに男は二の句を継げず、ただ口をモゴモゴと動かすばかりだった。

 

 それから思い出したように手に持ったシェラカップの中身に口をつけ、一息に飲み干した。長く長く息を吐き出して力の抜けた笑みを浮かべるが、そこに先程までの打ちひしがれた弱々しさや諦念はなく、どこかすっきりとしたものへと変わっていた。

 

「“我思う故に我あり”、か。本当だよ……何をやってるんだろうね僕は」

 

 ポツリと男は呟いた。

 

「勝手にリンちゃんの人生を紛い物と決めつけて、上から目線で空回りしてたんだ……ごめんねリンちゃん、いや、志摩さん。本当に、失礼いたしました」

 

 そう言うと男は膝に手をついて深々と頭を下げる。その行動に驚いたのはリンだった。

 

「うぇっ!? そんな別にっ……あ、いや私こそすみません。ちょっと生意気でした」

 

 突然の謝罪に慌てふためいたリンもまた、あたふたしながらもつられて頭を下げる。

 

「いや、僕が思い上がってた。リンちゃんはリンちゃんで紛れもない自分の人生を生きてる。それが僕の世界でアニメになってようがいまいが関係なしにね。それを忘れてたら怒られるのも当然だよ」

 

 憑き物が落ちたような朗らかな声色にそれまでどこか漂っていた緊迫感は無縁だった。キャンプ場を取り巻く空気もこころなしか弛緩する。普段を取り戻したその姿に、リンもまた肩の荷が下りたような感覚を覚えるのだった。

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

「それでどこまで本当なんですか。えっと、ゆるキャン△……でしたっけ。ドッキリとかじゃないんですよね?」

 

 シェラカップを満たしていたお茶が空になった頃。暫く静かに焚き火にあたっていたリンが、今更ながらに事の真偽に疑問を呈した。ここまでの全ては男の話一つでしかなく、映像にしたって作ろうと思えば決して不可能というわけではない。女の子の件だって無関係なりんちゃんが絡んだ偶然で処理できてしまうのだ。それにしたって手が込み過ぎているとは思うが、告げられた事実の奇妙さを前にすれば証拠と呼べるものは貧弱だ。信じる体で話を進めては来たものの、リンだって怪しい話に疑いを持たないほど純粋ではない。

 

「どっきり? ああ、僕の仕込みじゃないかってことか。まあ、そういうことにしておいてもいいよ。全部僕のほら話。リンちゃんも今までどおり。誰も傷つかない健全な嘘。どう?」

 

「いやその場合はなんでこんなことされたのか別の意味で怖いんですけれど……」

 

 少し引いたようにリンが言うと、男はそれもそうかと困った様子で頭をかく。

 

「気になるのは分かるけどさ、証明かぁ。あまり気が進まないなあ」

 

「架空の存在扱いされる根拠くらいは知っておきたいです」

 

「そう言われると弱いね……凄いねリンちゃん、同じ立場なら僕は確かめる勇気がないかもしれない」

 

「まるでSF映画みたいじゃないですか」

 

 好奇心に爛々と目を輝かせたリンに男はなるほどと苦笑して、しかしどうしたものかと悩んだ様子を見せるが、ややあってアイデアを思いついたのか荷物の中から何かを引っ張り出した。

 

「あいにく原作の漫画とかは持ってきてないけど、これだったらどうだろう?」

 

 そう言って取り出したのはホットサンドメーカーと何かの入った紙袋。

 

「あれ、もしかしてこれって――」

 

 何かを察したリンに対し、男はにやりと笑った。

 

「話してたらお腹が空いちゃったからさ。晩御飯にしよっか」

 

 

 

 

 

 

 焚火台の上に乗せられた二つのホットサンドメーカーからバターの焦げる香ばしい匂いが漂い始めた。火加減に気を配り、裏返しつつ中身を確かめる。具材はそのままで食べられるため、好みの焼き色が付けばその時点で完成だ。

