もしも、西住まほが妹だったら (青葉白)
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黒森峰編
視点、西住まほ
1.
私には、血を分けた姉がいる。
彼女は、いわゆる天才だった。
それも、常人の理解が及ばない種類の異才だった。
結果。彼女にとっての
それからの彼女は、人々に分かる程度の秀才だった。
母も、ほかの大人も、みんなが彼女の変化を喜んだ。
だけど、わたしには、彼女がとても生きづらいように見えた。
まるで、狼が羊のフリを強いられているようで、息苦しいように見えた。
2.
穏やかな昼下がり。
チャイムが鳴って、クラスメイトたちは仲のいい友達同士で雑談をしながらお弁当を食べたり、学食に足を運んだりしていた。
さて、わたしはと言うと、自分の机で一人ぽつねんと、菊代さんの作ってくれたお弁当を広げて食べていた。菊代さんとは、わたしの家の家政婦さんである。休日になると、彼女は心配だからと学園艦に遊びに来て、たくさんの料理を作りおいてくれた。
運動をして、カロリーをたくさん消費するからと、同年代の女子に比べると、随分と大きめのお弁当箱だ。これを同級生にからかわれたのは、一度や二度ではないが、菊代さんがわざわざ学園艦まで足を運んでくれて、わたしのために(勿論、姉の分も一緒にだが)作ってくれたお弁当である。だから、恥ずかしいと思ったことはなかった。
もぐもぐと、わたしは静かに箸を進める。うん、美味しい。
やがて、どたどたとやかましい音が近づいてきた。まるで、崖を転がり落ちてくる岩のような轟音だ。
風紀委員はどこに行ったのか。廊下を走ってはいけないと、今こそ注意をするべき絶好の機会だろうに。彼女らは、居て欲しい時に居てくれない。逆に、居て欲しくないときには、どこにでも居るのだが。
がらがら。否、ばぁん!とでも表現するべき大きな音で、教室の扉が勢いよく開けられる。誰か先生が見ていれば、きっと雷が落ちただろう。扉の近くにいたクラスメイトは、びくっと驚いた様子だった。
日本人離れした端正な顔立ちの銀髪少女が、ただでさえつり目がちな目元をさらにつり上がらせて、鼻息荒く、ずかずかずかとわたしのいる方に近づいてくる。
だぁん!と、わたしの机に彼女の両手が振り下ろされた。
「
「エリカ、今は食事中だ。もう少し静かにしてくれないか?」
「食事なんて、そんなのは後よ!箸を置いて、今すぐわたしの質問に答えなさい!」
興奮した様子で、声を荒らげる銀髪少女。
彼女の名前は、逸見エリカ。わたしの
尤も、わたしは人付き合いの上手いほうではないので、今日のように怒らせてしまうことも多く、大手を振って友人と呼ぶのは憚られるところだった。わたしとしては、仲良くしたいと思っているのだが、向こうはどう思っているのだろうか。儘ならないものである。
わたしは、彼女の剣幕に押されながらも、努めて心を落ち着けて、宥めるような口調で言葉を返した。しかし、それがいけなかったらしい。
「エリカ。質問と言われても、わたしには何のことか分からない。…少し落ち着け」
「落ち着け?落ち着けですって?これが落ち着いていられるわけないでしょ!西住、あんた、国際強化選手の話を断ったなんて、聞いてないわよっ!!」
「言ってないからな。もぐもぐ」
わたしは、エリカの怒声を聞き流すようにして、箸を止めないでおかずをつついた。流石は、菊代さんだ。菊代さんの作る「冷めても美味しい唐揚げ」は、本当の本当に絶品である。いつかは私も家を出るだろうし(既に寮生活ではあるが)、今のうちに菊代さんに料理を教わるのもいいかもしれない。
そんな、なかば現実逃避をしていると、眼前の少女はますます一人でヒートアップしてしまったようだった。噴火寸前。いや、一部では溶岩が吹き出している。
「だからっ、食べるのを止めなさいっ!!」
当然のことだが、彼女の叫ぶような大声は、教室中に響き渡った。周囲のクラスメイトが、心配そうな目でこちらを見る。なかには、無遠慮に好奇心を隠さないで聞き耳を立てようとする姿も見つかるが、それを責めることはできないだろう。
わたしは、そのクラスメイトの名前を知らないが、向こうはわたしのことを知っている。自分で言うのもなんだが、この学校では、わたしの名前は有名に過ぎる(正しくは、わたしの家の名前は、だが)。有名人のスキャンダルなど、娯楽扱いされても仕方のないことだ。
「むぐむぐ、…ごくん」
まさか、口に物を入れたまま喋るわけにもいかず、(端から見ればマイペースに映るかもしれないが)何度か噛んで飲み込んでから、気になったことを気になったままに話した。
「…なぁ、エリカ。それは、そんなにお前が怒るようなことか?こう言っては悪いが、お前には、まったく関係のないことだろう」
「それはっ、…ない、けど…」
「そうだろうとも」
尻すぼみに小さくなっていくエリカの口調に、内心してやったりと思うが、努めて顔には出さない。そんなことをすれば、彼女の機嫌を損ねることは分かりきっているからだ。貴重な貴重な休み時間が、すべて彼女の説教
友人と呼べるかも微妙な関係ではあるが、曲がりなりにも中学からの付き合いである。いくら人付き合いが苦手なわたしでも、いい加減に学ぶのだ。
それに、瞬間湯沸し器のようなエリカのことだ。どこかで聞き付けてから、午前の授業の間中、ずっと平静でいられなかったに違いない。授業中に突撃してこなかっただけ、随分と我慢をした方だろう。敢えて煽り立てるような真似は必要ない。
すると、エリカは徐にわたしの前の席の椅子を、ギギギ、と引っ張り出すと、勢いよく(あるいは乱暴に)、どかっとその椅子に座った。なお、本来、その席に座っている生徒は友達と一緒に食堂に行っているらしいので、幸いにして今は使われていなかった。
エリカは、わたしの机の空いているところで頬杖をついた。
「…それでも気になったのよ」
それは、やや拗ねたような口調であったが、幾分冷静さは取り戻したらしい。わたしが言葉を間違えなければ、この昼休みは穏やかに過ぎてくれるだろう。
ここで、わたしが意地になって、絶対に話したくない、なんて突っ返せば、落ち着きかけたエリカの感情が再燃することも想像に難くない。が、別に隠すほどのことではなかった。
「…大した理由じゃない。ただ、何もしないうちに声をかけられても、気分が良くないと思っただけだ」
「どういうことよ」
「つまるところ、わたしは一年生ということだ。練習試合ならまだしも、高校の正式な試合には一度だって出ていない。それなのに、国際強化選手だなんて、嘘だろう。それで、誰が納得するというんだ」
「そんなの、あなたの実力で黙らせればいいじゃない。自信ないの?」
エリカは、挑むような、挑発をするような口調で尋ねる。
わたしは、肯定も否定もしなかった。
徐に、弁当箱の中身に箸を伸ばし、残っていた唐揚げを掴んで、自分の口の中へ放り込んだ。
もむもむ、と唐揚げを味わう。その間、エリカはじとーっとした視線をわたしに向け続けた。
わたしは、わざとらしくため息をひとつ吐いて、唐揚げを箸で掴んで、エリカの方へ近づける。
「食べるか?」
「食べるかっ!」
頬杖をはずし、そのまま手のひらを机に叩きつける。ばん、と音が鳴ったので、危うく唐揚げを落としてしまうところだった。
「美味しいのに…」
弁当の中に戻すのも憚られて、そのままわたしの口の中へ運んだ。もむもむ、と
「…それで誤魔化せるとか思ったら、大間違いよ」
「流石に唐突すぎたか」
苦笑する。わたしだって、こんなことで誤魔化せるとは最初から思っていなかった。
そもそも、口下手なわたしでは、執拗なエリカの追求をかわせるはずもないのだ。これ以上はぐらかすのは、無意味というものだろう。場を和ますジョークというのは、まったく難しい。
わたしは、肩を竦める仕草をして、それからゆっくり話しはじめた。
「最初のうちは、家柄だけで選ばれたとか、そんな風に批判されるのは、目に見えている。ただ、中学の実績だけを考えれば、そんな声もそのうち聞こえなくなるだろうし、今年はどうか分からないが、来年にはそれなりに実績も残せるだろう」
わたしだって、西住の女だ。自信がないと言えば嘘になる。こと戦車に関して言えば、それこそ同年代とは年季が違うのである。ただ、そんな傲慢な考え方をする自分が嫌いで、あまり吹聴する気にならないというだけだった。観念した、というポーズが必要なのである。
実際、中学の大会ではMVPにも選ばれた。もっとも、高校の試合は体験していないので、絶対に活躍ができるかと言われれば、それは約束できないが。しかし、西住の門下生(中にはプロも混ざっている)とも、訓練とはいえ試合をしたこともある。それなり以上の手応えはあった。
そんなわたしの答えに、エリカは満足したようだった。
難しそうな顔は崩れ、笑みすら浮かべている。何故か得意気な様子に見えた。
「この私に勝っておきながら、それでも自信がないなんて言ったら、そのふざけた口を縫い合わせるところだったわ」
「恐ろしいことを平気で言う女だ、お前は」
想像するだけで、背筋がぶるりと震えた。
きっとこの女は、本当に言ったことを、本当に言ったままに実行するだろう。
虚言とか、謀とか、そういう裏のあることとは、まったく無縁の女である。
そういうところも、まったく黒森峰の生徒らしい。実直というか、潔癖というか。ただしそれも、もう少し冷静さが備われば、であるが。逸見エリカという女は、少々周りから浮く程度には、熱くなりやすい性格だった。
「でも、それだったら、断る理由もないんじゃないの?」
「ああ、そうだな」
「そうだな、って…」
エリカが、呆れたという表情を浮かべる。その顔にはありありと、「こいつは何を言ってるんだ?」と書いてあった。
相も変わらず、クールそうな外見の割に、表情の豊かな奴である。それを羨ましいと思うくらいには、わたしも自分が無愛想であるという自覚はあった。
「あのね。称賛されるのが当たり前のあなたには分からないのかもしれないけれど。国際強化選手に選ばれるなんて、信じられないくらいに名誉なことなのよ?」
「知っているさ、それくらい」
それに、称賛されるのが当たり前、というわけでもない。端からは、そう見えているのかもしれないけれど。
意外に思われるかもしれないが、少なくとも自分では、わたしは劣等感の塊であるとすら感じている。
「…わたしはオマケだからな」
「オマケ…?」
意味が分からない、という様子でエリカが尋ねた。
わたしは努めて笑おうとしたが、きっと、それは自嘲するような薄笑いにしかならなかったのだと思う。鏡を見たいとは思わない。
「彼らの見ているものが、『西住まほ』なのだとしたら、それはとても嬉しいことだ。とてもとても、嬉しいことだ。喜ばしいことだ。…けれど、連盟が本当に欲しいのは、わたしじゃない。彼らが見ているのは、わたしじゃない」
西住の娘。西住流を体現していると、西住流の後継者であると、そんな風に、世間はわたしを囃し立てる。
撃てば必中、守りは固く、進む姿は乱れ無し。なんと分かりやすく、そして、単純であることだろう。それはまったくわたしの性に合っていたし、その通りにするのも難しくなかった。
反対に、わたしは、その通りにすることしかできなかった。
見るものが見れば、わたしなど、先人の作ってきた道をなぞっているだけと分かるのだ。発展がない。進化がない。わたしの試合には、目新しいものが何もない。勝つべきものが勝って、負けるべきものが負けている。すべては、予定調和だった。
つまるところ、わたしが凄いのではない。西住流が凄いのだ。それはそれで、きっと価値のあることだとは思うのだけれど。
だけど、彼女は違った。
あの母が、教導でなく、矯正するしかできなかったほどの異才。西住という檻に縛りつけるしかできなかった異端。然して、縛りつけて尚、見え隠れするほどの異常。
本物の天才が、
「わたしじゃなくて、わたしなんかじゃなくて。彼らは、本物の天才が欲しいんだ。わたしの姉のような。西住みほのような。彼らが欲しいのはな、エリカ。『
西住みほもまた、連盟からの国際強化選手の打診を断っていた。
3.
わたしの姉の話をしよう。
彼女の名前は、西住みほと言った。
戦車道の大家(戦車道とは、戦車を使って模擬戦を行う女性向け武芸である)、西住の家の長女であり、わたしよりもひとつ年上のため、今年で17歳である。
彼女とわたしは、姉妹というだけあって、それなりに似た容姿をしている
らしいというのは、周りがそう言うだけであって、わたし自身はそんなことを思ったことが一度もないためである。髪の色も姉の方が少し明るいし、目の形も、姉がたれ目がちで、わたしはつり目がちである。何より、わたしよりも姉の方がずっと可愛らしい人だった。
わたしはよく、母に似ていると言われることがあるが、姉がそう言われているのは、一度も耳にしたことがない。だから、きっと似ているというのは、周囲のおためごかしなのだろうと思っている。
さて、そんな愛らしい容姿の姉であるが、一度戦車に乗れば、たちまちのうちに凛々しく、頼もしい指揮官の姿に変わった。この時ばかりは、西住の血を感じずにはいられない。キューポラ(戦車の上部にとりつけられた搭状のパーツ。ハッチがついていて、出入りに使われることもある)から、上半身を乗りだし、堂々とした振舞いで部隊を指揮する姿は、格好いいという言葉では足りないほどである。
そのためか、男性だけでなく、女性のファンというのも、姉には頗る多かった(現に、エリカなどは彼女の熱心的なファンである)。
戦車道には、いくつかの
ただし、それで彼女に他の役割ができないかと言うと、そんなことはなく。砲手も操縦手も、装填手も通信手も、どれも人並みにはこなせるのだが、どれが得意かと言えば、やはり車長になるということだった。これは、わたしも同じである。
そもそも、西住流の門下生は、必ずどの役割もこなせるよう修練を積むので、他の役割もできるということは、なにも特別なことではない。ただ、車長以外の役割を教導させれば、必ずと言っていいほど一流を育てるので、やはり特異な才覚があるのは間違いない。決して彼女自身は、操縦などは得意としていないのだが、名伯楽は名選手がなるものとは限らないということなのだろうか。
一方で、一番得意としているはずの車長については、人に教導することを苦手としている節があった。
さて、姉に戦車道の才能があるということは、まったく疑いようがない。
敢えて西住流の教えを守っても、わたしを含めた西住流の門下生の誰より、うまく部隊を動かしてみせた(事実、師範に匹敵するという声が相対した門下生からあがるほどである)。
何より、昨年は一年生ながら、黒森峰女学園の副隊長を拝命し、同校を全国大会の優勝に導いている(史上初の9連覇だそうだ)。そして、今年は、二年生にして隊長だ。
この結果には、普段は鉄面皮とも称される母であるが、流石に満足げな笑みを浮かべていたことが印象深い。
しかし、問題は、全国大会の後に起こった。
海外の強豪選手らと親善試合があったのだ。
それは、非公式戦ということで然程注目を集めてはいなかったのだが、それがいけなかった。
日本は、戦車道において、けして先進国ではない。それは、高校戦車道において、圧倒的な戦績を誇る黒森峰女学園であっても覆すことは難しかった。実際に前評判でも、黒森峰の勝利は全くと言っていいほど期待されていなかったし、強いて見所があるとすれば、西住家の長女が、どの程度善戦するか、といった具合だった。取材の数は、それほど多くはなかった。
ルールは、地力の差があるからと、逆転の目があるフラッグ戦が選択された(戦車道には、フラッグ戦のほか、殲滅戦と陣取り戦という対戦ルールが存在する)。
それもいけなかった。
然しもの姉も、殲滅戦となれば、頭を抱えたに違いない(殲滅戦は、相手の戦車を全て撃破しなくてはいけないため、運の要素が低減してしまい、部隊の練度の差がそのまま勝敗に結びつきやすい)。…そう思いたい。
果たしてあれは、西住流であったのだろうか。
少なくとも、同じことをやれと言われて、わたしにはできない。他の西住流の門下生にも無理だろう。
結論だけを述べれば、姉は前評判を覆して、見事勝利してみせた。
しかし、わたしの隣で試合を観戦していた(娘のことを応援していたはずの)母の顔には、穏やかな笑みは少しも浮かんでいなかった。むしろ、試合が進めば進むほど。戦車が展開されればされるほど、険しい顔に歪んでいった。
世間的に戦車道がマイナーということもあったし、非公式の、それも高校生同士の親善試合のことである。それは、大勢にとっては、小さなネットニュースのひとつでしかなかった。
ただ、戦車道の世界には、激震が走ったと表現してよいことだった。
4.
「本日の練習を終わります。お疲れ様でした」
『ありがとうございました!』
空は茜色を越えて、暗くなり始めていた。
わたしたちは、いつものように練習を終えて、終礼をする。
「あー、まほちゃんとエリカちゃん。ちょっと」
道具類を片付けようとしたときのことだった。
姉が、わたしとエリカに話しかける。ちょいちょいと手招きをしている。隣でエリカが、ぴんと背筋を伸ばしたのがわかった。
「はい。なんでしょうか、隊長」
「もう。姉妹なんだから、隊長は止めてっていつも言ってるじゃない…」
「いえ、姉妹だからこそ、チームでの上下関係はきっちりするべきです。そうでなければ、他の者たちに示しがつきません」
「むぅ、まほちゃんは真面目さんだね」
すると、姉は困ったような顔になった。心の奥底では、ぎちぎちと岩石でも押し付けられているような重い痛みを感じるが、理屈では間違っていないはずであると、譲るわけにはいかない。部隊の規律を守る責任は、副隊長であるわたしにも課されているのだ。
あと、エリカはわたしに噛みつくような視線を向けるのは止めてほしかった。
ともすれば、がるるる、とでも唸っていそうな表情であった。きっと、尊敬する隊長に何逆らってるのよ、とでも考えているのだろう。
しかし、戦車道の場で、姉さんとでも呼んでしまえば、それはそれで、けじめがなってないだとか、そんな風に噛みつかれることは目に見えている。どうすればいいんだ。というか、お前はどうしてほしいんだ。理不尽にも程がある。
ちなみにこのやりとりは、今日がはじめてということはなく、これまでも何度となく、それこそ毎日のように繰り返されてきたやり取りである。いい加減、姉にも諦めてほしかった。
「それで、隊長。我々に、どのようなご用向きでしょうか」
「ああ、うん。少し、教えてほしいことがあって」
「教えてほしいこと?隊長が、西住に?」
そんなことがあるのか、と言外に述べたエリカであるが、その顔は言葉よりもずっと雄弁だ。信じられないことを聞いた、なんて顔で、わたしの方を向かないでほしい。
姉は、そんなエリカの様子を見て、小さく笑い声を漏らした。
「ふふ。エリカちゃん、西住だと私もだよ?」
「え、あ、…す、すみません!西住隊長!」
「それに、隊長が教えてほしいというのは、わたしだけじゃなくて、エリカも含まれている。お前も呼ばれているんだからな」
「そんなのっ、あなたに言われなくても分かってるわよっ!っていうかっ!お前って言うなっ!」
エリカのテンションのアップダウンがあまりに激しい。というか、いつものことではあるのだが、お前、わたしと姉に対しての態度が違いすぎないか。わたしと姉はひとつしか歳も違わないし、同じ西住の娘なのだが。さらに言えば、姉は隊長かもしれないが、わたしだって副隊長だぞ。けじめはどうした。けじめは。
尤も、エリカから急に、今さら畏まったような態度で話しかけられても、わたしは困惑するだけなのだが。
そんな様子を微笑ましそうに眺めていた姉は、そろそろいいかな、と前置きして本題に入ろうとする。
エリカが、慌てた様子で、どうぞと促した。
「今日の練習で、6号車の動き、変じゃなかった?」
「…6号車ですか?」
6号車というと、確か一年生の赤星さんが車長を務めたⅢ号戦車だったか。変と言われても、そもそもいつの動きのことを言っているのか分からない。練習の間ずっと、という意味だろうか。だとすれば、そこまで印象に残るほど変だったとは思えないのだが。
しかし、姉の感覚は無視できるものではない。姉が変だったと感じたのであれば、そこには、やはり異常があったのだ。…こんなことを言うと、妄信的に聞こえるかもしれないが、それはわたしとエリカで衆目の一致するところだった。
「すみません、それは、いつのことでしょうか。練習中ずっと、ということであれば、それほどおかしい挙動には思えませんでしたが」
「ええと、3対3で模擬戦をやらせたとき。6号車が撃破される寸前の動きなんだけど」
「何かおかしいことがありましたか?」
エリカが聞いた。
あのとき、エリカは模擬戦に参加していたし、わたしと姉は、外野からその試合を見ていた側だ。
撃破された、ということであれば、まずい動きがあったのは確かだろうが。はて、姉は何が気になっているのだろうか。
「うーん。なんであのとき、6号車は敵のいる方へ進んでいったんだろうって思って。別に、それが必要な場面でもなかったよね?」
「いえ、それはそうですが。おそらく、赤星は戦車が待っているとは思わなかったのではないでしょうか。うまく隠れていましたし。それにしても、些か不用心だった、とは思いますが、…伏兵に撃たれることは、なにも珍しいことではないでしょう?」
エリカの回答を聞いても結局、姉は納得ができているという表情ではなかった。
エリカの回答は、あくまで予想だ。実際のところは、赤星さん本人に聞かないと分からずじまいだろう。ただ、そんなに外れた予想ではないように思えた。
そして、多分。ふたりのボタンの掛け違いに、わたしは気づいた。
「エリカ。そうじゃない。隊長が気にしているのは、
「へ?…だから、答えたじゃないの。敵がいると分からなかったからだ、って。そりゃあ、あなたも外から試合を見ていたなら、あそこに戦車がいたことは見えたのかも知れないけれど。でも、実際の戦場で、それも視界の悪い中であそこに戦車がいるなんて、分からなくても当然でしょう」
「隊長。
エリカが眉をひそめた。しかし、姉は漸く納得がいったという顔になったので、次にエリカの表情は、わからない、というものに変わった。
「そっかそっか。そうなんだ。そうなんだね。…そうなのかぁ」
姉は笑顔に戻って、ふたりともありがとう。すっきりした、なんて言って、三年生たちの輪に戻っていった。おそらく、先にシャワールームにでも向かうのだろう。
黒森峰は上下の意識が強く、片付けなんかは下級生の仕事だった。それに、シャワールームも戦車道チームの全員が、いっぺんに使えるほど広くはない。先に先輩方が使ってくれないことには、下級生は汗まみれの体でずっと待ってなくてはいけなかった。
「それで、隊長は納得してたみたいだけど、どういうことよ。説明しなさい」
「隊長が納得したんだから、いいだろう」
「私が納得できていないのよっ!」
然もありなん。
エリカは、地団駄でも踏むみたいに詰め寄った。
しかし、わたしとしては、あまり言葉にしたいことではないので、できれば聞いてほしくないというのが本音だった。
尤も、このエリカという女に捕まったら最後、わたしに話さないという選択肢は存在しないのであるが。抵抗は無駄である。なにせ、寮まで同室であるのだから。睡眠の時間にまで、問い詰められては堪らない。
「つまり、あの人は天才ということだ」
「そんなことは知ってるわ」
エリカは憮然とした口調で答えた。
しかし、その理解ではまだ足りないのだ。まだまだ足りないのだ。
「エリカ、お前は、あの試合を俯瞰して見ているから、どちらの戦車の動きも分かって、だからこそ、隠れている戦車も見つけられて当たり前だろうと、そう思っているな」
「そうよ。その通りでしょ?」
「そうだな。少なくとも、わたしにとってはその通りだ。だけど、エリカ。あの人にとって、それは違うんだ。あの人は、『たとえ戦場の中にいても』、同じように隠れている戦車に気づけただろうってことだ」
「はぁ?…あなたね。いくらシスコンだからって、隊長を神様かなにかと勘違いしてるんじゃないの?あの人だって、私たちと同じ人間なのよ?」
ぐっ、と我慢した。気を抜けば、お前が言うなと言ってしまいそうになる。
それに、別にわたしは、シスコンではない。姉は天使だと、常々思っているけども。
「あの人が人間だということは、よく知っている。けれど、それと同時に、同じくらいにあの人は
「…それじゃあ、なに?あの人は、私たちが、
わたしは、ただただ無言で頷いた。
わたしからすれば、こんなことは慣れっこである。あの姉が、戦車道のことでわたしを頼るのは、そんなに多いことではないが、しかし、両手で数えられるほどでもない。大抵は、自分と周囲のズレを修正したい時くらいのことだったが。
そして今のは、エリカがそのバロメーターだったということである。これまでは、その役割がわたしだった。
「それなのに、確認しただけで終わりなの?」
「まぁ、終わりだろうな」
「そんな、どうして…っ。普通は、どこが駄目だったとか、どう直せばいいとか、そういうことを教えるものでしょうっ!普段のミーティングでは、隊長もそうやって…っ。なんで、赤星にも、私にも…っ!」
エリカのそれは、悲鳴に近いものであった。
しかし、エリカだって馬鹿ではない。姉がそうしない理由を、頭では理解しているのだ。ただ、認めたくないというだけである。それを、わたしに突きつけさせようというのだ。この女は、マゾヒストかもしれない。
いや、これを指摘させることで、わたしが嫌な気持ちになることまで織り込んでいるのなら、真性のサディストだ。
「姉には、分からないんだ。エリカだってそうだろう。どうやって歩くのか、なんて。そんなこと。当たり前すぎて、他人に説明ができるものか。だから、姉は聞いたんだ。わたしたちに。わたしたちの『
例えば、最初から歩くことのできる人間に、競歩の仕方を教えることはできるだろう。ダンスのステップを踏むことだって、時間をかければ教えることができる。しかし、歩くことも知らない相手に、論理立ててそれらを教えることができるだろうか。そもそも、歩くことすら教えることはできないだろう。
もっと言えば、視力が2.0ある人間と視力が0.1しかない人間では、視界がそもそもまったく違う。どちらも、相手の視界がどうなっているのかなんて、分からないのだ。それでも、何が見えて、どこからが見えないのか。検査でもすれば、そんな風に判別をつけることはできる。いわば、姉がやっているのはそれと同じだ。
わたしたちには、どこまでが出来て、どこからが出来ないことなのか。わたしたちの
「それじゃあ、どうするのよ。どうすればいいのよ。そんなに、あの人とズレたままで。ついていくことも出来ないじゃない…」
エリカが悔しそうに呟いた。真っ白くなるくらい、両の拳は強く握られてしまっている。
「心配は要らないさ」
「何が、要らないのよっ!あの人が求めているレベルに、私たちじゃ、どうしたって追い付けないのよ!…私たちじゃ、あの人の力になれない。足を引っ張るだけなのよ」
「それこそ、心配の要らないことだ。それらも全部踏まえて、作戦を立ててしまえばいい。できないなら、できないなりに、できないことを前提にしてしまえばいい。あの人にはそれができるんだから」
わたしたちと、同じに考えるべきじゃあない。
5.
第62回、戦車道全国高校生大会。
西住みほ率いる黒森峰女学園は、前人未到の10連覇を達成した。
その決勝では、味方の車輌が増水した川に滑落して、さらには、フラッグ車の車長が救助のために体一つで川に飛び込んだ。という大きなトラブルには見舞われたものの、その程度のことは、彼女にとって想定外にもならなかったそうである。
試合のあと、西住みほは、インタビューに次のように答えている。
『優勝したことは嬉しいですけど。そんなことよりも、誰にも怪我がなくて、本当によかったです』
インタビュー記事を読んだ西住流師範は、娘を家に呼びつけたという…。
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視点、逸見エリカ_前編
2万字を超えそうだったので、前後編で投稿させていただきます。
お気に入り、評価、感想ありがとうございました。
1.
私には、絶対に負けたくないと思うライバルがいる。
彼女は、いわゆる天才だった。
何をやらせても、人よりずっと上手くやるような奴だった。
それなのに、彼女をもっとずっと上回るような本物がいて、彼女自身は、自分のことを凡人であると勘違いしている有り様だった。
出会ってからずっと、気に入らない相手だった。
本当に凡人の私からすれば、羨ましくて羨ましくて仕方がなくて、あいつみたいになりたくて、でも、いくら手を伸ばしても届かなかった。
あいつは、天才だから
あいつは、独りだった。
だから、
2.
私が戦車道をはじめたのは、小学生の頃だった。
小学4年生に上がった時だったと思う。
私の家は、それなりに裕福な家である。しかし、戦車道とは全く関わりのない家だった。父も母も、祖父母より上の代に遡っても、戦車はおろか、武道の類いには縁遠い家系であった。
つまり、戦車道は、私が自分の意思で始めたいと親にねだったものだった(戦車道は、それなり以上にお金のかかる武芸であるため、親の理解と協力が必要不可欠である)。たぶん、私の人生において、親に対する、最初で最後の大きな我が儘だろう。
きっかけは、熊本の祖父母の家に遊びに行ったときのことだ。
祖父母の家があるのは、周りは田んぼや山しかないような田舎だったが、私は祖父母によく
そして、祖父母は、祖父母で、私のことを可愛がってくれた。特に、私のプラチナブロンドの髪は祖母譲りであり、その血を色濃く受け継いでいるということもあってか、何人かいる孫たちの中でも特別に可愛がられていたような気がする。甘い対応をしては、後で私の父や母に注意されている姿も見たことがあった。それを見る度、子供ながらに次は自重しなければとは思うのだが、次の機会にはすっかり忘れてしまうので仕方がなかった。
私が祖父母の家に遊びにいくと、いつも信じられないほど豪勢な料理で歓待を受けた。子供の胃袋では、とても食べきれないような量である。しかし、私のためにと折角作ってくれた料理を残すのも悪いと思って、毎度毎度、無理をするくらいに食べるというのがお約束になっていた(それでも食べきれないほどの量なのだが)。
あるとき、私がひとりで外を散歩したいと言ったことがあった。
祖父母のことは大好きだったし、広々として風情のある、昔ながらの日本家屋というのも落ち着く空間ではあったのだが、さりとてずっと家の中にいることは、子供の私には退屈に感じられたのだ。
すると祖父母は、にこにことした顔で可愛らしい白のフリルのついた洋服を持ってきた。そして、お母さんたちには内緒だよ、とひとさし指を口元に当てるジェスチャーをしながら、少しばかりのお小遣いを持たせてくれた。
私は、祖父母の用意してくれた洋服を着ると、お気に入りの、これまた白い帽子を被って外に出た。そのときの格好は鏡でも見たが、まるで育ちのいいお嬢様のようだったと思う(前述の通り、私の家は裕福なので、お嬢様というのもまるきり間違いではない)。尤も、ここが知人のいない土地でなかったら、流石に恥ずかしくなって着られなかったかもしれない。少しばかり、少女趣味な服だった。…私の好みには合っていたが。
さて、子供ながらにあまり詳しくない田舎の道をひとりで散歩するというのは、なかなかの冒険気分だった。じわじわと鳴く蝉の声がやかましく、ぎらぎらと照らす太陽は私の体力を奪ったが、もともと運動することの嫌いでない私には、これくらいは、心地のよい疲労に感じられた。
私は、自販機を見つけたので、祖父母に貰ったお小遣いを使って、缶ジュースを買った。少しだけ背伸びをして、中段にあるボタンを押す。がこん、という音がなって落ちてきた缶ジュースはよく冷えていて、あまり行儀のよくないことだが、冷たい缶ジュースを頬にぴたっと寄せると、一気に熱を奪ってくれるようだった。
プルタブを開けると、カシュ、という気持ちのいい音が鳴った。
それから、しばらく缶ジュースを飲みながら木陰で休憩して、そのうちまた歩くのを再開する。やがて、私の進もうとする先から、何かが姿を現した。それは、遠目には、まっ黒い粒のようであったが、徐々にその大きさを増して、すぐに私よりもずっと大きくなった。
鉄の塊だ。
ごろごろと巨大な鉄の塊が転がっていた。
それは、一本道を走っているので当然なのだが、幼い私には、まるで私をめがけて近づいてきているように感じられた。
私は、目をしばたたかせた。
いや、それが巨大とは言っても、今になって思えば、そのカテゴリーの中ではまだ小さい方である(スペック的には、「軽戦車」に分類される)。しかし、当時の私には、それを見るのがはじめてということもあったし、子供だった自分と比較すれば、十二分に重々しく、そして巨大に見えたのだ。
圧倒された、と表現してもよいかもしれない。少なくともそれが、私の心を強く惹き付けたのは確かだった。
ふと、それのキューポラ(当時は、キューポラという言葉を知らなかった)から顔を出している人物と目があった。
すると、その子供は、こんこんと巨大なそれの背を叩くと、ゆっくり速度を落として、やがて止まった。
ひょこ、と別のハッチからも顔が出た。それも子供だった。
私は、本音を言えば、交ぜてほしいと思った。それに乗ってみたいと思った。
しかし、実際には、生来の生真面目さが顔を出して、戦車に子供だけで乗ってはいけないとか、そんな詰まらないことを言ってしまった。
言ってしまってすぐに後悔をしたが、言われた側の少年(いずれも中性的な容姿だったが、格好からして少年だろうと判断した)が軽快にそれを降りてくると、唐突に私の手を取った。
「一緒に遊ぼうよ!」
私は、少年に手を引かれるまま、気がつくと戦車に乗っていた。
少年の「
私は、今度こそ本当の本当に冒険をしているような気分になって(ただの畦道を自分の足で歩くのとは大違いだった)、自分が少年たちに文句をつけたことも忘れて、彼らの隣で目を輝かせていた。
二人の少年は、容姿がそこそこ似ていたので兄弟だろうと思ったが、性格というか気質というかは、並べてみると全く違うものだった。
強引に私を戦車に乗せた少年は、表情がとにかく豊かで、よく喋った。興味の向くまま、気が向くままに、逐一進行の方向を指で示して変更させた。彼が少女だったなら、おてんばと称したかもしれない。
一方で、戦車の操縦を担当している少年は、全く子供らしくないと思うくらいに無愛想で、しかも必要最低限の言葉しか話さない。ただ、綺麗な景色だとかを見つけると戦車を止めて、わざわざハッチを開けると、私にその景色を見るように指示を出した。そのときも、指で指しつつ、「ん」とだけ言ったり、「あれ」としか話さないのだが、見せようとしてくれた景色はどれも素晴らしいものだったので、まったく嫌な奴とは思わなかった。
あとは、日暮れまで彼らと一緒に戦車に揺られて、不器用ながらに他愛のないことをたくさん話した。そして、また遊ぼうね、と約束をして私たちはわかれた。
祖父母の家に帰ると、帰りが遅くなったことや、服が汚れていることを心配された。しかし、こんなにも楽しいことがあったのだ、と戦車に乗ったことを話すと、頭を撫でて、よかったねぇ、と笑ってくれた。
結局、少年たちとはそれきりである。
次の日、同じ道を歩いてみたが、戦車はどこにも見つからず、どころか、次の年も、その次の年も同じ畦道を散歩したが、ついぞ、彼らを見かけることはなかった。
もしかしたら、あの日乗った戦車は、夢か幻だったのかもしれない。
ともかく、この時の体験が、私に戦車というものへの興味を植え付けたことは間違いなかった。家に帰ってからは、戦車のことを図書館だったり、使い慣れないパソコンだったりで調べたものだ(今ではネットサーフィンが趣味なので、むしろパソコンは得意な方である。これがきっかけだったかもしれない)。そして、調べている途中で戦車道という競技に行き逢って、私はそれにのめり込んでいった。
幸いにして、私には『人より』戦車道の適性があった。
親に頼みこんで、地元の戦車道クラブ(野球でいうリトルリーグのようなものである)に入会させてもらうと、流石に最初のうちは全然だったが、徐々に戦車がうまく動かせるようになっていった。
最初に教わったのは、操縦手だった。
大人に教えてもらいながら、ゆっくりゆっくりと戦車を動かす(小学生の乗る戦車には、必ずひとり大人が乗る決まりになっている)。レバーやら何やら、動かすものがたくさんあって混乱しそうになったが、そのうちに慣れた。ただ、自分と比較してはじめて分かったことだが、祖父母の家の近くで出会った(はずの)少年の技量は、とても高かったのだということを思い知った。ある程度操縦に慣れたという程度では、彼と同じくらい戦車をスムーズに動かすことはできそうになかった。いくらやっても、思い描くイメージとは差異が生まれてしまって、とてももどかしく感じたものである。
他にも砲手や通信手も基本的なことから教わったが(ただし、装填手は小学生の筋力では難しいうえに危ないので、大抵の場合は大人がつとめる)、どれも上達の速度は同い年の子どもたちよりも優れていた。そして、6年生になる頃には、戦車道クラブで一番上手い子供は、私になっていた(ただし、私のいたクラブは弱小と中堅の間くらいのレベルだったので、選手としては全く無名であった)。
この頃には、もう、戦車道は私の生活の中心を占めていて、中学にあがったら、本格的な指導を受けられる環境に身を置きたいという思いが強くなっていた。
するとやはり、どこか中学生もいるような戦車道クラブに所属するよりも、黒森峰女学園の戦車道チームに入りたいと憧れるようになった。ただし、熊本が出身地である私は、黒森峰女学園中等部への進学はほとんど決まっているようなものなのだが、それが「普通科」でなく、「機甲科」に入ろうと思った場合には、大変な努力が必要だった。
まず、黒森峰女学園で戦車道チームに入るためには、「普通科」でなく、「機甲科」に入らなければいけない。何せ、黒森峰女学園は、生徒だけで1万人以上(しかも、中等部だけの数である)も所属する超マンモス校だ。その全員が戦車道をやろうと思ったら、そんな数の戦車を用意できるはずもない。戦争でもはじめるつもりかという話である。
そのため、戦車道を集中して学ぶための「機甲科」が用意されたらしいが、これがまた、狭き門と形容されるほど、入試の倍率が高いことで有名だった。
合格するためには、学業が優秀であることは勿論のことながら、戦車道を履修するにあたっての高いスキルが求められる。それも、砲手だけ、操縦手だけ、という一芸特化でなく、どの役割もそれなり以上にこなせなければならないというのが、ハードルをさらに高くさせていた(前述の通り、装填手だけは別である)。
しかし、逆に言えば、そのハードルを越えることができれば、優秀な戦車乗りの証左であるとも言えた。
そもそも私は、大層な負けず嫌いであった。はじめたからには、中途半端で終わるつもりはなかったし、子供故の万能感というか、根拠のない自信から、何事もやってできないはずはないと信じていた。何より、私は私よりも上手い戦車乗りを、同世代で見つけたことがなかったことも、その認識に拍車をかけた(それは当然、井の中の蛙であったというだけのことなのだが、そのことに気づいたのは、もう少し後のことである)。
無事に、というか、思ったよりもあっさりと私は合格することができた。
このことには、両親も喜んでくれたし、それ以上に祖父母が喜んでくれた。ともすれば、親族中お祭り騒ぎのような様相で、みんなして私の前途を祝福してくれた。誉められて気の大きくなった私は、黒森峰で将来隊長になるとか、そんなことを言った。
春が来て、私は家を出た。
当然、黒森峰女学園があるのは学園艦の上だ。まさか、陸にある実家から通うわけにもいかない。中学生にして実家を離れるというのは不安もあったが、みんなもやっていることだ(一部、陸に残っている中学高校もあるため、必ずしも全員ではない)。新しい携帯電話も買って貰ったし、電話やメールで近況を話せばいい。寂しいのは最初のうちだけだろう。寄港した時に会いに行くでもいい。
部屋は、学園の用意した寮になった。
黒森峰女学園は、基本は全寮制であるが、届け出を出せば、学外に部屋を借りることも許されている。しかし、戦車道の練習は、名門と呼ばれるだけあって、かなり厳しいものになるだろう。わざわざ学校から離れた部屋を借りる必要性を感じなかった。
さて、黒森峰の寮は、基本的には二人部屋だ(人数や組み合わせの妙で一人部屋になる人もいるらしい)。そのため、部屋には備え付けで二段ベッドが用意されていた。
しかし、私と相部屋になるはずのルームメイトは、春休みの間には越してこなかった。私は、二段ベッドの上を勝手に陣取り、越してきた相手が文句を言うようだったら変わってやろうとか、そんなことを考えながら、つかの間の一人部屋を謳歌していた。
結局、明日が入学式というタイミングになっても、ルームメイトは、一向にやってくる気配がなかった。もしかすると、このまま一人部屋になるのかもしれないと、にわかに期待した。
そうして、入学式当日。
私はあいつと出会った。
3.
憧れの黒森峰女学園(の中等部)機甲科に入学できた私は浮かれていて、これから私の大活躍がはじまるのだと、分不相応にも期待を抱いていた。本来は、期待と不安が綯い交ぜになるところだろうが、難関とされる入試を突破したことも、自信に繋がっていたのだと思う。決して、私が能天気な性格というわけではない。
黒森峰女学園は、西住流(戦車道の流派のひとつ。日本では最も伝統のある流派である)と所縁が深いということもあって、日本では戦車道の一番盛んな学校だ。全国に学園艦はいくつかあれど、サンダース大付属、プラウダ、聖グロリアーナらと並んで「戦車道4強」と称され、そのなかでも一つ飛びぬけているという評価は、衆目の一致するところである。西住流の門下生も多く、本気で戦車道を邁進するのであれば、これ以上の環境はないだろう。
黒森峰女学園の敷地は、本当に広くて、校舎の造りも宮殿みたいだった。
校門をくぐったところで、私はその広大さに感嘆を覚えた。
それと同時に、本当に黒森峰女学園にやってきたのだという実感がわく。気分が高揚した。
「ついにやってきたわに!」
…噛んだ。
かああ、と顔が赤くなる。
憧れの黒森峰女学園にやってきて、テンションが上がって意気込みが口をついたまではよかったが、まさか噛んでしまうとは…。誰にも見られていないといいのだけど。
焦りながら、私は辺りを見回した。特に私に注目している生徒はいないようで、一安心だ。すると、とこ、とこ、とゆったりとした足音が後ろから聞こえた。それは気のせいか、私のいる方に近づいてくるようだった(考えてみれば、校門の近くに立っているので当然なのだが)。
ばっ、と振り替えると、そこには、何を考えているんだかよく分からないような眠そうな目をした焦げ茶色の髪の女生徒が立っていた。
「…?何か用ですか」
女生徒は、こてん、とほとんど直立のまま首を傾げた。
髪は短いが、うん、女生徒だ。スカートを穿いている。
…うーん。なんだか、どこかであったことがあるような。…ないような?
特に、その目に見覚えがあった。何を考えているんだかよく分からないような目に。
もしくは、頭の横にはてなが浮かんでいるのが分かるのに、それでも表情はまったく変わっていないという無愛想さに、私の中で何かが引っ掛かっている。
「あなた、どこかで会ったことがなかったかしら?」
「…さぁ?」
いくら見つめようと、彼女の目から真意が読めるということはない。というか、一方的に見つめている
…ちょっと恥ずかしくなってきた。
「そう、気のせいかしらね。ごめんなさい。ところで、あなた、何か聞こえたりしたかしら」
「何か?…ああ、『やってきたわに』?」
「忘れなさいっ!」
表情を変えずに、人の痛いところをついてくる。
後々思い知ったことであるが、この女は、無愛想のくせに、意外といい性格をしているのだ。
我ながら、初日から盛大にやらかしたものだった。
顔から火が出そうとは、こんなときに使うべき言葉だろう。
もしくは、穴があったら入りたい、だろうか。
「…なんでもいいが、遅れるぞ」
目の前の無愛想な顔の女生徒が、校舎のほうを指差した。口調が、すこしばかりざっくばらんなものになっている。
周りを見れば、いくぶん他の生徒たちが早歩きに移行し始めていた。
それほどゆっくり来たつもりはなかったし、集合の時間にはまだ余裕があったはずなのだが。まさか、パンフの時間を読み間違えていただろうか。喜びのあまり、擦りきれるほど読み返したつもりだったが、思い込みとか先入観があると、今更間違いはないだろうと読み飛ばすことも少なくない。
自信のなくなった私は、それじゃあ、とだけ言って、ひょいと軽く手をあげて、彼女と別れるつもりで歩きだす。すると、女生徒も同じ動きでついてきた。音を当てるなら、つかつかつか、そんな歩き方だ。
「なんでついてくるのよ!」
「方向が同じなんだからしょうがないだろう」
「何よ、あんたも一年生だったの?」
「…まさか、先輩かもしれないと思ってて、あの態度だったのか?」
女生徒が、少しだけ驚いたような口調で言った。
言われて、私は、はたと気がつく。
小学生では、あまり上下ということを意識しない。かく言う私も意識したことはなかった。それこそ、敬語は、先生や戦車道クラブのコーチのような大人に対して使うものだった。しかし、中学生では、そういうわけにはいかない。ましてやここは黒森峰女学園だ。規律と規範が統制する黒森峰女学園だ。
言葉使いには気を付けよう。手痛い失敗をする前で助かった。
「感謝してくれていいぞ」
「なんで得意気なのよ。むかつくわね」
4.
入学式には遅れなかった。
むしろ、余裕があったくらいなので、やはり時間を間違えていたというわけではないようだ。
他の生徒が急いでいるように見えたのは、絶対に遅れてはいけない、あくまで余裕をもって行動しようという、言わば生徒たちの気質が原因だった。…生真面目な生徒が多いようだ。
ちなみに入学式は、とりたてて面白いものではなかった。まぁ、お決まりの式典なんてそんなものといえば、そんなものだろう。学園長の式辞があって、特に成績の優秀だった生徒が、新入生を代表して挨拶を読みあげる。内容は、一ミリたりとも頭に入ってこなかった。
入学式のあとは、機甲科の生徒だけが残された。
何事かと思えば、パンツァージャケット(戦車に乗るためのユニフォームのようなもの。聖グロリアーナやサンダースでは、タンクジャケットと呼ぶ)を着た女生徒がぞろぞろと壇上に上っていく。
「総員、傾注!」
凛々しい声が発せられ、ざわざわと煩かった生徒たちが一気に静かになる。
声は壇上から降ってきた。
見れば、眼鏡をかけた気難しそうな顔の女生徒が後ろ手に組んで立っている。
彼女は、じろりと私たちのことを見回すと、やがて満足そうに頷いた。
「隊長、よろしくお願いします」
「え、ああ、うん」
眼鏡の女生徒が立ち位置を譲ると、後ろから背の高い女生徒が姿を現した。すると、にわかに周囲の空気が引き締まったように感じられた。
それも当然だろう。彼女こそ、
雑誌で見たことはあったが、実際に見るのははじめてだった。
3年生ということもあるのだろうが、大人っぽい人である。果たして二年後の私は、彼女のような大人びた容姿に成長しているだろうか。というか、下手な高校生よりもよっぽど大人であるように見えた。立ち居振舞いが凛としている。
「みなさん、入学式お疲れ様でした。知っている人もいるかもしれないけど、自己紹介をさせてもらいます。黒森峰女学園中等部、戦車道チームの隊長を務めています、磨或レンです。よろしくお願いします」
『よろしくお願いします!!!』
まるで軍隊かと思うような大合唱。示し合わせたわけでもないのに、ほとんど全員が口を揃えて応えていた。
頭では理解していたつもりではあるが、そこは正に、規律と規範に支配された空間であった。少しだけ気圧される。まるで私の通っていた戦車道クラブがお遊戯だったと思えるほどに大違いだ。
私は、背筋がぶるりと震えた。そうこなくっちゃ、
「さて、さっそく今日から練習を始めるわけだけど、言うまでもなく、ここは伝統ある黒森峰女学園!まさか楽な練習をしたいと思っている人はいないでしょうから、ビシバシ行きます。みなさんも、そのつもりでいるように」
隊長の言葉に、私は密かに笑みを浮かべそうになった。更に気を抜けば、望むところよ、なんて言葉が飛び出したかもしれない。
ただ、それくらいに、私の選択は間違っていなかったと確信できて嬉しかったのだ。
ここならきっと、私はもっと上を目指せる。戦車道に邁進できる。他の一年生たちも、同じ気持ちだったに違いない。
そのあとは、一年生にひとりずつ自己紹介をさせる流れになった。
名前と出身校と、
私は、と言うと、特に変わったこともなく、無難に自分の番を終えていた。こういうことで緊張する性格ではなかったし、変なことをして目立つつもりもなかった。
そして、このまま恙無く終わるかと思った矢先、突如として壇上に緊張感がはしった。一斉に、視線が動いたのだとわかった。その視線の先は、ただ一点を見つめている。その理由が気になって、私は彼女らの視線を追った。すると、そこには、朝に話した無愛想な顔の女生徒がいた。
入学式に一緒に向かったのだから、一年生ということは知っていたが、まさか、同じ機甲科の生徒だとは知らなかった。クラスが違ったのだろうか。同じ列の中に、見かけた覚えはなかった。
それにしても、先輩方は何故この一年生に注目しているのだろう。
もしかして、生意気な態度をとったりして、先輩方の不興を買ったりはしていないでしょうね、と思う。
じっ、と無愛想の顔を見つめ続けたが、一向に表情の変わる様子がない。大した胆力というか、鈍いというのか。
むしろ、表情を変えさせられたのは、私たちの方だった。
「西住まほ、
その声は、然程大きなものではなかった。しかし、凛然とした口調から、朝のぽやぽやした調子は伺い知れない。まるで、歴戦の軍人か、或いは希代の演説家のようであった。
そして、彼女の言葉は爆弾だった。
一斉に、一年生たちがざわめきだす。
それも当然だろう。西住。西住だ。
戦車道に流派はいくつかあれど、日本で最大の流派はどこかと言えば、まず第一に西住流。次に島田流と呼ばれるくらいの名門である。ましてや、黒森峰のある熊本は、西住流の総本山だ。
先輩方の注目の度合いからして、偶さか同じ苗字ということはないだろう。つまり、あの眠そうな目をした女生徒は、西住の家の関係者なのだ。今の師範が確か30代だったはずだから、娘ということもあるかもしれない。
「あー、えっとぉ、静かにしてくださーい」
隊長の困ったような声が少しだけ聞こえてきた。しかし、周りの騒音は止んでくれない。その程度で止まれるほど、軽い話題ではないのだ。
ただ、規律と規範を重視する黒森峰で、この体たらくはまずい。そんな風に思った私は、どうにかこうにか好奇心を抑えつつ、壇上に視線を戻した。尤も、雑談に興じられるほどの友人が周囲にいなかったおかげということもある。もし、ここに戦車道クラブのチームメイトがいたら、私も他の人らに流されていたかもしれない。
そして、すぅ、と息を吸い込んでいる眼鏡の先輩の姿と、苦い顔をして両耳を両の掌で塞ごうとする隊長の姿が見えた。
「
マイクを使わないで放たれる大音量の怒声。言葉の意味は分からずとも、込められた意思は間違えようがない。全員が、背中に氷柱を突っ込まれたように驚いて、反響音がなくなると同時に一気に静寂が訪れた。
「では、隊長。続きを」
「あ、うん。ありがとう」
この人だけは怒らせてはいけないと、一年生の気持ちがひとつになった瞬間だった。
この小説には、フェイズエリカをはじめ、スピンオフ作品の登場人物が登場することがあります。
なお、作者は、リボンの武者、リトルアーミー、フェイズエリカ、もっとらぶらぶ作戦しかコミックをもっておりません。あしからず。
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視点、逸見エリカ_中編
すみませんが、前・中・後の3話ということで……。
5.
「あなた、西住の家の子だったのね」
ぼぉっとした様子で立っている西住まほに、近づいて行って声をかけた。
ゆったりとした動作で、彼女の顔が私の方を向く。相変わらず、眠そうな目のまんまだ。
「ん?…ああ、
「だから、それは忘れなさいって言ったでしょ!?」
かっとなって、言い返す。
相手が「西住流の娘」だろうと、私の性質は変わらないらしい。確かにこれは、将来手痛い失敗を演じそうだ。すると、人を天然で煽ってくる西住まほは、訓練の相手に丁度いいのかもしれない。
さて、一年生の自己紹介が終わると、早速戦車を動かしてみようということになった。
ずらずらーっと、名前がひとりずつ呼ばれ、そのあとに1号車や2号車といった割り当てがつけられた。つまり、一年生を適当にチーム分けして、4人か5人で1組のチームがいくつか作られるわけだが、私はと言うと、4人1組のチームで、しかも、西住まほと同じチームになった。
5人なら5人、4人なら4人で統一しろ、と思うかもしれないが、こればかりは、学園の保有している戦車の関係もあるから仕方がない。どうしたって、4人でしか乗れない戦車もあるのだ(反対に、乗員が6人や7人必要な戦車もあるが、今回は使わないらしい)。
「逸見エリカよ。よろしく、西住さん」
「西住まほだ。こちらこそよろしく、逸見さん」
一度だけゆっくりと息を落ち着けてから、西住まほと握手をする。思ったよりも硬い感触、鍛えてるのだと分かった。
「で、あなたたちは、いつまでそこでもじもじしてるのよ」
「だ、だってぇ…」
後ろを振り返ると、そこには、同じチームになった2人がおろおろと突っ立っている。名前は覚えていない。
彼女らは、どうやら、
無理もない。
私だって、朝に丁々発止のやりとりをしていなければ、もう少し萎縮するなり、話しかけるのを躊躇うなりしていたはずだ(と思う)。戦車道を志す黒森峰の隊員に対して、西住の名前に先入観を持つなと言うほうが無理である。さらに言えば、先輩方が自己紹介のあとに、彼女に「期待している」、とか話しかけていたり、挙げ句には
すると、意外なことに先に話しかけたのは、西住まほの方だった。
「赤星さんと小島さんだったな。西住です。よろしく」
話しかけられた二人が目を丸くする。そして、慌てた様子で、こちらこそよろしくお願いします、なんて頭を下げた。
だが、驚いたのは二人だけではない。
二人の様子からして、今日が初対面であることは間違いないだろう。すると、名前を知る機会は、さっきの自己紹介の場くらいなものである。
「あなた、全員の名前を覚えたの…?」
「記憶力はいい方なんだ」
西住まほが、事も無げに言う。誇るような仕草でもない。しかし、凄まじいことであった。
機甲科の一年生は、全部で80人だ(難関という割に多く感じられるかもしれないが、熊本県だけでなく、他の県からも有力な戦車道の履修者が集まることを考えると尠少と言っても過言ではない。少なくとも、小学生の頃のクラブ活動で見知った顔は一つもない)。
それだけの数の自己紹介、前半はまだ聞いていられたが、後半にもなると流石に長く感じられて、私などは右から左だった。それに、前半の人たちだって、名前を覚えてるかと聞かれたら、正直ほとんど覚えていない。辛うじて、隣にいた人が、ええと、佐藤だったか、佐々木だったか。あるいは、鈴木だったかもしれない。
…私の記憶力が悪いとか、他人に興味がないとか、そういうわけではない。断じてない。普通は、そんなものなのだ。80人もぶっ続けで自己紹介を聞いていたら、逆に誰のことも記憶に残らない。それこそ、爆弾が混じっていれば尚更である。
全員分覚えているほうがよっぽどおかしいのだ。
「じゃあ、自己紹介も済んだところで」
そう言って、何やら終わったような気になって、次に進めようとする西住まほ。赤星さんと小島さんは、突然放り出されたような感覚だろう。困惑顔だった。
一方的に名前を言い当てただけで自己紹介とは、これ如何に。彼女のコミュニケーション能力というか、
もっと、こう、ないのかしら。他人に興味とか。……ないんでしょうね。
「早速だが、それぞれの役割を決めよう。わたしたちの戦車は、…38tか」
「それ、確か4人乗りで、車長が砲手も兼任しないといけないっていう扱いづらい戦車よね」
西住まほが、ふらふらと戦車に近づいていった。そこにあるのは、私たちのチームに割り当てられた車輛である。私は、少しだけ沈んだ気持ちになった。
38t戦車。全長4.61m、全高2.26m、重量は約9.5t。ドイツ軍がWW2で使用したチェコ製の軽戦車である(「t」はドイツ語におけるチェコ、「Tschechisch」の頭文字である)。
軽戦車としては、火力・装甲ともに申し分なく、機動力も悪くないのだが、砲塔が狭いために砲手の乗れるスペースがなく、車長が砲手を兼任しなくてはいけないなど、指揮に集中できないという欠点を抱えていた。そのうえ、砲塔旋回装置は手動式のため、操作性もけっして良いとはいえない。
個人的には、2人乗りの小型砲塔の戦車でなく、たとえ機動力で劣ったとしてもⅢ号戦車のような大型砲塔の戦車の方がよっぽど好みだった。もちろん、38tが大戦初期のドイツを支えた名作機であることに疑いはないのだが(38tの生みの親であるチェコからすると、ドイツは当時敵国であったため、その活躍ぶりは皮肉だったと言わざるをえない)。
「そうだ。よく知っているな。…それだと、(車長は、)
「へ?」
西住まほの言葉に、私と小島さんが間抜けな声を漏らした。
すると、西住まほが、こてん、と小さく首を傾げる。
「どうした?間違っていたか?」
「いえ、合っているけど…」
「この場合、合っているほうがおかしいというか…」
私たちは、三人して顔を見合わせた。
「もしかして、西住さん。みんなの話していた
「そりゃあ、同じチームになるんだから、当然だろう」
何を今更、そんな副音声が聞こえた気がしたが、私は、彼女とのすれ違いに頭が痛くなった。
私たちが聞いたのは、「
つまり、脳みその出来が、そもそも私たちとは違うようだった。そして、さらに厄介なことに、彼女はその事実に対して無自覚らしい。
これと3年間、いや、順当に高等部まで含めれば6年間同じチームなのだ。…うまく付き合っていけるだろうか。
結局、小島さんも私も車長は辞退して、西住まほが車長ということになった。小島さんの場合は、西住さんを差し置いて自分が車長なんて烏滸がましい、という意思が見えたが(よくそんな性格で黒森峰の機甲科に入れたものだ)、私の場合は、純粋な興味からだった。
私は、西住流の力を見てみたかった。
私は、これまで西住流の名前や評判を聞いたことはあっても、その実力を自分の目で見たことはない。雑誌だとか、テレビの中継だとかでプロの試合は見たことがあったが、プロというだけあって、どの戦車チームもため息がでるほどうまくて、西住流が突出しているという印象は受けなかった。
しかし、同年代であれば、流石に自分と比べるくらいのことはできるだろう。
さて、いきなりであるが、戦車とは、その名前の通り戦闘用の車輌である。
相手を倒すための強力な武装を搭載し、逆に相手にやられないための強固な装甲を持っている。そのうえで、車輌なのだから軽快に走ることができなければ名前負けだ。だったら、固定砲台にでも改名したほうがいいだろう(ただし、そういう運用をされた戦車もある)。
火力、装甲、機動力。そのいずれもが、戦車にとっては重要な性能であるといえる。しかし、小学生でもわかることであるが、何にも妥協せずにすべての要望を叶えた夢のマシンなんて、作れるはずもない。何かがトレードオフされているはずなのだ。
それでは、火力と装甲と機動力を得るために、戦車はいったい何を犠牲にしたのか。
簡潔に言うならば、それは視界だ。
操縦手は、防弾ガラスの張られた小さな窓(スリット)から、あるいは、潜望鏡(ペリスコープ)を覗き込みながら操縦をするしかない。しかし、想像してほしいが、双眼鏡を覗き込みながら車を運転することが、果たして可能だろうか。断言してもいいが、車線変更してきた車にも気づかず、事故を起こすのが関の山である。
そのために、戦車にはそれぞれの
車長がいなければ、戦車の生存率は極端に下がると言われているが、さもありなん。
視界を360度確保できるのは、唯一車長だけである(そのためには、キューポラから上半身を出して監視する必要があるが)。
そのほかには、限られた視界で前方だけを覗いている操縦手と砲手しかいないが、戦場は、横スクロールのゲームではない。前方にだけ敵がいるとは限らないのだ。
車長からの指示がなければ、戦車は動くこともできないし、目標を見つけることも叶わない。こうなっては、ただの動かない的。少し頑丈なだけの棺桶だ。
つまり、車長は戦車の脳であり、耳であり、目である。他の隊員がどれだけ優秀であっても、車長がまともに機能しなければ、戦車としては役立たずになってしまう。
しかし、逆を言えば、車長さえまともなら、即席のチームでもある程度は動けるということになる。勿論、そうだとしても、動かし方を知っているとか、最低限のマニュアル知識は必要だろうが、今回の操縦手は私だ。指示通りに動けないなんてへまはしない。
「車長、
「あー、うん。できれば、他のことがやってみたかったんだが…」
小声で、何事かをつぶやいた。
「何か言った?」
「なんでもない。……戦車前進、『
なかばやけくそ気味な号令のもと、私は戦車を発進させた。
結果から言えば、大して波乱も起きない、普通の訓練だった。彼女の指示は的確であったが、さりとて、私に同じことができないかと言われればそんなこともなく、至極普通としか言いようのない指揮であった。
尤も、まっすぐ走らせたり、先輩の指示通りに止まって射撃をしたりという訓練で、他と変わりようがあっては、それは命令の無視とほとんど同義だ。そういう意味で言うと、今回の訓練では、彼女の真価が図れるはずもなかった。
ただ、黒森峰の訓練は噂通りに(あるいは、噂以上に)レベルが高く、また厳しいものだったことは確かだ。昼前に一旦の訓練を終えたが、すでに私は汗だくで、激しい戦車の挙動に揺られた小島さんや赤星さんもぐったりとした様子だった。正直、今から昼食だと思うと吐きそうだ。
しかし、西住まほは、というと、訓練を終えても、相変わらずの不愛想のままで、疲れたような様子は微塵も見られなかった。そのうえ、昼時の学食に移動すると、彼女は平気な顔で日替わり定食を大盛りで頼み(メインは、男性のげんこつ大はありそうなメンチカツが2つだ)、それをぺろりと平らげた。同じ戦車に乗った私や他の2人は、かけのうどんをさらに小盛にしたというのに、だ。
少なくとも体力と胆力(ついでに食欲)は、真似のできないものを持っているようだった。
6.
黒森峰に入学してからというもの、ほとんど毎日が戦車道の訓練漬けだった。
戦車道は部活動ではなく、あくまで授業の一環という立て付けだったが、黒森峰の機甲科は、それこそ
最初のうちは、あまりの疲労に、部屋に戻ればシャワーだけ浴びて、ベッドに倒れこみ(梯子を登るのが辛いので、途中で二段ベッドの上下を替わってもらった)、ご飯も食べられずに眠る毎日だったが、1ヶ月も繰り返していると人間はどんな環境にも慣れるようで、そのうち平気になった。
しかし、そんな訓練の日々に加えて西住まほは、毎朝必ず3キロのマラソンを日課にしていて、黒森峰に入学してから一度も欠かしたことがなかった(彼女曰く、もはやルーティンのため、欠かしたほうが調子を悪くするのだとか)。
訓練に慣れた今でも、彼女ほどの余裕は持てていない。
さて、訓練の量は、流石に名門と呼べるほどだったが、質はというと、それもやはり、名門というのは伊達ではなかった。
一年生だから、訓練の準備や、そもそもの戦車の整備も役割のうちだったが、それで訓練が少ないかというと、そんなことはない。勿論、戦車の保有台数には限りがあるのだから、先輩方が優先して搭乗訓練をするのは当然である。その間は、必然装備の点検であるとか、そうでなければ、砲弾を担いで倒れるまで走らされるような基礎訓練が中心だ。
しかし、ローテーションで必ず一年生用の車輌も用意されていたので、先輩方のように全員とはいかないが、きちんと搭乗訓練の時間も割り当てられていた。
さて、試合のレギュラーメンバーともなれば話は別だが、一年生のうちは、特定のチームを作らず、役割も交代しながら戦車に乗ることが決まりだった。車長を希望する者も、砲手としてならした者も、通信手や装填手や操縦手を担当した(特殊カーボンで守られているとはいえ、試合中の事故はつきものなので、誰でも役割を代われるようにするというのは道理に適っている)。
ただし、西住まほだけは、必ずと言っていいほど、車長の役割をこなした。本人は、通信手や装填手でも構わないと言ったそうだが、先輩方が許さなかったらしい。
そのうち、西住まほは、一年生にして試合のレギュラーメンバーに選ばれた。当然ながら、
「流石ね、西住」
「…エリカ」
4月からすでに2か月が経過していた。
つまり、寮の部屋が一緒の私は、2か月間毎日、彼女と顔を合わせていることになる。おかげで、だいぶ私の沸点も鍛えられた。
いつからか、私は彼女を呼び捨てで呼ぶようになっていたし、彼女も私を名前で呼ぶようになっていた。
「すごいじゃないの。1年生でレギュラーメンバーなんて、ここ数年なかったことらしいわよ?」
「なぁに。
「む」
2か月付き合ってみて分かったことだが、妙に西住は、自己評価の低いところがあった。人に褒められても謙遜をするばかりで、調子にのるということがない。謙虚は美徳であると言うが、私たちはまだ中学生だ。もっと素直になればいいのにと思ったのは、一度や二度ではなかった。
「…あんた、いつも仏頂面して、つまらなそうよね。嬉しくないの?もっと喜びなさいよ」
「嬉しいことは嬉しいが、どうにも気を遣われている感じがしてな。据わりが悪い」
西住が肩を竦める。
その態度が、ますます私のことを苛つかせた。
「気に入らないわね。あんたが凄いのは、私たち一年生はよく知っているわ。それを先輩方も認めてくれたってことでしょう?」
最近では、先輩方の車輌に交ざることも増えた西住だが、それでも、この2か月の訓練で一緒の時間が多かったのは、圧倒的に私たち一年生だ。
だから、西住の実力は、この2か月で嫌というほど思い知っている。
確かに、この女の指揮は、けっして派手なものではない。一回や二回、一緒の戦車に乗ったり、一緒の隊列で訓練をしたぐらいでは、気づくことができないものだった。実際、はじめて彼女の指揮で動いたときは、まったく普通であるとしか感じられなかった。
ただ、何回か乗ってみると、なんというか、彼女は迷ったり、およそ間違えたりしない、という安心を感じられるようになった。
それでも、彼女の乗った戦車が、負けるということもあった。
しかし、彼女が指揮を執った部隊が、負けたということはなかった。
私が推測するに、西住まほという奴は、二つの選択肢を突きつけられたときに、『必ず』、より有利な方を選ぶことができるのだ。
例えば、AとBの選択肢があったとして、Aが6割勝てる選択肢だとする。そして逆に、Bが4割勝てる選択肢だったとする。西住まほは、このとき必ずAを引き当てる人間だった。
尤も、Aを引き当てたとしても、4割の確率で負けるわけなのだが、彼女はこの選択を繰り返したときに、Aを引き続けることができるので、局所的に見れば負けることもあるが、大局的に見れば、おおよそ負けないということができるのだった。
まして、
それを一度掴んでしまえば、絶対に逆転させないというのが、西住まほの戦い方であった。
もちろん、それを可能にしているのは、豪運なんて曖昧なものではない。むしろ、単純な運任せだけのギャンブルは、彼女の苦手とするところだった。
そうではなくて、彼女の、悪魔的なまでに高い精度の予測の賜物であった。
人並み外れた記憶力が過去のデータを蓄積し、これまた人並み外れた観察眼と分析力が、その時の状況と過去のデータとを照らし合わせて、その時に最も適した戦術を引っ張り出す。
言ってしまえば簡単なことだが、それが『常に』できるかと言われたら、私は即座に無理だと答えるだろう。いや、当然、それが理想であることは分かっていて、それができるように知識をつけたり、戦術眼を磨いたりするのだが、その精度が恐ろしく高いのが、西住まほである。しかも、スーパーコンピューターもかくやというほどに早い。
たぶん、私たちの目指す
先輩方は、もしかするとこの事実には気づいていないのかもしれない。
ただ、一年生の中では突出して成績がよく、そのうえ「西住」だからということもあって、レギュラーメンバーに加えられただけなのかもしれない。
だとすれば、今はまだ西住の言う通りなのだろう。「西住」の跡取りをないがしろにするまいという風潮があって、たまたま西住が、対外的にも言い訳をできるだけの成績(つまり、レギュラーメンバーにしても、疑問を抱かれないだけの成績)を残しているだけなのである。
それでも、いずれ先輩方も気が付くだろう。私だって気づいたのだ。私たちだって気づいたのだ。
先輩方は聡明だ。だから、きっと私たちのように、2か月なんて時間は要らないだろう。
そのとき、彼女は実力で選ばれていたのだと、それを疑うような人間は誰もいなくなっているはずである。…他ならぬ、
肝心要の彼女だけが、西住まほ本人だけが、自分の実力にひどく懐疑的だった。
「日本人は謙虚すぎるのよ」
これは、完全に祖母の受け売りだった。これを言うといつも、お前だって日本人ではないか、と突っ込みを受ける。
異国からやってきた私の祖母は、とかくプライドの高い人だった。常々、自慢したいと思ったときは、堂々と胸を張りなさい。そんなことを言い聞かせられた。
「あなたも、褒められたのだから、素直に受け取りなさい。そりゃあ、中にはおためごかしもあるでしょうけど、全部が全部そうってわけじゃないわ。西住流を継いだりしたら、あなた、そんな情けないこと、言ってられなくなるわよ」
西住師範の言葉は、この時代、ネットで調べればいくらでも出てくるし、インタビューの記事も読んだことがある。とにかく自信に溢れた人というか、強い言葉を使う人だった。それは当然、責任だとか立場から言わざるを得ない言葉でもあるのだろうが、それを抜きにしても、勇ましいとさえ感じられる人である。
しかし、その娘はというと、いつもぽやぽやとしているというか、なんとも煮え切らない奴だった。
戦車に乗っているときは、確かにはっとするほど勇ましく見えるのだが。録画した映像を、あとで本人に見せつけてやろうか。普段から気を抜くなと。…流石に可哀想か。
ちなみに、他の子たちに言わせると、普段もオーラがあって近づきがたいらしいのだが、こればかりは、私には分からない感覚である。
いくら私が、西住は案外なにも考えていないだとか、結構抜けている奴だと言ったところで、一向に信じてもらえないので、私も言うのを諦めたほどだ。
閑話休題。
「ああ、それなら大丈夫だろう」
あっけらかんとした口調で、西住が言った。
その言葉に、私は首を傾げざるを得ない。
「大丈夫ってなにが?まさか、師範とか家元になれば、勝手に立派になれるとか言いたいの?そりゃあ、立場が人を作るなんて言葉があるけれど。…地位だったかしら」
「野村克也だな。『地位が人を作り、環境が人を育てる』。金言だとわたしも思うよ。ただ、わたしが言ったのは、そういう意味じゃない。そもそも、わたしは、西住流の後継ぎじゃないしな」
「は?」
私は、耳を疑った。
この女は、今なんと言った?
後継ぎじゃない?誰が?西住まほが?西住の娘が!?
「え、あなた、西住師範の子供じゃないの?」
「いや、子供は子供だが…」
いろいろ言ったが、この女が西住師範の子供だというのは、疑いようがない。見た目は本当にそっくりだ。少しばかり、平時の凛々しさが足りない気もするが、戦車に乗っているときは、文句がない。
妾、愛妾、側室。いやいや、西住師範は女性である。
「簡単な話だ。西住流を継ぐのは、たぶん姉になるだろうから」
「…姉?」
姉と言われて、はぁ、なるほど。と納得しそうになった。
確かに、姉がいるのなら、家は長女が継ぐものだろう(普通は長男と言うところだが、戦車道は女性の武芸である)。それに、西住の病的なまでの自己評価の低さは、さらに優秀な姉がいたのだとすれば、理解のできないことではない。
しかし、西住師範は確か30代の半ばくらいだったと記憶している。西住まほが長女だったとしても、相当に若くして産んでいることになるのだが、さらに姉がいるとなると、果たしてどんな学生時代を送っていたのだと邪推しそうにもなる。それとも許嫁だろうか。時代錯誤にも思えるが、西住ほどの名家ならばあり得そうな話である。
まぁ、それにしても、2ヶ月一緒に暮らしていて、姉がいるなんてはじめて聞いたのだが。
「あなた、お姉さんなんていたのね。え、でも、チームにはいないわよね?…まさか、高等部に?」
その場合、西住師範は、10代で子供を産んでいることになるのだが…。
人の恋愛観にああだこうだと言うつもりはないが、仮にも由緒ある名家の跡取りだ。そのあたり、厳格そうにも思えるのだが、むしろそういう家ほど、早くに子どもを欲しがるのだろうか。
すると、西住が首をふるふると横に振った。
「いいや、姉は中学生だよ。一つ上だ」
ますますもって、意味がわからない。
「ちょ、ちょっと待ちなさい。一つ上ってことは、一つ上ってことよね?」
「大丈夫か、エリカ?」
正直に言えば、大変に混乱している。大丈夫ではない。
だって、おかしい。一つ上ってことは、西住のお姉さんは中学二年生のはずだ。
だったらどうして、
「もしかして、海外に留学してるとか?」
西住は首を振った。
「飛び級してるとか?」
またも、西住は首を振る。
「他の学校に進学したの?」
「黒森峰だが?」
「いや、そこは首を振りなさいよ!?」
耐えきれずに突っ込んでしまった。
こいつといると、私の調子は狂わされてばっかりだ。私のキャラクターは、こんなではないはずである。
「でも、黒森峰ってことは、やっぱりおかしいわよね。(戦車道チームの)先輩に、西住なんて人はいなかったと思うのだけど」
「そりゃあ、そうだろう。姉が通っているのは、
「え、なんで?」
完全に素になって困惑した。
「だって、普通科じゃあ、戦車には乗れないでしょう?まさか、機甲科に入れないほど下手…ってことはないでしょうね。後継ぎ候補ということだし。でも、そうしたら…」
あとは学力の問題くらいしか思い当たらないのだが。
黒森峰の普通科はともかく、機甲科の入試は、戦車道の試験を抜きにしても難関だ。
すると、言わんとすることを察したのだろう。西住が、そうではない、と首を振った。
「いやいや。入試が突破できなかった、というわけじゃない。実際、定期試験では学年上位をキープしているという話だし」
「じゃあ、どうして?」
「母が、許さなかったからだ」
「はい?」
母。彼女らの母というと、西住師範か。西住流戦車道の師範が、娘の黒森峰での戦車道を禁止する?まったく分からない。
黒森峰の戦車道チームは、戦車道を志す者にとっては、日本で一番の環境だ。
これで、飛び級をして大学に行っているとか、海外の学校に留学しているということなら、理解もできる。だのに、普通科ということはどういうことだろう。
「分からない、って顔だな。無理もない。…理由は、うまくわたしも言えないんだ。ただ、戦車道を禁じられている、というわけではない。学園艦が寄港すれば必ず実家に戻って、門下生たちと訓練をしているみたいだしな」
「それは、私たちみたいな中学生に交じるのが、無駄とか、そういうこと?」
「いいや。そういうわけではないと思うが…。前に聞いたときは、
「ふぅん?」
目を離せない?危なっかしいということだろうか。
確かに、戦車道は危険の多い競技と言える。特殊カーボンに守られているとはいえ、本物の砲弾が飛び交うのだ。事故が起きるとき、それは大抵の場合、命にも関わりかねない重大なものである。
大切な後継ぎが、目を離したところで事故に遭うのが怖いというのであれば、過保護だな、とは思うものの理解できないという程ではない。些か西住師範のイメージとはズレるが、公人と私人の違いだろう。
そんなことを言っていたら、いつまで経っても独り立ちはできないような気もするが。
「もし良かったら、今度見てみるか?」
「へ?」
西住の問いかけに、私は間抜けな声を漏らした。
「確か、次の週末は寄港する予定だったと思うし、1日がかりになってしまうが、西住流の訓練を見るのも、いい勉強になると思うぞ」
そんなことを、西住は言った。
西住の提案は、非常に魅力的だった。
私としては、願ってもないことだ。西住流の訓練を見る機会なんて、ほとんどないだろうし、普通は見たいと思っても見られるものではない。なにより、黒森峰の戦車道は、西住流の影響を強く受けている。戦術の多くが、西住流を踏襲したものだ。本家本元を見たとして、得られるものは、きっと少なくはないだろう。
貴重な休日ではあるが、悩む理由はなかった。
「ほ、ほんとにいいの?」
「見学くらいなら許してくれるだろう。たぶん」
「たぶん、って。ほんとに大丈夫なんでしょうねっ!?」
「大丈夫大丈夫。菊代さんに言っておけば、だいたい大丈夫だ」
「誰よ、その菊代さんって…」
徐に、西住が携帯を取り出した。そして、かたかたと何か操作しているのが見える。おそらくは、メールを打っているのだろうが、めちゃくちゃ遅い。私の祖母よりも遅い。
「えい」
西住が、メールを打ち終えたようだった。掛け声と一緒に送信ボタンでも押したのだろうが、お前は本当に女子中学生かと突っ込みたくなる。
すると、すぐにぴろんと西住の携帯が鳴る。
返信が来たようだ。逆にこっちは、めちゃくちゃ早い。菊代さん、待ち構えていたんじゃなかろうか。
すると、西住は届いたメールを一瞥して、私の方を向いた。
「うん。いいらしいぞ」
「あ、さいですか」
「ほら」
西住が、携帯電話の画面を見せつけてくる。
そこには、所狭しとびっしり画面を埋め尽くした文字が見えた。
中には、友達ができたんですね、よかったですね。とか、そんな心暖まる文面が見えたが(どんなメールを送ったのかしら?)、要約すると、訓練を見せるのは構わないし寧ろ歓迎する、ということだった。
それでいいのか、戦車道の大家。秘伝とか、そういうのはないのだろうか。いや、その方が私としては都合がいいのだけれども。ただ、あっさりとし過ぎていて、なんというか、ありがたみが薄かった。
勿論、楽しみなことは楽しみだが。
「週末、…週末ね。意識すると長く感じそうね。…今日が月曜日なのを恨むわ」
「新しいものの恨み方だな」
斬新だ。と西住が言った。
「仕方ないじゃない。小学生が遠足前に眠れなくなるように、私はあと5日も眠れない夜を過ごすのよ。軽く拷問だわ」
「随分とお手軽で、平和的な拷問があったものだ。世界中の軍隊は、軍事教本に採用するべきだろうな」
らしくもなく、軽口が踊る。
どうやら私は、自分で思っている以上に浮かれているらしい。
すると、ぴんと右手の人差し指を立てて、西住が改まった口調で言った。
「…ああ、楽しみにするのはいいが、ただ、ひとつだけ先に言っておくぞ」
本能的に、それは軽口ではないのだと察せられた。
大事な話をしようとしているのだ。
西住まほが、本音を話そうとしているのだ。
私は、身構えた。
「私の姉は、天才だ。正真正銘の天才だ。だから、絶対に、
自信を無くすぞ。そんなことを、西住は言った。
似たようなやり取りを3年後も繰り返す模様……。
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視点、逸見エリカ_後編
なお、後編だけで2万字を超えそうになったので、キリのいいところで分割しました。
数日したらもう一話だけエリカ視点の話を投稿させていただきます。
7.
週末の朝である。待ちに待った土曜日である。足がけ5日。こんなにも5日間を長いと思ったことはなかった。
私は、西住に連れられ、西住流の本家へとやってきていた。
ちなみに、起こされたのは、朝の5時である。
港へ降りると、予め手配されていたのであろう。用意のいいことに車が待っていた。
いかにもな黒服に案内され、車に乗り込む。
黒塗りの、所謂高級車というやつだ。映画とかドラマで見たことがある。そう、車には詳しくないが、たぶん、ベンツという車だ。当然ながら、乗ったのは初めてである。
「それでは、家までお願いします」
西住が、さも当然のように、運転席に座った黒服へ指示を出した。
私の家もそれなりに裕福な方だが、これでは全く次元が違う。
普段の様子から忘れそうになるが、西住はまさしく、お嬢様の中のお嬢様なのだと認識を改めた。
やがて、大きな和風建築の家に辿り着いた。和風建築にも関わらず、三階建てである。まるで、高級な和風の料亭か、温泉宿のような建物だ。
門をくぐり、心の準備もしないままに、西住が無遠慮に扉を開けた(自分の家なのだから当然のことだが)。
すると、可愛らしい少女の声に出迎えられた。
「わぁ、いらっしゃい!」
少女の顔立ちは、西住によく似ていた。
しかし、どちらかというとつり目がちな西住に比べて、目の前の少女は、たれ目がちで、穏やかな印象を受ける。髪の色も、少しだけ西住より明るい栗毛色だ。
なんというか、予想と違って、正統派で可愛らしい人である。普通の女の子、という感じだ。あまり、お嬢様という感じでもない。世間知らずの箱入り娘と言われたら、そう見えるかもしれないが。
にこにこと笑顔を浮かべているし、西住流はみんな鉄面皮ではなかったのか、と言いそうになった。
だって、こんなにも華やいだ笑顔、2か月も一緒に暮らしているが、西住は一度だってしたことがない。
もっとも、そんな西住を見つけたら、真っ先に頭の病気を疑うか、次に誰かの変装を疑うだろうが。
呆けていると、とん、と軽く左腕の肘のあたりをつつかれた。
西住が、肘をぶつけてきたようだ。
はっ、と挨拶を忘れていることに気がついた。
「あ、あの、おじゃましますっ!」
若干、声が上ずったのが分かった。
完全に呑まれている。
普段は、あまり緊張する方ではないのだが、5日も前から楽しみにしていたせいだろうか。それとも、西住の名前に臆したのだろうか。或いは、ベンツなんて高級車に乗ったせいかもしれない(ちなみに、普段乗りまわしている戦車の方が、よほど高価なことには気づいていない)。
すると、西住が隣で、涼しい顔をして、ただいま、と言った。
「うん。おかえりっ」
西住が、靴を脱いで式台に上がろうとしたところで、機先を制するように少女が靴下のまま土間に下りてくる。
そして、そのまま西住に抱き着いた。
西住が目を丸くした。
「ね、姉さんっ!?」
「ああ、久しぶりのまほちゃんだよぉ」
ぎゅーっと、西住のことを強く抱きしめる少女。
気のせいでなければ、すんすんと西住の匂いを嗅いでいるような仕草が見えた。
…随分と個性的な家族間コミュニケーションね!