 フタを開けば押し潰されて少し平らになった豚まんが見事な狐色になっていた。ふっくらの表面は揚がったようにサクサクの食感となり、冷え切っていた中の具もアツアツの肉汁がこぼれ落ちるようなジューシーさを取り戻している。

 

「餃子のたれはありますか?」

 

「持ってきてるよ」

 

 小皿にたれをあけた後、それぞれの豚まんにフォークが差し込まれた。

 ザクリとした手応え。バターの甘やかな香りと豚まんの香ばしさがリンの鼻へと抜ける。ふわっとした皮には僅かに酸味のあるタレが絡み、ややもすると単調な味わいにアクセントを付けている。いくらでも食べられてしまいそうだった。

 

 「うま……」

 

 美味しいものを食べれば自然と顔が綻んでくる。今日一日の出来事を束の間忘れて食事の喜びに浸っていたリンは、ほうじ茶に口をつけてほうと吐息を零した。

 

「初めてやってみたけど本当に美味しいね。流石はリンちゃん」

 

 そこへ同様に舌鼓を打っていた男の感想を聞きつけ、リンは当然のごとく気になっていたことを尋ねにかかる。

 

「あの、トムさんが私のやろうとしてたメニューを知ってたのってやっぱり……ゆるキャン△でってことですか?」

 

「そう、陣馬形山で紹介されたキャンプ飯がこれだったからね。僕にとってホットサンドメーカーを買う後押しになったよ」

 

 そう言って笑う男だが、リンは複雑そうな顔だった。

 

「そう、ですか。ゆるキャン△……本当に?」

 

 豚まんはリンがキャンプ場に来る直前に買ってきたもので、メニューの内容を事前に知るというのは予知能力でもない限り不可能だ。どうにも拭いきれない薄気味の悪さ――リンの行動が記された“ゆるキャン△”なるものの存在が、にわかに現実味を帯びてリンにのしかかってくる。

 

「……実はさっきからずっとなんだか注目されてる気がしてたんです」

 

「うん?」

 

「もしかして、私はコスプレしてやってきた気合の入ったファンに見えるんですかね」

 

「まあ、そういうこともあるかもしれないね」

 

 微妙そうな表情で呟いたリンに男は眉をもち上げて同意を示した。

 

「みんな、私が冬にキャンプするのが好きってことを知ってて」

 

「うん」

 

「今までどんなキャンプしてたかも知ってて」

 

「そうだね」

 

「じゃあ今まで入った温泉、とか、と、トイレ、とかもっ……!」

 

「あー、そうきたかぁ……」

 

 重大な事実に突き当たってしまったリンは露骨に平静を欠いた。自分の行動を必死で思い返して視線が目まぐるしく泳ぎ、つまびらかになるアレコレを想像して口をパクパクと開閉し、耳までサッと赤くなった。

 

「おっと、心配しないで。それに関してはひとまずリンちゃんは慌てず、どうか落ち着いて聞いて欲しい」

 

 わなわなと震えるその様子を流石に見かねた男がリンの尊厳を救うべく助け舟を出す。

 

「プライベート覗かれるのがそもそも嫌だってのは承知だよ。でもそれは一から十じゃない、主眼はあくまでキャンプだからさ。例えばそうだね、旅番組の温泉風景を見て赤面したり顔を顰める人がいるのかって話。だからそれ以上に嫌なものは考えなくていいんだよ」

 

 平坦な男の語り口によってリンは少しだけ落ち着きを取り戻す。さまよっていた視線はとりあえず再び人を捉えることに成功するが、しかし未だに両頬は火照っている。

 

「むう……それじゃ、やっぱり入浴シーンはあるんですね……」

 

「まあ、否定はできないね」

 

 忌々しいといった表情を浮かべたリンに、男は申し訳なさげに肩をすくめる。

 

「ただ少なくとも作中で悪意ある描き方なんて一度もされなかった。それどころか多くの人が憧れや共感を抱いたんじゃないかな。そうだ、リンちゃんに贈られたあだ名を教えてあげようか」

 

「あだ名?」

 

「“キャンプ場からシーズンオフを無くした少女”」

 