私には、目を逸らすことしかできなかった。
おかげさまで私はというと、完全に置いてけぼりになった。ただでさえアウェーだというのに、ふたりのその様子を、じとーっと見つめていることしかできない。そして、それを喜ぶような趣味もなかった。
まさか、ふたりを放って、勝手に上がるわけにもいかないし。
それにしても、西住の慌てた顔なんて初めて見たわね。
こいつにも、人並みの表情筋はあったということかしら。
自分でも失礼なことを考えているな、という自覚はあった。
やがて、抱きつかれてされるがままになっている西住が、ぽんぽんと少女の体を優しく叩いた。退いてほしいという合図だ。
「姉さん。その、学友が見ていますから」
「おっと。そうだった」
ばっ、と勢いよく西住を離したかと思うと、くるりと私の方へ体ごと振り向いた。
心なし、その顔は先ほどよりもつやつやしているように見える。
一方で、ようやく解放された西住は、安堵するような表情になっていた。いそいそと、乱れた衣服を直している。
調子が狂うというか、なんというか。挨拶ひとつにこんなに苦慮したことはなかったと思う。だからと言って、気は抜けないのだが。
「えっと、にしっ、……まほさんの、ええと、戦車道のチームメイトの逸見エリカです。はじめまして。よろしくお願いします」
まさか、お姉さんの前で苗字で呼ぶのも変だし、かと言って、名前で呼ぶのは慣れていなかった。それに、私と西住の関係性を友人と括るのは、なんだか気恥ずかしい気持ちだったのだ。だから、咄嗟にチームメイトと誤魔化した。いや、嘘ではないのだから、誤魔化すも何もないのだけど。
横目で西住のことをちらりと見る。少しばかり落ち込んでいるようにも見えた。
「はい、ご親切にどうも。まほちゃんの姉の、西住みほです。……へえ、まほちゃんが友達を連れてくるって言うから、珍しいなぁって思ったけど。…へぇ」
すすす、とみほさんが近づいてきた。
目を細めながら、私のことをじぃ、っと観察しているのだと分かる。
後ろ手に組みながら、上半身を左右に揺らしたり、腰を折り曲げるようにして、私のことを下から覗き込んだりした。そんな、下から見上げようとする視線とぶつかった。
みほさんが、へにゃ、と破顔した。
「な、なんでしょうか?」
「ふふふ。そんな硬くならないで。畏まらないでいいよ。もっと普通に接して、ね?」
「え、ええと。はい」
無理だ。無茶だ。めちゃくちゃだ。観察されるような視線にさらされて、自然体でいろというのは不可能だ。
なんというか、これまで接したことのないタイプのような気がする。
西住の姉ということだから、最初はもっと寡黙で、取っつきづらい感じをイメージしていたのだが、全然そんなことはなかった。雑誌で見る西住師範のイメージともそぐわない。いや、これはこれで取っつきづらいことには変わりないか。
印象としては、距離感の掴みにくい人、だ。遠いのに、近い。近いのに、遠い。
「ああ、それでね。エリカちゃん。あ、エリカちゃんって呼ばせてもらうね。エリカちゃんは、その、ずいぶんと大人っぽい格好をするんだなぁ、と」
みほさんは、一通り私の観察をして満足したのか、2歩ほど後ろに下がって、すっと姿勢を正した。
そんな彼女の放った言葉に、私はさぁ、と青ざめた。
「に、似合いませんか!?」
流石に西住流の本家にお邪魔するというのに、学校の制服というわけにもいかないし、ましてやジャージとか着古した普段着というわけにもいかない。だから、タンスに眠っていたおしゃれ着(少し背伸びをして買った)を着てきたのだが、似合っていなかっただろうか。
すると、みほさんが何か楽しいことがあったみたいに声をあげて笑いだした。
「あははっ。そんなことはないよ。とっても似合ってるし、ほら、私じゃあそういうのは似合わないから、羨ましくって。でも、そうだね。エリカちゃんは、
白いドレスとか。いたずらっぽい笑みを浮かべながら、みほさんはそんなことを言った。
ちなみに、西住の服装は、いつもの部屋着と一緒だった。
しまむらだった。
「さ、あがってあがって」
たん、と軽快な動きでみほさんが式台の上にあがった。
すると、西住が小さな声で「靴下」と呟いた。
「あ、そうか。靴下のまま降りちゃったね。失敗失敗」
みほさんは、てへ、とかわいらしく舌を出し、その場にしゃがんだかと思うと、よいしょ、と靴下を脱ぎ捨てた。それを拾い上げて、廊下の先に歩いていく。
「じゃあ、ちょっとお手伝いさんに汚しちゃった靴下を預けてくるから。まほちゃんは、エリカちゃんをわたしの部屋に案内しておいてくれる?」
「え、いいんですか?その、師範にご挨拶とか」
みほさんの発言に私は、おや、と驚いた。
折角のお呼ばれだし、このあと西住流の演習も見させてもらうのだ。手土産まで用意するのは、中学生にしてはやりすぎだと思ったので止めたけれど(そんな高価なものも用意できないし)、せめて挨拶くらいはしておくべきじゃないかと思った。
しかし、予想に反してみほさんは、そんなのいいよ、と言った。
「どうせ『あの人』は、戦車道以外に興味なんてないんだし。菊代さんに言ってあるんだから大丈夫だって。あ、たぶんあとで菊代さんがお茶とか持ってきてくれると思うから、そのときは挨拶してくれると嬉しいな」
「そ、それは勿論ですっ」
「そ。菊代さんは、家政婦さんだけど、わたしたちもすごいお世話になった人だから。まほちゃんにお友達ができたって聞いて、とっても嬉しそうにしてたらしいよ」
「あ、ははは。メールも見たので、それは」
全文を読んだわけではないが、すごい喜びようの伝わってくる文章だった。大切に思っている相手でなければ、あんな文章にはならない。ともすれば、実の親子のようなやり取りである。一方的に慕っているとか、お世話になっているというだけの関係でないのは確かだ。
それにしても、みほさん。実の母親のことは、「あの人」だなんて他人行儀な呼び方をするけれど、仲があまりよろしくないのだろうか。……あれかしら。反抗期。中学生だし。
「ところで今日、お父さんは」
唐突に、西住が聞いた。
なんだか、そわそわしているようにも見える。
みほさんが、ああ、と何かに気づいた様子を見せた。
「先に演習場に行ってるんじゃないかな?」
「演習場、ですか?」
「うん。このあと、お昼くらいかな?演習するから。エリカちゃんも、それを見に来たんでしょう?」
「ええと、そうですけど。でも、なんでお父様が演習場に?」
演習を観戦するというなら、移動するのが早すぎる。肝心の選手は、まだ普段着で家にいるというのに。
すると、西住が少しだけ嬉しそうな口調で答えた。
「お父さんは、整備士なんだ」
へえ、整備士。はじめて知った。
しかし、なるほど。ということは、先に整備をしているのね。
整備をするなら、それは当然試合や、演習の前でなくてはいけないだろう。整備不良で万一のことがあったら大変だ。
娘の乗る戦車である。きっと入念に整備をしていることだろう。
それにしても、師範の旦那様が整備士というのも、なんだかなぁ、と思わなくもない。いや、整備士を軽んじるつもりは当然ないのだけれど。ただ、偉い人の旦那様なのだから、もっとこう、偉い役職についていて欲しいと思ったりもするのだ。裏方として支えるのも、それはそれで素敵かもしれないが。
ところで、隣でうきうきとした様子になった西住は一体どういうことだろうか。
「……嬉しそうね。西住」
「あはは。まほちゃんは、お父さんのことが大好きだから」
西住は、こくりとうなずいた。
私は、それに目を丸くして驚いた。
「姉さんは羨ましいです。いつもお父さんの整備する戦車に乗れて」
西住が、不満そうな口調を隠さずに言った。
「まほちゃんだって、まったく機会がないわけじゃないでしょう?たまに西住の訓練に交ぜてもらうこともあるじゃない」
「たまにじゃないですか。姉さんみたいに、毎回帰ってこれるわけでもありませんし」
「だって、黒森峰の練習って、土日もやることが多いんでしょ?サボったりしてもいいの?」
「…お父さんが黒森峰にいてくれればいいのに」
「もう、無理なことを言わないの。ほら、お客さんを立たせっぱなしにしてるよ。お部屋に案内して」
すると、ようやく私がいたことを思い出したようで、焦った様子で私の方を振り返った。
「す、すまない…」
「…いや、いいけど」
こんなに表情を変えて喋る西住を見たのは初めてだった。
ファザコンって、実在したのね…。
まるで普通の中学生のようだった。
ちなみに、みほさんの部屋は、腕や頭に包帯を巻いたりした奇妙なクマのぬいぐるみが転がっていること以外は、かわいらしい小物があったり、暖かい色の家具やカーテンで飾られた、普通の女子中学生って感じの部屋だった。私物の少ない西住とは大違いである。
いや、私も人のことを言えないか。
自分の部屋を思い返せば、飾っているのは、書籍ばかりである。それも、歴史書だったり、戦術書だったり、戦車道に関わるものばかりだった。他には、戦車の模型くらいなものである。年頃の女の子として、いったいどうしてこうなった、と母親が見たら嘆きそうな部屋になっていた。いや、実家に戻れば、可愛らしいぬいぐるみを飾っていたりはするのだけど。
ほどなくして、みほさんが部屋に戻ってきた。
「あれ?何でエリカちゃんは立ってるの?」
「え、ええと、どこに座ればいいかわからなくて」
「あはは。どこでもいいよ。あ、クッションあるよ。使って」
「あ、ありがとうございます」
淡いピンク色のクッションを受け取り、床に置く。意を決して、その上に座った。
どうにも落ち着かなくて、私は部屋を見回す。
やはり、奇妙なぬいぐるみが視界に入るのが気になった。
「どうかした?」
対面になるように、みほさんは、ベッドの上に腰かけた。
ちなみに、西住は一度自分の部屋に物を置いてくるからと席を外している。
おかげで私は、所在なさげに立ち尽くすしかできなかったのだが。
まさか、
「え、ええと。意外に、その、戦車道関連のものがないんだなぁ、と」
少し苦しいかと思ったが、全くの誤魔化しでもない。気になったというのは本当だった。
勝手なイメージだが、西住流の後取りと聞いたときには、もっと日常まで戦車道一色って感じなのだろうな、と想像していた。しかし、実際のところ、みほさんの部屋には、それらしいものは何も見つからない。辛うじて、学習机に積まれた冊子の束くらいなものだった。
すると、みほさんは困ったような表情になった。
「ああ、うん。部屋には、できるだけ持ち込まないようにしてるんだ。戦車とプライベートは分けたいから」
そう言って、みほさんは笑顔をつくろうとする。あれ?と思った。
「みほさんは…」
「ん、なぁに?」
「…あ、いえ」
私は、慌てて言葉を止めた。余計なことを言ってしまいそうだったから。こんなところで、爆弾を放り込むような趣味はない。
「にしっ、…妹さんと、仲がよさそうですよね」
苦し紛れに、そんなことを聞いた。
すると、途端にみほさんは表情を明るくして、そうなの!と声を踊らせた。
「でも、学校だと学年は違うし、なにより学科が違うから、全然会えなくって。本当は、今日だってとっても久しぶりなくらいなんだよ。あーあ。午後の演習なんてなくなっちゃえばいいのに…。そうしたら、一日まほちゃんと遊べるんだけどなぁ」
「あ、あはは…」
表情筋がひきつりを起こしそうだった。
これを言ったのが、(ありえないとは思うが)西住だったり、他の同級生だったりしたら、きっと私は、「はぁ?」と言葉を漏らしたに違いなかった。
「まぁ、無理なことを言っても仕方ないし。それに、折角エリカちゃんが遊びにきてくれたからね。午後の演習は、ちょっといいところを見せちゃおうかな」
みほさんは笑って、惚れないでよー、なんて軽口を言った。
その笑顔には、嘘が見えなかったので、私はすこしだけ安心する。
私の想像は、先走りもいいところで、どうやら間違っているようだった。
だって、戦車が嫌いなんですか?なんて。
いくら想像にしたって、『西住』に対して、失礼が過ぎるというものだ。
「だから今日は、学校でのまほちゃんのこと、いっぱい教えてねっ」
満面の笑みでそう言った。
どれだけ妹が好きなんだ、この人。
8.
ごぉん、と空気が震えた。
距離はあるはずだが、やはり重戦車の砲撃音は、よく響く。
着弾した砲弾は、しかし、戦車には当たらずに、豪快に地面の土を巻き上げた。
「さて、エリカ。黒森峰と言えば、西住流の影響がとても強いことは言うまでもない。これは、黒森峰の黄金時代を作ったのが、西住流の人間だったから、ということもあるのだが」
「というか、西住師範のことよね。それ。あなたたちのお母さん」
「うん、まぁ、その通りだ」
西住流の演習を見学していると、突如として、西住が解説役のようなことを言い出した。
黒森峰が西住流の影響を受けていることなんて、私も戦車道チームの一員なのだから、身をもってよく知っている。門下生も少なくないのだし。
あるいは、らしくもなく、母親の自慢がしたかったのかもしれなかった。だとしたら、可愛いところもあるやつだ、と見直すところなのだが。
「それでは、エリカ。黒森峰の得意とする戦術はなんだろう」
「そりゃあ、重厚な装甲を持った戦車に隊列を組ませて、行軍させての
「そうだ。尤も、あれも速度の違う戦車で隊列を乱さずに行軍する必要があるから、一朝一夕でできるようなものではないがな。中等部の私たちでは、まだまだ訓練が足りていない」
「その点、流石は西住流ね。高台から眺めても、一糸の乱れもないとはこのことだわ」
私たちは、西住流の演習を高台から見下ろすような形で観戦していた。
西住流の門下生が、二つの部隊に分かれて、それぞれ10両ほどの車両で隊列を組んで向かい合っている。一方の指揮は、みほさんだった。
眼下で、みほさんの指揮する戦車たちが綺麗な三角の陣形で行進している。互いの感覚がぴっちりと合っていて、まったくズレが見られない。心の底から見惚れた。
さて、パンツァーカイルとは、第二次世界大戦中の東部戦線においてドイツ軍が生み出した装甲戦術のことである。
戦車の隊列には、大別して3つのバリエーションがあり、それぞれ一列縦隊、一列横隊、傘型隊形に分けられるが、パンツァーカイルは、そのなかでも傘型隊形の発展型とでも言えばよいだろうか。前方に重装甲の戦車を走らせ、その後ろにおよそ三角形を維持するように隊列を組ませる攻撃的な陣形である。これは、一列縦隊や一列横隊のような隊列にくらべると、前述した通り、前方にも側面にも十分な火力を発揮することができる。さらに、装甲の厚い戦車が盾になることで、装甲の薄い戦車を安全に運用できるという利点も持ち合わせている大変優秀な陣形だ。
もっとも、これを運用しようと思ったら、決して簡単なことではない。
何故なら、戦車を動かしている操縦手の視界は前方にしか広がっていない。それも、小さなのぞき窓か潜望鏡が精々だ。斜め前を走る戦車なら辛うじて、それより前の戦車はもはや見えないだろうし、隣や後ろの戦車は当然見えるはずもない。それでいて、スペックの違う戦車が隊列を組んでいるのだ。走る速度だって違う。それを、操縦手たちは全くの勘で合わせているのだ。
どれほどの訓練を積めば、あれほどの隊列が組めるようになるのだろうか。見当もつかない。
「さて、エリカ」
西住が、私に呼びかける。
私は、視線を上げて、西住を見た。
「姉は、戦車道の天才だ、と前に言ったな。姉は、主に車長を務める。類いまれな戦術眼を持っていることは、間違いない。ただ、姉は、他にも恐るべき資質として、教導の才能があるんだ」
「教導の才能?」
「姉が指揮している部隊、あれのほとんどは、姉が
「…は?」
西住の言葉に、思わず私は苦笑いを浮かべて、嘘でしょ、と言った。
すると、西住は表情を変えることなく平然と、嘘じゃない、と返した。
「事実だとも。通常、戦車を動かして、止まった的に当てられるようになるまで、半年から一年かかると言われている。戦場で動かそうとすれば、さらに1年。隊列を組もうと思えば、そこからさらに年単位の習熟が必要になるだろう。それを、姉は僅かに1年であそこまでにしてみせた。驚くぞ。あれの乗員は、ほとんどが私たちよりも年下だ。その手腕を、驚異的と言わずして、なんと言う?」
西住が小さく笑った。
開いた口が塞がらないとはこのことだ。
だって、黒森峰で2年以上厳しい訓練に耐えてきた先輩方でさえ、これほどの隊列は作ることができないだろう。もっと歪で、ずっとぎこちない。いや、さらにいえば、彼女らの経験値は2年どころではない。戦車道の最高峰、黒森峰に入学できるほどの人材が、さらに黒森峰での2年の訓練を経て、尚劣るように映るのだ。
「それに。驚くのはまだ早い。
西住が、脅すような口調で言った。
「今度は、何よ」
「見ていれば分かる。」
「見ていればって…」
随分と、勿体つけたような言い方をする。しかし、今日の西住はいやに饒舌だ。普段の西住は、こんなんだったかしら?
「さて、エリカ。黒森峰の戦術を、重戦車による長距離からの火力戦だと言ったな。それは、確かにその通りだ。装甲が厚く、火力のある戦車を、高い練度でもって運用する。全く王道で、正道であるように思える。だがな、エリカ。それは、相手よりも装甲と火力、練度の全てで勝ることが前提の戦術だ。その前提のうち、どれかひとつでも崩れれば、常勝の戦術ではなくなってしまう」
「でも、黒森峰は常勝。そうでしょう?」
全国に戦車道の盛んな学校はいくつかあるし、特に高校戦車道で有力なチームは、4強などと言ったりもする。サンダース大付属、聖グロリアーナ、プラウダ、そして、黒森峰だ。しかし、実績からして、黒森峰がその中でも抜きんでているというのは、自他ともに認めるところである。実際、ここ数年の黒森峰は、練習試合を含めてすら無敗を誇る。
「それは、同じ中学生や高校生が相手なら、余程のことがない限り負けないだろう。大戦後期のドイツ戦車の性能は、頭ひとつ抜けている。そして、練度で言えば、戦車道にかけている時間が違うんだ。負ける要素のほうが少ないだろう。それじゃあ、エリカ。もし、相手が同じだけの戦力を用意できたらどうだろう。同じくらいの時間を、戦車道にかけてきたらどうなるだろうか」
「それは…」
果たして、あり得るのだろうか。
いや、戦車の質というだけなら、プラウダが怖い。なにせ、プラウダが主力にしているソ連製の戦車は完成度が高い。例えば、T-34/85などは、火力、装甲、機動力、どれをとっても非の打ちどころがない、バランスのとれた大戦を代表する名戦車である。そのうえ3名砲塔だ。しかし、練度という点で言えば、黒森峰には及ばない。これは、単純に訓練に割ける時間の差だと思うが、それが、例えば克服されたらどうだろうか。
あるいは、聖グロリアーナがなりふり構わずに伝統を投げ捨てて、ブラックプリンスやらセンチュリオンやらを導入してきたらどうだろうか。いずれも、ティーガーの装甲すら抜くほどの火力を持っている。練度こそ高いが、火力に問題を抱えていた聖グロリアーナだ。それが克服されるだけで、黒森峰の戦い方では途端に勝つのが難しくなる。
私は、嫌な想像にぶるりと身を震わせた。
「西住流は、違うっていうの?」
「言っただろう。見ていれば分かる。さあ、動くぞ。これが、西住流だ。ここからが、本当の西住流だ」
すると、がぁん、と轟音が鳴った。
私は、音に釣られるようにして、急いで戦場へと視線を戻した。
そこから、演習が終わるまでの間、私は戦場から目を離すことはなかった。
いや、
轟音をきっかけに、あれほど美しかった隊形を自ら崩し、戦車がちりぢりにちぎれていく。
右へ、左へ、前へ。上から見ていると良く分かる。それは、まるでアメーバのように無節操に広がっていった。
相手を包囲しようと言うのか。しかし、それにしては左右へ展開する車輛の数が少なすぎる。
側面に比較的足の速い戦車が回り込んだ。大きく迂回するようにして、だ。
進行方向、右側に回り込んだ車輛が、一発、二発と敵の本隊に向けて砲撃をした。
当然ながら、そんなもので崩れるような西住流ではない。いくつかの戦車が、砲塔をぎぎぎと動かして、砲撃をした戦車の方を向いた。
すると、違う方向から別の戦車が砲撃を加えた。
砲撃を受けた側面の戦車らが、砲撃をした戦車の方へ砲塔を向けた。
側面に回り込んだ戦車は走った。
適度に撃ちつつ、後ろへ、後ろへ。敵の背後に回るように。本隊と挟撃の形を狙っているのか。
すると、
綺麗だった隊列が、みほさんと相対していた部隊の戦列が歪んだ。
指揮する戦車を中心に、まったく乱れなく進んでいたはずの群体が、たった2両の戦車に翻弄されていた。
当初は、互いに距離を取って撃ちあうものと思っていた。開けた草原だ。障害物もない。そして、重戦車同士の戦いだ。時間がかかるだろうと思っていた。膠着状態が生まれるだろうと、そう思った。
しかし、終わってみれば、重戦車と言っても、あっけのないものだった。
まるで、鎧の隙間にスピアを突き刺すように、みほさんの部隊は、中央をこじ開けて相手の指揮車輛に向かって一気呵成に突撃した。
「グデーリアンは言った。『厚い皮膚より早い足』と」
「電撃戦…っ」
西住が引用した台詞は、聞いた覚えのあるものだった。
ハインツ・グデーリアン。第二次世界大戦におけるドイツの名将軍だ。戦車を見事に運用し、ポーランド軍とフランス軍に大勝利を収めてみせたことから、「ドイツ機甲部隊の父」とまで呼ばれた機甲戦術のパイオニアである。
そして、私が驚きとともに口にした「電撃戦」こそが、グデーリアンの得意とした戦術だった。
その戦術は、当時としては画期的、いや、革新的だったとも言われている。
もっとも、ソ連のT-34戦車が登場するまでの話であるが。
「協調した事前砲撃で敵を撹乱し、強力な敵には囮部隊をぶつけて、快速部隊が側面を気にすることなく、一気呵成に敵の弱所を食い破り指揮車輌を撃滅する。いわゆる、浸透突破戦術こそが西住流の本来の戦い方だ」
「なるほど。それが本当の……。けれどおかしいわ。だったら、何故、
だって、おかしいじゃないか。
黒森峰の戦術は、西住流のそれだ。黒森峰の黄金時代を作った彼女から、脈々と受け継がれているはずでしょう?
すると、西住はふるふると力なく首を横に振った。
「できないからだ。いいや、
「それは、どうして?」
「教えることができないからだ」
それは、事実を淡々と述べるような口調だった。
「本来の西住流には、戦術に適した車輌だけでなく、優秀な隊員。それも、小隊の指揮を任せられるような人員が複数必要だ。つまりは、個々の判断。自らが、一人一人が部隊の脳になれなければいけないが、黒森峰はとかくそれが苦手だ。そういった、臨機応変な判断力。それを育成することは、学生の身ではほとんど不可能に近かった」
「なるほど、それは、難しいわね」
何故ならば、黒森峰は上下の意識が強い。それも、学生としては異様なまでに。まるで、軍隊の如しだ。それは、良い面で言えば、絶対の規律を生むし、部隊としての連携には非常に適した性質だといえる。しかし、黒森峰の生徒の多くは、生真面目で、融通がきかない。柔軟性に欠けるというのは、自覚のしているところだった。ましてや、上位者に逆らうとか、勝手に行動するなんて思考が、そもそも醸成されにくい環境である。極論、悪く言ってしまえば、戦術を隊長や副隊長に投げ出して、思考を放棄してしまっているのだ。
「
西住が言った。
「だけどそれは」
「そうだ。黒森峰では難しい。いや、どの学校でも難しいだろう。相当にうまくやらなければ、言うことの聞かない烏合の衆ができあがるだけだからな」
本来、部隊としての行動は、逐次指揮官の命令に応答することで実行されなければならない。そうでなくては、一つの目標に向かって動くことが難しいからだ。
しかし、戦場が広域であればあるほど、部隊が大きくなればなるほどに、戦場の複雑さは指数関数的に増していく。それはもはや、一人の指揮官では分析が追い付かないほどに、だ。指示が止まっては、現場は動けない。そのたびに、一々指揮官にお伺いを立てていては、戦いにならなかった。
結果、ドイツで生まれたのが、『訓令戦術』である。
つまり、現場の指揮官に独自に判断する裁量を与えたのだった。
しかし、それは諸刃の剣である。
「聞かされたら。…いいえ。実際に見せられたら、納得するしかないわね。なるほど。これが、西住流の後継者」
ぽつりと言葉が漏れる。
それほどに、感嘆するしかなかった。
西住が、天才であると言ったのが理解できた。決して、家族贔屓の発言ではなかったのだ。
教導の天才。
明確に、
しかし、西住は首を振った。
「いいや。それじゃあ、姉に対しての理解としては、まだ足りない。まだまだ足りない」
「はぁ?」
これ以上何があるというのだ。
既に十分だ。十二分だ。
学生の身で、訓令戦術を実用的なレベルで運用する。その手腕は、まさしく天才のそれである。
しかし、西住は、それは本質ではないと語った。
「もうすっかり西住流しかやらなくなったけれど、もともと姉は、西住流をやる人ではなかった」
耳が遠くなったのだ。そう思った。
「ちょ、ちょっと待ちなさい。西住流の娘が、西住流をしない?じゃあ、何をやるっていうの!それを、誰が教えたっていうのよ!?」
「
西住が、見たこともないような顔で笑った。
「本当の意味で、あの人に戦車道を教えられた人はいないんだ。あの人は、誰に教わるでもなく、自分で自分の戦車道を見つけた。見つけてしまった。見つけられてしまった。だから、あの人は天才なんだ。分かるか?エリカ。
素直に、怖い、と思った。
自分の身に置き換えたとき、恐ろしいと思った。
だって、親から、周囲から、『西住みほの妹』であると比較され続けるのだ。
それは、どんな拷問だ。
逃げ出したくなるほどに、恐ろしい。
だけど、ひとつ。
唐突に私は理解した。
西住まほは、そんな彼女を尊敬している。
凄いだろう?と自慢しているのだ。
私に自慢しているのだ。
つまりこいつは、諦めたのだ。
目標とは、達成の見込めるものでなくてはならない。そうでなければ、人は走り続けることもできない。達成しようとあがくことができない。
しかし、同時に、達成ができると分かるものであってはならない。
できるかもしれないという、未知が大事なのだ。
悪魔染みた予測が、あらゆる物事を可能か不可能かに分類できてしまうのだ。
楽しいはずがない。やる気の生まれるはずがない。
そして何より、あいつの悪魔染みた予測は、西住みほに対して、無慈悲にも勝ち目がないという計算の結果をはじきだしたのだ。
だから、あいつは、頑張ることを止めたのだ。
張り合うことを止めたのだ。
自分は天才でないと嘯いて、一人でステージを降りたのだ。
「そっか」
西住まほには、目標がない。
だから、こんなにもぼんやりとしている。
何ができても嬉しくないし、楽しくない。
何かに興味を持つこともない。
きっと、戦車道をやっているのも、自分の意思ではないのだ。
親がやっているから。姉がやっているから。そういう家だから。
それが、わけもなく悲しかった。
「あんた、お姉さんが好きなのね」
「勿論だとも。尊敬している」
この女は、私に言った。
自分と比べるな、と。
まるで、
それが、気に入らなかった。
「私は嫌いよ。あんたが嫌い」
気が付くと、私は椅子から立ち上がっていた。
そんな私を見上げて、西住は目を丸くして驚いていた。
「勝とうとしないから嫌い。誰のことも嫌いじゃないから嫌い。よく分かった。よぉく分かった。どうしてこんなにもあんたのことが気にくわないのか、ようやく分かったわ。あんたは誰も見ていない。誰のことも見ていない。お姉さんのことだって、見ていない」
こいつの世界は、徹底的に閉じている。
何もかもを分かった気になって、勝手に諦めている。目をそらしている。
必要なんだ。誰かが。
こいつの悪魔染みた予測を覆してくれる誰かが。
それは、西住みほではダメなのだ。
「私を見なさい、西住まほ。私は、あんたを超える。あんたに勝ってみせる。これまで、一度だってあんたに勝ったことはないけれど。それでも、絶対、私はあんたに勝つわ。いつか必ず、あんたに勝つわ。あんたが嫌になるくらい勝負を挑むわ。絶対に、絶対に。私はあんたを諦めない」
その日から、私の目標は、西住まほを負かすことになった。
天才には、逆立ちしたってなれやしないけれど。
「…お手柔らかに頼む」
「それは、無茶な相談ね」
ごぉん、と一際大きな音が鳴る。
フラッグ車から白旗があがったらしかった。
私の、長い長い戦いがはじまった。
次回、高等部編。
逸見エリカ大勝利!希望の未来へレディ・ゴーッ!!
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視点、逸見エリカ_後編の後編
9.
それから毎日のように、私は西住に勝負を挑んだ。
西住は戦車長だったから、私も戦車長になれるよう努力した。
挑んで、挑んで、挑んで。そして、負けた。ひたすらに負け続けた。
そうして、私の連敗記録が3桁に届こうかという頃、機甲科の3年生にひとりの生徒が編入した。
それだけでもかなりの異例なことであったが、さらに異例だったのは、その生徒が西住まほの姉で、しかも、いきなり戦車道チームの隊長に就任したことだった。
当然のように不満が噴出した。
しかし、それも長くは続かなかった。
ひとつは、彼女がとても魅力的な人物で、そのうえ気安い性格だったためである。それは、お堅い気風のある黒森峰では、特に新鮮に感じられた。
彼女は、できる限り多くの隊員と会話するように努めた。それは、訓練の合間だったり、訓練が終わったあとだったり、日中の休み時間にも積極的に話しかけた。
その内容は、多岐にわたる。戦車道の話だったり、かと思えば、好きな食べ物の話、趣味の話、おしゃれの話。日常の悩みごとを聞き出したこともあった。とにかく、どんな詰まらないことでもいいからと、隊員と話をするきっかけを作っていたようだった。それも、レギュラーであるか、そうでないかを問わずに、だ。
おかげで、
そして、それは、私も例外ではなかった。
私は、はじめから彼女の戦車道の腕前を知っていたこともあって、しつこいくらいに戦車についての相談をした。どうすれば上手く戦車を動かせるようになるか。戦車長の心得とは如何なるものか。そんなことを聞きたがった。
しかし、彼女は、一度も嫌な顔をせず、懇切丁寧に教えてくれた。本当に理想的な先輩だったのである。
嫌う理由はなかった。
そして、もうひとつ。彼女の隊長就任に際して、不満がすぐに止んだ理由があった。
それは、単純に彼女が強かったからである。
西住流の娘として、西住まほが優秀な戦車乗りであることは、この頃にはすべての隊員の共通認識だった。いや、相も変わらず、本人だけはそれを否定したが。
ともかく、西住みほが、彼女の姉であると名乗ったことと、西住まほが、姉を尊敬しているという様子で接しているのを見て、誰もが内心で高い高いハードルを設定したことは想像に難くない。そんな先入観をもって、戦車道チームの隊員たちは、彼女を受け入れたのだった。
しかし、そんな理不尽な
彼女が隊長に就任しての、はじめての対外試合でのことだ。試合の形式はフラッグ戦だったが、彼女は事前のミーティングで、相手を
誰もが、本当にこの優しい隊長が言い放った言葉なのだろうかと、不思議に思って困惑した。
おずおずと、一人の隊員が手を挙げて、それは本気か、と尋ねると、彼女は黙って、にこりと笑った。それは、隊員たちの相談を聞いている時と同じ笑顔だった。
結果、相手に一度として
当然のように、中学の大会は、黒森峰が優勝した。
それから、みほさんが高等部に進学すると、西住まほが中等部の隊長に選ばれ、副隊長には私が選ばれた。
チーム内の雰囲気は、みほさんが隊長だったころに比べると随分と静かというか、元の黒森峰のものに戻った。それを後輩たちは不満に思ったらしいが、私と西住ではどうにもできなかった。それは、能力的にもそうだが、何より性格的に難しかった。ただ、赤星がそういった不満を受け止めて、対処してくれたことには、本当に助けられたと思っている。彼女には、感謝してもしきれない。功労者を一人選ぶなら、私は彼女を選ぶだろう。しかし、3人もいて、ようやくみほさん1人分かと思うと、不甲斐ないという気持ちでいっぱいになった。
中等部最後の大会も、危なげなく優勝することができた。
ただ、結局中等部の間に、私が西住に勝つということはできなかった。数えるのも億劫になるほど敗北を重ねていた。
「私が、今度の大会に?」
突然の呼び出しだった。
にこにこと
私は、高等部に進学していた。
「わたしが推薦しました。エリカちゃんは、とても優秀な戦車長だから。それは、中等部の時から思っていたことだけど、最近は特に。あれかな。まほちゃんと競ってるのがいいのかな」
どうやら、私が西住のことを強く意識していることは、彼女の目にはお見通しらしかった。
もっとも、中等部の時にも、何度か相談に乗ってもらったことがあるのだから、勘づかれていてもおかしくない。西住のことを話題に出した覚えもある。
「むしろ、気づいていない子の方が少ないと思うけどね。それで、どうかな。やってくれるかな?」
「勿論です。こんな光栄なこと、断ったりしませんよ。ところで、乗員は決まっているのでしょうか」
「ううん。エリカちゃんが決めていいよ。戦車は、3号戦車のJ型。だから、乗員はエリカちゃんを除くと4人だね。候補は、すぐに決められる?」
西住隊長が、こてん、と首を横に倒して尋ねた。
そういえば、西住もこんな仕草をするなぁ、と場違いにも姉妹らしいところを見つけて、少しだけ面白くなった。
それはともかくとして、乗員の話だ。
3号戦車は、3人砲塔の扱いやすい中戦車である。普段の訓練でもよく使っているし、乗員は、いつも組んでいる4人でいいだろう。試合に出られない先輩方には悪いが、やはり同じ戦車に乗ることを考えると、組むのは慣れた相手の方がいい。技量は上でも、先輩に指示を出すのはやりづらいだろうし。
「前期型ですか?」
「60口径だから、いわゆる後期型だね」
「そうですか」
うーん、個人的には、前期型の方が訓練で使っているから慣れているのだけど。まぁ、違うのは口径の長さだけなので、大した違いではないか。砲手の子に言っておくだけでいいだろう。
「その、ところで」
「うん?」
「西住、じゃなくて、あいつは」
「ああ、まほちゃん?今回は、まほちゃんにはフラッグ車をお願いしようかな、って」
「フラッグ車、ですか?」
意外な人選と言えば、意外な人選だった。
てっきり、フラッグ車は隊長の戦車が務めるものだとばかり思っていたのだけど。
なぜならば、高校の戦車道大会は、ほとんどの場合でフラッグ戦のルールが適用される。つまり、フラッグ車が撃破されれば、他にどれだけ車輌が残っていようと負けになるのだ。だから、フラッグ車は大抵、安全な後方(もしくは、主戦場から離れた場所)で部隊全体に指示を出す役目に徹するのがセオリーである。
勿論、セオリーというだけで、そうしなければならないという決まりはないのだが。例えば、知波単学園なんかは、フラッグ車だろうとおかまいなしに突撃してくる。
「わたしがやってもいいんだけどね。けど、個人的には前線で指示する方が性に合ってるから。だから、ね。まほちゃんのこと、お願いね」
西住隊長が、ウィンクをする。
断る理由はなかった。
1回戦、2回戦、準決勝。
いずれも特筆するようなことはなかった。
順当に勝ち上がった。それだけである。
強いて挙げるなら、やはり西住隊長の指揮は凄い、ということぐらいだ。まるで相手の心が読めているんじゃないかと思うくらい的確な指示を出す。
もっとも、私はフラッグ車の護衛が役割なので、それほど戦闘に参加したという感覚はないのだけれども。唯一フラッグ車に近づくことができたのは、聖グロリアーナだけだった。それも一輌だけである。
しかも、西住の乗るフラッグ車は、ティーガーⅠだ。車体前面装甲100mm、側面でさえ80mmの重装甲戦車である。75mm砲搭載のシャーマンでさえ、前面装甲はゼロ距離でも抜くことが出来ず、側面を抜くためにも300m以内に近づかなければいけなかったという記録が残っているほどだ。精々が6ポンド砲(57mm砲)止まりの聖グロリアーナの保有戦車では言わずもがなである。待ち伏せか、包囲でもされない限りは安全だ。
しかし、決勝。プラウダ高校が相手では、そうもいかないだろう。
プラウダは、隊員の練度が低いくせに行進間射撃(戦車を走行させながら射撃すること。FCSのない戦車では大きく命中率が下がる代わりに被弾率が下がる)にこだわる学校であるが、保有する戦車の多くは、ティーガーの装甲でも防ぎきれないほど強力な砲を搭載している。万一ということもありうるだろう。特に、今年のプラウダには腕のいい砲手がいるという噂である。射撃精度だけが難点のプラウダだったが、油断はできない。
試合当日。天気は大雨だった。
隊員たちの表情は、先輩方も含めてみな鎮痛というか、重々しい表情であった。無理もない。今日の試合に勝てば10連覇という途方もない大記録が達成されるのだ。かかるプレッシャーも一入である。
もっとも、9連覇という時点で史上初の記録に違いはないし、そんなに重く受け止める必要はないんじゃないかとも思うが、そこはやはり、10という数字はなんとなく区切りがいいし、大きなことを達成したという風にも感じる。そのため、世間の期待も大きかった。
唐突に、ぱんぱん、と西住隊長が手を叩いた。
試合直前のブリーフィングでのことである。
「どうしたんですか皆さん。顔がいつも以上に強張ってますよ」
「あ、いや。緊張してしまって」
2年生の一人が答えた。周りも同調するように頷いたり、あるいは、隊長と目を合わせないように視線を逸らしたりした。
すると、西住隊長は、首をかしげて質問した。
「緊張、ですか。それは何故?」
全く分からない。そんな口調であった。
「え、だって、10連覇ですよ。10連覇。負けたりしたら、どうなるんだろうって」
同じ2年生が答える。それは、この場にいる隊員全員の気持ちを代弁しているようだった。しかし、西住隊長の表情は晴れない。むしろ、一層厳しくなったように感じた。
「『
隊長の口調は、いつもと変わらないものだった。穏やかなものである。決して声を張り上げているわけではない。しかし、どうしてか、「怒っている」と感じられた。否、「
それは、私だけが感じたわけではないようだった。他の隊員たちも、一様に困惑の表情を浮かべている。表情が変わらないのは、隊長の隣に立っている西住まほだけだった。
「そうですか。それは、残念です。とても、残念です」
西住隊長が、はぁ、とわざとらしくため息をついた。
それは、とても珍しいことだった。
「いいですか、皆さん」
西住隊長は、右手の人指し指をぴんと立てて、まるで言い聞かせるように話し出した。それは、母親が子供に世間のマナーを説くように、あるいは、教師が生徒に生活指導をするように、である。
「あなたたちは何様のつもりですか。試合の前に、負けたりしたら、だなんて。そんなこと。まるで、
滔々と語る。何人かが、思い当たることがあったかのように、さっ、と顔を伏せた。
「『自信』を持つことはいい。けれど、『傲慢』であることはよろしくない。
私たちは9連覇をしている。それは、正しいけれど、正しくない。9連覇を達成したのは、去年までの私たちです。断じてここにいる私たちではありません。
だから、勝って当たり前などという考え方は捨ててください。試合は、やってみなければわかりません。
いいですか。私たちは常に挑戦者です。負けたりしたら。そんなことは考えなくてよろしい。考えるべきことは、『どうやって勝つか』、『どうすれば勝てるか』、です。それだけを考えてください。そのために、私はここにいます。そのための訓練を、私はあなたたちに課してきました。最後の最後に、油断なんて余計なもの、載せる余力はどこにもありません」
西住隊長が、一息に話しきる。そして、すぅ、と息を吸った。
「異論は」
『Nein(ありません)!』
隊員たちの大合唱。そこに、不安げな表情の隊員は一人もいなかった。
そして、満足げに西住隊長はうなずいた。
「よろしい。それでは各員、戦車に乗ってください。試合を、決勝戦をはじめましょう」
そうして、ぞろぞろと隊員たちは準備をして、それぞれの戦車に乗っていく。
やっぱり西住隊長は凄い。彼女の言葉には力がある。人を動かす力が。
どうしたら、この人みたいになれるだろう。
中等部で思い知った。どれだけこの人が凄いのかってことを。けれど、そんな結論で終わってしまってはいけないのだ。
この人は2年生で、私たちは1年生だ。
再来年には、この人はいなくなる。そうしたら、隊長はきっと西住で、私か赤星が副隊長になるだろう。あるいは、両方かもしれない。
西住が口下手だということを、私はよく知っている。
私は、私にできることをする。
将来的には、西住のサポートだが、とりあえず今は、フラッグ車の護衛が私の仕事だ。
ふと、フラッグ車に乗っているのは西住だな、と気づいた。そして、どっちにしても同じことじゃないかと気づいて、戦車の中で、一人で笑った。
決勝戦がはじまった。
はじまりは静かなものだ。索敵と、ちょっとした小競り合い。決勝戦のフィールドは広いのだ。本隊同士がいきなりかち合うことはない。
プラウダの得意な戦術と言えば、やはり包囲戦だろう。特に、囮を使ってキルゾーンに呼び込むのが抜群に上手い。一度包囲されてしまえば、黒森峰の重戦車と言えど無事では済まない。
しかし、かと思えば、機動力を活かした突破戦を仕掛けたり、長距離からの火力戦で押し潰してみたりと、相対するうえで、とにかく気を抜くことが許されないチームがプラウダだ。おそらく、全国大会に出場する学校の中で、最も取りうる戦術の幅が広いのがプラウダ高校だろう。それも、主力であるT-34戦車の性能のおかげであるが。
そんなプラウダが強豪校、四強と呼ばれつつも優勝に手が届かないのは、他校との隊員の練度の差が原因であった。
四強のうち、最も戦車の性能が高い高校はどこか、と言えばプラウダの名前が上がったが、隊員の練度で言えば、最も低いというのがプラウダの評判だった。
もし、プラウダの戦車をサンダースかグロリアーナが使ったなら、あるいは黒森峰にも届きうる。そんな仮定の話が、盛んに戦車道ファンの間で語られた。
雨が強さを増した。
戦車を動かすうえで、最も大事なことは視界の確保だ。晴れているときと雨が降っているときでは、操縦手に見える景色は大きく異なる。特に、狭い道幅を通らざるを得ないときには、いつも以上に慎重になる必要があった。
向こう岸。距離は遠かったはずである。
がぉん、と砲弾が地面を穿った。
履帯の僅かに外側であった。ほんの数メートルという誤差である。ともすれば、当たっていてもおかしくなかった。
狙われたのだ。私たちが通っているのは、戦車2輌分とない狭い道である。フラッグ車の壁になることもできない。この道を通るように誘導されたのだ。
「っ、急いで!」
幸い、少し進めば道は開ける。そうすれば、フラッグ車を護衛の車輌で囲み、守ることができる。
先行しているのは、私たちの車輌だ。
しかし、それにしても、それにしてもだ。
凄まじい射撃の精度である。プラウダとは思えない。
この視界の悪い中で、この距離で動く的に当てようというのか。
きっと今の砲撃を修正してくる。相手は、この相手はそれができるほどの凄腕だ。
履帯にでも当たったりしたら、後ろのフラッグ車は進めなくなってしまう。そうなれば、流石のティーガーであっても、集中砲火を浴びたりすれば落ちるだろう。
「速度をあげて!」
「急げば川に落ちるわよっ!」
「それでもよっ!」
川に落ちるなら、それでもいい。
道を塞ぐことにならなければ、それでいいのだ。
特殊カーボンがある。川に落ちたとて、きっと大丈夫だ。
それよりも、ここでフラッグ車が撃たれるわけにはいかない。
私たちの仕事は、フラッグ車を守ることだ。
時間さえ稼げれば、きっと西住隊長が先に相手のフラッグ車を撃破してくれる。
足さえ止めなければ、この離れた距離だ、西住の乗ったティーガーが易々と撃破されることはない。
遠くで砲撃の音が聞こえた。
二発目が飛んでくる。
着弾は、またも地面だった。
しかし、さっきよりもさらに近い。
そして、運の悪いことに、着弾の衝撃で地面が盛り上がり、戦車の姿勢が崩れてしまった。僅かに進路が横に逸れる。
その程度、本来ならなんということはない。しかし、天候が荒れていたことが災いした。
「あ」
そしてもはや、いくらブレーキをかけたところで、戦車の重量は止められない。
車体が大きく横に傾いた。
そして、振動がやってきた。
第62回全国戦車道高校生大会決勝。
私の乗った戦車が、泥水の荒れ狂う川に滑落した。
10.
特殊カーボンでも、全くの無傷というわけにはいかなかった。
5人のうち3人が、崖を落ちるときの振動で車内の壁やらに頭を打ちつけ、気絶した。私もそうだ。体を揺さぶられ、私の名前を呼ぶ隊員の声が聞こえた気がした。
目が覚めるとそこは、病院のベッドの上だった。
幸い、誰にも大きな怪我はなく、精々が打ち身とか頭にこぶを作った程度だったが、念のためということで救急車で運ばれたらしかった。
試合の顛末は、病院で聞いた。
西住が、川に落ちた私たちを助けようとして、戦車を降りて飛び込んだのだと聞いた。
車長がフラッグ車を放りだすなんて、前代未聞のことだった。
しかし、プラウダ高校は、無防備にも動きを止めたフラッグ車を撃たなかったのだそうだ。現場で指揮を任されていた2年生、カチューシャという生徒が、無線で攻撃の中止を指示したのだと聞いた。
彼女は、試合後のインタビューでも、頑なに口を開こうとしなかった。
撃てば勝てたかもしれない。しかし、スポーツマンシップがそれを許さなかったのだ。そんなことを雑誌やニュースは囃し立てた。
試合には勝った。
しかし、西住の取った行動は、西住流の娘としては、問題のある行動だった。
西住流の信条は、勝利至上主義だ。犠牲があろうと突き進む。それが、西住流である。
その娘が、川に落ちた隊員を助けようとすることは、世間的には美談に映ったらしいが、家からの追及はすさまじいものであったらしかった。
何度も西住の本家に呼ばれる彼女の姿を見た。
電話が鳴って、すみません、と力なく謝罪する声も聴いた。
流石の西住も、憔悴の色を隠せなくなっていた。
そんな彼女に、私は何も言えていない。
感謝の言葉も、何も。何も、伝えられていない。
悔しかった。
恥ずかしかった。
彼女に勝つとか言っておきながら、足を引っ張ることしかできていない自分が。
自分のせいで、彼女に重荷を背負わせてしまったことが。
まともに顔を見せられなくなるくらい、恥ずかしかった。
やがて、西住は戦車道の訓練を休むようになった。
「……西住?」
ある日、私が寮の部屋に戻ると、西住の私物がなくなっていた。
勉強机も、本棚の書籍も、枕や布団なんかも。全部だ。きれいさっぱり、跡形もなく。一切合切が無くなっていた。
まるで、そこに何もなかったみたいに。
最初から、西住が居なかったみたいに。
私は、不安になって、携帯を開いた。
急いで電話帳を開く。たいして数の入っていない電話帳だ。すぐに西住の名前が見つかった。
そんな当たり前のことに、私はほっと胸を撫でおろす。彼女は、夢でも幻でもなかった。
コールのボタンを押して、電話をかけた。
『お客様がおかけになった電話番号は現在使われておりません』
無機質な電子音が無慈悲な宣告を伝える。
私は足元が崩れ去ったような感覚を覚えた。
そして、ぼとり、と携帯電話が床に落ちて転がった。
足元から、ぶるぶると何かの振動する音が聞こえた。
目をやると、落とした携帯が震えていた。
画面が光っている。
西住かもしれない。そんな淡い期待を持って、私は携帯を拾い上げた。
すると、メールが届いているようだった。
「西住、隊長……?」
送り主は、西住隊長であった。
私は、何事だろうと不思議に思って、慣れた手つきでメールを開く。
するとそこには、港の地図と連絡船のものと思われる時間だけが書いてあった。
その時間は、今から1時間後だった。
11.