 リンがぽかんと口を開ける。そしてそれを見た男はまるでいたずらが成功したみたいな表情を浮かべ、くつくつと面白そうに笑った。

 

「まったく、リンちゃんにとっては迷惑な話だろうってね。でもそれだけの人を冬キャンプへ、ソロキャンプへと導いた。リンちゃんのキャンプがそのくらい楽しそうに見えたんじゃないかな。それに――」

 

 一度言葉を切り、男の眼差しはまっすぐリンへと向けられる。

 

「たとえ何だろうと結局は外国よりも遠い場所での話だからさ。リンちゃんからすれば空想みたいなもんだよ。だから僕が言いたいのはつまり……あまり苦しまないでってことかな」

 

 男の言葉を受けリンは考え込んだ。内容の真偽を今ここで確かめるすべはなく、単なる慰めでしかないのかそうでないのか、リンには判断がつかない。だがその言葉に込められた男の心遣いはリンにも察することができた。

 

 一つ深呼吸をして、それからリンは男に問いかける。

 

「……私、変じゃありませんでしたか……その、ゆるキャン△の中で」

 

 焦燥と羞恥を脇へ押しやり、半ば自分に言い聞かせるようではあるが、何とか折り合いを付けようと努力するリン。そこへ掛けられる男の言葉もまた、そんな背中を押すものだった。

 

「うん。恥じる必要も悲しむ必要もないよ。胸を張ったらいい。まあ、僕が言うことじゃないかもしれないけどね」

 

 その言葉が、スッと腹に落ちる。

 

「……ありがとうございます。ちょっと落ち着きました。確かに()()()()()にムキになっても仕方ないですね」

 

 そんなに複雑に考える必要はないのかもしれない、とリンは思った。ゆるキャン△の存在を信じるということはすなわち、“リンの世界ではない世界”を肯定することだ。果たしてそんな絵空事がリンの身の回りにどれほど影響するというのだろう。

 

 それに、もし男の言うことが本当だとしたら。どうでもいいことだと冷めた態度の自分の裏で、どこか誇らしい気がする自分がいることもまた確かだった。自分のしていたことが――たとえ世界を隔てた限りなく遠い人々の間でだったとしても――認められているのが、リンだって嬉しくないわけではない。

 

 胸を張れと男は言う。そんなふうに自分の人生を肯定されることは、リンにとってはあまりない経験だった。

 

 リンが何となく温かな気持ちになっていると、隣のサイトで親子が焚火の準備を始めた。テンションの上がった子供が薪を前に叫び声を上げる。

 

「お前ら全員、刀のサビにしてやるぜー!」

 

「……うん?」

 

 微笑ましげに隣に視線をやったリンだが、途中で妙な既視感に襲われてピタリと動きを止めた。何だろうかと一瞬思案する。顔を戻せば何故か男が俯き加減で口元を手で隠していた。羞恥の予感が頭を過る。

 

「あっ……」

 

 既視感の正体に思い至ったリンが徐々に茹で上がっていくのを見て、男は気まずそうに視線を逸らした。

 

 短い沈黙の後、男に向かってリンは口を開く。

 

「あの……やっぱり、キャンプやめてもらっていいですか」

 

 消え入るようなリンの声に男は苦笑いを返した。

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

 それから男が夜景を見に陣馬形山の山頂へ行くというので、少し迷った末にリンもそれに倣うことにした。せっかくだからという思い半分、他所様のサイトに一人居残る具合の悪さが半分だ。椅子から腰を上げて男の後ろへと続く。

 

 木道を登り切ると額を打つ風がリンの前髪をさらう。

 キャンプ場の賑わいに比べれば山頂に見える人の姿はまばらとなっていた。三脚にカメラを構えた幾人かの他は、時折散歩がてらの登山客が思い出したようにサイトからやってくるのみ。遠のいた喧騒はヒュウヒュウと耳元を切る風の音によってかき消され、そのためかさほど離れたわけでもないこの狭い広場はキャンプ場とはまた異なる雰囲気をもっているようにリンには感じられた。

 

 こんもりと突き上げた小高い丘のような陣馬形山の頂からは、遮るもののない伊那の夜景が眼下へと広がっていた。煌々としたビルの輝きと、その間を縫って流れる車のヘッドライト、いくつもの光源によって形作られる点描のような街の明かり。星々の眩む白い光が盆地に滞留し、その向こう側に中央アルプスの影が真っ黒な壁のように茫洋と佇んでいる。

 

「山頂からの景色……やっぱり格別だなぁ」

 

「凄い…」

 

 賑わうキャンパーの明かりに邪魔されることのないその景色は天空の野営場を標榜する陣馬形山の真骨頂だろう。感嘆の吐息を零したリンは、ここを訪れた多くの人と同様にスマホを掲げて夜景を写真に収めようとする。

 

「あ、ここ電波ギリ入るんだ」

 

 その際にスマホのアンテナが立っているのを発見し、自身がなでしこと大垣に何の連絡も入れていないことを思い出す。大急ぎでメッセージを打ち込み、ついでに夜景の写真を添付する。

 

「これでよしっと」

 

「どうしたの?」

 

「いえ、なでしこたちに連絡入れそびれてて……どうやらここなら電波が入るみたいなんで」

 

「えっ?」

 

 それを聞いて何故か驚いた様子の男だったが、その間にもピコン、と通知の音が鳴って返信が帰ってくる。なでしこからだ。『すっごく心配したんだよ〜><』という旨のエモーショナルなメッセージに加え、律儀に夜景の写真にも言及してくれる丁寧さに思わず笑顔が零れる。

 

「なでしこちゃんから?」

 

「はい。随分と心配かけたみたいです」

 

「そっかそっか……ああ、よかったぁ」

 

 すると途端に大袈裟なくらい安堵したような態度を男が示すものだから、いったい何をそんなに喜んでいるのか分からなかったリンは思わず首を傾げた。

 

「ああいや、ちゃんとつながってるって分かったからさ。たぶん大丈夫だと思う。僕のときもそうだったからね」

 

「あの、何がですか?」

 

「帰り道の話だよ」

 

 要領の掴めない男の話に疑問を浮かべたリンだったが、そう聞かされて目を瞠った。

 

「僕も今まで気にしたことなんてなかったんだけどね。でも、もしリンちゃんが元の世界に戻れなかったらどうしようって思ったらさ。どうも心配になって」

 

 考えてみればその通りだった。リンに自覚はないものの二つの異なる世界の壁を超えたとすれば、元いた場所へ戻れるかどうかの懸念はして然るべきだったのだ。そうと分かりにくいが、言ってしまえば今のリンは迷子同然ということになる。

 

「その、トムさんはどうやって戻ったんですか?」

 

「それが戻ったという意識すら無くて。普通にキャンプして一晩明かしたら、それでおしまい。多分朝起きたときには元の世界だったんだと思う。それと同じならリンちゃんも大丈夫とは思うんだけど……」

 

 身も蓋もないような男の回答に思案げな顔になるリン。果たしてちゃんと元の日常に帰れるのかどうか、心の奥底をちらりと不安の影が過る。なにより自力でどうにかなる問題でもないのが悩ましかった。

 

「それにもしかしたら、世界を越えたのはリンちゃんじゃないかもしれないね」

 

「え?」

 

 だがそんなリンを他所に男はポツリと呟くのだった。

 

「このキャンプ場自体がリンちゃんの方の世界に丸ごと置き換わった可能性だってあるんじゃないかってさ。だって、電波の届く所にはなでしこちゃんがいるってことでしょ?」

 

 そう言うと男は再び夜景に視線を向け、感慨深そうに顎をさする。

 

「何だか不思議な感じだよ。そうすると今僕らが見てる夜景は僕の世界とリンちゃんの世界、どっちなんだろうってね?」

 