「西住っ!」
私は、すぐに部屋を飛び出した。
荷物も何もない。鞄も全部投げ捨てて、財布と携帯電話だけを握りしめて駆け出した。
鍵をかけることも忘れて、ただただ必死だった。
連絡船の待合所、そこに小さなキャリーケースを抱えた西住がいた。
「エリカ…?」
西住が、目を丸くした。
彼女の顔は、記憶にあるよりもずっと疲れているように見えた。
こんなにも憔悴していたのか。
近くにいたはずなのに、気づいてやれていなかった自分に腹が立った。
「どこに行くつもり?」
違う。
そんなことを言いたいわけじゃない。
そんなことを言うために、ここに来たわけじゃないのに。
それでも、私の口は、私という人間は、責めるような声をつくってしまう。
「なぁに、ちょっとな。旅行だ。傷心旅行というやつだ」
「嘘」
ふい、と目線を逸らすように、西住が顔をそむけた。
癖なんて知らなくても、それが嘘だってことは分かる。
私は、携帯を取り出して、電話帳から西住の名前を探し出す。通話のボタンを押して、私は携帯を耳に押し当てた。
『お客様がおかけになった電話番号は現在使われておりません』
聞こえてきたのは、無機質な電子音だ。西住の携帯は鳴らない。
西住は、携帯を取り出そうともしなかった。
「携帯はどこかに落としてしまったんだ。そのうち新しいのを買うさ」
西住が肩を竦めて答えた。
私は、携帯電話の電源を切ってポケットに仕舞いこみ、つかつかと西住との距離を詰める。
勢いにまかせて、ぐっ、と両手で西住の首もとを掴み、お互いの顔を近づけた。頑なに、西住は目を合わせようとしなかった。
「ざっけんじゃないわよっ!」
それは、果たして誰に向けての言葉だったろう。
黙っていなくなろうとした西住に対してだろうか。
そこまで追い詰めた西住流の大人たちだろうか。
あるいは、
「言いなさい。どこに行くのか」
「はは。苦しいじゃないか。なあ、エリカ。苦しいんだ。手、離してくれ」
「いいから、言いなさいっ!」
「……大洗だ」
観念したように、西住が小さな声でつぶやいた。
「おお、あらい…?」
「お母さんに、言われたんだ。戦車道を離れてみたらどうか、って。……いい機会だと思ったよ」
大洗の学園艦、あそこには確か、戦車道をやっている学校はなかったはずである。
それを、西住流の師範代が勧めた?
それは、それでは、まるで…。
「お前は要らない、って。そう言われたように感じた」
消え入りそうな声で、西住が言う。
「どうしてだろうな。別に、好きでやっていたわけじゃなかったのに。楽しいなんて、一度も思ったこともなかったのに。なのに。やめてしまったら。戦車道をやめてしまったら、私には何もなくなってしまうことに気がついたんだ」
西住が、震えていた。
「姉さんのスペアでもいい。必要とされたかったんだって、気づいてしまったんだよ、エリカ」
ぼろぼろだった。
私が、この手を離してしまったら、西住は二度と立てなくなるんじゃないか。そう思ってしまうほど、西住は弱っていた。
「だったら、それをっ!どうして私に相談してくれなかったのよっ!!」
「エリカに、…弱い女だと、失望されたくなかった。何もない、空っぽだと知られたくなかった」
血管が切れるんじゃないかと思うほどだった。
だめだ。ああ、イライラする。まだ、そんな風に思われていたことにイライラする。
「あんたが強いやつだって、私はよく知っている!だけど、弱い人間なんだってことも、とっくの昔に知っているのよっ!」
だから私は、あなたと対等になりたいと思ったんだもの。
「空っぽ?気づいてたわよ!3年も前からずっとね!それも全部知ったうえで、私はあんたに勝ちたいの。勝ちたいと思ったのよっ!」
だってそうじゃなきゃ、あなたと対等になれないと思ったから。
「うそだ」
「嘘じゃない」
「嘘だっ!」
「嘘じゃないっ!!」
喉が裂けるんじゃないかと思った。
「気にくわないのよ。あんたが、『私』を見ないから」
西住が、ゆっくりと視線をこちらに向けた。
顔と顔とが向かい合う。
ああ、そういうこと。
目を合わせようとしなかった理由がようやく分かった。
「今日、はじめて目が合ったわね」
私は、西住は絶対に泣かないやつだって思ってた。
涙なんて枯れてるんだって思ってた。
そんなことはなかったのだ。
ゆっくりと、私は手を離した。
「…絶対に続けなさいよ、戦車道」
西住が、驚きに目を見開いた。
そして、すぐに気まずそうに目を逸らす。
「いや、大洗に戦車道は」
「知らないわ、そんなの」
自分でも、無茶苦茶を言っているのは分かっていた。
それでも、言わなくちゃいけないことがあった。
そうしないと、きっと、本当に西住が空っぽになってしまうような気がしたから。
「ないなら、作ればいい」
それがどんなに無茶なことか、私にだって分からないはずはなかった。
人も必要だし、何より、必要な物が多すぎる。
戦車、装備、燃料。エトセトラを挙げればキリがない。
到底、個人で集めるなんて不可能だ。
だけど、どんなに荒唐無稽でも、ゴールはある。
いいや、そこはスタートラインなのだ。
「理由が必要なら、『私』を理由にしなさい。自分の気持ちも、親の期待もなくなって、戦車道を続ける理由がないのなら、『私』が理由になってあげる。私が絶対、あなたを空っぽになんかしてあげない」
このまま大洗に行けば、西住は何にも興味を示すことなく、死んだように日々を過ごすだろう。
そんなのは、嫌だ。
「私には、あなたが必要よ」
だったら、それがどんなに荒唐無稽なことであっても、やることがあれば、人は空っぽではいられない。
これまで西住は、親に強制されて戦車道をやっていた。強制されるのが親から私に変わったところで、大した違いはないだろう。
「どうして、そこまで」
西住が尋ねる。
答えは決まっていた。
「そんなの簡単よ。私は、あんたのライバルだから」
私は、胸を張って答えた。
やがて、耐えきれないとばかりに、西住が吹き出した。
「ふふっ、お前が、わたしに一度でも勝ったことがあったか?」
「ないわ!」
何百回、いや、4桁を数えたかもしれない。それだけの回数勝負を挑んでも、未だに勝利はない。それは間違いない。自信を持って言えることだった。
それでも私は、ライバルになるんだ。ならなくちゃいけないんだ。だから、先にやめられたら困るんだ。
「それでも、前に言ったでしょう。あんたが、嫌になるくらい勝負を挑むって。そして、いつか必ず、私はあんたに勝つのよ」
「そうか」
「そうよ。私はしつこいの」
「そうか。そうだな。そうだった。…それは、怖いな」
こんなのは、ただの屁理屈だ。子供だって使わないような
「だから、…あんたと私は、対等のライバルよ。あんたが、戦車道をやめない限り」
「…ああ。そうか」
こんなのは、ただの屁理屈だ。だけど、
「それじゃあ、やめるわけにはいかないな」
彼女がどこかへ行ってしまうことを、止めることができないのなら。
私たちが繋がるために。繋がり続けるために。
曖昧な関係性を形にしなくちゃいけないんだ。
言えなかった言葉がある。
言わなくちゃいけなかった言葉がある。
伝えたかった言葉がある。
けれど、それは、いつか。
「次は、パンツァージャケットを着て会いましょう」
私が、あなたと対等になったその日に、必ず言うから。
まぽりんを主役に小説を書くつもりが、気がつくとエリカが主人公に。…どうしてこうなった!?
ともかく、書きたいところまで書けたので、作者的には大満足です。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございましたっ!!
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視点、黒森峰モブ
ただし、その内面は知られていないものとする。
(配点:勘違い)
1.
あたしの同級生に、西住まほ、っていう凄ぇやつがいる。
名字の通り、西住流のご息女ってやつなんだが。こいつが、戦車道で指揮を執らせれば超一流。どんな強豪校が相手でも怯まず、相手の作戦も見破って冷徹に指揮を執る姿は、エルヴィン・ロンメルやマンシュタインもかくやというもの。当然ながら中学の大会じゃ負け知らずの、我らが大隊長様だった。
対してこちとら大勢いる中の一隊員。役割も花形の車長なんかじゃなくて、一介の装填手で、しかも、試合の度に呼ばれたり呼ばれなかったりするような半一軍ってやつだ。次の大会が中学最後の試合だっていうのに、選手に選ばれるかも分からないってんだから、いやはや、3年生にもなって惨めなこったね。
ま、自分が凡人だってことは、今さらだし?全くお呼びのかからないやつもいるってことを考えたら、半一軍ってだけでも恵まれてる方かもね。あたしは腐らず、ギリギリまで腕と戦車を磨くだけよ。なんつって。いや、別に負け惜しみとかじゃねーし。
まぁ、なんだ。そんで、要するに。あたしは何が言いたいのかって言うと、あたしと西住まほは、同級生ではあっても、生きている世界が違うってことだ。気軽に雑談をしたり、ましてや一緒にお昼ご飯を食べたりするような間柄じゃない。隊長と平隊員。大抵、隊長と話すのは、それぞれの戦車の戦車長の仕事だし。下手すりゃ卒業するまで一度も会話しないかもなぁ。…そもそも認識すらされてるのかね?廊下とかで挨拶したら不思議そうな顔をされたりして。いや、そんな表情筋もないか。
なんて思ってた。今日の昼までの話だが。
2.
「食べないのか?」
それがどうして、学食で向かい合ってごはんを食べることになってるんでしょうかね。それも、二人っきりで。
あたしの両隣の席空いてますけど?
なんなら、隊長の隣も空いてますけど?
なんで誰も近づいてこないのかな?いじめかな?
その場合、いじめの対象はあたしと隊長、どっちなんだろうね。
とりあえず、さっき目があったチームメイトは、あとで殴る。特にいい笑顔で敬礼してくれやがったあいつは許さない。あと、遠目でちらちらこっちの様子を観察してるやつも許さない。ちくしょう。巻き込んでやろうか。ほらほら隊長、あの辺にみんないますよ、ってな。いや、やんないけどさ。罰ゲームかよ。流石に言い過ぎたよ。
それはそれとして、食事だ。一向に箸が進まない。
その様子を見た隊長も、心配したのか声をかけてくる。
…いや、これ心配か?早く食べろとか。私と一緒の食事はまずいのか、とか。そういう類いのあれだろうか。だとしたらまずい。食べなくては。いや、飯は旨い。学食のおばちゃんありがとう。
いやほんと、マジで口調も表情も全く変わらないから分かんないんだよ!もうちょっと分かりやすい顔してくれよ!もしくはバウリンガルを装着してくれ!
…言わないけどね!口に出しては言わないけどね!?
「い、いえ!食べます!お腹空いてるんで!」
「ん、ああ。そうだろうな」
隊長は、一向に減らないあたしの皿の上を凝視した。
今日のメニューは、目玉焼きの載っかったハンバーグ定食である。
いやね。正直あたしもね。腹は減ってる。めっちゃ減ってる。午前中から、鬼のようなしごきを受けたしね。戦車道だって、そこらの運動部と変わらないか、下手すりゃそれ以上に体力使うからね。特にあたしは装填手だし。そりゃあ、腹も減るさ。ぺこちゃんさ。ただね。
緊張で食事が喉を通らないんだよぉ…。
ねぇ、何この拷問!?知らねぇ人と飯食うのだって、割かしあたしにとっちゃ苦痛だっていうのにさぁ、なんで隊長と二人きりで飯食わないといけないんだよ。距離感他人だっつうのに、なまじ知ってる人な分、余計に食いづらいんだけど!?同い年だけど、完璧に上下関係が出来上がってる相手だからね!?まぁ、初対面から敬語使ってたけど!
誰か来いよ、頼むから!500円あげるから!日替わり定食(税込み350円)奢るから!
あ?両方?どっちかだボケっ!学生の金銭事情舐めんなっ!
っていうか、なんで今日に限って逸見がいないんだ!
あいつ、いっつも隊長の周りにいるじゃんか。頼まれなくてもいるじゃんか。隊長係だろうが。隊長をひとりにすんじゃねぇよ。困ってるだろ、主にあたしが。
つか、まじで向かい合ってるとプレッシャーがやばいんだって。
何をじぃっと見られてんの!?テーブルマナー!?
もしくは、おまえのハンバーグステーキを寄越せってか。献上しろってか。
あんたはどこぞのお嬢様かってんだ。いやお嬢様だったわ。
…いや、マジすげえと思うわ。逸見。
あたしじゃ、隊長の威圧感(?)にびびっちまって、ろくに喋るのも無理だっていうのに、あいつは正面からぶつかって、今じゃ堂々と肩を並べてるんだもんな。気づけば副隊長だよ。スタートは、大して変わらなかったと思うんだけど。あたしもあいつも、小学校じゃ無名組だったはずなんだけどなぁ。どうして差がついたのか。慢心、環境の違い。
いや、何があいつを変えたのか、なんて考えるまでもないよな。
明らかに、目の前のこの人がきっかけだ。
あいつが隊長を意識してるってことは、チームメイトで知らないやつはいない。入学したての1年生だって噂するくらいだ。ま、中には、逸見が恋愛的な意味でも隊長を意識してるなんて噂があるけど、これは流石にただのゴシップだろうな。女子校らしいっちゃ、らしいけど。
…せっかくの機会だし、ちゃんと話してみるか?
案外、話してみたら普通だったりするかもだし。
いや、だって、ほら。隊長のお姉さんのみほさんは、すげえ人当たりのいい人だったし。
あの人は、カリスマって言えばカリスマではあったけど、話しやすいし、一度も怖いとは思わなかったなぁ。あたしみたいなその他大勢とも気兼ねなく話してくれる人だったし。
「そ、それで、ええっと。珍しいですよね、隊長。あまり学食では見かけなかったと思うんですが」
「そうだな。普段は弁当だ」
「へ、へぇ…」
…無言。会話終了。
いや、頑張れよ、あたし!!
弁当だぞ。弁当!
隊長が作ってるんですか?とか。どんなおかずが好物なんですか?とか。話題は豊富だろうがっっっ!?
……っていうか、なんで今日に限って学食にいるんだ?
トレイに半分くらい減ったハヤシライスが見えるし、飯を食いに来たんだよな?
さっきから手を止めてこっちを見てるけど。
「そういえば」
「へ、あ、はい!」
うわ、めっちゃ恥ずかしい…。若干声裏返ってたぞ、あたし。
いや、でもそんな風になるだろうよ。あの西住まほから話しかけられたんだぞ?
いったい何を言われるんだ、あたしは…?
「最近、頑張っているな」
「はいっ!ありがとうございます!」
そう言って、西住隊長はスプーンをかちゃかちゃと動かして、食事に戻った。
……って、え?それだけ?
しばらく続きがあるものかと思って、西住隊長の様子を観察してみたが、動きはない。いや、飯を食ってるんだけどな。一定の間隔でスプーンが動いて、めっちゃ機械的な動きでハヤシライスが口元に運ばれる。そんで、食っても一切表情が変わらない。ゴムでも食べさせられてるんじゃないか、っていうくらいの無表情だ。どんだけ美人でも、絶対に食品のCMには使えねぇな。
それにしても、「最近、頑張ってるな」って、どういうこと?
いや、頑張ってるけどさ。中等部最後の年だし、絶対レギュラーとったるぞー!って意気込みで、居残り練習もしてるけどさ。けどさ、それをわざわざ言うか?言うとしても、こう、もっと、さぁ。なんかあるでしょ(語彙貧)。
みほさんが隊長だった時は、相手のことを褒めたうえで、「でも、あなたの場合は、激しく動いた後の急停止に身体が振り回されて装填がうまくいかないみたいだから、もう少し体幹を鍛えるといいと思いますよ」なんて、練習で感じた弱みを的確にアドバイスしてくれたものだが。
つまり、これ、褒められたわけじゃないんじゃない?
そうだよ。それだけ言う人なんていないもの!
きっとこれ、もっと違う意味が含まれてるんだって絶対!それこそアドバイスみたいな。
逸見も言ってたもの。
『西住は言葉が足りない時がある』
まさしく、これだな。ったく、コミュニケーションも一筋縄ではいかないぜ。
ってことは、何か他の意図みたいなものが隠れてるんだ。何か、何かヒントはないか?
場所、行動、表情…、表情はいつも通りの無表情だったな。とすると、違いがあるすれば、場所か。学食。食事。ご飯。
そうか、ハヤシライス!
隊長はわざわざハヤシライスをこれ見よがしに食べている。
これは、きっと何かあるに違いない。そうじゃなきゃ、わざわざあたしとご飯を食べようなんてしないもんな!
そう、ハヤシライスにはいろいろな語源があったはずだけど、その中に英語が語源という説があったはずだ。ハッシュがどうとか、そんなん。英語、イギリス…。
そうか、聖グロリアーナだ!
高校戦車道屈指の名門校。聖グロは、確かイギリス贔屓の学校だったはずだ。
しかも、ハヤシライスは注文してすぐに出てくるから早しライス、なんて説もあった。
つまり、もっと早く装填しろ。聖グロよりも早く。そういうことですね!
いや、待て。
確か、江戸時代以前の日本だと牛肉みたいな獣の肉を食する習慣が無かったから、獣の肉を食べたら早死にする、っていう噂が立って、早死ライスと呼ばれるようになった、みたいな説もあったなぁ。
早死。選手生命のことか?もしかして、さっさと辞めろって言われてる!?いや、隊長のことだ。そんな単純なメッセージのはずがない。死、終わり。つまり、最後の大会のことを指しているのでは?早く死ぬ。ってことは、大会にも出られないということを言っているのでは?出られなきゃ、そいつは引退ってことだもんな。
つまり、こういうことか。
『最近、頑張っているな。なんて満足していたら、最後の大会にも出場できないぞ。もっと早く装填できるようにならなければ駄目だ。聖グロの奴らはもっと早いぞ。才能がないんだから、もっともっと努力をしろ』
流石は西住隊長。あたしも装填がまだまだ遅いんじゃないかって思ってたところなんだ。いやあ、見抜かれちゃってますなぁ。
でも、そんな叱咤激励を頂けるなんて、あたしも捨てたもんじゃないんじゃない?最後の大会、期待しちゃってもいいッスかね!?
「隊長、あたし頑張りますね!」
「え?あ、うん」
と、そんなことがあったのだ、と練習前に逸見に話したのだが。
「は?馬鹿じゃないの?」
心底冷たい声で呆れられた。
3.
「それは普通に、最近頑張ってるな、って褒めただけでしょ。純粋に受け取りなさいよ。普通に受け取りなさいよ。なんでそうなるのよ」
練習が終わった後のことである。
後輩たちが片付けをしてくれている間に3年生はシャワータイムだ(不平等とかじゃなくて、シャワー室も使える人数が限られているから仕方がない。3年生が終われば下級生も使えるわけだし。要は順番だ)。
あたしも逸見も素っ裸になって(シャワーを浴びるんだから当然だけど)、ぐだぐだと練習前に話した西住隊長とのお昼のやりとりを蒸し返していた。
「いや、だって、それだけをわざわざ言うかぁ?それっきりハヤシライスに戻ったし」
「ハヤシライス云々は知らないけど。あー…、言うわ。言うのよ、西住は。そういうとこへったくそなんだから」
逸見の呆れた口調は変わらないが、その矛先はあたしじゃなくて西住隊長に向かっているように感じた。
流石、黒森峰の
尤も、こいつの口が悪いのは今更だし、何も文句を言われるのは西住隊長ばかりではないのだが。
「っていうか、話聞いてて色々と言いたいことがあるんだけど、ちょっといいかしら」
「なに?」
「ビビりすぎ」
こいつには、遠慮ってもんがないんだろうか。
シャワーを浴びながらだから逸見の顔は見れないけれど、気持ち的にはびしぃっ!と指を突きつけられているような感覚だった。
「いや、仕方ないだろうが。お前はあの人と同室で仲がいいのかもしれないけど、あたしらみたいな
「雲の上ぇ?まぁ、確かに戦車道の腕は凄いし、西住流の直系っていうのはあるけど、でも、所詮は同じ中学生よ?」
「だから前半分がデカいんだって…」
こいつの心臓はどうなってるんだろう。特殊カーボン製だったりするのだろうか。
っていうか、西住師範とか、島田流家元とか、その辺の大物に会っても態度が変わらなそうなこいつが怖い。それで、「所詮は同じ人間よ?」で済ませそう。
「いや、流石に大人相手にはちゃんと敬語を使うし、敬意を持って接するわよ?」
「いやいやいや」
「あんた、私を何だと思ってるのよ」
女版ジェームズ・マティスかな。
賭けてもいい。こいつは大人相手でも気に入らなければ喧嘩を売る。
「別に、見境なく喧嘩を売るつもりはないわよ」
「喧嘩を売ること自体は否定しないんだ」
言ってやると、少しの間だけ逸見が無言になる。
周囲の話し声とシャワーの音だけが聞こえた。
「冷たっ!?」
突然背後から冷水をぶっかけられた。
犯人は十中八九逸見だろう。わざわざシャワーを冷水にするとは、心臓が止まったらどうしてくれる。
「ほんっと、口の減らない奴だわ。…はぁ、あんたみたいなのにも勘違いで避けられてる西住が不憫よ」
「ああ?勘違い?」
「勘違いよ。勘違い。どいつもこいつも、西住を過大評価してるのよ。過大評価っていうか、ちゃんと見ていないっていうか」
「どの辺が?」
「全部よっ!」
不機嫌そうな面を隠しもせず、逸見は吠えた。たぶん、シャワー室中に聞こえたんじゃないか、と思うような大声だ。
お、おい逸見?と止めようとした声もきっと届いてはいないんだろうな。
「別にあいつは物ごとを難しく考えていたりはしないし、頭がいいのは確かだけど万能ではないし、隊長だからって偉ぶるような性格でもないし、口数が少ないのは人と話すのが苦手なだけ。苦手ってだけで、嫌いではないから、話しかけてやればちゃんと人の話を聞く奴よ。記憶力もいいから、前に話したこともきちんと覚えてる。それと、表情が乏しいのはその通りだけど、全く動きがないわけじゃないし、よく見ればちゃんと分かるわ。寧ろ、感情が表情に出る方ね。案外ポーカーフェイスは苦手よ。あと、雰囲気は凛としている、っていうよりは、ぼおっとしてるの方が近いかしら。特に私生活ではね。だから、難しそうな表情をしていても、実際には何も考えていないことが多いわ。趣味ってわけじゃないんだろうけど、練習のない日は日向でぼうっとしていることも多いし。あと、好きで孤独ってわけじゃないからね。意外と寂しがり屋よ、あいつ。それと、意外と子供舌というか、甘いものは好きだし、味も濃くて分かりやすいものの方が好きね。前にカレーを作ってやったときはもくもくと食べてたけど、いつもより食事のスピードが早かったし、そういうところも案外分かりやすくて……なによ」
「ああ、いやぁ。分かり合ってるなぁ、ってさ」
「…別に。こんなの普通よ」
普通じゃないよ。見事なまでに拗らせてるよ。
途中であたしの顔もげんなりとしてしまうのも仕方なかろう、ってな感じだ。原稿用紙一枚分くらいは喋ってたんじゃないか?
確かに恋愛脳が聞いたら勘違いするくらいの熱の入りようだった。絶対に本人は否定するだろうが。っていうかされたが。
なんていうか、こう、ごちそうさまです。
途中自分でもシャワーを水にしたわ。
「まぁ、おまえの隊長評はよく分かったよ。正直、全部が全部信じられるってわけじゃないけど、もう少し色眼鏡を外して見てみるさ」
「そうして頂戴」
まぁ、逸見は口は悪いけど、人を見る目はある奴だ。
あたしが西住の名前にビビッて、ちゃんと見れてなかったっていうのは確かだしな。
3年生の今頃になって、とは思うが、これから最後の大会があるわけだし、高等部に行ってからも一緒に戦車道を続けることになるのだから、理解できるに越したことはない。
…やっぱ良い奴だよなぁ、逸見。口は悪いけど。
きゅ、とシャワーを止めて、タオル片手に着替えに戻ろうとした。
「うん?入ってかないの?」
逸見に声をかけられる。
ひょい、と仕切りから顔を出して大浴場の方を指差した。
ううん、あんまし風呂って得意じゃないんだよなぁ。
割とカラスの行水派なあたしだ。じっとしてるのが苦手ってのもあるんだろうけど。
けど、折角のお誘いだし、少しくらいいいか。付き合いますよ、副隊長殿。
「ふぃぃぃぃ…」
まぁ、なんだかんだ風呂に浸かると声が出るわけで。
染みるねぇ。温泉は日本人の心だねぇ(船の上に天然温泉があるわけもなく、単なる大きな風呂に入浴剤をぶちこんだ代物である)。
すると、あたしのすぐ近くに逸見がゆっくりと入ってくる。めっちゃ呆れ顔だったが。
「あんた、おっさんみたいよ」
「ああ?誰がおっさんだ。見ろ、このおっぱい!」
あたしは湯船の中でぐい、っと胸を張って見せた。
まぁ、自慢できるほど別にでかくはないんだけど。寧ろ、逸見のほうがデカイまである。ちら、と隣を見ると、たわわとは言えないまでもなかなか揉み心地の良さそうな膨らみがあった。
「やっぱあんた、生まれる性別を間違えてるわよ」
「よく言われる」
おかしいな。黒森峰だって聖グロ程じゃなくてもお嬢様学校なはずなんだけど。あたし、そこの生徒だぞ?三年生だぞ?
「西住にもその感じでいけばいいのに」
「何をおっしゃるうさぎさん」
すると、当たり前みたいな顔で、あんたこそ何言ってるのよ、とか言い出した。
「だって、色眼鏡を外すんでしょ?だったら、とりあえず、あれじゃない。公私は別として、敬語を止めるとか。手っ取り早いわよ」
いきなり、ハードルが、高すぎるっっっ!!
あたしの心臓はおまえのカーボン製と違って繊細なんだぞ!?
刺激が強すぎて心臓止まるわ!!
「いやいやいや、むりむりむり」
「何が無理なのよ。同い年でしょうが」
「向こうは隊長で、こっちは平だっての!恐れ多いわ!」
「それを言うなら、私だって副隊長よっ!」
ガーッ!って感じで逸見が吠える。
おっと、そう言われればそうだった。
「いや、逸見はなんていうか、ほら、ね?」
「何が、ね?よ。舐めてんの?舐めてるのよね、知ってたわ」
いや、別に舐めてないよ?
ただ、逸見ってば、少しくらいふざけても怒らないし(口調は荒くなるけど)、なんだかんだ面倒見はいいし(口調はかなりキツイけど)、裏表がなくて(目上の人相手にはもう少し大人しくしててほしいけど)、まっすぐで気持ちのいい奴だから。
だから、まぁ、いいかなって。
「いいかな、って何よ。よくないわよ」
「別にいいだろー、ちゃんと練習中とか試合中は敬語を使ってるんだから」
「たまに崩れてるけどね。この前なんて、普通に回線使ってるのに逸見呼びだったわよ」
「え、マジで?」
「大マジよ、この馬鹿」
うえぇ、マジかー。
ちゃんと気をつけてたつもりなんだけどなぁ。
「普段から副隊長呼びにしとくかなぁ。少なくとも次の大会が終わるくらいまでは。間違って他校の選手に知られたりしたらマズイし。いや、でもなぁ。逸見相手に敬語って、なんか背中がムズムズするんだよなぁ」
「なんで体が拒否反応を起こしてるのよ。西住と扱い違い過ぎるでしょ」
逸見が呆れたという声を出した。目線も馬鹿を見るような目だ。
しかし、すぐに何かに気づいて、面白いコトを思いついた、という顔に変わった。
「なんだ逸見。ただでさえ悪人面なのに、いつもより悪い顔してるぞ」
「悪人面は余計よ。ってか、今の私どんだけ怖い顔になってるのよ」
「エヴァンゲリオン初号機」
「決戦兵器じゃないの…」
ちょっと前屈姿勢になって、物真似というか形態模写を試みる逸見。意外とノリの良い奴だ。
「目標をセンターに入れてスイッチ」
「わぷっ!」
折角なので、某サードチルドレンの名言を借りながら初号機もどきに水鉄砲を食らわせた。見事顔面に命中したらしい。だらだらと水が滴って、湯船をぴちゃぴちゃと揺らした。
「良い度胸ね、あんた…」
「逸見は口調的にセカンドだよなぁ」
「何の話よ」
「クォーターだっけ?」
「だから本当に何の話よ」
惣流・アスカ・ラングレーの話である。
「って、そうじゃないわ!」
ばちゃーん!という感じで水面を逸見が叩いた。
ちっ。忘れてはくれなかったか。
逸見が、びしぃっ!ってな感じで指を突きつけてくる。
「副隊長命令よ!西住に敬語を使うなら、私にも敬語を使うこと!使わないなら、西住にもため口!」
「ちょ、卑怯だぞ!?」
こ、こいつ、何て理不尽な二択を強いてきやがるんだっ!
それは、もうあれだぞ。小学生に、プリンとアイス、どっちが好き?って聞くくらいあれだぞ!
「別に試合中にやれって言ってるわけじゃないんだからいいでしょ」
「おまえそれ、みほさん相手にやってみろと言われて、同じことが言えるか?」
「みほさんは先輩だもの。ため口を使う方がおかしいでしょ?」
「てめぇ…」
この女、いい性格してやがる。
その勝ち誇ったような面、一生忘れねぇぞ…。
「ほらほら、言ってごらんなさい。逸見副隊長、ってね。生意気な口をきいてすみません、ってね!」
「うぐぐぐぐ…」
「なぁに、言えないの?じゃあ、西住にため口を使うしかないわね。折角だし、呼んできましょうか?」
ここぞとばかりに全力で煽ってくる逸見エリカ。
前言撤回だ。なんだこいつ、全然気持ちのいい性格なんてしてねぇよ!こいつの性根は腐ってやがる!
「あ、西住」
「は?」
嘘つくなよ、逸見このやろう。って言おうとしたら、マジじゃねぇか。
中学生らしからぬ体つきのあれは西住まほ隊長じゃありませんか。いや、そりゃあ、隊長もシャワーを浴びますよね。シャワーを浴びたらお風呂にも入りたくなりますよね。
ってか、マジでスタイルすごいな。
さて、恐る恐る隣の逸見を見る。
すると、にやあ、と笑った。
…いやいやいや、待って?
西住隊長に声をかけようとするのは止めよう?
泣くから。これ以上はあたし泣くから。
うん。…あ、マジでヤバい。
西住隊長がこっちに近づいてくるんだけど…。
…ふぅ。いや、全然心の覚悟が完了しない。そりゃあ、そんなんで完了するなら最初から困ることもないわけで。
……ちょ、ちょっとストップ。そこでストップ。ストップだってば。ストップストップストップ。うん、止まる気配がないね。そりゃ、声に出していないからね。はっはっはっ。
それじゃあ、もう叫ぶしかないね。心の声を。
はい、せーの。
あああ!
あああああ!!
あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!
なに、うるさいって?
大丈夫だよ、心の声だよ。
大声なんて出したらお客様にご迷惑ですからね。いや、学校の風呂だからお客様なんていないけど。
もう、わやくちゃだ。
あたし至上、一番のテンパり具合だよ。
そんなときだ。
「…う"」
「う?」
何やらきょとんとした表情で逸見があたしのことを見る。
突然、ぷつん、と何かが切れる音がした。
ぐわん、と視界が回る。
「きゅぅぅぅぅぅ…」
「ちょっ!?」
大丈夫!?という逸見の声が遠くで聞こえて、あたしの体から力が抜ける。視界が歪んで、心配そうにあたしのことをのぞきこむ逸見の顔もぼやけて溶けた。
そしてあたしは、ぶくぶくぶくと湯船の中に沈んでいった。
許容量を超えたのか、それとも珍しく風呂に入ったせいで湯中りしたのか。原因は判然としないが、それはともかく。
あたしは湯船に沈み、必死の形相でそれを助け出す逸見エリカの姿があったそうな。
これがトラウマになったのか、以来、逸見との間で、口調の話題は
「大丈夫か?どうした」
「うっさい!あんたのせいよ、馬鹿ぁ!?」
「えぇ…?」
理不尽に怒鳴られる西住隊長がいたとかなんとか。
4.
後になって思えば、あたしはもっと逸見の話に耳を傾けておけばよかったのかもしれない。
高校生になって、当然のようにあたしは試合のメンバーには選ばれなかった。
大会は、会場の観客席でモニターを見つめながら応援をするだけだ。まぁ、これは、あたしだけじゃなくてほとんどの一年生はそうだったし、二年生や三年生だって大勢いた。
ただ、モニターの向こうで、逸見や西住隊長。いや、高校では西住副隊長か。ともかく、同じ一年生でも彼女らと、その戦車の乗員は試合に出ていたわけで、羨望の気持ちもあったし、嫉妬する気持ちもあった。
けれど、やっぱり三年も一緒にやってきた仲間だったし、応援の気持ちは先輩方には負けないつもりだった。
事故は、決勝戦で起こった。
フラッグ車を護衛していた逸見の戦車が崖を滑り落ちていく。
観客席では悲鳴もあがっていた。
戦車は特殊なカーボンで守られているとはいえ、それは普通の戦車戦での話だ。
砲弾が撃ち込まれることは想定しても、十メートル近い崖を滑り落ちることや、川に沈むようなことまで想定しきれているとは限らない。
逸見の戦車は、川に落ちて、今にも沈んでしまいそうだった。
完全に沈みきれば、ハッチを開けて戦車の外に逃げ出すこともできなくなる。しかし、ああも揺れていては下手に動くこともできないのだろう。
それでも、試合は止まらない。
あたしは、今すぐにでも止めて、救助をするべきだと思ったが、どんなにモニターの外から声をあげたところで届くはずもない。
ルールにも明記がないのか、審判団も判断に迷っているようだった。決勝戦だ。誰かひとりの判断で止められないのも分かる。だけど、話し合ってるうちに何か起きたらどうするんだ。お願いだから、救助を出してくれよ。
そのときだ。
モニターの向こうで、戦車から人が飛び出すのが見えた。
その戦車には、旗があった。
そう、西住副隊長の乗る黒森峰のフラッグ車だ。
それが足を止めた。
撃たれたらチーム全体が負けたことになるフラッグ車が無防備に。
単身で崖を降りていく人影。
ようやくカメラも気づいたのか、その人物をズームして写した。
果たして、それは西住まほだった。
彼女が逸見達を助け出したとき、あたしは当然のように大きな声をあげて喜んだし、観客席だって歓声があがった。
けれど、西住まほの世界ってやつは、そんなに単純なものじゃなかったらしい。
西住の名前ってのは、やっぱり重たいもので。
先輩やOBも、勝ったからいいものの、十連覇を台無しにされたかもしれないと、その行為をけして誉めるようなことはしなかった。特に、西住の関係者はひどいものだった。
だから、観客席で歓声をあげた誰も、西住まほを誉めたり、何か声をかけるようなことはしなかった。できなかった。だって、所詮あたしらは、授業とか学生の間の選択肢のひとつとして戦車道をやっているだけで、西住の人間とかそれの関係者は戦車道が人生そのものみたいな人たちの集まりだ。
だけど、副隊長は、正しいことをしたはずじゃないか。
特殊カーボンで安全だから、素人が救助なんてしないほうが安全だった、そんなの結果論じゃないか。
事実、審判団だって、試合を止めるか迷うくらいの事態だったはずだろう?
逸見たちがもっと酷い怪我をしてたらどうするんだよ。
救助が遅れてたら、心にトラウマを抱えたかもしれないじゃないか。
撃たれた時にどこか故障していて、戦車の中まで水が入り込んでいたら、最悪死人だって出たかもしれない。
けれどそれを、あたしも含めて、誰も声をあげなかった。
西住まほなら大丈夫だろう、って高を括って、期待して、目を逸らした。
そんなはずがなかったのに。
もしも、あの時。
誰かが
お前は間違ってないんだぞ、って隣に立ってやれたなら。
たったひとりでも、味方になってやれたなら。
あいつは黒森峰を出ていかなくて済んだのかもしれない。
あたしは大切な仲間を失わなくて済んだのかもしれない。
全部全部、「かもしれない」、っていうもしもの話だ。
あたしひとりじゃ、何も変わらなかったかもしれない。
けれど、変わったかもしれないっていう後悔が、いつまでも消えてくれなかった。
二年生になって、あたしは大会のメンバーに選ばれた。
尤も、一番戦車の数が増える、決勝戦に向けた控えメンバーだ。
20輌の中の20輌目。
一番最後に呼ばれたのがあたしだった。
けどさ。それってさ。
もしも、もしも西住がここにいたら、本当にあたしの名前は呼ばれたのかな。
ここに立っていたのは、あたしじゃなくて西住だったはずじゃないか。
あたしが、西住のことを見捨てたから、あたしが西住の居場所を奪ってしまったんじゃないか。
そんな風に考えると、はじめて戦車道が嫌いになりそうだった。
かわいいエリカが書きたくなった。
(追記)
耐えきれなかったので、1500字くらいシリアスな場面を追加しました。
暗い話書くの楽しい。
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大洗編
視点、武部沙織
お待たせしました、大洗編スタートです。
1.
最近、新しい友達ができた。
その友達は、二年生になって急に転校してきたんだけど、すっごくいい子なの。
同い年なのに、いい子っていう言い方も変なんだけどね。
でも、なんだか容姿は凛々しくて、スタイルもいいから大人っぽく見えるんだけど、中身が外見に追い付いてないっていうか。ちょっと変わってる。
話してみたら、皆分かると思う。
なんというか、世間慣れしてないというか、悪意に鈍いというか。うん、そんな感じ。
たぶん、純粋なんだ。思春期になる前の小学生みたいな感じかも。一年生とか二年生みたいな。ほら、子供って素直じゃない?それとおんなじ。
だって、普通だったら恥ずかしがって言えなくなるような誉め言葉も全然躊躇わないで、いつもの調子で言ってくるんだもん。そこには、打算とかお世辞とかも何もない。本当にそう思ってるんだ、って分かるの。
表情もいつも通りなんだけどね。もうちょっと笑顔があると満点かな。とにかく表情が固いの。笑って、って言うと、すごいぎこちない顔になるんだよ。もっと鏡の前で練習すればいいと思うな。絶対可愛いのに。すっごく勿体ない。
そう考えると、なんだろう。ちょっと麻子に似てるのかも。
変に言葉を飾らないところとか。実は優しいところとか。放っておけないところも一緒かな。結構抜けてるところも多いから。あとは、笑顔が苦手なところも似てる。
まほとまこ。名前も似てるしね。
だからかな。どうしてか私は、彼女のことを保護者みたいな目線で見てしまっている。
勿論、大切な友達だと思ってるし、馬鹿にしてるつもりはないよ。
ただ、守ってあげたい。力になってあげたい、って。そんな風に思ってる。
私に、何ができるかなんて分からないけどね。
2.
特に最初、転校してきたばっかりのときは、口数も少ないし、クールな人ってイメージだった。顔なんかすっごい美人さんだし、同い年とは思えないくらい。あ、勿論いい意味で。
なんか、本当にモテる人ってこういう人なんだろうな、って思った。
けど、いつも難しそうな顔というか、あんまり笑う人じゃかったから(あんまりじゃなくて、まったくかも)、クラスの皆もどう接していいのか分からないみたいで、気づいたら孤立しちゃってた。でも、本人がそういうのを全然気にしてない感じだったから、私もあんまり積極的に話しかけなかったんだよね。いじめとか、そういう感じでもなかったし。
ただ、なんだろう。
美人さんだから、ついつい目で追っちゃうんだけど、物憂げな横顔もまた素敵で。いやいや違う違う。そうじゃなくて。そうじゃなくて、なんだか、時おり見かける横顔が、少しだけ寂しそうに見えたんだ。
それが、ちょっとだけ気になった。
もしかしたら、気にしていないっていうのは、私の勘違いなのかもしれないな、って。
はじめてちゃんと話しかけたのは、彼女が転校してきてから一週間くらい経ってからだったと思う。クラスの皆から転校生っていう目新しさとか、そういう興味とかがなくなって、声をかける人がほとんどいなくなってからのことだった。
「へい、彼女。一緒にお昼どう?」
4限の授業が終わって、クラスの皆はわらわらと学食とか購買とかに向かったみたい。そんな中、西住さんはマイペースな様子で授業に使った教科書とかノートとかを鞄にしまっていた。
私が声をかけると、彼女は目を丸くした。
ゆっくりと右を見て、左を見て、もう一回右を経由して、それから後ろを見た。
え、なにその動き。かわいいんだけど。迷子のこどもみたい。
合ってるよ。西住さんで合ってるよ。西住さんの後ろには誰もいないよー。
そんな風に念を飛ばしたって、分かるわけないよね…。
ううん。ちょっといきなり過ぎたかな?これじゃあ、まるでナンパみたいに思われたかも。
そうしたら、見かねた様子の華に、静かな口調でたしなめられちゃった。
「ほら、沙織さん。西住さん驚いていらっしゃるじゃないですか」
なんか、ゆったりした華の口調で言われると、ほんとに悪いことをしてるみたいに思えてくるね。むむむ。
だってだって、こんなに驚くなんて思ってなかったんだもん。
もっと、反応薄いかなぁ。もしかしたら、無視されるかもなぁ。なんて心配してたくらいなんだから。
もしかしたら、西住さんって、イメージしてたよりずっと面白い人なのかも。
でもでも。とにかく今は、西住さんを驚かせちゃったみたいだし、ちゃんと謝らないとダメだよねっ。
「ああっ、いきなりごめんねっ」
「あのぅ、改めまして。よろしかったらお昼、一緒にどうですか」
今度は華が誘ったよ。
って、あれあれ?おっかしいなー?言ってる内容は同じなのに、全然受ける印象が違うんだけど。
言葉遣いか、あるいは人徳か。流石は、華道の家元の娘。恐るべし…。
そんな風に華が尋ねると、自分のことを指差しつつ、西住さんは、首をこてんと傾げた。
「…わたし?」
え、え、え?
なにそれ、子供っぽくてチョーかわいいんだけど!
普通にやったら、ぶりっ子みたいであざとくなっちゃうところだけど、西住さんの場合は全然そんな感じがしなくて、嫌みがない。美人ってズルい。そう思った。
そうだよ。西住さんだよ。
そんな意思を込めて、私と華は二人一緒に頷いたよ。
「西住さん、結構食べるね」
学食はそれなりに混んでいたけれど、運よく3人で座れる席が残ってた。
私の今日のメニューは、納豆にお豆腐のあっさりランチ。納豆はお肌にもいいし、ダイエットにも効果がある乙女の味方だ。それに、慣れると美味しいし。子供の頃は納豆って苦手だったんだよねー。匂いとか、ねばねばとか。
スタイルの維持は、モテるためには必須だからねっ。カロリーにも注意しないと!