 そんな言葉に釣られてリンもまた夜景へと目を戻した。

 夜天に映える絶景は相も変わらずにそこにある。勿論リンにはどちらかなんてことが分かるはずもなく、ただ綺麗だなという感想が浮かんでくるだけだった。二つの世界、自分がそのどちらに居るのか――そんなものの見方でこの景色を眺めることになるだなんて、ここへ来る前には考えてもみないことだった。

 

 訳の分からないことだらけだとリンは溜め息をつく。思い描いていた通りのキャンプであろうはずもない。不安だってある。今日一日で身に振りかかった出来事はあまりに容易くリンの許容量をオーバーし、溢れかえった水たまりのような感情に今も振り回されている。

 けれど、うんざりの一言で片付けるというのともまた違った。悪態と共に吐き捨ててしまうには少しばかり複雑な心の動きがそこにある。言い表そうとすれば捉えどころなく、それは実に――奇妙で、恥ずかし気で、温かで、綺麗で、世界観が変わるようで、そしてひたすらに不思議で――だからこそ、きっと特別な夜なのだろう。

 

 

 

「まあ、もしもの備えは必要だろうし」

 

 ぼんやりと思案に暮れていたリンは男の声でふと我に返る。気が付くと男がスマホを手に取ってリンに差し出していた。

 

「念の為僕の連絡先を教えておこうか。万が一戻らなかったときのための手段として……勿論そんなの考えたくないけどね」

 

 堪らずリンは身構える。確かに想像もしたくないが、いざというときの命綱を用意するべきなのはもっともだ。ただリンとしては頼らずにすむことを祈るばかりである。

 

「あ」

 

「ん?」

 

 画面を突き合わせて連絡先を入力し終えたそのとき、リンの方のスマホへ着信があった。表示された名前はなでしことなっている。男へ一瞬目配せして断りを入れてからリンは電話を受けた。

 

「もしもし」

 

『リンチャン!! 夜景の写真アリガトウ!!』

 

 だが直ぐにリンの表情は冷ややかな半眼に変わる。

 

「大垣だな?」

 

『ククク、よく分かったな』

 

 相変わらずふざけた調子の大垣に呆れながらもリンは一応気になっていたことを尋ねる。

 

「ねえ、さっきの通行止めなんで通れるって知ってたの?」

 

『あー前に家族で出かけたときに似たようなことがあってさ、引き返そうとしたら地元の人が教えてくれたんだよ。工事の人が看板置き忘れてるけど通れるって。しまりんが送ってきた写真、理由も書いてないし柵も端に寄ってたからもしかしてと思ってなー』

 

「なるほど……」

 

 今回はその経験に助けられたというわけだ。

 

「とにかく助かった……ありがと」

 

『いいってことよー』

 

 ふと男の様子を覗うと、なんだか微笑ましげな顔でリンを見守っていた。そういえば男は“ゆるキャン△”でこのときのことを知っているはずだと思いあたる。もしかすると大垣から電話がかかって来るのも既定路線なのかもしれないと思うと、なんだか見透かされているような気がして少し恥ずかしい。

 

『……あのさ、今度野クルでクリスマスキャンプすんだけど……』

 

 そんなことを考えていたら電話の向こうで大垣が控えめに話を切り出した。

 

『しまりんも来ないか? たまにはグルキャンも楽しいと思うぞ』

 

「大垣……」

 

 それは野クルからの思わぬお誘いだった。ただ、脈は薄いと見られていそうな出方を覗うような物言いに、ふとリンは考え込む。

 確かに普段のリンであればすげなく断っていたかもしれない。だが今は――

 

「うん……分かった。考えとくよ」

 

 グルキャンに及び腰だったリンにしては驚くほどの素直さで、自然に承諾の言葉が出ていた。一拍おいて電話の向こうで上がった歓声にリンは苦笑する。らしくないと思う一方で、自身のこの選択に納得もしていた。知り合いの声を聞いてどこか安堵していたという面もあるかもしれない。ここ暫くは誰かの居るキャンプが珍しいものではなくなっていることを考えると、悪いことにはならないだろうという予感もあった。何よりも友人たちと結んだ約束はリンを日常と繋ぐこの上ない縁で、不思議とそれが心細さを払拭してくれるような気がしたのだ。