その点、華もそうだけど、西住さんもすごかった。
どうしてそんなに食べて太らないの?って感じ。
鯖煮定食にカツ丼のオマケ付き。しかも、定食のご飯は大盛りだ。
私だったら、そのどっちかだけでお腹いっぱいだよ。うぇっぷ。
「成長期、だから?」
箸を置いて、またもこてん、と小首を傾げる西住さん。
いやいやいや。
女子の成長期は、たぶんもう終わってるよ。終わってるし、成長期だとしても、食べたら絶対に絶対太る量だよ。
だけど、これ以上成長したら、本当にモデルさんとかになれるんじゃない?西住さん、背は高いし、スタイルも抜群だし。街でスカウトされたら教えてね。絶対買うから。
「わたくしたち、一度西住さんとおはなししてみたかったんです」
ふわりと笑って、華が話しかける。
うん。おかしいね。
私が納豆をかき混ぜてるうちに、華のラーメンがスープだけになっている。
一息ついたからって話し始めたでしょ、絶対。イリュージョン。目を離した隙に、一品ずつ空になっていく。
「なんか、高校で転校生ってめずらしいし。それに、いつも西住さん一人だったから、気になって」
「いつもひとり…」
ぼそりと呟いて、西住さんは微妙そうな顔をした。
あれだね。麻子もそうだけど、笑顔が作れないだけで、意外と表情は豊かなのかも。でもでも、麻子のほうがちょっとオーバーかな。あの子、あれで結構顔に出るタイプだから。不機嫌な時は特にね。
あ、麻子っていうのは、私の友達のことだよ。冷泉麻子。
小学校からの幼なじみで、小さくて可愛いんだぁ。頭もすっごく良くて、学年で一番の成績なの。でも、朝に弱くて、遅刻が多いのが玉に瑕。頑張って連れていこうとすると、今度は私が遅刻しちゃうから諦めた。風紀委員の人にも目を付けられてるみたい。留年したらおばあに怒られるよ?
それはそうと、今さらだけど自己紹介をしていないことに気がついた。
西住さんは転校生だからこっちは一方的に知ってるけど、西住さんからしたら、誰?って話だよねぇ。失敗失敗。
「あ、わたしはね」
「武部沙織さん、6月22日生まれ」
「ふぇ?」
突然、名前を呼ばれたから何事か!って思ったけど、そのまま誕生日まで続けられたから素直にびっくりした。
西住さんは眠そうな目を今度は華に向けたよ。
「五十鈴華さん、12月16日生まれ」
「はい」
「へぇ、誕生日までおぼえててくれたんだ」
名前を覚えててくれただけでも驚きなのに、誕生日まで。私だって、よっぽど仲のいい友達くらいしか、誕生日なんて覚えてない。
むむむ。こういう記憶力って、大事かな。やっぱり。記念日とか忘れたら大変だもんね。つ、付き合って3ヶ月記念日とか。でも大丈夫。そういうのはちゃんとメモ帳に書いて残してるもんね。
「必要になるかもしれないと思って。クラスの名簿を見て、覚えた」
「へぇ。意外と西住さんっておもしろいよね。あ、そうだ。名前で呼んでいい?」
「なまえ?」
「まほ、って」
おおっと、華が笑顔で追撃。これは、断れませんなぁ。
すると、すごい。という声が漏れ聞こえた。ざわざわと騒がしい食堂だったけど、不思議とその声はちゃんと聞き取れたよ。
「友達みたいだ」
「ぷふっ」
西住さん。じゃなかった。
それが、どうにもおかしくって、笑っちゃった。
やっぱり面白いなぁ、この子。正直というか、なんというか。
「友達みたい、じゃなくて。友達ですよ」
「馴れ馴れしいかな?嫌だった?」
「そんなことない。とても、嬉しい」
その時、まほが、少しだけ微笑んだような気がした。
「大洗には、一人で来たから」
「そ、そっかぁ。ま、まぁ、人生っていろいろあるよねっ。泥沼の三角関係とか。告白する前にフられるとか。5股かけられるとか」
「ええと、そういうことはなかったけど」
見惚れそうになって、慌てて視線を逸らす。
危ない危ない。女の子に惚れちゃうところだった。
不意打ちは卑怯だよ、もぉ。私が男の子だったら、絶対に惚れてた。家に帰って、今のことを思い出して、可愛かったなぁ、なんてベッドの上で呟くの。そしたら、次の日には恥ずかしくなって、ちゃんと顔が見れなくなったりして。いや、私は女の子だから、そんな風にはならないけどね?でも、それくらいの破壊力があった。
「じゃあ、ご家族に不幸が?骨肉の争いですとか、遺産相続とか」
「…そういうわけでも」
「なんだ。じゃあ、親の転勤とか?」
ふるふると首を振る。
うーん?もしかして、まほの言う一人って、本当に一人?親も兄弟もなし?
学園艦で学生の一人暮らしは珍しいことじゃないけれど、一人で県外の学校に転校するのは流石に珍しいかも。進学のタイミングで、とかならわかるんだけど。2年生からわざわざ転入してくるような学校じゃないよ、大洗。
でも、これ以上聞くのは
いつかは聞きたいと思うけど、結構大変な事情がありそうだ。仲良くなったからって、いきなり聞きだすような内容じゃないよね。私も女の子だから、そういう話が気になっちゃうところはあるんだけど、自重しないと。嫌な思い出とかだったら、思い出させちゃうのもかわいそうだし。
って、思っていたんだけど。
「戦車道、って知ってる?」
不意に、まほが口を開いた。
「ええと、戦車道とは、乙女が嗜む、伝統的な武芸の?」
「それとまほに何の関係があるの?」
「わたしの家は、代々戦車乗りの家系だから」
わお、普通に話すんだ。
ええと、それはつまり、まほも戦車道をやっているってことだよね。
戦車道ってあれだよね。戦車に乗って、ばんばん大砲を撃ったり、撃たれたりするやつ。実際にやっているのは見たことないけど、想像するだけで大変そうだなぁ、って思う。ニュースとかで、ばーんって大砲撃ってるのは見たことあるかも。
正直、女子のやることじゃないでしょ、って思ったりするんだけどね。あんまり戦車ってかわいくないし、そもそも全部同じに見えるし。
「それで、前の学校でいろいろあって」
「転校してきたの?」
「まぁ、簡単に言えば」
ううん。結局詳しいことは分からないけど、やっぱりいろいろありそうだ。
たぶん、想像するに、まほには前の学校で嫌なことがあったんだ。それも、戦車道関連で。
だから、まほは戦車道が嫌になって、大洗に引っ越してきたんだ。きっとそうに違いない。
よかったね、まほ。大洗に戦車道はないからね。
なんて。この時は、そんな風に思っていたんだけど、あとで私の想像は、全然的外れな心配だった、って分かるんだけどね。それに、この学校に戦車道がないっていうのも、今このときだけの話だったわけだし。
3.
ごはんを食べて教室に戻ると、なんだかざわざわとしていた。
あれは、生徒会長?
赤っぽい髪色をして、背は低いのに自信満々、余裕綽々って感じの笑みを浮かべている。うちの生徒会って、強引だし、結構悪い噂が多いんだよね。
その隣には、副会長の、ええと、小山先輩?だったっけ。それと、広報の人。片眼鏡で、いつもお堅い表情をしてるから、なんとなく怖いんだよね。背も高いし、威圧的。川崎先輩、だったかな?
会長は角谷会長。流石に、生徒会長の名前くらいはね。
会長は、もぐもぐと干し芋片手に誰かを探しているみたい。
うーん、誰かに会いに来たのかな?
そんな風に思っていると、会長がこっちを見て、お目当てのものを見つけたみたいに、にやりと笑ったよ。
「やぁやぁ、西住ちゃん」
「うん?」
片手をあげて、ふらふらっとした足取りで近づいてくる。
まほは、よくわからないような表情を浮かべて、黙って立っていた。
って、西住ちゃん?それって、お目当てはまほってこと?なんで?
「生徒会長。それと、副会長と広報の人」
転校してきたばかりのまほは、多分知らないだろうと思って耳打ちをする。私も詳しいわけじゃないけどね。
ほぉ。という納得するような声が漏れた。
「少々話がある」
生徒会の3人が、ずらぁっと目の前に並んだ。真ん中が会長で、その両隣を他の2人がそれぞれ陣取る。おかげで綺麗に真ん中で谷ができる凹、って形になった。そういえば、ぼこ、そんな名前のキャラクターがいたような。まぁ、全然関係ない話だけど。
あ、話がある、って言ったのは広報の人だよ。口調も冷たい感じでとっても怖い。ぴしっ!とした感じの人で、レンズが片方だけの変な眼鏡をしているよ。モノクルって言うんだって。
「必修選択科目なんだけどさぁ。戦車道取ってね。よろしくー」
会長が、まほの肩に手を回して、そんなことを言ったよ。
って、あれあれ?戦車道?
戦車道なんて、うちの選択科目にあったっけ?なかったはず。華道と香道と忍道と、あとなんだっけ?全部は覚えてないけど、戦車道なんて見た記憶はない。
「……この学校は、戦車道の授業はなかったはずでは?」
「今年から復活することになった」
「ほぉ」
華が質問をすると、広報の人が答えたよ。あと、ほぉ、って小さく言ったのはまほだよ。ちょっとだけ後ろに立ってたから、どんな表情だったのかは分からないけど、ちょっとだけ感情が籠ってたように感じたよ。
…って、えええ!?戦車道、復活するの!?
そ、それって、…まずくない?
まほも、もっと、どっひゃあ!って感じで驚こうよ!
「どっひゃあ?」
だって、まほは戦車道がないと思って、この学校に来たはずでしょ?
それで戦車道って…。この人たち、まほが戦車道をやりたくないって知らないのかな?
…知らないんだろうなぁ。
でもでも、わざわざまほに声をかけるってことは、まほが戦車道をやってたことは知ってるんだよね。もしかして、まほが転校したきっかけも知ってるのかも。
…もし、何か嫌なことがあって、それで戦車道を止めたってことを知っているなら。それを知ってて声をかけたなら、それはいけないことだと思う。それでまほが嫌な思いをするなら、止めなくちゃ。
見なかった振りはしちゃいけないし、そんなの絶対にできないよ。
だって、まほは友達だもん。今日友達になったばっかりとか、そんなことは関係ないんだよ。
「あのっ、必修選択科目って自由に選べるんじゃ?」
「お前は?」
「武部沙織ですっ。まほの友達の」
黙って見ていることもできなくって、割り込むように口を挟んだよ。
だっておかしいもん。
やりたくないことを無理やりやらせようなんて。そんなの彼氏に言われたって嫌だもん。
だけど、広報の人は、冷たい声でばっさり。
「そうか。お前たちには関係のないことだ」
かっちーん!何よ、その言い方!
「関係ないとは、少々言い過ぎではありませんか。それに、いきなり押しかけてきて、生徒会とはいえ、あまりに横暴です」
むっと来たんだろう。華も一歩を前に踏み出して、毅然とした口調で言い返した。普段の華は穏やかだし、天然で人とズレたところもあるけど、とっても意思が強くて、自分の意思をしっかり持ってる子だ。
大丈夫だよ、まほ。私たちは味方だからね。私と華は一歩前に踏み出して、まほの隣に並んだよ。
すると、にやにやといやらしい笑いを浮かべて、会長が口を開いた。
背筋がぞわぞわっとする。
「へぇ、ほぉ……。いいのかなぁ」
「なによ」
私が言うと、会長は目を細める。
それは、とても冷たい声だった。
「私たちにたてつくと、この学校にいられなくしちゃうよ?」
「な!?」
「脅すのですか!」
私は自分の耳がおかしくなったのかと思った。
だって、こんなの脅迫だ。
いくら生徒会長だって、そんなの認められるはずがないよ!
でも、もし、本当にそんなことになったら?
一瞬、そんな考えが浮かばなかったかと言ったら、嘘になる。
きっとありえない。いくら生徒会だって、そんな権限はないはずだ。だってめちゃくちゃになっちゃうもん。人一人の人生をめちゃくちゃにする権利なんて、持っているはずがないよ。
そうは思っても、もしかしたらという考えが、頭のすみっこから消えてくれない。
もっと何か、言わなくちゃ。そう思っても、それ以上言葉が出てきてくれない。
私、嫌な子だ。まほの力になりたいのに、危なくなったからって、怯えてる。逃げたくなってる。
きゅ。っと、私の服の裾が引っ張られた。
「五十鈴さん、武部さん。それくらいで」
「まほ……」
裾を掴んだのはまほだった。
「会長さん」
「なぁに?」
まほは、しっかりと会長に対して向かい合った。
まほの横顔は、相も変わらない、何を考えているのか分かりづらい無表情だ。
ただ、なんとなく。なんとなくだけど、喜んでいる?そんな風に感じる。
だけど、そんなはずない。きっと勘違いだ。そう思った。
そうしたら、意外な言葉が飛び出した。
「詳しく話を聞かせてください」
「うん……、へ?」
へらへらとした会長の能面が溶けた。こう、どろどろ?ずるずるって。
驚いた表情で、何を言われたんだ?っていう、思考回路がふっとんだみたいな顔になってる。
それは、会長の隣に立っている2人も一緒だった。
そして、私と華も。
あまりに驚いたから、私は華と顔を見合わせる。
なんてことないみたいな口調で、まほは言った。
「いいですよ。戦車道、やります」
4.
「なんなのよ、もー!」
放課後、私たちはアイス屋さんにいた。
結論から言うと、私たちの心配はまったくの見当違いだったみたい。
なんでも、まほは戦車道がきっかけで前の学校を転校することになったのはその通りだけど、そのせいで戦車道が嫌になってしまったというわけではないらしい。むしろ、大洗でも戦車道を続ける方法を考えていたそうだ。
「だけど、クラスの人には避けられるし、どうしたら人を集められるかもわからなくて」
そんなこんなで途方に暮れていたところに生徒会からの誘い。渡りに船だったんだって。学園艦だけに。……学園艦だけに!
「じゃあ、なけなしの勇気も無駄だった、ってわけね」
私は、あーあ、とため息をついた。
いま思い出しても、よくやったなぁ、自分。以外の感想が出てこない。それが全部勘違いだったなんて、ほんと、あーあ。
すると、まほは、そんなことない。と強い口調で話し出した。
ぽつり、ぽつり、と必死に言葉を探して、全然上手い言葉じゃなかったけど、それが逆に心からの言葉なんだ、って分かったよ。
「わたしは、うれしかった。2人が、わたしのために一生懸命。…本当に、嬉しかった。素敵な友達ができたな、って。わたしは、本当に恵まれている」
ありがとう。そう言って、まほは頭を下げた。
「そんな!顔を上げてください。わたくし達の方こそ、まほさんとお友達になれて、よかったと思っていますよ」
「そ、そうだよ。あれくらい、友達のためなら当然だって!」
なんていうか、本当に不思議な子だ。
こう、素直に感謝されると恥ずかしくなってくる。
友達になったのは今日が最初だし、たくさんおしゃべりをしたというわけでもないのに、どうしてか力になってあげたいと思ってしまう。もしかしたら、これが母性ってやつかもしれないね。まだ彼氏もいないのに、お母さんだなんて困っちゃう。
「それにしても、生徒会の方々から直接戦車道を受講してほしいと請われるなんて、もしかしてまほさん、とても有名な選手だったんですか」
「うーん、どうだろう。前の学校では副隊長だったけど、姉の方がずっとすごい選手だったし。…ああ、いけない。こんなことを言うと、
「エリカ?」
随分と親しげだけれど、誰だろう?
その口調からして、たぶんまほの親しい友達か、姉妹のことだと思うけど。それにお姉さんがいるんだね。もしかして、エリカっていうのもお姉さんのことかな?随分と外国人チックな名前だけど。
「エリカは、前の学校のチームメイト。わたしが、戦車道を続けようと思えたのも、エリカのおかげなんだ」
「へぇ」
「大切なお友達なんですね」
華がそう言うと、うーん、とまほは悩みだした。
「友達、なのかな」
「ううん?」
まほがおかしなことを言った。
「わたしは、その、友達だと思ってるけど、向こうは違うかも」
「どゆこと?」
私は事情が掴めなくて、ハテナを浮かべた。
そうしたら、まほはぽつぽつと話し出したよ。
まとめると、エリカさんとは同じ寮で4年間一緒に暮らしていて、前の学校の戦車道ではチームメイトで、事あるごとに突っかかられて、よく怒られて、いつも勝負を挑まれて、それを全部返り討ちにしていた、と。それで、転校してくるとき、ライバル宣言をされて、戦車道を続けるよう約束をした、と。
うん、まぁ。
「友達でしょ」
「大親友ですねぇ」
私と華の意見は合致した。
っていうか、それで友達じゃなかったら逆に驚きだよ。
「でも、いつもエリカには怒られていたし」
「それは、愛情の裏返し。内容を聞く限り、理不尽に怒ってるんじゃなくて、注意とかお節介が多かったみたいだしね。じゃなきゃ、わざわざ港まで追いかけてきたりしないでしょ」
「いや、港じゃなくて、連絡船の待合所…」
「どっちでもおなじことよ!」
そんな細かいことは知ったことじゃないのだ!
というか、まほが思った以上に青春していて驚いちゃった。
転校前に再会の約束とか、王道すぎて最近じゃ逆に見なくなったくらい。
でも、王道は王道だからこそ燃えるんだよねぇ。
主人公をいじめてた女の子が親友になるとか。
地味だった女の子が、恋をして変わっていくとか。
よく口喧嘩するような男の子から、ちょっと優しくされてドキッ、ってなって、急に意識しちゃったりとか。
うぅん。これは、なんとしてでも再会させてあげたい。
ちょっとだけ、そのエリカって子にも会ってみたいしね。
絶対にいい子だし、仲良くなれたら楽しそうだ。
「それで、私たちにお願いしたいことはないの?」
「え?」
ぽかん、と如何にも予想外、っていう顔になる。いや、傍目には無表情なんだけど、たぶんそう。不愛想な麻子に、長年付き合ってきた私の観察眼を舐めてもらっては困る。
「戦車道って、人が必要なんでしょ?よくわかんないけど。あんな風に生徒会が集会を開くくらいだし」
あの後、というか、授業が終わってすぐのこと。全校生徒は生徒会の放送で体育館に集められた。
まほが全然教室に戻ってこないから、なんでかなー?って思ってたけど、気づいたらステージに生徒会の人たちと一緒に登ってるからびっくり。そしたら、ばーん、とか、どーん、とか大砲を撃ってる映像を流されて、それにもすごいびっくりしたよ。女の人たちがしゅび、しゅばっ!って感じで動いてるし。なんかちょっとかっこよかった。まほもあんなことをやってたのかな、って思うと、イメージが変わる。
「それに、戦車道をやればモテモテなんでしょう?」
「えっと、それはどうかな…」
えー?だって、映像の中で男の人たちからたくさん手とか振られてたもん。
「でも、戦車道って、大変だよ」
「私、好きになった彼氏に合わせる方だから大丈夫!ね、華!」
私は、同意を求めるようにして、華のことを見たよ。そうしたら、華は笑いながら頷いたの。って、あれ?華、いつもより目がキラキラしてるよ?
「実は、わたくし、華道よりももっとアクティブなことをやってみたかったんです」
「華道?」
「華の家は、華道の家元なんだよ」
「家元…、五十鈴さんも」
だから、華のお家はすごい豪邸だ。一度だけお邪魔したことがあるけれど、お庭とかも広くて、まさに和!って感じ。池とか石とか、木とか花とか。ああいうのをなんて言えばいいんだっけ。わびさび?
「華が嫌というわけではありません。きっと、わたくしは将来、母の後を継ぐことになると思うんです。けれど、今のままでいいのか。そんな風に思う時があります。何か新しい刺激、新しい価値観が欲しい。そんな風に思うんです。ですから、西住さん。わたくし、戦車道がやってみたいです」
「五十鈴さん…」
「こんな半端な考えで、失礼だと思われるかもしれませんけど。でも、西住さんさえよろしければ、いろいろとご指導いただけませんか?」
真摯に、とても真摯にお願いする。
華は言ったら聞かないからね。
「だから、ね。まほ。一緒にやろうよ、戦車道」
「二人とも…」
じわっ、とまほの目じりに涙が浮かぶ。
慌てたように、まほがぐしっ、ぐしっ、と制服の袖で自分の両目を擦った。
わわわ、そんなにしたら、服も汚れちゃうし、目も痛くなっちゃうよ。
ほら、これ使って。と、ハンカチを差し出した。
「うん、ありがとう」
ハンカチを受け取って、くし、くし、と涙を拭いた。
そして、くしゃ、とハンカチを握りしめて、一言。
「やろう、戦車道。一緒に」
5.
ま、そのあとも大変だったんだけどねー。
戦車探したり、戦車を洗ったり、なんかイメージしてたのと違うー。
そんなこと言ったら、これも戦車道だよ。なんて、まほに言われちゃった。てへ。
あ、でもでも。戦車を探していたら、新しい友達ができたよ。
名前は秋山優花里ちゃん。私はね、ゆかりん、って呼んでるの。
とっても戦車のことが好きで、森の中で戦車を見つけたときには、なんと頬ずりを始めるんだから驚いちゃった。たぶん油とか錆とかでベタベタだったと思うよ。
あとね、ゆかりんはまほのことを知ってたんだよ。
自己紹介しようとしたら、存じ上げてます。だって。そんな言葉遣い聞いたことないよー。
そう言ったら、華に笑われたんだけど。存じ上げるって、知るの謙譲語なんだって。…謙譲語ってなに?
それと、結局見つかったのは全部で5台だったよ。あれ、単位は5両が正しいんだっけ?
「車両扱いですから、『両』が正しいですね。『台』は、動かない機械に使われることが多い助数詞ですから。車は例外でしょうか。尤も、より正確には、くるまへんの『輌』が使われるべきなのですが、これは常用漢字ではないので、あまり一般的ではありませんね」
へえ、そうなんだ。やっぱりゆかりんは物知りだね。
でも、こうやって並んでるのを見ても、私には違いとか全然分かんないよ。大きいとか小っちゃいとか、それくらいかな。
「そんなことありません!全然、全然違うんですっ!どの子もみんな個性というか、特徴があって。動かす人によっても変わりますし」
「華道と同じなんですね」
なるほどぉ。ゆかりんの言うことも、なんとなく分かったよ。
「女の子だってみんなそれぞれの良さがあるしね。目指せ、モテ道!」
「話が噛み合っているような、ないような…」
まほが呆れたような声を出した。むぅ、ちゃんと噛み合ってるもん。
ところで、この戦車を私たちで洗うってことなんだけど、それってすごーく大変なんじゃ…。今更だけど。
「まぁ、大変と言えば大変かな。長いこと放置されてただろうし」
「わぁ!べたべたするぅ!」
「これはやりがいがありますね」
えぇー、本当にやるの?こんなのキッチンの油汚れより大変そうだよ?
そんな風に考えていると、かん、かん、とまほが戦車をするする登っていく。うわぁ、流石。慣れてなきゃできない動きだよ。
そして、ひょい、とまほが戦車の中を覗き込んだ。
「車内も水抜きをして、錆び取りもしないと」
その様子を、わぁ、ってアイドルか何かを見るような視線で見つめるゆかりん。っていうか、いつの間にゆかりんまで戦車に登ったんだろう…。
「ねぇ、まほ。本当にこれ洗うの?業者とかに頼んだ方がいいんじゃー」
「そんなお金はないんだよねぇ、それが」
私がまほに声をかけると、会長がふらふらとやってきた。
「それに、教官が来るのも明日だし。今から業者を呼んでも間に合わないね」
「だけど、こんなの女子高生がやることじゃないですよぉ」
まぁ、こんなことを言ったところで考え直してくれる人じゃないんだけどさ。
それでも、文句のひとつも言いたくなるよ、こんなの。
そう思ってたら、思わぬところから嗜めるような声が降ってきた。
「整備をするのもそんなに悪いものじゃない。自分たちが乗るものなんだ。戦車の調子を知ることだって、とっても大事なことだよ」
言ったのはまほだ。
こういうのを聞くと、まほが戦車の専門家なんだなぁ、って分かる。気のせいかもしれないけど、いつもよりちょっとだけ声弾んでない?
「実は、ちょっと…」
久しぶりに戦車に触れたのが、思ってたより嬉しかったんだって。
その隣でゆかりんが、うんうん、って何度も頷いていたよ。
そして、次の日。
みんな煤だらけになって洗ったおかげで戦車は全部ぴかぴか、とはいかないけど、見つけたときよりはだいぶマシになった。そんな戦車の前で、皆してじっと待機中。
今日はイケメンの教官がやってくる、っていう話だからワクワクしてたのに、全然こない。
まだかなぁ、まだかなぁ。
そうしたら、どうしてかまほまで遅れてきたんだけど。
「遅いから心配しました」
「通学路で少し。人助け」
「流石は西住殿ですっ」
「教官も遅ーい」
こんな私たちのことを焦らすなんて、大人のテクニックだよね?
「なんか派手な登場をしたい、とか電話で言ってたけど。そのせいで遅れてるのかな。…ん、んんん?」
くおーん。
空からド派手な、空気を震わせるみたいな音が聞こえてきたよ。
え、え、え?なになになに?
音がした方をみんなで見上げる。そこには、おっきな飛行機が飛んでいた。それも、随分と低い位置を飛んでいる。あんなに低く飛んでいる飛行機を見たのは初めてだ。
「航空自衛隊の、大型輸送機ですか?」
ゆかりんが言った。わかんないけど、たぶん当たっているんだと思う。ゆかりん、そういうのにはとっても詳しいみたいだし。
そして、飛行機がぐんぐんと私たちの方へ近づいてくる。お腹の下らへんがういーん、って開いて、そこからパラシュートがたくさんついた何かが落とされた。
って、えええ!?緑色のあれは、戦車だよ!?駐車場に着地したけど、勢いが余ってずしーん!ってすごい音がなった。
「10式戦車?」
まほが戦車の名前を言った。すかさずゆかりんが同意する。
「流石は西住殿。自衛隊の最新鋭戦車ですが、74式、90式に次ぐ、第四世代の主力戦車で、スラロームしながらの射撃も可能にするという驚異の命中精度が最大の特徴ですねっ。あ、スラロームというのは、大きく左右交互に蛇行運転する技術のことで、これまでの戦車では単純な等速走行での行進間射撃が精いっぱいとされていたのですが、10式は激しい進路変更の中でも目標に命中させることができてですねっ。はっ!……しゅみません」
すごい早口だったよ。
興奮してはしゃぎすぎたということに気づいたゆかりんが、しゅん、と落ち込んだ。それを、よしよし、とおっかなびっくり頭を撫でるまほ。えへー、とゆかりんが嬉しそうな顔になった。
そして、ぎゅらぎゅらぎゅら、と走って近づいてくる戦車。それが私たちの前で止まると、上の扉みたいなものが開いて、緑色のスーツにヘルメットをかぶった人が現れる。
顔を出したのは、短く切りそろえられた黒髪が良く似合う、きりっとした表情の女の人だった。
「騙された…」
「まぁまぁ」
会長はイケメンの教官が来るって言ってたのに、イケメンじゃなかったよ。っていうか、女の人だったよ。話が違うよぉ。
「あの。沙織さん。確か会長さんがおっしゃっていたのは、カッコいい方、というだけで、イケメンとは言っていなかったような…」
「あれ、そうだっけ?」
「まぁまぁ、武部殿。カッコいいことには間違いないですからねっ。ああ、10式なんて、憧れちゃいますぅ」
きらきらとした目を向けるゆかりん。すると、心なしかまほの機嫌が悪くなった。
「ふーん。秋山さん。……ふーん」
「に、西住殿!?私、何かしましたかっ!?」
「何でもない。全然。全然、気にしてないから」
「西住殿ぉ!?」
うわぁ、意外と子供っぽいなぁ、まほ。
拗ねるまほに、慌てるゆかりん。たぶん、ゆかりんは無意識だっただろうし、まほも意固地になってるから、どうして拗ねてるかなんて言わないんだろうなぁ。傍目から見てるとほほえましいんだけど、ゆかりんからしたら一大事。助け船が必要かな。
「もー、いきなり戦車を動かせって言われてもわかんないよー!」
私が大きな声をあげる。
いきなり実戦形式なんて言われたけど、分からないものは分からない。みんな戦車なんてはじめてだからね。
ええと、3人だと社長と捕手と、なんだっけ?
「なんとか長とかないある手とか、何がなんだかわからないー!!」
「私たちのチーム、4人しかいないですし」
「じゃあ、装填手は通信手と兼任でわたしが」
「もちろん、西住殿がコマンダーですよね!」
ぐいぐいーっ、と話が変わる。ここぞとばかりに、ゆかりんがきらきらした目をまほに向けた。ふっふっふ、計画通り。
「え?……その、できれば他の役割が」
「え、でも…」
「そしたらくじ引きでいいよ。はいっ」
ノートの切れ端を使って簡単なくじを作ったよ。
「まほは装填手ねー。華が操縦手。ゆかりんは捕手!」
「砲手です」
くじの結果、私が車長に選ばれました。
へぇ、「しゃちょう」って、車に長って書くんだ。社長だと思ってた。どうりで、変なイントネーションだと思ったよ。
そして、はじめて戦車を動かしたよ。
まほが教えて、華がエンジンをかける。いぐにっしょん?だっけ?スイッチオン!
わ、わ、わ。
すごい!すごいよ!ぶろろろろ、って振動が。体全部ががたがたって揺れてる。車と全然ちがうよ!
「いいっやっほおおおおおう!最高だぜええええ!!!」
ゆかりんが吠えた。
人が変わったみたいな様子に、みんなぽかーんだったよ。
「ゆ、ゆかりん……?」
「パンツァー、ハイ」
「しゅ、しゅみません…」
そのあとは、どかーん、とか、ばこーんとか。もうすごかったの。
山の中をゆっくり進んだんだけど、そのうち撃ちあいが始まった。最初は生徒会を狙おうと思ったんだけど、逆にこっちが狙われちゃった。
それとね、途中で麻子が合流したんだよ。授業抜け出して外で寝てたんだって。
そしたら、麻子が凄いの。マニュアルをぱらぱらーって読んだだけで戦車が動かせるようになっちゃった。
あとはもう、気づいてたら全部終わってた。
いっぱいいっぱいで何があったのかなんて全然覚えてないけど、凄かったってことだけ覚えてる。砲弾を撃ったときの衝撃とか、まほが指示して、ゆかりんが撃って。その通りに全部が進むの。全部終わったら、余韻みたいのだけが、ずっと体に残ってる。
楽しいって、そう思った。
あ、でもでも、車長はやっぱり、まほがやらないとダメだよね。
あと、戦車の中はおしりが痛いから、クッションとか欲しい。土足禁止はやりすぎって、麻子に怒られたけど。そういえば、いろいろあって、麻子も戦車道をやることになったよ。これで操縦手は心配要らないね!
それから、戦車に色を塗ろうって言ったら、今度はゆかりんにダメって言われちゃった。
めいさいしょく?っていうのがいいんだって。
でもねっ!他のチームはみんな色を塗りかえてたんだよ!
別の日に学校に行ったら、倉庫の前に色鮮やかな戦車が並んでたの。
一年生チームはピンクだし、歴女の人たちは赤とか青だし。バレー部なんて、バレー部復活、ってペンキで文字を書いてるし。生徒会は成金趣味みたいな金ぴか。目に痛いくらいゴールドだ。
って、何もしてないの私たちだけじゃん!
「今からでも塗りかえようよー!!」
「ああっ!!38tが!三突が!M3が89式がなんか別の物にィー!!?」
ゆかりんが頭を抱えて叫んだよ。
「あんまりですよねぇ!西住殿っ!」
感情を高ぶらせて、ゆかりんがまほに同意を求める。
まほは唖然として、口をぽかんって開けて驚いていた。
「西住殿?」
大袈裟にしないだけで、もしかしたらまほの方がびっくりしてるのかもしれない。そんな風に思ったのか、ゆかりんが心配そうにまほの顔を覗き込んだよ。
そしたら、突然、まほが声をあげて笑いだした。
それは、お腹を抱えて、おかしくってたまらないっていう笑い方だったよ。
「ぶっ、あはっ、あははははははっ!」
私たちは、そんな風に感情を爆発させるまほを見たことがなかったし、想像もしていなかったから、とってもとっても驚いた。そして、たぶん、驚いたのは私だけじゃなくて、他のみんなもそうだったと思う。
「ま、まほ?」
「すごい。すごいなぁ。むちゃくちゃだ」
まほが、独り言みたいに言葉を漏らす。
「本当にすごい。こんなの、
けらけら、げらげら、まほが笑う。
たっぷり5分は笑って、ようやくまほは落ち着きを取り戻した。
「ああ…、おもしろい。戦車でおもしろいなんて思ったのははじめてだ」
「流石に塗りなおしますよね!ね!」
そんなまほの肩を揺らして、ゆかりんが抗議を続ける。
でも、無理じゃないかなぁ。
だって、今にも、自分たちも塗りかえよう、って言いだしそうな雰囲気だもん。
まほ、本当に楽しそうに笑ってる。
6.
「まほ、どうかした?」
放課後、今日の練習も全部終わって、今から帰ろうという時だった。
倉庫の外で、まほがぼんやりと夕日を眺めていたよ。
「わたしは、本当に戦車道をやっていてもいいんだろうか」
「え、突然どうしたの?」
私が話しかけると、まほがおかしなことを言った。
普段から何を考えているか、よく分からないところのあるまほだけど、今日のそれは、いつもとは違うような感じがしたよ。
「きちんと戦車道ができるか。最初は不安だったけど、みんな一生懸命で、だんだんと練習も形になってきた。だけど、今度はだんだんと、違う不安が湧いてきた。…わたしがここに来た理由、皆には話していなかったけど、お母さんに言われたから、だったんだ。大洗なら、戦車道がないから、って」
最初の頃は、みんな戦車を動かすのだっていっぱいいっぱいだった。けれど、まほの教え方がうまいのか、最近はみんな慣れた様子で動かせるようになってきたよ。
けど、まほの不安は、よく分からない。
戦車道がないからって、どうゆうこと?
まほは戦車道を続けたかったけど、お母さんには反対されてたの?
「わたしの家は、戦車道の家元だって、前に話したっけ」
「うん。聞いた」
そうは言っても、家元だから何、ってことはよくわかっていないんだけどね。でも、なんとなく責任があるんだってことは分かるよ。華の家もそうだしね。子供がその仕事を継ぐんだ、ってことも知ってるよ。
「前の学校で、わたしは失敗したんだ。色んな人に怒られるようなことをした。それで、お母さんに、戦車道から離れてみたらどうか、って言われたんだ。もしかしたら、お母さんは、わたしのことを考えて言ってくれたことかもしれないけど、本当のところは、よくわからない」
言葉の多くない人だから。そんな風にまほが言った。
まほが言うなんて、よっぽどなんだね。
「だから、ここで戦車道をやっていることは、お母さんには内緒なんだ。どんなことを言われるか、分からないから」
「それ、大会に出たら、バレるんじゃあ…」
「うん。たぶんね。お母さん、高校戦車道の理事もやってるから」
「ダメじゃん」
角谷会長の話だと、全国大会に出ることは確定だ。
そうしたら、絶対にまほのお母さんにまほが戦車道をやってるってことがバレちゃう。
「まほは、お母さんが苦手?」
これは、家庭の問題だ。
ただの友達が、踏み込むべきじゃないってことは、私でも分かる。
だけど、放っておけないよ。
まほは、小さく首を横に振った。
「だけど、どう話したらいいか分からない」
それを苦手って言うんじゃないかな。そんなことを言いたくなったけど、私は我慢した。
まほの様子に、いつか見た光景を思い出した。
「これさ、私が言ったってこと、麻子には内緒ね」
ごめんね、麻子。私は心の中で謝った。
きっと、麻子は言いふらしたくないことだろうから。
だけどね、まほには知っていてほしいんだ。
「麻子ね、お父さんもお母さんも事故で亡くしてるの」
「え?」
まほが驚く。
「麻子、昔からあんまり素直な方じゃなくて、憎まれ口、っていうのかな。頭もいいし、親と喧嘩することもしょっちゅうだったんだ。それでね、事故の前に、お母さんと喧嘩しちゃったの。謝れなかった、って。ずっと後悔してるの、麻子」
最初は、見ていられなかった。
何度も家に行って、何度も麻子の部屋を訪ねたけど、全然部屋を出てきてくれなくって。
ずっと部屋を真っ暗にして、誰とも話さなくて。
何度も何度も通って、ずっと麻子に声をかけ続けて、それで、ようやく外に出られるようになったんだよ。
「麻子もね、心配してたよ。まほのこと。まほ、大洗に一人で来たじゃない?家族と離れて。それで、あんまり親とうまくいっていないのかな、って。だからね、まほ。私は、話ができるなら、絶対にお互いの想いを、考えを、ちゃんと話し合うべきだって思うな。それができなくなってからじゃあ、全部遅いから」
話し合って、それで全部解決なんて、そんな風にうまくいくかは分からないよ。
だけど、やってみなくちゃ分からないじゃん。
苦手だからって、怖いからって、分からないからって、そんな風に逃げてたら、いつまでもうまくいかないままだもん。
「恋愛も一緒じゃん?」
そう言ったら、まほが笑ったよ。
「告白もしたことないのに?」
「むぅ、まほまで華みたいなこと言うー」
したことないけど、なんとなく分かるもん。
華のツッコミも、結構心にぐさぐさ刺さってるんだからね。まほまでやめてよ。もー。
そんなことを言って、二人で笑い合う。ひとしきり笑った後で、まほが携帯電話を取り出したよ。
「ありがとう、沙織さん。電話、してみるよ」
慣れない手つきで携帯を操作するまほ。
うわぁ、全然似合わない。どうしてだろう。
しばらくして、電話がつながったみたい。
まほが、お母さん。って呼んだ声が聞こえたよ。
だけど、あんまりお話はうまくいっていないみたいだった。
まほは、見たことがないくらいかちんこちんで、特に、大洗で戦車道を始めたということを話したあたりから明らかに様子が変だった。
「まほ、代わって」
私は黙って見ているつもりだったけど、気づいたらまほに右手を伸ばしてた。
まほが目を丸くして、おっかなびっくり、私に電話を手渡したよ。泣きそうな顔だった。
もらった電話を耳にあてる。向こうから、『まほ?』って名前を呼ぶ声があったよ。
「お電話代わりました。武部沙織といいます」
『……どちら様ですか?』
「まほの友達です」
電話口の声はとっても冷たくて、途端にすごい怖くなった。
だけど、引きさがるなんてことできないよ。
まほが勇気を出したんだから。
「まほと一緒に戦車道をやってます」
『…そう。娘がお世話になっています。ですが、これからは必要ありません。娘は戦車道を辞めますので』
「そんな!おかしいです!まほは戦車道がやりたくて…、とっても楽しそうなのに!」
『これは、家の問題です。
分厚い壁。何層にも重なる壁を感じる。
私が子供だから、なのかな。
家の問題とか、そんなの全然わからないよ。
だけど、関係ないなんて、そんなこと知らないよ。
だって、私は子供だから。
「あなたにとって私は関係ないかもしれないけど、私にとってまほは友達だもん。だから、関係ないなんてこと、絶対にないっ!家元だとか、そんな難しいことは分かりませんっ。だけど、あなた個人はどうなんですか。まほは、戦車道がやれるって決まって泣いてたよ。みんなで戦車道をやって、笑ってたよ。それなのに、お母さんが
子供だから、言いたいことを全部言える。理屈なんて知らないよ。
感情で、気持ちで、感覚で。言ってやる。言ってやった。
そしたら、電話の向こうで音が止んだよ。
5秒、10秒、時間が経った。
『わたしは、西住流の師範代として、次期家元として、娘の選択を支持することはできません』
「そんな!」
私は悲鳴のような声をあげた。
だけど、すぐに声が聞こえたよ。
『
それは、とっても優しい声だった。お母さんの声だった。
『まほは、元気でやっていますでしょうか。口下手な子ですから、周囲とうまくいっていないかと心配です。戦車道は危険な競技ですから、きちんとした練習環境がない場所では、ケガをしないかと気を揉みます。けれど』
『けれど、戦車道を嫌いになっていなくて、よかった』
『武部さん。武部沙織さん。どうか、娘のことをよろしくお願いします。わたしは立場上、まほのことを応援してあげることができません。試合を見に行ってあげることも、激励の言葉ひとつかけてあげることもできません。家の中でさえ、まほを甘やかすこともできません。だから、どうか、自由な場所で、あなたたちのような友達と楽しく過ごしてくれれば、それ以上の喜びはありません』
『まほに、どうか自分の体を大切に。そうお伝えください。もう二度と、あんな馬鹿な真似はしないでと。母からは、それだけです。母としては、それだけです』
「っ、お母さ――」
私が何かを言う前に、一方的に電話は切られたみたいだった。
通話が切れたことを知らせる電子音が、つーつー、と聞こえてくる。
きっと、何かを言われるのが恥ずかしくなったんだ。
心配そうにこちらを見る、まほの視線とぶつかった。
「沙織さん」
「まほ…」
ああ、これは、余計なことに首を突っ込んだ気がしてならない。
あの人は、きっとこれを伝えることを望まないだろう。
不器用な人だ。
もしかしたら、麻子の両親よりも、おばあよりも不器用な人だ。
だけど、確かな親の愛情があった。
ひどく見えづらいけど、本人は隠そうとしているけれど、娘のことを大切に思う気持ちが確かにあった。
それが、
すれ違うのは、絶対にダメだ。
そんなの私が許さない。
「大丈夫。お母さんも、まほのことが大好きだって」
私は子供だから、大人の都合なんて、知ったことじゃない。
1から10まで、まほのお母さんとどんな話をしたのか、全部まほに聞かせてあげた。
私にできることは、それくらいだ。
頭がいい方じゃないし、言葉がうまい方でもないし、人生経験が豊富ってわけでもない。
ただのお節介。それくらいのことしか私にはできないし、それが全部、うまい方に転がるってわけでもないよ。
だけど、それでも。
「ありがとう。ありがとう、
「どういたしまして、まほ」
きっとこれからも、私はお節介焼きを続けるんだろう。
大洗編は、毎回語り部が変わります。
次回は誰でしょう。お楽しみに。
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視点、ダージリン_前編
投票してくださった皆様、ありがとうございました。
1.