 

 電話を切ったリンを見つめる男は意外そうにしながらも、どこか嬉しそうな様子で笑っている。

 

「……とまあ、念には念を入れたんだけどさ……僕の取り越し苦労な気がするよ。やっぱりここリンちゃんの世界なんじゃない?」

 

 肩をすくめてそろそろ山を降りようかと言う男に、リンは静かに頷いた。

 

 

 

 

 

 

 満員の野営地へ向かって木道を降りていくと風は弱まり、賑やかな音が大きくなるにつれ山頂での空気は薄れ去っていった。代わりに埃っぽさと煙の匂いが鼻を掠める。

 許されるのであれば山頂にテントが張りたいだなんてつい考える。その方がずっとリンの好みだ。

 

「あのさ、僕はちょっと早いけどもう引っ込んじゃうから、良かったらテント前のスペース使ってよ。リンちゃんのなら十分張れるでしょ?」

 

 サイトに戻って来るなり男はチェアやテーブルを片付け始めると、リンにそう提案した。

 

「え、本当ですか? あ……私も手伝います」

 

 リンにとっては渡りに船だ。テントサイトに空きはない。車中泊ができるわけでもないリンは今晩の寝床を確保しなければどうにもならず、男の過去の経験を鑑みるに一晩明かす前にキャンプ場を離れるのも気が進まなかったのだ。

 

「あの、ありがとうございます」

 

「はは、でもやっぱりちょっと窮屈だね。どうせなら上でキャンプが出来れば良かったのに……きっと綺麗な夜景が撮れたろうになあ」

 

 手を動かしながらそうぼやく男もまたリンと同じようなことを考えていたらしい。リンと男の感性にはどこか似通った部分がある。

 

「そういえば、今回はキャンプ動画撮らないんですね」 

 

「ん、ああ、混むと思ってたし案の定僕のサイトもこの有様だもの。あんまりいい出来になりそうもないからね」

 

 静かなBGMと環境音で構成された四尾連湖の動画をリンは思い出す。道具や風景、所作の一つ一つが主役となる短編のような作品を見ると、“ああ、自分はこんないい場所でキャンプをしたんだな”と改めて思わされる。それに比べればなるほど、互いのテントの張り綱がクロスするような今日のサイトではそのようにいくわけもない。

 

「惜しかったですね。そういえばなんでトムさんはキャンプ動画を撮り始めたんですか?」

 

「僕の? 何だろうね、理由なら色々だけど……」

 

 なんの気無しに尋ねたリンの問いかけに男は焚火台を畳みながら暫く唸って、それから思いついたようにこう言った。

 

「あ。うん、リンちゃんのせいだよ」

 

「……何がですか?」

 

「僕がソロでキャンプを始めたのはまあ、リンちゃんのおかげだからさ」

 

 何の冗談かとジト目を向けるリンに、男はからりと笑って答えた。

 

 友達や家族と夏に一、二回こなすレジャー――そんなキャンプのイメージをガラッと変えたのが“ゆるキャン△”だったと男は言うのだ。

 

「今でこそテレビでも取り上げられるようになってるけど、その頃一人でキャンプってやっぱりまだ馴染みなくて全然ピンとこなかった。でもリンちゃんがソロで楽しんでる姿を見てそんな世界があるって知って、それから色々自分なりに調べてさ」

 

「あー……そう言われるとその、なんと言うか……」

 

「暫くずっとキャンプにカレーめん持ってきてたし、やたらと松ぼっくり集めたし、薪割るときはちゃんと刀のサビにしたし」

 

「ちょっ!? いやもう忘れてくださいそれ恥ずかしいんでっ!」

 

 ごめんごめんと笑って謝罪する男にどうも悪びれた様子は無く、赤くなりながらリンは渋面を作る。

 

「でもそれが楽しかったわけなんだよね。ソロキャンプって色々と自由にやれるんだって気付いてさ、そこから転げ落ちるみたいにハマっちゃって、自分の理想を追いかけてみようって気になった」