私には、特に強い興味を抱いている友人がいる。
彼女とは、戦車道(戦車同士で模擬戦を行う競技)においては敵同士だし、向こうがどう思ってるかは分からないけれど、私はお互いにライバルであると思っている。
ええ、まぁ。
勝ったことはないのですけれども。
…なんですか。勝てない相手をライバルと呼ぶのはおかしいですか。
山が大きければ大きいほど、同時にそれに合わせて大きくなろうとする自分もいるのです。
つまり、ずっと負け続けるしかないライバルがいるというのも、そう悪いものではないのですわ。
それに、勝ったことがないというだけで、今後も勝てないと諦めたつもりもありませんし。次の大会では、ええ、きっと勝利してみせましょう。そうできるだけの準備はしてきたつもりです。
負けると思ったらあなたは負ける、最終的に勝利を収めるのは「私はできる」と思っている人なのですから。
それから、ああ、彼女には妹がいるのですけれど、たまたま知り合う機会があったのです。
これがどうして、彼女もなかなかに興味深い。
決して、強くはないというのに。
いいえ、強くないからこそ、もがくようなその姿に。みっともなく足掻くようなその姿に。私の心は、強く惹かれている。
まるで、強大な怪物に立ち向かう、お伽噺の勇者のよう。
何事も達成するまでは不可能に見えるものである。
彼女の姉に向ける興味とは別に、つい、応援したくなってしまうのも仕方のないことですわ。
勿論、譲るつもりはありませんけれど。
2.
「大洗女子学園?」
はて、どこかで聞いたような名前ね。
受話器を受けとるまで、たっぷり5秒ほど考えて、ああ、大昔に戦車道を止めた学校でしたわね、と思い出した。
そんな学校が、今さら何を?
そんな思いで、私は受話器を受け取り、耳にあてる。
果たして、それは、練習試合の申し込みだった。
電話口の相手は、大洗女子学園の生徒会長らしい。
なんでも、20年以上ぶりに戦車道を復活させたものの、練習相手が見つからずに困っているのだとか。
嘗められたものね。
「戦車道を復活されたんですのね。おめでとうございます」
時間を空費するなかれ。つねに何か益あることに従うべし。
我が校、聖グロリアーナは、高校戦車道でも強豪に数えられる名門ですもの。そんな、まともに試合ができるとも知れない無名校相手に、時間を割いてあげるほど優しくはなくってよ。
私は笑顔を深め(尤も、電話越しには分からないだろうが)、遠回しに、迂遠に、しかし、絶対の意思を持って断ろうと言葉を考える。直接的な物言いは、あまり優雅ではありませんから。
しかし、続く言葉は、私の好奇心をくすぐった。
『こっちの隊長は、西住まほが務めるから』
…ほぉ。
西住まほ。
ティータイムに誘ったり、長々と話したことはないけれど、知らない名前ではなかった。顔を合わせて挨拶をしたくらいの面識はある。
というか、高校で戦車道をしていて、その名前を知らないのならモグリだろう。その活躍は、雑誌にだって載っている。
去年までは黒森峰にいて、副隊長だったはず。中等部の頃には隊長も務めている。
それがどうして、大洗に?
そんな疑問が湧いてしまうのは、仕方のないことでしょう。
黒森峰を去ったことは、何より、その姉から直接聞いていたので知っていましたし、そのきっかけになった事件のことも聞き及んでいますが。
だとしても、戦車道においては無名、どころか戦車道が廃れていたはずの学校に転校したことは不可解ね。その途端に戦車道が復活したこともきな臭い。
人間は偽装と虚偽と偽善にほかならない。
想像を働かせるなら、要請があったと考えるべきかしら。いえ、黒森峰からすればそれを受けるメリットはないわね。大洗に恩を売ったところで、それに見合うだけの利を得られるとは思えない。西住流にしても同じこと。偶然、そういうことかしら。ふぅむ。
それはさておき、黒森峰との試合は、公式戦でも、練習試合でも何度か経験がある。
去年は一年生だった西住まほとも矛を交えているし、その指揮能力を事前に分析したりもした。
個人的には、あまり面白い戦い方だとは思わなかったけれど、その力量は流石の一言である。
たとえ大洗が素人集団だとしても、それを指揮するのが西住まほということなら話は別だ。得られるものは0じゃない。
何より、みほさんにいい土産話ができそうですし。
自慢してやったら、どんな顔をするかしら。
きっと悔しがるだろう。見てみたいと思った。
「結構ですわ。受けた勝負からは逃げませんの」
気がつけば、快諾の答えを返していた。
それから、試合の日程を打ち合わせ、当日の段取りを確認する。
ルールは、5対5の殲滅戦ということになった。
公式戦で採用されがちなフラッグ戦でなく、殲滅戦を選んできたのは予想外に思いましたが、なるほど、フラッグ戦ではすぐに試合が終わってしまうかもしれませんものね。万一の勝利の可能性を捨ててでも、出来るだけ多くの経験を積ませたいという腹積もりかしら。あるいは、向こうも西住まほの力を量りかねているのかもしれない。
私は、当日は楽しみにしていますわ。とお決まりの言葉を添えて、電話を切った。
「練習試合、受けるんですか?」
そう訊ねたのは、オレンジペコだ。
彼女は、一年生ながら紅茶由来のニックネームが与えられ(我が校の慣習である)、紅茶の園に集うことを許された幹部候補の一人である。小柄で可愛らしい容姿ながら、装填手としての技量は我が校でも上位。勉強熱心で、頭の回転も悪くない。ただ、少し素直すぎるところがあるので、
それと、紅茶を淹れるのが上手で、彼女の紅茶は毎日の楽しみになっていることを忘れてはいけない。
ちなみに、オレンジペコとは、紅茶の銘柄のことではなく、茶葉の等級のことである。
茶葉の等級は、茶葉の大きさによって大きく3つに分類され、大きい順に「フルリーフ」「ブロークン」「ファニングス」と呼ばれる。ここから更に細かく分類しようとすると、はじめてオレンジペコの名前が登場するのだ。
穂先から一番近い新芽を「ティップ」、二番目の若芽を「オレンジペコ」と呼ぶ。三番目は「ペコ」、四番目は「ペコスーチョン」、五番目が「スーチョン」だ。茶葉は、新芽に近いほど価値が高いとされており、ティップは収穫に手間がかかることと、枝一本につき一枚しか収穫できないことから特に希少価値が高い。
ただし、ティップだけで淹れた紅茶が美味しいか、というと、それも別であり、実は味わいも香りも淡く繊細で、熱湯で長く蒸らしたところで水色もほとんど変わらない。そのため、茶葉に適量のティップが混ざっている方が一般には美味しいと感じられるのである。結果、高品質な紅茶には大抵オレンジペコが使われているのだが、そのせいか、オレンジペコの名前で商品化されることもままあるため、紅茶の銘柄と勘違いされやすいのかもしれない。
実際には、ダージリンやセイロンなど、生産地の名前が銘柄に使われるのが一般的なので、「ダージリンのオレンジペコ」、「セイロンのオレンジペコ」などと表記されるのが正しい(そのため、ノーブランドの紅茶の場合、オレンジペコとだけ商品名に使われることがある)。
なお、これに茶葉の大きさの分類まで合わせると「セイロンのブロークンオレンジペコ」「ダージリンのブロークンオレンジペコファニングス」などということになる。
まぁ、ブランド化されている茶園の場合、さらに価値を高めようと品質を細分化しているため、「スペシャルファインティッピーゴールデンフラワリーオレンジペコ(金色の芯芽の多い、ヨリの細かいサイズの揃った特別素晴らしい茶葉)のように、小学生の考えた必殺技みたいなことになるのだが。
閑話休題。
「ええ。よちよち歩きの赤ん坊に正しい歩き方を教えてあげるというのも、それも先人の務めでしょう。利己主義は、人類最大の不幸であると言うものね」
「グラッドストンですね」
「お見事」
イギリスの首相、ウィリアム・グラッドストンの格言である。
もしかすると、私が彼女の一番気に入っているところをあげるなら、私の話す格言の出典をいつも見事に言い当ててくれるところかもしれない。これは、大変気持ちのいいもので、彼女との掛け合いを楽しむため、一々格言を引用していると言っても過言ではなかった。
前にローズヒップが珍しく私の格言の出典を言い当てた時には、ペコがなんとも言えない表情をしていたので、彼女もなんだかんだ言いながら、きっと楽しんでくれているのだと思う。
たまにうんざりしたような表情も見せるので、時おり心配になるが。先輩としての威厳とか、その他諸々。…大丈夫よね?
「編成はどうしますか?」
質問をしたのはアッサムだ。私の頼りになる副官。データ主義に傾倒しすぎているのは、玉に瑕と言えるかしら。砲手としては信頼しているし、諜報活動をさせれば優秀なのだけど。
「そうね。5輌ということだし、クルセイダーは不要かしら」
我が校の主力戦車は、主にチャーチルとマチルダ、それとクルセイダーだ。
しかし、我が校の戦術は伝統的に装甲の厚さを活かした浸透強襲戦術。足が速く、装甲の薄いクルセイダーには不向きである。もっとも、偵察や撹乱には向いている車輌なので、すべては使い方次第だと思っているが。
完璧主義では何もできない。
限られた選択肢しか与えられないのであれば、それを最大限に活かすだけですわ。
尤も、チャーチルもマチルダも、WW2の初期に生産された車両のため、性能としては決して高いものではない。特に火力はお粗末の一言だ。戦術である程度カバーができるとはいえ、他校、特に黒森峰との性能差は如何ともしがたい。
実際、黒森峰の主力であるティーガー1の装甲を抜こうと思えば、超至近距離まで近づく必要がある。それも、足の遅いマチルダやチャーチルで。
ちなみに我が校のチャーチルは75mm戦車砲を搭載したマークⅦという型式で、最大装甲は152mmという重装甲っぷりだが、装甲を増やした関係で初期生産型よりも更に遅くなって最高速度は路上でも20km/h程度、不整地では13km/hという鈍足ぶりである。なお、黒森峰のティーガーⅠは路上で約40km/hとおよそ倍、純粋な追いかけっこでは勝ち目がない。
…コメットとは言わないから、せめてブラックプリンスかチャレンジャーを頂戴。この際、クロムウェルでもいいけれど、相手にティーガーがいるかと思うと複雑ね。黒森峰にヴィットマンがいないことを祈りましょう。
…また話題が逸れたわね。
「マチルダ2を4輌、チャーチルを1輌よ。これでいきましょう」
「チャーチル、ということは、ダージリンも参加するつもりですか?」
「あら、仲間はずれなんて寂しいわ、アッサム。ねぇ、ペコ」
「え、ええっと」
話題を振ってやると、準備をしていなかったのだろう、オレンジペコはあわあわと慌てだした。
こういう仕草はとても可愛いのだけれど、聖グロの未来の隊長候補としては頼りない。尤も、自分が一年生だった時はどうだったろうか。おそらく、たいして変わらない。少しばかり背丈が高かったくらいだろう。
「ダージリン、あまりペコを困らせるべきではないわ」
「ええ、そうね。ごめんなさい、ペコ。少しからかいたくなってしまっただけなの」
「いえ、私こそ、うまく返せずすみません」
ペコがしゅん、と小さくなって謝った。本当に素直な娘だ。やはり、もう少し揉んでやらなければいけないだろう。そうでなければ、あの魑魅魍魎うごめくOG会とはとてもやっていけない。あと一年もないけれど、存分に私の背中をみせてあげるとしましょうか。
教育とは、人々が知らないことを教えるのではなく、実例によって道を拓いてやる不断の困難な仕事である。
「…それでダージリン2号ができあがったら、後輩たちはいたたまれないわね」
「あら、何かおっしゃって?」
「いいえ、何も。それで、本当にダージリンは参加されるのですね」
「勿論よ。当然、あなたたちや、ルクリリにも出てもらうわ。ニルギリにも声をかけてちょうだい」
「クルセイダーを出さないだけで、ほとんど一軍メンバーじゃないですか」
ペコが驚いたように言った。
そういえば、相手が大洗という無名校だとは伝えたが、そこに誰某がいるとは話していない。肝心要の隊長の名前を伝えていなかった。
これでは、まるで弱いものいじめのように見えてしまったかしら。
「獅子は兎を捕らえるにも全力を尽くす、と言うでしょう。それに、相手には西住まほがいるんですもの。獲物は、兎ばかりとは限らないわ」
「西住まほ!それは、本当ですか?ダージリン様!…あ!」
ただでさえ大きなお目目をさらにまん丸にして驚くペコ。そして、すぐに自分がはしたないことをしたと気づいて、顔を真っ赤にする。またも、すみません、と頭を下げた。
ふふふ。この可愛らしさは、できれば無くさずにいたいわね。いえ、それではOG会におもちゃにされてしまうかしら。
あちらを立てればこちらが立たず。
なかなか思った通りにはできないものだわ。
「ええ、本当よ。まさか、アッサムでも足取りを掴めなかった西住まほが、大洗にいるとは予想外だったけど」
「てっきり、他の強豪校に行ったものとばかり」
「スカウトという形で?それは、西住流が許さないでしょう」
西住流と黒森峰に太いパイプラインがあることは、もはや公然の秘密だ。明言をしないだけで、隠すということもしていない。わざわざ他校の助けになるようなことはしないだろう。
そもそも、よく転校を許したな、というのが率直な感想だ。
姉に劣るとはいえ、彼女も優秀な戦車乗りだったことに疑いはない。昨年の決勝での行動には、確かに驚かされたりもしたが。
貴重な戦力を手放す。その思惑が掴めない。姉と妹で、チーム内に派閥でもできていたのなら、勢力争いの結果で追い出されるというのも分かるのだが、あの西住みほを擁して、そんなことはあり得ないだろう。
あれとチームを二分できるほどの傑物が、他にいて堪るものですか。
「理由は分からないけれど、西住まほが大洗にいることは事実。彼女の名前を出してこちらを釣り出したのだから、これで嘘でした、とは口が割けても言えないでしょうね」
いや、案外電話の向こうにいた相手なら平気でそんなことを言うような気もするが。いざとなれば、風聞を気にせず、手段を選ばない。そんな空気を感じたのは確かだ。
むしろ、空手形を切るのは、イギリスのお家芸である。私にも覚えがあった。案外気が合うかもしれない。
だからと言って、それを許すかどうかは別の話だが。
それはそれ、これはこれ。
私は、約束を破られることが、何よりも嫌いだった。
「ペコ、ティーセットの準備をお願いできるかしら」
「ダージリン様、それは」
ペコが困惑したような声を出す。
それもそうだろう。私の発言の意図を察すれば、眉をひそめて当然だ。ペコは素直すぎるというだけで、馬鹿ではない。
今ここで言うティーセットとは、お茶会に使うためのものでなく、誰かに送るためのティーセットを指していた。
つまり、聖グロ伝統の、好敵手に送るためのティーセットである。
「きっと、西住まほがいるのなら、つまらない試合にはならないでしょうから」
私の期待を、どうか裏切らないで頂戴ね。
3.
「…ずいぶんと、個性的な戦車ですわね」
試合当日。相対するように並んだ5輌の戦車。
いや、それを戦車と認めていいものか。
これでも戦車道チームの隊長を務める身である。世に数えるのも億劫になるくらい戦車の種類はあれど、大抵の戦車は、名前を言い当てるくらいのことは造作もない。
だから、目の前に並んだ5輌の戦車も、当然知らないはずはなかった。
しかし、これは知らない。
私は、
手に持ったティーカップを危うく落としてしまいそうになった。
ふざけてペンキでもぶちまけたのかと問い詰めたくなるほど、全身隈無く趣味の悪いショッキングピンクに塗りたくられたM3リー。
車体の前部を赤、後部を黄色に塗られ、砲身を青と白のだんだら模様に彩られた、歴史感をごちゃまぜにされたような三号突撃砲。車体の前面には、ローマの国章である鷲が描かれ、側面には六文銭やら四つ割菱やら二曳やら左三つ巴やら、もう好き勝手にあしらわれている。そのうえ、幟が四本も立てられて、ひらひらと風に揺れていた。
そして、一見まともな色合いの八九式中戦車は、側面に大きく「バレー部復活」の文字。戦車道はどうした、と言いたくなる。いや、そもそも、戦車道の試合に八九式って…。え、どうやったら戦力になるのかしら。
最後に極めつけは、成金趣味かと疑う、目に痛いほどの黄金色に輝く38tだ。黄色ではない、黄金色である。耐ビームコーティングでも施しているのかしら。中にはきっと、サングラスをかけた凄腕が乗っているのだろう。
とにもかくにも、本来の迷彩色を失っていないⅣ号を見て、ほぉ、と安心感を抱いてしまうくらいには、異常とも言える光景が広がっていたのである。
これは、もはやユーモラスの一言で片付くようなものではなかった。
見れば見るほど珍妙というか、言葉にできない。
ああ、いけない。これ以上は笑ってしまう。はしたなく声をあげて笑ってしまう。
だって、これは、
もしこれを、西住まほが指示したのだとすれば、私のなかで彼女の評価を二段階ほど上げることになるだろう。
人間は、こぶしを固く握りながら笑えるものでは無いのである。
逆を言えば、笑いながらこぶしを握ることはできない、ということになる。
こんなことを試してやろうとか、こんな風にしてやろうとか、そういう事前の心構えなんかが、一切合切消えてなくなってしまうのだ。
騎士道精神だとか、正々堂々だとか。そういったことを言葉にするのが恥ずかしくなってしまう。だって、なんだか空回ってるみたいじゃありませんの。
思いがけない先制パンチですわ。
西住まほ、意外に侮れない。
ただ、こちらの気概を削ぐ、という効果は一定以上見込めるのだけれど、それじゃあ実際の試合に使う、となると、これがなかなかに難しい。
なにせ、Ⅳ号以外の戦車は、迷彩なんて概念をどこかに投げ捨てて、まるでパレードの様相だ。ああも派手な塗装で走り回っては、岩陰に隠れようと、木の生い茂る森の中であろうと、嫌でも視界に飛び込んでくる。38tにいたっては、暗闇の中でも光っていそうなくらいだ。
また、砲塔を回せない三突の場合は、待ち伏せをして、その強力な砲弾を撃ち込むのが常套戦術であるが、ひらひらと風に揺れて主張する幟を四本もつけるなど、車高が低く隠れやすいという折角の利点を捨て去るような行為だ。要するに、ここで待ち伏せしていますよ、と相手に知らせるようなものである。もはや狂気の沙汰としか思えない。
果たして、肝心の戦車がこんな有り様で、どんな策を用意しているのだろうか。そもそも勝つつもりがあるのか疑わしいくらいだが。
「本日は、急な申し込みにも関わらず、試合を受けていただき感謝する」
「こちらこそ、面白いものをみせてもらいましたわ。できることなら、今日得るものが、これだけでないことを期待しています」
声を発したのは、片眼鏡の少女だ。
ずいぶんと肩肘を張っているというか、嘘の匂いがする。いつも冷静なしっかり者。そんな自分に憧れて、酔いしれて、演じている。なんとも剥がれやすそうなめっきだ。
電話口の少女、彼女ではないわね。
他に四人が、相対するようにそれぞれ戦車の前に立っていた。
向かって左から、これといって特徴のない少女。少し幼さが残るから、一年生かしら。その隣に、先程の片眼鏡。真ん中が軍用ジャケットを制服の上に羽織った奇天烈な格好の少女。頭にはドイツ陸軍のものを模したと思われる帽子を被っている。そして、その隣に、背の小さな少女が体操服を着て立っていた。小さいと言っても、プラウダの隊長ほどではないが。
戦車道をはじめたばかりの学校だから仕方のないことだけれど、体操服で戦車に乗るのはどうなのかしら。動きやすいのかもしれないけど、見ているこっちは、危なくてしょうがない。各校が、わざわざ制服や運動着とは別にパンツァージャケットを用意するのは、それなりに理由があるのだ。
さて、そして、向かって一番右端。
この場で唯一、見覚えのある顔があった。
「お久しぶりね、西住まほさん」
「どうも」
しかし、なんというか、相も変わらず覇気がない。
姉を見習えとは言わないけれど、その眠たげな目つきを隠すくらいの努力はしたらどうなのかしら。
「まさか、黒森峰から大洗に転校しているとは思いませんでしたわ」
「ええ、まぁ。色々ありまして」
「大洗はどうかしら。熊本とは、やはり違う?」
「どうでしょう。よくわかりません」
これを西住みほがやっているなら、かわされている、とでも表現したでしょうけど、妹のまほさんが相手だと眠たいだけとか、何も考えていないというのが分かってしまってつまらないわね。
「今日は、あなたがいると聞いて、とても楽しみにしていたのよ」
「そうですか。それは、光栄ですね」
暖簾に腕押し。ぬかに釘。
まったくもって、好みでない。
彼女には、もう少し会話を楽しもうという心意気はないものかしら。
せめて、光栄と言うなら、それらしい表情を浮かべてほしいものだけど。
こうも流されてしまうと、プラウダの嫌みったらしい挑発の方が、反応がある分だけ幾分ましに思えてしまう。無感動というのもつまらないものだ。
やはり彼女は、カタ過ぎる。
そう、思っていたのだけど。
「今日は、胸を借りるつもりで挑ませてもらいます」
「…へぇ」
薄く。本当に薄くだが、笑っていた。
それも、ほんの一瞬のことだったが、けれど、きっと見間違いではない。
挑戦的な、あるいは、好戦的な笑みが見えた気がした。
それは、黒森峰にいた頃の彼女には考えられなかったものだ。
今すぐにでも戦車に乗りたい、遊びたい、そんな子供染みた感情の発露。
きっと、大洗で手にいれた、熱のようなものだった。
「天下の西住流に、貸せるものがあったとは。これは、自慢に思ってもいいものかしら」
「え?ああ、ええと」
うん?何を急に慌てているのかしら。
…ああ、そういえば、彼女は今、西住流を出奔しているようなものだったわね。
前言撤回。まだまだぎこちないけれど、なかなかどうして可愛らしい反応を見せてくれるじゃないの。
「ふふ、いい試合にしましょうね」
一歩を進み出て、右手を差し出す。
ぎゅ、っと握り返した彼女の手には、しっかりと血が通っていた。
「…ふぅ」
「あら、どうかしたの?オレンジペコ」
挨拶を終え、互いに背を向け合い、戦車に乗り込もうというときだった。
隣を歩くオレンジペコが、いかにも安心したという息を吐いた。
「え、いや、その。緊張してしまって」
「あら、どうして?」
オレンジペコは幹部候補であるが、同時に経験の浅い一年生だ。とはいえ、中等部でも戦車道を履修し、それなり以上に活躍していたはずである。だからこそ、私直々にスカウトに出向いて、オレンジペコの名前まで与えた。それが、今さら試合に臨むためだけに緊張をするだろうか。
「だ、だって、西住まほさんですよ?中学MVPの。こう、さすがは西住流というか。立ち居振舞いも堂々としたものでしたし、風格があったというか」
「…ペコもまだまだねぇ」
「はいィ?」
ふるふると頭を振る。
がっかりだわ。本当にがっかりだわ、オレンジペコ。
いえ、これはペコばかりではないのでしょうね。
ルクリリやニルギリを見ても、ペコと同じように萎縮しているような表情が見てとれる。
名前や前評判に踊らされるようではまだまだね。
「もっと人を見る目を養いなさい。知らないという口実は、決して責任を消滅させるものではないのだから」
「…覚えておきます」
「そうして頂戴。年長者の言うことは、『大抵』正しいものよ」
ペコは、何かを言いたそうにしたが、結局は言うのを止めたらしかった。
あらあら、少しからかい過ぎたかしら。へそを曲げられたら困るし、あまりイエスマンになられても嫌なのよね。私が彼女に期待しているのは、そういうところじゃないのだけど。
それはともかく、西住まほが少し変わったというのは確かかしら。
ペコが言うほど風格どうこうというのはないにしても、以前のままだと思っていては痛い目を見るかもしれない。
無名校だったというのが幸いしたのだろうか。色眼鏡で見る人が以前よりもずっと減ったのだろう。
そうすれば、なんということはない。ただ、人より少し能力が高いだけの高校生なのだ。そんなに大それた英傑や偉人やスーパーマンというわけでもない。
そんな当たり前のことを、誰にも信じてもらえないということが、彼女の何よりの不幸だった。
後ろから、わずかに聞こえる。
もっと隊長らしくしっかりしろ、だとか。
いや、なかなかに格好よかったぞ、だとか。
そんな、黒森峰にはなかった気安い空気と談笑だ。
西住まほと西住みほは違う。
あれは、上が下を引っ張る戦車道だ。
圧倒的なカリスマと、自信と経験に裏打ちされた冷徹な指揮でもって、一個の軍団をまるで生き物のように動かし、敵を撃滅する。例えるなら、オーケストラの指揮者だろうか。
けれど、それは彼女に似合わない。
だって、
彼女のそれは、下が上を支える戦車道。そうあるべきだった。
しかし、見本が姉や母の戦車道しかなかったのなら、それに気付けるはずもない。なまじっか真似をする技術が高かったものだから、そのことに周りも気づくことができなかった。西住という名前のせいもあったのだろうけど。
岡目八目というけれど、だからこそ私には気づけたのかしら。
…いいえ、違うわね。
大洗には、そういう理解を邪魔する偏見とか先入観みたいなものがなかった。風土というか、気質というか。そういうのも関係しているのかもしれない。
彼女たちには、西住まほの本質が見えている。
等身大の西住まほと向き合っている。
それが黒森峰では違った。
大きく膨らんだ、西住まほのイメージしか見えていなかった。見られていなかった。
ペコのように、ルクリリのように、ニルギリのように。
何か、途轍もなく凄いもののように錯覚されていた。
だから、彼女は黒森峰にいた頃よりもずっと気楽そうに見える。
仲間たちが前でも後ろでもなく、ましてや観客としてでなく、自然な様子で彼女の隣にいる。
きっと、そのおかげでしょうね。前よりも、ずっと。
「からかい甲斐が増えた」
「…ダージリン様は、少し他人で遊ぶのを控えられたほうがいいと思います」
「あら、心外ね」
最も長生きした人間とは、最も年を経た人間のことではない。最も人生を楽しんだ人間のことである。
「私は、楽しんでいるだけよ。純粋に」
あなたもそうでしょう、西住まほ。
戦車道が楽しくなった。笑う理由なんて、そんなものよね。
ダー様と言えば、紅茶、格言、お嬢様口調。
全部盛り込んでみましたが、どうでしょうか。難しいですね。
間違っていたら、こっそり指摘してください(特に紅茶関連)。
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視点、ダージリン_後編
4.
「それから…って、聞いていますの?」
場所は、我が校の敷地内にある紅茶の園というクラブハウス。
西住みほをお招きしてのティータイムの真っ最中だった。
「ええ。ええ。勿論、聞いていますよ。何せ、大好きなわたしの妹のお話ですから」
にこりと笑って、ペコの淹れた紅茶に口をつける。
旨そうに飲んでいるが、さて、それもどこまで本当のことか。
「ですから、ふざけた色合いの戦車が出てきてですね」
「それは、もう何度も聞きました」
「…あら、そうだったかしら」
私は大洗との練習試合があまりに楽しかったものだから、これを誰かに自慢したくてしょうがなかった。…子供みたいと思うかしら。
けれど、仕方ないわね。ペコもアッサムも、私が大洗の話をするとうんざりとした顔をするんですもの。たかだか10回ばかり話題にあげただけだというのに、興味を無くすのが早すぎる。
他の娘たちもだいたい一緒ね。この前は、私が大洗という単語を発しただけで、露骨に話題を変えられたこともあった。違うのはローズヒップくらいですけど、彼女は話し相手には面白くないのよね。いつだって、人の話を聞いているのか聞いていないのか分からない娘だから。見ている分には面白いのだけど。
「ええと、それで、どこまで話したかしら」
「大洗の囮作戦が失敗したところですね。38tの履帯が外れて、他の戦車は市街地へ逃げていったと」
「ああ、そうでしたわね」
話が行ったりきたりしてしまうのは、私の数少ない悪癖のひとつだ。
けれど、それくらい衝撃的だったし、面白かったのだから、何度でも語りたくなってしまうのも許してほしい。
ああ、今思い出しても馬鹿げたカラーリング。ピンクや赤や黄金色なんて、アニメーションじゃあないんだから。
事実は小説よりも奇なり。
ええ、まったくだわ。彼女たちの頭は、
「結局、仕留められたのはM3リーだけで、他には逃げ切られてしまいましたわ。撤退の判断はお見事。Ⅳ号を殿に、見事に時間も稼がれてしまいましたし」
「…38tは?」
「あら、気づかれました?実は、その…」
これは明確に私のミスよね。
履帯が外れただけで撃破判定の確認を忘れていたなんて。
いえ、言い訳ができないわけでもないんだけど。
「まぁ、素人集団に履帯の修理ができるとも思えませんし、砲弾が勿体無かった、というのが、尤もらしい言い訳でしょうか。あとは、動けない相手を撃つのは、騎士道精神がどうとか。どちらも後付けでしょうけどね」
「うぐっ」
流石はみほさん。おやりになるわね…。
後付けというところまで、ぴったりその通りですわ。
「そして、市街地戦の終盤で、最大のピンチを助けに入る、なんて展開は劇的かもしれませんね。最後の一輌を囲んで追い詰めたタイミングだったら最高です」
「みほさん、誰かに聞きましたの…?」
そうじゃないと説明がつかないくらいシチュエーションまでぴったりだ。
或いは、どこかで見ていたか。
西住流は、監視衛星でもジャックしてるのかしら…。
「そうだったら面白いな、と思っただけですよ。ダージリンさんがとても楽しかった、とお話ししてくれているわけですし。一番面白そうな展開を想像してみたまでです」
「でしたら、想像の中だけに留めておいていただけると嬉しいですわ。話す楽しみが無くなってしまいますもの」
「人の話の腰を折ってはいけない。人の話題を横取りしてもいけない。ええ、気を付けますね」
「ジョージ・ワシントン。…人のお株も奪わないで欲しいものですわ」
じとー、っとした目を向けると、みほさんはころころと楽しそうに笑った。
これでは、私がいつものペコの役目になってしまう。
「すみません。ダージリンさんと話すのは楽しくって、つい」
「ずるい人ね。そんなことを言われてしまったら、怒る気が失せてしまいますわ」
「ふふ、狙い通りです」
まったく、これだから。みほさんとのおしゃべりは本当に楽しい。こちらの好むところを的確に刺激してくれる。
「それで、ええと。そう、市街戦の話でしたわね。これは、まだ話していなかったかしら。幟をつけた三突が――」
私の舌は、回る回る。
それからというもの、あっちにいったりこっちにいったり。行ったり来たり戻ったりを繰り返して、ようやく試合の終わりまでを語り終えた。
改めて語ってみて思うが、本当に大したものだ。
三突に一輌、
まるで上段からの物言いになるが、まさか、私の乗るチャーチル一輌になるまで追い込まれるとは思わなかった。それも、戦車道をはじめたばかりの学校に。
さすがに最後の
実のところ、みほさんとの試合よりも楽しかったというのは秘密だ。
いや、この語り口では、察しのいいみほさんには筒抜けかもしれないけれど。
挑む、ということはけして悪いことではないが、競う、というのも、また別種の楽しさがある。
ライバルが強くなければ自分も強くならない。
自分が強くなるためには、一緒に強くなる相手がいないと、心がどこかでだらけてしまう。
実際、うちの隊員たちにとっても、いい刺激になったようだった。約1名、トラウマを負った娘もいるみたいだが。
「本当に、あなたの妹は強かったですわ。いえ、強くなっていた、というのが正しいのかしら」
「へぇ、それはそれは。ダージリンさんがそんな風におっしゃるなんて、よっぽどだったんですね。姉として、わたしも鼻が高いですよ」
嘘か本当か、そんなことをみほさんが言う。
ぱっと見、みほさんの表情は笑顔だが、実のところは分からない。彼女ほど仮面の被り方がうまい高校生を、私は他に知らなかった。彼女と言葉を交わした回数も随分と多くなったものだが、その本心が窺えたことなんて一回か二回、あるかないかといったところだ。
尤も、似たようなことを私も他人から言われるので、似た者同士といえば似た者同士なのかもしれない。
…こうして見ると、
いえ、見た目の話ではなく、中身の話ですけどね。見た目は、まぁ、似ていないということもないのでしょう。たぶん。
みほさんとまほさんと、それとしほさん。この3人しか知らないから、そう思うのかもしれないけど。この中で浮いているのは、寧ろみほさんかしら。
ふと、気になることがあった。
「ねえ、みほさん。私、思うのよ。まほさんが強くなったのは、黒森峰を出たからなんじゃないか、って」
ぴくっ、とみほさんが反応した。…ような気がする。
あのみほさんが、そんな分かりやすい反応をするかしら。とは思うが、こと妹に関する話題には、リアクションも本物らしいことが多い。
それは爆弾かもしれないが、見られるものなら、みほさんが本音で語るところを見てみたかった。
「あなたなら、分かったはずではなくて?西住流が、いえ、黒森峰の戦車道がまほさんに合っていないと。あなたほどの人なら、彼女が窮屈そうにしていたのを感じ取れたと思うのだけど」
すると、みほさんはすっかり冷えてしまった紅茶に口をつけて、残りをすっかり飲み切るようにカップを一気に傾けた。ぷはっ、という声が鳴る。わざとらしく、かちゃかちゃと音が鳴らされて、粗雑な所作でカップがソーサーの上に戻された。
いつものみほさんなら、音をたてないようにゆっくり置く。何か違和感があった。
「そうですね。ダージリンさんが言い直した通り、西住流が合っていないとはわたしも思いません」
口調は、いつもの如く丁寧だ。
ただ、いつもよりも言葉に『色』があった。
その色を、果たして何色と定義すればいいのか。私には表現する言葉が見つからない。
「何十年も研鑽を重ねただけあって、
「…お人形遊び?」
「ダージリンさんだと、やったことありませんか?お人形をいくつか用意して、舞台とか、設定を決めるんです。この子はお父さん、この子がお母さんで、こっちが子供。女の子がいいかな。それで、お父さんは普通の会社員で、お母さんは専業主婦。まぁ、ひとりでやれるごっこ遊びのようなものですよ。おままごとみたいなものです。お恥ずかしながら、わたしはあれが大好きでして。まぁ、誰かに台本を強いられるのは、ちょっと大嫌いなんですけれど」
耐え切れなくなって、私は言葉を挟んだ。
「ちょ、ちょっと待ってください。みほさん、何をおっしゃっているの?」
「
ダージリンさんは、お友達ですから。特別ですよ。そう言って、いつも通りみほさんは笑った。
いえ、それは本当にいつも通りだったかしら。
果たして、いつも通りの笑い方だったかしら。
みほさんは、こんな風に笑ったかしら。
口元が、三日月の形に歪んでいる。
「…そんなことを、私はお願いしたかしら」
「あはは。言わなくたって分かります。そういうものでしょう、淑女のお茶会って。けれど、わたしはそういうまだるっこしいものがあまり好きではないですから、時には本音で話したくなるときもあります。当然、相手にもよりますけどね」
「それは、光栄なことですわ」
口調が丁寧ということは変わらない。けれど、幾分、いつも以上に気安い雰囲気を感じられた。壁がない。薄く張り付いた、膜のようなものが取っ払われている。だというのに、いつも以上にみほさんの意図が読めなかった。
いや、いつだって、分かったつもりというだけで、それはてんで見当違いだったのかもしれないが。
「けれど、それじゃあ、あなたにとって戦車道は、お人形遊びと一緒だということかしら。あなたの言う、まだるっこしいことを抜きでお聞きしますけれど。…私もお人形だと?」
「いいえ。あなたは、お人形遊びをする側の人間です」
ピンときませんか?
そんな風にみほさんが尋ねた。
「覚えがありませんか?こっちはこんな風に部隊を動かして、向こうはこんな風に対応するだろう。それで、こんな風に進行するだろうっていう、試合の流れをコントロールするような感覚。戦場が盤面に見えて、敵も味方も、自分が全部操っているような感覚。覚えがありませんか?」
覚えがない、と言えば嘘になる。けれど、高校戦車道ほどのレベルになれば、それは理想論でしかなかった。その理想に、どれだけ近づけるか、というのが腕の見せ所なのだけれど。
しかし、なるほど。ようやく合点がいった。
「それが本当にできるなら、確かに戦車道もお人形遊びと一緒なのでしょうね。そして、そういう意味では、大洗はさしずめ、『トイ・ストーリー』ですか」
「自由で、勝手で、予測ができない。そういうところが、まほちゃんの琴線に触れたのかな。わたし個人としても、たぶん好みの人が多いでしょうね。とっても扱いづらくて、黒森峰では、
それは、ともすれば、散々な言いようにも聞こえるけれど、語っているみほさんの口ぶりからは、まほさんのことを羨んでいるように感じられた。
「ねぇ、みほさん。やっぱり思うのですけど、あなたはどうして西住流なんてやっていますの?聞いていると、あなたにとっても、西住流は窮屈なんじゃないかって。そう思うのだけど」
彼女の場合は、黒森峰ではなく、西住流が。
西住流そのものが、窮屈そうに見える。
彼女の戦術論を聞いていれば、いつだって西住流は合っていないように感じられてしまう。
こんなこと、
「ああ、うん。そうですね」
すると、みほさんは中空に視線をやって、一瞬どうしたものかと悩むようなそぶりを見せた。そして、徐にカップへ手を伸ばす。
カップには、気を利かせたペコがお代わりを注いだ後だった。
湯気のたちのぼるオレンジ色のそれに、みほさんは、今度は静かに口を付けた。
「熱いけれど、とても美味しい。わたしは紅茶に詳しくないので銘柄はよく分かりませんが、ペコさんの淹れてくれる紅茶はいつも美味しいですね」
「きょっ、恐縮ですっ!」
まさか、声をかけられるとは予想もしていなかったのだろう。
ペコの声が裏返っていた。
くすくすとみほさんが笑った。
「紅茶の淹れ方って、やっぱり何かコツがあるんでしょうか。頂いたティーセットを使おうにも、ペコさんが淹れたようには、美味しくできなくて。いつか教えてくださいますか?」
「も、勿論ですっ!」
背筋をぴんっ、と伸ばしてペコが答える。
ああ、まったく初々しくて、可愛らしい。
わざわざ振り返らなくても、ペコの顔は茹った蛸のように真っ赤なことでしょうね。
頭が痛い。
それにしても。それにしても、だ。
みほさんにしては、唐突すぎる話題の転換ではないかしら。
それほどに触れられたくない話題だった?まさか。
西住みほに限って、ありえない。
「黒森峰では、紅茶は飲まれないのかしら」
「ほら、聖グロとは違って、黒森峰はドイツ贔屓の学校ですから。普段は、専らコーヒーです」
そう言って、みほさんはゆっくりとカップを置いた。
まったく文句のつけようもないくらい完璧な所作である。まさしく、礼節やマナーを叩きこまれた淑女のもの。ローズヒップなどとは較べものにならないほど、これが様になっていた。
マナーが人をつくる。
確か、映画の台詞だったかしら。
改めて、彼女が本物のお嬢様だということを思い知らされた。
「つまり、そういうことですよ」
「そういうこと?」
見惚れていると、やにわにみほさんが言い放った。
ソーサーに置かれたカップの縁を、ぴんと指で弾く。
「聖グロであれば、紅茶。黒森峰であれば、コーヒー。まぁ、黒森峰はそれほどではありませんが。聖グロでコーヒー党が隊長になることは難しいでしょう?少なくとも、
正直に言って、意外だった。
「あまり、そういうことには頓着をされない方だと思っていたのですけど」
「まさか、まさか。将来は家元になろうというのです。まったく無頓着ではいられませんよ。使えるということも、アピールしないといけませんし」
「それもそうですけど。家元になりたいということも、意外に思いましたわ」
実際のところ、西住流の後継は、みほさんでほとんど決まりだろう。まほさんには悪いが、才能が違う。実績が違う。けれど、みほさん本人はあまり家との関係もよくないと聞いていたし、てっきり、そういう立場みたいなものを煩わしいと感じているのではないか、そんな風に疑っていた。
西住流の後継者問題。それも、彼女の気持ちひとつと思っていたのだけど。
「ええ、まぁ。そうですよね。正直、家元なんてものに、興味はないですよ」
あっさりとした言いようだった。
本当に、欠片ほども価値を見出していないのだと分かる。吐き捨てるようだった。
「では、なぜ?」
「だって、わたしが家元でなくなったら、あの人はまほちゃんを後継ぎにしようとするじゃないですか。そんなこと、とてもとても。ねぇ?」
眦を伏せて、そんなことを言う。
それではまるで、妹のことを心配する優しい姉のようだった。
「ふふ、妹にそんな重責は負わせられない、ですか?相変わらず過保護ですわね」
やはり彼女は、本当に妹のことを大切に思っているらしい。
そんな理解は、勘違いだった。
一瞬、みほさんはきょとん、という表情を浮かべた。そしてすぐに、ああ、という何かを察した表情に変わる。いたずらっぽく、くすり、と笑った。
「…へぇ、そういう見方もできるんですねぇ。なるほど。次からは、そういう言い訳を使うことにしましょうか」
良いことを聞いた。そんな風に満足げな様子だ。
「あ、あら?違いましたか?」
「全然。ダージリンさんでも、的はずれなことを言うときもあるんですねぇ」
「ええ。ええ、それは勿論。私はまだ学生ですもの。高校生ですもの。参謀家きどりの小娘に過ぎませんわ」
「ふふふ。そんなこと、欠片も思っていない癖に」
それは、正解。
お見通しですわね、流石に。
少しの沈黙があった。
「…ねぇ、ダージリンさん。わたしは、妹のことが好きなんですよ」
「ええ。存じていますわ」
何を今更。そんなこと、分からないほうがどうかしている。
しかし、みほさんは小さく首を横に振った。
「いいえ。いいえいいえ。きっとあなたは知りません。わたしが、どれほど彼女のことを愛しているか。きっとあなたは知りません」
すぅ、と息を吸った。そして、小さく吐いた。
みほさんの指はかちゃかちゃと、カップの取っ手を突っついたり、弾いたり、落ち着きのない様子で遊んでいる。何やら、背筋がぞわっとするのを感じた。
目が合った。
「わたしはね、あの子に嫌われたら、たぶん生きていけないんです。
生きていないんです。
それくらい愛している。愛してしまっている。大好き。
わたしの世界には、あの子だけでいい。あの子だけがいい。それくらい、わたしはあの子に首ったけなんです。
「幼い頃、誰かが言いました。まほちゃんは、お姉ちゃんにべったりだね、って。
親戚の誰かだったかな。お手伝いさんだったかな。もしかしたら、門下生の誰かだったかもしれません。
だけど、それ、本当は逆なんです。
手を握っていたのは、いつだってわたしだったんです。
放したくなくて、離れたくなくて。まほちゃんの手をずぅっと握っていたのはわたしだったんです。
わたしだけだったんです。
「前にも言いましたっけ。あの子は、わたしが戦車道で活躍する姿を見ると、すごいって褒めてくれるんですよ。
お姉ちゃんすごい、って。かっこいいって。いつも静かなまほちゃんが、はしゃぐんです。普通の子供みたいに。
そして、尊敬の目で見てくれるんですよ、わたしのこと。
「わたしは、それが嬉しくって。
はじめてまほちゃんが褒めてくれたとき、そのことに気がついたんです。
心臓が大きく跳ねて、どくんどくん、って血が巡っていくのを感じました。
手の先、足の先。じんわりと温かくなっていくのを感じました。
ああ、わたしは生きているんだな。ちゃんと、心が動くんだな、って。
「わたしは、ちゃんと心がある人間なんだな、って。
「だから、あの子は、あのままでいいんです。あのままがいいんです」
「え、ええと、それは、つまり?」
「分かりませんか、
堰を切ったようにあふれ出す、感情の奔流。私は溺れてしまわないよう、笑顔の仮面を必死でかぶり続けた。
「私は、ずっとあの子に見上げていて欲しいんですよ。わたしのことを。ずっと。あの目で見てほしいのです。尊敬していて欲しいのです。だから、西住流家元なんて名前、『かっこう』でしょう?」
彼女の目は、笑っていた。
「あなたは…」
「だから、本当にあれは失敗でした」
途端に、声の調子が変わった。
先ほどまでは、本当に楽しいことを語っている調子だった。好きなことを語っているときの調子だった。
けれど、これは、『怒り』かしら?