 

 活き活きと語る男の様子を見たリンは、ふと先程自分に教えられたあだ名を思い出した。

 そうして次第に気付く。

 キャンプ場からシーズンオフが無くなったのはきっと自分のせいだけではないのだ。

 

「だからリンちゃんの過ごし方に憧れた結果があれらの動画だったりするわけだけど……どうだろう、僕のキャンプはリンちゃんのお眼鏡に叶ったかな?」

 

「……それは、はい。私は結構好きです。トムさんの動画」

 

 別にお世辞でも何でもない。確かにリンは動画を気に入り、ちゃんと自分の意思でチャンネル登録をしていた。

 

 きっとリンだけではない。もしリンのキャンプを見て冬キャンプに踏み出した人が居たのなら、そうした人たちを見てキャンプに憧れる人々もまたその先にいるのだ。リン自身、祖父からの影響を受けたし、きっと祖父もまた人生の何処かで影響を受ける何かがあったのだろう。

 

 その流れが、キャンプ(リンの好きな世界)を広げるエネルギーとなっているのだった。

 

「うん……良かった。そう言って貰えたのなら本望かな」

 

 リンの評価を男はどこか嬉しそうに、どこか名残惜しそうに、噛みしめるように聞き入っていたが、やがて満足したように息を吐いて男はテントの入り口を潜ろうとする。

 

「じゃあ僕は休むことにするから、どうぞあとは好きにしていいよ。おやすみ。元気でね」

 

 そんな男にリンは最後に伝えておくべきことがあったと思い出して咄嗟に口を開いた。

 

「そういえばなでしこのやつが言ってました。トムさんの動画に出てくる道具が気になるって」

 

 投げかけられたリンの言葉に男は立ち止まり、不思議そうな顔で肩越しに振り返る。

 

「だから、次の動画からはできたら道具の名前も載せておいてください。私も楽しみにしてるんで」

 

 何ということはないささやかな要望――それを聞いた男は一瞬目を見開くと、それから和らぐようにフッと目を細めた。

 

「そっか……分かったよ。ありがとう、リンちゃん」

 

 それだけ言うと、男はテントの中へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 あとに残されたリンは荷物を取りにビーノへと向かった。

 夕飯を終え歓談の時間を過ごすキャンパーたちの間を抜け、駐車スペースの隅に置かれた愛車へ歩み寄ると、括り付けた道具を下ろして男のサイトに戻る。

 ようやく出番がやってきたキャンプ道具たち。そんな有様にリンはやれやれと苦笑混じりの溜め息を零した。

 

「旅、下手だなあ……私」

 

 通行止めに阻まれ、あまり多くの場所は回れず、やっと辿り着いたと思えばとんでもない場所までやってきた。だがトラブルが多いほど思い出も深いというのは間違いないのだろう。少なくとも、スマートな旅路では掴めない何かを今リンは握りしめているのだから、それで満足するとしよう。

 

 袋からポールを引っ張り出す。設営にはだいぶ遅い時間だが大した問題はない。月明かりでも簡単に立てられるのがウリのテントだ。今日のキャンプ場は、いつもと違って十分なほどに明るいのだから。

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

 フライシート越しにも分かる明るい日差しが、瞼の裏でリンの意識を掘り起こす。インナーテントはぽかぽか春のようで、氷点下対応のシュラフの中は汗ばむほどだった。外はいい天気のようだ。

 

「ふぁあ……」

 

 テントの中でリンは目を覚まし、寝袋のジッパーを開けて伸びをした。しょぼつく目をこすりながらスマホで時間を確認すると、「げ」と呟く。思いの外いい時間だ。のそりと起き上がってテントの入り口を開放する。

 

 本日は晴天なり。雲のない青空がどこまでも広がり、遠く輝く白銀の峰をくっきり浮かび上がらせている。陣馬形山キャンプ場は夜景が有名だが、昼の眺望もまた見事だった。

 清々しい空気の中、たった一人この景色を独占できることにリンはそこはかとなく満足感を覚える。

 