「まさか、あの人がここまで手段を選ばないなんて。うまくいくと思っていたんですよ。まほちゃんがいなくても、勝つくらいのことはできると思っていたんですけどね。そうしたら、きっと、まほちゃんはいっぱい褒めてくれるって思ったんですけどね。そのための準備もして、うまく、やったと思ったんですけどねぇ…。だけど、あの人の介入を許してしまいました。失敗です。台無しです」
「それは、もしかして、西住師範。あなたたちのお母様のことを言っているのかしら」
「ええ。あの人は、本当に余計なことをしてくれました。まさか。まさかまさかまさか、まほちゃんを戦車道のない学校に転校させるなんて。手段を択ばないにも程がある。そんなにわたしから、まほちゃんを取りあげたいかっ」
がしゃん!
大きな音が鳴って、私は身を震わせた。
それは、みほさんが拳をテーブルに叩きつけた音だ。
テーブルの上のカップやら、お菓子を載せた皿たちが飛びあがった音だった。
ころころとお菓子が、特に、みほさんが好物としているマカロンが皿から落ちて、テーブルの上を転がった。
そのうちのひとつを、みほさんが手を伸ばして口へと運ぶ。ひとつを丸々口の中へ放り込んでしまった。
何度か咀嚼をして、呑み込んだ。
それですっかり元通りだ。
「まぁ、すべては考え方次第です。幸い、転校先で戦車道を復活させるようですし。これは、あの人も計算違いでしょう。わたしの
彼女が黙ってしまえば、クラブハウスの中は沈黙に支配されるしかなかった。
尤も、今クラブハウスの中にいるのは、みほさんの他には、私とオレンジペコのふたりだけである。
きっとペコは、顔を真っ青にして震えていることだろう。無理もない。私だってそうだ。感情を荒げる西住みほなんて、はじめて見たのだから。気を抜けば、手に持ったカップも落としてしまったかもしれない。
けれど、そんな無様は晒せない。
私はダージリンだ。
名誉ある聖グロリアーナの戦車隊の隊長だ。
そして、西住みほの友人だ。
「悪党とつきあうのもいいものだ。自分の良さが分かる」
みほさんが一瞬、呆けたような顔になった。
「ええと、それも誰かの格言ですか?」
「映画ですよ。昔の、古い映画です。流石にご存知ではなかったみたいですわね」
おそらく、ペコでも守備範囲の外だろう。そして、アッサムがネットか何かで出典を調べるのだ。
「悪党ですか、わたしは」
「悪党でしょう。少なくとも、全うな姉妹関係とは言い難い。正直に感想を言わせてもらうならば、少し、『気持ち悪い』」
ずずず、と手に持ったカップで紅茶を啜る。
ことん、とテーブルの上のソーサーにカップを置くと、途端にみほさんが笑いだした。
「
それは、淑女らしさの欠片もない、子供のような笑い方だった。
さて、楽しそうに笑っているところに恐縮だけれど、水を差すと致しましょう。
それは、我が校の誇る諜報部隊、情報処理学部第6課。通称GI6の手に入れた『とっておき』よ。
「まぁ、あなたが彼女に執着するのは勝手ですけどね。それ、うまくいきませんわよ」
「へぇ、どうしてですか?」
こてん、と首が折れた。
いや、実際には傾げただけですけど。ただ、そう思ってしまうくらいには、勢いがついていた。
「大洗は、この大会で負けてしまうと廃校になってしまうらしいの。どうやら、戦車道を復活させた背景には、文科省との取引があったみたいね。だから、もしもあなたの思惑通りに『こと』が運んだとしたら、彼女たちに引導を渡すのは、あなたということになるわね。みほさん」
まほさんは、転校先の大洗で随分と楽しくやっているようだし、多分、愛着のようなものが芽生えている。追放のような形で黒森峰を転校していった彼女が、再び戦車道をやっているあたり、廃校のことは聞き及んでいると思って間違いない。
それを、他ならない姉によって、邪魔されたとしたらどうだろう。果たして、みほさんの想定するように尊敬などするかしら。
しかし、予想外にみほさんは、穏やかな笑みを浮かべた。嬉しそうに笑ってみせた。
「へぇ、それはそれは。いいことを聞きました。
「エリカ?」
それは、ええっと、誰の事かしら。
「エリカは、うちの隊員です。まほちゃんとはとても仲がよくって、いつも一緒に遊んでいました。まほちゃんがいなくなって、あの子も随分と寂しそうにしていますよ。…それにしても、そうですか。大洗が廃校に。わたしも、てっきり転校した先に根を張ってしまうかと思っていましたから。学校がなくなってしまっては、戻ってくるしかありませんよね」
よかったよかった。そんな風にみほさんが頷いた。
「まさか。黒森峰に戻るとお考えですか?あり得ないでしょう。それなら、他の学校に転校する方がよっぽど可能性が高い」
こんなこと、わざわざ言わなくたってみほさんなら分かりそうなものだけど。
しかし、それでもみほさんの笑顔は崩れない。
ああ、そういえば、結局。笑った顔、怒った顔。いろいろと新しい顔は見れたけれど、ついぞ悔しがる顔は見られなかったわね。
練習試合を受けた理由のひとつに、そんな理由があったことを思い出した。
「…私、この前の試合で、彼女が欲しくなってしまいましたの。ねぇ、みほさん。私、まほさんのことをスカウトしようと思うのよ」
「…へぇ」
「来年、ペコだけでは大変だと思って。名前も考えているのよ。シルバーティップ。ねぇ、ぴったりだと思いません?」
笑いかける。こんなもの、藪を突っつくような行為だ。
けれど、それくらいしないと、彼女の顔は見えないと知ってしまった。
すると、
「ふふふ、ダメですよぉ、ダージリンさん」
地の底から響くような、なにかを呪うような、そんな、低い声が聞こえた。
「あの子は、わたしのです」
汗が吹き出る。
喉が渇く。
頬を撫でられ、喉を掴まれたような感覚があった。
当然、みほさんは一歩だって動いていない。椅子に座ったままだ。届くはずもない。
錯覚だ。脳が誤認識を起こしているんだ。
分かっている。分かっているのに、
ごくり、と生唾を飲み込む。
突然、みほさんが立ち上がった。
「今日は、本当にいいお話を聞かせてもらいました。ああ、テーブルはごめんなさい。汚したり、壊したりしていたら、請求書を寄越してください。それでは、少しやることができてしまったので、お暇させてもらいますね。見送りは結構ですので」
そう言って、扉の方へ向かって歩いていく。
圧迫感のようなものが、一緒になって離れていった。
その後ろ姿に、私は、待ってください。と声をかけた。
「なんでしょう」
振り返らずに、足を止めた。
からからになった喉で、言葉を紡ぐ。
「こんな格言を知っている?『4本足の馬でさえつまずく』」
「…覚えておきましょう。他でもない、お友達の忠告ですから」
ぱたん、と扉が閉じられる。
後ろから、どさり、と音がした。
ペコが膝から頽れる音だった。
振り返れば、ペコは胸を押さえている。
ぜぇ、はぁ、と荒い息を吐いている。
顔色は、やはり真っ青だ。
きっと、私も似たような色をしているのだろう。
「ダージリン様っ…!あれは、っ、…あれは一体何ですか!?」
息も絶え絶えに、オレンジペコが問いかける。
何。
何と聞かれても、答えに困った。
あれの正体など、私にも分からない。
いや、分からなくなった。
けれど、ひとつだけ確かなことがある。
「敵よ。私たちの前に、立ちはだかる敵。彼女を倒せなければ、私たちの優勝はないわ」
大会がはじまる。
Q:つまり、どんな話?
A:
ダー様「まぽりんとの試合楽しかったなぁ。そうだ、みぽりんに自慢しよう!きっと悔しがるぞー(わくわく)」
みぽりん「まほちゃん大好き。好き好き愛してる(ハイライトオフ)」
ダーペコ「「ひえっ…」」
美しい姉妹愛だなぁ…。
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視点、秋山優花里
一応、沙織編のラストは、聖グロ戦と抽選会の間くらいの出来事のつもりで書いてます。
1.
私には、強く強く憧れている人がいる。
尤も、その憧れが特に強くなったのは、割かし最近のことですが。
私は、元から戦車に強い拘りがあったし、戦車道にも興味があった。
けれど、戦車道はお金のかかる習い事だったから、実際にやる機会には恵まれなかった。精々が、近所の戦車道ショップで戦車戦を模したアーケードゲームを触らせてもらうくらい。あとは、ずっと、テレビとか、雑誌の向こう側の世界を眺めるばかりだった。
彼女は、その戦車道の選手だった。尤も、プロとかではなくて、学生である。ただ、家柄が家柄なので、将来はプロ間違いなしとか、雑誌でも特集が組まれるような選手ではあった。強豪校の隊長も務め、中学の全国大会ではチームを優勝に導いたりもしている。
同い年なのに、すごいなぁ、って。そんな風に思ってました。
けれど、それだけ。憧れのスター選手とか、それくらいの認識だった。
彼女が特別凄いかというと、そんなことはなかったし。実績だけを見れば、彼女の姉の方がずっと凄い選手だった。たぶん、同い年だからこその贔屓があって、応援していたのだと思います。
その認識が変わったのは、去年の高校戦車道全国大会の決勝がきっかけだった。
私は、当然のようにかじりついてテレビを見ていた。見入っていた。アマチュアの大会など、テレビ中継がされるのは全国大会でも決勝戦くらいのものだ。
彼女は、優勝を期待された学校の副隊長で、フラッグ車の車長だった。
対戦相手であるプラウダ高校の砲撃で、フラッグ車を護衛していた戦車が1輌、崖から川に落ちた。それが、偶然の事故か、それともプラウダの狙ったものだったのか。テレビで見ている分には分からない。ただ、それ以降、プラウダの戦車が動くことはなかった。
戦車は特殊なカーボンで守られているから、川に落ちたところで大破するということはないだろうと思われた。けれど、中に乗っている人間はそうじゃない。戦車の中は狭い。激しく車体が揺れてしまえば、どこかに頭を打つかもしれないし、水没すれば車内に水も入ってくる。逃げ場のない棺桶の中で、迫り上がってくる水を眺めながら、いつ来るとも知れない救助を待たなければいけないのだとしたら、それはきっと、…体よりも先に心が壊れる。
動いたのは、彼女だった。
彼女だけだった。
実況と解説が、なにごとかを喚く。
カメラは、フラッグ車を飛び出して、崖を生身で降りていく彼女の姿を捉えていた。
それは、あまりにも危険な選択でした。
命綱もなしに雨で増水した川に飛び込むなんて自殺行為だし、なにより彼女はフラッグ車の車長だ。車長がいなくなった戦車は、動くことのできない的と同じである。撃破を待つ棺桶だ。これがきっかけで負けたりしたら、きっと批判が集まるのは必至だろう。
そして、それだけじゃない。
彼女は、
こんなこと、勝利至上主義である西住流の流儀からは、もっとも外れた行いである。
これまでの全部を投げ捨てるような覚悟を持って、彼女は仲間を優先した。
そんな彼女の行動に、私は感動し、尊敬の念を覚え、そして、心底魅入られました。
結果だけを見れば、プラウダはそれ以上フラッグ車を狙ったりしなかったし、試合も黒森峰が勝利した。世間は、専らどちらの行いも称賛するような報道をしたけれど、でも、きっと、彼女を取り巻く環境は以前と全く同じままというわけにはいかなかっただろう。
私は、曲がりなりにも戦車道のファンだ。だから、彼女の境遇を想像するくらいのことはできる。きっと、これからの彼女に待っているのは、家からの叱責と、支援者たちからの厳しい追及だろう。
それだけ、「家元の娘」という立場は影響力を持っており、ついて回る責任も大きい。
それでも、きっと彼女の選択は、何も間違っていなかったのだと、私はそう信じている。
もしも、彼女に会う機会に恵まれるのなら、私はそれを伝えたい。伝えてあげたい。そう思った。
叶うのならば、彼女の隣に立って、一緒に戦って、そして、支えたい。力になりたい。そう思った。
尤も、本当にそんな機会が訪れるなんて、当時の私には想像もできないことでした。
2.
戦車道が復活する。
そのニュースが飛び込んできた時の、私の気持ちは言葉にできないほどだった。
唐突に体育館に集められ、映像を見させられる。
スクリーンに映る、きびきびとした所作で戦車に乗り込む女性たちは、いささか作り物めいてはいたが、憧れの姿には違いなかった。
そして何よりも、壇上に登り、生徒会の役員たちの隣に立つ彼女の姿を見つけて、私の心臓は痛いほどに跳ね上がった。まさしく夢見心地。本当の私は眠っていて、これは眠っている私の作り出した都合のよい夢なのだと言われたら、それを信じてしまいそうなくらいだった。
ともすれば、夢ならば醒めないでくれと願うほどです。
はじめて彼女と話をしたのは、戦車道の授業でした。
転校生の噂を聞きつけ、その名前を聞いた時から、もしやとは思っていたし、何度か声をかけようかと教室まで様子を見に行ったこともあった。けれど結局は、話しかける勇気も出せずに、友人らしきクラスメイトと楽し気に話している姿を遠目に眺めていることしかできなかった。
とはいえ、流石に同じ授業を取るのだし、もしかすると同じ戦車に乗ることもできるかもしれない。話しかけなければ。話しかけなければと思いながら、私は彼女の後ろをひたすらについて回りました。
「あのぅ」
「ひゃい!?」
少し気が緩んだ瞬間に、私は彼女の姿を見失っていた。
すると、突然にとんとん、と肩を叩かれ、声をかけられた。
ハスキーでカッコいい声だ。女性にしては少しだけ低めだが、聞き取りづらいということはない。しかし、どこかぼんやりとした口調であった。
慌てて振り返ると、そこには自分よりも少し背の高い少女の顔が見えた。髪は暗い茶色の髪で、目は少しツリ目がち。ともすれば、冷たそうとか、怖そうという感想を抱かれかねない鋭い目つきにも見える。しかし、顔のパーツは非常に整っていて、はっとするような美人だった。彼女がかつて在籍した黒森峰のパンツァージャケットは黒を基調としたもので、彼女の凛々しさのようなものをよく際立たせていたが、存外、白を基調とした大洗の制服もよく似合っている。うまく言葉にはできないが、肩の力が抜けているようにも見えて、より自然体な感じがする。
「あ、あ、あの…」
私は、言葉に詰まってしまった。
だって、仕方ないじゃないか。私の目の前に、誰よりも憧れた彼女がいるのだから。声をかけることが出来たらこんなことを話そうとか、そんな風に考えていた全部が頭から吹き飛んでしまったのだ。
そんな風に私がもじもじしていると、心なしか表情を柔らかくさせて、言葉をかけてくれました。
「戦車道の受講者ですよね。ええと、そう。秋山優花里さん。もしよかったら、一緒に探しませんか?」
「いいんですか!?」
奇跡かと思った。
だって、まさか憧れている相手から声をかけてもらえた上に、一緒に戦車を探そうと誘ってもらえるだなんて。私は今度こそ自分の頬をつねって確かめたい気持ちに襲われた。しかも、名前まで憶えられている。今にも翼を生やして、空に浮かんでしまいたい気分だった。
聞けば、西住殿は、予め戦車道の受講者名簿を生徒会から共有されていたということである。
それでも、まるで運命かのように感じてしまったのは、仕方のないことだった。
3.
「へぇ、こんなところがあるんだ」
「おや、西住殿もはじめてですか?」
西住殿が、興味深そうに店中のあちこちを見回している。雑誌の種類に驚いたり、模型の数に目を輝かせているようにも見えた。
私たちは、放課後に近所の戦車道ショップに足を運んでいた。店の名前は「せんしゃ倶楽部」という。
「熊本だと、こういう店には行く機会がなかった。学校の備品は豊富だったし、家だと欲しいものは頼めば手に入ったから」
「うわ、地味なお嬢様発言」
西住殿の発言に驚いているのは武部殿だけだった。五十鈴殿は、「確かにそういうものですね」と思い当たる節があるように頷いている。
なんでも、五十鈴殿も華道の家元ということで、道具や勉強の教材に困ったことはないそうでした。
「それで、どうしてこんなとこに?」
西住殿がぱらぱらと雑誌をめくる。その雑誌を覗き込んだ武部殿は、うぇ、と嫌な顔をした。おそらくは、戦車のスペックについて長々と書かれた文章の列を見つけたからだろう。
「うちの学校には、戦車道の資料がほとんどありませんから。せめて、雑誌くらいは、と思いまして。ただ、私も戦車を知らない人って、どの程度知らないものなのか分からなかったので、武部殿と五十鈴殿のご意見を伺いたかったんです」
「なるほど」
そう言うと、西住殿は雑誌の適当な頁を開いて、武部殿に手渡す。渡された武部殿は、頭の上はてなマークが浮いて見えるほどだった。他の雑誌を五十鈴殿も眺めているが、こちらも表情は芳しくない。
私も西住殿も昔は戦車のことなど知らない普通の子供だったはずだが、あまりにも遠い過去のことで、気づかないうちにハードルを上げてしまう恐れがあった。その点、武部殿と五十鈴殿は戦車については素人と聞いている。基準にするなら、これ以上の適役はおりません。
「そういうことなら、詳しいことの載っている専門書も多いけど、こっちは止めておいた方がよさそうだな」
「私も同意見です」
知識とは武器だ。特に戦車道においては、対戦する戦車についてどれだけ情報を集められるかが肝であると言っても過言ではない。そのため、戦車とはなんぞや、という基礎知識は戦車道を履修するにあたっては必要不可欠である。
しかし、好きこそものの上手なれ、と言う言葉もあるが、いきなり戦車のスペックやら用語やらを頭に詰め込むのは、普通の女子高生にとっては苦行の類いだろう。私だって、戦車の関係ない試験勉強は苦手でした。
「この辺りの解説本は、文章も簡単な言葉を使っているので読みやすいですし、イラストや写真も比較的多めです。どうでしょう」
「うん。これくらいなら、私でも読めるよっ」
「こちらはどうですか。少し踏み込んだ解説もありますが、同じ出版社が出しているものです」
「ううん。こちらは、すみません。少し難しい言葉が多くて…」
いくつかの初心者向けと思われる解説本や雑誌をふたりに見せ、所感を訊ねる。そんなことを繰り返していると、西住殿が呟いた。
「秋山さんは凄いな。わたしには、とてもそんなことは思いつかなかった。西住の家でも、黒森峰でも、勉強することは当然だったから」
「皆さん、戦車道が好きな人たちですからね。けれど、大洗のみんなは、これから戦車道を好きになる人たちですから」
西住流の門下生は言わずもがな、黒森峰の機甲科だって、戦車道のエリートが集まるのだ。自分で門を叩いた以上、日本でも有数の戦車道好きしかいないはずである。西住殿は、そのエリートの中でも選りすぐりだ。気づかなくて当然というものである。
私は、戦車の知識にはそこそこ自信があるが、戦車道の経験は皆無だ。そんな中途半端な自分でも、西住殿のお役に立てることがあるすれば、そういう意識の違いを調整することである。
尤も、自分も普通の女子高生とは言い難いと自覚していますから、どこまでフォローできるか不安は残りますけれど。
「それで、これをどうやって持って帰るの?」
気がつけば、随分と多くの本を購入していた。
初心向けの本だけでなく、ステップアップを考えて中級者向け、上級者向け、戦術の指南書、初心者の導入用に戦車の登場する漫画、エトセトラエトセトラ。とまぁ、途中から欲しいものに意識がズレていった結果、予定を大きく上回る量の本が積みあがった。
一応、事前に生徒会の人には相談していたので、お金の心配はない。…はずだ。ここまで買うとは思っていないだろうから、もしかすると怒られるかもしれない。
しかし、問題は、紙袋3つ分にもなる大荷物をどこに運ぶか、であった。
「あー、うん。ここからならわたしの家が近いし、一旦わたしの家に置いておこう。最初のうちに必要なのは、このうち数冊だし。学校に持っていく分には何度かに分ければいいだろう」
考えなしに買い込んでしまって、少しばかり後悔。西住殿に迷惑をかけてしまった。
すると、そんな私の様子に気がついたのか、「気にしないで」と西住殿が小さく声をかけてくれた。やっぱり、この人はよく気づく優しい人だ。
そのとき、ぱん、という音がした。
見れば、武部殿が両手を合わせている。いいことを思いついた、という表情をしていた。
「あ、じゃあさ。みんなでまほの部屋に遊びに行っていい?」
「え?」
「一人でその量の本を持っていくのは大変ですから、わたくしたちにも一つ持たせてください」
「沙織さん、華さん…。ありがとう。お願いしてもいいかな」
わわわ。しまったと思った時にはすでに遅く、3つあるうちの紙袋はそれぞれ西住殿と武部殿、五十鈴殿がそれぞれ手にしてしまっている。ここで、私が持ちます、とは言いだしづらい空気だった。
しかし、それができないことには、私だけ西住殿のお部屋にお邪魔することができなくなってしまう。仲間外れは嫌でした。
「そうだ。どうせなら、みんなでご飯作ろうよ。軽く4人分の材料を買ってさ」
「お料理ですか?」
「で、でしたら!材料は私に持たせてください!」
「重たくなっちゃうけど大丈夫?」
「鍛えてますから!」
むん、とガッツポーズをしてみせる。
もしも武部殿が料理を作ろうと言い出してくれなかったら、私はどうしていただろう。一人寂しく、ここで「また明日」とでも言って、とぼとぼと帰路についたかもしれない。
武部殿と視線が合う。ウィンクをされました。
部屋は、こう言ってはなんだが、普通の学生寮だった。
周りも、豪奢な住宅ばかりが並んでいるということもなく、ごく普通の一軒家だったりアパートだったりが軒を連ねていた。少し歩けばコンビニもある。
私からすれば、正しく西住殿はアイドルかスーパースターのような存在だ。そうでなくても、西住流の後継者候補である。てっきり防犯対策のされた大きいマンションなんかに住んでいるものと思っていたが、そんなことはなかったらしい。意外に不用心というか、ぞんざいな扱いにも思えたが、彼女が大洗にいる背景を考えれば、それも仕方のないことかもしれなかった。
「秋山さん?どうかした、そんなところで立ち止まって」
「あ、すみません。西住殿のお部屋に来られた嬉しさで、少し感じ入ってました」
「そ、そう」
すると、西住殿は普段あまり動かさない表情筋を動かして、笑顔のようなものをつくろうとしていた。
…はっ!?もしかして、私また何かやっちゃいましたかね…。
い、いやいや。まだセーフ。まだ大丈夫なはず。これで西住殿が普段使っている布団に潜り込んだりしたら嫌われても文句は言えないけど。それくらいの自制心は働くはずだ。
「お、おじゃましまーす…」
おずおずと中に踏み入れる。部屋の中も至って普通の一人暮らし用の部屋に見えた。少し気になることがあるとすれば、物が少ない、ということくらいだろうか。ある意味ではイメージ通りだが、女子高生の部屋と考えると少し殺風景だ。小さなテレビと小さなテーブル。勉強道具や戦車道関連の本が積まれた学習机。趣味のような匂いがほとんど感じられなかった。
「まほ、意外と料理してるんだね」
流し台のあたりを観察していた武部殿の声である。
どうやら、食器や調味料を確認しての感想らしい。
「黒森峰も寮だったから。まぁ、いつもはルームメイトが作ってくれていたし、週末には家政婦さんが様子を見に来てくれていたから、毎日包丁を握っていたわけじゃないけれど。それでも、余裕があるときは教えてもらっていたから」
少し照れくさそうに語る西住殿。
これは意外なことを聞きました。てっきり、西住殿は料理ができないタイプかと思っていたのですが。これは、自分も料理ができることをアピールしなくては。
「わ、私っ、ごはん炊きますっ!」
「それはいいけど、飯盒とか余計なことはしないでくれよ?普通に炊飯器があるから」
「「え?」」
疑問の声をあげたのは私と武部殿だった。
私は、リュックの中に伸ばそうとした手を止めた。
「ゆかりん、飯盒なんて持ち歩いてるの!?」
「な、なんで分かったんですか?」
「リュックからかちゃかちゃ音が鳴ってたから、もしかしてと思って。わたしも、昔はアウトドアに憧れた時期があったから、そうかもと思った」
戦車乗りには、得てしてそういう時期があるんだよ。と
しかし、炊飯器を使ってごはんを炊くだけならすぐに終わってしまう。だからといって、料理が得意と胸を張れるほど、私の神経は図太くなかった。手持ち無沙汰になった私は、ちょこんと床に座って、部屋の中を見廻した。私の視線が釘付けになったのは、西住殿が普段使っているだろうベッドである。
「あれ、それは…」
布団の上に丁寧に折りたたまれた衣類が見えた。水色を基調としていながら、しつこいくらいにプリントされたクマのイラストが目を引くそれは、もしかしなくても西住殿のパジャマではあるまいか。包帯を体中に巻いたクマのイラストは、あまりいい趣味とは思えませんでしたが。
「ああ、すまない。人を呼ぶとは思っていなかったから、片づけるのを忘れていた。ベッドを使いたいなら、どけてくれてていいよ」
「いいんですかっ!?」
家主からまさかのベッド使用の許可がでた。これは、思う存分寝転がるしかないのでは。そして、西住殿の匂いを堪能するしかない。…いや、だめでしょう。それは。
「可愛らしいパジャマですね。ええと…」
「ボコられグマシリーズ。姉が好きなんだ。よくプレゼントしてくれた。熊本の実家では着る機会があまりなかったから、供養と思って着ている」
「はぁ、供養…」
そう言って、パジャマを広げるのは五十鈴殿だ。私には、恐れ多くて西住殿の私物に手を触れるなんてことはできそうにありません。
「まほさんの家も、こういうの。厳しいお家だったのですか?」
「ああ、いや。そこまで厳しい家ではなかったが。その、なんだ。姉の趣味を悪く言うつもりはないが、…子供っぽいだろう?」
パジャマを五十鈴殿が広げたことでその全容が明らかになる。なるほど、確かにファンシーというか、小学生が好んで着そうなデザインではある。色使いも派手だ。尤も、描かれたキャラクターがアレでは、あまり売れそうにも思えないが。
「うーむ。確かに、華の女子高生が着るようなパジャマではないよねぇ。…いや、逆にそれがギャップになって、モテるかも」
「でも、お姉さんからのプレゼントを大切に使っているなんて。まほさん、お姉さんと随分仲がよろしいんですね」
武部殿は、自分の世界に入ってなにやら考えている様子だ。五十鈴殿は、そんな武部殿には目もくれず、西住殿に対して笑顔を向けている。
しかし、西住殿の表情はあまり明るいものではないように見えた。いや、いつもと同じ無表情と言えば無表情だったのだけど。私が穿った見方をしたせいかもしれない。
「うん。家族だからね。尊敬しているよ」
それっきり、お姉さんのことは話そうとしませんでした。
4.
「あれ?副隊長?」
時は過ぎ、全国大会は間近に迫っていた。
聖グロリアーナ、マジノ女学院との練習試合を経て、少しだけ自信をつけた私たちは、全国大会の抽選会に臨んでいた。西住殿が引いた札の番号は、8番。一回戦の相手は、サンダース大付属高校に決まりました。
戦車道大会の抽選会の後、私たちはいつもの5人で戦車喫茶に遊びに来ていた。
呼び鈴の音が戦車の砲撃の音だったり、店員さんの制服も軍服を模していてとてもいい感じだ。ケーキを運ぶ小さなドラゴンワゴンもかわいいし、ケーキは戦車の形に似せて作られている。食べるのが勿体ないくらいだ。
さて、そんな戦車喫茶でケーキに舌鼓を打っていた私たちに声をかけてくる人物がいた。
赤茶色の髪は少し跳ねていて、どことなく親近感を覚える容姿だ。背は際立って高くもないし、低くもない。たれ目がちで温厚そうな顔つき、発した声も穏やかなものである。
その服装は、黒を主体にした飾り気のない武骨なデザイン。というか、黒森峰の制服だった。…こう見ると、憧れていた制服だけれど、デザインとしては大洗の制服のほうが好みかもしれませんね。
その人物の視線は、明らかにこちらを向いていた。
より正確に言うと、その中の一人、西住殿に対してだ。
まぁ、副隊長なんて呼ばれ方をするのは、私たちの中では西住殿くらいですよね。
察するに、黒森峰の戦車道チームの隊員なのだろうが、ちょっと存じ上げない。
私も高校戦車道のファンではあるが、流石に全ての選手の顔と名前が一致するわけではなかった。
西住殿は、目を真ん丸にして驚いた様子だった。
「赤星、さん?」
「お久しぶりですっ、副隊長!」
「いや、その。…副隊長はやめて」
「あ、すみません。そうですよね」
西住殿が赤星さんと呼んだ人物は、嬉しそうな表情を浮かべる。感極まって涙を流すほどの勢いだった。しかし、西住殿が恥ずかしそうに顔を逸らすと、赤星さんと呼ばれた少女は捨てられた子犬のように表情を暗くした。
武部殿も五十鈴殿も、どうしたものかと西住殿の顔色を窺っている。冷泉殿だけは、変わらない調子で目の前のケーキにフォークを突き立てパクついていた。
「ところで、どうして赤星さんがこんなところに」
「ああ、それは――」
「わたしが連れてきたんだよ」
声がした。
可愛らしい少女の声。
つかつかと近づいてくる、黒森峰の制服を着た少女。私は、彼女を知っていた。
「は、…はわわっ!?」
肩口で切りそろえられた亜麻色の髪と真ん丸で大きな瞳、たれ気味の眉がおっとりとした印象を与える。なんというかぽやぽやとしていて、子犬のような人だと感じた。それだけに、黒を主体にした黒森峰の制服は異質に映る。
彼女こそ、西住殿のお姉さんにして、日本高校戦車道の頂点、西住みほ殿である。
がたり、と音がした。
西住殿が立ち上がり、机が揺れた音だった。
「姉さん…っ」
西住殿の声は震えていた。
「もぉ、いきなり転校するんだから驚いたよぉ。連絡しても電話に出てくれないし。メールも返ってこないし。お姉ちゃん、寂しかったんだよ?」
冷泉殿を間に挟んで、西住殿のお姉さんはにこりと笑みを向ける。西住殿は目線を逸らし、小さな声で「すみません」と呟いた。
「あー、よく分からないが。あなたは西住さんのお姉さんなのか?」
「あ、はい。ご挨拶が遅れました。西住みほです。いつもまほちゃんがお世話になってます」
「こ、こちらこそっ」
そう言って、武部殿まで立ち上がり、ぺこぺこと頭を下げる。
「あの、隊長。ここは通路ですし、立ち話ではお店のご迷惑が」
「えー。久しぶりの再会なんだから、いいじゃない。あ、そうだ。ねぇ、もしよかったら相席させてもらってもいいですか?テーブルも大きいですし、詰めればもう2人くらい座れますよね」
これぞ名案、みたいに笑顔で提案する西住殿のお姉さん。
確かにテーブルはぎりぎり8人まで座れるような席ですが、西住殿の様子を見る限り、あまりよい提案のようには思えません。おそらくは、何か負い目のようなものを感じているのでしょう。お姉さんの様子からすると、一方的なもののようですが、未だに目を合わせようとはしません。
すると、ぱん、と赤星さんと呼ばれた少女が両手を合わせた。
「そうだ。私、副隊長にお話があったんですよ。ちょっと歩いたら公園がありましたよね。そこでお話してきてもいいですか?」
「え?いや、…え?なんで?わたしがまほちゃんとお話できないじゃない」
「それはそうですが…。でも、考えてみてください。ご友人がいらっしゃいますから、副隊長の学校での様子、聞けますよ。本人のいないところの方が、深い話を聞けるんじゃありませんか?」
「そういうことなら仕方ないね」
「いや、変わり身早っ!?」
気がつくと、西住殿のお姉さんは五十鈴殿の隣に座っていました。突然のことに、流石の五十鈴殿も驚いている様子です。
「そういうわけですから、副隊長。少しよろしいですか?」
「だから、もう副隊長じゃないってば…」
そう言いつつも、西住殿はどこかほっとしたような表情を浮かべているような気がした。
「それじゃあ、改めまして。黒森峰の西住みほです。あ、皆さん二年生ですよね。わたしは三年生だけど、年上とか、気にしないで接してほしいな」
西住殿と赤星さんが店を出て行って、西住殿は冷泉殿の隣に席を移った。というのも、西住殿が退いたことで片側の椅子が冷泉殿ひとり、もう一方が私と武部殿と五十鈴殿と西住殿のお姉さんの4人、というバランスの悪いことになっていたからだ。
「武部沙織です」
「五十鈴華です」
「あのっ、秋山優花里ですっ」
「冷泉麻子」
それぞれが名前を名乗る。ひとりひとりが名前を名乗るたび、「沙織さん」「華さん」「優花里さん」「麻子さん」と小さく繰り返していたのが可愛らしかった。冷泉殿が名乗り終わると、「はい、覚えました」とにこやかに笑ったのも大層心がほっこりした。
「それで、まほちゃんのことなんだけど、学校ではどうかな。楽しくやれてる?」
西住殿のお姉さんは、とにかく普段の西住殿がどんな風に過ごしているかを微に入り細に入り問いただした。いや、途中からほほえましいとも思えなくなるくらいの勢いだった。意外に過保護な人のようだ。
それじゃあ、気難しい人だったか、というと、そんなことはなかった。
むしろ、非常に気さくで話しやすい人だった。
表情も豊かで、年上ということを忘れるくらい自然体で接することのできる人だ。
西住殿の子供の頃の話を聞くと、本当に妹のことが好きなんだな、と分かるような話し方をした。
和やかな時間が過ぎていく。
ふたりが店を出て行って、30分も過ぎただろうか。ぶるる、と何かの鳴った音が聞こえた。
お姉さんの携帯電話だった。
「話が終わったんだって。まほちゃんは戻ってくるみたいだけど、うちの副官がホテルのチェックインの時間が迫ってるって言ってるから、そろそろわたしも行かなくちゃ」
そう言って、席を立とうとした時だった。
「あの、みほさん」
武部殿が声をかける。
ちなみに、この短時間でさん付けとはいえ名前呼びになっているのは、武部殿のコミュニケーション能力の高さがなせるわざか、あるいは、お姉さんの人柄のおかげか。おそらくはその両方だった。
「ひとつだけ教えてください。まほが転校した理由。みほさんは知っていますか」
「…知ってる、と言ったら、どうするの?教えてほしい?それとも、沙織さんは知っているのかな?」
踏み込んだ質問だった。
問いを投げ返されて、武部殿は首を振った。
「簡単には聞きました。前の学校で失敗した、って。でも、詳しいことは何も。…それって、本当に学校を出ていかなくちゃいけないことだったんですか?」
恐る恐る、と言った感じで尋ねられた質問に対し、お姉さんは僅かに沈黙した。
「…そんなこと、誰も望んでいなかった。…少なくとも、わたしたちは」
寂しそうに語るお姉さんの言葉に、私は去年見た決勝戦の映像を思い出す。きっかけは、おそらくあれだろう、という確信があった。
「去年の決勝戦、ですよね?西住殿が川に飛び込んだ、あの事件」
「流石だね。知ってるんだ」
「あの試合、テレビで見てました」
三人の視線が、私に向けられた。
「西住殿は、川に落ちた仲間を助けるため、戦車を降りて、単身川に飛び込んだんです。雨で荒れ狂う川の流れに逆らって、西住殿は仲間の戦車のもとまでたどり着きました。確かに、危険だったかもしれません。でも、西住殿の判断は間違いじゃなった。運よく、大きなけがをした人はいなかったですけど、救助が遅ければ、心に傷を負った選手もいたかもしれません」
すると、何かに、はっと気づいたような表情を武部殿がしました。小さく「それで…」と呟いた声も聞こえます。
「うん。わたしも、優花里さんの意見は正しいと思う。人の命がかかっていることだった。たとえそれで、負けることになっていたとしても、まほちゃんの行動は、非難されるようなものじゃなかった、って思うよ」
「じゃあ、どうして」
「戦車道は、特殊なカーボンで守られている。だから、絶対に安全だ。そういう神話が必要だからだよ」
それは、妄信的に語られる、一種の生命線。競技としての戦車道を成り立たせる最後の一線だ。
「戦車道には実弾を使う以上、安全には最大の配慮がされていないといけない。そのための特殊カーボンなの。でも、よりにもよって、日本最大の流派の娘が、それを信じられないと言い出したら?…実際、一部のマスメディアでは、表向き美談のように仕立てながら、その実、戦車道の体制を批判するような記事もあった」
ぎり、と歯噛みする。
「だから、まほちゃんは表舞台から引きずり降ろされた。あの人は、実の娘のことなんて何一つ考えていない。取り換えの利く部品か何かのように。自分達に都合が悪くなれば、簡単に切り捨てるんだっ!!!」
「それは違いますっ!」
ばん、とテーブルを叩いて、武部殿が叫びました。
「まほのお母さんは、まほのことを心配していました」
「…
目を大きく見開いて、信じられない、と呟いた。
「悩んでました。私には、難しいことは、よくわからなかったけど。だけど、ちゃんとまほのことを大切に想っているって、伝わりましたよっ」
「…それでも、わたしの意見は変わらないよ。生まれてから、ずっとあの人を見てきたけど。わたしはあの人を、師範とも、母親とも認めない。認められない。何を言おうと、まほちゃんが切り捨てられたのは事実だから。だから、…ごめんね、
「みほさん…」
西住殿のお姉さんは、「暗い雰囲気にしちゃってごめんね」と言って、立ち上がる。
「一回戦、サンダース付属だってね。頑張って」
それっきりだった。
西住殿が戻ってきたのは、それから10分後のことである。
「何かあったのか…?」
「いや、なんでもない」
どこか沈んだ空気を感じたのだろう。困惑したような声を出す。無理もない。いつも元気で明るい武部殿まで難しい顔をしているのだ。
しかし、冷泉殿だけはいつも通りだった。
「いいお姉さんだった。…少し、重たいがな」
西住殿が困ったように笑う。
店を出ようとすると、既に会計は終わっているということだった。
5.
「まだ、残っていたんですか?」
「うん。…いくら考えても、いい案が浮かばなくて」
一回戦の日にちが迫る。とある放課後のことだった。
空はとっくに夕日が落ちて、校内に残っている生徒はほとんどいないような時間だった。
生徒会室に明かりが点いているのに気がつき、中を覗いてみると、西住殿がひとりで資料やらを広げてうんうんと唸っているところを見つけた。
先日の抽選会の後から、人が変わったよう、と言ってしまっては失礼かもしれないが、以前にも増して熱心に戦車道に取り組む様子を見せていた。
「こんな時間まで…。根を詰めすぎじゃないですか?」
「まぁ、成り行きとはいえ、隊長だから。それに、約束もある」
「約束?」
「この前、黒森峰の人に会っただろう」
「ああ、お姉さんとええと…」
名前を聞いたような、聞いていないような。どことなく親近感を抱く相手だったことは覚えている。髪型とか。
「赤星さん。赤星小梅さん。黒森峰の副隊長だよ。彼女が伝言をくれたんだ」
「伝言ですか?」
「『逃げたら許さない。』だってさ」
「それはまた…」
随分と物騒な伝言だな、と思った。
しかし、西住殿は嬉しそうに笑っている。
この人は、本当に嬉しいとき、こんな風に笑うのか、と見惚れた。
「…で、でも、確か黒森峰って」
「ブロックとしては反対だな。だから、決勝まで行かないと戦えない」
トーナメントに参加する高校は全部で16校。敢えてブロック分けをするならば、1番から8番までがAブロック。9番以降はBブロックと分けられる。黒森峰は13番だった。
「それなのに、一回戦から相手はサンダース大付属。我ながら、くじ運はあまりよくなかったらしい」
西住殿は肩を竦める。
「まぁ、どこと当たっても大変なことには違いない。時間が許す限り、考えるしかない。わたしに今できることはそれだけだ」
そう言って、机の上に広げられた本や紙の束に視線を戻す。
私は、おずおずと手をあげた。
「よろしければ、西住殿のお考えを聞かせてください。話をしたら、少し整理できるかもしれません」
「そうか」
ラバーダッキング、という問題解決の方法がある。
これは、ゴム製のアヒルに問題についてを話しかけ、話しているうちに頭の中の問題が整理されて、解決法が導かれるというテクニックである。当然、話しかける対象は、ゴム製のアヒルでなければいけないということではない。ともかく、声に出して問題を読み上げることで、複雑に絡まった思考が解きほぐされ、問題が単純化するという効果が見込まれるのだそうだ。
加えて、他人の意見も参考にできるなら、一石二鳥ではあるまいか。まぁ、西住殿でも答えが出せないような問題に、私が何か糸口を見つけられるかは自信がないが。
ともかく、何か役に立ちたかった。彼女の背負う荷物を、少しでも軽くしてあげたいと思った。
「サンダース大付属は強豪だ。あの学校の強みは、全国最大を誇る戦車隊の規模。戦車の保有車両数は50以上。さらに、人の数もすごい。戦車道の履修者は500人とも言われていて、1軍から3軍まである。そんな競争の中でレギュラーに選ばれた選手は、当然強い。練度で言えば、黒森峰にも匹敵するかもしれないな」
「特に、今年は全国3指に入る砲手、ナオミさんがいますからね」
戦車道の雑誌でも特集が組まれたほどの名選手である。サンダースで最も警戒すべき選手をひとりあげるなら彼女だろう。
「彼女の腕にファイアフライの火力が加わると思うと、正直憂鬱だ。うちの戦車では、どこに受けても撃破は免れないだろうし。基本的な方針としては、動き続けること。それに、サンダースの基本戦術は優勢火力ドクトリンだ。言ってしまえば、数の暴力だな。1両の戦車に5両でかかる。そうすれば、まぁ、まず負けることはない。とはいえ、これは本来、戦車道には向かない戦術なのだが」
優勢火力ドクトリン。簡単に言えば包囲作戦といったところか。性能では他国に勝てないアメリカがよく使った手ではあるが、ただ、圧倒的な物量差があるならまだしも、基本、戦車道の試合は同数対同数で行われるものだ。そういう意味では、考えなしでは使えない戦術である。高度な作戦立案能力と、索敵の能力、そして、索敵の結果を速やかに伝達する能力が必要となる。
しかし、そのドクトリンを掲げるだけあって、サンダースの実力は折り紙付きだ。西住殿の言うように、隊員の練度では他の四強と比べても随一である。
そのうえ、ルールに守られているとはいえ、大洗の参加車輛は5輛。一回戦の規定では10輛まで参加できるということなので、最初から倍もの差が生まれている。これでは、サンダースの恰好の餌食である。
「一般にいうランチェスターの第二法則に従うなら、単純な物量による兵力差は4倍。戦車の性能も考えるなら、それ以上か」
「やはり、性能でも厳しいですか」
「厳しいな。サンダースと言えば、M4シャーマン。ドイツ戦車に比べれば火力も装甲も大したことはないが、うちの戦車ではⅣ号くらいしか相手にならない。たとえば、八九式だと、どこに当てられても抜かれるし、どこに当てても抜くことができない」
バレー部の皆さんには悪いですが、実質4輛みたいなものですよね。どういうわけか、速度だけは本来のスペック以上のものが出ていましたけど。というか、スペックの倍近い速度が出ていたような…。
「そのうえ、相手の編成は蓋を開けてみるまで分かりませんからね」
「その通りだ」
さて、サンダース大付属といえば、特色として知られるのは、その規模とアメリカ贔屓というふたつである。特に、ここ数年では、必ずと断言してもいいほどアメリカ戦車、それもM4シャーマンとその派生型が使われていた。ならば、編成に悩むこともないじゃないか、と思われるかもしれないが、このM4シャーマンという戦車がくせ者なのである。
M4シャーマンとは、我が校にもあるM3リーの妹のようなものである。性能自体は、Ⅳ号戦車と然程変わらないくらい。言い方は悪いが、凡庸とさえ言える。アメリカらしく、質より量を体現した車輌であった。
しかし、特筆すべきは、そのカスタマイズ性である。構造は単純であり(あくまで戦車としては、だが)、信頼性が高く、整備がしやすいことで有名だ。なにせ、コンポーネント(戦車を構成する部品のこと)には民間の部材が使われている。例えるなら、個人の組み立てPCと一緒だ。そんな、規格さえあっていればメーカーは問わない、という異常なまでの汎用性は、数えきれないほどのバリエーションを産み出した。
弱点があるとすれば、エンジン馬力に余力がないため、装甲を厚くすることができないくらいだろうか。
さておき、そんなM4シャーマンは、とかく派生した車両が多い。
…正直なところ、数が多すぎて、そのバリエーションは私でも網羅しきれないほどである。
そのため、M4の派生型が投入される。と分かっていても、蓋を開けてみるまで細かい編成は予想できないのだ。それこそ、機動力から攻撃力まで、同じM4であってもバリエーションによっては、全くの別物に変わっていることもありうる。
「せめて、編成が分かっていれば、策のひとつくらいは思いつきそうなんだが」
西住殿がこめかみをとんとんとん、と叩く。
「まぁ、事前に相手の編成が分かっていることなんて、普通はあり得ないことだからな。望むべくもない、か」
そんな西住殿の呟きを受けて、私はとある計画を実行する決心をしました。
私にも何かできることがないか。ずっと考えていた計画である。
うまくいけば、西住殿を悩ませる問題のいくつかも解決できるかもしれません。
しかし、それは大きな
下手をすれば、今度の試合、私は出場することができなくなる。
「西住殿、ご相談があります」
それでも私は、西住殿の力になりたかった。
6.