「一人?」

 

 他に宿泊者はいない。昨晩からそうだったはずだ。だがどことなく違和感をリンは覚えていた。

 このテントサイトをずらりと埋めた光景をどこかで見たような気がしていたのだ。しかし、それが何故なのかは分からない。

 

「それと、あれ、何だったかな」

 

 もう一つ、何かとてつもなく大事なことを忘れている気がするのだ。例えばそう、一人だけ世界の秘密に気付いてしまったような、途方もない話が何処かその辺に転がっていた気がするのだが……

 

「あー、昨日あれ読んでたんだっけ」

 

 テントの床に転がっている『第4の壁を超えたものたち』という本を思い出す。よく分からないが、ややこしい夢を見たような気がするのはそのせいかと納得させる。

 

「さて、帰りにまた温泉よっていくか」

 

 長野は遠く帰り道にも時間がかかる。一日の旅程を考えながら、気合を入れてリンはサイトの片付けに取り掛かるのだった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早いものでもう12月も後半戦へと突入し、この一年が――僕にとっては目まぐるしくも素晴らしい一年が、もうすぐ終わろうとしている。

 世の中は年の瀬に向けて慌ただしくなり、ご多分に漏れず僕の回りも同様だ。年内に行けるキャンプのチャンスもせいぜいあと一回なのが残念なところであり、ここ暫くの僕はそれを後悔の無いものにできるよう準備に余念がない。

 

 惜しむらくは陣馬形山でのキャンプが叶わなかったことだろうか。仕事の都合もさることながら、リンちゃんがそこをいつ訪れたのかが定かではないため、時期を合わせて訪問することは困難だったのだ。

 もったいないことをしたと思う。本栖湖、麓の二回と同様に素晴らしいキャンプになったに違いないのだから。

 

 そんな未練がましさに突き動かされた僕は、ついついこんなものを作ってしまった――陣馬形山を訪れた体の、架空のキャンプ紀行録。そこで前回同様リンちゃんと出会ったならどんなことが起きただろうというささやかな(そして見方によっては痛々しい)想像の産物だ。遅くに辿り着いたリンちゃんを迎えて労い、ほんの少し談笑し、絶景に目を瞠るといった、それまでの出会いと変わらない些細なエピソードのはずだったのだが。

 

 よほどそのキャンプに執着しすぎたのか、ある晩僕は夢を見た。

 あまりはっきりと覚えてはいないが大筋で僕の考えていた妄想と同じ、陣馬形山でリンちゃんと出会う、そんなシナリオだった。だが不思議なことにそれは僕の思い描いた穏やかなもというよりは衝撃的な内容を含んでおり、目覚めたときはやけに心臓がどきどきしていたことを思い出す。リンちゃんの目の前でやたら“ゆるキャン△”という言葉を使ったような気がするのだが、夢特有の都合のいい曖昧な不整合性なのか、それとも重大な意味を持つのか、今となっては定かではない。

 

 ともかく僕はそのことによって折り合いを付け、次のキャンプ計画へと進もうとしている。

 

 

 

 珍しくも僕は自分の動画投稿チャンネル上で告知を出していた。12月の24日、25日の日程で、富士山YMCAでクリスマスキャンプを行うというものだ。勿論このタイミングはクリキャンを意識してのことで譲れないものだったのだが、平日にも関わらずよく休みが取れたものだと自分でも驚きだ(上司に有給申請したら、なぜかすんなり通ってしまった)。おかげで心置きなくキャンプの準備を進められる。

 今回は告知を出した通り動画の撮影も兼ねるつもりなので、よりいっそう気合が入るというものだ。以前に貰った要望の通り使用する道具の詳細についても触れられるように、手持ちのキャンプギアのメーカーや品名を改めて確認もしなければならない。やるべきことは色々とあるが、この準備期間のワクワクというのもキャンプの楽しみだと思う。

 

 

 

 そうして慌ただしく過していた僕に、あるとき一件のメッセージが届くのだった――

 

 

 



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