「じゃあねー、オッドボール軍曹!」
私に向かって手を振って、笑顔で去っていく金髪少女。彼女の名前は、ケイ。対戦相手であるはずのサンダース大付属高校の隊長だった。
「いやぁ、まさか、こうもフレンドリーに絡んでくるとは思いもよりませんでしたね」
「すごいよねぇ。秋山ちゃん、サンダースにスパイしてきたんでしょ?それを笑って許すとか、私だったら同じことはできないなぁ」
隣でそう嘯くのは角谷会長である。
おそらくだが、同じ場面ならこの人も笑って許すような気がする。きっと、河嶋先輩あたりは暴れるだろうが。
「それで、作戦の方はばっちりなんだよね?」
ぐるん、と会長は西住殿へと視線を向ける。
西住殿はいつもの無表情で肩を竦めた。
「ええ、まぁ。相手が突然編成を変えたりしていたら分かりませんけど」
「それ、大丈夫なの?」
西住殿の回答に、角谷会長の眉が下がる。いつも飄々としている会長にしては、珍しい表情だと思った。
「ケイさんなら、バレた上で正面から負かそうとしてくるはずです。それに、下手に編成を変えたりしたら、連携がうまく取れなくなるかもしれません。サンダースには、その練習をしている時間もなかったはずですから」
「ふぅん、なるほどね」
一応は納得したようだ。とことこと西住殿の方へ歩いていき、その背中を強く叩く。その瞬間には、いつもの見慣れた表情に戻っていた。
「よろしく頼むよっ、西住ちゃん」
「全力を尽くします」
すぅ、と西住殿が深呼吸をした。
ぐるり、と各々が戦車の前でたむろっている姿を確認する。
その声はけして大きくはなかったが、はきはきとして、よく通る声だった。
「皆さん、聞いてください。今日の試合形式はフラッグ戦。他に何輌の戦車が残っていようと、相手のフラッグ車を先に倒したチームの勝ちです。その条件は、相手もこちらも変わりません。…サンダース付属の戦車は、こちらよりも攻守ともに上です。経験値もずっと上です」
まるで、不安にさせるような演説だ。
しかし、西住殿の顔にそのような色はない。
「けれど、こちらには情報がある。秋山さ――ゆかりが取ってきてくれた情報がある。事前の情報戦では、こちらの一勝だ」
西住殿が一瞬、私の方を向いてにやりと笑った。
私は、沸騰したみたいに顔が赤くなる。
「戦車道において、情報は何にも勝る武器になる。……勝ちましょう。大番狂わせを起こしてやりましょう!」
「「「おおおっ!!」」」
西住殿の演説に背中を押されて、皆の表情は明るかった。
試合開始まであとわずか。私たちは、それぞれの戦車に乗りこんだ。
「がんばろうねっ」
「精一杯やるだけです」
「まぁ、やれるだけのことはやろう」
「私たちは、西住殿を信じていますから」
車長の席に座る西住殿をみんなが見上げる。
一瞬、驚いたような顔をしたあと、心底安心した、という顔に変わった。
「まったく。心強いよ」
その呟きに、私たちの表情も笑みの形に変わった。
遠くの方で、ぱんっ、と号砲の音が聞こえる。
試合開始の合図だ。
きりりっ、と西住殿の表情が切り替わった。戦車道の名指揮官、西住まほの顔だ。
西住殿が首元のマイクに手を当てて、大きな声ではっきりと告げた。
「パンツァー・フォー!」
敵も味方も一斉に、がらがらがらと動き出す。
一回戦が始まった。
私たちの戦いはこれからだ!
…今回、秋山殿視点だからか、本筋に絡まない解説話が長くなってしまいました。
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視点、アンチョビ
1.
私の名前は、アンチョビ。アンツィオ高校に通う三年生だ。
おっと、勘違いするな。私はれっきとした日本人だぞ。アンチョビは所謂ソウルネーム。魂の名前というやつだ。私には、きちんと親がくれた安斎千代美っていう如何にも日本人らしい名前がある。学校で呼ばれる機会はほとんどないがな。
これでも戦車道チームの隊長を務めていて、皆からは「
いや、いい奴等なんだ。ただ、ちょっと口が悪くて、喧嘩っ早くて、教えたことをすぐ忘れちゃうってだけでスゴくいい奴等なんだよ。たまにノリについていけないこともあるし、初めて会った時はヤンキーみたいで怖かったけれど。それでも、私からすれば皆可愛い後輩たちなんだ。
ちなみに、アンツィオ高校の本籍地は栃木ってことになっているが(尤も、栃木は海なし県なので、もっぱら寄港地としては静岡の清水港を母校代わりに借りている)、私の出身は愛知県だ。
元々、アンツィオ高校の戦車道は盛んとは言い難い状況だった。というのも、学校自体が財政難で性能のいい戦車を揃えることができないでいたからだ。加えて、学校自体がイタリア贔屓なこともあって、揃えた戦車もイタリア軍の使っていた戦車ばかり。イタリア製の戦車は、お世辞にも性能がいいとは言えないからな。しかも、燃料も少ないから練習時間も作れない。と、そんなわけで衰退の一途を辿っていたらしい。
そこでスカウトされたのが私だった。どうにかアンツィオの戦車道を盛り上げてくれ、って。
これでも、中学時代は地元でもちょっとは名の知れた有名人だったし、あの西住姉妹とも戦ったことがある。まぁ、負けたけど。でも、結構いい戦いをしたんだからな!
正直、スカウトは嬉しかったし、私の頑張りが認められたような気持ちにもなった。けれど、悩んだというのも事実だ。だって、西住姉妹にリベンジもしたかったし。たぶん、西住姉妹は黒森峰の高等部にそのまま進むだろうと思った。だから、私もサンダースとかプラウダとか、他の強豪校に入学して、打倒黒森峰!って感じでやる気を燃やすつもりだったんだ。
けれど、試しにと思って、アンツィオ高校のオープンキャンパスに参加したら、なんていうかもう、圧倒された。
どこもかしこも人でいっぱいで、活気にあふれている。出店が並んでいて、あちこちからチーズとかケチャップのいい匂いがしてきた。知らない人に話しかけられるのなんてしょっちゅうで、生まれて初めてナンパされた時には、本当に私が話しかけられているのかと不思議な気持ちになったものだ。当時の私は、戦車道以外の時間は、引っ込み思案なタイプだったんだ。
気がついたら、アンツィオ高校の入学パンフを貰っていた。
まぁ、逆境っていうのも、それはそれで燃えるし、弱小校が強豪校を倒すなんて漫画みたいじゃないか。何より、楽しそうな学校だった。
それで意気揚々と入学してみれば、戦車道チームなんて形だけ。履修者は数えられるくらいしかいなかった。最初の一年は、ほとんど下地作りでいっぱいいっぱいだったな。とにかく人を集めて、金を集めて、機材を資材を戦車を揃えて。やっと試合ができるようになったのは、2年生になってからだった。
今思い返しても、泣けてくる。ペパロニとか、最初は喧嘩腰だったもんなぁ。今じゃあ「姐さん」「姐さん」って、一番うるさく懐いてくれてるけど。それに、カルパッチョがいてくれて本当に助かった。正直、私一人じゃあ、初心者に教えるので手一杯になってたと思う。他にも、ジェラート。アマレット。パネトーネ。ポモドーロ。みんなみんな、良くついてきてくれたと思う。
結果はまだまだ出ていないけれど、それでも、「調子に乗られると手ごわい」とまで他校に言わしめるようになった。私は、少しでも力になれたのだろうか。
けれど、今は、義務感とかそういうのを抜きにして、あいつらと一緒に一試合でも多く戦車道をしていたい。
楽しいこともあったけど、大変なことも、辛いこともたくさんあった。燃料が少ないから地味な訓練も多かったし、資金を集めるために色んな無茶をやったよな。
それでも、私のことを信じてついてきてくれたお前たちに、勝利する喜びを与えてやりたい。戦車道は楽しいって。心の底から思えるように。
目指すはベスト4。じゃなかった、優勝だ!
待ってろよ、西住姉妹!
2.
「そんな、まさか…っ」
目の前で起きたこれは、果たして現実だろうか?
私たちは、観客席から大洗とサンダース付属の試合を観戦していた。
どうにかこうにか、1回戦は勝ったからな。そう、私たちはあのマジノ女学院に勝ったんだ。
いやぁ、マジノは強敵だった。まぁ、なんといっても固い。マジノ線を彷彿とさせる頑強さだった。マジノの戦車はB1bisやソミュア、ルノーなど、どいつもこいつも低速だが装甲の厚い戦車ばかりだ。
対して、うちの戦車と言えば、10両のうち7両がカルロベローチェ。要するに、足は速いが、攻撃力のない豆戦車だ。
カルロベローチェの武器は8mm機銃。これじゃあ、どんなに近づいたって装甲を打ち抜くのは無理だ。100m以内に近づいて、うまいこと装甲の隙間にでも入り込めば万が一、いや、億が一、ってなくらいである。
実際、100mと聞けば意外と遠いね、と思うかもしれないが。しかし、本来戦車戦というものは500mから1000m離れて行うことが基本である。通常の1/10の距離で戦うのが、どれだけ異常か。だっていうのに、うちの奴らは、ほとんどぶつかる、って距離まで突っ込んでいくんだから、怖いもの知らずというかなんというか。戦車道の基本を知らないからこそ、そういう戦術が取れるのは、あいつらの強みかもしれないな。
ともかく、実質、相手の装甲を抜けるのがセモヴェンテだけで、よくもマジノに勝てたものだと思う。
いつか詳しく、私たちの激戦の様子を語りたいものだが、まぁ、手前味噌になってしまってもいかんしな。それに、今は大洗の試合の観戦中だ。この試合の勝者と、私たちは2回戦を戦うことになる。
戦局は、当初サンダースの有利だった。
森に入っていった大洗の戦車隊を迷わずに追いかけていったサンダースのM4シャーマン。すぐに大洗のM3が包囲され、あわやという場面もあった。
そりゃあ、サンダースはもともと包囲戦術が得意な学校ではあるし、参加した車両も大洗が5。サンダースは10と倍の差がある。どうやら、大洗はうちと同じで戦車道が盛んな学校ではないらしい。全国大会への出場も、実に20年ぶりだとか。
さて、存外に大洗の判断も早いもので、すぐに八九式とⅣ号が合流して、M3の支援に回ろうとするが、そこは強豪サンダース。フラッグ車を除いた9両で一気に撃破しようと戦力を集中させた。
一応、ここはどうにかこうにか一両も撃破されることなく、大洗は見事包囲を抜け出すことに成功したのだが、このとき、モニターを見ていた私には、サンダースの一部の戦車の動きがどうにも不自然に思えて仕方なかった。
まるで、大洗の戦車がどこに逃げようとしているのか、分かっているように先回りしたのである。勿論、戦車道とは読みの力も重要となる。だからと言って、選択肢の多い森の出口を、ああもピンポイントで待ち構えることができるだろうか。
「今の、なんかおかしくないっすか?」
それは、流石にぺパロニでも気がつける程度には違和感のあるものだったようで、頭にはハテナを浮かべている。
ペパロニは馬鹿だが、勘のいいやつだ。
「まるで、未来でも読めているような…」
「そんな馬鹿なぁ。アニメでもあるまいし」
カルパッチョが呟き、ペパロニがありえないと笑う。
しかし、私もありえないとは思うが、それこそ、未来でも分かっていないとできない動きのように思う。
と、そこでひとつの可能性に思い至った。
それは、無線傍受。確か、ルールでは明確に禁止はされていなかったはずである。
当然、撤退の指示を出していたとすれば、それは無線で行われていただろう。それを盗み聴くことができれば、誰でも簡単に未来予知のごとき采配は可能になる。
……ケイがそんなことをやるとは思えないから、他の誰かが勝手にやっているのか?
ともかく、そんなことを得意気に解説してやると、ペパロニなんかは「そんなのズルいッス!姐さん、抗議しましょう!」なんて言い出した。
「あなたは馬鹿ですか。私たちがどの立場で抗議をするんです。それに、ルール違反というわけではないんだから、今後はともかく、今は抗議したって無駄でしょう」
流石はカルパッチョ。こういうとき、彼女は本当に頼りになる。
いや、勿論ペパロニはまっすぐでいいやつなんだ。汚ない真似とか絶対にできないし、そんな彼女の心根は私も大好きだが。むーっ、と膨れるペパロニを、私は、まぁまぁ、と宥める。
そんなことをしているうち、戦局は大きく変化した。
サンダースの一両が撃破された。
待ち伏せをしていたらしき三突に撃たれたのだ。
「ドゥーチェ、今のは…」
「明らかにおかしな動きだ。まさか、…大洗、何かしかけたか?」
サンダースの動きからして、無線傍受をしているのは間違いないだろう。しかし、そうであれば、大洗の戦車の位置は全部分かっていてもおかしくない。それなのに、待ち伏せなど受けるだろうか。
もしかすると、大洗側は、サンダースの無線傍受に気づいたのかもしれない。
……神の視点で試合を見ている私たちならともかく、限られた情報しかない戦場で、こうも早く無線傍受に気づけるものとも思えないが。指揮官が、西住みほならまだしも。
しかし、その後、試合は一気に動いた。
これはおそらく偶然だろうが、森の中で索敵中だった大洗の八九式がサンダースのフラッグ車を発見し、稀にみる追いかけっこがはじまった。なお、追いかけているのはサンダースのフラッグ車で、追いかけられているのは大洗のフラッグ車でもなんでもない八九式だ。八九式は一発も弾を撃たず、方向転換をして脱兎のごとくだったようだ。英断である。
ペパロニなんかは、「なんで今のフラッグ車撃たなかったんすか?」と聞いてきたが、八九式の砲は、せいぜいが20mmの装甲を相手に想定した時代の代物であり、大してシャーマンの前面装甲は51mm。最も薄い背面でも38mmだ。まず抜けない。撃つだけ弾が無駄だし、当然逃げるのも遅くなる。初心者がよく我慢したものだ。
「なかなか見られるものじゃないな、これは」
「ですね」
フラッグ戦において、フラッグ車が逃げるのは分かる。撃破されればチーム全体の負けなのだ。しかし、逆にフラッグ車が追いかけまわす、しかも、フラッグ車でもない戦車を、となるとかなり珍しい。尤も、シャーマンと八九式のカタログスペックを考えると、追いかけっこが成立することの方がおかしいのだ。大洗の八九式は、すぐにでも撃破されていなければおかしい。
結果として、大洗の八九式は逃げ切った。
そして、森を抜けた先に待っていたのは、大洗のⅣ号、38t、M3、三突。つまりは、残りの全車両に逆包囲される形となった。
ここに至って確信する。
間違いなく大洗側は、サンダースの無線傍受に気がついており、なんらかの手段で偽電を流し、罠にはめたのだ。
そこからは、サンダースのフラッグ車は反転後退。まぁ、形勢逆転というやつだ。
尤も、サンダースも流石は強豪というだけあって粘ったものだが、最後は
見ごたえのある試合だった。というのは確かだ。
そして、まさか4強の一角であるサンダースが1回戦で敗れるとは予想だにしていなかった。てっきり、2回戦の相手はサンダース付属になるものと。
しかし、私は見たのだ。
両校の生徒が整列をして、互いに健闘をたたえ合う。その場に、西住まほがいたのだ。
女にしては高い背、短く切りそろえられた暗い色の髪に、感情の読めない鉄面皮。幾度となく雑誌を読んではその写真を目に焼き付けて、次こそは、と思っただろう相手だ。
ケイと握手をし、抱きつかれている。
遠目ではあるが、困惑をしていることがわかった。
しかし、なにやら話をして、笑顔を浮かべているのが見えた。
そう、笑顔を見せたのだ。
あの、西住まほが。
「はじめて見た」
「ドゥーチェ、知ってる人っすか?」
ペパロニが訊ねる。私は無言でうなずいた。
「私を何度となく負かした相手だ」
尤も、あいつの笑った顔なんて、一度も見たことはなかったのだが。
3.
はじめて会ったとき、それは、わたしがまだ愛知にいた頃の話だ。
小学校、中学校と戦車道をやってきて、私の名前はそれなりに有名になっていた。
出る大会出る大会でMVPに選ばれて、私は天狗になっていたのだ。
そんな、大層調子にのっていた私の鼻っ面をへしおってくれたのは、中学一年のころの西住まほだった。
黒森峰のパンツァージャケットに身を包み、今よりも少しだけ幼い顔つきの西住まほが、ぽけーっとした顔で突っ立っている。そんな彼女に、はて、私は何を言ったのだったか。
確か、「西住流だかなんだか知らないが、今日は覚悟しろよ。こてんぱんにしてやるからな!」だったか。
結果から言うと、こてんぱんにされたのは私の方だった。
序盤は自分でもうまく指揮ができたと思っている。上がってくる撃破の報告に頬が緩むのを止められなかった。
しかし、時間が経つと、逆に撃破された、という報告が聞こえるようになってきた。そこからは、早かった。あっという間に戦線は崩壊し、フラッグ車だった私は簡単に撃破された。
まるで魔法のようだった。勝っている、と思っていたのに、それは幻だったのだ。
私は、最初から最後まで、彼女の手の平の上で踊っていただけだった。
それでも私が、本当の意味で心を折られたのは、そんな惨めな負け方をしたからじゃあなかった。
試合後、両校が整列し、挨拶をする。戦車道は競技であるが、同時に武道だ。礼儀を重んじるのは当然のことだった。
私は見た。
つまらない。勝って当然。そんな目だった。
一度目は、憤慨した。
この私に勝ったのだから、もっと嬉しそうにしろと思った。
けれど、何度戦っても勝てなくて、何度戦ってもその目は変わらなかった。
この女は、きっと冷血な人形なのだ。
結局、中学の2年間。私は一度として、西住まほに勝つことはできなかった。
4.
「来て、しまった…」
潮風が頬を撫でる。
私は、今、大洗に来ていた。
ちなみにひとりだ。カルパッチョもペパロニも付いて来ようとしたが、3人ではバレるからと隊長権限で止めさせた。
いや、カルパッチョだけならまだしも、ペパロニはマズイ。あいつに敵情視察なんて不可能だ。あっという間にバレて、次の試合に出場できなくなる、なんて未来が想像できる。
敵情の視察はルールにも明記されている当然の権利だが、見つかってしまえば、次の試合が終わるまで捕虜になってしまう。ペパロニは馬鹿だが、うちの特攻隊長だ。あいつがいなくなってしまえば、大洗との戦いは大変なものになるだろう。それでは困るのだ。
さて、私はというと、事前に入手しておいた大洗の制服に身を包み、髪形も変え、眼鏡もかけている。というか、家でのスタイルに近いな。普段は、隊長らしい威厳を出そうと思って、あんな面倒な髪形にしているのだ。普段は適当にゴムで括っているだけだし、眼鏡をかけて過ごしていることも多い。普段が普段だから、おそらくバレることはないと思うのだが。少なくとも、中学の頃は一度も捕虜になったことはない。
それにしても、だ。
この大洗の制服、カルパッチョから借りたものだが、彼女は一体誰から借りたのだろう。相談をしたらすでに持っているということだったので驚いたものである。
まぁ、いいか。
ところで、大洗の学校にやってきたのはいいのだが、出店がひとつも見当たらないのは何故だろう。今日は休校日だったりするのだろうか。いや、生徒は出歩いているな。普通に。試験期間ということもないし、どうしたのだろう。
「って、そうじゃない。戦車のある倉庫はどこだ?」
学校は、如何にも公立、という感じの普通の校舎だ。無駄に豪華だったり、巨大だったりはしていない。流石に学園艦の上に学校だから、敷地は当然のように広いのだが。
「…ん?あの垂れ幕は」
校舎の屋上からだらりと垂れ下がったそこには、「祝一回戦突破」の文字があった、無駄にカラフルで目をひく。しかも、戦車型のアドバルーンまでふわふわと浮かんでいるではないか。まるで優勝したみたいな勢いである。
「けど、折角ならうちもあれくらい派手にお祝いしてくれても(ぶつぶつ)」
と、アドバルーンを眺めながら佇んでいると、不意に声をかけられた。
「もし、そこなお方」
「ふえ!?」
声に振り返ると、額には六文銭のあしらわれたバンダナを巻き、制服の上に弓道の胸当てを付けた女子生徒が立っている。その隣には少し背の曲がった眼鏡の女子生徒や首に赤いマフラーを巻いた女子生徒。極めつけはドイツ軍のものと思しき軍服を羽織った生徒までいる。な、なんだこれは。仮装パーティか?
「戦車道にご興味が?」
「い、いや、そういうわけでは…」
ない、と言いかけて、ふと考える。
この感じ、珍妙な恰好をした彼女たちは、おそらく大洗の戦車道の履修者だろう。もしかすると、大洗には本格的に人が足りていないのかもしれない。それは当然だ。今年から20年以上ぶりに戦車道を再開したということだし、そうそう人は集まらないだろう。同じ苦労をしたから分かる。とすると、こんな中途半端な時期になっても、まだ新しい履修者を探しているのかもしれない。するとすると、うまいことやれば、直接履修者から情報を聞くこともできるかもしれない。虎穴に入らずんば虎子を得ず。捕まるリスクも高いが、得られるリターンも大きいはずである。
ここは、話を合わせたほうがよさそうだ。
「実は、その、この前の大会を見たら、少し興味が湧いてきまして」
「ほぅ、それは本当ぜよ?」
にやり、となんとも意図のつかめない笑みを浮かべたのは眼鏡の生徒だ。ボリュームのある黒髪は寝ぐせを放置したかのようにぼさぼさである。
すると、いいことを思いついた、と言う顔で軍服の生徒(軍服の生徒ってなんだ)が提案をする。
「であれば、私たちの練習も見学していくか?」
「いいんですか?」
「おい、エルヴィン。勝手なことをしていいのか?」
「別にいいだろう。人も足りないし、もしかすると選択授業を戦車道に変えてくれるかもしれない」
赤いマフラーの生徒が不安そうにしているが、軍服の彼女はすっかりその気だ。それを六文銭の少女も、眼鏡の少女も止める様子はない。これは、ひょっとするとうまくいきそうだ。
「自己紹介が遅れたな。私はエルヴィン」
「エルヴィン?」
軍服の少女が名乗る。しかし、髪こそ金に染めているが、顔つきはあきらかに日本人だ。そもそも、エルヴィンは男性名である。
「私はカエサル。こっちは
「よろしくー」
「よろしくぜよ」
「あ、はい」
次々に襲い来る、何を言ってるんだこいつら。まぁ、六文銭で左衛門左って言えば、おそらくは真田幸村のことだろう。確か、
察するに、彼女らが名乗っているのはソウルネームだ。私のアンチョビと同じだな。かと言って、私はアンチョビと名乗るわけにもいかないんだよなぁ。くぅぅ、軍服の話で盛り上がりたい。
「私は、あんざ――ごほんごほん。安藤チエって言います。よろしくお願いしますね」
……危ない危ない。ソウルネームに気を取られて、危うく本名を名乗るところだった。流石に次の試合相手の隊長の名前くらいは憶えられているかもしれないし、私の名前はよくある名前ってわけでもないからな。なんだ、咄嗟とはいえ、それなりにいそうな名前になったんじゃないか、安藤チエ。
さて、どうやら、これから丁度戦車道の授業ということらしく、戦車のある倉庫まで案内してくれるということになった。その道中にはいろいろな苦労話も聞くことができた。戦車が沼の中にあったという話を聞いたときは何の冗談かと思ったが。
「ところで、皆さんはもともと戦車道をされていたわけではないんですよね。どうして、高校から戦車道を?」
話を聞く限りでは、やはり誰も戦車道の経験はなかったようである。
強いて言えば、軍服のエルヴィンが戦車戦に関する知識を持っている、というくらいのようだ。それでも、戦車に乗ったのは高校がはじめてということだが。
まぁ、なかなか履修者が集まらなかった過去を持っている私としては、1年目で大会に出られる程度には人が集まったという大洗のからくりが気にならないと言えば嘘になる。
エルヴィンは、実に気持ちのいい笑みを浮かべた。
「うむ、よくぞ聞いてくれた。実はな。最初は、どの選択科目を選んだものかと、私たちも悩んでいたのだ」
「去年は忍道だったから、今年は同じものはやめよう、というのはすぐ決まったんだけどなー」
そう答えたのは左衛門左だ。
忍道って、確か近代的な情報戦を教える教科だったか。……こいつら、私のことを一切他校のスパイだと疑うそぶりもなかったが、本当に単位取れたのか?
「私は茶道もいいかな、と思ったんだけどなぁ。武士の心だし」
「はぁ、似合いそうですね、おりょうさん」
羽織のせいもあるだろうが、4人の中ではおりょうが一番似合うと思われた。畳の部屋で茶を飲む。映像も簡単に浮かんだ。
尤も、すぐに「お菓子が美味しかった」と漏らす姿には、とても武士の心は感じられなかったが。
「左衛門左が座ってる系は尻が落ち着かないと言ってな。アクティブなことをやろう、という話にもなった」
「薙刀とか弓道とか」
「左衛門左は弓道が得意だしな」
「胸もないから似合っている」
「お前ら、後で覚えておけよ」
しかめっ面で仲間を脅す左衛門左。しかし、他の3人は意に介した様子もなく、雑談を続けていた。どうやら、相当気を許し合った関係のようだな。彼女らが同じ戦車に乗っているのだとすれば、連携には問題なさそうだ。おそらくは手ごわい相手になるだろう。
「ともかく、だ。そんな話をしているうちに、我々の戦史研究が活かせる科目がいいということになってだな。申込書類を改めて見てみると、戦車道があったというわけだ」
「は、はぁ…」
散々語ってもらったところで悪いが、彼女たちの場合は特殊すぎて参考にならなそうだな。ここまで濃い連中は、アンツィオにもなかなかいないだろうし。
「それがまさか、いきなり全国大会に出ることになるとはなー」
「西住隊長がいてくれてよかったぜよ」
うんうん、とうなずきながら歩く4人。
しかし、私は彼女たちから西住の名前が出たことに驚いた。
「西住さんって、戦車道の経験者なんですよね」
「うん?まぁ、そうだな。詳しいことが良く分からないが、いいところのお嬢様なんだろ?」
「前の学校でも戦車道をやっていたと聞いたな」
「それは、その。……怖く、ないですか?」
私は聞いた。
西住は、黒森峰では随分と恐れられているようだった。チームメイトもなんだか恐縮している様子だったし、人の近づけない雰囲気のようなものがあった。そんな彼女が、彼女たちのような変わり者と一緒にやっていけるとは思えなかったのだ。
けれど、予想に反して、彼女たち4人はきょとんとした顔になった。
「西住隊長が怖い?ないな」「ないぜよ」「ないない」「あり得ない」
4人ともが異口同音。それも、心の底から思っていることだと簡単に分かる。
「あんこうのみんなといるときなんか、完全に気が抜けているしなー」
「冷泉さんと一緒に昼寝しているのを見たぜよ。ありゃあ、幸せそうだった」
「お昼にお邪魔したこともあったが、あれは完全に餌付けされていたな。小鳥のように差し出された食べ物をひたすら食べていた」
「グデーリアンから聞いたのだが、夜は子供っぽいパジャマで寝ているらしいぞ」
「あの体でそれは犯罪だろ」
4人は西住まほのことについて、ここが抜けているだの、こんなことがあっただのと、ほほえましいエピソードを次々と話してくれる。しかし、にわかには信じられないことだった。
黒森峰の西住まほと言えば、孤高の存在だった。少なくとも、私にとってはそうだ。だからこそ、彼女たちの話は信じられないし、この前の大会での笑顔も信じられなかった。
あいつはもっと、人の心がない機械みたいなやつだった。
何かが変わったのか?
もしかすると、私がここにやってきたのは、それを知りたかったからなのかもしれない。
「と、そろそろ着くな。……うん?あんこうは居ないみたいだな」
「生徒会もいないぞ」
「遅刻か?」
やがて、倉庫までたどり着く。流石に学園艦の上の学校だ。敷地が広い。移動に車が使いたくなる。
倉庫の中は、特段変わったものはないように思えた。
独特な鉄臭さが充満しているが、中にいる生徒たちは、誰も気にしていないようだ。
……ん?なんであそこは、バレーボールで遊んでるんだ?
背の高い3人と小さい子が1人。延々とレシーブでボールを繋いでいる。恰好も、彼女たちはバレーのユニフォームのように見えた。
他には、全体的に小さい子たちが寄り集まっている。一年生だろうか。
すると、中からひとり、真面目そうな顔の少女が駆け寄ってくる。
「あ、おはようございます」
「おはよう。あんこうと生徒会は?いないようだけど」
「次の試合に向けて打合せだそうです。遅くなるということですから、先に整備をして待っていてくれと」
「なるほど」
やはり、というか。カエサルの口調からして、彼女とは先輩後輩の関係のようだな。そして、西住達はうちとの試合に向けて作戦会議中と。警戒されているみたいで何よりだ。いや、しかし、侮ってくれたほうが都合はいいんだが。うーむ、プライド的には、警戒される方が強豪校っぽくて気分はいいな。まぁ、なんだ。今回は秘密兵器もあることだしな。警戒されても、その上をいけばいいだけか。はっはっは。
「ところで、そちらの見慣れないお客さんは誰ですか?」
「うん?ああ。こちら、安藤さん。戦車道に興味があるということで見学に連れてきたんだ。安藤さん。こっちは、澤梓。あのM3中戦車の車長だよ」
「あ、どうも。安藤チエです」
「どうもどうも。澤梓です」
と、互いにお見合いかと思うくらい頭をぺこぺこと下げ合った。たぶん、生真面目な子なのだと思う。
それにしても、M3中戦車か。……いいなぁ。
「あの、もしかして、安藤さんって戦車に詳しかったりしますか?」
「へ?」
「いや、なんだか秋山先輩みたいな表情でM3を見ていたように見えたので」
秋山先輩と言われても、私には誰のことだか分からないが、おそらく戦車が特別好きな子なのだろう。しかし、違うのだ。私がM3を見ていたのは、ただ、羨ましかっただけなのだ。勘違いしないでよね。
すると、にやにやとエルヴィンが揶揄ってきた。
「確かに。グデーリアンとよく似た熱い視線を送っているように見えた。どうだろう、M3をもっと近くで見てみては」
「あ、その、ははは…わー、うれしいなー」
まさか、うちの戦力として欲しいと思っていた、なんてことは言えない。
本当、ここの倉庫の戦車を見る限り、大洗の戦車もお世辞には優秀で性能がいい戦車が揃っているとは言えない。M3だって、車高が高いせいで遠方から発見されやすいし、被弾面積も大きい。ロシアでは、「7人用共同墓地」なんてあだ名されていたくらいだ。けれど、75mm砲は強力で、うちにはない火力ということは確かだ。セモヴェンテより、よっぽど命中率だっていいだろう。装甲も悪くない。
ま、まぁ、うちの秘密兵器のほうがよっぽどすごいし!中戦車なんて目じゃないし!だって重戦車だし!
それはそれとして、M3が間近で見られるのは嬉しいので、言葉に甘えて近くで見させてもらった。
「あれ?その人誰?」
ふと、何かに夢中になっていたらしい少女が、私のことに気がついたようだった。一斉に、少女たちの視線が私に向く。うわぁ、可愛い子が多いなぁ、大洗。
「みんな失礼でしょ。この人は安藤チエさん。今日は見学に来てるんだよ」
「いえいえ、気にしないでください。私がお邪魔してる側ですから」
そもそも、敵状の偵察だなんてことは言えない。邪魔どころの話ではないのだ。
M3の乗員は6人いるようだった。
我先に、と自己紹介をしてくれるが、正直覚えられない。とりあえず、背の高い子。背の小さい子。ふわふわボイスの子。眼鏡の子。静かな子。と覚えよう。流石に澤さんの名前は覚えたが。
この子達は、先ほどの4人に比べても、さらに初心者の集まり、と言う感じだった。
「ドーンって音が鳴って、かっこいい!ってなってね!それでね!」
「もう、安藤さんもそれじゃあ分からないよ!」
「あ、あはは」
とりあえず、彼女たちにも戦車道を始めたきっかけを聞くことにした。すると、背の小さい子が楽しそうに話してくれるのだが、いかんせん擬音が多くて要領を得ない。時折、澤が「今のはこういうことで」という注釈を入れてくれるのだが、それなら最初から澤だけから話を聞きたい。
ともかく、彼女たちは仲良し6人組で、戦車道のオリエンテーションに影響されて、戦車道の履修を決めたということらしい。なんでも、体育館に集められて、映画のようなものを見せられたそうだ。実際、彼女たちは凄かった。と言っているのだから、それなりのクオリティだったのだろう。機会があれば私にも見せてもらいたい。
「ところで、戦車道の練習はどうですか?」
「たのしいっ!」
またも回答をくれたのは背の小さい子。先ほどから、「かりな」と呼ばれているので、いい加減覚えてきた。
しかし、他の子たちも似たような回答のようだ。中には、暑い。だとか、砲弾が重い、だとか。まぁ、初心者でなくても、戦車道の辛いところとしてあげるだろう感想がちらほら聞こえてきたあたり、繕った回答でないということは分かった。
「じゃあ、隊長はどうですか」
「西住隊長?」
何を聞きたいのだろう。という表情で、かりなも固まる。
「あ、いや、ちょっと怖いじゃないですか。不愛想ですし、口数も少ないし。なんか、こう。近寄りがたいというか」
少なくとも、私はそうだ。勿論、これまでずっと敵同士だったから、というのもあるのだろうけれども。
すると、
「そんなことないよ?」
やはり、一番に答えたのはかりなだった。
「先輩はすっごくいいひとだよっ。分からないところを聞きに行ったらすごく丁寧に教えてくれるしっ。実際に隣で動かして教えてくれたり」
「へ、へぇ…」
「私も桂利奈と一緒に勉強教えてもらったけど、すっごい分かりやすかったなぁ。前に冷泉先輩に聞いたときはちんぷんかんぷんだったけど。人に教えるのに、慣れてる、って感じ」
「この前、うさぎの餌やりにも付き合ってくれたし」
「最初はちょっと怖かったけどねぇ~」
「……」
「だよねぇ。それ分かるー」
5人がそれぞれ思うところを言っていく。いや、一人はちょっと分からないけど。喋ったか?いや、背の高い子が何か分かったらしいから、声がものすごく小さかったのかもしれない。
ともかく、予想以上に西住は慕われているようだ。
「かわいいひとですよね。先輩なんですけど。放っておけないっていうか。あ、でもでも、戦車道に関しては本当にすごい人で。試合中なんて、見惚れるくらいに格好よくて」
「梓は本当に西住隊長のことが好きだよねぇ」
「あ、あやぁ!」
澤が顔を真っ赤にして怒りだす。しかし、それも間違いとは思えなかった。西住のことを語る澤の顔は、まるで恋をしているようにも見えて、単なる憧れとも違ったように思う。
……これは、罪作りだぞ、西住。恋愛小説好きとして、女同士というのを否定するつもりもないが。
……ちゃんと責任とってやれよ?
ちなみに、折角と思って、バレーをしていた彼女らにも話しかけたのだが、何はともかくバレーボール、ということで、いきなりバレーボールに誘われた。気づいたら名誉バレー部員なる称号を与えられたのだけど、彼女たちはなんだったのだろうか。
5.
「なんだ。意外と楽しそうにやっているじゃないか」
西住まほが黒森峰を転校した、という噂は聞いていた。
その原因は、おそらく去年の大会だろうということも想像がついた。まさか、あいつがあんなことをするとは思ってもみなかったが。
しかし、私が知っていたのは、あいつのほんの一面でしかなかったんだなぁ、ということが今回のことでよくわかった。
勝手に終生のライバルとか思っていて恥ずかしい限りだ。
あれから、西住が戻ってくる前に私は倉庫から退散した。
流石に、顔を合わせたらバレるかもしれないし。
隊長の私が、こんなところで捕虜になったら大変だからな。欲をかいても仕方がない。
「それで、そんなところで何をしているんですか。安斎さん」
「んな!?」
声がした。
「に、西住!?」
「ご無沙汰してます」
校舎の陰、さっさと着替えて出ていくつもりだったんだが、まさか西住に見つかるとは思っていなかった。というか、私はまだ変装を解いていないんだが。
「べ、別人ですよ。私は安藤と言いますぅ…」
「今反応したじゃないですか」
そりゃあそうだ、と観念する。
じとっとした目で見つめられた。
目の前にいる西住は、記憶にある姿よりも少しだけ大人びているように思えた。少し背も伸びたか。昔より差ができたように感じる。
「まさか、隊長自ら偵察に来るとは思ってなかったです」
「つ、捕まえるつもりか……?」
「しませんよ、そんなこと」
私はこぶしをにぎりしめ、身構える。しかし、予想に反して、西住はその場を動こうともしなかった。肩を竦めるだけだ。
「サンダースではないですけど、見られたところで困るようなものもありませんし。それに、あなたのことですから、何か悪さをしようと思って来たわけでもないでしょう。そういう意味では、信頼しています」
「西住……」
「あと、偵察だったら、うちもやっているので」
「西住ィ!!」
こいつ、何を平気な顔で言ってやがるんだ!?
っていうか、え?偵察?ま、まさか……、あれのことがバレたんじゃ……。
「よく買えましたね、P40なんて」
「うがぁあああああああああああ!?」
私は、頭を抱えて大声で叫んだ。今更潜入がどうこうとか関係なかった。
う、うちの秘密兵器が……。当日、盛大に見せつけて驚かせようと思ったのに。
すると、「ふふふ」っていう声が聞こえた。
見ると、西住が笑っている。
「お前……、笑えたんだな」
「わたしを何だと思ってるんですか?」
「血の通ってない戦車道マシーン」
「そういえばそうでしたね。前にも言われたことがありましたっけ」
過去のことを思い出す。しかし、西住もちゃんと覚えていたんだな。てっきり、相手にされていないものと思っていた。視界に入っていないんじゃないかって。
「あの頃は、……すみません。わたしも、たぶん態度が悪かったですよね」
「そんなことを言ったら、私だってそうだ。嫌味なことも言ったし、色々と挑発もした。まさか、覚えられているとは思わなかったが」
互いに謝り、おかしな空気が流れる。
気まずいような、けれど、温かいような。
「変わったな、西住」
「そうですね」
否定はしなかった。
「どうだ、楽しいか?戦車道」
「はい。楽しいです、戦車道」
「そうか」
言葉は短いが、そこには万感の思いが込められている。そう分かった。
まさか、こんなセリフが聞けるなんて思いもしなかった。
昔の西住からは考えられない。
いや、もしかすると、当時から西住はこんなやつだったのかもしれないな。
ただ、誰もそんなことを知ろうとしなかっただけで。
晴れやかな気分だった。
目に物見せてやるとか、そういう気持ちは全部吹っ飛んだ。残っているのは、ただ、いい勝負がしたいな、という気持ちだけだ。
私は、びしっと指を突きつけた。
「勝負だ、西住。うちは強いぞ」
「絶対に負けません。わたしたちだって、強いですから」
西住が笑う。好戦的な、けれど、子供みたいな笑みだ。
本当に、いい顔で笑うようになった。
右手が動く。
たぶん、握手をしようとしたのだ。
けれど、私は伸ばしかけた右手を引き戻した。
「握手はしない。それは、次の機会にとっておこう」
どうせ試合会場で会うんだ。握手は、その時でもいい。勝っても負けても、きっと清々しい気分で握手ができるはずだ。
そりゃあ、負けるつもりはないけどな。勝って、「どうだ、見たか!」って言ってやりたい。私の作ったチームを、自慢したい。あいつらを自慢したい。
「分かりました。それでは、安斎さん」
たぶん、お気をつけて。とでも言おうとしたのだと思う。
けれど、その言葉は受け取れなかった。
受け取らなかった。
「違うぞ、西住」
私は、眼鏡を外す。
そして、ぼんやりとした視界で、西住がいるだろう場所を見つめた。
息を吸う。
「私の名前は、ドゥーチェ・アンチョビ!アンチョビだぁ!」
はぁーっはっはっはっはぁ!!と高笑いをすることも忘れない。
すると、西住は目を丸くする。きっとしただろう。
やがて、ぷっ、と耐え切れないとばかりに噴出した。
「あなただって、よっぽど変わったじゃないですか。そんなこと言うキャラじゃなかったですよね」
「うるさいなっ」
言うなよ、こっちだって恥ずかしいんだから。
けれど、そう言えばそうか。
西住だけじゃない。私だって変わったんだ。
だから、
「変わったのは、キャラだけじゃないってところを見せてやる」
「のぞむところです」
宣戦布告だ。
きっと私は、そのために
ただ歴女を登場させたかっただけの話。
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